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阿含宗と桐山氏について―第三十九章― 仮設スレッド



   ※このPは記事400〜499までです。

[400]マギー・ジロー 08/10/06 19:15 ckZHOmXmJH
アラハンもですから
独自に発見した真理でなく
釈尊の右に習ってるでしょう。
[401]マギー・ジロー 08/10/06 19:41 ckZHOmXmJH
2chにも書いたけど釈迦の苦集滅諦も
地に脚を着けて生きるうえに欠点おあるゆえ
大乗経典も使用するわけでしょう。

苦集滅諦を本気で享受した時
自殺してでも死に価値を感じ
向こうへ行く。

常見と断見に中道を教えた。
だが心解脱から自殺したい者を
釈迦は止めていない。

しかし
人類が皆、心解脱して核のボタン押して
滅ぶのを仏は望むのかな

神と悪魔でなく神と仏の中道と比喩しても
いいんじゃない。

[402]0 08/10/06 19:42 SdVZTYZabF
願望のリストつくりの修行課題は、四念処観ですね。

独鈷の加持が成仏法とひらめくことが大事です。
[403]にゃんこ 08/10/06 20:36 baUeKhGoKq
>>402
執着、とんよくとなり
他人にや環境に危害を与えるものとなっては
悪魔の誘惑だにゃ。
[404]にゃんこ 08/10/06 21:15 baUeKhGoKq
釈尊を守護した
ムチャリンダ竜王
コブラと同じ姿にて描写されてるね
旧約では蛇は知恵でもありますね。
釈尊懐妊の時にマーヤ婦人の脇から
入った六牙白像は聖天(魔王)としても
描写されます。

同時に釈尊の自殺を食い止め
法を衆生へ説くように進めた梵天(ブラフマー)
女神に描写される宇宙意識の母性愛を
感じますね。

仏道も含め、ありとあらゆる宗教の原点は
旧約に始まり旧約へ帰るんだね。

昔あられ今もおられ未来に来られる方
[405]0 08/10/06 21:15 SdVZTYZabF
独鈷の先に、ピラミッドが付いてるのが重要なのです。

独鈷の加持と求聞持法と止息法が同じと気づくことが重要です。
[406]にゃんこ 08/10/06 21:25 baUeKhGoKq
>>405
にゃにが目的で?
解脱したい!霊覚者になる!俺は勝つ!
で火事をする。
欲求でにゃいの?

[407]ラシン 08/10/06 21:44 *uZs1KhDPLSb*wl/g8u57Xi
>[400]マギー・ジロー
アラハンもですから 独自に発見した真理でなく
釈尊の右に習ってるでしょう。

はい、ご承知のようにアラハトは釈尊の法に従って涅槃を得、
釈尊の法を当時において伝承していたと、認識しています。

>401
2chにも書いたけど釈迦の苦集滅諦も
地に脚を着けて生きるうえに欠点おあるゆえ 大乗経典も使用するわけでしょう。

マギーさんは随分、仏道において達観されていますね。
私の私欲を抜きにして阿含経を解釈しますと、
現世の幸福を求めることもそれは所詮 苦だと、看破したのが仏教
と、理解しますと、はたしてそれを欠点と見なせるでしょうか?

>苦集滅諦を本気で享受した時自殺してでも死に価値を感じ
向こうへ行く。

これも釈尊に倣ったあなたの”赴機問”に思えてなりません。
ご承知のように釈尊は涅槃に到達して、そのまま無余依涅槃を
目指した分けですが、思いとどまりましたから、、、。

>しかし 人類が皆、心解脱して核のボタン押して滅ぶのを仏は望むのかな

これはマギーさんが仕掛けた陥穽でしょう、答えは否です。
回答はあなた自身がご存知のはずです。

[408]マギー 08/10/06 22:12 V-oKv7I
世を端的に苦しみと捉えると、苦しみを呼ぶ因果となりますよ。
この世で免れない苦しみが生老病死であると肝に命じ、貪欲なき善楽であることですよ。
上座部が大乗経典を使用してるのは事実ですよ。
ミャンマー上座部の長老による大乗経典の説法集をWebから見つけましたからね。

[409]マギー 08/10/06 22:28 V-oKv7I
私たち、集合意識の影響をクリスタルチャイルドは強く受ける感受性も持ちあわせていて、六歳のこの子が誰からも教わるわけでもなく死にたい宇宙から消えて無くなってしまいたいと自殺しよとして大変だったんですよ。まだ六歳ですよ。
[410]ユビキタス 08/10/07 00:16 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
イスラム密教?
スーフィズムのことか?
で、マントラ?解脱?ブッダ?
なんのこっちゃ?
[411]0 08/10/07 07:42 ArLporUbH3
哀れくずるや星条旗。去年書き込みして当てました。

今年の11月27日に、日本は中国に併合される。
日本人4000万人が殺される?
[412]ユビキタス 08/10/07 08:56 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
釈尊「シュローナよ。琴の弦は張りすぎてもよくないし、緩み過ぎてもよくない。
  足の裏から血を出すような苦行をしてないで、頃合加減というものを知りなさい」
子孫「な?そうだろ?あんたはやり過ぎなんだよ」
釈尊「子孫よ。おまえは緩み過ぎなんじゃよ」
[413]ラシン 08/10/07 09:21 *uZs1KhDPLSb*CxDbsVAJYn
>[412]ユビキタス 08/10/07 08:56 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
釈尊「シュローナよ。琴の弦は張りすぎてもよくないし、緩み過ぎてもよくない。
  足の裏から血を出すような苦行をしてないで、頃合加減というものを知りなさい」

ユビさんの引用句で考えられることはひとつです。
釈尊自身は苦行を捨て去ったのですから、
自らを苦しめる行について、弦の張りすぎという喩えで戒めた。
決して、子孫さんの解釈した修行の中道を説いたのではありませんね。
苦行は駄目だということです。
[414]○○屋 08/10/07 11:07 D-zHciV
そこのところの意見は、全く反対です。

苦行したから非想非や無処有ではないビバサナ瞑想が出来たと考えるほうが合理的に思います。
[415]ラシン 08/10/07 13:45 *uZs1KhDPLSb*CxDbsVAJYn
>[414]○○屋 08/10/07 11:07 D-zHciV
そこのところの意見は、全く反対です。

友松圓諦著の阿含経入門では
「釈尊は何人かの外道の元で様々な苦行を経験した末に、それらをただ悪戯に肉体を
苦しめるだけのもの・・・」として捨て去った、との解説があります。
私も信者時代は苦行の過程があって、解脱へいたる瞑想が完成すると考えていました。
しかし、釈尊は戒律と梵行を実践することで、その身を清浄ならしめ瞑想が
完成してゆく可能性を悟ったと考えます。
ゆえに、弟子達にもそのように教示し、指導したのだと解釈できます。
つまり、自己の肉体を極限まで虐め抜く苦行の代わりが、日々の梵行で可能ならしめた
と、理解できるものです。

ところで2chは見れますか?
またサーバー移動したのでしょうか?
[416]○○屋 08/10/07 14:40 D-zHciV
わたしは携帯からですが、アクセスできます。002は書き込み終了したようですが。
[417]私は誰か? 干柿 08/10/07 22:13 HeX7Q/QtF8
苦行っていいますが、何が苦行なのか?
ということでしょ
荒野や墓地で瞑想なりの行をすることは釈迦はすすめていますから
それは苦行ではないでしょうし
毎日托鉢で歩きとすことも苦ではないでしょう
では比叡山の千日回峰行は苦行でしょうか?
[418]○○屋 08/10/07 23:06 LJegVIrxX1
私が「苦行」によって釈尊が新たな境地を開拓したであろうことの根拠を示します。

スッタニパータ
  第三 大いなる章
    二、つとめはげむこと

428 ・・・・・(苦行に)つとめはげんだところで、何になろうか。(悪魔のささやきです)



434 (身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。
   肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と
   統一した心とはますます安立するに至る。
435  わたくしはこのように安住し、最大の苦痛を受けているの
   であるから、、わが心は諸々の欲望にひかれることはない。
   見よ、心身の清らかなことを。(釈尊の悪魔に対する答えです)

この章を読むと、苦行って必要じゃん・・・って思っても仕方ないと
思いません?

>友松圓諦著の阿含経入門では
>「釈尊は何人かの外道の元で様々な苦行を経験した末に、それらをた
>だ悪戯に肉体を
>苦しめるだけのもの・・・」として捨て去った、との解説があります。

友松先生はスッタニパータをどう評価していたのでしょうか?
[419]ラシン 08/10/08 10:45 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
>この章を読むと、苦行って必要じゃん・・・って思っても仕方ないと
思いません?

○○屋さんと私の考える苦行とは一致しています。
肉体を限界まで苛み、欲を遠ざけるための清浄行で行のための行では
ないことを、、、。
なるほど、○○屋さんの苦行の根拠がスッタニパータに示されていたのですね。
ではどうして、それを弟子達に示さなかったのかを再度、考えてみます。
――スッタニパータ第五章:「彼岸に至る道の章」――
「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては清らかな行いをまもり、妄執を離れて、
 つねに気をつけ、究め明らめて、安らいに帰した修行者、――かれには動揺は
 存在しない。
 かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。
 かれを、わたしは⟨偉大な人⟩と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」
[420]ラシン 08/10/08 12:09 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
<2、つとめはげむこと>
425 ネーランジャラー河の畔にあって、安穏を得るために、つとめはげみ専心し、努力して瞑想していたわたくしに、
426 (悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて、言った、あなたは痩せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。
427 あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ、生きよ。生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をもなすこともできるのだ。
428 あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火にに供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)つとめはげんだところで、何になろうか。

これが○○屋さんの示されたスッタニパータ第三章の序章です。
425の「安穏を得るために、つとめはげみ専心し、」と、あるように
この段階は、釈尊が最後の解脱のための瞑想中に起きた出来事です。
これは、悪魔の誘惑に対して今までの苦行をバネとし、決意を表したことですから、
○○屋さんの指摘する苦行を否定することにはなりませんね、ただしこの段階では、、。
解脱を求めて釈尊は、師なくして自己のみを頼みとして様々な修行法を試みた。
その一つが、結果として、苦行による清浄行の実践であり、その成果でした。
つまり、修行時代の釈尊の考えは、苦行がそのまま解脱へ至るというという考えでした。
だがそれでは無理と気づいて、苦行を捨て、瞑想に臨み、結果その決断は
間違いではなかったことを証明しています。
私はこのことを以って釈尊が、苦行の必要を否定したとは考えていません。
しかし成道後、釈尊は苦行という行為ではない戒律と梵行の実践において、
苦行以上の清浄の成果を得ることができると悟り、弟子達にもそれを示した。
このように私は理解しております。

[421]○○屋 08/10/08 12:26 D-zHciV
ラシンさんの言われることはもっともであり、私もその点はなんとなく納得しています。一部疑問は残りますが・・・

苦行必要な場合もあるが、必要ではないばあいもある。釈迦はニルバーナを得るのには苦行が必要であった。弟子には必要なかった。

これらのことを検証し『修行のメカニズム』を解析して、自分が正しいか、間違いかの判断材料にすることが有意義ではありませんか?
[422]ラシン 08/10/08 13:02 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
>釈迦はニルバーナを得るのには苦行が必要であった。弟子には必要なかった。

そうですね、私も賛同します。
漢訳阿含経やパーリー聖典すべてが、釈尊金口の直説と考えると、矛盾もあります。
スッタニパータでさえ、アートマンにおいては反仏教的と見る考え方もあるようです。
ここで我々はそれらの事実に対してどう向き合うか?
参考にすべき見解がありますので引用します。

ー曽我逸郎さんの小論集よりー
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/suttanip.html
いかに原始仏典の古層といえども、そこから「仏陀の言葉」そのもの
(いわゆる「金口の直説」)を抽出することは、不可能である。
従って、われわれは、「仏陀の言葉」そのものというよりも、
むしろ「仏陀の説」あるいは「仏陀の思想」を推理しうるのみなのである。
それ故、われわれはここで、「仏陀の言葉」そのものを最古層の仏典より
直接抽出しようとする"文献学的方法"を捨てて、「仏陀の思想」を
論理的に推理し再構築しようとする"思想史的方法"に
よらざるをえないであろう。

[423]○○屋 08/10/08 14:20 D-zHciV
ラシンさん

こんな考え方を言われたのは初めてです。

『阿含経にはこう書いている、だからあなたの言うことは間違っているのだ』と木で鼻をくくったレスばかりでした。

前にもレスした様に、わたしはどちらサイドにも寄らない真実を知りたいのです。それが阿含宗とかけはなれたものであっても、真実を知り、判断はその後に行うつもりです。
[424]ラシン 08/10/08 16:36 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
>前にもレスした様に、わたしはどちらサイドにも寄らない真実を知りたいのです。
それが阿含宗とかけはなれたものであっても、真実を知り、判断はその後に行うつもりです。

そうですね、そのお気持ちは理解できるものです。
アーガマといえど、後世の創作や解釈が紛れ込んだものもあります。
その意味でも釈尊の思想を推察しながら、その正しい教法を取捨選択し、
構築する、という視点も必要と考えます。
ただ2chもザBBも、アゴン宗や桐山さんを阿含経に照らして吟味する
スレですから、その意味ではアーガマに記述された内容を無視することは
できないでしょう。
むしろ今回、苦行について○○屋さんと考えた成道前後の時系列的
解釈や、その論拠となるアーガマの別の記述を比較照合する姿勢も、
忘れてはならないでしょうね。
[425]ラシン 08/10/08 17:55 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
誤:その正しい教法を取捨選択し、
正:その正しい教法を記述された内容から選別し、
[426]○○屋 08/10/08 18:46 c8ByyH2R0n
今回、苦行にスポットを当てて、深く考察したことで理解できたことは、ニルバーナに至るのに、

集中瞑想 → 浄めの行 → 観察瞑想 → 知恵瞑想(漏尽通)= 解脱

の構図で、浄めの行 がブッダには苦行であり、弟子たちには『戒行と梵行』である可能性があることです。ストゥーパを礼拝するのも、
他の信仰の法に従うのも「清まる」とアーガマには記述があります。

信仰は仏教に関わらず「清まる」ようです。ここまでは在家でも、
他(釈迦仏教ではないという意味ですが)の信仰でも(もちろん
阿含宗でも)可能なようです。

「清めの行」をある程度行うと「観察の瞑想」が可能なのか、どうか、
が次の課題ですね。
[427]ユビキタス 08/10/08 19:30 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
私は〇〇屋さん個人の仏教一般に関する疑問に対しては、アゴン宗の話とも
関係ないので基本的にレスはしないことを基本姿勢としています。
そういうことを勉強したければ、このスレで教えて教えてのクレクレ厨をする
のでなく、もっと図書館にでも行って仏教書を読みあさるとか、掲示板で質問を
するにしても、原始仏教とか仏教一般に関するスレに行って質問をすればよいと思う。
しかし三明六通とか苦行の重視とかは桐山さんに共通するものであり、また桐山さんが
そう説いたから今の〇〇屋さんの希望的解釈があるのだから、そのへんの心の構造を
指摘したい。それはアゴン宗信者を考えることにおいて意義のあることだから。
胆汁や血が枯れるような苦行を釈尊は弟子の指導にあたってしたかというのが
指標ですね。いかに釈尊が極端な苦行の「回り道」を経験していたにしても。
弟子にはちゃんと中道を説いている。
それから三明の問題もまたサーリプッタなどのような十大弟子ですらそのような
宿命智だの天眼智だの神通力を獲得などしていないし、そういう弟子がたくさんいる。
しかし彼らは最高の阿羅漢果を得たというのです。
これは何を意味するか?
必要なのは漏尽智、漏尽通だけということです。
あとは集中の行としてのサマタの与え得る副産物と考えればよい。
干柿さんが書いたようにあの時代釈尊以前から神通力も得るサマタの苦行があった。
集中の行があった。しかしこれだけではどうしても煩悩を断てない。
呼吸数も極端に少ない自己を滅する行をしていて、その間煩悩が起こらなくて
済んでも、行から戻ると、また煩悩の虜に逆戻りだからです。
そこでヴィパッサナーという観察の行を四六時中取り入れた。
これで四六時中煩悩と対峙していく。
神通力などはあくまでもサマタの副産物の効能と考えればよい。
釈尊は三明六通も得ていたが、他の弟子は漏尽通だけを得ていて神通力はない、
しかしそれで合格で、それ以上のものはなかったのです。
つまり苦行は否定して中道を説いたこととと一致します。
もちろん中道は快楽にも堕さない道ですから、その自己制御の道ってかなり厳しいです。
戒律の問題を考えてみても観察が四六時中であることを考えてみても。
かなり苦行したから精進落としすっかなんて話ではない。
さて〇〇屋さんなどはどうして苦行にこだわるのか考察したい。
[428]○○屋 08/10/08 19:54 c8ByyH2R0n
>さて〇〇屋さんなどはどうして苦行にこだわるのか考察したい。

何を言い出すかはわかりませんが、私はラシンさんとのやり取りで、苦行と 「四六時中煩悩と対峙」することが同じ効果があらわれ、その効果とは「浄まる」ことであることがわかりました。

で?わたしが何にこだわるのですか?
[429]ユビキタス 08/10/08 20:07 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
〇〇屋さんら信者さんに見られるこの特殊な苦行へのこだわりは、あるがままの
自分と対峙していくことを嫌う現実逃避です。
そんな窮屈な話、実行したくない。
単なる道徳だなんて侮辱して。
単なる道徳と思うのならば試しにやってみればいいのだ。その単なる道徳を。
しかしやりたくない。
人間は道徳なんかでは少しも変えられないんだよ。俺は道徳なんかではテコでも
動かせないんだよなんておかしな信念を最初から持ってしまっている。
で、道徳すら実践しない。お説教はやめてくれ。
俺ってわがままなんだから。それが動かし難い業なんだからと自分に予防線を張る。
道徳でも法律でも人間はある程度は進歩向上させられるのだ。
飲酒運転などで人を轢いて死なせたら業務上過失致死は今は適用されない。
10年は牢屋に入る厳しい刑が科されます。
しかしこのように法律を厳しくすることによって少しでも効果は上がっているわけです。
嫌煙権だのリサイクル運動だのが提唱された当初、愛煙家である私の父などは
これを冷笑していたようだ。そんなことして何の効果がある?
しかし効果はかなり上がった。今はポイ捨てをする人もいないことはないが
かなり減っている。
喫煙の許された場所だけで喫煙をするのは当たり前だし、ゴミも分別を意識しないで
出す奴は少ない。
制度が世の中を変えてしまったのです。
わかっちゃいるけどやめられないなんて言い訳は無用です。
甘ったれの通用しない世界です。
ところが〇〇屋さんに見られるアゴン宗信者の甘さは最初からいま現実の自分と
対峙することを諦めさせる。
で、何をやるかというと「特殊なタパス」のような苦行をやらせる。
道徳も実行できん奴にどうして苦行ができるか?とも言いたいが、桐山さんも
そうだろうが案外に滝に打たれるがごとき荒行なんて刺激的で面白そうと目先を
変えている。目は自分ではなく、外を向き、このレジャーを求める。
そして荒行苦行をすると自分が変身するものと期待している。
おっ?おっ?おっ?おっ?おっ?ってな具合に変わっていく。
チャクラが熱いぜ。
こうして変身してしまった特異体質の自分なんだから、今度こそ煩悩解脱でも
何でも挑戦できる。(と思う)
だからまずは苦行みたいのしてみて変身が先決というのが、苦行を求める理由です。
こうして煩悩解脱の課題を先に先にと遠ざけた。
夢みたいなこと考えて現実の自分をいつまでも直視しないで。
[430]ユビキタス 08/10/08 20:18 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
だからこのようないつまでも自分と対峙したくないアゴン宗の信者のような
甘ちゃんには、実は桐山さんのように「看板だけ見せて実は何も教えない」というやり方こそが
彼らのニーズを満たしているという逆説的な考え方もできる。
もともとが現実を直視したくなくて逃避してきた連中なんだから、目標をより遠くに
遠くに与えて、引き延ばしていく。
引き伸ばされた方が彼は幸せなんです。
いつまでも甘い夢を見ている段階にとどまっていられるのは、彼らにとって幸せな
ことかもしれない。
現実から遠ければ遠いほど、現実逃避者のニーズに答えている。
だからアゴン宗もそれなりに長く繁盛していられる。
彼らの甘い煩悩をターゲットとしたなかなかうまい商売です。
[431]○○屋 08/10/08 20:58 c8ByyH2R0n
>〇〇屋さんら信者さんに見られるこの特殊な苦行へのこだわりは、あるがままの
自分と対峙していくことを嫌う現実逃避です。
そんな窮屈な話、実行したくない。
単なる道徳だなんて侮辱して。
単なる道徳と思うのならば試しにやってみればいいのだ。その単なる道徳を。

この人は自分の文章にすっかり酔っているようですね。
私はこの人に、「ゴロツキ」だの「態度悪い」だの言われましたが、その態度とは

>スレに参加して質問をしたりするならば、それほど遡って過去ログを検証する
>必要もないが、最低限現在進行形の議論内容、各自の書き込みに全て目を通すのが
>マナーというものです。

だそうだ。

私はユビキタス師の >>429 >>430 の直前、ユビキタス師のレスが
「単なるゴロツキ」にならないようにとの老婆心から、簡潔に>>426 でわたしが言いたかったことの結論を >>428 に記述しています。

それをあなたは読まないで、勘違いしたレスを長文で記述している。
回りくどく、わかりにくい文章で・・・

ユビキタスさんは釈尊の成仏法、とか釈尊がどのようにニルバーナを得て、それを自分の修行や阿含宗の修行ととどう結びつくか、あるいは結びつかないか、という考察を進めているわたくしを「クレクレ厨」なんて罵ることが重要で、考察の中身は眼中になく、私の「精神分析」の方が興味あるようですね。
[432]孫 青柿 (あおがき) 08/10/08 21:45 Pwen026JJR
>>426
>「清めの行」をある程度行うと「観察の瞑想」が可能なのか、どうか、が次の課題ですね。

そんなに難しく考えることはありません。下記のようなことにならないためです。

「【右足】ヴィパッサナー瞑想法3【左足】」 より

25 :名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 02:10:32 ID:VFkFpe8E
毎日続けるためにオナニーの時間にヴィパッサナーを取り入れることにしました。
この場合女のこのことを想像したりせずに、
股間の感覚に集中したほうがいいのでしょうか?

26 :名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 12:28:56 ID:NAD3FgCo
ひたすら感覚に集中しなさい。
快感に流されてはなりません。
快感が出る前の感覚に集中しなさい。

27 :名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 23:21:37 ID:3aiDCa2z
右手、上げます、下げます、上げます、下げます
[433]ユビキタス 08/10/08 21:48 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>431
「ゴロツキ」「クレクレ厨」と書いたのは、2chでの樹意さんや名無しと呼び捨てにした人らに対する態度です。
樹意さんはわかりやすい、わかりにくいの問題はさておき阿含経を示してくれた。
それも八正道の話が出た時に、タイムリーに八正道には四念処なども含まれる
単なる道徳の教えでないことを示す阿含経の文章を示してくれた。
それをあなたは何の理由があって阿含経なんか出す?荒らしに等しいとあなたは
毒づいた。
君らアゴン宗の信徒だろ?阿含経を出さねばならないのはそちらのはずです。
ましてや〇〇屋さんは桐山さんの数々の嘘を認め、桐山教に対する諦めのような
感情も持っているようだ。これまでの書き込みの経緯から行くと。
しかしまだ仏教という道には諦めてはおらず、道を求めているのがわかる。
それはよいのだが、仏教の阿含経を引用してくれた樹意さんに文句をたれた。
本気で道を求める気はあるのか?
マトモに道を求める気はあるのか?
七氏さんも文体はわかりやすいものの長いという理由だけでスルーしているのだという。
こんな奴のどこが道を求めて何かを発見できる?
ゴロツキみたいなもんじゃないか?と書いたのです。
クレクレ厨はこのスレでもどこのスレでもやっている。
どうして自分で調べないで、ラシンさんなどを見つけて教えて教えてとねだるのか?
もちろん仏舎利信仰の清まるに対する私見も示してくれました。
それに対するレスはまた別にする予定です。どこで書くかな?
ラシンさんだって苦行を否定しているし、仏舎利信仰の話もあなたと同じ解釈か
どうか尋ねてみるとよい。
仏舎利塔を拝んだだけで清まるという話は苦行とどう関係あるのか?
どこが苦行なのか?
仏塔崇拝の話は仏塔崇拝の話。苦行の話は苦行の話。
それぞれ分けて考えるべきものです。
そしてあなたは苦行に関心を示す。
どうして関心を示すのか考察するのに、仏舎利信仰の解釈を示されたって、
答えにも反論にもなっていない。
[434]○○屋 08/10/08 22:10 c8ByyH2R0n
別にあなたに弁解する気もないが・・・

>「ゴロツキ」「クレクレ厨」と書いたのは、2chでの樹意さんや名無しと呼び捨てにした人らに対する態度です。

樹意さんは、私が樹意さんに意見を求めたわけでもないのに、意見なんぞ求めるなら阿含経読め、とうレスに対して、そんな余計なことを書き込む場ではないと思った。阿含経読めば人の意見なんぞ聞かなくていいだろうに、と、取られたので、ではあなたの書き込みは必要ないのではないか?本読めば済むことであろう?

名無しは要するにハンドルを使わない「名無し」という一般名詞だ。
名無しは次の名無しと前の名無しとも本来は区別がつかない。ただ、大量カキコしてその間だけは同一人物らしい、とわかるだけで、そんな代名詞、言うならば「あのひと」にさんをつけて「あのひとさん」なんてことは、例えば自動車に「クルマさん」なんて幼稚園児なことをする必要はないと思ったんでそうしているだけで、そんな扱いを受けたくなければハンドルを使えばいいだけではないか?

これらのことと「ゴロツキ」「クレクレ厨」とどう繋がるのか意味不明だが・・・
[435]○○屋 08/10/08 22:15 c8ByyH2R0n
>本気で道を求める気はあるのか?
>マトモに道を求める気はあるのか?

あなたに言われる覚えは悪いがない。

あなたは私が阿含経に元ずく考察を進めている途上に、私の心理分析の
考察を優先している。まともに道を求める求めないは、私の個人的な
プライベートであり、そんなことをここで披瀝するつもりもないが、
人から聞かれるいわれはない。特にあなたからは。
[436]○○屋 08/10/08 22:36 c8ByyH2R0n
>仏舎利塔を拝んだだけで清まるという話は苦行とどう関係あるのか?
どこが苦行なのか?
仏塔崇拝の話は仏塔崇拝の話。苦行の話は苦行の話。
それぞれ分けて考えるべきものです。

私が散々「苦行の効果」を批判派の方の意見すら求めたのは、その必要性を感じたからであり、釈尊は「苦行」の後新たなる瞑想のときが来たと知恵の瞑想をした、そのことと釈迦は「苦行」を棄てたとの通説との
整合性をどう見るか、それが見出せなかったからである。そのこと(釈迦は苦行を棄てた)を言い続けたのは批判派であるから、どういう見解か誰でもいいからお答えいただきたい、と、下手に出て聞いたつもりです。

で、釈尊は弟子には苦行を勧めていないようだが、濾尽智は獲得している。そのことが最大の謎であったが、ラシンさんとのレスでそれは理解した。で、苦行の効果がスッタニパータにあり、それは

434 (身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。
   肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と
   統一した心とはますます安立するに至る。
435  わたくしはこのように安住し、最大の苦痛を受けているの
   であるから、、わが心は諸々の欲望にひかれることはない。
   見よ、心身の清らかなことを。

で、この効果が同程度に現れなければ、次のステップに行けないならばそれは何によるのか。それがアーガマに散見できる「これこれするのは清められる」という記述で、その一つに「仏舎利供養」があるからあのようにレスしたわけだ。

別にあなたに対する答えでも反論でもないので、気にしないで頂きたい。


[437]ユビキタス 08/10/08 22:40 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>434
正確に書くと、実は〇〇屋さんの心理分析を厳密にやる気はない。
そんなことはできない。わからない。
ただ格好の材料だったので、アゴン宗信者に共通して見られる甘えの構造を指摘するのに、
単なる道徳などと道徳を毛嫌うくせに苦行、修行などを求める傾向から分析してみた
一般論です。
実は〇〇屋さんなどどうでもよい。
[438]○○屋 08/10/08 22:46 c8ByyH2R0n
そんなことはわかっている。

そのあなたの醜い内面を十分味わえましたよ。
[439]ユビキタス 08/10/08 22:53 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>436
胆汁や血が枯れるほどの苦行の結果、清らかな心を得られたとする。
それとは別に仏塔を見るにつけ心が清まるとした。
いや、そりゃブッダの価値がわかる人には素直に清まるでしょうね。その瞬間。
だからと言って永続性はないが。
煩悩解脱を求める因にはなるでしょうが、本当に煩悩解脱できるからその人の
それからの努力次第ですね。
ともかく仏塔見ただけで心は清まる。
それは胆汁や血が枯れた苦行をしたからですか?
仏塔を見ただけで苦行になるのですか?
それともまさか、仏塔にこめられたシャカの苦行の怨念が見る人に伝播して
胆汁や血を枯らせて清らかさを与えるのですか?
あなたの清まるという単語だけで話を関連付けるのは下手過ぎます。
[440]○○屋 08/10/08 22:57 c8ByyH2R0n
>>439

それを検証するには「苦行」をやる必要がありそうですね。
では、あなたは否定する前提で「苦行」なさってみてください。
その後あなたの意見を聞けば、苦行が必須かほかの修行で代用可能か
が判断できる・・かも・・・しれないのでね。
[441]○○屋 08/10/09 07:44 D-zHciV
大日如来さん

あちらには携帯から書き込めないようなので、こちらにレスします。


今後、そちらにレスするときは気を付けるようにします。


よほど嫌味を言いたい場合は、そちらから他のスレにコピペして嫌味なり、喧嘩なり、吊し上げなり・・・の『場外乱闘』するようにします。


まー私もそこまでしつこい性格ではないと、自己分析をしていますので、場外乱闘はよほどの事がないとするつもりはありませんが。


また、『怒り』とか『根にもつ』とかの煩悩を観察する良い機会なので、その結果感じるものがあれば、どちらかのスレにレポート出すかもしれません。
[442]ユビキタス 08/10/09 08:40 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>441
あちらの大日スレにはかろうじて私の携帯からも書けますよ。
読むのが大変だけどね。
最新の10ログが表示されるが、下まで読み進めるのに時間がかかる。
さていろいろな遺恨(?)はさておき、本題である仏舎利信仰の話はあちらですることにしました。
大日さんも岩波文庫買ったようだし、ちょうどよい。
私も編集されたりしないように丁寧な言葉で純粋に論じるだけにしますわ☆
[443]ユビキタス 08/10/09 08:50 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>441
おお!〇〇屋さん。
あちらのA宗意見交換スレは、頭の方の「モバイル」というところをクリックすると
携帯用画面に切り替わることを今ようやく発見しましたぞ。
それで登録し直しました。
[444]○○屋 08/10/09 09:05 GoRGEoUS
ユビキタスさん

携帯から書けました。

ありがとうございます。

仏舎利供養の件は大体予想はつきますが、私の意見も反論するつもりでます。

多分平行線を辿ると思いますが・・・
[445]○○屋 08/10/09 09:15 D-zHciV
久しぶりにユビキタスさんと、普通の会話したので、手元がくるったようで、ヘンテコな文章になりました。

ああ、折角『怒りの煩悩』を観察する機会だったが、普通の感覚に戻ってしまった・・・


また、だれか私を苛々させるカキコしないかな・・・(わたしはMではないよ、念のため)
[446]ラシン 08/10/09 10:01 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
ー大パリニッバーナ経引用ー
「四つ辻に、修行完成者のストゥーパをつくるべきである。
 誰であろうと、そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、
 また心を清らかにして信ずる人々には、長いあいだ利益と幸せとが起るであろう。」
 『これは、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いたひとのストゥーパである』
 と思って、多くの人は心が浄まる。
 かれらはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊れてのちに、善いところ
 天の世界に生れる。」

この記述が仏舎利信仰の原点でしょう。
一見、釈尊のストゥーパに礼拝するだけで、心が清まって良い境涯へ行けるとの
解釈に受取られそうですが、釈尊の一貫した思想を推察すればそれは安易な
解釈と言わざるを得ません。
誤釈をくつがえすに足る記述が、経の前文にあります。
ー引用ー
「アーナンダよ。誰でも、祠堂の巡礼をして遍歴し、浄らかな心で 死ぬならば、
 かれらはすべて、死後に、身体が壊てのちに、善いところ、天の世界に
 生れるであろう。」
この”浄らかな心で 死ぬならば、”との意味を今までの釈尊の思想を背景に
考えれば、出家者は言うに及ばず、在家者も戒を守り梵行に励んだゆえの結果です。
四つ辻にあるストゥーパの意義は、何処からも目立ち、人々が集まる場所ゆえに、
釈尊の法えを思い出し、放逸せず修行を喚起させる目的となる。
仏舎利信仰は生前の釈尊がそうであったように、戒と梵の実践ですから、
礼拝することでそれを常に思い起こす、忘れさせないとの意義を持ちます。
[447]ラシン 08/10/09 10:26 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
八正道についてネットにもありましたので、掲示します。
私も以前、八正道は道徳観の教えと刷り込まれていた。
批判側のみなさんの指摘で、道品法だと目を見開かされた。
この経説は逆説的表現だから、むしろ理解しやすい。

ー無智(相応部・45・無明)ー
かように私は聞いた。ある時、世尊は祇園精舎の園におられ、
諸々の比丘たちに告げていった。
「比丘たちよ、無明まずありて、よからぬ事ども生じれば、
それにしたがって無慚(むざん・罪を犯しながら心に恥じない)
無傀(むぎ・他人に対して恥じない)のことどもが生じるのである。
比丘たちよ、無智まずありて、無智の者となれば、
それにしたがって正しからぬ見方が生ずる。正しからぬ見方が生ずれば、
それにしたがって正しからぬ思いが生ずる。正しからぬ思いが生ずれば、
それにつれて正しからぬ言葉が生ずる。正しからぬ言葉があれば、
それにつれて正しからぬ行為が生ずる。正しからぬ行為があれば、
それにつれて正しからぬ生き方が生ずる。正しからぬ生き方があれば、
それにつれて正しからぬ努力が生ずる。正しからぬ努力があれば、
それにつれて正しからぬことに念を凝らす。正しからぬ事に念ずれば、
正しからぬ事に心を専注することとなる。

私はこの逆を掲示板で試しています、つまり実践している。
過去、他板では怒りに挑発されたり、上から目線で唱えたことも
ありましたが、昨年あたりから徐々に自身の変化を感じた。
掲示板という匿名性があるところは、安易に煩悩を出しやすい。
HNのリセットも可能だし、責任も現実的に薄いからこそ、
身を正し、自らを律する意義も生まれます。
○○屋さん、掲示板でも実践行は出来るのです。
[448]大日如来(A) 08/10/09 10:47 *nPX6BdsYVy3*uyRzffbnFW
ザではHNかぶっているためわざと(A)をつけましたが、現在活動中のあの「大日」でございます。

ユビさん感謝です。自分は携帯を使わないもので操作が判りませんでした。深く感謝申し上げます。
また00屋さんも配慮ありがとうございます。場外乱闘結構でございます。板の使い分けはいいと思いますので、よろしくお願いいたします。
また私の方の板でのコテハンでない件はきっと急いでたか何か理由があったと思ってました。了解ですよ〜。

ラシンさんのこちらでの書き込み、いやあ頭が下がります。
私もROMって学ばせていただく所存であります。

まずはお邪魔しました。
[449]ラシン 08/10/09 11:18 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
大日さん、私が検証するスレへ行かないのは大日さんの自問自答を
邪魔したくないからです。
折角まとめようと考えられているのに、レスをすれば煩雑となる。
七氏さんも多分、その考えで考察スレの方に回答していますね。
ここでは専ら如来の子孫さんへの反論が多く、2chは多くの批判者が
いますので、邪魔にならない程度の投稿に勤めています。
大日さんがアゴン宗の矛盾と、どのように対峙していくかを見ています。
[450]大日如来(A) 08/10/09 11:53 *nPX6BdsYVy3*uyRzf5zmUC
ラシンさん、お心遣い深く感謝申し上げます。
私も検証スレの方は失敗だったかもしれません。なぜなら自分の思うように動いてないからです。あれではもう「グダグダ」になってきているので、場所を変えるかもしれません。

どちらかというとagama@chsの方ではお越しいただけたら嬉しく思います。あちらでは2ch同様の展開をしつつ、雑音排除ができます。
実際ユビさんがとても良い意見を出され、ワクワクと楽しく行っていると私は喜んでいます。私はこれを望んでいたのです。

ヤジや中傷になれば絶対いいものは生まれないと思っています。
ただ、私の考えは絶対に正しいということは申しませんので、ラシンさんには「もしよろしかったら・・・」としか言えません。なので、検証スレは不参加のままで、2ch風スレにはお越しいただけたら、と願う次第です。
私はラシンさんの姿勢にはとても尊敬できますし、共感できます。
本当に感謝もいたしております。

A宗の矛盾を表に出しつつ、いいところも出そう。そういう考えの自分でした。
[451]大日如来(A) 08/10/09 15:00 uyRzfVfsly
>>450 訂正を

ワクワクと〜の箇所ですが、
「ワクワクと楽しく行える環境下にあるので私は喜んでいます」
に訂正です。
[452]ラシン 08/10/09 17:13 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B

苦行については桐山さんも著書で述べていました。
樹下石上について、日本では山にこもり木の下や
石の上での瞑想と受け止めた荒行、苦行だが、
熱いインドでは陽射しを遮る樹の下や、涼しい石の上での
瞑想が環境に良いとの釈尊の現実主義、合理性を認めています。
[453]ユビキタス 08/10/09 17:56 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
ふんっ!ふんっ!ふんっ!
(上体を揺らしながらウオームアップしながら気合いを入れる声)

ポキッ、ポキッ、ポキッ
(指を鳴らす音)

さあ、戦闘準備完了。
いつでもかかって来なさい。
ねじりんぼうにパラシュート部隊に電気アンマ、なんでもありです。
[454]ラシン 08/10/09 19:35 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
智慧の獲得による解脱へのメカニズムとは何か。
釈尊は、知見を以って漏尽解脱を得たことは信者さんも
雑阿含経応説経に馴染んでいますから、共通の認識でしょう。
「我以知見故得諸漏尽」
それは三七菩提分法を修したからと、述べています。
つまり、八正道の実践で知見照覧し有余涅槃を得た。
桐山さんは、それをおシャカの成仏法という標題にして、
解脱へのカリキュラムからなる脳生理学的システムと謳い、
現代人の知性を刺激した。
釈尊の実践行に、いかにもという科学的論理性を含ませたのです。
そこで登場するのが仏舎利で、そのおシャカの骨は涅槃のおシャカの
アンテナであり、しかも霊波が成仏法体得者と同調すると死者上部を
叶えるという。
これも密教の感応道交という観法を現代的に装い飾って見せた。
桐山さんは、釈尊の解脱への実践行を科学的論理と神秘性とを
うまく混合させて方式化してみせたのです。
しかしそれは標題のみで中身が無い、示せないという状況を呈している。
桐山さんが、薬の効能書きばかりだと法華経を評したのと大差ありません。
釈尊との実践とは何か?
これは応説経にあるように、
「而彼比丘自然漏尽心得解脱 所以者何 以勤修習故 何所修習」
それは木船に乗り、自力で櫓を漕ぐことです。
それには、水理学も連続体力学も力の作用応用学も必要としない。
木船に乗り櫓を漕ぐことで、聖者の流れに入り、彼岸へ到達する。
八正道の実践をすることで、まさしく解脱を得ると示されています。
[455]0 08/10/09 21:52 ZbncnNzHaV
独鈷の加持に魔法めいた呪文
大脳生理学が息づくのです。それと、独鈷の先にピラミッドが着いている

これが重要です。

明日は、いよいよノーベル平和賞ですか?
[456]○○屋 08/10/10 02:36 D-zHciV
む?

みなさん・・・気合い入りすぎてね?
[457]ハウルの空飛ぶ城 08/10/10 04:27 465JifHTO2
四聖諦の内の苦滅道跡聖諦を八正道

「正見・正志・正語・正業・正命・正方便・正念・正定」

正見
仏説、衆生関係、善悪、輪廻する人しない人など
因果応報、縁起観で理解する

正志
執着から離れ怒りを離れ人や環境を傷つけてはならない
何故なのか?
因果応報、縁起観で理解する

正語
妄語、両舌、悪口、綺語を思わない言わない
何故なのか?
因果応報、縁起観で理解する

正業
殺生、窃盗、、邪淫(強姦や浮気)など他人の嫌がる
ことをしない。
戒律や法律を守らなければならないということでなく
何故なのか?
因果応報、縁起観で理解する。

正命
衣服・飲食・夜具・湯薬などを必要以上に貪らない

正念
身体、苦楽感覚、心、法則の四つを観察し
無常・苦・空・非我を理解する。

正定
四禅(初禅、第二禅、第三禅、第四禅)
詳細は長いので略
[458]如来の子孫 08/10/10 11:13 3HOWAXwj3i
四諦の道諦を八正道と解釈したのでは、他の念処、正勤、如意足、根
力、覚が不要になるであろう。それはおかしい。道諦というのは、
37道品の道を指すのである。と、いうのが管長の説です。
私は管長が正しいと思う。

船の魯を漕いで聖者の流れに入るのは、八正道の実践だけでないこ
とは上記に同じ。八正道だけで済むなら、37道品は必要ないよ。
また、応説経は比丘等に説いた成仏法。
在家の成仏法は一切事経。8法16法、信戒施聞持観法次方向、
これにすべての梵行が含まれていると管長は説いてますね。

私も当然、無知だが、人類は無知というか、未知だらけ。
クラゲの蛍光タンパクで、クォークで、ノーベル賞。
宇宙のほんの一部分の知識でしょう。
アメリカで人気の「錦鯉」は食用鯉の突然変異でしょう。
突然変異は理論化できない。実相は理論を越えているね。
茂木健一郎という脳科学者がいます。彼は脳は変化するから、脳の
全容解明は不可能だと、話してました。たぶん、釈迦でも・・。

だから、管長の脳改造の説についても、ああだこうだと、決めつけ
られないでしょう。
[459]ラシン 08/10/10 12:23 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
>道諦というのは、37道品の道を指すのである。
と、いうのが管長の説です。

八正道は三七道品法なのです。

>また、応説経は比丘等に説いた成仏法。

勝手に桐山さんが、都合的に選り分けたにすぎません。
釈尊は上根下根などを分けていない、
当然、法えも出家用在家用などありません。

>在家の成仏法は一切事経。8法16法、信戒施聞持観法次方向、
これにすべての梵行が含まれていると管長は説いてますね。

八法はあるが、十六法としたのは桐山さんの創作ではないですか?
信、戒、施、見、聞、持、観察、法次方向 が正解です。
どうして四沙門果という向かうべき目的である法次方向が
梵行ですか?

>だから、管長の脳改造の説についても、ああだこうだと、決めつけ
られないでしょう。

決めつけではなく、脳改造説は中身も無く間違いと指摘しています。
釈尊は脳改造して、超人になってどうして食中りで苦しむのですか?
その理由は超人ではないからで、だから桐山さんも脳梗塞を患った。
[460]ラシン 08/10/10 12:51 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
前述でわざわざ”観察”としたのは、それが四念処だからです。
八正道の正念であるサティをヴィパッサナーで行ずるのです。
桐山流在家の法と考えてみて出家用の四念処が、八法で
どうして謳われているのですか?
桐山流解釈では、在家者は下根までとされています。
いわゆる、シュダオンからアナゴンまでの可能性を示唆している。
ならば、桐山流指導は在家の八法十六法だけでよいわけで、
あえて阿羅漢果を得る三七道品法を示す必要も無いとなります。
信者達は、馬の鼻っ面に人参をぶら下げられ、
いくら前へ走っても食べられない状況と同じです。
在家の限界を示されながら、七か三七どうほん!と唸る矛盾が、
アゴン宗です。
[461]如来の子孫 08/10/10 13:00 3HOWAXwj3i
応説経には、説いた対象は比丘、と書いてあります。
一切事経には、在家者の修行法を説いてます。別に管長が決めた訳
ではない。管長は脳梗塞から回復して見せたから超人でしょう。
あと30年生きるかも知れない。そしたら超人と認めますか?
その頃は批判派が死んでるかもね。解脱の仕方は、釈迦が説いた手段
だけとは限らない。現に、白銀に輝くバイブレーションなど、釈迦は
説いていない。だからといってそれがないとは言えない。
管長が体験したというのだからね、それはあったはずです。

管長の説く、人間界、霊界、幽界、仏界とのテレパシー、思念の相承
、霊示、霊視、視床下部の化学反応、法の力、等等、人の人生経験
の違いによって、理解度は様々であろう。私は、すべてそれらしき
ものを体験しているから、信じられる。
体験していない者が空想物語と言うのも理解できる。

たとえば、求聞持脳開発のとき、剣道で面を取られたときのような
キナ臭さを感じた、と管長は書いてます。剣道したことがない人は
どんな感覚かわからないね。私は学校時代、体育で剣道必須だった
から、その衝撃とキナ臭さを理解できる。
[462]如来の子孫 08/10/10 13:10 3HOWAXwj3i
私が一番肝心なことは、生活が楽になることであって、そのためなら
キリストでも釈迦でも杓子でも、何でもいい。
で、入行後、生活が楽になって来てるからね、阿含宗辞める理由が
ないわけだ。真の仏教とか偽とか、私はどうでもいいの、本当は。
楽になればそれでいいのよ。

子供の絵とピカソという、面白い例えがあったね。私は正直、ピカソ
はわからない。北斎の絵は素晴らしいと思うが、ピカソはわからん。
だが、絵の技法を勉強して行けば、ピカソの素晴らしさがわかるの
でしょうね。

だが、いくら絵の勉強をしても、子供の絵とピカソの違いがわから
ない人もいるだろうね。そういう人は、ピカソはインチキだという
であろう、管長はインチキだという批判派みたいなものだね。
[463]ラシン 08/10/10 13:49 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
>応説経には、説いた対象は比丘、と書いてあります。

弟子である比丘を集めて説法するのはよくあることです。
この経で修行しているのも比丘です。
だからと言って出家専用とか、在家には無理だとは
一切言っていません。

>一切事経には、在家者の修行法を説いてます。
別に管長が決めた訳ではない。
管長は脳梗塞から回復して見せたから超人でしょう。

安井廣度氏の阿含経講義から引用したものです。
しかし正式は雜阿含經卷第三十三ですが、
釈尊は在家に説こうが出家に説こうが、これは在家専門とか
出家専門であるとかを断定していません。
また、脳梗塞から回復した人は多数居て現役復帰している。
桐山さんだけが特別ではないし、車椅子生活では大きなことは
言えません。
私も桐山さんから、アジーナチャクラに指を当てられた経験がある。
そこで、バイブレーションではなく、キナ臭さを感じました。
スポーツにおいて鼻から目にかけてのキナ臭い匂いも知っています。
だからと言って、それが意念を巡らせ視床下部を刺激することには
つながらないし、科学的根拠も無ありません。
桐山さんからも論理的説明がなされていません。
瞑想は、座禅や歩行瞑想ともに、プラーナ開拓への意念などではなく、
あくまでも心の集中と観察を必要としているのです。

>子供の絵とピカソという、面白い例えがあったね。

絶対音感があるように、絵画的美の分割基準があるということです。
天才は瞬時にそれを造形化し、具象抽象でもその基準に合致する。
幼児の絵はそれに合致しない具象であり、その差がある
ゆえに感性的感動をもたらすことと、その基準の審美真贋を
確認するのとは意味合いが違います。
桐山さんに感性を持とうが、その内容の真贋を確認できることにはならない。
[464] 難波花月 08/10/10 15:04 AuF09r1LON
三十七道品の四聖諦があり
そこから
七覚支、五蓋、四正断、四如意足、五根、五力、四禅
に展開される
四聖諦に
苦聖諦、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦滅道跡聖諦の
四っがあり
四っ目の苦滅道跡聖諦はそれら総集編で
苦しみの原因となる
欲望や愛着の滅 四取(欲取・見取・我取・戒取)の滅など
七覚支、五蓋、四正断、四如意足、五根、五力、四禅
を八っつに要約して四諦八聖道と略する。
[465]如来の子孫 08/10/10 16:30 3HOWAXwj3i
剣道で見事な面を決められたときのキナ臭さ、それを体験してる人と
体験がない人では理解度が違うということです、当たり前だね。
視床下部が化学反応を起こしたような、という表現は、例えです。
誰も知らないであろうことを表現する場合は難しい。
誰でもが体験してるのなら、「脳に明星が出るときの衝撃」といえば
済むわけね。それじゃあ、誰もわからんから、キナ臭さとか、工夫し
て伝えようとしてるわけだね。

まぁ、それはそれとして、管長が受けた白銀に輝くバイブレーション
の伝法が、モンゴル護摩以降、開始された。
管長はヨーガタントラのグルでもあるから、それはチベット仏教の
いうところの思念による王者の相承でもあるわけだね。
その頃、私はタントラ、ティロバのマハムドラーの詩を目にした。
「解脱したいならばグルに依れ」という内容の詩ね。
真言行も波羅蜜行も経文も役に立たない、と書いてある。
但し、条件ががあった。
目標を追う心を捨てなければ、真言行もは波羅蜜多行も効果はない、
と書いてあるね。

つまり、人参を追ってする修行は効果がない、ということです。
こういうことは管長は教えない。教えたら修行にならないからで
しょう。自分で気付かねばいけない。
イスラム密教の逸話も同じことでしょう。
解脱しようと18年間も真言を唱えた修行者は解脱できず、
無欲の乞食は18時間で解脱した、というお話。
なかなか含蓄のある逸話だと思いますね。
[466] 難波花月 08/10/10 17:48 rTFWwRs4On
ヨハネの黙示録に記述された
眉間アジュナーに受ける力の二つの喩え


天に大きなしるしが現れた。一人の女が太陽をまとい
その足の下には月を踏み、その頭には12の星の
冠を戴いていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・獣を地と、そこに住む人々に礼拝させた。
この獣は大きなしるしを行い、人々の前で
火をたんから地に降らせることさえした。
・・・獣を称えるために像を造ることを地上の
人々に命じた・・獣の像に息を吹き込んで
ものを言うことができるようにさえした。
・・・・獣の刻印は右手か額に受けさせる。

わたしたちが、神のしもべらの額に刻印を押すまでは
地にも海にも木にも害を加えてはならない。
わたしは刻印を押された人の数を聞いたが
その数は十四万四千人であった。

それからまた、私は幻を見た。
子羊がシオンの山に立っていた。
この子羊とともに十四万四千人の人々がいて
その額に子羊の名と、おん父の名とが記されていた。
・・略・・・・・・新しい歌を歌っていたが、
地上からあがなわれた十四万四千人のほかは、
だれもこの歌を学ぶことができなかった。


[467]ラシン 08/10/10 22:41 *uZs1KhDPLSb*NkSFGv7hPj
>465
誰でもが体験してるのなら、「脳に明星が出るときの衝撃」といえば
済むわけね。それじゃあ、誰もわからんから、キナ臭さとか、工夫し
て伝えようとしてるわけだね。

ですから、キナ臭い体験など誰でもあると、回答しています。
あなたが特別ではないのだ、知性ある人はそれをプラーナとか、
任脈つくりなどの化学反応などと、稚拙な位置づけはしません。

ー引用 グモンジ聡明法秘伝62頁ー
 明星とは現実の明星ではなかったのである。
 大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、
 目の前に光が見えるようになるのである。

子孫さんが言いたいのはこの部分でしょう。
脳に明星が出るときの衝撃 とは少し違います
ドラススティックな表現を付加しないように。

>管長はヨーガタントラのグルでもあるから、それはチベット仏教の
いうところの思念による王者の相承でもあるわけだね。

苦笑しますね。
ヨーガがよければ、その道の専門家(導師)に師事したらどうか。

>目標を追う心を捨てなければ、真言行もは波羅蜜多行も効果はない、
と書いてあるね。

当り前だが、ヴィパッサナーの亜流です。

>つまり、人参を追ってする修行は効果がない、ということです。

そうですか?子孫さんがその馬だと指摘したのです。

>[462]如来の子孫 08/10/10 13:10 3HOWAXwj3i
 私が一番肝心なことは、生活が楽になることであって、そのためなら
 キリストでも釈迦でも杓子でも、何でもいい。
 ー中略ー
 本当は。楽になればそれでいいのよ。

これが↑人参を追わない姿ですと、如何して言えるのですか?
あなたのその受認姿勢が、人参を追う馬そのものです。

>なかなか含蓄のある逸話だと思いますね。

いかにも等等、含蓄好き握り拳好き、という軽薄にしか見えません。
世間ではそれを独善家とか、独りよがりと言います。

>イスラム密教の逸話も同じことでしょう。

イスラム密教?真言?解脱? ご教示してください。
[468]孫 青柿 (あおがき) 08/10/10 23:52 Pwen026JJR
ラシンさんのいうとおりですね、子孫さん。ヨガをちゃんと習いなさい。そういうと技法が解脱させるわけじゃない、とか言って逃げるんでしょうw
脳を改造する?秘法とやらを論じながら、技法に話題が及ぶと逃げるんですよね。子孫さんて。

昨晩面白い夢を見ました。本山博先生が出て来て桐山ゲイカに、ちゃんと修行して後進に指導しなさいと説教してました。
ゲイカがおまじないばかりでヨガがまともに出来ないから本山氏がカツを入れてるというシュチュエーションでした。
チャクラが活性化すると光が見えるらしいですが、きな臭い というのは本山氏や七田氏の本にもありませんね。ゲイカの勝手な空想でしょう。

ある擁護派の人が(批判派じゃなく) ゲイカはヨガは出来ないと言ってました。本山氏の体験とかいつごろどんな行をどの位してどんな体験があったかと詳しいのに
ゲイカの場合そういう記述がどうも薄いしはっきりしない、とその人は指摘してました。ゲイカは滝行と密教作法だけだと言ってました。
私はそのころゲイカが本山氏には劣るとしてもいくらなんでもそんな作法と滝だけじゃないだろうと反論しましたが。
擁護派の方のほうが正しかったと今は思います。
またその人はオーグのニョライが立体じゃないから(写真を見れば気付きますが、あれはどう見ても3Dじゃなく2Dである)
ゲイカの一瞬火が仏像になったとか 等は、これである(口の前で手を開く動作をしながら)と聞きました。

ラシンさんの指摘にありますが、批判派は効果を期待したから効果が無かったとか勝手に言いながら自分は生活が楽になりたいとか、
こういう自分を棚に上げ批判派を貶める発言はなかなか幼稚で子孫さんらしいと思います。
[469]干柿しわ雄 08/10/11 00:10 62AF5O26yM
如来さん、ゲイカをなんでグルといえるのですか?
中途半端なオカルトじみたパフォーマンスをおこなっただけで
なんら信者や弟子を導いておりません。
それが科学的に説明できるものであれ、できない神聖なものであれ
一時的な神秘体験など屁の突っ張りみたいなものですよ。
八法、十六法や下根の成仏法がなんであれ、ようは教団のため布教と
資金集めやらされているだけでしょう。
それは教団云々という下心はぬきにしても奉仕と善業であって成仏法
というようなものではありません。あれが成仏法であれば、青柿くんやユビさんはやめることなく霊格が高まりますますはげんでいたことでしょう。下根の成仏法にはげむ、先達やチーフと呼ばれる教団の地位の高い方で、尊敬できる人にあったためしがありません。いや、
尊敬できる人もいましたが、それはもともと人間的にできている人であって下根法とか梵行にはあまり関係ありませんでした。
なんで梵行等をあまりしない如来さんが、そこまで擁護する必要があるのでしょうか?
実際活動してみるべきです。そして教団なり人となりを観察してみて
これは効果があるとかないとか言うべきではないですか。盲信もいいかげんにしましょう。
[470]干柿しわ雄 08/10/11 00:17 62AF5O26yM
まあ、悩みが解決した。
人生に希望がもてたという人も多数おりますが、
それは宗教団体としての活動であたりまえのことであって、
釈迦の成仏法を学ぶ、体得するというのとはなんら関係ありません。
規模が大きくなっての外国での法要もそうです。
しかもゲイカの祈祷にたよっているという教団の体質。
釈迦はどうであったか比べてみてください如来さん。
[471]ユビキタス 08/10/11 00:33 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>458
四諦の道諦が八正道なのは、経典にそう書いてあるからなんですよ。
学者が推測で道と言ったらきっと八正道に違いないと判断したからではなく
釈尊が初転法輪で説いたのが中道とその具体的細目の八正道であり、四諦の法門
であり、その四諦の道諦が八正道だということです。
これがパーリ経典の初転法輪経で説かれているのだから、文句は釈尊に言ってください。
桐山さんもまた道諦を八正道だなんて認めたくない。
八正道を単なる道徳などと侮辱しているからです。
道諦が八正道だなんて高校で習います。
私らの時には高校の社会科に倫理社会を習ったが、その中で釈尊の仏教の四諦も
習い、道諦は八正道だと教科書にもあった。
根拠はこれを説いた初期経典です。
話は逸れるが「メシア出現」を書いたいろかわ氏が、アゴン宗が出てから
高校の教科書や副読本でそれまでにない阿含経が取り上げられるようになった
とか書いていたが、これは彼女の全くの無知です。
桐山観音慈恵会がまだアゴン宗を名乗る以前に私は高校の倫社で四諦や八正道
などの仏教思想を習ったが、出典の根拠は相応部とか法句経
とか教科書にも書いてあった。
みな阿含経典です。
[472]ユビキタス 08/10/11 00:37 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>469
干柿さん。間違った失礼なことを書いてはならない。
如来の子孫さんは梵行をあまりしないのではない。
全くしないのです。
[473]ユビキタス 08/10/11 00:50 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>461
あのう・・・桐山さんが脳梗塞から回復したのは大したもんだと力説したいのは
わかるのですが、それを書きたい為の導入なのか、あるいは逆に脳梗塞から
回復する奇跡をそれの実証なんだと説きたいことなのかよくわからんのですが、
どうして応説経と一切事経は説く対象が異なるという話と結びつくのですか?
しまいにゃ、グモンジ法が正しいのは剣道で面を打たれた時、目から火が出るからだ
とか、私も学校時代体育で剣道をやらせられたら目から火が出た、だから私は
グモンジ法のさわりを体感しているのだなんて話になったり。
私はつくづく脱帽するんだが、お笑いは天然に勝てませんw
[474]ユビキタス 08/10/11 00:53 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>458
とにかくそのイスラム密教とやらの出典を示してみなさいよ。
イスラム密教とやらとアゴン宗とどう関係あるのですか?
イスラム密教と仏教とどう関係あるのですか?
世間に通用する用語を使ってください。
[475]干柿しわ雄 08/10/11 06:02 62AF5O26yM
>>471
「メシア出現」って、いろかわ氏が書いたわけじゃなくて
ダシに使われただけですよ。
本当の著者はゲイカだとかいう噂もありましたが
なにはともあれ、当時ヤンが活動をもりあげ
「ゲイカはメシアなのです!」とさけび文書にもしたため(ゲイカに対する思いと考えを)直訴した彼女をゲイカはこれはイケる!とばかりに旗印のひとつとして使ったということです。
現在w田体制になっていらい彼女はもう用済で、無視され
こないだ東北本部でゲイカに警備をふりきってなんだかの直訴を
行おうとして、道場出入り禁止になったようです。
たんなる駒にすぎなかったのでしょう・・・
可哀そうです。
[476]ユビキタス 08/10/11 08:29 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>475
知ってますよ。「メシア出現」でいろかわ氏が書いた部分なんていくらもない。
その僅かな部分の中にアゴン宗が台頭してから高校の倫理社会の教科書にそれまで
ほとんど扱われていなかった阿含経が取り上げられるようになったという、
事実と異なる嘘、無知です。
そもそもが四諦、八正道というのが阿含経典たる初期仏教の用語、概念ではないか?
それまで高校の倫社や世界史では、仏教の解説は阿弥陀とか法華とか密教しかなかったとか言いたいのか?
原始仏教を紹介するからには必ず副読本などには出典も示した経典の語句も載せる。

だいたい七科三十七道品が7科目37種類のシステムだとした桐山説がたわけた
無知なんですよ。
あれは釈尊がその場その場で角度を変えて説いた共通の教えを、数でまとめて
編纂しただけに過ぎない。
だからほとんど内容が複合している。
その中から漏れなくどれかを選べと言われれば釈尊が最も重視して説いた八正道
という中道です。
これでコンダンニャはじめ五比丘を教導して悟りを得ることができたのです。
[477]○○屋 08/10/11 09:30 D-zHciV
ユビキタスさんは受験で世界史をとりましたか?

わたしは代々木ゼミナールの講義用の参考書の年表のなかに、釈尊が霊鷲山で法華経を説いた、というのを目にしたことがあります。
[478]ユビキタス 08/10/11 12:05 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
それはひどい参考書ですね。
それを見たわけではないからわからないが、2通り考えられる。
世界史は決して初期仏教のみを扱わず、アショーカ王の時代の隆盛とか大乗仏教の台頭、
密教への変遷、ヒンズーの台頭とイスラムの攻撃による仏教の衰退。
こういったことは高校で習うものとしては倫社(当時)のそれよりも世界史の範疇、
守備範囲です。その大乗の資料として、このように説く法華経資料を示したという
見方もできる。
しかし年表となるとおかしいですよね?
それからもし〇〇屋さんがこの当時からアゴン宗に入信していたのだとすると、
〇〇屋さんの大学受験の頃って、既にアゴン宗立宗されていたはずだし、〇〇屋さんも
アゴン宗を通して正しい仏教史を知った上で、この参考書のこんな細かい部分まで
覚えていたのも、あれ?これおかしいんでね?と思ったからと推察される。
となると、やはりもう一つの説の、参考書編集者の無知です。
ただしこれってあくまでも予備校の資料なんですよ。
天下の代ゼミにケチをつけるわけではないが、予備校の講師なんてのは大学の
先生のバイトなんかもいるが、結構いいかげんなもので、決してまんべんなく正しい
知識を持った人ばかりではない。
後の時代には金ピカ先生とか英語を話せない受験英語専門の講師の台頭とか。
最近は「怒涛の英語」とかヤマトタケルだのミケランジェロだのわけわからんですよね。
(首都圏ローカルの話ですみません)
まあ、ああいうふざけた広告は別として、聞いたこともないまだ若い名物講師が
熱弁をふるってる写真が予備校宣伝のポスターにあったり、なかなか変なのが多い。
しかしちゃんと文部省の検定を通った高校の教科書とか、そういう教科書出版会社
の作る参考書、副読本にはそういうことはあり得ません。
私は最初教科書で法句経と示されて、法華経は知ってるが、法句経なんて知らんなあ
と思いましたよ。
既に桐山密教を知っていた時代に。
[479]ユビキタス 08/10/11 12:08 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>478>>477に対するレスでした。
[480]如来の子孫 08/10/11 12:21 3HOWAXwj3i
脳梗塞から回復した人は多数いたとしても、その中に管長のように
超人的仕事をした人が居るか、ということですね。せめてそこまで
の想像力は欲しいね。

日本ユダヤ教教師を務めたラビ・トケイヤーが何処かで話してた。
エルサレムは世界で最も有名な都市である、とね。
聖書に700回も書かれている都市であり、そして聖書は世界で一番
読まれている本であるからには、認めざるを得ないね。キリスト教徒
のみならず、イスラム教徒の聖地でもあるからには、東京やニュー
ヨークを知らない人でも、エルサレムは知っていよう。

さて先月、阿含宗がエルサレム護摩でそのエルサレムを訪問した際、
市内の600箇所に、「阿含宗を歓迎します云々」の看板が設置され
たのですよ!!前代未聞、主要各国の首脳がエルサレムを訪問した
際にもそういう例はなかったのです。道路標識の隣にもその看板が
ありましたね。もちろん、行政当局の許可というか、主催というか、
そういうことでの看板でしょう。これ、驚きませんか!

これに驚かない人の存在にこそ、私は驚くね。何という価値観の相違
か!管長は脳梗塞から回復して、外国へ出て、護摩修行者のリーダー
を勤め、このような仕事をなさってる。だから超人的だと私はいうの
です。単なる脳梗塞回復だけをいうのではないです。
ここまで説明しないと、いけないのでしょうか。
[481]○○屋 08/10/11 13:46 D-zHciV
子孫さんの頭のなかこそ、驚愕に値しますよ。


もう少し冷静に回りを見てください。
[482]ラシン 08/10/11 13:52 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
仕事上で月に数度、別院の前を通りますが、いつも閑散としています。
昔は平日でも参拝者が必ずいました、清掃行もあまり見なくなりました。
子孫さんの言いたいことは、アゴン宗はエルサレムで認められた
桐山さんはその偉大な仕事を為したのだ、ですね?
そのゴマイベントの真意は何か?
宗教という範囲を超えた社会活動の一環としての平和運動ですか?
そんなもの、小学生だって純粋に平和を願います。
パレスチナの子供が、イスラエル首相に平和の手紙を書いて訴えた。
桐山さんや信者さんが真に憂慮して平和を求めるなら、
どうして署名活動や直談判をしないのですか?
ただ、金と閑をかけて平和の祈りというポーズをしたに過ぎない。
エルサレムの人にとっては、イスラエルの戦勝祈願くらいにしか
解釈されかねないような、平和実現への説得力に乏しいイベントです。
ところで、
今でも桐山さんは例祭でゴマを焚いているのでしょうか?
私の聞いた話しだとF田さんが代行しているようですが。
それでも超人的という子孫さんの指摘は、説得力を持ちません。
双方の利害一致したエルサレムゴマにしても、桐山さんがしたことは
イベント開催のための金銭的指示だけでしょう?
実務は宗務局員や側近、外部フィクサー、交渉人といういつものパターン。
脳梗塞から立ち直って俳優業や管理実務など、代行を任せられない
自身での仕事に復帰した人なら、凄いですねと、なります。
[483]ユビキタス 08/10/11 15:13 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>480
世間にどこにでもある、軽い脳梗塞からの回復により仕事にも少し復帰できるように
なったというだけのお話です。
まず護摩の導師の件ですが、護摩壇の設営準備から点火や水かけ、火の制御に
至るまで、すべて修行者どもがやってくれます。
普段車イスで移動する桐山さんは、せめてこの時ばかりは支えられながらでも
えっちらおっちら短い距離を歩いて結界内に入り、腰掛けます。
願文を読み上げたり、点火の九字を「えいっ」と切る時だけ、猫背で姿勢は悪い
ながらもがまんして立っていればよい。
あとはまた座って念珠をじゃらじゃら、お手手で印を組んだりするだけのことです。
そのうち護摩は終わります。
桐山さん内部に起きている霊障のホトケたちとの格闘なんて見えない話は
どうにでも自己申告できるのだから無視してよいです。
目に見えることだけで判断すればよい。
脳梗塞から回復した患者でも可能です。
またエルサレムであろうがニューヨークであろうが、高額を寄付して賛同の意志を
表明すれば賓客として招かれます。
別にイスラエルが金に魂を売ったとかそういうことではありませんよ。
イスラエルは建国60年を迎えるに、アゴン宗より賛辞と高額寄付をもらい、
アゴン宗側よりイスラエルを支持しますと表明したのです。
イスラエルの支持とはパレスチナの虐待を支持したことになるが、おかまいなしに。
そして本当に支持しているかどうか試されているかのように、嘆きの壁にて
頭をつけて祈るというあちらの宗教に帰依した証明のポーズまで辞さないという
芸者根性まで出して媚びて取り入った。
魂を売ったのは桐山さんの方です。
そこまでしてくれる団体に対して、町中で歓迎のビラくらい貼ってやっても
不思議ではない。
太鼓の式典も行うのだし。(焚き火もあるでよ)
これらのことは信者より搾取した金と、通訳を介した言葉によるコミュニケーション
がとれさえすれば、脳梗塞あがりの患者でも可能です。
何の奇跡でもない。
ましてや応説経も一切事経も関係ない。
[484]如来の子孫 08/10/11 15:43 3HOWAXwj3i
以前と比較して関東別院が閑散としてるなど、問題ではない。
バブルが崩壊して批判派みたいな見込みがない信徒が振り落とされた
だけで、喜ばしい状態です。その証拠に、エルサレム護摩は修行者
だけで300余名です。第1回の大柴燈護摩は、修行者と参拝者を
合計しても200名だったのですからね。大盛況です。

要点は、釈迦の教法は護摩修行で解脱する、というのではないこと
当たり前。管長も同じこと。管長は解脱した力を護摩に発揮してい
るだけのこと。批判派の頭の悪さはそこを理解できていない。
別に頭悪いとは、知識がないという意味ではないよ!
宗教的なことを理解する力がないという意味で、頭悪いのね。
国語の力とも違うのね。

キリスト教のミサでもね、キャンドルサービスとかで火を使うね。
別にイエスは火を使え、などとはいっていない。
管長がグルであるか否かは、弟子になって確かめるしか方法はない。
理屈や理論で証明はできないのよ。
だから、自称グルがいたら行って弟子になって確かめたら良い。
で、私は管長の弟子になった。信者程度の活動しかしないし、その他
大勢のいち信徒に過ぎない私であるが、運良く、管長が本物のグルで
あることを確かめることができた。神仏に感謝だね。

だが、A君にとってグルでも、B君にもグルであるとは限らない。
合わない人は去ればいい。合わない人にとってはインチキが正しい
だろう。イエスでさえも異教徒にはペテン師扱いされたりもするよ。
[485]如来の子孫 08/10/11 16:01 3HOWAXwj3i
なぜ私がイスラム密教やマハムドラーの詩を引用するのかわからない
みたいね。どう関係あるの?との質問もあった。それはね、
管長が説く、それらしいものが私に起こってから、だれに教わるでも
なく、経典の意味がよくわかるようになったのよ。聖書も老子も管長
の言うこともマハムドラー詩の意味もね。だからたまに引用してる。
で、それらしいことが起こるのは、梵行に比例するわけでもないこと
もわかった。

でも、それが起こらない原因、一番悪いのは退会してから悪口いう
ような、曲った根性だね。法器として一番の粗悪品だね。
根性、性格の根。それが肝心。管長が言ってますよ。

あとね、管長は法話で、梵行を他人と比較するなと言ってますよ。
比較するならお釈迦様と比較しなさい、とね。
いったい、皆さん、どこに耳がついてんでしょうか?
お釈迦様と比較しなさい、とは、信徒同士は比較するな!という
意味ですね。私の梵行内用を知りたがる人は、そのあたり考えない
とね。
[486]ラシン 08/10/11 16:55 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
>以前と比較して関東別院が閑散としてるなど、問題ではない。

問題ないどころか大有りです。
信者数の減少は、会費や布施収入のそく減収となって
教団経営にとっては深刻な問題です。
その売上減少分が、現信者さんへの負担増にもつながる。
子孫さんのような、お布施をケチる理由のための勝手解釈ばかりの
信者教団では潰れます。

>要点は、釈迦の教法は護摩修行で解脱する、というのではないこと
当たり前。管長も同じこと。管長は解脱した力を護摩に発揮してい
るだけのこと。

釈尊の教えは梵行を為して智慧の獲得にあるのが前提なのに、
護摩修行で解脱するなどと、誰が言ったのですか?
子孫さんの頭の中は常に混乱しているようです。
解脱者は聖者です、美食に溺れる桐山さんのどこに
清められた聖者としての資質があるのですか?
桐山さんのゴマパフォーマンス自体、釈尊が禁じている。
釈明にもならないことを、何が当たり前なのです?

>イエスでさえも異教徒にはペテン師扱いされたりもするよ。

オームも批判を法難と言った、旧くは日蓮の法華行者、
イエスを持ち出しても、桐山さんのインチキ詐欺の弁明には
なりません。

>なぜ私がイスラム密教やマハムドラーの詩を引用するのかわからない
みたいね。どう関係あるの?との質問もあった。

子孫さんこそ、一人で浮かれ自惚れている。
質問などではなく、呆れたのです。
独り善がりだけではなく、引用先を提示したらどうですか?
また、あなたは信者である前に社会人としての視点が
ずれています。
根拠の無い中傷と批判との違いすら区分け出来ないようです。
では批判側が指摘したことは、根拠の無いウソなのですか?
ならばそれをあなたが証明してから、批判側の悪口だと、
反論すればよいでしょう。
今の子孫さんの根拠の無い指摘こそ、世間では悪口と言うのです。
[487]ユビキタス 08/10/11 21:03 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>484
関東別院などがかつてに比べて閑散としていてよい理由なんかありません。
それは桐山さんの聖なる意(ゲロ吐きたくなった)にも反するのです。
それは人類を救うという誓願です。
人類の不幸は各自が悪い因縁を持っているからです。
そして悪因縁を切る法はシャカの成仏法しかなく、それがあるのはアゴン宗しかない。
だからアゴン宗でないと因縁は切れない。
因縁が切れない奴がこのままでいると桐山さんは人類が壊滅すると説くのです。
だから桐山さんは信者1人が13人の信者を勧誘しなさいと説いたのです。
人類の救済考えると13倍の増加でも足りなすぎるのだが。
それが増えてるどころか激減したのです。
これを静かになってよかったと喜ぶ信者がどこにいるか?

それから護摩の話だが、解脱力を護摩で発揮ってなんのこと?
自分で何を書いているのかわかるか?
解脱の意味がわからないからこんなたわけたことが書けるのです。
釈尊は護摩を否定したのです。護摩などを焚くことでかえって煩悩が増えるのです。
一方解脱とは煩悩をなくすことです。
煩悩なくしたところでどうしてまた煩悩を増やす?

下の方のAという人にはグルであってもBという人にはグルと限らないとは
賛成ですね。そうです。あなたのような人はいつまでもグル桐山さんのグルでいなさい。

>>485
だからイスラム密教を引用する意味を質問しているのではなく、イスラム密教とは
何か?と尋ねている。
検索するとたしかにイスラム密教という用語はある。密教という言葉は秘密仏教
だけでなく秘密宗教という意味もあるから仏教とは限らない。
イスラム密教とはスーフィズムのことなんだそうだ。イスラム教の一派なのか?
それにしてはマントラ、解脱、ブッダとは何のことなのか?
あなたの引用した話の出典名だけを聞いている。
示してみなさい。書名でよい。
示したくなければ示さなくてもよいが、それだけあなたがオバカに見えて損なだけです。
こちらはちっとも傷つかない。
[488]ユビキタス 08/10/11 21:38 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>485
梵行を釈尊などでなく他人と比較する発言を書いたのはあなたです。
あなたは梵行もやり過ぎはよくないと書いた。
過ぎたるは及ばざるがごときです。
これは比較の話です。
ある特定の人と人との比較ではなく、ではどこからがやり過ぎでどこまでが程よいと許容され、どこまでが
琴の弦が弛み過ぎるように精進が足りなすぎるのか、基準が必要です。
その比較の基準を示さなければ、やり過ぎなんて言えないのです。
他人と比較するものでないならば、堂々とあなたの梵行実践を具体的に書けるはずだ。
護摩木判押しをこの程度やっているとか、やり過ぎでないというあなたの実践を
堂々と。ただしやり過ぎの話を出し、琴の弦のたとえを出したからには当然足りな過ぎにも言及
する必要があり、やはりなんらかの絶対比較は必要です。
あなたが書いた話なんだから。
[489]済世活佛 08/10/11 21:52 7rAlH70L1Y
中道は、釈尊のおしえ

間違っています

[488]ユビキタス 08/10/11 21:38 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>485
梵行を釈尊などでなく他人と比較する発言を書いたのはあなたです。
あなたは梵行もやり過ぎはよくないと書いた。
過ぎたるは及ばざるがごときです。
これは比較の話です。
ある特定の人と人との比較ではなく、ではどこからがやり過ぎでどこまでが程よいと許容され、どこまでが
琴の弦が弛み過ぎるように精進が足りなすぎるのか、基準が必要です。
その比較の基準を示さなければ、やり過ぎなんて言えないのです。
他人と比較するものでないならば、堂々とあなたの梵行実践を具体的に書けるはずだ。
護摩木判押しをこの程度やっているとか、やり過ぎでないというあなたの実践を
堂々と。ただしやり過ぎの話を出し、琴の弦のたとえを出したからには当然足りな過ぎにも言及
する必要があり、やはりなんらかの絶対比較は必要です。
あなたが書いた話なんだから。
[490]ラシン 08/10/12 00:05 *uZs1KhDPLSb*NkSFGv7hPj
>[489]済世活佛 08/10/11 21:52 7rAlH70L1Y
中道は、釈尊のおしえ
間違っています

中道を 程々 と解釈するから、”間違っています”となります。
釈尊の中道を真に理解出来ていない、よくある凡人の誤謬です。
世間の先輩はそれを 中だるみ と笑っていました。
[491]干柿しわ雄 08/10/12 00:39 62AF5O26yM
なぜ別院をはじめ全国の道場が閑散としているのは、といっても全国まわってみたわけじゃないのだが、どこも同じようなものでしょう、同じ顔ぶれの人ばかりで、集中的に梵行なり護摩木の勧進なりのノルマ的ものが押し付けられるわけではないが、やらなければならないという強制的観念が
植え付けられ、続く人はいいのだが続けられない人は消えていく
お導きとは名ばかりで、親戚や友人の名前借り、自腹で会費なりを
払う、幽霊会員ばかりが多い。
誰が好き好んで金ばかりかかる宗教なんぞに入りますかいな
それだけの価値があればいいですよ。
きちんと本に書いたことを指導し、まさしく自分が変身することができた!というのなら、こんなことにはならないでしょう。
でもまったくホラばかりで話にならないのであれば、信者が減るのは
当たり前のことです。
イスラエルなどよりも信者個人個人の問題や悩み内面的なものを含め
それをまさしく清め高めることができなければ、いくら外面ととのえて、外国に大量の寄付して歓迎の旗をビラビラおったてられたって
誰が入信までにいたりますかいな。
批判ではなく愛するがゆえに、ほんと阿含宗は一度解体すべきだと心より思っています。

[492]・・・ 08/10/12 10:46 KC9gQEi3Ej
だよね〜。
[493]サラリ 08/10/12 23:09 D-j8bJS
当教団も新宗連に加盟するべきですね。いつまでも、一匹狼でいるより、世間と縁が、持てると思います。
[494]済世活佛 08/10/13 12:10 7rAlHs1CJ/
中道については釈尊の初期経典に説法が載っています。
釈尊の体系における中道です。
ラシン氏の程々とはどういう意味でいっているのでしょうか?
[490]ラシン 08/10/12 00:05 *uZs1KhDPLSb*NkSFGv7hPj
>[489]済世活佛 08/10/11 21:52 7rAlH70L1Y
中道は、釈尊のおしえ
間違っています

中道を 程々 と解釈するから、”間違っています”となります。
釈尊の中道を真に理解出来ていない、よくある凡人の誤謬です。
世間の先輩はそれを 中だるみ と笑っていました。

[495]ラシン 08/10/14 10:27 *uZs1KhDPLSb*3u26AwcK2B
>494、済世活佛さんへ

子孫さんの琴の弦の張りすぎの喩えは、ユビキタスさんも指摘しているように
信仰や修行の程度に対する比較論です。
子孫さんは、ホドホドが良いという中ごろの道を指摘していますが、
それは各個人の程度の差が生じるもので、どれがホドホドかを
判別するのは不可能となります。
中道とは、一つに固執したり両極端な盲執にとらわれてはならない。
縁起を理解し、八正道の実践が中道という見解で申し上げた次第です。
つまり両極を避けた中間との解釈ではなく、別なる道が中道という解釈です。
[496]如来の子孫 08/10/15 15:54 3HOWAXwj3i
道場が閑散としてるの、してないの、そういうことは表面上の問題で
本質的なことではない。そういうことに関心がいくのがダメ信者の
証拠なのだよ。私はそんなことどうでもいい。イスラエル護摩、
ハバロスク護摩、ポーランド護摩、批判派の期待に背いてずれも
成功した。閑散としててさえも、この成果です。

退会して古巣へ悪口いうような根性では、なんの世界でも成功はし
ない。根性が腐ってるからだ、性格の根が腐ってる。そこに気付け
ないでいるのが哀れですね。
一般生活でも、私はそういう人とは付き合わないね。顔合わせたら
社交辞令で相槌をうつかも知れないが、付き合いはしないね。

どの程度の修行が極端を離れた適度なものであるか、シュダオンにも
なれていない者が、偉そうに話せるものではないだろう。
まして、修行に脱落した者があれこれ論じても空しいよ。
誰が本気で聞くだろうか。

管長は「のめり込んでもいけないし、のんべんだらりんもいけない」
という。その教えに従えばいいのだよ。
私などは、のんべんだらりん、であろうね。
入行時は苦しくて、のんべんだらりんの生活など、夢であった。
そのようにしたくても、そういう生活は不可能であった。
今は修行のお陰様で、のんべんだらりんも、張りを持つ生活も、
どちらでも、望みの生活を選べるようになっていますね。
[497]ユビキタス 08/10/15 20:44 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
のんべんだらりん?
それじゃ、だめじゃん。(春風亭昇太ふう)
のんべんだらりんも張りのある生活のどちらも選択できるのならば、のんべんだらりん
を排して、張りのある生活の方を選ばないとだめじゃん。
釈尊は怠ることなく精進せよと説き、苦行と怠惰安楽な道のどちらも排した中道を
説いたのだから、のんべんだらりんでよかれと思っていることは釈尊に反目したことになる。
シャカの言うことなんか聞くもんかと言いたいわけね。
そもそも道場が閑散としていることはあなたにも一因がある。
あなたもまた道場に足を運ぶこともなく、例祭すらさぼること多い。
あなた一人がいようがいまいが大した変化はないと言えばそれまでだが、
しかしそういう連中が積もり積もって今日のような結果になっている。
責任はあなたにもある。
だから桐山さんから見たら道場に来もしないでこんなところでカキコをしてる
あなたをハラワタが煮えくり返る思いでしょう。
しかしそんなんでも海外で1回焚き火をやらせてもらうことぐらいできます。
信者が減ったから教団の収入も激減したろうが、そこは宗教法人の特典で
免税されているのだから、とにかく信者から巻き上げた金にモノを言わせればよい。
普段の解脱供養の脅迫と星まつりに集計される護摩木の煽りで。
要するに海外に数百人連れてって短い時間焚き火をすればそれで終わりなんだから。
[498]干柿しわ雄 08/10/16 00:51 62AF5O26yM
如来さんは道場に頻繁に通い、梵行なりお祈りなりをしたことが
あるのでしょうか?

阿含宗としての組織運営の問題は述べましたが、なぜ私が
その問題を大きく取り上げたかわかりますか?

これは退会してゲイカに不信感をつのらせた元信者の人たち
批判的な文句とは基本的に異なります。

道場とは何か?神仏に対峙し己をこころみて心身を錬磨する場にほかなりません。
それは常に信仰者、修行者がこころしておくべきこてでありましょう。
なのに、いまある道場のありかたは、なにかと派手なイベントをもちあげ洗脳、先導して外側ばかりええかっこしーで、集金装置として機能しているのです。
だから、まじめな信仰をもった人ほど道場には入りづらくなる。
だんだんと足がとおのく、そのうちやっていることがおかしいと失望してやめる。
だから結果として信者がいなくなる。

ろくに道場にも行かず、宗報やHPみて、まいあがっているだけでは
なにもわかりますまい。
あなたは本当に阿含宗を信仰しているのでしょうか?

逆説的かもしれませんが、ユビさんや青柿くんらの元信者こそ
本当の意味での阿含宗信者かもしれませんね。
なぜならばゲイカがぶちあげた阿含宗の理念や方法があまりにも
言っていることと違うから、正直に文句を言ってやめて批判者に転じた
からです。心の底ではきっと「ゲイカよ、本道を歩んでくれ!」と
つよく願っているはずです。
[499]去る者追わず来る者拒まず 08/10/16 05:59 *E8Q800pyrUb*Bk.5qwp38h
お初ですm(_ _)m

この掲示板のこのスレは、何を議論されているのでしょうか?

ユビキタスという御仁は、阿含宗にかなり反感をお持ちのようですが、何かあったのでしょうか?新参者でよくわかりませんが・・・

阿含宗に不快感があるのなら、お辞めになればいいだけの話ではないのでしょうか?

私はHNに「去る者追わず来る者拒まず」としたが、それは、桐山猊下が、よくおっしゃっていることです。

何をどうするかは、個々の会員次第です。他人があまり批判すべきことであはないでしょうね。

批判も擁護も度を過ぎれば「執着」ですよ。仏教のもっとも嫌うところですね。

仏教が好きなら不毛な議論は止めることをお勧めします。

では・・・

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