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(終了済)阿含宗と桐山氏について―第三十七章― オレ・・・オレ オレ、、、



   ※このPは記事400〜499までです。

[400]桐止めハルオ 08/07/04 08:32 hcFniXp4GI
「求聞持脳」これです。
実は、このことは初めて口にすることですが、
桐山さんがどこで「虚空蔵菩薩求聞持法」のことを知ったのか
聞いたことがあるんですよ。もちろん公開の席ではないときに。
「変身の原理」とかいう本では空海の「三教指帰」から密教修行を
見直して、求聞持法の修行をしたのだと書いてましたが、
山本玄峰老師の「無門関提唱」だったと思うが、その本の中で
老師が「虚空蔵菩薩求聞持の法・・・云々」と書いていて、
それで発見したんだ、というわけです。
わたしは、ああなるほどな、と思いまして、
その後、桐山さんが「システム」みたいなことを書いても
あんまり信じませんでした。会員さんは、こういう自分の気持ちを
現役でいるときに、明言できなかったことを申しわけなくおもって
反省してる次第です。それができる人間ならば、あんなにも
ゲイカに御仕えはできなかったでしょうね。
[401]ユビキタス 08/07/04 09:04 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
244 :神も仏も名無しさん:2008/07/03(木) 22:45:10 ID:wa5oD0Hi
阿含宗と桐山氏について―第三十七章―から転載
>[350]如来の子孫 08/07/03 13:32 LGksRgot8d
>長阿含経に大会経てのがありますね。
>ある場所に、釈迦一門と、バラモン達、修羅、鬼、神、いろんな人達
>が集まって何やらするお話ですよ。
>その経では、世尊はバラモンのために呪文を結びますし、阿修羅にも
>呪文を結んだ、と記してますしね。文句の音写の記述もありますよ。
>もちろん、意味はわかりません、ムニャムニャムニャですから。
>釈迦は、相手の幻惑した心を治めるために呪文を結んだ、とかね。

今回引用しているのが漢訳の長阿含経だけであることを見ると、
どうやら、今回の子孫さんの種本は平河出版の
『現代語訳 阿含経典 長阿含経』のようですね。
それはたいへん立派なことです。
「阿含経知らずのアゴン宗徒」という汚名を晴らしてください。
惜しむらくは、桐山さんと同じで、読んでも自分に都合の良い解釈をして、
釈尊がおっしゃりたいことをストレートに理解しようとしない点です。
自分の勝手なイメージを働きかけて読んでいるうちは、
目の前に答えが書いてあってもわからないものですよ。
それでは、桐山さんが阿含経をいくら読んでも、解脱の定義すら
理解できないように、あなたもいつまでたっても理解できません。
では、子孫さんが呪文経だとして引用してくれた大会経を見てみましょう。
[402]空蝉 08/07/04 09:06 *DHVey0PJiea*3VCtRUyMhv
>>351 空蝉 08/07/03 15:47 *DHVey0PJiea*3VCtRUyMhv
>そして南伝やアゴン宗ではなぜ「釈迦直伝の呪文」を使わ
>ないのか解説してくださいよ。

2chで樹意さんが大会経について伝統仏教でパリッタとして使われている
解説を引用してくださいました。南伝の方にはお詫び申し上げ、上記の
部分は

>そしてアゴン宗ではなぜ「釈迦直伝の呪文」を使わ
>ないのか解説してくださいよ。

と訂正させていただきます。しかしながら大会経が釈迦仏教の呪術性を
証明するものではないという点はいささかも変わりません。
[403]ユビキタス 08/07/04 09:07 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
246 :神も仏も名無しさん:2008/07/03(木) 22:50:14 ID:wa5oD0Hi
漢訳 長阿含経 大会経 (『國訳一切経 阿含部 七』276頁〜)
パーリ ディーガ・ニカーヤ 大会経(『原始仏典 2』春秋社、317頁〜)

大会経は漢訳、パーリ仏典の両方にあります。
子孫さんが釈尊が呪文を唱えているとして大喜びしているのは
漢訳の大会経のほうです。
諸天が釈尊を礼賛したが、諸神やその眷属の幻僞虚妄の心を降伏するために
呪を結んで何事か呪文のようなものを唱えたという経典です。
呪文の部分は、ちょうど真言の漢字表記のように、意味不明の漢字が
並んでいます。
訳注によれば、梵語かプラークリット(方言文語)の音訳だろうとのことです。
釈尊が「呪を結んで曰く」というのだから、釈尊の唱えた陀羅尼のような呪文です。
呪文のような文字の羅列を見て、子孫さんは、「批判側、破れたり!」と
歓喜奉行したわけです。


247 :神も仏も名無しさん:2008/07/03(木) 22:52:35 ID:wa5oD0Hi
>[350]如来の子孫 08/07/03 13:32 LGksRgot8d
>釈迦は、相手の幻惑した心を治めるために呪文を結んだ、とかね。

今度は南伝のパーリ仏典で見てみましょう。
釈尊と比丘たちの集まりに神霊たちも集まって来るところまでは同じです。
漢訳経典の呪文を含む部分に相当する文章は、まず神霊たちを
比丘に紹介する内容であり、それがユビキタスさんが
ザのスレで引用してくれた[357]-[358]です。
さらにその後に、悪魔がやって来たが、これを打ち破るのが[359]です。
これらの部分は釈尊が比丘たちに説明するために、
「わたくしは詩を唱えよう」とあります。
おそらく、これを漢訳経典に翻訳した人たちは「呪を結ぶ」と訳したのでしょう。
[357]-[359]を見ればわかるように、これは呪文でもなんでもなく、
神霊や悪魔の様子を描写してものにすぎません。
釈尊はただ比丘たちに詩の形式でこれを説明しているだけで、
この呪文を唱えれば、神霊から御利益がもらえるとか、
悪魔が退散すると言っているのではありません。
つまり、大会経には呪文なんて最初からどこにもないのです。
[404]ユビキタス 08/07/04 09:10 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
248 :神も仏も名無しさん:2008/07/03(木) 22:56:41 ID:wa5oD0Hi
>[350]如来の子孫 08/07/03 13:32 LGksRgot8d
>釈迦は、相手の幻惑した心を治めるために呪文を結んだ、とかね。

個人的な見解を申しあげるなら、漢訳経典の翻訳家たちの手抜きではあるまいか。
[358]には、マーヤー、クテーンドゥ、ヴェーテーンドゥ、
チャンダナ、カーマセッタ、キンヌガンドゥという名前があり、
これらは四天王の手下だそうです。
こんな名前が大量に出てくる。
ずらずらと並べられても、当時の中国人たちはインド人の
神霊の世界観なんて知らないから、意味がわからず、訳せなかったのでしょう。
面倒臭いとばかりに、これを音訳してしまった。
それが災いの元で、釈尊が詩の形式で比丘たちに説明した内容は
呪文に変身してしまった。
それで二千五百年後の東の国のあるオカルト仏教信者が
釈尊が呪文を唱えたと歓喜奉行した。


249 :神も仏も名無しさん:2008/07/03(木) 22:59:29 ID:wa5oD0Hi
>[350]如来の子孫 08/07/03 13:32 LGksRgot8d
>釈迦は、相手の幻惑した心を治めるために呪文を結んだ、とかね。

大会経は雑阿含経にもあります。

雑阿含経 集会経 (『國訳一切経 阿含部 三』224頁)
別譯雜阿含經卷第五(一○五)

これらは大会経の最初部分とほぼ同じ内容で、後半に相当する部分はありません。
つまり、子孫さんの大好きな呪文の部分がきれいさっぱりと削られている。
一般に、雑阿含経のような短い経典が先に成立し、
その後で長阿含経のようなものが作られたのだろうと言われています。
これをこのまま受け入れるなら、雑阿含経の集会経などが元となり、
これが増大されて、長阿含経の大会経が作られたことになります。
これはどちらが先かという問題だけでなく、
この経典が何を言いたいのか、釈尊は何を説いたのかという点を見れば、
前半で話が終わっていることは明らかです。
それは浄居天の神(大会経)や梵天(集会経)などが唱えた詩そのもので、

「煩悩の杭を引き抜き、煩悩のかんぬきを壊し、
煩悩の柱を打ち砕き、すでに妄執のなくなった者たちは
清らかで、汚れ無き者として歩む」(『原始仏典 2』320頁)

経典の主旨はこの文集に集約されていると言っていいでしょう。
だから、経典の最後のほうで悪魔の軍勢が来て、比丘たちを愛欲で
縛り付けようとしても比丘たちは揺らぐことなく、勝利したとあります。
神霊たちも礼賛するために集まり、悪魔(煩悩)が邪魔しようとしても、
これを撃退した。
つまり、大会経とは、煩悩を断ち切った比丘たちの素晴らしさを誉め称える経典です。
宝経と同じで呪文なんぞ、どこにもない。
[405]ユビキタス 08/07/04 09:12 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
250 :神も仏も名無しさん:2008/07/03(木) 23:02:08 ID:wa5oD0Hi
>[350]如来の子孫 08/07/03 13:32 LGksRgot8d
>言いたいことは、釈迦仏教には呪術性は一切ない、としたり顔で言う
>人、それは違いますよ、です。経典の読み方が少ないだけです。
>もちろん、都合悪いときは、後世の偽経が紛れ込んだ、でお終いで
>す、フフ。

そのとおりで、経典の読み方が少ないと、
子孫さんのように偏った解釈になってしまう。
今は、漢訳経典とパーリ仏典の両方が現代語訳になっているのだから、
まずは両方を調べてみることです。
素人の子孫さんが簡単に見つけたような大会経などの呪文を知らずに
学者たちが、釈尊が呪術を禁止したと書いていると思っているのですか。
彼らはその道の専門家ですよ。
彼らの書いていることが全部正しいとは言わないが、日本では何人もが
現代語訳を試みているこの経典を見逃すはずはないでしょう。
呪文経典を発見したと大喜びして、他人を「経典の読み方が少ないだけです」などと
罵る前に、「自分が気が付くくらいなら、他人も気が付いているのではないか」と
どうして疑ってみないのだろう。
それがないのは、子孫さんが無知で傲慢な「フフ脳味噌」だからです。
大会経で釈尊は煩悩を消滅させた比丘たちを賞讃したのに、
その経典を読むあなたは無知と傲慢という煩悩をかえって増やしている。
アゴン宗にいると、みんなそうなるのです。
[406]ユビキタス 08/07/04 09:14 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
258 :樹意  :2008/07/04(金) 02:26:50 ID:9ol4ze2X
>>243
> 361]ユビキタス 08/07/03 20:28 *lPm7zuA9Viz*V/BAFoY8a.
> この大会経の中のどこに呪術のパリッタが出てくるのですか?

私の持っている片山一良氏の大集会経の説明には

本経は、大部分が簡潔な詩句(偈)からなるものである。しかも、
ここは大地から色究竟天、梵天界にいたる一切種の神々が現れるため、
古来、「神々の愛する経」ともいわれ、今日も伝統佛教の国々においては、
聖なる「護呪経典」(パリッタ)の一として唱えられ、尊重されている。

巻末には神々に愛される逸話が紹介されています。
漢訳される頃にはこの経典そのものが神々に愛される特別な経典としての
位置づけが決まっていたのではないでしょうか。
詩句そのものを パリッタとして 捉えることもできるでしょう。

[407]ユビキタス 08/07/04 09:16 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
259 :樹意 2:2008/07/04(金) 02:27:39 ID:9ol4ze2X
さて本題の翻訳の方です

カンハは軍を遣わした
手により地の面をうち
恐怖の音を作り出し

電光とともに雨雲が
あたかも雷鳴するように
怒り、自ら力をうしない
彼はそこで退散をした

その一切をよく知って
具眼のものは決定し
教えを喜ぶ弟子達に
それより師として告げて言った
「魔の軍勢が前進している
比丘らよ、そなたらは知るがよい」と

かれらは仏の教えを聞いて
また熱心に努め励んだ
離貪者たちから去って行った
かれらに毛さえも動かなかった

この具眼のものは決定し
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
の部分の注釈です。具現の者イコール世尊


260 :樹意 3:2008/07/04(金) 02:28:39 ID:9ol4ze2X
⟨よく怒り、なんら力を発揮することができず、
自在にならず、退散した。
伝えによれば、世尊は「この魔は、この大集会をみて、現観⟨abhisamaya⟩
の邪魔をしてやろうと次々と魔の軍勢を送り、魔の恐怖を示している」と
知られた。しかも世尊には「現観が生じない場合、恐怖を示す魔を防止しない。
しかし、現観が生じる場合、会衆が魔の姿をみたり、声を聞いたりすることがない
ように、決意⟨静止⟩する」との自性がある。そこで、この集会においては大現観が
生じることになるから、神々がその姿を見たり聞いたりしないように、と決意された
という⟩

ゲイカがやっているような依存させる形態ではなく
比丘や神々の精進が足らなかった場合は 魔を防止しない
しかしながら現観が生じる場合は その観を妨害しないよう 決意⟨静止⟩する
とあります。どちらかというと熱血系教師に近い。

教室の外でガラの悪い連中がきて音を出した場合は 静止させる。
だが生徒の方もいいかげんだったり ハナクソほじっていたりした場合は
ワシャ知らん。 そういう感じです。

ほにゃららら なんたらかんたら 呪文を唱えて依存させるようなものでは
ありませんが、この経典は特別で神々に愛されるものとして パリッタの地位不動
ということです。
[408]ユビキタス 08/07/04 09:24 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
さて私は>>357-359で仏典全集のサイトから大会経を転載しましたが、
これがパーリ仏典であることは承知していました。
一方子孫さんが示したのは長阿含経というのだから、漢訳であることも
承知していた。空蝉さんも漢訳の原文を示していたし、しかし
パーリ文には呪文みたいなものはないと比較していることも
予め読んでいます。
にもかかわらずパーリ仏典を転載したのは、子孫さんに漢訳経典で
どう表現しているか、読んだ本(平河出版だったのですね)から
詳しく示してみなさいという誘い水だったわけです。
またパーリ文を示すのは意義がある。
なぜならパーリ仏典の方が先にありて、これより後に漢訳がされるのです。
逆はあり得ない。
[409]空蝉 08/07/04 09:35 *DHVey0PJiea*3VCtRUyMhv
>>402 空蝉 08/07/04 09:06 *DHVey0PJiea*3VCtRUyMhv
>しかしながら大会経が釈迦仏教の呪術性を
>証明するものではないという点はいささかも変わりません。

2chでの七氏さんはパーリ経典などと比較して考察していますが、
私は大正新脩で大会経を確認しました。大正新脩大藏經テキストデータ
ベースで漢訳経典を読むことができます。長阿含経の大会経は下記の
URLです。

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0001_,01,0079&nonum=
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0001_,01,0080&nonum=
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0001_,01,0081&nonum=

ここで子孫さんが

>>350 如来の子孫 08/07/03 13:32 LGksRgot8d
>その経では、世尊はバラモンのために呪文を結びますし、阿修羅にも
>呪文を結んだ、と記してますしね

と書いている部分は確かに
>爾時世尊復爲六十八五通婆羅門。而結呪曰 …
と「結呪曰」と書いてあり、「呪文を結びますし」という部分は子孫
さんが書いた部分とは整合性がとれてます。

しかし呪文が出てくるところではすべて「結呪曰」であり、般若心経
に出てくるような「説呪曰」と書かれた部分はありません。

>>351 で煽った部分もありますが、大会経では呪文そのものについて
功徳を説いたり比丘に説いたりしたわけではありません。この辺は
ユビキタスさんが書いてくれた通りです。

子孫さんがやったことは「結呪曰」を「説呪曰」にすり替えたという
ことです。子孫さんは「経典の読み方が少ない」と言っていますが、
その本人は「経典の語句をすり替え」ているのです。
[410]ユビキタス 08/07/04 09:37 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
今回サイトの方から3章分全部をコピペしてよかったと思ってる。
冗長な部分が多いなと感じたものの、短かったから全文転載した。
その冗長と思われる部分に子孫さんの示すパリッタの秘密があった
わけです。
呪文ではない。釈尊による神々の紹介の言葉です。
呪文などではなくちゃんとした説明の言葉になっている。
「赤コーナー、250パウンド4分の1、○○天〜」
「青コーナー、240パウンド4分の1、●●天〜」
「紫コーナー、260パウンド4分の1、☆☆天〜」
といった感じです。
そしてこの釈尊の示した神々が悪魔を払ってくれる守護をするのではない。
神々は釈尊と比丘衆を称えるために集まったに過ぎない。
釈尊は比丘衆に悪魔が愛欲を以て侵入するのを見よ。
そしてよく己の心を修めてこれを撃破せよと説いたのです。
神々などに頼ってない。呪文を唱えなさいなんて説かない。
悪魔とは己の心に巣食う煩悩です。愛欲の誘惑とか。
これを自分の力で克服せよと説いたわけです。
[411]ユビキタス 08/07/04 09:49 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
樹意さんが見解を示したように、この無駄にも思える神々の紹介が
「パリッタ化」したであろうとは思います。
パーリ仏典の沙門果経は釈尊の教えが説かれる前に長々と六師外道の
教えが紹介されています。
これはジャイナ教を除いて今では消滅してしまった宗教の教えなので
六師外道の思想を知る史料的価値が高いと評価されています。
しかしだからと言って六師外道の教えを説くのがこの経典の主旨と
考える人は皆無でしょう。
同じように大会経も神々の説明がよくされているのです。
だから南伝の諸国で後世に、天部をも讃嘆する意味をこめて、
これを読み上げるパリッタとしたことも想像されるのです。
しかしそれは本来の経典の主旨から脇道に逸れた用法であり、
釈尊が説きたかったのは神々も称賛する「悪魔を退治する=
煩悩を乗り越える」ことです。
それは神々と関係ないところでされる。
各々のよく治められた心の中でされる。
[412]ラシン 08/07/04 09:59 *uZs1KhDPLSb*mKfs92MCvh
ユビキタスさん、樹意さん、七氏さんの解説は
大変参考になる。
それにしても、子孫さんは根拠が薄い記憶だけで
あのような強弁をしてしまうことに驚かされます。
だが、
子孫さんの曖昧な解釈が提起されることで、
逆にこちらも勉強になり、感謝しますよ。
[413]ユビキタス 08/07/04 10:07 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
>>349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
>ちゃんと、布施供養のご利益も説いてるし、因縁解脱の内容も
>説いてますよ。
>例えば、遊行経には、釈迦に食事を提供したバラモンに、
>「・・持戒の修行者に供養した者は福徳増し安穏になる。
> 行くところ危険はない。生においては災難にあわない」
>と、説いてますよ。在家者が三宝に供養すると、災難にあわない、
>と説いています。比丘達が修行によって災難にあわなくなるのは
>当然でしょう。

釈尊が在家信者に布施を勧め、その功徳で来世はよいところに生じるとか
容姿すぐれるとか、いわゆる生天を説いているのは事実です。
ところで「生においては災難にあわない」の生の前に何か省略か欠落は
ありませんか?
出家の修行者には生天なんか説きません。彼らは解脱あるのみです。
第一布施をしない。布施を受ける立場です。
比丘たちはちゃんと立派に(?)に災難にも遭ってますし、殺されても
います。十大弟子とも言われる高弟が。
[414]空蝉 08/07/04 10:21 *DHVey0PJiea*3VCtRUyMhv
>>411 ユビキタス 08/07/04 09:49 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
>釈尊が説きたかったのは神々も称賛する「悪魔を退治する=
>煩悩を乗り越える」ことです。

まさにその通りで、漢訳経典でも最後の部分では

佛告諸比丘樂此衆者。汝等當知。今
日魔衆懷惡而來。於是頌曰
 汝今當敬順 建立於佛法
 當滅此魔衆 如象壞花葦
 專念無放逸 具足於淨戒
 定意自念惟 善護其志意
 若於正法中 能不放逸者
 則度老死地 永盡諸苦本
 諸弟子聞已 當勤加精進
 超度於衆欲 一毛不傾動
 此衆爲最勝 有大智名聞
 弟子皆勇猛 爲衆之所敬
爾時諸天神鬼五通仙人皆集迦維園中。見
魔所爲怪未曾有。佛説此法時八萬四千
諸天。遠塵離垢得法眼淨。諸天龍鬼神阿修
羅迦樓羅眞陀羅摩睺羅伽。人與非人聞
佛所説。歡喜奉行

と書いてある。呪文などのオカルトなどではなく、戒を守り自己の心を
制御し精進して悪魔(=煩悩)を滅ぼせということなのです。

「経典に呪文が入っているのかどうか」ではなく「経典が説く趣旨は
何か」という立場で読まないと子孫さんのように本質を見失ってしまう
のです。
[415]ユビキタス 08/07/04 10:24 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
>ちゃんと、布施供養のご利益も説いてるし、因縁解脱の内容も
>説いてますよ。
>例えば、遊行経には、釈迦に食事を提供したバラモンに、
>「・・持戒の修行者に供養した者は福徳増し安穏になる。

在家に対して布施の功徳を説いたからと言って、それが御利益信仰を
説いたと思いますでしょうか?
違うのです。もともとインドにはバラモン教で神々に供養をささげる
祭祀をしていた。それは御利益があると。
釈尊はこれに対して、供養をするのならもっと価値あるところにせよと目先を変えさせた。
よく戒律を守る清浄行者に食事を分け与えて生存を支えてあげなさい
と示した。そちらの方が価値があるのです。
そう書くとバラモンの神々よりも仏弟子の方が信者に御利益を与える
力が優れているとか考えませんか?
それは間違いです。出家の仏弟子や仏(釈尊)は何も与えてくれません。
布施をする信者の心が、自ずと高い境界を呼び込むのです。
戒律をよく守る清浄行者を保護し養おうという人は、戒律を重んじ
清浄な行いが大切なんだとよく理解しているから為すのです。
自ずと自分の心も清まりましょう。すくなくともバラモンの神々に
何かを供えて、御利益を享受しようなどというあさましい欲望に
汚れた心よりは高い心である。
だから生天だって可能になるのですよ。人間的に高くなる。
[416]ユビキタス 08/07/04 10:42 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
>>349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
>ちゃんと、布施供養のご利益も説いてるし、因縁解脱の内容も
>説いてますよ。

子孫さんの示した遊行経とは釈尊が亡くなる前の数ヶ月の旅でのことを
著したものです。
漢訳の遊行経ですが、内容は大般涅槃経、大パリニッバーナ経と同じです。
「ブッダ最後の旅」として中村元博士も岩波文庫から大パリニッバーナ経
を現代語訳しています。
いくつかの構成からなり、布施の功徳に類することもいくつか書かれて
います。
まずアジャセ王がヴァッジ族を征服しよう、打ち滅ぼそうとするのに
対して、釈尊は7つの要件を出して、ヴァッジ族は繁栄する条件を
備えていると論証を示します。その中に古老を敬い霊域を尊ぶという
ものもある。
供養に近いようなものです。この供養にしても先人の業績、知恵を尊ぼう
ということですから、おかしな御利益が垂れることを想定する必要がない。
第一釈尊は現実的な知恵でなんとかヴァッジ族が攻撃されることを
防ごうと思って知恵を絞ったのです。説得の材料として。
供養に類した話はまだ他にある。
[417]ユビキタス 08/07/04 10:51 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
>>349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
>ちゃんと、布施供養のご利益も説いてるし、因縁解脱の内容も
>説いてますよ。

次に出てくるのがパータリ村での話です。
この村はよく城郭で保護されており、為政者により都市計画が
よくされている。だからこのような現実努力をされている都市は
繁栄するだろうと示した。あたかも神霊が正しい都市を守るがごとく。
この村でも釈尊は供養のもてなしを受けている。
つまり供養をする心も育っており、物心両面において、都市繁栄の
道だと評価したのです。
布施供養の功徳で御利益が与えられたわけではない。

さらに経典は遊女アンバパーリーによる供養の話も出てくる。
鍛冶屋のチュンダの供養も出てくる。
[418]ユビキタス 08/07/04 11:02 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
鍛冶屋のチュンダが供養したキノコ料理だかのせいで、釈尊は食あたり
を起こした。これが釈尊の入滅につながる。
しかし釈尊はチュンダを責めるなと説く。
チュンダを励ますのです。
そもそも布施供養の功徳として来世は容色すぐれ、豊かに生まれると
言われている。おまえがなした供養も立派な供養であり、そういう功徳を
もたらすことになんら変わりはない。
その昔スジャータという女性から乳粥の供養を受けた。
この供養により私は菩提樹の下で思索をして悟りを開いた。
そしていまおまえの供養によりこの私は涅槃に入ろうとしている。
おまえの供養はスジャータの供養とともに特別な意義を持つのだと
励ました。
これって励ましだと理解できますよね?はっきり言ってスジャータの供養もチュンダの供養も、他の人の供養とは変わりなく差別化される
はずはない。しかし釈尊は自責の念に苦しむチュンダをかばって
敢えて差別化をしてみせて、なんら悔やむことはないと優しさを
示したのです。
このように釈尊が布施供養の功徳を説く時は、それを一般論的な
御利益信仰の勧めとして捉えるのではなく、各々説法された条件を
鑑みることが必要です。
決して欲を煽る御利益信仰など説いていない。
[419]ユビキタス 08/07/04 11:11 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
>>349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
>大本経には、「迷いの世界を解脱する」と、説いています。
>因縁解脱という用語こそ見えませんが、迷いの世界を解脱するです。
>迷いの世界=12因縁でしょう?
>つまり、12因縁解脱を説いています。
>単純な三段論法です。

迷いの世界がどうして「横変死したり」「ガンになったり」する世界
なんでしょうか?
こんな人間として当たり前の災難病気現象は「迷い」などではない。
強いて言うならば、刑獄の憂き目にもあうような「犯罪をする」ことは
迷いの世界です。だからこの迷いからは脱却しなければならない。
刑獄は悪いことをした報いなんだから受けて当然です。犯罪をしない
ことが第一です。
しかし横変死だのガンなどは迷いとは関係ない。
子孫さんがどんなに十二因縁の法則を出そうにも、桐山さんは因縁を
すこぶる現実的に並べます。横変死の因縁、ガンの因縁・・・
それらは迷いの世界とは関係ないのです。
桐山さんの因縁解脱とはあくまでも、いやな不幸から逃れて、人間として
繁栄を楽しみたいという御利益信仰に過ぎない。
苦界である人間界を脱するならば、別に事故死しようがガン死しようが
どうでもいいことではありませんか?
目標はもっと高いところにあるのだから。
[420]ユビキタス 08/07/04 11:17 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
>>363]たまに顔だす干柿 08/07/03 21:45 M115pPk7vT
>さて、ゲイカが脳梗塞を患ったのは因縁かどうか
>ということですが、私には別の見解がありまして
>法罰じゃなかろうかと(笑)。

罰なんて想定しなくても因縁因果の道理で簡単に説明がつきます。
つまり自業自得です。
飽食を貪り、運動不足。護摩焚いて汗かいたって運動不足の解消には
なりませんよ。
飽食を少しも節制しようとせず、アメリカ産の強力なサプリメントを
大量摂取することでお茶を濁そうとした。
余計に血管も痛めたことでしょう。
凡人の不摂生による結果であり、まさに因縁因果の道理をよく
証明するサンプルです。
我々もああならないようにお互いに気をつけましょう。
[421]如来の子孫 08/07/04 13:42 LGksRgot8d
阿含経と呪術性については、漢訳にあってもパーリになければ、
やはりパーリが優先されますね。
あと、在家信者が比丘に護呪を教わって云々、という経も目にした
記憶があるが、漢訳であったような気がする。釈迦の呪についても
他にも目にした記憶があるが、漢訳では説得力が薄いのかもね。
経蔵、律蔵、論蔵の他に、呪蔵というのも早い時期に作られている、
との学者の話を読んだ記憶もあるが、阿含経との関係はわからない。
今時点で、私には阿含経と呪術性の関係はわからない、ですね。
「呪術性は一切ない」との立場には立ちません。わからないです。
漢訳や邦訳されていないパーりもあるわけですからね、これから
どんな驚く仏教訳が出てくるか、わかりませんからね。

私の入行後、何年もしない頃、先達が管長への質問を厚めに来たこ
とがありました。
私の管長への質問はこうでした。
 1、釈迦は真言を唱えたのですか?
 2、般若心経の真言・大神呪は、日本とサンスクリットの発音と
   でだいぶ違うようですが、効果は変わらないのですか?

私の質問を目にした洗達は、「う〜ん」と、言って教えてくれませ
んでしたし、管長も質問に取り上げてくれませんでした。
だから、未だに私にはわからないのです。
入行後間もない質問にしては、レベルの高い質問かもしれないな、
と、今、思いだしましたよ、フフ。
真言事典が平河出版社から出ているようですが、それには答えが
出ているのでしょうかね?私は買っていないしね。
[422]如来の子孫 08/07/04 14:03 LGksRgot8d
ラシンさんの「縁起の法」の解説ね、これあればこれあり、という
ような。それはそれで良いのですけど、それだけに固定してはいけ
ませんでしょう。問題は内容を把握することです。
縁起の法の内容は、
「諸法(一切のもの)は、縁(因縁)によりて起こる」
 でしょう。縁(因縁)によりて起こるから、縁起、の法です。

とうぜん、四苦八苦も因縁によりて起こります。
だから四苦八苦の因縁を消滅させれば、苦も無くなる。
因縁解脱とは、四苦八苦の因縁(原因)解脱のことだな、と、普通の
人ならすぐわかると、思いますよ。

阿含経は因縁を教える。←正しいでしょう?
阿含経は解脱を教える。←正しいでしょう?
二つ合わせて、
阿含経は、「因縁と解脱」を教える。←これも正しいでしょう?
阿含経は、「因縁、解脱」を教える。←これはどうですか?


[423]ユビキタス 08/07/04 18:59 *lPm7zuA9Viz*hXUdCEWtg1
>>421]如来の子孫 08/07/04 13:42 LGksRgot8d
>阿含経と呪術性については、漢訳にあってもパーリになければ、
>やはりパーリが優先されますね。

いや、漢訳に「呪」と書かれているものはあるわけですよ。
私も今日本屋で、平河出版のではないが、大蔵出版の長阿含経2を
立ち読みし、大会経を確認しました。
なるほど呪を結して曰くといろいろ出てきますね。
それは決してパーリ仏典になかったものを勝手に付け加えたのではなく
あったものをああいう形で示した。
それは四天王のように中国語に訳されてないインドの神々の音写です。
示し方が手抜きと言われる表現ですね。
大蔵出版の注ではこの呪について、ここでは偈頌の意味と示している。
つまり詩偈のことであり、要するに詩です。
何の為に詩を唱えるかというと、感嘆、讃嘆、讃美を表現する為です。
単にそれだけのことで、それに呪術的な力を想定する必要はない。
陀羅尼はよく記憶保持することという意味があり、口に出して読み
覚えることがそのルーツだたちょうだが、真言についても案外に
最初はこのような単なる詩の言葉を言霊のように尊び発達したもの
かも知れない。
しかし後世にそのような発展変貌があったにせよ、釈尊の阿含経に
おける詩とは単なる感嘆の表現に過ぎず、言霊も呪力もない。
[424]ユビキタス 08/07/04 19:21 *lPm7zuA9Viz*hXUdCEWtg1
>>421]如来の子孫 08/07/04 13:42 LGksRgot8d
>私の入行後、何年もしない頃、先達が管長への質問を厚めに来たこ
>とがありました。

ケースが2つ考えられて、一つは伝法会の質疑応答用の質問用紙ですね。
それから新入行者説明会、行法説明会の時にも質問の用紙があった。
先達がその場でわからないなりに何らか回答コメントを返すのは
後者ですね。
私も2〜3質問を書いた。ただし私は遅い再入行なので、その頃は
既に仏舎利本尊になっていたわけですが。
1.私は再入行の者ですが、観音慈恵会の昔は因縁切りにあたって
「洗い出し」現象がよく示されたものだが、最近はそれがほとんど
聞かれない。密教から阿含経に変わったとて、因縁の教義と因縁が
切れる行程については同じではないかと思われ、洗い出しが起こらない
とも思えない。この点はどうなっているのか?洗い出しはなくなったのか?
2.真正仏舎利が本尊となってからは、不動明王、大日如来等
架空のホトケだと示しているが、ではかつて星まつりなどに現形した
不動明王だの仏たちはいったいどういうことなのか?

1.については「要するに洗い出しばかりにあまり囚われるな、という
ことだと思います」との先達の回答だった。
2.については管長にも聞いてみるとか。

伝法会の質問では以下のようなことを書きました。
「般若心経瞑想法」の著書に「観世音菩薩などは他土からきた神々」
と歴史的民俗学的な見解を紹介しているが、同著には空想の仏、理論概念上
の仏と、感得の仏の2種説いています。観音菩薩もまた感得の仏と
しています。つまりペルシャ等他土から取り入れた神であると同時に
これは感得された実在の仏であるとしているわけである。
ならばこの他国から来た観音様はいつ成仏法を修行して「仏」と呼ばれる
だけの存在になったのか?
管長の回答指導はありませんでした。
[425]ラシン 08/07/04 19:27 *uZs1KhDPLSb*mKfs92MCvh
>422如来の子孫 08/07/04 14:03 LGksRgot8d
とうぜん、四苦八苦も因縁によりて起こります。
だから四苦八苦の因縁を消滅させれば、苦も無くなる。
因縁解脱とは、四苦八苦の因縁(原因)解脱のことだな、と、普通の
人ならすぐわかると、思いますよ。

それでは釈尊は、四苦八苦の因縁とは何ですか?
四苦とは生老病死ですから、その因縁とは何ですか?
釈尊はそれをどのように消滅させるかを説いていますか?
釈尊は、因縁を直接消滅させるなどとは説いていない。
釈尊は苦の因縁という観点からの解説もしていません。
十二支因縁とは苦を受けて人の生存が成立する相互作用を
順に説きその消滅の必要性を説いている。
しかし、それを消滅させるためには様々な煩悩を止滅しなければ、
その相互作用は解体されないと言うことです。
桐山さんの美食好きは、識の眼鼻舌によって食事を享受し、
名色の色香味でそれを上手いと認知し、六処の眼鼻舌という
感覚器官で満足する。
しかし、これはさらなる苦の原因となるので、これらを呼び起こす煩悩を
統御し、終には止滅せよということです。
だが、子孫流で言えば桐山さんの眼鼻舌を切り取ってしまえとなる。
それとも眼鼻舌の因縁があるのですか?
子孫流原因なら、
性欲という煩悩に悩んだ修行僧が、その原因たる己の一物を
切り取ったの同じです。
桐山さんの因縁解脱などという造語は意味をなしていないのが
解りませんか。
仏教では漏尽解脱という用語はある。
意味は、漏という煩悩を尽くして解脱するという意味です。
ここでの真の主語は人間ですから、
人は煩悩を滅して解放されるとなる。
これに倣って因縁解脱なら、人は因縁(原因)が解放されるとなり、
用語として意味をなしていない。
または人は因縁(原因)から解放される、それでどうなるの?
では主語を因縁とすると、因縁が解放されるとなり意味をなさない。
因縁が解放されてどうなるのか。または因縁から解放されてどうなる?
人は苦の世界から解放されるから、釈尊の教えに意義があるのです。
そのためには、煩悩を止滅すれば解放されると説かれている。
桐山流の因縁から解放されて、その後は何ですか?
何故なら、釈尊は前提条件に人の世は苦の世界と明言している。
人の世は前世からの因縁によって苦の世界などとは説いていない。
前提もされていないものに結論をつけて、何の効果があるのです?


[426]ユビキタス 08/07/04 19:28 *lPm7zuA9Viz*hXUdCEWtg1
>>422]如来の子孫 08/07/04 14:03 LGksRgot8d
>阿含経は因縁を教える。←正しいでしょう?
>阿含経は解脱を教える。←正しいでしょう?
>二つ合わせて、
>阿含経は、「因縁と解脱」を教える。←これも正しいでしょう?
>阿含経は、「因縁、解脱」を教える。←これはどうですか?

ラシンさんではないが、逆に質問する。
因縁(縁起)という仏教用語と解脱という仏教用語を組み合わせて
表現することは決しておかしくないと苦しい弁明をしているが、
どうしてあなたが弁明しなければならないほど、仏教には
「因縁解脱」なる用語が採用されてないのか?
どうして仏教で使われてない用語をわざわざ造語して示すのか?
因縁解脱の概念が仏教にあるというのならば、因縁解脱に代わる
別の用語表現があってしかるべきです。
それは何なのか?どうしてその用語を使わずに、わざわざ造語して
語らねば、仏教を示せないのか?

[427]ユビキタス 08/07/04 19:35 *lPm7zuA9Viz*hXUdCEWtg1
>>425でラシンさんが「漏尽解脱」という用語を紹介してくれましたね?
どうして漏尽解脱という用語を使わないで、因縁解脱にしてしまうのか?
漏尽が専門的過ぎてよくわかってもらえないと心配するならば
煩悩解脱に読み替えればよい。
こっちの方が因縁解脱より、よりはっきりとしている。
漏尽の用語がわかりにくいというならば、因縁だってわかりにくい。
それが原因とか縁起の法則というならば、苦の根本原因である
煩悩解脱の方がはるかにわかりやすい。
なぜなら煩悩という用語は日常化されているのだから。
どうして煩悩解脱を避けてまで、因縁解脱などという造語にこだわるのか?
[428]桐止めハルオ 08/07/04 19:55 hcFniXp4GI
如来の子孫=仕損じは、ハヨ答えろや。
桐山靖雄=堤マスオさんが、いつカギュ派の修行法の伝授を
受けたんだ。どなたから受けたんだ。
マハームドラーは無努力なんだろ、阿含宗のどこにそんな教えが
あるんだ。さあ答えろ。
マーハームドラーの修道を桐山さんがいつやったんだ。
適当なことをいわないで、答えてみなよ。
意味も知らねえで、どっかからもってきた文言を提供したなんて
言ってんじゃねぞ、コラ!
[429]たまに顔だす干柿 08/07/04 21:41 M115pOUAGB
>>420
いいえ、そんな単純なものには思えませんね。
まあゲイカがそれほど不養生だとは思いませんが、
生肉食うのもいちおう理由あるしw。
まあ飽食を貪ったとしましょう。
なぜ脳にくるのか?
それこそゲイカの弱い部分、肺臓とか胃腸とかに
障害が出て病気になる、と考えたほうが妥当だと思いますけどね。
ユビさんだってそうでしょ、過労気味で調子の悪い時は
かならず体の弱い部分に出てくる。

脳の飛躍と改造を説き、仏陀の智慧を得るなどと
大法螺ふいたゲイカが脳を患う。
面白い符号でしょ。
[430]ユビキタス 08/07/04 22:23 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>429
生肉を食うのは栄養学的根拠の一応の理由が建前だが、高級料理を食べたいと
いう欲望と一致するからです。
脳梗塞になるのにはちゃんとメカニズムがあるのですよ。
まず桐山さんは糖尿病にかかった疑いがきわめて濃厚です。
糖尿病財団に寄付したことが宗報にも発表されたが、ガン団体にも寄付しないで
糖尿病財団にしたその選択もよくわからない。
ちょうどその頃からサプリメントの販売に力を入れだした。
なんでも金で解決できると思ってる桐山さんが糖尿病財団に寄付して、
治療の最前線情報でも得ようと思ったか?
ちなみに糖尿病は一度かかったら節制により進行の度合いを低めるのが精一杯で
治らぬ病気とされています。
そして糖尿病は過労など関係なく明らかに飽食による生活習慣病です。贅沢病です。
干柿さんも私もマジ気をつけねばなりませんよ。
内科医から聞いた話だが、人類は糖尿病になるかならないか、その飽食の欲望
を神に試されているとか。
愛人と別れたのも糖尿病によるEDが原因との説も。
そして糖尿病を起こすと脂質異常を併発する。
すると血管に脂肪が詰まる。
それが脳梗塞や虚血性心疾患につながる。
糖尿病→脳梗塞なんてありふれたパターンですよ。
繰り返すが、干柿さんも私も脳梗塞にも気をつけねばならないのです。
メタボなお腹周りが気になったら。
[431]済世活佛 08/07/04 23:21 NnjazRBjwm
全く駄目です。

[430]ユビキタス 08/07/04 22:23 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>429
生肉を食うのは栄養学的根拠の一応の理由が建前だが、高級料理を食べたいと
いう欲望と一致するからです。
脳梗塞になるのにはちゃんとメカニズムがあるのですよ。
まず桐山さんは糖尿病にかかった疑いがきわめて濃厚です。
糖尿病財団に寄付したことが宗報にも発表されたが、ガン団体にも寄付しないで
糖尿病財団にしたその選択もよくわからない。
ちょうどその頃からサプリメントの販売に力を入れだした。
なんでも金で解決できると思ってる桐山さんが糖尿病財団に寄付して、
治療の最前線情報でも得ようと思ったか?
ちなみに糖尿病は一度かかったら節制により進行の度合いを低めるのが精一杯で
治らぬ病気とされています。
そして糖尿病は過労など関係なく明らかに飽食による生活習慣病です。贅沢病です。
干柿さんも私もマジ気をつけねばなりませんよ。
内科医から聞いた話だが、人類は糖尿病になるかならないか、その飽食の欲望
を神に試されているとか。
愛人と別れたのも糖尿病によるEDが原因との説も。
そして糖尿病を起こすと脂質異常を併発する。
すると血管に脂肪が詰まる。
それが脳梗塞や虚血性心疾患につながる。
糖尿病→脳梗塞なんてありふれたパターンですよ。
繰り返すが、干柿さんも私も脳梗塞にも気をつけねばならないのです。
メタボなお腹周りが気になったら。
[432]済世活佛 08/07/04 23:23 NnjazRBjwm
間違っています

[427]ユビキタス 08/07/04 19:35 *lPm7zuA9Viz*hXUdCEWtg1
>>425でラシンさんが「漏尽解脱」という用語を紹介してくれましたね?
どうして漏尽解脱という用語を使わないで、因縁解脱にしてしまうのか?
漏尽が専門的過ぎてよくわかってもらえないと心配するならば
煩悩解脱に読み替えればよい。
こっちの方が因縁解脱より、よりはっきりとしている。
漏尽の用語がわかりにくいというならば、因縁だってわかりにくい。
それが原因とか縁起の法則というならば、苦の根本原因である
煩悩解脱の方がはるかにわかりやすい。
なぜなら煩悩という用語は日常化されているのだから。
どうして煩悩解脱を避けてまで、因縁解脱などという造語にこだわるのか?
[433]クス 08/07/04 23:39 NnjaztJkIv
全く駄目です。
間違っています

済世活佛
[434]済世活佛 08/07/04 23:46 NnjazRBjwm
釈尊

親族之果報功徳を願え


布施之果報功徳を願え

[435]済世活佛 08/07/04 23:51 NnjazRBjwm
比丘たちよ。

あらゆる
過去乃至未来乃至現在の

応供等正覚者は

業論者、業果論者、精進論者であった
[436]済世活佛 08/07/04 23:57 NnjazRBjwm
間違っています

ユビキタス *lPm7zuA9Viz*hXUdCEWtg1
[437]済世活佛 08/07/05 00:01 NnjazRBjwm
生天を説いています。
間違っています。

[413]ユビキタス 08/07/04 10:07 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
>>349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
>ちゃんと、布施供養のご利益も説いてるし、因縁解脱の内容も
>説いてますよ。
>例えば、遊行経には、釈迦に食事を提供したバラモンに、
>「・・持戒の修行者に供養した者は福徳増し安穏になる。
> 行くところ危険はない。生においては災難にあわない」
>と、説いてますよ。在家者が三宝に供養すると、災難にあわない、
>と説いています。比丘達が修行によって災難にあわなくなるのは
>当然でしょう。

釈尊が在家信者に布施を勧め、その功徳で来世はよいところに生じるとか
容姿すぐれるとか、いわゆる生天を説いているのは事実です。
ところで「生においては災難にあわない」の生の前に何か省略か欠落は
ありませんか?
出家の修行者には生天なんか説きません。彼らは解脱あるのみです。
第一布施をしない。布施を受ける立場です。
比丘たちはちゃんと立派に(?)に災難にも遭ってますし、殺されても
います。十大弟子とも言われる高弟が。

[438]済世活佛 08/07/05 00:04 NnjazRBjwm
間違っています。

[338]ユビキタス 08/07/02 21:49 *lPm7zuA9Viz*V/BAFoY8a.
>>311]如来の子孫 08/07/02 14:31 LGksRgot8d
>霊的能力があると修行が進む、という話は、経にあるかどうか、
>わかりません。解脱知見というのが、ありますね。天眼智、宿命智、
>漏尽智でしたか?
>霊的能力があると、そういうことに確信が持てるようになるとは、
>思います。霊的能力の素養がない学者は、それを喩え話だと否定し
>て、あくまで倫理道徳の観点からしか認めなかったりします。

これは2ch でペテン大作というやはり恥ずかしい信者に答えてやった
のだが、釈尊が説きたかったのは実にその漏尽智だけと言って少しも
過言ではないのです。
漏(煩悩)の尽きてなくなったことを知る智慧、つまり煩悩をなくす
ことに他ならない。
釈尊にはたしかに宿命通やら天眼通やらあったでしょう。
また弟子の中にもそういう神通力を得た人もいたでしょう。
しかし釈尊の高弟の中にはそんな神通力のない人もいたのです。
しかすいかの高弟はアラハンという最高の解脱者と称されたわけです。
神通力なんてあってもなくてもよい副産物です。

[439]済世活佛 08/07/05 00:07 NnjazRBjwm

神通を以て法をつたえるのです。
[440]クス 08/07/05 00:09 NnjaztJkIv
全く駄目です。
間違っています

済世活佛
[441]済世活佛 08/07/05 00:11 NnjazRBjwm
神々

悪魔

伝承された内容は

神通が前提となっています。
[442]桐止めハルオ 08/07/05 00:56 hcFniXp4GI

もういいよ、済世活佛=栗花=三十三=森川=桐山の信者(会員)

君の活躍も終わりだよ。諸行無常だね。残念だね。

随分インチキでテキトウな経典解釈だね。全然、通用しないね。
[443]たまに顔だす干柿 08/07/05 05:36 M115pOUAE0
グモンジ脳はボケないといいながら
なぜ、ボケまくりなんですか?
もう笑うしかないじゃありませんか
栗花さんどう思われますか?
[444]桐止めハルオ 08/07/05 07:58 GoRGEoUS

栗花(カス)=三十三(汚点)=済世活佛(偽仏)=森川(桐山信者

この方は、もう役はおわりましたよ。お暇がでましたね。

とりこまれている893まがいですね。クズレの物書きです。

干柿さん、桐山さんがダメなことは、栗花がいちばん認識して

ますね。栗花さん、しゅうむ局にTELしとくからね。ではでは
[445]○○屋 08/07/05 11:07 D-PzblC
グモンジ法がインチキ?

ほんとなら、メチャクチャですね。

もはや『仏舎利信仰』のみ。出来るだけ金を賭けないで観察しますよ、わたしゃ・・・

先日、『熱心な』友人から電話があって『ウチデノコズチ』が15万円で頂けるので○○屋は是非もらえ、と言う。『クイウチ』より凄いらしい。聞いててあきれました。
[446]バイオミン] 08/07/05 11:33 M6//HIrZ7/
そんなお金があったら家族と食事にでも出かけたほうがいいですよ。
それでもお釣りがくるぐらい。

あ、骨董で自分の好みの仏像仏画購入するのもいいな。
例の真如苑落札の大日如来も、骨董屋で60万ぐらいで買ったって
話しだし。現在上野の国立博物館で観賞できます。
[447]○○屋 08/07/05 12:21 D-PzblC
え!運けい作の仏像?

骨董屋も目が効いたら一財産出来たのに、もったいない・・・
[448]桐止めハルオ 08/07/05 13:10 hcFniXp4GI
○○屋さん、「駄都如意求聞持法」の伝授から、20年が経過しました
。その前の念力護摩・グモンジ時代がS45〜S63で18年。
全部で38年です。あと2年で40年だ。
この間、誰一人、法を成就した人はいません。
桐山靖雄=堤マスオさんの指導により、念力の護摩、グモンジ法など
修行した者すらいないのです。
クンダリニーヨーガすら伝授されてるものはいません。
大日修験道を名乗りながら、修験の法の伝授もない。
チベット仏教密教も教えることが出来ない。
運命学の最高峰だと自家宣伝しとる密教占星術の公開・伝授もない。
「サイマティックス求聞持堂」建設もない。
神界に通じてるといいながら神法の伝授もない。
本質アンコは、無い無いづくしなのです。
そして本尊も偶然買っただけの、真正じゃないものですよ。
将来的には、桐山教という名前で、桐山さんの舎利を本尊にして
信仰してゆくんでしょう。
最後に仕掛けてくる、金集めはこれだね。Wダは狙うな、これを。
しかし、ファミリーに阻止されて、逃亡して、教団は切り売りで
おしまいだね。
[449]バイオミン] 08/07/05 13:13 M6//HIrZ7/
そう。運慶作の大日如来です。

横浜中華街に行くと、大抵旧閑帝廟通りにある仏像屋さんを覗くのが
お約束ですが、ああいうところにも運慶ほどではないけど案外掘り出し物
があるかも。

実際買わなくても見るだけでもなかなか楽しいですよ。
[450]如来の子孫 08/07/05 18:48 LGksRgot8d
漏尽解脱とかの語を使わないで、なんで因縁解脱という経にない言葉
を使うのか?という批判がありましたね。
例えば、「煩悩解脱」という用語を旗印にした場合、どのくらいの人
が賛成して入門すると思いますか?
煩悩とは、異性が好きだ、酒が好きだ、あれやこれや、ですよ、
わたしゃ、煩悩無くしてまで、生きていたくはないや、とか思う人は
多いと思いますよ。

それが、四苦八苦の原因=因縁ですからね。
苦を無くす原因解脱、つまり、因縁解脱という用語ならば、多くの人
が納得すると思います。
現に、経典にはたくさんの解脱の語が、見られます。心解脱とか
知恵解脱とか、迷いの世界解脱、とか、その他、八種の解脱とか。
この事を、管長は、解脱には小解脱と大解脱がある、と説いてい
ますね。漏尽解脱は、煩悩が尽きる解脱ですから大解脱です。
これに対して、個々の煩悩を絶つ小解脱もあります。

それらをひとまとめにして、管長は、因縁(12因縁=人間に生ま
れて四苦八苦を受ける法則)解脱、と名ずけていると思います。
[451]如来の子孫 08/07/05 18:58 LGksRgot8d
管長は、ヨーガタントラのグルです。
弟子、受け入れの秘儀を受けた方は、管長が起こした奇跡に気づいた
方も多いことでしょう。
私も、他の法友に起きた奇跡を目にしていますし、私自身にも主観的
な奇跡が起きました。私の眼耳鼻舌身意、に起きたことですから、
他人に示すことは出来ません。
だが、法友に起きたことは、誰でも目にできます。
それが何であるのかは、もったいなくてここには書けません。
それに気づかない人達は、眠りこけています。目に大きなウロコが
ついているとしか思えませんね、フフ。
気づきの瞑想を主張する方は、瞑想の前に、まず自分の、世の中に
何が起きているのかに、気づいてくださいよー。
[452]如来の子孫 08/07/05 19:28 LGksRgot8d
私が手にしたタントラは、ティロバの「マハムドラーの詩」です。
ダンマパダの半分程度の詩でしょうか。
訳者は、調べていません。たぶん、今では多くの訳者の「マハムドラ
ーの詩」があると思います。チベット語が出来る人、十人が訳せば、
十人十色の「マハムドラーの詩」ができるでしょう。
私が、チベット語を日本語に正確な翻訳は出来ない、と前にレスした
のはその意味です。小さな語の一字一句にこだわると間違う、と思い
ます。全体の内容を把握することが大事だと思います。

マハムドラーの詩は、修行を否定します。そういう小賢しいことを
するな、と説きます。ただゆったりと自然な自分を取り戻せば、解脱
に至る、と説きます。ただし、解脱はグルに依るべし、とあります。
タントラは、釈迦の説く、功徳を積んで自分の悪業を消す手法を、
とりません。そんなのんきなことをする必要はない、と説きます。
どうせ、悪業は、あんたが眠りこけていて犯した罪だから、解脱
すれば罪にならない、と説いています。解脱した瞬間、過去の罪は
一切消える、と説いています。なぜなら、解脱前のあんたは夢遊病
者と同じだから、と説きます。

これは魅力的な道です。怠けものの、私にふさわしい道です。
修行はすてて、思念による王者の相承を受けたほうが、手っとり早い
です。修行がつらい人は、私の手法を信じなさい。
ただ、会費を払っているだけでも、解脱の道は可能です。
管長は、信徒全員に説法するために、こういう怠け者の手法は説け
ないのだと思います。
では今後、阿含宗における、怠けものの解脱法をレスしようと思い
ます、無修行で解脱するのは楽そうで、難しいのですよ、条件があ
りますからね。
[453]如来の子孫 08/07/05 19:56 LGksRgot8d
干柿さんに質問したいのですがね、
管長が仮に呆けたとして、ボケない時代のことは無効だと思いま
すか?
例えば、あなたが、あなたの父母が元気な頃、父母といろいろな
約束をしたとします。あるいは死後のことまで含めてね。
その後、父母がボケて、長いこと生きて後、他界したとします。
さて、あなたと父母の約束は、すべて無効でしょうか?
そこが思想の分かれ目でしょう。
私は、約束は有効だと、思います。他の考え方も否定はしませんが。

それに、管長はまだボケてはいませんね。
若い、正常で平凡な者よりは、はるかに覚醒していると思います。
ヤンキースタジアムの護摩の件はよくわかりません。
ああいう行事にはブローカーも暗躍するでしょうし、私は管長の
判断を信じ、支持しますよ。
[454]たまに顔だす干柿 08/07/05 20:55 M115pOUA3P
>>448
ああそれなんですけどね。真正仏舎利の真偽はべつとして
八粒しかもらってないわけなんでしょ。実際には
それなのに全国各地の道場で真正仏舎利奉安とうたって
基金集めるのはどういうわけだったんですか?
やっぱW田のゴリ押しだったのかな?
もう、誰もが本物じゃないとわかっていながら
誰も異議を申し立てるものがいなかった。ある法務部の職員が
うっかり真正仏舎利カスケットと口をすべらしたのを聞いただけです。
正直な方だったのでしょう。
[455]たまに顔だす干柿 08/07/05 20:58 M115pOUA3P
結局、法によらないで、ゲイカのカリスマ性によって
たっていた阿含宗
ゲイカがだめになればなにもありません
どーすんだよ総本殿
[456]たまに顔だす干柿 08/07/05 21:06 M115pOUA3P
>>451
それは否定はしませんよ。
でもね、それだけでしょう。
たしか2chの私文書さんも同じような経験を書いていましたね
どんなトリックを使ったのか知らないけどといいつつ(笑)。
そして、それ以降なにをするでもなし、
あんなのは初めてオナニーをして、すげー気持ちよかったと
感激する、バカ厨房と同じようなもんですよ(爆。

だからゲイカはグルではなく滝行で少々鍛えただけのれーのーしゃ
だというのですよ。
だから阿含宗も一代で終わり
チャンチャン!
ということです。
[457]たまに顔だす干柿 08/07/05 21:17 M115pOUA3P
>>453
約束といますが、ゲイカの話すことはどこまでが本当で
どこまでが大嘘なのかわかりずらく、
虚実まぜこぜなんですよ。まあ、言っていることの十分の一程度
だと思えばいいんじゃないですか?

ところが近年もうろくしたのか書くこと言う事、矛盾だらけのことが
多く、判別できやすくなってきたのは朗報ですが(笑)。
守護神を持てでの
守護霊をさずけた、さえないOLがあれよあれよといううちにきれいになって玉の輿にのったなんて話、守護霊を持ての時代より
聞いたことなどありません
第一、メイトク供養やらなきゃ持たせられないって言っていて
さえないOLがそんな御供養の大金だせるはずないでしょ
そんなに簡単にさずけられて幸せになれるんなら
すぐ、授けりゃいいでしょ
W田だって行かず後家の守銭奴にならずにすむはずです。
信者をバカにするにもほどがある!ということです。
[458]たまに顔だす干柿 08/07/05 21:29 M115pOUA3P
あと十三救いの輪運動
「命を保障する!」なんて、いったい誰が言えるのでしょうか?
釈迦だってそんなことは言わない
すべては自業自得、カルマの変転などどうなるかわかりません
かの大聖 目健連尊者でさえ暴漢に襲われ落命しているのです。
そんなこというべきじゃない
と私は思いましたけれどね。

御法施の無能勝明王の真言なんてゲイカが作ったモンでしょありゃ
そうですよね、桐止さん。
真言辞典みても載ってませんよ、あんなの
別の正しいのが載っていた(笑)。
わざわざ護摩木で10万なんて使わんでもということで
せこく調べていたのですけど、当時ね(笑)。
[459]ラシン 08/07/05 21:54 *uZs1KhDPLSb*db3uB8Aefc
>[452]如来の子孫 08/07/05 19:28 LGksRgot8d
私が手にしたタントラは、ティロバの「マハムドラーの詩」です。
ダンマパダの半分程度の詩でしょうか。
訳者は、調べていません。

子孫さんがタントラに傾倒しようが、ミラレバを必要としようが
自由です。
しかしそれは釈尊の教えとは何の関係も無い。
桐山ニセ仏教より、密教やヨーガで満足すればいいでしょう。
火の呼吸とか、性エネルギーの変換に頑張ってください。
所詮外道だが、それが好きなら やればいい。
ただし、釈尊の教えではないと言うことだけは
認識してくださいね。
[460]ユビキタス 08/07/05 22:06 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>450
また桐山さんとは正反対の子孫教を説いてる!
一番の違いは大解脱、小解脱の違いですね。
子孫さんは煩悩解脱を大解脱として、個々の因縁解脱を小解脱と書いたが、
これは全く桐山さんに反します。
解釈の自由の問題以前に正反対、180度異なるのです。
「仏陀の真実の教えを説く」を読んでから書きなさい。
出家経のところだったかな?
桐山さんは煩悩解脱を小解脱としている。
そして運命転換のカルマ解脱を大解脱としている。
子孫教と桐山教はこうも違うのです。
そしてこれは釈尊の仏教ってか仏教一般とも全く異なる。
仏教の解脱とは煩悩解脱が全てです。
解脱という言葉は仏教以前よりありカルマからの解脱という意味を説く宗教も
あるが、仏教ではカルマ解脱など説かない。
煩悩の重荷から離れた境地を解脱としたのです。
それがインド宗教界における釈尊の道のオリジナリティです。
カルマも過去からの業報などに囚われずに、今の行いを正すことを説いた。
とにかく解脱と言ったら煩悩解脱しかなくそれ以上の解脱などは認めない。
心解脱は桐山さんは「悪い心癖を直すこと」としているが、正しくは「心に貪著から離れること」です。
慧解脱とは「無明を離れること」です。
貪著も無明も煩悩の最たるものです。
[461]ユビキタス 08/07/05 22:08 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>450
また桐山さんとは正反対の子孫教を説いてる!
一番の違いは大解脱、小解脱の違いですね。
子孫さんは煩悩解脱を大解脱として、個々の因縁解脱を小解脱と書いたが、
これは全く桐山さんに反します。
解釈の自由の問題以前に正反対、180度異なるのです。
「仏陀の真実の教えを説く」を読んでから書きなさい。
出家経のところだったかな?
桐山さんは煩悩解脱を小解脱としている。
そして運命転換のカルマ解脱を大解脱としている。
子孫教と桐山教はこうも違うのです。
そしてこれは釈尊の仏教ってか仏教一般とも全く異なる。
仏教の解脱とは煩悩解脱が全てです。
解脱という言葉は仏教以前よりありカルマからの解脱という意味を説く宗教も
あるが、仏教ではカルマ解脱など説かない。
煩悩の重荷から離れた境地を解脱としたのです。
それがインド宗教界における釈尊の道のオリジナリティです。
カルマも過去からの業報などに囚われずに、今の行いを正すことを説いた。
とにかく解脱と言ったら煩悩解脱しかなくそれ以上の解脱などは認めない。
心解脱は桐山さんは「悪い心癖を直すこと」としているが、正しくは「心に貪著から離れること」です。
慧解脱とは「無明を離れること」です。
貪著も無明も煩悩の最たるものです。
[462]たまに顔だす干柿 08/07/05 22:17 M115pOUApg
>>456
そりゃひどいいいかただな(笑)
外道はないでしょマハムドラーにたいして
子孫教とマハムドラーは関係ありませんぜ!

ねえ桐止さん
まったく仏教とは関係ないとはいえませんよね
子孫教は関係ないけどさ。
[463]たまに顔だす干柿 08/07/05 22:20 M115pOUApg
とはいってもオショウの「存在の詩」は読んだことねぇw
どうせオショウの解説だもんなと思って
なんだかんだでオショウの思想の解説なんだろということでね。
[464]ユビキタス 08/07/05 22:35 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>450
仏教で解脱と言ったら煩悩解脱しかないのだから、本当は解脱だけでよいのだが、
煩悩解脱と表現したら、煩悩を手放したくない人にとって売り込めないと
書いてますね。笑いました。
いや、実は桐山さんも同じ気持ちなんですよ。
実は自分が一番煩悩を手放したくない。
子孫さんも桐山さんも煩悩の何たるかを十分わかってないようだが、とにかく
不当な欲に囚われているから煩悩をなくす、減らすなんて自己否定が大っ嫌い
なんです。
だったら仏教を捨てればよいのです。
仏教を離れて自由に桐山教を作ればよい。
釈尊は煩悩をなくせ、減らせと説いているのだから、それが嫌なら仏教を捨てれば
よいだけです。仏教を名乗ってはならぬ。
そして子孫さんも桐山さんと同じく宗教を商品と考えているわけですね。
だから煩悩解脱なんて出してしまうと「ウケ」がよくないと引っ込め、それよか
「原因(因縁)解脱」の方がはっきりしないだけ、人を引き込めると考えている。
苦しみの原因は何か?
政治かも知らんし、悪魔幽霊のせいかも知らんし、俺てはないアイツのせいかも知らん。
悪いことした先祖のとばっちりかも知らん。
原因が悪いのだ!原因が!煩悩なんて原因にも出すでない!
客が集まらなくなるだろ?
大衆の欲望に迎合して信者をゲットするのだ!
世の中商売商売!
[465]ユビキタス 08/07/05 22:51 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>451
法友にも起きた奇跡ですか?
それは示すことがでいませんですか?
示さなくてよいですよ。それがあなたの限界ですから。
「ある現象」にしてもそうですよね。
具体的に書かない限り永久に説得力は生じない。
こういう書き方してるとかえって怪しまれるだけ損ですよ。
よほど自信がないのだなと。
沈黙してる方が評判を落とさなくて済むものをかえって弱体化の効果を与えている。
どうもありがとう。
[466]桐止めハルオ 08/07/05 23:31 hcFniXp4GI
>>451
>>452
子孫教というのは、おもしろい教説なんだね。
ヨーガタントラのグルの桐山なんとかいうのが、
(=元犯罪者:逮捕歴3回前科1犯の堤マスオさん)
あんた(子孫爺)のグルらしいが、ヨーガタントラの修行はしないは
正式に灌頂その他の伝授はできないは、おもしろいグルですねぇ〜。
そういうのなんていうんですか。インチキグルというのかな。

ヨーガタントラで、なんでマハームドラーが出て来るんだよ。
おまえ頭がおかしいぞ。ヨーガタントラの修行でマハームドラー
なんかわからねえよ。おかしんだよ子孫は。

ヴァグワン・シュリ・ラジニーシの本の訳なんか出さないでもらえる
かなぁ。まともじゃねぇんだよ。
いずれにしてもマハームドラーの境地を得るには「グンドー」やって
よーく「ラマチュパ」をやって、チャンダリーの火をおこして
トゥンモを完全にやり、心の観察をよ〜〜くやって、
その到達点がマハームドラーなの。その境地にあるものが
安住するのが「無努力」なの。二元論を越えて、一元化した境地
このことを「無努力」というんだよ。なんにも意図しなくていいから
そういうんだよ。カギュでは「一味」というんだよ。
ニンマ派ならルンドゥプとかテクチューというんだよ。
おんなじ意味だよ。「無努力」。
子孫教の思い込みとチベットの方法をゴチャゴチャにするんじゃ
ねぇよ。ゴチャゴチャなのは、テメエの頭の中だけで充分だ!
メチャクチャな言い分は桐山靖雄=堤マスオ宗教詐欺師さんに
似ているな〜〜〜

[467]孫 青柿 (あおがき) 08/07/05 23:33 No6md2Lye6
>>445 ○○屋さん
>グモンジ法がインチキ?ほんとなら、メチャクチャですね。
釣りですか?釣られてしまったw
>もはや『仏舎利信仰』のみ。
自分も○○屋さんの過去スレのカキコに今回と同じものがあったので私もそのとき仏舎利信仰という選択もあると思ったこともあります。
ゲイカがいただいた仏舎利は真正じゃなくとも他の寺院と同じくスリランカからいただいた尊い仏舎利ですから。
でもカニンガム将軍が発掘したなどと発表しケチがついてしまった。
仏舎利信仰といえば日本山妙法寺ですが、そこの信徒の方に言えますか? "カニンガム将軍が発掘した"仏舎利ですと。もうギャグでしょう。
しかもその仏舎利はゲイカの持仏で、本堂にあるのは嘘つきが拝んで作った霊石でしょう?
汚らわしくて拝む気にもなれないのが普通の感覚です。

>>439 Mりかわさんというのですか?最近の任侠は阿含経やクルシュナムルティとかも勉強しないといけないのですね。
現代ならではの多角化ですかね。
[468]如来の子孫 08/07/06 08:52 LGksRgot8d
小解脱と大解脱の解釈は、私と管長とで同じですよ。
正反対だと捉えるユビ元くんの考えが浅いだけです。
漏尽解脱とは大解脱です、なぜなら煩悩が尽きる解脱だからです。
煩悩が尽きるではなしに、部分解脱もあります、例えば三結煩悩を
解脱したシュダオンとかね、これは小解脱です。

あと一言、阿含経には布施供養すれば、現世利益を得ることを釈迦が
説いてます。しかし、釈迦と弟子に7日間連続して食事を提供した
在家信者が、釈迦が立ち去った後、すぐに死んだ例も書かれてい
ます。だからと言って、釈迦を嘘つき呼ばわりするのは間違いで
すね。ユビクンあたりが、当時に生きていたら、釈迦を嘘つき呼ばわりすることでしょうね。
ご利益に執着するのが間違いですね。反ご利益も間違いですね。
[469]ユビキタス 08/07/06 09:38 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>468
「仏陀の真実の教えを説く」の出家経の桐山解説最後まで読んでから書いて。
釈尊の煩悩解脱を説きながら、唐突に経典の根拠もなく、煩悩を解脱するくらいで
よいわけがないと、煩悩解脱を小解脱にしています。
大解脱をなんと書いてあるか?
引用してみ。
ちなみに桐山さんは心解脱から始まって、その上位に身解脱、命解脱があるとも
説きます。
昨日書いたとおり、仏教でいう心解脱は心に貪著の煩悩から離れることです。
桐山さんは悪い心癖を改めることとしており、違うのだが、まあ同類としてもよい。
この上に身解脱、命解脱を置く。
身解脱は肉体の病気などの因縁が改善されること。
命解脱は不幸不運な運命が改善されることとしてます。
しかしどちらも釈尊の仏教にこんな概念はない。
身解脱はあるが、これは肉体の束縛から離れる入滅を指す。
[470]ユビキタス 08/07/06 09:45 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>468
「仏陀の真実の教えを説く」の出家経の桐山解説最後まで読んでから書いて。
釈尊の煩悩解脱を説きながら、唐突に経典の根拠もなく、煩悩を解脱するくらいで
よいわけがないと、煩悩解脱を小解脱にしています。
大解脱をなんと書いてあるか?
引用してみ。
ちなみに桐山さんは心解脱から始まって、その上位に身解脱、命解脱があるとも
説きます。
昨日書いたとおり、仏教でいう心解脱は心に貪著の煩悩から離れることです。
桐山さんは悪い心癖を改めることとしており、違うのだが、まあ同類としてもよい。
この上に身解脱、命解脱を置く。
身解脱は肉体の病気などの因縁が改善されること。
命解脱は不幸不運な運命が改善されることとしてます。
しかしどちらも釈尊の仏教にこんな概念はない。
身解脱はあるが、これは肉体の束縛から離れる入滅を指す。
[471]ユビキタス 08/07/06 09:47 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
ああ、また二重ですまんです。
[472]済世活佛 08/07/06 10:58 NnjazM4c5A
釈尊

「アーナンダよ、そなたはマガダの奉仕者たちについて、私の面前で長話をした後、
 座から立ち、去って行きましたが、私はナーティカ村で托鉢をし、食後、托鉢食を離れると、
 足を清め、煉瓦堂に入りました。そして、マガダの奉仕者たちについて考慮し、意を注ぎ、
 心をもってすべてに集中し、用意された座に坐りました。
 (私はかれらが、現に生まれている行方について、来世について知ることにしよう)と。
 アーナンダよ。私は、マガダの奉仕者たちの、かれらが現に生まれている行方について、
 来世について見たのです。」

「そのとき、アーナンダよ、夜叉(霊)が姿を隠したまま、声を発しました。
 アーナンダよ、声が発されて間もなく、容姿端麗の夜叉(霊)が私の面前に現れました。
 そして、再び声を発しました。
 『世尊よ、私はビンビサーラです。善逝よ、私はビンビサーラです。
  尊師よ、これが七回目です。私はヴェッサヴァナ大王の眷属として生まれかわっています。
  その私は、それより死んで人間の王になりえます。ここから七回、そこから七回、十四回の輪廻があります。
  私が以前住んでいたその住処を憶えています。尊師よ、私は長い間、不退転の者として、不退転のことを知り、
  しかも私には一来者への願いが確立しています。』と。」
[473]済世活佛 08/07/06 11:05 NnjazM4c5A
釈尊
「サーリープッタよ、私は、この五百の比丘たちについても、
その行為もしくは言語の上になんら批難すべきものを見なかった。
サーリープッタよ、この五百の比丘たちのうち、六十人の比丘たちはすでに三明をえた者であり、
六十人の比丘たちはすでに六通をえた者であり、さらに六十人の比丘たちはすでに倶解脱をえた者であり、
その他のものは慧解脱を得たものである。」
[474]済世活佛 08/07/06 11:09 NnjazM4c5A
心のあらゆる動きが全く止滅した状態=滅尽定
[475]済世活佛 08/07/06 11:13 NnjazM4c5A
非物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅を知らないので、再びこの世の生存にもどって来る
[476]済世活佛 08/07/06 11:23 NnjazM4c5A
悪霊が反応しています。
間違っています


[460]ユビキタス 08/07/05 22:06 *lPm7zuA9Viz*
[461]ユビキタス 08/07/05 22:08 *lPm7zuA9Viz*

[469]ユビキタス 08/07/06 09:38 *lPm7zuA9Viz*
[470]ユビキタス 08/07/06 09:45 *lPm7zuA9Viz*
[477]済世活佛 08/07/06 11:25 NnjazM4c5A
生天を説いています。
間違っています。

[413]ユビキタス 08/07/04 10:07 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
>>349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
>ちゃんと、布施供養のご利益も説いてるし、因縁解脱の内容も
>説いてますよ。
>例えば、遊行経には、釈迦に食事を提供したバラモンに、
>「・・持戒の修行者に供養した者は福徳増し安穏になる。
> 行くところ危険はない。生においては災難にあわない」
>と、説いてますよ。在家者が三宝に供養すると、災難にあわない、
>と説いています。比丘達が修行によって災難にあわなくなるのは
>当然でしょう。

釈尊が在家信者に布施を勧め、その功徳で来世はよいところに生じるとか
容姿すぐれるとか、いわゆる生天を説いているのは事実です。
ところで「生においては災難にあわない」の生の前に何か省略か欠落は
ありませんか?
出家の修行者には生天なんか説きません。彼らは解脱あるのみです。
第一布施をしない。布施を受ける立場です。
比丘たちはちゃんと立派に(?)に災難にも遭ってますし、殺されても
います。十大弟子とも言われる高弟が。
[478]済世活佛 08/07/06 11:27 NnjazM4c5A
神通は智恵の眼の基
全く間違っています。

[338]ユビキタス 08/07/02 21:49 *lPm7zuA9Viz*V/BAFoY8a.
>>311]如来の子孫 08/07/02 14:31 LGksRgot8d
>霊的能力があると修行が進む、という話は、経にあるかどうか、
>わかりません。解脱知見というのが、ありますね。天眼智、宿命智、
>漏尽智でしたか?
>霊的能力があると、そういうことに確信が持てるようになるとは、
>思います。霊的能力の素養がない学者は、それを喩え話だと否定し
>て、あくまで倫理道徳の観点からしか認めなかったりします。

これは2ch でペテン大作というやはり恥ずかしい信者に答えてやった
のだが、釈尊が説きたかったのは実にその漏尽智だけと言って少しも
過言ではないのです。
漏(煩悩)の尽きてなくなったことを知る智慧、つまり煩悩をなくす
ことに他ならない。
釈尊にはたしかに宿命通やら天眼通やらあったでしょう。
また弟子の中にもそういう神通力を得た人もいたでしょう。
しかし釈尊の高弟の中にはそんな神通力のない人もいたのです。
しかすいかの高弟はアラハンという最高の解脱者と称されたわけです。
神通力なんてあってもなくてもよい副産物です。


[479]済世活佛 08/07/06 11:35 NnjazM4c5A
間違っている

[464]ユビキタス 08/07/05 22:35 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>450
仏教で解脱と言ったら煩悩解脱しかないのだから、本当は解脱だけでよいのだが、
煩悩解脱と表現したら、煩悩を手放したくない人にとって売り込めないと
書いてますね。笑いました。
いや、実は桐山さんも同じ気持ちなんですよ。
実は自分が一番煩悩を手放したくない。
子孫さんも桐山さんも煩悩の何たるかを十分わかってないようだが、とにかく
不当な欲に囚われているから煩悩をなくす、減らすなんて自己否定が大っ嫌い
なんです。
だったら仏教を捨てればよいのです。
仏教を離れて自由に桐山教を作ればよい。
釈尊は煩悩をなくせ、減らせと説いているのだから、それが嫌なら仏教を捨てれば
よいだけです。仏教を名乗ってはならぬ。
そして子孫さんも桐山さんと同じく宗教を商品と考えているわけですね。
だから煩悩解脱なんて出してしまうと「ウケ」がよくないと引っ込め、それよか
「原因(因縁)解脱」の方がはっきりしないだけ、人を引き込めると考えている。
苦しみの原因は何か?
政治かも知らんし、悪魔幽霊のせいかも知らんし、俺てはないアイツのせいかも知らん。
悪いことした先祖のとばっちりかも知らん。
原因が悪いのだ!原因が!煩悩なんて原因にも出すでない!
客が集まらなくなるだろ?
大衆の欲望に迎合して信者をゲットするのだ!
世の中商売商売!

卑しい

[465]ユビキタス 08/07/05 22:51 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>451
法友にも起きた奇跡ですか?
それは示すことがでいませんですか?
示さなくてよいですよ。それがあなたの限界ですから。
「ある現象」にしてもそうですよね。
具体的に書かない限り永久に説得力は生じない。
こういう書き方してるとかえって怪しまれるだけ損ですよ。
よほど自信がないのだなと。
沈黙してる方が評判を落とさなくて済むものをかえって弱体化の効果を与えている。
どうもありがとう。
[480]済世活佛 08/07/06 11:39 NnjazM4c5A
縁りて起こる
全ての事物・事象が「相互依存・限定」(相依・相関)の関係(同時間的因果関係)なのです。
[481]済世活佛 08/07/06 11:42 NnjazM4c5A
親と子の関係では、子供が生まれたから親となった。(因←果)との条件付け
[482]済世活佛 08/07/06 11:44 NnjazM4c5A
桐山氏と弟子の関係では、
F田氏がそうだから桐山氏は正師となった
[483]済世活佛 08/07/06 11:46 NnjazM4c5A
縁りて起こる
全ての事物・事象が「相互依存・限定」(相依・相関)の関係(同時間的因果関係)なのです。
霊系法脈もそうなのです。
[484]済世活佛 08/07/06 11:50 NnjazM4c5A

釈尊の全ての言葉は全てパリッタと等号なのです。
仏陀とはそのようなものなのです。
[485]済世活佛 08/07/06 11:58 NnjazM4c5A
間違っています

[415]ユビキタス 08/07/04 10:24 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
[416]ユビキタス 08/07/04 10:42 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
[417]ユビキタス 08/07/04 10:51 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
[418]ユビキタス 08/07/04 11:02 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
[419]ユビキタス 08/07/04 11:11 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
[420]ユビキタス 08/07/04 11:17 *lPm7zuA9Viz*yReaU1oa0.
[486]済世活佛 08/07/06 12:02 NnjazM4c5A
仏陀が言葉を発すること

輪廻転生の仕組みから防護する働きそのものなのです。
[487]済世活佛 08/07/06 12:07 NnjazM4c5A
釈尊

親族之果報功徳を願え


布施之果報功徳を願え


比丘たちよ。

あらゆる
過去乃至未来乃至現在の

応供等正覚者は

業論者、業果論者、精進論者であった
[488]済世活佛 08/07/06 12:09 NnjazM4c5A
仏陀は思想やら道徳ではありません。


>分別布施経
[489]済世活佛 08/07/06 12:16 NnjazM4c5A
本来、初期経典は初期経典のままなので伝わるです。
成就によりそうなります。
わたくしは桐山氏の信者(会員)ではない。
わたくしは森川という名前ではない。

このモノは卑しい
大嘘吐きです

[442]桐止めハルオ 08/07/05 00:56 hcFniXp4GI

もういいよ、済世活佛=栗花=三十三=森川=桐山の信者(会員)

君の活躍も終わりだよ。諸行無常だね。残念だね。

随分インチキでテキトウな経典解釈だね。全然、通用しないね。

[444]桐止めハルオ 08/07/05 07:58 GoRGEoUS

栗花(カス)=三十三(汚点)=済世活佛(偽仏)=森川(桐山信者

この方は、もう役はおわりましたよ。お暇がでましたね。

とりこまれている893まがいですね。クズレの物書きです。

干柿さん、桐山さんがダメなことは、栗花がいちばん認識して

ますね。栗花さん、しゅうむ局にTELしとくからね。ではでは
[490]済世活佛 08/07/06 12:20 NnjazM4c5A
笑うと地獄に堕ちます。
初期経典

前世によってさだまっていた生きる寿命を越えている人を笑う行為

443]たまに顔だす干柿 08/07/05 05:36 M115pOUAE0
グモンジ脳はボケないといいながら
なぜ、ボケまくりなんですか?
もう笑うしかないじゃありませんか
栗花さんどう思われますか?
[491]済世活佛 08/07/06 12:30 NnjazM4c5A
釈尊の時代
餓鬼は死霊プレーッタ
「釈尊、わたしたちバラモンたる者は、先祖供養祭をしたり、布施をしたり、善業をおこなって、
『この布施が亡き親族縁者のためになりますように。この布施(の功徳)を亡き親族縁者が享受しますよに』と唱えて(廻向して)います。
お釈迦さま、その布施はほんとうに亡き親族縁者のためになるのでしょうか? 亡き親族縁者は、その布施(の功徳)をほんとうに享受するのでしょうか?」

「亡き親族が適切な境遇に生まれているなら、布施はためになります。そうでなければ、ためになりません」

「天人には天人の食べ物が、人間には人間の食べ物が、畜生には畜生の食べ物が、地獄には地獄の食べ物があり、
その食べ物によって、それぞれの生命はそれぞれの境遇で生存しています。そこに生きる者たちには、布施の功徳はためになりません。
餓鬼には餓鬼の食べ物があり、それによって餓鬼は餓鬼道で生存しています。
餓鬼はまた、友人知人・親族縁者が人間界から『かれらのために』と布施するそのことによてっても生き長らえます。
そうして餓鬼道に住むものには、布施の功徳はためになります。この餓鬼道が、布施の功徳が役に立つ適切な境遇です。」
[492]済世活佛 08/07/06 12:32 NnjazM4c5A
護摩 たいぞうかい

輪廻転生の仕組みを機能させるのです。

天人には天人の食べ物が、人間には人間の食べ物が、畜生には畜生の食べ物が、地獄には地獄の食べ物があり、
その食べ物によって、それぞれの生命はそれぞれの境遇で生存しています。
[493]済世活佛 08/07/06 12:36 NnjazM4c5A
さとりの領域と輪廻転生の仕組みにおける滋養を用いる心の技術なのです。

三十三天で釈尊が亡くなった母におこなった
究極のパリッタ

護摩の「場」にすべて輪廻転生の仕組みがあるのです。
[494]済世活佛 08/07/06 13:12 NnjaztscJw
されど

この施物の僧団に与えられ使用せられなば、

長く死人の利益となり、

よく彼を利す
[495]済世活佛 08/07/06 16:03 NnjazOot/o
分け与える者には大いなる果という報いが有ると、偉大なる聖者が説いたように、有情たちが、もしこのように知るならば
 清らかな心によって物惜しみという垢を取り除いて、そこにより与えられた大いなる果を聖者たちに時に施すであろう。
 また、多くの食べ物を、施与されるべき者たちに施物として与えてた施者たちは、このようなありようから、死してのち生天する。
 そして天上に行った彼らは、そこにおいて、欲のままに欲する者として喜び楽しむ。物惜しみという垢なき者たちは、分け与えることの報いを受ける。

[496]如来の子孫 08/07/06 17:39 LGksRgot8d
干柿さんは、修行しても、その後、何の変化もなかったようですね。
管長に対して疑いを持つと、第二のユビ元くんになりますよ。
要は、信を持てるかどうかの違いしかないのですからね。
私は弟子、受け入れの秘儀の後、何年もしてから、なんだかんだ、
ありましてね、今ではマジにシュダオンに近いと自覚してるのです。
だいたい、どんなにレスで批難されても、可笑しくてしょうがない。
腹など立たないし、効果がなかった人達の言うことはしょうがない。

受け入れの秘儀のとき、管長はトリックなど使わないでしょうね。
それでも、他の信者に起こした奇跡を私は沢山目撃しています。
彼らは決して退会などしませんね。批判側には気の毒だが、阿含宗は
元気に継続しますね。大枚はたいて賭けたっていいよ、フフ。
「オウム真理教と阿含宗」の本、P132には、グルに受け入れて
もらえば、修行は八分どおり成功したといっていい、とまで書いて
ありますね。私はそれを信じて修行は手抜きしました。
ただし修行、全くしないのではない、誤解のないように。
それでも運よく、前進しましたね。

[497]如来の子孫 08/07/06 17:55 LGksRgot8d
ユビ元くんは、管長の最新の本だけにこだわってはいけません。
他の本では、十結煩悩を断ち切れば大解脱、仏陀ですと書いてます
からね。勿論、カルマを断つことも解脱と説いてます。が、そんなに
語句にこだわっては解脱に役立ちませんよ、むしろ妨げです。

私が読んでるマハムドラーの詩は誰の翻訳だろうね、ラジニーシは
日本語出来ないだろうから、彼の弟子だろうね。
ティロバの詩を、いかにラジニーシだとて、変えてはいないだろう。
だとすれば、ティロバタントラは意味深いよ。
釈迦を超えてると私は思うくらいだ。
釈迦は、バラモンを皆、否定したわけではない。
釈迦が認めたバラモンもいた。何とか経で、確かに読んだです。
そういうことだよ、ラシンくん、釈迦が善いと認めたバラモン達が
いたのですよ。また、釈迦は、祭祀においては火の供養がもっとも
すぐれている、と説いています。祭祀を司るバラモンたちを邪道と
決めつけていたわけでもないね。
[498]如来の子孫 08/07/06 18:08 LGksRgot8d
ティロバタントラ、マハムドラーの詩
「真言、波羅蜜多の修行も経文も、宗門も聖典の教えも、真理の
 実現をしめすことはない。二元性を越えるは王者の見地、散乱
 を制するは王者の行。解脱を目指すもの人はグルに依るべし」

すべての修行を捨てよ、と説きながら、散乱を制する修行は王者の
行、と説くあたり、ユビさん流に言うと矛盾してます。
だが、問題ない。
阿含宗では、修行なしに解脱が可能です。
(ただし、管長に知られると叱られるので内緒ですぞ。)
[499]○○屋 08/07/06 21:13 1qpL8qPyjl
>阿含宗では、修行なしに解脱が可能です。
>(ただし、管長に知られると叱られるので内緒ですぞ。)

ほほ〜う?

つまり「上根の成仏法」と「下根の成仏法」以外に「成仏」する法があると言うのだな?
c-8656409
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