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(終了済)阿含宗と桐山氏について―第三十四章― そろそろネタ切れだね!?−

    ※このPは記事200〜299です。

[200]0 08/02/20 22:48 AvAJKmmnp3
グモンジ間脳護摩法はユダヤ民族からも
認められました。
[201]ユビキタス 08/02/21 00:41 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
それでは>>182の続きのお使い反論をするが、今晩は予定の三福道の原語や三十七道品の話まで行けず
真正仏舎利の話で終わりそうです。
と言うのは>>190に反論せねばならないからです。
大王のお使いさんはちっとも桐山大王の使いになっていない。
その名前を返上しなさい。
もっと桐山大王の説く話を勉強しなさい。
桐山さんは仏舎利が真正仏舎利であるか否かの議論を最重視しているのです。
枝葉末節ではなく根幹の話なのです。
私は仏舎利の真贋などを問うのはナンセンスなくらい、釈尊の教法の精神的支柱
という考えを示したが、桐山さんはそうではない。
真正仏舎利でなければその本尊は意味がない、力がないとしているのです。
修行者座右宝鑑の三宝論を読みなさい。
仏、法、僧の三宝をあげる中で最も重要な本尊としての仏は真正仏舎利でなければ
ならないとしているのです。
釈尊の本当の遺骨だからその魂みたいな成仏力がそのホネに宿るわけであり
偽物には絶対こういうことはないとしている。
枝葉末節どころか根幹に属する重大事なのです。
こんな三宝論を説いたのは桐山さんなんだから、あの仏舎利は絶対に真正仏舎利
と証明されたものでなければ、自分の立場が崩壊するのです。
そして桐山さんは大統領からその場で他の人には本当に聞こえたのかどうかわからない
言葉で真正仏舎利と理解したわけではないのです。
あちらのシンハラ語で書かれた由来書まで示して、補足としてカニンガムの話や
ブッダガヤの大塔の話も添えている。
大統領なんかよりそれを根拠にしているのです。
著書にカラー写真まで添えて躍起になって。
で、その由来書の訳もカニンガムの話も大菩提寺の話も全部嘘とわかるのです。
あの由来書を訳すと見えない存在からもらったと書いてある。
どこにも釈尊の遺骨などと書いてない。
むしろわけのわからないまがい物という証明の由来書なのです。
まあインドのおみやげに現地で物売りにでもつかまされたのが実態だと思うが
とにかく幽霊みたいなものから受け取ったなんて話では真正仏舎利にならない。
またカニンガムは仏舎利を発見していない。
当時からヒンズー教管理下にある大菩提寺の管長にスリランカの仏教僧がなれたはずがない。
全部嘘だと証明された話なんです。
真正仏舎利であることを否定する話は枝葉末節どころかアゴン宗の土台を覆す
根幹の話であり、それをしている。
[202]ユビキタス 08/02/21 08:47 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>154
それでは三福道の反論です。
大王のお使いさんによると、三福道も三善根もその原語の意味は大して変わらない
のだと言う。
これは桐山さんの嘘とは別にお使いさんも嘘をついているのがわかります。
まず原語の話より先に、お使いさんは桐山さんの話を鵜呑みに三供養品経典には
三善根と書いた経典とは別に三福道と書いた経典があるように思っているようだが、
実は三福道なんて書いた経典は存在しない。
あれは桐山さんの捏造創作なんです。
大乗経典を偽の経典と批判しながら、自分は経典を勝手に捏造した。
そして原語だが、お使いさんのいう原語って何ですか?
サンスクリットか?パーリ語か?
ところがこの増一阿含経三供養品に該当するサンスクリットやパーリのインド原典
なんて現存しないのです。
この漢訳本を原書として研究対象にするしかないのです。
もちろん善根に該当するサンスクリットやパーリの単語は辞書でも引けばわかるでしょう。
ではそれを示してください。
そして善根でも福でも意味は変わらないことを証明してみて下さい。
仏教辞典などによると三善根とは無貪、無瞋、無痴のことです。
三不善根が貪瞋痴で三毒煩悩のことですね。
だから三善根とは貪瞋痴の煩悩をなくするようにすることです。
一方福については一般的な意味でも財福とか物質的なものも含めた幸福な状況
を言いますよね。
桐山さんが欲しがっていたのも、この欲を煽るような世間一般の福の概念です。
三福道と示されて、ああ、三毒煩悩をなくすことだなと理解する人はいない。
もちろん三供養でも三功徳でもない。
[203]ユビキタス 08/02/21 08:48 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>154
それでは三福道の反論です。
大王のお使いさんによると、三福道も三善根もその原語の意味は大して変わらない
のだと言う。
これは桐山さんの嘘とは別にお使いさんも嘘をついているのがわかります。
まず原語の話より先に、お使いさんは桐山さんの話を鵜呑みに三供養品経典には
三善根と書いた経典とは別に三福道と書いた経典があるように思っているようだが、
実は三福道なんて書いた経典は存在しない。
あれは桐山さんの捏造創作なんです。
大乗経典を偽の経典と批判しながら、自分は経典を勝手に捏造した。
そして原語だが、お使いさんのいう原語って何ですか?
サンスクリットか?パーリ語か?
ところがこの増一阿含経三供養品に該当するサンスクリットやパーリのインド原典
なんて現存しないのです。
この漢訳本を原書として研究対象にするしかないのです。
もちろん善根に該当するサンスクリットやパーリの単語は辞書でも引けばわかるでしょう。
ではそれを示してください。
そして善根でも福でも意味は変わらないことを証明してみて下さい。
仏教辞典などによると三善根とは無貪、無瞋、無痴のことです。
三不善根が貪瞋痴で三毒煩悩のことですね。
だから三善根とは貪瞋痴の煩悩をなくするようにすることです。
一方福については一般的な意味でも財福とか物質的なものも含めた幸福な状況
を言いますよね。
桐山さんが欲しがっていたのも、この欲を煽るような世間一般の福の概念です。
三福道と示されて、ああ、三毒煩悩をなくすことだなと理解する人はいない。
もちろん三供養でも三功徳でもない。
[204]大王のお使いその1 08/02/21 09:48 lPSJb/jtbq
イスラエル護摩は、詳しくは知らないけど、イスラエル政府の関与
があることは確かですよ。管長がエレサレムを事前視察した映画
では、首相か大統領と握手していましたからね。
日本だと政教分離で、宗教行事は難しい面があるけど、外国の場合
はもう少しおおらかではないのですか。

三福道の要諦は、「仏法僧の三ヵ所で功徳を植えると涅槃界へ至る
大果報を得られますよ」ということなの。それが経の趣旨なのね。

ところが、桐山を貶めてやろう、とかの邪心を持つと、経の大意
とかが見えなくなるのね。出来の悪い塾生と
同じで、内容が理解できなくなるのね。そして「釈迦はペテン師
だー」という堤婆達多状態になるのですね。

 それと、邪心を持つと布施供養しても果報はありませんよ。
 邪心を持って阿含宗に布施供養しても果報はないということ。
 人に誕生プレゼントを贈る場合、
 「僕の誕生日には、お返しに、もっと良いものをくださいね。」
 との下心邪心があるとします。
すれば、「そんなプレゼントならいらないよ」と、断られるのが
あたり前でしょう。
 だから阿含宗の仏様に供養する場合でも、自分の心を点検する
 必要がありますね。

果報を得られないで、退会し、その後悪態をついてる人達は、
たぶん、下心強くて布施供養・・・でなかろうか。
[205]大王のお使い 08/02/21 12:05 lPSJb/jtbq
浄三業 感想 「諸法は自性清浄なるがゆえに・・」これを大乗では
認めるが、部派仏教では意見がわかれ、たとえば説一切有部では否定
する。と、いうのが仏教学者の見解ですね。

出来の悪い元阿含信者が、沢山の用語を使い、珍説を展開してるよう
だが、要点に気づいていない。問題提起の意味に気づいていない。
四念処法では、この身は不浄・・感受は苦・・というように観想して
いくが、浄三業では「諸法は自性清浄・・」と観想する。
この観想の矛盾をどう解決するのか?ということなのよ。

四念処法の、「この身は不浄、受は苦、心は無常、諸法は無我」という
真理と「諸法は自性清浄」という真理が矛盾してるのはなぜか?という
ことなのよ。

つまり、「この身は不浄」という真理と
    「諸法は清浄」という真理は矛盾してるのではないか?
    と、いうことです。

わたしはこの問題を解くのに、3年の瞑想を要しましたね。
まぁ、矛盾に気づかない人は、問題にもならない問題ですが。
[206]ユビキタス 08/02/21 13:04 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>204
三十七道品の話に移る前に三福道の話にレスしときましょう。
功徳を種えるとあるその種とは三善根なんですよ。
貪瞋痴の煩悩をなくす営みです。
つまり仏法僧の三宝において煩悩を断つ修行をすることはこの上ないことだと
説いた、仏教としては当たり前のことを述べた経典です。
なお布施供養の話は関係ありません。
あくまでも煩悩を断つ功徳の話です。
ではなぜ三供養品と題された経典なのかと言うと、この三供養品はこの短い経
単一に付けられた題ではないのです。
三という数字が出て来る短い経典をいくつも集めたのがありまして、この経典群
のトップに三供養の経典をたまたま置いたから、経典群の名前を三供養品とした
だけなのです。

>>205
大乗仏教と部派仏教までしか遡れないで初期仏教(阿含仏教)までコメントが
ありませんか?
ちなみにアビダルマの部派仏教の方が阿含仏教に近いわけですね。
で、3年にわたる瞑想の結果あなたがこの矛盾にどう決着をつけたか書くことは
できますか?
できないでしょうね。いろいろな言い訳をして、説明しないでしょうね。
じっこーさんが「僧侶は2度死ぬ」とか謎めいた言葉を残して解説もしないのと
同じでしょう。
[207]大王のお使い 08/02/21 14:38 lPSJb/jtbq
元信者さんは、申恕林経をご存知かな?
元信者さんは、枝葉末節の知識だけが膨大で、根幹部分が欠けている
のです。だから大意を誤るのね。申恕林経を学んだほうがいいね。

三供養品の「三福道・三善根」の「仏法僧のもとで功徳をうえる」という
場合の種は三善根、なんて経では説いてないでしょう。
功徳を種える場合の種は三善根だ、とかの勝手な解釈をするから大意を
誤るのです。この嘘つき元信者さんよ。

「三善根があるぞ、何を三(善根)となすか、それは仏と法と僧の三つの
いずれかで功徳を種えることだ。そうすれば涅槃界へ至れるぞ」と、
いうのが経の大意でしょう。小学生でもわかることだよ。
三宝のもとで貪瞋痴を修することだ、なんて経には書いてないだろが!
経には、「三宝のもとで功徳を種える、という善根があるぞ」と書いてる
にすぎない。経は素直に読みなさいよ。

三善根の熟語の意味が「貪瞋痴」を指すようになったのは、もっと後代に
なってからのことでしょうね。
[208]大王のお使い 08/02/21 14:49 lPSJb/jtbq
根幹を理解していれば、元信者さんのように、誤ることはないよ。

仏教の目的・目標は成仏することです。
阿含宗が教える目的・目標も成仏することです。
その手段は、阿含経の実践です。
つまり、37道品、三福道、在家の八法十六法の修行です。
以上が、根幹でしょう。

それを理解してたら、他の多くの教えに惑わされて、本質を見失うこと
はないでしょうよ。
[209]大王の使者の代人 08/02/21 18:21 lPSJb/jtbq
阿含宗機関紙、「AGON」2月号に夏季伝法会の質疑応答が掲載
されてますね。その中の
 管長のお答えに、「般若心経瞑想法は、空を悟るための瞑想法
 です」と、ありますね。
また、管長は別の著書で、「四念処法は空を悟るための瞑想法です」
と、書いておられますね。

このことは、つまり、般若心経瞑想法は四念処法でもあることを
示しているのですね。つまり、空観です。
 心は無常、法は無我、という四念処法は、
 般若心経の諸法皆空、と、すぐに連想できますね。
 できませんか?(笑)

と、いうように、管長はいちいち、これは37道品のこれこれの修行
法というような説明を抜きにして、すでに37道品の修行法を伝授
しているわけですねえ。それに気づいている人は気づいているわけ
です。出来の悪い、今でも悪態付いてる元信者みたいな者は、
「さっぱり肝心の伝授がない」と、騒いでるわけです。

退会を勧められて、迷ってる信徒は慎重にいたしましょうね。


[210]孫 青柿 (あおがき) 08/02/22 00:22 f0d/0/hmNH
>>209 しまった!そうだったのですか?般若心経瞑想法は四念住だったのか・・・巻末の縁起流転水想観は特にそうなのですね?
て(笑  過去スレ もう2年も前から使者さんて同じことばかり言ってますよね。
もう少し勉強しようね
[211]孫 青柿 (あおがき) 08/02/22 00:32 f0d/0/hmNH
>>205
>四念処法の、「この身は不浄、受は苦、心は無常、諸法は無我」という真理と「諸法は自性清浄」という真理が矛盾してるのはなぜか?という
ことなのよ。

>つまり、「この身は不浄」という真理と「諸法は清浄」という真理は矛盾してるのではないか?と、いうことです。

ユビ氏の>>199が完璧な回答になってますが、何か?
[212]ユビキタス 08/02/22 01:07 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>207
いや、功徳という用語自体が善根とセットになっている。
功徳とは人間の徳性であり、善い行いをした結果という意味です。
善根の結果が功徳なんです。
功徳とは結果ですよね。
如来の所に功徳を種える。とある。
結果を植える?原因はどこに行った?ヒントは種える「種」にある。
やはり種、原因はあるのだ。その種は何か?
答えは次の文に即座に出て来る。
「此の善根・・・」
善根が因でありその果報が功徳です。
つまり如来の所にて、正法において、聖衆において、善根を実践して、その功徳は
涅槃界に至ると説いているのです。
第一のっけから、「三善根あり。窮尽すべからずして涅槃界に至る」とある。
三善根が涅槃に至る道なのです。
だからここを「此の福」なんて作文してはならない。
功徳も結果ならば福もまた結果でないか?
如来の所でよい結果の種をうえた。その結果はエライこっちゃ。
なんだ?その文は?
種はなんなんだー?!
もし布施なり供養ならば、きちんとそう書くのが日本語でありインド語であり、
中国語アルよ。
如来の所に功徳の種をうえた。この布施供養は素晴らしいぞ。とね。
しかしはっきりと善根と続く。
善いことと聞いてどうして経典が述べてもいない布施供養を想定する?
それに三善根が無貪、無瞋、無痴だという概念は後世のものではない。
たしかに後世の唯識でも無貪無瞋無痴の三善根は重要な項目です。
自分の心のみを観察するのが唯識ですからね。
しかしルーツは阿含経にある。
増一阿含経の他の経典にも三善根や三不善根はよく出て来る。
貪瞋痴の三不善根を持つと地獄に生まれ、不貪、不瞋、不痴の三善根を持つと
人・天に生まれるとか。
過去スレでよさんが探してきた地主品などもそうです。
よさんは地主品は煩悩の不善根を説いたのだから、この三供養品2は別ではないか
と見解を示したが、普通逆です。
地主品等同じ増一阿含経で煩悩をなくした三善根をさんざん説いたから
この経典もまたそれの関連なのです。
第一釈尊は布施供養の見返りをはっきりと否定しています。
布施は単に受けるだけでお礼もご褒美も返さない。
取引はしないのです。
そんな釈尊が、わしらに布施供養するとその功徳で涅槃に往けるぞなんて説くだろうか?
[213]ユビキタス 08/02/22 01:26 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
さあ、ここで大王のお使いさんに宿題です。
これに正確に答えられなかったら、桐山大王の使いというハンドルを返上しなさい。
桐山大王は三供養品を依経とする一方で、雑阿含経の応説経をも依経としている。
内容は釈尊に頼っても漏尽解脱は得られないぞ、三十七道品を実践しないと
漏尽解脱は得られないぞというものです。
お釈迦様でも手を貸してくれないのです。
ところがこの三供養品のサンプクドーは三十七道品の修行の実践なんか説いて
おらず、ナントお使いさんのいう布施供養をするだけで、アナゴンまで往けるとした。
これは矛盾ではないか?と桐山大王は感じた。
この三供養品は後世の大乗あたりが混入したのではないかと当初疑ったのだそうだ。
さて、桐山大王は結局この矛盾をどうやって解決したのでしょう?
お使いさんの解釈だと、応説経と矛盾してしまうのですがね?
[214]ユビキタス 08/02/22 08:51 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>154
さて亀レスですが、154に対する3つ目の反論が、三十七道品の実践指導です。
お使いさんによると、三十七道品は既に何らかの形で教えられており、それに
気がつかない信徒の方に責任、問題があるという論です。
その根拠が>>208の般若心経瞑想法なんだそうです。
般若心経瞑想法なんてお遊びは四念処などではないが、それについてはもっと後になってから示します。
桐山さんはこんなことを説いていない。
般若心経瞑想法が空を悟る瞑想のつもりだと解説するのはよいが、だからやはり
空も説く阿含経の三十七道品の四念処も教えたことにしたなんてことは言わない。
そんなこと言ったら空を説く大乗仏教の般若心経は成仏法のあることになってしまう。
どうして三十七道品の四念処を教えるのに般若心経などと題するのだ?
桐山さんにとってはあれは空を教える初歩、入門のつもりで、行く行くは本式の四念処観に進む為の
アプローチに過ぎないという位置付けにするでしょう。
それに空を悟ればよいというものではないとも言うでしょう。
あんな程度が七科三十七道品ならば誰でも成仏法を実践できて過去の先人も
皆インネンゲダツできているはずです。
桐山さんは七科三十七道品の成仏法は難しいと言っている。
これは天才の自分だから発見して実践できたのであり、グモンジ脳を獲得した
身だから修行できるのであり、そうでない人は七科三十七道品の修行など
いきなりするのは無理だと言っている。
だから解脱宝生行や梵行、解脱供養などから始めるしかない。
それから伝法会に出て、密教の四度加行を学んで礼儀作法を身につけて、
限られた者に光明解脱大日護摩とか伝法して三十七道品はまだ先なのです。
たった一つ「空」という共通する用語だけで同一にしてしまうお使いさんが
いかに実践もせずに字面だけで判断してる頭(それも弱い頭)だけの人かわかる。
とにかく桐山大王は七科三十七道品の修行は高度だから普通人には実践は無理で
段階を経て教えると先延ばしにしてるのです。
あなたの書いていることは桐山大王の使いではなく、否定であり反逆です。
[215]○○屋 08/02/22 09:05 jEz.GcblIo
直接の成仏法でなくても、般若心経瞑想法は結構いい感じでしたね。
すーっと肩の力が抜けるような瞑想です。

しかし、あれだけ瞑想の必要性を説きながら、お座なりにしている。

お使いさんももっと瞑想したほうがいいですよ。すると、ここ二書き込んだら恥ずかしいことが理解できますから。
[216]大王の使者の代人 08/02/22 10:15 lPSJb/jtbq
こんな出来そこないの元信者と本気で議論する気はない。
しかし、万が一、入行したての現職信徒が、口数の多い元馬鹿信者に
惑わされて退会してはいけないな、とも思うわけだよ。
なにせ間違いだらけでも口数が多いからのう。

三供養品なども勝手に解釈を変えている。読解能力がない。国語学習
塾でも落第だね、ユ元信者君はさ。
再度、講義しておこう。
この経の大意は、
「三善根がある。なにを三となすか。それは如来と正法と聖集に
 おいて功徳を種えることだ。その福は尽きることなく(此不可
 窮尽之福)、涅槃界へ至ることができる」
            と、いうことなのだ。
な〜にが三善根とは貪瞋痴だー。
三毒=三不善根が貪瞋痴でどうのこうの、というのはこの経が説か
れたあとで成立した学問だな、と、気づけなくてはいけないね。

それに三毒を断つ修行はなにも、仏法僧の三か所にかぎる必要はある
まいによ。笑えるよ全く。
ところがだよ、功徳を種えて涅槃界へ至る果報を得るにはよ、仏法僧
の三か所に限定する必要があるわけよ。どこだりの団体でボランテア
の功徳を種えても涅槃界へは行けない、ということだ。

これでもわかんないのかな、出来そこない元信者君は。
まぁ、入行したての信者さんには、理解できるでしょう。

[217]○○屋 08/02/22 10:56 jEz.GcblIo
入行したてでも理解できなくてすみません m(_ _ )m

>ところがだよ、功徳を種えて涅槃界へ至る果報を得るにはよ、仏法僧
>の三か所に限定する必要があるわけよ。どこだりの団体でボランテア
>の功徳を種えても涅槃界へは行けない、ということだ。

つまりそこで出てくるのは「真性仏舎利」の必要性なわけですな?

それでは「大英博物館」での真正仏舎利の元でアーガマの文献研究者をリーダーとした集団ボランティア活動以外では功徳を種えても涅槃に至る下根の成仏法はないわけですね・・・

日本では名古屋ですか?真正仏舎利が鎮座ましますのは・・・

真正でなくてオケならば、どこの五重塔でも功徳になるしね〜
[218]孫 青柿 (あおがき) 08/02/22 11:14 f0d/0/hmNH
>>216 なるほど。私が勉強不足でした。三善根て 無貪、無瞋、無痴じゃなかったのですね!?
三善根とは仏法僧の三か所でなんとボランティアをすることだったのですかぁ。もう滅茶苦茶ですね使者さん ^_^;
[219]孫 青柿 (あおがき) 08/02/22 12:06 f0d/0/hmNH
>>216 大王の使者の代人 >こんな出来そこないの元信者と本気で議論する気はない。

本当は>>213の”宿題”に答えられないんじゃないですかw
ほれ、どうした?
[220]誰でも我即神仏 08/02/22 12:41 VnBZJ/flV.
如来の所で梵行?
如来の為に神殿を建設
如来の為に身の回りの世話
如来の為に飯の世話
如来の為に自分を犠牲にする
王様と召使いみたい。
神様と人様の関係
人様は生神様に一生捧げ
来世に於いて救われる。
古近現代のカルト教祖のやり口は、こうして人を奴隷化に成功してきたんですね。
[221]大王のお使い 08/02/22 13:06 lPSJb/jtbq
如来と正法と聖衆のもとで功徳を種えなさい、とあるでしょ。
真正仏舎利に功徳を種えなさい、とは書いてないの。
だから真正仏舎利か偽者か、なんて議論してるのはくだらないのね。
37道品にも三福道にも在家の8法16法にも、真正仏舎利がどうの
こうの、なんて出てないでしょ。
だからどうでもいいのよ。
管長が「大統領から真正仏舎利をいただいた」と話したなら、信徒はそれ
を信じてたらいいのです。

仏舎利は偽物だーという非難派がいたら、証拠を示されるまでは信じては
いけないよ。彼らは桐山を貶めるのが目的なんだからね。
そうだなー、スリランカ政府からの「阿含宗に授与した仏舎利は偽物です」
とかの文書でもあれば、偽物と信じましょうね。それ以外はただの悪質な
ウワサでしょう。
[222]大王のお使い 08/02/22 13:35 GoRGEoUS
続きだけど、経には、
「如来・正法・聖衆、のもとで功徳を種えなさい」と、あるわけでしょ。
如来とは成仏した人ですね。つまり漏尽解脱した人です。
麻原某の信者などは、「麻原は最終解脱者だ」と、信じていましたね。
つまり、かの信者たちには麻原は如来なのです。だから、かの信者たちの
理窟では、麻原のもとで功徳を種えると涅槃界へいけるわけです。

「功徳は善根を植えた結果だ、結果を種えるとはおかしい」との、笑話が
ありました。でも一応、答えますか(笑)。
米麦の種籾は、実です、米麦が成長した結果です。
で、米麦の種を植えるのは、結果を植えるのです。
結果が新しい原因になるのですね。
だから、功徳を種えるは、少しもおかしくないのね。

もっとわかりやすく、たとえますか。たとえばね。
如来に心からの礼拝を何度もした人が、その功徳で涅槃界に至りました。
この場合、礼拝をすることが功徳を種える行いになります。
さて、礼拝は原因でしょうか?結果でしょうか?

礼拝を原因として、涅槃界へ至りました(結果)。
でもね、礼拝は結果でもあります。
如来を心から敬う結果として、礼拝という行為がでました。
だから「功徳を種える」という表現はおかしくないのね。
善根の結果としての功徳、という辞典の字義にこだわりすぎるとおかしく
なるのです。
これなら、新入行者さんにも理解できたでしょうね?
[223]ユビキタス 08/02/22 14:09 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>216
三善根が無貪、無瞋、無痴と示されたのが阿含経成立よりも後代というのは何を根拠に言っているのですか?
示してみなさい。
あなたの希望ですか?霊感ヤマカン第六感ですか?
こちらの根拠は阿含経です。
この三供養品は増一阿含経にあることはご存知だろうが、他の増一阿含経にも
三善根、三不善根は出て来るのです。
その経典にははっきりと貪瞋痴の煩悩の問題が書いてあるのですよ。
三善根で検索してみなさい。
アマゾンのネット出版のページが出て来る。
桐山本の間脳思考です。
これを買った人のカスタマーレビューが書いてある。
なかなか奇特な方で阿含経に詳しい。ネットの電子経典で阿含経も読んでいる。
信者ではないのではないか?
それにも、この三供養品は本来は三福道ではなく三善根だが、他の増一阿含経にも
三善根が説かれていてその用例を示している。
これらの増一阿含経は後代に作られた偽物であり、この三供養品の2番目の経典
だけが本物だと言うのか?その根拠は?
この経典の場合、たしかに三という数字がややこしいですよね。
仏法僧の三宝も三ですから。
ですからこの三つのもとでという解釈をしてもかまわないとも思う。
しかし植える種は善根なのです。
仏教で、とりわけ阿含仏教で善根の功徳を植えると言ったら貪瞋痴などの煩悩
を退治することなのです。
自分の心を修めるのが仏教ですから。
[224]ユビキタス 08/02/22 14:14 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>222
如来に「礼拝」というのはあくまでも例でしょ?
礼拝の結果は礼拝の因によるものです。
しかしその結果がどうして礼拝によるものとわかる?
礼拝と明記されていなければならない。
供養とか布施とかならばそう明記されてなければならない。
経典に明記あるのは善根だけです。
善根を単に善いことと読んだ場合、どうしてその善いことを布施供養に限定
してしまうのか?
[225]誰でも即神仏 08/02/22 15:10 VnBZJ/flV.
アーショカ王、マウリヤ王朝時代に世の平定に創作した可能性が高いです。
[226]大王の使者の代人 08/02/22 15:43 lPSJb/jtbq
新入行者さんにはもう少し説明が必要でしょうか。
管長が、真正仏舎利が如来である、と本に書いたからと言って、
真正仏舎利だけにこだわることはありませんよ。
阿含宗には、応供の如来・三身即一の如来、とお呼びするお護摩の
炎を見たことがあるでしょう?
あの如来のもとで功徳を種えるのも、涅槃界へ至る道だと、アゴン
信徒は考えていますよ。

カルト教祖は信者に貢がせて、自分だけ贅沢をするパターンが多い
ですね。桐山管長の場合は違いますね。
桐山管長の場合は、公益に役立つお金の使い方を評価されて、天皇
と総理大臣から表彰されましたね。
天皇と総理大臣がカルト教祖を表彰するはずがないよ。
そんなことしたら、後で笑いものさ。
関係者が慎重に審査した結果ですよ。
だから、新入行者さんも、批難派の悪口よりは、天皇と総理大臣の
評価を信じるべきですね。
[227]ユビキタス 08/02/22 17:01 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>226
はい、どうもありがとうございます。
新入行者の方に修行者座右宝鑑の三宝論の内容を否定していただいて。
数ある著書の中でも修行者座右宝鑑は実際の信者の為に座右の宝として所持して
読み理解して実践するよう精魂こめて書かれた指導書です。
その割に旧著からの引用も多いのですが。
座右宝鑑の中でも枝葉末節の話ではなく、教学と実践の根幹にあたるのが三宝論です。
三宝の仏がまず一番大切なのであり、その仏たる本尊は真正仏舎利でなければ
ならないとしているのです。
これをよく否定してくれました。
おそらくこの人、平成3年に出た修行者座右宝鑑持ってないんじゃないかな。
もう一度新入行者勉強会にでも出たらどうですか?
あるいは先月入行した人にアゴン宗教学を教わってはどうですか?
これからも新入行者に対して桐山大王の説を否定してくださいね。
[228]大王の使者の代人 08/02/22 18:03 lPSJb/jtbq
桐山説を否定したい邪心が先にたつから、出来損ないユ元信者君は、
経の大意をつかめないのですよ。
「如来・正法・聖衆のところで功徳を種える」という教えが説かれた
時点では、仏教辞典などなかったことは理解できますね?
では、無貪無瞋無痴を三善根と呼ぶ知識がないことを前提にして、
経を読んでごらんなさい。そうすれば大意を理解できます。

経では、如来・正法・聖衆の三か所で功徳を種えることを、三善根
と、呼んでいます。
「如来所 種功徳 此善根不可窮尽」というのがそれです。
これは、「如来の所で功徳を種える善根は尽きない」という意味
なのですよ。この場合、貪瞋痴は関係ないのよ!
下手に、三善根=無貪無瞋無痴という知識があると、この経の意味を
間違えてしまうわけだね。

その後で、「当求方便獲此不可窮尽之福」とあるでしょ。
これはね、「だから、方便を求めて功徳を種えて、此の尽きない福
      を獲(え)よ。」 と、いう意味なのです。

 「方便を求めて功徳を種える」とは、「何が功徳になるのか、いろ
  いろ工夫して考えて、功徳を種えなさい」という意味ですね。
別に、出来そこないの、元信者が言うように、阿含宗はそれを布施
供養に限定してるわけではないよ。

ここまで説明したら、普通の新入行者も理解できるでしょう。
これが理解できないような信者では、阿含宗としても、そういう信者はいらないね。
つむじ曲りには仏の教えも無駄だ、という経があり
ますね。
私も阿含教団に迷惑を為す信徒はいらない。そういう信徒は辞めさせ
てくれ、と、管長に言われているのですよ。
[229]大王の使者の代人 08/02/22 18:43 lPSJb/jtbq
如来のために神殿を、如来のために飲食を布施、なんてのはいいで
しょう。
 だが、奴隷になる必要はありません。
歌には、「あなた好みの、あなた好みの女に 奴〜♪隷になりたい」
という文句はあっても、奴隷はいけません。

だから、信徒にも目覚めは必要ですねえ。
目覚めのない信徒が退会し、後になって悪態をついているわけです。
盲目状態で信仰し、奴隷状態で奉仕し(とは言え欲望からの信仰)
そのあげくの果て、挫折して、あとはダイバダッタ状態です。
気の毒やら可笑しいやら、言葉がありません。
盲信、盲不信、奴隷、極端、は止めましょうね。
としか言えません。
[230]誰でも我即神仏 08/02/22 18:43 VnBZJ/flV.
如来のミモトとを
三十二相そなえた超人と
誤解してる信者が多いから困るんですね〜。
下生するまでは火炎の応供の如来というのも変ですね〜。
如来のミモトは正しい仏法を理解した出家僧のことでしょう。そして在家との関係です。
そして世に正しい仏法を述べ伝えみんなに正しく生きてもらうことでしょう。悟った人が神として他人を凡人として貢がせる事と違いますよ。アーショカ王もコンスタンティヌス帝と同じ事をしたと思います。
[231]大王の使者の代人 08/02/22 18:56 lPSJb/jtbq
如来のミモトを
「正しい仏法を理解した出家僧」と解釈する根拠が理解
できません。
経典のどこにも、如来=正しい仏法を理解した出家僧、なんて
考え方はありませんもの。
[232]大王の使者の代人 08/02/22 19:12 lPSJb/jtbq
桐山管長は、三悪趣で亡くなったホトケは霊障を起こす、と説いた。
だが、それは仏道を修行していない人の場合だと管長は説いていま
す。そういう肝心なところを、元馬鹿信者は見落としています。

だから、管長の奥方(副管長)はガンで亡くなったから霊障を起こ
すはずだ、なんて馬鹿げたことを平気で言う。阿呆だ。
仏道を修行していた場合は、三悪趣で亡くなっても、天上とか、よい
ところに生まれるとは、経典の説くところだ。
副管長のように、人に尽くし、仏道を歩んだ方が、善いところに生ま
れているのは当然だろが。

この出来そこない元信者が、元、阿含宗に籍を置いたのは何かの間違いであってほしいよ。
[233]誰でも我即神仏 08/02/22 20:51 VnBZJ/flV.
ふふっ
本当の内を見た事があるかな
宇宙から地球を見る
伊勢神宮が金色の柱が
宇宙の中心へ延びたっている。その場所は偶然にも
2012年に内宮が移される場所だよ。
[234]ユビキタス 08/02/22 22:47 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>228
釈尊が説法をするにあたって仏教辞典を見ながらしゃべるわけがありません。(笑)
釈尊はわかりやすい言葉で法を説いた。
ただ漢訳の阿含経とはパーリ→サンスクリット→漢語と訳されていく過程で
どうしても専門用語を使い、難しくなっているとは思いますけどね。
煩悩の不善根を説き、煩悩をなくする善根も説いた。
それがアーガマとして記録された。
それはアビダルマとしても分析対象となる。
大乗になっても唯識学派は心の問題も第一とするから、こういうアーガマや
アビダルマの三善根(無貪、無瞋、無痴)も取り入れる。
そういう仏教史全体を俯瞰して仏教学者は仏教辞典に三善根は無貪、無瞋、無痴と
載せるわけです。
しかしまあお使いさんの気持ちは理解できますよ。
如何が三と為すやで続くのがあの展開ならば皆その三とは貪と瞋と痴なんだとは
読みませんよね。
如来と正法と聖衆の三つ、つまり仏法僧の三宝です。
だから私は三善根という言葉もあり、冒頭からこれを出してはいるとはいえ、
この三は三宝の三でもよいと思う。
しかしこの三つの宝において何をするのかと言うと、それは礼拝でも布施供養
でもなく「善根」なんです。
善根とは仏教では煩悩を減らしなくする行いです。
それによって功徳が得られる。
善根と功徳はセットの用語ですからね。
善根とは単に「善いことをする」と読めないか?との指摘があるでしょうね。
ではどんな善いことなのか?
ボランティアをすることか?金を寄付することか?親孝行をすることか?
答えは涅槃界に至るにあります。
涅槃界に至る功徳を得るには何をすればよいか?
それ以前に涅槃って何だ?
涅槃とは煩悩を離れた心の平安な境地です。
だから涅槃を得るには煩悩をなくさねばならない。
だからこの善根とは煩悩をなくする修行に他ならない。
それも煩悩を離れた涅槃の境地にいる仏がいて指導していて、正しい教えが説かれ実践されていて、
煩悩解脱、涅槃を目指す聖なる僧の衆がいるところで共に励めば、それはこの上ない
功徳が得られると説いたわけです。
だから礼拝や布施供養の見返り功徳などではない。
[235]ゼットン 08/02/22 23:18 /b8hkzjb3B
如来=仏陀=阿羅漢=無執着=煩悩滅者

Buddaとはいかなる宗教も関係無く宇宙の
真理を悟った者で仏教に限ったもでないです。
仏教に於いてBuddaとは釈迦で
釈迦の教えを実践して
煩悩滅者=如来=無執着。
よって釈迦の正しい教えを出家して
理解し実践し煩悩滅者の方は
阿羅漢如来十号といえるでしょう。

シッダーンタ・アーガマ説かれた
ジャイナ教の修行実践論
は日本語で三宝と訳しますが
三宝の名が同じですね。

[236]ユビキタス 08/02/22 23:32 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
234の続き

しかし善根には布施も「含みます」。
それは布施をすることにより、仏や僧が褒美として御利益をくれるのではない。
布施をすることにより貪りの心を捨てるのです。
布施は一切見返りを求めない。
純粋に出家が生きていくのを助ける為に必要最小限な食事や衣類などを提供して
養おうという心からです。だから供養と言う。
見返りを求めたら布施供養にならないのです。
だから布施は喜捨ともいう。喜んで捨てる。
貪り、執着の心を捨てる。
これこそ「無貪」です。
実は三福道などという経典はないが、三福業という経典は阿含経にあるのです。
その三つの福業とは、施福業、平等福業、思惟福業です。
平等福業とは慈悲平等の心を持つことです。慈悲の心って怒り、憎しみの対極に位置するものですよね。
つまり無瞋です。
思惟福業とは思惟観察することです。無知、愚かさを克服する為にはよく思惟観察
する必要があるとは思いませんか?
つまり無痴です。
実は桐山さんもこの三福業の概念を出したことがある。
ただしアビダルマを使ってだが。三福業道などと勝手に道をつけたが。
内容は施福業事、戒福業事、修福業事です。施・戒・修。
施は説明の必要はありませんね。
戒は憎しみや怒りの心の起こることを戒めることです。
修とはおろかさを克服する為によく観察することです。
ヴィパッサナーというありのままの観察を修する。
三福業とも三善根ともほぼ類似、一致する。
まあ当たり前ですね。釈尊は同じことを何度も何度も手を変え品を変え説いたのですから。
だから
無貪善根≒施福業≒施福業事
無瞋善根≒平等福業≒戒福業事
無痴善根≒思惟福業≒修福業事
という構図が出来上がる。
推理小説よりも面白いでしょ?(なんかチャンネルをまわせの宣伝書評みたいだな)
え?仏教ってつまらない?お使いさんにとってはそうでしょうなあ。
大事な煩悩から離れたくないもんね。
桐山三福道の元のルーツもこの「人間改造の原理と方法」に書いた三福業道に
あると思う。しかし内容が全然違う。
内容はますます三善根(無貪、無瞋、無痴)と瓜二つだ。皮肉にも。
桐山さんはいい加減な記憶で用語も内容も忘れ、御利益信仰の福にすり替えて捏造した。
だいたいこんなところでしょう。
[237]ユビキタス 08/02/22 23:44 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>228
>私も阿含教団に迷惑を為す信徒は辞めた方がよい、そういう信徒は辞めさせ
>てくれ、と、言われているのですよ。
じゃあその言いつけを守って、あなたが真っ先に辞めなさい。
[238]日本の娑婆は修羅 08/02/22 23:54 okLnYqI6M9
>>236
しかし感心しますは。
その情熱に

余暇に於いて何か趣味はあるんです?

私は日本で使用人として企業で働く事なく
南国で果樹園を栽培しながら
ゆったりとくつろいで生きるのが一番ですわ。


[239]ユビキタス 08/02/22 23:57 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>238
それは結構なご身分で羨ましい。
南国のバカンスを満喫してください。
ではさようなら。
[240]ユビキタス 08/02/23 00:03 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>238
おっと、現在形の現実ではなく、夢の話かな?
果樹園栽培は。
私は南国もよいが山が好きでして。
無雪期の夏山に登りたいなあ。
春になれば日帰りからでも登れるのだが、勤め人は忙しく休みもなかなかとれないですね。
夏になるとセーラー服が夏服モードになり、高校野球の地区予選見物も欠かせないが。(?)
[241]南無ユビキタスはすばらしい 08/02/23 00:10 x4/klilhQm
南無ユビキタスは救世主。

これほどまでに邪教の深海から海上までを見渡してきた
人物はそういない。

ところで桐山さんは、痴○症になりそうな気配がありませんか?

星祭のインタビューでそう感じました。

[242]孫 青柿 (あおがき) 08/02/23 00:18 f0d/0/hmNH
ユビキタスさんは凄いですね。何故凄いか? 論理的思考と文章構成力とんでもなく凄いので昔からファンでしたが、
今回それだけじゃないことが分りました。
それは何かというと(もしかしたら自覚がないかもしれないが)真に仏道を歩もうと努力されているのです。
例えば使者さんの>>228は屁理屈ですが、かなり荒っぽい屁理屈なので、私はどう きり返すか迷うのです。
しかしユビ氏の>>234の「それ以前に涅槃って何だ?涅槃とは煩悩を離れた心の平安な境地です。だから涅槃を得るには煩悩をなくさねばならない。
だからこの善根とは煩悩をなくする修行に他ならない。」
読むとおおそうだった!と気が付くのです。
使者さんが>>204で批判派の罵ってる言葉は私に当てはまります。
私は解脱供養で金を巻き上げられ大黒天踊りで虐待受けたと思ってます。そしてご利益ありませんでした。
だからある時期、供養を蛇蝎のごとく嫌い(干柿さんにそう評された)、自力行に重点置いてました。
しかしヒーリング(というカタカナで書かれたお加持)がたまたま効いたので(もしかしたらプラシーボでも)効いたからラッキー と思ったので、やっぱ本音はご利益欲しかったのです。正直に認めます。

また、批判派のいうとおり、あごん宗がオカシイのでは?と感じ南伝のサイトも見たり、
また批判派の一員としてヴィパサナーのことも語ったりはしますが、自分はヴィパサナーよりサマタのほうが好きで、
釈迦の仏道修行者じゃないんです。批判のための知識でしょう。
(完全にそうでもなく、心の対処法としてたまにヴィパサナーの真似を取り入れたりも少しするが・・)

対してユビ氏は本当の釈迦の仏道修行者 またはそれに近い道を歩んでいるのです。
批判のための知識オンリーじゃないから>>234のように的確かつ基本に忠実なレスが出来るのです。
実践の知識ですね。

こうなると使者さん、どうします? 全く敵いませんよ
[243]日本の娑婆は修羅 08/02/23 00:21 /b8hkt3pwa
日本社会に企業もピラミッド型組織のサバイバル企業戦争の資本主義
は修羅の世界です。

宗教の世界は必ず上(人神)と下(凡人)があり
そんなピラミッド型組織の宗教もいやですし
依存信仰もいやです。
[244]ユビキタス 08/02/23 00:28 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>242
いや、私も批判を通じて得た知識に過ぎないですよ。
知識を得ることは楽しいことですが。
私はサマタよりもスマタの方が好きですし。
smataというクリプトの元を使っていた時期もありますし。
[245]雑誌、月刊ユビキ 08/02/23 00:35 /b8hk2TQp5
精神界はもういいから
俗界の救世主もはよ出ろ!


[246]0 08/02/23 01:10 KNppxLS4gi
俗界の救世主が出ずるとき
天使が七つ目のラッパを吹き
七つ目の封印が解かれます。

死にも恐怖を感じず生命の執着
も克服することです。

大難関の後、みむねが地に於いて
天と等しくなります。
[247]0 08/02/23 01:42 KdHKTf9HxD
偽者は、永遠の地獄におちるかも
[248]ユビキタス 08/02/23 08:51 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>232
次々にネタを出してくれてますね。
よほど気になって仕方ないのでしょう。
私もガンで死んだくらいで地獄に堕ちたり霊障を発したりすることはないと思う。
桐山さんが勝手にそう説いただけですから、そうなる理屈になるねと示したまでです。
ガンの因縁は餓鬼界の因縁なんだそうですからね。
ガン患者の家族の会あたりに知らせてあげたい侮辱ですね。
君たちも仏道に励まないと死んだ後霊障を起こすよと。
桐山さんの阿含経講義にあったが、弟子が釈尊に質問する。
修行半ばにして命を落とした場合どうなるかと。
釈尊は答えた。樵が木を倒そうと斧で切りつけ、その作業半ばで樵が倒れた
としてもその木は倒れるべく方向に倒れる。
仏道を目指して中途で倒れた人も仏道の方を向いて倒れると。
この話を出しているわけですか?
人にはさんざんガンの霊障だの悪趣だの悪趣味な話で脅しながら、いざ自分の身内が死んだら
菩薩になって昇天ですか?都合のいい話だ。
それならば最初からガンの因縁を切るだなんて大それたことを説かずに
死後の安楽を目指そうとでも説けばよい。
そもそも桐山さんは死後の往生を願う信仰を否定していた。
現世成仏を説いていた。
観音慈恵会の密教時代にこんな法話をしていた。
空海は即身成仏なんて説いたが、この表現は間違いで単に成仏とすべきだ。
なぜなら成仏と言ったら現世での即身成仏しかなく、来世成仏なんてものはなく
ゴマカシに過ぎないと。
現世で因縁が切れずにいつどこで切る?と、あくまでも現世で因縁切りが
できなかったら意味がないとしていた。
現世でガンの因縁が切れなかった副管長である夫人は、この基準からいくと
人生の負け組になるわけです。
あれだけ管長を蔭に日向に支え、直接指導も受けられた環境で、ガンを防げず
再発防止もできず、結局ガンで亡くなった。
と言うことは、死後どこに行こうと知ったことではないが、アゴン宗ではガンなどの因縁なんか切れないという証明です。
夫人が身を以て示したのも慈悲だと思って受け止めなさい。
[249]大王の使者の代人 08/02/23 09:34 lPSJb/jtbq
こりゃ驚いた!
元信者君にも、三供養品の三善根の場合は、仏法僧の三宝を指す
可能性を認めるわけだ。そういう柔軟性があったとはね!驚きだ。
昔、阿含宗に供養した功徳だろうよ。

善根(原因)を修することで備わるのが功徳(結果)だからと
いって、それにこだわりすぎてはいけないね。
この経の場合は、「功徳の種をうえる」との文字表現です。学僧の
智慧でしょう。種から根(善根)が生じるのです。
だから、「功徳の種をうえる」ことを善根と称して、なんら不思議
はありません。

将来の仏教辞典で、三善根を引くと
「無貪、無瞋、無痴のこと。なお初期仏教では三宝において功徳の
 種をうえることも三善根と称した。」
と、なっているかも知れませんよ。
[250]大王の使者の代人 08/02/23 09:58 lPSJb/jtbq
こういうことだよ。
出来が悪かった元信者くん。
煩悩を無くする修行をして煩悩を断ち、涅槃界に至るわけだ。

が、煩悩を無くする修行とは具体的に、どうすることだね?
あれこれ内心を観察して瞑想して煩悩と戦い、滅していくことかい?
仏道で煩悩を無くする修行は、あまりにもわかりすぎてる教えだよ。
三供養品の三善根は、煩悩を無くする修行が進みやすくするために、
工夫して三宝に功徳の種をうえなさい。ということですよ。
すると不思議な効果が現れて修行(煩悩を無くする)が進みますよ、
そして涅槃界へ至れますよ。ということですね。

管長はそのことを、「修行が進むように、梵行をしなさい」という
わけです。
私の体験からもいえるね。いくら煩悩を無くする瞑想をしようと心
掛けても、全く関心がなくなり、サボル時期があるね。そういうとき
は護摩木書いたり、勧進したり、あるいは各種基金を申し込んだり
する。すると不思議な効果で、瞑想の意欲が湧いて来るんじゃよ。
これが功徳の種なのかなーと、自分では思うわけさ。

ご利益期待から功徳の種をうえるのは、悪いとは思わないが、欲張る
と効果はないと思うね。
[251]大王の使者の代人 08/02/23 10:47 lPSJb/jtbq
管長の奥方(副管長)がガンで亡くなったことを、出来そこない元
信者は、アゴン宗ではガンの因縁が切れないことを示した、という。
ならば、副管長が、名医からあと数カ月の命と宣言されてから十数年
も延命できたことをどう思うのかね?
 おそらく、副管長はまだ生きられた。
だが、元信者のような馬鹿者がいる。
信徒の中にも入行が遅れてガンの因縁が切れずに亡くなる者が居よ
う。それが元信徒のような愚か者だとしたら、
「家族なら救えても、信徒の場合は手抜きして救わないのか!」
と、管長に文句を言うに違いない。
副管長は、そういう非難をかわすために、亡くなったのだと思うね。

木が倒れる例で、事故死しても仏道修行者は悪趣に生まれないことを
説いたのは釈迦だろうよ。管長はそれを我らに伝達してるだけだろ?
ほんと、元信者は根幹を読み取れず、枝葉末節ばかりに詳しい。

[252]ユビキタス 08/02/23 13:33 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>249
だから功徳の種だけではどんな種だかわからないではありませんか?
善根に限らず、ある行い(原因)の結果が功徳ですよね?
その行いをどうして布施供養だと決めつけるわけですか?
いや、布施供養というのは選択肢の一つに過ぎない。
他にもいろいろな行い、営みがあるのですよ。
善いことに限定しても。
老人介護をする。街頭清掃をする。肩たたきをする。金を寄付する。道路や橋を作る。
駅のプラットフォームに立って飛び込み自殺をする人を見たら超人技で自分も飛び込み、間一髪のところで
電車にひかれるのを防ぎ人名救助をする・・・エトセトラ。
何をしたらよいかわからないではありませんか?
はっきり示してあげないと。
だから善根に予め周知である約束事の概念が付与されているのが条件となります。
その善根という行為はなんなのか?がね。
橋や道路を作って煩悩がなくなり涅槃に往けるわけがない。
仏法僧の三宝において行うものとしたら、少しは限られてもくるが、布施に限った
ことではなく、そこでの修行も選択肢に含まれますよね。
仏教の修行とは煩悩をなくすることに他ならないが。
煩悩とは自分の内にあるものです。
だから自分でなんとかする。他人がどうこうしてくれるものではない。
それをアゴン宗のもう一つの聖典である雑阿含経応説経で述べられている。
自分(釈尊=釈迦牟尼世尊=如来=仏)に頼っても漏尽解脱(煩悩の尽きてなくなる
解脱)は得られない、三十七道品の修行をしなければ煩悩解脱できないと。
三供養品の三善根が布施供養ならば、この経典と矛盾しますよね?
桐山さんも矛盾だと言っている。
さあ、お使いさん、どうします?
[253]ユビキタス 08/02/23 13:48 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>249
それから仏教辞典にはこう書いてあるかもしれないではなく、こう書いてあります
と示さないと意味がないのですよ。
吉本興業のお使いさん。

>>250
煩悩をなくなる修行の補助として布施や奉仕行をしろという「補助論」ですね。
実は桐山ゲイカはそんなことで矛盾を解決させてない。
長年の信者の割に何も知らないのですね?
新入行者に笑われますよ。
新入行者でも桐山本くらい読みますからね。
[254]大王の使者の代人 08/02/23 13:54 lPSJb/jtbq
修行者座右宝鑑?
そんなのあったっけ?
と、考えながら、書棚を探したらありましたよ。隅に大切に保管
していました。大切にしすぎて読むの忘れてました、ハハ。
確かに書いてありますね、仏は真正仏舎利でなくてはならない、と。
でもね、あまり真正仏舎利だけにこだわると、大英博物館の仏舎利
がどうのこうのと書いた人がいるように、問題もありそうね。

辞書を見ると、1、如来とは修行を完成した者の呼称。
       2、大乗では諸仏の呼称。
       3、ある時は、釈尊の呼称。
       4、仏の十号。
 などとありますが、真正仏舎利とは出ていませんね。
 出来そこないの元信者くんは、この点を突かないのかい?

実は、桐山管長は、著書の中で、「如来とはこれこれだ。」と、
五つあげているのですね。
(修行者座右宝鑑もろくに読まない私が、なんでそのこと知って
いるんだろ?)

できそこないの元信者くんは、管長が言う如来を、五つ知らないで
しょ?
二つ教えてあげる。
一つは、お護摩の炎に現れた三身即一の如来。
一つは、真正仏舎利。
 あと三つあるけど、教えてあげない。
私は根幹を読み取るから気がつく。
出来そこないの元信者くんは、枝葉末節にしか気づけない。
それは、功徳の差、ですね。
[255]ユビキタス 08/02/23 13:59 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>250
煩悩をなくするためにどうするかを説いたのが阿含経という膨大なテーマではありませんか。
一言の単語で、はい、これをやればもうこれでオッケーさなんてものはない。
三十七道品などがその煩悩を断つ修行です。
しかしそれ以前に貪瞋痴の煩悩を断つことがなによりだぞ!と啓蒙することが
大切ではありませんか?
それがこの経典です。
ここから修行が始まるわけですよ。
さあ、やるぞ、というわけですね。
[256]○○屋 08/02/23 14:08 jEz.GcblIo
>>254

話にならんな・・・
[257]大王の使者の代人 08/02/23 14:09 lPSJb/jtbq
そのとおりです。
功徳の種だけではどんな種だかわからないよ。
だからお釈迦様も仰せです。
「当求方便獲此不可窮尽之福」と。
当求方便ですよ。
どのような種と、具体的に示さないから、当求方便なのですよ。
それは自分で考えて、工夫して、種をうえねばいけません。
べつに阿含宗としても布施供養に限定してるわけではないでしょう。
ただし、施行も功徳の種には違いありませんでしょ。
[258]ユビキタス 08/02/23 14:10 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>250
しかしさぼらなくなる話は笑えるなあ。
いかにもお使いさんらしい。
宿題たまっているからそれも含めてまたレスするよ。
[259]○○屋 08/02/23 14:19 jEz.GcblIo
最近発見した「○○の因縁」の可能性

密教系の占星術である「七政四余」の中に「神殺星」があります。
これは、あまり的中していないものもあるそうだが、かなり確度の高い神殺もある模様。

猊下がこの占星術に熟達していた可能性はかなり低いが、あるいわ「神殺」の性質に対して「○○の因縁」を当てはめている可能性はあり、それが、「○○の因縁」と「クリチカ星」などとの対応があるかもしれません。

「○○の因縁」があるなら「因縁切り」という作業もありかもしれない・・・
[260]ユビキタス 08/02/23 15:11 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>251
副管長は末期ガンで余命いくばくかのところを長らえたとか言ってましたよね。
しかしそんな例は実はちっとも珍しくないのです。
末期ガンと宣告されてその後長年生きている人がたくさんいます。
別にアゴン宗の信者に限ったことではありません。

それよりもガンが発覚した時期がおかしいと思わないか?
桐山さんが千座行や仏舎利を本尊とした解脱宝生行を教えてからの話ですよ。
これより以前から業病の癌と戦ってきていると言うのならまだしも。
何十年千座行をやってきたのか?
また光和の社長としてガン予防の抗酸化物質も摂取努力してきたはずだ。
管長の妻として副管長として心解脱してきたはずだ。
管長を支え教団に十分貢献し、徳を積んできたはずだ。
それなのにどうしてガンの因縁がその時点で切れてないのだ?
これならアゴン宗でいかに修行して徳を積んでもガンの因縁なんか切れませんよね。

一般信徒で入行時期遅くガンの因縁切れない人の為にわざと因縁を切れないことに
して死んでみせたわけですか?
逆で、あんなに長い行歴で徳を積まれている副管長でも切れないのか!と皆絶望しますよ。
そういう人たちの為にもなおさら奮起して長生きして勇気を与えてあげないと。
ってかわざと因縁を出して死んであげたって器用なことしますね。
ギャグですかね?
[261]ユビキタス 08/02/23 15:48 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>254
あ!お使いさん。うまい批判を見つけてくれましたね。
仏教辞典で如来を探しても真正仏舎利など出て来ない。
つまり真正仏舎利に如来なんて意味、概念なんかない。
しかし桐山さんが真正仏舎利こそ生ける如来だと言っているのです。
私ら批判側が言っているのではないですよ。
桐山さんがそう言っているから、私はそうは思わないのだが、桐山さんの言う
それを示してあげたのです。
それをお使いさんは、仏教辞典にも載ってない間違ったことと批判してくれた
わけですね。
ありがとうございます。
[262]○○屋 08/02/23 16:28 jEz.GcblIo
使者さんってば・・・

あまりにレベル高すぎっす・・・

青柿さんも突込みどころに困ってる?
[263]大王の使者の代人 08/02/23 17:48 lPSJb/jtbq
ところが、阿含宗には応供の如来がいらっしゃる。
三身即一の如来様だ。これまで私の供養にはちゃんと応えてくれま
した。初期仏教では、教団が福田と呼ばれたように、ちゃんと供養
には福として応えてくれたのです。福の内容は人それぞれ違います。
腐るほどの富豪にはお金ではこたえず、健康なり、その他、何らか
の果報を与えてくれました。特に涅槃に赴く果報だけとは限らな
かった。
 その後、大乗になると、正法ではないので、供養に応えられる力
を持つ修行者が極端に少なくなった。で、彼らは名案を思い付いた。
本当の布施供養には一切見返りを求めてはいけません。というのが
それだ。当り前だ、供養に応える力がないのですから。
私なら、「おいらは本当の布施供養でなくて良いです。見返りの
福を、何でも良いのでください。」と、言うだろう。
彼らは何と答えるかなあ。

阿含宗の如来様は確かに、私の供養には応えてくださいました。
これからも応じてくださるよう願うばかりです。
[264]ユビキタス 08/02/23 19:31 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>257
>「当求方便獲此不可窮尽之福」と。
>当求方便ですよ。
>どのような種と、具体的に示さないから、当求方便なのですよ。

意味不明ですね。
方便が方々を便り努力工夫するというのはあなたも知っているようですね。
ここはこう訳せばよいかな。
「当(まさ)に求めて方便して此の窮尽すべからざる福を獲べし」
あるいは方便して此の福を獲ることを求むべしになるかな。
この福とはこれも結果だから、三宝のもとで善根の功徳のことですね。

>それは自分で考えて、工夫して、種をうえねばいけません。

それはそうでしょう。善根の修行、煩悩をなくすのに自分自身で創意工夫が必要です。
しかし煩悩をなくすように努力するのか貢ぎ物をするのに創意工夫するのか
最低限の方向性を認識させなければ駄目ではないか?
煩悩の尽きてなくなる心の平安な涅槃の世界に至る功徳を得るんだが、その為に
キミたちは何をすべきか?よーく考えてみんしゃい。まあいろいろあるから
試してみんさい。布施した見返りに何か貰えるかもしらんし、自力でなんとか
したい奴はやってみるがよい。身投げ自殺しそうな人を探しておやめなさいと
諭して徳の点数稼ぎをするのも手かもしれない。
まーとにかく、なんかやればなんとかなるのだ、わははははー
ってな教えではおかしいだろ?
[265]0 08/02/23 20:29 SbcX3lHjgI
細菌、二銃腎核のようでパープーな0です。
[266]ユビキタス 08/02/23 20:51 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>257
>べつに阿含宗としても布施供養に限定してるわけではないでしょう。
>ただし、施行も功徳の種には違いありませんでしょ。

限定してます。ロクに修行も例祭参拝すらしないでカキコなんかに耽っている
駄目信者が勝手にアゴン宗を語るな。
そして自分の見解に過ぎないとわかったものを書くな。
教団の説くところをきちんと理解して整理してから書け。
仏を世に出す奉仕のボンギョーやそれを推進する金を出せとしてるのです。
ここで駄目信者のあなたに桐山さんの感じた矛盾について、その回答を示して
あげましょう。
この如来の所、正法に於いて、聖衆においてとは実は2500年前のインドの釈尊
たちの話ではないというのです。
なぜかと言うと、桐山さんはお使いさんが無視した応説経に三十七道品の修行を
しないと解脱は得られないとあるから、この如来に対する供養だけで涅槃界に
往けるなんてのは矛盾しているのではないか?と、この経典を後世の大乗が混入
したものだと思ったそうだ。
しかし1979年にお使いさんも>>263に書いている三身即一の応供の如来です。
「我は応供の如来なり。信者の供養に応えて功徳を授けるぞ」と語ったのだそうだ。
桐山さんは「そうか!この如来だったのか!あの三供養品の如来は」と悟ったんだとさ。
つまりあの経典は2500年後東の日本の国にアゴン宗の正当性を証明する為に
現れるべくして現れる未来仏を予言したものだと悟り、
聖衆とはインドの弟子どもではなく桐山靖雄とアゴン宗の信徒どもだと理解したのでした。
つまりこれは特別限定サービスの仏であり、お使いさんみたいに当時のインドの
釈尊たちをあてはめる解釈は間違いであると桐山さんは著書に書いているのです。
末世成仏本尊経講義という著書です。
今日入った新入行者さんにでも教えてもらいなさい。
[267]大王の使者の代人 08/02/23 21:07 lPSJb/jtbq
初期仏教時代、教団が福田と呼ばれたように、布施供養に対して何ら
かの福で応えていたのは間違いないだろう。
大乗になると、福で応えられない修行者どもが、力がないので、
「本当の布施供養というものは、なんら見返りがないものなのです」
と、いうようになった。
 そして、病人や貧窮の者を逆に福田と呼んで礼拝し、菩薩道の対象とした。お笑い草だ。
アジア・アフリカの飢餓人民に布施して、福田
と崇めたらよいだろう。別に反対はしないよ。

 そこに、桐山管長が、初期仏教の真実の仏法を掲げ、登場した。
衆生の布施供養に応えるぞー。それは仏・如来の力なり。
大乗のいう見返りなし布施供養はインチキなりー。力がないからそう
いうなりー。と、いうわけです。

布施供養の精神は単純ではない。貧者のT灯があります。
キリスト教で、イエス様も言いました。
ある、貧しい未亡人が最少のコインを喜捨箱に投じるのを見て、弟子
に言いましたね。
「見よ!彼女が一番多くを、神に寄進した」と、ね。
貧者の1灯と、意味は同じですね。
キリスト教も仏教も、どこかで同じとこがあるのですね。


[268]ユビキタス 08/02/23 21:12 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
で、もちろんこの未来仏の予言なんて笑止です。
矛盾なんかないのです。
応説経も三供養品も同じことを説いているのです。
応説経は七科三十七道品を修行しないと、いくら釈尊を頼っても漏尽解脱しない
と説く。三十七道品とは全て煩悩を断つ為の修行であり、それを自分で実行する
しかないとしているのです。
一方三供養品はこれを三福道などと捏造までして、三宝に供養することなどと
解釈を歪めず、善根をきちんと理解すれば、貪瞋痴などの煩悩をなくする修行を
すれば涅槃という煩悩のなくなった心の平安な世界に至るとしたのだから
これは同じです。
ただ善根の修行をするならば、やはり桐山さんみたいに刑務所の中でするのよりは
、解脱を得た仏のいる正しい教えを説く解脱を目指す聖なる集団の中で修行する
のが最高無上なことでしょうと説いただけです。
刑務所の中でも心から懺悔改心してやれば出来ることは出来ます。
しかし最適な環境というものはある。
ただそれだけのことです。
未来仏とは恐れ入ったアホ解釈だ。
それを知らない別の意味でのアホ信者もおるが。
[269]大王の使者の代人 08/02/23 21:23 lPSJb/jtbq
出来そこないのユ・元信者の馬鹿ものが、
おめえみたいな根性の供養なら俺でも受けないよ。
少しは自分の至らなさを反省したまえ。

お中元、お歳暮でも、つまらん俗人でも何らかのお返しはあるもの
だ。
だが、おまえの布施に、仏は何らお返しをくれなかったのだろう。
それは、あんたが邪心に満ちているからだよ。あちこちのお前の
レスを見れば、邪心が満ちていることがわかる。
なんで、仏を騙せるものか。
反省しなさい、懺悔しなさい、

素直な求めに応じて、如来は必ず供養に応えてくださいますよー。
[270]ユビキタス 08/02/23 21:33 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>263
そもそもが応供を供養に応えるなんて解釈するのが間違っているのです。
応供は供養する(出家たちが生きていけるように「最小必要限な)に相応しい
(ふさわしい)立派な清浄な人という意味です。
応供も仏教辞典でひいた方がよいですよ。
如来と同じく仏の十号(呼び名)の一つです。
如来の如来、如来の応と言ってるのと変わりない。
[271]孫 青柿 (あおがき) 08/02/23 21:33 f0d/0/hmNH
>>262 はいw
もう教学を無視して我説のオンパレードです。こうなるとユビキタスさんじゃないと抑えられないっす。しかも>>213の宿題に答えられない始末。
で、自分も あ!そういう本あったな と思い出したのですが、>>266のようなことまで!通常にさえ!覚えてるのはアゴン宗博士ですよね。
教学とかご著書に書かれてることを勉強してる者って在籍が苦しくなるはずです。使者さんみたいに無視するから今でも自信を持って在籍してるのだと思いますね。

>>259 七政四余て生時が必要だったのでは?我々の親の世代だと生時知ってる人は少ないと思います。だから占えませんよね。
ゲイカは数十万人の運命を見てこられた?のですから七政四余じゃありません。

>>267 >大乗になると、福で応えられない修行者どもが、力がないので、「本当の布施供養というものは、なんら見返りがないものなのです」と、いうようになった。

なんか逆じゃね?
[272]ユビキタス 08/02/23 21:40 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>270補完
応供とは供養する(出家が生きていく為に必要最小限の食事や衣類などを提供する)に
相応しい(ふさわしい)立派な清浄な人という意味です。
[273]大王の使者の代人 08/02/23 21:40 lPSJb/jtbq
ほんとに、元信者のユは馬鹿ものだ。
つける薬は釈迦にもない。
ハハハ。

反面教師として、笑えるだけの価値はあるだろう。
だが、阿含宗元信者としての、哀れな姿を見るのは不快だ。
元阿含信徒なら、もう少しマシに生きてほしいと思うのが、当然。
ダイバダッタ状態から、眼をさましなさい。
ダイバダッタ状態になるのも、自身の欲からなのです。
それを離れなさい。
[274]ユビキタス 08/02/23 21:48 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>263
またまたアホな解釈してますね。
経典を読んだことがないのですね?
スッタニパータなどの初期経典に布施の見返りを否定して取引信仰を否定しているのだよ。
それともスッタニパータなどの初期経典は大乗が捏造したのだと言いたいのかい?

ところでカキコに瞋が現れてきてるぜ。
それが瞑想の功徳かい?
[275]ユビキタス 08/02/23 22:17 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>263
ちなみに福田の福とは心の平安ですよ。
心が清らかになることですよ。煩悩から離れて。
仏教でいう福はね。
あなたのようにコーヒー飲みながら面白いテレビ見てても誰かが助けてくれるなんて
期待する福ではない。副管長が代わりに死んでまでそういう信者を誰かが救って
くれるなんて超依存信仰ではない。
[276]大王の使者の代人 08/02/23 22:20 lPSJb/jtbq
堤婆達多につける薬はない。
馬鹿元信者につける薬もない。
と、いうことです。

私は、阿含宗の三身即一の如来様に供養して、応えていただいた。
だから、今でも信仰しているわけです。
なーにが、見返りない布施供養が本当なのです、ですと?
笑いたくなるよ。そんなの私はいらない、おさらばです。
ちゃんと果報をいただけたから、私は阿含宗の如来様を信仰して
いるのです。果報のない如来様なんて、いくら高尚でも、私には
そんなのいらないね。関係ないの。わたしゃ俗人だから。

そういうわけで、俗人の私の供養に応えてくださる阿含の如来様
は、ほんとにありがたい存在です。
俗人ではない、元信者の馬鹿ものは、供養に応えないイワシの頭でも
信仰していなさい。ご利益ないからね。
ご利益求めないあんたにふさわしい。いわしを振興しなさい。
[277]大王の使者の代人 08/02/23 22:34 lPSJb/jtbq
福田の福とは心の平安のことだとー?
バーカ、それは応える力のない偽修行者の言い分だよ。
そんなのに騙されてるから、大乗は安泰なのさ。
本当の正法に基づく修行者は、人の供養に応じて福を返せるはずさ。
おいらはそれをいただいてる。
だから、言うのだよ。

見返りのほしい凡夫は、阿含の如来に供養しなさい、とね。
ただし、欲張り、邪心に満ちた心では、応えてもらえませんよ。
それを確かめる意味でも、供養してみなさいよ。
[278]孫 青柿 (あおがき) 08/02/23 22:54 f0d/0/hmNH
>>276 大王の使者の代人さん。
やっと分ったようですねw というより本音が出たというべきか。
釈迦仏教は高尚でも使者さんにとっては「笑いたくなるよ。そんなの私はいらない、おさらばです」であって、
あごん宗がお好みのようですね。

ところで大王の使者の代人さんは>>204で「邪心を持つと布施供養しても果報はありませんよ・・果報を得られないで、退会し、その後悪態をついてる人達は、
たぶん、下心強くて布施供養・・・でなかろうか。 」などと書いてるが、
私は強迫神経症は先祖の霊障が原因であるとゲイカにご著書に書いていたから沢山供養しました。
これを邪心というなら、この邪心は(本を書いた)ゲイカが植えつけたものじゃないかね?
全然効果ありませんでしたよ。
というと「因縁はなかなかほどけないものだ」とか言い訳するだろうが、
ヒーリングというカタカナ表記のお加持が効きましたよ。これをどう説明するのですか?
同じ他力本願のご利益でもあごんは効果なし、ヒーリングは効果ある
[279]○○屋 08/02/23 23:14 jEz.GcblIo
>>259 七政四余て生時が必要だったのでは?我々の親の世代だと生時知ってる人は少ないと思います。だから占えませんよね。
ゲイカは数十万人の運命を見てこられた?のですから七政四余じゃありません。

さすがにいろいろ知ってらっしゃる。

確かに七政四余の命盤を組むには生時が必要ですが、神殺はどうでしょうか?なにしろ密教系の占星術(宿曜星をつかう占星術のことですが)で神殺占いするのは初めて目にしました。日本の出版物や書籍ではほとんど存在しないようです。空海の口伝にあるらしい、というだけのようです。

わたしはゲイカの神殺(「○○の因縁」のことです。つまりゲイカの刑極の因縁、癌の因縁など)はどなたかのかなりの術者の見立てによるものではないかと思います。その人から自分の因縁と「○○の因縁」手鏡表だけはもらったか、あるいは自分の指摘された因縁以外は適当に考えたかもしれない・・・、しかしこの時点で「○○の因縁」の存在だけは知っていた。後に、ゲイカの因縁を出した密教占星術がいかなるものかその全貌を解き明かしてみたくなった。そこで奇問遁甲、六壬神課、紫微斗数、沿海子平、など調べて行き着いたのが子平の神殺だった・・・

たとえ時間がわからなくても出せる神殺があったとしてもゲイカが数十万人の因縁透視したなんてのは、ちょっと考えられませんね。少なくとも七政四余では。

七政四余は日本でほとんどやった人はいないようですから。宿曜占星術でさえ一子相伝で伝えられたものだそうです。
[280]大王の使者の代人 08/02/23 23:17 lPSJb/jtbq
ほんとに元信者ユは馬鹿ものだ。
これじゃ阿含の如来様も、福を授けるのは難しいだろう。
おいらなら、門前払いにしとけ、というところだ。

おまえは、反対のための反対だ。
救われようがない。ダイバダッタ状態に気づきなさい。
独学で阿含経を研究する態度がよいです。
あんたは、桐山氏の奴隷にされています。
自分勝手に、奴隷になっているのですねえ。


[281]ユビキタス 08/02/23 23:37 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
今日入った新入行者の皆さん、こんばんは。
皆さんどうですか?この長年の先輩の大王の使者、お使いさんのレベルは?
私は彼をこのスレで珍重しています。
皆さんは「クイズ ヘキサゴン」というバラエティーテレビ番組を知ってますか?
私は普段その番組の放映時間帯は自宅に帰ってないのでほとんど見ない。
しかしお正月などは笑わせてもらった。
常識のないおバカタレントの並みはずれた珍答を笑うという番組に成り下がって
しまったのだが、しかし不謹慎にも笑える。
お使いさんはこのおバカタレントの役を演じてくれている。
演技などではなく、素のキャラと頭で。
アゴン宗信者にはこんなのしかいないというサンプルを示してくれているのは
こちらの批判にとって好都合なのです。
よく彼を観察してやってください。
私は今日の例祭にも出ないでカキコしてるお使いさんを指摘しました。
土日ある例祭なんだから明日参拝の予定かもしれませんよね。
しかし彼は以前から両日ともその時間帯にカキコをやめない月が何ヶ月も続いた。
ほとんど例祭に行ってない。宗報やアゴンマガジンだけで情報を得る。
本当は明日になって例祭の時間帯にまたカキコしてたら指摘してやるつもりでいた。
しかし今日のうちに書いておいてあげた。
これは慈悲もあるが、明日「書くな」という伏線です。
それでも書いてくると思われるが。
私くらいになるとサボってても救われるのさなどと虚勢を張って。
皆さんはおかしいと思わないか?
桐山さんはアゴン宗は宝の庫なんだから道場に足をどんどん運び、運を持ち帰れ
と説きますよね?
お使いさんが本当に御利益を感じているのなら道場にも足繁く通うはずです。
カキコをする為に例祭をさぼるわけがない。
これは何を意味してるかわかりますか?
実はお使いさんは空しい虚勢を張っているだけで、御利益なんて感じてもない。
むしろ道場に行きたくないと忌避している。
それが現実です。
[282]○○屋 08/02/23 23:42 jEz.GcblIo
いいや、使者さんは実は批判のやらせ、自作自演なのさ(爆)
[283]孫 青柿 (あおがき) 08/02/23 23:46 f0d/0/hmNH
>>279 >つまりゲイカの刑極の因縁、癌の因縁など)はどなたかのかなりの術者の見立てによるものではないかと思います。

弟子のT田くんという人ですか?
私はそうは思いません。全部空想の産物だと思います。
刑極の因縁だけは裁判官の見立てです。

大王の使者さん>>278にご指導くださいよw
[284]○○屋 08/02/24 00:10 jEz.GcblIo
>>283

うん、まあ、わたしも確信持ったわけではないからね。可能性がある、というだけ。わたしの人生上に「○○の因縁」はあるのかないのか。あるならば、袁了凡の運命転換のごとき「○○の因縁」切りもあるのか、ないのか。それが今、一番の関心事です。
[285]孫 青柿 (あおがき) 08/02/24 01:05 f0d/0/hmNH
>>284 その考えは危険ですね。その執着が恐れを生み嫉妬を生み怒りを生みやがてフォースの暗黒面へとつながります。
ヨーダがアナキンに説いてましたよね。パルの考えはゲイカに近いですよね。
中沼氏がアナキンだと言いましたが我々元会員・現会員 皆アナキンだと思うのです。
私だってそういった因縁解脱をしようとしたことで、しないよりもっとドツボに嵌ったと思ってます。
占星術や手相などに何か悪い卦や相が出てたとしても、ヨーダのいうように、予兆・または警告か?といった捉え方でいいと思うのです。
それをパルみたいに その"運命"から救い出す という捉え方がシスのやり口なのです。
[286]たまに顔出す干柿 08/02/24 08:21 HAR6nVAHle
ヒーリングね。
わたしにゃ効果なかったな。
まあ人によるんじゃないの?
前から言っているけどさ、合う合わないの差だろ
霊障が原因じゃないものに、いくら供養したってさ
効くわけがない・・・当たり前だろw

なんでもかんでも霊のせいにする
これがいけないんじゃないのか
なにかというとすぐ解脱供養
やりすぎだよ、アホじゃないのか。

菩提心から慈悲心から亡者を供養するということが大事なのじゃないのか?それが信仰者としての基本じゃないのか?

悩みの解決、願望の成就にはまたべつ知恵が必要だと思うぞ。
どんなとき解脱供養が必要なのか
ヒーリングが必要なのか考えるべきでしょう。
[287]ユビキタス 08/02/24 08:52 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>285
霊障がないのなら、解脱供養申し込んでも該当なしで返ってくるはずなんだよ。
本来ならば。
ところが資料箋までつけて出すのだが、必ず供養の仏が下りてしまう。
しかも青柿さんの場合、資料箋に緑の便箋までつけて強迫神経症の苦しみを訴えている。
桐山ゲイカはそれに最も悪い影響を与えている先祖を選んで供養してくれるはずだ。
昨年もこの話になったがもちろん言い訳なんていくらでも作れる。
資料箋の悩みは読んだ。
しかしその悩みとは別の悪い影響を与えている先祖の供養の方が急務と思われる
のでそちらを優先した。
一体目は横変死の先祖を供養した。
2体目、3体目もそうだ。
これを成仏させねば君は自殺してしまう。
4体目は殺人鬼の先祖を供養した。
これを成仏させねば君は他殺してしまう。
5体目はガンの先祖を供養した。
放っておくと君は若くしてガンになる危ない時期だったのだ。
ってな具合に進んでいく。
強迫神経症さ可哀想だが、もっと切迫した問題が控えていたのだ。
運命を透視できない君たちにはわからないだろうが。
強迫神経症を解決する先祖はもう少し先に予定していたのだ。
惜しいなあ。あと2体先に予定の先祖がそれだったのに、止めてしまうとは。
面接指導も書面指導もないのって便利ですね。
[288]たまに顔出す干柿 08/02/24 09:15 HAR6nVAHle
そうだよな〜矛盾というか
こちらがわと教団の対応がズレているんだよな
霊障に原因がないんだったら、お金払いたくないから
解脱供養はやめてくれっていう希望があるんだろうけど、
教団側としては悩み解決は二の次というか信者のありがたい菩提心
からの供養と受止めて供養して、その功徳が回向して幸福に
なるようにってとりあえず供養だろな
そうしなけりゃ収入にならんからねw
まず、「必要ありません」
などという答えはおりますまい
出したら供養されてしまう。
10万円はもどってきませんぜ!ユビさんw
[289]たまに顔出す干柿 08/02/24 09:19 HAR6nVAHle
「該当ナシ」でおりた人っているのか?
たしかにゲイカはそんなこと言っていた気がするが
実例あったのでしょうか?
私は聞いたことがない
どうなんですかユビさん?
[290]ユビキタス 08/02/24 09:42 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>289
初期の頃は該当なし、あなたは解脱供養打ち止めだと指導された例もあると
よさんが昨年報告してくれた。
しかし桐山さんも味をしめたわけだ。
際限なくやるようになった。冥徳解脱も含めて。
2、3体で終わった人と2桁3桁と続く人と、このギャップはひどすぎると思わないか?
もちろん打ち止めになったはずの人も、今申し込めばもれなく霊障の先祖が下付されます。
なに、言い訳なんて簡単ですよ。
当時(初期)とは霊視能力が比較にならぬほどアップしたと。
[291]ユビキタス 08/02/24 09:52 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>288
菩提心というけど、例えばお世話になったおじいちゃんを霊障うんぬんはさておき
供養してもらいたいから指定で申し込んだという場合ならば、それが感じられる。
しかし先祖リストを提出して、この中に霊障の不成仏霊がいたらそちらで見つけてよ
なんて申し込んで、いざ下付されて、それならばなんて供養するのは菩提心なんかではない。
強制の脅迫みたいなものだ。
[292]大王の使者の代人 08/02/24 11:29 lPSJb/jtbq
修行者座右宝鑑には
「仏舎利信仰を離れて仏教の信仰はない」
とまで書かれていますね。

わたしは仏舎利を忘れていましたよ。出来そこない元馬鹿信者くんに
教わったよ、ハハ。
こりゃ、新入行者さんにも教わる必要があるね。

こういう誰からでも教わる謙虚な姿勢があるから、三身即一の如来様
は、私の供養に応えてくださったのかも知れない。
出来損ない元信者くんにはこのような姿勢が感じられない。
如来様も、そっぽを向いたに違いない、ハハ。
[293]大王の使者の代人 08/02/24 11:38 lPSJb/jtbq
愚かだなあ!
解脱供養は、効果があったと感じたら続けたら良いし、
効果がないと思ったら止めたら良い。
それだけの話さ。

そういえば私に、「あんたは百体解脱供養しなければいけない」
なんて、気軽に言う信徒もいたなあ。
こういうおかしな信徒もいるから、確かに困る。
私は、お金があればそりゃ、百体どころか1億体でもするよ。
[294]大王の使者の代人 08/02/24 12:00 lPSJb/jtbq
しかし読み返してみると、私もたまに、元信者くんにひどい言葉使い
をしているなあ。私が元信者だったなら怒るだろうな、ハハ。

が、ダメ元出来そこない信者くん。
阿含宗も管長も、功徳の種を、布施供養とは限定していないよ。
君は根幹を読み落とす因縁がある。
私が読んだ本では、管長は、功徳の種の例として三つ、あげてい
るよ。一つは信を強めること、二つは修行に励むこと、三つは供養
すること、とね。
何という本か教えてほしいかね?

だから勝手に決め付けてはいけない。
福田とは心の平安のこと?笑わせんでない。
初期仏教では供養に対して福で応えてくれるから福田と呼んだのだ。
学者もそう書いている。勿論、究極の福は涅槃へ赴くことだが。
そのうち大乗になって、病人を福田と呼んでは拝み看病し、貧窮の
者見れば福田と呼んで拝み、布施し、利他行とした。

福田の意味も時代の流れで大きく変わってしまっちゃったのだ。
もっと学者の本も読めよ。
根幹を読み落とす因縁があるから無駄ですか?
[295]孫 青柿 (あおがき) 08/02/24 12:02 f0d/0/hmNH
>出来損ない元信者くんにはこのような姿勢が感じられない。
如来様も、そっぽを向いたに違いない、ハハ。

どうした?使者さん、ご利益なかった私の体験>>278は不都合だから無視かな?
ご著書には、医学者は強迫神経症と症状に名前をつけるだけで原因は分らないけど実は霊障なのだという趣旨の文章ありましたよね。
こういう文章を信じた私のことを下心があったと罵るかな?

>>286 >やりすぎだよ、アホじゃないのか。
全くおっしゃるとおりですw ゲイカのご著書を読むとアホになるというよい例ですね。
解脱供養だけじゃなく特別ご祈願もヒーリングに負けましたw
霊障とか関係なく祈願も負けたのです。

>>287 解脱供養をしない時期というか若いころは、美人がタイプだったが供養を始めてからは一見地味なメガネっこがタイプになりました。
仮に深層意識の愛情に関する選択が供養によって変化したとして、強迫神経症よりメガネっこのほうが運命的に重要なのか?と疑問視しますね。
解脱供養をして変わったというのを無理に探してもこのくらいしかありませんし。
[296]孫 青柿 (あおがき) 08/02/24 12:13 f0d/0/hmNH
>>293 桐山大王の使者の代人と名乗る方が「愚かだなあ!解脱供養は、効果があったと感じたら続けたら良いし、
効果がないと思ったら止めたら良い。それだけの話さ。」などと言っていいのですか!?

例祭のご指導を聞いてないのでしょうねえ。勝手に止めたらどうなっても知らないよとご指導されてるのです。

それともうひとつ、法力無比の(はずの)ゲイカが無名のヒーラーに負けたのですよ。
[297]ユビキタス 08/02/24 13:06 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
さて大王のお使いさんが真正仏舎利に囚われるななんて座右宝鑑の根幹の教義を
無視した書き込みをしていたが、これは真正仏舎利が真正ではないことに対する言い訳のつもりだった
のでしょう。そんな話は枝葉末節だと。
で、出してきたのが応供の如来です。たしかに三供養品に出てくる如来は
この応供の如来としている。
その当時はまだスリランカより仏舎利を買ってないですから。
岐阜のYさんから寄贈された東海本部の屋根の九輪の塔に納めた仏舎利、
会津の須田一族の弘法大師の仏舎利、ダライ・ラマの仏舎利とかあったが
真正仏舎利として売り込めるほどの価値がなかった。スリランカ大統領を通して
受けたことから真正仏舎利として差別化しようという商魂が芽生えたわけだが。
それまでは「空気」の如来だったわけです。
応供の如来がわざわざアゴン宗を指定して釈尊の禁じた護摩の炎にきらびやかな
装飾をつけて、横向き猫背でシッポもつけて出てきた。
信者の供養に応じて功徳をサービスするぞと現れた。
ご住所は各アゴン宗の道場です。分身の術を使い全国に出没します。
「おい」と呼べば「がってんだ」と応えてくれる如来サマです。
目に見えないから参拝者により踏んづけられてるかもしれません。
そこにやってきたのが真正仏舎利です。
お使いさんの扱いだとまるで二人は別人のようです。
「こんにちは、僕も仲間に入れてください」と別人如来軍団と言いたいようです。
シシャA、シシャBみたいなもんでしょうか?
しかしこいつらは同じはずなんです。
それは先に現れたオウグさんが三身即一なんですが、三身のうちの一つが
釈迦如来です。
一方シンセーブッシャリさんはシャカの遺骨です。遺骨だからシャカの魂が宿ったのだそうです。
二人の如来はお見合いをしてビックリ!おお!君はなんと僕ではないか!鏡を見ているようだ。
junさんとこいずみさんを見ているようです。
二人は合体したのでした。
オウグさんは言いました。
待ってたよ〜、遅かったじゃないか。これまでさんざん信者に踏んづけられてさ〜、
道場の片隅で寝泊まりしてたんだぜ。ホネも来たからやっと僕も寝床で安眠できる。
座右宝鑑で真正仏舎利だからシャカの魂が宿るのだから本尊はこれをおいてなく、
他は偽なのだとしている。
今までの如来はなんだったのだ?
フライング如来とでも申せましょうか。
しかしフライングはあったもののシャカ如来は骨付きの真正になった。
[298]ユビキタス 08/02/24 14:41 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>293
教団に反する勝手なことを述べなさんな。
解脱供養は効果を感じる感じないなんて主観は関係なく申し込まなくてはならないのだ。
なぜ解脱供養を申し込めと霊視するかわかるか?
あなたの悪い運命を形成する悪影響を与えている先祖霊だから、このままに
放っておくと、あなたは悪因縁の示す不幸な運命が待っているのだ。
あなたはガンになるのだ。事故死するのだ。どうだ?怖いだろう?
御利益を感じさせる為に解脱供養をしているのではないぞ。
効果なんて感じなくてもよいのだ。悪い運命から逃れられれば本望だろう?
百体も供養を勧めたり、申し込むのが浅ましい話ならば、桐山ゲイカは霊障の
不成仏霊を下付しないはずだ。そんなにいねーよ、もっと別の修行に励めと。
ところが百体だろうが二百体だろうがちゃんと下付してくれる。実例には欠かない。
これは百体も二百体も霊障の不成仏霊がいたから下付してくれたのです。
そうでなかったらインチキということになってしまう。
百体申し込みのあさましさも百体勧誘も結果として正解だったということになる。
それが桐山霊視の下付の証明なんです。
そして桐山さんは解脱供養などの申し込みを勝手に止めるなと指導している。
自分が霊視して下付する不成仏霊は供養が絶対に必要な先祖だからこれをほったらかし
にしておいて、その結果不幸な運命が訪れて泣きつかれても私は責任が持てない
と例祭で話して、それは宗報にも載った。
[299]○○屋 08/02/24 15:00 jEz.GcblIo
>>284 その考えは危険ですね。その執着が恐れを生み嫉妬を生み怒りを生みやがてフォースの暗黒面へとつながります。
ヨーダがアナキンに説いてましたよね。パルの考えはゲイカに近いですよね。
中沼氏がアナキンだと言いましたが我々元会員・現会員 皆アナキンだと思うのです。
私だってそういった因縁解脱をしようとしたことで、しないよりもっとドツボに嵌ったと思ってます。
占星術や手相などに何か悪い卦や相が出てたとしても、ヨーダのいうように、予兆・または警告か?といった捉え方でいいと思うのです。
それをパルみたいに その"運命"から救い出す という捉え方がシスのやり口なのです。』

そういうこともあるとは思いますが・・・
ヨーダというかジェダイが禁じたものは、ダークサイドの暗黒パワーともうひとつ、永遠の生命体となる術。クワイガンがヨーダに呼びかけていますね。


七政四余の神殺が「○○の因縁」と対応するか、まずそれを見極める事が先決です。

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