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阿含宗と桐山氏について―第三十九章― 仮設スレッド



   ※このPは記事600〜699(三十九章ラスト)までです。

[600]北村 08/10/26 16:44 iouXN.G6Pu
眼鏡・・・・

中身はキープして

恥ずかしい外側だけはずしてたね・・・

たくさん外したね・・・・

人の居ないのをみはからって

シュレッダーで処分しようとする眼鏡・・・・・・


眼鏡よ・・・・・

シュレッダーで処分しようとする眼鏡・・・・・・


と!その瞬間

シュレッダーの途中で詰まって

恥ずかしいものが丸見えのまま止まってしまったね・・・・

あせってスイッチ入れたり切ったりパチパチやってたら

そのうしろから

どうしたんですかあ〜?と
新入の女の子たちが・・・・・

ビックッ!!!! とした眼鏡だったが

もう遅かったね・・・・・
[601]XX 08/10/26 21:24 Vp9k34t/TK
ブッダの言う
現象とは心霊や奇跡やデジャブーだけでなく
三次元(欲界)に起こる事が
全てで、縁起による現象界の五蘊に
捉われて法理を見失うことなく
現象界(欲界)の原因と条件を知り
諸法無我を知り不動の覚を知る事。

マッジマニカーヤ (聖求経)
『ゴータマよ、今さら、何をしに来たのか。
汝は、苦行を捨てて、我々を捨ててしまった。
汝は堕落してしまった、早く、立ち去るが良い。』

『私は、苦行を捨てず、苦行を越えたのだ。
苦行のみか、一切の欲望を越え、戻って来た。
いいか、良く聞け、今から、全て説き明かそう。』

「すると、彼らは、わたしの変化を見とめ、
自らの変化を求めて、私に従うようになった。
彼らに向かって、私は、このように説き示した。」

『比丘達よ、探求の道には、聖と邪がある。
そして、邪なる探求には、六つの探求がある。
それでは、この六つの探求は、如何なるものか。

第一とは、生に臨む者が、生を望むことである。
第二とは、老に臨む者が、老を望むことである。
第三とは、病に臨む者が、病を望むことである。
第四とは、死に臨む者が、死を望むことである。
第五とは、苦に臨む者が、苦を望むことである。
第六とは、業に臨む者が、業を望むことである。』

『比丘達よ、探求の道には、聖と邪がある。
そして、聖なる探求には、六つの探求がある。
それでは、この六つの探求は、如何なるものか。

第一とは、生に臨む者が、空を望むことである。
第二とは、老に臨む者が、空を望むことである。
第三とは、病に臨む者が、空を望むことである。
第四とは、死に臨む者が、空を望むことである。
第五とは、苦に臨む者が、空を望むことである。
第六とは、業に臨む者が、空を望むことである。』

「比丘達よ、このように、説き明かされて、
五人の比丘は、空を望んで、涅槃に到達した。
そして、彼らは、再生が尽きたことを、知った。」
[602]XX 08/10/26 21:36 Vp9k3Ny15E
まず初心は
善悪を分別し悪は断ち善は起こし
善にも執着しないである。
全ては空であるから悪もやり放題でいいし
善も断ってしまえでは嫌ですね。
[603]○○屋 08/10/27 08:18 D-zHciV
釈尊は自らの肉体を痛めつけることで『悟り』を得ようと『執着』することを『苦行』ごと捨てた、と解釈するのが正しく、単に『苦行』を否定するという単純な話ではない、と解釈できます。

釈尊の修行過程で苦行が必要なかった、という解釈はどこまでも納得はできません。

執着したから執着をしり、それを捨てる必要を痛感した。釈尊の執着とは無色界の執着であり、非想非のシャマタができて、その集中力で執着したのだから、弟子たちと修行過程が違って当たり前ではないかと私は思う。
[604]XX 08/10/27 08:36 P6jyPht4s3
ところで
釈迦が弟子に苦行を推奨し率先した話の経典あるの?


青柿君の好きなボクシングの話をしよう。

WBCといえばワールド・ベースボール・クラシック
いや世界ボクシング評議会

ボクシング世界王座には七つある。

WBA(世界ボクシング連盟)
WBC(世界ボクシング評議会)
WBO(世界ボクシング機構)
WBF(世界ボクシング基金)
WBC(国際ボクシング連盟)
IBA(国際ボクシング協会)
IBO(国際ボクシング機構)

このうちJBC(日本ボクシングコミッション)
が認定してる世界王座はWBA、WBCの二つで
IBFを認定してないのは日本ぐらいのもので
マイク・タイソンが当時は三つしかなかったWBA、WBC、IBF
の三大タイトルを統一して
東京ドームでのマイケル・スピンクスとの防衛戦で
日本のJBCはIBFを認めていないため
東京ドームでの試合でJBCはIBFのベルト問題でもめて
JBCはIBFのベルトを巻かずにリングインするように要求
しかしIBFはマイク・タイソンに東京ドームのリングに
IBFのベルトを巻いてリングにあがることを要求したが
マイクタイソンはIBFのベルトを巻かずにリングインし
試合をしたとしてIBFよりIBFの世界王座を剥奪された。

同じ階級に世界チャンピオンが七人もおるんかい。


[605]XX 08/10/27 08:37 P6jyPht4s3
訂正
(国際ボクシング連盟)はIBF
[606]孫 青柿 (あおがき) 08/10/27 09:52 j/8tr2wNEe
>>604 マイナー団体といえど選手は練習してリングに上がるのですよね。またマイナー団体でランキング入りして場合でもメジャー団体でランキング入りしたとウソはつかない。
それに対しゲイカはライセンスする持ってないのに持っているとウソを言い、加行をせずにいつのまにか自称阿闍梨になっていたし、
しかし仏教を名乗る人間の中で、嘘つきの世界チャンピオンかもしれない。

>>577 如来の子孫
>そして、37道品をどう解釈・修行するかは、研究・実践者の自由
であろうね。

子孫さんは卑劣な人ですよね。
大乗仏教の解説の本でよく釈迦直説でないことはよく言われるが釈迦の精神を継承したものであるとか,啓示を受けて書いたとか
そういうのをゲイカは一切否定して阿含経にしか"成仏法"がないと大乗を否定している。
しかし阿含経の"成仏法"というものがどんなものか上座部の日本進出で世の中の人の多く知ることになった。
そうしたら子孫さんはどう解釈するか勝手だと言い出した。こんな言い訳が通るなら大乗仏教を否定する意味など全くないではないか。
[607]如来の子孫 08/10/27 11:00 PL3a0oHZ4G
一番大切な修行の第一歩を、管長の著書から引用しておこう。

「人のためになることをして徳を積む、これは絶対に必要なことで
 あるが、その前にもっと必要なことがある。それは、厳しい態度
 で自分を律し、自分の性格の欠点というものを自分自身で直して
 ゆくということである。それが悪しき因縁を切るという仏法修行
 の第一歩なのである。それをそのままにして、徳を積むとか、
 密教の行の修行をやっても、決して身につかない。」

と、管長は本に書いてます。批判派は、三度、読みなさい。
おそらくあなた方は、それを実践していない。何の本の何ぺージか
は書きませんよ、勉強家を自任する批判派なら暗唱していなくては
いけません。

つまり、自分の性格の欠点をそのままにしては、いくら修行しても
無駄だ、身につかない、と管長は説いてるのです。性格の欠点とは
なんですか?煩悩ですよ。
 ラシン君やユビ元君や青柿君など、そのレスをみると、「疑」とか
「恨」とか、煩悩丸出しです。その性格のままではいくら修行をして
も無駄だと、管長は書いてるのです。

 私は因縁による生活苦から入行した。5つの超能力を得れば、
生活苦を打破できると考えたわけだ。
だが、入行してすぐに、「性格の欠点(煩悩)を無くさねば超能力
など身に付かない」と、管長から教わったわけである。
 で、私の修行は、根本煩悩と随煩悩の撲滅が目標になった。
勤行するたびに、真言唱えるたびに、煩悩撲滅を考えた。護摩木勧進
も施本も、目的は煩悩撲滅ね。
[608]如来の子孫 08/10/27 11:24 PL3a0oHZ4G
煩悩撲滅が修行の目的の第一になったから、6大根本煩悩や20隋
煩悩はすぐに暗唱できた。やがて潜在意識にも浸透していったので
あろう。その効果であるか否かは知りようもないが、生活が次第に
楽になって行った。生活が楽になることが私の信仰目的であるから
それで、いいわけだ。生活が楽になると、超能力などの関心も薄れて
しまった。

悟りを得た気分などにはなっていないよ。シュダオンの心境にかなり
近いのかな?と、思う程度です。シュダオンは、別名で預流とも言う
でしょう。流れに預かる者、という意味ですね。涅槃に流れる川が
あって、その川の中に浮かんだ心境なんですよ、だから預流かな。
なんか、もう寝てても川が勝手に涅槃に運んでくれる、というよう
な心境ですよ。のんべんだらりん、としてても何とかなる、
という気分。
こんなこと書いては、なんか、管長に叱られそうだな。

ジョブツホーと書く人は、まだその力を感じていない人だね。
どのような修行をすれば、成仏法の力を感じられるのかは、私も
正直、わからない。仏の恩寵、というしかない。
護摩木勧進、施本、チラシ配布、など、と書いたら、その三つに限定
して考える単細胞も居る。「など」と書いたのはそれ以外もある、
ということだ。オリジナルもある。人の修行内容を知りたがる、
そんな猿マネ根性ではだめである。
やがては自分で工夫して、梵行をする、それが大切なのだ。
何時までも、言われた事だけしてても進歩はない。
[609]ラシン 08/10/27 12:31 *uZs1KhDPLSb*K6FyMPiTWP
>わたしが『釈尊は苦行の後瞑想でニルバーナを得た』というのが気に食わない。

七氏さんと論が噛み合っていなかったようですね。
多分、
○○屋さんの言いたいことは、釈尊が苦行のすえ瞑想に入り解脱を得たことは、
あながち苦行が次の瞑想に役立たなかったと言うことではないと、考えていますね。
私も同様に、釈尊が、悟りを求めて死にもの狂いで苦行したことは結果として、
身の汚れを取り払うことに役立ったと、推察しています。
しかし、ご承知のとおり、身の汚れを取り除くだけでは煩悩を止滅できない。
そこで釈尊は、一番大事な”心の汚れ”を取り除くことに気づいた。
苦行だけでは心の観察が出来ず、あるがままの自己や現象を認識できない。
いわゆる、心とその所作が業であり新たな業も形成するのですから、
瞑想により観察し認識し、智慧を得てその心の汚れを取り除いて行く末に、
解脱の境地を得たと、考える所以です。
成道後、釈尊の結論は生死を賭けた苦行は危険であり、身の清浄しか得られない。
そこで危険な苦行を否定して、あらたなる戒律と梵行の実践で心身の汚れを
取り払い解脱に至る道を示したと、私は解釈します。
その道こそが、○○屋さんもご存知のようにヴィッパサナーという八正道の修行であり、
それによって四諦十二支縁起が理解されてゆくと考える所存です。
前述した>598「現代語訳阿含経典長阿含経2」にある“散陀那経”の釈尊の述べる
苦行も、一般概念である苦行ではない八正道を説いていると理解出来ます。
[610]ラシン 08/10/27 12:51 *uZs1KhDPLSb*K6FyMPiTWP
>つまり、自分の性格の欠点をそのままにしては、いくら修行しても
無駄だ、身につかない、と管長は説いてるのです。性格の欠点とは
なんですか?煩悩ですよ。

やっと気づいた末の後だしジャンケンですか?
批判側は常に煩悩の止滅が釈尊の示した道だと
何度も掲示しています。
いったい子孫さんはどこに目をつけていたのですか。
あなたは今まで散々くだらない桐山教法の成仏リキや、
釈尊の禁止した占い護摩焚きにばかり、目を向けていたではないか。
今さら煩悩を出して来て、批判側に読めも無いでしょう。
よくもそのような姑息な態度が取れるものと驚愕します。
また、批判側がいつ批判において煩悩を丸出ししたのか?
きちんと提示して追及発言してください。
子孫さんこそ、いつもの桐山教先入観のメガネを外してもの申してください。
[611]XX 08/10/27 13:36 7RI0rijU9L
スッタニパータ
249 章〜252章

魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も
塵垢にまみえることも、粗い鹿の皮(を着ること)も
火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような
不死を得るための【”苦行”】も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も
それらは、【”疑念”】を超えていなければ、その人を清めることができない。
通路(六つの機官)をまもり、機官にうち勝って行動せよ。理法のうちに安立し
まっすぐで柔和なことを楽しみ、執著を去り
あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞きしたことに汚されない。
以上のことがらを尊き師(ブッダ)はくりかえし説きたもうた。
ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)はそれを知った。
なまぐさを離れて、何ものにもこだわることのない、跡を追いがたい
聖者(ブッダ)は、種々の詩句を以てそれを説きたもうた。
目ざめた人(ブッダ)のみごとに説きたもうた
なまぐさを離れ一切の苦しみを除き去る
ことばを聞いて、(そのバラモンは、)謙虚なこころで
全き人(ブッダ)を礼拝し、即座に出家することをねがった。

【”苦行”】も【”疑念”】を超えていなければ、その人を清めることができない。

苦行によって清めても生天するだけで輪廻から抜けれないことを
知った釈迦はバッカバ仙人の元を去りました。
苦行による生天は預流に入った生天とはまた違います。
[612]如来の子孫 08/10/27 14:21 PL3a0oHZ4G
管長が、「自分の性格の欠点を直さずに、徳を積むとか、密教の行
を修行するとかしても、決して身につかない」と書いた本は、
1983年発行で、そのP167にありますよ。その他、法話でも
話してますし宗報等にもあるでしょう。
 私は、入行後、いち早くその教えに従った。
 修行の目的の第一を煩悩撲滅に絞ったわけです。
他の信徒諸君もそうなのだろうと思っていたら、そうでもないよう
だね。

老子に、「千里之行、始於足下」とありますね。
千里の道も一歩から、という意味でしょう。
涅槃まで千里だとしても、一日10里歩けば100日で着くね。
その第一歩は、性格の欠点を自分で直す、ことだと管長は説く。
それを放置しては、いくら修行をしても無駄だと、説いてます。

私が、なぜ老子の千里の道を書いたのか?
老子の、弓を引きすぎてはダメ、も書いた。

何時だったか、「菊次郎とさき」というテレビ番組観てたら、
「天網かいかい疎にして洩らさず」という老子を、「さき」が、
子供のたけしに言っていた。同じ頃、英語でしゃべらナイト、を観
たら、オーストラリア生まれのイスラエル育ちのミュージシャンが
出ていて、老子の道・TAOを話してた。
同じころ、新聞では老子の言葉を引き合いに出して宰相論を書いて
たね。だから何となく、私も老子をレスしたくなったわけね。

ラシンさんは、自分の何が煩悩なのか、本当にわからないのですか?
例えば「疑」は6大根本煩悩の一つですよ!
私は前に、あんたの桐山・アゴン宗に対する「疑」は異常だ!と、
書いたね。あなたは理屈を書いて正当化した。

しかし、それは紛れもなく煩悩です。
「疑」という煩悩です。疑で決めつけてはいけません、それは心の汚れです。
その汚れを去るには、「疑わないけど信じない」という
態度を学んだら良いでしょう。管長を信じられなければ、信じなくて
良いのです。ただし、疑わないこと。
言うは安いですが、その心境を会得するには時間がかかります。
でもそれを会得出来たら、「疑」という煩悩を去ることができます。
悪口書いて不徳を積むことも避けられます。
[613]○○屋 08/10/27 15:31 D-zHciV
子孫さん・・・

煩悩取り去る修行真っ先にやって、いまの子孫さんなわけ?マジではら痛て〜


『現世成仏』よんで、なんで今頃いうのかと、思いました。そんなに大事なら、戒行を指導原簿でさっさと教えたらよかったのです。

『梵行』一色じゃなくて、もっとやり方があったはずです。会員は梵行さえやればいい、という風潮でそれが『慢心』を増長させたことに今頃になって気が付いて・・・気が付いたときは『子孫2号』の出来上がり、ときたもんだ。


その元祖子孫が言うものだから、ブラック ジョークだよね。
[614]ラシン 08/10/27 18:00 *uZs1KhDPLSb*K6FyMPiTWP
>612ラシンさんは、自分の何が煩悩なのか、本当にわからないのですか?
例えば「疑」は6大根本煩悩の一つですよ!
私は前に、あんたの桐山・アゴン宗に対する「疑」は異常だ!と、
書いたね。あなたは理屈を書いて正当化した。

貪・瞋・痴の三毒は、
子孫さんが生活向上を願う”貪り”、桐山さん批判への”瞋り”、
釈尊の説く道理を無視する子孫さんの”痴”を無明と言います。
慢・疑・悪見とは、
桐山教に浸って他者を見下げる子孫さんの”慢”心と、
”疑”とは釈尊の教えに従わず外道の占いや護摩焚きを信じることです。
”悪見”は、別名我見とも言われ、道理を知らず桐山教に固執することです。
さあ、これで六つの根本煩悩にすべて該当する子孫さんが見えた。
ピタリ符合した感想はどうです?
都合のよいときだけ、釈尊の理屈を出しても、子孫さんは元々外道の桐山教に
依所しているのだから、あなたは釈尊の剣で自分自身を切ったのです。
ちがうと言うなら、阿含経から因縁解脱や占い、護摩を肯定したお経を
示してみてください。
桐山教を疑うのが疑などと、いったいどこからそんな理屈が出て来るのですか?
釈尊以外の教えを外道と言うのです。
その外道の教えを批判することが”疑”という煩悩などと、まるで逆の解釈です。
あなたは仏経の基本すら学んでいないようです。
[615]ラシン 08/10/27 18:23 *uZs1KhDPLSb*K6FyMPiTWP
>603]○○屋 08/10/27 08:18 D-zHciV
釈尊は自らの肉体を痛めつけることで『悟り』を得ようと『執着』することを『苦行』ごと捨てた、
と解釈するのが正しく、単に『苦行』を否定するという単純な話ではない、と解釈できます。

わたしもこの○○屋さんの解釈に同意します。
たしかに、苦行をするのは何のためか、何故あのような過酷に耐えられるのか?
と問えば、
その答えは○○屋さんの解釈にある通り、悟りを得ようとする執着心ですね。
だから耐え忍べて限界まで来ても、それ以上先へは進まなかった。
○○屋さんの視点は正鵠を得ています。
[616]ラシン 08/10/27 19:07 *uZs1KhDPLSb*K6FyMPiTWP
>[612]如来の子孫 08/10/27 14:21 PL3a0oHZ4G
管長が、「自分の性格の欠点を直さずに、徳を積むとか、密教の行
を修行するとかしても、決して身につかない」と書いた本は、
1983年発行で、そのP167にありますよ。その他、法話でも
話してますし宗報等にもあるでしょう。
 私は、入行後、いち早くその教えに従った。

子孫さんはどうしてその教えに従ったか?
元信者であった私には、そのわけを言い当てることが出来ます。
それは積徳で未来の生活や来世の向上を願いたいから、
まず自分の欠点を修正して、ご利益を望むという先憂後楽ですね。
実際、あなたはそのように述べていました。
しかし、仏経本来の煩悩止滅にそのような積徳などという徳行など、
ありません。
徳を積みたいと願うそのものが、煩悩だからです。
あなたは煩悩を抑制するために煩悩を願い求めるという愚行を
冒していることに気づかない。

>言うは安いですが、その心境を会得するには時間がかかります。
でもそれを会得出来たら、「疑」という煩悩を去ることができます。
悪口書いて不徳を積むことも避けられます。

私や批判側がいつ桐山さんを信じられないと述べましたか?
桐山教のウソインチキに気づいたから、退会したのです。
信じられないもなにも、信じるに値しないと、言っているのです。
子孫さんの目線で他人を推し量るのは止めたらどうですか。
”安い”話しなどは こちらも御免被りますが、
子孫の指摘する心境は、勝手ご都合論であって、そんなものを
会得しようなど端から考えていません。
また、子孫さんにとって桐山さんの悪口と考える批判側の文章を
先ず、提示して述べることですね。
印象論などただの主観であり、いい社会人が議論する姿勢ではありませんね。


[617]ユビキタス 08/10/27 21:00 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>612
なるほど、子孫さんは昭和58年頃の入行なわけね。
φ(.. )めもめも
だから「仏陀の真実の教えを説く」が昭和57年頃に例祭の法話で講義されたもの
の講義録(ビデオもあるでよ)ということも知らず、最新の教えなんて書いていた
からね。道場で阿含経ビデオ勉強会に出席した様子も見られないし。
所属は・・・関東別院かな?ああ、いや、なしなし。根拠のない想像はやめよう。
[618]樹意 08/10/27 21:05 9S8VMd/cT7
片山一良氏訳 マッジマニカーヤ 大獅子吼経解説には以下のようにある。

----略---
後半は、長部8『大獅子吼経』にも見られる苦行を含む四種梵行について語られるが、
これはスナッカッタが⟨難行によって清浄になる⟩との見解を抱いていたからであると
伝えられる。仏は、かれの見解を退けるために、かつての自分こそ最上の苦行者であり、
粗悪行者であり、忌避行者であり、遠離行者であったとされ、また、食べ物によっても、
輪廻、再生、住居、供犠、火祀りによってもけっして清浄にならないと述べられる。
----------------------------------------------------------------------------

サーリプッタよ、そこで私は、そのわずかな食べ物のために、大便や小便をしようと
すると、その場で前屈みになり、倒れてしまいました。
サーリプッタよ、そこで私は、この身体を蘇生させようと、手で肢体を順々に摩擦しました。
しかし、サーリプッタよ、そのわずかな食べ物のために、その私が手で肢体を順々に
摩擦するうちに、身毛が悪臭のある根もろともに身体から抜け落ちてしまいました。
サーリプッタよ、その威儀によっても、その実践によっても、その難行によっても、
私は、人法を超えた最勝智見を得ることがありませんでした。それはなぜか。
かの聖慧、すなわち、これを得たならば、その実践者を正しく苦の滅尽に導く
という聖なる、解脱に導く聖慧の獲得が無かったからです。

マッジマニカーヤ 大獅子吼経 片山一良氏訳
------------------------------------------------------------------------
[619]ラシン 08/10/27 21:19 SYnqqRYLUN
>[618]樹意 08/10/27 21:05 9S8VMd/cT7
片山一良氏訳 マッジマニカーヤ 大獅子吼経解説には以下のようにある。

樹意さん、ありがとうございます。
[620]ユビキタス 08/10/27 21:46 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>607-608
煩悩とは性格の欠点だなんてお笑いものだが、その煩悩を勤行の最中やそれしか
出て来ない護摩木勧進や施本の最中も煩悩解脱を意識するのだそうだ。
護摩木勧進、施本、チラシまき「など」と言うのなら
それでは4つ目の梵行を書いてごらんよ。
工夫なんか必要なく誰でもやってる普通のでいいよ。
さて、その煩悩解脱とは、六大煩悩や二十随煩悩の単語を暗誦することらしい。
いやはや便利なものだ。
しかし子孫さんは桐山さんのその教えのからくりを知らない。
性格の欠点と悪因縁は表裏一体なのじゃ。
だからこれは心掛けたくらいで変えられるものではないのだ。
桐山さんをご覧なさい。
彼は若い頃ベンジャミン・フランクリンの本を読んだ。
そして自分もまた性格上の悪い欠点を抽出して書き出し、一つ一つ改めるように
修養努力していったのだそうだ。
そして因縁を切ってアゴン宗の管長となってからも「俺は瞬間湯沸かし器」とか
「俺は人に頭を下げるのが大嫌い」とか自分の性格上の欠点を反省するどころか
かえって誇示してふんぞり返っている。
あ?これは「心掛けなかった」例ね。ごめんごめん。
桐山さんは悪い性格が心掛けた程度で改められたら誰も苦労しないと人情を説く。
わかっちゃいるけどやめられない♪
わかっちゃいるけどやめられないのは、悪因縁が解けないからなんです。
だから仏の加護を頼み、ホウの力で因縁を切っていかないと性格も改善できない。
だから仏サマにさんざん奉仕して徳を積んで、悪いことをせず善いことができてしまう
自分に変身させてくださいと願う。
どころか仏サマもなかなか力を与えてくれない。
どうすればよいか?
徳を積むボンギョーをすればよいのか?
ノーノー、それだけでは駄目だ。
性格の欠点を改めよ!

見事な矛盾の堂々巡りです。
[621]○○屋 08/10/27 22:12 BJsiLMJMlw
批判サイドではラシンさんがもっとも私の考えを理解しているようです。何も私は苦行を必要だ、といっているのではない。猊下がそういっている洗脳から解けないとか、勝手な想像で色々書く人がいるが、ま、書いていなさい。

苦行の効果と釈尊が次のステップに飛躍した原因は因果関係があるのかないのか、ないならば、その後と、前とで何が違うのか、それを知ることが必要だと思ったわけです。
[622]ユビキタス 08/10/27 22:20 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>612
疑そのものを煩悩とは笑わせる。
疑ったら煩悩ですか?
そうではなく正しい教えに対して疑惑を持つことでしょ?
例えば「そんし」が地下鉄にサリンをまけと命じた。
ポアすることによって高いステージに行かせることは慈悲なんだそうだ。
そのしそん、もとい、そんしの教えに疑惑を持ったら、これ煩悩ですか?
しそんさんに電話がかかってきた。
「あ、如来の子孫さんですか?こちらは社会保険庁の者ですが、実は子孫さんに
年金の払い過ぎがあることが判明いたしまして、還付金をお返ししなければ
ならないのですが、ご連絡上ミスがありまして、今日がその申請の締め切りなんですよ。
携帯電話を持ってお近くのATMにお越しください。着きましたか。
では今からいう銀行口座を入力してください。
それから確認番号を入力して下さい。
確認番号は1980100です。それでは振込ボタンを押して下さい。」
あなたはこの親切な電話に疑惑を持つことは煩悩と言うのか?
何が正しくて何が間違っているのか判断するのが知恵です。
怪しきものは疑え。
桐山宗教なんて高い智慧も必要なく、普通の良識で疑えばわかる単なる詐欺です。
[623]○○屋 08/10/28 07:55 D-zHciV
その場合、親切なでんわが『煩悩』です。

煩悩を切るには電話を切ればいい。
[624]ユビキタス 08/10/28 08:33 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/4/28-29

他掲示板でもここを読んで、大日如来さんという現役信者さんが桐山さんの醜い
性格上の欠点に辟易としています。
おばちゃんの攻撃にひとたまりもなく、「キサマ!キサマ!」を連発し、
「この馬鹿つまみ出せ!」と言葉の暴力と部下を用いた暴力を働いた。
その時の彼は諫めなんてものでなく、完全に怒りの煩悩に負けていた。
瞬間湯沸かし器そのものだった。
大将が大将ならば子分もそうです。
子孫さんがここで書き込みをする時の、根拠なく相手を見下す傲慢な態度もまた
性格の欠点を少しも是正しておらず、煩悩解脱なんて読書をしたらもう解脱した
ような気になってしまう脳内解脱のお花畑に過ぎない。
[625]ラシン 08/10/28 11:11 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS
>[608]如来の子孫 08/10/27 11:24 PL3a0oHZ4G
悟りを得た気分などにはなっていないよ。シュダオンの心境にかなり
近いのかな?と、思う程度です。シュダオンは、別名で預流とも言う
でしょう。流れに預かる者、という意味ですね。涅槃に流れる川が
あって、その川の中に浮かんだ心境なんですよ、だから預流かな。
なんか、もう寝てても川が勝手に涅槃に運んでくれる、というよう
な心境ですよ。のんべんだらりん、としてても何とかなる、
という気分。

信者さんでも、この発言には呆れてしまうのではないだろうか。
預流とは聖者の流れに入ることと、桐山さんも指摘しています。
先ず、聖者は自慢などしないはずですね。
仏経でいう聖者とは戒律を守って生活し、その生活の中で
自身が清らかな行いを日々実践することです。
しかし、清らかな行いとは何かを知らなければその実践も
覚束ない。
ですから、釈尊は八正道を示したのです。
この道を進めば清らかな思い、清らかな行動が出来るようになります。
だが、アゴン宗の梵行でどこに八正道の実践がありますか?
桐山さんの所業は、成仏ホーの体得者は免罪符を得たように
全てが許されると、信者に誤解を与えました。
しかし、実は桐山さんはそんなことすら眼中にありません。
自分に信者を依所させ、宗教商品を販売するための方便に
ボン行の必要を強いているだけです。
桐山さんは著書で、宗教で身を建てるには最低300人の信者が
いれば食べてゆくことが出来る。
それが3000人となれば何とか教団としての形が出来るようになる
と、述べていました。
当時、私はどうして宗教書に教団経営の話しなど盛り込むのか、
釈然としませんでしたが、今なら理解できるものです。
子孫さんはアゴン宗に所属するだけで、心の平安と生活の繁栄が
あると感じているのだから素晴らしい。
そう感じるのは個人の自由だから、批判もしませんが、
仏経を掲げてそれを言えば、ウソをついてはいけないと批判の
対象になります。
子孫さんが直裁に仏経を通して言わなくても、
阿含経を掲げたアゴン宗信者であれば、ウソの片棒と見なされます。
アゴン宗で成仏ホーという乗車券を買ったら、後は勝手に目的地まで
運んでもらえると悦ぶのは勝手ですが、阿含経にはそのような
利益も教えも存在しません。


[626]ラシン 08/10/28 11:44 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS

子孫さんも煩悩に気づいたのなら、その実践をしてどうですか。
私生活では客観的に実践したか否かはわかりませんね。
では、この掲示板で試してみてはどうか。
掲示板はその特性上、煩悩をとても生起させやすい。
個人が判別できないので、真に自身が糾弾されたり、
恥をかく実感もなく、HNもリセットして別人で再登場できます。
言うなれば、怒りの罵倒も慢心も自由です。
アラシ行為などはそれの最たるものでしょう。
しかし実はその姑息性を一番強く感じるのはその行為者です。
自分だけは自分で誤魔化しようがありません。
掲示板で作った所作もカルマであるから、死ぬ時に真っ先に
その行為が出て来て六道輪廻の対象となる、とは桐山さんの
指摘です。
ならば、煩悩が出やすい掲示板で八正道の実践である正見、正思惟、
正語を意識して根本煩悩の抑制に努めてみることです。
大日如来さんという方は、2chで批判側の議論に反発心を抱いたが、
何とかそれを抑えて、自身の視点を探る努力をしています。
しかし、どうしても桐山流の視点に影響されるところがある。
七氏さんはそれを敢えて厳しく指摘し、その過誤に気づいてもらおうと、
詳細に解説しています。
本人にはアリガタ迷惑のようですが、読んでいる我々にはその視点、
捉え方が、仏経を再認識させてくれます。
掲示板では、煩悩を出しやすい反面、煩悩を抑制することも実生活より
とても簡単です。
子孫さんが、預流としての実感があるというなら、
その清流振りを掲示板で流して見たらどうですか。
[627]カジノ 08/10/28 12:41 SzWoA0FHgo
Yahoo!スポーツ 競馬 サラブレッド名鑑

競走馬名 ユビキタス
http://keiba.yahoo.co.jp/directory/horse/2005/1/046/31/index.html
競走馬名 チャクラ
http://keiba.yahoo.co.jp/directory/horse/2000/1/055/31/index.html
競走馬名 クンダリーニ
http://keiba.yahoo.co.jp/directory/horse/2002/1/055/59/index.html

ヨガ行者も馬主やってるんすかね?
チャクラとクンダリーニの馬主は同じユビキタスもかなと思ったが
ユビキタスの馬主は違っていた。
[628]ラシン 08/10/28 13:20 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS

預流果(シュダオン)
初転法輪でコンダンニャが、最初に悟った境地を預流果と言われています。
これは三結を断じることです。
一つ目は身見、正式には有身見という煩悩は、無常無我を知らない無知による
誤った見解です。
二つ目の疑とは、無知からくる邪見であり釈尊の説く教えを疑い迷い、
別なる道に心を囚われる煩悩です。
三つ目の戒禁取とは、しきたりや苦行に拘る煩悩です。
仏教以外の迷信の類いや、慣わしに心を縛られることです。
これらの三つは欲でも怒りでもない、無知なる見解、無知なる邪見からなる煩悩です。
この三つを断じたならば、三悪趣に落ちないと言われています。
つまり三悪趣に落ちるような業を作れない心の変化を来たすことです。
善悪の判断を素直に出来るため、三悪趣に落ちる行為をなせない。
となれば不退転の心が生じ、解脱へ真直ぐ向かう気構えが出来ると言われています。
もう迷うことが無いが、まだ心に煩悩が多く残っているので最高で七回の輪廻を経て、
解脱する。
その輪廻は人界か天界の善所ですから、努力次第で一回の輪廻で阿羅漢となる
場合もある。
アゴン宗において信者方は、この三結を断じる事が出来るでしょうか。
答えは簡単です。
アゴン宗が阿含経に則った釈尊の教えに合致しているか否かを見れば、
容易に分かります。
[629]ラシン 08/10/28 18:31 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS
2ch、175
「まことに、わたくしは、あの苦行から離れた。
何の利益にもならないあの苦行から離れたことは、まことに善かった。」
「だがわたくしの激しい苦行をもってしても、なお、人間を超えた、
全き妙なるすぐれた智見に達することができない。」
(『ゴータマ・ブッダ』中村元、昭和48年版、153〜155頁)

この七氏さんの参考掲示を見る限り、私の>>609での苦行に関する
解釈は、間違った自己解釈であったと認めます。
釈尊が、「何の利益にもならないあの苦行」と、述懐しているのですから。
[630]ユビキタス 08/10/28 21:54 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
私は各自が「苦行」をどう捉えているのかはっきりさせることが必要だと思う。
そうでないとお互いに相手の主張が理解し得ないと思う。
○○屋さんのいう苦行とは具体的に何と何なのだ?とか。
ラシンさんの認めた苦行とは何か?
その作業によって、お互いの誤解を解くのです。
例えば私は桐山さんの説く苦行で一つだけなかなか含蓄のあることだと認めて
いるものがある。
何の著書だったかすぐに思い浮かばないが、桐山さんは、自分は寒中氷を割って
滝に打たれる荒行を苦行などと思ったことがない。しかし冬の寒い朝冷水で顔を
洗うことを苦痛に感じたことがある。
顔を洗うたったこれだけのことが苦行なんだと。
でも私にはその言わんとすることがわかる。
誰にもある安逸を貪る心を克服する努力です。
これは絶対に必要ですね。ぐうたらではいけない。我々は如来の子孫であってはならぬ。
そういう意味での苦行なら賛成だ。
○○さんの肯定するニュアンスって、こういうことですか?(たぶん違うと思うが)
一方ラシンさんの肯定する苦行って、こういう自己に対する厳しさだと私は
推察するのですね。
しかしこの苦行って、単なる戒律の問題ではありませんか?
仏教も厳格な戒律がある。快楽はいかんのです。
だから中道なんです。中道と言えど、なかなか厳しく険しい。それだけのことです。
戒定慧というように戒あってこそ浄らかなものが得られる。
再度問うが○○屋さんが書いた苦行とは生活をしゃんと正す戒律か?
この辺の区別をお互いにきちんとすべきですね。
また桐山さんが肯定した苦行も単なる戒律でもないはずだ。
今日2ちゃんねるで七氏さんが初転法輪の教えを示しましたね。
中道と八正道です。
読んで改めて思ったことは釈尊の説法というのは最初から対機説法だったという
ことです。苦行仲間だった五人の比丘に対して苦行を否定して中道を説いた。
君たち、苦行だけではいけない。苦行はよいが、その先の瞑想が鍵なんだなんて
説法ではなかった。
初転法輪の相手が子孫さんだったら「こら!例祭サボって何を笑点なんか見ておるか!例祭の日に
のんびり座ってないで立って山門警備をしなさい。面倒だなんて言ってないで
苦行をしなさい」なんてのだったかも知れないw
[631]ラシン 08/10/28 23:32 *uZs1KhDPLSb*Y9clgdGCiq

ユビキタスさん、
私への補説ありがとうございます。
しかし、私の苦行解釈の結論は身の汚れを除外出来ても、
心の汚れまでは除外できないと言う自己流ですから、
七氏さんのご指摘を覆すものにはなりませんね。
ですが、○○屋さんの解釈は私とはまるで別であって、いまだ
熟考に値するものではないか、との考えを2chで掲示しました。
○○屋さんが、苦行を肯定する意味ではないという立場であれば、
その解釈を桐山説線上だから、間違いだと一概に否定できない
広義を持つものと考えています。
[632]孫 青柿 (あおがき) 08/10/29 00:01 SiZALO/Zbj
http://c.2ch.net/test/-/psy/1224837267/188
>男の美学は『潔さ』だと私は思うのでね、いつまでも阿含宗に在籍している積もりもない代わりに、やめても恨み言は言いません・・・多分。

なんと卑劣なカキコであろうか!○○屋さんがこんなことを書くとは?
すでに辞めた人間が書くのなら少しは説得力があるものです。しかし在籍してる人が書いても説得力ないしむしろ反感を買うだけです。
例えば暴走族の暴力の被害者に対し暴走族の現メンバーが、うじうじ言うんじゃねえ潔くしろと言ってるようなものです。
お互い辞めたもの同士じゃなく現メンバーがこんなこと言ってるんですよ。
これは干柿さんにも適用されますね。ただザビビでは言わないから七誌さんに対する反感からこころにもないことを言ってるですか?
[633]○○屋 08/10/29 00:46 iJFtxZ4XGf
>何の著書だったかすぐに思い浮かばないが、桐山さんは、自分は寒中氷を割って
滝に打たれる荒行を苦行などと思ったことがない。しかし冬の寒い朝冷水で顔を
洗うことを苦痛に感じたことがある。
顔を洗うたったこれだけのことが苦行なんだと。
でも私にはその言わんとすることがわかる。
誰にもある安逸を貪る心を克服する努力です。
これは絶対に必要ですね。ぐうたらではいけない。我々は如来の子孫であってはならぬ。
そういう意味での苦行なら賛成だ。
○○さんの肯定するニュアンスって、こういうことですか?(たぶん違うと思うが)

いつだったか、むかしテレビの「びっくり人間」か何かで、自分のほほに千枚通しのような太い針を刺すインドのヨガの人を見たことがありました。子供心に「ヨガって身体が痛くなくなるものなのかな」と思いました。そんな訓練は私だって無益だと思う。

しかし、金メダルを取るために、毎日40km以上毎日走って休まないなどは、苦行でしょう。苦行が目的ではなく、苦行した先に大会で自分の納得できる成績を収める目的がある。苦行が目的じゃない。

痛いのを我慢できる身体になる為の苦行と、苦しい先にある目的のために苦しみを我慢するのとは自ずと違うものです。しかし釈尊はそれすらも執着として棄てたのです。金メダル取るために練習するが、あまりにも目的意識が強いと本番で思わぬミスをして、平凡な成績で終わることは良くあり、金メダル取るためには、金メダルがほしいという執着を棄てて今の自分の力を最大限に出すことに集中するほうが成績につながることは良くある。

ユビキタスさんの問題提議は実は私はそのような議論をしたかったのです。その前に苦行を否定されて、そこまでの議論に行き着かなかった。

実は星祭さんが、ちらっと「苦行の中身」のことをレスしましたが、そのときはそこまでの議論にならなかったのです。

私などはたぶん「不放逸」とかその辺のことが苦行になると思う。瞑想を放逸しないという凝り固まりになり、一日20時間くらい瞑想し続ける。それがたとえ解脱目的の為でも、行き過ぎは良くない。その気持ちを棄てなければならないときはくる。そのとき、適正な程度を知るのだと思う。
[634]○○屋 08/10/29 00:58 iJFtxZ4XGf
>なんと卑劣なカキコであろうか!○○屋さんがこんなことを書くとは?
すでに辞めた人間が書くのなら少しは説得力があるものです。しかし在籍してる人が書いても説得力ないしむしろ反感を買うだけです。

青柿さんお得意のあおりであることは承知していますが、本音を言うと実は私は気持ちとしてはすでに退会しています。後はタイミングだけ。長くとも2010年に何もなければ恐らく退会しているでしょう。

自分の信仰としての最終的な落としどころは墓の宝塔(会費がかからない上に仏舎利信仰が続けられます)がありますので、これにより釈尊の生き様を常に思い起こし、自分に恥じない生き方を出来るようになることであり、あわよくば涅槃を狙える位置に自分をおいておくことです。そういうわけで、阿含宗に未練はたぶんないが、批判する気にもなりません。釈尊の生き方を私は仏舎利レプリカで思い起こすことが出来ますから。
[635]○○屋 08/10/29 01:23 iJFtxZ4XGf
なぜ苦行にこだわるかというと、釈尊の修行過程を再現する為には、必要だと思ったからであり、猊下が言ったとか言わないとか、そんなレベルではないのです。

阿含宗は「苦行」はしていません。だから、苦行の肯定で阿含宗の教団の勢いがどうにかなるなんてことは決してない。自分の肉体に対するサディスティックな苦行は何の意味もないと思う。それが清浄を得ることならば、SM嬢は清められた聖者になっちゃう。そんなのはおかしいでしょう、どう考えても。

それから、もしも在家でニルバーナを目指すならば、釈尊の信仰というものが重要だと考えています。たとえ阿含宗でなくても、釈尊を信仰するという心がなければ、解脱への修行が続くものではないと思う。それには、仏舎利に特別な思い入れがあったほうがいいように、今は感じています。
[636]干柿しわ雄 08/10/29 05:43 lTNP0HUpqg
>>632
七氏ですか?
なんで彼にはんぱつしているか
いくら良いことを書いても評価しないか
それはね、彼はある意味卑怯者だからですよ
勝手に人の書いたものをコピーして、あちらで延々とこき下ろす。
そんなことばかりやっている。
ある意味ゲイカとそっくりw
彼はだからこそゲイカに執着しているのでしょう。


阿含宗については世話になった人や友人も多いから在籍しているのです。
それをどのように他人が評価しようと私には関係ありません。
青柿君は白黒ハッキリさせないことに不満なようですが、
そんなのは自分自身の問題ですよ。
[637]干柿しわ雄 08/10/29 05:48 lTNP0HUpqg
まあ、信仰としては今は上座部やマルハシの思想に向いていますが
あんまし阿含宗やその周辺には興味ナシといったほうが・・・
どうでもいいや、すきにしたら、といった感じですね。
[638]○○屋 08/10/29 08:47 iJFtxZ4XGf
苦行について、もう少し所見を述べると、釈尊は最終到達点を「解脱」という目標設定しているようだが、そもそもニルバーナは釈尊にしても説明できない境地である。それがなぜ、無処有処でも非想非の瞑想でもだめ(納得いかない)苦行でもだめ、で智慧の瞑想で縁起のを悟りニルバーナに至った・・・

釈尊はニルバーナを弟子には説明できないものだといいながら、その以前にニルバーナを知っていたのだろうか?

私は「苦行」と「智慧の瞑想」の間に何があったのか不思議でならない。それは「ビパサナ」かもしれないが、師なくしてそれを知るというのは一体なんでか?さっぱり判らない。最初からヨガや当時のインドの思想、宗教に

@シャマタの瞑想
A苦行
Bビバサナの瞑想

の三種類の修行法があったのだろうか?それを釈尊は一つ一つ試したのだろうか?@とAは釈尊以前からあったが、Bは今の解釈では釈尊以前は無かった。Bの智慧の瞑想(と八正道)は釈尊が自己の才能で開拓(インスピレーションによるものか?)するか、霊的マスターとでも言うような存在から示されるしかない。ここのところの解明が信仰とか修行とか進める上で重要な問題であると私は考えている。

別に誰かに教えてもらおうと「クレクレ」言っているのではない。今の自分の疑問は疑問として整理のためにレスしているだけなので、批判サイドの方は特に意見を差し控えていただくことを希望する。
[639]ユビキタス 08/10/29 09:30 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>633
金メダルを取る為に毎日走り続ける例と、身体をキリで刺すヨガ行者というよい例を
出しているのに惜しいですね。
執着のし過ぎだのやり過ぎだのとそちらの方向に行ってしまっている。
煩悩解脱、涅槃と金メダルでは全く目標が異なるが、涅槃という目標の喩えに
金メダルの例を出すのは面白いのです。
マラソンで金メダルを狙う。
だったら毎日40キロ走るのがよいか知らないが、とにかく走る練習をするのが
第一ではありませんか。
マラソンで金メダルを取る為に身体をキリで刺すことに意味はない。
こういう視点で考察するのです。
すると煩悩の解脱の為に苦行をするのは、身体をキリで刺してもマラソンで金を
取れないのと同じように意味がないという比較の話になるのです。
身体をいくら苦しめても煩悩はなくならない。
いや、苦行の最中は煩悩の湧き起こる隙もなく、いいかも知れない。
しかし苦行を終えて元の生活に戻ると元の黙阿弥で、また煩悩が出て来てしまう。
私は登山をするが、登山は苦しい。煩悩をなくそうなどという考えのない私は
苦しい時は女のことでも考えよう、女体とかスケベなこと考えて気を紛らわそう
とするが、それでもきつくて煩悩を楽しむ余地も許してくれない。
そして見晴らしのよい稜線に出ると、素晴らしい別天地の天上世界の景観に
スケベどころではない。お陰様で登山の最中はそれほど煩悩に支配されずに済む。
登山という苦行が煩悩を制御している例かも知れない。
しかしそんな苦楽ありの登山を終えて下界に下りてくると、精進落としをしたくなる。
酒飲んで精進落としをしない私は一っ風呂浴びたくなる。
だから登山で数万掛けているのに、また余計な金を掛けてしまう。
まあ今年の北八ヶ岳と白山はそんなアレもなかったが。
(朝から何を書いとんじゃ?)
ってなわけで、非想非非想などのアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタ
から学んだようなサマタの行で心身を制御できても、行から離れればまた煩悩が
断ち切れず、苦行では駄目だと悟ったのです。
[640]○○屋 08/10/29 10:10 D-zHciV
ユビキタスさん

私の足りない部分を補ってあまりある見解、感謝します。
[641]ユビキタス 08/10/29 10:15 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>635
釈尊はあれだけ弟子の書き残してくれた経典もあるのにどうして、今更その教えを
素直に受け入れようとしないのか?
桐山さんが示した阿含経にもあるではありませんか?
釈尊が森の中で手のひらに幾ばくかの葉っぱを示す。
今この森の中にある葉っぱについて私が全部知っているならば、私が示すのはこの手のひらの葉っぱ
だけなのである。私はいろいろと知っているが、必要なものだけ教えているのであり
残ることは不要なんだとしているわけです。
その不要なもの中に苦行もあれば苦行によってつかんだものもありましょう。
例えば、「あしたのジョー」を読んで感動して、自分も矢吹丈みたいな
ボクサーを目指したい人がいるとする。
この人は矢吹丈に倣って、まずは下町の山谷の泪橋あたりでガキンチョ集めて子分にして
悪いこといっぱいして少年院に入ることから始めるだろうか?
そんなことは必要なく最初からボクシングを志向すればよい。
段平オヤジのような指導者や力石徹のようなライバルに恵まれれば幸いなわけで。
釈尊にとって苦行というプロセスは必要でした。
やってみて初めてこれでは煩悩の苦しみを超えられないと知ったからです。
だから絶対に必要だった。
しかしこの回り道を弟子に再現させる必要はない。
中道の八正道さえ教えればよいのです。だから苦行をさせていない現実がある。
私もまた生涯の中でアゴン宗と関わりあったことはよかったことかも知れない。
それによって自分の甘さを痛いほど認識できたのだから、よい勉強になった。
では後進の人にまずアゴン宗を教えることから始めるかと言うと、そんなことは
絶対にしない。

○○屋さんに欠けているのは、釈尊の教えを素直に受け止める謙虚さがないことです。
だからあれこれ理屈をつけて、それを後延ばしにして、自分の気に入らない学者の
説に反しても、勉強不足のくせにほんの些細な言葉尻だけで何か新機軸を模索しようとしている。
あなたは自分で真摯な求道心と勘違いをしているかも知れないが、実はそれって
傲慢に過ぎないのですよ。
釈尊の辿った道を苦行に遡りそこから何かを見つけ出そうとか。
釈尊の諭しに耳を貸さずに釈尊の足元を調査する。
釈尊の求めなくてよいということまで求めようとする。
だからあなたはマールンキャ・プッタと言われるのです。
[642]ユビキタス 08/10/29 10:35 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>638
最初からニルヴァーナを知っていたのではなく、人生の根本の苦の解決を求めて
いたのです。それで苦行から始めた。
しかしいくら苦行に勤しんでも、苦の根本解決にはならないことを悟り、
別の道を求めて思索と観察を深めて、煩悩をなくすことなんだと悟り、その煩悩を
克服する方法を見つけたのでした。
それに対して別に霊界からの働きかけなんか認めてませんよ。
それから>>633に対して語り忘れましたが、釈尊の煩悩解脱の道は「やり過ぎ」と言いたいくらい
四六時中の観察、自己監視なんですよ。
寝ている間でさえ煩悩が起きてないか確認するくらい出家に対しては徹底しています。
精進落としなんてあり得ないし、1日○分でよいなんて話ではない。
やり過ぎるほどやって涅槃をつかむわけです。
[643]ラシン 08/10/29 11:38 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS

私には、ユビさんの喩えを挙げた解説は心に染み入ります。
その理解で、樹意さんの掲示された阿含経の内容は、
すんなりと理解出来て納得しますね。
やはりユビさんが現役時代、批判側に容赦なく指摘されたことが、
生かされているのでしょか、と、これは言い過ぎましたかな。
まずはお礼を述べさせていただきます、ありがとうございました。
[644]○○屋 08/10/29 11:55 D-zHciV
最終的には八正道の中身の話となり、それは37道品の中身の話となるわけですから、経験していない同士の想像かどこぞの学説の内容の引用を元にした水掛論にしかならないですね。

釈尊呼吸法やビバサナの修行法に関する書物を読んで自分で試行錯誤してみないうちは結論が出ません、自分なりにも・・・


伯承さんのレスではビバサナは自分一人で出来るものではない、と言っていたようですが・・・

いわゆる体を痛めつけるだけの苦行や見当違いの努力は無益だという見解は一致しました。
[645]ユビキタス 08/10/29 12:00 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
○○屋さんが桐山アゴン宗を離れてでも釈尊の仏教を模索されたいのならば、
アゴン宗スレから離れて、他の仏教全般を考察するスレに行って質問などした
方がよいですよ。
アゴン宗スレには常駐してもかまわないが、そこだけでアゴン宗を超えた質問、
議論、考察、独白を書くことにどこか甘えはないか?
真摯な求道心があるのなら武者修行と思ってよそのスレの門を叩いてみることです。
叩かれることも覚悟の上で。
基礎知識の欠如をなじられるかもしれないが。
勉強をしながら、自分の疑問を質問してみる。
自分がアゴン宗の信者であることは隠しておいた方がよいでしょう。
ハンドルネームも○○屋ではなく、そちら専用か名無しにすれば、あの○○屋と
悟られずによいでしょう。
[646]如来の子孫 08/10/29 12:12 ZsBX9bFJxg
「疑」というのは、根本煩悩の一つです。
心に清らかさがないのです。ラシンさんがその典型なのです。
現世成仏P167をよくよく、読みなさい。
ラシン君は、エルサレム市長の歓迎メッセージは、偽じゃないか?
と言うほどに、「疑」で固まっている、煩悩丸出し。
エルサレム市長云々の、ラシンさんのレス、あの時は、私は思わず
吹き出してしまったよ。おいおいそこまで疑うか!とね。
疑は、狐疑というような煩悩漬け、迷いの世界の代名詞。
輪廻する葦の出家経の解説に、「狐疑」が出てるからお読みなさい。

私は、詐欺グループの話にさえ、「疑」は持ちませんよ、ただし、
信じないけどね。振り込め詐欺グループだってね、仲間内では、
いかにして稼ぐか、正直に相談してるはずね。1から10まで嘘なん
てのはあり得ない。だから私はいかなる人も疑わない。怪しいものは
信じないだけね。この疑わないけど信じない、という態度をまず、
学ぶことだね。疑は根本煩悩で、不信は随煩悩です。
不信よりも、疑の方が過ちが大きいのです。
ラシンさんは、私がなぜ、性格を直せという管長の指導に従ったか
を、推測してくれています。
だが、その推測は外れています。推測するという行為自体が、「疑」
という煩悩から出ているのですよ。

ラシンさんは、根本煩悩「疑」の解釈・理解も、間違えていますよ。
もう一度、アビダツマ論の「疑」でも、読んではどうですか?
[647]ラシン 08/10/29 12:13 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS
>[636]干柿しわ雄 08/10/29 05:43 lTNP0HUpqg
>>632
七氏ですか?
なんで彼にはんぱつしているか
いくら良いことを書いても評価しないか
それはね、彼はある意味卑怯者だからですよ
勝手に人の書いたものをコピーして、あちらで延々とこき下ろす。
そんなことばかりやっている。
ある意味ゲイカとそっくりw
彼はだからこそゲイカに執着しているのでしょう。

公共性のある掲示板に発言したら、同意や反論はつきものです。
アゴン宗と桐山さんのマチガイへの批判を掲げている以上、
批判者からは、干柿さんの発言はその対象となったので引用された。
引用されることは、卑怯とかの問題ではありません。
もしそれが嫌なら、個人HPでコピペ禁止とするか、
特定者専用の掲示板で発言するしかありません。
また引用批判されたら、きちんと反論すればよいだけでしょう。
アンカーレスや引用レスのないゲイカ云々は、個人的印象論であり、
中傷の部類に入ってしまいます。
[648]如来の子孫 08/10/29 12:20 ZsBX9bFJxg
煩悩については、ラシンさんに代表してもらったけど、ユビ元君や
青柿君は、それに勝る煩悩丸出しですからね。指摘して欲しいのか
な?まぁ、自覚するのが大切ね。
管長は「まず自分の性格の欠点を自覚してこれを直すということが
必要」と説いてます(現世成仏P167)。
他人に指摘してもらうよりも、自覚が大事なのです。
自覚できていないから、修行に失敗したのです。

[649]ユビキタス 08/10/29 12:28 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>646
振り込め詐欺を信じないけど疑わないなんて、わけのわからんことを書いてるなあ。
常に自分の頭の中で言葉のもてあそびゲームをしているだけたから、こんなことが
書けるのでしょうね。
桐山さんは疑えと教えています。
信解円通してまさに行の本になる。
信を堅固なものにする為にも一度は疑って検証し、理性で理解(りげ)を得、
知性で知解(ちげ)を得よと教えています。
何度も繰り返し説かれているこの教えを知らないのですか?
[650]孫 青柿 (あおがき) 08/10/29 12:30 SiZALO/Zbj
>>636 なるほど、七誌さんにけなされたから怒っているんですね。
ゲイカは嘘つきで悪者だと干柿さんも知っているが 七誌さんに腹立つから彼が良いこと(カルト及び構成員の批判)をしても、うだうだ言ってんじゃねえと一喝するのですね。

>阿含宗については世話になった人や友人も多いから在籍しているのです。
それをどのように他人が評価しようと私には関係ありません。
青柿君は白黒ハッキリさせないことに不満なようですが、そんなのは自分自身の問題ですよ。

反釈迦でなおかつ反人道的カルトに所属してるのだから、所属しててごめんなさい、友達がいるのでやめられないのだとすまなそうに書けば印象がいいのに
印象などどうでもいいオレの勝手だみたいな言い方するから批判されるんです。

>>634 まあ私に言ったわけじゃなく七誌さんに対して言っているのをわざわざ取り上げてるからまあ煽りなのかもしれません。
私が言われたらマジむかつきますが。実際大喧嘩したことあります。

ニセモノだったが本物を思慕できたから批判しないのですか?騙されたが夢をみさせてくれた う〜ん理解不能ですw

>>641 う〜ん巧みな例えです。あしたのジョーなら不良にならなければいけないはじめの一歩ならいじめを受けなければいけない。
しかし本当にジムにいけばなわとびとワンツーです。○○屋さんも漫画とかファッションとかそういうノリで仏教を捉えているのでしょう。
[651]○○屋 08/10/29 12:32 D-zHciV
そうですね。最近はそれも考えています。わたしに甘えがある事もたしかでしょう。

前に見に行ったことがありました。確か アホダラキョウさんかどなたかのレスがアーガマの引用で展開していました。大量の情報のため消化不良気味であまり行かなくなった。

この機会にいってみようかと考えています。
[652]ラシン 08/10/29 12:42 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS
>[646]如来の子孫 08/10/29 12:12 ZsBX9bFJxg
「疑」というのは、根本煩悩の一つです。
心に清らかさがないのです。ラシンさんがその典型なのです。
現世成仏P167をよくよく、読みなさい。

いまさら桐山さんの理屈に依処する気はありません。
また、私がエルサレム市長のメッセージをウソだとの指摘は
していません。
相手を嘲笑するのは子孫流であっても、
他人の意見を批判するなら、まずその個所を引用して
糾弾すべきではありませんか?
子孫さんはいつも反レスへ頭が行って自説のみが先走りしている。
これは議論とは言えず、ただの咆哮です。
さて、詐欺グループという犯罪集団にどんな真実があるのです?
それはあたなと同じように自分勝手な真実でしょう。
犯罪者が、四六時中一から十までウソをついていないから
疑ってはいけない?
それなら、子孫さんは先ず世間の常識から身につけるべきですね。
奇を衒った考えもケースバイケースです。
自説を強弁する例としては、あまりにも幼稚で非常識です。
また、私の子孫さんの性格改善の動機への推測が外れなら、
それはそれで構わないが、その答えと理由くらいは述べて違う
と、言うべきでしょう。
私の疑の解釈違いと指摘するなら、正解を教示してください。
このようにいつも子孫さんとは噛み合わない。
それはあなたが意図的か無意識か知りませんが、
正面から向き合わず陰で、俺様のほうが正しいと、
小声で吠えているようです。
[653]○○屋 08/10/29 12:45 D-zHciV
信仰がファッションにはなりませんよ。格好わるいでしょう?

死ぬまでに考えて、結論の出ない分野?ってとこかな?気持の持ちよう?

とてもじゃないが、苦行なんて柄じゃないですし。

私もそろそろはっきりさせる時期なような気がする。阿含宗はすぐ護摩木買え、だし、勤行なんかろくにやっていないし、会費もたまってるし、猊下も最近は力無さそうだし・・・ソフトバージョンでやめようかな(笑)
[654]如来の子孫 08/10/29 14:08 ZsBX9bFJxg
過去スレ探すほど暇じゃなくてね。
だから悪いが、記憶でもの言う。
以前、エルサレム市長の、アゴン宗を歓迎するメッセージが、日本
の新聞に載ったでしょう、勿論、日本語で。
市長の顔写真と署名入りで。
「阿含宗を歓迎します。光栄です。」とか、さ。
そしたら、ラシンさんが、あの日本語訳は、嘘かも知れない、とか、
レスしたでしょう?

そんで、私が、そんなに疑うのは異常ですよ、とレスしたら、
ラシンさんは、ナントカコレコレ、と正当化のコメント書いた。
そういうこと。

そういう異常な疑い、それも「疑」という煩悩なのです。
疑い過ぎです。
私は、ずーと煩悩撲滅を追求してきたから、
「疑わないけど信用しない」という態度が理解できます。
なんで疑が根本煩悩で、不信が随煩悩なのかその違いもわかります。
「疑」と「不信」どう違うの?同じようなもんじゃない?
と、思う人がいるかも知れません。だが、疑と不信は違います。
「疑」の心と、疑はないが不信はある心、とでは汚れ方が違います。
その違いは自分で会得してください。
私だって、何年もかかってその違いを、会得したのですからね。
[655]ラシン 08/10/29 22:06 *ezbwSoxs06Q*Y9clgdGCiq
>646]如来の子孫 08/10/29 12:12 ZsBX9bFJxg
ラシン君は、エルサレム市長の歓迎メッセージは、偽じゃないか?
と言うほどに、「疑」で固まっている、煩悩丸出し。
エルサレム市長云々の、ラシンさんのレス、あの時は、私は思わず
吹き出してしまったよ。おいおいそこまで疑うか!とね。

この指摘にに対し私が>652で、「私がエルサレム市長のメッセージを
ウソだとの指摘はしていません。相手を嘲笑するのは子孫流であっても、
他人の意見を批判するなら、まずその個所を引用して糾弾すべきでは
ありませんか?」とのわたしの質問への子孫さんの回答がこれですか?↓

[654]如来の子孫 08/10/29 14:08 ZsBX9bFJxg
過去スレ探すほど暇じゃなくてね。だから悪いが、記憶でもの言う。
以前、エルサレム市長の、アゴン宗を歓迎するメッセージが、
日本の新聞に載ったでしょう、勿論、日本語で。
市長の顔写真と署名入りで。「阿含宗を歓迎します。光栄です。」とか、さ。
そしたら、ラシンさんが、あの日本語訳は、嘘かも知れない、とか、
レスしたでしょう?
そんで、私が、そんなに疑うのは異常ですよ、とレスしたら、
ラシンさんは、ナントカコレコレ、と正当化のコメント書いた。そういうこと。

それは暇じゃなくて、ものぐさの適当というもので、その記憶も
曖昧そのもので著しく他人の発言を歪めています。
あなたの忘れた曖昧な記憶の引用はこれですね。
第三十七章[934]如来の子孫 08/07/23 10:16
ラシンさんとユビ元くんは、本日の読売新聞をご覧なさい。
気流のページにイスラエル護摩供の広告が出てますよ!
エルサレム市長の顔写真と署名入りの挨拶も出ています。
市長は、護摩法要について、
「まことに嬉しく光栄に思います。改めて感謝の意を捧げます。」
と、述べておりますよ。これが一般社会の阿含宗に対する評価です。

これについての私の返答は下記で述べています。
第三十七章937ラシン 08/07/23 12:03 *uZs1KhDPLSb*Q51fG9Bhv7
まだ新聞を見ていませんが、子孫さんの引用だけでも
充分に反論できる。
新聞各社のその収入は広告宣伝費で成り立っています。
お金を出して広告を掲載しただけのことです。
新聞社が、自費でイスラエル護摩の取材を敢行し、
それを偉業と認めて記事にしたわけではないのです。
また、エルサレム市長がアゴン宗から多額の寄付金を
頂戴したのだから、礼を述べるのは当たり前です。
それとも
アゴン宗の護摩供養は、イスラエルの本来の悪業を消滅させ、
イスラエル危機の元であるナチによって虐殺された人々の怨念で
様々な霊障となっているのを浄化させてくれるものであると認め、
エルサレム市長がアゴン宗に感謝していると、述べているなら、
子孫さんの言われるように、一般社会の阿含宗に対する評価
と捕捉することが出来ます。

この私のレスのどこが、子孫さんの言われる「あの日本語訳は、
嘘かも知れない」との私が言ったレスになるのです?
この私の回答をどう解釈すれば、"疑”で固まった煩悩丸出しとなるのです?
他人へ噴出す前に、あなたの曖昧な記憶違いを省みず堂々と述べる厚顔こそ、
噴出されるお笑いになるのではないでしょうか。
[656]ラシン 08/10/29 22:39 *ezbwSoxs06Q*Y9clgdGCiq
>私もそろそろはっきりさせる時期なような気がする。
阿含宗はすぐ護摩木買え、だし、勤行なんかろくにやっていないし、
会費もたまってるし、猊下も最近は力無さそうだし・・・
ソフトバージョンでやめようかな(笑)

○○屋さん、以前から申している私のことで恐縮ですが
2CHやここザBBをロムして6年間逡巡していました。
七氏さんはじめ批判側の指摘は意に沿わず、悔しいが反論できない
と、いう日々経過を辿っていた。
反レスしても返ってくる答えが解っているから、それも出来ない。
しかし教団には曖昧に籍だけ置いて、修法を自己流に解釈して
信仰からは離れないでいました。身に着けたと勝手に思っている
行法を手放すことに未練と執着が残っていた。
これって結構多くの退転者が嵌る宗教の陥穽です。
ある時、批判バリバリと思っていたユビキタスさんが実は
元信者で退会したことを偶然知り、過去ログを見て決断出来ました。
間違いに気づいて尚、あれこれ理屈を探して決断できず居座る、
これこそ潔さからは程遠いと気づいたのです。
決断も自己責任で自身が決着をつけるものです。
法友や導きの親子がいるから責任上在籍するなど、
自身の決断の、○○屋さんはすでに教団から離れて見えます。
ただ自分を一度アゴン信者として完全否定する勇気が見えない。
[657]○○屋 08/10/29 23:05 iJFtxZ4XGf
>自身の決断の、○○屋さんはすでに教団から離れて見えます。
ただ自分を一度アゴン信者として完全否定する勇気が見えない。

そのとおり。「完全否定」など必要だと思いません。
自分の立ち位置は自ずと決まります。それは十二支因縁の無明からくるもので、解脱せねば真の意味での変化はありません。解脱せずに変化あるなら、それも織り込み済みの煩悩でしょう・・・

どうでもいいことですが。

反論は必要有りません。
[658]ユビキタス 08/10/29 23:56 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
擁護も批判もバリバリやっとくことはプラスになるもんだな。
○○屋さん。バリバリ行こう。
別スレの大日如来さんが100%信じられなくなったら云々書いていたが、
100%の確信が得られる人なんて存在しないのですよ。
9割方疑って、後は自分の勇気で決断するのです。
決断後の方が心は明澄です。
[659]干柿しわ雄 08/10/30 00:06 lTNP0HUpqg
>>650
あのね〜
彼が直接、私に対して物申してきたことなど一度たりとないのですよ
ザザビに書き込んだことや、ユビさんとかとやりあっていたときの
モノを勝手に2chにもっていって、こきおろしていたのです。
そんなやつがどんな偉いこと書いても信用などできませんよ
2chをのぞいてみて「なんじゃこりゃ!なんでオレが勝手に書かれているんだ?なんだこいつは?」といった感じでしたね。
相手の本人不在で勝手なこと書かれて(しかもクドクドと)
なんだというのでしょうか?
そんな奴どんな偉いこと書いても信用できますかいな
糞ですよ糞w
いまはなんか大日さんを勝手にダシにしてやっていますが、はたして
大日さんは参加しているのですか?七氏との対話していますか?
本人不在で勝手にヤツがやっているだけでしょう。
自分じゃなくても実に不快感を感じますね。

[660]干柿しわ雄 08/10/30 00:33 lTNP0HUpqg
>>647
あなたもあんがいおかしなことを言いますね。
間違っているならいると、本人と対話するのが、こういった掲示板
のやり方じゃないのですか?
だから、かつてユビさんとやっていたものです。
意見があるなら参加してやりあうべきでしょう。
それを泥棒猫みたいに別の所に引用して、
こき下ろすのが正しいやり方だというのでしょうか?
あっ書かれている!
と気づいたときにはクドイ長文がながなが書かれていて
いったい何が文句があるポイントなのかわかりませんしw
ただ、阿含宗とゲイカに対してすこしでも肯定的だと無茶苦茶
叩くというのがわかっただけですね。
煩悩の話で感心しているらしいけれども、そんなのは論文で発表
すればいいことでしょう
人と人との対話になんかなっていませんよ
勝手に大日さんやら出してきて
しかも大日さん不在の一方的な物言いがなんだというのでしょうね?
結局
あなたも常識的な見方をできないということになるのでしょうか?
感情ばかり優先してとw
[661]ユビキタス 08/10/30 00:36 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>659
大日さんも自分のスレ立てて勝手に他スレの内容をあれこれ書いてるじゃん。
しかもどこの何番に対するレスとか、元をいちいち明示せず、わかるだろ?ってな感じで。
[662]干柿しわ雄 08/10/30 00:37 lTNP0HUpqg
そんなんで、はたして
高みでもって
如来の子孫さんを批判し意見することができる立場なのかなと?
[663]干柿しわ雄 08/10/30 00:45 lTNP0HUpqg
>>661
でもそれは貶すような内容じゃないでしょう
疑問を投げかけるような感じでね
誰か答えてくれ!
という問いでしょ
もう一方的なこき下ろしとはちゃうで

ユビキタスさんの意見がこうかかれていましたとコピーして
私はこう思うがこうなんじゃないか?
というのと
コピーから、こいつは勝手に想像して無理な解釈をしているバカです!と一方的にきめつけ書くのとでは天地の差があるで・・・

それともそれも同じだというのかね?
[664]ユビキタス 08/10/30 00:45 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
岩波仏教辞典より(抜粋)

【疑】
ものごとをはっきり決めかねて、ためらうこと。意の定まらないこと。
四諦など仏教の説く教えを信じきれず、あれこれと疑いを抱くことで、基本的な煩悩の一つ。
教理学上の⟨疑⟩は、仏教の教えに対する躊躇のみをいい、日常生活における疑惑やためらい、
あるいは仏教を学び修行する上での疑問などは含まない。
[665]干柿しわ雄 08/10/30 00:49 lTNP0HUpqg
七氏の場合はもう自分の考え意見など決まっているんだよ
それで敵対する気に入らないやつは
もう取り出して叩く叩く、
[666]ユビキタス 08/10/30 00:50 *lPm7zuA9Viz*GoRGEoUS
>>663
いや、大日さんもどこに対してでも何を引用して論じたり感想書いたりするのも
原則自由なんだよ。
ただ惜しむらくは、2ちゃんねるの何番に対するレスとかきちんと書けばよいのだよ。
大日さんはそれをやる時もあればやらない時もある。
その点七氏さんは必ず引用元を示す。
[667]諭吉 08/10/30 00:58 F8YK1AkPNI
>>659
>2chをのぞいてみて「なんじゃこりゃ!なんでオレが勝手に書かれて
>いるんだ?なんだこいつは?」といった感じでしたね。
>相手の本人不在で勝手なこと書かれて(しかもクドクドと)
>>660
>間違っているならいると、本人と対話するのが、こういった掲示板
>のやり方じゃないのですか?

こういうことを一番思っているのは、桐山さんかもしれない。
引用されるのがいやなら、公共の場所で意見を書かなければいい。
[668]ユビキタス 08/10/30 01:10 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
ちなみに大日さんが自分のスレで、干柿さんがこちらに書いた>>498にレスを書いてましたぜ。
こちらに直接書かず。
誤解があったようなので、私が代わりに間違いを指摘して、誤解を解いておいて
あげました。

「ザ」用スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/4/33-35
[669]ユビキタス 08/10/30 01:13 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>659
2ちゃんを覗いてみて、「なんじゃ?こりゃ?」と思ったわけね?
ひどい文章だと思ったら自分で書いた文章だったとか。
うわっ!なんじゃ?このマヌケそうな顔したおっさん?
・・・あ、鏡に映った俺の顔か、
ってなヤツ。
[670]孫 青柿 (あおがき) 08/10/30 03:35 SiZALO/Zbj
干柿さん分りました。ザビビの内容をコピペして2chで論じる。そこが気に入らない。
七誌さんのゲイカ(や信者への)批判が気に入らないのではないのですね?それならokです。
七誌さんと干柿さんには私がスレに参加するはるか以前より"因縁"があってそれで憎んでいて、ゲイカとそっくりだと干柿さんはけなしている。
ゲイカとそっくりというのを悪い意味で使っておりしかしながらそれはゲイカは悪者だと認めてるのだからまあokとします。お二人の"因縁"は私がとやかく言えるものじゃないから干柿さんがゲイカ擁護じゃないなら構いません。
[671]干柿しわ雄 08/10/30 06:01 lTNP0HUpqg
>>667
彼は公人ですから、我々とは違う立場でしょう。
ただ私が思うに彼はいくら叩かれても間違いを指摘されても
蛙の面に小便で
面の皮が厚く、人をけむに巻いて平気で自分の教えを説くはずです。
[672]英世漱石 08/10/30 06:24 JZiLesH0Xz
【観】
http://jp.youtube.com/watch?v=cyU2sG_2cxk&feature=related

人を追い詰めた時、人は何故に、おい!お前、観念せぇというのであろう。
[673]石川五右衛門 08/10/30 07:00 SzWoA0FHz0
【時代劇の涅槃への道】

観念いたせ、

ぶすりと斬られた浪人は

「無念でござる。」

迷わず成仏いたせ。
[674]ラシン 08/10/30 14:36 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS
>[660]干柿しわ雄 08/10/30 00:33 lTNP0HUpqg
>>647
あなたもあんがいおかしなことを言いますね。
間違っているならいると、本人と対話するのが、こういった掲示板
のやり方じゃないのですか?

対話ではなく議論でしょうね。
七氏さんは事情あってここでの掲示を遠慮しているようです。
干柿さんは昔のように2chへ行って反論すれば済むことではないですか?
チョンの間レスだけではなく。
別板で引用するのは卑怯でも泥棒ネコの行為でもないと、解釈されているのが、
掲示板です。

>結局
あなたも常識的な見方をできないということになるのでしょうか?
感情ばかり優先してとw

あなたはどう見ても七氏さんの行為に怒りがあります。
私はどなたへも怒りなどありません。
感情的なのがどちらかは歴然としていますね。
[675]○○屋 08/10/30 16:53 D-zHciV
いや、ラシンさん、それは違います。

名無しさんは、人がいやがることをあえてしている。そうして、相手を怒らせて煩悩を出させている。言うことはなるほど、釈尊の言動の引用ですが、相手の煩悩をあおっているのです。釈尊の言葉を借りるならば彼こそ『悪魔』ですよ。


釈尊の残した教えをもって、阿含宗の信者の目を覚ますように本気で考えるならば、もっと気を使ったレスとなりましょう。そんな気はさらさらない、ただ相手(信者)をやりこめることと、阿含宗をけなし貶めること自体が目的なのです。
[676]サブロー 08/10/30 19:22 FHsYGudqHh
だよね〜 なんで嫌がってるのに無視してやるのか?
正しければ何をしてもいいのかね?
理屈ばかりこねて、こまった人だよ。
[677]ラシン 08/10/30 21:35 *ezbwSoxs06Q*Y9clgdGCiq
>675名無しさんは、人がいやがることをあえてしている。そうして、
相手を怒らせて煩悩を出させている。
言うことはなるほど、釈尊の言動の引用ですが、相手の煩悩をあおっているのです。
釈尊の言葉を借りるならば彼こそ『悪魔』ですよ。


七氏さんの舌鋒鋭き批判に抵抗があるのですね。
経験上、アゴン宗に在籍していると煩悩が増えたのは事実です。
しかし、七氏さんに指摘されたから煩悩が増えたと考える人の
問題ではないでしょうか。
擁護側か同様に批判者に対して煩悩をあおる掲示はいくらである。
批判側がいやがることも平気で繰返す所業だからといいて、
批判者が、それで煩悩を増やすことは無い。
洗脳を説くと言うことは、相手を慮ってやさしい言葉で
木の上に押し上げることではありません。
耳のさわりに良い事を言われてアゴン宗に入会した過誤を
忘れてはならないと思います。
悪魔の誘惑は自身の煩悩であって、他人を悪魔と考えるのは、
自分自身を考察せず、他者転嫁で自己責任を逸脱した甘えの構造です。
[678]孫 青柿 (あおがき) 08/10/30 23:39 SiZALO/Zbj
>>653 >信仰がファッションにはなりませんよ。格好わるいでしょう?
袢纏着てボンギョーとか凄くカッコ悪いのですが、自分はこういう下積みを経ていずれ脳を改造する知能革命を起こすとかご著書に書かれてることでカモフラージュして気を取り直してました。
飯屋の館とかシャリーラとかおしゃれでしたよね。ゲイカは宗教はファッションからパフォーマンスの時代に入ったとか言って飯屋の館はショーウインドーに拘ったとか。
メディテーションセンターのころの雑誌もけっこういけてますよね。しかし格好だけで中身がない。それと表面だけ見ればカッコいいが舞台裏は袢纏着てボンギョーだからカッコ悪い。
[679]ユビキタス 08/10/31 00:01 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>675
なんだ?まだ「くれない族」やってるのか?
くれない族にしても感度悪いな。
気を使ったレス?
かなり気も頭も使ったレスしてくれているのだが、気付かぬか?
[680]孫 青柿 (あおがき) 08/10/31 00:09 SiZALO/Zbj
ヴィパサナーは心の対処法として優れたものでありしかしカッコいいとか悪いとかというものでもなく中道です。

しかし○○屋さんは中道には興味なく苦行をして筏に乗らず宙に浮いて行くとかいまだに超能力ばかりに関心があるのではないでしょうか?
私も「ボクの地球をまもって」「テラへ」とか好きですよ。またゲイカのご著書も漫画みたいなものでしょう。
でも仏教を少しでも理解したいならばそういうものを一旦置いといて先ずは南伝の実践本を読まないと。
超能力はでてこないからワクワクはしませんけどリアルに生きている我々にとってああこういう苦の対処法もあるんだな、と価値あります。
[681]干柿しわ雄 08/10/31 00:41 lTNP0HUpqg
>>674
なぜ、そんなことが言えるのでしょうか?
あなたも勝手な想像でものを言う類の人だったのでしょうか?
七氏に関しては文句があるならば、こちらにきて私に直接言ってくれ
と何度かあちらに書き込みましたよ
どんな遠慮があるのですか?
あんだけ思い切って人のことを延々と書きこむ人物に
なにもあちらのように長く書く必要などない、
私に対して直接文句ぶつけるだけなのだから・・・。
それとも私の言うことが間違っているのでしょうかね?
蔭口のように本人にわからなく、というより、その本人のことなど
無視して何でも書け!とでもいうのでしょうか?
怒りですか、そりゃ怒るでしょうよ、まっとうな怒りというものも
あるのです。
あなたはどうなのですか?
ゲイカに対しても怒りがあるから批判を続けるのでしょう
聖人面するのはやめたほうがよいのでは?
煩悩について学んで詳しくなったから、もう煩悩はでないとでも?
あなたは修行論(苦行)で○○屋さんと釈迦はどうだったとか
やっていますが、自分自身としてはどうなのですか?
なったつもりの付け焼刃など屁のつっぱりにもなりますまい。
すましてお上品に「もう煩悩をこくふくしました」と言え
もしそれが本当にそうなのであれば、私にはまったく用のない
はるかかなたの理解できない上品の人間なのでしょうから
まったく、あなたとは噛み合いませんね。
わたしはあなたのようにお上品なやり方など合わない下衆の類ですからw
[682]諸行無常 08/10/31 02:16 *YjQiKc4RbTe*jb6wBT1cEL



>>ラシン
桐山猊下よりも、あなたのほうが優れているのか?


[683]○○屋 08/10/31 09:42 D-zHciV
ユビキタスさんに対して言ったのではないことを、ユビキタスさんがレスするのもおかしな事だと思います。

私は名無し氏の事を言っているのですよ。名無し氏の事を批判すると、他の批判サイドの人からもレスがはいる。私はとても奇妙な事だと思います。

なんだか名無し氏に洗脳されているみたいな気がしませんか?
[684]ラシン 08/10/31 09:48 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS
以前聞いことによれば、こちらの板元が七氏さんの掲示を
拒否していたと記憶しています。
また、干柿さんがゲイカ関連で反論をここで掲示することも
可能ではありませんか、もし反論があればですが。

>私に対して直接文句ぶつけるだけなのだから・・・。
それとも私の言うことが間違っているのでしょうかね?

私から見て七氏さんの指摘はアゴン宗の批判であり、
アゴン宗では性格改善も覚束ない例で信者さんの
姿勢を喩えとしており、とうてい文句の類いには見えません。
また、干柿さんが間違っているという基準ではなく、掲示板は
カキコしたら書いた責任はつきまとうが、発言は一人歩きするもの
と申し上げています。

>怒りですか、そりゃ怒るでしょうよ、まっとうな怒りというものも
あるのです。
あなたはどうなのですか?
ゲイカに対しても怒りがあるから批判を続けるのでしょう

その怒りがどうして真っ当なのか、自己判断は禁物で、
読者が決めるでしょうし、その怒りに向き合うことも必要でしょう。
私の場合、少なくとも仏教を知る切っ掛けとなったことではゲイカに
感謝しこそすれ恨み辛みはありませんが、ウソやインチキを
確信した以上、批判することは必要との考えです。

>聖人面するのはやめたほうがよいのでは?
煩悩について学んで詳しくなったから、もう煩悩はでないとでも?

もし私が聖人面して見えるなら、干柿さんとの落差が大きいだけで、
煩悩を出しやすい掲示板において、ただ気をつけているだけです。

>はるかかなたの理解できない上品の人間なのでしょうから
まったく、あなたとは噛み合いませんね。
わたしはあなたのようにお上品なやり方など合わない下衆の類ですからw

上品などとの言葉で誤魔化さないほうがよろしいかと存じます。
上品云々ではなく、大人、社会人としての気構えだけの問題です。
[685]○○屋 08/10/31 10:01 D-zHciV
青柿さん

数日前ご宝塔を納札して来ました。窓口の人は『また、本当に因縁を切りたいと願うならば、その時は再入行するとよい』と言っていましたが、因縁ってなんですか?と突っ込みたくなりました。

『阿含』宗と名乗るなら少なくともビバサナくらいは実践しないと話にならない、とは思います。

青柿さんの言うように、出来もしない超能力の看板を阿含宗は下ろすべきだと思います。

私は退会しても、名無し氏と同じサイドで会員を攻撃する気持ちはなりませんね。猊下の良くない部分は批判すり気持ちはありますが。

クレクレ厨だとかクレナイ族だとか色々とわたくしを表現してくれる、ユビキタスさんに乗っかってヤジを飛ばすアホな批判サイドのレスが入りますが、私は別にそんな扱いを受けても何とも思いませんが、人をけなす言動はやはり煩悩であろうと思います。少なくとも煩悩から出る所作であろうと思います。
[686]○○屋 08/10/31 10:10 D-zHciV
つづき

退会しても、釈尊の生き方を参考にして、ビバサナなどは意識的に行って行こうと思います。

阿含宗にいたときよりも、自分を観察している自分に気が付きますね。仏さまが何とかしてくださる、なんて甘えも通用しませんから、運転も気を付ける様になります。

[687]ラシン 08/10/31 10:17 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS
>[682]諸行無常 08/10/31 02:16 *YjQiKc4RbTe*jb6wBT1cEL
>>ラシン
桐山猊下よりも、あなたのほうが優れているのか?

いいえ、桐山さんよりも
私は、大勢の人を仏教と偽って人を集める能力において劣っています。
私は、ありもしない霊障話しをさも事実のように話す能力において劣っています。
私は、上記同様に他者が確認できないことを断定する能力において劣っています。
私は、ウソインチキを本物に見せかけ、金品を騙し取る能力において劣っています。
私は、不動明王に似せて他者お年寄りを烈火のごとく罵倒し、暴力を行使する
    能力において劣っています。
私は、阿含経経文を自身に都合よく会釈し歪曲する能力において劣っています。
私は、自身の学歴履歴を状況に合わせ、詐称し変える能力において劣っています。
私は、聖人でもないのに聖人に見せかける能力において劣っています。
私は、普段の信念を相手によって主張したり隠蔽する能力において劣っています。
私は、自分のライバルに嫉妬し嫌悪して、陰で罵倒し満足する能力において
    劣っています。
私は、金銭で名誉を買って自己満足する能力において劣っています。
私は、自身の間違いを他に転嫁し一切顧みない能力において劣っています。
私は、、、、、、
[688]孫 青柿 (あおがき) 08/10/31 10:23 SiZALO/Zbj
うわ!マジですか? やりましたね。おめでとうございます。
2chから数えると5年くらいでしょうか?自ら密教占星術その他推命術 を研究し何々の因縁を明かそうとした努力そして発表したカキコ(今年の春ころだったかな?)はすでに退会した私もまだまだ発見があると感動しました。
退会するときって理屈でこれもあれもウソと分っていても何か後ろ髪ひかれますよね。私よりも○○屋さんのほうがアゴン宗での友人関係は豊富だったと推察しますのでなおさらです。
会員を批判攻撃する部分については大目に見てください。私は過去スレに書いたとおりですので。煩悩とかトラウマいっぱいなのは認めます。
[689]ラシン 08/10/31 10:26 *uZs1KhDPLSb*Q6JPRzOQLS

○○屋さん、退会されていたのですね。
仏経は信仰されてゆくご意志があるようです。
これからも、正しい信仰のあり方をご教示してください。
[690]○○屋 08/10/31 10:57 D-zHciV
おめでとう、とか、ご教示、とかって・・・

なんか、ちがくね?(笑)


やめてもやっぱ名無し氏に対する気持ちは変わりません。あのようなやり方は、私のなかでは『卑怯者』ですね。

クレナイ族なんて言われますが、逆に彼とはレスを交したくないし、関わりたくもない。わたしは あんなやり方をしながら釈尊の言葉を鼻先につきつけられても、その手を払いますし、わたしに手助けして欲しくもないし、釈尊に対しても傲慢な振る舞いだと考えている。
[691]孫 青柿 (あおがき) 08/10/31 11:19 SiZALO/Zbj
>>690 まあ批判派とか元会員は仲良くしなければいけないというわけじゃないから、それはそれでいいと思います。
おめでとうは違っていませんよ。元セレブ会員(職員でもあるが)といえばハルオ氏であるが、私は氏をよくアナキンに例えていました。
でも皆がプチ・ハルオ氏でありアナキンなのですよね。
○○屋さんがご宝塔を返納したと聞いてエピソード6の名場面を連想しています。
ベイダーからアナキンに戻った1人のジェダイが暗黒卿をかついで放り投げる姿を。
再度言います おめでとう
[692]サブロー 08/10/31 11:23 l5JJTtRytM
やっちゃったね! ついに・・・
落ち着くまでもうしばらく時間が掛かるかも。
でも、お互い悩みながらもゆっくり行きましょう。
[693]ユビキタス 08/10/31 11:24 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>695-696
宝塔を堂々窓口で返納とのこと、おめでとうございます。
やはりおめでとうなんですよ。
これは終着点ではなく、新たな出発点になるのですから。
だからハッピーバースデイなんです。
これからこそが気持ちの上でも変化していくと思います。
まずは重い荷物をほどいてご苦労様でした。
何気に書いておられるが、あなたにとって大英断であったと高く評価します。
あなたは仏舎利信仰だけは細々と続けていきたいと書いてましたよね。
数日前に返納したその宝塔は仏舎利塔ということになっています。
しかし現実には仏舎利塔などではなく、単なる霊感商法のグッズです。
スリランカより仏舎利と呼ばれる物がアゴン宗に授けられましたが、スリランカに
あるうちは、それが釈尊の遺骨などでなくても仏舎利として尊崇される機能を
有していたでしょうが、アゴン宗に入ってからすっかり堕落してしまいました。
あなたの手元にあった宝塔は、そのスリランカ産の仏舎利とも関係ない単なる
鉄屑なんだから仏舎利を捨てたことにならない。
最初から仏舎利などなかったのです。
これからは○○屋さんの心の中で象徴たる仏舎利や仏塔や、それの志向するところの
釈尊の教えを尊べばよいことです。
頑張ってください。
お互いに未熟な同輩ですから対等の目線で応援します。
しかし批判は決して煩悩ではありませんよ。
悪いものは悪い、間違っているものは間違っていると正しく言えることが正しい道です。
他人から批判を受けることも貴重な機会なんです。
耳に痛くても感謝して受け止めることこそ知性です。
釈尊も口のうるさい爺さんだったようですし。
[694]○○屋 08/10/31 11:54 D-zHciV
批判するその言い方や、やり方に問題があるのです。退会したら名無し氏に堂々と口ぎたなく罵ってやれる、と思ったが、仏教的人生観や世界観を捨てたわけでもないので、そういうことができない自分に気が付いた。
[695]サブロー 08/10/31 12:14 l5JJTtRytM
七氏製菓のチョコボールの中身は実は美味しいのだが唐辛子が塗ってあり味わう前に吐き出してしまう。
唐辛子じゃなくチョコレートそのものを塗ればよいのにね。
[696]ユビキタス 08/10/31 12:19 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
釈尊が生きていて、「○○屋よ、今のおまえの態度はクレクレ厨でありくれない族と言わざるを得ない」
と手厳しく評価してくれたとする。
この時あなたはこの釈迦とかいう爺さんは、なんて攻撃煩悩に覆われているのだろう?
とあなたは考えるのか?
釈尊でなく仏弟子でもよい。名前の聞いたことのない仏弟子が。
実は誰が指摘してくれてもよいことなのだ。
後は受け止める側の問題です。
実社会では上司からうるさく説教されただけで、たとえその説教が正しくても
感情的に面白くなく辟易としてしまう。
こんな上司から逃れたいと願う。
しかしネットの掲示板は所詮お互いの顔も見えない仮装人格に過ぎない。
常に自分だけを主体としておればよい。
くれない族にならないコツです。
[697]如来の子孫 08/10/31 12:38 ZsBX9bFJxg
「疑」は根本煩悩ですね。その意味は、辞典の説明だけでは不十分
です。三結煩悩の「疑惑」などは、仏教の教えを疑うことと説明し
ていますし、五蓋の一つとしての「疑」の説明も、学者によって
それぞれです。だから生活をとおして自分なりに理解しないといけ
ません。ラシンさんのように、桐山・阿含を疑うのは、どう考えても
「疑」煩悩ですね。行き過ぎてます。

私が理解した「疑」と「不信」と「信」の違いを簡単に書きます。
「疑」はマイナス思考です、仮に数字で表すと−5とか−10とか
になります。
「不信」は、0ではないが、ゼロに近い思考です。
「信」は、プラス思考です、+5とか、+10です。

だから私の言う、「疑わないけど信じない」という姿勢は、ゼロに
近い心境です。敵でも味方でもない見方。
だが、「疑う」という姿勢では、マイナス思考なので初めから相手
を悪意で見がちになるのです。

不信の意味は、「信」のないことであって、疑というような、
積極的に疑うという意味はないのです。だから「疑」は根本煩悩なの
であって、「不信」は随煩悩なのです。
まぁ、言葉で正確には表現不可能です、本1冊書いても間に合いま
せん、それが疑と不信の違いです。
[698]ユビキタス 08/10/31 12:47 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
クレクレ厨、くれない族なんて属性に絶対性、永遠性などない。
それは指摘を受けて自覚したら、少し改めるように努力したら、簡単に脱せられます。
改善のできる批判は素晴らしきかな。
[699]如来の子孫 08/10/31 13:18 ZsBX9bFJxg
輪廻する葦、のお終いの方で管長は、「技法で解脱成仏するのではない」と書いてます。だから、超能力を求めて入行する信徒には、千座
行、便所掃除、ビラ配り、下足番を命じる、と書いてます。
この、「成仏法などの技法で成仏するのではない」という管長の言は
そのとおりであり、含蓄があると思います。
技法で成仏するのなら、釈迦だって技法だけ説けば良いのです。
ところがそうではない。

現世成仏の本では、「性格の欠点を自分で直していかないかぎり、
密教の行を修行しても、決して身につかない」と書いてます。
輪廻する葦は1982年の発行です。
現世成仏は1983年の発行です。
そういう肝心な教えを無視したのでは、修行は失敗するでしょう。

私は、健康面、経済面、仕事面、人間関係面(家族、職場、異性)
などに行き詰って入行したね。輪廻する葦には、因縁と煩悩の関係
が表になって出ていた。私の因縁もすぐに理解できたので、それを
形成する煩悩撲滅が私の目標になった。
最初は神仏など信じていないまま入行した。
修行で超人的力をつけて、生活苦を打開しようと考えたわけです。
だが、因縁と煩悩の関係を教えられて、超能力のことなど関心が薄
れてしまった。煩悩撲滅が第一になったのです。
そして次第に生活が楽になってきた。楽になってくると修行も手抜き
というか、サボりがちになるわけだ。こんなところで満足してては、いけん、とか、法恩謝徳の行をしないといけないなぁ、とは思うので
あるが・・。

ガンの因縁、ナントカの因縁など、阿含経に説いてあるか?
との批判もあるが、それには管長自身が本に書いてますよ。
1977年発行の「人間改造の原理と方法」の中に、ガンの星、
横変死の星、とか、因縁を星と表現してね。
「密教占星術」は、管長自身が開発編成したと書いてます。

             ※この三十九章はいつもの1024まで記事がありません。ご了承下さい。