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(終了済)阿含宗と桐山氏について―第三十八章― 仮設スレッド



  ※このPは記事1000〜1024(三十八章のラスト)までです。

[1000]○○屋 08/08/25 23:47 Congratulations
みなさん。ごきげんよう。さようなら。
[1001]ユビキタス 08/08/25 23:50 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
では俺は今一番非難される番号を。

1001
(仙一)

ワシが育てた♪ワシが育てた♪
[1002]済世活佛 08/08/25 23:53 u.Man62pCM
日本軍の遺骨収集のときに起こっていた
おそろしい霊現象の解決をおこなったときに
台湾の気功の大家がわたくしをそうよんだのです。
[
906]○○屋 08/08/24 10:46 IHmIp8ROPx
「済世活仏」って何かの思想があるんですか?

「世界を救うために活仏が現われる」とか・・・確か創価学会が「ムオン何とかの何とか仏」とかってありましたよね。あの類のものがあるのでしょうか
[1003]○○屋 08/08/25 23:57 IHmIp8ROPx
先生やっぱり切番狙ってた!!


爆笑もんだな・・・
[1004]済世活佛 08/08/26 00:05 u.Man62pCM
霊の障りを鎮めるエピソードは、
初期仏教に多くみられます。
[1005]バイオミン] 08/08/26 00:05 yTLVqVtQIC
( ゚∀゚)o彡°おっぱい!おっぱい!
[1006]済世活佛 08/08/26 00:14 u.Man62pCM
解脱については、
理屈云々より大徳善知識の御縁をいただき相対することから

samuccheda vimutta 正断解脱

vikkhambhana vimutta 鎮伏解脱

tad-anga vimutta 彼分解脱
[1007]ラシン 08/08/26 00:15 *uZs1KhDPLSb*pOufmEwQ1W
ユビキタスさんも○○屋さんも、新たな視点での議論は興味深いものです。
私の場合も、祟りを冷静に検証し理解しているつもりでも、正直何か、、
得体の知れない背筋が冷たく感じるようなことがあります。
落下して行く既体験のデジャブのような言い知れぬ恐怖感とか、、。
それは不安から来るのか、なぜ不安なのか?""無明"という不安でしょうか。
それはちょうど、照明が全く無い自分の部屋を手探りで歩くに似ている。
知っている部屋のレイアウトだが、椅子にぶつからぬか卓子の角に当らぬか、
床の段差に躓かぬかと、腰が引けるごとき無様な格好でしょう。
そこでお二人の懸念する祟りですが、一応その起因原点については>>949
私なりに確認しました。
それを平易に解釈すると、祟りを気にし、終には恐怖するそのもとは、
自分が為した業による(思と思の所作)不安的要素に起因します。
ではその業を作った元は何かといえば、煩悩です。

>起因となった煩悩と起こした行為と起こした行為による報いの症状とはそれぞれ
別なんです。

ユビキタスさんのこの指摘は、煩悩によって一度為された行為(カルマ)は消えない
という意味で、十二支縁起はその辿る様相を表し、苦の本際を説いています。
ですから、その応報は分けられて然るべきものです。
その応報 結果に驚愕するなら、それを誘引した煩悩を 今後作るべからず、
これが釈尊の煩悩を破断する考え方と解釈しています。
為したカルマは消えない、その応報 症状もその時の煩悩から生起したもので、
今、煩悩を滅尽したところで過去のカルマによる症状が治まることにはなりません。
これに倣うなら、過去の祟りというが如きその霊障という応報に対して、
なす術は無く、その取払う意義すら説いていない釈尊の教えを理解すべきです。
よってアゴン宗的スタンスは、ユビキタスさんの主張するものと同等ではない
と、理解する所以です。

[1008]済世活佛 08/08/26 00:21 u.Man62pCM
五つめの阿那含

uddhamsota akanittha-gamin 上流到阿迦尼咤天者

色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。

[1009]済世活佛 08/08/26 00:25 u.Man62pCM
初期仏教の
業・煩悩について間違っています。

[1007]ラシン 08/08/26 00:15 *uZs1KhDPLSb*pOufmEwQ1W
ユビキタスさんも○○屋さんも、新たな視点での議論は興味深いものです。
私の場合も、祟りを冷静に検証し理解しているつもりでも、正直何か、、
得体の知れない背筋が冷たく感じるようなことがあります。
落下して行く既体験のデジャブのような言い知れぬ恐怖感とか、、。
それは不安から来るのか、なぜ不安なのか?""無明"という不安でしょうか。
それはちょうど、照明が全く無い自分の部屋を手探りで歩くに似ている。
知っている部屋のレイアウトだが、椅子にぶつからぬか卓子の角に当らぬか、
床の段差に躓かぬかと、腰が引けるごとき無様な格好でしょう。
そこでお二人の懸念する祟りですが、一応その起因原点については>>949
私なりに確認しました。
それを平易に解釈すると、祟りを気にし、終には恐怖するそのもとは、
自分が為した業による(思と思の所作)不安的要素に起因します。
ではその業を作った元は何かといえば、煩悩です。

>起因となった煩悩と起こした行為と起こした行為による報いの症状とはそれぞれ
別なんです。

ユビキタスさんのこの指摘は、煩悩によって一度為された行為(カルマ)は消えない
という意味で、十二支縁起はその辿る様相を表し、苦の本際を説いています。
ですから、その応報は分けられて然るべきものです。
その応報 結果に驚愕するなら、それを誘引した煩悩を 今後作るべからず、
これが釈尊の煩悩を破断する考え方と解釈しています。
為したカルマは消えない、その応報 症状もその時の煩悩から生起したもので、
今、煩悩を滅尽したところで過去のカルマによる症状が治まることにはなりません。
これに倣うなら、過去の祟りというが如きその霊障という応報に対して、
なす術は無く、その取払う意義すら説いていない釈尊の教えを理解すべきです。
よってアゴン宗的スタンスは、ユビキタスさんの主張するものと同等ではない
と、理解する所以です。
[1010]孫 青柿 (あおがき) 08/08/26 01:11 7V0AQQCBA.
道場の仏舎利尊さまの前で瞑想したり祈念したらマラが元気になる人いませんか?
俗に言う気のせいなのか、マジ気が働いているのか(ばりばりくんみたいな)、退会する年はもう成仏力は信じれなくて信者の欲望の妄念が気として残ってて
それを服気して錬功するのだと人に話してました。

そういう行してるときって気配に敏感になります。
例の邪魔をしてくる先達が内陣に入ってしゃがんで掃除してたのですが、見えませんから、
知らずに行をやると、いきなりむかむかしました。
理由が分らず背中のプラナルートが詰まったのかと背中を左右にねじってストレッチしてもいらいらは消えず、
2chの樹意氏がいうようにあごんには悪霊がいるのか?または先日受けた他流派のヒーリングの気が仏舎利の気と反発してるのか?
とか色々考えましたが、もしや自分の嫌いな先達が内陣に入ってる?と思いずっと見てました。
すると1分後にやはりその人が立ち上がり姿が見えそうなんだと分りました。
その人が内陣から出るといらいらは無くなりました。

干柿さんは同様な気感がもっと敏感なので仏舎利からも凄い波動が出てると感じるのでしょう。
ゲイカの念力より信者の妄念とかが場に気として染み付いてるのかもしれません。
[1011]如来の子孫 08/08/26 14:03 o66xonrfEs
煩悩による悪業をなして諸々の苦を舐める、だから煩悩を断て、
というのが釈迦の教えです。管長は煩悩を断っても過去に為した
悪業・カルマは消えないから、それを善行で消して行け、そうすれば
解脱できると説いてます。それはそれとして、私の体験からいうと、
管長を、瞑想のグルと仰いで、真に帰依すれば、思念による相承が
可能であり、その場合は善行によらずして、一気に因縁・カルマを
断つことが可能だと思われます。これは管長が説いてることでは
なくて、私の体験上、感じたことです。

ラシンさん方には、その体験がないから、本などで得た知識に振り
回されて疑心になってるのだと思われます。本から得た知識は本物
ではありません。私も入行時には本から得た知識だけで、自分の
体験から得た宗教的知識はなかった、無知であった。
だが今は違います、自分の体験で得た宗教知識があります。
ところが、ラシンさん方は、未だに宗教的無知だと思えます、本(伝
聞含む)から得た知識ではなく、自身の体験知識がないという意味
です。私にはそう思えます。

迷える現職信者さん方にも、一考願いたいと思います。
[1012]○○屋 08/08/26 16:47 D-PzblC
カルマというのは、人を殺したから横変死の因縁が出来て横変死する、と言うものではない。すべてのカルマは『揺らぎ』とでもいう状態にあり変化する。釈尊がコップの水が溢れるまでは悪業の報いは受けないと説いていることからもわかる。

だから『○○の因縁』はないのです。揺らぎを固定しないと運命は確定しないからです。カルマの本質は変化だから『傾向』は捉えることができるが固定した事象は結果でしか捉えることは出来ない。運命も『傾向』を捉えることはできるのですが『○○の因縁』のような固定した要素で運命は判断できないしすべきではない。


そこで、だ。では、お釈迦さまは、何から解脱したのかとの疑問が残る。

釈尊が見た宿明智と天眼智は解脱しない人びとの転生の様を見たが、解脱したものは過去世も消えるのです。
解脱したものは『揺らいでいる運命』に一喜一憂しない魂とでも言うものを得る。

仮に阿含宗でいう『地獄界の因縁』である『横変死の因縁』が出たときは、魂の状態が地獄をさ迷っている。『餓鬼界の因縁』が出たときは魂の状態が餓鬼界をさまよい、気が付いたら歌舞伎町のヘルスに横たわっていた、ユビキタスさんの経験からもわかる。


解脱したものは『地獄界の因縁』が出ても魂の状態はガラスを張った水面のように静まりかえり、カルマの変化の影響を受けないのである。
[1013]済世活佛 08/08/26 22:48 u.ManxLM.G
解脱については、
理屈云々より大徳善知識の御縁をいただき相対することから

samuccheda vimutta 正断解脱

vikkhambhana vimutta 鎮伏解脱

tad-anga vimutta 彼分解脱

五つめの阿那含

uddhamsota akanittha-gamin 上流到阿迦尼咤天者

色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。

[1014]済世活佛 08/08/26 22:49 u.ManxLM.G
間違っています

[1012]○○屋 08/08/26 16:47 D-PzblC
カルマというのは、人を殺したから横変死の因縁が出来て横変死する、と言うものではない。すべてのカルマは『揺らぎ』とでもいう状態にあり変化する。釈尊がコップの水が溢れるまでは悪業の報いは受けないと説いていることからもわかる。

だから『○○の因縁』はないのです。揺らぎを固定しないと運命は確定しないからです。カルマの本質は変化だから『傾向』は捉えることができるが固定した事象は結果でしか捉えることは出来ない。運命も『傾向』を捉えることはできるのですが『○○の因縁』のような固定した要素で運命は判断できないしすべきではない。


そこで、だ。では、お釈迦さまは、何から解脱したのかとの疑問が残る。

釈尊が見た宿明智と天眼智は解脱しない人びとの転生の様を見たが、解脱したものは過去世も消えるのです。
解脱したものは『揺らいでいる運命』に一喜一憂しない魂とでも言うものを得る。

仮に阿含宗でいう『地獄界の因縁』である『横変死の因縁』が出たときは、魂の状態が地獄をさ迷っている。『餓鬼界の因縁』が出たときは魂の状態が餓鬼界をさまよい、気が付いたら歌舞伎町のヘルスに横たわっていた、ユビキタスさんの経験からもわかる。
[1015]ユビキタス 08/08/26 22:50 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>1011
後半の思念だけで楽チン解脱の子孫教は無視しますので勝手にやっていて下さい。
どうせ信者さんもマトモに相手しませんから。
善行によって悪業を帳消しにするなんて考えは釈尊の仏教にありません。
善行は説きます。そして善行によりよい果報が得られる善因楽果を説く。
悪因苦果に対して。
しかし善因楽果は善因楽果、悪因苦果は悪因苦果であり、善行で以て悪業を帳消し
相殺するなんて都合のよい話は釈尊は説きません。
やはり悪業を為したならその報いは受けるのが当然です。
善行の良い報いも受けると同時に悪い報いから逃れることはできない。
現世の不遇な境遇が前世に積んだ悪業の報いと言うのならばそれは受けるしかない。
しかしくよくよしてはならない。
今これからだけは清らかに正しく生きることを誓って善行を行う。
だから今の境遇など不問なのです。意に介さない。
それよりも常にこの一瞬において精一杯に清らかに生きる。
果報すらも求めない。未来にも期待しない。
こういう心の平安を得るわけですね。貧乏だろうが病弱だろうが。
まあ子孫さんの好みに合わないだろうが仕方がない。
釈尊の仏教とはそういう道なんだから。
[1016]済世活佛 08/08/26 22:50 u.ManxLM.G
間違っています

[1010]孫 青柿 (あおがき) 08/08/26 01:11 7V0AQQCBA.
道場の仏舎利尊さまの前で瞑想したり祈念したらマラが元気になる人いませんか?
俗に言う気のせいなのか、マジ気が働いているのか(ばりばりくんみたいな)、退会する年はもう成仏力は信じれなくて信者の欲望の妄念が気として残ってて
それを服気して錬功するのだと人に話してました。

そういう行してるときって気配に敏感になります。
例の邪魔をしてくる先達が内陣に入ってしゃがんで掃除してたのですが、見えませんから、
知らずに行をやると、いきなりむかむかしました。
理由が分らず背中のプラナルートが詰まったのかと背中を左右にねじってストレッチしてもいらいらは消えず、
2chの樹意氏がいうようにあごんには悪霊がいるのか?または先日受けた他流派のヒーリングの気が仏舎利の気と反発してるのか?
とか色々考えましたが、もしや自分の嫌いな先達が内陣に入ってる?と思いずっと見てました。
すると1分後にやはりその人が立ち上がり姿が見えそうなんだと分りました。
その人が内陣から出るといらいらは無くなりました。

干柿さんは同様な気感がもっと敏感なので仏舎利からも凄い波動が出てると感じるのでしょう。
ゲイカの念力より信者の妄念とかが場に気として染み付いてるのかもしれません。
[1017]ユビキタス 08/08/26 22:52 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>1012
言いたいことがよくわからん。
歌舞伎町のユビキタスはどうでもよいが。
[1018]済世活佛 08/08/26 22:52 u.ManxLM.G

仏舎利には結界があり

影響をあたえている存在は執金剛神
[1019]済世活佛 08/08/26 22:54 u.ManxLM.G
もろもろの法は原因から生じる。
如来はそれらの原因を説きたもうた。
それらの止滅をも説かれる。
仏陀はこのように説く人である。


比丘たちよ。
あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は業論者、業果論者、精進論者であった

比丘たちよ。
そのように
諸行無常ゆえ涅槃の法があり精進すべき道がある。

[1020]済世活佛 08/08/26 22:57 u.ManxLM.G
釈尊の
切り開いたのは、
「識をこえた」存在するさとりの領域。

その到達プロセスとしての生天。
初期経典

釈尊のおしえ

「色究竟天を越える
識を越える」

最後は涅槃であるが涅槃故書いてありません

むしきかい
無色界


四天
非想非非想処 ひそうひひそうしょ ここが有頂天です。
無所有処 むしょうしょ
識無辺処 しきむへんしょ
空無辺処 くうむへんしょ
しきかい


色界


第四禅天
色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。
色究竟天を有頂天とする場合もあります。
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
広果天 こうかてん
福生天 ふくしょうてん
無雲天 むうんてん
第三禅天
遍浄天 へんじょうてん
無量浄天 むりょうじょうてん
少浄天 しょうじょうてん
第二禅天
極光浄天 ごくこうじょうてん
無量光天 むりょうこうてん
少光天 しょうこうてん
初禅天
大梵天 だいぼんてん
梵輔天 ぼんほてん
梵衆天 ぼんしゅてん


[1021]済世活佛 08/08/26 23:01 u.ManxLM.G
犯してしまった仏塔壊した悪業から
逃れられない受けるしかない地獄が待っています。

無茶苦茶な呆れた間違い

[976]ユビキタス 08/08/25 23:09 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>973
原因と結果を混同しちゃいかんよ。
それから時間の非可逆性も無視しちゃいかん。
煩悩が原因で悪業を犯した。
悪業の報いで不遇を得た。
その不遇はそれ自体煩悩ではない。
果報です。
煩悩をなくして悪業をなくせば悪い果報はない。
しかしそれは後の話なんですね。
犯してしまった悪業の報いは受けるしかないっしょ。
[981]ユビキタス 08/08/25 23:16 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
まああのムーンストーンの宝塔なんて動物霊並みに祟る力もなかった証明だと
安心すればいいと思うよ。
[1022]済世活佛 08/08/26 23:06 u.ManxLM.G
仏塔として条件がつけられたら
仏塔なのです。


無愧
無慚


[981]ユビキタス 08/08/25 23:16 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
まああのムーンストーンの宝塔なんて動物霊並みに祟る力もなかった証明だと
安心すればいいと思うよ。
[1023]済世活佛 08/08/26 23:07 u.ManxLM.G
桐山氏から解放されるということは

ありません。

誓いは永遠です。
[1024]ユビキタス 08/08/26 23:09 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
ヤクザに殺されませんように。(^人^)
  ※三十八章ここまで。
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