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(終了済)阿含宗と桐山氏について―第三十六章― 闇に舞い降りた天才!?



   ※このPは記事800〜899までです。

[800]済世活佛 08/06/20 00:39 BrNxvmv7V2



 ーーーが乗る動物たち

たくさんの人数で一人
[801]済世活佛 08/06/20 00:40 BrNxvmv7V2
のろいのさほうをし
魔の滋養になっている存在です。


[798]桐止めハルオ 08/06/20 00:36 nkVDwoeP2C
>>790
栗花活佛、敗れたり!
青柿くんに、またまた見事に見抜かれたね! フフッ

関西系関西系、ダイナマイト関西!
[799]桐止めハルオ 08/06/20 00:37 nkVDwoeP2C

中枢に

   桐山老人とWダ女狐婆がいます
[802]済世活佛 08/06/20 00:41 BrNxvmv7V2
うそをつくそんざいなのです


[798]桐止めハルオ 08/06/20 00:36 nkVDwoeP2C
>>790
栗花活佛、敗れたり!
青柿くんに、またまた見事に見抜かれたね! フフッ

関西系関西系、ダイナマイト関西!
[799]桐止めハルオ 08/06/20 00:37 nkVDwoeP2C

中枢に

   桐山老人とWダ女狐婆がいます
[803]済世活佛 08/06/20 00:45 BrNxvmv7V2


確かに、未来には、種々の僧伽が現れよう。
しかし、それでも、
僧伽の布施には果報がある。
[804]ユビキタス 08/06/20 00:45 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
ウルトラ警備隊
キリヤマカオル隊長
栗花 馨

そうか!そうだったのか?
∞(眼鏡)以来の発見だ!
[805]バイオミン] 08/06/20 00:47 2OFgtsAkD.
>>797
阿含の霊的本体がシヴァとか伊舎那天とか大自在天なんだから、密教で
いうところのビナヤキャ、大力の諸魔、外金剛部の魑魅魍魎以下のヒエ
ラルキーが干渉してくるのは避けられないところだと。所謂霊的893屋
さんですな。なるほど。

桐山さん自体が生麦の拝み屋さん上がりだから、自ずとそうなるでしょう。

水は高きから低きに流れるのが、自然の法則です。
[806]済世活佛 08/06/20 00:49 BrNxvmv7V2
仏陀の妙相である
左右の眉の真ん中にある
一束の巻き毛が輝き、
何千万という世界を明るく照らす。
太陽や月が光を失うことがあっても、
衆生は光を獲得した

言語での表現を断たれたある領域
思索によって成立しないある領域
ある領域は存在するのである。
不壊の領域は存在するのである

創造のおこることのない領域、高次元で無矛盾となる領域よりさらに表現不可能な領域です。
それゆえ
牟尼 沈黙の聖なる覚者
なのです。

言語での表現を断たれたある領域
思索によって成立しないある領域
ある領域は存在するのである。
不壊の領域は存在するのである。

既に生じた善と悪を受けず
生じる善も悪も破壊し

創造のおこることのない領域を

目覚めた人が示したら(物質的存在の領域・
物質的存在のない領域を超え伝達、聖者の現前から直接流光)

身の毛のよだつ、未曾有の、畏怖があるのです。

物質的存在の領域より
物質的存在のない領域はすぐれ、
それより消滅、
すなわちさとりの領域はすぐれている・・・・
[807]たまに顔だす干柿 08/06/20 00:51 MRRhS0oc4v
>>726
ハァ?
その結界の中で修行しましたけど・・・。
ありゃいわば体育会系のノリですな。
力を合わせてひとつの行事をおこなう
しかも聖なる行事として、そりそれでええですよ。
それ事体そのこと事体に文句などいっていないですよ。
過去スレのオレの意見みてみ
行事に関してはほめたたえているから

でも、日常にもどればなんとやらでしょう
しかも結界の中で修行するにはまたまた資格がいるという
毎年かかさずン千本の護摩木を勧進しなけりゃならず、しかも
先達とか称する人の推薦が要るのです。
いわば金とコネの世界ですな
そのような醜い一面もあるのですよ。
たかが星まつりだけのコスプレ山伏のくせに
山岳修行してる奴がどれだけいるっていうのか
ちゅーことですね。

ようするに修行と称するものは勧進供養とお導き
それは教団の利害に直接かかわるモノそれだけしかないのです。
そしてそれだけでリーダーになって人を指導したりするから
始末が悪い!
非常に醜い
星まつりの修行ときとは雲泥の差です。
そしてそれが阿含宗の中心となっている。
星まつりなどは華やかで外面の良い一面でしかないのですよ。

[808]済世活佛 08/06/20 00:53 BrNxvmv7V2

魔の滋養の仕組み

悪口
[809]たまに顔だす干柿 08/06/20 00:58 MRRhS0oc4v
だいたいユビさんにしても慈恵会の会員だったこともあり
古い事情を知る人でもあるし、
桐止さんに至ってはもうン十年もゲイカの側近を勤め上げた人ですし
あんましナメて反論しないほうがいいですよ子孫さん。
[810]バイオミン] 08/06/20 01:02 2OFgtsAkD.
>>807
>>山岳修行してる奴がどれだけいるっていうのか

真如苑あたりの同じようなもんですよ。「醍醐本山で真如苑のお堂が
建ったんですよ、世間では新興宗教視されているけど、本当は伝統仏教
からも認められているんですよ。」とか真如教徒さんは言うけど、本人
は実際に醍醐山に行ったことがないという。行って真如苑からの金の流
れを自分の目で見ればいいと僕は言っているんだが。

因みに真如苑の智流学院入ってもまともな加行は出来ないそうです。
2ちゃん宗教板の真如苑スレと、知り合いの真如教徒さんからの情報です。

まぁ…そういうもんです。
[811]たまに顔だす干柿 08/06/20 01:03 MRRhS0oc4v
>>808
見て見ぬふりをして絶賛する

これこそ悪魔の強壮剤w
[812]たまに顔だす干柿 08/06/20 01:11 MRRhS0oc4v
>>810
阿含専修学院では加行と作法だけしか伝授してないみたいです。
まあ、坊さんになるための学院ですが
そも、それじゃ真言宗とかわらんでしょ、しかも異端なだけに
始末が悪いというかいやはや・・・w

真如苑信者の伝統仏教に認められているという自慢もよくわかりませんね?
つまりは伝統仏教のほうが上だと認めているわけでしょ
そんだったら真如苑などにいないで醍醐寺にいって先達にでもついて
本格的な山伏修行なりしたらいいのにねw。
[813]バイオミン] 08/06/20 01:24 2OFgtsAkD.
>>812
友人の真如教徒に言わせると、外部に対しては伝統伝統言うけど本当は
あんまり重視されていなくて、接心と霊位向上がメインだそうです。

>そんだったら真如苑などにいないで醍醐寺にいって先達にでもついて
本格的な山伏修行なりしたらいいのにねw。

真如苑スレの擁護派で苑の坊さん「かんまん」氏は高野山に転派すると
か書いてましたね。だいたいが智流学院で三年間習うことと言ったら
「伊藤家の歴史」だそうです。伝統だから全てが正しいとは言いません
が、やはりちゃんとした修行がしたかったらこなれていない新興系より
は…ということでしょう。

まぁ、干し柿さん。今は「火の呼吸」だったら本も出てるし、小山さん
系統なら宗教色も無いし、そういうところで実践していくのもありですよ。
[814]ユビキタス 08/06/20 08:16 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>807で干柿さんが書いているとおりですね。子孫さん。
あなただって長い信徒歴はあろうが、あなたと干柿さんや他の現役信者、元信者
とは経験に差があるのですよ。見聞に差がある。
昨年入信したばかりの新入行者よりも劣るでしょうね。
経験のない者には語れないのですね。
あなたのような人には修行会員ではなく、信徒会員が似合っているでしょう。
宝塔は貰えないが、お守りなどは所持できて護摩木も買える。
ただし修行会員の修行には口出しできないわけです。
在家が出家の修行にケチをつけられないように。
普通の会員と同じようにまず道場の梵行に定期的継続的に参加して星まつり修行
にも参加して、現実を見聞することが大切ですね。
知りもしないで勝手なことを書いても、元信者以前に現役信者さんが納得しないのです。
[815]ユビキタス 08/06/20 08:32 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
釈尊の阿含仏教に近いことを勉強したり信仰したり修行したりしたい人は
間違ってもアゴン宗にいてはならない。逆の道です。
釈尊の道でなくてもよいから密教でもよいという人もアゴン宗にいては仕方ない。
伝統の真言宗とかよそに行った方がよい。
ただ念力の護摩なんて最初から無いものは焚けませんよ。
桐山オカルトを密教に求めるのも筋違いでしょう。
ヨーガとか気功を訓練したい人もアゴン宗にいても何も得られません。
これもよそに行った方がよい。
アゴン宗にこだわりたい人は教団の言うこと、桐山さんの言うことに従うことですね。
我流を説くなら自ら教祖にでもなって子孫教でもジミズ教でもペテン大作教でも
開くことです。
[816]ラシン 08/06/20 10:07 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>814>815

舌鋒鋭く指摘しているユビキタスさんの内容は事実です。
過去にもこれを指摘され、自問しても反論を導き出せなかった。
それほどアゴン宗にはまったく本物がない。
密教にしろ、阿含経解釈、釈尊の修行、ヨーガ、
どれを取っても桐山我流を信者に押し付けて金にしている。
子孫さんの因縁が薄れたことにケチはつけないが、
それは桐山アゴンのおかげではなく、子孫さん自身の努力と成果です。
借金だらけの自己破損状態の者が他人の困窮を救えないように、
桐山さんの因縁切りは、自身も奥さんも救えていません。
そんな自己救済もままならない人が、信者さんの因縁透視をして
救済できる力があると、判断するのは無理がありすぎる。
もし因縁が切れるものだとしたら、
生命の根源的なる死を切れなければならない。
生命あるこの世の一切の持つ死と言う因縁など解決できない。
だから、因縁解脱なんてまやかしにすぎないのです。
しかし、アゴン教団は子孫さんにとっては居心地がよいのだろうね。
[817]・・・ 08/06/20 10:21 qs9jZozRMR
因縁解脱した人は死の因縁も切ることが出来る??
・・・無理でしょう。
釈尊は死んだ訳だから因縁が切れてないことになるもんね?!
でも釈尊は解脱者ですよ。
因縁解脱なんてやっぱり空想の産物でしかないのかな。
桐山さんもそのうち死を迎えるでしょう。
[818]済世活佛 08/06/20 10:44 Ty9NDKWYyg
魔の滋養となっている存在

[814]ユビキタス 08/06/20 08:16 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>807で干柿さんが書いているとおりですね。子孫さん。
あなただって長い信徒歴はあろうが、あなたと干柿さんや他の現役信者、元信者
とは経験に差があるのですよ。見聞に差がある。
昨年入信したばかりの新入行者よりも劣るでしょうね。
経験のない者には語れないのですね。
あなたのような人には修行会員ではなく、信徒会員が似合っているでしょう。
宝塔は貰えないが、お守りなどは所持できて護摩木も買える。
ただし修行会員の修行には口出しできないわけです。
在家が出家の修行にケチをつけられないように。
普通の会員と同じようにまず道場の梵行に定期的継続的に参加して星まつり修行
にも参加して、現実を見聞することが大切ですね。
知りもしないで勝手なことを書いても、元信者以前に現役信者さんが納得しないのです。
[819]済世活佛 08/06/20 10:46 Ty9NDKWYyg
阿含仏教といってしまうのは魔の滋養だからなのです。

[815]ユビキタス 08/06/20 08:32 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
釈尊の阿含仏教に近いことを勉強したり信仰したり修行したりしたい人は
間違ってもアゴン宗にいてはならない。逆の道です。
釈尊の道でなくてもよいから密教でもよいという人もアゴン宗にいては仕方ない。
伝統の真言宗とかよそに行った方がよい。
ただ念力の護摩なんて最初から無いものは焚けませんよ。
桐山オカルトを密教に求めるのも筋違いでしょう。
ヨーガとか気功を訓練したい人もアゴン宗にいても何も得られません。
これもよそに行った方がよい。
アゴン宗にこだわりたい人は教団の言うこと、桐山さんの言うことに従うことですね。
我流を説くなら自ら教祖にでもなって子孫教でもジミズ教でもペテン大作教でも
開くことです。
[820]如来の子孫 08/06/20 10:53 Bj.cdF2kI0
阿含宗が居心地よい、とも言えませんよ、それは、ラシンさん。
簡単な勤行一つとっても、あるとないとじゃ大違い、なければ楽なの
です。どんなに簡単な修行でも、ないのよりは苦しいですよ。
私は、確かに因縁が薄れた自覚があります。
それが、桐山教法の成果であるかないか、確かめることはできません
ね。まさか、入行時まで時間戻して、入行しない場合を実験するわけ
には行きませんからね。私には桐山教法の成果だという確信がありま
す。因縁が出た状態と、それが修行で薄れていく状態を知っているの
は私だけですからね。ユビ元くんなどは想像で言うにすぎない、甚だ
しい時はウソだとまでいう。ほんにおバカさんです。
あんな幼稚な理論をなんで舌鋒するどいなんて思うのか?
私には理解できません。
[821]済世活佛 08/06/20 11:02 Ty9NDKWYyg
霊査

桐山氏本人が、勘違いをしている信者にたいしてうんざりするくらいの失望がある。

オウムの件が転機となり、
悪の芽を刈り取るコアから
善も悪もすてさるコアになってしまったのです。
まずすぐに根源を消去する機能にスイッチがきりかわった。
因縁を切るとかいう表現は、究極の四無量心の存在の力を
関係に影響力を与え続け悪の芽を刈り取ることをいっていただけなのです。
それゆえ、すべて表面のでてくるわけではないが、
芽をだしてくる状態になったのです。すべてを即すてさるコアの働きが全体を左右する状態です。
方程式が変わったことにたとえられます。

[822]済世活佛 08/06/20 11:07 Ty9NDKWYyg
個ではなく血族ではなく

群れの因縁として芽がでて

ダメージを滋養されるのです。

捧げもの 供養 が部分的に適切ではなくなり機能していないとき、

おきます。

存在の内部で滋養されてしまいます。

そして、斜めに切られます。

べつべつにふりわけておきたのは
清らかな石佛に守られている存在だからです。
[823]如来の子孫 08/06/20 11:15 Bj.cdF2kI0
阿含専修学院では加行と作法を教えるだけですか?
私はそれでいいと思いますよ。
あとは自分で行法をみがくのです、それでいいのです。
要諦は、変身の原理、密教超能力の秘密、チャンネルをまわせ、に
書いてありますから、自分で研鑽すればいいのです。
だが、読んでも簡単には理解できないでしょう。
例えば、念は時空を超える、つまり、祖先の怨念は時空を超えて子孫
に影響を与える、という理屈を、管長は高度な物理学まで引用して
解説しています。簡単には理解できないでしょう。
アインシュタインの相対性理論が理解できないのと同じようなもので
す。光速で進むと物体が縮むとか時間が遅くなるとか、それを理解
するのは難しいですからね。

チャンネルをまわせ、には、テレパシー能力についても書いてあり
ます。導師としては最低条件、持たねばならない能力だとね。
人によってはたわごとだと思うでしょう。
仏界と、霊界と、幽界と、人間界と、この四つの世界と、それぞれ
テレパシーを交わせる能力が必要だと説いています。
私には、一つの世界とは、交わせますから、管長が説くことを信じ
られます。なんの能力もないユビ元くんなどは、インチキだと言う
ことでしょう、フフフ。干柿さんはどう思いますかね。
[824]如来の子孫 08/06/20 11:21 Bj.cdF2kI0
前に、私は在家修行者はアナゴンまでしか行けないから、出家僧には
かなわない、とレスしました。しかし、間違いですね。
釈迦は、在家はアナゴンまでしか行けないとか、そんなこと説いて
いません。アナゴンを得たものが500人以上居る、と出家経に説い
て、いるのであって、それが限界だとは説いていません。
その後に、在家のままアラカンを得た者があるかも知れない。
だとすれば、管長がアラカン果を獲ても不思議はありませんね。
[825]孫 青柿 (あおがき) 08/06/20 11:33 ZdNFhOauWK
栗花がどんなに荒してもダメなようなきがする。子孫さんの>>823とか面白すぎてさw
もう違う人に代わって別のスレの担当をやったほうがいいよ。
[826]空蝉 08/06/20 11:38 *DHVey0PJiea*gVA2G6UPA5
>>820 如来の子孫 08/06/20 10:53 Bj.cdF2kI0
>それが、桐山教法の成果であるかないか、確かめることはできませんね。

ここの部分は何度も話題にしてきていますが、子孫さんが主張している
「桐山教法」はアゴン宗で会員に教えている教法ではなく、「アゴン教
法を我流にアレンジした子孫教法」としか評価できない。アゴン宗で聞
いてきたことをアゴン宗や桐山ゲイカの意向など無視し、子孫さんがい
いとこ取りしているのではないですか。

子孫さんの場合「子孫教」のキッカケがアゴン宗だというわけで、アゴ
ン宗が叩かれると自分の存在を否定されているように感じて防御反応の
一つとして罵倒句を重ねるということなのでしょう。
[827]如来の子孫 08/06/20 11:39 Bj.cdF2kI0
干柿さんに答えますがね、桐止くんやユビ元くんの知識や見聞につ
いてね、別になめるつもりはないけど、彼らには行が進まない、
決定的な欠点があるのです。それは邪心、卑しさ、です。
桐山氏を貶めるためなら、多少、卑劣な手を使ってでも、嘘ついて
でも貶めてやる、という気持ちが読み取れます。
私のように、嘘をつかない修行を長く続けると、相手の気持ちを読
み取る能力が自然に身につきます。嘘言うな、は十善戒の一つでも
ありますね。

釈迦の説く、衣を着たから出家なのではない、択鉢するから出家なの
ではない、経を唱えるから出家なのではない、外見を出家に整えた
からといって出家なのではない、という意味は、
ここにあります。
肝心なことです。同じことが言えます。

護摩木勧進したから修行なのではない。出仕修行したから修行なの
ではない。布施供養したから梵行なのではない。
そういうことですね。
私は威張って言うわけではありません。私以上に沢山の修行をして
いながら、どうにも成果の乏しい信徒がいるようです。
私は、修行が足りなく見えるらしいが、それなりの成果はあります。
[828]空蝉 08/06/20 11:51 *DHVey0PJiea*gVA2G6UPA5
>>823 如来の子孫 08/06/20 11:15 Bj.cdF2kI0
>アインシュタインの相対性理論が理解できないのと同じようなもので
>す。光速で進むと物体が縮むとか時間が遅くなるとか、それを理解
>するのは難しいですからね。

この部分が子孫さんの「自分に都合のよいところだけいいとこどりをす
る」という性格をよく表わしている。

アインシュタインの特殊相対論では「光速で進むと物体が縮む」という
言い方そのものが光速度不変の法則に反している。ローレンツ収縮や
同時刻の相対性という現象を説明するために光速度不変の法則を導入し
たのが特殊相対論の肝心なところなのに、子孫さんは光速度不変の法則
を理解していない。

これは桐山ゲイカが得度していないのに伝法を受けるというのと同じ構
造で自分にたいする甘えです。高校を卒業していないのに名誉教授の肩
書きを欲しがるようなものです。
[829]済世活佛 08/06/20 11:57 Ty9NDKWYyg
魔に根をはられ滋養されている存在は
このように決まった反応をします。

[825]孫 青柿 (あおがき) 08/06/20 11:33 ZdNFhOauWK
栗花がどんなに荒してもダメなようなきがする。子孫さんの>>823とか白すぎてさw
もう違う人に代わって別のスレの担当をやったほうがいいよ。
[830]済世活佛 08/06/20 11:59 Ty9NDKWYyg
自灯明の自の部分に魔が伸ばした根が到達し

滋養されます。
[831]済世活佛 08/06/20 12:06 Ty9NDKWYyg
牧師さんにエクソシストの際
悪魔がはなす言葉

牧師同士 牧師たちと家族

家族への悪魔のことば

わかりやすい魔の反応です。

[825]孫 青柿 (あおがき) 08/06/20 11:33 ZdNFhOauWK
栗花がどんなに荒してもダメなようなきがする。子孫さんの>>823とか白すぎてさw
もう違う人に代わって別のスレの担当をやったほうがいいよ。

[832]済世活佛 08/06/20 12:12 Ty9NDKWYyg
秋葉での痛ましい事件へのユビキタスの卑しい反応
魔の滋養となっている卑劣な存在のわかりやすい反応です。
次にするユビキタスの反応もパターンが決まっています。
>それは邪心、卑しさ、です。
>桐山氏を貶めるためなら、多少、卑劣な手を使ってでも、嘘ついて
>でも貶めてやる、という気持ちが読み取れます
[833]ラシン 08/06/20 12:14 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>824それが限界だとは説いていません。
その後に、在家のままアラカンを得た者があるかも知れない。
だとすれば、管長がアラカン果を獲ても不思議はありませんね。

ユビキタスさんの指摘を想像だと非難しながら、
子孫さんのほうが、危ない妄想になっています。
どうしても桐山さんを信じたいゆえに、逆論に嵌ってよしとしている。
子孫さんの逆法にならって私も質問します。
もし、五下分結を果たした在家アナゴンなら出家したくてその気持ちを
押さえられなくなる。
今までの場所が溜めつぼの糞尿だらけだと気づいたら、
子孫さんなら、もう一度戻りますか?
清浄なる棲家に行きたくて押さえられないはずのセイジャ桐山さんが、
どうして肩書きにこだわり、飽くなき名誉欲を発揮するのか?
セイジャならどうして食欲の美味を制御できずに、糖尿病から脳梗塞をわずらう
病気が発生したのか?
これは貪欲という、貪りの煩悩によるものです。
つまり俗界に属する五つの煩悩が切れていない証拠です。
一つでも切れていなければ、色界無色界の五上分結など
果たせようがありません。
在家のまま阿羅漢果を得ることが出来るなら、
釈尊が出家を奨めるわけがない。
子孫さんの主張は なんとか可能性を見出そうとして、
石が流れて木の葉が沈む喩えになっている。
[834]ラシン 08/06/20 12:29 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>827釈迦の説く、衣を着たから出家なのではない、択鉢するから出家なの
ではない、経を唱えるから出家なのではない、外見を出家に整えた
からといって出家なのではない、という意味は、

これがまさに桐山さん本人と教団の姿と気づいたから、
批判側は、桐山アゴン宗を見限ったのですよ。
子孫さんの上記指摘文は正しいが不足です。
自分の主張したいように使いまわしている。
要約すれば、
体裁を整えても煩悩を抑制していない者は私の弟子とは
言えない、と釈尊は警鐘しているのです。
緋色の法衣を着て名誉アジャリで身を整えても、
子孫さんの指摘する批判側は
煩悩を制御できず、糖尿病から脳梗塞を発症した俗人だ
と気づいたから、そんなところでの修行は成果をもたらさず、と
アゴン宗を去ったのです。
[835]桐止めハルオ 08/06/20 12:40 LQgJ9cKahz
>>823
この如来の子孫=仕損じさんって、池田ジミズさんですか?
「変身の原理」だとか「チャンネルをまわせ」とか
いうことが古いんだよ。
「あとは自分で行法をみがく?」ってなにをいっているのこの人?
仕損じは、テレパシーができちゃうから、それで桐山説が
正しいと信じてるんだ。それならアンタは公開の場で証明する
必要がありますね。
如来の子孫さん、スレだからって、いい加減なことをいっちゃ
いけませんよ。
そのテレパシーとやらは、どの世界と交信できるんだよ。
さあ、答えなさいよ。
[836]逆転無罪 08/06/20 12:53 D-PzblC
いや〜、ラシンさんや空蝉さんやユビさんから、よってたかって攻撃受ける子孫さんを見ていると、幕内力士と『対等』に戦っていると勘違いしている新弟子みたいですね。


阿含宗も折角『仏舎利信仰』しているんだから、そこの部分を大切にして、静かな祈りのアシュラムを提供すればよいのにね。既存の伝統仏教に対して、それだけで対抗できると思いますけどね。


次の世代の弟子を育てる気がないんだから、えらいこと本に書いたり法話したりしないでさ。
[837]ラシン 08/06/20 13:01 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>827護摩木勧進したから修行なのではない。出仕修行したから修行なの
ではない。布施供養したから梵行なのではない。
そういうことですね。
私は威張って言うわけではありません。

とうとう子孫さんは自己矛盾に陥ったようです。
だが、子孫さん的には矛盾とは考えない。
上記主張するなら、子孫さんはアゴン宗信者として落第、落伍者です。
それは常日頃、批判側がアゴン宗の修行の間違いを指摘したと同じ。
子孫さんは、いつから批判側に身を投じたのですか?
ここまでくれば立派な批判者なのにしかし、
未だに桐山さんの法力は手放したくないのが本音ですね。
つまり子孫さんは、自分にとって都合のよい認識でそれが修行だと
思いたい。
だから阿含経解釈も切り貼り、戒律を含めた梵行などしたくないから
それも都合で切り貼り、欲しいのは簡単に因縁切りできるチョウノウリョクだけ。
それに執着してアゴン宗にブラ下っている。
だから、道場などへは滅多に行かない。
[838]ユビキタス 08/06/20 13:06 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>823
今日は時間もあまりないので、1つだけ突っ込んでみますかね。
専修学院で加行とか行法次第を伝授されるだけだが、霊能の部分は著書にいろいろ
書いてあるから自分で研鑽すればよいのだそうです。
干柿さんも他の信者さんも子孫先達の仰ることで納得いただけたでしょうか?
そこで子孫先達に質問なんだが・・・
あなたは子どもの頃少し霊感が鋭くいろいろと言い当てることがあったとのこと。
一種の霊視能力みたいなものなんだそうです。
F田さんのようなボンクラと違って子孫さんは霊的な素質があった!
しかし今はその霊視能力がほとんど失われているとのこと。
どうしてだろう?
霊的素質のある人がアゴン宗に入信し、辛い勤行もなんとか修行してきたのである。
パワーアップしてもよさそうなものである。
どうして霊的素質が高まらないばかりか、パワーダウンしてほとんどなくなって
しまうのか?
[839]ユビキタス 08/06/20 13:08 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>835
ジミズさんは桐山先生と書くので、違う人物でしょう。
[840]空蝉 08/06/20 13:16 *DHVey0PJiea*gVA2G6UPA5
>>830 済世活佛 08/06/20 11:59 Ty9NDKWYyg
>自灯明の自の部分に魔が伸ばした根が到達し
>滋養されます。

最近のトレンドは「滋養される」ですか。ユビキタスさんや青柿さんか
ら吸い取った「滋養」はどこに行っているのでしょう?

とまあ冗談はさておき、このフレーズはそんなに的外れなものではない
と思いますよ。「魔」を「アゴン宗(もしくは桐山ゲイカ)」と解釈す
ば。実際桐山ゲイカは「滋養」されすぎて生活習慣病にかかり、現在の
ような状況になってしまいましたが。
[841]如来の子孫 08/06/20 15:44 Bj.cdF2kI0
ラシンさんは「衣を着たから出家なのではない」との釈迦の説く
意味をよ〜く理解できていますね。
ならば私が書いた「出仕修行したから修行なのではない」という
意味を理解できてもよさそうなのにね。
自己矛盾ではありません、こういうことです。
干柿さんは、星祭りでは、結界内で修行したそうです。
大したものです。誰にでも出来る修行ではありません。
ですが、ここに、干柿さんには二つの道があります。
結界内で修行するとき、衆生の願いが込められた護摩木があります、
その願が叶うようにと純粋に思い、護摩壇に護摩木を投入していた
ら、聖者です。やがて管長のような法力が持てるかも知れません。
しかし、自分も早く法力が持てて、人々に崇められたい、その一心
で護摩木を投入していたら、あるいは行から落伍するかも知れない、
出仕修行したから修行なのではない、とは、そういう意味ですよ。

布施供養したから梵行なのではない、も同じことです。
もし、布施供養するから倍にして返せ、みたいな邪心を持ちつつの
布施供養であれば、それは布施供養ではない、という意味です。
[842]桐止めハルオ 08/06/20 15:53 LQgJ9cKahz
>>841
あんたねぇ、結界内の出仕してからものをいえよ。
想像だけで言うんじゃないの。
我々は、何十回も星まつり修行をしてきて、
それぞれがいろんな過程を経てきて、
桐山宗教をインチキ・宗教詐欺だといってるわけです。
たいした犠牲もなく、昔の本ばかり読んでいる、空想者とは
わけがちがう。
誰が空想者かって、そりゃ、如来の子孫=仕損じさんですよ。
「偽如来の尊師=仕損じ」にHN改めたほうがいいよ。
[843]如来の子孫 08/06/20 16:07 Bj.cdF2kI0
管長の糖尿病と脳梗塞の件ですか?
確かにね、私も自分の因縁が薄れた効果を感じなければ、早〃に
退会してたでしょうね。管長はグルメで因縁も切れてない、と考え
てね。しかし、私にはまぎれもなく、ひどい因縁が出ていた。
それが、勤行と梵行で3つは薄れた自覚がある。
だから管長の因縁切りの教法を信じていますよ。
脳梗塞や糖尿病といっても、あのご高齢で復活して見せたではないで
すか!これは高齢者の希望の星でしょう。
管長が因縁切りの修行に失敗していたら、50歳のときガンで亡く
なっていたわけですからね。まぁ、成功の部類でしょう。

管長は間違いなくアナゴン果を獲ていると思います。
アナゴンになると必ず出家する、という考えが理解できません。
管長が以前、法話で話してましたよ。
「在家でも成仏できることを証明するために、俺は髪を切らない」
とね。
「俺が出家したら、やはり出家でなければ成仏できないのか、と、
皆さん、ガッカリするでしょう。」とも話してましたね。
とにかく、釈迦は、在家では成仏できない、とは話していません。
出家を勧めたのは、在家より成仏のスピードが速いからです。

そうなると、管長は限りなくアラカンに近いアナゴンだと思われ
ます。ご法話で、肉の話が出なくなる頃は、アラカンでしょうね。
[844]如来の子孫 08/06/20 16:18 Bj.cdF2kI0
たぶん、桐止さんには、
「早く俺も法力を身に付けて、人々から崇められ、
ちやほやされたい」という気持ちが強くあった。
だから法力がつかなかったのね。

長年修行してインチキだというならば、今も修行を続けている
聖者集団を何と思うのか?
すでに、法力が身についてる人々も沢山いますよ。
そりゃ、先達にもつまらん人もいます、それは数の中ですからね。
[845]桐止めハルオ 08/06/20 16:24 LQgJ9cKahz
管長が50才でガンで亡くなっていた?
なにいってんのこの人(=如来の仕損じ)。

桐山さんが自分で48才でガンになるとか
いってただけでしょ。そんな馬鹿な作り話信じているの?
あんた頭のほうは大丈夫ですか。
[846]桐止めハルオ 08/06/20 16:27 LQgJ9cKahz
>>844
そんなこと考えてたこともねえよ。
想像でものをいうんじゃないよ。
だからアフォだというんだ。
一体どこの誰が法力もってんのよ。
いい加減なこというなよ。
じゃ、おまえはつまらん信者だねぇ〜
[847]桐止めハルオ 08/06/20 16:59 LQgJ9cKahz
>>844
聖者集団って、またまた何を言ってんでしょ?
理解に苦しむ。
まるでオウム真理教だね。笑われますよ、そんなことを
言ってると。
桐山靖雄さんが聖者ではなく、単なる俗物の普通の老人なのに
弟子の誰が聖者なの。言ってみてよ。
おそらくわたしはその人がわかるから。早く、お言いよ!
どうせ想像でいってるんだから、言えやしないねぇ〜。
[848]ラシン 08/06/20 16:59 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>843脳梗塞や糖尿病といっても、あのご高齢で復活して見せたではないで
すか!これは高齢者の希望の星でしょう。
管長が因縁切りの修行に失敗していたら、50歳のときガンで亡く
なっていたわけですからね。まぁ、成功の部類でしょう。

ー引用ー
欲求にもとづいての快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。
他人が解脱させてくれるのではないからである。
彼らは未来をも過去をも顧慮しながら、これらの(目の前の)欲望、
または過去の欲望を貪る
スッタニパータ 第773偈

子孫さんは師である桐山さんに関しては、前向きと言うか楽観的で
安易に譲歩しますね。
脳梗塞を患ったということは、
アゴン宗的教義では、脳障害の因縁を切れなかった。
阿含経教義においては、貪欲という煩悩を制御できなかった。
どちらにおいても、桐山さんは聖者失格です。
食事や趣味の快楽にとらわれている桐山さんは、
五上分結どころか、五下分結も果たしていない。
この経緯を無視して、桐山さんの病からの復活が
どんな説得力を持つのですか?
常日頃、因縁をすべて切ったと言っておきながら脳梗塞になり
それを克服したら、高齢者の希望の星?
堅白同異も甚だしいですね。
せめて因縁は少し残っているが、今回で脳梗塞を克服したから
その脳障害の因縁も切れたと言ったなら、ウソも糊塗できた。
それと40代のガンの因縁があったとは桐山さんの後付論です。
何かが起きて実はこうだったとは桐山さん特有の後出しジャンケン。
また、
在家で成仏できると主張することじたいが、釈尊に反している。
出家する目的は涅槃をめざすことです。
そこに出家の意義がある。
子孫さんのノーテンキにはいつも驚かされる。

[849]ユビキタス 08/06/20 21:44 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
>>819]済世活佛 08/06/20 10:46 Ty9NDKWYyg
>阿含仏教といってしまうのは魔の滋養だからなのです。

釈迦仏教、上座仏教、根本仏教、原始仏教・・・とでれで表現しようか
悩んだのですが、桐山さんの使う「阿含仏教」を敢えて使うことに
しました。それが信者さんにわかりやすいかなと思って。
アゴン宗スレでなければ使わなかったでしょうね。
ご存知の通り、桐山さんは「阿含仏教」という用語を使います。
これは桐山さんが魔の滋養であると言いたいわけなんですか?
[850]ユビキタス 08/06/20 21:52 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
>>820]如来の子孫 08/06/20 10:53 Bj.cdF2kI0
>阿含宗が居心地よい、とも言えませんよ、それは、ラシンさん。
>簡単な勤行一つとっても、あるとないとじゃ大違い、なければ楽なの
>です。どんなに簡単な修行でも、ないのよりは苦しいですよ。

レベルの低いこと言うなよ。やっぱしギャグで書いてるのですか?

>私は、確かに因縁が薄れた自覚があります。
>それが、桐山教法の成果であるかないか、確かめることはできません
>ね。まさか、入行時まで時間戻して、入行しない場合を実験するわけ
>には行きませんからね。

そうです。それが全てを物語っているのです。後の文は不要なのです。
単に自分がそう思いたいだけなんです。
どうしても後の文を書きたい時は、極めて具体的な話を書いて
運命を変えたのは奇跡に他ならないと読んでる人も納得するような
話をしなくちゃ。
虚弱体質で早死にすると医師から診断されていたとかね。
もちろんそういうケースで長生きする例も世の中には多いけど、
一応の根拠にはなります。
[851]ユビキタス 08/06/20 21:58 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
>>823]如来の子孫 08/06/20 11:15 Bj.cdF2kI0
>阿含専修学院では加行と作法を教えるだけですか?
>私はそれでいいと思いますよ。
>あとは自分で行法をみがくのです、それでいいのです。
>要諦は、変身の原理、密教超能力の秘密、チャンネルをまわせ、に
>書いてありますから、自分で研鑽すればいいのです。

何を書くのも自由ですが、それで他の信者さんが納得すると思ってる
のでしょうかね?
私は最初からあなたなど眼中にないから、あなたの心を翻したいなどと
思ってません。どうぞ子孫教をお広めになってください。
書けば書くだけ皆呆れるだけで、私はそれを脇でニヤニヤと笑いながら
見つめているだけですから。
愚か者が信者に現れてくれるとこちらも都合がよい。
[852]ユビキタス 08/06/20 22:14 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
>>824]如来の子孫 08/06/20 11:21 Bj.cdF2kI0
>前に、私は在家修行者はアナゴンまでしか行けないから、出家僧には
>かなわない、とレスしました。しかし、間違いですね。
>釈迦は、在家はアナゴンまでしか行けないとか、そんなこと説いて
>いません。アナゴンを得たものが500人以上居る、と出家経に説い
>て、いるのであって、それが限界だとは説いていません。
>その後に、在家のままアラカンを得た者があるかも知れない。
>だとすれば、管長がアラカン果を獲ても不思議はありませんね。

あのですね。在家はアナゴンまでしか行けないと説いているのは
私ら批判側よりも、桐山さんなんですよね。
そう著書に書いています。
子孫教では桐山説は間違っていると批判するわけですね。
それから桐山さんはまだ在家だと主張するわけですね。
たしかにこうも言ってましたね。↓
>管長が以前、法話で話してましたよ。
>「在家でも成仏できることを証明するために、俺は髪を切らない」
>とね。
>「俺が出家したら、やはり出家でなければ成仏できないのか、と、
>皆さん、ガッカリするでしょう。」とも話してましたね。

しかしだからと言って在家とまでは言ってない。大僧正であると
公言してます。著書の肩書きにも根拠なく載せてます。
また前にも書いたが、こんな話もしてました。
創価学会の池田大作名誉会長が本山の大石寺から破門になった時です。
創価の信者は本山に反発して自分らで葬式をしたり本尊を発行したりした。
これを桐山さんは「何たる仏教無知」と嘲笑批判したのです。
創価学会とは日蓮正宗という宗派の檀家の集まりに過ぎない。
在家の集まりに過ぎない。だから自分らで葬式をしたり本尊を発行
できるわけがない。できると思ってるのは仏教無知だからです。
仏教は必ず出家が上にいて在家を指導するのが正しい形態なのです。
それもわからんとはなんたる無知と嘲笑しました。
つまり自分らアゴン宗は出家の僧侶たる管長を筆頭に在家の信者を
指導する仏教として正しい形態であると自負していたからなんでしょうね。
これを子孫教は否定するわけですね。桐山さんは仏教無知であると。


[853]ユビキタス 08/06/20 22:30 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
>>827]如来の子孫 08/06/20 11:39 Bj.cdF2kI0
>釈迦の説く、衣を着たから出家なのではない、択鉢するから出家なの
>ではない、経を唱えるから出家なのではない、外見を出家に整えた
>からといって出家なのではない、という意味は、
>ここにあります。
>肝心なことです。同じことが言えます。
>護摩木勧進したから修行なのではない。出仕修行したから修行なの
>ではない。布施供養したから梵行なのではない。
>そういうことですね。

>>841]如来の子孫 08/06/20 15:44 Bj.cdF2kI0
>ラシンさんは「衣を着たから出家なのではない」との釈迦の説く
>意味をよ〜く理解できていますね。
>ならば私が書いた「出仕修行したから修行なのではない」という
>意味を理解できてもよさそうなのにね。

あのですね。ラシンさんは決してあなたの言わんとしてる奥の奥まで
同意なんかしてませんよ。
たしかに出家でもなんでも外見や形式ではなく中身が重要です。
しかしだからと言って、戒律などがいらないという理屈にはならない。
やはりボロ布の衣はいるのです。その恰好だけでなく、中身の方も
煩悩を離れて執着を捨てることを忘れるなと説いているのです。
托鉢乞食は必要なのです。商売や農耕、生産なんかしちゃいかん。
アゴン宗においては管長が指示した護摩木勧進はしなければならない
義務であり、星まつり修行もしかりです。
中身はもちろん大切だが、外見の形式もおろそかにはできないのです。
自由なんてものはない。勘違いしないように。
戒律がなくてもよい、自分が星まつり修行しなくてもよい口実に
しないでくださいね。見苦しいから。


[854]ユビキタス 08/06/20 22:40 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
>>841]如来の子孫 08/06/20 15:44 Bj.cdF2kI0
>ですが、ここに、干柿さんには二つの道があります。
>結界内で修行するとき、衆生の願いが込められた護摩木があります、
>その願が叶うようにと純粋に思い、護摩壇に護摩木を投入していた
>ら、聖者です。やがて管長のような法力が持てるかも知れません。
>しかし、自分も早く法力が持てて、人々に崇められたい、その一心
>で護摩木を投入していたら、あるいは行から落伍するかも知れない、
>出仕修行したから修行なのではない、とは、そういう意味ですよ。

で、あなたは行から落伍する人や、あるいはまだ行から落伍もして
くれず困ったことに傲慢な態度で先達として居座ってる連中は
そういう自己本位の気持ちしかないと言いたいわけですか?
あなたから見ると落伍したと見える私のような元信者にそういう根拠の
ない「想像」だけで決めつけているうちは、周囲から見ても見苦しい
だけだから、こちらにとっては痛くもかゆくもないが、傲慢先達は
どうなんですか?
皆様の護摩木祈願が叶いますようにと祈りながら結界修行してるのですか?
それとも早く法力を持ちたいという我欲でやってるのですか?
だとしたらどうして落伍しないで教団の中枢にいるのですか?
ほら?干柿さんの不満に答える回答になっていない。
[855]ユビキタス 08/06/20 22:49 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
>>841]如来の子孫 08/06/20 15:44 Bj.cdF2kI0
>結界内で修行するとき、衆生の願いが込められた護摩木があります、
>その願が叶うようにと純粋に思い、護摩壇に護摩木を投入していた
>ら、聖者です。やがて管長のような法力が持てるかも知れません。
>しかし、自分も早く法力が持てて、人々に崇められたい、その一心
>で護摩木を投入していたら、あるいは行から落伍するかも知れない、
>出仕修行したから修行なのではない、とは、そういう意味ですよ。

星まつりの修行とは何も派手で目立つ結界修行だけではないのですよ。
もっと目立たない縁の下の力持ちの修行者たちが大勢います。
会場整理やら交通整理、お山から離れた沿道や京都駅などお護摩の
炎を拝むことのできない位置で早朝から夕方近くまで一日頑張っている。
護摩の炎に拝みたいという我欲など離れて、お役に徹している。
桐山さんもこういう縁の下の力持ちたちをクローズアップしている。
護摩会場からり遠くで修行している修行こそがより尊いのだと言ってます。
私は子孫さんに結界出仕なんて条件にも求めてません。
このような会場整理や交通整理などで十分なのです。
それを問うているのだが、それすらやったことがないと見えるから
やったことのない者が能書きだけ述べるなと批判したのです。

[856]ユビキタス 08/06/20 23:00 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
>>841]如来の子孫 08/06/20 15:44 Bj.cdF2kI0
>結界内で修行するとき、衆生の願いが込められた護摩木があります、
>その願が叶うようにと純粋に思い、護摩壇に護摩木を投入していた
>ら、聖者です。やがて管長のような法力が持てるかも知れません。
>しかし、自分も早く法力が持てて、人々に崇められたい、その一心
>で護摩木を投入していたら、あるいは行から落伍するかも知れない、
>出仕修行したから修行なのではない、とは、そういう意味ですよ。

私は会場整理であれ、交通整理であれ、修行する時の心がまえは
とにかく和顔施、和語施です。にこやかに元気よく声掛けをして
気持ちよく参拝していただく。どうかこの貴重なお護摩で功徳を
持って帰ってくださいと祈るような気持ちです。
あるいは参拝者に怪我や事故がないように細心の注意を払う。
こういう気持ちで本気で参加してきた。この行事に対する思い入れ
もあったので、ヤラセでなく本気でそういう心になれるのです。
子孫さんはそういう修行をなぜしないのか?
他人のことを嘘吐きと決めつけて、自分は嘘をつかないという
子孫さんに単刀直入に質問します。
どんなお役でもよいから星まつりの修行をしたことがありますか?
どのお役とどのお役を何回くらいしましたか?いえ、回数が多ければ
よいという話ではありません。やったかやらないかのどちらかです。
お役の内容や回数は答えなくてもよいから、やったかやらないか
だけ答えてください。正直に。まさかあなたは嘘は申しますまい。
嘘か本当かはあなたにしかわからない。だからあなたの良心にだけ
誓って述べてみなさい。
[857]ユビキタス 08/06/20 23:04 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
>>841]如来の子孫 08/06/20 15:44 Bj.cdF2kI0
>結界内で修行するとき、衆生の願いが込められた護摩木があります、
>その願が叶うようにと純粋に思い、護摩壇に護摩木を投入していた
>ら、聖者です。やがて管長のような法力が持てるかも知れません。
>しかし、自分も早く法力が持てて、人々に崇められたい、その一心
>で護摩木を投入していたら、あるいは行から落伍するかも知れない、
>出仕修行したから修行なのではない、とは、そういう意味ですよ。

過去このような質問をしてきましたが、いつでも回答をはぐされて
います。
星まつり修行だけが修行ではないなどともっともらしそうな一般論で
逃げる。これは星まつり修行をしたことがないと言っているような
ものです。
星まつり修行をしていない、必ずしもしなくてもよいのならば、代わりに
どういう修行を真心をこめてしているのか正直に具体的に述べてみなさい。
実は最初から落伍しているのはあなたのようだ。
ひょっとすると嘘吐きもどっちのことだかわかったものではない。
[858]ユビキタス 08/06/20 23:23 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
子孫さんのように嘘とまでは言わないが(いや、やはり嘘だが)
その場その場の適当な屁理屈やゴマカシでかわそうとする人を
見ると、本当に信仰心というものがあるのだろうかと疑問に思う。
たしかにこのスレは相手の顔も見えないし、個人などは特定できない。
つまり何を書いても叱られる心配はない。宗務局が特定して注意を
促したいと思っても、あなたのような幽霊信者は一番始末に負えない。
あなたもその辺は計算して平気で恥知らずを書ける。
しかし、それでいいのか?
わからないからって教団ごと欺いていいのか?
私はとてもそんな恐ろしいことができなかった。
当時はアゴン宗の神仏を畏れていたからです。
2ちゃんねるでペテン大作さんにかつて書いたことをまた書きましょう。
私が擁護側の信者の時は、批判に反論を試みる書き込みをしながら
これでいいのか?と常に自問していた。少なくとも教団を辱めない
立派な態度で誠意ある書き込みをしようと考えた。
そして書き込みが済んで、一日が終わる時、宝塔の前で本尊と対話
してきた。力足りぬかもしれませんが、私なりに精一杯擁護の反論
をさせていただきました。と報告した。
こういう神仏に誓っての擁護をするのに他人を欺くようなことが
あってはならない。誰も気づかなくても神仏にだけはお見通しだから。
だから言動にもセーブがかかる。神仏の信仰ってそういうものですよね?
[859]んでコピペでごんす 08/06/20 23:27 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
517 :神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 12:49:44 ID:53CcjikM
阿含宗と桐山氏について―第三十六章―から転載
>[735]如来の子孫 08/06/19 14:30 oNmU9AvgdV
>バッカだなぁ、250戒は初めから250戒なのではない。
>ユ元信者くんみたいなアホ比丘が、いろいろとアホな行動するから、
>その都度、戒の種類が増えたのだ。
>戒とはもともと習慣のことだ。
>修行に役立つ生活習慣をつくれ、ということだ。
>あれこれするな、という戒は、修行の妨げにならないならば、
>人によっては無視しても良いのだ。
>そのように、私に御霊示が下りた。

また子孫教の暴言が始まった。
これは子孫さんだけでなく、桐山さんがそうだから、
アゴン宗では戒律をものすごく軽く見ているばかりか、侮蔑的にさえ見ている。
それがどれほど大きな間違いか、また恥ずかしいことかを説明しますから、
せめてこれを読んでいる信者さんにはしっかりと理解していただきたい。
250戒が教団の初めからあったのではないなど当たり前で、
釈尊が徐々に増やしていった。
しかし、250戒が定まってからは、得度する者は250戒に縛られる。
この意味では初めから250戒があるのです。
ラシンさんが指摘しているように、子孫さんは戒と律をごっちゃにしている。
戒は、個人的に自らをいましめるものであり、
律は、教団の一員として守るべき規律です。
出家と在家の決定的な違いは、違反すれば罰則があることです。
得度する時、250戒を守るというよりも、戒律を守ることを誓う。
だから、250戒を覚えていようがいまいが、違反すれば罰せられる。
我々が法律そのものを知らなくても、違反すれば罰せられるのと同じです。
戒律がどれほど重大かは、三蔵とは教律論であり、
律が柱の一つになっているのを見ればわかる。
第一回結集で、アーナンダが教法を、ウパーリが律を唱えた。
それを個人が勝手に変えていいなんて言い出したら、戒も律もあったもんじゃない。


518 :神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 12:51:46 ID:53CcjikM
>[743]如来の子孫 08/06/19 19:51 oNmU9AvgdV
>比丘の250戒とか、比丘尼の350戒とかは、本質的なことでは
>ないと思いませんか?
>だいたい、そんなに多くの戒律は覚えられませんよね、えへへ。

「・・このように数多くの法に関する講話をされた。――――
戒律とはこのようなものである。精神統一とはこのようなものである。
知慧とはこのようなものである。・・・(中略)・・
・・無明の汚れから全く解脱する。」(『ブッダ最後の旅』)

信者さんたちは「えへへ」の子孫教授は放っておいて、
釈尊が何を説いたか、上記の文章を見て下さい。
これは亡くなる三ヶ月前の釈尊が各地で比丘たちに説法した時の様子です。
この本では25、31、45、51、58、101、106頁と
同じ文章が繰り返されますから、これが釈尊が比丘たちに説法した内容です。
戒律、精神統一、智慧とあり、これらによって煩悩から解脱するとあります。
これが釈尊が説いた教法であり、どこにも因縁解脱なんてありません。
着目してほしいのは、戒律が最初に出ていることです。
釈尊は比丘たちに説法する時に、真っ先に説いたのは、
「戒律とはこのようなものである」なのです。
戒律のない仏教など、タイヤのない自動車、翼のない飛行機、
土台のない家のようなもので、ありえないのです。
桐山さんのように、戒律なんか頭から無視するばかりか、
侮蔑さえしている人は、論外だというのがわかります。
[860]んでコピペでごんす 08/06/20 23:28 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
519 :神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 12:54:08 ID:53CcjikM
>[735]如来の子孫 08/06/19 14:30 oNmU9AvgdV
>あれこれするな、という戒は、修行の妨げにならないならば、
>人によっては無視しても良いのだ。

釈尊が遺言したのは、些末なことは変えてよいと言っただけです。
しかし、変えるのも個人が勝手に変えるのではありません。
出家が集まり、頭から信じるのでも、排斥するのでもなく、
一つ一つを検討するように説いた。(『ブッダ最後の旅』103頁〜)
つまり、比丘たちの話しあいによって戒律の変更を認めたにすぎません。
比丘たちがこの指示を守ったからこそ、百年後の第二回結集でも、
「十事」と呼ばれる戒律について議論になり、これが理由で教団は分裂した。
信者さんたちはここに着目してほしい。
戒律が各個人が時代に合わせると称して、勝手に自分の都合で変えても
いいものなら、なんでわざわざ比丘たちが会合を持ち、
分裂するほどの対立になったのか。
戒律が比丘の修行にとって決定的なほど重大な内容だからです。


520 :神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 12:57:14 ID:53CcjikM
「・・たかが十事くらいの戒律に不平をもって、反旗をひるがえし、
脱退・独立するとは考えられません」(『阿含密教いま』66頁)

桐山さんはこの第二回結集をこんなふうに書いています。
「たかが十事くらい」だそうです。
信者さんたちは桐山さんが馬脚を現していることに気が付いていますか。
戒律への反応が子孫さんとそっくりで、意味も理解できず、
頭からバカにしているのがわかる。
十事の内容は各自に読んでもらうことにして、
そのいずれもが戒律を守り修行している比丘にとっては重大関心事です。
十事を認めるかどうかは、教団のあり方だけでなく、
普段の自分の修行のあり方に決定的な影響を与える。
だから、分派騒ぎにまでなった。
それを桐山さんはあっさりと「たかが十事くらい」。
戒律など最初っから眼中になく、守るつもりもない桐山さんにとってみれば、
なんでこんな程度の事で分裂するのか理解できないのです。
そのとおりで、俗人の生活をしている我々には理解できない。
だが、釈尊の教法を理解したなら、彼らが大騒ぎするのも理解できるのです。
[861]んでコピペでごんす 08/06/20 23:30 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
521 :神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 13:04:09 ID:53CcjikM
「それも、仏陀の教法と深いかかわりのある戒律ならばやむを得ませんが、
廊下の歩き方がどうの、すわる台がどう何寸何分でなければならぬとか、
まったくどうでもいいような枝葉末節の規則でがんじがらめにしばっており、
息もつけないような場所になってしまったのです。」(『阿含密教いま』81頁)

桐山さんのこの文章に信者さんたちは賛成しているでしょう。
釈尊の説く教法を理解していないからです。
こういう戒律が本当にあるのかどうか知りませんが、
釈尊の教法では廊下の歩き方や座り方は重要な修行です。
正確には歩き方そのものではなく、歩く時の修行者の意識です。
意識を心と身体に常に向け、自分が今何をしているのか意識し、
自分の心にどのような煩悩が沸き起こるかを観察しながら歩くのです。
ですから、廊下の歩き方は重要な戒律であり、修行です。
ところが、桐山さんはこんなこともわからないから、
「仏陀の教法と深いかかわりのある戒律ならば」などと、
これが釈尊の教法と関係していることすらわかっていない。
「息もつけないような場所」なんて当たり前です。
歩いている時だけでなく、四六時中、眠っている時ですら、
自分の心と身体と言葉に意識を向け、一瞬たりとも
そこに煩悩が漏れることから目を離さないのが四念処です。
桐山さんは四念処を得意技だと自称しているが、
上記の一文を見ても、桐山さんが四念処を体得どころか、
なんであるかすら理解していないのがわかります。
だから、四念処を座って瞑想することだなどと愚かなことを書いている。
と、素人の私から言われても、信者さんたちは信じないでしょう。
では、釈尊に説明していただきましょう。


522 :神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 13:05:15 ID:53CcjikM
『ブッダ最後の旅』中村元、53頁

修行僧たちよ。ここで、修行僧は、出て行くときにも、もどるときにも、よく気をつけてい
て、前を見るときにも、後を見るときにも、よく気をつけていて、腕を屈するときにも、伸ば
すときにも、よく気をつけている。大衣や衣鉢をとるときにも、よく気をつけている。食し、
飲み、噛み、味わうときにも、よく気をつけている。大小便をなすときにも、よく気をつけて
いる。行き、任し、坐し、眠り、めざめ、語り、沈黙しているときにも、よく気をつけている。
修行僧たちよ。修行僧はこのように実によく気をつけているのである。修行僧たちよ。修行僧
は、このように念じて、よく気をつけておれ。これが、お前たちに説くわたしたちの教えである。
[862]んでコピペでごんす 08/06/20 23:32 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
523 :神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 13:15:26 ID:53CcjikM
「修行僧は、このように念じて、よく気をつけておれ。
これが、お前たちに説くわたしたちの教えである。」

誤解のないように説明すると、ここでの「念じて」は
信者さんたちが信じているような念力の意味ではありません。
一瞬たりとも修行内容から心を離さないようにすることです。
釈尊はこのように、四六時中、自分の心、身体、言葉に注意を払い、
そこに煩悩が漏れてくるかどうかを観察し、
あるいはそれを断ち切るように心がけろと説いている。
この説明を聞けば、廊下を歩くとき、台に座るときの戒律まで
あるとしても、何の不思議もないことがわかるでしょう。
枝葉末節どころか、修行そのものです。
仏教では戒律と修行とは紙の裏表であり、一体のものであり、
離れてはありえないのです。
戒律を守らない者が釈尊の説く修行をしているなどありえない。
「戒律のない仏教などありえない」ということをよく覚えてください。
釈尊が得度しない自称比丘を賊住比丘として批判したのも当然です。
戒律を守らない者は修行していないのと同じなのです。
だから、桐山さんのように、戒律を授ける儀式である得度さえせず、
戒律を在家のレベルですら守らない人が、釈尊の説く教法を
体得したなど絶対にありえない。
引用した桐山さんの文章を読めばわかるように、彼は戒律が
すなわち釈尊の説く修行法そのものであることすら理解していない。
こんな人がオシャカの成仏ホーを体得したなんていくら
口先で宣言しても、ヘソが茶を沸かします。


524 :神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 13:23:26 ID:53CcjikM
>[735]如来の子孫 08/06/19 14:30 oNmU9AvgdV
>あれこれするな、という戒は、修行の妨げにならないならば、
>人によっては無視しても良いのだ。

余談ですが、『阿含密教いま』で、第二回結集の後、教団が、
上座部と大衆部に根本分裂し、この大衆部が仏舎利信仰を始めて、
大乗経典を作り始めたと桐山さんは書いています。
これは桐山さんの無知です。
大乗仏教を作りだしたグループは今でもはっきりとはわかっていない。
仏舎利信仰をした人たちが大乗仏教を作ったのだろうという説が
一番有力とされているが、大衆部とは関係ありません。
桐山さんのこういう知識の間違いは珍しいことではない。
彼は本を書いて、それを専門家に査読してもらっていない。
教団内では誰も彼を批判できないから、間違いはそのまま残るのです。
一切事経の八法十六法がその典型で、「見」を抜いて「法次法向」を二つに分けるなど、
当時の信者から間違いを指摘されていても、今日まで修正されなかった。
仙尼経に異陰があると25年間説き続けた。
仙尼経には異陰などありません。
三供養品に三福道があると二十年間説き続けた。
三供養品には三福道などありません。
信者さんたちは桐山さんの本を読むとき、間違ったことも平気で
書いていること知っておいたほうがいい。
桐山本だけ読んで仏教を知った気になると、子孫さんのように、
無知と慢心を鼻先にぶらさげながら、外道信者になりはてます。
信者さんたちは子孫教授を反面教師にしてください。
[863]ユビでごんす 08/06/20 23:37 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
で、この子孫教授に対して田子作准教授というのが役に立ってない。
本来なら子孫さんみたいに桐山さんが説いたことに反するような
子孫教を書き込むのを見たら、同じ信者として注意を促してやる
べきです。勝手なことを書いてもらってはかえって迷惑だと。
私が擁護側信者で書き込んでいたわずか1ヶ月余りの頃は、私も
それ(信者に対する信者同士の牽制)をしましたよ。
当時よー痴と思われていた信者に「それは違う!」とはっきり
反論して牽制していた。それが当たり前と思ったから。
その相手が星祭さんだったこともあったようだが。
信者さんって冷たいのですね。
[864]たまに顔だす干柿 08/06/21 00:42 WtFpTUsIRd
じつは星まつりってね、下っ端の信者の中にこそ
この人は、ってのがいたりする。
コスプレで喜んで威張っているような偉い人にはなぜか
頭の下がる思いの人っていないんだよねw
オレの法友がネットワークなどで顔をよくみる地方の大先達と
いっしょになったらしい。
参拝者が来ました。護摩木の入ったおおきな袋を抱えてたいへんそうだったので、大先達にも声をかけて袋を共にもってあげようとしたらしい。そしたらかの大先達「それは私のお役ではありません」
とつっぱねたそうです。・・・・
かの法友いわく「がっかりした。なんのための行なんだよ!」
なんでこうなってしまったのでしょうかね?
ちなみにまだ早朝で余裕のあった時間帯だったそうです。
[865]ウミタコ27号 08/06/21 00:50 ZdNFhOauWK
>>861 なるほど、そういう理由だったんですね。色々納得させられますね。

>>843 すさまじいですねw
ゲイカって補助食でなんとか健康維持してきた人でしょうね。
初期は少しは玄米食べてたんでしょうけど、途中から発芽米に変えたみたいで、
でも発芽米じゃ健康保てないからレトルトパックされた発酵させた特殊な玄米食べてたようです。
ミツワに売ってるのじゃなく会員制の特注の高いやつ。お湯で温めなくてもレトルトやぶってかじれる携帯食みたい。

夫人はミツワの社長だけどまったくそういうのに関心ない人で、ずっと何も摂取してなくて体調が悪くなってから少し摂取したようです。
娘のMさんはそれで贅沢を少しは改めるきになったのか胚芽米じゃなく発芽玄米食べてます。
[866]たまに顔だす干柿 08/06/21 00:55 WtFpTUsIRd
>>663
そりゃちがうでしょ!
ユビごんだって自分の思い込みのようなことを書いていたことも
あったくせにw
だからよく「本を読め!」とか書いた記憶があるよ
フムフム

それからここで言っている「気をつけておれ」って戒律を保つよう気をつけろ
というのとは違うでしょが
戒律はまた別のことでしょ。
[867]たまに顔だす干柿 08/06/21 01:02 WtFpTUsIRd
歩き方つまり歩行禅の先祖みたいやつね
それはね戒律ではなくて、もう修行法、法に分類されるべきものに入るでしょ。「気をつけておれ」って戒律そのものを気をつけて歩け
なんてチンプンカンプンなもんじゃないよ。
[868]たまに顔だす干柿 08/06/21 01:10 WtFpTUsIRd
でも「阿含密教いま」って分裂やら何やらの説明は
例によってゲイカ独自の考えじゃなく
学者さんの本からのマンマ引用がほとんどじゃん。
しかも古い学説のやつだったりしてw
[869]ル・パン 08/06/21 01:13 V-oKv7I
いるんだなそげな偉そうにしてる慢心先達
イエスが弟子の足を洗う意味を知ることだべ
仏道においても謙遜心と傲り高ぶらないは大事だべ
[870]桐止めハルオ 08/06/21 01:29 LQgJ9cKahz
「だべ」って、どこの言葉ですか?

桐山さん、もう操り人形だべ!

Wダ女狐婆教になりつつあるんだべ!
[871]済世活佛 08/06/21 02:27 Ty9NDDqiKx

[849]ユビキタス 08/06/20 21:44 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[850]ユビキタス 08/06/20 21:52 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[851]ユビキタス 08/06/20 21:58 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[852]ユビキタス 08/06/20 22:14 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[853]ユビキタス 08/06/20 22:30 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[854]ユビキタス 08/06/20 22:40 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[855]ユビキタス 08/06/20 22:49 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[856]ユビキタス 08/06/20 23:00 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[857]ユビキタス 08/06/20 23:04 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[858]ユビキタス 08/06/20 23:23 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[859]んでコピペでごんす 08/06/20 23:27 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[860]んでコピペでごんす 08/06/20 23:28 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[861]んでコピペでごんす 08/06/20 23:30 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[862]んでコピペでごんす 08/06/20 23:32 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
[863]ユビでごんす 08/06/20 23:37 *lPm7zuA9Viz*lCCtG6mZzS
×
[872]ル・パン 08/06/21 02:40 V-oKv7I
だべはズンドコ弁だべ
こぶとり爺さんにたとえれるだべかな
意味がわかるだべかな
[873]バイオミン] 08/06/21 07:26 fRDThRatzY
…低評価地獄逝きの諸精霊に大般若経名おォオおォォォ (チーン♪)
[874]ユビキタス 08/06/21 08:19 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>866-867
いや、やはり戒になりますね。
歩行時などにおける身体の観察は心も含めた監視です。
ヴィパッサナーの実践によると、右足が上がったとか足が地についたとか細々と観察をする。
膝とか足の裏の感覚、筋肉の収縮とかに神経を配りながら。
しかしそれによって何事か不思議な通力を得るのでなく(観察力は高まるが)
これは煩悩の観察であり、あるいは煩悩に突き動かされる暇のない営みです。
こういう細かな観察を省いてアバウトになるとどうなるか?
廊下をスタスタと歩く。考え事とかもしながらも。
人にぶつかる。痛え、気を付けろ。どこに目ぇ付けとるんじゃいとかなり、もう
自分が見えなくなる。
カキコをする子孫さんのごとく。
仏教の目的が煩悩をなくすことに尽きるからです。
あれしちゃいかん、これしちゃいかんという規則の機能でなく自ずと戒めが働く
ようになっている。
このバカ、つまみ出せ!という激怒の煩悩にはならない。
[875]逆転無罪 08/06/21 11:38 D-PzblC
とても古いレスで思い出した話があります。


多分ユビキタスさんが、擁護から批判に転向した初期だったと思います。


あるふざけた批判者が『○○道場の職員の××』(だったかな?)と、具体的に特定できそうなレスをしたところ、ユビキタスさんが本気でこの書き込みを怒りました。


このふざけた書き込みをした輩は、ユビキタスさんの迫力に負けて、小泉首相の似顔絵で照れていました。
[876]ユビキタス 08/06/21 13:19 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>875
え〜、その初期の頃のお話は当人がすっかり忘れてますが似たようなことは
いくつかあります。
一つはこのスレで、桐山さんの著書にも仮名で出て来るある地区先達をこちらも桐山さんの使った
仮名で書いていたら、誰とは言いませんが、擁護側の人が
その人は〇〇と言うのだよと本名を書いていた。
こちらはそんなことはわかってるが、桐山さん以外の会員の個人名なんか書くもの
でないと、その非常識を注意しました。
あとはこのスレで、これは現役の信者なのか元信者なのか不明なんですが、
ある本部道場に所属する女性一般信者をニートの母親だの自分もどうのこうの
と悪口を書くのに伏せ字などでないフルネームを使っていたので、もしそんな
名前の人がいたら不謹慎だからよしなさいと注意しました。
あと2ちゃんねるで自分のことだか他の人のことだか〇〇先達と名乗り会員番号
ヤー〇〇とか書いている人がいて、その会員番号は実在するかしたかのだから
ヤバイんじゃね?と探りを入れて大丈夫と回答を得た人もいます。
私は2ちゃんねるではその擁護側だった時、F田さんを批判でもないし
地位のある人だから問題はないだろうと本名を書いてしまったことがあります。
やはり桐山さん以外は伏せ字にすべきでしょうね。
[877]ラシン 08/06/21 15:07 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
雑感
本の名は忘れましたが、桐山さんは法華経を六年間勉強して
その眼目が、来世成仏と知って法華経を去ったとあります。
法華二八品だが、六年も勉強してやっと来世成仏の経文を
見つけたというのも、随分遅い。
いったいどんな勉強したのだろう。
それで法華経の久遠実成の釈迦は、菩提樹で悟った釈尊の
法華経以外の教えを ”正直捨方便”として切り捨て去っている。
この久遠実成の釈迦は、前霊山で空中説法などしているから、
桐山さんの釈尊の教えを排したり、荒唐無稽な神通力などの原点が
あんがい法華経なのかと、考えてしまう。
法華行者は多いが、南無妙法蓮華経の一句が久遠仏の下種秘底の
題目とするあたりが、師の握り拳をいつまでも引っ張る桐山さんに相通じる。
そういえば末世成仏本尊経?などと、ありもしない中国思想の末法思想を
匂わすあたりも、末法の世にしか通じぬ日蓮法華思想が垣間見える。
そんな桐山さんの手法は、節操のない切り取り宗教ともいえます。
尤も世間一般での”切り取り”とは、債権の違法取立てをいうのだが、
これも節操無き闇商売 いやはや何とも、、、
[878]ラシン 08/06/21 15:49 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
閑話休題

七氏さんやユビキタスさんがよく引用したアングリーマーラーの話しを
2chで見つけました。
要約しますと
昔、立派なバラモンになるべく、師匠の元で一生懸命修行するアヒンサカ
という若者がいた。
師匠は、自分の亡き後は彼に後を継がせようと考えていた。
ある日、師匠の留守中その若い妻がアヒンサカの美貌と若さに惹かれ、
彼を誘惑した。
当然、アヒンサカはこれを拒んだ。
師の妻は恥をかかされたと思い、彼を貶めるべく策を練った。
夫が帰ってくると、さっそく今にも首を吊って死のうと演じ、
止める夫に泣きながら「アヒンサカが私を襲った」と嘘をついた。
信じていた愛弟子に裏切られ、怒った師は、アヒンサカを呼び出して、
「お前に教えることはもう何も無い。ただ、お前は前世に犯した罪が原因で
まだバラモンになることができないでいるから、これから修行を与えよう」
そうして、アヒンサカに、千人の人の命を奪えと命令した。
師匠の言いつけとは言え、人殺しはできない。
しかし、師匠は「お前が殺すことで その人々は救われ、
天界で生まれ変わることができる」と説き、
「きちんと殺したかどうかが分かるように、殺した者の指を切って首飾りを作り、
千人の指が集まった時には私に見せなさい」 と命令した。
アヒンサカは師の言いつけ通り、人を殺し、殺した者の指を切り、
首飾りにして いった。
その噂はあちらこちらに広まり、やがてアヒンサカはアングリーマーラー
(指の首飾り)と呼ばれるようになった。
アングリーマーラーが999人を殺し、あと一人で修行が終わり、
バラモンになれるという時、一人の老婆が彼の前を通りかかった。
老婆を襲おうと、その顔を見て彼は驚いた。その老婆とは、彼の母親だったのだ。
戸惑っているアングリーマーラーの側を、今度は一人の僧が通りかかった。
母親を殺すよりは、あの僧を殺そう。彼は僧を追いかけた。
アングリーマーラは、僧に害心を持って近づき、
「沙門よ停まられよ。」と言うと、
その僧は「わたしは停まっている。そなたも停まったらどうか。」
アングリーマーラーは、「あなたは歩いているのに停まっていると言い、
わたしは停まっているのに停まっていないと言う。それはどういう事か。」
「アングリーマーラーよ、わたしは生きとし生けるものに対する害心を捨てて
停まっている。
しかるに、そなたは生きものに対する自制の心がない。
それ故にわたしは停まり、そなたは停まっていないと言うのだ。」
この僧とは、じつはお釈迦様だったのです。
このお釈迦様の言葉に、アングリーマーラーはいたく心を打ちのめされ、
良心と悔悟の念が目覚めたのです。
そして、彼は即座に武器を捨て、お釈迦様に出家を願ったと言うことです。
出家を許され修行僧となったアングリーマーラーのその後、
帰依してからの彼は、過去に犯した悪行を償いつづけなければならなかった。
ある日、アングリーマーラーが舎衛城に托鉢に出掛けた時、
過去に彼から苦しめられた人々は彼を罵り、石をもって彼を傷つけた。
彼の衣は引き裂かれ、体から血を流して精舎に帰ってきた
アングリーマーラーの姿を見て
お釈迦様はこう言いました。
「バラモンよ、忍受せよ、そなたは忍受しなければならない。
 かって犯した悪業によって、幾百年、幾千年、地獄において受けるであろう
 その報いを、今ここで受けているのである。」と。

[879]如来の子孫 08/06/21 16:26 Bj.cdF2kI0
比丘の戒律250戒、集団で生活するんだから規則が多いのはあたり
まえだね。在家は集団生活ではない、そんな多く戒律いらない、不要
なのだ。管長は、法華経が来世成仏であることに気がつくのに6年
要した。気づくのが遅いかねえ?一生気づかない人もいるんでない
かい。
 まぁ、修行しても成果がない人はインチキ呼ばわりするのも無理な
いね。私には自分の因縁薄れさせた実績があるからね。法友のK君や
S君も同じような体験あるのね。病気や、離職や、et cetera。阿含で
修行しなければ、野垂れ死にしてた、という人もいる。
まぁ、思いこみでしょ、といえばそれまでね、フフ。
だからね、批判派のレス見てると、なぜ彼らは落後したのか、
おおよその見当はつくね。

成果が修行量に比例しないのはなぜか?
やはり、それは心構えと、前生の徳の違い、とでもいうしかないね。
ユビ元くんは、そのあたり、間違えてるね。
修行の量で人を判断はできないのよね。
[880]如来の子孫 08/06/21 16:37 Bj.cdF2kI0
管長は因縁切りをしてなければ、48歳でガンで亡くなってた。
副管長は、修行しなければ、30年も前に、ガンで亡くなってた。
そういうことですね。
管長の話では、富士山麓で護摩を焚いたとき、副管長が異常に寒
がったそうですね。あの頃すでにガンに侵されていたようだ、と話
してましたからね。

グルメなどは大した問題ではないよ。
私も美味いものは食べるけどさ、別に執着はしていない。
粗食なら粗食、それだけでもいいよ。
グルメにしても、執着しなければ、心乱されることはない、問題ないね。
[881]如来の子孫 08/06/21 17:13 Bj.cdF2kI0
在家は阿那含までしか行けない、とか、そういう管長の法話を聞いた
記憶はないなあ。釈迦も在家の限界を説いた話、それも知らないね。
と、いうことは、在家でも阿羅漢になれるということだね、たぶん。
現代では、管長がその第一号ではないのかな?
そうすれば阿含宗に、仏舎利の他に如来様が誕生だ!目出度いね。
皆の衆、そう思いましょう。

干柿さんのさ、星祭で大先達が、護摩木運ぶのに手を貸さない例、
とかさ、あちこちであるね。もっと気さくに手を貸してくれても良い
のに、とか思うけどね。でもね、あまりに気軽に使われると、先達と
しての威厳が失われる、と思うのかも知れないね。
そのあたりは、若輩者が気を使うべきこともあるのではとか、フフ。
干柿さんのレスは、勉強になるわい。
[882]ラシン 08/06/21 17:14 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>879まぁ、修行しても成果がない人はインチキ呼ばわりするのも無理ないね。

子孫さん、そうではありませんよ。
桐山さんは、日本の伝統仏教を阿含経を以って否定し、
アゴン宗は、その伝統仏教以前の釈尊本来の真法を標榜する宗教
と、信者へ位置づけています、が。
それにしては釈尊の禁じた護摩や、因縁解脱など釈尊の法えにない
解脱観念を創作し、戒律を軽視というかほとんど無視し、
釈尊の清浄行たる梵行を勝手に歪めて、我が田の水という利益に
引水している。
桐山さんは、大乗仏教によって傍流とされた釈尊の仏法を
密教とヨーガの手法で蘇えらせたと、まで宣言している。
しかしそれは、密教やヨーガから都合のよいところを切り取り、
切り貼りしているだけの、マヤカシものです
それは釈尊の真の法えを謗法するものであり、会釈、歪曲の類いです。
修行の成果の有無以前の問題で、その根本根幹に真実も実体もないのです。

>成果が修行量に比例しないのはなぜか?
やはり、それは心構えと、前生の徳の違い、とでもいうしかないね。

子孫さんは、ユビキタスさんや干柿さんの修行量に劣ることを自覚して、
少しの修行でも、前世の徳と心構えで違うのだと、言いたいらしい。
まるでアングリーマーラーの師が、妻を寝取られたと勘違いして、
前世話しを持ち出して復讐したことと等しい。
[883]済世活佛 08/06/21 17:21 Ty9NDbmuf6

「「「[875]逆転無罪 08/06/21 11:38 D-PzblC
とても古いレスで思い出した話があります。


多分ユビキタスさんが、擁護から批判に転向した初期だったと思います。


あるふざけた批判者が『○○道場の職員の××』(だったかな?)と、具体的に特定できそうなレスをしたところ、ユビキタスさんが本気でこの書き込みを怒りました。


このふざけた書き込みをした輩は、ユビキタスさんの迫力に負けて、小泉首相の似顔絵で照れていました。
[876]ユビキタス 08/06/21 13:19 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>875
え〜、その初期の頃のお話は当人がすっかり忘れてますが似たようなことは
いくつかあります。
一つはこのスレで、桐山さんの著書にも仮名で出て来るある地区先達をこちらも桐山さんの使った
仮名で書いていたら、誰とは言いませんが、擁護側の人が
その人は〇〇と言うのだよと本名を書いていた。
こちらはそんなことはわかってるが、桐山さん以外の会員の個人名なんか書くもの
でないと、その非常識を注意しました。
あとはこのスレで、これは現役の信者なのか元信者なのか不明なんですが、
ある本部道場に所属する女性一般信者をニートの母親だの自分もどうのこうの
と悪口を書くのに伏せ字などでないフルネームを使っていたので、もしそんな
名前の人がいたら不謹慎だからよしなさいと注意しました。
あと2ちゃんねるで自分のことだか他の人のことだか〇〇先達と名乗り会員番号
ヤー〇〇とか書いている人がいて、その会員番号は実在するかしたかのだから
ヤバイんじゃね?と探りを入れて大丈夫と回答を得た人もいます。
私は2ちゃんねるではその擁護側だった時、F田さんを批判でもないし
地位のある人だから問題はないだろうと本名を書いてしまったことがあります。
やはり桐山さん以外は伏せ字にすべきでしょうね。
」」」
×
[884]済世活佛 08/06/21 17:23 Ty9NDbmuf6
魔が名前を知られ

あせっている

魔の名前を伏せてほしいか?
[885]ラシン 08/06/21 17:34 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>880グルメにしても、執着しなければ、心乱されることはない、問題ないね。

子孫さんの御大将は、そのグルメになり執着して結果、脳梗塞、、、
釈尊の戒行には
施一食処過受戒という、出家者は施食場所では一食のみを受けるべきで
それを超えてはならない決まりがある。
これは、美食の施食場所に執着しないように、この戒律が制定されたものです。
ホテルオークラという美食場所に執着した桐山さんが良い例だ。
これ以外にも、展転食戒、別衆食戒、受二三鉢食戒、足食戒、勧足食戒、
非時食戒、食残宿食戒、不受食戒と、多岐にわたって戒数が多いのも、
出家者にとって食は、煩悩を喚起する根源的なものとみなされ、
慎重に食に対応するよう、戒められているのです。
桐山さんならず、子孫さんのような凡夫が、執着しなければ心乱されず、
問題ないねと、言うレベルではありません。
[886]ラシン 08/06/21 17:53 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>881釈迦も在家の限界を説いた話、それも知らないね。
と、いうことは、在家でも阿羅漢になれるということだね、たぶん。

相変わらず、ノーテンキな楽観ぶりですね子孫さんは。

ー引用ー
アーナンダよ。
在俗信女のスジャータは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、
聖者の流れに踏み入った人(預流)となった。
この女信者は、もはや悪しき世界に堕ちることはなく、
必ず正しいさとりを得ることが確定している。
アーナンダよ。
在俗信者のカクダは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を
滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。
この在俗信者はその天界から直接さとりの世界に入り、
再びこの世に戻ることはない。
同じように、アーナンダよ。
カーリンガ、ニカタ、カティッサバ、トゥッタ、サントゥッタ、
バッダ、スバッダなどの在俗信者も、ひとを下界に結びつける
五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。
これらの在俗信者たちはその天界から直接さとりの世界に入り、
再びこの世に戻ることはない。
(大パリニッバーナ経より)

これは釈尊が、ナーディカ村の煉瓦堂に留まった時、
ナーディカ村の多くの人たちがマーリという疫病に罹って死んだことで、
アーナンダが様々なその人の死後の運命をたずねたことに答えたものです。
このように経を見る限り、在家でアナゴン果を得て後、天界から涅槃へ趣く
という記述は見られるが、在家のままで阿羅漢果を得たという経文は知らない。
子孫さんも、在家でも阿羅漢になれるというなら、その論処を示すべきですね。
[887]ユビキタス 08/06/21 18:18 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
おや?>>856の「星まつりの修行をしたことがありますか?ありませんか?」
の二者択一の回答でよい私の質問に回答拒否の無視?
嘘つきにならなくても済む「逃げ」の道を選択しましたな?
[888]如来の子孫 08/06/21 18:20 GoRGEoUS
在家では阿羅漢にはなれない、という典拠もないのです、ラシン君。
釈迦が、護摩を禁じたというのも解釈の違いです。
衣を着たとて出家ではない。
択鉢したからとて出家ではない。
釈迦は衣を着ることや択鉢を禁じたのではない。

護摩も同じことです。
木片を焚いたから清くなったと勘違いするな、という戒めです。
似たような話に、沐浴の話もありますね。
ガンジス川で沐浴したからといって、清くなったと思うな、という
釈迦の話です。釈迦はガンジスでの沐浴を禁じたわけではない。
だが、愚か者は誤解するのです。

釈迦は、衣を着るなといった、択鉢するなといった、護摩をたくな
といった、ガンジスで沐浴するなと禁じた、そういうてあいです。
本質を理解する能力がないのです。釈迦に対する誤解なのです。
[889]ユビキタス 08/06/21 18:24 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>879
修行の量なんて問題にしてないよ。
少なくてもよい。
量より質の問題は、私も会場整理のような縁の下のお役でも観念工夫をしてきた
ことを書いた。
子孫さんに問うたのは、一度でもしたことがあるか、全くしたことがないか
ということです。
少なくても問題にしないが、「無い」「ゼロ」じゃ語る資格ないだろ?
[890]如来の子孫 08/06/21 18:41 Bj.cdF2kI0
結界内で修行したか、しないか、それで信徒の上下の関係は決まら
ないのです。会場係が、結界内修行の上かも知れない。ユビ君も
桐止君もそのあたりの事情、が理解できていないのです。

ラシンさんは、自分の我欲の信仰であったことに、気づいたようで
す。それに嫌気がさして、管長に八つ当たりしています。
反省したらそれで良いのです。誰でも一度はラシンsんと同じ間違い
を犯すと、私は思います。

私は前に書いたように、入行時は神仏を信じていなかった。
輪廻も空想と思ってた。管長の話は眉つばつけて、聞いていた。
そして、徐々に、解脱供養や護摩木勧進もしたのですね。
ユビ元くんが盲信したのとは違い、最初から知性が違うのです。
ユくんの知性は、相手にならないの、です。

ラシンくんの、パンチ力ある批判を期待しますよ。
いまのとこ、たいした批判になっていません。
今のとこは、おまえの母ちゃんでーべそ、程度の批判です。
[891]ラシン 08/06/21 19:15 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>888在家では阿羅漢にはなれない、という典拠もないのです、ラシン君。

番号までハハハと笑っているね、子孫さん。
逆に末広がりで、縁起が良いとも解釈できる。
子孫さんは直裁に非難言葉を浴びせられないと、
非難されたと気づかぬほどの鈍感なのか?
阿含経に在家で阿羅漢になれぬとの記述がないから
などと、可能性を夢見ている?
在家で阿羅漢になったのなら、経に必ず引用し顕すでしょう。
専門の学者も見逃さない。
しかし、学者も仏教者もそんな記述など探すわけがない
と、いうことも気づかぬ子孫さんだからノーテンキな楽観者なのです。
なぜ釈尊が出家したか、なぜ出家させるのか。
出家して修行しなければ阿羅漢果を得ることが出来ないからです。
実に簡単明解な解釈をできぬ、子孫さんの頭の中身を同情する。
それは、あなたが仏教の目的を知らないからだ。
煩悩を断ち切ることが、解脱につながることを知らず、
因縁切りなどとのカルト宗教を信じているから、理解できないのです。
護摩も同じことで、護摩に依存することは煩悩を断ち切れぬばかりか、
煩悩を促進する弊害を釈尊の戒めで理解したから、
カッサパは護摩を捨たのです。

七氏さんは何度もその論証示しています。
一部転用しますから理解してください。
30 :神も仏も名無しさん:2008/05/21(水) 12:37:06 ID:YBfQ3lQD
「ディーガ・ニカーヤ、梵網経、「原始仏典」春秋社、12頁
火の護摩、杓子を用いる護摩、籾殻の護摩、糠の護摩、米の護摩、酢の護摩、
胡麻油の護摩、口の 護摩、血の護摩、
ー中略ー
沙門のゴータマはこのような無益な呪術から離れていると、
比丘たちよ、凡夫が如来を賞賛して 語るとき、このように語るであろう。
どうですか子孫さん、禁止と言う言葉がないではないかなどと、
屁理屈をこねないように、経によくある厭離ということばの意味を考えれば
わかることです。
もう少し、論のレベルを上げてください子孫さん。
[892]ユビキタス 08/06/21 19:50 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>890
だから結界内修行が上だなんてそんな話はしてませんよ。
会場班の方が上かもしれないでよいです。
時に子孫さんは会場班やったことありますか。
ほらね?ロムする皆さん。特に信者の皆さん。
やっぱし回答拒否してるでしょ?
ぶははははははは
[893]ラシン 08/06/21 21:24 *uZs1KhDPLSb*gCw6N3DuFc
>888衣を着たとて出家ではない。
択鉢したからとて出家ではない。
釈迦は衣を着ることや択鉢を禁じたのではない。

苦しいですね。
子孫さんの欠点はズボラな曖昧さだが、ボケキャラで
笑いだけは取って、批判をずいぶん相殺している。
私が示した内容もスルーですか?
ユビキタスさんの質問も都合悪いから無視?
あなたの都合よいところ取りの間違いが分かるから
いいですか、よく凝視しなさい。

ー引用ー
わたしの弟子になろうとするものは家を捨て世間を捨て
財を捨てなければならない。
教えのためにこれらすべてを捨てたものは
わたしの相続者であり、出家とよばれる。
たとえ、わたしの衣の裾をとって後ろに従い、
わたしの足跡を踏んでいても、欲に心が乱れているならば、
その人はわたしから遠い。
たとえ、姿は出家であっても、彼は教えを見ていない。
教えを見ない者はわたしを見ないからである。
(パーリ、本事経)

世間も財も捨てることが出来ない桐山さんが、
僧侶という体裁を整えても、欲(護摩と名誉肩書収集)も
欲に心が乱れ、教え(煩悩解脱を因縁解脱と会釈)を見ていない。
と、釈尊は教えてくれているのです。
また
子孫さんが鈍感を装うならそれは、
例えば、
子孫さんの奥さんがあなたの老臭と我侭に愛想をつかして、
あなたから離れても、嫌いだとは言われていないから
との屁理屈で、奥さんをストーカーするようなものです。
[894]済世活佛 08/06/21 21:51 Ty9NDr9Nsp
極めて卑しい

[192]ユビキタス 08/06/10 19:54 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>87
アゴン宗会員がいる。
入信前から悩みを抱えていた彼は、ある日もう人生がいやになりヤケクソになり
レンタカー屋から軽トラックを借りた。
そして秋葉原の歩行者天国に突っ込み3人を轢くと、運転席から下りてきて
サバイバルナイフで次々に刺しまくった。合計7人が死に10人が怪我をした。
そうです。彼には強い刑獄の因縁と霊障があったのです。
先祖が偽ビールで捕まった怨念の一家だったのでしょうか?(笑)
まだ入信したての彼にはこの因縁と霊障をどうすることもできなかった。
せめて解脱供養でも出していれば・・・
しかし例祭もさぼる怠け者だったので管長と言えどいかんともし難かかった。
こんな殺人犯でもアゴン宗の会員というだけで創価よりも上か?
上になるにはやることをやらねばならない。
釈尊はそのやるべきことを説いたのです。
実行して初めて世の中で日輪のごとく輝き、外道よりも上になる。

なお喩え話ですよ。

[895]徃ハタサキ 08/06/21 21:52 Ty9NDr9Nsp
ラク゚、ヒアー、キ、、テー杰
。?
[634]・讌モ・ュ・ソ・ケ 08/06/17 13:05 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>625
、ハ、?ォ、隍ッ、、ォ、鬢?ノ、ィヤ彫タ、ハ」ソ
メ?Fヤ\カマ、ホヤ彫マ・鬣キ・?オ、?ャヨクユェ、キ、ニ、、、、隍ヲ、ヒ県次、ホヨク県、?ワ、ア、ニヒリヨア、ヒ樟、ヲ
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、ス、キ、ニコ瘟萢タ、ホメ?F、?ミ、。「、ウ、ホマネラ讀?ゥ?、サ、陦「ス菻ミ、マ、ウ、ヲ、サ、陦「ユnミミ、マ、ウ、ヲ、サ、錏br>、ネヨク県、ャ、「、、ホ、ヌ、ケ。」
、ウ、ヲ、、、ヲエ?ミ、ハヨク県、?ノ、ヲ、ケ、、ホ、ォ」ソ
、ェ、ネ、ハ、キ、ッルYク?ャ、ハ、ッ、ニヨツ、キキス、ハ、ォ、テ、ソ、ネムヤ、テ、チ、゙、ィ、陬?br>
[896]済世活佛 08/06/21 21:56 Ty9NDr9Nsp

魔の名前をだすのが怖いようだな・・・
[897]済世活佛 08/06/21 21:58 Ty9NDr9Nsp
間違っている

[891]ラシン 08/06/21 19:15 *uZs1KhDPLSb*UDxcjY5o.M
>888在家では阿羅漢にはなれない、という典拠もないのです、ラシン君。

番号までハハハと笑っているね、子孫さん。
逆に末広がりで、縁起が良いとも解釈できる。
子孫さんは直裁に非難言葉を浴びせられないと、
非難されたと気づかぬほどの鈍感なのか?
阿含経に在家で阿羅漢になれぬとの記述がないから
などと、可能性を夢見ている?
在家で阿羅漢になったのなら、経に必ず引用し顕すでしょう。
専門の学者も見逃さない。
しかし、学者も仏教者もそんな記述など探すわけがない
と、いうことも気づかぬ子孫さんだからノーテンキな楽観者なのです。
なぜ釈尊が出家したか、なぜ出家させるのか。
出家して修行しなければ阿羅漢果を得ることが出来ないからです。
実に簡単明解な解釈をできぬ、子孫さんの頭の中身を同情する。
それは、あなたが仏教の目的を知らないからだ。
煩悩を断ち切ることが、解脱につながることを知らず、
因縁切りなどとのカルト宗教を信じているから、理解できないのです。
護摩も同じことで、護摩に依存することは煩悩を断ち切れぬばかりか、
煩悩を促進する弊害を釈尊の戒めで理解したから、
カッサパは護摩を捨たのです。

七氏さんは何度もその論証示しています。
一部転用しますから理解してください。
30 :神も仏も名無しさん:2008/05/21(水) 12:37:06 ID:YBfQ3lQD
「ディーガ・ニカーヤ、梵網経、「原始仏典」春秋社、12頁
火の護摩、杓子を用いる護摩、籾殻の護摩、糠の護摩、米の護摩、酢の護摩、
胡麻油の護摩、口の 護摩、血の護摩、
ー中略ー
沙門のゴータマはこのような無益な呪術から離れていると、
比丘たちよ、凡夫が如来を賞賛して 語るとき、このように語るであろう。
どうですか子孫さん、禁止と言う言葉がないではないかなどと、
屁理屈をこねないように、経によくある厭離ということばの意味を考えれば
わかることです。
もう少し、論のレベルを上げてください子孫さん。

[898]済世活佛 08/06/21 22:00 Ty9NDr9Nsp
間違い

[893]ラシン 08/06/21 21:24 *uZs1KhDPLSb*gCw6N3DuFc
>888衣を着たとて出家ではない。
択鉢したからとて出家ではない。
釈迦は衣を着ることや択鉢を禁じたのではない。

苦しいですね。
子孫さんの欠点はズボラな曖昧さだが、ボケキャラで
笑いだけは取って、批判をずいぶん相殺している。
私が示した内容もスルーですか?
ユビキタスさんの質問も都合悪いから無視?
あなたの都合よいところ取りの間違いが分かるから
いいですか、よく凝視しなさい。

ー引用ー
わたしの弟子になろうとするものは家を捨て世間を捨て
財を捨てなければならない。
教えのためにこれらすべてを捨てたものは
わたしの相続者であり、出家とよばれる。
たとえ、わたしの衣の裾をとって後ろに従い、
わたしの足跡を踏んでいても、欲に心が乱れているならば、
その人はわたしから遠い。
たとえ、姿は出家であっても、彼は教えを見ていない。
教えを見ない者はわたしを見ないからである。
(パーリ、本事経)

世間も財も捨てることが出来ない桐山さんが、
僧侶という体裁を整えても、欲(護摩と名誉肩書収集)も
欲に心が乱れ、教え(煩悩解脱を因縁解脱と会釈)を見ていない。
と、釈尊は教えてくれているのです。
また
子孫さんが鈍感を装うならそれは、
例えば、
子孫さんの奥さんがあなたの老臭と我侭に愛想をつかして、
あなたから離れても、嫌いだとは言われていないから
との屁理屈で、奥さんをストーカーするようなものです。

[899]済世活佛 08/06/21 22:05 Ty9NDr9Nsp
するどい

[844]如来の子孫 08/06/20 16:18 Bj.cdF2kI0
たぶん、桐止さんには、
「早く俺も法力を身に付けて、人々から崇められ、
ちやほやされたい」という気持ちが強くあった。
だから法力がつかなかったのね
c-11398012
※このスレッドは大団円を迎えた為、投稿は出来ません。