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(終了済)阿含宗と桐山氏について―第三十五章― ダビデの星まつり


  ※このPは記事0〜99までです。
[0]服部エンタープライズ社長 08/03/27 16:16 *vOys31uzjgw*3UiZl5k2AH

 阿含宗と桐山氏について―第三十五章― ダビデの星まつり
[1]手塚治 08/03/27 18:28 OwhRtYP2ev
ダビデとは何か?神とは何か?
偶像とは何か?
旧約聖書について初心者の方は
手塚治の
旧約聖書物語から読むと楽しいですよ。
オールカラー版で出版されています。
[2]大天空使徒エンバイロン 08/03/28 21:03 TJXhpIApnY
だいだんえんだいだんえんだいだんえんだんたいせんだいかいてんだんしんぐ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
[3]精巣のアクメリオン 08/03/31 21:32 TJXhpaXIf9
1万円と2千円前から借りている〜〜〜
[4]如来の子孫 08/04/01 20:52 9hWjqriglk
阿含宗や、桐山如来に対する疑問は何なりと書いてほしい。
私は未熟だ。算数で言えば、せいぜい、分数の加減ができる程度だ。

だが、ここの住人は、もっとレベルが低く、分数が理解できず、
整数の加減だけで議論してる状態だ。だが、私は差別はしない。
分数を学べば、誰でもそれを理解できるであろうからだ。

現役信徒として、私はレベルが低い。
レベルが高い信徒は、ニヤニヤしながら、私のレスを読んでいよう。
私は、その先達と、ここのレスを交代したい。
だが、レベルの高い批判がないことが問題だ。
私が返答に困るような問点を、批判派は問いなさい。

私は、霊界のシュダオン界の力を得て、応えてあげよう。
[5]ユビキタス 08/04/01 22:24 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>前スレ1021
ダメ元信者からユ元信者くんに改善されましたね。偉い偉い。
さて、安般念は阿含経でいろいろ説かれた「らしい」、精神統一の安般念も
あった「らしい」では意味ありませんね。
ご苦労さんです。
安般守意経という経典はあるがこれは初期禅の経典であり、阿含経ではない。
また桐山さんも安般守意経などを出したことはない。
「瞑想入門」では桐山さんは阿含経やアビダルマによると、と解説している。
まあたぶん学者の文献から引用しただけで当時は安那般那念経など原典に
あたったこともないのかな?
子孫さんは瞑想力なんかより読者力をマシにした方がいいですよ。
桐山さんは安那般那念経を全文引用して、(ただし難しいので現代語訳なし)
この中に○息と●息というように15の息のつく単語を列挙して、
15種類の呼吸法があるとしたのですから。
止息経にあるなんて書いてません。
止息経は4つの最上の呼吸法があると書いているのです。
15種類の呼吸法はあくまでも安那般那念経から抽出してみせたのです。
[6]ユビキタス 08/04/01 22:35 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>前スレ1022
ひねくれた姑息な解釈と言うけれど、私らがそんな死んだ被害者が
今度は加害者になって世の中に害を与えるなんてひねくれた解釈などしません。
ただお宅らの桐山さんがそう説いているのですよ。普段から。
著書の中でも何度でも。
被害者も加害者もない。被害者は苦しいんだと仰いますが、桐山さんは
その苦しんだ被害者の怨念が世の中を暗くして災害や戦争の元になり
地球を壊滅に導くと説いているのを、いやいや説明してあげただけですよ。
子孫さんもまたこの桐山説をひねくれた解釈と思いますか?
私もそう思いますよ。
[7]ラシン 08/04/02 10:34 *uZs1KhDPLSb*Es6xibKeON
>[1022]如来の子孫 08/04/01 14:08 9hWjqriglk
悲惨な死に方をして苦しむ霊に、加害者とか被害者とか、
区別があると思うかね?
被害者で死んだ場合は苦しくないと言うのかね?

苦しんでいるかどうかを、どうして解るのですか?
アゴン宗桐山さんが勝手に想像し断定しそれを利用して商品化している。
子孫さんも死後の世界など見えもしないのに桐山説を鵜呑みにして
現実の被害者を霊的祟りのように貶めています。

>あんたらの考えは、世間と乖離しはじめてるよ。
そのまま行くと危険かもよ。

少ない信徒のアゴン宗が、いかほど世間と同調しているのですか?
数の影響から言えば学会の足許にも及ばないでしょう。

>ポアしてあげたほうが、その人のためだ、なんて、狂った考えまで
あるからね。

それはギャグですか?
麻原死刑囚は桐山さんの元弟子であなたの法友だった?
[8]ラシン 08/04/02 11:00 *uZs1KhDPLSb*Es6xibKeON
>[4]如来の子孫 08/04/01 20:52 9hWjqriglk
私は未熟だ。算数で言えば、せいぜい、分数の加減ができる程度だ。
だが、ここの住人は、もっとレベルが低く、分数が理解できず、
整数の加減だけで議論してる状態だ。だが、私は差別はしない。

そのとおり、釈尊自身が善い行いを増やし煩悩を減らせと説いたのは
加減法です。

>現役信徒として、私はレベルが低い。
レベルが高い信徒は、ニヤニヤしながら、私のレスを読んでいよう。

子孫さんをへの批判が、低レベルになるのは致し方ありません。
主張する内容が内容ですから。
>私は、霊界のシュダオン界の力を得て、応えてあげよう。<
シュダオン界って何ですか?
ならばシダゴン、アナゴン、アラカン界って霊界はどこにある?

>私は、その先達と、ここのレスを交代したい。
だが、レベルの高い批判がないことが問題だ。

弱音を吐いても無駄でしょう、ロムしている信者さんも貴方を超えられない。
子孫さんの持ち得る物指しでは、批判側を計れないということですね。
[9]孫 青柿 (あおがき) 08/04/02 11:45 8DATEOmZYA
阿含宗と桐山氏について―第三十四章― そろそろネタ切れだね!?−[1021]

アーナパーナサティは四念処で気付きの行だからヨーガじゃありませんね。
ラジニーシがサティヨーガと呼ぼうがヨーガではないのです。ましてやチャクラの瞑想法ではありません。
字句の意味だけ追ってサティヨーガとヨーガが付いているからクンダリニヨーガと同じようなものだろうとか、
行息、止息とか漢字で連想するのもそうですね。
[10]如来の子孫 08/04/02 13:33 9hWjqriglk
アナパーナサティ=四念処法ではないのよ。
そう思い込んでしまうから間違うのね。
そりゃ、重複する部分もあろうが、それぞれのねらいが違うのよ。
アナパーナサティは、意識呼吸に徹して、意識をよそにそらさず、
思考を許さない修行なのよね。そして思考のない、純粋な心を知る
ための行なのよ。だからこの場合のサティは、気づき、よりも意識
と訳した方が良いの、守意でも良いけど。

四念処法は、ありのままの自分の身心に気づくことから始めて、
気づきを深めて行く手法でしょう。いわば観なのよ、四念処観。
アナパーナサティは、呼吸に、止なのね。観でなくて止なのよ。
止は集中、観は拡散でしょ。だから安般念と四念処は違うのね。
でも、修行の最終段階では、止と観が同じになっちゃうのね。
密教では、「止観、均等の境」というらしいけど、すべてに気づいて
いて、しかもすべてに集中できている状態だと言うのね。
言葉では言えるけど、想像でしかないね。それが出来たら如来だから
ね。だから、安般念(止)と四念処(観)は、イコールではないの
です。でも、止も観も、最後は一緒です。
[11]如来の子孫 08/04/02 14:05 9hWjqriglk
釈迦が安那般那念経を説いたとき、チャクラの開発を意図したか、
意図しないかは、知りようがない。しかし、管長は安那般那念経を
ヨーガ的に修行してチャクラの覚醒に成功したのでしょう。
だから、その方法を信徒に教えた。
だから、安那般那念経の古来の解釈と、桐山流解釈が違うからと
言って、間違いだとは言えないのよ。
実際に成果を上げてる信徒も居るのだからね、私を含めて。
青柿くんみたいに成果がないからと言って、すべての人に成果がない
とは言えないのよ。

しかし、廃人のようになるまで梵行疲れを起こして、退会したのは
おしかったね。そこで梵行を止めたらよかったのだ、そうすれば、
劇的な何かが起きたと思う。釈迦を考えましょう、彼は解脱の心を
求めて、求めて、得られず、更に求めて疲れ果てた。
そして、最後には疲れ果てて廃人のようになり、
「もうどうでもいい」と思ったと、伝えられている。
そして、ゴータマが、もうどうでもいい、と欲求の心を捨てたとき、
奇跡の扉が開いたわけだ。

管長も似たような体験を法話で話してましたね。
因縁切りの法はどこにあるかと、求めに求めたが、見つからない。
そこであるとき、「もういいや、因縁切りの法が見つからなくても
いい、こうして信徒と修行できてる、これで十分じゃないか。因縁
切って、少しくらい長生きしたとて、それが何だ」とか、思った
そうだ。そのように考え方を切り替えたとき、37道品が因縁切り
の法であることを発見したのだという。

私にも、些細な体験だが、似たようなことが、あった。
青柿くんは梵行で疲れ果てたときが、転機・チャンスであったのだ。
退会してしまっては、もう、どうにもならないね。
[12]如来の子孫 08/04/02 16:14 9hWjqriglk
ラジニーシはね、アナパーナサティ・ヨーガと呼んでるだけでは
なくてね、釈迦をヨーギの一人と見なして、講話をしてますよ、
青柿くん。

まっ、ラジニーシと青柿くんのどちらが正しいか知らないけど、
どちらが人々に与える影響力が大きいかは、比べるまでもないよね?

また、算数の答えなら、正解と不正解がはっきりするけど、経典の
解釈は算数ではない。学者の解釈と霊能者の解釈でも違ってくる。
[13]てんがろん 08/04/02 19:37 YSyDNF6OOc
ssssssssssssssss
[14]ユビキタス 08/04/02 21:33 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>10
子孫さんの説いていることは、アナパーナ・サティであれ四念処であれ
桐山さんの説いているそれとも異なりますから、これに反レスをつける
ことは意味がないので致しません。
桐山さんは安般念を意識を呼吸に止めて他の雑多な思考を許さない
なんて説いてないからです。
四念処もありのままの自分を知ることなどと説いてない。
桐山さんによると七科三十七道品と言えども、そのほとんどの科目は
オシエであり、あるいはオシエの瞑想としている。
四念処もオシエの瞑想から成り立つとしているわけです。
七覚支もまたオシエの分類で、成仏法の成仏法たる真価はオシエではなく
特殊な技法にあるとして、それは四神足法だとしている。
四神足法こそ成仏法の核であり、この練行で脳を作り替える。
その時にチャクラやクンダリニーのルートも使用し、ここに気をめぐらす
のです。それが安那般那念経に説かれる15種類の呼吸法だというのです。
止息経の4つの最上の呼吸法は奥伝とも言うべき仕上げの段階の脳の操作法
みたいな位置付けでそこに至るまでに安那念の特殊な呼吸を用いた意念を
チャクラを活用してめぐらしてそのエネルギーを脳に送り込み脳を改造する。
耳に聞こえない特殊な振動を発振してチャクラを開発する。
そういう呼吸法なわけです。
これが成仏法の極意だから、わざわざ安般念を四神足の奥義として
四安那般那念法としているのです。
だからこのトンデモ説の立場に立って擁護してもらわないことには
あなたがいかに美しい言葉でそれらしいことを書いても、こちらは
これは言語表現の大差ないニュアンスの違いで細かいところに反論
しても仕方ないのです。
子孫説はよいから桐山説でかかってきて下さい。
[15]孫 青柿 (あおがき) 08/04/02 21:38 8DATEOmZYA
ユビキタスさん、ラシンさん >>10で子孫さんが
「四念処法は、ありのままの自分の身心に気づくことから始めて、
気づきを深めて行く手法でしょう。いわば観なのよ、四念処観。」と書きましたよ。
今までは般若心経瞑想法が四念処観だの、出家に空観の定義を聞かないと実習できないだの
とにかくゲイカの四念処観の説明を鵜呑みにしてたのが、
正しい解釈をするようになりました。歩みはとてつもなく遅いけど彼なりに進歩しているようですw

まあ、あとはデタラメだらけですが・・
[16]ユビキタス 08/04/02 22:24 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>11
安那般那念経をヨーガ的とやらに修行してチャクラの開発に成功したとか
いう桐山さんが我々に何かそれを教えてくれましたか?
著書でその夢物語の映画の予告編を書いただけです。
だからかつては青柿さんも信者の立場でこの開発の技法を示さない体質を
批判し、今も現役信者の干柿さんも、チャクラであれ何であれ看板の技法を
教えないことを痛烈に批判しているのです。
あなたは看板さえあればよいのですね。
予備校のパンフレットだけ集めて東大進学率の高さを誇り、いざその
予備校が開講すらしなくても気にならない。
まああなたの場合は今後何の伝法があろうと受講して修行などしないのだろうが。
開発とは違うが好運会にも資格がなく参加できなかったようだし。
ごろ寝をして肘をつきながら、私は桐山師匠を父や祖父以上に尊敬している
と表明する礼儀知らずですからね。

それから釈尊がもうどうでもいいやと思って欲を捨てた時に発見をしたと
いうエピソードの経典を示して下さい。
だいたい想像がつくが表現が適当でない。

それよりも桐山さんが因縁が切れなくても信徒とともに修行ができればいいや
と思ったところ七科三十七道品を発見したという発言をあなたはおかしい
と思わないか?
私などはアゴン宗以前の入行だが、密教時代から因縁切りを絶対的な
自信をこめて説いていたのです。
やっていたのは千座行です。そしてアゴン宗を立宗してからも特に変わった
ことはなく千座行を続けた。
千座行が三世因縁解脱の成仏法だとしていた。
千座行でアナゴンまで行けますよと話したこともあった。
アゴン宗以前からの千座行で。
こういう点に矛盾や疑問を感じないか?
阿含経の成仏法を発見するまでは因縁切りの法がなかったのだそうだ。
しかし信者にはそんなことを告知していない。
騙していたことになる。
後になって、自分本位で因縁ガ切れなくてもよいではないかと思ったなんて
述懐しても、信者には通用しません。
因縁切りの法がなかったのなら因縁切りなど説くな。
責任というものをどう考えているのか?
信者は因縁で脅されて、因縁切りを勧められて入行したのです。
[17]ユビキタス 08/04/02 22:31 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>15
そのとおりです。
子孫さんはこちらとの議論を通して、かつてのラジニーシ師の読書知識
なども引っ張り出すことによって、桐山説から離れてしまったわけです。
それを>>14で指摘したわけで、こうなるとそれ(桐山外説)に対する
議論の価値はない。
[18]ユビキタス 08/04/02 22:57 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>12
ヨーガという用語は釈尊以後の紀元後の六派哲学のヨーガ学派から
始まっているのですが、そのルーツはそれこそインダス文明時代から
そのような訓練がなされていたようですから、釈尊もまたそのような
修行を遍歴して成就していてもおかしくありません。
ラーマプッタの非想非非想処定の瞑想にも達成したわけですし。
またヨーガとは心身の綜制を意味しますから、釈尊ほどそれを成し遂げた
人はいないわけで、ヨーガを極めたヨーガの達人と表現してもよいわけです。
ただし技法が釈尊ならではのオリジナル性があり、ゆえにこれをハタヨーガ
だのクンダリニーヨーガなどとは言わずに、アーナパーナサティヨーガ
とか表現するわけですね。
ところで、そうですか、ラジニーシの本に釈尊とヨーガのことについて
評価の論がされてましたか?
実は桐山さんは著書の中で釈尊はヨーガの達人だったと阿含経典に
書かれていると示している。
しかしそのように書かれた阿含経典を未だに誰も発見できておらず、
甚だ怪しいのです。
ヨーガの達人であることに異義を唱える気はないのだが、経典にそのような
記述があるというのが欺瞞ではないかと思うのです。
この問題について私はスッタニパータにある「ヴェーダの達人」の読み違い
でないかと推測を示したことがある。
ひょっとするとそうではなく、阿含経典ではなくラジニーシ本の評価論述
を阿含経典などとあやふやな記憶で間違ったか、調べもせずに強引に
阿含経典に出典があるかのように捏造したのかもしれませんね。
[19]ラシン 08/04/03 00:21 *uZs1KhDPLSb*JRyahL5EQK
>[15]孫 青柿 (あおがき) 08/04/02 21:38
ユビキタスさん、ラシンさん >>10で子孫さんが
「四念処法は、ありのままの自分の身心に気づくことから始めて、


私もそれを読んで今までの持論をそれとなく変更している子孫さん?
と思いましたが、青柿さんが指摘されたように後は桐山説とも違う混乱が伺えます。
とにかく神変好き、神通力好きな子孫さんですから、
いっそ桐山さんが述べていたように階段から落下しビテイ骨を痛打すれば、
クンダリーニが覚醒するかもしれないと、教えてあげたい。
[20]孫 青柿 (あおがき) 08/04/03 00:46 8DATEOmZYA
>>14 これは重要ですね。批判派が釈尊は護摩を禁止してるとか現世利益を否定してるとか私がまだ信者だったころはそんなことは重要じゃなく(今ではそれも重要な論点ですが)
成仏力の獲得の方法こそが重要でそれを涅槃のみに使用するか現世利益にも利用するかの違いでしかないと思ってました。
だからこそ四神足法、安那般那念経、止息経のいわば成仏法の核の部分の教学のみが正しければあとはどうでもいいとまで思いました。
これがウソだからといってすぐ辞めたりはしませんでしたが、少なくとも阿含経に説かれた成仏法を世に出す、なんて建前はゲイカの処世術だった、と知りました。
"7科37道品""四神足"とか単語だけ出しても無意味ですし、それをどうやって修するか具体的なところが(また釈尊は弟子にどういう技法伝授してるのか)重要なのですから。
[21]孫 青柿 (あおがき) 08/04/03 11:16 8DATEOmZYA
>>19 そうですw それとなくこっそりなにげなくさりげなく変更してます。
で、桐山説から離れ桐山説を擁護するつもりが反対に正しくないという証明をしてしまってます。
自分の知識があることをひけらかして教祖の首をしめる信者ですw
[22]如来の子孫 08/04/03 12:34 9hWjqriglk
青柿くんに、ラジニーシを思い起こさせてもらい、有難く思う。
私は瞑想の本が好きだったので、彼の講話も十数年から読んだ。
ラジニーシは、二言めには、「瞑想とは気づきだ」と話す方でね、
話す内容も凡人には説けないことばかりでしたね。
釈迦をヨーギと呼んでたし、本当のグルとは次々と技法を変えねば
ならない、なぜなら技法に効果はないからだ、とか話してましたね。
彼はダイナミック瞑想法を指導し、沢山の瞑想法を創作しては廃止し
てましたね。その中で、安般念も指導していた。

私のレス内容が変わったように見えたら仕方ないが、
考え方は変わってないのよ。桐山管長の瞑想は、気づき瞑想の、次の
段階の瞑想なのです。普通、人はテレビだ新聞だ、政治だ経済だ、
スポーツだ芸能だ、というように、自分以外のところに思考や意識
がある。その意識・思考を自分に向け、ありのままの自分の身心に
気づき、それを深めて行く。これはラジニーシも説いてます。
私は、何年も実習してみた。阿含宗徒でありながら、気づきの瞑想法
を実習したのです。管長は、択法覚支を、どれが真実の教法か、
自分で試して修行して探せ、と説いてますからね。

そして、何年か、気づきの瞑想法を実習して、出した結論が、
気づきの瞑想法だけでは、因縁から出てくる自分の煩悩は切れない、
ということでした。何度も書くように、それで間に合う人は、それで
いいのですよ。
管長の瞑想法は、自分の思考・感情に気づいてから、自分の
煩悩(因縁)を断つ技法なのです。
因縁→性格→思考→人生、の思考に注目し、思考をコントロール
して、根本の因縁を断じてしまう、という手法です。
管長は、気づきの瞑想法や、ダイナミック瞑想法や、超越瞑想法を
知らないわけがない。瞑想の本を書く人にそれはあり得ないです。
管長の本をよく読めば、それに気がつきます。

[23]如来の子孫 08/04/03 13:17 9hWjqriglk
例えば、脳と心の革命瞑想の本、P76〜78には、数息観の意識呼吸
と随息観と無念無想について説いてます。意識呼吸にはいつまでも
とらわれるな、と説いてます。だが、最初は意識呼吸からはじまって
次第に高度化していくのです。数息観、随息観、と観が付くから
観(ビバシャナ)と勘違いしてはいけない。意識呼吸は、呼吸に集中
する止(シャマタ)から始まります。だが、次第に高度化すると、
安那般那念経にあるように、呼吸に気づきながら、無常を観察し、
断を観察し、無欲を観察し、というように、止(サマタ)と
観(ビバシャナ)が同時に行われるのだな、とわかります。
だが、安般念の最初は止(集中)から実習しないといけません。
管長が説く、数息観も随息観の解説も、安般念の解説なのです。
無念無想については、雑念が出てもかまわない、それを相手にするな
と、説いてます。ここはラジニーシと同じです。ラジニーシは、雑念
には無関心でいろ、と教えます。
[24]孫 青柿 (あおがき) 08/04/03 13:28 8DATEOmZYA
子孫さんは>>14にレスできますか?
随息観て禅だから止に決まってますでしょうが。
それより14に反論してみなさい。
[25]如来の子孫 08/04/03 13:44 9hWjqriglk
安那般那念経に、呼吸に気づきながら、無常を観察し、断を観察し、
とあるように、止(サマタ・集中)と観(ビバシャナ・拡散)を
同時に出来るようになる、ことがわかります。
管長は、これを、「人間改造」の本で、「止観均等の境」と解説し、
瞑想の最終段階であることを説き、自身で取り組んだ体験を記して
います。おそらく、管長はそれを会得しました。

安那般那念法の最終段階になると、観神足法になるのであろう、と、
管長は本に書いています。私は、未熟者だが管長の説に賛成です。
もちろん、ここから先は、六通の世界が入ってきます。
議論できない、というか、書けない内容になってきます。
下手に書くと、空想物語になってしまいます。
私にも、ある出来事があり、管長の説に同意せざるを得ません。
だが、私の、ある出来事の、内容は、書けません。
体験者以外には、必ず、誤解されてしまうからね。
[26]孫 青柿 (あおがき) 08/04/03 14:00 8DATEOmZYA
逃げまくってますね。だせえw
最終段階は分らないにしてもチャクラにプラナめぐらすと安那般那念経に説かれているの?と聞いてるのです。
成仏法の詳しい技法がマグマやパールみたいなのをナディに通すのものか?と聞いてるんです。
[27]如来の子孫 08/04/03 16:06 9hWjqriglk
安那般那念経は、呼吸に気づきながらの無常を観察し、とか、
最終的には、止・サマタと観・ビバシャナを同時に出来るまでに
なるための修行法でしょう。試して御覧なさい。息を忘れずに、
アレコレの観想など、最初からできるわけがない。
気づきには、能動的気づきと受動的気づきがある。
受動的気づきでなければいけないのだが、最初は、能動的気づき
から始めないと、すぐに気がそれてしまう。

管長は、安那般那念経を、ヨーガ的に修行した、ということで
しょう。チャクラ覚醒やクンダリニーの上昇は、聖者の中にも、
自覚する人と、自覚出来ない人が居るという。気道に抵抗がある
場合は自覚し、スムースな場合は自覚出来ないという。
管長の場合は、気道に抵抗があったので、自覚できたと思う。
安那般那念経の読み方は、人、それぞれである。
チャクラに気息をめぐらす、と書いてあるか?と問われたら、
チャクラと気息という語はない、と答えるしかない。

だが、経の意図するところ(止と観を同時に出来るまでの法)を
理解し、そのための効果的な技法を、教えることは優れたことで
あろう。
別に、古来からの伝統的な解釈で、修行しても一向に構わないと
思いますよ。そうしたい人は、そうすればいいのよ。

でも、管長が古来からの解釈を、アレコレ探して、そのまま解説
されたらどう思いますか?古来からの解釈では解脱できなかった
から、ご自身、ヨーガへ行ったわけでしょ。
そういう独創性があるわけですね。

[28]如来の子孫 08/04/03 17:00 9hWjqriglk
私には、入行前に、現出した因縁が5つ、あった。教えられずとも
はっきり自覚できた因縁である。一つだけ、具体例を挙げる。
一つだけだよ。私には、気になる怪我の傷痕、後遺症が複数あった。
この因縁は、教えられなくても、肉体障害の因縁だと自覚できる。
別に因縁の種類を教えられずとも、自分でわかる。
このように、自分で自覚できる因縁が他に4つ、現われていた。
今は、そのうちの3つは切れたか薄れたか、その因縁に悩まされる
ことはない。残りの二つは、まだ残ってると思うが、生活に支障が
あるほどではない。

推測だが、私が気づきの瞑想法だけで、これらの因縁が切れたり
薄れたりすることは、なかったと思う。無意識層に迫る頃には、
管長の言う、魔境に入り、どうにも出来なかったと思う。
管長のいう「法の加護」によって、ここまで来れたと思う。
[29]如来の子孫 08/04/03 17:28 9hWjqriglk
前レスをした後、ちょっとした異変が起きた。

調子に乗って書き過ぎた、天罰かも知れない。
2つの因縁残してて、「生活に支障があるほどではない」と前レスで
書いてしまった。支障がないなら因縁などではない。
生活に、支障があるし、このあたりで満足すべきではなかったのだ。

前レスの後半部分は、取り消しておきたい。
[30]孫 青柿 (あおがき) 08/04/04 00:16 8DATEOmZYA
>>29 具合がお悪いようですね。ちゃんとしたところ、例えばカルチャースクールとかで気功とか習ったほうがいいですよ。
あごんでは救われませんね。

>>27 >安那般那念経の読み方は、人、それぞれである。チャクラに気息をめぐらす、と書いてあるか?と問われたら、
チャクラと気息という語はない、と答えるしかない。

うげげ! やっぱインチキじゃん。チャクラに気息をめぐらす、と書いてないのですよね。
自分は会員時代それを信じてたのにゲイカはウソをついてたのですね。

>安那般那念経の読み方は、人、それぞれである。

私は安那般那念経はカーマスートラかもしれないと思いますよ。(本当はそんなこと思わないが)
息を観察し、身体を観察し、喜と楽を感じてるのを観察し、心をも観察し悦を観察し、で最後に無欲になるって、
ハウ・トゥ・セックスを想像しませんか?
私はもてませんから、ユビキタスさんを例に説明しますね。
ユビ氏はよく旅行されますが、今回も旅先でお姉さんやお嬢さんをゲットしたとします。
で、安那般那念経の口訣に従いユビ氏はお嬢さんの息と身体を観察し喜と楽に導き心理状態をも把握し悦にも導き、
絶頂満足せりて、無欲に至らしめたとします。

そしてその方法を弟分達に教えたとします。
でね、安那般那念経の古来の解釈と、違うからと言って、間違いだとは言えないのよ、と言えますか?
実際に成果を上げてる兄貴も居るからって、それって正しいという証明になりますか?
[31]たまに顔出す干柿 08/04/04 00:51 rJG8OghSkB
屁理屈こいてないで実習しろよ!
二人とも!
机上の空論などアキアキだね・・・。
[32]ユビキタス 08/04/04 07:54 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>29
いや、生活に支障があるかないかが因縁の有る無しの目安ではありません。
特に生活に支障がなくとも、因縁が軽いというだけの話で因縁はあるのです。
あ?桐山因縁の立場に立った話ね。
たとえば脳障害の因縁。軽いのは頭痛や肩こりに悩まされるなんて程度です。
それで仕事ができなくなる必要はない。
桐山さんは脳梗塞で倒れ入院もして長年のリハビリ治療で回復もしました。
もっと重い脳梗塞ならば死にも至るし、四肢麻痺したり植物人間にもなります。
そこまでいかなかったのだから軽い部類の脳梗塞です。
しかしだからと言って脳障害の因縁がないなんてことにはならない。
この脳障害の因縁が切れていなかったのです。
ならばもともとがすごく重篤な脳障害の因縁をあそこまで軽減したなどという言い訳も通用しない。
桐山さんは全ての悪因縁を切った有余依涅槃を得たと宣言したのだし、
第一自分には胃ガンの因縁はあったが、脳障害の因縁はなかったと
機関誌に書いていた。
そんなことよりも、

>>28
気づきの行をしていて肉体障害の因縁を切ろうなんて考えること自体が
間違っているのです。
だから因縁切り、因縁解脱なんて仏教の教義にないのです。
目的、目標は自分の煩悩からの解脱です。
怪我や病気や肉体障害は煩悩ではありません。
また煩悩をなくしたからといって怪我がなくなることはありません。
肉体障害に挫けない強い安定した心を持つだけです。
目的、目標が違うのだから、子孫さんが気づきの行に満足しないのも当然でしょう。
[33]ユビキタス 08/04/04 08:25 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>22
気づきの瞑想の次の段階の瞑想だなんて勝手なことを言っても、桐山さんは気づきの瞑想
自体を説いてもいないし、今は安那般那念の話をしているのです。
安般念はラジニーシも気づきだと言っているし、現代の上座仏教の実践者たちも気づきだと
言っているし、学者もまた気づきと言って共通している。
桐山さんだけがチャクラがどうのこうの超人開発の技術みたいに説いている。
安那般那般経、アーナパーナサティ・スッタが文字として残された
経典として残されているからです。
その経典に書かれていることをそのまま素直に解釈実践しただけです。
仏教の目的が煩悩からの脱却だと理解しているからです。
気づきの次の段階とはその気づいた煩悩をなくすることです。
しかし桐山さんはそんな道も説かずにチャクラをめぐらすことを説くことに
余念がない。
ラジニーシの説く安般念と桐山さんの説く安般念は絶対に相容れないのですよ。
[34]ユビキタス 08/04/04 08:50 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>27
そういうのは独創性とは言わないのです。
仏教には安般般那念という気づきの実践もあるが、桐山さんはこれでは
インネンゲダツに不足不十分だから自分はヨーガのチャクラ開発の構想こそ
を主体にしたことにしようと言うわけです。
そのことを仏教の安那般那念経の解釈などに使ってはならない。
[35]スターダスト 08/04/04 08:59 HlZu12G5Jy
>>33
>>─────────────────────────────
仏教の目的が煩悩からの脱却だと理解しているからです。
気づきの次の段階とはその気づいた煩悩をなくすることです。
しかし桐山さんはそんな道も説かずにチャクラをめぐらすことを説くこ
とに余念がない。
─────────────────────────────<<

その通りです。阿含経の99パーセントは『煩悩からの脱却』です。
座禅でも、禅思と言って四念処などの法を思惟する修行なのです。もち
ろん煩悩からの脱却の修行です。
「安那般那」は最高の修行法で『無想定』の修行です。もちろん、少し
の煩悩があっては成り立ちません。安那般那によって神通力を得ること
ができることは本当です。
[36]仏法僧 08/04/04 09:47 HlZu12G5Jy
>>10
>>─────────────────────────────
四念処法は、ありのままの自分の身心に気づくことから始めて、
気づきを深めて行く手法でしょう。いわば観なのよ、四念処観。
─────────────────────────────<<

四念処は観だけではないよ。

**********************************************
また比丘、身を観ずること身の如し。
比丘は悪不善の念を正ぜば善法念を以て、治断滅止す。
猶ほ、木工師、木工弟子、彼墨縄を持ちて用いて木にふるへば、則ち、
利斧を以て直ならしむるが如し。
此の如く比丘、悪不善の念を生ぜば善法念を以て治断滅止す。
**********************************************

木工師が曲がった木を斧で真っ直ぐにするように、悪不善の念(煩悩)
を滅尽せよと言っているのです。
[37]仏法僧 08/04/04 10:49 HlZu12G5Jy
>>28
>>─────────────────────────────
私には、入行前に、現出した因縁が5つ、あった。教えられずともはっきり自覚できた因縁である。一つだけ、具体例を挙げる。
一つだけだよ。私には、気になる怪我の傷痕、後遺症が複数あった。この因縁は、教えられなくても、肉体障害の因縁だと自覚できる。別に因縁の種類を教えられずとも、自分でわかる。
このように、自分で自覚できる因縁が他に4つ、現われていた。今は、そのうちの3つは切れたか薄れたか、その因縁に悩まされることはない。残りの二つは、まだ残ってると思うが、生活に支障が
あるほどではない。

推測だが、私が気づきの瞑想法だけで、これらの因縁が切れたり薄れたりすることは、なかったと思う。無意識層に迫る頃には、管長の言う、魔境に入り、どうにも出来なかったと思う。
管長のいう「法の加護」によって、ここまで来れたと思う。
─────────────────────────────<<

確かにそういう力はあります。しかし、瞑想法の力ではなく信仰の力で起きるのです。つまり、信じることが大事なのです。
聖書には『信じて疑わなければ、山に向かって海に入れと言ってもその通りになります』とあります。これは信じることによって何でも成就するという意味です。だから信じればいいのです。

例えば、怪我の後遺症でも、その原因が交通事故であったとするなら、交通事故の因縁は『人との衝突(怒り)』です。この因縁を滅すれば後遺症もなくなるわけです。つまり因縁を特定し、それを滅尽する方法が一番手っ取り早いわけです。

そこで、いかなる不幸(苦)の原因であっても一切の因縁は『煩悩』の中にあるのです。だから仏教では、『煩悩の滅尽が苦の滅尽である』と説くのです。
[38]如来の子孫 08/04/04 11:02 9hWjqriglk
昨日の異変が起きた、とはね。
17:00にレスをして、今日はこれでお終いと、パソコンの電源を
切って、パソコンを閉じたのです。それから10分か15分したろう
か?上半身のある部分に、突然、プクリとシコリ、吹き出物が出来た
のです。数ミリの大きさだけど、邪魔くさくてね、気になる場所し、
かと言って、病院へ行くほど大げさなものではない。どうしたんだろ
うと、考えても原因がわからない。レスのせいかと思って17:30
頃、再度、あのようなレスをした。
そしてパソコンを閉じて、ものの10秒もしたろうか、
なんと、その邪魔な吹き出物が、突然しぼんで消えてしまいました。
今朝、その場所をみたら、薄く痕跡が残っています。
これは偶然なのか?本当にレスのせいだったのか?

ともあれ気功などは、習う必要はないようです、青柿くん。
[39]如来の子孫 08/04/04 11:18 9hWjqriglk
安般念守意経には、「心に悪が生じた時は、道(37道品)を念じて
悪を断ぜよ」と、あります。
だから、「念」を気づきとだけ訳してたのでは、不十分です。
文字どおり、念、とも訳す必要があるのです。

管長は、思考のコントロール方法や、フランクリン式煩悩撃退法を
提示して、煩悩を断じる手法を教えています。私はそれを実践した
ので6大根本煩悩は、薄れていると思う。
例えば、「疑」などは、ユ元信者くんや、ラシンくん程、強くない。
ユ元信者くんやラシンくんのレスを読むと、人を疑う、猜疑心が
あることがわかる。たぶん、フランクリン式煩悩撃退法を実践しな
かったからでしょう。
[40]仏法僧 08/04/04 11:18 HlZu12G5Jy
>>27
>>─────────────────────────────
だが、経の意図するところ(止と観を同時に出来るまでの法)を
理解し、そのための効果的な技法を、教えることは優れたことで
あろう。
別に、古来からの伝統的な解釈で、修行しても一向に構わないと
思いますよ。そうしたい人は、そうすればいいのよ。
─────────────────────────────<<

止と観を同時に行うことはできません。
まず、四念処を観察する。そして、観察によって煩悩を滅する。終わっ
たら止(安那般那)を行う。すると煩悩が浮かんでくる。そこで、また
四念処や八正道を観察し、煩悩を滅尽する。

これを交互に行うことを『止観』と言うのです。
それに古来の解釈とかいくつかの解釈があると考えるのはおかしいでし
ょうね。仏法の解釈は一つでなくてはね。
[41]如来の子孫 08/04/04 11:46 9hWjqriglk
修行者には止と観を同時に行うことは出来ません。
ですが、修行の完成時には止と観が同時に出来る、と、瞑想の指導者
は説いています。例えば桐山管長はそれを、「止観、均等の境」と
称して第4禅の上位に置いています。
同じように、青柿くん紹介の、ラジニーシは、講話で、
「写真を撮るとき、カメラの絞りで焦点・ピントを合わせるように、
心を対象物に合わせる、これが集中だ。普通は、対象物に焦点を合
わせると、対象物以外には心(観照)は届かない。だが、修行の最終
段階には、すべての対象に焦点を合わせることができるようになる。
それが瞑想だ。」と、話しています。
つまり、止と観が同時に出来る、と言うのです。

でも、私どもには、言葉ではわかっても、その内容はまだわかりま
せん。
バカチョンカメラの原理はどうなってるんでしょうかね?
すべての被写体に、同時にピントが合う原理?なのでしょうか。
[42]仏法僧 08/04/04 12:10 HlZu12G5Jy
>>41
>>─────────────────────────────
同じように、青柿くん紹介の、ラジニーシは、講話で、
「写真を撮るとき、カメラの絞りで焦点・ピントを合わせるように、
心を対象物に合わせる、これが集中だ。普通は、対象物に焦点を合
わせると、対象物以外には心(観照)は届かない。だが、修行の最終
段階には、すべての対象に焦点を合わせることができるようになる。
それが瞑想だ。」と、話しています。
つまり、止と観が同時に出来る、と言うのです。

でも、私どもには、言葉ではわかっても、その内容はまだわかりま
せん。
バカチョンカメラの原理はどうなってるんでしょうかね?
すべての被写体に、同時にピントが合う原理?なのでしょうか。
─────────────────────────────<<

何のために対象物にピントを合わせなくてはならないのですか?
何を言いたいのかよく分かりませんね。
止と観は『心の静止』と『煩悩の観察』という意味です。
一切の煩悩を滅することが仏教の目的です。

煩悩が無くなると『思考が停止(止)』します。考えることが無くなる
のです。そのとき、自己の心の中にある神的な力に通じ、神通力が発現
するというのが仏陀の教えです。
[43]仏法僧 08/04/04 12:42 HlZu12G5Jy
>>39
>>─────────────────────────────
例えば、「疑」などは、ユ元信者くんや、ラシンくん程、強くない。
ユ元信者くんやラシンくんのレスを読むと、人を疑う、猜疑心が
あることがわかる。
─────────────────────────────<<

「疑」というのは、「人を疑う」「猜疑心」などのことではないですよ。
「疑」とは三宝、「仏法僧を疑うこと」つまり、「仏の言葉、仏の法、仏
の弟子の言葉」を疑うと言うことです。
[44]孫 青柿 (あおがき) 08/04/04 12:52 8DATEOmZYA
>>38 虫にさされたんだろw ムヒ塗っとけ!

>>39 安般守意経は安那般那念経じゃないですよ。

ところでチャクラの開発など安那般那念経に説かれてない件どうしてくれます?>>30
[45]ユビキタス 08/04/04 12:52 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>38
あなたの気まぐれなしこりだか吹き出物などどうでもよいが、生活に支障
のないものを桐山因縁とは言わないなんて話は桐山さん的にもそうは
説いておらず、単なる因縁の強弱の話です。
あなたが気まぐれなしこりをこの掲示板のレスとどうしても関連付けて
解釈したいのならそれは可能ですよ。
書き込んで終了したものの、どうも自分としては間違ったことを書いて
しまったように気づいた。後から訂正手直しするわけですから。
つまりあなたの心の中のちょっとした罪悪感のしこりがそのままあなたの
身体の一部にも反応した。
それは訂正を書き込むことによりちょっとした安心感が生まれ罪悪感が消えた。
で、身体の吹き出物も消えた。
気のせいではない証拠に痕が薄く残っていた。
つまり心因性、一種のストレスによるものです。
あくまでもあなたの心のストレスと罪悪感とその解消であり、その罪悪感
が正しいかどうかなんて関係ない。
仏様がお叱りの意味で手を加えたのではなく、全てあなたが無意識の
うちに反応症状を起こしただけです。
[46]孫 青柿 (あおがき) 08/04/04 12:59 8DATEOmZYA
>>31 カルト信者の分際でそれはないでしょうw あなたこそ脱会してから大口叩きなさい。
会費払ってるなら資金援助してるわけですから。
それかもっと情報書いてスパイの役割しなさい。そうなると話しは別だ
[47]如来の子孫 08/04/04 13:21 9hWjqriglk
四安般那念法の修行により、四神足法を成就して、超人的な能力を
獲得することができる、というのが管長の教えです。
これが正しいのか、過ちなのか、凡人には証明できないと思う。
六神通についても、科学的な学者は否定しがちである。
六神通の一つでも、自分にその能力がある場合は、肯定できる。
あるいは、手品の要素がない実験で、他人にその力を見せられた場合
でも、六通の存在を肯定せざるを得ないだろう。

私は、上記のどちらかを体験しており、六通の存在を肯定する。
だから、管長の念力の護摩を、可能だろう、と思う。
そして、念力の護摩を焚けるくらいの強い思念で、脳を刺激した
場合、眠っているニューロンを覚醒させることも、可能だと思う。
つまり、脳の改造は可能だと思う。
気息を体中にめぐらせることで、緊張している筋肉はくつろぐ。
あるいは、不随意筋を動かせる人も、出てくると思う。

何年か前、ニュートンという学習雑誌(今もあるのかな?)で脳の
特集があり、管長のいうワニとウマと人の脳の説明が正しいこと
を知った。また、あるドクターの講演を聞いたときも、爬虫類の脳
など、管長と同じ話をしていた。釈迦の時代に、今と同じような脳
科学の知識があれば、あるいは釈迦も管長と同じように説いたかも
知れないのだ。
「仏陀メシアの法」は、念力の護摩を焚ける力を持つ人、
そういう人にしか説けない内容だと思う

[48]仏法僧 08/04/04 13:39 HlZu12G5Jy
>>47
>>─────────────────────────────
四安般那念法の修行により、四神足法を成就して、超人的な能力を
獲得することができる、というのが管長の教えです。
これが正しいのか、過ちなのか、凡人には証明できないと思う。
六神通についても、科学的な学者は否定しがちである。
六神通の一つでも、自分にその能力がある場合は、肯定できる。
あるいは、手品の要素がない実験で、他人にその力を見せられた場合
でも、六通の存在を肯定せざるを得ないだろう。
─────────────────────────────<<

まず、仏法には『四安般那念法の修行』というのはありません。
確かに、四禅によって六神通が発現する。とありますが、未だかって、
日本の僧侶で『シュダオン果』を得た者はいないでしょうね。
なぜなら『三結の意味』を明確に答えられる者がいないからです。
シュダオンも得られずに、神通力は得られないでしょうね。

>>─────────────────────────────
何年か前、ニュートンという学習雑誌(今もあるのかな?)で脳の
特集があり、管長のいうワニとウマと人の脳の説明が正しいこと
を知った。また、あるドクターの講演を聞いたときも、爬虫類の脳
など、管長と同じ話をしていた。釈迦の時代に、今と同じような脳
科学の知識があれば、あるいは釈迦も管長と同じように説いたかも
知れないのだ。
「仏陀メシアの法」は、念力の護摩を焚ける力を持つ人、
そういう人にしか説けない内容だと思う
─────────────────────────────<<

それは逆でしょう。科学的に考えれば考えるほど神通力から遠のくので
す。科学や唯物論は超能力を否定する力があるからです。
[49]如来の子孫 08/04/04 16:21 9hWjqriglk
管長は、四安那般那念法を勝止息、奇特止息、上止息、無上止息、と
した。なんで、安那般那念経に出てくる、滅入息とか、滅出息、とか
を採用しなかったのであろうか?止息経から持ってくるより、安那
般那念経から持って来たほうが、もっともらしいのに。

私はかように推測する。
管長は、阿含宗を立てようと思ってからは、沢山の阿含経を集めた。
当然、日本で一番集めていよう。国訳一切経だけでなしに、
百年前の経典、三百年前の経典、それより前のも、異訳経典を含めて
とにかく沢山、阿含経典を集めた。私でもそうする。
そして、安那般那念経と止息経に連なる、何かを発見した。
もしかしたら、現在の経典の勝止息とか奇特止息とか、阿難に対す
る釈迦の説明が、古い経典とは異なる可能性すらある。
現在の経典は、まるで謎かけみたいな、釈迦の説明ですからね、
それはさておき、管長は、安那般那念経と止息経の関連を掴んだ
のだ、と推測できます。
[50]仏法僧 08/04/04 17:27 q.Fnf8tkqw
>>49
**********************************************
佛、阿難に告げたまはく『貪欲心に於て解脱を楽はず、恚癡心に解脱を
楽はざる。是れを勝止息・奇特止息・上止息・無上止息にして、諸の餘
の止息に過上なる者無しと名づく』と。(雑阿含)
**********************************************

多分、この文章から摂ったのでしょう。
これは、『四つの安般那念法の修行』ではありません。
貪瞋癡を止息させるのが、阿含経の修行法ですが、この貪瞋癡の止息法
が勝止息(最勝の止息)であり、奇特止息(特に稀なる止息)であり、
上止息(上等の止息)であり、無上止息(この上ない止息)である。と
いう意味で、四つの褒め言葉です。

止息と言っても決して安那般那のことではありません。
こういう褒め言葉は、般若心経にも見られます。

是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等々呪。
これが般若心経の四つの褒め言葉です。
[51]0 08/04/04 18:52 Bwq7aa/fI1
密教の様式と止息法のつながりを発見したのです。

私も発見し体得しました。

いずれ本に書きます。
[52]如来の子孫 08/04/04 19:23 9hWjqriglk
虫に刺されたんだろ、ムヒ塗っとけ、には大笑いできた。
笑えたお礼に、吹き出物の場所を言おう。
突起物だよ、上半身のある部分、と言ったが、それは口の中だ。
虫に刺されるわけがない場所だ。鈍痛もあるし、だから無性に
邪魔に感じたわけです。蚊や虻に刺されたら、すぐにわかるよ、
アハハだ。翌日、鏡を見たら、痕跡が残っていた。

ユ元信者くんの考察は、妥当かも知れない。心因反応としての体の
反応ですね。そうかも知れない。だが、私はレスの後、罪悪感は
無かった。あれこれ考えて、もしかしたら天罰か、と考えたのだ。

しかし、神か悪魔かは知らないが、自分を操作する何者かが、存在
するとしたら、気分は良くないね。
私には、シュダオン界のテレパシーを、受けてる感じがあるので
あるが、悪魔のテレパシーを受けて、犯罪を犯したら最悪である。

そのあたりの考えは、不明である。
ユ元信者くんの考え方も、理解はできるよ。


[53]ユビキタス 08/04/04 20:03 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>39
安般守意経に「心に悪が生じた時は、道を念じて悪を断ぜよ」と書いてある
念を無理になんでもかんでも「気づき」などと訳す必要はありません。
さりとて、念力のように意訳する必要もありません。
普通に「思う」と意訳すればよい。
道について村木さんが三十七道品とその著書で断り書きをしていたか、
あるいは前後の文脈に三十七道品の記述があったか帰宅して村木本を
調べねばならないが、八正道などでもよいのでは?
しかし三十七道品でもかまわない。
いずれにせよ、心に悪が生じた時は正しい教えを思い出し、その悪念をよく断じなさいという当たり前の教えです。
悪念という煩悩を出さないようにしなさいということですね。
特殊な成仏法のテクニックに念力を凝らしてかかりなさいなんてわけではない。
[54]如来の子孫 08/04/04 20:07 9hWjqriglk
青柿くんから、ラジニーシの安般念を聞いた。その時から、実は
ラジニーシの言葉が、浮かんでくる。
私としては、十数年前に、捨てた技法だ。
だが、青柿くんから、ラジニーシの言葉を聞いて以来、芋づる式に
ラジニーシの言葉が湧いてくる。

「瞑想とは気づきだ」と、ラジニーシは、二言目には言う。
だが、気づきだけでは、問題は解決しない、というのが私の観察だ。
これ以降の主義主張は、各自の体験によるしかない。
あなたは、どのような実習をして、どう思うのかね?
それが、真実だ。
真実とは、万人に通用はしないのであろうよ。
[55]ユビキタス 08/04/04 20:15 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>52
口の中に出来た腫れ物が罪悪感のストレスからできたものではなく
別のストレスかもしれませんよね。
しかし腫れ物ができてしまってからこれは天罰か?と不安になり
急いで訂正することによってちょっとした安心感を得た。
そんなものでも気まぐれなプラシーボ効果は起こると考えればよい。
罪悪感原因でないストレス症状が別の安心で消えた。
この場合、訂正をしたことによって天罰を免れたと考える必要はなく、
すべてあなただけの世界の話なんです。
[56]如来の子孫 08/04/04 20:40 9hWjqriglk
瞑想とは気づきだ、というラジニーシの言葉が、浮かぶ。
だが、あなたは、どの程度までそれを理解できるのかね?
青柿くんのおかげで、ラジニーシの言葉が、芋づる式に思い浮かぶ。
クリムシュナテイの言うごとく、「技法はない」という言も、理解
すべきである。気づきに、技法はあるのかね?そんな馬鹿なことは
ない、気づく方法に技法などない、それが、クリシユナムルティの
技法である。
[57]ユビキタス 08/04/04 20:43 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>47
ワニの脳とウマの脳の話が正しいと知ったのは、ワニの脳とウマの脳の
話を桐山さんが創作したのではなく、桐山さんがその説を説いた本を紹介引用
したのであり、子孫さんの発見は、単にその引用元の学者の説を科学雑誌で
その存在が嘘でないと知っただけのことです。
イチローというすごい打者の話を聞くが、ボールパークに観戦に行ったら
たしかにイチローがフィールドで守っており、バッターボックスに入った
のを目撃できたということと同じです。
で、ワニの脳とウマの脳を説く学者がいたからと言って、どうしてそれが
桐山さんが念力の護摩を焚けることになるのか?
思考があまりにも単純過ぎます。
[58]ユビキタス 08/04/04 20:47 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>56
技法なんてものではないのです。
特殊な技法が煩悩を断滅するのではないのです。
[59]如来の子孫 08/04/04 20:55 9hWjqriglk
前レス、これでは意味がわかんないね。
技法はない、というクリシュナムルティ。
彼の言い分はこうである。
「気づきのための、技法はない。」ということです。
気づくか、気づかないでいるか、それだけだ。
気づく手段に、l技法はない。
彼は、そう言っています。
[60]如来の子孫 08/04/04 21:08 9hWjqriglk
クリシュナムルティ、彼は、「技法などない」と、言ったという。
気づくか、気づかないのか、それしかない。気づくことに、技法など
あるか?それはない。技法などない、とクリシュナムルティは言った
と言う。

あなたは、何を願うのかね?

[61]ユビキタス 08/04/04 21:22 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>49
それは桐山さんのバランス感覚でしょう。
滅入息など十五安那般那念法などとすると、八科五十二道品になり、なんか一つだけでばって
アホらしく見える。
四止息法と冠する手もあったんだろうがね。
安那般那を出した理由は村木弘昌さんの「釈尊の呼吸法」がヒント本です。
安般守意経は阿含経ではないが阿含経の安般念がルーツであることがわかる。
だから自分(桐山さん)は安般守意経ではなく、阿含経の安那般那念経で
体裁を整えた。
幸いにも概念が捉えにくい単語がそろっている。
自分(桐山さん)も意味がわからないが、信者どももどうせ意味など
わからないだろう。
村木さんの真似をして呼吸法とした。
なお初期禅の経典である安般守意経はこれは数息観や随息観を説いた経典とされるくらい
阿含経よりは呼吸法よりも呼吸技法的な色彩は強いです。
だから医師であり仏教の専門家ではない村木さんはこれを呼吸法とした。
桐山さんはこれをヒントに阿含経の方も呼吸法とした。
村木本に止息の単語も見つけ、これなら雑阿含経にもあるとして関連付けた。
そしてあのようなお馬鹿解釈を示した。
こんな筋書きですね。

国訳一切経の止息経の表現記述が満足できないのですね?
だから桐山止息経は異訳本なんだろうと希望に過ぎないことを書く。
これは桐山さんに質問すればよいではありませんか?
信者の特権として。
桐山ゲイカの示した雑阿含経止息経は国訳一切経に載っているのと
同じでしょうか、別でしょうか?
君たちに止息経は早過ぎると言いながらもそれだけは教えてくれるかも
しれませんよ。
下手すると止息経って何だ?と返されるかもしれませんが。
[62]如来の子孫 08/04/04 21:25 9hWjqriglk
青柿くんが、ラジニーシを紹介して以来、私には、ラジニーシの
言葉が思い浮かぶ。
私は、数年前に彼の手法は捨てた。だが、彼の手法は無意識層に
食い込む。彼の意識は、生きている。

だが、俺はもう眠い。
もう眠ろうや。

ラジニーシさんの言葉が、身にしみますねえ。
修行の途中ですからねえ。
彼も、同意せざるを得ないわけです、ねえ。


[63]孫 青柿 (あおがき) 08/04/04 23:43 8DATEOmZYA
子孫さんちょっと・・ラジニーシを紹介してくれたのは子孫さんいや大王の使者さんですよ。同一人物でしょ?
ラジニーシ(の団体?)が日本で始めて釈迦の成仏法を伝えたのでしょう?
桐山氏は釈迦の成仏法をチャクラにプラナめぐらすなどと間違ったことを言い
子孫さんも>>27で否定してるような ていたらくですから釈迦の成仏法を世に出した人には数えません。
むしろ釈尊を消し去った人ですね。
しかしラジニーシは素晴らしいですね。

子孫さんもクリシュナムルティとかラジニーシとかと比べるとゲイカは頼りないと分っているから無意識に彼らの名前を出してゲイカも彼らと同じなのだと自分に言い聞かせようとしてるみたいですね。

最近道場に行ってますか?ゲイカてもう瞑想などどうでもいいのか、それどころか因縁切りさえぶっとんで、なんか運を良くするくい打ち法?というのを中心にやってるらしいと以前2chで読みましたよ
[64]系 青糊(あおのり) 08/04/05 00:10 O3h/bHdGpF
バグワン・シュリ・ラジニーシが和尚と敬称された
所は日本人の信奉者が多かったんですね。
彼の最期のマハーサマディへと入滅してゆくとき
多くの日本人も囲み釈迦の入滅シーンのようでした。

[65]孫 青柿 (あおがき) 08/04/05 00:52 8DATEOmZYA
以前ゲイカが因縁が切れない信者に向かってご法話で
「諸君を見てると私はひやひやするよ。いつまでも管長におんぶにだっこで。早く私が心配しないでもいいように成長してほしいよ」
みたいなこと言って優越感に浸ってましたね。
自分は当然因縁など切れてないから「そんなことおっしゃてもゲイカ。恥ずかしいかぎりで・・(汗」と心のなかで思いました。もっと梵行しないといけないとも思いました。
それから10年もたたず副管長がガンで壮絶死しました。
管長夫人がこうなのでから因縁解脱などありえないと思いました。
私は現象的には管長には"逆・後家の因縁"があると思いました。若い愛妻を失って可愛そうでしたが、同時に以前ご法話で信者に優越感を示したような言葉は何だったのか?と思い、
社会的には成功者でも若い愛妻に死なれたどこにでもあるケースの運命を歩むお爺さんでは?とも思い安心しました。我々と50歩100歩に思えたのです。

導き親にこういいました。「ゲイカ可愛そう。S川職員と再婚なさればいいのに」Sなる職員はyanの男連中からマドンナ的存在で知的で上品な美人であこがれでした。
導き親は「何故S川さんなの?何?境涯が高い?ゲイカと境涯が同じ職員などいないよ。
     ゲイカには諸仏諸菩薩が付いてるからさびしくないよ。副管長とも霊的に交信できるからね。何?肉体がないからさびしいって?それは凡夫のあんたの基準だろw」

ゲイカは阿羅漢であるとされる。しかし愛妻に早く死なれ外面的には不幸の見本である。"逆・後家の因縁"がある。
これはどう考えるべきか?やはり現象面で判断すべきではない。
瞑想修行で到達する四神足を修した者の心象風景、あの超越性こそが阿羅漢の証しであり、梵行などはこれからは無駄と悟り、
グモンジ法修行をしようと思いました。
しかし勧進のゲイカは修行から遠ざかりお護摩のイベントで夫人を無くした憂さ晴らしをしており、
ご著書の理想のゲイカとリアルのかっこ悪いゲイカが私のなかで葛藤しはじめました。

何かオカシイのではと思った頃、2chで安那般那念経のゲイカによるデタラメ解説を指摘してるのを読み、
ゲイカは社会的に成功してても全くの凡夫だと知りました。
[66]仏法僧 08/04/05 06:27 q.FnfEw9fp
バグワン・シュリ・ラジニーシ?
そういえば、30年ほど前に4〜5冊読んだことあるね。藁半紙のような分厚い本だったね。昔、心理学者だった人だよね。
今思うと大したこと無いよ。
心理学者に毛が生えた程度の人だったね。あの人は勉強不足ですよ。
[67]仏法僧 08/04/05 08:25 WdIubKthJz
>>65
>>ゲイカは阿羅漢であるとされる。

身見=エゴが無く、競争心も無く。
戒取=殺さず、盗まず、不倫せず、嘘を言わず、悪口を言わず、人によ
   って違うことを言わず、無駄口を言わない。
疑=(仏法僧を信じ)を断ず。
貪=金銭欲や物欲や財産欲がなく
瞋恚=怒ったり、怨んだりすることなく、
癡=仏の智慧(法)をよくを理解している。

修行によって、これだけのことができたわけだね、。
[68]半魚人二穴自慰 08/04/05 08:48 *OCHNgfQBEdU*YSyDNOkPaP
あなるとおまんこきもちいい〜〜〜〜
[69]如来の子孫 08/04/05 12:59 9hWjqriglk
管長は「輪廻する葦」で、択法覚支を、正しい教法を自分で修行して
取捨選択せよ、と教えてます。瞑想についても自分で修行して取捨
選択せよと、(輪廻する葦P289、長文なので引用しません)。
それで、ラジニーシの本が出たとき、彼の瞑想法を修行しましたよ。
オショーは、二言目には、「瞑想とは気づきだ」と言う方でね、
最終的には、自分とは宇宙の1部分ではなくて、宇宙そのもので
あることに気付け、というのだよね、彼の教えを一言でいうと。

オショーは、涅槃を知るときには誰でもチャクラが覚醒し、
クンダリニーのエネルギー上昇も完了している、という。
だが、チャクラやクンダリニーについては教えない方がいいと言う。
教えると、想像のチャクラを作り出してしまう者が居るという。
そうなると、やっかいな事態になるからだと。
そう言いつつ、オショーは、チャクラやクンダリニーについても
詳しく教えてる。オショーの矛盾は宇宙的だ。

結局、私はラジニーシ式気づき瞑想を、何年か実習して、辞めた。
でも、たまには思い出す。その頃、東南アジアの上座仏教僧侶の
教えも聞いた。その僧侶も、やはり、瞑想とは気づきだ、と教えた。
私がそれらの瞑想を離れたのは、否定したのではなくて、ある程度
までは行けても、私の因縁は切れない、と判断したからです。
ラジニーシ瞑想は、現代人が落ち着くためにはとても役立つと思う。
彼は、現代人が全員神経症なのは、意識・思考が、新聞や政治や
経済や社会情勢や、世界中を駆け回って、自分を忘れているせいだ
と言う。だから、自分の身体、感情、思考、自分に気づけ、と教
える。
[70]如来の子孫 08/04/05 16:40 9hWjqriglk
管長は、あまりにも当たり前のことだから、「気づき」を言わないの
だと思う。気づかないとは、無意識のことだものね。
無意識で瞑想してる、なんて、笑い話だもの、まずあり得ない。
瞑想してるからには、気づいているはずだもの。

安那般那念経にしても、体の中を、気息(念・気づき)をめぐらし、
とどめる、のは良い訓練だもの。知らないで筋肉が緊張してる場合
があるからね、そういう所へ気息をめぐらすと、筋肉はくつろぐから
ね。頭だって、気息を右脳や左脳や間脳にめぐらせれば、それなりに
ニューロンが目を覚ますんでないのかなあ。
管長には、「勝手なことすんな、ちゃんと教えたルートをめぐらす
こと」なんて、叱られるかも知れないが、信徒歴が長い人は、少し
くらい逆らってもいいのだよ、工夫だと言えばいいんだからね。
[71]仏法僧 08/04/05 17:47 7rhnZoWYaW
>>─────────────────────────────
[69]如来の子孫 08/04/05 12:59 9hWjqriglk
管長は「輪廻する葦」で、択法覚支を、正しい教法を自分で修行して
取捨選択せよ、と教えてます。瞑想についても自分で修行して取捨
選択せよと、(輪廻する葦P289、長文なので引用しません)。
それで、ラジニーシの本が出たとき、彼の瞑想法を修行しましたよ。
オショーは、二言目には、「瞑想とは気づきだ」と言う方でね、
最終的には、自分とは宇宙の1部分ではなくて、宇宙そのもので
あることに気付け、というのだよね、彼の教えを一言でいうと。
─────────────────────────────<<

択法覚支をの意味は『正しい教法を自分で修行して取捨選択せよ、』と
いう意味に解釈しているところが面白い。またまたとんでもない解釈で
ある。
七覚支の択法覚分はそんな意味ではありません。

**********************************************
七覚支
@念覚分=四念処の思惟のこと。
A択法覚分=四念処によって善悪を選択分別すること。
B精進覚分=善悪の分別によって、悪法を滅し、善法を増長させること。
C喜覚分=悪法を滅し、善法を増長させることによって喜びが生ずること。
D猗覚分=喜びによって、身体が穏やかになり、心が穏やかになること。
E定覚分=心が安定し、四禅を行うことができるようになること。
F捨覚分=一切の煩悩を捨て去ることができること。
**********************************************
このように、煩悩を滅尽する修行の行程を言うのです。

また、仏陀は『瞑想とは気づきだ』とは言っていない。阿含経には瞑想
という言葉さえない。

自分で勝手に考えたことを、恰もそれが仏教であるかの如く述べる。
阿含経とは似ても似つかぬ修行法を説き、それを仏教とする。まさに『三
宝』をないがしろにしている三結の『疑』である。『疑害』があれば、
三結を成就していないので、『シュダオン果』を得ることはできない。

仏陀は、世間の真実である空と十二因縁の論理を正しく理解し、煩悩を
滅尽するための三十七菩提という修行法を述べている。
『四禅によって三十七菩提を思惟し、煩悩を滅尽せよ』と説くのである。
煩悩の滅尽によって、『六道の輪廻から解脱できる。』と説くのである。
阿含経の修行はこれ以外の何ものでもない。
[72]如来の子孫 08/04/05 19:02 9hWjqriglk
スリランカ上座仏教の僧侶は、択法覚支の説明を、自分の心身に、
善法と不善法が生じた場合は、善を選ぶようにする、それが択法だ、
と説明していましたね。
だが、今のように情報が氾濫している時代には、管長の解釈は絶対
必要だと思うね。
なんで上座仏教の伝統的な、気づきの瞑想法修行者の中で、「我は
アナゴン也、アラカンなり」とか、宣言する人が出ないのか?

ラジニーシは、アナゴン以上の人だと思う。凡人には発言出来ない
ことを言っている。彼は、技法を二つ以上併用するな、と教える。
禅なら禅だけで行け、クンダリーニならクンダリーニだけで行け、
と教える。そうしないと、どちらの手法もダメになる、と。
日本酒をビールで割るとどちらもダイナシになる理屈だな、と思い、
私は管長瞑想とラジニーシは併用しなかった。だが、勤行と梵行は
続けた。
ラジニーシは、技法の併用はするな、と教えながら、ご自身は、
ダイナミック瞑想と釈迦の安般念を併用して指導していた。
この矛盾が彼の特徴でもある。
彼にこの矛盾を問えば、たぶん、「宇宙は矛盾なしには存在出来
ない、さあ、この矛盾を理解してごらん」と答えるであろう。
因縁悪しき者でないならば、ラジニーシのイニシエーションを受け
ても解脱は可能だと思うね。
ラジニーシが管長の「気息をめぐらす」技法を知れば、
「べりーグッド」、仏陀よりすばらしい、と言うであろう。
[73]如来の子孫 08/04/05 19:15 9hWjqriglk
青柿くんは、おしいことしたね。
廃人近くまで、梵行して疲れ果てた時が、チャンスであった。
そこで退会して、悪口いうようでは、それまでの修行もダイナシに
してしまう。
疲れ果てたら、そのパターンを止めるのだ。
そう、止めるだけでいいと思う。
休め、という心身のサインだ。
そこまで修行したのなら、休むだけで、何かが起こる。

現職信徒さんで、青柿くんのように、疲れ果てた場合は、私の言う
ように、休んでみなさい。別に損はないでしょ?

[74]仏法僧 08/04/05 19:28 7rhnZoWYaW
我々人間は少なからず、病気事故災害などの不幸に直面するが、その原
因は人それぞれの因縁にある。
因縁とは何の理由もなく突然やって来る不可解なものではない。また、
六つや七つに分類できるものでもない。因縁は不幸の数だけある。何万
種類の因縁があるのである。それは個人の性質に織り込まれている。

たとえば、『ガンの因縁』である。
子宮ガンと胃ガンはまったく因縁が違う。
たとえば『胃ガン』を取り上げてみよう。
胃ガンの因縁は『怨み』である。
胃ガンになる人は見かけ上『善い人』が多い。酷い境遇にあっても、い
つもニコニコして、何の悩みもないように見える。しかし、当の本人は
ニコニコしながら悩み苦しんでいる。ニコニコしながらこういう境遇に
した人を怨んでいるのである。
こういう性格が、胃ガンの因縁なのである。因縁とは性格のことである。
このように人を苦しめるあらゆる不幸には一つ一つに必ず因縁がある。

この因縁を特定し、それを克服すれば病気は奇跡的に早急に治るのであ
る。しかし、不幸の因縁をその人の心の中から発見するのは至難の業で
ある。また間違いも起こしやすい。
色情の因縁による不幸。欲張りの因縁による不幸。怒りや怨みの因縁に
よる不幸。盗みの因縁による不幸。悪口の因縁による不幸。嘘の因縁に
よる不幸。

それで、それらの不幸を起こす因縁を集めてみると、すべてが仏教の「十
不善行」の中にあることが分かる。つまり、一切の不幸を起こす原因は
『煩悩』の中にあるのである。だから、仏陀は『苦を取り除くには煩悩
を取り除け』と言われるのである。

この一切の煩悩を取り除くために、阿含経の修行法があるのである。
[75]如来の子孫 08/04/05 20:25 9hWjqriglk
解脱や涅槃は論理だけで得られるものではないようだ。
一休の頓知の世界も、論理では説明できない。
 何か知らないが、論理を超えた世界が、この宇宙にはあると
いうことだ。
念覚支や択法覚支の説明は、学者や書物によって、
調べればアビダルマ論師たちの説明を知ることができる。
だが、それを知ったとて涅槃とか、論理を超えた世界を知れる、
というものでもないらしい。

書くのを忘れていたが、ラジニーシによる仏陀の安般念指導は、
連続21日間の拘束状態で行われる。とても普通の在家にできる
修行ではない。管長が瞑想用に取り上げた安那般那念経も、釈迦が
比丘に告げた話で、対象は在家ではない。

在家はやはり、8法16法を修行しなければ、涅槃界へは行けない
のだよ。信、戒、施、聞、持、観、法次、法向、
布教(8法を他人に説く)という修行だ。

このように、阿含経に説かれている在家の修行を説く、仏教団体は
阿含宗だけであろう。在家者が、瞑想だけで解脱するのは、まーず
無理というものであろう。
念覚や択法覚の解釈が、管長とアビダツマ論師達と少し違っても、
そんなことは末節の話だね。
因縁の洗い出し現象を体験した私は、そう思う。
[76]仏法僧 08/04/05 20:50 7rhnZoWYaW
**********************************************
七覚支
@念覚分=四念処の思惟のこと。
A択法覚分=四念処によって善悪を選択分別すること。
B精進覚分=善悪の分別によって、悪法を滅し、善法を増長させること。
C喜覚分=悪法を滅し、善法を増長させることによって喜びが生ずること。
D猗覚分=喜びによって、身体が穏やかになり、心が穏やかになること。
E定覚分=心が安定し、四禅を行うことができるようになること。
F捨覚分=一切の煩悩を捨て去ることができること。
**********************************************

禅宗にしろ、曹洞宗にしろ、バグワン・シュリ・ラジニーシにしろ、教
義を無視して、座禅をすればいいと思っているところが幼稚だね。この
七覚支を見ても一目瞭然で座禅(四禅)はやっと六個目で到達できるこ
とが分かります。

それらを飛び越えて、座禅(瞑想)を行っても何の功徳も無いと言うこ
とだね。まあ、最初にやる修行は四念処だと考えてもいいでしょう。
しかし、十二因縁の意味、空の意味が理解できなければ、門外漢である
と覚るべきだろうね。多分、八正道の本当の意味も分かってはいないと
思うよ。

仏教を何も勉強せず、何十年瞑想をしても何も起きないと思うよ。
[77]仏法僧 08/04/05 21:00 7rhnZoWYaW
>>─────────────────────────────
在家はやはり、8法16法を修行しなければ、涅槃界へは行けない
のだよ。信、戒、施、聞、持、観、法次、法向、
布教(8法を他人に説く)という修行だ。
─────────────────────────────<<

信、戒、施、聞、持、観、法次、法向、布教?
第一、法次と法向とを分けては意味が分からないよ。
法次法向で一つだよ。

法次法向=法に従って欲望を離れ滅尽に向かうこと。

**********************************************
佛、諸の比丘に告げたまはく『若し比丘老病死に於て厭を生じ欲を離れ
滅盡に向はば、是れを法次法向と名づく。(阿含経)
**********************************************
阿含経を一から考え直した方がいいのではないですか?
[78]ゴールドリング 08/04/05 22:53 9XzTB0N6ah

Higher Light Central Sun 2012 ET Pleiadian Ascended Masters

http://www.youtube.com/watch?v=a-4P3q2tTdM&feature=related


Fifth Day Pleiadian Wayshowers 2012 ET ufo Mayan GoldRing 25

http://www.youtube.com/watch?v=kBx-ufmoMLM&feature=related
[79]ゴールドリング 08/04/05 23:03 O3h/bHdGWY
Turning Point of the Sacred Circle - 2008~2012 GoldRing
[80]ゴールドリング 08/04/05 23:03 O3h/bHdGWY
http://www.youtube.com/watch?v=o_n1ObJNXhY&feature=related
[81]たまに顔出す干柿 08/04/06 08:23 rJG8OJNY/.
>>76
幼稚だねって、いうが、あなたはそれを実現したのか?
理論理屈ばかり先走っているだけじゃないのか

七覚支の説明
なんのことはない四念処のことをいってるだけだろがw
最初にやる修行?最初から最後までそれだけじゃねえかよw
教義でもなんでもない
どこの学者がかいた説明なんだよ。

四禅は瞑想の状態、深まりのことで仏教以外
ヨーガでも到達できる。
技術テクニックの問題だね
瞑想の分類からするとサマタに属する、だから
ヴィバサナーを主に説く上座部とかではあまり説きたがらない
道を外れてしまうおそれがあるからね。

そこからいかにして「智慧」を獲得するか
これがヨーガと仏教の分かれ目だろが

何度も書くけど机上の空論としか思えん
実際なんらかのかたちで本当に実践しているんだろうかね?


[82]仏法僧 08/04/06 12:22 HlZu1Blrto
>>─────────────────────────────
[81]たまに顔出す干柿 08/04/06 08:23 rJG8OJNY/.
>>76
幼稚だねって、いうが、あなたはそれを実現したのか?
理論理屈ばかり先走っているだけじゃないのか
─────────────────────────────<<

実現?何を実現するのかわからないが、座禅(瞑想)しても意味がない
と言っているのだよ。その理論・理屈が大事なのだよ。

たとえば、自動車に乗って東京から大阪に行こうと考えた。
その場合、まずエンジンのかけ方、運転の仕方、できればエンジンの構
造まで知っていることが望ましい。これが論理に当たります。

さて、論理を知らない幼児が、車に乗ってエンジンをかけることも知ら
ず。何もせず、じっと運転席に座っている。しばらくして車から降りて
きて、ワーイ大阪に着いた。といった。彼らは大阪とは何処かも知らな
かった。車は依然車庫の中にあった。

このたとえのように、論理を知らずに何十年座禅をしても何の意味もな
いのです。

>>─────────────────────────────
七覚支の説明
なんのことはない四念処のことをいってるだけだろがw
最初にやる修行?最初から最後までそれだけじゃねえかよw
教義でもなんでもない
どこの学者がかいた説明なんだよ。
─────────────────────────────<<

三十七菩提は解脱に導く三十七の行程を言います。
八正道=8
四念処=4
七覚支=7
四正断=4
四如意足=4
五根=5
五力=5

合計が37です。これが三十七菩提です。

仏教学者に仏教は理解できません。十二因縁、空の論理、四聖諦などの
法則を理解できていないからです。
[83]孫 青柿 (あおがき) 08/04/06 17:19 8DATEOmZYA
子孫さんにしても干柿さんにしても最近サマタとヴィパサナーが大分分ってきたみたいで、
安那般那念経がチャクラにプラナめぐらすとかがデタラメだと知っています。
そしてチャクラにプラナめぐらすのが独創的などとも言ってますが、
そんなのハタヨガ(クンダリニヨガ含む)では当たり前でしょうし、なんだかねえ。ヨガを知らないのですか?
今時あごん宗に所属だなんて恥ずかしすぎるよw
[84]如来の子孫 08/04/06 19:53 9hWjqriglk
青柿くん、笑わせるな。
ゴエンカさんどころか、パグワンの瞑想法は、十数年前から、
私は習ったのだ。パグワンのイニシエーションを受けたら、解脱も
可能だと思う。だが、講話の本を読んだだけでは解脱は難しい。
このあたり、グルに受け入れてもらわねば、難しいのだ。
桐山管長もそう言っている。
なんでそうなのか、説明するには字数が大量に必要だ。
青柿くんには、説明が難しい、あんたは論理の世界しか、まだ体験
していないようだ。信じることが出来ても、体験することとはまた
別な話だからね。体験できたなら信じる必要さえ、ないのだよ。

管長が書いていないから、パグワンが書いていることを言おう。
ムラダーラのエネルギーは、下方に向かえば、セックスの
エネルギーになる。そして、それをセックスに浪費しているのが
普通の人だ。そしてそれは、別に悪いことじゃない。

ムラダーラのエネルギーというのは、クンダリーニのことだ。
そのエネルギーが蓄えられると上に向かう。サハスララまで到達
する。そうすると、そのエネルギーはサハスララから放出される。
と、いうのがパグワンの教えだ。
サハスララは、発信器になるという管長の説と、パグワンの言うこと
は同じか、似ていると、私は聞き取るね。

誤解のないように、パグワンの講話は読んでおいた方がいいと思う。
彼の講話は参考になるはずだよ。
[85]ユビキタス 08/04/06 21:12 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
バグワン・ラジニーシやクリシュナムルティの話なんかしても意味ないだろが。
懐かしいのかどうか知らんが、結局は桐山さんの説いていることとも違うから、
あるいは因縁解脱の御利益欲しさの目的にはそぐわないから、結局これを
好んで選択しなかったということでしょ?
上座仏教の実践にしても然りで、要は子孫さんは仏教は肌に合わないと
表明したわけだ。
ラジニーシなどで桐山さんと共通するチャクラの解説も当たり前だよ。
チャクラは桐山さんが創始発見したものではなく、古くからあるもので、
我々一般人がそれほど古くからヨーガにマニアックでなかっただけの話で
桐山さん以前にチャクラを解説した本は三浦関造氏とかあったわけで
そういう既存の市販本などをネタにしているのだから
共通して当たり前なんだよ。
で、他の人はどうか知らんが、桐山さんに関しては、干柿さんの言うとおり
机上の空論の能書きに過ぎないんだよ。
昨日今日と2日間レスしなかったけど、上記に尽きるな。
[86]孫 青柿 (あおがき) 08/04/06 21:21 8DATEOmZYA
>>75 >念覚や択法覚の解釈が、管長とアビダツマ論師達と少し違っても、そんなことは末節の話だね。

末節ではないでしょう。まあそれより成仏法の核である四神足の具体的な方法が説かれているという
安那般那念経の実践法が間違ってたら、もうアウトですね。
行息=チャクラにめぐらすだってw

>>84 だからさあ、もう一度聞くよ。
何故ゲイカの 行息=チャクラにめぐらす が独創的なのですか?
バグワンもチャクラ開発を説いてるのでしょう?じゃあゲイカの独創じゃないじゃん?
それとも独創的とは安那般那念経を無理やりチャクラ開発にしたてたことですか?子孫さんでさえ否定してる↓でっちあげですよね。

「安那般那念経の読み方は、人、それぞれである。チャクラに気息をめぐらす、と書いてあるか?と問われたら、 チャクラと気息という語はない、と答えるしかない。」
[87]仏法僧 08/04/07 08:46 7rhnZTlQxg
>>─────────────────────────────
ムラダーラのエネルギーというのは、クンダリーニのことだ。
そのエネルギーが蓄えられると上に向かう。サハスララまで到達
する。そうすると、そのエネルギーはサハスララから放出される。
と、いうのがパグワンの教えだ。
サハスララは、発信器になるという管長の説と、パグワンの言うこと
は同じか、似ていると、私は聞き取るね。
─────────────────────────────<<

阿含経は『空の論理』を理解しなければ意味は分からない。だから仏教
学者や僧侶は誰一人阿含経を正しく理解できないのだ。
したがって『空の論理』が『仏教入門のカギ』だ。学者や僧侶の本を読
んでも意味はない。
私は一時期、四六時中空の論理の意味のみを考えていた時期があった。
その時、毎日のように性的な夢を見ることに気が付いた。

その中に、朝方になって『幽体離脱』が起きるようになったのだ。
それ以来頻繁に幽体離脱が起きた。しかし、世間で言われているように
自分の寝姿を見たことは一度もない。

瞑想も座禅もせず、ただ『空の論理』を考えただけなのだ。これだけで
幽体離脱という思いもかけない現象が起きたのだ。
だから、阿含経の通りに修行したらすごいことになるだろうと思う。

エネルギーがサハスハララから放出されるって?
ちがうよ。幽体離脱が起きるのだよ。
空の理論も理解できず、瞑想や座禅を何十年やっても何も起きないと思
うよ。おそらく、昔の人は空の論理を当たり前のように理解していたの
ではないだろうか。
[88]如来の子孫 08/04/07 13:15 9hWjqriglk
安那般那念経の行息を、チャクラに気息をめぐらす、と解釈したのが
管長の独創性だ、と私は思う、ということです。
そりゃ、パグワンもチャクラについて、講話してますよ、沢山。
だが、私は、パグワンが、具体的にチャクラ開発法を話してるのは
知らない。パグワンの本も、十数冊は読んでるけど、具体的な開発
法は説いていないと思う、たぶん。
管長は、気息をとどめる、と具体的にチャクラ開発法をを示した。
パグワンは、具体的な技法は、グルから弟子へ、秘密に伝授されねば効果はない、
という。それは秘密でなければならない、という。
釈迦は、「握り拳はない」と話した。
だが、それはすべての弟子に一律平等に、法を教えたという意味では
ないね。弟子によって、極秘に伝えた技法があるはずである。
そういう技法は、経典に残らないと思う。
握り拳はない、という意味は、「未伝授の教法は、ないよ」という
意味のはずで、全員にオープンに教えたという意味ではあるまいね。

ユウタイリダツについても、パグワンは説いている。
パグワンが教えるアナパーナ・サティを、7日間続けたあたりから、
ユウタイリダツ、その他の心霊現象を体験する者が多く出る、と
教えている。だが、その先に進まねばならないそうだ。
現肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、など、パグワンの
教法も簡単には書けない。サハスララからエネルギーを放出、と書い
たのも、誤解されかねない。直接、パグワンの本を再度読むことを
お勧めする。前に読んだ時とは、理解度が違うはずだからね。
[89]如来の子孫 08/04/07 14:24 9hWjqriglk
安那般那念経の「行息」が、気息をめぐらす、の意味でなかったと
しても、管長の「気息をめぐらす」という解釈はグッドアイデアで
あると思う、ということです。でっち上げとは言わないし、言え
ない。肝心の釈迦が、今はいないしね。

パグワンとかその他の瞑想者の講話も、参考にはなります。
阿含宗の在り方を、客観的に、考察することができますからね。
パグワンは言う。
「無欲になってこそ、解脱(覚醒・光明とも)の扉が開くのだが、
人は最初から無欲にはなれない。だから矛盾してるが、宗教は、
ご利益から始めねばならない。釈迦でさえ、最高の真理を求める
という欲から始めねばならなかったのだ」と。
だから、ご利益信仰(超能力信仰)から始めてもよいのだ。

私は、入行前は唯物論者であった。5つの因縁現出をかかえて
苦しかった。それで、密教を修行して、5つの超能力を得れば、
今の生活を打開できると考えた。だが、煩悩(悪因縁)を切らねば
超能力など無理だと、すぐに理解した。
それは、煩悩を断じてからだと。
そして今までも、超能力のことなど忘れたままでした。
[90]仏法僧 08/04/07 18:46 q.Fnfv/560
三十年程前にバグワンの本は4〜5冊読んだ。また、そういう真理の本
は300冊以上は読んだ。もちろん桐山氏の本も十冊程度は読んでいる。
瞑想、座禅も結構長い間行った。だが、いくら座禅をしても瞑想しても
何も起きなかった。

そこで覚ったことは一般常識的な考えを持ちながら、座禅や瞑想を何十
年やっても何も起きないということだった。
そこで阿含経を仏教学者や坊主の解釈を信用せず、直接漢訳の阿含経を
読むことにした。

ところが、阿含経を理解するには空の論理を理解しなければならないこ
とが分かった。また、仏教学者の解釈がものすごく幼稚であることも分
かった。それで、空の論理を四六時中考えていた。やがて脳がひっくり
返ったような思考回路になった。その時から度々幽体離脱は起きるよう
になった。

空を覚ってからの座禅はすこし違った。座禅を行うたびに、首筋を電気
のようなショックが脳に向かって走った。『ワッ』と思わず声が出るほ
どのショックであった。ちょうど100ボルトの電気に感電したほどのシ
ョックがあった。

また、何度となく頭の中で爆発音を聞いた。頭の中が光ったこともあり、
鈴の音や鐘の音もよく聞いたことがある。

このようにして、しばらくは、座禅を行ったが、それ以上は何も起きな
かった。そこで考えたのは、阿含経の仏陀の指摘通り、不善行を守り欲
望や煩悩を滅尽することだった。今はそれを行っている。
私はまだシュダオンにもなっていないと思う。多分シュダオン向という
レベルだと思う。
[91]CoffeBreak 08/04/07 19:05 W7wBo8GHZw
>>90
貴方がおっしゃる「空の論理」とはどう言う内容なんでしょうか?
もしよかったらアウトラインだけでも示してもらえませんか。
[92]如来の子孫 08/04/07 19:54 9hWjqriglk
幽体離脱についても、パグワンは説いている。
パグワンの安般念の指導は、缶詰め状態で、21日間に及ぶ。
読むこと、書くことは一切、許されない。
散歩は許されるが、周りの景色を楽しむことは許されない。
そのようにして、安那般那念に集中して、奇跡は起こると教える。
7日間を過ぎたあたりから、心霊現象を感じる弟子が出るという。
体が小さくなったり、あるいは大きくなったり、あるいは自分の体が
見えなくなる者もいるという。幽体離脱も当然あるだろう、と言う。

それらの心霊現象は恐れることはないそうだ。
桐山管長の言う魔境のことであろうが、パグワンには対処法がある。
指導者がいたら、解決できるのだ。
パグワンのイニシエーションを受けたら、解脱も可能だと思う。
今は、生きたパグワンは居ない。彼の弟子のイニシエーションを
受けるしかない。そうすればパグワンの孫弟子だ。
そうなれば、パグワンの霊的助けを受けられると、私は思う。

桐山管長の弟子は幸いだよ。
管長を敬愛するだけで、その恩恵を受けられるのだ。
この管長に対する、敬愛、明け渡し、帰命頂礼、という身を捨てた
信心が奇跡を生むのだと思うね。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ナントカダヨネ」

阿含宗を、辞めて文句言うようではだめだよ。世間も許さないよ。
[93]仏法僧 08/04/07 20:20 q.Fnfv/560
>>─────────────────────────────
[91]CoffeBreak 08/04/07 19:05 W7wBo8GHZw
>>90
貴方がおっしゃる「空の論理」とはどう言う内容なんでしょうか?
もしよかったらアウトラインだけでも示してもらえませんか。
─────────────────────────────<<

空の論理は般若心経に説かれているのだ。
学者や僧侶の解説書を読んではダメだ。完全に意味を間違えているよ。
般若心経をそのまま読んで仏陀が何を言っているのかを考えることだね。

この般若心経を理解しなければ、実は仏教の門にさえ入っていないのだ
よ。だから、世の中には、いろいろ悟ったという人がいるが、実は彼ら
は仏教に入門さえしていないのだよ。だから絶対に仏教は解らない。

私自身、そういった人々の著書にだまされ続けたんだと思うよ。
だから、空を覚り、空の悟りによって十二因縁を理解し、四聖諦を理解
し、そこから仏教の本当の修行が始まるのだよ。
空の論理を覚ったら、阿含経を全部読むことだね。国訳一切経では400頁ほどの本、9冊になっているがね。
[94]如来の子孫 08/04/07 20:27 9hWjqriglk
仏法僧くんは、まだシュダオンにもなっていないと思うのだね?
だが、幽体離脱の体験はあるわけだ。
そうすると、解脱への道、3分の1程度のところにいると思う。
私には、幽体離脱の体験はない。
だが、幽体以後に体験するといわれる、体験を、その事前にしたよ。
だから、順序正しく、解脱の道は訪れない、と思う。
それは気まぐれなのだ。

幽体解脱まで行けたなら、シュダオンは目の前だと思うね。
功名心なしに、勉強できたなら、それは可能だろう。
だが、仏法僧くんに、功名心なしに、修行ができるのかね?
それだけが、ハードルだと私は思うのだがね。
[95]仏法僧 08/04/07 20:39 q.Fnfv/560
シュダオンになるには、三結の身見、戒取、疑から脱しなければならない。

身見=空を知らなければ身見からは逃れられない。
戒取=殺さず、盗まず、不倫せず、嘘を言わず、悪口を言わず、人によ
   って違うことを言わず、無駄口を言わない。
疑 =仏法僧を信じることだが、空の意味が分からないと仏法僧を信じ
   ることはできない。

空を理解できないと身見、疑を理解できない、したがって、桐山氏もバ
グワンもシュダオンになることはできない。本物の阿含経ではこのよう
になる。
[96]ユビキタス 08/04/07 20:54 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>88
桐山さんだって具体的なチャクラ開発法なんか示してませんよ。
気息をめぐらすと聞いたらあなたはチャクラが目覚めてしまうのですか?
チャクラというものがあり、開発できるのだと前置きの宣伝をした状態に
留まっているのですよ。
このチャクラというのは誰が知ろうやアンパン経にも示されてとんねん
と前置きの宣伝に書き足しただけです。
そう言うとプラーナにマグマを通す想像とか具体的に示しているではないか
と言うかも知れないが、あの程度の技法の説明ならば、大型書店に行って
ヨーガの本を立ち読みすれば出て来るのです。
第一能書き垂れたところで、チャクラ開発者が一人もいません。
輪さんみたいに自称霊能開発者はどこにでもいますが、そんなものは
教団の認めるところではない。
子孫さんも自称霊能開発者の真似してみますか?
しかし桐山さんはチャクラ開発に対していい加減な主観による判断を認めていない。
たとえばムラダーラチャクラを開発すると気のせいなどではなく、肉体のある
一部が誰が見ても顕著にわかるほど変化すると示しています。
見せられない場所というのだから陰部でありましょう。
おチンチンがカリ高になるとかそんな話か知らんが。
また桐山さんはチャクラを開発するとその得られる効能を説いてますよね。
多くの人はこの薬の効能書きに欲を煽られ惹かれるのです。
体力、精神力、常人の3倍から5倍とかね。
三日三晩徹夜しても堪えない頑健な体力とかね。
これらの客観的指標を実証できないとチャクラを開発したなどと
自称もできないのです。
[97]ユビキタス 08/04/07 21:16 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>88
教師に握り拳はないとは、あなたの言う特別な選ばれた弟子だけに秘伝を与えるようなことを
しないということです。
当時のインドの行者さんにもこういう一部の弟子にしか秘伝を教えない
ことを握り拳と呼んだのです。
これは文庫本の解説にもありますよ。
おまえにだけこの握り拳の中身を見せてやると示すわけですから
握り拳と呼ぶわけです。
そういう文献の根拠を学者さんは示しているわけですね。
仏法僧さんのように学者の説く教義を鵜呑みにしなくてもよいが、こういう
用語の細かな解説なんてのは参考に値するのですよ。
つまり釈尊は一部の弟子限定の秘伝などはないぞと示したのです。
そして臨終に際して、自分は握り拳の秘伝もなく全てを説き尽くしたと
言明しているのです。
そして何でも質問があったら問いなさいと促している。
あかん、あかん、そんな質問、おまえみたいな秘伝も学んでない奴に示して
誰がわかろうものか、などと示していない。
ここまで堂々と表明して、「実は秘伝もあったんスよ」なんてやったら
それは握りっ屁をかましたことになる。
第一、秘伝と表の教えが正反対ってあると思います?
[98]ユビキタス 08/04/07 21:52 *lPm7zuA9Viz*E-AelMq
>>89
いえいえ、そんな程度の話では「でっち上げ」と言われて返す言葉がないのですよ。
私はアンパン経を読んだねん。気息という言葉に引っかかったねん。
そこでチャクラパワーを呼吸に乗せて身体を巡らすことを思いついたねん。
たったそれだけの話です。
それをアンパンねん経の意味だと示してはならないのです。
「兎追いし彼の山」という歌詞を聴いたら、兎を美味しい美味しいと
食べたくなったと感想を持ったようなものです。
グッドアイデアなどではなく、せっかく釈尊が説法している内容を
つかもうとせず、よそ見をしただけです。
別のことをひらめいたならば、その経緯だけ話して、だからと言ってこれが
釈尊のアンパンねんなどではない。俺が桐山技法を思案する際にこの単語から
自由連想でひらめいただけで、なにも釈尊のアンパンねん経を解明しよう
なんて気はさらさらないのてある。と表明せねばなりません。
子孫さん。桐山さんも国訳一切経からその全文(和訳書き下し文)を使って
細かな現代語訳をしてごらんなさい。
難しい単語はそのままにしておいて。
桐山さんはどうしてこれをしないのか?
ホラ?息という字がいっぱいあるでしょ?
こんだけ呼吸法があるんだよなどと訳しもせずに握りっ屁をかました。
[99]ななし 08/04/08 04:57 CZP1xLaRcW
民営化された日本の郵便局は2009年度中に株式上場する予定だ。
実は今、その際に大活躍する「主幹事会社」の争奪戦が外資を交えて壮絶に行われている真っ最中なのである。

上場時の主幹事会社は、いわば博打の胴元であるだけに儲かることは必然だ。欧米系外資勢がそれをめぐって血眼の戦いを続けるのもうなずける。

哀れなのは、またしてもフツーの日本人。なけなしの財産を株価暴落で奪われ呆然自失。

その陰で最後の虎の子=郵便貯金が「株式上場」、そして「外資買収」へと着々と追い込まれているのだ。

郵貯の米国売り渡しという小泉郵政民営化の真の目的に目を光らせなければならない。[08/04/8日刊ゲンダイ、原田武夫]

原田武夫http://www.haradatakeo.com/


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