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阿含宗と桐山氏について 第五十八章
- 1 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/16(木) 14:25:22
サブタイトル 【 神輿で担がれ入出する教祖。神輿よりも担架が似合? 】
このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です。
なるべく規制はかけないつもりですが、悪質な悪戯や荒らし行為、卑猥AA、無駄AA、連続コピペ、
広告・宣伝張り、意見にならない投稿、その他閲覧にふさわしくない迷惑行為・投稿はご遠慮ください。
記事削除の対象となります。また、その他微妙な判断は管理人である”天照”が行うこととします。
阿含宗を批判し続けて10数年!大御所2chの「阿含宗という宗教」はこちら。
http://toki.2ch.net/psy/
各種サイトを掲載したリンクHP「agama考察室」
(ここでほとんどのサイトをまとめているので探しやすい)
http://agama.zouri.jp/index.htm
このしたらば自体の過去ログを見たい場合は、この掲示板内の「過去ログ倉庫」をクリックしてください。
2chでの過去ログ、ザビビでの過去ログを見たい場合は、「agama考察室」へどうぞ。
★2ch「阿含宗という宗教」の過去ログを見やすく編集したサイトも登場★
「agama galage」(アーガマ ガレージ) http://agon.konjiki.jp/
◆阿含経の分析や研究に◆
「agama 研究室」(アーガマ 研究室) http://agon.genin.jp/
■退会について考えたり相談できるサイト
「agon
secession club」 略称ASC http://agama.22web.net/
- 2 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:08:19
- 今日のメイトクさいの体験談
素晴らしかった!
- 3 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:09:24
- 詳しい話は、自分で、ビデオで、みてね!
- 4 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:29:31
- チラッと、言っちゃうと、
一般の人が、万灯で、先祖供養して、ジュンテイ真言の、お守りを、いただきました。しかし、後日、コタツの中で、孤独死してしまいました、でも、運良く弁当配達の人が、見つけ、お守りを、あげた、阿含の人に、連絡が、入り、配達の人と、一緒に、送り出すことが、でき、孤独死で無くて送り出せました!
はなしは、まだ、後日談が、あり、その阿含宗徒が、例サイで、その85才のお婆ちゃんの、供養のために、護摩木を、書いてると、
まったく、その状況を、知らない法友から、あなたの側にずっとお婆ちゃんが、寄り添い、語りかけてますけど、あなたは、わからないから、知らん顔してるから、気の毒だから、そのお婆ちゃんの、言葉を、伝えますね!といい、
急に、コタツで、死んだ事、あなたのお陰で、阿含宗の道場に、これて、供養してもらえて、本当にうれしいと、感謝の気持ちを、ずっとお婆ちゃんが、伝え語りかけてますけど、と、教えてくれたんだよね!
阿含宗の価値は生きている時も、発揮されるけど、死んだ時に、より一層発揮されるんだ!
今日のメイトクさいは、最高!
阿含宗の成仏力は、凄い!
皆さん最近道場で、ちゃんと法話聞いてますか?
最近の法話は、凄い!
- 5 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:34:52
- ちなみに、この85歳の一般のお婆ちゃんは、一度だけの万灯の供養と、死に際の、数日の、ジュンテイ真言だけで、これだけの功徳なんだよ!
有難いよね!
でも、不思議な体験談でした!
- 6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
- 身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
- 7 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:43:36
- 人間て、死んだら、終わりじゃないんだよね!死は、次の生への、誕生なんだよ!
そのために、阿含宗の成仏力は、凄い力を、発揮するようですね!
(^^)
- 8 :名無しさん:2012/02/16(木)
21:17:13
- 人間て、不思議だよね!こういうお婆ちゃんみたいに、目に見えない存在が、感謝して、自分のまわりに、いてくれたら、心暖まる人生が、送れるんだよ!
阿含宗の成仏力で、成仏した、先祖達は、皆、僕らのまわりに、いて、感謝して、喜んでるんだね!
今日のメイトクさいの体験談は、
その確信を、与えて、くれましたね♪───O(≧∇≦)O────♪
- 9 :Boo:2012/02/16(木)
22:48:20
- アゴン宗もとうとう「おとぎ話」を体験談として発表するようになりましたか・・・
- 10 :akb55:2012/02/16(木)
23:17:28
- 一度万灯供養して真言となえれば良い。安くていいじゃん。
- 11 :深山:2012/02/17(金)
13:10:12
- 「そして動脈硬化を起こした血管は内腔が小さくなってしまう。糖尿病患者
さんの血液は、それでなくてもかたまりやすい性質、凝固しやすい性質を
持っているので、細くなった血管ではすぐに詰まってしまうのです。
これが脳の血管に起こった場合には、脳梗塞、脳軟化症と申しまして、
脳の左側で起きると、いわゆる中風、体の右側が半身不随になってしまいま
す。このようなはっきりした形の半身不随、脳梗塞という形によって起こる
場合以外に、血液が凝固しやすいため、糖尿病患者の場合には梗塞がたく
さんできる場合があります。多発性の小梗塞というのが糖尿病患者の脳梗塞
の一つの特徴でもあります。」
(『阿含宗報』64号、4ページ)
同仁病院、青地脩医師
- 12 :深山:2012/02/17(金)
13:15:10
- スレ57
>920 :準シュダオン:2012/02/14(火) 16:13:30
>それが余計なお世話の悪口なのです。私は定期的に健康診断を受けてます。
>歯と軽い糖尿病以外は問題ありません。脳梗塞や脳障害の疑いだというのなら、
脳梗塞であるかどうかは断層撮影をしないとわからない。
定期検診で脳の断層撮影などしない。
だから、定期検診でもあなたの脳梗塞は見つかりません。
>>11の『阿含宗報』にもあるように、糖尿病と脳梗塞は深い関係にある。
あなたは脳梗塞を、桐山さんみたいに障害が出てくる特殊な病気だと
思っているようだが、違います。
小梗塞とは小さな脳梗塞で、桐山さんのインドでの白銀バイブ、
2004年頃のあなたの白銀バイブ症状のように、症状が出ても、
すぐに収まってしまうのが特徴です。
だから、多くの老人には自覚症状がない。
認知症が進んでから、断層撮影すると、脳のあちこちにすきまが見られる。
あなたの脳にも間違いなく、隙間があちこちにあります。
でなければ、あなたの記憶障害の説明がつかない。
最近では、ラシンさんが四日前に反論したばかりのことを
またくどくどと同じ内容を書いていた。
「読んでいないww」とあなたは言うだろうが、読んでも記憶できないのです。
だから、あなたの書き込みは議論というやり取りではなく、
自分の頭の中に前からある説を書くことしかできない。
- 13 :深山:2012/02/17(金)
13:18:00
- >829 :準シュダオン:2012/02/09(木) 16:19:31
>だから、四果=四沙門果、であることが、普通の人なら理解できます。
>しかし、深山さんはそれを否定して理解しなかった。
あなたはすっかり忘れているようだが、上記の件はどうなったのだ。
私が「四果≠四沙門果」といつ書いたか、示しなさい。
>>833で私が書いてから、何日もたつが、返事がない。
これも嘘つきで卑怯者の準シュダオンさんらしい。
ありもしないことを書いて他人を貶める。
悪因縁や霊障のホトケでヤクザのようにインネンをつけるアゴン宗の信者にふさわしい。
- 14 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 13:33:18
- >>10
非常に同意ですね。じゃあ、私は過去3回やったし家族の分もやったし家族まで救われて
尚且つ私も救われますなあ。とってもありがた・・・いや、おめでたい教団にいたんですなあ。
これで死後も安泰だw 一生のうちに10回「南無阿弥陀仏」といえば浄土にいけるのと同様、
一度阿含に携わってそれなりにやっていれば、会員でなくても救われるのですから私たちは元会員
だから黙っていても救われますな。あーこりゃこりゃwww
そんなわけあるかい!
- 15 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 13:38:43
- >>15のラスト一行は、体験談の書き込みをされた某氏に対してです。
この方は亡くなったあるお婆ちゃんに起きたことを錯誤している。
見つかって助かったのはそれはそういう事項があったからで、阿含の成仏力も
何も関係ありません。
逆に問うが、では阿含の信仰を何年もやっていて、尚且つ阿含の内部である程度重要な位置にいた
信者さんがガンで亡くなったのはどう説明するのか。
自慢の成仏力もクソもあったものではないではないか。それとも貴方も教祖と同じく、
「修行が足りなかった」とか「ゲイカの言いつけ(指導)を守らなかった」とでも言うのか。
表向きな話だけで浮かれていてはいけません。
- 17 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 13:52:26
- 辛らつな言い方をしましたが、本当に良く考えて欲しい。
私たちも過去教団の発表する体験談を信じ、凄いと思っていた。
もちろん、中にはたまに「これが体験談といえる代物か」というようなものもあったりしたが、
大半は信者の生の経験や体験であり、嘘では無いだろうと思います。
しかし、そういった奇跡のような体験のある反面、奇跡が無い(起きない・受けれない)人もいます。
そういったことや>>15でも言いました長年阿含の信仰を深く行じている方が解脱できずに亡くなっている。
副管長夫人などはその際たるものといえるでしょう。
そうなると自家撞着を起こします。どうしてこうも阿含の信仰は「あるときは効いて、あるときは効かない」
そのような事項がかなり少ないのならまだ判りますが、結構あります。
するとどうしても整合性のなさに疑問が生じます。それでも信仰を続けていました。
そして、数年前に掲示板に来て阿含の裏側というか本当の部分を知ったら氷解しました。
ああ、自分らは騙されていたんだなあ。もしくは知らずにいたんだなあ、と。
管長が平気で嘘を山ほどついて、その嘘に気づかずに喜んでいた・信仰をしていたんだと知ったら
もうそれはやりきれない気持ちでした。
騙された自分も悪いので訴訟はしませんが、限りないほどの嘘をついている事項に対しては許しません。
それでゲイカの嘘や阿含宗に対する欺瞞を知らしめる活動をしているわけです。
特に信者さんは阿含宗の欺瞞を知らずにいる人が大半です。
体験談を聞いて喜ぶだけでなく、信憑性や阿含宗にまつわる不整合な点などを良くみて判断するのがいいと思います。
阿含宗は桐山靖雄の嘘で固められた偽仏教教団です。
- 18 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/17(金) 18:12:46
- >殺人犯でも救わねばいけないのです。釈迦がアングリマーラを救ったように。
何度も言うが、加害者というのは、その前は被害者だったのです、その復讐が
加害になるわけです。釈尊の因果応報を突き詰めて考えれば、そういう結論に
なります。
釈尊が、アングリマーラの過去世を被害者だったと言及していません。
釈尊は、彼の誹謗を諌め、帰依させ、道を教えたに過ぎない。
アングリマーラは自己浄化に努め、結果、自己救済したのです。
アングリマーラは解脱したから、殺人という業は残したまま、
輪廻せず地獄へ墜ちる来世は消えたのです。
現世の加害者が前世の被害者と短絡するのは、桐山教にもありません。
その理屈でいえば、
アングリマーラの被害者99人が、来世で殺人者になるという荒唐無稽です。
- 19 :名無しさん:2012/02/17(金)
20:49:25
- 17-私は、少なくとも、騙されたとは、思えません!あの桐山靖雄が、私利私欲の為に、金を、善良な信者から、だまし取るなど、信じられません!第一猊下は、お金を、何につかってるんですか?
貧しい国の子供達に、学校を、作り、アウシュヴィッツ、シベリア、ガダルカナル、それぞれに、寄付を、して、信仰の対象となる本山や、仏舎利を、建立する!
その為に、必死になって、お金を、集め、信者も、その金の使い方に、感謝して、喜んで、供養してきた!
私達の、出した金は、皆、生き金に、なってるじゃないですか?
政治活動に使ったとか、隠し口座に、預金してるなんてことはない、全て信者の法の為、慈善事業の為に、金は、使われています!
全て生き金ですよ!
そして、体験談のように、解脱供養で、成仏した、先祖は、皆喜んであなたのまわりに、いて、感謝している!
猊下が死に物狂いに、なって、信者を、騙し金を、集めてるなんて、本当に考えているとしたら、間違いです!
慈善事業の為本山建立の為に、信者を、騙し金集めますか?
猊下は、本当に苦しんでいる霊を、霊眼で、見て、必死になって救ってきた!それを、詐欺だのいうのは検討違い!
それはそれは、猊下は、この数十年必死になって、死者を、供養してきました!今回の体験談のように、霊眼のある人が、見れば、一目瞭然、成仏して、喜んでる先祖の姿、声が、はっきり聴こえます!目に見えない存在が、故に疑いの心が、芽生えるのも、仕方がありませんが、猊下の善行を、応援しましょう!それが、最終的に、私達の、幸せにも、必ずつながります!90歳になられた猊下!
の粗探しを、やるのでなく、感謝の面に、目を向けてみては、どうでしょうか?
- 20 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 21:08:42
- >>19
名無しさんへ
ご意見ありがとうございます。なるほど、仰せの点は理解できます。
意見をする前に貴方が2chを見ているか判りませんが、有名なものが数種ありますので
それを先ず転載しますので見ていただきたく思います。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1329370582/l50
2ch 阿含宗という宗教207より
阿含宗批判ダイジェスト1
■因縁解脱の嘘
釈尊は因縁解脱(運命転換)を説いていない。釈尊は漏尽解脱(煩悩解脱)を説く。
■カルマ解脱の嘘
釈尊はカルマ解脱は説いていない。神通力で因縁・カルマを断つことも説いていない。阿羅漢のモッガラーナは横変死、
ヴァッカリは病気を苦にして自殺、ゴーディカも自殺。これらの事実からも仏教は因縁解脱やカルマ解脱を説かないことが分かる。カルマ解脱は外道の教え。
■供養の嘘
「如来に供養すれば福徳を授ける」は嘘。釈尊は取引供養は述べていない。まして「解脱の徳」を与えるとはいっていない。
福徳は善因楽果という因果応報の原則の結果に過ぎない。
■応供の如来の嘘
応供は「供養に相応(ふさわ)しい」が正しい意味。応供が「供養に応える」「御利益を授ける」は嘘。
■三福道(三供養品)の嘘
三宝において供養をして解脱の徳を頂くというのは嘘。
この経は三宝において三善根の実践(無貪・無瞋・無痴の三毒煩悩を無くす)をすることの教えを説いたもの。
■八法十六法(一切事経)の嘘
「信・戒・施・聞・持・観・法次・方向」は誤り。「信・戒・施・『見』・聞・持・観・法次方向」が正しい。
- 21 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 21:09:25
- ■異陰(仙尼経)の嘘
「異陰相続して生ず」は誤読。「陰と與に相続し生ず」が正しい。「與」を「異」と誤読。異陰が不成仏霊は嘘。
■止息法(止息経)の嘘
止息は呼吸法ではない。止息とは煩悩を「とめる」こと。
■世間福・出世間福(世間福経)の嘘
世間福は「一般社会に対する布施行による福徳」でなく、「比丘たちに衣食住を供養」することで得られる福徳。
出世間福も「因縁解脱の成就、法力の完成などの超世間福」でなく「在家が仏教に帰依して実践」して得られる福徳。
■福田(大祠経)の嘘
旧「修行者座右宝鑑」の「応供の仏をば”福田”」は嘘。福田が「御利益を授ける」も嘘。
釈尊と比丘たちは「福田」であるが、これは「煩悩無くして心が平安になる者が多くなる働きがある」からであって「御利益を授ける」からではない。
なお大祠経に「応供の仏に供養することにより、三悪道の因縁を解脱して、煩悩の毒箭を離れて大富利を獲得する」に相当する内容は無い。
■三福業(衆集経)の嘘
「三福業」が「運の悪い者が運を改造するために福徳を身につけるための三つの方法」というのは嘘。
「三福業」は施業・平等業・思惟業という三つの清浄な行為(煩悩をなくす行為)を達成するための基本的な実践を述べた経。
- 22 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 21:09:56
- 阿含宗批判ダイジェスト2
■三宝が偽物
仏…真正仏舎利は偽物(大統領メッセージと由来書に本物の仏舎利との記載無し、カニンガムは仏舎利を発見していない)
http://souko.digi2.jp/mede01/bushari01.htm
http://souko.digi2.jp/mede01/bushari02.htm
http://souko.digi2.jp/mede01/bushari03.htm
法…三福道は桐山氏の捏造(三宝に供養して解脱の徳が得られるなど釈尊は説かず、桐山氏の創作)
http://souko.digi2.jp/mede01/sanfukudo01.html
http://souko.digi2.jp/mede01/eon01.htm
僧…桐山氏は僧侶の資格が無い(護摩法の伝法が不明で阿闍梨の資格が無い)
http://souko.digi2.jp/mede01/rireki01.html
■因縁切りが実現できていない(桐山氏自ら因縁切りの教義を否定)
・密教食事件で刑獄の因縁を出す(1987年)
・脳梗塞となり脳障害の因縁を出す(1996年、2001年)
・美人内弟子の告発で色情の因縁が明らかになる(2009年)
これらは全て完全に因縁解脱できたと宣言した後に起きた出来事
■霊障の嘘1 桐山氏の因縁を形成した18人の霊障武士の嘘
信州の幕末には上意討ちは無い。
藩主たちは日和見だったため、信州の幕末の死者はわずか五十数名。
18人の上意討ちがあれば記録に残るはずだが記録に一切無い。
霊障武士は元々存在しない桐山氏の創作。
http://mentai.2ch.net/psy/kako/945/945075010.html(45)
■霊障の嘘2 ソンディが異母兄の生まれ変わりとするのは嘘
桐山氏は「ソンディは異母兄の生まれ変わりで、異母兄と同じ運命の反復」と唱える。
しかし、ソンディは異母兄に4歳から育てられていた!
このことは、ソンディ学派の学者が本で紹介している。
異母兄は生きていたことからも桐山氏の霊視が嘘であることがわかる。
- 23 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 21:12:30
- ■剽窃・盗作・パクリが多い
密教占星術(『九星日盤鑑定要法 中伝』齋藤擁道、東京運命学研究会、1976年)
http://souko.digi2.jp/mede01/okuden01.htm
和讃(法印教会『宝篋印陀羅尼経 和解秘略釈』、昭和33年3月17日)
http://agama.zouri.jp/ws1.html
阿含密教いま(『原初経典・阿含経』増谷
文雄、筑摩書房、1970年)
http://souko.digi2.jp/mede01/tosaku01.htm
■仏舎利解脱宝生行で唱える三種真言は真言立川流の創作の疑い
勤行の三種真言は邪宗で有名な真言立川流が所蔵の「寶悉地成佛陀羅尼經」からの引用。
http://agama.zouri.jp/dato1.html
■超能力開発が実現できていない
念力の護摩は手品、モンゴル奇蹟は天気予報を利用。
指導が開始されてはほぼ四十年たつが、超能力を持つ弟子は皆無。
■解脱の定義そのものを誤っている
仏教の解脱…漏尽解脱(煩悩解脱)。因縁解脱という言葉や概念すら仏教には無い。
因縁解脱を仏教とするのは桐山氏の創作。
このあともダイジェストとは別に記事6〜13までありますが、それも転載すると膨大なものなので
6〜13は2chの207を個人的に見てもらうということにします。
- 24 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 21:20:21
- あ、後これも忘れていたのですが、短いので転載をしておきます。
28 :神も仏も名無しさん:2012/02/17(金)
00:13:56.95 ID:kdMnYMEM
癌で亡くなる職員や先達がふえてきたようだ(みんな歳くってきたから)
してみると因縁解脱ということはウソだったとハッキリしてくる。
求聞持法もウソだったし(管長は英語もできない、けっしてボケないと
言っていたのにボケて護摩の作法の次第さえわすれてしまったようだし)
愛人を囲い贅沢三昧(昼飯は吉兆の仕出し弁当だったらしいし)
ゴルフに囲碁
どこが釈迦の成仏法なんだよ!
以降は自分の意見を述べさせていただきます。
- 25 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 21:28:06
- では>>19について意見を。
>第一猊下は、お金を、何につかってるんですか?
これは表立ってゲイカ自身も言わないし教団も出しませんので「判らない」ということでしたが、
教団内にいた方が2chや今は無き「ザビビ」で「こういう事項があった」という投稿があります。
それらによると、愛人色川氏などにお金を使ったり、贅沢三昧をされていたそうです。
私も当初「ゲイカが贅沢三昧などするはずが無い」と否定的でしたが、実際に糖尿を発症し、のち
脳梗塞を患うに至る事項を見れば、否定のできない事実ですし、もしも嘘だというのならその贅沢を
したといわれる店などから「どのようであったか」の事実関係を調べれば判ると思います。
料亭吉兆やホテルオークラなどで親族も含めかなり贅沢な食事をされていたそうですからね。
目撃者もいるので、かなりの高確率で贅沢をしていたそうです。
本来なら過去ログを見てもらうのが一番良いのですが、かなり膨大な量なので大変です。
もしも、言いがかりだと感じるなら「過去ログ」を読まれるといいですね。
私もかなり面倒だったが、言いがかりだったらタダではすませないぞ、と読んだ。
そして、ショックを受け信憑性に頭を垂れた。
確かに仰せのように寄付やらも行うなどゲイカはまるっきり慈善行為も無し、というわけではない。
ですが、それらの行為も良く考えて欲しいのです。それらの行為は「どういう性質のものか」を。
そして、私が前にも述べたように阿含宗には短く表現すれば「光と闇」がある。
光ばかり見ないで闇をも知り調べる、または認識をするのも必要ではないか。
そこを私は訴えているわけです。
信者はとかく性善説ばかり尊じるが、現実的にある問題や矛盾点を放置せずに考察する。
2chの「淺川さん」の意見がそれを良く表していますので、転載したく思います。
29
:浅川:2012/02/17(金) 02:38:40.55
ID:DNd7PMbl
深山さんに感謝する一人です。入行してからずっとおかしいな、変だな、と思うことがいっぱい
あったにもかかわらず何十年も会員でした。深山さんのご説明は、私が変だと思っていたところを、
それが何故間違っているのか論理的に述べられ、説得力がありました。
読み始めたその日に退会を決心し、1週間読み続け、1ヶ月後には無事退会しました。
- 26 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 21:40:47
- >貧しい国の子供達に、学校を、作り、アウシュヴィッツ、シベリア、ガダルカナル、それぞれに、寄付を、して、
信仰の対象となる本山や、仏舎利を、建立する!
その為に、必死になって、お金を、集め、信者も、その金の使い方に、感謝して、喜んで、供養してきた!
私達の、出した金は、皆、生き金に、なってるじゃないですか?
そうです。表向きや光の部分だけをみればその通りです。しかし、これらの行為の影、または本意を知れば
信者さんの供養した浄財がどれほど生かされているか、は皆目懐疑となります。
このしたらばの過去ログ(記事)に、特に深山さんが解説されておられるので見ると判りますが、それを
かいつまんで述べますと、ゲイカは行為的には確かに寄付したりしている。
しかし、それらは名誉が欲しくてやっているので、それではあまり意味がありません。
まったく意味が無いといいませんが、こういう行為は別段宗教法人でなくても出来ることです。
まして信者さんのお金を使っての行為です。ゲイカ自身がどの程度をそのことにお金を使ったかも皆目わからない。
人の金を使ってよい事をするというのは容易なことです。貧しい国に学校を作ることはいいことではありますが、
それ以外の行為はどうも胡散臭い事項が多い。特に法要がらみの国や地域には非常に問題があります。
特にイスラエルとアウシュビッツの件などは有名な話です。それも名無しさんは知っていますか?
あれらも教団内では絶対に信者には裏の事項など明かしません。明かしたら信憑性の無い傷だからです。
それらを総じて言うと「阿含宗は金で片をつける・全てを整える教団」だということです。
こういう恐ろしい事実を知ると、「どうしてこうも批判的な意見ばかり言うのだ」というのは氷解します。
私も過去信じたくない事項ばかりだったが、整合性の高さに舌を巻いた。
阿含宗の信者さんはそういう点が疎いので、非常に気をつけなければいけないです。
- 27 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 22:02:35
- 仏舎利の件ですが、ここを読まれるといいでしょう。
http://agon.konjiki.jp/bussyari.html アーガマガレージ 「仏舎利について」
これは膨大な過去ログを自分が抜粋して編纂したものです。
私が勝手に捏造・変換したと思われるのを「してない」と証明するのと原文を確認する際のために
引用元のアドなども記してありますから、引用元をじっくり見ることもできます。
私もユビさんに「仏舎利が偽物だというのか」とかなり食って掛かりましたが、結局は私の負けです。
今ではすっかり納得がいきました。
本尊というのは宗教には欠かせないものです。ですが、よく仏教を勉強してゆくとこの「本尊」というのは
実は非常に厄介なもので、実はシャカ仏教をやれば「不要」なものだとわかります。
端的に言えば「釈尊は本尊を必要としなかった」ということです。
私は批判派では新参者のほうです。ユビさんや深山さんと違い比較的新しい脱信者です。
色々と学ばせていただいて本当の仏教を勉強したら、そこに目が行った。
なので、私はそこをメインの1つにして訴えているが、阿含宗には様々な本尊がいて、釈尊も拝みながらも
仏舎利を尊じている。それは本尊を尊むという行為だからです。
一番決定的なのは、釈尊自身が生きていたときには
「私を拝んで功徳を得ようとしても何も無い」
そして臨終の間際にはアーナンダに
「死後私の舎利を祀って功徳を得ようとしても何も無い」
ということを言っています。これはかなりショックな事項です。
つまり、生きている生身の釈尊を拝んでごり役を得ようとしても「無駄」という宣言と、
死後釈尊の「仏舎利」を拝んで功徳を得ようとしても「何も無い」というダブルの釈尊の宣言です。
だが、実際の阿含宗はどうです? 仏舎利を「ご利益製造本尊」にしているではないか。
拝んで「因縁解脱」や「先祖成仏」「現世利益」尚且つ死後は霊界に行ける代物としているでは無いか。
阿含宗の言うことが正しいのか。それとも釈尊の言うことが正しいのか。
釈尊の言った事項も隠して嘘をついているのが阿含宗の教祖なのです。
こういう事実を知ったら、とてもじゃないが阿含宗の信仰は出来なくなるのが普通です。
- 28 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 22:17:34
- 続いて言いますと、釈尊は
「私は生きている人間も死んだ人間も”どうこうすることはできない”私は道を説くだけである。」
こういうことを言われております。
生きている人間に対して道(成仏陀への道、という意味)を示すことは出来るが、到るかどうかは
その人の努力・修行して成道を得るか得ないかの次第である。
だから如何に釈尊であろうとも、全ての人を成仏陀させることや変えることはできない。
ただ、教えを聞いた人が頑張って成道を目指して修行を怠らなければ可能であろう、とはある。
そして死者に対してはあの釈尊でもその人の行くべきところに行くだけであって、私はなにものも
できない、といわれているのです。
ですから阿含宗や阿含宗以外の宗教や霊能者がやるような「貴方の先祖を成仏させます」という
ようなことは「されない」ということなのです。
と成れば釈尊は自身の言葉で「生きている人間も死者もどうにもできない」といっている傍ら、
「シャカの成仏法で成仏させます」というのはものすごい矛盾ではないか?
こうなると釈尊が嘘つきなのか、ゲイカが嘘つきなのか、となる。
ゲイカが本当なら釈尊は嘘をついたということに成る。そうなると仏教自体が崩壊します。
そんなことはありえません。ならば、経典で釈尊が「私はどうこうできない」といっているのが正しければ
ゲイカが嘘つきが確定してしまう。そうなるのが本当です。
ですから、ゲイカの嘘はかなりのものであってよく考察してゆけば見えてきます。
名無しさんの訴えは元信者としてもわかるが、真実を知らないのは貴方のほうです。
ゲイカのことを鵜呑みにするのではなくて、本当の仏教を学び我々が嘘をついてないことを確かめる。
嘘つきは本当はどっちなのかをよく知ることが肝心です。本当に敵はゲイカです。
- 29 :名無しさん:2012/02/17(金)
22:20:34
- さまざまな、猊下の粗探しとしか、私には思えません!
猊下を、悪い方面からのみみて、
良い方面からは、まったく見ようとしない、見れなくなってしまったのでしょうか?
私は、猊下を、尊敬しています!
戦後の皆が、貧乏で、明日食べる飯にも、困っていた時、猊下は、長男として、親父の作った借金を、肩代りして、事業を、立て直し、成功させた!私なら、親父の借金を、引き続ぐまえに、自己破産か、逃げ出していたか!しかし、猊下は、親父の借金を、兄弟の誰でも無い、自分一人で背負って、返済した!すべてが、マイナスからのスタートそれを、物ともせず、立ち向かい、乗り越えてしまう!
また、次は、魚の商売で、大失敗数百億円という借金を、背負ってしまう、普通の人なら、ここで、人生終わり、敗者ですよね!僕なら、とても立ち直れません!しかし、猊下は、違っていた!奮起し、努力した!債権者に、頭をさげ、泥棒呼ばわりされても、誠心誠意頭をさげ、借金を、まってもらい、4,5年必死になって働き、借金を、全て返済してしまった!
毎日コツコツ働き、身を粉にして働きました!その間まさしく贅沢など出来やしない、借金返済の為の労働ですからね!しかし、猊下は、やりとげ、借金を、返済してしまった!私は、この猊下に、感動し、この猊下の強さに、憧れ、今も、ついていっています!
猊下は、この借金で、苦しんでいる時助けてもらった信仰を、私たちに、伝えてくれているんですよ!
人を、見る眼は、大切です。
猊下を、嘘つきと決めてかかるのは、いかがなものでしょうか?
親父の借金を、自ら背負い
数百億円という借金を、コツコツ働き血と汗の努力で、返済した歴史が、桐山靖雄の根底の姿なんですよ!
- 30 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/17(金) 22:22:11
- >986:準シュダオン12/02/17(金) 09:16:30
>そういうネタ元なんて、どうでもいいでしょう。余計なことを書いたのではなくて、
>管長はアウフヘーベンが得意なのです、何事もね。占い本もそうだと思えば良い。
>改良して出したと思えば、どうということもない。森田氏側はどう考えてるのかな?
話がよくわかってないようですね。
森田氏のネタをぱくったなんて書いてませんよ。
森田氏の本を読んで阿鼻惹星=二十八宿の〇星という真相がわかったというだけです。
そして阿鼻惹星=〇星であることは森田氏が決めたのではない。
密教占星術と言われた宿曜占星術の世界において阿鼻惹星=〇宿とわかっただけであり
森田氏なんか関係ない。
二十八宿の星のどれも脳障害の運命の星なんてことはない。
つまり脳障害の因縁≠阿鼻惹星であり、「嘘」だと申しておるのです。
脳障害の因縁なんて桐山さんの創作であることをあなたも認めるのですね。
そんな運命の星なんて無いのに、桐山さんのアウフヘーベン趣味で、密教占星術
の中にあることにした。
- 31 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 22:32:51
- >その為に、必死になって、お金を、集め、信者も、その金の使い方に、感謝して、喜んで、供養してきた!
私達の、出した金は、皆、生き金に、なってるじゃないですか?
生き金にならない事実があるから批判するのです。阿含宗に集められたお金が100%生き金なら私も言わない。
また、私も過去「生き金」になっていると思って、なけなしの生活から供養した。
それがまさかゲイカの欲やくだらない事項に使われてたのかと思うと、失望しましたね。
>猊下は、本当に苦しんでいる霊を、霊眼で、見て、必死になって救ってきた!それを、詐欺だのいうのは検討違い!
それはそれは、猊下は、この数十年必死になって、死者を、供養してきました!
見当違いは貴方のほうです。それはダイジェストの項目だけを見ても十分判ります。
また先ほど述べたように釈尊がやりもしない「先祖供養」(死者成仏供養)は自家撞着事項です。
釈尊本人はやらない「成仏供養」 一方ゲイカは「偉大なる霊能力とシャカの成仏法で成仏せしめる」という。
霊眼? 霊能力? 成仏力? 全てがある釈尊が否定しているのに? まるで手品か詐欺かどっちかでしょうよ。
どこにそういった成仏させる力やら法があるのか。まるで釈尊を超えたような状態ではないか。
それだけゲイカが力があるのなら、シャカの成仏法などという面倒くさい物などいらないでは無いか?
オレ様が成仏させてやってんだ、で足りるでしょう? 何故シャカを持ち出すか?
肝心の釈尊が「私はどうこうできない」といっている事実さえ抑えていたら、ゲイカの論は甚だ胡散臭いと
見えてくるものです。阿含信者は仏教知らず、といわれる所以はここにあるのです。
過去私もそうであったし、貴方もそうです。事実を知るには本当の仏教を勉強することです。
>そして、体験談のように、解脱供養で、成仏した、先祖は、皆喜んであなたのまわりに、いて、感謝している!
それは貴方が確認したことなのですか? 本当に感謝していたのを聞いた・見たのですか?
先祖の霊のことですよ。体験した生きている人間のことではありません。
どうして見えもしない、確認も出来ないのにそれがいえるのか、です。
阿含宗はこうやって見えない事項を手玉にとって洗脳するからたちが悪いのです。
- 32 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/17(金) 22:39:07
- >>986:準シュダオン12/02/17(金) 09:16:30
>占い本もそうだと思えば良い。
>改良して出したと思えば、どうということもない。
この占い本が桐山さんの密教占星術奥伝伝法会のテキストとして盗用した
森田氏ならぬ齋藤擁堂氏の「九星日盤鑑定要法」のことを指しているのだとしたら
それは改良なんか加えてません。
そのまま読み上げただけです。
2回目はコピーをとって渡した。
そのコピー本は物証としてスキャン画像までありますよ。↓
http://souko.digi2.jp/mede01/tosaku01.htm
つまり桐山色に焼き直す改良を全く加えずにそのまんま提示です。
これを齋藤擁堂氏の著書からそのまま引用させて頂いているのであればよいが、
それをせずに示していることは完全に盗用であり瓢窃です。
- 33 :干柿:2012/02/17(金)
22:42:50
- >>29
で、ただ感情的になって同じワンパターンでの書き込みの
桐山ゲイカのことはいいから。あなたは具体的に阿含宗から何を得ましたか?
そして何を学んだのでしょうか?
また、周囲の先達、法友、辞めていった人。それらの人々はどんな人
だったのか、よく考えてみましょう。
今週刊誌等で話題になっているオセロの中島さんについてどう思いますか?
- 34 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 22:43:57
- >>29
あら捜しかどうかよりも現実を見る力さえ貴方は無いらしい。
確かに私も「おー、随分批判側と言うのはあら捜しをしてここまでゲイカの欠点というかアラを探してきたものだ」
「それだけゲイカを憎んでやっつけたいのだろうね。哀れなやつらだ」そう思ったものです。
しかし、逆を言えばこれだけアラがあるひとは「おかしい」とおもわないのでしょうかね?
尚且つ貴方の言っている>>29文章の中身は皆ゲイカの申告ばかりでは無いか。
では、問おう。
昨年出てきた「色川さんとの問題(訴訟)」はどう説明するか。
次はゲイカの犯罪暦、はどう説明するか、です。
犯罪暦で言えばゲイカは自己申告では「一回のみ」と成っている。
たった一度の過ちを世間はなかなか許してくれない、といわれている。
それが真実は「三度あった」となればどうなるか、です。
こういう自分に都合の悪いのは一切信者に言わないで隠したままです。
尚且つこれは言いがかりではなくジャーナリストが調べた事項です。
そして警察(検察)などに確認しても「間違いの無い事実」です。
一回の間違いという教祖と、三度の犯罪歴があるという事実をどうするか?
次に色川さんとの揉め事です。これは2chの6〜13をみれば判るでしょう。
教団では「あれは根も葉もない言いがかり」だそうですね。尚且つゲイカはその話題には触れない。
正式に弁明したり納得のいく説明が一切ありません。
尚且つ裁判所に訴訟の資料が実際あるのですから、言いがかりではない。
ああいう事項も信者には何も語られない。都合の悪いことは一切ダンマリを決めるのが阿含の仏陀様です。
ゲイカの申告と自分の「気持ち」だけではアラ探しに負けるのではないですか。
もうちょっと調べてから発言されたほうがいいようですよ。
- 35 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/17(金) 22:44:22
- 訂正
×:これを齋藤擁堂氏の著書からそのまま引用させて頂いているのであればよいが、
それをせずに示していることは完全に盗用であり瓢窃です。
↓
○:これを齋藤擁堂氏の著書からそのまま引用させて頂いていると、受講者に対して
当然の義務として堂々と公表しているのであればよいが、
それをせずに隠して示していることは完全に盗用であり瓢窃です。
- 36 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/17(金) 22:56:23
- 私もそうだったが批判されて気分はいいものではない。ましてや自分が愛して信仰してきた(いる)ものを否定されて
気分が良い人などいるはずが無い。
だが、闇雲に批判しているのでもなく、アラ探しで突っつくのを好んでいるのではないのです。
あまりにも矛盾が多いのと不整合な事項が多いからいわれるのです。
私も犯罪暦はびっくりした。嘘ではないかと最初思った。
ところが調べたら事実のようです。とても哀しかった。
何故ゲイカは我々に嘘をついていたのかと。
教祖ひいきで一度の犯罪も三度も関係ねえ、そういいたかった。
でも、ゲイカは「一度だけの過ち」といっていた。
結局は三度も似たような犯罪(詐欺まがいです)をやっていたら、さすがにいくら
潔く弁明しても教祖になれない。だから隠した、といえるでしょう。(個人的見解)
私としては潔く打ち明けて「オレは本当の仏教を広めるために頑張っているんだ」とやるほうがイイ。
貴方の言うアラ探しの数々に段々考察をしていったら、悪いがもう信仰する気は失せていきましたね。
ああ、こんなにデタラメな人だったんだな、とね。
第一教団に在籍していて20数年いた私だが、度々おかしな発言が多かったゲイカ。
信仰していながら「おかしいなあ」と思ってたんですよ。
そしてそのアラをよく検証したら全てつながった。ああ、それで「決してアラ探しではないな」と判った。
アラ探しにしか見えないのは現実を見ないからです。また確認検証考察をしないからです。
私も過去「批判派め。言いがかりだったらタダですまないぞ」と怒って考察をした。
貴方もそのくらいの気概で調べて、アラを覆したらいかがか、と思うがどうか。
- 37 :名無しさん:2012/02/17(金)
23:54:53
- 天照さん、あなたの努力を、信仰に、むければ、どれ程の仏果を、得れるか!もったいない!
過去の小さい事にとらわれ、大切なことを、見失っている!
猊下は、第三の眼を、開き、釈迦の成仏法を、体得し、ブッタに、なられた!
そのお陰で、死者をも、成仏させてしまう成仏法を、体得し、苦しんでいる霊が、救われる!
さまよえる霊の成仏力は、チベット密教のおすみつきまで、いただいている!
これを、信じないで、何を、信じるのですか?
猊下は、苦労人です!借金、刑務所、病気、さまざまな困難を、乗り越えてきた、苦労人です!
皆はそれ程の苦労を、してきましたか?
ただ、疑って残りの人生を、生きるのは、むなしいではありませんか?
残りの人生信じぬいて生きる方が絶対にいい!
私が、始めに、書いた体験談のお婆ちゃんのように、必ず喜んで感謝する時が、来ますよ!
- 38 :波羅密:2012/02/18(土)
00:06:47
- >>29
二体さんに似ている気がしますが、物事を額面通りにしか受け止めることが
できないようでもあり、あなたが可哀想な気持ちになります。
>>20-23に書いてある事実から目をそらさず、しっかりと直視してください。
自分の信仰が崩れるのを怖がって思考停止をしないで、
自分の頭でしっかりと考えてください。
- 39 :浅川:2012/02/18(土)
00:09:36
- 29番の名無しさんへ
女性の方かと思ったら「僕」とおっしゃてるから男性ですね。
「!」を濫用する人はヒステリー性格に多い、とある講義で聞いたことがあります。
もう少し落ち着いて、深呼吸してからお書きになった方がよろしいかと思います。
親の借金を返すのに大変な苦労をしたから、「自分は釈迦を超えた、超能力者だ、生き仏だ、
アンゴルモアの大王だ」とほらを吹いていいとは思いませんよ。
- 40 :Boo:2012/02/18(土)
01:03:53
- 批判諸兄がもうすでにレスしていますが、まあそうですね。29番名無しさんは
ホントはゲイカがおかしいと思っているんじゃないですか?「因縁切れた」と言っていて
脳梗塞やI川愛人問題となるし。深山さんがYANの裏事情を解説しているレスがありました。
確かに3瓶さんが二股色恋沙汰で関西に左遷扱いで転勤になりましたが、それにI川さん
が絡んでいたというのは私も聞いています。そのI川さん自身がゲイカと3Pさんに2また
かけていたんだから、あきれてものも言えません。
あなた知っているのかどうか知りませんが、「1999年カルマと霊障からの脱出」で
リンポチェからのことづけでサヘトマヘトに変更するように言われていた職員(秘書)
さんと思われる人は、本山で「グモンジ」も「クンダリニー」も教える施設を計画して
いないことを知って、ゲイカのもとを去ったと告白してます。
成仏法など教える気もないのです、ゲイカは。どころか自分が体得してもいないのですよ。
念力の護摩もインチキです。いまならはっきり言えますね。
冷静に時どき書き込みながらでもスレを読み進めることをお勧めします。
- 41 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/18(土) 05:01:04
- >>37
名無しさん、先ずは感謝を述べさせていただきましょう。ありがとうございます。
結構なことです。
しかし、貴方は掲示板には最近いらした方のようで、あまり掲示板をご覧になってないようだ。
ここでは2chとは違い、私自身の阿含宗での経験や体験などを多く投稿しています。
それらの記事をお読みにはなっておられないようですね。
それを読んだら、>>37のような言葉は先ず出るはずが無い。
私が退会するまでどれだけ阿含宗に命を賭け、燃えていたかがわかります。
職員に成ろうと面接まで受けたほどです。それこそ環境がよかったら法務職員にもなろうとした。
伊達や酔狂でそこまで思ったのではありません。真剣に考え真摯に阿含宗を愛していたからです。
もちろん管長をも、阿含宗の皆さんをも、全てを、です。
しかし、現実にある様々な矛盾や事項に対し訝しく思っていた。
どうしてこうも「完璧」と思える阿含宗に多々なる矛盾が存在するのか。
そして崇敬する教祖「桐山靖雄」の言動には矛盾が多いのであろうか。
それらの答えは教団内だけ見てたり先達や信者同士の会話では解明は無理でした。
なぜなら嘘とインチキで固められた世界では、真実を知るには狭すぎる。
井の中の蛙では大海を知らないが如く、残念ながらいいところまで気づいたが解明までには
至らなかったのが自分の経験です。
ですから私は信仰に命を掛けてなかったのではなく「十分掛けていた」輩なのですよ。
そして過去の小さなことなどではなく、むしろ矛盾から目をそむけていた自分を恥じた。
正式に言えばそむけてなどいないが、鈍化していたのかもしれない。
自分の愛する教団や教祖がまさか嘘とインチキで固められた「砂の城」であったなどとは
夢にも思わなかった。そして砂場での「宗教ごっこ」をやっていた自分が見えた。
あまりにも情けなくて数日は呆然としていましたよ。それほどショックだった。
名無しさん。貴方はそこまで突き詰めて物を考えてきたことがあるだろうか。
阿含の信仰に対してどこまでやられたのであろうかを問いたい。
20数年も在籍して打ち込んできた人間の本気とガチで会話しようじゃありませんか。
- 42 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/18(土) 05:25:59
- 私の過去レスを読むと読むと判りますが、「先祖供養」がメイン(惹かれて)で阿含宗に入りました。
昭和59年(1984年)に入行しました。まだ黒いご宝塔時代で観音慈恵会から阿含宗に変更して間もない頃でしたね。
管長の言われた事項にとても感銘を受け、入行し自分を成長させ、先祖を供養せしめる。そういう希望と意思に燃えて
いたまだ19歳の頃の入行でした。
それから数年たち「どうも変だな」というのを抱えつつも管長の言葉を信じ付いて来た。
途中、あの有名な「オウム事件」もあったが当時私は
「バカなやつらだ。なんで管長の言うことが判らんか」とオウムへ流れていった阿含信者をさげすんでいた。
それほど私は管長の主張や行動を信じて阿含宗にいたほどです。
確かにオウムへ行かないで事なきを得たが、それからの阿含宗もゴタゴタというか、不整合が多い。
でも阿含宗に食らい付いてやってきたわけです。
しかし、いくらやりこんでも効果が見えない。どうしてなのか疑問だらけだった。
その疑問は解明できないので保留のまま信仰は続けた。そして平成15年から自分が離職したことで時間が持てる
ようになったので、その時から阿含宗の道場へ入りびたり集中して修行に励んだ。
すると今までは仕事の合間で中々梵行に参加できない身であったが、今までは見えないものが見えてきた。
阿含宗の現実などです。だが、そこまでやっていながら阿含宗の欺瞞に気が付かないのだからお笑いです。
そして、数年経ってから掲示板に参入した。そこでかなり論じた。論じていく上で批判側から教えられて
それらを検証・考察した。これが先に述べた「ガセネタだったら批判側タダでは済ませないぞ」というやつです。
そして、真実を知って疑問が氷解し、2009年に退会をしたわけです。
私は平成15年に燃えたのは大きな1つの理由があった。それは「人生の半分を折り返した年齢だった」ため
残りの人生を阿含宗で燃やそう。そう思ったからです。
あれほどエネルギッシュな管長も歳をとられかなり弱ってきていた。また教団は人が寄り付かない過疎な場所と化していた。
私が若かった頃は道場で梵行をするにも人が多くて梵行すら行えないほど人が一杯だった。
それが一日一人か二人参拝者がいるか、という有様に変わっていった。
こういう現実を見て私は燃えたし何とかしたいと大きい地区道場の課長に直々に意見書(手紙)まで出した。
本当は管長に出したかったが宗務の方に「先に課長に出した方が良い」といわれたのでその後で出そうと思って
管長には出していないが、マジに阿含宗の行く末や信仰に対しては真剣だった。
そして真剣にやったお陰で阿含宗のシステムに欠陥があるようだとまで気が付いた。
管長の苦労人さを述べているが、では貴方はどうなのか? 貴方はどれほどの苦労や阿含の信仰に尽力したかを
書いてはいないようだが、ぜひ教えて欲しいものです。
- 43 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/18(土) 05:42:45
- また私自身はさほど体験は無いが、弟を入行させていたのでその経緯で解脱供養を行い奇跡的な経験を弟が得たので
阿含宗の奇跡体験は「あながち嘘ではない」のはわかっていますよ。それも含めてかなり批判側に食って掛かった経緯があります。
正式には食って掛かったというよりも、認めたくなかったのでしょう。
あれもこれも皆否定というか「それはこれこれでしょう」と自分の思っている・信じていることの逆を言われる。
それはやはり面白くないですよ。阿含宗否定要素ですからね。
だが、次第に現実を見る力も備わってきて&阿含宗にまつわる疑問や矛盾らを保留していたのを引っ張り出してそれらを
よく検証と考察をした。するとどうですか。批判側の言うことに整合性があり、逆にあれほど信奉していた管長の方が整合性に
欠ける、という事だらけに成ってしまった。
本当に認めたくなかったですよ。それこそ戦時中の日本国民みたいなものですよ。
「日本は神国だ。鬼畜米英を倒せ。天皇陛下のために命を捧げよ。我らは神の子だ。悪いのは日本に逆らう国々だ」といわれ
教育されていたかつての日本国民のようだと非常に思った。
戦争に負け真実を知ったときには一番悪いのはいろんな国を襲い我が物にしていた悪いやつは実は「日本」であったというように
嘘つきの教祖に騙されてせっせと頑張った我らは「騙されていた戦時中の日本国民」さながらであったということです。
情けなくてリアル泣きはしなかったが、心で泣いた。本当に泣いた。
貴方にはこの悔しさと現実にうちひしがれる人の気持ちなどわからないでしょうね。
やりこんで入れ込んだ結末が「騙されていたんだ」と知ったショックと反動はどれほどであるか。
経験しないとどうもわからないだろうと思いますよ。
- 44 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/18(土) 05:58:19
そして、その貴重な奇跡体験をした弟もガンで2009年に亡くなりました。まだ40歳でした。
平素風邪もさほど引かず私より健康だった弟があっという間に亡くなりました。
阿含の信仰も効きませんでした。そして何よりもきつかったのは阿含の欺瞞に気が付いていた時期でしたから
非常に心は穏やかでは無かったですね。
そして助かって欲しいゆえに阿含宗にはどうも胡散臭い点がある、とわかりながらも独鈷を施したりとした。
だが、何も効かずあの奇跡体験さえ受けずに終わった。
弟のことはある程度仕方ないとしても、一番のネックは深山さんが解説される何百体も解脱供養をして修行にも
力を入れていた信者さんがガンになり、管長に助けを求めても助けてくれなかった事項です。
あの話は本当に酷いです。これも批判側の捏造話かと思ったら本当にいたそうです。
ダルマチャクラにも載ったし法話に出たぐらいですから、嘘では無いでしょう。
(ちなみに私はこの信者さんの話は知らなかったのです)
だから私は管長の不整合さや矛盾、また実際の事項として「あるときは助かり、あるときは助からない」
という管長の不整合さ以外の事項に対しても訝しく思うのがそこなのです。
第三者はこういう不整合さに目を向けずあれこれ理屈を言います。
ですが、いざ自分が当事者や関係者になって現実を見たらどうなるか。
理屈だけを述べる人は残念ながら私は認められないですね。言葉に力が通っていない。
机上の卓論さながらで、真摯度が伝わりません。
その点経験した人は例え拙くても感じるものがある。
嘘やインチキで飾る妄想教祖よりも、現実的な事項を述べる方が私は信憑性があり信じられる。
今までは管長を信じてきたが、あまりにも不整合が多すぎてダメすぎます。
尚且つ今のような呆けた状態なら尚更です。
- 46 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/18(土) 06:15:39
- だから私も名無しさんが言われたようなお婆ちゃんのように喜びにあふれ管長にいつも感謝をしていました。ご本尊様にも。
阿含宗の信仰を我が物とし、阿含命とさえ自分は思っていた。
しかし、現実世界ではいつまで経っても何も変わらない。色々管長の言われることをやってみるが全然ダメ。
「変だなあ」と思うが自分が悪いと思って何度もトライする。
そりゃあそうでしょうよ。嘘とインチキと自己啓発に多少毛が生えた事項で何が変わりますか。
確かに会社でそれを実行してある程度の効果も出て「お!」と思ったが早々続くものでもない。
ましてある信者さんが苦しんでいるのを見て、それに助けが無いのを見て一番憤った。
その方も本当にできる限りの供養をしてそれこそ泣きながら修行をしたものです。
その涙を何度も見たし、私も一緒になって泣いたことさえある。
そういうことも経験してたときに感じたのは「管長も本尊も助けてくれないな」ということです。
自分の力で全てやれるなら信仰などいらないでしょう? どうにもならない。お助けください。
全てを投げ打って供養せしめる。しかし、何の効果も無い。こういう現実も私は見ているのです。
ですから私が阿含宗に平成15年に深入りしてからは良い勉強をさせてもらったと思っています。
そうでなければ批判側の言う説明も理解できなかったでしょう。
それこそ皮肉に成ってしまいますが、これこそ「仏様のお手配」というべきかも?と思う時があります。
自分が今ここにいるのは、ただぼーっと経年しているのではなく、私も真摯に阿含宗を愛し力を注いだ。
そして教えてもらって調べてようやく判り至ったのが現在の立ち位置です。
名無しさん。貴方は色々意見をされているが、貴方の修行のほどや内容を示してください。
貴方がどれほどやってきたか。どれほどの深さで阿含宗を思っているか。
中途半端さや浅い中身では話になりませんよ。
ぜひ、期待するものであります。
- 47 :名無しさん:2012/02/18(土)
06:22:01
- 天照さんの法に、対する情熱素晴らしい!しかし、最後まで、続けなきゃ、と、私は、残念に思います。
私は、あなたより、古い会員です。伝法も、富士の朝霧高原の建設大学で、受けたし、泊まり込みで、伝法のご奉仕の為、建設大学で、過ごした日々が、懐かしい!
そこには、今幹部に、なってる方々も、皆友達のように、修行してました、その後、猊下の阿含経講義が、始まり、皆熱狂しましたよ!猊下も、朝霧高原の伝法の講義では、過去の苦労と、今それを残り越えた充実感で、涙を、流されたことも、ありました!
私の猊下に、対する感謝情熱は、その頃から、変わっていません!私の苦労ばなしなど、猊下の乗り越えて来た試練に、比べたら、ちっぽけな、もの!だからこそ猊下を、尊敬し、一生ついていきます!
一度師匠と決めたからには、何があっても、一生ついて行くそれが、私の心情です!
その裏付けが、今回のような、不思議な体験談です!天照さん再度貼り付けますので、もう一度考えてみてください!死後の世界において釈迦の成仏法が、どれほど素晴らしいものかを!
- 48 :名無しさん:2012/02/18(土)
06:23:18
チラッと、言っちゃうと、
一般の人が、万灯で、先祖供養して、ジュンテイ真言の、お守りを、いただきました。しかし、後日、コタツの中で、孤独死してしまいました、でも、運良く弁当配達の人が、見つけ、お守りを、あげた、阿含の人に、連絡が、入り、配達の人と、一緒に、送り出すことが、でき、孤独死で無くて送り出せました!
はなしは、まだ、後日談が、あり、その阿含宗徒が、例サイで、その85才のお婆ちゃんの、供養のために、護摩木を、書いてると、
まったく、その状況を、知らない法友から、あなたの側にずっとお婆ちゃんが、寄り添い、語りかけてますけど、あなたは、わからないから、知らん顔してるから、気の毒だから、そのお婆ちゃんの、言葉を、伝えますね!といい、
急に、コタツで、死んだ事、あなたのお陰で、阿含宗の道場に、これて、供養してもらえて、本当にうれしいと、感謝の気持ちを、ずっとお婆ちゃんが、伝え語りかけてますけど、と、教えてくれたんだよね!
阿含宗の価値は生きている時も、発揮されるけど、死んだ時に、より一層発揮されるんだ!
今日のメイトクさいは、最高!
阿含宗の成仏力は、凄い!
皆さん最近道場で、ちゃんと法話聞いてますか?
最近の法話は、凄い!
- 49 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/18(土) 06:38:10
- ちなみに私の過去の発言を知るには最初は2chの阿含宗という宗教146の記事450からですね。
最初の登場はそこからです。
そしてまもなく自分で立てたスレ「阿含宗を考察するスレ001」と当時1スレしか立てれなかったため
002を立ててくれたのがBooさんですが、「002」があります。
これ以上立てられないのと2chは管理行使が出来ません。なので管理が出来る板ということで
借りて運営したのが「agama@chs」です。
ここでしばらく運営してましたが、ある日サーバーが強く落ちまして書き込みも閲覧も出来ない
ことがありまして、したらばに移ります。それが「agama@chs-1」です。
その前にザビビ(ザBBS、という掲示板があったが閉鎖された。それの略称)というのが有って
そこが2chと双肩の阿含スレでした。そこには「大日如来」と「大ちゃんマン」というHNで出ています。
(かなり昔の大日如来という方は私では無い)
2008年以降に出ているのが私です。
そしてそのザビビが閉鎖されて「惜しい」と思ったのでしたらばで継承して管理運営しているのがここ、したらばです。
ここは「四十二章」から始まっております。
ちょっと遍歴が多いので読むのも大変だとは思いますが2chの膨大な過去ログよりは数が少ないのでマシです(笑)
でも、全てを読まないでも@chsかしたらばの過去ログ四十二章から読んでも私の意図や経緯は見えてきます。
私に対して不遜に思うことや、どういう人間かを見る際には過去ログ(@chsとしたらば)は見ておくことを勧めます。
- 50 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/18(土) 06:56:33
- 名無しさん、私より古い会員ということで驚きと関心をいたしました。恐れ入ります。
私よりも行暦も長く、それこそ大先達ではございませんか。
ただ、惜しいのは全く阿含宗の欺瞞についてご存じないということです。
>>47の文章を拝見しますと本当に私も過去先達からお聞きした様相や発行物で見るような
当時の素晴らしく何ともいえない「これからまい進するぞ」という時期の状態が感じられて
元信者としては胸が熱くなる次第であります。
しかし、この熱くなることはいいのです。何も欺瞞を知らないので。
やはりこの名無しさんのような私以前のことは当時の方か「廣野 隆憲さん」の本が適している
かと思いますね。ユビさんも行暦が古いので判るかもしれません。
欺瞞を知らずに燃えている。管長ゲイカ(会長先生)の裏の顔や事項を知らないでいる。
これが実は意外と信者さんに多いのです。(私もそうでした)
>一度師匠と決めたからには、何があっても、一生ついて行くそれが、私の心情です!
確かに個人的にそう思い、信仰を続けられるのは個人の自由ですので構いません。
ただ、実際にある矛盾を無視して、本当に後悔しないのでしょうか。
また、横に置いておく、のでそれでいいのでしょうか?
そして>>48の体験談はさほど響きません。
確かに孤独死を早く見つけられて、しかも入信してなくてもこの状態だったお婆さまはよろしかったと思いますよ。
しかし、これが阿含宗の成仏法とか成仏力と喜ぶには早計です。
私が問いたいのはやはり管長が信憑性のある事項を見せないからです。
今まで述べた犯罪暦や愛人を横に置いても、(本当は横における事項では無いが)それよりも本当に成仏法を
見せて我らに伝授し効果を示されれば私は退会などしなかったでしょう。
因縁解脱も出来ず、霊障も解脱できず、釈尊の教えに逆らう行為を平気でする。
肝心の成仏法も「ご宝塔に込めて終わり」です。
数々の矛盾を放置しても「私は管長に一生ついてゆく」は名無しさんの自由ですから構いません。
ただ、私たちは欺瞞を放置は出来ないので、こういった欺瞞解明と世間に広める活動はいたします。
もう、成仏法も成仏力も最初から無いのですから気が付かれた方が懸命だと思います。
- 51 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/18(土) 08:37:24
- >>29:名無しさん12/02/17(金) 22:20:34
>戦後の皆が、貧乏で、明日食べる飯にも、困っていた時、猊下は、長男として、親父の作った借金を、肩代りして、事業を、立て直し、成功させた!
桐山さんが身を粉にして働き、借金を返済したかのように、桐山さんがおそらく
朝霧高原の伝法会なども含めて古い法話で話したことをそのまま信じているだけの
スタンスでしょ?
あのホラ吹きの桐山さんの話すことなど何の根拠もありません。
こういう時に必要なのは当時の桐山さんを知る第三者の証言なんですが
そんなものはないから、桐山さんの一人舞台で何とでも言える。
桐山さんは若い頃はかなり親の脛をかじって生きていた遊び人とわかります。
結核を患ったなんて嘘だとわかっています。
父親が軍部に口がきくことをいいことに、結核であるということにしてもらい
兵役を逃れた。そして何をしていたかというと、結核のくせに養生だと言って
群馬県の鹿沢温泉に長期保養し、四阿山などに登山しタバコまで吸っている。
この滞在費などは親の脛であろうから、まあ裕福な待遇だったわけだ。
働いたなんて言っても終戦の闇市上がりでマトモな事業などではない。
だから借金も返せる。結核でない健康体なんだからそれなりに東奔西走します。
>また、次は、魚の商売で、大失敗数百億円という借金を、背負ってしまう、普通の人なら、ここで、人生終わり、敗者ですよね!僕なら、とても立ち直れません!しかし、猊下は、違っていた!奮起し、努力した!債権者に、頭をさげ、泥棒呼ばわりされても、誠心誠意頭をさげ、借金を、まってもらい、4,5年必死になって働き、借金を、全て返済してしまった!
これも実は矛盾した話なんです。
桐山さんは後の法話の常々に「俺は頭を下げるのが大嫌いな人間だ。頭を下げねばならない、
頭を下げた方が有利とわかる時でさえ、逆に頭がふんぞり返ってしまう」などと
自慢気に話していた。
借金を返すのに苦労して債権者に頭を下げてそれを果たした人ならば、こんなことを
言うはずがない。
また借金はある本によると三年で全額返したともあり、これも一致しない。
つまり作り話の嘘です。
毎日コツコツ働き、身を粉にして働きました!その間まさしく贅沢など出来やしない、借金返済の為の労働ですからね!
仲間からビリヤードなど都会の大人の遊びも教えてもらっていたようですよ。
- 52 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/18(土) 08:49:46
- >>29:名無しさん12/02/17(金) 22:20:34
>毎日コツコツ働き、身を粉にして働きました!その間まさしく贅沢など出来やしない、借金返済の為の労働ですからね!しかし、猊下は、やりとげ、借金を、返済してしまった!
我々が批判していることは桐山さんがアゴン宗を立てて因縁解脱を指導してきた
ことの内容に関するものであり、その欺瞞を一つ一つ論じています。
この時に桐山さんの若い時の苦労話なんか出しても意味ありません。
仮に若い頃苦労した人であっても、教祖になってから説くものが嘘であっては
もはや関係ないからです。
しかし桐山さんというのは非常にわかりやすい人で、教祖になる前の若い頃の話から
嘘だらけの人生なんです。
嘘を真に受けるんじゃ、話になりませんよ。
- 53 :準シュダオン:2012/02/18(土)
09:32:01
- >我々が批判していることは桐山さんがアゴン宗を立てて因縁解脱を指導してきた
>ことの内容に関するものであり、その欺瞞を一つ一つ論じています。
私は、二十代の頃は無神仏論者であったが、因縁の発現があり、六方塞がりに陥り
お先真っ暗になり、ついに入行した。密教とは、仏教とは違うのだろう、と考えて
入行したわけです。具体的な因縁の発現を書くと、本名で自己紹介してるようなも
のだから、それは避けるね。但し、例えば、初期ガンの手術後に入行すれば、ガンの
因縁があることが解るね、私がそうだと言ってるわけでないよ、例えばの話。
仕事転々の状態ならば、中途挫折の因縁でしょ、借金で首が廻らねば財運水の因縁、
夫婦別居になれば夫婦縁障害でしょ、大怪我で入院したら肉体障害の因縁でしょ、
深刻な家族喧嘩があれば肉親相克の因縁でしょ、警察のお世話になれば刑獄の因縁
でしょ、異性間の深刻なトラブルあれば色情の因縁でしょ、
私は、こういうような、具体的な因縁の発現が、複数あって、入行したのです。
で、現在は、三〜四方塞がりというところですか。つまり、入行後二〜三方向が
開けた状態です。二〜三の因縁が切れたか薄れたかです。途中、因縁の洗い出し
みたいな体験もあった。だから、阿含経の不堕悪趣とは因縁解脱のことだと確信
出来ているわけです。
- 54 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/18(土) 09:52:51
- >戦後の皆が、貧乏で、明日食べる飯にも、困っていた時、猊下は、長男として、親父の作った借金を、肩代りして、事業を、立て直し、成功させた
家は、軍の御用商人のような仕事だったらしい。
敗戦で軍隊が無条件降伏し、解体されたために、
売掛債権はゼロ、買掛債務という負債が残ったのでしょう。
桐山さんがそれを肩代わり返済できたなら、大変な話しです。
当時、日本がまともな経済状態ではない中での返済は、
まともな事業をせず、裏の事業をしたという証拠です。
事実、1978年月刊宝石の志茂田景樹氏の取材記事によれば、
貨物列車で仕入れた魚が腐って大損をした話しがあります。
これは禁止されたヤミ商売の一つです。
北朝鮮の今の経済実情に似ています。
- 55 :準シュダオン:2012/02/18(土)
09:52:55
- >我々が批判していることは桐山さんがアゴン宗を立てて因縁解脱を指導してきた
>ことの内容に関するものであり、その欺瞞を一つ一つ論じています。
管長の指導のとおりに修行していないで、効果が出ないからインチキだというのは
おかしいね。ユビさんや天照さんや深山さんやラシンさんに効果がでなかったのは、
我見を断つ修行をしてこなかったからだと思います。「輪廻する葦」本のP266
に、「わが宗では、第二第三はほとんど断じている。ただ、第一の身見の断じ方が
たりない。これが断じられたらみな須陀オンだ。みな預流で、聖者の流れに入る。」
と、書いてあるでしょう。じっくり読んでください、今から三十年も前の本ですよ。
信徒諸君は三結のうち、第二と第三はほぼ断てていて、身見(我見)を断てたら
預流という聖者に成れる、と説いているのです。と、いうことは、現在は預流向
であることが解るでしょう、普通の人なら解るね。私はこの本を読んで以来、我見
を断つことに苦心してきた。それでも時に、我が出て反省することままある。
だけど、先に名を出した批判派の皆さんには、自分が預流向だという自覚もなく、
ゆえに我見を断つ、という修行の第一歩を歩んでいなかったみたいです。
ただやみくもに、護摩木勧進やら奉仕修行に専念していたんでしょうか。
- 56 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/18(土) 09:53:59
- >数百億円という借金を、コツコツ働き血と汗の努力で、返済した歴史が、桐山靖雄の根底の姿なんですよ!
終戦直後の物資もない時代、今のお金の数百億円を
コツコツと働き、血と汗の努力で返済できるらしい。
今の時代ですら、コツコツと働いても目いっぱいです。
それが戦後の経済が混乱している時期に、
事業しようにも貨幣価値が破たんし、物資が流通していない。
そんな混乱時期にまじめにコツコツ働き、
あっという間に、数百億円の借金を返済できた?
資金ゼロで大きなマイナスから、どんな事業が成り立つか、
常識で考えれば分かることです。
それは犯罪がいちばん、元手要らずの手っ取り早い方法です。
現実に桐山さんは、元手を作れず偽造行為という犯罪に走った。
私文書偽造で捕まっても懲りずに,次は酒の密造まで手を出した。
アメリカ禁酒法時代のギャングと変わりません。
桐山さんの作り話しの矛盾に、何の疑問も抱かず受け入れている。
桐山教義のデタラメぶりも、何の矛盾も持たないという典型です。
- 57 :準シュダオン:2012/02/18(土)
10:21:35
- 「教えを説く」中巻のP172に、
「わたくしは、大乗仏教は絶対にダメだ、といっているのではありません。ニセの
経典だけではダメだといってるのです。また、架空の仏だけでもダメだといってる
のです。」と、書いてあります。
つまり、お釈迦さまを本尊として阿含経を据えれば、大乗仏教でも良いとしています。
そうすれば、大日如来や阿弥陀如来の架空の仏に魂が入り力が出ると説いてるのです。
阿含宗は、阿含仏教と大乗仏教を綜合・止揚させた仏教だと、管長は宣言しています。
阿含経は自力成仏です。大乗仏教は他力成仏が主でしょう。
阿含宗には、自力と他力(他力)両方ありますね。仏の加持力を肯定します。
自力と他力(祈願)の両方ありますから、より効果的でしょう。
なんで護摩が必要?とかのレスを見たような気もしますが、他力とくれば護摩
がきても当然でしょう、他力は祈願ですから。
一時期、お護摩の火に大乗の仏が現形したのを不思議に思ったことがあったが、
なんのことはない。釈尊は、管長の綜合・止揚仏教の宣言をお認めになって、
大乗の仏のお姿で現形したのですね。
- 58 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/18(土) 10:57:24
- >管長の指導のとおりに修行していないで、効果が出ないからインチキだというのは
おかしいね。
身見とは有身見ともいいますが、仏教の意味によれば、
私という、不変の存在があるという誤った見解のことです。
私の身体、私という心身の集合体などの私というものが、
永遠に変わらず存在すると思うことです。
これは、無知に分類され、誤った見解、邪見であると、
退けられています。
「ヴァッチャよ、世界は常住かどうか、霊魂と身体とは
一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、
などのような種類の問いに対する見解は、
独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、
見取の結縛に
とらわれているのである。
それは、苦をともない、悩みをともない、 破滅をともない、
厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。
」
(マッジマ・ニカーヤ 72)
桐山さんは、この解説を一応認めつつさらに独断を加えています。
それは唐突に、身見とは因縁の道理、因縁化合の法則を理解しない
煩悩と決め込み、それが自己中心的考えであるとしている。
我が強く我執、我慢という煩悩だと説明しています。
(阿含経講義上巻163頁)
だが、これは完全に三毒煩悩を混同した間違いです。
預流に至るための「身見」結の断とは、仏教の道を歩む最初の邪見を
正す心構えを求められたものです。
これを乗り越えられなくては、無貪無瞋無癡の三善根の実践が進まない。
自己浄化という梵行がはかどらないため、最初の第一歩としているのです。
>管長の指導のとおりに修行していないで、効果が出ないからインチキだというのは
おかしいね。
しかし、アゴン宗は不成仏の霊障のホトケを認めて焚火をしている。
釈尊が邪見とした「身見」結そのものを切らずに認めている。
自己矛盾に気づけば、そのような誤った修行などから身を引くのが当然です。
- 59 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/18(土) 14:14:19
- >>48:名無しさん12/02/18(土) 06:23:18
>急に、コタツで、死んだ事、あなたのお陰で、阿含宗の道場に、これて、供養してもらえて、本当にうれしいと、感謝の気持ちを、ずっとお婆ちゃんが、伝え語りかけてますけど、と、教えてくれたんだよね!
これは不思議な霊のような話ではありますが、アゴン宗の正しいことを証明する
話にはなりません。
まず、85歳のお婆ちゃんが孤独死にならなかったのは、弁当の宅配業者がいつもの
とおり訪問したからであって、アゴン宗は関係ない。
アゴン宗の信者に連絡が行ったのは、このお婆ちゃんの身寄り、世話人として
その人が普段から公認周知でやっていたからです。
そしてお婆ちゃんの霊なんだが、これをやはり霊としましょう。
婆ちゃんは世話をしてくれたアゴン宗信者にくっついて例祭の道場に行けたものか
知らないが、そもそもこのお婆ちゃんは一般人ではあるが、その信者さんの勧めに
応じて万灯供養まで申し込んだし、準胝尊一印明のお守りまでいただいていた。
つまり信者さんを通じて同意の上です。
このお婆ちゃんは世話をしてくれる信者さんに常日頃から大変感謝されていた
ものと思われます。だからその人に対する信頼が第一です。
信頼あればこそ入行までせぬまでもアゴン宗のグッズ的サービスも快く受けていた。
だから自ら死んでこの世話人さんにくっついてでも自由に移動できるようになった
のかどうか知らんが、アゴン宗の例祭にまでついてくることができ、
「ああ、ここがあなたが普段から話してくれていたアゴン宗道場かい。嬉しいねえ。
感無量だねえ。本当に今まで世話してくれてありがとうよ」と語りかけたわけです。
世話してくれたことに対する感謝でありお礼です。
つまりこのアゴン宗信者さんが天理教の信者で普段からお婆ちゃんに天理教を勧めて
いたら、天理教の道場にもついて行って「嬉しいねえ」と述べられたでしょう。
世話人はアゴン宗のことをオープンにして世話をしていたのです。
だからお婆ちゃんにとってアゴン宗は違和感ない。
これが世話だけしてアゴン宗のことは秘密にして独り護摩木だけで祈願したり
亡くなった後、供養をしていたと言うのなら、そこまでお婆ちゃんが嗅ぎつける
のはやはり護摩木の祈りの力もあるのかと不思議度は増すのだが、布教はちゃんと生前に済ましているのです。
基本は世話に対する感謝であり、アゴン宗の正しさの証明ではない。
- 60 :準シュダオン:2012/02/18(土)
14:52:45
- >桐山さんは、この解説を一応認めつつさらに独断を加えています。
>それは唐突に、身見とは因縁の道理、因縁化合の法則を理解しない
>煩悩と決め込み、それが自己中心的考えであるとしている。
>我が強く我執、我慢という煩悩だと説明しています。
>(阿含経講義上巻163頁)
こういうところこそ、アビダルマ論を活用すればいいのにね。管長解説は正しい
です。有部では身見を五つに分けて説明しています。いわゆるあなたも言うとこ
ろの有身見が一つです。2つ目が辺執見、3つが邪見、4つが見取見、5つが、
戒禁取見です。長くなるから説明しませんが、この5つが身見(我見)の中身で
す。仏教辞典にはこの意味が説明されております。
管長の説明は独断ではありません。経典にも、釈尊が身見(我見)とは我執から
起こると説いています。ラシンさんは、やはり、我見を断つ修行を第一にしてこ
なかったから、そういう間違いを犯すのです。
深山さんも、何かというと、事あるごとに、仏教とは煩悩を断つことだと強調し
てますよね。私は、なんで今更そういう当たり前のことを強調するのか不思議で
あった。その修行をしてこなかった裏返しとして、強調されてるんですね。
「輪廻する葦」本にも十結煩悩を断つことが、解脱した阿羅漢であり、仏陀なの
だと、十結煩悩を詳しく説明しているのですけどね。
- 61 :深山:2012/02/18(土)
15:40:40
- >>6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
>身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
>>48 :名無しさん:2012/02/18(土)
06:23:18
>阿含宗の成仏力は、凄い
どこが「心暖まる不思議な」話なのだろうか。
信者さんたちにはアゴン宗がこのおばあちゃんを助けたという話に
見えるようですね。
>>59でユビキタスさんも指摘しているように、アゴン宗なんて何にも
関係ないじゃないですか。
現実にわかっているのは、おばあちゃんが孤独死した、それだけです。
これ以外は、本人たちの自己申告で、本当かどうかまったくわからない。
信者さんたちに良く見てほしいのが、事実として確認できるのは孤独死だけです。
それ以外は、強引にアゴン宗の御利益話に結びつけているだけで、何の客観性もない。
これは心暖まる不思議な話ではなく、他人の不幸を利用して、
死んだ人が口がきけないのをいいことに、自分たちの信仰の宣伝に利用しただけです。
教団と信者のエゴ丸出しの御利益話です。
- 62 :深山:2012/02/18(土)
15:42:59
- >>6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
>身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
御利益話というなら、何もこのお婆ちゃんのケースのような
誰かの霊能力で見えたなんて曖昧な話ではなく、
実際に病気が治ったというような具体的な話を私も知っていますよ。
しかし、それがどうかしましたか。
そんな御利益話なら、よその教団にもいくらでもある。
そんな程度の心暖まる不思議な話なら、掃いて捨てるほどあります。
創価でもオウムでも、どこにでもあります。
「新興宗教には奇蹟がある」、これは良く見られる現象です。
この間、幸福の科学のパンフレットをもらったら、
大川仏陀様のお話を聞いただけで、難病が治ったという。
医者もビックリで、病気の人は彼の話を聞くだけで良いのだから、これで
健康保険の財政問題は一気に解決で、医者はみんな失業する・・・となるのですよ。
奇蹟の御利益や霊的な話があるからアゴン宗はすごいというなら、
よその教団もすごいということなる。
つまり、アゴン宗もよその新興宗教も何も変わらないことになる。
アゴン宗の特殊性を出したつもりでこういう御利益話をするのは逆効果なのです。
アゴン宗は平凡な新興宗教だとわざわざ宣伝しているようなものです。
- 63 :深山:2012/02/18(土)
15:47:07
- >>6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
>身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
信者さんたちに気をつけてほしいのは、体験談の信憑性です。
夢で先祖がお礼に来たなんて話はよくある。
だが、夢とか、このお婆ちゃんのケースのように、誰かの
霊能力を根拠とするのは駄目です。
客観性がない。
調べたくても、調べようがない。
だから、どうせ出すなら、「医者もびっくり、ガンが消えた」と
言うような、調べられる話をすることです。
信憑性にはもう一つ問題があり、アゴン宗で出している体験談の
編集者の問題です。
実際に体験談を機関誌に載せた人が、「話がだいぶん違う」と
言っていたというケースがあります。
当時、別院のG職員が編集していて、話を大袈裟に変えてしまう名人だと言われた。
- 64 :深山:2012/02/18(土)
15:55:51
- >>4 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:29:31
>はなしは、まだ、後日談が、あり、
アゴン宗の場合、奇蹟の体験談の後日談もまたよく調べることです。
たとえば、『守護霊の系譜』に出てくる中山卿の話がそうです。
あの本ではいかにも信者のご主人が中山卿に守護霊になってもらい、
ハッピーエンドになったかのように錯覚させられる。
だが、あの直後、ご主人は亡くなったのです。
ご主人が亡くなったとなれば、話はまったく違ってきて、
桐山さんの成仏リキも守護神は何の役にも立たなかったことになる。
もう一つ奇蹟の体験談の後日談をお話します。
関東別院で有名になった話があり、藩主の妻が霊障のホトケとなって
降りてきて、信者の口を借りて苦しみを語った。
例祭で「桐山どのお〜」などと奥方様が叫ぶ暗い話を延々と流した。
そして桐山ゲイカの法力のおかげで奥方様は成仏したことになっていた。
だが、実際は効果がなく、後日も現形したので、別な神道系の宗教家に
お祓いをしてもらって、ようやく収まりがついたという。
桐山さんの成仏リキは効果がなかったのです。
両方ともアゴン宗では桐山ゲイカの法力を示す大きな御利益として語られた。
だが、後日談を聞けば、桐山さんの法力など逆に否定されているのです。
- 65 :深山:2012/02/18(土)
15:58:20
- >>6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
>身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
体験者の話もしばしば大袈裟になることがあります。
印象的だったのは、車にひかれそうになった女性を、亡くなった夫が
車を動かして助けてくれたというアゴン宗の機関誌に載った体験談です。
体験談に否定的な私に、「これはどうだ」と法友が示してくれた。
だが、丁寧に読めば、前後矛盾し、彼女の位置からは見えるはずのない物を見ていた。
そんなことが体験談の何カ所もあるのです。
現実に彼女は自分のミスで車にひかれそうになったのでしょう。
ひかれて死んでいたかもしれないという恐怖心や、信号を無視して
飛び出した自分のミスや、運転手たちの怒りと責める目、
こういう恐怖や自責の念を和らげるために作り出した妄想です。
こんなふうに、霊的な話など客観性がない話、伝わる途中で大きくなる話、
本人も思い込みや、つい仏様を礼賛したつもりで大袈裟に話をするなど、
体験談は十分に注意して読まないといけない。
>>48さんのように無批判に鵜呑みにする読み方は論外です。
- 66 :深山:2012/02/18(土)
16:04:12
- >>6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
>身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
中でも、一番恐いのが、体験者の嘘です。
6さんの紹介している話が嘘だとは言わない。
だが、その霊能者の信者とは誰なのですか。
その霊能者の信者本人に、どんなふうに何を言ったのか、
どんな会話がなされたのか、誰か直接確認したのだろうか。
していないのでしょう。
おそらく、体験者の自己申告です。
こうなると何の客観性もない。
私はそんな霊能者など嘘だと思う。
アゴン宗に本物の霊能者なんているはずがない。
なぜなら、本当に霊能力があるなら、桐山さんに霊能力など
ないことに気がつかないはずがない。
死者が成仏していないことに気がつかないはずがない。
それがわからないということは、その人の霊能力など嘘か、
きわめて限定的な物にすぎない。
要するに信用するに値しない。
私は霊的に敏感な信者を何人か知っていたが、彼らの多くが、
その霊的な体験から逆にアゴン宗に不審を持っていた。
結果を見れば、彼らの霊感こそが当たっていた。
- 67 :深山:2012/02/18(土)
16:06:26
- >>6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
>身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
体験者の嘘による体験談を信者さんたちも知っているのですよ。
他でもない、桐山ゲイカです。
桐山ゲイカは、祖父が上意討ちで斬り殺した霊障武士を霊視して、
これらを成仏させたという。
だが、信州の幕末には上意討ちなどありません。
桐山さんが書いた時、明治維新から見てわずか120年ほど後です。
当事者の子供がまだ生きていた時代です。
歴史家にとって格好の材料である明治維新は徹底的に調べられている。
だが、『長野県史』という膨大な歴史書にも上意討ちなどありません。
むしろ、藩主たちは「日和見」だったと書いてある。
つまり、逆らわず従わずで、上意討ちをするような藩主などいなかったのです。
上意討ちは公務だから藩主は隠す必要はないし、尊王攘夷派は
明治以降で革命の英雄として名誉を回復されている。
明治維新で信州での死亡者は五十数人です。
その中で18人も武士が上意討ちで斬り殺されたら、記録が残らないはずがない。
- 68 :深山:2012/02/18(土)
16:08:48
- >>6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
>身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
この上意討ちの件は普通の体験談とは格が違う。
お婆ちゃんが死んだ後救われたなんて話ではありません。
桐山さんの人生の不幸の元となった話であり、宗教に進む原点であり、
桐山さんの成仏リキの証明であり、アゴン宗の教義の一つです。
だが、真っ赤な嘘です。
信州幕末に上意討ちなどありません。
桐山さんの体験談は作り話です。
6さんの引用した体験談が嘘でも本当でもさして影響がないが、
桐山さんの体験談が嘘だとなったら、話はまるで違う。
アゴン宗の教義の根本が揺らぐだけでなく、桐山さんの
成仏リキの一つである霊視能力への疑いも出てくる。
準シュダオンさん、>>47さん、48さんのように、桐山さんの話を
無批判に鵜呑みにすることが何ともない信者さんには何も言うことはない。
だが、少し知性の残っている信者さんなら、
いくら何でも上意討ちが事実でないなんて、おかしいと思いませんか。
桐山さんの作ったアゴン宗の教義自体が嘘だということになるのです。
- 69 :深山:2012/02/18(土)
16:10:51
- >>6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
>身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
桐山さんの体験談は、アゴン宗の最大の売り物であるオシャカの
成仏ホウの具体例です。
アゴン宗の教義の大黒柱です。
『修行者座右宝鑑』にも因縁と霊障の二つの型の一つとして記載されていて、
信者ならこれをしっかりと学ぶべき内容です。
アゴン宗では、悪因縁の元とは霊障であり、因縁があると本人の意志とは
関係なしに悪い運命のままに翻弄される。
桐山ゲイカはオシャカの成仏ホウを体得することで、
刑獄の因縁の元が祖父の作った十八人の霊障武士であることを霊視して、
彼らを成仏させることができた。
「上意討ち→霊障武士→刑獄の因縁→服役→オシャカの成仏ホウ→因縁切り・霊障解脱→解脱」
これがアゴン宗の因縁教学、霊障教学です。
横書きしたが、これは親亀の上に子亀が乗るように、教義としては積み重なっている。
ところが、親亀である上意討ちや十八人の霊障武士自体が存在しないのです。
親亀がこけたら、上のほうにあるオシャカの成仏ホウも解脱も全部こけてしまう。
実際にこけたのです。
上意討ちから解脱まで全部嘘だとばれたのです。
- 70 :深山:2012/02/18(土)
16:13:56
- >>6 :名無しさん:2012/02/16(木)
20:39:05
>身寄りの無い、お婆ちゃんに、とって、心暖まる不思議な体験談でした!(^_^)☆
存在しない十八人の霊障武士を霊視した桐山ゲイカの霊視能力って何ですか?
存在しない十八人の霊障武士を成仏させた桐山ゲイカの成仏リキって何ですか?
>>47さんのように桐山さんの話に溺れ、自分の信仰心に溺れ、
それでいながら解脱供養2体という奇妙な信者も、48さんみたいに
無批判に体験談を信じる信者も、針の飛んだレコードのように同じ話を
繰り返す準シュダオンさんのような信者も、少数派でないのは知っている。
彼らはもう手のつけようがないのでしょう。
だが、知性が少しでも残っている信者さんなら、桐山さんの霊障武士を目撃し、
成仏させたという「体験談」はアゴン宗の教義に致命傷を与えていることに
気がついてほしい。
桐山さんの体験談は真っ赤な嘘、作り話だから、アゴン宗は桐山さんの
この体験談によって根底からひっかくりかえっているのです。
なのに、まだこれを信じるというのは、麻原彰晃の悪業を
暴露されてもまだ解脱者と信じるオウムの残党と何が違うのか。
信者さんたちの中で、準シュダオンさんや>>47-48さんが愚かな人に見えるなら、
冷静に批判的に桐山さんの体験談を直視することです。
- 71 :準シュダオン:2012/02/18(土)
16:24:38
- >桐山さんは、この解説を一応認めつつさらに独断を加えています。
>それは唐突に、身見とは因縁の道理、因縁化合の法則を理解しない
>煩悩と決め込み、それが自己中心的考えであるとしている。
>我が強く我執、我慢という煩悩だと説明しています。
>(阿含経講義上巻163頁)
私も反省して、もう少し親切にレスします。岩波仏教辞典から引用しましょう。
「有身見」の項に、「・・実体的な自我や自我の所有として執着する見解」と
出ているでしょう。これは我執のことですよ。
また同辞典の「邪見」の項には、「・・特に因果の道理すなわち縁起の教法や
修行によって悟りに達した仏陀の存在などを認めず・・」と、出ていますね。
管長の説明の因縁の道理云々も、辞典の因果の道理云々も、大差ないですよ。
決して唐突に出た説明ではありません。根拠があり、正しいのです。
- 72 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/18(土) 16:59:20
- >管長の説明は独断ではありません。経典にも、釈尊が身見(我見)とは我執から
起こると説いています。
我執は無明から起こり、無知ゆえに縛されている。
生じる元と生じた見解(身見)を、はき違えているのが、
桐山さんです。
>私も反省して、もう少し親切にレスします。岩波仏教辞典から引用しましょう。
「有身見」の項に、「・・実体的な自我や自我の所有として執着する見解」と
出ているでしょう。これは我執のことですよ。
1〜5のどこにも我執などありません、無いものを解説する愚行です。
「執着する見解」の向く相手が「身見」という霊魂を認める邪見です。
有部が親切心で詳細に説くから、このように目的が拡散される欠点が出る。
霊魂を認める見解=身見に執着することを、我見にとらわれるというのです。
逆に我見とは、身見=霊魂を認める見解、ということです。
我が強く我執、我慢という煩悩だと説明しています。
(阿含経講義上巻163頁)
桐山さんの独断を付加させているのは、これら因縁の道理を
「我は因縁の現われ」などと、つないでしまうことです。
(上巻163頁)
それが、仏教にない因縁切り論まで拡大します。
我執は、無明から漏れ出す煩悩です。
それによって生じ、切るべき「結」が、第一の「身見」です。
それを有部の62見にまで拡散した論述にたどるから、
アゴン宗のような解釈を間違えたインチキ宗教が成り立ってしまう。
霊魂を認めそれも霊障のホトケなどを作り上げる間違いを
身見に結縛されているというのです。
桐山さんは、経論のうずに溺れ、論旨を見失い都合よく解釈する。
その典型が、梵行しなくてもよい優婆塞、優婆夷などと定義する。
そのために信者は、梵行の意義もわからずに軽視するようになる。
- 73 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/18(土) 18:46:59
- >>53:準シュダオン12/02/18(土) 09:32:01
>私は、二十代の頃は無神仏論者であったが、因縁の発現があり、六方塞がりに陥り
>お先真っ暗になり、ついに入行した。密教とは、仏教とは違うのだろう、と考えて
>入行したわけです。具体的な因縁の発現を書くと、本名で自己紹介してるようなも
>のだから、それは避けるね。
いや、具体的な因縁の発現を書いたとて個人など特定できぬ代わりに、
今書いたことで、宗務局があなたを探しだし特定する上でのヒントをプラスして
やったことになるよ。
- 74 :akb55:2012/02/18(土)
21:23:23
- 37名無しさん、阿含宗では因縁解脱したらブッダですよね。
であるならば、ゲイカはブッダではありません。五十七章977に書きました
が、もう一度書きます。私の手元に密教占星術1があります。最初に出した
箱入りのやつです、中は今の白い表紙の本と同じですが、はしがきに、この術
難解にして学ぶ者絶え、幻の運命学と呼ばれる。わたくし、浅学をかえりみず
いま、ここに、六巻に分けてこれを説こうとする。とあり、さらに、ねがわく
ば、世のひと、全巻完成まで数年の時をかしていただきたい。とあります。
昭和48年7月20日初版発行です。40年近く経ちますが3巻以降出ていま
せん。中途挫折の因縁です。
- 75 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/18(土) 21:26:52
- >>29:名無しさん12/02/17(金) 22:20:34
>毎日コツコツ働き、身を粉にして働きました!その間まさしく贅沢など出来やしない、借金返済の為の労働ですからね!しかし、猊下は、やりとげ、借金を、返済してしまった!
桐山さんはあなたの思ってるほどコツコツと働いてなどいません。
コツコツ働くなんて桐山さんの最大の苦手科目です。
これをしたくないから詐欺に走り、教祖になったのです。
桐山さんは百円亭主を地で行っていた時代があることを話してますよね。
結婚して子どもで出来て、朝夫人から百円を貰って図書館に通う。
図書館で読書をし、安い昼飯を食って、帰りに子どもにキャラメルを買って帰る
というものです。
つまり仕事をしていなかった。夫人が歯科医なんだから収入は入る。
なぜ仕事をしなかったか?
ちなみに観音慈恵会を立ち上げるよりも前です。
偽ビールで捕まった後、観音慈恵会を立ち上げる時、夫人は好きなようにさせる
代わりに一切自分の収入をあてにするなと条件を出した。
ってか横浜鶴見に道場を設けた教祖が毎日図書館なんかに行くはずがない。
だから観音慈恵会設立前なんだが、働かない理由を天命殺にしていました。
天命殺に行動しても何事もうまくいかないのだから、この時期はおとなしくしており
勉強して力を養っておくべきとしている。
気楽なもんですね。天命殺の2年間働かなくてもやっていけるのですから。
しかしそれは借金を返済した後のことでしたか?
しかし巨額の負債を背負うなんてそれこそそちらの方が天命殺の凶運と言えないか?
ここでは働くのをやめなかったのかな?
死ぬ気で借金を返した実績があるのなら、夫人に甘えて図書館通いなんてするか?
それから借金を返す為に働く時期だが、戦後あまり早い時期にすると結核の問題が
ありますよ。変身の原理では戦後の彼は結核でどんな状態と書いてあるか読み直してみなさい。
つまり結核、事業、図書館、これらのどれが本当なのか?
私には図書館で遊ぶことくらいしか真実はないように見える。
- 76 :干柿:2012/02/19(日)
01:31:43
- まあ仮に借金返済のために贅沢もせずに働いたとしましょう。
けど、余裕ができたとたん、堕落ぶりはひどいものでしょどう考えても・・・
女性信者を騙して御霊諭を下し内弟子にしてあげると言って実際は愛人にする。
昼食をわざわざ京都の吉兆から仕出し弁当をとりよせる。
必要のない高級車ロールスロイスを買う(一、二回乗ったくらいで、しかも
愛人と楽しむために・・・あとは別院の地下に置きっぱなしのスクラップ
実際ありました見たw、どういういわくの車かはI川さんの裁判資料で
はじめて知って愕然としました。)銀座に見栄のためとしか思えない
アゴンビルを買う(実際使い物になんなかったじゃないですか、一説による
とI川さんにあたえてなにかやらせようと企てたらしいという、クラブのママ
にでもさせるような感覚で銀座という一等地でねw)だから後にw田が直接
乗り込んできて潰したんだろうね、たぶんw
そして成仏法なりを信者や弟子に指導する気もなく、アニメ作るだの
演劇にでるだのと・・・こんなの自分の趣味じゃないですか、たくみに教団の
ため信者のためのようなこと言って、洗脳された奴は喜んでいたけど
まっさきにやらなきゃいけないことはで弟子や信者の育成でしょ
法の伝授と指導、自分が都合で出来なきゃ法務部で指導者のプロをつくって
という本当の仕事があったはずなのに、何にもやらなかった。
まあ、後で事実知ったら(本当は何もなかったので指導も教えも糞もないという事実)
もう詐欺以外の何物でもありますまい・・・ほんと糞ですよこの教団
もう底辺のカルトだと今では思っていますよ・・・くやしいです!
- 77 :名無しさん:2012/02/19(日)
03:14:25
- 銀座阿含ビルはe川さんへのプレゼントだったのでしょう
大好きなe川さんの居場所をプレゼントしたってことです
天照さんのレスすごくわかりやすくもっともだと思いましたね
名無しさんはそんな天照さんのレスを含む評判レス、2ちゃん自体
真剣に読み、分析し、深く考えることから逃げているのですよ
今更、人生の全てをかけて来た阿含宗を辞めるなんて選択は微塵も無い
だから事実から目を背け阿含宗と桐山靖雄に必死につかまっているだけです
勇気がない、可哀想な状態です。事実を聞いてるようで全く耳に入れてない
天照さんの熱心なレスをもほとんど目を背けて昔からの自分を必死になって
守っているだけです。(意識的にも無意識的にもね)
もう面倒な考察や検証なんて必要ない、あとは30年信じて全てをささげてきた
阿含宗と桐山管長といっしょなら地獄でもかまわない
桐山管長に委ねよう、もういらん事は考えない
簡単にいえば自分の人生に怠惰なだけです
阿含宗と桐山管長に頼るだけの人生、これ程楽なことはない
余計なことなど考えていないのです
真正面から天照さんのような姿勢ではのぞまない、いどまない。
勇気がない、面倒くさがり、事実から目を背ける臆病な人間なのです。
見ざる聞かざる言わざる。桐山靖雄につかまった人生を30年も過ごした結果
自分で判断し選ぶ力も無くしてしまったただの宗教腑抜けです。
あなたは事実から目を背け自己防衛している弱虫な二体さんですね。
- 78 :名無しさん:2012/02/19(日)
07:10:49
- 銀座阿含ビルはe川さんへのプレゼントだったのでしょう
大好きなe川さんの居場所をプレゼントしたってことです
天照さんのレスすごくわかりやすくもっともだと思いましたね
名無しさんはそんな天照さんのレスを含む評判レス、2ちゃん自体
真剣に読み、分析し、深く考えることから逃げているのですよ
今更、人生の全てをかけて来た阿含宗を辞めるなんて選択は微塵も無い
だから事実から目を背け阿含宗と桐山靖雄に必死につかまっているだけです
勇気がない、可哀想な状態です。事実を聞いてるようで全く耳に入れてない
天照さんの熱心なレスをもほとんど目を背けて昔からの自分を必死になって
守っているだけです。(意識的にも無意識的にもね)
もう面倒な考察や検証なんて必要ない、あとは30年信じて全てをささげてきた
阿含宗と桐山管長といっしょなら地獄でもかまわない
桐山管長に委ねよう、もういらん事は考えない
簡単にいえば自分の人生に怠惰なだけです
阿含宗と桐山管長に頼るだけの人生、これ程楽なことはない
余計なことなど考えていないのです
真正面から天照さんのような姿勢ではのぞまない、いどまない。
勇気がない、面倒くさがり、事実から目を背ける臆病な人間なのです。
見ざる聞かざる言わざる。桐山靖雄につかまった人生を30年も過ごした結果
自分で判断し選ぶ力も無くしてしまったただの宗教腑抜けです。
あなたは事実から目を背け自己防衛している弱虫な二体さんですね。
- 79 :名無しさん:2012/02/19(日)
07:12:04
- 銀座阿含ビルはe川さんへのプレゼントだったのでしょう
大好きなe川さんの居場所をプレゼントしたってことです
天照さんのレスすごくわかりやすくもっともだと思いましたね
名無しさんはそんな天照さんのレスを含む評判レス、2ちゃん自体
真剣に読み、分析し、深く考えることから逃げているのですよ
今更、人生の全てをかけて来た阿含宗を辞めるなんて選択は微塵も無い
だから事実から目を背け阿含宗と桐山靖雄に必死につかまっているだけです
勇気がない、可哀想な状態です。事実を聞いてるようで全く耳に入れてない
天照さんの熱心なレスをもほとんど目を背けて昔からの自分を必死になって
守っているだけです。(意識的にも無意識的にもね)
もう面倒な考察や検証なんて必要ない、あとは30年信じて全てをささげてきた
阿含宗と桐山管長といっしょなら地獄でもかまわない
桐山管長に委ねよう、もういらん事は考えない
簡単にいえば自分の人生に怠惰なだけです
阿含宗と桐山管長に頼るだけの人生、これ程楽なことはない
余計なことなど考えていないのです
真正面から天照さんのような姿勢ではのぞまない、いどまない。
勇気がない、面倒くさがり、事実から目を背ける臆病な人間なのです。
見ざる聞かざる言わざる。桐山靖雄につかまった人生を30年も過ごした結果
自分で判断し選ぶ力も無くしてしまったただの宗教腑抜けです。
あなたは事実から目を背け自己防衛している弱虫な二体さんですね。
- 80 :名無しさん:2012/02/19(日)
07:14:05
- >>78-79
スマホの誤作動入力です
- 81 :準シュダオン:2012/02/19(日)
10:06:32
- >1〜5のどこにも我執などありません、無いものを解説する愚行です。
あのね、5見のうち、見取見というのは、自分の誤った見解に執着することを
いうのです。自分の誤った見解に執着するのは、我執からきているのです。
>「執着する見解」の向く相手が「身見」という霊魂を認める邪見です。
>有部が親切心で詳細に説くから、このように目的が拡散される欠点が出る。
>霊魂を認める見解=身見に執着することを、我見にとらわれるというのです。
>逆に我見とは、身見=霊魂を認める見解、ということです。
ね、見取見の説明で、身見には、アートマンを認める間違いと、我執から自己中心
の考えに陥り、誤った見解を正しいと思い込む間違いの、大きく分けて二つの意味
があることが解るでしょう。
- 82 :名無しさん:2012/02/19(日)
11:37:23
- 確かに、昔は、懐かしいですね!
朝霧高原の伝法会のご奉仕には、かなり参加しましたよ!
関西人のはばが、かなりきいてて、関東人は、ほぼ、肩身が狭く、小っちゃくなってましたよ!
なにせ、やはり、関西系の修行者の人材の層は、飛び抜けて厚かったですね、現在の僧侶のほとんどが、髪の毛長くして、皆がんばってましたね!私達関東人も、情熱は、負けてはいないのだけど、やはり現在の阿含宗の幹部が、皆修行者としていた時代ですから、圧倒されつづけでしたね、皆若かったな!夜食なんか、スイカが、丸ごと出たりして、どうやってたべるんだ、なんて皆て、驚いたりしてね、とにかく夜食や、差し入れが、豪華だったね、今は、カップラーメンでしょー!昔が、懐かしいね!
これからも、ご奉仕させていただきましょう!
- 83 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/19(日) 11:41:06
- >ね、見取見の説明で、身見には、アートマンを認める間違いと、我執から自己中心
の考えに陥り、誤った見解を正しいと思い込む間違いの、大きく分けて二つの意味
があることが解るでしょう。
桐山さんの強調する我見は、自我が強く指導者の指示に従わないような
性格を牽制している、との意味です。
信者さんも、その性格性にウエイトを置いた解釈で運用している。
特徴を言えば、我が強いとの表現ですが、身が強いとは言わない。
その意味で、身見=我見=我執とすると、意味が拡散してしまいます。
しかし、我見(身見)のポイントは、恒常不変の自我、おもに霊魂の
存在を認め執着する見解を「身見結」としています。
霊魂を不成仏霊として焚火をしていることは、身見=我見=我執です。
アートマンを認める見解=誤った見解を正しいと思い込む=我見。
著書にある桐山さんの語句の運用は、恣意的なものです。
しかし、
>>58:だが、これは完全に三毒煩悩を混同した間違いです。
上記指摘は、私の勘ぐり過ぎた言い過ぎであり、間違いと認めます。
- 84 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/19(日) 11:49:59
- >確かに、昔は、懐かしいですね!
朝霧高原の伝法会のご奉仕には、かなり参加しましたよ!
ここは懐古趣味の老人クラブではありません。
偽坊主の養成にどんな価値がありますか。
- 85 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/19(日) 12:00:40
- >>78名無しさん、ありがたいお言葉とご意見感謝いたします。
私のような文章が下手な人間の言葉がどこまで真意を伝えられるかわかりませんが、
下手なりにも気持ちと誠意で投稿させていただいております。
思うに私も過去は冥徳体験談を示された”名無しさん”のように、阿含宗最高!
阿含宗バンザイの姿勢でありました。
それがいろいろな阿含宗での事項や疑問・矛盾に首をかしげるようになっていった。
でも、欺瞞に気がつかないから阿含宗のいいところだけ見て信仰を続けていた状態でした。
そのうち掲示板に参入し、欺瞞を知るのですが最初はとても嫌だったし違和感が酷かった。
なぜならほとんど阿含宗の否定事項ばかりだからです。
そういう「気に食わない・理解しがたい」ものを見ない・聞かないでやることはできた。
だが、そういうことよりも「事の真偽をはっきりさせてやろうじゃないか」つまり自分が
信仰する阿含宗が正しければ、批判側の言葉や意見など言いがかりで根拠の無いものである。
それが判れば批判側は「ただのバカ」であり、やっかみの輩である。
それが判るまで徹底的に検証できるものは行い、考察も重ねた。
すると結果はどうであろうか。なんと間違っていたのは自分でありゲイカであった。
愛する教団阿含宗と、教祖桐山靖雄の方が間違っているという事実を知った時の衝撃と
いったらそれはかなりのものでした。
自分の愛する・好むものを大事にするのは判ります。
しかし、その対象物がもしも誤りであったならどうするのか?
耳をふさぎ、目を背けてカタがつくのか。
正しい教えを説いたはずのゲイカが間違いだらけであったのに、「はあ?なんですか」
と、とぼけるのか?
いくらでも擁護しいくらでもとぼけることもできたでしょう。
しかし私は伊達や酔狂で阿含の信仰をしているのではない。
本当の教え、また正しい教えだからという申告を信じたから入行した。
最初から嘘っぱちが判ったらこんな教団に来るものか。教祖など信じるものか。
今までは知らなかったから仕方ないでしょうが、冥徳供養体験談を示された”名無しさん”は
もう欺瞞の情報らを私たちから示された。もう欺瞞をまったく知らない、という人ではありません。
これからは貴方がどのように進むかは貴方の自由です。
阿含宗とゲイカに酔うのも勝手ですが、真実を放置して・排除して何があるのか。
良く考えていただけたらと思います。
これがまだ中学生とかの若い人ならある意味「仕方ない」と思いますが、私と同じか上の世代なはずです。
残りの人生を悔いなく生きるためには、やはりちゃんと現実を見る。また示された各資料や情報を良く確かめる。
自分の選んだ道が間違っていたことに気づいて迂回するのは早いほうがいいです。
ゲイカと共に地獄への道を選ぶのなら、それでも構いません。良くお考えになって欲しい。
そういう拙なる願いも込めて、私の意見とさせていただきます。
- 86 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/19(日) 12:07:40
- 私が書いているうちに投稿が増えていましたね。
>>82を読んだら呆れましたね。人の話など聞いてない。読んで無いようですね。
読んででも頭に入らないか、わざと無視しているか。
そういう人は某老人一人だけで沢山でしたが、どうやら仲間が増えてしまったようですね。
まあ、スレ汚しだけはしない程度にお書きください。スレ妨害でも無いですから規制はしません。
ただし、批判意見が出るのは覚悟ください、と前置きしておきます。
まだ春は早いんですがね・・・。
- 87 :準シュダオン:2012/02/19(日)
12:51:59
- >特徴を言えば、我が強いとの表現ですが、身が強いとは言わない。
>その意味で、身見=我見=我執とすると、意味が拡散してしまいます。
ではこの際、もう少し岩波仏教辞典の説明を見てみましょう。
「有身見」の項に、「われわれの身心は五ウンが仮に集合して成り立っているのに、
それを実体的な自我や自我の所有(我我所)として執着する見解」と、あります。
そこで、更に、(我我所)の説明を↑辞典で引くと、
「我我所」→「我と我所。自己自身と自己の所有するもの。永遠不変の自我の主体と、
それに所属すると考えられるもの。また、自我に執着する見解(我見)と、自我の
所有物に執着する見解(我所見)とを意味することもある。」
と、説明されています。
ですから、1身見→我(アートマン)を認める見解、と、
2身見→自我(所有物含)に執着する見解、との二つに大別できると考
えられます。意味が拡散しても仕方ないです。アートマンの漢訳
は「我」なのですから。
>しかし、我見(身見)のポイントは、恒常不変の自我、おもに霊魂の
>存在を認め執着する見解を「身見結」としています。
>霊魂を不成仏霊として焚火をしていることは、身見=我見=我執です。
だって、永遠不変の自我を認めるのが、身見=我見=我執、でしょう。
不成仏霊は変化するのですから、身見=我見ではないでしょう。
- 88 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/19(日) 12:54:02
- >>82:名無しさん12/02/19(日) 11:37:23
>これからも、ご奉仕させていただきましょう!
あなたの書いていることは団結力の懐古です。
一昨日書いたことは桐山さんの苦労話だが、これは桐山さんの嘘話を鵜呑みに
信じただけに過ぎません。
これに対して朝霧高原時代の若者の奉仕に対する情熱は本物です。
準シュダオンさんでは絶対に真似できないのが情熱の団結力です。
私は団結力自体は否定せず、何事を行うにも必要なことであり価値あるものと
思っています。
今日も神奈川県民ホールに来て、マーチング&バトンステージ全国大会を鑑賞してますが
各チームの団結力に感動しています。
しかし団結力があれば何でも批判されないかと言うとそうではない。
オウムがサリン事件を起こしたのも情熱の団結力の所産です。
もちろん朝霧高原の伝法会なんて社会に危害を与えるものではありません。
しかしあなた方の純粋な団結力を踏みにじり、大将の桐山さんは嘘八百の詐欺師です。
団結力を誇示したとてこの欺瞞は消えません。
逆にそれだけの団結力があるのならば、こんな詐欺師団体に奉仕するのでなく、
別のことに善用した方があなた方のカルマを汚しません。
- 89 :名無しさん:2012/02/19(日)
13:56:33
- ユキビタスさんのおっしゃるとうり!
団結と飛躍には、価値はありますね!私も、好きです。
朝霧高原から、関西本部に、伝法会が、変わっても、関西勢力の修行者の勢いは、止まりませんでしたね!やはり関西弁に、勢いが、ある。夜食や、差し入れは、朝霧高原ほどでは、なかったが、密教食とか、お菓子なんかもでたね!とにかく全国の老若男女が、関西本部に集まった修行は、充実しましたね。若い衆なんか、女の子と、いちゃいちゃしてたりしたな!恋が芽生えたりね!冬に、なると星まつりの修行だね!あそこでは、甘酒が、出て、飲み過ぎて気持ち悪くなっちゃったよ!これは、今でも、続いてるね!
いゃ懐かしい!私は、全国の修行者と、一緒にできる修行が、大好きで、昔の思いでが、よみがえってきたよ!伝法会のご奉仕なんか、夕方になると、皆で、近所の銭湯に行って、若いから、女の子の法友なんがいると、なんかドキドキしちゃったりなんかしてね!
若かりし良き思い出だね!
これからも、法友と、良き修行の思い出が、作れそうだね!
関西勢力には、まけないように、しないとな!頑張ろ*
- 90 :名無しさん:2012/02/19(日)
14:39:16
- 朝霧高原の思い出ばなしにもどっちゃうけど、修行者は、無料で、マイクロバスで、現地まで、送り迎えしてくれたね!
そして驚いた事に伝法会参加者が、バスに乗って帰る時、必ず猊下と奥様が、出向き手を振って見送ってくれましたね、懐かしいです、猊下もお若かったですね!
修行してても、職員と修行者のかきねが、今ほど無く、職員に、修行者が、指示してたなんてこともあったね。昔の修行者は、将来の幹部に、なっちゃってるんだから、当然といえば、当然だな!
また、伝法会の最後の終わりの時猊下とともに、なぜか、皆で、万歳三唱したね!掛け声は、いつも、東海の奥村さんだったね!あの方は、素晴らしい修行者でした。私の大先輩であり、目指すところの、お方でも、あります!
懐かしく思い出ばなしに花が咲きました、これからも、皆と仲良くこの日を、忘れずに、団結して楽しく時には、厳しく修行頑張りましょう*
- 91 :深山:2012/02/19(日)
15:20:53
- >>82 :名無しさん:2012/02/19(日)
11:37:23
>確かに、昔は、懐かしいですね!
>>89
:名無しさん:2012/02/19(日) 13:56:33
>関西勢力には、まけないように、しないとな!頑張ろ*
>>90 :名無しさん:2012/02/19(日)
14:39:16
>朝霧高原の思い出ばなしにもどっちゃうけど
あなたの脳味噌には、桐山さんの話と昔を懐かしむことしかないのですね。
それがあなたの世代と脳の老化具合をよく示している。
最近、大学生の能力を調べる試験を行うという話が朝日新聞に載っていた。
それは、
「読解力、論理的思考力、批判的な思考力、文章表現力」
を大学時代にどれだけ習得したかを調べるためだという。
事の是非はともかく、今の社会の中でこれらが求められている。
この中で、二体(=82)さんが体得したのは、表現力だけです。
あなたの文章からは、あなたが当時持っていた情熱と、その時代を
懐かしむあなたの懐古的な気持ちが良く表現されて、伝わってくる。
だが、「読解力、論理、批判」については0点です。
二体さんて本当に何の論理性も批判精神もないのですね。
あなたみたいな人がアゴン宗の信者にはそれほど珍しくないことは知っています。
だが、今の日本で、普通の義務教育を受けたはずの二体さんが
残り三つが壊滅状態というのは、驚くというよりも、恐ろしい姿です。
- 92 :深山:2012/02/19(日)
15:26:14
- 「読解力、論理的思考力、批判的な思考力、文章表現力」
二体さんを見ていて驚くのが、論理と批判がほぼ絶滅している点です。
>>19,29など天照さん宛に書いたのは二体さんですよね。
2ちゃんねるでのあなたの書き込みを読んでいても、
桐山さんに対してはただの一つも「批判」がない。
桐山さんの言ったことはすべて文字通りに正しいと信じて、
どんな現実や事実を示されても、無視する。
反論するならまだいいのだが、あなたの場合、何を書かれても無視する。
あなたの意見に天照さんは自らの体験を含めたアゴン宗への疑惑を書いた。
だが、あなたは完全に無視して、「懐かしい」(>>82)です。
ユビキタスさんの指摘に対しても、完全無視して、昔語りをする。
このあなたの態度は一貫して、2ちゃんねるで私など批判側から
さんざん桐山アゴン宗への批判を指摘されても、無視した。
あなたはわざと無視する無礼者なのか、それとももはや無意識に
批判を無視するほどに自己洗脳してしまったのだろうか。
自分の信じていることに反するような指摘や事実を無視することで
あなたは何十年も自分の脳味噌を桐山色に染めてきた。
その結果、批判的に物事を見るという姿勢が欠落して、無視するという、
普通の人間同士なら、してはならない手段を取るようになった。
あなたはもはや現実をあるがままに見ることはない。
現実から遊離して、桐山さんの作り出した妄想の世界と、
懐古趣味の世界に浸っている。
- 93 :深山:2012/02/19(日)
15:32:53
- 「読解力、論理的思考力、批判的な思考力、文章表現力」
二体さんの論理性も壊滅状態です。
アゴン宗の教義すら理解していないから、解脱供養が二体で済んでいる。
もっともアゴン宗の教義を論理的に理解したら、
アゴン宗など信仰していられない。
なぜなら、矛盾した内容が至る所にあるからです。
信者時代の私も目をつぶったし、多少の矛盾や嘘が混じることは
仕方ないと桐山さんのために弁護した。
だが、教義をしっかりと学び直せば直すほど、矛盾がひどくなり、
論理的に破綻している。
他と比較して破綻しているのではなく、桐山さんの作り出した
教義において矛盾しているのです。
法話などを丁寧に聞いていると、前と違うことを言うのは珍しくもない。
それもそのはずで、桐山さんはその場しのぎの思いつきを言うからです。
矛盾を指摘されると、「日々、前に進んでいる」などと言い訳をする。
だが、前に進むためには、過去の過ちを修正してからでないと無理です。
こうやって矛盾と嘘を積み重ねたから、今日のアゴン宗の教義はどこを
見ても、木に竹を嘘という接着剤でつないだような状態です。
- 94 :名無しさん:2012/02/19(日)
15:39:15
- なんか、皆さん誤解してるようですが、私は二体さんじゃないですよ?二体さんで、あの方、お爺さんじゃないですか?
私はまだ若いですよ!まだ50台ですよ!
確かに、二体さんのおっしゃることは、感銘を、うけました。
- 95 :深山:2012/02/19(日)
15:44:58
- >>89 :名無しさん:2012/02/19(日)
13:56:33
>関西勢力には、まけないように、しないとな!頑張ろ*
いったい、何十年前の話をしているのだ?
話の内容からすると、あなたは60歳前後の人なのだろうが、
まるで、日なたで昔話をしている老人みたいですね。
関西に勢いがあったという話は、今から三十年ほど前の
1980年代初頭の、大阪道場のY田先達の頃です。
二体さんの言うように、すさまじい勢いだった。
絨毯爆撃のようにチラシをまいて、映画界を開き、信者を獲得していった。
だが、Y田さんがコケテから、凋落の一途です。
あなたの記憶と違い、たとえば別院では、信者数が1985年から
1990年の5年間の間に、5千人の信者が減った。
これは辞めた人の数ではなく、差し引きした信者数です。
毎年、なんと千人減っていったのです。
最大でも別院管轄では2万人くらいの信者しかいなかった。
それが1980年代に入信して増えたはずの信者が次々とやめて、
元の木阿弥になってしまった。
以後、アゴン宗は鍋底状態で「長期的低迷」(『阿含宗報』122号)を続けている。
信者数では1980年代前半がピーク、護摩木の本数では
1990年前後がピークです。
- 96 :名無しさん:2012/02/19(日)
15:46:44
- >>94
うそつきぃ
- 97 :深山:2012/02/19(日)
15:47:54
- >>89 :名無しさん:2012/02/19(日)
13:56:33
>関西勢力には、まけないように、しないとな!頑張ろ*
あなたは関東など、関西以外の人らしい。
関西のほうが成績が優れていると信じているのがおもしろい。
W田さんの作戦に見事にひっかかり、未だに信じている。
これはあなただけでなく、桐山さんもそんなふうに信じている。
だが、現実は逆ですよ。
W田さんの手のひらの上で転がされ、錯覚させられている。
そんなことはありえないのです。
痩せても枯れても、腐ってもタイなのが東京です。
修行の成果とは、熱意でも仏様のお手配でもなく、人と金です。
人と金の集まっている所こそが成績をあげる。
あなたは護摩木の分析をしたこともありませんね。
関東一円の護摩木の本数や信者一人あたりの護摩木の本数の
一覧表を職員から見せてもらったことがある。
驚くべき事に、各都道府県の経済力に見事に比例していた。
東京や神奈川など経済力のある地域と、北関東の経済的に
劣っている地域の、信者一人あたりの護摩木の本数が見事に一致していた。
どんなに頑張っても関西は関東より経済的に劣る。
一時的に成績を上げることはできても、長期的には無理です。
長期的に関西が優れているように見えるとすれば、それは誤魔化しです。
アゴン宗でのゴマカシの犯人もはっきりしている。
- 98 :深山:2012/02/19(日)
15:50:29
- >>89 :名無しさん:2012/02/19(日)
13:56:33
>関西勢力には、まけないように、しないとな!頑張ろ*
昔からアゴン宗は関東と関西に分かれていた。
1980年代後半まで入行費用すら違っていたことを知っていますか。
会員番号の取り方も各道場ごとだった。
これがブッダの智慧を持ち、最新のエレクトロニクスを駆使する教団
だというのだから、爆笑です。
経済的に劣る関西は関東には勝てないのです。
そこをうまくごまかしたのがW田さんの悪知恵で、
桐山さんが数字に弱く、霊感や直感なんて嘘なのを知っているから、
適当に数字をごまかして、いかにも関西のほうが勝っているようにみせかけた。
関東では二度ほど護摩木の一千万本を達成したことがあった。
桐山さんから、関西はすでに達成しているから、関東は何をしていると
ハッパがかけられたから、一千万本を目指した。
だが、実は関西は一千万本など達成していなかったことが
後で関西の幹部職員の発言でわかった。
桐山さんが嘘をついたとも見られるが、実際はW田さんの
嘘を桐山さんが鵜呑みにしたのです。
- 99 :名無しさん:2012/02/19(日)
15:53:00
- 二体さんは、まさしく広野、原野を、駆け巡る実働部隊とでも、いいましょうか?さながら獅子の如くに広施の行を、実践する行者と、いったところ!
私は、仲間と共に切磋琢磨しながら、カンカンガクガク組織力を、使い行動するのが、好きなオルガナイザーとでもいいましょうか?
進むべき道は、同じですが、少し修行形態が、違う様に思われます、しかし、二体さんの猊下にたする思いには、感銘を、うけました、大先達と、尊敬しています!
ちらほらと誤解されている様なので、二体さんにも、若輩者が、申し訳ないので、訂正しておきます!
- 100 :深山:2012/02/19(日)
15:55:35
- >>89 :名無しさん:2012/02/19(日)
13:56:33
>関西勢力には、まけないように、しないとな!頑張ろ*
こんなふうにW田さんは桐山さんにさも関西のほうが成績が良く、
信者も熱心であるかのように見せかけた。
関東では、W田さんに対抗できるだけの悪知恵の働く人がいなかった。
だから、婿殿局長が一度退職した段階で、関東はW田さんの支配下に入った。
東海本部も、W田さんが故・O村理事を理事職から外して脅かしたから、
名誉の欲しい彼はW田さんの配下になった。
関東の男どもが敗退する中、それでも雄々しく反撃した人がいた。
誰あろう、E川さんです。
銀座ビルは桐山ゲイカが愛人に与えた「店」です。
桐山さんは、前の愛人であるN本さんを神田のシャンバラの店長に抜擢した。
何の行歴も実績も職歴もない若い女性が、突然、店長です。
銀座ビルも同様で、あれは愛人に与えた店にすぎない。
だから、銀座ビルの職員募集はひどかった。
銀座ビルの職員募集は、桐山さんが面接までしたのに、採用されたのはゼロです。
不採用通知すら行かなかったというのだから、いかにも信者など
家畜だと思っている桐山さんらしい。
その後、銀座ビルで職員として活動したのはE川さんとU戸さんです。
職員募集や面接など、桐山さんは最初からE川さんに「店」を
与えるためのカモフラージュだったのでしょう。
- 101 :深山:2012/02/19(日)
15:59:01
- >>89 :名無しさん:2012/02/19(日)
13:56:33
>関西勢力には、まけないように、しないとな!頑張ろ*
桐山さんが愛人を隠すためのカモフラージュが銀座ビルと同じ手法を
用いたのが、『メシア出現』です。
私を含めた信者は、E川さんが特別扱いされることに疑問を持っても、
それは『メシア出現』というヨイショ本を書いたことで、
彼女が桐山ゲイカのお気に入りになったからだと思っていた。
ところが、これが桐山ゲイカの作戦であり、目くらましです。
事実はまったく逆で、愛人であるE川さんを特別扱いしても
怪しまれないように、『メシア出現』の編集者という肩書きを与えた。
この作戦は見事に成功して、私の知る別院の運営をしていたオバチャン
行者で、E川さんが愛人だと疑惑を持っていた人はいなかった。
私も多くの信者も、見事にこの作戦にひっかかった。
銀座ビルも同様です。
銀座にビルを持つという桐山さんの世代ならば成功者のシンボルを
手に入れ、しかも愛人に「店」を与えた。
その前の愛人と言われるN本さんに、神田の古本屋街の喫茶店を与えたのと同じです。
- 102 :深山:2012/02/19(日)
16:04:14
- >>89 :名無しさん:2012/02/19(日)
13:56:33
>関西勢力には、まけないように、しないとな!頑張ろ*
W田さんは関東を制圧して、横浜のK柳さんを兵隊に使い、
銀座ビルも手に入れようと画策した。
ところが、ここはE川さんの城です。
桐山ゲイカが愛人に与えた城なのだから、
ここに手を出したら、E川さんが黙っていない。
たちまち桐山ゲイカにチクられて、K柳さんは
信者の前でさらし者にされ、出入り禁止になった。
K柳さんもE川さんが桐山さんの愛人だと知っていたら、
ゲイカの愛人の城に乗り込むなどという「狼藉」は働かなかったでしょう。
E川さんは、K柳さんの首をW田さんに投げ返したのです。
こうしてみると、E川さんてすごい人です。
関東でW田軍と戦って勝利した数少ない信者です。
もっとも、この十年後くらいには、E川さんは追い出され、
やがて裁判沙汰になった。
裁判で「火伏せ」が終わったかのように見えたが、
E川さんはそんな柔ではなさそうだ。
- 103 :深山:2012/02/19(日)
16:08:11
- >>90 :名無しさん:2012/02/19(日)
14:39:16
>これからも、皆と仲良くこの日を、忘れずに、団結して楽しく時には、厳しく修行頑張りましょう*
関西勢力に負けないようになんてお目出たいことを、未だに
書いている90さんはこういういきさつなど何も知らないのでしょう?
あなたには批判精神も論理性もないからです。
知らないというよりも、関心がない。
一番あなたに欠けているのは野次馬根性、もっと普通の言葉で言えば、
他者への関心、好奇心です。
あなたは自分の信じたい信仰をただ作り上げて没入しているだけで、
現実のアゴン宗で起きていることに何の関心もない。
自分にだけ関心が集中していて、他への関心が極端に少ない。
だから、ここに仰天するような桐山アゴン宗の暴露が
書かれていても、あなたには関心がない。
あるいはそれを示されても、>>89-90みたいに、昔語りをして、
懐古趣味の中に没頭していられる。
現実のアゴン宗は教義としては崩壊し、矛盾と嘘がばれて、
桐山さんは本でそれを撤回するほどの醜態を示し、
世間を愛人問題で騒がせていても、あなたは日だまりの中で、
「昔はなあ・・・」などと独り言を言っている。
ルイ16世は、フランス革命が起きた日の日誌に
「今日は何もなかった」と書いていたそうです。
あなたのその危機感のなさを見ていると、お幸せというべきなのか。
でも、他者に無関心でお幸せなルイ16世は首をはねられた。
- 104 :深山:2012/02/19(日)
16:16:06
- >>94 名前:名無しさん 投稿日: 2012/02/19(日)
15:39:15
>なんか、皆さん誤解してるようですが、私は二体さんじゃないですよ?二体さんで、あの方、お爺さんじゃないですか?
>>99 名前:名無しさん 投稿日: 2012/02/19(日)
15:53:00
>ちらほらと誤解されている様なので、二体さんにも、若輩者が、申し訳ないので、訂正しておきます!
お二人ともあまりに良く似ているから、違うと言われても区別がつかない。
一つ提案だが、ハンドルをつけてはどうか。
二体さんも批判側がつけたハンドルで、彼は、もちろん気に入っていないでしょう。
今のままだと、こちらからあなたのことを「懐古」さんなどとハンドルを
つけるしかなくなる。
それともう一つ提案だが、天照さんやユビキタスさんに
レスを付けたのなら、内容に対してレスをつけるようにしなさい。
あなたは相手の主張を完全無視して、桐山礼賛の独り言を書き続けている。
それが二体さんとそっくりなのです。
相手の主張を無視するのはとても失礼なことです。
違うというなら、きちんと反論するべきです。
もう一つ、あなたのために申し上げるなら、
「猊下!の粗探し」(>>19)
「猊下を、悪い方面からのみみて」(>>29)
「猊下を、嘘つきと決めてかかるのは、いかがなものでしょうか?」(>>29)
などと、まるで批判側が悪口を書いたような批判はしないほうがいい。
「その根拠を示せ」と反撃されたら、あなたはどう根拠を示すつもりですか。
私はやめたほうがいいと思うが、しかし、これらのあなたの主張が
正しいというなら、では、まず根拠を示してみなさい。
- 105 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/19(日) 17:31:45
- >不成仏霊は変化するのですから、身見=我見ではないでしょう。
桐山さんの屁理屈のまちがいです。
桐山さんは、釈尊の無我(非我)をこのように
結論づけて、因縁解脱に導いてきたのです。
我の前提が、そもそもトリックだからです。
絶対恒常的なる「我」は存在しない、それは因縁によって
変えられる、との無軌道に拡散した主張です。
変わる縁を与えるとそれが変わる、水が冷気で雲となるようにと、
桐山さん縁起論の勝手な読解です。
桐山さんのこの理屈は「輪廻する葦」145頁にみられます。
現世でも命終の後でも、「真実に是れ我と見ず」としながら、
釈尊は霊魂を否定していない、と断定しています。
その理由が、五蘊を因縁の化合と仮定したことです。
それが、桐山さんお得意のトリックです。
釈尊は、五蘊を因縁の化合などと説いていません。
釈尊は、すべては我でない、それは五蘊の集まりであり、
そのどの一つも我に非ず我がものに非ず、と説いたのです。
しかし信者さんは、五蘊は因縁によって形つくられた仮のもの、
と刷り込まれています。
釈尊の説く五蘊の集合=自我を、意図的に因縁の化合とした。
次の結論は、お決まりの因縁の化合が消えれば全てが消える、
というものです。(同著154〜155頁)
- 106 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/19(日) 17:37:03
- >不成仏霊は変化するのですから、身見=我見ではないでしょう。
何の因縁かと言えば、慢(=我執煩悩の因縁)である、
との錯覚をつけ加えたのです。(同著155頁)
この桐山説では、我執の因縁が消えれば輪廻しないことになるから、
私は>>58で、それでは三毒煩悩と混成させた考えだと批判したのです。
しかし、その指摘は誤解を与えてしまいやすい意味で>>83で間違いと認めた。
語句だけでは、批判が意味を誤用したことになるので撤回したのです。
だが桐山さんの意図は、釈尊の「慢」(=煩悩の総称)と、
我見に執着する見解をごちゃ混ぜにした事実は隠せない。
桐山さんは、倶舎論の論述を振りまわして、
読者を迷妄の林に引き込んだのです。
それが、「慢(煩悩)断ぜざるが故に此の陰捨て終わりて
陰と与に相続す」とあるのを読み違え、異陰=霊魂という解釈を
作り上げた要因だからです。
「ヴァッチャよ、世界は常住かどうか、霊魂と身体とは
一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、
などのような種類の問いに対する見解は、
独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、
見取の結縛にとらわれているのである。」
(マッジマ・ニカーヤ72)
- 107 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/19(日) 18:47:02
- >>89:名無しさん12/02/19(日) 13:56:33
>ユキビタスさんのおっしゃるとうり!
>団結と飛躍には、価値はありますね!私も、好きです。
そちらの方だけ反応しましたか?
あなたは粗探しだ、悪い面ばかり見て良い面を見ようとしないと書いた。
私は団結力そのものに問題はなく価値あることだが、何に対して団結力を結集すべきか
よく考慮すべきだと書いたつもりだが、アゴン宗信者にも団結力のある人はいる
と認めただけで、他の問題は考慮せず満足したのですか?
皆さんはどうでしょうか?
私はアゴン宗も百のうち百悪いなんてことは言わず、一つや二つは悪くない
良い面も示したことになったようだが、それで満足しましたか?
私が信者だったら絶対にこれでは満足できない。
他の批判ネタを反論否定できないからです。
批判側が示してくる批判ネタはどれもアゴン宗の根底を揺るがし致命傷となる
ものばかりですので、他の良い(?)ネタを示されたって、それを否定できなけりゃ
夜も眠れぬではないですが、信仰が続けられませんよ。
- 108 :干柿:2012/02/19(日)
20:05:48
- >>82
昔の伝法会の話ですか、昔は滝行とか本山さんとか外部の専門家を呼んで
講義もあったようですが、その本山氏も桐山ゲイカとの関係を断ってしまった
ダライ・ラマもそうですね。
みんな桐山ゲイカの正体を知って耐えられなくなった人は去っていきます。
ただ、極真カラテの大山氏だけは一度会食をともにしただけで正体を見抜き
その席で喧嘩わかれしたそうです。
そして昔の伝法会、滝行などもあったそうですが、そのお滝場で、w田さんの
元恋人、当時の慈恵会の事務員だったようですが、その人が自殺したということ
を御存知か?
w田さんとともに旅行へ行ったことを知って、桐山ゲイカは激怒し罵り
死に追いやったのです。当時、w田さんは桐山ゲイカの愛人のような関係だったようで
嫉妬したのでしょう。
当時からの人間関係もそうですが心もこんなものだったのですよ
桐山ゲイカは
ひどいものです。
- 109 :たんぽぽ:2012/02/20(月)
09:38:59
- ん〜ん、酷すぎますね、マスオさん。
- 110 :名無しさん:2012/02/20(月)
09:52:02
- >>102 名前:深山 投稿日: 2012/02/19(日) 16:04:14
>W田さんは関東を制圧して、横浜のK柳さんを兵隊に使い、
銀座ビルも手に入れようと画策した。
ところが、ここはE川さんの城です。
桐山ゲイカが愛人に与えた城なのだから、
ここに手を出したら、E川さんが黙っていない。
たちまち桐山ゲイカにチクられて、K柳さんは
信者の前でさらし者にされ、出入り禁止になった。
こんな裏事情があったとは・・・本当ならば絶句しますね。
当時Kさんは確かに勢いがあり、別院でも地位を上げつつあった。私に聞いた話では
別院だか銀座だかどこだかで、べちゃべちゃ話し込んでいた人を話をやめてまじめにやれだか
言ったら、ゲイカから和気あいあいにやっているのをしゃべるなとはけしからん、
という「指導」があったと聞いています。しかもしばらく謹慎だかになった。詳しくは
忘れましたが。しかし、当時随分変な話だな〜といぶかしく思った。深山さん
の解説で、まーさもありなん、とは思う。
3pさんの件ではSさんと付き合っていると大方の信者は思っていました。二股
かけて関西に左遷されましたがそのお相手がI川さんだったとは恐れ入りました。
I川さんが急に表舞台に出てきたのは、てっきりYANで3Pさんにとりいれられたから
だとばっかり思っていましたが―それでも腑に落ちない違和感みたいな点はあり
ましたが―ゲイカの「内弟子」だったからなんですね。今聞いて初めて当時の
「違和感」が何だったのか氷解しますね。
- 111 :準シュダオン:2012/02/20(月)
11:04:19
- >だが桐山さんの意図は、釈尊の「慢」(=煩悩の総称)と、
>我見に執着する見解をごちゃ混ぜにした事実は隠せない。
ごちゃ混ぜにしたと思うのは、ラシンさんが我見を断つ修行をしてこなかった
からだと思います。身見=我見=我執、と解釈したのでは拡大解釈になってし
まう、という趣旨のレスを見ましたが、身見に陥るのは縁起・因縁因果の道理
を理解しない邪見(我見)にある訳ですから、これは密接に関連しています。
慢(=煩悩の総称)を我執として説明しているのは、邪慢、増上慢、我慢、とか
いうように、煩悩を七つに分けた七慢、九つに分けた九慢とかあるようですが、
それらはいずれも「我執」が根本ですから、管長は慢を我執と説明しているのです。
>それが、「慢(煩悩)断ぜざるが故に此の陰捨て終わりて
>陰と与に相続す」とあるのを読み違え、異陰=霊魂という解釈を
>作り上げた要因だからです。
異陰と読もうが、与陰と読もうが、○陰と読もうが、X陰と読もうが、経典の意味
は同じ事です。そのことについて、「教えを説く」中巻のP421に書いてありま
すね。肝心なことは、慢(煩悩)を断じざるがゆえに、死んでも新たな陰を相続
して生ず、ということです。批判派の異陰の誤字についての指摘は、微々たる功績
ではあろうが、管長がこの経を、広く世に知らしめたことは、全仏教各宗派の行う
葬祭行事を、根拠あるものとした点で、功績が大であろう。
阿含宗の先祖供養の根拠の一つだとも思われます。
ラシンさんなどの信者時代は、阿含宗的ボンギョーに専念していたような印象を
受けるのである。その意味を深く考えず、カルト(狂信)的にボンギョーをして
いたのではあるまいか。目が覚め、理性的になってからの修行こそ本物なのに、
との、惜しい気がしますね。
- 112 :名無しさん:2012/02/20(月)
11:09:28
- ゲイカのことを
神のように言ってる洗脳信者が
まだまだあとを絶たないようですが
そこの洗脳信者さん
ゲイカは愛人e川さんに
「たくさん弟子を見てきたが君ほど熱心な修行者は初めてだ
君が男であればよかったのだが・・・
まあ、女性でもやれることはたくさんある
どうかな?君がよいなら特別に内弟子にしてあげてもいいのだが・・・
今夜にでも」
とご霊示で誘う方なのですよ
一生懸命頑張る修行者のたくさんいる中で
「君ほど熱心な修行をみたことがない」
と言って誘っている
他の頑張っている修行者をなんだと思っているのか
とても失礼な話しです。
- 113 :Boo:2012/02/20(月)
11:22:52
- ああ。>>110 ハンドル入れ忘れた。
- 114 :Boo:2012/02/20(月)
11:28:56
- うるさい我見ジジィだこと。
何年も「修行」してあのレベルなんだから呆れてしまう。
アゴン宗なんぞ何年いても何も変わらない、という生き証人が某シュダオン
だな。
- 115 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/20(月) 12:57:22
- >>110:名無しさん12/02/20(月) 09:52:02
>当時Kさんは確かに勢いがあり、別院でも地位を上げつつあった。私に聞いた話では
>別院だか銀座だかどこだかで、べちゃべちゃ話し込んでいた人を話をやめてまじめにやれだか
>言ったら、ゲイカから和気あいあいにやっているのをしゃべるなとはけしからん、
>という「指導」があったと聞いています。
これは桐山さんの指導がおかしいですよね。
道場内では「聖默法談」を説いたのは桐山さんの方です。
また本当に和気藹々とした信者同士の交流だったのか、聖默法談に反する不必要な
おしゃべりだったのかは現場に居合わせた人とか当人たちに聴取せねば桐山さんには
わからない話です。
それを簡単に指導などと称して叱責の材料にするなんて、桐山さんには人の指導
などできぬことを証明したようなものです。
- 116 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/20(月) 14:12:24
- >異陰と読もうが、与陰と読もうが、○陰と読もうが、X陰と読もうが、経典の意味
は同じ事です。
国訳一切経の書き下し文は、「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて
陰と與に相続し生ず。」です。
現代訳では、「慢という煩悩を断じていないので、今の体が死んでも
次の体を生じる」との意味です。
異った陰と読むのはまちがいですから、異陰すなわち霊魂という
発想も根拠も、最初から失われているのです。
そもそも陰(五蘊)とは、五つの要素から成り立つ人間肉体(自我)を
あらわしたものです。
桐山さんがこの意味を正しく知っていて、異陰と読み違えたのであれば、
異なる五蘊が生じるとは、次の世で別(異)なる人間として生まれる、
と解釈するのが妥当です。
どうしてそこで強引に、次の異なる五蘊を霊魂にできるのか。
この経文は輪廻すると説いているのに、中有で何かが生じるなどの
妄想が入りこむ隙間などみじんもありません。
桐山さんは経文を読み違えただけではなく、五蘊の意味すら知らなかった。
それすらいまだ気づかず、今回の(中)巻でも、異陰=霊魂と書いて、
恥をさらし続けている。
- 117 :名無しさん:2012/02/20(月)
14:59:47
- >>116 :ラシン ◆xvojmuQ90o:2012/02/20(月) 14:12:24
>桐山さんがこの意味を正しく知っていて、異陰と読み違えたのであれば、
>異なる五蘊が生じるとは、次の世で別(異)なる人間として生まれる、
>と解釈するのが妥当です。
>どうしてそこで強引に、次の異なる五蘊を霊魂にできるのか。
>この経文は輪廻すると説いているのに、中有で何かが生じるなどの
>妄想が入りこむ隙間などみじんもありません。
都合のいいように強引に異陰を霊魂としたのです。
したかったからしたとも言える。
騙すのに都合のいい経典が見つかったので利用したとも言える。
私はそう考えています。
- 118 :準シュダオン:2012/02/20(月)
15:03:35
- >「ヴァッチャよ、世界は常住かどうか、霊魂と身体とは
>一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、
などのような種類の問いに対する見解は、
独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、
>見取の結縛にとらわれているのである。」
>(マッジマ・ニカーヤ72)
ラシンさんと、私が、この↑同じ文を読んでも解釈が違うよ。理解度が違うからね。
まぁ、厳密に言えば十人十色の解釈になるわけですけど。
こういう問題は、凡夫(預流向)のうちは深く追求するな、という戒めです。
追求しても、我見があるうちは、見惑の林で迷うだけだとね。
だから、我見の中の「辺執見」に陥らぬように、我見を断つ修行が大事なのです。
ラシンさんは、釈尊の言葉を絶対視しているようですが、例えば釈尊が、
「英国は紳士と淑女の国である」と、おっしゃったら、英国民は皆、紳士と淑女
だけだと思いますか?違いますよね。「四双八輩 聖衆 福田」もそれに似ています。
「四双八輩=如来弟子衆=SAMGHA(教団)=聖衆=世為福田」ということです。
横文字を入れたら解りやすいでしょう。釈尊がいくら、我が弟子衆は聖者です、
と仰せでも、弟子全員が本当の聖者であるわけがありません。預流向も含めて聖衆と
は呼ばれていますが、この場合は、外道凡夫に比したら預流向も聖者なのであって、
聖者の流れに入った本当の聖者ではないのですね。
- 119 :準シュダオン:2012/02/20(月)
15:24:21
- >>どうしてそこで強引に、次の異なる五蘊を霊魂にできるのか。
>>この経文は輪廻すると説いているのに、中有で何かが生じるなどの
>>妄想が入りこむ隙間などみじんもありません。
まぁ、国語的に書いてあることだけに限定して解釈すれば、そうであろうけど、
霊能者が読めば、また別な霊感が働くのではありませんか。
霊魂といえば、アートマンのことかな?違うならなんでしょう?
慢が宿るのは何ですか?「慢」は何にも依存せず、それ自体で存在が可能なの
でしょうか?だとすれば、縁起の法に反するのではありませんか?
管長が、仮に霊魂と呼んだのは、そういう深い意味が含まれていると思います。
>都合のいいように強引に異陰を霊魂としたのです。
>したかったからしたとも言える。
>騙すのに都合のいい経典が見つかったので利用したとも言える。
>私はそう考えています。
まぁ、経典が「与陰」ではなく、「新五陰」とでもなっていればこういう紛れ
はなかったのでしょうけど、それにしても、「慢を抱く主体は何か?」という
問題は残りましょう。
- 120 :Boo:2012/02/20(月)
16:10:26
- >本当に和気藹々とした信者同士の交流だったのか、聖默法談に反する不必要な
>おしゃべりだったのかは現場に居合わせた人とか当人たちに聴取せねば桐山さんには
>わからない話です
そうそう、あのころ「聖黙法談」などと言ってくっちゃべるな、という指導だったのが
和気あいあいにやっている場で水を差すような「しゃべるな」なんて怒るのはいかん、
なんて指導でしたから当時随分おかしな話だな〜とは思いました。護摩木にしても
屋敷ジョウレイにしてもKさんは随分一生懸命やっていましたから。まーちょっと強引な
ところも多かったけれども。
今から思えばkさんにしてもwだとなんかと「つるんで」いたとしたら身から
出たさびとも言えますが。
- 121 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/20(月) 17:31:21
- 「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて陰と與に相続し生ず。」
昔、歌手の松田聖子さんが「生まれ変わったらまた一緒になろうね、
と話し合った」と語っていた。
彼女は仏教を知っていたか不明だが、桐山さんよりもこの経文を
よく理解している話しです。
桐山さん流に言い直せば、「生まれ変わる前に不成仏霊となって、
もし輪廻して次に出会えたらまた一緒になろうね、と話し合った」です。
桐山さんの苦しい弁明は、もはや失笑の対象に値しています。
「慢という煩悩を断じていないので、今の体が死んでも
次の体を生じる」、との意味と同様に解釈しながらも、
いつものごとく次に続く文章には、自説をおりまぜてしまう。
- 122 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/20(月) 17:32:13
- 「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて陰と與に相続し生ず。」
−阿含経講義(中)巻−422頁抜粋
ここを「異陰」とした場合には、死んでこの陰がなくなっても、
慢とそこから生じるタンハーを断ち切っていないので、
仏界に行くことが出来ずに死後、「異陰」あるいは「意生身」
(いずれも同じ意味であり、阿含経に説かれている言葉)を
生じてその存在を受けつぐ(相続する)。そうして死後の存在である異陰が、
つぎの生を集める因縁となって再生て輪廻を続ける、ということになります。
- 123 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/20(月) 17:39:14
- 「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて陰と與に相続し生ず。」
桐山さん自身が、前文では「この陰がなくなっても慢とともに再び集り現われて、
人間として生まれ変わって」と、述べた舌の根も乾かぬうちに余計な自説を
上記のようにもぐりこませています。
死後もなければ、「異陰」「意生身」もなく阿含経に説かれていると、
注釈しているが、意味はまるでちがいます。
「異陰」は第一義空経にあり「意生身」は沙門果経にあるだけで、
その概念も説くところの経緯も、桐山説を担保としていません。
桐山さんは、やっと仙尼経に異陰が無いと認めた。(同著421,423頁)
ブッダの知恵でも、時間がかかるらしい。
前文では「陰と與に」と認めて、急にあとには「死後の存在である異陰」などと、
つなぐ必死さは、誰にでも気づかれるほどの稚拙なトリックです。
異陰ではなく與陰だったと認めて、次に手のひらを返し懲りずに異陰を述べる。
これが教義を説く者の態度であるとは決していえない。
桐山さんいわくこの著書は、アゴン宗の学問書であるそうです。
- 124 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/20(月) 17:44:36
- >慢が宿るのは何ですか?「慢」は何にも依存せず、それ自体で存在が可能なの
でしょうか?
桐山さんは阿含経講義(中)巻の422頁で「慢とともに再び集り現われて」と、
あいまいにごまかしています。
仙尼経の経文は、「慢とともに」にではなく「陰と與(とも)に」です。
こういう小手先のゴマカシは、桐山さんの稚拙なトリックです。
このように、桐山さんは「慢」に依存するとは述べていません。
阿含経では、生きている人間の心に煩悩が起こると説かれる。
だから、死者成仏などありえない。
生あるうちに煩悩滅の修業を完成せよ、と説かれている。
これを理解できないと、「慢を抱く主体は何か?」→「霊魂だ」と、
桐山さんは拙速し、読者を迷妄の道に誘導しています。
今回の批判論旨は、「身見」の意味を取り違えたゆえの焚き火の矛盾です。
- 125 :準シュダオン:2012/02/20(月)
18:19:18
- >>一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、
などのような種類の問いに対する見解は、
独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、
>見取の結縛にとらわれているのである。」
> >(マッジマ・ニカーヤ72)
>ラシンさんと、私が、この↑同じ文を読んでも解釈が違うよ。理解度が違うからね。
まぁ、厳密に言えば十人十色の解釈になるわけですけど。
>こういう問題は、凡夫(預流向)のうちは深く追求するな、という戒めです。
蛇足になるのか、ならないか、凡夫(預流向)のうちは云々、と書いたのは、
「見惑の林に迷い込み」という語があるからです。見惑に迷うのは預流向の
範疇で、預流果になれば見惑を断じていますからね。「修惑」の林に迷い込み、
とあれば、また話は別ですけど。
- 126 :準シュダオン:2012/02/20(月)
18:38:41
- >生あるうちに煩悩滅の修業を完成せよ、と説かれている。
>これを理解できないと、「慢を抱く主体は何か?」→「霊魂だ」と、
だからね、慢を抱く主体は何か?という問題は残るんです。預流果が死ぬと、
三結断じていても、七結煩悩は残っているね。その七結を抱く主体は何か?
と、追求しているのです。私も準シュダオンを自称しているからには、見惑の
林に迷うことはありませんよ。霊魂といえば、素人にも解りやすいでしょう。
「永遠不変の我」=アートマンは無いにしても、「変化する我」は有るわけ
です。「変化する霊魂」は有る、と考えるのは当然の話しですね。
>桐山さんは拙速し、読者を迷妄の道に誘導しています。
>今回の批判論旨は、「身見」の意味を取り違えたゆえの焚き火の矛盾です。
やはり、身見(我見)を断つ修行をしてこなかった批判派の皆さんとの話は
難しいね。辞典や学者さんの解説をいくら暗記しても、身見(我見)を無くす
ことにはならないからです。理屈をいくら覚えたって、水泳理論だけいくら
覚えても泳げません、よ。実技が出来ないとね。
先ず、仏教にも理論と実技があることを知るレベルまで行かないといけませんね。
- 127 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/20(月) 19:59:45
- >123
誤:死後もなければ、「異陰」「意生身」もなく阿含経に説かれていると、
注釈しているが、意味はまるでちがいます。
正:死後に、「異陰」「意生身」が阿含経に説かれていると、
注釈しているが、意味はまるでちがいます。
- 128 :名無しさん:2012/02/20(月)
20:02:37
- >>119 :準シュダオン:2012/02/20(月) 15:24:21
>それにしても、「慢を抱く主体は何か?」という>問題は残りましょう。
念のために言いますが、私はあくまでも桐山批判派です。
辞典を調べると<煩悩>とは身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用と定義されていますが
倶舎論などでは、眠った煩悩が随眠で、起きた煩悩が纏としている。
さらに経量部の学派は随眠を種子と見ています。
また倶舎論を著わした世親は「有情に随逐し蔵識に眠伏せり」(唯識三十頌)とも書いています。
仮に種子とみなすことができるならば
アーラヤ識の中に潜伏して心相続(輪廻していく)すると捉えることができるかもしれない。
- 129 :名無しさん:2012/02/20(月)
22:26:27
- >>119 :準シュダオン:2012/02/20(月) 15:24:21
>それにしても、「慢を抱く主体は何か?」という>問題は残りましょう。
だから、一つの解答として、実体ではなしに、過去の経験の痕跡を種子(しゅうじ)というカタチで
蓄積・保持しながら一類相続する潜在心の阿頼耶識が輪廻の主体であると言えましょう。
- 130 :Boo:2012/02/20(月)
23:42:27
- >まぁ、国語的に書いてあることだけに限定して解釈すれば、そうであろうけど、
>霊能者が読めば、また別な霊感が働くのではありませんか。
>霊魂といえば、アートマンのことかな?違うならなんでしょう?
>慢が宿るのは何ですか?「慢」は何にも依存せず、それ自体で存在が可能なの
>でしょうか?だとすれば、縁起の法に反するのではありませんか?
>管長が、仮に霊魂と呼んだのは、そういう深い意味が含まれていると思います。
その桐山センセイの言う深い意味の仮に呼んだ「霊魂」を釈尊は不問と切り捨てています。
それどころか「アートマン」自体も一刀両断に切り捨てている。
輪廻が止むメカニズムはわかりませんが、釈尊がとなえたニルバーナという輪廻の滅した
状態は自他ともに恥じない生き方―戒律を守るという生き方―であるわけですから、
「仏教」というからにはそこが判断基準になるように思う。教祖が戒律を守るか?
先達が戒律を守るか?職員、僧侶が戒律を守るか?それにより教団内の上下関係が
発生するものである、と、今は思う。
準シュダオンさんはいろいろブッダからメッセージをいただいているようですが
そういう戒律を順守しているんでしょうか?
- 131 :名無しさん:2012/02/21(火)
11:13:47
- >>128
記述を訂正します。
誤)→倶舎論を著わした世親は「有情に随逐し蔵識に眠伏せり」(唯識三十頌)とも書いています
正)→世親の「唯識三十頌」を翻訳及び注釈した「成唯識論」に『有情に随逐し蔵識に眠伏せり』と書かれている
中国からインドに渡った留学僧、玄奘三蔵が帰朝後、『唯識三十頌』に対する護法の註釈を中心に据えて、
他の学者たちの見解の紹介と批判をまじえて翻訳したのが『成唯識論(じょうゆいしきろん)』です。
-------------------------------------------------------------------------------------------
http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%9A%E3%81%84%E3%82%81%E3%82%93
ずいめん
出典:
フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
移動: ナビゲーション, 検索
随眠
anuzaya (skt.)
原語は、内心に潜む悪に傾こうとする力を意味し、広くは煩悩一般を表すことばである。
特に唯識派でいう随眠とは
有情に随逐し蔵識に眠伏せり 〔成唯識論(9)〕
と語義解釈されるように、常に身心につきまとい、阿頼耶識の中に隠れひそんでいる煩悩の種子を意味する。
煩悩がそのように阿頼耶識の中に眠っている位を「随眠位」と呼んで、これに対して煩悩が具体的に働く位を「纏位(てんい)」(paryavasthaa)とよんで区別している。
- 132 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/21(火) 11:42:16
- >見惑に迷うのは預流向の範疇で、
正解です、預流の三結断の第一歩です。
それは、霊魂があるという身見を断つことです。
>「永遠不変の我」=アートマンは無いにしても、「変化する我」は有るわけ
です。「変化する霊魂」は有る、と考えるのは当然の話しですね。
これは桐山説ではありません。
桐山さんの霊魂・不成仏霊は、霊障を起こすか否かです。
祟る度合いはありますが、「変化する霊魂」ではありません。
桐山説では、我執の因縁が消えれば輪廻しないことになるからです。
桐山さんは輪廻する葦155頁で、自我は常住不滅の実在ではなく、
「因縁の化合だから因縁が消えればすべてが消える。」
「なんの因縁なのかというと、慢(我執煩悩)の因縁であるという」
と、示しています。
「永遠不変の我」ではなく、消える縁を与えれば永遠不滅ではない、
との理屈で、それを因縁解脱としたのです。
- 133 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/21(火) 11:43:35
- >理屈をいくら覚えたって、水泳理論だけいくら覚えても泳げません、よ。
実技が出来ないとね。先ず、仏教にも理論と実技があることを知る
レベルまで行かないといけませんね。
桐山さんの実技は、自己申告しかありません。
他人の何倍も泳げると吹聴して、何倍もの食欲と
性欲の旺盛さを見せつけることができただけです。
いざ実技を披露したら、金ヅチだったのです。
どこで修行したか分からないグモンジ脳は、
記憶力も無限の道徳性も発揮できなかった。
食を貪って脳梗塞を患い、経典を捏造して批判され、
あげくの果てには愛人騒動までさらけ出しました。
桐山さんが体得したオシャカのジョウブツリキでは、
信者の因縁どころか、自身の因縁さえ切れず仕舞いです。
仏教には、理論と実技などありません。
あるのは、法と実践だけです。
- 134 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/21(火) 12:12:58
- >だからね、慢を抱く主体は何か?という問題は残るんです。預流果が死ぬと、
三結断じていても、七結煩悩は残っているね。その七結を抱く主体は何か?
>>130で、Booさんが述べていることに尽きます。
釈尊は、無記答とした、または捨置ともいわれます。
いくら考えても解決しない問題にとらわれる迷いを
戒めたのです。
だが、桐山さんの策謀にはまると信者たちはこのように、
霊魂説で納得したがることになります。
その結果、霊魂を鎮める焚き火や供儀に依存し、
自己浄化を忘れて、ひたすら煩悩を増やす結果を生む。
アビダルマや唯識論は、それをこと細かくより分けて、
議論と論述にこだわり迷妄して目的を失う事態をまねいた。
煩悩は、人間の汚れた心の活動です。
人の心を主とし、身心を乱して悩み苦しめる存在です。
主体とか客体などと、不毛の議論をしても意味がない。
釈尊は、ゆえに生あるうちにその心を統御し心の浄化を
説いたのです。
恒常の自己は否定しつつも、自己による心の浄化の実践です。
もろもろの法は意を先に 意を主に意より作られる
もしも汚れた意をもって 語り、あるいは行なえば
それより苦が彼にしたがう 牛足跡の車輪のように
(ダンマパダ1)
- 135 :準シュダオン:2012/02/21(火)
16:06:59
- >>だからね、慢を抱く主体は何か?という問題は残るんです。預流果が死ぬと、
三結断じていても、七結煩悩は残っているね。その七結を抱く主体は何か?
>>>130で、Booさんが述べていることに尽きます。
釈尊は、無記答とした、または捨置ともいわれます。
>いくら考えても解決しない問題にとらわれる迷いを
>戒めたのです。
釈尊は何時も無記だったのではないです。時には仙尼経のように、稀には答える
ことがあったのです。考えても解決しない、というのは煩悩を断てず、智慧がな
いからです。見惑の林に迷うのは、見惑が断てていないからです。自分は預流向
だと自覚して、身見(我見)を断つ修行をしていれば、見惑が少しずつ断てて、
いくのです。
異陰でも与陰でも、単なる陰でも同じ事です。慢が陰を相続して生ずるのは同じ
ことです。生きている時は、慢が宿る主体は「変化する我」=五陰です。
その「変化する我」=五陰が死ぬと、慢も消滅しそうですが、そうはならない。
慢を宿した「変化する我」=五陰は、死んでも無には帰さないのです。
無には帰さないで、慢が五陰の何かを相続して母体に宿り、再生するというのです。
それを管長は火種=霊魂と例えているのです。
身見を断つ修行をしてこなかった人には、それ↑が、チンプンカンプンなのです。
- 136 :Boo:2012/02/21(火)
17:01:13
- >異陰でも与陰でも、単なる陰でも同じ事です。慢が陰を相続して生ずるのは同じ
>ことです。生きている時は、慢が宿る主体は「変化する我」=五陰です。
>その「変化する我」=五陰が死ぬと、慢も消滅しそうですが、そうはならない。
>慢を宿した「変化する我」=五陰は、死んでも無には帰さないのです。
>無には帰さないで、慢が五陰の何かを相続して母体に宿り、再生するというのです。
>それを管長は火種=霊魂と例えているのです。
>
>身見を断つ修行をしてこなかった人には、それ↑が、チンプンカンプンなのです。
この人↑の言っていることがちんぷんかんぷんなんです。なんだか理解不能な表現ですが
慢が再生した肉体(五陰)に宿るようなことが書いてあるが、桐山センセイは最近そんなこと
言い出しているんですか?
- 137 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/21(火) 17:41:53
- >慢が再生した肉体(五陰)に宿るようなことが書いてあるが、桐山センセイは最近そんなこと
言い出しているんですか?
−
阿含経講義(中)巻−422頁抜粋
「慢を断ち切っていないので、死んでこの陰(五蘊)が
無くなっても、また新たな陰が慢とともに再び集り現われて
人間として生まれ変わって輪廻を続ける、」
桐山さんは、ここをつないで「死後の存在であるこの異陰が、
つぎの生の五陰を集める因縁となって再生して輪廻を続ける、」
と、まるで脈絡がない文章をつづっています。
- 138 :Boo:2012/02/21(火)
18:04:10
- どうも変ですね。「輪廻する主体となる我(アートマン)はない」というのが
仏教の輪廻観であり、では何で輪廻するかというとタンハー(渇愛)による、
というのがアゴン教学ではないの?それを「慢」と表現しようが「タンハー」
と表現しようが、それは輪廻する主体ではなく輪廻を繰り返すエネルギーのような
ものではなかったか?
>−
阿含経講義(中)巻−422頁抜粋
> 「慢を断ち切っていないので、死んでこの陰(五蘊)が
>
無くなっても、また新たな陰が慢とともに再び集り現われて
>
人間として生まれ変わって輪廻を続ける、」
これってめちゃくちゃではないか?タンハーを「慢」と表現するならば
新たな五蘊である肉体とタンハーである慢がくっついて輪廻する、と読めますね。
これって霊魂の肯定であり、霊魂が輪廻する主体であると言っているようなものです。
釈尊が霊魂を肯定するはずはない。輪廻する主体であるアートマンを否定した釈尊が何で
慢という霊魂様の存在を肯定するか?むかしのアゴン教学のタンハーが五蘊を
集めて輪廻する、というほうが理屈としての完成度は高かったようですね。
「異蘊」を「与蘊」としたことで、矛盾が生じたのでしょう。
何となくわかりました。
- 139 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/21(火) 19:37:34
>>116を再掲示すれば、
国訳一切経の書き下し文は、
「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて陰と與に相続し生ず。」です。
現代訳では、
「慢という煩悩を断じていないので、今の体が死んでも次の体を生じる」
との意味です。
桐山さんは、異陰=霊魂 を振りまわしていた時、
輪廻するのは業力であるとして、カルマ解脱を謳っていました。
批判に気づいてようやく仙尼経に異陰は「與陰」のまちがいと気づき、
上記にある一切経の書き下し文を阿含経講義(中)巻で再解説したのが、
−
(中)巻−422頁抜粋
「慢を断ち切っていないので、死んでこの陰(五蘊)が
無くなっても、また新たな陰が慢とともに再び集り現われて
人間として生まれ変わって輪廻を続ける、」
↓
「死後の存在であるこの異陰が、つぎの生の五陰を集める
因縁となって再生して輪廻を続ける、」
と、矛盾を同頁でつないだものです。
いかに過去の業力説と結びつかないかを物語る一例です。
異陰=霊魂を引き続きつなげようと必死になったら、
輪廻のエンジンである業力の説明から矛盾し、離れてしまったのです。
- 140 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/21(火) 20:28:44
- Booさんの意見やこの「異陰=霊魂」についての論議で、見えてきた気がしました。
結局、ゲイカは自分の論を通すために色々考えたのでしょう。
なぜなら霊魂があることにしないと、解脱供養もその他のことも打ち出せなくなるからです。
釈尊が「無記」としたことをゲイカの得意の見事に摩り替えにより、素人を騙し操作できた。
しかし嘘は嘘でいつかはばれる。それがここ近年になって阿含宗がダウンしてきたことが証拠です。
狂信者は「そんなことはない」というのをいうが、実際@chs-1にいらっしゃる現信者さんらも
私の意見が合っていることを肯定しています。現実の教団の中を見ているだけに、ちゃんと否定せずに
私の述べているダウンの様は理解しているし、尚且つ最近の教団の酷さも訴えておられる。
話が逸れたので戻しますが、霊魂説を持たねば阿含宗は成りたたないのです。
ですから、いろんな方便と屁理屈で「霊魂」を扱うことのできる教団を打ち出した。
ところが釈尊の言われたことと比較し精査すれば矛盾が生じる。
それが今論じられている「異陰=霊魂」の考察です。
ちゃんと判別できる阿含信者さんは、どちらが正しいかわかります。
ゲイカ説を私たちも正しいものと信じていたが、あまりの矛盾に疑問が生じた。
そして釈尊の言葉により精査すれば、ゲイカの事項は嘘であることがわかる。
屁理屈で通そうとしても限界があるのはゲイカの方です。
- 141 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/21(火) 20:42:24
- >>138のBooさんの意見にありますように、ゲイカの説は「タンハー」であった。
それがいつの間にか
>−
阿含経講義(中)巻−422頁抜粋
> 「慢を断ち切っていないので、死んでこの陰(五蘊)が
>
無くなっても、また新たな陰が慢とともに再び集り現われて
>
人間として生まれ変わって輪廻を続ける、」
これってめちゃくちゃではないか?タンハーを「慢」と表現するならば
新たな五蘊である肉体とタンハーである慢がくっついて輪廻する、と読めますね。
これって霊魂の肯定であり、霊魂が輪廻する主体であると言っているようなものです。
こうなったなら論が破壊されていることに成る。
まあ、中巻は平河の社員が手を加えた、といわれているのでゲイカで無いとは思うが、
あの本の執筆者はゲイカですよね。そうなると書き換えたやつの責任までがゲイカが
背負わねば成らず、本を出版すると言うことはかなりの責任が生じるということだ。
平河の社員が書いただろうというのは表に出て無い事項ですから、そんなのは普通は
誰も知らない、だから中巻の本を読んで論じられたら、即桐山靖雄が攻撃されるということだ。
こういう恐ろしい事項まで予想せずに発刊したのはまさに愚行というしかない。
そして、ゲイカは昔言ったことと後から言ったことのズレが多いことで有名だ。
Booさんの言ったことは私もそのように記憶している。
それが何で後から変化しているか?甚だ懐疑のタネではないか。
これではまるで脳障害まっしぐらか、思いつきでその場限りの方便を突いているとしかいえないであろう。
こんな人が仏教のプロで、教祖で聖者様? 呆れること限りなしである。
- 142 :Boo:2012/02/21(火)
22:01:00
- 「異蘊」の一語に飛びついたんでしょう。それまでブッダは霊魂の存在を話題にもしなかった
今生の蘊が尽きれば来世に再び蘊を生じる。その原動力こそがタンハーであった。
しかし、執着にとらわれたり生前不善をなせば、死後中有にさまよう。その様が「異蘊」
であり、生前に仏門で修行して煩悩を断てば霊魂とならずにタンハーも空となり来世に転生せず
ブッダが言われたように「異蘊」(霊魂)のような状態にならない。
しかし、そのような状態になるのはごく一部なので、大多数の「異蘊」を解脱供養しなくては
ならない。「異蘊」を生じるほどの執着や不善の行いがなく、しかしタンハーを空とするほどの
修行もしなければ、来世に転生するというのがアゴン教学であった。
うまーく不成仏「霊」を肯定しながら解脱供養をする理屈を作り上げ、しかもアートマンを
切り捨てた釈尊の理屈に整合をとれた。霊がないのは条件付きであると。
しかし、ここにきて「異蘊」はなかった、ということを白状してしまった。
するとどうでしょう。天照さん、ラシンさんが指摘するように、すべての理屈が
根底からひっくり返ってしまった。何のことはない、原典の釈尊は最初から最後まで
「異蘊」(霊魂)なんて言っていないし霊魂なんて肯定もしていない。
- 143 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/22(水) 06:25:19
- >>142
同意ですね。その通りだと思います。
浅はかな考えで繕った桐山論。素人を騙すのには十分事足りた。我らも最初から本当の仏教を
知っていれば早々騙されなかったが、桐山論を正しいものとして信じてしまった。
そして不整合な事項やらその人人の経緯により、後から真実を知ったら「ガセ」だと判った。
鵜呑みにしたり確認せずに信じた顛末が阿含宗で受けたダメージです。本当にいかがわしい。
こうやって論が破綻しても「あの方」は間違っていないとやってくるのでしょう。
教祖自身が破綻しているのに、認めたくなくて尚且つ人の記事も読まないから持論を
引っさげて「またやってくる」懲りずに「やってくる」同じ事を「言ってくる」
教祖同様信者も壊れた人しかいないというのは、本当に哀れです。
ゲイカの今の顔を見ても、吐き気がします。
- 144 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/22(水) 09:18:33
- 擁護意見も出なくなると、さすがに静かに成るね・・・。
- 145 :準シュダオン:2012/02/22(水)
10:03:10
- >これってめちゃくちゃではないか?タンハーを「慢」と表現するならば
>新たな五蘊である肉体とタンハーである慢がくっついて輪廻する、と読めますね。
>これって霊魂の肯定であり、霊魂が輪廻する主体であると言っているようなものです。
そのとおりですよ。霊魂が輪廻する主体である、と言っているのです。
まぁ、霊魂の名前は何でも良いのですけどね。異陰は否定しても、陰はあるのです。
慢が陰を相続して生ずるのですから、その場合の「陰」は、新たな五陰の卵とも
言えましょう。
慢とは、慢を抱く主体の付属品みたいなもんです。その主体は、慢を抱いている
うちは涅槃に入れないのです。主体から慢を落としたとき、その主体は涅槃へ
入れるんです。主体=変化する我、と申せましょう。
慢やタンハーを抱く主体は何か?という問題です。
単純に慢やタンハーが輪廻する、と考えるのは間違いです。
- 146 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/22(水) 11:50:46
- >そのとおりですよ。霊魂が輪廻する主体である、と言っているのです。
桐山さんは、「輪廻する葦」において仙尼経の一文を
このAの部分だけでなら、正しく解説しています。
しかし、次のBにいきなり”因縁”を付け加えている。
A154頁末尾より二行から
「我執の煩悩さえなければ、異陰は生じないし、それは消滅して
しまうのです。「常住不滅」ではないのです。」
↓
B155頁
「因縁の化合だから因縁が消えればすべてが消える。」
「なんの因縁なのかというと、慢(我執煩悩)の因縁であるという」
次は、仙尼経の異陰は「與陰」のまちがいと気づいたあとの苦しい解説です。
(中)巻422頁
「慢を断ち切っていないので、死んでこの陰(五蘊)が
無くなっても、また新たな陰が慢とともに再び集り現われて
人間として生まれ変わって輪廻を続ける、」
↓
「死後の存在であるこの異陰が、つぎの生の五陰を集める
因縁となって再生して輪廻を続ける、」
- 147 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/22(水) 11:53:45
- >単純に慢やタンハーが輪廻する、と考えるのは間違いです。
タンハー(渇愛)とは、輪廻的再生をもたらす根元であって、
タンハーが輪廻するわけではありません。
国訳一切経仙尼経の書き下し一文は、
「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて陰と與に相続し生ず。」です。
現代訳では、
「慢という煩悩を断じていないので、今の体が死んでも次の体を生じる」
くらいの意味で、どこにも死後(中有)の霊魂という存在はありません。
ただしこれは、次の体が六道のなかに生じるということであって、
必ずしも人間界を特定しているわけではないことを理解すべきです。
また桐山さんの五蘊の解説にすら、霊魂という概念などありません。
死んで次の生を異なる肉体というのであれば、理解の範疇となります。
桐山さんが命終して輪廻し、次に生じた肉体は別(異)なる肉体(陰)です。
また、現世での五蘊は諸行無常であるけれど、「変化する霊魂」話しなどは、
桐山説でもないコジツケ論に過ぎません。
桐山さんは、この「輪廻する葦」の当時から煩悩の滅を理解しながら、
信者への解説をごまかし、さらに業力というエンジン説すら忘れていた。
- 148 :Boo:2012/02/22(水)
12:15:15
- >そのとおりですよ。霊魂が輪廻する主体である、と言っているのです。
馬鹿な開き直りは止めなさい。あなたの理屈ではアートマンを「霊」と呼んでいるにすぎない。
不成仏霊と解脱供養は執着を残したまま死んだ場合苦のまま現世にとどまっている
それを開放するから縁者の苦も解放されるという理屈であり、霊については
ゲイカもかなり慎重に表現してきました。
あなたにはわからないでしょうが、ゲイカも阿含経をさらっとは読んでいるので
釈尊がアートマンを否定したことも霊魂を不問としたことも十分承知しています。
だから、「異蘊」を見間違えたときはよく調べもせず「慌てて」本に取り上げたんです。
「ほーら。霊はやっぱりあるんじゃね」と。それを信者は信じて解脱供養の根拠と
してきた。
釈尊の首尾一貫したスタンスは、輪廻する主体=アートマン(それは霊魂と呼ぼうが
アラヤシキと呼ぼうが)は「無い」という哲学に支えられている。アゴン宗で認めている
アートマンらしき霊魂は条件付きなもので、それすら釈尊は肯定していなかった。
釈尊の輪廻観は、生前煩悩(慢)を断ちきれなかった凡夫はタンハーが残りそれが次の生で
五蘊を集めて、苦の人生を繰り返す、というもので、では「タンハー」が霊魂かというと
そうではない。タンハーはあくまで五蘊を集める「力」である。
薪(現世の肉体)が燃え尽きるとき、そのままであれば薪は炎を生じない。新たな薪(次の世の肉体)
があれば炎は消えずに燃え続ける。凡夫はそのように輪廻を繰り返すというのが
釈尊の決してぶれない輪廻観です。
>慢やタンハーを抱く主体は何か?という問題です。
>単純に慢やタンハーが輪廻する、と考えるのは間違いです。
あなたはなにも理解していないことがこの一文でわかる。
自分でも理解していないことを主張するのは止めなさい。
釈尊は慢やタンハーを抱く主体は「無い」とその生涯を貫いて主張しています。
- 149 :準シュダオン:2012/02/22(水)
16:30:31
- >>慢やタンハーを抱く主体は何か?という問題です。
>>単純に慢やタンハーが輪廻する、と考えるのは間違いです。
>あなたはなにも理解していないことがこの一文でわかる。
>自分でも理解していないことを主張するのは止めなさい。
信者時代は預流向の自覚もなく、ゆえに身見(我見)を断つ修行など、思いつき
もしなかったあなたには、私の説明はチンプンカンプンであろうが、もう少し、
レスしてあげよう。今のままでは、あなたはズブの素人にも負けてしまうからね。
岩波仏教辞典で、学者先生の霊魂の説明を見てみよう。次のように書いてます。
「・・仏教では無我説の立場から霊魂の存在を否定したが、やがて死後の輪廻
する主体についての反省がおこり、霊魂的な存在としてのブドガラを認める
議論が現われた・・」
ね、この↑死後の輪廻する主体は何か?という問題を、更に詳しく、わたしは、
慢やタンハーを抱く主体は何か?と、解りやすく提起してあげたのです。
それでもやはり、あなたには「見惑の林に迷い込む」結果でしたかw。
慢・タンハーが新たな五陰を集める力といってもね、慢・タンハーを抱く主体が
問題なんであってね、慢・タンハーを剥がし落とせたとき、その主体が涅槃に入
れる訳でね、あんた方の考えは、管長や私よりもはるかに考えが浅いのですw。
- 150 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/22(水) 17:46:05
- >岩波仏教辞典で、学者先生の霊魂の説明を見てみよう。次のように書いてます。
「・・仏教では無我説の立場から霊魂の存在を否定したが、やがて死後の輪廻
する主体についての反省がおこり、霊魂的な存在としてのブドガラを認める
議論が現われた・・」
ね、この↑死後の輪廻する主体は何か?という問題を、更に詳しく、わたしは、
慢やタンハーを抱く主体は何か?と、解りやすく提起してあげたのです。
岩波仏教辞典にもあるが、buではなくpuです、pudo-gala。
そのプドガラとは、讀子部という部派仏教集団の思想です。
釈尊の思想からは外れたもので、ウパニシャッドの(我)を
起源とし、ジャイナ教の霊魂、非霊魂にも影響されたものです。
のちに経量部、ユガ行派のマナ識やアーラヤ識を生むもととなった。
こんな瑣末な理屈まであれこれ議論しても、
解脱の役に立たないと排斥したのが釈尊の無記です。
不毛の論争で学ぶなら私には読解できませんが、
筑波大リポジトリ研究の下記の解説を参考にするとよいでしょう。
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/bitstream/2241/103845/2/%3F%3F%3F_20.pdf
辞典のそのヵ所を正確に記せば、
<仏教は伝統的に我の否定,つまり無我(非我)を旗印とした.>
- 151 :Boo:2012/02/22(水)
19:38:00
- >岩波仏教辞典にもあるが、buではなくpuです、pudo-gala。
>そのプドガラとは、讀子部という部派仏教集団の思想です。
>釈尊の思想からは外れたもので、ウパニシャッドの(我)を
>起源とし、ジャイナ教の霊魂、非霊魂にも影響されたものです。
>のちに経量部、ユガ行派のマナ識やアーラヤ識を生むもととなった。
>こんな瑣末な理屈まであれこれ議論しても、
>解脱の役に立たないと排斥したのが釈尊の無記です。
>筑波大リポジトリ研究の下記の解説を参考にするとよいでしょう。
>http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/bitstream/2241/103845/2/%3F%3F%3F_20.pdf
>辞典のそのヵ所を正確に記せば、
> <仏教は伝統的に我の否定,つまり無我(非我)を旗印とした.>
ほーらね。みなさん読んでますよね。準シュダオンさんの論理がいかに破たんしているか
をラシンさんが示してくれました。
>信者時代は預流向の自覚もなく、ゆえに身見(我見)を断つ修行など、思いつき
>もしなかったあなたには、私の説明はチンプンカンプンであろうが、もう少し、
>レスしてあげよう。今のままでは、あなたはズブの素人にも負けてしまうからね。
あなたはいつものように勝手なこと言っていますが、私は信者時代よりもシュダオンに
近づいた自覚があります。
なぜならば、釈尊の説法を素直に読んで、その言葉のを正確に理解できているからです。
あなたのように釈尊が生涯かけて説いてきたアートマンの否定に理屈をこねて反論しません。
釈尊が生涯かけて無視してきた霊魂を「解脱供養」なんて名目で10万円もかけて、
霊魂の存在意義を自分の人生の上で重視しません。
桐山センセイが生涯かけてきた宗教詐欺から目が覚めて脱却しました。
あなたが「準シュダオン」だかであり、もう少しで聖者になるなんて存在ならばなぜ
桐山センセイの宗教詐欺に引っ掛かって掲示板で批判派に吠えなければならないのですか?
- 152 :Boo:2012/02/22(水)
19:48:46
- >慢・タンハーが新たな五陰を集める力といってもね、慢・タンハーを抱く主体が
>問題なんであってね、慢・タンハーを剥がし落とせたとき、その主体が涅槃に入
>れる訳でね、あんた方の考えは、管長や私よりもはるかに考えが浅いのですw。
相変わらず馬鹿なことを言っていますね。私は釈尊の説いたことを言っているにすぎないのです。
炎が連続して燃焼するためには薪が必要であり、薪を足さなければ炎は消える。
輪廻とは燃えている薪が燃え尽きるとき次の薪に燃えるように次の人生が展開する、
と言っている釈尊の仏説が理解できないようですね。
「慢、タンハーを抱く主体」なんて言う自体何も理解していない証拠です。ごくろうさん。
- 153 :準シュダオン:2012/02/23(木)
12:30:37
- >あなたのように釈尊が生涯かけて説いてきたアートマンの否定に理屈をこねて反論しません。
わかってないねぇ、私も、アートマンは認めていませんよ。あなたはアートマンの
定義を理解しているのですか?「永遠不変の我、常住不変の我」をアートマンという
のですよ。釈尊は、永遠常住不変の我を否定したのであって、変化する我は認めて
いるのですよ。だから、不変の霊魂は否定しても、変化する霊魂は肯定しても良い
のです。このこと、見惑の林に迷い込まないように、考え続けなさい。
>釈尊が生涯かけて無視してきた霊魂を「解脱供養」なんて名目で10万円もかけて、
>霊魂の存在意義を自分の人生の上で重視しません。
だから、狂信してはいけませんが、理性を持って考えたら良いのです。
死後に輪廻する主体は何なのか?とね。慢が陰を集めるのだから、慢が輪廻の主体で
あろう、と考えるのは単純な単細胞の発想です。慢を起こしている主体を考えないと
いけません。霊障を起こしている不成仏霊の主体は何か?と、考えるのです。
>桐山センセイが生涯かけてきた宗教詐欺から目が覚めて脱却しました。
宗教詐欺だと信じ込んでも、目が覚めたことにはなりませんよ。
>あなたが「準シュダオン」だかであり、もう少しで聖者になるなんて存在ならばなぜ
>桐山センセイの宗教詐欺に引っ掛かって掲示板で批判派に吠えなければならないのですか?
批判派に反論してるのは、もし批判派のレスに迷える現役信者さんが出てきたら
気の毒だな、と考えるからです。私は二十代の頃は無神仏論者で、輪廻なんて戯言だと
一笑に付してましたが、輪廻を肯定するのならば、霊魂問題は避けられないでしょう。
異陰があるなしに関わらず、輪廻の主体は何か?
死後に慢・煩悩を起こしている主体は何か?という問題は残るのです。
怨念だけの存在は有り得るのか?じゃあ、怨念が消えたら無・ゼロになるのか?とかね。
- 154 :Boo:2012/02/23(木)
13:07:48
- >わかってないねぇ、私も、アートマンは認めていませんよ。あなたはアートマンの
>定義を理解しているのですか?「永遠不変の我、常住不変の我」をアートマンという
>のですよ。釈尊は、永遠常住不変の我を否定したのであって、変化する我は認めて
>いるのですよ。だから、不変の霊魂は否定しても、変化する霊魂は肯定しても良い
>のです。
相変わらず馬鹿なその場しのぎを述べていますね。アートマンの一般的な定義です。
あなたの解釈とは全く違う解釈が一般的であることを確認して理解しなさい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3
ウパニシャッド
[編集]
初期のウパニシャッドである『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では、「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。その属性を「…である」と定義することはできないという。したがって、「…である」ものではない。
また、アートマンは、宇宙の根源原理であるブラフマンと同一であるとされる(梵我一如)。
ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。
仏教における解釈
[編集]
釈迦によれば「我」は存在しないとされるため、仏教においてアートマンの用語は一般的ではないと思われる。無我を知ることが悟りの道に含まれる。
ウパニシャッド哲学の最後
『アートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。』
これがあなたの言うアートマンですね。
これに対して釈尊は「アートマンは変化する我である」とは述べていません。
アートマンは無い「無我」と述べています。
このくらいのこと調べてからレスをつけなさい。
- 155 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/23(木) 13:40:59
- >やがて死後の輪廻する主体についての反省がおこり、
この「反省がおこり」という文言は、辞典のその頁に
まったく記述されていません。
桐山さんが得意とする書かれてもいないことばを
意図的に加筆する行為です。
経典をよく読んでいれば、釈尊が途中で主義思想を変えた
ことなどは、ないと理解できているはずです。
釈尊と弟子が布薩という行為で反省を試みるのは、
あくまでも身・口・意の三業という行為に対してです。
辞典や著書を引用する場合、長文解説をまとめるのは、
ただしく要点を用いるべきです。
しかし使われていない言葉を加筆したりして自説を勝手に
組み入れる行為は、あきらかに恥ずべきものです。
その手法は、公平性をいちじるしく欠くことになります。
桐山さんの場合は、ほとんどの著述がこのような読み手に
不公平な解説をしています。
読者はとくに気をつけなければならない。
- 156 :準シュダオン:2012/02/23(木)
13:42:51
- >相変わらず馬鹿なその場しのぎを述べていますね。アートマンの一般的な定義です。
>あなたの解釈とは全く違う解釈が一般的であることを確認して理解しなさい。
あなたが阿含宗から落ちこぼれた原因が良くわかるねw。アートマンの一般的な定義を、
何から採用するかが、問題です。私は、岩波仏教辞典の「我(アートマン)」の
定義を採用して議論してます。説明を要約すれば、アートマン=常住の我、です。
また、辞典には、「釈尊の頃の無我説は、(我)はあらゆる行為の主体であって、
・・きわめて積極的な意義を担う。この立場により、自灯明を強調する・・云々」
と、いうような説明もあります。
だから、採用しているアートマンの定義が違うから、議論が合うわけがないねw。
>これに対して釈尊は「アートマンは変化する我である」とは述べていません。
私は、「釈尊は、変化する我は認めている」とレスしたのであって、
「アートマンは変化する我である」なんて幼稚なレスはしていないよw。
ほんとにあなた、読み取る力が弱いねぇ。あなたはシュダオンには、はるかに
遠いねぇ。
>アートマンは無い「無我」と述べています。
「無我」なのだけど、釈尊は(我)を自灯明として強調したのよ。
この意味も、あなたにはまだ理解が無理だろうねぇ。
- 157 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/23(木) 13:43:14
- >釈尊は、永遠常住不変の我を否定したのであって、変化する我は認めているのですよ。
だから、不変の霊魂は否定しても、変化する霊魂は肯定しても良いのです。
釈尊が認めたなど論外ですが、桐山説ですらない意見はスレ違いです。
岩波仏教辞典【霊魂】の頁で、
仏教に関連された部分の解説を一応掲示しておきます。
仏教もまた,霊魂(jiba)と身体の関係(→無記),さらにまた
霊魂に関係して, 輪廻の主体の問題に直面した.
輪廻の主体問題については,
文脈によっては, ウパニシャッド以来のインド哲学諸派が
論じた種々の 我(atman.
自身,神,神識とも訳す)の問題にも
関わるが,いずれの意味合いにおいても,仏教は伝統的に我の否定,
つまり無我(非我)を 旗印とした.
ただし, 讀子部などの部派は,輪廻としての主体としての
プドガラ(pudo-gala,補特伽羅)を立て,それは五蘊と非即非離の
関係にあるとした.
また,輪廻において何が行為と行為の結果を媒介するかという文脈では,
経量部は結果を生じる能力を持つ信身の種子(bija)によってこれを説明した.
さらにこれをふまえて瑜伽行派は,六識やマナス(末那識)の経験を薫習する
潜在意識としての種子識,すなわちアーラヤ識(阿頼耶識)説を生んだ.
- 158 :準シュダオン:2012/02/23(木)
13:51:33
- >>やがて死後の輪廻する主体についての反省がおこり、
>この「反省がおこり」という文言は、辞典のその頁に
>まったく記述されていません。
おかしいね。私の岩波仏教辞典・定価5800円の「霊魂」の項には、
確かに記載されていますけどね。あなたの辞典は落丁本では?
>桐山さんが得意とする書かれてもいないことばを
>意図的に加筆する行為です。
と、いうことなので、あまり勝手に決めつけてはいけないね。
他の人の辞典も訊いてみたら?
そういう我執の早合点するから、あなたはドジるんです。
- 159 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/23(木) 14:12:48
- >霊魂が輪廻する主体である、と言っているのです。
>「変化する霊魂」は有る、と考えるのは当然の話しですね。
>「釈尊は、変化する我は認めている」
桐山説は、
「死後の存在であるこの異陰が、つぎの生の五陰を集める
因縁となって再生して輪廻を続ける、」
です。
桐山さんはこの外道説で、霊魂を清めると称し焚き火をしている。
釈尊は、無我(非我)をどのように説いたかは、
学説による解説にて読み取ることが出来ます。
釈尊が認める「我のものでなく我に非ず」の自我とは、
否定すべき自我による自己浄化の実践を説いていた、
と理解できます。
霊魂など、まったく相手にしていません。
- 160 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/23(木) 14:13:45
- >霊魂が輪廻する主体である、と言っているのです。
>「変化する霊魂」は有る、と考えるのは当然の話しですね。
>「釈尊は、変化する我は認めている」
自己こそ自分の主である。他人がどうして〔自分の〕主であろうか。
自己をよくととのえたならば、神も、ガンダルヴァ(天の技楽神)も、
悪魔も、梵天もなすことができない。(ダンマパダ104)
このように理想的な倫理的主体の自己(アートマン)を認め、
自己浄化によって現実の苦なる人生を超えていこうと、
最初期の仏教者は努力しました。
これは実践の道であり、アートマンを決して形而上学的な
実態とみなすことはありませんでした。
このように非我(無我)の教説は、ブッダの最も中心的な法理であり、
煩悩や妄執を超えて、法による倫理主体としての自己こそ非我(無我)
の当体であると考えていたのです。
(ブッダの人と思想109頁 中村元・田辺祥二)
- 161 :準シュダオン:2012/02/23(木)
14:23:43
- >ウパニシャッド哲学の最後
『アートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。』
>これがあなたの言うアートマンですね。
私の前レスのように、仏教辞典にある、「常住不変の我」が、私の言うアートマンです。
もう少し、死後の輪廻する主体について、考えてみましょう。
釈尊は、解脱して宿命智を得たとき、ご自身の十の生涯、二十の生涯を思い起こした、
とされます。と、いうことは、死んで五陰を捨て終えて、慢が次の陰を集める際に、
「慢を抱く主体」は、生前の記憶をした・記憶装置をも輪廻させていることになり
ますね。
お解かりでしょう?慢が生前の生涯を記憶しているのではありませんよね。
慢を起こす主体が、生前の生涯を記憶して輪廻しているのです。
だから、煩悩を無くして解脱するとき、いくつもの生涯を思い出せるわけです。
死後、生前の生涯を記憶して輪廻する主体は何ですか?
それは、慢を抱いている主体、としか言いようがないでしょう。
こういう、何処にも書いてないような事をも、私は次々に思いつきます。
まるで仏の加持力を受けているかのような、感じがすることがあります。
BOOさんのレスからは、シュダオンに近いような内容は感じられません、
レスの全部が、学者からの受け売りに過ぎないように感じます。
ラシンさんのレスもそのとおり、私が知らない経典を色々紹介されるのは、
有り難いけど、ラシンさんの、その経典の理解の仕方が、まだ浅い、
というような印象を受けますね。
- 162 :Boo:2012/02/23(木)
15:26:27
- >死後、生前の生涯を記憶して輪廻する主体は何ですか?
>それは、慢を抱いている主体、としか言いようがないでしょう。
またまたとても愚かな馬鹿な事を書いています。なんですか、「生前の生涯を
記憶して輪廻する主体」とは?あなたは自分の足元で自分の仮説が崩壊している
ことに気が付いていません。だからこんな恥ずかしいことを主張できるのです。
あなたはあまりにも考えが足りないので、あなたの破たんしている部分をしばらくは
書かないでおきましょう。
その答えがわかったら、あなたの言っていることががシュダオンから間逆の方向に
突っ走っていることがわかります。
>死後、生前の生涯を記憶して輪廻する主体は何ですか?
>それは、慢を抱いている主体、としか言いようがないでしょう。
>
>こういう、何処にも書いてないような事をも、私は次々に思いつきます。
>まるで仏の加持力を受けているかのような、感じがすることがあります。
よかったね。カジリキを受けれて。頑張ってください。ご苦労さん。
- 163 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/23(木) 16:12:52
- >死後、生前の生涯を記憶して輪廻する主体は何ですか?
それは、慢を抱いている主体、としか言いようがないでしょう。
釈尊が説いた内容が、客観的に解説されている学説を
参照すべきです。
個人主観ならば、桐山さんのご霊示のごとく道から外れる。
桐山さんは、異陰=霊魂と考えて外道の焚き火に執着しています。
岩波仏教辞典第二版(2002年10月30日発行)
我
が〔s:atman,p:attan〕
原語の(アートマン)はドイツ語のAtem(動詞形atmen)と
同じく,もと気息,呼吸の息を意味し,生気・本体・霊魂・
自我などを表す.
インドの諸哲学が個人をさらに掘り下げて,常住・単一・
主宰のアートマン(我)を最重視し,それをめぐって展開する
のに対して、仏教はそのような(我)は否定し,我・自我その
ものを諸要素の集合と扱う. ー以下、五蘊の解説 略ー
ー中略ー
ただし、最初期(釈尊のころ)の無我説は,我執を含む
あらゆる執着からの解放を強調した.
同時に,(我)は(われ)としてあらゆる行為の主体・責任の
所在であって,この場合は(我)が自己または主体性と
みなされるところから,執着を捨て,とらわれることなく,
種々の実践を果たす主体者として,きわめて積極的な意義を担う.
この立場により〈自灯明,自帰依〉(自らを灯明とし自らを拠り
どころとする)を強調する.
- 164 :準シュダオン:2012/02/23(木)
16:18:57
- >桐山説は、
>「死後の存在であるこの異陰が、つぎの生の五陰を集める
> 因縁となって再生して輪廻を続ける、」
>です。
異陰というのは、与陰の読み違いだそうですが、意図するところは同じです。
要は、慢を起こしている主体は何か?ということです。
死後、五陰を捨て終わるとき、五陰はゼロになるのか?という問題です。
慢を次の生に持ち越すという点で、五陰はゼロになるのではありませんね。
>桐山さんはこの外道説で、霊魂を清めると称し焚き火をしている。
釈尊は、霊魂と身体についての問には無記を通したという。しかし、仙尼経では
ヒントを与えています。慢が次の陰を集めるのだという。ということは、慢は死
なずに次の生に引き継がれることになります。ということは、
慢を起こしている主体も、次の生に引き継がれていることになりましょう。
貪、瞋恚、無痴、慢、という煩悩は、それを起こす主体によって操作されている
のですからね。
この辺りになると、見惑の八十八煩悩を断じた預流果の聖者でなければ、見惑の
林に迷い込むことになります。私にも見惑の木がチラホラありますから、慢を起
こしている主体は、まだ見えません。
- 165 :名無しさん:2012/02/23(木)
17:23:23
- >>161 :準シュダオン:2012/02/23(木) 14:23:43
>私の前レスのように、仏教辞典にある、「常住不変の我」が、私の言うアートマンです。
>もう少し、死後の輪廻する主体について、考えてみましょう。
>釈尊は、解脱して宿命智を得たとき、ご自身の十の生涯、二十の生涯を思い起こした、
>とされます。と、いうことは、死んで五陰を捨て終えて、慢が次の陰を集める際に、
>「慢を抱く主体」は、生前の記憶をした・記憶装置をも輪廻させていることになり
>ますね。
>>164 :準シュダオン:2012/02/23(木) 16:18:57
>釈尊は、霊魂と身体についての問には無記を通したという。しかし、仙尼経では
>ヒントを与えています。慢が次の陰を集めるのだという。ということは、慢は死
>なずに次の生に引き継がれることになります。ということは、
>慢を起こしている主体も、次の生に引き継がれていることになりましょう。
>貪、瞋恚、無痴、慢、という煩悩は、それを起こす主体によって操作されている
>のですからね。
あなたもやっとその様な疑問に突き当たりましたか。
でも、あなたの考えはまだまだ幼稚です。
この問題の回答に対し過去の仏教論師たちはもっともっと考察して精緻な理論を組み立てています。
それらをあなたは知らないだけです。
その理論を読み理解すれば桐山霊魂説など子供騙しに見えてきます。
ただ、このスレはそんなことを議論する場ではないので深入りはしません。
そんなことより根本仏教であろうとアビダルマや唯識であろうと桐山さんの主張が受け入れられる
記述などないことの方がより重要です。
特に不成仏霊が霊障を起こし子孫に祟るなどと言うのは論外でこれはもう仏教ではありません。
仏教が主張もしない霊障の解消を売りにしてお金を受け取り徳を積むと言って労働奉仕をさせている。
こんな行為は釈尊や先祖を冒涜したにも等しく絶対に許されるものではありません。
- 166 :Boo:2012/02/23(木)
17:44:57
- >この辺りになると、見惑の八十八煩悩を断じた預流果の聖者でなければ、見惑の
>林に迷い込むことになります。私にも見惑の木がチラホラありますから、慢を起
>こしている主体は、まだ見えません。
ははは、とうとう白状しましたね。あなたは輪廻する主体は見えないのに、「ある」
という。それは預流果でなければわからないという。
預流果を得なくてもあなたの「説」が間違いであることは簡単にわかります。
あなたは私の質問にどうせ答える気がないので、あなたの理屈の間違いを
教えてあげましょう。僕って親切でしょ?
>釈尊は、解脱して宿命智を得たとき、ご自身の十の生涯、二十の生涯を思い起こした、
>とされます。と、いうことは、死んで五陰を捨て終えて、慢が次の陰を集める際に、
>「慢を抱く主体」は、生前の記憶をした・記憶装置をも輪廻させていることになり
>ますね。
>
>お解かりでしょう?慢が生前の生涯を記憶しているのではありませんよね。
>慢を起こす主体が、生前の生涯を記憶して輪廻しているのです。
>だから、煩悩を無くして解脱するとき、いくつもの生涯を思い出せるわけです。
慢を起こす主体が、生前の生涯を記憶して輪廻しているのであれば、なぜ自分が
体験も記憶もしていない「他人の生涯」をも何人も何十人も繰り返し生き死にする
様を観察することができるんですか?あなたは愚かだから、自分の人生を体験して
いるんだから、その時に出会った人の人生を知っているだけだ、なんていいかねません
がそれは「生き死に」という表現ではないですね。多くの臨終、多くの生誕を見た、
という表現であればそうかもですが「多くの他人の生死」というのは、その人生模様を、
もっと言うと宇宙の輪廻まで洞察していることも考えられるのです。それをは慢を抱く主体の
「記憶」ではありません。もちろん記憶装置も「慢を抱く主体」にはありません。
釈尊の観察力です。
繰り返し言いますが「慢を抱く主体」も「輪廻する主体」もそれに付随する記憶装置も当然ありません。
輪廻する主体は釈尊は否定しています。「無我」と。
あなたが迷い込んだのは「見惑の林」ではなく「外道の林」です。
- 167 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/24(金) 08:32:28
- 霊魂の話が続いてますが、釈尊が霊魂の問題に無記という肯定も否定もせず
取り合わない、取り合うなという立場を貫いたことは有名ですが、これは学者の説
ではなく、経典にそのように記述されているわけです。
箭喩経と呼ばれるもので中部経典第63や中阿含経にこの十無記の話が出てきます。
アゴン宗の信者さんはこの内容をきちんと把握されてますでしょうか?
マールンクヤという人が釈尊に質問をします。世界は常住であるか無常であるか、
際限があるか無限であるか、霊魂と身体は同じであるのか別なのか、死後の世界は
あるのかないのかということです。
マールンクヤはさらに、もし釈尊が霊魂と身体が同じと説くならばそれに応じて
修行をし、もし霊魂と身体は別物と釈尊がお示しになるのならそれに応じて修行
しましょうと言って質問を促します。
これに対して釈尊はこれらの質問に一切答えず別の喩え話をします。
今ここに毒矢に射られた者が医者のもとに運ばれた。すぐに毒矢を抜いて治療
しなければならないが、この患者は質問をしてくる。誰が自分に毒矢を射たのか?
年齢は?その毒矢は何でできているのか?などです。
釈尊はそんな質問に答えている暇に毒矢の毒は身体に回りその人は死んでしまう、
だから毒矢を抜くことだけを考えればよいとした。
霊魂と身体が同じか別か、死後の世界があるかないかなんてことなどを考えても
それは苦なる人生の解決にならない、解脱に役立たないと示したのです。
この話は私はアゴン宗入信前から知ってました。
中学生の頃から出家して坊主になりたいなんて仏教(モドキ)かぶれだった私に
入院中兄が見舞いに「お経入門」という徳間ブックスの新書を買ってきてくれ
読んだのです。
そして観音慈恵会、さらにアゴン宗に入信してからも、この経典の説くことは
もっともだと思ってました。
アゴン宗の説く因縁解脱こそ毒矢を抜く作業そのものに他ならないと思ったからです。
しかし実はこの毒矢の喩えはアゴン宗を完全に否定しているのです。
それはなぜかわかりますでしょうか?
- 168 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/24(金) 08:37:02
- 釈尊のマールンクヤに対する答えに一言補足しておきましょう。
そんなことを詮索しても苦なる人生の解決にならないと言った後に、
たからそれに応じて修行しましょうなんておまえが説いたところで、それは修行に
関係ないのだから意味がない、修行しましょうなんて言葉は不当不適であると
切り捨てたわけです。
- 169 :深山:2012/02/24(金)
12:07:23
- >>145 :準シュダオン:2012/02/22(水) 10:03:10
>慢やタンハーを抱く主体は何か?という問題です。
>単純に慢やタンハーが輪廻する、と考えるのは間違いです。
信者の皆さん、これをご覧ください。
「慢やタンハーを抱く主体は何か?」などと偉そうに吠えている。
どんな御立派な話をしても、こういうたった一行で、
準シュダオンさんが仏教の基本すら理解していないことがわかってしまう。
ここに十年近くもいて、批判側からさんざん仏教の「我」とは何か、
五陰とは何か説明されていながら、まったく理解できてない。
これを外道説というのです。
ところで、信者さんたちも、準シュダオンさんの「主体は何か」という疑問に
「そうだ、輪廻するというなら、輪廻の主体が問題であり、
それを霊魂と言っているのだ」と思いませんでしたか。
釈尊の教法を理解していない何よりの証拠なのです。
信者さんたちは桐山さんからとんでもない考えを仏教だと信じ込まされている。
アゴン宗の批判や擁護は抜きにして、まず正しい仏教を理解してください。
そうすれば、「輪廻の主体は」などと質問するのはとても恥ずかしいことだと気がつきます。
- 170 :深山:2012/02/24(金)
12:11:43
- ・魂魄は仏教思想ではなく道教思想
「霊魂は魂魄とも言うように、魂と魄から成り立ちます。
魄はアーラヤ識でできており、ここにその人の記憶がすべて納められています。(『密教誕生』平河出版社刊参照)
人が死ぬと魂は消えてしまいますが、魄は残って、それが冥界や霊界を経て転生します。」
(『阿含宗報』283号、3頁、2009年)
これがアゴン宗の教義です。
信者さんたちは桐山さんから、自己の主体とは霊魂だと教えられている。
魂魄からできており、死ぬと片方が肉体から離れて死者の霊魂になると教えられている。
だが、これは仏教思想ではなく、中国の道教思想です。
それもかなり不正確な解釈です。
「中国では霊魂に関する事柄は,<魂魄(こんぱく)><神(しん)>
<鬼神(きしん)>などの語で議論されることが多かった.」
(岩波仏教辞典)
桐山さんの霊魂説はインド思想ですらなく、中国からの借り物です。
つまり、仏教から見たら外道思想です。
- 171 :深山:2012/02/24(金)
12:15:12
- ・自己とは五つの要素の集合体
釈尊は自己とは五つの要素から成り立っていると述べています。
五つの要素とは、肉体や感覚と、記憶や意志作用など精神作用のことです。
色、受、想、行、識なんて並べるから意味がわからなくなる。
具体的にあてはめてみることです。
我々が、ケーキを肉眼で見て(肉体と視覚)、ケーキだと認識し、
過去の記憶から「これはうまい」ことを思いだし、
「食べてみたい」と欲求し、食べようと判断し、実際に食べる。
肉体や感覚と、記憶と精神の作用があって行為を為す、これらが自己だというのです。
釈尊の説く自己とは実に簡潔明瞭で、どこにも神秘も秘密もありません。
あるがままの人間を観察して、そのままを表現した。
人間の存在はたしかにこれ以上でも以下でもない。
赤ん坊から偉人まで、全員がこの五つ要素の組み合わせで成り立っている。
ご覧のように、どこにも魂魄も霊魂もありません。
ケーキを食うのに魂魄なんていらない。
- 172 :深山:2012/02/24(金)
12:25:04
- ・人間には霊魂があるというのは外道思想
釈尊は、人間の主体としての霊魂などないと否定している。
人間と五つの要素がただ変化しているだけで、主体などありません。
タマネギの主体はなんだろうかと、いくらむいても何も出てこない。
これが仏教思想です。
仏教説・・・自己とは五陰でできており、霊魂などない。
桐山説・・・自己の中に魂魄があり、死ぬと霊魂になる。
ごらんのように、両者は似ていないどころか、正反対の考えです。
桐山説は霊魂という主体があり、それが継続しているのが自己だという考えです。
だが、釈尊は、自己もまた主体がないまま変化しながら、
しかも継続しているだけだと説いている。
自己の主体がないのだから、輪廻の主体などあろうはずがない。
仏教では輪廻の主体はありません。
輪廻もまた主体がないまま、しかも継続するのです。
- 173 :深山:2012/02/24(金)
12:34:12
- ・輪廻の主体の議論は大昔からあった
準シュダオンさんは、輪廻の主体はなんだ、と鬼の首でも取ったように吠える。
この質問は、釈尊よりも前の時代からあり、当然、
輪廻の主体を説かない仏教に対しても質問がなされた。
「仏教は輪廻を認めているのに、輪廻する主体がないなら、
どうして行為の報いが相続されるのか」という質問です。
悪業を為したために、その報いを次の輪廻先で受けるなら、
その悪業の報いを伝える主体がないといけない、という質問です。
古くから、この議論が行われた。
だが、釈尊はこういう疑問に対して、輪廻の主体はないと
否定した新しい思想家なのです。
輪廻の主体があると説く宗教がほとんどの中で、これを無いとした。
仏教はこの意味では革命的な思想です。
この釈尊の思想を桐山さんも準シュダオンさんもわざわざ否定する。
いかにこの二人が仏教に無知で基本すら理解していないことが、これだけでもわかります。
- 174 :深山:2012/02/24(金)
12:37:24
- ・輪廻の主体などなくても相続する
主体がないと報いが相続されないではないという質問は
一見もっともようだが、実は世の中には主体などなくても
伝わる物がたくさんある。
2ちゃんねるでペテン大作さんとこの議論になり、
私が出したたとえが玉突きです。
動いている玉Aが静止していた玉Bにぶつかると、玉Bが動き出す。
単に運動エネルギーが伝わっただけで、それを伝えた主体などありません。
親の財産を子供が相続するのに、どこに主体かあるのですか。
親が死んで、霊魂が子供の身体にはいるのではない。
親と子供は別な存在であるが、財産は相続する。
遺伝子が主体となって相続するのではないから、養子縁組でも財産は相続される。
主体などなくても財産は相続される。
実は世の中にはこういう主体がないほうが多いというよりも、
仏教ではすべて主体などないと主張している。
- 175 :深山:2012/02/24(金)
12:41:59
- ・無我、無常こそが仏教の基本
仏教では、ありとあらゆるものに主体はないと主張する。
これを無我(非我)といいます。
主体がなく、ただ様々な要素が組み合わされ、変化しているだけです。
これを無常といいます。
自己とは、変化する五つの要素から成り立つ集合体だという説明も
無我、無常から来ている。
無我と無常は仏教の基本であり、仏教の絶対法則です。
これを抜きにしたら、もはや仏教ではない。
主体はないという基本を理解したら、「輪廻の主体は何か」
などという質問が出てこない。
いかに準シュダオンさんが仏教を理解していないか、これを見てもわかる。
「輪廻の主体は霊魂である」など主張したら、無我、無常と矛盾し、
もはや仏教ではない。
輪廻の主体が霊魂だと主張する桐山さんがいかに
仏教の基本すらも理解していないか、これを見てもわかる。
仏教の無我、無常という基本を理解したら、「輪廻の主体は何か」
「輪廻の主体は霊魂である」などと恥ずかしくて言えない。
こんな質問をするのは、「私は仏教の基本をまったく理解していません」と
わざわざ表明するようなものです。
いかに桐山さんや準シュダオンさんが仏教に無知であり、わかっていないまま
我流の勝手解釈をしているか、読者の信者さんたちはよく理解することです。
- 176 :深山:2012/02/24(金)
12:51:44
- ・霊魂説は身見という煩悩
霊魂を用いた輪廻説は釈尊が現れる百年も前にすでに完成していた。
ヤージュニャヴァルキアというウパニシャッドの宗教家、哲学者です。
どうしても霊魂説を唱えたければ、彼の説を読んでみることです。
非常によく出来ている。
おそらく人間が考え得る最高のものであり、これ以上の霊魂説などありません。
桐山さんは魂魄などという道教の霊魂説を採用しているが、あんなのは
ヤージュニャヴァルキアに比べたら、稚拙な民間信仰にすぎない。
釈尊はヤージュニャヴァルキアの最高の霊魂説を知った上で、
これを否定した人なのです。
無我、無常という革命思想を打ち出しているのに、また古くさい霊魂説を
持ち出して、信者さんたちは何をしたいのだ?
釈尊の教法を信じたいなら、まず無我、無常を理解することです。
だから、三結の最初にも身見が指摘されている。
身見とは無我とは正反対の「我」があると見なす煩悩です。
つまり、アゴン宗のように自己の主体は霊魂であり、
魂魄で出来ていると信じることを身見というのです。
準シュダオンさんの好きな言葉でいうと我見です。
釈尊は、自分が霊魂で出来ているという身見、我見を真っ先に
捨てろと説いたのです。
これを捨てていないアゴン宗の信者は預流向にすらなれない。
ましてや桐山さんが阿羅漢であるはずがない。
- 177 :深山:2012/02/24(金)
12:56:44
- ・霊魂を探し続けたインド仏教
釈尊が亡くなった後の仏教徒たちは、今の信者さんたちと同じで、
輪廻の主体を考えるなと言われたから、逆に必死になって考えた。
霊魂という言葉を使わずに、いかに無常、無我や五蘊と矛盾しないように
輪廻の主体を説くか、必死に考えています。
それは彼ら自身が疑問に思っていただけでなく、他宗教からの批判があったからです。
輪廻を説き、因果応報を説くのに、主体がないのはおかしい、
と言われて、反論できなかった。
なぜ部派仏教が大乗仏教の龍樹に論破されたか知っていますか。
輪廻の主体を霊魂とは別な名前で説いたために自己矛盾して、
それを龍樹に突かれた。
輪廻の主体を説いたら、無我、無常という仏教の基本と矛盾してしまう。
それを龍樹に批判され、論破されたのです。
この失敗に、仏教徒は釈尊の戒めを守るべきだったのに、それでも懲りなかった。
- 178 :深山:2012/02/24(金)
13:00:58
- ・腐りきったインド密教を引き継ぐアゴン宗
龍樹に論破された部派仏教の過ちを大乗仏教も繰り返した。
相変わらず、輪廻の主体を探し続けたのです。
そこで生み出したのが、アーラヤ識、アンモラ識などです。
唯識なんて小難しい理屈を並べているが、主体を考えているのだから、
簡単に言えば霊魂説です。
その中身は釈尊よりも前のヤージュニャヴァルキアの思想です。
どんなに小難しい立派な話を並べても、無我、無常と矛盾することを
教義いれたら、どうなるか。
約千年に及ぶインド仏教は、霊魂を考え続けて、自滅した。
そして内側は霊魂説を取り入れ、外側はヒンドゥー教を取り入れて、
できあがったのが、インド密教です。
内も外も完全に腐敗し堕落し、もはや釈迦仏教の原型すらも留めなかった。
ところが、桐山さんは仏教史なんて表面しか理解していないから、
こういうことを知らず、平然と霊魂説を唱えて、
しかも、あろうことか釈尊が霊魂を説いたなどと言い出した。
インド仏教でも釈尊が霊魂を説いたとする思想は出ていません。
釈尊が霊魂を否定し、無我、無常と矛盾することを知っていたからです。
桐山さんの無知と愚昧もここまで来ると立派です。
だが、信者さんたちはぜひ仏教の基本を理解し、覚えてほしい。
- 179 :深山:2012/02/24(金)
13:03:36
- ・霊魂を説いたら外道
「霊魂があると言ったら、その宗教は仏教ではない」
これは仏教の基本です。
何度も言うが、輪廻の主体など説いたら、無我、無常という
仏教の基本的な考えに反し矛盾し、インド仏教のように自滅する。
仏教は霊魂を説かない。
信者さんたちが自分の中に魂魄という霊魂があり、
死後に魄がニョロニョロと出て不成仏霊になると信じるのは自由だ。
だが、その信仰は仏教ではありません。
異陰とは五蘊のことで霊魂の意味などない。
意生身は神通力で出てくるものであって霊魂の意味などない。
輪廻の主体としての霊魂など説いた瞬間から、仏教は矛盾し、自滅する。
インド仏教史が示すように、どんな形であれ、輪廻の主体を説き、
霊魂を説いたら外道です。
- 180 :準シュダオン:2012/02/24(金)
13:29:42
- >慢を起こす主体が、生前の生涯を記憶して輪廻しているのであれば、なぜ自分が
>体験も記憶もしていない「他人の生涯」をも何人も何十人も繰り返し生き死にする
>様を観察することができるんですか?
なかなか良い指摘ですが、自分の生涯を知る解脱知見を宿命智といいます。
他人の生涯を知る解脱知見を天眼智といいます。
これらが、どのようにして備わるのか、そのメカニズムは不明です、が、
煩悩を断つにつれて、その力が備わることを、釈尊は説いています。
もう少し、煩悩を抱く主体について、考えやすくしましょう。死後の慢とは、
旧五陰の産物というか、遺物ともいえます。その慢が新しく五陰を形成して、
あたらしい生涯を送るのだそうです。だが、よ〜く考えてください。
慢とは煩悩です、煩悩とは心身を悩ます「心のはたらき」をいうのです。
だから、「慢・煩悩」が輪廻するということは、旧四陰(受想行識)の一部か
全部か、とにかく、心を次の生涯に引き継いでいくことになるのです。
その心・自我は煩悩に塗れています。煩悩を離れた心・自我が、涅槃を得る、
ということなのでしょう。だから、煩悩を抱く主体とは、心・自我、という
ことになるでしょう。何も、アラヤ識とか、ややこしく考えることはないね。
例えばBOOさんを例にすれば、BOOさんの慢のレベルは解りませんが、個人差が
ありますよね。死後はそのBOOさんの「慢」が因縁によって次の母の心に宿り、
その胎児に乗り移って、転生してくる、というわけでしょう。
- 181 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/24(金) 13:35:24
- さて箭喩経に見られる毒矢の喩えでわかる霊魂に対して詮索することを許さない、
それは解脱への修行には何の関係もないという記述ですが、これは完全に
アゴン宗の解脱供養などの霊障教学からタテの因縁に至るまでの因縁解脱教学を
否定しています。
なぜなら桐山アゴン宗にとって解脱とは煩悩解脱は小煩悩であって、求めるべき
解脱は因縁解脱なんですが、その因縁の成り立ちには先祖の不成仏霊、霊障が
密接に関わっており、成仏法を体得した解脱供養で霊障解脱を行わないと
因縁解脱は不可能と説かれています。
「間脳思考」にもシュダオンは浄められた聖者とされているが、それは霊的不浄を
除去した、すなわち霊障、不成仏霊を成仏させていることを条件としています。
ところでこういう先祖の霊が子孫の人生に悪影響を与えるという思考形態を
我々は通常持ちません。
そこで我々がまず為さねばならないことは、死後浮かばれない霊が存在すること、
その霊は我々と共存するだけでなく、あちらかはら抗えない強い影響力で
我々に働きかけてくることを認識する必要があります。
桐山さんは霊性を説きますが、霊性とはまず死後の霊魂を認めて尊ぶと言うか
その作用をよく理解認識することから始まると説いています。
つまりそれは修行方法に関わってくるからです。
闇雲に瞑想をしたり教えを遵守しようと思ってもダメで正しい修行法を求めねば
なりません。それが解脱供養から始まる、まずは因縁解脱の絶対必要条件として
不成仏霊の供養をしなければならないことがわかります。
だから桐山教学が正しいのだとしたら、死後の霊魂についてあるとか無いとか
考えるなという釈尊の無記の態度は甚だおかしいことになります。
解脱に向かう修行に先祖の霊を認識してこれと対処する修行は絶対に必要なはずで
これを詮索するな、考えるな、修行の役に立たないという発言は全くおかしいことになります。
自分が死後相続するはずの霊魂とか、生まれる前に相続されてきた媒体の霊魂の
話ではなく、先祖の霊魂なんですからね。
これをまずはっきりと認識させる必要があるはずではないか?
桐山さんは先祖供養を軽視することが世の中の退廃に繋がっていると説きます。
となると世の中を退廃させた元凶は霊魂を考えるなと説いた釈尊の責任ということになる。
つづく
- 182 :準シュダオン:2012/02/24(金)
14:23:11
- >だから桐山教学が正しいのだとしたら、死後の霊魂についてあるとか無いとか
>考えるなという釈尊の無記の態度は甚だおかしいことになります。
このことは、ラシンさんが示してくれた経のお蔭で、無記の意味が解る気がします。
身体と霊魂の関係を、預流向に説いても、見惑の林に迷い込む状態になるので、
釈尊は説かなかったのでしょう。また、預流果以上になると、身体と霊魂の関係が
解ってくるので、そういう聖者は質問さえしなかったのでしょう。
だから、霊魂について考えるな、と説いた相手は、預流向なのでしょう。
- 183 :準シュダオン:2012/02/24(金)
14:35:21
- >桐山さんは先祖供養を軽視することが世の中の退廃に繋がっていると説きます。
>となると世の中を退廃させた元凶は霊魂を考えるなと説いた釈尊の責任ということになる。
釈尊のせいにはならないでしょう。だいたい、釈尊の時代は、先祖に戒名を付けて
供養する習慣なんて、相当の上流階級にしかなかったのではありませんか。
また、比丘や比丘尼には、お金などあろうはずもなく、比丘が霊障を受けていた
場合には、釈尊は無料で、霊障のホトケを解脱させていたと考えられます。
- 184 :Boo:2012/02/24(金)
15:22:49
- >180 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/02/24(金) 13:29:42
>>慢を起こす主体が、生前の生涯を記憶して輪廻しているのであれば、なぜ自分が
>>体験も記憶もしていない「他人の生涯」をも何人も何十人も繰り返し生き死にする
>>様を観察することができるんですか?
>
>なかなか良い指摘ですが、自分の生涯を知る解脱知見を宿命智といいます。
> 他人の生涯を知る解脱知見を天眼智といいます。
>これらが、どのようにして備わるのか、そのメカニズムは不明です、が、
>煩悩を断つにつれて、その力が備わることを、釈尊は説いています。
話題をすり替えるのも体外にしなさい。霊魂、アートマン(我)とそれらに対する
釈迦仏教の立場については深山さんがわかりやすく解説しています。
準シュダオンさんはどの道深山さんのレスは理解しようとしてもできないので
永久に外道街道を突き進んでください。あなたの行く末は釈尊が「法の鏡」で
示しています。
>例えばBOOさんを例にすれば、BOOさんの慢のレベルは解りませんが、個人差が
>ありますよね。死後はそのBOOさんの「慢」が因縁によって次の母の心に宿り、
>その胎児に乗り移って、転生してくる、というわけでしょう。
気持ち悪い表現は止めてください。何の喩かもわかりません。
あなたは自分が理解もしていないことを、掲示板という公共のスペースに記述するような
無責任な行為をやめるべきです。
- 185 :準シュダオン:2012/02/24(金)
15:34:27
- >慢を起こす主体が、生前の生涯を記憶して輪廻しているのであれば、なぜ自分が
>体験も記憶もしていない「他人の生涯」をも何人も何十人も繰り返し生き死にする
>様を観察することができるんですか?
良い指摘ではあるが、BOOさんが正しいとも言い切れない。自分の生涯を知る宿命智
と他人の生涯を知る天眼智・死生智とは違うからね。ただし私が述べた、記憶装置も
輪廻しているということも、どうなのか解らないね。記憶は次の生に持ち越さないの
かもしれないが、慢と共に業報も持ち越すのでしょうから、ややこしいね。
アートマン定義については、BOOさんの考えを変えた方が良いと思うね。
情報を集めすぎても混乱の元ですよ。
岩波仏教辞典での、アートマン(我)の定義は、「有身見」「我」「我見」など
の項に説明されていますが、要約すると、「永遠・常住・不変・の自我」という
ことですね。これを仏教では否定するわけですね。
但し、自灯明などを言う場合の自我・自己は認めるわけですが、この場合の自我・
自己は、変化し成長する自我・自己を指していますから、アートマンではないわけ
です。
「諸法無我」という場合の無我は、無常の世界に「永遠・常住・不変」のもの
はないわけで、そういう意味での「無我」ですね。
死後、慢を抱く主体は「心・自我」だとレスしましたが、この場合の自我とは
勿論アートマンのことではなく、自灯明などに使う場合の自我の意味です。
私に、慢を抱く主体はまだ見えない、とレスしたのは、主体の「心・自我」の
メカニズムの見当が、全くつかないということです。
例えば、BOOさんの慢が転生する場合、また赤ちゃんからやり直すわけでしょ。
だから、「心・自我」の正体というか見当が全く、つかないわけですよ。
- 186 :準シュダオン:2012/02/24(金)
15:53:50
- >話題をすり替えるのも体外にしなさい。霊魂、アートマン(我)とそれらに対する
>釈迦仏教の立場については深山さんがわかりやすく解説しています。
深山さんは、沢山情報を集めてはいますが、基本的なところを間違えたりしています。
基礎基本を間違えていたのではどうにもなりません。
基礎が傾いていたら、建物が大きくなるほど危険です。
深山さんは、アウフヘーベンの考えを全く理解していません。
管長は、阿含仏教と大乗仏教を綜合・止揚させた阿含宗にすると、立宗した
年に宣言しているわけですから、今頃批判したとてトンチンカンなわけです。
阿含宗は大乗仏教も実践してるのですから、阿含経に合わないところがあって
も当たり前すぎるほど、当たり前です。
批判するなら、20〜30年前から退会してるべきだったのだ、と思います。
- 187 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/24(金) 17:03:17
- >慢が次の陰を集めるのだという。ということは、慢は死なずに次の生に
引き継がれることになります。ということは、慢を起こしている主体も、
次の生に引き継がれていることになりましょう。
国訳一切経仙尼経の書き下し一文は、
「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて
陰と與に相続し生ず。」
です。
↓
慢を断じることが出来ない故に此の陰を捨て終わって、
慢が陰と(與)ともに受け継ぎ、生じる。
↓
この場合、生じるのは六道のいずれかにです。
どこにも寄り道はしません。
仮に桐山さんが命終しても、煩悩をかかえた桐山さん
という自我(五蘊)が、例えば地獄に生じる、
と考えれば分かりやすい。
現世で、さんざん他人をだまし迷わせた桐山さんは、
その煩悩を抱えたままで(與に)、六道のいずれかに
生じると考えるほうが妥当です。
- 188 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/24(金) 17:05:39
- >ということは、慢を起こしている主体も、
次の生に引き継がれていることになりましょう。
だが、桐山さんは過去より、異(別)なる自我(五蘊)だと
誤読して、それは異陰=霊魂→不成仏霊と受け止めた。
仮に地獄で苦しむ陰は、他人ではなく地獄へ落ちる者、
すなわち当人です。
だから釈尊は、その「者」の一生、十生、二十生と表現している。
人間は慢(煩悩)によって業を作り、その業果の生じるさまを
輪廻すると、釈尊は説いたのです。
- 189 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/24(金) 17:06:28
- >ということは、慢を起こしている主体も、
次の生に引き継がれていることになりましょう。
どこにも輪廻する霊魂(主体)などありません。
この世の五蘊が終わっても慢があって、仮に地獄で苦しむ者は、
慢とともに相続し生じた「陰(五蘊)」と、説かれているのです。
それが異陰や霊魂ですとは説かれていない、「陰」とあるだけです。
業の応報を考えればわかることです。
業は消えないのですから、慢を残しているなら業果は生じる。
これはいっけん”常見”と誤解されやすいが、
釈尊は、こうならないように現世での解脱を説いた。
解脱したら慢は消滅しているので、五蘊に関与しない。
五蘊にたずさわらない、どこにも生じない輪廻もしない。
だから”常見”ではないし、これで自我の解釈は終わるのです。
- 190 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/24(金) 17:07:06
- >ということは、慢を起こしている主体も、
次の生に引き継がれていることになりましょう。
しかし桐山さんは、「それを霊魂とよぼうが、異陰とよぼうが、
そんなことはどうでもい。とにかく釈尊は、死後もなにかが存在を
つづけると、はっきりおしゃっておられるのです。そうしてその存在が、
つぎの生を生ずるのだと明解におしゃっておられるのです。」
これもウソです。
この思考が、死後に異陰を生じその異陰がつぎの生を生じさせ輪廻する、
などの霊魂を認める理屈になっています。
だが経の文は、地獄に生じる者も「陰」であり、天に生じた者も「陰」です。
陰=五蘊です。
- 191 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/24(金) 17:07:57
- >ということは、慢を起こしている主体も、
次の生に引き継がれていることになりましょう。
釈尊の説く五蘊に霊魂の概念はないと、
批判は何度も指摘している。
ウパニシャッドの霊魂は、釈尊に否定されていることは、
>>157,>>163で掲示した辞典にある解説文で確認できます。
これは、釈尊が霊魂に対してどのような態度でいたかを、
信者さんもよく理解できる客観材料です。
釈尊は、霊魂の存在を議論もせず認めてもいない姿勢です。
ただ現在の生において、煩悩を消せと説いたのです。
桐山さんは、釈尊が霊魂を認めたと上記の「輪廻する葦」でも
述べていました。
しかしその根拠は、「與陰」を「異陰」と読み間違えたことで、
消失してしまった。
桐山さんも、今回の(中)巻でその”読み違い”を認めている。
今現在は、異陰がどの経典にあるのかすら示すこともできない。
釈尊が霊魂を説いていないのですから、あるわけがないのです。
桐山さんは、ただ異陰はあるのだと自説にしがみ付いて、
死者の異陰のための焚き火をしているだけです。
- 192 :Boo:2012/02/24(金)
17:54:24
- >>161で
>釈尊は、解脱して宿命智を得たとき、ご自身の十の生涯、二十の生涯を思い起こした、
>とされます。と、いうことは、死んで五陰を捨て終えて、慢が次の陰を集める際に、
>「慢を抱く主体」は、生前の記憶をした・記憶装置をも輪廻させていることになり
>ますね。
>
>お解かりでしょう?慢が生前の生涯を記憶しているのではありませんよね。
>慢を起こす主体が、生前の生涯を記憶して輪廻しているのです。
>だから、煩悩を無くして解脱するとき、いくつもの生涯を思い出せるわけです。
>
>死後、生前の生涯を記憶して輪廻する主体は何ですか?
>それは、慢を抱いている主体、としか言いようがないでしょう。
>
>こういう、何処にも書いてないような事をも、私は次々に思いつきます。
>まるで仏の加持力を受けているかのような、感じがすることがあります。
はあはあ、仏様のカジリキで準シュダオンさんは次々と思いつくそうです。
さすがわ「準シュダオン」と名乗るだけありますな〜
>>185で
>良い指摘ではあるが、BOOさんが正しいとも言い切れない。自分の生涯を知る宿命智
>と他人の生涯を知る天眼智・死生智とは違うからね。ただし私が述べた、記憶装置も
>輪廻しているということも、どうなのか解らないね。記憶は次の生に持ち越さないの
>かもしれないが、慢と共に業報も持ち越すのでしょうから、ややこしいね。
おいおい、先ほどホトケ様のカジリキでどこにも書いていないことを思いついた
んじゃねーの?つまり、カジリキでなかったの?
某シュダオンさんの考えをうまーく表現している諺を思い出しました。
「下手の考え休むに似たり」
よい考えも浮かばないのに、いくら時間をかけて考えても無駄なことで、
休んでいるのと同じで時間の浪費でしかないということ。碁や将棋で、下手な
者の長考をからかって言うことば。「馬鹿の考え休むに似たり」とも言う
- 193 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 00:40:38
- さて仙尼経の異陰の話です。
教えを説く中巻では異陰は読み違いで陰と與(とも)であることを認めました。
上巻の時にお詫びを示すチャンスもあったのになぜか今回しゃあしゃあと。
しかしそれはあくまでも漢字の読み違いだけの弁明で意味は以前と変わらず
不成仏霊、霊障たる霊魂のままです。
ここを訂正してしまったらこれまで説いてきたことが根拠を失ってしまうので
そこまで恥はかきたくない。
しかし陰とともに相続するは、あくまでも現世の五陰がなくなって後、来世にまた
別の五陰を化合して生まれるという単に輪廻を説いた経典として説明がつきます。
しかし桐山さんは間脳思考にてもはっきり現世の五陰から来世の五陰が生成されるまでの
特殊な陰と説いています。つまり六番目の陰と言いたいのであり、それは霊魂なんだ
としたわけです。
するとこれは毒矢の喩えに出てきた十無記に反することになります。
マールンクヤは霊魂と身体は同じであるか別かという質問をして釈尊に無記扱い
にされて、修行と関係ないとのお墨付きをもらったわけです。
だからここで例外的にでも身体(五陰)と霊魂(異陰)は異なるのだよと明示する
わけがない。
だからこの與陰とは単なる来世の五陰しかないとわかる。
準シュダオンさんはたしかに無記も説いているけど、仙尼経のように霊魂を説いている
経典もあるのだろうと気楽なことを書いているが、そんな矛盾した話はあり得ません。
無記を貫く理由を明示したのです。
釈尊という人は信念を曲げるのか?
ましてや桐山さんの教義実践とは、輪廻の間は霊魂で繋がれるのかも知らんね〜
なんて呑気な話ではない。
霊障を解くか解かぬかが修行の成否に関わっているのです。
その時に釈尊に霊魂の有無は修行に関係ないなんて言われてしまった日にゃ。
これを覆す例外なんて無理なんです。
- 194 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 01:07:26
- >>182:準シュダオン12/02/24(金) 14:23:11
>身体と霊魂の関係を、預流向に説いても、見惑の林に迷い込む状態になるので、
>釈尊は説かなかったのでしょう。また、預流果以上になると、身体と霊魂の関係が
>解ってくるので、そういう聖者は質問さえしなかったのでしょう。
>だから、霊魂について考えるな、と説いた相手は、預流向なのでしょう。
ふふふ、残念ながらそれは逆になるのですよ。
もう一度間脳思考を読み直してごらんなさい。
シュダオンは浄められた聖者というくだりです。
オーラの色が青だのオレンジだの書いてるあたりです。
浄められた聖者シュダオンの条件は霊障を解き不成仏霊を成仏させ霊的不浄から
離れた境地を示しています。
それを成し遂げたのが預流果シュダオンではないですか?
つまりそこにまだ至らずそこを目指す預流向にとって一番やらねばならないのが
霊的浄化、つまり霊障の除去です。
我見を排す?それも重要だが、それだけでは浄められないではないか?
視点が間違っている。先祖に目を向けよ。まずは不成仏霊の供養から始まるのだ。
それをせねば我見すら断てない。
我とは仮我であり悪因縁の支配下にあるものであり霊障の影響があるのだ。
それをオシエだけで断てると思うか?
だから預流向こそ霊魂無記ではなく、霊魂に目覚めよと啓蒙が必要なことがよく
わかるでしょう?
面白いでしょ?桐山シュダオンって。
馬鹿馬鹿しくなってきたんじゃないですか?
- 195 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 01:26:14
- >>183:準シュダオン12/02/24(金) 14:35:21
>また、比丘や比丘尼には、お金などあろうはずもなく、比丘が霊障を受けていた
>場合には、釈尊は無料で、霊障のホトケを解脱させていたと考えられます。
はい、残念ながらこれもアウトですね。
桐山解脱供養教義に反します。
解脱供養は導師の成仏力だけでは不成仏霊は成仏させられないのです。
なぜならば不成仏霊とは不徳の極みだからそんなありがたい成仏法を受け取るだけの
徳がない。だからその不足している徳を子孫縁者が積徳をして回向してやらねば
ならないのです。
これが解脱供養の10万円という回向料ですね。
この回向が必要な根拠として桐山さんは盂蘭盆経を出している。
これによると目連の母が餓鬼道に堕ちていた。目連はこれを神通力で救おうと
したが、母親の徳がないためどうしても届かない。
困った目連は釈尊に訴える。
すると釈尊の力をもってしてもそれは救えないとのお答えです。
結局自恣の日に精一杯の供養をしてそれを回向して母親を救ってめでたしめでたしと
いうお話です。
釈尊でも無理だと言っているんですよ。無料だと無理無理。徳の埋め合わせが
できないのだから。
あなたにこの私の反論に対する反論を教えてあげます。
それはこの盂蘭盆経なんてのは大乗仏教ですらない、インド作ですらない
中国か中央アジアあたりで創作された偽作経典だということです。
あなたも指摘しているように無一文の比丘や比丘尼に供養などできるはずがない
矛盾がある。
これを出せば私に反論できます。
その代わり桐山さんの解脱供養もこんな偽作経典を根拠にした作り話であることを
認めたことになる。
どちらを選択しますか?(笑)
- 196 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/02/25(土) 06:06:58
- >>195
どちらも選択しないでいつもの「個人的見解(屁理屈)をこねて終わりor繰り返し」
のような希ガスw (あ、先に回答書いちゃってごめんなさい)
- 197 :準シュダオン:2012/02/25(土)
10:42:00
- >その代わり桐山さんの解脱供養もこんな偽作経典を根拠にした作り話であることを
>認めたことになる。
>どちらを選択しますか?(笑)
釈尊だけを絶対視すれば、管長の解脱供養は創作と言えるかも知れないが、しかし、
テレビなどで、霊能者が死者の霊を、明らかに霊視している場合がある。
しばらく前に観たテレビを覚えています。霊能者が鑑定依頼者に問いながら話してました。
霊能者「御両親は?」
依頼者「両方亡くなっています。」
霊能者「そうですね。お母さんが先に亡くなっていますね。死因は乳がんですね。」
依頼者「そうです。」
霊能者「お父さんの横に大きなボトルが見えます、焼酎の大五郎でしょう?」
依頼者「そうです。」
と、いうような番組を今でも覚えています。これをどう考えるべきか。
霊能者は、仏壇に供養として、りんごをお供えしなさい、とか指導するのであるが。
管長の解脱供養をインチキとするのならば、この霊能者もインチキとせねばなるまい。
公平に扱わねば理性的判断とはいえないね。
私は、管長もテレビの霊能者も、私の経験上、本当だろうと信じているのです。
- 198 :Boo:2012/02/25(土)
10:46:07
- >その代わり桐山さんの解脱供養もこんな偽作経典を根拠にした作り話であることを
>認めたことになる。
>どちらを選択しますか?(笑)
準シュダオンさんの代わりに反論しましょう。
『だから私(準シュダオン)は解脱供養で無駄な出費もしない代わりに、アゴン宗も
やめません。』(きっぱり)
- 199 :準シュダオン:2012/02/25(土)
11:10:51
- >浄められた聖者シュダオンの条件は霊障を解き不成仏霊を成仏させ霊的不浄から
>離れた境地を示しています。
>それを成し遂げたのが預流果シュダオンではないですか?
「輪廻する葦」P266をよく読んでください。三結について、
「わが宗では、第二第三はほとんど断じている。ただ第一の身見の断じかたが足りない。
これが断じられたら、みなシュダオンだ。みんな預流で、聖者の流れに入る。」
と、書いてあるでしょう。今から三十年も前の著書ですよ。
霊的に清められた聖者、シュダオンは、三結煩悩を断った者です。いくら解脱供養を
したとて、身見(我見)を断つ修行をせねば、シュダオンには成れないのです。
また逆に、大した霊障を受けていなければ、解脱供養1〜2体と少なくても、
我見を断ってシュダオンに成るのは可能だと思いますね。
ラシンさんがね、身見(我見)の説明について、管長は余計な意味まで勝手に
付け加えて説明している、とかレスしてたけど、見当違いですね。
十結煩悩は、煩悩の数が十個あるということではなくて、沢山の煩悩の数を、
十種類に分類したものです。だから、第一番目の身見は、第一番目のグループ
の煩悩のシンボルに過ぎないのです。身見に付随した煩悩が沢山ある、という
ことです。自己中心の見解とか、因果を認めない邪見とかね。
身見(我見)を断つ修行を真剣にしてこないから、そういうことが解らないのですね。
- 200 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/25(土) 11:36:39
- >管長の解脱供養をインチキとするのならば、この霊能者もインチキとせねばなるまい。
論旨がごちゃ混ぜになると判断を失う。
批判の指摘は、
世の霊力を否定していない。
桐山さんの霊力はインチキである。
釈尊は霊魂を否定した。
桐山さんは霊魂を主張している。
釈尊は死者供養を不要とした。
桐山さんは死者供儀を必要としている。
釈尊は死者成仏は不可能とした。
桐山さんは死者成仏を可能としている。
釈尊の説く道が仏教である。
その道にから外れる桐山さんは外道である。
- 201 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 11:37:18
- >>197:準シュダオン12/02/25(土) 10:42:00
>釈尊だけを絶対視すれば、管長の解脱供養は創作と言えるかも知れないが、しかし、
釈尊が禁止していることを守らないどころか反目逆撫でするかのようなことを
したいのだったら仏教の看板をおろせばよいではないか?
もともと出家すらしていない偽僧侶なんだし。
アゴン宗なんて名乗るのをやめて桐山最高教とでも名乗ればよいのです。
「最高ですかーーーー!!!」
私はシャカを超えた。シャカはつまらん!おまえの言うことはつまらん!
と大滝秀治みたいなことを信者に説明すればついてきます。
仏教の権威を借りて勝手なことを説くよりも罪は重くない。
>霊能者は、仏壇に供養として、りんごをお供えしなさい、とか指導するのであるが。
>管長の解脱供養をインチキとするのならば、この霊能者もインチキとせねばなるまい。
>公平に扱わねば理性的判断とはいえないね。
もちろん仏壇なるものと釈尊は何の関係もないことはわかりますよね。
仏教を離れてみて霊能者なるものを検証するならば、霊能をテレビや書籍などで
宣伝してるからなんて一まとめにした括りをするのではなく
個別な検証が必要とわかりませんか?
このテレビ霊能者も実は番組の構成上出演の相談者の裏をとっているヤラセの
可能性もあります。
しかしこれが本当の透視ならば、このテレビ霊能者さんの方は本物でも
桐山さんの方はインチキである可能性もありますよね。
だって桐山さんってテレビみたいに衆人環視の条件で本人しか知らないことを
言い当てるなんてしないではないですか?
彼の著書の中の登場人物だけの話ですよ
。
して本当に桐山さんの面接を受けたなんて人はそんな奇跡的な透視などされていない。
つまり著書の例は桐山さんの小説なんですよ。
それから桐山さんは仏壇にりんごを供えればよいなんて指導しません。
俺が焚く成仏法の護摩で供養して解脱成仏せねばあなたの苦悩は解決しない、
だから回向料10万円を払いなさいとする。
透視だけでは駄目で別の特殊な霊能力が必要だと説くところもテレビ霊能者さんと
異なりますし。
- 202 :Boo:2012/02/25(土)
11:40:10
- >釈尊だけを絶対視すれば、管長の解脱供養は創作と言えるかも知れないが、しかし、
>テレビなどで、霊能者が死者の霊を、明らかに霊視している場合がある。
へ〜どんな場合?
>霊能者「御両親は?」
>依頼者「両方亡くなっています。」
>霊能者「そうですね。お母さんが先に亡くなっていますね。死因は乳がんですね。」
>依頼者「そうです。」
>霊能者「お父さんの横に大きなボトルが見えます、焼酎の大五郎でしょう?」
>依頼者「そうです。」
おいおい。霊能じゃなくてもわからんか?TVのやらせかもしれんじゃろ?
この番組に大槻教授出てた?
>管長の解脱供養をインチキとするのならば、この霊能者もインチキとせねばなるまい。
>公平に扱わねば理性的判断とはいえないね。
TVのやらせ番組程度の信用度なんですね、桐山センセって。
>私は、管長もテレビの霊能者も、私の経験上、本当だろうと信じているのです。
はい、「外道の林」。ごくろうさん。
- 203 :準シュダオン:2012/02/25(土)
11:43:42
- >我とは仮我であり悪因縁の支配下にあるものであり霊障の影響があるのだ。
>それをオシエだけで断てると思うか?
霊障は個人差があるのですから、自分の境遇と懐具合をよく考えながらすればよし。
>だから預流向こそ霊魂無記ではなく、霊魂に目覚めよと啓蒙が必要なことがよく
>わかるでしょう?
預流向は、我見が断てていないので、霊魂の説明を受けても自己中心に考え、
勝手に誤解釈して、それを正しいと思い込んでしまいます。そして見惑の林に
迷い込んでしまう。解脱には逆効果になってしまいます。
だから、預流向には無記がよろしいのです。
仏教では、輪廻の主体として霊魂的なアラヤ識などを考えた唯識派など、あった
ようですが、釈尊は、慢・タンハー、が輪廻の原因としていますね。
慢・タンハーを抱く主体は、「心」であり、それは「自我」でしょう。
この場合の「自我」とはアートマン(仏教定義の)のことではありません。
BOOさんは、百科辞典などの一般的なアートマンの意味ではなくて、仏教的な意味での
アートマンにしてほしいね、仏教の議論をしているのだから。そうしないと議論が
すれ違う。
で、釈尊の説くところによれば、「煩悩の主体=心・自我」が輪廻の主体という
ことになると思うがどうか?
で、煩悩を離れた自我こそが、涅槃に入るのであり、それは仏性の開花であり、
もはやそれを自我とは呼べないね、如来と呼ぼう。
- 204 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/25(土) 11:45:08
- >ラシンさんがね、身見(我見)の説明について、管長は余計な意味まで勝手に
付け加えて説明している、とかレスしてたけど、見当違いですね。
>>58:ラシン ◆xvojmuQ90o:2012/02/18(土) 10:57:24
>>桐山さんは、この解説を一応認めつつさらに独断を加えています。
>>それは唐突に、身見とは因縁の道理、因縁化合の法則を理解しない
>>煩悩と決め込み、それが自己中心的考えであるとしている。
(阿含経講義上巻163頁)
- 205 :準シュダオン:2012/02/25(土)
11:52:15
- >で、釈尊の説くところによれば、「煩悩の主体=心・自我」が輪廻の主体という
>ことになると思うがどうか?
管長は、「間脳の一部に霊魂が宿る場があり、それが心を操作する」と、説明して
います。と、いうことは、心・自我の本体は間脳に宿ることになりますか。
この辺りになると、見惑を断った預流果の聖者でないと、見惑の林に迷うのです。
- 206 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 11:52:31
- >>198:Boo12/02/25(土) 10:46:07
>『だから私(準シュダオン)は解脱供養で無駄な出費もしない代わりに、アゴン宗も
>やめません。』(きっぱり)
私(準シュダオン)は永遠に準シュダオンと名乗り、預流向であり続けることを
誓い、間違っても預流果、シュダオンなどにはなりません。
なぜなら解脱供養を続ける金もやる気もないからです。
霊的不浄を抱えたままのヨルコーですよ。
準シュダオン?いや、シュダオン未満は全部準にしたのですよ。
日大三高が優勝高ならば予選の初戦で負けた高校も準優勝という考えですね。
しかし正確には預流向でもないですね。
だって向かってないですもん。
立ち止まってばかりいるばかりか反対方向に逃げているのですから。
死んだら三悪趣に堕ちるかもしれません。
そしたら万歳をします。
預流果を得ないと悪趣に堕ちないことを証明してみせたようなものですから。
- 207 :Boo:2012/02/25(土)
11:52:51
- >BOOさんは、百科辞典などの一般的なアートマンの意味ではなくて、仏教的な意味での
>アートマンにしてほしいね、仏教の議論をしているのだから。そうしないと議論が
>すれ違う。
すれ違っているのはあなたの脳みそです。
>で、釈尊の説くところによれば、「煩悩の主体=心・自我」が輪廻の主体という
>ことになると思うがどうか?
>で、煩悩を離れた自我こそが、涅槃に入るのであり、それは仏性の開花であり、
>もはやそれを自我とは呼べないね、如来と呼ぼう。
はあはあ。明らかに釈尊の教法と違うことを記述しています。
外道凡夫の完成ですね。ごくろうさん。
- 208 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/25(土) 12:06:47
>慢・タンハーを抱く主体は、「心」であり、それは「自我」でしょう。
この場合の「自我」とはアートマン(仏教定義の)のことではありません。
>>160に掲示した中村博士の解説が、
釈尊の思想をよく解き明かしています。
釈尊は、アートマン(霊魂)を認めず、
非我(無我)である自己の浄化を説いた。
非我(無我)である自己は無常だから、
老死するまえに、この世にあるうちに、
生あるうちの自己浄化の完遂を説いたのです。
- 209 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 12:07:06
- >>203:準シュダオン12/02/25(土) 11:43:42
>預流向は、我見が断てていないので、霊魂の説明を受けても自己中心に考え、
>勝手に誤解釈して、それを正しいと思い込んでしまいます。そして見惑の林に
>迷い込んでしまう。解脱には逆効果になってしまいます。
>だから、預流向には無記がよろしいのです。
だから間脳思考を読みなさいと言ったでしょう?
それなら預流向に対して霊魂無記を貫き、預流向が施主となって願い出ることが
なければ、霊的不浄から抜け出せず、永遠に預流向のままで預流果は得られません。
それにガケンをなくして預流向を卒業した預流果以上に対する霊魂に対する意識啓蒙
はどの経典にあるのですか?
経典というのは全て預流向を対象としたものしかないのですか?
そんなことはない。預流向には夢のような大神通力も説いている。
桐山さんによると高度の修行者にしかできない4つの高度の呼吸法である
「止息法」まで雑アゴン経に説かれているのですぞw
- 210 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 12:24:36
- >釈尊は、慢・タンハー、が輪廻の原因としていますね。
>慢・タンハーを抱く主体は、「心」であり、それは「自我」でしょう。
>この場合の「自我」とはアートマン(仏教定義の)のことではありません。
>で、釈尊の説くところによれば、「煩悩の主体=心・自我」が輪廻の主体という
>ことになると思うがどうか?
>で、煩悩を離れた自我こそが、涅槃に入るのであり、それは仏性の開花であり、
>もはやそれを自我とは呼べないね、如来と呼ぼう。
慢、タンハーは煩悩です。煩悩があることが輪廻の原因です。
だから煩悩を離れることだけを考えればよい。
煩悩を抱えた自我なんて想定は無意味であり、自我から離れないと解脱できません。
自我なんて五陰の仮合したものに過ぎないのですから。
どこにも霊魂のことなど示唆されてませんよね。
- 211 :Boo:2012/02/25(土)
12:29:36
- 『輪廻する葦』
人類滅亡の危機と再生を訴える!
いまや、この国の上空を、破滅のカルマが一面に覆い、 それは日に日に厚く、濃くなりつつある。
エントロピーの法則を超える未来社会への指向、 ここに人類存続の思想の原点がある。 シャカの教法を、世界を動かす社会運動にまで
盛り上げようと訴える。
平河出版社
1982年11月20日発行
間脳思考?霊的バイオ・ホロニクスの時代』
ここにきみの未来をひらくイデアとシステムがある!
われわれのこの世界は、新皮質脳が生み出した世界である。
しかし、この世界は、完全に行きづまった。 新皮質脳文明は、まさに崩壊せんとしつつある。 この行きづまりを打破する方法はただ一つ。
霊性の場であり、インスピレーション発現の場である間脳(かんのう)をひらくことだ。
平河出版社
1984年1月10日発行
信者のみなさん。上記2冊で矛盾する内容が書かれている場合、後で出版されているほうが有効です。
準シュダオンさんに騙されないように気をつけましょう。
- 212 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/25(土) 12:47:05
- >この場合の「自我」とはアートマン(仏教定義の)のことではありません。
「仮構されたものには実体はありません。
また、色・受・想・行・識の各要素にも
実体があるとはいえません。
つまり、すべて非我であります。」
「ブッダは、これといって具体的に、また対象的に
客体化して明示するどんなものもアートマンでは
ないといっています。
ブッダはアートマンは存在しないとはいっていません。
人間の五種の構成要素(五蘊)をとりあげ、
アートマンはこれでもない、あれでもないと
いっているだけです。」
「ブッダは、人間存在は非我(無我)であるからと
いって、自己の存在を否定したわけではありません。
むしろ、倫理的行為の主体として、自己の存在を積極的に
肯定していました。」(ブッダの人と思想
中村元 102頁)
- 213 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 13:41:32
- 間脳思考より抜粋
「此の五陰が無くなっても、我執が残っていると、その我執ゆえに、五陰とは異なる陰が
生じて、その存在をひきつづき相続するのである、というのである。
つまり、五陰の生命はなくなっても、異なる陰がうけついで、生命は依然として
存在するというのである。ただし、異なる陰というのであるから、次元の異なる
世界の生命である。」
(127〜128頁)
異陰が来世の五陰を指すのではなく、異次元の陰と思い込みだけで解釈した文証。
これが異陰は語句の読み違いだったと訂正した「教えを説く・中巻」でも
この内容までは訂正されていない。
「異陰とはなにかというと、要するに、霊的ホロンの一種である。霊的ホロンの
ゆがめられた状態である。霊的ホロンがゆがめられ、アンバランスになると、
「霊的障害」を生ずる。その霊障は、ヒト、家庭、そして社会に大きな不幸、災害を
もたらす。」
(128頁)
現世と来世の橋渡しとして捉えた異陰に対してそれのみならず経典にもない霊障の
概念を加えた文証。
「つぎに、「きよめられた聖者」は、いまのべた内的なものだけではなく、
外的にもきよめられなければならないのである。
それはどういうことかというと、自分の持つ「霊的なけがれ」もとりのぜかなければ
ならないということである。
霊的なけがれとは自分にかかわりのある不成仏霊・霊障のホトケのことである。
これをことごとくとりのぞかなければならない。」
(225頁)
シュダオン未満の預流向は霊障を取り除くことを必要とすることを説いた文証。
- 214 :準シュダオン:2012/02/25(土)
13:44:54
- >きづまった。 新皮質脳文明は、まさに崩壊せんとしつつある。 この行きづまりを
>打破する方法はただ一つ。
霊性の場であり、インスピレーション発現の場である
>間脳(かんのう)をひらくことだ。
>平河出版社
>1984年1月10日発行
私は、原発事故などを思うと、管長のいうとおりだと思うね。間脳を開けば原発など
止めて新エネルギーの開発に行く。だが、新皮質脳はまだ原発を断念せず、ベトナム
に売ろうとしている。宇宙ではごく近所の、イトカワあたりを往復した程度で高い
技術だと勘違いしている。息絶え絶えでも、好運にも、ハヤブサは帰還したから。
BOOさんは、過去世の記憶のところで、他人の生涯という良い指摘をしたので、
少しだけ補足しておきます。管長は、信徒の目を見て、その過去世が解る、と、
話したことがあります。だから私は、輪廻の際は記憶も繰り越していくのであろう
と考えた。また、前世を記憶している、勝五郎の物語を管長は本に書いてるしね。
やはり人は、自分のいくつもの生涯を何処かに記憶してると思われます。
釈尊は、知らない事は、そこへ意識を向けると神々が教えてくれると、何処かで
説いてたと思う。「他人の生涯」を知る天眼智はそれではないか、とも思う。
パソコンを例にすれば、知らないことをネットで検索して知るのが天眼智で、
保存している自分のファイルを開いて知るのが、自分の過去世を知る宿命智かと。
煩悩があるうちは、過去世が入っているファイルを開けないのであろうと考えます。
- 215 :Boo:2012/02/25(土)
14:00:05
- >>214
おいおい、人が別件で引用した本の紹介文を全然関係ない別のレスに使うなよ。
すれ違い脳みそさん。
- 216 :準シュダオン:2012/02/25(土)
14:03:03
- >霊的なけがれとは自分にかかわりのある不成仏霊・霊障のホトケのことである。
>これをことごとくとりのぞかなければならない。」
ですから、不成仏霊・霊障のホトケの影響を受けている人には、個人差があるわけ
です。現世で考えても、多くの如何わしい人物と交際している人も居れば、そうで
ない人もいる。多くの霊障のホトケと交際している人も居れば、霊障のホトケなど
1体も付き合いのない人が居るかもしれない。
要は、自分の境遇を考えて判断したら良いのだと思います。
人生が絶好調の時に、「あなたは霊障を受けています」なんて言われても信じない
でしょう?余計なお世話、いらないよ、と、なります。
- 217 :準シュダオン:2012/02/25(土)
14:07:49
- >おいおい、人が別件で引用した本の紹介文を全然関係ない別のレスに使うなよ。
>すれ違い脳みそさん。
あまりケチくさいこと言うんじゃないよ。そういうのを、吝嗇煩悩と言う。
レスは、いかようにも利用される場合があると、覚悟すべし。
- 218 :準シュダオン:2012/02/25(土)
14:14:33
- >ブッダはアートマンは存在しないとはいっていません。
人間の五種の構成要素(五蘊)をとりあげ、
アートマンはこれでもない、あれでもないと
> いっているだけです。」
何か、この説明↑を読むと、岩波仏教辞典のアートマンの定義と違うところ
があるように感じますね。
- 219 :Boo:2012/02/25(土)
14:14:46
- >BOOさんは、過去世の記憶のところで、他人の生涯という良い指摘をしたので、
>少しだけ補足しておきます。管長は、信徒の目を見て、その過去世が解る、と、
>話したことがあります。だから私は、輪廻の際は記憶も繰り越していくのであろう
>と考えた。また、前世を記憶している、勝五郎の物語を管長は本に書いてるしね。
>やはり人は、自分のいくつもの生涯を何処かに記憶してると思われます。
>
>
>釈尊は、知らない事は、そこへ意識を向けると神々が教えてくれると、何処かで
>説いてたと思う。「他人の生涯」を知る天眼智はそれではないか、とも思う。
>パソコンを例にすれば、知らないことをネットで検索して知るのが天眼智で、
>保存している自分のファイルを開いて知るのが、自分の過去世を知る宿命智かと。
>煩悩があるうちは、過去世が入っているファイルを開けないのであろうと考えます。
この人ってどういう頭の構造してるのかしら?
曖昧な記憶の前提で曖昧な仮定の結論を出す。その結論に説得力があるとでも思っているんでしょうか?
頭の悪い人だこと。
- 220 :Boo:2012/02/25(土)
14:19:18
- >あまりケチくさいこと言うんじゃないよ。そういうのを、吝嗇煩悩と言う。
>レスは、いかようにも利用される場合があると、覚悟すべし。
別にケチで言っているわけではないが・・・あまりにも論点がずれているので
呆れています。
- 221 :準シュダオン:2012/02/25(土)
14:40:59
- >ブッダはアートマンは存在しないとはいっていません。
人間の五種の構成要素(五蘊)をとりあげ、
アートマンはこれでもない、あれでもないと
> いっているだけです。」
何か、この説明↑を読むと、岩波仏教辞典のアートマンの定義と違うところ
があるように感じますね。
私が持つ仏教辞典には、アートマンについて、次のように説明されています。
「我見」の項、長い説明なんで、要点を引用。
「・自我は永続し、決して変化しない。単一の実体で、個人の中にある主体と
して自らを支配するものであると、仏教では解釈し、ゴータマ・ブッダを始め、
小乗・大乗のすべての学派が実体としての自我の存在を否定している」
と、説明していますよ。ここでの自我とは、アートマンのことです。
中村元先生の説明と違うようではありますけど、
中村先生の、「ブッダはアートマンは存在しないとはいっていません」の
このアートマンを、「実体ではないアートマンのこと」だと解釈すれば、
辞典と同じ説明になりましょうか。
- 222 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 15:34:29
- >>216:準シュダオン12/02/25(土) 14:03:03
>ですから、不成仏霊・霊障のホトケの影響を受けている人には、個人差があるわけ
>です。現世で考えても、多くの如何わしい人物と交際している人も居れば、そうで
>ない人もいる。多くの霊障のホトケと交際している人も居れば、霊障のホトケなど
>1体も付き合いのない人が居るかもしれない。
>要は、自分の境遇を考えて判断したら良いのだと思います。
>人生が絶好調の時に、「あなたは霊障を受けています」なんて言われても信じない
>でしょう?余計なお世話、いらないよ、と、なります。
私は桐山本をそのまま引用しただけです。
自分に都合が悪いことを書いてあるからと言って内容に文句があるのならば、
こんなところに来ないで、桐山さんに文句を言いなさい。
桐山さんは霊障の不成仏霊が一体もいない人なんて認めていません。
古くは守護霊を持てにて、どんな家庭にも一体や二体は不成仏霊がいるとして、
いざ解脱供養を始めると、申し込みに応じて1人につき数十体も数百体も霊視して
供養を課しています。
これは申し込み者の責任ではない。
申し込んでも霊障のホトケがいなければ該当なしと十万円ごと返せばよいからです。
それとも霊障もないのに十万円搾取してテキトーな先祖を供養させているのですか?
人生に好不調があるなんて誰にでも当たり前でしょ。
たまたま今が絶好調ならばその人は一生安泰なんて誰が説きますかいな。
絶好調の人には霊障がないなんて説きますか?
現実に桐山さんは申し込み施主万人に1人の例外もなく霊障のホトケを生産している。
- 223 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/25(土) 17:00:44
- >>214:準シュダオン12/02/25(土) 13:44:54
>私は、原発事故などを思うと、管長のいうとおりだと思うね。間脳を開けば原発など
>止めて新エネルギーの開発に行く。だが、新皮質脳はまだ原発を断念せず、ベトナム
>に売ろうとしている。宇宙ではごく近所の、イトカワあたりを往復した程度で高い
マヌケなレスにさらにケチをつけるならば、あなたが言う間脳とやらを開発した
とて原発に替わる新エネルギー開発など間脳にはできません。
間脳が桐山さんが言うように霊性とやらの場としましょう。
するとそれにできることは過去世何代にもわたる記憶の経験知と動物的本能の
危険察知などを駆使して「原発は危険だ。代替エネルギーの開発が必要だ」と
判断を促すくらいが限度であり、その先新エネルギーの開発はお手上げです。
これは物理科学の知識と洞察を必要とする新皮質脳に頼るしかない。
そして原発は危険だなんて察知する能力も新皮質脳の方が確かです。
長嶋茂雄の野生のカンみたいな曖昧な本能よりも、我々の感情、感傷の範囲の
及ばない未来の危険性まで予測可能だからです。
新皮質脳が新エネルギーを作るなんて言ったら、各自のクンダリニーパワーを
間脳経由で自家発電させてそれを結集して家庭に電気を灯し、工場を動かすなんて
お笑い話にしかならない。
原発を発展途上国に売るのは欲ならば、欲に溺れていては危険だと教えるのも
新皮質脳の理性と知性です。
- 224 :Boo:2012/02/25(土)
20:03:37
- >>206
面白すぎ。はらいてー。
- 225 :Boo:2012/02/25(土)
20:12:47
- しかし、準シュダオンさんって、すごい人ですね。
間脳思考の紹介文をまるで初めてみたように感動してるみたいだし、本の中身読んで
ユビキタスさんに反論を試みようともしてないみたいだし・・・
ホントに三悪趣に落ちたら万歳しそうじゃね?
- 226 :sati:2012/02/25(土) 23:25:59
- 私は、30年前に阿含宗を退会した者ですが、準シュダオンさんがかなり可笑し
なことを言い続けているので書き込むことにしました。
深山さんの話など聞くと、10年近くもこんな有様とのことで、少し可哀想な気
もします。中村元先生の訳された岩波文庫などの仏典をよく読めば、仏陀の言
わんとしている事は、因果律を説く者は自己を説いてはならない、即ち主体の
存在を明確に示してはならないことが読み取れなければなりません。しかるに
準シュダオンさんは、主体に拘泥しています。私は、若き日の麻原とも交流が
ありましたが、もし準シュダオンさんが正しく桐山の主張を理解して述べてい
るのだとすれば、桐山と麻原とは同じ穴の狢であることは、賢明な方なら明ら
かでしょう。また、準シュダオンさんの主張が独自のものだとすれば、あなた
の見方はプッガラ(プドガラ)派や説一切有部の見方と一緒で、外道とは言わ
ないまでも、仏陀の教えを正しく理解しない滅ぼされた人たちの仲間といえる
でしょう。
仏教事典を引き引き考えるのを否定しませんが、自己、自我といっても、仏陀
の教えは対機説法であり、ステレオタイプに読んでいては、道を踏み外してし
まいます。
それが、あなたが阿含宗に残っている原因なのかもしれませんが。
- 227 :準シュダオン:2012/02/26(日)
11:51:52
- >マヌケなレスにさらにケチをつけるならば、あなたが言う間脳とやらを開発した
>とて原発に替わる新エネルギー開発など間脳にはできません。
間脳には開発は出来ないけど、進む方向を間違えない、ということです。
- 228 :準シュダオン:2012/02/26(日)
12:08:32
- >危険察知などを駆使して「原発は危険だ。代替エネルギーの開発が必要だ」と
>判断を促すくらいが限度であり、その先新エネルギーの開発はお手上げです。
>これは物理科学の知識と洞察を必要とする新皮質脳に頼るしかない。
進む方向さえ判断できたら、現在の新皮質悩の能力で、十分に原発の代替エネルギー
の確保は可能だ、ということです。日本は資源が少ないというのは嘘でしょう。
海洋資源、山の位置エネルギーなどは豊富にある。川も豊富にある。
水力発電をするにしても、川を堰きとめるダムの必要はない。
例えば、川のセンターラインに高いコンクリートの塀を建てる。そして川の
半分だけを塞き止めたダムにすれば、川は死なないし、発電も可能だろう。
私でさえ、この程度のアイディアは出る。原発を50基もつくる能力を、他の発電
開発に向けさえすれば、代替エネルギーは可能でしょう。
- 229 :準シュダオン:2012/02/26(日)
12:22:35
- >私は桐山本をそのまま引用しただけです。
>自分に都合が悪いことを書いてあるからと言って内容に文句があるのならば、
>こんなところに来ないで、桐山さんに文句を言いなさい。
私は、都合が悪いこともないし、文句もないです。ただ、管長の同じ本を読んでも
ユビさんの受け止めかたと、私の受け止めかたが、かなり違います。
そりゃ、どの家庭でも霊障のホトケ、1体や2体は抱えているでしょう。
でも私はユビさんほど深刻には受け取らないね。今日、明日の命を保障されている
人は1人もいないのですからね。深刻に考えてはキリがないです。
自分の生活を脅かすほどに、解脱供養をしたのではやり過ぎだと思います。
- 230 :準シュダオン:2012/02/26(日)
13:07:37
- >私は桐山本をそのまま引用しただけです。
>自分に都合が悪いことを書いてあるからと言って内容に文句があるのならば、
>こんなところに来ないで、桐山さんに文句を言いなさい。
管長は「間脳思考」本に、
「シャカ仏教の根本はなにかというと、この異陰の解決なのである。」
と書いていますが、異が与の読み違いであったとしても、説いている本質は変らない
と思いますよ。慢が次の生を作るということは変らないわけですからね。
管長は、「慢→異陰→五陰(新しい生)」と、考えていたそうで、だから異陰を
解決するということは、慢を断じること以外にないわけで、それがシャカ仏教の
根本であることには変りありません。
釈尊は仙尼に対しては、慢→新五陰、というように、通常の輪廻の場合を説いた
わけで、その他に肉段や鳥獣に突かれる霊の存在も認めているわけで、それにつ
いては管長のように詳しくは説かなかった、というだけです。
悲惨な死に方とか、犯した罪障によっては輪廻できない霊障のホトケはいるのでしょう。
- 231 :Boo:2012/02/26(日)
15:09:05
- >例えば、川のセンターラインに高いコンクリートの塀を建てる。そして川の
>半分だけを塞き止めたダムにすれば、川は死なないし、発電も可能だろう。
>私でさえ、この程度のアイディアは出る。原発を50基もつくる能力を、他の発電
>開発に向けさえすれば、代替エネルギーは可能でしょう。
頭の悪い新皮質脳ですね。くだらないことしか思いつかないんですね。
しかし、重要な問題定義が潜んでいます。
>>マヌケなレスにさらにケチをつけるならば、あなたが言う間脳とやらを開発した
>>とて原発に替わる新エネルギー開発など間脳にはできません。
>
>間脳には開発は出来ないけど、進む方向を間違えない、ということです。
記述は前後しますが、「進む方向を間違えない」という一文です。
間脳を開発した桐山センセイを見てみましょう。
宗教詐欺と愛人問題。まさに金と女です。まじめな日本人ならば間脳など開発していなくても
自重で、方向性を誤らない問題が次々と発覚しています。
間脳を開発すると方向性を誤らないのか、間脳を開発していない桐山センセイだから
方向性を誤るのか、準シュダオンさんはどちらを選びますか?
- 232 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/26(日) 20:56:29
- >>229:準シュダオン12/02/26(日) 12:22:35
>私は、都合が悪いこともないし、文句もないです。ただ、管長の同じ本を読んでも
>ユビさんの受け止めかたと、私の受け止めかたが、かなり違います。
>そりゃ、どの家庭でも霊障のホトケ、1体や2体は抱えているでしょう。
いま何を問題にしてるかわかるでしょうか?
釈尊が霊魂の重要性を説いた言行録があるか?
むしろその逆を説いたことに対してそれを覆す発言はあるのか?という命題ですよ。
桐山さんは霊魂救済こそ仏教の大眼目だと説いている。
しかし釈尊は無記を示し、霊魂の話をするのを完全に否定している。
この矛盾を埋めよという命題です。
しかし準シュダオンさん、もういいですよ。
実はあなたの↓が桐山アゴン宗ではない本当の仏教としては正しいのです。
>>199:準シュダオン12/02/25(土) 11:10:51
>「輪廻する葦」P266をよく読んでください。三結について、
>「わが宗では、第二第三はほとんど断じている。ただ第一の身見の断じかたが足りない。
> これが断じられたら、みなシュダオンだ。みんな預流で、聖者の流れに入る。」
>と、書いてあるでしょう。今から三十年も前の著書ですよ。
>霊的に清められた聖者、シュダオンは、三結煩悩を断った者です。いくら解脱供養を
シュダオンとは三結という煩悩を断った人をいいます。
それしかありません。
どこにも霊的不浄だの霊的浄化なんて話は出て来ない。
桐山さんの勝手な説です。
私らは桐山説と異なる準シュダオン説などに興味はない。
そんなものはレスを付ける価値もない。
我々が否定しているのは桐山さんの説だけなんです。このスレでは。
- 233 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/26(日) 22:03:40
- >>230:準シュダオン12/02/26(日) 13:07:37
>管長は「間脳思考」本に、
>「シャカ仏教の根本はなにかというと、この異陰の解決なのである。」
>と書いていますが、異が与の読み違いであったとしても、説いている本質は変らない
>と思いますよ。慢が次の生を作るということは変らないわけですからね。
そのとおりです。
仙尼経ならぬ第一義空経に異陰という用語もあるように、異陰であってもなくても
意味は変わりません。
すなわち異なる陰とは現世の五陰が死によってなくなるが、慢があるために
また来世で現世とは異なる五陰を集めて再生するということです。
前世の藤蔵という子どもの五陰と、現世の勝五郎という五陰は異なるでしょ?
同一のはずがない。
だから五陰崩壊して次の五陰が再生されるまでに繋ぎとして存在する六番目の
特殊な霊魂体としての陰なんて考える必要がないのです。
そう考えるのは桐山さんの思い込みと言うよりも、最初から意図あって
どこかに霊魂はないかと厳正さを欠く色眼鏡で見て強引に霊魂にしてしまったのです。
仏教の基本がわかっていれば、こんな無理なことはしません。
- 234 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/27(月) 11:16:06
- >その他に肉段や鳥獣に突かれる霊の存在も認めているわけで、それにつ
いては管長のように詳しくは説かなかった、というだけです。
悲惨な死に方とか、犯した罪障によっては輪廻できない霊障のホトケはいるのでしょう。
桐山さんも、余罪を理解できなかったようです。
つぐなってもまだ余りある罪で今もなお、
地獄で苦しんでいるさまです。
それが、釈尊にも大目連にも見える、
との意味であって、地獄を卒業して
どこかでふらいついているわけではありません。
前世での業で輪廻した先の地獄で苦を受けている。
霊障を出して暴れまわれるほど力があるなら、
地獄のごく卒どもも手に負えないでしょう。
- 235 :準シュダオン:2012/02/27(月)
12:47:35
- >そう考えるのは桐山さんの思い込みと言うよりも、最初から意図あって
>どこかに霊魂はないかと厳正さを欠く色眼鏡で見て強引に霊魂にしてしまったのです。
>仏教の基本がわかっていれば、こんな無理なことはしません。
そう疑った見方だけでなしに、単純に死後の「慢」を霊魂と呼んでもいいわけでしょ。
慢は「心のはたらき」なわけですからね。それが胎児に宿って新たな五陰を形成する
というのでしょう。
管長の考えは、間脳に霊性の場があって、そこに霊魂が宿り、それが心を操作する、
というものです。その霊性の場に、霊障のホトケの霊魂が憑く場合があり、それが
本来の霊魂に悪影響を及ぼしている場合があると。そういう場合は解脱供養をして、
霊障のホトケの霊魂を追い払わねばいけない、と、それが管長の教えでしょ。
だから、霊魂があると説き、霊魂を信じて解脱供養しているのだから、宗教詐欺に
はならないのです。霊魂がないと信じてるのに、あるかの如く葬儀や法要をする
ことこそが、詐欺宗派、なのです。
- 236 :準シュダオン:2012/02/27(月)
13:16:18
- >シュダオンとは三結という煩悩を断った人をいいます。
>それしかありません。
>どこにも霊的不浄だの霊的浄化なんて話は出て来ない。
>桐山さんの勝手な説です。
だから、霊障を受けている人は三結を断じる修行に入れない、というのが管長の
教えなわけですよ。霊障を受けている人は修行どころか、普通の生活さえおぼつかない
というのでしょ。だから霊的清めが必要だ、と。そういうのは釈尊が説こうが、
説くまいが関係なく、自分で判断したら良いのです。
>私らは桐山説と異なる準シュダオン説などに興味はない。
>そんなものはレスを付ける価値もない。
私には自分の説などないよ、だから我説を唱える力もない。私は管長の説を
通訳してるだけのつもりです、間違いもあるだろうけどね。
批判派は、管長の教えを正しく解釈できていない、と思うから通訳してるのです。
一つ例を挙げれば、「欲」の解釈についても、批判派は間違えてます。
釈尊は「聖なる欲」を説いています、「聖ならざる欲」も説いてます。
だから、私が「健全な欲」は必要だ、とレスしたときは、釈尊や管長の教えを
受けて、それを橋渡ししてるに過ぎません。私の説ではないのです。
岩波仏教辞典で「欲」を引いてご覧なさい。「善欲」や「悪欲」の語も出ています。
持っていけないのは「悪欲」なのです。
また、少欲知足が奨励されるのは、出家者に対してです。
- 237 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/02/27(月) 13:33:02
- >そう疑った見方だけでなしに、単純に死後の「慢」を霊魂と呼んでもいいわけでしょ。
慢は「心のはたらき」なわけですからね。それが胎児に宿って新たな五陰を形成する
というのでしょう。
チベット死者の書、バルド(中有)の49日間における死者(魂)の
行き先を迷わせないための呪術と変わらない。
クリアライトを認識できずに、さ迷う魂は現世で我が強くても、
その際には恐ろしく素直で聴力も何倍にも働いて聞こえるそうです。
現世で心が清められなくても、死後の魂がおとなしくなって、
グルの導きの言葉に素直に従う、霊障などあっと飛んでゆくに等しい。
もちろん釈尊が、そんなおろかな死者成仏など説いてません。
為した業によってその者の行く先が決まる。
慢が単独行動するわけもありません。
慢が「心のはたらき」なら、陰とともに生じてそれが機能する。
「陰と與(とも)に相続し生ず」のとおりです。
慢だけがふわふわと胎児に宿るなど、桐山説にもない。
桐山説の霊障ホトケの罪過を進まねば、教団の美辞ネスは成り立たない。
- 238 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/27(月) 13:34:49
- >>235:準シュダオン12/02/27(月) 12:47:35
>そう疑った見方だけでなしに、単純に死後の「慢」を霊魂と呼んでもいいわけでしょ。
>慢は「心のはたらき」なわけですからね。それが胎児に宿って新たな五陰を形成する
>というのでしょう。
いや、慢の心のはたらきをもった仲介の媒体なんてごまかしても駄目です。
仲介の媒体について考えてはならないのです。
あくまでも現世において慢を残したままで終わったので来世に生まれるとそれだけです。
>管長の考えは、間脳に霊性の場があって、そこに霊魂が宿り、それが心を操作する、
>というものです。その霊性の場に、霊障のホトケの霊魂が憑く場合があり、それが
>本来の霊魂に悪影響を及ぼしている場合があると。そういう場合は解脱供養をして、
>霊障のホトケの霊魂を追い払わねばいけない、と、それが管長の教えでしょ。
すっかり議論のテーマを忘れてしまったようだが、その桐山霊障論と実践は
釈尊が取り合うなと否定したものであることを示しているのです。
桐山さんの教えは、世の中広うこざんして、中には霊が祟っている例もあろうか
と霊障除去の法も示したのではなく万人が万人霊障があるからと、教義実践の
根幹に据えて、これが仏教の本懐としたのですよ。
現実にはそんな例は一例もないが、中には霊障が一体もいない施主というケースが
あるとしてもほんの例外でしょ?
大多数は霊障を解かねば解脱はないとしたのです。
それならば釈尊も霊魂の問題に対して無記でいるはずがない。
ましてや修行に役立たないとまで切り捨てている。
ここまで断言したら時・処・人による応病与薬の方便的表現だでは通らない。
- 239 :Boo:2012/02/27(月)
16:45:31
- >236 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/02/27(月) 13:16:18
>>シュダオンとは三結という煩悩を断った人をいいます。
>>それしかありません。
>>どこにも霊的不浄だの霊的浄化なんて話は出て来ない。
>>桐山さんの勝手な説です。
>
>だから、霊障を受けている人は三結を断じる修行に入れない、というのが管長の
>教えなわけですよ。霊障を受けている人は修行どころか、普通の生活さえおぼつかない
>というのでしょ。だから霊的清めが必要だ、と。そういうのは釈尊が説こうが、
>説くまいが関係なく、自分で判断したら良いのです。
シュダオンとは清められた聖者であり解脱供養で「霊障無し」と桐山センセのお墨付きが
あるまで解脱供養しなければならない、というユビキタスさんのレスに対して、あなたは
当初、シュダオンの条件は三結を断つことだ、と言って、「輪廻する葦」の根拠を示して、
主張をしていたんじゃないですか?
あなたがなぜ、シュダオンを「清められた聖者」とせず「三結を断じた聖者」と主張したか
というと、シュダオン未満には
>182:準シュダオン12/02/24(金)
14:23:11
>身体と霊魂の関係を、預流向に説いても、見惑の林に迷い込む状態になるので、
>釈尊は説かなかったのでしょう。また、預流果以上になると、身体と霊魂の関係が
>解ってくるので、そういう聖者は質問さえしなかったのでしょう。
>だから、霊魂について考えるな、と説いた相手は、預流向なのでしょう。
という。つまり、釈尊が霊魂について考えるなという対象の相手のシュダオン向は
それを言うと混乱するからだ、と主張していました。
だから釈尊は預流向未満に霊的浄化の必要性を説かなかった。しかし預流果には「身体と霊魂
の関係が解ってくるので」説く必要もなく、結局「無記」とした、というのが
あなたの当初の主張であったわけです。
で?「間脳思考」を読んで、考えが変わったんですか?釈尊が霊魂を「無記」とした
理由についてあなたが述べていた主張はどこに行ったのですか?
行き当たりばったりに、主張をころころ変えるような無責任なレスは止めなさい。
- 240 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/02/27(月) 19:22:28
- >>236:準シュダオン12/02/27(月) 13:16:18
>だから、霊障を受けている人は三結を断じる修行に入れない、というのが管長の
>教えなわけですよ。霊障を受けている人は修行どころか、普通の生活さえおぼつかない
>というのでしょ。だから霊的清めが必要だ、と。そういうのは釈尊が説こうが、
>説くまいが関係なく、自分で判断したら良いのです。
三結を断じる修行に入れず、三結も断てなかったらえらいこっちゃないですか?
しかも一部のおちこぼれにそういう霊障に憑かれた哀れな奴がいるのではなく
万人が万人霊障があるのです。
だからこの霊障断ちを教えずにいくら三結を断じよなんて説いても無力ではないかー
世の中で自分の不幸の原因は先祖霊の祟りにあるなんて誰が気が付きますか?
こういうのは道しるべを示してあげる必要があります。
無記どころではない。
しかも道しるべだけ示して、あとはテレビに出てる霊能者にでも相談して
解決してから我が門をくぐりなさいなんてことも言うわけがない。
なぜなら桐山さんは死者の怨念を解消して昇天させられるのはアゴン経のみに
説かれたシャカの成仏法を成仏力ごと体得した導師でなければならないとしている。
テレビの霊能者では駄目なんです。
桐山さんに聞いてごらんなさい。
あのテレビに出てた霊能者は少しは霊視能力があるのかも知らんが正しい成仏法を
知らないし、成仏力がない。
だから仏壇にリンゴを供えたくらいで解決するような問題ならば最初から
霊障にも相当しないか、あるいはそれは慰霊供養として一時軽減の効果はあっても
根本的には霊障は解けずシャカの成仏法によるしかないと答えるでしょう。
だからシャカは霊魂を声を大にして叫ぶ必要があるわけですよ。
桐山教義なら。
- 241 :Boo:2012/02/27(月)
19:40:20
- >私には自分の説などないよ、だから我説を唱える力もない。私は管長の説を
>通訳してるだけのつもりです、間違いもあるだろうけどね。
>批判派は、管長の教えを正しく解釈できていない、と思うから通訳してるのです。
>
>一つ例を挙げれば、「欲」の解釈についても、批判派は間違えてます。
>釈尊は「聖なる欲」を説いています、「聖ならざる欲」も説いてます。
>だから、私が「健全な欲」は必要だ、とレスしたときは、釈尊や管長の教えを
>受けて、それを橋渡ししてるに過ぎません。私の説ではないのです。
あなたは自分教です。しかし、すべてがすべてとは言いません、さすがに。時には
桐山節・・・いや説らしきものも述べています。例えば上記のレスはまあ、間違っては
いないでしょう。そういう個所には批判派も突っ込みを入れません。もちろん。
しかし、あなたが反論に窮する多くの議論で、あなたは自分教の教えを説きます。
このことは批判、擁護の別なくだれもが感じています。そこに批判派は「自分教」
と名付けます。
擁護派は桐山アゴン教学でもないので、反論する気にもなりません。
あなたはこのスレでは「お呼びでない」のです。ごくろうさん。
- 243 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/01(木) 11:45:09
- <チベット死者の書、バルド(中有)の49日間における死者(魂)の
行き先を迷わせないための呪術と変わらない。>
無欲・無煩悩だけでは、斉の広場から冥界や霊界へ行けない。
徳という推進力がなければだめだ。
「気は誰れの輪廻転生(生まれ変わり)か」
徳があるならば斉の広場へ行かないで、少なくとも
冥界へ行っているはずです。
須陀オンになって霊界へ行っていなくても、有徳であれば
冥界へ行っている可能性が高いと思います。
解脱供養や冥徳解脱供養によって成仏した霊は、
自分で成仏法を修業したわけではないので、
それだけでは仏界へ行けないが、冥界にまでは行くことができる。
桐山さんは、この”地獄の掟”の章341頁〜で、このように
結論付けています。
この桐山文を読んで、信者さんは不思議に思わないでしょうか。
- 244 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/01(木) 11:45:46
冥界(冥土)とは、岩波仏教辞典によれば死者の霊魂が赴くという
地下の世界です。
いわば閻魔大王が仕切る地獄の世界、判決で三悪趣の冥府魔道へ
配置される最悪の場所です。
それもこの思想は、中国の冥府信仰(太山符君信仰)です。
だがアゴン宗で徳があれば、その冥界へ行けるという。
何たる無知でしょう。
賽の亡者は、冥界に行かれない絶望感を持って地獄谷に墜落するという。
桐山さんによれば、冥界は霊界の前段階で有徳の者が逝ける?
仏教の思想は、涅槃以外は六道への輪廻転生しかない。
この桐山さんのバカらしい妄想小説に信者はいったい、
何年つき合わされて来たのでしょう。
- 245 :Boo:2012/03/01(木)
23:28:18
- 賽の広場のくだりはいかにも想像で描いた三文小説にもなっていないような気がしますね。
信者のころはまるっきり信じていましたが、距離を置いて思い返すと、よくもまあ、
あんな幼稚園児に聞かせるような話を大人に向かって書いたもんです。
- 246 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/02(金) 15:04:59
桐山さんの説くジョウブツリキは、死者の国です。
冥界は、日本神話でいえば有名な黄泉の国です。
イザナギが、死んだ妻のイザナミに会いに行った世界です。
そこでイザナギが見た妻は、腐敗したゾンビのような
イザナミの姿だった。
これは神話だからと言っても、桐山「賽の河原物語」の
原型が、黄泉=冥界なのです。
桐山さんがオシャカのジョウブツリキを発揮しても、
「解脱供養や冥徳解脱供養によって成仏した霊は、
自分で成仏法を修業したわけではないので、
それだけでは仏界へ行けないが、冥界にまでは
行くことができる。」
とあるように、冥界止まりだそうです。
信者が一所懸命にお金とタダ働きを捧げて先祖供養や、
冥徳解脱供養をおこなっても、仏界へはいけない。
桐山さんがそう断言している。
霊障のホトケが、黄泉の国でゾンビになっている。
Booさんが述べているように、
桐山「賽の河原物語」は、まともな大人なら笑いこける拙文です。
子供騙しにもならないほどの、見て来たようなウソを言う。
- 247 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/02(金) 16:46:07
桐山さんの信条は、「また稼げばよい」です。
事実この言葉を信者さんたちの前で話したと、
過去ログにあります。
今話題になっている名古屋の道場新設もそうです。
先達信者にノルマをかけて、建立基金を募る。
いったいいくらの金を信者から搾り取る気でいるのでしょう。
「錬成道場」などといっても、脳が強化されるなどありません。
桐山さんから誰が、400字詰め原稿用紙一枚ほどのデンパを
受け取りましたか?
誰もいません。
桐山さんが、預流と唯一認めたという故人の方が数名いたらしいが、
その行き先は冥界、よくて霊界だという。
冥界も霊界も死後中有の世界という、仏教にない観念です。
仙尼経に説かれているのは、「五蘊」が生じるのです。
いわば別の肉体の自分が生じる。
冥界はゾンビのような世界で(日本神話ですが)、
霊界は身体のない待合所のような精神世界です。
そんな世界を得るために、信者はせっせと浄財をつぎこむ?
しかし信者がいくら頑張ろうが、桐山さんには追いつけません。
桐山さんの積んだ徳に、信者は逆立ちしてもかなわない。
桐山さんほど他人を騙してオシャカのための護持宣布が出来るなら、
そこではじめて高い徳積みとなり、グモンジ脳が開花するのです。
伽藍や道場のいくつも一人分の喜捨によって、桐山さんに近づける。
まあ、金額に換算して最低でも何十億円かでしょう、曖昧ですが。
- 248 :準シュダオン:2012/03/02(金)
18:13:08
- >しかし、あなたが反論に窮する多くの議論で、あなたは自分教の教えを説きます。
>このことは批判、擁護の別なくだれもが感じています。そこに批判派は「自分教」
>と名付けます。
私が、反論に窮するなんてことはありません。批判派の信者時代が、カルト的な
信仰であったことは、解っています。カルト信者は教祖に依存してしまう。
そのカルト的な頭脳に、いかに話せば理性的な信仰を持てるのか?
それが難しくもあり、反論するのが馬鹿馬鹿しくもなるね。
それを言っちゃあ、お終めいよ、という寅さんの言葉を、破りたくなるようw。
せっかく、阿含宗に入り、成仏法に縁を付けながら、批判派は我欲信仰ゆえに、
成果を得られず退会している。本当の仏教を知っているのならば、阿含宗批判
などのくだらんレスなどせず、本当の仏教を実践したらよかろうに。
批判派が、本当の仏教など知ろう筈もない。知ってたらこんな板にいないだろう。
勝手な我欲信仰をして、うまく行かなかった不満を、書いてるだけですね。
こういう批判アホレスにも、影響を受ける現役信者さんが、いないとも限らない。
元々宗教なんて非科学的な馬鹿げた教えなのだから、頭から信じるのはどうかして
いる。自分の体験を、自分の島にすることだね。
自分の体験もなしに、他人の教説を鵜呑みにするなんて、私には考えられないね。
たとえそれが釈尊の教えでも、私には↑ですよ。
- 249 :干柿:2012/03/02(金)
22:21:32
- お言葉ですが阿含宗に成仏法などありません。(鵜呑みにしないことを学んだ結論ですw)
桐山ゲイカの受け売りはやめていただきたい
ほんとうの仏教を実践する、あるいはしようとする。学んでみる、比較検証
してみる(他宗派、宗教などなど、)また、カルト問題、オセロ中島さん等の
話題等
そのような事柄をやってればこその批判ですね。あまりにも阿含宗は問題
ありすぎる。いまだに悩んでいる信者もいる阿含宗はおかしいと気づきながら
やめられない人もいる。そのような人々にたいして情報を提供する。
そのようなことも本当の仏教の実践でしょうが!
何をいわんかですね。
>頭から信じるのはどうかしている。
そうです、だからこそ、「こんな板」が必要なんです。
あなたは批判アホスレなどというが、そもそも人の話(批判者も擁護者というか
阿含宗信者の阿含教学も)を聞く気もないし理解しようともしていないでは
ありませんか、自分の体験とかいうが自分の妄想でしょ
私に言わせりゃ妄想の垂れ流しですよあなたは
なるほど他人の教説を鵜呑みにしないってのは自分の妄想にはまりこむことなんですね。
なにが教説を鵜呑みだ!勉強して考え結論をだすことと鵜呑みってのは
まったく違うこと!
だいたい、ここの批判者は元信者で、それも深く阿含宗に傾倒していた者たち
ばかりです。阿含宗の教説を学び信じていた、そんな人たちが視野を広く持って
教団の外の仏教を学んでみた結論を論じているわけで、鵜呑みとは
まったく違うのですよ。なにバカいってんだか、いいかげんにしろってのw
- 250 :akb55:2012/03/02(金)
23:14:51
- >248勝手な我欲信仰をして、うまく行かなかった不満を書いているだけですね
私たちは真摯に法を求めていたのです。それをことごとく裏切ったのは桐山さんです。
例えば密教占星術です。伝法会で手が痛いのも厭わずに必死で書いた奥伝が、実は
九星術の中伝だった、どれほどガッカリしたことか。あなたの様なだらだらした
信者には判る訳がなかろう。
- 251 :名無しさん:2012/03/03(土)
10:18:04
- {わたくしが阿含宗を辞めた理由}
1.薬指を天空に指差し・・・
「天上天下唯我独尊」
いや、間違えました。。。
仏陀解脱宣言した桐山が世紀末世界壊滅秒読み段階から
女性信者と影でコッソリいちゃいちゃお付き合いしていた事実を
知ってしまった為。
2.自称因縁透視プロ仏陀因縁解脱宣言した桐山が自分の未来がわからず
大大運気の晩年に悪因縁をバンバン出した現象を目の当たりに見せられた為。
脳梗塞→認知(脳障害の因縁)
女遊び→愛人裁判(色情の因縁)
この二つが大きな理由です。
- 252 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/03(土) 12:05:11
- >せっかく、阿含宗に入り、成仏法に縁を付けながら、批判派は我欲信仰ゆえに、
桐山アゴン宗にあるのは、成仏ホウという宗教用語だけです。
その中身など何もありません。
「せっかく」、仏縁がついて道品法を知っても中身を知らない。
八正道だといまだに気づかず、デンパ受信がホウだと言われ、
耳をダンボにして虚空を見上げているだけだから、ホウに阿が
ついた貴重品です。
桐山さんは僧侶ですらないのに、他国からアジャリ称号を
購入してニセモノ密教で金を集めています。
宗教法の保護下で詐欺を働いているのですから、
こんな悪行は批判されて当然です。
だが、
解脱成仏を謳って金集めをしても、桐山さん自身いつでも
開き直れる証拠を作っています。
桐山さんは仏教でいう解脱を掲げて金をもらっていない。
死者成仏は仏教思想にはなく、仏界へも行けないと、
堂々と著書に残しているのですから、詐欺罪への弁明もできる。
桐山さんがいつ仏教でいう涅槃を獲得できると言いましたか。
言ってはいません、因縁解脱が涅槃だというのだから、
仏教ではないから最後は開き直るでしょう。
ただ、
知性を麻痺した信者が勝手に、誤解し信じただけです。
もちろん「仏教」や「根本仏教」「オシャカ」に、
商標権も肖像権もないから、桐山さんのやりたい放題です。
- 253 :準シュダオン:2012/03/05(月)
10:17:46
- >>248勝手な我欲信仰をして、うまく行かなかった不満を書いているだけですね
>私たちは真摯に法を求めていたのです。それをことごとく裏切ったのは桐山さんです。
>例えば密教占星術です。伝法会で手が痛いのも厭わずに必死で書いた奥伝が、実は
我欲ゆえの、真摯に法を求め、なのですよ。
2011年12月号アゴンマガジンに「すべからく誓願を立つべし」という、
昭和46年の「慈眼」に掲載された法話が、再掲されています。
一部分、引用しましょう。
「・・正しい方向を見つめる高い知性がなかったら、それは単なる欲望追及者となって
しまう。また、そういう訓練をほどこす密教道場は、恐るべき欲望追及者たちの集団、
異常な欲張りばっかりの集りになってしまうでしょう。・・」
ね、まるで欲望追求に失敗した批判派↑のことみたいに思いませんか?
お導き何名達成、とか、護摩木勧進何本達成、とか、本当の誓願とはそういうもの
ではありません。
>九星術の中伝だった、どれほどガッカリしたことか。あなたの様なだらだらした
>信者には判る訳がなかろう。
私にはそういう我欲がないので、あなた方にはだらだらした信者に見えるのでしょう。
批判派みたいな根性の人に、超能力などがついたら恐ろしいことです。
そういうことは、神仏が許さないでしょう。
- 254 :私文書為造
◆iCtd3oCMyM:2012/03/05(月) 10:23:01
- 天照さんご無沙汰しております。
「退会マニュアル」を、訴訟を考慮した仕様に変更しましたのでよろしくご査収下さい。
主に法具類の扱いに関して変更しました。あと、代替行の下りに一言挿入しました。
2chに書き込んだ後、順番の入れ替えや句読点の修正などしてしまいましたので、
こちらでお願いします↓
http://ichigo-up.com/cgi/up/qqq/nm48992.txt.html(左上のnm48992.txt)
- 255 :準シュダオン:2012/03/05(月)
10:28:29
- >{わたくしが阿含宗を辞めた理由}
>仏陀解脱宣言した桐山が世紀末世界壊滅秒読み段階から
>女性信者と影でコッソリいちゃいちゃお付き合いしていた事実を
>知ってしまった為。
なるほどね。つまらないことを気にするお方なのですね。
>2.自称因縁透視プロ仏陀因縁解脱宣言した桐山が自分の未来がわからず
>大大運気の晩年に悪因縁をバンバン出した現象を目の当たりに見せられた為。
>脳梗塞→認知(脳障害の因縁)
脳梗塞でも、健康な脳の人より数倍優れたお仕事をしてましたよ。
健康な脳をお持ちのあなたは、恥ずかしくないのですか?
>女遊び→愛人裁判(色情の因縁)
これは↑推測です。あなたには推測妄想の因縁があります。
>この二つが大きな理由です。
つまらん理由です。
- 256 :準シュダオン:2012/03/05(月)
10:44:07
- >お言葉ですが阿含宗に成仏法などありません。(鵜呑みにしないことを学んだ結論ですw)
>桐山ゲイカの受け売りはやめていただきたい
私は、あんたのように受け売りはしないよ。
自分で体験した上で、レスしてるのよ。
>ほんとうの仏教を実践する、あるいはしようとする。学んでみる、比較検証
私には、非科学的な、力のない、「ほんとうの仏教」など、いらない。
私には、悪因縁を切った、力のある「阿含宗の仏教」こそ、必要ですね。
私にまだ悪因縁が残っているからね。
- 257 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/05(月) 10:48:58
- >ね、まるで欲望追求に失敗した批判派↑のことみたいに思いませんか?
お導き何名達成、とか、護摩木勧進何本達成、とか、本当の誓願とはそういうもの
ではありません。
桐山さんは、今回も東北大震災をエサにして名ばかりは、
犠牲者追悼、復興支援を信者や世間に謳っています。
信者の多くは、ゴマ木勧進を少しでも増やすことが、
その犠牲になられ今現在も親を亡くした未就学児子育て支援や、
その先の奨学金などに役立つと考えています。
また東北支部の信者さんは、単に法要だけで済ましていません。
瓦礫の片付けやそのあとの清掃修業などにも尽力していると聞いています。
護摩木勧進の誓願達成とは、そのような信者の思いが寄せられたものも、
数多くあることを忘れてはなりません。
しかし現実は、桐山さんの宗教芸術行事や世の平和に貢献したという、
宣伝と虚栄心を満足させるものに、その多くが拠出浪費されていた。
その現実が分かったなら、その使途の不明朗を非難されて当然です。
もしほんとうに震災の予知力を知る能力がアゴン宗にあったなら、
事前の何らかの手当ても出来たであろうという悔しさを
>>250のakb55さんの感想に窺い知ることが出来ます。
少しでも他人の役に立ちたいと考えていた人ほど、
桐山アゴン宗の偽善を知ったなら、それを余裕と称して放置など出来ない。
ましてやそれを我欲信仰と見下げることは、余りにも非道な言い草です。
- 258 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/05(月) 10:52:17
- >>254 私文書さん、しばらくでした。お元気そうで何よりです。
アドレス参照しました。私も確認し修正などを施そうと思います。
ありがとうございます。
また大分前から私文書さんに連絡が取れないので困っております。
以前連絡いただいた私のメルアドか、目欄のメルアドに捨てアドで構いませんので、ご連絡いただけますでしょうか。
よろしくお願いいたします。
- 259 :私文書為造
◆iCtd3oCMyM:2012/03/05(月) 11:02:22
- どうもです。以前使ってたメルアドは「一週間ログインしなかったら自動削除」
と称してた物でしたが、三日ぐらいほっといたら消えてやがったのです。
ちゃんと実績のあるフリーアドレス探すまで待ってもらえますか?
捨てアドでも今すぐの方がいいですか?
- 260 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/05(月) 11:19:54
- そうでしたか。長く使える&実績のある方がいいですね。
それだとhotmailかGmailかinfoseek辺りがお勧めです。
ウイルススキャンもしてくれますし、特にGmailとinfoseekは長期間使わなくても
削除されません。(hotmailは30日ログインしないとアカウント消されます)
gooさんもありますが、あそこは3ヶ月だか半年使わないとデータ消されます。
復活できても以前の内容は消されます。なので、長期に渡り使うのであれば
Gmailかinfoseekがお勧めです。yahooはウイルススキャンは有料ユーザーでないと
できないので無料で使うならやはり有名な2つがいいでしょう。
あと、急ぎでは無いですので待てますが、かなり「あのお部屋」充実しましたよ。
それをゆっくりゲットならゆっくりでも構いません。
無料で自動削除にならなくてウイルススキャンがあるのを私はお勧めしますね。
- 261 :私文書為造
◆iCtd3oCMyM:2012/03/05(月) 11:31:40
- 承知しました、今日はもう昼から出ますので二〜三日待ち下さい。
- 262 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/05(月) 11:44:37
- すみません。どうやらhotmailでないと機能が使えないようです。
ですので、恐れいりますがhotmailでアカウントをとってください。
ちなみにアカウントは「hotmail」と「live」の二種類が取れます。
liveの方が打ち込む際に短くて済むのでそちらの方が便利です。
お手数をおかけして申し訳ございません。
- 263 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/05(月) 12:36:16
- >私には、非科学的な、力のない、「ほんとうの仏教」など、いらない。
私には、悪因縁を切った、力のある「阿含宗の仏教」こそ、必要ですね。
アゴン宗のどこが科学的宗教ですか。
大脳生理学も心理学もただ学者の説を羅列し、
その解釈した中身なども不正確で、我田引水でしかない。
京都での冥徳祭の次の日、阪神淡路大震災が発生。
ニューヨーク護摩法要の翌年には、アメリカ同時多発テロ発生。
イスラエル大柴燈護摩の三ヵ月後に、イスラエル軍が、
ガザ地区に無差別の猛砲撃を敢行した。
昨年は、星まつりの一ヵ月後に東日本大震災が発生した。
これらをみて、
アゴン宗のどこに世界平和や人類への救済力があるのでしょう。
ふつうこれだけ符合すると、信心がなくても不吉な祈りと思われます。
- 264 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/05(月) 18:07:38
- 「・・正しい方向を見つめる高い知性がなかったら、それは単なる欲望追及者となって
しまう。」
その高い知性とはどんな知性でしょう。
釈尊の教えを実践するのに、高い知性など
必要ありません。
求められるのは、普通の知性と倫理観や
道徳観と無害心です。
桐山さんの持つ高い知性とは、
狭い了見で職員を判断して左遷させることですか。
告げ口や噂だけで他人を評価する。
小さな知識だけで相手を推量し排他する。
相手の事情など、わずかほども斟酌できない。
相手のことを悪くとっても良いほうに考える器量すらない。
桐山さんの知性とは、独善と自己愛のかたまりです。
だから弟子一人も育たない。
桐山さんの向いている視点に正しいなどありません。
独善と自己満足と自己賛美と自己陶酔という教義で
すべてが出来上がっています。
桐山さんからそれらを差し引いたら何も残りません。
- 265 :Boo:2012/03/05(月)
21:06:10
- >256 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/03/05(月) 10:44:07
>>お言葉ですが阿含宗に成仏法などありません。(鵜呑みにしないことを学んだ結論ですw)
>>桐山ゲイカの受け売りはやめていただきたい
>
>私は、あんたのように受け売りはしないよ。
>自分で体験した上で、レスしてるのよ。
反論するならば、準シュダオンさんの体験こそが問題なのです。何度も反論されているように
あなたの体験はことごとく「仏証」は何一つありません。
批判側はあなたの体験を否定したことはありません。しかし、「それがどうしたの?」
というだけです。アゴン宗にすら関係がない体験です。いちいち書きませんが
過去にあなたの体験はことごとく反論されているのは過去スレを読めば誰でも理解できます。
>>ほんとうの仏教を実践する、あるいはしようとする。学んでみる、比較検証
>
>私には、非科学的な、力のない、「ほんとうの仏教」など、いらない。
>私には、悪因縁を切った、力のある「阿含宗の仏教」こそ、必要ですね。
>私にまだ悪因縁が残っているからね。
科学的に検証した結果「○○の因縁」は存在しません。あなたの「悪因縁」も
迷信の域を出ていません。この件も過去レスに書いてあります。もっと誠意のある
態度でレスしなさい。あなたはそれでも信仰者ですか?
- 266 :akb55:2012/03/05(月)
21:46:17
- >256私には、悪因縁を切った、力のある「阿含宗の仏教」こそ、必要ですね。
私には、教祖の桐山さんさえ悪因縁の切れない、力のない偽仏教こそ、必要無いですがね〜
- 267 :名無しさん:2012/03/05(月)
22:06:32
- 信者の皆さん、入行して4~5年なら、あっちこっちとフラフラ迷っても仕方ないけど、20~30年にもなって、今だに択法覚支してるようでは駄目ですよ、信をかためなさい。
- 268 :名無しさん:2012/03/05(月)
23:07:48
- ちなみに私はフラフラし過ぎて
29年と半年でやっと阿含宗を退会しました
桐山会長先生お元気で
阿含宗よ、さようなら?
- 269 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/06(火) 08:24:18
- >>253:準シュダオン12/03/05(月) 10:17:46
>我欲ゆえの、真摯に法を求め、なのですよ。
>2011年12月号アゴンマガジンに「すべからく誓願を立つべし」という、
>昭和46年の「慈眼」に掲載された法話が、再掲されています。
おかしな提示ですね。あなたはまず我欲を認めている。
我欲ゆえに目標、誓願が生まれるのだという立場をとっている。
そのくせ最終結論は批判側は我欲に覆われているなどと非難する。
宜しいですか?アゴン宗では我欲なんてものを認めないのですよ。
欲そのものは否定しません。高い目標、理想、願望はよいとする。
しかし欲に我がついて我利我欲となったらアウトです。
なぜならば我こそ悪い因縁の現れとしているからです。
>お導き何名達成、とか、護摩木勧進何本達成、とか、本当の誓願とはそういうもの
>ではありません。
これは教団に対する、桐山指導に対する批判ですね?
護摩木の勧進本数に対して誓願を出せとは我々の説くところでなく、教団が指示
していることだからです。
「誓願無きは菩薩の魔事なり」を引用は護摩木勧進の誓願にも悪用されます。
それは自分と仏サマだけのお約束なんていってもはっきり本数を書いて教団に
提出せよと、絶対義務ではないにしても桐山さんが奨励指導している。
あなたは参加したことないから知らないだろうが、星まつりの修行参加申し込みには
当年の勧進本数も書くようになっている。
>私にはそういう我欲がないので、あなた方にはだらだらした信者に見えるのでしょう。
これも全く問題の所在がわかっていない。
桐山さんの占星術の伝法会のネタが無断盗用、剽窃、パクリであった事実を嘆く
ことがどうして我欲になるのだ?
この嘆きとは占いを習って役に立てたい我欲を離れて、こんな道徳に反することを
していいのか?という疑問です。
道徳心などないあなたにはそんなことも気にならない。
目の前にメシを出されればそれが隣から盗んできたものであろうが、腹に入れば
よいのだという我欲しかないからなんでしょうね。あなたは。
- 270 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/06(火) 12:02:32
桐山さんが必ず自画自賛してもち出すことばに、
チカラのある宗教、ジョウブツリキなどと述べている。
まるでそれはアゴン宗という登山電車があって、
登坂力という馬力があるかのような印象です。
大乗仏教を見下しているくせに、こうい大乗的たとえを
好んで使って話します。
アゴン宗にはジョウブツホウというレールが敷かれていて、
そこに乗った客車にはジョウブツリキという推進力が、
そなわっている。
それが霊界行きの電車のようです。
もちろん無賃乗車など出来ません。
それには会費による乗車券だけではなく、
徳積みという供養金での特定席が必要になります。
指定席券を発行するしないは、桐山さんの胸三寸で
決まります。
- 271 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/06(火) 13:34:28
それでは、供養とはなにか?
供養とは、供えて養いとするという意味です。
仏さまにお供えして自分の徳の養いとする。
(アラディンの魔法のランプ71頁)
桐山さんは手を変え品を変えて、このように信者を説得し、
信者の積徳をダシに、供養の大切さを植えつけています。
しかし仏教で徳といえば、善行です。
大乗を含む仏教一般には美徳、福徳や幸運まで意味づけられているが、
釈尊の思想に重ね合わせれば、運などを目的にしていませんから、
つまるところは、善なる行ないと考えられます。
桐山さんの言うような、自分を養う積徳貯金ではありません。
- 272 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/06(火) 13:36:52
自分の持てるなにかを仏さまに捧げる。時間のある人は時聞を、
お金のある人はお金を棒げればよいでしょう。自分にできるだけの、
白分に相応するなにかを仏さまに捧げなさい。
自分はなに一つ捧げず(つまり、出さずに)、仏さまからご利益、
功徳を引き出そうとするのはおかしい。(同著73頁)
この「時間とお金」の代表格が、ゴマ木勧進です。
ゴマ木の功徳をあるかのように人々に勧める行為とは、
タダ働きという時間と労働力を使うことです。
達成本数の誓願まで出すのは、支払いを約束した先付小切手を
切るようなものです。
桐山さんはヤンワリと、さとすような言葉で、
無賃乗車はできない!と、おっしゃっておられる。
信者さんは、阿含経を読んでみればわかります。
釈尊が、弟子や在家衆に「時間とお金」を出せと説きましたか。
出家者は、煩悩を呼び起こすような生産活動はしませんから、
最低限の修業が維持できる程度の食事と生活用品しか、
人々に乞いませんでした。
その出家者を支援し手助けする行為は、功徳として来世に反映する。
それらの善行が、来世に善果となるとだけが説かれています。
桐山さんの場合、悪業をなして現世で善果とならず前科をつくった。
- 273 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/06(火) 13:44:05
自分はなに一つ捧げず(つまり、出さずに)、仏さまからご利益、
功徳を引き出そうとするのはおかしい。(同著73頁)
釈尊は入滅の際に、法を拠り所とし、それをもって自己浄化を
実践し、つとめ励みなさい、とことばを遺された。
槃涅槃した釈尊が、誰に何をくださるのですか。
先祖を供養したいなら墓前で花一厘、線香の一本でもあげれば
よいだけです。
震災の被災者を思うなら、直接自治体へ寄金すればよいでしょう。
どうして、アゴン宗を通す必要があるのですか。
アゴン宗を通して功徳貯金を積み上げたい。
最低限の生活にあえて身をおいていた釈尊が、そんな金銭などを
受け取る分けがない。
釈尊は、法を説いた見返りの食事すら受け取らなかった。
煩悩の止滅を考えれば、釈尊のこの態度が理解できます。
功徳を積むなどと、そんなゴマ木の代金は、
桐山さんの世俗的欲望の満足と、教団維持費に溶けてなくなります。
- 274 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/06(火) 17:54:25
- >アゴン宗の発表:星まつり参拝数49万人?
2chで過去何度も計算されていました。
バカらしいが、再計算してみました。
電車一両の定員数:160人
490,000人÷160人≒3,062
→三千62両編成が必要
↓
10両編成の電車 306本数の区間運転を必要
電車一両分の長さ約20m
3,062両×20m=61,240m÷1,000m
=61.24km
→電車を繋げると約61km以上の長さに匹敵
京都駅と山科北花山との直線距離は約5km程度
大型貸切バス一台定員数:60人
490,000人÷60人/一台≒8,166
→八千166台のバスが必要
- 275 :名無しさん:2012/03/06(火)
22:58:51
- こうして考えるに阿含宗って本当に嘘つきですね
まあ、
桐山氏自体が学歴とか平気で嘘つく人だから
いまさらいくら立派なこと並べても
信用できないし、もう、信用してもらえないでしょう
利害関係がある人達は別として。
- 276 :Boo:2012/03/07(水)
00:28:12
- 準シュダオンさんの道徳意識の低さが露呈していることをユビキタスさんが >>269
で結論づけています。
社会の普通人の倫理道徳よりかなり低い意識しかない準シュダオンさんはまず、
人並みの道徳意識を身につけてから公の場に意見を述べなさい。
今のままのあなたの意見をわざわざ聴く人は、信者にもいません。断言します。
- 277 :準シュダオン:2012/03/07(水)
10:46:17
- >社会の普通人の倫理道徳よりかなり低い意識しかない準シュダオンさんはまず、
>人並みの道徳意識を身につけてから公の場に意見を述べなさい。
あなたが倫理道徳言う前にね、あなたの腐った根性を直しなさいな。
あなたの修行は我欲信仰だったので、効果がなかったのです。
人に皮肉を言うような根性ではだめです。
皮肉とは、意地悪な言い方をいう。意地悪とは、眼耳鼻舌身意、の意が悪いこと
をいう。つまり、あなたの心が悪い状態をいう。
私の心には皮肉を言う発想がないので、元トイレ掃除くんに、BOOさんの皮肉レス
を教えて頂くまで気がつきませんでしたw。
そして、アゴンの仏様が、何でBOOさんを救えなかったのか、よ〜く解りました。
- 278 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/07(水) 10:49:02
- >震災後の東北の人々を見ると、そうしたかつての日本人の粘り強さを感じます。
わたくしも、東北地方の早期復興をいつも願い、仏さまに祈っております。
桐山さんが仏さまに祈って何が変わりましたか。
今回も星まつり同様に復興祈念を洋上でおこなうという。
それで、ガレキの一つも取り除かれますか。
インフラが再整備され、仮設住宅から自宅へ戻れる?
被災者の方々は今も、津波の後遺症でバスタブにすら浸かれない、
という人も珍しくないそうです。
シャワーは使えるが、湯張りされた浴槽には怖くて入れない。
収容されても環境の変化で亡くなるご高齢者も多い。
護摩木勧進数が3000万本?
おおよそ30億円もアゴン宗に集まった、売り上げた?
行政の手が届きにくい人々へ支援できるお金なのに、
信者さんは直接には寄金しない。
アゴンのホトケサマに祀って、自己の功徳を積んでから、
被災者へ届けばよいと考えている。
これは普通に考えてエゴです、それも丸出しに見えます。
今回の民間からの義援金総額は、推定計で1020億円、
件数では565万件が集計されている。
多い少ないの感想は別として、企業や個人の累計だそうだが、
アゴン宗から公式発表は出されていない。
まさか、名誉称号が授与されない寄付は対象外ですか。
- 279 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/07(水) 11:36:10
- >あなたが倫理道徳言う前にね、あなたの腐った根性を直しなさいな。
252他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は
見がたい。
ひとは他人の過失をモミガラのように吹き散らす。
しかし自分の過失は、隠してしまう。
――狡猾な賭博師が不利な賽の目をかくしてしまうように。
253他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、
煩悩の汚れが増大する。
かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔たっている。
- 280 :準シュダオン:2012/03/07(水)
15:03:35
- >今のままのあなたの意見をわざわざ聴く人は、信者にもいません。断言します。
意見を聴くも聴かないも、他者の自由です。私の関知するところではないよ。
腐った木は元に戻らねども、腐った根性なら心を入れかえるだけで、今日から
でも健全なものに変えられる。BOOさん、奮励すべし。
- 281 :準シュダオン:2012/03/07(水)
15:27:38
- >アゴン宗を通して功徳貯金を積み上げたい。
>最低限の生活にあえて身をおいていた釈尊が、そんな金銭などを
>受け取る分けがない。
そのあたりの説明を、言葉で表現することは難しい。
では、釈尊が受け取る金銭とはどういうものであろうか?
供養の心が正しければ、大金であろう、精舎の寄進をも許されたね。
>釈尊は、法を説いた見返りの食事すら受け取らなかった。
見返りとしての食事供養は、供養する心が正しくないので、拒否されたのです。
聖者を尊敬して、福田として功徳を返してくれると期待して、布施供養するのは
良いけれども、期待が過ぎると、充てが外れるのですね。
だから、「功徳が無くても一切後悔しません」と、いう覚悟で行う布施供養が、
望ましいのでしょう、それを無功用の布施とか、いうのでしょ。
まぁ、言葉だけであれこれ議論しても、宗教はどうにもなりませんよ。
検証できない部分を含んでいるから宗教なのであって、そうでなければ科学です。
- 282 :準シュダオン:2012/03/07(水)
15:41:21
- > 252他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は
> 見がたい。
>ひとは他人の過失をモミガラのように吹き散らす。
>しかし自分の過失は、隠してしまう。
>――狡猾な賭博師が不利な賽の目をかくしてしまうように。
なかなか良い言葉ですね。でも、レスした自分の過失は、もう隠せませんよ。
例えば、ラシンさんと、私とではレスする姿勢が違う。
私のレスしてる目的は、「真実は何処にあるか?」という観点でレスしてます。
だから私のレスが、阿含宗教団に有利か不利か、なんてことは私の眼中にはない。
ところがラシンさんとかは、阿含宗を否定することを目的としてレスしてますね。
だから、都合良いこととか、都合悪いこととかの言葉の端々に不思議な語が出てくる。
私には都合よいこととか、都合悪いこととか、そういうものはありません。
「真実はなにか?」を目的として、レスしてる私に、都合の良し悪しなどないのです。
- 283 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/07(水) 17:09:36
- >供養の心が正しければ、大金であろう、精舎の寄進をも許されたね。
釈尊もサンガも所有していません、修行に使用したのです。
たとえば、
カシャーヤは、インドで身分がいちばん低い者が
身にまとう着衣です。
釈尊は、その衣を着ることで差別の無い差別を超えた清浄行を
世に示したのです。
道の人とは、まずそのように最低限の境地に身を置くことからはじまる。
そこでの修業は、欲を制御し最後にはなくしてしまうことです。
その釈尊が入滅して、欲をむき出しさせるような布施は求めない。
理解ある人ならわかります、桐山さんとの大きな違いを、、、。
- 284 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/07(水) 17:11:08
- >見返りとしての食事供養は、供養する心が正しくないので、拒否されたのです。
その場合もあったとはいえ、原則、釈尊の思想は無生産という
心の自己観察です。
詩をなりわいとせず、占いもまして説諭などなりわいとしての交換条件を
すべて拒ばみ、例外は一つとして認められない。
出家とは、托鉢によって生活する者です。
>だから、「功徳が無くても一切後悔しません」と、いう覚悟で行う布施供養が、
望ましいのでしょう、それを無功用の布施とか、いうのでしょ。
「清らかに澄んだ心で、信仰心をもて食物を与える人々は
この世でも、かの世でも、その食物が順ってゆく。
それ故に、物惜しみの心を制して、汚れに打ち克って、
施しのものを与えよ。
功徳は、来世において、生あるものどものよりどころとなる」
(相応部経典2-33)
- 285 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/07(水) 17:33:31
- >私のレスしてる目的は、「真実は何処にあるか?」という観点でレスしてます。
桐山アゴン宗の真実は、どこにも見えません。
理由は、すべてウソとインチキの塊だからです。
唯一ウリの「因縁切り」もそのお手本が、
無様な脳障害の因縁という結果しか出していません。
信州幕末の十八人の霊障ホトケは、ウソのツクリモノ。
アゴン宗の三宝も、すべてウソで成り立っています。
仙尼経に「異陰」の跡形もなく、今も証明は出来ていない。
三福道は、桐山オリジナルと本人自ら自白しています。
かんじんの占いで当てた話しなど、ひとつもありません。
占星術も和讃もすべて、パクリと剽窃のツギハギ作品です。
念力護摩は手品で、空海の偉業もウソです。
桐山さんやそのアゴン宗に真実があるとしたら、
莫大な借金と維持費のかかるハコモノの存在だけです。
宇宙人が存在して、そのパワーで人生が改善されるという、
話しの法が荒唐無稽でも、まだ、面白くロマンがあります。
- 286 :Boo:2012/03/07(水)
19:31:03
- >277 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/03/07(水) 10:46:17
>>社会の普通人の倫理道徳よりかなり低い意識しかない準シュダオンさんはまず、
>>人並みの道徳意識を身につけてから公の場に意見を述べなさい。
>
>あなたが倫理道徳言う前にね、あなたの腐った根性を直しなさいな。
>あなたの修行は我欲信仰だったので、効果がなかったのです。
>人に皮肉を言うような根性ではだめです。
>皮肉とは、意地悪な言い方をいう。意地悪とは、眼耳鼻舌身意、の意が悪いこと
>をいう。つまり、あなたの心が悪い状態をいう。
あなたは皮肉という高度な表現がわからないからまた馬鹿なことを記述する。
私が本当に言いたい「準シュダオンは馬鹿で根性も悪いし悪因縁があるから
電波を受けて、おかしなことを言う」というと、角が立つので遠まわしに言って
いるのが皮肉です。それに気がつかないあなたのレベルが低いのです。
私が倫理道徳を言う前に腐った根性を直せという。あなたの倫理観の低い根拠を
私は示しました。私の根性が腐っている根拠は皮肉だという。皮肉が根性の腐った
結果ではないことは前段で示しました。あなたの人に対する評価は根拠がないことです。
根拠なく人を悪く言うのは誹謗中傷です。あなたはそれでも信仰者ですか?
>
>私の心には皮肉を言う発想がないので、元トイレ掃除くんに、BOOさんの皮肉レス
>を教えて頂くまで気がつきませんでしたw。
あなたが愚かだから気がつかなかっただけです。
>そして、アゴンの仏様が、何でBOOさんを救えなかったのか、よ〜く解りました。
これも根拠がないですね。単なる誹謗中傷を述べて留飲を下げているにすぎません。
そんな態度でアゴン宗の信者として恥ずかしくないか?ま、あなたは恥を知らない
ようだから何とも思わないとは思うがね。
- 287 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/08(木) 08:33:16
- >>281:準シュダオン12/03/07(水) 15:27:38
>では、釈尊が受け取る金銭とはどういうものであろうか?
>供養の心が正しければ、大金であろう、精舎の寄進をも許されたね。
>見返りとしての食事供養は、供養する心が正しくないので、拒否されたのです。
>聖者を尊敬して、福田として功徳を返してくれると期待して、布施供養するのは
>良いけれども、期待が過ぎると、充てが外れるのですね。
これは全く無知な話です。
釈尊が食事供養を拒まれたのには、ちゃんと理由を自ら語っています。
「詩を唱えて得た物を私は食うてはならない」です。
詩とは教えとして説いた言葉、つまり説法をして、その講演料としては
受け取れないと述べているのです。
釈尊の教えを聞いたバラモンは当初懐疑的であった釈尊にすっかり帰依するように
なって心の眼が開かれたのです。
だから純粋な気持ちでお菓子をさしあげようとした。
これを釈尊も十分にわかっていたが、それでも拒んだのは、この構図、状況では
取引のようになってしまうことを、自分にも他人にも厳しい釈尊は、許さなかった
のです。バラモンには何の否もありません。
ただ布施、供養というものは絶対に見返り目的であってはならないことを示す
為に敢えて自らその態度を示されたのです。
- 288 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 11:41:30
- >見返りとしての食事供養は、供養する心が正しくないので、拒否されたのです。
少し長くなりますが、スッタニパータにありますので、
その供養と桐山さんの違いを引用にて、再度見比べることが出来ます。
<4、田を耕すバーラドブァージャ>
わたしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)は
マガダ国の南山にある「一つの茅」というバラモン村におられた。
そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、種子を捲く時に
五百挺の鋤を牛に結びつけた。
そのとき師(ブッダ)は朝早く内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、
田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャが仕事をしているところへ
赴かれた。ところでそのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
食物を配給していた。
そこで師は食物を配給しているところに近づいて、傍らに立たれた。
田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、師が食を受けるために
立っているのを見た。
そこで師に告げていった、「道の人よ。わたしは耕して種を播く。
耕して種を播いたあとで食う。あなたもまた耕せ、また種を播け。
耕して種を播いたあとで食え。」と
(師は答えた)、「バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。
耕して種を播いてから食う」と。
(バラモンがいった)、「しかしわれらは、ゴータマさん(ブッダ)の
軛も鋤も鋤先も突棒も牛も見ない。
それなのにゴータマさんは『バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。
耕して種を播いてから食う。』という」と。
- 289 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 11:44:08
そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは詩を以て師に呼びかけた。
76
「あなたは農夫であるとみずから称しておられますが、
われらはあなたが耕作するのを見たことがない。
おたずねします。──あなたが耕作するということを、
われわれが了解し得るように話してください。」
77
(師は答えた)「わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。
知慧がわが軛(くびき)と鋤(すき)きである。慚(はじること)が鋤棒である。
心が縛る縄である。気を落ちつけることが鋤先と突棒とである。
78
身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。
わたしは真実をまもることを草刈りとしている。
柔和が私にとって(牛の)軛を離すことである。
79
努力がわが(軛をかけた牛)であり、安穏の境地に運んでくれる。
退くことなく進み、そこに至ったならば憂えることがない。
80
この耕作はこのようになされ、甘露の果実もたらす。
この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。」
- 290 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 11:51:52
- そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、
大きな青銅の鉢に乳粥を盛って、 師(ブッダ)にささげた。──
「ゴータマさまは乳粥をめしあがれ。あなたは耕作者です。
ゴータマさまは甘露の果実をもたらす耕作をなさるのですかから。」
81
詩を唱えて[報酬として]得たものを、わたくしは食うてはならない。
バラモンよ、このことは正しく見る人々(目ざめた人々)の
ならわしではない。
詩を唱えて得たものを、目ざめた人々(諸のブッダ)は斥ける。
バラモンよ、定めが存するのであるから、これが(目ざめた人々)の
生活法なのである。
82
全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪い行いを
消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。
けだしそれは功徳を積もうと望む者のための(福)田であるからである。
「では、ゴータマ(ブッダ)さま、この乳粥をわたしは誰にあげましょうか?」
「バラモンよ。実に神々・悪魔・梵天とともなる世界において、
神々・人間・道の人・バラモンを含む生きものの中で、
全き人(如来)とかれの弟子とを除いては、
この乳粥を食べてすっかり消化し得る人を見ない。
だから、バラモンよ、その乳粥を青草の少いところに棄てよ、
或いは生物のいない水の中に沈めよ。」
そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャはその乳粥を
生物のいない水の中にうずめた。
- 291 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 11:53:24
-
さてその乳粥は、水の中に投げ棄てられると、チッチタ、チッチタと
音を立てて、大いに湯煙りを立てた。
譬えば終日日に曝されて熱せられた鋤先を水の中に入れると、
チッチタ、チッチタと音を立て、大いに湯煙りを出すように、
その乳粥は、水の中に投げ棄てられると、チッチタ、チッチタと音を立て、
大いに湯煙りを出した。
そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは恐れおののいて、
身の毛がよだち、師(ブッダ)のもとに近づいた。
そうして師の両足に頭を伏せて、礼拝してから、師にいった、
- 292 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 11:54:00
-
──「すばらしいことです、ゴータマさま。すばらしいことです、
ゴータマさま。譬えば倒れた者を起こすように、覆われたものを聞くように、
方向に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを
見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように、
ゴータマさまは種々のしかたで真理を明らかにされました。
故にわたくしはここにゴータマさまに帰依します。
また真理と修行僧のつどいに帰依します。
わたしはゴータマさまのもとで出家し、完全な戒律(具足戒)をうけましょう。」
そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、
師(ブッダ)のもとで出家し、完全な戒律を受けた。
それからまもなく、このバラモン・バーラドヴァーシャさんは
独りで他の人々から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが、
まもなく、無上の清らかな行いの究極──諸々の立派な人たち
(善男子)はそれを得るために正しく家を出て家なき状態に赴いたのであるが
──を現世においてみずからさとり、証、具現して、日を送った。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえたた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
とさとった。そうしてバーラドヴァーシャさんは聖者の一人となった。
- 293 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 12:11:56
- >見返りとしての食事供養は、供養する心が正しくないので、拒否されたのです。
ここでの粥の拒否は、たしかに「詩を唱えて[報酬として]得たものを、
わたくしは食うてはならない。」とあります。
釈尊は、これが、(如来)の生活法、とまで述べています。
それとその粥を捨てさせたのは、中村博士の説によれば、
バラモンの供物(祭祀のための)であることに関連している。
信者さんは、護摩のお供えのおさがりを桐山さんから、
ありがたく頂いて子供に与えています。
しかし釈尊の教えでは、「全き人(如来)とかれの弟子とを除いては、
この乳粥を食べてすっかり消化し得る人を見ない。」と、
断言しています。
バラモンの「生け贄用の供物」をこのように注意している。
これは、釈尊から信者さんへの言葉でもあります。
- 294 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 13:20:18
- >見返りとしての食事供養は、供養する心が正しくないので、拒否されたのです。
>だから、「功徳が無くても一切後悔しません」と、いう覚悟で行う布施供養が、
望ましいのでしょう、それを無功用の布施とか、いうのでしょ。
その「功徳が無くても」という心を観察すればそれが煩悩です。
突きつめれば、無償行為はどこかに煩悩が隠されている。
これは人間なら当たり前です。
だからこそ釈尊は自己浄化を説いたのです。
釈尊が求めたのは、「無功用の布施」の心などではない。
見返りを期待しないと考える心を厳密に求めたのではありません。
釈尊は両極を否定したのですから、無理な支援や自己の欲求を
過度に押さえさせようなどの強要はいっさいありません。
それが出来る心ならば、それはもう立派な阿羅漢です。
バーラドヴァーシャの布施は、供犠の粥であり煩悩を表している。
水に捨てさせた表現は、比ゆ的ではあるけれど煩悩を説いたのです。
バラモンの供犠(神霊に対する供物や生贄)は、煩悩そのものと、
説いていることです。
ゴマ木勧進も、このバーラドヴァーシャの布施と変わらないのです。
釈尊が、バーラドヴァーシャの乳粥を受け取らなかったように、
アゴン信者の功徳貯金など受け取るはずもありません。
- 295 :Boo:2012/03/08(木)
13:54:47
ラシンさん長文の引用お疲れ様です。スレ趣旨とはちょっと外れて恐縮ですが
77の引用文
>77
(師は答えた)「わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。
> 知慧がわが軛(くびき)と鋤(すき)きである。慚(はじること)が鋤棒である。
> 心が縛る縄である。気を落ちつけることが鋤先と突棒とである。
に「苦行が雨である。」とあります。これは大乗仏教の苦行不用説と矛盾するのでは
ないでしょうか?
つまりアゴン宗の「苦行と瞑想でニルバーナに至る」説の裏付けになるのではないかと、
ふっと思いましたが、いかがでしょう?
- 296 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 15:58:21
- >295 名前:Boo 投稿日: 2012/03/08(木) 13:54:47
「苦行が雨である。」とあります。これは大乗仏教の苦行不用説と矛盾するのでは
ないでしょうか?
わたしも退転し退会したての頃、釈尊は苦行を
離れたが、その経験があって涅槃に役立った、と
考えていました。
しかしそれは、理解が足りないと深山と樹意さんから
阿含経を示され、教示を受けた経験があります。
比丘たちよ、出家したるものは、二つの極端に
親しみ近づいてはならない。
その二つとは何であろうか。
愛欲に貪著することは、下劣にして卑しく、
凡夫の所行である。
聖にあらず、 役に立たないことである。
また、苦行を事とすることは、ただ苦しいだけであって、
聖にあらず、役に立たないことである。
比丘たちよ、如来は、この二つの極端を捨てて、中道を悟った。
ー後略ー (相応部経典 56.11)
- 297 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 15:59:48
- >>295 名前:Boo 投稿日: 2012/03/08(木) 13:54:47
これは私見ですので、参考程度にしてください。
二つの極端とは、苦行(主に断食)と快楽です。
上記の苦行は、当時の外道の宗教が行なっていた身体や
食欲を極端にいじめ抜くことです。
釈尊は、
欲望のままに快楽にひたる生活方法と、極端な苦行方法を
否定し、その両極に偏よらない中道が悟りに導くと考えた。
「信仰が種子である。苦行が雨である。智慧がわが
くびきと鋤とである。」
これは畑の耕作にたとえた修行のあり方です。
信仰を種子(タネ)とし、それを苦行という雨によって育てる。
この苦行とは、説く相手がバラモンですからその彼が理解できる
「苦行」という言葉をあえて使用したのです。
けっして苦行が果報をもたらすものでなく、それは知恵によって
なされることを導いた話法です。
言うなら、釈尊に帰依し(タネと言う因)、出家(苦行)して
道の人となる。智慧が田を耕す「くびきとスキ」なのだと。
出家(乞食)は、時に何日も食事を得られず最低限の生活ですから、
バラモンにとれば苦行です。
- 298 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 16:09:09
誤:しかしそれは、理解が足りないと深山と樹意さんから
正:しかしそれは、理解が足りないと深山さんと樹意さんから
- 299 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/08(木) 18:17:12
- >つまりアゴン宗の「苦行と瞑想でニルバーナに至る」説の裏付けになるのではないかと、
ふっと思いましたが、いかがでしょう?
アゴン宗の場合は、実質は他力本願です。
誰に頼るかといえば、桐山ゲイカです。
桐山さんは、「ウリ」として自力を説きますが、
オリジナルの三福道で、オシャカのホネに金と
タダ働きをささげて、功徳を際限なく積む必要があります。
これでアナゴンまでの果報を可能とした。
このキリの無い供養を基盤として、教義が成り立っている。
先祖の死者成仏(霊界止まり)を桐山ゲイカが、
焚き火を炊いて、ジョウブツリキを発揮するのです。
この信者さんに説く先祖は、みな霊障を発していると、
桐山ゲイカからご霊視によって因縁をつけられ、
家系を汚す大悪人に仕立てられます。
それと本人修行は、解脱宝生行というこれまたタテの
因縁とヨコの因縁を切らねば、一生浮かび上がれない。
時々、ナナメの因縁を射掛けられ、供養金が別途支出となる。
桐山さんは、理想を高く掲げますがそれはどう考えても、
実現不可能です。
アゴン宗で解脱修行が終わるのは、信者の破産か死亡による。
その遺産を引き継ぐのも、そこの信者の家の相続権者です。
放置すれば、ありもしない異陰の話しで恫喝される。
アゴン宗の苦行の内容とは、ほんとうに信者さんにとって苦しい
読んで字のごとき苦行ですが、ニルバーナへ誰も到達していません。
桐山さんのホウリキは、まさに信者を「煮るバーナー」という、
地獄の業火です。
- 300 :Boo:2012/03/08(木)
21:02:47
- ラシンさん、レスありがとうございます。
「苦行」に対するとらえ方はまさに千差万別、人それぞれなのは今も昔も変わらないでしょう。
私の「苦行」のイメージは滝行、断食、山籠りなどですが当時のバラモンにとっては苦行じゃ
ないでしょうね多分。インドで滝行などもしかしたら贅沢かもしれない。そう考えると「苦行」
に対するイメージを変えなくてはいけないかもしれない。
ま、アゴン宗の苦行は滝行、断食、山籠りでしょうが、それをやらないように導いてきた経緯がある。
私の周りの会員はみなやりたがっていましたね、滝行などは。なぜやらせてくれないのか、と。
今となっては理由は簡単。桐山センセイがそもそも滝行など嫌いなんでしょうね。滝行するくらいなら
オオクラでウチデシと断食ならぬ断粗食していたほうが完全解脱するのでしょう、少なくともそういう
教義です。
あ、準シュダオンさんも「ウチデシ」に立候補すれば?(落選確実だけど・・・)
- 301 :akb55:2012/03/08(木)
22:31:00
- >253我欲ゆえの真摯に法を求めなのですよ
私が掲示板に出て来て二ヶ月ちょっとになりますが、akbさんは占星術に
こだわりが強いなと思う方も居られるかと思います。私は過去に愛する人を
事故で失っています。17才でした。「未来を予知することが出来たなら
尊い命を救う事が出来たかも知れない」これが私が法を求める原点なのです。
阪神・淡路大震災 死者6434人
地下鉄サリン事件 死者13人負傷者6300人
東日本大震災 死者・行方不明者合わせて1万9125人
事件・事故・災害を見聞きするたびに「未来を予知することが出来たなら」と
思うのです。
我欲などは微塵もありません。欲望ではありますが、それは準さんの言う
健全な欲です。
密教占星術1のはしがきに
このほかに、システムとして未来を予知する方式がある。これは人間の特殊な
能力に依存するのではなく、それ自体システムとして完成している。ひとは
それを学んで身につければよいのだ。密教占星術がそれである。
このシステムによれば、人間の運命に関するかぎり、不可知ということはない
すべてことごとく知ることができる。もしも知ることができなかったら、それ
は、その術者の研鑚が足りぬのである。とあります。
真摯に法を求め必死の研鑚が始まったのです。
- 302 :準シュダオン:2012/03/09(金)
10:20:45
- >事件・事故・災害を見聞きするたびに「未来を予知することが出来たなら」と
>思うのです。
確かに、事前に危険を察知したいという欲は、健全な欲といえましょう。
>我欲などは微塵もありません。欲望ではありますが、それは準さんの言う
>健全な欲です。
私も舌足らずなところがあって、誤解させたりしてますが、我欲にも健全な我欲
もあれば、邪欲・強欲・悪欲・貪欲、という意味での我欲もあります。
私が我欲を批判する場合は、↑の場合の我欲ですので、文脈での判断をお願いします。
- 303 :準シュダオン:2012/03/09(金)
10:39:13
- >それを学んで身につければよいのだ。密教占星術がそれである。
>このシステムによれば、人間の運命に関するかぎり、不可知ということはない
>すべてことごとく知ることができる。もしも知ることができなかったら、それ
>は、その術者の研鑚が足りぬのである。とあります。
テレビで、オセロ中島とインチキ占い師、の話題がしばらく続きましたが、
「人間の運命をことごとく知ることができる」という、密教占星術を、どの程度
信じれば良いのでしょうか?
管長は、どこかで、「推理と勘とインスピレーション」がなければ、当てられない、
とか、書いていたように思います。
と、いうことは、才能と努力の両方が揃わないと、研鑚が足りない、という結果に
なるのだ、と私は考えてしまいます。やはり人間の才能には個人差がありますから、
占星術をいくら研鑚しても、全員がプロの占い師になれるなんてことは、
有り得ないでしょうね。
- 304 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/09(金) 11:07:29
- >私の「苦行」のイメージは滝行、断食、山籠りなどですが当時の
バラモンにとっては苦行じゃないでしょうね多分。
桐山さんが滝行していた五社の滝は、思っていたほど
大きくはなく密集した住宅地を下においてありました。
バラモンの時代には、すでに沐浴で罪の汚れを除く、
という風習があったようです。
釈尊弟子の比丘尼がそれをみて、沐浴で清浄を得られるなら、
常に水の中にいる魚、亀、カエルやワニのほうが、
より解脱しているはずが、畜生として人間より低いのはなぜか?
水には、善業や悪業を判断する能力があることになるかと、
皮肉を呈していたそうです。
水がそうなら、火にだって同じ理屈が当てはまる。
釈尊の「木片を焼いて清浄を得られると思うな」です。
東北大震災の犠牲者は、アゴン宗流では横変死の因縁を
もっていたことになる。
今回もまたアゴン宗は、3.11に、
横変死は霊障のホトケになると考え、それを成仏させるために
ゴマを焚くのですか。
災害の犠牲者が「祟る」と考える思想は、日本には珍しい。
怨霊思想で有名なのは菅原道真ですが、
道真の場合は、政争抗争での讒言による失脚左遷での悶絶死です。
のちに、
失脚させた政敵が恨まれるという贖罪意識で、死んだ道真を恐れ、
神にまで祀り上げた。
この場合は、時の為政者の罪逃れや天変地異への対策です。
しかし道真は、不幸な災害の犠牲者とは違います。
だが、アゴン宗は当時の御霊信仰を「霊障のホトケ」と、
言葉を変えて人々の不安をあおり、不幸な犠牲者を貶すことをする。
横変死で苦しんでいる霊をジョウブツさせてやるのだという、
余りにも相手を愚弄した手前勝手な驕りが、ゴマの炎となっている。
- 305 :準シュダオン:2012/03/09(金)
13:33:23
- >ゴマ木勧進も、このバーラドヴァーシャの布施と変わらないのです。
>釈尊が、バーラドヴァーシャの乳粥を受け取らなかったように、
>アゴン信者の功徳貯金など受け取るはずもありません。
私の実感として、如来様は、私の護摩木勧進供養も、財施供養も、お受けとられて
くだされた、と感じていますよ。だが、証明はできない、主観ですから。
ラシンさんのは推測です。ラシンさんは思い込みが強い。信者時代のラシンさんは、
管長の法力は絶対だから、解脱供養を申し込めば、必ず果報がある、と信じていま
したね。それでは、虫が良すぎます。解脱供養の心構えを間違えていたら、効果は
ないのです、釈尊が施食供養を拒否することがあるようにね。
ラシンさんは、まだ、経文を国語的にしか解釈できていません。
国語的というんは、倫理道徳的な理解しか出来ていない、ということです。
これでは、いくら仏教知識を集めても、法を知ることはできません。
今、修行に励んでる阿含宗信徒が、ラシンさんの信者時代の気持と、同じ気持で
修行してるかといえば、大違いです。たぶん、ラシンさんは、そのことを思い至
れないでしょうね。
密教占星術TのP135に、「上手と名人の差は、インスピレーションのあるなし」
と書いてありますね。インスピレーションは教えようがありませんね。
仏教と仏法の違いも、感じ取るものですから、教えようがありません。
それがないから、聖なるバイブレーションなんて、御伽噺か脳梗塞の前兆にしか
想像も出来ないのです。
だから空しいと知りつつ、それでもレスしてる私は何のためでしょう?
人が信じようが信じまいが、事実はレスしておこう、との考えですね。
幸い、匿名なんで、迷惑を受けることもないし。
これが、実名なら事実でも沈黙しますよ。
霊視や聖なるバイブなど世間で真面目に話したら、奇人・変人・妖怪人ですから。
- 306 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/09(金) 14:04:33
- >信者時代のラシンさんは、管長の法力は絶対だから、解脱供養を申し込めば、
必ず果報がある、と信じていましたね。
信じていたからこそ、教団に居れたのです。
少しでも矛盾を感じ、おかしいと首をかしげてもなお、
アゴン宗で信仰を続けるような器用なことは、
できなかっただけです。
>ラシンさんは、まだ、経文を国語的にしか解釈できていません。
国語的というんは、倫理道徳的な理解しか出来ていない、ということです。
これでは、いくら仏教知識を集めても、法を知ることはできません。
ー(原始仏教その思想と生活58頁 中村元)よりー
その「法」は何ら特殊な、あるいは奇異な実践修業ではなかった。
『如来の説諭した法と律とは、公明に光を放ち、秘密に覆われることがない。』
(増支部282)それは『日輪、月輪のごとく』に明々白々としたものである。
『如来の法には師の拳なし。』(長部100)すなわち師匠としての人格完成者が
何らかの教えを拳の中に隠して秘めていることはないのである。
- 307 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/09(金) 14:22:05
- >釈尊が施食供養を拒否することがあるようにね。
『例えばある種の修行者・バラモンがたは、
信者から与えられた施しの食物を食べて〔生活しながら〕
次のような卑しい術、邪悪な生活手段によって生活を
営んでいます。すなわち、 ー中略ー
また火を焚く護摩の術〔用法の異なる種々の〕杓子を
用いる護摩の術、 ー中略ー
しかしこのような卑しい術を行なわないのが、
また修行僧の戒めの一つです。−後略−』
(−ヒンドゥー教と叙情詩 中村元選集−111頁)
- 308 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/09(金) 14:50:34
- >今、修行に励んでる阿含宗信徒が、
アゴン宗の挙げた看板文字が正しければ、
そのすべての行事は正しいらしい。
ならば、○○正義団や○○愛国党などの街宣右翼や、
また、反社会的組織が行なうボランティア活動も、
正しいことになります。
彼らの資金源は、まともな労働による対価や、
商業行為によって生じたものではありません。
アゴン宗の看板に群がって、正しい仏教と判断したら、
中身は仏教とは真逆の怪しい詐欺宗教だった。
桐山さんが唱えた超能力も、占いも、ジョウブツリキも、
誰にも、物理的かつ客観的効果や検証に絶え得るものは、
何一つない。
過去より、批判の指摘してきたことがらをくつがえす論証は、
何一つない。
ウソを謳って募ったお金で生活をすることは卑しい行為で、
詐欺と言います。
小学生でもわかる道徳すら行なわない宗教が、正しいはずもない。
訂正 ×御霊信仰→○怨霊信仰
- 309 :akb55:2012/03/09(金)
22:20:19
- >302文脈での判断をお願いします。
了解いたしました。私もだらだらした信者は撤回いたします。気が昂ぶって
いました、お許しを。
>303才能と努力の両方が揃わないと、研鑚が足りない、という結果に
なるのだ、と私は考えてしまいます。
準シュダオンさん論点が違います。
私が言っているのは、桐山さんが弟子のみに口伝で伝える「人間の運命に
関するかぎり、不可知ということはない」と豪語する密教占星術の奥伝が
他人の本のパクリだったということなんですよ。他人の本をそのまま伝授
するって恥ずかしくないのっていうことですよ。しかも、中伝です。桐山
さんの奥伝は他人の中伝レベルだと知ってがっかりしたのです。
- 310 :bcc:2012/03/09(金)
23:22:53
- 恥ずかしい事だと、私も思います。
しかし、キリヤマさんは、何とかという(障害(0勝))ビョーキで、悪い事と区別がつかない、
尚且つ悪知恵には長けているもんだから、パクリまくり騙す。
お陰で、私なんかも30年近く、ニセ?アジャリ様に三礼してました。
自分のバカさ加減にも、呆れました。
いまだにキリヤマ依存から、抜けきっていない。
夢にまで出てくる。放っておいてもらいたい。キリヤマさんや阿含宗に関わりたくない。
です。
正しい仏教がわかる事は(阿含宗の実態)、リハビリの一つです。ありがとうございます。
- 311 :準シュダオン:2012/03/11(日)
10:04:49
- >準シュダオンさん論点が違います。
>私が言っているのは、桐山さんが弟子のみに口伝で伝える「人間の運命に
>関するかぎり、不可知ということはない」と豪語する密教占星術の奥伝が
>他人の本のパクリだったということなんですよ。他人の本をそのまま伝授
>するって恥ずかしくないのっていうことですよ。しかも、中伝です。桐山
あ、なるほどね、そういうことだったんですか。でもね、例えば、暦で本日を
見れば、全国的に「五黄・友引」でしょう?ほとんどのカレンダーがそうなって
いるのではありませんか?
と、すれば、管長の占星術が、他人の本のパクリだとしても不思議はありませんよ。
その「他人の本」とやらも、他他人の本のパクリかも知れませんよ。
占盤を見てもね、各種の占術で似てる所がありますし、お互いに、我が方が本家だ、
と、いってるのではありませんか?
まぁ、占術も宗教と同じで科学的ではありません。
管長も「占術は、カンと推理とインスピレーションでおこなう」と本に書いている
でしょう。要は、実占を重ねて、実力を身につけるしかないのでしょう。
中伝や奥伝という言い方に、あまり意味はないと思いますね。
奥伝は白紙でしか伝えようがないでしょう。
カンと推理とインスピレーションは、伝えようがないですからね。
- 312 :準シュダオン:2012/03/11(日)
10:29:07
- > ー(原始仏教その思想と生活58頁 中村元)よりー
> その「法」は何ら特殊な、あるいは奇異な実践修業ではなかった。
『如来の説諭した法と律とは、公明に光を放ち、秘密に覆われることがない。』
(増支部282)それは『日輪、月輪のごとく』に明々白々としたものである。
>『如来の法には師の拳なし。』(長部100)すなわち師匠としての人格完成者が
>何らかの教えを拳の中に隠して秘めていることはないのである。
まぁ、だからといって、師がすべてを話しているとも限りませんね。中村先生の訳を、
100%、額面どおりに信じ込むのは危険ですよ。例えば、鳥獣に突かれる幽霊の
お話しにしても、モッガラーナが口に出したんで、釈尊も仕方なく話したわけでしょ。
そのように、釈尊は神秘的・不思議な話は、極力避けていたのかも知れません。
私にしても、聖なるバイブ、因縁の洗い出し現象、3,11霊示、とか体験が
あったとレスしましたが、他にも沢山のことがあるのですよ。でもレスしません。
「神はあるかないか」について、肯定論者と否定論者が議論したとて水掛け論です。
ラシンさんと私が議論したとて水掛け論です。
処世術として、阿含経を倫理道徳的に学ぶのではつまらないと思いますね。
倫理道徳を学ぶのであれば、孔子の論語の方がはるかに優れているでしょう。
- 313 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/11(日) 11:04:56
- >倫理道徳を学ぶのであれば、孔子の論語の方がはるかに優れているでしょう。
カンニバルは支持できません。
- 314 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/11(日) 11:05:28
2011年3月11日東日本震災被害者の方々に、
心から哀悼の意を捧げます。
死者は12都道県で1万5854人。
不明者は6県で3155人。
死者・不明者は計1万9009人。
また、
昨日1945年3月10日東京大空襲。
この一日の空襲での爆弾の投下弾量は、
38万1300発、総トン数1783t。
死亡8万2793人、負傷者4万918人
被災者100万8005人、被災家屋26万8358戸。
東京は、1944年11月14日以降にアメリカ軍による
106回もの空爆を受けた。
これは戦時国際法、ハーグ陸戦条約違反、広島・長崎を
含めた「人道に対する犯罪」です。
「ヴァーセッタよ、いつか、いつの日か、長い時間が経過して、
この世界が破滅するときが現れます。
世界が破滅するとき、生けるものたちは、ほとんどが光音天に
転生するものとなります。
かれらは、そこで、意から成るもの、喜びを食むもの、自ら光を
放つもの、空中を行くもの、清浄にとどまるものとして、永く、
長時にわたりとどまります。
ヴァーセッタよ、いつか、いつの日か、長い時間が経過して、
この世界が成立するときが現れます。
世界が成立するとき、生けるものたちは、ほとんどが光音天の
身から没し、この(この人間の)状態にやって来ます。
かれらは、ここで、意から成るもの、喜びを食むもの、自ら光を
放つもの、空中を行くもの、清浄にとどまるものとして、永く、
長時にわたりとどまります。」生起経長部27第9部
- 315 :akb55:2012/03/11(日)
21:11:21
- >311
準さん、言葉足らずで申し訳ない。もう一度言いますね。
九星(九星を含む運命学全般)を勉強して行くということは過去の他人の研究
の成果を学び、それを実践し研鑚し独自の研究を加えて検証し、取捨選択し、
改良を加えて完成させて行く訳です。そうやって真摯に運命学と向き合って来
た人間ならば他人の本をパクって講義をするなんてことは有り得ないのです。
たとえ他の占い師がやったとしても、お釈迦様の成仏法を修行して聖者に
なったと宣言した阿含宗管長桐山靖雄がやってはならないことでしょう。
神仏に対して恥ずかしくないの?弟子に対して恥ずかしくないのって事ですよ。
中伝奥伝は非常に大切です。同じ内容なのだから中伝と表現しようが奥伝と
表現しようがどっちでも良いじゃないかという問題ではないのですよ。
他人が中伝として出した本を自分の奥伝として講義をするような腐った根性
の奴ってどうなのかって事です。
しかも九星では、どんなに研鑚してもカンと推理とインスピレーションを
加えてもシステムとして無理があるのです。オウム事件の時に検証しています。
- 316 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/11(日) 21:15:44
- >>311:準シュダオン12/03/11(日) 10:04:49
>あ、なるほどね、そういうことだったんですか。でもね、例えば、暦で本日を
>見れば、全国的に「五黄・友引」でしょう?ほとんどのカレンダーがそうなって
>いるのではありませんか?
>と、すれば、管長の占星術が、他人の本のパクリだとしても不思議はありませんよ。
>その「他人の本」とやらも、他他人の本のパクリかも知れませんよ。
まだ問題の本質がわかってないようですね。
他人の書いた本を教材に使うこと自体は決して非難していないのです。
その際は必ず信者に対して出典を示す必要があります。
桐山さんが他人の書いた本を独自に噛み砕いたのですらなく、そのまんま丸読みですよ。
それも全国共通のカレンダーの話と混同させてごまかそうったって無理です。
二度目の伝法の時はコピーを二つに分けて頒布したとか。
あれ全部コピーとって渡したら著作権法違反になるのではないですか?
ともあれあなたがここまで桐山さんの醜いパクリと出典隠匿のネタを聞いても
批判の気持ちすら起こらないところにあなたの洗脳度が読みとれます。
間違いなくあなたは洗脳されています。自己洗脳をしています。
否定したって駄目ですよ。
洗脳されてなければ教祖に対してだって全面とまでは行かなくても部分的には
批判も非難もするのが普通だからです。
それも今まで一度も出ずに擁護を続けているのは重症の洗脳患者です。
大慈悲心など持たぬ凡人の私にとっては、そんなあなたがこのまま一生洗脳された
ままで終わることに対してザマアミロと思っています。
- 317 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/11(日) 21:26:18
- >>312:準シュダオン12/03/11(日) 10:29:07
>まぁ、だからといって、師がすべてを話しているとも限りませんね。中村先生の訳を、
>100%、額面どおりに信じ込むのは危険ですよ。例えば、鳥獣に突かれる幽霊の
>お話しにしても、モッガラーナが口に出したんで、釈尊も仕方なく話したわけでしょ。
その仕方なく答えたことに対して、尚且つトドメのように釈尊はまるで不成仏霊
のような存在に対して「説かざる」と態度を変えないのです。
桐山教学だったら霊障は必ず説いて認識してもらい解消に目を向けさせねばならないのに。
それから釈尊は自らいろいろなことを知りながら説かないネタがいくつもあります。
経典にあるでしょ?
手に数枚の葉っぱを持って弟子に示す。
この森の中にある葉っぱを宇宙全体とするならば、自分が説くのはこの手の中の
葉っぱだけに過ぎない。
必要なのはそれだけで後は必要ないとしたのです。
その必要なことだけ説いて説き尽くしたと述べたのです。
つまり不成仏霊なんて必要のない話なんです。
- 318 :Boo:2012/03/11(日)
22:16:14
- akb55さんの追求した占星術についてはかつて私も私なりに追求しました。
過去レスでも示しましたが密教占星術Tの「人はどんな因縁を持つか」の
○○の因縁(○○星)がことごとく密教占星術(宿曜占星術)の27宿の音写
に非常に類似しています。
そもそも「密教占星術」とは「宿曜占星術」のことであり、十干十二支の世界観を
もつ中国の占星術とは明らかに違う哲学の上に成り立っています。言うならば
西洋占星術と同じ体系の上に成り立っています。
ゲイカはすべての占星術は密教占星術が源流である、と述べていますね。九星術を
「密教占星術」なんて呼ぶような無知はアゴン宗しかありません。空海が伝えた
宿曜経をもとに体系づけられている宿曜占星術だけが密教占星術であるという
日本の占星術史をちょっと勉強すればアゴン宗の占星術がいかにインチキかわかります。
それは同時にアゴン宗の「○○の因縁」がいかにインチキなもであることを意味します。
- 319 :準シュダオン:2012/03/12(月)
11:09:18
- >たとえ他の占い師がやったとしても、お釈迦様の成仏法を修行して聖者に
>なったと宣言した阿含宗管長桐山靖雄がやってはならないことでしょう。
>神仏に対して恥ずかしくないの?弟子に対して恥ずかしくないのって事ですよ。
私とは、考え方が違いますね。管長の三元九星・掛けの秘伝、とかは優れた本でしょ。
>中伝奥伝は非常に大切です。同じ内容なのだから中伝と表現しようが奥伝と
>表現しようがどっちでも良いじゃないかという問題ではないのですよ。
例えですけどね、護身術として柔道を教えていた師がですよ、ある程度強く
なった弟子に、奥伝として合気道の中伝を教えたら、どうでしょう?
柔道+合気道で、一段飛躍すると思いませんか。
それとも、他の武道の中伝を奥伝とするなんて、許せないですか?
>他人が中伝として出した本を自分の奥伝として講義をするような腐った根性
>の奴ってどうなのかって事です。
三元九星掛けの秘伝に加味するから、奥伝になるのでしょう。加味するのは、水晶で
も何でも良いと思いますよ。ネタ元がはっきりしているのであれば、ネタ元を明らか
にして、これを加味すれば三元九星掛けの秘伝の奥伝になる、と説明するだけで良い
でしょうね。
>しかも九星では、どんなに研鑚してもカンと推理とインスピレーションを
>加えてもシステムとして無理があるのです。オウム事件の時に検証しています。
占術は、これが良くてこれは悪い、なんて、決められないでしょう。いずれも科学的
根拠がなくて、怪しいものです。私は入行前に、テレビにも出た占い師の占断の様子
を見学したことがありますけどね、変な呪文まで唱えていましたよ。
- 320 :準シュダオン:2012/03/12(月)
11:36:25
- >桐山さんが他人の書いた本を独自に噛み砕いたのですらなく、そのまんま丸読みですよ。
>それも全国共通のカレンダーの話と混同させてごまかそうったって無理です。
>二度目の伝法の時はコピーを二つに分けて頒布したとか。
>あれ全部コピーとって渡したら著作権法違反になるのではないですか?
だからね、あくまで、三元九星掛けの秘伝がミソだと思いますよ。
三元九星掛けの秘伝さえマスターしたら、相当の力が付くはずです。
私は、私には才能がない、と早期に見切りをつけて、占いは止めましたけどね。
三元九星掛けの秘伝をマスターしたら、他の占術なども研究して、自分なりに
加味していけば良いでしょう。
>ともあれあなたがここまで桐山さんの醜いパクリと出典隠匿のネタを聞いても
>批判の気持ちすら起こらないところにあなたの洗脳度が読みとれます。
管長は、沢山の運命学やら占術を学んだ、と本に書いてますから、先人の本やら
文献も読んだのでしょうね。で、自分なりに良いと思ったものを信徒に伝えた。
それだけの話しでしょ?
それとも、密教占星術Tと密教占星術Uの本も、誰かの本のパクリですか?
それならば問題ですね↑。
まぁ、昔から、運命を予知する方法はいろいろと研究されているのでしょうから、
それらを継ぎ接ぎして世に出すことはよろしいのではありませんか?
私は、占術なんて、初めから眉唾ものに考えていますから、洗脳なんて有り得ない
のです。その点、何でも狂信してしまう、ユビさんこそお気の毒ですね。
- 321 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/12(月) 13:08:56
桐山さんの占術など、ただの小説に過ぎません。
四段掛けについても、辻褄あわせの「つくり物語」です。
物語なのだから、いかようにも都合よく結果を出せます。
今回、
akbさんが批判で問題にしたのはそのことではなく、
桐山さんが、斎藤擁道氏の「九星日盤鑑定要法中伝」を
無断活用して信者から金を徴収して講義していたことです。
その講義は、出典があるにもかかわらず、
桐山さん自身の握り拳の中を披露したような方法だからです。
桐山さんが、独自に研鑽研磨したかのような秘伝とみせかけた。
それは占い師という立場や、宗教家という立場でなく、
社会人として教える側の立場として、看過できぬ問題、
ということです。
すでに何年も前から ↓ 批判されていた内容です。
http://agama.zouri.jp/framepage9.html
この桐山さんのどこが、無限に発達した道徳心なのですか。
仮に桐山さんが超能力を開発したというなら、
道徳にたいして無頓着になる能力の拡大としかみえません。
この桐山さんの人として道を外した態度が批判されている。
- 322 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/12(月) 18:05:46
- >管長は、沢山の運命学やら占術を学んだ、と本に書いてますから、
桐山さんは、どこでどういう修業を何日かけて、
修業したと、一切明らかにしたことがない。
釈尊は、あの、歴史月日に曖昧なインドにおいても、
その痕跡は随所に残されています。
だが、
桐山さんから出る体験談は、すべて主観的わたくし小説に
すぎません。
バジアン師に会ってはじめて火の呼吸を知った。
ハタヨーガは誰から学んだのですか。
北野師からは、、あやしい密教作法を習ったら真言密教の
覇者にまでなったような自己宣告をする。
空海も覚鑁も成就したこともない念力のゴマ次第があるという。
グモンジ法の深山幽谷の修業の場はどこで、いつの話しですか。
三七菩提分法の七覚支は、いつ修業したのか誰も知らない。
すべて桐山さんが、執筆活動を駆使した時に出て来る話しです。
阿含経を読破したはずが、「増谷文雄著 原初経典阿含経」と
同一文が「阿含密教いま」なのがおかしい。
仙尼経の「與陰」を「異陰」と読み違える阿含経のベテラン?
その一環が、斉藤擁道氏の著書をパクッタ桐山九星奥伝です。
占いを学ぶなら、高尾政義氏の「原典算命学大系」のほうが、
まだその期待に応えらそうだというはなしがある。
- 323 :akb55:2012/03/12(月)
21:47:34
- 後出しジャンケンの桐山小説では、伊豆大島近海地震を予知できても
現実の阪神淡路大地震も東日本大地震も予知できない。所詮こんなものよ。
- 324 :Boo:2012/03/12(月)
23:30:31
- 準シュダオンさんの理屈は反論する気にもならない論外として、わたくしの意見を
述べさせていただく。
私は批判派から批判を受けるかもしれないが、他人の著作を盗用したことは100歩
譲って問題にしません。独自の占星術を生涯かけて編纂してもその的中率はおぼつか
ないことでしょう。
やはり悠久の年月が蓄積されて取捨選択されて星と運命との関係の傾向が読めると思う。
一つの運命学を勉強し極めて、そこから独自の運命傾向を読み解いて的中する運命学を
選択することは、相当に難しい。経験・研鑽から「これこれの運命学は的中するから
弟子に伝える」というのはありだと思う。当たる占星術を見つけることが非常に難しい
ことだからです。
まず、驚異的に的中率の高い占星術があったとして、東洋占星術の場合そのほとんどが
秘伝として伝えられているようです。更にそれを公開しようとするとかなりの抵抗にある
ようです。
仮にもし、驚異的に的中率の高い占星術を見つけて、それをそのまま弟子に公開しても、
それは著作権的に、または倫理的に問題があっても、信者の利益優先のため教団内だけに
おいてのことであれば信者や弟子としてはOKではないかと思う。
最大の問題はそういうレベルの占星術とは程遠いということです。的中の統計も、占断の
蓄積もない他人の書いた「占い本」をそのまま弟子に伝える、などは信者や弟子を集金
マシンとしか見ていないとしか言いようがなく、言語道断であります。レベルで言うと
雑誌の占い記事を集めてコピーして「秘伝・奥伝」として伝えているようなものである。
- 325 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/12(月) 23:36:35
- >>320:準シュダオン12/03/12(月) 11:36:25
>管長は、沢山の運命学やら占術を学んだ、と本に書いてますから、先人の本やら
>文献も読んだのでしょうね。で、自分なりに良いと思ったものを信徒に伝えた。
>それだけの話しでしょ?
>それとも、密教占星術Tと密教占星術Uの本も、誰かの本のパクリですか?
>それならば問題ですね↑。
では桐山さんがたくさんの運命学やら占術を学んだことにしましょう。
そのたくさん学んだ集大成として桐山さんが独自の伝法をするのならば
たとえその伝法ネタの一部に齋藤擁堂さんの著書にネタ元が散見されたとて
それだけのことならば不問にしますよ。
しかし今回の(当時の)奥伝伝法会というのはネタが百%齋藤擁堂本なんですよ。
だったら桐山さんはどうしてこれを公開しないのか?
大学の授業でテキスト、教科書を買わせるのは何もその教授の書いた本である
必要はない。
学問の普遍性を考えたら寧ろ他の学者の書いた本をテキストにする方がよい面すらあります。
多くの学生に大学の生協などで買わせるわけだから出版社などに予め何十部と
予約タイアップしておけばよい。
桐山さんもそうです。
齋藤擁堂さんのところに連絡して「あなたの著書は素晴らしい。これをぜひとも
わが信者たちに教えたいので、増版をお願いしたい」と許可を得る。
そして信者に対しては「今回の伝法は先年発売された齋藤擁堂さんの著書をテキストに使う。
非常によく出来た秘伝書なので、これを一冊マスターすることは価値がある。
もとより三元九星がわが密教占星術の全てでも奥伝でもなく一部に過ぎないが
その一部は占いのカンを養うのに重要だから教えるとは最初に示した通りだ。
だからこの素晴らしい齋藤擁堂氏の秘伝をテキストにするのでマスターして欲しい」
とすればよいではないですか?
どうしてそれをしないで、伝法会の百%ネタ元の出典を隠匿するのですか?
- 326 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/13(火) 08:04:23
- 他人の書いた著作を百%借用して丸読みであれなんであれ活用するのですよ。
しかも古くに書かれた古文書の類ではなく、つい数年前に出版それに対して
出典を示さないなんて、そんな非常識が通るわけがありません。
著書などでも他人の書いた本の部分引用は自由です。
しかし必ず引用元を示すのが義務です。
丸読み講義のテキストに出典を示さないなんて、これは著作権法の違反ですね。
- 327 :準シュダオン:2012/03/13(火)
11:39:22
- >もとより三元九星がわが密教占星術の全てでも奥伝でもなく一部に過ぎないが
>その一部は占いのカンを養うのに重要だから教えるとは最初に示した通りだ。
>だからこの素晴らしい齋藤擁堂氏の秘伝をテキストにするのでマスターして欲しい」
>とすればよいではないですか?
>どうしてそれをしないで、伝法会の百%ネタ元の出典を隠匿するのですか?
斎藤氏の秘伝なるものが、斎藤氏の100%オリジナルとも思えません。やはり、
先人の研鑚した成果に、何らかの工夫を加えたのが、斎藤氏の秘伝でしょう?
問題は、管長本、三元九星掛けの秘伝なるものが、何かの本のパクリか否か、と、
いうことでしょう。それが根本ですよ。
密教占星術TとUの本が、独自性を持っているならば、何も問題ないですよ。
それに他人の本の一部を加味して奥秘伝とするのも、問題ないでしょう。
だいたい、本にして世に公開するということは、それを活用して欲しい、との
著者の思いがあるのではないですか?
出典を隠匿したとて、この情報化社会、隠匿の意味もないと思いますね。
占術の世界では、管長本の三元九星掛けの秘伝なども、盗まれて活用されている
と思いますよ。それで良いではないですか。運命を予知する方法があったら、誰の
発見であろうと、世の人々のために役立てたら良いのです。
私は若い頃から、占いなど、非科学的ですから、真剣に考えたことはなかったけど、
今から三十年以上も前に、職場などで、数人のプロの占い師に出逢っています。
昔は今よりノンビリしてて、たまに職場に流しの占い師などが来てね、商売など
してました。完全にインチキ臭いのもあれば、良く当てる占い師も居てね、
なんで人の運命が解るんだろう、と不思議なこともありましたね。
- 328 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/13(火) 12:17:58
>それとも、密教占星術Tと密教占星術Uの本も、誰かの本のパクリですか?
それならば問題ですね↑。
桐山さんの「四段掛け」も「霊崇秘伝」も他人からのパクリです。
ネタは、陽新堂主人(大畑裕)氏の↓九星陶宮術秘密奥傳書です。
http://agama.zouri.jp/tane%20top.html
桐山さんに 自身独自で研鑽したオリジナルなどあるわけがない。
- 329 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/13(火) 13:43:31
- >>327:準シュダオン12/03/13(火) 11:39:22
>斎藤氏の秘伝なるものが、斎藤氏の100%オリジナルとも思えません。やはり、
>先人の研鑚した成果に、何らかの工夫を加えたのが、斎藤氏の秘伝でしょう?
齋藤氏の秘伝が齋藤さんが考え出したオリジナルであるとも思われません。
やはりそれは古くからの口伝とかを集めたものと思われます。
しかしその編纂、編集作業って並々ならぬ努力が必要ですよね。
これを借用するからには断りを入れるのが礼儀です。
ましてや明治時代や徳川時代の古書ですらなく伝法の数年前に出た新刊本と言える。
とにかくこの伝法会の全内容は齋藤本の全内容なんですよ。
桐山さんは明らかに齋藤本を入手して、こんなマイナーな稀少本など誰も知らないだろうと高をくくって信者に提示したのです。
それはちゃんと証拠が画像にまで残ってあります。
http://souko.digi2.jp/mede01/okuden01.htm
二回目の伝法の時コピーを配ったのです。
活字ではなく手書きですね。しかし筆跡は桐山さんのものではない。
伝法に参加した人がこの齋藤本も入手して全く同じものだとわかったのです。
>問題は、管長本、三元九星掛けの秘伝なるものが、何かの本のパクリか否か、と、
>いうことでしょう。それが根本ですよ。
いや、あの桐山本自体はいろいろなネタの出典元は一部明らかになっているとはいえ、
あの著書を以てパクリ本とは私は述べてないのです。
昔、橋幸夫さんもテレビで九星の講義をお茶の間の奥様向けにやっていたが
明らかに受け売りであり、カレンダーの解説と同じです。
>それに他人の本の一部を加味して奥秘伝とするのも、問題ないでしょう。
だから一部ではなく全部なのです。
伝法会の全内容が齋藤本の全内容です。
それを断りもせずに誰も知らないだろうとやってのけた。
大問題ですよね。
- 330 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/13(火) 13:53:06
- >>327:準シュダオン12/03/13(火) 11:39:22
>だいたい、本にして世に公開するということは、それを活用して欲しい、との
>著者の思いがあるのではないですか?
>出典を隠匿したとて、この情報化社会、隠匿の意味もないと思いますね。
その為には断りを入れるというのが当たり前の前提です。
引用元を明らかにするということですね。
桐山さんだって、たとえば阿含密教超能力の秘密とか自分の著書の巻末に
この本の引用は自由ですが、必ず断りを入れてください、殊に著者独自の行法
システムに関しては許可を得ないで使用することはできませんと書いています。
私が人を集めて聴講料をとって桐山本の内容を丸ごと話して、桐山さんやアゴン宗
の名前をこれっぽっちも出さないで、さも私が創始したかのごとく示したら
あなたではなく、アゴン宗はどうしますか?
情報化の時代なんて一般論を述べたところで多くの大衆に普及しない齋藤本の
ような情報もあるのですよ。
だからこの剽窃が一時成功したのです。
- 331 :Boo:2012/03/13(火)
14:37:08
- >桐山さんだって、たとえば阿含密教超能力の秘密とか自分の著書の巻末に
>この本の引用は自由ですが、必ず断りを入れてください、殊に著者独自の行法
>システムに関しては許可を得ないで使用することはできませんと書いています
ああ、そうそう。「著者独自のシステムのため誤って伝えられるのを恐れるため」
なんて言い訳まで書いていますね。
要するに自分が他者の本を無断でまる写しみたいなことをしているので、他の人も同じこと
やってるんだろうな、という心配というか心根があのような表現になっているんでしょうね。
まあ、いろいろ議論の余地はあるようですが(本来的には何の議論も議論の余地も見当たりませんが)、
「こと人の運命に関する限り不可知ということはない」という的中率120%の密教占星術は難解な古書
を桐山さんが「解読」し時にはインスピレーション、霊示などで編纂完成し現代に伝える、
という占星術の「奥伝」が誰かの書いた本のまる写しって何よ?
- 332 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/13(火) 14:57:23
- 今までは占いに詳しいとかかなり凝っていて斉藤本を知っている人で無いとゲイカがパクリを
していることなど大きくはバレ無かった。
ところが数年前からネットが普及し、尚且つレアな本も復刻版で販売するなどがあり、今まで
バレづらかったことが明らかになってくる時代です。昭和の時代から平成に入って段々とこういう
時代に成ることなど誰も予想だにしなかったでしょう。
情報化の時代と言われて久しいが、今は本当にその情報の威力の凄さに感嘆する。
それは批判だけに留まらないが、何かを示す際に画像や動画で示すことが出来るからです。
例えば今は流出して無いが阿含宗の法話の映像(動画)などがYouTubeなどにたくさん
UPされて誰でも検証できるようになったら、阿含宗も致命的です。
ゲイカの発言が直にいつでも見られる・調べられるのですからかなり痛い。
本に書いたことの引用や暴露も凄いが、動画で発言を押さえられたら困るのはゲイカです。
ぜひ、そう言う時代が来て欲しいと思う。
- 333 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/13(火) 15:06:01
占いであろうが、預言者であろうが、
それが人生において本当に役立つか。
占いの底流は、ほとんどが統計の集積です。
桐山さんが言う「カン・インスピレーション」は、
相手の顔色をうかがう手法の意味です。
相手の言動一つを取りこぼさず、話しを合わせてゆく。
火剋金の場合、誰かが剋されるという五行の相剋を
悪い例に出しても、金は火に鍛えられるという良い例えもあり、
それを相手に合わせてあげて話しを進める。
こういうのが、占い師の手法の基本です。
ほんとうに未来を予見できるなら、どうして占断術に
たよるのでしょう。
霊視力がほんとうなら、占断など必要ありません。
占断術をきたえて霊視力が身につくなどと、
桐山さんはもっともらしいこという。
しかし、アゴン宗で霊視力が身につき発揮できるという
信者を私は知りませんし、見たこともない、自称以外は。
- 334 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/13(火) 15:07:02
- そして動画は今後「出てきたら」の希望的推測だから横に置いても、画像の暴露も検証に
非常に役立っている。
特に頑迷な信者さんは文字だけで訴えても中々納得しない。
まあ、稀に画像を見せても理解できない阿呆もいるが、普通は批判意見に即す画像や資料を
提示したならそれを見て理解を示すものだ。
資料提供の方々のお陰で提示できるのですが、本当に凄いと思う。
実際物が無ければ提示したくても出来ないからです。
自己の記憶や経験で何かを知ってても「こうだった」という発言だけで終わる。
証拠というまでは行きすぎでしょうが、実際示せるものがあるのと無いのでは全然違う。
私などは退会したのだから「阿含関連物は要らないだろう」と一部焼却してしまった。
後になって関連物は画像に残して置いてから処分すべきであったと激しく後悔した。
やはり資料的物質は必要ですね。
今回は「占い」に特化して論じられていますが、本当にレアな資料をお持ちの方が提供
してくださったお陰で画像として示すことが出来ます。
決して言いがかりではなく実際の証拠物になりうる画像提示は本当に強い力です。
また検証に非常に役に立ちます。
もう、ゲイカのインチキはどんどんバレてきています。
- 335 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/13(火) 15:07:25
釈尊は、来世をも見通せる通力の第一人者です。
しかし他人を占わない、そういう生業は卑しいとまで説いた。
釈尊が占断できたなら、誰それが解脱できる、誰それは預流まで、
と言い当てたはずです。
しかし占いを否定したのは、その者の行いが来世を決めるからです。
釈尊は、人の行いを見てその者の来世を見たのです。
釈尊が、諸行無常を説いたことは周知のことです。
そうであればどうして占断で人の未来や運命を見通せるのですか。
ある者は、修業を完成して未来を変え、ある者は欲の赴くままに息絶えた。
分かりやすいのはアングリマーラです。
彼は殺人者から解脱にいたり、裁かれるべき殺人者の未来が変った。
その者の行いによって、未来も果報も変わるのですから、
占いで決まるはずもなく、結果を当てになることはできない。
占いとは、人の吉凶を判断することですから当然、凶を気にして
方角なり事を為す日取りまで取り決める。
それは吉を求めることであり、欲望の達成という結果をまねく。
しかし諸行は恒常ではなく、万物は流転しているのですから、
その行く末は常に変化する。
変化するものに依処することは、煩悩の生起に繋がるから、
釈尊は、それら流転する結果を追い求めることを否定した。
- 336 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/13(火) 17:22:00
桐山さんは、他人の研鑽した所説の伝書を無断盗用し、
信者から伝法料金を取った。
それでいてその非常によく当るという占断を
世俗の賭け事に使うようなことを戒めた。
いかにももっともらしいが、その意味は当らない
場合に信者の不信感をそらすためです。
初心の者ほど良く当るなんて言いながら、
はずれた場合の不評を先にふたをしておく。
これが桐山さんの手法です。
桐山さんの理想は、アゴン漫画のままです。
その漫画に出てくる「桐山師」こそが桐山さんの
理想自画像です。
現実の桐山さんは、世俗の功名に耽溺し執着している。
しょせん桐山さんは、現実の世界では何の実力も発揮できない。
過去の所行を見れば、ハコモノ建設に便乗した信者からの収奪です。
桐山さんの妄想の蓄積が、数々の桐山著書でしかありません。
いかなる才能ある画家でも、最初は模写から始まり、
その経緯を得て、独自の画法や画題を探求し構築できるようになる。
だが、桐山さんの場合は多少の文才を鼻にかけて読傾した作者の
作風作文を剽窃する行為に抵抗をおぼえず、その禁を破った。
無限に発達した道徳観とは、道徳心を麻痺させる麻薬のような
虚栄心だったようです。
釈尊の説く涅槃は、計る物差しがない世界ですが、
桐山さんの場合は簡単に虚栄心という量りで計測できます。
- 337 :準シュダオン:2012/03/14(水)
10:08:11
- >私が人を集めて聴講料をとって桐山本の内容を丸ごと話して、桐山さんやアゴン宗
>の名前をこれっぽっちも出さないで、さも私が創始したかのごとく示したら
>あなたではなく、アゴン宗はどうしますか?
それとは、事例がちと違うね。仮に、ユビ流四柱推命とかの講義をして、その
奥義として管長の三元九星掛けの秘伝、を応用したとする。
その場合は、あくまで、ユビ流四柱推命が核なのであって、三元九星掛けの秘伝は
付け足しに過ぎない。そんなに非難されるべきものではないと思うね。
管長の場合も同じことね。「三元九星掛けの秘伝」なるものが、齋藤氏の本のパクリ
なら問題であるが、そうでない場合は大した問題ではないでしょう。
管長の占術の場合、「三元九星掛けの秘伝」が中心なのであって、あとは各自、
それに工夫して付け加えたら良いのです。手相を加えたり、文字を書かせて占ったり、
呪文を唱えたり、水晶を眺めたりと、ね。
私の場合は、実占してもカンもインスピレーションも湧かなかったし、占いも
当らなかったのですぐに研鑚を止めたのですが、最近になって、なんとなく占術の
技量が上がっているような感じがするから不思議です。最近、政治的なあること
を占っておいたら、占断のとおりの結果になって、驚きましたよ。
- 338 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/14(水) 11:09:01
- >管長の場合も同じことね。「三元九星掛けの秘伝」なるものが、齋藤氏の本のパクリ
なら問題であるが、
すでに>>328で示したように「掛けの秘伝」の種本は、
agama考察室にあります ↓。
http://agama.zouri.jp/tane%20top.html
密教占星術Uの初版出版は、昭和53年3月です。
陽新堂主人(大畑裕)氏の初版発行は、
昭和3年4月25日の「九星陶宮術秘密奥傳書」です。
平成16年3月には、「秘伝実験神仏霊妙開運大秘書」
として、八幡書店から復刻版が出版されています。
つまり四段掛けは、桐山さんのオリジナルではありません。
内容も、種本を現代語に直したり表現を変えたりと、
いわゆる、それこそ剽窃の見本のようなものです。
斎藤擁道氏の「九星日盤鑑定要法中伝」を
無断活用したのは、つぎの奥伝に関してです。
氏の書は、当時珍しい手書き本だったのです。
ガリ版印刷(謄写版)の時の手法です。
書体を見ればわかります。
桐山さんは、著述家として最低限のモラルすら無視したのです。
- 339 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/14(水) 11:44:40
- >管長の占術の場合、「三元九星掛けの秘伝」が中心なのであって、あとは各自、
それに工夫して付け加えたら良いのです。
占断の経験がないからの判断です。
ALCでもなんでも、相手を占う材料は、
すべて過去の事例の集積です。
相手の発する言葉をヒントにただ合わせる。
何度もおこなっていれば九星の年盤はすぐに
頭の中で組めます。
七赤金星の相手が離宮に入っていれば、
火剋金で、離宮の象意は公難や手術などと
考え及びます。
それを剋されると取るか、火によって鍛えられると、
考えるかは、相手の言葉からうかがい知れるものです。
こんな程度が、桐山本の主体なのです。
それを運命学は帝王学だの、諸葛孔明の八門遁甲や
伏義・神農兎王のころよりの天源術だのと、勿体をつけた。
成敗帰趨、勝敗順逆、生死興亡の神秘術なんて言葉を飾る。
それも歴は、天海上人が九星暦を変えたなどと言い出して、
その元歴を発見したからこの次ぎには世に出すと言いながら、
すでに34年間を経ても、ダンマリで何も出て来ません。
桐山妄想が、別なところへ興味が移ったからです。
- 340 :大東洋
◆18iA.mwnDU:2012/03/14(水) 14:20:06
- >>337:準シュダオン12/03/14(水) 10:08:11
>それとは、事例がちと違うね。仮に、ユビ流四柱推命とかの講義をして、その
>奥義として管長の三元九星掛けの秘伝、を応用したとする。
>その場合は、あくまで、ユビ流四柱推命が核なのであって、三元九星掛けの秘伝は
>付け足しに過ぎない。そんなに非難されるべきものではないと思うね。
何を勝手に他人の事例を決めつける?
私の出す事例とは桐山本の丸読み講義です。
それを本を丸読みしているのではなく、あたかも自分の言葉で語っているかのように
演台で講義をすることです。
もちろん桐山靖雄もアゴン宗も一言も出さぬ「ユビキタスの体験とそのメソッド」です。
これに相当することをしたのが、桐山さんの密教占星術奥伝伝法会において
齋藤本の丸読みが全てであったことです。
- 341 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/14(水) 15:20:55
桐山さんは、占断術でも自己研鑽したものは無く、
他人からのパクリだと、すでに証明されていました。
その桐山さんは、霊視が充分働かないときは、
占いに頼るようなことを述べていました。
あたかも占いにチカラがあるかのような言い草ですが、
どちらも主観的内容で、常ならざるものへの言及です。
未来を見通すことで、世俗の憂いや欲目を信者にあおっていた。
釈尊は、なんと言っているか見比べるべきです。
利益と損失、ほまれとそしり、非難と賞賛、楽しみと苦しみ、
これらのことがらは人間においては無常であって、
恒久ならず、変滅するものである。
智者はこれらを知って、心をとどめて、変滅するものどもを
観察する。
愛しの事物も心をみださず、好ましからぬことだからとて
怒りにおもむくこともない。
かれにとっては順、逆ともに消散し、無に帰してもはや存在しない。
塵垢無く、憂い無き境地を知って、迷いの生存の彼岸に達して、
正しく知る。(増支部W 157〜160)
仏教は通力や、おまじない、占い、呪術的な医療、
呪術的祭式、儀式偏重などすべて否定していた。
重視すべきことは、「あるがままの真実に即した道理であり、
普遍的な真理としての法であった。」(仏教本当の教え 植木雅俊著)
- 342 :Boo:2012/03/15(木)
13:00:32
- 準シュダオンさんだろうが誰だろうが、九星術である「三元九星掛けの秘伝」が
「密教占星術」だなんて思っていないですよね。最終的に「○○の因縁」を割り出し
その星が動く「天命殺」をわりだす占星術が「密教占星術」とやらなんですよね。
それを公開すると言って何十年も経つのに「内弟子」にさえ伝えていない。いまだに
九星の(だれかの)「奥伝」しか出てこないのはなにゆえなの?
アゴン宗おかしくね?
- 343 :akb55:2012/03/15(木)
23:58:43
- Booさん流石ですね。私もそろそろ書く頃かなと思っていました。先を越さ
れてしまいましたね。桐山さんのハッタリでしょう。桐山さんは九星しか知ら
ないのではないですか?今度いままで伝法したことのない秘伝を伝授するらし
いですが、私は九星略盤法だろうと見ています。近くchs1の方で公開しよ
うかと準備中です。
ネタ本は[九星学(気学)入門]
初めて九星を学ぶ人用の入門書で、227ページの本ですが、略盤法は其の中
の59ページから75ページまで、わずか16ページのものです。信者の皆さ
ん、こんなものをお金を払って学ぶ必要はありません。お金を払って学んだと
思って、浮いたお金で旨い物でも食べてください。
- 344 :名無しさん:2012/03/16(金)
05:12:40
- >341
他人様を背後霊などと、貶す御方が批判を展開されて、如何なご姿勢でしょうか。
- 345 :Boo:2012/03/16(金)
09:20:29
- >>343
akb55さん
>桐山さんのハッタリでしょう。桐山さんは九星しか知ら
>ないのではないですか?今度いままで伝法したことのない秘伝を伝授するらし
>いですが、私は九星略盤法だろうと見ています。近くchs1の方で公開しよ
>うかと準備中です。
本当にそうですね。秘伝だ、奥伝だ、と言って九星しか出てこない。結局は究極の
「密教占星術」など桐山さんは身につけていない。このことは何を意味するかというと
人は「○○の因縁」の操り人形であり、因縁解脱しなければ自由な人生を創造できない、
そのために「因縁解脱」を修行するんだ、というアゴン宗の存在理由にもかかわってくる。
120%的中する運命学を教祖様が極めて、運命をすべて見越せたからそこからの解脱を
刻苦精励の末辿り着いたのが「因縁解脱千座行」であり、仏舎利招来により発展形となった
「仏舎利宝珠尊解脱宝生行」なのだが、そもそもその「○○の因縁」を割り出す運命学
自体がはったりだとしたら、その先の「修行」がすべて根拠のないものになってしまう
わけです。
私は「密教占星術」を出せないから、「霊障」だの「供養」だのの路線に切り替えたん
じゃないかと思うこともあります。
- 346 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/16(金) 16:58:51
桐山さんの秘伝とは、以下に示すものです。
町の占い師も碩学もこれ以上を超えた理論は、
ありません。
どんなにむずかしい組み合わせを考え、
理屈を作り上げようと、過去よりの事跡の大勢でしかない。
この占いから悪因縁を出す方法は、立正佼成会からの
パクリです。
梅花心易であろうが、卦立ての導きの決め手は、
カンと推理とインスピレーションです。
九星は、運命バイオリズムかのように配置されている。
中宮を頂点とし、坎宮が最底辺の運気の上昇と下降です。
そこに、離宮と坎宮を小天命殺としているから、
9年に二度も運気が下がることになる。
それはシステム工学の方法に他ならない。
システム工学の方法とはこうだ。「すべとを
見よ。そして多くを捨て、見込みのあるものだけを
えらび、それをねらえ」――占術は、それを、
カンと推理とインスピレーションでおこなうのだ。
(密教占星術U)
- 347 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/18(日) 15:30:35
密教占星術が何の欲にも立たないのは、
桐山さんが、自身の経験から証明しています。
桐山さんは、ガンの因縁を克服したと言っていたが、
現実にその存在の有無は、桐山さん自身しか知らない。
当時医者から、初期であれ潰瘍の痕跡など証明されて
いたなら、一応は説得力はあったでしょう。
ところが、桐山さんは申告すらしていない脳障害の因縁を
出した。
脳梗塞で二度も倒れたのですが、現実はまだ小さな発作が
何度か起きていたかもしれません。
桐山さんは、解脱者を宣言しても因縁を出すことはある、
という考えに信者さんは、凝り固まっている。
だからこういう現実を信者さんは、管長は脳障害の因縁を
克服したと、解釈してしまう。
だが桐山さんの占いは、自身に何の象意も出ず役立たなかった。
釈尊は、人生は短いと警鐘しています。
身見・疑惑・戒取という三結のうちの「戒取」とは、
簡明に言えば仏道以外の教えに「こだわる」ことです。
師はいわれた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、
相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、
正しく世の中を遍歴するであろう。(560スッタニパータ)
桐山さんの占術は役立たず、阿含経の意義にも合致しないとの意味です。
占術を研鑽する方は、桐山流から離れたほうが、よほど手ごたえを得る。
- 348 :akb55:2012/03/18(日)
22:23:17
- >桐山さんの占術は役立たず、阿含経の意義にも合致しないとの意味です。
>占術を研鑚する方は、桐山流から離れたほうが、よほど手ごたえを得る。
まったくその通りです。信者の皆さん占いをやめることをお薦めしますが
しかし、新宿の母(栗原すみ子さん)が失意のどん底にあった時、占い師
の助言で一筋の光を見て生きて行けた。だから自分も占い師になったのだ
という意味のことを言っていました。そういう意味では占術を研鑚する事
はありだと思います。桐山流の密教占星術を30年やってみたけれど大し
た事はありません。しかし、易学は僅か数年で手ごたえを感じます。
ひとつ占例を披露した方が解り易いかとも思われますので古い占断ノート
から拾ってみますね。
平成7年9月6日7時45分 坂本弁護士一家の遺体捜索が始まった
発見されるか?元教団幹部が同行しているので、今日明日にも発見され
るものと思われる。机の中からサイコロを出して振ると、「雷澤帰妹」
の三コウ(漢字が出ない)である。「帰魂の卦」だ。事件が起きて
約6年になる。やっと魂が帰ることが出来るのか。新井白蛾の秘伝では
内卦の変は今日である。事務員のおねえさんに今朝のニュースで坂本
弁護士の捜索が始まったと言っていたけど、今日中に発見されるからね
と告げた。《結果》18時10分頃、遺体の一部が発見された。
八面サイコロを転がして僅か数秒でこれだけの判断が可能です。勿論
いつでもという訳ではないですが・・・。
- 349 :akb55:2012/03/18(日)
22:49:46
- 関連した占例をもうひとつ
平成7年9月9日7時40分 坂本弁護士夫婦の遺体は発見されたが
龍彦ちゃんの遺体がまだ発見されれない。発見されれるか?例によって
サイコロを振ると「澤風大過」の五コウである。大過は棺桶の象である。
両親の遺体が供述の通り発見されているので、発見は時間の問題であろ
う。新井白蛾の秘伝では外卦の変は明日である。
《結果》翌10日16時すぎ、遺体の一部が発見さら更に18時30分
頃までに、ほぼ全身の遺体が発見された。
九星などの素人占いなど止めて易学を研鑚したら如何でしょう。
オセロの中島さんの例を出すまでもなく、他の占い師に頼るのではなく、
あくまでも自分で研鑚することです。易者もイカガワシイのが多いです
からね。
- 350 :akb55:2012/03/18(日)
23:13:28
- 発見されれない→発見されない 発見されれるか→発見されるか
新井白蛾の秘伝はこれだけではありません。
天眼通、極秘天眼通卦法、天眼響通伝、五隣伝の法などですが、
やはりどれを使うかはカンとかインスピレーションでしょうね。
だけどカンが働くようになります。
- 351 :準シュダオン:2012/03/19(月)
10:24:18
- >仏教は通力や、おまじない、占い、呪術的な医療、
> 呪術的祭式、儀式偏重などすべて否定していた。
> 重視すべきことは、「あるがままの真実に即した道理であり、
仏教では否定しようとも、私はそれらに効能がある場合を知っている。
私の知人で、どこの病院に行っても体の苦しみが取れない人がいた。
その人が、思い余って、「法華さま」と呼ばれてる町の拝み屋さん、へ行き
祈祷をしてもらいました。
「いやぁ、ケロリと苦痛が取れたよ!世の中には不思議なことがあるもんだね.」
と、その人は言っていましたね。
「あと数日、来るのが遅かったら、あなたは死んでいた」と、拝み屋さんに言わ
れたそうです。
今から30年以上も前の話↑ですけどね。
- 352 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/19(月) 11:59:32
- >その人が、思い余って、「法華さま」と呼ばれてる町の拝み屋さん、へ行き
祈祷をしてもらいました。
>「いやぁ、ケロリと苦痛が取れたよ!世の中には不思議なことがあるもんだね.」
と、その人は言っていましたね。
その町の拝み屋さんにも劣るのが桐山さんです。
何の力も発揮できない。
桐山さんの奥さんも救うことが出来なかったのだから、
その実力は押して知るべしです。
akb55さんが、研鑽している易学を批判していないのと
同じように、世の不思議現象や易学の実力者をテーマにしていません。
批判はそれらを問題にし、批判しているわけではありません。
桐山さんの占いや霊視力など、根拠も実績もないインチキだと、
批判しているのです。
- 353 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/19(月) 13:11:04
昔のことですが、桐山さんは会員に頼まれ、病人の祈祷をし、
数珠で痛い箇所をさすってあげても何のチカラも
発揮できないことを悟った。
力のある宗教でなければ他者を救済できない!?
これが桐山さんが宗教家として進むきっかけです。
だが、実際はチカラ・パワーを売り物にしようとしたに、
すぎない。
現実、桐山さんの当時は、1948年頃横浜に「皇大治教」の
布教所を開設していたと指摘されていました。
北野師はその前身「皇道治教」
という脱税宗教と関連があった。
北野師は、桐山さんの師匠です。
出発点が、宗教家を目指したものではなく祈祷師でも占い師でもない。
その先に詐欺・ニセビールつくりのみならず管理売春疑惑という罪状で、
逮捕され、名を「観音慈恵会」と改めたとの指摘も過去ログ批判板にあります。
ここから桐山さんの現実逃避癖が始まった。
普通の人間なら現実を受け入れ、反省し、罪を償い、二度とその世界から
足を洗い離れるはずです。
しかし、桐山さんは現実から逃避して超能力で偉人になる夢を目指した。
そのためには、占いも密教も焚き火もすべて桐山さんの道具に過ぎない。
akb55さんの長年の研鑽したノートを勝手に流用して、
占いの大家だと宣告するようなことを、桐山さんは平然と成し遂げたのです。
- 354 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/19(月) 13:50:28
- >世の中には不思議なことがあるもんだね.」
と、その人は言っていましたね。
以前にも書きましたが、信者時代に家人が勝手にアゴン宗の
法施法具をよく当たるという「町の拝み屋さん」に
見てもらいに行きました。
手に取るや否や、「これは汚れている」と言われそうです。
信者さんが、不思議現象や霊視を信じるならこういう結果も
信じられることになります。
桐山さん一人が、世の霊能者を代表するものではないはずです。
護身法切って白手袋で触れねばならない法施が、なんと不浄だった。
これが世間の客観的感想です。
アゴン宗の名も出さなければ、どこの何とも言っていない。
今の知り得た情報で考えれば、たしかにあの「町の拝み屋さん」の
霊視力は、正しかったことになります。
あの「町の拝み屋さん」の評判は高かったから、家人が見てもらった。
桐山さんの評判の高さは、どこに有りますか?
すべて桐山さんの自己申告と自画自賛でしかない。
巷の評判の高さすら聞こえたためしがありません。
- 355 :準シュダオン:2012/03/20(火)
15:37:33
- >護身法切って白手袋で触れねばならない法施が、なんと不浄だった。
>これが世間の客観的感想です。
それは主観的観想というものですわ。私が例に出した「拝み屋さん」へ行った
人はね、普段はガチガチの唯物論者でね、神仏が大嫌いな人でしたよ。それが、
切羽詰ると拝み屋さんまで頼るのだから、なんか可笑しいのよね。
その人にとっては、倫理的な仏教よりも、祈祷の方が有り難かったでしょうね。
あとね、私の知人に、ツイタチ護摩のお守りを貸したことがあるけどね、後で、
その人が、効き目があったからと、1万円のお金を添えてお守りを申し込まれた
こともありますよ。それと何より、私自身が体験してるからブレようがないの。
世間の評価もね、ある宗教行事がテレビの電波に乗るなんてことは、大変なこと
でしょ、たとえ、ローカル局だとしてもよ。阿含の星祭りはそれを何年も続けて
いますからね。
各種法施もね、邪信や狂信の場合は効き目がないのは、当たり前でしょうね。
- 356 :Boo:2012/03/20(火)
22:26:52
- >各種法施もね、邪信や狂信の場合は効き目がないのは、当たり前でしょうね。
これは逆ですね。私の経験から邪信や狂信のほうが効き目がある。
- 357 :干柿:2012/03/20(火)
22:29:50
- ばかばかしい成田山のお守りでも効果有ったという人いっぱいいるわw
成田山なんかわざわざTVで宣伝しなくとも人いっぱい
なんで阿含宗は何年も電波に乗せているのに一般参拝者も年々少なくなり
信者ばかりに、その信者も年々少なくなり、奉仕者も人手不足になりつつあるの?
それに星まつりのTV放送のスポンサーって阿含宗、こうわ食品、平河出版ですね
よーするに阿含宗がわざわざ金払って放送しているんだよわからないんでしょうかw
どこが何年も続けることが大変なことなんでしょうかね、わざわざ阿含宗では
昔から宣伝布教のためにはこういうことはやっているんですよ無知としか
いいようがありませんねw
法施が効き目がないとかあるとかいうのと不浄だとか清らかというのは
判断の基準がちがうでしょう、何言ってんだかw
また邪信や狂信の場合は効き目ないというが、あなたの正信の基準て何なの?
どうせ効き目のない人は邪信狂信と勝手にきめつけてるだけなんでしょうがw
だいたい法施って何か効き目を期待するものだったかね?あれって曼荼羅
とか御尊像とか拝む対象物やお守りとかじゃね。チャクラペンダントとか
あったけどあれでチャクラ開発できた人いるかよwだいたい詳しい使い方
なんか説明したことないし、まあ今となってみればクンダリニーヨガなんか
全く知らないゲイカだったのだが、御法施ってそんなものでしょうが
効き目があるとかないとか、そんなのは気休めと自己暗示なの
なにが効き目なのそんなの期待しての法施なら毎日拝んでいる守護仏の御法塔は
何なののか?とかいう疑問はわかないわけ?洗脳されているとダメなんでしょうけど
自分もそうだったからねwそれでもこういった掲示板とかに参加したり広く本など
読んで勉強したりすれば少しは客観的に見られるようになるのですが(いやそれ以前
にいくら洗脳されていてもこりゃおかしい!っていうのありましたけどね)
あなたはダメみたいですね、どうしようもない。邪信ていうのはあなたのこと
みたいですがwあなたの信仰は阿含宗じゃなく準シュダオン教ですから狂信というより
邪信ねw
- 358 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/21(水) 08:45:35
- >>351:準シュダオン
12/03/19(月) 10:24:18
>私の知人で、どこの病院に行っても体の苦しみが取れない人がいた。
>その人が、思い余って、「法華さま」と呼ばれてる町の拝み屋さん、へ行き
>祈祷をしてもらいました。
>「いやぁ、ケロリと苦痛が取れたよ!世の中には不思議なことがあるもんだね.」
>と、その人は言っていましたね。
>「あと数日、来るのが遅かったら、あなたは死んでいた」と、拝み屋さんに言わ
>れたそうです。
>今から30年以上も前の話↑ですけどね。
アゴン宗において30年の信仰歴がありながら、こちらに提示できる体験談が
アゴン宗のそれでなく、30年も前の法華さまであることが現実を語ってますね。
桐山さんが偽の創作経典とした法華経でもそれだけの御利益体験なんてあるのです。
だから桐山さんも奇蹟の体験談なんかでアゴン宗の正当性など証明できません。
>>355:準シュダオン
12/03/20(火) 15:37:33
>あとね、私の知人に、ツイタチ護摩のお守りを貸したことがあるけどね、後で、
>その人が、効き目があったからと、1万円のお金を添えてお守りを申し込まれた
>こともありますよ。それと何より、私自身が体験してるからブレようがないの。
1万円で年に12枚のかさばらないお守りカードを運んできてくれるのだから
それなら申し込んでみようという気にもなる人もいます。
しかし因縁解脱させる為には本人行として入行し、高価な宝塔を買って、
さらに10万円の解脱供養まで申し込むなんて信徒必須のことには靡かないでしょう。
>世間の評価もね、ある宗教行事がテレビの電波に乗るなんてことは、大変なこと
>でしょ、たとえ、ローカル局だとしてもよ。阿含の星祭りはそれを何年も続けて
>いますからね。
これは提供・スポンサーが100%アゴン宗グループだからです。
つまりアゴン宗の方が金を払って頭を下げて放映させてくださいとしている。
しかし一宗教団体の行事を放映するのはいかがなものかと危惧する念に対しては
大本発信元のKBS京都がその京都の影の実力者であるY段氏と繋がっている。
この実績があれば他の地方局に対しても信用を示せる。
地方UHF局の番組なんて誰も見ない。
一定信者の視聴率が目論めば商談にも乗る。
- 359 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/21(水) 10:21:16
- >355 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/03/20(火) 15:37:33
>護身法切って白手袋で触れねばならない法施が、なんと不浄だった。
>これが世間の客観的感想です。
>それは主観的観想というものですわ。私が例に出した「拝み屋さん」へ行った
人はね、普段はガチガチの唯物論者でね、
愉物論者であろうがなかろうが、アゴン宗の「法施」が不浄と出たのです。
家人は信者ではありません。
誰が診てもらおうが、世間で評判の高い拝み屋さんが出した結論です。
世の不思議現象や、占いや霊視を信じるなら、こういう例えも信じて
しかるべきものではないか、という喩えを出したのです。
このように冷静に判別する視点が、客観的感想といいます。
しかし、アゴン宗には霊能が見られるが、ほかは無いという矛盾です。
また、邪心であろうが狂信であろうが、それならば悪霊という
不思議現象で、>>356のBooさんや >>357の干柿さんの認めるとおりです。
信者さんは、さかんにアゴン宗の不思議や奇跡をうたいながら、
不浄と霊視されたら、「それは主観的観想」だ、などと認めない。
法華の太鼓は信じて打ちならすわりには、他見を許さない。
桐山さんは、それにも増して何ひとつ霊能力など披露したことも無い。
桐山アゴンには、自己申告しかないので、それを主観というのです。
- 360 :名無しさん:2012/03/21(水)
18:43:56
- その汚れたものをあなたは信者時代、他人に勧めていたではないか?
その反省なくして、他者を批判するのはいかがなものでしょうか。
元信者なら、先にご自身が反省すべき態度をあらわすべきではないか。
批判発言にひとかけらの反省心がないなら、ただの見せかけですよ。
- 361 :名無しさん:2012/03/21(水)
18:53:31
- あなたは、信者時代 知人にさんざんごま木を売りつけ、勧誘していたでしょう。
その人たちにどんな責任をとったのですか?
批判するなら、きちんと責任をはたしてからものを言うべきだと
思います。
- 362 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/21(水) 19:41:49
- >>360:名無しさん12/03/21(水) 18:43:56
>元信者なら、先にご自身が反省すべき態度をあらわすべきではないか。
>批判発言にひとかけらの反省心がないなら、ただの見せかけですよ。
反省心なく書いているように見えますか?
批判側の多くは自分も間違って愚かな加担をしていたことを認めて嘆いており、
それは私も同じです。
私はこの悪業はいくら批判活動をしたとて帳消し相殺になるなんて甘いことは
考えていません。
だから批判は批判として価値のあることをしている自覚はありますが、信者時代の
悪業の報いは何らか受けることを覚悟しています。
私は自己批判のできぬ者は真っ当な批判もできぬものとの持論を持っています。
自己を否定して反省することから批判も始まったのです。
>>361:名無しさん12/03/21(水) 18:53:31
>あなたは、信者時代 知人にさんざんごま木を売りつけ、勧誘していたでしょう。
>その人たちにどんな責任をとったのですか?
>批判するなら、きちんと責任をはたしてからものを言うべきだと
思います。
可能な人には連絡をしてお詫びなり反省をしました。
お導きなど大した実績はありませんし、その極少の勧誘した人も、私よりも先に
退会しました。だから可能な限りは伝えるようにしているが、もはや連絡など
取れない人も多いし、責任なんて取れてませんよ。
逆にあなたに問いたいのだが、責任を取るって、どういうこと?
何をどうしたら無罪放免になると思いますか?
逆にあなたに問いましょう。
あなたは元信者ですか?もし元信者ならば、どのように責任を取りましたでしょうか?
私は責任をとって無罪放免になるなんてことはないと考えています。
しかしだからと言って批判をする資格がないなどと思ってません。
寧ろ責任が取れてないし、取れるものではないと思うからこそ、せめて名も知らぬ
無縁の方ではあっても啓蒙ができれば、少しは責任をとる行為の一端になると
思ってやってます。
それでも受けるべき報いは避けられないと自覚してるだけで。
またあなたに質問します。
地下鉄サリンの実行犯の一部が麻原教祖を否定、批判、糾弾しましたね。
あなたはあれをどう見ますか?
井上は殺人犯なんがから殺人の責任もとれない奴が、教祖を弾劾する資格などなく
暴露などせずおとなしくしているべきだと思いましたか?
- 363 :名無しさん:2012/03/21(水)
20:19:05
- 反省心がないとはかいてませんよ。
先走りのあなたが直ぐにレスをつけたには、コバンザメ359さんの援護すか。
愚かな加担をした自覚があるなら、批判の意見も謙虚さを示して下さい。
ところで>自己をひていして、と仰せだが、否定する自己があるなら身体我を認めているわけですな?
何か偽善ポイニオイがしますね。
あなた、お導きの実績がたいしたないなら、信者さんをやりこめる優越感を取りあえず
捨てて批判してみる考えは、、、無理でしょうかね。
- 364 :名無しさん:2012/03/21(水)
20:47:31
- >責任なんて取れてませんよ。 逆にあなたに問いたいのだが、責任を取るって、どういうこと?
何をどうしたら無罪放免になると思いますか?
無罪放免?、あなた信者じゃないでしょう。釈迦の教えを知っているなら放免などできやしません よねえ。
ですがあなた方のその鋭利な批判がほんとに信者に役だっていると思っているんですか?
あなたの議論相手をする信者だけが信者じゃないってわかります?清貧を守りアゴン宗に頼り出来
る分だけの供養で家族を守りたい、それを正当な批判だと高みからすべてまとめて現実を教えると いう驕りが信者に役に立つのか、考えたことがありますか。
信じる何かにすがるという人間の一番よわい根源を上段から切り捨てるあなた方の批判論って何な のだ(批判常套文)?
- 365 :干柿:2012/03/21(水)
22:39:32
- >>361
だからここで批判、検証し、世間にしめすことが元信者としての責任を
はたすことでもあるのですよ。だから、こんなクソ教団など関わり合いたく
ももうないのだが、いまだあなたのように目が覚めないまま害毒をまき散らす
人もいるから参加して批判意見をのべているのです。
これが元信者の責任のとりかたでしょう。
- 366 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/21(水) 22:41:18
- >>363:名無しさん12/03/21(水) 20:19:05
>先走りのあなたが直ぐにレスをつけたには、コバンザメ359さんの援護すか。
そういうあなたは359のラシンさんをコバンザメと罵るのは、2ちゃんねるにいた
ge-kaさんそっくりですね。
ラシンさんだけを非難したいなら、レスアンカーでも付ければよいが、
そんな狭いことを言わずとも、護摩木などを勧進した前科は批判側元信者に共通する
ことなんだから常に自分に向けられた批判ととることも自由であり、レスをつけても
かまわない。
>愚かな加担をした自覚があるなら、批判の意見も謙虚さを示して下さい。
謙虚な批判って具体的にどんなものですか?示してください。
後述するが、こちらにいくら前科があろうが、批判に謙虚さなどは不要で
常に容赦なくダルビッシュ全力投球をモットーにしています。
>あなた、お導きの実績がたいしたないなら、信者さんをやりこめる優越感を取りあえず
>捨てて批判してみる考えは、、、無理でしょうかね。
すみません。日本語がわかりません。
- 367 :干柿:2012/03/21(水)
22:49:53
- >>364
真面目に本当の信仰をもとめている信者に役だっていますよ。あなたこそ阿含宗の何を知っているわけ?
深山さんが2ちゃんで書いていたが阿含宗の信者にも色々いてね、
疑問をもって本当のことを知りたい人だっているんだよ
だから情報を提供しているわけ。それは元信者であることの責任でもあるわけ
わかりますか?
インチキにすがって満足であれば何もわざわざここにきて批判意見など
読む必要ないでしょ、「あれは堕落して落ちこぼれた人たちなのよ」と
笑っていればいいことでしょ。そんな人たちのためにここがあるわけでは
ありませんからね
- 368 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/21(水) 23:02:41
- >>364:名無しさん12/03/21(水) 20:47:31
>無罪放免?、あなた信者じゃないでしょう。釈迦の教えを知っているなら放免などできやしません
よねえ。
そういうあなたは信者そっくりであり信者のように見えます。
釈迦と呼び捨てにするところなんかアゴン宗信者によく見られる特徴です。
まあそんなことはどうでもよいが、無罪放免なんてことは有り得ないとは寧ろ
私の主張であることを私の文脈から読めませんか?
私が無罪放免を出したのは、あなたが批判側もかつては護摩木勧進などの霊感商法の
片棒を担ぐ前科があるのだから、その反省なしに批判を偉そうに語る資格などない
というものです。
反省なんて表に出す必要があるのか?
ここで謝罪を述べることが必要なのか?
我々批判側に反省心の表明がないかのように書くが、そんなことがあなたに
わかるはずがない。
お互いに顔が見えない交流です。
つまりあなたの見えない知らないところで我々は「反省謝罪活動」をしてるかも
しれないことをあなたは知る由もない。
にも関わらず、批判資格の話など出すのならば、批判をしてもよい放免の度数って
何かあるの?と示したわけです。
何をどう反省心を表に出せば批判をしてもよい放免になるのか?
要するにあなたは我々の批判が感情的に気に入らない、するなと言いたくて仕方がない
から、こうやってノコノコ出て来たのです。
>ですがあなた方のその鋭利な批判がほんとに信者に役だっていると思っているんですか?
あなたの議論相手をする信者だけが信者じゃないってわかります?清貧を守りアゴン宗に頼り出来る分だけの供養で家族を守りたい、それを正当な批判だと高みからすべてまとめて現実を教えると
いう驕りが信者に役に立つのか、考えたことがありますか。 信じる何かにすがるという人間の一番よわい根源を上段から切り捨てるあなた方の批判論って何な
のだ(批判常套文)?
私は清貧に甘んじてだの弱い根源だの自分を美化する人に対しても容赦はせず
常にダルビッシュ全力投球なんです。
そんな甘ったれた考えをも打ち砕くつもりで、桐山さんのものすごいネタを示す。
大上段だろうが最下段だろうが。
私の上から目線のように見える話なんかより桐山さんの欺瞞ネタの方がものすごいのです。
だから信者さんは桐山さんに目を向けるべきだ。
あなた方を不愉快にさせたのは桐山さんだ。
清貧だの弱さの根源だのぶっ飛ばせ!
- 369 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/21(水) 23:41:43
- >>364:名無しさん12/03/21(水) 20:47:31
>無罪放免?、あなた信者じゃないでしょう。釈迦の教えを知っているなら放免などできやしません よねえ。
ですがあなた方のその鋭利な批判がほんとに信者に役だっていると思っているんですか?
あなたの議論相手をする信者だけが信者じゃないってわかります?清貧を守りアゴン宗に頼り出来
る分だけの供養で家族を守りたい、それを正当な批判だと高みからすべてまとめて現実を教えると いう驕りが信者に役に立つのか、考えたことがありますか。
信じる何かにすがるという人間の一番よわい根源を上段から切り捨てるあなた方の批判論って何な
のだ(批判常套文)?
実はダルビッシュ全力投球と言っても必ずしも直球勝負ではありません。
ナニワのダルビッシュこと大阪桐蔭の藤浪くんが剛ならば、みちのくのダルビッシュこと
花巻東の大谷くんは柔であり、緩急をも勝負に加える。
まあ今日はナニワのダルビッシュが勝ってしまったが。
少し前に桐山さんが密教占星術奥伝伝法会のパクりをなんとも思わない準シュダオンさんに
対して、私だけではなく、akb55さん、ラシンさん、Booさんから反レスが上がった。
興味深いのはそれぞれ反論の視点、力点の置き方が微妙に異なるのです。
ちなみに私は自分以外のお三方の意見に全く同意でした。
しかし私は私なりの角度視点で反論した。
それは釈尊は占いを禁じているだの、因縁が透視できるはずの最高の密教占星術
奥伝がどうして他人の九星本のパクリなんだ?という批判については私もそう思いながらも
それは敢えて封じて、斎藤擁堂ネタならネタでよいではないか?どうしてそれを
堂々と示さず隠す?という人間としての当たり前の倫理道徳面だけで語った。
つまりかなり相手に合わせて妥協しながら批判をしている。
清貧の中で家族を守る信者がいるならば、そのささやかな善意を裏切ってるのは
桐山さんなんだぞ!と、ここは辛辣に示して各自考えてもらう。
逃げたい奴は逃げな。自殺したい人は死にな。目覚めたい人は目覚めなと
常にそちらまかせです。
私ら批判側が全て責任もって箸の上げ下ろしまで面倒をみるようなことは必要ない。
そんな甘い期待は捨てて欲しい。
こちらは批判の視点角度を操作するくらいで十分だ。
だから批判ってのは感情まかせではできない。
冷静な理性知性が必要なんです。
- 370 :名無しさん:2012/03/22(木)
02:06:01
- >
すみません。日本語がわかりません。
すみません。日本語が下手でわかるように書けないのはこちらの責任ですか?
それにしても貴方って質問が多いですね、ご自分の批判を思い出しなさいな。
容赦ないのがまるで批判価値があるがごときで、正義感を自己満足させているみたい。
護摩木の本数をこだわって相手を責めるくせに、その罪科の多少には無頓着で共通する?
あなたほど躍起に多量の罪を重ねていない信者だっていることくらいカウントして、
反論してくださいね。
それでは謙虚な批判など念頭にない御方に説明も難しいが、聞くだけの余裕があるなら、謙虚に考えてみて下さい。
あなたがたの容赦ない批判は、まじめな信者を傷付けることもあるかも知れない。
病気を始めとして、何とか心の支えになっている場合もあるんですよね。
それを阿含宗が似非だというだけ言って悦にいっても、返って心が折れて支柱を失い
途方に暮れる場合もあることを思いやれない批判って何なのだ?
ここの擁護者を罵倒し踏み倒して自分らが常に正しい、と慢心し攻撃のオモチャをひけらかす。
間違ってはいないが、踏み倒すことだけに意義を感じているような態度ばかりでは、
他から賛同を得られないと思いますけどね。
批判に謙虚さなど不要と言い切る貴方の態度は一見、批判精神の権化みたいな王道を匂
わせるが、ゲーカばかりじゃない回りへの多少の気配りする心は無いのですか?
よくいる情報の正確さだけを提供するのが正しいジャーナリズムだなんて思い上がって
いるように見えますよね?
その思いあがりが「反省なんて」という言葉にでています。
しているかしていないかわからない思わせぶりの言動よりも、謙虚さを相手に感じさせる
表現も必要ではないのかと思いますけどね。
貴方は清貧と出されてウンザリするようなアゴン宗のいやらしさをまだ引きずっている。
ダルが全力投球していると思う甘いお方が他人についてお説教するなど、自省したほうがいい。
自己責任など皆が自覚している。
冷静と知性なんて格好を付けしなくていいですから、受け手の勝手だと正直に言った方がよい。
貴方は、信者時代と変わらないようです、変わったのは絶対勝ち組の理屈を手にしただけの
鼻持ちならないあなた方が嫌悪した先達の傲慢を捨てきれないで、批判する位置だけですよ。
- 371 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/22(木) 06:16:21
- コテハンでなく匿名HNなのでアンカーb用いて>>370名無しさんと呼ばせていただきます。
当掲示板へ投稿いただき、ありがとうございます。当掲示板投稿者兼管理人の「天照」と申します。
よろしくお願いいたします。
ご意見を拝見してなるほどと思いました。
私も在籍中は名無しさんと同じく「清貧を守りアゴン宗に頼り出来る分だけの供養で家族を守りたい」
と考え、尚且つそのような状態でしたものですから、お気持ちは私にもある程度感じました。
お金が自由に・大量に使えるような環境でしたら、私も供養や伝法の参加がかなり出来たと思います。
ですが、そう言う人は早々おりません。皆さんやはり身銭を切って供養などに使われたと思います。
本当に日々ご苦労であったかと推察いたします。
また名無しさんのご意見の中にありました「批判側に対する姿勢」についてもなるほどと感じるところも
あり、私も掲示板に参加(投稿を開始)したしばらくの間はこの掲示板や2chでも見られる状態に
異を感じたところもありました。それは要約すれば名無しさんの言われた中にある
「あなたほど躍起に多量の罪を重ねていない信者だっていることくらい考えて意見(批判)すべき」
「擁護者を罵倒し踏み倒して自分らが常に正しい、と慢心している」
「ゲイカばかりじゃない回りへの多少の気配りする心は無いのか」
「謙虚な批判〜謙虚さを相手に感じさせる表現も必要ではないのか」
これらのことを強く言われているような気がいたしましたがいかがでしょうか。
(細かい憤りのものは省略して代表的なものを挙げています)
実は私もそう言う気持ちになったことがありますし、そういう発言をしたことがあります。
批判するにも行い方や言い方があるであろう。どうしてこうも批判が例え正論であろうとも、
その批判行為・姿勢・発言などに違和感を感じ、尚且つ感情を逆なでするような文面は
見ていて腹が立つし理解しがたくなってくる。
それこそよくいう「正論であっても言い方などで受け入れ方も変わってくる」というやつで、
如何に正しくても「受け入れがたいよ」ということかと思います。
またそれだけでなく、批判の対象に成っている人ほど自分は悪い事をしているわけでもないし
そう言う信者さんは多く存在する。
そして名無しさんの文中にもありました
「まじめな信者を傷付けることもあるかも知れない。病気を始めとして、何とか心の支えに
なっている場合もあるんですよね。」
「それを阿含宗が似非だというだけ言って悦にいっても、返って心が折れて支柱を失い
途方に暮れる場合もあることを思いやれない批判って何なのだ?」
これもそう言うことがあるというのも良くわかります。
ただ、これは過去にそう言う論を自分も出して意見をいただいたので理解できましたが、
名無しさんにも聞いて欲しいものがあります。
それは「貴方の意見もごもっともだが、批判側の意見もわかれば理解できる面はある」という
ことです。
- 372 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/22(木) 06:17:01
- 名無しさんはもしかして掲示板の閲覧・参加は時期が浅い、もしくはまだ間もないのでは
ないでしょうか。(間違っていましたらお詫びいたします)
なぜなら先に言いましたように、自分も同じ印象を批判側に抱いたわけです。
そして意見した。もっと言い方や姿勢があるだろう、と。
ですが、批判側の意見と自分が「掲示板慣れ」をしていないのと、これが実は一番肝なのですが、
「自分が阿含宗の信仰に対する姿勢」というのがどうなのか。また「批判内容を理解できるか」
が肝心なのです。
確かに名無しさんの仰せのように「相手を気遣った発言や姿勢」というものがあればそれはあるに
越したことは無い。ですが、批判は慈善ボランティアでもなく癒しでもありません。
つまり批判を知る、批判というものを理解できなければ、批判はどこまで行っても「嫌なもの」で
終わることは消えないのです。
ぶっちゃければ「いくら耳障りの良い言葉や敬語調で優しく言ってもその人にとって嫌なものであれば
受け入れられないものであるし、通るとは限らない」ということです。
もちろんだからといって「厳しい意見も辛らつな発言も喜んで聞け。我慢して聞け」ということでは
ありません。つまり私が言いたいことは「批判をどのように理解するか」また疑問点は納得がいくまで
「話し合う」ということかと思います。
私なんかはそれを行いました。それに呆れず接してくださったのは「ユビキタスさん」でした。
私が「擁護メインの掲示板」を作って阿含宗の正当性を示そうとしていた「アウェー」な掲示板に
正々堂々と尚且つちゃんと向き合って意見を出してくださった。
つまりとことん会話してくれたお陰で私も目が覚めたし批判側の行動や意味も理解できました。
もちろんユビさんだけでなく批判側の皆さんの意見もかなり勉強になり、皆様のお陰で今があると
感謝しているほどです。そしてその最たる対応者が「ユビさん」であったということですね。
今思えばユビさんがもしも「この馬鹿信者が」とみなして軽くあしらいきちんと意見をされてなくて
いたなら私はきっと「やっぱり批判側は傲慢で高慢ちきなやつらだ」と思ったことでしょう。
決して女性をいたわるような対応では無かったですよ。でも真摯に対応はしてくれた。
それが私の覚醒というか阿含宗の欺瞞を知ることと気づきにつながったのです。
そう言う経験から「ああ、優しいだけが批判ではないな」と体感したから言えることですね。
もちろん受け取る側の姿勢も必要でしょう。
私も在籍していて「阿含宗はどうも不自然な点が多い」と思っていた。
そう思いながらもそれを調べる手立てを知らなかったし、教団内部で知るのは至難の業です。
先達や宗務に相談して御覧なさい?絶対に批判側の意見など「正しい」と言う人などいませんから。
そうやって真実を知らないまま教団の餌食になっている。疑問も解決しないままに、です。
受け取る側が「疑問を解明したい」とか「真実を知りたい」または「釈迦仏教をしたい」などの
目的が無かったらおそらく批判側の意見を見ても・聞いても理解できないでしょう。
だって疑問を持っていた自分でも理解する(悟る)のに時間が掛かった。
諸兄様方からは「三ヶ月ほどで理解は早い方だ」といわれて驚きましたが、それでも三ヶ月です。
もしももっと私が頑迷だったらどうなっていたでしょうか?
そして優しく言われたから早く悟れたでしょうか?
可能性としては有ったかもしれませんが、おそらく掛かる時間はある程度必要だったでしょう。
ですから私は優しい言い方などは必要でしょうが、それが全てでは無いと思います。
- 373 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/22(木) 06:18:24
- 次に当掲示板のことですが、お分かりのように擁護側は「準シュダオンさん」一人です。
他は批判意見が大半です。
そしてこの掲示板は以前あった「ザBBS」が無くなったために「惜しい」ということで
私が僭越ながら継承し継続している掲示板です。
その「ザBBS」の時期からHNを変えながら擁護意見を出しているのが「準氏」です。
つまりこの継承スレ(掲示板)が出来てからの議論ではないということです。
何年も今行われているような「準氏」の意見。そして批判側の意見。この2つが論じて
行われている状態ということです。
批判側も色々意見を出しますが、準氏はご覧のように意見を曲げません。
というか、この掲示板を長きに渡り見ていればわかりますが(または過去ログを読むか)
準氏は阿含宗の教義すら外れて持論(自論)を出してきている。
教祖も教団も関係ないといわんばかりの論です。
そう言うような橋にも棒にもかからないような意見を出して尚且つ高慢な態度で発言する。
そうなれば批判側も人間ですから多少のムカつくような活字も出てくるものです。
これがマトモに阿含宗の教義に沿い、尚且つ教祖の発言に基づく意見であったらそのような
ムカつくような返事などは来ません。
なぜなら私がそうだったからです。多少の持論はあったものの阿含宗の教義や内容で私は
意見を出した。また自分の考えも教義や教祖の発言に沿ったものが多かった。
そう言うような形であれば批判側も信者を罵倒したりするような言い方などしません。
ただ、個人的見解で述べた際に良く無い発言に逸れることはあろうかと思います。
それは気をつけないといけない。自分も熱くなれば言葉が悪く成る事はあるでしょう。
ですから私は名無しさんの言われたその点については反省し気をつけなければいけない。
真摯にそう思います。そして他の批判される方々にはそう言う面があったなら個人レベル
になりますが、各自皆様が気をつけて発言をしてもらいたいと願う次第です。
ですからここで言いたいことは、この掲示板ではザビビからの流れがある。
尚且つ阿含宗の教義に沿わないで物を言う人がいる。長年の付き合い?だから、という
訳ではないですが、多少のきつい言い方などはあるかもしれないが、そう言うのも掲示板を
過去ログから見るか長年ROMしていれば自ずからわかることであろうかということです。
また掲示板慣れして無いと批判というものが凄く嫌に感じる。
こと日本人は批判慣れしていない・批判を嫌うという形が強いといわれています。
聞くところによると日本以外の国々では批判が当たり前のように交わされ有る程度の批判には
慣れている人が多いようです。
また日本は「本音を隠し愛想を重んじる」という姿勢が強い国ですから国民性という上でも
批判のような「あからさまに物を言う」というのはズケズケとしたデリカシーのない人間である
と見られがちで嫌われる傾向があります。
また理論や理屈を振りかざして「己が正しい」という主張が強い方も嫌われます。
まあ、日本だからね・・・ということを言いたくは無いですが、これからの時代は多少の批判と
いうか意見を出し合う、ということは慣れておく必要は出てくるでしょう。
かく言う自分も「慣れてない人間」でしたね。だからかなり掲示板に馴染むには時間が掛かり
ましたね。批判側のことを理解するのは三ヶ月で済みましたが、掲示板そして意見を出し合うと
言うことは未だ100%精通したなどとは思っていません。初期の頃からは4年が来ましたので
その頃からは慣れてはいますが、抜群に慣れたとはいえません。
- 374 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/22(木) 06:37:08
- そして同じ重複になりますが、批判などはやはり優しく言っても嫌なものは嫌です。
だって、批判意見の内容は「阿含宗の欺瞞」ですよ。
優しく言ったならでは「名無しさん」は仮に私が優しく発言したら納得してくださいますか?
納得してくださるのなら僭越ですが私が過去目が覚まさせていただいたときと同じように
「ユビさん」の代わりを私が行わせていただきたくおもいます。
でもそう言う問題じゃないといわれるかもしれませんね。
そうなると要は言い方もあるけれど、受け取る側の問題となる部分が大きいでしょう。
私はそのように考えます。
弁護ではないですが、優しい言い方をして目が覚めたというのはあまり聞きません。
2chやザビビでの膨大な過去ログを高速で流し読みした程度ですが、その中でも
そのようなことで目が醒めたというのは見受けません。
だから「きつくて良いんだ」とか「我慢しろ」とは言いません。
ただ、批判の中から何を受け取るか、見つけるか。
また特に名無しさんは阿含宗の欺瞞についてどう思ってらっしゃるかも気になります。
何も思わないのなら、失礼ですがどんな優しい言葉を用いて我々が批判発言しても無駄です。
それは名無しさんの根底に「批判は嫌だ」というのがあるからです。
もしも「阿含宗の欺瞞を知り考察したい」というのでしたらぜひ語り合いたいです。
また他の批判側の方も辛らつな言葉は発しないで語る人も出てくるかと思います。
結局、語り合いなんです。
この掲示板では擁護意見でも投稿は可能です。ですが掲示板趣旨に外れることは禁止です。
そうでなければ何十年も擁護発言でも投稿は可能です。
特に私などは「阿含宗の良いところもあるでしょうよ」といったが、ことごとく返された。
かなりへこみましたが、だが精査したらほとんど無いんですね。
有るとすれば、信者同士助け合って修行したとか交流したとかのどかに修行したとか。
後は欺瞞だらけで出てこないですね。
それだけ酷いところにいたのかと唖然としましたね。
あれだけ親しんで慕っていた道場と教団が「中身が無い」と言うのに気が付いて唖然とした。
真実を知り考察する気が無いのなら、掲示板に来ても喧嘩に成るだけです。
まあ、喧嘩しに来たわけでは無いでしょうから、やはり名無しさんの考えや思いを出して
トコトンやってみるといいでしょう。
私はそのように思っています。
時間が来ましたので一旦投稿はこの辺で終わります。
- 375 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/22(木) 08:22:48
- >>370:名無しさん12/03/22(木) 02:06:01
>すみません。日本語が下手でわかるように書けないのはこちらの責任ですか?
基本的に書き手の責任でしょう。ニュアンスとしてわからないこともない部分はあるが
そんな曖昧な理解でレスするのはかえって失礼に相当しますので、わからないものは
わからないと正直に伝えた方がよい。
>護摩木の本数をこだわって相手を責めるくせに、その罪科の多少には無頓着で共通する?
>あなたほど躍起に多量の罪を重ねていない信者だっていることくらいカウントして、
反論してくださいね。
基本的には本数だの導き人数だの修行参加回数などにはこだわらない方です。
ただこのスレにおける特例としては、準シュダオンさんはほとんど全くボン行参加
の実績もない、回数なんて少なくともかまわないが、絶無では信者として
元信者に対して偉そうに説教をする資格もないから問うているまでです。
>それでは謙虚な批判など念頭にない御方に説明も難しいが、聞くだけの余裕があるなら、謙虚に考えてみて下さい。批判に謙虚さなど不要と言い切る貴方の態度は一見、批判精神の権化みたいな王道を匂
>わせるが、ゲーカばかりじゃない回りへの多少の気配りする心は無いのですか?
>よくいる情報の正確さだけを提供するのが正しいジャーナリズムだなんて思い上がって
>いるように見えますよね?
>その思いあがりが「反省なんて」という言葉にでています。
>しているかしていないかわからない思わせぶりの言動よりも、謙虚さを相手に感じさせる
>表現も必要ではないのかと思いますけどね。
そう捉えるのが、あなたの感情論に過ぎないのです。
実は深山さんもラシンさんも私も過去の自分の反省を書いたことがある。
過去自分も同じことをした苦い経験があるからこそ批判を呼びかけているのです。
しかしそれはたびたびではないから、あなたはそういうことも知らない。
知らないのは別によいが、こちらが大上段にかまえて(そちらの目)批判を始めた
だけで、「反省心がない」「謙虚でない」などと「決めつける」のはいかがなものか?
ああ、正義をかざして痛烈に辛辣に批判なんて自己満足をやってやがる、さぞかし
悦に入っていることだろう、なんて捉えるあなたが実は単なる感情的な妬みに
過ぎないのです。
- 376 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/22(木) 08:43:35
- >>370:名無しさん12/03/22(木) 02:06:01
>あなたがたの容赦ない批判は、まじめな信者を傷付けることもあるかも知れない。
>病気を始めとして、何とか心の支えになっている場合もあるんですよね。
>それを阿含宗が似非だというだけ言って悦にいっても、返って心が折れて支柱を失い
>途方に暮れる場合もあることを思いやれない批判って何なのだ?
傷つくことは念頭にあるというよりも、信者なら傷つくのが当たり前と思って書いています。
心に痛みを覚えねば気が付きませんからね。
しかし信者が傷ついたのは誰のせいですか?
数々の欺瞞を示す桐山さんこそが加害者でしょう?
だからそこに気づいて欲しいですね。
それまで傲慢先達だろうが有能先達だろうが、そんな先達連には及ばないながらも
清貧を守ってささやかに信仰を続けてきた。
しかしそんな健気な信仰をぶち壊すような裏切りをしているのは教祖桐山さんです。
それに本当に気付いた時、清貧な信仰を守るなんて自己満足も捨てて、これからの
人生の選択に目覚めます。
途方に暮れるのは感情的に信仰を捨てられないからです。
これを捨てさえすれば、後の道は各自が考えることができます。
信仰を捨てずにいれば病気が治るものでもあるまい。
身体の病気は治らずとも心の囚われの病気は解放することができます。
それには介助的な諭しよりも、度肝を突かれる桐山さんの醜い欺瞞事実のショック
の方がまず有効です。だから謙虚な手加減なんてしない方がよい。
>貴方は、信者時代と変わらないようです、変わったのは絶対勝ち組の理屈を手にしただけの
>鼻持ちならないあなた方が嫌悪した先達の傲慢を捨てきれないで、批判する位置だけですよ。
それもあなたの勝手な決め付けに過ぎず、私は先達であったことがないし、
例祭などのお役でリーダーに任命されることがあっても、尊大に振る舞う恥ずかしい
真似だけはしなかったと信じる。
- 377 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/22(木) 10:25:15
- >>360-361
背後霊発言に関しては、謝罪します。
また批判姿勢も私なりに自重したことも、
理解していただけると思います。
ただ他の批判者を巻き込むことは控えてください。
わたしに意見があるなら、なにも掲示板でなくても
よいではないですか。
- 378 :準シュダオン:2012/03/22(木)
11:52:03
- >少し前に桐山さんが密教占星術奥伝伝法会のパクりをなんとも思わない準シュダオンさんに
>対して、私だけではなく、akb55さん、ラシンさん、Booさんから反レスが上がった。
>興味深いのはそれぞれ反論の視点、力点の置き方が微妙に異なるのです。
捉え方の問題ですね。私は前に、密教占星術TとUの本が、誰かの本のパクリなら
問題であるが、そうでない場合は、大した問題ではない、とレスした。
だって、そうでしょう、いろいろな本や文献を読んで、自分なりに占術を体系化
して本にするわけですから、完全なオリジナルなんてのは有り得ないよね。
奥伝として伝えた内容も、どの程度の他の本のパクリなのかを、私は知らないし、
コメントのしようがないね。その伝法で、自分(管長)が苦心惨憺して創りあげた
秘伝だ、と言ったのなら問題でしょうけどね。
- 379 :準シュダオン:2012/03/22(木)
12:10:30
- >それは釈尊は占いを禁じているだの、因縁が透視できるはずの最高の密教占星術
釈尊はどうして占いを禁じたのでしょうね?本物の占いなら良いと思いますけどね。
テレビで依頼者が、「幼い時に生き別れた母親に逢いたいが、実母は生きてますか?」
と訊いていた。
占い師は、「生きてますよ。○○県に居ますね。母も、逢いたがってますね。」
なんて、占断してましたが、こういうのを見ると、占いも良いな、と思いますけどね。
>奥伝がどうして他人の九星本のパクリなんだ?という批判については私もそう思いながらも
>それは敢えて封じて、斎藤擁堂ネタならネタでよいではないか?どうしてそれを
管長の占術に、他人の占術を加えるから、奥伝になるんじゃないの?
>堂々と示さず隠す?という人間としての当たり前の倫理道徳面だけで語った。
その齋藤本とやらもね、古い文献の引用だった場合はどうするの?
当然、管長も齋藤本のパクリではなく、古い文献からの引用ということになるでしょ。
- 380 :名無しさん:2012/03/22(木)
12:16:03
- 天照 ◆さんていねいなご返事をいただき感謝いたします。
私は、2ちゃんでも議論した者ですが、ここがあるのも知りまして参加させていただきます。
天照 ◆さんの過去にそういったいきさつがあったとは以外です。 かくいう私も脱退していますから信者じゃありませんことを申し添えます。
時間の許す限りさんかさせていただきますし、スレの趣旨を守るよう気をつけますのでよろしく。
- 381 :名無しさん:2012/03/22(木)
12:24:44
- >準シュダオンさんはほとんど全くボン行参加 の実績もない、
回数なんて少なくともかまわないが、絶無では信者として
元信者に対して偉そうに説教をする資格もないから問うているまでです。 それで容赦なくというのはどうでしょうか、私には弁明に聞こえます。
擁護さんはここで複数の多くのレスを相手にしているのですからね、私も先ごろ経験しましたけど ね。
あなた方批判者は桐山ゲーカの悪行を世に示しているなら、擁護さんの態度を云々してまるで生贄 のように
モグラ叩きをしている姿は、批判者の溜飲を下げているだけのような幼稚なチンピラのような行為 です。
それでは正義を振りかざす警官の警棒は、容赦なく振り下ろして良い事になりますよ、違います か?
人権を振りかざして死刑廃止の州で、逮捕する時に容赦なく射殺する権利を自慢しているようで恥 ずかしい。
アゴン宗の信者だって、末期の病人を抱えて一縷の望みを抱き、それで家族ともども頑張ろうとい う 、 そういう人々もいることを忘れないで欲しい。
たった数枚の護摩木に生命を永らえて欲しいと書くのは、そんなに悪いことですか?
貴方はそういう家族にアゴン宗はニセ仏教で、金取り主義でみ潤オんなきり山ゲーカの胃袋に入るか ら、 だから今すぐ止めたほうがよいと言える様だ。
たとえニセ仏教でもその時には心の支えになり頑張ろうという勇気だって湧くものです。
貴方は正しい情報を与えるだけで、後は受け手の責任で何とかすべきだと言いたいのでしょう。 それで過去から始めたその情報で止めた信者さんは何人ほどいますか?
ゲイカじゃないが歩留まりは何%なんでしょうか。 そんなことまで気にはしないとたぶん仰せになると推察しますけど、効果を感じなくても意義を感 じ るのは、
タダの安っぽい正義感を満たしているわけなんでしょうか、ちがいますよね。 桐山ゲーカを叩くなら一向に構わないが、見せしめのように擁護者をナジルのはみっともなくない
ですか。 批判者の人格の完成度を求めてはいませんが、あなた方は少なくとも三結からは離脱していると思 う。
霊魂や護摩など無縁でしょう、そうなら疑惑もないはずですよ。 この意味がわかりますよね、釈迦の教えに疑惑を持たないなら少なくとも相手を傷つける報復はつ
つしむと思う。
- 382 :名無しさん:2012/03/22(木)
12:41:07
- >背後霊発言に関しては、謝罪します。 わたしに意見があるなら、なにも掲示板でなくても
よいではないですか。
背後霊などと言ったのは貴方の掲示板の保身のためですよね。
IPアドがかぶるなんて万に一つもないんですから、同じ環境下だとわかったはずなのに、
そういう貴方の態度に疑問を抱いただけですが、謝罪いただけたので素直に受けます。 ですが、掲示板とは上限関係なく公平に意見交換できる場所ですから、
スレに無関係ではないことに注意し、アゴン宗批判には参加させてもらうつもりです。
- 383 :準シュダオン:2012/03/22(木)
13:16:28
- >釈迦と呼び捨てにするところなんかアゴン宗信者によく見られる特徴です。
偉大な御方には、敬称がなくても良いでしょ。イエスキリストにも、敬称は不要
でしょう。その名自身に、尊敬が込められていますよ。ミスターゴッド、とは
言わないし、オオーマイーガー(ゴット)、と、呼び捨てでしょ。
仏の十号には、釈尊も釈迦の語もないよね?世尊ですね。
まぁ、釈迦の語は、尊敬の込められた固有名詞、と考えていいんじゃないの?
- 384 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/22(木) 13:24:50
- >>380
名無しさんへ
お返事を頂きありがとうございます。なるほど。すでに退会済でしたか。
名無しさんのご意見や経験なども投稿いただけたら私も勉強になると感じております。
ぜひ、今後ともよろしくお願いいたします。
私も含め批判側の方は元信者さんです。
>>375のユビさんの記事の中にありますが「皆さんの過去の自分の反省を書いたこと」がある
のは過去ログに記録として残っております。
皆さんそれぞれの経緯と経験と人生がありまして、その様子が未修正のままで残っております。
それをご覧になりますと皆さんの経験と反省がつづられております。
今だけの発言を見ると誤解される面が有るかと思います。ですので、相手の姿勢や経緯を知るには
やはり過去ログのその方の発言を見ることは有益だと思います。
私なんかはとんでもない登場の仕方でしたので、非難されても仕方ないですが(汗)
でも阿含の信仰に命を燃やしていました。若気の至りと厚顔無恥、非常識であったと反省しています。
過去ログの量は膨大ですから閲覧は大変だと思いますが、ユビさんにしてもその他皆さんにしても
とても貴重な意見もあり役立つことがございます。
ぜひお時間を作って見て頂く事をお勧めいたします。
- 385 :準シュダオン:2012/03/22(木)
13:32:09
- >準シュダオンさんはほとんど全くボン行参加
の実績もない、
私は、そのような↑表明をしたことはない。ユビさんには、勝手な推測の因縁が
ありますね。それが、信者時代の修行を阻害したのですよ。
私は、法施グッツをいくつか頂いている、とレスしてます。
そしたら、護摩木勧進をいくらかしてることになるでしょ。
阿含宗では、護摩木勧進はボン行、とされているのですよ。
ユビさん、知らなかったのね↑。
- 386 :名無しさん:2012/03/22(木)
14:11:50
- 天照さんレスありがとうございます。 私もそれなりに過去ログは読みました。 私の経験などたいして話すようなことではありませんが、
友人の家族が大変重い病で悩んでいました。 すでに入信しておりましたが、私は脱退していました。
その友人はそれを知りませんので大変心苦しく感じていたことは事実です。 医者からも見離され、余命宣告を受けた家族の居る友人にはとてもじゃないが、
桐山ゲーカの真実は話せなかったのです。 友人がお手配願いを出し護摩木を書いて祈る姿に思わず一緒に祈願しました。
ニセの仏教で信者さんをだましている桐山さんは、確かに悪く糾弾されるべきです。 しかし信仰心はそれが何であれ、相手をおもんばかりよくなって欲しいと思う 心です。
それが煩悩だよなどと軽くいえるような事ではありません。 神仏に通じると懸命に祈願する友人に私は言葉が出なかった。
その家族の方は亡くなりましたが、せめて良い場所で苦しんでいないと慰めるだけが 精一杯のことばでした。
批判者の言わんとしている事は分かりますが、でもその姿勢や態度はどうでしょうか。 釈迦は議論などしないし、争論を否定されたとネットの経典で読んだ覚えがあります。
最近のログを読めば、擁護者とのなじり合いに読めてしまいます。 こう言えば、違うきちんと引用しているなんて言われそうですが、
その引用がどうして効果をなさないのかまでは考えていない、考える必要もないのでしょう。
- 387 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/22(木) 15:32:51
- 名無しさん、レスありがとうございます。過去ログを読まれていたと言うことですので安心しましたが、
確かに名無しさん仰せのように直時のレスを見れば、なじりあいに見えることは確かです、
実際、この流れが嫌でこの「したらば」に来ない・見ないという方が居られるのも事実です。
私も時々目眩がすることさえあります(笑)
ですが、前にも述べたようにここはザビビ時代からの流れのままでほぼ来ています。
2chとはまた違った形で、違う点といえば私が管理しているというのと管理行使が出来る点かなと思います。
2chのように管理行使が出来なければ、結構掲示板は荒れているかもしれないと思いますね。
擁護意見を言われても構いません。ですが、準さんはちょっとその点が普通の方と違いあまりにも逸脱した
経緯があるのでアク禁にしようとしたほどですが、皆さんから「それは芳しくない」と諭され行っていません。
なのでこの掲示板でよく見られる「準さんの持論」がやまないのと、批判側もきつい言葉を発するというのは
この掲示板ではよくあることです。
ただ、名無しさんの言うことはごもっともな部分はあり私も理解しましたので今後気をつけて発言し、また
阿含宗の批判をする上で律しなければいけないと改めて思いました。感謝申し上げます。
しかしながら準さんも高慢な言い方をすることも有りますし、それに対して少々の反対側の方もきつい発言を
することには多少のご理解をいただきたいと思います。
論ずるということは罵り合いをするということではありませんからね。
私は何様でも有りませんのであくまで論ずる場所を提供・管理するという役目ですから、強制は出来ませんが
皆様にもっと穏やかに論じてゆくように努めていただきたい、とお願いする次第です。
- 388 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/22(木) 15:33:19
- 友人の方が大変重い病気で苦しんでおられた経緯、如何ばかりでしたでしょう。
私も名無しさんほどの経験はございませんが、弟を大腸ガンで二年半前に亡くし、また法友関係でもガンで
亡くなったりした方に死ぬ数日前に「天照さん。私はどうなるの」といわれたことは一度だけあります。
人生が苦しくて護摩木を抱いて寝た友人も居ました。皆それぞれの人生で大変な思いをして日々生きている方も
居られますし、阿含宗の信者さんも良い人が多いので欺瞞を知ったときにはかなりショックでしたね。
実際今も在籍している法友全ての方に「欺瞞を伝える」事は私も出来ていません。
それはやはり「言って良い人」ならいえますが、中には「言えばまずい」という人も居ます。
ですから私は実際的な活動は今後考えるとして今やれることは掲示板やHP・ブログでの活動にとどめています。
「ニセの仏教で信者さんをだましている桐山さんは、確かに悪く糾弾されるべきです。しかし信仰心はそれが何であれ
相手をおもんばかりよくなって欲しいと思う心です。それが煩悩だよなどと軽くいえるような事ではありません。」
同意ですね。また一緒になって相手を思う心は「煩悩」だとは私は思いません。
また他の批判側の方も同様だと思います。
うろ覚えで恐縮ですが、阿含宗でも奇跡が起こったりお陰をいただくことがあります。
このことについて否定はしていません。また苦しんでいる方(信者さんなど)の祈りの姿を煩悩だと観た事もないと
記憶しています。
如何に阿含宗が欺瞞だらけの宗教であっても、その人の状況や状態などを見て「正論はを言うのは芳しくない」と
判れば如何に批判側でも名無しさんと同じように真実の吐露はしないでしょう。
ただ、言えば判る状況や相手、また言わなければいけない形であれば言うべきでしょう。
例えるならばある信者さんが自分が救われようとして大量のお金をつぎ込もうとしている。
家庭を犠牲にしてまでつぎ込もうとしていた、と成れば私はその人に真実を告げるために欺瞞を告知します。
そしてそのお金を無駄金にしないように諭します。
ところが今死ぬか生きるかの瀬戸際の人や、阿含宗の信仰が生きがいでそれを失ったらヤバイ人には私は真実で
有ろうとも何も言わず見送ります。例えそれが罪になったとしても、です。
実際昨年ある年配の信者さんの葬式がありまして、そこに出させていただきました。(お別れ会、でしたが)
その方は梵行でお世話になった男性の老人でした。
私のことを凄く買っていてとても親しみがあって仲が良い間柄でした。
その私が急に退会したのできっと残念がってたでしょう。
また私も掲示板で得た情報を引っさげてその方に真実を教えようとも考えた。
ですが、やめました。何故なら結構身体も弱っていましたし、奥様を亡くして尚もダメージを負っていた。
その状態で「阿含宗は詐欺宗教ですよ」なんていったらどうなるか。
真実を伝えたい気持ちといえない歯がゆさ。名無しさんの辛さに比べれば全然対象にもなりませんが、
私としては本当に歯がゆかった。そしてそのうち天に召されました。
しかしながら「言ってはまずい人」以外はやはり阿含宗の欺瞞を伝えなければいけないと私個人は思います。
自分は確かにやめてせいせいしています。状況も良くなったし煩わしさもなくて本当に自由です。
自分のことだけ考えれば「退会したから終わり」なんですが、未だに欺瞞を知らず搾取されている方が居る。
リアルの世界で知らしめれればいいのでしょうが、中々それも大変です。
また私も(皆さんもそうですが)生活をしながらの活動ですので、やはりやりやすいのは掲示板などの
ネットでの活動です。先ずはネットの世界を通じて世に訴えかける。
このように阿含宗の欺瞞がありますよ、と伝えてゆこう。そう思っています。
そのためにはやはり伝え方というのは重要なものです。
ぜひとも名無しさんのご意見や体験を今後もお寄せいただき、会話して論じて行こうではありませんか。
私は批判側に対しての姿勢の意見は自分に対して非常に戒めになったと思っております。
また皆さんは皆さんのご意見があると思いますので、色々論じてみてください。
ありがとうございました。
- 389 :名無しさん:2012/03/22(木)
16:51:08
- >2chのように管理行使が出来なければ、結構掲示板は荒れているかもしれないと思いますね。
そうですね2ちゃんは、カキコの量が極端に限定されてやりずらい。
他の人達は量が多いのはキャリアでしょうか、
ここはぜんぜん制限がありませんね。
>弟を大腸ガンで二年半前に亡くし、また法友関係でもガンで
亡くなったりした方に死ぬ数日前に「天照さん。私はどうなるの」といわれたことは一度だけあり ます。
これはまたお辛い思いをされたようです、心からお悔やみ申し上げます。 私の時も、友人でしたがいまだに桐山ゲーカの事実を語れません。
脱退したことは告げました、友人も今は道場から離れておりますが、 葬儀の時はあごん宗から香典が来ていました、マジびっくりでした。
それもちゃんと葬儀にも最後まで出席されていましたから、 心優しい礼儀を持った支部の人も居るんですよ。
あごん宗で徳を積めば死んでも良い所へ逝けると信じていましたが、
桐山ゲーカは何か得体の知れない変な霊力がある気もします。
ただここ批判者の引用はパーリ聖典などがひんぱんに目に付きますが、
部派仏教をさけているようですね。
私は釈迦仏教という観点ではもっと広義に捕らえてよいか と思います。
初めての結集が阿含経のすべてではないでしょうし、マハーカッサパに同意しない
アラハン方も居たでしょう。
そういう観点に立てばいくつもの阿含経経種があり、諸行が無常であるなら ダルマも無常でしょう。
まあゲーカの阿含経解釈から真実を抽出するのはどうかと思いますが、 批判する上で阿含経を振り回し、
あごん宗から超能力者が出ないからといって、
じゃあその阿含経でアラハンはここ2000年有余に出現したのかといえば
答えは出ません。
批判する上で考えたいことは、ゲーカの悪行を見せるのかまたは阿含経との齟齬を
問題にするのか、
このあたりの考え方次第で批判論調も変わってくるような気がします。
天照さん、どうもご親切なアドバイスをありがとう
ございました、感謝です。
- 390 :深山:2012/03/22(木)
21:13:35
- >>389 :名無しさん:2012/03/22(木) 16:51:08
失礼だが、わかりやすいように、386さんを今は「清貧」さんとお呼びすることにします。
清貧さんのおっしゃりたいことを私なりにまとめるなら、
「信者の中にはまじめに清貧に甘んじながらも、本当に先祖供養をしたい、
病気の家族を助けたい、世界平和を達成したいと、心からの信仰をしている者がいる。
ところが、批判側はそういう彼らの気持ちを斟酌することなく、
事実をグイグイ突きつけて批判をする。
それはあまりに彼らへの配慮や自分への反省がなさすぎるのではないか」
ということでしょうか。
私はてっきり、清貧さんが信者だからこのように主張しているのかと
思っていたら、元信者のようですね。
それでしたら、清貧さんが主張するその正しいアゴン宗批判を
まず清貧さんが書いてみてはどうでしょうか。
- 391 :深山:2012/03/22(木)
21:16:35
- >>389 :名無しさん:2012/03/22(木) 16:51:08
清貧さんがまずあなたの主張する批判のやり方を展開してはどうでしょう。
他人の批判姿勢がおかしいと指摘するのはその後でも良い。
清貧さんの指摘は、批判側の批判姿勢についてです。
今の批判側が反省がないというなら、清貧さんが反省を示しながら、
アゴン宗批判をして、その模範を示してはどうでしょうか。
信者たちが心から信仰しているのを批判側は傷つけ、逆なでしていると
いうなら、逆なでせずに、彼らの熱意ある信仰をも容認しながら、
彼らの間違いを指摘するような文章を清貧さんが書いてみてはいかがでしょうか。
その見本を示してもらえれば、批判側も清貧さんを模範とする人が出てくるかもしれません。
私がこういうことを書くのは初めてではありません。
前にも、「深山のような書き方をすれば、信者の中には聞く耳を持つ者でも
反発してしまう」と指摘されたことがあります。
これに対する私の返事は、今回と同じように、その方が見本的な
批判をしてみてはどうか、というものでした。
他人に直せではなく、主張する本人が具体的に示されてはどうだろうか、という提案です。
- 392 :深山:2012/03/22(木)
21:21:07
- >>389 :名無しさん:2012/03/22(木) 16:51:08
私は前に批判された時も書いたことだが、アゴン宗批判の姿勢とは
一つだけではないと思っています。
私のように直球ストレートに批判するようなやり方だけでなく、
清貧さんの考えのように、もっと穏やかに相手の心情を配慮しながら
批判するというやり方もあります。
ただ、それはどちらが正しいというものではありません。
それぞれに反応する信者がいるというだけです。
私のやり方のように、突きつけられた事実に気がつく信者もいれば、
清貧さんの主張のように、相手に配慮することで、信者の心がほぐれることもあります。
方法はいくつかあるが、寓話にある北風と太陽みたいに、
太陽だけが良いという答えにはなりません。
私の経験でも、これがベストだという方法はありません。
むしろ、様々な人がそれぞれのやり方でやれば、より多くの
信者さんが読んでくれるかもれしない。
信者にも様々な人がいるのだから、やり方を一つにまとめる必要も、
また相手のやり方がおかしいと批判する必要もないという意味です。
- 393 :深山:2012/03/22(木)
21:23:44
- >>389 :名無しさん:2012/03/22(木) 16:51:08
だいぶん前に、ネットでの批判を腐す元信者が登場しました。
その人たちは星まつりで反アゴン宗のチラシをまいており、
ネット批判など何の意味も効果もなく、チラシこそが良いのだという主張です。
だが、私はそれぞれの立場で両方やったら良いと思う。
お互いに目的は同じなのだから、相手のやり方を腐す必要はない。
天照さんが信者時代、ユビキタスさんの対応に聞く耳をもったと書いています。
この事例がそうであるように、誰のやり方がもっとも良いかではなく、
また「おまえのやり方はダメだ」ではなく、各々がそれぞれの
やり方をすればいいのではありませんか。
まず、その清貧さんのおっしゃるやり方を批判側に示してください。
今、擁護側は準シュダオンさんしかいないから、彼に対してでもいいし、
あるいは不特定多数の読者である信者さんたちに呼びかける形でもかまいません。
- 394 :深山:2012/03/22(木)
21:26:51
- >>386 :名無しさん:2012/03/22(木) 14:11:50
>釈迦は議論などしないし、争論を否定されたとネットの経典で読んだ覚えがあります。
あなたのこの知識は間違いです(と私はストレートに書く)。
何を読んでそのように誤解されたのかわからないが、正反対です。
釈尊は議論を弟子たちに奨励した。
釈尊が禁止したのは争論です。
議論と争論とは違います。
批判と悪口が違うように、議論と争論は違います。
釈尊は大いに議論を奨励した証拠があります。
釈尊の教法とは、経律論の三蔵で成り立っている。
経とはいわゆる阿含経、律は戒律を記載した経典、そして論とは
弟子たちが教法や戒律について理解するために議論した内容です。
仏教はこの三本柱で成り立っている。
三本柱の一つが議論であることをみれば、「釈迦は議論などしない」など
議論もできず、仏教の基本的な知識もない人たちの空想だとわかります。
- 395 :深山:2012/03/22(木)
21:31:58
- 「比丘たちらよ、初めも善く、中ごろも善く、終わりも善く、内容もあり、
言葉もそなわっている法を説け。」(『阿含密教いま』162頁)
これは釈尊が最初の弟子たちに、どのように周囲に教法を説くのか
その方法を指示した言葉です。
簡単に言えば、最初から最後までわかりやすい言葉で理路整然と
法を説けという意味です。
言葉で説いたら、当然質問や反論が来る。
それをやれと言っているのです。
説法を一方的な話だと思っている人たちも多いようだが、あの
インド人たちが他人の主張を黙って受け入れるなんてありえません。
議論好きなインド人相手に釈尊も比丘たちも議論をした。
彼らはその議論で負けたことがないから、他宗教が恐れをなしたのです。
桐山さんは神通力で人々を圧倒したかのような書き方をしているが、
そんなのは真っ赤な嘘で、釈尊はその布教のあり方をむしろ否定している。
上記のように、言葉で、理屈で、議論によって相手を納得させると
いうのが釈尊が示したやり方であり、その先頭にいたのが釈尊本人です。
- 396 :深山:2012/03/22(木)
21:33:56
- 「比丘たちらよ、初めも善く、中ごろも善く、終わりも善く、内容もあり、
言葉もそなわっている法を説け。」(『阿含密教いま』162頁)
仏教がどれほど議論を好んだか、今日でもその一部が残っています。
たとえば、チベット仏教では、弟子が師匠に対して、身振り手振りを
しながら、質問し、師匠が答えられなくなると、大喜びして、合格になる。
質問するのは師匠ではなく、弟子です。
観光化されたチベット寺院ではその様子を見学できます。
意外に思うだろうが、鋭い質問をするには答えを知っていないとできない。
日本の禅宗でも大法戦という儀式が残っています。
師匠が質問し弟子が答える。
だが、チベットと違い、形式的で、弟子は問答集を暗記しているにすぎない。
丸暗記では、論理的に考えるという仏教の姿勢に反する。
こういう知性と徹底した考察を重んじる仏教の姿勢を見るなら、
白銀バイブや王者の相承なんて、仏教ではありえないことがわかります。
- 397 :深山:2012/03/22(木)
21:38:23
- >>386 :名無しさん:2012/03/22(木) 14:11:50
>釈迦は議論などしないし、争論を否定されたとネットの経典で読んだ覚えがあります。
阿含経を読めば、釈尊が様々な議論をしかけられても適切に反論しているのがわかる。
桐山さんが引用した経典では、仙尼経などセニーヤが釈尊に議論をしかけているのです。
身命経の婆蹉種出家は比丘だが、しつこく食い下がるものだから、
釈尊が辟易しているのがわかる。
それでも釈尊は彼の質問に丁寧に答えた。
桐山さんのように一方的に話しているのではなく、全部、議論です。
経典に書かれているから、桐山さんのように、まるで釈尊が一方的に
説法しているかのように見えるが、丁寧に読めば、かなり辛辣な
質問や批判を釈尊に投げかけている経典もあります。
また釈尊の教法には相手に対する質問も多い。
自分の主張を聞かせるのではなく、相手に考えさせて相手に結論を導かせる。
これは議論に長けた人のやり方で、なかなか普通の人にはできません。
- 398 :深山:2012/03/22(木)
21:42:42
- >>386 :名無しさん:2012/03/22(木) 14:11:50
>釈迦は議論などしないし、争論を否定されたとネットの経典で読んだ覚えがあります。
釈尊がどんな議論にも応えた証拠が、桐山さんも引用しているように、
釈尊に罵声を投げつけた例です。
それに対してさえも、釈尊はきちんと反撃している。
あれは反論ですらなく、反撃です。
釈尊が百戦錬磨の議論の達人だったことを示す事例です。
桐山さんは議論ができない人だから「桐山ゲイカは嘘つきです」と
言われただけで、すぐに頭に来る。
だが、釈尊は黙って相手の話を聞き、一撃で相手を自滅させた。
日本人が想像する釈尊とは、瞑想して、議論などせず、周囲は
黙って説法を聞いていたかのようなイメージを持っているが、
阿含経を読むかぎり、それは実際とは違う。
釈尊は議論を奨励し、彼自身が議論に優れた人です。
だから、仏教徒なら冷静に議論しなければならないのです。
今日から清貧さんの知識を変えてください。
釈尊は議論を奨励し、彼自身が議論の達人だった。
- 399 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/23(金) 00:04:59
- >>378:準シュダオン12/03/22(木) 11:52:03
>奥伝として伝えた内容も、どの程度の他の本のパクリなのかを、私は知らないし、
だから100パーセントのパクリです。
奥伝伝法会の全内容が斎藤擁堂さんの書いた本(受講者はそうとは知らない)
を丸読みして筆写させるだけです。
>>379:準シュダオン12/03/22(木) 12:10:30
>管長の占術に、他人の占術を加えるから、奥伝になるんじゃないの?
だから斎藤本ネタは加えたのではなく、かの有料の伝法会の全内容です。
>その齋藤本とやらもね、古い文献の引用だった場合はどうするの?
はい、それでもこれは斎藤擁堂さんという人が3年前に出した本で、古い言い伝え
などをよく記録しているものと思われますと出典を明示するのが当たり前の義務です。
- 400 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/23(金) 00:31:52
- >>381:名無しさん12/03/22(木) 12:24:44
>あなた方批判者は桐山ゲーカの悪行を世に示しているなら、擁護さんの態度を云々してまるで生贄 のように
モグラ叩きをしている姿は、批判者の溜飲を下げているだけのような幼稚なチンピラのような行為 です。
それでは正義を振りかざす警官の警棒は、容赦なく振り下ろして良い事になりますよ、違います か?
準シュダオンさんに対して、長い信仰歴のわりに行歴が乏しいことを知りつつ
それを敢えて問うのはイジメのように見えますが、実は彼には手を焼いているのです。
つまりアゴン宗としての本来の教義・実践に反する自分勝手教を彼は示す。
これではお話にならない。こちらが批判するのは桐山さんの説く教義と実践なんだから
それに則ったものでなければ反論をする価値もない。
アゴン宗において奉仕ボン行は必須のものです。これをやらずして因縁解脱など
得られないとは、私の説く話ではなく桐山さんの主張です。
だからボン行実践の有無は重要な問題です。
彼に絶対的に少ないことにコンプレックスとか羞恥心とか見られるのならば
私はそこを責め立てる意地悪はしません。
長年の付き合いで、相手が厚顔無恥であるとわかっているから容赦もしないのです。
羞恥心ある信者とわかれば、そのコンプレックスを指摘することは相手を傷つける
こともわかるが、彼にはどうやらそういう様子は見られない。
だから安心してツッコミ漫才の相方として利用できます。
ただし本当に訴えたいのは漫才を見ているギャラリーですけどね。
アゴン宗ボン行を肯定するわけではないが、奉仕ボン行もしたこともない者が
一人前にアゴン宗がわかったかのように擁護側面されても困るのだ。
本当に困った存在なのです。準シュダオンさんは。
- 401 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/23(金) 00:54:16
- >>381:名無しさん12/03/22(木) 12:24:44
>アゴン宗の信者だって、末期の病人を抱えて一縷の望みを抱き、それで家族ともども頑張ろうとい う 、 そういう人々もいることを忘れないで欲しい。
たった数枚の護摩木に生命を永らえて欲しいと書くのは、そんなに悪いことですか?
私は議論する相手がこのような具体的な切実な問題を抱えた人と書き手自身の
書き込みから示された場合、まずはその問題に対しては、私は何の力にもなって
あげられませんが、と断り書きをした上で同情の言葉を書きます。
私は祈りを否定してますが、しかし一人の人間として、その切実な問題に悩む人に
事態がよくなるように祈ります。
しかしそれはそれとしてアゴン宗の批判はします。
自分ではない面倒を見ている知人(切実な問題に苦しんでいる人)に対しては
それでもアゴン宗の欺瞞は教えてあげた方がよいと考えていますが、現実には
それもなかなか躊躇われる心情も理解はしています。
だからそういう個別な問題は各自が判断して対処するしかないと思います。
当事者でない私はアドバイスすらできない無力さも感じます。
だから私のスタンスは私があなた方信者を目覚めさせて誘導するんだぞなんて
勘違いの傲りの気持ちなど捨てて、ただ批判を語るのみが誠意であると思っています。
それは心に傷を持った人がたまたま対面する機会があろうがなかろうが
とにかく自分のスタンスで語ることが大切だと思っています。
で私は他人に対しては決して自分と同じことを要求もしませんが、自分に対しては
コテハン主義です。
どんな時も同じ固定ハンドルを使い続け、都合が悪くなったら
引っ込めるような卑怯な真似は絶対にしないことをモットーとしています。
それによってスレにおいても責任を伴う人格を得ています。
私は決して自分が間違った発言をしないなんて考えていない。
間違い発言もあるのです。そういう時は実際に過去何度も謝罪も書いています。
2ちゃんねるあたりではコテハンを使うだけで叩かれること必至です。
しかし私はコテハンを使い続けます。信念を持って。
時々皮肉も言いたくなります。
掲示板初心者に「まずは半年ロムってろ」と諭す言葉がありますが、私はこう言いたい。
「いかなる時でも同一コテハンで半年書き続けてみよ」と。
常に責任と背中合わせであることに信念を持つようになります。
- 402 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/23(金) 01:04:57
- >>383:準シュダオン12/03/22(木) 13:16:28
>仏の十号には、釈尊も釈迦の語もないよね?世尊ですね。
>まぁ、釈迦の語は、尊敬の込められた固有名詞、と考えていいんじゃないの?
釈迦牟尼世尊を略して釈尊とお呼びします。
これは尊称、尊敬表現であり、仏教学者ですらこの表現を使います。
私も使用することに何の抵抗もない。
あなた方が釈迦と呼び捨てにする理由は簡単です。
桐山さんがシャカなどと呼び捨てにしているからです。
桐山さんが常に釈尊と書いて、シャカなどと使わねば、あなたも釈尊と表現する
ことを忘れないでしょう。それだけのことです。
- 403 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/23(金) 01:14:41
- >>385:準シュダオン12/03/22(木) 13:32:09
>私は、法施グッツをいくつか頂いている、とレスしてます。
>そしたら、護摩木勧進をいくらかしてることになるでしょ。
>阿含宗では、護摩木勧進はボン行、とされているのですよ。
私が指摘しているのは奉仕ボン行です。
これはあたなは皆無に近い。
今回出て来たのも護摩木勧進です。
私はあなたの護摩木勧進と施本とチラシ撒きは認めています。
しかしそれだけです。
地区道場の例祭運営とか護摩木判押しとか道場清掃とかが絶対に出て来ない。
したことがなく、今後もする気などないからです。
あなたがやってることをは金を払って法施グッズを買う購買活動に他ならない。
協同作業にいそしみ、人間として練れた人格を養うとか、そういう発想がない。
要するに修行なんてめんどくさいことをしたくないのです。
- 404 :名無しさん:2012/03/23(金)
03:32:32
- >>390-393
清貧は止めてください、 私にはまるで似合わないし嫌味に聞こえます。
あなただって以前はコテHNではなかったのでしょうから無理に 皮肉めいた渾名はつけないでください。
貴方の仰ることは解りますよ、
非常に理に適い子供に諭すような柔軟な説法です。
天照さんに言われた訳ではないが、
皆さん其々に批判という形を自覚しているようです。
私のログの読み方が粗く偏った穿った見方での言い方は謝ります。
私は特段に太陽政策が良いとの意味で申し上げたのではありません 。
ここでの擁護者をいかに意に沿わないとはいえ、 みんなであげつらえば
受け入れることもできない。
あなたは、麻酔無き手術者だと言われているそうですが、 現実に麻酔を使わないオペをあなたは受け
れますか?
誰だってできませんよね。
肉体がそうであるように心だって痛みが生じるしショック療法が
ことさら必要だと強制するのはいかがなものでしょうね。
批判に従えば心のケアはするが、 反論すれば完膚なきまで糾弾するという
態度のターゲットは桐山ゲーカだけでよいと思います。
あごん宗信者さんをモグラ叩きしても、 意趣返しにしか見られない誤解を生じさせます。
事実だけを正確に根拠をもってそういう情報を示す方が、 信者には理解されやすい。
それとも信者の反発心を煽ってコテンパにKOする楽しみに徹して
いる? わけではないでしょう。
- 405 :名無しさん:2012/03/23(金)
03:38:46
- >釈尊は議論を弟子たちに奨励した。 釈尊が禁止したのは争論です。 議論と争論とは違います。
議論と争論の違い位は分かりますよ、
年末は議論でなく争論にまで発展しましたよね。
そういう場面は、私だけの責任ではなく相手した側の器量の問題もあるでしょう。
しかし教えの強制は反発を招くでしょうから、 争論となる原因の議論はしない。
釈迦は弟子に説いたのはそういう意味ですから、 貴方の解釈は間違いです。
「最上の言葉を語れ、正しい理を語れ、理に反することを語るな、 」ですよね?
事実、釈迦が誰かと議論したという経典がありますか?
釈迦は反論であれ疑念であれ、比喩をもって法を説いた、 それが議論ですか?
貴方が釈迦は議論したのだと誘導したい意思がまるまるに見えてい ますよ。
釈迦は説法をしたのであって、 議論ではなく比喩で相手を導いたのです。
あなた方の批判とはまるで違いますよ、
もちろん批判の内容は間違いではないです。
釈迦の批判も、あなた方のような直論ではないと私には読めましたが、違うかな。
しかしとて、あなた方に釈迦の説き方を行えなんて言う生意気な気持ちはありま せん。
ただ批判の引用として釈迦の言葉を使いながら、
現実は警官の警棒をふるうような
やり方は少々、批判側にだけ都合よく見えたのです。
- 406 :名無しさん:2012/03/23(金)
03:44:16
- >釈尊は議論を弟子たちに奨励した。 釈尊が禁止したのは争論です。
議論と争論とは違います。
貴方は、批判を批判するなら行えという、やってみろ、 大変ですよと言いたいらしい。
貴方は、私の評論を認めたくないようですが批判だって評論の一部ではない ですか。
過激に言えば、紙上で批判するより行動を起こしなさいと言われたら貴方はどうか な。
事実情報を2ちゃんで流し、
信者をど突くよりも裁判でも起こしなさいと、
言われても貴方は自分のスタイルでゲーカを批判するとこだわるで しょう?
私を試すような煽動は、
一見穏やかであってもあなたの企みが見えています。
そういう人を見下げた態度は、あごん宗時代からの癖なのですか?
私は擁護者を罵倒して善導だとは思わないし、 言いくるめることもしません。
貴方は正確な情報をお持ちのようなのだから、それを
伝えるのが先決でしょう、
と私に示唆されれば内心は面白くないでしょうね。
ですから私に擁護者に対してその姿勢を示せなんて提案は止めて欲 しい。
私の意見は、せっかく素晴らしい批判板をただのうっぷん晴らしと誤解される
ような、
相手を叩き嘲笑する姿勢に疑問を呈したのです。
批判側のよく言う理屈はですね、恨みに恨みをもって報じるような
釈迦の反対の言動だと言う事です。
こう言えば貴方は必死に理性を保ちながらも、 逆襲するでしょうね。
あなた方のお得意の根拠を示す必要に迫られない話ですからね。
- 407 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/23(金) 08:32:21
- >>404:名無しさん12/03/23(金) 03:32:32
>肉体がそうであるように心だって痛みが生じるしショック療法が
ことさら必要だと強制するのはいかがなものでしょうね。
これをするのはネットの掲示板というお互いに顔も個人情報もわからない
名無し、匿名での参加だからです。
またチャットルームのように限られた時間制限の中での個人交流、グループ対話
でもなく、公開の場での書き込み板ですから、いつでも閲覧できるし、見ないで
拒絶する、つまり逃げること、立ち去ることも自由です。
突っ込みたい内容にレスをつけることもできるし、遅れて反響も得られる。
時間を置くということ、口で喋るのではなく、キーボードなどで作文をすると
いうだけで、冷静にもなれます。
リアルな交流だとなかなかこうもいかない。
やはりお互いに感情的にもなるし、批判するにしても、あなたが心配するような
相手を傷つけてしまうことを避ける気遣いも必要になります。
もちろんネットの掲示板で言われたことが強いショックとなる例もよく耳にします。
また私自身ショックを受けた経験もあります。
しかしこれは本当のリアルの自分の人格を批判されたわけではないのだから
問題の要点をよく観察して、考える材料とすることができます。
厭感が生じれば離れることもできるので常に身や心の安全を保てます。
私らは主に擁護側の準シュダオンさんに対して反レスをつけます。
しかし実は準シュダオンさんを説得しようなんて気はさらさらない。
それは不可能だと悟っています。
しかし準シュダオンさんを通してその内容に反レスをつけてギャラリーに読んで
もらうことを意識している。
何を言われても厚顔無恥にひるまないタフな彼を叩き台として活用させていただく
ことにより他の信者に訴える。
他の信者さんは自分が直接レスを付けられたわけでもないし、擁護側仲間(?)
であるはずの準シュダオンさんの書いている内容にも同意できず、時に迷惑とも
思っているでしょうから、こちらの批判内容のみを、同意納得しなくてもよいが、
とりあえず受け止めることはできます。
後は自分の時間の中で考える機会、材料としてくれればよい。
- 408 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/23(金) 08:47:54
- >しかし準シュダオンさんを通してその内容に反レスをつけてギャラリーに読んで
>もらうことを意識している。
>何を言われても厚顔無恥にひるまないタフな彼を叩き台として活用させていただく
>ことにより他の信者に訴える。
でもそういうやり方って叩き台にする準シュダオンさんにとってあんまりではないか
と批判側に対する不快感を示す方もいるでしょうね。
しかしそうでもないのですよ。
だって結局は準シュダオンさんの書いた内容にきちんとレスをしているからです。
私にしてもラシンさんにしても。
無視しないだけ誠意ある対応と言えます。
レスをつけることに対してかつての天照さんに対して付けたレスと根本的に
変わるところはありません。
ただ直接の対話相手に期待はしないだけです。
そもそも天照さんと議論対話していた時ですら、私は正直天照さんがかくも
見事に目覚めることは期待もしておらず、吃驚した次第です。
- 409 :準シュダオン:2012/03/23(金)
10:25:43
- >ただ直接の対話相手に期待はしないだけです。
>そもそも天照さんと議論対話していた時ですら、私は正直天照さんがかくも
>見事に目覚めることは期待もしておらず、吃驚した次第です。
仏教において、目覚めるとは、覚者=仏陀、のことなのであり、使う語を間違えて
います。批判派は、せいぜい、己の我欲の狂信的・盲信的信仰の間違いに気が付い
た、というところですね。
- 410 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/23(金) 10:35:27
- >>409
余計な茶々いれなさんな。
阿含宗の欺瞞の酷さの認識、つまり気づかされたというのを通称言いして「目覚めた」といっているのです。
それこそ「夢をみなさい」といったら、布団に入る、または睡眠時に見る夢だけを指さず、希望の方の「夢」
であることは発言者の前後の部分や文章の流れを見て判断するように、単に「夢を見なさい」と言ったら
貴方はすぐに寝転ぶか睡眠に入り「はい、夢を見ましたよ」とか「毎日見ていますよ」などというのか。
ユビさんが私が仏陀になるための覚醒での「目覚めた」といってないことは常識で判ります。
準さんは常識が欠けているのではないかと思われることをわざとしているのでしょうか?
お笑いのためにわざとボケているのか? それとも揚げ足取りでものを言っているのか、とも取れる。
貴方の方こそ、己の我欲の狂信的・盲信的信仰の間違いにいつになったら気が付くのか、といいたいですね。
- 411 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/23(金) 10:44:39
- >釈尊はどうして占いを禁じたのでしょうね?本物の占いなら良いと思いますけどね。
この世における人々の命は、定相なく、
どれだけ生きられるか解らない。
惨ましく、短くて、苦悩に繋がれている。
生まれたものどものは、死を遁れる道がない。
老いに達しては、死が来る。
じつに生あるものどもの定めは、このとおりである。
(スッタニパータ574,575))
本物の占いであろうが、生を乗り越えられません。
占いから生じる希望や期待そのものは、たとえ叶えられても
はかなく壊れるもの、と釈尊は述べます。
そこに拠るべき希望や期待こそが、煩悩を活性化させます。
それはひととき、一時的なものですから否定したのです。
ましてその煩悩達成術を売り物にする桐山さんは、
釈尊が卑しい行為とまで咎めています。
- 412 :準シュダオン:2012/03/23(金)
10:59:40
- >私が指摘しているのは奉仕ボン行です。
>これはあたなは皆無に近い。
>今回出て来たのも護摩木勧進です。
>私はあなたの護摩木勧進と施本とチラシ撒きは認めています。
>しかしそれだけです。
ほらね、ユビさんは、我見でボン行の種類に格差をつけています。我見の
浅智慧を先に立てて、誤解しているね。だからあなたの信者時代の修行は、
間違いの修行だったのです。管長でさえも、ボン行に格差をつけてはいませんよ。
奉仕梵行が護摩木勧進より価値が高いなどとは、管長は説いていませんよ。
>地区道場の例祭運営とか護摩木判押しとか道場清掃とかが絶対に出て来ない。
>したことがなく、今後もする気などないからです。
私は、例祭運営に出たことがないなどとは、レスしたことがありません。
が、ユビさんは決め付けてます、あなたは推測我見の因縁ですねw。
>あなたがやってることをは金を払って法施グッズを買う購買活動に他ならない。
そうじゃないでしょ、護摩木勧進が無ければ星祭り自体が成り立たないのですからね。
ほんとに困ったお方だw。あなたが修行に失敗した理由が解りますね。
>協同作業にいそしみ、人間として練れた人格を養うとか、そういう発想がない。
>要するに修行なんてめんどくさいことをしたくないのです。
あのね、道元禅師は、「常住坐臥、すべて座禅である」と、説いたのですよ。
これは、日常生活すべてが修行である、という教えですね。
ユビさんは、修行の意味を正しく理解出来ていない、のです。あなたは、
これは修行で、これは修行ではない、というような、短絡的な考えをしています。
- 413 :名無しさん:2012/03/23(金)
12:26:00
- >407 >しかしこれは本当のリアルの自分の人格を批判されたわけではない のだから
問題の要点をよく観察して、考える材料とすることができます。
ユビキタスさんレスありがとうございます。
私の>360,>361は、もともとが>> 359ラシンさんへ
つけたものでしたが、
つい反論に夢中になり挑発的なレスをしてしまいましたことはお詫 びします。
これが私の短所なんですが、 天照さんから説明を受けまして貴方が諦めず無視せず、
回答を出していたことはよく理解できました。
しかし、掲示板での討論相手の性格分析までしてあげつらうような必要性は 、
私にはどうも釈然としない気分です。 というか第三者が読んでいて正しいことでも、
ちょっとこれってどうなんだろう? という感想を抱きます。
いくら擁護者がおかしなことを言ってきても、 オーム返しじゃ同じレベルになってしまう。
こちらの順シュダオンさんだって必死に
あごん仏教を解釈しているようです。
それを病気のことまで言及するのはあまりにも失礼ではと感じまし た。
病気だとか性格判断までして対論者を粉砕する必要があるのかです 。
性格判断ならmある程度までの限度を心得たものでとどめるならい いが、
攻撃材料とするのはどうでしょうか?
例えばユビキタスさんは、 威勢を誇示しても実は丁寧で決して諦めない。
深山さんという方は、プライドが高く負けん気が強いな位の程度はログでわかります。
ただ私の分際で掲示板の批判論調を仕切ろうなんてできやしませんし、
そんなおごりなどは無く、 私のいち意見とだけ申し上げておきます。
- 414 :深山:2012/03/23(金)
12:29:51
- >>404 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:32:32
>貴方の仰ることは解りますよ、
非常に理に適い子供に諭すような柔軟な説法です。
わかっていらっしゃらないようだが、私は説法したのではなく、
あなたのいう信者に気を遣った批判を書いてくれと述べただけです。
他人にしろではなく、まずあなたがやってみてくれと述べたのです。
相手のしていることがおかしいという批判はもう十分にわかった。
あなたの長々とした批判側への批判は私が390にまとめた。
あなたはこれを否定しないのだから、内容的に大筋でこんなものなのでしょう。
あなたが404で書いたことはこれのくり返しです。
理解したからこそ私は単文にまとめた。
その上で、あなたのいう内容をここに書いてみてくれと依頼したのです。
それだけ他人の批判を口を極めて批判するなら、
そうでない批判をあなたは書いてみるべきですよね。
- 415 :深山:2012/03/23(金)
12:32:09
- >>405 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:38:46
>議論と争論の違い位は分かりますよ、
年末は議論でなく争論にまで発展しましたよね。
あなたには争論だったのでしょうね。
だが、私を含めた批判側は争論ではなく、議論です。
あの時も意味不明の文章をあなたは連発していた。
批判側の批判姿勢をあなたはさかんに非難するが、
それにもまして、今回の議論でも罵声を並べているのはあなたのほうです。
- 416 :深山:2012/03/23(金)
12:35:01
- >>405 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:38:46
>しかし教えの強制は反発を招くでしょうから、 争論となる原因の議論はしない。
>釈迦は弟子に説いたのはそういう意味ですから、
貴方の解釈は間違いです。
争論となるような議論はしないという意味らしいが、
そんなことはどこにあるのですか。
釈尊が議論を禁止したのは、霊魂があるかないか、
解脱者は死後どこにいくのか、などの無記と呼ばれる十ほどの
項目のみで、これ以外の議論など禁止していない。
争論となるような議論ではなく、これらの項目と争論を禁止したのです。
議論を釈尊が奨励したことをあれだけ明瞭に示しても、
あなたの頭にはいっさい受け付けないのですね。
それは桐山さんからの洗脳だと気がついているか。
桐山さんは信者に本格的に頭を使ってほしくない。
自分が説いたとおりに記憶し、鵜呑みにすることを求めている。
信者に議論されては自分の嘘がばれるからです。
だから、まるで釈尊が議論を奨励しなかったかのように話している。
こういう教団に長年いたから、あなたの頭から抜けず、
何かあるとポロッと出てくる。
- 417 :深山:2012/03/23(金)
12:36:39
- >>405 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:38:46
>事実、釈迦が誰かと議論したという経典がありますか?
私はすでにその事例を示した。
仙尼経や身命経は議論であって、一方的な説法ではない。
セニーヤも婆蹉種出家も自分の思うところを釈尊に疑問としてぶつけ、
釈尊の主張に反論している。
これを議論というのです。
それが読めないのはあなたの国語力の問題です。
桐山さんのように法話と称して一方的な話をしているのではない。
議論している経典はいたるところにあります。
なぜなら、釈尊はそのへんにいる民衆などに説いたからです。
対機説法なんて言葉がなんで生まれたのか、あなたは理解していない。
- 418 :深山:2012/03/23(金)
12:39:51
- >>405 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:38:46
>ただ批判の引用として釈迦の言葉を使いながら、
現実は警官の警棒をふるうような
>やり方は少々、批判側にだけ都合よく見えたのです。
批判側には相手を傷つけているとさんざん批判しながら、
あなたは批判側に何を書いているのだ?
「警棒をふるう」
「生贄のようにモグラ叩きをしている」
「幼稚なチンピラのような行為」
「正当な批判だと高みからすべてまとめて現実を教えると
いう驕り」
信者さんたちに気遣いをするという人なのに、おおよそ、批判側の心への
気遣いは皆無で、むしろ、罵声と罵倒を並べている。
批判側にも丁寧で気遣いをしながら、信者の心にも配慮するようと
書いたのなら、あなたは他人への気遣いをするような
心のやさしい人なのだろうとわかる。
だが、信者の心への気遣いを高々と説くあなたは、その具体例も示さず、
批判側への気遣いは皆無で罵声を並べている。
批判側に「おまえたちは棒で殴ったな」と非難しながら、
あなたは批判側を棒で殴っている。
どちらがあなたの本当の姿なのだ?
もちろん、私は最初からあなたが「心優しい人」だなんて思っていない。
心優しい人が批判側にこれだけの罵声を並べるはずかないからです。
だから、あなたの本音を示してもらうために、信者への気遣いを
したアゴン宗批判とやらを書いてほしいと頼んだ。
もちろん、内心、あなたが書くはずがないと私は予想した。
あなただけでなく、読者は全員気がついたように、私はあなたを試したのです。
- 419 :深山:2012/03/23(金)
12:41:48
- >>406 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:44:16
>私を試すような煽動は、
一見穏やかであってもあなたの企みが見えています。
これがあなたの結論であり、正体ですよね。
さんざん批判側の批判姿勢に高見からお説教を垂れて、では、
そのお説教内容を実行してみろと言われるとしない、というよりもできない。
いかにもあなたは信者たちに深く気遣いをしているかのような
話を延々と書いているが、そんなのはきれい事の建前にすぎない。
あなたはすでにそれが建前にすぎないことを示している。
そんな気遣いをするくらいなら、批判側を批判する前に、
私から書けと言われる前に、見本を示し、「批判側の皆さんも
このようにしてください」と書いたはずです。
だが、あなたはそうではない。
あなたは信者の傷に心遣いするような心優しい人間ではない。
むしろ、弱者をネタにして批判側を腐したいのです。
弱者を利用するという点でとても悪質です。
傷ついているのは他の信者ではなく、信者時代のあなたですよね。
その時の恨みが忘れられない。
- 420 :深山:2012/03/23(金)
12:45:30
- >>406 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:44:16
>こう言えば貴方は必死に理性を保ちながらも、
逆襲するでしょうね。
はい、そのとおりです。
なぜなら、あなたの目的は、信者への気遣いなどではなく、
批判側への攻撃だからです。
あなたがラシンさんあたりの文章に因縁を付けた始め頃から、
そのシッポが見えていましたよ。
信者への気遣いなど、批判側を攻撃する理由にすぎない。
きれい事の建前論を振りかざして、批判側に一泡吹かせてやりたい、
というのがあなたの本当の目的です。
その証拠に、ラシンさんが謝罪して撤回しても、あなたはいっさい
攻撃の手を緩めない。
ラシンさんがさっさと謝罪したことはあなたの予想外でしょう。
彼はあなたよりもはるかに大人だから、無駄な争論を避けたのです。
謝罪している相手に、
「背後霊などと言ったのは貴方の掲示板の保身のためですよね。」(>>382)
さらに鉄槌をくわえている。
これが信者に気遣いをするというあなたの正体です。
「警棒をふるう」
「生贄
のように
モグラ叩きをしている」
「幼稚なチンピラのような行為」
こんなふうにいかにも信者の心に気遣いするかのような主張しながら、
背後霊と言われただけで、相手に謝罪させ、さらに鉄槌を加える。
あなたは信者に気遣いするような優しい心の持ち主などではない。
あなたは自分が傷ついたことへの逆恨みの仕返しをここでしているのです。
- 421 :深山:2012/03/23(金)
12:47:56
- >>406 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:44:16
>こう言えば貴方は必死に理性を保ちながらも、
逆襲するでしょうね。
あなたはアゴン宗をやめても心は信者のままです。
こういう元信者は珍しくもない。
だから、批判を読んでも、まだ桐山さんの霊能力を信じている(>>389)。
あなたは信者時代、ここでの批判を読んで、ものすごく傷ついた。
桐山さんを熱心に信仰し、深く敬愛していたから、その桐山さんの
正体を示され、批判されると、まるで我が子を殴られたように
あなたは激しく傷ついた。
普通の信者なら、大小の差はあれ、そのようなものです。
だが、そこから先があなたはちょっと違う。
本来なら、自分を騙し、愛人を囲っていた桐山さんへの嫌悪や
憎悪となるはずだが、あなたは違った。
信者時代、桐山さんをあまりに熱烈に敬愛したいたから、
その彼に嫌悪を向けることは、自分を傷つけることになるからです。
これ自体があなたのエゴにすぎない。
傷ついた強烈な痛みの矛先を桐山さんに向けられないから、
もっと簡単な相手を見つけた。
それが批判側です。
- 422 :深山:2012/03/23(金)
12:49:52
- >>406 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:44:16
>こう言えば貴方は必死に理性を保ちながらも、
逆襲するでしょうね。
あなたは信者時代、批判を読んで傷ついたことは間違いない。
その痛みを強烈に記憶している。
痛みの恨みを桐山さんに向けられないから、全部批判側に向けることにした。
あなたが、批判で傷ついていると書いている信者とは、
他の信者のことではなく、信者時代のあなたのことです。
自分が傷ついたことの恨みをここで晴らしている。
「どれだけ私が傷ついたか、思い知れ!」という激しい憎悪があるから、
批判側をチンピラとまで口を極めて罵る。
謝罪している相手にもさらに鉄槌をくわえる。
他の信者への気遣いなどではないから、信者への気遣いの文章を
書いてみろと言われても、もちろん書けない。
なにせ、あなたの気遣いとは他人ではなく、傷ついた自分への気遣いです。
要するに、エゴ丸出しです。
- 423 :深山:2012/03/23(金)
12:51:33
- >>406 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:44:16
>こう言えば貴方は必死に理性を保ちながらも、
逆襲するでしょうね。
あなたがアゴン宗をやめた最大の理由がなんであるかはともかく、
ここでの批判が大きな原動力になったことは確かです。
それはあなたの文章に見られる批判側への激しい恨みに良く表れている。
批判を読んで、よほど深く傷ついた。
愛してやまない恋人が、実はあなたを利用するだけのとんでもない男で、
愛情のカケラもなかったという証拠を示されたようなものです。
相手への愛情と裏切りに、あなたは身を引き裂かれるような痛みを感じた。
そして、あなたは相手の男ではなく、それを教えてくれた相手に
恨みの心を向けることにした。
恩義のある相手に因縁をつけて攻撃することにした。
それによって自分の痛みの憂さ晴らしをしようとした。
物事の道理を理解できないというよりもエゴ丸出しですよね。
- 424 :深山:2012/03/23(金)
12:56:28
- >>406 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:44:16
>こう言えば貴方は必死に理性を保ちながらも、
逆襲するでしょうね。
あなたの今していることは、桐山さんとそっくりです。
桐山さんは偽ビール、学歴詐称、阿闍梨詐称など自分でさんざん
悪いことをしているのに、それを暴露した人たちや、ムショに入れた世間に
激しい恨みを持っている。
彼は自己愛性人格障害者によくある性格として、他人の痛みには鈍感だが、
自分の痛みは十倍くらいに感じている。
「このオレ様をこんな目に遭わせて、この痛みをおまえたちも思いしれ!」
これが桐山さんの心であり、ただの逆恨みです。
すべては桐山さん本人が為した悪業です。
先祖も神仏も因縁も霊障も関係なく、彼が自分の意志で為したことです。
だが、彼は自分の非など絶対認めない。
自分の悪業を素直に省みるのではなく、霊障、悪因縁、地球壊滅など
絵空事を作り上げて、世間の人々を脅かし、自分を迫害した世間に
頭を下げさせ、復讐をした。
アゴン宗とは桐山さんの個人的な復讐の道具です。
仕返しのためなら、釈尊直説の阿含経を悪用することも厭わない。
これを使って自分を追い出した密教界に復讐した。
阿含経という正論を持ち出し、自分の復讐の道具に使った。
信者への気遣いという正論を持ち出し、自分の恨みの道具に使ったのと同じです。
- 425 :深山:2012/03/23(金)
12:59:35
- >>406 :名無しさん:2012/03/23(金) 03:44:16
>こう言えば貴方は必死に理性を保ちながらも、
逆襲するでしょうね。
私からあなたの腹の底を示された。
あなたはもちろん認めないだろうが、私の推測は読者には説得力がある。
あなたの言動の矛盾を説明しているからです。
あなたはきっと痛みで私に激しい怒りや憎しみを感じているでしょう。
あなたの腹の中など、昨日の段階でわかっていた。
だが、私はそれを最初からは指摘せず、あなたが引き返せる道を提供した。
信者たちに気遣いしている文章を書いてみたらどうかというのがそれです。
簡単な文章を書くか、今後書く約束すれば、あなたは建前論の面子を
保ったまま、ここから去ることができた。
あなたはラシンさんに謝罪させ、一応の成果があったのだから、
それで満足するべきだった。
だが、やはりあなたはそれを選ばなかった。
自分の腹の中などわかるまいと、エゴ丸出しの主張をここで繰り返した。
でも、もう遅い。
どんなに、信者たちへの気遣いなどというきれい事を並べても、
それらはあなたの個人的な恨み、それも筋違いな逆恨みであることを
読者は理解してしまった。
そういう目で見れば、あなたの言動が一番納得いく。
準シュダオンさんみたいに汚い腹をここにさらし続けるのはあなたの自由だ。
だが、少なくとも、批判側は誰一人それを見たいとは思っていない。
- 426 :準シュダオン:2012/03/23(金)
15:47:07
- >本物の占いであろうが、生を乗り越えられません。
>占いから生じる希望や期待そのものは、たとえ叶えられても
>はかなく壊れるもの、と釈尊は述べます。
釈尊の述べることだからと、鵜呑みにして良いのか?という問題提起ですよ。
私は、テレビで、占い師が、幼い時に生き別れた生母の生死を知りたがっている
依頼者に、「生きてますよ、母も逢いたがっていますよ。」と、答え、依頼者が
喜んでいる表情を見て、こういう占いは良い、と感じた。
そういう点では、釈尊の見解と私は違いますね、釈尊を狂信・盲信はしませんよ。
さて、プロの占い師が釈尊に、「三法に帰依して釈尊の信者になりたい。我を
在家の信者として受け入れてほしい」と、願い出たら釈尊はどうするでしょう。
まぁ、現代でもプロの占い師は、沢山存在してますけどね。
在家の占い師を、卑しい行為というのは行き過ぎでしょう。
運命鑑定家だとて、自分の技法を研鑚して生業としているかぎり、正業でしょう。
その点、批判派は釈尊の語を盲信してるか、誤解してるように思われます。
- 427 :準シュダオン:2012/03/23(金)
16:28:38
- >それはひととき、一時的なものですから否定したのです。
それは変ですね。私が出した例では、依頼者は生母の生死を知りたがって
います。それが何で一時的なんですか?もし、本当の事が解るのであれば、
依頼者に答えてあげるべきでしょう。
>ましてその煩悩達成術を売り物にする桐山さんは、
>釈尊が卑しい行為とまで咎めています。
この辺りが、私と批判派の釈尊に対する姿勢の違いですね。私は釈尊を盲信しない。
前にもレスしたが、私は入行時に、密教と仏教は違うのであろうと考えたから
入行したのです。既成仏教なんてのは、先人の作った空想物語と考えていたね。
だいたいが、マルクス・レーニン的、唯物・科学的史観によれば、宗教とは阿片な
わけでしょ。理窟をいうこと事態が、阿片に犯されていることになります。
が、入行時、六方塞がり状態だったのが、いくらか道が開いた。因縁が切れたか
薄れた、という実感もあり、管長の説くところから、仏教も役に立つものである
ことを知った。で、管長が、阿含経は因縁解脱を説いている、というから、
私も阿含経の価値を認めるのであって、そうでないなら阿含経に用はないね。
その辺りが、私と批判派の姿勢の違いですね。批判派は無条件に阿含経の
教えは正しいと認めています。私は、因縁の洗い出し現象、みたいなのを
体験したから、阿含経の価値を認めますが、そうでなければ信じないですね。
- 428 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/23(金) 17:05:42
- >喜んでいる表情を見て、こういう占いは良い、と感じた。
そういう点では、釈尊の見解と私は違いますね、釈尊を狂信・盲信はしませんよ。
それも一時的です、人の一生は短いと釈尊は述べています。
>在家の占い師を、卑しい行為というのは行き過ぎでしょう。
桐山さんは、アゴン宗において出家者、大解脱者です。
「仏教は通力や、おまじない、占い、呪術的な医療、
呪術的祭式、儀式偏重などすべて否定していた。
重視すべきことは、「あるがままの真実に即した道理であり、
普遍的な真理としての法であった。」(仏教本当の教え 植木雅俊著)
>それは変ですね。私が出した例では、依頼者は生母の生死を知りたがって
います。それが何で一時的なんですか?
すべてはうつろい行くものと、釈尊は説いていました。
生死がわかり安堵することも一時的であり恒久ではありません。
>阿含経は因縁解脱を説いている、というから、
私も阿含経の価値を認めるのであって、
阿含経典に因縁解脱が無いのですから、
桐山さんのウソでしかありません。
>私は、因縁の洗い出し現象、みたいなのを
体験したから、阿含経の価値を認めますが、そうでなければ信じないですね。
過去ログにその不思議現象への答えがあります。
>214
:名無しさん@3周年 :04/09/20 00:06:27 ID:je+L2x6m
>「それゆえ、ケーヴァッダよ。わたくしは、
神通力による奇跡に欠点があるのを知り、
神通力による奇跡に不安を感じ、恥じ、避けるのである。」
同様に、神通力の一つである読心術の奇跡も、
マーニカという魔術と間違われるから、
「読心術による奇跡に不安を感じ、恥じ、避けるのである。」
- 429 :名無しさん:2012/03/23(金)
19:11:00
- 丁寧なレスありがとうございます。
>あなたのいう信者に気を遣った批判を書いてくれと述べただけです
。
書き込むなら批判内容は過去の批判者の方々を踏襲するに留まります。
再度コピペして掲示するだけで、
貴方のように罵声は飛ばせません。
>あなたの長々とした批判側への批判は私が390にまとめた。
>内容的に大筋でこんなものなのでしょう。
お手を煩わさせてしまい、すみませんでした。
>あなたには争論だったのでしょうね。
だが、私を含めた批判側は争論ではなく、議論です。
違いますよね、貴方の議論は相手を女性と推察して笑うことなのですか。
国語力が無いといって言われたことを無視する。
それのどこが議論なのだ?(貴方の真似です)
読解力をつけなければならないのはどちらでしょうね。
- 430 :名無しさん:2012/03/23(金)
19:17:08
- >議論を釈尊が奨励したことをあれだけ明瞭に示しても、
>私はすでにその事例を示した。
一人宣言しないでください、事例など示せていないです。
あれだけ明瞭に、などと一人自慢もよしてください。
どこが明瞭なのだ?(これも貴方の真似です)
セニーヤや婆蹉種出家が反論したからといって、
貴方のように論じ合っていません。
先生が生徒に教えるように釈迦は比喩をもって教え諭したのです。
釈迦は出家者には、議論する暇があったら修行に励めと言い、
在家者に対しては、現実の善行に努めよと教え諭していたのですよ。
釈迦の説いたのを論法とは言わず、 説法というのもそういう下地から来ています。
それとも釈迦はバラモンや六師外道と議論を戦わせたなんて学者の 説にありますか?
釈迦はすでにある道と法を教え示しただけです。
貴方は言葉に詰まると相 手に国語力が無いなどと罵倒する。
貴方の解釈に合致しないと読解が悪いと馬鹿にする。
これが貴方の言う議論ですか?
これは掲示板でよく見るから、
貴方があごん宗で培った話呪つなのではないか。
修行者にとって実践なき思想は意味が無いから、 そういうケ論を論じていた
外道たちと
議論し合うことのかいしゃくnは無かったのが、釈迦のスタイルです。
ようするに釈迦は、過去仏の道を歩んで来てあるべきその道筋を説いたに過ぎません。
対機説法とは相手の質問を受けその内容や相手の機根に応じて答え
ることです。
これのどこが議論といえますか? 釈迦はお互いの意見を論じ合ったのではなく、
道を指し示したのであって、
道を説くことを議論とは言いませんよ。
貴方は釈迦の何を学んできたのですか。
- 431 :名無しさん:2012/03/23(金)
19:20:04
- >批判側には相手を傷つけているとさんざん批判しながら、
あなたは批判側に何を書いているのだ?
貴方が擁護者や信者にしていることです。
興奮しないで冷静に貴方の過去の振舞いを振り返れば
私の指摘は核心をついていると思いますが、
根拠を出せなんて いわないで下さいね。
書いたものは消えないのですから、
違うと思うなら自分で確認しなさい。
貴方は私が仕返しに来たという妄想に凝り固まっているようです。
ですから貴方はものすごく怒っていますよね、
叱られた経験のない子供のように。
>批判側への気遣いは皆無で罵声を並べている。
罵声とは今、貴方が発している「高見からお説教」「 批判側を腐したい」
「弱者を利用する」「悪質」「因縁を付けた」「逆恨みの仕返」
これらがそうではありませんか?
貴方がバカにしていた2ちゃんの占いの方と何も変わりませんね。
「桐山さんとそっくりです」って、私がどう似ているのでしょう?
貴方のその腹の立て方こそ偽善的で一方的で排他的決め付けぶりが
桐山さんとよく似ています。
ラシン氏については個人的問題が出るので何も言えません。
ただ私は氏からの謝罪を受け入れているのですよ。
ただし貴方の仰ったように私の態度も悪かったことは素直に認めます。
- 432 :名無しさん:2012/03/23(金)
19:21:29
- >あなたはきっと痛みで私に激しい怒りや憎しみを感じているでしょ う。
>だが、少なくとも、
批判側は誰一人それを見たいとは思っていない。
これが貴方の本音ですか、間接的に出て行け! と仰っているのかな?
これも貴方のお得意の文句ですが、怒っているのはどう見ても 貴方の方です。
今まで揶揄されてもストレートに言われた経験がないのでしょう。
批判には躊躇も無く弁がたつようですが批判される事には慣れてい ないので
憤慨しているのですね。
貴方の信者や擁護者へのからかい方や嘲笑と下手な性格判断など、
あごん宗の批判に対し何か特別に必要がありますか?
彼らを通して桐山ゲーカへの復讐を果たしているのが貴方です。
だから2ちゃんで異様だと言われていたのはうなずけます。
但し不思議なのは貴方が桐山ゲーカに不信感を持ちながら、
信者を続けていたという内容が書かれていました。
そこま
で気づいていてどうして質問するなり脱退しなかったのでしょう。
そういう貴方があごん宗にしがみ付いている信者をコケ下ろしてい る。
- 433 :名無しさん:2012/03/23(金)
19:23:52
- >あなたは信者時代、批判を読んで傷ついたことは間違いない。
間違いない? 占いですか?
信者へ善導している理由をつけて桐山さんに恨みをぶつけているの は、
貴方のようです。
こう言われると貴方は、
批判の立場を忘れて猛烈に私に逆襲したがる。
そういう性格はよく診ていましたから予測できます。
ただ貴方は、あごん宗に居た時は上の人だったのでしょうね。
そこでも同じように先達として信者の性格を独断で決め付けて来た 。
今度は絶対勝ち組という場所を手に入れて、 同じように批判の独断場で、
対論者をこき下ろし悦に入っている。
だから順シュダオンさんを脳梗塞とか認知症の様な心配をして、
逆に氏を踏んづけているのです。
と、貴方が独断で勝手に私の腹の底を読んだと同じようにしてみました 。
これは貴方を真似て 貴方の腹の底を予想しただけですが、
貴方は痛みすら感じる前に猛烈な怒りに襲われるはずだから痛くも 痒くも無い。
- 434 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/23(金) 22:36:42
- >>413:名無しさん12/03/23(金) 12:26:00
>しかし、掲示板での討論相手の性格分析までしてあげつらうような必要性は 、
>私にはどうも釈然としない気分です。
というか第三者が読んでいて正しいことでも、
>ちょっとこれってどうなんだろう? という感想を抱きます。
「性格」分析や批判ではありません。
他人の性格をあれこれ言えるほど、私の性格は立派なものではなく、問題だらけです。
私が批判するのは準シュダオンさんの「態度」と「知識・認識」の2つです。
性格なんてものはなかなか直せないが態度だけは改めることができます。たとえ一時的にでも。
しかし彼は態度を改める気はさらさらない。
これは彼が大王の使者と名乗っていた時も絶対に相手の言うことをきかない。
当初大王の使途と名乗った。私らはこれは誤変換であり、大王の使徒と名乗りたかった
のだろうと指摘してやった。そしたら訂正はしたのだが、もはや使徒ではなく使者に
変えたのは彼の変な意地でしょう。
またBooさんの息子さんに対して「脳障害があったから拘ってるの?」と発言した。
私はその発言の訂正を求めたが遂に彼は訂正も謝罪もしなかった。
訂正なんてすごく簡単なことで、「ついはずみで失礼なことを書いてしまった」
と謝罪すれば、おそらくBooさんでも許してくれる話です。
それよりもきちんと訂正謝罪できる柔軟性を示せば、彼の値打ちは上がったはずだ。
しかし絶対に自分の否を認めない。
それは理解できますよ。自分よりも年少の若造の批判側の言うことなんかきかない
と老人ならではの頑なな意地がある。
しかし理解できるからと言って、
その老人の意地はそっとしておいてあげるのが気遣いだと思いますか?
これは堂々批判をすべきであり、弱いものイジメにはどう考えてもならない。
もう一つは「知識・認識」の否定反論です。
- 435 :名無しさん:2012/03/23(金)
22:46:51
- なんかあやしい雰囲気ですなw
元信者や批判者に善人面して難癖つける。2ちゃんではもっと乱暴にバカあつかいをして
こきおろす。
とくに深山さんが気に入らない・・・・まああの人でしょ、うんw
ウソ臭い話だよな、お導きして自分はすぐやめても導いた人は信仰を温かく
見守っているんだと、わたしだったらそんなことできませんね。土下座してでも
やめさせますよ!「わたしが間違っていた。とんでもない宗教をしょうかいしてしまった」とね
だいたい準シュダオンさんのやりとりにしても、何年おなじことくりかえし
シュダオンさんはやっていると思っているわけ、いいかげん頭にきますよ
ロムっているだけでもね、むしろ、こんな変な筋の通らないことばかり主張して
明らかな間違いさえ認めない人をあいてに深山さんは根気よく相手にして
偉いとさえ思いますよ。まあたしかにクドイっていえばそうかもしれないけどw
むかし信者だったころやりあいましたからね、でも彼ほど詳しく根気よく
説明してくれる人などほかにはおりません。腹立てて感情的に(最初からそう)
文句言ってるようでは、まあ、わかりますまい、怒り恨みの感情をぶつけているのは
どちらか?
- 436 :干柿:2012/03/23(金)
22:49:10
- ↑干柿です。
- 437 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/23(金) 23:01:23
- >>413:名無しさん12/03/23(金) 12:26:00
>しかし、掲示板での討論相手の性格分析までしてあげつらうような必要性は 、
>私にはどうも釈然としない気分です。
というか第三者が読んでいて正しいことでも、
>ちょっとこれってどうなんだろう? という感想を抱きます。
準シュダオンさんは擁護側としてこちらと対峙するには役不足です。
それはアゴン宗の教学・実践についての知識・認識が間違っています。
修行など経験の量なんかは本来問いません。少なければ少なくてもよい。
しかしそれに対して引け目を持つ必要はありませんが、自ずと謙虚な姿勢になりますよね。
偉そうに説教などできるはずがない。
それは知識・認識が間違っているからです。
たとえば
>>412:準シュダオン12/03/23(金) 10:59:40
>奉仕梵行が護摩木勧進より価値が高いなどとは、管長は説いていませんよ。
これなどは彼の認識が間違っている。
護摩木勧進も奉仕ボン行も両方やらねばならないのです。
ボン行をしなければ因縁は切れないと桐山さんは説く。
奉仕ボン行をしない代わりに護摩木勧進だけしたことがあるでは話にならぬ。
>私は、例祭運営に出たことがないなどとは、レスしたことがありません。
なんて書いているが、ではどんなお役を奉仕したの?と質問すれば絶対に答えません。
また
>あのね、道元禅師は、「常住坐臥、すべて座禅である」と、説いたのですよ。
>これは、日常生活すべてが修行である、という教えですね。
これも一般論的にはもっともらしいことを説いて煙に巻いてごまかしているが、
アゴン宗では「道場に足繁く通い、運を運べ」と道場奉仕を説いている。
道場に行かずに日常生活だけでボン行をしたつもりなんてのは、アゴン宗では
通用しない間違った認識です。
勤め人などは多忙で道場にもなかなか通えずボン行もなかにかできない。
しかしだからと言って正当化するような発言はしません。
- 438 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/23(金) 23:09:16
- 干柿さんはザビビの常連さんでしたし住人さんで居られた。リアルタイムでの参加者でしたから
本当に良くご存知ですからね。私はザビビが「終わるよ〜」と告知していた頃の最後あたりの参加者
だから本当に過去ログでしか把握できない。しかも過去ログ2chより少ないとはいえ膨大w
読むだけでも「キツー」と悶えていましたよw
さて、このしたらばは「継承スレ」ですからおおよそですがザビビの流れに沿うようには進めを
していますが、確かに以前にも「ここは2chと違ってどうなっているんだ」といわれたことも
ありましたね。まるでダンジョンゲームが如く永遠に続く展開で、私も真面目に読むから脳細胞が
破壊されそうになったことがありましたよ。頭痛がめったにしない自分ですがマジに頭痛がした。
ヤバイ掲示板になったものだ、と思いましたね。
でも、根気良く説明をするという点では本当に適わない。
そして名無しさんの言われた意見でもしも行ったならこういう風に成るのでは無いかというのが
あります。それをこれから述べさせていただきたいと思います。
- 439 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/23(金) 23:10:48
- あ、やっぱり私のやつは後にします。明日の朝でも投稿します。どうぞ皆様続けてね〜。
- 440 :名無しさん:2012/03/24(土)
00:23:21
- >>413 :名無しさん:2012/03/23(金) 12:26:00
>しかし、掲示板での討論相手の性格分析までしてあげつらうような必要性は 、
>私にはどうも釈然としない気分です。
というか第三者が読んでいて正しいことでも、
>ちょっとこれってどうなんだろう?
という感想を抱きます。
別の名無しですが、この件に関し、むかし2chでBooさんがまだ信者の時にそれをやられて険悪なムードになったことがあります。
その時もあなたとよく似た指摘をした方がいました。
Booさんはおぼえているかどうかわからぬが、もし記憶にあるなら今は脱会して批判側のBooさんの意見も聞いてみたい。
- 441 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/24(土) 05:48:28
- 名無しさんの言われたようにするのを推測すると、相手に対して罵倒無しの発言で行う。
それこそ感情を入れず、正しい情報の提供に徹する。相手の間違っている点の指摘と
正しい事項を示して投稿に執するという形に成るでしょうね。
また例えば同じ間違いや前に出したのと同じ内容や論を出されたとしても、それに対する
側は以前出した同じ回答を貼って出す。
決して喧嘩腰や揶揄・罵倒はせずに正しい答えを理路整然として出して、間違っている点の
指摘と正しき情報の掲示に徹すると。
それでも同じ事を繰り返す人には掲示板の最大の奥義(笑)スルーで対応するのが良い。
下手に相手にして尚且つ反抗的な・挑発的な意見などに対応するから罵しりあいになるとか
見られるような発言を批判側もしてしまうといったところでしょう。
ですから感情など入れずに、機械ではんこを押したように相手の間違っている点を指摘し、
正しい情報を提示する投稿に徹する。こうすれば問題は無いかもしれません。
もちろん人によって素直に聞いてくる人や、阿含の欺瞞を知らないでものを言って来る人も
いるでしょう。そう言う場合にも感情を入れず相手の間違っている点を挙げ正しい情報を
述べるようにする。そう言う形に成るということでしょうね。
- 442 :準シュダオン:2012/03/24(土)
09:33:08
- >準シュダオンさんは擁護側としてこちらと対峙するには役不足です。
>それはアゴン宗の教学・実践についての知識・認識が間違っています。
私に言わせれば、批判派こそ、教学の知識・認識が間違っています。
相撲に例えると、批判派は幕下です、私は十両のドン尻程度か。
阿含宗の僧侶は、前頭筆頭、小結、関脇クラスになるのかな。
中入りクラスの先達は沢山居るね。
>修行など経験の量なんかは本来問いません。少なければ少なくてもよい。
>しかしそれに対して引け目を持つ必要はありませんが、自ずと謙虚な姿勢になりますよね。
>偉そうに説教などできるはずがない。
>それは知識・認識が間違っているからです。
>たとえば
>>412:準シュダオン12/03/23(金) 10:59:40
>>奉仕梵行が護摩木勧進より価値が高いなどとは、管長は説いていませんよ。
>これなどは彼の認識が間違っている。
>護摩木勧進も奉仕ボン行も両方やらねばならないのです。
そりゃ、両方やれたら理想でしょう。が、両方したからといって、片方だけの
梵行者より修行が進むとは限らないよ。心掛け次第ですね。
>ボン行をしなければ因縁は切れないと桐山さんは説く。
>奉仕ボン行をしない代わりに護摩木勧進だけしたことがあるでは話にならぬ。
その考え方が↑間違いだ、というのです。自分の出来ることをすれば良いのです。
自分の浅知恵で、梵行の価値判断するな、ということです。
>>私は、例祭運営に出たことがないなどとは、レスしたことがありません。
>なんて書いているが、ではどんなお役を奉仕したの?と質問すれば絶対に答えません。
答えれば答えたで、またあなたは、愚かな価値判断をするからです。
>また
>>あのね、道元禅師は、「常住坐臥、すべて座禅である」と、説いたのですよ。
>>これは、日常生活すべてが修行である、という教えですね。
>これも一般論的にはもっともらしいことを説いて煙に巻いてごまかしているが、
別に煙に巻いているのではない、これは道元の重要・有名な逸話で、あなたも耳
にしたことがあるだろう。道元も中国で修行している時は、ユビさんみたいに、
修行について、心得違いをしていたわけだね。つまり、書物を読んだり、座禅を
したり、そういう行動だけを修行と考えていたんだね。
が、道元は、ある時、典座と問答して普段の生活すべてが修行だと大悟するね。
>アゴン宗では「道場に足繁く通い、運を運べ」と道場奉仕を説いている。
それはそれでよろしいが、それだけが修行ではない、ということです。
- 443 :深山:2012/03/24(土)
11:31:10
- >>429 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:11:00
>再度コピペして掲示するだけで、
貴方のように罵声は飛ばせません。
私がいつどんな罵声を飛ばしたのですか。
私は具体的にあなたの罵声を引用した。
「警棒をふるう」
「生贄のようにモグラ叩きをしている」
「幼稚なチンピラのような行為」
「正当な批判だと高みからすべてまとめて現実を教えると
いう驕り」
他人の言葉を罵声という時は、ちゃんと引用して具体的に批判してはどうかですか。
次の件もそうだが、あなたの頭の中の憎悪で熟成した記憶をここに
書かれても、現実とは違いますよ。
>違いますよね、貴方の議論は相手を女性と推察して笑うことなのですか。
大晦日の議論であなたを「女性と推察」したことはあるが、
「笑う」のはあなたが女性だからではなく、内容が支離滅裂だったからです。
いかにもあなたらしい悪意満面な解釈ですね。
私が「女性と推察して笑う」などしたというなら、具体的にスレの番号と
書き込みを引用してみなさい。
- 444 :深山:2012/03/24(土)
11:32:41
- >>430 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:17:08
>一人宣言しないでください、事例など示せていないです。
>>394以降で引用した阿含経や、三蔵の話、今日まで仏教に伝わる議論の習慣、
これらを示したことが、あなたにとっては事例ではない?!
あなたみたいに言葉だけで説明しているのではなく引用しているのです。
あなたが根拠として出したのは、ネットで読んだという程度です。(>>386)
今回も具体的に、
>釈迦は議論などしないし、争論を否定された
という主張の根拠は何一つ示していない。
私が引用した阿含経をただ否定してみせただけです。
それで反論になるとあなたは思っているのですね。
あなたは議論とは何かを知らないのがよくわかる。
そういう理解では、阿含経を読んでもあれを議論とは読めないのも当然です。
- 445 :深山:2012/03/24(土)
11:34:39
- >>430 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:17:08
>先生が生徒に教えるように釈迦は比喩をもって教え諭したのです。
比喩と議論とは別物だと思っているのがおもしろい。
釈尊が議論の中で比喩をすると、あなたの頭では、それは議論を
していないことになるのですね。
では、あなた以外の読者のために、釈尊の議論の場面をご紹介しましょう。
『輪廻する葦』(初版)の159ページです。
身命経の議論を桐山さんはわかりやすく現代語に訳して、
それだけでも約2ページ分あります(162〜163ページ)。
これは釈尊と婆蹉種出家の議論そのものです。
釈尊は霊魂の議論はしないと拒絶しているのに、婆蹉種出家がしつこく
釈尊に食い下がっている。
単に教え諭していただけなら、「答えない」で終わっていたはずです。
しかし、これは一方的な教え諭しなどではなく、議論だから、婆蹉種は反論した。
反論とは議論です。
それも釈尊の説を否定して、霊魂はあるという反論です。
これに対して、釈尊は火のたとえをもって説明した。
あなたのいう比喩です。
しかし、それでも婆蹉種出家は納得せず、また反論している。
これは経典だから、会話の要点だけでかなり省略されているはずなのに、
それでもこれだけの議論が行われている。
だが、あなたの目にはこれが議論に見えないらしい。
これが国語力の問題でないなら、何の問題なのだ?
あなたの頑迷さの問題か。
- 446 :深山:2012/03/24(土)
11:36:36
- >>430 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:17:08
>それとも釈迦はバラモンや六師外道と議論を戦わせたなんて学者の
説にありますか?
こんなことを堂々と言うとは、本当にあなたは阿含経をろくに読んだこともないのですね。
仙尼経のセニーヤは外道ですよ。
釈尊に論戦をしかけて、ミイラ取りがミイラになったのです。
同じ『輪廻する葦』の174ページには鹿頭婆羅門の話が出てくる。
彼も外道です。
どういう経緯か経典には書いていないが、いきなり釈尊はドクロを示し、
鹿頭婆羅門に透視するように言っている。
見方によっては、釈尊が議論をしかけているのです。
桐山さんが神通力の例としていつも取り上げるのがカッサパ三兄弟です。
もちろん、三人とも護摩を焚く外道です。
桐山さんはいかにもカッサパを神通力で降伏したかのような
書き方をしているが、経典を読めばわかるように、そんなことはない。
カッサパは釈尊の神通力をいくら見ても屈服しなかった。
彼は釈尊の言葉によって目が覚めて、帰依したのです。
こんなふうに桐山さんが取り上げた阿含経にもいくつも外道たちと
議論にして帰依させた事例が載っているのに、
あなたの目には見えないらしい。
- 447 :深山:2012/03/24(土)
11:38:58
- >>430 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:17:08
>貴方は言葉に詰まると相 手に国語力が無いなどと罵倒する。
>貴方の解釈に合致しないと読解が悪いと馬鹿にする。
>これが貴方の言う議論ですか?
私は言葉には詰まっておらず、具体例を次々と挙げている。
一方、あなたは具体例は何も出さず、ただ他人の主張を否定するだけです。
ネットで読んだという内容を確認もせずに鵜呑みにしている。
桐山さんの本にすら書いてある内容を理解できない。
仙尼経や身命経を私は指摘したのだし、あなたは元信者なのだから、
当然知っているはずだし、読めば、すでに説明したように、
婆蹉種出家と釈尊は議論している。
仙尼経も同じで、釈尊に疑問をぶつけて、釈尊の説明に納得せず、
さらに反論し、説明を求めている。
これらの経典をどこからどう読んでも、釈尊と彼らは議論をしている。
だが、あなたは議論ではない、比喩をしただけだという。
具体例を示され、説明されても、「示されていない」と拒絶している。
その頑迷不屈な態度を何と言えばいいのですか。
私はあなたみたいにチンピラなどと罵ることはしたくない。
国語力の問題だと言葉を弱めて私なりに気を遣ったつもりなのです。
- 448 :深山:2012/03/24(土)
11:40:22
- >>431 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:20:04
>根拠を出せなんて
いわないで下さいね。
根拠を示せないから、こんなことを書いている。
根拠もなしによくまあ他人を批判しますね。
あなたの頭での解釈は私の頭の中にはありません。
具体的にどれがそれに相当するのか、指摘するのが批判する者の義務です。
それができないから、こんなことを書いているのでしょう?
あなたのように根拠のない指摘を悪口、罵りというのです。
私はあなたと違い、常に根拠を示しながら、批判を書いている。
- 449 :深山:2012/03/24(土)
11:43:26
- >>431 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:20:04
>貴方は私が仕返しに来たという妄想に凝り固まっているようです。
>ですから貴方はものすごく怒っていますよね、
あなたは自分が怒られるに値すると思っているようですね。
あなた程度の人にいちいち怒っていたら、ここで十数年もアゴン宗批判などできません。
良い意味でも悪い意味でもあなたは小者だ。
批判側は迷惑しているだけです。
あなたは言葉尻を捉えて因縁を付けているだけです。
いかにも信者の心に配慮するように見せかけているだけで、
実際にはそれに相当することは何もしていないばかりか、
批判側に根拠のない皮肉、罵声、罵りを書いている。
口先できれいな建前論を展開し、その実、平気で他人を
チンピラなどと罵るような人です。
こういう人に腹など立てない。
なぜなら、腹を立てるほどの価値がないからです。
- 450 :深山:2012/03/24(土)
11:46:44
- >>431 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:20:04
>罵声とは今、貴方が発している「高見からお説教」「 批判側を腐したい」
>「弱者を利用する」「悪質」「因縁を付けた」「逆恨みの仕返」
>これらがそうではありませんか?
あなたがしていることを指摘したたけで、事実ですから、罵声ではありません。
自分は何もせずに、批判側には信者の心に配慮しろと「高見からお説教」した。
チンピラとまで批判側を言うのだから、「
批判側を腐したい」。
信者の弱い立場を擁護するようなふりをして批判側を腐すのだから、
「弱者を利用する」であり、実に「悪質」です。
「根拠を出せなんて
いわないで下さいね」などと根拠も示さずに
批判するのを「因縁を付けた」というのです。
「逆恨みの仕返」とは、こういうことするあなたの言動を推測したものだが、
>>420以降の私の推測が違うというなら、説明してみればいい。
私はあなたの言動の矛盾を指摘した。
信者への思いやりのお説教をしながら、自らは批判側にチンピラと罵る。
こういうことをあなたは当たり前だと思っているようだが、
端から見ると、とても変です。
この矛盾した態度をどう説明するのか。
矛盾した言動にはたいてい裏に本音がある。
それを私は推測した。
これを覆し、読者が「深山説は成り立たない」と思うような説明をしてみなさい。
無理ですよね。
- 451 :深山:2012/03/24(土)
11:50:43
- >>432 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:21:29
>これが貴方の本音ですか、間接的に出て行け!
と仰っているのかな?
文字通りに受け取ってください。
あなたの憎悪をきれい事の建前論で包装して、ここに示しても、
だれもが迷惑だと言っているのです。
ちょうど、準シュダオンさんが自分を自慢するために延々と書き続けるのが
他の人たちは迷惑なのと同じです。
ラシンさんの言葉に問題があったというなら、そこだけに焦点を絞るべきだった。
だが、ラシンさんの言葉をきっかけにあなたの罵声が炸裂した。
「信者さんをやりこめる優越感」(>>363)
「正義感を自己満足」(>>370)
「謙虚な批判など念頭にない御方」
「ここの擁護者を罵倒し踏み倒して自分らが常に正しい、と慢心し攻撃のオモチャをひけらかす」
「踏み倒すことだけに意義を感じているような態度ばかりでは」
「その思いあがり」
「思わせぶりの言動」
「鼻持ちならないあなた方」
一行一句に皮肉と嫌味と毒のこもった文章をあなたは延々と書き続けた。
しかも、それを信者への心遣いというきれいな包装紙に包んでみせた。
念のために言うが、私はこういう引用をしたいのではない。
だが、あなたがきれい事を並べ続けるなら、何度でも引用します。
こういうことはやめたらどうかと助言したのです。
- 452 :深山:2012/03/24(土)
11:54:19
- >>432 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:21:29
>但し不思議なのは貴方が桐山ゲーカに不信感を持ちながら、
>信者を続けていたという内容が書かれていました。
>そこま
で気づいていてどうして質問するなり脱退しなかったのでしょう。
不思議でも何でもありません。
自己洗脳を含め、洗脳されていたからです。
あなたもまだ桐山さんの霊能力を信じているではありませんか。
あれだけの嘘つきで、霊能力を否定する材料が山のようにあるのに、
それでもあなたは否定しきれずにいる。
自分だけは洗脳なんてないと思っているのでしょう?
そんなことはない。
批判側を批判するどころか、批判内容を良く味読して、
自分の知識としない限り、誰一人として洗脳など解けるはずがない。
あなたが信者時代に批判を読んで傷ついたのは桐山さんへの
敬慕があったからです。
批判側への猛烈な拒絶反応は、その裏返しです。
つまり、あなたの洗脳はしっかりと生きており、こうやって時々暴発する。
暴発してみないと自分の洗脳に気がつかないから、
その意味では暴発したほうがいいのだが、周囲は迷惑です。
- 453 :深山:2012/03/24(土)
11:59:09
- >433 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:23:52
>信者へ善導している理由をつけて桐山さんに恨みをぶつけているの
は、
>貴方のようです。
私の桐山批判を恨みだという人が多いが、いったいどこをどう読んでいるのだろう。
私の文章表現能力が劣っているのか、それともあなた方の読解力が低いのか。
ぜひ、恨みではなく、怒りを感じてほしい。
桐山さん個人に恨みなどありません。
そもそもあなたと違い、私の主たる感情は怒りであり、恨みではない。
だから、桐山さんとは心情的に共鳴できなかったのです。
桐山さんは怒りの他に、強烈な恨みの心がある。
さらに、あの強烈な自己愛と自己憐憫には鼻をつまみたかった。
信者を善導すると表現してくれたのは有り難いが、私は宗教家でも
脱洗脳のカウンセラーでもないから、善導などしないし、するつもりもない。
何度も言うように、できるだけ正確な情報を伝えているだけです。
あなたも他人を分析したいなら正確さを心がけたほうがいい。
- 454 :深山:2012/03/24(土)
12:01:24
- >>433 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:23:52
>間違いない?
占いですか?
占いではなく、私の推測であることは書いてあります。
心理分析でも、個人批判でもない。
私があなたのハラワタを引っ張りだしたのではなく、あなたがここで
自分のハラワタをまきちらし、それを私は丁寧に解説したにすぎない。
口先では信者の心への配慮を説きながら、批判側をチンピラと罵倒する。
この矛盾した態度をどう説明するのか。
あなたがここにぶちまけた物を私は指摘し、それらをつなぎ合わせて推測しているだけです。
あなたは自分でハラワタをここに出したのをすっかり忘れて、
私がまるでそのハラワタを引きずり出したかのように錯覚している。
私はだれのハラワタも引きずり出さない。
いつも相手が出したハラワタについて批判と推測を加えているだけです。
すると、痛みから、批判と推測の部分だけを記憶して、
ハラワタを自分から出したことを忘れてしまう。
これは次の準シュダオンさんについても同じです。
- 455 :深山:2012/03/24(土)
12:06:00
- >>433 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:23:52
>だから順シュダオンさんを脳梗塞とか認知症の様な心配をして、
>逆に氏を踏んづけているのです。
これはおもしろい。
では、あなたは準シュダオンさんが総本殿から白銀バイブを受信したという
説を支持するのですね。
私を腐すことに躍起になって、それをすれば、準シュダオンさんの
この荒唐無稽な話を支持することになるなんて思ってもいなかったのでしょう?
私への憎悪で視野が狭くなっているのです。
準シュダオンさんの白銀バイブ受信は脳梗塞の症状にすぎないと指摘したのです。
準シュダオンは白銀バイブ受信を生中継した。
記録が残っていて、私は何度かそれを引用して、その症状は小梗塞と
良く似ており、白銀バイブなどではなく、脳の病気だと指摘したのです。
こういう指摘のどこが、彼を踏んづけていることになるのだ?
- 456 :Boo:2012/03/24(土)
12:06:20
- >>440
あははは、ちょっとここはロムしていようと思っていたところでしたが。
過去レスで天照さんが深山さんに対して腹を割って、と言いますか、まあ多分
本音で深山さんの態度に対して意見を述べたことがあり(天照さんが退会した
ころのことだったと思います。)それに対する反レスを読んで、深山さんも
悪気があってあのような態度と言いますかレススタイルをとっているわけでは
ないと理解しましたので、それ以降は私も特段何とも思わなくなりましたが・・・
440さんの言われたことが誰からのことか定かではないが、性格を仮定されて
その性格の前提でこれこれですよね、とやられるのは嫌な気分になりましたね。
- 457 :深山:2012/03/24(土)
12:10:42
- >>433 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:23:52
>だから順シュダオンさんを脳梗塞とか認知症の様な心配をして、
>逆に氏を踏んづけているのです。
準シュダオンさんが脳梗塞である傍証も私はいくつも示した。
その一つが彼が糖尿病だったことです。
糖尿病から脳梗塞や心筋梗塞を併発することはよくあると『阿含宗報』にすら載っています。
彼が白銀バイブを受信してから、性格にも大きな変化があった。
これも脳梗塞の患者に良くみられる。
それまで丁寧な書き方をしていたが、急に今のように横柄で、
人を見下すような書き方になり、ひどい罵声が並ぶようになった。
そればかりか、記憶力は衰え、批判側の反論どころか、
自分が書いたことすら記憶できなくなっていた。
「過去の書き込みには責任を持たない」と彼は開き直った。
知性、理性、記憶が衰えるのは、脳梗塞患者には良く見られる症状です。
だから、私は彼に医者に行き、断層撮影をしてもらうように勧めたのです。
それは彼を心配したからではなく、社会人として勧めただけです。
白銀バイブと脳梗塞でどちらが説得力があるか、当然、脳梗塞説を
多くの人が支持するだろうと思っていたら、
どうやら、あなたは白銀バイブ説を支持するようだ。
私の知る限り、信者ですら、支持したことはなく、あなたが初めてです。
そこまで知性や良識が低いことを示したいのなら、私があれこれ言うことはない。
- 458 :深山:2012/03/24(土)
12:13:04
- >>433 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:23:52
>だから順シュダオンさんを脳梗塞とか認知症の様な心配をして、
>逆に氏を踏んづけているのです。
あなたはずいぶん準シュダオンさんの肩を持ちますね。
「敵の敵は味方」ですか。
そこにあなたの品性と本音が良く出ている。
あなたが本当に、他人の心の痛みに思いやる心で書いているのなら、
準シュダオンさんの味方など絶対にできない。
昔の準シュダオンさんの書き込みを知らなくても、>>434で
ユビキタスさんが指摘している、Booさんの子供をネタにした罵声を
あなたが読んでいないはずはない。
問題にしているのは、ユビキタスさんも指摘しているように、
こういうことを書いたことだけではなく、準シュダオンさんが
謝罪はもちろん撤回すらしなかった点です。
だから、あの罵声は今でも生きている。
こういう彼をあなたは支持するらしい。
- 459 :深山:2012/03/24(土)
12:16:22
- >433 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:23:52
>だから順シュダオンさんを脳梗塞とか認知症の様な心配をして、
>逆に氏を踏んづけているのです。
この一件に準シュダオンさんの人間性が典型的に出ている。
私は心から彼を侮蔑した。
最低の男だと今でも思っている。
だが、あなたは私とは感性が百八十度も違うようだ。
こういう準シュダオンさんを批判することが踏んづけていることになるらしい。
踏んづけたのは私ではなく、準シュダオンさんがBooさんを踏んづけたのです。
批判側は準シュダオンさんの態度を非難した。
あなたは準シュダオンさんの態度を支持するのですね。
Booさんへの子供をネタにした罵声は正しいことであり、撤回する必要もないと思っている。
他にも、私が指摘したように、準シュダオンさんはたくさんの嘘や
他人への誹謗を書いてもいっさい撤回も謝罪もしない人物です。
こういう準シュダオンさんを支持するあなたが、信者の心に配慮しろ、
なんていくら言っても、空しい。
あなたの目的が信者への配慮などではなく、批判側への一撃であるという
私の説を裏付けている。
だから、自分が背後霊と言われると大騒ぎして謝罪までさせるが、
準シュダオンさんがこれほどひどいことをしても、無関心どころか、
むしろ、彼を被害者であるかのように扱う。
信者への配慮などというやさしい心などあなたにはありません。
あなたのしていることは、きれい事の建前論を振りかざして、
批判側に石を投げているだけです。
- 460 :深山:2012/03/24(土)
12:22:15
- >>432 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:21:29
>これが貴方の本音ですか、間接的に出て行け!
と仰っているのかな?
くり返しになるが、私はあなたに出ていけと言っているのではない。
ラシンさんの件はすでに終了している。
にもかかわらず、同じような批判を批判側に繰り返せば、
ますます私はあなたのハラワタについて解説をするしかなくなる。
それをさせないでほしいと言っているのです。
それが難しいことは、大晦日でのあなたの反応を見ても予測がつく。
だが、そろそろ終わりにしてはどうですか。
ハラワタがきれいでないのは、だれもが同じです。
それをここに出さないように、準シュダオンさん以外の人たちは気をつけている。
あなたにもそのハラワタをそろそろしまってほしいと言っているのです。
「名無し」なのだから、できますよね。
- 461 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:28:17
- >私がいつどんな罵声を飛ばしたのですか。 私は具体的にあなたの罵声を引用した。
沢山あり過ぎて、一部だけです。
ここしたらばにだって準シュダオンさんをバカにしたものがありま すね。
>435 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ
:2012/03/09(金) 12:36:34.81 ID:uHKKG7vH
・妄想癖がある、 ・嘘とお友達
・自己評価が異常に高く、自惚れが強く、恥知らず、
・他人を下に見て、侮蔑し、踏み台にする、 ・それでいて強いコンプレックスを持っている、
・なぜなら、自惚れとコンプレックスは紙の裏と表だから、
・オダテに弱く、天井知らずの煙。
----------------------------------------------------------------
>私が「女性と推察して笑う」などしたというなら、
具体的にスレの番号と 書き込みを引用してみなさい。
私を女性扱いし印象付けて笑っています。
貴方は否定するでしょうが、小ばかにしたから「本望ですね。」 なんて、
余裕を付けた嘲笑を投げかけたのでしょう。
「>656 :深山
◆Y0jS4ug6fQ :2012/01/01(日) 02:03:24.34 ID:FLzi2Lga >泣いた?!
女性に泣かされるとは私も男として本望ですね。」
- 462 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:36:49
- >ネットで読んだという内容を確認もせずに鵜呑みにしている。
>これらの経典をどこからどう読んでも、 釈尊と彼らは議論をしている。
だが、あなたは議論ではない、比喩をしただけだという。
比喩を使って「道を指し示した」と言ったのです。 勝手に相手の文章を変えるのは、
貴方の読解の無さから来るのですか。 釈迦は解脱者ですよ、
意味が分からないようだから引用します。
四〔尊師いわく、――〕サンユッタ・ニカーヤ場K
「全きさとりを開いた人が教え諭とすのは、人のためを思い、
憐れむからである。修行完成者は順応と反論とから解脱している。 」
議論するのではなく「教え諭とす」のです。
順応と反論から解脱していると言う事は、 議論から解放されているのです。
議論とは意見を論じ合い納得と反論のせめぎ合いです。
だから議論を戦わす、というくらいにも使います。
世俗から離れた解脱者が争論を招く議論など奨励するはずはありま せん。
貴方も知っているように、托鉢するときも修行者は無言なのは、
世俗となるべく交わらないためです。
だから町から少し離れた林に住し、
自己観察し瞑想を心掛けた。
釈迦は相手が議論をしかけても教えを請いに来ても、 ただ教え諭とすのです。
貴方の言う議論こそ煩悩を生み出すから、 するなと言っているのです。
実際に弟子たちが論じ合い対立しかけたのを戒め止めています。
千歩譲ってあなたが議論だというなら、何処に貴方のような皮肉や罵声が、
釈迦の口から飛び交いましたか? 自分の議論の様をみたらわかりますよね。
貴方は議論を何か高尚な次元のように見せかけ、 討論を期待している。
文庫本に出ていて安い料金の阿含経くらい買えと言った本人が、
釈迦の思想の何を学んでいたのですか?
- 463 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:42:30
- >私はあなたと違い、常に根拠を示しながら、批判を書いている。
>根拠を示せないから、こんなことを書いている。
根拠もなしによくまあ他人を批判しますね。
何が根拠ですか、かってな貴方の思い込み解釈だけですよね?
私は、根拠を示せば事足りるなどと言う単細
胞ではありません。
また貴方のように根拠マニアでもなくコレクターでもありません。
根拠と言うならすでに貴方の言行を書いてありますよ。
貴方が罵倒されたと敏感に被害者の振りをしたものです。
貴方は信者を何度もド突いていましたよね。
2ちゃんでは、貴方自身でド突き漫才の相方だと得意げに話していた。
そのド突く相手は信者さんでしょう?
だからその過剰行為をやめたらどうかとの意味で警棒の例えを出した。
だが私を意趣返しの「弱者を利用した悪質」と決めつける。
何処にその根拠があるのですか?
貴方の受取りであり感情的決めつけです。
貴方はそう 喚いて私に「悪質行為者」という汚名を着せています。
そうじゃないと貴方は脱退者である私への非難がやりにくいからで すよね。
実に卑劣な人ですね、貴方と言う人は女々しいだけじゃなく小細工までして、
批判への批判を封殺しようとするのですね。
- 464 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:45:18
- >批判側は迷惑しているだけです。
また他者を巻き込む、貴方は本当に女々しい人ですね。
今は貴方と私が対論しているのに、「批判側は迷惑」だなどと、
勝手に他者を巻き込む。
前レスでも個人的逆恨みで批判板に来たなどと、
言いながら私を悪者扱いして批判をかわしています。
- 465 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:55:25
- >口先できれいな建前論を展開し、その実、平気で他人を
チンピラなどと罵るような人です。
>一行一句に皮肉と嫌味と毒のこもった文章をあなたは延々と書き続 けた。
>口先では信者の心への配慮を説きながら、
批判側をチンピラと罵倒する。
この矛盾した態度をどう説明するのか。
私の指摘が余りにも正確に貴方のハラワタを晒されて憤慨している ?
他人の文章>>381を自分の意の良いように切り取りして部分貼りするのが、
あなたの「悪質」ではないという態度ですか?
貴方の引用は悪意を持った方法で、読者の目を誤魔化している。
さすがは長く桐山さんに仕えた方だけはあります。
批判への批判に対し「悪質」 などとレッテルを張るのがチンピラではない?
貴方のやり方はチンピラそのものですよ。
私は高みから述べてもいないのに、勝手に「 俺らのシマに来て睨んだ」と、
因縁をつけているのですから、立派なチンピラ行為です。
貴方が「事実なのだ」と決め付ける行為は白を黒だという親分に劣らない。
貴方から桐山批判という衣服を取ったら、ただ の上っ面解釈のドエスの
初老の男性にしか見えません。
批判の衣服を脱いだら、
あごん宗にいる嫌味な先達が貴方の姿です。
長年在籍して桐山さんの垢がどっぷり身に染み着いている。
だからあごん宗にいた時も批判に転じても、ひとを罵倒することに 喜びを感じ、
自分のうっぷん晴らしに執着しているのです。
- 466 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:58:56
- >自己洗脳を含め、洗脳されていたからです。
そうですか、それだけで桐山さんへ湧いた不信感を抑え込めたのですか?
貴方の情報は私など下っ端信者よりも詳しいのが豊富にあるようで す。
貴方は元職員さんで、辞めるに辞められず偽と知りつつ教団で仕事を
して
いたのではありませんか?
桐山ゲーカの法を法友同志で検証し合って間違いを見つけても、
貴方はあごん宗にいて信者たちを指導する立場にいたのではないの ですか?
- 467 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:03:21
- >あなたもまだ桐山さんの霊能力を信じているではありませんか。
>批判側への猛烈な拒絶反応は、その裏返しです。
笑わせないでください、 貴方は皮肉には人一倍敏感なくせに私をまだ
桐山洗脳者だなんて印象付けようと、汚い手を使う。
桐山ゲーカへの嫌味を込めて書いたのが、 貴方の誤読した文章です。
桐山さんが祈ると不思議に悪いことが起こるから皮肉ったのです。
私は2,3年しか在籍していないから貴方ほどの恩讐はありません。
また私の何処に貴方の言う「猛烈な拒絶反応」があるのだ?
「>>381桐山ゲーカを叩くなら一向に構わないが、
>>批判者の人格の完成度を求めてはいませんが、
あなた方は少なくとも 三結からは離脱していると思う。
>>389ゲーカの悪行を見せるのかまたは阿含経との齟齬を 問題にするのか、
このあたりの考え方次第で批判論調も変わってくるような気がしま す。」
批判内容は賛同していると申し上げています。
貴方ってつくづく対論者の文章を理解しない人ですね。
- 468 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:07:25
- >私を腐すことに躍起になって、それをすれば、 準シュダオンさんの
この荒唐無稽な話を支持することになるなんて思ってもいなかった
のでしょう?
>準シュダオンさんが脳梗塞である傍証も私はいくつも示した。
だからどうしたのですか?
思慮が浅く自分が一番という自惚れから、
こういう判断を勝手にするのです。
私は準シュダオンさんを病気者とあつかう行為を非難しただけなの に、
貴方の頭は準シュダオンさんを支持することに繋がってしまう。
貴方の言葉を借りれば、木に竹を接ぐような無謀な解釈です。
貴方の解釈はほとんどが自惚れであり、 それを隠すために学説やら経典を
道具に使っていますよね。
私にはそんな汚い手法は通用しません、
男らしく意見を述べてくださいね。
- 469 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:11:22
- >問題にしているのは、ユビキタスさんも指摘しているように、
こういうことを書いたことだけではなく、準シュダオンさんが
謝罪はもちろん撤回すらしなかった点です。
だから、あの罵声は今でも生きている。 こういう彼をあなたは支持するらしい。
貴方は裁判官でも検察官でもありませんよね。
だったら一方的に決めつけないでください。
くそみそを一緒にせず、相手が罵詈雑言を吐いからと言って貴方も
吐いてよいことにはならないくらい貴方もいい大人なのですから解るはずです。
貴方はそれが解りたくないから、警棒を放したくないのです。
言葉を変えて準シュダオンさんに復讐していることを正当化してい ます。
貴方はもの凄い執念で、 桐山さんに復讐すると同様に信者を見ているようです。
準シュダオンさんが問題発言をしたなら注意することでいいではあ
りませんか?
執拗に追及しても決して良い結果にはならないから争論が続くので しょう?
- 470 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:12:14
- >>420なぜなら、あなたの目的は、 信者への気遣いなどではなく、 批判側への攻撃だからです。
私の批判は貴方自身に向けられた言葉だと自覚しながら、
批判への攻撃なんて、貴方ってどうしてこうも女々しいのですか?
貴方はとっくに気づいているくせに問題を批判側全域に拡大し、
助けを求めている姿は、いつもの貴方のハッタリは止めたのか。
いかにも貴方の眷属たちを庇う振りをして責任を批判者全員に なすりつけた。
- 471 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:14:50
- >桐山さんを熱心に信仰し、深く敬愛していたから、 その桐山さんの 正
体を示され、批判されると、まるで我が子を殴られたように
あなたは激しく傷ついた。
桐山ゲーカと相似した小説を創っている。 貴方のワンパターンは通じません、
飽きるほどの自説の主張です。
貴方の討論相手への常套句であり、 少しはそれを乱用する恥性はありますか。
貴方も初老を迎え、頭が固くなってきている証拠です。
過去ログでいやというほど乱用しているのは、 他者を非難できませんよね。
と言っても貴方には何のことかも気づかない、
自惚れと自己愛に塗れているからです。
- 472 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:19:20
- >痛みの恨みを桐山さんに向けられないから、 全部批判側に向けることにした。
貴方自身をよく解説されている文章ですね。
痛みの恨みを桐山さんに「直接」向けられないから、 全部信者側に向けることにした。
それが高じて、貴方を批判する者は絶対許さないとまでの、
あごん宗時代からの 指導ぶりを批判板と言う絶対優位のオモチャを手に入れ執着してい ます。
貴方には「心」が無い、
一見クールに見せて実は境遇を知られたくないと言う、
蚤の心臓で貴方の人となりを見せないように工夫している。
>議論を釈尊が奨励したことをあれだけ明瞭に示しても、
>私はすでにその事例を示した。
示したのは貴方の自己解釈で、 この私の質問に対する貴方の回答はゼロです。
>>430先生が生徒に教えるように釈迦は比喩をもって教え諭したの です。
>>それとも釈迦はバラモンや六師外道と議論を戦わせたなんて学者説 にありますか?
学説を出しなさい、経典の貴方の解釈など信用できないからです。
- 473 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:22:14
- >>449良い意味でも悪い意味でもあなたは小者だ。
私は貴方のような大物ぶりなどに執着も関心も無いのに、
どうしてこんな発言までするのですか? よほど貴方は憤慨し悔しいが、
それを内包し隠蔽して私を見下したかった。
あなたのホンネが曝け出された瞬間です、 下ろしたパンツは自分で上げて下さい。
- 474 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:24:50
- >自分のハラワタをまきちらし、 それを私は丁寧に解説したにすぎない。
自惚れとはこう言う位に、怖ろしいものです。
丁寧に解説したのではなく、貴方の主張のカラーに変えたのです。
こう言え 思い出すのが貴方の元師匠の桐山ゲーカの得意技ですよね。
貴方は立派に桐山ゲーカの剽窃と言う手練手管を駆使できる法脈を 継承している。
- 475 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:30:01
- >ますます私はあなたのハラワタについて解説をするしかなくなる。
それをさせないでほしいと言っているのです。
それが難しいことは、大晦日でのあなたの反応を見ても予測がつく。
だが、そろそろ終わりにしてはどうですか。 昨年末に貴方は同様の主張をしました、
まったく美しい提案ですね。 だが、終了したのは私からですよ、まさか忘れた?
私が身を引いたら、貴方はなんと、勝利宣言で意味不明君のように
私をけなして
レスを付けたのが今回です。
貴方の粘着度は昨年末に嫌というほど体感させられました。
私の「早計では」という一言に、根拠根拠根拠根拠を出せと、
根拠ゲーカぶりを遺憾なく発揮され、閉口しましたからね。
私の一言に貴方は、桐山ゲーカのごとく瞬間湯沸かし器が沸騰した。
だが貴方の汚さは、一応正式なレスを返しておいて私に著書が無いと
知ると、
拠根拠根拠根拠を出せと、わめきたてたのですから、
貴方の「そろそろ終わりにしてはどうですか。」 など信用に値しない言 葉です。
- 476 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/24(土) 22:22:47
- >475 名前:名無しさん 投稿日: 2012/03/24(土) 21:30:01
>貴方の「そろそろ終わりにしてはどうですか。」
など信用に値しない言
葉です。
もうこの辺でやめてもらえませんか。
貴方は、充分言いたいことを発言した。
そのほとんどが、私に向けたものだと思います。
私を深山さんに仮想して主張するのは、
どうか控えてください。
ぶつける相手をよく考えてください。
あなたの批判姿勢への提言は理解しました。
深山さんの提案を真摯に素直に受けて、考えてください。
あとは、あなたのアゴン宗へや桐山さん批判の
意見を展開してください、どうかよろしく。
- 477 :Boo:2012/03/24(土)
23:44:05
- >>476
ラシンさん
私はラシンさんの意見に反対です。「もうこの辺でやめてもらえませんか。」
という相手は最低でも深山さんと名無しさん両方に言うべきだと思う。それで
なければ批判側は深山さんとの「連合軍」だと思われてしまう。少なくとも
このタイミングでラシンさんのようなレスはすべきではないと思う。
最初はラシンさんに向けられた批判でも、ロムしている読者はラシン
さんとは和解したと多分思っています。深谷さんをラシンさんに仮想している
ようにも見えません。
準シュダオンさんのように議論がループしているのならばいざ知らず、視点と
しては両者それぞれ納得できるもので、今のところどちらの主張が正しいのか
判断しかねているところです。少なくとも私は。
- 478 :道場:2012/03/25(日)
01:13:29
- お二人とも強烈な個性の持ち主ですから、これでハイさようならとはいかないでしょうね。
第三者としてはとても口出しできませんが
名無しさんの主張も理解できますし、深山さんのポリシーも了解してあげたい。
で、川中島の戦いではありませんが、今回はこのあたりで休戦したほうがいいと思います。
お二人の性格を考えると、これ以上やっても決着はつかないでしょう。
どうでしょうかね?
- 479 :ROM正見:2012/03/25(日)
01:17:10
- >準シュダオンさんのように議論がループしているのならばいざ知らず、視点と
>しては両者それぞれ納得できるもので、今のところどちらの主張が正しいのか
>判断しかねているところです。少なくとも私は。
始めまして、Booさんの意見に私も同意します。
深山さん、名無しさん、どちらも鋭い論客で、初ROMする度に我見が一新される思いがします。
この両ご意見それぞれの正当性と、その擦れ違いは何なのか!?
水掛け論で、意味のないやり取りなのか!?
いや、私は無駄な議論だとは思いません。
批判もしくは支持、擁護、いや何であれ、掲示板で意見を言う際の心構えについての
重要な議論を含むやり取りだと思います。
私は「もうこの辺でやめてもらえませんか。」と言うより、むしろ
「もう少し、そのまま続けて下さい。」と言う思いです。
願わくば、双方の意見がそれぞれを噛み砕き、発展性のある議論になりますように。
- 480 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/25(日) 06:12:17 ID:4Jew5.3Q0
- テスト
- 481 :道場:2012/03/25(日)
09:50:42 ID:tFU18P5.0
- 人にしたことは時間を経て同じように自分に返ってくるのでしょうか。因果応報なんですかね。
とにかく、仏教は身口意の三業を説きますからどの様な行為も必ず何らかの潜在的な影響を周りに残し
それがまた新たな業(行為)の発動となって現れる。
そうゆう意味ではたとえちょっとした言葉でもよく吟味して発言したいもんです。
- 482 :深山:2012/03/25(日)
12:02:55 ID:nGJQoeio0
- 435 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2012/03/09(金) 12:36:34.81 ID:uHKKG7vH
>>426 :神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 22:53:10.44
ID:XuROjYCN
>深山先生にのみ 確りと私の真心が到達すれば
>善いのです。
宝生さんがそうであるように、エセ霊能者、エセ超能力者の共通点は、
・現実にはさしたる実力もなく、努力もしていない、
・現実世界で自分を他人が高く評価しないことに不満を持っている、
・霊的な世界で一発逆転を狙い、ハッタリを効かせ自分を大きく見せようとする。
あなた方の共通した性格は、
・妄想癖がある、
・嘘とお友達
・自己評価が異常に高く、自惚れが強く、恥知らず、
・他人を下に見て、侮蔑し、踏み台にする、
・それでいて強いコンプレックスを持っている、
・なぜなら、自惚れとコンプレックスは紙の裏と表だから、
・オダテに弱く、天井知らずの煙。
だから、
・直感で当たったように物事を解釈し、それを針小棒大に膨らませる、
・外れたことはきれいに忘れる、
・そして、いよいよ、自分は超能力や霊能力があると信じ込む。
- 483 :深山:2012/03/25(日)
12:06:10 ID:nGJQoeio0
- >>461 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:28:17
>沢山あり過ぎて、一部だけです。
引用するなら>>485のように正確に引用してはどうか。
「エセ霊能者、エセ超能力者の共通点」について私は批判している。
これのどこが罵声なのですか。
あなたは日本語を知らないようだが、エセ霊能者、エセ超能力者とは、
自分に力もないのにあるかのように人を騙す人々を指しているのです。
実際に力のある人たちを私がこのように批判したのなら、
罵声と言われてもしかたないが、インチキをしている人たちを
「・妄想癖がある、
・嘘とお友達
・自己評価が異常に高く、自惚れが強く、恥知らず、・・・」
と批判することの何が悪いのだ?
事例として指摘した宝生さんは、自分には守護神がついていると妄想し、
私についてありもしない嘘を、否定しても否定しても並べ、
それでいて、自分はアゴン宗や社会の未来について様々に知っているかのような
ハッタリを並べ、自分は高い霊能力持っていると自惚れと自己評価が高く、
霊視や予言が間違っていても、恥じることなく、また同じ事を繰り返す。
この数年、宝生さんがしてきたことをあるがままを指摘しただけです。
罵声ではなく、事実です。
あなたが批判側をチンピラと罵ったのとは違う。
こういう批判をあなたは罵りというのだから、
あなたはエセ霊能者たち、そして宝生さんを支持するらしい。
準シュダオンさんに続いて、宝生さんまで支持するとは、
批判側にしては実に奇妙な態度ですよね。
- 484 :深山:2012/03/25(日)
12:07:55 ID:nGJQoeio0
- >>461 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:28:17
>私を女性扱いし印象付けて笑っています。
>貴方は否定するでしょうが、小ばかにしたから「本望ですね。」 なんて、
>余裕を付けた嘲笑を投げかけたのでしょう。
>652 :神も仏も名無しさん:2012/01/01(日)
01:49:21.37 ID:dlBA7ysa
>あなたはこれらの批判サイド口攻撃や根拠ないアラシとみなす行為と、
>私の言った早計という異論を混同して、被害者のように泣いて反撃して見せたのです。
自分が書いた652も引用したらどうか。
「泣いている」と私を小馬鹿にしたのはあなたですよね。
私が「泣いて反撃して」の根拠を示しなさい。
私がいつ泣いたのだ?
泣いているくらい情けない男だとあなたは小馬鹿にして嘲笑したのでしょう?
あなたが私を小馬鹿にして嘲笑したのです。
自分が他人を小馬鹿にして嘲笑したことはきれいに忘れて、
やり返されて痛みだけ何倍に増幅して記憶している。
女性扱いしたことで、私があなたをどう小馬鹿にしたのだ?
あなたが泣いていると私を小馬鹿にしたから、それを
読者に面白おかしく読めるように、斬り返しただけです。
「女性に泣かされる」という私の文章のどこが女性であることを
小馬鹿にしたことになるのですか。
- 485 :深山:2012/03/25(日)
12:10:10 ID:nGJQoeio0
- >>462 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:36:49
>釈迦は相手が議論をしかけても教えを請いに来ても、 ただ教え諭とすのです。
私は具体的に身命経や仙尼経の「議論している釈尊」を示した。
現実に釈尊が議論している姿を阿含経からそのまま示した。
それを示されても、あなたはまだ釈尊は議論などしないと言い続ける。
釈尊本人が議論している姿を見せても、まだ議論していないというのだから、
凡人の私が何を言っても無駄でしょう。
準シュダオンさんと良く似ていますね。
準シュダオンさんも、四双八輩のすべてが聖者だという釈尊の言葉と
学者の説明を示しても、頑迷に「預流向≠聖者」と言い続ける。
あなたにも釈尊がもろに議論している様子を示しても、
まだ、これを教え諭しているだけだと言い続ける。
準シュダオンさんを支持するだけあって似ている。
あなたの言う教え諭すという内容を議論というのです。
仙尼経で仙尼は釈尊から一方的な教え諭しを聞いたのではなく、
釈尊が否定する霊魂説を唱え反論し、火のたとえにも自説を唱えて反論している。
これを議論というのです。
- 486 :深山:2012/03/25(日)
12:12:30 ID:nGJQoeio0
- >>462 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:36:49
四〔尊師いわく、――〕サンユッタ・ニカーヤU
「全きさとりを開いた人が教え諭とすのは、人のためを思い、
憐れむからである。修行完成者は順応と反論とから解脱している。 」
これは悪魔が、
「他人を教えるということは、あなたにふさわしいことではない。
それを行って、〔賛向者の〕順応と〔反対者の〕反論とに執著なさるな。」
という問いかけに対する釈尊の答です。
反論という言葉があるから、まるで議論しないかのように印象づけようという
魂胆なのだろうが、反論とはそのような意味ではない。
あなたはどうしてこの経典の解説を引用しないのだ。
「説法を説いている人に対して、或る人々は、賛成承認を与える。すると、かれらに対して愛著rage)が生
ずる。或る人々は、敬意を示さないで聞く。すると、かれらに対して敵意が生じる。こういうふうに、
法を説く人は、順応と反論とに対して執著する」
(『悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤU』309頁)
これがあなたが引用した経典の解説です。
釈尊は議論をしない、反論しないと言っているのではなく、聴衆の
賛成を得れば心に愛着を生じ、反対されれば敵意が生じるが、
自分はそのどちらの煩悩からも離れていると述べているのです。
これのどこが「釈迦は議論などしない」証拠になるのだ?
- 487 :深山:2012/03/25(日)
12:14:50 ID:nGJQoeio0
- 「・・・、ブッダ・ゴータマと外道の思想家たちのあいだには、もっと友誼にみちた、
静かな思想的対話が行われるのを常としたようである。」
(『この人を見よ ゴータマブッダの生涯』増谷文雄、223頁)
このとおり、外道の宗教家と議論が行われていたと学者も書いています。
彼らは思想家であり、独自の考えを持っているから、当然、反論もする。
それを世間では議論というのです。
「修行僧たちよ。修行僧たちがしばしば会議を開き、会議には多くの人が参集する聞は、
修行僧らには繁栄が期待され、滅亡は無いであろう。」
(『ブッダ最後の旅』18頁)
これはヴァッジ族が話し合いによって物事を決めていることを元にして、
比丘たちに説いた説法です。
話し合いによって物事を決めろと言っているのです。
話し合いとは誰かが上から教え諭すのではなく、意見を出し合い、
議論し、納得した上で決めるという意味です。
これが釈尊時代の教団のあり方です。
あなたはアゴン宗を見ているから、釈尊という教祖が頂点に立ち、
下々は反論などもっての他で、言われた通りに従っていたと思いこんでいる。
だが、釈尊の教団がそのようなピラミッド型の上下組織ではなく、
話し合いで物事を決めていた。
法に関することも様々な議論が行われた。
だから、後に、それが論蔵という形でまとめられたのです。
- 488 :深山:2012/03/25(日)
12:16:59 ID:nGJQoeio0
- >>462 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:36:49
>実際に弟子たちが論じ合い対立しかけたのを戒め止めています。
対立したのを止めたのでしょう?
論じ合うのを止めたのではない。
では、釈尊は論じ合うことを認めていたのです。
あなたは議論と争論の区別がまだついていないから、
論争を止めたのを、議論を止めたかのように錯覚している。
議論が争論にならないようと注意するなど当たり前で、
何も釈尊でなくても、現実社会でも行われている。
あなたは議論を口角泡を飛ばして、互いの主張を言い合うことだと
思っているのではありませんか。
釈尊と仙尼の会話を世間では議論というのです。
釈尊が禁止したのは争論、法に関係のないよけいな世間話です。
だから、他教団の中がおしゃべりでうるさいが、
仏教教団の精舎の中はとても静かだったという。
世間話をしないということと議論をしないこととは違います。
- 489 :深山:2012/03/25(日)
12:18:36 ID:nGJQoeio0
- >>463 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:42:30
>貴方は信者を何度もド突いていましたよね。
>2ちゃんでは、貴方自身でド突き漫才の相方だと得意げに話していた。
得意気ではなく、相手にわかりやすいたとえをしたのです。
あなたはどうして信者側だけに加担するのだ?
私がドツキ漫才の相手に選んだ相手は、たいてい、今のあなたと同じで、
チンピラなどと、礼儀を失したような発言を「先に」している。
礼儀正しく、議論のマナーを守る信者を私はドツキ漫才の相手にしたことはありません。
信者の多くは桐山さんから、アゴン宗くらいすごいものないと教え込まされ、
慢心を鼻先にぶら下げて出てくる者が多い。
批判側など仏道から外れた愚かな連中だとなめきっている。
無鉄砲に出てくるから、足払いをかけられて、ますます怒って罵声が始まる。
私がドツキ漫才だと告げた相手はたいていこのパターンです。
あなたは気にもしないようだが、先に手を出しているのは信者や擁護側です。
大晦日の議論も、あなたが先に仕掛けたことを忘れたのですか。
- 490 :深山:2012/03/25(日)
12:20:11 ID:nGJQoeio0
- >>463 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:42:30
>だが私を意趣返しの「弱者を利用した悪質」と決めつける。
>何処にその根拠があるのですか?
あります。
あなたがその根拠を示した。
あなたのいう、信者の心に配慮したアゴン宗批判を書いてみなさいと
言っても、あなたは書かなかった。
これが根拠です。
書かないのではなく、書けない。
批判側をチンピラとまで非難しながら、自らは何もしない。
あなたは信者を弱者だとして、その弱者を利用して、自分の憤懣を
ここにぶつけているのだから、弱者を利用した悪質な行為です。
- 491 :深山:2012/03/25(日)
12:23:42 ID:nGJQoeio0
- >>463 :名無しさん:2012/03/24(土) 17:42:30
>貴方はそう
喚いて私に「悪質行為者」という汚名を着せています。
>そうじゃないと貴方は脱退者である私への非難がやりにくいからで すよね。
だいぶん被害妄想がひどいようですね。
私はあなたを悪質行為者などとは言っていない。
悪質行為者に、良くも悪くも小者だなどと書きません。
私の推測を小説だと言うなら、あなたも私が書いてもいないことを書くのはやめなさい。
迷惑だと言っているのです。
個人的な怨念にすぎないことを、信者の心への配慮などという
きれい事を並べて、批判側をチンピラとまで罵る。
それをやめなさいと言っているのです。
それから、元信者だからといって、やりにくいなんてことはない。
現実に私はあなたを批判している。
信者か元信者かなんて問題ではありません。
実際、昨年、ここにしばらく信者が書き込んでいたが、
後半になればなるほど、議論はしなくなった。
アゴン宗の擁護をする者か、批判をする者というくらいの分類しかない。
あなたは今のところ、私から見たら洗脳の解けていない立派な擁護派です。
- 492 :深山:2012/03/25(日)
12:24:54 ID:nGJQoeio0
- >>465 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:55:25
>だからあごん宗にいた時も批判に転じても、ひとを罵倒することに
喜びを感じ、
>自分のうっぷん晴らしに執着しているのです。
いいえ、罵倒しているのは私ではなく、あなたです。
では、批判側へのあなたの「うっぷん晴らし」をまとめておきましょう。
「警棒をふるう」
「生贄のようにモグラ叩きをしている」
「幼稚なチンピラのような行為」
「正当な批判だと高みからすべてまとめて現実を教えると
いう驕り」
「信者さんをやりこめる優越感」(>>363)
「正義感を自己満足」(>>370)
「謙虚な批判など念頭にない御方」
「ここの擁護者を罵倒し踏み倒して自分らが常に正しい、と慢心し攻撃のオモチャをひけらかす」
「踏み倒すことだけに意義を感じているような態度ばかりでは」
「その思いあがり」
「思わせぶりの言動」
「鼻持ちならないあなた方」
「貴方のやり方はチンピラそのものですよ。
」(>>465)
- 493 :深山:2012/03/25(日)
12:27:26 ID:nGJQoeio0
- >>466 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:58:56
>貴方は元職員さんで、辞めるに辞められず偽と知りつつ教団で仕事を して
>いたのではありませんか?
あなたと同じ、下っ端信者でした。
職員になったことも、なろうとしたことも、それに準じた仕事、
つまり何らかのお金をもらうような仕事をしたこともありません。
だから、私の名前を聞いても、わかる人は私の所属していたファミリーや
知り合いの一部だけで、アゴン宗全体では「だれ、それ?」です。
詳しいことをいろいろ知っているから教団内部にいたのだろうとは、
十年前から言われ続けたが、私の示す資料を良くみてください。
いずれも信者ならば簡単に手に入る資料ばかりです。
信者と言っても、いろんな人たちがいるのです。
- 494 :深山:2012/03/25(日)
12:31:03 ID:nGJQoeio0
- >>467 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:03:21
>貴方ってつくづく対論者の文章を理解しない人ですね。
「>>381桐山ゲーカを叩くなら一向に構わないが、
>>批判者の人格の完成度を求めてはいませんが、
あなた方は少なくとも 三結からは離脱していると思う。
>>389ゲーカの悪行を見せるのかまたは阿含経との齟齬を 問題にするのか、
このあたりの考え方次第で批判論調も変わってくるような気がしま す。」
読んでいますよ。
だが、これがどうかしたのですか。
批判側が三結から離脱しているかどうかなんて、ここのテーマではないし、
批判内容とは関係ありませんよね。
三結がキレタと関係ないことで誉め、実は肝心の批判内容については
クソミソにけなしているのです。
389についてはもっと反論したかったが、議論が拡散するから、
やめておいてので、印象に残っています。
389はその前の文章を読むかぎり、むしろ、批判側の姿勢に批判的な内容です。
「ただここ批判者の引用はパーリ聖典などがひんぱんに目に付きますが、
部派仏教をさけているようですね。」>>389
と、こんなことまでどさくさに紛れて批判している。
誰が部派仏教を避けたのですか。
論蔵の話を出しても無視しているあなたこそ部派仏教を避けている。
シャカ仏教とアビダルマ仏教の差を私は前に準シュダオンさんの文章に
レスをつける形で説明した。
だが、あなたは何も読んでいないらしい。
そして、何よりも、あなたは誉め言葉の何十倍の非難を批判側に告げている。
- 495 :深山:2012/03/25(日)
12:32:01 ID:nGJQoeio0
- >>467 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:03:21
>桐山さんが祈ると不思議に悪いことが起こるから皮肉ったのです。
>>389 :名無しさん:2012/03/22(木) 16:51:08
>あごん宗で徳を積めば死んでも良い所へ逝けると信じていましたが、
桐山ゲーカは何か得体の知れない変な霊力がある気もします。
皮肉だろうがなんだろうが、「祈ると不思議に悪いことが起こる」と
いうのだから、桐山さんに霊力があると信じているのですよね。
良いことだろうが、悪いことだろうが、桐山さんに霊力なんてない。
良いことがおこると信じるのも、悪いことがおこると信じるのも、
桐山さんの霊能力を未だに信じている証拠です。
- 496 :深山:2012/03/25(日)
12:36:05 ID:nGJQoeio0
- >>468 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:07:25
>私は準シュダオンさんを病気者とあつかう行為を非難しただけなの に、
>貴方の頭は準シュダオンさんを支持することに繋がってしまう。
はい、つながります。
なぜなら、私が脳梗塞として準シュダオンさんを批判している中に、
彼の他人に対する暴言が含まれているからです。
あれだけの暴言を吐くのは準シュダオンさんが脳梗塞になってから
特にひどくなったことはすでに説明し、私は前に証拠も示した。
彼の暴言の原因は、彼の元々の性格の他に脳梗塞が関係していると私は指摘した。
ところが、この指摘をあなたは私が踏んづけていると批判した。
>>433 :名無しさん:2012/03/23(金) 19:23:52
>だから順シュダオンさんを脳梗塞とか認知症の様な心配をして、
>逆に氏を踏んづけているのです。
つまり、私の準シュダオンさんの暴言への批判を否定したのです。
暴言への批判がいけないと言うのだから、彼の暴言を認めたのと同じです。
暴力を批判する者を否定したら、暴力を容認したのと同じです。
彼の数多くの暴言の中にBooさんへの子供にからめた暴言もある。
これは最近のことだから、あなたが知らなかったとは言わせない。
Booさんへの暴言を含めて批判している私を、踏んづけていると
あなたは批判した。
しかも、あなたは準シュダオンさんのこの暴言に批判をしていない。
あなたは彼の暴言を容認したのと同じあり、
つまり、Booさんへの暴言を容認したのと同じです。
違うというなら、簡単です。
準シュダオンさんのBooさんへの暴言をあなたが批判してみればいい。
そうすれば、この問題は解決です。
さあ、どうぞ。
- 497 :深山:2012/03/25(日)
12:38:01 ID:nGJQoeio0
- >>469 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:11:22
>くそみそを一緒にせず、相手が罵詈雑言を吐いからと言って貴方も
>吐いてよいことにはならないくらい貴方もいい大人なのですから解るはずです。
暴言を吐き続けているあなたがそれを言うのはおもしろい。
どうしてあなたって、そうやって自分はいっさい守らないルールを
他人には守れとお説教ができるのだろう。
大晦日の議論でも感じたが、とにかく面の皮が厚い。
私は暴言など吐いていない。
根拠示し、彼が脳梗塞だという批判のどこが暴言なのだ?
では、あなたは準シュダオンさんの白銀バイブ説を肯定するのか。
自分の書いたことすら忘れている人を記憶力が衰えていると
指摘することの何が悪いのだ。
Booさんへの暴言はどうなのだ?
背景も経過も知らずに、勝手な発言をするのはやめなさい。
私はあなたみたいに根拠も示さずに批判はしない。
チンピラなどと暴言は吐かない。
準シュダオンさんに対する批判はきちんと根拠を示している。
- 498 :深山:2012/03/25(日)
12:41:46 ID:nGJQoeio0
- >>468 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:07:25
>貴方の解釈はほとんどが自惚れであり、 それを隠すために学説やら経典を
>道具に使っていますよね。
また根拠のない罵声が増えましたね。
よくまあ、こうやって次から次と人を小馬鹿した言葉が出て来ますね。
よくまあ、それで信者の心に思いやれなどお説教ができるものだ。
耳タコでしょうけど、根拠を示しなさい。
私の解釈が自惚れだという根拠を示しなさい・・・もちろん示せるはずもない。
あなたの経典への解釈が自惚れというよりも、デタラメであることは今回も示した。
あなたこそ、信者の心への配慮などときれい事の建前論を道具に使い、
自分の怨念をここに吐き散らしているではないか。
怨念でないなら、性格か。
- 499 :深山:2012/03/25(日)
12:44:25 ID:nGJQoeio0
- >>469 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:11:22
>準シュダオンさんが問題発言をしたなら注意することでいいではあ りませんか?
だから、他人にお説教していないで、あなたがその見本を示しなさい。
自分は何もせず、他人のしたことをあれこれと罵倒しているだけです。
ユビキタスさんに対するあなたのあのレスの汚さは何ですか(>>492)。
準シュダオンさんがどれほどの罵声をユビキタスさんに加えたか、
私は一覧表を作って、ここに何度か貼り付けた。
彼は前に反論されたことをきれいに無視して、同じ話をくり返しくり返し書く。
まさにここでは準シュダオンさんの老人介護をしており、
ユビキタスさんは、ご指名もあって、その役割を何年もしている。
他人の老人介護に文句を言うなら、あなたがしてみればいい。
注意することでいいというなら、やってみなさい。
批判側として、準シュダオンさんの主張のおかしなところを注意してみなさい。
あなたは自分では指一本動かさず、他人の言葉の端々を捉えて、
チンピラなどと罵るばかりです。
どう見ても、批判側ではない。
- 500 :深山:2012/03/25(日)
12:46:34 ID:nGJQoeio0
- >>469 :名無しさん:2012/03/24(土)
18:11:22
>準シュダオンさんが問題発言をしたなら注意することでいいではあ りませんか?
あなたは批判側だというのに、どうして擁護側に反論しないのだ?
過去に名無しでそれをしたというなら、具体的にそれを示してください。
今回の一連の議論でもあなたは批判側には激しい鉄槌を加えるのに、
準シュダオンさんや宝生さんに対する批判側の批判にすらかみついている。
あなたが元信者だと名乗らなければ、あなたの書いたことは誰が読んでも信者です。
きれい事の正論を振りかざして、批判側をやっつけてやろうという
新手の信者が現れたとしかみなされない。
事実、私から準シュダオンさんや信者さんに、彼らの心を傷つけないと
いう方法でアゴン宗批判をしてみてくれと提案されて、あなたは断固拒絶した。
大嫌いな私から提案されたから断固拒絶なのは知っているが、
それにしても、あなたのアゴン宗批判がほとんどないのはなぜなのだ?
この三ヶ月、準シュダオンさんや宝生さん、あるいは信者に対して、
アゴン宗批判をしたという事例を具体的に示してください。
私のこの提案に屁理屈と罵声で無視するのはかまわない。
この提案をするのは、あなたが本当に批判側なのか、
実は体の良い擁護側なのではないかという疑いが晴れないからです。
桐山アゴン宗をちょっとだけ腐してみせて批判側を装い、
内心は擁護側だという疑いです。
少なくとも、あなたが今回の一連の書き込みでしたことは、完全に擁護側です。
- 501 :深山:2012/03/25(日)
12:49:14 ID:nGJQoeio0
- >>470 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:12:14
>私の批判は貴方自身に向けられた言葉だと自覚しながら、
>批判への攻撃なんて、貴方ってどうしてこうも女々しいのですか?
私が引用した>>492の罵声のほとんどは私が登場する前にあなたが書いた内容です。
実はほんの一部です。
あなたがラシンさんやユビキタスさんと議論しながら投げかけた罵声は、
実は批判側に対するものではなく、まだ登場しない私への罵声だったというのですね。
素晴らしい屁理屈です。
と言うことは、私を引っ張りだすために、ラシンさんの言葉に因縁をつけ、
ユビキタスさんとの議論で彼に罵声を並べ続けたということになる。
あなたの>>492の罵声の一覧表を見ればわかるように、一つを除き、
いずれも私以外の批判側に投げつけられたものです。
そのどこにも私の名前など出てこない。
ユビキタスさんやラシンさんは批判側です。
つまり、あなたのしたことは、批判側への攻撃であって、
私一人への攻撃だなどというあなたの主張は成り立ちません。
- 502 :深山:2012/03/25(日)
12:51:18 ID:nGJQoeio0
- >>471 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:14:50
>桐山ゲーカと相似した小説を創っている。 貴方のワンパターンは通じません、
>>474 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:24:50
>自惚れとはこう言う位に、怖ろしいものです。
あなたがここで口を極めて批判側を罵っている理由を私は推測したにすぎない。
信者時代のあなたが傷ついたのが理由でないというなら、
では、ただ性格が悪いからということになる。
それでかまわないなら、私は同意しますよ。
信者の心への配慮というきれい事を説きながら、批判側には罵りを並べる。
批判側は自己反省すらしていない、とあなたは批判したが、
それこそ桐山ゲイカと相似した小説ですよね。
信者に配慮したアゴン批判をしてみろと言われるとしない。
ユビキタスさんが当初、あなたを信者だと疑ったのも当然です。
洗脳がまだ解けず、桐山さんの霊能力を信じているから、
信者たちが批判されることに耐えられず、最前線で批判しているラシンさん、
ユビキタスさん、私に因縁をつけて、激しい口調で罵倒する。
下劣な書き込みをする準シュダオンさんや宝生さんへの批判を腐す。
あなたは立派な擁護派です。
- 503 :深山:2012/03/25(日)
12:54:16 ID:nGJQoeio0
- >>472 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:19:20
>貴方には「心」が無い、 一見クールに見せて実は境遇を知られたくないと言う、
クール?
私はあなたに怒っているのではなかったのですか。
桐山相似の小説を書くにしても一貫したことを書いたらどうか。
私には「心」が無く、あなたには「心」があるのですね。
信者を思いやる温かい心があるらしい。
それで批判側に>>492のあれだけの罵声を並べ、反省がないと決めつける。
ラシンさんのちょっとしたミスに噛みつき、鬼の首でもとったかのように謝罪を求める。
ラシンさんがあの一言で謝罪しなければならないなら、
あなたはいったい何十回、批判側に謝罪しなければならないことだろう。
信者に何とか目を覚ますように書き続ける努力など無視して、
これまでの批判がどれほど効果があったのかと小馬鹿にした。
これがあなたの「心」なのですね。
たしかに、私はそんな歪んだ「心」は持っていない。
- 504 :深山:2012/03/25(日)
12:58:07 ID:nGJQoeio0
- >>472 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:19:20
>貴方には「心」が無い、 一見クールに見せて実は境遇を知られたくないと言う、
私の境遇とは、何の話ですか。
アゴン宗批判に私の境遇がどう関係しているのだ?
私は元信者であった、職員ではなかった、これがここで公開するべき境遇のすべてです。
アゴン宗を批判するのにこれ以上自分について語る必要などない。
私が何者かを盛んに追求したがるのも擁護側の常です。
宝生さんなど未だに私が法華系の教団に雇われた元オウムだと言っている。
桐山アゴン宗こそが議論の対象であって、それを批判している人が
何者であるかなんて関係ないし、どうでもいい。
だが、信者の目は、桐山さんからしつけられているから、
桐山さんの悪業にではなく、それを批判する側に向く。
あなたがまさにその同じ反応を示した。
あなたが境遇を語る必要がないように、私にもない。
他人に境遇を知られたくないなどと批判するなら、
では、あなたが自分の境遇をまず語ってみてはどうか。
- 505 :深山:2012/03/25(日)
13:03:07 ID:nGJQoeio0
- >>473 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:22:14
>あなたのホンネが曝け出された瞬間です、 下ろしたパンツは自分で上げて下さい。
私は男性だから、男性に対してこういう表現を使う分にはかまわないが、
あなたが女性なら、ここまで品性のない表現はしないほうがいい。
私があなたに対して怒っている、とあなたは何度も何度も書いた。
クールに怒っているらしい・・どうやって怒るのだろう?
私が怒るほどあなたは大物ではないと反論したのです。
小物と言われて、怒っているのはあなたのほうでしょう?
大晦日でも、批判側を感情的だと書いていたが、感情的なになっていたのは
あなたのほうです。
だから、文章がしばしば支離滅裂だった。
カーッとなって書くからああなるのです。
感情的になっているのも、怒っているのもあなたのほうです。
だから、良い意味でも小者だと書いたのです。
あなたは知らないだけで、この十数年、私はいろいろな意味で大物とも議論した。
一番手に負えないのは、栗花さんや、今でも2ちゃんねるで
よそで貼られた桐山さんの前科のアドレスを貼り付けている人のように
スレそのものに徹底した嫌がらせをする人で、無視するしかない。
悪質という意味で彼らは大物です。
彼らには腹が立つ。
良い意味での大物とは、批判を冷静に的確に理解し、受け入れる所は受け入れ、
体制を建て直して、教義などについて反論してくる人です。
だが、あなたはそのどちらでもない。
スレに嫌がらせなどしてしないし、教義についての議論でも、
明瞭な証拠を示されてもさえも、私の解釈にすぎないと突き返す。
あなたも準シュダオンさんと同じでこういう議論のできない人です。
準シュダオンさんは威張りたいだけ、あなたは相手をやっつけたいだけです。
- 506 :深山:2012/03/25(日)
13:05:44 ID:nGJQoeio0
- >>464 :名無しさん:2012/03/24(土)
17:45:18
>また他者を巻き込む、貴方は本当に女々しい人ですね。
>今は貴方と私が対論しているのに、「批判側は迷惑」だなどと、
>勝手に他者を巻き込む。
>>475 :名無しさん:2012/03/24(土)
21:30:01
>まったく美しい提案ですね。 だが、終了したのは私からですよ、まさか忘れた?
口火を切ったのはあなたですよ、まさか忘れた?
大晦日も今回も、火をつけたのはあなたです。
私など批判側があなたに議論をふっかけたのではなく、
あなたが先に因縁をつけたのです。
「信用に値しない言葉です」も何も、あなたに書くのをやめたらどうかと
提案しただけです。
止める止めないはあなたですから、私の信用の問題ではありません。
先に口火を切った者が先に議論をやめるのは当たり前です。
それを止めるというのです。
私が提案したのは、きっとあなたは断固拒絶するだろうと予測したからです。
周囲が迷惑しているのと思ったが、でも、ラシンさんが立場上で
あのように書いているだけで、他の人たちは静観するという
意見のようですから、続けてはいかがですか。
私はすでに議論は空転しており、これ以上何も出てこないと思うが、
書くことはいっこうに気にならない。
逆恨みと屁理屈で食い下がる信者を相手に数ヶ月も議論を続け、
スレをいくつも食いつぶして追い詰め、読者から苦情が出たことがありますから、
あの彼に比べたら、あなたは良い意味で小者です。
- 507 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/25(日) 13:36:22 ID:j01DOQTE0
- >475 :名無しさん:2012/03/24(土) 21:30:01
>私の「早計では」という一言に、根拠根拠根拠根拠を出せと、
わたしが、阿含経講義(中)巻を入手したのは昨年の大晦前日
ギリギリで、2ch(30日)翌夕の年末旅行に出る直前に、
したらばにと、主要部分だけしか掲示できなかった。
帰国したのが8日で、10日から掲示板に参加しました。
三福道について白熱の議論が出ていたことは確認しましたが、
議論は終息していましたので、あえて解説はつけなかった。
あなたは、私も深山さんも同じ箇所を取り上げていたことを
確認し納得できませんでしたか?
三福道に関して、散々に準シュダオンさんと批判で議論して来た。
そういう経緯の中で下巻が出るのを皆が、期待していたのです。
出版されたのは下巻ではなく(中)巻としてでした。
そこで桐山さんは、三福道を命名したと言ってのけたのです。
これは準氏が批判に詰められて出した苦渋の結論、
いわゆる三善根の二つの意味説でした。
ですから深山さんが、指摘した桐山三善根の二種類の意味は、
批判なら全員が苦笑すべき結論、と理解できるものでした。
- 508 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/25(日) 13:37:22 ID:j01DOQTE0
- >475 :名無しさん:2012/03/24(土) 21:30:01
>私の「早計では」という一言に、根拠根拠根拠根拠を出せと、
桐山さんは、三善根の学説を認めつつ三供養品2の経典は、
三善根という煩悩滅は、三宝に供養を捧げることで煩悩滅の
功徳が授かるなどと、ゴマカシしたのです。
そして涅槃界を1丁目から4丁目の界隈の意味のようにして、
預流から阿那含までは、供養の量差によって到達できると解説した。
しかし仏教で涅槃界といえば、阿羅漢、解脱の世界でしかありません。
桐山さんが三善根を否定したとの意味は、あの経典部分において、
信者には分かりづらく、その経典は供養する意味を説いたとの意味です。
それで信者に分かり易くするために、三福道と名付けたと言っています。
桐山さんは、三善根を排除したのではないのだから結果、
三善根に二つの意味を持たせたことになります。
これは準氏が述べていたことだという深山さんの指摘は、
その通りで異論をはさむ余地がないことなのです。
批判全員が、議論し合っていたことで理解できたことです。
あなたは、貴方達の言葉で言う「KY」だったのです。
批判議論に参加していれば議論などする必要のないほどの
内容だったのです。
どう、そいう経緯での結論を批判全員が、共有していたことを
理解してください。
- 509 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/25(日) 13:39:16 ID:j01DOQTE0
- >462 :名無しさん:2012/03/24(土) 17:36:49
>比喩を使って「道を指し示した」と言ったのです。
もうひとつ言わせてもらえれば、釈尊の議論に関しては、
深山さんも書いていますが、残念ながら貴方の解釈は勘違いです。
あなたの引用した「サンユッタ・ニカーヤU」は、
中村元博士の「悪魔との対話」岩波文庫本30頁にあります。
確かにあなたの言うように釈尊は解脱者だから、我々のような
喧々諤々の議論形式はしていない。
釈尊が「教え諭す」のは、批判は既知でありその通りです。
否定はしていません。
しかしあなたの「順応反論」は議論だが、解脱しているとは、
その「順応反論」から超越し、すでに勝利しているとの意味です。
これは当然です、釈尊は有余涅槃者ですからこの釈尊を超える
釈尊以上の論理など無い、ということです。
その上で、質問だけでなく反論も相手に許していたのですから、
議論は認めていたことになり、深山さんの言う争論以外の議論は、
奨励していたのです。
- 510 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/25(日) 13:45:41 ID:j01DOQTE0
- >462 :名無しさん:2012/03/24(土) 17:36:49
>比喩を使って「道を指し示した」と言ったのです。
ー中村元博士 原始仏教その思想と生活52頁ー
ともかく、以上のの考察を通じてわれわれは、
初期の仏教の基本的立場に顕著な二つの
特徴を認めることができる。
一
無意義な、用のないことがらを議論するな。
二 われわれは、はっきりした確実な根拠を
もっているのでなければ、やたらに論議してはならぬ。
一については無記、捨置記の内容に関して議論するな、です。
二については、簡単に言えば生悟りで実践を伴っていない者が、
教えを吹聴するなで、あり、やたらに議論をするなということです。
それに反しない以外のことは、議論することを肯定していることになる。
あなたの求めた学説で深山さんも別引用を掲示していますから、
納得いただけるでしょう。
批判は、批判で議論することを通して学んできています。
私などもその手順を通り、批判から多くを学び確認してきた。
たが過去ログだけを熟読しても、「KY」の弊害も出て、
相手の言葉や文章を「マネ獲り入れ返して」も本質から逸れます。
深山さんは、すでに貴方の主張は<<390-392で理解していると、
述べています。
討論者に対しても、決して女々しい態度は取りません。
あなたも「男」を意識して相手に求めるならどうか、
「男」らしく、矛を収めるという姿勢を示してください。
そうしても、誰もあなたを惨敗者とは認めません。
- 511 :準シュダオン:2012/03/25(日)
13:58:59 ID:GURk1tAY0
- >私は具体的に身命経や仙尼経の「議論している釈尊」を示した。
>現実に釈尊が議論している姿を阿含経からそのまま示した。
仙尼と釈尊の場合は、議論というよりは問答というのですね。
>準シュダオンさんと良く似ていますね。
>準シュダオンさんも、四双八輩のすべてが聖者だという釈尊の言葉と
>学者の説明を示しても、頑迷に「預流向≠聖者」と言い続ける。
やれやれ、阿含宗を批判するなら、せめて阿含教学の基本である、四双八輩
くらいは理解してから批判して欲しいものだが、深山さんは未だに理解でき
ていない。学者の説を盲信するしか能がないのですね。学者さんは、倶舎論
が預流向を聖者に定義しているから、それを解説しているに過ぎない。
また、釈尊が四双八輩を一まとめに聖衆と称しているからといって、預流向
を本当の聖者だと勘違いするようではいけない。それでは力不足です。
経典を検討すると、聖者には二種類あるのです。
1、いくつかの煩悩を断じた、本当の聖者のことで、それが四沙門果です。
と、
2、煩悩を断じていず、本当の聖者ではないが、外道や仏道を歩んでいない
凡夫と区別して、聖者と称する場合がある=預流向
の二種類です。これを読み取る力がほしいね。
今後の仏教学者先生には、四双八輩の検討も進んで、正しい解説が多く出て
くるようになるでしょう。
- 512 :道場:2012/03/25(日)
14:15:18 ID:tFU18P5.0
- >>510 :ラシン ◆xvojmuQ90o:2012/03/25(日) 13:45:41
ID:j01DOQTE0
>あなたも「男」を意識して相手に求めるならどうか、
>「男」らしく、矛を収めるという姿勢を示してください。
>そうしても、誰もあなたを惨敗者とは認めません。
そうですね、私も十分だとおもいますよ。
名無しさんの主張も大方理解できたし、ここで休戦しても決して敗者ではない。
否、深山さんには悪いがある意味立派な論戦でした。
これ以上続けてもイヤミ合戦にしかならない。
だから休戦しましょう。
お二人とも仏教の教えに立ち返ると同時に本筋である阿含宗と桐山さんに話を戻してください。
- 513 :名無しさん:2012/03/25(日)
14:47:35 ID:QX79drNo0
- >510 名前:ラシン ◆xvojmuQ90o 投稿日: 2012/03/25(日) 13:45:41 ID:j01DOQTE0
やっと改行の仕方が解って慣れてきました。
私がユビキタスさんと天照さんに話したことは、
貴方なら、
ウソでもなく実際に起きた事だと信用し貰えると思います。
まだ昨年の事で心が痛んで離れないので、
私が信者さんに反論できない思いに
あることが理由です。
自分が出来ないことを他人に強要するんじゃないと言われれば、
それはその通りかもしれませんね。
ただ釈迦が煩悩を捨てるように勧めたのと同じく、批判側もその
論調において
攻撃的な警棒を捨てることもできるのではないか、 生意気にと考えて
批判の板の一考になればとのつもりで言わせて頂きました 。
その私の口調も、麻酔無き手術がどういうものかを逆に体感してもらおうと、、
いくら悪の張本人が桐山さんとはいえ、間違ったものを仲介しておいて、
その販売社員だけを攻撃は出来ない心境なのです。
批判すべき相手はウソの教団主でしょうが、 知らずに仲介したとしても、
その仲介者が脱会して急にウソの販売社員を口撃するのは、 今の私には出来ません。
釈迦の議論に対して私の解釈は狭義では、解脱者たるものは相手と同じ目線で話しても、
それは「教え諭す」 ことであったと理解してますが、
貴方達の広義的に理解する必要性も、凡その納得はできました。
ありがとうございます。
また、昨年末の議論経過も理解でき、
確かに経緯も知らず余計な感想を呈したことは、
ご迷惑をおかけしたと思います。
私への批評や指摘は否定も弁解もしません。
もう少し心の整理がついて、批判論に徹しきれるようになったらまた、
参加させていただくかもしれません。
管理人さん、また批判の皆さんも余計なレスをせずに静観していただき、
ほんとうにありがとうございました、お礼申し上げます。
最後に深山さんには、過度な非難をしたことをお詫びします。
- 514 :Boo:2012/03/25(日)
17:28:10 ID:FHOLLMS60
- >>511
やれやれ・・・
- 515 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/25(日) 18:02:32 ID:j01DOQTE0
- >仙尼と釈尊の場合は、議論というよりは問答というのですね。
【問答】@問と答えとを互いに繰り返すこと。
修行者が仏法についての疑問を問い、
師家がこれにこたえること。善の修行法の一つ。
(佛教語大辞典)
平たくいえば議論とも解釈できますが、
普通は上記辞典にあるように使い分けする。
>釈尊が四双八輩を一まとめに聖衆と称しているからといって、預流向
を本当の聖者だと勘違いするようではいけない。
【聖衆】@多くの比丘たちA仏の弟子たちB仏弟子たち。
(佛教語大辞典)
- 516 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/25(日) 18:04:14 ID:j01DOQTE0
- 訂正
×善の修行法の一つ。
○禅の修行法の一つ。
- 517 :Boo:2012/03/25(日)
18:54:49 ID:FHOLLMS60
- >>513
思えば私も退会してしばらくは擁護意見を述べていました。ある批判派からは
「辞めてまで擁護してお前の頭はどうなっている?」的なレスも付けられました。
当時私にはやはり513名無しさんの言うような心が働いていたんだと思います。
時間をかけて冷静に教団を観察すれば自ずとおかしな擁護スタイルには批判を
加えたくなります。
深山さんほどの知識があれば擁護意見などやんちゃらおかしくて本来は議論
にもならないということも、批判側にきて初めて体験しました。
名無しさんも時間をかけて少しずつでも正常な仏教観を育ててください。
- 518 :akb55:2012/03/25(日)
19:48:28 ID:XeG8xf1k0
- >513名無しさん
私が貴方と同じ立場であれば同じ様に考えると思います。
貴方には優しさがあります。心の整理がつきましたら是非
参加して下さい。私も私なりに信者さんを傷つけないで桐山
批判をして行くつもりです。
- 519 :名無しさん:2012/03/25(日)
21:18:01 ID:rZb1K2eg0
- >512道場さん、>517Booさん、>518akb55さん、
本当にありがとうございます。
私ももう一度、過去を振り返り過去に負けないように、
過去から脱却出来るように努力してみます。
有り難いお言葉を頂き、本当に感謝しております。
- 520 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/26(月) 10:44:04 ID:0iokvgUQ0
2chで法施類をオークション出品していることで、
是非論があるようです。
その中で「利用規約」の法的な拘束力についていえば、
民間しかも公的秩序を乱す事柄で無い限り、
法的な拘束力はなんら受けません。
いわば、双方の期限の利益が失われるだけで、
たとえば宝塔などの返還義務も生じません。
あごん宗が、その返還訴訟を起こすことは可能ですが、
常識的に考えてそんな無駄なことなしないでしょう。
藪から蛇を出すような結果になりかねませんからね。
宝塔は、返納者の使いまわし(新品仕上げ)がほとんどで、
損害賠償に合致するにいたらないので、まずありえません。
あごん宗を訴える一番よい方法は、被害者の会を結成し、
人数を多く集めて詐欺で立件できるように準備することです。
数人の個人で起こしても、警察は動かず失望するだけです。
ここには多数の証拠の採用になりうる資料もあり、
現物が必要であれば、ここしたらばの板を通して募れば、
有志の方々の協力をあおぐこともできます。
- 521 :準シュダオン:2012/03/26(月)
10:55:10 ID:GURk1tAY0
- >【問答】@問と答えとを互いに繰り返すこと。
修行者が仏法についての疑問を問い、
師家がこれにこたえること。禅の修行法の一つ。
(佛教語大辞典)
>平たくいえば議論とも解釈できますが、
>普通は上記辞典にあるように使い分けする。
仙尼経の場合は、師家たる釈尊が仙尼に問うています。教え諭すために問うている
のですね。「色は常住不変か?」「無常は苦しいか?」「色が己か?」等々。
釈尊は真理を知っているし、仙尼は知らない、とうてい対等の議論には成り得ない。
釈尊は、比丘同士の議論?の仕方についても、説いています。例えば清浄経に。
平河本の第4巻P96〜97、あたりに詳しく説いています。議論?にならない
ように話し合え、ということでしょうか。長いから引用しませんが、相手の説を
肯定も否定もするな、というようなことを説いています。
名無しさんの指摘によれば、私のレスも、深山さんの意見を否定しているから、
釈尊の教えに従っていない。釈尊の教えのように議論?するならば、深山さんが、
「預流向=聖者」なのだ、と意見を述べたならば、私はそれを肯定も否定もせ
ずに、「なるほど、そう考えるのですか。でも私は、十結煩悩を一つも断じて
いない預流向を聖者に定義することに疑問があるんですが、それについてはど
うお考えですか?」と、いうような話し方をすべきなのですね。
実は、釈尊の教えのような議論?の仕方が、我見を断じる修行の第一歩になって
いるのですね。自分の説を置いておき、先ず相手の意見を聞いてみる、そして、
その立場で考えてみる。その後、自分の考えと比較検討し、同意したり、しな
かったりする。私は、「輪廻する葦」を読んで以降、ふだんの職場で、そのよう
な話し合いの仕方をして、我見を断つ努力をしてきた。
しかし、未だに十分ではない、いかに我見を断つのが難しいかを思い知っています。
- 522 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/26(月) 10:57:55 ID:0iokvgUQ0
- 続き
ですから現在退会されて、アゴングッズを所有しているなら、
なるべく返納せず批判資料としてだけでなく、
将来の被害者の会に役立つと考えて、所持されることを
お奨めします。
私の場合は、ダンボールにまとめて送り返し捨てられる物は、
ゴミ処理にまわしました。
今考えると残念なことをしたと後悔しています。
もちろん法罰などここ数年を経ても、あるわけもない。
洗脳されていれば、何か不祥事に対して関連させますが、
人生良いこともあれば悪いこともあるのが、この諸行無常の
あり方ですから、気にも留めませんでした。
ただ批判資料として残せなかったことだけが、唯一悔やまれることでした。
- 523 :準シュダオン:2012/03/26(月)
11:15:26 ID:GURk1tAY0
- >あごん宗を訴える一番よい方法は、被害者の会を結成し、
>人数を多く集めて詐欺で立件できるように準備することです。
>数人の個人で起こしても、警察は動かず失望するだけです。
未だに人数が揃わないのでしょ?まず無駄なことですよ。
オセロ中島にしてもね、江原某氏が週刊誌に「騙される側の責任もある」と、
厳しく話していましたよ。占い師もオセロ中島も加害者であり、被害者は家主さん
だとね、そう話していましたよ。
訴えても時間とお金の無駄使いになると思いますね。
管長に霊能力があるのか?ないのか?
そういうことは、普通の人に解るわけがないのです。
「綺麗な夕焼けだ!」とか、「虹が出た!」とか言われても、盲人の方には、
本当のことか、嘘か、解らないでしょう。
霊能力についてもそれに似ています。
結論を言えば、話すのも馬鹿馬鹿しいが、管長には霊能力があります。
- 524 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/26(月) 11:24:51 ID:0iokvgUQ0
- >平河本の第4巻P96〜97、あたりに詳しく説いています。議論?にならない
ように話し合え、ということでしょうか。長いから引用しませんが、相手の説を
肯定も否定もするな、というようなことを説いています。
それはありえないと考えます。
それでは釈尊は、いかに法を説いたかという手段を
失いますから、その釈尊の法が世に浸透し反映したことに、
大きく矛盾するものです。
多分、その章は別な意味合いが含まれているはずです。
下記に上げる説には、「論じ合った」とあります。
また、釈尊はバラモンそのもの生き方にも痛烈に
批評を加えている経文があるほどです。
とくに注目すべきことは、釈尊よりしばらく前に成立した
古ウパニシャッドの最初期の諸作品はすべて散文であり、
それに続いて新しい時代を迎えたさなかに、
釈尊を含む多種多彩な諸思想家を輩出して、
彼らはすべておそらくほとんどすべてが、
日常的な散文により語り、説き、論じ合ったに違いない。
(バウッダ132頁 中村元
三枝充恵)
- 525 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/26(月) 11:45:17 ID:0iokvgUQ0
- >未だに人数が揃わないのでしょ?まず無駄なことですよ。
今はそうでも、桐山さんが亡くなった場合は動きが出ます。
この世の中、パワーバランスが偏り変動した場合は、
かならずあらたな動性が生じます。
教団のほころびは、依然と存在するのですから、
内部対立の顕現化に伴い、それに乗じた信者の乱れは、
必ず起こります。
「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず、、、、、、」
>「綺麗な夕焼けだ!」とか、「虹が出た!」とか言われても、盲人の方には、
本当のことか、嘘か、解らないでしょう。
分かります、第三者がことばで説明が出来るからです。
明解に論理的に物理的に知性に訴え教えれば理解の範疇となる。
しかし、桐山霊力は自己申告と自説のみで、デンパを受けたという人との
話しにも相通じるものは何もありません。
みながそれぞれ勝手な御託をさも、ありがたそうに述べるだけです。
「虹とは、龍から吐かれる真っ赤な十色で世の中を光照らし平和をもたらす」
このように言われて、はいそうですかと第三者が共鳴しないものはニセモノ、
ウソ、インチキ話しということになります。
- 526 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/26(月) 12:11:15 ID:0iokvgUQ0
- >でも私は、十結煩悩を一つも断じていない預流向を聖者に定義することに
疑問があるんですが、それについてはどうお考えですか?」と、
聖者に対し、なにか特別な力をいだくことじたいは、
西洋の唯一絶対神的な憧憬に影響されている証拠です。
>>515で掲示したように、聖者、聖衆は、
【聖衆】@多くの比丘たちA仏の弟子たちB仏弟子たち。
という分類にすぎません。
では、仏弟子たちとは何かと問われれば、乞食で生活することに
意義を持ち少欲知足に生きて自己浄化につとめようとする者たちです。
彼らは、社会で一番階層の低い者たちに準じ行いによる価値を
見出そうとする者たちです。
この欲の世界にあって、それら欲を捨てて生活し解脱を目指そうとする。
それらの考え方をいだき、釈尊の法に帰依するのですから、
それは清浄を目指す生き方であり、聖衆の仲間であると認められた。
十結を断つために出家したのですから、釈尊はそれを聖衆の仲間と
認められた、ただそれだけです。
ではその出家者たちはどういう者たちかを聞かれれば、四双八輩に
分けられる者たちと答えたのです。
ではその出家者たちはどういう果報があるかといえば、
四沙門果の分別を答えられたのであって、ただそれだけです。
なにも他の小理屈など必要としないのです。
- 527 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/26(月) 14:14:22 ID:/ADBU6vc0
- >>513 名無しさんへ
私の意見を http://jbbs.livedoor.jp/internet/6441/ に投稿しておきました。
あまりにも長くなったので、そちらにした次第です。
お手数をおかけしますがお時間が取れましたら、そちらで拝見していただきたく存じます。
名無しさんの論議はこれで一旦終了とさせていただきます。
これからは今までどおりの展開に戻るのと、名無しさんへのバトルではない意見交換を
お願いいたします。
またもしもどうしても深く語りたい場合は「@chs−1」が使えます。
そこで行うようにしてください。
ここでの513名無しさんへの投稿は議論を妨げない内容の短めの意見でお願いいたします。
(例としますと記事517、518のような投稿スタイルで、ということです)
それではよろしくお願いいたします。
- 528 :準シュダオン:2012/03/26(月)
17:01:39 ID:GURk1tAY0
- >【聖衆】@多くの比丘たちA仏の弟子たちB仏弟子たち。
>という分類にすぎません。
聖衆の解説、有難うございます。経典には、「四双八輩 聖衆」と出てたり、
「四双八輩 僧衆」と出てたりしますが、聖衆でも僧衆でも、原語はSAMGHAの訳
ですから、意味は同じでしょう、多くの仏弟子のことであり、サンガ=教団のこ
とです。
>ではその出家者たちはどういう果報があるかといえば、
>四沙門果の分別を答えられたのであって、ただそれだけです。
>なにも他の小理屈など必要としないのです。
私がなぜ、預流向=聖者なのか、預流向≠聖者なのか、に拘るかと
いうと、四沙門果の果報を得ることが肝心なことだからです。
それは、自分が預流向なのであるか、違うのかということに関係
するからです。自分が預流向を目指すのか、預流果を目指すのか、で、
修行内容が違ってくるのです。
自分が既に預流向なのであれば、次の預流果を得るのが目標になり、三結を
断じる修行に入りますし、自分が未だ預流向未満なのであれば、先ず預流向
になる修行をしなければいけません。自分の位置も解らないで、修行の進む
はずもありませんからね。
そして、四双八輩=聖衆=教団=多くの仏弟子、全員が本当の聖者であろう
はずはなく、第一段階の聖者である預流(果)を目指す預流向とは聖者未満
の凡夫のことであり、自分は預流向(=凡夫)であることを自覚できてこそ
具体的な修行内容も見えてくるし、修行も進められるということです。
- 529 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/26(月) 17:42:12 ID:0iokvgUQ0
- >私がなぜ、預流向=聖者なのか、預流向≠聖者なのか、に拘るかと
いうと、四沙門果の果報を得ることが肝心なことだからです。
準シュダオンさんは、四沙門果をめざす気持ちがあるのですね。
そうであれば、釈尊に帰依し在家信仰をしてください。
在家信者さんの条件は、ご承知のように五戒をまもることです。
1殺生をしない、2盗まない、3邪淫(不倫)しない、
4ウソをつかない、5酒や煙草という嗜好品に溺れない
これら五つを守ることを誓い、先ず釈尊の教えを疑わず信仰し実践する。
そうすれば、準シュダオンさんは預流向です。
あと、霊魂などの説明できない形而上の考えに囚われず、
また、ゴマや占いという慣習に染まれなくなれば、
準シュダオンさんは、預流果を得られます。
それにはいの一番に、桐山アゴン宗から退会することです。
- 530 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/26(月) 17:42:45 ID:0iokvgUQ0
- >そして、四双八輩=聖衆=教団=多くの仏弟子、全員が本当の聖者であろう
はずはなく、第一段階の聖者である預流(果)を目指す預流向とは聖者未満
の凡夫のことであり、自分は預流向(=凡夫)であることを自覚できてこそ
具体的な修行内容も見えてくるし、修行も進められるということです。
ご立派な考えです、修行者を自覚しているのですね。
ところで、「本当の聖者」とはどういう定義に基づくのですか?
一結を断じた預流向と、二結を断じた預流向との違いは何ですか?
また、「預流向(=凡夫)であることを自覚でき」るとは、
何を以って自覚できるのですか?
- 531 :名無しさん:2012/03/26(月)
18:22:05 ID:3/r6xq720
- >>523
>結論を言えば、話すのも馬鹿馬鹿しいが、管長には霊能力があります。
うける。
- 532 :名無しさん:2012/03/26(月)
18:31:51 ID:3/r6xq720
- >>525
始めは何でも少数からスタートします
阿含宗も始めは桐山さんひとりから始めた、
「私がひとりから始めた団体だ、嫌なら出て行って全く構わない
わたくしはこれまでもひとりだった」
阿含宗の桐山さんがこう言っているのです
少数でも大いに結構、多いくらいです
少数の勇猛な戦士達にエールを贈ります
頑張って阿含桐山氏らの傲慢な鼻の角をへし折り
反省と自戒の為の一撃を食らわして下さい
貴方は勇猛な人達です。
- 533 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/26(月) 18:45:38 ID:/ADBU6vc0
- >>523 >結論を言えば、話すのも馬鹿馬鹿しいが、管長には霊能力があります。
準さんはタダでさえ例えが下手でわかりにくい説明をするのだが、説明があるだけ
まだ良いほうといえる。
この「話すのも馬鹿馬鹿しいが」とはどういうことか。
批判側に話すのも馬鹿馬鹿しいが、という意味だろうか。
仮にそうだとしてもここを見ているのは擁護側も一般の方もいる可能性はある。
そういう人たちに説明する義務すら怠って結論だけを言い、また自分が思っている
事項のことだけを述べて「信じろ」または論を述べたというつもりなのでしょうか。
こういう態度が我見を無くした人のやることとは到底思えないし認められない。
一般常識から見てもかなり非常識です。
自分だけがわかったつもりで説明が面倒くさいか馬鹿臭いのでやらないという。
だが、説明もしないで結論は「管長は霊能力がある」と締めている。
脳の知覚機能は大丈夫かとか常識や良識はあるのかと疑いたくなる所業です。
例え馬鹿馬鹿しくとも説明をし、諸々の理由により「霊能力があると思われる」と
言えば済むことです。それを成すのが本来あるべきの論じ方であり投稿です。
私からすれば貴方の姿勢がわからず、何が馬鹿馬鹿しいか問いたい。
むしろ貴方の姿勢の方に問題を感じ、意見を発しない態度が「馬鹿馬鹿しい」
- 534 :Boo:2012/03/26(月)
19:14:29 ID:FHOLLMS60
- >私がなぜ、預流向=聖者なのか、預流向≠聖者なのか、に拘るかと
>いうと、四沙門果の果報を得ることが肝心なことだからです。
>それは、自分が預流向なのであるか、違うのかということに関係
>するからです。自分が預流向を目指すのか、預流果を目指すのか、で、
>修行内容が違ってくるのです。
へえ〜?どう変わってくるの?
アゴン宗の修行なんて、何十年もやってきたし、先達や職員の修行も見てきたけど
新入行者と大して変らんことしかやって無かったよ?伝法会ったって作法の講義は
それぞれの年数で違ったけど合同講義は味噌くそ一緒だったし、星祭りだって
位階は違えどみんなで焚火するという中身は一緒。
違うのは金をつぎ込むと、なんだか知らない神様やご先祖様やお曼荼羅様や夜店の
おもちゃもどきをコレクションできます。
あなたのいう「ヨルコウ」とそれ以前、それ以後で
「自分が預流向を目指すのか、預流果を目指すのか、で、修行内容が違ってくるのです。」
って具体的にどういう風に違ってくるのか簡潔に述べよ。
- 535 :Boo:2012/03/26(月)
22:36:32 ID:FHOLLMS60
- >>534
自分のレスに自分でレスするのもなんですが・・・準シュダオンさんは厚顔無恥
な性格のようですから、「内面の問題だから具体的には答えれないのよ。それだから
Booさんは修行が進まなかったのよ。」なんて言うに決まっていますが、いかがですか?
ここまで書かれたら、私だったら意地でも具体的なこと書くが・・・
準シュダオンさんの本音は具体的なことなんか何もないから、困っているってところ
でしょうか…
- 536 :準シュダオン:2012/03/27(火)
11:52:59 ID:GURk1tAY0
- >ご立派な考えです、修行者を自覚しているのですね。
>ところで、「本当の聖者」とはどういう定義に基づくのですか?
聖者とは俗人・凡夫の対語です。天と地、昼と夜、東と西、というような関係です。
本当の聖者とは、四沙門果を得た者であることは、釈尊が説いています。
四沙門果=聖者、四沙門果を得ていない者=凡夫、です。
預流向は、四沙門果を得ていないので凡夫の範疇です。
羅摩経で釈尊は、聖なる求(欲)めと、聖ならざる求(欲)め、を説いています。
聖なる求めとは、四苦八苦であるところの俗世間を出離しようとする求めです。
聖ならざる求めとは、四苦八苦を免れ得ない、俗世間における求め、です。
そして、聖なる求めを達成した者が、聖者であるわけです。
第一段階の聖者である預流果は、「三結断 不堕悪趣」というように、俗世間の
悪趣からの出離という、聖なる求めを達成したのです。
>一結を断じた預流向と、二結を断じた預流向との違いは何ですか?
一結を断じた預流向よりも、二結を断じた預流向の方が預流果に近い、というだけ
の違いではないでしょうか?
>また、「預流向(=凡夫)であることを自覚でき」るとは、
>何を以って自覚できるのですか?
倶舎論は別として、経典における預流向の条件は、仏弟子であること、だけの
ようです。だから、仏弟子であることを自覚できたら、預流向であることをも
自覚するだろう、と思うのですけどね。
- 537 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/27(火) 14:05:42 ID:0iokvgUQ0
- >四沙門果を得ていない者=凡夫、です。
預流向は、四沙門果を得ていないので凡夫の範疇です。
詳細な説明、ありがとうございました。
「四沙門果を得ていない者=凡夫」なら、
四果を求める預流向は、凡夫とはいえないですよね。
しかし、準シュダオンさんは、「預流向(=凡夫)」
とも述べる矛盾に気づいてください。
つまりその理屈で言えば、凡夫=俗人=預流向
となってしまいます。
俗人(凡夫)とは、仏教の道理を理解していない者(岩波仏辞)
ですが、一結ないし二結を断じた預流向は、
仏教の道理を少なくとも理解しているのですから、凡夫ではない。
「ブッダ最後の旅50〜51頁 中村元訳」
「尊師の弟子のつどいとは、すなわち、二人ずつの四組と
八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、
世間の最上の福田である〉と。
かれは、聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕の無い、
斑点のない、よごれていないで、自在であって、
知者の称讃する、汚れの無い、精神統一を、身に具現している。」
>経典における預流向の条件は、仏弟子であること、
と言うことは、@多くの比丘たちA仏の弟子たち
B仏弟子たちは「聖衆」という学説が成り立つことになります。
- 538 :akb55:2012/03/27(火)
22:47:12 ID:XeG8xf1k0
- >523
結論を言えば、話すのも馬鹿馬鹿しいが、管長には霊能力はありません。
18人の霊障武士、ソンディ等、既に嘘はバレている。
- 539 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/28(水) 06:37:02 ID:/ADBU6vc0
- >>538 さすがakb55さん。「馬鹿馬鹿しい」の正しい使い方はこれが正解です。
- 540 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/28(水) 10:56:54 ID:0iokvgUQ0
- >第一段階の聖者である預流果は、「三結断 不堕悪趣」というように、
俗世間などのことは、触れていません。
また、預流果に限ったことではなく、
四双八輩がその対象だと読み取ることが出来ます。
準シュダオンさんも、漢訳だけではなく、
平素の言葉で書かれた中村元博士の経典を読むことを
おすすめします。
呪術的な超能力の法などは、期待しないで読むことです。
(ブッダ最後の旅50頁 中村元訳)
「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、
かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、
世間の最上の福田であると。」
(51頁)
「アーナンダよ。これこそ〈法の鏡〉という名の法門であって、
それを具現したならば、立派な弟子は、もしも望むならば、
みずから自分の運命をはっきりと見究めることができるであろう。
〈わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。
わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
わたしはもはや堕することの無い者である。
わたしは必ず悟りを究める者であると。〉」
- 541 :名無しさん:2012/03/29(木)
11:42:24 ID:M3ZlUmcc0
- 輪廻転生瞑想法
阿含宗の教祖、桐山氏が考案した「妄想」の法である。
実際には仏教にはこういうものは存在しない。
桐山氏曰く、輪廻を自在に操って来世での自分の望む理想な境涯や環境を得るための瞑想法だということであるが、
全くの妄想話である。
まず、釈尊の教義から逸れている、というのに気がつかねばならない。
釈尊は輪廻から脱出して、涅槃という絶対のような境地へ入ること、つまり、完全解脱を提唱しており、
その方法を説いたものが「仏教」である。ゆえに、輪廻を楽しむ・自分で操作するというようなことは
一切されていない。如何に桐山氏の妄想甚だしいかがわかる。
桐山氏は方便のつもりかわからないが、輪廻してゆく上でどんどんいい環境の生まれ変わりをしてゆき、
最後には涅槃へ到るというようなことを言っているようだが、それは釈尊は言ってないし教えてもいない。
勝手な仏教にあらずの暴言・思考を出している、といえよう。
- 542 :準シュダオン:2012/03/29(木)
16:10:12 ID:GURk1tAY0
- >結論を言えば、話すのも馬鹿馬鹿しいが、管長には霊能力はありません。
>18人の霊障武士、ソンディ等、既に嘘はバレている。
私に霊能力はないが、ゼロではない。
詳しいことは書けないが(書いても霊能力がない人達には理解できないし、無駄
だから)、受け入れの秘儀の時に、私は管長の霊能力を見ました。
18人武士のことは、第三者には不明、というのが正しいのです。
- 543 :準シュダオン:2012/03/29(木)
16:30:06 ID:GURk1tAY0
- >まず、釈尊の教義から逸れている、というのに気がつかねばならない。
>釈尊は輪廻から脱出して、涅槃という絶対のような境地へ入ること、
>つまり、完全解脱を提唱しており、
釈尊の教義に沿うならば、名無しさんの言うことは正しい。
しかし、管長は釈尊の教義だけを説いているのではありません。
管長は、釈尊の教義をテーゼとし、大乗仏教をアンチテーゼとし、阿含宗を
ジンテーゼとして、止揚させていると、主張しています。
輪廻について言うならば、釈尊は輪廻からの脱出を説いています(テーゼ)。
大乗仏教は、輪廻を分段生死と変易生死の2種に分類し、聖者の輪廻を変易生死
として、凡夫の分段生死のような拘束を受けない生死としたのです(アンチテーゼ)。
後には、「生死即涅槃」という主張まで現われていますね。
さて、輪廻転生瞑想法は、これら↑を止揚させたジンテーゼの考え方であろうか、
と、私は楽しみにしています。
- 544 :Boo:2012/03/29(木)
16:58:30 ID:nOKSEhPY0
- >さて、輪廻転生瞑想法は、これら↑を止揚させたジンテーゼの考え方であろうか、
>と、私は楽しみにしています。
いつまでたってもわからないのですね。「アゴン宗」は釈迦仏教の「アンチテーゼ」です。
ていうか「桐山靖雄」は「アンチ釈迦」です。
- 545 :棕櫚:2012/03/29(木)
17:13:23 ID:9ftcNrZw0
- 名無しをコテハンにしました、どうぞよろしく。
>18人武士のことは、第三者には不明、 というのが正しいのです。
初めまして準シュダオンさん。 批判派のある方が信州まで行って調べた結果が、
郷土史にもそのような事実が一切無かったと報告されていますので
、
準シュダオンさんの言われる第三者には不明ということにはなりま せん。
貴方が桐山氏から霊感を感じたというのは私には解らず、
何もコメントは付けられませんが、 見たと言う桐山氏のその霊能力とは、
どんなものだったのですか?
- 546 :棕櫚:2012/03/29(木)
17:26:46 ID:9ftcNrZw0
- >しかし、管長は釈尊の教義だけを説いているのではありません。
>さて、輪廻転生瞑想法は、これら↑ を止揚させたジンテーゼの考え方であろうか、
と、私は楽しみにしています。
ああそうなんですね、釈迦よりも貴方は桐山教に魅力を感じているのでしょうね。
たしか桐山氏は法話で自分は釈迦を超えたとか言っていましたから 、
釈迦の輪廻の停止を否定はしないまでもより高いと思われる次元が 輪廻瞑想法で
今より良い所へ生まれ変わりたいと貴方も熱望しているのでしょうね。
釈迦が亡くなって根本分裂し最終的に大乗経典が創られた訳ですが 、
それらは創り物でも仏説の変遷と考えて桐山氏の輪廻瞑想法を支持している。
と言うことですね。
大乗経典が釈迦にこだわらなければならない理由がないように、
貴方もこだわらないようですが、 桐山氏は自分の威信のために仏説を盾にして、
それも間違った解釈を広めていると思うのです。
釈迦の説と威信にすごくこだわっているのが、桐山氏でしょ。
となると止揚なんかじゃなく止揚がない話しみたいですね。
- 547 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/29(木) 17:50:34 ID:0iokvgUQ0
- >しかし、管長は釈尊の教義だけを説いているのではありません。
この解釈からしてまちがった出発をし、方向オンチになっている。
釈尊は、教義を開陳したのではなく、法を説いたのです。
釈尊は、すでに辿ったであろう過去仏の道を悟り、その道を説いたに
すぎません。
これを見誤ると、教義への屁理屈が山のように桐山節となって、
とどまることを知らない。
教義などといえば必ず哲学的捕捉となり「止揚」などと煙にまかれます。
スッタニパータ
944
古いものを喜んではならない。
また新しいものに魅惑されてはならない。
滅びゆくものを悲しんではならない。
牽引する者(妄執)にとらわれてはならない。
このように「法」を仏教では説くのであって。
教義を説くのではない。諸宗教や哲学の説く教義なるものは
偏見である、として、仏教ではこれを排斥する。
(バウッダ 中村元著)
- 548 :名無しさん:2012/03/29(木)
20:40:05 ID:uGfUje3A0
- キタ、キタ、キター
輪廻転生瞑想法新刊発売!
桐山靖雄いまだ健在。
仏陀の証明。
- 549 :akb55:2012/03/29(木)
22:38:36 ID:XeG8xf1k0
- >548名無しさん
大川隆法が大川隆法ではナーイと訳の判らん事を言って出て来たとき、
私もバリバリの信者だったんだけど、女性信者の方がakbさん再誕の
仏陀と言うのが出て来たけど如何思われますか?と聞いて来ました。
そこで私は再誕しなくなったら仏陀なんですよ。と教えてあげました。
するとその女性は2秒ほどで理解されました。
あなたにも教えてあげましょう。輪廻することを奨めるのは仏陀では
無い証明なのですよ。あなたはどれくらいの時間で理解することが
出きるでしょうか?
- 550 :干柿:2012/03/29(木)
22:44:16 ID:LzYL8o4A0
- さて桐山教にしても実際に輪廻転生瞑想法なんかありませんからw
求聞持瞑想法なんてのもありましたが実際は嘘八百
本人は何も会得してないしやってもいない
実態のないものをウソをついて騙し適当にでっち上げたモノを講義だ伝法だと
信者あつめて金を取る・・・詐欺行為でしょう。
阿含宗が釈迦仏教だとか釈迦以外の教えだとかいう以前に宗教詐欺なんですよ
準ジュダオンさんはそれをわかっておいでなのか?
たぶん本人は趣味程度の娯楽みたいなもんなのでしょうね阿含宗の信仰は
- 551 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/29(木) 23:19:26 ID:H9iaq/jk0
- >>548
私もそこをakb55さんと同じように理解をしていますから、ゲイカの理屈には賛同できません。
私が居たときから「輪廻転生瞑想法」の開始をする予定でしたが、いつものようにすぐにやらない。
やらないのは良いが欺瞞を知らない時期から大反対でした。
何故なら「輪廻操作」など出来ないということ。ゲイカの輪廻捜査の方法が幼稚なこと。
そして何よりも最大の判別は「輪廻しないことが完全解脱の証なのに輪廻推奨に沿うことを説く自体が間違い」
ですから一番の示しになるのは「幸福の科学」の大川主催です。
自分は釈迦の生まれ変わりだといっている。
私はこの時点で「アウト判定」しています。
それに対しゲイカはさすがに「オレは釈迦の生まれ変わりだ」などと痴呆しても言いません。
ですが、今まで「現世成仏」を説いておきながら、急に「来世を良くしよう」とはこれはさすがに
「頭が逝ったな」と思った。
ゲイカの言うことなら何でも聞く&喜ぶ人なら何とも思わないのでしょうか。
私にはちょっと理解しがたい。
現世で因縁を切って涅槃へ入ろうが現世成仏であり、阿含宗の要ではなかったか?
それが急に手のひらを返しても「おかしい」と思いませんか?
個人の勝手といわれるなら、私は何も言いません。
- 552 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/03/29(木) 23:20:30 ID:H9iaq/jk0
- 誤字訂正。 輪廻捜査=X 輪廻操作=○
- 553 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/30(金) 08:28:55 ID:SmEF4Oe2O
- >>542:準シュダオン12/03/29(木) 16:10:12
ID:GURk1tAY0
>詳しいことは書けないが(書いても霊能力がない人達には理解できないし、無駄
>だから)、受け入れの秘儀の時に、私は管長の霊能力を見ました。
これは初耳ですね。聞いたことがない。
>18人武士のことは、第三者には不明、というのが正しいのです。
桐山さんが見た「霊」についてなら本人以外検証不能ということになります。
例えば私が嘉納治五郎の霊を見たと言ったところで、そんなものは嘘とも真とも
第三者にはわからない話と言えます。
しかし私が姿三四郎の霊を見たと述べたらどうだろう?
たちまち私は嘘吐きのお笑い人と笑われます。
18人の武士もお笑い系の嘘で、霊を語る以前に霊となる前の生前の人間として
存在した記録がないのです。
これほど大きな上意討ちの事件が信州の歴史資料に残らぬはずがない。
ましてや時代はその後維新で倒幕し、天皇制が復権したのだから革命の志士こそ
英雄視され、記念碑の一つも建てられるはずだ。
しかしどこにもそんな記録はない。
つまり18人上意討ちの話自体が嘘であり作り話なのだから、その霊を見たなんて
話も嘘と第三者にもわかる話となったのです。
- 554 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/30(金) 08:39:31 ID:SmEF4Oe2O
- >>543:準シュダオン12/03/29(木) 16:30:06
ID:GURk1tAY0
>しかし、管長は釈尊の教義だけを説いているのではありません。
>管長は、釈尊の教義をテーゼとし、大乗仏教をアンチテーゼとし、阿含宗を
>ジンテーゼとして、止揚させていると、主張しています。
>さて、輪廻転生瞑想法は、これら↑を止揚させたジンテーゼの考え方であろうか、
>と、私は楽しみにしています。
輪廻転生瞑想法は来世にまた生まれる時に、美男美女にして富と名声をほしいままに
生まれることを狙うものなんだそうです。
どこをどう統合すれば釈尊の輪廻の苦から離れる教えの改良版になるのか?
釈尊はそのような浅ましい低劣な欲望、執着こそが苦しみの元としているのです。
だから完全に仏教に対する逸脱のみららず叛逆です。
これを説くからには仏教の看板を外してはどうか。
まあこの著書は来月に発売されるのだから、批判側としても楽しみに待ちましょう。
久々に大笑いができるかもしれない逸品です。
- 555 :準シュダオン:2012/03/30(金)
11:11:55 ID:GURk1tAY0
- >貴方もこだわらないようですが、 桐山氏は自分の威信のために仏説を盾にして、
>それも間違った解釈を広めていると思うのです。
>釈迦の説と威信にすごくこだわっているのが、桐山氏でしょ。
阿含宗を立てた時、「今更、釈迦仏教など、そんな古臭いもの・・」と述べた
他宗の僧侶がいたとか。
そのように、阿含経は小乗経典として、地位が低かったようです。
これを、復権させたのは、管長でしょう?
いまだに、釈迦より阿弥陀様を有難がってる檀家も多いでしょ。
- 556 :名無しさん:2012/03/30(金)
15:48:25 ID:6kVPmgck0
- みんな管長のいうことしんじて素直に信仰すればいいんだよ。
金なきゃ無いで、金なんて、無くても信仰できるじゃん。
輪廻転生瞑想法やれば、来世は、素晴らしい人間として生まれ変われることが、保証されるんだよ。
管長の保証付き!いや仏様の保証付きなんだよ!こんな素晴らしいことは、無いじゃないの。
素直に信仰すればいいんだよ!
本の発売が、楽しみ(^^)
- 558 :名無しさん:2012/03/30(金)
16:27:38 ID:6kVPmgck0
- こんな素晴らしい法が、
世に出るんだから、
みんな阿含に、もどってきなよ(^_^)☆
今阿含は、すごく、もりあがってるよ(^^)
現世の幸せと
死後の大安心で、感謝感謝です*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。.
.。.:*・゜゚・*
幸福感と、充実感で、一杯です〜
早く本見たいね(^^))
- 559 :準シュダオン:2012/03/30(金)
17:47:23 ID:GURk1tAY0
- >どこをどう統合すれば釈尊の輪廻の苦から離れる教えの改良版になるのか?
それが難しいから、本になるのが楽しみなのですよ。
>釈尊はそのような浅ましい低劣な欲望、執着こそが苦しみの元としているのです。
それは解っていますが、阿那含以上の聖者になれなければ、嫌でもこの世に再度、転生
するわけですからね。まぁ、一来や預流果を得ていれば、それほど過酷な境遇には転生
しないでしょうけど、入行が遅い人や、怠け修行の人には預流果にもなれない方が、
いるでしょう。そのような人の為の、少しでも良い境遇に転生するための瞑想法なので
しょう。
>だから完全に仏教に対する逸脱のみららず叛逆です。
>これを説くからには仏教の看板を外してはどうか。
仏教と言っても、大乗仏教は輪廻からの解脱を説いていないわけです。
大乗では、聖者も変易生死という輪廻をする、と説いています。
だから、釈尊の教えと大乗の教えを、管長がどのように統合するのか、
とても難しいであろうし、興味深いわけです。
- 560 :別の名無し:2012/03/30(金)
17:55:26 ID:ifFmQJJ20
- >>556
何で桐山さんの言った言葉が=保証になるんだろうね
なんで仏様の保証付きだといえるの?
輪廻転生瞑想法も壺瞑想法と同じレベル
- 561 :名無しさん:2012/03/30(金)
17:59:30 ID:6kVPmgck0
- 自分の希望する来世に、生まれ変われることが、出来るとしたら、又そんな方法が、あるとしたら、又管長が、その神の領域といわれる、生まれ変わりの真実を、つかんだとしたら!
これは、大変なことだよ!
日本人の宝、いや人類の宝だよ。
これを、やらない手は、ない。
せっかくこんな素晴らしい法と、縁ができたのだから、何がなんでも、手に入れてものにしなくては、批判などしている場合では、ないよ!
早く読みたい(^^)
- 562 :準シュダオン:2012/03/30(金)
18:08:00 ID:GURk1tAY0
- >ましてや時代はその後維新で倒幕し、天皇制が復権したのだから革命の志士こそ
>英雄視され、記念碑の一つも建てられるはずだ。
そんなに単純なものではないよ。藩主は華族になったのですからね。革命の志士と
いっても、良い目を見たのは、薩長くらいでしょ。
>しかしどこにもそんな記録はない。
家庭内暴力は表に出にくいもんです。
>つまり18人上意討ちの話自体が嘘であり作り話なのだから、その霊を見たなんて
>話も嘘と第三者にもわかる話となったのです。
あまりに一字一句を信じるのは危険です。了見を広く考えてみることも必要です。
あるいは、18人の霊視は、武士の家族を含めた霊視かも知れないでしょう。
切られた武士は5人だとして、その武士にそれぞれ家族が3人居れば、4人家族で、
5人×4人=20人、になりますよ。そういう可能性もないわけではないです。
- 563 :準シュダオン:2012/03/30(金)
18:19:09 ID:GURk1tAY0
- >私にはちょっと理解しがたい。
>現世で因縁を切って涅槃へ入ろうが現世成仏であり、阿含宗の要ではなかったか?
それが出来たら理想でしょうが、それはなかなか難しく、現世成仏できない人も
いることでしょう。そういう人の為の瞑想法と考えたら良いのではないですか。
>それが急に手のひらを返しても「おかしい」と思いませんか?
上記のように考えれば、手のひらを返してるわけではありません。
現世成仏できた方には、不要の瞑想法ですね。
- 564 :別の名無し:2012/03/30(金)
18:20:03 ID:6wxsZI020
- >>561
本当にそんな風に思っているの??
あたなは井の中の蛙
もっと頭を冷やして外の空気(情報)を吸ったほうがよい
洗脳レベル判定:MAX
- 565 :棕櫚:2012/03/30(金)
18:53:16 ID:ReXIVlpg0
- >これを、復権させたのは、管長でしょう? いまだに、釈迦より阿弥陀様を有難がってる檀家も多いでしょ。
信者さんの多くが阿含経を知らなかったようですね、
私なんぞも仏教無知で大乗仏教もろくに知りませんでした。
阿含経に興味と言うか釈迦直説?と知ったのは、桐山氏からの 著書で
であることはそうです。
だからと言って桐山氏の阿含経解釈は独自のもので正しい解釈じゃ ないですね。
大乗仏教も日本の寺院の多くがお釈迦様を祀っていませんね。
桐山氏はそういう仏教の流れで何でも有り的な解釈も仏教だと、
考えているのでしょう。 仏教はお釈迦様が開祖と考えられても仏教が広がっていく中で、
いろんな脚色が味付けされて大きな輪になったようなものでしょう 。
桐山氏はそういう広大な解釈につけ込んで自分節を展開したのでし ょうね。
阿含経ではいくら深か読みしても霊力なんて出てきませんもんね。
桐山氏はそう言った意味で大乗仏教のパフォーマンスを上手に使い 、
信者を言いくるめて来たのでしょう。
準シュダオンさんもそのうちの被害者の一人で同時に加害者でもあるから、
やっぱりそういう悪業を積まないよう気をつけるべきでしょう。
- 566 :別の名無し:2012/03/31(土)
07:02:38 ID:6wxsZI020
- >>556
あなたはミツグ君と同じです
貢がれた女性は感謝すらしていないでしょう
ただ貢がれるのが当たり前だと思っているだけ
あなたは悪女の魔力に洗脳されてただただせっせと貢いでいる
彼女の偽りの幻想に気付かず毎月毎月せっせせっせと貢いでいる
もうあなたは彼女の魔力に洗脳され離れることすらできないでしょう。
金も時間も人生全てを彼女に捧げている
あなたの現状は
長い間魔性の女を信じて疑いもせずただただせっせせっせと貢いでいる哀れな男性の姿と重なります。
そして、今もなお、信じて貢いでいる
ミツグ君はあくまでミツグ君でしかありません。
いくら頑張っても桐山靖雄の本命にはなれないのです
それが世の常、ミツグ君の宿命です
桐山さんの本命は後にも先にも1人しかおりません
内弟子愛人ワクは一つしかないのです。
- 567 :準シュダオン:2012/03/31(土)
09:18:38 ID:GURk1tAY0
- >いろんな脚色が味付けされて大きな輪になったようなものでしょう 。
>桐山氏はそういう広大な解釈につけ込んで自分節を展開したのでし
ょうね。
>阿含経ではいくら深か読みしても霊力なんて出てきませんもんね。
六神通を証得せよ、と、阿含経のあちらこちらに、出ていますよ。
- 568 :準シュダオン:2012/03/31(土)
09:26:27 ID:GURk1tAY0
- >信者を言いくるめて来たのでしょう。
>準シュダオンさんもそのうちの被害者の一人で同時に加害者でもあるから、
>やっぱりそういう悪業を積まないよう気をつけるべきでしょう。
悪業を積んでると考える人は、批判派といわれる少数の方々です。
日本の多数の方々は、星祭りやガダルカナル護摩などを公共のテレビ電波に
乗せているほどに、好意的です。
その点、批判派の見方は、客観性に欠けていると思いますね。
- 569 :棕櫚:2012/03/31(土)
12:20:55 ID:IaNuaSbo0
- >六神通を証得せよ、と、阿含経のあちらこちらに、 出ていますよ。
私もネットのスッタニパタなどで、余り多くはありませんけど。
神通力を得よ、なんて経典は知りません。「60 妻子も、父母も、財産も穀物も、
親類やそのほかあらゆる欲望までも、
すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。」
これなんかは極端ですが、 欲をすべて捨てて出家しなさいという内容です。
準シュダオンさんも本当に修行したいなら、 桐山氏から離れてただ一人進んだら
どうでしようか?きっとあごん宗にいるより修行が進みますよ。
>日本の多数の方々は、 星祭りやガダルカナル護摩などを公共のテレビ電波に 乗せているほどに、
好意的です。
その点、批判派の見方は、客観性に欠けていると思いますね。
ああこれって、無理ないですよねえ。
批判派だけじゃなく、
前に信者側も宣伝費は半端無いそうですから。 前に友人にあごん宗を知ってる?
って聞いたら、 あああのエロ坊さんの
星祭りだよね、なんて言われましたからね。
マイペースの準シュダオンさんなら、 あごん宗辞めた方がいいと思いますね。
- 570 :akb55:2012/03/31(土)
12:35:23 ID:XeG8xf1k0
- >567六神通を証得せよ、と、阿含経のあちらこちらに、出ていますよ。
どの阿含経でしょうか?教えていただけますか。
アゴンさんの時の様に逃げますか。
- 571 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/03/31(土) 12:53:29 ID:SmEF4Oe2O
- >>569:棕櫚12/03/31(土) 12:20:55
ID:IaNuaSbo0
>準シュダオンさんも本当に修行したいなら、 桐山氏から離れてただ一人進んだら
>どうでしようか?きっとあごん宗にいるより修行が進みますよ。
いや、準シュダオンさんはアゴン宗のみならず修行などしたくないのですよ。
本だけ読んで自分に都合よく解釈して暇つぶしに能書きを垂れたいだけです。
ですからアゴン宗の信者の代弁をする価値もない。
彼に勧めたいのは南無阿弥陀仏と10回唱えて極楽往生をする信仰です。
輪廻転生瞑想法と大して変わらないでしょ?
- 572 :棕櫚:2012/03/31(土)
13:05:57 ID:8eYVdf1Y0
- >悪業を積んでると考える人は、 批判派といわれる少数の方々です。
ここを拝見させて貰った感じでは準シュダオンさんは悪業をそんなに積んでいませんよ。
批判派からケチだと言われるくらいですから却って悪業は薄いでし ょう。
準シュダオンさんはよく学んでいるようですから本当は釈迦仏教の本質は知っていて、
わざと批判派に反論しているようです。
その意味ではここの板を盛上げているのは準シュダオンさんですよね。
貴方が来るお蔭でここの掲示板の批判文が構築されていますから。
その準シュダオンさんなら、 桐山氏のヘボ解釈など必要ありませんね。
準シュダオンさんは十分阿含経の意味を知っているのでしょう。
でも煩悩を減らすより因縁を切りたいから、 どうしても桐山氏を擁護するしかない。
因縁切一本でやるならむしろ桐山氏
などに頼らず、準シュダオンさん独自の方が
ウマくやれるでしょう。
貴方は霊感が強い方のようだから、 桐山氏のヘボ霊能など全然要りませんよ。
早くあごん宗を辞めて独自の法で、 修行された方が満行できるでしょう。
- 573 :棕櫚:2012/03/31(土)
13:24:44 ID:MBGM1ihc0
- >いや、準シュダオンさんはアゴン宗のみならず修行などしたくないのです よ。
本だけ読んで自分に都合よく解釈して暇つぶしに能書きを垂れたい
だけです。
ですからアゴン宗の信者の代弁をする価値もない。
批判派にこれだけ言われるということは余程信用が無くて、
掲示板で悪いことをしたのでしょうね。
しかし、準シュダオンさんは打たれ強いというかそう言う事にはまるで
我は関せずの態度で自分の解釈を話して来る。 批判派などは逆に毀損されたと言う位、
立腹することでも平気なのですか?
ここまで言われるなら準シュダオンさんが桐山氏を批判するというか、
そういう立ち位置のほうが絶対優位だと思いますね。
もし暇潰しでもそういう絶対優位で解釈した方が能書きと言われないでしょう。
準シュダオンさん、あごん宗をやめたら潤オ?
- 574 :☆祝朔日護摩300回記念企画◇幸せ恋歌を詠んで恋愛運をUPしよう☆:2012/03/31(土)
17:12:37 ID:eKqE2z6U0
【規制で2ちゃんねるに書き込めないのでこちらに書き込ませて下さい】
?桐山靖雄幸せ恋歌ご披露? さあやるぞ?
?君も桐山恋歌を詠んでロマンスをGETしよう?
??阿含宗管長桐山靖雄氏がe川さんに贈ったロマンチックな恋詩です??
※{モチロン桐山氏の直筆です}※
【1】押し花の額の裏に書かれた詩
高原の千草の影の風さやか
そぞろに君のしのばるるかも
靖.
1993.9.12
【2】料亭吉兆にて桐山氏、e川姉妹、他1名での会食時
割り箸包み紙に書かれた詩
吉兆で君の名を問う
春の醉
優雅ですね〜ぇ?
高級料亭でe川さんを魚に
幸せホロ酔いごきげん気分なのでしょう♪
本当に桐山氏は若く華やかなe川さんのことが好きだったのでしょう
以上
【阿含宗内弟子愛人裁判資料】より
- 575 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/03/31(土) 18:06:14 ID:j01DOQTE0
- >輪廻転生瞑想法やれば、来世は、素晴らしい人間として生まれ変われることが、保証されるんだよ。
桐山さんが長年、信仰してきた法華経を離れた理由が、
この経典です。
来世成仏を求めない昔からの桐山さんの根拠でした。
今はもうその自説の認識すら出来なくなってのでしょう。
妙法蓮華経方便品第二
未だ曾て汝等、当に仏道を成ずることを得べしと、説かず。
未だ曾て説かざる所以は、説時未だ至らざるが故なり。
今正しく是れ其の時なり、決定して大乗を説く。
我が此の九部の法は、衆生に随順して説く。
大乗に入るに為れ本なり。
故を以て是の経を説く。
仏子の心浄く、柔軟に亦利根にして、
無量の諸仏の所にして、深妙の道を行ずるあり。
此の諸の仏子の為に、是の大乗経を説く。
我是の如き人、来世に仏道を成ぜんと記す。
- 576 :名無しさん:2012/04/02(月)
07:09:03 ID:hsU96iZ20
- 桐山は本当に悪いヤツだ
- 577 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/02(月) 15:06:55 ID:PeB9b4eg0
- >>563
>それが出来たら理想でしょうが、それはなかなか難しく、現世成仏できない人も
いることでしょう。そういう人の為の瞑想法と考えたら良いのではないですか。<
そう言うのはわかっていました。(別所で準さんより先に書いておきました)
またゲイカもそのような内容を言っていましたし、知り合いの法友も同様。
阿含宗では完全解脱を目指すが、それは至難の業。やはり完成まで至らない人が
いるのは当然ある。
そう言う人たちが来世でも修行できるように。環境が整いますように。
しかもそれだけに留まらず「来世の行く先や状態をコントロールできる法」がある。
それが「輪廻転生瞑想法」だということでしょう?
建前や理屈、表現はわかりますよ。でもそれをどうやって証明しますか?
答えはだいたい予測がつくのと、本の発刊があってから中身を見れば判りますから
今は様子を見ておきましょう。
>上記のように考えれば、手のひらを返してるわけではありません。
現世成仏できた方には、不要の瞑想法ですね。
私の言う「手のひらを返す」という意味が判って無いようですね。
2chでも私と同じ内容の投稿が数件あります。批判側でなくても、です。
昔からのゲイカの発言・方針・姿勢を知っている人であれば、在籍・退会を問わず
「変だ」と思うのが普通です。
ましてや釈尊も説かなかった事項です。輪廻を操作できるなどと言う戯言をマトモに
信じる方が「逝っている」釈迦仏教を信じないからこそできるキテレツ行為です。
ましてや笑っておまじないの類の所作を行いイメージトレーニング(瞑想)するだけで
来世の操作を出来るというのは、普通の常識では「病院へ行け」といわれて終わりです。
せめてゲイカがボケてなくて20年位前のようにしっかりしていて話すならまだしも、
今のように呆けて自分のことさえおぼつかない老化ぶりの状態では信用できない。
内容も”ちゃち”で如何にも「妄想の類」のこの法には「法」と名がつく自体忌まわしい。
寝言は寝てから言え、の如く、ゲイカのバカぶりには呆れるばかりです。
- 578 :準シュダオン:2012/04/02(月)
19:15:22 ID:GURk1tAY0
- >しかもそれだけに留まらず「来世の行く先や状態をコントロールできる法」がある。
>それが「輪廻転生瞑想法」だということでしょう?
>建前や理屈、表現はわかりますよ。でもそれをどうやって証明しますか?
証明は出来ませんよ。証明出来たら科学です。
証明できないから宗教なのであり、信じるか、信じないか、なのです。
管長も、「説明はできるが、証明は出来ない」と、本に書いています。
- 579 :準シュダオン:2012/04/02(月)
19:25:17 ID:GURk1tAY0
- >ましてや釈尊も説かなかった事項です。輪廻を操作できるなどと言う戯言をマトモに
>信じる方が「逝っている」釈迦仏教を信じないからこそできるキテレツ行為です。
>ましてや笑っておまじないの類の所作を行いイメージトレーニング(瞑想)するだけで
>来世の操作を出来るというのは、普通の常識では「病院へ行け」といわれて終わりです。
普通の常識では、釈迦を信じることこそが、「病院へ行け」なのです。
釈迦の説くことを、あれこれ真面目に議論することは、「病院へ行け」なのです。
世間から見たら、批判派も擁護派も、どちらも病気なんです。
- 580 :準シュダオン:2012/04/02(月)
19:46:37 ID:GURk1tAY0
- >高原の千草の影の風さやか
>そぞろに君のしのばるるかも
靖.
1993.9.12
>【2】料亭吉兆にて桐山氏、e川姉妹、他1名での会食時
>割り箸包み紙に書かれた詩
>吉兆で君の名を問う 春の醉
>優雅ですね〜ぇ?
>高級料亭でe川さんを魚に
>幸せホロ酔いごきげん気分なのでしょう♪
巧い唄だなあ、料理を食べる時は、こういう粋を添えられたならば、より旨い。
「恋無き人生は死に等し」と詠んだ、有名な外国詩人も居たね。
「聖人といえども、恋はするべきだ」、というより、恋は砂漠におけるオアシス
みたいなものだと、私は思うね。
砂漠は人生なり。恋はその中に訪れるオアシスで、神の恩寵です。
オアシスを見つけたら咽喉を、潤すがいい。
それをあれこれ邪推するのは、愚民の証拠です。
- 581 :準シュダオン:2012/04/02(月)
20:04:34 ID:GURk1tAY0
- >ああこれって、無理ないですよねえ。 批判派だけじゃなく、
>前に信者側も宣伝費は半端無いそうですから。
前に友人にあごん宗を知ってる?
>って聞いたら、 あああのエロ坊さんの 星祭りだよね、なんて言われましたからね。
あのねぇ、宣伝費だけでは、テレビは動かないのよw。
偽物には、週刊誌は敏感なのよ、オウムも統一教会も法の華にもね。
その点、言っちゃあ、気の毒だけど、週刊誌のネタになり、庶民の笑いものに
なるのは批判派の方ですよ、あなた方は、カルト・狂信的なものを抱いていますから。
- 582 :準シュダオン:2012/04/02(月)
20:26:41 ID:GURk1tAY0
- >>567六神通を証得せよ、と、阿含経のあちらこちらに、出ていますよ。
>どの阿含経でしょうか?教えていただけますか。
>アゴンさんの時の様に逃げますか。
今回だけは答えますが、次回からはこの手の問には答えたくありません。
例えば、平河本長阿含経第三巻、「増一経」P81に、
「云何六証法 謂六神通 一者神足通 ・・・・、六者漏尽通・」とか、
証得すべき事柄だと、書いてあるでしょう。
批判派には、そういうことを、理解したうえで、阿含宗を批判してほしいのよね。
- 583 :akb55:2012/04/02(月)
20:30:56 ID:XeG8xf1k0
- 準シュダオンさん、くだらないことばかり言ってないで
570に答えてはどうですか?
- 584 :akb55:2012/04/02(月)
20:39:31 ID:XeG8xf1k0
- 準シュダオンさん、申し訳ない582を読んでいませんでした。
- 585 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/02(月) 20:58:27 ID:SYHD4pwA0
- >>579
>普通の常識では、釈迦を信じることこそが、「病院へ行け」なのです。
釈迦の説くことを、あれこれ真面目に議論することは、「病院へ行け」なのです。
世間から見たら、批判派も擁護派も、どちらも病気なんです。
どうですか?皆さん。こういうことを言うからこのしたらばでは議論にすらならない
とみなされるのです。
自分で言っていることがわかって言っておられるのか?
相手(私など)まで巻き込んで「病院へ行け」の対象として煙にまくつもりでしょうが
そうはいかない。
>普通の常識では、釈迦を信じることこそが、「病院へ行け」
貴方は掲示板だからこのようなことを言っているが、リアルの世界でこんなことを言ったら
相手によっては大変な目にあいますぞ。自分の言っていることがわかっていっているのか。
まず、仏教を信仰している人に対して失礼な発言です。
そして貴方は「釈迦など信じてない」と宣言したと等しい発言です。
貴方の言い方だと釈尊を信じなければ「マトモ」であり、信じる人は「病院へ行け」つまり
狂っているということにつながる。
ならば、今巷にもある仏教宗派はそういう人たちだからそれらの方々も狂っていることに成る。
また阿含宗は「釈尊の直説阿含経を依経としている」「釈尊の成仏法を保持している教団」
であるが、では桐山氏も狂っているということに成る。
そういう宗派を信じてりうやつらも狂っているし、阿含宗を信仰している準さんも狂っている。
批判側も釈尊の言葉云々言っているから信じているうゆえ「狂っている」みんな狂っている。
世間からみたら「釈尊を信じている人はみんな狂っているんだ」そういうのでしょう?
だから桐山教を信じられるし、釈尊などはなから信じる気は無い、と。
今までは経典やら色々な解釈を用いてきたくせにこういうことを言う。
四双八輩やらなんとかだと出してきておいて、それはどうしたことか。
宗教嫌いな人や、仏教嫌いな人が言うのならまだわかるが、あなた自身が仏教子講釈を垂れて
「皆狂っている」発言はとんでもない冒涜です。
阿含宗信者さんをまでも冒涜しています。
どうですか信者さん?貴方も狂っていると準さんは言っているのですよ。
そんなこと巷で言ったら胸倉掴まれたりエライ目に遭いますぞ。
そうだ。それよりもゲイカに言って見なさい。「釈尊を信じる人は皆狂っている」という持論が
あるんですが、どうお考えになりますかね?と。
言えてゲイカに認められたら貴方の論を認めますよ。
そうでなければ貴方の論は悪いが認められないですね。
- 587 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/02(月) 21:01:25 ID:SYHD4pwA0
- そういう宗派を信じてりうやつらも=X
そういう宗派を信じているやつらも=○
追記)
掲示版だから何でも発言できるが、ゲイカにはいえないでしょう。
言って見なさいよ貴方の持論を。
おそらく破門になること請け合いです。
- 588 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/02(月) 22:05:23 ID:j01DOQTE0
- >あのねぇ、宣伝費だけでは、テレビは動かないのよw。
偽物には、週刊誌は敏感なのよ、オウムも統一教会も法の華にもね。
もともと阿含宗は、グループ企業の平河出版社が刊行する
桐山の本の宣伝のほか、週刊誌や写真週刊誌などに広告PR欄を
常設しており、一年中、宣伝広告量の多い宗教団体として知られている。
なにしろ一流企業並みに、電通が「星まつり」のイベントを含めると
年間三十億円の金をかけて、広告を手がけているといわれるだけに、
その量もやり方も宗教団体のレベルではないのである。
それだけに、阿含宗から宣伝を取ったら、何も残らないといわれる
ぐらいで、同教団のもう一つの特徴は、マス・メディアで大宣伝を
展開しているイメージからは考えられないほどの少ない信者数
ということだろう。
(154〜155頁 新興宗教教祖のウラの裏がわかる本 早川和廣著)
- 589 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/02(月) 22:29:41 ID:j01DOQTE0
- >「説明はできるが、証明は出来ない」
>「云何六証法 謂六神通 一者神足通 ・・・・、六者漏尽通・」とか、
証得すべき事柄だと、書いてあるでしょう。
「云何六証法 謂六神通」の前後文のどこにも、
「証得すべき事柄」などは、ありません。
1から10までの法を説いたうちの6種の一つで、
六神通とは何々か、を説いただけのことです。
それぞれの法を「証得」ではなく証明しているのです。
証明できない事柄を説いて(説明)してお金を取るのは、
詐欺と言われる行為です。
- 590 :akb55:2012/04/02(月)
23:23:24 ID:XeG8xf1k0
- >582今回だけは答えますが、次回からはこの手の問には答えたくありません
貴方の発言に対して疑問があれば問うのが当然の行為であり、それに答えるのは
発言者の義務でしょう。答えたくないなら発言しないことです。
- 591 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/03(火) 08:25:26 ID:SmEF4Oe2O
- >>582:準シュダオン12/04/02(月) 20:26:41
ID:GURk1tAY0
>今回だけは答えますが、次回からはこの手の問には答えたくありません。
>例えば、平河本長阿含経第三巻、「増一経」P81に、
>「云何六証法 謂六神通 一者神足通 ・・・・、六者漏尽通・」とか、
>証得すべき事柄だと、書いてあるでしょう。
皆さん、ご覧ください。
準シュダオンさんというアゴン宗の信者は、質問に対して引用文献資料を持っている
にもかかわらず、これまで引用をせず、今回だけで今後はもうしないという断り書きで
渋々部分引用に近いことをしました。
これが議論対話する人の態度でしょうか。
引用文献については私は平河出版の阿含経典現代語訳を出すことは私はわかってました。
長い付き合いですから。だから私が準シュダオンさんに対してそんなことを説いている
経典があるのなら引用してみよと質問したら、何度同じことをさせるんだ?
今回限りのサービスでもう二度と引用せんぞと言いたい気持ちもわかります。
しかしそういう態度をとるのなら、こちらも準シュダオンさんに対しても反論済み
の事柄を何度同じことを述べさせるのか?とスルーする権利もあるのだが。
ともかく今回の質問者は私ではなく、比較的最近参入のakb55さんです。
ならば準シュダオンさんは前に示したことがある文献でも面倒がらずに出典を明らかに
引用をすべきです。
何回でも引用をするのが当たり前です。
したくないのならば最初からそんな経典の表現なんか出さねばよいのです。
その引用というのも、せっかく我々にはわかりやすい現代語訳の訳本なのに
現代語などではなく、敢えて漢文の方で示すのはどういうことでしょうか?
我々に馴染みの薄い漢文原文だけを示すことによって、回答を曖昧にしたい
気があるからです。
そうでなければ自信を持って現代語訳で示すはずです。
- 592 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/03(火) 08:53:21 ID:SmEF4Oe2O
- >>581:準シュダオン12/04/02(月) 20:04:34
ID:GURk1tAY0
>あのねぇ、宣伝費だけでは、テレビは動かないのよw。
>偽物には、週刊誌は敏感なのよ、オウムも統一教会も法の華にもね。
宣伝費の他に必要なものは信用です。
信用といってもそれは信頼とは異なります。
アゴン宗は正しい宗教であると認める信頼ではなく、オウムのような破防的活動が
公に認められていないから、とりたてて拒否する不信はないという程度の信用です。
特定宗教の教義を一般人に公共の電波を活用して押し付けようというものではなく
ある宗教団体にも見られる信仰心の現れを巨大な炎のパフォーマンス祭典という
視的にもわかりやすいものだから番組にも製作でき、また関東、近畿の人ならば
地方局など見向きもせぬところを、少なくともアゴン宗信者という一定視聴率だけは
見込めるから放送してるのです。
かつて与党だった自民党が創価学会員で票のとれる公明党と連立したのも単なる打算です。
つまりテレビ局の放送に、宗教的な啓蒙意志などない。
- 593 :愚民:2012/04/03(火)
09:15:04 ID:ifFmQJJ20
- >>580
>それをあれこれ邪推するのは、愚民の証拠です
愚民です ((^┰^))ゞ
テヘヘ
恋はオアシス?
桐山さん→( 。-_-。)ε・ )←リボンちゃん チュッ?
- 594 :愚民:2012/04/03(火)
10:13:39 ID:ifFmQJJ20
- >>580
>オアシスを見つけたら咽喉を、潤すがいい。
愚民の疑問?
1.奥さんが癌闘病してる時も桐山さんはオアシスにかよっていたのでしょうか?
2.奥さんのお葬式の時も桐山さんはオアシスで咽喉を潤していたのでしょうか?
- 595 :棕櫚:2012/04/03(火)
19:22:35 ID:YL8v1JuA0
- >578 :準シュダオン:2012/04/02(月) 19:15:22 ID:GURk1tAY0
準シュダオンさんが出て来てカキコすると批判派が続出ですね。
皆を一度に相手して反論する大変さはわかりますよ。
だからと言って手を抜くならカキコしないほうがいいですよ。
批判派は引用資料が豊富ですからそれに見合うだけの反証が出ないとね、
言うだけ人間になってしまいますね。
>普通の常識では、釈迦を信じることこそが、「病院へ行け」
なのです。 釈迦の説くことを、
あれこれ真面目に議論することは、「 病院へ行け」なのです。
意味が解りづらい言い方ですね。
批判派は釈迦を議論しているのではなく準シュダオンさんの解釈を議論していると思います。
仰せのとおり釈迦の説くことを議論するより実行することですよね 。
準シュダオンさんはそういう意味で修業されているのですよね。
でしたら桐山節など準シュダオンさんには必要ないと思います。
>砂漠は人生なり。恋はその中に訪れるオアシスで、 神の恩寵です。
オアシスを見つけたら咽喉を、潤すがいい。 それをあれこれ邪推するのは、愚民の証拠です。
準シュダオンさんの仰るとおりですよね、私も賛成します。
人生に潤い、余裕とか欲しいですから他人を邪推するのは嫉妬じゃないんだから 、
止めればと思われます。
でも桐山氏の場合はそういう一般的な立ち位置じゃないでしょう?
仮にも自称仏教教団の聖者ブッだ様と言うんだからその行状は皆から見られます。
準シュダオンさんはそんな桐山氏が羨ましくて目標としている訳じゃないですよね。
だったら変に桐山氏を庇うと準シュダオンさんが泥をかぶりますよ 。
師のために身体を張るなんて武士道じゃないんですから、 仏教なんですからそんな考えは捨てた方が
いいんじゃないですか?
- 596 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/04(水) 08:23:11 ID:SmEF4Oe2O
- >>579:準シュダオン12/04/02(月) 19:25:17
ID:GURk1tAY0
>普通の常識では、釈迦を信じることこそが、「病院へ行け」なのです。
>釈迦の説くことを、あれこれ真面目に議論することは、「病院へ行け」なのです。
これなどは全く仏教に対する理解ができていないから、こういうたわけたことが
書けるのです。
釈尊の仏教は西洋でも自分たちのキリスト教には見られない合理性があるからこそ
注目された。
孔子は怪力乱神を語らずとしたが、釈尊の場合もこれに近い。
超自然的な存在の力に依存することを否定した。
自分よりも高い存在を畏敬して、これからお恵みをいただく営みを宗教と
限定するならば、釈尊の仏教は宗教ではありません。
自己節制の努力を説く道だから、これを信じ、あるいは議論をしたとて
病院に逝けなんて話にはなり得ません。
あなたが仏教に怪力乱神だけを求めているだけの話であり、それを続ける限り
仏教は理解できないし、アゴン宗の欺瞞にも気付きません。
まあアゴン宗の欺瞞は仏教との比較をせずとも気が付くものではありますが。
- 597 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/04(水) 08:36:52 ID:SmEF4Oe2O
- >>562:準シュダオン12/03/30(金) 18:08:00
ID:GURk1tAY0
>そんなに単純なものではないよ。藩主は華族になったのですからね。革命の志士と
>いっても、良い目を見たのは、薩長くらいでしょ。
華族が幅を利かせて庶民の口をも封じる脅迫があったとして、そんな時代が
いつまで続いたと思うのだ?
現代はそんな閉鎖社会ではない。
殺された18人の武士にはいずれも遺族
がいるのだ。
それが言論自由の現代に秘密などと封じられるわけがない。
1人2人の話ではないのだ。
また藩主は、藩論が攘夷論に変わった時、上意討ちは鳥羽源三郎一味の企てという
ことにしたのだから、逃げたり隠したりする必要がない。
ってか、維新前に藩論が佐幕論から攘夷論に180度変わったなんて藩は
信州にはどこにもないのだが?
- 598 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/04(水) 08:53:45 ID:SmEF4Oe2O
- >>555:準シュダオン12/03/30(金) 11:11:55
ID:GURk1tAY0
>阿含宗を立てた時、「今更、釈迦仏教など、そんな古臭いもの・・」と述べた
>他宗の僧侶がいたとか。
>そのように、阿含経は小乗経典として、地位が低かったようです。
>これを、復権させたのは、管長でしょう?
今更釈迦仏教とか小乗仏教とか大学の先生が言ったか言わないかは又聞きなんだ
そうで、はっきりしないが、大学においてはいかに宗立の大学であろうとも
原始仏教、根本仏教との隔たりというものは認識されています。
その証拠が「人は輪廻転生するか」で紹介された浄土系宗派の僧侶の大学で
仏教学を学んだ時のショックに対する綴りです。
釈迦仏教は桐山アゴン宗などを介さずとも紹介されているのだが、そもそも
アゴン宗によって一部の世に広められてしまったアゴン経教義と実践が
阿含経に背くものなのだから、これは宣伝してもらっただけ迷惑です。
オウムがチベット密教のポアを殺人と示してしまった。
これはチベット密教にとっては迷惑以外の何物でもないのと同じです。
- 599 :準シュダオン:2012/04/04(水)
10:40:19 ID:GURk1tAY0
- >釈迦仏教は桐山アゴン宗などを介さずとも紹介されているのだが、そもそも
>アゴン宗によって一部の世に広められてしまったアゴン経教義と実践が
>阿含経に背くものなのだから、これは宣伝してもらっただけ迷惑です。
宣伝してもらっただけ迷惑?w。呆れるほど愚か、客観性に欠けるね。
ユビさん、あなたは、中山大学や北京大学よりも見識があると自惚れてるのかね?
これらの大学が、阿含経に背く阿含経教義の講演を許すとでも考えるのかね?
お金さえ寄付すれば、間違いの講演をも許すとでも思うの?国立大学が。
ほんとに非常識な考え方しか出来ないお方ですね。
- 600 :Boo:2012/04/04(水)
12:12:48 ID:S3jtbwnU0
- >宣伝してもらっただけ迷惑?w。呆れるほど愚か、客観性に欠けるね。
>ユビさん、あなたは、中山大学や北京大学よりも見識があると自惚れてるのかね?
>これらの大学が、阿含経に背く阿含経教義の講演を許すとでも考えるのかね?
>お金さえ寄付すれば、間違いの講演をも許すとでも思うの?国立大学が。
>ほんとに非常識な考え方しか出来ないお方ですね。
この人は大学に通ったことあるのでしょうか?国立大学の何を知っているのでしょう。
大学というところは教える人に関しても、教える内容に関しても、ほとんど何も制限を
与えません。
元プロボクサーで高校しか出ていなくても大学が有益だと思えば、教授として
受け入れます。国立大学でも私立大学でもそうです。このことに関して、
重要な点は学問的に何らかの権威であることすら必要がないという点です。
必要なのはその大学や学生にとって有益か否か、という点に絞られている
ことです。大学って不思議なところですね。
- 601 :深山:2012/04/04(水)
12:24:01 ID:Y2b.1ib60
- >>582 :準シュダオン:2012/04/02(月) 20:26:41
ID:GURk1tAY0
>例えば、平河本長阿含経第三巻、「増一経」P81に、
>「云何六証法 謂六神通 一者神足通 ・・・・、六者漏尽通・」とか、
>証得すべき事柄だと、書いてあるでしょう。
>批判派には、そういうことを、理解したうえで、阿含宗を批判してほしいのよね。
読者の皆さんは準シュダオンさんの誤魔化しに惑わされないでください。
神通を証得しろと説いてあるから、だから、何なのだ?
これでどこが桐山さんの霊力の擁護や証拠になるのだ?
準シュダオンさんがいつもやる誤魔化しは、こうやって
阿含経の言葉を引用して、さもアゴン宗が正しいかのように見せかけることです。
この経典は桐山説の根拠にはならない。
桐山さんは、神通力でカルマを切って解脱すると説いた。
だが、釈尊は神通で解脱するなどとは説いていない。
神通を証得しろと説くのは当たり前です。
そんな程度のことは経典のあちこちにあるし、
沙門果経にはその詳細な解説まである。
釈尊の教団に六神通や三明を体得した比丘もいた。
だが、桐山説のように神通力でカルマを切って解脱するのでありません。
ここでの桐山説の嘘は、
嘘1.神通で解脱するという嘘、
嘘2.カルマを切って解脱するという嘘、
という二つの嘘がありどちらも経典には根拠がありません。
それを準シュダオンさんはさも桐山説に根拠があるかのようにごまかそうとした。
無駄です。
- 602 :深山:2012/04/04(水)
12:26:40 ID:Y2b.1ib60
- 嘘1.神通で解脱するという嘘、
嘘2.カルマを切って解脱するという嘘、
信者さんたちは桐山さんから四神足で神通力を体得して、それによって
カルマ(悪因縁)を切り、解脱すると教えられている。
だが、仏教にはそもそもカルマを切るなんて考えはありません。
仏教の解脱とは漏尽解脱であり、これは煩悩から解放されることです。
桐山さんは煩悩を切るのも神通力だというが、これも嘘です。
三明や六神通で解脱したなんて話はどこにもない。
その証拠を前にもいくつも示した。
たとえば、スシーマ経では、解脱を宣言した比丘たちは
六神通を習得したのかという質問に、していないと否定している。
だが、釈尊は彼らが解脱したことを認めた。
これを信者さんたちはどう解釈しますか。
解脱に六神通が必要なら、六神通を持っていないのに解脱したなんて
おかしいと思いませんか。
理由は簡単で、神通で解脱するのでも、解脱したら全員が三明や六神通を
持つものでもないからです。
- 603 :深山:2012/04/04(水)
12:28:45 ID:Y2b.1ib60
- 「これらの五百人の修行僧たちのうちで、六十
人の修行僧たちは三つの明知を得た人々であり、六十人の修行僧たちは六神通を得た人々で
あり、六十人の修行僧たちは〔物質的形態の障りと精神作用の障りとの〕両者から解脱した人
々であり、また他の人々は智慧に関して解脱している。」
(『ブッダ悪魔との対話』(岩波文庫)のp195)
この自恣経では、夏安居の反省会に集まった500人の比丘に対して、
全員が解脱しており、その内、60人が三明、60人が六神通を体得していると
釈尊が宣言しています。
つまり、解脱者の内、380人は三明や六通は体得していなかった。
三明や六神通で解脱するなら、これはおかしい。
これを見てもわかるように三明や六神通で解脱するなんて桐山説は嘘です。
- 604 :深山:2012/04/04(水)
12:30:55 ID:Y2b.1ib60
- 「わたしが聞いたことは、空しくはなかった。わたしは、束縛をのがれ、煩悩のけがれ
のない者となった。実にわたしの誓願としたところのものは、過去世の生活を知る〔通力〕
を得るためではなく、すぐれた透視[力〕を得るためでもなく、他人の心を読みとる〔通力〕を
得るためでもなく、死と生を知る〔通力〕を得るためでもなく、聴力を浄める
〔通力〕を得るた
めでもなかった」(「仏弟子の告白」188−189頁)
これは二大弟子の一人サーリプッタの言葉です。
三明や六神通で解脱するという桐山説を真っ向から否定している。
サーリプッタはそれらを目的とはしなかったと述べている。
解脱する上で必要なら、これを目的にしなかったというのはおかしくありませんか。
実際、彼は他心通という神通力を持っていないことが経典にはっきりと書いてあります。
二大弟子の一人、サーリプッタは六神通を持っていなかったのです。
三明や六通が解脱の必修条件なら、サーリプッタは落第生ということになる。
信者さんたちはスシーマ経、自恣経、そしてサーリプッタの言葉を
良く読んで、意味を理解することです。
解脱するのに三明や六神通が必要であるという桐山説は嘘です。
そして、何より、私が信者さんたちに質問したいのは、
桐山さんのどこに神通力があるのだ?
信者さんたちは六神通とは何なのかを知らないのではありませんか。
- 605 :深山:2012/04/04(水)
12:31:55 ID:Y2b.1ib60
- 「岩波仏教辞典」
<六通(ろくつう)>ともいう.人知を超えた次の6種の自由自在な能力.
<神足通(じんそくつう)>は以下の五つの神通に含まれないさまざまな超能力の総称.
たとえば飛行・変身.
<天眼(てんげん)通>は衆生の転生の状態を知る能力.
または,あらゆるものを見通す能力.
<天耳(てんに)通>はあらゆる音を聴く能力.
<他心(たしん)通>は他人の考えていることを知る能力.
<宿命(しゅくみょう)通>は過去世の生存の状態を思い出す能力.
<漏尽(ろじん)通>は自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力.
この中の天眼通・宿命通・漏尽通を別出して<三明(さんみょう)>ともいう.
- 606 :深山:2012/04/04(水)
12:34:31 ID:Y2b.1ib60
- >>605
これが六通の説明です。
これのどこに桐山さんの言うような死者を成仏させる力とか、
カルマを断ちきる力があるのだ?
あるいは信者さんたちはこのような力を発揮する桐山さんを
見たことがありますか。
桐山さんが飛行・変身したのを見たか。
桐山さんが彼自身や信者さんの前世を透視しましたか。
桐山さんが聞こえない超音波を聞き、あなたの心を読み取りましたか。
私が信者時代も、周囲の信者さんたちを見ていて不思議だったのは、
桐山さんの神通を見たこともないのに、信じていることです。
だから、私は古い信者に桐山さんの超能力についてどんな体験をしたのか、
どんな目撃をしたのかとずいぶん聞いたが、念力の護摩など本で公表されて
いる程度の話ばかりで、現実に体験したという話はほとんどなかった。
これで良く信者さんたちは桐山さんの超能力、神通力とやらを
信じていられるものだととても不思議だった。
信者さんたちは自分で確認したこともないのにどうして信じているのだ?
桐山さんには、神通なんてもちろんありません。
- 607 :深山:2012/04/04(水)
12:39:03 ID:Y2b.1ib60
- 「<漏尽(ろじん)通>は自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力.」
桐山さんに神通などない何よりの証拠が、漏尽通です。
解脱した比丘が六通や三明がそろっていなくてもかまわないが、
漏尽通だけは持つのです。
漏尽通とは「自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力」です。
だが、桐山さんのどこが煩悩が尽きたのだ?
彼は1990年頃には悪因縁を完全解脱したと宣言し、
2000年頃には有余依涅槃の聖者、つまり仏陀を宣言した。
だが、1989年にはE川さんに「今夜にでも」と自分のホテルに誘い、
2000年以降も、去ろうとするE川さんに「千景がいないさびチい」と
留めて、愛人関係を続けた。
準シュダオンさんにしてみると、これは人生のオアシスなんだそうだ。
こういう愚昧な人間には何を説明しても無駄だろうが、
他の信者さんたちはどうか。
桐山さんが性欲という煩悩丸出しなのが見えませんか。
性欲だけでなく、1999年には北京大学名誉教授をもらい、
奇蹟だと大喜びするほど名誉欲を垂れ流しだった。
- 608 :深山:2012/04/04(水)
12:43:04 ID:Y2b.1ib60
- 「食いしん坊だから大食いするけれども、食べた食物が
脂肪になったときにその脂肪を燃やしてしまうようにしているのです。」
(ダルマチャクラ、175号、2004年、31頁)
桐山さんは準シュダオンさんと同じで、糖尿病から脳梗塞になるほど
美食、飽食を続けても、まだ食欲すら抑えられなかった。
こんな馬鹿な発言をしたのは仏陀宣言をした後の2004年です。
職員を使い、京都から毎日、新幹線で高級弁当を届けさせていた。
性欲、名誉欲、食欲という俗人が持つありふれた欲望すら
桐山さんはなんら制御できない。
この桐山さんのどこが漏尽通があることになるのだ?
漏尽通とは、煩悩が尽きた時に得られる能力です。
煩悩だらけの人間は絶対に得られない。
桐山さんに漏尽通などあろうはずがないのです。
漏尽通は他人が見ても、持っているかどうか確認できる。
その人の言動を見ていれば、わかることです。
愛人のいる者、あるが上にも名誉を欲しがる者、食欲すら抑えることが
できない者に漏尽通などあろうはずもなく、解脱者であるはずがない。
- 609 :深山:2012/04/04(水)
12:47:01 ID:Y2b.1ib60
- 「食いしん坊だから大食いするけれども、食べた食物が
脂肪になったときにその脂肪を燃やしてしまうようにしているのです。」
信者さんたちは桐山さんを見て、彼が普通の俗人以上に
欲望や執着が強いことに気がつきませんか。
煩悩を切るどころか、むしろ、激しい煩悩を持っている。
その証拠が間もなく発売される。
生きることへの強烈な執着と、死への恐怖を満載にした本が
間もなく出てきます。
90歳をすぎて、死期が近いことを自覚した桐山さんがアゴン宗への
激しい執着と、生きていることへの執着や欲望を丸出しにした本です。
桐山さんがこんなふうに輪廻することを肯定するような話をするのは
最近のことではなく、昔から桐山さんはこれに近いことをかいている。
仏教では「輪廻するのは悪」だが、桐山さんはむしろ、
「輪廻があるから良い」という考えをちらつかせてきた。
死ぬのが恐いのです。
自分がガツガツと集めてきたアゴン宗を捨てて行くことが
惜しくて惜しくて仕方ない。
生への強烈な執着、死への強い恐怖、これが桐山さんの状態です。
信者さんたちは、桐山さんのブザマで往生際の悪く、煩悩を天こ盛りに
した本をしっかり読みましょう。
釈尊の教法を少しでも理解したら、この本は煩悩という悪臭だらけで
あることに気がつくはずです。
- 610 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/04(水) 12:58:01 ID:0iokvgUQ0
- >宣伝してもらっただけ迷惑?w。呆れるほど愚か、客観性に欠けるね。
ユビさん、あなたは、中山大学や北京大学よりも見識があると自惚れてるのかね?
これらの大学が、阿含経に背く阿含経教義の講演を許すとでも考えるのかね?
そうであれば桐山さんは、天台大師チギの五時八教説を
明確に批判し、否定した講義でなければなりません。
阿含経とは、釈尊の唯一の思想対系を知るお経だからです。
大乗経典は創作されたものと常日頃に言っていた桐山さんです。
しかしその桐山さんは、天台大師チギの法華涅槃時を最高とし、
阿含時(鹿苑時)の教えを歪曲化した教相判釈に対しては、
直接に触れていません。(「止観」の源流としての阿含仏教)
これは中国大乗仏教に配慮した、分かりやすく言えば口を噤んだ。
普段は威勢のよいことを言っていても、いざとなれば中国大乗仏教の
威光にへりくだって、名誉教授の称号を狙い、教育基金と称して
金と引き換えに称号を貰ったのです。
- 611 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/04(水) 13:13:57 ID:SmEF4Oe2O
- >>599:準シュダオン12/04/04(水) 10:40:19
ID:GURk1tAY0
>ユビさん、あなたは、中山大学や北京大学よりも見識があると自惚れてるのかね?
>これらの大学が、阿含経に背く阿含経教義の講演を許すとでも考えるのかね?
>お金さえ寄付すれば、間違いの講演をも許すとでも思うの?国立大学が。
桐山さんが中国で講演したアゴン経の内容を調べてみなさい。
七科三十七道品を説いている。
この三十七道品を説いたこと自体は間違いではありません。
だから中国での講演は因縁解脱だの霊障解脱だの普段の実践を如実に語ったものではない。
建前と名称だけの三十七道品を出しただけですよ。
これにどうして間違いだなんてクレームをつけますか?
北京大学が名誉教授だか名誉博士だかの称号だけをくれるのは桐山さんよりも先に
池田大作さんがもらってます。
別に学術論文が評価を受けたわけでない。
金銭援助、多額の寄付をした見返りです。
桐山さんはその前例に追従したに過ぎない。
名誉学位をもらうにあたり一応形式の上体裁上論文提出が必要だから
したためただけです。
論文審査で名誉学位を貰ったのではなく、先に名誉学位が約束されていて
手続き上論文を書いたのだから、内容などどうでもよい。
- 612 :準シュダオン:2012/04/06(金)
10:49:24 ID:GURk1tAY0
- >桐山さんは準シュダオンさんと同じで、糖尿病から脳梗塞になるほど
>美食、飽食を続けても、まだ食欲すら抑えられなかった。
>こんな馬鹿な発言をしたのは仏陀宣言をした後の2004年です。
私は糖尿病だとレスしたが、ヘモグロビンA1Cは正常値だし、血糖値も正常値に
近いよ。正確に言えば境界線だろう。あんたに脳梗塞の診断を下されたようだが、
あんたは藪医者の真似事もしてるのかえ?
それとも医師免許を持つ、本当の藪医者かえ?
それとも医師免許などないが、自惚れから他人を診断してるのかえ?
それにしても、阿含仏教の基本の、四向四果の仕組みくらいは理解してから
阿含宗の批判をすべきですね。批判派はあなたを頼りにしてるみたいですから。
「仏陀の真実の教えを説く」中巻のP197から、詳しく四向四果の仕組みが
説いてありますから、それを理解してから批判しなさい。
同本のP200に、「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀オンの
範疇ですから」、という解説を理解できますか?
「中学生は中卒果に向かっているものの、まだ小卒果の範疇ですから」と、
例えたら理解できるでしょうか。中学生の学歴資格は、まだ小卒者ということです。
同じように、斯陀含向の聖者としての資格は、まだ須陀オン果だということです。
一対で一つの位だ、なんて馬鹿な考えは捨てなさい。
だれか、学者の中でも、釈尊でも、辞典でも、「四対の聖者の位」と説明してる
人がありますか?「四対の位」ではなく、「四つの位」なのです。
- 613 :名無しさん:2012/04/06(金)
11:01:14 ID:GURk1tAY0
- >仏教では「輪廻するのは悪」だが、桐山さんはむしろ、
輪廻が悪だとは説いていないね、「苦」だと説いてるんです。
>「輪廻があるから良い」という考えをちらつかせてきた。
そう解釈してるのは、批判派だけですw。
>死ぬのが恐いのです。
お得意の推測・妄想ですw。
- 614 :名無しさん:2012/04/06(金)
11:24:52 ID:GURk1tAY0
- >信者さんたちは桐山さんから四神足で神通力を体得して、それによって
>カルマ(悪因縁)を切り、解脱すると教えられている。
>だが、仏教にはそもそもカルマを切るなんて考えはありません。
仏教といっても、初期仏教と大乗仏教とで教義が違う。
大乗でも、前期大乗と後期大乗でも、教義が違う。
「カルマを切る」とは、カルマからの脱出を意味してるし、その手段として煩悩
を断つことを教えてるし、阿含教学そのものですね。
>仏教の解脱とは漏尽解脱であり、これは煩悩から解放されることです。
>桐山さんは煩悩を切るのも神通力だというが、これも嘘です。
>三明や六神通で解脱したなんて話はどこにもない。
三明や六神通で解脱するのではない。
解脱が進むにつれて、自然に三明六神通が生じる、と経典に説いているのです。
最初は、貪欲不善を離れ、有覚有観、喜楽生じて初禅に入る、とあるでしょう。
で、修行が進み、煩悩を離れるにつれて、何らかの神通が生じていくのですよ。
だから、何らの神通も無い人は、自分は煩悩まみれだ、と自覚していれば間違い
ないのです。
- 615 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/06(金) 11:43:33 ID:0iokvgUQ0
- >だれか、学者の中でも、釈尊でも、辞典でも、「四対の聖者の位」と説明してる
人がありますか?「四対の位」ではなく、「四つの位」なのです。
四向四果しこうしか
原始仏教や部派仏教における修行の階位で,
預流向・預流果,一来向・一来果,
不還向・不還果,阿羅漢向・阿羅漢果のこと.
<向>は特定の果に向かう段階,<果>は到達した境地を示す.
向と果の対(双)が四種(四双)あるため,総計で八種の段階に
ある人という意味で,<四双八輩>ともいう.
(岩波仏教辞典)
ーブッダ最後の旅50〜51頁 中村元訳ー
「尊師の弟子のつどいとは、すなわち、二人ずつの四組と
八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、
世間の最上の福田であると。
かれは、聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕の無い、
斑点のない、よごれていないで、自在であって、
知者の称讃する、汚れの無い、精神統一を、身に具現している。」
「アーナンダよ。これこそ〈法の鏡〉という名の法門であって、
それを具現したならば、立派な弟子は、もしも望むならば、
みずから自分の運命をはっきりと見究めることができるであろう。
〈わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。
わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
わたしはもはや堕することの無い者である。
わたしは必ず悟りを究める者であると。〉」
- 616 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/06(金) 11:47:59 ID:0iokvgUQ0
- >だれか、学者の中でも、釈尊でも、辞典でも、「四対の聖者の位」と説明してる
人がありますか?「四対の位」ではなく、「四つの位」なのです。
「小部 吉祥経」、パーリ経典[クッダカ・ニカーヤ](小部)
[クッダカパータ]第5章マンガラ・スッタ
6
正しくある者たちに賞賛された、彼ら、八者の人たち(八輩:預流道・預流果・
一来道・一来果・不還道・不還果・阿羅漢道・阿羅漢果)――〔すなわち〕
これらの四組(四双:預流道と預流果・一来道と一来果・不還道と不還果・
阿羅漢道と阿羅漢果)が有るとして――彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、
施与されるべきである。
これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。
これもまた、僧団(僧:サンガ)における、妙なる宝である。
この真理によって、安穏有れ。
- 617 :名無しさん:2012/04/06(金)
11:54:28 ID:GURk1tAY0
- いま、BS日テレで、中国ドラマ・孔子伝、を放映してるでしょう。
先週でしたか、孔子と老子の問答がありましたね。後で孔子は弟子達に、
「老子はまるで龍のようだ」と、話していました。
「水中の魚は、生態を研究して釣り上げることも可能だ、陸の獣は、生態を研究
して捕えることも可能だ、空を飛ぶ鳥は、矢で射て落とすことも可能だ」
「しかし、龍はどうか?龍の生態はまるで解らない、捉えようがない。
老子はまるで龍のようだ」と、孔子は弟子に話していましたね。
この後、孔子は二度と老子に会うことは無かったそうです。
老子の有名な言葉としては、
「天網カイカイ疎にして漏らさず」というのが、あると思いますが、
これは釈尊の説く、因果応報、と同じ意味でしょうね。
上記に従えば、批判派の阿含宗批判レスがあろうとなかろうと、結果は同じなの
ですよ。一昨日は、日本テレビ系で、洗脳SP・地下鉄サリン事件を報道してました。
マインドコントロールとか。
まぁ、AIJの詐欺で、巨額の年金資金が消えているようですが、
AIJの社長は、「騙すつもりはなかった」と、話しながら粉飾決算をしてました。
厳しいようですが、騙される方にも責任がある、と言えそうです。
- 618 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/06(金) 11:58:58 ID:0iokvgUQ0
- >だから、何らの神通も無い人は、自分は煩悩まみれだ、と自覚していれば間違い
ないのです。
ー深山さんが、名無しさんの時の引用一部抜粋ー
214
:名無しさん@3周年 :04/09/20 00:06:27 ID:je+L2x6m
ケーヴァッダが釈尊のにべもない返事にさらに食い下がると、
釈尊は神通力を布教に用いない理由を説明した。
神通力による奇跡はガンダーリーという魔術でもそっくり同じ事を
行うことができるから、「・・・その比丘は、その魔術によって
さまざな奇跡を行うのである。」と誤解されてしまうと説明して、
最後に、「それゆえ、ケーヴァッダよ。わたくしは、神通力による
奇跡に欠点があるのを知り、神通力による奇跡に不安を感じ、恥じ、
避けるのである。」
同様に、神通力の一つである読心術の奇跡も、マーニカという魔術と
間違われるから、「読心術による奇跡に不安を感じ、恥じ、避けるのである。」
これが釈尊から、奇跡を売り物にしている阿含宗の信者さんたちへの返答であり、
教えです。
- 619 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/06(金) 13:11:36 ID:SmEF4Oe2O
- >>612:準シュダオン12/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>私は糖尿病だとレスしたが、ヘモグロビンA1Cは正常値だし、血糖値も正常値に
>近いよ。正確に言えば境界線だろう。あんたに脳梗塞の診断を下されたようだが、
>あんたは藪医者の真似事もしてるのかえ?
>それとも医師免許を持つ、本当の藪医者かえ?
>それとも医師免許などないが、自惚れから他人を診断してるのかえ?
横レスだが、糖尿病とレスしたのはあなただが、糖尿病と言っても人により
症状、進行度はまちまちです。
桐山さんの糖尿病とあなたの糖尿病はそれぞれある時点の断面から比較して
違っていて当たり前です。
しかし糖尿病が怖いのは注意して食事や生活を節制しないと進行してしまうことです。
一度糖尿病と診断されたら治ることはないが進行しないようにコントロール
することは可能です。
あなたも桐山さんのように進行して呂律が回らなくなったり入院したりしないように
今が境界線だからと言って油断しないことです。
桐山さんはインドのサヘトマヘトで脳にバイブレーションを感じたという。
あの時こそ脳梗塞の前兆発作である可能性がある。
それから呂律が回らなくなり入院するまでに12年もかかっているのですから。
- 620 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/06(金) 13:13:45 ID:SmEF4Oe2O
- もう一人の方へのレスはまた別の機会に。
- 621 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/06(金) 13:38:46 ID:0iokvgUQ0
- >厳しいようですが、騙される方にも責任がある、と言えそうです。
儒教の思想に影響を受けると、このような回答が出てきます。
いわゆる「うそ」についての確信的弁明という相互論です。
騙すほうは革新的に策略を持ち意図的に行動します。
しかし騙された人間はそれとは違い、一つの真実を信用する。
逆に言えば、桐山さんのように阿含経という少しの真実をチラつかせて、
多くのウソで丸め込むという作戦は、ヒットラーの「大きい嘘は信じて
もらえる一定要素がある。民衆は小さい嘘より大きい嘘の犠牲になり易い。」
から考えて合致します。
そこでの言い訳が、騙された側の責任というウソの糊塗をすることです。
ウソに対し、慢性麻痺を起こす儒教の眼目を引用します。
ー林思雲「中国の民族性から見る中日関係
――中国人の“避諱”観念と虚言」より抜粋ー
長い歴史の間、中国人は儒教の思想体系の中に漬かっていた。
日本でも江戸時代には朱子学が官学とされて知識人はこぞって
儒学を学んだが、日本人には孔子や朱子の教えは学問でしかない。
しかし中国人にとっては、孔子や朱子の教えは宗教である。
だから中国では“儒学”ではなく“儒教”と呼ぶ。
宗教である以上、行動規範もしくは道徳を課す。
儒教の根本は忠・孝・礼・仁であるが、そのほかに
“避諱〔金谷注・忌避〕”という重要な項目がある。
辞典を引いてみると、“諱”とは「隠す」という意味である。
“避諱”とは、恥となる物事を隠すことだ。
自分の恥ではなくて他人の恥をである。
『論語』に、中国人の“避諱”とはどのようなものであるかを
見事に表している逸話がある。
ある人が孔子に、「私の村にはとても正直な人物がいて、
父親が他人の羊を盗んだ時にそれを告発しました」と言った。
孔子は、「その人物を正直とは思いません。父は子のために隠し、
子は父のために隠す、これが本当の正直というものです」と答えた
〔金谷注・『論語』「子路第十三」〕。
- 622 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/06(金) 20:20:16 ID:AqdwPwHU0
- クッキーが外れたようですね。準さん、今度は匿名HN使いに変更ですか>(ID:GURk1tAY0)
>>614
>仏教といっても、初期仏教と大乗仏教とで教義が違う。
大乗でも、前期大乗と後期大乗でも、教義が違う。
「カルマを切る」とは、カルマからの脱出を意味してるし、その手段として煩悩
を断つことを教えてるし、阿含教学そのものですね。
こういう「一般論的」なことを言って煙に巻こうと?
忠実に釈迦仏教などやるつもりも無い人に「煩悩解脱」をひょいと出してさも阿含宗が「煩悩解脱でござい」
という風に誤魔化しても無駄です。ゲイカははっきり「因縁解脱」と説いて(打ち出して)いますし、釈尊も
一生をかけて因縁解脱を説いた、とさえ明らかな嘘をついている。
また初期仏教で煩悩解脱を説いていたのが逸れて教義がずれた(変えた)訳でしょう。
後世の人間が勝手に教義を変えて作り上げたのが大乗であったと阿含宗で習ったはずだ。
それが単なる「教義がちがう」で済ませられるか?ゲイカがそう言ったのか?
釈尊の説いた教義から逸れていって別物(もしくは釈尊が説かない嘘の教義とも言う)を
「教義が違う」とそこまでお分かりなら何故に「釈尊に許可無く勝手に変更されたものなので芳しくない
教義である」と判別できないのか。
まして成仏法が欠損している教義です。肝心の成仏法が無くて何のための仏教か。
あなたはまさか「それでもOK。単なる教義の違いだ」とぬけぬけと申すか。
「大乗でも、前期大乗と後期大乗でも、教義が違う。」こんなことは当たり前です。
それを貴方はおかしいと思わないのか。おかしいと思わないからその後に続く文章をぬけぬけと
書ける(いえる)わけです。
普通の精神なら「教義が変わっていいのか?」とか「勝手に変えたので多数の宗派の派生になったのか」
また「勝手に創作経典が生まれた経緯にも成るんだなあ」とわかる。
そして忠実に仏教を講じるならば釈尊の指導方法(教え)に成ってくるのが当然です。
イージーでナモナモやっていれば成仏できるさ、と教義を変えてその方が良いという人も要るだろうが、
それは本当の仏教など知らないかやるつもりが無い人の思考・行動です。
釈迦を信じるものは「病院へ行け」の対象だ、と発した貴方だからできるその行為に貴方の神経を疑う。
- 623 :棕櫚:2012/04/06(金)
21:13:29 ID:3AxLznKs0
- >同本のP200に、「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、 まだ須陀オンの
範疇ですから」、という解説を理解できますか?
「
中学生は中卒果に向かっているものの、 まだ小卒果の範疇ですから」と、
例えたら理解できるでしょうか。中学生の学歴資格は、
まだ小卒者ということです。
同じように、斯陀含向の聖者としての資格は、 まだ須陀オン果だということです。
あのうそれって、小学生から大学生までのくくりはぶっちゃけ学生でしょう?
釈迦はだから学生はみんな、聖者だということですよね。
準シュダオンさんの理論ですと、 小学6年生も卒業しないと学生じゃないと
なりませんか?「おい小6生、
君は小卒じゃないから学生とちゃいますネン。」
それにしても糖尿病向ですか?準シュダオンさん。。。。
糖尿病果にならないよう気を付けてください。
- 624 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/06(金) 21:42:18 ID:SmEF4Oe2O
- なんだ?もう一人の名無しさんも準シュダオンさんなんですか?
いずれにしても後でレス付けます。
- 625 :深山:2012/04/06(金)
22:55:30 ID:6JGrIOlo0
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>私は糖尿病だとレスしたが、ヘモグロビンA1Cは正常値だし、血糖値も正常値に
>近いよ。正確に言えば境界線だろう。あんたに脳梗塞の診断を下されたようだが、
>あんたは藪医者の真似事もしてるのかえ?
準シュダオンさんは私の書き込みは読まないはずなのに、
自分のこととなると、こうやってムキになるのがおもしろい。
私は医療関係者ではないことは何度も書いているから、素人です。
あなたを脳梗塞だと指摘しているのは、推測だと何度も書いている。
素人だと推測を書いてはいけないのですか。
桐山さんが脳梗塞を認める前から、私は彼が脳梗塞だと指摘した。
信者側から、ちょうど準シュダオンさんみたいな反論があったが、
結果は素人の推測どおり、脳梗塞だった。
なぜなら、脳梗塞など国民病であるように、ありふれた病気だからです。
桐山さんだけでなく、私の周囲にも脳梗塞の老人はいる。
どうやら、私の出した推測の根拠をあなたは忘れているようだから、
再度、示してあげましょう。
私はあなたと違い、推測の根拠を示すし、間違いは間違いとして認めます。
これらの根拠を見て、読者がどのように判断するか各人の自由です。
こういう指摘を、個人攻撃だという人もいるようだが、それなら、
準シュダオンさんの支離滅裂なレスをどう解釈するのか、説明してみればいい。
私の推測が間違っているというなら、別なわかりやすい解釈を示すことです。
一番良いのは、自惚れだけの妄想老人の相手をしてくれることです。
- 626 :深山:2012/04/06(金)
22:57:19 ID:6JGrIOlo0
- 「そして動脈硬化を起こした血管は内腔が小さくなってしまう。糖尿病患者
さんの血液は、それでなくてもかたまりやすい性質、凝固しやすい性質を
持っているので、細くなった血管ではすぐに詰まってしまうのです。
これが脳の血管に起こった場合には、脳梗塞、脳軟化症と申しまして、
脳の左側で起きると、いわゆる中風、体の右側が半身不随になってしまいま
す。このようなはっきりした形の半身不随、脳梗塞という形によって起こる
場合以外に、血液が凝固しやすいため、糖尿病患者の場合には梗塞がたく
さんできる場合があります。多発性の小梗塞というのが糖尿病患者の脳梗塞
の一つの特徴でもあります。」
(同仁病院、青地脩医師、『阿含宗報』64号、1991年)
準シュダオンさんは糖尿病だと認めた。
正常値に近かかろうが、なんだろうが、糖尿病は一度発症すると治りません。
一生、仲良く付き合うしかない。
そして糖尿病が脳梗塞を発症しやすいことは、こんなふうに
『阿含宗報』にすら載っている。
あなたが糖尿病から脳梗塞を発症していると指摘したのは、
小梗塞が起きた最中をあなた生中継したからです。
それはちょうど桐山さんがインドで脳梗塞を起こし、白銀バイブを
受信したのと同じです。
あなた方は自惚れと思い込みが激しいから、脳梗塞にすぎない症状を
デンパを受信したと思いこんだ。
では、準シュダオンさんの脳梗塞の生中継を引用します。
- 627 :深山:2012/04/06(金)
22:58:38 ID:6JGrIOlo0
- [4155]眠りブッダ 04/10/23 4:41 yI4JYEpi.Wz
グルに取り急ぎ申しあげます。まだ整理中なのですが。お手元に
「輪廻する葦」をお持ちの方は、雑阿含経「出家経」をお読みください。
[4156]眠りブッダ 04/10/23 4:53
yI4JYEpi.Wz
グルへ報告いたします。
「これは、本当に偉大なことです。仏・法・僧の三つの力がすべて、修行者
に平等に及んで賢も愚も浄も不浄も、なんの差別もわけへだてなくことごとく
涅槃へ運んでくださる、まことにありがたくも不思議な教法であります」
と、なっております。 以上 取り急ぎご報告まで 礼拝
[4157]眠りブッダ 04/10/23 4:58
yI4JYEpi.Wz
慈愛に満ちたグルへ
急に、寒気が襲ってまいりましたので、すこし混乱いたしました。
まるで富士山の山頂にいる思いでした。
落ち着いてきたら、またご報告いたします。
[4158]眠りブッダ 04/10/23 5:22
yI4JYEpi.Wz
どうやら、寒さの原因は、4154、報告の、選んだご法話の記憶
違いからきたようです。
けっして、そんなけちな考えから、控えているわけでは、ありませんが、
もう一度寒さの原因を考えてみます。
[4159]眠りブッダ
04/10/23 5:32 yI4JYEpi.Wz
この寒さの原因は、まだ、因縁の洗い出しが継続中だと、判断しました。
この因縁は用意に切れるものでは、ありませんから、自己流でやってきた
天罰だと思います。用意に切れるわけがありません。しばらくつづくと
考えられます。
[4161]眠りブッダ 04/10/23 9:57
yI4JYEpi.Wz
考えてみると、メシアの法の使徒に天罰のあろうはずが、ありません。あせるほど
変な考えに、なり、うまくまとまりません。
私もまた、一本の道を歩まされていることの衝撃に、まだ戸惑いを覚えて
います。
[4175]眠りブッダ 04/10/23 12:54
yI4JYEpi.Wz
今日、出席する予定の私の歓迎会、兼ねたある総会(昼食会)に、出ないで
しまいました。それほどの衝撃です。
富士山七合目。(少しビッグマウスか)
[4255]眠りブッダ 04/10/25 2:33
yI4JYEpi.Wz
何か、とても不安です。サイバーテロ・とか
いつもは、かならずいく、ところも、本日は体調悪くて、休んでいます。
- 628 :深山:2012/04/06(金)
23:01:22 ID:6JGrIOlo0
- >>627
これが準シュダオンさんの脳梗塞の生中継です。
意味不明の書き込みを一晩中やって、翌日は仕事に行けないほどに
体調が著しく悪くなっていた。
これは脳梗塞の中でも小梗塞と呼ばれる現象です。
桐山さんがインドで脳梗塞になっても、後で手が震える程度で
後遺症がほとんど残らなかったのと同じです。
そして、そのことを振り返った時の準シュダオンさんも桐山さんとそっくりです。
すぐに医者に行くのではなく、自分には何か特殊な霊的な現象が
起きたと解釈した。
美食と飽食が原因で病気になったにすぎないのに、
これを霊的な進歩だと信じ込むのだから、本当にお目出たい連中です。
- 629 :深山:2012/04/06(金)
23:02:30 ID:6JGrIOlo0
- [5160]眠り猫ブッダ 04/11/26 17:23
YF5kaOpi.Wz
ではありませんでした。その間、一日だけ、「これが聖なるバイブレーション
か?」と、思われる出来事もありました。
結局、自分では二〜三割程度の求聞持脳の成就かな?と、考えています。
[5184]眠り猫ブッダ
04/11/27 11:38
YF5kaOpi.Wz
いずれ、私は自分の記憶の層の管理が、先月から変わったと感じます。
記憶の層が掻き回された感じの時、時間は3分か、5分くらいでしょうか?
過去十年位に出会った人の顔が、アルバムをめくるように、次々と現われ、
忘れていた人も次々と現われました。また、読んだ本の内容なども、次々と
想起され、芋蔓式に現われるのです。自分の意思とは関わり無く、です。
[5226]眠り猫ブッダ
04/11/28 15:24 k2bi9ypi.Wz
ところが、なにやら先月、パール瞑想の効果らしいものを体験しました。
- 630 :深山:2012/04/06(金)
23:04:53 ID:6JGrIOlo0
- >>629
ただの脳梗塞を「求聞持脳の成就」「パール瞑想の効果」だそうだ。
この脳天気ぶりには、お目出たいしか言いようがない。
過去の記憶が次々と出てきたと書いてある。
これも脳梗塞には良く見られる。
桐山さんはインドでの白銀バイブで、高層ビルが炎を上げて燃えて
いる光景が見えたと書いている。
あれは前年に公開された「タワーリングインフェルノ」という高層ビルの
火災を描いた映画の記憶です。
脳血管の一部が詰まったりすると、他の部位が刺激され、
記憶が蘇り、こんな現象がおきるのでしょう。
そして、準シュダオンさんの変身はこれだけに留まらなかった。
脳梗塞を患うと、多かれ少なかれ、知性や記憶だけでなく、
人格にまで変化がある。
そのとおりで、準シュダオンさんもこの2004年の脳梗塞を
きっかけに知性や記憶、そして人格に変化が現れた。
もろちん、悪い方に変化した。
- 631 :深山:2012/04/06(金)
23:06:48 ID:6JGrIOlo0
- >[3850]眠りブッダ 04/10/15 22:04 5FZAlhpi.Wz
>ユビキタス様
これは準シュダオンさんが白銀バイブを受信する直前の書き込みです。
ユビキタス「様」ですよ。
今など、ユビ君などと上から目線で小馬鹿にしたような態度なのに、
脳梗塞の生中継の直前くらいまでは、これほど丁寧な態度で書き込んでいたのです。
ところが、脳梗塞の後からは、少しずつ態度も口の利き方も変わってきた。
>>[5203]眠り猫ブッダ
04/11/27 19:18 YF5kaOpi.Wz
>
あのですね。ここの皆さんは、宗教のレベルが低いことを自覚してますか?
レベルが低いなどと根拠もなしに小馬鹿にしたような態度をとるようになった。
そしてやがては罵声が始まった。
>[1004]大王の使者
05/08/01 08:39 TdzIehQpWg
>
こら!こうもり、勝手に使者を眠り猫なんて呼ぶな!バカモノ。
脳梗塞を患うと、記憶や知性に相当する部分が失われるから、
感情の抑制が効かなくなる。
脳梗塞の老人には珍しくもない症状です。
ユビキタス「様」と書いていた時期から、一年もたたないうちに、
これだけ変身してしまった。
さらに、感情の抑制が効かなくなっただけでなく、妄想がひどくなった。
- 632 :深山:2012/04/06(金)
23:11:05 ID:6JGrIOlo0
- >[446]トラベラー 05/03/05 13:34
g0PI9DrfTl
>釈迦は「我が顔を見よ!」と言って神通を現し、帰依させた。
「トラベラー=準シュダオン」です。
たんだん妄想がひどくなり、ちょうど今日の準シュダオンさんのように、
自分の妄想を確信し、どこまで主張するようになった。
釈尊が「我が顔を見よ!」などといって帰依させたなんて経典はありません。
これは、桐山さんの話を鵜呑みにしているのです。
釈尊に帰依した五比丘は、最初は釈尊を無視しようと口裏を
合わせていたが、いざその姿をみると、ただ者ではないと気がついた、
などという桐山さんの法螺話を準シュダオンさん流に作り替えたのが上記です。
つまり準シュダオンさんは今もそうであるように記憶がいい加減なので、
その分を自分の妄想で補い、まるで本当であるかのように記憶し直しているのです。
- 633 :深山:2012/04/06(金)
23:13:27 ID:6JGrIOlo0
- >[106]大王の使途 05/04/19 19:59 TdzIehQpWg
>
桐山氏は1999年の数年前から、法話で、「1999年に人類の滅亡はない」と何度も
>
言い切っているのだよ!
「大王の使途=準シュダオン」です。
もちろん、上記も準シュダオンさんの妄想です。
桐山さんは1980年のインドでの白銀バイブ以降、
1999年までずっと人類滅亡を叫び続けてきた。
その文章だけでも山のようにある。
だが、地球壊滅の大予言が外れると、とたんに準シュダオンさんの
記憶は、数年前から滅亡はないと言っていることになった。
もっとも、釈尊と五比丘の件と同じで、元ネタがある。
桐山さんは滅亡があると言いながら、その舌の根も乾かぬうちに、
人類は発展するだろうみたいなことも書いている。
要するに、外れても大丈夫なように安全ネットを張ったのです。
しかし、滅亡すると何度も何度も書いているから、
この安全ネットは役に立たない。
準シュダオンさんはこういう桐山さんの記述の部分だけ強調して記憶し、
ついには滅亡はないと桐山さんが言ったと確信するに至った。
準シュダオンさんは妄想と現実の区別が付かなくなったのです。
- 634 :深山:2012/04/06(金)
23:16:50 ID:6JGrIOlo0
- >[224]大王の使途 05/04/23 09:39 TdzIehQpWg
>
ニューヨーク護摩の数年前には、チラシで信徒会員のみに、摩天楼が焼け落ちる
>
予知をしたことを知らせている。だが、時期は明示されていなかったし、不遜に
>
も私は本気にしなかった。
これも桐山さんが2001年のニューヨークのテロを予言して、
それを例祭のチラシに配布したという妄想です。
実際、私は彼が見たと思われる例祭のチラシを引用してあげた。
彼は十数年前に見たというが、そうではなく、テロの後です。
桐山さんがいかにも予言したかのように見せかけるために
引用したのを、準シュダオンさんの頭の中では、十数年前に
桐山さんが予言していたかのように作り替えられた。
もちろん、彼の妄想だから、証拠となるチラシなど出せるはずもない。
普通の人の空想や思い込みと違う点は、彼がこれを確信している点です。
普通の人は自分の記憶に自信がないし、否定的な証拠を示されれば、
主張をひっこめる。
これは大脳新皮質の持つ理性や知性という抑制が働くからです。
だが、準シュダオンさんは脳梗塞で理性や知性が劣化しているから、
自分の妄想に確信を持っている。
彼はこの後もずっとこれを何回か、忘れた頃に主張した。
おそらく今でも同じ主張をするはずです。
自分の間違いや記憶違いの修正がまったく効かなくなっているのです。
- 635 :深山:2012/04/06(金)
23:18:26 ID:6JGrIOlo0
- こんなふうに、2004年の秋に、準シュダオンさんが
白銀バイブを真夜中に受信したのを境に、彼はそれまでの
礼儀も捨て、罵りをするようになり、さらにはこういう妄想を
堂々と主張して、反論されてもいっさい引っ込むこともなくなった。
脳梗塞のこういう症状はどんどん進みます。
だから、この後、一年ほど姿を消して、やがて姿を現した時には、
準シュダオンさんはすっかり罵倒大王様に変身していた。
その一部が次です。
- 636 :深山:2012/04/06(金)
23:19:26 ID:6JGrIOlo0
- [379]如来の子孫 08/02/27 10:23
lPSJb/jtbq
本当にダメ元馬鹿信者くんはレベルが低いよ。
[394]如来の子孫 08/02/28 10:48
lPSJb/jtbq
何を言うか!この駄目元馬鹿信者!
[422]如来の子孫 08/03/01 13:55
lPSJb/jtbq
ないだろうね?駄目元信者くんは。
なにしろ単細胞だからね、きみは。
[430]如来の子孫 08/03/01
16:02
lPSJb/jtbq
馬鹿につける薬は管長如来にもないからなあ。
大笑いだ。
この大バカ元信者くんに座布団4枚だー、(歌丸調)
ほんと、馬鹿だなあ、護摩木を買って、他人にも勧進し、間に合わな
い時は、自身で負担しても違反にはならないだろう。
[436]如来の子孫
08/03/01 16:47
lPSJb/jtbq
護摩木勧進も施本も、自分がしてないから他人もしてないだろう、
とか、邪推してはいけないよ、アホバカ元信者くん。
[443]如来の子孫
08/03/01 18:48
lPSJb/jtbq
管長如来からお金をもらって喜んでるようでは、ろくな修行者では
ないよ、トイレ掃除くん。
[465]如来の子孫
08/03/02 19:00
g0PI9DrfTl
ダメバカモン元信者くんにはつける薬がない。
桐山如来にも救えんでしたか。
ひねくれすぎているからなあ。
今までの修行・梵行は、私利私欲のものであったことがよくわかる。
アホだ。
[466]如来の子孫
08/03/02 19:12
g0PI9DrfTl
アホバカ元信者は、自分がろくな修行もせずに、桐山管長如来に
悪態ばかりついている。お笑いだ。
もう少し、修行なり、梵行してから文句言え。
[470]如来の子孫
08/03/02 20:14 g0PI9DrfTl
ダメアホ元信者くんは、昨日の「ネットでの中傷書き込み」無罪、
[482]如来の子孫
08/03/03 14:00
g0PI9DrfTl
師の指導をさぼって一回も修行しない、とか、勝手にダメ元信者くん
は話を創作していく。一回もしないなんて、どこに書いてる?アホ。
- 637 :深山:2012/04/06(金)
23:21:20 ID:6JGrIOlo0
- >>636
「如来の子孫=準シュダオン」です。
わずか三日ほどの間の罵声で、これだけある。
この前後も延々と彼は罵声を並べた。
2004年の前半にはユビキタス「様」とまで書いていた準シュダオンさんが、
白銀バイブを受信した頃から、罵声と妄想がだんだんひどくなり、
四年後には、罵倒明王に変身していた。
いくら六十代の老人で脳が老化していると言っても、これは普通ではありえない。
明らかに、白銀バイブで脳に障害を持ったために、人格が劣化したのです。
他人への罵声がひどくなったということは、他人への侮蔑心が強くなったのです。
そのバランスとして、彼の自惚れが強くなったことを意味する。
だから、罵声とともに、聞くにたえないような自惚れが始まった。
- 638 :深山:2012/04/06(金)
23:22:26 ID:6JGrIOlo0
- [840]如来の子孫 08/03/20 20:28
Bj.cdF2kp6
私自身、もしかしたらシュダオンの入り口に入ったのかな?
管長に、私のオーラを見てほしいくらいですよ。
[1009]如来の子孫
08/03/31 10:29
LGksRgotLI
こりゃ、私もシュダオンに成ってるのかなぁ、と思います、ま、
こりゃ、ジョークですが。
[4]如来の子孫 08/04/01
20:52 9hWjqriglk
私は、霊界のシュダオン界の力を得て、応えてあげよう。
[52]如来の子孫 08/04/04 19:23
9hWjqriglk
私には、シュダオン界のテレパシーを、受けてる感じがあるので
[885]如来の子孫 08/06/03 16:48
XgL5H.msHL
限りなくシュダオンに近づけてる自覚があるのですよ。
[467]如来の子孫 08/06/13 16:30
oNmU9AvgdV
私が書いたのは、限りなくシュダオンに近づいた気がする、だよ。
[470]如来の子孫 08/06/13 19:33
oNmU9AvgdV
私はシュダオンに近い、と思う。
[510]如来の子孫 08/06/14 20:33
oNmU9AvgdV
シュダオンに限りなく近い感じがする、と述べたのね。
大違いでしょ、フフ。たぶん、私の口の悪い因縁が切れたら、
シュダオンだと思う、フフフ。
[202]如来の子孫
08/06/29 17:10
Bj.cdF2kI0
自分でいうのは可笑しいですが、私はシュダオンに近づいてる自覚
があるんですよ。
[277]如来の子孫 08/07/01
13:19
LGksRgot8d
だから、私は修行をサボるわけです。それでもシュダオンに近づい
てる自覚があるのですね、エヘエヘ。
今ではマジにシュダオンに近いと自覚してるのです。
[572]如来の子孫
08/07/09 16:52
LGksRgot8d
私はシュダオンに近いと思うから、シュダオン並みの理解が
出来た、と思う。
[763]如来の子孫 08/07/16
14:24 9hWjqrigkD
だが、シュダオンに近づいた、という自覚はあるね。
[799]如来の子孫 08/07/17 13:31
9hWjqrigkD
私は最小限の参加です。さぼり過ぎると、霊界から叱られる感じが、
するんですね、フフ、だからシュダオンに近いのかな?なんて思う。
[872]如来の子孫
08/07/21 10:50 18TZXoMZvv
私の場合は、或いは、シュダオンの相承を受けたかも、知れないね。
[1005]如来の子孫
08/07/26 10:54
18TZXoMZvv
私は、なんか、シュダオンに近い知恵が湧くような、気がするんだ
よね。
[1019]如来の子孫 08/07/26
13:48 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いかな、なんて、おこがま
しいことまでレスしたのですよ。
[29]如来の子孫
08/07/28 11:53 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いのか?とも考えたのよね、フ。
[150]如来の子孫 08/08/01
16:35 hTuSt843kK
私のいう桐山教法では、私はシュダオンに近いという自覚・確信が
あるのですよ。
[170]如来の子孫
08/08/02 09:47
hTuSt843kK
私としては、まぁ、シュダオンまでは行かないが、
及第点をあげようか、と自己採点しましたよ、フフ。
[196]如来の子孫
08/08/02 16:57
hTuSt843kK
自分では、やれやれ、やっとシュダオン近くに来れたか!
と自己満足してんですよ、生活も楽になってさ。
[607]如来の子孫
08/08/12 13:49
Fen4TGEF1J
もしかしたら、これがシュダオン・預流、ということで、解脱の流れ
に入ったことなのかなぁ、とも考えた。
[608]如来の子孫
08/10/27 11:24
PL3a0oHZ4G
涅槃に流れる川があって、その川の中に浮かんだ心境なんですよ、だから預流かな。
[618]如来の子孫 08/08/12
16:57 Fen4TGEF1J
でね、確かに私はシュダオンに近いかも知れない、と思うのよ。
[708]如来の子孫 08/08/15 13:23
Fen4TGEF1J
賢者のシュダオンには、かなり近づいた感じがする、と今でも思って
いるし、そのことを書いたつもりね。
[275]如来の子孫
08/09/11 17:40 XgL5H.msHL
だから、私は、もしかしたらシュダオン(賢者)に限りなく近い
かも知れない、と書いた。
- 639 :深山:2012/04/06(金)
23:29:34 ID:6JGrIOlo0
- >>638
半年の間に、これだけの自惚れを繰り返している。
本人は謙虚なつもりだろうが、自分は預流だと宣言しているに等しい。
それも一度ならともかく、誰も聞いてもいないのに延々と書き続けている。
脳梗塞で新皮質による理性知性の抑制が効かないから、
本人の自惚れ心がむきだし状態になっているのです。
脳梗塞などの脳の老化で抑制が効かなくなることは老人によく見られる。
たとえば、女性を露骨に追いかけてみたり、セクハラを繰り返したりと
本能がむき出しになってしまう。
準シュダオンさんの場合も、抑制がなくなって、慢心が丸出しになった。
彼らの特徴は、女性を追いかけることや、空虚な自慢をすることが
恥ずかしいという気持ちがない点です。
理由は、抑制が効かないことの他に、記憶がないからです。
知性が低下しているのに、逆に彼は頭がよくなったと思いこんでいる。
脳梗塞で知性と記憶力が失われてできた隙間に慢心と妄想が増殖した。
- 640 :深山:2012/04/06(金)
23:31:35 ID:6JGrIOlo0
- >196:準シュダオン11/09/15(木) 14:09:32
>これはねぇ、シュダオンを自称することを、管長が許可していないからです。
>もしも管長が、「シュダオンを得たと思うものは、シュダオンを宣言しても
>よろしい」と、仰せならば、私は、宣言するかも知れませんねw。
ごらんのように、本人はすでに預流であると自惚れているのです。
未だに因縁解脱を信じている準シュダオンさんが、預流どころか、
預流向であるはずがない。
彼の自惚れは、預流に留まらず、最近は、阿那含妄想まで発展している。
>920
:準シュダオン:2012/02/14(火) 16:13:30
>私は、管長の指導を受けて、釈尊の神通の千分の一くらいを体験しただけです。
東日本大震災で御霊示を受けたとして、それを神通力だと思っているのです。
その発想のオメデタサはさすがは桐山ゲイカの信者だけある。
神通には御霊示などあるはずもなく、神通とはアラハンが体得したものです。
ところが、阿那含も神通力を持てるなどと、例によって阿含経に
あるかのような嘘の主張を始めた。
つまり、準シュダオンさんは妄想が進み、預流向から今では
自分は阿那含になったのではないかと思いこんでいるのです。
いくら彼がそんなふうに思いこもうとしても、
現実の準シュダオンさんは脳梗塞によって理性や知性、
記憶力すらも失いつつある慢心妄想老人にすぎないから、相変わらず、
次のような発言を続ける。
- 641 :深山:2012/04/06(金)
23:34:46 ID:6JGrIOlo0
- >959 :準シュダオン:2011/06/13(月) 11:12:58
>あんた、バッカとしか言いようがないねW。
>7
:準シュダオン:2011/06/14(火) 15:42:10
>なにがイケシャーシャーだね、この大馬鹿者が。
>129
:準預流:2011/07/26(火) 12:15:25.14
ID:oioPhumo
>ば〜カ、↑、別人だよ。
まるで小学生の悪ガキが書き込んだような文章だが、
これが自分を阿那含様であると内心思いこんでいる方の姿です。
そして、ついには次のような発言までした。
>>913 :準シュダオン:2012/02/14(火) 10:20:14
>BOOくんは脳障害の子どもでも居るんかい?
>>914
:準シュダオン:2012/02/14(火) 10:21:55
>BOOくんは脳障害の子どもでも居るんかい?
同じ文章をわざわざ二度にわたって貼り付けた。
もちろん、準シュダオンさんはこの文章を撤回もしていないし、
Booさんに謝罪もしていない。
準シュダオンさんはどうしてこの文章がいけないのか、
それすら理解できないからです。
ただし、これが理解できないのは脳梗塞によって知性が失われたからなのか、
それとも元々の彼の性格がそうなのかは区別がつきません。
- 642 :深山:2012/04/06(金)
23:39:00 ID:6JGrIOlo0
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>私は糖尿病だとレスしたが、ヘモグロビンA1Cは正常値だし、血糖値も正常値に
>近いよ。正確に言えば境界線だろう。あんたに脳梗塞の診断を下されたようだが、
>あんたは藪医者の真似事もしてるのかえ?
長々とスレの主旨とは違う内容について引用しました。
しかし、準シュダオンさんが脳梗塞かどうかは簡単に結論が出る。
診察してもらえばいいのです。
健康診断ではなく、脳の断層撮影です。
小梗塞の跡が見られるはずです。
もしそれらがないなら、医者は「脳梗塞の跡はありません。健康です」と
診断してくれる。
それなら、医学の素人の私は撤回しましょう。
ですから、医者に行って断層撮影を受けてください。
あなたのその下品、下劣、低劣を絵に描いたような言動が脳梗塞と
いう病気から来たものでないとすれば、何が原因なのか、
私は一から考え直してみましょう。
- 643 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/07(土) 07:03:33 ID:SmEF4Oe2O
- >>619:ユビキタス ◆18iA.mwnDU12/04/06(金) 13:11:36
ID:SmEF4Oe2O
>桐山さんはインドのサヘトマヘトで脳にバイブレーションを感じたという。
>あの時こそ脳梗塞の前兆発作である可能性がある。
>それから呂律が回らなくなり入院するまでに12年もかかっているのですから。
訂正を失礼。サヘトマヘトが1980年、朔日護摩で呂律が回らなくなったのが1996年
ですから16年ですね。
1996年は呂律が回らなくなった12月よりも前の3月か4月に入院して例祭を休んでいる。
サヘトマヘトを1985年、呂律障害を1997年と間違って計算してしまいました。
- 644 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/07(土) 08:08:39 ID:SmEF4Oe2O
- >>613:名無しさん12/04/06(金) 11:01:14
ID:GURk1tAY0
>輪廻が悪だとは説いていないね、「苦」だと説いてるんです。
その通りです。輪廻を苦としました。
そしてその苦たる輪廻がなくなることを解脱、涅槃であるとは、あなたの強調したことです。
つまり輪廻転生瞑想法とは解脱・涅槃をしておらず輪廻の苦が残った状態ということになります。
>そう解釈してるのは、批判派だけですw。
輪廻転生瞑想法とは輪廻の先の人生が楽しいものならばそれでよいとしたものであり、
輪廻のなくなる涅槃が釈迦の悟りならば、楽しい輪廻を操作するのが桐山靖雄の悟り
であると明言したのです。
これって涅槃に向かう仏教の目標を否定することになりますよね。
私は桐山さんが自分はシャカを超えただの、涅槃を否定するのも彼の勝手だと思います。
しかし、だったら仏教の看板を捨てる必要がありますね。
いいじゃないですか。法華経→密教→アゴン経と変遷したことを、桐山さんは自らの進化としている。
更なる進化として遂に仏教をも超えてしまったとすればよいだけです。
大川教祖の幸福の科学みたいに仏教の枠から離れた教祖になればよいではないか?
>お得意の推測・妄想ですw。
もちろん推測ですが妄想ではなく、冷静に分析しています。
桐山さんが死ぬのは怖いと明言しなければ推測を書いては悪いですか?
それなら麻原は罪の自供をしなければ決めつけては悪いことになる。
死んだ後、もう生まれ変わることのなくなる涅槃なんて説いてみたところで
いざ死が近づいてそれでは嫌だ、また生まれ変わって贅沢三昧の楽しい人生をおくりたい
と思ったわけです。
美男美女に生まれ富と名声を手にして。
この執着こそが苦のもとだと悟れなかったのです。
本人は仏教を超えたとうそぶき、周囲は仏教から脱落したとみなす、それでよいではないか?
- 645 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/07(土) 08:26:48 ID:SmEF4Oe2O
- >>614:名無しさん12/04/06(金) 11:24:52
ID:GURk1tAY0
>仏教といっても、初期仏教と大乗仏教とで教義が違う。
>大乗でも、前期大乗と後期大乗でも、教義が違う。
桐山さんは大乗仏教を偽の創作仏教として、阿含経にしか成仏法はないとしたのです。
それに大乗仏教にすら前世のカルマの報いを受けずに運命好転させるなんて思想が
ありません。
桐山さんは大乗の悟りを価値観を変えるだのするだけで、運命転換を認めてません。
あなただって価値観を変える程度は大乗の悟りだと批判しているではないですか?
都合のいい人ですね。
>だから、何らの神通も無い人は、自分は煩悩まみれだ、と自覚していれば間違い
>ないのです。
だから釈尊の二大弟子と言われたアラハンが神通力を得ていないのですよ。
つまり神通なんて副産物であり、得ても得なくてもよいのであり、得なければならない
のは煩悩から離れることだけだとわかります。
- 646 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/07(土) 08:39:37 ID:SmEF4Oe2O
- >>617:名無しさん12/04/06(金) 11:54:28
ID:GURk1tAY0
>上記に従えば、批判派の阿含宗批判レスがあろうとなかろうと、結果は同じなの
ですよ。
孔子と老子の問答と何がどう関係あるのか一つもわからぬが、たしかに我々が批判
しなくてもアゴン宗の方で自滅してきていますね。
桐山さんの死とともに先は見えてます。
そもそもあれだけ我々批判側に刃向かっていた干柿さんだって我々の批判に逆洗脳
されたのではありませんよ。
信者仲間たちと共に教団、教祖の現実を見て、おかしいのではないか?
と気付いたのですよ。
あなたのように教祖が右向けと言えば右を向き、左向けと言えば左を向く
自分のない情けない洗脳者と違うのですね。
>厳しいようですが、騙される方にも責任がある、と言えそうです。
もちろん我々批判側にも騙されるだけの甘い姿勢があったことを認めており
寧ろそれを強調して示して、他の人にも自らを省みよと啓蒙しています。
しかし騙される人よりも騙す人の方が遙かに悪いわけです。
- 647 :準シュダオン:2012/04/07(土)
10:15:52 ID:GURk1tAY0
- >もちろん我々批判側にも騙されるだけの甘い姿勢があったことを認めており
>寧ろそれを強調して示して、他の人にも自らを省みよと啓蒙しています。
>しかし騙される人よりも騙す人の方が遙かに悪いわけです。
そういう単純な意味で言ってるのではないよ。
私は騙されてなくて、ちゃんと管長の説く、果報のいくつかを得てますからね。
AIJの社長に、騙すつもりがあったのか否か、それは社長のみ知ることです。
だが、常識を外れた利回りなど、信じるほうがどうかしているでしょう。
管長が説く教法の場合、何の果報も得られない人も居れば、しっかりと果報を
得ている人も居る。
果報を得られない人が、果報を得た人を、認めたくないだけの話です。
葡萄を取れない狐が、あの葡萄は酸っぱい、というようなものです。
- 648 :準シュダオン:2012/04/07(土)
10:34:50 ID:GURk1tAY0
- >孔子と老子の問答と何がどう関係あるのか一つもわからぬが、たしかに我々が批判
>しなくてもアゴン宗の方で自滅してきていますね。
>桐山さんの死とともに先は見えてます。
何をもって自滅というのかね?そういう妄想は捨てなさいな、現実を見なさい。
星祭りを見なさいな。第一回の星祭りは、修行者と参拝者の合計が200名ですよ。
現在はどうですか?最初の頃より衰退してますか?
そうじゃないでしょう、テレビの電波にまで乗っています。
私などの場合は、管長の死などによっても、先は変らない。
肝心なのは管長の教法ですからね、それ、受け取ってますから先は変らないのよ。
>あなたのように教祖が右向けと言えば右を向き、左向けと言えば左を向く
>自分のない情けない洗脳者と違うのですね。
修行のスタイルはどうでもいいけどね、果報を得られたか否か、が肝心なのです。
奴隷のように修行するか、我儘に修行するか、そういうのは人の勝手です。
果報を得られたら、成功者です。
- 649 :準シュダオン:2012/04/07(土)
10:52:28 ID:GURk1tAY0
- >桐山さんは大乗仏教を偽の創作仏教として、阿含経にしか成仏法はないとしたのです。
>それに大乗仏教にすら前世のカルマの報いを受けずに運命好転させるなんて思想が
>ありません。
それは、あなたの経典の読み方が浅くて、内容を解らないからです。
あのね、「悪趣=カルマの報い」←これを理解してください。
それが理解できたら、「不堕悪趣=運命好転」だと理解できるでしょう。
>桐山さんは大乗の悟りを価値観を変えるだのするだけで、運命転換を認めてません。
>あなただって価値観を変える程度は大乗の悟りだと批判しているではないですか?
>都合のいい人ですね。
意味不明です↑。
>だから釈尊の二大弟子と言われたアラハンが神通力を得ていないのですよ。
神通を得ていないといっても、神通がゼロだという意味ではありません。
十分なる神通を得ていない、という意味です。
あなたには何の神通もないから、アラハンにも何の神通もない、と勘違いするのです。
>つまり神通なんて副産物であり、得ても得なくてもよいのであり、得なければならない
>のは煩悩から離れることだけだとわかります。
釈尊が、「六神通を証得せよ」と、経典に説いてるのですから、勝手な解釈しては
ダメですね。
- 650 :準シュダオン:2012/04/07(土)
11:14:20 ID:GURk1tAY0
- >輪廻のなくなる涅槃が釈迦の悟りならば、楽しい輪廻を操作するのが桐山靖雄の悟り
>であると明言したのです。
>これって涅槃に向かう仏教の目標を否定することになりますよね。
釈迦仏教の目標は涅槃に向かうことですが、後期大乗仏教では「生死即涅槃」と
いう思想もあり、輪廻の中に涅槃がある、という考え方もしてますよ。
>私は桐山さんが自分はシャカを超えただの、涅槃を否定するのも彼の勝手だと思います。
>しかし、だったら仏教の看板を捨てる必要がありますね。
釈迦を超えたとしても、仏教を超えた訳ではないですから、仏教の看板は変らない
のですよ。管長は、仏教=成仏陀教=仏に成る教え、だとしていますから。
ユビさんは、管長の教法を、ほんの断片的にしか捉えられていないのです。
しかも、誤解しながらね。
無理もないですね、現役信徒の私だとて、相当な誤解があるはずですから。
- 651 :akb55:2012/04/07(土)
11:32:58 ID:XeG8xf1k0
- >648果報を得られたら、成功者です。
桐山さん自身が因縁が切れていない。果報を得ていない見本です。
成功者ではありません。
- 652 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/07(土) 18:26:12 ID:j01DOQTE0
- >だが、常識を外れた利回りなど、信じるほうがどうかしているでしょう。
常識を外れた自己申告、自己宣伝なら信じられるそうです。
桐山さんは、グモンジ脳を獲得し超能力を得た。
桐山さんは、その能力を生かし念力で火をつけた。
桐山さんは、存在しない信州十八人の武士を霊視し成仏させた。
焚き火煙り如来は、信者の供養に応え御利益を授けてくれる。
焚き火金龍は、信者を金持ちになどと、言い出せば常識外には、
事欠かずキリがありません。
それでいて信者への浄財の配当率などゼロに等しい。
すべてどれも常識を外れています。
- 653 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/07(土) 18:26:56 ID:j01DOQTE0
- >649 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/07(土) 10:52:28
ID:GURk1tAY0
>あのね、「悪趣=カルマの報い」←これを理解してください。
それが理解できたら、「不堕悪趣=運命好転」だと理解できるでしょう。
善業悪業ともに作った業は、変えられないのが真理です。
善業善果と悪業悪果ですから、解脱者大目連にも撲殺という業果が生じた。
堕悪趣=何でしょうか?運命悪転?
では善い事をしたが悪い事をしたら、堕悪趣=運命悪転ということですね?
これは素晴らしい、準シュダオンさんはいくら善い事をしても悪い事をすれば、
悪趣に堕ちるから、善い事をし続けるという考えは、煩悩を軽減できます。
続けてください。
しかし、アゴン宗は、カルマをチョン切るハサミを販売しています。
値段を教えてください、販売価はメーカー小売希望ではすみません。
- 654 :深山:2012/04/07(土)
21:56:32 ID:xpWoVMR20
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>阿含宗の批判をすべきですね。批判派はあなたを頼りにしてるみたいですから。
私を頼りにしている?
何を寝ぼけたことを言っているのだ。
そういう理解だから、脳梗塞で頭が老化していると指摘されるのです。
私は準シュダオンさんと違い、自説など唱えていない。
>>615にラシンさんが引用してくれているのが全です。
これは私が書いたものでも、私の説でもない。
釈尊の言葉であり、それに基づいた学者たちの説明です。
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
誰も深山など頼りにしていない。
読者が頼りにしているのは阿含経と学者の解説です。
それを完全に無視して、自説を唱え続けているのが準シュダオンさん一人です。
「四双八輩=聖者」
「四双八輩=預流向・預流果,一来向・一来果,不還向・不還果,阿羅漢向・阿羅漢果」
であり、この二つから出てくる結論は、
「預流向=聖者」
です。
ところが、準シュダオンさんのシュダオン界からの御霊示によれば
「預流向≠聖者」なんだそうだ。
どうやったら、逆の結論が出てくるのだろう。
これほど簡単で小学生でもわかることが、準シュダオンさんは
何年も説明されてもまだわからない!?
それが脳梗塞でないなら、どうしてなのだ?
理解力が低すぎるのか、石頭で他人の説明が入らないのか、頑迷強固の
アマノジャクで右だと言われたら、左だと言わないでいられないほど、
性格が歪んでいるのか。
- 655 :深山:2012/04/07(土)
21:59:41 ID:xpWoVMR20
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>同本のP200に、「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀オンの
>範疇ですから」、という解説を理解できますか?
もちろん、桐山インチキ説はあなたよりもよく理解していますよ。
上記の説明は無知から来るデタラメです。
上記の桐山さんの記述を見ても、あなたと同じで、
斯陀含向と斯陀含を同列に取り扱っている。
こういう言葉の使い方一つを見ても、桐山さんが四向四果など
準シュダオンさんと同じで理解していないのが良くわかる。
「斯陀含向と斯陀含果」は一緒に取り扱ってもよい。
しかし、「斯陀含向と斯陀含」は一緒に取り扱ってはならないのです。
と説明されても準シュダオンさんは意味がわからないはずです。
もうすでに何回もこれが間違いであることをあなたに説明したが、
理解力がない上に、頭から私の説明を小馬鹿にしているから、わからない。
短く説明すれば意味がわからず、丁寧に説明すれば、長すぎると称して読まない。
準シュダオンさんみたいな人を箸にも棒にもかからないというのです。
準シュダオンさん以外の信者さんたちのために、
桐山さんがどのように間違っているのか、説明しましょう。
- 656 :深山:2012/04/07(土)
22:02:13 ID:xpWoVMR20
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>同本のP200に、「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀オンの
>範疇ですから」、という解説を理解できますか?
四双八輩(=四向四果)と四沙門果とは一緒に議論してはならない。
これが最も短い説明であり、結論です。
次に丁寧に説明します。
●四双八輩(=四向四果)・・・預流向・預流果,一来向・一来果,不還向・不還果,阿羅漢向・阿羅漢果
●四沙門果・・・預流(=預流果),一来(=一来果),不還(=不還果),阿羅漢(=阿羅漢果)
四双八輩も四沙門果も内容が同じだし、斯陀含(一来)は斯陀含果(一来果)だから、
つい斯陀含と斯陀含向を一緒に議論しようとしてしまう。
だが、両者は区別して議論しないと、混乱して、桐山さんの説明みたいになる。
両者は切り口が違うのです。
- 657 :深山:2012/04/07(土)
22:06:57 ID:xpWoVMR20
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>同本のP200に、「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀オンの
>範疇ですから」、という解説を理解できますか?
四双八輩と四沙門果の違いを理解するには、四双八輩を学生、
四沙門果は卒業資格と思えばいいのです。
つまり、四双八輩の斯陀含向とは中学生であり、斯陀含果とは中学卒業者です。
一方、四沙門果の斯陀含とは中学卒業「資格」です。
四双八輩とは学生のことであり、四沙門果とは卒業資格のことです。
学生と資格を一緒にしたら、話はおかしくなる。
それが桐山さんの説明です。
桐山さんの説明をそのままこのたとえにするなら、
「中学生は小学校資格者の範疇だ」ということになる。
たしかに、中学生はまだ中学卒業資格は持っておらず、
持っている資格は小学校卒業資格のみです。
だが、中学生を小卒資格者などと呼びますか。
中学生に向かって「おまえは小卒資格者だ」などとは言わない。
だが、桐山さんと準シュダオンさんはそんなふうに呼ぶそうです。
中学卒の資格を持っていなくても、彼らは中学生であって、
小学生や小学校の範疇ではない。
桐山さんも準シュダオンさんも四双八輩と四沙門果をごちゃ混ぜにして、
理解できないのに賢いつもりで解説をしているから、
こういう馬鹿な説明を堂々と本に書いてしまうのです。
- 658 :深山:2012/04/07(土)
22:10:27 ID:xpWoVMR20
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>同本のP200に、「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀オンの
>範疇ですから」、という解説を理解できますか?
私があきれるのが、この本を出した平河出版の社員です。
桐山さんに書き直しができるとは思えないから、実際に手を加えたのは
平河の社員でしょう。
彼らはここでの批判を読んでいるはずです。
私が四双八輩と四沙門果を一緒にするというミスをして、
何をどうミスをしたか丁寧に何回か説明した。
準シュダオンさんに対してさえも、これで数回目です。
それを読んで理解すれば、上記のような馬鹿な書き方はしない。
理解してこの本に反映させる時間は十分にあった。
ところが、平河の社員も準シュダオンさんと同じで、四双八輩と四沙門果が
別な分類であるという意味が理解できていないのです。
桐山さんが理解していないことになってしまい、師の顔に泥を塗った。
もっとも、桐山さんは本当に理解していないのだから、
その意味では正しい。
- 659 :深山:2012/04/07(土)
22:12:15 ID:xpWoVMR20
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>一対で一つの位だ、なんて馬鹿な考えは捨てなさい。
>だれか、学者の中でも、釈尊でも、辞典でも、「四対の聖者の位」と説明してる
>人がありますか?「四対の位」ではなく、「四つの位」なのです。
おやおや、釈尊に向かって「馬鹿な考えは捨てなさい」と来た!
馬鹿な考えはあなたのほうです。
「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の福田である〉と。」
(『ブッダ最後の旅』51頁)
準シュダオンさんの節穴のような目には見えないのだろうが、
釈尊は「二人ずつの四組と八人の人々」と表現している。
二つで一対となる組が4組があるから、合計八人です。
私はあなたと違い、自分の考えを主張したのではなく、
釈尊の記述である「二人ずつ」を一対と表現しただけです。
これを馬鹿な考えというなら、釈尊は馬鹿な考えということなる。
シャカを越えた師匠の信者としてはそんなもんでしょうね。
- 660 :深山:2012/04/07(土)
22:23:14 ID:xpWoVMR20
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>一対で一つの位だ、なんて馬鹿な考えは捨てなさい。
>だれか、学者の中でも、釈尊でも、辞典でも、「四対の聖者の位」と説明してる
>人がありますか?「四対の位」ではなく、「四つの位」なのです。
「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
四向四果はすべて聖者であり、四つの位に分類される。
八輩(八人)はすべて四つの位に分類されるのです。
あなたの馬鹿げた分類では、預流向や阿羅漢果がはみ出るのでしたね。
あれには腹を抱えて笑った。
準シュダオン説の四向四果
「預流向(四向四果ではない)
預流果=斯陀含向、
斯陀含果=阿那含向、
阿那含果=阿羅漢向、
阿羅漢果」
これのどこが、「二人ずつの四組と八人の人々」になるのだ?
これでは一向四果、四向一果です。
四双八輩なはずなのに、七輩しかない、いや四輩しかない。
あなたは数すら数えられないのか。
よくまあ、こんな簡単に足払いをかけられるようなことを書いたものだ。
普通、こんなことは文章にしているうちに矛盾に気がついて、書き込まない。
だが、あなたは違う。
その支離滅裂で恥知らずな態度が脳梗塞でないなら、何なのだ?
- 661 :深山:2012/04/07(土)
22:33:02 ID:xpWoVMR20
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>一対で一つの位だ、なんて馬鹿な考えは捨てなさい。
>だれか、学者の中でも、釈尊でも、辞典でも、「四対の聖者の位」と説明してる
>人がありますか?「四対の位」ではなく、「四つの位」なのです。
「二人ずつの四組と八人の人々」という釈尊の言葉どおりで、
四向四果はすべて四つの中に分類され、一対(二人ずつ)の4組です。
@預流向・預流果,
A一来向・一来果,
B不還向・不還果,
C阿羅漢向・阿羅漢果
これが聖者の四つの位です。
あなたは相変わらず、「資格」しか見えないから、
四向四果が「学生」の分類であることが理解できないのです。
読んでいる信者さんたちもよく見てください。
桐山さんの知性とは準シュダオンさん並で、
釈尊自ら説いた簡単で明瞭な内容すら理解できないのです。
桐山さんの『人間改造の原理と方法』などに出ている四向四果の
分類などデタラメもいいところです。
学者の本をそのまま書き写せばいいのに、ろくに理解もしていないのに、
我流の解釈を加えるところまで準シュダオンさんとそっくりです。
準シュダオンさんと同じで、本をちょっと読むとすっかり
体得した気になって、それを偉そうに他人にお説教を始める。
だが、理解力が低い上に一知半解だから、解説がデタラメなのです。
信者さんたちは桐山さんを仏陀の智慧という高度の知性を持っていると信じている。
だが、どうしてそれが準シュダオンさんと同じレベルなのだ?
桐山さんの宣伝文句を鵜呑みにしないで、桐山さんの知性を疑うことです。
- 662 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/08(日) 06:00:23 ID:SmEF4Oe2O
- >>647:準シュダオン12/04/07(土) 10:15:52
ID:GURk1tAY0
>そういう単純な意味で言ってるのではないよ。
>私は騙されてなくて、ちゃんと管長の説く、果報のいくつかを得てますからね。
>AIJの社長に、騙すつもりがあったのか否か、それは社長のみ知ることです。
AIJ社長の話などを出して一般論にすり替えても駄目です。
こちらは一々桐山さんの個別的、具体的な話を批判ネタとして展開しているのです。
読む人はその個別のネタに反応して評価して欲しいのです。
何もいきなり総合評価を求めていない。
批判ネタは個別具体的にいくつも用意されているのだから、それらの情報を得て
後は自分の頭で桐山アゴン宗に対する総合評価を各自がすればよい。
退会しなさいなんて言いません。押し付けはしませんから各自で考えてください。
孔子と老子の対話の話が出たが、老子をして龍のごとく理解できないとした
孔子の立場もなるほどそうでしょうね。
孔子が人倫の道を説き、老子は無為天然の道を説く。
孔子には理解し難い面があり、孔子は老子から離れる。
ルパン三世の主題歌ではないが、男には自分の世界がある♪わけでして
孔子は孔子、老子は老子の道を歩めばよい。
つまり孔子は老子を批判まではしません。
なぜならば老子は人倫に悖ることはしていないからです。
人倫に悖ることをしたら孔子は老子を遠慮容赦なく批判します。
ところで我々が示す桐山さんの批判情報も人倫に悖る悪意の嘘があるわけです。
単に思想の好みの違い、見解の差違の話ではない。
釈尊の問題はさておき霊魂を語りたいなら語りたいでよい。
しかし霊魂を語るにおいて、霊視ができるとして、生前存在しなかった18人の武士のように
明らかに悪意のある嘘を示すのはいかんですよねと具体的なネタを示しているわけです。
だからあなたがいくら一般論だけ出してきても個別具体的な批判に太刀打ちできないのです。
- 663 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/08(日) 06:22:05 ID:SmEF4Oe2O
- >>648:準シュダオン12/04/07(土) 10:34:50
ID:GURk1tAY0
>何をもって自滅というのかね?そういう妄想は捨てなさいな、現実を見なさい。
>星祭りを見なさいな。第一回の星祭りは、修行者と参拝者の合計が200名ですよ。
>現在はどうですか?最初の頃より衰退してますか?
第1回としか比較できぬごまかしが笑えますね。
全盛時を知る信者にとって今のアゴン宗はお通夜のようだ。
あなたはそもそも道場にもめったに顔を出さない、お客さんとしてしか参拝せず
活動をしていないからそれがわからないのです。
例祭など道場内ひしめきあうほど埋まっていたのが、今ではガラガラに空いている。
星まつりの会場にしても然りですよ。
信者が激減してるのですよ。
激減したのにはこちらの批判活動の成果などよりも桐山さんのE川問題やそれに対して
弁明すらできぬ無策、要するにスキャンダルは否定できないことからなどです。
それでもまだ頑迷に桐山さんを信じる古いファンがいる。
大して頭のよくない。
自分で考える自立性が無いのですよ。
干柿さんだって自立性を取り戻したのです。
>修行のスタイルはどうでもいいけどね、果報を得られたか否か、が肝心なのです。
修行のスタイルではなく自立性、自分で考えて、よくないものは切り捨て去っていく
自主性です。
あなたは果報らしきものが得られれば教祖に合わせて何の信念もなくコロコロ態度を
変えているだけです。
- 664 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/08(日) 06:58:05 ID:SmEF4Oe2O
- >>649:準シュダオン12/04/07(土) 10:52:28
ID:GURk1tAY0
>あのね、「悪趣=カルマの報い」←これを理解してください。
>それが理解できたら、「不堕悪趣=運命好転」だと理解できるでしょう。
人を殺したり騙したり悪い行いをすることから離れるのです。
悪い行いをしてしまっていたならばその報いからは避けられないから潔く受けるしかなく
しかしそれでも今この瞬間から反省して二度と悪い道に染まらないことを説くのが
釈尊であり、それに従ったのがアングリマーラです。
>意味不明です↑。
要するにあなたはその時の都合により、こちらの説くことに対してそれは大乗の考えだ
アビダルマの考えだとして反論を試みる。
してその時に使う大乗やアビダルマとは大乗やアビダルマでは駄目なんだ
釈尊の教えに従うものではないのだとする立場です。
しかしまた別の時にはアゴン宗は完全仏教であり大乗仏教も包含するのだから
これは阿含経になくても大乗仏教にあるからよいのだと示す、矛盾に満ちた
節操の無さ、要するにしっかりとした考えなどあるはずもなく、単に議論の場で
コロコロ態度を変えているだけのだらしはかを示しているのです。
>十分なる神通を得ていない、という意味です。
ではどうしてそんな人が二大弟子なのか?
- 665 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/08(日) 07:06:13 ID:SmEF4Oe2O
- >>650:準シュダオン12/04/07(土) 11:14:20
ID:GURk1tAY0
>釈迦仏教の目標は涅槃に向かうことですが、後期大乗仏教では「生死即涅槃」と
>いう思想もあり、輪廻の中に涅槃がある、という考え方もしてますよ。
生死即涅槃とは来世に生まれた時美男美女で富と名声を十分に持ち、それを求めて
せっせと瞑想することなんですか?
>釈迦を超えたとしても、仏教を超えた訳ではないですから、仏教の看板は変らない
>のですよ。管長は、仏教=成仏陀教=仏に成る教え、だとしていますから。
桐山さんが敢えて既存仏教のいずれにも帰属せず阿含宗と称したのは釈尊が唯一
説いた阿含経のみにしか成仏法が無いのだからこれに回帰せよという発信です。
ところが釈尊を否定したならばこの阿含の看板だけは下ろす義務がありますね。
成仏陀の仏陀って来世美男美女で富と名声を得ることなんですか?
- 666 :準シュダオン:2012/04/08(日)
09:42:05 ID:GURk1tAY0
- >ところが釈尊を否定したならばこの阿含の看板だけは下ろす義務がありますね。
>成仏陀の仏陀って来世美男美女で富と名声を得ることなんですか?
釈尊を否定しているのではないよ。アウフヘーベンした阿含宗だと、立宗時に
「阿含密教いま」本で宣言しているでしょう。アウフヘーベンなのですから、
釈尊がなければ阿含宗も成り立たないわけですよ。
来世美男美女で富と名声を得る?
それが馬鹿馬鹿しい人は止めたら良いだけですw。
- 667 :準シュダオン:2012/04/08(日)
09:59:30 ID:GURk1tAY0
- >>十分なる神通を得ていない、という意味です。
>ではどうしてそんな人が二大弟子なのか?
サーリプッタの場合は法を説くのに秀でていた、というように特に優れていた面
があったからでしょう。十分なる神通を得ていない意味だとレスしたが、誤解し
てはいけませんよ。十分ではなくても、かなりの神通ではありますよ。
三明とは、宿命智、天眼智、漏尽智、の三つの神通のことですね。
二大弟子に神通はない、とはいっても、漏尽智という神通はあるのです。
漏尽智が生じるから、「不受後有」を自覚できて、涅槃を得たことを自覚
できるわけです。ただ漠然と「煩悩が尽きた」と、思っているのが漏尽智
ではありませんよ。
- 668 :愚民:2012/04/08(日)
10:01:06 ID:ifFmQJJ20
- 私だって美男美女になって周りからチヤホヤされたいですよ
富と名声、権力を使って70過ぎても今もなお男として立ち
20代の若い女性をトリコにさせたい
でもですね、その幸せがつかの間でずーっと続いていかないところに
人生の苦悩があるんじゃないでしょうかね
逆にそんなものを持ったがゆえに余計、苦悩が増す。
阿含宗管長桐山靖雄さんを見ればよくわかりますね
反面教師。
- 669 :棕櫚:2012/04/08(日)
10:10:45 ID:e2p8u0BM0
- >647 >果報を得られない人が、果報を得た人を、 認めたくないだけの話です。
葡萄を取れない狐が、あの葡萄は酸っぱい、
というようなものです。
小学校を卒業していないのは学生じゃない理論の準シュダオンさん は、 皆から何度も論破されていたんですね。
それを無理に反論するとどうしても常識枠から外れるから詭弁になるみたい。
多分準シュダオンさんは前から解っているんでしょうが、 意地なんですか?
理解できていることに素直に認められないのは片意地とか偏屈とか 、 意固地とか言いますよね。
準シュダオンさんの反論を読んでいるとホントは理解できているくせに、
何か絶対に批判に同意したくないんだというように読めます。
解っているからあごん宗に真面目に修行する気が無いのでしょう。
準シュダオンさんの無理しない信心の裏側にはあごん宗を見限って いる。
でも何か心の拠り所だけは失いたくないから自己本位の解釈であごん宗にしがみ付いているなら
そんな信仰は止めて準シュダオンさんの
一人教を進めたほうがそのスタイルに合ってますよ。
- 670 :準シュダオン:2012/04/08(日)
10:41:09 ID:GURk1tAY0
- >>意味不明です↑。
>要するにあなたはその時の都合により、こちらの説くことに対してそれは大乗の考えだ
>アビダルマの考えだとして反論を試みる。
>してその時に使う大乗やアビダルマとは大乗やアビダルマでは駄目なんだ
>釈尊の教えに従うものではないのだとする立場です。
私がアビダルマを否定する場合は、アビダルマが経典に反している場合だけです。
>しかしまた別の時にはアゴン宗は完全仏教であり大乗仏教も包含するのだから
>これは阿含経になくても大乗仏教にあるからよいのだと示す、矛盾に満ちた
>節操の無さ、要するにしっかりとした考えなどあるはずもなく、単に議論の場で
>コロコロ態度を変えているだけのだらしはかを示しているのです。
あぁ、なるほどね。そのように思うわけですね。節操の無さ、コロコロ態度を
変えてるように思うのは、私の言葉を理解できていない証拠です。
例え話で理解していただきましょう、私がユビさんに花をプレゼントしたと
します。ユビさんの目と鼻が正常な場合は、花の綺麗さも香りも受け取ること
が可能です。
しかし、鼻が悪かったら、花の匂い、香りを受け取ることは出来ません。
つまり、ユビさんは、私の言葉(花)の色や形を見ることは出来ても、香りが
わからないのです。だから、私が態度を変えてるようにしか見えないのです。
管長が「密教占星術T」に、囲碁の話を書いていましたね、若い時に定石を
300暗記したが、定石を30くらいしか知らない相手にコロコロ負かされた、
とね。
私は、ユビさん方に、管長の囲碁の話を連想しますね。ユビさん方は、定石を
300暗記した管長みたいなものです。定石を経典に置き換えて考えてください。
たぶん、ユビさん方は記憶力などは私などより何倍も良い。だから経典なども
私の十倍も知っていよう。でも、囲碁の定石を300知っていようとも、定石を
30しか知らない相手にコロコロ負けるのです。なぜか?それは、定石の意味を
理解出来ていないから負けるのです。阿含仏教も似たようなものです。
- 671 :棕櫚:2012/04/08(日)
11:20:26 ID:e2p8u0BM0
- >670 >でも、囲碁の定石を300知っていようとも、定石を30しか知らない相手にコロコロ負けるのです。
なぜか?それは、 定石の意味を
理解出来ていないから負けるのです。 阿含仏教も似たようなものです。
いやあそれは全然違うと思いますよ。
準シュダオンさんもいろんな経典を読んでいるみたいです。
そして読んだお経の膨大な意味を全部そのまま教条的に扱っていま す。
私が見たところは批判派の解釈はたった一つのことを基本にして経典を引用していると解ります。
そのたった一つとは煩悩解脱です。
釈迦が説いたのは煩悩解脱ですよ、 それを理解せるための方便はあるが、 それをそのまま目的にしたら
釈迦仏教の意義がなくなりますよ。
諸法無我が目的ではないように諸行無常も目的ではないでしょう?
目的は煩悩を生きている間に失くすることでしょう。
批判派はそれしか基準にして反論していませんよね。
聖者集だって、それは煩悩を失くすための修行者達だからそれは 煩悩滅を果たすための学生さんですよね。
全部相手をするのは煩悩の滅だから、それ以外は方便ですよね。
霊魂だって釈迦が話さないのは認めないのではなく意味が無いから 、
それについて論じなかった。
有っても無くても煩悩解脱には無関係だからでしょう。
準シュダオンさんは一人修行が似合ってますよ、
あごん宗は邪魔でしょ?
- 672 :棕櫚:2012/04/08(日)
17:42:17 ID:BzV6pK6I0
- >666 >来世美男美女で富と名声を得る? それが馬鹿馬鹿しい人は止めたら良いだけですw。
と言うことは本気で求める信者さんもいるってことですか?
準シュダオンさんのこれって私も前にも賛同してます。
普通は人間だったらそういう将来を考えるし努力しますよ。
ただ普通ならこういう努力は現実の努力、現実社会での努力です。
来世でなくてもそんな願望などを実現している人は山ほどいます。
桐山氏の願望ってそんな低レベルだったなら信者さんは落胆しますよ。
まさか超能力瞑想で映画の世界のようになれるなんて成人になれば 、
そういうバカな夢は見ないですよ。
準シュダオンさんだってそんな絵空物語を信じていないでしょう。
桐山氏の妄想に付き合う必要はないと思いますけど。
準シュダオンさんは信仰し修行する立場で反論しています。
しかし批判派の人達はそういう立場で批判していませんよね。
だからもし釈迦仏教を修行するなら富と名声の煩悩を否定するのは批判としておかしく無いと思います。
桐山氏だって煩悩解脱も目的でそこから因縁解脱へ行くわけでしょう?
そのプロセスで急に方向転換して美男美女で富と名声を得る来世を願うなんて言われたら、
それはあまりにも言っていることが違いすぎます。
- 673 :深山:2012/04/08(日)
22:40:52 ID:bvmOInmo0
- >>613 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:01:14
ID:GURk1tAY0
>輪廻が悪だとは説いていないね、「苦」だと説いてるんです。
準シュダオンさんは言葉尻を捉えて何とか批判側に一泡吹かせてやりたい一心ですね。
輪廻が苦だなんて当たり前です。
だから、輪廻を望むのは悪なのです。
輪廻を望み「輪廻があるから良い」とする桐山さんを際ただせるために、
輪廻することは悪だと私は指摘したのです。
仏教の善とは煩悩を断ちきることで、それは輪廻からの脱出です。
脱出しないこと、脱出を望まないことは煩悩のままなのだから、悪です。
桐山さんは仏教の教法を理解しないから、煩悩の捨てることを望まず、
輪廻することを望んでいる。
煩悩を肯定するのだから、彼の説くところは悪そのものです。
- 674 :深山:2012/04/08(日)
22:42:44 ID:bvmOInmo0
- >>613 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:01:14
ID:GURk1tAY0
>そう解釈してるのは、批判派だけですw。
輪廻が苦だなどと他人にお説教を垂れながら、実際には
準シュダオンさんは仏教など何も理解していないのがこの一文よくわかる。
本がまだ出ていない以上、ここで内容をいくら議論しても意味がない。
ただ、これまでの桐山さんの法話から、彼の説く輪廻転生瞑想法とは
美男美女などに生まれ変わるためのものだという。
輪廻からの解脱を説くべき仏教が、煩悩を満足させるような輪廻を説いたら
もはや仏教ではない。
これではヒンドゥー教そのものです。
もっとも、アゴン宗は本尊からしてドルガーというシヴァの女神を拝んで、
火と水でカルマを浄めるというのだからヒンドゥー教そのものです。
その意味では、桐山さんの新刊は外道の本としては正しい。
- 675 :深山:2012/04/08(日)
22:46:12 ID:bvmOInmo0
- >>613 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:01:14
ID:GURk1tAY0
>お得意の推測・妄想ですw。
お得意の一行否定ですか。
反論できないから、ただ頭から否定してあざ笑ってみせる。
あざ笑い、さも何か自分のほうが知っているかのような素振りをしてみせるが、
ハッタリです。
何の根拠もなしに準シュダオンさんはこうやって書いているのでしょう?
あなたと違い、私はハッタリは恥ずかしいことだと思っているからしない。
桐山さんが、死ぬのが恐いのだとわかったのは、私がアゴン宗を
やめてからではありません。
桐山さんはアゴン宗どころか、慈恵会時代に『慈眼』という機関誌に
「命を惜しむ」と題した御大層な文章を載せた。
その題名どおり、桐山さんは自分には偉大な使命があるから命を惜しむのだと書いていた。
これを読んだ当時、私は桐山ゲイカを信じていたが、それでもこの文章には??だった。
でも、仏教を理解していない準シュダオンさんには、何のことかさっぱりでしょう?
- 676 :深山:2012/04/08(日)
22:48:27 ID:bvmOInmo0
- >>613 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:01:14
ID:GURk1tAY0
>お得意の推測・妄想ですw。
仏教では使命があろうがなかろうが、命など惜しまない。
命を惜しむかどうかなど議論すること自体、意味がなく、
惜しんではならないのです。
なぜなら、それは執着という煩悩だからです。
だから、釈尊は、西方に布教に行きたいという弟子の申し出に、
西方の人たちは気が荒く、おまえを傷つけたり、殺そうとしたら、
どうするのか、と質問している。
彼はそれすら受け入れると言っている。
つまり、彼は生への執着も死への恐怖も克服していた。
彼が煩悩に囚われないことを確認した釈尊は西方に出かけることを許可した。
これが仏教の基本的な姿勢です。
インドの西方に布教するのは彼が初めてだから、
ある意味で桐山さんなどよりもはるかに重大な使命を負っていた。
しかし、彼は命を惜しむなどという発想すらなかった。
重要なことは布教そのものではなく、生への執着や死への恐怖という
煩悩から解放されているかどうかだからです。
だから、釈尊はわざわざわかりきった内容を質問した。
- 677 :深山:2012/04/08(日)
22:53:02 ID:bvmOInmo0
- >>613 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:01:14
ID:GURk1tAY0
>お得意の推測・妄想ですw。
あなたも仏教の基本すら理解していないらしいから、こういう問答が
ある種の試験であり、議論であることがわからないでしょう?
釈尊は比丘に最後の試験問題を出したのです。
比丘は、自分にはもはや生への執着も死への恐怖もなく、
これらの煩悩から解放され、解脱していること示したのです。
だから、この釈尊に質問に「自分の使命のために命を惜しむ」とか
逆に、「命も惜しまない」なとど言ったら、不合格です。
なぜなら、命への執着があるからです。
後に、こういうのが禅問答の謎かけゴッコになってしまったが、
釈尊時代からこういう問答や議論が行われていたのです。
と、説明されても、準シュダオンさんの煩悩に満ちた心では
何のことかさっぱりでしょう?
あなたの脳は、無知と恥知らずと慢心が妄想の海に浮かんでいるだけです。
- 678 :深山:2012/04/08(日)
22:56:57 ID:bvmOInmo0
- >>614 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:24:52
ID:GURk1tAY0
>仏教といっても、初期仏教と大乗仏教とで教義が違う。
>大乗でも、前期大乗と後期大乗でも、教義が違う。
大乗のどこにカルマ解脱、因縁解脱があるのだ?
教祖と同じに口から出任せに、いかにも大乗仏教では解脱の定義が
違うかのような書き方だが、大乗仏教でも解脱とは、漏尽解脱です。
因縁解脱などという無知を唱えているのはアゴン宗だけです。
準シュダオンさんは何度説明されても桐山さんのいう完全仏教の意味すら理解できない。
桐山さんは、根本仏教と大乗仏教を混ぜ合わせたと言っているのではない。
根本仏教の成仏ホウこそが中心であり、それを密教などの大乗仏教の
様式を用いて成仏リキを発揮していると言っているのです。
両者を対等に混ぜたのではなく、大乗仏教は様式にすぎない。
空っぽの容器だと言っているのです。
根本仏教こそが桐山アゴン宗の中心、中身です。
だが、その根本仏教にはカルマ解脱などありません。
阿含経のどこにもカルマを断ちきるなんてない。
カルマ解脱も死者成仏も阿含経にはただの一つも出てこない。
説いているのは漏尽解脱のみです。
いや、シャカ仏教だけでなく、大乗仏教にも因縁解脱を説く仏教などありません。
そんなことを説いているのはたった一つ、日本にあるアゴン宗という外道だけです。
- 679 :深山:2012/04/08(日)
22:59:24 ID:bvmOInmo0
- >>614 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:24:52
ID:GURk1tAY0
>「カルマを切る」とは、カルマからの脱出を意味してるし、その手段として煩悩
>を断つことを教えてるし、阿含教学そのものですね。
アゴン宗の教学だから何なのだ?
私はカルマ解脱など仏教ではないと指摘しているのです。
仏教のどこにカルマを切るというのがあるのだ?
仏教にはカルマを切るとか、カルマから脱出するなどという考えはありません。
仏教に存在しないカルマ切り、カルマ解脱を唱えること自体が、
アゴン宗が仏教ですらない外道である何よりの証拠です。
アゴン宗にカルマを切る教学があって、それで誰がカルマを切ったのだ?
密教食事件で刑獄の因縁を丸出しにした桐山さんのどこがカルマを切ったのだ?
脳梗塞になり脳障害の因縁を出し、E川裁判で色情の因縁を出し、
因縁切りそのものを成就していないのだから、中途挫折の因縁を出している。
因縁など何一つ切れていない教祖と、それを教学だと偉そうにいう信者、
どっちもどっちのブザマな光景だ。
- 680 :深山:2012/04/08(日)
23:01:49 ID:bvmOInmo0
- >>614 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:24:52
ID:GURk1tAY0
>「カルマを切る」とは、カルマからの脱出を意味してるし、その手段として煩悩
>を断つことを教えてるし、阿含教学そのものですね。
違います。
準シュダオンさんて、本当にアゴン宗の教義すら知らない。
桐山さんは煩悩を断ちきること自体を解脱とはしていない。
●釈尊説=漏尽解脱
●桐山説=煩悩解脱(小解脱)+因縁解脱(大解脱)
漏尽解脱=煩悩解脱としても、釈尊説と桐山説ではこのように違う。
釈尊は煩悩から解放されることを解脱と定義した。
だが、桐山さんはこの漏尽解脱を小解脱と罵って、煩悩を捨てただけでは
本当の解脱ではないと言っている。
釈尊の解脱を小さい解脱、劣った解脱としている。
仏教の究極の目標である漏尽解脱を劣った解脱と批判するアゴン宗が
仏教であるはずがない。
カルマ解脱など唱えたのは、当時の外道であるジャイナ教や
アージーヴィカ教などでの外道です。
つまり、アゴン宗も外道です。
準シュダオンさんは御立派な外道の凡夫です。
- 681 :深山:2012/04/08(日)
23:09:58 ID:bvmOInmo0
- >>614 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:24:52
ID:GURk1tAY0
>三明や六神通で解脱するのではない。
>解脱が進むにつれて、自然に三明六神通が生じる、と経典に説いているのです。
そのとおりで、それであなたは私にいったい何を反論したくて書いているのだ?
桐山さんは四神足で神通力を体得し、その力でカルマを断ちきって
解脱するのだと唱えている。
あなたは桐山さんに異を唱えている。
桐山説では神通力を獲得してから解脱するのです。
つまり、三明、六通で解脱するのだと唱えているのです。
そんなことはない、神通で解脱するなど嘘だと、具体的に経典を示して私は反論したのです。
あなたは三明、六通で解脱するという桐山説を否定するのだ。
これは準シュダオンさんにしては珍しい。
あなたは桐山さんには何でもイエスマンなのかと思っていたら、
なんと解脱の仕方について桐山説が嘘だと批判するらしい。
今後の議論でとても重要なことだから、読者の皆さんも上記の準シュダオンさんの
発言を良く覚えておいてください。
準シュダオンさんはアゴン宗の教義を知らないで、
私に何か反撃したくて、こんなことを書いたのでしょう。
動機がなんであれ、はっきりと桐山説をあなたは否定した。
- 682 :深山:2012/04/08(日)
23:11:56 ID:bvmOInmo0
- >>617 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:54:28
ID:GURk1tAY0
>上記に従えば、批判派の阿含宗批判レスがあろうとなかろうと、結果は同じなの
>ですよ
ちょっと見たり読んだりすると、すっかり理解したかのような
気分になるのは準シュダオンさんの悪い癖です。
また、国語の解釈の問題が始まりましたね。
孔子と老子の話から、どうしてこんな結論が出てくるのですか。
この番組は見ていないからわからないが、あなたの話からすると、
あなたは桐山さんとは老子と同じで、龍のような存在であり、
人間の知恵で測ることはできないと言いたいらしい。
そういうのを思考放棄、脳味噌のご供養といって、カルト信者の典型的な病状です。
あなたのたとえはそのまま麻原彰晃にも使える。
あなたの理屈では麻原は龍なのだから、人間の知恵で測るのは間違いなのですね。
だが、私には、桐山さんはただの詐欺師であり、麻原はただの殺人鬼にしか見えず、
どちらも人間の普通の知性で測ることのできる人たち、
いや、普通の知性で裁かれるべき人たちです。
- 683 :深山:2012/04/08(日)
23:16:28 ID:bvmOInmo0
- >>617 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:54:28
ID:GURk1tAY0
>上記に従えば、批判派の阿含宗批判レスがあろうとなかろうと、結果は同じなの
>ですよ
老子がとらえどころのない人物だとして、それがここでの批判とどう関係あるのだ?
桐山さんは、孔子すらも頭を下げた老子ではなく、ただの宗教詐欺師です。
桐山さんはただの宗教犯罪者です。
その宗教犯罪者についての批判があろうがなかろうが、
どんな、何の結果が同じなのだ?
このスレの存在によって結果はすでに違っている。
ここでの批判を読んで桐山アゴン宗の嘘に気がついてやめた信者は実在する。
あなたみたいに何をどう説明されても理解できないような愚か者を基準としないことです。
このスレがなかったら、その人たちはもっと長くアゴン宗に在籍し、
金と時間と人生をもっと浪費していたでしょう。
だが、このスレがあったから、その被害を減らすことができた。
スレの存在によって結果が違っている。
桐山さんが、三福道を捏造したこと、仙尼経には異陰などないことを本で認めた。
このスレでの批判があったからこそ、彼は撤回するしかなくなった。
ちゃんとこのスレが違う結果を出している。
だが、あなたの目には同じ結果に見えるらしい。
あなたの目には自分がシュダオンやアナゴンに見えるのだから、
現実が見えないのは当然でしょうね。
- 684 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/09(月) 08:37:05 ID:SmEF4Oe2O
- ともあれ新著「輪廻転生瞑想法1」の発売が迫りました。
活字になることはないかと危惧されましたが、こういう外道本が出版されるのは
楽しみですね。
一新興宗教の教祖の書いた本として相手にもされないのが残念で、仏教者を標榜し
一仏教の管長を標榜する仏教本ということで広まってくれることがこちらの願いです。
仏教界にお笑いを提供して欲しい。
1というのだから続巻を期待させますが、これは密教占星術や説法六十心と同じに
考えるべきか?
内容が貧弱な言い訳として、まだ初歩入門編の1とするのではないですか?
桐山さんが例祭法話などでぐだぐだ語った内容を平河の職員が編集する。
オマケに行法らしきものを添える。
法施グッズを必要とするというものですね。
- 685 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/09(月) 14:16:25 ID:0iokvgUQ0
- >釈尊を否定しているのではないよ。アウフヘーベンした阿含宗だと、立宗時に
「阿含密教いま」本で宣言しているでしょう。
ー(阿含密教いま
ジンテーゼとしての仏教278頁)ー
ひと口に申しますならば、テーゼとしてのアーガマ仏教と、
アンチテーゼとしての大乗仏教、この二つを綜合・止揚した
ジンテーゼとしての阿合仏教というものをうち出そうと
考えているわけです。 もっとわかりやすくいえば、
アーガマにおける修行法を、密教的方式をもって実践して
いくということです。
桐山さんの最初からの言い分け文章です。
アーガマ仏教をジンテーゼと考えることじたい、アウトです。
大乗仏教を批判したなら、何もそこで統合などすることは、
ただの妥協の産物となり、まったく必要がないことです。
アーガマ仏教を桐山さんが実践すれば、阿含宗を名乗る資格がある。
だが桐山さんは、密教のグモンジ法やゴマ法に依存し続けています。
その弁明が、「ジンテーゼ」などと勝手に妄想し作り上げた架空の
目的論です。
釈尊の法とは、漏尽解脱を成就することで他の目的も道もない。
ニルバーナの定義云々など、関係ありません。
道を示されそれを認めたなら、道を歩むのが阿含経に適った方法です。
釈尊は、「比丘たちよ、われは、知るもの、見るものの、有漏(煩悩)の
滅尽を説く。」(近代仏教への道 増谷文雄189頁)
と、
仰っているのですから、それ以上、何を知り見る必要がありますか。
「アーナンダよ。
修行僧サールハは諸々の汚れが消滅したが故に、
すでに現世において阿羅漢に達し、 汚れの無い心の解脱、
智慧による解脱をみずから知り、体得し、具現していた。
したがって、この比丘は、今さとりの世界におり、
再び迷いの生存を受けることはない。
」(ブッダ最後の旅 中村元訳)
- 686 :準シュダオン:2012/04/10(火)
10:06:09 ID:GURk1tAY0
- >そのたった一つとは煩悩解脱です。
>釈迦が説いたのは煩悩解脱ですよ、 それを理解せるための方便はあるが、
それをそのまま目的にしたら
>釈迦仏教の意義がなくなりますよ。 諸法無我が目的ではないように諸行無常も目的ではないでしょう?
>目的は煩悩を生きている間に失くすることでしょう。 批判派はそれしか基準にして反論していませんよね。
誰も煩悩解脱を否定していませんよ。「輪廻する葦」にも、十結煩悩を断じて阿羅漢
に成るのが釈迦仏教の目的だ、と書いてます。
私が言うのは、煩悩を断つのは目的ではなくて手段だ、ということです。
なんの手段か?涅槃を得る手段です。輪廻を脱する手段です。
なぜ煩悩をなくすのか?ということを理解せねば、いけないのです。
- 687 :準シュダオン:2012/04/10(火)
10:14:15 ID:GURk1tAY0
- >>666 >来世美男美女で富と名声を得る? それが馬鹿馬鹿しい人は止めたら良いだけですw。
>と言うことは本気で求める信者さんもいるってことですか?
居たって良いではないですか。他人の希望は勝手でしょ?
あなたに他人の希望を阻止する権利があるとでもいうのですか?
>準シュダオンさんのこれって私も前にも賛同してます。
>普通は人間だったらそういう将来を考えるし努力しますよ。
そう、将来を考えるし、努力しますね。
瞑想法もその一つだと考えたら良いでしょう。
馬鹿げてると思えたら笑えば良いだけです。
- 688 :準シュダオン:2012/04/10(火)
10:43:15 ID:GURk1tAY0
- >小学校を卒業していないのは学生じゃない理論の準シュダオンさん は、
>皆から何度も論破されていたんですね。
小学校を卒業していないのは学生じゃない↑?あんた、何言ってるのw。
小学校を卒業していないのは、小卒者ではない、と私は言うの。
それを批判派は、小学生と小卒者をごっちゃにしているわけよw。
小学生と小卒者の一対で、同じ一つの学者の位だ、なんて言ってるのですw。
>それを無理に反論するとどうしても常識枠から外れるから詭弁になるみたい。
>多分準シュダオンさんは前から解っているんでしょうが、
意地なんですか?
常識枠から外れてるのは、あんたたちなのですよ。なんで意地なのよ↑アホらしいw。
間違いに気づくのに遅すぎるということはないから、私はその機会を批判派に
与えているだけです。気長にまた書いてあげましょう。
こう書けば理解できるかな↓。
日本の学制を利用して、釈迦の四双八輩の仕組みを説明すれば、
小卒向:小卒果 中卒向:中卒果 高卒向:高卒果 大卒向:大卒果 という
八輩になりますね。四つの学歴資格、小卒、中卒、高卒、大卒、が有って、
それを得ようと学習しているのが「向」です。
ほんの少し利口であれば、八輩のうち、小卒向=小学生だけが、まだ一つも
学歴資格がないことを理解できますね、(預流向も同じことです)。
- 689 :準シュダオン:2012/04/10(火)
10:46:10 ID:GURk1tAY0
- >小学校を卒業していないのは学生じゃない理論の準シュダオンさん は、
>皆から何度も論破されていたんですね。
小学校を卒業していないのは学生じゃない↑?あんた、何言ってるのw。
小学校を卒業していないのは、小卒者ではない、と私は言うの。
それを批判派は、小学生と小卒者をごっちゃにしているわけよw。
小学生と小卒者の一対で、同じ一つの学者の位だ、なんて言ってるのですw。
>それを無理に反論するとどうしても常識枠から外れるから詭弁になるみたい。
>多分準シュダオンさんは前から解っているんでしょうが、
意地なんですか?
常識枠から外れてるのは、あんたたちなのですよ。なんで意地なのよ↑アホらしいw。
間違いに気づくのに遅すぎるということはないから、私はその機会を批判派に
与えているだけです。気長にまた書いてあげましょう。
こう書けば理解できるかな↓。
日本の学制を利用して、釈迦の四双八輩の仕組みを説明すれば、
小卒向:小卒果 中卒向:中卒果 高卒向:高卒果 大卒向:大卒果 という
八輩になりますね。四つの学歴資格、小卒、中卒、高卒、大卒、が有って、
それを得ようと学習しているのが「向」です。
ほんの少し利口であれば、八輩のうち、小卒向=小学生だけが、まだ一つも
学歴資格がないことを理解できますね、(預流向も同じことです)。
- 690 :深山:2012/04/10(火)
12:23:15 ID:BY4UD2Ng0
- >>686 :準シュダオン:2012/04/10(火) 10:06:09
ID:GURk1tAY0
>私が言うのは、煩悩を断つのは目的ではなくて手段だ、ということです。
>なんの手段か?涅槃を得る手段です。輪廻を脱する手段です。
偉そうにお説教を垂れて、話をすり替えて誤魔化そうと必死ですね。
桐山さんは神通力でカルマを断ちきって解脱すると主張している。
桐山嘘1.神通力で解脱するという嘘
桐山嘘2.カルマを断ちきって解脱するという嘘
この2点について批判しているのです。
そして、なんと準シュダオンさんは桐山嘘1が嘘だと認めた。
>>614 :名無しさん:2012/04/06(金) 11:24:52
ID:GURk1tAY0
>三明や六神通で解脱するのではない。
>解脱が進むにつれて、自然に三明六神通が生じる、と経典に説いているのです。
桐山さんは神通力で解脱するといい、あなたは違うという。
さあ、どうするのだ?
>>248 :準シュダオン:2012/03/02(金)
18:13:08
>私が、反論に窮するなんてことはありません。
あなたは反論に窮しないらしい。
だが、私が指摘したにもかかわらず、無視した。
桐山さんが嘘をついていると認めるのか?
ほら、お得意の屁理屈を並べてみなさい。
みんなで笑ってあげる。
- 691 :深山:2012/04/10(火)
12:25:34 ID:BY4UD2Ng0
- >>688 :準シュダオン:2012/04/10(火) 10:43:15
ID:GURk1tAY0
>日本の学制を利用して、釈迦の四双八輩の仕組みを説明すれば、
>小卒向:小卒果 中卒向:中卒果 高卒向:高卒果 大卒向:大卒果 という
また、誤魔化しが始まった。
あなたのこの嘘つきぶりにはウンザリさせられますね。
「小卒向:小卒果」がどうして一組に書いてあるのだ?
前に読者の爆笑を誘ったあなたの四向四果説は次のようなものです。
準シュダオン説の四向四果
「預流向(四向四果ではない)、預流果=斯陀含向、斯陀含果=阿那含向、
阿那含果=阿羅漢向、阿羅漢果」
688の分類と違うではないか。
この分類なら、
「小卒向 小卒果=中卒向 中卒果=高卒向 高卒果=大卒向 大卒果」
と書くべきです。
あなたは預流向は四双八輩ではないと前に書いた。
釈尊が四双八輩が聖者だと述べている点との矛盾を避けるための嘘です。
ところが688では四向四果であると書いている。
どちらなのだ?
前に書いたことなどきれいに忘れているのでしょう?
「反論に窮するなんてことはありません」というなら無視せずに答えてみなさい。
先に言うが、あなたが詭弁を並べるたびに私は過去のあなたの書き込みから
引用して、矛盾と嘘を指摘して、読者の笑いのネタにするだけです。
- 692 :深山:2012/04/10(火)
12:29:30 ID:BY4UD2Ng0
- >>688 :準シュダオン:2012/04/10(火) 10:43:15
ID:GURk1tAY0
>ほんの少し利口であれば、八輩のうち、小卒向=小学生だけが、まだ一つも
>学歴資格がないことを理解できますね、(預流向も同じことです)。
あなたは勝手に四双八輩を資格だという前提で議論しているから、
こんな結論が出てくる。
自分勝手な前提を作り、それに合わせて結論を出しても無意味です。
仏教とは釈尊が作ったものであって、あなたが作ったものではない。
資格だなんて嘘です。
釈尊がどうおっしゃっているかということが全てです。
釈尊の説いた四双八輩は資格などではない。
その証拠こそが、ラシンさんの>>615の「四双八輩=聖者」という釈尊の記述です。
- 693 :深山:2012/04/10(火)
12:34:32 ID:BY4UD2Ng0
- 「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、」
(『ブッダ最後の旅』51頁)
釈尊が四双八輩をすべて聖者だという記述をあなたはどうして無視するのだ?
釈尊の上記の表現を見てごらんなさい。
どこに資格とあるのだ?
釈尊は「人々」と言っているのです。
「四組と八人の人々」、つまり人間をさしているのであって、資格などではない。
学生を指している。
預流(預流果)とは資格のことではなく、三結を断じた人間を指している。
同様に、預流向とは小学生という人間のことです。
釈尊は小学生から大学卒業者まで、全員を聖者としたのです。
あなたは釈尊の言葉を無視して、四双八輩を資格だと決めつけ、我説にしがみつく。
資格だと主張するのは、あなたも桐山さんも肩書きが欲しくて欲しくてたまらないからです。
だから、四向四果の説明を読んでも、肩書きような資格だと勘違いする。
名誉餓鬼を丸出しの解釈です。
桐山さんもあなたも煩悩丸出しの薄汚い手で釈迦仏教をいじくり回す。
よほど悪業を積むのが好きらしい。
- 694 :Boo:2012/04/10(火)
20:31:35 ID:LEsBPJnU0
- そもそもアゴン宗は「アンチ釈尊」の桐山さんが教祖であり、四沙門果など
全く方向の違う宗教であるんだから、預流向が聖者であろうが無かろうが
準シュダオンさんや現役の信者さんは何ら気にすることはない。
準シュダオン氏は何をくだらないことに・・・というかこの人に何のかかわりもないことに
こだわっているのか?不思議ですね。
準シュダオンさんはまず、アゴン宗が釈迦仏教にとってどういう位置づけ
なのかを根拠をもって説明するべきでしょう。今のままでは、たとえて
言うならイスラム教徒が四沙門果について熱く語っているようなもので、
それは我々仏教徒の議論ですから出て行ってください、といわれるだけです。
- 695 :棕櫚:2012/04/10(火)
22:07:51 ID:uWiN8v520
- >686 >私が言うのは、煩悩を断つのは目的ではなくて手段だ、 ということです。
なんの手段か?涅槃を得る手段です。輪廻を脱する手段です。
準シュダオンさんの気持ちは解りますよ、それって意固地です。
深山さんから鋭くて簡潔に正論を指摘された。
私にも、すんごい解り易い内容ですから、
準シュダオンさんほどの勉強家なら 絶対に解っているでしょうね。
準シュダオンさんの言いたいことは涅槃を得て輪廻を脱する釈迦仏 教の目的 のためには、
煩悩を断つということが手段であるということですね。
じゃあ、、アゴン宗の因縁解脱なんかどこにも出て来ず必要ないみたいですね 。
矛盾を解決して反論しないといけないでしょうが、 無理のようです。
深山さんがちゃんと指摘しているんだから、 屁理屈じゃない反論をしなくてはいけない。
ですよね?。。。
でも準シュダオンさんが無視するのは見苦しいですよ。
ここは きちんと説明すべきで、
それは信者さんや擁護論として必要ではありませんか?
- 697 :棕櫚:2012/04/10(火)
22:33:25 ID:uWiN8v520
- あれれ、ダブりました。管理人さん、すみませんが削除して下さい。
>居たって良いではないですか。他人の希望は勝手でしょ?
あなたに他人の希望を阻止する権利があるとでもいうのですか?
そんなつもりで書いていないのでケンカごしは止めて下さい。
ただそういう俗人の願いは何も特殊な瞑想などに頼らなくても現実 の社会での、
皆々が仕事や勉強や、
どうしても美形の顔形がいるなら整形手術でやってる人が 仰山居りますよってww、、という意味のことを書いた訳です。
これって別にあごん宗が要るのかな、 準シュダオンさんの一人修業で行けるんじゃないですか?
>そう、将来を考えるし、努力しますね。
瞑想法もその一つだと考えたら良いでしょう。
馬鹿げてると思えたら笑えば良いだけです。
私はべつに笑って書いていませんよ、
ただそれにはお金がかかりますよね?
来世にまで効果があるそういう瞑想なら現世ではもっと効果が出る はずですけど、
準シュダ
オンさんはそのための出費を考えているのですか?
>小学校を卒業していないのは学生じゃない↑?あんた、 何言ってるのw。
小学校を卒業していないのは、小卒者ではない、と私は言うの。
そんなことは当たり前じゃん、
準シュダオンさんはそんな理屈に目くじら立てていたのですか?
釈迦は小中高大学生までを四双八輩として聖者の集まりとしたわけ でしょう。
ということは小中高大学生という学生の集まりをまるごと聖者と認 めていますよね。
ところが準シュダオンさんは小卒からじゃないと聖者とは違うと言
うなら、
それって小卒以前の小学校生は学生から除外される理屈になってし まうんじゃないかと、
申し上げたわけですから、
そこのところの矛盾を考えてみてください。
それ とも釈迦は預流果からじゃないと聖者の仲間じゃないと言っていた 訳ですか?
- 698 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/11(水) 07:24:06 ID:31nNzUoc0
- 棕櫚さん了解です、ダブリ記事削除しました。
準さんは「仏教(阿含宗)に”因縁解脱”があるからやっている」という旨を言っています。
なのでそれが「無い」とするのを理解(認識)したくないんでしょう。
なので理屈をこねて否定したくなるわけですからね。
私の法友もそうだったが認めてしまうのが嫌なんですね。
認めてしまえば自分の今までの行為(信仰などの姿勢)が”全否定”になりますから。
また散々展開してきた持論も意見も全て水の泡と化してしまう。
何よりも今まで突っ張ってきた体制が壊れてしまう。また批判側という相手に
「負けて成るものか」という意地もある。いわゆる変なプライドというやつです。
その他個人が持つ様々な心境によるものもあると思います。
屁理屈をこねてまで守ろうとするのは私もある程度わかります。私も過去そうでしたから。
ただ、それをどこまでやるか(やれるか)の違いだと思います。
また「特定の人の記事は読まない・返信しない」という姿勢の準さんですが、私はこれにも
推測をしています。
「読まない・返信しない」といいながら時に反論(返信)しているときがあります。
これは「読んでいる」証です。読んでいないというのは詭弁で読んではいるが「無視姿勢」を
取っているからです。
尚且つ読んでいれば反論の1つでもしたくなるのが普通の人間というものです。
だが、それを毎度するのは疲れるし引用も面倒くさい。それよりも自分の勝手な論を言ってのけ
展開する方が楽だし批判側へも”いなせる”。
だからそのような姿勢をとって意見にならない意見を出しているのです。
- 699 :棕櫚:2012/04/11(水)
08:44:19 ID:LVCQrwbk0
- 天照さん削除すみませんでした、ありがとうございます。
>私の法友もそうだったが認めてしまうのが嫌なんですね。
認めてしまえば自分の今までの行為(信仰などの姿勢)が”
全否定”になりますから。 また散々展開してきた持論も意見も全て水の泡と化してしまう。
そういう気持ちは誰でもあるんですからもっと素直に認めるところは認める態度でいて欲しいですが
そうなると自己否定なんでしょうね 。
>また「特定の人の記事は読まない・返信しない」 という姿勢の準さんですが、私はこれにも推測をしています。
「読まない・返信しない」といいながら時に反論(返信) しているときがあります。 これは「読んでいる」証です。
ああこれって私なりに解ります、 対論相手が多いと絞り込めないし全員へ反論書くにも 大変な作業だとは思います。
準シュダオンさんなりにここは押さえておこうとの選択する他ない のは解りますが、
せめて核心部分の質問には誠意を出して答えて欲しいですね。
たとえば深山さんの突っ込んだ四向四果の過去現在の発言の矛盾だとか、
桐山氏の神通力解脱を結果的に否定したこととかは議論上は避けたり、
無視したりしてほしくありません。
準シュダオンさんの反論を読んでいる信者さんや、 応援している人のためにも
ちゃんと是非を付けて欲しいですね。 議論は意地を張ることじゃありませんものね。
- 700 :準シュダオン:2012/04/11(水)
10:08:45 ID:lYSm2W8c0
- >>また「特定の人の記事は読まない・返信しない」 という姿勢の準さんですが、私はこれにも推測をしています。
>「読まない・返信しない」といいながら時に反論(返信) しているときがあります。
これは「読んでいる」証です。
あぁ、それはね、読むつもり無くてスルー、スクロール
してても、画面が止まる
一瞬があるでしょう、そのときたまにレスが目に入る場合があるのよ。そういう
場合は、仏様がこれを読めと言ってるんだな、と思って、読んでレスつける場合が
あるのですね。
>ああこれって私なりに解ります、
対論相手が多いと絞り込めないし全員へ反論書くにも
大変な作業だとは思います。
>準シュダオンさんなりにここは押さえておこうとの選択する他ない
のは解りますが、
>せめて核心部分の質問には誠意を出して答えて欲しいですね。
核心部分の質問の判定が難しいですね。批判派が核心だと考えても、私から見たら
ごくつまらん場合が多いですよ。
- 701 :準シュダオン:2012/04/11(水)
10:20:16 ID:lYSm2W8c0
- >準さんは「仏教(阿含宗)に”因縁解脱”があるからやっている」という旨を言っています。
>なのでそれが「無い」とするのを理解(認識)したくないんでしょう。
>なので理屈をこねて否定したくなるわけですからね。
天照さん、まだそんなこと言ってるの?何度も私が岩波仏教辞典の「縁起」の項
を引用してあげたでしょう。そこにはね、
「さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し、縁起を滅した世界とされた」
と、説明されているのです。
縁起=因縁、であることが解りますよね?
ならば、因縁の滅、因縁の解脱、のことでしょうが。
批判派は、このことを理解出来ないから、いくら修行しても無駄だったのですね。
修行の第一歩は、因縁解脱を理解することだったのですね。
- 702 :準シュダオン:2012/04/11(水)
10:48:04 ID:lYSm2W8c0
- >そんなことは当たり前じゃん、 準シュダオンさんはそんな理屈に目くじら立てていたのですか?
>釈迦は小中高大学生までを四双八輩として聖者の集まりとしたわけ でしょう。
>ということは小中高大学生という学生の集まりをまるごと聖者と認
めていますよね。
そうそう、そのとおりです。釈尊は小中高大学生の集まりを、一まとめに聖者と
呼んでるわけです。けれども、その内容・仕組みを理解しないといけません。
あなたは、釈尊が小中高大学生を一まとめに、学者と呼んだら、小学1年生も
学者だと認めますか?読み書き算の基本を、少しも出来ない小学生でも学者だ
と認めますか?
そうはいかないでしょう。正確には、学者の仲間は、小卒者=小卒果、からですね。
小卒者は基本的な、初歩の読み書き算の課程を卒業したのです、だから学者の仲間
に入れてよいのです。
預流向は小学生と同じ事です。三結断という、課程を卒業しなければ、預流果と
いう最初の卒業証書(聖者の称号)は頂けないのです。
釈尊の聖者学校の場合も、卒業証書は四つあります。
預流果、一来果、不還果、阿羅漢果、の四つです。
四向は、いわば四つの学生です。
そして、八輩のうち、預流向だけが一枚も卒業証書がないことが、解りますね。
他の七輩は、いずれかの卒業証書を持っていますね、だから聖者なのですね。
阿含仏教の四双八輩は、そういう仕組みなのですね。
- 703 :Boo:2012/04/11(水)
11:08:08 ID:5PmmzT8g0
- 天照 さんと
棕櫚さんのレスを受けて準シュダオンさんについて思うところを
述べさせていただきます。
準シュダオンさんの理屈はこうです。
アゴン宗には因縁解脱があるから信仰捨ている。また、釈迦仏教に本当に因縁解脱
がないのなら自分は釈迦仏教の信仰をしない。釈迦仏教は小解脱でアゴン宗の大解脱
に至る過程にすぎない。桐山カンチョウは釈尊を超えたんだから当然の理屈です。
そのように論理展開しながら、「四向四果」だけは拘らなけりゃならない。なぜか。
批判派は因縁解脱の挫折者であり、そのことは、シュダオンになっていないことを
意味する。
つまり、四向四果の聖者になるにはアゴン宗でなければならない、それ以外では
「身見」は切れても「疑惑」「戒取」が断てない。要するに釈迦仏教の聖者の
階梯を登るにはアゴン宗が釈迦仏教の正当な後継者である嫡男でなければ不可能
なんですね。
以上の理由で準シュダオンさんは四向四果の屁理屈に拘る。
準シュダオンさんが本当に桐山カンチョウが釈尊を超えたというならば、四向四果
などとは別の判断基準に立てばよい。阿羅漢果で煩悩を全て絶ったとするならば、
大解脱とは一体それ以上の何が違うのか?大解脱すると再び輪廻転生して「楽」の
人生を送れるとでも言うのか?
阿羅漢果でも小解脱の阿羅漢果と大解脱の阿羅漢果がいるのでしょうか?
私を含めて批判派の誰もが思うのは、アゴン宗では「疑惑」「戒取」は絶対に
切れない。なぜならば釈尊は「因縁解脱」など説いていない。霊魂の存在も
議論しない。いわんや先祖供養など論外でしょう。
だから準シュダオンさんは四向四果など気に病むことなどないのです。四向四果
について議論したいならば(本来ここの場ですべきではないのだが)まず
釈迦仏教というものとアゴン宗の位置づけについての議論に結論づけるべきだと思う。
批判派はすでに結論つけていますよ、もちろん。
- 704 :準シュダオン:2012/04/11(水)
11:10:28 ID:lYSm2W8c0
- >ところが準シュダオンさんは小卒からじゃないと聖者とは違うと言 うなら、
>それって小卒以前の小学校生は学生から除外される理屈になってし
まうんじゃないかと、
>申し上げたわけですから、 そこのところの矛盾を考えてみてください。
学生と学者の違いを考えてみてください。大学生・高校生・中学生、は学者と
呼んでもいいでしょう、レベルの違いはありますがね。
しかし、小学生を学者と呼んでもいいでしょうか?
小学生にはいろいろありますから、無条件に学者とは呼べませんよね。
>それ
とも釈迦は預流果からじゃないと聖者の仲間じゃないと言っていた
訳ですか?
そのとおりです。釈尊は、正確には、預流果からが聖者だと言っています。
それは経典の理解が進むと、わかってくるのです。
釈尊は、自分の弟子を、しばしば「聖なる」との形容詞を付けて呼んでいます。
だから、聖者には二種類あって、煩悩を断じた本当の聖者と、煩悩を断じては
いないが仏道を歩んでいる、ということから、外道と区別して聖者と呼ぶ場合
ですね。後者の場合は、本当の聖者ではありません。
- 705 :準シュダオン:2012/04/11(水)
11:19:36 ID:lYSm2W8c0
- >天照 さんと
棕櫚さんのレスを受けて準シュダオンさんについて思うところを
>述べさせていただきます。
>準シュダオンさんの理屈はこうです。
なるほど、あなたが落伍した理由が解りますねw。
私に対するあなたの見解は、的外れです。
管長の教えに対しても、あなたは的外れの解釈しかできていないのです。
- 706 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/11(水) 11:25:19 ID:0iokvgUQ0
- >>701「さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し、縁起を滅した世界とされた」
と、説明されているのです。
同じ話が繰り返され批判の幾度もの引用を無視していますので、
別な反証を試みます。
滅した世界を釈尊は、ウパシーヴァの質問になんと回答しているか、
スッタニパータに記されています。
師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が
存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道は
すっかり絶えてしまったのである。」(スッタニパータ1076
)
ーバウッダ[佛教]中村元・三枝悳ー
【縁起202〜203頁抜粋】
仏教は、一因一果(ひとつの原因からひとつの結集)という
説をとることを嫌う。「もの・ことがある」とは、「もの・ことが
成立している」ことであり、それが生であり、集であり、また起で
ありつつ、しかもそれらには諸原因・諸条件を必須とするところから、
以上のすべてを合わせていえば、「縁って起こる」となり、
すなわち「縁起(パティッチャ・サムウッパーダ、プライティートヤ・
サムウトパーダ)という述語になる。
- 707 :準シュダオン:2012/04/11(水)
11:27:33 ID:lYSm2W8c0
- >そのように論理展開しながら、「四向四果」だけは拘らなけりゃならない。なぜか。
>批判派は因縁解脱の挫折者であり、そのことは、シュダオンになっていないことを
>意味する。
四向四果に拘るのは、それが阿含教学の基本だからです。それが解らないと、
修行の最初の目標が解らないのです。
あなたは何を目指して修行するの?の、答えがないのです。
>つまり、四向四果の聖者になるにはアゴン宗でなければならない、それ以外では
私の過去レスで、ただの一行でも、そのようなことを書いたことがあるかね?
ないよ。あまり的外れの、勝手なことを書くんでないよ。
- 708 :棕櫚:2012/04/11(水)
12:00:57 ID:IWIw4dtY0
- >私から見たらごくつまらん場合が多いですよ。
まあまあ準シュダオンさん、そう突き放すような言い方はやめて、
貴方の対論者は人数が多いんですから、
すべてには無理だと理解しています。
>702そうそう、そのとおりです。
釈尊は小中高大学生の集まりを、一まとめに聖者と 呼んでるわけです。
ですよね、だったらもうそれで議論は終了でしょう?
深山さんがドンピシャに言ったように釈迦はそれ以上もそれ以下の ことも話していませんよね。
学ぶ人々と学び終えた人々は、みんな学生(聖者集)
の仲間ですよーと仰っているだけで、
学者とか学位とか資格とかで聖者を分けていないんですから、 それでいいじゃないですか。
そういう事後解釈は準シュダオンさんの我説なんですから、 批判派を見下すのはやめましょうよ。
それとBooさんに対しても落伍者なんてレッテル貼りは、 準シュダオンさんの品格をおとしめるか ら、
そういう言い方で相手を追い詰めるのは良くないし、 考え直してください、お願いします。
- 709 :深山:2012/04/11(水)
12:19:44 ID:19kJJY8M0
- >>702 :準シュダオン:2012/04/11(水) 10:48:04
ID:lYSm2W8c0>そして、八>輩のうち、預流向だけが一枚も卒業証書がないことが、解りますね。
四双八輩は資格ではありません。
都合の悪い反論は完全無視して、自分の説を唱え続けるのが準シュダオンさんの特徴ですね。
四双八輩は「四組の八人の人たち」という意味です。
資格ではありません。
釈尊は四双八輩を資格だとは言っていない。
資格を目指し、資格をもった「人」のことです。
- 710 :深山:2012/04/11(水)
12:25:24 ID:19kJJY8M0
- >>702 :準シュダオン:2012/04/11(水) 10:48:04
ID:lYSm2W8c0
>そして、八>輩のうち、預流向だけが一枚も卒業証書がないことが、解りますね。
あなたのもう一つの誤魔化しは、資格を持ったものだけが聖者だと決めつけている点です。
釈尊がいつ資格をもった者が聖者だと言いましたか。
釈尊は、四双八輩という人たちが聖者だと言っているのです。
資格を持った者を聖者だと言っているのではない。
釈尊のいう聖者とは資格ではなく、四双八輩全員を指す。
準シュダオンさんの定義は資格が聖者だという自説にすぎず、釈尊の定義とは違う。
資格が有る無しなど釈尊は言っておらず、それは準シュダオンさんの我流解釈で、
仏教的には間違いです。
- 711 :深山:2012/04/11(水)
12:30:51 ID:19kJJY8M0
- >>701 :準シュダオン:2012/04/11(水) 10:20:16
ID:lYSm2W8c0
>いう最初の卒業証書(聖者の称号)は頂けないのです。
>668 名前:準シュダオン 投稿日:
2011/07/11(月)
11:00:32
>お釈迦さまが、四双八輩の預流向を含めて聖衆と呼んでるのは、弟子を励ます
>リップサービスですよ。
701では預流向は聖者ではないと書いている。
だが、昨年668では、釈尊が預流向を含めて聖者と呼んでいることを認めている。
ただし、それはリップサービスなのだそうだ。
つまり、釈尊は嘘をついていると言いたいらしい。
如来を誹謗するのはあなたの自由だが、668で釈尊が預流向を聖者と
呼んでいることをあなたは認めたことになる。
事実、そのとおりで、釈尊は四双八輩のすべてを聖者であるとしている。
あなたは668で書いたように、釈尊が四双八輩を聖者と呼んでいること
だけは認めるのか、それとも701のように断固として、釈尊は四双八輩全員を
聖者だとは呼んでいないと言うのか、どっちだ?
反論に窮することがないなら、上記の二つの文章が矛盾しないように
はっきり答えてみなさい。
- 712 :深山:2012/04/11(水)
12:33:51 ID:19kJJY8M0
- >558 :準シュダオン:2011/07/07(木) 14:32:31
>斯陀含向とは預流果の別名なんだよ。
>斯陀含を目標に修行している預流果のことを、敬意を表して斯陀含向と呼ぶの
>です。
>同じように、阿那含向=斯陀含果です。阿羅漢向=阿那含果です。
準シュダオンさんのこの定義によれば、
@「預流果=斯陀含向」「斯陀含果=阿那含向」「阿那含果=阿羅漢向」
ということになる。
また、あなたの>>688の説によれば
A「預流向・預流果,斯陀含向・斯陀含果,阿那含向・阿那含果,阿羅漢向・阿羅漢果」
と、向と果が一組となっている。
@とAを合わせるなら、たとえば「預流果=斯陀含向」なのだから、
Aの「預流向・預流果」が「預流向・斯陀含向」になるか、または
「斯陀含向・斯陀含果」が「預流果・斯陀含果」になる。
同様に、直していくなら、Aは
「預流向・斯陀含向,斯陀含向・阿那含向,阿那含向・阿羅漢向,阿羅漢向・阿羅漢果」
または、
「預流向・預流果,預流果・斯陀含果,斯陀含果・阿那含果,阿那含果・阿羅漢果」
なんだ、これ??
「向」と「果」がグチャグチャに混ざって、意味不明です。
この支離滅裂、意味不明こそが準シュダオンさんの頭の中です。
- 713 :深山:2012/04/11(水)
12:36:04 ID:19kJJY8M0
- 準シュダオン説
「預流向・斯陀含向,斯陀含向・阿那含向,阿那含向・阿羅漢向,阿羅漢向・阿羅漢果」
または、
「預流向・預流果,預流果・斯陀含果,斯陀含果・阿那含果,阿那含果・阿羅漢果」
これのどこが四向四果、四双八輩なのだ?
これは四向四果ではなく、一向四果か四向一果です。
釈尊がわざわざ四双八輩と四組八人の人たちに分けたのは、
八種類の別々の人たちだからです。
ところが、桐山さんや準シュダオンさんは、名誉や位階に強烈に執着する名誉餓鬼だから、
四向四果を見て、これも資格や肩書きなんだと思いこんだ。
その結果が上記のような意味不明の滅茶苦茶な説になった。
釈尊は肩書きで分類しているのではなく、人間で分類したのです。
そこに八種類の「人たち」がいるから、八種類に分類した。
八種類の資格ではありません。
階位というなら四種類しかない。
だが、釈尊はこれを八種類に分けている。
つまり、階位で分けたのではなく、人間で分けているからです。
- 714 :深山:2012/04/11(水)
12:39:17 ID:19kJJY8M0
- >>624 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:36:59
>だから、阿羅漢向と阿羅漢果の一対で一つの位と考えるのは、間違いです。
>>688
:準シュダオン:2012/04/10(火) 10:43:15
ID:GURk1tAY0
>日本の学制を利用して、釈迦の四双八輩の仕組みを説明すれば、
>小卒向:小卒果 中卒向:中卒果 高卒向:高卒果 大卒向:大卒果 という
準シュダオンさんはあなたが書いた上記の二つの文章をよく読んでみなさい。
あなたは昨年の624では「阿羅漢果と阿羅漢向」を一組と考えるのは間違いだと書いた。
あなたはあの時、二度書いている。
だが、688では「大卒向:大卒果 」、つまり阿羅漢果と阿羅漢向を一組に書いた。
去年は一組にするのは間違いだといい、今年は一組にしている。
その場しのぎの空想を書くから、書けば書くほどこうやって矛盾が出てくる。
688では「阿羅漢向」と「阿羅漢果」を一対としながら、それでいて、
「阿那含果=阿羅漢向」などと、一対と矛盾することを平気で書く。
「向」と「果」は言葉の対比から見ても一対、一組に決まっている。
それなのに、「阿那含果=阿羅漢向」などと言い出したら、
「向」と「果」が一対であることと矛盾してしまう。
信者さんたちも良く見てほしい。
「阿那含果=阿羅漢向」などいう滅茶苦茶な説を唱えているのは
準シュダオンさんだけでなく、元は桐山さんなのですよ。
- 715 :深山:2012/04/11(水)
12:43:32 ID:19kJJY8M0
- >>612 :準シュダオン:2012/04/06(金) 10:49:24
ID:GURk1tAY0
>同本のP200に、「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀オンの
>範疇ですから」、という解説を理解できますか?
準シュダオンさんの「阿那含果=阿羅漢向」という説はこういう桐山さんの
本をそのままつかっている。
桐山さんによれば、「預流果=斯陀含向」だというのです。
そうすると、>>712のように次のようになる。
準シュダオン説(桐山説)
「預流向・斯陀含向,斯陀含向・阿那含向,阿那含向・阿羅漢向,阿羅漢向・阿羅漢果」
または、
「預流向・預流果,預流果・斯陀含果,斯陀含果・阿那含果,阿那含果・阿羅漢果」
これは準シュダオン説であると同時に、桐山説なのです。
滅茶苦茶ですよね。
だれが考えても、「向」と「果」は一対で別々のものに決まっている。
釈尊は、小学生と「小学資格者」を一組として考えた。
ところが、桐山説や準シュダオン説では、「小学資格」とは中学生だという。
卒業資格と生徒をグチャグチャに混ぜている。
桐山さんも準シュダオンさんもこんな程度の区別すらつかない知性です。
これが仏陀の智慧を持ち、阿含経を間脳で体得したという桐山さんの理解です。
準シュダオンさんはもうどうしようもないから、ここまま一生、
釈尊への誹謗中傷を続けるでしょう。
しかし、まだ知性と良識の残っている信者さんたちは、準シュダオンさんの
知性と良識に疑問を持つように、こういう滅茶苦茶な説を唱える桐山さんの
知性と良識にも疑問を持つべきです。
- 716 :Boo:2012/04/11(水)
13:13:39 ID:5PmmzT8g0
- >>707
>四向四果に拘るのは、それが阿含教学の基本だからです。それが解らないと、
>修行の最初の目標が解らないのです。
>あなたは何を目指して修行するの?の、答えがないのです。
だから〜あなたは釈迦仏教よりも桐山アゴン教学を優先するんでしょう。
ところが桐山アゴン教学を優先できない部分があるんです。それが四双八輩であり
四向四果なんですよ。四向四果を無視しちゃうと批判派を挫折者と罵れなくなる。
アゴン宗でなければ聖者になれないという論理のほうがあなたには都合がよい。
あなたは「因縁解脱」は「縁起の法」の裏付けがあるようにレスしていますが
その理屈はとっくに破たんしています。因縁解脱と縁起の法は全く違うものです。
もし同じならば、釈尊は占星術により「○○の因縁」を指摘しています。
そうして「あなたは何を目指して修行するの?の、答えがないのです」の答えは
よりよい人生を転生したのちに獲得するため、という目的は仏教とはまるっきり
違うものです。
- 717 :棕櫚:2012/04/11(水)
13:23:51 ID:IWIw4dtY0
- >小卒向:小卒果 中卒向:中卒果 高卒向:高卒果 大卒向:大卒果
という
私も随分こちらの過去ログを見させてもらって勉強になりました。
第一点はものすごく引用経典が豊富と引用学説や辞典が多いので、
驚愕していました。
私の学生という聖者集のくくりも、 去年七月の議論の深山さんからの
応用と言うか
そういう解釈を借りて準シュダオンさんに話したのです。
が、準シュダオンさんの言い分はその場しのぎで一貫性がありません。
今回も準シュダオンさんの言い分の矛盾噴出で、 なんか同情しそうです。
準シュダオンさんが桐山本から学んでいるのは大した物で、
私の信者時代より凄いですよ、正直な話。。
でもですねその桐山本があんまりにもオカシイし間違っているので す。
ですからそれを準シュダオンさんがいくら引用し補説しても矛盾が消えないでしょう。
学者の説とも釈迦の説とも整合しないから苦しい詭弁に終わっています。
そういう苦労などは準シュダオンさんの修業に役だ立たないと思います。
せっかく準シュダオンさんは第六感が人よりあって、 霊能が備わっているなら、
そちらの方を研鑽する道を極める様にして、
桐山説など捨てた方が楽ですよ。
どうあがいても準シュダオンさんは徒手空拳のようで持っているものは
桐山さんから引っ張ったニセの剣でしかありませんよ。
批判派はちゃんと引用できてどこからもクレームがつかない真剣を 持っている、
そういう違いにはやく気づいてください。
- 718 :準シュダオン:2012/04/11(水)
13:38:21 ID:lYSm2W8c0
>>702そうそう、そのとおりです。 釈尊は小中高大学生の集まりを、
一まとめに聖者と 呼んでるわけです。
>ですよね、だったらもうそれで議論は終了でしょう?
いえ、いえ、ここが修行が進むか否かの、肝心かなめのところなのですよ。
あなたは(自分は)小中高大学生の何処に位置づくのか?という問題になって
くるからです。
あなたは、預流向ですか?あなたは、まだ預流向未満ですか?
という、自分の自覚の問題になってくるからです。
預流向を聖者だとした場合、あなたは預流向だと思いますか?と、問われたら
図々しい人以外は、その場合は、自分は預流向未満だ、と答えるでしょう。
預流向は凡夫で、預流果からが聖者だとした場合、あなたは預流向ですか?
と、問われた場合、どう答えますか?
その場合は、自分は凡夫だから、預流向です、と答えられるのです。
このように自覚できてる場合は、修行は進むのです。
>深山さんがドンピシャに言ったように釈迦はそれ以上もそれ以下の
>
ことも話していませんよね。
経典内容を読み取れないからそう思うのであって、経典を読み取れる人には、
釈迦が、預流果からが聖者で、預流向は凡夫の範疇だ、と話していることが
解るのです。それが解ると、自分の明確な修行目標も見えるのです。
ところが、深山さんなどは、経典内容を読み取れないから、預流向が凡夫の範疇
であることを読み取れない。預流向を聖者だと思い込んでるから、よもや自分が
預流向なのだとは夢にも考えられない。ゆえに明確な修行目標も見えず、修行は
進まない。そういうわけなんですね。
それで、沢山の経典を読んで覚えても、囲碁の定石を300覚えた管長みたいな
もので、経典を少ししか知らない私に簡単にコロコロ負かされているのです。
でも、コロコロ負かされていることにも気づかないのでしょう。
だから、無駄な大量レスを、恥ずかしくもなく書けるわけですね。
- 719 :準シュダオン:2012/04/11(水)
14:09:08 ID:lYSm2W8c0
- >第一点はものすごく引用経典が豊富と引用学説や辞典が多いので、
驚愕していました。
引用経典や学説が多くても、正しく解釈できていないと、囲碁の定石を300暗記
した管長の如く、定石は何の役にもたたないのです。経典の量などは問題でないの
です。経典の量を少ししか知らなくても、深く内容を理解している場合は、経典の
量を沢山知っている人より優るのです。
>私の学生という聖者集のくくりも、 去年七月の議論の深山さんからの
応用と言うか
>そういう解釈を借りて準シュダオンさんに話したのです。
学生と学者の違いは理解できますね?
小学校を卒業したら、小学者です。大学を卒業したら、大学者です。
小学生を小学者とは呼べません。
在学生と卒業生をごっちゃにしては、いけません。
預流向は在学生で、預流果は卒業生、なのです。
>が、準シュダオンさんの言い分はその場しのぎで一貫性がありません。
そう思うのは批判派ばかりですね、つまり、私の言い分を理解できないと
いうことが、阿含宗の言うことを理解できていない、ということですね。
四向四果の「向」とは在学生のことで、「果」とは卒業生のことです。
預流向は預流校の在学生で、預流果は預流校の卒業生だと考えたら良いです。
そうすれば、一対で一つの位だなんて、馬鹿げた考えは捨てられるでしょう。
大学生の学歴資格は高卒ですね。高校生の学歴資格は中卒ですね。
中学生の学歴資格は小卒です。
では、小学生の学歴資格は?
小学生は、まだ卒業証書が一つもありませんから、学歴資格はないのです。
それが預流向は本当の聖者ではない、という意味です。
- 721 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/11(水) 14:50:38 ID:Cix8Yy0s0
>>701
今まで遠慮して言わなかったけど、がっちり言わないとわからないのでしょうか。
わかってないのは準さんのほうです。よっぽど認めたくないのでしょうね。
準さんの言う「縁起=因縁」とすぐに直結していますがそれは
両者は似ている意味を包括しているのでそれを以って「同意語にする」のはわかります。
しかし阿含宗の言うところの因縁解脱は間違っているので同意できません。
ですから「縁起=因縁、であることが解りますよね?」ここは理解できます。
しかし、次からの「ならば、因縁の滅、因縁の解脱、のことでしょうが。」は間違いです。
何度深山さんやユビさんその他の方が説明しても理解しないので私が言っても無駄でしょうが、
皆さんは理解しているのに準さんだけが「理解しない」のはどういうことか。
例えば「無関係な人間さん」は信者では有りません。ですが私たち同様の理解をしています。
第三者・外部の方で一般の方でも「すぐに理解している」のに対して準さんはこの継承スレに
きて4年も経つが一向に理解できないのは私には理解できません。
因縁の滅というのは釈尊は説いていません。そういっても準さんは以前も出した持論の
「どこそこにこのように書いてある」というのを出すだけでそれだけでもう釈尊が「因縁解脱」
を説いたと早合点と錯誤をして主張を述べている。
解釈の問題で云々、というだけなら私も反発しないし何も言いません。
ですが、準さんはその「一文」だけを出して後は出さない。
釈尊がどのようにゲイカの言うように因縁を切り解脱するか示してくださいと過去に質問したが
まるで小学生か幼稚園児の「オウム返し」をしているかのように同じことだけを示し発する。
そんなことで納得するのは擁護する人か仏教を理解してない人たちだけです。
- 722 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/11(水) 14:50:57 ID:Cix8Yy0s0
- 準さんの出している「因縁解脱論」はあの一文だけで他には推測や憶測だけです。
これでは他人に説得力も得ることや理解を促せません。
釈尊が準さんの言うように「因縁解脱」を推し示唆しているのなら、なぜにその一文だけで
阿含経の全体の大半に及ぶほどにその指導がないのはどうしてなのか。
それこそ煩悩解脱が「一文」だけであって、その他は「因縁解脱の示唆」があるべきでしょう。
実際は準さんの言う箇所は「一箇所」のようであって、その他は「煩悩解脱の示唆」が多い。
私たち外部から見れば準さんは辞書などを引用したりすることもあるが、煩悩解脱よりも
「因縁解脱の内容に即している箇所は無いか」と探し解釈引用しているかのように見えます。
ゲイカの言う論を信じているからそのような脳みそ(思考)構成になっているのでしょう。
まず「因縁の滅」と釈尊が言っているかは、準さんの示す一文だけのようです。
釈尊が因縁を滅す?滅すとは消す、消滅させるということと同義語(同内容)です。
では釈尊はそのためのことを毎度説かねばならないし説いているはずです。
でも実際はそんなことは説いておらず準さんの矛盾は消えない。自己解釈だけになっています。
また滅すための方法も書かれていないではないですか。
滅すだけなら別段「成仏法」はいらないでしょう。もうここで矛盾が早速生じてしまう。
因縁とカルマからの解脱(または脱出)とゲイカが謳っているわけですが、その思考が残ってて
それに沿うように頭が出来上がっているから、いくら仏教書をみても「わからない」
学者さんの情報も「間違っている」。また我らが言っても「そんなものはお前らの解釈だ」と
いなして反発するしかないわけです。
私などはゲイカが言うことと批判側の言うことを精査するためには一旦阿含宗の教学や思考傾向を
消して、つまり一旦リセットしてからどちらが釈尊の教えに対し正しいかを見た。
また実際的に阿含宗・ゲイカに纏わる「矛盾点」そして量をみたらば教団のほうの不整合が目立った。
ゲイカに於いては矛盾のオンパレードです。
いくら洗脳の度合いがあろうともちゃんと釈尊を機軸に置いて精査すればわかります。
準さんは釈尊よりもゲイカの説や自分の思考が優先でちゃんと精査で来てないので何を見ても理解が
できず批判側がバカにみえるのでしょう。
- 723 :棕 櫚:2012/04/11(水)
15:17:43 ID:IWIw4dtY0
- >いえ、いえ、ここが修行が進むか否かの、 肝心かなめのところなのですよ。
あなたは(自分は)小中高大学生の何処に位置づくのか?
という問題になってくるからです。
あなたは、預流向ですか?あなたは、まだ預流向未満ですか?
という、自分の自覚の問題になってくるからです。
移動中で書いていますので、誤字などはご容赦ください。
準シュダオンさんは修業している方ですものね、 なるほどなるほど。
しかしHNで考えれば準シュダオンさんは預流向を自覚しているんですね?
じゃああ、いつ入学したのですか?
釈迦の四双八輩の弟子衆は釈迦に帰依し具足戒を受けた= これ入学ですよね。
それでこの釈迦の四双八輩は、
あとはエスカレータ式のように階梯を登れるけど、
まあ修業途中で亡くなられれば、 その四果の果報によって輪廻するんでしょうが、
準シュダオンさんの四向四果は入学と卒業とまた入学がないと資格の根拠にならない。
でもってその最初の入学と言うなら、「身見」
という霊魂話や因縁切りという教義の
「疑惑」からちゃんと卒業し断じているわけですか?
ゴマを拝むのは「戒取」ですから、そ
れを止めたら三結断の預流果ではないですか。
準シュダオンさんが四向四果を修業の大事にするなら、 そういうことで行が進むでしょう。
私の場合はもう信者止めてますから、修行もしていませんけどね。
どう考えても準シュダオンさんにあごん宗が要るとは思えないですね。
だいたい生きた如来さんなんて言われて話しかけても返事もしない 煙の如来ですからーー。
- 724 :準シュダオン:2012/04/11(水)
15:22:07 ID:lYSm2W8c0
- >準さんの出している「因縁解脱論」はあの一文だけで他には推測や憶測だけです。
一文だけではないですよ。あの一文は阿含仏教の「悟り」を要約したものです。
管長は諸々の苦を○○因縁と呼んでるだけの話です。
釈迦仏教は、諸々の苦=四苦八苦、を解決するための教えです、そのために煩悩
を断つのです。最初に煩悩を断つ理由を、理解せねばいけません。
岩波仏教辞典の「苦」の説明に、(長いから要点を引用すれば)
「初期仏教では、この苦を直視しこれを超克することが最大の課題であった」と、
説明しています。つまり、初期仏教=苦の超克の教え、なのです。
管長は、この苦のことを○○因縁、と名付けてるだけですよ。
また、同辞典の同じ項には、
「縁起説は、苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明を見出し、
これらを滅すれば苦も滅するとしたものであり・・」と、説明しています。
つまり、苦を滅するために、苦の原因である煩悩を発見し、それを滅せよ、
と、教えているのです。
そもそも、釈尊は四苦八苦を滅するために、仙人を訪ねて出家したのです。
そのことを羅摩経で釈尊は説いています。
>これでは他人に説得力も得ることや理解を促せません。
>釈尊が準さんの言うように「因縁解脱」を推し示唆しているのなら、なぜにその一文だけで
>阿含経の全体の大半に及ぶほどにその指導がないのはどうしてなのか。
阿含経の大半には、苦という言葉で書かれているだけです。あるいは悪趣とか。
管長はその苦を、因縁と呼んでるだけです。
苦を因縁と呼んでも、同じことでしょ?
苦の因縁から、苦が出来てるのですから。
- 725 :準シュダオン:2012/04/11(水)
15:40:20 ID:lYSm2W8c0
- >実際は準さんの言う箇所は「一箇所」のようであって、その他は「煩悩解脱の示唆」が多い。
>私たち外部から見れば準さんは辞書などを引用したりすることもあるが、煩悩解脱より
>「因縁解脱の内容に即している箇所は無いか」と探し解釈引用しているかのように見えます。
じゃあね、何のために煩悩を断つのですか?なんで煩悩解脱せにゃいけないの?
貪欲を断て?瞋恚を断て?淫欲を断て?
何を言ってるのよ!
この世は金と淫欲に決まってるではないか!
煩悩を断てなんて、世迷言を言うではない。
と、言うのが私の二十代の仏教観、でしてね。
私は、煩悩を断つために入行したのではないです、そんなのは関心ない。
私は、苦滅のため、因縁解脱のために入行したのです。
私にとっては、苦滅、因縁解脱、のない教えなど無用です。
いくら有名人の教えでも、それ↑が無ければ無用、無価値です。
- 726 :棕 櫚:2012/04/11(水)
15:43:17 ID:IWIw4dtY0
- >学生と学者の違いは理解できますね?
あははは、、釈迦は学生(聖者集) しか定義していないですもんね。
学者なんて準シュダオンさんが勝手に出したんだから意味ありませんよね。
入学して(弟子入りして)学ぶ者達は、 みんな聖者の集いでしょう?
このくらいは批判文を読めば楽勝に理解できることですよ。
>阿含宗の言うことを理解できていない、ということですね。
四向四果の「向」とは在学生のことで、「果」 とは卒業生のことです。
ですからね、そんな括りをするなら各入学はどうするんですか、
どうなってんの?
小卒で亡くなった人を釈迦は、「あれはね中学向(一来向)だよ」 って言うんですかあ?
そんなことに拘って意地を張っていると、
修業が進まないでしょう。
一刻もはやく準シュダオンさんは真の預流をめざして修業してくだ さい。
そう断言すればあごん宗から離れ、マジ預流向になれますよ。
私がアーガマを読んだ限りは資格じゃなく道を歩けと聞こえます。
登頂を目指すのに一々資格書とか卒業証書がいてそこで切符を購入しな きゃならないなんて、
あごん宗のシステムがおかしくて、笑っちゃいますよ。
まさか準シュダオンさんはそのたびにお金を出している訳ですか?
- 727 :準シュダオン:2012/04/11(水)
15:54:28 ID:lYSm2W8c0
- >じゃああ、いつ入学したのですか?
入行を許可された時から、入学しているのです。
>釈迦の四双八輩の弟子衆は釈迦に帰依し具足戒を受けた= これ入学ですよね。
>それでこの釈迦の四双八輩は、
あとはエスカレータ式のように階梯を登れるけど、
預流向はエスカレータに乗れていないのですよ。預流果に成れたら、エスカレータ
に乗れたのですね。
>まあ修業途中で亡くなられれば、 その四果の果報によって輪廻するんでしょうが、
>準シュダオンさんの四向四果は入学と卒業とまた入学がないと資格の根拠にならない。
>でもってその最初の入学と言うなら、「身見」
という霊魂話や因縁切りという教義の
>「疑惑」からちゃんと卒業し断じているわけですか?
あのね、疑惑と身見と戒取を三結といってね、それらを断じたら預流果なの
です。疑惑・身見・戒取などを断じていないから預流向、なのです。
- 728 :棕 櫚:2012/04/11(水)
16:02:37 ID:IWIw4dtY0
- >この世は金と淫欲に決まってるではないか! 煩悩を断てなんて、世迷言を言うではない。
私は、煩悩を断つために入行したのではないです、
そんなのは関心ない。
私は、苦滅のため、因縁解脱のために入行したのです。
私にとっては、苦滅、因縁解脱、のない教えなど無用です。
いくら有名人の教えでも、
それ↑が無ければ無用、無価値です。
なあんだ、それってそこいらの欲ボケおっさんと変わらない欲望じゃん。
だったら何も信仰なんて面倒くさい手続きなど省いて実社会で勝負すればいいだけです。
信仰して毎朝勤行する時間や道場で梵行する時間があるくらいなら
、
現実で頭脳や身体を使って仕事を成功するよう努力した方がよほど 効果的です。
でもねえ、準シュダオンさんは自分に自信が無いから神仏なんかに頼って、
努力を阻止している因縁を切ろう、 そうすれば上手くいって金持ちなって
美人のお姉さんとも遊べるなんて夢想して信仰しているんでしょうね。
いやあ、それって無理、ムリ、ムリですよ。
だって私の回りにすらそういう成功したおっさんが一杯いますから ーーー。
その人たちなんか、ぜーん全信仰なんかしてないですよ。
それでいてビジネスも成功し愛人とも裁判沙汰も無く平穏に暮らしてますよ。
準シュダオンさん、あごん宗やめてそういう成功者のところで頑張ったらどうですか?
給料だって貰えるし、あごん宗で金を使うよりマシですよ。
- 729 :準シュダオン:2012/04/11(水)
16:07:28 ID:lYSm2W8c0
- >あははは、、釈迦は学生(聖者集) しか定義していないですもんね。
>学者なんて準シュダオンさんが勝手に出したんだから意味ありませんよね。
釈尊の四双八輩は、解りやすく言うと、学生(聖者候補)と学者(聖者衆)
の定義なのです。向が学生で、果が学者なのです。
なんで向と果と区分したのか、と言えば、在学生と卒業生との違いです。
釈迦は学生(聖者衆)しか定義していない?
学生だけではないでしょ。
大学を卒業したら、阿羅漢という学者・社会人になるのですよ。
大学生はいわば阿羅漢向なのであって、卒業したら阿羅漢果です。
- 730 :準シュダオン:2012/04/11(水)
16:30:42 ID:lYSm2W8c0
- >でもってその最初の入学と言うなら、「身見」 という霊魂話や因縁切りという教義の
>「疑惑」からちゃんと卒業し断じているわけですか?
入学したら預流向なのであり、身見・疑惑・戒取を断つ修行に入るわけです。
預流向の自覚がないと、三結煩悩を断つ修行に入れないのですね。
霊魂とアートマンは違いますから、霊魂話は身見ではないのです。
因縁切りに疑問を持つことを、疑惑というのです。
>ゴマを拝むのは「戒取」ですから、そ
れを止めたら三結断の預流果ではないですか。
ははは、護摩と戒取は何の関係もありませんよ。外見はどうでも良いのです。
お茶の作法も瞑想に成り得るし、弓道でも瞑想に成り得ます。
勿論、焚き火を眺めても、煙を眺めても瞑想に成り得ますね、外面は関係ない。
>準シュダオンさんが四向四果を修業の大事にするなら、 そういうことで行が進むでしょう。
>私の場合はもう信者止めてますから、修行もしていませんけどね。
信者を辞めても阿含経の勉強は出来るでしょう。正しい解釈を覚えて深山さん
などに教えたら良いでしょう、私では手に負えませんから。
>どう考えても準シュダオンさんにあごん宗が要るとは思えないですね。
いやぁ、阿含宗でなければ、今程度にさえ、成れなかったと考えますね。
>だいたい生きた如来さんなんて言われて話しかけても返事もしない
煙の如来ですからーー。
期待を掛けすぎたのでは、返事をしないでしょうね。
- 731 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/11(水) 16:49:37 ID:Cix8Yy0s0
- >>724
あの一文は阿含仏教の「悟り」を要約したもの?
準さんもゲイカに負けず方便の使いが見事なことですね。初めて聞きました。
>岩波仏教辞典の「苦」の説明に、(長いから要点を引用すれば)
「初期仏教では、この苦を直視しこれを超克することが最大の課題であった」と、
説明しています。つまり、初期仏教=苦の超克の教え、なのです。
管長は、この苦のことを○○因縁、と名付けてるだけですよ。
この最後がわかりませんね。何でこうなるのか・・・。
「苦のことを○○因縁、と名付けてるだけ」とは見事な論ですね。
苦が因縁とはゲイカが言ったといって良いのですね?こんなことは初めて聞きました。
仮に百歩譲ってゲイカが言ったとしても「釈尊は言ってません」よね?
また阿含宗には数種の因縁があるがあれも「苦のことをOO因縁と名づけた」と。
どうしてこうも創作というか捏造というか勝手に主張できるものですかね・・・。
準さんはお判りになられて無いらしい。それでよく批判側をなじるものです。
過去に皆さんが出していますよ、答えは。
それを出せば相当都合が悪いと見えて今回のような新ネタを出してくれる準さんには
別な意味で「頭が下がりますね」
あの各種の因縁は「密教占星術T」に載っています。それを見れば判ります。
要は「占いから出した」と言っても良い。阿含経にあのような項目などありません。
また大乗仏教にも無い。ましてやお釈迦様も出してません。
>また、同辞典の同じ項には、
「縁起説は、苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明を見出し、
これらを滅すれば苦も滅するとしたものであり・・」と、説明しています。
つまり、苦を滅するために、苦の原因である煩悩を発見し、それを滅せよ、
と、教えているのです。
素晴らしいですよ。準さんはときおりこうやって「正しいもの」を引用し出すが、
どうしてここまで判っていながら横に逸れるかが判らないのですよ。
この辞書の言うとおりでしょう?仏教はね。
- 732 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/11(水) 16:50:16 ID:Cix8Yy0s0
- 「苦の原因である煩悩を発見しそれを滅せよ」ここが肝心なのです。
仏教の目的というか核の部分はここでしょう。
釈尊が示唆されたのはここであって、因縁解脱ではありません。
因縁を滅せ、などと全く言ってません。煩悩を滅せ、は言われていますが。
>阿含経の大半には、苦という言葉で書かれているだけです。あるいは悪趣とか。
管長はその苦を、因縁と呼んでるだけです。
苦を因縁と呼んでも、同じことでしょ?
苦の因縁から、苦が出来てるのですから。
どうして湾曲するか。
「苦を因縁と呼んでも、同じことでしょ?」いいえ、違います。
貴方は脳内ですり替えをしているのでしょうか?神経を疑う。
苦は苦です。因縁は「因果応報」です。別物です。判りますか?
「苦の因縁から、苦が出来ているのですから。」そう思っているのは貴方だけです。
阿含宗の各種の因縁は「占いから引用したもの」であり、大元はゲイカがパクっただけです。
苦の因縁って皆目判らない。そんなものはありません。苦は苦です。
因縁は因果応報であって、「OOの因縁」なんてものはない。
有るとすればゲイカが作った「インチキ名称」だけです。
- 733 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/11(水) 16:50:51 ID:Cix8Yy0s0
- 苦の原因であるのは何か? それは煩悩である。煩悩とは何か?
それは各個人が持つ種々の煩悩である。その煩悩を消すためには煩悩の発生原因である
「心」を観察しコントロールする。つまり煩悩を発生させる元を断つためのことを行う。
これが仏教であり釈尊の示唆です。
一方阿含宗は苦の原因は「悪因縁」である。過去世に於いて積み重ねた悪業が悪因縁と
なりその人に付きまとう・同化しているわけです。
この因縁を滅しない限り苦から逃れられない。そのためには勤行と梵行と供養が必要で
ご本尊様に供養し修行を行え。悪因縁から解脱せよ。これが教義であり因縁解脱です。
両者を見たら全然違います。釈尊は煩悩解脱を示唆しているが阿含宗は因縁解脱です。
尚且つ釈尊が言いもしないことを阿含宗では言っていて教義にしている。
それだけでなく「釈尊が説いた事項」ともしているし、信仰行為をして講じさせている。
まず釈迦仏教は「勤行などしません」阿含宗のようにお経や真言を唱えることなどしません。
何故しないかは後で詳しく説明します。
次に「梵行」これも違います。
阿含宗の梵行は「仏様にご供養する。または教団内での教義に即す行為」を梵行と言っているが
釈迦仏教の梵行は戒を守るのと性的に清くしなさいということです。
出家者は特に厳しくサンガ内でも男女の法談や必要な事項以外の接触は禁じられています。
なぜそうかというと規律が乱れるのと煩悩が発生する原因に成るからです。
- 734 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/11(水) 16:51:11 ID:Cix8Yy0s0
- 在家者は出家者より緩和されていて結婚してもよいが妻は夫以外、夫は妻以外の異性とふしだらな
行為をしてならないということがあります。これが梵行です。(未婚者は後述)
また厳密に言えば「行為」に及ばなくても心を奪われるとか放逸・散漫になるのも芳しくない。
仮にふしだらな行為をせずとも煩悩が発生するのであれば、在家者はそのための制御というか
コントロールにはかなり手を焼く場合も生じる。だがやらなければいけない。
在家者は結婚しても良いが不倫・浮気のようなことはご法度は当然ながら、そう言う行為をしなくても
心が乱れたりするようなのであれば梵行の実行をしてないということになります。
そして未婚の人でも異性に対して「性的にだらしない」のはいけません。
また性行為が無くても異性に対して始終心を奪われるような心の乱れが生じるのもダメです。
それは煩悩に翻弄されている・制御できてないからです。
またこれは特段言われてないが同性であってもやはり性的や心の乱れがあるのもいけません。
最近では大分オカマもレズも認められるような世の中になっていますが、これが仏教を講じる
修行者となればその「同性に対する心や体の乱れ」もご法度です。
それは仏教の基本である「煩悩発生」が生じるからです。元を断つというのはそういうことで
こと梵行といえばこういう事項を指します。
ですので阿含宗の言う「梵行」は嘘・偽の用語で間違った教え(仏教用語)です。
ゲイカは自分が信者に奉仕活動や供養をさせようと使った言葉ですが、正しい仏教用語を知った
人から見れば阿含宗の信者さんは「仏教知らず」というのがモロばれです。
(かく言う私もその一人でしたが)
- 735 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/11(水) 16:51:34 ID:Cix8Yy0s0
- 次に供養ですが、釈迦仏教では阿含宗でやっているような「先祖供養」はしません。
せいぜい釈迦仏教で行う供養とすれば、「出家者やサンガに対しての布施」または自分が接する
人生上の関係者・縁者などに麗しい布施をする。「無財の七施」が有名ですが、ああいうことや
貧しい人を助けたり困っている人を助けたりするなども布施で供養です。
阿含宗で勧めている「先祖に回向」とか「成仏できない先祖にご供養しましょう」というので
塔婆供養、護摩木供養、万燈供養、解脱供養、冥徳供養云々などの供養は不要です。
勤行も先祖供養の1つに入っておりますが、阿含宗式の先祖供養を特段しませんので不要です。
もしも個人が「先祖供養」として何かをするなら、仏壇のようなものや墓などに。現代なら
写真などの遺影などにでもいいですが、先祖に対して供物を供えるとかは巷の信仰の形式の名残と
してやってもよろしいが、こと仏教としては特に示唆はありません。
仏教の教えるものは「先祖の威徳を偲ぶ」ということだけです。
そこには霊障も死者成仏もありません。ですからお経も真言も唱えたり仏像・仏画を拝む必要は
なく、また墓や遺影に対して特段今の世に見られるようなお坊さんを呼んで何かしてもらうとか
自分たちが阿含宗式の何かを講ずる、ということはしません。(不要です)
また煩悩解脱は「何か悪因縁が自分たちを苦しめる」とか「悪い運命の元凶になっている」という
ようなことの顕現ではありませんから、勤行をして本尊から「成仏力」をいただいて何かをする、
ということの思考すら出てきません。つまり易しく言うと「何かを拝んでそのお陰で悪いものを
消そうとする」ということはしません。ですからご宝塔やら仏舎利を拝んで因縁解脱、なんて事は
浮かんでも来ない。
- 736 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/11(水) 16:51:53 ID:Cix8Yy0s0
- 煩悩の発生するのは「自分の心」が原因です。自分の心癖やら悪い傾向を是正し変えるしかない。
だから「何かを拝んで〜」ではなく何もを拝む必要はない。
自分の悪い心癖や傾向を修正するための行動。つまり自分の心を観察し把握理解する。
そして悪い行為に成る場合はそれを制御する。最終的には克服することに成るのですが、それを
成しえた人が「仏陀になる」ということです。(ユビさんがいつも説明されていることですね)
もちろん心の制御。それだけでは完全解脱とはなり得ないが、仏陀の要素を備えては居ます。
まずそれを目指して自己を修練・鍛錬・調整してゆくのです。それが修行なのです。
ですから釈迦仏教を知れば因縁解脱は創作でデタラメ。尚且つ釈尊は言ってない事項です。
また「煩悩解脱」を追ってゆけば因縁解脱と全然違うというのが見えてくるし、因縁解脱を
立てても必ずどこかで矛盾が生じてきます。
実際の事項とすれば「たち夫人」がガンで逝去されたし、ゲイカも脳障害の因縁がないのに
脳梗塞を発症した。求聞持脳を持って居るのに「ボケてしまった」のとその凄さを見せてない。
結局は口だけであり、実際に「因縁解脱」も成しえない。今まで謳ってたことの実際の示唆も
だせてないづくしです。
また護摩も占いも釈尊は禁止しているので阿含宗が如何に「密教の様式で〜」といっても
釈迦仏教から見たら「アウト」です。密教から見れば「OK」でも報恩教主釈迦から見たら
如何なる理由でも「却下」です。
だから阿含宗は根本仏教と標榜するのは勝手だが、仏教を知る人から見たら
「ハッタリ教団じゃないか」となります。
仏教を知らない人や素人を騙せても、学者や自分らのように後から勉強したものには通用は
しません。
準さんも辞書などを見て私よりも「物知り」なのですから十分判るはずだと思います。
なので私は貴方が「意地を張っているか頑固になっている」もしくは「脳が逝っている」かの
どれかなのかな、と思うわけです。
- 737 :棕 櫚:2012/04/11(水)
16:58:54 ID:IWIw4dtY0
- >いやぁ、阿含宗でなければ、今程度にさえ、 成れなかったと考えますね。
準シュダオンさんほど不屈の精神を以って学んでいるなら、
あごん教学など絶対に、
要りませんよね。
過去を見ても良し悪しは別にして、 擁護意見を凹まずに展開してきています。
それが一転して批判になれば、 すごい論客になると思うけどだめですかね。
そういう立ち位置と言うか、
我説でも拡大できる才能を批判に生かせばあれこれ
迷っている信者さんへ幾ばくかのアドヴァイスや貢献が出 来ますよ。
ここまで上手く来られたのは、
準シュダオンさんの努力と才能意外にない。
だってあごん宗は無力ですから、 桐山さんなど悪弊でしかないのに、
社会的に困らないで来れたのは、
準シュダオンさんに実力があるからだと思います。
今日はまだ仕事があるんで、またの機会に議論させてください。
- 738 :Boo:2012/04/11(水)
22:43:14 ID:5PmmzT8g0
- いや〜
天照さんのご意見まさにその通り。かゆい所に手が届く丁寧なレスです。
これで理解できなかったらそれは理解する気がないからだという感じです。
- 739 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/12(木) 10:59:43 ID:.1eq2tJs0
- Booさん、恐縮です。
どうやったら上手く説明できるかを考え努力させていただきました。
棕櫚さんも移動の合間にご苦労様です。
棕櫚さんが言われていたスタイルが展開されて居られて何よりです。
どうぞ今後とも合間で構いませんのでよろしくお願いいたします。
- 740 :深山:2012/04/12(木)
12:14:10 ID:n9cWUJfs0
- >>718 :準シュダオン:2012/04/11(水) 13:38:21
ID:lYSm2W8c0
>その場合は、自分は凡夫だから、預流向です、と答えられるのです。
>このように自覚できてる場合は、修行は進むのです。
またごちゃ混ぜの寝言が始まった。
読者の皆さんは何を彼がごちゃ混ぜにしているかわかりますか。
阿羅漢が解脱した時には、煩悩からすべて解放されたと自覚するという(漏尽通)。
これを四双八輩にあてはめたつもりなのです。
だが、阿羅漢を除いて、それぞれが自覚するなんて話は経典にはありません。
たいてい、釈尊が「彼は預流である」と認定しているにすぎない。
阿羅漢ですら、本人の自覚だけでなく、周囲に確認を取っている。
その証拠がスシーマ経で、解脱を自覚した比丘たちが釈尊の所に行き、
解脱を宣言し、それが認められた。
解脱したと錯覚したり、嘘をつく比丘がいたからです。
預流向が聖者かどうかは、準シュダオンさんの見解なんて何も関係ない。
仏教の教義であり、解説書に書いてあり、普通の知性があれば誰でも
経典にある釈尊の四双八輩の説明を理解するのであって、自分がどうであるか
なんて自覚はまったく関係ない。
数学者にならなくても、四則演算くらい誰でも理解できるのと同じです。
釈尊は「四双八輩=聖者」としたのだから、「預流向=聖者」です。
この教義はあなたの慢心と思い込みから来る体験などまったく必要としない。
- 741 :深山:2012/04/12(木)
12:19:40 ID:n9cWUJfs0
- >>718 :準シュダオン:2012/04/11(水) 13:38:21
ID:lYSm2W8c0
>ところが、深山さんなどは、経典内容を読み取れないから、預流向が凡夫の範疇
釈尊が聖者だと言っているのだから、私が読み取る必要はない。
あなた以外の誰が読んでも、釈尊は預流向を含む四双八輩を聖者だと言っています。
私をはじめ批判側は何度も釈尊の経典を引用して、
「四双八輩=聖者」という記述から「預流向=聖者」だと指摘した。
学者たちの説明も同様で、預流向から阿羅漢まで四双八輩は全員が聖者です。
経典の釈尊も学者も全員が、「預流向=聖者」と述べている。
私が経典内容を読み取る必要もなく、釈尊本人がそのように
述べており、学者もそのように解釈しており、私は引用したにすぎない。
一方、準シュダオンさんのは読み取るのでさえなく、我流の自説であり、
自己流の屁理屈です。
だから、昨年、あなたは批判側から追い詰められて、釈尊が四双八輩を
聖者だとしていることを認めた。
もちろん、準シュダオンさんはこういう都合の悪いことは忘れている。
- 742 :深山:2012/04/12(木)
12:22:27 ID:n9cWUJfs0
- >668 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/07/11(月)
11:00:32
>お釈迦さまが、四双八輩の預流向を含めて聖衆と呼んでるのは、弟子を励ます
>リップサービスですよ。
リップサービスとは、実際は預流向は聖者ではないが、聖者だと言って
あげたという意味でしょう。
つまり、あなたは釈尊を嘘つきと罵った。
自説を主張するためなら、釈尊を嘘つきと罵ることすら
厭わないその姿勢にはひたすらあきれる。
自分を正当化するためなら、事実をねじ曲げることが何ともないその態度は、
漏尽解脱を小解脱と罵った桐山さんと良く似ている。
そして、準シュダオンさんは、一時こうやって釈尊が言ったことを認めながら、
十ヶ月もたつときれいに忘れて、また同じ主張を繰り返す。
記憶力や羞恥心がないというのは便利ですね。
- 743 :深山:2012/04/12(木)
12:29:16 ID:n9cWUJfs0
- >>718 :準シュダオン:2012/04/11(水) 13:38:21
ID:lYSm2W8c0
>そう思うのは批判派ばかりですね、つまり、私の言い分を理解できないと
>いうことが、阿含宗の言うことを理解できていない、ということですね。
「預流向≠聖者」説を桐山さんは断定していません。
そのように解釈できる文章のみをあなたは引用して、自説の裏付けにしているが、
現実にその阿含経講義の上巻で、「預流向=聖者」と解釈できる文章も書いている。
すでにここで何度も引用したとおりです。
中巻でどちらを書くだろうと期待したが、桐山さんはこの点に
ついてははっきり書いていない。
書いたのは「預流果=斯陀含向」という爆笑解説です。
そして、仮に下巻で預流向の件を書くとしても、
桐山さんは「四双八輩=聖者」、つまり「預流向=聖者」説を採るでしょう。
なぜなら、平河出版の人たちがここを読んでいるからです。
あなたとの議論がなければ、四双八輩を理解していない桐山さんや
平河の社員は「預流向≠聖者」と書いたかもしれない。
だが、残念ながら、ここでくり返し議論したことによって、
準シュダオンさんと違い、彼らは「預流向=聖者」だと理解した。
平河の社員はあなたと違い、三福道や仙尼経の異陰の捏造を
認めたからこそ、ああいう書き方をしたのです。
あなたと違い、本として出すからには学者の説とまるっきり違うことは書けない。
- 744 :深山:2012/04/12(木)
12:32:01 ID:n9cWUJfs0
- >>719 :準シュダオン:2012/04/11(水) 14:09:08
ID:lYSm2W8c0
>そう思うのは批判派ばかりですね、つまり、私の言い分を理解できないと
>いうことが、阿含宗の言うことを理解できていない、ということですね。
そんなことはありません。
昨年、あなたに「預流向≠聖者」を示す経典を引用するように
求めたアゴンさんは信者です。
批判側や擁護側を問わず、ここに現れた人たちで、準シュダオンさんの
「預流向≠聖者」説を支持した人を見たことがない。
アゴン宗の言うことを理解できていないというのも嘘です。
繰り返すが、桐山さんは「預流向≠聖者」とは断定していない。
あなたは自分の都合の良い片方の文章だけ引用したが、
同時に桐山さんは、信者は外道凡夫ではない、とも書いている。
釈迦仏教では、世間には凡夫と聖者しかいない。
だから、凡夫でないなら、その人は聖者なのです。
つまり、桐山さんは、預流向である信者は凡夫ではなく聖者だと認めたことになる。
このように、今の所、桐山さんはどちらともとれる曖昧な文章しかなく、
「預流向≠聖者」はアゴン宗の教義にはなっていない。
つまり、準シュダオンさんの説はアゴン宗の教義ではありません。
- 745 :深山:2012/04/12(木)
12:34:13 ID:n9cWUJfs0
- >>719 :準シュダオン:2012/04/11(水) 14:09:08
ID:lYSm2W8c0
>経典の量を少ししか知らなくても、深く内容を理解している場合は、経典の
>量を沢山知っている人より優るのです。
また誤魔化しですね。
経典の量も何も、あなたはただの一つも「預流向≠聖者」の根拠となる経典を
引用したことはない。
「少し」ではなく、ゼロです・・・あ、これは間違いですね。
あなたは経典を引用していた。
「四双八輩是謂如来賢聖之衆」(正しい漢訳経典)
これは準シュダオンさんが指摘した経典です。
四双八輩とは如来の賢聖の人たちである、とあります。
この解説には次のようにある。
「また賢聖はここでは賢者聖人のこと。」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、499頁)
四双八輩とは賢者聖人のことであると学者が指摘している。
つまり、あなたは「預流向=聖者」の根拠となる経典を引用してくれた。
笑っていいのか、お礼を言うべきなのか、私は迷いましたよ。
- 746 :深山:2012/04/12(木)
12:37:19 ID:n9cWUJfs0
- >>719 :準シュダオン:2012/04/11(水) 14:09:08
ID:lYSm2W8c0
>それが預流向は本当の聖者ではない、という意味です。
だから、あなたが引用した経典に「預流向=聖者」だと書いてある。
「四双八輩是謂如来賢聖之衆」(正しい漢訳経典)
に、預流向も聖者だと書いてある。
あなたはこの経典が大好きで、何度も何度も引用した、
それも頭が良いつもり記憶だけで書くから、毎回違っている。
「四双八輩是聖賢之衆」(55章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(55章633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(56章7、8月6日)
ほら、毎回毎回、文章が違う。
本を持っているのだから、記憶で書かないで、
そのまま引用すればいいのに、自分ではものすごい記憶力を持ち、
パッと書けると思っているのでしょう?
桐山さんとそっくりで、記憶力が低下しているのに、逆に
自分はすごい記憶力を持っていると自惚れている。
平河本には現代語訳がついているのだから、読者のためにも
和文で書けばいいのに、わざわざ漢文で書いている。
これもあなたは自分が漢文の素養があると自慢したいからでしょう?
でも、引用するたびに違っているのでは、経典の問題ではなく、
あなたが脳梗塞で記憶力が減退し、自惚れだけが強くなっているという
私の指摘をわざわざ証明してくれたようなものです。
- 747 :深山:2012/04/12(木)
12:42:31 ID:n9cWUJfs0
- >>727 :準シュダオン:2012/04/11(水) 15:54:28
ID:lYSm2W8c0
>預流向はエスカレータに乗れていないのですよ。預流果に成れたら、エスカレータ
>に乗れたのですね。
これも嘘です。
この話の背景には、預流になれば、多くても七回の輪廻の後で
解脱するという解説がある。
「七回」とは7回のことではなく、多い、たくさん、いずれ、くらいの意味です。
エスカレータというと、上るだけだと勘違いするが、落ちることがある。
預流になれば、もはや凡夫の境涯に落ちることはないとされているが、
しかし、そのまま黙っていても上がるエスカレータなんてありえない。
仏教の解脱とは本人が煩悩をなくすことによって達成されるのであって、
本人の努力なしには一歩も進みません。
仏様にいくら供養しても、一歩も進まない。
エスカレートなどと、預流にさえなれば、何もしなくても解脱できるかの
ように印象を与えるが、そんなことはなく、三結以降すべて煩悩を
断ちきる努力をするのです。
エスカレータなんて嘘です。
修行の階梯はエスカレータではなく、「階段」です。
自力で上がらない限り、そこに留まる。
だから、三結まで切れば、悪趣には落ちなくても、そこから先の煩悩を
切る努力をしなければ、輪廻はいつまでも止まりません。
- 748 :深山:2012/04/12(木)
12:48:56 ID:n9cWUJfs0
- >>727 :準シュダオン:2012/04/11(水) 15:54:28
ID:lYSm2W8c0
>預流向はエスカレータに乗れていないのですよ。預流果に成れたら、エスカレータ
>に乗れたのですね。
四向四果も資格ではないから、すべり落ちる。
たとえば、阿羅漢になっても、阿羅漢から落ちることがあります。
何度も解脱しながら、滑り落ちて、ついに解脱を保つために
自殺した比丘がいたほどです。
いかに、阿羅漢という境涯を保つことが難しいかこれを見てもわかる。
こういう厳しい現実を見たらエスカレータなどという愚昧な表現はしない。
階段ですらない。
私は前からこれを滑り台と表現しています。
ちょっとでも気を抜いたら、滑り落ちる。
なぜなら、生きている限り、煩悩が常につきまとい、それは解脱者と
いえでも例外ではありません。
だから、彼らは欲望を煽るような物を避けた。
異性をさけ、利養(尊敬や名誉)を避け、食欲や睡眠欲に囚われないようにした。
解脱したら何をしてもこれらに惑わされないのだと信者さんたちは思っていませんか。
そんなのは何も知らない連中の空想です。
釈尊にすら最後まで煩悩という悪魔がささやきかけていた。
肉体を持ち、生きているだから、当たり前です。
彼らは死ぬまで必死に滑り台から滑り墜ちないように努力を続けるのです。
これを信者さんたちは資格だと思うか。
私は四双八輩を学校と生徒にたとえたが、学校の卒業資格が消えることは
まずないのに対して、四双八輩は努力しないと簡単に消えてしまうのです。
これを見ても、四双八輩は資格などではない。
これをエスカレータなどと言うのは仏教を知らない者の世迷い言です。
- 749 :深山:2012/04/12(木)
12:52:07 ID:n9cWUJfs0
- >>727 :準シュダオン:2012/04/11(水) 15:54:28
ID:lYSm2W8c0
>預流向はエスカレータに乗れていないのですよ。預流果に成れたら、エスカレータ
>に乗れたのですね。
解脱を目指す者や解脱者は、そもそも煩悩を煽るような物には近づかない。
ところが、桐山さんをご覧なさい。
夜11時に自分のホテルに若く色気のある女を誘い、
これを内弟子と称して、自分の周囲にはべらせた。
仮に、二人が愛人関係にないとしても、これは修行者や解脱者には
あるまじき行為です。
釈尊の教団なら即刻、破門です。
自分の煩悩を煽るような物を避けるのが正しい修行者であり、解脱者の姿です。
逆に、煩悩を煽り、増やすようなことをしている者は
仏道修行者でもなければ、解脱者でもない。
若い女を近づけ、「食いしん坊」と称して美食飽食を続け、あるが上にも
名誉や肩書きを欲しがり、護摩で欲望や恐怖を煽るなど、解脱者にはありえないのです。
オーラなど見えなくても、肉眼で彼らの行為を見れば、
彼が解脱者であるかどうかはすぐにわかる。
本当の解脱者とはツルツルと滑る滑り台の上にいるから、
一瞬も気を抜かず、煩悩と死ぬまで戦い続ける。
現実の桐山さんの姿は、滑り台どころか、そのはるか下の
煩悩だらけの汚い下水の中で解脱ゴッコをしているだけです。
準シュダオンさんはその汚物の飛沫を浴びて喜んでいる。
- 750 :深山:2012/04/12(木)
12:54:55 ID:n9cWUJfs0
- >>718 :準シュダオン:2012/04/11(水) 13:38:21
ID:lYSm2W8c0
>もので、経典を少ししか知らない私に簡単にコロコロ負かされているのです。
まったくそのとおりで、私に限らず、あなたと議論して勝てた人は一人もいない。
泣く子と地頭には勝てぬ。
相手の話を完全無視して、自説を延々と書き続け、相手が
呆れ果て、根負けして、黙るまで書き続ける。
準シュダオンさんの説明の矛盾を指摘されても、どこ吹く風で、
「過去の書き込みには責任を持たないww」などと言う。
自分の体験が根拠だと開き直り、経典を示されてさえも
受け付けず、それでいて、自分は真実を追究しているのだと自惚れる。
強烈な自惚れと侮蔑心、お説教癖、自己陶酔、自己主張、完全無視、
自分が書いたことすら大半忘れる記憶力、責任感皆無、
こういう準シュダオンさんはまさに泣く子と地頭です。
こんな人に勝てる人は誰もいない。
準シュダオンさんと並んで、栗花さん、桐山さんの犯罪歴のコピペを
繰り返した人、宝生さん、ヂミズさん、ペテン大作さんにも私は勝てません。
なぜなら、あなたと違い、私は普通の知性と羞恥心があるからです。
- 751 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/12(木) 14:07:21 ID:0iokvgUQ0
- >701 :準シュダオン:2012/04/11(水) 10:20:16
ID:lYSm2W8c0
>「さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し、縁起を滅した世界とされた」
と、説明されているのです。
(70〜71頁ブッダが最後に伝えたかったこと 川辺秀美著)
あなたがたよ。「悟る」とはどういうことか。
どんなときにも「気づく」ことである。たとえば、
外出するとき、帰宅するとき、前を見たとき、
振り向いたとき、あなたのこころはどのように
揺れ動いているのか?体をまるめたとき、
体を伸ばしたとき、あなたはどんな感情をいだくのか?
ー中略ー
歩いているときも、立っているときも、座っているときも、
横になっているときも、目覚めているときも、
話しているときも、黙っているときも、常に「気づき」なさい。
(同著 大般涅槃経より訳文)
(70〜71頁)
ナーディカを出るとブッダ一行はヴァイシャーリーへと向かった。
ここでは遊女・アンバパーリーの所有する林に休んだ。
ー中略ー
このように仏教の瞑想とは観察に基づくものである。
自分を客観視し、内省しなかがら観察し続けることによって
感情の波を抑え、こころを鎮めるという方法だ。
都市と言うものは誘惑が多い。だから、弟子たちに「気づき」を
促したのであろう。とくにこの地は、遊女の土地だということを
意識してのことではないか。弟子たちが物欲や性欲に負けないように、
事細かに注意している。
- 752 :棕 櫚:2012/04/12(木)
16:54:38 ID:tSp.m3Lo0
- >また、同辞典の同じ項には、 「縁起説は、苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明を見出し、
これらを滅すれば苦も滅するとしたものであり・・」と、 説明しています。
つまり、苦を滅するために、苦の原因である煩悩を発見し、 それを滅せよ、
と、教えているのです。
という説明ですと、縁起の滅じゃなく渇愛や無明の滅ということですね。
縁起は人間の苦しみの原因を十二頁に分類したものでしょう?
縁って起こるんですから、極めて簡単じゃないですか、 苦という原因は、
涅槃では無くなる、滅せられた状態ですから煩悩からの解脱でしょ。
- 753 :棕 櫚:2012/04/12(木)
17:06:22 ID:tSp.m3Lo0
- >苦を因縁と呼んでも、同じことでしょ?
げげえ、桐山氏はそんなことを言ってのですか驚きです。
web辞書でも因縁は原因くらいの意味ですよ、 成功の原因は努力でそれは苦なのですか。
>727疑惑・身見・戒取などを断じていないから預流向、 なのです。
そうですよね、じゃあ疑惑・身見が切れていたら何と言うの?
例で言えば、身見だけ切れた人、戒取だけの人、 疑惑だけ切れた人は?
みいんな一緒ですか?、 その人達は預流果を目指して向かうから預流向ですよね。
つまり煩悩を切ろうとする人達でしょうし、 少しは切った人なら凡夫じゃないですね。
仏教など見向きもしない人と、
三結のひとつでも切った人は同じなんすか?
天照さんの731から736を読めば、 ぜんぜんあごん宗など仏教じゃありませんよ。
天照さんの説明で言えば桐山氏が勝手に造語にしただけじゃんと解りますね。
準シュダオンさんは仏教徒じゃないの?
仏教信仰してないんですか?
桐山氏の擁護に頑張っても、なんかジュンシュダオンさんが空回りしてるみたい。
- 754 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/12(木) 17:59:12 ID:0iokvgUQ0
- >729 :準シュダオン:2012/04/11(水) 16:07:28
ID:lYSm2W8c0
>釈尊の四双八輩は、解りやすく言うと、学生(聖者候補)と学者(聖者衆)
の定義なのです。向が学生で、果が学者なのです。
ー引用ー
>968
:深山:2011/08/03(水) 12:38:19
四向四果(『岩波仏教辞典』)
「原始仏教や部派仏教における修行の階位で,預流向(よるこう)・預流果,
一来向(いちらいこう)・一来果,不還向(ふげんこう)・不還果,
阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと」
この岩波仏教辞典の説明をまとめるなら、次のようになります。
四向四果・・・預流向・預流果、一来向・一来果、不還向・不還果、阿羅漢向・阿羅漢果
一方、桐山さんの本では、次のようになっています。
桐山説・・・預流・預流果、一来・一来果、不還・不還果、阿羅漢道・阿羅漢果
岩波仏教辞典と桐山さんの表現の違いは、
「預流向→預流」「一来向→一来」
「不還向→不還」「阿羅漢向→阿羅漢道」です。
阿羅漢向を阿羅漢道と表現するのは間違ってはいませんが、
普通は預流向を預流とは言いません。
同様に、一来向を一来とは、また不還向を不還とは言いません。
普通は、預流とは預流果、一来とは一来果、不還と不還果をいいます。
だから、厳密には桐山さんの表現はデタラメです。
アゴン宗を立宗した当時ですら、桐山さんの知識がいかにデタラメで、
その場しのぎの付け焼き刃か、これを見てもわかります。
阿含経を読破し、体得したはずの桐山さんは四向四果が
なんであるか理解していなかったのです。
桐山さんの種本は、水野弘元氏の『原始仏教』ですが、
その本を読んでさえも、仏陀の知恵を持つ桐山ゲイカは
理解できなかったのです。
ー引用終わりー
- 755 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/13(金) 08:02:21 ID:SmEF4Oe2O
- >>725:準シュダオン12/04/11(水) 15:40:20
ID:lYSm2W8c0
>じゃあね、何のために煩悩を断つのですか?なんで煩悩解脱せにゃいけないの?
>貪欲を断て?瞋恚を断て?淫欲を断て?
何を言ってるのよ!
>この世は金と淫欲に決まってるではないか!
>煩悩を断てなんて、世迷言を言うではない。
>と、言うのが私の二十代の仏教観、でしてね。
>私は、煩悩を断つために入行したのではないです、そんなのは関心ない。
>私は、苦滅のため、因縁解脱のために入行したのです。
いかにもアゴン宗の信者らしい入信と信仰の動機です。
要するに煩悩なんて切りたくないのが本音だが、桐山教団が仏教を標榜する限り
煩悩を苦の原因として切ることを建前とするのだから、あなたとしても、
その苦を逃れる手段としての煩悩切りにしぶしぶ従うしかないというものです。
しかしその従うというのは、あくまでも机上の屁理屈並べの道具だけで、日常生活上
煩悩を減らす努力などはしておらず、かえって増やしているわけですが。
それでもナモナモ呪術めいたことをしているうちに煩悩が因縁ごと薄らいでいる
ように思い込んでいるだけです。
しかし仮に煩悩解脱が因縁解脱を進めるのだと認めてあげても、実は煩悩切りが
因縁切りに繋がっていないと言うよりも矛盾する現実を準シュダオンさんが示している。
それを見てみましょう。
- 756 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/13(金) 08:32:12 ID:SmEF4Oe2O
- >>727:準シュダオン
12/04/11(水) 15:54:28
ID:lYSm2W8c0
>あのね、疑惑と身見と戒取を三結といってね、それらを断じたら預流果なの
>です。疑惑・身見・戒取などを断じていないから預流向、なのです。
三結はもちろん煩悩です。
シュダオン果を得る為には三結煩悩を切らねばならない。
これはその通りです。
ではその三結切りと桐山因縁切りとどう関係あるかと言うと、少しも関係ない。
準シュダオンさんによると欲貪や瞋恚などはシュダオンになってから切ることを
考えればよいと、このスレで公言した。
つまり未だ準シュダオンと名乗り自らをシュダオンとまではしていない準シュダオンさんは
欲貪や瞋恚などはそのままに、切ることすらまだ考えてもいないということになります。
そんな準シュダオンさんですが、いくつか自覚できていた因縁があって、それらの
一部が切れたか薄らいだかのように感じたと書いている。
たとえば若い頃は怪我をすることが多かったという。
田んぼに頭から自転車ごと突っ込んだという。
それで手足などを失えば肉体障害の因縁になる。
かすり傷だったらそれをいちいち肉体障害の因縁にしても仕方ないのだが。
ともあれ準シュダオンさんは昔怪我していたのが最近はめっきり怪我もしなくなった
のだと言う。ちなみに私もそうだがw
要するに肉体障害の因縁みたいのがあったのが、切れたか薄らいだかと判断したようだ。
そこで質問する。あなたは身見、疑惑、戒取という三結にのみ切ることを進行中で
欲貪や瞋恚はそのまま手つかずの状態なんだそうだ。
あなたは順番を重視しますからね。
そんなあなたがどうして肉体障害の因縁が薄れたのだろうか?
ってか、どうして三結を切りつつあるだけで肉体障害の因縁が薄らぐのか?
三結煩悩切りとはその内容を考えると理解認識を是正しただけで、情意面の
煩悩は残したままだ。
理解認識が正しくなると、どうして肉体障害の因縁とかガンの因縁とか切れるのか?
そのメカニズムを説明してごらんなさいな。
この通り、煩悩切りと因縁切りは関連付けて説明できない。
関係がないのです。
煩悩切りは説いても因縁切りは説かないのです。
- 757 :準シュダオン:2012/04/13(金)
09:44:11 ID:lYSm2W8c0
- >それで手足などを失えば肉体障害の因縁になる。
>かすり傷だったらそれをいちいち肉体障害の因縁にしても仕方ないのだが。
>ともあれ準シュダオンさんは昔怪我していたのが最近はめっきり怪我もしなくなった
>のだと言う。ちなみに私もそうだがw
それは例えの一例として挙げたのだから、それに拘ってはいけないよ。
別の例を挙げれば、自分には病院で治せない持病というものがあって、まあ、
慢性的なもんで、管長の言葉を使えばそれも○○因縁ということになるね。
ところが、因縁の洗い出し現象が起きてから、長年悩んできたその持病が消えた
としたら、大果報を得たことになるだろう。私はそういう果報を得てるわけよね。
ユビさんなどは、建設的な想像力が足りないね。
逆に、負的な、マイナスの妄想力だけが優れていますよ。
- 758 :準シュダオン:2012/04/13(金)
10:02:01 ID:lYSm2W8c0
- >シュダオン果を得る為には三結煩悩を切らねばならない。
>これはその通りです。
>ではその三結切りと桐山因縁切りとどう関係あるかと言うと、少しも関係ない。
関係ないどころか、三結を切ることは桐山因縁を切ることと同じ意味を持ってる
のです。三結断→不堕悪趣=桐山因縁、なのですからね。
そういう考え違えをしてるから、果報を得られなかったんですよ。
また、修行のやり過ぎもダメでしょうね、そういう場合、欲の強さから激しい
修行をしてる場合が多いですからね、それは効果なしです。
>準シュダオンさんによると欲貪や瞋恚などはシュダオンになってから切ることを
>考えればよいと、このスレで公言した。
そうです。管長はシュダオンでも、顕在意識の欲貪と瞋恚はほぼ切れてて、
シュダオンは潜在意識の欲貪・瞋恚を切るのだ、と説明していますね。
それは、「欲貪や瞋恚があるのに、聖者というのはおかしいのでは」という
信徒の質問に答えたのですね。
私は欲貪や瞋恚があっても、身見が切れてたら聖者と呼んでもおかしいとは
思いませんけどね。
身見・我見が切れてたら、あまりムチャな欲貪や瞋恚にはなり得ないでしょうから。
- 759 :準シュダオン:2012/04/13(金)
10:25:54 ID:lYSm2W8c0
- >そこで質問する。あなたは身見、疑惑、戒取という三結にのみ切ることを進行中で
>欲貪や瞋恚はそのまま手つかずの状態なんだそうだ。
私は、手つかずの状態だなんて、レスしたことはない。そのように勝手な思い込みを
してるから、あなたの修行も間違えてたんですよ。管長の言葉を勝手に狭く解釈してね。
>そんなあなたがどうして肉体障害の因縁が薄れたのだろうか?
>ってか、どうして三結を切りつつあるだけで肉体障害の因縁が薄らぐのか?
あのね、なんでどうして、だけ考えてても効果はないのよ。
煩悩を断つのは、苦を断つためです。釈尊は、どうすれば苦滅を得られるか?
と追求して、苦諦・集諦・滅諦・道諦、という真理を発見したね。
つまり、煩悩が苦の原因であることを発見した。
だが、私達凡人には、この四諦の真理を理解出来てるわけではないね。
だから、何で、三結を切りつつあるだけで肉体障害の因縁が薄れるのか?
などという高度の因果関係が理解できる訳がない。そういう質問は釈尊に
すべきですね。
私に解るのはせいぜい、「因縁の洗い出し現象が起きたら持病が消えたよ、
この世には不思議な法があるもんだ!」
と、いう観想くらいです。
- 760 :準シュダオン:2012/04/13(金)
10:52:45 ID:lYSm2W8c0
- >>苦を因縁と呼んでも、同じことでしょ?
>げげえ、桐山氏はそんなことを言ってのですか驚きです。
つまり、苦を無くす、と言おうが、苦の原因を無くす、と言おうが、結果は同じ
になるということです。
>web辞書でも因縁は原因くらいの意味ですよ、
成功の原因は努力でそれは苦なのですか。
辞書の言葉の理解程度では、理解が浅いです。
成功の原因は努力=成功の因縁は努力、というように使用しては間違えるよ。
阿含仏教の「因縁」の場合は、「迷いの生存=苦」の因縁をテーマにして
いるのです。迷いの生存=苦=因縁、とでもいうような使い方です。
その代表例が、12因縁です。
だから、岩波仏教辞典の「縁起」の言葉の説明には、
「さとりは、縁起を超越し、縁起の滅した世界とされた」と書いてあるのです。
ここを執筆した先生は、阿含経典をよく理解しています。
「阿含経典の何処にも、さとりは縁起を超越し縁起を滅した世界なんて書いてない!」
と、批判派なら抗議しそうですw。しかし、阿含経典を要約すれば、学者先生が
書いたように、さとり=縁起超越・縁起滅、なのです。
つまり、因縁解脱、です。
- 761 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/13(金) 11:06:54 ID:0iokvgUQ0
- >757 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/13(金) 09:44:11
ID:lYSm2W8c0
>因縁の洗い出し現象が起きてから、長年悩んできたその持病が消えた
としたら、大果報を得たことになるだろう。
病名などの具体名はけっこうですから、アゴンのどんな修業成果ですか?
>三結を切ることは桐山因縁を切ることと同じ意味を持ってる
のです。三結断→不堕悪趣=桐山因縁、なのですからね。
桐山因縁など遥か以前に切り捨て、退会しています。
桐山因縁ではなく、それを言うなら桐山因縁論ですね。
それとも新しい教義で、「桐山因縁」なるものが造られたのですか?
それは、「色情の因縁」の別名ですか?
>三結断→不堕悪趣<ですか、続きも記憶しておいてください。
〈わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。
わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
わたしはもはや堕することの無い者である。
わたしは必ず悟りを究める者であると。〉
(ブッダ最後の旅 中村元訳51頁)
>私は欲貪や瞋恚があっても、身見が切れてたら聖者と呼んでもおかしいとは
思いませんけどね。
三結のひとつである身見が切れているとは、預流向は聖者ということですか?
ならば、批判側の解釈を認めたわけです。
>だから、何で、三結を切りつつあるだけで肉体障害の因縁が薄れるのか?
などという高度の因果関係が理解できる訳がない。そういう質問は釈尊に
すべきですね。
折角アゴン宗には生きた如来サマがいるのに、聞いたことが無いらしい。
私は経典ですら、読んだことも見たこともありません。
どの阿含経に答えがあるのでしょう、亦は質問に答えられず釈尊に転嫁した?
- 762 :準シュダオン:2012/04/13(金)
11:58:12 ID:lYSm2W8c0
- >>727疑惑・身見・戒取などを断じていないから預流向、 なのです。
>そうですよね、じゃあ疑惑・身見が切れていたら何と言うの?
それは預流向です。
>例で言えば、身見だけ切れた人、戒取だけの人、 疑惑だけ切れた人は?
それも預流向です。
>みいんな一緒ですか?、
三結セットで切るまでは、みんな一緒です。
>
その人達は預流果を目指して向かうから預流向ですよね。
イエスです。
>つまり煩悩を切ろうとする人達でしょうし、
少しは切った人なら凡夫じゃないですね。
少し切ったくらいでは凡夫です。三結切るまでは凡夫です。
>仏教など見向きもしない人と、
三結のひとつでも切った人は同じなんすか?
見向きもしない人は外道凡夫です。ひとつでも切った人は、預流向という凡夫です。
>天照さんの731から736を読めば、
ぜんぜんあごん宗など仏教じゃありませんよ。
あごん宗が仏教であるか否かは、仏教の定義の仕方で違ってきます。
仏教の定義を間違えたら、あごん宗は仏教でなくなりますね。
>天照さんの説明で言えば桐山氏が勝手に造語にしただけじゃんと解りますね。
説明を間違えたらそうなります。
>準シュダオンさんは仏教徒じゃないの?
仏教信仰してないんですか?
阿含宗信徒の仏教信者ですよ。
>桐山氏の擁護に頑張っても、なんかジュンシュダオンさんが空回りしてるみたい。
空回りみたいでも果報を得てるから良いのです。
修行が正しいか、間違いかは、果報を得ているか、得ていないか、で決まるのです。
釈迦は、「修戒獲定得大果報」と、遊行経で説いています。
戒律を修養すれば禅定を得、大果報を得る、という教えです。
管長の教えを理解出来ない人は、この大果報を得ることが出来ないのです。
- 763 :準シュダオン:2012/04/13(金)
12:20:43 ID:lYSm2W8c0
- >という説明ですと、縁起の滅じゃなく渇愛や無明の滅ということですね。
>縁起は人間の苦しみの原因を十二頁に分類したものでしょう?
阿含経典では、渇愛や無明の煩悩をも、因縁と呼んでいるのです。
十二因縁の場合は、無明というのが最初の因縁ですね。
>縁って起こるんですから、極めて簡単じゃないですか、
苦という原因は、
>涅槃では無くなる、滅せられた状態ですから煩悩からの解脱でしょ。
渇愛も縁って起こる因縁です。渇愛は自分に執着するという縁に依って起こる
因縁(煩悩)ですね。煩悩と因縁を、別ものとしてだけ考えていたのでは間違うね。
煩悩からの解脱=十二因縁からの解脱=苦(迷いの生存)からの解脱、なのです。
それを理解できたら大騒ぎする必要はありません。
- 764 :深山:2012/04/13(金)
12:29:15 ID:V6B2VQHw0
- >>758 :準シュダオン:2012/04/13(金) 10:02:01
ID:lYSm2W8c0
>関係ないどころか、三結を切ることは桐山因縁を切ることと同じ意味を持ってる
>のです。三結断→不堕悪趣=桐山因縁、なのですからね。
読んでいる信者さんたちは、この準シュダオンさんの説明が
アゴン宗の教義としても間違いであることを理解してください。
こんな教義はアゴン宗にはありません。
私は批判側だが、だからと言って、桐山さんが説いてもいないことを
アゴン宗の教義だなどと主張するつもりはありません。
信者さんたちにはまず正しいアゴン宗の教義を理解してもらいたい。
そうしないと、何がおかしいかがわからないのです。
しっかりと理解して、準シュダオンさんのインチキ解説に惑わされないことです。
正しいアゴン宗の教義とは次のようなものです。
「解脱とは煩悩解脱(小解脱)と因縁解脱(大解脱)の二段階がある。
煩悩とは心の因縁であり、悪因縁の元となる心のあり方である。
貪りという煩悩があるから、ガンの因縁が生じる。
ガンの因縁をいくら切っても、貪りの心があればまたガンの因縁を作ってしまう。
また、心の因縁をいくら切っても、すでに生じてしまったガンの因縁は切れない。」
これがアゴン宗の煩悩と悪因縁との関係です。
そこで三結との関係を見てみます。
- 765 :深山:2012/04/13(金)
12:32:56 ID:V6B2VQHw0
- >>758 :準シュダオン:2012/04/13(金) 10:02:01
ID:lYSm2W8c0
>関係ないどころか、三結を切ることは桐山因縁を切ることと同じ意味を持ってる
>のです。三結断→不堕悪趣=桐山因縁、なのですからね。
身見、疑惑、戒取という三結は煩悩であって、悪因縁ではありません。
ですから、アゴン宗の教義から言うと、三結を切れば心の因縁は
切れたことになるが、悪因縁そのものは切れない。
アゴン宗のいう悪趣とは、地獄、餓鬼、畜生クラスの悪因縁を指します。
たとえば、ガンの因縁は餓鬼界の悪因縁です。
ガンの因縁は貪りという煩悩から来るが、今の人生で貪りを捨てても、
前世の悪業ですでに生じてしまったガンの因縁は切れませんから、
その人はやはりガンになる。
つまり、煩悩を捨てても餓鬼クラスからは出られず、
アゴン宗のいう悪趣からは逃れることはできません。
これは煩悩のすべてに当てはまりますから、今の人生で三結を
切ったとしても、すでに生じた悪因縁はまったく切れません。
つまり、三結を切れば悪趣に落ちないという準シュダオンさんの説は成り立ちません。
このように「三結断→不堕悪趣=桐山因縁」はアゴン宗の教義から見て、嘘です。
- 766 :深山:2012/04/13(金)
12:35:24 ID:V6B2VQHw0
- >>758 :準シュダオン:2012/04/13(金) 10:02:01
ID:lYSm2W8c0
>そうです。管長はシュダオンでも、顕在意識の欲貪と瞋恚はほぼ切れてて、
>シュダオンは潜在意識の欲貪・瞋恚を切るのだ、と説明していますね。
信者さんたちには良く上記を読んでほしい。
桐山さんと同じ手法による誤魔化しが入っています。
信者さんたちは、桐山さんから潜在意識、深層意識などという心理学用語を
使われて、いかにも仏教を理解しているかのように錯覚させられている。
たしかに、大乗仏教などにはアーラヤ識、アンモラ識など潜在意識に
相当する考えはあります。
だが、釈迦仏教には潜在意識や無意識などという考えはありません。
よく煩悩の表現の一つである随眠を潜在意識とみなす人がいるが、違います。
たとえば、食欲という煩悩は食事が終わって満腹してしまうと消えたかのように見える。
だが、実際にはそれは食欲が眠ったかのような状態になっているだけで、
しばらくすると食欲はまた出てくる。
欲望の多くが、このようにいったん消えたかのように見える性質から
随眠と言っているだけで、潜在意識などではありません。
釈尊の教法とは、普通の人が具体的に認識できる物を対象としている。
煩悩は見えないが、誰でも指摘されれば意識できる。
ましてや、三結や欲貪、瞋恚なども具体的に意識できる内容であり、
潜在意識など何も関係ありません。
潜在意識がどうのこうのとご託を並べる連中に限って、
表面意識に出ている煩悩を切らないで済む理由にしている。
桐山さんと準シュダオンさんがそうです。
- 767 :深山:2012/04/13(金)
12:39:30 ID:V6B2VQHw0
- >>758 :準シュダオン:2012/04/13(金) 10:02:01
ID:lYSm2W8c0
>だが、私達凡人には、この四諦の真理を理解出来てるわけではないね。
信者さんたちは自分に問いかけてほしい。
それはこの準シュダオンさんの一文を読んだ時、賛成したかどうかです。
「そうだ、いくら批判側が仏教に知識があるか知らないが、
そんなのは知識にすぎない。釈尊の真の教法とは、凡夫には理解しえず、
間脳を開き、仏陀の智慧を獲得した人でなければ理解できないのだ」
などと、思いませんでしたか。
そういうのを脳味噌のご供養、洗脳というのです。
四諦は仏教の基本中の基本で、釈尊が教法を最初に説いた内容だと言われています。
しかも、その内容は普通の知性を持っているなら、理解できない内容ではありません。
十歳の子供なら理解できます。
ましてや、信者さんたちに理解できないはずはない。
釈尊は摩訶不思議、怪力乱神を語った方ではなく、
二千五百年前の無学な人たちが聞いただけで理解し、実践できる内容を説いた。
信者さんたちは脳味噌を放棄しないで、自分の読んで、自分の頭で理解してください。
桐山さんが信者さんたちに、仏教が普通の知性で理解できないと説くのは、
信者さんたちに理解されてしまうと、アゴン宗の嘘や矛盾がばれてしまうからです。
準シュダオンさんが上記を言っているのは、まともに議論できないからです。
- 768 :深山:2012/04/13(金)
12:40:39 ID:V6B2VQHw0
- 四諦 したい (岩波仏教辞典)
諦(satya,sacca)とは真理の意で,苦(く)諦・集(じっ)諦・滅(めっ)諦・道(どう)諦という4種の真理のこと.
(中略)
<苦諦>とは,迷いの生存は苦であるという真理であり,その代表として,
生老病死(しょうろうびょうし)などのいわゆる四苦八苦が挙げられる.
<集諦>とは,苦の生起する原因についての真理であり,その原因は,
再生をもたらし,喜びと貪りをともない,ここかしこに歓喜を求める渇愛(かつあい)にあるとされる
.<滅諦>とは,苦の止滅についての真理であり,それは,渇愛が完全に捨て去られた状態をいう.
<道諦>とは,苦の止滅に到る道筋についての真理であり,
正見(しょうけん)・正思惟(しょうしゆい)などのいわゆる八正道(はっしょうどう)として示される.
- 769 :深山:2012/04/13(金)
12:46:59 ID:V6B2VQHw0
- >>768
これが四諦であり、仏教の基本であり、全てです。
まず信者さんたちに驚いてほしいのは、どこにも因縁切り、霊障解脱、
先祖供養、積徳行、如来への供養もないことです。
これが釈尊の説いた仏教の全てなのですよ。
自分で読んで、普通の知性と国語力で理解してほしい。
私は、率直に言って、信者さんたちは怠慢だと思う。
自分で経典や学者の説明を読んで理解するのではなく、
なんでも桐山ゲイカにお任せして、その解説を鵜呑みにする。
それって怠慢ですよ。
自分の頭を使い、理解することです。
質問してくれれば、いくらでも解説します。
学者の解説だから、厳密に書いてあるが、内容は簡単です。
「人生は苦そのものであり、その苦の原因は煩悩だから、
八正道によって煩悩を捨てることで苦から解放され、解脱する」
これだけです。
準シュダオン説と違い、四諦は内容を理解するだけなら、十歳の子供でもわかる。
釈尊は訳もわからずにただ信じろと言ったのではなく、
四諦のような道理を示し、知性で理解するように説いたのです。
この四諦を理解すれば、桐山アゴン宗の教義など仏教でないことがすぐにわかる。
- 770 :深山:2012/04/13(金)
12:51:40 ID:V6B2VQHw0
- <苦諦> >>768
釈尊は生存そのものが苦だと説いた。
だが、桐山さんは、因縁次第で苦にも楽にもなるから、
因縁を切るのだと主張している。
桐山さんはこの世界には苦と楽の両方があるというのです。
だから、新刊でも、美男美女に生まれ変わるなどというタワケを説いている。
釈尊は、美男美女に生まれる変わることも苦だと説いた。
もちろん、信者さんたちは、どちらがより現実を説明しており、
納得できる内容かを選ぶことはできる。
釈尊の苦諦の考えをつまらないというのが桐山さんや準シュダオンさんです。
だが、この苦諦を拒絶するなら、その人はすでに仏教徒ではない。
四諦とは、四つの悟り、四つの真実という意味です。
だから、人生とこの世界が苦だと思わないなら、その人は仏教徒ではない。
信仰は自由だから、釈尊の言葉を信じないのは一向にかまわない。
信じない一人が、愛人を作り快楽を貪り、今は苦を受けている。
彼は仏教徒ではない。
どちらを選ぶかは信者さんたちの自由です。
だが、苦諦を受け入れない限り、仏教徒ではないし、これを受け入れたら、
美男美女に生まれ変わりたいなどという欲望は唾棄するはずです。
- 771 :深山:2012/04/13(金)
12:56:38 ID:V6B2VQHw0
- <集諦><滅諦> >>768
釈尊は苦の原因は煩悩であると説いている。
だが、桐山さんは苦の原因は悪因縁という運命の星だと説いている。
準シュダオンさんが、煩悩と悪因縁をごちゃ混ぜにしてごまかそうとしているが、
無駄な抵抗です。
仏教の因縁(縁起)には、運命の星などという意味はありません。
桐山さんは悪因縁をカルマだと言っているが、縁起にはカルマなんて意味はない。
アゴン宗のいう悪因縁など仏教には存在しないのです。
そして、桐山さんは煩悩を切るだけでは本当の意味での解脱ではないと説く。
釈尊は運命の星(悪因縁)を変えろなどとは説いていない。
また、運命の星を変えることが解脱だとも説いていないから、
解脱者である大目連は横変死した。
彼を見ればわかるように、悪因縁など切っておらず、運命も変えていない。
仏教では運命など論じてさえもいません。
ましてやその運命を変えろなどと説くはずがない。
運命改造など外道の教えです。
- 772 :深山:2012/04/13(金)
12:58:17 ID:V6B2VQHw0
- <道諦> >>768
釈尊は、解脱するための修行法を八正道だと説いた。
だが、桐山さんは八正道とは初心者用のオシエにすぎず、
四神足で神通力を体得して、カルマを切ることが解脱だと説いた。
釈尊は八正道で煩悩を切ると説き、
桐山さんは神通力でカルマを切ると説く。
両者はまったく違うことに信者さんたちは気がついてください。
四諦という仏教の基本中の基本をちょっと比較しただけで、
釈迦仏教とアゴン宗がまったく違うことがわかる。
解脱や修行はもちろんのこと、苦諦という世界観から違ったら、
もはやアゴン宗を仏教と呼ぶことはできません。
仏教でないなら、アゴン宗は仏教のふりをした外道です。
- 773 :深山:2012/04/13(金)
13:01:18 ID:V6B2VQHw0
- >>763 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/13(金) 12:20:43
ID:lYSm2W8c0
準シュダオンさんは「預流向≠聖者」の件はどうなったのだ?
>>741で引用したあなたの文章にどのように責任を取るつもりだ?
あなたが引用した「四双八輩是謂如来賢聖之衆」(正しい漢訳経典)
をどう解釈するのだ?(>>745)
あなたと桐山説では
「預流向・斯陀含向,斯陀含向・阿那含向,阿那含向・阿羅漢向,阿羅漢向・阿羅漢果」
になってしまう。(>>712)
これのどこが四向四果なのだ?
「阿羅漢果と阿羅漢向」を一組と考えるのは間違いだと前に書いたのに、
>>688では一組にして書いている。(>>714)
いったいどっちが本当なのだ?
いつものように、反論に詰まると黙りを決め込み、無視して、
しばらくたつと、ノコノコ出てきて、また同じ事を主張する。
これを十年繰り返している。
あなたって、本当に卑怯な人ですよね。
小ズルイ。
- 774 :準シュダオン:2012/04/13(金)
16:47:01 ID:lYSm2W8c0
- >>また、同辞典の同じ項には、 「縁起説は、苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明を見出し、
これらを滅すれば苦も滅するとしたものであり・・」と、 説明しています。
つまり、苦を滅するために、苦の原因である煩悩を発見し、 それを滅せよ、
>>と、教えているのです。
>という説明ですと、縁起の滅じゃなく渇愛や無明の滅ということですね。
さとりを、渇愛や無明の滅ではなく、なぜ縁起の滅
と説明したかというと、
阿含経典では、渇愛・無明(煩悩)の滅だけではなく、行・有(業)や
老死(苦)の滅、つまり縁起(十二縁起)の滅をさとりとしたからです。
煩悩滅だけでは、間違いではないが、説明不足なのです。
>縁起は人間の苦しみの原因を十二頁に分類したものでしょう?
そうですね。
>縁って起こるんですから、極めて簡単じゃないですか、 苦という原因は、
>涅槃では無くなる、滅せられた状態ですから煩悩からの解脱でしょ。
辞典の説明にあるように、阿含仏教の最大の課題は苦の超克にあるわけです。
だから、煩悩滅以外に、苦の滅を得られる手段があるならば、それでも良い
わけです。なにも煩悩滅に拘る必要はないのです。最初に煩悩断ありき、では
ないのです。
それが解れば、管長が煩悩解脱は小解脱、因縁解脱が大解脱、と説いている
意味が解るでしょう。
過去に為した業による苦(○○因縁)を解脱しないかぎり、大解脱ではない、
というわけです。
- 775 :棕 櫚:2012/04/13(金)
18:44:18 ID:v1kuUDgM0
- >774 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/13(金) 16:47:01 ID:lYSm2W8c0 >辞典の説明にあるように、
阿含仏教の最大の課題は苦の超克にあるわけです。 だから、煩悩滅以外に、苦の滅を得られる手段があるならば、
それでも良い
わけです。なにも煩悩滅に拘る必要はないのです。
準シュダオンさんは本当によく阿含経を学び習っていますね。
普通に聞いて読めば、準シュダオンさんの理解度は批判派と変わらないところがあります 。
ですが、天照さんや深山さんの説明によれば煩悩と因縁とは違うことが解ります。
準シュダオンさんの考え方は、
大乗仏教説が起こった頃のような拡大解釈のようです。
まあ、基本原型は桐山氏の説なのでしょうが、 それともまた違っているように感じる。
私はさほどアーガマを読破していませんが、 今回始めて仏陀最後の旅を購入しました。
そこで初心ですが釈迦の説いたことで解るのは要約すれば、
善行を為せ、苦しみを乗り越えよ、
呪力による奇跡は仏道とは無関係である、 愛欲から離れ貪欲に溺れないのが道の勝利者だ、
心の観察で欲望の根を断ち切れ、、、 などと読めますがどこにも因縁から離れなさいとは、
書かれてなく見当たりません。
ここ批判派の方々は因縁解脱などは阿含経に無い、
と何度も過去ログに書かれています。
でも準シュダオンさんは心眼で読んだように反論されています。
私の実行行歴は短いので、
あごん宗毒魔には無知で身についていませんから、 準シュダオンさんの心眼のようには
理解できないのです。
本を読めば釈迦は分け隔てなく死ぬ間際まで教えを説いているようですよ。
最後の仏弟子のスバッダに八正道以外は認められずその他の議論は、空虚だと遺言している。
と言う事は準シュダオンさんの言う「別の手段」
は認められないとなりますよ。
準シュダオンさんほどの人でも桐山氏に 騙されているんですかね。。。。。。。。。
- 776 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/13(金) 23:53:16 ID:SmEF4Oe2O
- >>759:準シュダオン12/04/13(金) 10:25:54
ID:lYSm2W8c0
>私は、手つかずの状態だなんて、レスしたことはない。そのように勝手な思い込みを
>してるから、あなたの修行も間違えてたんですよ。管長の言葉を勝手に狭く解釈してね。
ここからレスしますか。
いいえ、あなたの書いた「欲貪や瞋恚なんてシュダオンになってから切ることを
考えればよいのだ」という表現からは、手をつけないぞという明確な意志が表れています。
切るのではなく、切ることを目指して今この瞬間からほんの少しでも減らすように
心掛けようと決意し、実践することが、「考える」ことなんです。
そりゃ考えただけではすぐに切れはしませんよ。そんな甘いものではない。
しかしできるところから日常生活において節制努力していく。
それには今シュダオンなのかどうかなんて関係ない。
在家だって発心したその瞬間から欲貪も瞋恚も減らしていこうと「考える」のが当たり前です。
考えて節制努力するのです。
つい挫折して怒り心頭に狂うこともあるかもしれない。
しかしすぐに反省して今度はそういうことのないように意識の念頭に置くことを
「考える」というわけなんです。
あなたはその「考える」ことをシュダオンを得るまでは「必要ない」と書いたのです。
つまり欲貪も瞋恚もそのままにまかせて欲しいものを女だろうが酒だろうが
馬だろうが追い求め、気に入らない奴には怒りをぶちまければよろしく
これを節制しようなんて修養努力には手をつける必要がないと表明したも同然です。
それを否定するならば、あなたの表現が下手くそなんです。
- 777 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/14(土) 00:31:23 ID:SmEF4Oe2O
- >>758:準シュダオン12/04/13(金) 10:02:01
ID:lYSm2W8c0
>そうです。管長はシュダオンでも、顕在意識の欲貪と瞋恚はほぼ切れてて、
>シュダオンは潜在意識の欲貪・瞋恚を切るのだ、と説明していますね。
「仏陀の真実の教えを説く(中)」には、たしかにそのように説いているのを
ようやくあなたも読みましたか。
どうして身見、疑惑、戒取という理解認識レベルの煩悩をなくして正しい認識を
するだけで聖者になるのか?という話です。
実は桐山シュダオンは三結切っただけでなく実は表面意識レベルの欲貪や瞋恚は
切れており、後はまだ深層意識に残っている欲貪や瞋恚を完全に切ってアナゴンだ
としたわけです。
しかしこんなことは経典に説いていません。
桐山さんはアゴン経を前面に立ててしまったのだからシュダオンやアナゴン、
三結、五結、十結煩悩を出さざるを得なかった。
ってか俺はこんなことまで知ってるのだぞと、まあ仏教の常識ではありますが、
それでも法華経の教団あたりに対して、やい、おめーらシュダオンって知ってるか?
そんなことすら知らねーのか?この無知どもが、と蔑んで優位に立ったつもりに
なりたいのでしょう。
しかし本当に五結煩悩を解く道を提唱し忠実に実践していればまだよいのだが、
一度シュダオンとか出したら、それは青いオーラに包まれているのだとか
勝手な装飾をほどこします。
三結の解釈も示しはしますが、一度解説してしまったらその内容も忘れて
三結はサンケツになります。酸欠でもなんでもよいのです。
桐山シュダオンが示されたらもう仏典など関係ない桐山空想世界です。
だから瞋恚や欲貪も深層意識残しなんてのも桐山シュダオン空想世界の話です。
しかしいやしくも仏門にて仏道をめざし誤認識の煩悩をなくしシュダオンにまで
なった人だから怒りも欲望も垂れ流しなんてことはなく、たとえ未熟でもそれなりの
節度は得ていると私も思います。
愛人を深夜のホテルに呼び出すとか「つまみ出せ!このバカ!」とか激昂する
シュダオンなんて考えられません。
だからたしかに欲貪や瞋恚は減ってはいると思います。
でもそれって、どうして減ったのかと思いますか?
教えを理解して、生活実践の意識的努力を始めたからです。
その成果なんですよ。何事も。
意識して努力して煩悩を表面的にも減らしたわけです。
- 778 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/14(土) 00:56:47 ID:SmEF4Oe2O
- だから意識して努力してささやかながらも成果も出ているのに対して
「欲貪や瞋恚なんてシュダオン果を得てから初めて切ることを考えてとりかかればよい」
なんてのは桐山さんですら吐かない準シュダオンさんの暴言です。
>>774:準シュダオン12/04/13(金) 16:47:01
ID:lYSm2W8c0
>だから、煩悩滅以外に、苦の滅を得られる手段があるならば、それでも良い
>わけです。なにも煩悩滅に拘る必要はないのです。最初に煩悩断ありき、では
ないのです。
>それが解れば、管長が煩悩解脱は小解脱、因縁解脱が大解脱、と説いている
>意味が解るでしょう。
こんなことも桐山さんは説いていない。
煩悩滅をしなくてよい仏道なんて桐山さんですら説かない。建前として。
宜しいですか?桐山さんが説く小解脱とは小さいから必要がないと言うのでは
ないのですよ。絶対に必要なんだけれどもそこ止まりではまだ小さいとしたのです。
その上の大解脱に至らねばならないのだが、その大解脱とは小解脱という基礎の
上に成り立っているのです。
つまり煩悩解脱は絶対に必要で欠くことはあり得ない。
深山さんも解説している小解脱と大解脱だが、もっと詳しく分類すると
小解脱とは心解脱です。心解脱とは煩悩滅なんですが、これは絶対に必要です。
桐山さんも心解脱を重視する。
そして心解脱の上に身解脱がある。さらに命解脱がある。(あくまでも桐山教義ですよ)
身解脱とは病気なんかも克服してしまう身体の改善ゲダツです。
命解脱とは運命の改善ゲダツです。
つまり桐山因縁解脱そのものです。
この身解脱、命解脱とは心解脱から始まりその基礎の上に成り立つのだから
因縁解脱を得る為には煩悩解脱だけでは駄目だが、しかし煩悩解脱は必須の条件であり
あなたのように煩悩滅に拘る必要がないなんて、桐山建前にすら反する暴言です。
- 779 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/14(土) 01:17:38 ID:SmEF4Oe2O
- >>759:準シュダオン12/04/13(金) 10:25:54
ID:lYSm2W8c0
>だから、何で、三結を切りつつあるだけで肉体障害の因縁が薄れるのか?
>などという高度の因果関係が理解できる訳がない。そういう質問は釈尊に
>すべきですね。
ふふふふ。さて今回はこのようにあなたでも明快な論理で回答できずに体験に逃げただけで
こちらの目的は達したと言えます。
もとより準シュダオンさんを改心させようなんてつゆにも思ってないと書いたでしょう?
準シュダオンさんだけは絶対に改心なんかしないでスレの犠牲になってくれる
ことを望んでいます。
こうして明快な論理で答えられないことがロムする人にわかればよい。
ただ補足説明が必要です。
深山さんも解説しているが、ガンの因縁は貪りから来るとか、心の因縁と身体や
運命上の因縁の密接な関連性を桐山さんは示しています。
貪り、欲貪ではないですか?
これがまだ十分に切れてないのが三結断ちのシュダオンです。
するとまだ貪りの残っているシュダオンがガンの因縁を切ってしまっている
というのは、桐山教学的に矛盾してますよね。
桐山さんはかねがね言う。「わかっちゃいるけどやめられない」
「わかる」というのは理解認識ですよね。三結断ちも正しい認識ができるように
なったのだから「わかった」ということです。
しかしわかりさえすればよいのか?
そうは問屋が卸さないとしたのが桐山植木節で、頭では表面意識ではわかっていながら
深層意識レベルの情意においてやめられないものがある。
桐山さんが説く悪因縁の悪運命なんてオシエを聞いてオシエを理解しさえすれば
克服できるものなんですか?
だから病気の因縁なんてものは表面意識の努力だの理解だのでどうなるものでは
ないはずであり、深層意識と密接に絡んでいることは私の説いていることではなく
桐山さんが昔から説いている話です。
だから三結の誤認識の煩悩を切り、欲貪や瞋恚に関しては表面意識レベルのものしか
切れてないというシュダオンにおいて、病気の因縁が切れるというのは説明不可能、
矛盾した話ですよねえと問題提起した次第です。
- 780 :棕 櫚:2012/04/14(土)
02:41:32 ID:7rV/t9XQ0
- >もとより準シュダオンさんを改心させようなんてつゆにも思ってな いと書いたでしょう?
準シュダオンさんだけは絶対に改心なんかしないでスレの犠牲になってくれることを望んでいます。
ユビキタスさん、名無しから「棕
櫚」のHNにしました、よろしくどうぞ。
ただ準シュダオンさんを掲板の生け贄のように考えるのは止めましょうよ。
ずうと見てきましたが準シュダオンさんは貴重な擁護者です、 なんて言えば偽善野郎と
言われそうですが、氏も桐山氏の餌食となっているんですから。
ただ過去ログで読んで、中々凹まない信者さんだな、 反論を諦めないでいると言う感想です。
私はあごん宗でも釈迦仏教でもどちらにも経験が浅いので、
準シュダオンさんの反論に
感心するところもあり、 しかし批判派の言うところは確かに正論だな、 経典に即していると、
学んでいる次第です。
私は準シュダオンさんの肩を持つつもりはありません、
ユビキタスさんの言わんとしてる事が アーガマ に基づいて正しいと思います。
桐山教学は皆さんより詳しくないです、 恥ずかしいですがそこまで勉強しませんでした。
私が教わったのは、あごん宗を通して仏徳を積み世の中のためになるということです。
祈るということには力が必要なんだなあ潤オ
と安直に感じていたんです。
そこに深層意識だとか隋煩悩? なんて議論はかんがえたこともなく、
そんなのあごん宗で唱えてたのって感じで、
チヨイついていけないと思いつつカキコしている
自分が恥ずかしく思ったりします。 けっきょく他人任せ的信仰だったんでしょうが、
手を合わせて祈ることに心が反応しました。 でも何をやるにも金、金金でチちよっと、、
ついていけんなあと感じたんです。
それと道場の若い人たちはドキュン的ノリでないマジメさを感じましたね。
ちよい深夜も過ぎたのでまた明日に書きます。
- 781 :準シュダオン:2012/04/14(土)
09:24:26 ID:lYSm2W8c0
- >>>759:準シュダオン12/04/13(金) 10:25:54
ID:lYSm2W8c0
>だから、何で、三結を切りつつあるだけで肉体障害の因縁が薄れるのか?
>などという高度の因果関係が理解できる訳がない。そういう質問は釈尊に
>>すべきですね。
>ふふふふ。さて今回はこのようにあなたでも明快な論理で回答できずに体験に逃げただけで
こちらの目的は達したと言えます。
>もとより準シュダオンさんを改心させようなんてつゆにも思ってないと書いたでしょう?
釈尊は、「三結断 不堕悪趣」と説いたね。三結を切りつつあるとどうして肉体障害の因縁
が薄れるのか、というあなたの質問は、「三結を断つとどうして悪趣を逃れるのか?」とい
う質問と同じなのです。釈尊は、三結を断つとどうして悪趣を脱するのか、そのよう
な理由、理窟は説明していません。智慧のない者に説明しても無駄だからです。
それに何で、私が改心する必要があるのかね?
管長の教えを実践して果報を得ている私に、改心して脱会して果報を捨てろと
言うのかね?アホらしいw。
- 782 :準シュダオン:2012/04/14(土)
09:40:07 ID:lYSm2W8c0
- >ただ準シュダオンさんを掲板の生け贄のように考えるのは止めましょうよ。
>ずうと見てきましたが準シュダオンさんは貴重な擁護者です、
なんて言えば偽善野郎と
>言われそうですが、氏も桐山氏の餌食となっているんですから。
私が管長の餌食だと言うの?もしそうならおかしいよ。私は果報を得ているの
だからね。果報を得られなかった批判派の皆さんとは違うのよ。
>ただ過去ログで読んで、中々凹まない信者さんだな、 反論を諦めないでいると言う感想です。
>私はあごん宗でも釈迦仏教でもどちらにも経験が浅いので、 準シュダオンさんの反論に
>感心するところもあり、
しかし批判派の言うところは確かに正論だな、 経典に即していると、
>学んでいる次第です。 私は準シュダオンさんの肩を持つつもりはありません、
>ユビキタスさんの言わんとしてる事が アーガマ
に基づいて正しいと思います。
ユビキタスさん達は、経典を国語的な解釈しか出来ていないのよ。まぁ、国語的
解釈ならユビさん等も間違えてないのだろうけど、それでは経典の意味を解った
ことにはならないのね。私は、運良く聖なるバイブレーションを受けた効能なの
か、そのことが良く解るようになったね。
芸能人で「ラブ注入!」って言う人が居るけど、
聖なるバイブレーションの場合は、「智慧注入!」って、された感じがしますよ。
それまで解らなかった経典の意味が、解るようになりますから。
- 783 :棕 櫚:2012/04/14(土)
09:41:39 ID:Imot9tVI0
- >もとより準シュダオンさんを改心させようなんてつゆにも思ってな いと書いたでしょう?
準シュダオンさんだけは絶対に改心なんかしないでスレの犠牲になってくれることを望んでいます。
ユビキタスさん、名無しから「棕
櫚」のHNにしました、よろしくどうぞ。
ただ準シュダオンさんを掲板の生け贄のように考えるのは止めましょうよ。
ずうと見てきましたが準シュダオンさんは貴重な擁護者です、 なんて言えば偽善野郎と
言われそうですが、氏も桐山氏の餌食となっているんですから。
ただ過去ログで読んで、中々凹まない信者さんだな、 反論を諦めないでいると言う感想です。
私はあごん宗でも釈迦仏教でもどちらにも経験が浅いので、
準シュダオンさんの反論に
感心するところもあり、 しかし批判派の言うところは確かに正論だな、 経典に即していると、
学んでいる次第です。
私は準シュダオンさんの肩を持つつもりはありません、
ユビキタスさんの言わんとしてる事が アーガマ に基づいて正しいと思います。
桐山教学は皆さんより詳しくないです、 恥ずかしいですがそこまで勉強しませんでした。
私が教わったのは、あごん宗を通して仏徳を積み世の中のためになるということです。
祈るということには力が必要なんだなあ潤オ
と安直に感じていたんです。
そこに深層意識だとか隋煩悩? なんて議論はかんがえたこともなく、
そんなのあごん宗で唱えてたのって感じで、
チヨイついていけないと思いつつカキコしている
自分が恥ずかしく思ったりします。 けっきょく他人任せ的信仰だったんでしょうが、
手を合わせて祈ることに心が反応しました。 でも何をやるにも金、金金でチちよっと、、
ついていけんなあと感じたんです。
それと道場の若い人たちはドキュン的ノリでないマジメさを感じましたね。
ちよい深夜も過ぎたのでまた明日に書きます。
- 784 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/14(土) 09:49:16 ID:SmEF4Oe2O
- >>780:棕 櫚12/04/14(土) 02:41:32
ID:7rV/t9XQ0
>ただ準シュダオンさんを掲板の生け贄のように考えるのは止めましょうよ。
棕櫚さん、アドバイスをありがとうございます。
ところで今頃になってなんですが、棕櫚とはなんとお読みするのですか?
高校時代、数学の授業で、微分が始まってもう2週間にもなるのに、未だに
インテグラルと読めず、なんかしゃんだのイント…!なんて答えて数学教師を
がっかりさせる奴が同級生にいましたが。
さて、準シュダオンは決して荒らしではなく、荒らしだったこともなく、
なかなか聞き分けがないながらも貴重な擁護者であり、根拠にはならないものの
経典などネタを持ってくるのはありがたいことです。
ただこちらを閉口させるのは2点ありまして、こちらが反論済みのネタに対して
反論されたこともリセットして同じことを何度も出してくること。
たとえば預流向論議については私個人としてはもうレスしないと決めています。
こちらにもこちらの
生活ペースがあり、かまっておれない。
ただ観客のために3年に1回くらいは同じレスをつけてやってもよいと思ってますが
向こう3年の間に100回くらい預流向ネタが出されると思うと・・・(-_-;)
もう一つ困る点は桐山教義に反する我説を唱えることで、これもいちいち訂正を
こちらでしてやらないといけません。
彼を生け贄のように扱う点については、実は私は基本的には誰に対しても
その人に対してというよりも、常にギャラリーの視線を意識しているのです。
ここはチャットルームではなく公共の掲示板なんだから、個人交流にはならない
ように心掛けているのです。
個人交流をしたくばmixiなどでやればよい。
そんなことで個人に訴えなくても感じる人は感じてくれるし、感じない人は
感じないのは全てあちら次第で、私は単にレスをするだけでよい。
ただ棕櫚さんの準シュダオンさんに対してもある程度理解を示しながらの会話
というのも、今後の相手の反応とともに興味深く、続けて欲しいと思います。
お互いに自分のスタイルを通せばよいのではありませんか?
- 785 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/14(土) 10:50:00 ID:SmEF4Oe2O
- >>781:準シュダオン12/04/14(土) 09:24:26
ID:lYSm2W8c0
>釈尊は、「三結断 不堕悪趣」と説いたね。三結を切りつつあるとどうして肉体障害の因縁
>が薄れるのか、というあなたの質問は、「三結を断つとどうして悪趣を逃れるのか?」とい
>う質問と同じなのです。釈尊は、三結を断つとどうして悪趣を脱するのか、そのよう
>な理由、理窟は説明していません。智慧のない者に説明しても無駄だからです。
これは簡単です。三結は認識の誤謬だから認識を改め、正しい認識ができるように
なれば、正しい教えに従おうと意識努力します。
それによって悪趣に堕ちなくなるのです。
理解認識は生活の基本だからまずここを正さねばならない。
ポアを殺人と誤った認識をして実行したら悪趣に堕ちる。
正しい認識ができたら殺人なんてしないから悪趣になんか堕ちません。
教えを理解するだけでなく遵守する努力が必要ですけどね。
しかし病気や怪我までは防げませんよ。
だって病気や怪我は悪趣ではないのですから。
とにかく三結はもはやサンケツという特殊用語に改変させられて理解認識という
本来の意味を忘れさせているのがアゴン宗です。
>それに何で、私が改心する必要があるのかね?
>管長の教えを実践して果報を得ている私に、改心して脱会して果報を捨てろと
>言うのかね?アホらしいw。
だから改心するもしないもあなたの自由でこちらは何も関与しません。
それは準シュダオンに限った話ではありませんでした。今までも。
こちらは単にあなたの書いた内容を否定するだけですから。
- 786 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/14(土) 10:58:15 ID:SmEF4Oe2O
- 三結断ちとは何か?
それがいつの間にかラブ注入やドドスコになってしまったんだな。
で論理が破綻するのです。
- 787 :棕 櫚:2012/04/14(土)
11:08:34 ID:Imot9tVI0
- To: 自分 10:59
>784 名前:ユビキタス ◆18iA.mwnDU 投稿日: 2012/04/14(土) 09:49:16
ID:SmEF4Oe2O
>お互いに自分のスタイルを通せばよいのではありませんか?
棕櫚「しゅろ」です、矢沢の永ちゃんの「棕櫚の影」 からもらいました。
仰せのとおり、ここはチャットじゃないですし意見交換の場ですね。
私の不利な人を見るとなんか、、 味方したくなると言う悪い癖ですね。
私は準シュダオンさんがそんなクセの悪い人に思えないんです。
いろんな仏典も読んでいるようですし、 批判派と同じことを書いている。
ただそれに我節がプラスされて、 うまい事考えるなあと感心します。
仏説ってそんな解釈の拡大縮小で積み重なって来たんかなあなどと思 います。
ユビキタスさんの噛み砕かれた意見はすごくわかりやすく、
ああそうだったなあ
と思います。 私には準シュダオンさんの巻き直しの話しも新鮮なんです。
板の経験が少ないので過去何度もとは思えず、なんか見直せることだったり 、あり難いです。
でも批判派の人は同じことの繰り返しじゃあ、
ウンザリ感もあるんですね。
でもこの間の天照さんのあごん宗のマチガイと観点や、 深山さんの辞書引用などの解説は、
私にはそうかそうかちゃんと調べてないで桐山館長からの鵜呑みだったのが多かったと
自覚させられて、反省心も起きてマンネリ感はぜんぜんありません。
そんな意味で読んでいる人もいるんじゃないですかね。
それと私でいえばまだいる昔の法友にもちゃんと見せてあげられる批判板なら、
こういうあごん宗考察があるんですよと、、考え直してみたら式に紹介できればいいかなと思いまし た。
- 788 :準シュダオン:2012/04/14(土)
11:18:10 ID:lYSm2W8c0
- >ただこちらを閉口させるのは2点ありまして、こちらが反論済みのネタに対して
>反論されたこともリセットして同じことを何度も出してくること。
>たとえば預流向論議については私個人としてはもうレスしないと決めています。
預流向について理解できた人はレスする必要はありません。
私がしつこく預流向をレスしてたんは、批判派の修行が失敗した原因は、預流向の
理解、自覚が無かったからだ、と思うからです。
「仏陀の真実の教えを説く」上巻にも中巻にも、四双八輩について詳しく説かれて
います。これが阿含仏教の基本だからです。これを理解しないと、修行のスタート
地点に立てないのです。陸上選手がスタート地点が解らなくて、ウロウロ探し回っ
ているようなものです。
肝心なことは、自分は預流向なのである、ということを自覚できるかどうか、という
ことです。預流向を聖者と捉えるか、凡夫と捉えるか、それは二次的なことです。
自分は預流向なのだ、という自覚ができれば、明確に預流果を目指した修行が出来ます。
その自覚がないと、修行は漠然としたものになって、ただ御利益を目指した煩悩を増す
修行になりかねないのです。批判派は、たぶん、そこに陥ったのです。
批判派と言えども、自分を聖者だと考えるような図々しい人は稀でしょう。
だから、預流向を聖者だと考えていた人は、自分は預流向なのだ、という
自覚を持てなかったでしょう。それでは預流果を目指した修行は曖昧なもの
にしか成り得ません。それでは果報は得られなかったでしょう。
- 789 :準シュダオン:2012/04/14(土)
11:41:26 ID:lYSm2W8c0
- >因縁解脱を得る為には煩悩解脱だけでは駄目だが、しかし煩悩解脱は必須の条件であり
>あなたのように煩悩滅に拘る必要がないなんて、桐山建前にすら反する暴言です。
あのね、煩悩滅に拘る必要は無い、と言ったのは煩悩滅以外に苦滅の方法がある
場合、という前提条件の場合ですよ。今のところ煩悩滅以外の方法を見出せない
のですから、煩悩滅は当り前です。が、煩悩滅は手段だということです。
煩悩滅は苦滅の手段です。修行も手段であって、目的ではありません。
だから、修行なしに目的を達成できるなら、修行は不要です。
ジャイナ教祖のマハブィーラは、「資質の優れた者は、教えを聞いただけで、
修行なしに解脱できる」と、説いたという。
修行して解脱する者は資質の劣っている者なんだそうです。
それは本当のような気がしますね。
だからユビさんのように、他人の修行内容を気にしてもあまり意味がありません。
全員、資質が違うのですから、資質に応じた修行でなければ効果薄でしょう。
- 790 :棕 櫚:2012/04/14(土)
11:43:36 ID:Imot9tVI0
- To: 自分 11:38
>788 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/14(土) 11:18:10 ID:lYSm2W8c0
それでは預流果を目指した修行は曖昧なものにしか成り得ません。
それでは果報は得られなかったでしょう。
それがねあごん宗を辞めた後に万馬券が当たりましたよ。 あと偏頭痛が治ったりと、
因縁が逆に切れたんかなという思いに至りました。
それで辞めても後悔はなかったですね、 なんか切羽詰まった事がなくなった。
毎朝の勤行の縛りからも解放されて、スッキリと朝ズバですよ。
運転するときに略式護身法のクセも知らないうちにやらなくなりましたからね。
準シュダオンさんはまだ運転時に護身法を切っていますか?
私など今や預流向の自覚が出て来ましたからねw。
だってあごん宗のようなインチキ仏教から離れて護摩も拝まず、 霊魂なんてまいいや、
とか考えられるのもここの過去ログを読んで安心できたからですよ 。
退会して考察版を作ったという天照さんのカキコを読んでいたら吹っ切れましたよ。
桐山氏など苦しい言い逃れの塊の詐欺爺なんだと思います。
準シュダオンさんもそんな詭弁に引っ張られて無駄な時間を積まないほうがいいんじゃない。
もっと人生を楽しめるのに、 あごん宗に縛られたら金と時間が無駄ですよ。
私もずいぶん悪いことしたなあと思いますがもう悪行はつまされないと思うと、
これってホントの預流向ジャンと気が楽になって少しは良いこともしようと思えます。
準シュダオンさんはだからただの凡夫で、
私は変質教からのがれて預流向と言うほどの
違いがあるかなあ。
- 791 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/14(土) 12:25:26 ID:j01DOQTE0
- >ジャイナ教祖のマハブィーラは、「資質の優れた者は、教えを聞いただけで、
修行なしに解脱できる」と、説いたという。
その張本人は十余年の苦行と節制に努めた。
北国で裸での生活は通用しないように、
非常に偏った極端の聖師であったようです。
釈尊は、苦行や反対の快楽主義という極端を避け、
中道という目的にかなった修行が理に適っていると、
悟ったのです。
(「われは知る」「われは見る」ということに)執着して
論ずる人は、みずから構えた偏見を尊重しているので、
かれを導くことは容易でない。
自分の依処することがらのみ適正であるとと説き、
そのことがらに(のみ)清浄(となる道)を認める論者は、
そのように(一方的に)見たのである。-スッタニパータ910-
- 792 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/14(土) 13:03:26 ID:SmEF4Oe2O
- >>787
なるほど、「しゅろ」で簡単に変換できました。
もうコピペしなくてよい。
ありがとうございました。
- 793 :準シュダオン:2012/04/14(土)
13:43:05 ID:lYSm2W8c0
- >それがねあごん宗を辞めた後に万馬券が当たりましたよ。 あと偏頭痛が治ったりと、
>因縁が逆に切れたんかなという思いに至りました。
万馬券の当たり外れは阿含宗とは関係ないでしょう。偏頭痛は修行の効果が退会後に
出たとか。
>それで辞めても後悔はなかったですね、 なんか切羽詰まった事がなくなった。
>毎朝の勤行の縛りからも解放されて、スッキリと朝ズバですよ。
縛りといってもねぇ。あなたは相当真面目な方だったのですねぇ。私はね、
この間、隣町の親戚の老人が亡くなりましてね、朝早く出かけて、いろいろお手伝い
して、帰宅したのが深夜でした、で、やれやれと、晩酌して寝床に入ったらね、
あ、きょうは勤行してなかった、まぁいいか、と考えてそのまま寝てしまいました。
私は、その程度にしか縛られていませんよ。でも私がそのような気楽な心境になれ
たのは、聖なるバイブレーションを受けて後、のことです。
そうなるまでは、毎日欠かさず、勤行をするべきだと思います。
>運転するときに略式護身法のクセも知らないうちにやらなくなりましたからね。
>準シュダオンさんはまだ運転時に護身法を切っていますか?
私は入行以来、今日まで、運転時前に護身法を切ったことは、唯の一度もありません。
- 794 :準シュダオン:2012/04/14(土)
14:07:31 ID:lYSm2W8c0
- >退会して考察版を作ったという天照さんのカキコを読んでいたら吹っ切れましたよ。
>桐山氏など苦しい言い逃れの塊の詐欺爺なんだと思います。
何ら果報を得られなかった人は、そう思うのも仕方ありませんね。
>準シュダオンさんもそんな詭弁に引っ張られて無駄な時間を積ま
>ないほうがいいんじゃない。
>もっと人生を楽しめるのに、
あごん宗に縛られたら金と時間が無駄ですよ。
あなたは私のレスをウソだと思うのですか?果報があったという報告を。
貴重な時間を使ってまで、私はウソのレスはしませんよ。
私には、因縁の洗い出し現象もありました、それ以後、その因縁に悩まされること
はありません。聖なるバイブレーションも体験しました、それ以後、経典の内容が
よく解るようになりました、この経典はウソだ、とか。
あとね、昨年の、3・11には霊示があってね、予定を変更して危険に近づかなかった、
ということもあったのですよ。ですからね、この板では、管長批判が圧倒的に多くても、
私の心は微動だにしないのですよ。他人には私が集中砲火を浴びてるように写るの
ですか?そう思うのは批判派だけだと思いますよ。
まともな現役信者さんにはね、「なんだ、批判派は束になっても、準シュダオン唯一人
にやられてるじゃないか、これじゃ俺の出る幕はないな」てな感じだと思いますよ。
だからさっぱり、私の援護者が出てきませんよ。
否、あなたは援護者なのですか。
- 795 :準シュダオン:2012/04/14(土)
14:26:32 ID:lYSm2W8c0
- >運転するときに略式護身法のクセも知らないうちにやらなくなりましたからね。
>準シュダオンさんはまだ運転時に護身法を切っていますか?
私が入行して間もない頃ね、先達の車に便乗させてもらって例祭に出かけたこと
がありました。運転前、先達は護身法を切っていました。
で、私が護身法を切らないもんだから、「え、あなた、護身法切らなくて良いのですか?」
と、先達の方が驚いていましたね。
家で毎日勤行してるわけだから、その他、事あるごとに護身法を切らなくちゃ、
いけないなんて、煩わしい。と、いうような信徒でしてね、私は、傲慢だった
のでしょうか?
素直に何でも指導に従っていたら、今頃は「準斯陀含」というHNを使えていた
かも知れませんね。
- 796 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/14(土) 14:44:03 ID:xXXwKnF20
- 棕櫚さん、いつも投稿ありがとうございます。
どうですか?徐々に掲示板の感じや参加者の姿勢や流れなど大分見えてきたのではないかと
推察いたします。
2chとはまた違った味わいというか展開の場所です。大きな違いは変な投稿をする人は
私が管理していますのでそれがないというのと、こちらは文字数が多く打てます。
2chの姉妹版のような感じと思えるかもしれませんね。
ユビさんもおっしゃられているように皆さん個人個人の展開(スタイル)で良いかと思います。
準さんもそのようですし(笑)
私も偶然阿含宗を辞めてから金入りがよくなったので驚いています。
棕櫚さんもそうだったとは、と唸っています。また2chにも過去「辞めてから金運上昇」という
人がいたので「なんと言う皮肉な結果だろう」といつも思ってましたが、まさか棕櫚さんもとは(笑)
ちなみに私は効果が出るまでは数ヶ月掛かっていますが、本当に退会してよかったうちの1つですね。
辞めれば会費や余計な出費がなくなるだけ、と思っていたのですが入りがよくなると嬉しいものです。
- 797 :棕 櫚:2012/04/14(土)
15:42:44 ID:A94lUnzI0
- 天照さん、どうもです、こちらはホント投稿しやすいです。
2ちゃんは余計なケチレスが入りますが、 こちらは学べることが多いです。
準シュダオンさんもユニークな意見があり、 逆に阿含経を読もうと思えます。
ただ携帯からの投稿はうまくいきません。
私はパソコンより携帯のメール感覚での打ち込みに慣れているんで すが、
ただ携帯からだと行の調整がうまくいかないんでスマホタブにコピ ペして
編集してから投稿してます。 ここは自動で行変えになるのですかね?
二重投稿になった時はアレレの状態でして、すみませんでしたw。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
- 798 :棕 櫚:2012/04/14(土)
15:48:01 ID:A94lUnzI0
- >あなたは私のレスをウソだと思うのですか? 果報があったという報告を。
貴重な時間を使ってまで、私はウソのレスはしませんよ。
準シュダオンさんが嘘をついているとは思いません。
ただ桐山氏のウソを信じているなら不幸じゃないかと思ったのです 。
例えば部下を信じてもその部下が騙されていたら会社は損害を被ります。
前にも書きましたが準シュダオンさんは霊感が強い方なのでしょう 。
だったら桐山氏の変な理論など不要ではないのかな。
どう考えても桐山氏は宗教詐欺師でしかありません。
だって準シュダオンさんだけ助けてくれる宗教じゃ意味ないでしょう。
万民に役立つ信仰じゃなければ宗教じゃないでしょう。
何をするにも準備金がかかるのはおかしい。
今度の瞑想法伝法だって曼荼羅代金とか何やらで30万円くらいかかるようですよ。
これじゃ地獄の沙汰も金次第みたいなものです。
ホント桐山氏の法のお次第は金次第ですよ。
密教やりたいなら今じゃネットでもお次第も見れる時代です。
ちひろさんとのツーショットもネットで見ましたけど、 あれただのスケベオヤジにしか
見えませんでしたよw、どこが阿闍梨様でしょうね。
- 799 :棕 櫚:2012/04/14(土)
16:00:12 ID:A94lUnzI0
- おお、今回はうまく行数を整えられたですw
>794 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/14(土) 14:07:31
ID:lYSm2W8c0
>あとね、昨年の、3・11には霊示があってね、 予定を変更して危険に近づかなかった、
ということもあったのですよ。ですからね、この板では、 管長批判が圧倒的に多くても、
私の心は微動だにしないのですよ。
準シュダオンさんは第六感がいいんじゃありませんか?
私の祖母も感が良かったですから、 そういうのは世の中にアリでいいんじゃない。
でもそれと信仰が結びつくとは思えないですよ、 それじゃ世の中は教祖で溢れますよ。
ってか釈迦が第六感に頼っていたなんてアリかよって思います。
桐山氏は批判されて当然の人間だと思うし、 準シュダオンさん一人が孤高を保って
擁護するだけの聖者さまなわけがないでしょうね。
準シュダオンさんの微動だにしない心は凄いです、 打たれ強いんですね。
よくいるんですよ、打たれれば打たれるだけ強くなっちゃう人ってね。
私らはドエムって呼んでますけど、 準シュダオンさんの理屈は解釈違いでしょう。
初めに結論ありでサイズの合わない靴にムリクリあわせて履いているみたいですね。
批判派は靴底が減らない理論を背景にしていますが、
準シュダオンさんのは
窮屈という靴だから痛そうだし、靴底から足の指がハミ出ているようです。
準シュダオンさんが意固地を張るのも解るような気がしますよ。
人間ってなかなか変われないんですよね、 特に年齢が行くと難しいのでしょう?
ちなみに私は桐山批判してますけど、 準シュダオンさんを攻撃する気はありませんから。
- 800 :棕 櫚:2012/04/14(土)
16:36:18 ID:A94lUnzI0
- >家で毎日勤行してるわけだから、その他、 事あるごとに護身法を切らなくちゃ、
いけないなんて、煩わしい。と、いうような信徒でしてね、私は、
傲慢だったのでしょうか?
そうですか、けっこうお気楽な信者さんと言う感じですよね。
私はやらないと何か落ち着かなかったですよね、
良くないことはそのせいか?
なあんて、ヤバイと考えてしまうので必ず略式に頼っていましたが、
今思うとなんてバカだったんだろうと笑っちゃいますよ。
>素直に何でも指導に従っていたら、今頃は「準斯陀含」 というHNを使えていたかも知れませんね。
いいえそんなことはありませんよ、
悪行が少なくてよかったですよ。
「準斯陀含」って一来向のことですか?
準シュダオンさんは批判派の方々からサボリ信者のように
言われていたようですが、 それって、かえって悪行を積んでいないことになるんじゃないですか。
そう考えたら準シュダオンさんはへたな批判の人より阿含宗への貢献度が低くて、
逆に悪趣に落ちる可能性が低いかもねw。
桐山氏のウソに気づいても平気で一生懸命に梵行を重ねている人だったら、
きっと待っているのは三悪趣の扉が開かれて、
いらっしゃいって言う獄卒でしょw。
準シュダオンさんがサボリ信者だったなら罪は少ないんじゃないのかな。
ただここで我説を繰り広げて批判派のお役にたっているんだから 、
逆に言えばそれって善行につながるかもしれませんよ。
批判は正しいことで、それを際立たせている準シュダオンさんは板の貢献者ですよ。
- 801 :準シュダオン:2012/04/15(日)
08:46:44 ID:lYSm2W8c0
- >準シュダオンさんがサボリ信者だったなら罪は少ないんじゃないのかな。
罪が多かろうと少なかろうと、私はそういうことに関心はありませんよ。
私の判断基準は唯一つだけ、果報があれば正しくて善い宗教で、果報がなければ
悪い宗教、ただそれだけです。で、私には因縁の洗い出し現象等、果報を得て
ますから善い宗教なのです。批判派の皆さんには果報がなかったようですから、
その点では、悪い宗教ですね。
>ただここで我説を繰り広げて批判派のお役にたっているんだから
、
>逆に言えばそれって善行につながるかもしれませんよ。
そうね、レスを続けて、安穏に生活出来てるのですから、善行かも知れません。
>批判は正しいことで、それを際立たせている準シュダオンさんは板の貢献者ですよ。
貴重な意見、有難うございます。が、それにしては板の主張が世間にちぃとも広がり
ませんね。週刊誌は叩くどころか、阿含宗の広告を載せるし、大新聞も載せてるし、
星祭りはテレビ電波にまで載せていますね。浮いてるのは、○○派、かもよ。
- 802 :準シュダオン:2012/04/15(日)
09:05:48 ID:lYSm2W8c0
- >準シュダオンさんの微動だにしない心は凄いです、
打たれ強いんですね。
打ってるつもりなんですか?私は全く打たれていませんよ。微動だにしないと
いうことは、私に打撃は当っていない証拠なんです。
>よくいるんですよ、打たれれば打たれるだけ強くなっちゃう人ってね。
私には当っていないので、私は強くも弱くもなりません。
>私らはドエムって呼んでますけど、 準シュダオンさんの理屈は解釈違いでしょう。
>初めに結論ありでサイズの合わない靴にムリクリあわせて履いているみたいですね。
>批判派は靴底が減らない理論を背景にしていますが、
準シュダオンさんのは
>窮屈という靴だから痛そうだし、靴底から足の指がハミ出ているようです。
それは批判派に共通するところの、妄想・推測ですね。
>準シュダオンさんが意固地を張るのも解るような気がしますよ。
なるほど、あなたの修行が成就しなかった原因が解りました。納得です。
>人間ってなかなか変われないんですよね、 特に年齢が行くと難しいのでしょう?
それは、諸行無常の法に反します。変りたくなくても変るのが人間です。
変らないように見えても変化してるのですよ。
- 803 :準シュダオン:2012/04/15(日)
09:14:16 ID:lYSm2W8c0
- >でもそれと信仰が結びつくとは思えないですよ、 それじゃ世の中は教祖で溢れますよ。
>ってか釈迦が第六感に頼っていたなんてアリかよって思います。
あのね、釈迦は釈迦で、私は私でしょ。私は釈迦の人生をいきてるわけじゃないです。
釈迦が第六感に頼っていたかいないか、それは私には関係ない。
私の場合は、六感に従う場合もある、というだけです。
- 804 :準シュダオン:2012/04/15(日)
09:31:36 ID:lYSm2W8c0
- >準シュダオンさんが嘘をついているとは思いません。
>ただ桐山氏のウソを信じているなら不幸じゃないかと思ったのです
。
ウソから出た誠、という言葉もあるでしょ。私は、ウソかホントかはあまり
関係ないよ。果報があれば、ウソの教えでも良いです。
>例えば部下を信じてもその部下が騙されていたら会社は損害を被ります。
>前にも書きましたが準シュダオンさんは霊感が強い方なのでしょう 。
>だったら桐山氏の変な理論など不要ではないのかな。
私は霊感が強いか弱いか解りませんが、いずれにしてもそれは管長の指導による
効果だと考えています。管長の理論は不要?なるほどね、確かに理論はそれほど
重要ではない、と思います。論より証拠、といいいますから、理論より証拠の果報
が重要なのです。
ですから、果報を受けてる現在、退会する危険は犯す必要はないでしょう。
- 805 :準シュダオン:2012/04/15(日)
09:50:18 ID:lYSm2W8c0
- >どう考えても桐山氏は宗教詐欺師でしかありません。
>だって準シュダオンさんだけ助けてくれる宗教じゃ意味ないでしょう。
>万民に役立つ信仰じゃなければ宗教じゃないでしょう。
万民に役立つ信仰なんて、有り得ないでしょう。仏教にしても、苦を感じる人
には役立つが、人生は楽しく面白い、と感じてる人には仏教も不要ですよ。
それに、阿含宗は私だけを助けてるわけではありません。多くの信徒を助けて
いると思いますよ。イベントの出仕修行者など、嬉々として参加してる人も多
いと思いますよ、そういう人には果報も大きいでしょう。私はサボリ信徒ですが。
>何をするにも準備金がかかるのはおかしい。
>今度の瞑想法伝法だって曼荼羅代金とか何やらで30万円くらいかかるようですよ。
>これじゃ地獄の沙汰も金次第みたいなものです。
30万円?そうですか、けっこうかかりますね。でも無理せずにお金を用意でき
る人は、受けたほうが良いでしょうね。オセロ中島みたいに、家賃も払わずに
曼荼羅代金にしてはいけませんが。
- 806 :準シュダオン:2012/04/15(日)
10:03:51 ID:lYSm2W8c0
- >ホント桐山氏の法のお次第は金次第ですよ。
>密教やりたいなら今じゃネットでもお次第も見れる時代です。
>ちひろさんとのツーショットもネットで見ましたけど、 あれただのスケベオヤジにしか
>見えませんでしたよw、どこが阿闍梨様でしょうね。
あのね、世界の見え方は、自分の心の反映、なのだそうですよ。
同じ薔薇を観ても、じぃーと見とれる人も居れば、チラリとしか見ない人も
居れば、手で千切りとって捨てる人もいます。美醜については、客観的な
見方というのはありません。アジャリ様の見え方も、見る人の心の反映です。
主観的にしか見ようがないのですから、そういう点では、あなたの見え方も
正しいですね。
- 807 :棕 櫚:2012/04/15(日)
11:52:01 ID:Ph.RoWrI0
- >803 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/15(日) 09:14:16 ID:lYSm2W8c0
>私は霊感が強いか弱いか解りませんが、 いずれにしてもそれは管長の指導による効果だと考えています。
管長の理論は不要?なるほどね、
確かに理論はそれほど 重要ではない、と思います。
論より証拠、といいいますから、 理論より証拠の果報 が重要なのです。 ですから、果報を受けてる現在、
退会する危険は犯す必要はないでしょう。
ああそうか、準シュダオンさんってゴウイングマイウエイなんですね。
いいんじゃない、そういう我一人で道を行くなんて釈迦の修行みたいです。
準シュダオンさんはあごん宗でいろいろ備わったと感じているのでしょうが、
それって元々準シュダオンさんにあった素質ではないでしょうかね。
それを勘違いして管長のおかげだと思っているのでしょうね。
私などあごん宗を退会してからのほうが経済的にも精神的にも向上しましたからね。
あごん宗を乗り越えて実力がついたのですから、
私なりに実社会での成果が出たのです。
準シュダオンさんもそういう意味で、 ただの切っ掛けがあごん宗だっただけでしょう。
効果を維持するのに、あんなヨレヨレ爺さんなど必要ないでしょう?
それもね、今やあの深田さんが修法してるんですよ。
あの人、桐山氏から何にも四果のうちの一果も認められていないし、
あごんの成仏法も体得していないただの操つり人形です。
ようは準シュダオンさんが壇上で桐山氏の身代わりで修法してるようなものです。
宗教ごっこに歳こいたおじさんやおばさんが懸命に拝んでるなんて 、
気味が悪いしかないでしょw。
阿含経をよくよく読めば、 あごん宗の因縁切りなど笑っちゃう漫画の世界です。
私の祖父がもし真面目な顔して九字を切ったりしてたら、何だ? 狂ったのかと思ってしまうw。
準シュダオンさんがホントにあごんの呪文を信じてるなら、
街の真ん中で九字を切れますか?
ぜったい恥かしくてできないはずで、ようはそんなもんですよw ww。
釈迦は因縁解脱なんて言ってませんから、
あごん宗は少なくとも仏教ではありませんね。
- 808 :棕 櫚:2012/04/15(日)
12:35:10 ID:Ph.RoWrI0
- >あのね、世界の見え方は、自分の心の反映、なのだそうですよ。
そうですね、準シュダオンさんは人生長いでしょうから大人的観点を持ってる。
でもねえ、あの胸を肌けた桐山氏にちひろさんがもたれ掛ってたんで、
男としたら大満足ですが、 聖師としたらゲエーエと思うのが普通の感性でしょう?
あれって会社の温泉宴会で上司が酔ってコンパニオン嬢と戯むれてる姿と変わりませんよ。
あんな普通の女好き爺さんが星九字を切ったって、
廻りの空気が淀むくらいでしょうw。
今私は「ブッダ最後の旅」を読んでますが、 準シュダオンさんは阿含経を一冊全部読みました?
桐山氏の部分的お経しか今まで読んだだけでしたが、 ぜんぜん違う感慨になりましたね。
あと法事に行ったことがあって、
そこは真言密教のお坊さんでしたが、
あごん宗の修法よりなんかあ荘厳で、すがすがしい感じでしたね、 無理が無い普通の感じね。
桐山氏は大乗仏教をケナシて、 あごん宗が一番みたいなことばっかですがね。
大乗は大乗の伝統の重さみたいな文化的完成度を感じましたけど、
あごん宗はなんかぁキタネ、ってそんな感じがします、 ただ言うだけのマネモノですよね。
準シュダオンさんは霊感が強いなら、
それをもっと磨くのにモノマネ教団なんかより、
祈祷仏教のほうが合っているんじゃないすか。
桐山氏は様式だけの密教なんて言ってたそうですけど、
密教界から相手にされなくなって
悔しくてそう言っただけで、 間違いだらけの作法で本物の坊さんから笑われていたそうですよ。
そんなマネモノにしがみ付くなんて、なんか未練たらしい捨てられても諦めきれない哀れな 男みたいで
北朝鮮のヨイショ人民を思わせますね。
私はホントあごん宗を退会して身軽になって実力を素直に発揮できるようになりましたから、
準シュダオンさんみたいな窮屈さは何にもなくなって卒業できましたね。
- 811 :Boo:2012/04/15(日)
21:06:20 ID:nP0N6GnU0
- >そうですね、準シュダオンさんは人生長いでしょうから大人的観点を持ってる。
>でもねえ、あの胸を肌けた桐山氏にちひろさんがもたれ掛ってたんで、
>男としたら大満足ですが、
聖師としたらゲエーエと思うのが普通の感性でしょう?
そういうことやっていて、つまり若い信者とSEXしたり、都合の悪い人物を
拉致したり生命を奪ったりしても、洗脳信者は宗教的儀式に見えたり、特に不快な
感情は持たないのでしょう、きっと。
多分オウムの信者も果報はあったのでしょう。だから洗脳されたわけです。
- 812 :akb55:2012/04/15(日)
22:08:00 ID:XeG8xf1k0
- 運命学に興味のある方、九星略盤法の解説をしました。
agama@chs1へどうぞ
- 813 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/16(月) 08:27:35 ID:SmEF4Oe2O
- 本日は「輪廻転生瞑想法1」の発売日となります。
まずは読んでみないことには講評のしようもありません。
今回の著書に関して私の推測を書かせていただくと、ある程度は倫理道徳的な
主張を盛り込んだ構成になっていると思われます。
すなわち来世のことを書くわけで、来世の状況は現世になした行いがもとになるわけですから
必然的に現世を正しく生きなさいという教えになりますね。
そして仏教が来世に期待することを説かなくても、それはそれで正しいものになりましょう。
しかしこれで騙されてはならないと言うよりも、考えてみてください。
現世を正しく生きていれば来世の状況は悪くない、よくなるぞ、それだけでよいではありませんか?
何もそこでおかしな瞑想に迷走する必要はありません。
美男美女で富と名声を手にするなんてそんなあからさまな話を著書に書くかどうかは疑問にも思います。
桐山さんだったらこんなことを書いたら読者は喜ぶだろうと、相手のニーズも読めない
自分のあさましい感覚を基準に書くでしょうね。
しかし平河出版が桐山さんのこれまでの例祭漫談雑談などを編集して書くとするならば
こんな恥ずかしい煽りは表現を緩和するのではないかと思われます。
いずれにせよ、明るい来世を望むのだったら、あなた方アゴン宗信者というものは
ジタバタしないで、仏舎利尊宝塔の供養をして因縁切りに励んでいさいすれば
自ずとその結果は来世にもよい影響を与えるはずの教義ではないですか?
準シュダオンさんが自らのマイペース信仰を説いています。
我々は準シュダオンさんの信仰スタイルなどに興味はなく、こちらが否定批判したいのは
桐山さんの説く教えと実践です。
ならば寧ろ準シュダオンさんのマイペーススタイルこそ棕櫚さんが指摘するごとく
桐山指導よりもマシで正しいことになります。
つまり信者の皆さんは桐山さんよりも準シュダオンさんの生活信仰実践の方を参考にした方がよい。
輪廻転生瞑想法なんてわざわざ高いグッズアイテムを買い求めてまでする必要がない。
普段の勤行だけで十分ではないか。
準シュダオンさんはボン行などをサボってもこうして生きていられる。
ボン行したからと言って糖尿病にならなかったわけでもあるまい。
つまり何もしなくてもあなた方の人生は変わらないのです。
- 814 :名無しさん:2012/04/16(月)
12:04:57 ID:BC1M4oj20
- いやいや、何もしない準さんは、主観的ではあっても功徳というか果報というか
を得ているどころか、批判者の経験したことのない、白銀のバイブレーションまで
くらっているのだから、彼の信仰スタイルこそが正しいやりかたなのではないでしょうか?
- 815 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/16(月) 13:03:14 ID:SmEF4Oe2O
- >>814:名無しさん12/04/16(月) 12:04:57
ID:BC1M4oj20
>彼の信仰スタイルこそが正しいやりかたなのではないでしょうか?
「こそ」とは何に対して比較しているのですか?
私は桐山さんの指導に対して、準シュダオンさんのスタイルの方が罪がないとしています。
準シュダオンさんの信仰スタイルとは護身法など一日一回は切っているから何も
車を運転する前に切るまでもない、その勤行もやらない日もある、奉仕ボン行などは
無理をしてやってはならない(して、ほとんどやらない)というものです。
これと桐山指導は一致しますか?
私は桐山指導を否定して準シュダオンスタイルをこそ提唱しているのです。
それでも白銀のバイブレーションは得られるのですから。
私が否定するのは準シュダオンさんではなく桐山さんです。
- 816 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/16(月) 19:37:43 ID:SmEF4Oe2O
- Yブックセンター宗教書のフロアに来て桐ちゃんコーナーと精神世界の新刊本コーナー
覗いたけど、1冊も置いてへんで。
仏陀の真実の教えを説く(中)は第1版第1刷が未だに売れずに山積みされてやしたぜ。
- 817 :Boo:2012/04/16(月)
20:06:44 ID:nP0N6GnU0
- >>815 名前:ユビキタス ◆18iA.mwnDU 投稿日: 2012/04/16(月)
13:03:14 ID:SmEF4Oe2O
>>814
ハンドルいれわすれました。携帯からのレスで前後の関係がおかしいですね、
確かに。
準シュダオンさんの以下のレス近辺の
>私は霊感が強いか弱いか解りませんが、いずれにしてもそれは管長の指導による
効果だと考えています。管長の理論は不要?なるほどね、確かに理論はそれほど
重要ではない、と思います。論より証拠、といいいますから、理論より証拠の果報
が重要なのです。
ですから、果報を受けてる現在、退会する危険は犯す必要はないでしょう。
>>805 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/15(日) 09:50:18 ID:lYSm2W8c0
>どう考えても桐山氏は宗教詐欺師でしかありません。
>>だって準シュダオンさんだけ助けてくれる宗教じゃ意味ないでしょう。
>万民に役立つ信仰じゃなければ宗教じゃないでしょう。
>万民に役立つ信仰なんて、有り得ないでしょう。仏教にしても、苦を感じる人
には役立つが、人生は楽しく面白い、と感じてる人には仏教も不要ですよ。
それに、阿含宗は私だけを助けてるわけではありません。多くの信徒を助けて
いると思いますよ。イベントの出仕修行者など、嬉々として参加してる人も多
いと思いますよ、そういう人には果報も大きいでしょう。私はサボリ信徒ですが。
とユビキタスさんの >>815 へのレスなど曖昧な立場の記述となってしまったようですね。
準さんのようにサボりながら修行してきたら批判派の諸兄は挫折せずに白銀バイブや
果報や功徳を得ていたのかね〜という程度のレスです。
- 818 :名無しさん:2012/04/17(火)
08:36:55 ID:LXSzQAEc0
- >>816
わたしも何軒か大きな書店にゆきましたが、新刊本どころか桐山さんの本がほとんど無かったね。
時代を感じたよ。必ず年に一冊は書いていたな昔は。今はボケのパクパク爺さんになったので
本も書けないし(文章が書けない)、法話も崩話だろうからな。老人はほとんどそうなんで
特別じゃないが、ヤツは自分で超人だと宣伝して、経済活動していたんだから、疑問視され批判されて
当然。ほんと今は昔だよ、諸行無常だよ。
桐山さんが一番恐れているのが、死ぬことだろう。タップリと自分が逝っちまった後に
どういう批判に曝されるのか知っておいてもらうのが一番のクスリ否、御礼になる。
こういうスレにみんなが書き込みすることが大切なことだなと思う。
- 819 :準シュダオン:2012/04/17(火)
09:50:22 ID:lYSm2W8c0
- >準シュダオンさんがホントにあごんの呪文を信じてるなら、
街の真ん中で九字を切れますか?
街では九字なんて切れませんよ。ここにレスしてる内容だって、世間には話していませんよ。
>ぜったい恥かしくてできないはずで、ようはそんなもんですよw ww。
>釈迦は因縁解脱なんて言ってませんから、
あごん宗は少なくとも仏教ではありませんね。
そんなに釈迦が大事なの?仏教が大事なの?
私は、因縁解脱を説かない釈迦や仏教なら価値を認めないし、関心ないですよ。
- 820 :準シュダオン:2012/04/17(火)
10:09:37 ID:lYSm2W8c0
>今私は「ブッダ最後の旅」を読んでますが、 準シュダオンさんは阿含経を一冊全部読みました?
>桐山氏の部分的お経しか今まで読んだだけでしたが、 ぜんぜん違う感慨になりましたね。
ブッダ最期の旅、は遊行経でしょう。遊行経は読んでますよ。
遊行経に、「・・修戒獲定得大果報 修定獲智得大果報 修智得等解脱・・」と、
説いてる箇所があるでしょう。戒定慧を修すれば解脱を得る、という教えです。
と、いうことは、戒定慧の三学も、苦集滅道の四諦の道諦だということですね。
管長は、八正道だけが道諦ではない、と本に書いています。道諦とは仏道のこと
なのだ、と書いていますね、三十七道品などの修行法が道諦なのだ、とね。
私も管長が正しいと思いますね。苦、集、滅、道、をよく考えたら、管長の言う
とおりですよ。でもこのようなことは、阿含経を修行した管長にして、初めて言
えることですね。普通の僧侶や学者さんは、経を国語的にしか解釈できないので、
道諦とは八正道だけだと思い込んでしまうわけですね。
- 821 :準シュダオン:2012/04/17(火)
10:24:48 ID:lYSm2W8c0
- >準シュダオンさんもそういう意味で、 ただの切っ掛けがあごん宗だっただけでしょう。
>効果を維持するのに、あんなヨレヨレ爺さんなど必要ないでしょう?
釈迦だって最期はヨレヨレ爺さんになったと思われますよ。
それに私はね、因縁の洗い出し現象などを体験してからはね、仏界の霊波と
いうようなものを感じているのですよ、前にもレスしましたけどね。
パソコンに例えたら、阿含宗はプロバイダみたいなものです。それを経由して
インターネットを利用できるわけです、阿含宗を経由して仏界の加持を受ける
ことができる、と、私は考えているのです。
- 822 :準シュダオン:2012/04/17(火)
10:42:21 ID:lYSm2W8c0
- >準シュダオンさんは霊感が強いなら、 それをもっと磨くのにモノマネ教団なんかより、
>祈祷仏教のほうが合っているんじゃないすか。
私は別に霊感を磨きたい、なんて思いません。今は自然にまかせる、という感じです。
因縁の洗い出し現象にしても、聖なるバイブレーションにしても、3・11の霊示に
しても、私が求めて得られたものではないですよ。すべて不意に起きたのです。
祈祷仏教?
それは大インチキと神秘が混在する世界ですね。私には不用でしょう。
- 823 :準シュダオン:2012/04/17(火)
10:55:25 ID:lYSm2W8c0
- >多分オウムの信者も果報はあったのでしょう。だから洗脳されたわけです。
洗脳とはマインドコントロール、それは強信、狂信から生じます。
退会後も阿含スレから去れない状態、それが洗脳です。批判派は、いまだに洗脳
状態にあるのです、退会したから洗脳が解けた、というものではありません。
私は現役信者でありながら、洗脳はされていません、勤行さえしないこともある。
オウム信者に果報があったなんて、普通の頭では考えられないことです。
そういう頭が洗脳されちゃうのです。
- 824 :準シュダオン:2012/04/17(火)
11:08:31 ID:lYSm2W8c0
- >でもねえ、あの胸を肌けた桐山氏にちひろさんがもたれ掛ってたんで、
>男としたら大満足ですが、
聖師としたらゲエーエと思うのが普通の感性でしょう?
>あれって会社の温泉宴会で上司が酔ってコンパニオン嬢と戯むれてる姿と変わりませんよ。
聖人君子だからといって、何も人間離れした清廉潔白である必要はない、というの
が私の聖者観です。釈尊の聖者の定義にしても、我見と疑惑を離れ、悪趣を逃れ
たら第一段階の聖者だとしています。
要は、安楽にくらせる人が聖者なんですよ、一時的にではなくね。
- 825 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/17(火) 11:21:07 ID:0iokvgUQ0
- >819 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/17(火) 09:50:22
ID:lYSm2W8c0
>そんなに釈迦が大事なの?仏教が大事なの?
私は、因縁解脱を説かない釈迦や仏教なら価値を認めないし、関心ないですよ。
横レスになりますが、その考えによるなら今からでも、
仏教徒という認識を捨てるべきです。
釈尊は、因縁解脱など説いていないからです。
またここは、あごん宗を考察し、ことによっては批判を
する場所でもあるのですから、準シュダオンさんが仏教を
見限っても我々批判側は、それについてのコメントは必要ない。
また、この論旨を理解するなら「釈迦が大事、仏教が大事」という、
問題提起は出てくるはずがありません。
批判は、釈迦に依教し信仰心から主張しているのではありません。
桐山さんが、釈尊直説の阿含経を掲げ、立宗しているから、
阿含経の実際の内容と、桐山さんの阿含経解釈の齟齬を指摘しているのです。
- 826 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/17(火) 11:26:52 ID:0iokvgUQ0
- 820 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/17(火) 10:09:37
ID:lYSm2W8c0
>管長は、八正道だけが道諦ではない、と本に書いています。道諦とは仏道のこと
なのだ、と書いていますね、三十七道品などの修行法が道諦なのだ、とね。
あなたへの釈尊の回答が、2500年前から為されています。
読み落としたようですから、引用掲示しておきましょう。
「修行僧らよ、真理の体現者のさとった中道――それは眼を生じ、
認識を生じ、平安・超人知・正しい覚り・安らぎ(ニルヴァーナ)に
向かうものであるが――とは何であるか?
それは実に、<聖なる八支よりなる道>である。
すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正しい行い、
正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。
これが実に、真理の体現者のさとった中道であり、眼を生じ、
認識を生じ、平安・超人知・正しいさとり・安らぎ(ニルヴァーナ)に
向かうものである。」(中村元訳「ゴータマ・ブッダ 釈尊の生涯」 春秋社)
「スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。
正理と法の領域のみを歩んで来た。
これ以外には<道の人>なるものも存在しない。」
「他の論議の道(=他派)は空虚である。
<道の人>を欠いている。」(『ブッダ最後の旅』中村元150頁〜)
- 827 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/17(火) 11:37:48 ID:0iokvgUQ0
- 820 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/17(火) 10:09:37
ID:lYSm2W8c0
>管長は、八正道だけが道諦ではない、と本に書いています。
インチキ宗教家の弁ではなく、阿含経研究者による学説はどうか。
「ゴータマ・ブッダは、最初の説法のその最初に苦楽中道を説き、
それが具体的に八支よりなる聖なる道、つまり八聖道だということを
示した。」 (宮元啓一「ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ」春秋社)
「仏教の最初の出発期において<中道>は実践的なものであったので、
<中道>は<八正道>と同一視されて説明されるようになった。
不苦不楽の中道という意味である。」(中村元「原始仏教の生活倫理」春秋社)
- 828 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/17(火) 11:50:58 ID:0iokvgUQ0
- >820 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/17(火) 10:09:37
ID:lYSm2W8c0
>管長は、八正道だけが道諦ではない、と本に書いています。
(「バウッダ佛教」三枝充悳著 196頁)
四諦とは、四種の真実をいう。「諦」の原語であるパーリ語のサッチャsacca、
サンスクリット語のサティヤsatyaは、「存在する」(アスas)という動詞の現在分詞の
サトsatに基づき、転じて真理・真実を表わす。
漢字の「諦」もまた同じく真理をいう。
「諦」の訓のアキラム、すなわちアキラメルは、本来はアキラカニスルであって、
たとえば道元の「正法眼蔵」から短く編集された「修証義」冒頭の「生を明アキらめ、
死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」の句は、仏教者に多用される。
(アキラメルは、もともと断念・放棄とはなんら関連がない)。
四諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦であり、略して苦集滅道ともいう。
ただし、つねに銘記すべきことは、それらは正確には、苦・苦の集(成立)・苦の滅・
苦の滅におもむく道であり、このことは、パーリ語にも漢訳にも共通している。
- 829 :準シュダオン:2012/04/17(火)
12:31:18 ID:lYSm2W8c0
- >釈迦は因縁解脱なんて言ってませんから、 あごん宗は少なくとも仏教ではありませんね。
HNは、しゅろさんと読むのでしたか?
釈迦は因縁解脱を説いていますよ、そういう経典を読んだことがないのですか?
因縁解脱なんて言ってない、というのを信じるのも一種の洗脳ですね。
釈迦はしばしば、「比丘たちよ、因縁とは何であろうか?無明があれば行があり
行があれば識が・・・」というように、因縁・縁起とは人生における、
煩悩・業・苦、の十二因縁・縁起のことだ、と説いています。
そういう経典を読んだことがないのですか?
でね、1無明(煩悩)2行(業)・・・12老死(苦)という十二因縁・縁起の
滅・解脱を自分(釈迦)は説くのであり、それは八正道を修することで得ること
が出来るのだと、そのようにしばしば説いていますよ。釈迦は、煩悩も業も苦も、
因縁と呼んでいます。
因縁の語は、初期仏教ではもっぱら生存苦(迷いの世界)の解決のために使用
されていますから、素直に十二因縁に適用すれば良いのです。
それをわざわざ、因縁=原因・法則というように、ややこしく考えるから間違
うのです。
- 830 :Boo:2012/04/17(火)
16:30:58 ID:nP0N6GnU0
- >>892
ふ〜やれやれですね。
釈尊が説いたのはね、縁起の法とか十二因縁であって、アゴン宗の「○○の因縁」
じゃないの。いくら言ってもわからないのですね。煩悩を断って次の生の無明が
滅すると言っているのです。
ユビキタスさんがよく言っていますが、
「人はどんな因縁をもつか」の「○○の因縁」が12集まって一二因縁だとでも
思っているのですか?
無明=横変死の因縁
行=刑獄の因縁
識=肉親血縁相克の因縁を伴った中途挫折の因縁
名色=癌の因縁
で、これらの
「苦の原因の因縁を切る=因縁解脱」
じゃないの。
- 831 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/17(火) 16:43:18 ID:0iokvgUQ0
- >829 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/17(火) 12:31:18
ID:lYSm2W8c0
>釈迦は因縁解脱を説いていますよ、
>釈迦はしばしば、「比丘たちよ、因縁とは何であろうか?無明があれば行があり
行があれば識が・・・」というように、因縁・縁起とは人生における、
煩悩・業・苦、の十二因縁・縁起のことだ、と説いています。
ー岩波仏教辞典ー縁起の項ー
「悟りは”滅”や”解脱”と表現され,縁起を超越し
縁起を滅した世界とされた.」
準シュダオンさんの根拠は、↑上記辞典の部分にある。
それで縁起の滅=因縁解脱、などという理屈は成り立ちません。
これは当然の解釈で、煩悩から解放されたのだから、
すでにそれは苦滅し、その苦の生起消滅の因果関係は
もうありませんから、縁起を超越し滅した世界との表現になる。
以下の釈尊の答えが、上記辞典の根拠です。
釈尊が学生ウバシーヴァに、解脱したら存在し続けるか否かを
質問されたことに答えたもので、丁度、準シュダオンさんが、
理法を滅として、まちがえたようなものです。
師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が
存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道は
すっかり絶えてしまったのである。」(スッタニパータ1076
)
- 832 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/17(火) 17:00:02 ID:0iokvgUQ0
釈尊は、解脱した者を計る基準は存在しないと
述べたのであって、それは縁起の理法に左右され、
影響を受ける世界ではない、ということです。
苦を滅したのですから、苦を受ける原因も無く、
煩悩に「縁って起こる」何ものも存在しない境涯です。
それを部派仏教では、「悟りは”滅”や”解脱”と
表現され,縁起を超越し 縁起を滅した世界とされた.」と、
解されるに至ったのです。
いわば部派〜説一切有部の捉え方で、ある種、煩雑で解りにくい。
中村博士の縁起への解説で充分でしょう。
ーバウッダ[佛教]中村元・三枝悳ー
【縁起202〜203頁抜粋】
仏教は、一因一果(ひとつの原因からひとつの結集)という
説をとることを嫌う。「もの・ことがある」とは、「もの・ことが
成立している」ことであり、それが生であり、集であり、また起で
ありつつ、しかもそれらには諸原因・諸条件を必須とするところから、
以上のすべてを合わせていえば、「縁って起こる」となり、
すなわち「縁起」という述語になる。
- 833 :棕 櫚:2012/04/17(火)
18:24:05 ID:LuvOWj9s0
- >HNは、しゅろさんと読むのでしたか?
はいそうです、以前は名無しで深山さんやユビキタスさんと議論した者です。
天照さんの勧めでいろいろ改めてそれでコテハンにしました。
>819 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/17(火)
09:50:22 ID:lYSm2W8c0
>私は、因縁解脱を説かない釈迦や仏教なら価値を認めないし、関心ないですよ。
因縁一本きりに励む準シュダオンさんということですね。
いいんじゃないですか、信じるのは自由ですからね。
>そんなに釈迦が大事なの?仏教が大事なの?
ってかそれは準シュダオンさんに聞きたいことなんですよね。
そんなに釈迦仏教が大事なの?って。 だって釈迦が因縁解脱を説いたってこだわり、
阿含のお経にあるんだと釈迦仏教にぶら下がってるのは、
準シュダオンさんのほうじゃありませんか?
因縁解脱も因縁切りも無かったんだから、 釈迦仏教の看板を降ろすなり桐山密教で因縁切りをしてるぞって、
正々堂々とやればいいじゃん、 と思いますけどどうして釈迦仏教じゃないといけないの?
釈迦仏教に一番拘り続けているのは準シュダオンさんでしたよね。
- 834 :棕 櫚:2012/04/17(火)
18:38:07 ID:LuvOWj9s0
- >と、いうことは、戒定慧の三学も、 苦集滅道の四諦の道諦だということですね。
つまり戒定慧の三学で解脱するから八正道はイラネ、
ということですか?
おもろいこといいますよね、準シュダオンさんw
八正道の正語・正業・正命は戒学で、正見・正思惟は慧学で、
正念・正定は定学じゃね?
三十七道品だって八正道とダブってるんじゃないの。
>パソコンに例えたら、阿含宗はプロバイダみたいなものです。
それを経由して インターネットを利用できるわけです、
阿含宗を経由して仏界の加持を受ける ことができる、と、私は考えているのです。
あははは、それって宗教ステマじゃないの、 ネットで洗脳されているんですねw
>因縁の洗い出し現象にしても、聖なるバイブレーションにしても
よくわからんけど私は、あごん宗止めて心が洗われたんだから、
あごん宗でくっつけられた悪因縁などキレイさっぱり流しましたわね。
これぞ因縁の洗い出しじゃないすか。
>私は現役信者でありながら、洗脳はされていません、 勤行さえしないこともある。
いやいやそれこそ新興宗教の因縁切り信じた宗教ステマによる狂信ですわ。
>聖人君子だからといって、
何も人間離れした清廉潔白である必要はない、というの が私の聖者観です。
うわ、、すんごい、桐山氏の聖りとはめっちゃハードル低いんですね。
- 835 :干柿:2012/04/17(火)
23:43:25 ID:LzYL8o4A0
- なんか冥徳祭にI川さん出現したみたいですね。ゲイカになんか質問して
職員にかこまれたとかw、くわしくはわからないのですが大したこと
ではないらしいですけど、もう信者の集まる面前で堂々と質問したってのが
面白いw
- 836 :愚民:2012/04/18(水)
00:04:33 ID:bf.nacpA0
- >>835
凄いですね
男と女の愛憎修羅場劇場じゃないですかあ〜
仏陀と愛人リボンちゃんの修羅場劇場ですね???
関東別院にあんな立派な愛染明王様のお人形飾っても
あんまり効き目ないですね(笑)
- 837 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/18(水) 08:24:32 ID:SmEF4Oe2O
- >>819:準シュダオン12/04/17(火) 09:50:22
ID:lYSm2W8c0
>そんなに釈迦が大事なの?仏教が大事なの?
>私は、因縁解脱を説かない釈迦や仏教なら価値を認めないし、関心ないですよ。
それは我々にではなく桐山さんに言いなさい。
我々はあなたの信仰の好みなんか興味なく相手にしないと言ったでしょう?
我々が相手にしているのは桐山アゴン宗のみですから。
シャカでなければならないとしたのは桐山さんです。
桐山さんは仏教にとらわれることなく、運命転換の因縁解脱を求めて、宗教遍歴を
したことにしています。
そしてシャカの仏教にしか因縁解脱法はないとの結論に達したのです。
なるほど桐山さんはこういう言い方をします。
シナ仏教(中国仏教)だから悪いと言っているのではない。アフリカの仏教でも
なんでもいいのです。成仏法(因縁解脱法)があるならば。
しかしてそのような姿勢で仏教にぶつかった時、シャカの説いたアゴン経にしか
成仏法は説かれていなかったから、このシャカの成仏法を唯一説いたアゴン経に
依拠するのであると。
だから桐山アゴン宗において釈迦と仏教は絶対であり、これを否定することは
アゴン宗徒である限り許されない。
だからあなたの釈尊と仏教に対する疑惑などこのスレでは意味がない。
- 838 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/18(水) 08:42:10 ID:SmEF4Oe2O
- >>820:準シュダオン12/04/17(火) 10:09:37
ID:lYSm2W8c0
>ブッダ最期の旅、は遊行経でしょう。遊行経は読んでますよ。
>遊行経に、「・・修戒獲定得大果報 修定獲智得大果報 修智得等解脱・・」と、
我々が引用出典として出すのはパーリ語経典の大パリニッバーナ経(大般涅槃経)です。
このパーリ文から学者が直接現代日本語訳したものです。(ブッダ最後の旅)
あなたの出す漢訳遊行経も大パリニッバーナ経と内容は同一です。
ただ遊行経の方は大パリニッバーナ経には記述のないことも一部追加されている
ようだが、それは例外として説いている内容構成は変わりません。
そしてあなたは平河出版社の漢訳阿含経典の現代日本語訳としての遊行経を
所蔵しています。
ならばそのわかりやすい現代日本語訳の方を示せばよいものを、準シュダオンさんは
いつも漢文白文の方だけを提示します。
実はこれには彼のまやかしがあります。
我々はどうしても漢文には馴染みがない。
しかし漢字が日本語に採用されているのだから全くわからないことはない。
この中途半端な理解認識を活用する。
経典の一部だけを提示して字面解釈して強引に自説に繋げる。
苦の解決と聞いて注射が痛くない道のように勝手に示す。
ところが現代日本語訳の場合だとなかなかそのごまかしが通用しない。
経典は現代日本語訳にしてしまえば誰にでもわかりやすいことを説いているからです。
だから桐山さんもパーリ経典の現代日本語訳というのはめったに使いません
と言うか使えません。
- 839 :準シュダオン:2012/04/18(水)
09:47:34 ID:lYSm2W8c0
- >いつも漢文白文の方だけを提示します。
>実はこれには彼のまやかしがあります。
>我々はどうしても漢文には馴染みがない。
あまりにもひねくれた考えです↑w。
私が示す漢文は、易しい部分だけです。高校程度の漢文知識があれば読み取れる
内容で、大学レベルは必要ありません。なにより漢文提示は学者を経由しない分
だけ公平でしょう。
- 840 :準シュダオン:2012/04/18(水)
10:07:15 ID:lYSm2W8c0
- >>ブッダ最期の旅、は遊行経でしょう。遊行経は読んでますよ。
>>遊行経に、「・・修戒獲定得大果報 修定獲智得大果報 修智得等解脱・・」と、
>しかし漢字が日本語に採用されているのだから全くわからないことはない。
>この中途半端な理解認識を活用する。
>経典の一部だけを提示して字面解釈して強引に自説に繋げる。
字面解釈して強引に自説に繋げる? あのねぇ、「修戒獲定得大果報」をどの
ように解釈すれば、強引に自説に繋げることになるのかね?
「戒を修めれば禅定を獲ることが出来て、大いなる果報を得る」という以外に、
違う解釈が可能かね?
「修定獲智得大果報」は、「禅定を修めれば智慧を獲られ、大いなる果報を得る」
という解釈以外の解釈が可能かね?そして強引に自説に繋げるのかね?
どういう自説にかね?すべてを学者の訳に委ねたほうが良いのかね?漢文程度でも?
「修智得等解脱」は、正確には「修智心浄得等解脱」だったはずで、
「智慧を修めれば心浄を獲て解脱することができる」という意味でしょう。
学者先生はどう訳していたか忘れたが、この部分の漢文は暗記していますよ、
肝心な部分ですからね。私の、この漢文解釈は間違えてますか?
- 841 :準シュダオン:2012/04/18(水)
10:32:40 ID:lYSm2W8c0
- >成仏法は説かれていなかったから、このシャカの成仏法を唯一説いたアゴン経に
>依拠するのであると。
だからぁ、大事なのは釈迦や仏教ではなくて、成仏法(因縁解脱法)でしょ?
釈迦や仏教が大事なら、なにも阿含経に拘る必要はないでしょう。
>だから桐山アゴン宗において釈迦と仏教は絶対であり、これを否定することは
>アゴン宗徒である限り許されない。
だからぁ、それは、因縁解脱法を説いているから釈迦と仏教は絶対なのであり、
因縁解脱を説いていなければ釈迦も仏教も価値はない、ということです。
>だからあなたの釈尊と仏教に対する疑惑などこのスレでは意味がない。
大いに意味があるでしょう。ここが核心部分ですよ。
批判派は、「仏教は因縁解脱など説いていないが価値がある」というわけでしょう?
私は「仏教が因縁解脱を説いていなかったら、仏教に価値は無い」と、してます。
私の考え方は、管長の考えと同じですよ。
管長もまた、因縁解脱法を説いているから、阿含経の価値を認める訳ですからね。
- 842 :準シュダオン:2012/04/18(水)
10:57:58 ID:lYSm2W8c0
- >>私は現役信者でありながら、洗脳はされていません、 勤行さえしないこともある。
>いやいやそれこそ新興宗教の因縁切り信じた宗教ステマによる狂信ですわ。
あなたこそ退会しても洗脳が解けていないね。未だに教団が気になって仕方ない。
私は正しく信仰して、果報を得ている。因縁の洗い出し現象を体験して、長年の
一つの因縁苦から解放された。しかし、批判派はそれを認めたくない。自分等に
果報がないのに、何で他人は果報を得るのか?仏はエコヒイキするのか?
いやいや、果報を得た者は妄想を抱いているのだ、と、言う訳だねw。
>>聖人君子だからといって、
何も人間離れした清廉潔白である必要はない、というの が私の聖者観です。
>うわ、、すんごい、桐山氏の聖りとはめっちゃハードル低いんですね。
いや、私は釈尊のハードルを示しているだけです。釈尊は、「不堕悪趣」した
者を第一段階の聖者としているわけです。脱悪趣(最も苦しい生存のあり方)
ですから、俗世間の快楽に溺れずに、安楽をえていたら聖者なのです。
「有覚有観 喜楽生じて初禅に入る」と、あるでしょ。
聖者の第一資格は、安楽に暮らせていることですよ。
- 843 :準シュダオン:2012/04/18(水)
11:26:01 ID:lYSm2W8c0
- >つまり戒定慧の三学で解脱するから八正道はイラネ、 ということですか?
そういう意味ではないよ。八正道にも戒定慧の修行法は含まれているでしょね。
>八正道の正語・正業・正命は戒学で、正見・正思惟は慧学で、
正念・正定は定学じゃね?
>三十七道品だって八正道とダブってるんじゃないの。
ダブっている部分がある、とは管長も再三話しています。
>>パソコンに例えたら、阿含宗はプロバイダみたいなものです。
それを経由して インターネットを利用できるわけです、
阿含宗を経由して仏界の加持を受ける ことができる、と、私は考えているのです。
>あははは、それって宗教ステマじゃないの、
ネットで洗脳されているんですねw
洗脳とは全く違うよ。私は、あなた方のように宗教中毒・依存とは違うからね。
私が出したパソコンに拘ってはいけないよ。一つの例えとして、出してるのです。
聖なるバイブレーションを受けられたら、私の言わんとしてることが解るよ。
本当に優れた人なら、プロバイダ無しにインターネットの利用も可能でしょうね。
つまり、教団なしに解脱も可能でしょう、独覚、縁覚、です。
>>因縁の洗い出し現象にしても、聖なるバイブレーションにしても
>よくわからんけど私は、あごん宗止めて心が洗われたんだから、
>あごん宗でくっつけられた悪因縁などキレイさっぱり流しましたわね。
それが私との違いですね。私は因縁の発現があって、悪因縁だらけで入行した
から、新しい悪因縁が付くしまがなかった。だから元々持っていた悪因縁を落
とすことが出来た。だから、因縁のない人は入行すべきじゃないね。
>これぞ因縁の洗い出しじゃないすか。
あなたは因縁の洗い出し現象を体験していないようです。その原因は、修行の
第一歩を歩んでいなかったからですね。他の批判派も同じですね。
修行の第一歩は、管長が話しています、我見をなくす修行です。
- 844 :棕 櫚:2012/04/18(水)
12:10:04 ID:z/Jaf0.20
- >842 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/18(水) 10:57:58 ID:lYSm2W8c0
>あなたこそ退会しても洗脳が解けていないね。 未だに教団が気になって仕方ない。
私が気にかけているのはまだ在籍している友人のことです。
でも準シュダオンさんのような信仰ではなくすごくおとなしいもの ですけどね。
>聖者の第一資格は、安楽に暮らせていることですよ。
安楽って愛弟子に裁判かけられ道場に押しかけられてオタオタする ことw?
>つまり、教団なしに解脱も可能でしょう、独覚、縁覚、です。
わかったやっぱりこれが準シュダオンさんの本音でしょ、
なら辞めて一人修業がいいんじゃない。
- 845 :棕 櫚:2012/04/18(水)
12:13:34 ID:z/Jaf0.20
- >それが私との違いですね。私は因縁の発現があって、 悪因縁だらけで入行した から、
新しい悪因縁が付くしまがなかった。
だから元々持っていた悪因縁を落とすことが出来た。
いやあぁ私だってそういうなら因縁がありすぎましたよ。
その一つがあごんの色情の因縁かなぁ、 当時付き合っていた女性ともめて、
それも別な女性まで絡んでしまっていろんな行きがかりで一緒に入行しましたからね。
それで少し落ちついたんですが、
また荒れちゃって首まで絞められ大変でしたよw
それもあごんで習った呪文で呪われたりして怖かったなぁ、 今思えば笑い事ですけどねw
でも辞めたらその女性も辞めて別な男性と結婚してくれてよかった メデタシとなりました。
あと教団へ回すお金が余って万馬券が当ったり、
生活でも経済的にゆとりができたんですから、
準シュダオンさんよりぜんぜん安楽といえば安楽ですよ。
そしたら桐山さんの色情の因縁が出ていて、いやあ、あごん宗は恐ろしいと思いましたね。
- 846 :準シュダオン:2012/04/18(水)
12:17:42 ID:lYSm2W8c0
- >だからあなたの釈尊と仏教に対する疑惑などこのスレでは意味がない。
ユビキタスさんによく理解して欲しいのですが、私のは、釈尊・仏教に対する
疑惑なんてものではないですよ、疑惑なんてものではなくて、否定です。
因縁解脱を説いていないのならば、仏教に価値はない、という否定です。
あなたは、因縁解脱がなくても、仏教に価値があると思うのですか?
例えば、煩悩解脱についてね、「煩悩解脱しても、因縁(=苦の生存)解脱はない」
とした場合でも、煩悩解脱に価値はありますか?ないでしょう。
煩悩解脱すれば苦からも解脱できるから、煩悩解脱に価値があるのですよね。
煩悩解脱しても苦はそのまま残る、とした場合、誰が煩悩解脱を望みますか?
私は、そのことを言ってるわけです、管長もそう言ってるわけですよね。
- 847 :名無しさん:2012/04/18(水)
12:46:44 ID:LXSzQAEc0
- 準シュダオンのような煩悩まみれの人間に煩悩解脱だの言う資格無し。
色情因縁丸出しのエロ教祖桐山靖雄は因縁解脱も煩悩解脱も言う資格無し。
ナイナイづくしのクズだわな。
こんなところで油売ってないで早くピーナッツで売りに行け。
おまえね、桐山なんかもう時代遅れのヨレヨレなんだぞ。
- 848 :棕 櫚:2012/04/18(水)
12:58:59 ID:z/Jaf0.20
- >因縁解脱を説いていないのならば、仏教に価値はない、という否定です。
あなたは、因縁解脱がなくても、 仏教に価値があると思うのですか?
ムリですムリ、ムリですよ準シュダオンさんw
日本の自衛隊に核が無いのに核が無くても自衛隊に価値がありまっ かって言う訳?
自衛隊は核を所持していないと言ってるのに無理矢理核があるぞと 言われてもねえぇ。
その質問が話しを摩り替えてるんですよ、
桐山批判が仏教価値判断に変身したぞ?
>煩悩解脱すれば苦からも解脱できるから、 煩悩解脱に価値があるのですよね。
ですよね、誰でも知ってる煩悩から解放されたら苦しゅうない! ってことです。
苦をもたらすのが煩悩でしょう?
だったらその煩悩から解放されたら苦から解放された事と同じゃぁん。
煩悩解脱は因縁解脱の準備体操なんて話は桐山氏のツクリモノでしたからあーあw
準シュダオンさんって豊臣家のありもしない財宝探しをしてるみたいね。
いくら掘っても財宝は見つからん、さあどうしよ、 困ったちゃんです。
信玄の金隠し話に金を吸い上げられた人みたいで、 詐欺の被害者じゃぁんね。
>847 名前:名無しさん 投稿日:
2012/04/18(水) 12:46:44 ID:LXSzQAEc0
>こんなところで油売ってないで早くピーナッツで売りに行け。
えっ、意味わかりませんわ???
- 849 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/18(水) 15:35:58 ID:0iokvgUQ0
- >846 :準シュダオン:2012/04/18(水) 12:17:42
ID:lYSm2W8c0
>だからぁ、それは、因縁解脱法を説いているから釈迦と仏教は絶対なのであり、
因縁解脱を説いていなければ釈迦も仏教も価値はない、ということです。
作為と論旨矛盾の典型ですね。
批判側の誰一人として、「釈迦と仏教は絶対」だ、
などとは言ってはいない。
釈尊の説いた教えとは、「漏尽解脱」です。これが第一義です。
仏教とは、釈尊の説いた教えです。これが第二義です。
理由は、批判者見解の多くは釈尊の教法=漏尽解脱の実践を
いわゆる世間で言う宗教としては、捉えていないからです。
むしろ道徳の究極と理解している。
それは、>>826で示した「聖なる八支よりなる道」の実践です。
釈尊自身が、これ以外の道は無いと述べられている。
ですから、それ以外の教法の入り込む余地などありません。
漏尽解脱プラス因縁解脱なんて発想は、どこにもありません。
桐山さんが、勝手に付け加え信仰の名で宗教詐欺の道具にしたのです。
- 850 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/18(水) 15:59:31 ID:0iokvgUQ0
- >字面解釈して強引に自説に繋げる?
準シュダオンさんの数ある接着剤方式が、
悟り=縁起の滅=因縁の滅→→因縁解脱です。
これは。>>831-832で反論しましたし、以前にも
批判側は何度も行なっているというか付き合わされています。
この準シュダオンさんの思考は、A=Bです。
卵は白い、白いはうさぎ、うさぎは跳ねる、
跳ねるはカエル、という言葉の伝言連鎖的な解釈です。
その結論は、卵=カエル、と言うとんでもない発想と
結論を招く。
実はその手法の専門家が、桐山さんです。
どれも部分的な誤りは無いのです。少しの真実を匂わせる。
そして、部分を脈絡があるかのように理屈をつなぎ合わせる。
その間の世間的な無だ噺が、いかにも桐山流バナナの叩き売り式で、
長くて、最初の事実を忘れさせて、ダマシを晦ませるのです。
こういう手法を脳の止観ではなく、脳の弛緩化と言います。
桐山さんに弛緩化された脳では、もはや考えるスベを失っている。
- 851 :Boo:2012/04/18(水)
18:24:13 ID:/f5f6Kv60
- 準シュダオンさんは
「因縁解脱」 と 「釈尊の縁起の法、十二支因縁」
の違いをそろそろ理解してくださいよ。
- 852 :名無しさん:2012/04/18(水)
19:50:34 ID:LXSzQAEc0
- 準シュダオンはとっくの昔に桐山さんのいい加減さや、インチキをわかっているのでしょう。
掲示板で遊んでいるのでしょう。
- 853 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/18(水) 20:01:57 ID:L.6naiMk0
- >>852 私もたまに、そう思ってしまう自分がいます(大笑)
- 854 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/18(水) 21:00:40 ID:SmEF4Oe2O
- >>846:準シュダオン12/04/18(水) 12:17:42
ID:lYSm2W8c0
>ユビキタスさんによく理解して欲しいのですが、私のは、釈尊・仏教に対する
>疑惑なんてものではないですよ、疑惑なんてものではなくて、否定です。
>因縁解脱を説いていないのならば、仏教に価値はない、という否定です。
>あなたは、因縁解脱がなくても、仏教に価値があると思うのですか?
そんな「仮定」などを出すことに意味がないのです。
あなたがこのアゴン宗スレにて主張するのは一つしかない。
それは「釈尊は桐山管長が示す通り因縁解脱を説いた」です。
なぜならばいかに桐山さんが釈迦とは仏教とか狭い枠に囚われず、因縁解脱だけを
求めたと言っても、その解脱への遍歴で得た結論は、シャカがアゴン経で説いた
仏教にしか因縁解脱法はないというものだからです。
だから信者としてアゴン宗を擁護するならば、シャカの説いたアゴン経にしか
成仏法はない、因縁解脱法があるのだ、と主張するしかないのです。
それ以外に存在価値はありません。
もし仮に釈迦が因縁解脱を説いていなかったら準シュダオンさんはそんなものに
価値を認めないなんてことはどうでもいいのです。
人はそれぞれ考えは自由です。そう考えるのもあなたの自由です。
ただしあなたの感情だけに適用されるものであり、他の人にはあなたとも違った考えが
それぞれにある。
自分を何様だと思っている?
あなた如きが嗜好を示したところで人は動かせません。
釈尊が生きていてあなたの言葉を伝えたら釈尊は答えるでしょう。
どうぞ、ご自由に。あなたは仏教などを信じないで外道の御利益信仰を信じていなさいと。
我々も同じですよ。我々はあなたが何と言おうと釈尊は因縁解脱などは説いておらず
否定しているという立場です。
だから永遠に対立しようではありませんか。
こちらはその根拠を示し、あなたも根拠らしきものを出せばよいだけです。
ここに釈迦が因縁解脱を説いていなければなんて心にもない仮定を出すことは
何の脅しにもなりません。
それとも本音では心にあるのかな?
釈迦は因縁解脱を説いていないのではあるまいか?とかw
- 855 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/18(水) 21:28:29 ID:SmEF4Oe2O
- >>840:準シュダオン12/04/18(水) 10:07:15
ID:lYSm2W8c0
>>>遊行経に、「・・修戒獲定得大果報 修定獲智得大果報 修智得等解脱・・」と、
>字面解釈して強引に自説に繋げる? あのねぇ、「修戒獲定得大果報」をどの
>ように解釈すれば、強引に自説に繋げることになるのかね?
>「戒を修めれば禅定を獲ることが出来て、大いなる果報を得る」という以外に、
>違う解釈が可能かね?
だから大果報がどうして因縁解脱になるのですか?
果報だけではどういう果報かわからず、そこはもっと経典を内容的に読み込んで
いかねばならないではないですか?
仏教は苦の解決を目的とする。その為には仕方がないから煩悩もなくす。
ではその苦の解決って具体的には何をどうすること?
病気?やだね〜。病気は苦だよ。
じゃあどうしよう?
戒を修めて禅定を得れば病気なんかなくらるさ。病気しない健康体を得られるのだ。
それが大果報なんですか?
仏教は四苦八苦を説きますよね。
死ぬのは苦だ。やだね〜。
どないしよう?
おおっ!死ななくなった。我は永遠の命を得た!これが大果報ですか?
老いるのは苦だ。やだね〜。
どないしよう?
おお!大果報を得て老化がなくなった。私はいつまでも肌艶みずみずしい若者だ。
このような不老不死を得る仙人の道が仏教の大果報なんですか?
愛別離苦。別れは苦じゃ。愛する人や物とは永遠に共にしたい。
おお!できたできた!これが大果報なんですか?
釈尊は食あたりで死にましたし、老化を防げませんでしたし、サーリプッタや
モッガナーラに先立たれた時はその別れを悲しまれたように別離はふつうにありました。
つまり四苦八苦の解決とは死ななくなる、老いなくなる、病気しなくなる、
別れなくなるなんて解消法ではないとわかります。
一方因縁解脱とはまあ死ぬのは仕方ないにしても病気しなくなるという苦の解消法
ですよね。全然違うじゃないですか?
このように大果報と聞いただけで自分に都合のよい偏った考えしか想定できないのが
あなたの狭量さなんです。
注射を打っても痛くないぞと書いたのもそんなあなたに対する揶揄、皮肉ですよ。
- 856 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/18(水) 21:35:52 ID:SmEF4Oe2O
- ところで、「輪廻転生瞑想法1」今日こそはYブックセンターで買い求めましたよ。
1575円なり。平河出版社=桐山総業をまた少し潤わせてしまいました。
その代わり買ったからにはこちらの目的にそって有効活用しますので覚悟しとってください。
まだ読んでませんが、ほんの少し拾い読みしただけで、爆笑の内容です。
信者の皆さんもまずは買って読んでください。
批判はそれからです。
ゴールデンウイーク間もないことだし。
今日明日ネタとして出す予定は私はありません。
- 857 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/18(水) 23:03:28 ID:SmEF4Oe2O
- 阿呆臭(あほくさ)〜
さて今晩はサービスで一文だけ公開。
「輪廻転生瞑想法1」の冒頭の一文です。
自分の思うように自分を変え、自分の望むもの、願うことは、かならず実現させずにはおかない、
準シュダオンさん。求不得苦の解決法を説いてますぜ。
- 858 :準シュダオン:2012/04/19(木)
12:19:22 ID:lYSm2W8c0
- >準シュダオンさん。求不得苦の解決法を説いてますぜ。
そういうのは簡単だよ。得られないもんは求めないことだよ、それは詭弁かな。
釈尊が出家したのは、「苦滅」を求めてですよ、苦滅が仏教の原点です。
釈迦の最初の弟子は、五比丘でしょ。その五比丘にも、釈迦は、「来たれ、
比丘たちよ、修行して苦の滅を得るがよい」と、呼びかけています(羅摩経)。
「修行して煩悩の滅を得るがよい」ではなくて、「苦の滅を得るがよい」です。
前にレスしたように、岩波仏教辞典の「苦」の項にも、
「縁起説は苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明を見出し、これら
を滅すれば苦も滅するとしたものであり」と、説明しています。
また、同辞典の「修行」の項には、
「・初期仏教以来、修行の目的は苦滅の境地を得ることであり・」と説明され
ています。
管長はこの諸々の「苦」を○○因縁と名付けているだけですよ。そしてその
「苦=因縁」を解脱する法が説かれている経を探し求めて、ついに阿含経に
それを発見したわけですね。しかし、面白いことに、管長はその以前にも、
阿含経に目を通したことがあったという。しかし、そのときには因縁解脱法
を発見できずに、解らない用語などにアンダーラインなどしてたといいます。
つまり、阿含経が因縁解脱を説いてる経だということを、理解するためには、
ある程度の智慧が必要なのではないかと、思われます。経を読む知識ではな
く、読み取る智慧です。ピカソやゴッホの絵も、わからない人には全くわか
らないですもんね。
- 859 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/19(木) 12:56:47 ID:SmEF4Oe2O
- >>858:準シュダオン12/04/19(木) 12:19:22
ID:lYSm2W8c0
>そういうのは簡単だよ。得られないもんは求めないことだよ、それは詭弁かな。
あなたも信者さんなら新著を買って読みなさいな。
あなたの場合は地区道場に行けば入手可能でしょうね。
それが説いているのですよ。
求めて得られざるものはないような人生をおくる人間となって輪廻転生するのが
輪廻転生瞑想法だと。
桐山さんは昔から四苦八苦を解説しています。
そしてその解説はまあ正しい。
問題は四苦八苦を提示した後、その四苦八苦にどう対処、解決するのかということですね。
これはアゴン宗を開く以前の1974年の刊行だが、「説法六十心1」に詳しい。
四苦八苦を解説した後、仏教史から考察する。
まず原始仏教ではこの頃は桐山さんも小乗と誤解していたからあきらめの道と
みなしている。
次に権大乗。浄土信仰など現世よりも来世に期待する信仰。
これって今回の輪廻転生瞑想法がこの位置に相当することになります。
今回の著書では極楽往生の浄土信仰と輪廻転生瞑想とは違うと主張しているが
読んでいるだけで笑えてくる。
そして大乗。これは自分の受け入れる価値観を変えて対処しようというもの。
そしてそれは消極的な道として、より積極的な道として示すのが金剛大乗という
密教です。
つまりまあ死ぬことはどうにもならぬが四苦八苦の内容を克服することを説く。
すなわち敬愛法やコウチョウ法でこーちょこちょ。
ほらね?愛別離苦なんてなくなった。
おまえはいつまでも俺のものだ。
こういう対処法なんですよ。
そしてそれはアゴン宗になってからも訂正されてません。
- 860 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/19(木) 13:04:23 ID:0iokvgUQ0
−輪廻転生瞑想法
T−
自分の思うように自分を変え、自分の望むもの、
願うことは、かならず実現させずにおかない、
そして、それは現世だけでなく、来世さえも思う
ままにつくり変える――、
そういう方法システムがあったら、
どんないよいであろうかとあなたは思わないか?
そういう方法システムあがるならば、ぜひとも学んで、
自分の身につけたいものだと思わないか?
もちろん思うのにちがいない。そう思ったら、すぐに、
「輪廻転生瞑想法」をはじめることだ。
「輪廻転生瞑想法」をおこなえば、だれでも――、
もちろん、あなただって、思うままに人生をつくりだし、
理想の来世を迎えることができるのである。
- 861 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/19(木) 15:03:16 ID:0iokvgUQ0
- 「輪廻転生瞑想法
T」の概要
桐山さんの発起心は、「人間は輪廻転生すという話しを
聞いて、勇気と希望を持つ人々が少なからずいる」と
確信したからである。(7頁)
「貧しき者に食を乞う」話しで、布施の有意義を解説(34〜37頁)
「好戦経」で不成仏霊(意生身)を持ち出した、異陰は封印した?
「勝五郎の転生」〜数例の話しで輪廻転生を強調する。(64〜86頁)
「釈迦が説いた輪廻転生」と題して、「仙尼経の見壊れ命終して彼彼の
処に生ず」との経文をまたしても利用し、輪廻を否定する僧侶がいる?
との創作で輪廻話しに自画自賛しその花咲かせ文に酔っています。
「死後の世界」と称してブータンの秘儀体得を自慢し、焼き直しの
「賽の河原」話しとブータン阿鼻野街道話しをツギハギしています。
(86〜106頁)
いよいよ、「輪廻転生瞑想法
T」の核心に迫ります。(108〜128頁)
- 862 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/19(木) 15:03:57 ID:0iokvgUQ0
結論!「日に三度笑う」? これだけです。
「よい来世を迎える秘法」の解説は、準胝尊の助けをいただくこと。
準胝真言の二世の願とは、
「人がよい境涯へ転生するように助けてくださる仏さ」これが、
「来世もよい境涯に生まれて幸福な人生を享受したいと願う人は、
その願いどおりの来世を迎えることができる」との根拠としています。
これは臨終を迎えてからでは遅いので生きている今から準胝真言行を
一日千遍くらい唱えることと「因縁解脱宝生行」をくっつけた宣伝文に
終始しています。(130〜142頁)
「霊魂の安息所」をつくろう!
霊魂が冥界のお墓に到着しない限りは浮浪霊となるので、ズバリそれには、
柏原聖地の冥徳福寿暮陵と冥徳墳墓を購入しようとの宣伝文です。
あとは、メイトクサン、守護神さんのお陰話しと感謝です。(143〜167頁)
次にブータンの秘法=桐山体得話しだけでで終わり。(170〜181頁)
最終章「輪廻転生瞑想法」の解説です。
これも求聞持法・瞑想法と求聞持聡明法秘伝の焼き直しの切り貼りです。
あと「花の瞑想法次第」(笑)を付加して終わり、UとVに乞うご期待!
「輪廻転生瞑想法
T」の結論は、日に三度笑って花を瞑想する。
これぞ「現世極楽」の教えなり、、、了。
- 863 :棕 櫚:2012/04/19(木)
17:25:41 ID:7jSttxMo0
- >858 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/19(木) 12:19:22 ID:lYSm2W8c0
>前にレスしたように、岩波仏教辞典の「苦」の項にも、
「縁起説は苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明を見出し 、これら
を滅すれば苦も滅するとしたものであり」と、説明しています。
また、同辞典の「修行」の項には、
「・初期仏教以来、修行の目的は苦滅の境地を得ることであり・」 と説明されています。
なあんだ、準シュダオンさんって仏教知識がすんごいと思ってたけど違うのね w
老死の原因を探求して渇愛や無明を見出しとは、
老死の原因は煩悩だと言うことじゃない。
まとめれば「苦の原因は煩悩でこれを滅すれば苦も滅する」 ということじゃないの。
どこにも因縁解脱じゃあぁっ無いんですけどーーw
>管長はこの諸々の「苦」を○○因縁と名付けているだけですよ。
だからあ、自分で書いてるじゃん、「 苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明」w
渇愛や無明とは煩悩じゃないのけ?
なんでそれが「苦」=○○因縁となるんでしょうか、 桐山いんちき説の証明じゃないのw
もっと簡単に言えばいいのにムリクリに煩悩を消して○○
因縁にヘンシーン!
やっぱ準シュダオンさんも桐山氏にメッチャ騙されてるんですね、 カワイソだね。
- 864 :道場:2012/04/20(金)
11:43:11 ID:5WTRwxgw0
- >>863 :棕 櫚:2012/04/19(木) 17:25:41
ID:7jSttxMo0
>>858 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/19(木)
12:19:22 ID:lYSm2W8c0
>管長はこの諸々の「苦」を○○因縁と名付けているだけですよ。
>だからあ、自分で書いてるじゃん、「 苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明」w
>渇愛や無明とは煩悩じゃないのけ?
>なんでそれが「苦」=○○因縁となるんでしょうか、 桐山いんちき説の証明じゃないのw
>もっと簡単に言えばいいのにムリクリに煩悩を消して○○ 因縁にヘンシーン!
>やっぱ準シュダオンさんも桐山氏にメッチャ騙されてるんですね、 カワイソだね。
準さんの頭の中が混乱しているのです。
あえて言うなら ○○因縁 = 「業」 でしょう。
煩悩と業は似ているが違うもの。
でも、これも桐山さんの創作で仏教ではありません。
- 865 :道場:2012/04/20(金)
12:02:00 ID:5WTRwxgw0
- >>858 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/19(木) 12:19:22
ID:lYSm2W8c0
>管長はこの諸々の「苦」を○○因縁と名付けているだけですよ。
○○因縁はあえて言うならアーラヤ識に眠る種子に相当するものです。
条件が整えば芽を出しその人を苦しめるもの。
でも、これは桐山さんの創作で○○因縁は仏教では説きません。
- 866 :道場:2012/04/20(金)
12:16:01 ID:5WTRwxgw0
- >>858 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/19(木) 12:19:22
ID:lYSm2W8c0
>管長はこの諸々の「苦」を○○因縁と名付けているだけですよ。
ゆえにあえて言うなら ○○因縁 =
「業種子」 と翻訳できます。
でも、何遍も言いますが、残念ながらこれは仏教では説きません。
- 867 :道場:2012/04/20(金)
12:54:42 ID:5WTRwxgw0
- さらに追記すれば
仏教の主張は、 惑(煩悩) → 業 → 苦 の流れを断ち切ることです
。
だから最初の煩悩が重要なのです。
仏教は煩悩の消滅(漏ジン解脱)を説く理由がそこにあります。
- 868 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/21(土) 02:12:57 ID:j01DOQTE0
- 「輪廻転生瞑想法
T」
桐山さんが、輪廻転生にこだわりその発起心を
つづった本音が、以下に記ししました。
もちろん、過去に述べた仏教の核心などは、
すっかり忘れて、今は再生する可能性にだけ意欲を
燃やし、ある種開き直った感は否めません。
これは桐山さんが、今までの自身の教義に諦観し阿含経に
決別した著書として考えれば、準胝尊に幼児がえりしたと、
理解できるものとし、将来において珍本となるでしょう。
その意味で真剣に批判を加えるに値するなにもありません。
(7頁〜9頁)
「人間は輪廻転生するという話を聞いて、
勇気と希望を持つ人々が少なからずいる」
と確信したのである。
そして、近年になって、ある考えにたどり
着いたのである。
(中略)
「人間はかならず輪廻転生するのならば、
その力を逆に利用して、理想の人間に生まれ変わる
ことはできないか?」というものである。
どうせ転生するのならば、よい境遇の人間に生まれ
変わったほうがよいに決まっている。
あえて悪い境遇の人間に生まれ変わりたい、という人は
あまりいないであろう。
(中略)
人間という存在は、かならずいつかは死を迎える。
そして、死が間近に迫つてくると、さまざまな不安や
おそれを感じる。
しかし、来世の存在を知ると同時に、
「自分が思い描く理想の境遇に生まれる」
ということが実現できるならば、死への不安やおそれを
拭い去ることができるであろう。
理想の来世が得られることを確信できるならば、穏やかな心で
人生を全うすることが可能となるのである。
- 869 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/21(土) 06:59:30 ID:Qv2BQWyA0
- >>868 私も同意ですね。本当に駄目な方の支持しかゲイカにはできませんな。
(7頁〜9頁)
「人間は輪廻転生するという話を聞いて、勇気と希望を持つ人々が少なからずいる」
と確信したのである。そして、近年になって、ある考えにたどり着いたのである。
本当に馬鹿馬鹿しい理論ですね。
これは今まで現世成仏を掲げていた教祖の発言とは思えないほどの「体たらく」です。
散々「因縁解脱を現世で成せ」と叩いてきておいて数年前から急に「輪廻は良いぞ」
「輪廻先は操作できるのだぞ」と幼稚園児でも考えない愚かな思考に走っている。
今回の本はさほど売れずいつものように信者さんが買って終わりでしょう。
またブームにはならず内々の内輪だけの盛り上がりで終わりです。
それよりもこういうイカレた思考をする教祖に何の違和感も抱かない人が多いのは
本当に呆れる。もしも多ければ本の売り上げなどに顕著に現れますから結果次第では
「信者さんも気が付き始めたか」と成るデータもあるかも知れないが、まだわからない。
そうなる方がマトモであり成らなければ「まだ騙されているのか」と成るだけです。
教祖が乱心したと私は在籍当時から思っていた。乱心とは可愛い表現であって本当は「崩壊」
といって良い。もう終わったな、と思ってましたよ。
- 870 :道場:2012/04/21(土)
11:25:51 ID:5WTRwxgw0
- >>869 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/04/21(土) 06:59:30
ID:Qv2BQWyA0
>>868 私も同意ですね。本当に駄目な方の支持しかゲイカにはできませんな。
>(7頁〜9頁)
>「人間は輪廻転生するという話を聞いて、勇気と希望を持つ人々が少なからずいる」
>と確信したのである。そして、近年になって、ある考えにたどり着いたのである。
>
>本当に馬鹿馬鹿しい理論ですね。
>これは今まで現世成仏を掲げていた教祖の発言とは思えないほどの「体たらく」です。
>散々「因縁解脱を現世で成せ」と叩いてきておいて数年前から急に「輪廻は良いぞ」
>「輪廻先は操作できるのだぞ」と幼稚園児でも考えない愚かな思考に走っている。
>今回の本はさほど売れずいつものように信者さんが買って終わりでしょう。
>またブームにはならず内々の内輪だけの盛り上がりで終わりです。
本当に愚かな発想です。この方は全く仏教を理解してないことがよく分かります。
準さんが岩波仏教辞典の「苦」の項(>>858)を転記しています。
>「縁起説は苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明を見出し、これら
>を滅すれば苦も滅するとしたものであり」と、説明しています。
いったい彼らは渇愛や無明をどう理解しているのでしょうか?
人間の愚かさを理解しているのか?
人間は五官で感じるもの、心で捉えるもの、人間の認識するものの全てを本当のものだとして執着します。
と言うか、認識そのものが、執着なしでは成り立たちません。
人間は「本当のものだ」「実のものだ」と思ってその存在を疑いもしませんが、それは「仮の」ものなのです。
因と縁によって仮に姿を現しているだけなのです。
釈尊は「我」と「法=認識されるもの全て」の正体と、その起こってくる構造を示されました。
「我」と「法」に盲目的に執着する状態こそが人間の迷いと罪と苦しみの根本原因なのです。
生命の必然として、認識が起るとき、人間は識が描きだした「我」と「法=あらゆる事象」を実の
「我」と「法」と思い自分のものにしよう、自分のものだとおもって執着します。
これを前提に生命は起り、これなくして生命を保つことはできません。
そしてこの執着は、自分中心の、自分の思う通りにしようとする活動=業を起こし
そこから罪と苦しみの流転輪廻が繰り返されるのです。仏教はこの構造を明らかにしています。
- 871 :道場:2012/04/21(土)
11:33:10 ID:5WTRwxgw0
- もう一度言いましょう。
生命は「我=自分」を認めるところから生命活動を始めます。人間で言えば先ず、皮膚の内側を他の一切から区別します。
そしてこの内側を「我」と認めます。これはアメーバーのような単細胞動物であっても同じです。
単細胞の内側をその他一切と区別して、それを「我」と認めるのです。あらゆる生命活動はここから始められます。
「自」と「他」を区別し、それを「我」と認める。当たり前のことのようですが、生命だけに与えられた
不思議な「能力」です。この能力を与えられたものだけが「生命」なのです。
生命は「我」を認めるところから生命活動を始めるのです。それは自分(我)を益するものを求めて取り入れ、
損するものを排除し逃げる、ということです。
これが生命活動の「全て」であり、あらゆる生命活動はこの範疇を出ることはありません。
この活動の本質は「自分中心」であるということです。
「我」を認めることは、生命のみに与えられた能力であると共に、その生命の「迷い」と「罪業」と「苦しみ」の
始まりでもあるのです。
惑(煩悩)→業(行為)→苦
の流れをもう一度しっかり認識すべきでしょう。
- 872 :棕 櫚:2012/04/21(土)
17:02:50 ID:42Mng6M.0
- >>870-7871
凄いですね道場さん、なんか先生って感じです。
>生命は「我」を認めるところから生命活動を始めるのです。 それは自分(我)を益するものを求 めて取り入れ、
損するものを排除し逃げる、ということです。 これが生命活動の「全て」であり、
あらゆる生命活動はこの範疇を出ることはありません。
質問なんですが、自殺する人は生命活動の範疇外と言う事ですか?
- 873 :無関係な人間です:2012/04/21(土) 20:00:06 ID:x1EgaxuE0
- すみませんが、部外者の一人ですが、少し分からない点があるので、書いてみました。
桐山さんは、かって「成仏法」を提唱し、桐山さんの指導に従えば、必ず釈尊と同じ悟りを得る事が出来る、と豪語していたと記憶しております。当
時、私も執拗に勧誘をされましたが、とにかく他の既成仏教では駄目で、桐山さんこそが真の仏陀であると言う殺し文句は記憶しています。具体的には
死んでから救われるとか、次に生まれ変わったら救われる、というのは間違っている、という説明でした。ところが、何十年か経ると、桐山さんは死んで
から救われる、とか、来世によいところへ生まれ変わるという謳い文句で、本を出版しています。
私は、理由があり、若い頃から桐山さんは嘘つきだと思っていました。しかし、信者のみなさまは、現世成仏が目的で入信したのにの、いつのまにか
来世の快楽に目的がすり替わってしまいました。もし、私が信者だったら、絶対に納得しないと思います。正直、怒ると思います。これは、きっと、
私が神経質なためだと思いますが、あまりにも桐山さんは酷いという感想を持ってしまいました。騙すのなら、ウソを突き通すべきです。ところが、
彼は、途中でウソの内容を変えてしまいました。これは、信徒を舐めていると思います。また、彼を信じる信徒さんも変だと思いました。
外部の人間から見たら、どうも納得できない点が多々ある、というのが感想です。
どうも、失礼をお許し下さい。
- 874 :干柿:2012/04/21(土)
20:50:51 ID:LzYL8o4A0
- >>873
無関係さん、そのとおりですよ!
桐山ゲイカは信者を人を舐めている。
たぶんこんな矛盾したことを言い放ち、大ウソこいても羊のようについていく
信者が多かったからでしょう。昔は阿含経もチベット密教もよくわからないから
神秘的で霊力に優れたすごいもので桐山ゲイカはそれを体得されている
奥儀は我々には(一般信者)にはわからない深いものであるから今はただ信じて
ついていくべき・・・というイメージだけで信仰していたのですよ
信解円通とかよく言ってましたが大ウソw、ウソを信じ込まされ洗脳
されていたんです。とはいってもさすがに輪廻転生瞑想なんかだしてくりゃ
真面目にやってきた人は愕然とするはずです。わたしはもうその頃は離れていましたが
まだ、信者だった天照さんは激怒したって書かれてましたよ。
それが普通の反応だと思います。
それでも「素晴らしい!」とかいっている信者さんってのは教義とか本当の信仰とか
そういうものは考えていないのでは?と推測できます。ゲイカにたいする
一種の個人崇拝みたいなもんじゃないでしょうか?創価学会の池田大作氏に対する
学会員の崇拝みたいなものです。
- 875 :干柿:2012/04/21(土)
20:58:40 ID:LzYL8o4A0
- 創価学会も大石寺の宗門から破門されたとき、学会に残って本山を逆に批判する人
と大石寺の正宗についた人とに分かれたらしいですからね。
つまり大作氏崇拝信者と正宗信仰者といったような・・・これみたいなものだと
思うのですが
- 876 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/21(土) 21:39:21 ID:byTjiZzo0
- 無関係さん、投稿ありがとうございます。
>>873のことですが僭越ながら説明をいたしますと、少し違います。
「桐山さんは、かって「成仏法」を提唱し、桐山さんの指導に従えば、」ここまでは合っています。
その後からの「必ず釈尊と同じ悟りを得る事が出来る」ここが少し違うのです。
ですが、全く違うか?というとそうでもありません。つまり桐山氏は「匂わせて錯誤させる」のが
非常にうまいのです。なので中々お縄にならないのだと思います。
まず桐山氏が言うのは「因縁解脱して完全解脱を成す」ということを言っています。
つまり阿含宗で言うところの悟りは「因縁解脱」であって悪因縁からの完全解脱を成すということ
であり、これは厳密に言えば釈尊の悟りではありません。
阿含宗は根本仏教教団であると謳ってはいるものの本当の仏教の事はほとんど教えていません。
ですから無関係さんの言われた「必ず釈尊と同じ悟りを得る事が出来る」ということは阿含宗では
「言ってない」のです。本当の仏教の悟りは「煩悩解脱して仏陀に成る」ことの内容ですが、これが
阿含宗に成ると「因縁解脱して完全解脱を成す」ですから全く違います。そして阿含宗は因縁解脱を
推奨しそれを行うことが信仰行為になっていますから「釈迦と同じ悟りを得る」とは言わない。
言ってしまったら混同するし因縁解脱が良いのか煩悩解脱が良いのかわからなくなります。
そこで桐山氏が出したのは煩悩解脱を「小解脱」とし因縁解脱を「大解脱」として重んじる。
つまり阿含宗は釈尊の悟りなんていうものではなく「因縁解脱=悟り」という風にしているのです。
ですがこうやって追ってゆけば「言ったことに等しい」という状況が出てきます。
ただし反論された際に「では私がそのように言ったかを出してみなさい」といわれたら出てこないと
思われます。これは決して無関係さんに対して反論しているのではなく、言った言わないになると
必ずそういった事項に差し掛かるのです。そして出せなくなれば「貴方の勝手に思った解釈であろう」
と言いのけ「私はそんな阿含宗の信仰をやったら釈尊と同じ悟りが得れる」という言い方などしてない、
と得意満々に主張することでしょう。
私も無関係さんの意見を拝見して最初「そうだ」と思ったのですが、何度か読んだら違和感が出た。
それは何か?と思ったら「桐山氏の主張発言」に違和感を感じた。
それで今までの自分の記憶というか知りえる過去を思い返したら「表現が違う」ことを見つけたのです。
それが今述べた点の「釈尊と同じ悟りを得る」ではなく「因縁解脱を成せると釈尊が仏陀になったように
解脱を得れる」ということの内容は言ったが「悟りを得れる」とは言ってないことに気づいたわけです。
しかしながら内容は近いものであり、また私もその近しさについ「桐山氏はそういった」と思った。
ところが実際はそうではないのです。これが桐山氏の手法というか、また私たちも錯誤をしてしまう
という怖い事項なのです。
- 877 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/21(土) 21:41:10 ID:byTjiZzo0
- そして無関係さんが言われているように、私なんかは憤っているのはその点です。
過去に言われた事と数年前から言っている「輪廻転生、ええですよ」はどう見てもふざけています。
@chs−1に以前書きましたが、私が在籍していて今回の輪廻〜のことで「全くゲイカはふざけている」
と怒っていた話を法友としていたときに際に、彼は私にこういいました。
「天照さんはゲイカの言っていることが矛盾する、と立腹だがそうじゃないよ。
阿含宗では確かに因縁解脱を目的としているし現世でそれを成しえるように、ということは変わらない。
ただ、実際問題として悪因縁が今世(現世)で切れたら言うことは無いが、そう言う人は稀である。
そうなると何世か転生して成仏法を講じる必要がある。
その際に悪環境に居ては修行が進まないということが考えられるので、誰もが輪廻することがほぼわかって
いる事項なのでそれに対し管長は「来世が良い環境・境遇のところにいけるように」と創設された法なんだよ。
だから別に変じゃないんだよ」
ということでした。
ですが私は、それは理屈であって納得がいかない、といいました。
そのときはそれぐらいで信者同士が喧嘩しても仕方ないので論じませんでしたが本当に不愉快だった。
信者と批判側の議論ならまだしも信者同士で仲の良い間柄でしたからね。
でも、良く考えればゲイカには胡散臭い点がいくつも見られた。それを押し殺して信者を続けて
居たわけです。
またこういうのもあった。阿含宗信者は修行をさぼらないでいれば死後自動的にシュダオンになり
来世はシュダオンの境涯で転生してくるのが保障されています。
ご宝塔を大事にして勤行を欠かさず行い、また梵行や供養をたゆまず続けていれば最低でも死後の
安心、またシュダオンの境涯が得られるという。
そんなものかな?と変に思ったが悪いことではないので信じていたが、まるっきりの嘘です。
ですが、それはゲイカが言っている事項ですし書物(発行物)にもそう書かれている。
はっきりと公言しているので一応本当と信じていたわけです。
- 878 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/21(土) 21:42:11 ID:byTjiZzo0
- ですがこれがあだに成るのです。
それは私が説明した「ちゃんと阿含宗の信仰をすれば死後の安心と来世のシュダオン境涯は保障される」
というやつです。これが本当なら別段「輪廻転生瞑想法」は要らない、ということです。
ですが欲を出している人なら望むでしょう。だってシュダオン境涯での転生が保障されていても
それよりももっとお望みの環境を得られる、とあれば私は望まないが欲しい人は望むでしょう。
まあそう言う人が、騙される対象といえば対象ですが。
そして次にゲイカは「解脱した人」です。それが急に「涅槃へ入らず優雅で豪華な転生をしたい」と
言う内容を言った事です。ですから私は当時「乱心」といったが実際は「狂った」と思った。
もうすでにニルバーナに入る事が決定している「羨ましい状態」の人が「輪廻したい」というのです。
ですから当時は欺瞞を知らなかったが推測でこう考えた。
「まさか、また生まれ変わって教祖をやりたい、なんて思ってないだろうな」
そのように思っていました。結局ゲイカは自分に迫った死期を恐れ、尚且つ優雅で甘美な転生先を
望んでしまっている。頭がイカレたと本気で思ったものでした。
また輪廻を操作できるという話は聞いたことが無い。釈迦仏教をロクに知らない時期でも釈尊が
果たしてそのように言ったか? 推測でもそのように聞いてないし過去ゲイカも「涅槃へ入る事が
究極の解脱だ」そのように指導されていた。悪因縁を切って一切自分には縛るものをなくして
死後転生してこないという状態になる。これを成しえる事が阿含宗では出来るんだ。そのように
捉えていた人は多かったものです。
それが一変して「輪廻、良いよ〜」と言い出すし「如何様にも操作できる」という。
その中身は?と聞けば「日に三度笑う」と「イメージすること」だという。
ふざけるな!!! かなりこれでゲイカへの信用は減りましたね。
きさま、釈尊を超えたとでも思っているつもりか。釈尊でも言わない・しなかった事項の
輪廻を操作できる??? 冗談もいい加減にしろ、このくそジジイと思いましたね。
その後掲示板に参入して合点が行くのも当然です。ああ、こういう風にイカレた人間だから
いい加減な事を平気で言うのか。また今までそうやって来たのか、と。
ですから私は無関係さんの意見には賛成ですよ。本当に自分らをなめきっている。
内部の人間(信者)でもそのような状況でしたから、無関係さんがそのように思われたのは
当然だと私は思っています。
長くなりましたが纏めて言いますと、
1)無関係さんの言われた内容に一部に違いがあった
2)しかし違いは有れども内容は正しいに近いものがあった
3)信者をなめきった態度が窺い知れる
後はゲイカの言うことの不整合さですが、これはいつものことなので、もういいです。(笑)
そういうことでご理解をいただけましたら幸いです。
また今回良い機会なので@chs−1の方に後日詳しい阿含宗の「因縁解脱解説」を書いて
見たいと思います。よろしかったら楽しみにしていてください。
- 879 :道場:2012/04/21(土)
22:12:02 ID:5WTRwxgw0
- >>872 :棕 櫚:2012/04/21(土) 17:02:50 ID:42Mng6M.0 >>870-7871
>生命は「我」を認めるところから生命活動を始めるのです。
それは自分(我)を益するものを求 めて取り入れ、
>損するものを排除し逃げる、ということです。 これが生命活動の「全て」であり、
>あらゆる生命活動はこの範疇を出ることはありません。
>
>質問なんですが、自殺する人は生命活動の範疇外と言う事ですか?
一般に犬や猫などの動物が自殺することはありません。動物園で動物が自殺したなどの話もありません。
イルカやクジラなどが砂浜や浅瀬に身を乗り上げる行為は聞きますが
体内の地磁気感知機能の狂いが原因でないかと指摘されておりますがよくはわかりません。
ですから自殺は霊長類の中でも精神的に最も発達した人間特有の行為とみていいでしょう。
自殺の動機は色々あるでしょうが、精神病理学的なことは門外漢ですのでわかりません。
ですが、最終的に苦が関係しているのは間違いないでしょう。
例えば
1.堪えられない感情が永続的に続き、その苦しみを切断することが唯一の救いとしか思えない。
2.逃れられない、堪えられない痛みに対する激しい怒りとそこからの解放。
3.うつ病
などです。
そこで貴方の質問ですが、人間も動物も「我」を認め、自分(我)を益するものを求めて取り入れ、
損するものを排除し逃げる行動を取ります。人間も動物もこの中に納まります。
ただ大きな問題があります。
生命を持つ動物の中で人間の執着や煩悩は他と比べても激しすぎると思いませんか?
人間は得ても得てもまだ得たいと望み限りがありません。
桐山さんを見てみなさい。名誉や称号を買い集めてもまだ欲しいのです。
動物はどうでしょう。もちろん動物にも執着はありますが人間のような激しい執着とは違います。
最低限度の執着しかないのではありませんか。
人間は「我」や「法=あらゆる事象」が「仮の」ものであるにもかかわらず実の「我」や「法」と思い
自分のものにしよう、自分のものだとおもって執着します。その執着に限りがない。
その心の中に生じる念いは必ず煩悩を伴い邪まな行為になって現われます。
その行為がもとになって諸々の苦を誘発してしまう。
これらの苦には自殺を引き起こす苦も当然含まれるのではないですか。
だから自殺する人も生命活動の範疇内ではあるが人間の限りない執着や煩悩に押し潰された結果が
その様な形になったと思います。
問題はこの「我」や「法」に対し執着し煩悩を伴って業を作り結果、諸々の苦を誘発してしまうことです。
だからこそ煩悩を消滅させねばならないのでしょう。
- 880 :無関係な人間です:2012/04/21(土) 23:09:39 ID:x1EgaxuE0
- 天照様、ご丁寧なご指摘、ありがとうございました。また、私の間違いをご教示下さり深く感謝申し上げます。
やはりよく知らない人間が物を言うと、馬脚が出るという訳で、反省をしなければいけないと痛感した次第です。
今度、気をつけます。
あと、個人的には、桐山さんのやり方はうまいなあ、とあらためて感心をしました。私も、永年、勘違いをして
いた人間ですから(阿含宗には入信しませんでしたが)、何かの間違いで入信していたら、今頃、他の人と同じ様
に暴走をしていたかもしれません。
今後とも、ご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。
- 881 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/22(日) 05:57:17 ID:9OzO2u420
- いえ、無関係さん。今回のことは私はそうは思いません。私も最初「そうだ」と思ったということは
それだけ元信者でさえも「そう思った」または無関係さん同様「思っていた」ということです。
これは私は怖いなあと感じましたね。ですからリアルの世界でも結構「こうだったよね」と信者同士の
会話などで実際そう言うのが過去に有ったりもしました。
そう言う信者同士の会話でも「本当にゲイカが言ったかどうか」は結構あるのです。
例えば実際の話ですが宗務局といういわゆる阿含宗の事務・窓口をするところがありまして、それこそ
病院で言えば受付などをするような場所があります。
そこで会費を払ったり解脱供養を申し込んだりなどをします。いわゆる掲示板で出てくる「職員」という
のがそこで働いている人の事を指しますね。
その方々は信者から職員に成ることが大半ですが、職員になったら結構物知りでないといけません。
なぜなら信者さんから質問や相談を受けたりしますので答えられたり対応が出来ないといけない。
実はそう言う人でも回答を間違えたりする場合があります。
もちろん人によっては「調べてから後で回答します」という慎重な人も居ますが、多くはその場で
即答したり回答する場合が多い。そして時折間違えた回答・返答をしたりすることがあります。
そして先に言いました信者間の会話や論で問題が発生したり、本当の答えはどうなのか?という
際に「宗務の人に聞いてみよう」と成る場合もあるのです。
それとは違い職員さんに聞かない場合もあります。そう言う場合は先達という自分たちより先に
入行した先輩信者に聞くこともあります。道場でお役を受け修行をしている方が多いのと先に
自分たちより信仰を成されて教学もいろんなことを知っている可能性が高い人たちですから、
そういった何かの答えを知っていると思い、聞く場合があります。
その際も職員同様間違ったことを教える場合もあります。意外とこれも結構多い。
それはやはり阿含宗のことや阿含宗の教学ばかり覚えていても自然と錯誤したりズレたりする
ことがあるからです。また個人の主観というのも入るからかと思います。
こういうのがばれると阿含宗の中で怒られます。誰がそういった勝手なことを言っているか。
ゲイカがそう言うことを言ったのか、と結構怒られます。
まあ実際は謝って「私の勘違いがありました」で済みますが、本当にうるさい。
だがゲイカの一字一句まで皆が覚えているなんてそうそうありません。
大抵はニュアンス空の把握や近い意味で覚えているのが現実です。
ですからゲイカは釈尊が「因縁解脱を説いている」といいますが、それに際してこういうのが
あります。
釈尊が説いたのは因縁解脱。因縁解脱は成仏法で解くもの。成仏法は仏陀釈尊の法。
仏陀釈尊は真如の世界から来られたお方の法。その法というのは真実である。つまり成仏法は
「真実の法」「真如の法」なんだ、というような捉え方です。
捉え方はそうなのでしょうが、ではゲイカがそれを言ったのか?というと「言ってない」のです。
仏様というのは真如の世界から来られたお方、という説明が頭に残っていてそれを連想ゲームの
ようにどんどんスライドになってゆく。そして信者間で「成仏法は真実の法なんだ」と言い合う。
でもおおよその捉え方は間違ってないから誰もそう言う場合は先達も職員も責めはしない。
そうなるとそのように捉えた人はそのまま一般の人などの布教にも使う可能性があります。
ですから私はもしかしたら無関係さんの知り合いの方が「阿含宗は釈尊と同じ悟りを得られる」と
説明されたのかもしれないと思いました。もしくはそれらしいことをいったのでそれが頭に残って
そう無関係さんが思われたかもしれない。
昔信者であった自分でさえもすぐさま「無関係さんは良く覚えているなあ」と思ったくらいですから
私も若干錯誤していたわけです。
無関係さんは信者経験が無いのですから「釈尊と同じ悟りを得られる」と思われたのは私は当然と
思いますね。また全国でそのように捉えていた人も居るかもしれない。
ゲイカが最初から「釈尊が因縁解脱を説いた」「釈尊が一生をかけて説いたのは因縁解脱だ」と
言っていたのは事実ですから、「釈尊と同じ悟りを得られる」と捉えるのはアリだと思います。
こうやってゲイカは人を騙すのが上手いのです。だから油断が成らない。
そして無関係さんが今回こうやって質問をしてくれたので私も再勉強になりました。
私は感謝しておりますよ。どうぞ今後とも遠慮せず質問をされてください。
特に私なんかは間違えて覚えていることが非常に多いもので(爆)
- 882 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/22(日) 06:01:39 ID:9OzO2u420
- 誤字訂正
大抵はニュアンス空の把握や近い意味で覚えているのが現実です。
これを
大抵はニュアンスからの把握や近い意味で覚えているのが現実です。
に訂正です。(失礼しました)
- 883 :準シュダオン:2012/04/22(日)
10:58:37 ID:lYSm2W8c0
- >準さんの頭の中が混乱しているのです。
混乱しているように見えるのは、あなたに智慧がないからですよw。
>あえて言うなら
○○因縁 = 「業」 でしょう。 煩悩と業は似ているが違うもの。
>でも、これも桐山さんの創作で仏教ではありません。
ピカソやゴッホの絵を、子供の絵だ!と、言い張る人間に、絵を教えること
は出来ないね。芸術は理論や理窟ではないからね。まして宗教は芸術より深い。
芸術は宗教の入り口に過ぎない、が、絵でさえ理解させることは難しい。
阿含経は深い。管長でさえ、最初に阿含経を読んだときは、その価値が解らな
かったほどです。まして、批判派に理解させるんは、不可能なのかも・・。
私だとて、ある程度理解できるようになったのは、聖なるバイブが起きた以後
だと思えますからね。
釈迦は、苦を四苦八苦と大別していますね。あるいは、病老死愁い災い穢れ、
などと訳してる学者もいます。管長はそれを詳しく具体的に説いています。
例えば、「病」を、具体的にガンの因縁とかね。一口に病といっても、人が
持つ煩悩・業が違うのだから、人の持つ病の種類も違うわけですよ。
○○因縁=業、という考え方は、間違いではないが、決め付けてはいけない。
あえて言うなら、○○因縁=「惑・業・苦」(=釈迦の説く12縁起)なんです。
それは管長の創作というよりは、管長の阿含経解説なのです。
だから、阿含経を読み解けない人には、創作に見えるのです。
- 884 :準シュダオン:2012/04/22(日)
11:25:57 ID:lYSm2W8c0
- >仏教の主張は、 惑(煩悩) → 業 → 苦 の流れを断ち切ることです
。
>だから最初の煩悩が重要なのです。
>仏教は煩悩の消滅(漏ジン解脱)を説く理由がそこにあります。
管長もそのように説いてるわけだが、私には批判派が煩悩解脱を強調する
理由が解らなかった。そんな当たり前のことを、なぜ言うのかが。
「輪廻する葦」にも、十結煩悩が詳しく解説されています。そしてその十結
煩悩を断つ教えが仏教なのであり、それを達成すれば阿羅漢=仏、なのだとね。
おそらく、十結煩悩と四沙門果の成仏する課程を、結びつけて解説した本は、
管長の「輪廻する葦」が、日本で最初の本ではないですか?
そしてこの本では、先ず我見という煩悩を断ちなさい、と書いてあるわけだが、
今頃、煩悩を断つのが仏教なのだ、というくらいでは、信者時代には煩悩を
断つ修行をしてこなかった証拠のように、思えますよ。
惑→業→苦の循環は、惑→業→苦→煩悩→業、というように、惑を因縁と
して業が生じ、業を因縁として苦が生じ、苦を因縁として煩悩が生じ、と、
いうように生死輪廻が続く、と釈迦が説いたわけでしょ。
また、我見を断つ修行をしないと、「欲」という煩悩の意味さえ間違えて
しまいます。善欲や向上性的意欲を否定するのではないのに、すべての欲
を無くすことだと、誤解したりもします。
- 885 :準シュダオン:2012/04/22(日)
16:17:57 ID:lYSm2W8c0
- 前に岩波仏教辞典の「苦」という項から、
「縁起説は苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明を見出し、
これらを滅すれば苦も滅するとしたものであり」と、いう部分を引用しました。
ここで、「これら(渇愛や無明)を滅すれば苦も滅するとした」の部分では、
煩悩を滅すれば苦も滅す、という意味になりますが、途中、「業も滅す」と
いう部分が省略されていることに気づいていないといけませんよね。
阿含経典では釈尊が、「1・無明(煩悩)を滅すれば2・行(業)が滅し、行が
滅すれば3・識が滅し、・・・12老死(苦)が滅する。これが縁起滅なのだ、
というように、しばしば説いています。
例えば、管長の説く「ガンの因縁」を考えてみた場合、もう既にガンが発現して
いる人の場合、ガンを形成させる(煩悩)と、ガンを形成させる(業)と、
ガンの(苦)を、その人は持っていることになるでしょう。
それに対し、ガンの因縁を持ち、まだ発現していない人は、ガンを形成させる
煩悩と、ガンを形成させる業を持っていることになりましょう。
だからこの、煩悩と業と苦の3つ(いずれも因縁と呼ぶ)を滅(解脱)しない
うちは、大解脱(因縁解脱)ではない、というのが管長の教えでありましょう。
- 886 :Boo:2012/04/22(日)
17:36:18 ID:/f5f6Kv60
- >ピカソやゴッホの絵を、子供の絵だ!と、言い張る人間に、絵を教えること
>は出来ないね。芸術は理論や理窟ではないからね。まして宗教は芸術より深い。
>芸術は宗教の入り口に過ぎない、が、絵でさえ理解させることは難しい。
相変わらず何を言いたいのかわからん。ゴッホ当時の画壇はゴッホの絵をほとんど
評価していませんでした。彼が評価されたのは彼の死後です。では当時の
画壇が絵を知らなかったかというとそうではない。
>阿含経は深い。管長でさえ、最初に阿含経を読んだときは、その価値が解らな
>かったほどです。まして、批判派に理解させるんは、不可能なのかも・・。
>私だとて、ある程度理解できるようになったのは、聖なるバイブが起きた以後
>だと思えますからね。
なるほど、当時の画壇が評価できなかったゴッホでも今は評価されていますが
それは脳梗塞のような症状がそうさせているということですか・・・
結局言いたいことは、ゴッホの絵を理解するのは難しい。(実は簡単なことだが)
そのように阿含経も理解するのは難しい。批判派はだから理解できない。自分が
理解できたのは脳梗塞になったからだ、と言いたいらしい。
>○○因縁=業、という考え方は、間違いではないが、決め付けてはいけない。
>あえて言うなら、○○因縁=「惑・業・苦」(=釈迦の説く12縁起)なんです。
>それは管長の創作というよりは、管長の阿含経解説なのです。
だからぁ・・・(ため息=上根の成仏法の高度な呼吸法。これを体得すると
阿含経の解釈が正しく理解できる)
- 887 :深山:2012/04/22(日)
18:55:36 ID:/gF/KVEw0
- >>873 名前:無関係な人間です 投稿日: 2012/04/21(土) 20:00:06
ID:x1EgaxuE0
> 外部の人間から見たら、どうも納得できない点が多々ある、というのが感想です。
外部どころか、内部から見てもわかりませんでした。(笑)
今回の件に限らず、桐山さんの作った宗教は元が嘘ですから、
新しい教義を作れば作るほど矛盾だらけになります。
世間でも良くあるように、嘘を誤魔化すためにはさらなる嘘を積み上げて
いくうちに、ついには自家中毒を起こすのと同じです。
ご指摘のように、桐山さんは現世で解脱することを説き、
世間の阿弥陀信仰などの来世成仏をあざ笑っていた。
だから、輪廻転生瞑想法などと言い出したら、自家中毒をおこすに決まっている。
おそらく周囲がブレーキをかけたから、出版には何年もかかった。
それを出したらオシマイよ、という内容については、続刊で出すことで
桐山さんの同意を取り付けたから、今回の本は「T」なのでしょう。
そこでこれに対する信者の反応です。
- 888 :深山:2012/04/22(日)
18:58:11 ID:/gF/KVEw0
- >>873 名前:無関係な人間です 投稿日: 2012/04/21(土) 20:00:06
ID:x1EgaxuE0
> 外部の人間から見たら、どうも納得できない点が多々ある、というのが感想です。
前にも書きましたが、信者と一口にいっても様々です。
その内、無関係さんが指摘したような矛盾に鈍感な信者は
おおよそ二手に分けることができます。
狂信型と自分教型です。
狂信型は、そもそも理屈がないから、矛盾は感じない。
2ちゃんねるで、ゲイカ万歳を連発している信者がいましたね。
あれがこのタイプです。
誰がどう見ても、現世成仏を誇っていたはずのアゴン宗が来世成仏どころか、
輪廻を積極的に願うかのような内容を説いたら、おかしい。
しかし、狂信型はそもそもこういう矛盾すら感じない。
なぜなら、
●アゴン宗絶対法則「桐山ゲイカは絶対に正しい」
からです。
桐山ゲイカの説く内容に矛盾があるように感じるのは、
それは読んでいる人の知性が低いからだと信じている。
サルが人間の知恵を推し量るようなもので、狂信型の信者にとっては、
桐山ゲイカの教義にあれこれと考えること自体がけしからんことなのです。
畏れ多くも勿体ない桐山ゲイカにサルのごとき自分が
あれこれ考えを差し挟むなど、もっての他というのが、彼らの考えです。
- 889 :深山:2012/04/22(日)
19:01:36 ID:/gF/KVEw0
- >>873 名前:無関係な人間です 投稿日: 2012/04/21(土) 20:00:06
ID:x1EgaxuE0
> 外部の人間から見たら、どうも納得できない点が多々ある、というのが感想です。
自分教型は、狂信型よりは少し考えています。
ただし、考えると言っても、「桐山ゲイカは絶対に正しい」
という前提は変わりませんから、桐山さんに合わせて、話を作っていく。
だから、昨日まで桐山さんが東から太陽が昇ると言っていた時は、
東から昇る理屈を考え、桐山ゲイカが今日から太陽は
西から昇ると言ったら、西から昇る理屈を考えるのです。
当たり前だが、そんな理屈は自己矛盾するに決まっているし、
昨日と今日で話が違っていたら、辻褄が合わない。
だが、「桐山ゲイカは常に進歩されている」などと本気で言う。
また、それらの理屈は教団内でしか語られず、ネットのような
外に向かって話す内容ではありませんから、彼らは困らない。
西から昇る太陽のたとえは、まさに今回の輪廻転生瞑想法そのままです。
だが、彼らの多くは新しい屁理屈をつけてこれを受け入れます。
- 890 :深山:2012/04/22(日)
19:04:25 ID:/gF/KVEw0
- >>873 名前:無関係な人間です 投稿日: 2012/04/21(土) 20:00:06
ID:x1EgaxuE0
> 外部の人間から見たら、どうも納得できない点が多々ある、というのが感想です。
これだけなら、知性だけの問題のように見えますが、実はそうではありません。
アゴン宗の信者たちの見方は次のようなものです。
桐山ゲイカ・・・人間を越えた高度な知性と霊性を持つ存在
信者・・・桐山ゲイカに比べたらサルのような存在
これが大前提です。
だが、信者は自分は桐山ゲイカから見たらサル並だと思いながらも、
他者に対しては大きな優越感を持っている。
「桐山ゲイカという高度な知性を認める自分はエライ」
「高度な知恵に自分は従っているのだから正しい」
という自惚れです。
彼らから見れば、批判側は桐山ゲイカに比べたらサル並であり、
しかも、その高度の知性を批判する愚か者です。
これは信者が自分で獲得した自惚れというよりも、桐山さんに
そのように植え付けられるのです。
いわゆる選民思想で、「自分たちは仏様に選ばれた」などと
平然と言う信者を私は何人か知っています。
こういう慢心こそが、実は彼らのキーワードなのです。
- 891 :深山:2012/04/22(日)
19:09:08 ID:/gF/KVEw0
- >>873 名前:無関係な人間です 投稿日: 2012/04/21(土) 20:00:06
ID:x1EgaxuE0
> 外部の人間から見たら、どうも納得できない点が多々ある、というのが感想です。
信者の右足は、自分は桐山ゲイカに知的にはるかに劣っているという奇妙な劣等感に上にあり、
信者の左足は、一般人よりも知的に優れているという奇妙な優越感の上にある。
これはまるで臭いのように、アゴン宗にいると自然に染みつきます。
だから、職員や先達などで実力もないのに空威張りする人たちのなんと多いことか。
元々、自惚れの強い人などはもっと強くなる。
その典型が準シュダオンさんです。
この人の空威張りと、人を小馬鹿にした態度はちょっと異常です。
だが、アゴン宗では珍しくもない。
ただし彼の場合には自分教型の中でも、特別なタイプで、
桐山アゴン宗は自己顕示するための踏み台や道具にすぎない。
アゴン宗がどんなに矛盾しても、何にも感じないのは当然です。
黄金でできているという宣伝の踏み台が安物の木でできていても、彼には関係ない。
なんで出来ているかなどどうでもよく、彼はただその上で威張り、
自己顕示欲を満足させたいだけです。
- 892 :棕 櫚:2012/04/22(日)
19:09:38 ID:VgaS9gcc0
- >879 名前:道場 投稿日: 2012/04/21(土) 22:12:02 ID:5WTRwxgw0
>自分のものにしよう、自分のものだとおもって執着します。
その執着に限りがない。 その心の中に生じる念いは必ず煩悩を伴い邪まな行為になって現わ れます。
その行為がもとになって諸々の苦を誘発してしまう。 これらの苦には自殺を引き起こす苦も当然含まれるのではないです か。
だから自殺する人も生命活動の範疇内ではあるが人間の限りない執 着や煩悩に押し潰された結果が
その様な形になったと思います。
問題はこの「我」や「法」 に対し執着し煩悩を伴って業を作り結果、
諸々の苦を誘発してしまうこ とです。 だからこそ煩悩を消滅させねばならないのでしょう。
道場さん詳しい御説明をいただきましてありがとうございます。 私は他意はありませんが、
解脱した仏弟子ヴァッカリ?
でも自殺したとありますので、 それって何かなあ、
と解らない割り切れないです。 何かスレから外れた質問で申し訳ないです。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html
- 893 :棕 櫚:2012/04/22(日)
19:13:54 ID:VgaS9gcc0
- >883 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/22(日) 10:58:37 ID:lYSm2W8c0
>混乱しているように見えるのは、
あなたに智慧がないからですよw。
>阿含経は深い。管長でさえ、最初に阿含経を読んだときは、 その価値が解らな
かったほどです。
まして、批判派に理解させるんは、 不可能なのかも・・。 私だとて、ある程度理解できるようになったのは、
聖なるバイブが起きた以後
だと思えますからね。
うーん準シュダオンさん、 こういう相手を卑下した言い方は議論に適しません。
何かあゝ、ビミヨウってか貴方のリア充発言みたいで嫌すねw
釈迦を懸命に神聖化してそのオコボレに乗っかりたいのかって誤解 されちゃうわよw
>あえて言うなら、○○因縁=「惑・業・苦」(= 釈迦の説く12縁起)なんです。
それは管長の創作というよりは、管長の阿含経解説なのです。
だったら桐氏は108つの○○因縁を出せよコラー! って言えばあぁぁ。。。。。 カわイソな準シュダオンさん、
いくらガードしてもうムーリーだってw
>おそらく、十結煩悩と四沙門果の成仏する課程を、 結びつけて解説した本は、
管長の「輪廻する葦」が、日本で最初の本ではないですか?
何言ってるのw、?、桐氏は今はエエとこに輪廻したくて三かい笑うのが終業なのよ。
笑う門には福が来るんだから、アホ信仰なんてイラネ。
>だからこの、煩悩と業と苦の3つ(いずれも因縁と呼ぶ)を滅( 解脱)しない
うちは、
大解脱(因縁解脱)ではない、 というのが管長の教えでありましょう。
だああからああ、言ったことを何んにもやれてない桐ボケ老人の言う事を
どして従がわにやならんのよw、えーー?、
貴方は一人修行のほうがお似合いでしょうから、 苦しいその立場からはやく解脱してカルマから脱肛してくださいよ ぉw
- 894 :深山:2012/04/22(日)
19:14:42 ID:/gF/KVEw0
- >>873 名前:無関係な人間です 投稿日: 2012/04/21(土) 20:00:06
ID:x1EgaxuE0
> 外部の人間から見たら、どうも納得できない点が多々ある、というのが感想です。
自分が元信者であるという点からも私は彼らを観察することで、
ずいぶん学びました。
釈尊が、知性による理解だけではなく、同時に煩悩を捨てることも
求めている理由もよくわかります。
知性による理解だけなら、桐山さんも準シュダオンさんも
勝手な解釈を加えて、かえって迷っている。
彼らの迷いを観察すると、猛烈な自惚れ、つまり慢心です。
桐山さんは仏教の解脱の意味も理解できない程度の知性のくせに、
仏陀の智慧を持っているなどと自惚れている。
準シュダオンさんなどシュダオン界から智慧をもらっていると自惚れている。
信者たちも自分たちこそは仏に選ばれたなどという自惚れから、
実は釈迦仏教どころか、仏教ですらないことに気がつかない。
仙尼経で釈尊は「慢心を断じないから輪廻がやまない」と説いています。
あの経典をただ文言として読むとそれだけで終わってしまうが、
桐山さんや準シュダオンさんという実例を見ると、ナルホドと納得できます。
もっとも、桐山さんも輪廻することを求めているのだから、
釈尊の慢心を捨てろという教法は、桐山さんには価値がありません。
- 895 :深山:2012/04/22(日)
19:21:26 ID:/gF/KVEw0
- >>873 名前:無関係な人間です 投稿日: 2012/04/21(土) 20:00:06
ID:x1EgaxuE0
> 外部の人間から見たら、どうも納得できない点が多々ある、というのが感想です。
そこで、無関係さんの上記の疑問です。
外から見てさえも、正反対とも思えるような内容を本に出されて、
それでもどうして信者たちは信じていられるのか、という疑問です。
無関係さんは知性にのみ着目されている。
たしかに知性だけなら、小学生でもおかしいことに気がつく。
だが、慢心があると気がつかないのです。
知性がろくに働かなくても、自分たちは仏様に選ばれたなどと自惚れ、
あるいは知性が多少働いていても、自分たちは仏陀の智慧に従っているなどと
慢心が強烈だと、まともに知性は働かないのです。
知性が普通でも、熱があるとまともに考えることができないと同じです。
ましてや、準シュダオンさんのように、知性が衰えているのに、慢心が強いために、
自分は知性に優れているなどと思うようになったら、もう手がつけられない。
彼らの観察から得られることは、誰しも老化とともに知性は衰えていくのだから、
準シュダオンさんのように知性が崩壊する前に、知性によって煩悩を少しでも
減らす努力をしなければならないということです。
年取ってから、準シュダオンさんのように醜態はさらしたくない。
桐山さんのように八十歳を過ぎて、公衆の面前で元愛人から
パンツを下ろされるような恥ずかしいことはしたくない。
このように今回の本に対する信者の反応は二千五百年前の釈尊の言葉を
如実に目の前で学ぶ機会なのです。
- 896 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/23(月) 08:28:38 ID:SmEF4Oe2O
- >>873:無関係な人間です12/04/21(土) 20:00:06
ID:x1EgaxuE0
>死んでから救われるとか、次に生まれ変わったら救われる、というのは間違っている、という説明でした。ところが、何十年か経ると、桐山さんは死んで
>から救われる、とか、来世によいところへ生まれ変わるという謳い文句で、本を出版しています。
レスが遅くなりましたが、全くそのとおりで、私もこの問題を批判点として
論じる計画でいました。
桐山さんは今回の著書で浄土教とは違うと主張しています。
浄土教は死んだ後、極楽浄土というあるのかないのかわからないところに生じることを
説くが、輪廻転生瞑想法は、来世に人間として生まれ、極楽浄土のような快適な
現世を実現させてしまうのだから、現世極楽浄土なんだとか、わけのわからないことを
書いています。
来世は現世の延長なんだとか。
しかし現世は現世、来世は来世で死後のものです。
それに桐山さんは極楽浄土があるかないかの議論の前に、現世をあきらめ、死後に
期待を寄せる信仰を逃避、卑怯と批判したのです。
また極楽を説かない法華経に対しても、方便品から「来世に仏道を成ぜん」と書いてある
のを読んで、「なんだ?来世成仏か?それなら価値がない」と切り捨てた。
観音慈恵会の密教時代に桐山さんは「空海は即身成仏を説いたが、それは間違いで
成仏と言ったら即身成仏しかなく、わざわざ即身なんて添える必要もないのだ」
なんて法話で話して、現世成仏でなければ意味がないことを強調していた。
ただこれに対して今回の著書は準胝観音経を引用して、準胝尊は現世と来世の二世に
わたって衆生を救済することを誓願とし、決して現世の因縁解脱をあきらめたわけでは
ないことを示唆しています。
しかしそもそも現世で悪因縁を切って、霊障も解消し、徳を積むのがアゴン宗の
教義・実践であるはずです。
ならば現世でアナゴンまで行けず、来世生じることになっても必ず仏縁があるはずで
その仏縁に従って精進すればよいはずであり、何もあくせくジタバタと変な瞑想
なんかに依存してまで来世を願う必要なんかないはずです。
これは桐山さんがいよいよ死期が近づき、死んでなくなるなんて真っ平、また輪廻して
楽しい人生を送りたいなんて未練と執着が、こんなおままごと妄想法を作ったのです。
- 898 :無関係な人間です:2012/04/23(月) 11:43:02 ID:T6DYBCFo0
- 深山様
ご丁寧なお返事を頂戴し、深く感謝申し上げます。
なるほど、知性だけの問題ではないですね。ご指摘を受けて、始めて気がつきました。
御教示、ありがとうございました。
ただ、私などは、修行ができていないので、阿含宗って、羊頭狗肉ではないの? と思ってしまい
ました。それも、何十年も経てから、こんな事を言うのは、その間、桐山さんを信頼した人に
とっては、ひどい仕打ちだと思います。正直、桐山さんに憤りを感じてしまいました。
また、桐山さんを信じて、人生を浪費し、人格まで破綻した人がいるのを見ると、考えてしまいました。
- 899 :無関係な人間です:2012/04/23(月) 11:44:03 ID:T6DYBCFo0
- 管理人様
申し訳ありませんが、
>>897 を削除お願いします。ごめんなさい。
- 900 :無関係な人間です:2012/04/23(月) 11:47:49 ID:T6DYBCFo0
- ユビキタス様
ご教示、ありがとうございました。桐山さんは、若い頃、現世成仏の論理で他の仏教を斬りまくって
いたと記憶しております。豹変ぶりには納得はできませんが、死期が迫り、いよいよ死ぬのが恐くなった
のでしょうか。もっとも、違う意味で、彼は長生きをすべきだと私は考えております。
今後とも、ご指導のほどお願いします。
- 901 :無関係な人間です:2012/04/23(月) 11:54:00 ID:T6DYBCFo0
- 天照 様
正確なご指摘には深く感謝いたします。やはり、部外者が阿含宗に言及するときには、
曖昧な印象で物を言う傾向があるので、その点は経験をされた方がご指摘をされることが
とても大事だと思います。
ただ、桐山さんは、本だけを読むと、すごいです。かの「つのだじろう」さんも、桐山さん
の事を「偉い僧侶」とマンガで紹介していました。うしろの百太郎のアドバイスを無視しな
のかしら? と思います。しかし、超人とか超能力を標榜していた人が、ヨレヨレのお体
では、どうにも説得力がないので、宗旨を変えたのでしょうか。
ともあれ、考えてしまいました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
- 902 :道場:2012/04/23(月)
12:47:05 ID:5WTRwxgw0
- 桐山さんの四諦や「苦」の解釈に疑問や問題点が多々ありますが、それは後に検証するとして
もう少し >>870-871の続きを書かせてください。
さきに「我」を認めるところから生命活動が始まることを述べました。それは「我」を益するものを追い求め取り込もうとする活動です。
逆に損するものは排除します。つまり欲望の追求です。ああしたい、こうしたい、ああしよう、こうしよう。
結局「思うとおに」にしたいのです。そのために自分を駆り立てて行動を起こします。これが「業=行為」です。
つまり「業」とは、「自分を中心に」、「自分の思うとおり」にしようとする、あらゆる「行為」のことです。
それは必ず「目的」を持ち、何かのためであり、それによって何かを得ようとする行為です。目的が無く、何の為でもなく、
何も得られない行為は、行為としては無意味であり、行為として成り立ちません。
そしてこの「思うとおり」にしようとして「思うとおり」にならない結果となれば「苦」です。
さて、ここでよく考えてみましょう。
「思うとおり」にならなかったのは何故か?
それは最初に「我」を認めたことが誤りではなかったのか?
「我」とは仮定された「思うとおりにできる主体」です。「主体」があると「仮定」され、「思うとおりにできる」と
仮定されたに過ぎません。
この「苦」という結果は、「思うとおりになる」という仮定を否定したのです。
つまり、「思うとおりになる」ということも「主体」があるこということも否定されたのです。
これが「無我」でしょう。
「無我」であるにも拘わらず、生命は「思うとおりになる主体」=「我」あるという「仮定」によってはじめて、活動することができる。
しかし、生命は、それが「仮定」であることを完全に無視して、無条件に「我」があると決め込み、我を愛し、我を執し、我が
仮定・架空であり無であることを知らない。これが「根本無明」であり「迷い」であり「惑い」なのです。
そしてこれが罪悪・染汚の根源となって、諸々の「煩悩」を生むのです。
「我」を認めるところからさまざまな煩悩が起ります。これが「惑」です。「無我」という真実に反し、真実に惑う心だからです。
- 903 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/24(火) 07:44:17 ID:lmhlEV.20
- 58章も900を超えました。59章のサブタイトルを募集しますのご応募お待ちしております。
>>901
>ただ桐山さんは、本だけを読むとすごいです。
そうです。「本の中や教団の中だけ」は凄いのです。何故ならその中では桐山ワールドであり、
一方的に論を展開しているからです。これが掲示板で考察や検証をされるとあっというまに
嘘やインチキが暴露され、主張のほとんどは覆されます。
現実の世界でこれをやられたら桐山氏は「形無し」な状態になるでしょう。
仰せの「つのだじろう」さんの漫画は私も過去読んだことがあります。(ざっとですが)
当時これから流行るというか「凄い人物が現れた」と錯誤したのでしょう。
巷の人がそうだったように「つのだじろう」氏も同様であった、といえますね。
何故そういえるか、というと、つのだじろう氏は守護霊が居て様々な情報などを守護霊から
もらえたようでした。桐山氏を「本物だ」と思ったのはその守護霊様から「桐山氏は本物だ」
という霊示見たいな物を貰ったかどうかは定かではありませんが、つのだ氏は桐山氏を
「本物だ」とか「凄い人だ」と思われたのは漫画にも描いたのですからあったようです。
しかしこうやって桐山氏の嘘やインチキが露呈されれば何も言えなくなります。
実際数ヶ月前につのだ氏が何かのことでTVに出てて「うわー懐かしい」と思ったものですが、
別段守護霊のことも阿含宗のことも言わなかった。
まあTVは短い時間だったしそのことを聞くのが趣旨ではないから言わないだろうが、例えば
つのだ氏が「未だに桐山氏を本物だと思い推奨している」のなら阿含宗の信者になっている
だろうし公言しているはずです。また何かの折に「桐山氏はいいよ」と勧めているでしょう。
例え阿含宗の信者になって無くても、です。
(それこそこの状態では、かの慈水氏を思い出しますね
=
信者じゃない外部者なのに推奨)
おそらくつのだ氏も「自分には守護霊が居る」と思い、また「霊感がある」としていたのでしょう。
ですが、それが見事に「外れた」 本当に霊感があり桐山氏を見る力があったなら本物認定は
しないものです。(かくいう私もその類であった)
桐山氏の主張や嘘に騙されて信じてしまった。霊感なんてものよりも信じる気持ちが強い故
霊感云々ではなく本物だと思い込んでしまったのです。または錯誤して霊感でも感知したように
思い込んでしまったか。またつのだ氏のように守護霊が「桐山氏は本物だ」といったとしたら
その守護霊は「偽物」です。真贋も見抜けないような霊では守護霊など「甚だしい」
ですからどのように解釈してもつのだ氏には不利なことばかりです。
だからあの守護霊ブームからかなり経つがつのだ氏が賞賛したのは「あの時期だけ」です。
その後もずーと桐山氏を賞賛したり自らも阿含宗の信仰をしてないのを見れば推測ですが
つのだ氏も「偽者」と気づいたのかと推察します。
- 904 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/24(火) 08:10:10 ID:lmhlEV.20
- また桐山氏に於いては「趣旨変え」をしたのか、についてはユビさんらが解説している通りだと
思います。今まで散々「現世成仏」を言い、来世成仏をバカにしていたのが数年前から急に輪廻
転生瞑想法というものを出してきた。信者さんで狂信者な方は「間違っていない」というが、
信者で無い無関係さんが見ても「バリバリおかしい」と感じたように私も同様です。
私の法友の言うような論を言われても私は納得しません。それは詭弁だからです。
実は@chs−1に書こうとしている内容ですが先に少し書いておきます。
阿含宗では実は死後の素晴らしいサービス(笑)があり、それも手伝って?か信者さんは阿含の
信仰をやめない傾向があります。
それは阿含の信仰と修行を真面目に続けて行けば完全解脱は得られないものの、死後霊界の一番
低いところには行けて尚且つ「ジュダオンになれる」という特典があるのです。
そして転生する際には最低でも「シュダオンの境涯」でこの世に生まれてくるのです。
なんという素晴らしい信仰でしょう(大笑い)
ですから私は特段「来世をどうのこうの」というのには興味が無い。むしろ早く上の段階に上がって
ニルバーナに入りたいからです。またこの説明したシステムは如何にもインチキですが、この方がまだ
ゲイカの輪廻〜法よりも信じられます。
仏舎利の功徳によってシュダオン境涯がいただける。それだけでもありがたいし操作の欠片もない。
さすがはお釈迦様の力、仏舎利の功徳は凄いなあと思えるほどです。
ですが、それを老いぼれ爺さんの戯言で「来世は自分の思うがままに変えれるんじゃ」というのには
さすがの私も「なびかない」 シュダオン理論も嘘臭いが輪廻〜法の方がもっと嘘臭い。
どっちも信じないほうが正解なのですが、私が信じるとしたら前者の方ですね。
老いぼれ爺さんの輪廻〜法など、今までの教義じゃないから信じられません。
- 905 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/04/24(火) 08:22:38 ID:lmhlEV.20
- >超人とか超能力を標榜していた人が、ヨレヨレのお体では、どうにも説得力がないので、宗旨を
変えたのでしょうか。
これはユビさんの解説であっていると思います。(というか同意ですね)
桐山氏は今まで散々嘘やインチキを展開してきたが現実の事項として寿命が尽きようとしている。
つまり死後が怖くなったのです。そこで得意の妄想を展開したのが「輪廻〜法」です。
脳梗塞で倒れ入院し治療した際には狂ったほどジュンテイ真言を唱えたそうです。
それだけ「死にたくなかった」現われです。生きていれば自分の妄想は通用し信者はひれ伏す。
金もある程度は居るし美味い物も食える。また阿含宗管長としての威厳も保てる。
つまり生きていれば自分の地位や権限が保持できるからです。
このような自分の理想や状態をどうにかできないか。またそれを実現できたらいいな。
普通の人間は「ここで思考が止まるもの」です。
何故ならどうにも出来ないのがわかっているからです。黙ってても老いは進むし死も近くなる。
ですが桐山氏はそこを逆手に取った・・・というか利用活用したのです。
妄想猛々しいとはこういうことですが、なんとも出来ない輪廻についてを「瞑想で出来る」
としてしまった。またそれを「信者にやらせる」というのがおこがましいのです。
桐山氏が勝手に自分で思い込み個人でやるのなら何も言いません。
ですがそう言う法を「自分が考えた」と言い放ち、それに信者さんが「ブラボー」として
歓喜していることに目眩がするのです。あなたたちは理性も無いのか、と。
阿含宗が信者は死後霊界に入りシュダオン境涯を得る、という自体も証明のできない事項です。
如何にもインチキそのものです。
ですが、その後発である「輪廻〜法」も非常に馬鹿げています。
操作が出来て確証が成せるのなら信じることも出来ましょう。
しかし昔から桐山氏はこうやって目に見えない事項らを平気で嘘をつくのか。
これはやはり桐山氏の「性格」に問題があると言えるでしょう。
最近の子供はそうでもないが、子供が妄想の類を言うことはあることです。
桐山氏はこの子供同様か子供以上の異常な妄想者ということになります。
常識を逸脱した様相だからです。
なので、もともとの桐山氏の性格と生まれつきの妄想癖。そして実際に桐山氏が迎える臨終
に際してその事項までも「商売にしている根性と発想」これらがいきなり趣旨変えに値する
発言になっていると思います。
まあ、一言で言えば桐山氏は「基地外」ということでしょう。
- 906 :名無しさん:2012/04/24(火)
08:45:53 ID:LXSzQAEc0
- 輪廻転生瞑想法は早々購入し読みました。
リハビリのために読むという部分もあるんでしょうね。自分に対してそう思います。
本のタイトルを「輪廻転生迷走法」か「輪廻転生妄想法」に変えたほうがいいですね。
桐山さんは思い込みが激しい人であり、面の皮に厚い、稀代の宗教詐欺師です。しかしその稀にみる詐欺師も年には勝てないようです。
非常に安心しました。
面白いのは、深層意識に強く念じて「思ったとおりの来世」にできると断言しているところです。
男はハンサムだとかも書いている。桐山さんは自分をハンサムだと思っているのです。
いよいよ死が迫ってきたので、怖くなってきた、妄想しているわけです。
かつての密教システム、ぐもんじスクールなどの一連、宗教融和、完全仏教など何一つ実現していません。
守護霊や守護神は、お社を渡すだけですから簡単なものであり、それでガッポリお金が入る。
いろんなものを出してきては、法施とか言って、お金をまきあげる。
あごんの信者さんは人がいいからね、ずうずうしい桐山さんの食い物です。
和田さんや色川さんは、桐山さんのお妾、側近、スパイです。
彼はお金で大体のものは買えると思っている。
しかし、誠実さや本当の信仰心、実力は買えないのだということが逆にわかっているから
証明書写真に写して、これでわたしは本物なんだと主張するわけです。
ニンマ、サキャ、ガギュの相承者だというのなら、桐山はシンプルなマントラで
いいから、声明をやってみせればいい。どうせインチキラマだから出来やしないのだ。
桐山という人間は加行とか基礎行のような地道なことが大嫌いな自己中心の人間だということは
すでに多くの元信者が認識している。
- 907 :準シュダオン:2012/04/24(火)
10:18:23 ID:lYSm2W8c0
- >仮定・架空であり無であることを知らない。これが「根本無明」であり「迷い」であり「惑い」なのです。
>そしてこれが罪悪・染汚の根源となって、諸々の「煩悩」を生むのです。
>「我」を認めるところからさまざまな煩悩が起ります。これが「惑」です。
>「無我」という真実に反し、真実に惑う心だからです。
それは↑そのとおりですね。しかしそれは、管長が本に書いてあるように、
先ず「我見」という煩悩を断つ修行を進め、我見が薄れていく課程で、
よく理解できることです。ところが、批判派のレスはいずれも我見に満ちています。
我見を断つ修行をしていないから、洗脳されてしまうのです。
私など、現役信者でありながら、まだ「輪廻・・瞑想法」本を買っていません。
しかし、批判派の皆さんは本を購入して読んでるようです。退会後もまだ洗脳が
解けていないのです。親桐山か、反桐山か、だけの違いで、洗脳されている状態
は変りません。桐山論は、批判派の心身の一部になっている(洗脳)のです。
その点、私は「輪廻する葦」本を読んでから、管長の説くように先ず我見を断つ
修行から始めましたので、洗脳状態にはならなかったのですね。
- 908 :名無しさん:2012/04/24(火)
10:43:50 ID:LXSzQAEc0
- 準シュダオン君は「我見」のみならず「我執」に満ち満ちております。
あごんしゅう信徒とかいうまえに人として破綻しております。
名前を準我ジロウに変えたほうがよいでしょう(ワイルドダゼェ〜〜〜♪)
- 909 :準シュダオン:2012/04/24(火)
10:46:26 ID:lYSm2W8c0
- >うーん準シュダオンさん、 こういう相手を卑下した言い方は議論に適しません。
卑下を、相手を見下す
というような意味で使用してるんでしょうけど、
私は、見下してもいないし、卑下もしていませんよ。
>何かあゝ、ビミヨウってか貴方のリア充発言みたいで嫌すねw
>釈迦を懸命に神聖化してそのオコボレに乗っかりたいのかって誤解 されちゃうわよw
釈迦を神聖化はしませんよ。ただね、阿含経には因縁解脱は説かれていない、
なんて論を頑迷に言う人を見るとね、読み取る力がないのか、と考えてしまう。
因縁解脱は説かれていない、という結論が先ずあって、それに合わせて物事を
考えてるようです。あなたの例えを借りれば、
「因縁解脱は説かれていない」=靴です。その靴に足を合わせている。
靴というのは、多くは黄金のベッドとして例えに使われていますね。
黄金のベッドのサイズにぴったり合わない人は、ベッドのサイズに無理やり
合わせられてしまうのです、ベッドより大きな人は足か頭を切られてしまう。
本末転倒を教える例えですね。
惑(煩悩)→業→苦、の循環から逃れる教え=因縁解脱、だという意味が理解
できないのでしょうか?
煩悩とは心のはたらき、ですね。業には身口意の三業があります。そして意業と
煩悩の区別は困難ですね。苦にも身体で感じる苦と、心に感じる苦があります。
だから、煩悩と意業と心苦の区別は難しい。
心のレベルで考えた場合、惑と業と苦の区別は困難になります。
この場合も、煩悩解脱というよりは、因縁解脱、又は縁起解脱という方が的確
でしょう。煩悩と意業と心苦とを、滅するわけですからね。
- 910 :棕 櫚:2012/04/24(火)
11:01:50 ID:5XfCvV8U0
- 批判の皆さんの総意は桐山氏がボケちゃって人間の最も強い生存欲が出て来ちゃった、
と言うことでしょう。
切らなければいけないのが因縁じゃなくて、執着というかラーガというボンノウだった。
そう言うわけですよね、難しく考えても桐山氏が簡単に教えてくれたんだから笑っちゃいま
すわ。仏教を小難しく考えるクセを桐山氏から習慣づけられたわけねー。信者さんは。
- 911 :準シュダオン:2012/04/24(火)
11:15:27 ID:lYSm2W8c0
- >だああからああ、言ったことを何んにもやれてない桐ボケ老人の言う事を
>どして従がわにやならんのよw、えーー?、
言ったことをちゃんとやってるでしょうw。脳梗塞の因縁も切って見せた
じゃないですか。脳梗塞の場合は、因縁の発現までいってしまった、しかし、
未だに再発はないようですから、因縁を切って見せてますね。
>貴方は一人修行のほうがお似合いでしょうから、
苦しいその立場からはやく
なんで私が苦しいの?楽ちんですよ。因縁の洗い出し現象を体験してからは、
長らく悩まされていたその因縁からもオサバラできてますし。
1因縁の洗い出し現象 2聖なるバイブレーション 3、3・11の霊示体験、
この3つだけは、報恩謝徳の行として、書きました。ほんとはあまり書きたくはなかったけど。
こういう場合、自分の体験を書くと、パワー、ちから、エネルギーが失われる、と
説くグルが多いですからね。でもまぁ、私の場合はまだ1割か2割程度しか、
体験をレスしていませんから、大丈夫でしょう。
あなたも解脱したいのであれば、「我見」を追及していけば、来世には
解脱できると思いますよ。来世には因縁解脱を説く教祖も増えてるでしょう。
- 912 :名無しさん:2012/04/24(火)
13:10:15 ID:LXSzQAEc0
- 準シュ堕怨くんの場合
1.因縁の丸出し(脳障害。単に脳の血液の流れがおかしい。)
2.性なるバイブレーター(はじめての体験)
3.3月11日の眩暈動悸息切れ(年なので)
君のは仏教ではないね。
桐山教でもない。準シュ堕怨教だな。教祖は君で、信者も君一人だよ。
どうしようもない「我見」「我執」だね。体験体験といっている時点で
邪教だね。残念だったね。斉の広場ゆきだね。
いいんじゃないの、桐山さんのようなインチキ詐欺教祖をいつまでもいつまでも
信じていれば。
本を買わないのは、あんたがケチで、田舎者で、独りよがりだからですよ。
言い訳にも邪があるのですよ君は。
桐山さんは因縁を解脱したと宣言してから、脳梗塞になり、さらに愛人問題が
出てきた。「チガゲがいないと淋しい」とか言って。
あごんしゅう桐山がいう因縁とか因縁解脱そのものがインチキなのだが、
そんなことを信じている君は、どうかしているね。
おめでたい、実に幸せな人だね。よかったね。
- 913 :棕 櫚:2012/04/24(火)
14:04:01 ID:5XfCvV8U0
- > 惑(煩悩)→業→苦、の循環から逃れる教え=因縁解脱、
だという意味が理解 できないのでしょうか?
煩悩とは心のはたらき、ですね。業には身口意の三業があります。
おもろいこというよね、準シュダオンさんってw
全ての始まりは無明と言う煩悩があるから苦しむのでしょ?
桐氏も女にとち狂うと言う醜態出しちゃって、
そいう煩悩で苦しんでそれでも飽きたらず来世でも女にもてようなんて
それを本にまでして書くなんてえ、世の笑い者ですよ、信者でいることが恥ハジw
- 914 :akb55:2012/04/24(火)
20:54:38 ID:XeG8xf1k0
- >911言ったことをちゃんとやっているでしょう。
密教占星術1 わたくし浅学をかえりみず、いま、ここに六巻に分けて
これを説こうとする。全巻完成まで数年の時をかしていただきたい。
昭和48年7月20日初版発行
ちゃんとやってないよ。中途挫折の因縁切れてないし。
- 915 :干柿:2012/04/24(火)
22:10:58 ID:LzYL8o4A0
- >>911
なにボケたことをほざいているのやらw
求聞持スクールだって、仏陀の法だって、なにもちゃんとしてないじゃん
いつも中途半端で金だけまきあげてドロンあとはしったことじゃねぇ
桐止さんでしたかゲイカの側近で求聞持法を修行するための求聞持堂を
作ることを命じられて苦心惨憺しててゲイカにお伺いたてたら「求聞持法は
出来ない」とハッキリいったそうです。みんなを騙していたわけなんですね。
詐欺でしょう、そしていまだに求聞持法のウソを信者には言っていない
錬脳塾だとかで誤魔化しているんですよ、金集めのため
ウソばっかり多くて何もちゃんとやっていません。
- 916 :名無しさん:2012/04/24(火)
23:46:15 ID:06TSjuRY0
- ようするに桐山さんは、その時その時にいろんなことを言い出して、職員も幹部会員も言いなりで
あって、地に足のついた信仰ではないということです。
おもしろいのは密教時代には、自分の密教が本流だといい、法力も世界一だという。
本尊も世界一で、運命学も最高のものがあると宣伝する。霊視力も最高であり、
チベット密教でも最高のラマだと言い出す。完全仏教という最高度の仏教で
自分は完全解脱者(仏陀)だと言っている。
桐山さんの言っていることは各分野の専門家には通用しない。素人にはわからない。
目的が金集め詐欺だから、それでいいわけだ。
だが、中身は何にもないと現実がある。
桐山さんこそ、あの世を信じていないのじゃないか。
あのずうずうしさは、ほんとうにすごいからね。
煩悩丸出しだよな。「ちかげが居ないとさびしい」って・・・。
まあ普通に考えて、自分の女にしてたんでしょう。夜のほうも役に立たないクセにしゃぶらせていたんでしょうよ。
- 917 :名無しさん:2012/04/25(水)
00:19:05 ID:4hiTV9uI0
- >>914
まったくだ。師自身の因縁が切れていない事象が近時ボロボロでてくるな。
30年ほど前の伝法会の密教占星術の講義で支離滅裂なことを言い出した。
求聞持法って何なの?私はそれから阿含宗とは距離をおくようになった。
- 918 :準シュダオン:2012/04/25(水)
10:49:41 ID:lYSm2W8c0
- >>911言ったことをちゃんとやっているでしょう。
>密教占星術1 わたくし浅学をかえりみず、いま、ここに六巻に分けて
これを説こうとする。全巻完成まで数年の時をかしていただきたい。
昭和48年7月20日初版発行
>ちゃんとやってないよ。中途挫折の因縁切れてないし。
真面目に考えすぎですねw。六巻なんて、出す気になれば簡単なんだよ。
1行だけ、「奥義は文字に表せない、実践研鑚すべし」と書いて、
あとは白紙でいいのだから、それでも本は本さw。
我見をなくす修行をしないから、洗脳されちゃうんですよ。
- 919 :準シュダオン:2012/04/25(水)
11:09:41 ID:lYSm2W8c0
- >おもろいこというよね、準シュダオンさんってw
おもろいことって、私は阿含経を解りやすく説明してるだけよ。
あんた方は、智慧がないから、それでも理解できないみたいですね。
>全ての始まりは無明と言う煩悩があるから苦しむのでしょ?
そうだけど、それは釈迦がそう言ってるから、あんたらはその言葉をオウム返し
してるだけで、内容を理解してるわけではない。阿含経のさとりは、縁起滅、な
のであって、煩悩滅だけではないの。そこを理解できてないの、あんたらは。
>桐氏も女にとち狂うと言う醜態出しちゃって、
>そいう煩悩で苦しんでそれでも飽きたらず来世でも女にもてようなんて
>それを本にまでして書くなんてえ、世の笑い者ですよ、信者でいることが恥ハジw
そういう↑ことはどうでもいいの。そういう煩悩は苦しみではなくて、お愛嬌なの。
異性にもてたいと思うのは自然な感情でね、それを否定するような考えは歪なのね。
異性に関心持たないのは性的欠陥人間だけだろうね。
性的に正常な人間で、異性に関心がないなんてのは、有り得ないでしょう。
そういう人間は、表面的にはそう見えても、内面的には人一倍異性に執着してる
もんさ、人間とはそういうもんだね。
- 920 :Boo:2012/04/25(水)
11:13:18 ID:/f5f6Kv60
- 準シュダオンさんに質問します。
十二支因縁が桐山アゴン宗の「因縁」に相当するならば、「無明」は横変死の因縁
何でしょうか?「中途挫折の因縁」は十二支因縁ではなんという煩悩に関する因縁
何でしょうか?
- 921 :名無しさん:2012/04/25(水)
12:31:47 ID:LXSzQAEc0
- >>918
>真面目に考えすぎですねw。六巻なんて、出す気になれば簡単なんだよ。
>1行だけ、「奥義は文字に表せない、実践研鑚すべし」と書いて、
>あとは白紙でいいのだから、それでも本は本さw。
>我見をなくす修行をしないから、洗脳されちゃうんですよ。
おまえ洗脳って認めてんのかよ。やっぱりおかしいよアンタ。
なら桐山にでも宗務局にでもいいから、白紙でいいから出してくれと
おまえの苦し紛れの欺瞞に満ち満ちたアイディアを堂々と述べたらどうだ。
こんなところで屁理屈言っているだけなくせに偉そうに言わないの。
準しゅ堕怨よ、おまえは「我見」のみならず「我執」の強い人間だから、あごん本山にゆき
太宰さん夫婦の傘下でみっちり下座の行をしたらいいよ。おまえは関西の秋吉老人の足元にも
及ぶことはできない。
あごんじゃなくて君のは準しゅ堕怨教です。信者教祖は1名。あんただけの
基地外宗教妄想だな。
じゃあなクレージー。ピーナッツ商品でも工夫してろよジジイが。
- 922 :名無しさん:2012/04/25(水)
12:41:34 ID:LXSzQAEc0
- >>918
>>桐氏も女にとち狂うと言う醜態出しちゃって、
>>そいう煩悩で苦しんでそれでも飽きたらず来世でも女にもてようなんて
>>それを本にまでして書くなんてえ、世の笑い者ですよ、信者でいることが恥ハジw
>そういう↑ことはどうでもいいの。そういう煩悩は苦しみではなくて、お愛嬌なの。
準しゅ堕怨は完全に邪教です。
仏教の教えに反しているだけでなく、彼のは宗教ではなく邪教ですな。
桐山は上座部を含めた完全仏教だと宣言しているだろ。
なんでI川を囲ってスパイ活動をさせて、おこづかい(お手当て)支給して
いたんだ。おまえね、桐山とI川がゴルフしている写真や、カレーうどん食っている
写真があるが、当時奥さんが存命な上に、そういうことをしていて「完全仏教」も
なにもないだろうよ。
煩悩や輪廻を深く考えることから仏教修行というものは始まるんだけど。
なんだ新興邪教宗教に洗脳されてるから分からないのか。
どうぞお幸せに。
- 923 :準シュダオン:2012/04/25(水)
15:21:19 ID:lYSm2W8c0
- >十二支因縁が桐山アゴン宗の「因縁」に相当するならば、「無明」は横変死の因縁
>何でしょうか?「中途挫折の因縁」は十二支因縁ではなんという煩悩に関する因縁
>何でしょうか?
あなたもねぇ、阿含経が因縁解脱(縁起滅)を説いてる経典だということを知らず
に阿含宗の信者だったのかえ?呆れてものが言えんよ、それじゃ、盲信だろがw。
岩波仏教辞典から、肝心な部分を引用するから、暗記して、毎日その意味を考えて
会得しなさい。会得できたらつまらぬ他人の雑音に左右されなくなるよ。それが
自灯明というもんさ。
次の「 」部分の1行は、仏教辞典の「縁起」という項の重要部分だよ、
「さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し縁起の滅した世界とされた」
というように学者先生は阿含経の「さとり」を簡単明瞭に解説してくれてます。
阿含経を簡潔にまとめれば、「縁起滅(因縁解脱)」が「さとり」なのです。
因縁解脱を説いていないという主張は、辞典の解説を否定してることですよ。
無明は横変死の因縁か?ということだが、無明は横変死の因縁だけではなくて、
あらゆる○○因縁を形成することになるね。人の因縁の種類が違うのは、具体的
な悪業が、人によって違うからでしょう。無駄な殺生をする人も居れば、盗みを
する人も居れば、悪口言う人もいる。先祖から引き継ぐものもある。
釈尊は、阿含経で「比丘たちよ、縁起(因縁)とは何であろうか、無明があれば
行が生じ、・・・老死が生じる。無明が滅すれば行が滅し・・・老死が滅する。
これが縁起の滅であり、それは八正道を修習することで達成できるのだ」と、
しばしば説いています。
初期仏教の縁起説とは、煩悩→業→苦、の循環において輪廻する生存苦を説明
するのがもっぱらだったのですね。で、その縁起の滅をさとり、としたのです。
- 924 :準シュダオン:2012/04/25(水)
15:49:32 ID:lYSm2W8c0
- >十二支因縁が桐山アゴン宗の「因縁」に相当するならば、「無明」は横変死の因縁
>何でしょうか?「中途挫折の因縁」は十二支因縁ではなんという煩悩に関する因縁
>何でしょうか?
十二因縁では、無明(煩悩)が行(業)を形成し、「渇愛・取」が有(業)を
形成する、と説いています。具体的な行は人それぞれ様々に違います。
それが横変死の人、中途挫折の因縁の人、というように分かれるのですね。
無明を断てば縁起が滅して、さとり(涅槃)に入るわけですが、しかし、無明は
十結煩悩の最期です。
我見という煩悩から断ち始めて、無明は最期にしか断てないわけです。
で、三結(我見疑惑戒取)を断つと悪趣の因縁を切ることになります。
悪趣とは、最も苦しい生存のあり方、です。管長はそれを横変死の因縁とか、
ガンの因縁とかと、しています。その分け方に反対なら、あなたなりの区分を
すれば良いのです。肉体障害の因縁の方が、横変死の因縁より悪趣だ、とかね。
釈尊は、悪趣の種類を、具体的にはランク付けしていないようですから。
三結我見疑惑戒取を断てば、不堕悪趣となって、悪趣(最も苦しい生存)の因縁から
解脱でき、五下分結煩悩を断てば阿那含という更に安楽な生存形態になり、無明と
いう最期の煩悩を断てば、無上安穏の涅槃、を得られるわけです。
- 925 :準シュダオン:2012/04/25(水)
16:19:14 ID:lYSm2W8c0
- >十二支因縁が桐山アゴン宗の「因縁」に相当するならば、「無明」は横変死の因縁
>何でしょうか?「中途挫折の因縁」は十二支因縁ではなんという煩悩に関する因縁
>何でしょうか?
先ず、今のあなたの常識は、あなたの我見だということを自覚しないといけません。
煩悩と○○因縁の因果関係は、簡単には解りようもありません。
釈尊は、「三結断 不堕悪趣」と説いていますが、釈尊に対し、
「三結を断つと、どうして悪趣から逃れられるのですか?」と質問した弟子は
いないようです。煩悩と悪趣の関係は、よく解りませんね。
私の場合、いくつか因縁があるわけだが、その因縁の一つの洗い出し現象が
あってからは、その因縁に悩むことがなくなった。
例をいうと、今は花粉症の時期かな、花粉症の因縁というのがあって、毎年
その花粉症で悩んでいたとします。ところが、あるとき、酷い花粉症もどきの
状態がしばらく続き、消え去ったとします。それ以降、毎年の花粉症が、
無くなってしまった、これが因縁の洗い出し現象ですね。
これは喩えであって、私が花粉症だというのではありませんよ。
我見を断つ修行をしていたら、私にこのような現象が起こったのです。
なぜかは解りません。脳梗塞の前兆だろ、という人の気持、無理ないですねw。
- 926 :準シュダオン:2012/04/25(水)
16:31:38 ID:lYSm2W8c0
- >十二支因縁が桐山アゴン宗の「因縁」に相当するならば、「無明」は横変死の因縁
>何でしょうか?
さて、いくらか予備知識を与えた後なので、理解がしやすいだろう。
「無明」は横変死の因縁?質問の意図が見えないが、無明というのは煩悩という
因縁なのですよ。
>「中途挫折の因縁」は十二支因縁ではなんという煩悩に関する因縁
>何でしょうか?
それはね、どういう煩悩が、どういう業を為して、中途挫折の因縁を形成したのか、
という質問だから、解るのは無理な相談ですね。それが解ったら阿那含です。
その説明を聞いて、理解出来るのは斯陀含以上の人だけですね。
- 927 :準シュダオン:2012/04/25(水)
19:16:45 ID:lYSm2W8c0
- もう少しレスしときます。
>十二支因縁が桐山アゴン宗の「因縁」に相当するならば、「無明」は横変死の因縁
>何でしょうか?
「無明」は横変死の因縁?質問の意図が見えないが、無明というのは煩悩という
因縁なのですよ。けれども、無明は横変死の因縁であることは勿論のこと、すべて
の○○因縁の素(因縁)でも、あるわけです。
>「中途挫折の因縁」は十二支因縁ではなんという煩悩に関する因縁
>何でしょうか?
それはね、どういう煩悩が、どういう業を為して、中途挫折の因縁を形成したのか、
という質問だから、解るのは無理な相談ですね。それが解ったら阿那含です。
そもそも、○○の因縁があるかどうかは、信じるか信じないかの問題なのであって、
理窟で証明はできません。証明出来たら科学です。大体が、私は仏教自体が迷信で、
そんなのは空想物語だと考えていましてね、仏教だとは知らずに、桐山因縁解脱論
に入行したのです。念力護摩の密教は、仏教とは違うと考えて入行したのですよ。
○○の因縁がウソで、仏教がその○○因縁の解消に役立たないのであるならば、
どこに仏教の価値があるのですか?
せいぜいが、ご先祖様の極楽往生ですか?写真で見ることもできないのに・・。
馬鹿馬鹿しい、としか言いようがありませんね。
- 928 :akb55:2012/04/25(水)
21:04:39 ID:XeG8xf1k0
- >918六巻なんて、出す気になれば簡単なんだよ。
その簡単な事が出来ないのが中途挫折の因縁なんですよ。
- 929 :名無しさん:2012/04/25(水)
21:15:53 ID:06TSjuRY0
- 準しゅだおんのおまえがどうして阿那含や斯陀含のことがわかるんだ。
おまえはシュダオンではないのだろ。準なんだろうが。
それとも何かい、すでにシュダオンの聖者になっているとでも言うのかよ。
ぜいぜいセシウム入りのピーナッツでも売ってろよ。
とにかくお前さんのゴタクを正式にあごんしゅうという新興宗教に認めて
もらってから、自説を展開するんだな。どうせ人前に堂々と出る勇気もなければ
はじめから信じてないんだろうよ。おまえの個人的な邪説をあごんのものとして
レスしても無駄だぞ。そんなこともわからねえのか。
ああそうか、おまえ準だもんな。もしかして昔あった準会員じゃねえの。
どうぞお幸せにね。
- 930 :干柿:2012/04/25(水)
22:10:43 ID:LzYL8o4A0
- >>918
かんたんじゃないから出せないんだよw、ウソだったからw
そんなこともわからないほど洗脳されているんですか?
求聞持法はどうなんですか?これも自分でやれってか、
なら、なんのための伝法会だったのでしょう?
言ってあげようかw
ズバリ!
信者騙して金集めるためです。
わかりましたか準シュダオンさん
ていうか真面目に考えろよ!いい歳こいて何言ってやがるんだよ!
- 931 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/04/25(水) 22:37:37 ID:SmEF4Oe2O
- >>907:準シュダオン12/04/24(火) 10:18:23
ID:lYSm2W8c0
>私など、現役信者でありながら、まだ「輪廻・・瞑想法」本を買っていません。
>しかし、批判派の皆さんは本を購入して読んでるようです。退会後もまだ洗脳が
>解けていないのです。親桐山か、反桐山か、だけの違いで、洗脳されている状態
>は変りません。桐山論は、批判派の心身の一部になっている(洗脳)のです。
その点、私は「輪廻する葦」本を読んでから、管長の説くように先ず我見を断つ
>修行から始めましたので、洗脳状態にはならなかったのですね。
あなたが輪廻転生瞑想法をまだ買って読んでないことにはとやかく言いません。
そもそもあんな本どこの書店に売っているのか探すのが大変です。
予約注文でもするしかない。
あなたの所属する地区道場に行けば置いてあるかも知れないが、あなたはそもそも
道場に行かない。行きたくない。
「やあ、準さん、しばらく、せっかく参拝したのだから、チラシ折りの梵行に
参加されませんか?少しの時間でもかまいませんよ」
「いや、所用があるので間もなく帰ります」
あるいは行かない方がいいかもしれませんよ。
あなたの地区道場ではあなたが準シュダオンさんであることが最早割れているかも知れない。
話が逸れたが、輪廻転生瞑想法の本をまだ入手していないことについてはとやかく
言いませんよ。しかし我々がこの著書の内容について批判を始めたならば、
あなたがそれに反論したくば、自ら新著を読まずして、その権利はありません。
しかしまあいずれはあなたもこの新著を手にするでしょうから、そしたらそれに
基づいての反論は自由です。
私個人としてはあなたの旧態依然の屁理屈には付き合う気が起こらず、あなたに
関係なく新著の批判をしていくことになります。
新著がないうちは、そんなこちらに構わず、あなたはあなたのスタイル、ネタで通す
のが見識というものです。
しかし新著は他のネタを振り回す為にも読んでいた方がよい。
たとえばあなたは現世における苦しみを地獄などの悪趣になぞらえて説くが
桐山さんははっきりと死後の悪趣を説く。
死んで冥界にすぐ行ける人は稀であり、阿鼻野街道を経て斉の広場に行き
断層を越えられず転落し、地獄界、餓鬼界、畜生界などに堕ちてそこで罪の清算を
した後ようやく墓場にたどり着き冥界に落ち着くという。
こういう桐山ネタを無視してはならない。
- 932 :道場:2012/04/26(木)
12:03:43 ID:5WTRwxgw0
- 私は桐山さんの「苦」や四諦に対する認識に多くの疑問があります。それをこれから検証したいが、その前に
まず、釈尊の説法の中で「苦」はとても重要なファクターであることを再度確認してほしい。
「苦」とは「自己の欲するがままにならぬこと」「自分の思うとおりにならないこと」をいい、必ずしも生理的な苦痛、あるいは
心理的な苦痛のみを意味しているのではありません。「苦」は感覚的な苦痛と精神的心理的な苦脳といずれをも意味し得るのです。
それでは、釈尊のあの有名な祇園精舎の説法(雑阿含経 一、九、無常)をここに記しましょう。
「比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。無我なるものは、
わが所有(もの)にあらず、わが我にあらず、またわが本体にもあらず。まことに、かくのごとく、正しき智慧をもって観るがよい。
また、受(感覚)は無常である。・・・・・・
想(表象)は無常である。・・・・・・
行(意志)は無常である。・・・・・・
識(意識)は無常である。・・・・・・
まことに、かくのごとく、正しき智慧をもって観るがよいのである。
比丘たちよ、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、そのように観て、色を厭い離れる。・・・・・・受を厭い離れる。・・・・・・想を厭い離れる。
・・・・・・行を厭い離れる。・・・・・・識を厭い離れる。厭い離るれば、貪欲を離れる。貪欲を離るれば、解脱する。解脱すれば、解脱したとの
智を生じ
<わが迷いの生はすでに尽きた。清浄の行はすでに成った。作(な)すべきことはすでに弁じた。このうえは、もはや、迷いの
生を繰返すことはないであろう>
と知るのである」
釈尊は必ず 「苦なるものは無我である」
と説法されるのです。ここはとても重要なところですよね。
「苦」があることにより「無我」を強く認識できるのです。
>>902でも述べましたが、その箇所を再度書きましょう。
>「思うとおり」にならなかったのは何故か?
>それは最初に「我」を認めたことが誤りではなかったのか?
>「我」とは仮定された「思うとおりにできる主体」です。「主体」があると「仮定」され、「思うとおりにできる」と
>仮定されたに過ぎません。
>この「苦」という結果は、「思うとおりになる」という仮定を否定したのです。
>つまり、「思うとおりになる」ということも「主体」があるこということも否定されたのです。
>これが「無我」でしょう。
そして、釈尊は全てのものは無常であり、無常なるものは苦であり、苦なるものは無我である と説かれた。
だから、正しい流れは 「諸行無常」
→ 「一切皆苦」 →「 諸法無我」→
「涅槃寂静」 です。
さらに、人間の感覚には快感(楽受)と不快感(苦受)とそのいずれでもない感じ(不苦不楽)との三者があるが
それらがいずれも苦しみ(一切皆苦)であり内的にも外的にも感受されたものはすべて「苦」であると説かれるのです。
さて、桐山さんの「苦」の認識はどうなのか?
結論を先にいえば、桐山さんには「一切皆苦」
の認識が欠落している。と言わざるを得ないのです。
- 933 :名無しさん:2012/04/26(木)
13:18:07 ID:LXSzQAEc0
- >>932
その通りですね。
桐山さんは、そもそも俗物なのですよ。戦争に行けなかったといっているが
あれも怪しいものです。国のために死ぬのなんてバカバカしい。おれよりも
馬鹿な軍人に命令されるのは嫌だ。そんなところでしょう。
おやじが軍の御用商人だったんで免除してもらったんでしょう。クズ野郎なんですよ桐山靖雄
いや本名;堤マスオは。
俗世で思うように見返したい、もてたい。お金をがっぽりほしい。
自分の大国をつくってそこの王様・お殿様になりたい、これが桐山の本音なのです。
- 934 :akb55:2012/04/26(木)
20:10:19 ID:XeG8xf1k0
- >918真面目に考えすぎですねw。
桐山さんの言う事は真面目に考えるなと言うことですね。
ウームさすがは準シュダオン教教祖のお言葉。拍手パチパチ
- 935 :棕 櫚:2012/04/26(木)
21:09:11 ID:oGwAxFno0
- >>全ての始まりは無明と言う煩悩があるから苦しむのでしょ?
>919 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/25(水) 11:09:41
ID:lYSm2W8c0
>そうだけど、それは釈迦がそう言ってるから、 あんたらはその言葉をオウム返し
してるだけで、
内容を理解してるわけではない。 阿含経のさとりは、縁起滅、な のであって、煩悩滅だけではないの。
そこを理解できてないの、
あんたらは。
いいじゃん、釈迦が説いていることのオーム返しの何が悪いの?
口伝された基本は、オーム返しでそれが身につくんですよwww
釈迦が縁起を滅しろなんて阿含経に書かれていませんから、
しょうがなく深読み出来る者と 出来ない者がいると苦し紛れに言っているのが準シュダオンさんと
いうことですね。
>異性に関心持たないのは性的欠陥人間だけだろうね。 性的に正常な人間で、異性に関心がないなんてのは、
有り得ないでしょう。 そういう人間は、表面的にはそう見えても、 内面的には人一倍異性に執着してる もんさ、
人間とはそういうもんだね。
それって一般社会でしょう?、 少なくとも出家したんだからさw
なのに異性に執着するなんて、
出家の意味が何にもないことになるわよね、桐氏のバヤイは。
やっぱサボり信者の見た目だけの準シュダオンさんらしい言い訳で すよ。
だったら女に色目を使っている桐氏が浸かったお風呂のお湯を準シ ュダオンさんは聖水として 飲めるよねw、、
桐氏の聖水イニシエーションだよ、
ムリせず喜んで飲むでしょww
準シュダオンさんは解りやすいほど矛盾を言ってくれて、 これじゃ皆から袋叩きにあうのが
わかりますよ、
無明が煩悩だけど煩悩という因縁は無明だなんて訳が解らん説明で すw
これって、バカは煩悩で煩悩の因縁はバカなのさということになって、 マジバカな話だねw
準シュダオ
ンさんがほどいた糸に絡まれて身動きできないほど、 自分で自分を縛ってるよ。
多分それはですね因縁の洗い出しで判断力まで洗い流されたんです よ。カワイソ。
桐氏の瞑想法なんてのは、空想のことじゃないのけ?
自分に都合のよいことを空想してご満足する w
そんなアホなことにお金を使わせられる信者さんもカワイソだね。
- 936 :棕 櫚:2012/04/27(金)
09:37:20 ID:GS/rBVqk0
- >932 名前:道場 投稿日: 2012/04/26(木) 12:03:43 ID:5WTRwxgw0
>結論を先にいえば、桐山さんには「一切皆苦」 の認識が欠落している。と言わざるを得ないので す。
そうですかね、、?
桐氏はたとえば、 宝くじが当ってもそれで家族同士がもめたり、
噂を聞いた泥棒が来て家族みんなを傷つけたりして金も奪われる原 因となるから、
表向きの幸福は裏返すと苦の元となる。
それは家族相克の因縁や横変死や財運水の因縁があるからだ。
それらを一切切らないとどんな良いことも苦の源だから因縁切りをして >932 名前:道場
投稿日: 2012/04/26(木) 12:03:43 ID:5WTRwxgw0
>結論を先にいえば、桐山さんには「一切皆苦」
の認識が欠落している。と言わざるを得ないので す。
そうですかね、、?
桐氏はたとえば、 宝くじが当ってもそれで家族同士がもめたり、
噂を聞いた泥棒が来て家族みんなを傷つけたりして金も奪われる原 因となるから、
表向きの幸福は裏返すと苦の元となる。
それは家族相克の因縁や横変死や財運水の因縁があるからだ。
それらを一切切らないとどんな良いことも苦の源だから因縁切りをしてからだ。
と言う様なことを説いていましたよ。
つまり商売でもくじでも因縁を切らないで一時的に得た財産は苦の原因となるから、
その得た財産を教団に布施して因縁を切れといっていると思いますよ。
桐氏は正論を言いながら自分のビジネスにくっ付ける技法というアゴン宗の錬金法で信者を操って いますよ。 からだ、
と言う様なことを説いていましたよ。
つまり商売でもくじでも因縁を切らないで一時的に得た財産は苦の原因となるから、
その得た財産を教団に布施して因縁を切れといっていると思いますよ。
桐氏は正論を言いながら自分のビジネスにくっ付ける技法というアゴン宗の錬金法で信者を操って いますよ。
- 937 :準シュダオン:2012/04/27(金)
10:46:59 ID:lYSm2W8c0
- >いいじゃん、釈迦が説いていることのオーム返しの何が悪いの?
>口伝された基本は、オーム返しでそれが身につくんですよwww
そりゃ、釈迦の説くように、無明を断じれば業も苦も滅して縁起滅のさとりを
得られますよ。しかし、無明とは十結煩悩の最期の煩悩です。それを断じたら
仏陀なのですから、難しいことが解るでしょう?口で言うのは簡単だが。
>釈迦が縁起を滅しろなんて阿含経に書かれていませんから、
あんたも阿含経を読んだことがないんかえw?情けないねえ。私が経の例を
出してあげてるのに、「比丘たちよ縁起とは何であろうか、無明があれば行が・・
老死があり、無明を滅すれば・・・老死が滅し、これが縁起滅・・さとり云々」
という経がありますよ。縁起を滅しろ、と釈迦は阿含経で説いてるのです。
だから岩波仏教辞典には、「さとりは縁起の滅した世界とされた」と解説されて
いるのです。「煩悩の滅した世界」ではなくて、「縁起の滅した世界」という点
に注意しなさいね。煩悩滅ではなくて、縁起滅が、さとりなのです。但し、阿含経
の「さとり」ですからね。これが大乗の「さとり」になると違ってきます。
仏教辞典は持っていないのかい?
前期大乗仏教のさとりは、縁起滅ではなくて、煩悩滅がさとりだ、というように
変化して来ます。それは菩薩の四弘誓願・煩悩無量誓願断、などに示されていま
す。しかし、これでは煩悩は断てません。煩悩だけに的を絞っては、煩悩は断て
ないのです。煩悩と業と苦を一体的に捉えていないと、煩悩は断てないのです。
管長の説く、○○因縁解脱には、煩悩と業と苦が含まれているので、煩悩も断てる
んです。但し、正しく理解できた場合です。
私は苦の因縁が発現してから入行しましたので、輪廻の葦を読み、この苦は三結
を断たないかぎり、消えないのだと理解し、我見を断つ修行から始めた。
で、あるとき、因縁の洗い出し現象が起きました。
>しょうがなく深読み出来る者と
出来ない者がいると苦し紛れに
>言っているのが準シュダオンさんと いうことですね。
と、いうわけで、私は苦し紛れに言ってるのではありません。本日の私のレスは、
価値あるものです。ホントは無料ではレスしたくない内容です。よく読んで、
辞典などと照らし合わせて検討し、わたしの正しいことを確認してご覧なさい。
- 938 :準シュダオン:2012/04/27(金)
10:57:22 ID:lYSm2W8c0
- >無明が煩悩だけど煩悩という因縁は無明だなんて訳が解らん説明で すw
>これって、バカは煩悩で煩悩の因縁はバカなのさということになって、
マジバカな話だねw
>準シュダオ ンさんがほどいた糸に絡まれて身動きできないほど、 自分で自分を縛ってるよ。
あんたもホントの超マジバカですよw、それじゃあ信者時代も修行にならないだろね。
釈迦が説く12因縁も知らないのかえ?
「無明」は第一番目の因縁と数えられているのだよ。無明を因縁として行が生じる、
とね。だから、煩悩も因縁なのよ、こんな簡単なことも解らないの?
- 939 :準シュダオン:2012/04/27(金)
11:11:12 ID:lYSm2W8c0
- 阿含仏教の「縁起滅=さとり」を、前期大乗仏教は「煩悩滅=さとり」に変えました。
迷いの世界もさとりの世界も「空」と捉えたから、そういう実践の難しい定義に
なったのです。煩悩→業→苦の縁起の循環においての生存苦、この縁起滅を意識
しないかぎり、煩悩など断てるわけがありません。
批判派は、煩悩と苦を一体的に捉えていないから、煩悩を断てないのです。
批判派は、煩悩滅を強調するわりには、我見が少しも断てていません。
苦と我見が一体的だという切実な体験も、考えもないからでしょう。
阿含経は、因縁(縁起)滅など説いていない、というようでは絶望的です。
- 940 :名無しさん:2012/04/27(金)
12:06:02 ID:06TSjuRY0
準シュダオンの脳ミソは絶望的です
- 941 :ラシン
◆xvojmuQ90o:2012/04/27(金) 12:49:18 ID:0iokvgUQ0
- >937 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/04/27(金) 10:46:59
ID:lYSm2W8c0
>だから岩波仏教辞典には、「さとりは縁起の滅した世界とされた」と解説されて
いるのです。「煩悩の滅した世界」ではなくて、「縁起の滅した世界」という点
に注意しなさいね。煩悩滅ではなくて、縁起滅が、さとりなのです。
これは、批判が何度も反証していますが、
記憶に残らないようなので、横レスします。
準シュダオンさんの引用は、不正確そのものです。
辞典があるなら、正確性を以って引用することが、
議論には公平な方法で、真の”修業の成果”を示すものです。
また、その引用そのものは、初期仏教から部派仏教時代の
敷衍された解釈で、釈尊の時代のものではありません。
ー岩波仏教辞典ー縁起の項ー
縁起えんぎ
縁によって生起すること.ゴータマ・ブッダ(釈迦)の悟りの
内容を表明すると伝えられる.仏教の根本教理の一つ.
生存の苦悩はいかにして生起し,また消滅するのかを示す.
諸法の因果関係.此れを縁とすること.−後略ー
【初期仏教・部派仏教】
初期仏教時代の縁起説は,苦しみ悩む有情が主題となったため,
老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める〈十二支縁起〉
〈十二因縁〉説が代表的なものであった.
続く部派仏教時代には, ー中略ー
しかしこの段階までの縁起説は,迷いの世界(有為)のみを説明する
ものであり,「悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかったから,
悟りは”滅”や”解脱”と表現され,縁起を超越し縁起を滅した
世界とされた.」
- 942 :棕 櫚:2012/04/27(金)
18:14:33 ID:W22Y01Cg0
- 936があレレです、どうしてかな管理人さんすみませんでした。
>あんたも阿含経を読んだことがないんかえw?情けないねえ。
私が経の例を 出してあげてるのに、「比丘たちよ縁起とは何であろうか、 無明があれば行が・・
老死があり、
無明を滅すれば・・・老死が滅し、これが縁起滅・・ さとり云々」 という経がありますよ。縁起を滅しろ、
と釈迦は阿含経で説いてるのです。
ありゃりゃ準シュダオンさんもウソがヘタだねwww
私は今じっくりブッダ最後の旅を読んでいますけどね、 縁起を滅しろはありませんわ。
貴方の仰っていることでも、
自分のことばを挿入しちゃって苦シソです。
縁起を滅しろって漢訳経にあるんすか?? あるのは準シュダオンさんの挿入語じゃんw
>だから岩波仏教辞典には、「 さとりは縁起の滅した世界とされた」と解説されているのです。
ってかそれもウソじゃないですかw
>>941 名前:ラシン ◆xvojmuQ90o 投稿日:
2012/04/27(金) 12:49:18 ID:0iokvgUQ0を読めば、
貴方の根拠は部派仏教というもので
それってアビダルマ仏教という 釈迦滅100年以上の説で しょ。
辞典を持っているからと言ってホント貴方はゴマカシがヘタですね 、根が正直なんかナアw
- 943 :棕 櫚:2012/04/27(金)
18:19:32 ID:W22Y01Cg0
- >「無明」は第一番目の因縁と数えられているのだよ。 無明を因縁として行が生じる、 とね。
だから、煩悩も因縁なのよ、
こんな簡単なことも解らないの?
十二因縁くらい知ってマwww、
だけど煩悩も因縁って何すかぁ?
因縁って原因があってそれで起こる三業が煩悩だっちゅうことです
から煩悩を止めればいいのよ。 なんで原因を解脱できるんスかぁ?
無明が原因なら無明と言う煩悩を克服することじゃないの。
無明という無知から霊魂なんて迷いが生じるし、
無知だから火を拝んで有り難がるんじゃ ネ?
だから知恵を働かせて無明を克服するのが八正道だっちゅう常識くらいは解ってくんさいねw
>阿含仏教の「縁起滅=さとり」を、前期大乗仏教は「煩悩滅= さとり」に変えました。
あハハハ、古いけどそれってアベコベって言うんじゃないのw ワロリーニョ
- 944 :Boo:2012/04/30(月)
01:37:05 ID:B2bfnSnc0
- 準シュダオンさんが珍しく私のレスに応えているので、反論しましょうか…
まず、あなたは「○○の因縁」は無明→行の煩悩から出てきて、あとはその人
それぞれの条件で決まり、それがわかったらアナゴンとかシダゴンとかだという。
>それはね、どういう煩悩が、どういう業を為して、中途挫折の因縁を形成したのか、
>という質問だから、解るのは無理な相談ですね。それが解ったら阿那含です。
そもそも仏陀釈尊が宗教の世界に入ったのはそんなところがスタートではありませんね。
○○の因縁を知り、そこからの脱却を目指していたわけではない。そんなものを目指して
いたら仏教は成立しなかったことです。
いい加減に準シュダオンさんは気が付くべきだと思うのだが、釈尊の仏教にあとから
くっつけたのが「○○の因縁」です。アナゴンやシダゴンにならなければわからない
「○○の因縁」を観音慈恵会のころの桐山カンチョウはなぜ信者に指摘できたのでしょうか?
それは、桐山さんの言い分を認めるならば、「密教占星術」で割り出した、ということです。
100歩譲って、密教占星術で「○○の因縁」を割り出し、それが「宿命通」と同じ未来を判断する
材料であるならば、なぜ釈尊は密教占星術を奨励しなかったのでしょう?または、それに準じる
占星術を釈尊自ら経典に残さなかったのか?それどころか釈尊の立場は占星術の「否定」です。
それは「アンチテーゼ」などという甘っちょろいものじゃない。はっきりと「禁止」です。
それはなぜですか?
このことからだけでも、「十二支因縁」と「密教占星術の○○の因縁」はまるっきり違う哲学の上に
成り立つものだということが判断できるのです。しかも桐山さんが信者に教えている占星術は
密教占星術ともまるっきり違う「九星術」です。準シュダオンさんはこれらの矛盾をどう見てい
るのでしょう?
- 945 :準シュダオン:2012/04/30(月)
08:37:17 ID:lYSm2W8c0
- >あなたの地区道場ではあなたが準シュダオンさんであることが最早割れているかも知れない。
こちらじゃ批判レス板なんて、読んでる人はいないよ。
>話が逸れたが、輪廻転生瞑想法の本をまだ入手していないことについてはとやかく
>言いませんよ。しかし我々がこの著書の内容について批判を始めたならば、
>あなたがそれに反論したくば、自ら新著を読まずして、その権利はありません。
読まずとも本の内容はおおよその見当はつきますよ。
また、批判の仕方も見当がつきますよ。
批判のための批判の上に、読み方が浅いし。
- 946 :準シュダオン:2012/04/30(月)
09:08:19 ID:lYSm2W8c0
- >ありゃりゃ準シュダオンさんもウソがヘタだねwww
>私は今じっくりブッダ最後の旅を読んでいますけどね、
縁起を滅しろはありませんわ。
ブッダ最期の旅・遊行経には、縁起滅は説かれていないよ。
縁起滅は、雑阿含経に説かれているはずだ。増谷先生の訳を読んでご覧なさい。
>貴方の仰っていることでも、 自分のことばを挿入しちゃって苦シソです。
>縁起を滅しろって漢訳経にあるんすか??
あるのは準シュダオンさんの挿入語じゃんw
雑阿含経にあります。これを知らずして議論してるんだから、話にならんよ。
阿含経の縁起は、1無明・・12老死、の12因縁が代表的なもので、煩悩→業→苦、
の循環の縁起の滅を「さとり」としてるのね。煩悩滅ではなくて、縁起滅なのよ。
前期大乗になると12因縁もさとりの世界も「空」と、いうのが出てきた。
如来蔵思想と言うのも一緒に出てきた、衆生には仏性というのがあって、それが
煩悩に汚されているだけだ、だから煩悩を滅すれば、それがさとりだ、という訳ね。
菩薩の四弘誓願がそうでしょ、煩悩無量誓願断、あとは無量の衆生を彼岸に送る、
という誓願と、奥深い智慧を会得するという誓願とかですね。
私に言わせれば、四弘誓願ではなくて、二弘誓願ですね。
というように、苦滅を目的にして出発し、「煩悩・業・苦」=縁起、の滅を
さとりとした仏教が、業と苦を忘れて、何時の間にか、煩悩滅=さとり、と
いう具合になったのですね。煩悩と業と苦は、リンクしてるので、切り離して
考えるんは間違いですね。
後期大乗になると、煩悩滅も否定し、煩悩を持ったまま涅槃へいける、という
思想が有力になります。
- 947 :準シュダオン:2012/04/30(月)
09:09:30 ID:lYSm2W8c0
- >ありゃりゃ準シュダオンさんもウソがヘタだねwww
>私は今じっくりブッダ最後の旅を読んでいますけどね、
縁起を滅しろはありませんわ。
ブッダ最期の旅・遊行経には、縁起滅は説かれていないよ。
縁起滅は、雑阿含経に説かれているはずだ。増谷先生の訳を読んでご覧なさい。
>貴方の仰っていることでも、 自分のことばを挿入しちゃって苦シソです。
>縁起を滅しろって漢訳経にあるんすか??
あるのは準シュダオンさんの挿入語じゃんw
雑阿含経にあります。これを知らずして議論してるんだから、話にならんよ。
阿含経の縁起は、1無明・・12老死、の12因縁が代表的なもので、煩悩→業→苦、
の循環の縁起の滅を「さとり」としてるのね。煩悩滅ではなくて、縁起滅なのよ。
前期大乗になると12因縁もさとりの世界も「空」と、いうのが出てきた。
如来蔵思想と言うのも一緒に出てきた、衆生には仏性というのがあって、それが
煩悩に汚されているだけだ、だから煩悩を滅すれば、それがさとりだ、という訳ね。
菩薩の四弘誓願がそうでしょ、煩悩無量誓願断、あとは無量の衆生を彼岸に送る、
という誓願と、奥深い智慧を会得するという誓願とかですね。
私に言わせれば、四弘誓願ではなくて、二弘誓願ですね。
というように、苦滅を目的にして出発し、「煩悩・業・苦」=縁起、の滅を
さとりとした仏教が、業と苦を忘れて、何時の間にか、煩悩滅=さとり、と
いう具合になったのですね。煩悩と業と苦は、リンクしてるので、切り離して
考えるんは間違いですね。
後期大乗になると、煩悩滅も否定し、煩悩を持ったまま涅槃へいける、という
思想が有力になります。
- 948 :準シュダオン:2012/04/30(月)
09:31:28 ID:lYSm2W8c0
- >十二因縁くらい知ってマwww、
>だけど煩悩も因縁って何すかぁ?
あのね、12因縁の内容はね、煩悩の数と、業の数と、苦の数が、合計して12
あるから、12因縁と呼ぶのですよ。
>因縁って原因があってそれで起こる三業が煩悩だっちゅうことです
>から煩悩を止めればいいのよ。 なんで原因を解脱できるんスかぁ?
あんたねぇ、苦→煩悩→業、という具合に、苦が新たな煩悩を生むから、煩悩滅
だけ考えても無駄なんです。
例えば、借金苦の因縁を持つ人が居たとします。借金する煩悩が、借金する業を
起こして、負債ができます。さて、貸主から厳しい取立てを受け、返す金が無け
ればどうなりますか?
貸主に対して、厳しい催促に耐え切れず「あの野郎、金がないというのに、
厳しいことぬかしやがって、ドツイテやろう」という考えを起こし、怒り、恨み
という新たな煩悩です、それで傷害事件を起こし、刑獄の因縁が出来てしまった。
というように、煩悩に直接アタックするのは、困難ですね、その場合は我見から
取り組まねばどうにもなりませんよ。
- 949 :準シュダオン:2012/04/30(月)
09:46:40 ID:lYSm2W8c0
- >因縁って原因があってそれで起こる三業が煩悩だっちゅうことです
>から煩悩を止めればいいのよ。 なんで原因を解脱できるんスかぁ?
なんでそうわざわざ、ややこしく考えるのかなぁ、あんた、「成功の原因は努力
だとして、努力をなくせという意味か?」とか、レスした人かえ?
それをいうなら、失敗の原因は怠惰だとして、怠惰を無くせという意味か?
、と喩えるなら、まだまともだが、あんたの場合は、我が強い、だから曲がる。
なんで原因を解脱できる?ですってえW!
解脱=滅ですよ。原因を滅したら結果が違うでしょう。
原因の解脱を理解出来ない人、こそ、私には理解不能です。
- 950 :準シュダオン:2012/05/01(火)
13:28:12 ID:lYSm2W8c0
- 昨日は借金苦の因縁を例に出して、苦→煩悩→業→苦、という循環をするという
釈尊の縁起説をレスしましたが、釈尊はこれを12因縁にまとめて説いたのですね。
1無明(煩悩)2行(業)・・・7感受(苦)8渇愛(煩悩)10有(業)・・
12老死(苦)→1無明・・、
と、いうように、無明を断つまで、エンドレスに輪廻する、というね。
しかし、無明は阿羅漢になるまで、最期まで残る煩悩ですから、簡単には断てません。
12因縁で釈尊は、8の渇愛という煩悩は、7の感受という苦から生じる、と教え
ていますね。ですから、煩悩を断てという教えは間違いではありませんが、説明不足だ
と私はレスしているわけです。煩悩と業(悪)と苦を一体的に考えて、それを無くす
というように考える必要がありますよね。
- 951 :棕 櫚:2012/05/01(火)
21:08:07 ID:NFLq30/k0
- >>946-949
煩悩も因縁なのよと仰せになったのは準シュダオンさんでしょw
苦→煩悩→業ってなんスか? 惑業苦のまちがいじゃありません?
この世は惑から生じる業報で苦しむ世界ですよ。ちゃいまっか?
であるからしてね、惑を滅する惑(わけ)なのですよ。www いやまあ準シュダオンさんって、
釈迦とも違えば師匠の桐氏とも違うことバッカりw
貴方の言ってる事がDQNの世界でイミフですよね。
たとえばね思念なんて無くとも貴方も誰も過去世なんてみてるわけ ですよ、
千光年前に消滅した星の光を今見てるじゃん。
すでに滅した星を私らは見てる、 そして再生した星の光も見れるんですよね。
宇宙だって諸行無常なんだから滅するっちゅう正者必滅の法に従っ てるわけでしょ?
借金苦の因縁じゃなくて、
そこに身の丈以上の欲望と言う煩悩があったから借金して、
返済できない苦労が出てきたんだからそういう欲望を抑えれば無駄 な借金はしなくてエエのよ。
貴方は喩えが子供過ぎますよねwww
反論にだけしか反応できない ってのは止めたらーーー。
私ですらこんな簡単な仏教の基本は理解できてますけどね、
貴方は反論に目がくらんで 肝心のお師匠様の教義すら平気で無視して釈迦の教説も好き勝手に
色付けしてますねえ。
準シュダオンさんには仏教が似合っていなんでしょうなw
かといって桐氏の教義の不備すら弁護も出来無いんだから、
因縁切り教でも探したらいかがですか w
- 952 :Boo:2012/05/02(水)
01:04:30 ID:B2bfnSnc0
- >読まずとも本の内容はおおよその見当はつきますよ。
>また、批判の仕方も見当がつきますよ。
>批判のための批判の上に、読み方が浅いし。
信者のみなさん。上記のレスについてどうお考えですか?こんな輩がゲイカ
の擁護をしているのですよ。増上慢も甚だしいと思いませんか?
批判側も呆れるレスです。信者のレベルはここまで落ちたか、というのが
素直な感想です。
- 953 :Boo:2012/05/02(水)
01:24:51 ID:B2bfnSnc0
- >>951 名前:棕 櫚 投稿日: 2012/05/01(火) 21:08:07
ID:NFLq30/k0
心情お察しします。
準シュダオンなる人物は、自分が理解もしていないことを平気で記述するような
人物です。
まさに
>貴方は反論に目がくらんで
肝心のお師匠様の教義すら平気で無視して釈迦の教説も好き勝手に
色付けしてますねえ。
準シュダオンさんには仏教が似合っていなんでしょうなw
かといって桐氏の教義の不備すら弁護も出来無いんだから、
因縁切り教でも探したらいかがですか w
の表現がぴったりな人物です。
- 954 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/02(水) 08:27:01 ID:SmEF4Oe2O
- >>946:準シュダオン12/04/30(月) 09:08:19
ID:lYSm2W8c0
>縁起滅は、雑阿含経に説かれているはずだ。増谷先生の訳を読んでご覧なさい。
>雑阿含経にあります。これを知らずして議論してるんだから、話にならんよ。
皆さん、ご覧ください。
雑阿含経、増谷先生の訳とこれだけわかっているのだそうだ。
だったらそれを出典を明示して部分引用でもすればよいではないか。
部分引用が面倒だと言うのならば、出典を明かし、読者に自分で調べる糸口を示す
ことです。
数多くある雑阿含経の何という経典か?
それが載っているのは何という書籍か?
増谷先生の訳というのだから市販された書籍であるはずです。
こういう当たり前の提示すらしないのが、アゴン宗信者準シュダオンさんです。
- 955 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/02(水) 08:41:58 ID:SmEF4Oe2O
- >>948:準シュダオン12/04/30(月) 09:31:28
ID:lYSm2W8c0
>例えば、借金苦の因縁を持つ人が居たとします。借金する煩悩が、借金する業を
>起こして、負債ができます。さて、貸主から厳しい取立てを受け、返す金が無け
>ればどうなりますか?
借金苦が生じる借金する煩悩とは何ですか?
家を買うにもローンを組みますよ。すなわち借金です。
アゴン宗もまた借金をして総本山など建立している。
借金を返済するには勤勉に働き続けねばなりません。
アゴン宗の場合は信者から取り立てれば済みましたが、それでも苦労するから
いろんな霊感商法のアイデアを駆使するのです。
返済も無理な借金を借りた思慮の無さが愚かさの煩悩というわけですか?
で、借金苦からの解脱とは具体的にはどうすることなんですか?
借金を踏み倒すことですか?
現世にて借金苦を抱えてしまったら、来世は借金を借りなくて済むように
ボンノーをなくすことなんですか?
- 956 :名無しさん:2012/05/02(水)
22:07:53 ID:hsU96iZ20
- 2chに書き込めるようにしてほしいです
- 957 :深山:2012/05/03(木)
11:38:07 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@縁起のホウなんてない
桐山さんはよく「縁起の法」という言葉を使います。
仏教ではこういう使い方はしません。
アゴン宗にはいくつもオカルト仏教用語が堂々とまかり通っている。
因縁、応供、梵行、そしてなんと解脱まで意味が違います。
縁起の法ではなく、正しくは縁起です。
縁起とは法ですから、「縁起という法」なら正しいが、
縁起の法では「法律の法」というのと同じくらいおかしな使い方です。
他にも「止息法」など書いているが、阿含経には止息はあっても止息法なんてありません。
桐山さんは何でも「○○の法」と名付けて、さも彼しか理解できないような
高度で神秘的な法であるかのようにみせかけるのが得意です。
縁起も止息も神秘でも秘法でもなく、十歳の子供なら理解できます。
信者さんたちも恥をかきたくなければ、縁起の法ではなく、縁起と呼ぶべきです。
- 958 :深山:2012/05/03(木)
11:40:46 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@桐山ゲイカの引用の嘘
縁起とは因縁のことですから、アゴン宗にとっても根本的教義です。
阿含経の中で釈尊は縁起についていくつか説明しており、
桐山さんはそれを次のように引用しています。
「これあるによりてこれあり
これ生ずればこれ生ず
これなきによりてこれなく
これ滅すればこれ減す」
(仏陀の真実の教えを説く[上]6、131頁)
普通の知性なら、この縁起の説明では、縁起(因縁)と悪因縁が
どう関係しているのか、さっぱりわからないはずです。
桐山さんもこの点については何も説明していません。
そこで、この経典の元を調べてみましょう。
「これあればかれあり、
これ生じるが故にかれ生ず、
これなければかれなし、
これ滅するが故にかれ滅す。」
(『仏教要語の基礎知識』水野弘元158ページ)
これは小部経典『自説経』(1,
1-3菩提品)にあるものです。
信者さんたちは経典を斜め読みしないで、よおく桐山さんが書いた文章と
学者の正確な訳文とを比較してみてください。
違いにお気づきでしょうか。
- 959 :深山:2012/05/03(木)
11:43:58 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@縁起の意味を理解していない
一行目を比較してみましょう。
阿含経「これあればかれあり」
桐山説「これあるによりてこれあり」
両者の説をもう少しわかりやすく表現するなら、
阿含経「AがあるからBがある」(「A→B」)
桐山説「AがあるからAがある」(「A→A」)
まず明らかに両者の内容が違うことに着目してください。
つまり、桐山さんは阿含経を引用したと言いながら、
実は別な内容を載せているのです。
しかも、桐山説では意味が通じません。
阿含経の説明は、たとえば「勉強しないから落第した」となりますが、
これを桐山説にあてはめると「勉強しないから勉強しない」となり、意味不明です。
桐山さんは、引用を間違えているだけでなく、意味不明の文章を載せているのです。
これは引用ミスなどという簡単なことではありません。
桐山さんは縁起を理解していない証拠なのです。
縁起は、桐山説の「A→A」などではなく、「A→B」であり、
しかも、「A→A」では意味不明です。
これが仏教を理解する上で基本式のようなもので、間違えたら、お話にならない。
意味不明の言葉を堂々と書いているのを見てもわかるように、
桐山さんは縁起の意味を理解していないから、こんな間違いをするのです。
では、桐山さんはなぜこんな間違いをしたのでしょうか。
- 960 :深山:2012/05/03(木)
11:50:56 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@「我思う、ゆえに我あり」
桐山さんは阿含経の「これあればかれあり」にデカルトの「我思う、ゆえに我あり」を
くっつけて、「これあるによりてこれあり」などと意味不明の言葉を作り出したのでしょう。
頭の中の知識をまぜこぜにしてオカルト言葉を作り出すのは桐山さんの得意で、
「応供の如来」などその典型です。
桐山さんは自分ではものすごく頭が良く、すごい記憶力を持っていると
信じ込んでいるから、文献を丁寧にさかのぼって調べるということをしません。
ちょうど、準シュダオンさんと同じで、自分はものすごい記憶力を持って
いると自惚れているから、記憶だけで書く。
自惚ればかり強いから、目の前に本があるのに調べようともしない。
だが、二人とも普通の人並みの記憶力しかないばかりか、老化とともに減退している。
だから、二人とも記憶で書いた文章がデタラメなのです。
桐山さんがこれを最初に書いたのはまだ五十代だった。
信者さんたちにお聞きしたいのは、準シュダオンさんという俗物の老人と
同じような自惚れから記憶違いをする桐山さんのどこが求聞持脳や
仏陀の智慧なのかという点です。
- 961 :深山:2012/05/03(木)
11:54:44 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@裸の独裁者
桐山さんの場合、裸の王様ならぬ裸の独裁者だから、間違いを誰も指摘できない。
桐山さんのこのデタラメ引用は、『阿含密教いま』(1978年)の154頁に載っています。
1978年から2007年の、実に三十年にわたり、独裁者は裸のままだった。
桐山さんは独裁者だから、彼に異見する者は排除される。
同じように修正されない間違いに八法十六法の数え方があります。
これも1980年代前半、講義した直後に信者から、数え方が間違っているの
ではないかと質問が出たことが機関誌『法友』に残っています。
しかし、桐山さんは自分のミスを指摘されるのが死ぬほど嫌いな自己愛性の
人各障害者だから、断固拒絶して、その結果、二十数年たっても、
修正されることもなく、世間に無知をさらけ出した。
そればかりか、準シュダオンさんみたいな信者がいて、間違いすらも
擁護するから、修正がされない。
こういう状態ですから、縁起という仏教の基本についてすらも、
修正がかけられず、さらに平河出版の社員も無知だから、
そのまんま間違いが世間に出てしまった。
信者さんたちに自覚してほしいのは、これって結構恥ずかしいことなのですよ。
算数の解説本で「1+2=12」と書いたようなものです。
こんな計算をする人が数学の大学教授だと自称したら、
信者さんたちは信じますか。
- 962 :深山:2012/05/03(木)
11:56:29 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@縁起と縁滅
「これあればかれあり、これ生じるが故にかれ生ず、
これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す。」
(『仏教要語の基礎知識』水野弘元158ページ)
信者さんたちは上記を見て、準シュダオンさんが引用した「縁起を滅する」が
何からきた誤解なのか、気がつきませんか。
この経典の文章は縁起の基本的な説明とされている。
だが、厳密にこれを二つに分けることもできます。
縁起・・・「これあればかれあり、これ生じるが故にかれ生ず、
縁滅・・・これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す。」
縁に依って起きるから縁起であり、縁よって滅するから「縁滅」だという解釈です。
Aという縁でBが生じるのが縁起であり、Aという縁が滅すればBも滅するから
縁滅だという主張です。
厳密にと書きましたが、本当に厳密に言うなら、こんな分類は不要と
言うよりも、間違いです。
なぜなら、縁滅は「滅するという縁によって、滅することが起きる」のだから、
縁によって起きており、これもまた縁起の一部です。
縁起と縁滅などとわざわざ二つにする必要はなく、どちらも縁起です。
- 963 :深山:2012/05/03(木)
11:58:11 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@縁滅は縁起の一部
縁滅などと分類するのは縁起を理解していないからです。
私の知る限り、阿含経では縁滅とわざわざ縁起とは別にして説くことはなく、
この四つを含めて釈尊は縁起と述べています。
繰り返すが、縁が滅することも、縁起なのです。
だから、縁起と縁滅ではなく、あえて言うなら縁起1と縁起2です。
縁起1・・・「これあればかれあり、これ生じるが故にかれ生ず、
縁起2・・・これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す。」
生じる、滅するという点だけに着目して、縁起と縁滅という
二つに分けるという分類はアビダルマ仏教の屁理屈でしょう。
暇を持て余したアビダルマの比丘たちは時々こういう愚かなで
余計な説を付け加えている。
気をつけてほしいのは、縁滅とは「縁起が滅する」という意味ではなく、
「縁が滅する」という意味だったということです。
ところが、アビダルマではやがてこれが一人歩きを始め、
「縁起が滅する」という奇妙な思想に発展したようです。
- 964 :深山:2012/05/03(木)
12:01:06 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@縁起を滅した
「しかしこの段階までの縁起説は,迷いの世界(有為(うい))のみを説明するものであり,悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかったから,悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた」
(岩波仏教辞典)
これがいつも準シュダオンさんが根拠にしている文章です。
彼は無視しているが、これは部派仏教、つまりアビダルマ仏教の説明です。
釈尊の説いた根本仏教にはこんな説はありません。
アビダルマでは、「縁を滅す」が、ついに「縁起を滅する」という奇妙な概念に
発展しているのがわかります。
阿含経には縁起を滅するなどという言葉も概念もありません。
縁起が滅するのではなく、縁起が成り立つからこそ、
「これ滅するが故にかれ滅す」が成り立つのです。
縁起が滅してしまったら、「これ」が滅しても、「かれ」が滅することはない。
「これ滅するが故にかれ滅す」が成り立つのは縁起が滅していないからです。
縁起が成り立たないなら、釈尊の説く教法は成り立ちません。
アビダルマ仏教の空想は、縁起が成り立つのはこの娑婆世界だけで、
解脱は縁起を超越しているから、縁起が成り立たない世界だという解釈です。
これは釈尊が説いたものではなく、部派仏教の作り話です。
釈尊は解脱した世界が縁起が成り立つか成り立たないかなど説いていない。
解脱しても肉体を持って生きている限りは、
この娑婆世界の拘束を受けるのだから、縁起など超越できない。
だから、一度解脱しても、煩悩に囚われて解脱から滑り落ちることもある。
「煩悩に囚われる → 解脱から落ちる」と縁起が成り立っています。
縁起を滅するなど、こういう基本を理解していない者のタワゴトです。
そこで話を初めてに戻し、アゴン宗の因縁切りです。
- 965 :深山:2012/05/03(木)
12:04:13 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@縁起とは因縁
仏教の縁起とは因縁のことです。
ところが桐山さんは因縁とは運命の星だと言っている。
「人はみな運命の星を持っている。
中途挫折の星、破婚の星、ガンの星。
私は、星を因縁という言葉で置きかえた。」
(『阿含宗報』129号、1996年、3頁)
つまり、桐山説によれば「縁起=運命の星」だという。
信者さんたちにお聞きしたいのは、桐山さんの
「これあるによりてこれあり」
に何をどのようにあてはめれば、運命の星である横変死の因縁が出てくるのですか。
「横変死あるによりて横変死あり」・・・なんですか、これ、意味が通じません。
当たり前で、仏教の縁起にはアゴン宗のいうような悪因縁などという
意味はないからです。
縁起(=因縁)には運命などという意味はありません。
縁起の意味を理解していないから、運命の星をあてはめたなどという
タワケを堂々と書けるのです。
ちなみに、因縁に運命の星にあてはめたのは桐山さんのオリジナルではありません。
霊友会や立正佼成会からのパクリです。
- 966 :深山:2012/05/03(木)
12:08:12 ID:xu0IBu8Q0
- 縁起@縁起切り
因縁切りとは「縁起切り」となるが、縁起切りって、何ですか。
仏教では、縁起は切るものではなく、切るのは煩悩です。
煩悩を切ることが解脱なのだと説明する手段が縁起なのです。
その縁起を切ったり、滅して、信者さんたちは何をしたいのだ?
「3−2=1」という演算をするのが算数という法則です。
ところがこの計算を見て「引き算なのだから、算数切り、算数滅だ」と
主張しているようなものです。
算数とは法則であり、切るものではない。
このたとえを理解したら、因縁切り、縁起切りなんていかに
知性の低い表現かわかるはずです。
「煩悩を切る → 解脱する」(煩悩を切れば、解脱がある)
という説明が縁起なのです。
これを切ってしまったら、煩悩を切っても解脱しないことになる。
つまり、因縁を切ったら仏教が成り立たなくなる。
縁起(=因縁)は切ってはいけないものです。
因縁切りなど意味不明なだけでなく、仏教とは逆方向です。
因縁切りなど無知の産物であり、愚か者のタワゴトであることを
信者さんたちは良く理解することです。
- 967 :Boo:2012/05/03(木)
14:00:31 ID:XuFPCT7Y0
- >964 名前:深山 投稿日: 2012/05/03(木) 12:01:06 ID:xu0IBu8Q0
縁起@縁起を滅した
>
>「しかしこの段階までの縁起説は,迷いの世界(有為(うい))のみを説明するものであり,悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかったから,悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた」
>(岩波仏教辞典)
>
>これがいつも準シュダオンさんが根拠にしている文章です。
>彼は無視しているが、これは部派仏教、つまりアビダルマ仏教の説明です。
>釈尊の説いた根本仏教にはこんな説はありません。
>アビダルマでは、「縁を滅す」が、ついに「縁起を滅する」という奇妙な概念に
>発展しているのがわかります。
準シュダオンさんは事あるごとに「アビダルマはだめだ」といい、批判派に阿含経
をもっと勉強しろ、などとほざくが、自分はどうなのか?という疑問がありましたが
深山さんのレスで準シュダオンさんがいかに狡猾な人物かが見て取れますね。
準シュダオンさんは深山さんのレスを理解できないでしょうが、信者のみなさんは是非、
深山さんの縁起に関するレスだけでも読んでくださいい。目から鱗が落ちる思いがします。
- 968 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/03(木) 22:17:10 ID:SmEF4Oe2O
- 「これあればかれあり、
これ生じるが故にかれ生ず、
これなければかれなし、
これ滅するが故にかれ滅す。」
縁起を滅するなんて表現したら上記の真理・法則を滅するという話になります。
するとどうなるか?
煩悩があるから苦しみが生じる。
煩悩をなくすから苦しみが滅する。
この真理・法則が成り立たなくということになる。
もう滅茶苦茶で吸血鬼に血を吸われても血は減らず元気溌剌てな話になる。
縁起の真理を悟ったればこそこれを活用実践して解脱を得て苦から離れるのです。
だから縁起を滅した解脱なんてあり得ないのです。
すなわち因縁解脱なんて用語は造語としてすら仏教で絶対に成立しない。
- 969 :準シュダオン:2012/05/04(金)
09:00:06 ID:lYSm2W8c0
- >だから縁起を滅した解脱なんてあり得ないのです。
>すなわち因縁解脱なんて用語は造語としてすら仏教で絶対に成立しない。
ユビさんも元阿含信者だと言うにしては、基礎知識が弱いね。だから退会の憂き目を
見たのかな。「縁起を滅した解脱」は、何度もレスしてるように、
岩波仏教辞典の「縁起」の項に、解説されてるでしょう。
「さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し縁起の滅した世界とされた」
と、辞典にあるでしょう。これが阿含仏教の、さとり、縁起なのです。
大乗になると、縁起の定義も違ってくるのです。
仏教辞典を否定するような説には、呆れてしまいますね。
あなた、仏教辞典に執筆した学者先生に抗議してご覧なさいな。
「縁起」の項の解説は間違えてますよ、「縁起の滅した世界」なんてないですよ、
とね。
- 970 :名無しさん:2012/05/04(金)
09:04:52 ID:IbPx9H.Y0
- だからぁ〜深山さんの解説をよみなさいよ。
準シュダオンさんね、あなたの狡猾なやり方が
よくわかりますから。
批判側にはもうバレバレなんですよ。
- 971 :準シュダオン:2012/05/04(金)
09:17:25 ID:lYSm2W8c0
- >いろんな霊感商法のアイデアを駆使するのです。
>返済も無理な借金を借りた思慮の無さが愚かさの煩悩というわけですか?
>で、借金苦からの解脱とは具体的にはどうすることなんですか?
>借金を踏み倒すことですか?
>現世にて借金苦を抱えてしまったら、来世は借金を借りなくて済むように
>ボンノーをなくすことなんですか?
借金苦から、過酷な取立てを受けると、貸主に怒りや恨みという新たな煩悩が
生まれる由縁がわかるでしょ?お釈迦さまも、比丘たちに借金苦の話をしてる
くらいです。
12因縁では、7・感受作用という苦の因縁から、8・渇愛という煩悩が生じる
と説かれています。感受作用は苦、と説かれていることは知ってますね?
渇愛というのは、激しい咽喉の渇きが水を欲する状態、ですね。
激しい咽喉の渇き=苦、です。苦から渇愛という煩悩が生まれるのです。
だから、煩悩を無くせ、というのはそのとおりですが、それだけでは説明不足なの
です。煩悩は苦から生じるのですから、煩悩と苦(苦の因縁)を同時に断たねば
いけないのです。しかも、それは我見からなくしていかねば、修行は進みません。
深山さんやユビさんは、少しも我見が断てていないので、苦が煩悩を生むなど、
想像だに出来なかったことでしょうw。
- 972 :準シュダオン:2012/05/04(金)
09:27:45 ID:lYSm2W8c0
- >だからぁ〜深山さんの解説をよみなさいよ。
>準シュダオンさんね、あなたの狡猾なやり方が
>よくわかりますから。
深山さんのレスは長すぎるからスルーしてるの。あの人、我見が強いから読む人の
立場を考えてない。あなた、悪いけど深山さんのレスを要約して、私に知らせたい
部分をレスしてご覧なさいな。そうしたら答えてやりますよ。
まもなく、洋上法要ですね、船に乗られる修行者は徳の高い人達でしょう。
相撲に喩えたら、今回の船に乗る人は、中入りの方々です。
私は、十両のドン尻くらい、でしょう。まさか、幕下?w。
- 973 :準シュダオン:2012/05/04(金)
10:08:23 ID:lYSm2W8c0
- >>阿含仏教の「縁起滅=さとり」を、前期大乗仏教は「煩悩滅= さとり」に変えました。
>あハハハ、古いけどそれってアベコベって言うんじゃないのw ワロリーニョ
今、この文↑、見つけた。
アベコベじゃないのよ、仏・菩薩の四弘誓願を知ってるでしょ?
如来蔵思想も知ってますか?
如来蔵思想も、四弘誓願・煩悩無量誓願断も、大乗のもんですよ。
煩悩滅だけに固執するようになったのは、大乗からです。
阿含仏教では、「煩悩滅・苦滅」がさとりなのです。
煩悩尽=煩悩滅であり、苦滅=生死尽、なのです。
応説経の漏尽解脱の用語には、生死尽=生死解脱=苦解脱が省略さ
れているのです。国語的に、漏尽解脱だから煩悩解脱だ、とだけ解釈
したのでは不完全なのです。それは他の経典を読むと解るのです。
経典は、いわば絵解きパズルみたいなものです。ピース・部分だけ観ても
全体像は解らないでしょう。ある程度、組み合わせが出来て、全体像が観
えてきます。ブッダ最期の旅では、さとりを、戒定慧を備えて漏尽き、
死生尽き、所作弁じ、解脱智生じ、不受後有を知る、と表現しています。
そのことを、他の経では、煩悩→悪業→苦の循環=縁起、の滅と、
説いているのです。平河本などには、「無上滅」と、出ていますね。
- 974 :棕 櫚:2012/05/04(金)
11:03:29 ID:SDKp4lHs0
- >973 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/05/04(金) 10:08:23 ID:lYSm2W8c0
>阿含仏教では、「煩悩滅・苦滅」がさとりなのです。 煩悩尽=煩悩滅であり、苦滅=生死尽、なのです。
応説経の漏尽解脱の用語には、生死尽=生死解脱=苦解脱が省略さ れているのです。
準シュダオンさんて何でも小難しく解釈しちゃうんですねえw
釈迦仏教も大乗も漏尽解脱で間違って
ないでしょう? 漢文標語にされてコロっと頭を垂れる準シュダオンさんってカルトの見本のようです。
私が読んでいる「ブッダ最後の旅」 は標準語で普通に書かれているものです。
文語体のように小難しく有難味がアリソウデナサソウみたいな語調
じゃないのよw
煩悩があるから人間は悩み苦しむんじゃんw 苦しみから煩悩が出て来る訳ないじゃんw
とかく頭が良い人が一度迷うと準シュダオンさんのように苦釈するようになるんですよ。
我昔所造諸悪業皆由無始貪瞋癡と言ってね、
昔から為して来た悪業は煩悩からなのだから
煩悩を滅するのが釈迦の教えですよ。
桐氏はそれを因縁解脱するなんてアホな解釈で
金集めの道具にこしらえたのさw もうとっくに気づいてる準シュダオンさんなのに
アキラメが悪い人
だねえええwww そういう人に対して坊主は引導を渡すって言うんじゃないの、、、
- 975 :棕 櫚:2012/05/04(金)
11:07:20 ID:SDKp4lHs0
- >973 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/05/04(金) 10:08:23 ID:lYSm2W8c0
>阿含仏教では、「煩悩滅・苦滅」がさとりなのです。 煩悩尽=煩悩滅であり、苦滅=生死尽、なのです。
煩悩を残したままで苦滅になるわけないじゃあんw
煩悩が無くなればそれって苦しみから解放され苦しみも無いっちゅうことですよ。
パズルなんて思ってお経を読もうとする浅ましい考えを捨てることですね。
>ブッダ最期の旅では、さとりを、戒定慧を備えて漏尽き、
死生尽き、所作弁じ、解脱智生じ、
不受後有を知る、 と表現しています。 そのことを、他の経では、煩悩→悪業→苦の循環=縁起、の滅と、
説いているのです。平河本などには、「無上滅」と、 出ていますね。
準シュダオンさんもそろそろそういう小難しくお経を読む癖を治したら?
「ブッダ最後の旅」ではですね、「生存は尽きた。 清浄行はすでに確立した。為すべきことは、
すでに為し終わった。もはやこのような状態に戻ることは無い」 とさとった。 とまあ、こう言う表現で
とても分かり易いでしょ?
因縁など解脱するんじゃないって解りますよ、
因縁とか縁起は世の理法ですって。www 準シュダオンさんもそろそろ信者をやめたらどうですか。
- 976 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/04(金) 15:19:43 ID:SmEF4Oe2O
- >>969:準シュダオン12/05/04(金) 09:00:06
ID:lYSm2W8c0
>「縁起を滅した解脱」は、何度もレスしてるように、
>岩波仏教辞典の「縁起」の項に、解説されてるでしょう。
だから辞典ではなくて阿含経典の記述で証明してみなさいな。
釈尊は岩波仏教辞典で縁起の滅を説いたのですか?
仏教辞典なんてものは長い仏教史の変遷の過程をも含めて読み手に区別ができるように
解説してくれるものなんですよ。
区別ができない頭の悪い人がいても、それは辞典の編纂者の責任ではない。
ってか増谷先生が訳した雑阿含経に縁起の滅が説かれていると書いたのはあなたでしょう?
だったらそれを出しなさいな。どうして仏教辞典なんか出すのか?
ちなみに大縁方便経は雑阿含経ではなく長阿含経であり、あなたが持ってる本の
訳者は増谷文雄博士ではなく丘山新先生だが、それでもなんでもいいから
阿含経典の記述で縁起滅を示してみなさい。
引用が面倒ならこの本の何ページと示すだけでも。
それすらできず、雑阿含経なんて示したのですか?
- 977 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/04(金) 15:29:57 ID:SmEF4Oe2O
- >>971:準シュダオン12/05/04(金) 09:17:25
ID:lYSm2W8c0
>借金苦から、過酷な取立てを受けると、貸主に怒りや恨みという新たな煩悩が
>生まれる由縁がわかるでしょ?お釈迦さまも、比丘たちに借金苦の話をしてる
>くらいです。
>12因縁では、7・感受作用という苦の因縁から、8・渇愛という煩悩が生じる
はい、借金の因縁を持った人が現世にて借金因縁解脱して借金苦を解決できる
ということは、どういうメカニズムにより、具体的には借金がどうなるから
その苦しみを克服できるかという私の問いに少しも答えずはぐらかしていますね。
ちなみに最近出た輪廻転生瞑想法というのは、来世には借金なんかで苦しむ必要が
ない裕福な境遇に生まれてくることを狙うものだから、この来世借金因縁解脱が
借金苦解脱なんですか?
現世で借金苦を抱える人は来世に期待して諦めるんですか?
- 978 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/04(金) 15:36:38 ID:SmEF4Oe2O
- >>972:準シュダオン12/05/04(金) 09:27:45
ID:lYSm2W8c0
>深山さんのレスは長すぎるからスルーしてるの。あの人、我見が強いから読む人の
>立場を考えてない。あなた、悪いけど深山さんのレスを要約して、私に知らせたい
>部分をレスしてご覧なさいな。そうしたら答えてやりますよ。
あっはっは。いつもの準シュダオン節全開でステキですよ。その調子その調子。
信者を含めた読者の皆さん、そういうことなんです。
私は何も申しませんから各自で評価してやってくださいな。
準シュダオン、他人を説得するということは骨の折れるものなんですよ。
ともあれ皆で笑ってあげましょう。
あっはっはっはっはっはっ
- 979 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/04(金) 15:58:59 ID:SmEF4Oe2O
- >>973:準シュダオン12/05/04(金) 10:08:23
ID:lYSm2W8c0
>アベコベじゃないのよ、仏・菩薩の四弘誓願を知ってるでしょ?
>如来蔵思想も知ってますか?
>如来蔵思想も、四弘誓願・煩悩無量誓願断も、大乗のもんですよ。
>煩悩滅だけに固執するようになったのは、大乗からです。
意味不明ですねえ。
四弘誓願に煩悩無尽誓願断なんて出てきたのは大乗になってから
初めてそんな考えが示されたとでも言いたいのですか?
ならば阿含経に示された漏尽解脱を何とする?
如来蔵思想がどうしたのですか?
我々はすべからく仏性を備えているというのが如来蔵思想です。
なぜならば煩悩があるからこそ煩悩を克服する如来を目指すのだからそこに素質がある。
煩悩をそのままにしておけばよいなんて話ではない。
- 980 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/04(金) 16:16:54 ID:SmEF4Oe2O
- >>973:準シュダオン12/05/04(金) 10:08:23
ID:lYSm2W8c0
>阿含仏教では、「煩悩滅・苦滅」がさとりなのです。
>煩悩尽=煩悩滅であり、苦滅=生死尽、なのです。
>応説経の漏尽解脱の用語には、生死尽=生死解脱=苦解脱が省略さ
>れているのです。国語的に、漏尽解脱だから煩悩解脱だ、とだけ解釈
>したのでは不完全なのです。それは他の経典を読むと解るのです。
煩悩滅だからこそ苦の滅を得られるのです。
逆に言うと煩悩を抱えている限り、苦の滅は得られない。
その代わり煩悩を滅すればそれがそのまま苦滅になります。
それは悟りですから、あなたは悟れない、悟りたくないのです。
ただし死ぬこと、老いること、病気することなどは生きている間解消しませんよ。
あなたは煩悩滅の上にさらに苦の滅なるものがあるかのように書く。
だからそれは具体的に何をどうすることなのか?
経典にあるなら示してみなさいな。
苦の滅、生死の滅と単語を並べればそれでよいのですか?
- 981 :準シュダオン:2012/05/04(金)
17:17:49 ID:lYSm2W8c0
- >煩悩滅だからこそ苦の滅を得られるのです。
>逆に言うと煩悩を抱えている限り、苦の滅は得られない。
>その代わり煩悩を滅すればそれがそのまま苦滅になります。
そうはなりません。1無明・・7感受→8渇愛・・12老死→1無明・・と、
説かれているように、例えば渇愛の煩悩のどれかを滅したとしても、無明を滅し
無い限りまた輪廻して、感受作用があるとまた新たな渇愛という煩悩を生じるの
です。惑煩悩→悪業→苦、を一体的に捉える必要があるでしょう。
>それは悟りですから、あなたは悟れない、悟りたくないのです。
>ただし死ぬこと、老いること、病気することなどは生きている間解消しませんよ。
>あなたは煩悩滅の上にさらに苦の滅なるものがあるかのように書く。
>だからそれは具体的に何をどうすることなのか?
>経典にあるなら示してみなさいな。
経典にはね、さとりの部分が、いろいろな表現で出ていますよ。例を挙げると、
1、「・・不受後有 即成阿羅漢」・阿羅漢に成り輪廻を脱したというさとりの表現。
2、「・・極七往返 必成道果 」・仏道果を得るという表現の、さとりを得ること。
3、「・・極七往返 必尽苦際 」・苦を滅し尽くすという表現で、さとりのこと。
4、「・・極七往返 必得涅槃 」・涅槃を得るという表現で、さとりを得るに同じ。
5、「・・究境安穏 終帰滅度 」・滅度という表現の、さとりを得るという意味。
6、「・・不受後有 是為如来説無上滅」・無上滅という表現のさとりのこと。
というように平河本にあります。さとりは、煩悩滅という表現だけではないのです。
- 982 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/05/04(金) 17:20:40 ID:MYKZiiDo0
- >>981 また本の名前とPを示さない・・・いい加減学習しては?
- 983 :準シュダオン:2012/05/04(金)
17:36:51 ID:lYSm2W8c0
- >ただし死ぬこと、老いること、病気することなどは生きている間解消しませんよ。
>あなたは煩悩滅の上にさらに苦の滅なるものがあるかのように書く。
>だからそれは具体的に何をどうすることなのか?
>経典にあるなら示してみなさいな。
岩波仏教辞典の「業」の項の、説明が長文なので、要点を引用しましょう。
「・輪廻転生を縁起としてとらえ、惑(煩悩)に基づく業によって苦なる生存が
繰り返されるとする、業を中心とした、この惑・業・苦の円環的因果関係を特に
業感縁起と呼ぶ・」
ね、「輪廻転生を縁起としてとらえ、・・惑・業・苦の円環的因果関係」とあり
ますように、さとりは縁起滅という場合の縁起は、輪廻転生のことを意味してい
るのです。「さとりは縁起滅」という場合の縁起とは、惑・業・苦の円環的因果
関係のことを意味しているのです。
だから、辞典が間違えてるんではありません。初期仏教の縁起説は、迷いの生存・
生存苦の縁起を説明していたのですからね。管長の説く因縁解脱も、言うまでも
なく、生存苦の因縁を意味してるわけで、ね。
- 984 :準シュダオン:2012/05/04(金)
17:40:02 ID:lYSm2W8c0
- >>981 また本の名前とPを示さない・・・いい加減学習しては?
そこまで示すには時間がかかるからね、省略しました。
- 985 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/05/04(金) 20:49:12 ID:MYKZiiDo0
- >>984
本の全部を転記するのは確かに骨が折れます。だから私は準さんには以前から全部の転記を
促しては居ません。ユビさんも言っておられるように「本の名前と記事が載っている項」だけで
良いのです。もしもその本がある人は確認をするでしょうし手元に無くても図書館や書店で調べたり
中古で販売してたら購入も出来ます。確認をするために必要だから言うのです。
本の名前と掲載該当Pさえ示せなければ何の本からかわかりませんし、準さんの捏造とも取れる。
それでなくても過去に貴方の引用は都合の良い部分だけの引用をするので信用が低い。
準さんがちゃんとした引用と捏造でないのを示すにはせめて最低必要源の「本の名前と該当箇所P」
の表記はすべきです。はしょる(省略する)ものではありませんよ。
- 986 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/05/04(金) 20:55:47 ID:MYKZiiDo0
- また>>983では岩波辞典の「業」の箇所まで示していますから後はP数(何P〜何Pまで)
とだけ示せば>>983のように一部引用でOKなのですよ。
そんな面倒くさいものではないはずです。
それでもやはり「面倒くさい」のなら引用はすべきではない。
省略にも程があります。
自分の持論を通したいがために嘘をついているとみなされますよ。
せっかく論じていてもったいないのですから最低の引用のマナーは守るべきです。
管長さえもやっているのですからね。
- 988 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/04(金) 21:09:56 ID:SmEF4Oe2O
- >>981:準シュダオン12/05/04(金) 17:17:49
ID:lYSm2W8c0
>そうはなりません。1無明・・7感受→8渇愛・・12老死→1無明・・と、
>説かれているように、例えば渇愛の煩悩のどれかを滅したとしても、無明を滅し
>無い限りまた輪廻して、感受作用があるとまた新たな渇愛という煩悩を生じるの
>です。惑煩悩→悪業→苦、を一体的に捉える必要があるでしょう。
渇愛も無明もどちらも煩悩です。
煩悩とは一つではない。無知無明も執着も貪りも怒りも恐怖も皆煩悩です。
だから十二縁起を見ても滅するべきものはいずれも煩悩なのです。
>経典にはね、さとりの部分が、いろいろな表現で出ていますよ。例を挙げると、
と、あなたが以下に示した引用箇所のどこにも、生きたまま病気をしなくなるとか
老化知らずとか借金苦もなくなり裕福になるとか事故死などしなくなる
苦滅など説いていないとわかります。
輪廻がなくなるのだから「死んだ後」はもう生まれ変わってこないことは説いても
生きたままそんな都合のよい快楽の道など説かない。
- 989 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/04(金) 21:20:29 ID:SmEF4Oe2O
- >>983:準シュダオン12/05/04(金) 17:36:51
ID:lYSm2W8c0
>ね、「輪廻転生を縁起としてとらえ、・・惑・業・苦の円環的因果関係」とあり
>ますように、さとりは縁起滅という場合の縁起は、輪廻転生のことを意味してい
>るのです。「さとりは縁起滅」という場合の縁起とは、惑・業・苦の円環的因果
>関係のことを意味しているのです。
また仏教辞典で、経典ですらないのですか?
しかしその辞典の業感縁起ですら惑・業・苦の円環ですよね。
つまり惑(煩悩)の滅を除いて苦の滅はあり得ないという方程式とわかります。
私の質問は、煩悩滅を避けたがるあなたに対してそれでは煩悩以外に何を滅するのか
と質問しているのですよ。
肉体を滅するのか?骨を滅するのか?血を滅するのか?感情を滅するのか?
理性を滅するのか?それによってどういう苦がどのように解消されるのか具体的な
質問をしてるのですよ。
あなたは教師となって生徒に理解させるのは無理ですね。
- 990 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/05/04(金) 21:25:14 ID:SmEF4Oe2O
- >>984:準シュダオン12/05/04(金) 17:40:02
ID:lYSm2W8c0
>そこまで示すには時間がかかるからね、省略しました。
嘘を申しなさんな。
あなたは平河本から部分引用をしたではないか?
あれっぽっちの引用でもそれなりの手間暇はかかります。
だから引用した本名、頁数が書けないはずがない。
どうして自分の立場を敢えて不利にしたいのか?
- 991 :Boo:2012/05/05(土)
01:01:17 ID:IbPx9H.Y0
- 結局のところ準シュダオン氏は相当の虚言癖のあるおバカさんなのでしょう。
今の信者さんはこんなのしか残っていないのでしょうか?まあ、信者さんにも
相手にされていないのでしょう。かわいそうに。
- 992 :干柿:2012/05/05(土)
05:45:16 ID:LzYL8o4A0
- まあ、なにごとも素直に学ぶっていう姿勢が大切ですよね。
なんで、強引に自分の我をとおし、無理やり相手を屈服させるような事を
ここの掲示板でする必要があるのでしょうか?
どうみたって強引ですw
阿含宗の真実の姿をさらけだし、ありのまま見てみる、というのが主旨ですよ
無理な擁護などする必要ないでしょ
だから準シュダオンさんは「阿含宗はどうも釈迦の仏教ではないようだが、
それでも、なんか電波を受けたから信じる、桐山管長が仏教からいえば
破戒僧かもしれないが、それでも信じる。」と素直に言えばいいのです。
- 993 :準シュダオン:2012/05/05(土)
09:03:39 ID:lYSm2W8c0
- >また仏教辞典で、経典ですらないのですか?
辞典は、いくつかの経の主張を要約してくれているから便利なのです。
絵解きパズルを例に出したように、一つの経だけでは釈尊の説く全体像・要点は
見えないのです。
>しかしその辞典の業感縁起ですら惑・業・苦の円環ですよね。
>つまり惑(煩悩)の滅を除いて苦の滅はあり得ないという方程式とわかります。
>私の質問は、煩悩滅を避けたがるあなたに対してそれでは煩悩以外に何を滅するのか
>と質問しているのですよ。
私がどうして煩悩滅を避けたがると思うのか?愚かしい。煩悩は我見という煩悩から
取り組まないと一歩も進めない、とは私が何度もレスして教えています。
管長も、我見をなくすのが修行の第1歩だ、と本に書いてます。
私はそれを実践してきたが、あなたら批判派は、退会してから煩悩滅に気づいたようです。
気の毒で、笑うに笑えないね。
>肉体を滅するのか?骨を滅するのか?血を滅するのか?感情を滅するのか?
>理性を滅するのか?それによってどういう苦がどのように解消されるのか具体的な
>質問をしてるのですよ。
釈尊は、どんな煩悩がどんな苦を形成するのか、また、どんな苦がどんな煩悩を形成する
のかまでは具体的に説いていません、ただ、我見・疑惑・戒取、という三結煩悩が最も、
過酷な苦を形成する、と説いてるだけみたいですね。
管長はそれを、因縁手鏡表として、どんな煩悩がどんな苦を作るかに、まとめています。
>あなたは教師となって生徒に理解させるのは無理ですね。
ムンクの叫びが、なんで96億円もするのか、言葉や理論で教えるのは無理です。
どんな煩悩・業がどんな苦を形成するのかは、天眼智を持たない限り理解出来ない
ことを、釈尊は阿難に話しています。
- 994 :準シュダオン:2012/05/05(土)
09:30:27 ID:lYSm2W8c0
- >>如来蔵思想も、四弘誓願・煩悩無量誓願断も、大乗のもんですよ。
>>煩悩滅だけに固執するようになったのは、大乗からです。
>意味不明ですねえ。
>四弘誓願に煩悩無尽誓願断なんて出てきたのは大乗になってから
>初めてそんな考えが示されたとでも言いたいのですか?
>ならば阿含経に示された漏尽解脱を何とする?
>如来蔵思想がどうしたのですか?
岩波仏教辞典の「煩悩」の説明の↑要点を引用するから、暗記して考えなさいな。
「・如来蔵思想では、煩悩とは本来清浄な人間の心に偶発的に付着したものである
と説く、この煩悩を智慧によって断滅し衆生が本来持っている仏性を明らかにする
こと、すなわち煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが、大乗仏教の求める(
さとり)にほかならない。菩薩の四弘誓願に煩悩無量誓願断が立てられ・・以下略」
>我々はすべからく仏性を備えているというのが如来蔵思想です。
阿含経の漏尽解脱は、生死尽解脱、つまり老死滅=苦滅が省略されているとは
前にもレスしたでしょう。煩悩を断ずることが、大乗仏教の基本思想であり、
何時の間にか、目的である、業の滅・苦の滅が忘れさられてしまったのです。
- 995 :名無しさん:2012/05/05(土)
10:12:12 ID:zsSyPyT.0
- 準氏も、2ちゃんねるのヂミズ氏や陰湿荒らしと同じで、寂しいので構って欲しい人なのでしょう。
準氏にとって、この掲示板だけが唯一構ってもらえる場所なのでしょう。
道場や連絡所へ行ってもそっぽを向かれて寂しい。
この掲示板だけが相手にしてくれる憩いの場所なのでしょう。
わざと滅茶苦茶なことを言って相手を刺激し関心を引き寄せて、
いじめてもらっても、構ってもらえることが嬉しいのでしょう。
桐山さんは、矛盾を指摘されると激昂してブチ切れて、コテンパンに相手を罵ります。
しかし何度も彼に矛盾を突きつけていくと途中から口を閉ざし無視をし、やがて路線変更して逃げ出します。
輪廻転生瞑想法が典型的なケースです。
掲示板で批判されて、どうしようもなくなったため、輪廻転生瞑想法に逃げ出したと読んでいます。
桐山さんは軟弱で心の弱い人間ですがS気が強く「弱い犬ほどよく吠える」タイプです。
この点、準氏は違っていて矛盾を指摘されても一向に構いません。
寂しさを紛らわすための憩いの場としているのが本当の目的なので、
彼をいくらやり込めても埒が明かないでしょう。
- 996 :棕 櫚:2012/05/05(土)
10:41:18 ID:qzh7QySc0
- >「阿含宗はどうも釈迦の仏教ではないようだが、 それでも、なんか電波を受けたから信じる、
桐山管長が仏教からいえば
破戒僧かもしれないが、それでも信じる。」
そうそう結構こういうように考えている信者さんがいるかもしれま せんね。
たぶん横着で人任せな人生を送るタイプで、 準シュダオンさんもそうみたいw。
>993 名前:準シュダオン 投稿日:
2012/05/05(土) 09:03:39 ID:lYSm2W8c0
>一つの経だけでは釈尊の説く全体像・要点は見えないのです。
それじゃ準シュダオンさんは八千巻くらい読んだわけですねえええ w
>私がどうして煩悩滅を避けたがると思うのか?愚かしい。
煩悩は我見という煩悩から
取り組まないと一歩も進めない、 とは私が何度もレスして教えています。
>阿含経の漏尽解脱は、生死尽解脱、つまり老死滅=
苦滅が省略されているとは 前にもレスしたでしょう。
煩悩を断ずることが、 大乗仏教の基本思想であり、 何時の間にか、目的である、業の滅・
苦の滅が忘れさられて
しまったのです。
学者は自説を世に出すうえで慎重に原典をあらゆる角度から訳出してなるべく客観的に
なるようにしているのに、 準シュダオンさんの説は苦しい言い訳から出すもんだから、
我見を丸出しにしながら、
ww我見をなくすように批判派にお説教してくれるwww。
業の滅・苦の滅が忘れさられてしまったと気づいたのは、 直感ですかああ!?
そう言う事を言う場合は何らかの根拠を普通人なら出すけど、 準シュダオンさんの神経は
並の神経じゃないから平気で言い切ってしまえるんでしょうwww
wwwwwwwwww
釈迦仏教に大乗仏教で対抗してくれちゃう図々しさってホント、 マレな人間ですよw
これじゃ貴方はね、信仰詐欺師だねwwww
- 997 :準シュダオン:2012/05/05(土)
15:35:57 ID:lYSm2W8c0
- >>阿含経の漏尽解脱は、生死尽解脱、つまり老死滅= 苦滅が省略されているとは 前にもレスしたでしょう。
煩悩を断ずることが、
大乗仏教の基本思想であり、 何時の間にか、目的である、業の滅・ 苦の滅が忘れさられて
しまったのです。
>学者は自説を世に出すうえで慎重に原典をあらゆる角度から訳出してなるべく客観的に
>なるようにしているのに、
準シュダオンさんの説は苦しい言い訳から出すもんだから、
>我見を丸出しにしながら、 ww我見をなくすように批判派にお説教してくれるwww。
では平河本からその根拠の一つを示してあげましょう。ユビさんなどは、
本で調べて私の正しさを確かめてください。
5巻のP150の裸形梵志経のさとりを得る場面に次のようにあります。
「・・修無上梵行 現法中自身作証 生死己尽 梵行己立 所作己弁
不受後有 即成阿羅漢 」
ね、この経では、生死尽と記されていますが、煩悩尽は省略されています。
阿羅漢とは、煩悩尽と生死尽がどちらも達成されていないといけないのです。
釈迦が十二因縁を説く場合には、生死尽のことが老死滅と表現されています。
生死尽も老死滅も同じ意味で、苦滅、という意味です。
阿含経には、漏尽解脱が記されて生死尽が省略される場合もあれば、
生死尽が記されて漏尽が省略されてる場合もあります。いずれにしても、
阿含仏教の場合は、煩悩滅と苦滅が揃って、さとりなのです。
学者先生が、阿含仏教を「さとりは縁起の滅した世界とされた」と解説
したのは、縁起(煩悩→業→苦)滅、だという意味が解るでしょう。
- 998 :準シュダオン:2012/05/05(土)
15:52:08 ID:lYSm2W8c0
- >業の滅・苦の滅が忘れさられてしまったと気づいたのは、 直感ですかああ!?
業の滅・苦の滅というのは、輪廻の滅のことですよ。
そうでないと、般若心経には「度一切苦厄」と仏教の目的が記されていますから
誤解されるおそれがあります。
直感ですかああ!?とのことですが、3分の1は仏教辞典を読んで、3分の1は、
経典を読んで、あとの3分の1は直感です。
>そう言う事を言う場合は何らかの根拠を普通人なら出すけど、
準シュダオンさんの神経は
>並の神経じゃないから平気で言い切ってしまえるんでしょうwww wwwwwwwwww
だってそうでしょう、大乗経になると、いつの間にか輪廻(煩悩・業・苦)解脱が
どこかへ消えてますよ、あなたは気づかないのですか。
- 999 :棕 櫚:2012/05/05(土)
16:46:43 ID:3gP4wQFg0
- >997 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/05/05(土) 15:35:57 ID:lYSm2W8c0
>「・・修無上梵行
現法中自身作証 生死己尽 梵行己立 所作己弁 不受後有 即成阿羅漢 」
>ね、この経では、生死尽と記されていますが、
煩悩尽は省略されています。
準シュダオンさんって何でも言葉の一句をシンボル化してしまうんですねw ○○反対、○○禁止、
なあんて文章のつながりや文全体じゃなく一部分だけを標語化するw まあ、だいたいこれで
貴方の年齢や生きてきた時代と職業なんかも推測できてしまう w
これって定型句の 「生存は尽きた。 清浄行はすでに確立した。為すべきことは、すでに為し終わった。
もはやこのような状態に戻ることは無い」と悟った(即成阿羅漢)
この部分は「ブッダ最後の旅」
のスバッタが成道した時の言葉ですよ。
>>業の滅・苦の滅が忘れさられてしまったと気づいたのは、
直感ですかああ!?
>業の滅・苦の滅というのは、輪廻の滅のことですよ。 そうでないと、般若心経には「度一切苦厄」
と仏教の目的が記されていますから 誤解されるおそれがあります。
直感ですかああ!?とのことですが、 3分の1は仏教辞典を読んで、3分の1は、
経典を読んで、
あとの3分の1は直感です。
あはは、説得力無しですよ、 だって釈迦仏教を原則としているのになあにが般若心経って、ビミョウw
煩悩が無くなれば一緒に輪廻しないし苦界からレリースされるんですよw
>だってそうでしょう、大乗経になると、いつの間にか輪廻(
煩悩・業・苦)解脱がどこかへ消えてますよ、
あなたは気づかないのですか。
大乗仏教はこの際、議論から外すんでよくない?
釈迦仏教=阿含経典なんだからねw
- 1000 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/05/05(土) 17:36:57 ID:kpZ/qQfY0
- 阿含宗の正当性を出すために「大乗仏教」を用いてくるところが終わっています。
棕櫚さんのおっしゃるとおり、釈迦仏教=阿含経典なんだからね、に尽きるのです。
それこそ大乗仏教を用いてきたら根本仏教奉持教団じゃなくなります。
密教は後期大乗だし阿含宗は密教の様式を以って云々を言っているから引用しても
良いかと思ったかは別だがあまりにもここ最近は大乗仏教説というか引用が多い。
もうその時点で「根本仏教教団どうした?」なのですが気がつかないのでしょうねえ。
くわばらくわばら。
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