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阿含宗と桐山氏について 第五十六章
- 1 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/02(火) 18:34:08
サブタイトル:【 ガダルカナルの次はどこで脅す? 】
このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です。
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- 2 :アゴン:2011/08/05(金)
13:54:54
- >>1000
わかりません。預流向も聖者だと釈迦が説いているのに、いや、認めん!!と勝手にとなえとるだけの話にしか三週間以上たっても思えないです。
引用を出してください。出せないならそういうことを釈迦が言っていないということでしょう。
ここでは何度も言うが、教祖は桐山さんで、教祖の教義の引用は阿含経典からです。その是非を議論している。
違いますか?あなたの我説など誰も聞いていない。
- 3 :干柿:2011/08/05(金) 21:11:14
- ちなみに桐山管長は中学中退です。早稲田中退とか日本大学中退とか
大ウソこいていましたが、例祭でボケてほんとうのことを話してしまいましたとさw
- 4 :深山:2011/08/05(金) 23:58:08
- 55章
>1000 :準シュダオン:2011/08/05(金)
13:42:05
>四双八輩に区分したら、理解しやすいでしょう。
>現役の小学生だけには、何の学位もないことが理解できますね?
>他の七輩は、なにかしらの学位を持っています。
反論を無視して、同じことを繰り返しても無駄です。
「たとえがこれこれだから、四向四果もこうだ」などと主張するのを
本末転倒というのです。
たとえとは、四向四果をわかりやすく説明してこそ意味がある。
あなたみたいに釈尊の教法と違うたとえを持ち出しても意味がない。
あなたは卒業資格だけを位だという。
それはあなたの勝手な決めつけで、釈尊はそんな分類はしていません。
在校生と卒業資格を一つの組として聖者としたのです。
「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
一組目の聖者の位 [預流向・預流果]
二組目の聖者の位 [一来向・一来果]
三組目の聖者の位 [不還向・不還果]
四組目の聖者の位 [阿羅漢向・阿羅漢果]
預流向と預流果は一つの組となって、聖者の位を表す。
釈尊は[小学生・小学卒]を一組の聖者としたのです。
釈尊がこのように分類し制定したのでから、
あなた如き外道凡夫が口を出すことではない。
- 5 :深山:2011/08/06(土) 00:09:13
- >997 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/05(金)
13:31:28
>他の批判派で、預流向は聖者でないことに気付いた人もいるでしょう?
>>2のアゴンさんの返事をよく読みなさい。
批判側どころか、信者であるアゴンさんですら、あなたの主張を信じていませんよ。
「引用を出してください。」(>>2)
これがあなた以外の人たちの要求です。
あたなは何の根拠もないことをペラペラとしゃべり続けるしか、能がない。
さも根拠があるかのようにハッタリをしてみせるが、根拠を
出してみろと言われると、妄想と思いつきの嘘だから何一つ出せない。
娘ほどの年の女性から侮蔑されて、男として情けないとは
思わないのか・・・思わないのが準シュダオンさんでしたね。
新しいスレになったから、再度、並べてあげましょう。
よくまあ、短期間にこれだけの嘘をつけるものだ。
銀狐の師匠にして、古狸の信者で、両方とも嘘が大好物。
1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=斯陀含向」「斯陀含果=阿那含向」「阿那含果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(>>940)
- 6 :深山:2011/08/06(土) 00:17:51
- >997 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/05(金)
13:31:28
>そんで今見たら、アホな質問だなあ、
「アホな質問だなあ」などと誤解しているようだから、説明します。
>>5にあるのは7つの質問ではなく、「準シュダオンさんの嘘」です。
なぜなら、質問などしなくてもこれらは根拠のない嘘だと私も読者も知っている。
1〜7まで、全部、あなたの口から出任せの嘘です。
あなたの虚言癖を並べてあげているだけです。
これまであなたはこの調子でその場しのぎの嘘で世の中を渡ってきた。
だが、ここはネットで文章という証拠が残るから、逃げられない。
今まであなたの周囲にいた人たちは、あなたがこうやってどこまででも
屁理屈を並べるから、みんな無視して、最後は逃げた。
だが、ここではいくらでもあなたの嘘を追求してあげるから、さあどうぞ、
黒い腹をさらしながら、皆さんの前でいい気になって踊ってください。
私が解説して、嘘を暴露し、慢心に満ちたハラワタの汚さを披露して、
アゴン宗にいるとこんなふうに教祖と同じになってしまうと、
あなたをさらし者にして、あざ笑ってあげましょう。
- 7 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:11:18
- >>>1000
わかりません。預流向も聖者だと釈迦が説いているのに、いや、認めん!!
>と勝手にとなえとるだけの話にしか三週間以上たっても思えないです。
ここを理解できないと、修行は進みませんよ。自分が預流向であるのか、否か、の
分かれ目ですからね。
阿含経で、お釈迦さまが、「四双八輩 是如来弟子衆也 聖賢之衆」と、説いて
います。これを読むと、四双八輩は聖者衆だということです。だから、初心者の
うちは、預流向も聖者だと考えていても良いでしょう。
私も、ある時期、お釈迦さまの教団の、四双八輩が聖者僧で、それ以外が凡夫僧
なのだろうと考えてた時があった。しかしそうではなくて、少し勉強が進むと、
弟子衆や聖賢之衆の「衆」とは、SAMGHAの漢訳であることが解った。
すると、お釈迦さまは、「自分の教団(SAMGHA)は聖者衆である。」と、述べて
いることになるね。だからといって、弟子が全員、聖者であるわけがないでしょう。
自分の頭で考えたら解ることです。四双八輩が僧衆の全てなのですから、その中
には凡夫僧も居るのが当たり前でしょう。
すると、「預流」とは聖者という意味ですから、預流向は聖者未満で、
預流果と預流は同じ意味で、聖者ということになるのです。
- 8 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:41:40
- >引用を出してください。出せないならそういうことを釈迦が言っていないと
>いうことでしょう。ここでは何度も言うが、教祖は桐山さんで、
>教祖の教義の引用は阿含経典からです。その是非を議論している。
>違いますか?あなたの我説など誰も聞いていない。
私の我説など言っていない。アガンさんは、
「四双八輩 是如来弟子衆也 聖賢之衆」←が、阿含経の引用だということが
解らないのかい?それを読んだだけで、智慧ある人は、預流向は聖者ではない、
という事が解るんですよ。輪廻する葦本のP255を読みなさい。
「預流になると聖者の末席に加わる」と書いてあるでしょう。
預流には預流向が含まれないのですよ。預流に未到達だという意味で向という文字
が使われているのです。
輪廻する葦本のP258には、聖者の表があります。預流向は含まれていませんね。
「三結断じ預流」とありますから、三結断じていない預流向は該当しないのです。
深山さんなどは、「預流向にふれていない」と、詭弁を弄していますが、
ふれていないことが、預流向が聖者から外された証拠なのです。
阿含経典を読むと、そういう結論になるんです。
岩波仏教辞典で「一来」を引くと、「倶舎論では、修惑を3個断じたのが一来向で
6個断じた者が一来果」と、説明しています。しかし、これはデタラメな定義です
ね。阿含経からいうと、倶舎論の四向四果の定義はデタラメです。
預流向を見道位に位置付けたのもデタラメであれば、一来を修惑で区分けしたのも
デタラメであるわけです。深山さんみたいな我見の亡者がそれに気付けない。
そして、我見の強い仲間を、落伍の仲間に引き入れて、地獄行きにしようとして
いるように私には見えます、レスの量で誤魔化してね。
私から見たら、ウンコレスにしか見えんけど。
- 9 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:56:41
- >ちなみに桐山管長は中学中退です。早稲田中退とか日本大学中退とか
>大ウソこいていましたが、例祭でボケてほんとうのことを話してしまいましたとさw
中学中退なら、「中卒」という学位は与えられませんね。
しかし、早稲田中退か、中学中退か、どちらが本当か、何で解るの?
でも、小卒、中卒、高卒、大卒の学位で考えると、四双八輩の理解がしやすいでしょう?
現役の小学生に「小卒」の学位を与えられないように、
三結煩悩を断てない預流向に、「預流」の位は与えられないのです。
三結を断つ修行課程を卒業したら、「預流」という聖者の位を得るのですね。
- 10 :深山:2011/08/06(土)
12:10:16
- >>7 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:11:18
>預流向も聖者だと考えていても良いでしょう。
>だからといって、弟子が全員、聖者であるわけがないでしょう。
ごらんのように、準シュダオンさん本人も阿含経には「預流向=聖者」だと
載っていることを認めています。
ところが、準シュダオンさんの脳味噌を通過すると、あんら不思議、
「預流向≠聖者」に変身してしまうようです。
準シュダオンさんて、釈尊よりもおエライらしい。
準シュダオンさんの考えなどいらん、といくら言われても、
彼の耳には聞こえない。
朝飯を食ったことを忘れて、「おれは朝飯を食っていない」と
口の回りにご飯粒をつけたまま吠えまくる困った老人です。
- 11 :深山:2011/08/06(土)
12:13:44
- >>8 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:41:40
>「四双八輩 是如来弟子衆也 聖賢之衆」←が、阿含経の引用だということが
>解らないのかい?それを読んだだけで、智慧ある人は、預流向は聖者ではない、
>という事が解るんですよ。
彼が示した阿含経には「預流向=聖者」とあるが、彼の智慧とやらにかかると、
これが突然「預流向≠聖者」になるのだという。
読者の皆さんの中で意味のわかる方、いますか・・・当然、いませんよね。
準シュダオンさんのような智慧がないと誰も理解できないような
高度な内容なんですなあ。
読者が信じているのは準シュダオンさんではない。
信者は桐山さんや釈尊を信じているのです。
釈尊が「預流向=聖者」と述べているのだから、あなた以外、全員、その教えに従います。
だから、あなたのいう「智慧のある人」はあなた以外にはいない。
だれも、そんな無知と妄想から来る智慧など欲しくありませんから、
お持ち帰りください。
- 12 :深山:2011/08/06(土)
12:18:31
- >>8 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:41:40
>輪廻する葦本のP258には、聖者の表があります。預流向は含まれていませんね。
昨日からすでに二度も反論されても、まったく無視です。
準シュダオンさんて他人の文章が読めないし理解もできない。
反論は無視して、ひたすら自分の主張を繰り返す。
これがあなたいう智慧なんですね。
普通はそういうのを、頭が悪い、読解力が低い、理解力が低いといいます。
他人の考えが理解できないから、自説にしがみつき、自惚れという猿山のボスでいられる。
自分の考えをギュウギュウと周囲に押し付けるばかり。
皆さんのまわりにもこういう老人がたまにいるでしょう。
だが、これは準シュダオンさんが老人だからではなく、
彼は若い頃からこういう状態だった。
こんな奴が仕事場にいたら、本当に迷惑だったでしょうね。
- 13 :深山:2011/08/06(土)
12:22:35
- >>9 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:56:41
>預流向を見道位に位置付けたのもデタラメであれば、一来を修惑で区分けしたのも
>デタラメであるわけです。
アビダルマなんて誰も議論していないから、いくら引用して、
小難しいことを知っているかのようなふりをして、煙に巻こうとしても無駄です。
しかも、準シュダオンさんはアビダルマを理解していない。
あなたと違い、アビダルマは釈尊の教説を否定するようなことはしていない。
釈尊が説明しなかった所に解説を入れているだけです。
そんなこともあなたはわからない。
アビダルマ仏教を大乗仏教のように独自に作られたものだと思いこんでいますね。
アビダルマは釈迦仏教の解説書なのです。
彼らは釈迦仏教を理解するために、説明の足りないと思われる部分に解釈を加えた。
だが、あなたと違い、彼らは大原則を守った。
それは、釈尊が示した教法の骨子は変えなかったことです。
その骨子を変えないで、どうやってわかりやすく説明するかで四苦八苦した。
あなたと違い、彼らは釈尊の言葉に絶対服従で、
釈尊から四双八輩が聖者と規定されれば、これを守った。
その中身についてあれこれと手を加えたのが、あなたが引用した内容です。
預流向そのものは釈尊が規定したから、これを聖者の位から
引きずりおろすことはできない。
そこで預流向の前に、四善根などを作り出した。
アビダルマ仏教の人たちは準シュダオンさんのように頭が悪くないから、
経典の釈尊の言葉と矛盾するようなことは作らない。
そんなことしたら、たちまち「阿含経にあることと違い」と反論されるからです。
あなたみたいに反論を無視してたら、バカ呼ばわりされる。
彼らは、あなたや桐山さんと違い、仏教徒としての品格を持っているから、
嘘など書きません。
- 14 :深山:2011/08/06(土)
12:24:42
- >>9 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:56:41
>三結を断つ修行課程を卒業したら、「預流」という聖者の位を得るのですね。
それはあなたの勝手な解釈であって、釈尊はそんなことは言っていない。
四沙門果の聖者の位とは「預流」だが、
四向四果の聖者の位とは「預流向・預流果」です。
準シュダオンさんの老人脳ではこの両者を何度説明されても区別がつかない。
両者をごちゃ混ぜにして自説の根拠にしているが、無駄です。
間違ったたとえを利用して、釈尊の教法をねじ曲げようとしても、無理です。
私があなたの間違いを丁寧に説明しているから、
嘘を百回書き並べても、誰もあなたの説を信じている人はいない。
自惚ればかり強く頭のおかしい老人のタワゴトだと、あなたの仕事場同様に
迷惑がられているだけです。
- 15 :深山:2011/08/06(土)
12:32:03
- >>9 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:56:41
>中学中退なら、「中卒」という学位は与えられませんね。
>しかし、早稲田中退か、中学中退か、どちらが本当か、何で解るの?
>でも、小卒、中卒、高卒、大卒の学位で考えると、四双八輩の理解がしやすいでしょう?
皆さん、上記の文章をみてください。
2行目まではどうやら、桐山さんの中学中退のことを書いているらしい。
ところが、三行目からは突然、四双八輩の自説を展開しはじめた。
まったく、内容は脈絡がないのに、「でも」などと、まるで論理的な
展開をして、根拠を示したかのような書き方をしている。
これが準シュダオンさんの頭の中なのです。
つまり、まったく脈絡がない。
それでいて、本人はものすごく自分は智慧があると思いこんでいる。
頭が悪いのに、頭が良いと思いこんで、若い頃、仕事をすれば
どうなったかは考えなくてもわかる。
現実は彼の妄想とは違うから、周囲からは嫌われ、彼は体調を崩し、病院に行き、
アゴン宗に救いを求めた。
そのなれの果てが今の準シュダオンさんです。
信者さんたちに参考にしてほしいのは、アゴン宗に救いを求めた結果どうなるかは、
準シュダオンさんは例外ではないという点です。
アゴン宗自体が妄想と嘘で出来ているから、救いや解脱どころか、
準シュダオンさんのように、ますます虚構の世界に落ちてしまいます。
彼は阿含経に釈尊がはっきりと「預流向=聖者」と述べていることを
認めながら、それでもまだ否定しているのですよ。
準シュダオンさんの妄想癖、虚言癖がアゴン宗でかえってひどくなっている
という点を、信者さんたちに良く見てほしい。
- 16 :深山:2011/08/06(土)
12:41:32
- >>8 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:41:40
>そして、我見の強い仲間を、落伍の仲間に引き入れて、地獄行きにしようとして
>いるように私には見えます、レスの量で誤魔化してね。
我見が強いのは霊魂を信じているアゴン宗のほうです。
釈尊のいう我見とは抽象的な意味ではない。
我見「自分の実体は霊魂、魂である」
このように信じることを釈尊は身見という煩悩であると指摘した。
だから、我見が強いなどと批判側にいくら言っても無駄で、
読者たちは、桐山さんから植え付けられた「自分の実体は霊魂、魂である」
という考えがどうやら正しくないらしいと気が付いている。
信者でさえ、桐山さんの霊魂説に疑問を持ち始めている人がいます。
釈尊の指摘をいっさい受け入れず、未だに霊魂説をそのまま信じている
準シュダオンさんのような人こそが我見が強く、身見が切れていない人です。
- 17 :深山:2011/08/06(土)
12:45:59
- >>8 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:41:40
>いるように私には見えます、レスの量で誤魔化してね。
相手の反論を無視して自分の主張を書き続けることこそがゴマカシです。
あなたがしていることです。
私はあなたが新たに引用した内容についてはすべて反論している。
それから、前にも何度も書いたが、私のレスはあなたに書いているのではない。
準シュダオンさんには何を書いても無駄なのは、この8年間で学習しました。
私は準シュダオンさんを相方にして、ドツキ漫才をしているのです。
それを見た信者さんの中から、擁護側である準シュダオンさんの醜態を見て、
アゴン宗がまったく成り立たないのだと気が付く人も出てくる。
あなたの自惚れと無知と無恥を見て、三十年近くも信者をしてこの有様かと、
絶句する信者が出てきます。
あなたは、アゴン宗の使用前、使用後を示すのには好都合です。
あなたは他の信者を救うことになるのです。
頑張って、無知と無恥と慢心を垂れ流しにしてください。
それでこそ桐山ゲイカの弟子です。
- 18 :深山:2011/08/06(土)
12:47:19
- >>8 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:41:40
>私から見たら、ウンコレスにしか見えんけど。
はい、準シュダオンさんから見たら、ウンコレスでしょう。
お互い様ですから、それで結構です。
あなたから素晴らしいレスだと誉められるのは
北朝鮮から誉められるようなものです。
逆に、あなたみたいな頭のおかしい人からけなされれば、
こちらが正しいと保証してくれたようなものです。
釈尊が言っている内容を示しながら、それとは正反対の主張を堂々とするなんて、
私の知性ではできません。
釈尊が、四双八輩が聖者だと言ったら、私はそのまま受け取ります。
あなたの説は阿含経の釈尊説とも違うし、桐山説とも違います。
その点ではこのスレの主旨からは完全に離れているのだから、
ウンコレスというのなら、あなたの書き込みがそうです。
- 19 :深山:2011/08/06(土)
12:50:09
- >>9 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:56:41
>しかし、早稲田中退か、中学中退か、どちらが本当か、何で解るの?
わかります。
『現世成仏』に書いてあります。
この本で早稲田中退とは桐山さんは書いていないから、
履歴書に書いた早稲田中退は真っ赤な嘘です。
早稲田中退の嘘は批判本や批判記事にまで書かれているのだから、
無視していいことではない。
学歴詐称をしていないなら、していないとはっきりと弁明するべきです。
だが、桐山さんは本でも法話でも、学歴詐称の批判記事が嘘だと言ったことはありません。
この態度は、早稲田中退の履歴書を本当に書いたと認めたも同然です。
「目で見る桐山阿含宗の嘘とオカルト」に桐山さんの直筆の履歴書が転載されている。
http://souko.digi2.jp/mede01/mokuji01.html
信者さんたちも良く見てください。
間違いなく、あの桐山さんのくせ字です。
桐山さんはすでに求聞持脳を体得したと称していた時期です。
7つの超人的能力の中には「無限の道徳心」というのがある。
それを獲得したはずの桐山さんが学歴詐称、僧籍詐称、阿闍梨詐称をした。
天台宗の僧侶になるのに学歴は必要ない。
だが、桐山さんはわざわざ学歴詐称して、早大中退と入れた。
履歴書全部が嘘です。
こんなつまらないことで嘘をつく桐山さんの霊的世界の話が
真実だと思いますか。
- 20 :深山:2011/08/06(土)
12:51:54
- >>9 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:56:41
>しかし、早稲田中退か、中学中退か、どちらが本当か、何で解るの?
『現世成仏』で桐山さんは中学生が続かなかったことをはっきり書いている。
つまり、彼は中学を卒業していない。
信者さんたちに疑問に持ってほしい。
その彼がどうやって大学に入学できたのだ?
早大だろうが日大だろうが、中学も卒業せず、当然、
高校も入らない彼が、どうやって大学に入学したのだ?
当時も制度は少し違うが、基本は今と同じで、上級の学校に
入るためには、その前の学校を卒業することが条件です。
当時、大学入学の資格試験があったという話も聞かないし、
仮にあったとしても、桐山さんはそれを受けたとは書いていない。
支那事変のおかけで家が持ち直した16歳くらいからは、
学校にも行かず、仕事もせず、文学青年と称してずっと遊び惚けていた。
だから、桐山さんは早大中退、日大中退もなにも、そもそも
これらの大学に入れたはずがないのです。
- 21 :深山:2011/08/06(土)
12:53:36
- >>9 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:56:41
>しかし、早稲田中退か、中学中退か、どちらが本当か、何で解るの?
桐山さんは大学に入れたはずがないのです。
入学できなければ、中退もできない。
どちらもありえない。
ところが、中学中退でありながら、大学に入学したと『現世成仏』に書いている。
信者さんたちはしっかり読んで、このことに気が付くべきだ。
あの本は、結核の話など、本の中身を丁寧に検証すると矛盾だらけです。
大学中退そのものが桐山さんの嘘です。
可能性としては、書類を偽造して入学したか、実際には入学などしていないが、
知り合いの学生に金でも渡して、その学生のふりをして、日大に在学していた美人女優を
観ようと潜り込んだのでしょう。
美人女優の気を引こうと、わざと先生が出した課題とは違うような
内容を書いて、怒らせ、自分を目立たせた。
嘘とハッタリのうまい桐山さんならやるでしょう。
- 22 :深山:2011/08/06(土)
12:57:33
- >>9 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:56:41
>しかし、早稲田中退か、中学中退か、どちらが本当か、何で解るの?
美人女優の目を引こうとしたというのは、私の空想だけとはいえない。
その証拠が、桐山さんが実際に結婚した相手です。
桐山夫人は歯科医だった。
女性が職業を持つことも少なかったあの時代に、社会的なステータスのある歯科医を
桐山さんは口説き落とせたのです。
桐山さんが何か立派な学歴や肩書きがあったのならともかく、
本人も書いているように、商売をしていたにすぎない。
こんなステータスも何もない男が、肩書きを持った男性からの
見合いの申し出が殺到していたと女性歯科医を口説けたのです。
彼女の実家は呉服屋だったらしいから、裕福だった。
裕福な家の出の社会的ステータスのある女性を、何も持たない桐山さんが口説き落とせた。
オスとしては立派だと思う。
だが、どうして口説けたのかは、その後の彼の人生を見ればわかるように、
嘘とハッタリであることは明かです。
嘘とハッタリで自分を大きく見せて、肉体関係まで持ち込んだ。
妊娠してしまったのだから、彼女の実家は怒り狂っても、結婚するしかない。
こういう「やり手」で自己評価の異常に高い桐山さんなのだから、
美人女優のいる大学に潜り込んで、あわよくば彼女をゲットしようと
していたとしても、不思議ではありません。
つまり、桐山さんが日大に入学したという話は、小説や勉強の話ではなく、
女優をゲットするのが目的で潜り込んだとみれば、スンナリと説明がついてしまう。
- 23 :深山:2011/08/07(日)
18:30:18
- >>7 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:11:18
>阿含経で、お釈迦さまが、「四双八輩 是如来弟子衆也 聖賢之衆」と、説いて
準シュダオンさんはいかにも漢文経典を記憶して引用しているかのように
書いているが、これも真っ赤な嘘です。
彼の記憶がいかにいい加減でデタラメを書いているか示しましょう。
準シュダオンさんはこの経典を次のように書いた。
>釈尊は、四双八輩是聖賢之衆、としているけれども、
(55章の226、6月23日)
>私だって、四双八輩是聖賢衆、を訳したら、預流向を含めて聖者と訳すよw。
(55章377、6月27日)
この書き込みに、私が何という経典なのかを示すように要求しても(55章273)、
もちろん、彼はいつものとおり無視しました。
実はこの引用自体がデタラメなのです。
そこで55章の511(7月5日)で彼の引用がデタラメであることを指摘した。
遊行経にある正しい漢訳経典は次のようになっています。
- 24 :深山:2011/08/07(日)
18:34:10
- 「四双八輩是謂如来賢聖之衆」(正しい漢訳経典)
(『現代語訳阿含経典1』平河出版、221頁)
準シュダオンさんは、聖賢と書いているが、原文は賢聖です。
もちろん、こういう間違いの指摘を受けても、準シュダオンさんには恥という
概念がないから、なんともなく、二日後にまた同じ事を書き続けた。
>「四双八輩是聖賢之衆」を訳せば、シュダオン向も聖者になるけど、
(55章533,
7月7日)
私は再度彼の嘘を55章542(
7月7日)に指摘したが、もちろん、カエルの面に
水で、何の効果もなく、またその二日後に嘘を書いた。
>「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」というお釈迦さまの言葉は、
(55章633,
7月9日)
ところで、皆さん、上記で準シュダオンさんの嘘がまた増えたことに気がついたでしょうか。
「四双八輩是聖賢之衆」(266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(633,
7月9日)
いつの間にか「弟子」が追加された。
原文にはもちろん「弟子」なんて言葉は出てこない。
二週間ほどの間に、準シュダオンさんの脳では記憶の捏造が行われたのです。
さらに彼の恥知らずの妄想脳での経典捏造が進んだ。
- 25 :深山:2011/08/07(日)
18:38:10
- 「四双八輩 是如来弟子衆 聖賢之衆」(55章984, 8月5日)
「四双八輩 是如来弟子衆也 聖賢之衆」(>>7 8月6日)
たった一日の間に、「也」が追加された!!
この追加が、原文を見て間違いを修正したのなら良いことだが、違います。
「四双八輩是謂如来賢聖之衆」(正しい漢訳経典)
(『現代語訳阿含経典1』平河出版、221頁)
正しい経典を見ればわかるように、「弟子」も「也」も元々入っていない。
両方を準シュダオンさんは適当に付け加えたのです。
まるで、彼の脳が腐敗してブクブクと泡を出しているような光景です。
自分で経典を捏造するのだから、桐山さんが経典を捏造しても気にならない。
準シュダオンさんは平河本を持っているのです。
だったら、書くときにはその本を見て書けばいい。
だが、彼は自分のいい加減な記憶を頼りに、間違いを二度も注意されても、
どこ吹く風、蛙の面に水です。
皆さんは漢文を引用するなら、記憶で書きますか。
しませんよね。
本を見て確認するはずです。
だが、準シュダオンさんはそれをしない。
しかも、平河本には小難しい漢訳だけでなく、現代語訳があるのだから、
それを引用すればいいだけです。
だが、彼はいつも漢文経典を引用する。
なぜだと思いますか。
漢文をスラスラと出せるくらいオレ様は頭が良いと自慢しているのです。
本人がそう書いている。
- 26 :深山:2011/08/07(日)
18:40:27
- >942 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/02(火)
11:39:07
>は辞典で確かめずにレスしていますよ。加齢とともに、だいぶ記憶力が衰えてるの
>ですが、このあたりの暗記は出来てますから不思議ですね。
みてください。
なんと、彼は自分の記憶力を誇っている!?
記憶力が良いという彼はこの一ヶ月ほどの間ですら、引用は次のようにデタラメです。
「四双八輩是聖賢之衆」(266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也 聖賢之衆」(>>7)
記憶はいい加減で、書くたびに勝手に言葉を付け加える。
ところが、こんな記憶力の彼は、「暗記は出来てますから不思議ですね」!?
これが典型的な老人脳の反応です。
準シュダオンさんみたいに元々あまり頭が良くなく、老化しているのに、
本人はまったく逆に自分は頭が良く、ますます良くなっていると自惚れている。
老人脳の特徴は、こんなふうに現実とはまったく逆に思いこんで、堂々と主張することです。
- 27 :深山:2011/08/07(日)
18:45:32
- 「四双八輩 是如来弟子衆也 聖賢之衆」(準シュダオンさんのインチキ経典>>7)
「四双八輩是謂如来賢聖之衆」(正しい漢訳経典)
準シュダオンさんのデタラメな記憶を証明するために引用したのではありません。
信者さんたちに、この準シュダオンさんの態度とそっくりの人の
ことを思い出してほしいからです。
桐山さんです。
超人的能力を持ち、目はカメラで、耳はレコーダーだと自慢した。
だが、現実の桐山さんは、関東別院のYANの職員の顔と名前すら覚えられなかった。
カゲロウと一緒にして、ショウジョウバエが一日で死ぬなどと話した。
こんなのは記録に残らないからまだごまかせる。
本一冊を記憶力だけで書いたと豪語した。
その本で桐山さんは次のように書いた。
さあ、信者さんたちは桐山さんの求聞持脳による素晴らしい記憶力を見てください。
- 28 :深山:2011/08/07(日)
18:51:17
- 『守護霊の持てる冥徳供養』126頁
「仏陀釈尊がおなくなりになってすぐに、仏陀の弟子たち500人が集まって、
自分たちの聴聞した釈尊の教えを、おたがいに確認しながら、記録した。
それまで、釈尊の説法は文字に記録されていなかったのである。
「釈尊から直接、教えを受けた自分たちがいなくなったら、釈尊の教えが消えてしまう。
今のうちに文字にしておこう」
ということで、十年かかって、釈尊の説法がすべて記録された。」
いくらなんでも信者さんたちは、阿含経が釈尊の死後十年で文字に
なったとは信じていませんよね?
こんな学説は存在しません。
阿含経がいつ文字になったかははっきりしません。
しかし、かなり長い間、文字にされず、言葉で伝えられていたというのが、
今日の仏教学の常識です。
ところが、桐山さんは十年で文字にされたという珍説を出しています。
嘘であり、記憶違いです。
前は、比丘たちの記憶に頼って伝承されたと本にも書いていたし、法話でも話していた。
それなのに、ここに来て突然、とんでもない珍説を唱え始めた。
- 29 :深山:2011/08/07(日)
18:55:57
- 『守護霊の持てる冥徳供養』126頁
「ということで、十年かかって、釈尊の説法がすべて記録された。」
桐山さんは、この本を書いた七十歳前後、長年の美食・飽食で脳が老化していたから、
本業といえる分野でこんなデタラメな記憶になっていた。
準シュダオンさんが記憶した経典を次々と変えてしまったのと同じです。
特に着目してほしいのは、桐山さんも自分の記憶力のデタラメさには気がつかず、
むしろ、参考書も見ないで書いたなどと記憶力の良さを誇っていた点です。
準シュダオンさんとそっくりでしょう?
これが老人脳の特徴なのです。
自分を省みることもなく、自惚れから来る妄想で、
自分はものすごく記憶力が良いと思いこんでいる。
だが、現実はまったく逆で、桐山さんは十年で文字になったなどという
とんでもない説を作り出した。
準シュダオンさんも、書くたびに嘘を書きながら、恥じるどころか、
>ですが、このあたりの暗記は出来てますから不思議ですね。
などと自惚れている。
彼らは自分を疑わない。
お山の大将だから、一番優れていると思いこむ。
これが脳が縮小し始めた老人によく見られる現象です。
二人とも知性が拡大したと錯覚してるが、現実は逆で、脳が縮小し、認識できる範囲が
狭くなったら、逆に、自分が優れた知性を持ったかのように錯覚しているのです。
- 30 :深山:2011/08/07(日)
19:00:10
- 『守護霊の持てる冥徳供養』126頁
「ということで、十年かかって、釈尊の説法がすべて記録された。」
桐山さんの自慢の仏陀の智慧の正体とは「老人脳」のことです。
脳が老化した分、自分の知性が拡大したかのように錯覚している。
彼らの共通点は自惚れから来る妄想がひどいのと、
自分への反省が皆無である点です。
桐山さんの主張に反論するなど周囲は誰もできない。
異論を唱え、桐山さんの間違い指摘した職員や先達は全員がクビです。
準シュダオンさんも同様で、二ヶ月近くも前に私が彼の記憶違いを指摘したのだから、
普通なら、そこで修正が効くのに、ごらんのように全く効果がない。
私からこんなふうにさらし者にされても、彼はなんともなく、
その内、また同じ事を書くでしょう。
外部からの修正が効かないから、彼らの妄想はどんどん膨らみ、
ついには仏陀の知恵だの、シュダオン界からのデンパが来るなどという自惚れ発言が始まる。
信者さんたちは準シュダオンさんの妄想につきあう気はないでしょう。
彼の主張には根拠がなく、「考える」と称して、空想を主張しているにすぎないことは、
ここ一ヶ月の議論をみれば十分です。
それならば、どうして桐山さんの妄想にだけはつきあうのですか。
- 31 :深山:2011/08/07(日)
19:04:18
- 『守護霊の持てる冥徳供養』126頁
「ということで、十年かかって、釈尊の説法がすべて記録された。」
今日は特別御指導で、なんと四神足を教えてくれたらしい。
桐山説によれば、釈迦の成仏リキとやらの中心です。
習って神通力は体得しましたか。
何にもありゃしませんよね。
だって、桐山さんは四神足を「心象風景」だと言っているのですよ。
「わたくしは思うのである。これは全文、ブッダのニルヴァーナにおける心象風景なのだ、と。」
『21世紀は智慧の時代』191頁
信者さんたちは心象風景を体得するために1万円もの大金を払い、
蒸し暑い中を道場に行ったらしい。
桐山さんは四神足なんて体得していないは、その解説を読めば十分です。
神通力でカルマを切るなんて、阿含経のどこを読めばこんな
バカみたいな解釈が出てくるのだ?
阿含経に限らず、仏教にはカルマを切るなんて概念すらありません。
アゴンマガジンで森川さんが必死にカルマ解脱があるかのような
ゴマカシを書いていたが、全部嘘であることは前に反論したとおりです。
それは準シュダオンさんが「預流向≠聖者」と言っているのと同じくらい無知な話です。
- 32 :深山:2011/08/07(日)
19:10:04
- 桐山さんは四神足が何であるか理解していないし、もちろん神通力なんて
ありゃしません。
信者さんたちも桐山さんの神通力なんて見たことがない。
信者さんたちの反発を恐れずにいうなら、桐山教は、
「頭がいかれている妄想老人のタワゴト」です。
妄想老人の準シュダオンさんの話がその場しのぎのデタラメであるように、
妄想老人の桐山さんの四神足もデタラメです。
問題は妄想老人のほうではなく、相変わらず彼らの妄想を信じ続ける信者さんたちなのですよ。
批判を無視するのは信者さんたちの自由だ。
だが、それをしたらどうなるか、準シュダオンさんが模範を示した。
物知りと記憶力を自慢したつもりで阿含経を引用しながら、実際には
彼の記憶のデタラメさと主張のいい加減さを披露しただけです。
簡単に言えば、無知と慢心をさらけ出しただけです。
本人は恥知らずだから、恥をかいたこともすら自覚できない。
こうなったら、人間としてオシマイです。
犬や猫ですら、恥をかくことを嫌う。
信者さんたちは釈尊もまた恥じる心を説いているのを知っていますか。
他人の批判に耳を傾けないなら、信者さんたちも準シュダオンさんと
同じように恥知らずになるだけです。
- 33 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/08(月) 06:44:55
- @chs−1で干柿さんが素晴らしいレポートをしておられましたので転載を。
http://jbbs.livedoor.jp/internet/6441/
997 名前:干柿 投稿日:
2011/08/07(日) 23:45:56
伝法会合同講義の四神足法の講義の報告が入りましたw
なんのことはない護摩木の御法施の水晶龍神と新たにお曼荼羅がでて
その両方を祭って祈るとよいというものらしい、おしだいが配られ
っていうんだから、これって祈祷か勤行なんだろ?どこが四神足法なんだ?
F田さんが講義っていうことだからボケ法話は回避されw
最後に桐山ゲイカがでてきて一言二言挨拶程度だったようです。
よーするに護摩木勧進を煽り買わせるため
すばらしい御法施をもらいなさいという騙しだったもようw
この記事を見ると分かりますように、いつもの阿含宗パターンであり、商法です。
この記事がデタラメかどうかは特に現信者さんなら確認を取れば分かる事項です。
本当に懲りずに法施商法、秘法・秘伝商法をする。こういう類で釣るしかないのが
阿含宗ですから「またか」という感じです。
切り札の四神足法も「拝んで終り」にさせているのが目に取れます。
何十万も教団へ貢がせて拝ませてその気にさせる。効果の程がなくても教団は
責任など取らない。この繰り返しを何十年もやっているのです。
深山さんのおっしゃっているとおり、教祖や教団の作る妄想を信じるのは
もうやめた方がいいですよ。損をし馬鹿を見るのは「信じたほう」です。
教団に貢ぐより自分や家族や他人のために有益にお金と人生を有効に使って下さい。
- 34 :準シュダオン:2011/08/08(月)
10:04:47
- >「四双八輩是聖賢之衆」(266、6月23日)
>「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(633,
7月9日)
>「四双八輩 是如来弟子衆也 聖賢之衆」(>>7)
無知は困るねぇw、経によっては、弟子衆となっていたり、聖賢之衆となって
いたり、僧衆と書かれていたりするのです。だから上記の違いなど、どうでも
いいのよ。深山さんはろくに経典読んだことないのね。読んでもすぐ忘れて
しまうのか。それ、若年性痴呆症というの。
- 35 :準シュダオン:2011/08/08(月)
10:34:37
- >ここでは何度も言うが、教祖は桐山さんで、教祖の教義の引用は阿含経典から
>です。その是非を議論している。違いますか?
>あなたの我説など誰も聞いていない。
私のレスは我説ではないですよ。9割以上が管長説です。管長説でない場合は辞典説
を出しているよ。例えば、我見を断つのが修行の1丁目1番地だ、と先日レスしたね。
アゴンさん、「仏陀の真実の教えを説く」上、本のP305で確かめてご覧なさい。
「修行の第一歩は我見をなくすこと」、と、大きく書いてあるでしょう。
そして同頁に、「身見・疑惑・戒取の三結は諸君が最初に切らなければいけない煩悩です」
と、書いてありますよね。ね、修行の第一歩が我見を切ることで、この三結はセット
です。この三結を切るというのは、預流向のお仕事です。
つまり、管長は、「諸君は預流向です。」と書いてるのと同じことですよね。
深山さんなど、そのことに気付けないから、我見の塊です。
異常なレス量が我見の証拠です。我執が強いから、膨大なレス量になるのです。
仏教辞典には、「我見を根本として貪瞋痴の三毒を起こすなり」と出ています。
また、相応部経典で釈迦は、「色受想行識に執着することに依って、我見を起こす」
と説いてます。これら理窟を憶えただけでは我見は切れないね。十年も二十年も考え
続け、修行も続けて切れるのでしょう。そうすれば、我見と自灯明の違いなども、
他人に説明できるようになると思われます。
- 36 :サライ:2011/08/08(月)
10:52:56
- >>33 (@chs 新四章まだ投稿できないようなので、こちらへ) >干柿 投稿日:
2011/08/07(日) 23:45:56 >F田さんが講義っていうことだからボケ法話は回避されw>最後に桐山ゲイカがでてきて一言二言挨拶程度
。。。。今回のチラシ 平成23年 全国一斉開講 阿含仏教伝法会 管長猊下特別御指導コース開講
『諸君の修行がさらにすすむよう、今年も、八月に、私が指導する特別コースを開催して、新たな法の伝授を行うことにします。期日は8月7日で、伝授する法は「水晶龍神瞑想法」です。以前にも「水〜瞑想法」の基本となる瞑想法を教えましたが、今回の伝授する瞑想法はより本格的な法です。この「水〜瞑想法」
というのは、前から私が伝授しようと思っている「七科三十七道品」の中の「四神足法」です。 本年1月に関西総本部に竣工した「錬成堂 水晶龍神不動之瀧 」
には私が何十年にわたって諸君に指導してきた教えがこめられていますが、今度伝授する「水〜瞑想法」はこの教えをもとにしています。また、この瞑想法はまもなく出版する「輪廻転生瞑想法」の基本となる瞑想法です。また、当日は「水〜瞑想法」による、ブッダの思念
の相承もいたします。』(6月冥徳祭御法話より抜粋) 管長猊下より大変貴重な伝法会が行われます。修行の向上と錬磨のため奮ってご参加ください。 ………
8月7日PM1時〜4時 受講料1万円
。。。。F田さんがメイン講師で、ゲイカが挨拶程度なら、チラシにも講師名F田さん併記しなくてはマズイのではないのですか。"虚偽表示""不当表示"ですよ。こんな状況でも阿含宗の消費者はまた、黙って泣き寝入りなんですかね。
- 37 :深山:2011/08/08(月)
12:33:39
- >>34 :準シュダオン:2011/08/08(月)
10:04:47
>無知は困るねぇw、経によっては、弟子衆となっていたり、聖賢之衆となって
>いたり、僧衆と書かれていたりするのです。
あなたが書いた下記の三種類の経典は実在すると言うのですね。
>「四双八輩是聖賢之衆」(266、6月23日)
>「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(633,
7月9日)
>「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(>>7)
出してみなさい。
出せるはずがない。
私は大正新脩大蔵経で検索した上で、書いたのです。
あなたは一度も経典の名前を出したことがない。
平河本の遊行経であることを指摘したのは私で、あなたではない。
上記のような記述の経典など存在しません。
あなたの作り話、見え透いた嘘です。
それにしても、よくまあ、こうやって嘘の上に嘘を重ねますね。
記憶違いを指摘されたら、普通は受け入れる。
だが、あなたは悔しいから、いかにも他の経典があるかのように
別な嘘をついてまたごまかそうとした。
準シュダオンさんて、本当に嘘つき総大将・桐山ゲイカのお弟子ですね。
三福道を捏造し、今でも三供養品は2種類の経典があるかのようにごまかしている。
嘘でゴマカスやり方まで桐山さんとそっくりです。
これであなたの嘘の一覧表にはもう一つ嘘が増えた。
- 38 :深山:2011/08/08(月)
12:35:09
- 準シュダオンさんの嘘の一覧表
1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(55章625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=一来向」「一来果=不還向」「不還果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(55章940)
8.下記の文章のある阿含経はどこにあるのか?(>>34)
「四双八輩是聖賢之衆」(五章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(五章633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(>>7)
- 39 :深山:2011/08/08(月)
12:38:48
- >>7 :準シュダオン:2011/08/06(土)
09:11:18
>弟子衆や聖賢之衆の「衆」とは、SAMGHAの漢訳であることが解った。
この遊行経について、あなたのゴマカシをもう一つ追加してあげましょう。
あなたが根拠とした「四双八輩是謂如来賢聖之衆」(正しい阿含経)で、
あなたの説では、「賢聖の衆」の「衆」とは個人を指すのではなく、
サンガだから、釈尊は預流向という個人を指したのでないという主張です。
主張自体が意味不明の脈絡のない話だから無視していたが、
これもまたすり替えのゴマカシです。
「賢聖の衆」についてこの本で学者は次のように書いている。
「また賢聖はここでは賢者聖人のこと。」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、499頁)
つまり、「賢聖の衆」とは「賢者聖人の人々」「賢者聖人のサンガ」のことです。
釈尊は、四双八輩は賢者聖人の集まり、サンガであると述べている。
聖者の集団だと言っているのです。
聖者の集団をサンガというのです。
サンガを構成している四双八輩はすべて賢者聖人であると述べている。
だったら、四双八輩の一つである預流向は聖者です。
「衆」を集団の総称であることを指摘して、話をすり替えたつもりだろうが、
衆がサンガなら、聖者集団であるサンガを構成している預流向は聖者です。
- 40 :深山:2011/08/08(月)
12:43:32
- >>35 :準シュダオン:2011/08/08(月)
10:34:37
>私のレスは我説ではないですよ。9割以上が管長説です。管長説でない場合は辞典説
>を出しているよ。例えば、我見を断つのが修行の1丁目1番地だ、と先日レスしたね。
話題をそらそうと必死ですね。
アゴンさんのいう我説とは、私が>>38で指摘した1〜8の内容です。
1〜8の内容に証拠を示してみなさい。
出せないから、関係のない話を出してごまかそうとしている。
何一つあなたは証拠を出せないまま、我説をひたすら唱えている。
1〜8の内容は我説というよりも、準シュダオンさんの嘘です。
「預流向≠聖者」など桐山さんは唱えていない。
あなたが『人間改造の原理と方法』で出したように、桐山さんは「預流向=聖者」
だと述べており、これを後で否定したことはありません。
あなたが出した『輪廻する葦』には預流向の話そのものが出てこない。
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』(373頁)
では、桐山さんは預流向を外道凡夫ではないと述べているのだから、
これもまた「預流向=聖者」です。
「預流向≠聖者」など桐山さんの説ですらなく、準シュダオンさんの我説です。
仏教辞典のどこに「預流向≠聖者」とあるのだ?
あなたの勝手解釈以外、これまで何一つあなたは証拠を出せたためしがない。
なぜなら、あなたは嘘つきだから。
- 41 :深山:2011/08/08(月)
12:47:15
- >>35 :準シュダオン:2011/08/08(月)
10:34:37
>つまり、管長は、「諸君は預流向です。」と書いてるのと同じことですよね。
>深山さんなど、そのことに気付けないから、我見の塊です。
アゴン宗や準シュダオン教の教説を信じないことが我見??!!
何を本末転倒なことをほざいているのだ。
我見とは仏教の教説であって、アゴン宗の教説ではない。
ある主張が我見かどうかは、仏教の教説で判断するべきで、外道教祖の
桐山さんや、外道信者の準シュダオンさんがどう言ったかなんて関係ない。
仏教の我見とは、>>16でも説明したように、
「自分の実体は霊魂、魂である」
と信じることです。
アゴン宗はまさにそのように信じている。
アゴン宗は桐山さん自ら、人間には霊魂があり、それらは魂魄で
出来ており、死ぬと魄が出ていくなどと、我見そのものを説いている。
あなたもそう信じている。
そういうのを我見といい、身見という煩悩です。
あなたも書いているように、これを捨てない限り、仏教の入り口にすら立てない。
アゴン宗は解脱の定義すら違うのだから、もとより仏教の入り口にすら立っていない。
我見の塊とは、まさに桐山さんと信者たちです。
- 42 :深山:2011/08/08(月)
12:54:19
- >>35 :準シュダオン:2011/08/08(月)
10:34:37
偉そうに何を書いても無駄ですよ。
>>38の1〜8の嘘が準シュダオンさんの正体です。
あなたの正体とは「虚言癖と妄想癖のある自惚れの強い老人」です。
あなたは読者の信頼をまったく失っている。
あなたが何かを書いても信者ですら信用しない。
1〜8の嘘を見たら、準シュダオンさんが病的な虚言癖の
持ち主なのが、よくわかる。
短期間にこれだけ嘘をつき、書くたび増える。
しかも、桐山さんと同じで、どんなに嘘であることを指摘されても、
絶対に認めようとしない。
そればかりか、8のように、嘘をゴマカスために、
薄ら笑いを浮かべながら、次の嘘をつく。
あなたはこういうゴマカシをできる自分が智慧があると自慢で
仕方ないようだが、読んでいる読者はゾッとしている。
今回、「準シュダオンさんの嘘の特集号」を組んで一ヶ月近くも
あなたのシッポを掴むと、次から次と嘘が出てくる。
付き合いの長い私ですら、>>38のあなたの正体を見て、改めて驚かされている。
ここまであなたが嘘つきだとは気が付きませんでした。
この十年間を見ても、これほどの嘘つきは記憶にない。
- 43 :深山:2011/08/08(月)
13:00:30
- >>35 :準シュダオン:2011/08/08(月)
10:34:37
あなたは嘘とは朋友だから、気にならないのだろうが、
読者の多くは仏教に関心を持っているから、釈尊の教えの中に
「嘘をつくな」というのがあるのを知っている。
だから、できるだけ嘘はつくまい、嘘は減らそう、嘘をつくのは恥ずかしいことだ
という共通した前提があるのです。
ここに出てきた信者が、桐山さんの嘘を指摘されるとひるむのはそれが理由です。
ところが、あなたにはこの前提がない。
なんのためらいもなく、嘘をつき、嘘をごまかすためにさらに嘘をつく。
>>34のように、嘘をつくことが自慢で仕方ないという様子で、
人を小馬鹿にした調子で嘘をつく。
根っからの嘘つきなのがわかる。
そこに仏教に関心を持つ読者の多くがギョッとしているのです。
と言われても、何のことかわかりませんよね。
たとえで言うと、人殺しをなんともない人のように見えるのです。
ポルポト派に育てられた少年兵が笑いながら「人を撃ち殺すのは楽しい」と言っていた。
背筋が凍り付くような光景です。
だが、少年兵は何が悪いのかわからないのです。
準シュダオンさんの様子を見ていると、あの少年兵とよく似ている。
少年は人を殺すことが楽しいように、あなたは嘘をつくことが自慢でしかたない。
>>38はあなたの姿を映した鏡です。
- 44 :準シュダオン:2011/08/09(火)
09:30:44
- >。』(6月冥徳祭御法話より抜粋) 管長猊下より大変貴重な伝法会が行われます。
>修行の向上と錬磨のため奮ってご参加ください。 ………
8月7日PM1時〜4時
> 受講料1万円
。。。。F田さんがメイン講師で、ゲイカが挨拶程度なら、チラシにも
>講師名F田さん併記しなくてはマズイのではないのですか。"虚偽表示""不当表示"
>ですよ。こんな状況でも阿含宗の消費者はまた、黙って泣き寝入りなんですかね。
最初に四神足法について、深田氏の解説があったのだけど、不思議なことにね、
その時私は、苦しくて静座ができなくなった。それで姿勢を崩して、ハタヨーガ
の一つみたいな姿勢をして過ごした。深田氏のお話しが終わったら楽になったw。
水晶龍神瞑想法は四神足法なのだそうです。
安那般那念経には、四神足法の神髄が説かれていると管長本に書かれていますね。
四神足法とは、瞑想法であるということですね。水晶の中に龍神やら、曼荼羅など
を観想して、(曼荼羅の中の仏舎利尊が釈尊に変化して、白銀に輝く聖なるバイブ
を・・おっと、と、これ以上はレスできない)毎日その瞑想法を続けていけば、
解脱が進む、という教えでしょう。
私の場合は、水晶龍神瞑想法を教わる前に、不完全ながら、聖なるバイブの洗礼が
起きた。水晶と曼荼羅を使用して瞑想する方には、完全な、聖なるバイブレーション
・思念の相承が起きる可能性が大きいと思います。
アゴンさんは、水晶や曼荼羅を拝受してるのかな?7日は受講したのかい?
私は、未だ曼荼羅を拝受していないから、どうなることやら。
。
- 45 :アゴン:2011/08/09(火)
12:04:30
- 受講しましたよ。(笑)
個人的にはまーまー良かったです。想像してたより、形になっていました。
ここでさんざんボッタクリヤーって書いたお陰か?工夫が見られました。
詳しくは書きません。ただ水晶龍神ゲットしなどうにもならない水晶龍神瞑想法に、はい20万いりまーす。と高らかに言われ、さらに進んでの四神足法に曼荼羅二つでさらに四十万要りまーす。と言われた気がしました。
- 46 :深山:2011/08/09(火)
12:31:04
- >>44 :準シュダオン:2011/08/09(火)
09:30:44
>私は、未だ曼荼羅を拝受していないから、どうなることやら。
四神足と聞いて、欲に釣られて参加したのですね。
準シュダオンさんらしくエゴ丸出しです。
例祭などアゴン宗のイベントには参加しないが、
超能力獲得の話で、しかも、資格も問わず、1万円で済むとなると、
いそいそと出かけたところが、あなたの修行の目的が明瞭でわかりやすい。
自分のこととなると金を惜しまないが、残留孤児の養父母なんて
赤の他人には百円すらも出さない。
アゴン宗に入信したのも超能力を体得して、自分を排除した勤務先の
連中に一泡吹かせてやろうという魂胆だったでしょう?
超能力どころか、普通の仕事の能力すら示せず、一泡吹いたのはあなたのほうだった。
- 47 :深山:2011/08/09(火)
12:36:23
- >>44 :準シュダオン:2011/08/09(火)
09:30:44
>私は、未だ曼荼羅を拝受していないから、どうなることやら。
マンダラを拝受していないとわざわざ書いたところを見ると、
準シュダオンさんは水晶龍神は拝受したのですね!?
そりゃすごい。
あれは20万円の法施でもらえる。
今回の伝法会では水晶龍神がなくても参加できた。
準シュダオンさんは2000本の護摩木を勧進したのだ!
私はあなたがもらったなんて信じていないから、指摘した。
マンダラどころか、水晶龍神ももらっていないのを隠すために、
わざとマンダラをもらっていないと書いたと私は推測している。
こういう目くらましの手法をこれまでもあなたはしばしばしてきた。
虚言癖のある準シュダオンさんなら、こんな程度の嘘は朝飯前ですよね。
私の指摘に読者も疑いだした。
準シュダオンさん、疑いを晴らすために、
「水晶龍神は拝受した」とはっきり宣言してください。
- 48 :深山:2011/08/09(火)
12:38:01
- >>44 :準シュダオン:2011/08/09(火)
09:30:44
>安那般那念経には、四神足法の神髄が説かれていると管長本に書かれていますね。
信者さんたちもよく知っておいてほしいことがあります。
「仏教には四神足はあるが、四神足法などない」
桐山さんは何でもかんでも「法」とつけて、何か秘法を体得したかのような
言い方をする。
だが、釈尊の説いたのは四神足であって、四神足法ではありません。
「<四念処(しねんじょ)><四正勤(ししょうごん)>(四正断とも)<四神足(しじんそく)>
<五根(ごこん)><五力(ごりき)><七覚支(しちかくし)><八正道(はっしょうどう)>
という7種の修行法をまとめて三十七道品という.」(岩波仏教辞典)
これが正しい表記です。
ごらんのように、四神足法ではなく四神足です。
同様に、桐山さんは、縁起の法などというが、縁起の法ではなく縁起です。
- 49 :深山:2011/08/09(火)
12:41:48
- >>44 :準シュダオン:2011/08/09(火)
09:30:44
>安那般那念経には、四神足法の神髄が説かれていると管長本に書かれていますね。
信者さんたちは、法をつけるかどうかなんてわずかのことだ、と言うでしょう。
でも、法とつけただけで、信者さんたちは普通の仏教知識を持たないオカルト仏教の
信者だとわかってしまう。
四神足法や縁起の法なんて言ったら、それだけでも、普通の仏教の知識の
ある人たちが聞けば、信者さんたちが何か新興宗教など特殊な仏教の
信者だとわかってしまうのです。
無知をさらけだしているからみっともない。
しかも、自分は仏教の知識がないと謙虚な態度で間違った表記をするなら
まだ許されるだろうが、信者さんたち桐山ゲイカの表記こそが絶対に正しいと自惚れている。
私から指摘されても、半数の信者さんたちは「フン!そんな程度のこと」と
反発心を覚えたはずです。
だが、それって無知をさらしているのですよ。
自分の姿は見えないだろうから、準シュダオンさんをごらんなさい。
すっかり四神足法とやらを学び、なにか体得したかのように
偉そうにお説教を始めている。
四神足を四神足法などと間違うヤカラが四神足を体得できるはずがない。
威張りながら、間違ったことを書いたら、みっともないから、笑われる。
準シュダオンさんは恥知らずだから、なんともないだろうが、
他の信者さんたちで、普通の羞恥心を持つ人ならば、気をつけたほうがいい。
準シュダオンさんみたいに羞恥心が麻痺してしまったら、
人間としてオシマイですよ。
- 50 :深山:2011/08/09(火)
12:47:54
- >>44 :準シュダオン:2011/08/09(火)
09:30:44
>安那般那念経には、四神足法の神髄が説かれていると管長本に書かれていますね。
これも前に指摘した桐山さんの嘘です。
他人のパクリであり、何の根拠もないことは2ちゃんねるの
スレ100の516以降に書いてあります。
http://souko.digi2.jp/
安那般那念経は四神足を説いた経典などではありません。
安那般那念経のどこに四神足があるのだ?
桐山さんに言わせると、ここに何種類もの呼吸法が説かれており、
それでチャクラを覚醒させるのだという。
この経典には呼吸は出てくるが、どこにも呼吸法なんて出てきません。
しかも、呼吸法を用いて神通力を覚醒させるというネタ自体が、他人のパクリです。
桐山さんは『求聞持法瞑想入門』でも、安那般那念経を取り上げて、
呼吸法や瞑想の経典だと述べている。
ところが、彼の本が出た少し後に、次のような本が出た。
『釈尊の呼吸法 大安般守意経に学ぶ』村木弘昌、1979年
「64.神足」(164頁)
「正しい呼吸の実践により迷いの多い生活を脱し、道を知る、
そして撓まぬ実践から神足が得られるというわけです。」
「65.神足の獲得」
「医学的に見れば正しい呼吸が常時行われることにより・(中略)・それらの持てる機能があまたところなく発現するのではないだろうか。
特に六神通といった能力は、すばらしい脳循環により大脳の発揮できる最大限の能力が、
よどみなく湧きでてくるのではないだろうか。」(168頁)
呼吸法で神通力を獲得するという今日の桐山さんの主張の元ネタです。
呼吸法によって神通力を体得するというアイデアを村木さんが出し、
これを桐山さんがパクッタ。
桐山さんは呼吸法で神通力を体得するという方法を修行によって
得たのではなく、他人の本をそのままパクッタのです。
桐山さんがパクッタ証拠すらある。
村木さんは医者だから、仏教の知識がなく、とんでもない読み間違いを
しており、この間違いすらも桐山さんはそのままパクッタ。
- 51 :深山:2011/08/09(火)
12:52:00
- 『釈尊の呼吸法 大安般守意経に学ぶ』14頁
「・・釈尊の場合は、断息といった言葉の方がふさわしいほどのはげしい止息をされています。」
「アナパーナ・タチは改良の前の後も一貫して止息が入っていなかった。」
村木さんは仏教の素人だから、止息を呼吸を止めることだと勘違いしている。
信者さんたちにもぜひ調べてほしいのだが、阿含経の止息には
呼吸を止めるという意味はありません。
止息の止も息もどちらも「とめる」「やめる」という意味です。
息災延命とは、災いを呼吸するのではなく、災いをとめて延命するという意味です。
これと同じで、阿含経の止息とは呼吸の話ではなく、
「止める」「やめる」という意味です。
止息(『佛教語大辞典』東京書籍、507頁)
@苦しみのなくなること
結論だけ言うなら、止息とは煩悩を捨てることです。
だが、村木さんはその知識がないから、止息という言葉を見て、
これを呼吸法であり、息を止めると勘違いした。
そして、なんと、(さあ、爆笑する準備をしてください)、ブッダの智慧を持ち、
四神足を体得したというあるお方が、仏教素人の村木さんと間違いを
そのまま鵜呑みにして、止息を呼吸法だと思いこんだ!
- 52 :深山:2011/08/09(火)
13:01:37
- 『止観の源流としての阿含仏教』91−92頁
「ことに、仏陀は、雑阿含経「止息法」で、四つの最上深秘の呼吸法を説いています。
勝止息 奇特止息 上止息 無上止息
仏陀は、この経典で「この四つの呼吸法は、すべての呼吸法において、
これ以上のものはない最上の呼吸法である」述べています。」
止息経で四つの止息が説かれており、それらは呼吸法だというのが
桐山ゲイカの主張です。
だが、信者さんたちはすでに止息の息とはイキのことではなく、
トメルことだと知っているはずです。
止息とは呼吸のことではありません。
だが、阿含経をことごとく読破して体得したはずの桐山ゲイカは、
素人の村木さんの解説を読んでそれを鵜呑みにして、
止息とは四つの呼吸法だと思いこんだ!
素人の間違った解説をそのままパクッタのです。
信者さんたちは認めたくないだろうが、驚くべき無知です。
このパクリが桐山さんの神通力の元なのですよ。
神通力開発の話が、無知から来るただの読み違いです。
爆笑ものです。
いかに桐山さんが何も知らないかを如実に示している。
阿含経を読破したかのような書き方をしているが、
実はあちこちの種本からパクリ、その場しのぎに作り上げているにすぎない。
だから、桐山さんが安那般那念経を四神足を体得するための呼吸法だと
言い出したのは1980年代の後半からです。
村木さんの種本が出てからです。
種本が出てから、あわてて修行法を作り出してみせた桐山さんが、
立宗前に神通力を体得したと信者さんたち本気で信じるのですか?
だから、今回も商品販売以外は何も出てこない。
桐山さんにはパクリや霊感商法以外の神通力などない。
そして、こんなネタばれの内容を未だに信じるなら、今度は信者さんたちの知性の問題になる。
準シュダオンさん並の知性だということになってしまう。
それだけは避けたいでしょう?
- 53 :深山:2011/08/09(火)
13:11:54
- >>45 名前:アゴン 投稿日: 2011/08/09(火)
12:04:30
>ただ水晶龍神ゲットしなどうにもならない水晶龍神瞑想法に、はい20万いりまーす。と高らかに言われ、さらに進んでの四神足法に曼荼羅二つでさらに四十万要りまーす。と言われた気がしました
今回の伝法会の報告によれば、私は予想を外した。
私はてっきり、水晶龍神を売るための伝法会だと思っていた。
だが、水晶龍神だけではなく、別な曼荼羅をセットで売ろうという魂胆なのだ!
すごい、すごすぎる。
しかも、2セットで四十万!!??
霊感商法の草分けだけあって、桐山ゲイカは、私が思いつくような詐欺とは桁が違う。
やはり詐欺の天才だ。
腐ってもタイ。
ヨレヨレでも金集め、人集めだけは決して忘れない。
ヨレヨレの桐山さんのインチキ神通力ほしさに欲に釣られた餓鬼信者どもが、
水晶龍神と四神足曼荼羅を手に入れて、必死ににらめっこするんでしょうね。
アゴンさんには悪いが、彼らが善良な人たちには見えない。
桐山さんの差し出す超能力という疑似エサに食いつこうと飛び跳ねている餓鬼集団です。
だから、エゴイストの準シュダオンさんすら餌にかかった。
今回の伝法会は施餓鬼供養だったようだ。
- 54 :深山:2011/08/09(火)
13:13:54
- >>44 :準シュダオン:2011/08/09(火)
09:30:44
準シュダオンさんは都合の悪いことはすぐに忘れてしまうようだから、
再度、あなたの嘘を並べておきます。
よけいな話をしていないで、下記について嘘でないことを証明してみなさい。
口から出任せの大嘘つき!でないことをアゴンさんに示しなさい。
1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(55章625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=一来向」「一来果=不還向」「不還果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(55章940)
8.下記の文章のある阿含経はどこにあるのか?
「四双八輩是聖賢之衆」(五章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(五章633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(>>7)
- 55 :アゴン:2011/08/09(火)
14:25:19
- >>53
餌に食いつくというよりは、オートマチックに受講させられてる印象です。。
しかし、確かに最後の四神足法の次第で法施3つが必要になっているのを見て、す、すごい!!と色んな意味で驚きを隠せませんでした。
最後にw田さんが行法についての質問をゲイカにされて、ゲイカがシャキッとしたのが個人的には面白かったです。
でも細かく質問をしていて、本気でこの行法をされるような気概がありましたね。
- 56 :深山:2011/08/09(火)
18:39:28
- >>55 :アゴン:2011/08/09(火)
14:25:19
>餌に食いつくというよりは、オートマチックに受講させられてる印象です。。
まるで卵が自動的に集められる養鶏場のような光景ですね。
養鶏場は餌を与えるからまだいいが、アゴン宗養鶏場は搾り取るだけで、
何もくれない。
自動的にと言っても、ケージに閉じこめられたニワトリと違い、本人の判断です。
過去の桐山さんの伝法のデタラメさをさんざん見ても、まだ懲りずに、
超能力開発法を授けてもらえると出席するなら、疑似餌に釣られた超能力餓鬼です。
- 57 :深山:2011/08/09(火)
18:42:24
- >>55 :アゴン:2011/08/09(火) 14:25:19
>
最後にw田さんが行法についての質問をゲイカにされて、ゲイカがシャキッとしたのが個人的には面白かったです。
シャキッとしたのを、桐山さんが法に対してはまだ意識や意欲があるからだと
解釈しているようだが、違いますよ。
桐山さんこそが人寄せパンダだから、F田さんがいくら一生懸命に
話しても、信者はうれしくない。
つまり、F田さんやW田さんでは合計60万円もする高額商品は売れない。
やはり、そこは霊感商法の天才の桐山さんが話せば、
腐っても鯛で、信者は欲に釣られて、曼荼羅を買おうとする。
だが、桐山さんの法話は漫談どころか、針の飛んだレコード状態です。
桐山さんが話す時間をできるだけ取りたいが、しかし、針が飛ばないように
したのがこの質問です。
質問ならテーマが決まっているから、桐山さんが何を話すのか忘れて、
壇上で沈黙を続ける心配もない。
突然出て来た質問は答えられないが、答えもW田さんが準備して
桐山さんは何を答えるか決めていた。
シャキッとしたのは、前もって打ち合わせをしていて、
いよいよ自分のセリフをいう番になったからです。
物売りの商売で、客の中にいるサクラがわざと質問することで
商品がいかに素晴らしい物か錯覚させるのと同じ手法です。
桐山さんもW田さんも霊感商法の名人・達人たちです。
そのことをアゴンさんは忘れていませんか。
- 58 :深山:2011/08/09(火)
18:45:07
- >>55 :アゴン:2011/08/09(火) 14:25:19
>
でも細かく質問をしていて、本気でこの行法をされるような気概がありましたね。
これはW田さんのことですよね。
当たり前です。
気概を感じたというのはそのとおりだが、
それは行法がどうであるかではなく、彼女の商売への気概です。
質問してうまく桐山さんが答えるかどうかで、売り上げに影響する。
売り上げがのびなければ、一番困るのはW田さんなんだから、必死です。
番頭のF田さんにすら任せず、店長自ら店に出て商品の宣伝をしたのです。
アゴンさんの解釈を聞いていると、まだ桐山アゴン宗の建前を信じて、
彼らの本音を理解していないのがわかる。
アゴンさんの感想だと、まるでW田さんが桐山さんの説く超能力開発法を
本物だと信じているかのようです。
W田さんは桐山さんの超能力なんて信じていない。
ここでも彼女の不正蓄財について黒い噂が飛び交っていた。
だが、桐山さんはまったく気がつかない。
昔からそうです。
W田さんが明らかに数字の上でゴマカシをしたことがあっても、
桐山さんは気がつかなかった。
- 59 :深山:2011/08/09(火)
18:47:58
- >>55 :アゴン:2011/08/09(火) 14:25:19
>
でも細かく質問をしていて、本気でこの行法をされるような気概がありましたね。
W田さんは、桐山さんに透視能力なんてないことや、「おれはすべて見通している」
なんて言うのがハッタリなのは、こういう実体験から良く知っている。
こういうW田さんが、桐山さんが何か行法を出したからといって、
そんなことを本気で実践すると思うか。
あれらは全部、金集め、人集めのための商品であり、
無知な信者や超能力餓鬼から金を搾り取るための商売です。
伝法会の目的はあきれかえるほど明瞭で、水晶龍神と曼荼羅の販売会です。
一万円でまず信者を集め、さらに彼らに高額商品を買わせる。
あの他人のためなら舌も出さない準シュダオンさんですから出席して、
しかも、水晶龍神や曼荼羅を欲しがっているのを見れば、
桐山さんとW田さんの商売のうまさは群を抜いているのがわかる。
水晶龍神も曼荼羅も夜店のガラクタなのに、
それを二十万円というとんでもない金額を付けて売る。
すごい才能です。
W田さんの細かい質問自体が香具師の口上です。
彼女が信じているのはお金と権力の神様だけで、桐山さんの超能力なんて信じていない。
アゴンさんは人が良すぎるのか、善意に解釈しすぎです。
桐山さんとW田さんの商売のうまさをもっと高く評価し、
彼らの汚い心は汚い心のままに理解してあげることです。
- 60 :Boo:2011/08/10(水)
02:40:01
- アゴンさんのご報告を読んで、自分は辞めてよかったとつくずく思います。
60万円という金額は普通、サラリーマンで2カ月分くらいにあたるでしょうか…
それをいとも簡単に拠出させるんですね。
私が信者のころ護摩木20万本くらいが限度でした…そのほかに解脱供養もやっていたし。
ここまできたらほんとに詐欺のレベルですね。
- 61 :準シュダオン:2011/08/10(水)
09:17:16
- >しかし、確かに最後の四神足法の次第で法施3つが必要になっているのを見て、
>す、すごい!!と色んな意味で驚きを隠せませんでした。
法施は水晶と曼荼羅の二つでいいんじゃないの?何で曼荼羅2個なのよ?
それに私の場合、水晶龍神瞑想法を教わる前に、聖なるバイブの洗礼を受けられ
ましたからね。水晶と曼荼羅は、これまでに、聖なるバイブを受けられなかった
信徒のために、受けやすくなるように、管長が工夫されたのだと思います。
聖なるバイブのお蔭か、私は色々な事に気付くようになりましたよ。
例えば、煩悩を見惑と修惑の二つに分けたのは説一切有部なのだから、それを根拠
にした倶舎論の四向四果の定義は間違いである、とか、気付くようになった。
倶舎論には説一切有部の論蔵が収められていますからね。
お釈迦さまの煩悩の区分は、五下分結と五上分結でしょう。
それと、欲漏と有漏と無明漏の、三種類にも区分けしていますね。
- 62 :サライ:2011/08/10(水)
11:07:19
- >>60 :Boo11/08/10(水)
02:40:01
>60万円という金額は普通、サラリーマンで2カ月分くらいにあたるでしょうか…>それをいとも簡単に拠出させる
>ここまできたらほんとに詐欺のレベル
。。。同感です。宗教団体経営という、一般ビジネスとは違う手法で収入を得ている宗教団体というビジネス。その教団の幹部は、"庶民の家計事情"に関する配慮や良識など皆無なのでしょう。どこか、おかしい。もう、サラリーマンだったら、ボーナスがあるだろ、それ全部か半分は出せ、年金生活者なら生活費ためた貯金あるだ
゛ろ、そこからはきだせ、というレベルです。100人に声かけて何人かひっかかればもうけものという感じですかね。よく似ているのが、"健康食品"の期間限定・安売り販売会です。チラシをまいて、販売会当日は"セミナー"を延々とやり、最後は30万円〜50万円の"健康布団"や"健康増進用マッサージ機"の宣伝をして、近日中になぜかその気になるようにさせて、あくまで"本人の判断"で買わせるあれです。この商法を"不安商法"というらしいです。深山さんも今回の伝法会は"販売会"と表現されてましたがうまい表現をされたと思います。
- 63 :アゴン:2011/08/10(水)
11:18:20
- 教団はあくまで護摩木を「勧進」しての法施といっているのですから、年間二千本一般に勧進ができないなら、(押し売りじゃなく。)そこまで修者のレベルにいたっていないということで、法施を辞退すればいいんですよね。
そういうことでしょw
だったら私はまだまだ3つも法施をいただけるレベルじゃないんで喜んでいただきません。ww
- 64 :深山:2011/08/10(水)
12:38:00
- >>61 :準シュダオン:2011/08/10(水)
09:17:16
>それに私の場合、水晶龍神瞑想法を教わる前に、聖なるバイブの洗礼を受けられ
ましたからね。
水晶龍神を拝受したのかと>>47で質問されて、答えませんね。
あなたは「深山の書き込みなど読んでいない」と逃げるつもりだろうが、
あなたが私の文章を斜め読みしているのも読者は知っている。
そして、自分のことを間違って批判されると、怒り心頭ですぐに反撃するのも
これまで何度も見られた。
水晶龍神をもらっているのに、私からもらっていないのだろうと批判されたら、
黙っているような準シュダオンさんではありません。
あなたのその沈黙、無視こそが、水晶龍神などもらっていないという何よりの証拠です。
- 65 :深山:2011/08/10(水)
12:40:45
- >>44 :準シュダオン:2011/08/09(火)
09:30:44
>アゴンさんは、水晶や曼荼羅を拝受してるのかな?7日は受講したのかい?
>私は、未だ曼荼羅を拝受していないから、どうなることやら。
読者の皆さん、上記を良く読んでください。
まるで、準シュダオンさんは水晶龍神をもらってはいるが、
曼荼羅はまだだ、というように読めませんか。
準シュダオンさんの古狸ぶるが存分に発揮された事例で、
そのように読者に連想するように、さりげなく書いたのです。
水晶龍神はもらっているとは書かないで、曼荼羅をもらっていないと出すことで、
さも、もらっているかのように連想を誘ったのです。
だが、実際は、もちろん、もらってはいない。
準シュダオンさんが護摩木に20万円も払ったはずがない。
今回の伝法会では水晶龍神を持っていることは条件に入っていなかった。
一万円払えば、伝法会に出ていない信者も参加できた。
四神足と聞いて、超能力欲しさに桐山さんに釣られた。
- 66 :深山:2011/08/10(水)
12:42:42
- >>61 :準シュダオン:2011/08/10(水)
09:17:16
>それに私の場合、水晶龍神瞑想法を教わる前に、聖なるバイブの洗礼を受けられ
>ましたからね。
老人のタワゴトが始まった。
アゴン宗はあなたの聖なるバイブ受信など認めていません。
信者さんたちのために、準シュダオンさんの聖なるバイブとは
どのようなものか、その様子を本人が生中継した記録をお目にかけましょう。
彼が書き込んでいる時間を良く見てください。
- 67 :深山:2011/08/10(水)
12:43:54
- [4155]眠りブッダ 04/10/23 4:41 yI4JYEpi.Wz
グルに取り急ぎ申しあげます。まだ整理中なのですが。お手元に
「輪廻する葦」をお持ちの方は、雑阿含経「出家経」をお読みください。
[4156]眠りブッダ 04/10/23 4:53
yI4JYEpi.Wz
グルへ報告いたします。
「これは、本当に偉大なことです。仏・法・僧の三つの力がすべて、修行者
に平等に及んで賢も愚も浄も不浄も、なんの差別もわけへだてなくことごとく
涅槃へ運んでくださる、まことにありがたくも不思議な教法であります」
と、なっております。 以上 取り急ぎご報告まで 礼拝
[4157]眠りブッダ 04/10/23 4:58
yI4JYEpi.Wz
慈愛に満ちたグルへ
急に、寒気が襲ってまいりましたので、すこし混乱いたしました。
まるで富士山の山頂にいる思いでした。
落ち着いてきたら、またご報告いたします。
[4158]眠りブッダ 04/10/23 5:22
yI4JYEpi.Wz
どうやら、寒さの原因は、4154、報告の、選んだご法話の記憶
違いからきたようです。
けっして、そんなけちな考えから、控えているわけでは、ありませんが、
もう一度寒さの原因を考えてみます。
[4159]眠りブッダ
04/10/23 5:32 yI4JYEpi.Wz
この寒さの原因は、まだ、因縁の洗い出しが継続中だと、判断しました。
この因縁は用意に切れるものでは、ありませんから、自己流でやってきた
天罰だと思います。用意に切れるわけがありません。しばらくつづくと
考えられます。
[4161]眠りブッダ 04/10/23 9:57
yI4JYEpi.Wz
考えてみると、メシアの法の使徒に天罰のあろうはずが、ありません。あせるほど
変な考えに、なり、うまくまとまりません。
私もまた、一本の道を歩まされていることの衝撃に、まだ戸惑いを覚えて
います。
[4175]眠りブッダ 04/10/23 12:54
yI4JYEpi.Wz
今日、出席する予定の私の歓迎会、兼ねたある総会(昼食会)に、出ないで
しまいました。それほどの衝撃です。
富士山七合目。(少しビッグマウスか)
- 68 :深山:2011/08/10(水)
12:46:47
- >>67
「眠りブッダ=準シュダオン」です。
夜中の三時頃から、意味不明の独り言の書き込みが始まった。
「寒さ」と言うように、身体に異常が起きていたのです。
それがかなり異常だから、天罰かと解釈したり、因縁の洗い出しだ
などと言っている。
転職先の昼食会もさぼったほど具合が悪かった。
普通は夜中に悪寒に襲われるほどだったら、医者に行く。
だが、彼は未だに行かない。
では、彼の「病状」は何だったのか。
ほぼ間違いなく、小さな脳梗塞、いわゆる小梗塞です。
身体に障害がでるほどの脳梗塞でなくても、老人には小梗塞は珍しくもない。
一時的に症状が出るが、しばらくすると収まるから、気にしない人もいるが、
本格的な脳梗塞の初期症状であることもあるから、気をつけないといけない。
小梗塞は障害が起きるほどのことはなく、昔は老化の一つと考えられていました。
こういう人は断層撮影をすると、脳に小梗塞の跡が見られたり、
脳そのものが萎縮してしまっています。
その原因の多くは、ご存じのように、美食・飽食、飲酒、喫煙などの食生活です。
準シュダオンさんも例外ではありません。
- 69 :深山:2011/08/10(水)
12:50:00
- >9 :準シュダオン:2009/12/23(水) 13:43:12
ID:P9JinFks0
>その代り、入行後、十年くらいで成人病になってしまいました。
>サプリメントも採っていましたけどね。
成人病とは生活習慣病で、おそらく糖尿病のことでしょう。
入行が1980年前半と思われますから、準シュダオンさんが成人病と
認定されたのは1990年代。
そこから、十年ほどたった2004年に、彼は明け方に小梗塞を起こした。
原因と結果は明瞭で、筋が通ります。
脳梗塞はしばしば明け方に起きる。
睡眠中に汗をかいて血液の濃度が高くなるからだと言われています。
また酒は、利尿作用がありますから、脳梗塞を引き起こしやすい。
準シュダオンさんは小梗塞が起きた23日も酒を飲んでいたのではあるまいか。
それは次の記述からもわかります。
- 70 :深山:2011/08/10(水)
12:50:40
- [4225]眠りブッダ 04/10/24 3:02 yI4JYEpi.Wz
これが。飲まずにいられっかい。
て、感じなの。助詞ってなんですっけ。
いまビール入ってます。
[4255]眠りブッダ 04/10/25 2:33
yI4JYEpi.Wz
何か、とても不安です。サイバーテロ・とか
いつもは、かならずいく、ところも、本日は体調悪くて、休んでいます。
[4297]眠りブッダ 04/10/26 10:00
yI4JYEpi.Wz
服部社長 様
おはようございま〜す。
私が、ビックリ仰天、気が動転してから、数日です。
やや、落ち着いてきましたので、また私の考えを述べてみます。
- 71 :深山:2011/08/10(水)
12:57:17
- >[4225]眠りブッダ 04/10/24 3:02
yI4JYEpi.Wz
>いまビール入ってます。
小梗塞を起こして体調不良なのに、また夜中まで起きて、
しかも、なんと、酒を飲んでいる。
これが彼の生活習慣であり、食生活です。
体調が悪くても酒を飲むのですから、小梗塞を起こした23日も
酒を飲んでいた可能性が大きい。
糖尿病だと宣告されて十年もたっているのに、
食生活や生活習慣を改めようもせず、不摂生な生活をした結果です。
どうやら、定年で県庁を退職して、天下りをしたらしいから、
2004年で60歳だったのでしょう。
小梗塞を起こしているのだから、25日は体調不良なのは当たり前で、
ようやく26日になって小康状態になった。
これが小梗塞の特徴で、身体に障害を残るほどの大事は至らないため、
患者の多くはこれを軽く見る。
自惚れの強い準シュダオンさんはこれを軽くみるばかりでなく、
なんと、これを総本殿からの聖なるバイブだと言い出した。
食い意地とタダ酒の結果が聖なるバイブだという!?
- 72 :深山:2011/08/10(水)
12:59:26
- >>61 :準シュダオン:2011/08/10(水)
09:17:16
>それに私の場合、水晶龍神瞑想法を教わる前に、聖なるバイブの洗礼を受けられ
>ましたからね。
以上が、準シュダオンさんが自慢で自慢でしかたない聖なるバイブの中身です。
長年、意地汚く飲み食いをしたから生活習慣病になり、小梗塞になったのを
聖なるバイブだと言っているオメデタイ人です。
しかし、長々と引用したのは、準シュダオンさんの聖なるバイブの紹介を
するためではありません。
準シュダオンさんのオメデタイ体験談とそっくりの話を信者さんたちは知っている。
桐山さんのインドでの白銀バイブの話です。
桐山さんはあれをオシャカからの御霊示だと主張した。
その内容は、世紀末に地球壊滅があるから、桐山ゲイカがメシアとなって
地球と人類を救済しろというものです。
その二十年後の地球壊滅の結果を信者さんたちは見た。
何もないことを見てもわかるように、桐山さんの妄想であり嘘です。
では、まったくの作り話だったのかというと、そうではなく、
あれも小梗塞だったとみれば、全部説明がつくのです。
- 73 :深山:2011/08/10(水)
13:05:38
- 『求聞持聡明法秘伝』76頁、1989年
「以来、かれの胃腸は快調そのものである。人の二倍はたっぷり食べる。
或る弟子の一人が、「先生と食事を御一緒してびっくりした。こっちが気持悪
くなるほどよく食べる」と人に語ったと聞いて、かれはそれ以来、食卓を共に
する弟子たちに、テレ隠しに時々こういうことを言うようになった。
「私は、人の三倍食べて五倍はたらくんだ。君たちも見習い給え。但し、その
反対はダメだよ。破産するから」」
桐山さんは脳梗塞になるような原因を作っているのがこの記述からもわかります。
桐山さん自身が人の二倍食べるとはっきり宣言している。
「気持悪くなるほどよく食べる」と本人が引用しているのです。
桐山さんが本を出した1989年には、すでに食べ過ぎが身体に良くないことが
指摘されていた。
糖尿病が国民病として問題になっていたのです。
ところが、その時代に、桐山さんは食欲に任せて、見ている人が
気持ちが悪いというほどに食べていた。
これを見ただけでも彼が仏教の修行者でもなく、ましてや解脱者であるはずがない。
こんな食生活をしていたら、糖尿病などの生活習慣病になり、
やがて脳梗塞や心筋梗塞を発症することになる。
桐山さんはこの本の7年後に脳梗塞を発症した。
- 74 :深山:2011/08/10(水)
13:10:37
- 「以来、かれの胃腸は快調そのものである。人の二倍はたっぷり食べる。」
準シュダオンさんがそうであるように、本格的に脳梗塞が
出る前に、多くの人は小梗塞の形で身体から警告を受けているのです。
桐山さんにも身体から警告があった。
それがインドでの白銀バイブです。
当時、桐山さんは59歳で、偶然だが、準シュダオンさんとほぼ同じです。
小梗塞は早い人だと五十代から始まっているから、年齢的にもぴったりです。
「師の大きな戸が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、があんと、頭から頬
にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。」
(『1999年カルマと霊障からの脱出』199頁)
殴りつけられたような衝撃は、まさに脳梗塞の症状そのものです。
また、世紀末の都市が炎上するビジョンを見たなど、記憶の錯綜が起きるのも
脳梗塞の症状の一つです。
彼が見た映像は、前年に公開されたビル火災のパニック映画の光景です。
「定にはいると、すぐに手がはげしく動いた。」
(『1999年カルマと霊障からの脱出』205頁)
桐山さんはこれを自動書記だと書いている。
だが、書かれた文字と文章を読めばわかるように、あれは桐山さんの文章そのままです。
しかも、文字に震えはありません。
つまり、桐山さんは右脳をやられ、左手が震えたのです。
だから、「右ななめ前方」から白銀バイブが来たとある。
このように、白銀バイブが小梗塞だと見れば、全部説明がついてしまう。
- 75 :深山:2011/08/10(水)
13:14:35
- インドでのオシャカからの白銀バイブとは、
実は、桐山さんの美食飽食から来た脳梗塞という病気だった。
私はこれを書きながら、忸怩たる思いです。
なぜなら、桐山さんの白銀バイブを長年信じていたからです。
自分が信じたものが、ただの桐山さんの病気から来る妄想だったと
気か付いた時、呆然とした。
自分の愚かさ、馬鹿ぶりに、情けないやら、腹が立つやら、
やり場のない気持ちだった。
だから、私は信者さんたちに呼びかけているのです。
今でもまだ桐山さんは同じ手法で、妄想を語り、インチキ仏教や、
インチキ四神足を売り物にして信者を騙し、さらに信者さんたちもその手伝いをしている。
信者さんたちに過去を振り返ってほしい。
桐山さんが何をして来たのかを良く見ることです。
桐山さんは過去にして来たことを今でもしている。
何も変わっていない。
準シュダオンさんを見て、彼が聖なるバイブを受信したと信じる人はいないはずです。
だったら、どうしてまったく同じことをしている桐山さんを信じるのだ?
二人とも虚言癖と妄想癖のあり、自己評価ばかり異常に高い老人だと
もう十分にわかったはずです。
- 76 :深山:2011/08/10(水)
13:15:58
- >>61 :準シュダオン:2011/08/10(水)
09:17:16
>にした倶舎論の四向四果の定義は間違いである、とか、気付くようになった。
また恒例のゴマカシですね。
難しそうな言葉を並べて、知識を披露して、煙に巻こうとしても
あなたの出す煙は異臭がするから、誰も巻かれない。
だれも、預流向を分類するにアビダルマ論など用いていない。
そもそも、釈迦仏教もアビダルマ仏教も、「預流向=聖者」です。
この点については両者に違いなどありません。
- 77 :深山:2011/08/10(水)
13:17:37
- >>61 :準シュダオン:2011/08/10(水)
09:17:16
>お釈迦さまの煩悩の区分は、五下分結と五上分結でしょう。
こんな当たり前なことに、脳梗塞にならないと気がつかないなんて、
準シュダオンさんの脳味噌ってずいぶん変わっていますね。
普通の信者は、白銀バイブなんて受けなくても、桐山さんが三十年近くも
前の阿含経講義で十結について説明をしているから知っています。
しかも、あなたの上記は厳密には正しくない。
正確には、釈尊の煩悩の区分とは五上分結、五下分結ではなく、十結です。
五下分結が区分だなどというなら、三結も区分です。
だが、三結に対して、残りを七結とはいわない。
五下分結や三結などは四向四果を説明するのにいちいち名称を
並べるのが面倒だから、総称をつけただけで、煩悩そのものの区分ではありません。
あなたのこういう書き方一つを見ても、言葉を記憶して、
勝手な解釈をして、さも何か理解したかのように自惚れているだけで、
中身を理解していないのがよくわかる。
- 78 :深山:2011/08/10(水)
13:24:20
- >>61 :準シュダオン:2011/08/10(水)
09:17:16
聖なるバイブゴッコをしていないで、早く下記の宿題を済ませなさい。
たかだか一ヶ月くらいの間に、よくまあ、これだけ嘘を並べられるものだと
あなたの才能には感心します。
私は普通の良心と羞恥心があるので、とても真似できない。
嘘をつきながら仏道修行だなどと言っても、何の説得力もない。
嘘つきとは泥棒の始まりであって、まさにあなたは
桐山さんが認めてもいない聖なるバイブを盗んだ。
大泥棒から盗むとはなかなかの泥棒ですね。
1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(55章625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=一来向」「一来果=不還向」「不還果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(55章940)
8.下記の文章のある阿含経はどこにあるのか?
「四双八輩是聖賢之衆」(五章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(五章633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(>>7)
- 79 :サライ:2011/08/10(水)
17:19:07
- >>63 :アゴン
11/08/10(水) 11:18:20
>教団はあくまで護摩木を「勧進」しての法施といっている
>年間二千本一般に勧進ができないなら、そこまで修者のレベルにいたっていないということで、法施を辞退すればいい
>だったら私はまだまだ3つも法施をいただけるレベルじゃないんで喜んでいただきません。ww
。。。。いやいや、アゴンさん、その通りではありますがね。その通りきっぱり割り切る事が大切です。(笑)私ももちろん、レベルいってないのでいただきませんw。(いただけませんw)"勧進&法施商法"の形を取る教団の収入アップシステムは巧みですww。
表向きは"勧進"といって、人にお勧めする形を取るがはたして、何人が実際の他人様への数十万円単位の"販売"に毎年成功しているか。(もちろん、そういう方は偉いです)。本当の意味でのと取次ぎであるならば、勧進員を委託されて、阿含宗の公式領収書も預かって、購入者にお渡しし、取次ぎ記録を残すのも手でしょう。だが、その記録は本来ポイントを競わせる性格のものではない。実際の所は会員本人の
"自爆用・特別祈願大護摩木(10万円)" が用意されています。 10万円の護摩木なんて、大金!。2〜3万円が常識的価格でしょう。
だが、多くの会員は"法施"に釣られて"自爆(護摩木の自己記入分の購入)している実体があります。アゴン宗の護摩木勧進実績ポイントは"年度繰り越しが不可"なのも、不可解です。数年かけて20万円なりのポイントを稼ぐことを認めない。1年以内に20万円拠出(勧進)しろ、という。まあ、他社と比較しても性急で忙しいポイント制度です。「金回りが忙しいから早く出すものは出せ」と言われているようなものですね。(苦笑)
- 80 :アゴン:2011/08/10(水)
19:00:54
- >>79
そうですねー。おそらく大がかりな集金をしないと、「間に合わない」のでしょうね。色んな意味で。
結局見栄など張らず細々と運営してたら良かったんですよ。それが仏陀の教えじゃないですか。余分なエゴがここまで無駄をつくったんですよ。
借金経営だったんでしょうね。一部の人が豪奢な生活をしていた疑いも濃いみたいですし。
私はやはりいずれは破綻するシステムだと思います。
だって私は法施なんかいらないもーん。ww
ほんとにあの瞑想をしようと思ったら水晶だって他で買えばいいんじゃんか。
20万もしねーっつーの。(笑)あ、ちがった、勧進の結果いただける修行の成果なのでした。!!
- 81 :名無しさん:2011/08/10(水)
21:55:51
- すごい。40万?60万?を出せと。
昔と違い、信者に高額な金銭を求めだしていますね。
これは信者が減ってきていることが原因でしょう。
一人当たりの献金額アップは信者激減の証でしょう。
昔はせいぜい20万円の法施1個です。それが2倍。
単純に考えるならば信者は半分に減っているのでしょう。
少なくとも実働信者は半分になっていると考えられます。
設備(各道場)の維持、職員への給与・ボーナス、893への上納金など
昔からの体制を維持しようとすると、現在の信者数では無理なのだと考えられます。
柴燈護摩も年に一回の星まつりに加えて、世界や国内で護摩焚きイベントを
行っているようですから、教団の収入が厳しいのでしょう。
この先、もっと高額な基金になるか、道場閉鎖や職員の希望退職が出てくるでしょう。
おもしろくなってきました。
崩壊の足音が聞こえてきた感じです。
- 82 :干柿:2011/08/10(水)
22:27:07
- だいたい瞑想するのに小物などいりませんよ。
とくに根本仏教とかヨーガとかは
密教とかは観想の手助けに曼荼羅を使ったりするけど、それだって結局は
自己の内面に曼荼羅を構築するわけで、絶対必要なモノではない、水晶なんて
最近のパワーストーンブームに乗っかったものでしょう。
本気で修行者を育てようとするのなら道場に曼荼羅かかげて瞑想させ
自宅ではポスター程度の図像をわけてあげて瞑想させればいいことです。
信者や修行者なんて、ただの金ヅルとしか思っていませんよ阿含宗はw
- 83 :アゴン:2011/08/11(木)
10:25:32
- >>82
曼荼羅にしても私も同じような図柄で代替として出来ると思いました。
こんな時代にまだ高額なものを買わそうとしてる神経の図太さに呆れ返るばかりです。
修行者に龍神力がつくとこれくらいたやす支出できるというのが管長の言い分のようです。大金が集まるようになるらしいですから。
- 84 :サライ:2011/08/11(木)
17:55:28
- >>80:アゴン11/08/10(水) 19:00:54 >
おそらく大がかりな集金をしないと、「間に合わない」のでしょうね。色んな意味で。
>結局見栄など張らず細々と運営してたら良かったんですよ
>一部の人が豪奢な生活をしていた疑いも濃いみたいですし>私はやはりいずれは破綻するシステムだと思います。
。。。
アゴンさんのご指摘の通りだと思います。「間に合わない」のが"何"かは、今後の検証、探求が必要なところです。
細々と地道にやってれば、少なくとも、心ある信徒はついて来たでしょう。だが、現状は、まじめな信徒程、阿含宗の"ブッダの教団"からの乖離と"集金教団"への堕落を嘆ざるをえない状態です。おっしゃる通り、集金のペースが異常ですので"いずれ破綻するシステム"とのご意見はもっともだと私も、感じます。
- 85 :サライ:2011/08/11(木)
19:55:25
- >>81:名無しさん11/08/10(水)
21:55:>一人当たりの献金額アップは信者激減の証でしょう。
>昔はせいぜい20万円の法施1個です。それが2倍。
>単純に考えるならば信者は半分に減っているのでしょう。>少なくとも実働信者は半分になっていると考えられます。
>もっと高額な基金になるか、道場閉鎖や職員の希望退職が出てくるでしょう。>おもしろくなってきました。
>崩壊の足音が聞こえてきた感じです。
。。。名無しさんは、よく分析されてますね。全会員から広く意見を求めるなどの発想が皆無の教団上層部ですから、今までと同じ手法でしか立ち回れず、それが通用するか、ですね。本当、"おもしろくなってきました"。
- 86 :サライ:2011/08/11(木)
20:10:12
- >>82:干柿11/08/10(水) 22:27:07
>だいたい瞑想するのに小物などいりませんよ。
>自己の内面に曼荼羅を構築するわけで、絶対必要なモノではない、
>本気で修行者を育てようとするのなら道場に曼荼羅かかげて瞑想させ>自宅ではポスター程度の図像をわけてあげて瞑想させればいいことです。
。。。干柿さんは、いいことおっしゃいますね。曼荼羅は道場で拝んで、自宅用にはご志納分のポスター等で代用するというのは名案です。ムダな出費もかけないで済みます。会員を"金づる"としか考えてない教団上層部にとっては採用しがたい案でしょうがね。
- 87 :サライ:2011/08/11(木)
20:50:24
- >>83:アゴン
11/08/11(木)
10:25:32
>修行者に龍神力がつくとこれくらいたやす支出できるというのが管長の言い分のようです。 >大金が集まるようになるらしいですから。
。。。アゴンさんレポートありがとうございます。(笑)ホント、そうおっしゃるなら、ご自身の力で"世間広く一般"からカネ集めて下さい、会員からの常識はずれのお布施集めに頼りなさんな、という事。世間一般の人々は怖いですよー。まず、"霊感詐欺"は世間一般には通用しません。一般観光寺院のごとく、3000円のお札を1人に1年に1枚、買っていただくのがやっとです。間違っても一人から年間○○十万円を取るのは無理でしょう。
- 88 :アゴン:2011/08/11(木)
23:43:02
- 大訂正。
復習のためもう一回講義をみたら、曼荼羅はひとつでしたー。
思念曼荼羅という名前が新に出たので勘違いしましたが、瞑想に用意するのは水晶龍神と準テイ如来秘密光明曼荼羅だけでした。
失礼いたしました。。
- 89 :サライ:2011/08/12(金)
07:28:16
- >>88
アゴンさん、訂正ありがとうございます。復習おつかれ様です。準テイ如来秘密光明曼荼羅というのは、中央に北野恵宝師から譲受けた例の準テイ尊のご尊像画があり、上部中央に"白銀バイブ"風の仏舎利尊が描かれている、その他曼荼羅の周囲に何体か、お不動さん、グンダリ明王さんなどが描かれてますね。昨年、これがデビューした時は
"この曼荼羅の前で瞑想するだけで即身成仏してしまう、最終的な究極のご法施です"みたいな事、ゲイカおっしゃってましたね。これだけのおいしい宣伝すれば、皆、20万円出して
(勧進して)買ってしまうかもね( 苦笑)
- 90 :深山:2011/08/12(金)
12:33:33
- 水晶龍神御尊像
「天然水晶で瞑想すると、予知力が備わり、運が聞く。
この天然水品を使って瞑想すると、予知力が備わり、還が聞けるのです。水晶
は神事でも使いますが、瞑想には天然水晶が一番いい。神秘的な力が授かるのです。
また、瞑想するだけでなくて、この水晶は龍神のこ尊像と組み合わせると龍神が
守護神となって家を守ってくださいます。
しかも龍神がこの水晶の宝珠を持ったならば、お願い事をして叶わないことはな
いという如意宝珠になる。そういうすばらしい宝物であり、私もかねがね欲しい
と思っていたのです。ですから、欲しいと思っても手に入らない最高の法施だと思
ってよいでしょう。
さらに、この水晶を持った龍神と杭打ち法が一緒になったら、それは大変なことで
す。楽しみですね」(平成19年10月管長猊下ご法話より)
- 91 :深山:2011/08/12(金)
12:34:32
龍神守護秘法本尊水晶龍神御尊像 20万円
「天然水晶で瞑想すると予知力が備わり、通が聞く
水晶龍神瞑想法の本尊です。
龍神様を守護神とする秘法が修されており、この御尊像の
前で瞑想法を修練していきますと、大龍神力が身に備わり、
神秘的なお力が授かります。
この御尊像は、龍神様が水晶を持たれており、
この水晶は如意宝珠でもあります。特に、天然
水晶を前にして瞑想すると予知力が備わり、ま
た運が開くと言われています。
ぜひ、ご自身の守護神として戴かれますように。」
- 92 :深山:2011/08/12(金)
12:35:20
- 輪廻転生瞑想法秘伝 準胝尊秘密光明受茶羅 20万円
「この曼荼羅の仏様を護持し、真言を唱えて、瞑想する事によって、
過去世、現世、来世の三世の因縁を断ち切り、想い通りの理想的
な来世を迎えることができます。
仏陀釈尊と真正仏舎利尊
管長貌下がインド・サへ卜・マへー卜で受けられた仏陀の思念のおカが込められています
準抵観世音菩薩様
秘密真言を準砥真、言と共に護持し、瞑想・読請することにより、準抵観世音菩薩様
から、三世にわたる因縁解脱の御法力と無量の功徳をいただくことが出来ます
降三世明王様
貪瞋癡の三毒を降伏するお力がいただけます
般若菩薩様
悟りを開き、福を招く功徳が授けられます
不動明王様
諸魔を退散させ、煩悩を断ち切り、行者を守るおカがあります」
- 93 :深山:2011/08/12(金)
12:37:55
~このたび伝授予定の「四神足法Jについて~
【管長猊下のお言葉】(平成23年7月24目・7月度例祭ご法話より抜粋)
『四神足法というのは、一種の超能力法なんです。ですから、この四神足法を教える私も、教える
にあたっては、一度自分の力というものを反省して、この四神足去を皆に教える能力が自分にはた
してあるかどうかを反省しなければなりません。そのくらい難しいんですね、四神足法というのは。
神足というのは、超能力ということなのです。超能力とは、超人的能力。すなわち、普通の人が
持たないような力を持つことを超能力という。それだけの力を持った人間でなければ、この四神足
法は教えることができないんです。だから私も教えるにあたって、自分に果たしてその能力がある
かどうか反省してから、教える能力があるということが断言できる自分であることを確認した上で
教えなければならない。そのくらい神聖かつ高度な能力なのです。
だから、諸君もそれを受ける時には、それだけの覚悟をしてやって来なければならない。
その上で、普段の修行からいって、これを学ぶだけの力があるかどうかを検定した上で教えなけ
ればならない。
教えて下さいというから安易によろしい、というわけにはいかないのです。だから、受ける方も、
私に体当たりするつもりでやって来なさい。私もそれをはね返すという気力をもって相手をします。
それだけの覚悟がなければ、四神足法の試験を、あるいは、四神足法の課程を受けることはでき
ないのです。その覚悟をもってぶつかって来るように。
時には、修行未熟であれば、私からはね返されて、叩きつけられるようなことになるかもしれな
い。それを覚悟した上でぶつかって来るように。
全力をもってぶつかって来なさい。相撲取りが、横綱に向かってぶつかり稽古をするように、私
もはね返すつもりで受けて立ちます。そのつもりでやって来なさい。そのつもりでなければ、教え
ることはできないということなんです。覚悟してぶつかって来るように。
これは、相撲取りのぶつかり稽古だと思いなさい。いくらでもはね退けて、叩きつけてやります
よ。どのくらいの力をもって師匠が指導しているのか、それを試験するつもりでぶつかって来なさ
い。私もその獄験に合格するよう全力をあげてはね返します。そのつもりでかかって来なさい。
久しぶりで力を出す機会を得てうれしいと思いますよ。諸君がどのくらいの力をもっているか、
身をもって試してやる。ぶつかって来い!』
- 94 :深山:2011/08/12(金)
12:42:21
- >>91-93
いずれもアゴン宗が出したパンフレットの説明です。
信者さんたちは>>93の桐山ゲイカの法話のレジメをもらいましたよね?
前に、アゴンさんが紹介して7月の法話です。
「ぶつかって来い」という激しい言葉に、信者さんたちは
さぞや素晴らしい法であると期待して参加したことでしょう。
杖をつき、なかなか法話が始まらず、同じ話を何度も繰り返すヨレヨレの桐山さんに
信者さんたちは、ぶつかって来ましたか?
伝法会の実態は法施の展示販売会だった。
曼荼羅拝んで神通力獲得!?
本気で信者さんたちはそんなことができると信じているのか。
もしそうなら、オメデタイとしか言いようがない。
なぜこの二つの法施を出したかわかりますか。
売れ残っているからです。
売れ行きの悪かった法施をなんとか売ろうとして、
「付加価値」を付けて売り出したのです。
付加価値を付けることは商売の大原則です。
その付加価値こそが四神足です。
- 95 :深山:2011/08/12(金)
12:47:03
- >>91-93
水晶龍神は2008年、準胝曼荼羅のほうは今年発売したにもかかわらず、
よほど売れ行きが悪かったのでしょう。
在庫を抱えて、処分に困った。
そこで、付加価値をつけて抱き合わせ商法を考えた。
付加価値とは四神足です。
四神足を餌に夜店のガラクタを合計40万円として売る計画を立てた。
だから、>>91-93のそれぞれの当時の法施の解説を読んでも、どこにも四神足なんてない。
曼荼羅のほうは解説を読めばわかるように、四神足なんて関係なく、
輪廻転生瞑想法の本を出して、それに合わせで売るつもりの商品だった。
ところが、本を出し損ねてしまい、その結果、誰も欲しがらない。
水晶龍神のほうには、大龍神力なんて奇妙な言葉はあるが、
四神足が得られるなんてありません。
予知力が得られるとあるが、釈尊の説いた四神足に予知力なんてありません。
本当に四神足獲得に必要なら商品なら、最初からそう書いたはずです。
桐山さんは得意の後出しヂャンケンで、わざと書かなかったと言うでしょうが、
両者の発売当初は四神足など関係なかったから書かなかったことは、
>>91-93の解説を読めば明かです。
- 96 :深山:2011/08/12(金)
12:53:39
- >>91-93
夏枯れの時期の収入が伝法会で、多い時には五コースもあった。
元気な頃の桐山さんはフル回転で人集め金集めをした。
だが、桐山さんの今の様子では人が集まらず、収入にならない。
しかも、頼みの綱の今年の法施も売れ行きが悪く、
倉庫を調べると三年前の法施の水晶龍神も大量に在庫を抱えていた。
どうやって売れ残りの在庫処分し、収入を得るか、桐山ゲイカとW田さんで考えた。
そこで付けた付加価値が、四神足です。
彼らは霊感商法については素晴らしい才能の持ち主です。
ただの夜店のガラクタを40万円で売った。
しかも販売会に信者から一万円の金を取った!
普通、こういうインチキ販売会には無料で招待し、いろいろなオマケをタダで
あげて、高額なインチキ商品を買わせる。
だが、信者には販売会ではなく、伝法会などと仏道修行と錯覚させ、
一万円もの入場料を取ることで、逆に何かすごい商品があるかのように錯覚させた。
桐山ゲイカの逆転の発想です。
腐っても鯛とは良く言ったもので、桐山さんの霊感商法の才能からすると
彼はやはり天才です。
- 97 :深山:2011/08/12(金)
13:00:00
- >>91-93
こういうデタラメな集金システムはもう崩壊するだろうという意見があります。
しかし、私はその意見には前から反対です。
事実、伝法会は多くの信者を集め、あのケチでエゴイストの
準シュダオンさんですら参加し、法施を欲しがっている。
この現実を見るかぎり、伝法会という販売会は大成功で、
水晶龍神と曼荼羅は売れ行きが順調でしょう。
宗教奴隷たちは喜んでガラクタに金を払う。
お金がないと桐山さんは成り立たないが、お金さえあれば
いくらでもアゴン宗は継続します。
今回のお金の集め方も合法的でなんら社会的には問題がありません。
法や宗教などではなく、お金さえ集めればアゴン宗は成り立つのです。
現実に神通力の疑似餌に釣られて金を出す愚かな信者がいるのだから、
アゴン宗は崩壊はしません。
インチキに気が付く少数の信者と、そのまま欲に釣られて
金を出し続ける多数の信者がいるだけです。
- 98 :深山:2011/08/12(金)
13:05:49
- >>91-93
アゴン宗の教義を理解していたら、龍神とにらめっこして、
曼荼羅拝んで四神足なんて、なんのコッチャ?となるはずです。
四神足は、桐山ゲイカによれば、チャクラとクンダリニーを
覚醒することで得られる超能力です。
しかも、これはカルマを断ちきる解脱成仏の最終的な力です。
桐山さんはわざわざ、通力と神通力を区別して、
四神足の神通力はオシャカの成仏ホウでなければ得られないとした。
こういう桐山教は阿含経になんの根拠もないことはさて置くとして、
その覚醒方法の伝法会こそが、20年前の仏陀の法であり、
10年前の練脳塾だったのではありませんか。
20年前、『仏陀の法』『求聞持聡明法秘伝』などの本を書いて、
呼吸法でチャクラを動かし、クンダリニー覚醒への導くのだとして、
その方法として、瞑想でプラーナがマグマのように流れていくのを
空想するなんて、馬鹿みたいな修行法を公開した。
ああやってチャクラを開発し、クンダリニーを覚醒した延長に
四神足という神通力の獲得があったはずです。
それがなんと、法施を買って瞑想すると四神足が得られる?!
だったら、どうして当時、これらの法施を出さなかったのだ?
法施で神通力を体得するなんて、これまでアゴン宗の教義から
見ても、メチャクチャな話です。
密教をさんざん、曼陀羅拝む観念宗だと小馬鹿にしながら、
結局、していることは、そっくりそのまんまです。
- 99 :深山:2011/08/12(金)
13:12:55
- >>91-93
練脳塾では厳しい資格を設け、そこで選ばれし77名が、
名前だけ偉そうな護摩法を授けられた。
練脳塾も、77人も、目的は焚き火や水浴びをすることではなく、
チャクラやクンダリニーの覚醒です。
つまり、四神足の最先端を行っていたのが、この77人です。
それを突然、反故にして、曼荼羅拝んでチャクラの覚醒!?
桐山ゲイカの教法を本当に信じていたら、こういう豹変というか、
一貫性のなさに、何のことかさっぱり意味がわからないはずです。
信者時代、私は何度もこの「桐山矛盾」に突き当たり、頭を抱えた。
たいていの人はこの矛盾に突き当たると、二手に分かれる。
一つは、私のように矛盾を言い訳するのをやめて、
桐山さんの話は矛盾していると認める信者と、
もう一つは、桐山ゲイカは高度の判断をしているから、凡人の自分には
わからないのだと、脳味噌をご供養して、宗教奴隷に成り下がることです。
信者さんたちが普通の知性があるなら、曼荼羅を拝んで、
四神足が得られるなんて馬鹿な話は、これまでのアゴン宗の教義とも矛盾することに気がつく。
だが、後者の信者たちは、何をどう言われても、どんな矛盾を桐山さん
本人が出しても、矛盾を感じる知性を麻痺させているから、
むしろ、桐山さんのために言い訳まで考えて弁護する。
読んでいる信者さんたちは、矛盾したことをしていると認めるのか、
それとも、桐山ゲイカは日進月歩だから、昨日と違うことを
言っても、おかしくないと擁護するのか、どちらですか。
その反応こそが、信者さんたちの洗脳度を表します。
残念ながら、矛盾を認める信者は常に少数です。
- 100 :深山:2011/08/12(金)
13:25:58
- >>91-93
何より、桐山さんのどこに神通力があるのだ?
信者さんたちは見たことがないはずです。
釈尊の説いた神通力を心象風景と言い切った桐山さんの
どこに神通力があるのだ?
モンゴルの奇蹟なんて、天気予報を使ったゴマカシです。
釈尊の神通力を否定しながら、神通力を講義する桐山さんの
矛盾した姿に気が付いてほしい。
釈尊の説く仏教に関心のある少数の信者さんたちのために説明します。
釈尊の説いた仏教では、四神足で悪因縁を切って解脱するなんて話はありません。
釈尊が説いたのは漏尽解脱ですから、煩悩を断ちきることはあっても、
悪因縁を切るなんて、そもそもない。
煩悩を断ちきるのも、神通力は関係ありません。
桐山さんに言わせると、神通力でカルマをばっさばっさと切って、
解脱するのだという。
だが、阿含経では神通力を持たない解脱者、阿羅漢がいたのです。
というよりも、こちらのほうが多数です。
釈尊は神通力を持たない彼らが解脱したことを認めています(スシーマ経)。
二大弟子と言われたサーリプッタは神通力の一つである他心通を
持っていなかった(大般涅槃経)。
この事実を信者さんたちはどう見るのですか。
彼は二大弟子と呼ばれるほどの高弟です。
その彼が神通力の一つを持たなかったのです。
神通力が解脱のための必修科目なら、こんなことありえるはずがない。
サーリプッタは、神通力獲得のために修行したことはないとまで述べている。
釈尊が繰り返し述べているのは、神通力獲得ではなく、
自分の煩悩を自分で減らすこと、煩悩から解放されることです。
曼陀羅を拝んで、神仏に頼るということ自体が煩悩なのですよ。
こんな簡単なことくらい気が付いてください。
- 101 :Boo:2011/08/12(金)
16:59:36
- >>90-100
卓越した見解、恐れ入りました。法施の「光妙法蓮華」の時とかぶりますね。
あれも、在庫がだぶついていたのでしょう。売れ行きが悪かったので、「成仏法
の修行に使う」などと言って、伝法会に持参するように言われて在庫がはけた。
在庫がはけたら、なぜかその続きの修行法が伝授されない。
あの時は、光妙法蓮華をマニピューラチャクラのところに当てて修行するとの伝授でした。
私も当時まじめにやっていました。今から考えると、全く矛盾した修行方法としか言えません。
狡猾なのは在庫処分に成仏法の修行をチラつかせるところです。
教団幹部とカンチョウは賽の広場で信者に担がれて谷底にたたき落とされますよね。
- 102 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/13(土) 07:20:41
- Booさんお久しぶりです。本当にそうですね。
光明法蓮華もあの時だけで、それ以降はさっぱりです。
深山さんのおっしゃるとおりで如何にさばこうとしてたか、ですね。
見事な味付けに思わず信者も釣られ・・・てはいけません。
深山さんの説明を見れば、納得の経緯で如何に騙そうとしているかがわかります。
倉庫に保管されるレベルの論で凄いなあと思いましたね。
- 103 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/15(月) 06:20:40
- 早くも来年の事を思う私は早すぎ???
今年は「四神足法」だから来年は「四念処」とか?とか?
来年は何をやらかすのか、逆に楽しみになってきたですわwww
- 104 :Boo:2011/08/16(火)
10:42:47
- >>102
すっかりご無沙汰しています。
アゴン宗も焦りが出ているのでしょうか…当然のことと思いますが「世紀末危機」
を回避するため柴燈護摩などの行事で集金していたが、無事世紀末を迎え
賞味期限を10年延長しましたがそれでも2010年を無事迎え、皮肉にもその翌年
原発事故で放射能汚染をされてしまい、柴燈護摩がいかに無意味だったのかが
証明されたようなものでした。
原発事故に対してのアゴン宗の公式見解はないのでしょうか?
まー出せませんよね。阪神淡路の時とはわけが違います。
- 105 :深山:2011/08/16(火)
12:23:33
- >>90-93
仏教での解脱には神通力はいりません。
スシーマ経では、解脱したと自覚した比丘たちが釈尊にそのことを
告げに行くと、釈尊もそれを認めた。(『阿含経典 1』増谷文雄、241頁)
スシーマが彼らに神通力を体得したのかと一つ一つの神通力について質問しても、
そうではないと比丘たちは否定する。
「神通力がないのに解脱した!??」とスシーマは大混乱です。
今のアゴン宗の信者さんたちと同じです。
スシーマは、実は外道の行者で、教団に入り、神通力の開発方法を盗もうとして
潜り込んでいたのです。
スシーマはアゴン宗と同じで、神通力で解脱するものだと信じ込んでいたから、
解脱した比丘に、六神通力を体得したのかと質問したのです。
ところが、比丘たちは、なんと、どれも体得していないと答えた。
神通力で解脱するはずなのに、解脱した比丘が神通力を持っていない?
なんだ、それ?とスシーマが驚いたのは当然です。
信者さんたちも、私が、解脱には神通力なんて必要ないと
聞いた時、驚いたか、でなければ「深山のは素人タワゴト」と
侮蔑心を持ったか、どちらかですよね?
スシーマと同じで、桐山ゲイカの神通力解脱というオカルトを信じているからです。
スシーマも桐山さんも神通力に目のくらんだ餓鬼だから、仏教の解脱を理解していない。
- 106 :深山:2011/08/16(火)
12:32:51
- >>90-93
スシーマはどこかの教祖様みたいに解脱なんかよりも、
とにかく神通力が欲しくしかたないから、大混乱して、釈尊の所に聞きに行った。
「神通力がないのに解脱したと言っておりますが、あれは何なのですかねえ」
と、素直に聞いた。
釈尊の答えは、解脱とは何かという十二縁起について考えを質問するところから始まった。
そして、逆に、神通力で解脱するといったい誰かいつ説いたのかと質問した。
もちろん、釈尊の説く解脱とは、十二縁起に示されるように、
苦の原因を追及し、その原因である煩悩を断ちきることを指すのであって、
神通力で解脱するなんて出てこない。
スシーマは神通力を盗もうとして来たことを見抜かれてしまった。
スシーマは外道であり、泥棒です。
今の桐山さんや信者さんたちと同じではありませんか。
信者さんたちも神通力を安易に体得して、現世利益や成仏を手に
入れようと、必死に水晶龍神や曼陀羅を拝んでいる。
スシーマは懺悔して釈尊に許しを請うた。
信者さんたちは懺悔も反省もなく、相変わらず、
外道の教えを信じて、安易に神通力を手に入れようとしている。
だから、私は超能力餓鬼だと言っているのです。
しかし、施餓鬼供養の時期ですので、皆さんに
神通力を獲得する方法を教えましょう。
バカにしようとしていると疑っていますね。
とんでもない。
私は釈尊には敬意を持っているから、その釈尊の神通力を
心象風景などと小馬鹿にするようなことはしないし、知りもしないことを
金を盗って伝授するふりをして、物品販売するなんて下劣なこともしない。
- 107 :深山:2011/08/16(火)
12:37:28
- >>90-93
神通力獲得の方法はちゃんと阿含経に書いてあるのです。
それも至る所に書いてある。
桐山さんは自分だけが阿含経からそれを発見したと述べている。
間脳が開いた者だけがそれを見抜くのだという。
では、その経典は何かというと、どうやら、安那般那念経や止息経のことらしい。
信者さんたちは安那般那念経を未だに呼吸法の経典だと信じている。
だが、前にも何度も説明したように、あれには呼吸のことは
書いてあるが、呼吸法なんて解説されていない。
桐山さんによれば十何種類かの呼吸法が書いてあるというが、
よく読んでください。
呼吸法でなく、呼吸が書いてあるだけです。
呼吸法というなら、呼吸する方法を解説しなければならない。
だが、そんなものはなく、長い息だの短い息だのという呼吸の名称が並んでいるだけです。
桐山さんは、当時の比丘たちは名前を聞いただけでその内容を知っていたなんて
書いているが、真っ赤な嘘です。
釈尊はしつこいくらい修行内容を説明する方で、省略などしない。
- 108 :深山:2011/08/16(火)
12:39:53
- >>90-93
釈尊も、経典を読めばわかるように、同じ内容をくり返し、
手を変え、品を変えて説明する方です。
その方が、神通力体得に必修となるような呼吸法を省略するなどありえない。
「わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。」
(ブッダ最後の旅、中村元、63ページ)
内外の隔てなくというのは、信者だろうが外道だろうが説いたという意味です。
外道に対してさえも釈尊は教法をそのまま説いたと言っているのです。
こんな方が、特別な弟子にだけ秘伝を伝えるとか、
肝心な修行法の部分はこっそり教えるなんてすると思いますか。
しないし、必要もない。
釈尊は神通力の開発法を比丘たちにはもちろん、外道にも、
一般信者にも内外の分け隔てなく説いたのです。
宗教で商売しようという魂胆がないから、隠すことなど何一つなかった。
神通力開発法を釈尊は安那般那念経や止息経でももちろんのこと、
信者さんたちが在家向きだと信じて読誦している三供養品の中ですら、説いているのです。
目の前にあるのに気が付かないでしょう?
桐山さんから洗脳されているからです。
- 109 :深山:2011/08/16(火)
12:42:33
- >>90-93
釈尊が説いた神通力開発法とは、煩悩を断ちきることです。
これは私の珍説ではない。
安那般那念経は、呼吸法など説いているのではなく、
「どんな種類の呼吸をするのでも常に自分の心と行為と言葉に
煩悩が出ないように気をつけろ」という意味です。
止息経は桐山さんは四つの呼吸法を説いたなどと嘘を述べている。
だが、経典を読んでみてください。
止息にはそもそも呼吸なんて意味はない。
桐山さんの無知の産物です。
止息とは、「とめる」「やめる」という意味で、この経典の主旨は
煩悩を止息させることです。
煩悩を止息することがどれほど素晴らしいかということを
もっとも優れ、最上で、上等で、無上でと四つの誉め言葉で表現したのです。
ところが、桐山さんはこれを四つの呼吸法だなど解説した。
この勘違いの元は、>>50以降でも説明したように、桐山さんの使った種本の
『釈尊の呼吸法』で村木さんが止息を出しているからです。
仏教用語に素人の村木さんは、止息という言葉を呼吸法だと勘違いした。
それをそのまま鵜呑みにした桐山さんは、これをネタにして、
超能力開発法を村木さんからパクッタ。
素人の間違いまでパクッタのだから、爆笑です。
- 110 :深山:2011/08/16(火)
12:44:44
- >>90-93
安那般那念経も止息経もすべて煩悩を断ち切れと説いているだけです。
三供養品の三善根も煩悩を断ちきれと説いた同じ内容の経典です。
釈尊の主張とは、在家や出家の違いなどなく、煩悩を断ち切れ、これしかありません。
この煩悩を断ちきった比丘たちの中から、神通力を体得した者たちが現れた。
経典にある数字を単純に信じるなら、神通力を体得したのは比丘全体の
2〜3割というところでしょう。
釈尊はちゃんと神通力開発法を内外を問わず公開していたのです。
だが、桐山さんやスシーマや信者さんたちのように
超能力に目がくらんで、そればかりほしいという超能力餓鬼になってしまうと、
目の前にその方法を示されているにもかかわらず、それがわからない。
そして、桐山さんのチャクラやクンダリニー覚醒という嘘を
信じるばかりでなく、ついには水晶龍神や曼荼羅を拝んで
神通力を得るというアニメみたいなことにまで金を出し始めた。
信者さんたちの理性や知性はどうなったのだ?
頼むから、もう少し正気を保ってくれ。
- 111 :深山:2011/08/16(火)
12:49:26
- >>90-93
神通力が欲しければ、煩悩を断ちきることです。
資質があれば、三明、あるいは六通と言われるような神通力が得られる。
一銭もお金はかかりません。
煩悩を断ちきる方法も釈尊は懇切丁寧に説明している。
その総目次が八正道です。
神通力を体得する修行法とは八正道です。
桐山さんがオシエにすぎないと唾棄した八正道こそが
釈尊が説いた解脱の方法であり、神通力獲得の方法です。
そう言うと、信者さんたち、四神足こそが神通力を体得する方法ではないかと言うでしょう。
それでもかまいません。
信者さんたちは別物だと桐山さんから教えられているが、
三十七道品とは別々の修行ではなく、同じ内容を別な角度から説いているだけです。
だから、釈尊の修行法とは何かと聞かれれば、八正道というのが一番適切です。
だが、四神足が学びたいというなら、同じ事ですから、かまいません。
その代わり、桐山さんのオカルト解説ではなく、
釈尊の説いた正しい四神足を学んでください。
- 112 :深山:2011/08/16(火)
12:52:15
- 「意欲・努力・思念・思惟観察にもとづく4種の三昧(さんまい)(四神足)のこと」
(『岩波仏教辞典』)
これが正しい四神足です。
煩悩を断ちきり解脱するという意欲を保ち、その努力をして、
常に四諦や縁起を思念し、煩悩を観察しこれらを断ち切ることに集中する。
内容的には、八正道、あるいは四念処、七覚支など他の修行法と同じです。
解脱への意欲を保つという点が他の修行法よりも強調されているだけです。
煩悩を断ちきると資質のある者の中には神通力を体得する人が出てくる。
神通力で煩悩を断ちきるのではなく、断ち切るから神通力が出てくるのです。
だから、神通力がどうしても欲しいという御仁は、
釈尊の説く八正道に基づき、解脱しようという強くい意欲を維持し、
自分の身口意に現れる煩悩を常に観察し、
一瞬も怠らず熱心に観察するよう努力し、縁起に基づき苦の元を思惟し、
煩悩こそが苦の元であることを理解し、これを捨て去るという
正しい四神足を修行をすることです。
- 113 :深山:2011/08/16(火)
12:54:54
- 「意欲・努力・思念・思惟観察にもとづく4種の三昧(さんまい)(四神足)のこと」
(『岩波仏教辞典』)
解脱するだけでも素晴らしいのに、神通力が得られるかもしれないのだから、
信者さんたちも努力してみてはどうか。
神通力が発現する可能性は2〜3割ですから、かなりの確率です。
ただ、そのためにはまず三結から捨てないといけない。
自分の本質は霊魂であり、魂魄のうちの魄が輪廻の主体だなどというバカみたいな我見を捨て、
煩悩を断てば解脱するという教法をオシエにすぎないなど罵倒することをやめ、
護摩や死者成仏、霊障解脱、祈願などという外道の教えを捨てることが
三結を断つための第一歩です。
三結すら捨てられない者が仏教の神通力が得られる可能性はありません。
これらの三結を捨てるのはそんなに難しいことではない。
さあ、神通力の欲しい信者さんたちはさっそくこれらの三結を捨てましょう。
- 115 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/22(月) 06:03:13
- >>104
たまに投稿があるのを見ると旧来の友人が尋ねてこられたような感じで嬉しく思います。
何分にも忙しいこともある中、合間を見てのご意見いつでも歓迎いたしますのでどうぞ今後とも
よろしくお願いいたします。
私も同感ですね。その時代時代に合ったような「脅し」で展開していた阿含宗。
予言の当たり外れは横に置いて未だに信者を騙して釣っている。
釣られる方も悪いが、そろそろ智慧を身に付けて欲しいと願う日々です。
阪神淡路のときとはやはり違いますね。確かにゲイカは「東北も危ないんだ」とは言ってましたが、
それは日本全部・どこに対しても言ってたのであまり珍重できなかったし、誰でも出来る。
危ない危ないというだけでは子供でも出来ますからね。
問題は本当に阿含宗に力がありそれを見せることが出来たか、効果があったかです。
手を変え品を変えてはいるが、基軸は同じです。信者を騙して儲ける、これしかない。
被害に遭っている信者はたまったものではないが、喜ばす・誤魔化すのが上手いので訴訟も
起きづらくそのせいで未だにのうのうと(堂々と)詐欺手法が展開されている。
どのような展開であれ信者さんが智慧をつけて不買不従の姿勢になれば効果もあるんですが・・・。
まあ、本当の智慧をつけたら阿含宗に居なくなっちゃいますがwww
- 116 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/22(月) 06:16:03
- 追記で>>104
>原発事故に対してのアゴン宗の公式見解はないのでしょうか?
無いでしょうしこれからもおそらくしないでしょうね。いつものような言いがかりのもの(因縁やカルマ云々)は
言ったとしても今回の震災での原発の事に対しては触れないでしょうね。
下手にあれこれいうとそれでなくても頭が回らない教祖ですからどうなるか・・・。
また金を集めるための悪智慧なら働く(回る)が、被災者や事故の方への気持ちなど微塵も無い。
何の儲けにもならないからです。ゲイカの思考の範囲外になっているかと推察します。
ある方の懇意で阿含宗報などを拝見する機会がありますが、被災信者への何か有ったことなど全然書かれてない。
このことから「可愛い信者」さえもさほど眼中に無いのが分かります。
阪神淡路のときも「お見舞い申請」をしなければ阿含宗から見舞金さえ出なかった、というのが言われています。
政府の「手当て」の申請じゃあるまいし、言わなきゃ・申請が無ければ出さない、というのは何だか。
安否も気遣いも無いというのが現状でしたね。
それと同じように東北の信者さんたちにただ大きなところで「大丈夫か」と言ったか言わないかぐらいで、あとは
実際には護摩木で拝んだり死者供養の法要はしているだけ。これが天下?の阿含宗のやることですか。
お見舞いには多額のお金が必要になるし、今阿含宗も集金が上手く行ってないので実際的な財布の中身も
乏しいので見舞いすら避けているのかもしれませんね。
滝行や護摩施設建設よりも、信者に見舞う方が私は正しいと思うのですけどね。
- 117 :サライ:2011/08/23(火)
20:49:39
- >>115:天照 11/08/22(月) 06:03:13
>その時代時代に合ったような「脅し」で展開していた阿含宗。>未だに信者を騙して釣っている。>問題は本当に阿含宗に力がありそれを見せることが出来たか、効果があったかです。
>手を変え品を変えてはいるが、基軸は同じです。信者を騙して儲ける、これしかない。被害に遭っている信者はたまったものではないが、喜ばす・誤魔化すのが上手いので訴訟も起きづらくそのせいで未だにのうのうと(堂々と)詐欺手法が展開されている。>どのような展開であれ信者さんが智慧をつけて不買不従の姿勢になれば効果もあるんですが・・・。
>まあ、本当の智慧をつけたら阿含宗に居なくなっちゃいますがwww
。。。天照さんの論のおっしゃる事、うなずけますね。実は最近また「今回の震災は破滅のカルマの前段階に過ぎない」と言いだしてるんですよ。また、性懲りもなく。不謹慎でもあるし。世は「がんばろう日本」と言っているのに
。また、釣りのネタにしようとしているのでしょう。せっかく、「1999年7の月が来る」で広瀬隆氏の論を紹介して放射能の灰の恐怖の件を著書に紹介してはいたが、いざ、それが現実になった時、なんら適切なコメントも発信できず、やや世間とズレている阿含宗です。他の新興宗教がやっている「うちの信者は皆、助かっている」を、また、言いだしてるし。それを言っちゃおしまいだし、他の新宗教と同じだって何でわからないのだろう。時勢のモラルに反するという事がわからないのですかね。常識がない。明らかに商業上の政策ですね。だめだ、こりゃ。
- 118 :サライ:2011/08/24(水)
00:09:04
- >>116:天照 11/08/22(月)
06:16:03
>今回の震災での原発の事に対しては触れないでしょうね。>下手にあれこれいうとそれでなくても頭が回らない教祖ですからどうなるか・・・。
>金を集めるための悪智慧なら働く(回る)が、被災者や事故の方への気持ちなど微塵も無い。
何の儲けにもならないからです。ゲイカの思考の範囲外になっているかと推察します。
>阿含宗報などを拝見する機会がありますが、被災信者への何か有ったことなど全然書かれてない。
このことから「可愛い信者」さえもさほど眼中に無いのが分かります。
>阪神淡路のときも「お見舞い申請」をしなければ阿含宗から見舞金さえ出なかった、というのが言われています。
政府の「手当て」の申請じゃあるまいし、言わなきゃ・申請が無ければ出さない、というのは何だか。
>東北の信者さんたちにただ大きなところで「大丈夫か」と言ったか言わないかぐらいで、あとは
実際には護摩木で拝んだり死者供養の法要はしているだけ。これが天下?の阿含宗のやることですか。
>お見舞いには多額のお金が必要になるし、今阿含宗も集金が上手く行ってないので実際的な財布の中身も乏しいので見舞いすら避けているのかもしれませんね。
>滝行や護摩施設建設よりも、信者に見舞う方が私は正しいと思う
。。。またまた天照さんのおっしゃる事が図星なのでほとんど引用ですw。たぶん現信者さん達も「なんか変だ」とフラストレーションを感じてはいるが、打ち消してごまかしているんではないですか。教祖の"お見舞いの気持ち"がボケの彼方に消えてますから。おっしゃった"阿含宗報"23年3月26日号
本来、震災のニュースがトップに来てもいいところ、"関東別院から2月度例祭を発信・愛染明王ご奉安と秘法愛染護摩伝授をご発表"。とあくまで中心はゲイカ。2面・阿含宗用災害伝言板
ご案内 義援金受付のお知らせがあるのみ。
5面になってようやく、K和食品さんによる"謹んで東北関東大震災のお見舞いを申し上げます"のお見舞いらしい一文が登場。教団本体より、関連会社さんのほうが常識があるというネジレですね。ちなみに教団本体のお見舞い文は1月遅れの4月23日号にようやく載りましたが。(管長名ではなし、発信人は不記載)
管長本人名のお見舞い文は7月3日に発行の"関東別院愛染明王縁起"なる小冊子にようやく載りました。震災に関連した文脈の中で「誠に痛ましいかぎりで、被害に遭われた方々には衷心よりお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福と、被災地の速やかなる復興を心よりお祈り申しあげる。」
これはあくまで文章であって、生の声ではお見舞いは言う事ができてない。また、おっしゃる通り、被災地の事にはその後もあまり触れませんね。過去あった"お見舞い申請"ですか。ホントふざけてますよね。
とにかく、お客様である"会員"さんを上から目線で"修行者"として見下して、金と時間奉仕の点で搾取していくのが(良心的な職員は別として)、この教団のやり方ともいえます。誰に飯食わせてもらってると思ってるんでしょうね。
- 119 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/24(水) 05:25:50
- サライさん、ご意見ありがとうございます。私のような退会者は得た情報を元に過去の阿含宗の傾向や
ゲイカの性格や傾向でおおよそ的な意見を述べる場合も有りますが、実際在籍している現信者さんが
教団内で確認された場合、私たちの論が当たっている場合「やはりそうか」と合点が行くのと
私たちの推測など外れて「マトモな阿含宗」というのをやってくれてたら「ほう・・・」と見る目も
少しは変れるものですが、それすらないのにはなんともいえない気分です。
2chでも「多少擁護」の意見が出ます。気持ちは分かりますね。自分の愛する教団がミソクソに批判
されて現信者さんの気分は決して良くない。私も過去「阿含宗だっていいところあるでしょうが」と
結構つっぱった時期もありましたからね。全てを悪く言い成さんな。そう思っていた。
しかしサライさんの投稿分中に今の阿含宗の現実の内容をかなり垣間見ますが、モラルも無いのが事実です。
阿含宗報の詳細をみても「某北国」の独裁政治と同じ状況です。
国家関係者だけは守り国民は飢えと困窮で苦しんでいるのにニュースは「将軍様」とか国家のなんたらの
ニュースばかり。現実のものや都合の悪いことはほとんど触れない。その体制と非常に似ています。
阿含宗は戦時中の「情報操作」をしているのではないか。そう思うくらい酷い有様だなと感じますね。
- 120 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/24(水) 05:49:24
- 結局思うのは、情報操作の意図は弱いとか無かったとしても現実的なことをしないことは紛れもない事実です。
それこそ現実的というならば阿含宗的には「お金が無い」「信者が少ない」ということがあり、それをどうにか
するためには「宣伝」「洗脳」するしかない。愛染明王でも何でもいいから信者の関心を誘い、如何に騙して
搾取するか。それが阿含宗側の「現実」なのでしょう。だからそれしか眼中に無いしやる気も無い。
なので世間ズレというか常識が無いというか、また信者さんも「変だな」と思っている方もいるでしょう。
世の中の事項も何のそのでやれるのはまさに目的が違うからだと思いますね。
>実は最近また「今回の震災は破滅のカルマの前段階に過ぎない」と言いだしてるんですよ。
始まった、また得意の妄想が。(呆れ)それ言って何年やるんですか?クソゲイカ。
例祭に忍び込んで卵ぶつけろうか(笑)
>他の新興宗教がやっている「うちの信者は皆、助かっている」を、また、言いだしてるし。
それを言っちゃおしまいだし、他の新宗教と同じだって何でわからないのだろう。
時勢のモラルに反するという事がわからないのですかね。
そういうことを言って自慢したいのでしょう。阪神淡路の時は「3人」の信者の方が亡くなりましたが、その事も
実はゲイカは「面白くなかった」んです。一人でも死者がいないようで無ければ高々と成仏法の威力を謳えない。
自分の名誉と誇示の発揮が出来ないので不満だったんですよ。当時の例祭の態度や発言を見ても出てましたからね。
>たぶん現信者さん達も「なんか変だ」とフラストレーションを感じてはいるが、打ち消してごまかしているんではないですか。
教祖の"お見舞いの気持ち"がボケの彼方に消えてますから。
いい表現と分析ですね。同意です。打ち消すしかないでしょうね。過去自分もそうでしたし。
また過去と違うのは「ボケの彼方に消えている点」です。
昔はまだしっかりしていたので発言も今と違ったが、ここ近年は酷すぎます。
私の親も老いの為、ゲイカのような症状が出るのですが、普通人ならまだ仕方ない。
妄想するにもゲイカは普通の一般人と立場が違いますからね。はよ引退せや、と思うが、居ないとまたまずいし。
カリスマもボケると困ったものです。
- 121 :干柿:2011/08/24(水)
20:19:00
- >「うちの信者は皆、助かっている」
そういうことだけ大げさに言って、そして幹部職員のI江部長が、まだ66歳
の若さで癌で逝ってしまったということはダンマリなんですか・・・
ほんとうにふざけていやがりますね!
- 122 :サライ:2011/08/24(水)
23:46:18
- >>121
そう、ダンマリです。あんなに、信者の指導も含めて、がんばっておられたI江部長さん。今後、別院の指揮系統も全部、W田氏に移る気配もありです。いやですね。最近聴いた話、ある地方道場で集団離脱があったようです。いろいろ変動の時期が来ているのですかね。
- 123 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/25(木) 06:42:13
- >>122
集団離脱、いいですね〜。本当はそういうことが置きて来るようでなければいけない。信者さんはいつまでも
操作・搾取されてはいけないと常々思っていますから、本当にそう思います。
私が在籍していた頃の今からだと5年前になるんですか・・・別院でM田行満先達や重要な方々数人とゲイカで会議が
あったというのを聞いていたことがあります。これはその頃から「和田勢力が関東に及ばないように、また将来の
阿含宗をどうして行くか」の会議だったとのことです。
(会議に行く前に当時交流のあった法友がM田さんに遭ってて色々会話をし、その後会議に行く際にそういうことを
伝えられたので嘘ではないわけです)
関西では結構な力を持つ和田氏。それが関東にまで及んで全国統制となればどうなるか。
それらを別院では危惧していたようです。別院以北の方はそういう危機感はあまり無いですが、別院では
早くも警戒し危機感を持っていたというのがあるわけです。
サライさんの情報が前情報で早い情報であったとしてもこれはかなりの脅威です。
実際にそうなりつつあるでしょう。ゲイカが今までは関東を持ち、関西は和田さんに任せていた。
ゲイカは皆さんご存知の通りヨレヨレです。そしていづれ引退か逝去が待っている。
和田勢力が全国に及ぶことは予測できる事項です。なので和田さんを知る人は危機感を感じざるを得ない。
サライさん仰せのとおり、変動の時期が来ているといっていいでしょう。すぐそこまで、と言う感じです。
ゲイカのいうことを聞く人でも和田さんの言うことはさて?なので、今後も離脱か反発というのが出るかもしれない。
まさしく変動の嵐が吹き荒れる。そういう予見を感じざるを得ませんね。
- 124 :名無しさん:2011/08/25(木)
07:53:45
- >>122
サライさんの「集団離脱」はすごいですね。
何名くらいの人が造反したのでしょうか。とても興味深いです。
読んでいた思ったのですが、今までの投資、恐怖などの理由から
なかなか辞められない人は、集団・徒党を組むことで辞めやすくなる
かもしれませんね。集団離脱が起きてくるのはよい傾向です。
- 125 :干柿:2011/08/25(木)
20:24:13
- 例によって友人からの話なのですが、
お盆の万灯会のときの法話がひどかったみたいですw
出てきてフリーズ状態が続き・・・中国からの来賓客の紹介を何回もやって
ようやく話しになってきたかと思うともう終わりの時間で、例の真言行の声
でるやつ開いて三唱ほど唱えはじめたら、もうF田さんともう一人の坊さんに
両脇かかえられて退場したそうですw
その状態を報告した会員(オバさんらしい)、家に帰って泣いたとか(爆!
- 126 :アゴン:2011/08/25(木)
22:58:22
- >>125
あれは私も拝聴してて、(あ潤オ。ここまできたら、もう会員全員にバレるな)と思って見ていました。泣き出されるのもよーく分かります。お気の毒ですねぇ。。最後まで信じてきて最後は教祖が恍惚の人になりかけてるんですから。
ですが、周囲が非常識なのか因果応報なのかは分かりませんが、ゲイカのご様子をここまで晒されると、世の無常をすごく感じますね。
ここらで後継者を発表しないと、集団離脱は増えていくだろうと思います。
- 127 :サライ:2011/08/25(木)
23:08:46
- >>123
なるほど、すでに5年前にW田氏による別院支配の危惧の対策会議があったわけですね。みたところ、実は別院はゲイカから、亡くなられたI江部長に任されていた、と思います。その部長亡きあと、ついに、W田氏の指揮が別院に及び始めた。もうなんの許可を取るのも、関西の顔うかがって、となっているようです。(幕末の江戸幕府と朝廷みたいです)5年前の対策会議はうまくいかなかったようですね。なぜW田氏は別院の職員に権限委譲しないのか、自らによる一元支配にこだわるのか、不気味です。
- 128 :サライ:2011/08/25(木)
23:24:45
- >>124
名無しさん、詳しくは私も人づてなもので、わからないのですが、10〜20名ではないかな、と。また、今後の動向が注目です。どなたか、内容詳しく知っている方がいたら情報知りたいです。
- 129 :サライ:2011/08/25(木)
23:40:55
- >>125
やはりでしたか、8月の万灯会。昨年もなんか、途中からゲイカの機嫌が悪くなって(F田氏の終了時間の告知にキレて)雰囲気台無しで、がっかりでしたので、今年は8月は万灯3500円×0で、不買運動を実行し、法要もいやな予感がしたこともあり、都合もつかず、ボイコットしました。どうせ、真如苑と阿含宗の両者に出入りしている中国の霊光寺仏楽団あたりが、ご挨拶の出稼ぎに来たのではないですか。やはり、フリーズでしたか。去年もだけど、夜の時間のない時に外国のお客さんの相手すると、時間切れで肝心なお盆の法要、法話がおろそかになるんですよね。もう、あれ(接客)やめてほしいです。
- 130 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/26(金) 05:44:49
- 酷いですねえ・・・去年はキレて今年は介助。段々自分のいる場所と状態すら把握できなくなってきているのか???
と思っちゃうほどですね。信者さんは勿論、外部の方などはかなりそういうのを見たらざわつくのではないでしょうか。
マンガ「カイジ」じゃないですが、『ざわ・・・』ですなあwww
別院支配の危惧の会議は5〜6人だったようです。本当に内部の内部会議なのでこの事項を知る人は少ない。
ですから阿含宗の法施やら大きな体制などの事の会議とは違い、本当にコアな人たちの会議であったのです。
別院が支配下になれば東北や北海道は東京から見ても距離的には離れては居ますが、根幹な指令や制御などは別院に
あるわけですから、別院を支配できれば阿含宗を全国規模で統制した、ということと同等になります。
それこそ地図などで「関東・関西」と分けているおおまかな状態のように阿含宗もそういうのがあります。
ですから別院が和田氏の支配下になれば、実質阿含宗全部を統括する、ということを意味します。
仮に和田氏が皆から慕われる方であればこういう会議や危惧はしません。
私は和田氏の事は深く知らない末端信者でしたが、少ない噂や情報でも良い話は聞きません。
また12月などの時期のフォーラムなどに出てきてスピーチしている和田氏をみて「このおばちゃんどこの人?」
と思ってましたからね。
ゲイカが弱ってきているし深田さんは護摩焚いたり阿含宗行事や法関係に専念させているので、運営というか総括の方は
「自分がやる」ということでしょう。またゲイカがそういう状況ですから、尚更そういう流れにはなる。
ゲイカが弱りI江さんが逝去された状況ではますます妨害者や勢力者が居ないのであれば、和田氏の一人勝ちです。
自分が阿含宗のTOPになれる!となれば、これは権利関係もそうですが、利益も期待できる。
女帝誕生も間近か、ということなのでしょう。
ただ、事がそう上手く行く(続く)かな?という気はしますけどね。
- 131 :Boo:2011/08/27(土)
13:11:49
- >実は最近また「今回の震災は破滅のカルマの前段階に過ぎない」と言いだしてるんですよ。
>また、性懲りもなく。不謹慎でもあるし。世は「がんばろう日本」と言っているのに
。
>また、釣りのネタにしようとしているのでしょう。せっかく、「1999年7の月が来る」で
>広瀬隆氏の論を紹介して放射能の灰の恐怖の件を著書に紹介してはいたが、いざ、
>それが現実になった時、なんら適切なコメントも発信できず、やや世間とズレている阿含宗です。
>他の新興宗教がやっている「うちの信者は皆、助かっている」を、また、言いだしてるし。
>それを言っちゃおしまいだし、他の新宗教と同じだって何でわからないのだろう。
>時勢のモラルに反するという事がわからないのですかね。常識がない。明らかに商業上の政策ですね。
>だめだ、こりゃ。
ひどい話ですね。教団ぐるみのイカサママージャンで永久にツモれない待ちで
騙されてリーチをかけちゃったようなものです、信者さんたちは。
破滅のカルマの前哨戦って・・・相撲でいえば序の口あたりの幕下力士の戦いでしょう。
幕下力士にも勝てない柴燈護摩や土地ジョウレイで本番の戦いにどうやって
勝つのでしょう?
このたびの東日本大震災でアゴン宗にはなにも力がないことが確認できましたね。
そういえば島田○助氏が何年も前にヤクザとメールを交わしていたことで、芸能界引退
しました。それを考えるとアゴン宗はヤクザとズブズブの関係だった訳ですから、
教団回解散、財産没収すりゃーいいんじゃない?
- 132 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/08/30(火) 06:52:56
- 考察室を久しぶりに更新しました。
今回は阿含宗で伝授があった「秘法」というものの画像を公開。
私が所持しているものだけですので数は少ないですが、過去早くに退会した方や
阿含宗の考察、また秘法に興味がある方などにもご覧いただけるものと推察します。
阿含宗では勧進に際しての法施でよく釣りますが、その他にもこういった「秘法」
ということを言い、信者の関心を誘っています。
そのPらを見ると分かりますが、非常に幼稚。桐山氏が創作したものですから
何ら力も効験も無いのがわかります。そして数は少なくとも数種あることで比較が
出来、それを見るとある種のパターンが有ることも分かります。
つまり、教祖ぶって秘法だの述べても素人が創作した「秘法もどき」だということです。
これが非常に良くわかります。
是非皆様の考察にお役立ていただけたら幸いです。
直アド http://agama.zouri.jp/omocha_top.html
- 133 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/03(土) 20:01:54
- 準さんが来ないとこっちは静かだねえ・・・。
その分2chは盛り上がってますがw
- 134 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/04(日) 18:54:36
- >>133
まあ準シュダオンさんのこれまでの実生活、すなわち最後には誰からも相手に
されなくなるが、掲示板においても例外なく行われた、それだけでしょう。
- 135 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/05(月) 05:10:23
- ユビさん、お久しぶりです。
本当にそうですね。とうとう余されて来ている結果なのでしょう。
今では2chで似たような(笑)おかしな輩が登場していますがwww
持論を展開してそれ以外は「我関せず」の姿勢ですが、浮いてて笑っちゃいますね。
まるで「成りすま・・・」いや、憶測はやめておこうw
ともかく会話の成立しない擁護者はおかしげなことばっかりやっていますね。
阿含宗の信者ってそういうやつばっかりか、と思っちゃいますね・・・。
自己主張することしか能が無い。そういう気がしますね。
- 136 :準シュダオン:2011/09/06(火)
10:49:20
- >まあ準シュダオンさんのこれまでの実生活、すなわち最後には誰からも相手に
>されなくなるが、掲示板においても例外なく行われた、それだけでしょう。
相手にしないのは私の方なのですがw。
>また、釣りのネタにしようとしているのでしょう。せっかく、「1999年7の月が来る」で
>広瀬隆氏の論を紹介して放射能の灰の恐怖の件を著書に紹介してはいたが、いざ、
>それが現実になった時、なんら適切なコメントも発信できず、やや世間とズレている阿含宗です。
>他の新興宗教がやっている「うちの信者は皆、助かっている」を、また、言いだしてるし。
>それを言っちゃおしまいだし、他の新宗教と同じだって何でわからないのだろう。
「うちの信者は皆、助かっている」を言い出したからといって、お終いではない
でしょう。格式ある伝統仏教で災害死するよりは、新宗教で助かったほうがマシ
でしょう。
但し、管長は以前の法話で、「原発事故で放射能が出たら、御宝塔を安置して
いてもダメでしょうねえ・・。」と、話されていますよ。
だから、御宝塔があるからといっても、無敵というものではないのですねえ。
- 137 :準シュダオン:2011/09/06(火)
11:11:36
- >破滅のカルマの前哨戦って・・・相撲でいえば序の口あたりの幕下力士の戦いでしょう。
>幕下力士にも勝てない柴燈護摩や土地ジョウレイで本番の戦いにどうやって
>勝つのでしょう?
たぶん勝てないでしょう。勝てないまでも、効果はある、と考えるべきですね。
私は、3.11の時、霊示を受けて海の町へ行く予定を中止した。
何者が霊示を与えてくれたのかは解りませんが、その何者にしても、地震や津波
という自然現象を止めることは出来ないのでしょうね。
でも、護摩や土地ジョウレイが無力だとは思いませんよ。
私は、護摩の奉仕修行中に因縁の洗い出し現象みたいな事も、体験したしね。
その洗い出し現象は2日くらいで治まったから、洗い出し期間は因縁の種類に
よって違うことを発見したね。
- 138 :深山:2011/09/06(火)
22:43:18
- >>136 :準シュダオン:2011/09/06(火) 10:49:20
>相手にしないのは私の方なのですがw。
準シュダオンさんの嘘の羅列
1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(55章625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=一来向」「一来果=不還向」「不還果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(55章940)
8.下記の文章のある阿含経はどこにあるのか?
「四双八輩是聖賢之衆」(五章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(五章633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(>>7)
- 139 :深山:2011/09/06(火)
22:49:20
- >>136 :準シュダオン:2011/09/06(火) 10:49:20
>相手にしないのは私の方なのですがw。
>>138はわずか一ヶ月ほどの間にあなたがついた嘘の一覧表です。
ここまで来ると準シュダオンさんは桐山さんと同じ虚言癖の持ち主です。
ここまで次から次と嘘が並べられるのも驚くが、自分の嘘にいっさい責任を
負わず、まるで他人事のような顔をして、ぬけぬけと出てくるその図太さにも
いつも感心させられる。
その恥知らずで鉄面皮ぶりが桐山ゲイカを彷彿とさせる。
桐山さんもあなたも嘘がなんともない。
普通の人は嘘はつくが、あなた方と違い、必要に迫られてつく嘘であり、
最小限にしようとする。
また嘘がばれたら、恥じる。
だが、桐山さんも準シュダオンさんも、必要のない嘘を積極的につく。
ばれても恥じることなど金輪際ないばかりか、その舌の根も乾かぬうちに次の嘘をつく。
その結果が、アゴン宗のデタラメ教義であり、あなたの>>138の1〜8までの嘘です。
虚言癖という点で準シュダオンさんて桐山さんと似ているから引き合うのですね。
- 140 :深山:2011/09/06(火)
22:54:39
- >>136 :準シュダオン:2011/09/06(火) 10:49:20
>格式ある伝統仏教で災害死するよりは、新宗教で助かったほうがマシ
でしょう。
その「新宗教で助かった」信者って、どこにいるのだ?
準シュダオンさんの体験談なんて信用していない。
>>138の1〜8のような嘘を平気でつくあなたの話など何一つ信用に値しない。
東日本大震災でアゴン宗の信者は死者がゼロだと宣言したそうだ。
だが、あれから半年がたつのに、公式宣言はまったくない。
アゴン宗にいれば救われるという実証としてはすばらしいはずなのに、
どうして公式声明を出さないのだ?
嘘だからです。
準シュダオンさんと同じで嘘つきだから。
今回の死者が二万人とすれば、日本の人口の6千人に一人が亡くなったことになる。
アゴン宗の信者が二万人なら三人、三万人なら五人亡くなっている計算になる。
新興宗教は都会に信者数の割合が高くなるから、震災地区に信者が少ないとしても、
三人がゼロにはなりません。
- 141 :深山:2011/09/06(火)
22:58:31
- >>136 :準シュダオン:2011/09/06(火) 10:49:20
>だから、御宝塔があるからといっても、無敵というものではないのですねえ。
無敵など誰も求めていない。
桐山さんはアゴン宗の信仰が災害に効果があると言った。
「十三人導けば、命は保証する」と言ったのを私はこの耳で聞いた。
無敵など誰も求めていないが、一般人と違い、命は助かると断言した。
だが、そんなのは真っ赤な嘘で、自分の妻すらも救えなかった。
昨今入信した信者ではなく、千座行時代から修行をして、副管長として
在家最高の功徳を積んだはずの桐山夫人はガンが再発してあっけなく死んだ。
命だけは保証するなんて、これを見れば真っ赤な嘘だとわかる。
そればかりか、桐山さんは自分すらも救えないではないか。
脳梗塞に一度ならず、二度なった。
こんな奴の修法したご宝塔で人を救う?
ご宝塔も修行も積徳行も、何の意味もないこと、宣伝文は全部嘘デタラメだと
自ら認めたようなものです。
無敵ではない、どころか、何の役にも立たないのだ。
むしろ金を出し、労力を提供した分、大きな害がある。
死にたくないという人の弱みにつけ込んだカルト宗教なのだから、
百害あって一利なしです。
- 142 :深山:2011/09/06(火)
23:00:06
- >>137 :準シュダオン:2011/09/06(火) 11:11:36
>たぶん勝てないでしょう。勝てないまでも、効果はある、と考えるべきですね。
信者さんたちにお聞きするが、「カルマに勝つ」って何ですか。
準シュダオンさんはまるでカルマというものが存在し、誰もが認識でき、
それと戦うこともでき、勝つこともできるかのような書き方をしている。
だが、信者さんたちはそもそもカルマを見たことや触ったことがあるのか。
小学生にでもわかるようにカルマについて説明できますか。
できませんよね?
霊障のホトケと同様に、信者さんたちはカルマとは何なのか、まったく知らない。
火星人について知らないように、カルマについても知らない。
では、どうして、信者さんたちは、準シュダオンさんのように、
まるでカルマのことをよおく知っているかのような顔をするのだ?
私があえてこの質問をするのは、信者さんたちに
「無知の知」
を自覚してほしいからです。
桐山さんも引用したソクラテスの言葉です。
彼は、自分が知らないことを知らないと自覚するように促した。
- 143 :深山:2011/09/06(火)
23:02:59
- >>137 :準シュダオン:2011/09/06(火) 11:11:36
>たぶん勝てないでしょう。勝てないまでも、効果はある、と考えるべきですね。
「無知の知」の反対は「無知の無知」です。
自分が知らないのに知っているかのように自惚れることです。
信者さんたちの信仰はまさに「無知の無知」ではありませんか。
カルマについて信者さんたちは何も知らない。
見たことも、触ったことも、計測したこともない。
だが、まるでカルマは世間の常識であるかのような語り口で、
「カルマを断ち切る」などと話す。
信者さんたちはアゴン宗のカルマ論は仏教やインド思想だと思いこんでいませんか。
だが、あれは桐山教のカルマにすぎない。
あれは仏教のカルマでもなければ、インド思想のカルマですらない。
桐山さんの偏見と独断、正確には無知で作り上げたカルマ論です。
- 144 :深山:2011/09/06(火)
23:07:10
- 『祈りは天地を動かす』P.77〜78
「成仏法は、「因縁解脱」の法であって、業(カルマ)を断ち切る法なのです。
それは、個人とか、社会とか、そういう区別はないのです。
この世に存在するものすべて、天地自然、生物も人工物も、すべてのきはん
(きずな・制約・束縛)を断ち切る法なのです。人間だけに限ったものではない。」
これが桐山さんのカルマ論です。
そして信者さんたちはこれを仏教やインド思想のカルマ論だと思っている。
こんな思想は仏教にもインド思想にもありません。
「業 ごう[s:karman][p:kamma]
原語の基本的意味は,<なすこと><なすもの><なす力>などで,
<作用><行為><行為対象><祭祀>などを表す語としてインド思想一般で広く用いられた.」
(岩波仏教辞典)
釈尊の説くカルマとは「行為」という意味です。
後に、これが輪廻思想と結びついて宿業という意味に用いられ、
多くの仏教がカルマを宿業の意味に用いていることがあります。
しかし、桐山さんみたいに、この世の中のありとあらゆるものが業によって
動いているなんて思想はどこにもありません。
ましてや、そのカルマを断ち切るのが解脱だなんて思想は大乗仏教にすらない。
まったくの桐山さんのオカルトです。
アゴン宗では霊障のホトケによって作られたカルマによって天災や人災が
引き起こされるなどと荒唐無稽な話を主張しているが、
そんな思想は釈尊はもちろんインド思想にもありません。
カルマとは、どう広くとっても個人の行為の範囲に留まり、
カルマが世界を動かしているなんて考えは逆さに降っても出てきません。
- 145 :深山:2011/09/06(火)
23:11:52
- >>137 :準シュダオン:2011/09/06(火) 11:11:36
>たぶん勝てないでしょう。勝てないまでも、効果はある、と考えるべきですね。
カルマと戦う、などと桐山さんや信者さんたちは平然というが、
「行為と戦う」ってどういう意味ですか。
信者さんたちはカルマという神秘力があり、それを戦ったつもりで
焚き火を焚いているようだが、子供騙しですよね。
信者さんたちが信じているカルマとは、桐山さんという大嘘つきが
唱えたオカルトにすぎない。
それを信者さんたちは、釈尊が唱え、インドでは当たり前のように語られ、
当然、その存在は古くから知られているかのように思いこんでいる。
それって、ゴジラと戦ったと言っているのと変わりありませんよ。
だから、上記の準シュダオンさんは、まるでカルマとは存在し、
自らそれを確認したかのような威張り腐った態度で、あれこれとお説教を垂れている。
だが、準シュダオンさんもカルマなんて見たことも
聞いたこともないし、あることもないことも知らない。
何も知らないのに、知っているかのように偉そうに話しているだけです。
こういう準シュダオンさんの姿を信者さんたちは愚かで醜いとは思うでしょう。
- 146 :深山:2011/09/06(火)
23:14:58
- >>137 :準シュダオン:2011/09/06(火) 11:11:36
>たぶん勝てないでしょう。勝てないまでも、効果はある、と考えるべきですね。
信者さんたちは、準シュダオンさんが「無知の無知」を鼻先にぶら下げて
しゃべっているのを良く見てください。
なぜなら、それが程度の差こそあれ、信者さんたちの姿でもあるからです。
あるかないか誰もわからないカルマというオバケを信じて、
それと戦うために世界各地に出かけて焚き火をするのだという。
それがせめて具体的に何か効果があったというなら、オバケは
存在する可能性も出てくるでしょう。
だが、桐山さんに見えるという霊障のカルマの「カルマ予報」が
1999年の地球壊滅だったのですよ。
2010年まで賞味期限を延ばし、「今年こそ危ない」と
カルマ予報を繰り返したが、まったく当たらなかった。
これでもまだ、釈尊も唱えておらず、インド思想にもない桐山カルマという
オバケが存在し、桐山さんに見えると信じるのだろうか。
- 147 :深山:2011/09/06(火)
23:17:00
- >>137 :準シュダオン:2011/09/06(火) 11:11:36
>たぶん勝てないでしょう。勝てないまでも、効果はある、と考えるべきですね。
準シュダオンさんみたいな妄想癖の老人になると、桐山カルマが体験できるから、
勝ったとか負けたとか議論するのだろうが、
それは火星人と戦ったとか、ゴジラに勝ったと言っているのと同じなのですよ。
信者さんたちは準シュダオンさんほどひどい妄想癖はないだろうし、
彼ほどの嘘つきでもないでしょう。
だったら、まず、
「自分はカルマとは何かを知らない」
「霊障とは何かを知らない」
「因縁とは何かを知らない」
と無知を自覚するべきです。
無知の自覚は恥ずかしいことではなく、無知の無知こそが恥ずかしい。
準シュダオンさんをごらんなさい。
無知で恥知らずで高慢で、嘘が大好きで、彼はこのまま一生を終える。
本人は自惚れが強いから気が付かないだけで、現実世界でも鼻つまみです。
信者さんたちは準シュダオンさんのようにだけはなりたくないでしょう。
だったら、自分の無知を自覚し、知らないことは知らないと自覚する勇気を持つことです。
- 148 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/07(水) 08:36:18
- >>136:準シュダオン11/09/06(火) 10:49:20
>相手にしないのは私の方なのですがw。
そのままずっと相手にせず、なまじこちらに出て来ない方が賢明でしょうね。
>>137:準シュダオン11/09/06(火) 11:11:36
>私は、3.11の時、霊示を受けて海の町へ行く予定を中止した。
>何者が霊示を与えてくれたのかは解りませんが、その何者にしても、地震や津波
>という自然現象を止めることは出来ないのでしょうね。
あなたが勝手に判断しても桐山さんがそれを認めてません。
なるほど桐山さんもまた地震などそのものが消滅することはないが、せめて
これが人間に被害の及ばぬよう位置や時期などがズレてくれることを望んでいる。
自然現象の方がズレたりしないのならば、せめてそこで生活する人間の方が
その被災地から一時離れたりして被害に遭わないことですね。
しかし今回半年前のような大規模広範囲のような災害の場合、津波などは集落丸ごと
襲うのだから、一部のノアの方舟に乗った信者だけ救う話では人類救済はできない
ことになる。
アゴン宗の信者人口が少数比率だからノアの方舟は成立するが、例えば釜石市の
市民が全員アゴン宗徒だったら津波は釜石市だけは避けるのか、その日釜石市の
住民は全員いなくなっているのかという命題を出したことあるでしょう?
桐山さんが言うところの土地のカルマ、国土のカルマという奴です。
個人の因縁よりも国土の因縁の方が大きいのだから、これを断たねばならないと
するものです。
もちろん深山さんが指摘するようにインドのカルマ思想に、人間を離れた天災を
地球のカルマなんて言い方をしない。
とにかく桐山さんは地球のカルマを救うなんて言っているのだから終極的に
地震津波などの災害が起こらなくすることを狙うのです。
- 149 :準シュダオン:2011/09/07(水)
09:12:19
- 訳の解らん人が、また長々とレスしてる。三角形の内角の和が180度であること
を理解できない人が、長々と図形の解説をしていたら、どうだろう?
預流向は聖者に含まれないことを理解できない人が、阿含仏教を論じるとは、上記
の例えです。
学者を、四双八輩の例えにします。
小学校、中学校、高校、大学、をそれぞれ卒業した者に、小卒、中卒、高卒、大卒、
という学位を与えて、学者とします。つまり、4つの学位があります。
小卒を目指している小学生を、小卒向と呼ぶことにします。
小卒を得た者を小卒果と呼びましょう。つまり、小卒=小卒果であり、小卒向≠小卒です。
同じように、中卒向:中卒果、高卒向:高卒果、大卒向:大卒果、という対にしましょう。
すると、学者の四双八輩ができます。釈迦が説く聖者の四双八輩と同じ仕組みです。
小学校在学生=小卒向は、小卒の学位がないので、学者の仲間でないことが理解で
きるでしょう、小卒向に小卒という語が含まれていますが、向とは小卒に未到達だ、と
いう意味なのです。だから、小卒向≠小卒、なのです。
預流向も、上記と同じ仕組みです。三結を断つという修業課程を卒業したら預流果、
なのです。預流向は三結を断つ修業中なので、まだ聖者ではないのです。
小学生と小学卒業生の一対で、つまり、小卒向と小卒果の一対で一つの学位、と、
考えるのはおかしいでしょう。四つの果が学位であり、向は学位ではないのです。
また、中卒向=小卒果、であることが理解できるでしょうか。
中学生の持っている学位は、小卒である、ということです。
一来向の持っている聖者の位は預流果である、ということです。
これは阿含仏教の基本ですから、ここを理解できてから、
修行の第一歩がはじまるのです。
- 150 :深山:2011/09/07(水)
12:30:54
- >>149 :準シュダオン:2011/09/07(水) 09:12:19
>学者を、四双八輩の例えにします。
例えとは、まず経典や学者の解説の根拠を示し、その上で、
それらをわかりやすく説明するために例えを用いるものです。
だが、準シュダオンさんのは例えしかない。
たとえようにも、元がなくて何をたとえているのだ?
あなたは経典も学者の解説も示していないのです。
だから、たとえ自体に意味がない。
あなたが例えの元としているのは、あなたの考えです。
準シュダオン説の根拠を示せと指摘されているのに、
根拠も示さず、批判されている準シュダオン説の例えをして
いったい何の役に立つのだ?
泥棒と疑われている人の無実の主張だけでは価値がないのと同じで、
準シュダオン説の例えなど何百回やっても無駄です。
例えるなら、まず根拠となる阿含経や学者の解説を出しなさい。
それが出せないから、準シュダオン説の例えを出して
お茶を濁したつもりなんでしょう?
自分のしていることの愚かさがわからないとは幸せなことだ。
- 151 :深山:2011/09/07(水)
12:33:17
- >>149 :準シュダオン:2011/09/07(水) 09:12:19
>学者を、四双八輩の例えにします。
>小学校、中学校、高校、大学、をそれぞれ卒業した者に、小卒、中卒、高卒、大卒、
>という学位を与えて、学者とします。
間違いです。
あなたのは例えそのものが間違っている。
学位を与えるのが学者だ、という準シュダオン説が間違っているのです。
釈尊のいう聖者とはあなたのいう学位ではありません。
釈尊のいう聖者とは、「学ぶ者」のことです。
あなたのたとえでいうなら、「学ぶ者=学者」であり、
「仏道を歩む者=聖者」というのか釈尊の考えです。
あなたは、預流、一来、不還、阿羅漢という四果のみが聖者なのだ
頑なに主張している。
だが、釈尊はそんなことは説いていない。
資格ではなく、仏道修行をする者を聖者と言っているのです。
- 152 :深山:2011/09/07(水)
12:34:52
- 「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
この学者たちの説明を見てもわかるように、四向四果はすべて聖者です。
四向四果を四つの位と言っている。
なぜなら、四双八輩という表現でもわかるように、
預流向と預流果は一つの組の聖者だからです。
以下、一来向と一来果、不還向と不還果、阿羅漢向と阿羅漢果が
それぞれ一組の聖者だという意味です。
あなたみたいに預流、一来、不還、阿羅漢のみが聖者だというなら、
学者が四向四果を聖者の四つの位というのはおかしいことになる。
だが、学者たちは「四向四果=聖者」だと広くこれを認めているから、
辞典にも載っている。
それもそのはずで、釈尊本人が阿含経でそのように説いているからです。
- 153 :深山:2011/09/07(水)
12:38:44
- 「四対の八種のひとが如来の弟子の僧衆なのだ。
尊敬するにふさわしく、世の人々にとって福をもたらす畑であり、
人々の供養を受けるにふさわしい(と僧を信じている)。」
(『現代語訳阿含経長阿含経2』平河出版、95頁)
「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の福田である〉と。」
(『ブッダ最後の旅』51頁)
漢訳、パーリ仏典、どちらも釈尊は同じ事を説いている。
四双八輩(=四向四果)が聖者だと述べている。
預流向は四双八輩に含まれる。
つまり、「預流向=聖者」です。
釈尊が明言しているのだから、どこにも議論の余地などない。
凡夫の準シュダオンさんが何を勝手な解釈をするのだ?
四向四果とは釈尊が決めたことであって、あなたが決めることではない。
釈尊よりもあなたはエライのか?
少しは身の程をわきまえたらどうか。
- 154 :深山:2011/09/07(水)
12:42:42
- >>149 :準シュダオン:2011/09/07(水) 09:12:19
>なのです。預流向は三結を断つ修業中なので、まだ聖者ではないのです。
こんなことを言っているのは世の中であなた一人です。
桐山さんですらこんなことは断言していない。
桐山さんは、預流向は外道凡夫ではないというのだから、
その理屈からいうなら、預流向は聖者ということになる。
つまり、準シュダオンさんだけが、仏教学やアゴン宗を含めて、
たった一人だけ「預流向≠聖者」と主張している。
準シュダオン教はここではお呼びではないのだ。
準シュダオン教という老人の妄想を書くのは遠慮してもらえないか。
このスレは、準シュダオン教を議論するスレではない。
あなたの説が仏教なり阿含経で説かれているのならかまわないが、
これまで何年間もあなたはこれを主張し続けたが、何一つ根拠を示せない。
あなたは準シュダオン教という自説と、世間の人たちが認める客観的な説との
区別がつかないようだ。
それって、自分の物と他人の物との区別がつかない小さい子供と同じですよ。
いや、実際、あなたは嘘と事実、客観と主観の区別がつかない人ですよね?
準シュダオンさんは明らかに脳の一部に欠陥がある。
正確には、脳の一部が未発達なまま大人になってしまった。
- 155 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/07(水) 12:45:38
- >>137:準シュダオン11/09/06(火) 11:11:36
>私は、護摩の奉仕修行中に因縁の洗い出し現象みたいな事も、体験したしね。
>その洗い出し現象は2日くらいで治まったから、洗い出し期間は因縁の種類に
>よって違うことを発見したね。
例によってアゴン宗を信じたい、準シュダオンさんと言えど頼りにしたいという
現役信者さんにとっても、何の具体性もない故に参考にすらならない書き込みをご苦労さんです。
護摩の奉仕修行とは具体的に何なのか?
アゴン宗で奉仕修行というと、単なる護摩修法の儀式に一緒に勤行したりして
参拝参列することではない。
きちんと宗務局からお役をもらって当然無償で務めることが奉仕修行です。
これには決して護摩当日でなくても、護摩に役立つ護摩木判押しなどを含めてもよい。
しかし何のお役を務めているうちに具体的にどうなったのか全く示されず、
読んでいる人にとっては雲を掴むような話です。
必然何の説得力もない。
具体的には示さないよと準シュダオンさんは言うでしょう。
結構です。書きたくなければ書かなければよい。
その代わりいくら何かあるかのように臭わすことを書いても誰もなびかないだけの話で。
- 156 :深山:2011/09/07(水)
12:52:07
- >>149 :準シュダオン:2011/09/07(水) 09:12:19
>訳の解らん人が、また長々とレスしてる。三角形の内角の和が180度であること
>を理解できない人が、長々と図形の解説をしていたら、どうだろう?
図形は客観的な事実だが、あなたの「預流向≠聖者」という説は
なんの客観的な証拠のない主観的な説です。
だが、準シュダオンさんは主観的な自説と客観的な説との区別がつかないから、
自分が主張している主観的な説を他人が認めるのは当たり前だと思っている。
他人は客観的な証拠のある説しか認めないのです。
あなたもどうやら、桐山さんと同じで、脳のある部分が五歳くらいで
成長が止まってしまったようだ。
小さい子供は、自分と他人の物の区別がつかないし、
嘘と本当の区別もつかない。
だから、小さい子供ほど母親と自分とを同一視している。
太郎君は花子ちゃんのお菓子が欲しいと思うと、それを食べてしまい、
「花子ちゃんがくれると言った」と嘘をついてしまう。
だが、太郎君は嘘をついているという自覚はありません。
これは五歳くらいまでの子供には良く見られることで、脳が未発達なのです。
この太郎君の様子は桐山さんや準シュダオンさんとそっくりです。
嘘と本当の区別がつかず、主観と客観の区別がつかない。
>>138に準シュダオンさんの嘘が並べてある。
普通の大人はここまで嘘を並べられたら、恥じて出てこない。
いや、その前に、ここまで次から次と嘘はつかない。
だが、あなたはこれだけの嘘を並べられても、何ともない。
何の罪悪感も持たないのでしょう?
つまり、普通の大人が持っている嘘への罪悪感が皆無なのです。
太郎君が「花子ちゃんがくれると言った」と嘘をついても、嘘をついたという
自覚がないように、桐山さんもあなたも脳の一部が未発達なために、
嘘に何の罪悪感もないから、次から次へと病的に嘘をつく。
- 157 :深山:2011/09/07(水)
12:55:46
- >>149 :準シュダオン:2011/09/07(水) 09:12:19
>なのです。預流向は三結を断つ修業中なので、まだ聖者ではないのです。
「預流向≠聖者」の件も同様です。
経典や学者の説を並べられたら、普通の知性を持つ者ならそこで引き下がる。
普通の知性では、自分の主観よりも、客観的な証拠こそが価値があるからです。
だが、あなたにとってこういう客観的な証拠はさして意味がない。
主観と客観の区別がつかないからです。
赤ん坊は母親とヘソの緒でつながっていたのだから、自分と母親との
区別がつかないのは当たり前です。
成長するにつれて、自分と他人、自分の物と他人の物、
主観と客観、嘘と事実の区別をつけるようになる。
だが、桐山さんも準シュダオンさんもそこの部分の脳の発達が阻害されてしまった。
それは環境、つまり親の歪んだ教育によるものでしょう。
桐山さんの場合、武士の長男だからエラクなれ、という親からの過剰な期待です。
準シュダオンさんが何であるかはわからないが、
成長過程に相当の歪みがあって、あなたの脳は発達を止め、
空想と現実、嘘と事実、主観と客観の区別が付かない。
だから、虚言癖の持ち主であり、他人から虚言癖を指摘されても
何のことなのか意味がわからない。
- 158 :深山:2011/09/07(水)
13:00:45
- >>149 :準シュダオン:2011/09/07(水) 09:12:19
>なのです。預流向は三結を断つ修業中なので、まだ聖者ではないのです。
私は>>138で準シュダオンさんの嘘を指摘した。
今回も、「預流向=聖者」であることの客観的な証拠を示した。
だが、準シュダオンさんにはいずれも何の意味もない。
なぜなら、あなたは嘘と事実の区別がつかないから、
>>138の嘘をいくら指摘されても、何の罪悪感も覚えない。
あなたは主観と客観の区別がつかないから、
客観的な経典や辞典の解説を出されても、あなたの主観の間違いの証拠とは見なさい。
普通の人が議論する時は「主観<<客観」なのに、準シュダオンさんの
頭では「主観>客観」だから、自分の主観的な説を批判側が
受け入れないのが、不思議でたまらないのでしょう?
「こんなにわかりやすい例えをしているのに、
どうして批判側は理解できないのだ」とすら思っている。
あなたは地球が平らだと主張し続ける人と同じで、
丸い地球の写真を見せても、あなたの考えは変わらない。
つくづく気の毒なのは、あなたの周囲にいる人たちです。
嘘と事実の区別がつかず、主観と客観の区別もつかない準シュダオンさんと
仕事をした人たちは悲劇でしょうね。
それ以外の知性の部分は普通だから、なおさら困ってしまう。
こんな人がいたら、手に負えず、仕事にならない。
あなたの面倒を誰がみるかで、たらい回しにされたはずです。
職場が変わる時、お別れ会で同僚たちがいつになく、あなたに
温かく接してくれ、新しい職場に移れてよかったねと喜んでくれたでしょう。
うんざりするお荷物がいなくなることに大歓迎していたのです。
つくづく、あなたが私の仕事場にいないことに安堵します。
- 159 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/09(金) 22:39:40
- 私も深山さんに同意。安堵しますよマジで。
- 160 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/10(土) 08:18:39
- 2ちゃんねるではサイコパスの話が出ています。
簡単に言うと人格欠陥で、自己愛ばかり強く、他を思いやる普通の感覚がありません。
桐山さんがまさにそれです。
今回の地震で半年にもなるのに、被災地見舞いも未だにしません。
天皇皇后両陛下だって少し落ち着いた時期に避難所を見舞った。
アゴン宗の管長は信者にとって天皇のような存在です。
信者の気持ちを考えるならば、落ち着いた時期に東北の道場を見舞って然るべきでしょう。
東北の各地区道場を全部行脚しても罰は当たるまいが、そこまで求めなくても
最低限仙台の東北本部くらい足を運ぶべきでしょう?
飛行機も新幹線も現地の車のお迎えも何ら支障がない。
東北本部は例祭発信道場の長年の実績があるのだから、桐山さんが仙台入りして
仙台で護摩焚いて法話をすればよい。
こんなことは普通に考えられるのに、どうして未だにそれが行われないのか?
見舞いと言うのならば、例祭もなんて欲張らずに、純粋に東北を訪れて
「元気を出して」と言葉掛けをする機会だけでよい。
ところが地震の当時も現地をねぎらう言葉もほとんどなく自分の自慢話ばかり。
5月の大仏祭もなぜか管長の長寿を祈るイベント。
四神足グッズ販売の伝法会。
そして地震に関しては蒸し返すようにもっと大きな壊滅が襲う恐怖の脅しの悪用。
信者さんはこんな教祖を恥ずかしく思わないのか?
集団離脱もよいが、声を出してみなさいよ。
管長、東北に足を運んでください、それはあなたの義務ですと。
死者が出た出ないの話ではない。
関係なく見舞うものでしょうが。
職員は管長に物申すなんて命取りのことだとビクビクしている。
しかし会費まで払っている信者がどうして何も言えない?
あんたらの信仰ってそんな誰かのご機嫌取りだったのか?
何の為にわざわざアゴン宗を信仰している?
- 161 :名無しさん:2011/09/10(土)
08:57:43
- >>160
東北の信者から今回の大災害でいろいろ突かれることを恐れているのです。
君子危うきに近寄らずなんでしょう。
都合が悪くなるといつもダンマリを決め込むか無視する桐山さんらしい対応です。
こんな状況なら東北の信者は激減するでしょうね。ただし準シュダオンさんは別ですがw
- 162 :準シュダオン:2011/09/11(日)
11:35:06
- >例によってアゴン宗を信じたい、準シュダオンさんと言えど頼りにしたいという
>現役信者さんにとっても、何の具体性もない故に参考にすらならない書き込みを
>ご苦労さんです。
>護摩の奉仕修行とは具体的に何なのか?
あのね、具体的なイベントでの修行は説明しても意味ないのよ。また他人の真似
しても意味ないの。また、修行回数で競っても意味ないのw。人それぞれ、持ってる
因縁が違うからね。私の体験は、科学的な普通の人には信じられないことでしょうね。
それでいいのです。たぶん、ユビさんも深山くんも、霊視の体験はないだろうし、
他心通の一つのテレパシーの体験もないだろうし、霊示を受けた体験もないのだろう。
それでは、阿含宗に入るのは、100年早いと思うねw。唯物論者の無神論者で生きた
方がいいよ。
そろそろユビさんは、深山さんの四双八輩の勘違いを指摘してあげた方がいいよ。
倶舎論の四双八輩と、お釈迦さまの四双八輩は違うということをね。
- 163 :準シュダオン:2011/09/11(日)
12:11:43
- 聖者と凡夫は対語ですよね。東と西、昼と夜、天と地、というようにね。
凡夫があれば聖者がある。お釈迦さまは、それを煩悩で区分したのです。
もし、預流向を聖者僧だとすれば、釈迦の教団では凡夫僧をなんと呼ぶのか?
と、そういう観点から、経典を勉強すると、四双八輩は教団の全ての構成員を
示すことが解るのですよ。十結煩悩を全て断った聖者が阿羅漢です。
んで、三結煩悩を断った聖者が預流です。じゃあ、煩悩だらけの預流向は、
それは凡夫に決まっているでしょう。それがお釈迦様の教えです。
最初の修行段階を、預流養成学校と考えても解りやすいでしょう。
預流養成学校の生徒は預流向です。卒業したら預流(果)になるのです。
預流果は一来養成学校に入って、一来向と呼ばれるわけです。
小卒果=中学生と、同じ理窟です。だから、一対で一つの位、などと考えるのは
おかしいのです。
預流向と預流果の一対で一つの位、と考えるのは、小学生と中学生の一対で一つの
位、と主張しているようなものです。小卒向:小卒果の例で考えたら解るでしょう。
管長は、「仏陀の真実の教えを説く」本のP373で、「わたくしたちは、すでに聖者
に向かって修行しているから・・・これを須陀オン向といいます・・・、」と書いて
います。
これは、わたしたちは須陀オン向である、というよりは、須陀オン向であらねば
いけない、と教えているのですね。三結を断ち、預流果を得るように努力する預流向で
あらねばいけませんよ、と教えているのですね。
- 164 :深山:2011/09/11(日)
18:43:06
- >>162 :準シュダオン:2011/09/11(日)
11:35:06
>私の体験は、科学的な普通の人には信じられないことでしょうね。
準シュダオンさんて、本当に子供みたいに、自分が世界の中心なのですね。
あなたは脳が子供だから、自分がここでの議論の中心にあるかのように
思いこんでいるようだが、このスレで中心にいる人は桐山ゲイカであって、
準シュダオンさんではない。
これは批判側も信者側も同じです。
それに、あなたの体験談などここではほとんど価値がない。
あなたの体験談は信頼性がほとんどないことは実証済みです。
普通の信者の体験談なら二次的な価値くらいあるが、
あなたはここに来て八年以上になるが、その間に、平然と嘘を書いてきた。
しかも、嘘を指摘されても、認めないし、撤回もしない。
桐山さんと同じで虚言癖という病的な嘘つきです。
そんな人の体験談なんて、誰が信じますか。
体験談は主観が入るから、正直な人が語っても、疑いの目で見られる。
それを一ヶ月ちょっとの間に、>>138のような嘘をつきまくり、
それを指摘されてもカエルの面に水の準シュダオンさんの話なんて、
誰が信じるのだ?
あなたと違い、普通の人は嘘と現実の区別をつけようとする。
なにせあなたも桐山さんも生活習慣病から来た脳梗塞を白銀バイブだと
言い抜ける男です。
あなたの体験など思い込みと自惚れと妄想からできているにすぎない。
「オオカミが来た」と二度言ったら、三度目は誰も信じない。
あなたは>>138のように二度どころか、短期間に八つも嘘をついている。
世間ではあなたみたいな嘘つきの話は誰も信じませんよ。
職場でも信用されていませんでしたよね。
あなたが提出した仕事を他の人が全部チェックしていたことを知っていますか。
間違いを指摘されても言い訳をして言い逃れるばかりだから、
毎回同じ間違いをしていた。
- 165 :深山:2011/09/11(日)
18:54:56
- >>162 :準シュダオン:2011/09/11(日)
11:35:06
>そろそろユビさんは、深山さんの四双八輩の勘違いを指摘してあげた方がいいよ。
>倶舎論の四双八輩と、お釈迦さまの四双八輩は違うということをね。
さすがは準シュダオンさん、「空気」がまったく読めないのですね。
あなたの目にはユビキタスさんがあなたと同じ考えだと映るようだ。
そうかどうかご本人が書くでしょう。
さすがは妄想と現実、主観の客観の区別がつかない脳味噌だけあって、
ユビキタスさんがあなたにどんな感情を持っているすら、理解できないのだ。
ユビキタスさんがあなたの老人介護を一人でしていた時、
文章の端々にどれほどウンザリしているか、にじみ出ていたのに、あなたは、
むしろ、自分がユビキタスさんの相手をしてやっていると思っていましたね。
職場と同じです。
準シュダオンさんは若手を自分が助けてやっていると思っていた。
まったく逆です。
あなたは職場のお荷物で、あなたがした仕事は信用がならないから、
若手が上司の命令で再度全部チェックをさせられていた。
若手が時々、あなたを先輩扱いせずに、無遠慮な態度を取っていましたね。
あなたは、失敬な野郎と思っていた。
若手はあなたの無能のおかげで、余計な仕事が増えたとして、腹を立てていたのです。
だが、ついにあなたはそれを自覚することはないばかりか、
自分こそは若手にいろいろと仕事を教えてやったと自惚れていた。
あなたの尻ぬぐいをさせられた人たちは本当に気の毒でしたね。
- 166 :深山:2011/09/11(日)
19:04:04
- >>162 :準シュダオン:2011/09/11(日)
11:35:06
>そろそろユビさんは、深山さんの四双八輩の勘違いを指摘してあげた方がいいよ。
>倶舎論の四双八輩と、お釈迦さまの四双八輩は違うということをね。
職場で皆さんがあなたをにらみつけている時、あなたは、「誰かとんでもないミスを
したバカがいるんだ、誰だろう」と周囲をキョロキョロしていましたね。
でも、皆さん、準シュダオンさんというコマッタちゃんをにらんでいたのです。
ここでも「預流向≠聖者」と唱えているコマッタちゃんは準シュダオンさん一人です。
経典での釈尊も、学者の解説も、そればかりか桐山さんですら今のところ、
「預流向=聖者」です。
あなた以外だれも「預流向≠聖者」などと主張している人はいない。
読者は、あなたの知性の低さと、私が何度も何度も説明することの、両方にあきれている。
あなたには自覚がないのが幸いだが、私は知的障害者に「箸は右、茶碗は左」と
説明している状態なのです。
普通、経典、学説の根拠を出されたら、もはや議論は終了です。
普通の知性があれば、こういう客観的な証拠をだされたら、受け入れなくても、
反論はできない。
だが、あなたは自分の主観と、経典や学説という客観の区別がつかない脳の
持ち主だから、ちょうど知的障害者のように、理解できず、同じ主張を繰り返す。
議論とは、相手の説明を受け入れなくても、理解することから始まる。
私は桐山教は受け入れないが、教義については理解している。
だが、あなたはそもそも私の説明が理解できない。
理解するだけの知性がないからですよね?
- 167 :深山:2011/09/11(日)
19:06:05
- >>163 :準シュダオン:2011/09/11(日)
12:11:43
>管長は、「仏陀の真実の教えを説く」本のP373で、「わたくしたちは、すでに聖者
>に向かって修行しているから・・・これを須陀オン向といいます・・・、」と書いて
>います。
「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀オンになっていないまでも、須陀オンに近くなって
いる人たちもいます。須陀オンにどんどん向かっているのですから――これを
須陀オン向といいます――みなさんは外道凡夫ではありません」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)
引用する時には著者の意図がわかるように正確に引用しなさい。
桐山さんは、アゴン宗の信者は預流向であり、外道凡夫ではないと書いている。
外道凡夫とは一語ではなく、外道と凡夫のことです。
仏教の凡夫は聖者と対をなす言葉で、人間には凡夫と聖者しかいない。
仏教では凡夫ではないと言ったら、聖者です。
桐山さんは「預流向(須陀オン向)=非凡夫=聖者」だと言っていることになる。
つまり、桐山さんも「預流向=聖者」なのです。
準シュダオンさんがただ一人、「預流向≠聖者」と吠えている。
- 168 :深山:2011/09/11(日)
19:07:51
- >>163 :準シュダオン:2011/09/11(日)
12:11:43
>聖者と凡夫は対語ですよね。東と西、昼と夜、天と地、というようにね。
>凡夫があれば聖者がある。お釈迦さまは、それを煩悩で区分したのです。
煩悩で区別などしておりません。
それがあなたの勝手な解釈なのです。
何度あなたが吠えても変わりません。
釈尊の聖者と凡夫の区別は「仏道を歩む」かどうかです。
聖者 → 仏道を歩む者
凡夫 → 仏道を歩まない者
どの経典を読んでも、こういう単純な仕分けしかしていない。
だから、釈尊は四双八輩(四向四果)は聖者だと述べている。
昨日、出家したばかりの煩悩そのままの比丘ですら、聖者です。
あなたが引用した小縁経でも、釈尊は四双八輩は聖者であり、応供であると述べている。
- 169 :深山:2011/09/11(日)
19:11:31
- 「四対の八種のひとが如来の弟子の僧衆なのだ。
尊敬するにふさわしく、世の人々にとって福をもたらす畑であり、
人々の供養を受けるにふさわしい(と僧を信じている)。」
(『現代語訳阿含経長阿含経2』平河出版、95頁)
この釈尊の説明に、準シュダオンさんごとき外道凡夫が何を口を出すのだ?
あなた以外、誰も釈尊の分類に口を出す人などいない。
この文章をどう解釈したら、「預流向≠聖者」と出てくるのだ?
「四双八輩=僧衆=尊敬するにふさわしい人=福田=応供」
釈尊はこのように述べている。
四双八輩には預流向から阿羅漢果まで含まれるのだから、
「預流向=僧衆=尊敬するにふさわしい人=福田=応供」
となる。
ものすごく簡潔明瞭です。
準シュダオンさん以外は、信者や批判側を問わず、
全員がこの釈尊の説明に納得している。
だが、あなたが、釈尊本人からの説明ですら、
理解も出来ず勝手解釈を並べて一人で自惚れているのは、
頭が悪いからか、それとも根性が悪いからなのか。
そういう準シュダオン教はここではお呼びでないのだ。
と、何度言われてもこんな程度の事も理解できないのでしたね。
- 170 :深山:2011/09/11(日)
19:17:58
- >>163 :準シュダオン:2011/09/11(日)
12:11:43
>聖者と凡夫は対語ですよね。東と西、昼と夜、天と地、というようにね。
>凡夫があれば聖者がある。お釈迦さまは、それを煩悩で区分したのです。
釈尊本人が「預流向=聖者」と言っているのに、
どうしてあなた如きが愚かな自説を並べて、主張を続けるのだ?
何をどう言われてもヘラヘラと人を小馬鹿にしながら、自分の主張を
ひたすら繰り返す光景は、ほとんどヴォケ老人です。
脳が老化したため、他人の意見の意味がわからす、ひたすら自分の意見を
繰り返し、しかも、それに同意しない者を小馬鹿にする老人がいる。
準シュダオンさんの場合、ただのこういう認知症とは違う。
あなたは現役時代からそうだった。
仕事場でもあなたは周囲の批判が自分に向いていることに自覚がなく、
他人事のような顔をしていた。
周囲はあなたの面の皮の厚さにあきれていたが、実はツラの皮が厚いだけでなく、
自分が批判されているということ自体に気が付かないのです。
今もそうですよね。
自分が読者からあきれかえられていることの自覚がありませんよね?
それは脳の一部が成長過程で発達を止めたしまったために、
他人の立場、気持ち、考えが理解できないからです。
だから、空気が読めない。
そこにさらに長年の飽食のツケで、小梗塞を起こし、記憶力も理解力も衰退した。
慢心と侮蔑心だけは健在で、むしろ、知性が衰えた分、妄想とともに増殖した。
職場の時と同じで、読者の嫌悪や哀れみや侮蔑の目は、準シュダオンさんにだけ向いている。
でも、あなたはそれがわからない。
それどころか、アゴンさんやユビキタスさんはあなたの意見に賛同していると
冗談で書いているのではなく、本気で思っているのでしょう?
桐山さんといい、準シュダオンさんといい、本当にお幸せな方たちですね。
- 171 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/11(日) 23:05:01
- >>162:準シュダオン11/09/11(日) 11:35:06
>あのね、具体的なイベントでの修行は説明しても意味ないのよ。また他人の真似
>しても意味ないの。また、修行回数で競っても意味ないのw。人それぞれ、持ってる
>因縁が違うからね。私の体験は、科学的な普通の人には信じられないことでしょうね。
>それでいいのです。たぶん、ユビさんも深山くんも、霊視の体験はないだろうし、
>他心通の一つのテレパシーの体験もないだろうし、霊示を受けた体験もないのだろう。
だからあなたの体験を信じるも信じないもあなたがその体験の肝心な具体的な部分を
語ろうとしないのだから、それは不可能ですよ。
で、こちらは別にあなたの体験なんて興味がないからわざわざ書かなくてもよいと
申しておるのです。
あなたが誰かに信じてもらいたい時だけ自主的に書けばよいでしょう。
準「私は奇跡の体験をした」
準以外「ほう、それはどんな?」
準「それは説明しない」
準以外「あっそ、じゃ、さいなら」
それだけです。
他人の真似をしても意味がないとは、アゴン宗のボン行批判ですね?
桐山さんはそんな示し方をしていない。
あれは皆真似して行わねばならないのです。学ぶな真似ぶからです。
それを果たした上でさらなる創意工夫があるのです。
それには修行回数も重要な指標です。
やっぱり何も奉仕なんてしたことがないのですねw
他心通?霊視?霊示?
私はそんな思い込み体験をしたことがないことを誇りに思ってるのだから
あなたと価値観が逆ですよ。
第一あなたがその他心通、霊視、霊示を例によって具体的に示さないんでしょ?
だからそんなもん興味ないから、ほな、さいなら。
ほな、さいなら。
もう来なくてもいいよ。
ほな、さいなら。
ほな、さいなら。
- 172 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/11(日) 23:25:44
- >>161:名無しさん11/09/10(土) 08:57:43
>こんな状況なら東北の信者は激減するでしょうね。ただし準シュダオンさんは別ですがw
しかし桐山さんが東北の準シュダオンさんの住む県の地区道場にまで見舞いに来ても
準シュダオンさんはマイペースが狂うだけと興味を示さず参拝もしないでしょうね。
四神足法の伝法を行うぞなんて教団が申し込みを募っても、申し込むことも
なかったのは、どうせそんな名前だけの伝法会の正体、何の役にも立たず、金だけが
消えていくことを悟って見限っていたからでしょう。
現実のアゴン宗になんか彼は興味ありませんよ。
- 173 :Boo:2011/09/11(日)
23:27:17
- あははははは・・・なかなか面白い。
準「私は奇跡の体験をした」
準以外「ほう、それはどんな?」
準「それは説明しない」
準以外「あっそ、じゃ、さいなら」
準「勘違いしちゃいかんよ。相手にしていないのはこっちの方なの・・・」
- 174 :Boo:2011/09/12(月)
09:37:39
- 準シュダオンさんは何故「四双八輩」のような結論の出ている議論にこだわる
のでしょう?
彼の理屈は、
「四双八輩」の批判側理論が間違えている→批判側の理論はすべて間違えている
(逆もまた真なり)
というロジックが頭の中で出来ているのでしょう。ここの議論で勝たないと
(あるいわ勝った振りでもしないと)上記ロジックの「批判側理論」の部分が
「自説」となり、精神が耐えないのではないでしょうか?
- 175 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/12(月) 12:47:52
- >>174:Boo11/09/12(月) 09:37:39
>準シュダオンさんは何故「四双八輩」のような結論の出ている議論にこだわる
のでしょう?
現実に立脚した問題意識が無い、稀薄だからですね。
信仰にあたり万事自分に都合のよいようにマイペースを貫き、活動実践の立脚点がない。
救われたかのようなことを書きながら、報恩感謝の気持ちをこめた奉仕の気持ちが
全く起こらないのも面白い。
つまりその程度の体験でしかない。
実践に弱いから、なるべく自分の限られた読書範囲からの経典解釈のような問題しか
語ることができず、愛人問題とか災害見舞い問題とか、とにかく現実的な話は
興味がない。
自分の今が安泰でありさえすれば、周囲(アゴン宗含む)がどうなろうが
知ったことではない、と社会的問題意識を持たぬ身勝手信仰です。
- 176 :Boo:2011/09/12(月)
23:29:19
- >>175
私が擁護側の頃、準シュダオン氏からさっさと辞めたほうが良い、とアドバイスを
受けました。これはアドバイスというよりは、私のような勝手なことを書き込む
信者は辞めてしまえ、という意味です。
当時はこの人あるいわ職員かな?なんて思いましたが、ボン業も碌にやらない
怠け者電波信者だとしって、呆れ返りました。
- 177 :準シュダオン:2011/09/15(木)
09:05:09
- >準シュダオンさんは何故「四双八輩」のような結論の出ている議論にこだわる
>のでしょう?
それは、そこを理解するのが修行の第一歩、だからです。自分は預流向なのか?
預流向未満なのか?そこの自覚で、目指す修行の第一歩が、違ってくるからです。
管長は本に、「修行の第一歩は我見をなくすこと、三結は諸君が最初に切らなけ
ればいけない煩悩です」と書いてます(仏陀の真実の教えを説く・P305)。
三結を切るのは預流向のお仕事です。三結を切れば預流果です。
つまり管長は、「諸君はすでに預流向だから、三結を切って預流果になりなさい」
と、説いているのです。
ところが、「預流向は聖者だ」と間違えて考えていると、新入行者の凡夫の最初に
すべきことは、聖者の預流向に成ることです。三結を切って預流果に成る前に、
預流向に成る修行をせねばいけないでしょう。ところが、経典の何処にも預流向に
成る条件は説かれていません。説かれているのは、三結を切って預流果に成る、と
いうところからです。
つまり、阿含仏教の修行は、預流向からスタートする、ということです。
ここを理解できていないから、批判派の皆さんは偉そうなことを論じていても、
ずれているのです。整数の足し算もできない人が分数の掛け算を論じていても、
まともな人は聞かないでしょう。
阿含仏教において預流向を聖者だと解釈する人は、整数の足し算もできない人と
同じようなものなのです。
- 178 :準シュダオン:2011/09/15(木)
09:18:26
- >というロジックが頭の中で出来ているのでしょう。ここの議論で勝たないと
>(あるいわ勝った振りでもしないと)上記ロジックの「批判側理論」の部分が
>「自説」となり、精神が耐えないのではないでしょうか?
これは、私と境涯がまるきり違うねw。あのね、議論の勝ち負けはどうでもいいの。
あえて言えば、真実を知った者が勝ちなんです。議論に負けたとて、真実を知った方
が得でしょう、まともな人ならば。
私の観点も唯一つですよ。どちらの主張が真実か?と、いう一点です。
勝ち負けが気になるようでは、まだまだ稚拙なんですよ。
- 179 :名無しさん:2011/09/15(木)
09:21:51
- >>177 :準シュダオン:2011/09/15(木) 09:05:09
>阿含仏教において預流向を聖者だと解釈する人は、整数の足し算もできない人と
>同じようなものなのです
あなたの主張は分ったから(正しいか誤りかは別にして)宿題の回答をお願いします。
同じ事を何度もくどくど書かれてもゲップが出るだけですから。
- 180 :Boo:2011/09/15(木)
11:12:16
- 「四双八輩」議論を蒸し返してしまって、ROM方々にはお詫び申し上げます。
ところで、先日、大震災から半年の9.11に東北で合同慰霊祭が行われたと報じられました。
ご存知の方も多いと思いますが、柴燈護摩の映像シーンが有りました。目を凝らして見ましたが
私の見たところではどうやらアゴン宗ではなかったようですが、詳しくご存知の方は
いらっしゃいませんか?
- 181 :深山:2011/09/15(木)
12:27:10
- >>177 :準シュダオン:2011/09/15(木)
09:05:09
>三結を切るのは預流向のお仕事です。三結を切れば預流果です。
>つまり管長は、「諸君はすでに預流向だから、三結を切って預流果になりなさい」
>と、説いているのです。
>ところが、「預流向は聖者だ」と間違えて考えていると、新入行者の凡夫の最初に
お得意のすり替えが始まりましたね。
いかにも、桐山さんは「預流向≠聖者」であるかのような書き方をしているが、
あなたが引用した文章のどこにもそんなことは書いていない。
根拠にならないことを引用して、さも自説が正しいかのようにすり替えるのは
あなたの得意技ですね。
でも、それを世間では嘘、ゴマカシ、デタラメというのです。
桐山さんは「預流向≠聖者」などとは書いていない。
>>167に桐山さんの文章を引用してあげた。
信者なら教祖の文章くらい正確に読みなさい。
- 182 :深山:2011/09/15(木)
12:31:01
- 「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀オンになっていないまでも、須陀オンに近くなって
いる人たちもいます。須陀オンにどんどん向かっているのですから――これを
須陀オン向といいます――みなさんは外道凡夫ではありません」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)
>>167と同じ説明をします。
ごらんのように、桐山さんは「シュダオン向≠外道凡夫」と述べている。
仏教では「非凡夫=聖者」です。
つまり、「シュダオン向≠非凡夫」「シュダオン向=聖者」です。
桐山さんがここまで理解して書いているとは思わないが、
しかし、とりあえず字面を追う限りはこういう結論しか出てこない。
しかも、桐山さんは前の本で次のように書いている。
「この預流(初果)というのは、四諦の真理を完全に理解会得した境地で、ここから
「聖者」の列に入るのである。」(『人間改造の原理と方法』182頁)
この文章でいう預流とは、前後の文章から、預流向のことです。
つまり、桐山さんははっきりと「預流向=聖者」と書いていることになる。
「四双八輩=聖者」というのは仏教の常識であり、
当時の桐山さんは学者の説明文を読んで書いていただから、
預流向が聖者だという結論は当たり前すぎるほど当たり前です。
アゴン宗の教義でも「預流向=聖者」です。
世の中で「預流向≠聖者」などという嘘を言っているのは準シュダオンさん一人です。
- 183 :深山:2011/09/15(木)
12:33:56
- >>177 :準シュダオン:2011/09/15(木)
09:05:09
>つまり、阿含仏教の修行は、預流向からスタートする、ということです。
「つまり」などと、まるで根拠を示したかのような書き方ですね。
ほんとうにあなたって古狸だ。
だが、あなたは今まで「預流向≠聖者」の根拠を何一つ示したことがなく、
すべてはあなたの勝手解釈です。
批判側は、経典、学説、桐山説の根拠をすべて示した。
あなたのいうような「果を得たのが聖者」などという定義は仏教にはありません。
釈尊のいう聖者とは、仏道を歩む者のことです。
預流向も仏道を歩んでいるから、聖者であり、福田であり、応供です。
準シュダオンさんがなんでこんなに「預流向≠聖者」にこだわるのか、
というBooさんの質問に、正確に答えてあげたらどうか。
もっとも、あなたは自分がなぜそこまでこだわるのか理解していないから、
私が、あなたのその汚い心を解説してあげます。
- 184 :深山:2011/09/15(木)
12:35:05
- [840]如来の子孫 08/03/20 20:28
Bj.cdF2kp6
私自身、もしかしたらシュダオンの入り口に入ったのかな?
[1009]如来の子孫 08/03/31 10:29
LGksRgotLI
こりゃ、私もシュダオンに成ってるのかなぁ、と思います、ま、
こりゃ、ジョークですが。
[4]如来の子孫 08/04/01
20:52 9hWjqriglk
私は、霊界のシュダオン界の力を得て、応えてあげよう。
[52]如来の子孫 08/04/04 19:23
9hWjqriglk
私には、シュダオン界のテレパシーを、受けてる感じがあるので
[885]如来の子孫 08/06/03 16:48
XgL5H.msHL
限りなくシュダオンに近づけてる自覚があるのですよ。
[467]如来の子孫 08/06/13 16:30
oNmU9AvgdV
私が書いたのは、限りなくシュダオンに近づいた気がする、だよ。
[470]如来の子孫 08/06/13 19:33
oNmU9AvgdV
私はシュダオンに近い、と思う。
[510]如来の子孫 08/06/14 20:33
oNmU9AvgdV
シュダオンに限りなく近い感じがする、と述べたのね。
大違いでしょ、フフ。たぶん、私の口の悪い因縁が切れたら、
シュダオンだと思う、フフフ。
[202]如来の子孫
08/06/29 17:10
Bj.cdF2kI0
自分でいうのは可笑しいですが、私はシュダオンに近づいてる自覚
があるんですよ。
[277]如来の子孫 08/07/01
13:19
LGksRgot8d
だから、私は修行をサボるわけです。それでもシュダオンに近づい
てる自覚があるのですね、エヘエヘ。
今ではマジにシュダオンに近いと自覚してるのです。
[572]如来の子孫
08/07/09 16:52
LGksRgot8d
私はシュダオンに近いと思うから、シュダオン並みの理解が
出来た、と思う。
[763]如来の子孫 08/07/16
14:24 9hWjqrigkD
だが、シュダオンに近づいた、という自覚はあるね。
[799]如来の子孫 08/07/17 13:31
9hWjqrigkD
私は最小限の参加です。さぼり過ぎると、霊界から叱られる感じが、
するんですね、フフ、だからシュダオンに近いのかな?なんて思う。
[872]如来の子孫
08/07/21 10:50 18TZXoMZvv
私の場合は、或いは、シュダオンの相承を受けたかも、知れないね。
[1005]如来の子孫
08/07/26 10:54
18TZXoMZvv
私は、なんか、シュダオンに近い知恵が湧くような、気がするんだ
よね。
[1019]如来の子孫 08/07/26
13:48 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いかな、なんて、おこがま
しいことまでレスしたのですよ。
[29]如来の子孫
08/07/28 11:53 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いのか?とも考えたのよね、フ。
[150]如来の子孫 08/08/01
16:35 hTuSt843kK
私のいう桐山教法では、私はシュダオンに近いという自覚・確信が
あるのですよ。
[170]如来の子孫
08/08/02 09:47
hTuSt843kK
私としては、まぁ、シュダオンまでは行かないが、
及第点をあげようか、と自己採点しましたよ、フフ。
[196]如来の子孫
08/08/02 16:57
hTuSt843kK
自分では、やれやれ、やっとシュダオン近くに来れたか!
と自己満足してんですよ、生活も楽になってさ。
[607]如来の子孫
08/08/12 13:49
Fen4TGEF1J
もしかしたら、これがシュダオン・預流、ということで、解脱の流れ
に入ったことなのかなぁ、とも考えた。
[608]如来の子孫
08/10/27 11:24
PL3a0oHZ4G
涅槃に流れる川があって、その川の中に浮かんだ心境なんですよ、だから預流かな。
[618]如来の子孫 08/08/12
16:57 Fen4TGEF1J
でね、確かに私はシュダオンに近いかも知れない、と思うのよ。
[708]如来の子孫 08/08/15 13:23
Fen4TGEF1J
賢者のシュダオンには、かなり近づいた感じがする、と今でも思って
いるし、そのことを書いたつもりね。
[275]如来の子孫
08/09/11 17:40 XgL5H.msHL
だから、私は、もしかしたらシュダオン(賢者)に限りなく近い
かも知れない、と書いた。
- 185 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/15(木) 12:37:29
- >>177:準シュダオン11/09/15(木) 09:05:09
>それは、そこを理解するのが修行の第一歩、だからです。自分は預流向なのか?
>預流向未満なのか?そこの自覚で、目指す修行の第一歩が、違ってくるからです。
おや?面白いですね。
あなたはこれまで預流果と預流果未満の預流向の区別ばかり説いてきたが、
ここに来て、預流向と預流向未満の区別なんて持ち出してきた。
さて、その預流向未満とはもちろん凡夫ですよね。
仏道を修行していない凡夫です。これは私も異存はない。
しかしあなたによると仏道修行に入った預流向もまだ凡夫だという。
桐山さんがあなた方はまだシュダオンになれずとも外道凡夫ではないと言ったにも
かかわらず、仏道修行者もまた凡夫がおるとした。
だいたい入りたてのぺーぺーではない。
準シュダオンさんは自分を預流果を得たシュダオンとは言ったことがない。
まだ預流果未満の預流向だから準シュダオンと名乗っている。
しかるに準シュダオンさんは入りたてのぺーぺーではない。
もう30年くらいのアゴン宗信者キャリアがある。
アゴン宗流ブツドー修行歴約30年です。
しかし未だに凡夫なんだという。
信者仲間には預流果を得た聖者の仲間入りもいるだろうとしているが、
偉そうに説教する自分は数十年ブツドー修行しても凡夫のままだとしている。
だから一部の先達ではない平凡なアゴン宗信者はほとんどが凡夫だとしたのです。
- 186 :深山:2011/09/15(木)
12:40:03
- >174:Boo11/09/12(月) 09:37:39
>準シュダオンさんは何故「四双八輩」のような結論の出ている議論にこだわる
のでしょう?
これには歴史的な経緯があります(笑)。
準シュダオンさんは>>184に引用したように、自分を限りなく預流に
近い預流向と宣言している。
半年の間に、これだけ書いた。
彼が、内心は自分は預流だと思っている様子がわかりますよね。
だから、本当は預流と名乗りたい。
だが、預流だと名乗れば、聖者になってしまうから、名乗れないのです。
そうなれば、「ほほう、準シュダオンさんは聖者なのね、オッホッホッ」と
物笑いと、からかいの種になることは明かです
彼はそれを避けたい。
しかし、威張りたい(これが重要)。
そこで、「預流向≠聖者」と勝手に思い込み、準シュダオン(=預流向)と名乗った。
ところが、名乗ってからわかったのが、「預流向=聖者」です。
普通の人なら、ハンドルを変える。
だが、準シュダオンさんの特徴を見てもわかるように、
絶対に自分の非や間違いを認めず、どこまで自分が正しいと主張する人です。
白銀バイブを感じて、自分は預流向だと自覚したなどという体験談を出して、
準シュダオン教を作り上げたのに、それを否定したら、体験そのものが
インチキだということになり、準シュダオン教は総崩れです。
彼のエゴの塊のような自己中心的な準シュダオン教を守るためには、
預流向は聖者であってもらっては困るのです。
これが元々の大きな理由です。
- 187 :深山:2011/09/15(木)
12:45:13
- >174:Boo11/09/12(月) 09:37:39
>準シュダオンさんは何故「四双八輩」のような結論の出ている議論にこだわる
>のでしょう?
もう一つの理由は、他でもない彼が老人脳の持ち主だからです。
老人脳の持ち主は、何をどう言われようが、自分の考えを譲らないことが多い。
彼らは自分の関心、興味のある同じ事を何度でも蒸し返す。
老人脳「Aのほうがいいと思うがどうかな」
周囲「いや、それはこの間も言ったようにAではなく、Bのほうがいいですよ」
と言われると、その場では引き下がる。
ところが、次の日になると、また、老人は「Aはどうかな」と蒸し返す。
ものすごく自分の嗜好や考えに執着し、こだわる。
認知症とまではいかず、知性がかなりはっきりしている老人ですら、こうです。
こういうことは老人や老人脳を持つ人には珍しくありません。
他人の考えや物の見方、立場が理解できず、自分の考えから一歩も出られない。
準シュダオンさんの反応はこの老人脳そのままです。
老人は自分の偏りやこだわりには自覚がないし、脳が衰えていることの
自覚もないどころか、逆に自分は頭が冴えていると信じている例も珍しくない。
準シュダオンさんもそうです。
- 188 :深山:2011/09/15(木)
12:49:48
- >[572]如来の子孫 08/07/09 16:52
LGksRgot8d
>私はシュダオンに近いと思うから、シュダオン並みの理解が
>出来た、と思う。
ごらんのように、準シュダオンさんは自分の頭が良くなったと言っているのです。
理解力皆無の現実の彼を見たら、絶句するような発言です。
現実の準シュダオンさんの脳はいよいよ衰えているのに、
彼は逆に自分の脳が冴え渡っていると思いこんでいるのがわかります。
ちょうど、熱が上がると寒気を感じるの似ていて、脳が崩壊し、知性が
衰えているから、逆に自分の知性が増したかのように錯覚する。
だから、彼は批判側がバカに見えてしかたない。
そこだけ見ると準シュダオンさんは普通の老人なのだが、
問題は、彼はたぶん七十歳前後という点です。
七十前後でこれだけ頑迷強固なのは、脳の老化だけでは説明がつきにくい。
元々こういう人間であった上に、さらに脳梗塞を患ったことで、
普通の老人よりも脳の老化の度合いがひどいのでしょう。
桐山さんもこのパターンです。
仏陀の智慧を強調しはじめたのも、彼がインドで小梗塞を起こした後の
六十歳代後半からです。
「君たちが考えている以上に管長は天才なのだよ、フフフ」
などと話すのを私は何度か聞きました。
実際には脳が衰えているのに、逆に脳が発達したかのように錯覚しているのです。
- 189 :深山:2011/09/15(木)
12:52:39
- 『阿含仏教超能力の秘密』80頁
「率直にいわせてもらうと、阿含宗を立てて阿含経を世に出した私の業績は、
天才か、天才的才能がなければできない仕事である。」
桐山さんは自分ではものすごく頭が良いと自惚れている。
だが、彼の業績って、何ですか。
彼はアゴン宗を立てたことと、阿含経を世に出したことだという。
だが、アゴン宗とは桐山教という新興宗教でしかない。
阿含経を世に出したといっても、阿含経は最初から世に出ていた。
桐山さんのしたことは、釈迦直説という阿含経の権威を利用して、
釈迦仏教とは似ても似つかないオカルト桐山教を釈迦仏教であるかのように
見せかけて、人々を騙したことです。
阿含経を世に出すというなら、阿含経を実践することです。
だが、桐山さんはそもそも阿含経の基本である戒律を守っていない。
美食飽食をして、ブッダ宣言しながら愛人まで作ったのだから、
欲望と執着のままに、世俗の我々よりもはるかに戒律を破っています。
信者の多くは戒律を軽視するが、戒律は仏教の土台ですから、
これなくして仏教は成り立ち得ません。
土台である戒律をこれだけ破りながら、阿含経を世に広めた??
護摩や占いなど阿含経で禁止された内容を堂々と最大のウリにしている。
死者成仏なんて釈尊が否定した内容ができると称して、これも最大のウリものにしている。
なかでも、すさまじいのが解脱の定義を間違えていることです。
- 190 :深山:2011/09/15(木)
12:55:55
- 『阿含仏教超能力の秘密』80頁
「率直にいわせてもらうと、阿含宗を立てて阿含経を世に出した私の業績は、
天才か、天才的才能がなければできない仕事である。」
アゴン宗では、因縁解脱が仏教の解脱であり、煩悩解脱は小解脱だという。
だが、釈尊の解脱とは漏尽解脱、つまりアゴン宗のいう煩悩解脱です。
桐山さんは、釈尊の解脱を小解脱と罵ったことになる。
解脱は仏教の根幹であり、目的であり、これが全てです。
これを小解脱と否定するアゴン宗はもはや仏教ではない。
御立派な外道です。
ぜひ、この点を信者さんたちにも自覚してほしい。
あなた方は自分たちこそは日本で、いや、世界でも、オシャカの成仏ホウを
体得しているたった一つの教団だと自惚れ、他の仏教を偽物呼ばわりしている。
だが、現実は、釈尊の解脱を小解脱と罵る外道教団です。
大乗仏教すらも解脱の定義は漏尽解脱です。
信者さんたちが偽仏教と罵る大乗仏教よりも、アゴン宗はもっと仏教から遠い。
遠いというよりも、釈尊の解脱を小解脱と罵っているのだから、
仏教を誹謗する外道です。
そこで、どうしてこうまでアゴン宗が荒唐無稽なのか、という点です。
もちろん、製作者の桐山さんの脳に原因がある。
- 191 :深山:2011/09/15(木)
12:59:54
- 『阿含仏教超能力の秘密』80頁
「率直にいわせてもらうと、阿含宗を立てて阿含経を世に出した私の業績は、
天才か、天才的才能がなければできない仕事である。」
解脱の定義を間違えるなんて、天才どころか、知性を疑わせる。
桐山さんが元々あまり理解力に優れた人ではなかったからです。
信者たちは桐山さんをものすごく頭が良い人だと信じている人がいるが、
公立の中学の受験すらできなかったことを見れば、彼が世間でいう
頭の良い人でないことは明かです。
彼は自分の理解力の低さを補うのに、空想や嘘を用いた。
空想の世界なら、彼はなんでも理解し、体得できる天才です。
その空想の世界の実写版がアゴン宗です。
元々、桐山さんの空想にすぎないから、アゴン宗を現実と比較すると、
お話にならない。
空想の世界では求聞持脳を持ち、超人的な記憶力と理解力と体得力を
持っていることになっているが、現実には職員の顔と名前すら覚えられず、
一般人が使っていたワープロ専用機を買っても使いこなせない。
英語のスピーチを一晩かかって暗記したが、公開できるような代物ではなかった。
いい加減な記憶に頼るから、阿含経を釈尊死後十年で文字になった、
などという荒唐無稽なことを本に書いてしまった。
超能力も成仏リキも霊視も全部桐山さんの空想にすぎないから、現実には
ただの一人も超能力者は出ないし、霊障による地球壊滅も起きない。
桐山さんは空想や妄想の世界では天才だろうが、現実の彼は解脱の
定義すら理解できない程度の知性であり、ただの大嘘つきです。
- 192 :深山:2011/09/15(木)
13:03:49
- 『阿含仏教超能力の秘密』80頁
「率直にいわせてもらうと、阿含宗を立てて阿含経を世に出した私の業績は、
天才か、天才的才能がなければできない仕事である。」
準シュダオンは「プチ桐山」なのです。
違いは、信者が一人もいないことです。
他人を騙すほどの能力がないから、準シュダオン教は
未だに本人が教祖兼信者兼お茶くみです。
ここで気をつけてほしいのは、我々から見たらバカみたいな世界だが、
桐山さんも準シュダオンさんも彼らの「巣穴」がすべてなのです。
現実世界に出るには桐山さんはお金という鎧を着ないと出られない。
準シュダオンさんはお金がないから、巣穴にこもり、
そこで吠え続けるしか選択の余地がない。
その巣穴をこのスレの横に掘って、居着いたのです。
よそでは、アゴン宗すらもまともに相手にしてくれないから、彼はここしかない。
だから、彼は絶対に「預流向=聖者」などという巣穴を壊すようなことは認めません。
桐山さんも準シュダオンさんも現実世界でそのまま通用した人たちではありません。
準シュダオンさんは公務員だったようだから、一見、現実世界に
通用したかのように見えるが、それは職場の人たちの犠牲の上に成り立ってる。
「預流向≠聖者」から一歩もでないは、ここに来てからではなく、
現役時代も彼はこういう調子だったのです。
自分の間違いやミスをいっさい認めず、むしろ、お説教を始める。
こんな調子で仕事をしたら、嫌われるというよりも、周囲は本当に困ってしまう。
公務員だから、やめさせることもできなかっただけです。
- 193 :深山:2011/09/15(木)
13:09:46
- 『阿含仏教超能力の秘密』80頁
「率直にいわせてもらうと、阿含宗を立てて阿含経を世に出した私の業績は、
天才か、天才的才能がなければできない仕事である。」
桐山さんや準シュダオンさんの人生を見ると、悪業を為し、煩悩を増やしただけの人生です。
桐山さんは自分は成功者として自惚れているだろうが、
現実の彼はさんざん人を騙し、信者の金と時間や信仰心すらも
彼自身の欲望や執着のために浪費した。
我々が出した金や時間は、桐山さんの勲章と愛人のお手当に消えたのです。
騙した相手が我々のような俗人だけならともかく、
桐山さんは釈尊という如来を使って、嘘デタラメを広めた。
如来に供養すれば、それは最高の善業として、来世などに桁違いの功徳となる。
逆に見れば、如来を誹謗した場合、あるいは彼を利用して、
人々を騙し、私利私欲のために利用した場合の悪業の大きさは桁違いでしょう。
桐山さんはそれを今生でやり遂げ、準シュダオンさんは
その後ろを必死に追いかけている。
悪業の大きさは桐山さんが桁違いだが、質においては準シュダオンさんが
勝っているかもしれない。
それは、彼の説が如来の説とは違うと、間違いを指摘されているにもかかわらず、
頑迷に受け入れない点です。
嘘だと指摘されても、如来の説とは違う説を我欲から唱え続けている。
お二人の悪業の結果はどうなるのでしょう。
感心するのは、二人とも本当に勇気のある方々だということです。
如来の解脱を小解脱と誹謗するとか、如来の説と違うと指摘されても
如来の説だと嘘を言うなんて、私は恐ろしくてできない。
お二人とも来世は不幸な人生を歩みたいらしい。
- 194 :深山:2011/09/15(木)
13:17:49
- >>178 :準シュダオン:2011/09/15(木)
09:18:26
>私の観点も唯一つですよ。どちらの主張が真実か?と、いう一点です。
>勝ち負けが気になるようでは、まだまだ稚拙なんですよ。
議論には勝ち負けがあります。
そして、根拠を示せない準シュダオンさんは負けている。
>>138にあるのはあなたの嘘であり、すべての議論で負けている。
負けているから、勝ち負けなどどうでもいいと言っているのでしょう?
議論に勝った上で、勝ち負けなどどうでもいいというなら格好も良いが、
負けているあなたが言うのを負け惜しみというのです。
あなたは、負けず嫌いで、他人から間違いを指摘されるのは死ぬほど嫌いですよね。
勝ち負けにこだわらないなら、どうしてここに出てくるのだ?
誰一人としてあなたの説に同意している人はいない。
読者は、私の知る限り、全員が、阿含経の釈尊の説明、辞典にある学者の説明を
受け入れ、「預流向=聖者」だと理解した。
真実かどうかというなら、「預流向=聖者」が真実であり、
あなたの説はただの妄想であり、嘘にすぎない。
誰一人としてあなたの珍説に賛成していないのに、
どうしてここで同じ主張をしつこく繰り返すのだ?
負けるのが嫌だからでしょう?
このまま引き下がったら、自分の負けを認めることになる。
それが悔しくて悔しくて仕方ない。
負けを認めないためには、あなたの根拠のない嘘説を死ぬまで
唱え続けるしかないのです。
悔しい、負けたくない、これがあなたは絶対にここから去れない理由です。
- 195 :準シュダオン:2011/09/15(木)
13:37:54
- >おや?面白いですね。
あなたはこれまで預流果と預流果未満の預流向の区別ばかり説いてきたが、
>ここに来て、預流向と預流向未満の区別なんて持ち出してきた。
さて、その預流向未満とはもちろん凡夫ですよね。
>仏道を修行していない凡夫です。これは私も異存はない。
しかしあなたによると仏道修行に入った預流向もまだ凡夫だという。
>桐山さんがあなた方はまだシュダオンになれずとも外道凡夫ではないと言ったにも
>かかわらず、仏道修行者もまた凡夫がおるとした。
慌ててはいけないよ、ユビキタスさん。お釈迦様は、「五根法を修行しない者は、
外道凡夫であるぞよ!」と、弟子を叱咤激励したのです。
お釈迦さまに、「では、五根法を修行せずに、四念処法を熱心に修行しても、外道
凡夫なのですか?」などと、揚げ足をとるような質問をしてはいけないのです。
「外道凡夫」とは、外道を歩んでる凡夫のことだと理解すればいいんです。
外道に対して、仏道のことを内道と呼びますね。
だから、仏道修行に入った預流向は、「内道凡夫」だと理解すれば良いのです。
凡夫にも、外道を歩んでる凡夫と、仏道=内道、を歩んでる凡夫があるということ
です。
だから管長が、「あなた方はまだシュダオンになれずとも外道凡夫ではない」と、
話した意味は、「まだシュダオンになれずとも、外道凡夫ではなくて、内道凡夫=
シュダオン向なのです」と言う意味なのですね。
勿論、三結を切ろうと努力せず、寝てばかりいる信者はシュダオン向ではありません。
- 196 :準シュダオン:2011/09/15(木)
14:09:32
- >準シュダオンさんは自分を預流果を得たシュダオンとは言ったことがない。
>まだ預流果未満の預流向だから準シュダオンと名乗っている。
>しかるに準シュダオンさんは入りたてのぺーぺーではない。
>もう30年くらいのアゴン宗信者キャリアがある。
>アゴン宗流ブツドー修行歴約30年です。
>しかし未だに凡夫なんだという。
これはねぇ、シュダオンを自称することを、管長が許可していないからです。
もしも管長が、「シュダオンを得たと思うものは、シュダオンを宣言しても
よろしい」と、仰せならば、私は、宣言するかも知れませんねw。
シュダオンを得れば、心決定して仏道から後退しない、といいますね。
私は今、仏道を辞めるなんて、少しも思いませんもの、たとえ阿含宗が解散した
としても、仏道を辞める気はしませんね。
批判派の非難を聞いても、子守唄にしか思えませんよw。
まことに不思議なことです。
私が千座行に入行したときは、仏教だとは知らずに入行したのですからね。
仏教なんて、非科学的で、時代遅れの迷信だ、と、当時は考えてましてね。
密教は仏教とは違うものだと考えて、入行したのでした。
- 197 :準シュダオン:2011/09/15(木)
16:04:27
- 私は前に、3・11の大震災の日、霊示を受けて外出の予定を止めた、とレスした。
それまで、どういう状態のときに霊示を受けるのか、管長のお話しを聞いたことも
ないし、知らなかった。
精神を集中して、雑念が消えたときにでも、霊示があるのかしら、とか思っていた。
で、私の霊示体験を、「あれこれ考える表面意識が消えて、潜在意識が働いて夢になる
直前」と、いうような内容のレスをしたね。
そしたら、アゴンマガジン9月号に、霊示のお話しが出ていました。P32に、
先達の松本さんが、以下のように話されてます。
「会長先生はよく「仏さまの御霊示があった」と言っておられました。疲れてうと
うとと眠気がさした時にぱっと御霊示が下がるともおっしゃっていました。
やはり、うとうとと、夢になる直前に起きるようです。夢と御霊示とどう違うのかを、
言葉で説明するのは、ほぼ不可能でしょう。ビールの味と発泡酒の味の違いは、飲んだ
人には区別がついても、言葉での説明はほぼ不可能ですからね。
アゴンマガジン9月号を読んで、3・11の私の体験はやはり、御霊示だったのだ
という思いを強くしましたよ。
- 198 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/15(木) 23:29:56
- 仏陀の真実の教えを説く(上)
369頁(向経現代語訳)
完全に修行したならば完全な阿羅漢を得て、たとえ不完全であってもそれに見合う
だけの果報を得るのです。この五根法を修行して、その努力が報われずにむなしく
終わるということは絶対にありません。もしも、これほどありがたい五根法を
修行しない者がいるとしたらば、それは外道か凡夫というしか
ありません」
(ちなみに一応桐山訳)
- 199 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/16(金) 08:12:06
- >>195:準シュダオン11/09/15(木) 13:37:54
>慌ててはいけないよ、ユビキタスさん。お釈迦様は、「五根法を修行しない者は、
>外道凡夫であるぞよ!」と、弟子を叱咤激励したのです。
そう説いた経典を>>198に示しました。
しかしこれは預流向が外道や凡夫であることにはなりません。
五根法を「修行しない者」と書いてあるのであり、五根法を成就窮め尽くした者とは
書いていない。
条件はあくまでも修行しているかいないかだけで成果だけではない。
だから預流向のようにまだ成果は得てなくても修行努力していれば、それは
外道でも凡夫でもないことになるのです。
五根法は預流果を得た人が初めて修行にとりかかるものなんですか?
そんなことはどこにも書いてない。
あなた方アゴン宗の信者は七科三十七道品の秘伝のような奥伝のような特殊な
修行法、成仏法として五根法があるかのように思い込まされているが、
ここでいう五根法とは仏道修行そのものです。その総体をある側面から五根法と
名付けただけの話です。
これは七科のその他の名称もまたその都度その都度、仏道の修行を表現を替えて
示しただけで決して37のシステム、カリキュラムがあるわけではない。
だから五根法とはまだ見ぬ神秘の奥伝などではなく、仏道修行そのものなんです。
この中には阿羅漢もいれば、シュダオン、預流果もいればそれ未満だが熱心に
修行中の預流向もいるわけです。
彼らは外道でも凡夫でもない。
しかし五根法(仏道修行)を実践努力してない者、着手してない者は外道か凡夫だと
言っているわけです。
- 200 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/16(金) 08:26:05
- >>195:準シュダオン11/09/15(木) 13:37:54
>「外道凡夫」とは、外道を歩んでる凡夫のことだと理解すればいいんです。
>外道に対して、仏道のことを内道と呼びますね。
>だから、仏道修行に入った預流向は、「内道凡夫」だと理解すれば良いのです。
>凡夫にも、外道を歩んでる凡夫と、仏道=内道、を歩んでる凡夫があるということ
>です。
>だから管長が、「あなた方はまだシュダオンになれずとも外道凡夫ではない」と、
>話した意味は、「まだシュダオンになれずとも、外道凡夫ではなくて、内道凡夫=
>シュダオン向なのです」と言う意味なのですね。
>>198の桐山訳を読んでご覧なさい。
「外道か凡夫」と明らかに分けており、内道ではない外道に属する凡夫などとしていない。
成果など得られずとも将来の成果を求めて実践努力する人は間違っても外道ではない。
外道とは異教徒であり、仏道を信じない、実践しない人たちですからね。
桐山訳が「外道か凡夫」なのだから、五根法を修行する者は外道でも凡夫でもないになる。
あなた方は外道凡夫ではないも、外道でも凡夫でもないになる。
外道凡夫だの内道凡夫なんてのは桐山さんは説いておらず、それは準シュダオン教に属するものです。
>勿論、三結を切ろうと努力せず、寝てばかりいる信者はシュダオン向ではありません。
はははは。それってあなた自身ではないですか?
ただ在籍だけして満足して実践努力しない人。
- 201 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/16(金) 08:37:53
- >>196:準シュダオン11/09/15(木) 14:09:32
>これはねぇ、シュダオンを自称することを、管長が許可していないからです。
>もしも管長が、「シュダオンを得たと思うものは、シュダオンを宣言しても
>よろしい」と、仰せならば、私は、宣言するかも知れませんねw。
やはり深山さんが指摘していたように実は自分がシュダオンだと思っているのですね。
ならば神秘体験でも添えて自分はシュダオンであるか未満なのか桐山さんに質問
くらいしてみなさいよ。
>シュダオンを得れば、心決定して仏道から後退しない、といいますね。
>私は今、仏道を辞めるなんて、少しも思いませんもの、たとえ阿含宗が解散した
>としても、仏道を辞める気はしませんね。
いいえ、あなたは既にアゴン宗ブツドーすら後退、退転しています。落ちこぼれです。
心決定して後退していないならばあなたは熱心に修行してるはずだ。
修行して初めての仏道です。無理、無茶はいかんが、しかし他の一般人信徒が
無理なくしてる修行を何もせずサボっているのはこれは退転したことに等しい。
籍だけあって会費だけ納めている会員であっても、桐山さんはそれを弟子とも信者
とも認めない姿勢を明らかにしている。
- 202 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/16(金) 08:44:16
- >>196:準シュダオン11/09/15(木) 14:09:32
>私が千座行に入行したときは、仏教だとは知らずに入行したのですからね。
>仏教なんて、非科学的で、時代遅れの迷信だ、と、当時は考えてましてね。
>密教は仏教とは違うものだと考えて、入行したのでした。
その誤解は今では解けたわけですか?
ここでわかるのは入信当時、それ以前のあなたは、自分で自惚れているほど
科学合理主義者ではないのです。
仏教とは西欧人が彼らのキリスト教にも見られない合理性を見出したように
合理的なものなんです。
対して密教の方が迷信的であり怪しい匂いを漂わしている。
あなたは合理的な仏教を面白いと思わず、密教の神秘主義に惹かれただけに過ぎません。
- 203 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/16(金) 08:53:01
- >>197:準シュダオン11/09/15(木) 16:04:27
>そしたら、アゴンマガジン9月号に、霊示のお話しが出ていました。P32に、
>先達の松本さんが、以下のように話されてます。
>「会長先生はよく「仏さまの御霊示があった」と言っておられました。疲れてうと
>うとと眠気がさした時にぱっと御霊示が下がるともおっしゃっていました。
>やはり、うとうとと、夢になる直前に起きるようです。夢と御霊示とどう違うのかを、
>言葉で説明するのは、ほぼ不可能でしょう。ビールの味と発泡酒の味の違いは、飲んだ
>人には区別がついても、言葉での説明はほぼ不可能ですからね。
>アゴンマガジン9月号を読んで、3・11の私の体験はやはり、御霊示だったのだ
>という思いを強くしましたよ。
で、相変わらず地震前の寝ぼけ眼だかの霊示体験と言うのははっきりせず
評価のしようがなく信者に対してすら説得力ありませんよね。
松本さんは桐山さんの発言の中からコメントしただけで自分の体験など比定すらしてません。
比定したくば質問をすることです。
その際にはかなり具体的に示さねば桐山さんすら評価のしようがない。
- 204 :準シュダオン:2011/09/16(金)
12:01:26
- >で、相変わらず地震前の寝ぼけ眼だかの霊示体験と言うのははっきりせず
>評価のしようがなく信者に対してすら説得力ありませんよね。
松本さんのお話しによれば、管長は当時、「疲れてうとうとと眠気がさした時に
ぱっと御霊示が下がる」と、話していたわけです。
体験のない人は、「夢なんじゃないの?」と、考えるのは当然ですね。
管長はその他に、自ら仏様に御霊示を仰ぐ、という芸当ができるわけです。
私には未だそれができない。
- 205 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/16(金) 12:28:19
- >>204
だから夢を見たらそれは全部霊夢なのかという話なんですよ。
霊夢もあるかもしれないし、ただの夢の場合もある。夢うつつも含めてね。
だからそれは判断もできるものではないけど、考察の材料としてはもっと細かな
具体的記述がポイントになるのですよ。
私は霊夢とか全面否定する立場ではありません。
ムシの知らせみたいのも肯定しています。
しかし全ては個別検証の話でしょう?と申しておる。
それをあなたは途中で報告を放棄したのはあなたの選択なんだから、私はあなたの
霊夢についてコメントのしようもないのです。
- 206 :深山:2011/09/16(金)
12:34:45
- >>196:準シュダオン11/09/15(木) 14:09:32
>これはねぇ、シュダオンを自称することを、管長が許可していないからです。
>もしも管長が、「シュダオンを得たと思うものは、シュダオンを宣言しても
>よろしい」と、仰せならば、私は、宣言するかも知れませんねw。
さすがは準シュダオンさん、>>184を書かれて、開き直りをして、
事実上のシュダオン宣言ですね。
桐山さんは、準シュダオンさんの預流向も預流の宣言も認めません。
あなたは仏教の預流や預流向でないことはもちろんのこと、
アゴン宗の預流や預流向ですらない。
それらであるというなら、桐山さんに申告してみればいい。
もちろん、桐山ゲイカが認めるはずがない。
認めるというなら、例祭で手をあげて
「ゲイカ様、不肖私めは、すでにシュダオン果を得たと自覚しております。
今を去ること七年前、いつものように桐山ゲイカの真似をして夜中まで深酒をして、
フラフラになっておりましたら、突然、総本殿より白銀バイブが飛んできました。
私は、この白銀バイブで自分が預流になったと自覚しました。
しかし、批判側にあれこれ言われるのが悔しいので、預流向ということに
しておりまスたくらい、謙虚な私でございます、www」
と正直に言えばよい。
もちろん、あなたにそんな勇気も確信もないことは知っています。
なにせ、あなたは腹の黒い卑怯者ですからね。
- 207 :深山:2011/09/16(金)
12:39:53
- >>197 :準シュダオン:2011/09/15(木)
16:04:27
>アゴンマガジン9月号を読んで、3・11の私の体験はやはり、御霊示だったのだ
>という思いを強くしましたよ。
>>204 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/09/16(金)
12:01:26
>私には未だそれができない。
できない、などといかにも謙遜したかのように言うのは、
それ以外はできた、自分はスゴイのだという自慢話ですね。
だが、読者は>>138のような嘘を平気で書くあなたの体験談なんて信じません。
他の信者の体験談なら、解釈はどうあれ、体験したことを書いたのだろうと
みなすが、準シュダオンさんのように、嘘だとばれてもいっさい認めず、
どこまで強弁するような人の体験談なんて、誰が信じますか。
あなたの主張はいつも、自慢話という共通項がある。
体験談も、こんなふうに仏様の力をいただける立派な人物なんだと
自慢したい一心ですよね。
こういう妄想での自惚れ垂れ流しを見ると、いかにあなたが現実世界では実力もなく、
周囲から小馬鹿にされた人生を送ってきたかがよくわかる。
- 208 :深山:2011/09/16(金)
12:43:43
- >>197:準シュダオン11/09/15(木) 16:04:27
>そしたら、アゴンマガジン9月号に、霊示のお話しが出ていました。P32に、
そんなことよりも、9月号の34頁から書いてある「糖尿病患者の落とし穴」
でもしっかりと読んだらどうか。
桐山さんと準シュダオンさんにとって一番大事な記事ですよ。
ここで対談しているK田職員は信者を自殺に追いやった人です。
N庵さんは病気を治したいと、職員や先達の指導のままに解脱供養や
冥徳供養など、高額な供養をしたが、もちろん、何の効果もない。
彼は収入の多い職業だったから、言われるままに出した。
つまり、準シュダオンさんと違い、アゴン宗の指導に従った。
だが、何の効果もないことを訴え、桐山ゲイカへの指導をお願いすると、
それまでの先達や職員の態度は一変して、総出で排除した。
こういう集団で排除するイジメは彼が初めてではなく、私は何人も見ている。
実に悪質です。
排除されたN庵さんは故郷に戻り、そこで阪神大震災に遭った。
その時は助かったが、次の日、自殺した。
彼は最後まで桐山さんを信じて、親族に解脱供養の代金を託していた。
桐山さんもK田職員もそのお金を受け取った。
お金を受け取ったのだから、彼らの地獄行きを自ら選択した。
- 209 :深山:2011/09/16(金)
12:46:10
- >>197:準シュダオン11/09/15(木) 16:04:27
>そしたら、アゴンマガジン9月号に、霊示のお話しが出ていました。P32に、
K田職員は根性が悪く、意地悪であることは、別院で彼女の洗礼を受けたことが
ある信者や元信者なら、全員が同意するでしょう。
知り合いの信者は、「入行しようとした最初から、K田職員に
怒鳴りつけられ、入るのをやめようかと思った」と言った人もいた。
アゴン宗の職員は総じて評判の悪い人が多いが、
その中でもK田職員の評判は突出して悪い。
人間改造などといっても、何の効果もないことはK田職員を見れば十分です。
こんな人格の低い人がどうして職員として未だに残っているのか。
多くの職員は定年になれば追い出されるのに、彼女だけは嘱託としてずっと残っている。
読んでいる信者さんたちは次に書く答を読む前に、良く考えてほしい。
桐山さんは修行によって徳を積むと人格と霊格(どういう意味かは不明)が向上し、
人間としてのレベルが上がるという。
だが、宗務局の現場のトップだったK田職員の人格が上がったようにも見えないし、
態度の悪さ、根性の悪さ、意地悪さは何も変わっていない。
K田職員は関東では一番長い職員でしょう。
どうしてこんな人がずっと職員という指導的な立場でいられたのか、
信者さんたちは不思議に思いませんか。
- 210 :深山:2011/09/16(金)
12:49:50
- >>197:準シュダオン11/09/15(木) 16:04:27
>そしたら、アゴンマガジン9月号に、霊示のお話しが出ていました。P32に、
N庵さんのケースがまさにそうで、K田職員はアゴン宗に文句を言う人を怒鳴りつけ、
恫喝して、たたき出すという汚れ役を引き受けているからです。
桐山さんにとってはものすごく重宝です。
アゴン宗はインチキだから、様々なクレームが来る。
こういうクレームに対する桐山さんの態度は、
『ダルマチャクラ』に載った、ガンになった信者や、また、「ゲイカは嘘つきです」
とオバチャン信者が言った時の桐山さんの対応が典型です。
怒鳴りつけて、つまみ出す、これが桐山さんのやり方です。
桐山さんを人格や霊格が高く、高潔で、深い慈悲を持っていると
信じている信者さんたちは信じないだろうが、それなら、
『ダルマチャクラ』(1994年6月、60号、15頁〜)
を読んでください。
行歴の長い信者がガンになって親族への顔向けもできないから、
なんとか助けてほしいと手紙を出したことへの桐山さんの返事です。
17頁にわたり、この信者をさらし者にして、
「しかし、わたくしの法話をあまり聞いていないのではないか」(27頁)
などと、反論できない相手にさんざん因縁をつけて、最後に桐山さんの指導は
次のようなものだった。
- 211 :深山:2011/09/16(金)
12:53:32
- 「離婚しないで、阿含宗をやめなさい」(30頁)
「そう念じて、わたくしは快く「阿含宗をやめなさい」といいます。」(31頁)
(『ダルマチャクラ』60号)
泣かんばかりに助けてくれとすがっている信者を山門から叩きだした。
これが桐山さんです。
17頁にわたり信者に因縁をつけ、非難しながら、
彼への同情の言葉はほとんどない。
冷酷非情という言葉がぴったりです。
これが桐山さんなのです。
しかも、もう一つ信者さんたちは気がついてほしいことがある。
それはこの件を『ダルマチャクラ』というアゴン宗の機関誌で
公開したという点です。
助けてくれとすがる相手を山門から叩きだしたばかりか、
これを全国の信者の前にさらし者にした。
市中引き回しの上、獄門はり付けです。
これのどこが仏の慈悲なのだ?
桐山さんのしたことは非情というよりも、残忍です。
- 212 :深山:2011/09/16(金)
13:00:57
- 「離婚しないで、阿含宗をやめなさい」(30頁)
「そう念じて、わたくしは快く「阿含宗をやめなさい」といいます。」(31頁)
信者さんたちがこの件を無視し、「ゲイカには深い智慧があって」などと
言い訳を考えているのもわかる。
だが、目を開けて、桐山さんの正体を見ることだ。
口先ではなく、実際に桐山さんが何をしたのかを見ることです。
口先でどんな慈悲深そうな事を言っても、いざとなったらこの有様で、
普通の人でもしないような残忍なことを平気でする。
信者さんたちは、どうして全国誌にさらし者にするなどという、
ここまで残忍なことを桐山さんがしたと思いますか。
これにはちゃんとした理由がある。
それは、桐山ゲイカから見て、ガン信者はゲイカを傷つけるという大罪を為したからです。
桐山さんは批判されることが死ぬほど嫌いです。
これは彼が自己愛性人格障害者という壊れた人間だからです。
自己愛が極端に強いから、他人から自己を批判されることに極端な拒絶反応を示す。
アゴン宗も因縁切りも桐山さんが作り上げたものなのに、
このガン信者はその教義を否定するような体験談を出してきた。
因縁切りを最大の売り物にする桐山アゴン宗を否定する体験者です。
アゴン宗でこんな御利益がありました、という体験談なら
桐山ゲイカを誉めたのと同じです。
しかし、因縁切りのアゴン宗で信仰してもガンになった、
というのでは、逆宣伝であり、桐山ゲイカを否定したのと同じです。
桐山さんは自分を非難されたから、傷つき、逆上して、信者をたたき出して、やり返したのです。
「一発殴られたら、十発殴り返す」と桐山ゲイカは法話で言っていたとおりの
ことを、ガン信者にもしただけです。
- 213 :深山:2011/09/16(金)
13:03:24
- 『ダルマチャクラ』(1994年6月、60号、24頁、27頁)
「・・・「頼むから摂ってくれ」と叫びたい気持ちです。
たまらないのですよ、このような手紙が来ると。
・・・わたくしの気持ちを理解している人が少ない。
それがわたくしは悔しくてしかたないのです。」
「わたくしを悲しませないでくれ!
わたくしが悲しむことは、仏さまが悲しむことなんだ」
これが桐山さんが述べた内容です。
ガン信者への同情がほとんどないのに、自分のこととなると、この有様です。
これは桐山さんのポーズではなく、本当に彼は傷つき、悲しみ、悔しく、
叫びたい気持ちなのです。
なぜなら、このガン信者によって自分の因縁切りを否定された。
素晴らしい天才であり、偉大な人物である自分を否定されたから、
傷つき、悲しく、悔しく、叫びたいのです。
だが、これって、ただのエゴですよね。
苦しんでいるのはガン信者であって桐山さんではない。
だが、桐山さんにとってはガン信者の苦しみなんかどうでもいい。
このガン信者によって桐山ゲイカは深く傷つき、悲しく、悔しいのです。
ご覧のように、桐山ゲイカにとっては、痛いのは自分であって、
ガン信者ではないです。
だったら、どうするか。
自分に苦痛を与えた者を叩き出す。
だから、次のように言った。
- 214 :深山:2011/09/16(金)
13:13:12
- 「そう念じて、わたくしは快く「阿含宗をやめなさい」といいます。」(31頁)
見てください。
「快く」です。
桐山さんにとってはガン信者は自分に苦痛を与えるとんでもない信者です。
苦痛の原因は取り除かなければならない。
だから、そいつを叩き出すことは桐山さんには快いのです。
ものすごいエゴイストであることがこれを見てもわかる。
普通の大人は、他人の痛みを推測することで同情の心をおこす。
だが、桐山さんはそれが極端に小さい。
なぜなら、愛情が極端に自分にだけ向いているからです。
普通の人が持つ愛情などわずかな量にすぎない。
それを我々は、少し他人にも向けようとするから、
他人に同情し、痛みを分かち、あるいは被災者に寄付をする。
だが、桐山さんのような自己愛性人格障害者は、愛情のほとんどが
自分に向いているために、他人に分ける分が極端に少ない。
また、彼らの特徴の一つは、
「自分の痛みは十倍に感じ、他人への痛みには極端に鈍感」
であることです。
このケースの場合、桐山さんは因縁切りを否定され、自分を否定されたから、
自分の痛みを十倍に感じて、ガン信者への同情など消し飛んだ。
客観的に見れば、桐山さんの嘘がばれた自業自得なのだが、桐山ゲイカには
そういう視点はなく、痛みにもだえ苦しむ可愛そうな自分しかありません。
その痛みの原因を取り除くのだから桐山さんには快い。
こういう返事がガン信者にとって息の根を止めるほどの仕打ちだと考えるような、
慈悲も知性も桐山さんにはありません。
- 215 :深山:2011/09/16(金)
13:16:22
- 「そう念じて、わたくしは快く「阿含宗をやめなさい」といいます。」(31頁)
自己愛性人格障害者などというと、信者さんたちは桐山ゲイカへの悪口だと
言うかも知れないが、こういう実例を見れば、そうとしか解釈のしようかない。
普通の人は、ガンになって助けを求める人を全国誌でさらし者にして、
これを叩き出すなんてしない。
まるで、うっぷんばらしに無抵抗の庶民を殴りつけるヤクザです。
こういう自己愛の強い教祖の所には同様の信者が残る。
その典型が準シュダオンさんです。
今回の書き込みの内容は、いつものように「自分の自慢」ばかりです。
この人も、自分の好悪しか興味関心がない。
普通の信者なら、桐山ゲイカに恥をかかせるようなことは書けない、という
気持ちがあるから、自分を抑える。
だが、準シュダオンさんにはこういう心構えは見られない。
桐山アゴン宗が彼にとって自分の自慢をする道具にすぎないからです。
このエゴイストという点では桐山ゲイカと準シュダオンさんは良く似ている。
ある意味で、準シュダオンさんは桐山ゲイカの弟子です。
自惚ればかり強いエゴイストで、妄想の世界でエラクなっているという点でそっくりです。
そこで、話を元に戻して、同じエゴイストのK田職員です。
- 216 :深山:2011/09/16(金)
13:27:10
- 「そう念じて、わたくしは快く「阿含宗をやめなさい」といいます。」(31頁)
K田職員は弁慶のように、自分だけを深く愛している桐山さんの前に立ちはだかり、
ガン信者やN庵さんのような、アゴン宗の教義を否定する体験者が
桐山ゲイカの所に押し寄せるのを身をもって防いでいるのです。
彼らは桐山ゲイカの作り上げた因縁切りなどの妄想を否定するものであり、「現実」です。
一方、桐山さんが作り上げたアゴン宗は「妄想、虚構、嘘」です。
虚構にとって現実は猛毒です。
現実が来たら、桐山ゲイカの作り上げた虚構は否定され、
桐山ゲイカは深く傷つき、悲しく、悔しい。
そうならないように、K田職員は現実の前に立ちはだかり、ヤクザのように
怒鳴りつけ、威嚇し、排除して、桐山ゲイカの虚構の世界を守る。
こんな有り難い存在を桐山ゲイカが手放すはずはない。
これと同じ役割をしているのが関西ではW田さんです。
- 217 :深山:2011/09/16(金)
13:30:49
- 「そう念じて、わたくしは快く「阿含宗をやめなさい」といいます。」(31頁)
信者さんたちは準シュダオンさんのシュダオン宣言を見てどう思いますか。
馬鹿馬鹿しいと笑うのは簡単だ。
だが、準シュダオンさんがしていることは、桐山さんとそっくりです。
規模が違うだけです。
準シュダオンさんの虚構は誰も守ってくれないが、
桐山さんの虚構はK田職員やW田さんが守ってくれている。
問題は、桐山さんでもK田職員でもW田さんでもない。
信者さんたちです。
あなた方も気が付いていないだけで、桐山さんの虚構を守っている一人です。
それは準シュダオンさんがシュダオンであると信じて支持し、
弁護するのと同じくらいバカげた内容です。
愛人がいて、ロールスロイスを買い、美食飽食をやめられない仏陀などいません。
ガンになり助けを求める信者を、エゴ丸出しにして、たたき出し、
さらし者にするなどという残忍なことをするのはヤクザです。
準シュダオンさんが頭のヴォケ始めたただの自惚れ屋であると
信者さんたちは認めるでしょう。
それと同様に、桐山さんの言動の現実を見るなら、彼が仏陀であるはずがない。
桐山さんは霊格の完成者どころか、自己愛性人格障害者という脳や心を病んだ欠陥人間です。
- 218 :準シュダオン:2011/09/16(金)
16:18:30
- >だから夢を見たらそれは全部霊夢なのかという話なんですよ。
>霊夢もあるかもしれないし、ただの夢の場合もある。夢うつつも含めてね。
>だからそれは判断もできるものではないけど、考察の材料としてはもっと細かな
>具体的記述がポイントになるのですよ。
>私は霊夢とか全面否定する立場ではありません。
>ムシの知らせみたいのも肯定しています。
>しかし全ては個別検証の話でしょう?と申しておる。
霊示?インチキだよそんなの。と言うのも自由であれば、
霊示?それはあるかも知れないね。と言うのも自由であれば、
霊示?それはあるよ、私も体験した。というのも自由ですね。
話し合いで「霊示」があるか否か、決められるものではないね。
私がいう霊示は、霊夢とは少し違うよ。夢に似ているけど微妙に違う、が、言葉で
違いを言うのは出来ないね。ビール味と発泡酒味くらいの違いがあるね。
霊示の内容は、一月ほどしたら、半分くらい忘れていた、慌てて憶えている内容を
日記に記しているので、霊界の許しがあれば、いつかその内容をレスしてもいいか
な、と考えています。
- 219 :名無しさん:2011/09/16(金)
18:24:44
- >>218
>霊界の許しがあれば、いつかその内容をレスしてもいいかな、と考えています。
こいつ、いっぱしの霊能者気取りだな。
あんたの霊示なんか聞きたくないね、ほかにスレ立ててやったらどうだい。
- 220 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/16(金) 20:31:43
- >>218:準シュダオン11/09/16(金) 16:18:30
>霊示?インチキだよそんなの。と言うのも自由であれば、
>霊示?それはあるかも知れないね。と言うのも自由であれば、
>霊示?それはあるよ、私も体験した。というのも自由ですね。
誰がインチキなど決めつけましたか?
こちらが書いてもないことを勝手に決め付けて逃げてごまかすのはやめなさい。
こちらはあなたの奇跡霊体験を信じてあげたくとも、信じなくとも歩み寄りたくとも
資料が不足、あなたがそれを封じて遠ざけているのです。
このままではあなたの体験によほど自信がないか、はてまた口からデマカセの嘘
ではないかと他の人からもあらぬ誤解を受けますよ。
まあこっちの知ったことじゃないけど。
>日記に記しているので、霊界の許しがあれば、いつかその内容をレスしてもいいか
>な、と考えています。
ここに示すより先に桐山師に報告するのが筋ではないですか?
あなたの日記には師への感謝の言葉も綴ってあったはずだ。
真っ先に師に報告しないのは本当は師の恩なんてこれっぽっちも感じてないからなんでしょうね。
- 221 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/16(金) 20:51:09
- >>180
丁度自分もTVを見てましたが名前を聞いたのですが忘れました。
しかしアゴン宗でないのは間違いないです。
がっくりしながら検索したら出てきた!これですね。参照ください。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201109110215.html
- 222 :深山:2011/09/16(金)
23:07:08
- >>218 :準シュダオン:2011/09/16(金)
16:18:30
>私がいう霊示は、霊夢とは少し違うよ。夢に似ているけど微妙に違う、が、言葉で
「私がいう霊示」なんて、誰も興味がないし、このスレの主旨とは関係ない。
本当に準シュダオンさんて「自分」しかないのですね。
議論のテーマなんなのかとか、他人に迷惑にならないようにしようとか、
そういう他人への配慮や気遣いがまったくない。
桐山さんと同じで、驚くほど、「自分の」「私が」ばっかりです。
あなたがしなければならないことは日記のことではなく、下記のように、
二ヶ月前から山積みになっている。
嘘を認め、修正することです。
1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(55章625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=一来向」「一来果=不還向」「不還果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(55章940)
8.下記の文章のある阿含経はどこにあるのか?
「四双八輩是聖賢之衆」(五章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(五章633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(>>7)
- 223 :深山:2011/09/16(金)
23:10:53
- >>218 :準シュダオン:2011/09/16(金)
16:18:30
>私がいう霊示は、霊夢とは少し違うよ。夢に似ているけど微妙に違う、が、言葉で
>>222の嘘を山積みにして、これでシュダオンだと言うのだから、
その厚かましさに絶句する。
仏教の基本戒律の一つは「嘘をつかない」です。
嘘をゼロにするのは難しいが、できるだけ減らそうと努力するのが
仏教徒でなくても、普通の人たちの生き方です。
だが、桐山さんと準シュダオンさんは違う。
一ヶ月ちょっとの間にこれだけの嘘を平然と並べ、
何をどう言われようが、気にもしない。
それで、「嘘をつかない」という戒律を守るシュダオンだと
ぬけぬけと言うのだから、いったいどういう神経をしているのだろう。
私は桐山さんやあなたみたいな人を見るたびに、
アゴン宗に入ったおかげで大きな勉強をしたと思う。
これだけ堂々と嘘をつき、その嘘がばれてもなんら恥じることもなく、
むしろヘラヘラと笑いながら他人にお説教を始めるような
恥知らずな人は、アゴン宗でしか知らないのです。
アゴン宗に入らなかったら、世の中にこんな人たちがいるのだという
ことを知らずにいたかもしれない。
あなたがいなければ、次の釈尊の言葉も、私は実感としては分からなかったかもしれない。
「恥を知らず、カラスのように厚かましく、図々しく、ひとを責め、大胆で、
心のよごれた者は、生活し易い。」
(『真理のことば 感興のことば』中村元、44頁)
- 224 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/17(土) 01:06:02
- >>196:準シュダオン11/09/15(木) 14:09:32
>私は今、仏道を辞めるなんて、少しも思いませんもの、たとえ阿含宗が解散した
>としても、仏道を辞める気はしませんね。
今回が初めてではなく、もう何度も読む文章内容だが、準シュダオンさんは
本当にアゴン宗が解散してくれることを潜在的に願ってますね。
もう面白くもないし興味もない。
わざわざ自分から退会するような面倒な手続きなくやめられる。
そしてそれよりも自分教、準シュダオンの世界に浸っていたいのです。
アゴン宗もまた現実世界だから彼は関わりたくない。
- 225 :名無しさん:2011/09/17(土)
10:20:48
- >>224
>今回が初めてではなく、もう何度も読む文章内容だが、準シュダオンさんは
>本当にアゴン宗が解散してくれることを潜在的に願ってますね。
>もう面白くもないし興味もない。
>わざわざ自分から退会するような面倒な手続きなくやめられる。
>そしてそれよりも自分教、準シュダオンの世界に浸っていたいのです。
納得です。かれはアゴン宗の気に入った所だけをつまみ食いし他は完全に無視しているね。
その実態はかれ独自の準シュダオン教です。
何の事はない、このスレで準シュダオン教を披露して悦に入っているだけだ。
ほんと馬鹿馬鹿しい。
- 226 :準シュダオン:2011/09/17(土)
14:04:08
- >納得です。かれはアゴン宗の気に入った所だけをつまみ食いし他は完全に無視しているね。
>その実態はかれ独自の準シュダオン教です。
>何の事はない、このスレで準シュダオン教を披露して悦に入っているだけだ。
>ほんと馬鹿馬鹿しい。
退会してからまでも、阿含宗スレに関わっている方が、よほどバカバカしいのではw?
- 227 :準シュダオン:2011/09/17(土)
14:32:21
- >資料が不足、あなたがそれを封じて遠ざけているのです。
>このままではあなたの体験によほど自信がないか、はてまた口からデマカセの嘘
>ではないかと他の人からもあらぬ誤解を受けますよ。
>まあこっちの知ったことじゃないけど。
口からデマカセ・嘘書く場合は、時間たつと忘れるから、メモ帳か何かに書いて
置かないといけないでしょう。で、メモ帳無くしたら一大事やろうねw。
わたしゃ、貴重な時間使って、そんな無駄、くだらんことしないよ。
霊示といえば、私は入行前に、ある名簿を見てて仕事してて、2〜3秒かなぁ、
立ちくらみ状態になって、気がついたら3名の名前に、チェックマークが入って
いて、これはなんだろうなぁ、と、思ったが、気にもしていなかった。
ところが、その翌日か、翌々日だったか、同じ時間帯にその3名と出会うはめに
なった。で、驚いたわけ。それまで、私は無神論で、非運命論者であったが、考え
を改めた。運命はあるかも、と強く思うようになった。この名簿事件も、霊示と
いえば、何者かの霊示とも考えられます。まぁ、仏様からの霊示とは考えられませ
んが、霊界の、あるいはキツネか狸の霊示でしょう。
名簿事件には言葉がなかったが、3・11の場合は、はっきりとした言葉があった。
言葉があったが、映像が無かった。だから夢ともいい難い。
阿含経には霊示なんてのはないが、管長はお話になる。
私の体験上からも、管長のお話しは本当だと思いますね。
- 228 :準シュダオン:2011/09/17(土)
14:58:14
- >ここに示すより先に桐山師に報告するのが筋ではないですか?
>あなたの日記には師への感謝の言葉も綴ってあったはずだ。
>真っ先に師に報告しないのは本当は師の恩なんてこれっぽっちも
>感じてないからなんでしょうね。
日記に感謝の言葉は一つも書いていっませんよ。
師に報告しないのは管長を煩わせたくないからよ。奇蹟話は沢山あって、私の例
など数に入らないのね。
日記に感謝の言葉は書いてなくても、仏間に管長の写真があって、勤行の前には
管長を礼拝してるから良いのです。
管長は、↑礼拝するより金をくれ、と、言うでしょうか?
まぁ、これは冗談です、↑。
- 229 :名無しさん:2011/09/17(土)
19:07:03
- >>226 :準シュダオン:2011/09/17(土) 14:04:08
>退会してからまでも、阿含宗スレに関わっている方が、よほどバカバカしいのではw?
どうしてバカバカしい?
マトモだよ。
騙されている信者に真実を知らせて何が悪い?
逆に知らせる義務があるでしょ。
アンタのように自分だけ良ければいいという精神構造とは違うの。
- 230 :Boo:2011/09/18(日)
00:48:28
- >221 名前:天照 ◆MO30b8Jwoo 投稿日: 2011/09/16(金) 20:51:09
>>>180
丁度自分もTVを見てましたが名前を聞いたのですが忘れました。
>しかしアゴン宗でないのは間違いないです。
>
>がっくりしながら検索したら出てきた!これですね。参照ください。
情報ありがとうございます。結局何十年も続けてきた京都の星祭りよりも、
震災の慰霊法要の方がニュース性があり人々の関心を引くのでしょう。
アゴンの星祭りは平川出版、光和食品など関連企業のスポンサーで無理やり
放映しているだけですから、当然世間の関心、ニュース性などはないのです。
- 231 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/18(日) 04:58:57
- Booさんお役に立てましたでしょうか? たまたま私も夕食時にTVを掛けていたら放送があリ
見ていたので覚えていましたが、TVの画像を見て「懐かしいな」と思ってました。
TVではほんのわずかな数十秒という短い放送でしたので覚えきらなかったです。
やはり宗教的なものをニュースで取り上げるのはそういう感じになるでしょう。
さて、そのTVを見て思ったことですが、ああいう法要をなぜ阿含宗が率先してやらないのか。
私はそこを強く思いましたね。
土地浄霊法要はいくらでもやる(やった)くせに、震災者の供養護摩は後手ですか。
やはり姑息というか宣伝しか考えてない教祖ですね。教団内というエリアでは内護摩を焚いて
「震災者の冥福を祈る」みたいなことはしても、いつもは表舞台に出たがるくせにこういうときは
全然表に出ないで奇麗事ばかり述べる。まさに小心者・卑怯者の教祖ですね。
阿含宗には「成仏法がある。死者を成仏させられるのは阿含宗だけ」という宣伝文句もどうしたか?
金が入ってこなければ宣伝さながらの護摩法要というパフォーマンスもやらないのか?
また東北地方の会員は死者ゼロなんでしょう? 安泰だったのなら大きな顔をしてできるでしょうが。
阪神の震災みたいに死者がいて顔を出しづらいのならともかく、何をやっている?ですよ。
まあ、震災が起きてまもなくのときに祝い事をやっている阿呆教団ですから期待などしませんがw
2chである方の投稿を見て気がつきましたが、ゲイカは「2000年を超えれば阿含宗は仏教の
主流になる」といっていたのを思い出しました。で、実際はどうですか?
未だにただの新宗教の末席にひっそりと居るだけではありませんか。
これも口先と妄想だけの結果だというのが良く現れています。
Booさん仰せのとおり、何十年も続けてきた京都の大柴燈も恒例という位置づけにはなっているが、
それを超える何ものもないのが現実です。
教団内の評価は立派であっても外部はそうは見ない。尚且つ参拝者も年々減っているという。
実際京都の方に居られる「無関係さん」も以前コメントをされましたが、知っているには知っている。
つまり認知度はある程度持てても、一般の方が押し寄せる。または参加するというのは意外と浅く、
実際自分も過去に修行で二度行ったが参拝や参加者の大半は「教団関係者」つまり信者とその縁者が
占めている状態です。
ですから会場は盛り上がって居るように見えても一般人の参加が少ないわけですから、信者が来なく
なれば閑散としてくるのは当然の理です。
またBooさんがおっしゃられているようにスポンサーも教団の関係企業だけで一般企業のものではない。
身内が参加しているだけの「内々お祭り」が京都の柴燈護摩です。
ですから如何に自分をでかく・凄く見せようとしてもたかが知れているし、まだ認知のほどが低い。
尚且つ阿含宗は中身がデタラメですから、教祖の本も売れない。入信者も以前ほど増えない。
どんどん廃れているのが現実です。阿含宗は昔からフェイクが得意でしたが、それが徐々に露呈されて
来ているわけですし、尚且つ実際的に世間へ打って出るチャンスさえも行わない。
在来仏教教団を超えてゆくことなど甚だしいのが阿含宗の現実の実態です。
- 232 :無関係な人間:2011/09/18(日)
21:13:01
- >>231
京都に住んでいる人間の間で、阿含宗の話題が出る事は、まずありません。
そういう宗教団体が存在している事を知っている人もいる、という程度です。
星祭りの翌日、図書館に行き、全部の新聞をみましたが、地元新聞である「京都新聞」
以外には、書いた新聞はありませんでした。もっと規模の小さな伝統仏教の行事が
紹介されているところを見ていると、規模の大小ではなく、各新聞社は阿含宗を
どうもまともな宗教だと考えていない節はあります。
KBS近畿放送が、星祭りの中継をしますが、このKBSは、地元の人間でも見ている人
が少なく、民間の放送局として、会社更生法の適用を受けた事があるという唯一の会社
です。過去に福山邦夫さんなど、いかがわしい人物が経営者に入った事でも有名です。
(ちなみに、福山邦夫さんは、桐山さんとは一時期、仲良しでした)
ちなみに、京都新聞は地元資本ですが、近畿放送とも密接な関係にあります。
と、いうのが京都市民の感覚かもしれません。
- 233 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/19(月) 04:39:14
- 無関係さん、詳しい説明ありがとうございます。
実際の京都市民の感じを知ると私は退会した輩とはいえ信者時代を思い起こすと
がっくり来ますね。てっきり日本中に阿含宗は広まっていて尚且つ京都の方には
愛されているものだと思ってましたからね。それが実際は「別に」状態であったと
いうのであれば、あの京都の御山で我々は何を過去していたか?
それは教団や関係者だけの「お祭り騒ぎと内部満足」であったということです。
またそれを取り上げているのはわずかなものばかりである。このギャップをおそらく
現在の信者さんたちは把握して無いでしょうね。
「釈迦の教えを世に出す」この呼びかけを自分(ら)は真剣に受け取りそのために
まじめに阿含宗で言うところの修行を行った。自分たちが柴燈護摩や教団の活動などに
参加し梵行を頑張ったのは「世間の方々に喜んでもらう。救われてもらいたい。阿含宗
の持つ成仏法を知り・講じてもらいたい」その気持ちがあったからです。
寒い京都の冬の最中、護摩の灼熱地獄と護摩壇から離れた場所の極寒も何クソで
やってこれたのは教祖の示すスローガンを欺瞞だと知らずに信じていたからです。
世間に呼びかけ世間に受け入れられるよう頑張る。それが信者のあり方であったわけです。
それが「別に・・・」という位置づけであったとなれば、これはかなりショックです。
まして開催ご当地の「京都市民」からは「さほど注目されていない」となればこれは
阿含宗の欺瞞は横に置いてもあまり効果も無い、ということになります。
決して自分たちの頑張りが認められないとか努力が無駄、ということではありません。
阿含宗の中身や姿勢が受け入れられないのは何か理由がある。それを追ってゆくと欺瞞に
たどりつくわけですが、それのせいかどうかは知りませんがあまりにも阿含宗のやっている
行動が認知されていない、ということです。
お金をいくら掛けて宣伝してもこの有様です。やはりこうなると世間でよほど認知される、
というのは大変なことですし、桐山氏の策もたかが知れていた、ということですね。
お山の大将、という言葉がありますが、まさか自分の教団がそういう状態だったとは知らなかった。
本当に情けないですね。
またTVも全国でやらないのには「何か変だな」と思ったら身内ひいきでしたか。
これではますます「みみっちい」のを感じてしまいますね。
阿含宗のいい分や主張だけを見ていては現実から離れてしまう。
世界へ情報を発信する、などと言っていたゲイカも叫び声と主張だけであった。
誠に情けない気持ちにされる現実を知らされますね。
- 234 :Boo:2011/09/19(月)
13:54:54
- >さて、そのTVを見て思ったことですが、ああいう法要をなぜ阿含宗が率先してやらないのか。
>私はそこを強く思いましたね。
実はわたしもそう感じたのです。
>土地浄霊法要はいくらでもやる(やった)くせに、震災者の供養護摩は後手ですか。
>やはり姑息というか宣伝しか考えてない教祖ですね。教団内というエリアでは内護摩を焚いて
>「震災者の冥福を祈る」みたいなことはしても、いつもは表舞台に出たがるくせにこういうときは
>全然表に出ないで奇麗事ばかり述べる。まさに小心者・卑怯者の教祖ですね。
『「小心者」の教祖』これが「ああいう法要を阿含宗が率先してやらない」大きな理由なのでは
ないかと感じます。
オウム事件のときもそうです。麻原が逮捕された途端に例祭ホウワで大見得切るくせに、自分の信者も
庇護できない。結婚式の仲人までやった林郁夫氏の指導も救済もできない。全てが収まったあとで
ちょろちょろ言い訳みたいな本出して悦に入っている。小心以外のなにものでもないですね。
説法六十心の「竜心」って「小心」の間違いでないの?って感じですね。
- 235 :Boo:2011/09/19(月)
14:01:56
- >232 名前:無関係な人間 投稿日: 2011/09/18(日) 21:13:01
>>>231
>
> 京都に住んでいる人間の間で、阿含宗の話題が出る事は、まずありません。
> そういう宗教団体が存在している事を知っている人もいる、という程度です。
草加学会の何とかいう国立競技場かなにかでやる奴も、草加信者のなかでは有名な
行事のようですが、一般人には何をやっているのかわからない・・・というような
感じでしたが・・・アゴンの星祭りもそんな感じだったんですね。
当時は天照さんもおっしゃるように、いつかはメジャーになる・・・というか
今まさにメジャーになりつつある行事だと思って一生懸命頑張った過去の自分が
あります。やれ「京都の三大火祭り」だの言って護摩木を人に書かせていましたが
ほんとに恥ずかしいことしてたもんです。
- 236 :名無しさん:2011/09/19(月)
16:00:28
>>235 :Boo:2011/09/19(月) 14:01:56
>やれ「京都の三大火祭り」だの言って護摩木を人に書かせていましたが
>ほんとに恥ずかしいことしてたもんです。
そうだね。私も親戚に頼んだことがあり、最近アゴンの話を出されると気まずい思いです。
なるべく避けるような行動を取ってしまう自分が悲しい。
ただお導きまでしなかったのでそれだけは救いです。
- 237 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/20(火) 08:17:39
- >>226:準シュダオン11/09/17(土) 14:04:08
>退会してからまでも、阿含宗スレに関わっている方が、よほどバカバカしいのではw?
あなたのような自分教を説く「かまってちゃん」を相手にすることがバカバカしいのだが、
退会したアゴン宗について語るのは、長年関わってきたものをバッサリ捨てるだけでなく
そこで得た反省を直視する為ですね。
やはり失敗経験は次に失敗を起こさないようにプラスにつなげないと意味がない。
自分の頭で考え、自分の言葉で何が問題があったかを書いていく。
その際にレスもつかない独り言を書くよりは、議論相手がいた方が生きた勉強になる。
あなたが適正な議論相手かどうかは別として。
- 238 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/20(火) 08:29:16
- >>227:準シュダオン11/09/17(土) 14:32:21
>口からデマカセ・嘘書く場合は、時間たつと忘れるから、メモ帳か何かに書いて
>置かないといけないでしょう。で、メモ帳無くしたら一大事やろうねw。
>わたしゃ、貴重な時間使って、そんな無駄、くだらんことしないよ。
今回私が指摘したのはあなたが嘘やデマカセを書いているかどうかを推測するのではなく
このままの秘密秘密のスタイルではいかにあなたの体験が事実でも他の人には
それでは説得力を欠くばかりか、ここまで語ろうとしないのは嘘やデマカセを
書いているのかもしれないぞと周囲から評価されてしまう問題を指摘しているのであり、
それではあなたも不本意でしょうねと示しているのです。
それはあなたの選択した道です。
>霊示といえば、私は入行前に、ある名簿を見てて仕事してて、2〜3秒かなぁ、
>立ちくらみ状態になって、気がついたら3名の名前に、チェックマークが入って
>いて、これはなんだろうなぁ、と、思ったが、気にもしていなかった。
>ところが、その翌日か、翌々日だったか、同じ時間帯にその3名と出会うはめに
>なった。で、驚いたわけ。それまで、私は無神論で、非運命論者であったが、考え
>を改めた。運命はあるかも、と強く思うようになった。この名簿事件も、霊示と
>いえば、何者かの霊示とも考えられます。まぁ、仏様からの霊示とは考えられませ
>んが、霊界の、あるいはキツネか狸の霊示でしょう。
何度も聞いた話だが、入行前というのだからアゴン宗には関係ない話です。
>名簿事件には言葉がなかったが、3・11の場合は、はっきりとした言葉があった。
>言葉があったが、映像が無かった。だから夢ともいい難い。
今回初めて加わった追加情報ですが、尚も具体性がなく、まだ説得力に欠けますね。
具体的に書いたからと言って信じてもらえるかも納得させられるかもわかりません。
別の評価をされるかもしれません。
しかし書かないで濁しているだけでは逆効果だと言いたいのです。
- 239 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/20(火) 08:37:13
- >>228:準シュダオン11/09/17(土) 14:58:14
>日記に感謝の言葉は一つも書いていっませんよ。
あなたが我々に公開しない特別にしたためた日記には書いてなくとも
当時の眠りブッダさんが未明にザ掲示板に書き込んだ書き込みにはグルに対する
コメントも含まれ、それを指したのです。
>師に報告しないのは管長を煩わせたくないからよ。奇蹟話は沢山あって、私の例
>など数に入らないのね。
ならば自分だけの胸にしまって、こういう公開の場には書かないことですね。
教団の名前を出して書いたからには、書くからには、きちんと報告するのが
団体所属員の義務です。
逆に管長に対して失礼に値するのですよ。
- 240 :Boo:2011/09/20(火)
12:14:13
- >>霊示といえば、私は入行前に、ある名簿を見てて仕事してて、2〜3秒かなぁ、
>>立ちくらみ状態になって、気がついたら3名の名前に、チェックマークが入って
>>いて、これはなんだろうなぁ、と、思ったが、気にもしていなかった。
>>ところが、その翌日か、翌々日だったか、同じ時間帯にその3名と出会うはめに
>>なった。で、驚いたわけ。それまで、私は無神論で、非運命論者であったが、考え
>>を改めた。運命はあるかも、と強く思うようになった。この名簿事件も、霊示と
>>いえば、何者かの霊示とも考えられます。まぁ、仏様からの霊示とは考えられませ
>>んが、霊界の、あるいはキツネか狸の霊示でしょう。
>
>何度も聞いた話だが、入行前というのだからアゴン宗には関係ない話です。
これは準シュダオンさんが言いたいのは、あらかじめ予定されている事象(運命)
があるからそれを予感した。だから運命がある、だから因縁もある、だから
因縁解脱もある、だからアゴンの信仰は正しい、という根拠となっているようですね。
では、準シュダオンさんが予感した事象(運命)とは何かというと、
>ある名簿を見てて仕事してて、2〜3秒かなぁ、
>立ちくらみ状態になって、気がついたら3名の名前に、チェックマークが入って
>いて、これはなんだろうなぁ、と、思ったが、気にもしていなかった。
>ところが、その翌日か、翌々日だったか、同じ時間帯にその3名と出会うはめに
>なった。で、驚いたわけ。
と言う。ここで注意したいのは偶然が重なっとことが「アゴン宗でいう運命=因縁」
の証明になるか、否か、ではないでしょうか?
ユビキタスさんは何度も何度も反論しているのですが、準シュダオンさんは反論に
対するレスを付けないで、ほとぼりが冷めた頃(この度の如く)また蒸し返すのです。
っていうか、ほとんどつぶやいているだけですが・・・
さて、準シュダオンさんの理屈は程度の差こそあれ、私も感じたことがある。
桐山論ではまず、「運命があるか否か」という一般論をテーマに、三島由紀夫氏の
死、袁了凡の運命転換術などを引き合いに出したり、リポッドソンディの
「家族的無意識」からくる「運命心理学」など、あたかもそれらの理論の上に
運命分析としての密教占星術があり、さらに運命転換術として「千座行」や
「仏舎利行」などがあり、その運命転換術の上等なものが五根、七覚支、四神足
などであり、アゴンのみがそのノウハウを持つという差別化で信者を増やして
きた経緯があります。
桐山論の手口は、運命論の検証、その確認方法は自分が開発体系付けた「密教占星術」
にあり、用意周到なことに作り話の人生相談などで、あたかも「運命=○○の因縁」
の実例があり、人生のほとんどは、あらかじめ決まっている運命によって決定している。
この理屈は深山さんやユビキタスさんが何度も種明かししているが、スタートは一般論から
始まって、いつの間にか「教団内のみ通用する常識的一般論」が、あたかも世間の一般論
のように糊塗するのが常套手段となっている。
私が桐山論の呪縛から解かれたのは(解脱したのはw)「密教占星術」という運命検証方法
を調べても調べても「○○の因縁」なる要素はなかったという一点に尽きます。
一般論としての運命論と桐山論を繋ぐ「運命鑑定術」が存在しないんだから、これはもう
論理破綻としか言えないわけでしょう。
桐山論は一箇所破綻すると、芋弦式にすべて破綻するようになっています。
その検証になんでBooは何十年もかかったのだと、準シュダオンさんは反論
するかもしれませんね。
その理由は、桐山論の破綻する箇所はすべて、桐・山師が「門外不出」に
しているからです。「一子相伝」どころか、師なく自分が霊感で感得した
「密教占星術」や「成仏法」であり、これを体得するには「アゴン宗に入信し
自分の目に叶う内弟子(I川さんは密教占星術と成仏法体得してたんでしょうね、きっと)
にしか教えねー」という「教師の握りこぶし」みたけりゃ金を貢げ(Iさんの場合
体貢いでたんだから呆れますね)式集金システムに騙されてきたからです。
準シュダオンさんも調べてみると良い。「○○の因縁」に相当する運命術などないことが
わかりますよ。
- 241 :準シュダオン:2011/09/20(火)
15:56:13
- BOOさんに言うが、私は管長の運命理論だけを信じて入行したのではないのよw。
自分の体験に照らし合わせて、管長理論を、「それは、あるだろう」と考えて、
入行したのです。だから、理論だけをアレコレこねくり回して反論している、
ユビさんや、深山さんとは次元が違うのです。
「○○の因縁」に相当する運命術などないですと?
私は、そういう運命術には関心がないね。
3名の名簿事件ね、約30年前の出来事だけど、その3名とはその後すぐ音信不通、
今は何処でどうしているのやら、30年間一度も会っていないけども、フルネーム
を今でも憶えていますよ、いずれも漢字で4文字です。
それだけ衝撃が強かったということですねん。
考えてもご覧なさい。例えばトランプのカードを3枚引いて、それを元に戻して、
シャッフルしてから、また3枚引くとする。また同じ3枚のカードを引く確率は
どのくらいなの?少ない確立でしょ。
名簿事件の場合は、まぁ、それが顧客名簿か、社員名簿か、同好会名簿か、町内会
名簿か、それを明かすと職業が知れてしまうから明かさないけども、そういう名簿
を見てて、無意識状態になって、気がついたら3人の名前にチェックが入っていて、
「これ、なんだろう?」と思いつつも、大して気にもとめずにいたのだが、翌日か、
翌々日のこと、その3名と遭遇して、私は驚いたわけね。3名の方は少しも驚いた
りはしませんよ、当然ですけど。それから、立ちくらみ状態になったことも、それ
以来約30年、一度もありませんよ。
だから今、これこれこういう理窟で、運命も○○の因縁もないのです、といわれても
カラスの勝手でしょ、と私は言うしかないですね。
- 242 :Boo:2011/09/20(火)
16:43:55
- 準シュダオンさんの体験で、「ああ、運命はある。ではアゴン宗の因縁解脱を
修行しましょう。」となるかの行動理由を想像してみたのですよ。
準シュダオンさんは予知だか霊感だか知らないが、確率の低い体験(?)をしましたが
それとアゴン宗の因縁解脱をしようとする動機とは直接つながりませんよね?
交通事故に遭いました。「ああ、自分には肉体障害の因縁があるな、ことによると
横変死の因縁があるかもしれない。早くアゴン宗の因縁解脱だか成仏法だかをやらなと
えらいことになるかもしれない。」と考える動機となる心理的カラクリを前の
レスで考察してみたまでです。
そのカラクリのひとつの可能性が、運命の一般論からいつの間にかアゴン宗の
特殊な運命転換術に導かれる動機となりうると私は考えたのです。
その証拠に、準シュダオンさんは、一見動機とはならない体験から実は我田引水の
桐山運命論に導かれいまや擁護側最強の論客となって、我々批判側を今まさに
追い詰めているわけでしょう?
- 243 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/21(水) 00:12:32
- >>241:準シュダオン11/09/20(火) 15:56:13
>BOOさんに言うが、私は管長の運命理論だけを信じて入行したのではないのよw。
>自分の体験に照らし合わせて、管長理論を、「それは、あるだろう」と考えて、
>入行したのです。だから、理論だけをアレコレこねくり回して反論している、
>ユビさんや、深山さんとは次元が違うのです。
その体験から桐山因縁解脱を信じて志向するようになったと言うならば、
対外的には何の説得力もない体験と理屈理論です。
その体験から運命を信じるようになったと言うのもお笑いだが、その運命はあなたに
どんな影響を与えたのか?
あなたの体験は何と言う因縁か?
桐山さんの説く運命は不幸の星や幸福の星で、これに因縁と名付けた。
因縁という仏教用語を誤用したのだが。
そしてそれは生まれた時から占えるもので定まっているものです。
あなたは名簿の3人と遭遇してどんな不幸な、あるいは幸福な運命が展開したのか?
3人の名簿の因縁は生まれる前から決まっていたことであり、因縁解脱の修行により
今度はその運命は遂行されなくなる、名簿の3人と会わなくなるのか?
つまりあなたの入行動機を分析すると間にいくつも補完しなければならない。
名簿の3人事件により運命があると漠然と信じた。
運命にも好ましい運命と厭な運命もある。
厭な運命は回避したいものだが、いま運命を信じるようになった自分から見て、
それは無理な話か?
時に桐山某という人物がさんざん不幸な運命を並べ立て、人を恐怖に陥れ、
普通は回避できないが俺の教団にしかない因縁解脱法を修行するとその恐怖の運命から
回避できるばかりかオマケにもっと幸運幸福な人生を創造できるぞと救いで煽っている。
あなたもこれを信じるようになったとそれだけです。
実は体験なんか大した役も果たしておらず、理論理屈的に想像をめぐらしただけのお話です。
桐山因縁、桐山運命とその転換解脱に対してはまた別の検証が必要になります。
しかしあなたは単純に桐山説を信じて入行しただけで、特別な裏付けなど実は何もない。
- 244 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/21(水) 00:24:20
- 私のレスより>>242のBooさんのレスの方がわかりやすく、当を得ているね。
- 245 :Boo:2011/09/21(水)
01:28:48
- >244 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/09/21(水) 00:24:20
>私のレスより>>242のBooさんのレスの方がわかりやすく、当を得ているね。
そのカラクリのひとつの可能性が、運命の一般論からいつの間にかアゴン宗の
恐れ入ります。
>そのカラクリのひとつの可能性が、運命の一般論からいつの間にかアゴン宗の
>特殊な運命転換術に導かれる動機となりうると私は考えたのです。
>
>その証拠に、準シュダオンさんは、一見動機とはならない体験から実は我田引水の
>桐山運命論に導かれ
この部分。私が考えた、というよりはユビキタスさんや深山さんの議論や
レスをROMしていて気づかされた、という方が正しかったかもしれません。
- 246 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/21(水) 08:42:05
- >>231:天照 ◆MO30b8Jwoo11/09/18(日) 04:58:57
>さて、そのTVを見て思ったことですが、ああいう法要をなぜ阿含宗が率先してやらないのか。
>私はそこを強く思いましたね。
>土地浄霊法要はいくらでもやる(やった)くせに、震災者の供養護摩は後手ですか。
>やはり姑息というか宣伝しか考えてない教祖ですね。教団内というエリアでは内護摩を焚いて
>「震災者の冥福を祈る」みたいなことはしても、いつもは表舞台に出たがるくせにこういうときは
>全然表に出ないで奇麗事ばかり述べる。まさに小心者・卑怯者の教祖ですね。
しかし私は別の視点から、アゴン宗が震災がらみで被災地などの野外で護摩を
焚いたら明らかに批判の対象とするでしょう。
今回半年の節目の9.11に黙祷を捧げたり、ある教団は護摩まで焚いて慰霊法要をした。
しかし来年3.11あたりに東北のどこかでアゴン宗が護摩を焚いてもおかしくない。
また8月6日に広島の平和記念公園で、終戦記念日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑で法要を
営むことは難しいが、他の日ならば予め趣意書を提出することにより、たとえ火を使う
護摩儀式であろうとも、祭壇みたいのを築き、坊さんみたいのを中心に大勢
集まってお経を読んだりする法要はどこでも許可されます。
だから節目の日でなくてもいずれアゴン宗はどこかで法要を営むことでしょう。
しかし私はこの法要を非難する。
今回焚いた教団もろとも全ての法要を批判するのではなく、殊アゴン宗が焚く
護摩に対する批判です。
それは護摩などという焚き火を焚いてどうなるか?という問題点ではありません。
慰霊法要ではなく成仏法要である点です。
アゴン宗では単なる慰霊ではなく、亡者が成仏してないで苦しんでいるから
これを成仏法によって解脱成仏させるというものです。
これだけでも犠牲者に対する根拠のない侮辱なんだがアゴン宗はそれにとどまらない。
この成仏できずに苦しんでいる霊障はやがて子孫や土地に祟り、次の地震、津波、
土砂崩れ、洪水などの災害を引き起こすとまで説き、犠牲者に対してこんなひどい
侮辱はない。
次の災害の元を断つ為に今のうちに怨念を解消させておくというゴミの始末みたいな話だ。
ただし外部で会場を借りる際に申請する時にはここまであからさまに言わない。
他教団がやるような慰霊法要と言えば認められる。
しかして内部では慰霊は駄目で成仏でなければと説く。
- 247 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/21(水) 08:48:53
- だから世間で行われている慰霊法要の方がまだ無害なんですよ。
犠牲者を差別することなく平等に「大変な目に遭われましたね。心からお悔やみ
申し上げます。どうか安からにお眠りください」と黙祷を捧げる。
形式的には伝統の護摩儀式などが伴っても所詮センチメンタルの世界です。
自己満足に過ぎないのかも知れないが、犠牲者に対して哀悼の気持ちを訴える
節目の礼儀の話です。
対してそんな慰霊では駄目なんだと説くアゴン宗こそが、犠牲者を不当に侮辱して
問題がある。
- 248 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/21(水) 19:22:44
- >>246 ユビさん、仰せの事ごもっともです。阿含宗はそこが間違っていますから批判は当然です。
ただ、私が述べたのは一般的な見方というか阿含宗は普段表に出て何か行事をやるくせに今回の
震災に於いては出ない理由はある程度推測ができていますが、全然表舞台で行事をやらない。
そこを単純に述べたのが自分の投稿記事(>>231)です。
正しく批判し突っ込むならユビさんのおっしゃるとおりに間違いありません。
如何に堂々とした言い方で法要をやろうが阿含宗の内容には矛盾があり欠点であります。
どんな言い分をしても阿含宗の内容には間違いがありますから批判の対象になる。
私も強く同意であります。
あと自分が単純に述べた以外にもこういうのが理由にあります。
奥尻での大地震がありましたね。あの時にある程度落ち着いてから法要がなされた。
阿含宗ではそういうことをしているのが過去にあるわけです。
それが成されていないし触れもしないのでかなり訝しく思ったわけです。
過去に前例が無く阿含宗が「後から法要」さえもやらない姿勢を貫いているのなら
私も騒がなかったですね。そういうのがありますね。
またNYの9・11のことに際しての法要もDVD化されて販売もされている。
信者でなくても購入・閲覧できるという状態もあります。
これも「後から法要」の事項です。
阿含宗がいまさら法要をやったところで死者も成仏するわけでもないし、批判される
のは本当にわかります。
ただ、ユビさんのように厳密に言うのを私はしなかっただけで、尚且つもしも私の
文句付けもよそに阿含宗が法要をやったとしても突っ込まれるのは当然の事でして
ユビさんの言葉に尽きる、ということなのであります。
- 249 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/22(木) 08:26:37
- >>248
そうですね。私も今回は敢えて「視点」を変えて論じてみただけのことで、
天照さんの提示した視点、着眼点は理解してましたし、同意ではありました。
アゴン宗の法要とは全て事後のものです。
災害防止などと一見事前に見える法要なども、それこそ幕末だの戦国だの
超古い歴史的惨事のあった土地で成仏法要を行い、これを現代の交通事故防止だの
災害防止だのに関連付けて、祖霊を卑しめようものです。
モンゴルの雨降らしもあれは雨を降らしに行ったのではありません。
国立観音像の建立に寄金し、モンゴル国立大学に多額の寄付をしてその見返りに
護摩を焚かせてもらいに行っただけです。
開眼供養ではない。観音像がたたぬうち、ハリコの架けられたまま開眼供養をする
お笑いはない。開眼供養は後に地元でなされている。
そんな折、山火事と重なってしまった。2月から3ヶ月以上に及ぶ山火事は
アゴン宗が出発する前に日本でも報道されたくらいだ。
しかし桐山さんはモンゴル行き直前の例祭でも朔日護摩でもその話には一言も
触れずに、モンゴルではラクダに乗りたい、地平線を見たいだの観光気分。
現地入りして首相と会見した時に初めて雨を降らせると約束したかのような
言いぶりだが、実はこれも違う。「私たちは護摩を焚いて平和を祈ります。
観音様に国境はありません。観音様は雨を降らせてくれるでしょう」
これは単なる社交辞令であり、これを男と男の約束と捉える方がどうかしている。
極めて慎重な発言なんです。雨が降らなくてもアゴン宗に責任はない。
要するに雨が降るといいですね。私たちもそう祈念しますと述べただけ。
私だってそのくらいのことは言う。
はたして予定通り雨季到来で、天気予報に沿って雨は降り、人的作業で7、8割方
消火が済んでいたところを雨季の雨で全面鎮火した。ってか、護摩を焚く前に
降った雨で全面鎮火の見込みを政府当局は発表した。
さてアゴン宗では護摩の前日ですら随行の信徒に雨を降らす決意祈願など話さず
法要が終わってから、雨が降ってから初めて実は雨を降らせたと発表した。
全ては事後の後出しジャンケンです。
破滅のカルマを救ったはずのモンゴルではその後雪害の気象災害が起きたが
この時は金を贈っただけです。
- 250 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/22(木) 08:40:08
- >>248
現代において起きた災害に対する事後の法要に関しては、JR福知山線の
脱線事故があって、その翌年とか翌々年とかに沿線近くの公園を借りて
法要をしたようですね。
これは事故現場が局地的だから、近くで法要ゴッコもしやすい。
しかし地震などの大規模災害となると、どこでそれを行えばよいのかわからない。
阪神大震災の時も神戸市内で地震被害者成仏供養の法要などしていない。
まして今回の東日本大震災は範囲が広大です。
主たるところだけでも福島、宮城、岩手の3県に及ぶ。
原発の近くなど足を踏み入れられない。
どうしますかね?この災害は今までどおりシカトを貫くか?
災害義援金みたいのもアゴン宗は送らない。
送っても表彰されるわけでもなし、見返りがあるわけでもない。
だから見返りのある所にばかり寄付をして法要をする。
- 251 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/23(金) 06:53:22
- そうそう福知山での脱線事故での法要もありましたね。
ユビさんの本当におっしゃるとおりです。見返りのある処ばかりに寄付をして法要をする。
メリットが無い場合はぜんぜんやらないのが阿含流???といわんばかりですw
モンゴルの話題が出たので書きますと、あのハッタリ宣言で雨を消したゲイカですが、
あの後日本に帰国してから再び火事が起きましたよね。
あれもかなり自分は訝しく思った。法要をやりモンゴルのカルマを断滅したはずでは
なかったか?それが何で何日も経たないうちに再び山火事が起きるのよ?でした。
まさか天下の聖者様がカルマを切り忘れた、なんてことは無いでしょうねと当時も
思ったものですが、それに対してもゲイカはうやむやな発言をしてたように記憶しています。
もちろん、うやむやにしたのはゲイカだけでなく信者たちも、ですが。
ユビさん仰せのとおり、東北地方では範囲が広すぎて法要をどこで?またいい場所も中々、
というのがありますね。ですが例えばそういう最中でも在来仏教教団やよその団体は法要を
やっているわけです。その行動力に対し劣っているのは何だ、と。
ユビさんの言うとおりで阿含宗ごときが法要をやったとしても何の効果も無いのは明白です。
ただ、自分は喧嘩を吹っかける、というか檄を飛ばしてみたかったのもありますね。
「このクソ教祖。やれるのか、おい!」と猪木バリに言いたかったとかw
- 252 :六甲ちかげ:2011/09/27(火)
21:34:57
- この記事最高!おもしろいね、宗教三文作家詐欺師の最後って・・・!?
(2ちゃんねる;阿含宗という宗教200より転載)
↓
318
:神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 22:22:02.65 ID:1ZbWrE3G
ほんとウソつきですよ桐山は!
最近はボケがすすんで法話とかでつい本当のことを言ってしまったりw
もうどうしようもないすぐウソだとバレるつじつまの合わない話したり
失言したり、ボーっとしたままなにもしゃべらなかったりで
とうとう先ほどの例祭法話はお知らせ二三告知しただけでさっさと退場させられて
しまったそうです。もう終わりだなw
- 253 :六甲ちかげ:2011/09/27(火)
21:43:08
- 退場ですよ退場
人生の退場が目前ですよ
このまま死ねば、シャカの成仏法七科三十七道品(八科四十一道品)の話は
真っ赤な大嘘だということになる。
求聞持法の体得者もいなければクンダリーニ・チャクラ覚醒者もいないのだからね。
法があるなんてのは大嘘なのです。
したがって先祖供養も大インチキ。霊写真なんかすべて偶然の写真。
なにか霊的なことがあるのなら、低級なヤクザみたいな霊のなせるわざ
でしょう。詐欺師教祖に高級な霊なんか感応しないでしょ。
- 254 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/29(木) 07:05:13
- 私もゲイカのその状況を掲示板で知って唖然。自分がいた4年前よりひどくなっていますね。
こりゃあ、今いる信者さんも大変だわ・・・。
- 255 :六甲ちかげ:2011/09/30(金)
00:21:26
- わたくしの家内なんか阿含宗とは無関係の人間なので、星まつりでの桐山さんを
みて、「なんだあのパクパク爺さんは」などと言っていたぞ。「仕方ないよ
80過ぎればどんどんボケてくるから」とあたりまえのように言っていた。
デイサービスにバイトにいってたから、年寄り見ての実際談なのだろう。
桐山もしょせん同じ、ただの老人。
- 256 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/09/30(金) 05:40:07
- >>255
六甲ちかげさん、いつもご意見ありがとうございます。
本当にそうですよね。信者は信仰をしていますから例えヨレヨレの教祖でも
「あの方は偉大な方なんだよ」と信じて仰ぐ。
しかし外部から見たり欺瞞を知った自分らからしたら「この人ただの老人じゃん」
そのようにしか映らないです。
仮にヨレヨレでも「エイッ」と教祖が気合を入れたら人が吹っ飛んでゆくとか、
奇跡事がたちまちいつでも起きるのなら信じようもありますが、桐山氏の場合は
ハッタリと嘘・虚飾・妄想100%なので偉大さを見せることすらできません。
そうなると第三者が信者のような色眼鏡がなくて見たまんまのあの老人ぶりの
教祖がどのように映るか、といえば「ただのそこらにいる老人」と変わりない。
私たちも同様にみています。
あのような老人を仰いでも何も無い、というのを信者さんに早く気づいて欲しい。
いつもそのように思っていますね。
- 257 :Boo:2011/09/30(金)
12:07:37
- 10月から各地の暴力団排除条例が実効となるようですが、これは暴力団と
繋がりがある一般団体も氏名が公表されるようです。
「阿含宗」公表されたりして・・・
- 258 :準シュダオン:2011/09/30(金)
12:14:12
- >本当にそうですよね。信者は信仰をしていますから例えヨレヨレの教祖でも
>「あの方は偉大な方なんだよ」と信じて仰ぐ。
>しかし外部から見たり欺瞞を知った自分らからしたら「この人ただの老人じゃん」
>そのようにしか映らないです。
全くそのとおり↑で、異議ありません。だから、「お蔭さま」を感じない人は、
さっさと退会したら良いのです。
けれども、私のように何らかの体験をした信者に意見するのは、無駄でしょうね。
私の、3・11の霊示の内容を記すことに致しましょう。
その日は、沿岸の町に住んでるYさん宅を訪れる予定でした。
しかし、午前10〜11時頃であったと思う。映像はなかったので、夢とは少し
違うのだね、声だけはっきり覚えていますが、その内容は、
「震度5の地震で、Mさんの・・が・・になった。」と、いうものであった。
「・・が・・」という内容は、当然、良い内容ではないし、書けない。
霊示には友人・知人が4〜5人出て来たのであるが、一月ほどしたら2人だけ覚え
ていて、他は忘れてしまった。慌てて日記に二人の名前を記したが、他の名前は、
どうしても思い出せないね。Mさんとは、近所の人で、その後、3・11の話をした
のであるが、当日、Mさんは遠出をしていて、あわや「・・が・・」の内容が、
そのまま当りそうであった。
で、私は予定を変更してYさん宅訪問を止めたのでした。震度5、という内容は外れ
た。でも、あまりに出来すぎた話なので、今までレスをしないでいた。
これはやはり、阿含宗信者の「おかげ」で、助けられたと考えるべきでしょう。
これは作り話ではないよ、作り話ならもっと劇的なのがいくらでも出来るし、
そんな時間の無駄は、私はしません。
- 259 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/30(金) 12:41:42
- >>258
ようやく具体的なことが書けましたか。
Mさんが近所の人、Yさんが沿岸部の人ですね。津波被害に遭われた。
Yさん宅行きをやめたのは沿岸部うんぬんというよりも震度5の地震が来て
Mさんもさることながら、自分にも重大なことと感じたからですか?
その霊示の約4時間後実際に地震があったのですが、当日来ると思ったのですか?
なんか気味悪いので今日は行動は控えるかと思ったのですか?
Yさんはアゴン宗の信者でしたか?
- 260 :深山:2011/09/30(金)
19:30:30
- >>258 :準シュダオン:2011/09/30(金)
12:14:12
>私の、3・11の霊示の内容を記すことに致しましょう。
準シュダオンさんの体験を全部嘘だとは言いません。
だが、あなたは都合の良い部分だけを話していますね。
その一つが、似たような御霊示を他にもあなたはいくつも体験しているはずだ。
あるいは直感的に何かを感じたという体験です。
そういうのをあなたは時々体験している。
つまり、今回の地震での御霊示だけでなく、他にもあるはずだという意味です。
ところが、その多くは何も起きなかった。
だから、あなたはさっさと忘れた。
そして、たまたま今回のように大震災に遭うと、それだけ強く記憶し、
当たった、当たったと騒ぐ。
実はあなたみたいな人は珍しくない。
占いが好きな人にはあなたみたいな人が多い。
占って外れた事はきれいに忘れ、当たったかのように
解釈できることだけを何倍にも記憶する。
だから、その人の占いはかなりの確率で当たるかのように本人は錯覚する。
あなたや桐山さんのことです。
- 261 :深山:2011/09/30(金)
19:33:11
- >>258 :準シュダオン:2011/09/30(金)
12:14:12
>私の、3・11の霊示の内容を記すことに致しましょう。
占いと準シュダオンさんの霊感との違いは、占いは他人に話してしまうから、
他人から外れた事を批判される。
だが、準シュダオンさんの場合、当たったかのように解釈できることしか
外に出さないから、あなたの霊感はすべて当たったことになるのです。
占いで言えば、当たったかのように見える占いだけ他人に知らせるのと同じです。
だから、あなたの霊感も事前に他人に知らせたことは一度もない。
全部、事が終わってから、御霊示話として成り立つ話だけを他人に宣伝する。
例外は一度あり、それが2004年にネットに生中継した小梗塞です。
後で書けば良かったのに、生中継してしまった。
あなたの御霊示とか霊感なんてあんな程度なのです。
占い好きな人が、一つ当たったかのように見えると、それを拡大して
記憶するように、準シュダオンさんも話を針小棒大に膨らませる。
それはあなたの記憶力が元々いい加減だというのと、
自惚れと妄想癖が強いからです。
しかも、嘘をつくことに罪悪感がない。
記憶力のいい加減さ、増幅し、勝手に作り替えて、しかも、それが正しいと
信じ込んでいる例が、>>228の準シュダオンさんの嘘の一覧表の8です。
- 262 :深山:2011/09/30(金)
19:35:29
- >>228
8.下記の文章のある阿含経はどこにあるのか?
「四双八輩是聖賢之衆」(五章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(五章633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(>>7)
これが準シュダオンさんの記憶力です。
ただしくは、「四双八輩是謂如来賢聖之衆」です。
オレ様の記憶力はすごいとばかりに、原文を確認もせずに、
書くから、書くたびに違っている。
ただ、こんなふうに記憶がずれてしまうのは人間としては珍しくない。
だが、あなたは普通の人とは一つ違う点がある。
それは自分の記憶を疑わない点です。
普通の人は記憶などいい加減だと思っているから、
自分の記憶だけでこういう漢文を書いたりしない。
たが、あなたは記憶力に自信があるというよりも、
漢文をスラスラと書き並べて、自分が阿含経に精通しているかのように
読者に印象づけたいという欲望と自惚れが強すぎるから、堂々と嘘を並べる。
さらにもう一つ普通の人にはない大きな特徴は、間違いを
指摘されても、なあんにも感じない点です。
- 263 :深山:2011/09/30(金)
19:41:10
- 「四双八輩是聖賢之衆」(五章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(五章633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(>>7)
上記の三回ではそのたびに私が原文とは違っていると指摘した。
だが、あなたは完全無視して、懲りもせずに記憶力だけで書いた。
しかも、こういうことは初めてではなく、これまでも
何度も何度も私からあなたの読み間違い、引用間違いを指摘されたが、
準シュダオンさんは、私の指摘を完全に無視し、小馬鹿にして、
毎回、こういうインチキ引用を繰り返している。
あなたは上記の間違いを指摘されても何ともないのでしょう?
普通、こういう引用間違いを指摘されたら、かなり恥に思い、
修正し、同じ間違いをしないように気をつける。
だが、あなたにはそれが皆無です。
現役時代の仕事でもこの調子だったろうから、周囲はたまらなかった。
「おまえのそのボンクラな記憶力だけで書くなよ。ちょっと調べる手間暇を
惜しんで、どうするのだ」と怒鳴られたことがあるでしょう?
でも、あなたは注意されも、プライドは傷ついたが、自分の間違いであるとは
絶対に認めず、むしろ意固地になってまた記憶で書いた。
周囲は絶句して誰も注意をしなくなったから、あなたは自分の記憶力に
いよいよ自信を持ち、今日に至っている。
こんないい加減な記憶の準シュダオンさんの体験談を
いったいだれがそのまま信じるのだ?
- 264 :深山:2011/09/30(金)
19:49:39
- ・記憶はいい加減で、適当に作り替えている。
・嘘がなんともなく、虚言癖がある。
・自惚れるのが何より好きである。
これが準シュダオンさんです。
こんな人の体験談を誰が鵜呑みにするのか。
誰も信用しない。
あなたの脳味噌は砂糖漬けらしいから、メタンガスのように、
ポコポコといつも御霊示が浮かび上がっている。
たまたま、当たったかのように見える御霊示の「後出しヂャンケン」をする。
しかも、「これは書けない」などと、何事か奥があるかのように
もったいをつけることで、真実味を増やす。
震度5という数字もそうです。
すべてが当たったわけではないことを示すことで、いかにも他は
当たったかのように見せかける。
占い師が「3割は外れる」などと言って、7割は当たるかのように
見せかけるのと同じ手法です。
本当のことなら、何も隠すことなんて必要ない。
あなたが具体的に書かない理由は簡単で、具体的に
詳しく書くと、嘘だから、どこかで矛盾を生じるからです。
「明日は晴れるだろうが、雲もあり、所によっては雨が降る」という
予言と同じで、どうにでも逃げられるようにしてある。
だから、万一、矛盾を指摘されても、「いや、実は・・」と
さらに別な詭弁を作り、逃げられるようにしているのです。
賤しい男ですよね、準シュダオンさんて。
- 265 :深山:2011/09/30(金)
19:57:44
- >>258 :準シュダオン:2011/09/30(金)
12:14:12
>私の、3・11の霊示の内容を記すことに致しましょう。
信者さんたちは準シュダオンさんの体験に感動する前に、奇妙なことに気がつかないか。
彼の体験談のどこが「アゴン宗の体験談」なのだ?
彼の書いた内容は創価の御利益話でも、オウムの御利益話でも成り立つ。
なぜなら、準シュダオンさんはアゴン宗の擁護をしたいのではなく、
自分の自慢話をして、威張りたいのです。
だから、彼が創価に移れば同様に創価の御利益として話すでしょう。
霊的な体験談ではなく、準シュダオンさんの満たされない名誉欲、
自惚れたいという欲望、人の上に立ちたいという欲望を
ここにゲロのように吐きだしているにすぎない。
御霊示や霊的な話ではなく、単に準シュダオンさんの汚い煩悩を
ここに吐きだしているにすぎないことに信者さんたちに気が付いてほしい。
彼は、大金持ちだとか、仕事で大成功をしたとか、女にもてまくりだと
いうような現実世界での成功を得ておらず、欲望を満たすことができなかった。
だから、ここで御霊示ゴッコをすることで、満たされない欲望を
少しで満たそうとしているのです。
ひたすら小汚いとは思いませんか。
- 266 :深山:2011/09/30(金)
20:02:42
- >>258 :準シュダオン:2011/09/30(金)
12:14:12
>私の、3・11の霊示の内容を記すことに致しましょう。
信者さんたちがこういう「霊的な御利益話」をありがたがっている内は、
アゴン宗に限らず、インチキ宗教から抜けられない。
霊的な話や、霊的な御利益話が大好きで、それが欲しくてたまらない自分に
気がつくことです。
それって、ただの欲望なのですよ。
仏様や教祖の力で助けてもらうおうとか、何か棚ボタ式に御利益が
ないだろうかと欲の皮をつっぱらせているうちは、詐欺宗教から逃れられない。
自分からわざわざ宗教詐欺の罠にかかっている。
因縁切りも霊障解脱もすべて欲望にすぎない。
準シュダオンさんの霊的な体験も、アゴン宗の機関誌の体験談も、すべて欲望です。
釈尊はそれを減らすように説いたのに、なぜわざわざ逆のことを宗教に求めるのですか。
世俗の生活は欲望だらけなのだから、信仰だけでも欲望を減らしてはどうか。
準シュダオンさんほどに脳が老化していない他の信者さんたちだけでも、
信仰において、体験談と称する欲望を求めるのはやめたらどうか。
それを捨てない限り、信仰餓鬼や宗教餓鬼から抜けられませんよ。
- 267 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/09/30(金) 21:55:34
- >>258:準シュダオン11/09/30(金) 12:14:12
>私の、3・11の霊示の内容を記すことに致しましょう。
>その日は、沿岸の町に住んでるYさん宅を訪れる予定でした。
>しかし、午前10〜11時頃であったと思う。映像はなかったので、夢とは少し
>違うのだね、声だけはっきり覚えていますが、その内容は、
>「震度5の地震で、Mさんの・・が・・になった。」と、いうものであった。
こういう幻聴、幻覚が起きる一メカニズムについて仮説を示しましょう。
あくまでも仮説ですから絶対にそうだとは言いません。
しかし参考にしてみてください。
あの頃あなたのような東北在住の人にとって大きな地震は寝耳に水ではないはずだ。
と言うのは3月11日の2〜3日前、8日か9日あたりに東北の太平洋沖震源の
比較的大きい地震があったのを覚えているか?
この地震は東京でも揺れた。
当時のことをよく覚えている。わがビルでは音もなく横揺れ、でも結構揺れの
振幅が感じられ気味が悪い。とっさに隣の席の上司と話したものだ。
「先日のニュージーランドの地震を思い出し、やばっ!と思いました」
「あの地震もなんだ、こんな揺れと最初感じてたのが悲惨な災害になったそうだね」
だから11日にまた地震が来た時の私の心の叫びは以下です。
「あっ!またか!やばいぞ!」
「震源は?やっぱり東北か!」
そして今回の大地震の前々日あたりに東北沖で地震があった事実を基に
「予兆はあった(ニュージーランドも含めて)。桐山さんはこれを当日も予知
できなかったの?」と批判ネタにしたものだ。
さてさて東京の私ですらこの感受性です。
震源に近い東北はもっと大きな揺れがあったはずだ。震度4か局地的には5クラス。
震度5の地震が来たら怖いねえ。
ほら?あなたの幻聴と一致するでしょ?
自分の恐怖の感情の表れなんですよ。
Mさんの話が出たのはあなたにとってMさんが大切な人でもし万一のことがあったら
大変だという恐怖と気遣い、あるいは逆に普段からウザイMさんにもし地震被害で・・
と口にしてはならない潜在願望なんかあったらますますこういう幻聴はある。
- 268 :干柿:2011/09/30(金)
22:10:25
- >>258
異義ありません・・・って、それじゃダメでしょーが!
すくなくとも阿含宗は法と力があって、ぐもんじ法を体得したらボケず。
クンダリニーヨガを体得してたら有る程度寿命や自己の健康をコントロール
できるだって桐山ゲイカ自身むかしから言ってきたことでしょ
あんたは例祭にもいかないから、まったくわかっていないw
桐山ゲイカがああなってはダメなのですよ!
洗脳の解けない信者さえあのざまを見て泣いたという話を聞きましたよw
- 269 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/01(土) 00:51:00
- >>258:準シュダオン11/09/30(金) 12:14:12
>霊示には友人・知人が4〜5人出て来たのであるが、一月ほどしたら2人だけ覚え
>ていて、他は忘れてしまった。慌てて日記に二人の名前を記したが、他の名前は、
>どうしても思い出せないね。Mさんとは、近所の人で、その後、3・11の話をした
>のであるが、当日、Mさんは遠出をしていて、あわや「・・が・・」の内容が、
>そのまま当りそうであった。
この幻聴幻覚が実は霊示に相当しないのは上記でわかる。
友人知人の名前が出てきてもわざわざ日記に書いてもその友人知人はあなたに
影響も与えていない。
Mさんを救ったのでもない。後日Mさんと話をして、遠出していたので地震被害に
遭わなかったと知っただけで、Mさんにも知らせてない。
当のMさんはもともとあなたの霊感に関係なく危険を回避していたのだ。
あなたはMさんに全く影響力を与えていない。関与していない。
むしろあなたの厭な予感ははずれたのだ。
結局Mさんや他の4人と関係なくあなたは予定していた沿岸部のYさん宅へ行くのを
やめただけだ。
Yさん宅へ行くのを思い止まらせるだけの霊示にどうしてこんなMさんだの関係ない
人が出て来て、霊感がはずれるのか?
こんなマヌケな霊示はない。
我々でも居眠りに近い状態でわけのわからん妄想がごちゃごちゃするのと
同じと考えればすぐわかる。
- 270 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/01(土) 05:37:08
- 何気なく思ったが、今回の東日本大震災で「信者の死者ゼロ」ということがあった阿含宗。
では、そのことを皮切りに体験談や奇跡の表れだとしての話がさほど聞かれないのはなぜか。
あの阪神淡路震災のときでさえ「奇跡だ」とやってたのに今はトンと聞かれない。
命を落とさないまでも家や財産を失ったがおかげさまで、が皆目聞かれない。
これはある種異常ではないか。何か隠しているかいえない理由でもありそうな感じがしますね。
中身の無い教団なんだから、せめて起きた「奇跡」でも謳わなければ信者も増えませんけどね。
- 271 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/01(土) 19:17:40
- 一応調べてみました。
2011年3月9日11時45分三陸沖を震源に東北全域で大きな地震がありました。
津波警報注意報まで出ました。
宮城県北部が震度5弱。その他、岩手、宮城、青森、秋田、山形の広範囲で震度4。
これは揺れて怖くない人はいない。誰しも不安と恐怖に駆られる。
まさか震度5を超える巨大地震まで想像できなくても。
これが準シュダオンさんに霊示に見える現象が起こる前提です。
- 272 :アゴン:2011/10/01(土)
20:15:27
- >>270
奇跡というか、周囲が水に囲まれ自分は公園の滑り台の上で孤立し、どうして生活をしのげばいいか絶望していたら、偶然冷蔵庫が流れてきて、救助まで凌げる食料があって不思議に生存できる縁ができて助かったとか、ある会員が直感どおりに逃げた道が大正解で助かり、周囲の一般のひとも、この人は強運だから付いていこうといって避難する道も一緒にしようと決めた体験談とか、救助に回った会員が腕のない死者の声をきいて、腕の場所がわかり、なくなった腕を探してあげることができた話とか、あるにはあるんですけど、身内がちょいちょい内部で聞いたりして、教えてくれるのですが、今回はまだまだ現状苦しんでいる会員さんも多いですし、不謹慎ということで、慎んでいるみたいですよ。
そこらへんは、まだマトモな対応かなと思います。
- 273 :準シュダオン:2011/10/01(土)
22:58:50
- >ようやく具体的なことが書けましたか。
Mさんが近所の人、Yさんが沿岸部の人ですね。津波被害に遭われた。
>]Yさん宅行きをやめたのは沿岸部うんぬんというよりも震度5の地震が来て
Mさんもさることながら、自分にも重大なことと感じたからですか?
>その霊示の約4時間後実際に地震があったのですが、当日来ると思ったのですか?
なんか気味悪いので今日は行動は控えるかと思ったのですか?
>Yさんはアゴン宗の信者でしたか?
Yさんは、アゴン宗の信者ではありません。
私は、なんか気味悪いので、外出は止めて、家でテレビで国会中継を見てました。
「震度5の地震で、Kさんの・・・が・・・になった」という霊示も受けたわけ
だが、Kさんとは隣町の知人で、10年近く音信はない。
Kさんの「・・・が・・・」の霊示を、いつか確かめられたら、いいだろうね。
あとね、「震度5の地震で、・・さんの・・が・・なった」という霊示では、
知人・友人が4〜5人は出てきたのです。しかし、その後は、停電やら、
電話不通やら、PCも使えないし当面の生活が大変で、霊示のことは忘れていた。
しかし、その後、霊示内容を思い出したね。
霊示に、津波は出て来なかった。
- 274 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/02(日) 05:27:41
- >>272
アゴンさん教団内での奇跡談ありがとうございます。なるほど、それは確かに
見事というべき状態や現象でしたね。
またこの今の状況や世情をみて奇跡体験を表に出して布教するのは不謹慎さながら、と
言うことを懸念してあまりおおっぴろげに行わないのも確かに、です。
以前干柿さんがあるの教団のおばちゃん信者にその不謹慎な行動をされていたのを
思い出せば確かに無神経にやるその態度は批判の的になりますね。
ただ、いつも思うのは信者じゃない人が助かった、つまり阿含宗でなくても何らかの信仰、
そういうのを講じてない無所属・無信仰の人でも奇跡的体験をした人は如何に、と思う
ことがあります。
そういう人は阿含宗で言うなら「徳がある人」となり「徳が自分を助けた」ということに
なります。しかし徳が助けるのなら仏様は要らない、ということになります。
徳さえあれば仏様の働きや力など要らない。逆に仏様と徳を関連付けるとすると矛盾も
生じます。徳がある人間だけを仏様は救った、という図式が出来上がり、それでは随分
仏といわれる聖なる存在もひいきや差別的だということになり、また阿含宗を信仰しても
「徳が無いから助けない」もしくは「阿含宗の人間だけは助けるという偏見仏」となります。
こうなると仏というのは人間に高度の智慧が加わっただけで偏見差別する偏った存在そのものです。
完成者・解脱者というには程遠いし、釈尊自体が差別を嫌ったという話まで嘘、となってしまいます。
やはり阿含宗の教学で見て行くと、自家撞着と矛盾をはらむので如何ともしがたい。
信仰している人の奇跡はわかるが、それが信仰してない人の場合となったらどうなるか?
徳云々だけでは説明が付かないし信仰との因果関係もさて、となるでしょうね。
- 275 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/02(日) 07:43:42
- >>273
Mさんの・・・が・・・になっただけでなく、Kさんの・・・も・・・になったですか?
何人出て来ようが、全部あなたの頭が作り出したものです。
夢も幻聴も同じです。
外部から侵入したのではない。
好きなあの娘が夢枕に出て来たら、相手が自分に思慕してると解釈する原始人ですか?
MさんだろうとKさんだろうと、当たらなければ意味ないではありませんか?
だから霊示ではなく妄想なんです。
地震の霊示が出てくるメカニズムは説明しました。
簡単なことで全く不思議ではありません。
- 276 :Boo:2011/10/02(日)
13:01:44
- うううう?ん・・・
ユビキタスさんの切り口が殆ど正鵠を得ていると思うのですが・・・準シュダオンさんの
「霊示」が正しい高等霊からのメッセージだとして検証するとするとですね、
この度の大災害の重要なファクターといいますかキーワードといいますか、それは
やはり「津波」ではないかと思います。
「津波」のメッセージがあり、「15メートル以上の高地に緊急避難避難」の
キーワードがなければ、災害の予測でも救済のメッセージでもない、と私は
思うのですが準シュダオンさんはそう思いませんか?
1?2週間まえのみのもんたさんの朝の番組だったと思うので多分「朝ズバ」だ
ったともうのですが、三階建ての旅館の宿泊客とともに旅館の女将が一旦、
裏山に避難したのも関わらず、逃げ遅れている人を呼びに再び山を降りて、
逃げ遅れている人を必死に逃げるように叫んだ。結果的に通行人その他数名
が難を逃れましたが、女将と従業員は津波に飲み込まれてしまった。
その映像を最初に女将と裏山に逃げた人が映像に収めていました。
女将は水の中のひっくり返ったボートの下で襲ってくるガレキから難を逃れて
ガレキが去った隙に一緒に流された女性従業員の手を掴んだらふたりとも
水中から助け出された、そんな内容でした。
TVを見ていて、この女将は「守護霊」とでも言うような守護されているのかな、
と思いましたね。女将が何かの信仰を持っていたら、そのように周囲に言っても
説得力がありますね。
そのような視線で準シュダオンさんの体験を見てみると、地震自体は日本では
しょっちゅう起きていますし、この度の地震は相当大きなものでしたが、阪神淡路
と比べても震度自体はそんなひらきはありませんね。阪神淡路で霊示親分の
カンチョウに何も言ってこなかった「高等霊」が末端組員の構成員=会員さんに
霊示したなんぞ考えられましょうか?
阪神淡路の時のキーワードは「地震」「火災」が無い霊示は意味が無いように
この度の東日本の大災害の霊示で「津波」の単語が無ければ意味がないと私は
思う。
- 277 :修験者:2011/10/02(日)
20:11:56
- 皆は、わかっていない、真実を、会長先生の、本当の姿を、君達は、最近の会長先生の姿をみたのかね!老いさらばいている会長先生の、真実の姿を!
こんな、ちっぽけな空間のなかで、会長先生の、真実の姿が、わかるのかね!
皆は、今、振り分けに、かけられているんだよ、あの赤穂浪士の47士のように、会長先生は、わかっている、すべて、お見通しさ、老いさらばえて、その姿をさらしてまでも、着いて来る弟子に、しか、釈迦の法は、伝えられ無い、いや、霊的には、と言った方が正確かもしれない、霊的には、本当の弟子に、法を、伝法する為に、大きな振り子に、かけられていることに、きずかないのか!真実の法は、これでも、信じ抜くと、着いてきた弟子だけにのみ、ひらかれるんだよ!会長先生は、そういう師匠だよ!赤穂浪士のようにね!今阿含から、離れたら、大きな振り子から、振り落とされたことに、なることに、きずきなさい!会長先生の法を、受け継ぐために、皆は、頑張ってきたんだろう!こんな、メールの、匿名の仮想空間で、まよってないで、阿含の道場に、来て、会長先生の、真実の気持ちを、読み取りなさい、私には、よくわかる、法を、伝える為の振り分けが、始まっているんだよ!かなり脱落者が、でてるようだね!わしのように、行歴30年代で、残った行者も、かなり減って、しぼりこまれたようだね!会長先生が、老いさらばえた姿を、さらし、様々なマイナス面を、さらけ出してる深い深い意味を理解した者だけが、本当を、伝法されるんだよ!空海もそうだ!自分の目で、今の会長先生の声を聞き、よく考えてくだされ!
- 278 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/02(日) 20:40:18
- 今は秋なんだが、春が来たかな?こりゃw
3月までは半年早いぞ、ってか。ふーむ。
- 279 :名無しさん:2011/10/02(日)
20:42:59
- >>277
修験者さん、がんばりますね。
あなたには、これから長々とレスが付くはずですが、どうか、途中で逃げ出さないで、
あなたが敬愛する会長先生のために、全身全霊をかけて、命ガケで、死にものぐるいで、
擁護してください。
さて、質問。
- 280 :279:2011/10/02(日)
20:43:41
- >>277
それだけがんばって会長先生を信じられる、その理由は何ですか?
- 281 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/02(日) 20:51:58
- >>279:名無しさん11/10/02(日) 20:42:59
>あなたには、これから長々とレスが付くはずですが、どうか、途中で逃げ出さないで、
いや、無理っすよ。私には修験者さんに長いレスをつけることはできません。
だって中身が無さ過ぎて、突っ込みどころがない。
- 282 :279:2011/10/02(日)
21:12:13
- >>281
そうですか(笑)
久しぶりの燃料に期待してみたくなったのですが。
- 283 :干柿:2011/10/02(日)
22:38:26
- いやテンケー的なマインドコントロール状態じゃないですかwww
私もこんな感じだったんでしょうなw
でも、いくらなんでも!これじゃ!ってのがあるでしょ。
洗脳されていたって「これじゃダメだ!」って感じないんなんて少しひどすぎw
もうどうしようもないところまできちゃってますぞ阿含宗w
だいたい弟子を選別して優秀な弟子以外は辞めたり追放したりするなんて
なんなんだよw北斗神拳の伝承者じゃねえってのw空想マンガ宗教かよ!w
- 284 :深山:2011/10/03(月)
00:21:59
- >>277 :修験者:2011/10/02(日)
20:11:56
>皆は、わかっていない、真実を、会長先生の、本当の姿を、君達は、最近の会長先生の姿をみたのかね!老いさらばいている会長先生の、真実の姿を!
三十年もアゴン宗を修行した修験者の得たのが「うぬほれ」だけとは、
本当に哀れな姿ですね。
あなたは自分が何を書いているか理解していない。
自分では、桐山ゲイカの真意を読み取り、どこまでもついていく
素晴らしい弟子なのだと「自惚れている」だけです。
三十年も修行して、得たのは選ばれし者という「自惚れ」から来た妄想だけ。
自惚れで作り上げた妄想をわざわざ自慢しにここに出てきた。
準シュダオンさんの姿にも絶句するが、その上を行く信者が登場です。
本当に、お幸せな方ですね。
自分は選ばれし者であり、オシャカの成仏ホウを体得できる数少ない
一人だと思いこんで、それがあなたは自慢で自慢でたまらない。
自分だけは桐山ゲイカの真意を、また物事の真実を見抜いていると
自惚れ、その自分の眼力の素晴らしさに惚れ惚れとしている。
それがわからない元信者を哀れんでいるだけではない。
あなたは仲間の信者に対してすら優越感を持っている。
よくまあ、ここまで見事に慢心を積み上げたものだ。
- 285 :深山:2011/10/03(月)
00:30:58
- >>277 :修験者:2011/10/02(日)
20:11:56
>皆は、わかっていない、真実を、会長先生の、本当の姿を、君達は、最近の会長先生の姿をみたのかね!老いさらばいている会長先生の、真実の姿を!
オウムの残党とそっくりです。
さすがはアゴン宗が生み出しただけのことはある。
彼らもどんな事実や現実を突きつけられても、いっさい無視して、
麻原彰晃を未だに解脱者であり、迫害されたメシアなのだと信じている。
六百万円を抱えて天井裏にゴキブリにように隠れていた男、
ハーレムを作り、好みの女を抱き、美食で肥え太り、気に入らない相手を殺し、
日本を乗っ取るつもりだった男、刑務所で垂れ流しをしている男なのに、
残党どもは麻原を聖者だと信じている。
桐山さんとあなたも同じです。
因縁切りの総大将なのに、密教食で刑獄の因縁を丸出しにして、
美食飽食で脳梗塞になって脳障害の因縁を丸出しにして、
さらには愛人に裁判に訴えられて、色情の因縁を丸出しにした。
予言はすべて外れ、超能力どころか、同じ年の老人たちよりもヨレヨレ状態です。
だが、あなたはこの欲望丸出しの小汚い男を見ても、
弟子を試すためにわざとそういう姿をとってみせていると信じ込む。
ただ信じているのではなく、そのようにどこまでも桐山ゲイカを
信じる自分を素晴らしいと惚れ惚れとしている。
桐山ゲイカに選んでいただいたと自惚れ、その桐山ゲイカの真意に
気が付いた自分に自惚れ、桐山ゲイカの与えた試練を難なくこなす自分に自惚れ、
自慢せずにはいられず、ここに出てきて、お説教を始めた。
煩悩を自慢しに出て来るところを見ると、三十年間、あなたも桐山さんと同じで、
ついに釈尊が何を説いたのかすら理解できなかったのですね。
三十年間水泳教室に通っているのに未だにカナヅチであるような、
なんとも奇妙な光景です。
- 286 :深山:2011/10/03(月)
00:39:48
- >>277 :修験者:2011/10/02(日)
20:11:56
>皆は、わかっていない、真実を、会長先生の、本当の姿を、君達は、最近の会長先生の姿をみたのかね!老いさらばいている会長先生の、真実の姿を!
あなたは桐山ゲイカの仕組んだ試練に気が付き、それを自分は乗り越えていると自覚している。
もう一つ、あなたが気が付くべきことがある。
それは、あなたはすでに桐山ゲイカの試練をくぐり抜け、真の弟子になっていることです。
なぜなら、桐山ゲイカの最大の武器である慢心、高慢、驕慢、
自惚れ、侮蔑を漏れなく拝受して、それを極大にまで膨らませ、
あなたのその黒い腹の中で三十年かけて増殖させることに成功した。
腹の中には慢心という寄生虫が肥え太り、ほとんどあなたと同化している。
これこそが桐山ゲイカの真の成仏ホウです。
あなたはまだ気が付いていないようだが、ゲイカの真の成仏ホウとは、これなのですよ。
慢心とそこから出てくる妄想こそが桐山ゲイカの究極の成仏ホウです。
あなたはすでにそれを体得している。
おめでとう。
だが、ここにいる元信者たちは、あなたのような才能がなかった。
慢心と妄祖を持ち続けようにも、知性や良識、そして羞恥心が邪魔した。
あなたは桐山ゲイカからの選ばれし者だけあって、準シュダオンさんと同じように、
知性、良識、羞恥心のどれかが普通の人よりも少なかったようですね。
- 287 :深山:2011/10/03(月)
00:48:40
- >>277 :修験者:2011/10/02(日)
20:11:56
>皆は、わかっていない、真実を、会長先生の、本当の姿を、君達は、最近の会長先生の姿をみたのかね!老いさらばいている会長先生の、真実の姿を!
ようやく、あなたは桐山ゲイカ並の脳味噌を持つことができた。
この上は、さらにゲイカの指導に従い、金と人を貢ぎ、
偽仏教を宣伝して周囲の人たちを騙し、霊障や因縁で人を脅かして
金を集める霊感商法に精進してください。
あなたの進歩を祝して、修行の重大なヒントを差し上げましょう。
それは、今は慢心があなたの腹の中に寄生しているだけだが、
それがやがてあなた自身になるのです。
入我我入はご存じですよね。
あなたと自惚れが不二一体のものとなり、深く感応道交できます。
今の慢心を離さず、餌を与えて増大させれば、次々と妄想を生み出してくれますから、
桐山さんや準シュダオンさんのように、自ずと自分は高い境涯に達したという
次の段階の慢心を持つようになれます。
このように、望みどおり、あなたはいよいよ桐山ゲイカの真の弟子になるのです。
あなたにはその才能と資質が十分にあります。
外道まっしぐらで、頑張ってください。
- 288 :Boo:2011/10/03(月)
01:24:38
- >だいたい弟子を選別して優秀な弟子以外は辞めたり追放したりするなんて
>なんなんだよw北斗神拳の伝承者じゃねえってのw空想マンガ宗教かよ!w
いやいや、一子相伝門外不出の「唯一の内弟子」が破門されていますからw
「霊(零)子相伝」でついに秘伝は生身の人間には伝承されず、ではないかと
思われ・・・www
- 289 :修験者:2011/10/03(月)
10:40:05
- もうしばらく待っていなさい!必ず第三の目から、霊眼を、もった、釈迦の真実の継承者が、必ず現れるから、それは、私かもしれないし、他の阿含の継承者かもしれない、大切なことは、君達が、こんな、仮想空間で、匿名で、過ごしている間に、確実に法の、継承は、進んでいるということだよ!
- 290 :アゴン:2011/10/03(月)
11:03:58
- >289
誰やろ。。こんな書き込みするひと?(笑)
もし私が人格的にも尊敬する先達だったら、もしかしたら邪道から正道にかえる継承もありだけど、おそらくネットに書き込みする暇はないはず。
それ以外のひとがこんなこと書き込んでたら、ちゃんちゃらおかしいわい。
- 291 :準シュダオン:2011/10/03(月)
12:15:05
- >「津波」のメッセージがあり、「15メートル以上の高地に緊急避難避難」の
>キーワードがなければ、災害の予測でも救済のメッセージでもない、と私は
>思うのですが準シュダオンさんはそう思いませんか?
読む気も起きなかったが、たまたま目に入ったww↑ハハハ。
そんなに詳しく霊示を受けられるなら、わてはとっくに霊能者として世に出とる
わい。まぁ、体験のない人は、あれこれ考えるのも仕方がないけどね。
「震度5の地震で、Kさんの・・・が・・・になった」という霊示も得た。
Kさん宅の場所も知ってるが、Kさんとは約10年、会っていない。その後の
消息も確かめていない。Kさん宅は、海からだいぶ離れているが、その周辺まで
津波が押し寄せたという情報は得ている。
霊示には、「家が消えた」というような暗示もあったわけね。
だから、「地震で家が埋もれる」という意味か、とか思ったけどね。
肝心なことは、私がYさん宅を訪れる予定を取りやめたことと、
Yさん宅は津波に流されて、Yさんは帰らぬ人になったことだね。
まぁ、疑り深い人は何とでも言うさ。
たまたま偶然、地震の夢でも見たんだろ、と、言えばそれまでよW。
- 292 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/03(月) 12:40:13
- >>291:準シュダオン11/10/03(月) 12:15:05
>読む気も起きなかったが、たまたま目に入ったww↑ハハハ。
ハハハ、例によって私などの書いた反論もできぬような書き込みには忙しくて
読んでもないことにして、レスが付けられると自分で思ったとこだけ、たまたま
目にしたとするいつもの逃げの言い訳ですね。
>そんなに詳しく霊示を受けられるなら、わてはとっくに霊能者として世に出とる
>わい。まぁ、体験のない人は、あれこれ考えるのも仕方がないけどね。
まさかこのお粗末な体験を自慢に思ってるんですか?
私はそういう声を聴いてしまっても、常識で解釈して、他人には恥ずかしくて出せない。
>「震度5の地震で、Kさんの・・・が・・・になった」という霊示も得た。
>Kさん宅の場所も知ってるが、Kさんとは約10年、会っていない。その後の
>消息も確かめていない。Kさん宅は、海からだいぶ離れているが、その周辺まで
>津波が押し寄せたという情報は得ている。
いや、Kさんはこの際いいんですよ。問題は最初に出したMさんですよ。この人は
たまたま遠出して被害に遭わなかった、つまり霊示は外れたと自分で書いたではないか?
そんな外れる霊示に何の意味があるの?
>肝心なことは、私がYさん宅を訪れる予定を取りやめたことと、
>Yさん宅は津波に流されて、Yさんは帰らぬ人になったことだね。
それはお気の毒なことでしたが、あなたのレイジには肝心のYさんの名すらなかったのですよね。
- 293 :深山:2011/10/03(月)
13:04:35
- >>289 :修験者:2011/10/03(月) 10:40:05
>もうしばらく待っていなさい!必ず第三の目から、霊眼を、もった、釈迦の真実の継承者が、必ず現れるから、
「釈迦の真実の後継者」が今からアゴン宗に現れるのですか?
言葉尻を捉えるつもりはないが、それが桐山ゲイカだと桐山さんは主張しているのですよ。
すでに解脱供養の霊視は桐山さんではなく、他の人がしているという書き込みがありました。
こういうのをあなた方信者は、霊眼を持った人が現れたと解釈するのでしょうね。
ほんとうにオメデタイ。
この情報の貴重な点は、霊能者がいるということよりも、
桐山さんは「霊視しているふり」すらできなくなったという点です。
適当に丸をつければいいだけのことすら彼にはできなくなった。
桐山さんが認めなければこんなことはできないから、
桐山さんや、何よりもW田さんの信用を勝ち取った人なのでしょう。
どちらにしろ、元々桐山さんには霊能力などないから、他人に
霊能力があるかどうかを審判することはできません。
霊能力そのものよりも、桐山さんに絶対帰依し、
裏切らないと認定された人だということです。
桐山さんは教団を乗っ取られたり、分派を恐れている。
疑心暗鬼の桐山さんの信用を勝ち得たとすればすごいことだし、
逆に言えば、そのくらい桐山さんは衰えているということでしょう。
つまり、推測を申し上げるなら、この噂は、誰か正統な霊能者がいるのではなく、
桐山さんの老化がひどすぎて、霊視に相当することができなくなり、
誰か他の人が適当に霊視ゴッコをしているような状態だということです。
どうせ、最初から桐山さんの霊視なんて嘘なんだから、同じ事です。
これがあなたみたいな信者の目には後継者が現れたかのように見えるようだ。
- 294 :深山:2011/10/03(月)
13:07:17
- >>289 :修験者:2011/10/03(月) 10:40:05
>もうしばらく待っていなさい!必ず第三の目から、霊眼を、もった、釈迦の真実の継承者が、必ず現れるから、
その霊能者は本物の霊能者などではない。
桐山さんの霊視のインチキを見抜くことができない人が本物の霊能者であるはずがない。
現実すらも見抜くことのできない霊能力が何の役に立つのだ?
本当に霊能力を持っているなら、18人の霊障武士の話なんて
ありえないことを知るはずです。
ソンディが異母兄の生まれ変わりだと聞いて、吹き出すはずです。
だが、その霊能者様は桐山さんのこれらの嘘を受け入れた。
霊能者の試験があるとすれば、不合格です。
「正統な資格」どころか、その自称霊能者には霊能力なんてない。
2ちゃんねるでも宝生さんが霊能力や御霊示を出している。
だが、現実には何一つ当たらない。
こんな程度の連中の一人です。
解脱供養も冥徳解脱も、第三者がきちんと確認できることではありません。
桐山さんや霊能者が、「この先祖」と丸をつければ、霊視したことになる。
こんなものに資格も何もあったものではない。
普通の能力なら厳しく審査されるが、宝生さんや準シュダオンさんの例のように、
インチキや思い込みが堂々と通用する世界です。
- 295 :深山:2011/10/03(月)
13:10:02
- >>289 :修験者:2011/10/03(月) 10:40:05
>それは、私かもしれないし、他の阿含の継承者かもしれない、
はい、あなたは立派な継承者です。
なぜなら、霊感商法を今でも手伝っている。
人々を根拠のない悪因縁や霊障で脅かし、金や人を集めるのを霊感商法といい、
カルト宗教の特徴で、あなたはその大先達です。
つまり、あなたは霊感商法のセミプロ、カルト宗教の徒弟です。
三十年も信者をしている修験者というのだから、星まつりでは
さぞや上位の御立派な位階をもらっているのでしょうね。
現実のあなたはただのコスプレ山伏ではないか。
それを恥ずかしいとも思わずに、御立派な梵天を付けて、
結界内の目立つお役をして、大先達として威張っている。
すっかり山伏の修験者になったツモリなんでしょう?
ニワカ山伏、ナンチャッテ山伏にすぎないのに、
まるでものすごい修行をしてきたかのような横柄な態度です。
私は信者時代、その光景を見て、ウンザリした。
今ではなく、信者時代にあなたみたい先達を見てウンザリしたのです。
結界内は魔物みたいな先達がウジャウジャしていた。
清らかな場所であるはずなのに、どうしてこんな威張り腐った連中ばかりなのだろうと
心底不思議に思った。
しかし、後にわかったのは、魔物が真ん中にいるのだから、
長くそこにいる人たちが魔物のようになるのは当たり前です。
その「使用後」の一人があなたです。
- 296 :深山:2011/10/03(月)
13:12:31
- >>289 :修験者:2011/10/03(月) 10:40:05
>大切なことは、君達が、こんな、仮想空間で、匿名で、過ごしている間に、確実に法の、継承は、進んでいるということだよ!
アゴン宗という仮想空間で遊んでいる修験者さんのような人に
これを指摘されるとは爆笑です。
あなたはアゴン宗こそが現実空間だと見えるでしょうね。
だが、あれは桐山さんが作り出した絵空事であり、宗教小説であり、
現実にはまったく成り立っていない。
現実に何が成り立っているのだ?
桐山さんが唱えたのは因縁解脱、霊障解脱、超能力獲得です。
だが、密教食で刑獄の因縁を出し、脳梗塞で脳障害の因縁を出し、
愛人で色情の因縁を出している桐山さんのどこが因縁がキレタのだ?
現実には因縁解脱はまったく成り立っていない。
桐山さんの霊障の始まりは十八人の霊障武士です。
だが、信州の幕末には上意討ちそのものがない。
存在しない霊障武士を霊視して成仏させた!?
霊障による地球壊滅を、桐山さんは少なくとも二度完璧に外した。
1999年と2010年までの地球壊滅です。
いずれも、なんにもなかった。
超能力開発をうたいながらすでに四十年たち、その修行場としての総本殿が
完成してから二十年たつのに、どこにその超能力者様がいらっしゃるのだ?
桐山さんの唱えた因縁解脱、霊障解脱、超能力獲得はいずれも現実には成り立っていない。
にもかかわらず、相変わらず桐山さんはこれを唱え、信者は信じている。
こういうのを仮想空間というのです。
仮想空間で宗教ゴッコ、成仏ゴッコをしているあなたが、
現実や事実を指摘している批判を仮想空間だというのは、片腹痛い。
- 297 :深山:2011/10/03(月)
13:19:24
- >>289 :修験者:2011/10/03(月) 10:40:05
>大切なことは、君達が、こんな、仮想空間で、匿名で、過ごしている間に、確実に法の、継承は、進んでいるということだよ!
あなたの言っているのは、アゴン宗の後継者のことなのでしょうね。
あなたにとっては「大切なこと」かもしれないが、批判側にはどうでもいいことです。
アゴン宗の後継者は、遅くても桐山さんが死ねば出てきます。
そして、今のアゴン宗と同じように、オカルト仏教で人を騙し、
霊感商法を続けるでしょうね。
これがアゴン宗のいう「法」です。
なにせアゴン宗はそれしか能がない。
桐山さんから因縁や霊障による脅かしを取ってしまったら、ほとんど何も残らない。
超能力は現実に誰も体得していないのだから、アメとしては使えない。
桐山さんのお得意は、人を脅かすことです。
これなくしては、護摩木という木ぎれ一本集められない。
今も長崎の原爆犠牲者をネタにして、死者を霊障のホトケと愚弄し、
信者たちを霊障で脅かして、木切れを一万円で売りつけている。
他人の不幸を利用して金儲けと売名です。
修験者さんも霊感商法のお手伝いをして、それで徳を積み、
自分は霊的に清まったと思いこんでいるのでしょう?
あなたが得ている物は霊的浄化などではなく、
慢心とそこから出てくる妄想だけです。
- 298 :アゴン:2011/10/04(火)
14:20:34
- アゴン宗にたいしての批判はどんどん信者も直接教団にするべきです。
特にお金の供養だけに強調されて、まるで取り立てのように基金の誓願、お導きの誓願、と内容の充実もはからずに組織的になっている点は異常だと信者が声を大にするべきです。
神仏は取り立てません。苦悩に満ちた顔で献金してなどいらないと思います。
管長のメッセージに破壊のカルマの正体は、人間の争う心だとありました。
であれば、教団は内部の人間が、ひとの心の平安を乱すようなことを強いては行けないのです。
また前に霊視者が違うという噂を書き込みましたが、宗務局の人間に質問いたしましたら、これを否定して、根も葉もない噂と言いました。管長が急ピッチで霊視して、だから体もフラフラなのだそうです。
これが正式な公表できる情報のようです。
ということで信者のみなさまには、お伝えしておきます。
- 299 :アゴン:2011/10/04(火)
16:35:18
- アゴン宗にたいしての批判はどんどん信者も直接教団にするべきです。
特にお金の供養だけに強調されて、まるで取り立てのように基金の誓願、お導きの誓願、と内容の充実もはからずに組織的になっている点は異常だと信者が声を大にするべきです。
神仏は取り立てません。苦悩に満ちた顔で献金してなどいらないと思います。
管長のメッセージに破壊のカルマの正体は、人間の争う心だとありました。
であれば、教団は内部の人間が、ひとの心の平安を乱すようなことを強いては行けないのです。
また前に霊視者が違うという噂を書き込みましたが、宗務局の人間に質問いたしましたら、これを否定して、根も葉もない噂と言いました。管長が急ピッチで霊視して、だから体もフラフラなのだそうです。
これが正式な公表できる情報のようです。
ということで信者のみなさまには、お伝えしておきます。
- 300 :干柿:2011/10/04(火)
22:15:39
- 霊視で体もフラフラ・・・大笑い(爆!
まあ、そうとでも言っておかないとなりたたないだろうからねw
んじゃゲイカが亡くなったら、霊界からF田さんに働きかけて霊視しています
とでも言うのだろうか?たぶんゲイカ亡き後も解脱供養続行すると思うよ
このクソ教団はw
- 301 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/04(火) 23:59:19
- >>298:アゴン11/10/04(火) 14:20:34
>また前に霊視者が違うという噂を書き込みましたが、宗務局の人間に質問いたしましたら、これを否定して、根も葉もない噂と言いました。管長が急ピッチで霊視して、だから体もフラフラなのだそうです。
>これが正式な公表できる情報のようです。
この体をフラフラというのは事実だと思います。
霊視と言っても寄せられた資料箋の戒名に赤丸をつけるだけの作業です。
でも全くデタラメに丸を付ければよいというものでもない。
一応死因は見る。
ガンだ。因縁付けてやろうと丸をつける。
その程度の頭脳は必要です。
でもたったこれだけの作業でもうフラフラです。
- 302 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/05(水) 08:40:18
- >>298:アゴン11/10/04(火) 14:20:34
>また前に霊視者が違うという噂を書き込みましたが、宗務局の人間に質問いたしましたら、これを否定して、根も葉もない噂と言いました。管長が急ピッチで霊視して、だから体もフラフラなのだそうです。
>これが正式な公表できる情報のようです。
実際にはそれで追いつかず、代わりの者が丸付け悪業をしてるかもしれません。
しかし本当は解脱供養の護摩修法を桐山さんがやらずにF田さんにやらせたことの
方がびっくりしたものです。
いつの間にか彼はシャカの成仏法を体得して、アジナーチャクラが受信器となり
霊障をキャッチし、サハスララチャクラが発信器となり、空の悟りをテレパシーで
霊障のホトケに送りつける力を身に付けたのか?
しかしとにかく桐山さんは脳梗塞で倒れ入院して、護摩も焚けなかったのだから
専売特許だった解脱供養もそこで中断しては商売に差し支える。
だからやむを得ずF田さんに継続させるしかなかった。
霊視だけは桐山さんしかできず、焚き火の成仏法だけF田さんが身に付けている
という設定もおかしいのですがね。
- 303 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/05(水) 20:04:57
- >>302
霊視と解脱供養の修法とは分けたほうが良いです。
まず、霊視に於いては皆様やユビさんの仰せのとおりです。
ここは異論はありません。
ただ、実際深田さんが護摩を焚くに至ったのはゲイカが入院だったり
体調が思わしくない、また作法を忘れるなど様々なことがあるので
深田さんにやらせているのが実状です。
しかし、実際深田さんはゲイカのお墨付きをいただいてはおりません。
まだ未熟で未完成なのだが、代わりの人がいないのもあるし、深田さんは
一応(失礼)法務部のTOPであり、ゲイカの側近の古株です。
いくら未熟だといって山橋さんとか別な人が焚いたら深田さん面子も立たない。
やはり教団bQの深田さんしかいないでしょう。
次に深田さんが護摩を焚く際にゲイカは別室でモニターで深田さんと一緒に
修法するのでその際に深田さんの足りない部分、つまり死者成仏などの補助を
しているのでゲイカは護摩壇に立たないながらも修法、つまり法的にはなんら
ゲイカが修法したのと変わらないんですよ、が教団の言い分です。
ですから焚き火の成仏法だけ深田さんが身につけている、というのはゲイカさえ
言ってない事項なのでありえない、ということになります。
しかし深田さんが代理でだいぶ前から護摩を焚くようになっているが、未だに
ゲイカのお墨付きをいただいた、という話を聞かないな・・・。
深田さんまで使い捨てにするつもりかいな、マスオちゃんw
- 304 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/06(木) 08:29:25
- >>303:天照 ◆MO30b8Jwoo11/10/05(水) 20:04:57
>次に深田さんが護摩を焚く際にゲイカは別室でモニターで深田さんと一緒に
>修法するのでその際に深田さんの足りない部分、つまり死者成仏などの補助を
>しているのでゲイカは護摩壇に立たないながらも修法、つまり法的にはなんら
>ゲイカが修法したのと変わらないんですよ、が教団の言い分です。
信者からは見えない別室だけに都合のよい言い訳ですね。
なるほど信者たちがアゴンネットワークで各道場に配信される映像は桐山さんの
部屋にも流されるでしょう。
私が桐山さんの立場で少しはマトモな教祖だったら、弟子の焚く護摩が気が気でない
ので、見届けることでしょう。
桐山さんは護摩の炎で念力を拡大し、成仏力を最大限にし、法の坩堝にすると言った。
解脱供養の護摩はあの護摩の炎の中にうらめしやと現れる不成仏霊やエイリアンの
如き女怪が金色の大光明を放ち、昇天していくのを見るからこそ解脱成仏したと
判断してお知らせを出すわけです。
だから霊視もできず、どうなっているかもわからぬF田さんが護摩作法だけする
と言うのがおかしいのです。
桐山さんが別室で補助するならF田さんの尖り頭が邪魔でないのか?(笑)
だいたい桐山さんが入院期間だってF田さんは例祭解脱護摩を焚いていたのですよ。
何もわからず独りで何やってたのかしら?
- 305 :深山:2011/10/06(木)
12:46:27
- >>300 :干柿:2011/10/04(火)
22:15:39
>んじゃゲイカが亡くなったら、霊界からF田さんに働きかけて霊視しています
>とでも言うのだろうか?
干柿さんのこの予想どおりなのではないか、というのが私の推測です。
桐山ゲイカは死ぬ前に、誰かに因縁霊視や不成仏霊霊視の方法を伝えなければならない。
桐山さんはこれを伝家の宝刀であるとして、因縁霊視は直径の子孫にしか伝えないと
法話でも言ったことがある。
これこそがアゴン宗の最大の武器であり、企業秘密だからです。
桐山さんはこういう秘法を第三者に伝えたら、真似されるのを恐れている。
問題は秘法を誰に伝えるかということだけではありません。
因縁霊視は占いであり、不成仏霊の霊視はインチキです。
つまり、伝える相手はインチキを受け入れる人です。
条件は、絶対にアゴン宗を裏切らず、嘘デタラメでも受け入れる人です。
桐山さんは親族に伝えたかったのでしょう。
世の中には準シュダオンさんのように、嘘がなんともない人もいるから、
孫まで含めたら、桐山さんと同じように嘘がなんともない人がいても
おかしくはないと思うが、まだ候補がいないのでしょう。
- 306 :深山:2011/10/06(木)
12:51:49
- >>300 :干柿:2011/10/04(火)
22:15:39
>んじゃゲイカが亡くなったら、霊界からF田さんに働きかけて霊視しています
>とでも言うのだろうか?
私の知るかぎりF田さんは適任です。
マゾ的なほどに桐山さんに絶対服従しているから、裏切る可能性は低い。
また、桐山さんの嘘そのものの中いるから、嘘への免疫がある。
そこで桐山さんは、自分の死後について、
「戒名の一覧表をおまえが見れば、おれが仏界から成仏リキで指示を出す。
一覧表を一通り見て、直感的にこれだというように思うのを選べ」
というように指示するのです。
実際にはF田さんが適当に選んでいるにすぎないのだが、これなら、
F田さんに霊視能力があるのではなく、仏界の桐山さんにあるのだから、
アゴン宗から離れることはできない。
つまり、裏切れない。
このパターンは今の解脱供養の護摩も同様です。
「おまえは普通に護摩を焚け。そうすれば、オレが成仏リキを注入する。
おれは別室でおまえの作法を含めて、すべてを霊視している。
だから、おれの同意なしに勝手に焚いた護摩は成仏リキの護摩ではない」と教える。
これならF田さんは成仏リキを体得していなくても、
成仏リキの護摩を焚くことができる。
これが今の護摩の建前でしょう。
また、桐山さんの同意のない護摩は効果がないことになるから、
桐山さんが死んだ後でも、桐山さんはF田さんをコントロールすることができます。
桐山さんの死後、仮にF田さんが裏切って別教団の教祖になっても、
アゴン宗側は「F田教の護摩は桐山ゲイカの成仏リキが入っていないから、
解脱させることはできません」と発表すればいいだけです。
- 307 :深山:2011/10/06(木)
12:55:36
- >>300 :干柿:2011/10/04(火)
22:15:39
>んじゃゲイカが亡くなったら、霊界からF田さんに働きかけて霊視しています
>とでも言うのだろうか?
F田さんだけでなく、アゴン宗の信者全員をこの方法で支配できる。
仏界から桐山ゲイカが成仏リキをよこすのであって、どんなに信者が
修行しても、オシャカから成仏リキを直接仕入れることができないのです。
だから、アゴン宗を離れたら、成仏リキは失われることになる。
誰も持ち出せないから、誰も裏切れない。
元々、成仏リキなんて何もないインチキなのだから、なんとでも絵空事の
仕組みを作ることができます。
F田さんが死んでも、三代目の管長が同じように、
仏界の桐山ゲイカからの御霊示をもらうという形をとる。
これならアゴン宗から成仏ホウが盗まれることは永久にない。
つまり、桐山さんは成仏リキをオシャカから直接仕入れたが、今後は
だれも直接仕入れることはできず、桐山ゲイカを通すしかない。
桐山さんの死後もオシャカの成仏リキはアゴン宗が独占販売できます。
私は、こういうやり方をするのではないかと予想していました。
だから、他の霊能者がやっていると話を聞いた時はちょっと驚きました。
なぜなら、前述のように、霊能力の問題ではなく、商売の根幹にかかわるからです。
桐山さんは霊視の嘘がばれてしまうし、独占販売体制を崩す可能性があり、
簡単には他人に任せるとは思えないからです。
ただ、桐山さんは詐欺師としては天才ですから、
私の予想など簡単に覆すようなやり方をするかもしれません。
- 308 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/07(金) 06:37:34
- >>334 ゲイカ不在のとき(入院時)は「私は特別な修行に入る」といってましたが
全くの嘘で脳梗塞のちりょうだったんですよね。そのときに深田さんに全面的に
護摩を焚かせました。
しかし、そのときは「解脱護摩」は修法なしでした。つまり祈願護摩だけの修法で、
当時は「解脱護摩が深田さんはまだ焚けないので霊視、及び解脱した方の塔婆下付は
遅れます」というお触れがありました。ですので、当時は深田さんが護摩を焚いては
いましたが解脱成仏護摩は行ってないのですよ。うまいですね。
実際カリスマなゲイカが護摩を焚かない。尚且つ解脱護摩修法がない、ということで
例祭にも参拝者が激減したこともありました。
またその後の数年後の「体調不良で入院する」と公言した治療時にはゲイカ崇拝者は
「ゲイカがお亡くなりになられる時がきたのか。ゲイカが死んだら阿含宗を辞める」
という人もいましたね。
そういうわけで非常にそこのあたりは抜け目無い、というか考えられていてゲイカ不在は
隠しようが無い事実には「深田はまだ解脱護摩は無理」と言い、やらせない。
ゲイカが教団に復帰したらあい変わらず深田さんが護摩を焚いてはいるのですが、しばらく
してから前に述べた「自分はモニターで監修・監督・補佐をしているからなんらゲイカが
護摩を焚いているのと変わらない」という言い分で帳尻をあわせている方便を使っている
のがありますね。
第一、素人目にみても塔婆に三鈷で気合を入れてラストの修法でしょう?
何をどのようにいつ解脱成仏させたのかなんてわからない。
また修法はいつも「宝生と解脱混合」が多いのでどこでどのように切り替えているかなども
内部関係者で無いとわからない。
祈願をやったかと思えば、しばらくして塔婆を処理したりするのはさすがは阿含宗。
(逆の場合もあります〜塔婆の後に祈願をやる、など)
護摩だとありがたがって拝んでいたが、やはり焚き火とわかればなんてことは無い。
火を焚いてそこでパフォーマンスすれば、はい宗教行為の出来上がりですからね。
ゲイカの適当で自分アレンジなのが阿含宗なのですよね。
- 309 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/07(金) 08:31:38
- >>308
桐山さんが脳梗塞の発作をお越し、呂律が回らなくなったのが1996年12月の
朔日護摩の時でした。
それからは入退院を繰り返すのですね。
例祭の護摩もF田さんが担当することが
多くなった。
たしかそんな頃私も解脱供養を申し込み、また冥徳解脱供養も続けている。
だから私が入信していた期間の晩年の冥徳解脱なんて本当に大丈夫だろうかと
疑ったりもしたものです。
解脱供養が遅れるようになったのは寧ろ私が退会した後だったようです。
青柿さんが証言していて、だから解脱供養の霊視だけは桐山さんの専売特許である
証拠と示していた。
桐山さんが入院してることは公表されてました。
ある時の例祭で入院中の桐山さんが吹き込んだ音声が紹介されて流された。
「皆さんには迷惑を掛けています。だいぶよくなってきました」とか音声だけですが、
鼻水をすする音と共に病室にて録音されたものと思われました。
そもそもどこがどう悪く入院してるのかわかりませんでしたが。
F田さんの解脱供養については質問が出て、桐山さんが答えたことがあります。
F田さんの護摩で成仏しているのか?と。
桐山さんは「F田はまだ煩悩が十分に切れていないけれども、成仏法は体得している
ので、大丈夫、成仏しています」との回答だった。
- 310 :Boo:2011/10/07(金)
13:58:39
- >308 名前:天照 ◆MO30b8Jwoo 投稿日: 2011/10/07(金) 06:37:34
>>>334 ゲイカ不在のとき(入院時)は「私は特別な修行に入る」といってましたが
>全くの嘘で脳梗塞のちりょうだったんですよね。そのときに深田さんに全面的に
>護摩を焚かせました。
これはK禿局長が職員で居る時でしたっけ?
懲役に逝く時も「修行」に逝くと言ってたんでしたっけ?
つくずくフザケた教祖ですね。
- 311 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/08(土) 05:58:19
- ユビさん、Booさんさすがですね。記憶力抜群で怖いくらいです。
Booさん、そのとおりですね。まだK禿局長が職員で居る時のことでした。
まさか、それから数年後に辞めるなんて、わからないものです。
またユビさん仰せのとおりの時期より前は「入院だ」といわず「修行に」とごまかした。
当時は全然わからなかったが、職員や道場の首脳部らはわかっていたようです。
後から修行なんかじゃなくて脳梗塞で入院してたのを嘘したというのは掲示板で
わかった次第です。もうその事項も退会へ至る動機になったのは必死です。
私は「如何にゲイカでも生身の体だから病気もする」というのは理解できます。
それをごまかして「修行」というのは許せなかったですね。
また次に許せないのはあの右翼?でしたか。10億取られたという件。
あれも嘘をつきましたよね。娘婿さんの保証人になってそれで失したという嘘。
その後婿さんは一旦阿含宗を去り、近年再復活された。
身内ひいきにもほどがあると思ったらその「保証人話」自体が嘘なんですから怒ったね。
「てめえ俺ら信者に嘘つきやがったな!」と。
こういうバカ教祖を信じるほうがバカをみますよ。
- 312 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/08(土) 06:07:49
- おっと、書き忘れた。
>>309
>F田さんの解脱供養については質問が出て、桐山さんが答えたことがあります。
F田さんの護摩で成仏しているのか?と。
桐山さんは「F田はまだ煩悩が十分に切れていないけれども、成仏法は体得している
ので、大丈夫、成仏しています」との回答だった。
これですが、自分は聞いてませんね。おそらく自分が聞いてなかっただけでしょう。
ですので今朝投稿を見て驚いた次第です。
ちなみに自分は
「深田さんは修行をしていてだいぶ成長をしているがやはり解脱成仏というのは
非常に難しくまだ体得してない。なので徐々に私が教えて行くので私が深田君を
大丈夫だ、となるまで護摩修法にはモニター越しだが付き添う。」
というような内容でした。ですが、これは初期の言い分だと思いますからおそらく
ユビさんのおっしゃっていることが後からのゲイカの発言だと思います。
それにしても体得したんですか・・・体得しながらも付き添い???
本当はモニターなんて見てないんじゃないの?
裏で何にやっているかわからんからね。
いまでこそ時間はきっちりだが、昔はゲイカが登壇するまでとか法話するまで
どれだけ待たされたか。殴ってやろうか、とよく思ったものでしたよ。
今でも「この嘘つき詐欺師め」と殴ってやりたいですが(笑)
- 313 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/09(日) 00:12:02
- >>312:天照 ◆MO30b8Jwoo11/10/08(土) 06:07:49
>これですが、自分は聞いてませんね。おそらく自分が聞いてなかっただけでしょう。
私のもう古くなった記憶では夏季伝法会の合同講義だったと思います。
2000年か2001年あたりだったかなあ。
私が書いた通りの文章内容に過ぎたるも及ばざるもありません。
成仏法を体得してるから成仏してる、それだけです。
それ以上突っ込んだ詳しい解説はありません。
だって桐山法話なんていくら質疑応答の用紙で質問したって常に一方通行でしょう?
桐山さんが語った以上の突っ込みは誰もできません。
その時の合同講義は5千円か1万円かけて聴講したものですが、最後に終わってから
空しくなりましたよ。
これが5千円も1万円もする内容?
錬成道場で子どもたちに柔道や剣道などを教えて、心身を鍛えるだけでなく
負ける体験も知って欲しいと思う。
これは翌月の宗報の巻頭記事にも出て「管長猊下、錬成道場で子どもたちに武道を
教えたいと抱負を語る」とか。
はあ?普段の例祭法話で十分じゃん。
それから何年も在籍せぬものの、伝法会の合同講義の聴講は馬鹿馬鹿しいから
やめようと思いました。
- 314 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/09(日) 04:22:59
- >>313
なるほど。私は合同講義はお金が無いので行けなかったので不参加でしたね。
しかし、ここ近年の内容は「秘法」で釣る以外はくだらないと低評価ですね。
思考回路が壊れている人は「いやあ有意義な内容だった」と言うので呆れていますがw
今はまだフリーズが少なくなったようですが、以前は合同講義でもフリーズが非常に
多くてさすがの大半の信者も「大丈夫か?ゲイカ」といってましたね。
帰ってきた聴講者は大抵そういってましたよ。
法話でもそうですから聴講しなくてもわかりますね、酷さは。
また、アゴンさんも言われているように本当にくだらない内容だと。
お金を払って時間を割いてまで聞く内容ではないと私も思いますね。
貧乏がたまたま幸いになった自分でした。
- 315 :無関係な人間です:2011/10/10(月) 09:32:33
- 昨日、京都、平安神宮で「京都学生祭典」という大規模なイベントがあり、家族と一緒に見物に行きました。
野外会場でしたが、その会場の数カ所で、阿含宗のイベントの「のぼり」が立ててあり、阿含宗のチラシと護摩
木をもった人があちらこちらに立っていました。どうやら、イベントの参加者に護摩木の寄進を呼びかけていた
みたいです。
いやー、たいへんだなあ、と同情してしまいました。
- 316 :サライ:2011/10/10(月)
23:05:42
- >>313 >>314
そもそも、合同講義は当初、伝法会受講経験者なら、無料で聴講して下さーい、と気前よくやっていて、受講経験者としても、それでは、と夜、足を運んで聴きに行き、信徒としての結束も深まった気がしました。ところが、その後、2日間の聴講日について、1日5千円、2日で1万円取るようになり、お得感もなくなった。仕方がないから、私は1万も出せないので、1日分5千円出して聴いていたが、それも中身が年々なくなって来て、フリーズで終わるだろう事が見えてきたものでバカらしくて1日分、5千円も払うのをやめた。そして、昨年あたりから、ついに聴講日は1日だけとなり、料金も倍の1万円に値上げされた。もう、ほんと、バカらしいので、例祭法話で十分なので、私も不買運動も兼ねて、聴いておりません。
- 317 :サライ:2011/10/10(月)
23:15:39
- >>315
平安神宮でのイベントレポートありがとうございます。平安神宮さんはいいところですよね。懐の大きいお宮さんなので、まあ、神宮道の近所ですがアゴンも入れてもらえたのですね。ご修行の信徒さんもおつかれ様、です。
- 318 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/11(火) 06:41:14
- >>315
昔はよく何かのイベントにくっついて(笑)阿含宗も活動をやったものですが、
ここ最近としては珍しいですね。街の街頭や交差点、施設の近辺での呼びかけは今でも
やっているのかもしれませんが、それでも最近はトンと少なくなったようです。
それはやはり信者さんも梵行をあまりやりたくなくなった人が増えたからでしょう。
わざわざ街頭や街中に出てセールスをするわけですから中々やりたがらない。
また実際お金を頂戴するのでティッシュ配りのようなわけにも行かないし、プロレスの
ようにマスクをかぶるわけにも行かないので、面がばれるのも嫌だ、と言う人もいます。
何も欺瞞を知らないかやれるのですが、護摩木など買って書いても何も起こらない。
また詐欺集団の片棒を担いでいると夢にも思わない。わかってたらやってられないはずです。
知らないとはいえ本当に怖いことです・・・。
- 319 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/11(火) 06:47:28
- 訂正>>318
何も欺瞞を知らないかやれるのですが=X
何も欺瞞を知らないからやれるのですが=○
>>316 今の聴講は一万ですか(呆)ボケと妄想に付き合って一万・・・。
これなら聴講する人もかなり減っているでしょうね。
阿含宗は何か呼びかけるとそれに応えるの当たり前、があります。
信者の家に電話をかけて「来れるかどうか」とか「基金参加できるか」などを
伺ったりしますからね。
不買や不参加は必要だと思います。調子に乗るのが阿含宗ですからね。
今思えば行だけやっている信者のほうがお得だとはいやはや、です。
- 320 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/11(火) 08:20:48
- 平安神宮のイベントの話を読んで思い出したのが大学祭イベントですね。
かつてYANの活動の盛んだった頃、都内の一部大学に「阿含密教研究会」なるものが
存在し、大学祭でも教室を借りて展示参加していた。
ただし各大学にどれだけメンバーがいたのかさだかでないが、その大学に在籍しない
学生もYANとして後援していた。
同じ大学の第三文明研究サークルと衝突することもあったようだが。
京都でも立命館大など盛んに活動していたようですね。
最近はどうなんでしょうか。
桐山法話は例祭の法話ですら首を傾げるのがありました。
沖縄で初めて例祭発信道場となったことがあった。
ただしF田さんが現地で護摩を焚き、桐山さんは関東別院から法話を発信するという
スタイルです。
発信する沖縄道場には意気込みが感じられた。
既に例祭に先駆けて浄霊法要も済ませ、指導を待つばかりとしていた。
ところがその日の桐山法話は沖縄のこと
など触れもせず、地震が来た時の水の用意
とか備蓄の話をした。
小麦粉を練ってすいとんなどを作る。そのすいとんにプロテインを混ぜるといいですねとか。
地震を防ぐ活動になるかと思いきや、話はそこで終わって退場してしまった。
私は首を傾げながら沖縄の信徒はこれでは不満だろうと申し訳ない気持ちだった。
今回の東北に対する冷たさのように。
- 321 :アゴン:2011/10/11(火)
14:58:09
- 以前書いた霊視の疑惑のひとのことで、詳細情報が入り、
最後の砦も崩れ(笑)、、その方は元々会員という肩書きはなかったそうで、(正式な資格をもっておられるので、よく考えたら当然。)すっかりアゴンに愛想をつけて、そろそろ隠居を考えているそうです。契約で雇われていたようですね。客人扱いだったそうです。
法務部から神格化され一時期教団の運営から圧力かけられ、そのこともあり、ひっそりしておられてたようです。(笑)
それでもうそろそろ、
縁も完全に切ってしまうそうです。
- 322 :アゴン:2011/10/11(火)
15:10:20
- しかも、今年7月の例祭でI川さんが最前列でゲイカの真ん前にお座りになっていた様子を目撃したひとと話する機会があり(笑)
すごいオーラだったようです。I川さん。芸能人ばりのオーラだったそうです。(笑)
二人の間で一本のバチバチした線が見えた(笑)と言っておられました。
で、ゲイカは終始一貫うつむいて苦渋の表情であったそうです。
で、言いたいことがあるなら、正々堂々と向かってこい!と言っておられたようです。
I川さんはずっと、ニマニマしていたそうです。
怖っ!!
法話ビデオチェックしてみようと思いますが、よく道場に入ってこれましたね。
和田さん不在だったのでしょうかねぇ。
- 323 :干柿:2011/10/11(火)
22:15:40
- >>322
え〜七月にI川さん例祭参加できたんですかw
裁判の和解とかで自由に例祭に参加できるとかいう条件とかあったんでしょうか?
こちらの噂ではI川さん、別れ方が納得できないのでまた裁判おこすとか
言っているという話を聞きましたがどうなんでしょうね?
>>321
そうやって本職の方とか契約で昔から雇ってやってきたわけなのですねw
どうりでインチキ詐欺師のくせに法力無比だとか威張ってきたわけだw
トラの威を借りるキツネだったんですねw
N村先達とかもそうだったんでしょうか?あの人ほんもんの山伏で昔は星まつり
しきって法剣作法とかやってましたが、近年は本山のお滝びらきにも(まあ10年
まえ位の話ですが、そのころから疎遠)呼ばれなかったそうですが
阿含を去って彼のもとで山伏修行する人もいて、その人と知り合いの友人とかの話ですが
ゲイカの背後に無数の墓石が連立しているという不吉な霊視をされたとか
なんとかw、まあ、あくまでもまた聞きの噂ですw
- 324 :深山:2011/10/11(火)
23:31:09
- >>322 :アゴン:2011/10/11(火)
15:10:20
>しかも、今年7月の例祭でI川さんが最前列でゲイカの真ん前にお座りになっていた様子を目撃したひとと話する機会があり(笑)
これはすごいニュースですね。
さすがはE川さんです。
普通の人が予想もしない行動に出る。
最前列に座っていたのだから、かなり早い時間から来ていたことになります。
山門を突破できたとしても、E川さんに古い職員や修行者たちが気が
付かないはずはないし、排除する時間はあったはずです。
だが、E川さんは堂々と一番目立つ席に座り、誰も排除しないということは、
例祭に出ることをアゴン宗側が認めたことになります。
会員復帰はさせないが、例祭など一般人の参加が認められているものに
ついては合意したということでしょう。
これを「このバカつまみ出せ」という桐山ゲイカが認めたという点がおもしろい。
よほど弱みを握られていない限り、こんな妥協などするはずのない人です。
やはりE川さんに急所をつかまれているのだ。
もし、そうなら、これからしばしばE川さんの姿を信者たちは
目撃することになります。
- 325 :深山:2011/10/11(火)
23:33:39
- >>322 :アゴン:2011/10/11(火)
15:10:20
>で、言いたいことがあるなら、正々堂々と向かってこい!と言っておられたようです。
これは桐山さんが「言いたいことがあるなら、正々堂々と向かってこい!」と
言っていたという意味ですか。
その目撃者が聞いたのですか?
例祭の最中に桐山さんがこれを言ったことになり、
「終始一貫うつむいて苦渋の表情」と矛盾するように思うのですが、どうなのでしょう。
もう一つ、機会があればその方に聞いて欲しいのは、彼女は一人だったのかどうかです。
2007年に東海本部の例祭に突撃した時は、彼女の妹さんとある男性の三人でした。
- 326 :深山:2011/10/11(火)
23:39:13
- >>322 :アゴン:2011/10/11(火)
15:10:20
アゴン宗も桐山さんも私は見たいとは思わないが、
「ゲイカは終始一貫うつむいて苦渋の表情」
「I川さんはずっと、ニマニマしていたそうです。」
この光景だけは、怖い物見たさで、見てみたい(笑)。
両者のにらみ合いがビデオに記録されていないのが残念です。
奇蹟のビデオとして売ってくれれば、買います。
では、ヲラの祭典風に、格好よく呼びかけましょう。
「信者よ、
いまや、アゴン宗は二つの道を選択するギリギリの時点にさしかかった。
E川とのエロ地獄の業火か、
おシャカの物法によるきよらかな愛人か、
二つに一つである。
信者よ、
エロ地獄の業火でこの道場を焼きつくしてはならない。
信者よ、
信者がすべてこのぬめったE川のオーラを身にともし、このアゴン宗をエロにかがやく
オカルト宗教と化そう。それが21世紀の詐欺宗教なのだ。
信者よまずあなたがE川オーラをともせ! エロ聖者になれ」
- 327 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/12(水) 06:43:00
- 色川さんが来ていたとは面白いスクープですね。
その該当する映像をYouTubeに上げたらもっと面白いでしょうなあ。
アクセス率が結構取れるんじゃないでしょうかwww
まあ、顔が映るわけではないから難しいでしょうけどね。
意表な行動を取る色川さんですが、良い意味でもっと騒がせて欲しいですね。
決定的な打撃を今与えられるのは彼女か彼女の周り(妹さんなど)の人たちですからね。
掲示板の攻撃よりも聞きますよw
本当に色川さんには何かやって欲しいですなあ。
- 328 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/12(水) 06:44:05
- 聞きますよ=X 効きますよ=○ 誤字失礼しました・・・。
- 329 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/12(水) 08:10:54
- >>322:アゴン11/10/11(火) 15:10:20
>しかも、今年7月の例祭でI川さんが最前列でゲイカの真ん前にお座りになっていた様子を目撃したひとと話する機会があり(笑)
大変面白い情報です。
終始うつむき加減というのと、言いたいことがあったら正々堂々とかかって来い
と言ったのとは矛盾するようですが、なんとなくわかる気がします。
桐山さんとしてはせめてものそれが精一杯の抵抗だったのかも。
「つまみ出せ」と言えないのです。そんなことを言ってしまったらI川さんが
どう騒ぎ出すか知っている。
だから弱みを握られてニマニマされている中、せいぜい虚勢を張るのが精一杯です。
I川さんもI川さんで、この場でキャンキャンと声を荒立てて糾弾しようものなら
さすがに強制排除されることを知っている。
だから向こうが仕掛けてくるまではおとなしくニマニマするだけでよい。
それにしても思うのは周囲の一般信徒がどうして何も疑義を質さないのかということです。
I川さんを排除することではない。
桐山さんに納得の行く説明をしてもらうことです。
I川愛人問題は週刊ポスト記事により信者の誰もが知るところです。
しかしこれに対して教団からも桐山さんからも公式にも非公式にも何ら説明釈明
をされたことがない。
ただダンマリを決め込むだけです。
それで通してきたが、遂にその元愛人が目の前に堂々と現れた。
信徒は他人のプライバシーなどに触れてはならないと遠慮しているのか?
しかしそんなことで許容してはならないはずだ。
タブーが破られたのだからI川さんがいない席上でも愛人疑惑の件はどうなっている
のか問い質す権利がある。
それもしないで自分をもごまかしながら信仰を続ける気ですか?
- 330 :アゴン:2011/10/12(水)
11:33:17
- I川さんの元ダンナを知ってる人には顔は割れてるみたいですが。(笑)
しかし、すっげ打算的な女性ですよね。揺すりにきたのでしょうか。もう老い先短い老人なのに、とんでもない爆弾背負わされて、もうボケるしかないのも理解できてきました。
ゲイカ、これが因果応報という意味だったのですね!今わかりました!尊師よ、ありがとう。という心境です。
まぁどっちにしろ、内部崩壊も徐々に、きているようですし。
終わりでしょ、もう。
- 331 :準シュダオン:2011/10/12(水)
18:19:46
- 色川さんは信者の権利を主張して、和解したのだから、それで良いのじゃ
ないですか。毎月会費も払うだろうし、批判派よりはマシだと私は思うね。
和解金だとて、雀の涙でしょうねw。
- 332 :名無しさん:2011/10/12(水)
18:35:18
- >>301
>
契約で雇われていたようですね。客人扱いだったそうです。
Y橋さんは契約!?
これは本当ですか?
係長の役職もあったはずです。
途中から契約扱いになったのではありませんか?
解せないところもありますが、「縁も完全に切ってしまう」ということが
本当であるなら、それは良いことだと思いますが。
I川さんのエピソードは興味深いです。
I川さんには「最後の刺客」として大活躍して欲しいです。
桐山さんの虚しい強がりが笑いを誘います。
哀れな人です。
- 333 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/12(水) 19:17:33
- >>331:準シュダオン11/10/12(水) 18:19:46
>色川さんは信者の権利を主張して、和解したのだから、それで良いのじゃ
>ないですか。
和解したのならどうして下記のような状況が起きるのですか?
>>322:アゴン11/10/11(火) 15:10:20
>で、ゲイカは終始一貫うつむいて苦渋の表情であったそうです。
>で、言いたいことがあるなら、正々堂々と向かってこい!と言っておられたようです。
I川さんは参拝するのは当然の権利、妨害さえしなければつまみ出される謂われはない
とニマニマしてるのに、桐山さんも黙って欣然微笑していればよいはずだ。
それを苦渋の表情とは目撃者の主観かも知れぬと妥協しても、どうして正々堂々と
黙っているだけのI川さんに正々堂々と向かってこいと挑戦めいた苦言を吐く必要があるのか?
説明してみなさい。
和解したのならば、お騒がせしたのだから、事の顛末を信者に桐山さんの口から
説明すべきではないか?
私とI川君との間柄はこうこうであり、彼女の主張はこうであり、対して教団の
対応はこうであり、今のI川君の処遇はこうであるから、諸君も誤解してI川君を迫害などせぬように
と示すのが、お騒がせの張本人の義務ではないか?
なぜたったそれだけのことができないのか?
疚しいことがなければどんな言明もできますよ。
- 334 :アゴン:2011/10/12(水)
19:29:08
- >>332
イヤーあの山橋さんじゃないです.....
個人的には山橋さんも目付き尋常じゃなく怖いんで、内部事情詳しそうだな潤オと思ってますが。ほかの法務部よりブラック感がハンパねーなーと思いますが。
まぁ個人情報ですんで。(今さら。)
- 335 :アゴン:2011/10/12(水)
19:36:37
- まぁ常識の斜め下をいつも行ってくれる阿含宗ですから、もう何がきてもも驚きませんが、はっきりいってしまえば、裁判で訴訟起こした人間が道場に入ってきて被告と対峙してニマニマしてるって。ルール無用の
無茶苦茶でんがな(爆死)
です。
- 336 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/12(水) 20:20:24
- >>334
アゴンさんにお尋ねします。
>>332さんは>>301にレスアンカーをつけてますが間違いだと思います。
私もよくレスアンカーの番号を間違えるので、それは許容してますが、肝心の
332さんがコピペした部分がどこかわからない。
アゴンさんの書いた何番ですか?
- 337 :332:2011/10/12(水)
21:41:54
- >>336
ユビキタスさん
>>>332さんは>>301にレスアンカーをつけてますが間違いだと思います。
そうでした。間違いました。
アゴンさんの>>321です。
失礼しました。
- 338 :332:2011/10/12(水)
21:43:28
- >>334
Y橋さんのことではなかったのですか。
しかし
>ブラック感がハンパねーなーと思います
大笑いしてしまいましたw
- 339 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/12(水) 22:03:39
- >>337
訂正ご教示ありがとうございました。
ああ、すぐ近くだったのですね。
昨夜あるいは今朝レス付けようかと思ってたとこでした。
具体的にどんなんかな?と。
自分で探すのが億劫になり誠に恥ずかしい。
- 340 :六甲ちかげ:2011/10/13(木)
13:04:15
- Y橋さんだって、F田と同じイエスマンだよ。毒にも薬にもならねえ人物だよ。
職員全員、桐山さんのありもしない「恐怖因縁霊障噺」を信じて怖がっている
羊人間ばかりだよ。昔っからそう。世の中の動きと呼応してない。
桐山さんの霊障秘伝のネタ本も、祈祷法のネタもバレバレ。九星術も杭打ちも
全部他人様のパクリ。古いんだよな桐山は。昔はみんな素人だし、調査の方法も
分からなかったし、桐山が詐欺師として巧妙だったので、バレなかったが
いまは、ボロが出るわ出るわ。
殉シュダのアホが、なにかバカみたいな擁護をしてたが、想像でものをいうんじゃ
ねえーよ。では和解金はいくらなんだ。本当に会員復帰したのかよ。
週刊誌の記事までになって、電車の宙吊り広告で桐山教祖とT川のツーショットまで
出ていて、なんで説明のひとつもないんだ。おかしいだろうが。おまえの擁護は
桐山は聖者という答えが先にあるんだろ。そういうのを「洗脳されてる」と世間様では
いうんだ。よーく覚えておけよ。
桐山は893と同じ。どういう手段でも使う。だからみんなも気をつけたほうがよい。
お金の払いはいいからな。やるときは集団で撲滅の会を立ち上げて、桐山が死んでもこの運動は
継続すると断言して行ったほうがよい。必ず尻尾をまくよ。
W田なんかも気が小さいから出て来れやしない。陰湿に画策することだけしか
できないのが、あの女狐ババアだからな。あんまり頭はよくないからね。
楽勝でしょう。あんな根拠のない、ちゃんぽん宗教。そもそも宗教なのかねアレは。
桐山っていい歳してノストラダムスとか言って、頭は子供だね。
くだらない大人だよな。いい度胸していた詐欺師なのは認めるがな。
あんな野郎を「アジャリ様に三禮」とかいって、高い声のでたらめな唱えかたしていた
東京の内陣のTOPのA原、あいつなんか末代の恥だろ。変な野郎だったな。
- 341 :ラシン:2011/10/13(木)
13:54:46
- >322 :アゴン:2011/10/11(火) 15:10:20
>で、ゲイカは終始一貫うつむいて苦渋の表情であったそうです。
で、言いたいことがあるなら、正々堂々と向かってこい!と言っておられたようです。
例祭の壇上でそういう言動があったなら凄いですね。
また、「うつむいて苦渋の表情」とはいかにも桐山ゲーカらしく、
実態は、ただの小心者だと露呈したことになる。
多くの信者たちの前ですら、セイジャ様を演出しつづけられない。
子供のケンカ並みの言葉しか吐けないブザマをさらした?
周りで気づいた信者さんたちは、どう感じたのでしょう。
しかし、女性はいったん決めたら強いですね。
開き直り方は、並みの者じゃ真似できない。
昔、首相秘書前夫人の「蜂の一刺し」で法廷がひっくり返ったが、
桐山ゲーカも美味しい「蜜」に魅せられて「トゲ」に気づかなかった。
自己の煩悩を満喫したら、しっかりオツリがついて来たわけです。
さすが教祖様のことだけあって、信者たちに身を以って教えを示された。
- 342 :アゴン:2011/10/13(木)
14:59:17
- 今は破壊のカルマで脅して、土地浄霊があちこちで行われています。その基金集めに必死な人たちと、それに振り回されて、大変な信者たちと、他人事のような職員、お役を返上して安全な位置にいる幹部。
ものすごく危険な信号が鳴り響いているのに、どうにも止められない現状が非常に怖いですね。
洗脳された家族からは危険視されてますし。
- 343 :六甲ちかげ:2011/10/15(土)
13:23:36
- (壇上から)言いたいことがあるなら、正々堂々と向かってこい! →老いた負け犬の遠吠え!ワンワンワーン(泣
(御前で)退会処分の愛人がニマニマして眺めている。 →完全勝利!横綱相撲だね。
- 344 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/16(日) 05:45:42
- >>342で思い出しましたが、因縁解脱の中身と同じく「土地浄霊をやることによってその地域の浄化が進み
災害や犯罪などが減る」という観念の元で動いてましたね。
台湾のときでしたか。法要をやった地域は台風の直撃を受けず、むしろ台風が逸れていった。
土地浄霊(成仏法)の力は凄いんだと言う洗脳で操られるわけです。
で、東北の方はどうだったの?と言えばいろいろ屁理屈を言うんでしょう?
因縁解脱の適わないときにもいろいろ言うように、(ゲイカの指導どおりにやらなかったからだとか)
結局自分(ゲイカ)の都合の良いようにしか物を言わない・考えないんですからそれに付き合うほうが
たまったものじゃないですね。
- 345 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/16(日) 05:49:18
- 適切でないな・・・。
因縁解脱の中身と同じく、ではなくて因縁解脱の内容と随する形で
悪しきカルマを断つことによって不幸・災難などの目に遭わないのと同じように、
「土地浄霊をやることによってその地域の浄化が進み災害や犯罪などが減る」という観念の元で動いてましたね。
に訂正です。
- 346 :ラシン:2011/10/17(月)
12:22:10
- >342 :アゴン:2011/10/13(木) 14:59:17
今は破壊のカルマで脅して、土地浄霊があちこちで行われています。
いわゆる”詐欺と恐喝性”がある。
土地浄霊の効果など誰も確認しようがない。
カルマに脅された信者は、その”ノルマ”達成に
徳積みを期待してもカウントできるのは、
あくまでも桐山さんのみという仕組みです。
ようはカルマによる恐喝で、”ノルマ信仰”させられても、
その成果も効果も確認できないから、詐欺とは立証されにくい。
教団側は、カルマ信仰によって”信仰ノルマ”を強要できる。
アゴン宗の場合、カルマ=ノルマです。
いちばん金を集めやすい方法ですが、大きくはむずかしいから、
それよりも、○○建立資金で金集めをするほうが教団としては、
大きな金を得られますが、反面、リスクも生じるでしょう。
信徒が教団会計にメスを入れる有志となって会計監査を要請すれば、
○○建立資金の原資なのか、別途に資金転用を付け替えたのか、
また使途不明金の有無などをチェックできます。
まあ、内部告発を法的根拠に基づいて行う信者など皆無でしょう。
だから洗脳されたカルト教団は、潰れにくいといえるかもしれません。
- 347 :準シュダオン:2011/10/17(月)
19:10:54
- 笑うしかないのうw。阿含宗では土地浄霊という。
他宗ではなんというのかな?それを詐欺というのなら、みんな詐欺ですw。
宗派による名称が違うだけですね。騙されてはいけません。が、
今の管長の姿も、報告する人によって様々ですねえw、自分の目で確かめられない
人は、何を信じたら良いんでしょうかw。
客観状勢として、阿含宗の坊さんは、育っています。管長の意図なのか、否かは
知らぬが、管長の代わりに護摩を焚き、法話を代替させられているうちに、阿含宗
の僧侶は実力をつけました。私も、何人かの僧侶の法話を聞きましたが、傾聴に値
する話をされていましたね。管長の若い時にに勝るとは、お世辞にも言えないけど
もw、まぁまぁ、良い話をしていました。
これなら次世代の阿含宗も、安泰でしょうね。
批判派は、管長の衰退を批判する。しかし、大局的に考えてみたまえ。
管長が、生涯現役とばかりに、100歳以降まで、護摩を完璧に焚き、法話を
完璧にこなしたら、弟子は育つかね?
それじゃあ、管長が入滅したら、即危機になるね。
そうならないように、今は弟子にも護摩を焚かせ、法話をさせて育てている。
今では阿含宗の僧侶も、いい法話をしてますよ!批判派も一度は聞いて、反省
したらよいね。そうすれば、来世には浮く瀬もあるであろうw。
- 348 :名無しさん:2011/10/17(月)
21:33:02
- インターネットを利用して,登記事項を確認するサービスについて
(法務局サイト)法人も調べられます。
http://houmukyoku.moj.go.jp/tokyo/static/netriyou.html
- 349 :干柿:2011/10/17(月)
22:44:31
- >>347
ばかだね!嘘仏教の阿含教学など身に付けた偽坊主など育ってもなんにもならんわw
んで指導できるってわけ?おたくさんの言う指導ってのは阿含宗のインチキ
誤魔化し四神足法とかをいかにもそれらしく信者に夢をみさせ喜ばせるような
話ができるってことなんだろw桐山ゲイカの騙しの話術を出来るように
つまりは洗脳術(笑)でも無理だな、もはや昔みたいな栄光は二度と来ない
だいたい
本当の阿含経やらキチンと信者にわかりやすく指導できるのかよ
もしできたらハッキリ言って阿含宗にはいられないね。
桐山ゲイカでさえ出来ねえのにまあインチキはおしえられるけどw
- 350 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/17(月) 23:53:48
- >>347:準シュダオン11/10/17(月) 19:10:54
>笑うしかないのうw。阿含宗では土地浄霊という。
>他宗ではなんというのかな?それを詐欺というのなら、みんな詐欺ですw。
>宗派による名称が違うだけですね。騙されてはいけません。が、
では他宗とやらの行事を名称と内容を書いて、アゴン宗と同じことやってるのだと
具体的に示してみなさいな。
なるほど災害犠牲者や戦没者などの慰霊法要みたいなことは他宗でもやります。
しかしその名称や形式の類似だけにとらわれていっしょくたにしなさんな。
他宗の法要で災害犠牲者や戦没者やわざわざ戦国時代の敗退した武将まで拾い出して
彼らの怨念がもとで現代の災害や交通事故の原因となり、次の戦争を引き起こす
引き金になっているから、これを解消する為に法要を営むのだと活動している
教団を示してみなさい。
そんな物の言えない先人たちを不当に侮辱したふざけた法要はアゴン宗以外に
聞いたことがない。
- 351 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/18(火) 00:19:01
- >>347:準シュダオン11/10/17(月) 19:10:54
>客観状勢として、阿含宗の坊さんは、育っています。管長の意図なのか、否かは
知らぬが、管長の代わりに護摩を焚き、法話を代替させられているうちに、阿含宗
>の僧侶は実力をつけました。私も、何人かの僧侶の法話を聞きましたが、傾聴に値
>する話をされていましたね。管長の若い時にに勝るとは、お世辞にも言えないけど
>もw、まぁまぁ、良い話をしていました。
お話が立派に見えればそれでよいのか?
桐山さんは口だけで偉そうなことを話す坊さんを嫌ったのです。
変身の原理や念力をご覧なさい。
説教や法話ならオウムにだってピイチクパアチク話せると毒舌で腐している。
あの頃はマイナーな拝み屋教祖だったから偉い坊さんに嫉妬したのでしょう。
あの頃は松原泰道さんとか、薬師寺の高田好胤さんとか大仙院の尾関宗園さんとか
著書まで書いてましたからね。
そこでアジャリは黙って法を磨けとして「法力」を不可欠最重要視したのです。
したがってあなたも法務部の坊主モドキに要求すべきは法力、霊力、成仏力です。
その法力を示す前提にあたり護摩などの焚き火作法ができるなんて当たり前の前提です。
だから護摩作法をやっていることが判断の指標などではなく、その内容です。
本当ならば桐山さんが衰えるもっとずっと前から法務部に限らず一般信者でも
護摩が焚け、その中の選りすぐりから桐山さんが直に厳しい指導を課して、
○○の護摩はよし、●●さんの護摩はまだ駄目としていなければならない。
しかし結局我々に目に見えることは焚き火ができるというそのお作法だけしかない。
法力なんて見えないのです。
そんなことはない。法力というのは目に見えてわかる効果だと一般論を言うのは容易い。
しかしアゴン宗の解脱供養などの護摩は法務部の子分どもだけでなく大親分の
桐山さんが焚く護摩でも法力など認められないではないか?
その証拠があなたも私も多くの信者も申し込んだ解脱供養の護摩です。
何の効果もない。
効果以前に何がどういう霊障だったのかも不明です。
桐山さんが焚こうがF田さんが焚こうが何も変わらない。
形式パフォーマンスが全てだからです。
- 352 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/18(火) 00:37:07
- >>347:準シュダオン11/10/17(月) 19:10:54
>批判派は、管長の衰退を批判する。しかし、大局的に考えてみたまえ。
>管長が、生涯現役とばかりに、100歳以降まで、護摩を完璧に焚き、法話を
>完璧にこなしたら、弟子は育つかね?
>それじゃあ、管長が入滅したら、即危機になるね。
衰退を批判するのは彼のグモンジ教義、脳障害の因縁などの解脱教義によれば
あの年でああ衰えることがおかしいからです。
ああいう衰えを知らぬグモンジ脳だの天才にはなれねども頑健な肉体だけは約束しよう
などと大風呂敷を信者大衆に示さなければ、老化による衰退など批判の対象とすらしません。
全ては桐山さんの自業自得です。
あなたは前に桐山管長は120歳くらいまで生きるとか書いてましたよね。
おめでたいことにそう信じているわけだ。
あなたの書き分によるとまるで桐山さんが百歳になっても護摩を自分が占領し
弟子にそのチャンスを与えないようでは困るから敢えて焚かせているのだみたいに
思わせる言い訳を書いているが、現実はそうでなく、桐山さんは百歳よりも
遙か前に護摩すらまともに焚けなくなるほど衰退したから、仕方なく法務部に
焚かせることにしたのです。
その際にそれまでは一度も認めたことのない「F田は成仏法を体得しているから
彼の解脱護摩で成仏している」といつのまにか示したのです。
そうしないと霊感商法という商売が成り立たないからです。
霊感商法は脅しただけでは駄目だ。脅した上で救ったことにしとかないと。
- 353 :ラシン:2011/10/18(火)
10:43:43
- >>346
>だから洗脳されたカルト教団は、潰れにくいといえるかもしれません。
だが今後を考えれば、例の「暴力団排除条例」の施行は教団の要である
火の祭典というイベントに、深刻な影響を与えるかもしれない。
いわば地場の縄張りを持つ裏スジ関係団体との調整です。
それらの交渉調整のための金品受渡しや会食等は、
暴力団への利益供与だから「密接交際者」と判断されるゆえに、
教団も動きづらいでしょうね。
だからといって縄張り内での既得権行使をみすみす見逃さないのが、
暴力団という体質です。
引けば地元と摩擦が生じ、供与に関与すればバレたらレッテル貼りです。
金融機関はもちろん社会的信用、強いては宗教法人という資格そのものにも
影響をきたすことになるでしょう。
誰が護摩を炊き、霊視がどうなのかという内部的矛盾だけではない、
教団存続の根幹が揺さぶられるくらい「暴排除条例」はボデェイブローのごとく、
徐々に効いてくるやも知れません。
- 354 :ラシン:2011/10/18(火)
11:16:06
- >347 :準シュダオン:2011/10/17(月) 19:10:54
笑うしかないのうw。阿含宗では土地浄霊という。
他宗ではなんというのかな?それを詐欺というのなら、みんな詐欺ですw。
あいかわらず常識という枠外からブっ飛んだ、ご意見です。
これで社会人としてまた一部、公な仕事をなさっていられる、
日本とは良い国です。
また、”詐欺と恐喝性”と括っているのだから、少しは自重しなさい。
質問なら、アゴン宗のように集団的自発的かつ積極的に”詐欺と恐喝性”を
掲げて「土地浄霊」を勧誘している宗教団体が、他にもあるんですか?
家を新築する際などは、神道などで「地鎮祭」を依頼する人も居るに過ぎない。
アゴン宗のような破滅のカルマのノルマなんてありゃぁ、しませんよ。
それも理由はいちおう、儀式としての日本古来よりの文化形態です。
施主や請負者やセールスマンの功徳や積徳などの釣り餌など、全く無しです。
- 355 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/18(火) 12:49:27
- >>347:準シュダオン11/10/17(月) 19:10:54
>笑うしかないのうw。阿含宗では土地浄霊という。
>他宗ではなんというのかな?それを詐欺というのなら、みんな詐欺ですw。
>宗派による名称が違うだけですね。騙されてはいけません。
>>354でラシンさんが地鎮祭の話を書いてますね。
あなたが出したかったのが地鎮という名称だったのかはわかりません。
しかしとにかく地鎮祭であれ他の何であれ、名称が違うと書いたからには
その違う名称を書いて示すのが当たり前ではないか?
地鎮祭だとすると例えばこんなふうになる。
「アゴン宗では土地浄霊というけど、神道では地鎮祭というものがあり、
どこの企業でも家庭でも新築の際はこれを取り扱うことが多い。
地鎮とは鎮めることであり、土地を鎮め、浄めることである。
浄めるとは裏を返せば不浄だから浄めるんでなえかえ?
世間で行われてることが詐欺でなく、アゴン宗だけがなぜ詐欺か?」
てなふうに切り込むべきなんです。
それでこそ周囲の人も、なるほど、どうなんだろう?と注目させられるほど
ある面説得力のある切り込みです。
そういう具体的な話に持ち込めないところがあなたの卑怯なところなんですね。
地鎮祭の話に答えると、これは決して土地の先祖先人の侮辱に値しません。
土地の神様を想定して玉などを埋めて奉納し、神様に喜んでいただき
この土地、家屋をお守りくださいませという儀式ですからね。
それを知った上で参加してるのだから土地の神様が本当にいようがいまいが
詐欺とは言えない。
もちろん神道とは悉く浄める営為です。
しかしそれはお客さんを迎えるから家を掃除するのと同じ感覚です。
もちろん汚いから掃除するんだろ?となるが、アゴン宗みたいに特定の先祖が
霊的に汚して子孫に悪影響を与えているから、これを掃除するのだなんて
考えは地鎮祭にすらない。
- 356 :ラシン:2011/10/18(火)
17:56:54
- >>353
>引けば地元と摩擦が生じ、供与に関与すればバレたらレッテル貼りです。
金融機関はもちろん社会的信用、
火の祭典であるアゴン宗の星祭というイベントは、
教団にとって集金の要です。
しかし、地元裏社会とは切れない関係があるはずですが、
この「暴排条例」をどうするツモリなのでしょう。
と言いますのも、シンスケ芸能界引退に見るように、
そのほとんどが内外問わずの告発によるものだからです。
近々の例では、(YOMIURI
ONLINE)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
暴力団排除条例の施行を受けた取引中止の通告に腹を立て、
中堅ゼネコン「東急建設」(本社・東京都渋谷区)から
現金1億円を脅し取ろうとしたなどとして、警視庁は18日、
福岡県久留米市の建設関連会社「菊池興業」社長・菊池通昌容疑者を
恐喝未遂と会社法違反(利益供与要求)の疑いで逮捕した。
ー中略ー
捜査関係者によると、菊池容疑者は今年2月、東急建設九州支店が
菊池興業との関係を断とうとしたことに腹を立て、「退職金をよこせ」と
1億円を脅し取ろうとした疑いが持たれている。
また、3〜4月には、「あんたの会社と暴力団との関係を公の場で説明する」
などとする株主総会への質問状を東急建設に郵送し、
取引の継続を求めるなど利益の供与を要求した疑い。
東急建設本社が同庁に被害届を提出していた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これなど、現状事件のホンの一部が表面に出たものでしょう。
意外と内偵されやすい条例のようです。
- 357 :準シュダオン:2011/10/19(水)
12:00:05
- >もちろん神道とは悉く浄める営為です。
>しかしそれはお客さんを迎えるから家を掃除するのと同じ感覚です。
>もちろん汚いから掃除するんだろ?となるが、アゴン宗みたいに特定の先祖が
>霊的に汚して子孫に悪影響を与えているから、これを掃除するのだなんて
>考えは地鎮祭にすらない。
ユビさん、地鎮祭の解説ありがとう。わたしのレスから、ユビキタスさんが補足して
くれたようなことを、思いついてくれるようでなくては、レスが疲れるねw。
具体的な話に持ち込まないのは卑怯、との仰せですが、子どもにレスしてんじゃないし、
加持祈祷する宗教なんてのも沢山あるでしょう、人々の悩みに応じてね。
霊障を起こしてる先祖霊が、子孫に悪影響を及ぼす、という教えは、阿含宗たる
所以でね、それを否定したのではわざわざ一宗を立てる必要はないでしょ、
神道や既成仏教で間に合うよ。
だから、それを否定する人は、既成仏教に行ってなさいよ。
管長に言わせると、伝統仏教というのは、
「古典的な仏教スタイル=世俗的な倫理の道」(オウム真理教と阿含宗・本P212)
なのですからね。
- 358 :深山:2011/10/19(水)
12:51:52
- >>347:準シュダオン11/10/17(月) 19:10:54
>笑うしかないのうw。阿含宗では土地浄霊という。
>他宗ではなんというのかな?それを詐欺というのなら、みんな詐欺ですw。
>宗派による名称が違うだけですね。騙されてはいけません。
読んでいる信者さんたちは、準シュダオンさんのような嘘つきの
詭弁に騙されてはいけませんよ。
この人の詭弁の一つは、物事を逆に言うことで、ごまかすことです。
世間で普通に行われている土地の地鎮祭も先祖供養も詐欺などではありません。
アゴン宗はこの詐欺ではない地鎮祭や先祖供養であるかのように
みせかけて、中身をすり替えて、人を脅かし騙しているのです。
その点を批判しているのに、アゴン宗が詐欺なら、
世間の地鎮祭や先祖供養が詐欺だろうという準シュダオンさんの
指摘は、論点を逆にして、もっともらしく見せかけているだけです。
「オレ様が泥棒だって?オレは人間で、おまえも人間。同じ人間であるオレが
泥棒なら、お前も泥棒ということになるだろう」というのと同じです。
こういうすり替えを平気でする準シュダオンさんて本当に悪質です。
- 359 :深山:2011/10/19(水)
12:55:12
- >>357 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/10/19(水)
12:00:05
世間の地鎮祭や先祖供養は詐欺ではない。
それに対して、アゴン宗は見かけや名称は同じだが、中身が違う。
その違いを>>355などでユビキタスさんが説明しています。
信者さんたちに日本の宗教をよく振り返ってほしい。
死者が祟るという考えは非常に古く、古事記にすでに出てきます。
8世紀頃には、御霊信仰として、祟る死者への供養祭が行われている。
そう言うと、信者さんたちは「アゴン宗と同じだ」と言うかも知れないが、違うのです。
いくつかの点で違う。
その違いを理解しないと準シュダオンさんのような詭弁にひっかかる。
一つ目は、祟る死者は、特定の悪事を為した者に祟るのです。
崇りで有名なのは菅原道真です。
だが、彼が祟ったとされるのは、彼に悪事を働いた者たちです。
一般庶民に無差別に祟ったりしない。
江戸時代には、オイワさんなどが祟る死者として有名だが、
オイワさんが祟ったのは、彼女を殺した相手です。
つまり、この2例を見てもわかるように、死者が祟るのは、
「悪事を為した相手」です。
これに対して、アゴン宗では、死者が原因で天災人災が起こし、
死者が何の罪もない一般庶民に害を為すとしている。
日本の伝統的な祟りと本質的に違います。
- 360 :深山:2011/10/19(水)
12:59:11
- >>357 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/10/19(水)
12:00:05
>霊障を起こしてる先祖霊が、子孫に悪影響を及ぼす、という教えは、阿含宗たる
>所以でね、それを否定したのではわざわざ一宗を立てる必要はないでしょ、
何度も説明しているのに、相変わらず準シュダオンさんは無知が満載です。
読んでいる信者さんたちは、彼の真似をせずに宗教史をきちんと学んでください。
アゴン宗のように誰にでも祟る死者を作ったのは、
アゴン宗の「祖母」にあたる霊友会の教祖です。
彼女は誰にでも祟る先祖を作り上げ、信者に配布した。
この霊的な強迫が功を奏して、大教団になった。
桐山さんはそこから分派した立正佼成会からこの教義を学び、
「誰にでも祟る死者」「祟る先祖」を作り上げた。
一家に一体の祟る先祖を、一人に一体、一人に何体も祟る先祖を作り、
さらに死者たちは不特定の一般人にことごとく祟りをなす事にした。
だから、信者さんたちは護摩を焚くのでしょう?
長崎で護摩を焚くのも、霊障の死者を成仏させるためだというが、
それは霊障が生きている人たちに害をなすからという理由です。
死者たちのためなどではなく、自分のためですよね。
一見、死者の供養だからきれいな話に見えるが、
アゴン宗の動機は、害をなす悪霊を追い払う儀式をしているにすぎない。
あなた方がしている行為で最も近いのはキリスト教のエクスシストです。
だが、日本では物事を善と悪に区別して、悪を徹底的に排除するという
やり方はしないのです。
それが二つ目です。
- 361 :深山:2011/10/19(水)
13:03:38
- >>357 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/10/19(水)
12:00:05
>霊障を起こしてる先祖霊が、子孫に悪影響を及ぼす、という教えは、阿含宗たる
>所以でね、それを否定したのではわざわざ一宗を立てる必要はないでしょ、
二つ目の大きな違いは、死者に対する態度です。
日本は「共生」の道を選んだ。
菅原道真は、ご存じのように、天神様になっている。
崇り神ではなく、守護神になった。
丸の内の一等地には今でも将門の首塚がある。
これが日本のやり方なのです。
崇り神を排除するのではなく、しかるべき地位を与えて、「共生」した。
悪魔を殺し排除するのではなく、共に生きる道を選んだのです。
だから、日本の文化には悪魔がいない。
鬼がいるが、神に敵対するものではなく、悪魔とは概念が違います。
悪魔という概念は日本には定着しなかった。
だが、アゴン宗は死者を徹底的に排除する。
不成仏霊たちにはことごとく、あの世という別な世界に
行ってもらうことになっている。
これは成仏と称する排除であり、死者の殺戮です。
邪魔者である彼らにはあの世に行ってもらいたい。
彼らと共生ではなく、自分の周囲から排除しているのです。
それはナチスのユダヤ人殲滅と同じ、殺戮だと気がついていますか。
日本のこれまでの共生とは似て非なるやり方です。
しかも、ナチスが社会問題をすべてユダヤ人のせいにしたように、
アゴン宗は霊障のホトケなどという無実の罪をなすりつけている。
- 362 :深山:2011/10/19(水)
13:06:47
- >>357 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/10/19(水)
12:00:05
>霊障を起こしてる先祖霊が、子孫に悪影響を及ぼす、という教えは、阿含宗たる
>所以でね、それを否定したのではわざわざ一宗を立てる必要はないでしょ、
不成仏霊というから曖昧なのであって、
桐山さんのいう不成仏霊とは「悪霊」のことです。
家運を悪くして、生きている人たちの運を悪くして、
ついには戦争を引き起こし、さらには大地震や原発事故まで起こすという。
死者の意志にかかわらず、存在するだけで霊障という毒ガスを
放っていることになっている。
桐山さんによれば、先祖は子孫に祟ろうなんて気にないが、
そこにいるだけで運気を下げるのだという。
いるだけで、温度が下がると桐山さんは言っていた。
省エネ用に「霊障エアコン」でも発売したらどうか。
生きている人に悪影響しか与えないのだから、いわゆる悪霊です。
だから、アゴン宗の分類をわかりやすく言うなら、
「不成仏霊=悪霊」
「霊障のホトケ=悪魔」
これがアゴン宗の図式です。
そのとおりでしょう?
信者さんを可愛がってくれたおじいちゃんやおばあちゃんを
悪霊や悪魔扱いしているのですよ。
その事に気がついてください。
日本の宗教史上、死者をこれほど悪霊や悪魔扱いしたのはアゴン宗が初めてです。
- 363 :深山:2011/10/19(水)
13:10:13
- >>357 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/10/19(水)
12:00:05
>霊障を起こしてる先祖霊が、子孫に悪影響を及ぼす、という教えは、阿含宗たる
>所以でね、それを否定したのではわざわざ一宗を立てる必要はないでしょ、
アゴン宗は死者を排除していると指摘すると、
「いや、不成仏霊も増益供養で守護神になる」と反論するでしょう。
そのとおりだが、お金を払った場合ですよね。
桐山さんに金を払わないうちは、全員が不成仏霊、霊障のホトケです。
しかも、一人の不成仏霊が複数の子孫に崇るなど、何倍にも増殖するという。
桐山さんが不成仏霊を守護霊にするとしたのは、そのほうが金になるからです。
不成仏霊を守護霊にするには、徳がないとダメです。
その徳とは、信者が出す金品です。
元々、守護霊になれるような先祖を守護霊にするのに比べたら、
不成仏霊を守護神にするのには「支度金」が高額になる。
単なる金儲けの手段です。
しかも、守護霊や守護神になるのはごく一部で、ほぼ全員を
成仏させると称して、あの世に追放する。
桐山さんの儲けになる死者だけを残して、残りの死者には
罪をなすりつけて名誉を汚し、あの世に放り出す。
これがアゴン宗のしていることです。
- 364 :深山:2011/10/19(水)
13:16:46
- >>357 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/10/19(水)
12:00:05
>霊障を起こしてる先祖霊が、子孫に悪影響を及ぼす、という教えは、阿含宗たる
>所以でね、それを否定したのではわざわざ一宗を立てる必要はないでしょ、
普通の地鎮祭は、土地の神様に「きちんとした使い方をしますから、ここに
建物を建てるのを許してください。共に住みましょう」という挨拶です。
土地の神様がどんな存在かなんて問わないから、普通の神主は
「崇るホトケがいたのを追っ払いました」なんて言わない。
だが、アゴン宗の土地浄霊では、霊障のホトケなど不浄を追い払い、
焼き浄めると称している。
共生ではなく、排除です。
「ヲマイら、不成仏霊がいると、霊障のカルマでこの場所を汚す。
ヲマイらは霊的に不浄なんだよ。
そのカルマという汚れがあると、ここで生きている人たちの運気をそぎ、
悪い事件や災害が起きる。
ヲマイらが犯人だ。だから、出て行ってくれ」
これがアゴン宗の護摩ですよね。
まるで、ヤクザが因縁をつけて所有者を追い払うような光景です。
今度の長崎での護摩もこれです。
これを信者さんたちは原爆犠牲者に向かって言っているのと同じなのですよ。
私も信者時代、それをした。
だから、信者さんたちに警告しているのです。
そんなひどいことを死者たちにしていることに気がついたら、
一刻も早くやめるべきです。
でなければ、準シュダオンさんと同じ恥知らずになってしまいます。
信者さんたちはさすがに準シュダオンさんと同類には扱われたくないでしょう。
だったら、自分のしていることをよく考えてください。
- 365 :深山:2011/10/19(水)
13:21:20
- >>357 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/10/19(水)
12:00:05
>霊障を起こしてる先祖霊が、子孫に悪影響を及ぼす、という教えは、阿含宗たる
>所以でね、それを否定したのではわざわざ一宗を立てる必要はないでしょ、
信者さんたちは死者を侮辱しようとか、悪霊呼ばわりする気などなく、
死者たちに深く同情しているのはわかる。
だが、実際にしていることは、死者への愚弄であり、冒涜です。
自分にその気がなくても、他人の足を踏んづけたら、
謝罪して、次からは踏まないように気をつけるのが普通です。
信者さんたちも同様ではないか。
すでにアウシュビッツはじめあちらこちらでアゴン宗は死者を
愚弄し、冒涜する行事を繰り返してきた。
アウシュビッツの気の毒としか言いようのない死に方をした人たちを
信者さんたちは霊障のホトケと罵った。
桐山さんは「地獄の苦しみ」と文章にした。
ナチスが地獄の苦しみならわかる。
無残に殺されたほうが地獄の苦しみって、それどういう意味ですか。
犠牲者を地獄に堕ちていると罵っているのと同じですよ。
六十年もたったから、さらに彼らの名誉を汚すなんて、
あなた方はユダヤ人に何か怨みでもあるのか。
アウシュビッツ護摩でしたのと同じ間違いを、信者さんたちは
また長崎護摩で繰り返すつもりですか。
護摩木一本でも書いたら、死者たちを侮辱したことになる。
自己満足のために、アゴン宗での成績のために、
法施という夜店のガラクタをもらうために、
死者たちを悪霊呼ばわりして愚弄し、悪業を積んで、何をしたいのだ?
逆の立場で、自分が死んでから、名誉が汚されたら、どんな気持ちですか。
原爆でひどい死に方をしたのに、その上、さらに狂信者たちから
霊障のホトケという汚名まで着せられている。
自分が彼ら立場ならどう思うか、考えてごらんなさい。
- 366 :ラシン:2011/10/19(水)
13:47:03
- >>357 :準シュダオン:2011/10/19(水)
12:00:05
>霊障を起こしてる先祖霊が、子孫に悪影響を及ぼす、という教えは、阿含宗たる
所以でね、それを否定したのではわざわざ一宗を立てる必要はないでしょ、
神道や既成仏教で間に合うよ。
そうならば、神道の儀式である地鎮祭などが脅迫や詐欺なのか?
と問われて、このかたの主張回答は、まるで整合性がない。
ただその場限りの言い訳にすぎない。
二日前に言ったことは、下の通りです。
>>347 :準シュダオン:2011/10/17(月) 19:10:54
笑うしかないのうw。阿含宗では土地浄霊という。
他宗ではなんというのかな?それを詐欺というのなら、みんな詐欺ですw。
宗派による名称が違うだけですね。騙されてはいけません。
アゴン宗の脅迫観念を押し付けて行う土地浄霊が詐欺なら、他も内容が同じで、
名称が違うだけと言っておきながら、ケロっと>>357のようにアゴン宗だけが
特別のような言い草です。
マダラボケと言えばそれで終わるでしょうが、その根性は腐っています。
あなたの行いは「ドロボー」だと言われて、その行いの理由が特別だと、
応えるようなものです。
泥棒をしておいて理由が特別ならそれは「ドロボー」ではない、
と開き直っていることになる。
霊障話しや子孫への悪影響が出るという教説で金を集めたら、
それは脅迫、恐喝だと言っているのにその反論が、
それがアゴン宗ならではの所以だと開きなおった。
第三者が、客観的に確認できないモノを理由に金を集めている。
それがアゴン宗です。
それも、信じるという信仰に「霊障」という重石をつけて脅迫観念を煽り、
それが善行だと自惚れている。
あなたの家から財産を盗んでおいて、相続争いの元を防いであげたのだから、
それは、「ドロボー」ではないと言ったに等しい。
病気になるぞと脅して病気除けのマジナイで金を取っているのと変らない。
- 367 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/19(水) 20:38:34
- >>357:準シュダオン11/10/19(水) 12:00:05
>ユビさん、地鎮祭の解説ありがとう。わたしのレスから、ユビキタスさんが補足して
>くれたようなことを、思いついてくれるようでなくては、レスが疲れるねw。
>具体的な話に持ち込まないのは卑怯、との仰せですが、子どもにレスしてんじゃないし、
そういう態度をスレで晒したいのならば、ご自由にどうぞ。
こちらとしては議論の相手が不遜である方が都合がよい。
このスレにはあなたと私の2人で議論しているのではなく、常に物言わぬギャラリーの
監視下にある。そこであなたが民間企業ならば通用しない能無し威張り役人の
ような態度をとることを皆物言わぬながら評価している。
人を説得したかったら数字を出すか、出せなければなるべく具体的な話を出さねば
誰も理解もしてくれない。
理解以上にその態度の悪さにギャラリーは引きます。
あれアゴン宗の信者なんだってねえ。まあアゴン宗の信者が皆ああだとは思わないけど
とにかくアゴン宗の信者にああいうのがいるのだな。
それに比べて批判側は、そんな具体性を示さぬ無意味な書き込みに対しても助け舟
まで用意して補足して相手にしてやるとは健気なもんだ。
なんてこちらの評価が上がり、そちらの評価が下がるだけなんですから、
これからもどんどん評価を下げなさいな。
- 368 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/19(水) 20:56:18
- >>357:準シュダオン11/10/19(水) 12:00:05
>加持祈祷する宗教なんてのも沢山あるでしょう、人々の悩みに応じてね。
加持祈祷をするから詐欺だなんて批判なんかしたことはありません。
それは宗教全般の否定になる。
そういう人もいるだろうが、私はそうではない。
神仏みたいな大きな存在を信じ、祈る宗教などごまんとある。
ただお釈迦様はそのような超自然的な存在に祈り頼ることを否定し、批判しました。
しかし私はお釈迦様みたいな厳しいことは言わず、祈ることが煩悩ではあっても
すぐに詐欺だなんて断じません。
だからある教祖が善意で神仏を信じて病気などが治るように祈祷していても
それを詐欺だなんて言いません。
私らがアゴン宗を詐欺だと批判するのは、そこに悪意が見えるからです。
それが解脱供養などの霊感商法です。
桐山さんに霊視などできないのは歴史上実在しなかった武士の怨念を霊視して
これを昇天させたなどとほざいていることでわかる。
私も一般論的に霊魂を否定などもしないし、祟りだってあるかもしれないという
立場ですが、桐山さんはそんな純粋な善意とは逆の、嘘をついてまで霊感商法を
したいのです。それがよくわかるから、こちらはその悪意の確信犯宗教を詐欺だと
批判するわけですね。
加持祈祷宗教の中には桐山さんと同列に批判されてもおかしくない輩もいるだろうが、
全部が全部そうだとは思わない。
だからここに一般論を持ち出すのが間違いなんです。
こちらはあくまでも具体的な内容を詐欺だと批判しているのだから、よく読むように。
- 369 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/19(水) 21:08:11
- >>357:準シュダオン11/10/19(水) 12:00:05
>霊障を起こしてる先祖霊が、子孫に悪影響を及ぼす、という教えは、阿含宗たる
>所以でね、それを否定したのではわざわざ一宗を立てる必要はないでしょ、
>神道や既成仏教で間に合うよ。
>だから、それを否定する人は、既成仏教に行ってなさいよ。
おかしいですね?桐山さんは既成仏教に霊感商法の脅しがないからこれを付加した
新商売を世に提唱したはずではないですよ。
釈尊の教えが唯一残されている阿含経に価値を見出したから、他宗を非難攻撃
してまで、アゴン復活を図ったはずです。
しかし皮肉なことにその阿含経において桐山さんの霊感商法の目論見は完全に
明快に否定されてしまったのですが。
あなたも釈尊のつまらぬ仏教よりも、これからかけ離れたオカルト宗教に憧れたんでしょ?
- 370 :ラシン:2011/10/20(木)
00:52:37
>>357:準シュダオン11/10/19(水) 12:00:05
>加持祈祷する宗教なんてのも沢山あるでしょう、人々の悩みに応じてね。
だから何を言いたいのですか?
ここのスレは、アゴン宗や桐山さんについて議論する板です。
桐山批判への反論が、「加持祈祷する宗教なんてのも沢山ある」??
だから何なのですか?
それって、駐車違反を取り締まられて他にも違反者がいると、
開き直って食って掛かる違反者の愚行を見せつけられるようなものだ。
それも、アゴン宗信者の先達サマが、わざわざその方法を
教示してくれても誰も頷きません。
はっきり言えばここでは、他の宗教の違法性などの議論の場でない。
伝統仏教や神道の是非などの「お勉強する」板でもない。
苦し紛れにアゴン宗以外の宗教を持ち出しても、議論の対象外です。
桐山さんが既成仏教をいくら批判したからと言って、
アゴン宗が正しいことにはならない。
桐山さんが既成仏教の方式にタダ乗りしながら、それに脅迫と言う
重石を信者に持たせているのだから、既成仏教批判を言える義理も
資格も無い。
あなただけでなく、霊障を起こしてる先祖霊が誰に見えているのだ?
桐山さんもあなたも第三者に確認させることも出来ずして、
信者たちに金を持って来いと言うのは、乱暴な恐喝行為です。
家屋を地震補強するために、深層基礎部分に見えない杭を打った、
と言われ、工事代金を請求されて喜んで払うバカはいませんよ。
それと同様な”詐欺と恐喝性”があるのがアゴン宗商法だ、
と批判している。
あなたはそれについて反論できたためしがない。
桐山さんの代理信者がどう育とうが、仏教の教義を間違えた説教に
どんな意義や懺悔を促すことができるのですか。
桐山さんは常々、護摩壇で護摩を焚き続けて死ぬと豪語していたが、
それが今の女々しい姿はなんですか。
桐山さんを庇うなら詭弁を弄せず、正々堂々と桐山節で反論しなさい。
- 371 :Boo:2011/10/20(木)
01:24:47
- 話を整理すると、そもそも、桐山カンチョウが提唱するのは「因縁解脱」と
「超能力開発」の二点です。平たく言うと「超能力」により「霊障解脱」が可能に
なり、「霊障解脱」で「因縁解脱」が可能になる。
準シュダオンさんがいくら力説しても、上記のことが確認されなければ、アゴン宗
の存在理由は無いと行っても過言ではないと考えます。
今のところ、「超能力」も「因縁解脱」も客観的に確認できる何もありません。
100歩譲って、限りなく主観的ではありますが、弟子かカンチョウの身内で
超能力を身に付けたもの、あるいわ因縁解脱したものがいるのか否か。そのことが
確認できれば伝統仏教に対してアゴン宗の存在価値はあると考えましょう。
立宗以来半世紀経って、私の知る限り唯一の「内弟子」が因縁解脱
も超能力も獲得する前に破門になり、裁判沙汰を起こすなど、釈尊の
仏教を語り超能力や因縁解脱を語る以前の話であると思うのですが・・・
いかがでしょう?
準シュダオンさんが「この人は因縁解脱、あるいは超能力開発完成者です」
と言える人はいますか?
- 372 :名無しさん:2011/10/20(木)
07:09:42
- アゴン宗は、仏教的に正しいとか正しくない以前として、「問題あり」ということですね。
Booさんの指摘の通りです。
アゴン宗の売りの「超能力」「霊障解脱」「因縁解脱」、この3つとも実現できていないからです。
特に大看板の「因縁解脱」に至っては、教祖の姿を見れば一目瞭然です。
全くできていません。
超能力を得た弟子もいない。むしろ内弟子と称する元愛人から訴えられるという「因縁解脱」が
できていない姿をあらわにしています。
「霊障解脱」にしても存在しない霊障武士やソンディの甥を霊視して「悪因縁の原因」と
まで言ってしまっている赤恥。
仏教的に正しいとか正しくない以前に、アゴン宗がインチキであることが
わかります。この点においても大問題ですね。
- 373 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/20(木) 08:48:43
- >>372:名無しさん11/10/20(木) 07:09:42
>仏教的に正しいとか正しくない以前に、アゴン宗がインチキであることが
>わかります。この点においても大問題ですね。
全くそのとおりです。
実はシャカの仏教を標榜していながらも釈尊の仏教とは真逆、反逆であることに
対する指摘は、批判のほんの一部に過ぎず、もっと重要な、悪質な倫理にもとる
問題があるのです。
それが桐山さんが掲げてきた数々の嘘であり、嘘を平気で説くことからこの商売が
始まっている。
宗教的な問題なんかわからなくても、嘘は悪い、人を騙すのは悪い、それだけです。
- 374 :ラシン:2011/10/20(木)
14:25:30
- >373 :ユビキタス
>宗教的な問題なんかわからなくても、嘘は悪い、人を騙すのは悪い、それだけです。
【嘘】事実を曲げてこしらえたこと。本当でないこと。偽り。(ネット辞書)
そもそも桐山さんは、僧侶の資格もなければアジャリでもない。
桐山さんが、自らそれらの指摘に反論されていないのですから、
証明できないと判断されても仕方がない。
結果から見れば不妄語戒の破戒者です。
最初から、つまづいている。
最近の繰り返された「三福道」も経典を捏造しウソを書いていた。
つまりネット辞書にある、”事実を曲げてこしらえた”行為者です。
しかも2chで今、紹介されているようなマヤ合同祭で、
「人類の未来の為に平和を築くことを誓い」なんてイベントで謳っている。
その桐山さんは、チベットを侵略し今でも民を虐殺している中共政府に阿て、
桐山奨学基金などを創設し、北京大学名誉教授にあぐらをかいています。
年間レンタル料8000万円のパンダは、チベットに生息していたという
政治的主張もあるのです。
友好外交に役立てているパンダは、チベット侵略の象徴に見えてしまう。
また、チベットや東トルキスタンは、中共の核実験と核ゴミ処理場と化している。
そんな国に阿た桐山さんのどこが、人類の未来の為に平和を築くことを誓えるのか。
こんな人が今度も、長崎平和公園で原爆犠牲者成仏供養の焚き火をする?
- 375 :準シュダオン:2011/10/20(木)
16:04:47
- >人を説得したかったら数字を出すか、出せなければなるべく具体的な話を出さねば
>誰も理解もしてくれない。
だからねぇ、今まで何度もレスしてるでしょうが。体験の無い人とは、いくら議論
しても無駄だとね。ちょうど、パソコンに例えることが出来る。ワードやエクセル
とかを天才的に使えたとしよう。だとしても、インターネットの機能とは異質だよ
ね。管長の説く、間脳の霊界の世界は、いわばインターネットの世界です。
間脳が開いていない人は、インターネットを使わない、ワードやエクセルの世界
です。パソコンの場合は、アイコンをクリックするだけで、インターネットが利
用できます。しかし、脳の霊界の場合、どうすれば霊界を利用できるのか、私は
少しも解らない。3・11の霊示の場合も、聖なるバイブレーションの場合も、
私から働きかけたのではなく、それは一方的に向こうからやってきた。
体験の無い人は、「仏陀(メシァ)の法」本の、脳が受信機や発信機になる、なんて
話は空想物語だと思うだろうね。しかし、そうではない。
けども、体験の無い人と議論しても、骨折り損ですね。
- 376 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/20(木) 22:19:54
- >>375:準シュダオン11/10/20(木) 16:04:47
>だからねぇ、今まで何度もレスしてるでしょうが。体験の無い人とは、いくら議論
>しても無駄だとね。ちょうど、パソコンに例えることが出来る。ワードやエクセル
はははは、また話をすり替えようとしている。
いいかい?今ここでの議論の論点とは、あなたの方から出してきた、アゴン宗では
土地浄霊といい、他宗、他教団では別の名称があり、それも含めて詐欺だと
言うのかい?というものです。
この時、その別名称は何であり、アゴン宗とどういう共通性があるのかという問題を
提示され、考えるのに、何の霊的体験が必要なんだい?
単に言葉で解説すればわかることです。
それとも言葉で解説してもわからないことを書いたのかい?
>間脳が開いていない人は、インターネットを使わない、ワードやエクセルの世界
>です。パソコンの場合は、アイコンをクリックするだけで、インターネットが利
>用できます。しかし、脳の霊界の場合、どうすれば霊界を利用できるのか、私は
>少しも解らない。3・11の霊示の場合も、聖なるバイブレーションの場合も、
>私から働きかけたのではなく、それは一方的に向こうからやってきた。
もちろんこんな霊示の話なんかしていないのだ。
土地浄霊と同じ内容で別名称の他教団の活動は何かを詮索するのに間脳が開かないと
駄目なんかい?
いいかい?繰り返し念を押しておくが、私はあなたと議論なんかする気もないし、
間違ってもあなたを説得しようなんて考えてない。そんなことはお釈迦様でも不可能です。
私がしているのは、あなたと議論する形を示してその反論内容をギャラリーの皆さんに
読んでもらい、ギャラリーたちに理解してもらうことです。
だからあなたも私に理解してもらうのではなく、まずギャラリーの皆さんに理解を促して
あなたの優位性を証明してごらんなさいな。
ギャラリーの皆さんにも間脳が開くことを求めるのかい?
>体験の無い人は、「仏陀(メシァ)の法」本の、脳が受信機や発信機になる、なんて
>話は空想物語だと思うだろうね。しかし、そうではない。
>けども、体験の無い人と議論しても、骨折り損ですね。
じゃあ議論の場に現れなきゃいいじゃない?
なんでノコノコ出てくるのさ?(笑)
- 377 :ラシン:2011/10/21(金)
12:42:44
- >375 :準シュダオン:2011/10/20(木) 16:04:47
>間脳が開いていない人は、インターネットを使わない、ワードやエクセルの世界
です。パソコンの場合は、アイコンをクリックするだけで、インターネットが利
用できます。
話しをはぐらかす為に、一見デジタル風な話題に転換したツモリでも、
この老人脳は”アナログ”そのまんまです。
あなたは、インターネットは意思を電波に変えて世界中を
飛び回っていると思っているらしい。
WEBサーバーとブラウザと双方による送受信されるインターネットは、
基本、簡単に言えばDUP、ADSL、光り配線などの有線でつながれています。
電波機能もあるが、まだWEBサイトの容量の問題がある。
そのネットは、ご存知のようにプロバによって接続されている。
それらを見分けるのはIPアドで、それくらい分かるならC/P自体の機能は、
総じてコマンドに裏打ちされている。
だからアイコンをクリックするだけで、あなたでも駄文を投稿できるのだ。
エクセルもワードもすべて中身は膨大なコマンドでアプリとして出来ている。
あなたのたとえ話は、その意味でも的を得ていません。
あなたの理屈どおりに倣えば、アゴン宗の教説すら覚えていないあなたの
頭の中身は、桐山ネットに繋がるソフトウエアーが機能していないことになる。
OSがあっても、いわば桐山さんのコンテンツなどあなたには受容できないことになる。
もちろん桐山さん自身が発信できるコンテンツを持っていないしOSも壊れている。
だからデンパによる感応道交は、ムリです。
せいぜいウイルス感染くらいはしているようだ。
- 378 :Boo:2011/10/21(金)
15:57:51
- 準シュダオンさんがいかに自分の体験を神秘的に表現しようとも、あなたは
桐山カンチョウに完全否定されているんですよ。
桐山カンチョウは先ず才能のありそうな弟子を脇士にゴマを炊きます。そのうち
熱心なものにグモンジやら念力ゴマやらチャクラやらを教える構想を持っていました
ボケる前は。
そのボケる前に選抜した「内弟子」から訴えられてりゃ最早レベル以下の妄想
宗教ではないですか?
- 379 :Boo:2011/10/21(金)
16:00:16
- 準シュダオンさんが本当に才能あるシュダオンに準じる存在であるならば
カンチョウの目に留まらないはずはないんです。
この意味がわかりますか?準シュダオンさんに。
- 380 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/22(土) 05:27:34
- >>379 わっかるかな〜 わっかんねえだろうなあ〜 By 松鶴家
千とせ
おそらくわからないと思います(きっぱり)
- 381 :Boo:2011/10/22(土)
15:28:52
- >>380 やっぱりそう思いますか・・・
- 382 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/22(土) 22:30:08
- Booさんへ
追記しますと、2つの考えが見えてきます。
まず1つは、意味がわかれば愚行はできないはずです。
しかし愚行が止まらない。そうなるとわざとウケ狙いでボケ役をやって笑いを取るために
そういった役を演じる・買って出ているか、です。
もう1つは「マジわかってない」です。少し前までKYと言うのが流行りましたが、
まさしくそれで、周りがバカで自分はマトモだと思っている。空気だけならかわいいが、
空気だけでなく何が正しいかまでわからない。ただ持論だけは正しいと主張するのは有って
正論を言われてもそれが何であるかさえわからないでいるんですから救いようが無いです。
昔、欧米でしたか。こういう人が居たそうです。
数人殺人を犯した犯人が逮捕されて取調べを受けた際に言った言葉が
「俺はこの世の人口を増えすぎるのを制御しているのだ。また役に立たない人間は不要だから
この世から消してやっている。良いことをしているのだ。私のどこが悪い?」
この人は自分が悪いことをしている自覚も罪の意識もありません。
おそらく説教されても、この世のルールを説かれても認めないでしょう。
何とかは死ななきゃ治らない、さながらですね。
- 383 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/22(土) 23:33:29
- >>382
残念ながら後者である可能性が濃厚。(-_-;)
- 384 :Boo:2011/10/22(土)
23:41:53
- しかし準シュダオンさんの神秘体験なるもので、阿含宗の信仰を始めたり、
神仏からの霊示だと思ったりしているようですが、これって準シュダオンさんが
もって生まれて感が鋭いって思わないんかしら?
- 385 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/23(日) 07:15:40
- >>384
池上さんで無いですが「いい意見ですね」と納得。(本家は、良い質問ですね〜ですがw)
確かにBooさん仰せのとおり、準さんの神秘体験としてあるわけですしわかる部分は有ります。
ただ、その内容などを深く見てみれば、果たして霊示といえるかどうか、を私は見ています。
私個人もさほど強くも無く多くも無いですがそれなりに持っています。
またつい数年前まで「私にも霊示があった」とか「受けていた」とマジで思っていました。
しかし、掲示板での会話を契機にして考察してゆくとヨレヨレ教祖の類と変わらないのを知り
霊示も霊感もクソも無かったことを自覚しました。
勘が鋭い、と思わないかはその点もわかりますが、では勘が鋭いのなら真実も判別できるのでは?
と私も思うわけです。もちろん勘だけではなく常識も良識も必要とすると思うのですが、自分の霊示
だと思ったことを冷静に、また良く調べてゆくと霊示なんて代物で無い事がわかってきます。
逆にそれほど凄い霊示ならそれを生かして行けなければ行けないしなっているはずです。
ちょっと勘に毛が生えたくらいか、または錯誤が酷くて個人的に「霊示だ」と勘違いしているかなど
結構多い。ゲイカの霊示などを見ても「霊示になっていない」のを見ればただの脳障害の爺が錯誤して
「霊示だ」とか「自分は凄いんだ」と勘違いしているだけの状態です。
そして自分もそれに相当するものが多かったし、準さんの内容を見ても同様です。
霊示としても全然だし、自分も茶番であった。やはり自己を省みて分析し錯誤から離れるようでないと
マトモではないと思う次第です。
- 386 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/23(日) 07:31:08
- 訂正 逆にそれほど凄い霊示ならそれを生かして行けなければ=X
逆にそれほど凄い霊示ならそれを生かして行かなければ=○
そして皮肉なことにゲイカの行っていた事項もあながち外れてない事項があります。
それは皆さんも聞き覚えがあると思いますが、こういうやつです。
「よく私のところに霊感が強いとか霊能力がある、などと言う人が来るし巷でも見るが
そういう人のほとんどが偽者である。
変な霊感や間違った知識を振りかざして「我こそは何々だ」と名乗ったりその気になっている
人を見かける。しかし、これらはほとんどが変な霊にやられていたり勘違いしているのである。」
実は自分も在籍中に個人考察していたのとたまたまそういう例に出くわし勉強する機会がありました。
なので、自分も含めて客観的に見ることができたのです。
本当にゲイカの言うとおりでまがい者が非常に多い。さすがはゲイカ、と思いましたね。
しかし笑ってしまうのがここからで、他人を見るのはできてても「自分を観るのは盲目」なんですよ。
自分をよくチェックすると言うのは中々容易ではない。甘く見ちゃうんでしょうね。
なので一番その課題が最後に残っていたわけです。
そして教祖も「正しいものだ」と信じていますからチェックが甘いわけです。
そういうわけで自分と教祖の2つだけが残っていたわけです。
そして皆さんご存知のとおり私が掲示板に参入して学んだ。そこで初めて深く自分と教祖を観る
ことができたわけです。欺瞞も含めてチェックをすることができた。
そうしたらゲイカだけでなく自分までも「駄目判定」が出たわけです。
教祖のように悪い考えなど持ってない自分でも、駄目判定が出たときは本当に哀しかった。
しかし、その駄目判定が如何に出て厳しい結果でもおろかな行為をするよりはマシだと思います。
自分が「霊感がある」とか「霊示がビビっときた」などと言ってオカルトな人間で「あいつ頭おかしいよ」
と言われて生きる人生なんて真っ平ごめんだし、そういう人間になりたくないですからね。
なので、自分を観るというのができない人はアウトだと思っていますね。
- 387 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/23(日) 07:46:52
- 言っている本人は「霊示だ」と真剣と言うかマジに思っているはずです。
これは経験が有るのでわかります。
しかし中身を精査すれば「霊示とはいえない」となるのが大半です。
勘だけで生きてゆく・当ててゆくと言うのは中々できるものではない。
確かに世の中には勘の強い人がいて人を驚かせるレベルの人もいるかもしれない。
しかし、それを毎度・常時と言うわけには行かないのも世の中です。
そうそう通用するはずが無い。ましてや霊示です。
霊示というのは神仏や守護霊・守護神などの高級な霊が特別に与える啓示です。
勘ならまだしも「霊示」なわけですから、全然違う代物です。
そうなると中身の精査の仕方も違ってきます。単なる戯言なのか否か。
またどのような感じで的中についても見られます。
ゲイカを例に取ればわかりますが、漠然としたものが多い。または抽象的です。
こういうのは「思いつき」や「ひらめき」が多い。霊示なんて代物ではない。
尚且つこういう風に漠然と浮かぶ程度なら皆さんだってあるはずです。
そんなものを「霊示」というのはやはり「頭がおかしい」と言われても仕方ない。
それこそ抜群に当たってかなりの的中率と示唆があれば認めもするでしょう。
ですが、その霊示とやらを精査して御覧なさい。すると今まで凄いと崇めた物が
光を失ってただのガラクタになっているのが見えるはずです。
このショックは非常に大きいんですよ。
ですが、これを認めたくなくている人がいる。ゲイカもそうです。
認めなければごり押しで通せますし、威張れる。自分を守れるんですよ。
逆に「自分の錯誤」を認めるほうがキツイ。
脳障害の人はこういうのが非常に苦手なんですね。うちの親もそうだからわかる。
我を通し絶対に謝らない。間違っているのは私たちのほうだ、と言うんですよ。
屁理屈と我と執念。こればかりが強く自分を観ることができない。
教祖からこういう姿勢ですからね。
- 388 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/23(日) 07:57:04
- またそれだけ霊示を受けれる存在ならその力を有効利用して示せば良いんです。
それが示せもできないで「俺は凄いんだ」とうぬぼれる。
わかるかわからないかの様な内容で当たっただのは通用しません。
そういうことは自己で楽しめばよろしい。
それだけ凄い霊示ならちゃんと調べても信憑性のあるものなら誰も疑わない。
逆に尊敬されるでしょう。
それこそゲイカが昔言っていた「アジャリは法で示せ」ではないが、現実的に
当てて・示して見せれば別段多くを語らなくても「神認定」です。
嘘とインチキ・デタラメ・はったりで通してきた詐欺野郎に何ができますか?
霊示などふざけた所業です。
アジャリは法で示すように、偉大なる霊能者・聖者なら黙って霊示で示せ、です。
準さんはただの会員さんなんでゲイカほど責めませんが、ただ錯誤と自慢は
やめたほうが良いかもです。もう自慢話は聞き飽きたし見たくありません。
ましてや霊示なんて崇高なものを受けれる輩ではない自覚は持った方が良いです。
余計なお世話でしょうけどね。
- 389 :Boo:2011/10/23(日)
12:27:40
- ははは、これだけ辛辣にかつ丁寧に説明されても、彼の人の心には
届かないんでしょうね。
- 390 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/24(月) 05:21:22
- >>389
おそらくそうかと。今まで全肯定し改めたことなど無かった方ですからね。
自分が一番、をやっているうちは無理でしょう。
- 391 :アゴン:2011/10/24(月)
15:40:47
- アゴンを擁護するというよりも、ほんと自分の霊能自慢に終始していますよね。
私の身内もそうなので、よくわかります(笑)
別に直感があたる外れるは、いいんですけど、アゴン宗を信仰して授かった霊示ってのが胡散臭いんですよね。(笑)
管長の声がした、あるいは指示があったというのが、うちの身内でして。その指示に従うのがうちの家族です。
こわい見本です。
んで、最近の僧侶の話も中々いいことゆってる、育ってるというご意見もありましたけど、私自身は、、うーん、と思うような主観でいっぱいの法話だなーと思います。
私も不思議大好き人間ですが、ファンタジーと世間の現実の境目を見失うのは怖いんですよ。そこらへん保険かけときたい人間でして。(笑)桐山ランドの中と外。
桐山ランドはなんとなく、ドロドロしてますけどね。
事業に失敗、現実社会で苦労した管長はまだそこらへん本音と建前使い分けてましたけど、さいきんの僧侶さんの話は、世間知らずのボンボンがSFを語っているような印象があって、ちと怖い。
近代の地震が歴史的に過去にあった地震の運命の反復っていう講義をするんですよ(笑)ええ?!地震が過去の運命の反復?
カルマの反復っていう。。まぁでも桐山説をとらないと、そこからゴマ木の本数も供養の数も伸びませんし。
でも本質的に僧侶さんのお話ずれてる気がするんです。
でも喜んできいてる信者も多いですよ。
- 392 :Boo:2011/10/24(月)
16:51:58
- >391
アゴンさん
お身内の方の気持ち察します。
第1回メシアの法「アジナータッチ」のあと飽和で、カンチョウからのメッセージを
アジナーに感じる、というような内容だったと思いますが、わたしも真面目に
瞑想、凡業など行なっていると、いつかはカンチョウのメッセージが聞こえる
ことでしょう、なんて真面目に考えていました。
思えば、あのようなこと自体が、深層の意識にどれほどの悪影響であったか
いまはそう思います。
- 393 :アゴン:2011/10/24(月)
19:41:00
- >>392
あーなるほど。(笑)
アジナータッチだ!わたしはあれを受けたとき、個室での異空間のような雰囲気にビビってましたが、最後は頭突きの勢いでゲイカにタッチしてもらったのを思い出します。(笑)
そういえば、あのアジナーチャクラを開けることで、高次元のメッセージを受けとるということでしたね。
それで管長のメッセージを受け取れる人と受け取れない人がいると言ってましたね。
私はなんとも分からなかったですが、法友は前世の場面が後頭部に映写機のように現れて、ゲイカに見られているのを感じた、と言ってましたね。これも主観の話ですから証明のしようがないです。
- 394 :ROM人:2011/10/24(月)
20:29:28
- カーラーマ経(増支部経典・三集・大品5/南伝17巻303頁)というのがあります。
このお経でブッダは、
神の掲示や伝統だからという理由で従ってはなりません。
噂や聖典にあるからというだけで従ってはいけません。
伝聞や単なる推論に従って行動してはなりません。
ある概念に先入観を持って行動したり、能力があるように見える人に従ったりしてはいけません。
「あの人は我々の師だから」と考えて、つき従ってはいけません。
そうではなく、それが善いことであり、賞賛に値し、賢者からほめたたえられ、それを実践し順守すれば幸福になると自分自身で納得したら、その時はそれに従ってください
と説いています。
アゴン宗の場合、桐山さんの言うことを額面通りに受けて信じることが「正しい」としています。
修行の心得にもありました。
「一人勝手な独行は慎み、必ず導師の指導の下に進める」
アゴン宗では桐山さん絶対主義で、異論を唱える信者は除外されるか波紋です。
こういう桐山さんの指導一つ取っても、ブッダのそれとは全く違うことがわかります。
ブッダは、このお経で、「自分で確かめられないことは信じなさんな」と忠告しています。
桐山さんが言ったからといって盲進することはブッダの教えに反する行為です。
- 395 :ROM人:2011/10/24(月)
20:30:22
- このカーラーマ経で言っていることは「主観を排し、客観性を求める態度」の薦めでもあります。
だから、桐山さんから王者の相承をビビっと受けたとか、桐山さんの声を聞いたとか、
直感でビビっときたとか、こういった類は盲信しないで、よく検証しないといけないわけです。
錯覚や妄想であることも多いものです。
しかしアゴン宗では、こういった指導は全くしません。
教団に都合の良い錯覚や妄想は手を叩いて歓迎されます。
反対に、教団に都合の悪い錯覚や妄想は、徹底的に排除されます。
同じ錯覚や妄想でも、取り扱いの仕方が違います。
しかしブッダは、錯覚や妄想ではあるなら全て排除の対象です。
準某の電波受信や、アゴンさんの身内のようなことは、本来の仏教では排除されるものです。
しかしアゴン宗では、こういう錯覚・妄想タイプが先達になっていることもいます。
まるで自分には霊能があるかのように妄想をダラダラと垂れ流している人もいます。
単なる妄想なのですがね。
アゴン宗が、本質的にブッダの教えと異なる教団であることは、こういった点からも指摘できます。
そして証拠や事実に基づいて検証し、客観性のある見解を求めるやり方が、ブッダの考えになることがわかります。
- 396 :ROM人:2011/10/24(月)
20:32:47
- カーラーマ経は仏教を進める上でとても大事な教えです。
こちらでも詳しい解説をしています。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi12.html
http://www.goodquestiongoodanswer.net/downloads/GQGA_Japanese.pdf#search=%27%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%B5%8C%20%E5%A2%97%E6%94%AF%E9%83%A8%E4%B8%89%E9%9B%86%27
- 397 :ROM人:2011/10/24(月)
20:39:32
- それと一応、付く加えておくならカーラーマ経に「聖典にあるからというだけで従ってはいけません。」
とあるからといって、「経典が全て正しいとは限らない。だから管長の言っていることは間違いではない」
と言い出す信者も出てくると思います。
しかし経典は、他でも繰り返し同じ事を説いていることが多いものです。
2ちゃんねるで話題になっていた三福道もそうです。
三福道の概念や考え方は、経典のどこにもありません。
しかし煩悩を無くす教えや方法は、経典の至るところになります。至る所と
いうよりも、それが仏教の教えです。
カーラーマ経を逆手にとって解釈したり悪用する信者も出てくるかもしれないため
一応、追記しておきます。
- 398 :アゴン:2011/10/25(火)
12:47:04
- >>394からのレス、
とてもよく分かりました。たしかにそれらを排除したという釈迦の教えは深いと思いますね。
自己の検証が一番大切だと思います。
- 399 :Boo:2011/10/25(火)
18:51:25
- ROM人さん
カーラーマ経のご紹介と卓越したご意見、非常に参考になります。
自分の過去の信仰が誤りであったことがよくわかります。
- 400 :ROM人:2011/10/25(火)
19:15:24
- >>399
Booさん、いえいえ、このお経は私もアゴン宗が誤りであることに
気付いた後に知ったお経でした。
もっと早く知っていれば詐欺師に騙されることも無かったかもしれません。
一人でも多くの人が、アゴン宗のインチキに気付いて目覚めて欲しいと思います。
- 401 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/10/25(火) 20:11:34
- 私もROM人さんに感謝申し上げます。
このように釈尊の正しい教えを示し、どのように正しいか。また間違いはどのようであるかを
示すものを提示されれば、それを認めないほうに非があります。
嘘の教えを本当のものだと教え騙して搾取する阿含宗。
また巷では中々間違いを逐一正してはくれません。
本当に勉強になりました。ありがとうございます。
- 402 :ROM人:2011/10/25(火)
20:42:34
- >>401
天照さん、ありがとうございます。
アゴン宗の誤りや危険性に多くの信者が気がついて欲しいと思います。
- 403 :準シュダオン:2011/10/26(水)
10:27:45
- >しかしブッダは、錯覚や妄想ではあるなら全て排除の対象です。
>準某の電波受信や、アゴンさんの身内のようなことは、
>本来の仏教では排除されるものです。
>しかしアゴン宗では、こういう錯覚・妄想タイプが先達になっていることもいます。
阿含経の「得阿那含 種種神通境界」を知らない方↑ですねw。
パソコンに例えると、エクセルやワードには詳しいが、インターネツトの世界は
少しも知らず、想像さえ出来ないパソコンですw。
錯覚・妄想、霊示で津波から助かるなら結構ケダラケでしょうw。
錯覚妄想が起きずに、津波の犠牲になるよりは、マシというものです。
まぁ、体験の無い人は、錯覚妄想というしかないでしょうねw。
- 404 :アゴン:2011/10/26(水)
12:15:08
- >>403
ではその経典を引用して分かるように反論されたらどないですか?
その経典で仏陀は、妄想や電波受信を肯定しているとは思えませんが。神通力と妄想は違うと思いますよ。
主張に客観性があるかないかの議論です。
例えば貴方が震災時に助かった体験に、訳のわからん霊示体験を付け加えるのではなく、助かった体験だけにとどめておけば、客観性があり良かったのです。
- 405 :深山:2011/10/26(水)
13:08:06
- >>403 :準シュダオン:2011/10/26(水)
10:27:45
>阿含経の「得阿那含 種種神通境界」を知らない方↑ですねw。
どうして準シュダオンさんてこんなに根性が悪く、しかも悪質なのだろう。
毎度のことだが、引用の仕方がほんとうにデタラメです。
前後を省略して、自分に都合の良いような書き方をする。
しかも、それがばれないように、漢文経典のみを引用し、
どこから引用したのか、調べにくいようにする。
これまでも何度もそれをやり、私から元の経典をあばかれ、
その嘘つきぶりを指摘されたが、恥知らずだから、なんともない。
そして、また同じ事をこうやってくり返す。
桐山さんと同じで常習的な犯罪者です。
読者の皆さんは、上記を読んで、まるで、「阿那含になると神通力を得る」
と錯覚しませんでしたか。
まったく違うのです。
原文は、桐山さんも解説した出家経です。
桐山さんは一部分だけを解説したが、あれは後半があり、
そこに準シュダオンさんが引用した次のような文章がある。
- 406 :深山:2011/10/26(水)
13:10:52
- 出家経
「・・我三結を盡さしめて,須陀諸Yを得、三結盡き、貪、恚、癡薄らぎて,
斯陀含を得、五下分結盡きて阿那含を得、種種の神通境界,天眼、天耳、他心智、
宿命智、生死智、漏盡智皆悉く得ん。」
(『國訳一切経 阿含部 3』485頁)
ごらんのように、これはありふれた四沙門果の説明です。
文章の構成をみればわかるように「阿那含を得」と
その後の「種種の神通境界・・」とは別な内容です。
阿那含の説明は「阿那含を得」で終わっており、
「種種の神通境界・・」は解脱した者、阿羅漢の説明です。
釈尊はここで須陀諸Yから阿羅漢に至るまでを説明をしているだけです。
阿羅漢の中には六神通力を得る者がいることを告げている普通の経典です。
阿羅漢の中に神通力を得た者がいたなんて当たり前のことです。
それをまるで準シュダオンさんだけが何か特別なことを知っているかのように、
他人を小馬鹿にしてあざ笑っている。
なんという根性の悪い男だ。
- 407 :深山:2011/10/26(水)
13:19:23
- >>403 :準シュダオン:2011/10/26(水)
10:27:45
>錯覚・妄想、霊示で津波から助かるなら結構ケダラケでしょうw。
まるで準シュダオンさんは神通力を得て、津波から助かったかのような書き方です。
まったく脈絡がない。
神通力を得ているのは阿羅漢です。
本音自称・須陀オンの準シュダオンさんには神通力なんてありません。
神通力とはここでは、天眼、天耳、他心智、宿命智、生死智、漏盡智であって、
これらのどこにも御霊示や白銀バイブなんてありません。
釈迦仏教には御霊示とか、仏様からのお手配なんてありません。
読んでいる信者さんたちも釈迦仏教には御霊示なんてないことを良く理解してください。
阿含経のどこにも御霊示なんて出てこない。
オシャカがデンパを発信して信者を災害から助けたなんて話はありません。
アゴン宗では「仏様のお手配で助かった」などとまことしやかに体験が
語られるが、阿含経の釈尊はそんなお手配などしたことはありません。
それにしても、よくまあ、解脱者の神通力と自分の妄想や御利益話をくっつけられたものだ。
お釈迦様の仏像に自分の排泄物をくっつけたようなものです。
しかも、経典の元も濃いに隠し、意味を歪めて、他人を無知だとあざ笑うのだから、
準シュダオンさんて悪質、低劣な男です。
- 408 :ラシン:2011/10/26(水)
14:11:02
- >403 :準シュダオン:2011/10/26(水) 10:27:45
>阿含経の「得阿那含 種種神通境界」を知らない方↑ですねw。
あなたの「OS」がマトモでないくせに、こういう言動で何を言う?
他人を貶す前に、あなたのその都合で”経典の切り貼り”という
悪行をやめたらどうか。
この雜阿含經卷第四十八にあるその経区は、=のように繋がっていません。
釈尊は、止觀の二法についてその修習の結果を説いている一部です。
阿那含が神通の境界にいるような印象操作は通じません。
http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky038800uoft#page/72/mode/2up
「三結盡,貪、恚、癡薄,得斯陀含。五下分結盡,得阿那含。」
「種種
神通境界、天眼、天耳、他心智、宿命智、生死智漏盡智皆悉得」
五下分結したら阿那含です。
止觀の二法を修習していけば、種種の神通境界である生死智(天眼=未来を観る能力)、
漏盡智(解脱を知覚する知恵)までを悉く得る、という内容です。
あなたの「OS」が壊れていると>>377で指摘してあげたのに、
そのあなたが、ネットなど理解できますか。
>錯覚・妄想、霊示で津波から助かるなら結構ケダラケでしょうw。
錯覚妄想が起きずに、津波の犠牲になるよりは、マシというものです。
世の中でその妄想などではなく命拾いした人は多数おります。
高速道で一瞬の車線選びで大事故を免れたり、
飛行機の発着時のズレで大事故から逃れたりと、そういう人達はみな、
あなたの言う「ササヤキ」をどこからか聞いたのでもない。
あなたも、行くなと!いう声で知人の所へ行かなかった訳ではないでしょう。
世にある偶然を一々あなたのような「ご霊示」に結びつけるなら、
みんな霊能者となってしまう。
桐山さんのありもしないミラクルの池からの思念などを真似て、
ただ自慢したいだけのようにしか見えない。
未曾有の天災で犠牲者が多数発生しているのに、
自身の自慢のために利用するのは、やめたらどうか。
- 409 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/27(木) 08:37:08
- >>403:準シュダオン11/10/26(水) 10:27:45
>阿含経の「得阿那含 種種神通境界」を知らない方↑ですねw。
あなたが書いた体験なるものは経典に説かれる天眼通や天耳通のような神通力に
相当しないとわかります。
それはあなたの聞いた幻聴内容でわかります。
あなたの幻聴内容は「震度5の地震でMさんの○○が○○になる」というものでした。
震度5などはどうでもよい。問題はMさんですね。
地震の当日被災地を離れていて被害を被害を受けなかったと言うのだから
あなたの予知は予知に相当せず当たらなかった。
幻聴を聴いてMさんとコンタクトをとってすぐに避難するようにと回避を促した
わけでもないのに、あなたの予言を嘲笑うかのように偶然にも自主的に回避していた。
Mさんの他にもう一人挙げましたよね。この人とはもともとが音信不通の為
その後どうなったもわからないと書いている。予言にも相当しない話だ。
結局当たったかのように見えたのは震度5を超す巨大な地震が襲ったこと、
幻聴で気を悪くして沿岸部の知人宅を訪問するのを取りやめ、津波の被害も
受けなかっただけです。
この地震の予知についても簡単に説明がつく。
大地震の起きた2日前の3月9日の昼前に宮城県北部で震度5、岩手含む東北全域
広範囲にわたり震度4の地震があった。
これは大きな地震であり東京の私でも一瞬恐怖を感じた。
震度4の現地ならばその恐怖は誰しも感じる。
だから睡眠して夢は見ないにしても、居眠り程度のうつらな時に、大きな地震が
来て知人がどうにかなってしまう話を想像してしまうことは全部準シュダオンさんの
頭の中で作られたものとわかる。Mさんへの気遣い、ないしは逆に考えてもならない
禁断の願望が想起されただけです。
こんな当たりもしなかった失礼な話がどうして修行の成果による神通力なのか?
またBooさんが書いたように準シュダオンさんにある程度勘の鋭い面があったにしても
それってアゴン宗の修行やら信仰やらとは関係ない。
準シュダオンさんが3人の訪問者の名前を名簿から事前に拾い出していた話、
あれもいろいろ説明はつくのだが、アゴン宗の信仰に入る前の話だという。
だからアゴン宗の信仰が神通力を生み出したという話にはならないのです。
- 410 :準シュダオン:2011/10/28(金)
11:56:51
- >あなたが書いた体験なるものは経典に説かれる天眼通や天耳通のような神通力に
>相当しないとわかります。
>それはあなたの聞いた幻聴内容でわかります。
それはそのとおり、わたしのは六神通ではありません。しかし、六神通の存在を、
私の体験から、確信していますよ。わたしの体験がなければ、六神通自体を、空想
物語、と私は、思うでしょうね。「種種神通境界」を得るのは阿那含からだとし
ても、37道品を修行していれば、預流果未満であっても、六神通の欠片を、かいま
みることがあるのでしょう。わたしはその欠片をかいまみた、と思っています。
ちょうど、エクセル、ワード、しか知らなくて、それがパソコン機能の全てだと
思っていた者が、何かの弾みでインターネットに接続されて、世界のニュースを
偶然見たとする。驚くでしょうね。それが霊界の世界でしょうね。
但し、インターネットはアイコンをクリックすれば接続できますが、霊界には
どのようにすれば接続できるのか、私程度のレベルでは、全く解らないですね。
- 411 :ラシン:2011/10/28(金)
12:32:07
- >410 :準シュダオン:2011/10/28(金) 11:56:51
>それはそのとおり、わたしのは六神通ではありません。しかし、六神通の存在を、
私の体験から、確信していますよ。
批判側は誰も三明六通を否定していない。
阿含経に書かれているからです。
誰も準シュダオンさんの体験など、参考とする必要がありません。
>「種種神通境界」を得るのは阿那含からだとし
ても、37道品を修行していれば、預流果未満であっても、六神通の欠片を、かいま
みることがあるのでしょう。わたしはその欠片をかいまみた、と思っています。
これはお笑いです、準シュダオンさんがまるで道品法を修行しているかの
ような表現と自慢にみえる。
だが、あなたの虚言癖はここでは有名です。
道品法とはすべて煩悩を断つ教法ですよ。
準シュダオンさんのその「虚言癖」を見たら、煩悩を断つ修行者には見えません。
桐山さんですら説明していない「出家経」の後の文の経句を
都合勝手に切り貼りする行為自体、あなたのゴマカシでありウソです。
桐山さんが示した「出家経」の全文から、あなたが勝手に経文を
「得阿那含 種種神通境界」と切り貼り偽造したのです。
経典をどう読めば、阿那含から種種神通境界を得ると解釈できるのですか。
そんな準シュダオンさんが、「37道品を修行して」いる?
あなたは自分の体験を少しでも阿含経に論拠を得て、
ここで吹聴しようとしている。
その自慢振りを満足するために経典文章を改竄し、
その意味を捻じ曲げている。
そういう行いを悪行というのです。
桐山さんと同様にあなたは経典の意味を捻曲する行為は、
釈尊に対する重大な背信です。
- 412 :Boo:2011/10/28(金)
14:11:23
- >410 :準シュダオン:2011/10/28(金) 11:56:51
>>あなたが書いた体験なるものは経典に説かれる天眼通や天耳通のような神通力に
>>相当しないとわかります。
>>それはあなたの聞いた幻聴内容でわかります。
>
>それはそのとおり、わたしのは六神通ではありません。しかし、六神通の存在を、
>私の体験から、確信していますよ。わたしの体験がなければ、六神通自体を、空想
>物語、と私は、思うでしょうね。「種種神通境界」を得るのは阿那含からだとし
>ても、37道品を修行していれば、預流果未満であっても、六神通の欠片を、かいま
>みることがあるのでしょう。わたしはその欠片をかいまみた、と思っています。
だからね、準シュダオンさんの体験は「成仏法」とか「三明六通」とか「沙門四果」とか
その他の様々な仏教上の効果効験とは何の関係もないことです、と様々な方がレス
しているんです。それどころかアゴン宗の特有の効果効験とも縁もゆかりもない
体験にすぎないと言っているんですよ。
その体験をもとに、仏教の効果とかアゴン宗の信仰の根拠とかには結びつかない
のだと、みんなが思っているんですよ。
- 413 :ラシン:2011/10/28(金)
14:25:43
- >410 :準シュダオン:2011/10/28(金) 11:56:51
>。「種種神通境界」を得るのは阿那含からだとし
ても、37道品を修行していれば、預流果未満であっても、六神通の欠片を、かいま
みることがあるのでしょう。わたしはその欠片をかいまみた、と思っています。
それは桐山さんが述べているのか? ならば示してください。
準シュダオンさんの個人観なら、ここではお呼びでない。
あなたの姑息さは、「阿那含からだとしても」なんて曖昧さを前提とし、
いかにも桐山さんか学説にあるかのような印象付けをしている。
自分の霊力を誇りたくて、経典を都合のよい解釈に捻じ曲げた。
しかし、どこにもあなたが記述するような解釈などありません。
普通の知性で読めば、あなたのような解釈などしない。
それが目の当たりに分かるように>>408で、国訳一切経を提示したのです。
クリックして表示される頁は、そのあなたが切り貼りした出家経の訳出部分です。
普通に読めば、預流から阿羅漢までを説明していると理解できます。
準シュダオンさんの読解力は、阿羅漢と書かれていないから四果ではなく、
阿那含までだ、と早とちりをした?
だが、そんな言い訳は無理です。
止観という二法を修することで、「種種界を知り、乃至漏尽く」と、
経典の後の文に書かれています。
乃至=範囲を意味する接続語句だから、各四種の世界を知りそしてそれは漏尽までと、
種種界の中に漏尽(阿羅漢)が入っていることになる。
つまり預流から阿羅漢までの種種界=四沙門果を説いているに過ぎません。
阿那含から神通を得るなんて解釈は、準シュダオンさんの煩悩からくる確信犯的な
誤訳です。
準シュダオンさんは常に自分の導きたい結論から経典を捻じ曲げる。
桐山さんの手法の物マネです。
桐山さんは阿含経を掲げて金を得るために経典を捻じ曲げる。
異與陰を異陰と変造しウソをついて霊魂や霊障の存在の根拠とした。
三福道など言葉も概念もないのにあるかのように経典を捏造した。
すべて脅迫と疑似餌の根拠にするために経典を書き換え別な解釈に偽装した。
霊障で脅して、三福道というエサで布施(金と人力)を求めたのです。
- 414 :ラシン:2011/10/28(金)
14:52:38
訂正
誤:異與陰を異陰と変造し
正:陰と與を異陰と変造し
- 415 :名無しさん:2011/10/28(金)
15:31:14
- 準シュダオンさんは重大な誤りをしていますね。
何やら思念の相承を受信したと本人は言っているようですが、
それが本物かどうかを証明して欲しいですね。
本当に受信したのなら、準シュダオンさんは必ず抜擢されて幹部修行者に
なるはずです。準さん、幹部クラスの修行者ですか?阿含宗のイベントでは
毎度、来賓として呼ばれていますか?
本当にデンパを受信したなら、阿含宗の中で抜擢されます。
受入の秘儀を受けて管長のデンパを受信した人の話を、聞いたことは
無かったですね。準さんが初めてでした。そういう意味で準さんは貴重な存在です。
だから阿含宗が放っておくわけがありません。かならず抜擢されるはずです。
もしも来賓として毎度、イベントに招待されなかったり、大先達という立場で
なかったなら、準さんの受信は妄想か勘違いでしょう。
しかし、阿含宗で抜擢されたとしても、シッポの生えた如来が本尊の阿含宗では
幹部であろうと大先達であろうと全然価値はありませんがね。
- 416 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/28(金) 21:36:49
- >>410:準シュダオン11/10/28(金) 11:56:51
>それはそのとおり、わたしのは六神通ではありません。しかし、六神通の存在を、
>私の体験から、確信していますよ。わたしの体験がなければ、六神通自体を、空想
>物語、と私は、思うでしょうね。「種種神通境界」を得るのは阿那含からだとし
>ても、37道品を修行していれば、預流果未満であっても、六神通の欠片を、かいま
>みることがあるのでしょう。わたしはその欠片をかいまみた、と思っています。
>ちょうど、エクセル、ワード、しか知らなくて、それがパソコン機能の全てだと
>思っていた者が、何かの弾みでインターネットに接続されて、世界のニュースを
>偶然見たとする。驚くでしょうね。それが霊界の世界でしょうね。
どうしてそういう話の結び付けができるのですか?
これは結び付けるような話ではない。
六神通は六神通、あなたの体験は体験で全く次元の違う別物です。
六神通は霊界から生じる力なんて聞いたこともないが、あなたの体験は霊界、
霊能力を持ち出さなくても説明できます。
これは潜在意識の為せる気まぐれな作用です。
代表例はやはり夢ですね。夢は霊界通信などではない。
潜在意識が作用するだけです。それも桐山さんが説く「自分の中の赤の他人」
みちいな深層意識モンスターなど想定する必要はない。
表面意識にたまたま今現在現れてない氷山の底部の記憶です。
これがいろんな形でぐにゃぐにゃ現れる。
もちろんあなたは夢ではない、昼間っから寝ていないと言うでしょう。
しかし白日夢のようなうたた寝の妄想なんて私も通勤電車の中で日常茶飯です。
俺の頭はどうなってるのかという変な物語を構成してくれる。
2日前に大きな地震があった。
あなたに慈悲心があればMさんの無事を心配し、逆によくない心があれば
禁断の願望も表出する。
それが震度5の地震でMさんの○○が被害を受けるという妄想の言葉です。
こんな潜在意識の作用がどうして六神通につながり得る霊能力なのか?
また私は霊能力を想定する必要はないと書いたが、絶対に霊能力ではないとも
書く気はない。ひょっとすると霊能力みたいなものかもしれない。
しかしその霊能力は当たらなかったではないか?Mさんは被害を受けなかったではないか?
これが霊界通信なら失礼な低級霊だ。
低級霊に取り憑かれるのが六神通につながる素養?
- 417 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/10/28(金) 22:16:55
- >>410:準シュダオン11/10/28(金) 11:56:51
>それはそのとおり、わたしのは六神通ではありません。しかし、六神通の存在を、
>私の体験から、確信していますよ。わたしの体験がなければ、六神通自体を、空想
>物語、と私は、思うでしょうね。「種種神通境界」を得るのは阿那含からだとし
>ても、37道品を修行していれば、預流果未満であっても、六神通の欠片を、かいま
>みることがあるのでしょう。わたしはその欠片をかいまみた、と思っています。
>ちょうど、エクセル、ワード、しか知らなくて、それがパソコン機能の全てだと
>思っていた者が、何かの弾みでインターネットに接続されて、世界のニュースを
>偶然見たとする。驚くでしょうね。それが霊界の世界でしょうね。
あなたのようなおかげ話体験はアゴン宗に限らず他の新興宗教団体にもありふれて
見られる話です。
よその宗教団体の信者も六神通の入り口にいるのですか?
ラシンさんも指摘するようにあなたは三十七道品の修行もしていない。
だって桐山さんが教えてないと公言しているのだから。
三十七道品にアタックするのは難しく常人の頭脳では駄目だか求聞持法から
鍛えることから始める。練脳塾にも行ってないあなたがどうして教えられても
いない道品法を修行してる最中になるのか?
パソコンの例えを出すのなら、成仏法がインターネットの駆使ならば
あなた方の教えられていることは、インターネット世界にアクセスするために
電源の入れ方、キーボードの操作の仕方、検索する為にも文字入力の段階から
基礎を固めているだけという前提なのです。
また霊能力を信じることがどうして神通力まで身についてしまう素養なのか?
釈尊は霊界などに関してあるともないとも答えず考えるなという立場です。
またアゴン宗でも根本聖典とされる応説経に何と書いてあるか?
漏尽解脱を求めなくても実践さえしていれば漏尽解脱してしまうぞと説いている。
だから神通力だって求めなくても信じてなくても修行してれば自ずと身につく
こともある理屈になる。
つまり霊能力も信じてない人は見込みがないなんてあなたの理屈に反することになる。
あなたの説いていることは人間なんだから仏道修行を頑張ればいつかは神通力を
手にすることもあるさという一般論に過ぎない。
我々を貶めて自分を自慢する材料にすらならない。
- 418 :準シュダオン:2011/10/31(月)
20:18:08
- >ラシンさんも指摘するようにあなたは三十七道品の修行もしていない。
>だって桐山さんが教えてないと公言しているのだから。
ははは。笑うしかないねw。それは管長の外交上のお話しだねw。現に力を得た
私には、管長の冗談も理解出来る。批判派のユビさん達には、それも解らないのだよ。
>また霊能力を信じることがどうして神通力まで身についてしまう素養なのか?
>釈尊は霊界などに関してあるともないとも答えず考えるなという立場です
だから、霊能力の体験をしないうちは、神通力など信じないほうが良いのです。
釈尊の言葉も、盲信しないほうが良いのです。
自分の体験もなしに、なんで釈尊の言葉を盲信するの?
- 419 :名無しさん:2011/10/31(月)
22:26:02
- >>418
あなたに霊能力の体験があるという証拠がない。
証拠を呈示してください。
どういう原因によって霊能力が生じたのですか?
- 420 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/01(火) 00:42:20
- >>418:準シュダオン11/10/31(月) 20:18:08
>ははは。笑うしかないねw。それは管長の外交上のお話しだねw。現に力を得た
>私には、管長の冗談も理解出来る。批判派のユビさん達には、それも解らないのだよ。
これはアゴン宗と桐山管長に対する侮辱ですよね。
そういうことはアゴン宗を退会してからやりなさい。
アゴン宗がそんなに気に入らなかったら、準シュダオン教を作り、専用スレも立てて
自由に語りなさい。アゴン宗ではない自分の宗教を。
そしたら邪魔しません。
>釈尊の言葉も、盲信しないほうが良いのです。
>自分の体験もなしに、なんで釈尊の言葉を盲信するの?
釈尊の言葉を盲信しないとは、霊魂について考えるなとはっきり説いているにも
拘わらず、盲信などせず霊魂についてもどんどん考えようという啓蒙ですか?
あなたは釈尊が怪力乱神を説いているかのように信じているから、霊感の体験の
無い奴は釈尊の言葉も盲信するななどと説けるのです。
しかし釈尊は怪力乱神などにとりあわず、説いているのは言葉で理解できる教えです。
それは変な神秘体験なんかなくても理解できるし、また理解して実践すべきものなんです。
準シュダオン教スレはあくまでも非仏教とするように。
- 421 :六甲ちかげ:2011/11/01(火)
08:43:16
- >>418名前:準シュダオン 投稿日: 2011/10/31(月) 20:18:08
>ははは。笑うしかないねw。それは管長の外交上のお話しだねw。現に力を得た
>私には、管長の冗談も理解出来る。批判派のユビさん達には、それも解らないのだよ。
やっぱり殉シュダオンよ、おまえは基地外だよ。
力を得た?
頭は大丈夫ですか??
おまえ池田慈水(いけだじみず)じゃねえの。
しかし、なんだね阿含宗というのは、こういう変なのを排出する邪教なんだね。
さすがに桐山さんが詐欺的行為をやって刑務所にぶち込まれただけあって
すごみのある、筋金入りの基地外だね。
ご愁傷様です。
- 422 :ラシン:2011/11/01(火)
13:24:54
- >>418:準シュダオン11/10/31(月) 20:18:08
>ははは。笑うしかないねw。それは管長の外交上のお話しだねw。現に力を得た
私には、管長の冗談も理解出来る。
痛いところをユビキタスさんに突かれたから、
笑って余裕を見せようと必死のようだが、
どんな力を得ようが、それは準シュダオンさんの自己申告です。
自己申告は自由だが、あなたはアゴン宗の教団に所属している限り、
勝手な申告は許されません。
日本国民である限り日本の法律に従わねばならないように、
阿含宗教団に在籍している限り勝手な自己申告は許されない。
それともあなたの過去の公職観は、法律規律を無視せよという精神だった?
>批判派のユビさん達には、それも解らないのだよ。
どうみてもユビキタスさんのほうがあなたよりアゴン宗の教学や、
規律には詳しいし、その桐山さんの教えに即してあなたを批判している。
2chでも自己過信して桐山さんを無視し、勝手に大法螺を吹いている擁護者が
いるが、どうして桐山擁護者である皆さんは、こうも図々しく厚かましいのだろう。
ゲーカの冗談などとトボケず、信者なら桐山さんの今の苦境を理解してあげなさい。
>だから、霊能力の体験をしないうちは、神通力など信じないほうが良いのです。
釈尊の言葉も、盲信しないほうが良いのです。
準シュダオンさんは、己の安っぽい体験に自惚れて自慢ばかりし悦に入っている。
だから阿含経を正しく理解できないという見本を何度も見せられる読者には、
何の説得力もありません。
また、
桐山さんの言う霊能力は、あなたのような”安物”ではありません。
桐山さんが、どれほど高い徳積みをしたのかご存じないのか?
信者に懲役を隠して十界修業をし、何百という行法の末にグモンジ法を体得し、
多くの信者から布施を取って贅沢三昧という境涯に遊行して来たのですよ。
だからスリランカから、たった数億円で自己「申請仏舎利」を購入できるほどの
身分にもなった。
どこに申請したかは明らかではないが、桐山さんの自己申告で申請された真正さは、
唯一桐山さん自らお墨付きを与えられている。
桐山さん曰く、驚くほどの「オシャカの解脱力」があるから「真正」にマチガイはない!
準シュダオンさんの役に立たない経験より、ゲーカの「オシャカの解脱力」という威力です。
このようなゲーカを無視して口真似だけするのではなく、
桐山さんの御言葉を例示して批判に反論するべきです。
あなたの世迷言など、参考にもなりません。
- 423 :六甲ちかげ:2011/11/01(火)
15:02:58
- ほんと、殉シュダオンのは、安物・世迷言だよな。
こういう信者が批判側に反論しているのに、論戦しない教団って
きっと大物気取って自信がないのだろうね。
騒ぎが大きくなってゆき、元信者の大多数から集団訴訟されるのを
恐れているのでしょう。このことは桐山さんやWださんの考えそうなことだ。
- 424 :名無しさん:2011/11/02(水)
11:07:30
- 【連絡】
「阿含宗という宗教202」が立ってます。 口下手番長202さん有難うございます。
- 425 :準シュダオン:2011/11/02(水)
15:11:21
- >釈尊の言葉を盲信しないとは、霊魂について考えるなとはっきり説いているにも
>拘わらず、盲信などせず霊魂についてもどんどん考えようという啓蒙ですか?
例えば、「得阿那含 種種神通境界 天眼天耳 ・・」とか、「如何六証法 謂六
神通 一者神通 二者天耳通 三者・・」とか、阿含経に出てきますね。
釈尊は、六神通を証得せよ、と弟子に説いてる訳です。管長はこれを超能力という
言葉で表現しています。阿含仏教では六神通を獲得せよ、と説いています。
これらについての議論は、徒労に終わるだけです。エクセルやワードしか知らない
パソコンが、インターネットを利用してるパソコンと議論するようなものですw。
体験のない話をされても、どこか故障したのだろう、と思うしかないでしょう。
- 426 :準シュダオン:2011/11/02(水)
15:23:23
- >やっぱり殉シュダオンよ、おまえは基地外だよ。
>力を得た?
んだ。3・11のようなときには、何らかの霊示を受ける程度の力は得たよんw。
んだけど、人を救えるような力はにゃー。
>頭は大丈夫ですか??
>おまえ池田慈水(いけだじみず)じゃねえの。
おら池田じゃ、ない、あんたこそ頭は大丈夫かぇー?
>しかし、なんだね阿含宗というのは、こういう変なのを排出する邪教なんだね。
阿含宗が邪教だば、阿含経も邪教になるだろーがw。
- 427 :ラシン:2011/11/02(水)
17:09:18
- >425 :準シュダオン:2011/11/02(水) 15:11:21
>例えば、「得阿那含 種種神通境界 天眼天耳 ・・」とか、
しつこい”マダラボケ”老人さんですね。
準シュダオンさんは、桐山さんが全提示した漢文の出家経を
ムリクリに接ぎ合せて、経典を変造している。
「三結盡,貪、恚、癡薄,得斯陀含。五下分結盡,得阿那含。」で、
一つの文章は区切られているので、種種神通境界には繋がらない。
桐山さんが解説していないものは、お呼びでないのです。
あなたが勝手に、阿那含=種種神通境界と、印象偽装した愚行です。
>「如何六証法 謂六
神通 一者神通 二者天耳通 三者・・」とか、阿含経に出てきますね。
釈尊は、六神通を証得せよ、と弟子に説いてる訳です。
長阿含経第八巻にも何箇所かありますが、その内容の一つは
釈迦が六十の法について六法づつ十例を出した
その最後の一つの「六證法」を記した経文箇所であり、
どこにも六神通を証得せよとの記述はありません。
これも桐山解説にはない作り物で、お得意の偽装です。
昔は公職に就いていて、アゴン宗行歴の長い信者の道徳観は、
かくも希薄になって来る良い見本ですね。
云何六證法。謂六神通。一者神足通證。
二者天耳通證。三者知他心通證。四者宿命通證。
五者天眼通證。六者漏盡通證。是爲六十法。諸比丘。
如實無虚。如來知已平等説法。
>エクセルやワードしか知らないパソコンが、インターネットを
利用してるパソコンと議論するようなものですw。
P/Cを例にしても、あなたの知能程度による表現の真意は下記のとおり!
準:半端な知識しかない批判側など、デンパを受信できるオレ様と
議論など出来るわけがないケケケケ。
- 428 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/03(木) 08:43:57
- >>425:準シュダオン11/11/02(水) 15:11:21
>例えば、「得阿那含 種種神通境界 天眼天耳 ・・」とか、「如何六証法 謂六
>神通 一者神通 二者天耳通 三者・・」とか、阿含経に出てきますね。
>釈尊は、六神通を証得せよ、と弟子に説いてる訳です。管長はこれを超能力という
>言葉で表現しています。阿含仏教では六神通を獲得せよ、と説いています。
他人にフォローされてばかりおらず、経典資料を出す時は出典を明示して
正しく引用する癖を付けなさい。
まあアゴン宗信者の常識知らずを晒すつもりなのか知らんが。
あなたの所蔵してる本には現代語訳の解説もついているだろうから
漢文の白文のみ示して自分で訳したかのようなごまかしをしないことです。
神通力が得られるのは単なる結果に過ぎません。目的ではありません。
神通力がなければ解脱を得られないのではなく、また神通力を使って解脱を得る
のでもなく、神通力と解脱とは別物なんです。
そしてまた我々は神通力を否定したことなど一度もない。
>体験のない話をされても、どこか故障したのだろう、と思うしかないでしょう。
私は釈尊が説く神通力とかの一般論をしてるのではない。
あなたの具体的な体験を論じているのです。
あなたがようやく少しでも具体的に語ってくれたMさんの不幸をはずした幻聴など
こうした神通力とは全く違うとだけ考察したのです。
- 429 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/03(木) 08:55:20
- >>426:準シュダオン11/11/02(水) 15:23:23
>阿含宗が邪教だば、阿含経も邪教になるだろーがw。
なりませんよ。だって桐山教団がアゴンの名前だけ拝借してその実阿含経に反する
正反対のことを説いて実践してるのだから。
スパゲッティナポリタンとありますね。日本に。
トマトケチャップを使うパスタです。
しかしイタリアにはケチャップを使ったスパゲッティなどない。
名古屋ではこのケチャップナポリタンを鉄板の底に玉子を敷いて喫茶店などで出し
イタリアンとも言う。
しかしイタリア人にとってはナポリタンだのイタリアンだのイタリアにもナポリにも
無い料理をネーミングされて迷惑してるのです。
それよりもひどい話なんです。
- 430 :準:2011/11/05(土)
10:13:00
- 阿含宗も阿含経も、スパゲッテイじゃあないぜよw。
- 431 :Boo:2011/11/05(土)
11:47:03
- >430
文章の意味を理解していないようですね。
およそ「スパゲティー」と呼べない料理を「ナポリタンスパゲティー」と呼称して
販売することは、イタリア料理店やイタリアの国にとって迷惑なことです。
少し前にニュースで目にした中国の「ディズニーランドもどき」や「ガンダムもどき」
で迷惑するのは、そのオリジナルを持つ企業です。
>429の真意はこういうことです。
アゴン宗がインチキ阿含経解釈と捏造により「阿含経」の内容を捻じ曲げて
迷惑するのは、オリジナルの「阿含経」であり、釈尊である、ということの
たとえです。
- 432 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/05(土) 12:00:12
- >>430
たとえがうまくなくて済まぬ。
阿含経を仮にスパゲッティにたとえた場合、アゴン宗はどうなのか?という命題
なんだが、本場イタリアでは存在しないケチャップスパゲッティも日本では
ナポリタンスパゲッティで通用してるし、イタリアで似たのはトマトソースのパスタだ。
私は名古屋鉄板ナポリタン(イタリアン)も好物ではある。
あんかけスパゲッティは特別に好きでも嫌いでもないが。
だからアゴン宗はそんな比較の程度のヌルイ話ではない。
皿に回虫盛り付けて、さあこれが本場イタリアンだよ!とやってるのがアゴン宗。
食事の時間にすみません(^_^;)
- 433 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/05(土) 13:39:50
- http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-kddi_blended-jp&wsc=tb&wsi=3f7004c9082928d7&u=http%3A%2F%2Fgurutabi.gnavi.co.jp/gourmet/cat4/tsukenaporitan_shizuoka/&ei=vLS0TqaYL4LtkAWq39WrAg&ct=pg1&whp=30
静岡県富士市名物「つけナポリタン」なんてのもある!
いずれイタリーから空爆受けるな。国民投票の上。
- 434 :名無しさん:2011/11/05(土)
13:50:43
- >>432
:ユビキタス
>皿に回虫盛り付けて、さあこれが本場イタリアンだよ!とやってるのがアゴン宗。
うまい表現です。
大乗仏教でもパスタ(ロジン解脱)に相当するものは変わりません。たとえトマトケチャップでも。
でもアゴン宗のパスタは蛆虫をこねてパスタ(インネン解脱)にしています。
これのどこが本場イタリアンなんだだよ! と言いたい。
- 435 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/05(土) 17:21:59
- これが本場インドのカリーだぜ!
・・・・・やめておこう(-_-;)
- 436 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/05(土) 19:02:25
- おう!江戸っ子だってねえ。
もんじゃ食いねえ!
これもやめておこう(-_-;)
- 437 :名無しさん:2011/11/05(土)
19:39:51
- ヤフオクでアゴン宗の法施がたくさん出品されてます。
なんと曼荼羅や如意宝珠御宝塔が3個も。
2chやこのサイトの効果が出ているのかもしれませんね。
- 438 :干柿:2011/11/05(土)
23:09:37
- >>435
ウコンとなんとかというのもあるぞ
>>436
いい物食って大阪お好み焼きもあるぞ!駅員さんが苦手なんだよな(笑)
>>437
でも買うやついるんでしょうかね?
元信者の立場からみると、あんなガラクタに・・・なんて思うわけで
宗教ヲタクとかいるのかな?
かつてオウムのモノをコレクションしているオウマーとかおりましたが
阿含宗にもいるのでしょうか?
- 439 :名無しさん:2011/11/06(日)
00:49:19
- >>438
437です。最近はやりのオカルトマニアの人は
買うかもしれません。でも高いですね。
退会者としては桐爺が開眼したものなど
キツネかタヌキを入れられてそうで気持ち悪いです。
オクにあれだけでてると、水面下では退会者も
かなりあるのではないでしょうか?
現会員も桐爺の妄想に付き合わず目を覚ましてほしいです。
- 440 :名無しさん:2011/11/06(日)
11:38:54
- 〜〜〜古今東西のことわざ・名文句をご紹介〜〜〜
『真実味のある言葉は美しくなく、美しい言葉には真実味がない』
(老子/思想家)
- 441 :準:2011/11/07(月)
10:18:34
- そもそも、宗教とは非科学的で、おかしなものなんだからさ、理屈で説得
しようとする方が、おかしいのよ。倫理道徳とも違うのだからさ。
阿含経の解釈も、人によって違うわけよね。因縁解脱を理解出来ない人も
居るように。
何度も例えたように、ちょうどパソコン同士が議論したとする。パソコン
同士が話し合えた場合だが。片方はエクセルやワードに凄く長けてるが、
インターネットは知らない。片方は、インターネットを知ってるけど、ワード
やエクセルに稚拙なパソコンだ。どうなると思うね?
インターネットなんて、錯覚・妄想にしか過ぎない、と片方は言うだろう。
スパゲッティに例えるなら、誰も本当のスパゲッティを知らないに等しい。
本当の阿含経の解釈は、お釈迦さま以外は、知らないのだから。
- 442 :ラシン:2011/11/07(月)
11:17:15
- >441 :準:2011/11/07(月) 10:18:34
そもそも、宗教とは非科学的で、おかしなものなんだからさ、理屈で説得
しようとする方が、おかしいのよ。倫理道徳とも違うのだからさ。
阿含経の解釈も、人によって違うわけよね。因縁解脱を理解出来ない人も
居るように。
こと釈尊の教えに関しては、非科学的ではない。
準シュダオンさんは、ユダヤ、キリスト、イスラム教などと混濁し
一纏めにしての判断で、桐山さんの考えですらない。
あなたが、因縁解脱を理解できているなら解説してみたらどうだ?
仏教の概念に無い因縁解脱など、桐山さんの「便乗用語」です。
>何度も例えたように、ちょうどパソコン同士が議論したとする。
あなたの幼稚な喩えなど、うんざりです。
出すなら桐山さんの喩え話しくらい覚えていなさい。
桐山さんは著書で、見ていなく経験の無い者の例として、
疎開先で汽車が地下を走る話しをして逆にバカにされた。
東京の地下鉄も田舎では見た経験が無く、人間とはそういうものだ、
と目に見えぬ不思議話しを暗に肯定したのだ。
しかし実際に地下鉄話しは実証できますが、脳デンパなど第三者に
確認できない違いくらいは、あなたの知能でも理解したほうが良い。
>スパゲッティに例えるなら、誰も本当のスパゲッティを知らないに等しい。
本当の阿含経の解釈は、お釈迦さま以外は、知らないのだから。
それって料理の仕方であって、スパゲッティそのものではないでしょう。
スパゲッティをスプーンとフォークで食するのがマナーだ、
と思うほどのおバカな主張です。
いい大人が、お子様ランチをマナーと思うくらいの大笑いの対象と同じで、
釈尊の教えをそのようにしか捕捉できないあなたの知能が、
幼児並なのです。
当時、釈尊の教えを理解し実践したから、多くの阿羅漢が輩出された。
だいたいあなたのその物言いが、信者の分際で桐山さんを侮蔑している。
- 443 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/07(月) 19:35:26
- しかし、以前から例えが酷すぎる(下手すぎる)のは知ってたけど再度見るとはね。
余計わからなくなるから、下手な例えはやめた方が良いんですがね。
- 444 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/07(月) 23:58:18
- >>441:準11/11/07(月) 10:18:34
>そもそも、宗教とは非科学的で、おかしなものなんだからさ、理屈で説得
>しようとする方が、おかしいのよ。倫理道徳とも違うのだからさ。
>阿含経の解釈も、人によって違うわけよね。因縁解脱を理解出来ない人も
>居るように。
例によって一般論とそれを補足する無駄な喩え話はいいから、あなたはこのアゴン宗スレで
批判側の何に対して反論したいのか具体的に書きませんか?
我々が唯物科学で実証できない何を否定したろうか?
神通力を否定したこともない。自分にはなくても肯定する立場です。
ただあなたの知人(Mさん)の不幸をはずす地震予知などは神通力など出さなくても
説明がつくとだけ指摘しているのです。
輪廻だって唯物科学で実証できませんよね。
しかし私は輪廻も信じてます。
だからあなたは我々の何にイチャモンを付けたいのか?
桐山因縁解脱とは現世において事故死したり不幸な運命を避けようという運命転換ですよね。
釈尊の仏教がそれを説いているならば、これって何も読み手に霊感も神秘体験も必要なく、
言葉で簡単に説法できるではありませんか?
衆生よ、我が道を信仰するならば災害から逃れる幸運をつかむであろうと。
はっきりと具体的に日本語でもインド語でも語れます。
現に桐山さんも日本語で書いているのだからオシャカにそれができないはずはない。
霊魂だってそうですよ。不幸な亡くなり方をした先祖をそのままにしとくと子孫は
その悪い運命を反復するからこれを救わねばならない。
ああ、全部日本語で書けるわ。
ところが釈尊が話したことはこれの反対です。
池に石を落として浮かべ浮かべと念じて浮かぶだろうか?(浮かばないだろ)と
説法して、死者を供養することにより悪業を解消することの不可能さを説いている。
これにどういう霊感が加わるとこの日本語やインド語は反対の意味に変身するのか?
人によって違うわけありません。釈尊は応病与薬、対機説法を心掛けたが、しかして
説いていることはいつも同じことです。
弟子には質問を促して理解の徹底を図り、私はもう説き尽くした、教師に握り拳はない
とまで断言したのです。
- 445 :Boo:2011/11/08(火)
09:14:20
- >>444
ぞろ目w
>弟子には質問を促して理解の徹底を図り、私はもう説き尽くした、教師に握り拳はない
とまで断言したのです。
まー反論とまでいえませんが、むかーしむかしの口伝えを文献にした「アーガマ」ですから
どこまで正確かは疑問であり、その隙を埋めるのが霊感師桐爺でありその弟子の
準さんの「御霊示」であるから、批判派の無能者には理解できないだろう、という
のが言い分なのでしょう。
つまり、釈尊(というか因縁解脱を説くアゴン教学)を真に理解しようとすると、
桐爺や準シュダオンの白昼夢的霊感が不可欠であり、これ(白昼夢)を体験できない
批判派には釈迦仏教の真の哲学(とは実はかけ離れた因縁解脱とジョウブツ法)は
理解できないんだそうだ。
100歩譲って桐爺と準シュダオン氏の言い分を認めましょう・・・では、個人の因縁解脱
土地の因縁の浄化、地球の破滅のカルマの転換、を実践してきた桐爺と準シュダオンさん
の行動―われわれ批判派も世紀末の地球壊滅の危機を脱出するべく、実は無意味な護摩や
解脱供養、冥徳供養と称する霊的浄化に少なからず協力してきましたが、その努力の甲斐あって
か、1999年の地球壊滅は回避できたようです。ケンゴウノ千仏も現れていないにもかかわらず・・・
しかし、そんな予言などノーマークの今年、「三度目の原爆が日本に落ちる」という脅しが
実現したわけだ。
いったいどこまでやれば、どういう効果があるのかその過程の検証は「霊感師」でなければ
把握できないようだ。
まったくどこまでも腐った奴らじゃないか?「アゴン的霊感師」達って。
- 446 :準:2011/11/09(水)
21:34:11
- >衆生よ、我が道を信仰するならば災害から逃れる幸運をつかむであろうと。
それが、「三結断 不堕悪趣」の訳↑なのですよw。
>はっきりと具体的に日本語でもインド語でも語れます。
それを日本語に訳したのが、管長の○○の因縁、なのですよw。
>現に桐山さんも日本語で書いているのだからオシャカにそれができない
>はずはない。
お釈迦さまは、日本語が出来ないでしょうw。
だから、管長が日本語に訳しているのです。
- 447 :準:2011/11/09(水)
21:48:20
- >100歩譲って桐爺と準シュダオン氏の言い分を認めましょう・・・では、個人の因縁解脱
>土地の因縁の浄化、地球の破滅のカルマの転換、を実践してきた桐爺と準シュダオンさん
>の行動―われわれ批判派も世紀末の地球壊滅の危機を脱出するべく、実は無意味な護摩や
>解脱供養、冥徳供養と称する霊的浄化に少なからず協力してきましたが、その努力の甲斐あって
>か、1999年の地球壊滅は回避できたようです。ケンゴウノ千仏も現れていないにもかかわらず・・・
ケンゴウの千佛は現れているのです。だから危機は回避された、というのが
阿含宗・管長の見解ですよw。
>しかし、そんな予言などノーマークの今年、「三度目の原爆が日本に落ちる」
という脅しが
>実現したわけだ。
そういうことですw。いや、笑いごとではないが、管長の予言は時間差で当たる
から怖いね。
いやぁ、私なんぞは怖くない。滅びるときは平等に滅びるんだから、騒ぐことも
ない。だから、修行なんぞは、サボってもいられるw。間に合わなかったら、
平等に滅びたら良いだけの話よ、騒ぐことはないね。
- 448 :Boo:2011/11/10(木)
00:32:40
- >ケンゴウの千佛は現れているのです。だから危機は回避された、というのが
阿含宗・管長の見解ですよw。
ほほう。1999年の危機は回避されたが、危機回避のための活動の一番活発な国
である日本はカンチョの予言が時間差で当たって予言どうりになったわけですね。
>修行なんぞは、サボってもいられるw。間に合わなかったら、平等に滅びた
ら良いだけの話よ、騒ぐことはないね。
ははは。平等に滅びるんだったら、さっさと退会して限られた時間と金を有効に
使う選択をして正解だね。
>修行なんぞは、辞めてもいられるw。間に合わなかったら、平等に滅びた
ら良いだけの話よ、騒ぐことはないね。
のほうが正解ですね。
- 449 :無関係な人間です:2011/11/10(木) 09:41:14
- すみません、2chの391にコメントをしようと思ったのですが、書き込みできなかったので、こちらに
書かせて下さい。
>>391
そうですかあ? 阿含宗の最盛期、私の回りにも阿含宗の信者がいたけど、結構、真面目で
頭の良い人が多かったですよ。少なくても、あなたよりも知的で性格は良かったです。
批判派の悪口を言って、まどろんでいたり、気持ちが良い人よりも、ずっとレベルは高かった
です。
逆に、私の様に、性格が悪くて、頭の悪い人間が桐山さんに騙されなかったのですから、
あなたが桐山さんに騙されなかったのも、当然かもしれしれませんね。
- 450 :トキ:2011/11/10(木)
11:23:58
- ラシン様
2chへの、ご転載、ありがとうございました。お手数を取らせて申し訳ありません。
- 451 :無関係な人間です:2011/11/10(木) 11:24:53
- >>450
すみません、無関係な人間です、でした。
- 452 :ラシン:2011/11/10(木)
11:31:35
>451 :無関係な人間です
静養中の暇人ですから、どうかお気遣い無く。
- 453 :ユビキタス@奥州征伐
◆18iA.mwnDU:2011/11/10(木) 19:00:20
- >>446:準11/11/09(水) 21:34:11
>それが、「三結断 不堕悪趣」の訳↑なのですよw。
いいえ、悪趣とは地獄、餓鬼、畜生のことをいい、悪いことをした人が死後に堕ちる
ところとされます。
たしかに後世になると現世の人間娑婆世界の有様でも殺し合いとか騙し討ちとか
醜い世界を悪趣に比定、喩えることはあります。
しかしどうして単なる事故死や病気が悪趣なのか。身体は弱くても心清らかで
曲がったことをしない人はいる。こんな立派な人をたまたまの境遇だけで悪趣
などと罵るのはおかしい。
貧乏なだけでやーい、やーい、てんぼう、びんぼうとイジメる子どもじゃあるまいし。
第一どうしてそんなややこしい比喩的な言い方でしか表現されてないのか?
現世において災害、病気、挫折などのない安楽な世界の追求なんて簡単に言葉で
表現できるではないか?
どうしてそういう表現が一つもない?
わざわざややこしい遠回りな言い方をしなければならぬ?
これは拡大解釈と言うよりも不堕悪趣を読み違えているだけです。
>それを日本語に訳したのが、管長の○○の因縁、なのですよw。
だからサンスクリットもパーリも桐山さんには訳せないが専門の語学知識のある人
ならば訳せるんですよ。だって人間の言葉ですからね。
その同じ人間ならば誰でも理解できる人間語で○○の因縁に相当するものが無いのです。
>お釈迦さまは、日本語が出来ないでしょうw。
>だから、管長が日本語に訳しているのです。
だからお釈迦様は日本語が話せなくてもマガダ語とか現地インド語なら話せ、
インド人に対してわかるインド語で教えを説いたの。
お釈迦様であれ誰であれ桐山さんにはインド語を訳す語学力がないから、他の
邦訳を頼りにしてるだけなの。
- 454 :ユビキタス@奥州征伐
◆18iA.mwnDU:2011/11/10(木) 19:27:20
- >>447:準11/11/09(水) 21:48:20
>ケンゴウの千佛は現れているのです。だから危機は回避された、というのが
>阿含宗・管長の見解ですよw。
いいえ、それは準バカボン教管長の見解であり、アゴン宗管長の見解ではありません。
アゴン宗管長はたしかに弟子たちに賢劫の千仏を託します。
しかしそれは未来形です。目標形です。
君たちは賢劫の千仏になれと奮起を促しているのです。
練脳塾に入って新しい脳を獲得せよと促している。
で、練脳塾も人を集めただけでまだ焚き火のお作法とかグッズの販促しかやってない
からまだ賢劫仏は生まれるわけがない。
地震で死ぬような被害を受けなかった(東北の圧倒的大多数の方々はそうです)
だけで回避されたなんて言いません。
桐山さんはもっと大きな災害があるとさえ脅しているのを知らないのか?
>そういうことですw。いや、笑いごとではないが、管長の予言は時間差で当たる
から怖いね。
>いやぁ、私なんぞは怖くない。滅びるときは平等に滅びるんだから、騒ぐことも
>ない。だから、修行なんぞは、サボってもいられるw。間に合わなかったら、
>平等に滅びたら良いだけの話よ、騒ぐことはないね。
広島、長崎に続く核の被害が原発事故だとしたら、これ前の2つとエライ違いではないか?
今回原発事故で放射性物質を浴びて死に至った人がどれだけいますか?
挙げてみなさい。
今回の東日本大地震の多数の被害者は津波被害によるものが大きい。
よろしいか?原発もまた津波で倒壊したが、津波被害死者、行方不明者は原発の
放射性物質にやられて死んだのではなく、津波そのものに命を奪われたのです。
そこのところを観察するならば広島と長崎を比定にすることがおかしいとわかる。
つまり「当たってない」
そしてあなたは他の東北の圧倒的大多数の人たちと一緒に今回の地震で亡くなったり
しなかったのだが、亡くなった気の毒な方々もいる。
あなたの知人友人もそうだ。
そういう人たちと自分を比較してその優位性を自慢してるのですよ。あなたは。
読んでいて吐き気がしました。
- 455 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/10(木) 20:27:18
- 批判側への反論と言うよりは自慢と自己満足披露しか興味がないのですから、
吐き気がするのは当然だと思います。ちなみに私は頭痛がしますねw
あ、前以って言いますが風邪でもなければ、脳障害でもない。
有る方の発言を見ると起きる頭痛ですから。読まなくなればすぐに止まる。
だからさっと読んでさっと忘れるようにしていますw
あ、これって誰かの行動と似ている???
- 456 :準:2011/11/13(日)
19:26:40
- 何が吐き気だ、馬鹿ものが!w。
本日の長崎護摩供は、大成功でした。原爆犠牲者の会代表者は、要約すれば、
「阿含宗の護摩供に、崇敬の念を抱いて、感謝とお礼を申し上げます。」
という、挨拶でした。
批判者の弁は、愚かですw。阿含宗や、原爆犠牲者当事者同士の関係は
良いのに、なんでケチをつけるのかw?レベル低いよ。
天照さんも、心の境界が低いのです。例えば、擁護派の私の住んでる地域
は何処なのか、なんて下衆の興味を抱いて、発表したりもしていたw。
愛想をつかして、私はこの板を捨てることも簡単にできるw。
しかし、少しだけ、批判派にもチャンスを与えてるわけだw。
目覚めたのが批判派だという、お笑いだ。
批判派は、信者時代も退会後も、寝ぼけたままだねw。
批判派は、寝ぼけたままでの信者、退会してからも寝ぼけてる。
私は、目覚めてから信者になったのだから、よけいなお世話をするなよねw。
- 457 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/13(日) 22:21:59
- >>456:準11/11/13(日) 19:26:40
>愛想をつかして、私はこの板を捨てることも簡単にできるw。
どうぞ、どうぞ
(肥後&寺門)
- 458 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/13(日) 22:34:40
- >何が吐き気だ、馬鹿ものが!w。
大真面目に解説してあげましょう。
今回の東北の大震災で津波などで多くの犠牲者が出てしまいました。
誠に気の毒に思われます。
私は死者や遺族の気持ちを考えると、たまたま最悪の被害を受けずに済んだ人たち
との比較なんて絶対にする気がありません。
ましてやあなたなど知り合いのお葬式にも参列されたわけだし、その心の痛みを
我々よりも感じていると思ってました。
ところがあなたは自分に被害がなかったことをアゴン宗の信仰の賜物と示すことに
よって、亡くなられた気の毒な犠牲者との差別化を表現したのです。
犠牲者を踏み台にしてまで優位性を示すその醜い心に、正真吐き気がしたのです。
ノアの方舟ではないが、アゴン宗の信者だけが生き残り、そうでない人がほとんど
死に絶えたというならばそれもわかりますよ。
しかしアゴン宗の信者でもない圧倒的大多数の人はあなたと同じく致命的な被害もなく
生き延びたのです。
それなのにあなたはアゴン宗の救いを出したことは、逆に犠牲者だけを信仰しない
からだと侮辱したことに等しくなるのです。
- 459 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/13(日) 22:47:04
- >>456:準11/11/13(日) 19:26:40
>本日の長崎護摩供は、大成功でした。原爆犠牲者の会代表者は、要約すれば、
>「阿含宗の護摩供に、崇敬の念を抱いて、感謝とお礼を申し上げます。」
>という、挨拶でした。
>批判者の弁は、愚かですw。阿含宗や、原爆犠牲者当事者同士の関係は
>良いのに、なんでケチをつけるのかw?レベル低いよ。
これは他の団体がするのと同じように慰霊供養みたいのをして、故人に哀悼を
表明する為にわざわざ長崎入りしたわけだから、地元ではお礼を述べるのも当たり前ですよ。
しかしそれはアゴン宗が隠していることを知らずに、他の団体も行う慰霊法要と
みなしてくれているからです。
アゴン宗が隠していることとは、長崎における原爆犠牲者の怨念を解消しないと
運命の反復で原発などの倒壊が起きる恐れがあるから、これを解消するというものです。
つまり未来に起こる可能性のある戦争や原発事故の被害の原因を原爆犠牲者に
押し付けているのです。
この侮辱の構図をあからさまに示したら法要ができないから、他の団体と同じように
美しい言葉でごまかして隠しているのです。
つまり現地を騙して法要をしている。
1万円の護摩木を一万本ですか?いくらの収益になるか計算してみなさい。
その収益を原爆犠牲者の遺族などに寄付するのならばわかるが、結局はアゴン宗が
儲かるだけの金儲けに過ぎない。
- 460 :ラシン:2011/11/14(月)
12:19:24
- >456 :準:2011/11/13(日) 19:26:40
何が吐き気だ、馬鹿ものが!w。
本日の長崎護摩供は、大成功でした。
ゴマ木売り上げ一億円達成が、大成功だった?
平和への便乗ビジネスが、うまくいった?
今回2chでの再検証で、桐山さんという人物の詐欺性を
再確認できました。
刑事事件という厳密な区分けではない宗教を隠れ蓑にした詐欺師。
批判側は、そういうゴマカシに気づいて目覚めたのですが、
それを「私は、目覚めてから信者になったのだから」と放言するのは、
詐欺宗教と知りつつ詐欺に加担する確信犯ということになる。
- 461 :Boo:2011/11/14(月)
18:39:46
- >>456
>愛想をつかして、私はこの板を捨てることも簡単にできるw。
>しかし、少しだけ、批判派にもチャンスを与えてるわけだw。
え?
チャンス?
ああ、そうか!
準シュダオン氏を退会に「お導き」したら、真の釈尊に触れる機会となり
功徳になるってか?
- 462 :干柿:2011/11/14(月)
23:43:51
- >本日の長崎護摩供は、大成功でした。
ヒドイもんだったと、連絡がありましたぞw
ゲイカもうお護摩のおしだいもキチット進めること出来ずめっちゃくちゃ
助手の法務部のヤツがなんとか手助して(なんかカンペまでだしてきたみたいだw)
お焚きあげ・・・
そして後の挨拶と法話も例によって例祭法話のあの状態になってしまったもよう・・・
どこが大成功なんでしょうかね(笑)
だってなんか報告してきた現役の会員、夜眠れなくなったそうで(ひどすぎて)w
そして、最近はオバさん信者のあいだでさえ阿含宗の金とりのがめつさを
影話の井戸端会議で話題にあがるそうです・・・「○○道場の基金ン億ですって!
そんなにいらないんじゃないの?wダさん金持ちなんだから自分でだせばいいのに。」
とか話すおばさんもいるようです。w
だめだこりゃ(笑)
- 463 :名無しさん:2011/11/15(火)
00:41:01
- >なんか報告してきた現役の会員、夜眠れなくなったそうで(ひどすぎて)w
そして、最近はオバさん信者のあいだでさえ阿含宗の金とりのがめつさを
影話の井戸端会議で話題にあがるそうです・・・「○○道場の基金ン億ですって!
読んでいて思わずニンマリ。
良い傾向ですね。こう受け止める信者も増え、内部でも批判する風潮がもっと
広まるとおもしろくなりそうです。内乱が起きて欲しいw
どんどん行け〜〜〜
- 464 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/15(火) 01:25:51
- 有意義だった2chのbQ02が終わりましたね。
203も立てられて引き続き有意義な展開を期待します。
しかし、本当に有意義だったなあ・・・。
- 465 :名無しさん:2011/11/15(火)
07:41:23
- 阿含宗という宗教203
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1321309523/
- 466 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/16(水) 04:49:51
- >>465
203のスレ立ち情報感謝申し上げます。さっそく202からの続きが成されて
とても有意義な継続が展開されております。本当に喜ばしいですね。
- 467 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/16(水) 06:57:37
- おバカな教祖の予言も外れ一向に良くならない社会情勢。
2010年を契機に世の中がよくなるどころか、未曾有の震災があった。
また世界各地で災害や震災もありました。
現実を見ることを忘れてはいけません。
神仏や信仰が救うのではなく、自分や人間が自分を救うのです。
信仰をしているとどうしてもお陰や奇跡注視になってしまう。
しかしよく見ると助けてくれたのは神仏や信仰ではありません。
現実を見れないで錯誤して神仏や信仰の力で助かったと思い込んでいるのです。
錯誤や妄想の世界に浸らせるような世界から抜け出して、しっかり自分の人生を歩みましょう。
- 468 :ラシン:2011/11/17(木)
12:41:33
- >467 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/11/16(水) 06:57:37
おバカな教祖の予言も外れ一向に良くならない社会情勢。
オーラの祭典で本年の不幸な震災を予言していたなら、
桐山ゲーカの手抜き法要だったことになりますが、
長崎を終えて今度は11/20には、箱根で焚き火をする、、?
まあ、桐山さん本人が、占いは当ればよいというものではない。
などと半分、結果の無さを得意の詭弁で自己弁護しています。
それも阿含経では占いが禁止されていたことを一応認めた姿勢で、
一部の弟子には許していた阿含経があるなどと根拠も示さず、
吹聴するあたりは、さすがは詐欺師たる所以を如何なく発揮しています。
今回もまた信者さんは、ご法施グッズを並べられてやれ七宝輪宝や
特別祈願ゴマ木などを押し付けられる羽目になっています。
このエサすべてが桐山さんによる選民意識を植え付けられたゆえに、
パブロフの犬の如く目の前にぶら下げられると、
躊躇無くく垂涎三尺して買い漁るようになる。
桐山さん自身が特別だと勝手に自惚れれ、阿含経解釈をいじくり回し、
上記の占いの言い訳の如く許される理由を偽装されても気づかない。
信者は確認という基本すら失念して、ひたすらエサを貪るように
躾けられているからです。
- 469 :アゴン:2011/11/18(金)
10:17:56
- >>463
干柿さんの知人の報告のとおり、深田さんと岡田さんのカンペがスクリーンにドアップ映っておりました。というか紙はただのフェイクで、言葉でおもいっきり次の所作をゲイカに教えていました。ジェスチャーつきで。(笑)
それを見て、しみじみ思ったものです。そこまでしなくてはいかないのなら、
深田さんが焚けばいいんじゃないのですか...?もうここまで晒す必要があるのでしょうかね?と。
- 470 :アゴン:2011/11/18(金)
10:28:59
- おくらばせながら、庵野さんの阿含密教の内実という本と、早川本をアマゾンで購入して、ざっと読みました。庵野本は食わず嫌いで最初はなんの根拠もなく馬鹿にしておりましたが、(どうせお金目当ての出版だろう)と思って敬遠しておりましたが、いやいや誠に誠実性と良心のある良書でした。(笑)
わたくしどんどん退会の意志が固まってまいりました。
- 471 :アゴン:2011/11/18(金)
13:15:21
- 『阿含宗の研究
桐山密教の内実』でした。
しかし、2ちゃんの僧侶の資格をめぐる論争は面白かったですね。
つくづく手品宗教であった...と痛感いたしました。種明かしが分かれば全てに応用がきき、あてはまるという...。
わたくし、ここrまで全力で詐欺を働くひとを勿論尊敬はしませんが、ある意味凄いと思います。なぜこんなに全力で嘘がつけるのでしょう??
いまやスクリーン上に映る姿そのものが詐欺なのに、まだまだ嘘を突き通すその詐欺っぷりが、すさまじく、どこまでいけば制止されるのでしょうか。側近筋が無能なために、引き際がわからず、ゲイカが壇上で失禁あそばせればやむのでしょうか?
因果はめぐってこんな結末おそろしいですね。
- 472 :ラシン:2011/11/18(金)
14:28:34
>側近筋が無能なために、引き際がわからず、ゲイカが壇上で失禁あそばせればやむのでしょうか?
教団の運営維持のために、職員さんがたは日夜刻苦勉励しています。
オウムの残党信者は、今でも糞尿垂れ流しの麻原を尊師と奉っている。
桐山ゲイカが壇上で失禁したとて、同様に信者の信仰心は動揺せず崩壊もしない。
客観的に観て失笑することも、信者さん本人たちはマジメに思い込んでいます。
アゴン宗信者さんの多くが、ケーヴァッダやスナッカッタのように超人的能力を
求めて、示されないと修業しないと駄々をこねるようなものです。
準シュダオンさんを見てもわかるように、仏教にそういう能力がないなら、
仏教など信仰しないという態度です。
桐山さんの造語であるカルマ解脱や因縁解脱が出来ないなら信仰の対象外だと、
高見から決め付ける。
ただの焚き火なのに、焚き火の火でカルマが焼尽される?
こういう桐山標語を掲げられて邁進するとそれが適うと信じてしまうのは、
ハチマキを巻いた題目・念仏信仰と同じだと気づいていないからです。
だから今回もまた箱根で、国土安穏富・士山鎮護・地震安全などと祈願を繰り返す。
発菩提心やジョウブツ法のゴマなんて言葉に翻弄されて、成りきり信仰に精を出す。
こういう「なんちゃって宗教」を誤魔化すために伝統仏教の衣だけは身につけている。
総じて電脳宗教の受信料は、余りにも高額です。
- 473 :ラシン:2011/11/18(金)
16:23:19
>ゲイカが壇上で失禁あそばせればやむのでしょうか?
そうならばとうの昔に辞めている職員さんや信者さんが、
続出しているでしょう。
嫌気がさしたと言うより辞めさせられた職員さんなら知っている。
だが、桐山さんの裸の大将ぶりを見ても信者さんは幻滅するどころか、
お労しいなどと桐山さんにひれ伏す感情を持つ信者さんが大半です。
桐山さんがヨレヨレになってずいぶん時間が経過しているが、
信者さんんは現実を受け入れることが出来ない。
理由は、アゴンさんで説明がつきます。
ここや2chの批判論に同調してもいまだに、「わたくしどんどん退会の
意志が固まってまいりました。」と言う様な感想を言い続けて尚久しい。
実は退会の理由ではなく継続の理由を模索しているからです。
家族からの縛りという事情も同様の理由です。
本当に桐山さんのインチキに気づき、その信仰が社会に反するものだと
理解したら即刻退会するはずです。
ドブ川に落ちていたことに気づいたら、その汚臭を検分し納得してから
脱出しようなんて考える人はいません。
過去よりの信仰心に未練を感じ執着を切れずにいるからです。
長きに渡って構築した信仰という建物に注いだ金や労力を惜しんで、
愛惜の心に縛られている。
その事情が自身の目を曇らせ、現実の桐山像に”紗”をかけている。
自分の心と信仰心に折り合いをつけようとすれば、準シュダオンさんのように
自分教に陥って桐山教とも違う矛盾を呈してでも逆利用するか、
宝生さんのように自己洗脳に邁進するかの二つしか道はありません。
どちらも宗教汚染者さんです。
汚染に気づいたらまずそこから離れ、次に除染することです。
- 474 :アゴン:2011/11/18(金)
17:06:31
- ラシンさんが言うように継続したかったわけではないんですよ、ホントに。
ここで書くほどのことでもないので省きますが。
労力とお金を惜しんで、未練があるから続けるという意味が分かりません。
私はご利益がほしくて信仰心を持ったのではありませんので。
因縁解脱とやらが先にはないことが分かって、信仰の意味がなくなりました。
あ、でも因縁解脱をご利益というなら、ご利益信仰になるかもしれませんけど。
ただ決定的になったのは、やっぱり本ですね。
掲示板だけでは、穿って読んでしまう面もあります。どうしても。
それでも大分退会に傾く素地はできました。
庵野さんの時系列で多角的に検証された本を読むと、実際のゲイカとの会話など、ゲイカと対面しての様子などを見て不信に思ってももなお、ひきづられるように信仰してしまう気持ちなど、まさにリアリティーがありましたね。
ここで暴露しますと、退会者はものすごく多いですよ。
- 475 :ラシン:2011/11/18(金)
17:48:42
- >474
:アゴン
>労力とお金を惜しんで、未練があるから続けるという意味が分かりません。
私はご利益がほしくて信仰心を持ったのではありませんので。
因縁解脱とやらが先にはないことが分かって、信仰の意味がなくなりました。
失礼しました、アゴンさんのみを特定し断定してしまう言い方はよくない。
たしかに、以前からアゴンさんの悪因縁を切りたかったという趣旨は
聞いておりました。
謝罪し、撤回申し上げます。
- 476 :名無しさん:2011/11/18(金)
17:57:00
- >>474
>ここで暴露しますと、退会者はものすごく多いですよ。
2009年度の関西総本部管轄の退会者は3000人以上であったそうです。
- 477 :名無しさん:2011/11/18(金)
18:38:13
- >>476
一年でこの数字は凄いね〜
I川さんの内弟子問題が大きく影響しているのかな?
- 478 :名無しさん:2011/11/18(金)
18:51:58
- >>471 :アゴン:2011/11/18(金) 13:15:21
>わたくし、ここまで全力で詐欺を働くひとを勿論尊敬はしませんが、ある意味凄いと思います。
>なぜこんなに全力で嘘がつけるのでしょう??
>いまやスクリーン上に映る姿そのものが詐欺なのに、まだまだ嘘を突き通すその詐欺っぷりが、すさまじく、
>どこまでいけば制止されるのでしょうか。側近筋が無能なために、引き際がわからず、
>ゲイカが壇上で失禁あそばせればやむのでしょうか?
>因果はめぐってこんな結末おそろしいですね。
冷静に分析されてますね、アゴンさんはよくここまで頑張られました。
あとは時期をみて決断されればよいと思います。
- 479 :アゴン:2011/11/18(金)
19:17:16
- 退会者数はいまやもっと多いでしょうね。
山伏位階の発表の宗報ひさしぶりに見ましたら、
少なっ!!て思いました。
色川さんの事件でホントに愛想つかせてやめた人多いそうです。
ある意味、ゲイカの悪業を暴露してくださった人で、素晴らしい人ですよ。
最近出没もなさっておられるようですし。その報告をくれた人も、ゲイカのそばによく座っていた人で、超盲信信者だったんですけど、色々とご不幸続き、最近価値観が大きく変わられたみたいで、笑いながら報告をしてましたよ。。
ようは盲信しているのは、教団からお金を貰っている人がほとんどということで、あとの大多数は凄まじく冷めてきているんです。
これはマジで実感しますね。
- 480 :ROM人:2011/11/18(金)
22:42:34
- アゴンさんの貴重な報告は参考になります。
>>479
>あとの大多数は凄まじく冷めてきているんです。
私が聞いている話しでは、本心は冷めていても、それまでの信仰や
人とのつながりがあるため、表だって冷めているとは言えないようです。
本心を隠しながら続けている人が多いと違いますかね?
まあ、本心を隠して続けていても、冷めているなら良いことですね。
- 481 :ROM人:2011/11/18(金)
22:48:06
- >>471
>
なぜこんなに全力で嘘がつけるのでしょう??
普通に常識のある人には、桐山さんの内面性は理解できないでしょう。
彼はよく言われるように自己愛性人格障害者です。
けれども自己愛性人格障害者と言われる人と直に接触しないとリアルなことは
分かりにくいと思います。
一言でいうと道徳観念が完全に壊れている人になります。
徹底的に自分を守り、自分の利になると思えば嘘は平気、他人を陥れることも
全く平気です。羞恥心という観念は完全に欠如しています。
こういうモンスターのような人が、現実に存在しています。
桐山さんはこの典型的な人だと思っています。
- 482 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/18(金) 23:38:32
- >>476:名無しさん11/11/18(金) 17:57:00
>2009年度の関西総本部管轄の退会者は3000人以上であったそうです。
関東管轄も含めると単年度に1万人に迫る信者がやめたことになります。
アゴン宗の実信者数って何万人?と考えると凄まじい数ですね。
>>479:アゴン11/11/18(金) 19:17:16
>最近出没もなさっておられるようですし。その報告をくれた人も、ゲイカのそばによく座っていた人で、超盲信信者だったんですけど、色々とご不幸続き、最近価値観が大きく変わられたみたいで、笑いながら報告をしてましたよ。。
これは少し心が温まるような良い話です。
頑なな盲信信者でも自己批判で笑うようになった。
笑えればしめたもので、確実によい方向に向かっているわけでして、
何よりもこの方にとって喜ばしい話で、ボジョレヌーボーでもあけて乾杯したい気分ですね。
- 483 :アゴン:2011/11/19(土)
00:48:05
- 皆さん、感想をありがとうございます。
本当に信者同士の心暖まる交流がなければ、こんなところいたもんじゃない、と思います。
幸い口では大層聖人君子のようなご指導のおかげで、とっても純粋で奉仕精神の多い信者も多いので、私の周囲は、恵まれておりましたが、それでも地区の上層部の異常な基金集めに、(上層部こそが教団に汚染されているから当然なのですが。)ドン引きで退会していくものも多く、旧い信者さんも辞めていかれます。
しかしまぁ、ホントに2ちゃんで法務部の転職先斡旋してる方いましたが、内部のものがごっそり、ちがう宗派に移転してるのも噂ではききます。
結局天台宗や真言宗の法の寄せ集めと、拝み屋集団の雑密の妖しげな法を寄せ集めして、偽の仏舎利拝んでるんだったら、よそに行って当然ですよね。
ゲイカの性格分析が一番の要であると思いました。こんなひとがいるんですね!
と庵野本や早川本での桐山氏の言行不一致に本当に驚いた次第です。
- 484 :名無しさん:2011/11/19(土)
00:52:44
- アゴンさん、いつも情報をありがとうございます。
退会者が増えているのは、喜ばしい事ですね。
さて、星まつりでは、車イスを使用しているという桐山さんだそうですが、
室内では自力で歩いているのでしょうか?
もし、室内で自力歩行が出来ないのであれば、要介護状態になっていると
思いますが。
- 485 :名無しさん:2011/11/19(土)
10:29:49
- >>471 :アゴン:2011/11/18(金) 13:15:21
>しかし、2ちゃんの僧侶の資格をめぐる論争は面白かったですね。
>つくづく手品宗教であった...と痛感いたしました。種明かしが分かれば全てに応用がきき、あてはまるという...。
同感です。私も勉強させられました。スレに参加された方も多かったですね。
また桐山さんの
御霊示
が何かも暴露され見方が変わりました。
桐山さんにとって「仏」とは便利な「道具」でしかないなんて、ある意味で驚きです。
でもその様に認識すればすべてが納得できるのですからしかたがない。
- 486 :無関係な人間です:2011/11/19(土) 11:08:29
- 阿含宗の研究―桐山密教の内実 を書かれた、広野 隆憲
先生とは1度、電話で話した経験があります。
その時に、先生は、私に新しい本も執筆中なので、その調査をしているのだ、という事を話されてい
ました。が、その後、新しい本は出ず、先生とも連絡がとれなくなりました。
その後の先生のご事情をご存知の方、ご教示下されば幸いです。
- 487 :サライ:2011/11/19(土)
18:24:49
- >>474
廣野隆憲氏の大作の読破、おつかれさまです。この本、大作すぎて、読むのに私は時間がかかりました。この本はゲイカが人を使って出版妨害しようとした、と掲示版にありましたね。本当ならひどい話です。また、出版と前後して、月刊文芸春秋に廣野氏のアゴンの告発文が載りましたが、その当時のゲイカと教団たら、なんの反省も謝罪もなく、しらっとしてましたね。「いいがかりなんで無視する」とか言ってましたね。あの頃は信徒も皆、中々、雑誌の記事位では洗脳が溶けてませんでしたね。教団もカネ取り宗教からの脱却と改善の意志はなく近年カネ集めは醜悪さが目立つようになってしまった。これでは無視された廣野氏の記事の勝ちですね。アゴンさんの"手品宗教"との表現ははなるほど、です。手品師には用心、用心です。
- 488 :準:2011/11/21(月)
20:47:18
- 退会者が、3千人だろうが、3万人だろうが、関係ないねw。
烏合の衆に惑わされなくなるのが、宗教ですw。退会者の数、云々、という
情報に心を動かすのは、烏合の衆の一員だから、ですw。
多数の意見に従っていなさいw。
オウム裁判が、終わったようです。
似て非なるものが、オウム教と阿含宗です。それを見分ける知性があるか
否かが、分かれ目です。
管長は、「オウム真理教と阿含宗」という本のP121に、
「霊性の開発をともわぬ超能力開初は魔道に陥る」と、書いています。
解かるかな?「間脳思考」という本では、霊性=超能力、と書いています。
管長のいう超能力とは、阿含経にいう天眼、宿命智のことなのです。
「人の生命とは、一つの生涯で終わるのではない」それを知るのが霊性だ、
と間脳思考本に書いています。超能力=霊性、それは間脳にて起こる、
というのが管長の教えです。
霊性とは、高い徳性のことです。管長本にそれを書いています。
それに気づけない愚かな人が、阿含宗とオウム教の違いに気づけないのです。
味噌とナントカに、気づけていないのですねw。
- 489 :名無しさん:2011/11/21(月)
21:33:07
- >>488
>
退会者が、3千人だろうが、3万人だろうが、関係ないねw。
あなたは本当に現場を知らないですね。
例祭にも行っていないでしょう。
例祭では活動報告といって各本部、道場、連絡所が、お導きや基金の達成額を
報告しているんですよ。
勧誘数と献金額の営業活動の報告です。
何故、例祭で営業報告をするかといえば、これは阿含宗にとって大切だからです。
大切だから、わざわざ例祭の時間に報告するのです。
口をポカーンと開けて報告を聞いていてはいけません。
必要だから報告しているわけで、その必要とされているのが勧誘数と献金額で、
桐山さんが欲しているのが、勧誘数と献金額なのです。
だから退会者の報告は一切しません。退会者など報告したら桐山さんはキレるでしょう。
退会者を認めたくないのです。
信者は、「ゲイカ!○○名のお導き達成しました!基金1000口達成しました!」
と報告し、勧誘と献金の数字が大きいと、阿含宗三福道が実践できたとして感極まるのです。
あなたはこういう現場を全く知りませんね。
阿含宗が沈まぬ太陽であることを証明するために毎月、毎月、ゲイカに勧誘数と献金額を報告している
だけではないのです。阿含宗にとって勧誘数と献金額は何をおいても必要なのです。
そして勧誘数と献金額を教学に組み込んだのが2ちゃんねるで今話題になっている「三福道」なのです。
三福道は桐山さんのねつ造です。
桐山さんは勧誘と献金目的で三福道という経典を作り上げたのです。
- 490 :ラシン:2011/11/21(月)
23:13:26
- >488 :準:2011/11/21(月) 20:47:18
退会者が、3千人だろうが、3万人だろうが、関係ないねw。
烏合の衆に惑わされなくなるのが、宗教ですw。
あなたは木端信者のくせに、桐谷ゲイカのご心底をご理解しないばかりか、
ゲイカに違背する言動を吐くあなたはすでに遺灰で、片腹イハイ否、イタイ。
桐山さんにとっては烏合の衆でも数は数で、あなたより計算はチョー高い。
あなたは、¥10,000×1万を計算できない経営いや算数の”落伍者”です。
もっともあなたの性格や芸風は、むしろ三流 ”落語”のそれに似ている。
あなたの言いたい宗教とは逆に、桐山教の目的神髄はあなたの
小さな自己顕示欲を満足するだけに留まらないものです。
あなたは木端役人よろしく、己の慢心で全て自己満足すればよいでしょうが、
桐山さんは、もっと大きな欲望にまみれているのをご存じない?
そこだけは、あなたがいくら逆立ちしても適わない師匠たる所以でしょう。
詐欺宗教で金満家を誇る大キツネと、それをカスめる小ネズミの違いです。
>「霊性の開発をともわぬ超能力開初は魔道に陥る」と、書いています。
解かるかな?「間脳思考」という本では、霊性=超能力、と書いています。
だからどうしたのだ?
桐山さんが根拠なく書いたものを無造作に引用し、あなたは信じていると、
掲示板で強調して、どんな説得力があるのですか。
桐山さんの即席大脳生理学を節操も無く幼稚な受け売りで自慢している。
釈尊が、「霊性=超能力」と説いた経典の有無を先ずは確認したのですか?
してもいないで、「解かるかな?」とは意味も根拠も無いたわ言です。
すでにアゴン宗は魔道であり邪道で外道で、ナマ悟り以前の問題です。
>「人の生命とは、一つの生涯で終わるのではない」
あなたに輪廻思想など、ご口上されずとも誰もが知っています。
仏教は、香具師のタンカ売ではありません。
桐山さんの連呼など、お祭りの香具師の口上だと笑われているのです。
そこで違うのは、煩悩を止滅しない限り輪廻は止まないという釈尊の
教説を、「超能力=霊性、それは間〜脳♪」、などとバカの一つ覚えで
歌い続け言い間違える痴性に、批判側は気づいたということです。
霊性=高徳性との憑依されたキツネの口真似を否定し、
最小限の知性を大事にしているのが、批判側の基本的論旨です。
- 491 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/22(火) 00:31:32
- >>488:準11/11/21(月) 20:47:18
>退会者が、3千人だろうが、3万人だろうが、関係ないねw。
>烏合の衆に惑わされなくなるのが、宗教ですw。退会者の数、云々、という
>情報に心を動かすのは、烏合の衆の一員だから、ですw。
>多数の意見に従っていなさいw。
いいえ、関係なくありません。
あなたにとってはどうでもいいことでも、アゴン宗にとっては信者はもっともっと
倍増、乗増しなければならないのが永遠のテーマであり、激減などもっての他です。
それは地球壊滅の危機を救うアンゴルモアの大王を桐山さんが自認してテーマ、目的
としているからです。
地球壊滅は起きては困るのです。
自分一人が救われても、自分の周囲の一部の信者だけが生き残っても意味はない、
地球人類が壊滅したら意味がないとして、必死の抵抗をしているのです。
つまり一部の人のみ助かるノアの方舟を指向していないのです。
地球壊滅の回避を提唱している。
地球壊滅とは偶然に起こるものではない。
破滅のカルマがあり、総人口におけるかなりの比率の横変死の因縁を持った人が
いることが前提の上で、彼らの因縁を切らないと、壊滅や壊滅的打撃は防げません。
因縁を切るにはシャカの成仏法しかありません。
シャカの成仏法を伝えるのはこれを発掘した桐山靖雄率いる
アゴン宗しかありません。
それもアゴン宗に入信して特定の修行を行わねばなりません。
そのアゴン宗修行者人数の比率が極大に高まり、各々が横変死の因縁を切るしか
地球壊滅は防げない理屈になるのです。
そうでなければアゴン宗の因縁理論で説明がつきません。
だから減るなんてとんでもねえ。
減ったら人類はおしまいです。サヨウナラ。桐山靖雄はアンゴルモアの大王として
失格であり敗北したことになります。
また信者百万教団でも3000人減ったなら痛手なのに、アゴン宗のグロスの信者が
数万人しかいないのであれば、これは人類を救うなんて絶望です。
これで人類が壊滅的打撃を受けなかったら桐山予言は嘘かハズレになるし
困ったもんじゃのう。
また桐山さんも数を重視するのです。
それが証拠に阪神大震災では他教団を比較に出して死者数583人対3人はどんなもんだいと
自慢をしてるのですから。
また数が減ってもあなたの信仰心は揺らがないと言いたいなら、そんなあなたを
最初から相手にしてませんからご自由に。
あなただけはやめないで下さい。
- 492 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/22(火) 01:09:31
- >>488:準11/11/21(月) 20:47:18
>管長は、「オウム真理教と阿含宗」という本のP121に、
>「霊性の開発をともわぬ超能力開初は魔道に陥る」と、書いています。
>解かるかな?「間脳思考」という本では、霊性=超能力、と書いています。
>管長のいう超能力とは、阿含経にいう天眼、宿命智のことなのです。
>「人の生命とは、一つの生涯で終わるのではない」それを知るのが霊性だ、
>と間脳思考本に書いています。超能力=霊性、それは間脳にて起こる、
>というのが管長の教えです。
>霊性とは、高い徳性のことです。管長本にそれを書いています。
霊性、徳性と抽象的な言葉だけ使ってその実何も理解もしていないのがよくわかります。
霊性とか如何なる冷製か知らんが、わかったようなわからんようなレベルでしょうが。
信徒全員。
徳性は一般用語ですよ。どんな徳性ですか?抽象的概念でなく具体的にその徳性を
説明してごらんなさい。
立派なことは口では誰でも言えますからね。
天眼、宿命智ですか?しかし桐山さんって自分には脳障害の因縁はないと
透視しながら脳梗塞で倒れたのはどういう通力ですか?
私はオウムのことは知らないが、オウムにはオウムなりの倫理観あっての超能力志向
だったのだと思いますよ。だから秀才であった若者も心酔した。
それでもあのザマなんだから、あなたはそれを言いたいのでしょう。
しかしアゴン宗は殺人はやってないからオウムよりは罪は重くありません。
しかし比較の上で罪が重くないというだけで、マイナス評価には変わりありません。
愛人作って週刊誌に書かれて何の弁明すらできず、信者の激減を促し許し、
こういう自業自得は絶対にプラス評価に転じません。
万引きした犯人は俺は人を殺してないから殺人犯との差は歴然としていると
自慢しても悪い奴には変わりない。間違っても万引き犯に正義はない。
だからオウムなんか比較に出しても意味がないのです。
逆に極端な悪人を比較に出さないと、比較の相手がいないのはミジメです。
霊性を伴った超能力とか口で言うのは容易いが、アゴン宗のどこに超能力がある?
- 493 :Boo:2011/11/22(火)
02:14:44
- >>491
なるほど。
個人の因縁だけを切るというのならば、準シュダオンさんの理屈も少々筋の
通った理屈かもしれませんが・・・こと、人類の存亡にかかわる視点からみた
場合、辞めたい奴は辞めろ、という理屈は成り立ちませんね。
それがわかっていて、さんざん解脱供養、冥徳供養させておいて信者のケアもせず
次々と辞めてゆくのを黙って見過ごすのは、人類の存亡など気にも留めていない
に等しいわけですね。
>霊性とは、高い徳性のことです。管長本にそれを書いています。
>それに気づけない愚かな人が、阿含宗とオウム教の違いに気づけないのです。
>味噌とナントカに、気づけていないのですねw。
アゴン宗とオウム真理教の違いについては、私信者時代は違いがわかりましたが
今はよくわかりません。破壊的なアゴン宗がオウムであり、穏健なオウムが
アゴン宗とか・・・
本当に人類の存亡が特定な宗教にかかっているのならば、オウムのように行動する
場合もあるでしょう。オウムの場合そこまでのレベルではなかっただけで、では
アゴン宗はどうかというと、やはり人類の存亡にかかわるほどの教団とは程遠い
でしょうね。
結論として、オウムもアゴンもどちらも戯言であった。
戯言極左がオウムであり、戯言ゆる右がアゴンである、との分類であり、戯言
はタワゴト。どちらも哲学的には大差ない。
- 494 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/22(火) 06:02:25
- オウムが阿呆で阿含は優秀、というのが信者側だったりするのが定番となっているのが
某氏の論。外部から見ればどっちが物を知らないかがわかります。
TVではオウムの最後の人の判決が出たことで、今まで保留になっていた12人の死刑執行も
行われるだろうとの事。しかも順番で最初は麻原だというではないか。
まあ、順番はともかくこれだけ重い判決を受けるだけのことをした彼らは後悔してもしきれない、
そういう状況でしょう。
阿含宗は確かにオウムほどの行為はしていないが、詐欺に掛けては十分すぎるほどの悪業である。
さすがは臭い飯を食ってきたことのある教祖ならではの用心が生きている。
麻原は桐山ほど頭が良くないから宗教ビジネスの真似はできたが、破綻してしまった。
麻原だけがやるのならまだ良かったが、信者まで巻き込んだのはお粗末であった。
- 495 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/22(火) 06:11:45
- 桐山が徹したのは詐欺に徹底したのと、直接人を殺してまでの行為に走らなかったこと。
麻原は自分の予言を当てたくて無理に世間的な危機(サリン)を撒くという行為に走ったようだ。
それこそ桐山のように予言が外れても飄々としているだけのことができなかった。
実際に世間で危機が起きないと自分が優位に立てないと思ったのかもしれない。
いくら桐山の真似をしてもそこまで徹し切れなかった麻原の浅はかさが多くの人を苦しめ死なせた。
サリンを撒いたオウムが悪くて阿含宗は悪くない。麻原は悪くて桐山は悪くない。
それこそオウムと阿含宗と一緒にして欲しくない、と言うのはわかる。
自分もかつてそのように思っていたし、言ってもいた。
だが、殺人などを犯してないだけで偽仏教を講じていながら本当の仏教を講じている
と言い、その他にもデタラメな行為の数々で人々を騙して搾取した行為はどうなるのか。
人を殺してないからセーフだというのは、あまりにもお粗末。
それこそ分別が無いといわれる元凶だ。
- 496 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/22(火) 06:18:42
- 私の周りの人たちは良い人が多かったからオウムと阿含宗はほとんど同じだ、とか
差が無いだろうなどなど責められることは無かったが、それでも当時は関係性を聞かれ
いろいろ答弁はした。
しかし、それは相手が知識もさほどないし良い人だから責められなかっただけの事で
今の自分のようなある程度内容を知った人ならば、簡単に責められて酷い目に遭ったであろう。
それを考えると寒気すらする。
今の信者さんたちも同様であろうかと。周りの人からこっぴどく責められ攻撃されるのはそう
多くは無いはず。また実際にあったとしてもそれから阿含宗の欺瞞に気がついて目が覚める、
ということはどれだけ有るだろうか。いつも自分はそれを思いますね。
確かに掲示板で論ではある程度責め的の文章もあるからきつく感じるし嫌だろうが、現実をみる
視点がないからそのようになるであろうと思う。尚且つ釈尊は現実を見ることを推奨した。
ところが阿含宗は現実を見ないところばかり薦める。これでは話にならない。
現実逃避宗教か現実を見る「釈迦仏教」を行うのかで道は全然違うものになると思いますね。
- 497 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/22(火) 06:55:58
- オウムと阿含宗は全然違うんだ、というよりも違っている云々よりも「目くそ鼻くそ」
であるということを気づけばかなり目が覚めていると私は思いますけどね。
- 498 :干柿:2011/11/22(火)
23:02:58
- ああ、見方を変えれば、麻原も桐山阿含の被害者なのかもしれませんね。
少なくとも林郁夫その他の元阿含宗信者は結局のところ桐山ゲイカの嘘に
失望して(求聞持法、その他の成仏法やクンダリニーヨーガを教えると
いって伝法会まで開始しながらいっこうに教えずのらりくらりと誤魔化していた)
実際にヨーガを教えていたオウムに行ってしまったわけです。
とくに林郁夫なんか自身の結婚式に桐山ゲイカが直接お護摩さえ焚いて
祈願祝福しているのです。(オウム真理教と阿含宗という本には媒酌人だとか書いて
おりましたがただの媒酌人ではなく式の導師だったのです)
個人の結婚式に対してですよ!後にも先にも
こんな異例なことはなかったそうです。嗚呼それなのに一家でオウムに入信してしまい
エリート医師からカルト犯罪者、当然のことながら家族崩壊
桐山ゲイカのお護摩って法力無双で成仏力を発揮するすばらしい法なんじゃなかったっけ?
なんで林郁夫は悲惨な目にあったのでしょうか?
因縁解脱のお護摩など結局のところ嘘ということになるんじゃありませんかね。
話はかわって、嘘というものは時には殺人よりも重い罪になりますと
スマ長老が本に書いておりました、さて準シュダオンさんはその意味がおわかりか?
麻もしかしたら桐山ゲイカは麻原よりも悪業を積んでいるかもしれませんよ。
- 499 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/23(水) 06:32:29
- >>498
私は麻原は被害者だとは思いませんね。阿含宗(当時は観音慈恵会)と言うものを見に来て
「超能力が授かる」と言うのを盗みにきた。ところが全然それが見当たらない。なんだこんな
インチキ商売、と思ったら意外と儲けているようだ。尚且つそういうインチキ野郎に皆がひれ伏し
金を貢ぐではないか。こんなおいしい商売は無い。いわば変なアイディアを得る場となった。
ここは麻原のたくらみが活きてしまったわけだが、中々こういうのに気づいて行う人は少ない。
数人居ただけで実際行うとなればそういう少人数になるでしょう。
まあ、世の中のみんなが詐欺をやったら世界も壊れますが(笑
麻原はパクり目的ですから被害者では無いと思います。
- 500 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/23(水) 06:40:15
- 林さんへの結婚式の話は有名ですよね。私も法友や先達から話を聞きました。
林さんの関係者の一部の人には「結婚式で護摩を焚くなんてキモイ」という意見もあったとか。
特殊な結婚式であったのはそうかもしれません。
後は干柿さんの言うとおりで私も同意です。
ゲイカは殺人をしてないので麻原よりは軽い、と見られがちですがいやいやどうして。
麻原もサリンがばれずにいたら、もっと酷い殺人を犯してたかもしれませんが、何分逮捕されて
悪業を積む期間がカットされた。
一方ゲイカは殺人こそしてないが長きに渡って未だに詐欺行為を続けている。
程度の差は有れど量が多いので私はゲイカもかなりの重罪かなと個人的には見ています。
死刑と無期懲役は近いものがあるように差は無いと見ていますね。
- 501 :干柿:2011/11/23(水)
07:38:09
- >>499
麻原については皮肉をこめてのことですwあの人物は阿含宗とたとえ関連が
なくてもなにかやるような人でしょうねw
ただオウムの教義に阿含宗の教義が実は大きな影響をあたえていると見ています。
つまり因縁解脱という考え方、麻原は解脱者は何をやってもいいという考えで
最後には殺人から国家転覆まで暴走してしまった。はじめはインドの金剛法座にじかすわり
するぐらいだったのですがねwつまり阿含宗の教義は麻原の狂気に油を注いで
しまったのでは?と考えたうえでの皮肉です。
それにしても当時、阿含宗からオウムへいったひとは多かった
TVで強行突入のときサティアンから続々と連行される信者が映されたでしょ、あれほとんど
阿含宗の元信者だったようです・・・(実は連行ではなく保護だったと聞きました)
つまりゲイカの嘘はある意味オウムの加害者から被害者まで生み出したわけで
なにも責任をとらずうちは関係ありませんでしょ・・・なんか納得いきませんよねぇ〜
- 502 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/23(水) 11:27:13
- 干柿さんなるほd、そうでしたか。すっかり干柿さんも高みの極みに至って
麻原をも哀れむほどの慈愛が出たのかと思っておりました(汗
ちなみに自分は一日も早く死刑執行にならないかと思っている未熟者です。
オウムに対し阿含宗はかなり影響は与えていると私も思いますよ。
おそらく第三者の方でもそう思う方は多いのではないかと。
阿含宗のことを知らない人はそこまで至れるかわかりませんが、少なからずとも
阿含宗のことを深く知らなくても阿含宗の真似やパクりで構成されたのがオウム
だというのは私の知り合いにもいましたしね。
ただ、阿含宗のパクりだけでは二番煎じになるし麻原もゲイカとやりたいことが
違うわけですから当然中身も違う箇所はありますが、それでもやはり世間に注目を
引いた項目、超能力や解脱をほのめかすのは当然必死となるわけで、そこはやはり
詐欺する側としては抜け目が無かったといえるでしょうかね。
また時代も大分変わりましたしね。当時は通用した?超能力も今ではあまり興味を
示す材料とはなっていません。ブームと言えば簡単ですがそういうのが昔はあったと
いえるのは否めません。そして近年は超能力はさほど注目されず手品の類とみなされて
あまり重きを置かれてないようです。
ちょっとした高度な手品ならマリック氏やその他有名な手品師ならいとも簡単にやって
のける時代ですし、超常現象の映像もPCなどの普及により見事に合成・作成できますし、
こうなると如何に本当かを示すものが無いとわからないほどです。
- 503 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/23(水) 11:41:36
- >それにしても当時、阿含宗からオウムへいったひとは多かった
私も話に聞いたことはあります。相当数の阿含信者がオウムへ流れていったと。
私も麻原が小綺麗でハンサムであって、尚且つ「これ嘘でしょう」というのが
わからなかったら行ったかもしれませんね。
あの醜汚さと空中浮遊の嘘さ、ったりゃあありませんよ。
空中浮遊の画像も見せてもらったけど、ただバタンバタンやっているだけでしょう?
それこそ>>502で言ったけど、マジックでも良いからマジに空中浮遊を見せたらかなりの
人がもっと流れたんじゃないかな?
あと、麻原が痩せて整形して美男子だったらどうなってたかw
あいつのハンサムなど興味も無いですが、一目見て「うわ、こいつの言うことは聞けない」
と思いましたからね。良くない比較だがゲイカのほうが十分良い男でしたわw
今は見る影もいないですがwww
私は地方信者だったためかTVの映像を見ても知っている人はいません。
ですが、知っている人がいて見たならいたたまれないですよね。
元信者さんが多いし、騙された人たちだと言っても本当に嫌だった。
私が麻原を憎むのはそこにもありますね。
>うちは関係ありません
もしもゲイカが「うちも関係がありますね」などといったら大変でしょう。
どんなデメリットが有るかわからない。私が教祖でも言わないでしょうね。
ただ、実際的に分析すれば干柿さんの言うとおりで責任が全く無いとは言えない。
だが、それを言えば責任を問われるかもしれないし、実際的に負えもできない。
ならば、「うちは関係ありません」というしかないかもというのはありますね。
ゲイカにすれば「向こうを選んで行ったのは行った人たちだ」といえるわけですし、
どんなことをしても決定するのは当人だからです。
ゲイカの擁護をするわけではありませんが、致し方なかったとは思います。
- 504 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/23(水) 22:24:02
- 麻原彰晃があんな容貌でも信者に好かれたのは、桐山さんと比較して
弟子たちをかわいがる兄貴分なところがあったからのようです。
弟子たちにもざっくばらんに話し、頭を撫でて褒め称え、弟子は弟子で
本音をぶつけられるおっさんという親しみがあったようです。
桐山さんにはこれがない。自分が道場内を闊歩する時は、皆着座させ、立って
会話することを許さない。
それでいながら自分の方は「ご苦労さんです」と一方的に声を掛け、
リンゴを子どもたちに配り、皆の前で踊ってみせたりして、すっかりフランクな
教祖を演じているように思っているだろうが、内実はポーズだけで拒絶です。
またオウムの信者が心酔したのは、神秘体験よりも、その教義理念だったようだ。
準さんが示した霊性を伴った超能力開発とかそんな程度ではない、高学歴高偏差値の
彼らを以てしても心酔狂喜させるほどの教義があったようです。
だから麻原の殺人は間違っていることは認めても、あの素晴らしい教義だけは
忘れられないと語る信者の声も当時報道されていた。
その教義とやらは不勉強だから取り上げないが、準さんが喜び求める御利益信仰を
超越していたようです。
まあそれが変に歪んでポア殺人のテロに堕してしまったようだが、アゴン宗の
御利益信仰などこそ、彼らから見てレベルの低いものという認識だったかと思われますね。
つまり準さんみたいな人はオウム信者から嘲笑の対象にされたと思います。
私は信者時代、こういうオウムの歪んだ超越思想とやらにはまる危険性を感じると
まだ現世利益を求める信仰の方が目に見えた効果回答が証明になるのだから
むしろそちらの方が健全ではないかと漠然と思っていた頃があります。
超越して人間の心を失い殺人も辞さないおかしな哲学に走るのならば、健全な
欲望原理の立場にいた方が危なくないという考えというか漠然とした感覚です。
まあ現世利益はその効果が実は大してなく、真実の証明にもなっていないのですがw
桐山さんの容貌ですが、私が惹かれたのは決してイケメンのロマンスグレーだからでなく
僧侶の法衣をまとい仏教を標榜していたからです。
つまり麻原みたいに桐山真理教で売り出し、僧侶と名乗らずおかしな瞑想服で
売り出していたり、大川や福永みたいに背広姿ならば、いかにダンディーに見えてもなびかれなかったと思う。
あくまでも仏教の僧侶の中にいるからです。
桐山さんもそれは承知で僧衣は権威の顕示です。
- 505 :Boo:2011/11/24(木)
00:02:57
- 超能力路線を前面に出し、うまくアゴン宗の信者を取り込んだ戦法は見事としか
言いようがなく、アゴン宗は指をくわえて見ているだけだったのは非常に情け
なかったと思う。
ユビさんが以前レスして、わたくしも激しく同意したのが、麻原の超能力宣伝に対して
「超能力なんかあるわけない」発言ですね。ゲイカの。
ゲイカが只の人ならば、わたくしも時間と費用を費やすことはなかった。ゲイカが
超能力者であり、聖者であり、いつか自分にもカリキュラが示されると思えばこそ、
人生の何分の一かの期間を修行と称する搾取に裂いてきたわけです。
準シュダオンさんは悪いことは言わないから、デンパ、予知、聖者のフリは辞める
ことです。オウムはあなたのような信者が生んだようなものです。
- 506 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/24(木) 03:58:12
- 私もゲイカの見た目が良くてオウムへ行かなかったと取れる発言をしたのは失礼をしました。
あくまで外観のことはただの見た目で、それが行かなかった原因ではありませんので念のため。
私の一番の行かなかった理由は教祖を信じたからですね。
麻原には超能力は無い。ゲイカには有るだろう。ただその見極めが完璧でなかった。
結局は桐山氏も超能力など無かったのだが当時はわからなかったのですから。
いろんな要素を天秤に掛けたら麻原の言うことは聞けなかったし、法の華にしても幸福の科学
にしても同様で全然なびかなかった。
それだけの判別ができて桐山氏に騙されたのはなんとも言えないが、まあ自分の考える・信じる
傾向が合っていればその教祖や教団を信じるのであろうといったところですか。
- 507 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/24(木) 04:06:01
- あと、考え直して気がついたが、自分は先祖供養が最初なのでオウムにはそれが無かった。
なので行かなかった、と言うのもありましたね。(今思い出した)
確かに仏教だからといって先祖供養を謳わなくても変ではないです。
例えるならばスマ氏のところでも先祖を敬う心はあっても日本仏教のように先祖供養を云々、
と言うのはやってませんよね。
まあ、阿含宗の欺瞞がわかってから認知したので自分は理解できたともいえますが、オウムは
どちらかと言うと超能力と神秘ものが多すぎて自分には興味が無かったとも言える。
もちろん超能力が身について自分の意のままに人生をコントロールできたら面白いだろうなあ。
そういうのは自分にも無くは無かった。しかし、自分には桐山節が合ってたんでしょうね。
同じ詐欺でも麻原にはほとんど冷めていましたからね。
- 508 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/24(木) 08:17:01
- まだオウム事件が発覚する前に、アゴン宗の信者である私は書店の宗教書コーナーで
オウムの著作を手にして立ち読みしたことあります。
立ち読みといっても目次を眺める程度だが、まあ冷やかしみたいなものです。
最初から軽蔑していたから、一つどんな戯言をアゴン宗なども真似しながら
書いているのだろうか、と手にしてみたわけである。
オウムのカリキュラムなどが書かれていた。
オウムは原始仏教、上座仏教を求める者にはテーラヴァーダのコースが、
密教を求める者にはヴァジュラヤーナ(金剛乗)のコースが用意されている
とのことであった。
出家修行者に厳しい戒律を課していたようだ。
事実、上祐さんの発言でもありましたね。「私はもう何年もセックスはおろか
オナニーだってしていない。修行とはそういうものですよ」とか。
これはあながち嘘とも思えず、彼は禁欲の修行を真面目に取り組んでいたと思います。
オウムの掲げるテーラヴァーダが釈尊の仏教ともどう異なりどう共通部分が
あるのかは具にかつてのオウム著作で検証せねばわからぬが、彼らはアゴン宗の
掲げるアゴン仏教の出鱈目に気づき笑っていたようです。
ちっとも阿含経に則っていないではないかと指摘し、それは言われる通りだったと
今思います。
超能力にしても超越にしてもオウムの求めるそれは現世利益を立脚点としない
もののように思われます。
対してアゴン宗の掲げる超能力とは現世利益を得る道具です。
つまり密教の五大超能力から始まるアゴン宗の○大超能力は、桐山さんが著書の中で
これを獲得して社会生活をする自分を想像してごらんなさいと、妄想を煽っている。
出世の道具になるぞと欲を煽っているのです。
超常現象なんか起こすことよりも仕事や生活で成功を勝ち取れるぞと示した。
だからこれはナモナモと祈ってお願いを叶えてもらう現世利益とそんなに変わらない
ナモナモと変な念じ方をして、願えも叶えられる自分に変身させてもらおう
という現世利益信仰です。
つまりそんなに高い理念などない。
オウムのそれが高かったかどうかはわからないのでコメントしないが
少なくとも彼らは私欲を超越した超能力志向であったようで、この辺が高学歴の
若者の知性をもつかんだようです。
だから単に私利私欲を叶える為のアゴン宗の超能力志向はオウムによって
笑われていたのです。
準さんなどはその逆だと思っていたのでしょうね。
しかし理念はアゴン宗こそ低い。
- 509 :ラシン:2011/11/24(木)
14:57:38
- >桐山さんの容貌ですが、私が惹かれたのは決してイケメンのロマンスグレーだからでなく
僧侶の法衣をまとい仏教を標榜していたからです。
特に内陣で桐山さんが護摩を焚く姿に畏敬した信者さんは多い。
アゴン宗信者さんの特徴は、一に仏教無知でしょう。
緋色の法衣、七条袈裟を身につけた有髪の僧位姿は、
一般に坊主僧侶に見慣れた者を吃驚させるに充分です。
天台も真言も無差別のコスプレ僧だとは知らない。
阿含経に釈尊が剃髪していたという記述があることすら知らなかった。
出家者は糞掃衣を身につけ托鉢をする者を=比丘、比丘尼という基本。
生命を保つに足る食物以外は摂らず、午前中に一食を数回で食す。
招待食の場合でも、食に欲を出さず、足る分で満足する。
釈尊の教えは、人間が一番行いたくない五欲を制御しなければならい。
2chなどでも、信者さんに真の仏教を見直しなさいと啓蒙します。
だが信者さんの多くが、真の仏教など興味が無いのが殆どでしょう。
これだけ批判側から阿含経の真実が明確に引用されても、
どこ吹く風の信者さんが大多数ではないだろうか。
煩悩など相手にするよりも、それもこれもと自分では直面せず、
桐山さんを崇めて代理行に身を託すほうが楽だと知っている。
信者さんは人生依存症という病に冒されている。
- 510 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/25(金) 06:20:53
- >>508 ユビさんのご意見に圧倒。ざっと書店で見ただけでこの把握力ですから
すさまじいものがあります。またほとんど納得のご意見に頷く自分であります。
>彼らはアゴン宗の掲げるアゴン仏教の出鱈目に気づき笑っていたようです。
思い出しました。うちの従兄弟がこういう内容を言っていたんですよね。
阿含宗はなにも阿含経のことをやっていないと。
逆に当時盲信状態だった自分は「阿含宗のことを何もわかってないのはお前じゃないか」
と反論したが、今に思えば自分が間違っていたという情けなさがあります。
>アゴン宗の掲げる超能力とは現世利益を得る道具です。
本当にそうですね。密教にある「現世利益」や「現世成仏」という謳いに浸されて
釈迦仏教と偽仏教の違いさえわからないで居た故の過ちです。
ゲイカのいう超能力が得られることは当たり前と思っていた。
最初自分は先祖供養から入った、といいましたがそれは本当で、超能力など別段
どうでも良かった。というか入りは「続 守護霊を持て」だったのでわからなかった。
次に読んだのが文庫本の「変身の原理」だったので、それから気づいた次第です。
つまり自分は超能力など別段「何だそれ」と思っていたが、阿含宗は先祖供養が進むと
守護霊が授かるし、阿含宗でトレーニングすれば人並みはずれた力が得られる、つまり
超能力を得ることができる、と認識したので「随分特殊でお得な宗派だなあ」と感じた
ものでした。なので、自分には超能力などは「オプション」的なものでした。
しかし、仏教に何も知らない若造がゲイカのペテンに毒されました。
入行に一年を掛けて用心したが、結局入ってしまった。どもならん過去です。
オウムの信者さんは真面目な方が多かったと聞いていますが、やはりそうだったのでしょう。
麻原を本当の尊師と信じ従ってきた。彼らは警察介入があったときには本当に衰弱していた、
と有りましたし偽尊師に騙されて良いように使われた状態でしたしね。
- 511 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/25(金) 06:33:35
- >>509 ラシンさんのまとまった文章(ご意見)には本当に感嘆します。
私も>>510で触れていますが、自分にもその状態がありました。
詐欺師を聖者と崇め崇拝した過去があります。
また入行するに当たって一年間様子を見たけども欺瞞に気づかなくて
詐欺師の手下になってしまった。
オウムの信者さんもいくら真面目であっても自分同様無知であった。
本当の仏教がわかっていればどのように嘘をついているか判別できた。
全ての元凶は「己の無知」だと私個人はいつも感じております。
また過去を振り返れば外部からもあれこれ阿含宗の批判を見聞きしても
ラシンさん仰せのとおりの反応であったのがあります。
本当に恥ずかしく情けない過去です。
徹底的に阿含宗をやりこんだからわかったことですが、退会する二年前から
「依存はいけない」と気づいていた。ただ、愚かなのは自分が教団に依存して
いるということに自覚が無いことです。
しかし、よく分析すれば教祖や教団、本尊に依存している姿まではわかった。
掲示板に参入する前でも、です。
なので、依存を捨てよ、を行ったら阿含宗(信仰)は要らなくなってしまう。
なので、その矛盾に「何だこの理論」と自分を笑ったものです。
しかし、依存していては自分が駄目になる、という思いはあった。
そこから気づかされたのが掲示板であったわけです。
そういう経緯から「井の中の蛙」ではなかなか気づけないというのがありますね。
本当に信者の皆さんは気づいて欲しいといつも願っています。
- 512 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/25(金) 08:39:56
- 桐山超能力が現世利益信仰というのは、グモンジ法の宣伝など見てもわかる。
ある本では、学校は学科など教える必要がなく、一学期はグモンジ法の習得に向け
知能を開発して、二学期以降に学科を教えると、開発された頭脳は知識を求めて
バリバリ貪欲に吸収を進めていくなんて書いている。
こんなの真に受けてたら勉強が疎かになりますよ。
その超人的頭脳を得るには特殊な訓練修行をしなければならんのですが、
それは英会話スクールに行くとかパソコン教室で習うとか、能力開発の現場とは
全く異なる、やれ呼吸法がどうのとか体技がどうの呪文の音響共鳴がどうのと
(実際にはそんな伝法すらなく、前にいろいろと想像期待させてくれる空虚幻の訓練だが)
現実の目の前の能力開発とはかけ離れたことを妄想している。
これ現実能力開発に対する逃避みたいなものです。
現実努力ではなく、それに至る前提の我を、変な法に頼って変身させてもらおう
というものですからね。
まあそもそもそのグモンジなる法が難しいと言うのだから、そんな難しい法に
取り組む暇に現実能力開発をした方がよほど効果がありますけどね。
こうなると自力も他力も区別がつかない。
宗教民俗学者で修験道研究で知られる五来重先生いますよね。星まつりのテレビにも
出演してアゴン宗とも親交があった。
彼の著作で「遊行と巡礼」(角川選書だったかな)を読んだことがある。
日本の古来からの歩く宗教、歩く信仰を調査考察している。
辺路の修行というのがある。遍路はこの漢字からも転用したものと思われる。
海岸に沿ってどこまでも歩いて行く。
海岸ったって砂浜なんてほんの一部ですから、ほとんどは断崖や岩をへつるような
苦行です。こういう信仰があった。
これって密教と習合したから山岳修験が生まれたわけでもないんですよ。
念仏を唱える他力本願の浄土信仰でもこれをする。熊野詣でなどもその一例でしょう。
他力他力というけど準さんみたいな怠け呆けとかなり違ってすんごい自力努力を
必要とする営みの信仰です。
しかし結局いかに肉体を酷使しても、目の前の現実能力からはかけ離れた他力信仰で
あることには変わりない。
アゴン宗の超能力開発志向というのもこれと同類(ただしアゴン宗では期待、待機だけ)
だと思いますよ。
現実能力開発から逃避した妄想です。
自分の今の足元が見えてない。
- 513 :ラシン:2011/11/25(金)
12:17:20
スレ違いになりますのでオウムの検証は述べませんが、
ユビさんの指摘にあるとおり、アゴン宗から流れた信者は、
桐山教義の限界に気づいたのでしょう。
阿含経解釈もアゴン信者さんを凌いでいただろうし、
それにプラスした金剛乗という気のエネルギーによる神秘修業で、
桐山さんの”インチキ”を克服できたのかもしれない。
だがオウムの信者も、桐山さんに植え付けられた依存性は消せなかった。
インチキ教義から脱出しても依存性ゆえに新たに求めた信仰心は、
元を凌駕するだけの過激性が無ければ説得力を失う所以でしょう。
私は過去批判論を目の当たりにして、深山さんが常に言うところの
いざ反論を考えても隔靴掻痒のごとく文章がまとまらなかった。
退会を決心するまで数年間に渡り、退転しながら中途半端でいた。
理由は、アゴン宗教義を上回る他を探せなかった。
当てにしたものが取得できないと気づいて他を求めなかったのは、
宗教に依存しても何も得ることが出来ないのか、と当時は宗教すべてに
挫折したからです。
だが挫折しない信者さんは、正否を別にしてもオウムに流れるように、
他者依存を繰り返す。
批判側が釈尊の教えを理解しても実践をするしないは個人観による。
だから擁護側の反論に出てくる批判側の信仰有無を忖度するのは、
マト外れとなることが分かります。
私の場合、桐山さんに挫折し宗教すべてに挫折したことで結果、
自灯明に切り替わったが、法灯明は実践できないでいます。
掲示羅列された批判側の数多の論拠はすべて確認できるものでした。
桐山さんを擁護し正当性を主張することは容易ではないはずだが、
依存性が働いていればまともな知性は働かない。
桐山汚染は放射能と同様に人を蝕んでいる。
- 514 :ラシン:2011/11/25(金)
13:55:47
>他力他力というけど準さんみたいな怠け呆けとかなり違ってすんごい自力努力を
必要とする営みの信仰です。
真宗系は修業しないそうですが、遍路修業となれば伊能忠敬ならば、
へたな宗教家をも上回る。
法華行者も荒行なら他宗に負けない”スゴみ”があります。
桐山さんの教えは、桐山さんにすがらなければ助からないというものです。
しかし中身はインチキで剽窃されていて理論武装がほころんでいる。
それを惑わすために伝統宗教の身なりをして他国からも名誉と権威の
貸衣装を着てまで信者の目をゴマカしている。
日本の伝統仏教を否定しながら、勝手に貸衣装だけは常連のお得意様です。
それは解脱されたゲイカの専売特許です。
真言宗の借り物もゲイカの手によればホンモノのオマジナイに変化する。
こう信じる信者さんは、他者依存度が激しい故の自己満足に浸っている。
そこで、
桐山さんからの空メールを読み解けると自惚れたのが準シュダオンさんです。
その張本人の桐山さんはネット批判の拡散を理解できないでいる。
桐山さんが投げてもいないボールを受け取ったと吹聴している。
アゴン宗では厳正に規則違反であり桐山さんの逆鱗に触れる言動です。
桐山さんの霊力が利き過ぎたために、時には起こる副作用という珍現象です。
- 515 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/25(金) 21:16:39
- ユビさん、ラシンさんのご意見、凄いなあ。頷きながら拝読。申し分ございませんm(_ _)m
- 516 :ラシン:2011/11/25(金)
22:27:49
天照さんの管理するここは、2chのようなブッ飛んだ擁護論は入り難い。
ある意味で健康な批判検証が可能とされています。
唯一、準シュダオンさんが気ままに”アダ花”を添えてくれる。
しかし、反論が有ろうが無かろうが、批判主張の展開は無限です。
それほど桐山さんの所業は、類うべきがないほどの指摘カ所が満載です。
駄文ながら私もその一端の、更なる隅っこに加わる栄誉を賜っています。
ユビキタスさんも常にザビビに参加していたように、
代わって此処もそのハブボードです。
批判資料の充実は見事で、常にskydriveドキュメントと併用参照しております。
- 517 :名無しさん:2011/11/26(土)
14:47:55
- 平河出版社
http://www.hirakawa-shuppan.co.jp/
2011.11.25
★☆★『仏陀の真実の教えを説く・中巻』12月末発売!!
『仏陀の真実の教えを説く・中巻』が12月下旬に発売されます。
下巻の予定が、中巻の刊行となりました。
定価2625円(税込)ISBN978-4-89203-339-1
- 518 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/26(土) 21:14:41
- >>517
情報をありがとうございます。
下巻はもう出てしまってるから中巻ですか?
内容はどうするのか気になるところです。
私も来月下旬を楽しみに待ちましょう。
予想しておくと下巻ではないということは、三善根は出さない、経典ごと引っ込めて
おくのではないでしょうか?
そして中巻を出してその続巻たる下巻にするのは何にするのかはしばし待てとする。
あとは密教占星術も説法六十心も2巻で止まり完結でないまま済まされてる
方式をとればよい。
信者さんは例祭で質問しなさい。
既に国会図書館に納本されている下巻はいつ発売してくれるのですか?と。
とぼけてもらっちゃあ困る。あっしは図書館で読みましたぜ、コピーもありますぜ
と迫ればよい。
- 519 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/26(土) 21:33:45
- だいたい俺は平河出版を意識して大昔からアドバイスを書いてあげていたんだぜ。
三善根経典は下巻に最初から載せない。
なぜ載せない?それは普段から読誦し親しみのある経典で内容も熟知されている
はずだから、敢えて普段読まないアゴン経ばかり揃えて解説した。勉強してもらう為にと。
- 520 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/26(土) 21:44:02
- >定価2625円(税込)ISBN978-4-89203-339-1
高けぇな。国会図書館でコピーでもとるか?(←もっと高くつくわ)
上巻、下巻っていくらしたっけ?
- 521 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/27(日) 22:48:04
- http://www.honyaclub.com/shop/goods/search.aspx?cat_p=00&search=x&keyw=%95%A7%91%C9%82%CC%90%5E%8E%C0%82%CC%8B%B3%82%A6%82%F0%90%E0%82%AD&image.x=32&image.y=9
¥2100でしたね。中巻で値段が高くなるってどうよ?みたいな。
さすがは教祖だけでなく商魂たくましい書店だこと。
中巻の中身如何で批判もできるね、こりゃ楽しみw
下巻とほぼ同じだったりして???
- 522 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/11/27(日) 22:49:02
- あ、書店じゃないね。出版社でした・・・。
- 523 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/11/28(月) 08:00:38
- 来月中巻が出るその内容により、現在国会図書館に所蔵されている下巻の処遇が
よりはっきりしてくると思います。
こちらは三善根の説かれた三供養品はじめチョイスした経典全て内容含めてわかっております。
中巻にこれらの経典とかぶるものがあれば、下巻は国会図書館の中だけのものとして
永久に市販する気はないということです。
上巻、下巻にない経典だけで構成できたら、新・下巻(末巻)を下巻の書き直しとして
発刊することも考えられます。
それだけネタがあればですが。
- 524 :ラシン:2011/11/29(火)
12:00:16
>上巻、下巻にない経典だけで構成できたら、新・下巻(末巻)を下巻の書き直しとして
発刊することも考えられます。
想像の範囲でしかありませんが、書き直しなら訂正となるか。
訂正とは誤りを認めて直すことだから、桐山さんの性格上むずかしい。
または下巻がもともと存在しないツモリで、書き上げたものかどうか。
ツモリ宗教、ナリキリ信仰だからそれもあり得る。
その意味で中巻が出版発売されたら、比較や批判資料となり得る。
下巻をユビさんが調べてくれた限りは、桐山さんは経典改竄を自白している。
しかし、文章から感じるものは桐山さんに経典改竄という自覚が見えない。
そう思わせる幻惑という仕掛けさえも疑われる。
親切の押し売りよろしく、信者などに理解できないからとの理由で、
分かりやすく三善根を三福道に書き直してあげたという慢心からか。
それとも自己弁護を装って自説を阿含経に組み入れた確信犯か。
だが、三善根を事前に説明補記しているのを見れば、
桐山さんが読解力不足だとは考えられない。
ホンネは欲に目がくらむが如く福に垂涎する信者を誘惑する材料に仕立てた?
- 525 :名無しさん:2011/11/30(水)
09:08:57
- >>520 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/11/26(土) 21:44:02
>定価2625円(税込)ISBN978-4-89203-339-1
>高けぇな。国会図書館でコピーでもとるか?(←もっと高くつくわ)
>上巻、下巻っていくらしたっけ?
>>521 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/11/27(日) 22:48:04
>¥2100でしたね。中巻で値段が高くなるってどうよ?みたいな。
>さすがは教祖だけでなく商魂たくましい書店だこと。
下巻は既に刷られていた訳で、出版寸前で取り止めたのだから損害も大きかったはず。
その分、中巻で少しでも取り戻すつもりなのでしょう。何も知らない信者に穴埋めさせる魂胆です。
- 526 :準:2011/11/30(水)
12:21:47
- 三供養品の三善根の意味は、いわゆる無貪瞋痴の意味ではなくて、功徳の種
を植えることです。だが、思慮の浅い人は、無貪瞋痴のことだと勘違いして
しまうでしょう。だから管長は、三福道という語に改めたのですね、流石です。
無貪、無瞋恚、無痴、は、十善戒のうちの、三つですね。
この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
長阿含経・第三卷のP93に、三善根(無貪瞋痴)は三法向善趣であり、
三三昧は三法趣向涅槃と、記されています。
つまり、○○しない、△△しない、という戒行だけでは涅槃へ至れず、
□□する、◇◇する、という修行によって涅槃へ至れるわけです。
だから、三供養品の三善根を無貪瞋痴と解釈するのは、誤りなのです。
三善根は必須ですけれども、そのためには、功徳の種を植える、という
具体的な修行が必要なわけですよ。
- 527 :準シュダオン:2011/11/30(水)
12:32:46
- 管長は、「修行の第一歩は我見をなくすこと」と、本に書いてますが、
批判派の論は、我見に満ちていますね。そりゃ、厳密にいうと、阿含経を
読めば十人十色の解釈になるでしょうし、管長本を読んでも十人十色の解釈
になるでしょう。だから、批判派から見たら、私の論は管長論ではなくて、
準シュダオン教だということになります。私にしたら管長論なのですw。
- 528 :ラシン:2011/11/30(水)
13:27:27
天照さんの資料による。
アゴン宗関東別院の謄本を見ると、
法人設立は、昭和51年12月15日で、資料である登記原本は、
役員と住所変更のため内容が記載されたものです。
登記日平成3年10月9日変更、平成3年10月14日登記のものです。
内容は、
包括団体の名称及び宗教法人、非宗教法人の別欄で、
非宗教法人 阿含宗本庁 となっています。
基本財産は、2億8千5百92万4千円 と表記されています。
これで驚くべきことは、アゴン宗は、宗教法人ではない。
文部科学省の宗教法人法による規制が無い宗教団体です。
文部科学大臣所轄にも出ていませんし、都道府県知事所轄包括法人にも
出ていない。
ですから登記簿には、「”商号” 阿含宗関東別院」 と記載されている。
平成8年6月17日付けの法人登記簿を参照すれば、
私たちは間違っていましたとなる。
現在のを見比べることが出来ないので、過去においた資料では、
アゴン宗は、宗教団体という法人だった。
桐山さんは、どういう理由で宗教法人申請をしなかったのか。
観音慈恵会の時のマンマで、名称と住所変更をしただけです。
みなさん、アゴン宗は通常、公に認められる宗教法人ではなかった。
自称宗教団体であり商号が阿含宗だから、アゴン宗商店とも言うべき存在です。
公益性も無く、桐山商店主だからひたすら利益を求める商売人でかまわない。
少なくとも平成8年6月17日まではそうです。
信者さんは、その商店の会員であり同時にお客さんだった。
ただし銀行借り入れを見れば、おそらくは宗教法人に変更されていないまま、
非宗教法人として金融機関との取引をしていたはずです。
理由は宗教法人法では借入れなども公示の義務が発生しいろんな規制が掛かる。
- 529 :ラシン:2011/11/30(水)
13:28:29
さて、アゴン宗の財務を少し探ってみました。
天照さんの資料が役立った。
総本山の土地を見てみれば、土地取得は昭和61年11月27日です。
乙欄記載によれば、根抵当権設定平成5年3月26日 金35億円。
そして平成17年12月20日抵当権抹消で解除となっている=無担保状態。
関西本部の土地は、昭和63年12月31日に金50億円を設定し、
平成5年3月26日には金35億円を設定していますが、
平成17年12月20日には2番抵当、平成20年10月9日には1番抵当を
解除抹消しています。
つまり、35億円+50億円×80%相当の借入金を平成20年10月までに返済した。
今残っている抵当権は、3年前の平成20年3月28日付け金10億円のみです。
キーワードは、それぞれ返済した年月日です。
大きく収入があったのかどうかですね。
また想定売り上げは、借入額の1,5倍程度が年当りに相当します。
- 530 :準シュダオン:2011/11/30(水)
14:42:21
- 私は、自称、怠け信徒でありますが、管長が本に「修行の第一歩は我見を
なくすこと」と、書いており、「輪廻する葦」本P266には、
「阿含宗信徒諸君には身見が残っており、我がつよい」と、書かれています。
ですから、私は、輪廻する葦を読んで以来、ここ二十数年、毎日のように、
「これは我見か?自灯明か?」と、いうように、自分の言動を反省してきた
のですね。
ですから自分なりに、我見と自灯明の違いを人に説明できるまでに会得した、
という自負がありますよ。でも、それはここには記しません。そういうもの
は人から聞いても借り物で、解かるものではないですからね。自分で会得し
ないと、いけないものですね。
ですから、私は怠け信徒と自称してますが、三結を切ろうと、毎日熱心でも
あったわけです。そのおかげで、3・11には霊示を受けましたし、因縁の
洗い出し現象もあったし、聖なるバイブレーション(不完全ながら)もあっ
たのだと考えていますよ。
完全なる怠け信者なら、そういうことはなかったでしょうね。
- 531 :無関係な人間です:2011/11/30(水) 16:07:03
- >>528
>>ですから登記簿には、「”商号” 阿含宗関東別院」 と記載されている。
商号登記は、会社法上の法人(株式会社や合名会社など)か、個人の商人の登記申請
の場合にのみ、登録を認められます。法人の場合は必須ですが、個人商人の場合は任意
登記です。しかし、個人の商人が法人と誤解させるような名称を使用する事は商法で禁止
されています。会社法改正以前の登記ですから、この場合、「”商号” 阿含宗関東別院」は
、株式会社など当時の商法上の法人であった可能性があります。どちらにしろ、商号は
商人が自己を表す為に使用するもので、商人の定義には争いはありますが、営利を目的
とする存在であるのは争いはありません。(なお、商人以外の存在が商号を登記する事
はできません。)
すると、大聖人を自称する桐山さんですが、実は、聖人ではなく、商人であったという
事になりえます。商人の目的は「営利」ですから、桐山さんが営利を目的にするのは、
別に不思議ではない、という事になります。
そうすると、75億円もの借金を返せたのは、当然のことかもしれません。
- 532 :ラシン:2011/11/30(水)
16:49:51
>526 名前:準 投稿日: 2011/11/30(水) 12:21:47
三供養品の三善根の意味は、いわゆる無貪瞋痴の意味ではなくて、功徳の種
を植えることです。だが、思慮の浅い人は、無貪瞋痴のことだと勘違いして
しまうでしょう。
思慮の浅いなどという以前の、頭が弱いから間違いに気づかない。
さすがに”準シュダオン”と名乗るのは憚ったようです。
言いたいことをまとめられないようだから、代弁してあげましょう。
これも老人介護の一助です。
経典の「三善根有り、如何が三と為すや、、、」=三つとはどんなものであろうか?
ここから始まる三つの行動が、
三つの「如来の所に於いて、正法に於いて、聖集に於いて」にて功徳を種う。
だから、
既定の三善根(無貪瞋痴)ではなく、「功徳を種える善根」の三つを指しているのだ、
と言いたいのでしょう。
では、”功徳を種える善根の三つ”とは何を指しているかを考えればよい。
経典にあるところの「此の善根
窮尽す可からず」の”此の善根”は、
何を指しているのでしょうか?
準さんは、三つの所に従って行う功徳だから、それじたいが三つの善根だと言いたい。
如来の所に於いて(善根)+正法に於いて(善根)+聖集に於いて(善根)=三善根。
仮にそうだとして、では三つの所に於いて「功徳を種う」との意味を考えたらどうなるのか。
釈尊の言う功徳とは、善い行いによってもたらされる果報=福(悟り)です。
それが善根となるものだと説かれている。
どこにも布施供養する行いとは出ていない。
善根とは善い果報=福(悟り)をもたらす行いです。
その善い行いの代表目印となるのは、無貪瞋痴という煩悩を失くす行為です。
経典の意味は、三つの所に従って善い行いで=功徳(悟り)を得よ、です。
岩波仏教辞典で分かるように、功徳とは善行とそれによって得る善果です。
釈尊は経典で涅槃界へ到達する=功徳=福=功徳、と断じているのだから、
仏教の真髄は涅槃獲得=煩悩滅→無貪瞋痴という煩悩を失くす行為。
つまり善行とは、煩悩を失くす行いであるのだから、
三つの所に従って煩悩を失くせば、涅槃界へ到達するという教えを述べた経典だ
と分かる。
そこには、運を良くする教えも無ければ、その三つの所に供養し見返りがあるとも、
記されていない。
記されていないものを勝手に妄想しても、知能が低下した作用でしかない。
三つの善根を為すことで、窮尽す可からずの福(悟りという功徳)を獲得しなさい、
という教えです。
それを桐山さんは、経典に記されてもいない”三福道”という造語を経典に
捻じ入れた。
契約書ならば、一方が勝手に加筆加入したのだから私文書偽造です。
釈尊金口の経典に対してそんな行為で騙法することが許されるのか。
それも「須陀?より阿那含に至り、五下分結を断ず」と書かれてもいない文言を
都合よく加筆加入した。
経典改竄は悪事だと知らないわけではないだろう。
- 533 :ラシン:2011/11/30(水)
17:01:13
>この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。
どこに「三善根」を戒行とあるのか、無知も甚だしい。
仏教の「戒」すら自覚したことが無いのでしょう。
煩悩を減らす行いを善行と言い、その善行を助け成就させるものが戒です。
その大きな要が、「三善根」という煩悩を止息させる善行です。
その中身は膨大だと言うことすら知らず、三つの行ないくらいにしか
理解できていない。
戒とは修業する上で、守らねばならない規則です。
だから仏教に於いては、規則行なんて解釈などしないのです。
あなたの頭の中では、戒行があると考えている、お笑いです。
出家する者は具足戒を受ける、それは戒を守るという条件に従う意味です。
五戒でいえば、
殺生しない、盗まない、嘘をつかない、酒を飲まない、淫を行わないです。
あなたが禁酒しても、それを戒行とは言わないのです。
出家在家を問わず、それは守るべき規則のようなものです。
禁酒が戒行です、なんて言えば大笑いのネタになる。
今回、会社謄本でアゴン宗は桐山商店だとわかった。
利益を追求する企業の一種なんだから、ニセ仏教でも会社法には
それだけでは問われない。
そこの会員信者が、仏教遊びをしているに過ぎません。
だが、代表者がそれを材料に無報酬の人力と金を集めている。
会員信者は、効果の無い薬を売りつけられ、その目に見えない薬を
信じ、薬漬けという常習者になっている。
あなたもその薬中毒者の一人です。
- 534 :ラシン:2011/11/30(水)
20:13:56
>すると、大聖人を自称する桐山さんですが、実は、聖人ではなく、商人であったという
事になりえます。
無関係さん、補足解説ありがとうございます。
アゴン宗は当意即妙というか、うまく宗教法人の
縛りから掏り抜けているようです。
非宗教法人の定義を文科省や港法務局に確認したところ、
宗教法人以外の宗教団体たる法人との確証を得ました。
いわば公認されない宗教団体ですが、別にそれじたいは、
非難されるものではないでしょう。
桐山さんお得意の、自称阿闍梨であり自称聖者、自称解脱者という、
しかるべき修行や手続きを省いた結果が、ただ見つかったということです。
普通常識で考えれば、ずいぶん脇が甘い所業ですが、
こと信仰となれば薬物常習者のごとく騙され依存する人間は絶えない。
かくいう私も元信者だったから、その陥穽に嵌った。
ただ、気付くのが早い人もいれば遅い人もいて、一生気づかない人もいる。
- 535 :ラシン:2011/11/30(水)
21:11:30
2ch阿含宗という宗教203
>466 :神も仏も名無しさん:2011/11/30(水) 19:37:10.86
ID:vCWL81Ax
>皆様も探してお読みください、死後に成仏したと言う言い方には神道の
祖霊信仰の考え方が基礎にある。
森羅万象という説明不可能なことがらや死者への畏敬の念を
根底におく神道とは、全く以て別なるものです。
アゴン宗は先祖の霊を不浄、霊障と貶めている。
先祖の霊を人質にして、人々を信者たちを 脅迫し恐喝している。
神道は逆に、不幸に亡くなった者を神として崇拝の対象にしたり、
甚大を考えた場合はその怨霊化を防ぐ方法を採る信仰姿勢があり、
ある種の伝統文化となっている。
だがアゴン宗は、いかなるで宗教あろうが、
無節操にその軒先を借りて伝統や権威を貼りつけ、
自説の裏付けとしているだけの
”商号”アゴン宗という、
法人格でいえば非宗教法人です。
分かりやすく言えば、営利を目的とした桐山商店アゴン宗です。
少なくとも平成8年6月17日付けの法人登記簿にはそうある。
- 536 :ラシン:2011/11/30(水)
22:46:31
私は、アゴン宗は、きちんとした宗教法人格を有していると、
漠然ですがそう受け止めていた。
桐山さんなら特にそういう国や公の権威を重要視するからです。
信者時代は、そういう皮肉以外で当然あるものと気にも留めなかった。
しかし、実態は違っていたことに愕然とするのは私だけか、、、。
宗教法人とは、法人格を取得した宗教団体の事である。
営利を目的としない非営利団体であり、
公益事業もできる公益法人の一つ。ーウイキペディア参照ー
天照さん資料による平成8年6月17日付けの法人登記簿原本には、
少なくともアゴン宗は、非宗教法人「”商号” 阿含宗関東別院」
と記載されていた。
港区の法務局から今でも謄本を上げることは可能だから、
現状を誰でも再確認できるでしょう。
ただ、
アゴン宗は、平成8年までは宗教法人法の縛りを受けていなかったのは、
まぎれもない事実です。
信者さんなら当然アゴン宗の行事などすべて、「営利を目的としない非営利団体」
との思いがあってこそ、その信仰心を確立していたのではないのか。
伝統仏教の借り物、経典の改ざん者、ニセ阿闍梨、などと批判側の指摘に対しても、
アゴン宗は「営利を目的としない非営利団体」という宗教法人格に裏付けられた団体だ。
だから衆生救済、世界平和と、自身の信仰に清い思いを確信し、
そこに安心立命があったことは否めないでしょう。
なぜなら、元信者であった私自身がその気持ちに通じていたからです。
過去に諸々の諸外国(発展途上仏教国)や米欧国との数多のイベントを見る限り、
公に認知された宗教活動を彷彿させるものであったことも事実です。
だが実態は、「営利を目的としない非営利団体」ではなかった、、、。
ならば、過去より批判側が懸念した諸々・様々なアゴン宗の批判疑惑は、
仏教という観点を除外し宗教法人格という公認知された団体との認識を外したら、
その清貧性や公益性を忖度し非難するのは、アゴン宗商店に失礼だったことになる。
まさに、無関係さんの言う、
>大聖人を自称する桐山さんですが、実は、聖人ではなく、商人であったという
事になりえます。商人の目的は「営利」ですから、桐山さんが営利を目的にするのは、
別に不思議ではない、という事になります。
これを認めざるを得ない、う〜む、残念です。
- 537 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/01(木) 00:06:54
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>三供養品の三善根の意味は、いわゆる無貪瞋痴の意味ではなくて、功徳の種
>を植えることです。だが、思慮の浅い人は、無貪瞋痴のことだと勘違いして
>しまうでしょう。だから管長は、三福道という語に改めたのですね、流石です。
いいえ、ところが桐山さんはそのようにも説いていないのです。
この経典で示されている三善根は無貪瞋痴とは違うと思うと書いていない。
そう思うのならばはっきりとそう書くはずだ。書くべきだ。
下巻に何と書いてあるか?無貪無瞋無痴を引用しながら、これではわかりにくい
と書いてあるのです。
わかりにくいとは、間違っていないけど意味が通りにくいということです。
つまり無貪瞋痴を出しておいて否定していない。
あなたのようにここでは三善根は無貪瞋痴とは違う意味があると言っていない。
また「社会科学としての阿含仏教」では三善根と説く経典と三福道と説く経典の
2つがあるとした。
三福道は私が命名したと書いた下巻により実はそれは嘘でしたと白状したようなものだが、
それはさておき、三善根も三福道も同じ意味だとしたのです。
三善根は無貪無瞋無痴でよいが、それではわかりにくい、それより福に至る道と
後に書いてあるから三福道の方がふさわしい、わかりやすいと目先を変えさせた
つもりです。
ずるいと言うよりも頭悪いですね。読者がそれで騙されると思うか?
無貪無瞋無痴を否定せず一応肯定の立場で、それよりも福道の立場を強調したい
ならば、どうして無貪無瞋無痴が福を得る道と言えるのかを
説明しなければならない。
それが全くなく話をすり替えただけです。
善根に目がいかないように封殺したのです。それも下手くそな。
私はこの本を書いたのは平河出版の職員だと思った。
なぜなら上巻が出た時解説したが、「社会科学としての阿含仏教」に書かれている
解説の文章と全く同じ表現、展開を基本としながらも部分的に変えているからです。
その部分は読者が読んで拡大飛躍ではないかとか脅迫ではないかとか問題のある箇所です。
ここの表現を変えて曖昧にした。
これはクロンボとかカタワとか書いたら差別禁止用語だから手を加えて修正する
「編集」みたいなつもりなんでしょう。
この編集をしたのは職員だと思った。
しかし今回の私が命名したは編集員の権限を超えている。
職員が問を促し、桐山さんに命名だよと言わせたのでしょう。
- 538 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/01(木) 00:41:50
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>長阿含経・第三卷のP93に、三善根(無貪瞋痴)は三法向善趣であり、
>三三昧は三法趣向涅槃と、記されています。
>つまり、○○しない、△△しない、という戒行だけでは涅槃へ至れず、
>□□する、◇◇する、という修行によって涅槃へ至れるわけです。
>だから、三供養品の三善根を無貪瞋痴と解釈するのは、誤りなのです。
あなたも煩悩の止息を止息法という特殊な技法と見るお粗末な桐山提示と同じく
無貪無瞋無痴を三善根法というその実やせがまんするだけの手法という見方をしますか?
三善根、無貪無瞋無痴は仏教の目的であり目標であり仏教そのものです。
煩悩止息も然り。
仏教はその都度表現を変えるが結局同じことを説いているのです。
煩悩を減らしなくすことです。
煩悩の代表は貪瞋痴だからこれをなくすのが無貪無瞋無痴です。
つまりは仏法、仏道そのもののこと。
如来の所で仏道に励んで煩悩をなくす、正法に於いて仏道に励んで煩悩をなくす、
聖衆に於いて仏道に励んで煩悩をなくすことはこの上ないことであり、
それ自体が福であると説いているのです。
>三善根は必須ですけれども、そのためには、功徳の種を植える、という
>具体的な修行が必要なわけですよ。
三善根が必須?ではどうして桐山さんはこの経典を解説する時、今まで一度も
貪瞋痴をなくすことをこれっぽっちも説かなかったのですか?
これは三善根の表現を消して、意味ごと封殺、無視したからに他ならない。
桐山さんのこのやり方だと必須だなんて言えませんね。
功徳の種とは布施などではなく仏道修行そのものに励むことです。
だからそれは常に具体的な実践を指しています。
特別おかしな秘伝などではない。
三三昧と言うならばそれは三善根の道が基本となってあくまでもその延長線上に
あるものです。より深化したものと思えばよいのではないか?
だから基本の三善根を封殺、無視した桐山さんは三三昧に至れません。
- 539 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/01(木) 00:56:42
- >>530:準シュダオン11/11/30(水) 14:42:21
>私は、自称、怠け信徒でありますが、
自称ではなく他称です。
誰が見てもあなたは怠け信者だ。
自称などと書いて卑下する謙虚さを示すオイラはエライだろう?と、その実
他称である現実から目を背けたいのですね?
しかしあなたの一番よくない点は怠けではない。
あなたが問題視している我見です。
あなたが我見にはまっているのです。
>「これは我見か?自灯明か?」と、いうように、自分の言動を反省してきた
>のですね。
>ですから自分なりに、我見と自灯明の違いを人に説明できるまでに会得した、
>という自負がありますよ。でも、それはここには記しません。そういうもの
>は人から聞いても借り物で、解かるものではないですからね。自分で会得し
>ないと、いけないものですね。
違います。桐山さんはこのように自分で考えて判断せよなんて説いてません。
「指導を受けよ」と言っているのです。
だから独断が一番いけない。職員を通してでも指導願いを提出してでも
質問をして自分の考えが我見でないか判断してもらわねばならないのです。
ましてやあなたは、
>>527:準シュダオン11/11/30(水) 12:32:46
>管長は、「修行の第一歩は我見をなくすこと」と、本に書いてますが、
>批判派の論は、我見に満ちていますね。そりゃ、厳密にいうと、阿含経を
>読めば十人十色の解釈になるでしょうし、管長本を読んでも十人十色の解釈
>になるでしょう。だから、批判派から見たら、私の論は管長論ではなくて、
>準シュダオン教だということになります。私にしたら管長論なのですw。
このように経典読んでも本読んでも解釈は十人十色なんてたわけたことを書いている。
十人十色でよいなんてことはない。我見もあるから注意せよ、他人と違った解釈を
したなら尚更それが我見なのかどうか上に質問して指導を仰がねばならないのです。
オウムはチベット仏教のポアを殺人と解釈しましたね。
あなたは十人十色のユニークな解釈だからそれもアリだと認めるのですか?
準シュダオン教が管長論であるかは自分で勝手に自己判断するのではなく
教団に質問確認する義務があるのです。
しかしあなたは絶対にそれはしない。
自分だけの世界に浸っていたいからどこまでも殻に閉じこもって逃げる。
つまり他人の教えに従うことができないのだから信仰に向かない。
- 540 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/01(木) 05:18:40
- 私は脳みそが足りないせいか、(または難しい事項を深く理解できない、とも言う)
ラシンさんが仰せの事項についてこのような印象を受けたのですがどうでしょうか。
阿含宗は最初観音慈恵会であったがそこで登録をし、後に阿含宗に名称変更をした。
最初の登録時は「商号」であったが、後に修正をして宗教法人になった。
しかもそれは「宗教法人に準じた宗教法人」のようなもので、100%の宗教法人ではない。
宗教法人だけども商号でもある、ということでしょうか。
これであれば国家自体もおかしくないか?と感じます。
ゲイカが自称アジャリだったり、灌頂を受けたとか資格があるとかのでたらめを言うのは
周知のことですから慣れていますが、「法人格」がゲイカスタイルで果たして良いのか。
またこういう「あやふやな状態」でよくも国も宗教法人認定し税優遇などをさせるものだ。
商号かそれとも宗教法人なのかどちらかにするべきであって、誠にこれではゲイカのような
無責任野郎がこの世で付け上がる・のさばる原因になりかねない。
私もラシンさんと同じく「これで良いのか」と非常に憤りを感じましたね。
こういう方面で突っ込みはできないものでしょうかね。
商号宗教法人って、アリとは自分では理解できないですね。
- 541 :<削除>:<削除>
- <削除>
- 542 :ラシン:2011/12/01(木)
12:34:46
今、法人登記簿謄本を確認しました。
天照さんの資料から桐山さんの代表役員住所変更移転以外、
内容は以下の通り、変更ありませんでした。
商号名称 阿含宗関東別院
包括団体の名称及 阿含宗本庁 非宗教法人
び宗教法人非宗教
法人の別
京都市東山区三条通北裏白川筋東入二丁目定法寺町726番地
平成21年10月26日住所移転登記
この住所は、アゴン宗関西総本部ですね。
- 543 :名無しさん:2011/12/01(木)
12:42:28
- 阿含宗が宗教法人でないとするなら、税金の支払いはどうなってくるのでしょうか。
それと宗教法人でない場合、阿含宗の活動は法律的に何か不具合はあるのでしょうか。
あと宗教法人でなければ「宗教法人」という名称は使用できませんね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E6%B3%95%E4%BA%BA%E9%98%BF%E5%90%AB%E5%AE%97%E6%9C%AC%E5%B1%B1
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/agon.html
このようなHPでは名称を変更する必要があるでしょう。
- 544 :ラシン:2011/12/01(木)
13:41:37
- >543 :名無しさん:2011/12/01(木) 12:42:28
阿含宗が宗教法人でないとするなら、税金の支払いはどうなってくるのでしょうか。
それと宗教法人でない場合、阿含宗の活動は法律的に何か不具合はあるのでしょうか。
法律の専門家に聞いたわけではないので、厳密にどうかの断定は
できません。
出てくる情報や宗教法人法に照らせば非収益事業の免税措置はあるようです。
ただし、光和のような物販業や平河出版は除外されるでしょうが、
非宗教法人格が、どこまで諸法律の制約があるかは現段階では分かりません。
通常であれば宗教法人法適用外で、商法や団体会社法の縛りを受けると思います。
私も含め信者さんも漠然と、アゴン宗は宗教法人の審査と認可を取っている、
このよに考えていた、若しくはあまり気にも留めていなかったが、ホンネでしょう。
またもし名称を考慮すれば、非宗教法人阿含宗とすべきかと思います。
また宗教法人法による事業活動と、それ以外の法人の事業活動の定義は別です。
しかしながら、宗教団体が必ずしも宗教法人の認可が必要ではありません。
総本山が宗教法人を代表し、それ以下は包括団体との見方があるかと思いますが、
平成20年10月9日までの登記記載は、非宗教法人阿含宗本庁 との区分けと、
名称は、阿含宗 阿含宗本山 でした。
- 545 :深山:2011/12/01(木)
15:09:30
- 現在のアゴン宗の組織は、
非宗教法人 阿含宗本庁
宗教法人 阿含宗関東別院
宗教法人 阿含宗本山
宗教法人 阿含宗東海別院
となっています。
この内、阿含宗本庁が包括団体、つまり後の三つの宗教法人を
包括する組織、支配する組織ということになっています。
素人目には、非宗教法人が宗教法人を包括しているというのは
おかしいように見えますが、実はそれほどおかしくはありません。
理由は、阿含宗本庁が包括宗教法人の資格が取れないからです。
そのことについて少し説明します。
ただし、これから書く内容は素人の推測が混じっていることを前提としてください。
- 546 :深山:2011/12/01(木)
15:12:49
- 宗教法人には単立宗教法人と包括宗教法人の2種類があります。
単立宗教法人としてのお寺が都道府県をまたいで複数あり、
それを包括する総本山のような宗教法人を包括宗教法人と言います。
単立宗教法人は都道府県が許可を出すので、条件さえ整えば、認可がおりるようです。
あのオウムですら東京都の宗教法人の許可が下りたくらいです。
しかし、他県にまたいだ包括宗教法人は大臣の許可が必要で、簡単にはおりません。
文化庁のホームページを見ればわかるように都道府県所轄の仏教系の
単立宗教法人は8万近くもあるのに、大臣の許可した包括宗教法人で
仏教系は155しかありません。
つまり伝統仏教のような長年の信頼のある所はおりますが、
アゴン宗のような新興宗教には簡単に許可を下ろさないのでしょう(推測)。
アゴン宗は、関東別院、東海、総本山の三つの単立宗教法人は取れたが、
これらを包括する包括宗教法人が取れないのでしょう。
桐山さんは阿含宗本庁を包括宗教法人にしたい。
だが、その許可が降りないので、許可が下りるのを待つという意味で、
これを非宗教法人とわざわざ肩書きを付けたのでしょう。
- 547 :深山:2011/12/01(木)
15:16:02
- 包括宗教法人が取れないだけで、アゴン宗が宗教法人であることは間違いありません。
別院や本山が宗教法人には間違いないからです。
包括宗教法人が取れなくても、実際の活動は、宗教法人である関東別院などが
していることにすれば、税制の優遇などは受けられますから、
アゴン宗にとっても実害はありません。
阿含宗関東別院という名称で宗教法人になったのがいつなのかははっきりしません。
ただ、慈恵会時代から宗教法人の資格は断続はしていないはずでず。
前の観音慈恵会がすでに宗教法人となっていましたから、
それ以降は宗教法人には間違いありません。
慈恵会から阿含宗に名称を変え、移転したにすぎないのだから、
許可が下りるのにはそれほど時間はかからなかったはずです。
つまり、少なくともアゴン宗を立宗して以降くらいは、アゴン宗は宗教法人です。
単に、途中で関東は、阿含宗関東別院という宗教法人の名称が変わっただけです。
税制の優遇がありますから、こういう点、桐山さんもW田さんもぬかりがありません。
- 548 :深山:2011/12/01(木)
15:19:22
- 次に、商号についてです。
阿含宗関東別院という名称が商号として登録されているというのは、
笑ってしまうくらい、桐山さんらしい、抜け目ないやり方です。
万一、他人に阿含宗関東別院という商号や商標を取られてしまうと、
アゴン宗は自分では名乗りにくいし、下手すれば金を払うことになります。
ただし、宗教団体の名称について商標や商号のような金銭的な権利が
生じているという話は聞いたことがありません。
他人に商号や商標を登録されても、宗教団体として活動する分には
何の問題もないはずです。
しかし、商売に使おうというなら、話は別です。
商号登録したということは、桐山さんのこういう本音が良く出ている。
たとえば、密教食という言葉も登録商標されているでしょうし、
昔の機関誌に「密教青年」というのがあり、登録商標されていたという話です。
桐山さんは昔から他人のアイデアは盗むのに、盗んだアイデアを
盗られまいとしますから、商号を登録してもおかしくはありません。
笑えるのが、商号とはその名前のとおり、会社名の登録など、
商売で使うのがほとんどだという点です。
アゴン宗が商売だという爆笑根拠です。
桐山さんの商才がいかんなく発揮されている。
おそらく、関東別院だけでなく、阿含宗本庁などの名称も
すべて商号として登録されていると思います。
ただ、商号として登録されていることと、宗教法人であるかどうかは別問題です。
阿含宗関東別院という名称は商売用の商号ではあるが、
阿含宗関東別院という組織が宗教法人であることは変わりありません。
- 549 :深山:2011/12/01(木)
15:22:32
- >>541でラシンさんが引用している文章で、とてもおもしろいのが、
アゴン宗を宗教法人として登録する目的に真正仏舎利がある点です。
これはスリランカから仏舎利を買った後だから、
調子に乗ってこんな文章を書いたのでしょうが、自家中毒の自爆です。
なぜなら、アゴン宗の仏舎利は真正仏舎利ではない。
実際のアゴン宗では真正仏舎利を本尊としていないのだから、
宗教法人として登録した内容に嘘偽りがあることになる。
もっとも、これは違法の対象にはなりません。
宗教の便利な所で、前に無関係さんが創価学会の偽本尊の裁判例を出して
いたように、信仰に関わる部分については嘘デタラメでも許されるのです。
要するに、税制優遇だけ受けて、あとはやりたい放題です。
税金が足りないのだから、宗教への優遇税制はやめるべきなのだが、
そんな意見すらも出てこないのは、宗教団体が票田になって、
議員と持ちつ持たれつの関係にあるからです。
アゴン宗は票田になるほどの人数はいないが、自民党の
有力議員に現金を渡していたように、献金によって
税制優遇が崩れないようにしているのでしょう。
どちらにしても、釈尊の仏教から見たら、桐山さんのしていることは論外です。
- 550 :ラシン:2011/12/01(木)
15:46:51
- >>530
:準シュダオン
>ですから、私は怠け信徒と自称してますが、三結を切ろうと、毎日熱心でも
あったわけです。そのおかげで、3・11には霊示を受けましたし、因縁の
洗い出し現象もあったし、聖なるバイブレーション(不完全ながら)もあっ
たのだと考えていますよ。
完全なる怠け信者なら、そういうことはなかったでしょうね。
あなたが三結を切るためのいったい何をしたのですか?
無・貪瞋痴の三善根すら理解できないあなたが、三結を切るだと?
桐山さんからの受売りで、まるで牽強付会の徒だ自覚しているようだが、
それを否定しないまでも「身見」とは、さらに言えばあなたのような無知です。
だから「自灯明」の「他者に頼らず、自己を拠りどころとす」と、
三結の一つである「身見」の「誤った見解・邪見に執着する」の違いすら、
未だに分からず酸欠になって悶えている。
桐山さんが三結が切れてきたら霊示やバイブ受信できると書いてあるなら、
それを示してみなさい。
桐山さんは、信者が因縁の洗い出しで騒いでいたのを厳しく叱り、怒った。
因縁の洗い出しなどないと怒る桐山さんへ、自称怠け信徒さんは、あると自慢する。
信者なら少しは師である桐山さんの心情を慮ったらどうです。
あなたも当然に釈尊の煩悩解脱を疑って因縁解脱という「疑惑」の言動に終始し、
釈尊が戒めた焚き火を拝め奉っているご本人が「戒取」を切ると放言する。
泥棒が裁判官になった気分で法廷に立つような奇妙で滑稽な所行です。
あなたの力説は、刑務所で模範囚になったと言うレベルで刑期を終えて来いと言いたい。
- 551 :ラシン:2011/12/01(木)
16:42:21
>>542の登記簿記載内容は、本日ネット閲覧で取得した内容です。
カード登録し、税込みで確か¥370でした。
しかし、アゴン宗というか桐山さんは人生すべてウソのベタ塗りのようです。
桐山さんの経歴、学歴僧籍疑惑は言うに及ばず、徴兵逃れという疑惑、
それでいて同年代の戦争で散華した人々を慰霊するなんて偽善の塊のようなことも、
平気の平左で行っています。
さらに阿含経典の改竄やその教義の曲解した宣布とそれに基づくイベント活動。
たしかにどこを切っても金太郎飴の如く、疑惑という文字が噴出します。
>>548
:深山
>桐山さんは昔から他人のアイデアは盗むのに、盗んだアイデアを
盗られまいとしますから、<
なるほど、密教占星術奥伝などのパクリを二部に分けた話しも思い出します。
深山さんが取り上げてくれたので、謄本の目的ヶ所を全文掲示しておきます。
目的
此の法人は「阿含宗本庁」宗憲(以下「宗憲」という。)の
定めるところにより、眞身舎利(眞正佛舎利)を本尊として阿
含宗本庁の教義を広め、儀式行事を行い、信者を教化育成する
ことを目的とし、その目的を達成するために必要な業務を行う。
目的欄は、数年ごとに変更登記(内容の更新で同文継続)されていますので、
法的に義務化されていると考えられます。
虚偽記載は、10万円の科料のようですが、軽いものです。
- 552 :ラシン:2011/12/01(木)
17:41:48
- >>530
:準シュダオン
>ですから、私は怠け信徒と自称してますが、三結を切ろうと、毎日熱心でも
あったわけです。
信者さんもこういう考えに凝り固まっているのでしょう。
私も元信者だから気持ちは充分に分かります。
朝の勤行にはじまり、契印しマントラをつぶやいて聖行だと
自己満足する。
ゴマ木を火舎香炉でくゆらし、散杖を振り回して九字を切れば、
何かが消滅した”気分”に浸れる。
千座を目指す姿は、まことに熱心な行そのものです。
しかし、それで何が切れるのかといえば、足がしびれて
エコノミー症候群を発症し血管が損傷する危険性が出るだけです。
塗香を塗りたくっても手がヨゴレて臭いだけで、清らかにはならない。
手をよく洗い消毒するうほうが、よほど清潔さを保てる。
批判側が長年にわたり、釈尊の言葉を阿含経から引用し掲示している。
だが信者さんはそれを見ても、まだ何か師の握り拳しの中身があると
目を凝らしてまさぐっている。
桐山さんだけが特別の間脳開花で秘密のベールの中を確認したと、
信じ羨望し続け、時に言葉をマネて吹聴し得意満面で慢心にふける。
それは、何かを知った”気分”信仰です。
身見は無知から出る自身の見解に執着することから離れる自己観察であり、
釈尊の教えに反した仏教概念にない因縁解脱などを悔い改め、
焚き火や呪い占いごとという過去からの因習を手放し止めることが、
三結断につながることです。
それをまるで真逆なことをして自分が熱心だと自惚れることは、
いかに失笑ネタなのかも自覚できないようです。
- 553 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/01(木) 20:47:53
- 記事541ですが、参照アド効きませんので私が再度アドを抜かしてのラシンさんの記事の再投稿を致します。
541
:ラシン:2011/12/01(木) 11:39:01
>540
:天照
アゴン宗は、非宗教法人です。
限られた資料で分かることですが、
名称 阿含宗 阿含宗本山
主たる事務所 京都市山科区北花山大峰町17番地5
法人設立 昭和44年8月14日
目的等 変更登記 平成20年10月9日
包括団体の名称及 阿含宗本庁 非宗教法人
び宗教法人非宗教
法人の別
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
関東別院 平成8年6月17日 東京法務局港出張所 登記簿謄本
名称 阿含宗大日山金剛華寺観音慈恵会
阿含宗関東別院 変更登記平成3年10月14日
主たる事務所 東京都港区三田四丁目14番15号
目的等 変更登記 平成3年10月14日
代表役員 堤眞壽雄の住所移転登記 昭和63年4月26日
商号名称 阿含宗関東別院
包括団体の名称及 阿含宗本庁 非宗教法人
び宗教法人非宗教
法人の別
変更登記 平成3年10月14日
ここでアゴン宗が非宗教法人である所以は、以下の目的変更欄に記載された文章です。
目的
此の法人は「阿含宗本庁」宗憲(以下「宗憲」という。)の
定めるところにより、眞身舎利(眞正佛舎利)を本尊として阿
含宗本庁の教義を広め、 ー以下略ー
平成3年10月9日 変更
平成3年10月14日
登記
アゴン宗は、自前の規律規範である「宗憲」に則って信者を教化育成し、
その目的達成のための”業務”を行うものとされているわけですが、
これでいけば宗教法人法による規制も優遇措置も無い団体だと理解できます。
これが、アゴン宗法人登記の事実内容です。
アゴン宗の表面活動はあくまでも”業務”だと宣言している。
信者さんも、ようく目を開けて考えて欲しい。
業務とは、日常継続して行われる職業上の仕事だとある。
仕事、事業、職業にあてはまる行為をアゴン宗は謳っている。
お導きも、ゴマ焚きイベントも、平和祈願もすべて”業務”の一環らしい。
宗教活動と収益事業が違うくらいは分かるはずで、常識の範囲で充分です。
もちろん宗教団体が宗教法人を取得する義務も無い。
アゴン宗は、看板は宗教団体だが、法人格で見れば営利事業体ということです。
営利事業体が寄付行為をしたり勧進を募ってはいけないとの法律は無い。
ただ信者さんが信仰心に基づいて様々な修業や教義宣布の延長にあるのは、
アゴン宗の事業行為に他ならないということをよく考えるべきです。
- 554 :名無しさん:2011/12/01(木)
22:34:33
- >>544-
ラシンさん、深山さん
詳しい説明をありがとうございます。大変よくわかりました。
3つに分かれた単立宗教法人になっていて、
統括しているの阿含宗本庁は包括宗教法人の申請が難しいため
非宗教法人にしていることと、新興宗教では見られるケースとうことですね。
- 555 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/02(金) 08:28:00
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>三供養品の三善根の意味は、いわゆる無貪瞋痴の意味ではなくて、功徳の種
>を植えることです。
如来の所にて功徳を種える。此の善根・・と書いてあるのだから植える種は
善根だとわかる。善根を実践することだとわかる。
すなわち貪瞋痴の煩悩を減らしなくすことだとわかります。
その功徳、得る境地とは解脱であり涅槃であり無貪無瞋無痴という煩悩の無くなった
心の平安な境地です。
無貪無瞋無痴となる修行をするのだから無貪無瞋無痴を得るのは当たり前です。
これは仏教でいうところの解脱や涅槃が煩悩を離れること意外の何物でもない
のだから必然そうなります。
>この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
>という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
>長阿含経・第三卷のP93に、三善根(無貪瞋痴)は三法向善趣であり、
>三三昧は三法趣向涅槃と、記されています。
>つまり、○○しない、△△しない、という戒行だけでは涅槃へ至れず、
>□□する、◇◇する、という修行によって涅槃へ至れるわけです。
>だから、三供養品の三善根を無貪瞋痴と解釈するのは、誤りなのです。
>三善根は必須ですけれども、そのためには、功徳の種を植える、という
>具体的な修行が必要なわけですよ。
あなたは三三昧、三昧というのだから瞑想に属するものなんでしょう。
その三三昧の三つを書いてみてもらえますか?
とにかく最終的に深い瞑想により涅槃が得られるとしている。
善根を単なる怒るなという戒律、教えとしかみなさないならばそれは涅槃までは
行けない、その前段階止まりだろうと言いたいわけだ。
ところが桐山さんもまた三善根は涅槃にまでは行けないとしている。
涅槃界までとして、阿羅漢の前段階の阿那含までとしている。
お粗末な決め付けだが、あなたのように阿羅漢の涅槃に至れるのは三三昧なんて出さない。
第一あなたも三善根を超えたというかその延長線のジョウブにあるべき三三昧を
出さずに功徳の種なんて書いている。
アゴン宗でいう功徳の種とは三三昧なんですか?
違うでしょう。アゴン宗での結論は具体的な修行(それは七科三十七道品という
表現の分類で別にしておいて、ここでは奉仕も金も含めた教団への布施を示唆している。
あなたの主張はここでもアゴン宗と異なる。
- 556 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/02(金) 08:48:42
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
>という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
>長阿含経・第三卷のP93に、三善根(無貪瞋痴)は三法向善趣であり、
>三三昧は三法趣向涅槃と、記されています。
>つまり、○○しない、△△しない、という戒行だけでは涅槃へ至れず、
>□□する、◇◇する、という修行によって涅槃へ至れるわけです。
>だから、三供養品の三善根を無貪瞋痴と解釈するのは、誤りなのです。
>三善根は必須ですけれども、そのためには、功徳の種を植える、という
>具体的な修行が必要なわけですよ。
三三昧を三善根の延長線の上位に据えたいのならばそれでもよいでしょう。
私は三昧の瞑想もまた三善根修行の中に包含されるとしてその仕上げ段階の話として
捉えますが、あなたですら三善根は必須という立場です。
つまり三善根なんてダメだ。涅槃に至れん。三三昧でなければダメなんだ
と三善根そのものを否定する立場ではない。
三善根あっての三三昧と形だけはそうしている。
しかしてあなたの本音は貪らない、怒らない、愚かなことはしないなんてオシエを
軽視しているようだ。
そんなことよりもメイソウなんて夢見心地みたいな特殊な修行ゴッコの方に
目が向いている。
あなたを含めたアゴン宗信者のメイソウなんてボールを投げるイメージだの大木を抱き抱えるイメージだの
空に登り雲やジャンボ旅客機を眼下にするとか夢見心地の空想、妄想に過ぎません。
そんな妄想は三三昧にも遠く対極です。
仏教の瞑想とは自己のありのままの観察です。
例えば安那般那念経です。あれは呼吸法瞑想ではない。
普通に吸う息、吐く息を観察するということです。
そのレベルで身体の営みを観察する。
手を洗う、足を洗う、トイレに行く、ことごとく自分が今しているありのままを
観察している。この観察はこういう身体観察の習慣訓練の基礎を通して自己の心の
内部の観察に入ります。怒りがこみあげてくる自己を観察する。
貪りたい欲望の湧き上がる自己を観察します。
こういう習慣をつけておればこれらにそのまま流されるなんてことはなくなる。
怒りのままにオバサン信者を怒鳴りつけるなんてできなくなる。
アゴン宗の迷走と仏教の瞑想観察とは異なるのです。
この瞑想観察こそがあなたのいう具体的な修行です。
- 557 :深山:2011/12/02(金)
12:35:08
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
>という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
「無貪」を準シュダオンさんは「貪ら無い」と読んだらしい。
相変わらず絶句するような国語力ですね。
もちろん、無貪には貪らないという意味も含まれる。
しかし、貪らないなら、「不貪」つまり「貪らず」です。
「無貪」は貪らないだけではなく、「貪りが無い」です。
貪りという煩悩が無いという意味です。
貪らないだけではなく、貪りがない、貪りという煩悩がないという意味です。
一方、貪瞋癡は煩悩の全てです。
煩悩とは何かと聞かれれば、貪瞋癡という説明が代表です。
ここから五大煩悩、六大煩悩、二十随煩悩、そして百八煩悩に分類される。
だから、無貪・無瞋・無癡になったら、煩悩のすべてから解放された状態であり、
つまり解脱です。
「無貪・無瞋・無癡」=「解脱」です。
三善根を成就したら解脱するのです。
だから、三善根を戒律とは言いません。
- 558 :深山:2011/12/02(金)
12:43:51
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
>という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
三善根が戒律??
相変わらず、桐山節に洗脳されて、戒律と修行を別物だと信じている。
これは他の信者さんたちも同じでしょう。
戒律は修行の土台であり、基本ですから、修行に戒律が含まれるのは当たり前です。
両者は別物ではありません。
だから、三善根も戒律が前提になっているのは当然です。
だから三十七道品はすべて戒律が入っている。
たとえば四正勤とは、過去に為した悪業を為さないというのがあるが、
これは「○○をしない」だから、戒律とみなすこともできる。
だが、仏教ではこれは戒律を前提とした修行なのです。
ところが、準シュダオンさんは何も知らないから、戒律と修行とは
別物だと思っている。
三善根を戒律にすぎないなどと侮蔑している。
桐山さんからそんなふうに教えられて、戒律とは倫理道徳であり、
修行とは瞑想や神通力の開発法だと信じ込んでいる。
無知丸出しです。
戒律と修行は切っても切れない関係にあるのです。
だから、戒律を無視して解脱など絶対にありえない。
桐山さんの話を鵜呑みにして、戒律と修行は別だと思い込み、戒律だけでは
解脱できないと称して、戒律を軽視している。
桐山さんは、戒律だけで解脱できないなどと、自分が戒律を守もらなくても
いいように、言い訳に使っていることに信者さんたちは気が付くべきです。
戒律を軽視した仏教は仏教ですらない。
この一点だけでもアゴン宗は仏教ではない。
- 559 :深山:2011/12/02(金)
12:46:23
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
>という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
戒律だけでは解脱出来ない、なんて当たり前です。
たとえば、出家が不淫戒を守っても、女と見れば目が行き、あらぬ妄想を
広げるなら、性欲という煩悩から解放されていないから、解脱はできない。
しかし、不淫戒すら守らず、「今夜にでも」「千景がいないとさびチい」と
愛人を作り、性欲を満たすなら、どうだろう。
論外ですよね。
性欲という煩悩から解放されるためには不淫戒を守ることは最低限であり、
それだけでは解脱はできないが、それすら守らない者は論外だということです。
だから、修行だけ重視して、戒律を小馬鹿にしている人は
仏教とは何か、解脱とは何かをまるっきり理解していない。
桐山さんや準シュダオンさんなど信者さんたちのことです。
- 560 :深山:2011/12/02(金)
12:51:10
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
>という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
準シュダオンさんには前からお願いしていることだが、
無知から来るあなた個人の宗教観をここに披露するのはやめてもらいたい。
前にあなたは三善根に二種類あるという珍説を主張し続けた。
その時も、桐山さんが言っていない説は出すなと何度も私から注意されましたよね。
それはあなた個人の準シュダオン教にすぎない。
準シュダオン教はここでの議論の対象外です。
今度の、三善根が戒律だという説も準シュダオン教であって、アゴン宗の教義ではない。
桐山さんが三善根を戒律だなんて言っていないからです。
桐山さんは、間もなく発売される阿含経講義の中巻で、
「三善根=三福道」だと書いているのです。
三善根ではわかりにくいから、桐山さんが三福道と名付けたと書いている。
また、これ以前の本でも、桐山さんは三善根と三福道の区別はつけていない。
もちろん、戒律だなんて言ったことは一度もありません。
- 561 :深山:2011/12/02(金)
12:58:01
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
>という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
準シュダオンさんは知識もなく、経典の解釈はデタラメです。
あなたが使っているのは平河本の長阿含経だけで、律蔵はもちろんのこと、
解説本すら読んでいない。
あなたはいつも経典の一部を切り取り、自分に都合が良い解釈をするためなら、
実際の経典の正反対の意味に解説することも珍しくない。
デタラメであるばかりでなく、そのデタラメを指摘されても、
あなたはただの一度も謝罪したことも撤回したこともなく、
ぬけぬけとまた同じような主張を繰り返す。
だから、私はあなたの経典引用なんてまったく信用していない。
あなたの無知と自惚れという煩悩で飾り付けた珍説はもういい。
読者はあなたの「悪臭」にウンザリしているのだ。
愚かな自説を自慢たらしく展開するのではなく、間もなく出る桐山さんの本に
基づき、主張しなさい。
今度の本が、三善根や桐山三福道の解釈の最終版になるでしょう。
国会図書館にある下巻のまま出たら、前の本との矛盾が満載です。
それを楽しみにしているのだから、ピーチクパーチクと
あなたのその根拠のない珍説を出すのはやめてくれ。
批判側も信者も関心は桐山アゴン宗であり、準シュダオン教には何の興味もない。
- 562 :深山:2011/12/02(金)
13:05:43
- >>526:準11/11/30(水) 12:21:47
>この、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という、しない、しない、
>という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
脳味噌の逝っている準シュダオンさんはともかく、
信者さんたちは、桐山さんの新刊を買って、しっかりと読んでください。
準シュダオンさんのように愚にも付かない勝手解釈をするのではなく、
桐山ゲイカのおっしゃるとおりにまず理解することです。
その上で、三供養品の現代語訳だけを再度読み直してほしい。
桐山さんの解説という上薬をかけずに、釈尊その人の言葉をそのまま読むです。
三善根は解脱そのものです。
三供養品では、三善根を習得すれば、窮尽できないほどの福が得られるとある。
窮尽出来ないほどの福を、桐山さんのような大餓鬼は、
御利益と解釈しているが、仏教の修行で得られる福とは解脱以外ありません。
無貪・無瞋・無癡を習得すれば解脱するなんて当たり前です。
なぜなら、解脱とは無貪・無瞋・無癡の境涯を指すからです。
因縁切りでも超能力開発でも好運でもない。
その証拠に、解脱者の中には横変死した者もいたのだから、悪因縁は切れていない。
神通力を持たない解脱者もいたのだから、超能力開発でもない。
解脱者が好運の固まりなら、どうしてアグリマーラーは石を投げられ、
大目連は撲殺され、釈尊は田舎の森の中で食中毒で亡くなったのだ?
無貪・無瞋・無癡とは、煩悩から解放されることであり、
釈尊は三供養品でもこれしか説いていない。
供養の見返りで解脱できるなんて、どこにも、一行も書いてありません。
信者さんたちは新刊で桐山さんがどんなゴマカシをするか、楽しみにしてください。
発売されたら、批判側がそのゴマカシを解説してあげます。
- 563 :アゴン:2011/12/02(金)
15:00:51
- 本当にアゴン宗の修行者、一部の僧侶の色情因縁丸出しには閉口することがあります。(笑)導師であるにも関わらずです。スゲーな潤オと観察してて思います。
昔から一般人のほうがよほど節度ある態度なのに、アゴンはなぜこんなに男も女も仏教の根本の戒律におおらか?なのか分かりませんでしたが、教祖が女にだらしなかったことが分かれば納得です。
色川さんは、昔かた知ってるひとの話によれば、結婚生活で料理もつくれず姑さんとも上手くやれなかったとか。。
よくよく聞くと一年半の結婚生活だったそうで..。
管長に恥をかかせた女の子というふうに認識されてますね。
裁判で和解してることを言うと皆知らないのが現状ですね。
- 564 :ラシン:2011/12/02(金)
18:14:56
- >>526
:準
>という戒行だけでは、涅槃へは至れないのです。他の経典、例えば平河本の
長阿含経・第三卷のP93に、三善根(無貪瞋痴)は三法向善趣であり、
三三昧は三法趣向涅槃と、記されています。
長阿含経卷第十
後秦弘始年佛陀耶舍共竺佛念譯
第二分三衆経第八
復有三法趣向惡趣。三法向善趣。三法向涅槃。
云何三法向惡趣。謂三不善根。貪不善根恚不善根癡不善根。
云何三法向善趣。謂三善根。無貪善根無恚善根無癡善根。
云何三法趣向涅槃。謂三三昧。空三昧無相三昧無作三昧。
戒は、守るべき厳しい心構えですから三善根は戒行とは言わない。
上記引用経文は、インドの佛陀耶舍による伝承を翻訳したお経です。
あなたの言いたいことは、”無貪無恚無癡”は、善趣(人、天の界)迄で、
涅槃へは”三三昧”が必要ということですね。
長・中・雑・増一阿含経12に及ぶお経において検索した三善根とは、
みな”無貪善根無恚善根無癡善根”です。
だが唯一、増一阿含経の三供養品だけには、この”無・貪恚癡”が
表記されていない。
そこで準シュダオンさんは、桐山解釈の擁護に当たり、
経冒頭の「三善根有り」は、
1如来の身許、2正法に於いて、3聖衆に於いて「功徳を種える善根」を
三つの善根の意味として「有三善根」のことと指摘していると思います。
しかし、「末世成仏本尊経」の解説で桐山さんはそんなことは言っていません。
経典冒頭にいきなり「有三福道」とウソを書いた。
しかし、「國訳一切経阿含部7三供養品」には”有三善根”とあるのです。
しかも注解では、
「福を受ける三つの道、方法、この場合の福とは霊性開眼して聖者になること。
一書には「三善根」「三福業」とあり。阿含宗は「三福道」をとる。ー以下略ー」
これを見る限り桐山さんは、「國訳一切経三供養品」のお経を読んで知っていたのを
平気で改竄捏造した。
批判側は、これを以前から指摘し、非難しているのです。
ここは、桐山批判に沿う必要性の場合において阿含経解釈の引用をするが、
阿含経そのものを議論する場ではありません。
あなたの弁護の論旨は、桐山批判の議論から外れている。
- 565 :名無しさん:2011/12/02(金)
19:17:14
- 深山さんの説明は本当に勉強になります。私の脳味噌は準さんのような悪智慧も働かず
なさけない限りですが、深山さんの説明は本当にすばらしい。
私のような凡人でも急所がよく理解でき脳と心に染みわたってきて幸福な気持ちになれます。
だからこの年でも真の仏教をもっと理解したいという意欲も沸いて来ます。
なんとかして信者さんにもこの気持ちを味わってほしいと思うが、その為にも桐山教で
汚染された頭の中を一度ニュートラルな状態に戻してあげたい。
こびりついた垢をはがすには相当なショック療法が必要なのかもしれませんけど。
- 566 :ラシン:2011/12/03(土)
11:38:04
承前より、
三供養本の桐山解説に対して過去よりの批判指摘は、
1、「三善根有り」との経文を「三福道有」と書き換えた。
2、「是を阿難、この三福道は窮尽すべからず、須陀?より
阿那含に至り、五下分結を断ず。即ち涅槃界に至る三福道なり。」
と捏造し書き加えた。
1は、経典にない「三福道有」という造語を摩り替えて、
意味をまるで違うように操作した。
2は、解脱を得る福との意味を阿那含までと限定し、本来の意味を捻じ曲げ、
さも在家者へ説いたように偽装した。
桐山さんは勝手に加入したことも「三善根」を「三福道」にしたことも、
悪いこととの自覚はゼロですが、自白し認めている。
この点においては、批判側の指摘は統一され理解されているものです。
- 567 :ラシン:2011/12/03(土)
11:53:29
あと、これは私見ですが、準シュダオンさんが述べる1如来の身許、2正法に於いて、
3聖衆に於いて「功徳を種える善根」の三つが、最初にある「有三善根」だとの
指摘は、今のところ否定できないかと考えます。
お経をまとめると、
三つの善根があり窮尽すべからずして涅槃界にいたる、その三つは何かと言えば所謂、
1如来の身許、2正法に於いて、3聖衆に於いて、功徳を種える。
この三善根は窮尽す可からずの善根であり、涅槃界に到達させ得るものである。
となれば経文の”この三善根”は、前文の1〜3の行為を指していると考えられます。
私の>>564で検索して述べた三善根はたしかに無貪善根無恚善根無癡善根と表記され、
その為すべきところが説かれていますから、三善根すわ
”無・貪恚癡”と、
受け取りがちだが、この、「國訳一切経阿含部7は×で、阿含部8の三供養品」には、
常套文の”無・貪恚癡”が記されてなく、1〜3での功徳を種える行為を
経文で、”この三善根”と言い表していると解釈できます。
そこで、修行者が”功徳を種える行為”とは、仏教では煩悩を滅する行為=善行です。
煩悩を滅する善行の代表は、”無・貪恚癡”という三善根を為すことだと、
解釈できます。
- 568 :ラシン:2011/12/03(土)
11:56:13
スレから外れますが、ここで経文の意味を考えて疑問と言うか理解しがたいのが、
経中の「此の善根窮尽す可からず」との文章です。
果たして釈尊は、「これ以上残ることのないところまで追求できない善根」なんて
ことを説くだろうか?
との疑問を考えれば、”す可からず”ではなく”須く”の間違いではないだろうか。
もしもこれが、須く=当然なすべきこと、なら「当然なすべき善根にして涅槃に至る」、
また「この善根は当然なすべきもの」として意味が通じるのではないかと考えます。
私の受け取りが間違いかもしれないので、別なるご指摘を賜りたいと思います。
- 569 :ラシン:2011/12/03(土)
12:01:01
また、細かいことですが、さらなる桐山さんの経典捏造があります。
原文は、
有三善根。不可窮盡。漸至涅槃界。云何爲三。
所謂於如來所而種功徳。此善根←不可窮盡。
これを桐山さんは、「此”福”不可窮盡。」と改ざんしています。
繰り返し文の”善根”三か所を”福”に書き換えています。
原文最後に「當求方便獲此不可窮盡之”福”。」があるから良い
とはなりません。
この経文のいう”此善根”は、仏教では善行でありその結果が”福”を
もたらすものです。
ゆえに、如来、正法、聖衆に於ける行為が即ち”福”であるはずもなく、
それは功徳の素である福であり、果報という涅槃を得るための行為であり、
それは煩悩を滅する”善根”と解釈できるものです。
信者さん達は、桐山さんから捏造され曲解されたお経を与えられたままに読誦している。
- 570 :ラシン:2011/12/03(土)
12:16:09
端折って書いたので意味が分かりにくい意見となりました。
再度、
この経文のいう”此善根”は、仏教では善行でありその結果が”福”を
もたらすものです。
仏教で言うところの善行は、煩悩滅の道を説いたものに他なりません。
ゆえに、如来、正法、聖衆に於ける行為が即ち”福”であるはずではなく、
善根が先ずなされて、しかる後に善行善果である”福”がもたらされる。
それは功徳の素である福であり、涅槃を得るための行為による果報であり、
それは煩悩を滅する”善根”となるものと解釈できるものです。
経文の「而種功徳」とは、かように煩悩滅の行為と解釈できるものです。
信者さん達は、桐山さんから捏造され曲解されたお経を与えられたままに読誦している。
- 571 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/03(土) 13:23:31
- >>567:ラシン11/12/03(土) 11:53:29
>あと、これは私見ですが、準シュダオンさんが述べる1如来の身許、2正法に於いて、
>3聖衆に於いて「功徳を種える善根」の三つが、最初にある「有三善根」だとの
>指摘は、今のところ否定できないかと考えます。
よい指摘だと思います。
実は私もこのことを書こうかと2日ほど前に思っていたのを忘れました。
私の結論を申しますと、
>そこで、修行者が”功徳を種える行為”とは、仏教では煩悩を滅する行為=善行です。
>煩悩を滅する善行の代表は、”無・貪恚癡”という三善根を為すことだと、
>解釈できます。
に全く同意です。
日本語の、いや、漢語のってか言語の文脈として「如何三と為すや?」と自問して
「謂わく、如来の所・・正法に於いて・・・聖衆に於いて・・・」とあれば
これはこの三宝を数えたと見るのが普通です。
如何が三と為すや。謂わく、無貪善根なり、無瞋善根なり、無癡善根なりとしていない。
だからあくまでもこの文脈、説法の場において敢えて三という数字にかけて
ひねってみせたのは三宝を示していると思う。
しかしだからと言って有三善根と最初に提示したものが無貪無瞋無癡でなくなるわけではない。
強いて言うならば無「貪瞋癡」です。無「煩悩」です。離煩悩です。
考えてみれば「おら無貪は実践するけど無瞋はやらねえよ」なんて奴はいない。
してみるとこれは三つに分類することに本来そんなに意味はない。
またこれは三宝についても言える。
「おら仏は敬うが法は敬わねえど」なんて奴もいない。
三位一体なのです。
そして善根とはラシンさんも準さんも示すように広義は善行です。
だからその善行にはいろいろ考えられるはずなんです。
被災地に行って人助けをするのも善行です。親孝行も善行です。貧しい人に
金品を寄付するのも善行です。
ならば余計にその善行とは具体的に何?との問いに答えねばならない。
その答えとして「三宝において」と示したわけだ。
如来さんのとこでええことをする。正しい教法においてええことをする。
聖なる衆においてええことをする。
ではそのええことって何ですか?肩もみですか?
では正法にええことをするって何?
それは正しい法を世に広める布教を指すのじゃよと言いますか?
ならばそういう補足が必要ですよね。しかしそんな補足はない。
仏教の善根善行は無貪瞋癡の離煩悩しかないから補足は不要です。
- 572 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/03(土) 13:44:18
- >>568:ラシン11/12/03(土) 11:56:13
>経中の「此の善根窮尽す可からず」との文章です。
>果たして釈尊は、「これ以上残ることのないところまで追求できない善根」なんて
>ことを説くだろうか?
>との疑問を考えれば、”す可からず”ではなく”須く”の間違いではないだろうか。
この件に関する私の見解はそのように間違いと捉えなくても極め尽くすことのできない
くらい素晴らしい福でオッケーだと思います。
経典には無上とか最勝とかのオーバーな形容表現は普通に見られます。
この表現は何らかの比較が根底にありますね。
2つ考えられる。
無貪無瞋無癡である三善根を今回は釈尊は敢えて三宝を絡めて数えてみせる
洒落たことをしてみせた。
煩悩をなくすという道において、それを三宝において、如来教師の指導のもとに
正しい教えに従い、聖なる仲間とともに励むのならば、これ以上のことはないと
説いたわけです。
だから桐山さんはこれを在家に説いた下根の成仏法なんて示しているが
寧ろ逆に出家において説いたものと言えます。
またもう一つは福の問題ですが、福という用語、概念も一般的には決して解脱ではない。
現世利益や来世の幸福も福には違いない。
しかしそういう広義の福に比較して我らが求めて得る煩悩から離れるという福こそ
これは言い尽くせないほどの素晴らしいものなんだよと比較して差別化を説いた
ものとも言えると私は思います。
- 573 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/03(土) 13:58:28
- あと、この三善根経典に関する桐山さんの欺瞞について、国会図書館にのみ
所蔵されている下巻を天照さんによって内容の部分引用を公開するという計画ですが
これは今回時期をずらしてみてはどうかと私は考えます。
と言うのは今月下旬に中巻が発売されますからね。
それが出るのを待ってからでもよいと思う。
中巻の内容を確認してからでも遅くはない。
中巻に下巻と全く同じ表現で三善根の解説がされていたらこれは下巻を公開する
価値はなくなります。
しかし下巻と違っていたり、三善根自体を載せるのをやめにしたならば
それから下巻の三供養品を公開しましょう。
まあ私個人の提案です。
- 574 :ラシン:2011/12/03(土)
14:07:53
>仏教の善根善行は無貪瞋癡の離煩悩しかないから補足は不要です。
全くその通りです。
窮尽す可からず=最上、了解しました。
仏教でしかも仏弟子のアーナンダに涅槃に至る功徳(善根)と言えば、
煩悩滅の道であり、あえて、”無・貪恚癡”なんて言うほどでもない。
限定解脱に至る功徳や福なら、狭義的には煩悩滅の道による果報を
言い表している。
ユビさんの指摘するように、ここで釈尊が強調したかったのは、
三宝に於いて功徳を為すことが、涅槃界に至るということでしょう。
如来の身許で、正法で、聖衆の所で、功徳を種える。
於いてとは、場所や時間や思想で、との意味です。
結論は、お経の最初と最後に言い表されています。
涅槃界に至る(最上の)善根が、三宝において為されること。
言うまでもなく涅槃界に至る三善根である。
方便(涅槃到達)を求め、”福=善根”を獲得しなさい。
このようにアーナンダよ、この教えを実践しなさい。
これによっての桐山批判は、
1、「三善根有り」との経文を「三福道有り」と書き換えた。
2、「是を阿難、この三福道は窮尽すべからず、須陀?より
阿那含に至り、五下分結を断ず。即ち涅槃界に至る三福道なり。」
と捏造し書き加えた。
上記1を詳細補記すれば、経文の”善根”三か所を”福”に書き換えた。
との指摘です。
ましてや、涅槃界は涅槃であって、準涅槃なんて概念などありません。
地獄界は地獄そのものであるように、涅槃界とは阿羅漢である境涯です。
- 575 :ラシン:2011/12/03(土)
14:10:19
- 訂正
窮尽す可からず=最上、了解しました。
↓
窮尽す可からず=無上の程の意、了解しました。
- 576 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/03(土) 14:20:23
- 国会図書館所蔵の下巻についての欺瞞についてもう一つ指摘しておきます。
下巻にはこうある。
とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道であります。
したがって、わたくしはこれを「三福道」と命名しました。
そこで、わたくしは弟子たちが読経をする際に、三善根を「三福道」と変えて
読誦するように指導しているわけです。
(97頁)
いかにも信者に同意の上で限定して読ませているかのような世間に対するゴマカシ
ですよね。
ここはこう書くべきではないですか?
そこでわたくしは弟子たちが読経をする際に、三善根と書かれている経典の他に
三福道と書かれてある経典も現存し、アゴン宗ではこちらを採用するのだと
示したり、あるいは最初から三善根なんてものは目が行かないように敢えて示さず
ましてや三善根には無貪無瞋無癡の意味があるなんてことはこれまでに一度も示さずに
三福道のみを当たり前に読誦するように騙してきたわけです。
この下巻の欺瞞はそれだけではない。
自須陀オン至阿那含断五下分結を原文にも挿入していない。
よってその解説もない。
つまりほんの一部だけ変えさせていただいているのは、三福道だけであり
勝手な挿入をしていることを世間に公表していないのです。
要するにアゴン宗の現実を隠しているのです。
- 577 :ラシン:2011/12/03(土)
14:34:28
増一阿含經三供養品第二十二
聞如是。一時佛在舍衞國祇樹給孤獨園。
爾時世尊告阿難。有三善根。不可窮盡。
漸至涅槃界。云何爲三。所謂於如來所
而種功徳。此善根不可窮盡。於正法。
而種功徳。此善根不可窮盡。於聖衆而種功徳。
此善根不可窮盡。是謂阿難。
此三善根不可窮盡得至涅槃界。是故阿難。
當求方便獲此不可窮盡之福。如是阿難。
當作是學。爾時阿難聞佛所説。歡喜奉行
- 578 :名無しさん:2011/12/03(土)
16:07:02
- 皆さん凄い洞察力ですね、舌を巻いてしまいます。
分析結果が清らかでとてもいい。またそうあるべきです。
桐山さんが示したようないやらしさがない。商売人のようなギトギトさがなくていい。
本来はこうであったはず。
捻じ曲げて仏教とは正反対の煩悩を増やす方に引導するなんてキチガイ沙汰です。
それがやっと分ってきました。恥ずかしい限りです。
- 579 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/03(土) 19:08:46
- >>569:ラシン11/12/03(土) 12:01:01
>この経文のいう”此善根”は、仏教では善行でありその結果が”福”を
>もたらすものです。
これは重要なことで福の内容もさることながら、福とは結果であり、原因ではありません。
福という結果を得る為にはその原因こそが重要になります。
功徳の種こそが重要です。
その種こそが善根です。つまり無貪瞋癡の修行です。
もちろんそれは教えと戒律から始まり、それが主体となってさらに深まりの観察瞑想をする。
すると煩悩の囚われのなくなった平安な境地という福を得る。
非常にわかりやすい話です。
しかしこのわかりやすい話のポイントは煩悩を離れる善根という言葉がないと
かえってわからない話になる。
だから桐山さんが下巻の96頁から97頁に書いた
しかし、わたくしは、これを三善根という名称のまま弟子に教えるのは少し
分かりにくいと考えました。
それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?
経文中に、
「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」
とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道であります。
したがって、わたくしはこれを「三福道」と命名しました。
と言うのはおかしな話なんです。
せっかくキーワードとして示された仏教の根幹に関わる単語を封殺して
無尽蔵の福を獲得する道なんて示したことはかえってわかりにくくなった。
いや、わかりにくくしたのです。仏教の否定ですよ。
仏教の福の意味を見えないようにして、俗世間の福を想起させる。
それが得られるぞと欲を煽る。それを示したら福を得る道なんて経典を離れて
いくらでも勝手に創作できる。
彼は商売人ですから福という商品を示す。
商品を消費者が買わせる為に金で買うもよし、労働奉仕で買うもよし、
営業マンとして働くもよしとしたのが三福道です。
仏教は世の中の欲望原理に逆らって成立しているから欲望原理の上にも立脚した
ヒンズー教の台頭にも負けて、インド内の宗教人口は低い。
にもかかわらず、仏教が世界の三大宗教と言われているのは、その倫理性が理解評価
されているからと思う。
単なる商売人である桐山さんにはそれが理解できない。
準さんも同じです。貪らない、怒らないと「がまん」して何が得られるの?と
仏教の基本がわからない。
桐山さんは釈尊にイチャモンをつけたのです。
つまらん!あんたの言うことはつまらん!(大滝秀治の声で)
- 580 :ラシン:2011/12/03(土)
20:14:16
三供養品でアーナンダに説いた福は、
ユビさんも指摘しているように涅槃に至る福です。
しかし、桐山さんは在家信者でも阿那含まで至れる
可能性を示唆した。
福は善行という行為の結果なのに、桐山さんは三宝に
布施をした見返り品に歪めてしまった。
片方では、七科三七道品を餌に大乗仏教貶しアゴン宗を優越感で
差別化し、信者に選民思想を誘導したのだからまったく姑息です。
だが釈尊は、常に目指すべきは涅槃獲得を前提に教えを説いた。
たとえば流預を最終結果に説いたことなどありません。
また、涅槃に至る窮盡す可らずの(無上の)福なのだから、
結果からたどればその功徳を種える行為は、
煩悩滅の道という善行であって、
世間で単にいう福、功徳ではないことが分かるはずです。
桐山さんは、その福という言葉を以てご利益獲得ロジックを偽装し、
信者を誘導操作しました。
余談ですが、三三昧の理屈は、あの経典を漢文翻訳したインドの
高僧・佛陀耶舍は鳩摩羅什の師でもあり倶舎論の口伝承も
驚異的暗誦力で維持していたようです。
中国暦の弘治年代で後秦の時代だから、
>>526「後秦弘始年佛陀耶舍共竺佛念譯」と、経題にはある。
おもに四分律を手掛けた論師として有名のようです。
つまりよくある阿含経であってもアビダルマの煩雑な思想も、
経典に反映されていたとみるべきです。
すでにみなさんご承知のようにアビダルマ論師は釈尊の教説を
体系化し法数分類化していたことは、深山さんもよく指摘していた。
三七道品などもその数字分類という数合わせ類別の範疇です。
原初の解脱は煩悩からの解放で、それは根本煩悩である”貪恚癡”という
三毒を克服し三毒の無い状態が涅槃と考えられていましたが、
それを細分化し解脱の一刹那を一々に解説したのが後世の論師でしょう。
大乗仏教が菩薩を作り上げたように、善処善趣も歪められた。
いずれにしても、三福道を三善根に摩り替えた桐山さんは重罪です。
分かりやすい批判資料は、すでにagama考察室に完備されています。
阿含宗関連資料掲示HP 経典の捏造1を参照しています。
http://agama.zouri.jp/framepage9.html
- 581 :ラシン:2011/12/03(土)
20:24:14
またまた失礼、今はタイピングが不得手でコピペを主流にして間違いが多い。
訂正です。
誤:いずれにしても、三福道を三善根に摩り替えた桐山さんは重罪です。
正:いずれにしても、三善根を三福道に摩り替えた桐山さんは重罪です。
- 582 :準シュダオン:2011/12/05(月)
10:47:58
- >功徳の種こそが重要です。
>その種こそが善根です。つまり無貪瞋癡の修行です。
>もちろんそれは教えと戒律から始まり、それが主体となってさらに深まりの観察瞑想をする。
>すると煩悩の囚われのなくなった平安な境地という福を得る。
ユビさんは平河本・長阿含経・第三巻を持ってはいないのかい?
前回レスしたように、↑に、
三不善根=貪・瞋・痴、を為すと悪趣に向かい、
三善根= 無貪瞋痴、を為すと善趣に向かい、
三三昧=空・無想・無作、を為せば涅槃に向かう、と、説かれています。
悪趣とは、一般には、地獄、ガキ、畜生界のことです。
善趣とは、一般には、天上界のことです。
涅槃とは、善趣・悪趣(六趣・六道)を超えた境界です。
三善根=無貪瞋痴の修行では、善趣止まりなのです。
ですから、三供養品の三善根の意味は、無貪瞋痴という意味ではありません。
無貪瞋痴も必須ですけど、それだけでは不十分なのです。
涅槃界に至るには、「功徳の種をうえる」という具体的な修行が必要なのです。
供養の種とは、「供養と修行」です。
今の批判派の皆さんのように、三供養品の三善根を無貪瞋痴の意味だと勘違い
する人がいますから、善根の語を「福道」改めた方がよろしいのです。
まぁ今度は、現世利益の福だと勘違いする人も、居そうですがw。
- 583 :準シュダオン:2011/12/05(月)
10:51:11
- 前レス
供養の種は、功徳の種のことの書き間違いです。
- 584 :ラシン:2011/12/05(月)
12:39:40
- >582
:準シュダオン
>無貪瞋痴も必須ですけど、それだけでは不十分なのです。
涅槃界に至るには、「功徳の種をうえる」という具体的な修行が必要なのです。
供養の種とは、「供養と修行」です。
また始まった、桐山さんが述べてもいないことを偽装している。
ここは、桐山批判、アゴン宗を考える場所だと教示しても自覚できない。
桐山さんは、末世成仏本尊経講義でアゴン宗の三宝の正しさを強調し、
三供養品の三善根を三福道に改竄して解説しています。
まず、この三つの福の第一番目である如来の身許の如来とは、
法爾無作のホトケ、如来の現形だと言っている。
仏陀の復活とまで述べているのです。
今はそれをスリランカから購入した自称真正仏舎利に変った。
2つ目の正法は、その応供の如来が現形したアゴン宗の法こそが、
正法の証しだと、それを我田引水の如くに根拠としています。
三番目の聖衆もアゴン宗は成仏法を持ったことで仏界に縁が生じ、
正法を説く聖師桐山ゲーカとそれを行ずる聖なる弟子の集いだから、
アゴン宗は聖衆だと述べています。
論法があまりにもあやふやだが、信者なら桐山さんの説を少しは覚えなさい。
そこで、桐山さんはむずかしい成仏法を修せない機根の低い信者でも、
この三供養品の三福道が五下分結を約束してくれると欣喜雀躍している。
桐山さんは、末世成仏本尊経講義266〜267頁で、法爾無作の如来とし、
「応供の如来とは、信者の供養を受けて、その供養を功徳として信者に返す意味。」と、
みなを煽っているのですから、信者ならここのところ忘れないように。
そこで批判側はそんな見返り供養など、三供養品のお経は説いていないと、
批判しているのだ。
桐山さんは、経の三宝に於いて功徳を種える意味を意識的に捻じ曲げて、
供養によって見返り品の功徳が跳ね返ってくると騙したのです。
解脱し涅槃に至る意味は、煩悩から解放された境涯へいたることですから、
涅槃界=涅槃へ至る善根とは、煩悩滅の聖行でしかないことは明白です。
仏教の解脱とは煩悩から解放されるとの意味は常識です。
それ以外は無い、功徳をうえる修業とは煩悩の克服であり、
その代表ともいえる煩悩が貪・瞋・痴の三毒という百数種の煩悩の根本元本です。
煩悩を滅する以外の何がある?
それを充分に修業する以外の方法はありません。
- 585 :深山:2011/12/05(月)
12:54:01
- >>582 :準シュダオン:2011/12/05(月)
10:47:58
>ユビさんは平河本・長阿含経・第三巻を持ってはいないのかい?
いやはや、一年前に終わった議論をまたそっくり出してきた。
うんざりさせられますね。
一年前に、批判側から反論されているのです。
準シュダオンさんは議論したことすら忘れて、自分では阿含経から新しく発見したと
思って、ユビキタスさんに本を持っていないのかなどと、小馬鹿にした態度で書いている。
この老人はどう取り扱えばいいのでしょうねえ。
読者の皆さんには申し訳ないが、昨年、私が書いた内容を、少々長いが、
そのまま反論として貼り付けます。
- 586 :深山:2011/12/05(月)
12:57:08
- >>582 :準シュダオン:2011/12/05(月)
10:47:58
相変わらず、準シュダオンさんはアゴン宗の教義でもなければ、
阿含経の教法でもない勝手な解釈を作り上げています。
読んでいる信者さんたちにぜひ自覚してほしいのは、
批判側の主張に賛成しなくてもいいから、それなら、
しっかりと桐山ゲイカが主張しているアゴン宗教義を理解して主張してほしい。
準シュダオンさんのように、アゴン宗の教義でもないことを
勝手に作り上げて主張し続ける人が一番困る。
準シュダオンさんは、「三善根には2種類ある」と主張しているのです。
これはアゴン宗の教義ではありません。
もちろん、仏教にもこんな解釈はありません。
準シュダオンさんの勝手な解釈、つまり準シュダオン教にすぎません。
仏教においても、アゴン宗の教義でも、三善根はそれぞれ一種しかない。
●仏教の三善根・・・無貪・無瞋・無癡=解脱
●アゴン宗三善根(=三福道)・・・如来に供養すると見返りに解脱できる
このように、仏教とアゴン宗では、三善根の意味はそれぞれ一つしかありません。
それを準シュダオンさんがなぜ二つあると言い出したかは、
上記の仏教とアゴン宗での意味の違いの矛盾を指摘されたからです。
仏教とアゴン宗の三善根はそれぞれ意味が一つしかないが、両者はまったく違う。
そして、阿含経には「三善根=無貪・無瞋・無癡」と書いてある経典が
たくさんあり、それを準シュダオンさんがわざわざ引用してくれていた。
三善根について内容を説明しているのだから、普通ならこれで納得する。
だが、普通ではない準シュダオンさんは納得しない。
- 587 :深山:2011/12/05(月)
12:58:54
- 準シュダオンさんは三善根には二つの意味があるのだという桐山さんですら
言っていない珍説を唱えている。
アゴン宗の教義の矛盾を指摘されて、新たな嘘を作り出したのです。
それだけでも仏教に対する反逆であり、如来への罵倒なのに、
今回、さらに準シュダオンさんは一歩踏み込んで、釈尊を罵倒した。
それが、三善根など天界に行く程度の低いオシエにすぎないというものです。
無貪・無瞋・無癡など実践しても、天界に行ける程度で
涅槃に至ることはないというのが準シュダオンさんの主張です。
これ自体は桐山さんも似たような内容を別な形で唱えているから、
さすがに外道の教祖と信者だけのことはある。
信者さんたちは何を信じても自由だが、その前に仏教の正しい知識を持ってほしい。
仏教の解脱とは普通「漏尽解脱」と呼ばれます。
漏尽とは「漏れが尽きる」という意味であり、ここでいう「漏」とは煩悩のことです。
煩悩が尽きることが仏教の解脱の意味です。
アゴン宗の言葉でいうなら、煩悩解脱です。
- 588 :深山:2011/12/05(月)
13:00:11
- 「我知見をもって諸漏を尽くすことを得たり」
「彼の比丘、自然に漏尽し心解脱を得ん」
「一切の結縛・使・煩悩・纏より斬く解脱することを得ん」
これは信者さんたちも読誦している応説経の一節です。
呪文のように唱えていないで、意味をよく理解してください。
「漏=結縛=使=煩悩=纏」です。
釈尊は煩悩から解き放たれることを解脱と言っているのです。
この経典には
「すべての煩悩の根を断ち切り」(『末世成仏本尊経講義』195頁)
とは書いてあるが、
「カルマの束縛から脱出して」(『末世成仏本尊経講義』195頁)
などとは書いていません。
どこから因縁を切るとか、因縁解脱、カルマを切るなんて
言葉が出てくるのですか。
どこにもそんな言葉も概念もありません。
釈尊が繰り返し説いているのは、煩悩を切れと言っているのです。
- 589 :深山:2011/12/05(月)
13:01:57
- 「解脱・・・仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」
(岩波仏教辞典)
漏尽解脱こそが仏教の解脱だとおわかりでしょう。
貪瞋癡という三つの煩悩は三毒と呼ばれている。
しかし、これはたくさんある煩悩の三者を選んだのではありません。
煩悩のすべてをこのように表現したのです。
貪瞋癡とか、三毒といったら、煩悩のすべてを表しているのです。
煩悩の代表的な性質を貪瞋癡という三つの面から表現しただけです。
だから、厳密には貪瞋癡は三つの別な煩悩ですらなく、同じことなのです。
「貪瞋癡=煩悩=漏=結=縛=使=纏」
全部同じことです。
だから、貪瞋癡を切るとは、煩悩を切ることであり、解脱することを意味します。
「無貪・無瞋・無癡=解脱=涅槃」です。
だから、信者さんたちが読誦している三供養品でも、三善根で涅槃に至ると
はっきりと釈尊は述べているのです。
なんら矛盾もなければ、不思議もありません。
まず信者さんたちは
「仏教の解脱=煩悩を切ること=無貪・無瞋・無癡=涅槃」
であることを理解してほしい。
これを理解しないと、三宝において功徳をうえる、という釈尊の言葉の
意味が理解できなくなるのです。
- 590 :深山:2011/12/05(月)
13:03:27
- 「人間の煩悩にはいろいろあるが、貪欲と嫌悪と迷妄との三つが
もっとも根本的なものであると考えられていた。」
(『原始仏教の思想U』中村元、388頁)
煩悩を切ることが解脱であり、貪瞋癡は三毒という名前がついているほど、
根本的な煩悩と考えられ、当然のことながら、これらを断ち切れば解脱であり、涅槃なのです。
「仏教の解脱=煩悩を切ること=無貪・無瞋・無癡=涅槃」
とにかく、これをまず信者さんたちは理解してほしい。
というよりも、これを理解しないと仏教を理解したことになりません。
釈尊の教法とは、理解するだけなら簡単な内容だと気がつきませんか。
そのとおりで、二千五百年前の無学な人たちもその場で理解できたくらい、
教法も解脱も涅槃も簡単な内容です。
三十七種類に分類しなければならないような煩雑なものでもなく、
師から弟子に秘伝として伝えるような秘教でもなく、
釈尊は出家と在家で別な修行法を説いたこともなく、
「仏教の解脱=煩悩を切ること=無貪・無瞋・無癡=涅槃」
という簡単な内容なのです。
これを桐山さんのように、出家と在家で修行法が違うとか、
供養すると解脱できるという別な修行法があるとか、
あるいは、準シュダオンさんみたいに三善根に二種類あるなどと、
人を騙そうとする頭の悪い連中に限って、煩雑複雑に説く。
- 591 :深山:2011/12/05(月)
13:05:42
- 「仏教の解脱=煩悩を切ること=無貪・無瞋・無癡=涅槃」
これを理解した上で、準シュダオンさんが引用している三聚経について見てみましょう。
この三聚経は、悪趣、善趣、涅槃という三つに分けて、
それぞれに至る内容を強引に数字で分類し、並べた経典です。
三善根は、善趣の方法として記載されているだけで、涅槃の方法とは説かれておらず、
だから、三善根とは天界に至る程度の低いオシエにすぎないというのが
準シュダオンさんの主張です。
もうすでにユビキタスさんが説明し、反論している内容なのだが、
この準シュダオンさんの老人脳には馬の耳に念仏です。
普通、善趣とは悪趣とは逆の意味で、天界など輪廻世界の中でも境涯の良い世界を指します。
だが、善趣にはもう一つの意味もある。
「A善逝に同じ。仏の別称の一つ。」(佛教大辞典、小学館、368頁)
「ゴータマのことを「幸福な人」と呼ぶこともしばしばである。
漢訳ではこれを「善逝」と訳すことが多いが、「善趣」と訳すこともある。」
(『ゴータマ・ブッダU』484頁)
善趣とは仏陀や解脱者という意味もあるのです。
善趣に至るというのは、仏陀に至るという意味ですから、涅槃そのものです。
こういう使い方もあることをまず覚えておいてください。
準シュダオンさんのように、善趣というと天界止まりだという解釈は間違いです。
しかし、ここでは百歩ゆずり、この経典にある善趣が天界止まりだとしましょう。
それでもなんら問題はなく、すでにユビキタスさんが何度も説明している。
- 592 :深山:2011/12/05(月)
13:07:22
- 答えの一つを信者さんたちはすでに桐山さんの講義で読んでいる。
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』の152頁に出てくる出家経です。
在家が至る最高峰はアナゴンです。
それらは、五下分結と呼ばれる、三結と欲貪と瞋恚を切ることです。
ここで再度信者さんたちに気がついてほしいのは、アナゴンになるのには
因縁を切るのではなく、結という煩悩を切ることである点です。
釈尊は煩悩を切ればアナゴンになると説いてるのであって、
因縁を切るとか、徳を積むとか、霊的浄化をするなんてただの一言も説いていない。
この点をまず確認してください。
そこで、五下分結です。
五下分結そのものが貪瞋癡の三毒であることに気がつきませんか。
・貪 → 欲貪
・瞋 → 瞋恚
・癡 → 身見、疑惑、戒取(三結)
実際は、癡は三結というよりも、五下分結全体も指すのだが、
わかりやすく、三結のみに分類しましょう。
このよう見れば、五下分結を切るとは貪瞋癡の三毒を減らすこと、
つまり、三善根そのものなのです。
これを実践すればアナゴンになるのだから、行き先はとりあえず天界(善趣)です。
三聚経に説かれた、三善根を実践すれは善趣に至るというのはこのことです。
- 593 :深山:2011/12/05(月)
13:08:45
- このように説明されると信者さんたちからは、
「三善根を実践して五下分結を切ってアナゴンになるなら、
三善根とはやはり在家レベルの修行法ではないか」という疑問が出てくるはずです。
違います。
五上分結もまた貪瞋癡なのです。
十結全体が貪瞋癡に分類することのできる内容です。
貪瞋癡とは煩悩そのものを表す代表ですから、あらゆる煩悩はこの三種類の中に入ってしまう。
五上分結も貪瞋癡に分類され、これを断ち切る修行法とは相変わらず、三善根なのです。
入門の初心者も、アラハンを目指す比丘も、解脱したアラハンも
彼らが目指しているのは、常に無貪・無瞋・無癡、つまり三善根です。
在家と出家はその程度が違うだけです。
たとえば、昨日、車の免許を取った人も、レーシングカーの一流ドライバーも
スピードや乗っている車の性能が違うだけで、車の操作や安全運転という点では何ら変わりない。
これと同じで、初心も釈尊も善根を実践しているのです。
- 594 :深山:2011/12/05(月)
13:11:56
- 一年前、準シュダオンさんはこの経典に載っている八正道についても、
鬼の首でも取ったように威張って出した。
だが、あれは在家レベルの八正道、出家レベルの八正道を説いたにすぎません。
煩悩で分類すれば、
・在家レベルの八正道 → 五下分結を切る
・出家レベルの八正道 → 五上分結も切ってしまう
つまり、八正道とは出家、在家に関わりなく、実践しなければならない修行法です。
八正道こそが釈尊が説いた修行法であり、それは三善根を目指している。
無貪・無瞋・無癡を達成するために八正道を実践し、
五下分結まで切ればアナゴン(善趣)、五上分結まで切ればアラハンです(涅槃)。
出家用、在家用に別々な修行法があるなどという桐山説を信じていると、
準シュダオンさんみたいに頓珍漢な解釈しかできなくなる。
信者さんたちに自覚してほしいのは、釈尊は修行内容を様々な切り口で、
様々な言葉で表現したが、
「仏教の解脱=煩悩を切ること=無貪・無瞋・無癡=涅槃」
これ以外にはないのだという点です。
これを理解してしまうと、阿含経はものすごくわかりやすい内容だと気がつく。
だが、桐山さんみたいに在家と出家の別々の修行法を説き、
出家用には七科目の三十七種類の修行法を説いたなんて愚昧な解釈をすると、
とたん煩雑複雑に見えて、訳がわからなくなる。
これを信じた準シュダオンさんのように、矛盾をごまかすために、
屁理屈に屁理屈を並べるはめになる。
釈尊が説いたそのままを理解することです。
それが仏教を理解するもっとも簡単で正しい方法です。
- 595 :準シュダオン:2011/12/05(月)
16:01:18
- >「仏教の解脱=煩悩を切ること=無貪・無瞋・無癡=涅槃」
>これ以外にはないのだという点です。
>これを理解してしまうと、阿含経はものすごくわかりやすい内容だと気がつく。
あのね、無貪瞋痴=涅槃、ということに反対するわけではないが、あなた、
無痴ということの意味を理解してるのかい?どうもそうとは思えないね。
無痴は無明のことでもあって、無痴・無明を無くすには戒定慧を体得しない
といけないのだよw。あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
が、それはとても難しいことだよね。
欲貪、瞋恚にしてもね、それは預流果を得た修行者が、切るべき煩悩でね、
我見も切れない、預流果さえ得ていない者が、無貪・無瞋恚などと唱えても
ちゃんちゃら可笑しいことでね、口にしたところでその煩悩は切れていないよ。
だから、三善根は37道品の修行法には入っていない。
37道品の修行を実践して達成できるのが、三善根であるわけね。
だから、長阿含経に説く、三善根は善趣に向かうというのは、心構えとして
の三善根であろうね。達成はできないまでも、努力はできるであろうからね。
前にもレスしたことがあるが、釈尊が究羅檀頭というバラモンに、果報を説
いた経がある。多くの牛や羊を生け贄にして、祭祀を行おうとしていた究羅
檀頭に釈尊が説くお話。
究羅檀頭は釈尊に、「三祭祀の手段よりも、大きな果報を得る方法はあるか?」
と訊いた。昔から祭祀の目的は果報を得るためであった訳ですね。
釈尊は、いろいろ答えていきます。祭祀よりも僧団に供養する方が優れた福を得る、
とか、三宝に帰依して佛弟子に成る方がより功徳は大きい、とか、
慈心を持って生き物を殺さないほうが、より功徳が大きいとか、そして、
「祭祀火為上・・・中略・・・欲求大福者 當供養三宝」と、説いた。
祭祀に於いては火がすぐれ、・・・中略・・大いなる福を求める者は三宝に
供養せよ、と、説いたのです。で、究羅檀頭は牛や羊の生け贄を止めたのです。
ここにも、三宝に供養すれば福を得る、と説いてるのです。
三供養品の三善根の参考にしたら良いでしょう。
祭祀においては火がすぐれ、とは、釈尊自身が過去世に於いて、王だった
ときに火を焚いて祭祀を行った体験を話しています。詳しく知りたい方は
平河本をお読みください。
- 596 :ラシン:2011/12/05(月)
16:15:43
>三三昧=空・無想・無作、を為せば涅槃に向かう、と、説かれています。
云何三法向善趣。謂三善根。無貪善根無恚善根無癡善根。
云何三法趣向涅槃。謂三三昧。空三昧無相三昧無作三昧。
あなたの説は桐山さんを否定してしまっている、気づいてますか?
桐山さんは、せっかく低脳信者で機根が低く現代では成仏法を
理解できなくても、この三供養品の三福道の教えによる生きた如来様に
ご供養すれば、功徳が返ってくる、アナゴンも夢ではないのだ。
このようにゲーカは仰せになっているのですよ。
それを「空三昧無相三昧無作三昧」なんて難しい解脱門が必須だと蒸し返した。
桐山ゲーカが、苦心惨憺し、間脳をフル活動して偽装し体裁を繕った教えに、
あなたは、ケチをつけたのです。
あなたの言う経文の解釈は、アビダルマ論でまとめられています。
その証拠に、法数分類され道品法も示されている。
云何四法向涅槃。謂四念處。身念處受念處意念處法念處。
しかし経の最後には、涅槃に至る八正道が説かれています。
十法十直道とあるのは、”正解脱”正智”の二つが加わっているからです。
云何十法向涅槃。謂十直道。
正見正志正語正業正命正方便正念正定正解脱正智。
諸比丘。如是十法得至涅槃。是名三聚微妙正法。
こういう説き方はアビダルマ論ですね。
正定者には正智が生じて正智者になり、正智者には正解脱が生じる
という区分けは、桐山さんが好きで準シュダオンさんも都合で
引き合いに出す倶舎論です。
阿含経でも長阿含経はそのような煩雑な経文が多い。
ならば学術的に最古と言われる経典を参照したほうが分かります。
こダンマパダの教説を細分化して涅槃を理解しようとしたのが、
準シュダオンさんの引用した経文です。
預流向を見道位なんて考え出したことと変らない。
ーダンマパダ 386ーより、
煩悩から離れて座り、禅定に入り為すべきことを為し、
”煩悩のない最高の目的に到達した人”彼を私はバラモンと呼ぶ
- 597 :ラシン:2011/12/05(月)
17:58:39
>「祭祀火為上・・・中略・・・欲求大福者 當供養三宝」と、説いた。
誰が説いたのですか?
いつもの、一部分の経文を切り取っていかにも釈尊が説いた
かのような偽装をする。
キタナイ人だ、さすがは桐山さんを師と崇めるだけはある。
佛爲婆羅門而作頌曰
祭祀火爲上
諷誦詩爲上
人中王爲上 衆流海爲上
星中月爲上 光明日爲上
上下及四方 諸有所生物
天及世間人
唯佛爲最上
欲求大福者
當供養三寳
このお経は非常に長いものですが、釈尊はこの問答で施・戒・定の
大切さを段階的に教示している。
その最中に究羅檀頭が釈尊と比丘たちのために布施を願い、
釈尊を称えるために作った「頌」いわば「詩」です。
端的に言えば、焚き火ごっこなんかより三宝に供養することのほうが、
最上の大福者となるというバラモンが感動し作った和賛のようなものです。
だが実はここでいう福とは、準シュダオンさんがヨダレを垂らすようなお歳暮の
お返しの粗品ではない。
釈尊が説かれているのだから、涅槃獲得の福に他ならないはずとなる。
これをこの後も誤解のないように釈尊が段階的に解き明かしてゆくのです。
- 598 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/05(月) 23:44:40
- >>582:準シュダオン11/12/05(月) 10:47:58
>三不善根=貪・瞋・痴、を為すと悪趣に向かい、
>三善根= 無貪瞋痴、を為すと善趣に向かい、
>三三昧=空・無想・無作、を為せば涅槃に向かう、と、説かれています。
>涅槃界に至るには、「功徳の種をうえる」という具体的な修行が必要なのです。
>供養の種とは、「供養と修行」です。
今の批判派の皆さんのように、三供養品の三善根を無貪瞋痴の意味だと勘違い
>する人がいますから、善根の語を「福道」改めた方がよろしいのです。
では質問します。三善根では涅槃まで行けないのだと言う。
三三昧のみがこれを成し遂げると言う。
ならば涅槃界に至る三福道とは三三昧のことなんですか?
さすがにあなたでもそうは言えないでしょう。
桐山さんは三福道を如来、正法、聖衆に対するみささげだとはっきり説いている
からです。
教団の戦力になれる奴には因縁解脱の徳を授けるぞというものです。
三三昧のように空がどうこう説いていない。
もちろん三福道が往けるのは涅槃界です。
涅槃界とは涅槃の世界だから涅槃のことなんだが、桐山さんはこれを最上終極の
涅槃の手前、つまり阿羅漢の手前の阿那含までと勝手に決めつけています。
あなたの言う善趣、天界とは阿那含の涅槃境界ではないでしょう。
桐山さんは漏尽解脱(涅槃)に至れるのは念処正勤如意足根力覚道の所謂三十七道品と
応説経を根拠に示した。
あなたの書き方だと三十七道品では涅槃に往けない、往けるのは三三昧だけだと
そんなふうな示し方をしているのですよ。
そうではない。三三昧も桐山さんの言う七科三十七道品の成仏法を別の角度から
別の表現をしたものとわかるだろう?
実は三善根も応説経で説く三十七道品の道と全く同じです。
実はどちらも同じ修行の道を説いているのです。
あなたは無貪無瞋無癡という単語だけで「こんなん心構えやんかー?具体的に
何したらええのん?」と言うならば、それはある角度で言うと念処正勤如意足力覚道
とも言えるのです。これを出すとあなたは何か具体的な特殊な修行法と見えるのか?
名前が長ったらしい分だけわかったような気になるのかな?
ちなみに三十七道品も基本は教えと戒律です。
事実、「輪廻する葦」の桐山七覚支解説のご高説を賜って、教えから一歩も出て
ねえじゃんと思ったが。
- 599 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 00:24:28
- >>582:準シュダオン11/12/05(月) 10:47:58
>まぁ今度は、現世利益の福だと勘違いする人も、居そうですがw。
いいえ、勘違いしてるのは桐山さんの方です。
解脱がその仏教用語の通り煩悩を解き放って囚われのなくなった心の平安の境地なら、
これは現世利益とは別物の福ですが、桐山さんの説いているのは因縁解脱です。
因縁解脱とは単に輪廻を脱して生まれ変わらないことだけでなく、そんな死んだ後の
ことなんかより、死ぬ前の現世においてガンにならなくなったり、事故に遭ったり
しなくなる運命の好転のことをさし、実はそちらの方こそ売りであり、餌なんです。
三福道とは教団に奉仕してその見返りに現世において災害などから逃れられる因縁解脱
を得る為の徳が授かるというものであり、それを求めて邁進する信仰です。
こういうのを現世利益信仰という。三福道は現世利益信仰です。
あなただって先の地震でレイジを受けて救われたようなことを死者を出汁にしてでも
自慢していただけではないか?
つまり自分で現世利益を認めている。
- 600 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 02:01:50
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>無痴は無明のことでもあって、無痴・無明を無くすには戒定慧を体得しない
>といけないのだよw。
無明とは無知のことです。ですから認識に関することなんだからまず認識を改める
ことです。知情意の知に関連することなんだから、まずは正しい教えを学んで
理解了解することです。
それを成し遂げたのが三結断った預流果のシュダオンです。
だって三結って身見、疑惑、戒取でしょ?
これは仏教の教えを理解すれば陥らない話です。
私の言っていることは嘘ではない。
釈尊の教えを聞いただけでその場でシュダオンの悟りを開いた者もいる。
コーンダンニャなども釈尊の何度かの説法、説法とは言葉で教えを言い聞かす
だけなんだが、それだけで悟りを開いた。
その悟りとはシュダオンの悟りでしょうね。
三結断って認識の誤謬を正しただけだからまだ情意面の煩悩は残ってます。
すなわち欲貪とか瞋恚とかの煩悩はまだ残っている。
だから欲念に駆られることもあれば、つい怒ってしまうこともある境界です。
しかしそんな彼でもシュダオンと言う。
あなたは準シュダオンと名乗っているが、自称仏教徒を名乗りながら30年以上
信仰していてどうしてシュダオンにすらなれないのだ?いつなれるのだ?
おかしいではないか?馬鹿ではないか?
あなたのことだからもうすぐシュダオンになるかもしれないなんて言うかもしれないが
シュダオンになるのに何十年もかかる方がおかしいのです。
それは桐山さんにそう教え込まれているからシュダオンを名乗ることすらできないのです。
教えを理解認識して得るのがシュダオンならば、間違った真逆の教えを吹き込まれて
いるから、たしかに絶対にシュダオンであるはずがないのだが。
シュダオンになると青い清らかなオーラを発するとかそんなおかしなことばかり
吹き込まれているからシュダオンの何たるかを理解してない。
私は最初三結断ってシュダオンになるという解説を読んで首を捻りましたよ。
三結を断つって理解認識だけの問題ではないかと。
どうしてそれだけのことに超人性を付加して達成困難な虚像にするのか?
繰り返すが感情面の煩悩はまだ断ててないのがシュダオンです。
感情、情意をコントロールするのは難しいですからね。
しかし三結断つのにおかしな修行は要らない。教えを理解することです。
- 601 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 02:19:00
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
>が、それはとても難しいことだよね。
その通りです。貪瞋癡の煩悩をなくすという実践は難しい道です。
誰も簡単だなんて言ってません。
深山さんが書いたのは釈尊の教えは「わかりやすい」と書いたのです。
他人の文章をよく読みなさい。
釈尊の教えを理解するのに特別な頭脳は必要ありません。
無学文盲の人にも教えを説いて目を開かせたのだからわかりやすいのです。
しかしわかったからと言って、その無貪瞋癡の実践自体はこれは自分との闘いに
なるのだから難しいのです。まことに御しがたきは自己なりと釈尊も説いている。
しかしそれでも努力して自己の克服を説くのが釈尊の教えなのです。
桐山さんは説く。
法句経の句を説く。
諸悪莫作
衆善奉行
自浄是意
是諸仏教
悪いことをするな、善いことをせよ、自らの意を浄めよ、是が諸仏の教えなり
こんなことは5つの童でも知ることなれど80の翁でも行うことがなかなかできない
ことなんだと白楽天の詩を引用して解説している。
そしてそのこと自体はたしかにその通りです。
しかしそこから先が桐山さんがおかしくなるのであり、要するにこの難しい道から
逃避する。諦めて何か特別な都合のよい法はないかと求める。問題から逃げる。
しかし仏教は難しいけどそれをやりなさいと教えているのです。
- 602 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 02:40:17
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>欲貪、瞋恚にしてもね、それは預流果を得た修行者が、切るべき煩悩でね、
>我見も切れない、預流果さえ得ていない者が、無貪・無瞋恚などと唱えても
>ちゃんちゃら可笑しいことでね、口にしたところでその煩悩は切れていないよ。
ほらね。もう最初から煩悩と戦うことから逃げている。
そんなのは後回しにしている。
後回しにしている限り永久に煩悩を断つ努力をすることはないだろう。
預流果を得るなんて実は理解認識レベルの話なんだから本当は簡単なはずなんだが
そうとは桐山さんに教えられてないから、シュダオンになるのはなかなか難しいこと
とされているから、それならとあなたはそれをよしとばかりにこのままずっと
準シュダオンでいて間違ってもシュダオン、預流果になんかなるものかと思っている。
なぜなら預流果になってから初めて欲貪や瞋恚の克服に取り組まねばならないと
アホなこと考えてるから、預流果にならない限り、そんな努力には取り組む必要はなく
自由気ままにしておればよいからです。
これが彼が準シュダオンを名乗る理由です。無貪瞋癡になんか取り組みたくない。
あのね、欲貪も瞋恚も仏門に入門した時からその節制の道が始まっているのですよ。
遠い遠いシュダオンになってから初めて考えればよいなんて話ではない。
仏門に入門したらいきなり二百五十戒を課せられます。
段階に応じて少しずつ増やすなんてしません。
おかしいではないか?
あなたの理屈なんてそんな戒律なんて預流果を得てからぼちぼち始めればよいではないか?
ところが在家信者ですら酒を飲むなとか戒律を課せられます。
そりゃいきなり欲貪や瞋恚はなくなりません。
三結と違ってこれはかなりの時間がかかるとみてよいでしょう。
しかし今実行せねばいつ実行する?
今から実行して長年の継続努力があるからやがては解脱に至るまでの成果だって
得られるのです。
千里の道も一歩から。
あなたはその一歩をなんくせつけて拒否してるのです。
永久に解脱できないのは本人にする意志がないからです。
シュダオンになると不退転を得ると言いますよね?
どうしてかわかりますか?
頭でよく理解したのだから精進の意志が固まるからです。
そりゃ快楽原理に逆らう道は、ついつい安逸怠惰を貪りたくもなるから実際には
退転も挫折もあるはずだ。
でも意志がなけりゃ何事も始まらないのです。
- 603 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 02:55:21
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>だから、三善根は37道品の修行法には入っていない。
>37道品の修行を実践して達成できるのが、三善根であるわけね。
桐山さんと全く逆なことを説きなさんな。
桐山さんは七科三十七道品を上根の成仏法としてこれはなかなか難しい修行だと
している。
機根の優れた者でないとその実践すら難しいとしている。
対して桐山さんが命名したと明言した三福道はこれを下根の成仏法として
機根の劣った者でも実践できる道としている。
末世の機根優れぬ人のために準備された道だとしている。
だから上根の成仏法はすぐにアタックできなくても下根の三福道で徳を積んでいって
アナゴンまで逝って最後はアラハンになるにはこれは七科三十七道品の上根の
成仏法しかないからこれにアタックするしかないのだが、三福道で徳を積んできた
身にはそれも可能となり、要するに順番は三福道→七科三十七道品です。
いい加減に桐山さんの教えを勉強してはどうか?
する気がないのならアゴン宗に口出すのをやめてもっと別の趣味に没頭してはどうか?
我々よりもアゴン宗が迷惑しています。
- 604 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 03:15:45
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>釈尊は、いろいろ答えていきます。祭祀よりも僧団に供養する方が優れた福を得る、
>とか、三宝に帰依して佛弟子に成る方がより功徳は大きい、とか、
>慈心を持って生き物を殺さないほうが、より功徳が大きいとか、そして、
>「祭祀火為上・・・中略・・・欲求大福者 當供養三宝」と、説いた。
>祭祀に於いては火がすぐれ、・・・中略・・大いなる福を求める者は三宝に
>供養せよ、と、説いたのです。で、究羅檀頭は牛や羊の生け贄を止めたのです。
>ここにも、三宝に供養すれば福を得る、と説いてるのです。
これは祭祀を否定しているのです。
ただしただちに祭祀をやめよなんて言わない。
そんな無駄なことに心を奪われている暇があったら僧団に供養するだけでなく
僧団の説く教えを学んだ方がよほど自己を利することができるからです。
僧団の説く尊い教えに共鳴し、こういう僧団を物資食糧の面で支援し(供養する)
ことは善事に他ならないからこれを勧めるのです。
動物を殺して贄とする悪事から離れるように諭す為に釈尊は苦慮してこういう説き方をする。
本当は祭祀なんて屁の役にも立たないというのが本音です。
そんなことをしても人は清まらない。
しかしあからさまにそう否定するのでなく、祭祀によって何か自分にとってプラスに
なることを得ようという気持ちを読みとって、それならこういう祭祀を祭祀代わりにしなさい
と説くのです。その祭祀代わりが仏道への帰依です。
供養から始まってやがて教えも聞いて理解して実践もするようになる。
それは大変なプラスではないか?
僧団がおかしな力をプレゼントするのではない。
各自が目覚めて自分の道を切り開いていくのです。
火を使う祭祀とは当時インドでは火を使う祭祀が最上とされていたから
その最上という概念を示すのに使用させてもらっただけで、後はお役御免です。
本当に最上の道とは何かと理解を示す導入として火の祭祀を使っただけで
本音は火の祭祀なんて屁の役にも立たない。
捨てられる運命なのです。
このようにいきなり頭ごなしに過去の無意味な権威を否定して反感を得るのではなく
相手にあわせて徐々に教えを説いていくそういう工夫した説き方を方便と言います。
- 605 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 08:39:53
- >>602:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/06(火) 02:40:17
>あのね、欲貪も瞋恚も仏門に入門した時からその節制の道が始まっているのですよ。
>遠い遠いシュダオンになってから初めて考えればよいなんて話ではない。
>仏門に入門したらいきなり二百五十戒を課せられます。
>段階に応じて少しずつ増やすなんてしません。
初心の修行者や在家信者にも課せられた戒律の問題を考えるたびに、桐山因縁、
桐山運命なんてものはないのだなということがよくわかる。
たとえば刑獄の因縁です。
この因縁を持ち、人殺しの運命をする運命の者がいる。
こういう人に不殺生戒を課しただけで、一生殺さずに済む因縁解脱が可能であろうか?
アゴン宗の答えはノーです。一刻も早くこの悪い因縁をそれこそ護摩でも焚いて
切るように支援しなければ戒律どころではない。
しかし仏教の教団は戒律はあくまでも自己責任において死守せねばならない。
グループごとに分かれ、托鉢遊行してる僧も月に二度集まり反省会を開く。
戒律に背くことはなかったか告白する。
不殺生戒を破り、人を殺そうものならいっぺんに破門です。
「そんなこと言ったって俺は刑獄の因縁があるんだぜ。戒律なんか課せられたって
わかっちゃいるけどやめられない。ああ、別に決して殺したくもないのに殺してしまう、
この衝動に抗えない。自分の中の赤の他人がしたことなんだから。
成仏法でこの因縁を切ることが先決なのに、戒律破ったら破門とは何事だ?
破門になったら知らねえど。ますます殺しちゃうかも知らねえど」
「勝手にしろ」
ってなことになります。
本当に刑獄の因縁というものがあり、わかっちゃいるけどやめられず、その殺人衝動に
抗えないならば、戒律も教えも役に立たないことになる。
しかしあるのは殺すなの教えと戒律のみです。背いたら破門です。
アングリマーラなどはこれは殺人鬼としての十分な実績を持って入門した者である。
しかし彼は入門してからは一度も殺さなかった。
托鉢に出て石を投げられ危害に遭ってすら自ら人を殺すことはなかった。
死んだ気になって教えと戒律を守ったからです。
こうして見ると刑獄に至る犯罪に陥る運命なんてのは嘘っぱちです。
自分に対する言い訳の甘えです。
愛人問題で苦しんだ桐山さんは色情の因縁があったことになる。
しかし本当は違う。自ら好んで愛人を求め節制する気持ちなど少しもなかっただけです。
- 606 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 09:04:30
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>欲貪、瞋恚にしてもね、それは預流果を得た修行者が、切るべき煩悩でね、
>我見も切れない、預流果さえ得ていない者が、無貪・無瞋恚などと唱えても
>ちゃんちゃら可笑しいことでね、口にしたところでその煩悩は切れていないよ。
こんなことも桐山さんの指導と反対です。
桐山さんは初心の行者含む全ての信徒に心解脱行を課している。
悪い心癖を改めなさいという教えです。
この教えをホウと共に進めるのです。
顕密両輪、教えとホウは必ず二つ揃わないと真っ直ぐに進めない。
だから瞋恚などを改める教えの実践は預流果を得てからなんてことはなく
入門してすぐに始まる。
因縁が切れないと愚痴をこぼす信者に心解脱の修行をしてないからだとこちらの
責任に押し付けるねらいもあります。
教えを守る努力があるからこそホウの冥助もある。
これがアゴン宗の正統教学です。
こんなことすらも知らない情けない信者ですね。
- 607 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 12:31:57
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>欲貪、瞋恚にしてもね、それは預流果を得た修行者が、切るべき煩悩でね、
>我見も切れない、預流果さえ得ていない者が、無貪・無瞋恚などと唱えても
>ちゃんちゃら可笑しいことでね、口にしたところでその煩悩は切れていないよ。
桐山さんの書いた修行者座右宝鑑をお持ちですよね?
あの後半に思考のコントロール、感情のコントロール法が書いてある。
感情のコントロール法なんてのは瞋恚などの煩悩の感情の起こりそうな時に
使うとよいかもしれませんよね。
もちろん釈尊のアプローチとは別物ではありますが。
この感情のコントロール法なんてのは、あなたによればシュダオン預流果になってから
初めて取り組めばよいもので、それまでは気にせず欲望でも怒りでも煩悩を
出しっぱなしにしておればよいという考えですよね。
- 608 :深山:2011/12/06(火)
12:59:26
- >>595 :準シュダオン:2011/12/05(月)
16:01:18
>あのね、無貪瞋痴=涅槃、ということに反対するわけではないが、あなた、
あらら、準シュダオンさんからこういう発言が出るとは驚いた。
あなたも進歩することがあるのですね。
だが、こんなことを書いたら、因縁解脱はどうなるのだ?
「無貪瞋痴=涅槃」と認めるなら、
「三善根=無貪・無瞋・無癡=涅槃」
と認めるのですね?
それとも「反対するわけではない」というのは、賛成はしていないとか、
ここでいう涅槃とは○○涅槃という別なものだなどと逃げるでしょうね。
別に追いかけないから、みっともなく、屁理屈を並べて逃げなさい。
アゴン宗と違うことを書いてしまったことに気がついているか・・・無理か。
アゴン宗では
「無貪・無瞋・無癡=煩悩解脱=小解脱」
であって、これを涅槃とは認めていない。
アゴン宗の解脱は因縁解脱であり、これは煩悩解脱とは違うカルマ解脱です。
つまり、アゴン宗では「無貪瞋痴=涅槃」とは認めていない。
- 609 :深山:2011/12/06(火)
13:01:42
- >>595 :準シュダオン:2011/12/05(月)
16:01:18
>あのね、無貪瞋痴=涅槃、ということに反対するわけではないが、あなた、
読んでいる信者さんたちも、準シュダオンさんの文章を良く読んで欲しい。
彼は頭が老化している上に、元々自惚れが強く、頑迷で、侮蔑心というカブトを
かぶっているが、その脳味噌でも長年議論していて、ついに
「無貪瞋痴=涅槃」
であることを半ば認めた。
もっとも、文章の後半では、平然とこれを否定するような内容を
書いてはいるが、それでも漏尽解脱(煩悩解脱)が涅槃であることを
ついうっかり認めてしまったのです。
屁理屈魔で、理解力が低く、記憶力も衰えた準シュダオンさんでさえ、
漏尽解脱が釈尊の説いた涅槃、解脱であることを認めたのです。
では、他の信者さんたちはどうでしょう。
まだ因縁解脱が釈尊の説いた解脱だと信じますか。
- 610 :準シュダオン:2011/12/06(火)
13:05:07
- 輪廻する葦・本のP258に四沙門果の表が出ているでしょう。
欲貪と瞋恚の煩悩を断てば、阿那含という聖者なのですよ。
この本は、1982年に発行されています。
欲貪や瞋恚という煩悩が、簡単には断てないということが解かるでしょう。
まして、痴というのは無明の煩悩のことで、これを断つというのは知慧解脱
を得ることで、天眼智、宿命智、漏尽智の三明を具えることを言うのです。
ですから、三善根というのは、修行の最終目標なのであって、特に無痴と
いうのは慧解脱の完成・仏に成るまでは、到達できない目標です。
ですから、経典に説く三善根は、戒行としての無貪瞋痴、のことです。
そういう習慣をつける、と言う意味での三善根なのであって、それを達成
できたら仏なのです。
そのあたりを、ユビさんなどの批判派は、よく理解していないのです。
理屈を覚えることと、体得することは別です。
おそらく、我見と自灯明の違いを、認識した体験もないのでしょう。
己の我見を、自覚したことがあるでしょうか?
己の我見を自覚出来ねば、それを断つことも出来ますまい。
欲貪・瞋恚については、それが↑出来た後の話しですよ。
- 611 :深山:2011/12/06(火)
13:05:19
- >>595 :準シュダオン:2011/12/05(月)
16:01:18
>あのね、無貪瞋痴=涅槃、ということに反対するわけではないが、あなた、
>無痴ということの意味を理解してるのかい?どうもそうとは思えないね。
>無痴は無明のことでもあって、無痴・無明を無くすには戒定慧を体得しない
>といけないのだよw。あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
>が、それはとても難しいことだよね。
話をそらしてごまかそうということらしい。
準シュダオンさんの三善根についての主張は元々、ここでの議論の対象にすらなって
いないことは何度も指摘した。
●仏教の三善根・・・無貪・無瞋・無癡=解脱
●アゴン宗三善根(=三福道)・・・如来に供養すると見返りに解脱できる
●準シュダオン説・・・三善根には二種類ある
あなたの説は、三聚経などの三善根は無貪・無瞋・無癡だが、
三供養品の三善根は供養を説いているのだ、というのでしょう?
桐山さんは三善根に2種類あるなんてただの一度も書いた事はありません。
このことはあなたに何年にもわたり指摘しているが、まったく無視して、
準シュダオン教を唱え続けている。
準シュダオンさんの個人的な宗教観はここでの議論対象外であり、
非常に迷惑だというのが、あなたにはわからないようだ。
現実世界でもあなたが周囲から迷惑がられ、嫌われているのがわからないのと同じです。
- 612 :深山:2011/12/06(火)
13:10:43
- >>595 :準シュダオン:2011/12/05(月)
16:01:18
>あのね、無貪瞋痴=涅槃、ということに反対するわけではないが、あなた、
>>610 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/12/06(火)
13:05:07
>ですから、経典に説く三善根は、戒行としての無貪瞋痴、のことです。
桐山さんが三善根に2種類あると説いたというなら、それを示してみなさい。
三善根が戒行だというなら、経典でも学者本でも桐山本でも示してみなさい。
示せるはずがない。
これもあなたの個人的な説で、桐山さんやアゴン宗の説ではない。
桐山さんは準シュダオンさんと違い、「三善根=三福道」です。
中巻が発売されるまで待ったらどうかという助言にもあなたは従わない。
国会図書館の下巻には、次のように書いてあるのだ。
「【三善根】さんぜんこん無貧善根・無瞋善根・無癡善根の三根。一切の善法がこの三つか
ら生まれるからである。それらは具体的には施・慈・慧となって現われる。三毒の対。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 下』96頁)
これは桐山さんが仏教語大辞典から引用した文章で、これを認めた上で、次のように書いている。
「そこで、わたくしは弟子たちが読経をする際に、三善根を「三福道」と変えて読誦するように
指導しているわけです。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 下』96頁)
だから、三善根に三福道と名前を付けたと書いている。
無貪・無瞋・無癡と同じ意味だが、名前だけを変えたと桐山さんは認めている。
もちろん、三善根で解脱するというのだから、単なる戒行だなんて言っていない。
準シュダオンさんの説とは違う。
準シュダオン教はいらないし、迷惑だから、出すな。
- 613 :深山:2011/12/06(火)
13:13:11
- >>595 :準シュダオン:2011/12/05(月)
16:01:18
>あのね、無貪瞋痴=涅槃、ということに反対するわけではないが、あなた、
桐山さんは「三善根=無貪・無瞋・無癡」を国会図書館の下巻では認めている。
そして、今度発売される中巻では、目次を見ると三供養品が入っているようです。
いよいよ始まるのです。
三福道については桐山さんはどちら転んでも、矛盾する。
三福道という三供養品があるというなら、出してみろと言われるし、
三善根という三供養品はないと言えば、今まで嘘を書いたのがばれる。
まさに、前門の虎、後門の狼です。
中巻では、国会図書館の下巻そのままで、強行突破するつもりだろうと言うのが私の予想です。
三福道と説いた経典など存在しないことを認めることになる。
つまり、今まで二十年以上も嘘を書き続けたことになる。
もちろん、準シュダオンさんはじめ信者さんたちの多くは、
そこに何の矛盾も感じないでしょう。
桐山さんの三福道についての最終版を私は楽しみにしているのです。
だから、準シュダオンさんが、桐山説と関係のない話を
ここでゴチャゴチャ出されるのは非常に迷惑なのだ。
あなたも自説をクドクドと繰り返すのではなく、中巻を読んでから、書きなさい。
- 614 :ラシン:2011/12/06(火)
13:14:38
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>欲貪、瞋恚にしてもね、それは預流果を得た修行者が、切るべき煩悩でね、
>我見も切れない、預流果さえ得ていない者が、無貪・無瞋恚などと唱えても
>ちゃんちゃら可笑しいことでね、口にしたところでその煩悩は切れていないよ。
経験主義を威張って強弁したいらしい。
笑えるのはこの準シュダオンさんの経験知が人並みにすら及んでいないことです。
過去の公職を自慢しながら、他の公職者を貶める行為で他者を巻き込んでも、
それを恥かしい行為と自覚できない。
過去よりの準シュダオン節は、掲示板に膿みのように蓄積されている。
経典偽装、ウソを厭わず、マチガイにも口をぬぐう、記憶力も乏しく反省信も皆無。
だからいつも”滑って”しまうのです。
欲貪や瞋恚に目を向け少しでも意識するなら、決して釈尊の教説には違背しません。
自ずと「身見・疑惑・戒取」を頭で理解し受け入れます。
霊魂にこだわり(身見)、因縁切りに明け暮れ(疑惑)、焚き火でオツムを沸騰させる(戒取)?
これで、ヌケヌケと準シュダオンと自称してはばからない心癖を披瀝している。
この元自称公職者の、公式にはまりこみ資格主義に凝り固まった頭脳だから、
○○法だの、順位順番だのとこだわり、目先の利害得失に心を奪われるのです。
釈尊の道を目指す者は預流向となり、自然と無貪・無瞋・無癡を自覚し目を向ける。
三善根を実践する過程で、預流果を得てさらなる実践へと通過していくことが分かります。
釈尊の根本狭義すら理解できない者が預流向であるわけが無いし、
桐山教義からすらいつも脱線する者がアゴン宗の準須陀?のわけがない。
さらに笑える唯一の取り得は、桐山さん同様、自称自己申告自己宣伝が好きな
権威依存者ということだけです。
- 615 :深山:2011/12/06(火)
13:15:02
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
>が、それはとても難しいことだよね。
あなたは三善根などでは解脱することもできず、せいぜい天界に行くくらいだと揶揄した。
それでいながら、実践が難しい?
矛盾したことを平気で書くのはいかにも準シュダオンさんらしい。
簡単ですよ、まずあなたのその嘘つきをやめればいい。
1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(55章625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=一来向」「一来果=不還向」「不還果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(55章940)
8.下記の文章のある阿含経はどこにあるのか?
「四双八輩是聖賢之衆」(五章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(五章633,
7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(>>7)
あなたはわずか一ヶ月のほどの間に、これだけの嘘をついている。
三善根は戒律ではなく、戒律も含んでいる。
その戒律の一つに、嘘をつかない、というのがある。
ついてしまった嘘はしかたないから、ちゃんと自分の罪を認め、
二度としませんと誓うのが、仏教のやり方です。
さあ、どうぞ、やってみなさい。
- 616 :深山:2011/12/06(火)
13:17:24
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
>が、それはとても難しいことだよね。
読んでいる信者さんたちにも気がついてほしいのだが、
アゴン宗では煩悩を減らすようなことは御法度です。
煩悩を減らしたら、護摩木が減ってしまう。
むしろ、欲望や恐怖を煽る。
つまり、煩悩を増やしている。
だから、煩悩を減らさなくても良い様々な屁理屈を並べる。
「因縁があるから、わかっちゃいるけどやめられない。
それを法の力で因縁を切ってもらうのだ」と称して、
自分では煩悩を減らす努力は何もせず、むしろ、煩悩を増やしている。
桐山さんから、「煩悩を減らすなんて倫理道徳のオシエにすぎない、
アゴン宗は法によって変えていくのだ」などとホラ話をされて本気にしている。
というよりも、このほうが楽だからでしょう?
他の信者さんたちにそこに気がついてほしい。
- 617 :深山:2011/12/06(火)
13:19:59
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
>が、それはとても難しいことだよね。
自分の欲望や執着を自分で減らすのは苦痛です。
そこに桐山さんから、自分ではやらなくても良い言い訳を言われて、それに飛びつく。
しかも、欲望を減らすどころか、むしろ増大させるのが仏道修行だと教えられる。
護摩木などで欲望を増大させると、オシャカがホウの力で
煩悩も切ってくれるというのだから、便利この上ない。
我々人間は欲望を増大させたいから、意見が一致するのです。
だが、そろそろ信者さんたちもその矛盾した信仰に気がついてほしい。
釈尊はその欲望を「自分」で減らせと教えたのです。
そうすると、必ず信者さんたから出る質問が、「方法は何か」というものです。
こういう反応自体が、桐山さんから教え込まされた一種の条件反射です。
欲望を減らす方法を他人に聞かないとわからない?
まるで「オシャカの勉強法というのを教えてもらわないと、
ボクは絶対に勉強などしない」と言っている子供みたいです。
信者さんたちはこの子供は、どう見ても、勉強しなくてもいいように、
言い訳を言っているだけだと思いませんか。
信者さんたちも同様です。
- 618 :深山:2011/12/06(火)
13:22:08
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
>が、それはとても難しいことだよね。
欲望を減らすなんて簡単ではないか。
護摩木祈願を止めればいいのです。
釈尊も護摩は禁止しているし、釈迦仏教には祈願や祈りなんてないし、
護摩木祈願をしないと生きていけないなんて人はいない。
だったら、捨てるのは簡単です。
捨てなさい、これが煩悩を減らす方法です。
祈願するのを止めれば、それだけで欲望が一つ減る。
焚き火で死者を成仏させるなんてバカみたいな欲望を捨てればいい。
焚き火で世界を平和にするなんて阿呆みたいな欲望を捨てればいい。
焚き火に祈って解脱するなんて愚かな欲望を捨てればいい。
桐山さんや準シュダオンさんのように、美食飽食をせずに、節制ある食事を取ることは、
欲望を減らす方法です。
桐山さんのように、孫のような女に「今夜にでも」などと
色目を使わないのが、欲望を減らす方法です。
いずれも誰かに方法など聞かなくてもすぐに実行できることばかりです。
こんなわかりきった事をどうしてしないのですか。
- 619 :深山:2011/12/06(火)
13:23:43
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
>が、それはとても難しいことだよね。
信者さんたちは欲望を減らすことと、なくすことを一緒にしている。
釈尊は在家の我々に欲望をなくせなんて言っていません。
減らせと言っているのです。
それも、欲望の根本にある渇愛を滅却しろなどと言っているのではなく、
我々が自分で自覚できる物欲、食欲、性欲、睡眠欲など様々な
欲望や執着、怒り、驕りなどを減らすように説いているのです。
いきなりゼロにすることは難しい。
だが、できることはいくらである。
しかも、信者さんたちは世間の人たちよりもより多くの欲望や執着を
桐山さんから植え付けられている。
それが護摩木で祈るとか、シッポの生えたオシャカに供養すると福徳が得られるとか、
不幸が避けられ、運命が変わり好運という棚ぼたが得られるなど、一般の人が
持たないようなよけいな欲望や執着をたくさん持っている。
まずは、そういう後天的な煩悩を捨てることです。
- 620 :深山:2011/12/06(火)
13:25:32
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
>が、それはとても難しいことだよね。
煩悩の最初には三結がある。
これを減らすのは欲貪や瞋恚を減らすよりももっと簡単です。
身見とは、人間は霊魂があり、これが輪廻していくのだという外道の思想のことです。
輪廻の主体となる霊魂があるなどという考えを捨てることが身見を捨てることです。
戒取とは、護摩や占いなど外道の宗教行事をしないことです。
これもとても簡単で、護摩や占いなど呪術を捨てればいい。
護摩や占いは食事や睡眠ではないのだから、しないと生きていけない人なんていません。
因縁解脱などという外道の教えを捨てることです。
疑惑とは、釈尊の教法を疑うことです。
釈尊は煩悩を切れば解脱できると説いた。
これをこのまま信じて、煩悩を減らすことを実行すればいい。
釈尊の漏尽解脱を小解脱などと罵るのは正しくない。
- 621 :深山:2011/12/06(火)
13:30:56
- >>595:準シュダオン11/12/05(月) 16:01:18
>あなたは、簡単に三善根を実践出来るような言い草だ
>が、それはとても難しいことだよね。
信者さんたちはこんなふうに私から手取り足取り説明されないと
欲望や執着や怒りを減らすことができないだろうか。
そんなことはない。
私が説明した程度は、普通の知性があれば誰でも思いつく。
方法は説明された。
だが、信者さんたちはそれをしたくないのです。
つまり、煩悩を減らす方法がないのではなく、信者さんたちは減らしたくないのです。
そのとおりで、釈尊は、人間がしたいことをするなと言い、
したくないことをしろと説いた。
だから、釈尊の教法を実践することは苦痛であり、嫌なことであり、
できればしたくないが我々凡人です。
桐山さんから巧みにその欲望を煽られ、仏教であるかのように
見せかけて、実は正反対の方向に引っ張られている。
なぜなら、桐山さん自身が仏教とは正反対の性格の持ち主で、
欲望や執着の拡大を目指している。
その行き着いた先が、輪廻転生瞑想法です。
要するに、「死んでも命がありますように」というタワケです。
こんな煩悩だらけの老人の後を追いかけて、何したいのだ?
わざわざ輪廻の輪の中に自分をもっと縛り付けるような行為です。
信者さんたちに私は煩悩を断ち切る初歩を伝えた。
普通の知性のない準シュダオンさんのような人を除き、
もはや「方法がわからない」という言い訳は通用しない。
- 622 :ラシン:2011/12/06(火)
14:41:35
- >>610
:準シュダオン
>ですから、三善根というのは、修行の最終目標なのであって、特に無痴と
いうのは慧解脱の完成・仏に成るまでは、到達できない目標です。
あいもかわらず言っていることが滅茶苦茶です。
あなたは、何度も>>582のように
>三善根= 無貪瞋痴、を為すと善趣に向かい、
>三三昧=空・無想・無作、を為せば涅槃に向かう、
と主張していたのに今さら三善根が「修行の最終目標」??
それも三供養品の三善根は戒行なんてムリクリに自説を強弁している。
どこの馬の骨か知らないあなたの経典解釈など、ここでは論外です。
自惚れだけが人一倍強くても、一般には通用しない。
よく今まで世間で生きて来て社会生活を送れたのか不思議です。
桐山さんを余りにも真似しすぎて、宗教掲示板の教祖だと履き違えた?
ナリキリ信仰の極致をわざわざ披露しているツモリだろうが、
読者はウンザリ、辟易していることに気づきませんか。
仏教においては三善根の実践は当たり前の修業です。
三善根を実践することは、煩悩滅=解脱に向かう善道だからですよ。
煩悩を抑制し減らそうとする行為に、○○階梯など不要です。
三善根を自覚し実践に向けたなら、霊魂にこだわる(身見)ゴマ木も不要だし、
因縁切りに明け暮れる(疑惑)戯けもしなくなる。
況してや焚き火でオツムを沸騰させる(戒取)所行などから卒業するのです。
だが、あなたは相変わらずそれらを肯定し電波受信に夢中なオタク爺さんです。
桐山さんはサイヘトマヘトからの仏勅を得て「三福道」を実感したとウソぶいた。
ありもしないミラクルの池からのデンパを準シュダオンさんが盗み聞きした?
あなたも、間脳を思いっきり揺すぶって、脳みそをグッチャグチャにした成果です。
高見から偉そうに学説を無視し、自説を唸って誇らしげにニヤついている。
ナリキリもこれ切りにして欲しい。
- 623 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 21:12:08
- >>610:準シュダオン11/12/06(火) 13:05:07
>欲貪と瞋恚の煩悩を断てば、阿那含という聖者なのですよ。
>欲貪や瞋恚という煩悩が、簡単には断てないということが解かるでしょう。
しかし完全に断てなくても欲貪や瞋恚が薄らげばシダゴンではありませんか?
シダゴンもまた四沙門果の聖者の一人として認められています。
ところでどのくらい薄らげばシダゴン認定になると思いますか?
半分ですか?3分の2ですか?その数字ってどこで判断するのですか?
シダゴンになると額にシダゴンマークかなんか浮かび上がってくるのですか?
こんなこと考えたこともないでしょう?
こうして考えるとシュダオン、シダゴン、アナゴン、アラハンなどと4種類あるが
それぞれの中間行程にいる人がいるのですよ。
つまり千人いれば千様の境界があると言える。
いずれも聖者群団です。なるほど向も果も聖者に変わりないのがよくわかる。
そして優劣の差こそあれこれらのシダゴン4分の1だろうがなんだろうが
等しく無貪無瞋無癡の修行に励むからいろんな称号の境界にいられるのです。
釈尊は修行、修道中途で命が尽きてもやればやっただけの成果があり、それぞれの
境界を認めたのです。
最高のアラハン以外は人間じゃねえ!なんてことは言いません。
だから命なんていつ尽きるかわからんのだから、成果はともかく一日も早く
無貪無瞋無癡の道に邁進努力する必要があります。
さもないと・・・悪趣に堕ちるなんて脅しはしませんが、六道輪廻を繰り返すよ。
- 624 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 21:50:11
- >>610:準シュダオン11/12/06(火) 13:05:07
>まして、痴というのは無明の煩悩のことで、これを断つというのは知慧解脱
>を得ることで、天眼智、宿命智、漏尽智の三明を具えることを言うのです。
それはもはや最終段階の仕上げの話なのではないですか?
断つべき煩悩は五上分結の世界です。
五上分結の内容って誰にでもわかるように説明できますか?
私にはよくわからない。
それよりも五下分結ならわかる。
五下分結を断じない限り五上分結に進むとは考えられない。
まずは五下分結です。すなわち欲貪や瞋恚を減らしていってしまいにゃ根絶する
くらいまで頑張る。究極の無明を克服する智慧なんてどうして今から考える?
その前にやるべきことがある。
>己の我見を自覚出来ねば、それを断つことも出来ますまい。
>欲貪・瞋恚については、それが↑出来た後の話しですよ。
この我見とはそんな根源的な無明の話ではなくこれはあくまでも三結に属する無知です。
これと五上分結断ちとあなたは混同してるのです。
全ての痴を完璧に断たない限り、俺は欲貪も瞋恚も断つ努力なんて絶対にせんからな。
俺は五上分結の痴を克服してから五下分結断ちにトライするのだ、
と言っているわけです。
「痴」丸出しですね。(笑)
- 625 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 22:08:37
- >>610:準シュダオン11/12/06(火) 13:05:07
>己の我見を自覚出来ねば、それを断つことも出来ますまい。
>欲貪・瞋恚については、それが↑出来た後の話しですよ。
我見が解けなけりゃ欲貪や瞋恚を減らす努力もしちゃいかんのですか?
決してそんなことはないでしょう?
もちろん我見は克服しなければならない課題です。
しかしこんな人がいたとする。
おら誰が何と言っても魂を信じるだ。霊魂は必ずあるに決まってるだ。
おら幽霊もこの目で見たし、墓場で火の玉だって見ただ。
だからお釈迦様が何と言おうともおらは霊魂を信じるだ。
しかしそれはさておき欲張りってのはいけねえなあ。
ほどほどにして皆で分け与えねばならねえべ。
それから怒るのもよくない。おら若い頃理不尽な先生や理不尽な上司に不当に
怒られただ。そだな苦労してるおらだから、自分だけは他人に慈愛の心を以て接し
くれぐれも怒ることのないよう節度を守ろうと考えてるんだべ。
どうですか?こんな人がいたっておかしくはないでしょう?
この人は身見はがっちり抱えているが、欲貪や瞋恚は減らそうと努力している。
何も順番なんかないのですよ。
この場合は五下分結と五上分結の順番とは異なる次元の話です。
三結断ってようやく残り二結を断つことに努力を始めるのではない。
あなたの書きぶりだとまず欲貪を断つことを果たしてから瞋恚を断つ道に入るのだ
と言いそうだ。まさかそんなことは言わないが、しかしあなたの説ってそのアホな
順番と変わりないのですよ。
最初から五結全部減らす努力をしていくのですよ。同時平行です。
ただ欲貪や瞋恚は感情の問題があるからなかなか根絶しないが、三結ならば
理知面の問題だから比較的早く克服できるというただそれだけの話です。
- 626 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 22:24:33
- >>610:準シュダオン11/12/06(火) 13:05:07
>ですから、三善根というのは、修行の最終目標なのであって、特に無痴と
>いうのは慧解脱の完成・仏に成るまでは、到達できない目標です。
>ですから、経典に説く三善根は、戒行としての無貪瞋痴、のことです。
>そういう習慣をつける、と言う意味での三善根なのであって、それを達成
>できたら仏なのです。
習慣をつけると書いてありますね。
習慣つける努力してないじゃありませんか?
あなた預流果になるまでは無貪無瞋には取り組まないんでしょ?
矛盾してますねえ。
机上の世界を抜けられないからそんな矛盾にも自分で気がつかないのです。
それからあなたっていつも両極端しか考えませんよね?
奉仕梵行をしてないとつっこむと、やり過ぎはよくないと返す。
どうして怠けないことはやり過ぎになるのか?
やり過ぎではないほどほどの奉仕梵行実践という「中間」が頭にないのか?
あなたは中間ですらないと非難してるのに、それを忘れてやり過ぎはよくない
なんてごまかす。そんな話にごまかされる奴なんておるかいな。
だから無貪瞋癡についても然りです。
これを目標スローガンの初歩という切り口と、究極完成した涅槃の両極端しか出さず、
間の単なるスローガンに終わることなく観念工夫して貪瞋癡の煩悩を減らす
現実努力をしている「中間」を想定しない。
- 627 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 22:39:41
- >>610:準シュダオン11/12/06(火) 13:05:07
>ですから、経典に説く三善根は、戒行としての無貪瞋痴、のことです。
しかし戒行戒律だけで実はかなりの効果があることを知るべきです。
たしかに世の中戒律だけでは完全には解決しない問題がある。
しかし困った問題など完璧完全ではなくかなりのウエイトで改善効果があります。
桐山さんは密教占星術1で書いてましたよね。
交通事故を減らすには法規を整備することだという説に対して、何たる単純思考!
と軽蔑していた。
しかしこれは桐山さんの方が単純思考なのです。
なるほどいくら交通法規を整備しても自動車の安全装備を開発しても
絶対に交通事故はなくなりませんよね。
しかしそれは絶無には絶対にならないというだけであって、実は法規の整備によって
交通事故の数、死者数などはたしかに数が減っているのです。
効果はあるのです。
ここのところに着目できない桐山さんこそ単細胞です。
だから戒律だけでかなりの克服はできるものもあるんですよ。
要は死んだ気になって本気で取り組むか取り組まないかだけです。
多くは自分に言い訳して逃げているだけです。
- 628 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 22:51:01
- >>610:準シュダオン11/12/06(火) 13:05:07
>ですから、経典に説く三善根は、戒行としての無貪瞋痴、のことです。
朝寝坊をしている。起きたくない。ママがやって来る。
「○○ちゃん、起きなさい」
それでも起きない。起きねばと思ってはいるのだが、身体が言うことをきかず
いかんともし難い。
そこに怖いお父さんがやって来る。
「こら!いつまで寝てる?起きろ!」
あわてて飛び起きる。着替えを済ましてそそくさと顔を洗う。
なんだ?やればできるではないか?
優しいママに甘えていただけの話で、怖いお父さんが来たらなんでもやる。
最初からなんでもできたのです。
これは他律であり自律ではないが、本当は自律が望ましいのだが、初心の人には
他律というのはなかなか効果がある。
だから戒律だけでたいていの問題は片付くのです。
片づかないのは自分に甘いからです。
- 629 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 23:29:46
- >>610:準シュダオン11/12/06(火) 13:05:07
>ですから、経典に説く三善根は、戒行としての無貪瞋痴、のことです。
前にも書いたが私の知人でアルコール依存症で久里浜の国立アルコール依存症センターと
いう大きな病院に3ヶ月ほど入院した。
退院したもののまた元の黙阿弥で、平気で酒を飲んでいる。
本人にやめる気がない。
今年の正月彼も連れて伊豆の温泉に旅行に行ったが、ちょい寄りした神社に
お神酒がサービスで置いてあると升でグビグビ飲む。
食事の時には必ずビールをつける。
呆れていたが、3月に3週間ほど同じ久里浜の病院に再入院した。
その時に彼の勤める職場から9月末までは籍だけはあるがと引導を渡された。
期限付き解雇です。ただし次の職場は推薦紹介だけはしてあげるが、後は責任は
持てないとのこと。
その会社で要職にもついた彼をいきなり解雇できないとは言え、そこまで温情を
かけてもらえるとは恵まれている、感謝せねばならないと思う。
そこで彼はようやく目が覚めたようだ。
今年の5月にやはり彼も連れて温泉旅行に行った。
しかし一滴も酒を飲まなかった。
3月に入院した時から完全に酒をやめたようだ。
決して病院に秘法を習ったわけではない。
そんな秘法などない。
なんだ?やればできるではないかと思った。
惜しむらくはもっと早くから本気で取り組み酒断ちしておれば。
彼もまだまだ学費のかかる3人の子どもがいるのだ。
だから私は「わかっちゃいるけどやめられない」のニタニタ植木節を大真面目に
捉える「自分の中の赤の他人」なんて教えは百害あって一利なしと憎む。
思えば自分もまたそこに強い共鳴と、それを新皮質を使わずに古皮質、旧皮質に
直接アタックしてその昇華を目指す大随求法なんて世迷い言に惹かれてしまった
ことを反省している。
あんなものは言い訳の逃避に陥らせるだけで何の役にも立たないばかりか害がある。
それよりも耳に痛くても、奇抜さのない
当たり前のことでも厳しい説教こそが真実だ。
久里浜のアルコール病院に行った時、そのユニークな久里浜方式なるものは
どんなものかと興味を持った。
知人に聞いた話だと、とことんレクチャーだという。それから徹底した自己観察。
ああ、なるほどと合点がいった。
この合点はアゴン宗の信者時代だったら絶対に合点がいかぬ話だったと思う。
それでもやめない奴はやめない。自分次第なんだよ人生は。
- 630 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 23:45:53
- >>613:深山11/12/06(火) 13:13:11
>そして、今度発売される中巻では、目次を見ると三供養品が入っているようです。
>いよいよ始まるのです。
そうなんですか。それは平河出版大したものだと評価しましょう。
私は逃げ道まで提示してあげたのに、それをせずに堂々出してくるとは頼もしい。
我々への挑戦状のつもりなら面白い。
堂々と受けて立ってやる。
しかしそんなことでなく、一部の信者のどうなってるんだ?との問いに
仕方なく出すならば目に見えている。
いずれにしても容赦しません。
- 631 :Boo:2011/12/07(水)
02:12:38
- >>605 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/12/06(火) 08:39:53
>>602:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/06(火)
02:40:17
>初心の修行者や在家信者にも課せられた戒律の問題を考えるたびに、桐山因縁、
桐山運命なんてものはないのだなということがよくわかる。
たとえば刑獄の因縁です。
この因縁を持ち、人殺しの運命をする運命の者がいる。
こういう人に不殺生戒を課しただけで、一生殺さずに済む因縁解脱が可能であろうか?
アゴン宗の答えはノーです。一刻も早くこの悪い因縁をそれこそ護摩でも焚いて
切るように支援しなければ戒律どころではない。
しかし仏教の教団は戒律はあくまでも自己責任において死守せねばならない。
グループごとに分かれ、托鉢遊行してる僧も月に二度集まり反省会を開く。
戒律に背くことはなかったか告白する。
不殺生戒を破り、人を殺そうものならいっぺんに破門です。
「そんなこと言ったって俺は刑獄の因縁があるんだぜ。戒律なんか課せられたって
わかっちゃいるけどやめられない。ああ、別に決して殺したくもないのに殺してしまう、
この衝動に抗えない。自分の中の赤の他人がしたことなんだから。
成仏法でこの因縁を切ることが先決なのに、戒律破ったら破門とは何事だ?
破門になったら知らねえど。ますます殺しちゃうかも知らねえど」
「勝手にしろ」
ってなことになります。
本当に刑獄の因縁というものがあり、わかっちゃいるけどやめられず、その殺人衝動に
抗えないならば、戒律も教えも役に立たないことになる。
しかしあるのは殺すなの教えと戒律のみです。背いたら破門です。
ちょっと感じたことを信者側の視点から述べてみます。
桐山氏は因縁があると「わかっちゃいるけどやめられない」が、法塔を護持
するものは、その摩訶不思議な電波により戒律を実行できるという。
釈尊の時代には、釈尊本人がいたので、法塔はいらないんだそうだ。つまり、法塔が
なくても戒律が実行できて当たり前なんだそうだ。
実際、信者時代、法塔に毎日お参りしていたが、いくらかの「怒り」などはコントロール
できていた記憶がある。まあ、信者になる前に「怒り」はよくない心理作用である、なん
てこと思ってなかったから、怒りの言動を垂れ流していました。
複雑怪奇に屈折した心を持つ現代人は戒律を実行できないんだそうだ。
そうして戒律を実行しないと因縁が切れないんだそうだ。
桐山氏の罪の重さは、この自分のところでしか「購入」できない法塔に毎日お参り
することだけが「戒律」を実行するすべなのだ、と、脅迫してきたことでしょう。
ユビキタスさんの言うように、心に負けちゃいかんのですよ。心に負けない努力
は法塔があろうが無かろうが、信仰しようがしまいが、できるしやらなくちゃいかん。
ましてや盗んだり、犯したり、殺したり、そこいらの飲み屋のねーちゃんの乳もんだり、
愛人囲ったり、愛人を内弟子にしたりしちゃいかんのんです。
因縁切った教祖がなんで愛人囲うのよ。戒律できてないじゃん。戒律できてない教祖が
因縁切れてるんかい?結局、金と女を追いかけまわしているに過ぎないんと違いますか?
そんな教祖に「アジャリ様に三ライ」していた自分が情けないわ。
- 632 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 08:34:23
- >>631:Boo11/12/07(水) 02:12:38
>桐山氏は因縁があると「わかっちゃいるけどやめられない」が、法塔を護持
>するものは、その摩訶不思議な電波により戒律を実行できるという。
そんな口だけの実体のない宣伝でしたが、じゃあ戒律を守るから因縁が切れるのかと
言うと、そうでもなく戒律やオシエなどは因縁を切るのに補助的な役割をする
「縁」に過ぎず、「因」という根本動因の方に働きかけねばならなかったわけです。
これにも宝塔のバイブレーションがビビビと発するわけです。
まことに結構なようだが、それなら宝塔供養さえしていれば因縁が切れることに
なるのだが、七科三十七道品の成仏法を示してしまったからには、それだけで切れても
矛盾があることになるので、結局そんな励ましはお慰めに過ぎないことになる。
>釈尊の時代には、釈尊本人がいたので、法塔はいらないんだそうだ。つまり、法塔が
>なくても戒律が実行できて当たり前なんだそうだ。
これはたしかに桐山さんはそんなことを言っていたが、これも矛盾することになります。
応説経で自分(釈尊)を頼んでも解脱できないと書いてあるのを示しているからです。
もっともこの解脱とは漏尽解脱であり煩悩解脱であり、桐山さんによると
煩悩解脱は小解脱だと言うのだから、釈尊は小解脱にも力を貸せないのに
どうして大解脱たる因縁解脱に力を貸せるかということになっている。
もっとも桐山さんが応説経を根本聖典として示すのは小解脱を説く経典としてではなく、
そのへんは目隠しして(目隠しになってないが)あくまでもアゴン宗の目的目標である
因縁解脱の根拠とするのだから釈尊が力を添えると言うのがおかしい。
それに本当に釈尊は力を貸さないし、言葉で諭す教師なだけです。
釈迦仏教には本尊なんてないのです。
仏法僧の三宝の仏は目標とすべきお手本です。
力の本体などではない。
釈尊亡き後はお手本は法という教えです。
それを実践する自分次第です。
殺すなという教えと戒律が道標でありこちらこそが本尊のようなものです。
第一釈尊とまみえる機会のない田舎の農村の在家はどうするのだ?
バイブが届かない〜♪
殺すな。でも刑獄の因縁があるから、わかっちゃいるけど、教えと戒律だけでは
無力で殺しちゃったじゃん。ダメじゃん。恨むで〜。
ってなことになる。
- 633 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 08:43:52
- >>631:Boo11/12/07(水) 02:12:38
>実際、信者時代、法塔に毎日お参りしていたが、いくらかの「怒り」などはコントロール
>できていた記憶がある。まあ、信者になる前に「怒り」はよくない心理作用である、なん
>てこと思ってなかったから、怒りの言動を垂れ流していました。
それは「怒るのはよくない」という教えがあるから、その教えの方が影響作用したのですね。
実際に宝塔は鉄屑に過ぎないのだから、自分で勝手に鉄屑が作用したと思い込んで
いるに過ぎない。
しかし私もそうだが、そんなあなたも貪りと愚かな気持ちだけはその鉄屑宝塔に
叩きつけてきたのではないか?
あの宝塔は貪瞋癡を増大させるグッズなのです。
- 634 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 08:52:40
- つまり刑獄の因縁、刑獄の運命なんて無いのです。
刑獄は結果であり、原因は犯罪ですが、犯罪を犯すことは運命ではなく、
心がけでなんとでもなるのです。
だからこそ釈尊の教えと戒律があるのです。
私は中途挫折の因縁があり、それは強いだろうと思ってきた。
しかし中途挫折の因縁、運命なんてものもない。
自分の努力でなんとでも切り開けるのです。
- 635 :Boo:2011/12/07(水)
11:04:46
- >>632-634
普通の道徳、教育では逃れられない運命(因縁)
↓
戒行(戒律)課行(梵行)により運命の転換(因縁解脱)
↓
教えだけでは実行できない
↓
特殊な法(塔)が必要(他の宗教ではだめ)
(因縁)解脱のためにはアゴンの会員になって、法塔を購入する必要十分条件
つまり、アゴンでなければ「(因縁)解脱できない」
ここで注目に値するのは、
運命因子=因縁
運命転換=因縁解脱=涅槃(解脱)
というロジックを信者に、そして世間にも認識させようという悪意の意図が
感じられることですね。
このことは深山さんや私文書偽造さんユビキタスさんなどが、何度も述べ
られていますが、民間信仰というか某教団の論理というか、それらの馴染みの
ある言葉や概念(○○因縁、因縁解脱)を引っ張り出して、真の仏教の涅槃と
しての「解脱」と極めて混同しやすいような表現で「因縁」「解脱」「因縁解脱」
などを並べ表現して洗脳しようとしてきた(というか現実に洗脳し続けてきた)
ことですね。
- 636 :名無しさん:2011/12/07(水)
11:43:06
- >>631 :Boo:2011/12/07(水) 02:12:38
>実際、信者時代、法塔に毎日お参りしていたが、いくらかの「怒り」などはコントロール
>できていた記憶がある。まあ、信者になる前に「怒り」はよくない心理作用である、なん
>てこと思ってなかったから、怒りの言動を垂れ流していました。
私の場合は逆に信者になってからも「怒り」は増大していきました。
今思えば本当に恥ずかしいことです。
釈尊は瞋恚(いかり)はせっかく築いた功徳の林を焼いてしまうものだから、
それを起こさないように、と注意されたといいます。
そして、「よく忍を行ずる者は、有力の大人なり」と素晴らしいコトバを
述べられました(遺教経)。
でも、有力の大人でも、一旦いかりの心を起こしてしまえば、ただの人にすぎません。
私が信者時代には全くこの言葉は心に響かなかった。
でも今は違います。
皆さんのお陰で今、私の心にビンビン響いてきます。
- 637 :深山:2011/12/07(水)
12:29:12
- >>582 :準シュダオン:2011/12/05(月)
10:47:58
>三善根= 無貪瞋痴、を為すと善趣に向かい、
>三三昧=空・無想・無作、を為せば涅槃に向かう、
>>610:準シュダオン11/12/06(火) 13:05:07
>ですから、三善根というのは、修行の最終目標なのであって、特に無痴と
>いうのは慧解脱の完成・仏に成るまでは、到達できない目標です。
>ですから、経典に説く三善根は、戒行としての無貪瞋痴、のことです。
これはラシンさんの指摘どおりに爆笑ですね。
読者の皆さんも、準シュダオンさんがその場しのぎに言いたい放題に
言っているのがよくおわかりでしょう。
ある時は、三善根を天界まで行けるだけの戒にすぎないと書き、
ある時は、三善根は修行の最終目標だと書く。
こういう矛盾の指摘に対する準シュダオンさんの反応は二つしかない。
開き直りの屁理屈を「ww」などとあざけりながら書くか、
完全無視して、口を拭うかのどちらかです。
- 638 :<削除>:<削除>
- <削除>
- 639 :深山:2011/12/07(水)
12:34:21
- 天照さん
>>637と638を重複して書いてしまいました。
お手数ですが、片方を削除願います。
失礼しました。
- 640 :深山:2011/12/07(水)
12:37:14
- >>610:準シュダオン11/12/06(火) 13:05:07
>まして、痴というのは無明の煩悩のことで、これを断つというのは知慧解脱
>を得ることで、天眼智、宿命智、漏尽智の三明を具えることを言うのです。
信者さんたちはこの準シュダオンさんの詭弁にひっかかってはならない。
無明という煩悩を完全に断ちきるのは至難であり、
在家のままでは無理なのは仏教の常識です。
しかし、それを出して何の役に立つのだ?
そんな先のことをあれこれ考えるよりも、まず五下分結の
欲貪や瞋恚を減らすことを考えてはどうですか。
こういう先のことを出して、自力では無理だとあきらめさせ、
桐山さんの力に依存させるのが目的です。
また、信者さんたちもそのほうが楽だから、桐山さんの口車に乗り、
釈尊の教法を倫理道徳にすぎないと唾棄して、
金と人を出すことで因縁切りや好運を得ようとする。
だが、それは小学生が「大学の高等数学は高度で極めて難しい。
だから、ボクは四則演算の勉強はしない」と言っているのと同じです。
我々在家に在家のまま解脱せよとは釈尊はおっしゃっていない。
まず、五下分結を捨てるように説いているのです。
- 641 :深山:2011/12/07(水)
12:46:33
- >>595 :準シュダオン:2011/12/05(月)
16:01:18
>ここにも、三宝に供養すれば福を得る、と説いてるのです。
また始まりましたね。
準シュダオンさんとこの議論は何十回したことだろう。
準シュダオンさんは供養、福徳、功徳という文字を見ると、御利益しか思い浮かばない餓鬼です。
聖者に供養すればいわゆる功徳が得られるなんて当たり前です。
なにも三宝に供養しなくても、善行を為せば、善果が得られるというのが釈尊の教法です。
聖者に供養することは最高の善行なのだから、最高の功徳が得られるに決まっている。
来世で功徳が得られると釈尊はあちらこちらで述べている。
だが、解脱とは関係ないのです。
あなたが引用した究羅檀頭経のどこに、供養すれば解脱する福を得る、とあるのだ?
どうしてあなたはそうやって書いてもいないことを勝手に作り上げるのだ?
供養によって得られる功徳とは、来世で得られるもので、それらは
金持ちになるとか、健康になるなどの世俗的な功徳で、解脱とは関係ない。
そればかりか、解脱者に供養しても、輪廻先で仏縁すらできなかった事例を
私が何度も引用した。
準シュダオンさんはもうどうしようもないとして、
他の信者さんたちのために再度、引用します。
- 642 :深山:2011/12/07(水)
12:48:32
- 『ブッダ神々との対話』(中村元)の197頁にありますから、
お持ちの方は「子がいない」という経典を読んでみてください。
信者さんで、もしこの本を持っていないというなら、できるだけ早く入手して
丁寧に読んでみることです。
阿含経を護持すると称するアゴン宗徒がこんな本すら持っていないのは恥ずかしい。
経典の内容は次のようなものです。
コーサラ国にいた金持ちの男は、ケチで貧乏人のような生活のまま死んだ。
釈尊に彼について次のように説明した。
その男は前世で解脱者に供養したから、その功徳によって七回天界に生まれ、
コーサラに生まれて大金持ちになれた。
だが、供養する時、惜しいという心をもったことで金持ちであることを享受できず、
しかも、彼は今生で何の善業も為さなかった。
その上、財産を奪った悪業の報いで、今は地獄に墜ちているという。
- 643 :深山:2011/12/07(水)
12:51:11
- 1.供養では解脱できない
信者さんたちにこの話を読んで絶句してほしい。
仏に供養した功徳は確かに大きいから天界に生まれ、大金持ちになれた。
だが、すぐそばに釈尊という如来がいたのに、彼は仏道修行どころか、仏縁すらできなかった。
まず気がついてほしいのは、
「如来に供養しても、世俗的な功徳しか得られない」
という点です。
桐山三福道みたいに、如来に供養した功徳で解脱するのなら、彼はシュダオンになっても
いいはずだし、せめて仏縁くらいあってもよさそうなのに、ない。
如来に供養しても仏道修行とはまったく関係ないことに気がついてください。
桐山三福道では、如来に供養すると、その功徳は出世間の功徳であり、
シュダオンなどの解脱への道を歩み始めることになっている。
だが、現実にこの男は解脱者に直接供養したことによって得られたのは、
世俗的な御利益だけで、解脱とはまったく関係ない。
この経典の事例は桐山三福道を完全に否定していることに気がついてください。
- 644 :深山:2011/12/07(水)
12:56:55
- 2.供養しても現世の功徳にはならない
信者さんたちはアゴン宗の仏様に供養すると、自分は徳という貯金ができたと信じている。
そして、その功徳で現世で好運が得られ、あるいはシュダオンになれると信じている。
私から見たら、取引信仰、餓鬼信仰なのだが、それはさて置き、残念ながら、
信者さんたちの要求と期待を釈尊は否定しているのです。
「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
功徳は、あの世で人々のよりどころとなる」
(『ブッダ神々との対話』200頁)
信者さんたちは釈尊のこの言葉にギョッとしませんか。
釈尊は、供養という善業で功徳が得られるのは来世だと言っているのです。
信者さんたちは、現世で好運が得られ、運がよくなり、
棚ボタ御利益がどんどん落ちてくると期待している。
だが、釈尊は「来世のため」というのだから、その期待に水を浴びせている。
アゴン宗にはどこにも漏尽解脱を目指す聖者はいないのだから、
そこに金や物をいくら供養しても、なんら善行ではないから、功徳にはならない。
しかし、仮に、我々が釈尊に供養することができたとしても、
それは現世にその見返りがあるのではなく、来世でその功徳が来るのです。
つまり、信者さんたちがいくら供養しても現世での好運などありえないのだから、
アゴン宗の御利益体験談など仏教とは何の関係も脈絡もないことになる。
そして、このことが、もう一つ、アゴン宗の教義に致命傷を与えている。
- 645 :深山:2011/12/07(水)
13:01:07
- 3.供養で悪因縁は切れない
この経典は、因縁切りを否定していることに気がつきませんか。
桐山さんに言わせると、如来に供養すると、その見返りに前世の悪因縁を
切ってくれる、つまり悪業を善業で帳消しにしてくれるという。
だが、釈尊の答えは、
「功徳は、あの世で人々のよりどころとなる」
因縁切りなんてできるはずがないが、その議論はさて置き、仮に出来るとしても、
供養の功徳は来世だというのだから、因縁切りも来世ということなる。
この経典はアゴン宗の因縁切りの話が真っ赤な嘘であることの証拠です。
この金持ちは、解脱者に供養するという大善業と、人を殺して財産を奪うという
悪業を為したが、両者は帳消しになることはなかった。
だから、善業の功徳は天界に生まれるという結果を生み、
悪業の報いは地獄に墜ちるという結果を生み、両者はなんら相殺していない。
この有様はアゴン宗の因縁切りの話を否定していることに気がついてほしい。
前世の悪業の報いである悪因縁を、ホトケに供養することで帳消しにしてもらうおうと
いうのがアゴン宗の因縁切りであり、これをオシャカが説いた主張している。
だが、この男の事例を見ればわかるように、如来に供養するという善業は、
自分が為した別な悪業を消してはくれないのです。
供養の功徳で悪業(悪因縁)を帳消しにならないだから、如来に供養しても悪因縁は切れません。
アゴン宗の因縁切りは成り立たない。
- 646 :深山:2011/12/07(水)
13:03:01
- 1.供養では解脱できない
2.供養しても現世の功徳にならない
3.供養で悪因縁は切れない
信者さんたちはいかがですか。
これでもまだ信者さんたちは如来に供養すると、現世で功徳が得られ、
その功徳で好運が訪れ、因縁が切れて、解脱への道を歩むと信じるか。
本物の如来である釈尊に供養しても、因縁切りも解脱もできないことが
「子がいない」という経典の事例ではっきりしている。
ましてや、三供養品のどこに「供養」の文字があるのだ?
三供養品には一言も供養なんて文字も概念も出てこない。
「功徳をうえる」とあるだけで、供養なんて出てきません。
供養で解脱するとか、徳を授けるなんてありません。
功徳をうえるとは、無貪・無瞋・無癡を目指して、つまり煩悩から
解放されるような努力をすることです。
他に意味などない。
- 647 :深山:2011/12/07(水)
13:05:36
- 桐山三福道など最初からなかったし、矛盾だけだから、これを擁護すれば、
準シュダオンさんみたいに屁理屈を並べているうちに自家中毒を起こす。
桐山三福道みたいな、在家のための特別な法を説いたというなら、
阿含経のあちこちに三福道があふれかえっているはずです。
だが、「如来に供養すれば解脱できる」という経典は皆無です。
桐山さんから、如来に供養することで得られる功徳の話と、
解脱の話をうまくすり替えられ、錯覚させられているだけです。
手品であり、ゴマカシです。
三供養品を含めて、最初から桐山三福道など阿含経には存在しないのです。
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義[中]』が出たら、三供養品について、
桐山さんがいかに嘘つきかを解説します。
しかし、一番良いのは、信者さん自身が自分で桐山さんの過去の本と
中巻を比較して、桐山さんの嘘を見抜くことです。
他人に指摘されると腹も立つだろうから、自分で調べてみることです。
- 648 :深山:2011/12/07(水)
13:11:12
- 2ちゃんねるでも、仙尼経の異陰の嘘を指摘している。
過去の仙尼経の講義では、桐山さんは仙尼経に異陰とあると書いていた。
これだけでも大嘘です。
批判側から指摘されたから、『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義[上]』では「輿陰」になっていた。
異陰という熟語があるかのように錯覚させられているが、熟語ではありません。
異陰とは「別な陰」「別な自分」という意味です。
「陰」「蘊」とは人間のこと、自分のことですから、
「別な自分」とは輪廻して生まれ変わった後の自分を指します。
「輿陰」とは「陰とともに」というくらいの意味で、
つまり来世でも五蘊と呼ばれるような肉体をもった自己が生じると述べているだけで、
死んだ後の幽霊の話をしているのではありません。
陰には魂や霊魂などという意味はないからです。
こんなふうに桐山さんの本を丁寧に検証して、比較して、彼の嘘やゴマカシを自分で確認することです。
三福道や異陰はいずれもアゴン宗の信仰の土台になっている内容です。
それが嘘なら、その上に作られたアゴン宗の教義や修行など何の意味もなくなる。
実際、何の意味もないばかりか、信者さんたちのしていることは、
釈尊時代の外道のしていたマジナイ宗教そのままです。
- 649 :Boo:2011/12/07(水)
14:16:16
- >636 名前:名無しさん 投稿日: 2011/12/07(水) 11:43:06
>>>631 :Boo:2011/12/07(水) 02:12:38
>>実際、信者時代、法塔に毎日お参りしていたが、いくらかの「怒り」などはコントロール
>>できていた記憶がある。まあ、信者になる前に「怒り」はよくない心理作用である、なん
>>てこと思ってなかったから、怒りの言動を垂れ流していました。
>
>私の場合は逆に信者になってからも「怒り」は増大していきました。
>今思えば本当に恥ずかしいことです。
私は信者時代は「怒り」はまーこらえるようにというか、出さないように努力
してきましたが各種行事特に星祭り、例祭などの「お役」には嫉妬心がどう
しょうもなく湧いてきましたね。あいつよりおれのほうが梵行しているのに
あいつは内陣でおれは玄関だ、なんてね。今から思えば恥ずかしいことです。
- 650 :名無しさん:2011/12/07(水)
15:14:56
- 2ちゃんねる次スレ立てました
阿含宗という宗教204
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1323238161/
- 651 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 21:14:47
- >>634:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/07(水) 08:52:40
>私は中途挫折の因縁があり、それは強いだろうと思ってきた。
>しかし中途挫折の因縁、運命なんてものもない。
>自分の努力でなんとでも切り開けるのです。
自分が主体となって能動的に働きかけるのではなく、他人に殺されるとか
偶発的な交通事故死(自分は交通法規を遵守してたのに、歩道に暴走違法者が
突っ込んできて、はねられたとか)なんてのは運命なんでしょうか?
一般論的にそれはわからないとしか言えません。
桐山因縁、桐山運命だけは全部嘘ですが。
個人的にはカルマの報いは認めますが、なんでもかんでも運命なんてものは
そうあるものではないと思ってますが。
ただ釈尊の仏教の立場では、運命があろうがなかろうが気にせず、今この瞬間を
精一杯に生きるです。
これっておかしな運命論にかぶれた信者でない世間一般の人は皆そうですよね?
運命なんて気にしないで、信じないで自分の人生設計をする。
それでいいではないか?
もちろん人間だから最後は必ず死ぬ運命です。
運命でなくてもガンなどの重病は怖いし、交通事故、地震災害も怖い。
しかし気にせず元気に生きており、生活習慣病にかからぬよう現実的な節制努力
をしたり保険に加入したりするだけです。
だから私は運命を信じない。
とにかく受動的被害者的運命が訪れることがあっても、能動的加害者的な話は
運命だなんて認めないのが仏教の教えです。
そんな運命を実行するのは許さんというわけですね。
自分の行いは全て自分で責任を持てというわけです。
さてさてこういう運命なるものが「無い」とわかると、普通はそれまで運命を信じ
怖れていた人にとって福音なはずですよ。
怖れる心配の元がなくなるのだから。
運命がなければ、他の平凡な一般人と同じく、希望を持って人生設計に取り組める。
成功しようがしまいが。
ところがどうもそうは簡単に肩の荷が下りない人もいるかと思います。
特にアゴン宗信者の場合。
それはたしかに我々は桐山因縁、桐山運命に脅されてマイナススタートだった。
しかしそのマイナスがなくなったのだから、これはフラット、ニュートラルに
戻るはずなんだが、そのフラット、ニュートラルが気に食わない。
スタートがマイナスな代わりにゴールにプラスの餌を仕掛けられたからです。
実は中途挫折の因縁もその一つ。
つづく
- 652 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 21:51:14
- >>634:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/07(水) 08:52:40
>私は中途挫折の因縁があり、それは強いだろうと思ってきた。
>しかし中途挫折の因縁、運命なんてものもない。
>自分の努力でなんとでも切り開けるのです。
私は自分に中途挫折の因縁があると当初から思ってた。
意志が弱く長続きしない性格だと思っていた。
私は小学校の高学年途中から近所に日曜日の朝、習字を習うことを親から命じられた。
イヤイヤ従うしかなかった。
しかしそんな厭な習字でも最初はひどい出来だったのが、少しずつ上達するようになった。
毎月渡される全国の会報に、まずは8級編入から始まり、それがだんだん上がって
いくのは嬉しかった。私は中学1年の時にその少年の部で1級まで上がった。
1級の次はいよいよ初段、二段と上がっていく予定です。
黒帯じゃ黒帯じゃ。
しかしそんな折、若年性腰椎椎間板ヘルニアで長期入院した。
学校も丸1学期は休んだが、嫌いな習字もこれで終わった。
対して兄貴は、これも親からイヤイヤ行かせられたのだが、兄貴はもともと器用でもあり
努力家でもあったから、少年の部で最高の八段や九段よりも上の鳳凰→麒麟→富士と
最高位まで昇り詰めた。
そんな兄に比べて自分は情けない。
こんな程度のことだけで中途挫折の因縁を感じてしまった。
やせっぽちで運動神経も鈍いし、劣等感があった。
(それでも明るい周囲にユーモアを振りまく少年だったが)
だから桐山本を読み、自分は何をするにしてもこの中途挫折の因縁を切らねばならない
と切望した。これが私の入行の動機です。
しかし今になって、私には中途挫折の因縁なんて無いと確信するようになった。
むしろ私はなかなかしぶとい。
アゴン宗の批判をもうかれこれ何年継続しているのか?
私はたしかに社会人になってからも転職が何度かある。長続きしない。
しかしアゴン宗を退会してからはその2年くらい前から勤めている今の職場に
もう12年はいるだろうか?辞めてない。
まあ本当は辞めてどこか別に行きたい気持ちもあるが、もうこの年齢ではとの
現実もあるのだが。
中途挫折なんて人間は誰でも中途で挫折してしまいがちな弱い面を持っている。
しかしそれに負けずに強い心で何かをやり遂げるのも同じ人間です。
だからこれは運命などではない。
さて、ちょっと桐山流中途挫折の因縁の特性を観察してみましょうか?
つづく
- 653 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 22:15:51
- >>634:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/07(水) 08:52:40
>私は中途挫折の因縁があり、それは強いだろうと思ってきた。
>しかし中途挫折の因縁、運命なんてものもない。
>自分の努力でなんとでも切り開けるのです。
桐山さんによると中途挫折の因縁というのは大抵の男がほとんど持っているという。
大なり小なり持ち、程度の違いだけなんだと言う。
大抵の男?女はどうなのか?
女は大抵の女性が後家の因縁を持っているのだと言う。
これは男女の平均寿命の差を考えれば当たり前に説明がつくのだという。
とにかくこの夫婦縁に関する因縁が女性にとっての中途挫折の因縁に相当する
とのことナノダ。
結婚生活だけな女性の人生と見る桐山さんならではの古い男尊女卑の侮辱の思想は
こんなところに見られる。
余談はさておき、桐山流中途挫折の因縁は万人にあるというのが、おさえておかねば
ならない前提です。
どこからどこまでを成功と言い、挫折と言うのでしょうかね?
故・中内功さんなんて人はすごい人で一代でダイエーを創業した。
しかし生きているうちに業績不振から経営から手を引き手離すことになった。
もちろんシャカのジョーブツホーで中途挫折の因縁を切ったなんて話はないが
そもそも中途挫折の因縁が無いからあれだけの偉業を成し遂げたのか、それとも
あったから晩年は手を引くしかなかったのか、桐山さんは後出しジャンケンですら
どう判定するか興味深いところです。
これを考えても人生とは常にその場その場の勝負であり、中途挫折の運命なんて
ものは無いとわかる。
さてさて!考察の前提は「万人が持つ」中途挫折の因縁を切るということです。
これは何を意味するか?
つづく
- 654 :干柿:2011/12/07(水)
22:23:29
- わかっちゃいるけどやめられない!
植木等の名セリフをだして桐山ゲイカは得意げに因縁の話をしたものです。
そして法というオカルト的な力がいかに必要かを力説しておりました・・・
スマ長老の本を読んだら偶然にも同じ植木等のこのセリフをだして説法
どのように解説されていたか・・・「わかっていないから、やめられないのです!」
まったく桐山ゲイカとは正反対の説法だったので大爆笑いたしましたw
- 655 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 22:43:08
- >>634:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/07(水) 08:52:40
>私は中途挫折の因縁があり、それは強いだろうと思ってきた。
>しかし中途挫折の因縁、運命なんてものもない。
>自分の努力でなんとでも切り開けるのです。
私は中途挫折の因縁を切るなんてことはそれ自体が超能力に等しいと思った。
そうでしょう?
中途挫折してしまう弱い面が自分からなくなってしまうのです。
何が何でもやり抜く強い自分をものにする。
つまり変身するのです。
私などはこの頃、密教・超能力のカリキュラムの時代だから、アナハタチャクラで
他心通みたいなキモイ超能力なんて要らないが、ムラダーラ・スヴァジスターナの
チャクラだけでも開発できたら、どんなに素晴らしいことか!
頑健な肉体、強靭な不撓不屈の精神力、絶対にやり抜く意志
。
こういう現実社会で英雄になれる超能力こそ「欲しい」!
だからそれを求めたのです。
つまり自分は今マイナスのスタートラインにいるなんて一見殊勝な謙遜に見える
こと考えながら、中途挫折の因縁切って得るものは、ようやく皆と肩を並べる
スタートラインではなく、より進んだゴールを求めたのです。
つまりコンプレックスを抱え、それを「見返してやりたい」と思ったわけだ。
都合のよいことを考えたわけです。
万人が持つ中途挫折の因縁を切ったらそれだけで超能力者だ。
「龍神が翔ぶ」に美味しいことが書いてありましたね。
この千座行で因縁を切ると先見力、構想力やら最後に「成功力」を得ると言う。
そうですよね?成功しない因縁、失敗する因縁を切るのだから、成功力を得るのです。
念力で火をつけるだのキモイ通力よりもこっちの方が百倍魅力がある。
だから現世利益志向なんですが。
世の中を見返したかったら、成功の誉につきたかったら、まずは好きなことを
見つけて、とことん努力すればよいものを、関係のないオマジナイみたいな
もので不当な力を得ようとしたわけです。
つづく
- 656 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/07(水) 22:48:06
- >>573
ユビさん、返事が遅くなってしまい申し訳有りません。
私もその方が良いように感じました。中巻が発刊されてからにしましょう。
丁度私もプライベートで翻弄状態ですし(苦笑
貧乏暇なしとはよく言ったものです・・・。
- 657 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 22:57:05
- >>634:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/07(水) 08:52:40
>私は中途挫折の因縁があり、それは強いだろうと思ってきた。
>しかし中途挫折の因縁、運命なんてものもない。
>自分の努力でなんとでも切り開けるのです。
さて、私は過去の私を以上のように自己分析しました。
強い人間になりたかったらおかしな話に依存する心を捨てて、常に現実世界に
おいて現実努力をするからこそ強くなれるものを、私は逃避してかえって弱い
自分を育てていたのです。
ところで私がこう告白したのは私のような例は決して特例でもないと思うからです。
皆さんも自分を振り返ってみてほしい。
大なり小なり共通する部分があるのではないか?
その自覚はありますか?
退会を果たした私ならではの体験談として、まだ現役の信者さんに向けて
その時の感想をお話しましょう。
余計な荷がなくなり軽くなったのと同時に「さあ、これからがいよいよ大変だ」と感じた。
だって今まで守ってくれていると信じたものがなくなったのですよ。
捨てたのですから。
だから今日から誰も守ってくれない。
おかしな因縁や運命などなくても人生には危難がいっぱいです。
それに対して全て独りで立ち向かわねばならない。
ある種の覚悟が必要です。
信仰を持たなかった一般人には当たり前のことでも。
私は信者がいつまでも退会の英断に踏み切れないのは、本能的にこれを予測して
それは嫌だ、今のまま守られていたいという依存の煩悩を離すことができないからだと思う。
都合のよい欲望を手離したくないからだと思う。
再度自分と対話してみてください。
- 658 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 23:11:36
- アゴン宗で因縁解脱なんか志してると、先見力、構想力、行動力、成功力を失うよ。
- 659 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/08(木) 00:50:32
- >>634:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/07(水) 08:52:40
>私は中途挫折の因縁があり、それは強いだろうと思ってきた。
>しかし中途挫折の因縁、運命なんてものもない。
>自分の努力でなんとでも切り開けるのです。
最近は何話してるのか知らんが、朔日護摩の桐山法話って、かつては新聞や雑誌から
拾った成功者の話だったね。
どん底からナニクソと這い上がって成功する話。
泥臭いが、あれが元気の出る法話として、夢をあきらめないでとエールを贈る話である
ことは否定しません。
しかしあれっておかしいと思いませんか?
本来のアゴン宗教学と違うじゃないですか?
質問します。あの法話に題材として取り上げられた成功者って中途挫折の因縁は
なかったのですか?
なかったのなら、中途挫折の因縁のある人にとっては参考にならない話ですよね?
それだけ恵まれていたというだけで。
中途挫折の因縁のある人には真似できない話です。
真似したって結局挫折する運命にある。
そうでなけりゃ中途挫折の因縁なんて嘘っぱちになる。
それとも中途挫折の因縁のある人がそれを克服した話なんですか?
それならその成功者はいつシャカの成仏法で因縁解脱の修行をしたのですか?
それとも中途挫折の因縁ってのは、何もシャカの成仏法なんか修行しなくても
ナニクソと辛抱し努力し、諦めずに現実努力を継続すれば切れてしまうものなんですか?
私が退会を決意表明する前夜に2ちゃんねるにこの話を書いて中途挫折の因縁と
訣別しました。
桐山さんはまだ「変身の原理」なんて書いてる時代に偉そうにしたり顔に説教高説を
垂れる坊さんを軽蔑し、我は拝む、人我を祈祷坊主と呼ぼうとも、なんてかっこいい
ことを言っていたが、少し偉くなったら結局こうやって自己の説と矛盾してでも
偉そうな話を垂れたいと思っただけです。
もっとも桐山さんは最後にこう結ぶ。
ましてやあなた方はこうやって大大運気をつかんで運をよくする朔日護摩に
参列しているのだから、これで成功しなかったら努力が足りんのです。なんて説いて
辛うじて矛盾がないかのように示すが、実は矛盾は全然解けてない。
あなたが紹介した成功者の方はそんな護摩の炎の力など借りることなしに
自己努力だけで成功したのです。と。
因縁解脱の法も実践せずに因縁を切ったのでなければ最初から中途挫折の因縁を
持たない人の話というだけです。
- 660 :アゴン:2011/12/08(木)
12:16:34
- 勉強になるお話が続いて信者さんも目から鱗でしょうね。
私も、どこでがんっと目が覚めたのかというと、無知であった阿含経の正統な解釈と桐山流自分に都合のよい切り貼り捏造が暴露されたときでした。
お陰さまで心がイライラ波立つことも少なくなりました。
ありがとうございます。
そしてまたすごい情報が入りましたが、それはまた時期をみて。。
- 661 :<削除>:<削除>
- <削除>
- 662 :アゴン:2011/12/08(木)
12:45:02
- あら?失礼しました。1つ削除を御手数ですが、よろしくお願いいたします。
- 663 :Boo:2011/12/08(木)
15:22:45
- >>660
わくわく!
- 664 :準シュダオン:2011/12/08(木)
16:03:06
- >質問します。あの法話に題材として取り上げられた成功者って中途挫折の因縁は
>なかったのですか?
はぁ、呆れた質問ねw、成功したのだから、中途挫折の因縁が無い人たちです。
挫折の因縁を持つ人は、挫折したまま人生を終えるわけで、そういう人は無数に
居るのです、そういう人は法話の対象にならないわけですね。
>なかったのなら、中途挫折の因縁のある人にとっては参考にならない話ですよね?
そうじゃないでしょ、参考にしなければいけないのです。挫折の因縁が無い人でさえ、
成功するためには多大な努力があったというお話ですから、因縁のある人は、より努力
が必要なのだと、気づかなくてはいけないね。
>それとも中途挫折の因縁のある人がそれを克服した話なんですか?
>それならその成功者はいつシャカの成仏法で因縁解脱の修行をしたのですか?
だからぁ、中途挫折の因縁が無い人のお話、なんだってば。
>それとも中途挫折の因縁ってのは、何もシャカの成仏法なんか修行しなくても
>ナニクソと辛抱し努力し、諦めずに現実努力を継続すれば切れてしまうものなんですか?
だからぁ、中途挫折の因縁を持たない人の成功例、なんだってばw。
中途挫折の因縁を持つ信徒諸君も、いずれ因縁が切れるんだから、因縁を持たない
人の成功者のように努力して、成功しなさいね、というお話なのです。
ほんとにわからずやさん、ですね。退会も無理ないやw。
- 665 :準シュダオン:2011/12/08(木)
16:27:54
- 間脳思考・本のP65からと、P112から、「霊性とは何か?」について
説明していますね。かなり長い解説ですが、簡明に言うと管長の説く霊性
とは、
「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
のことなのですね。勿論、それに限定されるわけではないですが、本を読むと、
そのように解説されています。
間脳思考は、1984年に発行されていますが、批判派の方々はお読みですか?
同本のP69に、超能力=霊性=無限に発達した道徳意識、のことだと書かれて
います。
これではついていけないと、オウムは俗的・低レベルの超能力に走ったのでしょうか。
無限に発達した道徳意識、というのはうなずけますね。ろくな道徳意識もない、
我見に満ちた者が超能力を持ったところで、ろくなことに使えないでしょう。
自然は良く出来たものです。
で、わたしは我見を断つことに努力し、自灯明と我見の違いが、おぼろげにも
解かるようになってきました。
預流向を、聖者だと思い込んでいるうちは、我見です。
預流向預流果について、アビダルマ論定義と阿含経典定義の違いに気づき、
預流果からが聖者だと解かれば、自灯明です。
- 666 :ラシン:2011/12/08(木)
18:05:37
- >664
:準シュダオン
>はぁ、呆れた質問ねw、成功したのだから、中途挫折の因縁が無い人たちです。
はぁ、呆れた回答だ、成功と失敗の線引きはどこで出来ますか?
ユビさんが、例えたようにダイエーの中内さんはどうなるの?
まさか桐山さんが、つき切りで成功失敗のジャッジを見極めるのか?
例えば桐山さんが持ち上げた”難波のジョー”だって、その後は世界タイトルを
奪取されライセンスも取り消されたのは、どうなるの?
それじゃあ、中途挫折の因縁すら見極められずに、桐山さんは持ち上げた?
何十年経ても後継者の一人も育てられない桐山さんは、なんだ?
まあ、あい変らずマヌケな断定をしている。
>665
:準シュダオン
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
のことなのですね。
ここで笑いを取りたいのかしら。
大真面目な顔で冗談を言っているのでなければ、
あなたは、大マヌケ者ということをさらけ出した?
桐山さんのどこに、
1極度に発達した知能 とやらがあるのですか?
漏尽解脱すら理解できず、経典の與陰を異陰と読み違え、
以前の法話で話したことすら覚えてられない記憶力や簡単な統計計算も出来ない。
2の予知能力では、すべて予知が大ハズレの後出しジャンケンでゴマカすだけ。
3の意のままに動かす能力とは、いまだに弱小教団のマンマの伸び悩み教団だ。
愛人すら制御できずに訴えられ、例祭に乗り込まれて蛇に睨まれたカエルの有様です。
4の物質の統御など、経典の改竄や捏造でしかその力量を発揮できずにいて、
物質を超えるどころか、物欲に呑み込まれて生活習慣病を発症した。
いちばん笑えるのは、5の「無限に発達した道徳意識」です。
病気で苦しむ伴侶を横に、ホテル長期滞在して愛人と逢瀬を楽しむ道徳意識は、
たしかに無限と言えるほどの性欲と執着力に違いない。
この五つの超能力を >我見に満ちた者が超能力を持ったところで、
ろくなことに使えない<
そのよい例が桐山さんだと貶しているのかね?
>で、わたしは我見を断つことに努力し、自灯明と我見の違いが、おぼろげにも
解かるようになってきました。
それでまたもや、自惚れを垂れ流して笑いを誘っている。
仏教の「我見」「自灯明」って、理解していないらしい。
あなた、ニセのハチマキにロウソクを挿して「我見」を探しているのだろう。
>預流向預流果について、アビダルマ論定義と阿含経典定義の違いに気づき、
預流果からが聖者だと解かれば、自灯明です。
何が定義ですか? その定義とやらを出せずに遠吠えだけは忘れない。
預流向が聖者衆という経文は、いたるどころにありますよ。
あなたは聖者の定義どころか、仏教で言う聖行を知らないから、
四角四面の自説を打ち破れない。
長阿含經卷第二 遊行經第二から抜粋すれば、
向須陀?得須陀?。向斯陀含得斯陀含。
向阿那含得阿那含。向阿羅漢得阿羅漢四雙八輩。
是謂如來賢聖之衆。甚可恭敬世之福田。
このように預流向〜阿羅漢までを四雙八輩の世の福田と定めている。
気づいたなんて自惚れてボケる前に、経典を素直に読めば、ええ。
また、
桐山さんのは、性行!
仏教は聖行、いわく梵行という清らかな行いを言うのです。
間脳思考112頁の黄盧園経も、戒→定→慧→解脱→解脱知見を
説いているに過ぎず、身口意の三妙行を成就し解脱への段階を
細分化して説いているにすぎない。
それには、戒を守りその身口意から漏れ出る煩悩を滅して明知が生じる、
と理解できるもので、この頁の”無明滅して而明生ず”までの文章を
目ん玉を見開いてよく読みなさい。
霊性だの超能力なんぞは関係ありません。
- 667 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/08(木) 19:45:20
- >>664:準シュダオン11/12/08(木) 16:03:06
>はぁ、呆れた質問ねw、成功したのだから、中途挫折の因縁が無い人たちです。
>挫折の因縁を持つ人は、挫折したまま人生を終えるわけで、そういう人は無数に
>居るのです、そういう人は法話の対象にならないわけですね。
>そうじゃないでしょ、参考にしなければいけないのです。挫折の因縁が無い人でさえ、
>成功するためには多大な努力があったというお話ですから、因縁のある人は、より努力
>が必要なのだと、気づかなくてはいけないね。
おやおや、こりゃまたまああっさり簡単に答えてくれたこと。
それじゃあ念押し確認しますが、この法話で取り上げた人たちは運よく中途挫折の因縁を
持たなかったら、ナニクソと努力して成功を勝ち得たけど、中途挫折の因縁が
あったら努力しても駄目で、ってか、粘りがなく努力を継続する才能がないから
(桐山さんはそういう言い方をしてました。努力できるというのは一種の才能であり
駄目な奴はその才能がないのです。だから「君はやればできるんだが」と惜しむ声を
掛ける人がいるが、本当はやってもできないなんてことはないが「やれない」んだ、と)
結局芽が出ない、開花しないと言いたいわけですね。
だから早川徳次さんであろうが、中途挫折の因縁があったら、シャカの成仏法で
因縁切りの修行をしないと、いくらナニクソと言っても愚痴にしかならないわけですね。
それに中途挫折の因縁というのは、桐山さんの言うように努力する才能のない
努力できない因縁なんだから、それを切るなんて大それた修行こそ挫折しやすい
ものなんだよ。千座行が最初中絶した私にはそのジレンマがよくわかる。
因縁切りの難しい課題の修行を達成するような努力を他のことに向ければ
他のもっと簡単なこと(出世するとか)だって成功すると思うのだが。
だからこれはやっぱり中途挫折の因縁を持った人が因縁切りも含めて克服して
成功したという話でないと参考にならんと思うけどね。
ラシンさんも切り返してるが、中内功さん、辰吉丈一郎さんはあの法話に取り上げられた
のだから、あなたによると中途挫折の因縁はないことになる。
しかし一時的に成功したがその後挫折もしている。
だから誰しも挫折するし誰しも成功するのは常にその場その場の真剣勝負なのであり
これは運命なんかではないというのが私の主張よ。
この主張に反論どうぞ。
- 668 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/08(木) 20:13:33
- >>665:準シュダオン11/12/08(木) 16:27:54
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
>のことなのですね。勿論、それに限定されるわけではないですが、本を読むと、
>そのように解説されています。
道徳意識なんて霊性だの超能力だの想定しなくたって私も常に持ってますよ。
今日は東京モーターショーに行ってコンパニオンのおねえさん撮りまくったけど
あれは亀を向けるとニッコリ微笑むから盗撮ではなく許されたことであり
道徳には反してないのだよ。
ともあれ道徳意識というのは霊性や超能力でのし上がろうなんて野望を持たない
平凡に一生をおくろうと思ってる人でも必須のことであり、また道徳意識を持ち
それを守り通すなんていたって簡単なことだと思うのだが
あなたは特別な修行をしないとそういうものが持てないとか思ってるのかしら?
それに無限に発達した道徳意識なんてご立派なことは、誰だって口にできるし
活字にもできるじゃん。
口だけでご立派なことを言えば、その人は道徳者になるのかい?
当時妻子がいたのに、若い娘をつかまえて深夜ホテルに来なさい、今夜にでも
と誘うことが、「無限に発達した道徳意識」?
本当は三福道は「私が命名した」はずなのに、それ以前はずっと長い間
「三福道と書いてある経典と三善根と書いてある経典がある」と示していた、
つまり嘘をついていたのは「無限に発達した道徳意識」?
- 669 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/08(木) 20:32:27
- >>660:アゴン11/12/08(木) 12:16:34
>そしてまたすごい情報が入りましたが、それはまた時期をみて。。
Booさんならずとも私も楽しみにしています。
今の桐山さんは何が起きてもおかしくありませんからね。
時間ができたら書いてくださいませ。
今夜にでも(笑)
嘘だっぴょ〜ん。。。
- 670 :Boo:2011/12/08(木)
21:16:59
- 準シュダオンさんには困ったものですね〜・・・fffu
例祭のホウワでカンチョウは
『「霊性」と「成仏力」とははっきり違う。』
といったの知らないんでしょうね。かわいそうに。
「官能思考」最近は読んでないけどたしか・・・「成仏法、成仏力は霊性の
修行から始まる」とかなんとか書いてたんじゃなかったけ?
今手元に堕本ないから確認できないけど。
- 671 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/08(木) 21:27:45
- >>667:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/08(木) 19:45:20
>(桐山さんはそういう言い方をしてました。努力できるというのは一種の才能であり
>駄目な奴はその才能がないのです。だから「君はやればできるんだが」と惜しむ声を
>掛ける人がいるが、本当はやってもできないなんてことはないが「やれない」んだ、と)
これは前に書いたことあると思うのだが、私は大学入るのに二浪してます。
ま〜とにかく勉強しないことしないこと。
一浪して予備校行ったんだが、すぐに怠け癖が出て、授業サボって遊びに行きましたね。
これでただでさえ足りない学力が上がるはずがない。
やはり意志が弱いというか、自律の気持ちが弱いのですね。
だからたしかに私は中途挫折しやすい性質は持ってますよ。
実は私だけでなく万人持ってるのだが。
しかしそんな不本意な1年を送って不甲斐なく思いましたよ。
誰の為の人生だ?誰が大学進学を切望してるんだ?自分の為であり、自分が望んでる
ことではないか?
自分自身にはらわたが煮えくり返る想いでした。
そこで二浪を許可してもらうと、今度こそ死んだ気になって勉強しましたよ。
その根底には先の桐山節の「努力できる才能」なんて世迷い言ではなく、やはり
「俺はやればできるんだ」と自分を信じていたからです。
そして1年勉強して大学に入ることができました。
予備校に送った感謝の文章が
「二浪しましたが、遊び怠ける地獄と、努力して勉強する天国が味わえたのは貴重な経験でした」
と書いたのは私の嘘偽りない気持ちでした。
だからたしかに中途挫折しやすい怠け心を持っているのだが、それを克服努力
できる、できた自分もいるのです。
だから運命ではない。
まあ大学に入ったら入ったで、また怠け始めましたけどねw
だからこそ釈尊は臨終の際に弟子に遺言を残すのです。
「怠けることなかれ」と。
中途挫折のインネン切った弟子たちにこんなこと言いますか?
運命ではなく、いつ怠け心が起きてもおかしくないのは万人に共通だからです。
サッカーと同じように得点のチャンス、ゴールを決めた直後にピンチがあり
逆に得点を決められてもすぐに返せるチャンスがあるのだから、運命ではなく
常に真剣勝負です。
やればできる。これが真実です。
努力できない因縁なんてものはない。
スマさんが言う「わかってないからやめられない、やめないのです」
本当にわかればやめる。
- 672 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/08(木) 21:49:29
- ですから皆さん、桐山さんのかつての朔日護摩の元気が出る法話集を読んだら
あれはインネンゲダツのおかしなまじないなんかしなくても現実努力だけで
克服するのが人生であることを、名説教をする高僧と思われたいがために
うっかり出してしまった獅子吼と思いなさい。
- 673 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/08(木) 22:48:13
- >>664:準シュダオン11/12/08(木) 16:03:06
>挫折の因縁を持つ人は、挫折したまま人生を終えるわけで、そういう人は無数に
>居るのです、そういう人は法話の対象にならないわけですね。
質問しますが、挫折したままで終わった人ってそんなに無数にいますか?
皆、地道に働いて生活してるじゃないですか?
これらの人たちの何が挫折なんですか?
有名人になれなければ挫折者なんですか?
桐山さんはほとんどの男性が中途挫折の因縁を持つなんて言うけど、これもおかしい。
何が挫折なんだ?
- 674 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/09(金) 08:43:56
- >>664:準シュダオン11/12/08(木) 16:03:06
>挫折の因縁を持つ人は、挫折したまま人生を終えるわけで、そういう人は無数に
>居るのです、そういう人は法話の対象にならないわけですね。
逆に中途挫折の因縁を持たない人の成功って何?とも言える。
こうして仕事や家庭を持ってささやかにも生活できているということは失敗ではなく
成功ではないのか?
中途挫折の因縁がさらに悪化したのが運気不定浮沈の因縁とのことである。
これは要するにホームレスになる運命ですね。
現代のニートも含まれるかもしれない。これならわかる。
しかしそうならない人は人生挫折で終わってないのです。
して考えてみると、中途挫折の因縁なんてものを設定するならば、これはたしかに
万人にあるということがわかる。
誰しも失敗もし、失敗挫折もするというものです。
これは脳障害の因縁が何も脳梗塞で倒れてそのまま死ぬという運命ではなく
たとえ後日治癒しても疾患にかかった事実が因縁の証明というのと同じである。
致命傷に至らないノイローゼの時期があっただけで軽い脳障害の因縁です。
だから朔日護摩法話で取り上げられた成功者たちも実は中途挫折の因縁を持っていたが
これを努力で克服した人たちと言える。シャカの成仏法による因縁解脱などしなくても。
だから因縁解脱などに頼る依存心を捨てて、彼らを見習って現実努力することこそが
挫折を防ぐ、克服する鍵だと私は提唱したいのです。
だから桐山因縁の定義なんて随分とおかしな定義、偏見があることがわかる。
単に脅しの道具なんだから人生に対する洞察が足りないのですね。
「チャンネルをまわせ」の「アンナの末裔」に出て来る蔦子ですが、彼女は
夫の乙吉だけでなく自らも色情の因縁を持っていたと書いてある。
それ故に婚前に処女を失っていると桐山さんは書いている。
婚前に処女を失ったと言っても暴行を受けたわけではない。
恋愛をして関係を結んだが、その恋愛が失敗に終わっただけのようです。
婚前に恋愛してセックスをするなんて今時当たり前でそうでない方がどうかしているので
皆、色情の因縁があることになる。
自分は不倫するくせに相手に処女を求める男って、桐山さんの投影ではないですか?(笑)
- 675 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/09(金) 09:12:45
- 誰しも失敗もし、失敗挫折もするというものです。
↓
誰しも成功もし、失敗挫折もするというものです。
自分は不倫するくせに相手に処女を求める男って、桐山さんの投影ではないですか?(笑)
↓
自分は不倫するくせに相手に処女を求める乙吉って、桐山さんの投影ではないですか?(笑)
- 676 :アゴン:2011/12/09(金)
12:35:58
- どうも情報提供者と当事者の間で食い違いがあり、裏付けのない情報のようで、ここでの発表はひかえます。
ごめんなさい。
ちなみにI川さんの情報ではありません。
退会する人が半ノイローゼ気味みたいに噂されることが多いのって嫌だな(笑)
- 677 :深山:2011/12/09(金)
12:37:39
- >>658 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/12/07(水) 23:11:36
>アゴン宗で因縁解脱なんか志してると、先見力、構想力、行動力、成功力を失うよ。
名言です。
アゴン宗にいると、人生への積極性を失う。
読んでいる信者さんたちもこの言葉を吟味してほしい。
自分の反省を含めて、他の元信者の話を聞いても、
アゴン宗の信仰は自分と人生を著しく狭くしている。
物事をすべて因縁や霊障、運気で考えてしまう癖がついてしまうから、
自分で自分を抑えてしまうのです。
「さあ、やるぞ」などと掛け声をかけるから一見積極的みたいに見えるが、
実はまったく逆です。
天命殺なのかどうかとか、運気が悪いとか、因縁があるとか、
こういうバカみたいな話に囚われてしまい、自分の力で
チャレンジしようという気持ちを自分で抑えてしまう。
なにかというと、成仏リキと称して桐山さんの力に頼り、依存する。
人間としての努力ではなく、護摩木やお手配で都合の良い御利益を願う。
自分で努力して、結果がどうあれ、自分が為したことだと受け取るべきなのに、
因縁や先祖のせいにして、現実から逃げる。
自分もそれをしたから、いかに害が大きいかよくわかります。
人生へ積極性をなくし、自分の人生をわざわざ狭くしている。
- 678 :深山:2011/12/09(金)
12:42:51
- >>665:準シュダオン11/12/08(木) 16:27:54
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
>のことなのですね。勿論、それに限定されるわけではないですが、本を読むと、
>そのように解説されています。
読んでいる信者さんたちは、霊性についての議論が理解できますか。
準シュダオンさんが書いたことも桐山さんは言っているし、
一方、670でBooさんが書いているようなことも言っている。
どちらなんでしょう。
批判とか擁護を抜きにして、信者さんたちはなぜこんなに話が
違うのうか、奇妙に思いませんか。
また、少し長く信者をしていれば、桐山さんがこういう矛盾したようなことや
前と違うことを言うのは珍しくないのを知っているはずです。
理由は二つあるのです。
一つは、桐山さんはその場しのぎのことを適当に言うからです。
霊性の話に限らず、教祖だから、太陽が西から昇るといえば、
それが教団の教義になってしまう。
桐山さんは他人から批判されたり、異見を言われるのが死ぬほど嫌いだし、
それを言う人を徹底的に排除するから、誰も桐山さんの間違いや矛盾を修正できない。
だから、言うたびに、時には書くたびに話が違ってしまうのは珍しくない。
私も信者時代、桐山ゲイカを弁護し、擁護していた時期があった。
ところが、桐山さんはその場しのぎのことを言うものだから、
擁護自体が成り立たなくなり、自分が恥をかいた。
その典型が、伝法会での如意輪法などの作法です。
桐山さんは如意輪法なんてろくにしたことがないから、作法がデタラメです。
教えるたびに違う。
うっかり「ゲイカからこのように聞いた」などと強く主張しようものなら、
次の年には違うことを教えるから、恥をかく。
桐山さんは、準シュダオンさんと似ていて、その場しのぎの思いつきを
平気で言うから、霊性というアゴン宗の教義内の話ですら、前後矛盾するのです。
- 679 :深山:2011/12/09(金)
12:47:40
- >>665:準シュダオン11/12/08(木) 16:27:54
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
理由の二つ目は、霊性が桐山さん以外誰もとらえることのできない内容だからです。
アゴン宗の教義の基本は全部このパターンです。
信者さんたちは因縁、霊障、徳、運気を自分で確認することができますか。
できません。
アゴン宗の教義は桐山さん以外には誰も確認できない内容でできている。
霊性も同様で、第三者が確認できない内容です。
たとえば、人間性という言葉は辞典にも存在し、誰でもが
互いにその内容を確認することができます。
だが、霊性なんて言葉はそもそも辞書にはありません。
アゴン宗では霊格などという言葉を使う。
人格ならば他人が確認もできる内容だが、霊格なんて誰も確認できない。
もちろん、辞書には載っていないオカルト用語です。
ところが、アゴン宗では、まるでこれらの内容が客観的に存在し、
誰かがすでに確認した事であるかのように、まことしやかに語られる。
因縁、霊障、徳、運気、霊性、霊格、運命など、桐山さん以外には
誰にも確認できない内容を、信者さんたちはまるで世の中の
常識であるかのように用いている。
それどころか、それを認めない人たちを霊格が低いとか、犬猫並だと侮蔑さえする。
自分たちの狂信を他人が認めないからと侮蔑しているのです。
その異様さに気がついてほしい。
- 680 :深山:2011/12/09(金)
12:52:06
- >>665:準シュダオン11/12/08(木) 16:27:54
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
信者さんたちは、なぜアゴン宗の教義が「第三者に確認できない内容」で
できているか知っていますか。
そういうと、「宗教とはそんなものだろう」と言うでしょう。
しかし、釈尊の説いた仏教は違います。
もちろん、信仰の部分はあるが、それを信じるに至るまでを
思考するように釈尊は弟子たちに求めている。
そして、桐山さんと違い、釈尊の説いた内容の大半が、
本人にも確認できるような内容ばかりです。
たとえば、煩悩は目の前に出せと言われても出せないが、
指摘されてもわからない人など誰一人いない。
欲望、妬み、慢心、怒り、無知と指摘されれば、思い当たらない人などいません。
釈尊が説いたのは、この誰もが自覚できる内容についてであって、
前世で積んだ悪業の報いというような自覚できない内容ではない。
先祖の霊障のホトケなどという、いるかいないかわからない存在ではありません。
霊格や霊性などという意味不明の内容ではありません。
修行内容もきわめて簡潔明瞭で、その煩悩をまず観察し、徹底した観察の後に、減らす努力をしていくというものです。
十歳の子供でも理解し、実行できる内容です。
釈尊のことの姿勢は桐山さんとは正反対です。
釈尊が弟子たちに妄想を捨て、現実を直視するように説いたのに対して、
桐山さんは彼にしかわからない妄想の世界に信者を引きずり込む。
自ら入り込む準シュダオンさんみたいな人もいるが、
その方向性は仏教とは正反対です。
- 681 :深山:2011/12/09(金)
12:59:14
- >>665:準シュダオン11/12/08(木) 16:27:54
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
釈尊は見えない世界については極力語るのを避けていた。
その一例を信者さんたちも知っています。
『間脳思考』に出て来る好戦経や堕胎経に出てくる肉段、桐山さんのいう霊障のホトケの話です。
信者さんたちは準シュダオンさんみたいに霊性の解説というオカルトを読むのではなく、
釈尊の言葉を読み、教法を学ぶことです。
桐山さんの解説ではなく、釈尊が肉段について何と言っているか、
もう一度読んでください。
釈尊はこれを「・・しかも説かざるは・・」、つまり肉段のことを
「説かない」と否定しているのです。
霊能力のない者は信じないだろうから、語らないと否定している。
桐山さんと正反対です。
この態度が示しているように、釈尊の説いた教法は
凡人が確認できない内容については極力避けている。
だから、釈尊が説かなかった項目がまさにこれで、「霊魂はあるかないか」
「如来は入滅後はどうなるのか」などについては、釈尊は説明しなかった。
釈尊のこの態度を見れば、彼がオカルトを排除して、
徹底した現実主義者であるのがわかります。
アゴン宗の教義と釈尊のこの態度とは正反対です。
- 682 :深山:2011/12/09(金)
13:03:14
- >>665:準シュダオン11/12/08(木) 16:27:54
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
桐山さんは、なぜこういう桐山さんにしか確認できない内容で
教義を作ったのでしょう?
私から指摘される前に、信者さんたちも少し考えてください。
理由はとても簡単で、現実世界では桐山さんは勝負できないからです。
因縁解脱、霊障解脱、積徳行、霊性、超能力などと
御立派なタイトルはすべて桐山さんの自己申告、
つまり妄想の世界であって、現実社会では通用しない。
信者さんたちは準シュダオンさんみたいに妄想に浮かれ上がるのではなく、
これらの話を現実世界まで引きずり下ろして、検証してみることです。
それを>>666でラシンさんが指摘している。
超人的能力の中の、無限の道徳意識などと言いながら、
現実の桐山さんは何をしているのだ?
信者さんたちはE川さんを愛人とはみなさないのだろうが、
若い女性を夜11時に自分のホテルに来るように誘ったり、
高級ホテルに長期滞在するなど、普通の道徳から見てもおかしいと思いませんか。
普通の道徳心を持っているなら他人に疑われるような行為自体をしない。
こんな桐山さんが無限の道徳などと言うのは、聞くほうが恥ずかしくなる。
桐山さんも準シュダオンさんも妄想の世界にいるから、恥ずかしくない。
信者さんたちはどうですか。
釈尊は、前述のように徹底した現実主義者です。
無限の道徳意識などという地に足の付かない妄想話を鵜呑みにするのでなく、
現実の桐山さんをあるがままに見ることが、釈尊の説いた修行です。
信者さんたちは釈尊の説いた修行をさぼっている。
- 683 :深山:2011/12/09(金)
13:10:35
- >>665:準シュダオン11/12/08(木) 16:27:54
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
霊性に限らず、因縁解脱、霊障解脱、積徳行、超能力など
地に足が付かないような、信者さんたちが自分で確認できないような
内容を信じるのは、仏教の信仰ではない。
釈尊はこれをできるだけ排除した人なのに、どうして信者さんたちは
逆のことをしようというのか。
桐山さん以外、誰も確認できない内容について、桐山さんと
同じレベルで議論しても、準シュダオンさんがそうであるように、
妄想の世界にドブヅケになるだけです。
私はしばしば信者さんたちに、護摩は焚き火だと指摘する。
信者さんたちはものすごく不愉快でしょう。
でも、私は釈尊の教法に従い、現実を指摘しているだけです。
信者さんたちはアゴン宗の護摩を神仏が現形している聖なる火だと信じている。
だが、それをどうやって信者さんたちは確認したのだ?
現形写真など私もたくさん持っているが、それなら、雲には羊が現形するし、
中華鍋には龍神が現形する。
信者さんたちのしていることはだだの連想ゲームです。
なぜなら、釈尊が、自分が禁止した護摩の中に姿を現すなどありえないし、
仏教では、入滅したら、この世界とは関係なくなるから、戻ってくるなどありえない。
釈尊の遺言は「汝等を捨てていく」です。
直弟子ですら捨てていくのに、護摩に出てくるなんてありえない。
護摩はどんな仰々しい作法をしても、現実はただの焚き火です。
・・・といくら言われても、信者さんたちは「いや、それは理屈であって・・・」
と護摩の火が特別だと心のどこかで信じている。
その理屈にもならないことにしがみつく奇妙な自分の心に目を向けてください。
それが釈尊の説いた修行です。
信者さんたちは修行法がないといつも言う。
だったら、今がチャンスたから、あなたのその奇妙な心をじっと観察してみることです。
- 684 :深山:2011/12/09(金)
13:16:03
- >>665:準シュダオン11/12/08(木) 16:27:54
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
因縁解脱、霊障解脱、積徳行、霊性、超能力など
信者さんたちに確認できない内容を信じるのではなく、
それが現実にどうなっているのかを観察するのです。
因縁解脱というなら、密教食事件で有罪になり、脳梗塞になった桐山さんはどうなのだ?
この桐山さんのどこが因縁解脱したことになるのだ?
霊障解脱というなら、霊障によって1999年に地球は壊滅すると
桐山ゲイカは予言したのに、どうして何もなかったのだ?
2010年まで、「今年こそ危ない」を繰り返したのに、
どうして地球壊滅が起きなかったのだ?
霊性があるとか霊格が高いという桐山さんが、
ガンになって助けを求める信者を機関誌でさらし者にして
追い出すとなどという冷酷非情なことがどうしてできるのだ?
嘘つきだと批判されただけで、ぶち切れして、怒鳴りつけ、
暴力で追い出すほど、どうしてあんなに人格が低いのだ?
空港で子供が騒ぐと、横っ面を張り倒したくなるほど短気で
暴力的な桐山さんのどこが徳があると言えるのだ?
自分を乗せてくれているロバに感謝するどころか。前世で自分を迫害した男の
生まれ変わりだなどと、心の中が恨み辛みでいっぱいの桐山さんが霊格者?
腰が曲がり、雪駄すら自分でははけない桐山さんのどこが超人なのだ?
信者さんたちは準シュダオンさんの自惚れと妄想癖に笑っているだろうが、
しかし、大変失礼ながら、信者さんたちもこんな桐山さんの
話を未だに鵜呑みにして、信仰しているとすれば、準シュダオンさんの老醜は、
そのまま信者さんたちを写す鏡ですよ。
「準シュダオンごときと一緒して侮辱するつもりか」と怒りたい気持ちはわかる。
だが、程度の差だけで、桐山妄想をそのまま信じて、
現実を見ようともしないという点ではそっくり同じです。
- 685 :アゴン:2011/12/09(金)
13:18:36
- なんもかんでも、お手配しろだの初ゴマ申し込めだの、本当にうんざりします。
例えばお付き合いするひとが現れたら、あんたの因縁は悪いのだから、ろくな縁ではない。愛染さまの桃色お手配書(笑)お手配を書きなさいと言われます。
若い信者さんもよく言われませんか?でも私が見る限り、やってもやらんでもほとんど別れとる。アゴン同士は(笑)(笑)
だって、すべて相手の先祖の霊障や色情因縁のせいにされますもん。で、ずーっと、どこにも嫁がず理想は管長ゲイカ潤オと言っている先達もいます。。
これって誰の人生なんでしょうねぇ?と思います。
痛い目にあって学ぶのも人生なのに、回避回避ばっかり願って、なにが経験できるんでしょうか?
- 686 :深山:2011/12/09(金)
13:27:40
- >>665:準シュダオン11/12/08(木) 16:27:54
>「霊性」=「密教・超能力」=「無限に発達した道徳意識」=「天眼智宿命智」
信者さんたちは、因縁切りによって自分の運命を改革し、人生を広げたつもりでいる。
だが、まったく逆なのです。
因縁、霊障、徳、運気、霊性、霊格、運命など現実ではない妄想を
信じて人生を歩もうとしても、現実からどんどん離れるばかりだから、
うまくいくはずがない。
ユビキタスさんが指摘したように、
>>658
>アゴン宗で因縁解脱なんか志してると、先見力、構想力、行動力、成功力を失うよ。
これが信者さんたちの現実です。
ここで批判されているように、桐山さんの説いた教学のほぼ全部が、
現実で検証すると嘘です。
因縁、霊障、徳、運気、霊性、霊格、運命で物事を考える癖がついている。
世間で何かあると、「あれは○○の因縁だ」などと始まる。
それを仏教だと信じている。
だが、仏教にはこんな概念はなく、根拠のないオカルトです。
護摩木をたった一本を書くたびに、信者さんたちは妄想の世界に引きずり込まれる。
例祭や朔日護摩で護摩を拝むたびに桐山妄想に入り込む。
護摩木一本など大したことはなさそうに見えるが、それをしている内は
桐山妄想から出られず、
「自分の人生を浪費して、失ったものは取り返しがつきません」。
これは信者さんたちへの指摘というよりも、元信者たちの苦い思いです。
- 687 :名無しさん:2011/12/09(金)
13:32:02
- 天照様へ
2ちゃんに書き込めないのでこちらで書かせてください。お願いします。
<阿含宗という宗教203>
>>575 :神も仏も名無しさん:2011/12/06(火) 08:17:33.95 ID:rnKN1gwU
>生まれ変わっていく魂は仏教の基本だよ。
>釈迦が様々な生まれ変わりを説法している。
>生まれ変わりを終る目的を達成するための説法で魂を否定している訳ではないよ。
その問題に正面から取り組んでそれなりの結論を出したのはたぶん唯識仏教(大乗仏教)でしょう。
仏教は確かに輪廻転生という基本的な考えを持っています。
そこで問題になるのが、生死をくり返すということにおいて、その主体は何か?ということです。
古代インドの考えでは、実体的で不滅な「我」というものが主体となって、私たちは輪廻転生を
くり返すのだとされました。
しかし、釈尊は、そうした実体的で不変確固とした「我」を否定されたのですから、仏教は、その無我説を
崩すことなく輪廻の主体を求めなければなりませんでした。
釈迦入滅のあと、仏教のいくつかのグループから、これについてさまざまな考えが提出されました。
しかし、この問題をもっともたくみに解決したのは、阿頼耶識を想定した唯識仏教だといわれています。
結論を言えば、実体ではなしに、過去の経験の痕跡を
<種子−生果の功能> という形で蓄積・保持しながら、
しかも総体的に <無記>
の性質として一類相続する潜在心の阿頼耶識が輪廻転生の主体である、という回答です。
もし、このことに関心があるなら唯識関連の仏教書を読まれることをお勧めします。
- 688 :ラシン:2011/12/09(金)
14:54:57
- >687 :名無しさん:2011/12/09(金) 13:32:02
ここは仏教語るスレではないので詳細を避けて、
桐山関連付けてレスします。
桐山さんも含めその思惑を別としても、古来から人々は
その何か?を議論してきました。
しかし、その決着は見られず結論は出ていません。
名無しさんも上記を書いていて、これぞまさしくその主体が
人間存在の染み付いた根本=種子として、満足できますか?
その阿梨耶識こそが八識の最終であり輪廻の主体で、
すべての生じる種子だった。
名無しさんの指摘される仏教の変遷→大乗仏教化ですね。
これを追求し始めるとキリが無く、畢竟それって結局は”霊魂”と
言っても、マチガイではなくなる落し穴があります。
つまり堂々巡りを過去2500年もの間、仏教の碩学と言われた人達が
追求し探り出そうとしてきたのに、結果は見つからずです。
釈尊は無記という姿勢でそれを語らず説かなかった。
釈尊の手の握り拳は何もないと言われても尚、その手をこじ開けようと、
多くの仏教積学者たちが議論し、逆に仏教から乖離するという矛盾を呈した。
釈尊の姿勢は無記であっても、しかし教えはちゃんと示していることに
信者さんたちは気づきませんか?
釈尊は「煩悩があるから輪廻する」と明言しているのです。
深山さんが>>680-684で指摘しているようにちゃんと誰もが自覚し、
他者が確認できるものです。
生きている間に煩悩を滅しない限り、人は輪廻を繰り返し方々へ転生する。
ではその輪廻する何が主体となっているのかいや客体なのか、と煩悶すれば、
桐山さんのように、それこそ「異陰」という言葉は違えどそれは霊魂でアリで、
それが前世で不浄のまま傷ついたDNAのうなものだから除霊が必要なのだと、
商品化され、インチキ商売の起業に悪用される。
これを避ける意味でも釈尊は、霊魂の有無を議論せず、煩悩滅こそが輪廻を止める
唯一の法だと、目指すべき結果を説いたのです。
輪廻の主体などにこだわって一生を終えることがないように、
誰もが自覚できる煩悩を少しでも減らして解脱に近づきなさいと、
釈尊は教えてくれている。
それに逆らって見えない霊魂を商品化して金を取るようなインチキ商売は、
インドで釈尊の時代から存在したので釈尊から否定された。
その釈尊が否定したことを認めずに商売をしているのが桐山さんです。
桐山さんの所行はすでに釈尊から戒められ否定されていたのです。
- 689 :ラシン:2011/12/09(金)
17:09:21
この唯識思想は、心理意識を探求しすぎてドン詰まりとなった。
心の働きやその発生を考えすぎて辿りついたのが刹那滅です。
空観を保持しつつヨガ瞑想で悟ろうとした。
アビダルマ論師は、釈尊の教法ことば一言一句を法数に分類し、
体系付けてただのシステム表や計画表におとしめたが、
唯識学派は、前五識や潜在意識を論理立てて追求しこの思想体系に
溺れて釈尊の教法からかえって離れてしまった。
桐山さんは、現代科学を持ち出してこれらの思想を刺身の
ツマのように添えたに過ぎません。
ゆえにアゴン教義の一貫性をいちじるしく阻害する矛盾を招いた。
自業自得です。
桐山さんの商売コンセプト、ホンネはいかにして金や人を収奪するかを
テーゼとしていることです。
自説に”箔”をつけるために利用したに過ぎないから、数年経てば矛盾が
表出し、教義が綻びて言い訳的に因縁と結び付けるしか手立ては無い。
ようは、因縁切りの必要性を付け焼刃的に現代科学や大脳生理学の
目次を羅列し、それとアビダルマ論や唯識論を脈絡なく接いだに過ぎない。
カルマ解脱とかカルマからの脱出なんていう、まるで劇画のタイトルみたいに、
仏道修行を標語のオンパーレードにした。
業力が輪廻させるなんて桐山さんは述べている。
仏教で業とは行為を表すのだが、その力が輪廻へと押しやるなんて解釈です。
カルマが魂をキズモノにし、それが前世の因縁という化け物化となり、
それをオシャカのジョウブツリキで切るなんていう劇画タッチの物語です。
確かに釈尊は、身口意の三業(行為)を善行と悪行の二種ありと説いた。
しかしそれは切られるべき前世のカルマ=因縁なんて解釈ではない。
カルマ解脱、因縁解脱なんて考えじたい、仏教にはありません。
慢不斷故。捨此陰已。與陰相續生。
慢斷ぜらる故に此の陰捨て已りて與陰を相続し生じる。
煩悩を滅しないから死んでもあずかった陰を受け継いで生まれる、
と説いているのです。
アビダルマも唯識も肝心の煩悩から目を逸らしてしまった。
釈尊のいう瞑想は、諸の自己の煩悩を観察することだけです。
それで観察された煩悩を減らして行き、因果の実相を悟る知恵が生じる。
十二支縁も明知が生じた結果であり、煩悩だらけでいくら数え辿っても、
その明理は得られない。
ひたすら煩悩を減らす勤めのなかで生じてくる知恵を大事にすべきで、
理解も出来ない因果をどうやって切るですか。
- 690 :名無しさん:2011/12/09(金)
18:02:28
- 687の名無しですが、私の基本姿勢は桐山霊魂や因縁解脱など、
それらは仏教の教えに反していますので勿論否定します。
皆さんと同じ立場にたっています。
ただ、唯識仏教は輪廻転生の原因を<惑>とし、その具体的な内容が
<煩悩><随煩悩>という心のはたらきであり、それらがなぜ生じるのか、
どのような種類があるのか、それらをなくす方法や生き方はどのようなものか
を追求していますので煩悩を減らすヒントは少なからずあると思います。
- 691 :ラシン:2011/12/09(金)
18:14:19
- 慢不斷故。捨此陰已。與陰相續生。
慢斷ぜらる故に此の陰捨て已りて與陰を相続し生じる。
↓
慢不斷故。捨此陰已。與陰相續生。
慢斷ぜられぬ故に此の陰捨て已りて與陰を相続し生じる。
誤字脱字が多く、深謝し訂正いたします。
>690
><煩悩><随煩悩>という心のはたらきであり、それらがなぜ生じるのか、
どのような種類があるのか、それらをなくす方法や生き方はどのようなものか
を追求していますので煩悩を減らすヒントは少なからずあると思います。
是非その成果を桐山教義と比較して、桐山説のまちがいをご教示ください。
- 692 :名無しさん:2011/12/09(金)
18:43:10
- <追記>
<惑>は煩悩の異訳語。つまり煩悩
のことです。
私は皆さんのように博識ではありませんのでとても説教できるような力はありません。
でも煩悩が輪廻転生の原因であり、それを無くすことが仏教の目的なら
心からなるほどと納得して邁進したい、と思いました。
それを満たしてくれるヒントが唯識仏教にあると考えています。
- 693 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/09(金) 19:45:19
- >>692:名無しさん11/12/09(金) 18:43:10
>でも煩悩が輪廻転生の原因であり、それを無くすことが仏教の目的なら
>心からなるほどと納得して邁進したい、と思いました。
>それを満たしてくれるヒントが唯識仏教にあると考えています。
唯識仏教は仏教の深層心理学と言われますね。
しかし阿羅耶識と霊魂は同じであるか別であるかなんて論が出るわけです。
また深層心理学なんて言うと、表面意識では窺い知れない世界なんて話になっていき、
そこに誰かさんのように「知性と行動は無関係」だの「わかっちゃいるけどやめられない」
だの「自分の中の赤の他人」なんて屁理屈も育つ温床になるのではないでしょうか?
私は釈尊の仏教に深層心理学的アプローチは必要ない、あまり意味はないと考えています。
表面意識で観察できる範囲での煩悩の対処で十分と考えます。
唯識以前にもアビダルマにも深層心理学的のように見える用語がありました。
随眠(ずいめん)という煩悩が意識の底に眠っている状態をさすとのことで
桐山さんも深層意識に眠る根拠として使ってます。
しかしこの随眠は桐山さんが想定するような自分自身すら不可知のモンスター
なんて話ではないようです。
たまたま意識の表面に上がっていないだけの感情のようです。
例えば今はすごく心は穏やかであるけど、何かのはずみで怒りが爆発する。
つまり怒りの煩悩は眠っていたわけです。しかし何かの刺激で表面に顔を出す。
随眠が意識の表面に現れた時を纏(てん)と言う。
ここに「無限に発達した道徳意識」なんて執筆してる作家がいるとする。
彼はこれを書いている時、道徳は大切だよ、うん、なんて表面意識では思っている
かも知れない。しかし彼の随眠は「道徳に反してでも不倫して若い女が欲しい」です。
そしてある時信者からの手紙で若い女からおだてられる。
有頂天になった彼はここで先の随眠煩悩が纏となって表面化し「今夜にでも」と
道徳に反して手紙を書く。
仏教では常日頃、四六時中自己の表面意識を観察監視するのだから、
随眠が纏として表面化した瞬間を見逃さなければよいのです。
それで抑止する。
どなたかは抑止する気もないし、とにかく煩悩丸出し有頂天だが。
だからおかしな深層心理学ではなく、目に見える表面だけを観察しておれば
常に対処できるのです。
- 694 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/09(金) 20:01:26
- >>692:名無しさん11/12/09(金) 18:43:10
>でも煩悩が輪廻転生の原因であり、それを無くすことが仏教の目的なら
>心からなるほどと納得して邁進したい、と思いました。
>それを満たしてくれるヒントが唯識仏教にあると考えています。
桐山さんはフロイト、ユング、ソンディなどを歪めて借用する。
我々が理性的に行動をしている背景には自分でも気付かぬ無意識の意識の影響下に
あるというものです。
しかしどんな無意識の影響を受けていようと、自分の選択した行動が道徳的に
正しいか正しくないか、そこだけが注意すべき点ではないですか?
私はあるデブな女に恋をして求婚したとする。
なんでデブ嗜好なのか?それはわからない。とにかく惹かれる、それだけだ。
しかし意識の深層を探ると、親や先祖にデブ嗜好なのがおり、その嗜好が遺伝に
より継承され、自分も無意識のうちにデブ嗜好となった。
しかし、だからと言って、それが何だと言うのだ?
デブ嗜好は道徳に反することなのか?
食い止めねばならないのは、反社会的とわかる選択行動、自他を傷つけるとわかる
選択行動です。
そうでなければ別にデブ専でもいいではないか?ということで、フロイトやユングや
ソンディがどんな意味付けをしようが、こちらは意識の表面に現れた纏だけを
相手にしておればよいだけで、通常時自分の理性の監視下で問題がないと思った
選択行動はそのまま遂行すればよいのです。
だから深層心理学に大して意味はないと思うのです。
デブを愛するのは犯罪だろうか?
- 695 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/09(金) 20:10:26
- >>692:名無しさん11/12/09(金) 18:43:10
>でも煩悩が輪廻転生の原因であり、それを無くすことが仏教の目的なら
>心からなるほどと納得して邁進したい、と思いました。
>それを満たしてくれるヒントが唯識仏教にあると考えています。
満たされない欲求が無意識の中で抑圧となる。
そこでその欲求不満を解消する行動が、周囲に当たり散らすとか、子どもとか
弱い立場の人間をポカリと叩いていじめるとかだったら、そんなことをしようと
するその瞬間にその纏を見逃さず、抑止をすべきです。
しかしこの欲求不満の抑圧が絵画とかの趣味に没頭させたらどうだろうか?
それは自他誰も害さない昇華なんだから結構ではないか?
背景として無意識レベルの欲求不満の解消であっても、今新たに悪業も煩悩も作ってない。
- 696 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/09(金) 21:58:25
- >>687 名無しさんへ
返信が遅くなり申し訳ございません。良い論ですね。
ぜひ論じてください。また名無しさんの意見もじっくり伺いたいです。
どうぞ書き込んでください。私も忙しいのであまり参加できませんが、
よろしくです。
- 697 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/10(土) 05:27:13
- 久しぶりにHPをいじりました(苦笑)考察の一助になればと思います。
(今回は考察室の容量が少なくなってきているので、研究室の方に上げさせていただきました)
まず、当スレ(第五十六章
>>526)の準さんの投稿に際して該当の本と内容を
示したものを掲示いたします。 三聚経と十上経 http://agon.genin.jp/3ztop.html
次にラシンさんが投稿された「阿含宗関連の登記簿」も見本としてあげさせていただきました。
阿含宗本山など不動産登記簿
http://agon.genin.jp/ahtop.html
関西総本部不動産登記簿 http://agon.genin.jp/ksftop.html
関東別院登記簿 http://agon.genin.jp/bttop.html
これらはまず一般の方では中々お目にかかれないものと、ラシンさん、無関係さん、深山さんが
解説されておりますように、阿含宗の財産や動きなどを見るのに適した資料といえます。
ぜひ、御三方の解説と共に検証していただける資料として参照していただけたら幸いです。
- 699 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/10(土) 05:44:06
- 補足として、登記簿関連の記事b記しておきます。
>>528 >>529 >>531 >>536 >>540 >>541(これは一度削除して>>553に再投稿されております)
>>542 >>543 >>544 >>545 >>546 >>547 >>548 >>549 (つまり>>542-549までは連続です)
>>551
(>>553) >>554
以上となっております。
- 700 :準シュダオン:2011/12/10(土)
11:02:15
- >687の名無しですが、私の基本姿勢は桐山霊魂や因縁解脱など、
>それらは仏教の教えに反していますので勿論否定します。
前にもレスしてますが、岩波仏教辞典で「縁起」を調べてください。
長い解説がありますが、要点を記しますと、
「・・・さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し縁起の滅した世界と
された。大乗仏教に至って・・・」との解説があります。
この場合のさとりは、阿含仏教のさとりのことです。
ね!、さとりは「縁起の滅」と説明されています。
縁起の滅=因縁の解脱、という意味が理解できますか?
既成仏教のさとりの定義は曖昧なのです。
だから管長は、阿含宗を立てたのです。ゆえに、既成仏教を正しいと思いこめば、
管長の説は邪教になるでしょう、が、阿含経の勉強が進めば、管長の説が正しい
ことが解かるでしょう。
- 701 :準シュダオン:2011/12/10(土)
11:21:13
- 先週号の「週刊新潮」の、「末期ガン・脳出血・咽頭ガンで死去・ビラ配り
で生計・万引きで逮捕・・・醒めない夢の中に棲むオウムの女たち」
という記事を読んだ。
呆れたことに、鹿島とも子君なる人は、いまだに、
「麻原さんには感謝とか、そういうものしかないんです。・・恨みとかそう
いうのは一切ありません」と、話していますね。
私には、彼女の話は理解不能です。正に夢の中に棲んでいますね。
批判派はときに、「夢から覚めて阿含宗から退会した」なんて話してますが、
軽々しく夢から醒めた、なんていうもんじゃないよ。
仏陀とは、ブッダ=目覚めた者、という意味ですからね。
退会したとて、目覚めた者、にはなっていないよw。
- 702 :ラシン:2011/12/10(土)
11:27:47
天照さん、ありがとうございます。
ユビさんが分かりやすく解説してくれました。
深山さんがいつも指摘するように、桐山さんは常に
見えないところ、見えないものを対象とします。
現実の世界ではなく、桐山さんの頭の中の世界です。
隋煩悩だの隋眠だのとふつうでは見えないもので勝負する。
だから唯識瑜伽学などを小賢しく取り入れ、「ほうら君たちの心底には
分かっちゃいるけどやめられない心が隋眠としてこびりついているのだよ。」
なんて一般に確認できないもので脅してそれを洗濯してあげましょうと、
手を差し出す。
別に、引き上げてあげようと手を貸すのではなく、銭をよこしなさいと
手ぐすねを引いて待っている。
早く洗い落とさないとそれが薫習となって染み付き落ちないぞと脅す。
そうやって桐山さんだけ確認できる話に引きずり込まれる。
誰もが確認できれば、誰もが判断処理できてしまう。
桐山さんにとってそれじゃ商売にならない。
間脳を開いた桐山さんだけがジャッジできるものでなければ、
商売にならないからです。
ユビさんが>>693で上手に表現しているように、釈尊は目に見えないもの、
自身で確認できないものなど相手にしない。
漏れ出でるもの、表面化する煩悩を相手にそれを食い止め、
減らし滅しなさいと仰っている。
人は生きて生活していく中で様々な行動(業)を起こします。
つまり、体による行い、言葉で話す行い、意識からくる行い、
それらの行い(身口意業)が綿綿と生きていく中で蓄積されていく。
そこに邪しまで不善が無いかを常に観察し確認し気を付ける生活習慣。
不善が蓄積されれば、すなわち悪業を積むことになる。
だから善を行え、煩悩によって悪業を積まないようにと釈尊は説かれた。
- 703 :深山:2011/12/10(土)
19:14:13
- >>700 :準シュダオン:2011/12/10(土)
11:02:15
>ね!、さとりは「縁起の滅」と説明されています。
>201 :準シュダオン:2009/08/10(月)
10:05:15 ID:ybulEK.c0
>「縁起の滅」です。縁起=因縁ですから、「因縁の滅」でも同じです。
>539
:準シュダオン:2009/12/10(木) 13:28:36
ID:P9JinFks0
>辞典で解説してるように、学者先生はこのことを「さとりは縁起の滅した
世界」と表現してるわけです。
>389
:準シュダオン:2010/06/21(月) 16:09:53
ID:agsP6ENM0
>とおりな訳です。無上滅=縁起滅=因縁滅(因縁解脱)なのです。
>59
:準シュダオン:2011/01/30(日) 10:01:08
ID:1F7rdgXk0
>因縁解脱=因縁滅=縁起解脱=縁起滅、であることの理解が必要です。
ご覧のように、どうやら、準シュダオンさんの「縁起滅発作」は
年に二回くらいの周期で起きているのがわかります。
彼の発作は2年前に始まったものではなく、その段階ですら、「またか」でした。
毎回、徹底的に反論されても、彼は完全無視して、同じ話を繰り返す。
記憶もしなければ、相手の批判を読みもしない。
今回も何とかの一つ覚えみたいに縁起滅を出して、
仏教の目的は縁起滅=因縁解脱だと主張しているのです。
もちろん、桐山さんも縁起滅なんて話したこともないし、
縁起滅が因縁解脱だなんて説いていないのだから、
主張自体が、ここでの議論からはずれている準シュダオン教です。
議論するに値しない。
だが、この老人は夕食が終えたばかりでも「おれは夕飯は食っていない」
と頑迷に主張する。
認知症の老人は放置するとして、初めてこれを読む読者のために説明します。
- 704 :深山:2011/12/10(土)
19:18:11
- 岩波仏教辞典
「初期仏教・部派仏教
初期仏教時代の縁起説は,苦しみ悩む有情(うじょう)が主題となったため,
老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める<十二支縁起>(十二因縁)説が
代表的なものであった.
続く部派仏教時代には,これを過去世・現在世・未来世の三世にわたる
業の因果関係とみる三世両重の<業感(ごうかん)縁起>説として解釈することが行われたが(説一切有部(せついっさいうぶ)),
一般諸科学の発達に促されて世界観も広がったため,
客観世界や客観的現象までも説明しうる<六因・四縁・五果>(説一切有部)や
<二十四縁>(南方上座部)というような縁起説も説かれるようになった.
しかしこの段階までの縁起説は,迷いの世界(有為(うい))のみを説明するものであり,
悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかったから,
悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
- 705 :深山:2011/12/10(土)
19:23:29
- 「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
>>704が準シュダオンさんが根拠としている縁起滅の説明です。
問題点は二つに分かれます。
一つ目は国語の解釈です。
これは初期仏教と部派仏教の縁起の説明です。
問題は、最後の「縁起の滅した世界」という考えが、初期仏教を含めた説明なのか、
それとも、部派仏教に限定したものなのか、という解釈です。
つまり、「しかしこの段階まで・・・縁起の滅した世界とされた」を
部派仏教での説明と読むか、それとも初期仏教も含めた説明と読むかという違いです。
準シュダオンさんはもちろん、初期仏教も含めた解釈としている。
また、批判側もこの意見に賛成している人たちがいます。
私は違います。
文章は明瞭に初期仏教と部派仏教の説明を区別している。
「しかしこの段階まで」とは、「部派仏教の段階までは」という意味です。
部派仏教の段階では、縁起滅ととらえたという意味ですから、
内容は初期仏教とは違っている。
これは、文章の国語の解釈の問題です。
そこで二つ目ですが、そう解釈しないと意味が通じない。
初期仏教、つまり釈尊が説いた仏教には、縁起滅などという思想は存在しないからです。
もっと言うなら、縁起滅という考えが阿含経から見たらおかしい。
- 706 :深山:2011/12/10(土)
19:28:13
- 「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
阿含経で「縁起が滅した世界」などという言葉や表現を、私は知りません。
解脱が縁起滅の世界だなんて言い出したら、
釈尊の説く解脱の定義と矛盾する。
解脱の意味を良く理解しておらず、頭の中で考えた表現で、
いかにも後世の部派仏教が作りそうな言葉です。
解脱を縁起滅の世界などと言い出したら、釈尊の教法と矛盾することに
気がつきませんか。
釈尊の言う解脱とは漏尽解脱であり、これは生き死には関係ない。
生きている間に煩悩を切れば解脱です。
信者さんたちの知っている有余依涅槃です。
解脱とは死んだ後のことだけを言うのではありません。
つまり解脱者も生きている間は縁起の世界にいるのです。
釈尊も生きている間は縁起によって成り立つこの娑婆世界にいた。
縁起の滅した世界にいるのではありません。
このように、解脱を縁起を滅した世界などと言い出したら、
生きている解脱者の存在の説明がつかなくなる。
- 707 :深山:2011/12/10(土)
19:35:49
- 「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
解脱者も生きている間は縁起がそのまま成り立つ娑婆世界にいたのです。
縁起が成り立つ世界にいるから、彼らは一瞬も怠らず、
煩悩に囚われないようにしていた。
肉体を持っている間は、食欲や睡眠欲がなくなったわけではないから、
煩悩が常にささやきかけてくる。
正しい修行者が、若い女性に夜11時に自分の所に来るようにと
誘うなどありえない。
解脱しても、肉体の煩悩まで完全に捨てたわけではないから、
それに囚われないように常に努力し続けた。
だから、中には煩悩に負けて、解脱から滑り落ちた者もいた。
解脱が縁起の滅した世界なら、どうして滑り落ちるはずがあります?
こういう現実を見るなら、解脱を縁起滅の世界などと言うのは
解脱の意味を理解していない人の表現です。
ましてや釈尊本人がそんなことを言うはずがない。
- 708 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/10(土) 19:38:53
- またしてもあれかという>>700に対して、準爺ではなく、他の皆さんにレスをするのは
また深夜か未明か明日にします。
先にこちらを。
>>701:準シュダオン11/12/10(土) 11:21:13
>私には、彼女の話は理解不能です。正に夢の中に棲んでいますね。
私の方こそ準シュダオン君なる者の方が理解不能です。
桐山さんのこれだけの嘘、インチキの行状を根拠ごと突きつけられ、議論までする
機会がありながら、未だに夢の中に棲んで居られるのだから。
批判スレを見る機会のない人は、気の毒に思います。
私も情報なく長年続けてきたのだから、情報を入手してない現役信者さんを
咎められません。
だから批判情報を目にしてくれるように書いているのだが。
批判情報を知りながら、まだ信じているなんて、あなたはまさにオウム信者と変わらない。
>批判派はときに、「夢から覚めて阿含宗から退会した」なんて話してますが、
>軽々しく夢から醒めた、なんていうもんじゃないよ。
>仏陀とは、ブッダ=目覚めた者、という意味ですからね。
>退会したとて、目覚めた者、にはなっていないよw。
こちらはアゴン宗という悪夢から目覚めたわけなんだが、だからと言って誰も
釈尊のような目覚めた人=ブッダなんて自分のことを言ってませんよ。
無意味な混同をするのはやめなさい。
しかしですね、釈尊の悟りも我々の気付きも程度の差こそ天地の開きほどあれど
実は同根と言えるのですよ。
我々はアゴン宗が煩悩だと悟ったから、これを手離したのです。
私の煩悩はアゴン宗だけでなく他にもいくつも山ほどあります。
だからシュダオンになったなんて言いません。
しかしアゴン宗という煩悩を一つ減らせたのですよ。
たったこれだけを減らしたら、とても身が軽くなりました。
あなたのいつもの言葉を借りて返すならば「体験のない人にはわからねえだろうなあ」
だからと言って準シュダオンとも言いませんが、煩悩は一つ減らしただけで
心は軽快です。
700のレスにも関連するが、いかに「縁起の滅した世界」などと、部派仏教あたりが
無意味な表現をしようが、それは桐山因縁解脱にはならない。
それは「さとり」だからです。
桐山さんが嫌いな用語であるさとりです。
- 709 :深山:2011/12/10(土)
19:40:29
- 「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
「縁起滅とは如来が亡くなった後に行く世界を指すのではないか」と
いう指摘が出てくるかもしれない。
これもありえません。
なぜなら、釈尊は解脱者の死後については語らなかった。
その語らなかった世界について、どうして縁起滅だなどというはずがありますか。
信者さんたちは桐山さんから、仏陀とは仏界にいるなどというタワケを教えられている。
阿含経のどこに仏界なんてのがあるのだ?
お釈迦様が極楽にいてそこから蜘蛛の糸を垂らしてくれるなんて小説を
まさか本気にしているのではないでしょうね。
信者さんたちは、仏が現形するなどと、あの釈尊がこの世界に戻って
来て助けてくれると信じている。
そんなのは大乗仏教と桐山さんが客を釣るために作り上げた妄想です。
何度も書くが、釈尊の遺言は「汝等を捨てていく」です。
これを見るかぎり、彼も解脱した弟子たちも二度とこの世界とは関わらない。
また、だからこそ、解脱なのです。
- 710 :深山:2011/12/10(土)
19:43:16
- 「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
解脱者の死後については説かないのが釈迦仏教の原則です。
解脱した彼らが今どうなっているのか、どこにいるのかなど議論しないのが
釈迦仏教の原則です。
解脱者の死後どうなるのか、どこに行くのか(この問い自体がおかしい)、
いずれも釈迦仏教では問うてはいけない内容です。
それなのに、解脱者が亡くなった後の世界について、縁起滅の世界だなんて言うと思いますか。
こういう釈尊が示した禁止則のいくつかを部派仏教は破ってしまった。
たとえば、釈尊が霊魂について語るなと言明しているのに、
アゴン宗の信者さんたちと同じで、輪廻の主体がなんであるかを
なんとか表現しようと手を変え品を変えて考え続けた。
大乗仏教も同様で、唯識など、言葉を換えて霊魂を表記しようとした。
彼らのしたことは全部、釈尊の命令違反です。
してはならないと禁止されたことをやり続けたから、矛盾を指摘された。
部派仏教などは、霊魂を別な形で説いたから、龍樹などから、
縁起を持ち出されて、簡単に論破されてしまった。
悟りが縁起滅の世界だなんて、もののたとえで言うならかまわないが、
仏教の教義として説いたら、間違いです。
- 711 :深山:2011/12/10(土)
19:47:15
- 「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
縁起滅の世界が釈迦仏教にもあるというなら、
阿含経からそれを引用するべきです。
前に準シュダオンさんは引用したが、それは恒例の、見えない物が
見える彼の勝手解釈であって、どこにも縁起滅などなかった。
一方批判側は縁起滅の部派仏教の主張を引用した。
ラシンさんが、縁起滅が説かれているのは、説一切有部發智大毘婆沙論だと
指摘した。(816
:ラシン:2011/03/05(土) 12:29:58
ID:ka3sgn0E0)
説一切有部とは、部派仏教です。
だから、縁起滅という考えを出していてもおかしくない。
繰り返すが、考え方はおかしい。
つまり、岩波仏教辞典の説明は、部派仏教で縁起滅の世界という
表現を説明しているのであって、釈迦(初期)仏教で
説いたと述べているのではありません。
- 712 :深山:2011/12/10(土)
19:56:50
- >>701 :準シュダオン:2011/12/10(土)
11:21:13
>私には、彼女の話は理解不能です。正に夢の中に棲んでいますね。
あなたが引用したオウムの話と批判側とどう関係しているのだ?
まるで批判側がオウム残党のように夢の中にいるような書き方だが、
オウム事件から何一つ反省していないのは桐山さんであり、
あなたのような信者ですよね。
桐山さんは林郁夫についても、自分の指導者としての立場への反省はなく、
まるで他人事のようだった。
私は桐山さんを理解できますよ。
ものすごく無責任な男なのです。
自分への反省など皆無で、全部他人のせいにしてしまう。
桐山さんが超能力で人々を釣って、しかも何もできなかったことで、
どれほど多くの信者がオウムに行き、人生を狂わせたことか。
その最先端にいるのが林郁夫です。
桐山さんがありもしない超能力のエサで、オウムに流れる動機を作った。
相変わらず、超能力というエサに釣られて、夢というよりも
妄想世界に生きているのが、準シュダオンさんはじめとするアゴン宗の信者です。
その妄想の固まりの準シュダオンさんが、他人を夢の中にいるなどと
どの面下げているのだろう・・・あ、そうか、恥知らずだから言えるのだ。
- 713 :深山:2011/12/10(土)
20:00:55
- >>701 :準シュダオン:2011/12/10(土)
11:21:13
>軽々しく夢から醒めた、なんていうもんじゃないよ。
>仏陀とは、ブッダ=目覚めた者、という意味ですからね。
「目が覚めた」「夢から覚めた」というのと「目覚めた人」は別な意味です。
そんなこともわからないのですね。
目(め)が覚・める
1
眠りから覚める。「鳥の声で―・める」
2
迷いが去り、正しい姿に立ち返る。「放蕩のあげくやっと―・めた」
目が覚めるとは普通上記のような意味です。
こんなことも区別がつかないのは、あなたの国語力が元々低いからですか、
それとも脳梗塞がひどくなりつつあるからか。
批判側は、アゴン宗の迷いを捨て、準シュダオンさんのような狂信を捨て、
正気に立ち返ったと言っているのです。
釈尊と同じ解脱したなんて誰も言っていない。
神通力を体得したなんて夢を見ているのは桐山さんと
準シュダオンさんとヂミズさんです。
自分の無知、無能ぶりを棚に上げて、批判側を小馬鹿にしたような
態度でお説教を始める。
どうしてそんなに恥知らずなのだ、と恥知らずにいくら言っても、
恥知らずは恥知らずだから、自分を恥知らずだとは思わない・・・やはり、
準シュダオンさんみたいな恥知らずには勝てませんね。
- 714 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/11(日) 00:30:57
- >>700:準シュダオン11/12/10(土) 11:02:15
>「・・・さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し縁起の滅した世界と
>ね!、さとりは「縁起の滅」と説明されています。
>縁起の滅=因縁の解脱、という意味が理解できますか?
全然理解できません。
あなたは桐山因縁解脱も縁起滅も両方理解してないからです。
まず桐山因縁解脱とは、縁起の法則からの解放ではなく、因縁を運命の星と捉えて
ガンの星とか横変死の星とか具体的な厭な運命が起こらないで、快適な人生をおくる
ということです。
なぜかその究極に輪廻しなくなってしまう涅槃も掲げますが、最近は桐山さん自信
これを嫌がり、再度生まれ変わって面白おかしい人生をおくる輪廻転生瞑想を
提唱しています。
これに対して仏教における縁起とは、物事は必ず原因が鎖のように関連しあっているという法則です。
よって四苦八苦あらゆる苦もまたこの縁起の法則に成り立つものです。
では四苦八苦に対して我々はどう対処するのかと言うと、死ぬ原因をなくして
死ななくなるとか、老いる原因をなくして若さを保つとかそんな話ではありません。
そんなことはできません。
つまりそのような理不尽なことを求める執着の心をなくすのです。
縁起の法則を悟って、捨てるのです。
すると馬鹿みたいにオロオロと必死になって不当な欲望に囚われるという苦しみを
乗り越えられます。
しかし四苦八苦の現象は消えません。
目連もアングリマーラも解脱者なのに石をぶつけられましたがな。
血も出ますがな。痛いがな。目連さんそれで死んじゃうし。
釈尊も食あたりでお腹痛いですがな。苦痛ですがな。
しかし脱する苦しみとはそういう苦痛ではなく、そんなもん当たり前なんですから
覚悟して受け入れるしかないのです。
それよりもそういう覚悟が腰に座らずに不当な執着をするのを苦しいと見るのですから
それを離すことを教えるのです。
わかりますか?「悟る」のですよ。
- 715 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/11(日) 00:50:57
- >>700:準シュダオン11/12/10(土) 11:02:15
>「・・・さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し縁起の滅した世界と
>ね!、さとりは「縁起の滅」と説明されています。
>縁起の滅=因縁の解脱、という意味が理解できますか?
悟るとは文字通り認識の問題です。
環境が変わるのを悟るとは言わない。自分の認識が変わるのです。
桐山さんは実はこの悟りという言葉が嫌いです。
悟ったくらいで何がどうなる?と言いたいのです。
「超脳思考をめざせ」では「悟りとは生理的変化だと思う」なんて勝手な希望を
書いてますが、単に自分の希望に過ぎません。だったら悟りを究極に掲げる仏教
なんか捨てて自分で宗教作れよ。
アンタ(桐山)がどう喚こうと、仏教で目的とするものは救いでもなければ
幸福のゲットでもない。悟りです。
救いを求めたり、人生の幸運を獲得するならば、どうして「悟り」なんて言葉が出て来る。
悟るのだから、依然としてウンメイはかく扉を叩きますがな。
裏の崖も崩れて下敷きにもなりますがな。
疫病が流行ってコロコロ死にますがな。
つまり変わらない。変わるのは自分の認識作用です。
部派仏教がさとりは縁起の滅した世界なんてややこしい言い方をした。
迷界の縁起の世界は超越しているのだと言う。
オウムみたいに歌唄ってるんですよ。超脳だ〜♪
しかしそんなややこしい表現をしようが、悪い運命の星を潰して幸運な人生が
展開するなんて話にはならないのです。
我々は縁起に対して無知であるからこの無知を克服せよ。
克服して執着を捨てると認識作用の変わる悟りを得るのです。
もはや苦界の縁起は滅したなんてややこしい下手な言い方をするが、
それは死なないぞ、老いないぞ、病気しないぞ、愛別離苦なんてないぞ、なんて
血迷った噺ではない。
さとりを得たから心が乱されないのです。
老いなくなる道は一つ。生まれて来なければよい。それしかない。
しかし今生きている。だから死のう。
死んでもう生まれて来ない。老化も病気も試験もなんにもない。
桐山因縁解脱とは死ぬことではないでしょうが。
ましてや認識だけ改めて受け入れの覚悟ができる話でもない。
- 716 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/11(日) 00:57:25
- オウムみたいに歌唄ってるんですよ。超脳だ〜♪
↓
オウムみたいに歌唄ってるんですよ。超越だ〜♪
- 717 :ラシン:2011/12/11(日)
11:31:43
- >>700
>ね!、さとりは「縁起の滅」と説明されています。
縁起の滅=因縁の解脱、という意味が理解できますか?
まただ。
準シュダオンさんをいくら待ってもそのお経を示せない。
経句一か所の切り貼り、部分貼りでゴマカしています。
何故なら阿含経にないからです。
阿含経にあるのは。縁起を説いたものに過ぎない。
だからその一例である阿含部縁起經8を以前に示したのです。
だが、そのお経の意味を理解できなかったらしい。
あなたのは、批判側が根拠としたことがないアビダルマ論です。
それも桐山さんの口真似の範疇でしかない。
あなたは、批判側をアビダルマだなどと因縁をつけて、
そのくせ、桐山アビダルマの口真似だけで仏教辞典を活用している。
では、その実際のアビダルマ論を例示します。
阿毘達磨大毘婆沙論卷第一百一十
説一切有部發智大毘婆沙論
知「縁起滅」智是涅槃智。復次知生死智是法住智。
知生死滅智是涅槃智。有餘師説。近分地智是法住智。
根本地智是涅槃智。云何知然。經爲量故。
説一切有部發智大毘婆沙論 卷第九十三
或應説十二。謂趣「十二支縁起滅」行。
或應説無量。謂在相續刹那差別無邊際故。
- 718 :ラシン:2011/12/11(日)
11:34:23
他にも「縁起滅」を説いたお経は、大乘本生心地觀經、
最勝問菩薩十住除垢斷結經、阿毘曇毘婆沙論、 瑜伽師地論、
大毘盧遮那成佛經疏など、ざっと見ても二十数経もあります。
これらは見ての通り、
経論、経疏という論説、注釈書であることがわかります。
深山さんが指摘した部派仏教以降の思想です。
縁起の滅は、説一切有部發智大毘婆沙論なのです。
阿毘達磨大毘婆沙論では、縁起滅智とも解されて、
涅槃を得れば、生死の世界に束縛されず、
それはもう再び縁りて起こらない世界だ、と言うことです。
これが正しいあなたの根拠とする辞典の解説を理解したものです。
だから準シュダオン教の縁起滅=因縁の解脱にも当たらない。
だが、
深山さんの>>705-707での指摘にあるとおり、これは釈尊の考え思想ではない。
阿含経をいくら探しても「縁起滅」なんて経文はありません。
前述したとおり阿含経にあるのは、縁起経のような縁起を説いたものであり、
この「縁起滅」は、経論、経疏という玄奘訳の部派、大乗のそれです。
つまり、初期仏教ではなく、部派仏教以降に捕捉された論考です。
解脱涅槃の境涯をなんとか、汗まみれになって力説しようとしたのが、
この縁起滅という捉え方でありましたが、
結果は釈尊の現実的視点から離れ、机上の想像論に置き換えられてしまった。
阿毘達磨論師による苦肉の解説であり注釈なのです。
- 719 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/11(日) 11:45:04
- 平たく言うと、死んで生まれ変わりをすることがなくなれば、生の苦もなく
老の苦もなく、病の苦もなく、新たな死の苦もなく、愛別離苦も怨憎会苦も求不得苦も
五蘊盛苦もないぞと言うわけです。
桐山因縁解脱のガンの因縁を切ったから健康長寿とかそんな現世利益の話ではない。
- 720 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:25:30
- >悟るとは文字通り認識の問題です。
>環境が変わるのを悟るとは言わない。自分の認識が変わるのです。
そのとおりだが、認識を変える第一歩は、我見をなくすというところから
始めないといけない。ユビさん方批判派は、我見に塗れていますね。
岩波仏教辞典で「我見」を引くと、「我見を根本として貪瞋痴を起こす」
と、解説しているでしょう。三善根をいうならば、三毒の元=我見を断つ
修行を第一歩にしなければいけませんね。管長本にもそう書いてます。
そのためには、自分の修行者としての立ち位置を自覚しないといけません。
阿含仏教では、預流向から→阿羅漢に至る、修行です。
ところが、ユビさん方批判派は、預流向を聖者だと認識して、己が預流向な
のだという自覚がなかった。だから修行が進まなかったのです。
経典には、預流果に至る修行法が説かれていますが、預流向に至る修行法は
説かれていません。修行のスタート地点・境界が預流向だからです。
>「超脳思考をめざせ」では「悟りとは生理的変化だと思う」なんて勝手な希望を
あまり古い時代の本に執着してはいけませんよ。進歩してるのですからね。
- 721 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:46:50
- 欲貪・瞋恚、という煩悩を断てば、阿那含という聖者です。
先ず、我見を断たねば、欲貪・瞋恚は断てません。
平河本の長阿含経に、究羅檀頭バラモンが、お釈迦さま御一行1250人を
7日間、施食供養して、間もなく死去した。が、究羅檀頭は、五下分結を断
じ、阿那含を得ていたので、この世には返らない、というお話があります。
阿摩昼経も、結論部分は同じですね。お釈迦さま御一行1250人を7日間
施食供養した後、供養したバラモンが死去するが、五下分結を断ち、阿那含
を得ていたので、この世に返らない、というお話です。
このお話では、どちらのバラモンも、1250人に7日間も施食供養する財力
があることが分ります。財力があることと、欲貪とは別物であることが解かります。
大きな財力を得ていても欲貪を断ってる場合もあれば、貧乏で欲貪煩悩を
持つ場合もあるわけですね。
私は、贅沢であることと欲貪とは、別物であると考えますね。
この見解↑が、我見なのか自灯明なのかは、まだ不明ですけど。
- 722 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/11(日) 14:13:13
- >>720:準シュダオン11/12/11(日) 13:25:30
>そのとおりだが、認識を変える第一歩は、我見をなくすというところから
>始めないといけない。ユビさん方批判派は、我見に塗れていますね。
話をごまかしていませんか?
ってか、今何の議論をしているのかがわからなくなっているのでしょう。
縁起滅などと称されたこともあった釈尊の「さとり」と桐山因縁解脱の関連です。
あなたは言葉の字面だけで縁起滅=因縁解脱などと共通視したのです。
しかし内容を比較するとこれは違う。
片方は悟り、認識の問題だが、片方はそれを超えて別物のより即物的な話になっている。
なるべき病気にならないとか。
こういう効果なら認識変化の悟りとは言わない。
>あまり古い時代の本に執着してはいけませんよ。進歩してるのですからね。
あなたは超脳思考の桐山説は間違っている、もう取り消されていると思っているのですね。
しかしそうは思えませんね。
その証拠が身解脱です。
桐山さんは心解脱を小解脱、因縁解脱を大解脱としたのは知ってますよね。
これもう少し細分類して桐山さんは示しているのですよ。
煩悩解脱である心解脱の上位に桐山さんが据えたのは身解脱と命解脱です。
身解脱とはなるべき病気などにならない身体の変化、つまり生理的変化に
他ならないではないですか?
命解脱とは事故死などの運命が変わることを桐山さんは示しています。
心解脱に付随するオマケみたいな功徳としてこれらを出したのではなく
心解脱は小解脱に過ぎないのだから、それの上位として究極の功徳として出したのが
身解脱と命解脱です。
生理的変化と運命の変化です。
そういうものを「悟り」という認識の変化を表す言葉で表現するのは妥当ではない
ではありませんか。
心解脱ならわかりますが。
- 723 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/11(日) 14:46:54
- >>721:準シュダオン11/12/11(日) 13:46:50
>このお話では、どちらのバラモンも、1250人に7日間も施食供養する財力
>があることが分ります。財力があることと、欲貪とは別物であることが解かります。
>大きな財力を得ていても欲貪を断ってる場合もあれば、貧乏で欲貪煩悩を
>持つ場合もあるわけですね。
全くその通りではありますが、一つ誤解してならないのは、欲貪には相当しない
財力を駆使しての供養と阿那含を得ていたこととは関係ありません。
財力尽くして供養したから阿那含になれたのではない。
阿那含は別の修養努力、節制努力と認識努力によってなれたのです。
そんなバラモンが1250人7日分の食事を提供する財力があっただけです。
また教団も決して供養者に過分の供養など求めません。
供養しなかったらそれまで、足りなかったら、1250人で分配するだけです。
その日の午前中に食する分しか受け取りませんし。
しかしアゴン宗は解脱供養料として、どんな人にも定額として1体10万円を求め
分納誓約書を書かせても支払わせます。
教団自身も欲貪ありますが、信者にも欲貪を煽ってでも取引させるシステムです。
- 724 :ラシン:2011/12/11(日)
15:23:29
- >720
:準シュダオン
>そのためには、自分の修行者としての立ち位置を自覚しないといけません。
また始まった、今自分がどこにいるかも自覚していないで、
立ち位置とはこれいかに、恐れ入谷の鬼子母神です。
1ここは桐山教義を考え批判する場である。
2ここは、高みから修行ごっこを自慢する場ではない。
3今の議論の縁起滅なんて桐山さんすら根拠にしていないこと。
4縁起滅など桐山説の根拠にも擁護にもならないアビダルマ論である。
5アゴン宗の預流向など仏教の概念とは違うということ。
これをあっさり忘れて、また勝手な自説を垂れ流し始めた。
まずこういう人格の破壊を自覚することが、」第一歩でしょう、
この老人の場合は。
さて、因縁滅という言葉は阿含経にあります。
縁起の滅という仏語は阿含経にはありませんが、因縁滅ならあります。
公正を期す意味で一応掲示しますが、準シュダオンさんはこの経を
どのように解釈するでしょうね。
このお経の意味が分かるなら、アホらしくて縁起滅=因縁解脱などと言えない。
増壹阿含經卷第三十一力品第三十八之一より抜粋
由何”因縁滅”生老病死。我觀察是時。生滅老病死滅。
時復生此念由何而無生。觀此生原有滅生則滅。
- 725 :ラシン:2011/12/11(日)
15:26:45
- >720
:準シュダオン
>そのとおりだが、認識を変える第一歩は、我見をなくすというところから
始めないといけない。ユビさん方批判派は、我見に塗れていますね。
あなたの言う「我見」とは、自己の偏った考えの意味で話している。
だが仏教で言う「我見」とは、あなたがデンパを信じるようなことです。
常住不変の実体があると考えることを「我見」というのです。
あなたの常に言う霊魂を信じ、あると囚われることを言うのですよ。
あなたのその陳腐で頓珍漢な解釈を偉そうに鼻の下にブラ下げて、
イケシャーシャーと出てこないで欲しい。
>ところが、ユビさん方批判派は、預流向を聖者だと認識して、己が預流向な
のだという自覚がなかった。だから修行が進まなかったのです。
あなたの修行の成果とは、デンパを受信できるかどうかだと言いたいことが、
よくうかがえて笑える。
我見にとらわれ、霊魂という実体、輪廻する主体を相手に有難がって焚火をするなど、
それこそ我見の解釈違いであり、仏教修行に違背していることすら理解できない。
あなたのそういう言動姿勢は、精神病院で患者が「オレが医者だ」というに等しい。
- 726 :深山:2011/12/11(日)
19:08:59
- >>720:準シュダオン11/12/11(日) 13:25:30
>経典には、預流果に至る修行法が説かれていますが、預流向に至る修行法は
>説かれていません。修行のスタート地点・境界が預流向だからです。
また準シュダオンさんの「夕飯を食っていない」が始まった。
過去の議論を完全無視して、準シュダオン教をひたすら唱える。
準シュダオン教の一つ「預流向≠聖者」です。
批判側は経典からも預流向を含めた四双八輩が聖者であることを示して、
さらに学者の説明も引用した。
だが、準シュダオンさんはただの一度も何一つ示せたためしがない。
当然です。
四向四果、四双八輩が聖者であることは仏教の常識です。
- 727 :深山:2011/12/11(日)
19:11:25
- 「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経―」中村元訳、岩波文庫、50〜51ページ
「尊師の弟子のつどいとは、すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)
とであるが、かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、
世間の最上の福田である〉と。かれは、聖者の愛する、切れ切れではなくて、
瑕の無い、斑点のない、よごれていないで、自在であって、知者の称讃する、汚れの無い、精神統一を、身に具現している。」
「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
ごらんのように、釈尊は四双八輩(四向四果)のすべてを聖者、福田であると
はっきりと述べているし、学者たちもこの釈尊の分類にしたがい、
四向四果はすべて聖者であるとしている。
四向四果の一つである預流向は聖者です。
桐山さんですら、「預流向≠聖者」とは言っていない。
これほど明瞭な結論が出ているのに、この老人脳の男は絶対に受け入れない。
頭が溶けて理解できないのか、頭が化石になって頑迷不屈なのか、
いずれにしろ、もはや準シュダオンさんは普通の知性すらない。
- 728 :深山:2011/12/11(日)
19:14:30
- >>488 :準:2011/11/21(月)
20:47:18
>解かるかな?「間脳思考」という本では、霊性=超能力、と書いています。
>>665 :準シュダオン:2011/12/08(木)
16:27:54
>間脳思考は、1984年に発行されていますが、批判派の方々はお読みですか?
>>720 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:25:30
>あまり古い
>時代の本に執着してはいけませんよ。進歩してるのですからね。
読者の皆さん、ごらんください。
3週間ほど前に準シュダオンさんは「間脳思考」を引用していた。
3日前も引用して、まるで批判側が読んでいないかのようなお説教までした。
ところが、ユビキタスさんが「超脳思考をめざせ」を引用すると、
古い時代の本に執着してはいけないとお説教です。
では、これらの本の発行年はいつか。
「間脳思考」1984年
「超脳思考をめざせ」1985年
準シュダオンさんのご教示によれば、1984年の本は引用しても良く、
1985年の本は古いから引用するのは執着だそうです。
この準シュダオンさんの厚かましさをごらんください。
三日前に、彼のいう古い時代の本を自分が引用しておきながら、
ユビキタスさんが引用するとお説教が始まる。
あまりの図々しさ、面の皮の厚さに驚く。
準シュダオンさんの面の皮が厚すぎて、甲羅になり、コケがむしている。
- 729 :深山:2011/12/11(日)
19:16:37
- >>720:準シュダオン11/12/11(日) 13:25:30
>そのとおりだが、認識を変える第一歩は、我見をなくすというところから
>始めないといけない。ユビさん方批判派は、我見に塗れていますね。
読者の皆さんごらんください。
縁起滅を話を出したのは準シュダオンさんです。
それを批判側に徹底的に反論されて、何も言えなくなった。
しかし、悔しいから、論破されたことはきれいに忘れて、
我見などと関係のない話を出してくる。
このぬけぬけとした態度をごらんください。
まるで証拠を突きつけられた泥棒が「法律を遵守することは大切だよ」と
お説教を始めたような態度です。
このズルサがいかにも準シュダオンさんらしく、鼻をつまみたくなる。
人品卑しいとは彼のことです。
- 730 :深山:2011/12/11(日)
19:19:53
- >>721 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:46:50
>平河本の長阿含経に、究羅檀頭バラモンが、お釈迦さま御一行1250人を
>>892 :準シュダオン:2009/06/19(金) 14:46:24
ID:XESnzsYQ0
>長阿含・究羅檀頭経から引用しましょう。
ごらんのように、準シュダオンさんは2年前からこの経典を
供養で解脱の道を歩むことができると説いた経典だと言っている。
もちろん、2年前にも批判側から徹底した反論を受けている。
だが、きれいに忘れて、そればかりか、自分が2年前に
引用したことすら忘れて、まるで新発見したかのように出してくる。
反論内容を忘れるのはまだいい。
彼は自分がこの経典を引用するのは初めてだと思っているのです。
昔自分が引用したことを忘れている。
なにせ、三日前に間脳思考の本を自分が引用したことすら忘れて、
古い本に執着するななどと他人にお説教を始める。
彼の主張は準シュダオン教にすぎないのだから、本来なら、
スレ違いな議論なのだが、いつものように信者さんたちのために
準シュダオンさんの説のどこがおかしいかを説明しましょう。
- 731 :ラシン:2011/12/11(日)
19:20:57
- >ところが、ユビさん方批判派は、預流向を聖者だと認識して、己が預流向な
のだという自覚がなかった。だから修行が進まなかったのです。
他の方を知らないが私の場合、少なくとも自分が準シュダオンなんて
思っていませんでした。
そこまで奢る気持ちは持てなかったから、アゴン宗においていえば、
準シュダオンさんの自覚がないとの指摘は頷けます。
ただし別な思い込み、アゴン宗こそ真の仏教であり源流であり、
形骸化した密教の回帰をめざし、古色蒼然とした密教界の僧籍や
アジャリの資格などには何も拘らず、聖なるイベントの参加こそ
自分自身の績徳につながるものだ、というヨダレは垂らしていた。
解脱したブッダ様が、アゴンのために輪廻の柵から這い出して、
アゴン信者に三つの福を与えるために大きな賽銭箱を抱え、
大口を開けて信者の供養をたらふく飲み込むために、
セイなるタキ火に現形したのだ。
このブッダ様は、供えられても供えられても腹一杯を知らず、
いくらでも飲み込める大胃なるセイジャ様だと知った。
- 732 :深山:2011/12/11(日)
19:25:07
- >>721 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:46:50
>平河本の長阿含経に、究羅檀頭バラモンが、お釈迦さま御一行1250人を
準シュダオンさんが擁護したいのは、
「桐山三福道=供養の功徳で解脱への道を歩む」
という説です。
まず、信者さんたちに気がついてほしいのは、アゴン宗の教義からいって、
三福道の根拠が三供養品以外の経典があるのはおかしいということです。
あるはずがない。
桐山ゲイカは眼光紙背を徹する勢いで阿含経を読破して、ようやく三供養品
という「奇蹟の経典」(「末世成仏本尊経講義」255頁)を発見されたのであ〜る!
それを、準シュダオンさんごとき脳がマダラになっているような信者が
ちょっと阿含経を開いただけで、二つも発見できた?
そんな程度なら、桐山ゲイカが指摘されていたはずです。
つまり、桐山三福道に相当する経典を信者ごときが他に発見したなどという
話自体がアゴン宗の教義から見てもおかしい。
奇蹟の経典は一つしかないし、だから、価値があり、桐山ゲイカの大発見なのです。
だから、もし信者さんたちが準シュダオンさんの指摘に同意するなら、
桐山ゲイカの奇蹟の経典の発見を否定するのと同じです。
準シュダオンさんが示した二つの経典は、いずれも供養によって
解脱するなんて話ではありません。
すでにユビキタスさんが反論しているが、それに追加します。
- 733 :深山:2011/12/11(日)
19:30:52
- >>721 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:46:50
>平河本の長阿含経に、究羅檀頭バラモンが、お釈迦さま御一行1250人を
究羅檀頭経は『現代語訳阿含経典5』の89頁からあります。
究羅檀頭バラモンは供養によって阿那含までなったのではなく、
在家として修行したから阿那含になったという当たり前の経典です。
それを翻訳した学者が次のように解説しています。
「さらに、それを聞いた究羅檀頭が三宝に帰依し、五戒を受けて仏弟子になり、
仏および比丘たちを供養する。」
(『現代語訳阿含経典5』13〜14頁)
ごらんのように、バラモンは五戒を受けて在家の修行をしたのです。
在家だから、比丘に供養するなどあたりまえのことです。
供養して間もなく、彼は病にかかり亡くなった。
そこで比丘たちが釈尊に質問すると、次のように答えています。
「あの人は清浄に梵行を修め、一つ一つすべての法が完成しており、また法について
悩まされることがなく、五下分結を断ち切った。」
(『現代語訳阿含経典5』123頁)
信者さんたちに誤解がないように申し上げるが、ここでいう梵行とは
信者さんたちがアゴン宗でしているような労力奉仕や霊的浄化などではありません。
梵行とは広くは八正道そのものであり、狭くは性的な関係を断ち切ることです。
釈尊の言葉には、供養の功徳で五下分結を切ったとはなく、
八正道の実践(梵行)によって切ったとある。
この釈尊の明瞭な返事を、供養の功徳で阿那含になったなんて読めるのは
頭がおかしい人だけです。
- 734 :深山:2011/12/11(日)
19:35:17
- >>721 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:46:50
>阿摩昼経も、結論部分は同じですね。お釈迦さま御一行1250人を7日間
阿摩昼経は『現代語訳阿含経典4』の151頁にあります。
内容も究羅檀頭経と同様です。
バラモンが五戒を誓い、「正しい理法のもとで優婆塞」(194頁)になった。
五戒も正しい理法も供養ではありません。
病没後、釈尊はこのバラモンについて次のように述べている。
「この族姓子は、様々な善をひろく集め、様々な理法を満足して、
理法に従った行いに背かず、五下分結を断じた」
(『現代語訳阿含経典4』195頁)
この文章のどこに供養によって五下分結を断じたとあるのですか。
頭の逝ってしまっている準シュダオンさん以外、普通の国語力があるなら、
バラモンが戒律を守り、正しい理法というのだから、
八正道に従い煩悩を切る努力したおかげで、五下分結を断じたと読める。
準シュダオンさんは以前、この経典を、釈尊が祈祷して病気を治した話と
して持ち出してきた。
国語の読解力が壊滅で、書いていないことが読めるのだから、なんでもありで、
老人妄想脳には勝てません。
- 735 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/11(日) 19:38:27
- >>721:準シュダオン11/12/11(日) 13:46:50
>欲貪・瞋恚、という煩悩を断てば、阿那含という聖者です。
>先ず、我見を断たねば、欲貪・瞋恚は断てません。
>平河本の長阿含経に、究羅檀頭バラモンが、お釈迦さま御一行1250人を
準シュダオンさんはこれを書くことによって、このスレにおいて誰に何を言いたかった
のだろうか?
我見を排さなければ阿那含になれないと言うのはよい。
しかし批判側の誰もこの経典を出して、このバラモンの欲貪など指摘などしていない。
だから批判者は我見に覆われているなんてイチャモンを付けてることにすらならない。
そもそもこのバラモンの施食供養の話に欲貪の話がどうして出て来るのかその発想に
理解が苦しむ。
1250人7日分の食事を提供したのだから、気前いいでんな、それだけの財力あった
んでんなあと感心するのは自由だ。
しかしどうしてそれが欲貪なのかそうでないのかという考察になるのか?
これは施食供養をすることによって何か対価を得ようという発想が根底にあるのではないか?
そんなに気前よく振る舞ってお宅見返りを求める気持ちに過分な貪りがあるのか
ないのか考えてみたわけですね。
しかし結論から言うとこのバラモンは死んだが、阿那含を得ていたので、もうこの世に
生まれてこないという記述を読む。
そこで阿那含になっていたというのだから、欲貪は切れていたはずで、この気前のよい
布施も貪りには相当しないと理解したわけだ。
つまり布施供養を対価を求める行為という構図を描いていたのがよくわかる。
しかし仏教における布施供養は対価を求めないのです。
受け取る側の出家も僧団も功徳として何も返しません。
ただ相手が出家だろうがそうでなかろうが、悪人の手助けをするようなグループで
なければこれは善業に値するのだから来世に功徳があるというだけです。
だから布施は対価を求めてはならないというのが仏教の常識です。
この常識を知っていれば、施食供養をしたバラモンの心の裏にあった欲貪なんて
発想が起きるはずがない。
つまり仏教の常識に反した我見は準シュダオンさんの方こそ抱えているというのが
よくわかる書き込みではなかろうか?
- 736 :深山:2011/12/11(日)
19:42:01
- >>721 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:46:50
>阿摩昼経も、結論部分は同じですね。お釈迦さま御一行1250人を7日間
信者さんたちにもう一つこの経典で着目してほしいのは、
在家の信者が帰依して間もなく亡くなっているのに、
阿那含まで行っていることです。
このバラモンはその地域ではバラモン教に通じた有名な人だった。
だから、元々知性も教養もあり、容易に釈尊の教法を理解できたということもあったでしょう。
だが、釈尊からオシャカの成仏ホウを習う時間などなかったはずです。
実際、経典にはそんな記述はありません。
だが、彼は短期間のうちに五下分結を切ってしまった。
信者さんたちに考えてほしいのは、いったいいつバラモンが
釈尊から煩悩を切るホウを授けてもらったのかという点です。
信者さんたちはいつも「ホウがどこにあるのか」と質問する。
何か摩訶不思議、神秘的なオシャカの成仏ホウがあるのだと信じている。
私はそれに対して、自分の煩悩くらい自分で自覚できるのだから、
潜在意識などと余計なことを考えずに、まずそれを捨ててはどうかと勧める。
だが、信者さんたちは「それは倫理道徳であり、オシエにすぎない」と唾棄する。
バラモンは違っていたのです。
彼は釈尊からは言葉による説法しか聞いていない。
彼は、信者さんたちのいう倫理道徳を受け入れて、自分で実践したのです。
- 737 :深山:2011/12/11(日)
19:50:19
- >>721 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:46:50
バラモンは釈尊の説く理法をそのまま受け入れ、自分で煩悩を無くす努力をした。
だから、短期間に阿那含まで到達したのです。
霊魂があるなどという我見を捨て、釈尊の煩悩を捨てろという教法を受け入れ、
それまでのバラモン教の呪術をすべて捨てた。
護摩を焚き、占いをして欲望を増やすようなバカな真似はやめて、
「千景がいないとさびチい」「今夜にでも」という性欲を捨て、
この教団はオレのものだという執着をなくし、「このバカつまみ出せ」などという
怒りを抑え、解脱が因縁解脱であるなどという無明を捨てた。
その結果、死ぬまでに五下分結を切った。
バラモンは釈尊からはオシャカの成仏ホウも習っていなければ、
仏様からのお力も借りていない。
信者さんたちが倫理道徳と罵る方法で、自力で阿那含まで到達したのです。
準シュダオンさんが引用した経典は、明瞭に桐山三福道を否定している。
いや、この経典に限らず、どの在家向けの経典を読んでも、
三供養品を含めて、桐山三福道など阿含経にはありません。
- 738 :深山:2011/12/12(月)
12:52:01
- 申し訳ないが、2ちゃんねるの規制が強すぎるので、
こちらにレスを書かせてもらいます。
阿含宗という宗教204
>>72 :神も仏も名無しさん:2011/12/11(日) 02:10:10.35 ID:/kP1fNd7
>私もこの短文使って今月末に阿含宗辞めます。
>>93
:今月阿含宗を辞めます:2011/12/12(月) 03:03:27.36 ID:RFWVB8Gs
2ちゃんねるでの他の方からの助言に付け加えるなら、
辞めるのは最初の段階にすぎません。
自分から辞めたのだから、アゴン宗と決別したのだと思ってしまいますが、
何十年もアゴン宗を信仰していますと、簡単には抜けません。
ぶり返しを体験する人もいます。
因縁や霊障、運期で物事を狭く考える習慣がついてしまっています。
辞めた直後、習慣で護身法を切ろうした自分に驚いたことがあります。
自分はアゴン宗の漬物だったと自覚することです。
だから、少しずつでいいから、時間をかけて、自分の中から
アゴン宗という寄生虫を駆除していくことです。
その一つの手法が、>>81でユビキタスさんが書いているように、
ここに自分の体験談やアゴン宗への意見を書いてみることです。
これは自分の頭の中身を出して見て、検証する作業です。
- 739 :深山:2011/12/12(月)
12:54:28
- >78 :神も仏も名無しさん:2011/12/11(日) 10:16:14.37
ID:vrWsC+wS
>まだ続けるつもりなんだね。そんなこと絶対に許さない!!
どうぞ、その気持ちを持続してください。
今は、元信者が裁判への道を開いています。
私の知る限り、今年初めて一般信者だった人がアゴン宗を訴えた。
桐山さんはこういう点、とてもうまく、たくみに裁判になりにくいような
価格設定にしています。
さすがは臭い飯を食った人だけのことはある。
たとえば実際には400万円以上もかかる守護神はこの金額で
販売するのではなく、10万円の冥徳解脱のオマケになっています。
一括で一番高いのは200万円の三辮宝珠尊くらいですから、
訴えにくいように、価格設定がしてあります。
柏原の墓所も世間の相場で、これを返却したいと申し出ても、
逆に、元に戻す金を払えと言われます。
つまり、アゴン宗はやりたい放題なのです。
- 740 :深山:2011/12/12(月)
12:58:21
- >78 :神も仏も名無しさん:2011/12/11(日) 10:16:14.37
ID:vrWsC+wS
>まだ続けるつもりなんだね。そんなこと絶対に許さない!!
裁判に訴えようというなら、辞めた直後はチャンスです。
領収書やアゴン宗グッズがまだ残っているからです。
アゴン宗の宗教教義は全部嘘であり、デタラメですが、これを裁判で争うことは
無理ですから、金銭的な請求で裁判を起こすしかありません。
今、最大の利点は、宗教詐欺で裁判をした経験のある弁護士がいる点です。
当たり前だが、弁護士はとても重要です。
我々庶民が弁護士に依頼するなら、法テラスあたりに行くしかなく、
宝くじのようなもので、当たり外れがあります。
現在行われている裁判を担当している弁護士は、アゴン宗を
取り扱うのは初めてだが、統一教会などの裁判をしたことがあります。
アゴン宗側の反応やノウハウも蓄積しつつあります。
この意味では露払いをしてくれています。
ぜひ、裁判も検討してください。
- 741 :深山:2011/12/12(月)
13:07:33
- >>78 :神も仏も名無しさん:2011/12/11(日) 10:16:14.37
ID:vrWsC+wS
>でも学者はなぜもっと早く桐山の誤りを指摘してこなかったのか? 悔やまれよ。
学者も僧侶も怠慢だと思います。
ただ、研究者たちの仕事は仏教や新興宗教の研究であり、
新興宗教を批判することではありません。
そこはとても微妙で、個人的な意見としては大いに批判するべきだと思うが、
なにせ宗教団体の数が多いし、批判を始めたら、きりがない。
それなら、中立を守るべきなのだが、中には教団よりの文章を書く学者もいます。
また学者だからといって、わかっているとは限らない。
彼らは仏教については詳しいかもしれないが、アゴン宗については素人です。
彼らも俗人だから、思い込みと利益という煩悩を持っている。
たとえば、アゴン宗を応援している元学長も、本で、モンゴル護摩で
まるで桐山さんの法力で雨が降ったかのような話を書きました。
彼はモンゴル仏教については専門家です。
しかし、モンゴルの気象については素人であり、調べようともしなかった。
これだけでも学者としては大失態なのに、間違いを指摘され、アゴン宗の
教義のデタラメを指摘されると、今度は意地になって、アゴン宗の応援を始めた。
なまじ学者だから、素人風情に批判されたくないという妙なプライドを
持っているということと、もう一つはお金でしょう。
- 742 :深山:2011/12/12(月)
13:10:15
- >78 :神も仏も名無しさん:2011/12/11(日) 10:16:14.37
ID:vrWsC+wS
>でも学者はなぜもっと早く桐山の誤りを指摘してこなかったのか? 悔やまれよ。
宗教学の某東大教授が退官した後、ある新興宗教についての本を出しました。
内容は、分析や批判というよりも、明らかに擁護です。
元大学教授、元学長と言っても、サラリーマンと変わらないから、
年金暮らしになったら、お金が足りない。
そこに資金力のある教団から研究費や原稿料のような名目で合法に桁違いの
お金をもらえるなら、その誘惑に負けても、不思議ではありません。
民族博物館にいた著名な宗教学者も、数年前、創価学会の会長と対談していた。
創価学会の原稿料などは桁違いだと言います。
だから、アゴン宗を応援している元学長も例外ではないでしょう。
ただし、中村元博士はちょっと違います。
『月刊アーガマ』に原稿を寄せたことがあります。
彼は、仏教についての原稿や講演を求められれば、相手が誰であれ、
基本的に断らない方針だったと言われています。
実際、彼が書いた内容は経典の和訳であり、元学長のように直接的に
アゴン宗を応援するような内容ではありませんでした。
- 743 :深山:2011/12/12(月)
13:12:27
- >78 :神も仏も名無しさん:2011/12/11(日) 10:16:14.37
ID:vrWsC+wS
>まだ続けるつもりなんだね。そんなこと絶対に許さない!!
今も桐山さんは著名人と対談している。
学者やタレントが応援しているからといって、アゴン宗が社会的に
認知されたと考えるのは、言うまでもなく、間違いです。
はっきり言うなら、彼らは何も知らないで、お金のために対談している。
だから、たいてい一度だけです。
星まつりのレポートをしている某タレントは、アゴン宗の批判を見て、
かえってアゴン宗を応援しているそうだが、彼の知性と良心が
その程度で、頑迷不屈な性格だということを示すにすぎない。
この彼でさえ、無料で出演してくれと言われたら、続かないでしょう。
逆に言うなら、こういう手法でアゴン宗を宣伝しなければならないことに、
信者自身が疑問を持たなければならないのです。
本物のブッダ様が、なんで俗人のタレントを使って宣伝したり、
ブータンから位階を授けてもらわなければならないのか。
こういう疑問を持たない限り、その人はずっと宗教家畜のままです。
- 744 :深山:2011/12/12(月)
13:16:25
- >78 :神も仏も名無しさん:2011/12/11(日) 10:16:14.37
ID:vrWsC+wS
>まだ続けるつもりなんだね。そんなこと絶対に許さない!!
78さんの周囲の信者さんたちにもアゴン宗のおかしい点を話してみてください。
大半の人は拒絶し、78さんを仏様に見捨てられた哀れな人とか、
中途挫折の因縁を出したと同情するでしょう。
だが、一人くらいは耳を傾けてくれるものです。
私も、この人ならわかるだろうと話しても、ダメだったり、
逆に、意外な人が話を聞いてくれて、後で辞めたという連絡がありました。
周囲の信者に話すのは、もちろん、自分が知った事実を伝えて、
騙されていることを警告するという意味もあります。
相手がわかってくれるだろうと期待しないで、自分が知り得た情報を
伝える義務を果たす、くらいの気持ちで話してみてください。
そして、私がもう一つお勧めするのは、相手の反応を観察することです。
辞めた後の自分の知り合いの信者たちの反応は、快不快を含めて、
とても興味深いものでした。
彼らの中には、辞めた者を脱落者、落伍者と侮蔑的に見るから、
愚かにも、本性を露わにする者がいる。
他人を罵り、哀れんだつもりで、自分の汚い心をさらす。
ここにいる準シュダオンさんのような人です。
人間の本音が見える体験は一生の間にそう何度もないから、
ぜひ、このチャンスを生かしてください。
- 745 :ラシン:2011/12/12(月)
16:38:15
- >>735 :ユビキタス
>つまり仏教の常識に反した我見は準シュダオンさんの方こそ抱えているというのが
よくわかる書き込みではなかろうか?
先回りしたツモリで見て話したら、
以前に自分の撒いたゲロを踏んでいた。
準シュダオンさんは、善因善果、因果応報は、
如来というバッターが打ち返してくれるとの、
思い込みが頭から離れないのです。
見返り信仰にたっぷりアゴン宗で汚染されているから、
条件反射的に大きな布施心に潜むヨダレを隠れて啜った。
その隠れて啜ったヨダレがまだ口元に残っていただけです。
常に自分が見返り心をこびり付けているから、
究羅檀頭バラモンの布施も同類同根としか見えない。
まあ、アゴン宗報を見れば無理もないくらいの派手な宣伝パンフ。
多種多様なご法施グッズの限定チラシに目がランラン法力バンバン、
というところです。
どうみても宗教のご指導書や案内には見えません。
- 746 :準シュダオン:2011/12/12(月)
21:21:31
- >1250人7日分の食事を提供したのだから、気前いいでんな、それだけの財力
あった
>んでんなあと感心するのは自由だ。
>しかしどうしてそれが欲貪なのかそうでないのかという考察になるのか?
ユビさんのレスに反論するのはユビさんにいくらか進歩を感じるからだよ。
例えば、「阿含密教いま」本を、読んだことがありますか?
その本の、P276に、阿含宗は、テーゼとしての阿含仏教、アンチテーゼと
しての大乗仏教、それを止揚した阿含宗を打ち出そうと考えている、との
管長の理念が書かれています。
つまり、阿含宗立宗時点で、阿含宗=阿含仏教+大乗仏教、の理念が示さ
れているのです。以前にも、私はこの理念を、レスしましたね。
そしたら大笑いなのだが、深山くんだったか、ラシンくんだったか、忘れたが、
ラーメンに寿司を入れて食べるようなゴッタ煮だと来たw。
管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
だが、愚かな批判派は、何時退会しましたか?ゴッタ煮宣言に気づかず、
何時までも信者を続けたのでしょう、気の毒に。
また、ラーメンに寿司を入れるようなゴッタ煮は、愚かな批判派のすることで、
知恵ある阿含信者は、ゴッタ煮ではなく、食材を生かした鍋料理に仕上げるの
です、すき焼きみたいにね。
ついでにレスしときますが、究羅檀頭バラモンも、阿摩昼の師匠も、人相占い等
に長けていたと記されています。人相占いや吉兆占いを弟子に教えていても、
究羅檀頭や阿摩昼の師は、阿那含になって死んだのです。
つまり、占いをするかしないかなど、阿那含の聖者になれるかなれないか、
などに関係しない、ということが解かるでしょう。
このようなことは、たぶん、私が指摘しないと、ユビさんなどは気づけないで
しょう。
- 747 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/12(月) 22:59:23
- >>746:準シュダオン11/12/12(月) 21:21:31
>例えば、「阿含密教いま」本を、読んだことがありますか?
>その本の、P276に、阿含宗は、テーゼとしての阿含仏教、アンチテーゼと
>しての大乗仏教、それを止揚した阿含宗を打ち出そうと考えている、との
>管長の理念が書かれています。
あの〜・・・阿含密教いまは大昔から読んでますが、なんで今この議論の場で
弁証法の話が出て来るのですか?
あなたが私の書き込みの一部をコピペしてレスを付けた題材は阿那含にもなった
バラモンの供養の話ですよね?
どうしてこの話にテーゼだのアンチテーゼだのジンテーゼだの考察しなけりゃ
ならんのですか?
何と何が対立してるいるのですか?
このバラモンの話では何も対立してないし矛盾もない話です。
何がテーゼで何がアンチテーゼで何をどうジンテーゼにしたのですか?
この経典のバラモンの話の中での対立と統合の構図を書いてみなさい。
>ついでにレスしときますが、究羅檀頭バラモンも、阿摩昼の師匠も、人相占い等
>に長けていたと記されています。人相占いや吉兆占いを弟子に教えていても、
>究羅檀頭や阿摩昼の師は、阿那含になって死んだのです。
>つまり、占いをするかしないかなど、阿那含の聖者になれるかなれないか、
>などに関係しない、ということが解かるでしょう。
いいえ、それは悟る前の話です。
悟る前はこのように占いをしていても悟れば占いなどしなくなります。
捨てます。価値をおきません。
釈尊は戒として占いを禁じているのだから、占いを捨てずに価値を置いたまま
実行して阿那含になれるはずがない。
だから悟った彼はもはや昔やった占いなどすることはありません。
過去に占いをしたのが前科となって阿那含に一生なれないのならば、アングリマーラ
などは大量殺人鬼の前科がありながら阿羅漢にまでなったのですよ。
それは今殺意を捨てたからです。
バラモンも阿那含の悟りを得たからには、今占いも捨てたのです。
アナゴン先生の占い教室なんて開いてません。
- 748 :Boo:2011/12/13(火)
00:55:57
- >管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
だが、愚かな批判派は、何時退会しましたか?ゴッタ煮宣言に気づかず、
何時までも信者を続けたのでしょう、気の毒に。
また、ラーメンに寿司を入れるようなゴッタ煮は、愚かな批判派のすることで、
知恵ある阿含信者は、ゴッタ煮ではなく、食材を生かした鍋料理に仕上げるの
です、すき焼きみたいにね。
あはははは。↑この人、「ラーメン」と「寿司」で「すき焼き」作るんだって。
- 749 :ラシン:2011/12/13(火)
10:39:27
- >746
:準シュダオン
>管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
だが、愚かな批判派は、何時退会しましたか?ゴッタ煮宣言に気づかず、
何時までも信者を続けたのでしょう、気の毒に。
飲んだコーヒーを噴き出しそうになるくらい大笑いです。
もちろんこの準シュダオンさんは、何を笑われているかも気づかない。
こんなに自虐趣味があるとは知りませんでした。
いや、書いたご本人は批判側をしてやったりとニンマリしているでしょう。
単純というか、ニブイというか、そこがまた大いに笑えます。
わたくしが阿合宗の立宗を発表しましたとき、ある尊敬する仏教学者から、
「出家仏教である阿合をどのようにして現代の一般大衆に実践させるのか」
という意味の質問をうけました。
まことにごもっともの質問だと思います。
しかし、わたくしは、もちろん、阿合の修行をそのまま現代社会に持ちこもう
などとは考えておりません。
ひと口に申しますならば、テーゼとしてのアーガマ仏教と、アンチテーゼとしての
大乗仏教、この二つを綜合・止揚したジンテーゼとしての阿合仏教というものを
うち出そうと考えているわけです。
もっとわかりやすくいえば、アーガマにおける修行法を、
密教的方式をもって実践していくということです。一九七八年十二月二十日
ー阿含密教いま 276頁ー
準シュダオンさんが読破されたという師桐山さんの文章です。
桐山さんはここで阿含経修業そのままを出さず、相反する大乗をも阿含に統合し、
高次元化して実践するとおっしゃっている。
元信者もその桐山さんの高邁深淵なる理念を信じていたのです。
しかし、実際はあなたの言うようにただ形だけの「阿含仏教+大乗仏教」だった。
いや阿含仏教ですらない、表面だけのごった煮宗教だと笑い飛ばしている。
それをあなたは、批判側は桐山師匠のご託宣も気づかずにいた気の毒な元信者??
なんて言ってしまったのです。
あなたの指摘は、批判側の嘲笑を認めたことになることも気づけないものだ。
あなたは、「批判側もバカだね、師匠は初めから”ごった煮”理念だと言っているのに、
いまさら遅いんだよ」とズッコケているのです。
あなたも信者なら、もう少し桐山さんの理念を信じ騙され続けることだ。
- 750 :ラシン:2011/12/13(火)
10:40:27
- >746
:準シュダオン
>ついでにレスしときますが、究羅檀頭バラモンも、阿摩昼の師匠も、人相占い等
に長けていたと記されています。人相占いや吉兆占いを弟子に教えていても、
究羅檀頭や阿摩昼の師は、阿那含になって死んだのです。
究羅檀頭又白佛言。瞿曇。我爲祭祀具。
諸牛羊各五百頭。今盡放捨任其自遊隨逐水草。
我今歸依佛歸依法歸依僧。
我今歸依佛歸依法歸依僧。と、あるように究羅檀頭が、
仏法僧に帰依したのだから、占いや焚火を信じていた過去を
すべて解消し捨て去ったということになる。
ふつう、釈尊の教えに帰依したのだから当然止めます。
あなたの言い分だと、改心し泥棒を止めても泥棒道具は所持するのか。
準シュダオンさんならそうだろうが、まともな人間なら、
尊敬する人の主義に反することはしません、止めます。
究羅檀頭バラモンも過去には占いや護摩を拠り所としていた。
しかし釈尊に帰依することで、そういう生き方の間違いに気づいた。
だから是正し、是正した生活があったから阿那含果を得たのです。
信じる医者から生活習慣病を戒められたら、普通は生活改善する。
準シュダオンさんの言い分は、医者から指導を受けても
過去よりの習慣は止めずに、病気だけは治ったと言うに等しい。
- 751 :ラシン:2011/12/13(火)
11:48:55
- >人相占いや吉兆占いを弟子に教えていても、
究羅檀頭や阿摩昼の師は、阿那含になって死んだのです。
つまり、占いをするかしないかなど、阿那含の聖者になれるかなれないか、
などに関係しない、ということが解かるでしょう。
準シュダオンさんは、>>721で「欲貪・瞋恚、という煩悩を断てば、
阿那含という聖者です。」と述べている。
しかし、人相占いや吉兆占いも煩悩を起こさせる道具ですよ。
どんな占いであろうが、不安や心配があるからそれに頼るのです。
占いの判断で現世での利害得失を欲している姿は煩悩そのままです。
頼らざるを得ない根源を所持していて、それでも煩悩を断てたと言えますか?
あなたの主張が矛盾していることに気づかないか。
阿那含とは、欲界での三毒煩悩を断ち切って得る境涯です。
占いで相手を教導し判断することも占いに頼ることも、どちらも煩悩です。
煩悩を抱えていてどうして阿那含になれますか。
究羅檀頭バラモンや阿摩昼の師匠は、占いに対する執着をすでに捨てたから
阿那含果を得たのです。
あなたの判断など仏教に照らして考えれば大間違いだと分かる。
あなたは、占いは人々の不安解消に役立つから煩悩だと認められない。
しかし、
釈尊はその占いすべてが煩悩を喚起させ解脱を邪魔するものと説いているのに、
あなたはどうしてそこまで釈尊の教えに耳をふさいで反抗するのですか。
- 752 :深山:2011/12/13(火)
12:36:53
- >>746 :準シュダオン:2011/12/12(月)
21:21:31
>管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
読んでいる信者の皆さん、ごらんください。
アゴン宗が「ゴッタ煮宗教」だと準シュダオンさん自ら認めた。
そればかりか、桐山さんが「ゴッタ煮宗教」だと宣言していると言うのです。
ジンテーゼや完全仏教などと、見栄を張って背伸びしたタイトルを
教祖がつけて威張っているのに、信者はこれを「ゴッタ煮宗教」だと腐す。
ゴッタ煮宗教とは、批判側がアゴン宗のツギハギ、パクリぶりをさして皮肉で
書いた内容です。
信者がこれを認めてどうする?
アゴン宗は、ラーメンの中に豆腐や寿司をぶっ込み、古くなったフォアグラを
入れて、これを和洋中の完全料理だと言っているようなものだと批判側の一人が書いた。
見事なたとえで、現実のアゴン宗ソノマンマです。
阿含仏教と大乗仏教というくっつかない物をくっつけただけでなく、
日本の伝統仏教もあるし、神道もあれば、キリスト教まである。
宗教のスーパーマーケットです。
信者時代ですら、私は桐山さんのこの「多角経営」に少々ウンザリしていた。
阿含経を元にするというなら、それだけでいいではないか。
それをスサノオを生まれ変わりだの、ヨハネの「後に来る方」であるだのと
訳のわからん荒唐無稽な話を作り上げる必要が、どうしてあるのだ?
- 753 :深山:2011/12/13(火)
12:41:02
- >>746 :準シュダオン:2011/12/12(月)
21:21:31
>管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
信者時代の私がこういう桐山さんの姿勢に嫌悪したのは理由がある。
ゴッタ煮が新興宗教には一般に良く見られるからです。
彼らの作る建物なんかみるとそれがよくわかる。
ゴチャゴチャにいろんな宗教が混ざってしまい、統一性がなく、チクハグです。
教祖はどこかの宗教を真似したような変な格好をして、
変な帽子をかぶって威張っている姿を見ると、失笑しかない。
なぜなら、こういうことをするということは、
教祖に宗教的な力や自信がないから、世間でよく受けている宗教から
「いいとこ取り」をして、その権威を利用して体裁を作ろうとしているのです。
桐山ゲイカまでがそれをしているのを見て、私はとても嫌だった。
ダレソレの生まれ変わりなんていうのはその典型です。
歴史上の有名人の生まれ変わりを自称する連中で立派な人など見たことがない。
有名人の知名度や権威を使って、自分を飾ろうとするのは、
実力がないのに自分を大きくみせて威張ろうとする連中です。
しかも、桐山ゲイカはズルイことに、自分をスサノオを生まれ変わりとは言っていない。
小泉さんに言われたという話です。
前世まで霊視する力があるなら、断言すればいいではないか。
それを他人から言われたということで、いかにも客観的であるかのように
錯覚させるだけでなく、自分の発言の責任を小泉さんに押しつけている。
いかにも桐山ゲイカらしく小ずるい。
- 754 :深山:2011/12/13(火)
12:44:35
- >>746 :準シュダオン:2011/12/12(月)
21:21:31
>管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
ヨハネの予言したメシアだと言い出した時には目が点になった。
当時、桐山ゲイカは世を救う使命をもった特別な人だというなら、
何もキリスト教なんて出す必要がない。
信者だった私は、桐山ゲイカはわざとキリスト教に喧嘩を売ったのだろうかと推測した。
あの本を信者さんたちももう一度読んでみてください。
メシアはあのイエスではなく、桐山さんだと言っているのです。
これはキリスト教への喧嘩です。
キリスト教では、イエスこそが人類を救済するメシアである、
という信仰が土台になっている。
これを否定し、「おれがメシアだ」と桐山さんは言った。
しかも、ヨハネパウロ二世が認めて、特別扱いし、勲章を授けたかのような書き方です。
キリスト教と手をたずさえて地球救済をするという話だと私は思っていただけに、
キリスト教に喧嘩を売っているのを読んで、桐山ゲイカには何か深い智慧から
来る意図がおありなのだろうと思った・・・今から見れば、この時の私は
脳味噌をご供養した宗教奴隷です。
- 755 :深山:2011/12/13(火)
12:48:53
- >>746 :準シュダオン:2011/12/12(月)
21:21:31
>管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
桐山さんは深い深い智慧どころか、簡単なことすらもわからなかったのです。
桐山さんが、自分がヨハネの預言したメシアであると本に書いたのは、
ただの自惚れと癖妄想癖です。
あんなことを書けば、バチカンから猛烈な反発を食らうということすら
予想できなかった。
自惚ればかり強いから、知性が麻痺しているのです。
準シュダオンさんを見ればよくわかります。
予想するだけの知性がないだけでなく、自惚ればかり強すぎて、
自分がまったく見えなくなってしまうのです。
オレ様がヨハネの預言したメシアだなんて書いたら、猛反発を食らい、
せっかくのバチカンとの付き合いもパーになると素人ですら
予想のつくことが、高い知能を持つという彼にはわからなかった。
勲章をもらい、法王に特別扱いされたと思い込み、天井知らずの煙になって
いたから、あんな本を平気で書いたのです。
こんな愚かな桐山さんのどこが仏陀の智慧なのだ?
- 756 :深山:2011/12/13(火)
12:51:03
- >>746 :準シュダオン:2011/12/12(月)
21:21:31
>管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
桐山さんは神道でもキリスト教でも、その場しのぎのことをして、
さもそれが壮大な計画の一部であるかのような話に作り上げる。
中国に寄付した見返りに、道教とのつながりができると、
六十神将を持ち帰り、さっそく商売を始める。
上座部仏教や、チベットやブータンから法位法号を買うと、彼らの宗教など
何一つ知らないのに、たちまちそれらを体得したと称して、アゴン宗は南伝、
北伝、東伝を統一した完全仏教だと始まる。
カトリック系の大学に寄付して理事職を買うと、たちまち環太平洋仏教ができてしまう。
全部、このノリです。
私は信者時代ですら、これらの話を聞いていて、首をかしげていた。
だが、桐山さんは昔からこのパターンなのです。
立宗も同じノリです。
- 757 :深山:2011/12/13(火)
12:53:18
- >>746 :準シュダオン:2011/12/12(月)
21:21:31
>管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
阿含経と密教を統合したジンテーゼと桐山さんは宣言した。
ジンテーゼなどという言葉に惑わされないことです。
桐山さんのしたことは、準シュダオンさんすらも認めているように、
ゴッタ煮です。
なぜなら、阿含経を密教の様式で実践するなどできるはずがない。
桐山さんの密教の様式とは、護摩などです。
だが、釈尊はその様式すらも禁止したのです。
つまり、阿含経は密教の様式では実践できない。
キリストの愛を人殺しで実践できないと同じです。
インド密教は、簡単に言うなら、「仏教の皮をかぶったヒンドゥー教」、
「仏教の皮をかぶったバラモン教」です。
これは私が極端に表現した内容だが、桐山さんの引用した学者の
本ですら、これと似たことを指摘している。
当時のインドはヒンドゥー教の台頭と巻き返しで劣勢に追い込まれていた。
そこで世間受けしているヒンドゥー教を取り入れることで、客集めをしたのです。
その証拠に、信者さんたちが拝んでいる不動明王、大黒天、愛染明王など
密教系の神仏の多くがヒンドゥー教からの出稼ぎです。
- 758 :深山:2011/12/13(火)
12:56:51
- >>746 :準シュダオン:2011/12/12(月)
21:21:31
>管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
信者さんたちが拝んでいる準胝観音もヒンドゥー教の神様だと知っていますか。
あれはシヴァの妃のドゥルガーという女神です。
虎かライオンを聖獣として従え、剣を持った美人の女神様です。
だから、今でも準胝観音は複数の腕を持ち、その一つに武器を持っている。
あれは自分の煩悩を断ちきるためではなく、阿修羅を斬り殺すための武器です。
ヒンデゥー教の護摩を焚き、占いをして、ヒンドゥー教の神様を拝み、
沐浴する代わりに滝行をして、現世利益を願う。
アゴン宗はヒンドゥー教そのものです。
私がアゴン宗は外道だというのも罵りでないことがこういう点からもわかるでしょう。
釈尊はこういうヒンドゥー教の前身であるバラモン教を否定した人なのですよ。
釈尊の教法の中には、拝むべき仏菩薩、天部の神様なんていない。
仏像が入り込む余地はない。
禁止というよりも、教法からして、護摩を焚くとか、神仏の像を拝むなど
ありえないのです。
釈尊の教法の基本を理解したら、もはや、護摩も占いも捨てるしかないし、
自分から仏像を拝むなんてこともなくなる。
死者の成仏なんて論外です。
逆に言うなら、それをしているうちは仏教を理解していないのです。
つまり、阿含仏教と密教をごった煮したなどと言っている桐山さんは
仏教の基本すら理解していない。
- 759 :深山:2011/12/13(火)
13:02:50
- >>746 :準シュダオン:2011/12/12(月)
21:21:31
>管長は、1978年の立宗時点で、ゴッタ煮の宣言をしているのです。
阿含経を読み、仏教を理解したら、密教など捨てるしか道はない。
両者は水と油のように混ざらない。
繰り返すが、釈尊はヒンドゥー教の前身であるバラモン教を否定したのです。
その否定したヒンドゥー教を取り入れた密教を、どうやって阿含経と一緒にするのだ?
ヒンドゥー教は呪術を主体として、神仏に加護と現世利益と来世成仏を、
また死者の成仏を供養の見返りとして願う。
信者さんたちがしていることソノマンマです。
こういう信仰のあり方を釈尊は否定した。
いや、釈尊ばかりか、当時の六師外道すらも否定していた。
彼らは、今のアゴン宗のような現世利益のバラモン教に反発して、
独自の宗教を打ち立てたのです。
こういう点、アゴン宗は六師外道よりも仏教から遠い。
釈尊が否定したこと、禁止したことを取り入れることは、
ジンテーゼではありません。
それは外道と言います。
アゴン宗は、準準シュダオンさんが認めているように、
ヒンドゥー教にもっとも近い外道のゴッタ煮宗教です。
- 760 :準シュダオン:2011/12/13(火)
19:33:11
- >あの〜・・・阿含密教いまは大昔から読んでますが、なんで今この議論の場で
弁証法の話が出て来るのですか?
>あなたが私の書き込みの一部をコピペしてレスを付けた題材は阿那含にもなった
バラモンの供養の話ですよね?
>どうしてこの話にテーゼだのアンチテーゼだのジンテーゼだの考察しなけりゃ
>ならんのですか?
それは、すべてが関連しているからですよ。ユビさん方は、一部を切り取って
議論してるにすぎないのです。つまり、系統づけて考える智恵がないのです。
「阿含密教いま」のP276に、
「しかし、わたくしはもちろろん、阿含の修行をそのまま現代社会に持ち込もう
などとは考えておりません。」と、書いています。
解かりますか?阿含経の修行法を、そのまま現代に持ち込もうとは考えていない
というのです。そのあたりが、愚かな批判派には考えが及ばないのです。
止揚した阿含仏教を打ち出そうと言うのが管長の理念です。
止揚というだけで、賢者には意味が解かります。止揚とはアウフヘーベンの
ことです。ヘーゲル弁証法ですね。
私は、阿含宗=阿含仏教+大乗仏教、と前にレスしましたが、そういう単純な
ことではないのです。酸素+水素=水という、驚くべき現象があるのであるが、
阿含仏教と大乗仏教が合わされば、化学反応ともいうべき教えが現出しているね。
その一つが、思念による王者の相承でしょう。
阿含宗は、単純に、阿含仏教と大乗仏教を合わせたものではないのです。
それらをアウフヘーベンした、別の、高い仏教を創りだす、というのが
管長の主張なのですね。それを解からないから、批判派はチンプンカンプンな
批判をしているのですW。
- 761 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/13(火) 20:11:07
- >>760:準シュダオン11/12/13(火) 19:33:11
>それは、すべてが関連しているからですよ。ユビさん方は、一部を切り取って
>議論してるにすぎないのです。つまり、系統づけて考える智恵がないのです。
全く理解できません。
桐山さんの書いたアウフヘーベンもどきの理屈は反論はさておき理解してますよ。
あなたのようにジンテーゼをあからさまにごった煮と表現するようなことは
ありませんでしたけど。
あなたがこれまで出してきた供養をするバラモンの話は置いといて、それはさておき
話が変わるが、昔批判側でアゴン宗はラーメンに寿司を混ぜたようなものだと
書いた人がいたけど、あれはジンテーゼなんだぜということを言いたいのなら
唐突ではあるが、その話題転換も理解できます。
ところがあなたの展開方法は、話題転換ではなく、供養するバラモンについての
議論の私のレスをコピペする形でレスを付けてきた。
それならばアゴン仏教と大乗仏教や密教とのアウフヘーベンなんて桐山節は
私も知ってるから今更あなたの講説など聞かなくてもよいが、関連があるという
バラモンの供養の話についてその関連を具体的に示して欲しいですね。
バラモンが大勢の比丘たちに1週間食事を供養することと、五戒を守って在家の修行
をして阿那含になったこととは何の矛盾も対立もありません。
対立ないところにはアンチテーゼもジンテーゼも持ち込む余地がない。
だから大乗仏教とか密教とか阿含経とかの話は桐山風ごった煮の話はもう要らないから
バラモンの供養と阿那含における対立と止楊の構図だけ説明してくださいな。
あなたなりに自信があるから関連付けで
出したのでしょう?
だったら自信持って書いてみなさいな。
あなたは私に笑われることを予測してません?
うん。答えてくれた内容によっては笑います(笑)
- 762 :ラシン:2011/12/13(火)
22:04:16
- >760
:準シュダオン
>それは、すべてが関連しているからですよ。ユビさん方は、
これは失礼、準シュダオンさんでも??複数の反論には対応できないようだ。
なんてぃ〜(チャラク)、いまさら言うことじたいバカらしいほどです。
ですから、他は無視せざるを得ない。
まともな反論などあなたの力量外、という感想に異を唱える人はいるでしょう
いないでしょうね。
だから反レスは、ユビキタスさんに絞りなさい。
こちらは、あなたのニブイ反応など期待しておりません。
深山さんも、読者を意識し、読者にあなたの ニV 指摘によって生じる
誤解の是正に努めているだけだと思います。
準シュダオンさんが、おマヌケに穴から顔を出せば、
思い切り叩かれるという図式は、しょうがないでしょう。
パンツが破れた御仁が、ご立派な意見だと自惚れている姿ほど、
爆笑する図式は無い。
あなたはみずからパンツを下げ
いやハードルを下げて、
桐山師匠のフンドシいやサルマタまで押し下げたのだ。
不敬な信者ですよ、準シュダオンさんは、、、。
- 763 :ラシン:2011/12/14(水)
11:42:00
- >止揚した阿含仏教を打ち出そうと言うのが管長の理念です。
止揚というだけで、賢者には意味が解かります。止揚とはアウフヘーベンの
ことです。ヘーゲル弁証法ですね。
だから桐山さんは充分そういう論”法”を意識し冠にして、
立宗の趣意としたと解説してあげた。
>>749:桐山さんはここで阿含経修業そのままを出さず、相反する大乗をも
阿含に統合し、高次元化して実践するとおっしゃっている。
それを一信者の分際で批判側の皮肉をマジ受けして「ごった煮宗教」と断言する。
深山さんが指摘している通り、阿含仏教に何を付加する必要があるのでしょう。
堕落し小難しく装飾した密教や、キリスト教を差し置いて火の洗礼者を自認し、
神道を遡って神の生まれ変わりまで演出した。
密教は釈尊が当時において否定されたバラモン教の受売りであり、
キリスト教はその名の通り救世教でその救世主がイエスだが、
釈尊はメシアなどを崇めてもいないし認めてもいない。
神道については、空想小説の中の飯綱の術を有(煩悩)の通力だと手放した。
それがいつのまにかこれらを桐山さん自身の装飾品として権威立てた。
身を飾り立てる仏陀などおりません。
釈尊は、現世で二度自らの身体が金色に輝く。
悟りを得た時と般涅槃で入滅する時と言われています。
清浄を為した聖者はこのように光り輝く。
桐山さんのように他宗教を断片的に切り貼りして身を飾ることなどしません。
阿含経は教えが完成されているのに、何を以って補完する必要があるのか。
- 764 :準シュダオン:2011/12/14(水)
13:25:31
- >全く理解できません。
>桐山さんの書いたアウフヘーベンもどきの理屈は反論はさておき理解してますよ。
>あなたのようにジンテーゼをあからさまにごった煮と表現するようなことは
>ありませんでしたけど。
いや、知恵が無い人はラーメンにお寿司入れてゴッタ煮になるのですw。
知恵ある人は、旨い鍋料理に仕上げるのです。「オウム真理教と阿含宗」本
にも、北伝大乗仏教と南伝上座仏教の融合と書いてます。
だからね、批判派が「阿含宗は護摩を焚く」と批判するのは可笑しいのよ。
阿含宗は、後期大乗仏教の密教を採用しているのだから、護摩を焚くのは
当たり前でしょ?非難する理由が分んないね。
>それならばアゴン仏教と大乗仏教や密教とのアウフヘーベンなんて桐山節は
>私も知ってるから今更あなたの講説など聞かなくてもよいが、関連があるという
>バラモンの供養の話についてその関連を具体的に示して欲しいですね。
いや、あなたは桐山説を理解できていないから、我見で非難しているのです。
バラモンの供養の経も、管長のアウフヘーベンの話も、すべて関連があるのです。
批判派は、異常に、供養と福の話を嫌がり、否定したがっている感じがするのよね。
究羅檀頭バラモンに、釈尊は、僧団に供養すれば果報がある、「大いなる福を求め
る者は三宝に供養せよ」と、ちゃんと説いているでしょ。この場合の大福の
内容までは、具体的に不明ですけど。
三供養品・三善根の経にしても、「功徳の種をうえる」=「修行と供養」と、
解釈すれば涅槃界へ至る福も、納得いくでしょう。
- 765 :準シュダオン:2011/12/14(水)
13:34:43
- 批判派の、「因縁解脱」の批判にしても、管長は、○○の因縁解脱=成仏だと、
ストレートに説いてるわけではありません。
そのことについても、「阿含密教いま」本のP290〜291に解説しています
から、ユビさんなどは復習してから、批判した方がいいですよ。
- 766 :ラシン:2011/12/14(水)
15:42:30
- 阿含経に説かれた仏教の基本は、
1、解脱とはすべての煩悩から解放されること
2、解脱者は輪廻の法則を受けず何処にも転生しない
という根幹を捉えればその教え自体を理解することは、
決して難しいものではありません。
そこではどんな小ざかしい理屈をつけても、
釈尊はこの世の衆生を儚み、特別に桐山さんのために
現世復帰するなどありえない。
釈尊が輪廻の法則を自由に操れることなどない。
だから如来現形もウソであり、そのホネに供養せよなどと、
言ったこともありません。
しかし、桐山さんは体得したオシャカの成仏法を密教の様式で
駆使し死者成仏を達成すると放言しています。
桐山さんの仏教止揚は、阿含経において、まるで必要の無いことだ。
ただの桐山さんの私用にすぎない弁明です。
釈尊の煩悩からの解放を実践する上では、
焚き火のイベントで人力や金を集めるなんて無用無益となる。
だがそう解釈すれば桐山ビジネスは成り立たなくなる。
だから相反する大乗をも阿含に統合し次元を高めた宗教などと、
先に言い訳して、焚き火を興行し木札を売っているのです。
これのどこが仏教融合ですか、ただの宗教ビジネスをモデル化しただけです。
信者も信者で、なにひとつ阿含経を確かめず桐山サングラスを手放さない。
煩悩抑制なんて嫌なことには向き合わず、ひたすら桐山さんの代理行に期待し、
桐山さんにどっぷり浸かって依存症を併発しまくっている。
桐山さんの説く福は現世の見返り、釈尊の供養の果報とは来世です。
釈尊は現世で戻ってくることを期待させるような上手い話は説かない。
それは煩悩となるからです。
だから寄進したり食施供養をした支持者は、釈尊の説法を聴聞するうちに、
三宝に帰依し身を改め煩悩を減らした果実を得るようになった。
釈尊やサンガに布施したから預流や一来、阿阿那含を得たわけではない。
- 767 :Boo:2011/12/14(水)
15:49:11
- >批判派が「阿含宗は護摩を焚く」と批判するのは可笑しいのよ。
>阿含宗は、後期大乗仏教の密教を採用しているのだから、護摩を焚くのは
>当たり前でしょ?非難する理由が分んないね
私は批判サイドですが、護摩も占いもよろしい。許容しますよ。しかしね、
最大に批判する論点は、理屈ばかりで、グモンジ、チャクラ、クンダリニー
などの「超能力のカリキュラム」もセミニルバーナだかなんだか知らんが
「上根の成仏法」も、「因縁解脱」ぽっちのことすらな〜んにも結果が
出ていないことです。
結果さえ出すならごった煮だろうがフルコースだろうが結構。
あたかも結果に結び付くかのような「伝法会」だの「解脱供養」だの「冥徳供養」だの
10万円の護摩木供養だの、私もすべてやりましたが何一つ納得のいく結果が出たものはない。
挙句のはては「輪廻転生」が目的だった?なんのこっちゃ。ですよ。
- 768 :Boo:2011/12/14(水)
18:35:44
- ああ、念のため言っておきますが・・・準シュダオン式デンパは「結果」とは
認めませんのでアシカラズ・・・
- 769 :準シュダオン:2011/12/14(水)
20:26:11
- >だから大乗仏教とか密教とか阿含経とかの話は桐山風ごった煮の話はもう要らないから
>バラモンの供養と阿那含における対立と止楊の構図だけ説明してくださいな。
>あなたなりに自信があるから関連付けで
出したのでしょう?
>だったら自信持って書いてみなさいな。
>あなたは私に笑われることを予測してません?
先ず笑われる件ですが、地球は動いてると聞いたら、幼児は笑うでしょう、
動いていないよ、と言って地団駄を踏むでしょう。だから、笑われることは
障害ではありません。これをレスしても、「たぶん、批判派に派は、理解出
来ないだろう」と、思われるから、レスを躊躇ざるを得ないのですね。
「阿含密教いま」本の時代、管長は、阿含仏教は自力本願、修行によって
成仏するしかない、と考えていました。大乗の布施行により、仏の慈悲に
よって成仏できるなど、考えていなかったのです。
ところが、阿含宗を立宗した翌年(1979年)、応供の如来が現れて、
三供養品を想起したのです。如来に功徳の種をうえて涅槃界に至る、という
お経です。
そこで、管長は従来の教えを少し変えたのですね。従来の教えは、千座行の
ように、あくまで、自力の修行によって成仏する、という教えでした。
だが、お護摩に三身即一の如来が現れて以後、供養する者には功徳を与える
ぞよ、との霊示を受けて、教えが変わったのです。これは当たり前ですね。
阿含経を読めば、三宝に供養すれば福を得られる、との釈尊の言葉が、あちこちに
みられるからです。
では、阿含仏教と大乗仏教の根本的な違いは何処にあるのか?
それは、アウフヘーベン出来るものなのか?
というのが、阿含宗信徒の命題なのですね。
退会者には、そのようなことは想像だにできないわけですw。
ユビさんにしても、阿含仏教に出直す才能があるのか否か、私には判断不能です。
- 770 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/15(木) 00:01:52
- >>764:準シュダオン11/12/14(水) 13:25:31
>にも、北伝大乗仏教と南伝上座仏教の融合と書いてます。
融合なんかさせていません。
どちらにも顔なじみがあるというだけです。
信者から巻き上げた金をチベットにもスリランカにも配って称号をもらっただけです。
北伝たる日本の宗派仏教はそもそも出家得度もせずに僧侶のふりしてぱくっただけです。
だからその実どこの仏教でも修行してません。
僧侶のふりして、あちこちからサインもらって自慢してるだけの人が何を融合したか?
>だからね、批判派が「阿含宗は護摩を焚く」と批判するのは可笑しいのよ。
>阿含宗は、後期大乗仏教の密教を採用しているのだから、護摩を焚くのは
>当たり前でしょ?非難する理由が分んないね。
護摩を焚きたかったら、阿含の看板をはずして密教の立場を貫けばよいだけです。
ただしきちんと真言宗なり天台宗なり出家して加行を修め阿闍梨になることですね。
阿含の看板を掲げたかったら護摩を捨てることです。
両方は選べないのです。阿含経が禁じている護摩を焚いてアゴンを名乗ることなど
許されません。
つまりごった煮にしていいものと悪いものがあるのです。
- 771 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/15(木) 00:33:32
- >>764:準シュダオン11/12/14(水) 13:25:31
>批判派は、異常に、供養と福の話を嫌がり、否定したがっている感じがするのよね。
いいえ、誰が供養と福を否定しましたか?
積極的に肯定しています。だから阿那含を得ることも、供養をして福を得ることも
もともとどこにも対立の構図などないから弁証法など適用できないと言っているのです。
なぜなら仏教でいう福とは欲得離れた心の平安だからです。
これは修行をして得る解脱も涅槃も共通だから全く矛盾がない。
供養は善行でもあります。
清らかな道を歩む聖者の生存を支援することはそのまま自分の心も清らかなる
第一歩となります。
甲子園に出場する、あるいは目指す高校に寄付する時、純粋に頑張ってもらいたいと応援するからであり
見返りなど何もなくても寄付するのと同じです。
>究羅檀頭バラモンに、釈尊は、僧団に供養すれば果報がある、「大いなる福を求め
>る者は三宝に供養せよ」と、ちゃんと説いているでしょ。この場合の大福の
>内容までは、具体的に不明ですけど。
三宝供養と言うが、この中の法供養って何ですか?
法とは真理の教えのことです。教えに貢ぎ物をするって何?
つまり教えを尊び、守り、実践することに他ならない。
だから三宝供養とは仏教の実践そのものです。
だからここにもアンチテーゼなるものが見当たらない。
>三供養品・三善根の経にしても、「功徳の種をうえる」=「修行と供養」と、
>解釈すれば涅槃界へ至る福も、納得いくでしょう。
これも何度か指摘してるが桐山さんと異なることを説いている。
桐山三善根、三福道は、桐山さんはこれを下根の成仏法としています。
修行も供養もそろっているなら立派に上根と言えるではないか?
なぜ桐山さんはこれを下根などとしたのか説明してごらんなさい。
- 772 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/15(木) 00:59:06
- >>765:準シュダオン11/12/14(水) 13:34:43
>批判派の、「因縁解脱」の批判にしても、管長は、○○の因縁解脱=成仏だと、
>ストレートに説いてるわけではありません。
ごまかしても駄目です。
たしかに○○の因縁だけを説きません。
究極は輪廻がなくなりもう生まれてくることがない涅槃です。
しかしこんなのは最終目標であり、その前に○○の因縁を切る道があるのです。
ガンの因縁、横変死の因縁などです。
だからこれを除いて論じることなどありません。
だいたいおかしいと思わないか?
なんでそのような都合のよい現世利益を追求させた後、これが輪廻のストップに
つながるのか?
さんざん遊んだんだからその延長戦は最後に永眠しましょうってか?
解脱として扱うには全く異なる両者であり、話がつながらないのですよ。
生まれ変わらない涅槃を目指すなら現世利益の追求なんか、必要なく、とっとと
そんな欲を捨てるべきです。
何があろうと精一杯生きていけばよく、涅槃を得る為に邪魔となる不要な煩悩を
増やすことなどない。
とにかく究極にいかに不自然にも輪廻解脱を説いても○○の因縁解脱を説いて
目標とした事実は消えません。ごまかせません。
- 773 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/15(木) 08:18:30
- >>769:準シュダオン11/12/14(水) 20:26:11
>これをレスしても、「たぶん、批判派に派は、理解出
>来ないだろう」と、思われるから、レスを躊躇ざるを得ないのですね。
逃げなくてもごまかさはくてもわかりますよ。
書くとそのお粗末な解釈に馬鹿にされることを恐れているわけです。
お粗末な解釈とは自力と他力の対立とその止揚を出したかったんでしょ?
つまり供養することはそれをする見返りに阿那含にだって至る福が貰える他力の構図、
対して修行の自力の構図を説いたつもりでしょう。
しかし供養には仏という慈悲深い超自然的な存在から他力を戴こうなんて発想はないのです。
逆に比丘集団に対する慈悲の実践ですよ。
慈悲の実践ならば大乗を待たずしてちゃんと釈尊が示しています。
説かないのは慈悲にすがることです。
供養を差し上げた相手から何か褒美を戴こうなんて情けない話ではない。
供養には相手からの見返りはないのです。
よって他力と自力の対立と止揚なんて話にならない。
- 774 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/15(木) 08:42:21
- >>769:準シュダオン11/12/14(水) 20:26:11
>そこで、管長は従来の教えを少し変えたのですね。従来の教えは、千座行の
>ように、あくまで、自力の修行によって成仏する、という教えでした。
>だが、お護摩に三身即一の如来が現れて以後、供養する者には功徳を与える
>ぞよ、との霊示を受けて、教えが変わったのです。これは当たり前ですね。
いや、そうでもないのですよ。たしかに桐山さんもあなたが書いたような転換を
話していますが、それをそのまま信じるのは自分の頭で考えていない。
私はアゴンを名乗る以前の観音慈恵会時代からの古い信者だったからよくわかるが、
昔から基本は他力依存ですよ。
千座行時代も準胝観音という本尊に因縁解脱を託していたわけですよ。
三密加持をしてたつもりです。三密加持ったってお経読んで真言をナモナモと唱える
だけでしょうが。これによって本尊の力が加わり自力では切れない因縁が切れる。
ズバリ他力信仰そのものです。
ただナモナモしてるだけでは駄目だから、奉仕積徳行(自力)にも励まないと
顕密両輪にならないと説く。
これは今でも同じですね。他力だけでなく自力の努力も両方必要だと説く。
だから昔も今も基本的に何も変わっていない。
奉仕積徳行、アゴン宗梵行だって実は自力ではない。
本尊に教団に奉仕して点数を稼いで加えて貰おうというのは他力です。
>阿含経を読めば、三宝に供養すれば福を得られる、との釈尊の言葉が、あちこちに
>みられるからです。
ですから先に解説したようにそれは点数稼ぎではなく、ズバリ教えを理解し、守り、
実践することであり、それによって煩悩が減り心が平安になる福です。
- 775 :準シュダオン:2011/12/15(木)
11:11:06
- >ですから先に解説したようにそれは点数稼ぎではなく、ズバリ教えを理解し、守り、
>実践することであり、それによって煩悩が減り心が平安になる福です。
だから、その(心が平安になる福)ような考えを、我見というのです。
釈尊は、究羅檀頭バラモンに、「欲求大福者 當供養三宝」と説いてますが、
この場合の「大福」の具体的内容までは説いていないのです。
つまり、これこれの福、というように限定してはいません。
福には大別して、現世利益的なものと、涅槃に向かう功徳と、
二つありますけどね。
教えを理解し、守り、実践して、煩悩が減り心が平安になる?
まぁ、気持ちは解かりますが、それは従来の大乗仏教の教えですねw。
阿含仏教の涅槃は、そういう単純なものではありません。阿含仏教の涅槃は、
阿摩昼バラモンに、詳しく説いているでしょう。
平河本第4巻のP172あたりからP183まで、それが涅槃に至る、
具体的な内容でしょう。四念処の実践から入り、有覚有観喜楽生じて初禅に入り、
第四禅に進み、自分の分身を生じられるようになり、天耳他心通が生じ、やがて
三明智を生じさせるに至る、とね。
阿含仏教の涅槃は、心が平安になるというような単純なものではありません。
三明智が生じるまでは、無明・痴を断じたとは認めないのです。
そのための第一歩が、我見を断つ、という教えですね。
- 776 :準シュダオン:2011/12/15(木)
11:32:48
- >逃げなくてもごまかさはくてもわかりますよ。
>書くとそのお粗末な解釈に馬鹿にされることを恐れているわけです。
>お粗末な解釈とは自力と他力の対立とその止揚を出したかったんでしょ?
愚か者に馬鹿にされたって、可笑しいだけだがw、徒労に終わるかと思うと
レスを躊躇せざるを得ない、ということね。所詮、新皮質脳だけの解釈には
限界がある、ということです。阿含経も管長本も、新皮質脳だけでは、いくら
頭が良くても、正しい解釈はできないですね。
たとえば、霊性=天眼智・宿命智、などという教えを信じることは、
アダムがエデンで林檎を食べて智恵が生じた、ということを信じるくらい、
難しくありませんか?
馬鹿にされるのが恐ろしいなど、正反対です。馬鹿にされてるうちは安心です。
ついて来れていないことを、確認できるから、安心なのです。
これが、退会者にまで、私の解釈が理解されるようでは恐ろしいね。
私が進歩していないことの証明ですからね、それでは困るね。
私の願いは、我見を捨てて正しい解釈を得ること、ですよ。批判派に指摘
されて私の間違いに気付き、考えを改めるようなことがあったら、喜びですよ。
まぁ、期待薄ですけど。
以前、批判派のレスに「議論の勝ち負け」なんて、語がありましたけど、
そういう意識のうちはレベル、低すぎますよ。
- 777 :ラシン:2011/12/15(木)
12:08:54
桐山さんは阿含経を学んだという感想で、
煩悩を滅する基本的な道徳や倫理について理解できるが、
何かが物足りない?こんなはずではない?これだけではない!
と述べていました。
自力で誰も為し得なかった解脱を為した大法力者!
シャク
尊!
きっと他に何かある、有余涅槃に達した釈迦が単に道徳の
実践だけであれだけの偉業を為し遂げられるわけが、ない!
私は釈迦に隠されたその大神通力をこの阿含経から紐解いてみせる!
そう心に誓って虚心坦懐、傲慢、独断でしかも法華経で習得した漢訳力を
駆使し、目を皿のようにして阿含経読破に没頭した!
そしてついに、ああ、求聞持脳を体得した私だけが阿含経の秘密を垣間見、
そのヒミチュを取得できたのだ!!!、、、、。
とまあ、
ここまで思い込んだかどうかは知りませんが、
桐山さんの動機や珍解釈の出発と自説の正しさの証明は、
こういう思い込みを信者に印象付けて止揚したと威張っている。
簡単に言えば、子供の”無いものネダリ”です。
求めて求めて出てこないから、終いには自分で創作し出す。
三善根を三福道に捏造し、與陰を異陰に読み違えて余韻に浸り、
自説の根拠をウソとインチキで満載にした。
子供の桐山さんが家の納屋の中で思いっきり妄想を膨らませて、
与えられ受け取れなかったものを自作自演にまで高めた。
それらをすべて標語にまとめた。
○○法!と発すればそれはすぐに体得され力になると思い込む。
だから、
ここに出没する怠け者信者も、”無いものネダリ”をした結果が、
見えない場所で自説に耽る。
桐山標語を羅列して理解したツモリになっている。
いわば”ツモリ”信仰、”成り切ったチャン”信仰です。
どう見ても君が悪い、いや気味が悪い世界にしか見えません。
- 778 :Boo:2011/12/15(木)
14:14:17
- >馬鹿にされるのが恐ろしいなど、正反対です。馬鹿にされてるうちは安心です。
>ついて来れていないことを、確認できるから、安心なのです。
>これが、退会者にまで、私の解釈が理解されるようでは恐ろしいね。
>私が進歩していないことの証明ですからね、それでは困るね。
いえいえ、準シュダオンさんの解釈は理解できます。理解できるから批判の諸氏は
反論してるでしょ?その反論に反論できない準シュダオンさんは、ROMから見ても
「進歩」ではなく「後退」とか「反復」にしか感じませんが・・・これって私の
我見でしょうか?
- 779 :ラシン:2011/12/15(木)
17:07:04
- >>775-776での、この高みから見下ろす準シュダオンさんが、
我見を無くして自灯明を理解できたと自惚れる姿です。
まるで、桐山さんのエレベーターで昇れば好きな階梯に
辿り着けると言わんばかりの大笑いです。
>釈尊は、究羅檀頭バラモンに、「欲求大福者 當供養三宝」と説いてますが、
この場合の「大福」の具体的内容までは説いていないのです。
ありますよ、見えていないだけです。
この準シュダオンさんは経典に書かれていないものが見えるというくせに、
書かれているものは読めないか、見えないという体たらくです。
我今重再三歸依佛法聖衆。願佛聽我於正法中爲優婆塞。
自今已後盡形壽。不殺不盜不婬不欺不飮酒。
究羅檀頭バラモンは、釈尊に在家信者を願い出たのです。
仏法僧に帰依し、形壽を盡くして五戒を守ることを申し出た。
形壽とは肉体生命のことです。
所謂「形寿を尽くして不殺生不盜不邪婬不妄語不飲酒」とは、
お経の常套句と解すればいいでしょう。
そして七日間供養を捧げることを願い出て、その後に病気で亡くなった。
時究羅檀頭婆羅門得病命終。
釈尊に弟子たちは、彼のバラモンは死んでどこに居るのかを尋ねると、
佛告諸比丘。彼人淨修梵行法法成就。亦不於法有所觸?。
以斷五下分結。於彼現般涅槃不來此世。
釈尊は答えて曰く、彼のバラモンは清らかな梵行を修めて五下分結を
断った故に、汚れある場所にあらず、涅槃に入りこの世には戻って来ない。
と仰せになっているが、これって桐山さん流で考えたらおかしくないか?
仏法僧に供養することが大福者になれるのに、病気で亡くなってしまった。
桐山説でこれをどう説明できますか?
福を得るという現世利益を得ていないし、病気の因縁も切れなかった。
しかし阿含経においては何の矛盾も生じない。
釈尊の教説は、死に様ではなく生き様です。
どのように死ぬかではなく、生きている間にいかに煩悩を減らしたかが、
問題なのです。
彼のバラモンは釈尊の教えを聞く機会を得て優婆塞となり五戒を守って、
汚れを離れた清浄行に励み、清らかな悟りを得たのです。
釈尊から諸の清浄行を教示され、それを素直に聞く心があったが為に、
究羅檀頭バラモンは仏法僧に帰依し梵行を修し、死ぬまでに五下分結を
断じその行く末は涅槃を得るものです。
これは何の不思議も無い、岩波仏教辞典を参照すれば、
「仏教は現世の欲望への執着を離れた境地に達することを
究極的な理想とするから、現世利益などは否定されるか、
少なくとも副次的な位置づけとなる。」
との解釈で経典を読めば、供養で得られる大福はこの世において、
好運でもなければ運命の転換も無く、災難厄除けも無く、
因縁解脱なんて結果も無い。
桐山外道など出る幕もないことが、究羅檀頭バラモンの行いで見て取れます。
- 780 :ラシン:2011/12/15(木)
17:38:45
- 我今重再三歸依佛法聖衆。願佛聽我於正法中爲優婆塞。
自今已後盡形壽。不殺不盜不婬不欺不飮酒。
信者さんもこの究羅檀頭バラモンの行いを考えてみてください。
釈尊はたしかに、「欲求大福者 當供養三宝」と述べられた。
しかし究羅檀頭バラモンは供養の機会を得て、その見返りを期待せず、
在家信者と成り五戒を守る生活を理解し身につけたのです。
三宝への供養は来世において果報が生じるが、それなど目にもくれずに
形壽を盡くして五戒を守る行いを選んだのです。
阿含経で知らせれる教えには、三宝への供養による現世利益などありません。
娼婦であった菴摩羅も釈尊と弟子の集団に供養し、そこで出家をしている。
供養を目的とせず、見返りも期待しない。
経典は、仏法僧に供養するという機会を得てその者が取る後の行いが、
仏道に適うか否かを斟酌しよく考えることが出来ます。
桐山さんのウソで固めた三福道など出る幕も無い。
- 781 :深山:2011/12/15(木)
23:04:40
- >>760 :準シュダオン:2011/12/13(火) 19:33:11
>それらをアウフヘーベンした、別の、高い仏教を創りだす、というのが
>管長の主張なのですね。
高い仏教とやらが、「今夜にでも」「千景がいないとさびチい」なのですね。
桐山ゲイカは千景さんとアウフヘーベンしたらしい。
しかも、準シュダオンさんの脳味噌も総本殿からの電波で
アウフヘーベンして、批判側の反論すら理解も記憶もできないほどになった。
どんな高邁な哲学用語を並べて自説を飾り立てても無駄です。
現実の桐山さんのしたことと、現実のアゴン宗のザマを見れば、
チンケな詐欺宗教にすぎないのがわかる。
準シュダオンさんがどんな偉そうに屁理屈を並べても、
>>138があなたの正体です。
一ヶ月ほどの間に8つも嘘を書き、それを指摘されても、
どこ吹く風で、認めることも、訂正も、謝罪もしない。
これがあなたの知性であり、人間性です。
こんなヤカラがアウフヘーベンなんて使っても、
桐山さんと同じハッタリです。
- 782 :深山:2011/12/15(木)
23:12:55
- >>760 :準シュダオン:2011/12/13(火) 19:33:11
>それらをアウフヘーベンした、別の、高い仏教を創りだす、というのが
>管長の主張なのですね。
信者さんたちも「高い仏教を創りだす」という愚かな慢心を持っているのでしょうか。
桐山さんは、E川さんから、
『釈迦は桐山靖雄を出現させるために現れた』
と言われて、
「実はわたくしもそう思っていた」
そうです。
桐山さんは釈尊より上だというのです。
信者さんたちはこの桐山さんの意見に賛成かどうか、自分に問い合わせてほしい。
そして、よく覚えておいてほしいことがあります。
それは、仏教は釈尊において完全であり、完成されており、
それ以上も以下もありえません。
だから、シャカ仏教以上の仏教とか、「高い仏教」などというのはすべて偽仏教です。
- 783 :深山:2011/12/15(木)
23:18:52
- >>765 :準シュダオン:2011/12/14(水) 13:34:43
>批判派の、「因縁解脱」の批判にしても、管長は、○○の因縁解脱=成仏だと、
>ストレートに説いてるわけではありません。
信者さんたちは準シュダオンさんのその場しのぎの発言を真に受けず、
アゴン宗の教義は教義としてそのまま学んでください。
先達の中にもたまにいたが、準シュダオンさんはちょっと本を読むと、
全部を理解したかのように思いこんで、勝手な解釈を並べる。
因縁解脱と因縁切りではアゴン宗では違う。
三十年近くも信者をしていて、こんな区別すら準シュダオンさんはできない。
因縁切りはいわゆる悪因縁を切ることで、一つでも切ったら因縁切りです。
準シュダオンさんが引用したのは因縁切りの部分であって、因縁解脱ではない。
桐山ゲイカは、以下のように、因縁解脱こそが釈尊の説く解脱であるとくり返し述べている。
「釈尊が説かれたのは因縁解脱です。」
(『阿含宗報』129号、1996年、3頁)
「釈尊がお説きになった仏教は、生きている人間が、生きているまま、
悪業を消滅し、因縁を解脱して、仏陀(ほとけ)になることを目的にしたものです。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 [上]』2頁、2007年)
アゴン宗の教義では「因縁解脱=成仏」です。
準シュダオンさんは自惚れと無知のドブヅケ状態で、手のつけようもないが、
他の信者さんたちは桐山ゲイカの説かれた教義を正しく理解してください。
- 784 :深山:2011/12/15(木)
23:37:03
- >>769 :準シュダオン:2011/12/14(水) 20:26:11
>阿含経を読めば、三宝に供養すれば福を得られる、との釈尊の言葉が、あちこちに
>みられるからです。
脳が崩壊して、存在しない文章が見える準シュダオンさんにとってはそうなのでしょう。
だが、これまで準シュダオンさんが出した経典で、供養の功徳で解脱すると
いう経典は一つもありません。
アゴン宗の教義から言っても、「あちこちにみられる」はずがない。
三供養品は桐山ゲイカが発見した奇蹟の経典だと述べているくらいの
特殊な経典なのです。
つまり、たった一つしかないのです。
それがどうして、同じ内容が「あちこちにみられる」はずがあるのだ?
しかも、この老人脳は相変わらず、供養による功徳と、解脱の違いすらも区別できない。
信者さんたちはよおくその違いを理解してください。
桐山さんは巧みにその両者を混ぜてごまかしている。
しかし、釈尊は両者を明瞭に区別して説いている。
1.供養の功徳は来世で受けられると説かれている。(善業善果)
2.しかし、供養の功徳で解脱するとは一言もない。(桐山三福道の否定)
この両者の違いを、準シュダオンさん以外の普通の知性のある人なら
理解し、記憶できるでしょう。
準シュダオンさんの出した経典は、全部1についての話ばかりです。
究羅檀頭経や阿摩昼経については>>733以降ですでに反論しました。
また、779でラシンさんが書いているとおりです。
- 785 :深山:2011/12/15(木)
23:41:30
- 「この族姓子は、様々な善をひろく集め、様々な理法を満足して、
理法に従った行いに背かず、五下分結を断じた」
(『現代語訳阿含経典4』195頁)
準シュダオンさんくらい頭が逝ってしまうと、
この文章から「供養の功徳で解脱した」と読めるらしい。
ごらんのように、釈尊はバラモンが解脱したのは供養の功徳で
解脱したとはどこにも述べていない。
釈尊の説く、煩悩を断ち切れという教法をバラモンが実践したから、
阿那含になったと述べているだけです。
供養した見返りに解脱したなんてどこにもない。
バラモンは釈尊や比丘たちに供養しました。
だから、それは彼が輪廻すれば来世でその功徳を受けられる。
供養したという記述を、準シュダオンさんは勝手に阿那含になった話と
くっつけているのです。
そんなことがありえないことは、>>644でも引用した。
「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
功徳は、あの世で人々のよりどころとなる」
(『ブッダ神々との対話』200頁)
この釈尊の言葉は桐山三福道を完全に否定している。
供養の功徳は来世で得られるのです。
仮に供養の功徳で阿那含になれるとしても、それは来世です。
だが、バラモンは現世で阿那含になった。
つまり、供養の功徳で阿那含になったのではありません。
- 786 :深山:2011/12/15(木)
23:46:13
- >>769 :準シュダオン:2011/12/14(水) 20:26:11
>阿含経を読めば、三宝に供養すれば福を得られる、との釈尊の言葉が、あちこちに
>みられるからです。
究羅檀頭経や阿摩昼経には供養で阿那含になったなんて一言もないのに、
存在しない文章を準シュダオンさんは読んでいる。
信者さんたちも、準シュダオンさんの愚かさにあきれるでしょう。
準シュダオンさんは反論は読まず、読んでも理解できず、理解しても
記憶できず、自分のバカを棚に上げて、他人を小馬鹿にしながら、
同じ事のくり返しをいう愚か者です。
この準シュダオンさんの愚昧な姿を指摘するのは、
信者さんたちに他山の石にしてほしいのです。
なぜなら、批判側から指摘されるまで、信者さんたちは
三供養品に供養という文字がないことに気がつかず、
供養せよと釈尊が説いているかのように錯覚していたはずです。
経典に存在しない供養の文字を信者さんたちもあると信じていた。
そのことに気がついてほしい。
しかも、そういう錯覚は三供養品だけではありません。
- 787 :深山:2011/12/15(木)
23:49:01
- >>769 :準シュダオン:2011/12/14(水) 20:26:11
>阿含経を読めば、三宝に供養すれば福を得られる、との釈尊の言葉が、あちこちに
>みられるからです。
桐山さんの講義した阿含経にすら因縁解脱、霊障解脱、先祖供養、死者成仏など
一言も出てこないことに気がついていましたか。
素直に自分を振り返ってみてください。
大半の方は気がついていなかったはずです。
そして、「何となく」、桐山ゲイカの講義のする阿含経には因縁解脱、霊障解脱、
先祖供養、死者成仏が説かれているかのように錯覚していた。
まず、その事に驚いてほしい。
信者さんたちの多くは、実際には阿含経に存在しない言葉を
まるで存在するかのように錯覚していたのです。
もっとも、錯覚させられていただけなら、人間としては許される範囲です。
これらの言葉も概念も釈尊は使ってもいないし、説いてもいないと
素直に認めればいいだけです。
問題はここから先です。
信者さんたちも準シュダオンさんのように愚かという文字を顔中に書くか、
それとも、そこで踏みとどまるか、ここからが問われる。
- 788 :深山:2011/12/15(木)
23:56:01
- >>769 :準シュダオン:2011/12/14(水) 20:26:11
>阿含経を読めば、三宝に供養すれば福を得られる、との釈尊の言葉が、あちこちに
>みられるからです。
私は元信者だから、信者の多くが、自分たちは仏様に選ばれた、
自分たちこそは真の仏教を信仰している、などという
自惚れを持っているのを知っている。
だから、準シュダオンさんのように何をどう言われようが、
どんなに恥をかいても、どこ吹く風で批判側を小馬鹿にした態度を
とり続けるのも、アゴン宗ではけっして例外的ではない。
だが、仏に選ばれたと信じているその中身は、供養の功徳による解脱とか、
死者を霊障を解くとか、運命を改造するなど、阿含経には存在しない内容です。
良く言ってもオカルト、正確にいうなら、嘘デタラメです。
釈尊が説いてもいないことを主張することのどこが功徳を積むことになるのだ?
それでは大乗経典を釈尊が説いたと嘘をついている連中と変わりない。
いや、もっと悪質です。
本物である阿含経をねじ曲げ、嘘をつき、人々を騙して、
護摩木勧進と称して物売りをするなら、大乗仏教の比ではない。
信者さんたちが、初護摩と称して、護摩木やお札を買えば、
阿含経をねじ曲げる行為をそのまま手伝っていることになる。
準シュダオンさんはケチだから護摩木なんて買わない。
あの彼ですらしないことを信者さんたちはするのですか。
- 789 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/16(金) 12:59:40
- >>775:準シュダオン11/12/15(木) 11:11:06
>具体的な内容でしょう。四念処の実践から入り、有覚有観喜楽生じて初禅に入り、
>第四禅に進み、自分の分身を生じられるようになり、天耳他心通が生じ、やがて
>三明智を生じさせるに至る、とね。
>阿含仏教の涅槃は、心が平安になるというような単純なものではありません。
>三明智が生じるまでは、無明・痴を断じたとは認めないのです。
心が平安になるということがどんなに素晴らしい価値のあることなのか私ですら
完全に想像すらつきませんよ。
しかし物事には何事も段階というものがあるから、そのほんの初歩の段階である
アゴン宗煩悩から離れて捨てただけで得られる心の平安を私は知っています。
だからもっともっと進んだ境地となれば、これを単純だなんて罵れなくなります。
初歩の境地すら理解してないあなたに心の平安を罵る資格などない。
あなたは三明智だの難しい用語を出すことにより、わかりもしないものに憧れる
目的目標を知らぬ人です。
哲学とは難しい用語、概念の羅列と思っておらず、とことん議論して物事を単純化
してその論理の正当性を考える本当の西洋哲学を知らないのですね。
三明知とは最後の漏尽知こそが全てと言って過言ではない。
漏=煩悩が尽きてなくなったことを知ることですね。つまり煩悩が尽きてなくなる
ようにすることです。
完璧に尽きてなくなるには時間がかかりますが、しかしいきなりひょんとなくなる
わけではなく、減っていくのです。
その減らした段階を釈尊は四沙門果で評価しているのです。
これは心の平安の得られる度合です。
その過程において神通力が得られることがあっても(ない人もいる)そんなことに
囚われずに漏尽に努めるべきであり漏尽知こそが心の平安です。
しかも最終涅槃に至らずとも段階的に体感できます。
あなたが言っていることは5層立ての楼閣に1階や2階などどうでもよい
早く5階を見せろ、それしか価値がないと言っているようなものです。
自分はまだ1階建築途上を意味する準シュダオンを名乗りながらよく矛盾した
その場しのぎの適当な書き込みができますね。
あなたは漏尽の知を無意識にも避けてそれよりも神通力に価値を求めて本質が
見えてない、見ようとしていないのです。
だから心の平安のすごい価値が理解できず、単純などと侮辱するのです。
- 790 :ラシン:2011/12/16(金)
16:39:42
- >阿含仏教の涅槃は、心が平安になるというような単純なものではありません。
>三明智が生じるまでは、無明・痴を断じたとは認めないのです。
アゴン宗においてすら因縁の一つも切れない信者から、
阿含経のご高説を聞くとは耳が、こそばゆい。
ユビキタスさんが過去の退会を述懐しているように、
心の平安を経験したいなら先ずは桐山サングラスを外すだけ、
それでよいのです。
アゴン信者とは、暗闇でサングラスをかけているようなものです。
それを外すだけで回りや物事がよく見えて、理解の始まりとなります。
阿含仏教の涅槃は、心の安穏を得なさい、です。
得心安穏で禅定を得て知見が生じるということです。
過去にもそのどの段階が解脱か涅槃か、などと疑念していた者がいた。
サングラスを外さねばよく見えないように、心に恐れがあり穢れていれば、
それは無用という暗闇と一緒です。
桐山さんはそれを解決するために頭に懐中電灯を巻きつけろと言っている。
無駄と無意味な妄言です。
ここにもそれを信じて必死に懐中電灯を探している愚か者がいる。
サングラスを外せばニセ仏教の暗闇でも、少しは状況把握が出来る。
阿含経を素直に正しく読めば、昼間の如き世界です。
ここの元信者は、だからといって信仰しているとは限らない。
しかし、阿含経での釈尊の教えは頭で理解できます。
心の平安こそ解脱です。
釈尊はそれを目指せと教導しています。
心の平安によって何者にも汚されず恐れのない世界にいる事を
知るのが、漏尽智です。
心の平安を得ることで最上階の屋上に出て周りに何も
遮蔽が無いことを知る、すなわちこれが漏尽智です。
遮蔽物の無い解放された屋上は、涅槃です。
それを桐山さんは昇降機を使って、いっきに屋上に出られると嘯いている。
それも昇るべき建物まで間違っている。
しかし、釈尊の教えはそのような昇降機などはなく、
一段一段階段を昇りなさい、とおっしゃっているのです。
- 791 :ラシン:2011/12/16(金)
16:42:40
それは無用という暗闇と一緒です。
↓
それは無明という暗闇と一緒です。
- 792 :ラシン:2011/12/16(金)
17:15:59
- >阿含仏教の涅槃は、心が平安になるというような単純なものではありません。
>三明智が生じるまでは、無明・痴を断じたとは認めないのです。
アゴン宗の信者さんは、桐山さんから小難しい理屈を並べられて、
自灯明というエンジンを外された車の抜け殻のようになっている。
信じるべきは、釈尊が残した拠るべき法を以って(法灯明)自身で励む。
四沙門果という階梯は、いわば四層の建物を一段一段昇って行くことです。
無明から来る重く背負わされた煩悩をその都度、捨てて行くのです。
その軽くなった分、さらに階段を昇ることができる。
預流果という階層で命終したら、その者は預流となる。
一来、不還も同様で、釈尊はその一々を解説しただけで、
目指すべきは、阿羅漢という屋上階だということを説いたのです。
そこまで昇りきれるには、重い荷物である煩悩をすべて捨てたからです。
身軽になって昇りきった屋上という最上層は、遮る何物も無い涅槃界です。
煩悩という重い荷物をすべて捨てたから屋上にたどり着いた。
まさに無明を克服し穢れ無き身心を得て、開放された屋上という階層が涅槃です。
周りを見渡しそこが、遮蔽する何ものも無いことを知る知恵が、漏尽智です。
煩悩を捨滅した者は解脱者であり、其処で解脱したと言う境涯を知るのです。
- 793 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/16(金) 21:25:22
- >>776:準シュダオン11/12/15(木) 11:32:48
>愚か者に馬鹿にされたって、可笑しいだけだがw、徒労に終わるかと思うと
>レスを躊躇せざるを得ない、ということね。所詮、新皮質脳だけの解釈には
>限界がある、ということです。阿含経も管長本も、新皮質脳だけでは、いくら
>頭が良くても、正しい解釈はできないですね。
>たとえば、霊性=天眼智・宿命智、などという教えを信じることは、
>アダムがエデンで林檎を食べて智恵が生じた、ということを信じるくらい、
>難しくありませんか?
供養するバラモンのみを題材に弁証法のアンチテーゼなりジンテーゼを説明して
みなさいと私は促しました。
なぜならそれは本来そちらからこそ示されるべきですからね
。
供養するバラモンの論議にレスを付ける形で桐山アゴン宗における根本仏教と
大乗仏教、密教とのアウフヘーベンなんか切り出してきたのだから、当然バラモンの供養
にも対立の構図を見つけて止揚を発見したのだろうからそれを示してみなさいと
促したわけです。
ところがあなたは新皮質脳ではわからない話だから出すのを躊躇うのだと言う。
笑っちゃいますね。
こんな説明はどんな稚拙な着想だろうが全部新皮質脳の言語論理で答えられます。
ってか百%言語論理しかありません。
私は先にあなたの主張が理解できないと書いたが、本当はあなたの稚拙な論理くらい
見抜いているのは、>>778でBooさんが書いているとおりです。
しかしまずあなたが自分の言葉で堂々と示してみなさいなと促したわけです。
ところが卑怯者のあなたは自分の言葉で示して難癖つけられる恥を避けて
新皮質脳では理解できないなどとはぐらしにかかったわけです。
あなたの代わりに準シュダオン流供養するバラモンの対立の弁証法的考察を
書いてあげましょう。
違っていたら否定してもよいが、その時は必ずあなたの正解を新皮質脳を駆使して
「言葉で」書きなさい。
- 794 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/16(金) 22:15:09
- >>776:準シュダオン11/12/15(木) 11:32:48
>愚か者に馬鹿にされたって、可笑しいだけだがw、徒労に終わるかと思うと
>レスを躊躇せざるを得ない、ということね。所詮、新皮質脳だけの解釈には
>限界がある、ということです。阿含経も管長本も、新皮質脳だけでは、いくら
>頭が良くても、正しい解釈はできないですね。
>たとえば、霊性=天眼智・宿命智、などという教えを信じることは、
>アダムがエデンで林檎を食べて智恵が生じた、ということを信じるくらい、
>難しくありませんか?
あなたはバラモンが1250人×7日分の食事を提供できたその「財力」に着目した。
そりゃバラモン階級ですよ。インドのカーストにおいては貧富の差を含めて
絶大なる権威権勢権限を誇って当たり前です。
普通の人はこんなに供養できませんよね。
出家のグループが托鉢に来たら、自分の食事の中から一部割いて掌大の食事を
鉢に入れるだけです。出家のグループはこうして何軒からか供養を受けた必要最小限の
食事を分けて、午前中だけ食し、その日暮らしをする。
然るにこのバラモンはなんと1250×7食用意した。
これを準シュダオンさんは欲貪があるのではないかと一時疑った。
欲張りだと思ったのですね。
しかし釈尊から阿那含になったのだからもう戻って来ないというのを読んで
案に反して欲貪はなくなっていたと知る。
準シュダオンさんは、あれほど欲張りにも供養していながらも欲貪がなくなる
釈然としないことに対する理由を考えた。
それがなんだかよくわからんが、ヘーゲルの弁証法です。
欲を捨てて修行に打ち込むのが本来の仏教のテーゼならば、欲望もこめておねだりの
供養をすることがアンチテーゼだ。
欲張りバラモンでも欲張り供養しながら欲貪切れて阿那含にまでなったという事実は
これは釈尊の時代から仏教が二つの対立する概念をもアウフヘーベンする
ジンテーゼを説いていた証拠に他ならない。だから桐山管長の説く阿含密教も
正しいのだ、と。
さて、皆さん、このアホ爺さんが何を歪めて解釈していたかもうおわかりでしょう。
供養を見返りを求める行為とみなして何の疑いもなかった点です。
自分に見返りがあるから供養するんじゃないか?それ以外に何がある?と。
このあさましさと厚かましさで仏教を論じていたのです。
- 795 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/16(金) 22:53:37
- >>776:準シュダオン11/12/15(木) 11:32:48
>愚か者に馬鹿にされたって、可笑しいだけだがw、徒労に終わるかと思うと
>レスを躊躇せざるを得ない、ということね。所詮、新皮質脳だけの解釈には
>限界がある、ということです。阿含経も管長本も、新皮質脳だけでは、いくら
>頭が良くても、正しい解釈はできないですね。
>たとえば、霊性=天眼智・宿命智、などという教えを信じることは、
>アダムがエデンで林檎を食べて智恵が生じた、ということを信じるくらい、
>難しくありませんか?
バラモンがいかに財力をも駆使して供養したとしても何の欲張りも欲貪もありません。
むしろ清らかにして純粋な気持ちです。
この出家集団に偏りなく遍く供養さしあげて今日1日を生き長らえていただきたい、
ただその気持ちだけです。むしろ公平感覚だって読み取れる。
なぜ供養差し上げたいのはこの出家たちの清らかな教えと実践に共鳴し、支持して
いるからです。だから彼らをサポートしたいと供養するのは当たり前です。
供養をすることによって自分らが利益を得ようなんて、ハナから考えてもいない。
尊い方々よ、どうか食事をお受けください、これだけです。
この無償の布施は世間の因縁においても善事だから来世に幸福が訪れる功徳はあります。
しかしそれを目当てにだけ供養をしたらこれは欲というものです。
これがあるうちは絶対に阿那含になれるわけがない。
然るに阿那含を得たとのお墨付きを得たのは、この供養に全くそのような取引感覚、
欲望がなかった証拠です。
ましてや大量の供養で阿那含を買ったのでもない。
さて、実はたったこれだけの見解の相違から来る議論においてお互いの見解を示すのに
どちらが優でどちらが劣かの結論はさておいて、これは全て言葉で説明できてしまいます。
つまり駆使すべくは新皮質脳であり、古皮質、旧皮質だの間脳の出番などない。
霊魂や神話を信じる信じないの話ではないのです。
単なる理論理屈の説明です。自分の考えを他人に示す時の。
仏教とは知の宗教と言われるのは桐山さんもそれを説いている。
そして「21世紀は智慧の時代」でギリシャ哲学と対比して説いている。
桐山さんの哲学講義がお粗末なのはさておき、ギリシャ哲学がキリスト教とも
異なり「知」が強調されるのは、その新皮質による論理性です。
仏教もキリスト教にもない論理性を評価されて知の宗教と言われるのです。
- 796 :名無しさん:2011/12/17(土)
09:30:39
- 素晴らしい文章だ、 感銘!
- 797 :準シュダオン:2011/12/17(土)
21:23:38
- >バラモンがいかに財力をも駆使して供養したとしても何の欲張りも欲貪もありません。
>むしろ清らかにして純粋な気持ちです。
>この出家集団に偏りなく遍く供養さしあげて今日1日を生き長らえていただきたい、
>ただその気持ちだけです。むしろ公平感覚だって読み取れる。
ユビさん、偉いねえ。そのとおりです。なのになんで退会したのか、それは
退会してからそのことに気づいたのではないか?と、私は思います。
供養と福の関係には、微妙な関係があります。
釈尊は、「聖者には、功徳の対価として、供養してはいけない、ただただ
尊敬の念を持って供養せよ、それが功徳を生む」と、説いています。
つまり、聖者は功徳を返してくれる福田であるから、供養を受けるに相応しい
のであるが、功徳の対価として供養するのは、間違いなのです。
ここは、微妙なところです。管長の言う、取り引き信仰と関係しています。
欲貪を断つための供養なのであるが、欲貪を得るための布施供養にしている
のが批判派の修行だったのではないかと、推測されます。それがゆえに、
異常に、布施と福の関係を批判派は嫌っているのかと、ね。
敬愛して聖者に布施供養して、結果として功徳を得るのと、
功徳をえる見返りとして、その対価として布施供養するのとは、違います。
ユビさんなど、批判派の過去の積徳の修行とは、見返りを得るための修行の
ような印象を受けます。それじゃあ、だめです。功徳を得ることが先にたった
供養では、実らないのです。ただただ敬愛して供養した後に、功徳はついて
来る、という教えです。ここは、微妙です。我欲にまみれた批判派の方には
理解できないかもしれません。
管長の説くように、取引信仰ではいけないのです。これこれの供養をした
から、これこれの果報があるだろうと考えるのは、取引信仰です。
応供の如来が、供養に応えるといっても、そこを間違えてはいけないのです。
凡夫の欲貪には、応えてくれないのですねw。
- 798 :深山:2011/12/18(日)
00:39:16
- >>797 :準シュダオン:2011/12/17(土)
21:23:38
>凡夫の欲貪には、応えてくれないのですねw。
この年寄りにも本当に困ったものです。
間違ったことを堂々とお説教している。
信者さんたちは正しい仏教、正しいアゴン宗の教義を勉強しましょう。
準シュダオンさんの主張は仏教から見ても間違っているし、
アゴン宗の教義から見ても間違っています。
この老人は自分がろくに護摩木も書かないことを正当化するために、
もっともらしい屁理屈を並べていますから、ご注意ください。
信者さんたちは阿含経や桐山ゲイカの本から、それぞれの正しい教義を理解しましょう。
- 799 :深山:2011/12/18(日)
00:44:22
- >>797 :準シュダオン:2011/12/17(土)
21:23:38
>のであるが、功徳の対価として供養するのは、間違いなのです。
アゴン宗の教義から述べましょう。
準シュダオンさんは欲得で応供の如来に供養すると功徳にならないなどと述べている。
真っ赤な嘘です。
欲得のない人などいません。
欲得の供養に応えないなんて言い出したら、大半の俗人は
なんら功徳を積むことはできないことになってしまう。
世俗の欲望や執着に満ちた願いから供養しても、
応供の如来はそれらを浄化して、正しい功徳を授けるのです。
準シュダオンさんが何を勘違いしているかわかりますか。
この人は、お願い事と徳を積むことを一緒にしているのです。
いくらお願い事をしても、それが正しくない内容や
本人のためにならないことなら、かなえてくれない。
たとえば、護摩木に「○○氏ね」のようなお願いをしても仏様は
かなえてくれるはずはないが、その人が護摩木に
百円出したことの供養の徳自体が消えてしまうわけではありません。
徳はいただける。
ただし、心がけが悪いと、その徳を取りこぼすだけです。
- 800 :深山:2011/12/18(日)
00:54:43
- >>797 :準シュダオン:2011/12/17(土)
21:23:38
>のであるが、功徳の対価として供養するのは、間違いなのです。
桐山ゲイカは、欲得からでも良いから、一本でも多くの護摩木を
書いて供養することが大切であり、それによって、良くない心がけ、
貪りの心すらも仏様が浄化してくださると説いている。
煩悩を自力で切れるなどと思うなとおっしゃっている。
順序としては、貪りをなくすためには、まずは供養することだと教えておられる。
動機や理由はどうあれ、まず供養によって徳を積むことがアゴン宗では大切なのです。
準シュダオンさんのように屁理屈をつけて、護摩木をほとんど書かないような
人こそは桐山ゲイカの教えに逆らい「我」を出している。
準シュダオンさんは、ドケチという心の因縁が物申して、
なんとかお金を出さないで済むように、屁理屈をつけているのです。
ドケチだから、護摩木を買わず、護摩木を買わないから徳が少なく、
徳がないから悪因縁が薄くならず、いつまでたってもドケチの因縁が切れない。
信者さんたちはこんな落ちこぼれの真似をしてはならない。
アゴン宗では、桐山ゲイカの教えは素直にハイと従い、全力を尽くすことが求められる。
法施を出しているのも、千本、二千本を誓願とせよ、という教えですから、
準シュダオンさんのような屁理屈を言わずに、一本でも多く、
護摩木を供養するのがアゴン宗では正しい。
簡単に言うなら、一円でも多く教団に金を出せと桐山ゲイカはおっしゃっているのです。
このように正しくアゴン宗の教義を理解することです。
- 801 :深山:2011/12/18(日)
00:58:34
- 「仏は供養に対しては何も返さない」
次に、阿含経にある供養と功徳の正しい関係を説明します。
>>799-800に述べたようなアゴン宗の教義は仏教から見たら、完全に間違っている。
アゴン宗の教義で決定的に間違っているのは、
仏に供養すると、仏が功徳を返すと主張している点です。
そんな経典どこにありますか。
あるというなら、出してみなさい。
信者さんたちが三福道だと信じている三供養品のどこに、
供養に応えて仏が徳を授けるとありますか。
ありません。
三供養品に限らず、供養に対して「仏」が功徳を返すなんて記述はありません。
供養が功徳となるのは、単なる善因善果です。
良い行いが、良い報いをもたらすだけです。
だから、仏でなくても、世俗的な善業もまた善果をもたらす。
釈尊はそういう世俗的な善業も勧めています。
人助けをすれば、それは善業だから、来世でその善果を得る。
しかし、助けられた人が善果を授けるのではありません。
これは仏への供養も同じ事です。
供養による功徳とは、善因善果という一種の自然法則にすぎません。
- 802 :深山:2011/12/18(日)
01:01:32
- 「仏は供養に対しては何も返さない」
仏教の供養に対する功徳とは釈尊が応えて授けるものではありません。
この点を信者さんたちは大きく誤解している。
準シュダオンさんのように何度説明しても、読まないし、読んでも理解できないし、
記憶もしない老人脳は仕方ないとしても、他の信者さんたちは正しく理解してください。
釈尊に供養すると功徳は来世に来ます。
「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
功徳は、あの世で人々のよりどころとなる」
(『ブッダ神々との対話』200頁)
だが、その功徳を授けたのは釈尊ではありません。
良いことをすれば良い結果がもたらされるという
この娑婆世界の法則であって、釈尊は関係ない。
単に、清浄の比丘たちに供養することは善業の中で最高の善業だから、
その功徳も大きいだけです。
しかし、忘れてならないのは、その功徳とは、たとえば、
来世で金持ちになるとか、健康になるとか、世俗的な功徳のみで、
供養の功徳で解脱の道を歩むことは決っしてありません。
仏縁すらできないことは前に阿含経を引用したとおりです。
- 803 :深山:2011/12/18(日)
01:06:51
- 「どんな気持ちが供養したかは関係ない」
如来に供養すると得られる功徳は、供養する者がどんな気持ちで供養しようが、
関係なしに返ってきます。
清浄な比丘に供養するということ自体が大きな善業であり、
善業の報いは、どんな気持ちでそれを為したかなんて関係ありません。
準シュダオンさんは精神論を説いたつもりだろうが、阿含経の記述とは違います。
これは前も何度も取り上げたマガダ国の「貧乏なまま死んだ金持ち」の事例が
示しています。
彼は、解脱者に供養した功徳で七度天界に生まれ、また大金持ちになった。
しかし、供養した時、惜しいという気持ちで供養したから、
彼は今生でも金持ちを楽しむことができず、貧乏人のような生活をした。
ごらんのように、どんな気持ちで供養しようが、その行為(業)に対する功徳は変わりません。
善業は善業のまま、悪業は悪業のまま、互いに消し合うことなく返ってきます。
このように、準シュダオンさんの話は、仏教の教義から見ても、
アゴン宗の教義から見ても、このようにことごとく嘘です。
信者さんたちはすでに十分に桐山さんに騙されている。
その上、こんな準シュダオンさんのような嘘つき男の話を真に受けないことです。
- 804 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/18(日) 08:08:00
- >>797:準シュダオン11/12/17(土) 21:23:38
> 敬愛して聖者に布施供養して、結果として功徳を得るのと、
> 功徳をえる見返りとして、その対価として布施供養するのとは、違います。
>ユビさんなど、批判派の過去の積徳の修行とは、見返りを得るための修行の
>ような印象を受けます。それじゃあ、だめです。功徳を得ることが先にたった
>供養では、実らないのです。ただただ敬愛して供養した後に、功徳はついて
>来る、という教えです。ここは、微妙です。我欲にまみれた批判派の方には
>理解できないかもしれません。
呆れた人ですねえ。
以前にあなたは欲貪などはシュダオンになってから切ることを
考えればいいのであり、それまでは我利信仰でいいのだと言っていたではないか?
その場しのぎの発言ではぐらかせてばかりで、要するに信仰活動なんて何もしてない
のがわかります。
>管長の説くように、取引信仰ではいけないのです。これこれの供養をした
>から、これこれの果報があるだろうと考えるのは、取引信仰です。
>応供の如来が、供養に応えるといっても、そこを間違えてはいけないのです。
いいえ、桐山さんはニョライの授けてくれる功徳を求めて供養せよと説いています。
桐山さんは応供の如来を供養を受けるに相応しいなどとは訳せずに、供養に応えて
功徳を授けるとしています。ここが一番間違っているのですが、和讃にて
「蒔けば蒔くほど実るもの、骨身惜しまず蒔くことぞ、解脱宝生願うなら
梵行功徳の種を蒔け」と因縁解脱という究極の大目的を求めて供養せよと奨励
しているのだから、準シュダオン教の弁明など何の役にも立ちません。
第一供養に欲得の気持ちがあってはならないのならば、弁証法など出す必要が
ないではないか。
アウフヘーベンすべきアンチテーゼもないのだから。
- 805 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/18(日) 08:36:41
- >>797:準シュダオン11/12/17(土) 21:23:38
>管長の説くように、取引信仰ではいけないのです。これこれの供養をした
>から、これこれの果報があるだろうと考えるのは、取引信仰です。
>応供の如来が、供養に応えるといっても、そこを間違えてはいけないのです。
深山さんも経典を引用しているように布施供養の来世に受ける功徳とは
供養する際に欲得あろうがなかろうが、関係なく来世には金持ちなどの福も得られます。
それと阿那含などの解脱とは別だからですね。
解脱を求めるならば、供養とは別の修行で心を修めないといけない。
逆に言うと、来世の福になるぞとお釈迦様からも奨励されているのだから
これは心で来世の福を期待してもかまわないことになります。
釈尊は在家に対して自業自得を求めて善業を為して善果を得よと説いただけです。
例えば被災地に赴いてのボランティアに来世の金持ちを求める人もいないだろうが、
芸能人などによくある裏に名誉名声を求めてのパフォーマンスであっても
現実にトラックで物資などを運ぶ善事をなした人には福が来世に訪れます。
間違ってならないのはこの福は如来が授けてくれたものではなく、
自業自得で得るのです。
自分でどんどん善事を為して善果を求めるならば問題ないが、如来のプレゼントを
期待しての供養ならば依存の煩悩が育ちます。
したがって来世の福はあくまでも行為に対して結果が出るのだから金持ちなどの
福も得られはしますが、しかし解脱は遠退きます。
だから解脱は別の努力が必要なわけです。
- 806 :名無しさん:2011/12/18(日)
09:35:03
- なるほど。
釈尊は来世に得られると仰ったのですね。経典にもちゃんと書いてありますよ。
それもこの世界の理法としてであり、如来が授けるものではない。
また授かるものは一般の福徳であり、解脱に近づくものではないわけですね。
三福道がいかに嘘かがよくわかります。
桐山さんの黒い腹が法衣の上から透けてよく見えます。
- 807 :深山:2011/12/18(日)
12:20:36
- >>775:準シュダオン11/12/15(木) 11:11:06
>阿含仏教の涅槃は、心が平安になるというような単純なものではありません。
心の平安が「単純なものではありません」??!!
単純なのは準シュダオンさんの頭です。
無知と如来への誹謗です。
この人は「平安」という言葉が出て来る経典すら読んだことがない。
こんな程度の無知な者が何を偉そうにお説教するのかとあきれる。
信者さんたちも準シュダオンさんみたいにろくに阿含経を読みもしないで、
偏頗な知識と凡庸な判断で仏教を論じないことです。
仏教の心の平安とは涅槃そのものです。
煩悩がすべて消滅し、心がなんら煩悩にかき乱されない状態を仏教では平安というのです。
風(煩悩)が止み、湖(心)が鏡のように静まりかえっているような状態を平安というのです。
我々俗人の心には欲得や執着や怒りという強風が吹き荒れ、湖の表面は
激しく波立っている。
だが、解脱した者たちの心は風が止み、一片の煩悩もないから、
煩わされることなく、心が安んじている。
この状態を平安と表現したのです。
- 808 :深山:2011/12/18(日)
12:25:54
- 『ブッダのことば』中村元、200頁
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。
内的に平安になった人は取り上げられるものは存在しない。
どうして捨てられるものがあろうか。」
ご覧のように、解脱したことを平安と言っています。
すべて捨て去ったから、誰かから取り上げられる物もないし、
煩悩を捨てているから、さらに捨てる物もない、これが仏教の平安です。
つまり、「涅槃=平安」です。
準シュダオンさんは、心の平安という表現を、我々俗人などが
心が安らかで、平穏で、ぼーっとしている状態だと思いこんでいる。
信者さんたちもそう思っていませんか。
「そんな状態が解脱なら、認知症の老人はみんな解脱者だ」と指摘した人もいた。
これは桐山さんも似たようなことを指摘していた。
他にも、禅宗などでは、座禅で心に何も浮かばないような状態を
悟りであると言う坊さんなどがいるから、平安というと、
ただ単に心に何もない状態だと思っている人がいます。
こういうことを言う人たちは、全員、仏教を理解していないのです。
仏教の心の平安とは、ぼーっとしている状態とは正反対です。
- 809 :深山:2011/12/18(日)
12:28:24
- 「六八九 人間たるものである〈正しくさとった人〉(ブッダ)は、自らを制し、心を統一し、プラフマ
ンの道においてふるまい、心のやすらぎを楽しんでいる。」
(『仏弟子の告白』147頁)
釈尊のいう心の平安とは、煩悩に囚われない状態を指すのです。
我々俗人が平安であるというのとまったく逆だと気がつきませんか。
普通、平安とは「春の海 ひねもす のたりのたりかな」のように、
心が和んで緩んでいる状態を指します。
しかし、釈尊のいう平安とは心が緩むどころか、強烈に意識が集中されている。
煩悩が一瞬たりとも入り込む余地のないように、自分の心を制御しているのです。
他の信者さんたちだけでも、仏教の「心を平安」を理解し、
ここにいる恥知らずな自惚れ屋みたいな知ったかぶりをしないことです。
- 810 :深山:2011/12/18(日)
12:31:30
- >>775:準シュダオン11/12/15(木) 11:11:06
>三明智が生じるまでは、無明・痴を断じたとは認めないのです。
これも嘘です。
桐山さんから、神通力でカルマを切って解脱するなんて
オカルトを教えられて本気にしている信者のなんと多いことか。
現実に桐山説や準シュダオン教を否定する阿含経が何度もスレで引用された。
それがスシーマ経です。
『阿含経典 1』(増谷文雄)の241頁以降に和訳があります。
概要を説明します。
スシーマという外道が仏教から神通力を盗むために出家を装い、
教団内に入り込んだ。
ある比丘たちが釈尊に、自分たちは解脱したと告げ、釈尊も同意した。
そこでスシーマは、その比丘たちに六つの神通力を持っているのかと
一つ一つ質問すると、比丘たちは持っていないとすべて否定した。
スシーマは今の信者さんたちみたいに、解脱とは神通力で得られると信じていたから
この比丘たちの答の意味がわからず、釈尊に聞きに行き、
逆にスシーマの目的を見抜かれてしまった。
六神通力や三明という神通力を得て解脱するのなら、
あるいはこれらを得たことが解脱の証しなら、
それらを持たないこの比丘たちをどう解釈するのですか。
釈尊自ら、六神通力も三明も持たない彼らを解脱者と認めたのですよ。
- 811 :深山:2011/12/18(日)
12:35:56
- >>775:準シュダオン11/12/15(木) 11:11:06
>三明智が生じるまでは、無明・痴を断じたとは認めないのです。
自恣経(『阿含経典 2』増谷文雄、253頁)でも神通力なしの解脱者が説かれている。
五百人の解脱した比丘たちについて、60人が六神通、60人が三明を得たとある。
逆に言うなら、残りの380人の比丘たちは六神通や三明がないのに解脱していた。
つまり、神通を持った解脱者とは、単純計算で2〜3割で、
残りの大多数の解脱者たちは神通など持っていなかったのです。
これを信者さんたちはどう解釈しますか。
桐山さんみたいに四神足の神通力で解脱するとか、
準シュダオンさんみたいに三明がないと解脱者としては認めないなんて
彼らの勝手な空想、真っ赤な嘘にすぎないのが、これを見てもわかる。
桐山さんと準シュダオンさんがそうであるように、世の中には
ろくに経典を読みもしないで、自分のわずかばかりの知識と狭量な
判断で、さもすべてを知っているかのように断定的に書く愚か者たちがいる。
桐山さんも準シュダオンさんも嘘つきであり、ハッタリ屋にすぎない。
信者さんたちはこういう連中のオカルト仏教を鵜呑みにするのではなく、
自分の目で阿含経を読んでみることです。
こういうことに労力やお金を惜しんではならない。
市販の阿含経なんて、信者さんたちがアゴン宗に出している金額に比べたら、
わずかの金額です。
簡単に手に入り、わかりやすい現代語で釈尊本人が語りかけてくれる。
ろくに阿含経も読んでいない者たちのオカルト仏教を信じるのではなく、
釈尊本人の言葉に素直に耳を傾けることです。
- 812 :名無しさん:2011/12/18(日)
13:12:05
- はい。仰る通りです。
指摘された点に気を付けながら阿含経を読んでみます。
準さんのようなねじ曲がった解釈に陥らないよう十分に注意します。
- 813 :名無しさん:2011/12/18(日)
18:36:42
- >>811
いつも丁寧な解説をありがとうございます。
余計なお世話になりますが、
自恣経(『阿含経典 2』増谷文雄、253頁)は、
自恣経(『阿含経典 4』増谷文雄、253頁)ですね。
ここの掲示板を読んでいる読者の勉学のために参考まで付け加えるなら
ブッダ悪魔との対話(岩波文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E2%80%95%E2%80%95%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%A6%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A42-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%9D%92-329-2-%E4%B8%AD%E6%9D%91/dp/400333292X
p193 第七節 雨期あけの集まり
にも同様の記述があります。
- 814 :深山:2011/12/18(日)
23:36:37
- >>813さん
修正と情報をありがとうございます。
- 815 :内閣総理大臣野田竜兵
◆18iA.mwnDU:2011/12/20(火) 01:18:12
- 【アゴン宗スレ大賞選考会開催のお知らせ】
今年も年の瀬が迫ってきました。
今年も懲りもせずやります、アレを。
第78回アゴン宗大賞選考会です。
今年は最高グランプリに輝く賞に対しては、内閣総理大臣杯として、野田竜兵総理
自ら表彰状を手渡します。
まずはいろんな部門の賞を各自考えて投票ノミネートして下さい。
投票期限はたった今より12月25日(日)20時までとします。
投票場所はしたらばのここと2ちゃんねるの「阿含宗という宗教」の2箇所です。
どちらで投票してもかまいません。
投票は同じ部門、同じ賞であっても対象が異なれば一人でいくつ投票してもかまいません。
ただし同一内容の投票はいくつ投稿しても一人一票とさせてもらいます。
名無しの方は二重投票のないように、その点は各位の良心におまかせします。
段取りとしてはノミネートをしてもらい、ノミネート作品の中から部門別に再投票してもらい、
得票の多いものを授賞する方式も考えましたが、それではご多忙の皆さんの手間もかけるので、
1回のノミネート投票(一人複数)を以てカウントは特別審査委員長ユビキタス氏にしてもらいます。
「聞いてないよ〜。」(ユビ管長)
「それは俺のセリフだ!」(竜兵)
昨年までの投票はスレ参加のコテさん個人に贈られるものでした。
天照さんとか無関係な人間ですさんとかラシンさんとかですね。
今年は趣向を変えて、そういう個人功労賞も新人賞含めて残しながらも、
参加者個人ではなく話題を集めたトピックを対象としたいと考えています。
例として早速民主党でもドジョウ党でもダチョウ党でもないユビキタス氏が
見本も含めてノミネート投票をしますので、参考にして倣ってください。
どんどんノミネートしてください。
他人のノミネートに、これはいいと思ったら、これを自分も推すと表明の投票をしてください。
くれぐれも他の人が書いてしまったから自分は書かないというのは避けて、その票集めに協力してください。
部門別に大賞を決め、その中から総合グランプリを決めます。
これは基本は得票数ですが、ユビキタス特別審査委員長の裁量も入るかもしれません。
とにかくそうして選ばれた栄えあるアゴン宗総合グランプリには、私、内閣総理大臣
野田竜兵より表彰を致します。
- 816 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/20(火) 01:51:39
- 野田総理から見本を示せと言われましたので、早速ノミネートします。
まずは個人に贈られる賞。
【新人賞】
アゴンさん
理由:今年当初参加した際は批判側にもかみつく信者さんでしたが、我々批判側との
対話をして、桐山さんの醜聞やデタラメな教義実践、嘘などの情報から、今では
すっかり批判側になってしまった関西総本部所属の女性です。
二世信者として親御さんやご親戚のしがらみあって簡単に退会はできなくても
心はすっかりアゴン宗信仰から離れており、更なる努力を期待したいものです。
【功労賞】
資料収集に奔走された無名の方々。
理由:東京地裁などに足を運び、E川裁判の資料を記録して深山さんなどにも
情報をくれた方々。
こういう分類にしたからには実は私ユビキタスも入ります。
金剛院派さんの発見により国会図書館まで幻の著書を閲覧、複写し、スレに画像のうp含めて
内容発表をした私もその一人として加えての投票です。
眠いので続きは翌朝。
どなたか2ちゃんねるにもコピペを。
- 817 :神人同行
◆3R1a2NAxr.:2011/12/20(火) 05:28:24
- 私はスレ上ではありませんが、裁判起こされた方々に
「勇気ある者で賞」で1票
- 818 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/20(火) 08:18:38
- ノミネート
●事件部門
・「今夜にでも」裁判資料に暴露された桐山御霊諭
・「仏陀の真実の教えを説く」に幻の下巻が国立国会図書館に納本されていた!
「三福道は私が命名した」
・「言いたいことがあったら言ってみろ」E川女史の例祭正面席参拝に、桐山ゲイカしどろもどろ。
・東日本大震災に本人行死者数ゼロ?桐山ゲイカ、東北に一度も見舞いに寄らぬ大慈悲心
・究極の成仏法四神足法の伝法会開かれるも中身はグッズ販売説明のみ?
●流行語大賞
・「今夜にでも」
・「言いたいことがあったら堂々と言ってみろ」
・「ワケワカメ」
- 819 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/20(火) 08:21:41
- ●桐山靖雄文芸賞
・千の景に宛てた恋文二歌
- 820 :深山:2011/12/20(火)
12:04:25
- ・大賞
「裁判を起こした元信者」を大賞に推薦します。
推薦理由:
誰もなしえなかったことをしたからです。
私の知る限り、初めてアゴン宗を裁判に訴えた。
多くの元信者は悔しい思いをし、あるいは多額のお金を出しても、
もう関わりたくないとあきらめる人がほとんどです。
このことがアゴン宗を、何をしても大丈夫と、つけあがらせた。
元信者が返す初めての一撃です。
裁判の道筋をつけ、露払いをしてくれたから、今後、
裁判を起こす者にとっては朗報です。
裁判は弁護士を探すのが大問題です。
宗教裁判は大半の弁護士は嫌がるし、引き受けても、型どおりで、
やる気がないなら、依頼者は銭失いで意味がない(こういう弁護士は多い)。
今回の裁判では、経験のある弁護士を探しあてたというだけでも、
彼らは道を作ってくれた功績があります。
過去の大賞を含めて、「大賞の大賞」にしたいくらいです。
- 821 :深山:2011/12/20(火)
12:10:46
- ・功労賞
「今夜にでも」裁判資料に暴露された桐山御霊諭を推薦します。
推薦理由:
桐山アゴン宗の致命傷だからです。
そして、我々に爆笑をくれた。
閲覧禁止なる直前に行ってメモしたもので、間一髪だったようです。
ご本人によれば、「すぐに行って閲覧しなければならないという胸騒ぎがした」そうです。
私は「仏様のお手配だ」と冗談を言いました。
一方、国会図書館の幻本のコピーは、三福道が書いてあるので、
中巻が出ても比較する上で貴重な資料です(まだ中巻が出ませんね)。
ユビキタスさんがかなりの労力と金銭を負担して手にいれてくれたので、
これを推薦するのが筋だが、しかし、「今夜にでも」は桐山ゲイカの俗物ぶりを
示す圧倒的資料であり、元信者ですら絶句するような内容です。
まさかこんな資料が出てくるとは思いませんでした。
原本があれば、コピーして額縁に貼り、信者に販売して、収益を歳末助け合いに
寄付して、桐山ゲイカにも徳を積んでいただきたいですね。
もう一人長年、桐山ゲイカの顔に泥を塗り続け、信者からも侮蔑を浴びて、
すっかりこのスレのピエロとして定着している某老人脳に「ゴキ出賞」を
差し上げたいが、せっかくの年末賞が腐りそうなので、やめておきます。
- 822 :ラシン:2011/12/20(火)
13:20:46
【新人賞】アゴンさん:信者側から批判側への心の観察に貢献
【功労賞】ユビキタスさん:「三福道は私が命名した」調査行動力
恋文二歌
:後期高齢者への励歌
【流行語大賞】「今夜にでも」:勤行の御真言にて永遠に語られる迷言
【大賞】桐山御霊諭:セイジャ様の煩悩を如実に示された口説き文句
功徳の必須アイテムであり御法施グッズの代表格
- 823 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/20(火) 13:31:34
- 神人同行さん、深山さん、ラシンさん、投票をありがとうございます。
竜兵総理に代わりお礼申し上げます。
複数投票可ですから、私も神人同行さんと深山さんの推す退会元信者の裁判訴えに
私も事件部門(大賞候補)に1票投じます。
- 824 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/20(火) 13:40:29
- ●ゴキげんよう賞
準シュダオンさん
ゴキ出賞ではありません。
今年東北大震災で被災された際は心配しましたが、無事命にも財産にも別状なく
元気で憎まれ口も書けるようになったことはホッとしました。
- 825 :アゴン:2011/12/20(火)
15:30:08
- なにやら俗世で楽しんでる間、こちらをご無沙汰してましたが、
ノミネートしていただき、ありがとうございます(笑)。
まだまだ変な不安依存はありますが、2ちゃんで管長ゲイカの千景に捧げる恋歌披露で思わず爆笑。あーマジで、こーいしちゃったんだ、たぶん♪きづいてなーいでしょおー♪というYUIの楽曲が頭をめぐりました。
守護神解体も思いきってくださいましたね。なにやら毎朝烏帽子をかぶって祈っている親を見るたびに、超ー複雑な気持ちになります。。くそーなんかネタにして小説にでもしたろかってくらい、面白すぎるやろ!!という悔しい気持ちになります。
以上最近の心境でした。。
- 826 :Boo:2011/12/20(火)
16:51:57
- ・ノーボケ平和賞 準シュダオン氏
- 827 :名無しさん:2011/12/20(火)
17:08:52
- サンドバッグで賞
かまってほしいので賞
本当はさびしいので賞
準シュダオン氏
- 828 :内閣総理大臣野田竜兵@集計人
◆18iA.mwnDU:2011/12/20(火) 20:18:25
- >>821:深山11/12/20(火) 12:10:46
>・功労賞
>「今夜にでも」裁判資料に暴露された桐山御霊諭を推薦します。
>>822:ラシン11/12/20(火) 13:20:46
>【功労賞】ユビキタスさん:「三福道は私が命名した」調査行動力
>>816:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/20(火) 01:51:39
【功労賞】
資料収集に奔走された無名の方々。
理由:東京地裁などに足を運び、E川裁判の資料を記録して深山さんなどにも
情報をくれた方々。
こういう分類にしたからには実は私ユビキタスも入ります。
金剛院派さんの発見により国会図書館まで幻の著書を閲覧、複写し、スレに画像のうp含めて
内容発表をした私もその一人として加えての投票です。
功労賞についてのカウントは以下のようにしたいと思います。
ユビキタス氏の投票は今夜にでも等裁判資料を調べてくれた人たちと、国会図書館に
コピーしに行ったユビキタス氏自身を包含する曖昧な特定なのですっぱり分けましょう。
ユビキタス氏の投票は裁判資料調査者に1票、国会図書館調査者に1票と分けて
それぞれ深山氏、ラシン氏の投票と加えて、現状2票ずつとしたいです。
>>822:ラシン11/12/20(火) 13:20:46
>【大賞】桐山御霊諭:セイジャ様の煩悩を如実に示された口説き文句
大賞をどのように定めるかは目下思案中です。
本来部門をきっちり分けてノミネートしてもらい、その後部門ごとに1人1票を原則に
再投票し、数の多いものを部門別大賞と定め、さらにその中で再投票をして
総合グランプリ(総合大賞)を決める方式も考えましたが、皆さんの手数を省くのと
部門分類も最初から限定せず自由な推薦ができるようにする為、今回のような
方式をとってます。
よって大賞については最初から大賞として投票する人、特定部門として投票する人
統一されずまちまちだと思います。
そこで総合的に吸い上げて大賞を考えていきたいと思います。
ですからどういう展開になるか私自身読めません。
選考方法についても皆様のご意見を自由に寄せてください。
金魚を飼うのとも違うドジョウをつかむような泥くさいヌルッとした選考になります。
肥後&ジモン「すべったすべった」
- 829 :神人同行
◆3R1a2NAxr.:2011/12/21(水) 06:59:45
- 私は様々な多くの賞があって、良いと思います。
それは多くの人がアゴン追討に参加し始めた切り口の多様さと思うからです。
それは、それらの内のどれがアゴンにダメ−ジを与えられたかは
結果でしか分かりません。大賞にこだわることも無いでしょう。
レコ−ド大賞を受けた歌でも、既に、忘却の彼方となったものもたくさんありますしネ
マ−、ユビさんにお任せの賞ですから、気楽に気楽にお願いしますヨ
- 830 :無関係な人間です:2011/12/21(水) 09:36:35
- 以下の様に投票しますので、宜しくお願い申し上げます。
【功労賞】 資料収集に奔走された無名の方々。
【流行語大賞】「言いたいことがあったら堂々と言ってみろ」
【新人賞】アゴンさん
- 831 :準シュダオン:2011/12/21(水)
19:32:40
- >はい。仰る通りです。
>指摘された点に気を付けながら阿含経を読んでみます。
>準さんのようなねじ曲がった解釈に陥らないよう十分に注意します。
あはは。だからぁ、新皮質脳だけでは、何回、何千回、経を読んでも無駄
だってばぁw。意味内容を正確には理解出来ないのであるよ。
学者先生は、厳格に訳してるだけでね、内容を把握してるかは不明なのよ。
「よく泳ぐためには、最大限、手で水を掴んで、掻く」と、あった場合、
泳ぎを知らない国語学者は、水を掴むだから、握り拳で泳ぐことだと訳す
だろう。だが、泳ぎを知ってる人は、手を開いて水の抵抗を大きくすること
が、水を掴むの意味だと解かる。
この差が管長と批判派の違いだね。批判派は、泳ぎを知らない国語学者さ。
供養と福の関係も、批判派は理解していない。果報の代価として供養するのでは
いくら供養しても無駄なのです、それは欲貪を増すだけ、ですからねw。
おそらく批判派は、そこに気づいていないね。だから果報を得られず、退会した。
そして、負け惜しみに、果報を望むのは邪道だ、ときたw。
ブドウを取れないキツネの、「あのブドウは酸っぱい」との言葉が思い出されるね。
- 832 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/21(水) 21:12:56
- >>831:準シュダオン11/12/21(水) 19:32:40
>あはは。だからぁ、新皮質脳だけでは、何回、何千回、経を読んでも無駄
>だってばぁw。意味内容を正確には理解出来ないのであるよ。
>学者先生は、厳格に訳してるだけでね、内容を把握してるかは不明なのよ。
>「よく泳ぐためには、最大限、手で水を掴んで、掻く」と、あった場合、
>泳ぎを知らない国語学者は、水を掴むだから、握り拳で泳ぐことだと訳す
>だろう。だが、泳ぎを知ってる人は、手を開いて水の抵抗を大きくすること
>が、水を掴むの意味だと解かる。
国語学者の水泳解釈なんて下手な喩えは要らないから、仏教経典の原文和訳、
仏教学者の新皮質解釈、桐山さんの間脳解釈の3つを出して具体的に論じねば意味ありません。
宜しいですか?桐山さんは例えばサヘトマヘトで聖なるバイブレーションを間脳で
言葉に言い表しようのないメッセージをビビビと受けたからビビビ宗を立てたなんて
言っていない。人間が新皮質脳でないと読めない言葉で書かれたアゴン経という
経典を読んでその内容価値を認識して成仏法を発見したという話は全て新皮質の
働きに収束されるのです。
例えば勝手に経典の語句を捏造改変する道徳にもとる話は置いておくにしても、
三善根を三福道と解釈したという話の下手な説明は全て新皮質の働きによるものです。
古皮質だの旧皮質が出張る可能性があるならば、それは言語媒体でない刺激がある
場合です。例えば紙に書かれた経典が香水でも塗り込めたのか異様な匂いを放つ、
この匂いから淫靡感を喚起されたなんて話が新皮質でない古皮質旧皮質の作用です。
また経典の意味ではなくそれを声に出して音読する時、独特のリズムで読む規則が
あるから、この音楽効果により扇情を促されたというのも新皮質を超えた古皮質旧皮質の
作用とも言える。つまり言語で示されている経典の意味解釈をめぐる対立とは全て
新皮質脳同士の話であって、それ以外のものはないのです。
水泳の譬えならば実際に泳ぐには新皮質脳の理屈だけでは泳げません。
しかし水泳とは水の中で底に足を着けない浮いた状態で一定時間前進するなど移動を
行うことと新皮質脳で説明ができ、それが経典なんです。
だから経典、学者説、準説の3つを「具体的に」示しなさい。
経典「諸悪莫作」
学者「悪いことするな」
準「アウッ!アウッ!くっさ〜、言葉に出来ん!」
- 833 :内閣総理大臣野田竜兵
◆18iA.mwnDU:2011/12/21(水) 21:17:40
- 「くるりんぱ」
言ってみたかった!
新皮質脳でなく間脳で受け止めなさい。
- 834 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/21(水) 21:36:40
- >>831:準シュダオン11/12/21(水) 19:32:40
>「よく泳ぐためには、最大限、手で水を掴んで、掻く」と、あった場合、
>泳ぎを知らない国語学者は、水を掴むだから、握り拳で泳ぐことだと訳す
>だろう。だが、泳ぎを知ってる人は、手を開いて水の抵抗を大きくすること
>が、水を掴むの意味だと解かる。
つまり学者の言う握り拳はないとは、秘伝を持たないではなくて、拳骨で殴らない、
握り拳に屁の臭いをこめて間脳に訴える握りっ屁までは恥ずかしくてようやらんと
そんな解釈でよかですか?
シャカは器用だ、グー、チョキ、パーなんでもござれで握りっぱなしのグーだけでは
ないという解釈なんすか?
- 835 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/21(水) 21:50:23
- >>831:準シュダオン11/12/21(水) 19:32:40
>供養と福の関係も、批判派は理解していない。果報の代価として供養するのでは
>いくら供養しても無駄なのです、それは欲貪を増すだけ、ですからねw。
>おそらく批判派は、そこに気づいていないね。だから果報を得られず、退会した。
>そして、負け惜しみに、果報を望むのは邪道だ、ときたw。
おっさん、おっさん、上に切り取った4行で、1行目から3行目までの主張と、
4行目のつながりがなんかおかしいですがな。
私は供養に見返りの果報を相手に望むのはおかしいと説いた。
一方あなたもいつのまにか対価を求めての供養は欲貪を増すだけと1行目から
3行目までで主張した。つまり果報を相手から受け取る対価を求めての供養は
邪道だと言ったのです。
ならば私とあなたの意見はようやく一致したのではありませんか?
なのにどうして邪道だとこちらが説いたことを腐す発言を4行目で書く?
これは4行目にあなたの本音が見えている。
つまり邪道だと?バカヤロウ、邪道なんかじゃねえよ。供養は対価を求めてする
ものなんだよ!と言いたい気持ちがひしひしと伝わってくるのはわが新皮質脳で
理解できます。
つまり1行目から3行目なんて口からデマカセのその場しのぎの発言だったのですね。
あなたのような頭脳は「くるりんぱ」と言います。
何?意味がわからない?
間脳で感じなさい、間脳で。
- 836 :ラシン:2011/12/21(水)
23:03:48
- >あはは。だからぁ、新皮質脳だけでは、何回、何千回、経を読んでも無駄
だってばぁw。
>泳ぎを知らない国語学者は、水を掴むだから、握り拳で泳ぐことだと訳す
だろう。だが、泳ぎを知ってる人は、
偉そうに言っても無駄です、あなたの新皮質脳すらフル稼働していない。
桐山さんの理屈は、まず新皮質脳からの飛翔を訴えているのです。
あなたのように、泳ぎさえもできない知らない「金槌」は、まず徳を積んで
それからだゾ、と仰せになっているのですよ、ゲーカはね。
ボン行すらろくにしていない準シュダオンさんが偉そうに話すのは、
あまりにも不遜であり、説得力を持たないことに気づきなさい。
新皮質脳すら鍛えていない、いやボケてしまったあなたが、
何千回、お経を読んでも、たしかに理解できないことを自覚すべきです。
しかしあなたのために、
弁明を考えてあげたから、いつものように自説にしたらエエ。
パクリは、師匠桐山から学んだ十八番お手のモノでしょうからね、、、
今のあなたのボケたオツムでは思い浮かばないだろうから
いちおう提起しますよ。
批判側は、反論の可能性は閉ざしませんからね。
そこで、あなたは言うだろう、と仮定してあげる。
新皮質脳の稼働性を凌駕するとは、音符を読めない天才音楽家の存在のようだ。
盲目のピアニストやミュージシャンは、さ〜どうよ、?とね、、、
まあ、こういう視点を準シュダオンさんが持ち得るとは思わないが、
反論趣旨で有り得るから、いちおうあなたのために仮説してみる。
常識を超えた奇跡に近い才能の発露、、、これぞデンパリキ!
- 837 :ラシン:2011/12/21(水)
23:10:05
- >あはは。だからぁ、新皮質脳だけでは、何回、何千回、経を読んでも無駄
だってばぁw。
天才音楽家・天才芸術家≠新皮質脳的優秀者〜〜→要
間脳開化。
水を掴む=握り拳で泳ぐこと? と解釈してしまう短絡お脳、オーノウ。
水がこぼれないよう、曰くあなたの知能がこぼれないように泳ぎなさいね。
だがこれがあなたのいうデンパの限界です。
国語能力の限界を証明した老人!としか言いようがない。
すばらしいですね、いろんな人間の素質の可能性は新皮質脳を
凌駕してこそ成り立っている?、、、いいやそうに違いない!
あなたはこういう理屈で喩としたいかもしれない。
桐山さんからの凡夫たる我々への頂門の一針、いや肛門の一針か?
やっぱり大腸検査も必要だ、いやいや ヘモグロビンA1cだぞよ。
数値は新皮質脳リキさえも駆逐するビジネスコンテンツなのよ、
と腕組みしてご満悦か。
しかし、
阿含経にみる釈尊はそんな新皮質脳を超えろ、なんて話しは皆無なのです。
人間が持ち得る少しの知能とそれによる理解力や解釈だけで済む話しです。
天才や超能力者の領域など、釈尊は問題にすらしていません。
仏教では、天才=超能力者→解脱者なんて図式は成り立たないのです。
お脳という混濁しやすい大脳生理学など必要としないのが釈尊の教えです。
ただ、心に潜む人間の欲求から来る自身の迷いを見据えなさい、
と教えてくれているのが仏教です。
お経を何千回読むよりも、自分の心に潜む煩悩を幾千回でも観察し、
確認して抑制し減らして、終には止滅しなさい、と教えてくれているだけだ。
これ、大脳の中身とは無関係ということです。
悔し紛れに見えてもいない、分かりもしない新皮質脳を語るより、
まずは自分自身のオツムの不備をよ〜く観察すべきでしょうね。
- 838 :深山:2011/12/22(木)
00:02:32
- >>831 :準シュダオン:2011/12/21(水) 19:32:40
ゴキ出賞(>>821)
ゴキげんよう賞(>>824)
ノーボケ平和賞 (>>826)
サンドバッグで賞(>>827)
かまってほしいので賞
本当はさびしいので賞
今年は賞を総ナメです。
信者さんたちも早く間脳を開発してくださいね。
そうすると、準シュダオンさんみたいに脳味噌がスカスカでも、
周囲からは鼻つまみでも、羞恥心を解脱しているから、独りでエラクなれますよ。
「ワヒは間脳が開いておる、あはは」
「ワヒは神通力があるww」
「ワヒはすでに準○○○だってばぁw」
アゴン宗やっているとこんなにお幸せになれます。
- 839 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/22(木) 08:42:55
- >>831:準シュダオン11/12/21(水) 19:32:40
>あはは。だからぁ、新皮質脳だけでは、何回、何千回、経を読んでも無駄
>だってばぁw。意味内容を正確には理解出来ないのであるよ。
間脳とは自律神経を司る中枢です。ホルモン分泌などを促す。
桐山さんは密教・超能力の秘密の時代から間脳の視床下部に注目し、チャクラ開発の
一大拠点としています。
だから桐山さんにとっても間脳とは開発すべき場所ではあっても、思考の場ではない。
ではどうして間脳思考などというタイトルの本を書いたかと言うと、
その当時右脳思考なんて言葉が流行ったからです。
君は右脳型人間か左脳型人間かなんてね。
これにあやかって間脳思考などと付けた。
桐山さんの著書のタイトルにはこういうのが多い。
1996年に刊行された阿含仏教超奇蹟の秘密は当時のベストセラーの超勉強法に
あやかったものだし、脳と心の革命瞑想は脳内革命に便乗したものだ。
つまり単なるウケ狙いです。
だからいくら桐山さんが間脳思考などと題したからと言って間脳で考えよなんて
言いたかったわけではない。
特殊な訓練により間脳を開発する宗教の提唱というだけの為に、ちょっぴり洒落も
使って間脳思考と題してみただけに過ぎない。
だから間脳を開発した者でないとその真意がわからない経典なんてそうないはずです。
多くの経典は新皮質脳で理解する。
ってか仮に間脳開発者でないとわからない経典があったのだとしても
それは学者などでは計り知れない技術論の奥にある高い技術の深い実践成果
というだけで、それは字面解釈の延長線上にあるものであって、間違っても
間脳を開発してしまうと学者どもの字面解釈も否定してしまう矛盾した内容には
ならないはずです。
字面解釈と言うが、経典というのは本来学者の解説もつかない字面のみのものですから
訳された経典そのものを読んで判断すべきものです。
桐山さんが示した間脳経典で間脳の開発法を示唆しているのが安那般那念経と止息経です。
いずれも特殊な呼吸法で間脳をも開発する経典としている。
してそれはどちらも違う。安那般那念経は呼吸法を説いたのではなく呼吸にも
常に観察をするというだけです。呼吸だけでなく手を洗ったり用を足したりする
生活に常に自分の行動を観察せよと説いたものです。
止息法は四つの呼吸法ではなく、煩悩を止息することの価値を4つの形容詞で
表現しただけのものです。
- 840 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/22(木) 09:04:34
- >してそれはどちらも違う。安那般那念経は呼吸法を説いたのではなく呼吸にも
>常に観察をするというだけです。呼吸だけでなく手を洗ったり用を足したりする
>生活に常に自分の行動を観察せよと説いたものです。
>止息法は四つの呼吸法ではなく、煩悩を止息することの価値を4つの形容詞で
>表現しただけのものです。
これとてもお互いの解釈の相違に過ぎないと決めつけるでしょうか?
しかし実はこの2経典、桐山さんは経典の現代語訳を示していない。
安那般那念経は和訳書き下し文を示しただけで解説も添えない。
難しそうな漢字の単語らしき言葉が15個数えられるから15種類の呼吸法と
しただけです。
我々は古典はどうしても苦手だから読もうとしない。
しかしよく読めばちゃんと呼吸に念(意識)を止めるだけでない生活に意識を
止める実践が読み取れる。
止息経に至っては経典すらも示さない。
つまり字面経典原文をシャットアウトして桐山結論解釈だけを押し付けているだけです。
新皮質も間脳も遮断です。
俺の説いたことだけ新皮質で覚えておけというものです。
これは準シュダオンさんもよく使う手口です。
平河出版の現代語訳阿含経典の本を現代語訳の方を引用せず漢文白文だけを示す。
現代語訳をシャットアウトして目眩ましたいからです。
新皮質のシャットアウトです。
- 841 :深山:2011/12/22(木)
12:34:10
- >>831 :準シュダオン:2011/12/21(水) 19:32:40
>あはは。だからぁ、新皮質脳だけでは、何回、何千回、経を読んでも無駄
>だってばぁw。意味内容を正確には理解出来ないのであるよ。
>学者先生は、厳格に訳してるだけでね、内容を把握してるかは不明なのよ。
準シュダオンさんは阿含経を引用して解説しているところをみると、
どうやら、間脳を開いていると言いたいらしい。
だが、アゴン宗では桐山さん以外は間脳を開いた人はいない。
いかにも、その場しのぎのご都合をいう準シュダオンさんらしい。
桐山さんも準シュダオンさんも間脳を開いたのではなく、
脳梗塞で脳が崩壊しはじめているだけです。
信者さんたちの中にもこの準シュダオンさんと同じ事を
信じている人たちがたくさんいるのを知っています。
なにせ桐山さんがこれを主張している。
「阿含経は間脳の書であるから、間脳を開かないと、わからない。
自分も間脳を開発して初めて阿含経からオシャカの成仏ホウを体得した」
なんて言うから、信者さんたちはこれを鵜呑みにしている。
桐山さんがこれを言うのには、おおまかに二つ理由があります。
- 842 :深山:2011/12/22(木)
12:38:57
- 理由1.自分だけが阿含経を理解し、体得したと思わせるため。
阿含経を独占し、自分だけが特殊な能力を持ち、
本当のオシャカのホウを体得したのだと主張するためです。
阿含経の解説書なんていくらでもあるから、
それらと差別化するために、桐山解釈だけが正しいと
信者に錯覚させるために、手法です。
もちろん、真っ赤な嘘です。
阿含経が特殊な脳を持たないと理解できないような内容なら、
当時の無学な一般民衆はどうやって理解したのですか。
比丘の中にはチューラパンタカのように、明らかに知的障害のある人もいた。
こんな人にどうやって間脳開発法を教えるのですか。
だが、彼は釈尊から信者さんたちのいうオシエを聞いて、
やがてそれを理解して、解脱したのです。
釈尊は間脳開発なんて説いておらず、普通の知性があれば理解し
実践できる教法を説いた。
それは再度、後で説明します。
- 843 :深山:2011/12/22(木)
12:41:21
- 理由2.信者に阿含経を読ませないため
桐山さんは信者さんたちに阿含経を読ませたくないのです。
これを信者さんたちは否定できないでしょう。
なぜなら、現実に信者さんたちの多くが、桐山さんの解説本以外の
阿含経なんて読んだことがない。
学者の解説本はもちろん、中村博士の岩波文庫ですら阿含経を
持っていない人が大半であることを私は知っています。
阿含経を護持するという教団の信者が、千円もしない安い阿含経の
現代語訳すら持っていないあり方に疑問を持ちませんか。
「アゴン宗徒の阿含経知らず」という奇妙な現象が起きている。
これは偶然こうなったのではありません。
桐山さんが、「信者ごときが自分で読んでも意味が理解できない」と
言っているから、これを真に受けて、桐山さんの解説以外を
読まないようにしているからです。
桐山さんにとって、これはとても重要なことで、信者が読んで、桐山阿含経と
実際の阿含経が違うことに気がついてもらっては困る。
- 844 :深山:2011/12/22(木)
12:46:25
- 理由2.信者に阿含経を読ませないため
「学者の解説など、どんなに学問的に正しくても、
間脳を開いた桐山ゲイカにのみ本当の意味が理解できるのだ」と
信者さんたちは信じているから、学者の解説どころか、
現代語訳すら読もうとしなくなったのです。
それは洗脳以外の何ものでもないことに気がついてください。
桐山さんから価値がないと教え込まされ、信者さんたちは確認もせずに、
それを鵜呑みにして、安い現代語訳の阿含経があるのに自分からは読もうともしない。
準シュダオンさんは平河本の阿含経しか持っていない。
それも批判スレに来て、阿含経知らずと笑われてから、手に入れたのでしょう。
こんな程度です。
仏教に何の興味もないならともかく、阿含経を護持し、実践するのだと
称しているのに、現代語訳すら手にとろうとしない。
それでいて、例祭や星まつり、解脱供養や冥徳供養には金と時間を費やす。
そのお金と時間があれば、現代語訳の阿含経を買いそろえ、
読むのは十分な時間があるのに、信者さんたちはしようとしない。
その奇妙な自分の姿に疑問を持ってください。
- 845 :深山:2011/12/22(木)
12:50:29
- 理由2.信者に阿含経を読ませないため
阿含経を読んでいる信者が少数はいるのも知っています。
そして、彼らの多くは口をそろえて「どこに修行法があるのだ?」という。
これも桐山さんからの洗脳です。
修行法というのが、呼吸法やチャクラやクンダリニーを覚醒することだと思っている。
神通力という超能力を開発することが釈尊の説いた仏教の真実の姿なのだと
桐山さんから教えられて、それを信じているから、
阿含経のどこかに超能力開発法が書いてあるか、などと質問する。
電気店にいって、「刺身を売っていない」と文句をつけているようなものです。
ありもしない物を探すのだから、百年読んでも見つかるはずはない。
そして、こういう信者の多くは、自分が修行法を見つけられないのは、
間脳を開いていないからだとますます信じ込む。
間脳を開けば、阿含経には超能力開発法がちりばめられているのだろうと
いよいよ桐山ニンジンに食いつこうとする。
だから、未だにあのヨレヨレの桐山さんから、練脳塾で超能力開発法を
教えてもらえると本気で信じている。
阿含経にも、アゴン宗にも超能力開発法なんてありません。
- 846 :深山:2011/12/22(木)
12:54:46
- 理由2.信者に阿含経を読ませないため
桐山さんは信者に阿含経を読んでほしくない。
なぜなら、阿含経とアゴン宗とは違うどころか、正反対だからです。
アゴン宗は先祖供養と称する死者成仏を最大の売り文句と収入源にしている。
桐山さんは死者成仏の力を阿含経から体得したのだと言っている。
だが、阿含経では釈尊ははっきりと死者の成仏を否定している。
もちろん、死者を成仏させるホウなんてありません。
桐山さんはこれを指摘されて、「仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上」では、
阿含経から体得したオシャカの成仏ホウを
死者に向けたら成仏したのだ、などと話を変えている。
過去の桐山さんの本では、いかにも阿含経では死者の成仏や霊障解脱を、
解脱する上で絶対に必要であると説いたかのように書いていた。
だが、阿含経に死者成仏などないと批判されて、ないことを暗に認めるしかなくなり、
そこで、成仏ホウを死者に自分が使ったのだ、という詭弁を述べて逃げた。
あの阿含経講義の上巻は、仙尼経の異陰と並んで、
桐山さんの詭弁や逃げやゴマカシが随所にある迷著です。
そろそろ中巻が出る。
さあ、どんな詭弁が飛び出すか、楽しみです。
- 847 :深山:2011/12/22(木)
12:57:50
- 理由2.信者に阿含経を読ませないため
阿含経ては護摩も占いも禁止です。
「釈迦は密教の護摩は禁止していない」という屁理屈を並べても無駄です。
釈尊は酒を禁止しているが、フランスワインも日本酒も禁止していないから、
かまわないのですか。
密教の護摩は禁止していないとか、オシャカの成仏ホウによる護摩だからかまわない
などという屁理屈は、釈尊がフランスワインを禁止していないから、
飲んでもかまわないというのと同じです。
護摩はアゴン宗の最大のウリであり、収入源だから、
禁止などされようが何だろうが、桐山さんはやめるつもりはないだけです。
アゴン宗から護摩を取ってごらんなさい。
イベント宗教と呼ばれているだけあって、なんにもなくなる。
アゴン宗が信者などの客集めをして金集めできるのは、
そのほとんどが護摩を焚いたイベントです。
柴燈護摩など迫力があるから、集客力、集金力がある。
大事な収入源だから、桐山さんはこれをやめるわけにはいかない。
だから、信者さんたちに釈尊が護摩や占いなどの呪術を
禁止していることを知られたくないのです。
- 848 :深山:2011/12/22(木)
13:04:07
- 理由2.信者に阿含経を読ませないため
阿含経を素直に読めば、どこにも因縁解脱なんて言葉すら出てこないことに気がつく。
超能力開発法もない。
あるのは、桐山さんのいう倫理道徳レベルのオシエだけです。
阿含経の釈尊はひたすら、煩悩を減らせ、煩悩から解放しろと
説いているだけで、先祖供養、死者成仏、運命改造、現世利益、
能力開発など、アゴン宗がウリにしていることは何一つ説いていない。
いや、いずれもはっきりと否定し、それらを捨てることを説いている。
欲望を捨てることを説かれたら、アゴン宗は成り立たない。
護摩木祈願、先祖供養、因縁切り、能力開発など、
信者さんたちは気がついていないだろうが、これらは全部欲望です。
世界平和を祈るのは他者のためのように見えるが、
実際は、信者さんたちの護摩木で徳を積んだことになるのだから、
建前はどうあれ、自分のために祈願しているだけの欲望です。
第一、焚き火で世界は平和にはならない。
アゴン宗から欲望を取ってしまったら、何も残らない。
阿含経の教法をまともに取り入れたら、桐山さんの商売が成り立たないから、
信者の欲を煽り、恐怖を与えて、金と人を貢がせている。
阿含経の教法とは正反対です。
- 849 :深山:2011/12/22(木)
13:05:59
- 理由2.信者に阿含経を読ませないため
間脳が開かないと阿含経の意味がわからないなんて、
信者さんたちはそろそろその馬鹿みたいな考えを捨ててはどうか。
準シュダオンさんが得々として語るのを見て、なんという醜悪な
光景だと思いませんでしたか。
ろくな知性も記憶もなく、嘘デタラメの解説を並べて、一人で悦に
入っている彼の姿は、決して真似たくない老醜です。
だが、信者さんたちも間脳を開かないと阿含経が読めないなどと
言っている内は、準シュダオンさんと同レベルです。
いくらなんでも、準シュダオンさんと同じにされたくないでしょう。
そんなことは屈辱であり、侮辱ですよね。
だったら、間脳を開かないと阿含経がわからないなんてオカルトは捨てて、
釈尊の言葉をそのまま読んでみることです。
- 850 :深山:2011/12/22(木)
13:14:40
- 「比丘たちよ、初めも善く、中ごろも善く、ただしき道理と表現とを兼ね備えた法を説くがよい。」
これは釈尊が比丘たちに法を説くときの姿勢を指示した内容です。
わかりやすい、論理的な「言葉で説け」と言っている。
間脳を開かないと自分の教法はわからないなどと言っていません。
「完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は存在しない。」
「わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。」
彼にはそのような秘伝(教師の握り拳)はなく、内外の隔てなくというのだから、
信者であろうが、なかろうが、関係なしに教法を説いたと述べている。
こういう釈尊が、「間脳を開かないとオレの本当の成仏法はわからない」
なんて言うと思いますか。
信者さんたちは妄想にすぎない間脳開発などという桐山節を鵜呑みにするのではなく、
ういう釈尊の生の声を読んで理解するべきです。
- 851 :深山:2011/12/22(木)
13:18:57
- 「完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は存在しない。」
釈尊の教法は内容は当たり前だが、実践するのは難しい、というよりも、
我々俗人は実践したくないのが本音です。
そこを信者さんたちは巧みに桐山さんからコントロールされている。
自分で自分を制御しなくても良い言い訳をいっぱいつけてもらっている。
たとえば、「因縁があるとわかっちゃいるけどやめられない」などと
称して、自分で努力しなくても良い理由にしている。
霊障や因縁のせいするのは、自分に責任がないというのと同じだから、
ある意味でとても楽です。
自分で欲望や怒りや慢心を抑えるのではなく、護摩木や冥徳供養というお金で
なんとかなるという安直な道を選ぶ。
桐山さんは、信者の自力を否定し、神仏に頼るように仕向け、
信者は信者でその安易な方法に依存する。
だから、信者さんたちは相変わらず、護摩木に祈願を書いて、
焚き火に祈るという原始的な呪術宗教を信仰している。
準シュダオンさんのように知性が元々低い上に、脳梗塞で
すっかり衰えてしまったような人はもうどうにもならないとしても、
そうではない信者さんたちは、まだ自分で考えるだけの知性が残っているはずです。
そろそろ、釈尊の説いたことと正反対のことや、禁止事項をウリにしながら、
阿含経を護持するという矛盾だらけの信仰に疑問の目を向けてはどうか。
早くしないと人生が終わってしまいますよ。
- 852 :名無しさん:2011/12/22(木)
13:49:37
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- 853 :準シュダオン:2011/12/23(金)
19:06:27
- >しかし実はこの2経典、桐山さんは経典の現代語訳を示していない。
>安那般那念経は和訳書き下し文を示しただけで解説も添えない。
>難しそうな漢字の単語らしき言葉が15個数えられるから15種類の呼吸法と
>しただけです。
>我々は古典はどうしても苦手だから読もうとしない。
安那般那念経もそうであるが、阿含経に於いて、そもそも止息という訳語は、
サマタ(集中)の訳なのであるよ。止観においての「止」の訳が止息なのです。
そして、私の数少ない霊視の体験上、それは念の集中(止息)の状態において
起きました。つまり、管長訳の安那般那念経の、止息の解釈、身止息、心止息、
の意味を、身心のチャクラにおいて思念を止める、という管長の解釈は正に、
そのとおりであると思われます。
しかし、間脳も開かず、一般的な凡夫には、それは理解不能なのです。
なんで解説しないのか?それは私には解かります。解説しては意味がないの
です。我見と自灯明とどう違うのか?それが解かりますか?それは、各自が
会得して解かることです。だから、私も言葉では説明しない。説明したら、
相手の成長を妨げてしまう、わけです。答えをいうと、相手は成長できない。
算数の問題を、考える前に答えを教えては、力がつかないのですね。
- 854 :準シュダオン:2011/12/23(金)
19:37:06
- 深山くんが、例によってあれこれ我見にまみれた長文のレスをしているよう
だが、哀れだね。私には、せいぜいそのT行しか目に入らない。読むほどの
価値が無いからね。阿含経典の預流向が、聖者ではないという意味が理解で
きたであろうか?
学者先生が、アビダルマ論の預流向の定義を説明して、それを聖者として
解説していることを理解できたであろうか?
それを理解出来ない人とは、まともに議論する気さえ起きないよw。
岩波仏教辞典で、「解脱」の項を勉強しなさいよ。
戒・定・慧の三学と解脱・解脱知見の五分法身を具えることが、阿羅漢の
必須条件だと解説しているだろう。それを具えて、煩悩を滅尽した証拠と
されるのであるよ。漠然と煩悩を断ったつもりでは、煩悩を断てていない
のだよ。
我見にまみれた深山くんが、偉そうに我見レスを播き散らして、いるのが
滑稽だね。
前回、阿含仏教と大乗仏教を合わせた阿含宗を、ゴッタ煮と表現したけどね、
それは批判派の表現を借りただけだよ。以前、私が阿含宗は大乗仏教をも含ん
でいるとレスしたら、批判派の誰か愚か者が、ゴッタ煮だと表現した。
それを拝借しただけよw。阿含と大乗を含め、アウフヘーベンした宗教を目指
すのが阿断宗だと、管長は立宗した年に宣言しています。
それをゴッタ煮だと言うのならば、30年前に退会していなければ、大馬鹿だ
ろうよw。
- 855 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/23(金) 22:09:31
- >>853:準シュダオン11/12/23(金) 19:06:27
>安那般那念経もそうであるが、阿含経に於いて、そもそも止息という訳語は、
>サマタ(集中)の訳なのであるよ。止観においての「止」の訳が止息なのです。
>そして、私の数少ない霊視の体験上、それは念の集中(止息)の状態において
>起きました。つまり、管長訳の安那般那念経の、止息の解釈、身止息、心止息、
>の意味を、身心のチャクラにおいて思念を止める、という管長の解釈は正に、
>そのとおりであると思われます。
あなたの霊視自慢なんかスレ違いだからどうでもよいが、止が心をとどめる集中
するというのはその通りです。サマタですね。
私がとめる、やめると指摘したのは止息経の方です。
止息経の止息は息を止めるではない。息は呼吸に関係ない。
安息、休息、息災、これらに使われる息はそれ自体とめる、やめる、やすむです。
息災の例が一番わかりやすいですね。個々に呼吸の入る余地など少しもない。
だから止息とはどちらもとめる、やめるという意味の語を並び立てたもので、
意味はとめる、やめるです。
とめる、やめるにもいろいろある。呼吸の調節もその一つです。
しかしそんなことよりも貪瞋痴の煩悩を止息する(とめる、なくす)ことは
勝れた止息であり、奇特な止息であり、上なる止息であり、無上なる止息である
と述べたのです。つまり貪瞋痴の煩悩を止めてなくすことこそ最高と説いた経典で
呼吸法など出てくる余地がない。
これは間脳うんぬん言ってる以前に原文を読まない(桐山さんが原文を隠して
提示しないから)ことには、あれこれ論じる資格がありません。
國訳一切経にも載っているごく短い経典です。
安那般那念経における止はたしかに心を集中するサマタで間違いない。
サマタ以外にヴィパッサーナ(観)の意義が強いことは、経典を読めばわかるが。
問題は何に心を集中するかです。
それは呼吸を通して自分の身体、自分の心、法則を観察するのです。
この場合の呼吸とは特殊な呼吸法ではない。
常日頃のありのままの息を吸う、吐くだけです。
まずはありのままにその吸う息吐く息に心をとどめ集中し、それに付随して起こる
自分の身体や心などを如実に観察するのです。
人間は四六時中呼吸しているのだから、その四六時中の呼吸の観察を通して
四六時中の身体や心の動きを監視観察するのです。
チャクラなど出て来る出番がない。
- 856 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/23(金) 22:48:50
- >>853:準シュダオン11/12/23(金) 19:06:27
>なんで解説しないのか?それは私には解かります。解説しては意味がないの
>です。我見と自灯明とどう違うのか?それが解かりますか?それは、各自が
>会得して解かることです。だから、私も言葉では説明しない。説明したら、
>相手の成長を妨げてしまう、わけです。答えをいうと、相手は成長できない。
ごまかさなくても訳せます。
簡単にその15種類の呼吸法の部分を16分類に示して訳してみましょう。
最初の四考察(身体に関する組)
@長く息を吸ったときは長く吸ったと自覚する。長く息を吐いたときは長く息を吐いたと自覚する。
A短く息を吸ったときは短く吸ったと自覚する。短く息を吐いたときは短く息を吐いたと自覚する。
B息を吸ってすべての体を知ることを課題とする。息を吐いてすべての体を知ることを課題とする。
C息を吸って体の変調を静めることを課題とし、息を吐いて体の変調を静めることを課題とする。
第二の四考察(感受に関する組)
D息を吸って喜悦を感受することを課題とする。息を吐いて喜悦を感受することを課題とする。
E息を吸って幸福を感受することを課題とする。息を吐いて幸福を感受することを課題とする。
F息を吸って心の変調を感受することことを課題とする。息を吐いて心の変調を感受することを課題とする。
G息を吸って心の変調を静めることを課題とする。息を吐いて心の変調を静めることを課題とする。
第三の四考察(心に関する組)
H息を吸って心を感受することを課題とする。息を吐いて心を感受することを課題とする。
I息を吸って心を歓喜することを課題にする。息を吐いて心を歓喜することを課題にする。
J息を吸って心を安定することを課題にする。息を吐いて心を安定することを課題にする。
K息を吸って心を解放することを課題とする。息を吐いて心を解放することを課題にする。
第四の四考察
L息を吸って常に無常を見る。息を吐いて常に無常を見る。
M息を吸って常に色あせていくことを見る。息を吐いて常に色あせていくことを見る。
N息を吸って常に消滅することを見る。息を吐いて常に消滅することを見る。
O息を吸って常に手放すことを見る。息を吐いて常に手放すことを見る。
これはズバリ四念処そのものであることがわかりますね。
チャクラなど出て来る出番がない。
- 857 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/23(金) 23:08:28
- >@長く息を吸ったときは長く吸ったと自覚する。長く息を吐いたときは長く息を吐いたと自覚する。
>A短く息を吸ったときは短く吸ったと自覚する。短く息を吐いたときは短く息を吐いたと自覚する。
これは呼吸法ではありません。
これよりずっと後に成立する阿含経典ではない初期禅の創作経典としての
安般守意経は、数息観の原典でもあるのだが、ゆっくりとした長い呼吸を勧める呼吸法経典であるが、
雑阿含経の安那般那念経の方は、呼吸に決まりをつけません。
長い呼吸の時はその長い呼吸を観察し、短い呼吸の時はその短い呼吸を観察せよ、
荒れた呼吸の時はその荒れたままをありのままに観察する。
つまり制限せず普通の呼吸を常に意識にとどめる習慣を説いているのです。
これをするからこそ、自分の身体や心の動きがありのままに観察できるのです。
- 858 :深山:2011/12/23(金)
23:18:24
- >>854 :準シュダオン:2011/12/23(金)
19:37:06
>価値が無いからね。阿含経典の預流向が、聖者ではないという意味が理解で
>きたであろうか?
はい、あなた以外の読者はすでに預流向が聖者であること理解しています。
なぜなら、準シュダオンさん以外に、「預流向≠聖者」なんて説は唱えていない。
読んでいる皆さんは、この脳味噌の隙間に慢心を注入した老人のタワゴトは
さておき、再度、釈尊と学者たちがどう述べているか、復習しましょう。
「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の福田である〉と。
かれは、聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕の無い、斑点のない、よごれていないで、自在であって、知者
の称讃する、汚れの無い、精神統一をあらわし出すような戒律を、身に具現している。
(『ブッダ最後の旅』51頁)
これが釈尊の四双八輩(預流向から阿羅漢果まで)の説明です。
ごらんように、釈尊は四双八輩のすべてを聖者であり、最上の福田であり、
応供であると述べている。
また、学者たちもこの説明に従い、次のように説明しています。
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
ごらんように、「四向四果=聖者」です。
四向四果の中に預流向があるのですから、預流向は聖者です。
- 859 :深山:2011/12/23(金)
23:22:08
- >>854 :準シュダオン:2011/12/23(金)
19:37:06
>されるのであるよ。漠然と煩悩を断ったつもりでは、煩悩を断てていない
>のだよ。
そのとおりで、準シュダオンさんみたいに三結煩悩を垂れ流しにしながら、
「オレは預流向だ」などと自己申告しても無意味です。
煩悩を断ったなら、本人だけでなく周囲もわかるのです。
阿羅漢は、若い女に「今夜にでも」などと、夜11時に自分のホテルに
来いなどと性欲に囚われることなく、美食飽食で病気になってもまだ
「食いしん坊だから大食いするけれども・・・」
(ダルマチャクラ、175号、2004年、31頁)
などと、食欲すら抑えられないなどということもなく、
オバサン一人に嘘つき呼ばわりされて「キサマ!キサマ!」と怒りにかられ、
「このバカつまみ出せ」などと暴力を用いることもなく、
漏尽解脱を小解脱などと罵るような無明を垂れ流しにすることもない。
こんな煩悩を垂れ流しの俗物など、そもそも仏教を議論する資格すらない。
ましてや有余依涅槃の聖者などであるはずがない。
そして,何度説明されてもたった一行すらも理解できない準シュダオンさんのような
無明の塊が、預流向であるはずもない。
- 860 :深山:2011/12/23(金)
23:24:59
- >>854 :準シュダオン:2011/12/23(金)
19:37:06
>深山くんが、例によってあれこれ我見にまみれた長文のレスをしているよう
>だが、哀れだね。私には、せいぜいそのT行しか目に入らない。
お気遣いなく。
私もあなたが毎度同じ話のくり返しなのを知っているから、
文章は斜め読みして、アゴン宗批判のネタに使える材料がないか
探すだけですから、お互い様です。
私は、あなたではなく、これを沈黙して読んでいる信者さんたちに書いているのです。
あなたみたいに知性が失われ、性格もおかしい人に書いても無駄なのは知っています。
一行しか目に入らないのではなく、準シュダオンさんは読んでも内容は
理解できないし、記憶もできない。
理解できるのは、あなたがコケにされていることだけだから、悔しくて、
読んでいないことにしているでしょう?
コケにしているのはそのとおりだから、あなたの理解はそこだけは正しい。
私は準シュダオンさんの存在をとてもありがたく思っている。
一つには、あなたがこうやって批判のネタをふってくれるからです。
私はつい毎度同じ話では信者さんたちもあきるだろうと、書くのをためらう。
だが、あなたは記憶がないから、毎度同じ話をぶり返す。
そのたびに私は信者さんたちにアゴン宗のインチキと正しい仏教を
説明することができる。
恥を知る信者は、私に反論したくても、あなたみたいにすでに反論された内容を
無視してクドクドと書き続けることはできない。
過去十年を含めて、あなただけが、ただ一人、その恥知らずな性格の
おかげで、ここに居残り、批判側に批判のネタを提供してくれている。
だから、みてごらんなさい。
あなたがいないとこのスレは静かになる。
- 861 :深山:2011/12/23(金)
23:27:19
- >>854 :準シュダオン:2011/12/23(金)
19:37:06
>深山くんが、例によってあれこれ我見にまみれた長文のレスをしているよう
>だが、哀れだね。私には、せいぜいそのT行しか目に入らない。
二つ目に、あなたのその老醜です。
年を取って醜いと言っているのではない。
誰でも年を取り、脳は老化し、記憶力も理解力も程度の差こそあれ衰える。
あなたの場合、元々あまり知性の高い人ではない所に脳が老化して、
理解力も記憶力も衰え、脳に隙間ができた所に、元々強い慢心だけが
急激に増大して、その隙間を埋めつつある。
だから、あなたは逆に自分は知性が高まっているとか、
預流向どころか、○○○向まで進んでいるとすら内心自惚れている。
知性は地に着く状態だが、慢心だけは天井知らずです。
あなたは「絶対にこうはなりたくない老人」の見本です。
醜いというよりも、醜悪です。
70年も人間をしていたのに、知性や謙虚さという美徳は何一つあなたは獲得せず、
むしろ、今でも無知と高慢を日々積み上げている。
その証拠に、洪水から逃れた自分の好運を謙虚に感謝し、被害に遭った人たちに
同情するのではなく、神通力を獲得して、いよいよ自分の境涯が上がったという
自惚れだけを増大させている。
あなたを見ていると、脳が老化する前に、謙虚さと正しい知識を学び、
自惚れと妄想を捨てる努力しないと、これだけ醜い老人になり果てるとわかる。
いつも、いろいろと反面教師を示していただき、ありがとう。
- 862 :深山:2011/12/23(金)
23:33:00
- >>853 :準シュダオン:2011/12/23(金)
19:06:27
>安那般那念経もそうであるが、阿含経に於いて、そもそも止息という訳語は、
>サマタ(集中)の訳なのであるよ。止観においての「止」の訳が止息なのです。
信者さんたちは止息をご存じでしょうか。
アゴン宗では、止息ではなく、止息法と言います。
先に申し上げるが、仏教には止息はあっても、止息法なんてありません。
「法」を付けて、何か不思議なホウを体得したかのように見せかける桐山さんの手法です。
信者さんたちは、準シュダオンさんのようにちょっと調べると勝手な解釈を
加えて自説を並べて自慢話をする愚か者の真似をせず、
まず桐山ゲイカの説く止息法を正しく理解し、その上で、
阿含経の釈尊が説明している止息とは何かを理解しましょう。
- 863 :深山:2011/12/23(金)
23:34:04
- 止息@まずは桐山ゲイカの本
『止観の源流としての阿含仏教』91−92頁
ことに、仏陀は、雑阿含経「止息法」で、四つの最上深秘の呼吸法を説いています。
勝止息 奇特止息 上止息 無上止息
仏陀は、この経典で「この四つの呼吸法は、すべての呼吸法において、
これ以上のものはない最上の呼吸法である」述べています。
こういう最高度の技術を持った瞑想法は、貴重きわまりないものであると思います。
それに、なによりも、仏教本来の目的である霊的障害――「霊障」を解脱させる成仏法は、この仏陀の「止観瞑想」に拠ってのみ、獲得できるのであります。
『阿含密教超奇蹟の秘密』265頁
つまり、奇特止息法とは、奇蹟を起こす力をあたえる得意な禅定法なのである。この四つの法は、すべて、奇蹟――大神通力を与える特殊な法なのである。
私は、この四つの法は、四神足法の中の、「観神足法」と同じであると考えている。
『阿含密教超奇蹟の秘密』274頁
これが先にのべた「四安那般那念法」である。これが、四神足の核になるもので、
修行者はこの法によって、解脱・変身し、大神通力を身につけるのである。
『阿含仏教超能力の秘密』319頁
この呼吸法が、なぜ最上深秘のものであるのかというと、この呼吸法は専ら、脳を対象と
したものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経回路を改造し、殊に、脳に特殊な
能力を持たせる呼吸法であるからである。
つまり、クンダリニー・ヨーガの極意についてのべているからである。
- 864 :深山:2011/12/23(金)
23:36:17
- 止息@神通力じゃあ!
桐山さんの主張を簡単にまとめれば、釈尊の説いた、
「勝止息 奇特止息 上止息 無上止息」
この四つの止息法こそが四神足の核である観神足であり、
クンダリニー・ヨーガそのものであり、
体得した神通力によって解脱して霊障も解いてしまう、というものです。
つまり、桐山さんがいつも言うシャカの成仏ホウとは四神足であり、
四神足の実際の中身こそが四つの止息法なのです。
「釈迦の成仏法→七科三十七道品→四神足→安那般那→止息法→四つの止息法」
超能力や神通力を体得し解脱する修行法とは、四つの止息法に他ならないのです。
では、それが載っているという止息経の四つの止息の部分を見てみましょう。
- 865 :深山:2011/12/23(金)
23:43:44
- 止息@勝奇特上無上
止息経の前半はアーナンダの質問があり、後半、四つの止息が出てきます。
『國訳一切経 阿含部 2』68頁
「復た、勝止息・奇特止息・上止息・無上止息にして諸々の余の止息に過上なる者無し」
アーナンダがさらにこの四つの止息と何かと質問しています。
いよいよ、桐山ゲイカのいうオシャカの成仏法の開示です。
「貪欲心に於て解脱を楽(ねが)はず、恚癡心に解脱を楽(ねが)はざる。
是を勝止息・奇特止息・上止息・無上止息にして、諸々の余の止息に過上なる者無しと名づく」
釈尊は四つの止息についてこのように説明して、
アーナンダは釈尊のこの二行の説明に歓喜奉行したとあるだけです。
ご理解いただけましたか・・・。
勝止息・奇特止息・上止息・無上止息の具体的な中身とは、
「貪欲心に於て解脱を楽(ねが)はず、恚癡心に解脱を楽(ねが)はざる。」
というのが、釈尊の説明です。
これを桐山さんは神通力を体得できる究極の呼吸法、チャクラ開発法だというのですよ。
信者さんは「え、たったこれだけ」とひっくりかえりそうになりませんか。
釈尊のこの一行の説明のどこをどう解釈すれば呼吸法が出てくるのか。
呼吸法も四神足も神通力も出てきません。
この釈尊は説明は、ただ煩悩を捨てろと説いているだけです。
- 866 :深山:2011/12/23(金)
23:46:43
- 止息@煩悩止息
雑阿含経「止息経」
「貪欲心に於て解脱を楽(ねが)はず、恚癡心に解脱を楽(ねが)はざる。
是を勝止息・奇特止息・上止息・無上止息にして、諸々の余の止息に過上なる者無しと名づく」
釈尊は最初の一文で、勝止息・奇特止息・上止息・無上止息とは、
貪瞋(恚)癡の三悪煩悩を断ちきり解脱することだと説明しているのです。
釈尊が上記でおっしゃっていることを簡単に和訳するなら、
「貪瞋癡の煩悩をとめる(止息)ことこそが、最も勝れ、奇特であり、一番上であり、
無上この上ないものであり、他のとめること(止息)とは比較にならないほどである」
釈尊は煩悩を断ちきる法を、煩悩を止息すると表現し、
これこそが最上のものであると説いたから、アーナンダは歓喜奉行したのです。
釈尊には失礼ながら、いつも説いている内容であり、取り立てて珍しい経典ではありません。
繰り返すが、どこにも呼吸法も四神足も、もちろんチャクラもクンダリニーも
間脳も出てきません。
全部、桐山さんの作り話です。
- 867 :深山:2011/12/23(金)
23:48:55
- 止息@ゲイカの国語力
「復た、勝止息・奇特止息・上止息・無上止息にして諸々の余の止息に過上なる者無し」
桐山さんのは解釈以前に、日本語の文章の読み方からしておかしい。
「・・にして」というのですから、奇特止息などは修行法の名前という名詞ではなく、
勝、奇特、上、無上とは止息にかかる形容詞だということがわかります。
勝止息・奇特止息・上止息・無上止息がバラバラの四つの止息を指すのではなく、
一つの止息を四つの面から誉めているのです。
「彼女は美人、善良な人、知性のある人、良家の子女である」というとき、
これを美人と善良な人など四人の女性の話だとは解釈しません。
これと同じで、四つの止息法があるのではなく、一つの止息を誉めているのです。
国語としても、桐山さんのような解釈は成り立たない。
信者さんたちは仏陀の智慧を持つという桐山さんの嘘つきぶりと、
国語力のレベルをよく見ることです。
- 868 :深山:2011/12/23(金)
23:51:16
- 止息@メチャクチャ解釈か嘘デタラメか
「復た、勝止息・奇特止息・上止息・無上止息にして諸々の余の止息に過上なる者無し」
上記の経典の桐山さんの解釈は次のようなものです。
『止観の源流としての阿含仏教』91−92頁
「この四つの呼吸法は、すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」
メチャクチャな誤訳、というよりも嘘デタラメであることがわかります。
桐山さんは止息が、呼吸法が書いてある安那般那念経でも出てきたから、
漢字の字面から呼吸法だと連想して、勝手に思い込んでいる。
フランスを仏国と表記するから、フランスは仏教国だと言っているようなものです。
解釈が違うなどというレベルではなく、字を読み間違えたのです。
この思いこみの激しさ、そして思いこみのままに間違ったことを堂々と主張して、
本に書いていく桐山さんの仏陀の智慧を信者さんたちはよおく見ることです。
仏教の止息とは呼吸法などではありません。
そんなことは辞書を引けば書いてあります。
- 869 :深山:2011/12/23(金)
23:55:16
- 止息@例文仏教語大辞典
例文仏教語大辞典(小学館)
【止息】
@やめること。中止すること。
Aおさえること。起こらないようにすること。
Bとどまって休む。行動をやめて休止する。
これはユビキタスさんが前に引用したものです。
普通、辞書を示されたら、止息経や安那般那念経の止息をこういう意味に理解します。
上記の辞典にもあるように、止息とは@やめる、Aおさえる、という意味です。
止息経での止息とは何をやめて、何を押さえるのか。
「貪欲心に於て解脱を楽(ねが)はず、恚癡心に解脱を楽(ねが)はざる。」
煩悩をおさえて、煩悩がおこらないようにすることです。
止息(『佛教語大辞典』中村元、507頁)
@苦しみのなくなること
Asamathaの漢訳→止
Bシュラマナ(沙門)の漢訳
この辞典でも止息には呼吸法という意味はありません。
@の「苦しみのなくなること」の苦は、仏教では特別な意味を持ちます。
仏教の基本である四諦は苦集滅道で、ここでいう苦の元とは煩悩です。
苦しみのなくなることとは、煩悩がなくなり解脱することです。
Aの「止」もまた重要な概念で、よく止観としてペアで用いられます。
桐山さんも北京大学名誉教授を買った時に止観の講演をしていますが、
オカルト仏教はともかく、正式な阿含経での止観とは次のような意味です。
- 870 :深山:2011/12/23(金)
23:57:53
- 止息@止観
止観(『佛教語大辞典』506頁)
「心を練って一切の外部や乱想に動かされず、心を特定の対象にそそぐのを止といい、
それによって正しい智慧を起こし、対象を観るのを観という。」
止息のAの意味である「止」とは、
心を集中して、いっさいの乱れのない状態を指すのです。
言うまでもなく、止は呼吸法などではありません。
外部や内部によって心が乱れるのは煩悩があるからです。
煩悩をなくすことが止を成就することです。
だから、止の説明には次のようにあります。
止(『佛教語大辞典』506頁)
「F定に七つ名があるうちの一つ。煩悩を静め、一つところに心を落ち着かせること。」
『佛教語大辞典』にある止息の「B沙門」は、@やAと一見違うように見えます。
しかし、仏教の沙門とは比丘を指すのですから、煩悩を止息する者、という意味です。
以上のように、@ABは同じ内容です。
仏教の大御所ともいえる二人の学者の辞書には、
どこにも、止息には呼吸、呼吸法などの意味はありません。
- 871 :深山:2011/12/24(土)
00:07:55
- 止息@止息を呼吸法?!
私は経典を引用し、釈尊の具体的な説明を示し、学者の解説も引用した。
普通の国語力があるなら、止息を呼吸法であるという人はさすがにいないでしょう。
ところが、信者さんたちが仏陀の智慧を持つと信じている桐山ゲイカは
この普通の国語力すらないのです。
どう読んでも、勝止息・奇特止息・上止息・無上止息とは四つ止息のことではなく、
煩悩を止息することを、四回、最高のものだと強調したのです。
桐山さんはこれを元にして呼吸法で四神足を得て、オシャカの成仏ホウを
体得したというのだから、読み間違えて体得したことになる。
間脳開いてブッダの智慧を持つ人が経典を読み間違えて解脱した??!!
これが国語の試験なら、桐山さんと準シュダオンさんは0点です。
信者さんたちは何点ですか。
- 872 :ラシン:2011/12/24(土)
00:17:40
- >>853
つまり、管長訳の安那般那念経の、止息の解釈、身止息、心止息、
の意味を、身心のチャクラにおいて思念を止める、という管長の解釈は正に、
そのとおりであると思われます。
しかし、間脳も開かず、一般的な凡夫には、それは理解不能なのです。
雜阿含經卷第十七雜因誦第三品之五
(四七四) ー抜粋ー
佛告阿難。復有勝止息。奇特止息。上止息。無上止息。
如是止息。於餘止息。無過上者。
阿難白佛。何等爲勝止息。奇特止息。上止息。無上止息。
諸餘止息。無過上者。佛告阿難。於貪欲心不樂解脱。恚癡心不樂解脱。
是名勝止息。奇特止息。上止息。無上止息。諸餘止息。無過上者。
佛説此經已。尊者阿難聞佛所説。歡喜奉行
雜阿含經卷第二十九(八〇二)
如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。
當修安那般那念。若比丘修習安那般那念。多修習者。
得身止息。及心止息。有覺有觀。寂滅純一明分想修習滿足。
佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
- 873 :ラシン:2011/12/24(土)
00:37:53
- >>865 :深山:2011/12/23(金) 23:43:44
>『國訳一切経 阿含部 2』68頁
「復た、勝止息・奇特止息・上止息・無上止息にして諸々の余の止息に過上なる者無し」
http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky028800uoft#page/278/mode/2up
- 874 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/24(土) 06:11:45
- 今年も色々ありましたが、あとわずか。
来年こそは更なる阿含宗の衰退振りとゲイカの壊れ具合を見たいものです。
- 875 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/24(土) 08:38:14
- >>854:準シュダオン11/12/23(金) 19:37:06
>岩波仏教辞典で、「解脱」の項を勉強しなさいよ。
>戒・定・慧の三学と解脱・解脱知見の五分法身を具えることが、阿羅漢の
>必須条件だと解説しているだろう。それを具えて、煩悩を滅尽した証拠と
>されるのであるよ。漠然と煩悩を断ったつもりでは、煩悩を断てていない
>のだよ。
先に深山さんに預流向を聖者に含めるか否かについてイチャモンを付けておいて
どういう繋がりから阿羅漢果の悟り、条件が出て来るのか?
阿羅漢果は当然預流向とは境涯が異なる。
預流向とは阿羅漢果を目指す第一歩である。
阿羅漢果の条件である戒、定、慧、解脱、解脱知見の五学を果たしたとは
漏尽知を得て解脱知見としたのです。
漏尽知とは煩悩が尽きてなくなったことを知ることです。
だからその前に漏尽がある。心に煩悩がなくなった、これが解脱です。
経典によると釈尊は心に煩悩がなくなってから最後の思索に入ります。
そこで宿命智、天眼智、漏尽智の三明を得て大悟して覚者ブッダとなるわけです。
これは多くの経典に説かれていますが、それでは必ず三明を得ないといけないのか
と言うと、深山さんが示した経典のように漏尽智以外は得ずして阿羅漢果と認められる
ケースも多く見られます。
これは何を意味するものか?実はこれはペテン大作さんもここに引っ掛かってしまった。
必要なのは漏尽智だけです。もっと言うならば必要なのは漏尽=煩悩をなくすこと
だけで、これ(解脱)を果たせば自ずと漏が尽きたことを自ら知るわけです。(解脱知見)
釈尊の場合はニュートンが万有引力の法則を発見したように、アインシュタインが
相対性原理を発見したように、一切衆生の輪廻の相まで観察して完璧な悟りだったわけです。
しかし我々がニュートンやアインシュタインの理論を完璧に身につけなければ生きていけないか
と言うと、そんなことはなく、必要な部分だけで活用できるのです。
釈尊の悟りの場合は人は漏尽の教えだけを理解して活用すれば阿羅漢果になれるのです。
考えてみれば宿命智、前世を遡って知るとはすごい神通力です。
天眼智(生死智)もよく想像できぬがすごい神通力です。
しかし漏尽智はこれは神通力なくしても知ることができる。
しかしこれは「知る」ことに於いて最も価値ある智慧ということになる。
漏が尽きてなくなったなんて自覚できる人がいるか?
- 876 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/24(土) 08:48:59
- >>854:準シュダオン11/12/23(金) 19:37:06
>岩波仏教辞典で、「解脱」の項を勉強しなさいよ。
>戒・定・慧の三学と解脱・解脱知見の五分法身を具えることが、阿羅漢の
>必須条件だと解説しているだろう。それを具えて、煩悩を滅尽した証拠と
>されるのであるよ。漠然と煩悩を断ったつもりでは、煩悩を断てていない
>のだよ。
宜しいですか?宿命智、天眼智、ともにすごい神通力ではあるが、それは結局
「知る」だけです。過去を知れば少しは役にも立つかも知れないが、ではアゴン宗信者に
質問するが、「知る」「認識する」ことさえ果たせば、解脱は得られるのですか?
そちらの因縁解脱なんて因縁を知りさえすればそれは切れたことになるのですか?
宿命智、天眼智を得ずして漏尽智だけを得て阿羅漢になった弟子も多くいたと書いたが、
逆に外道の行者でも厳しい修行で宿命智、天眼智を得た者はいたそうです。
しかし彼らは漏尽智だけは得られなかった。
漏尽ができなかったからです。
- 877 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/24(土) 12:16:01
- >>874
天照さんもぜひともアゴン宗スレ大賞選考会投票にご協力ください。
要項は>>815以降にあります。
一応明日20時を以て締め切り、集計の予定です。
- 878 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/24(土) 19:56:41
- ユビさん、遅くなり失礼しました。
私も実は迷っており、考えた結果皆様とほとんど同じ感じになっております。
といっても示さなければわからないので>>830の無関係さんと同じでお願いしたく
思います。
ユビさんにも特別功労賞と思うのですが、駄目かなあ?と。
そのような感じでした。
- 879 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/24(土) 21:19:57
- >>878
天照さん、投票ありがとうございます。
実は正直申しますと、例年悪のりも含めて意欲的に取り組んできたアゴン宗スレ大賞に
今年は乗り気でなかったのです。
高校野球板でも展開しているスレ大賞の運営に他の方を推薦依頼したように
こちらでも天照さんにでも委託お願いしようかなんて思ってましたが、天照さんも
ご多忙のようで気が引けました。
それでも個人的なやる気の無さから中止にしてはならないと思ったのは、高校野球
スレの方でも委託した人が頑張ってることと、先週日曜日にさいたまスーパーアリーナに
マーチングバンド全国大会を見に行った感動からですね。
内閣総理大臣野田佳彦の子分であるナントカとかいう衆院議員が来て、内閣総理大臣賞を
出しているのを見て、あ!こちらもそれで行こう!こちらは竜兵くるりんぱ総理で
行こうとようやく乗り気になったものです。
貴重なネタが多いだけに中止にしてはならないイベントでした。
- 880 :無関係な人間です:2011/12/24(土) 21:20:01
- 阿含宗とは関係のない話ですが、最近、こんな事がありました。
私の高校時代の同級生に熱心な創価学会の幹部がいました。別に親しくはなかったのですが、選挙のたびに
押し掛けて来るので、自然、付き合いが続いています。ところが、最近は来ないので不思議に思っていたら
本人から電話がありました。なんと、彼は創価学会を脱会し、今では、創価学会のインチキを暴露する運動を展開
しているそうです。
最近では創価学会の脱退者を組織し、創価学会の間違いを信徒に啓蒙して洗脳をとく運動を展開しています。
で、学会の幹部に面会を求めては、論争を挑み、片端から論破しているそうです。そのため、毎月、最低でも
50名、多い時は100名ほどの脱会者が出ているようです。危機感を覚えた創価学会側は連日、脱会活動
の中止を要求しているそうです。
でも、彼は、
「私は殺されるかもしれない。しかし、命をかけても、これは続ける」
と断言しておりました。
彼の説明では、創価学会の存在は単に個人を不幸にするだけではなく、国家にとっても危機だといいます。
例えば、中国や韓国が日本の内政干渉をするのには、創価学会の存在が背後にあると言います。結果として
亜細亜のナショナリズムをあおり、戦争の危機が増えているそうです。
その話を聞きながら、こちらのみなさまの事を思い出しました。
阿含宗と創価学会では、規模も質も違いますが、その志という点では共通すると思います。
みなさまのご活躍をお祈りする次第です。
- 881 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/24(土) 21:27:17
- >>880
読んでいて頭の下がる思いでした。
とても真似できないと感じてしまいます。
こっち(アゴン宗)は国家を揺るがすような大教団でもないしと言い訳を使いそうな
自分に嫌悪感を覚えてしまいそうな感じです。
- 882 :無関係な人間です:2011/12/24(土) 22:17:26
- そんな事はないと思います。彼のようなケースが例外だと思います。
地道に活動をされている姿はとても立派だと思います。人それぞれだと感じます。
- 883 :準シュダオン:2011/12/25(日)
21:25:31
- >先に深山さんに預流向を聖者に含めるか否かについてイチャモンを付けておいて
>どういう繋がりから阿羅漢果の悟り、条件が出て来るのか?
>阿羅漢果は当然預流向とは境涯が異なる。
だからぁ、深山くんも、ユビさんも、自分のレベルに気づいていないし
そのレベルが低すぎるから、私は議論する気がうせてしまうのよw。
あなた方の見解を、我見というのです。その我見に気づいていないのよ。
我見をなくすのが修行の第一歩だと、経典に書いてあるし管長もそのように
本に書いています。
だが、我見て、解かる?
自分の間違いに気づくことが、我見を断つという意味なのですよ。
自分の我見に気づかねば、それをなくすことは出来ないね。
その点、深山くんなどは、自分の愚かな我見にしがみついているw。
愚かだね、その見解を捨てることが、煩悩を捨てる第一歩なのだよ。
- 884 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/25(日) 21:45:57
- さて投票も締め切りまして、いよいよ2011年を飾る第96回アゴン宗スレ大賞の発表を
したいと思います。
それでは開会に先立ちまして前奏曲を。
協力は東北福祉大クネクネ応援隊です。
http://www.youtube.com/watch?v=Xl7rpLejFoE
- 885 :準シュダオン:2011/12/25(日)
21:47:04
- >宜しいですか?宿命智、天眼智、ともにすごい神通力ではあるが、それは結局
>「知る」だけです。過去を知れば少しは役にも立つかも知れないが、ではアゴン宗信者に
>質問するが、「知る」「認識する」ことさえ果たせば、解脱は得られるのですか?
阿含経においての知るという意味は、体得したという意味です。
阿含経において、水泳を知るという意味は、泳げるという意味です。
水泳理論を知っても、カナヅチならば、水泳を知ったとはいえないのです。
その点、批判派は、仏教知識はあっても、仏法の意味を知らないと感じるね。
管長の説くように、仏教と仏法は違う。教えと力(法)の差だろうね。
間脳が開かねば、法(力)を感じることは出来ないだろう。
釈尊の時代は、間脳という言葉はなかったであろうから、釈尊も説明に窮したで
あろう。だが、現代は、間脳と言えば理解も進むであろう。
絵に音は表現出来ない。音符に色を表現することは難しい。
そのように、霊界を、新皮質脳に説明することは難しい。
ワード・エクセルだけのパソコン脳に、ネット世界を説明することは
難しい。
まして例えていうと、ネット(霊)の世界は非科学的で、体験のない人が多く、
迷信か空想と思われているのが現実であるからね。
- 886 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/25(日) 21:53:13
- 各賞を順を追って発表したいと思います。
一番票を集めたのが、この人、準シュダオンさんですね。
【ゴキ出賞】
【ゴキげんよう賞】
【ノーボケ平和賞】
【サンドバックで賞】
【かまってほしいので賞】
【本当はさびしいので賞】
4名から6票も集めています。
それぞれ賞の名前も違うし、大賞にするのもなんですからこうしましょう。
【仕方ないからあげま賞】
準シュダオンさん、おめでとうございます。
- 887 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/25(日) 21:59:18
- 続きまして新人賞の発表です。
ユビキタス、ラシンさん、無関係な人間ですさん、天照さんの4票が集まりました
アゴンさんに決定です!
アゴンさん、おめでとうございます!
来年の活躍も期待します。
- 888 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/25(日) 22:04:47
- 桐山靖雄文芸賞の発表です。
これはもちろん
【千の景に充てた恋文二歌】です。
ユビキタスと2ちゃんねるの名無しさんと、ラシンさんの功労賞扱いのを加えて
3票としました。
- 889 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/25(日) 22:10:54
- 流行語大賞の発表です。
これは分かれました。
【今夜にでも】と【言いたいことがあったら言ってみろ】です。
前者はユビキタスとラシンさんの2票が集まり、後者はユビキタス、無関係な人間ですさん、
天照さんの3票を集めました。
1票差で【言いたいことがあったら言ってみろ】に決定です。
桐山靖雄さん、何か言いたいことがあったら言ってみてください。
- 890 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/25(日) 22:25:28
- 残るは大賞と功労賞です。
これはなかなか難しい。
大賞として推すのと功労賞として推すのとかが入り交じって、総合的に判断する
ことにしました。
結論から申しますと、功労賞は【資料収集に奔走された無名の方々】です。
ユビキタス、無関係な人間ですさん、天照さんの3票です。
類似した功労賞に深山さん推薦の「今夜にでも」桐山御霊諭があります。
この「今夜にでも」桐山御霊諭はラシンさんも大賞推薦としてあげています。
資料収集に奔走された無名の方々が人を指すならば、御霊諭は桐山さんの発言そのものを
指します。
しかし共通性もあることですし、これは御霊諭の方を大賞候補に回し、無名の方々の
3票を採用しました。
内閣総理大臣野田竜兵が勝手に私の票を二つに分けたのは無しにして、元に戻したわけです。
資料収集とはもちろん裁判資料で「今夜にでも」とか桐山さんとE川さんのツーショット写真
などの情報を直接間接に伝えてくれた方々です。
「三福道は私が命名した」をコピーして発表したのも包含してもしなくてもよいと思います。
入れちまいますか?無名ではないけど。
- 891 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/25(日) 22:38:29
- それではいよいよ大賞グランプリ内閣総理大臣賞の発表です。
候補を2つに絞りました。
一つは深山さんも大賞に推薦し、私も候補の一つに同意し、神人同行さんも
「勇気ある者で賞」として推した
【裁判を起こした元信者】
です。
もう一つはラシンさんが大賞候補として挙げて、私も先に候補の一つに挙げていた
「今夜にでも」桐山御霊諭です。これには深山さんが功労賞部門として推薦したのも
総合判断として加えたいと思います。
これには流行語大賞に惜しくも2位に甘んじた「今夜にでも」まで総合判断で
加えてしまうのもどうかと思われますので、深山さんの功労賞を大賞候補に移す
ことだけで整理をします。
その結果どちらも3票で分かれました。
これについては決戦投票を行わず、どちらも大賞グランプリ内閣総理大臣賞とします。
2011年アゴンスレ大賞グランプリ内閣総理大臣賞は
【「今夜にでも」桐山御霊諭】
【裁判を起こした元信者】
の2つに決定です!
前者「今夜にでも」は今年の正月に深山さんからお年玉として
伝えられた実は去年の情報でしたね。
また後者「裁判を起こした元信者」はまだ始まったばかりで来年まで期待できる話です。
- 892 :内閣総理大臣野田竜兵:2011/12/25(日) 22:46:36
- 表彰状
第108回アゴン宗スレ大賞グランプリ内閣総理大臣賞
【「今夜にでも」桐山御霊諭】
【裁判を起こした元信者】
以上2つについて、アゴン宗批判において極めて強力な影響を与えてくれた功績を評価し、
また今後も与え続けてくれる期待をこめて表彰致します。
ドジョウに金魚の真似はできない。
しかしこれはドジョウが金魚にも化けてしまうのではないかと思わせる2つの事件でありました。
内閣支持率が下がってるけど、消費税は上げてやるからね。
訴えてやる!
くるりんぱ
内閣総理大臣野田竜兵
- 893 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/25(日) 22:54:03
- それでは第123回アゴン宗スレ大賞発表の儀式を無事終了致します。
皆様ご協力ありがとうございました。
最後にまたクネクネと曲で締め括りたいと思います。
ぷっぷっぷぷ〜ぷぷっぷ♪
ぷっぷっぷぷ〜ぷぷっぷ♪
ぷぷぷっ♪ぷぷぷ〜♪
http://l.pic.to/4dgbq
- 894 :神人同行
◆3R1a2NAxr.:2011/12/26(月) 04:02:24
- ユビさんご苦労様です
的を得た各賞と評価基準だと思います。
アゴン宗スレ大賞も歳を経る毎に核心に迫りつつあると思います
鬼が笑いますが、来年辺りは、
脱退者大杉で賞や桐山君追魂の碑建設しま賞で終えれば
〆としてはピッタシかなと??
ヤッパリ鬼が笑った!!
- 895 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/26(月) 08:06:18
- >>883:準シュダオン11/12/25(日) 21:25:31
>我見をなくすのが修行の第一歩だと、経典に書いてあるし管長もそのように
>本に書いています。
答えになってません。
我見に関しては常に個々の具体的な題材に対する具体的な反論根拠に基づく
意見を述べねばなりませんよね。
預流向を聖者に含めるのか否かの議論に五分法身の定義を出したところでそれは
話がつながりません。
なるほど阿羅漢とは戒・定・慧の三学を修め、解脱を得てその結果結果を知ることです。
しかしそれを正しく認識すれば預流向は聖者に相当しないという理屈にはなりません。
なぜならば預流果とされるシュダオンは三結を断っただけであり、まだ欲貪や瞋恚の
煩悩が切れずに残っている。こんな未熟な状態でも聖者の流れと認めるのだから
五分法身を完全に修めた阿羅漢の話を比較に出してもどうにもならないのです。
個別に論じる必要かある。
ただ五分法身の生半可な知識だけ並べても仕方がないから頭を整理しなさいと
申したのです。
- 896 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/26(月) 08:34:13
- >>885:準シュダオン11/12/25(日) 21:47:04
>阿含経においての知るという意味は、体得したという意味です。
これもカナヅチだのエクセルとワードの喩え話の一般論めいた話はどうでもいいから
桐山アゴン宗と釈尊の仏教が矛盾ないことを具体的な題材で論じなさい。
知るだろうが体得するだろうが、三明知の宿命智や天眼智を体得せずして
漏尽智だけ果たして阿羅漢になった経典の記述をどう説明するのか?
私が書いたように宿命智などは必ずしも解脱に必要のない智慧という結論になります。
>釈尊の時代は、間脳という言葉はなかったであろうから、釈尊も説明に窮したで
>あろう。だが、現代は、間脳と言えば理解も進むであろう。
進みません。現代においてすら間脳思考なんて言葉を駆使したとて何のことやら
さっぱりわかりません。
間脳思考が発売された頃、それにあやかってか雑誌などで「今増えつつある間脳型人間」
なんて記事が書かれたことがあります。
それによるとその代表例は1979年のプロ野球日本シリーズで、9回裏一死満塁の大ピンチで
スクイズをはずすウエストボールをカーブで投げた江夏豊のピッチングなのだそうだ。
しかし立ち読みして、これは違うと思った。
江夏のあのとっさの対応は経験知に基づくものです。
言わば「勘」のようなものです。
勘を間脳の働きにされてはたまったものではない。
間脳とは自律神経の中枢でホルモンを分泌する機能を持つのだから。
実は勘ですらそれが経験知である以上どんな咄嗟の素早い対応でも言葉で説明
できてしまうのだ。
このように間脳なんて脳生理学の専門用語であり、一般に素人が誤用されるような
ことがあるならかえって使わない方がよいのです。
それよりも別の言葉で表現できます。
体験なくしてはわからない世界とか。
たとえば宿命智とか天眼智なんてのは私でも体験がないからわかりません。
わからないけど、こういうものなんだという概略の説明は言葉でしてあります。
で、我々批判側は宿命智や天眼智を体験なきゆえに否定などしたこともありません。
- 897 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/26(月) 08:39:00
- >>885:準シュダオン11/12/25(日) 21:47:04
>まして例えていうと、ネット(霊)の世界は非科学的で、体験のない人が多く、
>迷信か空想と思われているのが現実であるからね。
しかし釈尊は霊については語らず、考えるなと命じたのですよ。
信じるとか信じないとかそういう話ではなく、そんな詮索をしても無意味と禁じたのです。
ところがアゴン宗は霊魂救済を説き、霊魂に注目せよと逆のことをしている。
- 898 :Boo:2011/12/26(月)
09:50:54
- 準シュダオンさんが「間脳思考」を出すのならば、その具体的効果―間脳の開発
がクンダリニーヨーガのサハスララチャクラの覚醒のことであり、これにより
「漏尽智」が得られる、とまでカンチョウが言い続けてきた、それを出さなきゃ
駄目でしょう。
では、その「間脳」の開発はどのようにするかというと、それは瞑想から始まる、
という。そして「グモンジ聡明法秘伝」だの「メシアの法」だの出版されたり、
伝法されたりしてきたわけです。しかし、そのどれもが信者に対して具体的
効果が現れなかった。
ここにきて、アゴン宗は「間脳思考」を置いておいて各種の「供養」で集金
システムを作り上げました。
つまり、「間脳思考」などというものを正しく「思考」できる人はカンチョウ
だけであり、それができるということはサハスララチャクラが覚醒し、漏尽智
なども身に付いている阿羅漢クラスであるというアゴン宗教義がありますね。
以上のことを踏まえると、準シュダオンなる凡夫ごときがあたかも間脳思考している
かのような勝手なことをネットにカキコするなど、許されることではないと、
私は思うのだが。これって我見でしょうかね?
- 899 :ラシン:2011/12/26(月)
10:49:22
>>886-891
ユビキタスさんに選考の労をねぎらいたいと思います。
お忙しい中、ご苦労様でした。
- 900 :ラシン:2011/12/26(月)
10:55:03
- >883
名前:準シュダオン
>あなた方の見解を、我見というのです。その我見に気づいていないのよ。
我見をなくすのが修行の第一歩だと、
>水泳理論を知っても、カナヅチならば、水泳を知ったとはいえないのです。
まあひとりだけ、
議論出来ない御仁が議論する気など失せたたと年の暮れのごった煮鍋を、
鍋奉行の如く、ま〜だ掻き混ぜているようです。
まるでカナヅチが、オレは泳がない、と言うが如き滑稽で情けない姿です。
>阿含経においての知るという意味は、体得したという意味です。
こう”言う”のをあなたの”言う”我見に囚われていると”言う”のです。
阿含経にあるのは、教えとその実践です。
批判側が常に例に示す少し知能に問題があった周利槃特(チューラパンタカ)が、
釈尊の教えを実践し解脱したことで矛盾はありません。
準シュダオンさんも知能に問題があるが、少し違う点は我見が周利槃特にはなかった。
周利槃特は知能に問題はあっても、我見という知性においては正常だったからです。
なにが体得ですか、偉そうに、その自惚れ慢心は来年まで持越しでしょう。
- 901 :深山:2011/12/26(月)
12:41:11
- >>720 :準シュダオン:2011/12/11(日)
13:25:30
>ビさん方批判派は、我見に塗れていますね。
>>721
:準シュダオン:2011/12/11(日) 13:46:50
>先ず、我見を断たねば、欲貪・瞋恚は断てません。
>>775 :準シュダオン:2011/12/15(木)
11:11:06
>だから、その(心が平安になる福)ような考えを、我見というのです。
>>854 :準シュダオン:2011/12/23(金)
19:37:06
>我見にまみれた深山くんが、偉そうに我見レスを播き散らして、いるのが
滑稽だね。
>>883 :準シュダオン:2011/12/25(日) 21:25:31
>あなた方の見解を、我見というのです。その我見に気づいていないのよ。
ごらんのように、毎回毎回、我見我見としか吠えられない哀れな状態です。
もっとも、我見と吠えたことすら忘れているのでしょうね。
準シュダオンさんの意見を批判するのが我見だそうです。
自分の意見を理屈抜きに受けいれろというのは、
老人によく見られる光景です。
私は我見もなにも、自分の意見など主張したことはほとんどない。
なぜなら、あなたと違い、自分の解釈の主張を極力避けているからです。
あなたとは正反対の姿勢です。
>>858を見てごらんなさい。
「預流向≠聖者」というあなたの説に、私は自分の意見を書いたのではなく、
経典と学者の説を出したのです。
- 902 :深山:2011/12/26(月)
12:43:02
- 「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の福田である〉と。
かれは、聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕の無い、斑点のない、
よごれていないで、自在であって、知者
の称讃する、汚れの無い、精神統一をあらわし出すような戒律を、身に具現している。
(『ブッダ最後の旅』51頁)
この文章があなたには私の説に読めるらしい。
この文章からは「預流向=聖者」としか読めない。
私の説ではなく、釈尊の説です。
釈尊の説明をあなたは我見と言うらしい。
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
これは私の説ではなく、学者の説ですから、私の我見ではない。
釈尊も学者も「預流向=聖者」だと言っている。
私の知る限り、「預流向≠聖者」と唱えているのは準シュダオンさんだけです。
しかも、あなたは何一つ根拠を示していない。
あなたの説は我見ですらなく、ただの嘘です。
- 903 :深山:2011/12/26(月)
12:50:49
- >>883 :準シュダオン:2011/12/25(日) 21:25:31
>あなた方の見解を、我見というのです。その我見に気づいていないのよ。
桐山さんは止息をオシャカの成仏法を体得するための呼吸法だと言った。
あなたはこれを支持するらしい。
だが、釈尊は止息を呼吸法や神通力を体得する修行法だなんて言っていない。
釈尊のいう止息とは、
「貪欲心に於て解脱を楽(ねが)はず、恚癡心に解脱を楽(ねが)はざる。」
つまり、煩悩を断ちきることです。
これりは私の説ではなく、釈尊の説明です。
これを我見というなら、あなたは釈尊の説明を我見と罵ったことになる。
釈尊のいう止息の説明を否定し、呼吸法だなどと主張するのは我見ですらなく、
ただの嘘です。
あなたも桐山さんもただの嘘つきです。
あなたは私に我見を捨てろと助言するなら、私もあなたに、嘘をつくなと
助言するべきなのだろうが、二人とも嘘と朋友らしいから、無駄な助言はしない。
桐山さんを模範に、一生嘘つきという悪業を重ねるのでしょう。
その悪業はあなた方自身に戻って行くだけです。
準シュダオンさんとは桐山説が嘘だと指摘されても、
まだ釈尊の説明を我見と罵る。
たいへんな悪業です。
信者さんたちは準シュダオンさんの老人のガンコを真似せずに、
明瞭に証拠をもって間違いや嘘を指摘されたら、素直に軌道修正することです。
- 904 :深山:2011/12/26(月)
13:07:11
- >>885 :準シュダオン:2011/12/25(日) 21:47:04
>阿含経においての知るという意味は、体得したという意味です。
阿含経は間脳が開かないと理解できないのでしたね。
そして間脳を開くためには阿含経の修行法を実践しないといけない。
では、阿含経の修行を間脳を開いていない一般人はどうやって学ぶのだ?
釈尊は人々に教法を説くことができないのことになる。
こんな単純な矛盾にすらあなたは気がつかないほど頭が逝っている。
信者さんたちもこういうもっともらしい詭弁に騙されないことです。
釈尊のいう「知る」とはまさに知ることです。
知的に理解することです。
釈尊は教法を知的に理解することを求めた。
間脳ではなく、新皮質で理解することを求めたのです。
電波でビビッと王者の相承をするなんてオカルトは阿含経にはありません。
だから、釈尊の教法には現実的で、普通の人の知性が理解できて、
すぐに実践できる内容が説かれており、
霊能力がないとわからないような内容は極力避けて説かれている。
その一例を桐山さんも引用している。
- 905 :深山:2011/12/26(月)
13:08:57
- >>885 :準シュダオン:2011/12/25(日) 21:47:04
>そのように、霊界を、新皮質脳に説明することは難しい。
「我も亦た此の衆生を見て、而も説かざるは信ぜざるを恐るるが故なり」
これは桐山さんが『間脳思考』で引用した好戦経や堕胎経の一説です。
大目連が目撃した肉段についての釈尊の説明です。
桐山さんによれば、肉段は霊障のホトケだとそうです。
釈尊は、「この肉段を自分が見ても比丘たちに説かないのは、
言っても信じないからだ」というのです。
ここで気を付けてほしいのは、釈尊は肉段を比丘たちに「説かない」と言っている点です。
驚きませんか。
桐山説によれば、異陰という不成仏霊、つまり霊障のホトケの解決こそが
シャカ仏教の根本だという。
だが、その霊障のホトケを釈尊本人は「説かない」と言っているのです。
霊的な存在は認めても、弟子たちにすら「説かない」というのが
釈尊の方針なのです。
この釈尊が、間脳を開いて霊的な世界を見よ、なんて言うと思いますか。
釈尊の教法は、こういう不成仏霊の存在は認めても、
「説かない」というのだから、含まれないのです。
桐山さんがあれほど強調し、因縁切りの必要条件だという不成仏霊の
成仏どころか、存在そのものを「説かない」という釈尊の姿勢に、
信者さんたちは仰天してほしい。
では、今まで、信者さんたちが出した解脱供養、冥徳解脱は何だったのか。
- 906 :深山:2011/12/26(月)
13:17:41
- >>885 :準シュダオン:2011/12/25(日) 21:47:04
>そのように、霊界を、新皮質脳に説明することは難しい。
準シュダオンさんには何を引用しても記憶にも残らない。
信者さんたちは、この準シュダオンさんが引用した桐山説を
釈尊が否定していることをそろそろ理解してください。
私は準シュダオンさんと違い、具体的な経典や学者の説を引用して
釈尊は彼の説く教法を特殊な脳でないと自覚できないなどと
説いたことは一度もない。
「比丘たちらよ、初めも善く、中ごろも善く、終わりも善く、内容もあり、言葉もそなわっている法を説け。
純一無雑にして円満、完全清浄なる行(梵行)を実際に示せ。」
(『阿含密教いま』162頁)
これは>>850でも引用した、釈尊が比丘たちに人々に法を説く時の姿勢を指示したものです。
言葉で論理的に説けと言っているのです。
ごらんのように桐山さんすら引用しているのに、
準シュダオンさんにはまるっきり理解できない。
言葉を使い、道理に沿った内容を説けという釈尊が、
「間脳が開かないとわからんだろう」なんて言うと思うか。
信者さんたちは私の解釈を聞く必要はないから、
釈尊の言葉はそのまま受け取るべきです。
だから、復習のために何度でも引用しましょう。
- 907 :深山:2011/12/26(月)
13:20:09
- 「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?わたくしは内外の隔
てなしに(ことごとく)理法を説いた。完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の
握拳は存在しない」(「ブッダ最後の旅」中村元、62頁)
内外を問わずというのだから、誰にでも教法を説き、しかも秘伝などないと
いたというのです。
こういう釈尊が、「間脳を開かないとオレのオシエはわからん」なんて言うと思いますか。
事実、釈尊の教法は、煩悩を捨てろという簡潔明瞭な内容です。
>>905に引用した経典で、釈尊が不成仏霊を「説かない」と
言っている点にもう一度見てください。
この経典はアゴン宗の不成仏霊の成仏や霊障解脱を完全に否定している。
なぜなら、釈尊は「自分もまた見る」と言っているだけで、
成仏させろとも、彼らの霊障で因縁が切れないとも何とも説いていない。
「説かない」というのだから、当たり前です。
間脳を開いて不成仏霊を霊視して成仏させるなんて話は阿含経に
存在しないばかりか、釈尊がはっきり否定している。
つまり、釈尊は間脳思考など説いていません。
信者さんたちはこれらの釈尊の教法を間脳ではなく、
普通の知性で理解するように努力してください。
- 908 :ラシン:2011/12/26(月)
16:52:17
- >間脳が開かねば、法(力)を感じることは出来ないだろう。
釈尊の時代は、間脳という言葉はなかったであろうから、
桐山さんは何を主張しているか、信者ならそれを理解することです。
新皮質脳は、より良く生きる+より高く生きる ことだと言っている。
しかし霊性の場である間脳は、仏を理解するのではなく仏と一体となる、
仏と同化しようとする=趨勢(トレンド)だ、このように解説しています。
霊性とは物質的欲望や本能の制御と否定の場であり、現代人はそれを
閉ざしてしまった、と仰せになっている。
ここでも桐山さんは欲望を霊性という目に見えないものに責任転嫁し、
知性の限界を暗示し、もっともらしく不可能としたのです。
ー間脳を開け79頁〜80頁ー
ところが釈尊は、あくまで知性で解決することを訴えている。
間脳の少し下の視床下部=霊性の目=第三の目なんて場所で考えろとは、
一言も述べていない。
桐山さんの言う、知性=新皮質脳と霊性=間脳の精神文化、
これらの百花繚乱の時代なんてウソです。
間脳で考え、呪文で「痛いのイタイの飛んでケー」というに等しい子供騙しだ。
そうならば、深山さんの喩えである好戦経での目連が目撃した肉段の塊について、
釈尊の説明が桐山さんを明解に否定していることです。
「我も亦た此の衆生を見て、而も説かざるは信ぜざるを恐るるが故なり」
桐山さんの弁解は、釈尊が説明しないのは、不成仏霊や霊障ホトケを説いて、
もし信じない者がいたら地獄に墜ちるからだと言い、桐山はバカだから
これをだれかれなしに説いて目のないやつからやっつけられている。
ー間脳を開け
163頁ー
と言い訳して釈尊が説かないと言っているのに、違背しています。
釈尊の言葉を読んでみましょう。
「所以は如何。如来の諸説を信ぜらる者有らば是れ愚痴の人にして、
長夜に当に饒益せざる苦を受けべければなり」
この釈尊の言葉は当然です。
釈尊の教えを信ぜず従わない者は外道にして仏道を歩まない。
仏道を歩まぬ者は、とうぜん煩悩を減らし滅することが出来ない。
つまり解脱から遠く離れる。
そうなれば三悪趣に墜ちて苦を受けるのは自然の結果です。
釈尊は、霊障ホトケという脅し文句で煩悩の滅を説いたら、
煩悩解脱の意義を信ぜずに逆に恐怖し迷って煩悩の囚われ人となり、
それによって如来の真実の教えを実践しなくなるから、
仏道から外れ、結果三悪趣に墜ちて苦しむので説かないと、
言ったのです。
- 909 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/26(月) 19:31:33
- 「仏陀の真実の教えを説く(中)」出ました。
三供養品解説ですが、既に私が公開しました国会図書館蔵の下巻と全く同じです。
一時一句違いません。
やはり深山さんの予想通り全く変えずにそのまま出して来ました。
三福道は私が命名したと書いてある。
ある意味潔いと評価しますよ。敢えて変えずにそのまま出したことは。
もっとも変えていたら私はそれこそ激烈に批判攻勢をかけたろうが。
信者の皆さん、まずは買ってやりなさい。
私は買いません。(笑)下巻のコピーが手元にある。
買って読んでこの平河の潔さに応える為にも必ず質問してください。
「社会科学としての阿含仏教」に載せていた三善根と説く経典と三福道と説く経典の
二つがあると書いたのは嘘だったのですね?と。
必ず実行してください。
- 910 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/27(火) 04:19:22
- ユビさんへ伺いたいのですが、この中巻は下巻と同じなのは三福道だけでしょうか。
それとも本の全部が下巻と同じで、将来下巻を発刊したくて中巻にした感じでしょうか。
もしもわかりましたら教えていただけたら幸いです。
しかし、よくも恐れず平河も発刊したものだ。
やはり平河はゲイカのいいなりなのか?とか思ったり。
まあ、恥をさらしてくれればそれだけ突っ込み対象で面白、ですが。
- 911 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/27(火) 08:12:14
- >>910
基本的には全構成同じですね。
七宝経で始まり、3番目に三供養品がきて、最後は有無品止の瞑想で終わるところも。
ただ「三福道は私が命名した」と書いたと明記されているのが、下巻は97頁である
のに対して、中巻では93頁であり、下巻が350頁余りなのに対して、中巻は
400頁を超えます。
字の大きさも変わってないようで、どこか細部に加筆修正があるかもしれない。
だからそれは買ってたしかめてみないとわからんなあ。
下巻の予告らしきものはないです。
アゴン経はこれで終わりでない、将来下巻も出すぞとポーズを示してごまかした
のではないですか?
密教占星術3や説法六十心3を待つようなことになるのか?
平河としては「どうしましょう?」とゲイカに訊ね、桐山さんは簡単に考えて
「出してしまいなさい。質問があったら俺が受ける」なんて言ったのかもしれない。
それならばとそのまま出したが、そんな桐山さんの言い訳など世間に通らぬ
ものだと思いますよ。
三善根と説く経典がある。これが巷に広がる阿含経だ。三福道と説く経典がある。
これが私が命名した経典だ。それが旧著での説明だなんて言って納得しますか?
平河に責任があるのではなく、ゲイカが責任をかぶるとか言うのだから
出しちまえと、そんなところではないか?と思うのが私の推察。
桐山さんは怒鳴っても押し通すし、信者は簡単に脳味噌を供養して認めてしまう。
脳味噌を供養しない信者もいるということを示してください。
- 912 :ラシン:2011/12/27(火)
14:57:32
- >三善根と説く経典がある。これが巷に広がる阿含経だ。三福道と説く経典がある。
これが私が命名した経典だ。それが旧著での説明だなんて言って納得しますか?
日本の仏教界は相手にしていないでしょう。
反論すれば日本の伝統仏教は創作された大乗経典と、
言われかねないから黙して語らず、故に相手とみなさない態度です。
だが、
仏教徒また仏教学者からみてこんな不遜なことはないでしょう。
まして桐山さんは釈尊金口の阿含経典を掲げていると言いながら、
では仏滅後の第一次結集はいったいどんな意味を持つか、
その広告主が知らないわけがない。
マガダ国の王舎城に五百人ものアラカンたちが集まり、
釈尊の言葉一言一句を見逃さず、違えないようにマハーカッサパを
中心に、アーナンダが経をウパーリが律を記憶の通りに唱え、
みながそれを確認し合い、内容を協議して、
釈尊の残した教法と戒律を遺漏も余計な付け加えもないよう慎重に
確定したのが、今日に伝わるパ−リであり漢訳阿含経典群です。
これほど厳密な作業をなして2500年もの間受け継がれてきた経典を
自称アラカンの桐山さんが一人作業で命名した経典?
桐山さん如きが、なにをトチ狂って勝手に経典改竄や命名などできるものですか。
- 913 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/28(水) 02:33:45
- >>911 ユビさんありがとうございました。私の所は地方なので今日以降に入荷と思われます。
もしも書店で売っていたら確認してみたいと思います。
しかし、いつもは遅れる平河も今回ばかりはちゃんとやりましたね。
意外と言うかなんというか。でも下巻と変わらないのならなんだかしらけますね。
結局三年以上掛かっているわけですからね。
別所ではゲイカの衰退振りが報告されていますが、本当だとしたらもう護摩壇には
立てないかもと。いよいよ寄る年の波に勝てない状態かと。
某国のTOPのように急に亡くなったりして???
- 914 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/28(水) 07:59:28
- >>913
そう言えば都心のY重洲ブックセンターに一昨日26日の19時頃に寄ってみたら
4階の宗教書コーナーのアゴン宗のわずかなブロックに2冊置いてあっただけですね。
平積みされていた感じはなく棚のところになぜか別の段に分かれて1冊ずつ
並べられていたのは、立ち読みした人が戻す段を間違えたのでしょうか?
同じフロアで新刊本の特設コーナーみたいのがあったかどうかは確認してません。
やはり年明けにならないと入手も難しいのでは。
3年経って出したのはやはり今年国会図書館に納本されているのが発見されて
内容も暴露されて、信者の側からも不審の声も宗務局に上がって対応せざるを
得なかったのではないでしょうか。
- 915 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/28(水) 08:24:52
- >>885:準シュダオン11/12/25(日) 21:47:04
>阿含経においての知るという意味は、体得したという意味です。
体得したものは百%「知る」ことです。
と言うのは、今ここで問題にしたのは三明知です。
他の他心通とか神足通の六通ではない。
宿命智であり天眼智であり漏尽智です。
これらは全部知ることではないか?
宿命智はすごい超能力とも言えます。
何しろ前世、前々世、と何代にでも遡って透視するのだから。
しかしどんなにすごい神通力でも前世を「知る」だけではないか?
過去を知る以上に何をしている?過去を変えたわけではない。
過去は変えられるわけがない。
「知った」だけです。体得なんて言葉を使用してみせても前世を体得したなんて言わない。
単に知っただけです。
知れば少しは反省することもあって、運命を変えられるんですか?
これはペテン大作さんにも突っ込んでやった。
ペテン大作さんは批判側は間違っている、心に煩悩がなくなった時点で解脱だと
言うこちらに対して、その後の三明知を得て初めて解脱するのだと言った。
しかし宿命智や天眼智で得たものは「知った」だけです。
煩悩とは知っただけで瞬くうちになくなり輪廻の鎖を打ち砕くのか?
宿命智が神通力と言う側面においては知ることにおいては最強とさえ言えるのに
対して、漏尽智は煩悩が尽きてなくなったことを知るのだから、これは何も神通力
などでなくても、自分の心や他人の言動を注意して観察するだけで知ることができます。
しかし現実に「私には煩悩が尽きてなくなったことがわかった」なんて言える人は
いないわけです。自称漏尽さんだけならいるかもしれないが、そういう奴ほど
煩悩を人並み以上に丸出しにしている。
漏尽智の場合、知ることよりも知った現実の煩悩が尽きてなくなっていたこと自体が
比類のないことなのです。
だから聖者の三明知と扱われているのだが、一番説きたいのは漏尽智であり
それ以前の漏尽です。
宿命智、天眼智はなくてもよいほどの付け足しに過ぎない。
あなたは釈尊が化身をも作ったことを示しましたよね。
ペテン大作さんも鞘から剣を抜き取るように分身化身を作った話をしきりに出しました。
しかしその分身化身に何の意味がありましょうか?
何の役にも立ったと書いていないし、分身化身を作ることが必要だなんて書いていない。
桐山さんでさえ成仏法のカリキュラムにそれを入れていない。
- 916 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/28(水) 08:41:28
- >>885:準シュダオン11/12/25(日) 21:47:04
>阿含経においての知るという意味は、体得したという意味です。
話を他心通や神足通などに広げてもそれを持っていることが漏尽にはつながらない
ことがわかる。
他人の心が読めただけで、どうして解脱するのか?
相手の心が読めて詐欺に引っかからなくだけのことです。
他人の心は読めても他人を動かすことはできない。
他人の心まで操作できない。
神足で巨大になったり微細になったり壁を通り抜けたり、空中を浮遊したり、
分身化身を作ったところで、煩悩を断つ解脱には関係ない。
- 917 :名無しさん:2011/12/28(水)
11:12:35
- なるほどね。
- 918 :ラシン:2011/12/28(水)
14:42:03
- >>915-916
ユビキタス
批判側から示されその教えを目の当たりにして久しい。
深山さんも常に教示してくれているが、
釈尊の教法を理解することは普通の知性があれば難解ではない。
ただその実践となれば大変な決心と努力が必要なほど難しい。
自分の拙い経験で照らせば、深海から水面に浮上する勉励と爽快感です。
いっぺんに浮上を試みれば潜水病になってしまうから、知識も必要です。
浮上するために何段階もの減圧をして、血中窒素の水泡化を滅しなければならない。
登山経験者ならわかるが、重い荷物を背負っての登山は労苦が多い。
煩悩という重い荷物を一つ一つ自覚し、捨てて身軽になって、頂上登頂を果たす。
それは階段を昇ってついに屋上へたどり着くのと同じです。
煩悩という重い荷物をすべて下ろして、平安な屋上へ到達した(解脱涅槃界)
そこで周りを見渡してなにものも遮蔽することのない場所と認識する(解脱知見)
ユビさんの言うとおり、そこには宿命智、天眼智も要りません。
煩悩から解放され心の平安を得て(涅槃)、解放されたと知る(漏尽知)だけです。
戒・守・恵、解脱、解脱知見この五つの聖行を見目麗しく研鑽し研磨する。
戒を守り定にて煩悩の滅の知恵が生じ、解脱に辿り着き、解脱したことを知る。
漏尽知とは読んで字のごとく、漏の尽を知る ことです。
いうなら煩悩の滅尽を知る、煩悩から解放されたと知ることです。
漏尽知という神通力で解脱することではない。
- 919 :ラシン:2011/12/28(水)
17:57:43
- >三福道は私が命名したと書いてある。
著書「末世成仏本尊経講義」253頁に資料掲載されたお経には、
明確に「有三福道」と書かれています。
これを桐山さんが命名したなんて単なる言い訳です。
経典そのものを偽造捏造した。
ご承知の通り、國訳一切経の三供養品のどこにもそんな経題も経句も
ありません。
あるのは「有三善根」のみです。
あると言うなら桐山さんは「有三福道」と書かれた経典を出すべきです。
しかし今回の中巻にもそれは出典証明されていないようで、
というよりユビさんが調べてきた下巻と変わりがないらしい。
つまり、桐山さんが解説した「有三福道」というお経は無い。
そこでもやはりウソをついていたわけですね。
大正蔵経で「有三福道」も「三福道」も出てきません。
ヒットするのは、「有三善根」や「三善根」なら多数出て来る。
その数たるや阿含部だけ十数経、大乗経を入れれば三十経を確認できる。
それはそうで、無貪善根無恚善根無癡善根の「三善根」は仏教の要です。
結論は「有三福道」は無いのです、阿含部ならず大乗経典にすら無いのです。
桐山さんは、経典を捏造しただけに留まらず、ハッタリでウソを書いた。
それをまだ続けている。
弁明も出来ず、ウソを垂れ流したままにその恥を拭くことも出来ないでいる。
- 920 :ラシン:2011/12/28(水)
18:23:40
- >三福道は私が命名したと書いてある。
すでに批判資料に列挙指摘されていますが、
桐山さんは著書「社会化科学としての阿含仏教」288頁から292頁にかけて、
「三福道」と「三善根」の二つのお経を順次掲載しています。
いわずと知れた「三福道」のお経には、須陀?から阿那含までが涅槃界に
行けると加筆し解説しています。
「三善根」の掲載は、國訳一切経の三供養品を正しく掲示している。
つまり「三福道」と「三善根」の二経があるように偽装したのです。
偽装とは、詐欺師の常套手段であり十八番です。
「三福道」のお経を國訳一切経の三供養品の二「三善根」の経典に、
加筆し偽造して作り加えた。
結集の重要な意味を分かるなら、こんな暴挙は許されません。
桐山さんが大乗を見下し誇って阿含経こそ釈尊金口の言葉を記したお経と、
広告しながら、その所行は経典改竄と「三福道」と「三善根」の二経があると
ウソまでをついている。
桐山さんにどんな資格があろうが、この所行は仏教を欺き信者をも欺く行為です。
カードオープンでブラフはバレている。
- 921 :ラシン:2011/12/28(水)
18:55:22
三福道はないが、批判資料にも指摘された「三福業」という経句はあります。
佛説長阿含第二分衆集經第五より抜粋
復有三法。謂三不善思。欲思恚思害思。
復有三法。謂三善思。無欲思無恚思無害思。
復有三法。謂三福業。施業平等業思惟業。
もちろん三福業”道”なんて仏語はありません。
この長阿含以外、あるのは部派論典や大乗経典に多数みられる。
またこの法数に分けて説かれている「施業平等業思惟業」の三福業は、
あらゆる煩悩を滅するうえで必要な梵行の教えとして分類されたものです。
桐山さんの言う運をよくするための修行法なんて話しはどこにもありません。
- 922 :準シュダオン:2011/12/28(水)
19:19:44
- >話を他心通や神足通などに広げてもそれを持っていることが漏尽にはつながらない
>ことがわかる。
神足通が漏尽にるながるということではなくて、漏尽に至る過程で神足通が
生じる、というのが阿含経での釈尊の教えです。漏尽は、必然的に神足通が生
じるのです。それを隠したのが大乗仏教なのです。漏尽は「平安な心境」な
んて適当な説明をしてねw。それに騙されているのがユビさんなのです。
>他人の心が読めただけで、どうして解脱するのか?
>相手の心が読めて詐欺に引っかからなくだけのことです。
勿論、他人の心が読めたとても、解脱したとはいえません。しかし、釈尊は、
泥水(煩悩の心)には、自分の姿も他人の姿も映らないが、
澄んだ水には自分の姿が写りだされるように、(煩悩を離れた心)には、
他人の心も写りだされる、と経に説いています。
それが、煩悩を断った心には他心通が生じる、という意味です。
私も、数少ない体験があるから、良く解かるね。
>他人の心は読めても他人を動かすことはできない。
>他人の心まで操作できない。
そのとおりです。それができたら、釈尊はとっくの昔に、悪人をも善人に
変えてたでしょう。他人の心を読めても、動かすことはできないのです。
正に、仏法は日光の如くです。窓を開けれは日光は入りますが、
日光に窓を開ける力はないのです。
仏も管長も、聖なるバイブレーション・電波を送信することは出来ますが、
それを受ける人々の、錆びたアンテナを磨くことはできないということです。
錆びたアンテナは、己で磨くしか、手はないのですね。
それに納得すれば、ユビさんも、来世には解脱に向かうでしょう。
- 923 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/28(水) 22:35:47
- 駄目だっ!買う気がせん!
Y重洲ブックセンター今日は2段12冊平積みです。すごい!
何冊売れ残るのか?
一昨日は私が平積みしてあるのを見落としただけでしょうね。
身分不相応にブッダ像なんか表紙に載せるな!
納めてある経典は七宝経、五戒品・有無品、三供養品、等見品、母乳経、堕胎経、百槍経、貧窮経、有無品の9つ。
1頁に43文字×19行。
下巻と全く同じです。
しかし下巻よりも50頁ほど多い。
この50頁を補完する為に2650円も払いたくない。
- 924 :深山:2011/12/28(水)
23:09:16
- >>922 :準シュダオン:2011/12/28(水)
19:19:44
>それが、煩悩を断った心には他心通が生じる、という意味です。
>私も、数少ない体験があるから、良く解かるね。
準シュダオンさんは他心通を持ってしまったのですか。
それは大変なご苦労ですね。
他人の心が丸ごと見えるなんて、なかなか嫌な体験でしょう。
準シュダオンさんの周囲の人たちがあなたのことどう思っているかが
全部見えてしまった時、あなたがどれほどのショックを受けたか、
同情を禁じ得ません。
だが、それが現実ですから、素直に受け入れるしかないでしょう。
本当にあなたはご苦労の多い人生を歩んでおられますねえ。
- 925 :深山:2011/12/28(水)
23:12:26
- >>922 :準シュダオン:2011/12/28(水)
19:19:44
>それが、煩悩を断った心には他心通が生じる、という意味です。
>私も、数少ない体験があるから、良く解かるね。
あのいつも仕事場で受け付けてくれるお姉さんの心を読んだ時も、
準シュダオンさんにとってはショックでしたね。
他の人が無愛想な態度をとっても、彼女だけはいつもニコニコして、
決してあなたに不愉快な態度を取ったことがない。
だから、あなたは内心、ちょっと自分に気があるんじゃないかと思っていましたね。
ところが、彼女の心を読んで、あなたはショックを受けた。
「また、来た。このヂイさん。
会社じゃ、あんたのこと、みんな迷惑してんだからさあ、早く辞めてよ。
無能で何にもできない癖に威張るし、仕事しないし、偉そうにお説教垂れるし、
みんなの迷惑顧みず、そうやって会社にしがみつかれても、困るのよ。
なにヘラヘラ笑ってんのよ・・・ちょっと、あんまり、近づかないでよ、口が臭いよ。」
準シュダオンさんはヘラヘラ笑っていたのではなく、微笑んだつもりだった。
口の衛生には準シュダオンさんなりに気をつけているつもりだったが、
糖尿病だとどうしても口内菌が増殖しやすい。
やさしそうなお姉さんが、これほど鋭く準シュダオンさんの正体を
見抜いていたなんて、さぞやショックだったでしょう。
まさかここまで彼らに迷惑がられ、嫌われているなんて、予想もしなかったでしょう。
他心通を持った者の宿命といいますか、定めと申しますか、
耐えなければならないのです。
- 926 :深山:2011/12/28(水)
23:17:37
- >>922 :準シュダオン:2011/12/28(水)
19:19:44
>それが、煩悩を断った心には他心通が生じる、という意味です。
>私も、数少ない体験があるから、良く解かるね。
この間の忘年会の時も、彼らの準シュダオンさんへの本音はひどかった。
幹事役の若い男性があなたが現れた時の心に気がつきましたか。
口では、「あ、準シュダオンさん、よく来てくれました。あなたがいないと
場が盛り上がらないから、助かりますよ」なんて調子の良いこと言いながら、
彼の心の中ではまるっきり正反対の、次のようなことを考えていましたね。
「この糞ヂヂイ、仕事もしないくせに、飲み食いする時になると真っ先に姿を現しやがる。
それでいて、金を払う時には真っ先にいなくなる。
意地汚く、他人の酒だと思って、ゲロを吐くほどに飲み、
年がいもなく、大食らいをする。本当に意地汚ねえヂヂイだ」
これがあのさわやかな若者の本音だったなんて、準シュダオンさんも
他心通さえもたなければ知らずに済んだのに、聖者の道はなかなかつらいですなあ。
準シュダオンさんは現役時代は、立場を利用して業者にたかって、
タダ酒を飲み、タダ飯を食いまくったから、その時の習慣が抜けないだけですよね。
私など、ここまで他人に露骨に嫌われたら、恥ずかしくて・・・
あ、そうか、準シュダオンさんは羞恥心は解脱したんだ。
そこがあなたの救いかもしれない。
それなら、どんなに嫌われても、疎まれても、侮蔑されても、何も感じないで済む。
恥知らずとは本当に便利な性格ですね。
- 927 :深山:2011/12/28(水)
23:22:07
- >>922 :準シュダオン:2011/12/28(水)
19:19:44
>それが、煩悩を断った心には他心通が生じる、という意味です。
>私も、数少ない体験があるから、良く解かるね。
私は、質問するのを辞めるべきだという心の声を無視して、あえて質問したいことがある。
準シュダオンさんは自分をもしかして「準阿羅漢」だと思っているのではありませんか。
なぜなら、神通力とは解脱する直前に顕現する。
預流や斯陀含で神通力を持っているなんて記述は知らない。
ましてや、仏道修行で預流向で神通力を持つなどありません。
仏教で神通力が発現するのは、阿羅漢になった時です。
あなたは神通力があるという。
なんと、あのサーリプッタすらなかった他心通という神通力を持っているという。
すると、あなたはもう限りなく阿羅漢に近い、阿羅漢向ということになる。
あなたは東日本大震災で電波を受信したて助かったことを神通力だと言った。
その後、あなたは一時、「準シュダオン」ではなく「準」と名乗った。
私はあれを見た時、ゾッとした。
本当は「準阿羅漢」と名乗りたかったが、反発を恐れて、準だけにしたのではないか。
あまりにおぞましい話に、私はこの馬鹿げた話を忘れようとした。
だが、疑問が私の心に沸々とわき起こり、以来、質問しようと思いながら、
あまりの恐怖心から、質問が出来なかったのです。
そして、私はこのおぞましい恐怖を一人では抱えきれないし、
新春の爆笑にしてはあまりに質が悪すぎる。
そこで、今年中に、読者にもおぞましい恐怖を味わってもらうために、
あえて準シュダオンさんに質問したのです。
あなたは自分を神通力を持った阿羅漢向だと思っているのですか。
- 928 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/29(木) 00:09:15
- >>922:準シュダオン11/12/28(水) 19:19:44
>漏尽は、必然的に神足通が生
>じるのです。
いや、だから漏尽を果たして阿羅漢と認定された弟子にも神通力を獲得していない
のがかなりいる事実を深山さんが引用している>>810と>>811の経典をどう説明するのですか?
500人いて380人が神通を得ないで解脱しているのですよ。
だから必然なんて口からデマカセですよね。
>それを隠したのが大乗仏教なのです。
逆ではないですか?大乗仏教こそ釈尊を神格化しているし、大神通力を説きますよ。
>漏尽は「平安な心境」な
>んて適当な説明をしてねw。それに騙されているのがユビさんなのです。
漏尽とは漏(煩悩)が尽きてなくなったことです。
煩悩とは全て心の働きではないですか?
だから煩悩にかき乱されて苦しみ、煩悩それ自体が苦しみの元なんだから
これが尽きてなくなれば心は平安しかありません。
平安たってのんべんだらりではないことは深山さんが説明しています。
厳しく自己を規制しつつ煩悩に流されることのない強い心を持っています。
全部「心」の問題です。煩悩が心の作用だからです。
あなたの言いたいことはわかりますよ。
単なる心の平安ではなく輪廻が尽きてなくなることだと。
ならばなぜ業尽と表現しないのか?
また桐山因縁解脱とは死んでもう生まれ変わってくることがないことを指すのですか?
なぜガンになったならないで解脱だの言葉と概念を誤用するのですか?
あなたの解脱の定義からも桐山因縁解脱は外れている。解脱として説明がつかない。
>正に、仏法は日光の如くです。窓を開けれは日光は入りますが、
>日光に窓を開ける力はないのです。
>仏も管長も、聖なるバイブレーション・電波を送信することは出来ますが、
>それを受ける人々の、錆びたアンテナを磨くことはできないということです。
桐山くんのことなどどうでもよいが、釈尊、仏はバイブレーション送信なんてしませんよ。
釈尊は結局言葉で教えを説いただけです。
桐山さんの著書の「仏陀の法」に示現経の和訳があるから探してみなさい。
身体からカラフルな光を発する神足示現や他心示現を示したが、人々は最後に釈尊の
煩悩の炎を消せという教えを言葉で聞いて皆歓喜奉行したのです。
教カイ(ごんべんに戒)示現により菩提心を起こしたのです。
言葉の教えを最高としたのです。
- 929 :天照
◆MO30b8Jwoo:2011/12/29(木) 05:35:22
- 買わないほうが良いですよw 詐欺師とそれに加担する出版社に資金を調達する必要はありません。
それこそ、しばらく待っていれば中古で叩き売られます。
ブックオフなら半額で買えるかもしれません。(それでも高い、が)
ユビさんの報告で概略も知れましたし、後は増えた50Pの部分ですね。
おそらくたいしたことはないかと思います。
復刻変身の原理のように「突っ込み箇所」があるのならまだ利用価値はありますが。
それでも高いです。やはり立ち読みで済ませるのがいいかとw
- 930 :干柿:2011/12/29(木)
20:32:54
- 恥知らずな本、出てましたねこちらでも、どうせ信者に施本しろとか言って
大量に買わせるんでしょうw
ちょっと立ち読みしましたが増えた部分って阿含経っていいながら密教と護摩を焚く
のはおかしいじゃねえかという批判にこたえて阿含経の経典の中から仏陀を思い
念じとかいう文面のとこだしてきて、これが密教の源流だ入我我入の観想の原点だと
説明してるみたいですね、ちょっと見ただけですけど、あと先祖供養、解脱供養もなんか
強引に阿含経とむすびつけているみたいです。
- 931 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/29(木) 21:02:53
- >>930
そうですね。この中巻は三供養品だけでなく、いろいろとツッコミどころ満載ですね。
2012年になったらそういうこともやっていきましょう。
そうとなるとやはり正しく引用する為に買っておく必要があるが。
下巻が国会図書館にしかないのであれば、やっても意味がない批判をようやく
出来るようになりました。
- 932 :ラシン:2011/12/30(金)
13:16:32
仏陀の真実の教えを説く[中]−目次
XI 中阿含経 七宝経 地球救済の予言経 011
XII
増一阿含経 五戒品・有無品 財施は尽きても法施は尽きず 〇三三
XIII 増一阿含経 三供養品 運命を転換する下根の成仏法 〇八一
XIV
増一阿含経 等見品 因縁因果の法則を超越する成仏法 一五九
XV 雑阿含経 母乳経 人間は輪廻転生する存在 二一三
XVI
雑阿含経 堕胎経 罪業に苦しむ悲惨な霊体 二五三
XVII
雑阿含経 百槍経 苦集滅道の悟りを得よ 二七七
XVIII中阿含経 貧窮経 世俗の貧者と仏道上の貧者 三〇五
XIX
増一阿含経 有無品 止の瞑想で如来と一体になる 三九三
次に仏陀の真実の教えを説く[上]の目次が掲載されていて全424頁です。
さて三供養品の解説は、ふつうに三善根として現代語訳が載せてあります。
しかし解説はまるで違う意味を述べていますので、その部分を抜粋します。
〇九二頁
◎解説
冒頭でも触れたように、阿含宗では三善根を三福道と呼んでいます。
このことについて説明します。
『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で三善根を引くと、
【三善根】無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根。一切の善法がこの三つから
生まれるからである。それらは具体的には施・慈・慧となって現われる。三毒の対。
〇九三頁
と書かれています。しかし、この『三供養品』に説かれる三善根は、その内容がまったく
異なります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、
非常な誤解を生むもとだとわたくしは考えました。
それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?
経文中に、
「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」
とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。したがって、わたくしはこれを
「三福道」と命名しました。この名称ならば無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根と混同する
ことはありません。
そこで、阿含宗では、三善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。
以上が桐山さんが命名した三福道の説明文です。
あと、「自須陀?至阿那含。断五下分結。三福道即至涅槃界」の挿入については、
一二八〜一三二頁で、「増一阿含経 火滅品」のお経の無余涅槃界と有余涅槃界の経文を引用して、
お経の涅槃界の意味を五下分結までは有余涅槃界であるとして、加筆挿入した経緯を述べていますので、
その部分はまた時間を作って掲示いたします。
- 933 :準シュダオン:2011/12/30(金)
13:51:46
- >いや、だから漏尽を果たして阿羅漢と認定された弟子にも神通力を獲得していない
>のがかなりいる事実を深山さんが引用している>>810と>>811の経典をどう説明するのですか?
>500人いて380人が神通を得ないで解脱しているのですよ。
>だから必然なんて口からデマカセですよね。
必然は、デマカセとは違うでしょう、あなたは経典を理解できないの?
岩波仏教辞典にも「解脱」の項に、戒・定・慧・解脱・解脱知見、の
五分法身を具えることが、阿羅漢の必須条件であることが、解説して
あるでしょう。解脱知見とは、天眼智、宿命智、漏尽智をいうのです。
必須条件とは、必ず備えなければいけない、という意味です。
深山くんのレスは、レベルが低いので、普段は読んでいないけども、
ユビさんの問い合わせだから今回読んでみた。810と811の経典は、
読み方が浅いのよ。レス811の比丘の解脱というのは、阿羅漢のこと
だけではない解脱者なのです。あの場合は、阿那含や斯陀含を含めた
解脱者を言ってるのです。三明を得た解脱者は阿羅漢で、それを得ていない
解脱者とは、阿羅漢を除いた聖者(阿那含等)のことなのですね。
大乗になると、この三明智という具体的な神通力を隠して、仏を神格化し、
わけのわからない、神通力者にしたのです。
阿含経には、天眼通、宿命通、生死智、神足通、などと、用語を変えて訳さ
れていますが、これらの違いを、説明できますか?
私は、これらの神通の違いを、学者の本や辞典の解説を暗記できても、意味が
正確に解からなかった。しかし、あるとき、霧が晴れるように、その神通の違
いを理解できた。その能力はまだないけどね。
批判派が空想だと思うのも無理ないよw。
- 934 :準シュダオン:2011/12/30(金)
14:07:10
- 一つの経典を読んで、それを一般化してはいけない。
神通第一のモッカラーナ、というように、阿羅漢同士でも神通力に差がある
ことは解かる。
だが、阿含経典には、神通を得ないけれども、解脱し阿羅漢を得た、という
記述は少ないであろう。
一般的な常套句は、「三漏尽き、解脱し、解脱知見を得て、不受後有」
というようになっています。
- 935 :ラシン:2011/12/30(金)
14:35:59
- >933
:準シュダオン
>解脱知見とは、天眼智、宿命智、漏尽智をいうのです。
必須条件とは、必ず備えなければいけない、という意味です。
またデタラメを述べている。
まさにデマカセ信者さんだ。
どこの辞典に解脱知見が、その三明知とあるのですか?
「解脱知見とは、解脱し悟ったことの自覚」との意味です。
岩波仏教辞典 解脱の頁
つまり漏尽明のことです。
このデマカセ信者さんは、辞典すらろくに読めない。
- 936 :準シュダオン:2011/12/30(金)
15:26:29
- >漏尽とは漏(煩悩)が尽きてなくなったことです。
>煩悩とは全て心の働きではないですか?
>だから煩悩にかき乱されて苦しみ、煩悩それ自体が苦しみの元なんだから
>これが尽きてなくなれば心は平安しかありません。
>平安たってのんべんだらりではないことは深山さんが説明しています。
深山さんが説明してる?笑うしかないね。深山くんのレスは、ほぼスルー
してるよ。我見に満ちてる深山くんのレス読んでる暇はないw。我見の
意味が解かるだろうか?少なくても、五見(五悪見)くらいは暗記して
いなくてはいけないよ。修行読本1、でも管長が解説してるからね。
1身有見2辺執見3邪見4見取見5戒禁取見、の五つのことですよ。
勿論、私は何の資料も見ずにレスしてるよ、覚えていることをね。
大分記憶力が堕ちてきてるけど、こういう基本的なことは忘れようがないね。
その意味内容も説明できるけど、長くなるから止めよう、辞典みたら誰でも
解かることだし。この五見を無くすことが、修行の第一歩だ、と管長も本に
書いてますよ。この我見を断てば、ほぼ三結を断てることが解かるでしょう。
五見の、5戒禁取見とは、三結の戒取のことですからね。
この我見があると、いくら学者先生の本を読んでも、ダメですね。
解釈がいびつになるからね、我流の解釈になってしまう。
そのいい例が、預流向を聖者だと思い込んで、アビダルマ論の預流向を解説
している学者先生の解説を、正しいと思い込んでしまうのです。
別に、アビダルマ論を解説している学者先生の罪でもない。
阿含経典の四向四果と、アビダルマ論の四向四果が違うということに気づけない、
ゴッタ煮頭の責任なのですね。だから、一対で一つの位だ、なんてへんてこな
理屈を考えてしまうw。
- 937 :準シュダオン:2011/12/30(金)
19:47:57
- もうひとつ、ユビさんに言うと、釈尊は八解脱を説いています。
色観色が第一解脱、・・途中省略して・・・滅尽定が第八解脱、とね。
解脱も、煩悩を断つごとに、八解脱に分けることが出来るのですね。
第八解脱まで行けば、三明智もあるでしょう。
だが、初歩の解脱では、神通までは行けないのでしょう。
そのあたりの分析力が、深山くんや、ラシンくんにはないのです。
両君は、煩悩を少しも、断てていないからです。
神通を信じるのから、カルトなのではないよ。
カルトとは、狂信的だという意味です。
神通を信じなくても、カルトはあるし、
神通力を得ていても、カルトではない場合もあるのです。
そのあたり、深山くんなどは幼稚です。彼には、おそらく、何の超常現象の
体験も、能力もないのでしょう。大槻教授を連想しますねw。
それで偉そうにレスしているとしたら、滑稽です。
12月24日に、たけしの超常現象のテレビ番組があった。リォーという
超能力者が出てきて、大槻教授のトーンが、少し下がったw。自分の脳が
透視されたので、無理もない。それでも信じ無い人は居るだろう。
自分に無い能力は、信じたくないであろうからね。
私は、リォーの能力を肯定する。彼の行動は、手品だけではないよ。
その、ほんの一部分の能力は、私にもあるから、支持し断言するのですよ。
勿論、世間で公言すれば変人扱いされますから、ここにレスしているのですw。
- 938 :ラシン:2011/12/30(金)
20:12:57
>そのいい例が、預流向を聖者だと思い込んで、アビダルマ論の預流向を解説
している学者先生の解説を、正しいと思い込んでしまうのです。
>阿含経典の四向四果と、アビダルマ論の四向四果が違うということに気づけない、
ゴッタ煮頭の責任なのですね。
はいはい、
批判側は、一度もアビダルマ論なんて桐山屁ー下のように論拠としてない。
常に阿含経を示しています。
モノグサの、ごった煮オツムの、デマカセ信者さんでも、
お経は読めるでしょう。
長阿含經卷第二
遊行經第二 ー抜粋ー
阿難。法鏡者。謂聖弟子得不壞信。
歡喜信佛如來無所著等正覺十號具足。
歡喜信法眞正微妙。自恣所説無有時節。
示涅槃道智者所行。歡喜信僧善共和同。
所行質直無有諛諂。道果成就上下和順法身具足。
向須陀?得須陀?。向斯陀含得斯陀含。向阿那含得阿那含。
向阿羅漢得阿羅漢「四雙八輩。」
是謂如來「賢聖之衆。」甚可恭敬世之「福田。」
「」は、目も悪いデマカセ信者さん用に特別とした。
- 939 :ラシン:2011/12/30(金)
20:24:53
- <<937:準シュダオン
>
そのあたりの分析力が、深山くんや、ラシンくんにはないのです。
両君は、煩悩を少しも、断てていないからです。
偉っらそうに、
>>933「岩波仏教辞典にも「解脱」の項に、戒・定・慧・解脱・解脱知見、の
五分法身を具えることが、阿羅漢の必須条件であることが、解説してあるでしょう。」
な〜んて、辞典を引用しながら、
>「解脱知見とは、天眼智、宿命智、漏尽智をいうのです。」
という根拠は辞典で示せないで、
>>935:ラシン
まさにデマカセ信者さんだ。
どこの辞典に解脱知見が、その三明知とあるのですか?
「解脱知見とは、解脱し悟ったことの自覚」との意味です。
岩波仏教辞典 解脱の頁
と、突っ込まれても知らん顔ですよね、どうしたの?
- 940 :ラシン:2011/12/30(金)
21:08:14
- >
そのあたりの分析力が、深山くんや、ラシンくんにはないのです。
両君は、煩悩を少しも、断てていないからです。
分析力? 何のジョークでしょう。
今回私は、批判資料より再検証して>>919-920で、
桐山さんが「三福道」と「三善根」の二つのお経があると
述べていたことを再指摘しました。
このたび発刊された仏陀の真実の教えを説く[中]巻を
>>932:ラシン:2011/12/30(金) 13:16:32
で提示したとおり、
なんと批判側の予想通りにそれには口を拭ってしまっていました。
ユビさんが国会図書館で調べてきたとおり幻の下巻と同じく、
再確認したら、二種類のお経ではなく、
『わたくしはこれを「三福道」と命名しました。』!!!
、、ですよ。
「三善根」以外の別な「三福道」といお経はどうしたのだ?
この開き直りが、信者さんに伝染伝播してウソには鈍感となる原因です。
ここの準シュダオンさんは、その信者の典型です。
- 941 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 10:42:01
- >>933:準シュダオン11/12/30(金) 13:51:46
>岩波仏教辞典にも「解脱」の項に、戒・定・慧・解脱・解脱知見、の
>五分法身を具えることが、阿羅漢の必須条件であることが、解説して
>あるでしょう。解脱知見とは、天眼智、宿命智、漏尽智をいうのです。
>必須条件とは、必ず備えなければいけない、という意味です。
ラシンさんの指摘しているように、解脱知見に宿命智、天眼智まで加えた三明を
必須とするところが強引なのです。
解脱知見とは何ですか?自分が解脱したことを知ること見ることです。
だからこれは自分が解脱さえしていれば果たせることで付け足しと言っても過言ではない。
漏尽智、漏尽明とは何か?
漏(煩悩)が尽きてなくなったことを知ることです。
つまりこれだけが解脱知見に一致します。
残る二明はあってもなくてもかまいません。
まああれば、相対性理論を発見したアインシュタイン博士のような学識の深さ
根拠認識の深さはありましょう。
しかしなくても、前世、前々世などが見えなくても、煩悩さえなくしていれば
解脱は果たしており、解脱知見は得ているのです。
現世の自分における貪瞋癡の煩悩を認識し、その煩悩がなくなったと認識するのに
どうして過去世の透視が必須条件なんですか?説明してください。
- 942 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 11:09:26
- >>933:準シュダオン11/12/30(金) 13:51:46
>ユビさんの問い合わせだから今回読んでみた。810と811の経典は、
>読み方が浅いのよ。レス811の比丘の解脱というのは、阿羅漢のこと
>だけではない解脱者なのです。あの場合は、阿那含や斯陀含を含めた
>解脱者を言ってるのです。三明を得た解脱者は阿羅漢で、それを得ていない
>解脱者とは、阿羅漢を除いた聖者(阿那含等)のことなのですね。
ずるい人ですね。あなたは直前の自分の文章で阿羅漢の条件を戒・定・慧・解脱・解脱知見の
五分法身を成し遂げた人としている。それはよいでしょう。
ところが>>811の経典では解脱した比丘500人を挙げてますよね。
解脱知見を得た500人とまでは書いていない。
三明六通の神通力を得ないで380人が阿那含以下であるならば、それでは質問するが、
阿羅漢と阿那含の違いは解脱知見を得ているかいないかの違いなんですか?
答えてみなさい。
解脱知見は解脱さえしていれば可能なことと書きました。
ベンザエースが効いた人はベンザエースを飲んだ人ですというキョンキョンのCMを
桐山さんもその言い回しに感心していた。
ベンザエースを飲めば必ず効くぞと誇大宣伝はできないが、効いた人は飲んだという
条件があったからです。
だからベンザエースを飲んだというのが戒定慧の三学になぞらえます。
効いて風邪の症状がとれて治ったというのが解脱に相当します。
効いて治ったと自覚できたことが解脱知見に相当します。
こうして見ると実は解脱と解脱知見に差なんてありやしないことがよくわかります。
要は解脱していれば自動的に解脱知見になり、四分法身でもよいはずなんです。
解脱知見という作業に於いて謙虚な人ならまだまだ自分には煩悩のわき出る可能性を
注意するでしょうね。
そういう点釈尊などは謙虚ですよ。
雨安居の際、自分の言動に間違いはないか、あったら指摘してくれと弟子たちに
お願いしてさえもまだ自己監視の作業をしているのですから。
そういう釈尊は阿羅漢未満だったのですか?
- 943 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 11:18:28
- >>933:準シュダオン11/12/30(金) 13:51:46
>阿含経には、天眼通、宿命通、生死智、神足通、などと、用語を変えて訳さ
>れていますが、これらの違いを、説明できますか?
>私は、これらの神通の違いを、学者の本や辞典の解説を暗記できても、意味が
>正確に解からなかった。しかし、あるとき、霧が晴れるように、その神通の違
いや、あなたみたいに漢字3文字だけでうんうん唸って考えなくても経典に
それらの神通力の記述がありますよ。
具体的な神足などを示してますから読んで確認してみてください。
読むほどにそれはすごいが、しかしそれって煩悩除去の解脱と何の関係があるのだろうか?
解脱とは関係ない現象だとわかります。
- 944 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 11:25:12
- >>934:準シュダオン11/12/30(金) 14:07:10
>一般的な常套句は、「三漏尽き、解脱し、解脱知見を得て、不受後有」
>というようになっています。
その常套句のどこに神通力があるのですか?
- 945 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 11:44:06
- >>937:準シュダオン11/12/30(金) 19:47:57
>解脱も、煩悩を断つごとに、八解脱に分けることが出来るのですね。
>第八解脱まで行けば、三明智もあるでしょう。
漏尽智はあるでしょうね。
何か主張したいのであれば、その八解脱を説いた経典から三明の宿命智も必須なんだ
と書いてある証拠でも引用してみてはどうですか?
>だが、初歩の解脱では、神通までは行けないのでしょう。
>そのあたりの分析力が、深山くんや、ラシンくんにはないのです。
いいえ、深山さんの方こそ、神通力というものは阿羅漢の直前に体験するもので
あることを示して、準シュダオンと名乗るあなたがどうして神通力の一部を自分も
体験しているかのように書くのか?準阿羅漢と名乗りたいのかと書いています。
だから書く前に他人の書いた文章をよく読みなさい。
あなたは深山さんの文章なんかマトモに読む気もない、目にも止めてもなかった
なんて書いているが、それって自慢になるどころか恥曝しですよ。
なぜなら他人の文章を読んでいないのならレスなど付けるべきではないからです。
マナー、礼儀の問題もあるが、それよりも国語の基本ですよ。
文章を読まなければ読書感想文なんか書けないでしょ?
私も類似した件で反省してるのですよ。
「仏陀の真実の教えを説く」中巻を本屋で立ち読みした。
ざっと眺めて、国会図書館からコピーを取ってきた下巻の三供養品解説と
なんら変わらないと報告してしまった。
しかしよく読めば、下巻とも書き換えてる重要な部分があったのです。
だからまずは相手の文章を不愉快でも読まなければ話になりません。
- 946 :ラシン:2011/12/31(土)
11:48:36
- 発刊された下巻で桐山さんは、
>この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。
したがって、わたくしはこれを「三福道」と命名しました。
この名称ならば無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根と混同する
ことはありません。
そこで、阿含宗では、三善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。
このように独自で経典修正した。
これは過去に三福道のお経があるかのように偽装したことを糊塗し、
堂々と経典の解釈をゆがめたことになる。
三供養品2では、三善根本来の意味では内容が違うからと、勝手に断じ、
変えたのです。
ですから今回は経典にも「有三善根」と正しく表示してあるが、
解説文すべての三善根部分をいちいち(三福道)と付記して述べています。
これぞあきらかに三善根≠三福道と操作していることになります。
三善根ではなく三福道だと暗に主張しているのです。
桐山さんの解釈する三つの福道とは、お布施で三宝に於いて徳を植えて
運命を変えることです。
だが徳を植えるだけで解脱できたら、アゴン宗の掲げる7科37道品の
意義がなくなる。
桐山間脳の開発領域を自ら奪うことになるので、今度はそれに限界を設けた。
薬効の領域を限定し狭めたようなものです。
つまり経典の涅槃界を五下分結の阿那含止まり、と作り変えたのです。
経典の三善根である無・貪瞋癡なら煩悩滅行で涅槃界到達の福を得ると、
ふつうに解釈できるわけです。
だが、桐山さんの詭弁となれば自己矛盾するので涅槃界=五下分結とし、
今回ではその根拠を出典しています。
- 947 :ラシン:2011/12/31(土)
11:53:29
- 一二九頁
三善根を三福道と呼ぶ理由は前述のとおりですが、「自須陀諸Y至阿那含。
断五下分結。の文言を挿入しているのはなぜでしょうか?
わたくしは少し前の所で、
「ただし、ここでいう『涅槃界に至る』とは阿羅漢になることではなく、
阿那含になることを指している、とわたくしは考えます。」といいました。
ー中略ー
増壹阿含經火滅品第十六
聞如是。一時佛在舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。
有此二法涅槃界。云何爲二。有餘涅槃界。無餘涅槃界。
彼云何名爲有餘涅槃界。於是比丘滅五下分結。即彼般涅槃。
不還來此世。是謂名爲有餘涅槃界。
彼云何名爲無餘涅槃界。如是比丘。盡有漏成無漏。意解脱智慧解脱。
自身作證而自遊戲。生死已盡梵行已立。更不受有如實知之。
是謂爲無餘涅槃界。此二涅槃界。當求方便至無餘涅槃界。
如是諸比丘當作是學。爾時諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
一三〇頁において上記「火滅品」の口語訳を載せて解説し、
一三一頁
要するに、『三供養品』で説いている涅槃界とは、無余涅槃界(阿羅漢)の
ことではなく、有余涅槃界(阿那含)のことであり、同経では「自須陀諸Y至阿那含。
断五下分結。」という意味であることを略しているわけです。ー後略ー
これが桐山さんが、「自須陀諸Y至阿那含。断五下分結。」を
加筆挿入にした根拠だと、一二八〜一三二頁で述べています。
しかし、五下分結が有余涅槃界であるという「火滅品」のお経があることが、
どうして三供養品2のお経に加筆挿入してよい理由になるのでしょうか。
桐山さんの論理は、三供養品は在家信者用のお経だからその涅槃界とは、
阿那含果までのことであると勝手に判断した。
その解釈可能の根拠は、「火滅品」の五下分結が有余涅槃界というお経に拠る。
これでは批判に反論したことにはなりません。
ようはお経の三善根を否定し三福道という言葉に変えてしまった。
三善根とは、無・貪瞋癡の意味でありその煩悩滅行で涅槃界到達の福を得る。
三宝に於いて功徳を種えるとは、三宝に於いて無・貪瞋癡という煩悩滅行を
行いなさいという意味なのに、桐山さんは三宝に於いて功徳の種を撒いて、
運命を変えることができるのだと間違えた。
運命を変えることがどうして有余涅槃界なのかの脈絡がありません。
- 948 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 11:57:25
- >>937:準シュダオン11/12/30(金) 19:47:57
>>937:準シュダオン11/12/30(金) 19:47:57
>そのあたり、深山くんなどは幼稚です。彼には、おそらく、何の超常現象の
>体験も、能力もないのでしょう。大槻教授を連想しますねw。
>それで偉そうにレスしているとしたら、滑稽です。
滑稽なのはあなたです。
深山さん含めて批判側の誰も釈尊の神通力をそんなものはないなどと否定したことはない。
肯定しているのです。
唯物主義なんか示しません。
ただそう簡単になんでもかんでも神秘主義にかぶれて信用せず、唯物的にも説明
できるものはそちらを支持して簡単にインチキには騙されないだけです。
だから釈尊の神通力は誰も否定していないのです。
あなたが例によって他人の文章を読みもしないで勝手にこちらが神通力を否定している
かの対立の構図を想定する勘違いだけです。
よく頭の整理をしなさい。
こちらの主張は神通力は認めるが、神通力を利用して解脱するのではなく
神通力は解脱の過程において得ることもある(得ないこともある)副産物であり、
その神通力が解脱を成し遂げるのではないというものです。
- 949 :深山:2011/12/31(土)
12:08:15
- >>937:準シュダオン11/12/30(金) 19:47:57
>そのあたり、深山くんなどは幼稚です。彼には、おそらく、何の超常現象の
>体験も、能力もないのでしょう。大槻教授を連想しますねw。
>それで偉そうにレスしているとしたら、滑稽です。
滑稽なのは準シュダオンさんです。
あなたのこういう批判に何度も反論したことを覚えてさえいないのでしょう。
私は神通力、超能力、霊能力など否定したことは一度もない。
桐山さんやあなたの神通力などインチキだと批判しているだけです。
釈尊の説く神通力のどこに王者の相承などのデンパがあるのだ?
神通力のどこにカルマを断ちきるという項目があるのだ?
桐山さんとあなたのデンパ受信は、ただの脳梗塞です。
それで説明がつく。
「現実的な解釈で説明可能な内容に神秘解釈はいらない。」
これが一般社会の常識であり、科学の基本姿勢です。
桐山さんもあなたも知性が衰退した分を妄想と自惚れで補っているだけです。
だから、現実世界ではなんら神通力の具体的な力など示せない。
口先でペラペラと自慢し、他人を侮蔑するしか能がない、これが
あなた方の神通力で、世間ではそれを自惚れ、妄想と言います。
- 950 :深山:2011/12/31(土)
12:09:56
- >>933 :準シュダオン:2011/12/30(金)
13:51:46
>読み方が浅いのよ。レス811の比丘の解脱というのは、阿羅漢のこと
>だけではない解脱者なのです。あの場合は、阿那含や斯陀含を含めた
>解脱者を言ってるのです
また、準シュダオン教の妄想珍説が始まった。
経典を読みもしないで、解脱者たちへの侮辱です。
どうして準シュダオンさんてこうも愚かなんでしょうね。
解脱者とは阿羅漢のことです。
阿那含や斯陀含を解脱という経典がどこにあるのだ?
阿那含についてはゼロとは言わないが、極めて少数です。
釈尊自ら、彼らの解脱を認知しているのに、これを俗人の準シュダオンごときが
阿那含や斯陀含だという。
仏教での解脱とは一つしかない。
煩悩から解放された状態です。
それを様々な切り口から慧解脱、心解脱などと表現することはあるが、
そういう種類があるのではなく、切り口を変えて言っているだけで、
これらはすべて解脱、涅槃であり、彼らは解脱者です。
- 951 :深山:2011/12/31(土)
12:12:59
- >>933 :準シュダオン:2011/12/30(金)
13:51:46
>読み方が浅いのよ。レス811の比丘の解脱というのは、阿羅漢のこと
>だけではない解脱者なのです。あの場合は、阿那含や斯陀含を含めた
>解脱者を言ってるのです
準シュダオンさんの厚かましい所は、>>942でユビキタスさんが指摘しているように、
解脱とは、神通力で解脱と解脱知見を得るのだと書きながら、一方で、
解脱とは阿那含や斯陀含も含めると書いていることです。
では、斯陀含も神通力を持ち解脱知見を得たことになる。
自分で書いていて矛盾すらわからないのでしょう?
どこにそんなバカみたいな経典があるのだ?
よくまあ、その場しのぎでデタラメが並べられるものだ。
阿含経では神通力を持っているのは阿羅漢です。
解脱と解脱知見を得た者を阿羅漢というのです。
斯陀含が神通力を持っているとか、斯陀含が解脱だなんて
読んだことも聞いたこともない。
- 952 :深山:2011/12/31(土)
12:17:01
- 「今日、〔満月の〕十五日に、五百人の修行者たちは、滑らかになるため
に、集まってきた。〔これらの〕仙人たちは、束縛を断ち切り、苦悩なく、
くり返し迷いの生存を受けることを滅ぼした。」
(『ブッダ悪魔との対話』中村元、p196)
これは>>811の自恣経の一節で、五百人の比丘たちをヴァンギーサが讃えた言葉です。
釈尊の面前で言っているのだから、釈尊もこれを認めた。
あなたに言わせると、五百人の比丘のうち380人は阿那含や斯陀含だという。
だが、ヴァンギーサは、五百人全員が、煩悩を断ち、輪廻から
脱出していると賞賛している。
これを解脱者、阿羅漢というのです。
彼らを斯陀含や阿那含とは言わない。
準シュダオンさんは知らないようだが、仏教美術の一つに五百羅漢というのがある。
五百羅漢とは五百人の阿羅漢という意味で、元の話はこういう阿含経から
出ているのです。
彼らは五百人全員が阿羅漢です。
そして、その内、380人は五つの神通力など持っていなかった。
三明や六神通を持った者が阿羅漢だなんて嘘です。
- 953 :深山:2011/12/31(土)
12:18:40
- >>934 :準シュダオン:2011/12/30(金)
14:07:10
>だが、阿含経典には、神通を得ないけれども、解脱し阿羅漢を得た、という
>記述は少ないであろう。
少ないであろう??
おいおい、ごまかすんじゃないよ。
準シュダオンさんの説によれば、阿羅漢とは三明か、六神通を得た者だという。
だったら、三明や六神通を得ないで阿羅漢になったという記述はない、
と断定するべきです。
どうして断定しないのだ?
>>810-811に引用したように、三明や六神通を体得しなくても
阿羅漢になったという記述があるからです。
こんなことは当たり前で、神通で解脱するのではからです。
四神足の神通力でカルマを断ちきるのが解脱だなどという桐山説は
真っ赤な嘘です。
信者さんたちも、頭の逝っている準シュダオンさんなどどうでもいいから、
こういう阿含経をしっかり読んでください。
桐山さんの神通力による解脱なんて子供向けの漫画レベルの話です。
- 954 :深山:2011/12/31(土)
12:21:13
- >>936 :準シュダオン:2011/12/30(金)
15:26:29
>解釈がいびつになるからね、我流の解釈になってしまう。
はい、この意見に賛成ですよ。
準シュダオンさんを見ていれば、まさにそのとおりだと思います。
批判側は我流の解釈などしていません。
単に、経典にあるがまま、学者の解説そのままを引用しているにすぎない。
「預流向=聖者」とは批判側の解釈ではなく、
阿含経の釈尊の説明であり、経典を研究した学者たちの解釈です。
あなたはどこに目をつけているだ?
「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の福田である〉と。
かれは、聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕の無い、斑点のない、
よごれていないで、自在であって、知者
の称讃する、汚れの無い、
精神統一をあらわし出すような戒律を、身に具現している。
(『ブッダ最後の旅』51頁)
この釈尊の説明のどこがアビダルマ論なのだ?
一度くらいは人間だから読み違いや誤解も許されるだろうが、
あなたはそれを何年にもわたり、何度、阿含経の釈尊の言葉を示されても、
それをアビダルマだという。
こんな簡単なことも理解できないほど脳が崩壊しているのですね。
- 955 :深山:2011/12/31(土)
12:24:12
- >>936 :準シュダオン:2011/12/30(金)
15:26:29
>阿含経典の四向四果と、アビダルマ論の四向四果が違うということに気づけない、
だから、「預流向≠聖者」と述べている阿含経を出してみなさい。
信者であるアゴンさんからも、これを出して示してくれと言われて、
あなたは「たくさんありすぎて出せない」などと逃げた。
ああ、格好悪い。
情けない男ですよね。
女性から「あなたの主張の根拠となる阿含経を引用してください」と言われて、
ヘラヘラ笑いながら、逃げた!
議論以前の男としての面子ってものがないのか・・・ないらしい。
もっと情けないのが、そうやってバカ恥をかいたことをきれいに忘れて、
またこうやって話を蒸し返す、その愚かさです。
ああ、格好悪い。
年をとってもこうはなりたくない。
議論を抜きにして、私はあなたみたいな男を見ると侮蔑が抑えられない。
あなたも、愛人問題で逃げ惑う桐山さんと同じで、男として最低です。
- 956 :深山:2011/12/31(土)
12:27:00
- >>936 :準シュダオン:2011/12/30(金)
15:26:29
>している学者先生の解説を、正しいと思い込んでしまうのです。
>別に、アビダルマ論を解説している学者先生の罪でもない。
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
学者の説明を何度も引用されても、それをアビダルマ論だという。
バカの一つ覚えみたいに、何を示されても、アビダルマ論だという。
そもそも四向四果という分類そのものがアビダルマです。
三十七道品という分類もアビダルマです。
あなた自身はアビダルマをさんざん唱えながら、
まるで批判側だけがアビダルマを主張しているかのような言い方をする。
学者たちは阿含経とアビダルマの両方から上記のように説明しているのです。
そして、この解釈は阿含経の釈尊の記述と矛盾しない。
四向四果は聖者であり、四向四果の一つである預流向は聖者です。
- 957 :深山:2011/12/31(土)
12:29:07
- >>936 :準シュダオン:2011/12/30(金)
15:26:29
>している学者先生の解説を、正しいと思い込んでしまうのです。
>別に、アビダルマ論を解説している学者先生の罪でもない。
準シュダオンさんは仏教の成り立ちや歴史をろくに知らない。
釈迦仏教とアビダルマ仏教の区別が明瞭につくと思っているのでしょう?
アビダルマ仏教という別な仏教があると思っているのでしょう?
大乗仏教みたいに、後世、誰かが勝手に作り上げた仏教だと思っている。
あなたの主張を読んでいると、桐山さんと同じで、ろくに仏教史の解説書すら読まず、
狭量な知識に、自分の勝手な解釈を加えて、さもわかったかのように
書いているのがよくわかる。
私があなたの知性が低いというのは、そういう点を指している。
知性の高い人たちは、知っていることを知っている、知らないことを知らないと言います。
だが、あなたはろくに知らないことも、すべて知っているかのように書いて、
無知をさらけ出し、恥じることもない。
あなたは仏教やアビダルマの一般解説書すら読んだことがない。
平河の阿含経や、岩波仏教辞典を振り回しているだけです。
だから、桐山さんが、応供の如来、などというトンデモ用語を作ったみたいに、
あなたの解釈も浅薄で、読むに耐えないほど愚劣だ。
- 958 :深山:2011/12/31(土)
12:34:41
- >>936 :準シュダオン:2011/12/30(金)
15:26:29
>している学者先生の解説を、正しいと思い込んでしまうのです。
>別に、アビダルマ論を解説している学者先生の罪でもない。
準シュダオンさんが引用した「学者先生の解説」である「縁起滅」など
まさにアビダルマ論です。
縁起滅など阿含経にはない。
あなたは未だに、縁起滅を「縁起が滅する」と解釈している。
桐山さんが応供を「供養に応える」と読んだのと同じで、無知丸出しです。
話が拡大するから、反論していないが、あれは二つの言葉を略しているのです。
と言われても、何のことかわからないでしょう?
あなたの知識ってそんな程度なのに、すべてを知っているかのように
偉そうにお説教が始まる。
厚かましい男ですよね・・・厚かましいという意味わかります?
縁起滅は「縁起を滅すること」ではありません。
作ったのはアビダルマであって、釈尊はそんな使い方はしていない。
縁起滅はアビダルマがやった余計なお世話です。
あなたはアビダルマなど理解していないのに、
自分の御都合でアビダルマを引用して主張する。
学者の縁起滅の解説を引用しながら、他人が学者の解説を引用すると
上記のように否定する。
コスカライ男ですよね・・・コスカライという意味わかります?
- 959 :深山:2011/12/31(土)
12:43:55
- >>937 :準シュダオン:2011/12/30(金)
19:47:57
>もうひとつ、ユビさんに言うと、釈尊は八解脱を説いています。
ほら、またアビダルマです。
あなたは阿含経にあるから、アビダルマではないと信じているのでしょう?
無知丸出しですよね。
その八解脱のどこに因縁解脱があるのだ?
八解脱のどこに神通力で解脱するとあるのだ?
前に、あなたは100科550道品を引用した。
あれを見た時、あのまま釈尊やサーリプッタが説いたというのは
いくらなんでも変だとは思わなかったのか。
百の修行を説いたのではなく、一つの修行法の切り口を変えて
百通りに説明しているのです。
七つの修行法があるのではなく、一つの修行法を七つに
切り口を変えて説明したのが三十七道品です。
解脱も同様で、解脱は煩悩を断ちきること、これしかない。
それを過程や内容など様々な切り口で説明したのです。
湯飲み茶碗を、「これは長方形であり、円でもある」というのと同じです。
横から見れば長方形で、上から見れば円に見える一つの湯飲み茶碗を説明した。
だが、桐山さんやあなたみたいな連中は、これを二つの湯飲み茶碗を
説明したのだと解釈した。
桐山さんは三十七道品は三善根とは違うなどと無知丸出しのことを書いているのに、
自分くらいエライ者はないと自惚れている。
二人とも手の付けられない愚か者です。
- 960 :深山:2011/12/31(土)
12:46:26
- >>937 :準シュダオン:2011/12/30(金)
19:47:57
一番読者が期待しているのは、準シュダオンさんが、
「準預流」ではなく神通力を持った「準阿羅漢」だと
思っているのではないかという質問です。
読者は爆笑する準備をして待っているのだから、応えてあげてはどうか。
あなたはこのスレのピエロとしてとても優秀で、
いつも読者の失笑、苦笑、爆笑を買っている。
だが、今回はちょっと事情が違う。
あなたは年末になって、時の人になった。
なんと、桐山詐欺師に詐欺のネタを提供した。
桐山さんが新刊で、あなたのアイデアをパクッタのを知っていますか。
2ちゃんねるに解説してあげたから、読んでください、とは言いません。
三善根に二つの種類があるというあなたの説をなんと桐山さんが採用した。
ここを読んでいた平河の社員たちが、あなたの説を見て、
これはちょうどよいとばかりに盗んだ。
私の知る限り、三善根に二種類あるという珍説を最初に唱えたのは
準シュダオンさんです。
桐山さんはただの一度もそんな説は唱えたことはない。
事実、あなたは私から「桐山さんがいつそんな説を唱えたか、
出してみろ」と指摘されても、何一つ引用できなかった。
当たり前のことで、桐山さんはそんなことは法話で言ったことすらない。
ところが、晴れて、あなたの珍説がアゴン宗の正当な教義になった!
爆笑です。
これが準シュダオンさんのオリジナルであることを私が証言してあげます。
- 961 :深山:2011/12/31(土)
12:48:18
- >>937 :準シュダオン:2011/12/30(金)
19:47:57
あなたは宗務局に行き「私のアイデアを無断で盗むとはけしからん。
当然、しかるべき報酬というものがあろう」と申し出るべきです。
あるいは例祭で手をあげて、桐山ゲイカに抗議してはどうか。
「ゲイカ、デンパを無料受信した準シュダオンです。
私がいくら無料で受信したからといって、私のアイデアを
無料で使うはけしからんと思います。
私は日夜、ネットで批判側をコテンパンにやっつけて徳を積んでおりまスた。
その功徳によって、私を準阿羅漢と認めてください。
そうすれば、私のアイデアを盗んだことは許してあげましょう」
と取引を提案すると良い。
それにしても、お徳を積みましたね。
桐山アゴン宗の嘘にあなたもついに加担することができた。
あなた一人がここで書いてる分には老人の妄想話で済んだが、
これからはアゴン宗の教義になって、人々を騙すのに役立つ。
詐欺宗教に大いに貢献したお気持ちはいかがなものか。
その悪業の功徳は間違いなくあなたに戻っていきます。
- 962 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 13:27:18
- >>941:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/31(土) 10:42:01
>現世の自分における貪瞋癡の煩悩を認識し、その煩悩がなくなったと認識するのに
>どうして過去世の透視が必須条件なんですか?説明してください。
余談も含めて、現在自分が抱えているところの煩悩を認識し、それを減らしなくし、
煩悩が自分にはなくなったことを知見するのに過去世の透視が必要なのかどうか
違った角度で考察してみましょう。
題材として出すのはアドラー心理学です。
前にもどこかのアゴン宗スレで紹介したことがある。
アドラーの名はご存知でしょう。フロイトの精神分析学派に属し、後にフロイトの
無意識路線から離反して個人心理学と言われる心理学を作る。
アゴン宗の信者は元信者の池田ジミズさんに代表されるようにフロイト、ユング、
ソンディの流れこそ正当であり最高などと桐山本の引用だけを頼りに信じている。
私もそうでした。アゴン宗教学の世界で一番好きなのが無意識の意識の世界でした。
しかしアゴン宗の教学を解体し、自分を解体していくうちにこの無意識心理学に
興味がなくなった。無意識の意識を否定するわけでもないが、脳の機能として
記憶の層は深いものがあるというだけで、だからどうしたの?ってな感じです。
そこで最初はフロイトと共同研究者であったにも拘わらず、フロイトから離反した
アドラー心理学にも興味を持つようになった。
と言ってアドレリアンとしてアドラー心理学を信仰ってか担ぎ上げているのでもないが
考え方に「面白い」と思うのです。
信者の皆さんも同じ心理学でも精神分析でももっと視野を広げてみてはいかがか?
桐山オカルト深層心理学なんか離れてみて。
アドラーの心理学は過去の原因なんか考えないのです。
いま自分は何をしたいのか何をしたくて行動したのかその「目的因」を重視します。
- 963 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 13:59:39
- >>941:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/31(土) 10:42:01
>現世の自分における貪瞋癡の煩悩を認識し、その煩悩がなくなったと認識するのに
>どうして過去世の透視が必須条件なんですか?説明してください。
アドラー心理学は人間を社会との関係として捉えます。
社会で生活する上において劣等性を乗り越えて優等性を獲得しようとするのが
人間の本体と捉えます。
そしてその行動においては過去の原因など考えず常に何を目的にしているのかと
いう目的因に注目されます。
そして優等性を獲得する為の代替案を考えるというものです。
こんな解説では準シュダオンさんの専門用語の単語を羅列しただけのと変わらず
なんのことかわからないでしょう。
だから具体例で示してみる。
http://yukiduke.jp/hitorigoto/kodo.htm
ここに2階から飛び降りようとした中学生がいてカウンセラーと話している。
「あたしってどうしてあんなことしようとしたのかしら?」
「今朝食べたものが悪かったんじゃない?あるいは昨夜の夢見が悪かったのかな?
それとも10年前に君を部屋に1人に置き去りにした両親が悪いのかな?」
「先生、真面目に考えてよ」
「考えてるよ。でも君がどうしてこんなことしたんだろう?なんて問いかけをしたから
いろいろ出してみただけで、過去に起因する原因なんて無限にあり、どれがどれだか
実際にはわからない。また過去の原因がわかったからと言って、それで現在の問題が
解決するのか?問題が過去に起因するならば、過去は終わったのだから変える
ことはできない。親の甘やかしが原因だとわかっても過去に遡って親が甘やかしを
しなかったことには変えられない。それよりも私って何のためにこんなこと
したのだろう?と聞いてくれれば、もう少し気の利いた話できたのに」
「・・・わたし何のためにこんなことしたのかなあ?」
「うん、幸福になりたかったんじゃない?」
「!」
2階から飛び降りてみせようと狂言を演じてまで周囲の気を引こうと思ったのは
自分を認めてもらいたい為であり、とにかく現状打破して今よりも幸福になることを
願って、屈折しているものの自虐的行為には、なんらかの優等性を獲得したいと
いう目的因がある。それが自覚されるならば、他人から促されなくても、
2階から飛び降りる自虐的行為に替わる代替案を自分で考えるようにもなる。
- 964 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 14:36:45
- >>941:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/12/31(土) 10:42:01
仏教とアドラー心理学は違います。
しかし共通するものは見出せます。
それは過去にこだわらないという点ではないでしょうか?
仏教でも釈尊自身過去為したことにくよくよするなと説いている。
スッタニパータをお読みください。
それよりも現在のありのままの自分を観察するのです。
過去がどうあれ現在を清らかに生きていくことを説く。
アドラーも現在のありのままの自分を観察してその目的因を認識する。
自己の肯定と目的追求のアドラーの道と自己節制の釈尊の道はここから分かれるが
過去など考えない現在の自分の認識という手法は共通している。
だから私は釈尊の仏教はフロイトやユングの深層心理学なんかよりアドラーの
個人心理学の方が近いとさえ思いますよ。
ソンディの心理学のソンディ療法を桐山本の紹介だけで知った私は当時から
疑問に思っていたことがある。
それは病的な抑圧意識を持った先祖の無意識と「対審」しただけでよいのか?
というものです。
それまでわからなかったものと意識の上で対審しただけでカタルシス効果で
解決される問題もあろう。しかしそれだけで万事解決するものなのか?
桐山さんもソンディ療法は実際には効果はないと法話で話したことがあります。
そして対審和解を超えた強引な無意識改造を解脱供養などで示唆したのです。
しかしこんないい加減な他人任せでいつの間にか無意識改造でもされているのかな
話ではどうにもなりません。
それより前世の過去なんて普通は覚知もできぬ話ではなく、今現在の自分の表面意識
で認識したものとの対峙だけで十分です。
だから漏尽と漏尽智を得るのに宿命智などなくてもよいわけです。
- 965 :ラシン:2011/12/31(土)
17:24:16
さて「異陰」につての記述が四二一〜四二三頁にあります。
先ずは掲示します。
仏陀真実の教えを説く[中]巻
四百二十一頁
ここで読者の皆さんにお知らせすることがあります。
お詫びと言ってもよいでしょう。それは、私がいままでの
著作で引用してきた雑阿含経「仙尼経」の抗議の中で、
「異陰」という言葉を使っていることです。
もとより「異陰」という言葉に問題があるのではありません。
この言葉もその意味も「異陰」という言葉を単独で説明している場合には
問題はありません。では何が問題なのか?
実は、私が以前の著書で引用していた文献が『大正蔵経』あるいは
『国訳一切経』の「仙尼経」におけるこの部分を誤って書き写していたのです。
もとより私は仏教の専門家として『国訳一切経』もすべて勉強しておりますが、
他にもすぐれた解説書や講義等があり、それらも参考にしておりました。
ところが、私が自分の著書に引用するときに使用した文献が「仙尼経」の経文を
誤って書き写していたことに最近気がついたのです。それが次の文章です。
―慢断ぜざるが故にこの陰を捨て已りて異陰相続して生ず―
ここで「異陰」とある部分は、大本の文献である『大正蔵経』あるいは『国訳一切経』に
おいては「與(与)陰」とあり、読み下せば、
―慢断ぜざるが故にこの陰を捨て已りて陰と与に相続して生ず―
となります。
ー四二二頁〜
中略ー
「再生」ということにしぼって考えれば、結論としては同じなのですが、
ここでの違いは、死後の存在とその世界を含めた表現なのか、
含めていないのかということです。
ー四三二頁〜
中略ー
いずれにしても異陰となってから五陰を得て再生するという順序によって説明するか、
異陰として送る死後の生存の状況を省いて説明するかという違いであり、
慢(迷い)を断ち切らないために仏界に行けず、再びこの世界に生まれるという
その意義は同じですから、まったく意味が違うということではありません。
読者もこの点をご理解いただき、今後の私の著作をご期待ください。
- 966 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 18:21:52
- >>965
引用をありがとうございます。
これもこのアゴン宗批判スレから宗務局が得た知識ですね。
本来ならば上巻が出た時にそれを添えるべきですよね。
- 967 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2011/12/31(土) 20:06:47
- >>965:ラシン11/12/31(土) 17:24:16
>ここで読者の皆さんにお知らせすることがあります。
>お詫びと言ってもよいでしょう。それは、私がいままでの
>著作で引用してきた雑阿含経「仙尼経」の抗議の中で、
>「異陰」という言葉を使っていることです。
これを今回恥をかく覚悟で書くくらいなら、どうして三善根には無貪無瞋無癡
の意味とは全く別の意味の三善根があり、それが三供養品に説かれている三善根
なんだと示したことは、前に著した「社会科学としての阿含仏教」に於いて
「三善根と説く経典と三福道と説く経典の二つがあり、どちらも意味は変わりない」
と示したことは間違いでした。ってか、三福道という経典があるかのように示した
のが間違いでしたと表明しないのでしょうか。
今回すべき絶好の機会なのに。
- 968 :Boo:2012/01/01(日)
06:11:25
- >これを今回恥をかく覚悟で書くくらいなら、どうして三善根には無貪無瞋無癡
>の意味とは全く別の意味の三善根があり、それが三供養品に説かれている三善根
>なんだと示したことは、前に著した「社会科学としての阿含仏教」に於いて
>「三善根と説く経典と三福道と説く経典の二つがあり、どちらも意味は変わりない」
>と示したことは間違いでした。ってか、三福道という経典があるかのように示した
>のが間違いでしたと表明しないのでしょうか。
>今回すべき絶好の機会なのに。
そりゃーこっちは致命傷だからでしょう。ドクジュする聖典にまで引用している
経典の原典に関係する部分ですからね。単なる誤字では済まない出しょう。
- 969 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/01/01(日) 06:36:49
- はちゃめちゃな理論と思い込みの理屈で通そうとしか考えてないのとそういう脳内で構成されているので
破綻論しか出てこないのでしょうか。
悪い面での勉強にしかならないさまが垣間見えています。
また人様に上から目線で説教じみているし、威張ったもの言いも失笑ものです。
人を小ばかにするよりも納得できるだけの論を展開して欲しいものです。
(期待する方が間違っているかも、ですが)
- 970 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/01/01(日) 11:37:49
- >>968
どんなにヤバイ話だろうが、昔説いていたことと矛盾する話を出したからには
昔の訂正をその場でするのが義務なんですよね。
だいたい仙尼経の異陰もなぜ2011年の今回だったのか?
上巻に異陰を改めて与陰とした時に既に気付いていたはずですよ。
だったら2007年発行の上巻の中で過去の訂正をしておくべきではないですか。
なんで4年経ってからようやくそれをするのですか?
全く誠意のない人を馬鹿にした話ですよ。
- 971 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/01/01(日) 12:02:37
- >>965:ラシン11/12/31(土) 17:24:16
>「再生」ということにしぼって考えれば、結論としては同じなのですが、
>ここでの違いは、死後の存在とその世界を含めた表現なのか、
>含めていないのかということです。
曖昧に書いてますが、この経典を著書で初めて解説した「輪廻する葦」では、
異陰とは霊魂だとはっきり断定しています。
>いずれにしても異陰となってから五陰を得て再生するという順序によって説明するか、
>異陰として送る死後の生存の状況を省いて説明するかという違いであり、
>慢(迷い)を断ち切らないために仏界に行けず、再びこの世界に生まれるという
>その意義は同じですから、まったく意味が違うということではありません。
大いに異なります。
桐山異陰は陰に語句だけ訂正しようと、輪廻する葦にては
現世の五陰
↓
(異)陰=死後の霊魂
↓
来世の五陰を形成
としています。
ところが本当の仏教は
現世の五陰
↓
来世の五陰(第一義空経にもあるようにそれを現世とは異なる陰、異陰と表現するも可)
なんです。
つまり仏教は霊魂を説いていない。
桐山さんがこれまで強調していたことは現世の我々が慢を断ち切り再生しないこと
ではなく、霊魂にスポットをあてて霊魂を救済することを主眼としていたことを
ごまかしてはいけませんよ。平河さん。
- 972 :干柿:2012/01/01(日)
15:54:05
- 私が思うに、中身なんぞ変えないで堂々と桐山ゲイカが法話で説いていることを
まんま載せればいい(映像経典としてDVDに焼きうつして残してるでしょw)
ただ本の題名を「釈迦の真実の教えを説く」というのはやめなさい!
「阿含宗、桐山管長の教えを説く(阿含経を訂正した桐山思想)」という
題名にするべきですね平河出版さん。
- 973 :akb55:2012/01/02(月)
14:50:04
- 退会します。みなさまありがとうございました。
- 974 :名無しさん:2012/01/02(月)
15:09:00
- >>973
へ〜
退会するんですかぁ?
実は私もさっきまで
退会する為に、仏舎利宝塔を郵便局のレターパック500に
詰め込んで
「退会します、桐山靖雄宛て、以上。」と書いた用紙を同封して
封をしたところです。
郵便局が休みのため、営業日を待って
郵送するつもりです。
これでやっとスッキリします
みなさまありがとうございました。
- 975 :神人同行
◆3R1a2NAxr.:2012/01/02(月) 16:34:11
- >>973>>974
新年早々嬉しい滑り出しですネ
ただ、退会後の心理的アフタ−ケア−が必要らしいので、
後で、元信者さん達の助言があると思いますので、
参考になさって下さい
2012年は良い歳になりそうな予感がします。
- 976 :名無しさん:2012/01/02(月)
17:05:44
- >>973
>>974
新年早々、新たな旅立ちをされた事をうれしく思います。
神人さんの言われる通り、退会後のケアーがないと、揺り返しが来たり、
他の宗教に救いを求めたりする事も有り得ます。
ですから、この掲示板でゆっくりと語り合いをしましょう。
2ちゃんねるには、変なのが常駐しているので、ここなら邪魔は一人だけ
しかいません。気になる事があれば、色々書いてください。
- 977 :干柿:2012/01/02(月)
18:25:51
- 聞いた話だと阿含宗の現信者はもうしらけきってしまって「管長は結局は詐欺師じゃん」
という人と(もう退会は時間の問題)、某シュダなんとかいう人みたいに
凝り固まって話の通じない人とふたとおりいるみたいですね。
なんだかんだいってもここと2ちゃんねる見てる人多数w
「三供養品の阿含経って捏造なんだって?」とか知ってる人増えているそうです。
天照さんをはじめユビさん深山さん、その他参加者の努力はかなり効いてますよw
- 978 :Boo:2012/01/02(月)
18:36:50
- 新年早々のご決断、お二人のこれからの人生好転が楽しみですね。
私も退会した時は非常に不安がありました。しかし、余計な出費と精神的
負担がなくなり、振り返って考えるとその後の人生が好転したように思います。
「因縁がえし」などはほとんど何も感じませんでした。
- 979 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/01/02(月) 18:59:45
- 退会を決断されたお二人様、本当に喜ばしいことです。また当掲示板に書き込みを入れてくださり
ありがとうございます。
退会してしばらくは不安定な気持ちになったり、喪失感に際悩まされたりする方も居ります。
(私も数ヶ月落ち着きませんでした)
そういう時は掲示板に書き込んだりしてみてください。皆さん相談にのってくれますよ。
また「表立ってはちょっと」というようでしたら、私でよければメールで会話できますし、
状況によってはスカイプも可能です。
そういう必要性が無いときは「掲示板」で。また必要でしたら
■退会について考えたり相談できるサイト
「agon
secession club」 略称ASC http://agama.22web.net/
こちらに問い合わせてみてください。
- 980 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/01/02(月) 19:06:09
- スレ埋めに少し近況を。
現在、2chで公言した「三福道のP」を作っております。
約3分の1程できました。しかし、P数自体が多いのでかなり大変(汗
しかし、出来上がったらかなり調べるための良いPに成ると思います。
まだ途中ですが、作ってて気が付いたのは「下巻」と「中巻」では死後の世界
の内容が違っているなど、変化をつけているのがありましたね。
相変わらず一貫性が無い教祖なので「またか」とは思いましたが、まあ完成を
心待ちにしていていただけたらと思います。
- 981 :名無しさん:2012/01/02(月)
20:46:48
- 974です。
皆さん、退会後の気遣いまでしていただき感激してます(お優しい)
法友や阿含宗の職員先達などは私のことなど負け犬、脱落者としか見ていないのでしょうが
(当たり前ですね)
わたくしも実は阿含宗を退会する前に一発ケンカでもしてやろうと
意を決して弁護士事務所に相談しに行って参りました
そしたらあらビックリもうすでに
10人もの人が訴訟の準備に取り掛かっていらっしゃるとのこと
しかし阿含宗も負けるつもりはないのでしょう
しかしふと思ったのですが、仏教とは争いはしないというのがあくまで
前提としてあるのかと思うんですが
それでもあくまで阿含宗は売られたケンカは勝ちにいくつもりなの
でしょうか
真の仏教教団を名乗る組織が金返せ、金返さないで裁判を続けるのが
正しいのか?少し疑問です
やはり、この場合、納得いかない会員が現れた場合、適当な妥協点を探して折り合いを付ける、
それで返金希望者が殺到してもそれならそれですべての希望者に
それなりの納得できるお金を返す
それで例え破産するならするでいい、という立場がとれないのでしょうか?
ふと思いました、箱根や他に形だけのハコモノを作る金があるなら
そのくらいの心意気をみせてみろと言いたい、
今年はそういう意味でも
注目しています
皆さん、いろんな意味で今年は良い年に成りますように。
- 982 :準シュダオン:2012/01/02(月)
21:00:51
- 馬鹿馬鹿しくて、笑うしかないww。
元阿含信者にも、基本が欠けている。
深山くんやユビくんには、阿含宗の基本的な教えさえ、理解できていない
そういう愚か者だから、元阿含信者だという主張は、止めてほしいね。
- 983 :akb55:2012/01/02(月)
21:09:30
- 心遣いありがとうございます。
- 984 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/01/02(月) 23:07:57
- >>981
974さん、投稿ありがとうございます。
私も過去、阿含宗の思考にまみれていて退会者は「落ちこぼれ」「堕落者」「脱落者」などなど
思っていました。どうして阿含宗の内容を理解できず辞めてゆくのか。本当に理解できませんでした。
しかし、様々な疑問や矛盾が蓄積し不遜に思いながらも信仰を続けていてある日、法友に
「ネットでの事項ってどうなんだろうね」という質問に対しても「あれは根拠の無い言いがかりで
負け犬の遠吠えだよ」と言っていました。
しかし、よく内容を知らずにそれこそゲイカの言い分などを信じていたものを受け売りで答えただけで
ちゃんと調べてなかった。なので、しっかり見てみようと思って2chに行ったわけです。
そしてそこから論を交わし徐々に疑問と矛盾が解けて退会に到りました。
退会しても印を組みそうになったり、九字を切ろうとする動作など、また真言やお経を唱える癖も
中々抜けなくて困ったものでした。今ではそういう事項も笑えますが、辞めてしばらくは自分を
「ここまでキツク染まってたか」と唖然としたものでした。
寝る前も「勤行をやらない姿勢」は落ち着かなく、自分に「もうあんな行為はしなくていいんだ」
と毎日・毎度言い聞かせていたものでしたね。
裁判のこともありがとうございます。2chでごらんかと思いますが、信者さんも立ち上がって
行くことが報告されています。
今までは何でもやり放題の阿含宗でしたが、因果応報できっと突破口が開けるかと推察します。
ゲイカもかなり耄碌の様子ですし、勝機はあると思いますね。
退会後の有意義な人生をどうぞ堪能ください。阿含の檻から開放された喜びはかなり良いものですよ。
- 985 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/01/02(月) 23:12:13
- akb55さん、何か色々意見や情報などありましたら、どうぞ書き込んでください。
もちろんROM主体でも構いません。
諸兄様方が言われていたことですが、掲示板に書き込む作業も一種のストレス会報になる場合もありますし
癒しもあります。
自分も退会するまでの自己観察やら検証・考察に非常に掲示板情報は役に立ちましたし、また書き込むことで
かなり精神が開放されました。
また実際文章を書くことがより認識を深めることもありましたね。
掲示板がこんなに自分に良く作用するとは思ってませんでした。
時間や機会があったらでいいですから、今後ともどうぞご参加ください。
- 986 :深山:2012/01/02(月)
23:20:57
- >>981 :名無しさん:2012/01/02(月)
20:46:48
>わたくしも実は阿含宗を退会する前に一発ケンカでもしてやろうと
>意を決して弁護士事務所に相談しに行って参りました
ぜひ、裁判を起こしてください。
裁判が一つすでに起こされていますから、ある意味で露払いが済んでいます。
こういうことは最初の人が一番大変だが、その後はある程度のパターンが
できてしまいますから、裁判所側も同じように処理しようとするでしょう。
時間や労力がかなり省略できます。
また、人数がまとまったほうが、弁護士費用なども安くあがります。
他の方たちも、まずこの弁護士さんに相談してみてください。
一人では不安でも、すでに一件裁判がおきており、また準備中の人たちもいるのです。
仲間がたくさんいます。
前回のように、メールでこの弁護士さんの連絡先をおしらせすることもできます。
また御自身で東京地裁に赴き、現在行われている裁判の資料を閲覧すれば、
弁護士の名前や事務所がわかります。
981さんだけでなく、一人でも多くの方にまずはこの弁護士さんに
相談されることをお勧めします。
- 987 :名無しさん:2012/01/03(火)
11:14:03
- >>977
>
聞いた話だと阿含宗の現信者はもうしらけきってしまって「管長は結局は詐欺師じゃん」
>
という人と(もう退会は時間の問題)、某シュダなんとかいう人みたいに
> 凝り固まって話の通じない人とふたとおりいるみたいですね。
>
なんだかんだいってもここと2ちゃんねる見てる人多数w
>
「三供養品の阿含経って捏造なんだって?」とか知ってる人増えているそうです。
すばらしい!
- 988 :名無しさん:2012/01/03(火)
11:16:06
- >>981
>10人もの人が訴訟の準備に取り掛かっていらっしゃるとのこと
これもすばらしい!
返金訴訟がもっと多くなるといいですね
- 989 :名無しさん:2012/01/03(火)
11:25:49
- スマホが急速に普及していますので、したらばや2ちゃんねるを見る信者が
増加していると思います。
平河出版社も参考にしているようですので、ネットでの書き込みは効果がありますね。
三福道が捏造であることも広まっているようですので、ボディブローのように効いて
だんだんと離れていく人も多くなるでしょう。
阿含宗は大乗仏教とは違い、看板が根本仏教です。釈迦仏教を名乗っているわりには、
中身が全く違いますし、教祖の嘘が多すぎて惨憺たる状態です。
こういう教団が根本仏教を自称していることは、仏陀に対する酷い誹謗です。
信者に対しても酷いことをしていますし、仏教界や社会をも騙しています。
迷惑この上ない存在でしょう。
阿含宗に対する反対行動や訴訟は善行といっていいでしょう。
- 990 :準シュダオン:2012/01/03(火)
12:21:12
- だからぁ、阿含経にも、管長本にも、「修行の第一歩は我見をなくすこと」
だと書いてあるでしょう。我見でいくら解釈しても、本を読んでも、我見に
なってしまうのですよ。だから先ず、自分の我見に気づかないと、我見を
なくすこともできないでしょう。自分の我見に気づくのが第一ですね。
欲貪や瞋恚があることにも気づくでしょうが、それらは預流果を得てから
でないと断てないのですから、それは放っておいてもいいのです。我見退治
が第一だと、経にも書いてあるとおりです。
「阿含密教いま」本のP188にも、P276にも、阿含の修行をそのまま
現代社会に持ち込もうとは考えていない、と管長は書いています。今から
30年以上も前に、そのことを宣言しているのです。その点、名無しさんは
誤解していますね。
「阿含宗は大乗仏教とは違い」を、「阿含宗は大乗仏教だけとは違い」と、
考えるべきですよ。「阿含密教いま」本の原点(立宗の原点)を学んでくだ
さいよ。
- 991 :akb55:2012/01/03(火)
12:39:37
- 我見を無くして素直に阿含教を読んだら退会でしょ
- 992 :天照
◆MO30b8Jwoo:2012/01/03(火) 12:50:14
- お待たせしました。仏陀の真実の教えを説く「下巻」(国立図書館収蔵・未発刊)と
2011年12月26日発刊の「中巻」との同時掲載・比較するためPを作成しました。
http://agon.genin.jp/sktop.html 三供養品メニュー
メニューの各項目をクリックすると該当Pに行きます。
PC専用に作っているので携帯では見るのは、かなり困難を生じると思います。
PCでの閲覧を推奨いたします。
まず、各Pに入りますと「下巻」の表示から始まり、そのすぐ下より「中巻」の
画像があります。
お互いP数が多いので読むにも大変とは思いますが、本を書店で購入する手間が
省けるので便利かと思います。
今回はいち早く検証をするための方に、何も手を加えない(解説無し、という意味)
状態での画像提示となっております。
将来深山さんを始め解説をされている方々の記事を掲載して充実化させる予定ですが
とり急ぎ桐山氏著書の中身を参照できるようにとのUPということです。
皆様の考察の一助となれば幸いです。
また今回のPを作成するに当たってデータを提供してくださった方々に篤く御礼
申し上げます。
- 993 :akb55:2012/01/03(火)
14:37:46
- 天照さん。お疲れさまです。PC初心者なのでぼちぼち書かせてもらいます。
- 994 :干柿:2012/01/03(火)
19:00:57
- >>990
桐山阿含なんて釈迦の仏教じゃないですから
そして密教なんていうまがい物まぜなくとも釈迦の仏教は十分現代社会にもちこみ可能、
書店へいって他の坊さんの本や瞑想研究者の本もよく読んでみなさい!
いかに阿含宗がデタラメやってきたかよくわかりますから
まあ,あなたに言ってもわからないでしょうけれどねw
- 995 :干柿:2012/01/03(火)
19:18:17
- それから
我見、我見といいますが、阿含宗で洗脳されてしまった一方的な見方も我見
なんでねw、そういう見方を改めて広く深くみる釈迦の原点を学んでみる
それが大切でしょ、そうしたらいかに阿含宗がいいかげんなものかわかるはずですよ。
それがアナタはできない
我見が捨てられないから、深山さんやユビさんの言っていることがわからない
桐山阿含しか認めないってーのも我見を捨てられないからでしょw
いや、桐山阿含どころか我見そのものじゃないのアナタの言うことってさw
阿含宗じゃなく準シュダオン教じゃん
人のことなどいえませんよw
- 996 :Boo:2012/01/04(水)
02:17:08
- >>990
ここまで来るとお気の毒としか言いようがないですね。
- 997 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/01/04(水) 08:00:23
- >>992
天照さん。新年早々タイムリーなサイトをありがとうございます。
作成大変だったでしょうが、未だに決して消えたことにはならない下巻の存在とともに
これからの批判に役立てたいですし、これを読んだ信者各自が目覚めに役立てて
いくことでしょう。
- 998 :ユビキタス
◆18iA.mwnDU:2012/01/04(水) 08:37:10
- >>990:準シュダオン12/01/03(火) 12:21:12
>欲貪や瞋恚があることにも気づくでしょうが、それらは預流果を得てから
>でないと断てないのですから、それは放っておいてもいいのです。我見退治
>が第一だと、経にも書いてあるとおりです。
こんなことは桐山さんも説いてないあなたの我見ではないか。
欲貪や瞋恚が先の段階に進まないと、断てないのはそうだろうが、だからと言って
減らす努力もしない、それは後回しにするなんて、桐山さんは説いていない。
阿含密教いまよりも新しい修行者座右宝鑑の後ろの頁には六大煩悩と心の因縁、
戒行との対比表が示され、これを促している。
これは今すぐにでもとりかかれと示された座右に置くものです。
シュダオンになってからこんなことにも取り組みなさいなんて書いていない。
我見を排せとはアゴン宗の指導であるが、それには必ず指導を受けよというのが
条件で古い会員証にも書いてある。
あなたの考えが我見であるかないか宗務局を通して管長に質問して指導を受けなさい。
と言ってそれだけはヤバイので絶対にしないのはわかっているが。
>「阿含密教いま」本のP188にも、P276にも、阿含の修行をそのまま
>現代社会に持ち込もうとは考えていない、と管長は書いています。今から
>30年以上も前に、そのことを宣言しているのです。その点、名無しさんは
>誤解していますね。
> 「阿含宗は大乗仏教とは違い」を、「阿含宗は大乗仏教だけとは違い」と、
>考えるべきですよ。「阿含密教いま」本の原点(立宗の原点)を学んでくだ
さいよ。
大乗を絶対に取り入れてはならないなんて説いていません。
相反しない矛盾しない良いものは取り入れてよい。
しかし阿含経が禁じる、否定しているような護摩などはやってはならないのです。
現代社会において電気は必要ですし、新幹線も飛行機も必要です。
しかし護摩は必要ない。
- 999 :準シュダオン:2012/01/04(水)
10:41:03
- >こんなことは桐山さんも説いてないあなたの我見ではないか。
>欲貪や瞋恚が先の段階に進まないと、断てないのはそうだろうが、だからと言って
>減らす努力もしない、それは後回しにするなんて、桐山さんは説いていない。
いや説いてますよ。修行の第一歩は我見をなくすことだ、と説いてるのですから、
欲貪や瞋恚は、当然、第二歩以降になるでしょう。
それに欲貪は我執から生じるのですから、我見を断たない限り、欲貪を断てる
道理がないのです。
>シュダオンになってからこんなことにも取り組みなさいなんて書いていない。
そうは言っても、欲貪・瞋恚を断てば阿那含という大聖者ですから、順序として
はそれはシュダオンになってからの話になるでしょうが。
>あなたの考えが我見であるかないか宗務局を通して管長に質問して指導を受けなさい。
我見は自分で気づかねばどうにもなるものではありません。自覚できてこそ断つことが
可能なのであって、人に教えて貰うようでは見込みがないですね。
あなたは空腹や満腹、食欲があるかないかを、人に教えてもらうのですか?
>しかし阿含経が禁じる、否定しているような護摩などはやってはならないのです。
この解釈もあなたの我見ですね。否定しているのは護摩そのものではなくて、
内面を伴わない、外見的・形式的な護摩の効果を否定してるだけです。
別に焚火したからとて、害があろうはずもないし、心が汚れるはずもない。
釈尊当時だって、炊事には火を焚いたであろうし、かといって心が汚れる
はずもない。
- 1000 :名無しさん:2012/01/04(水)
12:00:05
- >>999 名前:準シュダオン 投稿日: 2012/01/04(水) 10:41:03
>我見は自分で気づかねばどうにもなるものではありません。自覚できてこそ断つことが
>可能なのであって、人に教えて貰うようでは見込みがないですね。
>あなたは空腹や満腹、食欲があるかないかを、人に教えてもらうのですか?
別に焚火したからとて、害があろうはずもないし、心が汚れるはずもない。
>釈尊当時だって、炊事には火を焚いたであろうし、かといって心が汚れる
>はずもない。
おっ、、冗談返しがうまくなったなw
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