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阿含宗と桐山氏について 第五十五章
1天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/13(月) 05:51:00
サブタイトル:【 地獄の沙汰も金次第、阿含の成仏(インチキ)金次第 】

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2ラシン:2011/06/14(火) 14:40:50
前章より
>994 :準シュダオン
>福田について、仏教辞典の解説の要点を記すと、
「善き行為の種子を蒔いて功徳の収穫を得る田地という意味。はじめ釈尊
 を福田と仰ぎ帰依して供養の対象とした」と、↑辞典にあるわけだが、
>「供養に応えるという意味」が、一番ぴったりでしょうが。

だから準シュダオンさんの知能は、お子様並といわれる。
>>996のアゴンさんが理解して述べているように、
田畑に種を植えるのは誰ですか? 
釈尊はではなく供養する衆生ですよね。
ではその田畑に種を撒いた後に収穫するのは誰ですか?
種を撒いた(供養した)衆生の人達です。
それで、
いつ釈尊が刈り入れし、収穫した果実を配給してくれたのだ?

種を撒くのも刈り入れして果実を得るのも、
そこに種を撒いた(供養した)者=善業の衆生です。
果実が実って収穫できる田畑だから、善き田畑=「福田」ですよ。
せっかく種を撒いても実らない田畑は、何と言う? 
禍田という。
では準シュダオンさんは、福田と禍田とどちらを選ぶ対象としますか?
選ぶ相手(対象)は、福田の方ではないの?

だから我々衆生は、善い田畑を選択すべきその対象が誰かと言えば、
釈尊とその弟子が集う聖なる集団(僧)であるということですから、
福田=四双八輩=応供(供養に受けるに相応しい)となる。
釈尊や聖なる弟子が返してくれるのではなく、
種を撒くべき(供養する=善業)田畑(対象者)が、釈尊と四双八輩だから、
種を撒くに相応しい=応供という解釈が成り立っている。

3準シュダオン:2011/06/14(火) 14:56:54
>功徳に応えるというのは、あなたは供養を受けた対象者が、応える(こたえる)と
>書いてるんですよね?
>それが違うんだって。因果応報で来世に功徳の果報があるよ。
>っていう意味なのでしょう?深山さんたちの経典からの引用解釈をすると。

そうじゃないのよ。深山くん達はそういうヘンチクリンな解釈をしてるから、
いくら修行しても無駄だったわけよw。来世に功徳の果報があるのなら、現世
で成仏できる人はいないでしょうよ、アホらしい。早い人には現世で果報があるし、
現世に果報がない人には来世以降に果報があるわけです。

私のレスを理解できる人には、思念による王者の相承を受ける可能性があるし、
因縁の洗い出し現象を経験する可能性もあります。が、新山さんやラシンさん
のレスが正しく思える人には、そういう可能性はありません。
そういう人は、縁も才能もないのだから、さっさと退会することです。
そして、深山さんみたいに延々と負け犬の遠吠えレスでもしてたらよいのです。

4ラシン:2011/06/14(火) 15:00:37

天照さん、新スレ立てありがとうございます。

引き続き前章より
>994 :準シュダオン
>福田について、仏教辞典の解説の要点を記すと、
「善き行為の種子を蒔いて功徳の収穫を得る田地という意味。はじめ釈尊
 を福田と仰ぎ帰依して供養の対象とした」
と、↑辞典にあるわけだが、さぁ、この「釈尊・福田」を一言で説明するなら、

準シュダオンさんのオツムってグッチャグチャのようだ。
自分で書いていて何一つ自分の書いたものすら気づかず放り投げて、
自惚れだけは忘れない。
あなたの調べて出した「供養の対象とした」のが答えです。
それも、
前章の>>920 :ラシン:2011/06/11(土) 16:12:41 からずっと私が応えているのに、
<また、福田とは、
 供養尊敬あるいは施与されるべき「対象」の意味だから、
 為世福田とは「世の為の福田=供養を受けるべき対象」である、>

イケシャーシャーと今頃になって、しかも答えを自分で書いていることすら、
まるで自覚を持てずに、
>「「供養に応えるという意味」が、一番ぴったりでしょうが。」などと、
大笑いさせてくれています。
まあ、準シュダオンさんて他人の文章をマトモに読めないばかりか、
まさか自分の引用した文章までも、マトモに読めないのですね。
かなり重症になりつうあります、認知症としては。

5準シュダオン:2011/06/14(火) 15:24:13
>だから準シュダオンさんの知能は、お子様並といわれる。
>>996のアゴンさんが理解して述べているように、
田畑に種を植えるのは誰ですか? 
>釈尊はではなく供養する衆生ですよね。
>ではその田畑に種を撒いた後に収穫するのは誰ですか?
種を撒いた(供養した)衆生の人達です。
それで、
>いつ釈尊が刈り入れし、収穫した果実を配給してくれたのだ?

あんたこそ、ほんとにバッカみたいだねW。そんな頭で私を馬鹿にして議論を
挑むとは、ホントに呆れてしまうわい。
あのね、辞典に「はじめ釈尊を福田と仰ぎ供養の対象とした」との解説を
紹介した。田の場合は、農民が種を蒔いて実ったら刈り入れをする。

では釈尊に供養した場合は、誰が収穫した果実を配給してくれるのだ?
という質問だ。呆れた質問だが、よく聞きなさい。
福田とは、善き行為の種子を蒔いて功徳の収穫を得るという意味、ですね。
釈尊に供養するということは、善き行為の種子を蒔く、ということです。

功徳の収穫を得る、ということは、釈尊に供養したことが因となって、功徳を
得る、ということです。功徳とは、身に備わった特性、のことです。この功徳
によって解脱に進むとは、仏教辞典にも解説されていることです。
ね、お解かりか?功徳は誰も配給する必要はないのです。

善根を修して身に備わる特性を功徳というのですから、配給してもらう必要が
ないのです。聖者にはそういう力があるのです。

6ラシン:2011/06/14(火) 15:30:35
>3 :準シュダオン
>来世に功徳の果報があるのなら、現世
で成仏できる人はいないでしょうよ、アホらしい。

まだ言い逃れを諦めずに同じことを繰り返す。
先ずは、あなたの矛盾に満ちた頭の中の状態です↓、確認しなさい。

>994 :準シュダオン
>私は、福田を仏教辞典で調べて、「供養に応える」という意味だとレスした。
>>971 名前:準シュダオン
>1、如来 2、応供(阿羅漢)・・と出ていますよね。
応供というのは阿羅漢のことで、供養をうけるに”ふさわしい”、という意味なのです。

そこで、あなたは、深山さんから指摘されているように、
果報と解脱をゴチャ混ぜにして仏教の基本すら無知だ。
まあ、ごった煮信者さんだからそうなのでしょう。
深山さんの前章>>939-944を読んでもいないで侮蔑だけは熱心です。
あなたの客観的な学説による根拠を出して以下に反論してください。

>>939:深山
主張1「如来に供養すれば、供養者は来世などで果報が得られる」
主張2「如来にいくら供養しても、供養者がその功徳で解脱することはない」
>>943 :深山:2011/06/12(日) 16:23:15
「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
 功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」
(『ブッタ神々との対話』中村元、200頁)

果報は来世との意味ですよ、でもムリかな。

7準シュダオン:2011/06/14(火) 15:42:10
>イケシャーシャーと今頃になって、しかも答えを自分で書いていることすら、
まるで自覚を持てずに、
>「「供養に応えるという意味」が、一番ぴったりでしょうが。」などと、
>大笑いさせてくれています。

なにがイケシャーシャーだね、この大馬鹿者が。
あんたは人の悪口書くのだけは十人前だが、応供の意味も、福田の意味も、
何もわかっちゃいない。
応供とは、供養を受けるにふさわしい、と教われば、盲目的に信じ込むの
がラシンくん、あんただ。
わたしは、応供の意味を解った上で、どういうわけで供養をうけるにふさわしい
のか、と、その理由まで質して、説明しているのです。

例えば正遍知だから供養を受けるにふさわしい、と説明されたら、私は納得し
ないね。あまねく正しく悟ったからといって、何で供養を受けるにふさわしい?
勝手に悟っていたらいい、そんなの供養を受ける資格にはならない、というね。
福田だから、という理由なら納得できるね。
ラシンさんも↑を理解できてから、議論すべきですね。

8準シュダオン:2011/06/14(火) 15:53:15
>あなたの客観的な学説による根拠を出して以下に反論してください。

>「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
 >功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」

まぁ、今すぐ根拠になる学説を出すのは面倒だが、功徳はこの世でも来世でも
人々のよりどころとなる、という教えはアチコチで見かけてますよ。
来世に限定したことではない。

9アゴン:2011/06/14(火) 16:41:12
あららー…。残念な結果に終わりましたね。
準シュダオンさん。貴方、もしかして管長が釈尊より上だと思ってます?
現世利益があったから貴方はアゴン宗を有り難がってる。管長のおかげです。と思ってるんでしょ?そういう気持ちもちょっとは分かりますよ。私も母が元気になったし。

でも有り余る富と王の位を捨てて出家した釈尊と、苦労の連続で自殺まで追い詰められて宗教者になって内弟子に生活費を支給しつづけ、お金で称号をたくさんもらって、ロールスロイスを購入した人間と、さてどっちが解脱者でしょう、か!?
さー頑張って考えよう♪

10ラシン:2011/06/14(火) 18:03:11
>5 :準シュダオン
>善根を修して身に備わる特性を功徳というのですから、配給してもらう必要が
ないのです。聖者にはそういう力があるのです。

相当に症状がまた一段と進んだ?
あなたは、供養(善業=種まき)に応えるのが”応供”だと言っていたが?
では、”配給してもらう必要がない”のであれば、応えないと言うことなの?
いったい、どちらです?
また、そういう力とはどういう力なのですか?
まさか、善業善果という因果応報の現象が、”聖者にはそういう力”?
だんだん、笑いを抑えきれない。
お願いですからご自分のオツム整理をしてください。

11ラシン:2011/06/14(火) 18:04:08

>功徳とは、身に備わった特性、のことです。
この功徳によって解脱に進むとは、仏教辞典にも解説されていることです。

またまたまた、辞典の意味を改竄もしくは自分教?
それとも、ホンとに国語力不足ですか?(?ばっかになったな)

ー岩波仏教辞典 福田の抜粋ー
いずれにしても、福田は布施供養する人にとって”菩提”(さとり)の
功徳を得る因となるところのものであった。

同辞典の解説は、釈迦の時代から少しずつ変遷された解釈を意味している、
それを理由に真向否定も成り立つかもしれません。
しかし、
どこにも”解脱に進む”なんて表現はありません。
あなたは、いつもの早とちりで悟りの功徳を得る因だから、
すわ、供養で悟りだあ〜、と喜んで、転んだ?

この”菩提の功徳を得る”との意味は、あなたが書いてしまっているように、
この場合は、悟りの”特性”、いわば”善行性”を得る”もと”との意味です。
だから「菩提を得る」ではなく、「菩提の功徳を得る」、因と
わざわざ表現されている。
善い行ないをしたその行為は、善性という善果を得るもと、ということです。
そこで同辞典、功徳の頁より抜粋すれば、
「仏の功徳を生むもとになる”福田”の意から三宝をさす(功徳田).」
福田=仏の功徳を生むもと、仏へ供養した行為で生じる善果。
三宝とは仏法僧ですから、福田=三宝=仏法僧との解釈が成り立つ。
つまり、仏法僧は福田であり功徳のもと、善行により善果という果報の因、
と説かれたことになりますから、供養に応えるなんてことではありません。
どう転んでも桐山さんのその説は成り立たない。

12ラシン:2011/06/14(火) 18:06:11

>わたしは、応供の意味を解った上で、どういうわけで供養をうけるにふさわしい
のか、と、その理由まで質して、説明しているのです。

後出しジャンケンホイですか?
だから何度も教示しましたよね、深山さんが提示された阿含経小縁経。
あなたも小出し切り取りして出していたお経で、深山さんに暴かれて
仕方なく、その経文の一連を後から出しただけじゃないですか。
釈尊が、供養を受けるに相応しいと認知したことを、
あなた風情が自分教であれこれ質すなと、何度も注意しています。

13準シュダオン:2011/06/14(火) 18:29:19
>あららー…。残念な結果に終わりましたね。
>準シュダオンさん。貴方、もしかして管長が釈尊より上だと思ってます?

じゃぁ、面倒くさいけど、アゴンさんのためにレスしましょう。

>「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
 >功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」
>(『ブッタ神々との対話』中村元、200頁)
>果報は来世との意味ですよ、でもムリかな。

との指摘があったけど、「功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」という
記述は阿含経点のあちらこちらで見られる表現でね、しかし、「あの世で」と
いう表現は、正確には「あの世でも」という意味であることが、経典を読み込む
と解るのですよ。つまり、現世でも来世でも、という意味です。
例えば、雑阿含経の中に、中村元氏訳で、次のような一節があります。
「尊師いわく」(釈尊のこと)
『清らかに澄んだ心で、信仰心もて食物を与える人々は、
この世でも、かの世でも、その食物が順ってゆく。
・・・(一行略)・・・
功徳は、来世において、生あるものどもの依りどころとなる。』

ね、果報とは来世との意味、という指摘は当らないのです。
来世で依りどころとなるのならば、現世で役立たない、という理窟が
おかしな話でね、来世だけの依りどころになる、
というのはおかしいでしょう。

管長が釈尊より上なんて、思っていませんよw。
だって、管長だって、釈尊や仏舎利を礼拝していますよ。
管長だって、釈尊を師と仰いでいるのですからね。

>現世利益があったから貴方はアゴン宗を有り難がってる。管長のおかげです。
>と思ってるんでしょ?そういう気持ちもちょっとは分かりますよ。
>私も母が元気になったし。

現世利益?う〜ん。私は、聖なるバイブレーションの中品か下品の成就と、
因縁の洗い出し現象の体験をした、とレスしていますけどね、だから管長の
教えを真実だと信じているわけです。
あるいは、アゴンさんは私の過去レスを目にしていないわけですね。

14準シュダオン:2011/06/14(火) 18:53:10
例えば、中村元先生の訳で、雑阿含経に「恭しく敬う」という1節に、

「バラモンの婦人は、かれに対して清らかな信を起こし、動揺することなく
 供養を受けるにふさわしい人に供養しました。そうして、
 未来に安楽を受ける功徳を積みました。」

てのが、あります。このように、未来と捉えるのが正しく、未来を来世と限定
すべきではないのです。現在、過去、未来、というように、未来とは現在の先
のことで、現世と来世を含むのです。
アゴンさんが疑問に思うことは、レスしてご覧なさい。
私は、深山さんラシンさん、のレスは量が多くて、とても読む気が失せて
しまいますからね。

私の過去の職場の上司の口癖は、報告も、連絡も、相談も、
「優秀な者の言葉は短い!」と、いうものでした。
その上司は、ある職能について、県を束ねる役職を持っていました。

15深山:2011/06/14(火) 19:24:11
>>3 :準シュダオン:2011/06/14(火) 14:56:54
>来世に功徳の果報があるのなら、現世
>で成仏できる人はいないでしょうよ、アホらしい。

またゴマカシが始まった。
福田の果報によって成仏するなんて真っ赤な嘘です。
経典のどこにそんなことが書いてある?
よくまあ、こんな嘘を堂々書き並べるものだ。
比丘たちに供養することで、供養した者が成仏するなんて
経典は存在しないし、そんな教義は仏教にはありません。
三供養品にすらそんなことは書いていない。
福田の果報とは善業による善果にすぎない。
私は前スレの942で、その具体的な経典を引用して、前世で解脱者に
供養した功徳で、天界に七度生まれ、資産家として七度生まれたという実例を出した。
だが、その資産家は成仏どころか、同じ街に釈尊がいたのに仏縁すらないまま、
功徳を使い果たして、悪業の報いで地獄に墜ちた。
供養したにもかかわらず、成仏どころか、地獄に墜ちたのです。
これを見ても、供養による果報とは、世俗的な果報であって、
解脱や成仏とはまったく関係ないのがわかります。
あなたの書いている真っ赤な嘘です。

16深山:2011/06/14(火) 19:27:13
>>5 :準シュダオン:2011/06/14(火) 15:24:13
>功徳とは、身に備わった特性、のことです。この功徳
>によって解脱に進むとは、仏教辞典にも解説されていることです。

ここまで準シュダオンさんて堂々と嘘を書くのですね。
どこに、供養することで解脱するとあるのか、その仏教辞典を示しなさい。
口から出任せによく書くものだとほんとうにあきれる。
ラシンさんから>>11で指摘されても馬耳東風なのが、
いかにも準シュダオンさんらしい。

17深山:2011/06/14(火) 19:29:19
>>5 :準シュダオン:2011/06/14(火) 15:24:13
>善根を修して身に備わる特性を功徳というのですから、配給してもらう必要が
>ないのです。聖者にはそういう力があるのです。

だから、経典や学者の解説のどこに、聖者がその功徳を配布するとあるのだ?
比丘に供養することは大善業だから、大善果があるとは経典に述べてある。
だが、その大善果を比丘たちが授けるなんて話はどこにもない。
あなたの作り話です。
供養によってえられる功徳とは、因果応報にすぎない。
因果応報は一種の自然法則であり、比丘に授ける力があるのでありません。
行った者の善業がやがて本人に善果となって返っていくだけです。
コーサラ国の資産家は、大金持ちだったが、本人は死ぬまで貧乏な暮らしをして、
しかも、死後は地獄に墜ちた。
聖者が授けた功徳なのに、なんでこんなことになるの?
聖者が授けた功徳ではなく、資産家が前世で為した善業と悪業が、
互いに相殺することなく、そのまま現れたからです。
自分が為したことが自分に返ってくるというのが仏教の基本的な思想です。
聖者が授けるなんて考えは仏教の思想ではありません。
あなたの考えは外道です。

18深山:2011/06/14(火) 19:32:25
>>7 :準シュダオン:2011/06/14(火) 15:42:10
>わたしは、応供の意味を解った上で、どういうわけで供養をうけるにふさわしい
>のか、と、その理由まで質して、説明しているのです。

あなたの解釈はいらないから、証拠を出せと言っているのです。
あなたがいくら「解った上で」などといくら言っても、何の意味もない。
それを言うなら、私もラシンさんも「解った上で」で主張しているのです。
だが、あなたと違う点は、証拠や根拠を示している。
阿含経や仏教辞典には応供とは、供養に値する人、という意味であって、
供養に応えるなんて意味はいっさい出てこない。
あなたの解釈を信じてほしければ、こういう具体的な証拠を出せばいいのです。
しかし、あなたは出せたためしがない。
毎回、バイブを感じたエライ自分の勝手解釈を受け入れろ、と吠えるだけです。
それしかない。
まったく無能無策ですよね。
なんであなたの低い国語力と独断の上に慢心を積み上げた解釈を
我々が受け入れなければならないのですか。

19深山:2011/06/14(火) 19:34:54
>>3 :準シュダオン:2011/06/14(火) 14:56:54
>私のレスを理解できる人には、思念による王者の相承を受ける可能性があるし、

「オレ様はデンパを受信したからエライ!!」と言いたいのですね。
桐山さんもあなたも脳梗塞になったから、白銀バイブを受信できた。
だから、信者も、桐山さんやあなたの真似をして飽食すれば、
生活習慣病としての脳梗塞になり、白銀バイブを受信するかもれしない。
だが、正しい食生活をしている人は、残念ながら、脳梗塞にはならないから、
あなたの説は永久に理解てきない。
普通の国語力を持っている人は、あなたの説を読んで失笑するし、
仏教の基本的な知識を持っている人は、あなたの説に吹き出しているし、
アゴン宗の信者は、あなたの説に頭を抱えている。
準シュダオンさんて、本当に、ただひたすら威張りたいのだ。
聖者にどんな功徳を積んだら、そこまでの恥知らずに成り果てることができるのですか。

20深山:2011/06/14(火) 19:36:43
>>3 :準シュダオン:2011/06/14(火) 14:56:54
>そして、深山さんみたいに延々と負け犬の遠吠えレスでもしてたらよいのです。

このスレがはじまってから半日書き続けているが、
文章を書いたが、相変わらず、具体的な証拠も根拠も何もない。
応供が、供養に応えるという意味だという経典の根拠を示せ、
学者の説を出してみせろといくら言われても、
あなたは何一つ出せない。
余計なことを書かずに、根拠を示せばいいのに、出さない。
なぜなら、ないからです。
あなたの文章は中身が何もない。
ただただ、自分のデンパな解釈と荒唐無稽な説を吠えているだけです。
そういうのを負け犬の遠吠えというのです。
ところで、小縁経の解釈はどうなったのですか。
あなたは「阿羅漢」などと勝手に書き入れて、経典を捏造した。
もしかして、捏造も準シュダオンさんの遠吠えの一つか。

21アゴン:2011/06/14(火) 19:46:34
準シュダオンさん、それより福田を応供、限定にしたのは修正するの?
福田が供養に応えるんじゃないって認めなさいよ。

おかしいですよ。あなたのゆーとることは。批判がわも私も失笑ものですよ。私さっきから貴方に無礼なことばかり言ってるのに、好意的に受け止めてるしw

頭のなか散らかったままの、錯乱状態ご狂乱ですね。
感情が邪魔して冷静になれないんですね。ちょっとお休みしましょうか?

深山さんやラシンさんはなんも経典の解釈について変なこと書いてはおりません。
文章が長くても全然飽きません。無駄のない構成でスラスラ読めます。

貴方は学者の解釈よりも自分が上だと思ってるんですか?
思念の相承を受けたから、自分は釈尊の言わんとしていることがもっと深く理解できているとでも?

冗談も休み休みにしてくださいよ。(ほんとに、ちょっと休んでくれ…)

22アゴン:2011/06/14(火) 20:12:18
阿含宗の擁護ができるわけでもないのに、ぐだぐだと意味不明の高説をたれて、悦にいる。耳障りな雑音(と思ってる)には、読解不良でアホらしいと一喝、蹴散らしてるつもりだが、雑音のほうにロム者のほとんどは有り難がっている(笑)
このお笑い劇場を八年間続けたことで、目の覚めた信者がどれだけいるか。
私が管長なら、キサマ俺の作り上げた城をどれだけ破壊するつもりか!キサマはろくに教学も勉強しとらんくせに、おれの言ってないことまで創作して、恥を知れ!
と怒るかどうかは分かりませんが(笑)昔勝手に屋敷浄霊を創作して修してたグループにひどく立腹あそばされ、俺の教えた通りにしろ!かってに作るな!と一喝されたそうな。そりゃそーだ。
あなたも、そんなタイプ。

23天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/14(火) 20:17:11
>>22 そのとおりですよ。勝手に変えたりすれば破門です。
準さんは掲示板の世界でゲイカにはバレないから如何様にでも出来るが、
マジでこの所行がばれたらただでは済まないですよ。
だから過去にも「道場で貴方の持論を出してみれば?」と言われたが、
出すはずが無い。また出せない。

なのでアゴンさんの言うとおりですよ、全く。

24天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/14(火) 21:28:05
>だから過去にも「道場で貴方の持論を出してみれば?」と言われたが、
出すはずが無い。また出せない。

これは準さんへの批判側からの提案の事でした。説明不足すみませんでした。

25天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/14(火) 21:51:58
このしたらばの54章にて、深山さんが「アゴンマガジン」で解説をされている森川氏の間違いを指摘されている
箇所がありますが、そこの記事と原版であるアゴンマガジンの記事を一緒にHPに纏めてUPしました。

これでどのように森川氏が間違っているのかが有り易くなると思います。
皆様の考察のお役に立てたら幸いです。

掲載はagama考察室で直アド http://agama.zouri.jp/a_magazine.html です。

26ラシン:2011/06/14(火) 22:08:06
>13 :準シュダオン:2011/06/14(火) 18:29:19
>『清らかに澄んだ心で、信仰心もて食物を与える人々は、
この世でも、かの世でも、その食物が順ってゆく。
・・・(一行略)・・・
功徳は、来世において、生あるものどもの依りどころとなる。』

>ね、果報とは来世との意味、という指摘は当らないのです。

字面だけで決めるのではなく、文章全体を読んで何を説いたかを
理解すべきでしょう。

ー中村元訳『ブッダ神々との対話』岩波書店)ー
「清らかに澄んだ心で、信仰心をもて食物を与える人々は
 この世でも、かの世でも、その食物が順(したが)ってゆく。
 ”それ故に、物惜しみの心を制して、汚れに打ち克って、
 施しのものを与えよ。”
 功徳は、来世において、生あるものどものよりどころとなる」
(相応部経典2-33『セーリー』、同1-53『食物』)

準シュダオンさんが、中略とした文が、↓です。
”それ故に、物惜しみの心を制して、汚れに打ち克って、
 施しのものを与えよ。”
これをまたしても隠したのは、釈尊がこの世でも”その”食物が、
随順してゆくとは、布施が続くことを善行として説いたからで、
いわゆる現世の役立たない果報ではないのです。
だから釈尊の肝心な部分を隠した。
布施の善行として役立つから、その者は現世で布施の食物に困らない。
吝嗇や物惜しみを戒め供養続ければ、供養の食物はこの世でも随順し、
来世においては、果報として食物に困らない身分を得る。
ですから、吝嗇物惜しみの弊害をちゃんと別に説いています。

「この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵り退け、
 他人が与えようとするのを妨げる人々、
 −−かれらは、地獄、畜生の胎内、
 ヤマ(閻魔)の世界に生まれる。
 もしも人間の状態になっても、貧窮の家に生まれる。
 そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯を得ることが難しい。
 愚者たちは、それを来世で得ようと望むが、
 彼らにはそれが得られない。
 現世ではこの報いがあり、死後には悪いところに堕ちる」
(相応部経典1-59『もの惜しみ』)

27ラシン:2011/06/14(火) 22:56:41
>14 :準シュダオン:2011/06/14(火) 18:53:10
例えば、中村元先生の訳で、雑阿含経に「恭しく敬う」という1節に、

「バラモンの婦人は、かれに対して清らかな信を起こし、動揺することなく
 供養を受けるにふさわしい人に供養しました。そうして、
 未来に安楽を受ける功徳を積みました。」

だから何? ただの仏教無知です。
仏教で未来といえば、未来世の略ですよ。

前世、現世、来世の三世。
または、
過去世、現在世、未来世。

>私の過去の職場の上司の口癖は、報告も、連絡も、相談も、
「優秀な者の言葉は短い!」と、いうものでした。

祝辞は短く、ほうれんそうも短く。
しかし、混同しないようにしてください。
賢ある者の言葉は、「簡にして潔、明にして瞭たらしめる」で
あるべきで、短文長文の識別ではありません。
ま、トラの威を借りても説得力がないばかりか、お里が知れる。

28深山:2011/06/14(火) 23:48:29
>>13 :準シュダオン:2011/06/14(火) 18:29:19
「尊師いわく」(釈尊のこと)
『清らかに澄んだ心で、信仰心もて食物を与える人々は、
この世でも、かの世でも、その食物が順ってゆく。
・・・(一行略)・・・
功徳は、来世において、生あるものどもの依りどころとなる。』

ラシンさんの反論でほとんどの説明が終わっていますので、
一部彼の説明と重複しますが、殺虫剤を浴びたゴキブリを
私がもう一度踏んづけることにします。
殺生はいかんのだが、大丈夫、踏んづけても傷一つ負いません。
例によって、準シュダオンさんは引用元を示そうとしない。
私は何度もちゃんと引用元を示すように彼に言ったが、しない。
批判側に手間暇をかけさせようという意地悪な性格と、
元の経典をみられて足払いをかけられるのが怖いからです。
しかも、雑阿含経などとまるで漢訳経典であるかのように書いている。
ラシンさんが引用したように、南伝のパーリ仏典を和訳したものです。
対応する雑阿含経があるからといって、それと同一ではありません。
ラシンさんも>>26で指摘しているように、準シュダオンさんは
肝心な一行を抜いて引用しているのです。
準シュダオンさんの経典の引用の仕方が、いかにも餓鬼畜生クラスらしい。
一番肝心な所を省略しているのです。
原文は「食物」と題する次のような経典です。

29深山:2011/06/14(火) 23:52:13
「清らかに澄んだ心で、信仰心もて食物を与える人々は、
この世でも、かの世でも、その食物が順ってゆく。
それ故に、もの惜しみの心を制して、汚れに打ち克って、施しのものを
与えよ。
功徳は、来世において、生あるものどもの依りどころとなる。」
(「食物」『ブッダ神々との対話』72頁)

これはこの経典の釈尊のことばのすべてです。
ごらんのように、準シュダオンさんが省略した文章こそが、この経典の要です。
準シュダオンさんの頭には供養することで得られる功徳しかない。
だから、釈尊が重視した一番肝心な文章をカットとしたのです。
釈尊は物惜しみの心を捨てろと説いたのです。
だが、なんと彼はその文章を、それもたった一行なのに、わざわざカットした。
でも、「もの惜しみの心を制して、汚れに打ち克って、施しのものを与えよ」
というこの一文を抜いてしまったら、経典の意味がわからない。
こういうことが準シュダオンさんの心と頭の程度をよく示しています。

30深山:2011/06/15(水) 00:01:49
「清らかに澄んだ心で、信仰心もて食物を与える人々は、
この世でも、かの世でも、その食物が順ってゆく。
それ故に、もの惜しみの心を制して、汚れに打ち克って、施しのものを
与えよ。
功徳は、来世において、生あるものどもの依りどころとなる。」
(「ものおしみ」『ブッダ神々との対話』72頁)

そこでこの経典を吟味してみましょう。
たしかに、一文目に「この世」という言葉があります。
しかし、奇妙なことに、皆さん、気が付きませんか。
それは最後の文章で、功徳については来世とある。
前半ではこの世とかの世と二つあげているのに、
功徳の話になると、この世が消えて、かの世だけになっています。
つまり、最初の文章を供養の功徳の話だと解釈するから矛盾するのです。
これを理解するのには、ラシンさんが>>26で引用した経典が役立ちます。
同じ経典の他の部分を見てみます。

31深山:2011/06/15(水) 00:06:15
「もの惜しみする人は、なにかのことを恐れて施与をしないのであるが、
そのことこそ、施与をしない人にとって怖ろしいことなのである。
もの惜しみする人が恐れるのは、餓えと渇きであるが、
この世とかの世において、それが愚人に触れる。
それ故にもの惜しみの心を抑えて、汚れに打ち克って、施与をなせ。
功徳は、来世における人々の足場となる」と。
(「ものおしみ」『ブッダ神々との対話』48頁)

この経典では物惜しみする人のこと、>>29の「食物」では、
物惜しみしない人のことを述べており、内容は同じです。
この経典では、前世でも物惜しみしたから、今生では飢餓に苦しみ、
今生で物惜しみするから、また来世でも飢餓に苦しむ。
そのことを、
「この世とかの世において、それが愚人に触れる。」
と表現しているのです。
「食物」の経典に出てくる人はこれとは逆で、前世でも物惜しみしなかったから、
今生では食べ物に困らず、今生でも人に布施をするから、来世でも
食べ物には困らない。
そのことを、
「この世でも、かの世でも、その食物が順ってゆく。」
と表現しているのです。
「順って(したがって)」とは、物惜しみしない人の所には
自ずと自然に食べ物が来るから、困らないという意味です。
この二つの経典は対をなしているというか、同じ内容です。
そして、物惜しみする人、物惜しみしない人の両方に釈尊は同じことを説いている。
「それ故にもの惜しみの心を抑えて、汚れに打ち克って、施与をなせ。」
これをすれば、来世で困ることはないぞと説いているのです。
以上が経典の意味ですが、これをどうやったら、如来に供養した果報が
今生に現れるなどというバカげた解釈ができるのでしょう。

32深山:2011/06/15(水) 00:13:00
「それ故に、もの惜しみの心を制して、汚れに打ち克って、施しのものを
与えよ。」

「食べ物」「ものおしみ」の経典は聖者への供養による功徳を説いた経典ではありません。
だから、供養せよという文章がありません。
釈尊がこの経典で言いたいのは、
「それ故にもの惜しみの心を抑えて、汚れに打ち克って、施与をなせ。」
という点です。
物惜しみという煩悩を捨てて、飢えた人々を助けろ、それをすれば、
「食物」に出てくる人のように、その功徳で食べ物には困らなくなると言っている。
ここでいう功徳を、順シュダオンさんは勝手に、聖者だけへの供養による
功徳と解釈しているが、そうではなく、もっと広い意味で、
飢えた人々に食べ物などをあげなさい、と言っているのです。
聖者への供養だけを説いているのではありません。

33深山:2011/06/15(水) 00:17:04
「それ故に、もの惜しみの心を制して、汚れに打ち克って、施しのものを
与えよ。」

聖者への供養でなくても、飢えている人に布施すれば、
それはその人の功徳になると説いているのです。
それはこの経典の前後には善業による功徳が並べてあり、
逆に悪業の結果も述べてある。
もちろん比丘たちへの供養、尊敬も含まれているが、
それだけではなく、世間の困っている人たちに対しても布施すれば
「来世の功徳」があると繰り返し説いているのです。
こういう釈尊の説き方をみれば、比丘たちへの供養が特別な意味を持つのではなく、
善業の一つにすぎないのがわかる。
世間の人たちへの布施同様に、比丘への供養は大きな善業であり、
その功徳も大きいと説いているのです。
世間への善業による功徳も、如来への供養の功徳も同列に取り扱っているのです。
功徳の規模が違うだけです。
つまり、如来に供養することで得られる功徳とは、因果応報という一種の自然の
法則によるものであって、如来の神通力によって信者に授けるものではありません。

34深山:2011/06/15(水) 00:20:33
>>14 :準シュダオン:2011/06/14(火) 18:53:10
「バラモンの婦人は、かれに対して清らかな信を起こし、動揺することなく
 供養を受けるにふさわしい人に供養しました。そうして、
 未来に安楽を受ける功徳を積みました。」

この経典は『ブッダ悪魔との対話』93頁にあります。
だが、>>27でラシンさんが一刀両断しているように、議論を待たない。
「未来に安楽」をこの人生の将来の安楽と解釈するのは準シュダオンさんのただの無知です。
この経典は、出家した息子に在家のバラモン夫人が供養するように、
梵天が語りかけたという内容です。
在家が聖者に供養して功徳を積むのは、天界に生まれ変わるなどの
功徳を得るためであることは、経典においても、また学者たちも認めています。
準シュダオンさんの大好きな平河本の学者たちもそう書いている。
未来を準シュダオンさんは勝手に現世の将来と解釈しているだけで、
未来とは死後を含めた来世のことです。

35準シュダオン:2011/06/15(水) 09:17:51

>準シュダオンさん、それより福田を応供、限定にしたのは修正するの?
>福田が供養に応えるんじゃないって認めなさいよ。

アゴンさんもまだ解らないのかい?
それじゃあ、あなたも深山さんやラシンさんの二の舞だよ。
いずれ退会して、負け犬の遠吠えレスを延々と垂流す、定めかなw。
福田=「善き行為の種子を蒔いて功徳の収穫を得る田地という意味。はじめ釈尊
   を福田と仰ぎ供養の対象とした」

と、仏教辞典に解説してあります。つまり、聖者に供養をすれば、供養したその
人に功徳が備わる、という意味なのです。聖者には、そのような不思議な力が備
わっているわけです。だが、アホな深山さんや、ラシンさんには、そのような
不思議な力は信じられない、わけです。だから「誰が功徳を配給してくれるのか?」
なんて、馬鹿げた質問をしてくる始末です。

管長が例祭法話の終わりによく、「今日の功徳を、途中で落っことさないように、
お家へ帰りなさいよ。」と、離したものです。
そしたらさ、ある信者から、「功徳というものは、落っことしたりするもんなの
ですか?」と、質問があったそうです。
管長もこの質問には、二の句が出なかった、そうですw。
ラシンさんの「誰が功徳を配給してくれるのか?」と、いうのと同じレベルの
質問なわけさねw。

将棋の初心者が、将棋のプロに次のような質問をしていた。
「王手飛車とはよく聞きますが、王手角なんて手もあるんですか?」とね。
いやぁ、真面目に聞かれると答えに困る質問さね、レベルが初心すぎてさ。
「誰が功徳を配給してくれるの?」も、同じレベルだねw答えに窮するよw。
簡潔にいうなら、福田=供養に応(こた)えてくれる存在、という意味でいいのよ。

36準シュダオン:2011/06/15(水) 09:39:19
アゴンさんも、「功徳は来世の依りどころ」ではないのか?
と、していたが、来世だけでないことは、経典を読めばすぐに解ることです。
「食物を与える人々は、この世でも、かの世でも、その食物が順って・・」
とは、功徳はこの世でもかの世でも依りどころとなる、という意味です。

「功徳は来世における、人々のよりどころである」というのは、現世だけでは
なくて、来世まで効力があるよ、という教えなのです。
私などのような信者は、現世は信じてるが、来世は半信半疑なわけです。
だから、現世で功徳を積んでも、もし来世があったとしたら現世での功徳が
無効になり、新たに一から修行開始になるのか?なんて考える。
お釈迦さまは、そのような私のような弟子のために、そうではないよ、
功徳は現世だけではなくて、来世にも有効なのですよ、と、説いているのです。

37準シュダオン:2011/06/15(水) 09:57:06
功徳が現世で有効なことは、智慧ある者にはすぐに解ります。
仏教辞典で、「功徳」を引いてみなさい。
「功徳を積むことによって解脱へ進むと考えられ」と、説明があるでしょう。

そして出家経を読めば、何と書いてありますか?
多くの優婆塞が、シュダオンや、斯陀含や、阿那含を得た、と説かれている
でしょう。現世で功徳が作用したから、そのように解脱へ進む優婆塞が誕生
したわけですよ。
アゴンさんに昨日のレスで、功徳が来世だけのものならば、現世で解脱できる
者は一人もいない、と書いたのはそういう意味なのです。

簡単にいうと、深山さんやラシンさんには、智慧・自灯明がないのです。
だから、学者の意見などに頼りきりです。
だから、学者の意見がないと、一歩も進めないのです、自分で判断する智慧がない
のです、あるのは知識だけ、しかも誤解が多数です。

カルマ解脱に、別に森川氏の論文など必要ないです。
私は何度も仏教辞典を引用して、煩悩→業→苦の循環において輪廻する縁起を
説いた12因縁の滅・解脱が悟りであることをレスしている。
アホな深山さんには、それが理解できず、未だに陳腐な古典的仏教を、
犬の遠吠え如くに延々と垂流しているだけです。

38ラシン:2011/06/15(水) 10:54:43
>35 :準シュダオン
>いずれ退会して、負け犬の遠吠えレスを延々と垂流す、定めかなw。

結婚詐欺師と分かったら、先ずさっさとその相手と別れます。
騙され続けていることに気づかないのは、憐れの一語でしょう。

>つまり、聖者に供養をすれば、供養したその人に功徳が備わる、
という意味なのです。
>アホな深山さんや、ラシンさんには、そのような
不思議な力は信じられない、

準シュダオンさんがいくらに必死にゴマカシしても、
あなたの詐欺レベルなど通用しません。
あなたは、ニョライ様は供養に応えると、言い張っていた。
供養した善行の功徳を、いつ批判側が否定したのだ?
いかにも批判側が功徳を否定した如くデッチ上げをする。
世間で行えば、デッチ上げは場合によって犯罪の危険を伴う。
批判側が否定した内容すら把握する能力が無いのか、重症ですね。

批判側が否定しているのは、そのあなたの脳内麻痺から来る、
供養によって功徳が備わる”不思議な力”という妄想と、
供養に応えるという桐山説なのだと、しっかり自覚しなさい。
そこで、
いつ批判側が、供養の功徳を否定したのかその文章を出してみたら?
出せないでしょう。
あなたのコズレサなのか、はたまたあなたの知能が軋んでいるのか。
供養の対象が、どうしたら桐山説の”供養に応える”となるのですか?

39ラシン:2011/06/15(水) 11:06:54
>35 :準シュダオン
>だから「誰が功徳を配給してくれるのか?」
なんて、馬鹿げた質問をしてくる始末です。
>簡潔にいうなら、福田=供養に応(こた)えてくれる存在、という意味でいいのよ。

ですから、あなたのレベルに併せた親切心がわからない?
供養に応える→供養を授ける→供養配給
これが準シュダオンさんに一番分かりやすい知能表現レベルなのに、
憤慨するとはこれまた驚きの一語です。
さて、
大笑いできるのは、辞典調べたらなんて今更ながら”福田=供養の対象”と、
さも理解した反論を唱えながら、書いている文章の結論は、”供養に応える”?
ここを読んでいる読者さんも、大笑いしているでしょう。
しかし、これが準シュダオンさんのデンパを受けたおかげの症例現状です。
自分の一つのレスの文章すら、統一性に欠け矛盾していることすら自覚できない。

あなたの主張は、”福田=供養に応える=供養の対象=不思議な力”です。
福田は供養するにふさわしい対象だと、釈尊もそれを解説している辞典にも
認められ書かれている。
準シュダオンさんが調べ、引用掲示した辞典にもこのとおりであって、
どこにも”供養に応える”なんていう解説などありません。
何度も何度も言われているように、それは桐山さんの仏教無知であり、
準シュダオンさんの自己解釈に過ぎないから、客観的根拠を出せない。

40ラシン:2011/06/15(水) 11:29:28
>36 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:39:19
アゴンさんも、「功徳は来世の依りどころ」ではないのか?
と、していたが、来世だけでないことは、経典を読めばすぐに解ることです。
「食物を与える人々は、この世でも、かの世でも、その食物が順って・・」

また繰り返し始めた。
深山さんの>>29-33で、読者のために詳細なる説明があるので、
準シュダオンさんだけが、置いてけ堀だが仕方が無いでしょう。
ちなみに置いてけ堀とは置き去りを意味する語源と言われる。

41ラシン:2011/06/15(水) 12:00:53

>37 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:57:06
功徳が現世で有効なことは、智慧ある者にはすぐに解ります。
仏教辞典で、「功徳」を引いてみなさい。
「功徳を積むことによって解脱へ進むと考えられ」と、説明があるでしょう。

これもまた牛の反芻の如くダラダラと同様の繰り返しだが、
読者のために反論させていただきます。
準シュダオンさんは智慧ある者だ、と誇るそのレベルをご覧ください。
先ず、
批判側は功徳そのものを否定していなのに、順シュダオンさんは目を
留めていない、つまりもう論点を見失っている点です。

>多くの優婆塞が、シュダオンや、斯陀含や、阿那含を得た、と説かれている
でしょう。現世で功徳が作用したから、そのように解脱へ進む優婆塞が誕生
したわけですよ。

そんなことは当然でしょう、あなたは何を論議しているのか思い出したら?
出家した功徳や在家の三結を断じることで生じる功徳など当たり前です。
しかし今の論旨は、供養によって生じる功徳からでは解脱など無い、
という点からズレているから、自分勝手な論調を進める愚行そのものなのです。
次に、
釈尊へ帰依した出家者の意味を前提にすれば、この準シュダオンさんの主張が、
いかに荒唐無稽かが分かります。
批判側の供養から生じる功徳で解脱などありえないとの理由は、
もしそれが有効なら、出家などする必要性が無いことになる。
だが、釈尊が第一に奨めたのは、出家して煩悩を絶つ行いです。
また続いて、
準シュダオンさんが”慌て者”であることは自分で示した引用に、
解脱まで行かないことを見過ごしている点↓です。
この「優婆塞が、シュダオンや、斯陀含や、阿那含を得た」とは、
在家者の修業の限りが阿那含までであって、阿羅漢ではないことです。

それもこの引用した出家教は、在家の五結を断じた修業の成果であって、
決して仏に供養したことで生じた成果ではないことと殆どの在家者は、
来世だったことです。
いつもの準シュダオンさんの論拠になれば、例え親の恥まで利用する性癖が、
何の検証もなく、出てしまった。
これなども、桐山さんが己の欲の為には答えられない死者まで利用し、
恐喝や金集めの材料にしたことをよく模範としています。

>カルマ解脱に、別に森川氏の論文など必要ないです。

深山さんの森川暴きです、あなたがいつも姑息さを暴かれているように。
では、たまにはあなたの知恵を見せて反論してください。
批判側を含め今まで見た読者が全くおりませんので、どうぞ。

42アゴン:2011/06/15(水) 12:19:27
>あなたは何を論議してい るのか思い出したら? 出家した功徳や在家の三結を断じることで生じる功徳 など当たり前です 。 しかし今の論旨は、供養によって生じる功徳からでは 解脱など無い 、 という点からズレている。


ここ重要です!

43ラシン:2011/06/15(水) 12:21:26
>37 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:57:06
功徳が現世で有効なことは、智慧ある者にはすぐに解ります。
仏教辞典で、「功徳」を引いてみなさい。
「功徳を積むことによって解脱へ進むと考えられ」と、説明があるでしょう。

深山さんからも、あるなら出しなさいと言われても、
厚顔を誇って堂々と繰り返す。
だから、あるなら引用掲示したらどうか?
どの仏教辞典で、何と記されているのかを正確に出しなさい。
また、
いったい、何の功徳なのか、修業の成果としての功徳なのか?
そうであれば、今の論点ではありません。
今議論している一つは、供養による功徳での解脱などない、
ということです。

44深山:2011/06/15(水) 12:34:01
>>36 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:39:19
>「食物を与える人々は、この世でも、かの世でも、その食物が順って・・」
>とは、功徳はこの世でもかの世でも依りどころとなる、という意味です。

読者の皆様、準シュダオンさんの反応をごらんください。
ラシンさんと私から昨夜、二度にわたり反論された内容を
準シュダオンさんは完全に無視して、同じ主張を繰り返している。
これは準シュダオンさんが反論できなくなった時の典型的な反応です。
反論できなくなると、こうやって無視して、同じ主張をただ繰り返す。
彼が、如来に供養すると現世での功徳が得られる、
という証拠として出してきた経典は、まったく根拠がなかった。
一番肝心な文章を省略するというオマヌケなことをしているから、
彼の主張は経典の解釈ですらなく、ただの国語力の欠落です。
こうやって相手の反論を無視するのだから、いくらでも、何年でも
同じことを主張できる。
老人の独り言です。

45深山:2011/06/15(水) 12:36:17
>>35 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:17:51
>と、仏教辞典に解説してあります。つまり、聖者に供養をすれば、供養したその
>人に功徳が備わる、という意味なのです。

批判側は、供養に対する功徳があることを、ただの一度も否定したことがない。
ところが、彼の頭では否定したと決めつけてこういうレスを付けてくる。
批判側が指摘しているのは、

主張1「聖者に供養すれば、供養者は来世などで功徳が得られる」
主張2「その功徳とは聖者が授けるものではなく善因善果である」
主張3「聖者にいくら供養しても、供養者がその功徳で解脱することはない」

こんなふうに主張を並べても、そもそも準シュダオンさんの脳味噌では
批判側が何を主張しているのか、理解できないのです。
賛成する必要はないから、相手の主張を理解くらいすればいいのに、それすらできない。
これがおそらく三十年近くもアゴン宗の信仰をしてきた人の末路なのです。
徳を積んで、仏陀の知恵を目指したはずの信者の姿です。
準シュダオンさんその人が、供養などしても、現世で功徳など何もないことの証拠です。
準シュダオンさんのこのザマがアゴン宗のすべてを物語っている。

46深山:2011/06/15(水) 12:39:10
>>35 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:17:51
>聖者には、そのような不思議な力が備
>わっているわけです

信者さんたちは、前のスレの小縁経や大般涅槃経などで、応供とは供養に
値する人たちであり、それは預流向から阿羅漢までの四双八輩(四向四果)であると
書いてあるのを読みました。
再度引用しますから、よく見てください。

「四対の八種のひとが如来の弟子の僧衆なのだ。
尊敬するにふさわしく、世の人々にとって福をもたらす畑であり、
人々の供養を受けるにふさわしい(と僧を信じている)。」
(『現代語訳阿含経長阿含経2』平河出版、95頁)

「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の福田である〉と。」
(『ブッダ最後の旅』51頁)

阿羅漢(如来)だけが供養に値するのではなく、煩悩を滅するために清浄な
行いをしている比丘は、全員が供養に値するのです。
そんなことは当たり前で、比丘は在家からの供養がなければ生きて行けない。
比丘は四双八輩ですから、全員に供養するのは当たり前なのです。
そして清浄の比丘に供養すれば功徳になります。
阿羅漢だけ供養に値するなんて、こういう現実を見ればありえないのがわかる。

47深山:2011/06/15(水) 12:44:21
>>35 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:17:51
>聖者には、そのような不思議な力が備
>わっているわけです

供養に対して、不思議な力で功徳を授けるというのなら、昨日入ったばかりの、
まだ預流向にすぎない新米比丘もその力を持っているのですか?
教法を学ぼうと出家して戒律を遵守していたら、少なくともその比丘は預流向です。
新米比丘もまた聖者なのです。
もちろん、解脱とはほど遠く、神通力なんてありません。
だが、準シュダオンさんの屁理屈によれば、こんな新米比丘も
供養を受けると信者に功徳を返すという「不思議な力」を持っていることになる。
聖者が不思議な力を持っているなど、書いてもいない前提を
勝手に作り出して主張していると、こういう矛盾が生じてくる。
供養による功徳とは善業善果にすぎず、聖者が授けるものではありません。
善業善果だからこそ、新米の比丘に供養しても功徳が得られるのです。
なぜなら、その比丘が功徳を授けているのではないからです。
ごらんのように、功徳を授ける不思議な力を持っているなどという
オカルトを前提とすると現実と矛盾するが、
功徳とは善業善果なのだと見れば、何の矛盾もありません。

48深山:2011/06/15(水) 12:46:06
『岩波仏教辞典』
功徳 くどく[s:gua][s:puya][s:anuasa]
「善行(ぜんぎょう)に備わった善い性質,そのような善い性質をもつ善行(造像・起塔・写経など)そのもの,
善行をなすことにより人に備わった徳性,さらにまた善行の結果として報われた果報や利益(りやく)の意.
サンスクリット語のguaは,本体に備わる性質(属性)の意味あいで,人の徳性や行為の善性を意味する代表的な原語.
またpuyaは幸福やめでたさとともに,清浄さや神聖さの意味あいが強く,
行為や果報そのものを形容することが多い.
しばしば福や福徳とも訳される.一方またanuasa(:nisasa)は,
善行によって得られたよい結果,つまり利益や利得(利徳)の意味で用いられることが多い.
なお,仏の功徳の広大さを海にたとえた<功徳海>,功徳を生むもとになる福田(ふくでん)の意から
三宝(さんぼう)をさす<功徳田>,功徳を多く積み重ねることを
蔵にたとえた<功徳蔵>,極楽浄土の池水をさす<功徳池><功徳水>など,
功徳の語を冠した仏教語は多数にのぼる.」

49深山:2011/06/15(水) 12:49:09
>>37 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:57:06
>功徳が現世で有効なことは、智慧ある者にはすぐに解ります。
>仏教辞典で、「功徳」を引いてみなさい。
>「功徳を積むことによって解脱へ進むと考えられ」と、説明があるでしょう。

信者さんたちは>>48に引用した岩波仏教辞典の「功徳」の説明をごらんください。
これはほぼ全文の引用です。
「功徳を積むことによって解脱へ進むと考えられ」って、どこにあるのでしょうか。
私には読めません。
どこにも功徳で解脱するとも、功徳は如来の不思議な力で授けるともない。
どう見ても、功徳とは善因善果のことです。
準シュダオンさんは他の辞典から引用しているのかもしれない。
それなら典拠をまず示すべきです。
なぜなら、彼の引用などまったく信用がならない。
37でカルマ解脱のことを準シュダオンさんが書いているが、
これも恒例のデタラメ引用で、何度反論されても、部派仏教以降の説明を
釈迦仏教の説明だとして譲らない。
準シュダオンさんて、いったんこうだと言い出したら、
どんなに根拠を示され反論されても、絶対に譲らない。
たぶんこの人、元々こういう性格なのです。

50深山:2011/06/15(水) 12:53:14
>>37 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:57:06
>アゴンさんに昨日のレスで、功徳が来世だけのものならば、現世で解脱できる
>者は一人もいない、と書いたのはそういう意味なのです。

素晴らしい!!
準シュダオンさんが三福道を否定した!
信者さんたちはよく見てください。
供養による功徳が来世だとすれば、三福道が成り立たないのです。
準シュダオンさんは見事に桐山三福道を否定してみせたのです。
準シュダオンさんは功徳が現世でどんどん降りてくると
いう根拠として、経典を引用したが、ラシンさんと私から否定された。
なぜなら、釈尊はその経典ではっきりと次のように述べている。

「功徳は、来世において、生あるものどもの依りどころとなる。」

この表現は阿含経のいたるところで見られます。
つまり、如来に供養しても、その功徳は来世しか来ない。
こうなると、三福道が成り立ちません。
桐山三福道では、如来に供養すると、その功徳で解脱することになっている。
だが、釈尊は功徳は来世だと言っているのです。
それでいくと、準シュダオンさんの書いているように、
「現世で解脱できる者は一人もいない」
という結論しか出てきません。
準シュダオンさんはアゴン宗を擁護したつもりが、逆に、
三福道が成り立たないことを示したしまった。
爆笑です。
ちなみに、準シュダオンさんは私の指摘は理解できないから、
なぜ爆笑なのかもわかりません。
その意味では二重に爆笑です。

51深山:2011/06/15(水) 12:55:06
>>37 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:57:06
>アゴンさんに昨日のレスで、功徳が来世だけのものならば、現世で解脱できる
>者は一人もいない、と書いたのはそういう意味なのです。

上記の準シュダオンさんの指摘はそのとおりで、
功徳は来世しかないのだから、現世で供養の功徳で解脱することはありえない。
つまり、三福道など成り立たない!
当たり前です。
釈尊は供養の功徳で解脱するなんて説いたことは一度もない。
釈尊の説く解脱は漏尽解脱、つまり自分の煩悩を自分で滅することです。
出家に供養すると、なんで自分の煩悩が減るのですか。
これは学校の先生にお中元を出すと成績が上がると言っているのと
同じくらい馬鹿な話です。
煩悩は、出家だろうが、在家だろうが、関係なしに自分で切るのです。

52深山:2011/06/15(水) 13:01:03
>>37 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:57:06
現世で功徳が作用したから、そのように解脱へ進む優婆塞が誕生
したわけですよ。

出家経には功徳で解脱に進んだなんて話しはありません。
準シュダオンさんの頭の中ってグチャグチャです。
書いていないことを読めるのだから、老人のタワゴトです。
信者さんたちも桐山さんの本にある出家経を読んでみてください。
どこに供養の功徳で解脱の道を進んだとあるのですか。
ありません。
彼らもまた自分で煩悩を断ちきったから預流やアナゴンに到達したのです。
たとえば、アナゴンになるためには、梵行をするとある。
この梵行とは信者さんたちが信じているような徳を積むという労力奉仕
などではありません。
狭い意味では性欲を慎むことです。
これは当たり前で、アナゴンになるために欲貪、つまり欲望と
いう煩悩をなくすのだから、性欲を慎む修行を在家もするのです。
食いしん坊と称して糖尿病になるほど食欲のままに食べ、
愛人を囲いながら、聖者でございます、など成り立ちません。
食欲、性欲、睡眠欲など人間の持つ様々な欲望を慎み、
なくしていくから斯陀含になり、これらから解放されるとアナゴンになる。
供養も、その功徳も、この修行とは関係ありません。
供養しないと在家はアナゴンになれないなんて言い出したら、
貧乏で何も持たない人はどうするのですか。
在家は供養しなくてもアナゴンまで行けるし、供養を百年続けても、
本人が煩悩を切らない限り、シュダオンにすらなれません。

53深山:2011/06/15(水) 13:03:19
>>37 :準シュダオン:2011/06/15(水) 09:57:06
>だから、学者の意見がないと、一歩も進めないのです、自分で判断する智慧がない
>のです、あるのは知識だけ、しかも誤解が多数です。

準シュダオンさんは自分で判断するのをやめなさい。
その慢心しか詰まっていない脳でいくら考えても、嘘しか出てこない。
自分の都合に合わせて、学者の説をねじ曲げて出し、
自分の都合に合わせて、経典すらも捏造する。
間違いや嘘を指摘されてもどこ吹く風で無視する。
小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのだ?
勝手にこのような言葉を入れて、意味を歪めた。
それがあなたの智慧とやらか?
そういうのを悪知恵というのです。
桐山さんから、屁理屈で他人を惑わすことだけは学んだ。
あなたのはアゴン宗の教義ですらなく、ただの空想や妄想で、準シュダオン教です。
あなたのは議論ではなく、自説の押し売りです。
何度も言うが、準シュダオンさんの考えなど、誰も興味がない。
そんなに自説を唱えたければ、スレを別にして主張しなさい。
ここはアゴン宗を中心に議論するスレです。

54アゴン:2011/06/15(水) 13:46:48
準シュダオンさんは気の毒なかたです。管長の肩をもちすぎて、阿含経の切り取り作業をして、釈尊が真実に人を解脱させる方法を示してくださっているのに、素直に理解することができない。
あなたがそんなことをして、なんの得になるのですか?
日給でももらえるの?(笑)信者を思いとどませるためですか?(逆効果だお。)
それとも、そこまでも深くは意味ないのでしょうか?

管長が阿含経を切り取り捏造したのはね、ちゃんと狙いがあったのですよ。あなたよりも、狡猾で悪知恵が働くのですよ。あのお方は。だから天才○○師の称号を何度も与えているでしょうが。

ちなみに私は今はいろんなことで会員なのね。
でも因縁解脱はありえないことは理解しましたよ?

55アゴン:2011/06/15(水) 14:01:52
つまり、アゴン宗で自分は解脱したーなんて言ってたらバカなのです。噴飯ものです。
どこに煩悩解脱を推奨しています?
菩薩になるのにお金がいるかもしれないんですよ?
自灯明はどうなったの?
それこそゲイカの「不思議な力」でそのもののもつ煩悩がなくなって菩薩になるとでもお考えですか?

ほんとーは、うすうすご自分の書いてることにおかしいことを気づいてるんじゃないですかぁ?(期待して疑いの目)
あなたゲイカの電波がないとシュダオンと名乗れないんでしょ?

56準シュダオン:2011/06/15(水) 14:33:43
>日給でももらえるの?(笑)信者を思いとどませるためですか?(逆効果だお。)
>それとも、そこまでも深くは意味ないのでしょうか?

別に信者を引き止めようなどとは思いませんよ。逆に、見込みの無い人には
早く退会させようと思うのです。そうでないと、深山さんみたいになって、気の毒
でしょう。延々と負け犬の遠吠えレスしてさ。相当口惜しいのかしらねw。

>ほんとーは、うすうすご自分の書いてることにおかしいことを気づいてるん
>じゃないですかぁ?(期待して疑いの目)

何で私のレスがおかしいのよ?私は、仏教辞典と経典を根拠にしてレスして
いるのですよ。

>ちなみに私は今はいろんなことで会員なのね。
>でも因縁解脱はありえないことは理解しましたよ?

因縁解脱がありえないのなら、仏教・阿含宗に学ぶ必要はありませんよ。
あなた、アゴンさんは、仏教辞典は無いのかい?
仏教辞典には、「さとりは縁起の滅した世界とされた。」と、ちゃんと
書かれているのですよ。縁起=因縁、滅=解脱、であることを勉強したら、
「さとりは因縁の解脱した世界とされた。」と、いう事だと理解できるで
しょう。これを理解できないようでは、いくら修行しても無駄ですね。

57準シュダオン:2011/06/15(水) 14:58:33
>つまり、アゴン宗で自分は解脱したーなんて言ってたらバカなのです。噴飯ものです。
>どこに煩悩解脱を推奨しています?

それこそお笑い草だw。アゴン宗で解脱しなかったら、修行してる意味がないでしょう。
煩悩解脱を推奨しています?てか。
は〜あ、面倒くさいけど、解説してあげよう。
煩悩も因縁、業も因縁、苦も因縁、なのです。
だから阿含経の因縁解脱は、因縁解脱=煩悩解脱+業解脱+苦解脱、なのです。

雑阿含経の「田を耕す人(バラモン)」で、釈尊が、バラモンに説いた内容の
要旨を紹介しましょう。中村元先生訳です。福田が出てくるからね。

(尊師いわく)
「・・煩悩の汚れをほろぼし尽くし、悪い行いを消滅した人に対しては、他の
 飲食を奉げよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための福田であるから。」

ね、↑経の意味が解るかな?煩悩の汚れをほろぼし尽くし=煩悩解脱ですね。
             悪い行いを消滅した人   =業・カルマ解脱です。
そういう人が聖者なのであり、そういう聖者に飲食を奉げ(供養)れば、
供養した者に功徳が生じる、という教えです。
 功徳というものは、配給したり、途中で落っことしたりするものではありません。
それは生じるもの、身に備わるもの、なのです。
深山さんや、ラシンさん、にはそれが解っていないようです。

58準シュダオン:2011/06/15(水) 15:08:56
>どこに煩悩解脱を推奨しています?
>菩薩になるのにお金がいるかもしれないんですよ?
>自灯明はどうなったの?

菩薩になるのにお金がいる?
考え方の問題ですね。管長が、教団に財施供養した者にはその貢献に応じて、
称号を与える、というものでしょう。別に驚くことはないでしょう。
今までだって、法施グッツが授けられていますよ。
生前戒名にしても、法施グッズの一つ、と考えたら良いのです。

菩薩の名前をもらえたとしても、解脱したと言う意味ではありませんよ。
教団に財施をしたという、その領収書だと思えばよいのです。
財施をしただけの功徳は生じますから、解脱には役立つと思いますよ。

59アゴン:2011/06/15(水) 15:49:51
うわー。マジでお手上げ。。センパイはバカ田大学のご出身ですか?
これからはムシリまーす。
みなさーん、この人はかなりのレア物で、信者さんのレベルはここまでひどくはないですよー。
宗教に依存するとこういう当たり前の知性でさえ蝕まれていくんですねぇ。
ガクガク。こわいよー。

60準シュダオン:2011/06/15(水) 16:39:11
アゴンさん、なんでそんなに驚くの?
財施がそんなに嫌いかえ?無理して出すことはないのよ。
それとね、「未来に功徳を積む」について、未来とは未来世の略のことだ、
とのレスを、チラと見かけたけどさ、そうじゃないのよ。
いつもは馬鹿馬鹿しいから、無視していたんだけどさ、アゴンさんが居るから
反論しておこう。

未来には、単に将来という場合と、未来世、という二つの意味があるのですよ。
未来際という場合は、ほぼ永遠という意味に近いことね。
だから、知ったかぶりして、未来というのは未来世のことだ、なんてレスは、
間違いなのです。
これから、無視するレスがあっても、認めたのではなくて、反論が馬鹿馬鹿しく
て、面倒だからですよ。

61天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/15(水) 17:41:48
>>59 バカ田大学には大爆笑www 
そうなんです。バカボンのパパ曰く「これでイイのだ」
あの方は”これ”状態が正常なのです。

62ラシン:2011/06/15(水) 17:49:34

>管長が阿含経を切り取り捏造したのはね、ちゃんと狙いがあったのですよ。

現役信者のアゴンさんでさえ、桐山さんの目的を理解している。
事情があって信者でいることは、理解しています。
桐山さんは、世に出て偉くなりたいという欲望のために信者さんから
金と人を集めた。
その浄財で名誉欲を満足させています。
桐山さんはそのために詐欺宗教というビジネスモデルを構築した。

順シュダオンさんは、そんなことは百も承知しています。
>58:>教団に財施をしたという、その領収書だ<
順シュダオンさんの目的も偉く見せたいという欲求の現われです。
その道具としてアゴン宗を利用し、しがみついています。
ただ共通点は、どちらも現実世界では通用しないから、
目に見えないところで威張っている。
但し桐山さんは、教団を作り上げその中に於いて王様となっている。
だが、順シュダオンさんが威張れるのは精々こういう掲示板のみです。

63ラシン:2011/06/15(水) 17:51:32
56 :準シュダオン
>縁起=因縁、滅=解脱、であることを勉強したら、
「さとりは因縁の解脱した世界とされた。」と、いう事だと理解できるでしょう。

何度反論されてもオーム返しの繰り返しですから、
介護と言われる。
批判側からアゴン宗で唱える因縁という意味は、
仏教にはありませんと、何度言われても理解する気持ちが
無いのです。ですが因縁切りなどは外道の解釈です。

縁起:縁って生起すること.ゴータマ・ブッダの悟りの内容を
   表明すると伝えられる.仏教の根本教理の一つ.
   生存の苦悩はいかにして生起し,また消滅するのかを示す.
   諸法の因果関係.此れを縁とすること,の意をもつも同義.
   種々の縁起説は、煩悩→行為→苦悩を骨格するが,−後略−
   (岩波仏教辞典)
因縁:仏教では,因と縁,または因も縁も同じ意味(因即縁)という
   ことで一つに結びつけたもの.広くは原因一般をさす.すなわち,
   すべては縁起している.つまり因縁によって生じている(因縁生起)
   と説き,因縁は仏教思想の核心を示す語である.(因)(hetu)と
   (縁)(pratyaya)は,原資経典ではともに(原因)を意味する語で
   あったが,−後略−
   (岩波仏教辞典)

ここまでで充分でしょう、阿含経典での解釈でも意味は”原因”であり、
教理としては”生存の苦悩の生起から消滅”を意味しているだけです。
後略した解説は、大乗または初期仏教以降のものであるため省きました。

ゆえに、「さとりは縁起の滅した世界」などという表現すらありません。
仮定や出発点がまるで間違いなのです。
縁起とは、
生存の苦悩はいかにして生起し、また消滅するのかを示す教理としての
意味だからです。

どうしてもその展開を考えろと無理矢理言うならば、
仏教の基本でみれば、煩悩から解脱すれば輪廻も停止します。
そうなれば同時に、縁起という苦の生起消滅から影響を受けない、
との当たり前の結論を得るだけです。
辞典で分かるように、釈尊の悟りの内容=縁起、を切り取って、
滅した世界と解釈することじたい、お笑いなのです。
教理を滅して、どうするの。

64深山:2011/06/15(水) 18:19:11
>>60 :準シュダオン:2011/06/15(水) 16:39:11
>未来には、単に将来という場合と、未来世、という二つの意味があるのですよ。

アゴンさんがいるから反論するとは、やはり女性の前で格好つけたいのですね。
私も男だから、気持ちだけはわかります。
では、女性の前で準シュダオンさんをひっくり返してあげましょう。
準シュダオンさんは、雑阿含経にあるなどと知識をひけらかしながら、
実際には漢訳経典を読んでいませんね。
バラモン夫人は、お堂の外に、彼女の息子が托鉢しているのを知らなかった。
そこで梵天が彼女に息子である聖者に供養するように説いた、というのが
この経典のあらすじです。
漢訳経典では次のようにある。

「年老い中堂に在りて食を持ち火を祀りて梵天に生ぜんことを求め、・・・」
(『國訳一切経』阿含部3、200(869)頁)

バラモン夫人は老齢で、お堂の中で、梵天に食べ物や灯りを献じて、
自分が梵天界に生まれるように願ったというのです。
彼女はすでに老齢で、死後良い世界に生まれ変わることを願ったとある。
それに対する梵天の言葉が、あなたが引用した一文です。
梵天は、息子である聖者に供養することで「未来」を安楽になるように
しなさいと説いた。
死後は梵天界に生まれ変わりたいと願った老婦人の願いに応えて、
梵天は、「おまえの息子である聖者に供養することで未来を安楽にしろ」と説いた。
誰がどう読んでも、この「未来」とは死後のこと、来世のことです。
準シュダオンさんも女性の前で恥をかかなくても済む方法を梵天に聞いてみたらどうか。

65ラシン:2011/06/15(水) 18:24:51
>57 :準シュダオン
>悪い行いを消滅した人=業・カルマ解脱です。

「田を耕す人(バラモン)」の内容は何度も出ています。
カルマ解脱を主張することじたい仏教ではなく外道です。
仏教の誕生以前のウパニシャッドの概念であり、
ヒンドゥ教に影響を与えた輪廻思想に基づいた外道の教えです。
悪行を消滅した人とは、煩悩を消滅したことで当然生じるものです。
釈尊は業は消えないと教えています。
アングリマーラは生存中に涅槃を得たのだから、どこにも転生しない。
だが他者を殺めたという業は消滅しないから、現世でその苦を受けたのです。

66深山:2011/06/15(水) 18:25:03
>>56 :準シュダオン:2011/06/15(水) 14:33:43
>別に信者を引き止めようなどとは思いませんよ

負け惜しみを言いなさんな。
あなたはここに書き込む理由として、信者が批判側の説に惑うといけないからと
前に何度も書いた。
では、迷っているアゴンさんをもっと説得してみたらどうか。
彼女は元信者ではなく、現役です。
まさに、批判側の指摘に迷っている信者です。
彼女の迷いを一つ一つ、批判側の間違いであることを指摘してみたらどうか。
だが、何にも出来ないばかりか、侮蔑されている。
そういうのを犬の遠吠えというのです。
説得どころか、失笑を買っている。
準シュダオンさんの書き込みは「反論教師」だと最近やめた元信者からも感謝された。
あなたの書き込みを見て、迷っている信者はやめる決心がついたと言っているのです。
実際には私の反論も目を通しているのに、読んでないなどと嘘をつき、
ラシンさんに前スレから質問されている小縁経についても
返事ができないものだから、準シュダオンさんは逃げている。
私は勝ち負けはともかく、女性の前で、そういう卑怯で姑息な態度だけは取りたくない。

67深山:2011/06/15(水) 18:29:31
>>56 :準シュダオン:2011/06/15(水) 14:33:43
>仏教辞典には、「さとりは縁起の滅した世界とされた。」と、ちゃんと

反論を無視してこうやって同じ説を繰り返す。
ラシンさんが書いてくれているが、私からもまた反論します。
読者の皆さんのために、準シュダオンさんが根拠としている文章を出します。
この人、ご都合で、学者を小馬鹿にしたり、逆にそれを根拠にしたりと、
好き放題に小突き回す。

『岩波仏教辞典』の縁起の説明
「初期仏教・部派仏教
初期仏教時代の縁起説は,苦しみ悩む有情(うじょう)が主題となったため,
老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める<十二支縁起>(十二因縁)説が代表的なものであった.
続く部派仏教時代には,これを過去世・現在世・未来世の三世にわたる業の
因果関係とみる三世両重の<業感(ごうかん)縁起>説として解釈することが
行われたが(説一切有部(せついっさいうぶ)),一般諸科学の発達に促されて
世界観も広がったため,客観世界や客観的現象までも説明しうる<六因・四縁・五果>(説一切有部)や
<二十四縁>(南方上座部)というような縁起説も説かれるようになった.
しかしこの段階までの縁起説は,迷いの世界(有為(うい))のみを説明するものであり,
悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかったから,
悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」

68深山:2011/06/15(水) 18:31:59
「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」

「縁起の滅した世界」というのは、説明の流れを見てもわかるように、
部派仏教の段階での説明です。
これは内容を見てもわかります。
縁起を滅したとは、縁起を超越した、つまり縁起が成り立たない世界という意味です。
釈迦仏教にはこんな思想はなく、部派仏教の思想です。
なぜなら、解脱しても生きている間は縁起が成り立つ世界に留まっている。
解脱した比丘も、無明を生じれば、再び苦に陥る。
実際、解脱からすべり落ちた比丘もいた。
解脱が縁起の超越なら、なんで元に戻るはずがあるのですか。
解脱した比丘も相変わらず縁起の世界に留まっているのです。
つまり、解脱者は縁起を滅してなどいない。
部派仏教の人たちは勝手に解脱者が入滅した後の世界を想定して、
そこでは縁起は成り立たないだろうから、縁起は滅したなどと言い出したのでしょう。
釈尊は、入滅した後の存在については何も語っていない。
信者さんたちは解脱すると仏界に行くなどと信じているが、オカルトです。
釈尊は、解脱者の死後については、霊魂と同じで、沈黙を守ったのです。
釈尊は縁起の超越なんて言っていません。
準シュダオンさんは批判側には「アビダルマ仏教だ」などと
罵りながら、自らはこうやったアビダルマ仏教を論拠としている。
ご都合な老人だ。
そして、準シュダオンさんは桐山さんと同じで、縁起をまるで理解して
いないから、因縁(縁起)切りなんて阿呆なことを平気で言うのです。

69深山:2011/06/15(水) 18:34:26
「初期仏教時代の縁起説は,苦しみ悩む有情(うじょう)が主題となったため,
老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める<十二支縁起>(十二因縁)説が代表的なものであった.」

釈迦仏教の縁起とは、
「苦しみの原因を無明(無知)に求める」(『岩波仏教辞典』)
という表現に尽きます。
縁起1「苦の元は無明である」
という説明の仕方が縁起なのです。
苦や無明が縁起なのではなく、「AだからBだ」という論理の展開の仕方、
証明の仕方を縁起というのです。
縁起2「無明を断ち切れば苦はなくなる」
という説明の仕方も縁起です。
縁起1と2はどちらも縁起です。
「原因→結果(=次の原因)→結果(=次の原因)→・・」
という一連の流れ、あるいは説明の仕方を縁起というのです。
風が吹けば桶屋が儲かる、という諺があるが、あの論理の展開の仕方が縁起なのです。
縁起2は縁起を断ち切ったのではありませんよ。
断ち切ったのは無明であって、縁起そのものではありません。
無明を断ち切ることで苦は断ち切られる、という説明の流れが縁起なのです。

70深山:2011/06/15(水) 18:36:50
縁起1「苦の元は無明である」
縁起2「無明を断ち切れば苦はなくなる」
という釈尊が示した縁起を断ち切るとどうなるか。
「無明を断っても苦はなくならない」
ということになってしまい、仏教そのものが崩壊する。
縁起が成り立つからこそ、
縁起2「無明を断ち切れば苦はなくなる」
が成り立つのです。
縁起を解脱したり、切ったりしたら、仏教は成り立たないのです。
縁起(因縁)を切る、縁起(因縁)解脱などと唱えている連中がいかに愚かで、
仏教を理解していないか、これを見てもわかります。
お気づきでしょうが、縁起1と縁起2は四諦の一部です。
信者さんたちのために繰り返すが、縁起(因縁)は切るものではなく、
切ってしまったら、仏教は成り立たない。
因縁(縁起)を切るなんて、いかに無知で、恥ずかしい言葉か、
信者さんたちはもっと自覚することです。
「私は仏教など何も知らず、オカルトを鵜呑みにしている馬鹿です」と
わざわざ自分から告白しているようなものです。
ほら、ここにそういう老人が大口を開けて吠えまくっている。

71深山:2011/06/15(水) 18:39:44
>>57 :準シュダオン:2011/06/15(水) 14:58:33
>煩悩も因縁、業も因縁、苦も因縁、なのです。
>だから阿含経の因縁解脱は、因縁解脱=煩悩解脱+業解脱+苦解脱、なのです。

お得意の準シュダオン教がまた始まった。
信者さんたちは桐山さんを信じているのなら、上記の記述が
アゴン宗の教義とは違うことを知るべきです。
アゴン宗では、
解脱=因縁解脱+煩悩解脱
です。
煩悩を切っただけでは小解脱、さらにカルマ(悪因縁)を断ちきって大解脱になる。
そのことは『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』の176頁に
桐山さんが書いています。
業解脱も因縁解脱も同じことです。
まして、アゴン宗の教義には苦解脱なんてない。
因縁解脱してしまえば、自由自在の境涯になるのだから、苦なんて存在しないのです。
アゴン宗の教義自体はインチキだが、しかし、信者さんたちは
まずそれらを正確に学び理解し、くれぐれも準シュダオンさんのような
デタラメな解説に惑わされないことです。
彼は、仏教教義はもちろん、アゴン宗の教義すらも正しくは理解していません。

72深山:2011/06/15(水) 18:42:16
>>57 :準シュダオン:2011/06/15(水) 14:58:33
>ね、↑経の意味が解るかな?煩悩の汚れをほろぼし尽くし=煩悩解脱ですね。
>             悪い行いを消滅した人   =業・カルマ解脱です。

これもゴマカシです。
仏教のカルマ(業)とは行為という意味で、アゴン宗でいうようなカルマとは意味が違います。
だから、準シュダオンさんが引用した経典では、
「悪い行いを消滅した人」
とある。
これはこのままの意味で、悪い行いをなさないという意味です。
修行法で言うと、四正勤のことです。
つまり、煩悩を断ちきり、悪業をなさない者が聖者であり、
供養に値する存在です。
どこにも業解脱、カルマ解脱なんて概念も言葉もありません。
全部、準シュダオンさんの嘘です。

73深山:2011/06/15(水) 18:46:23
>>58 :準シュダオン:2011/06/15(水) 15:08:56
>財施をしただけの功徳は生じますから、解脱には役立つと思いますよ。

偉そうにお説教を垂れる準シュダオンさんは、
たしか解脱供養が四体でしたっけ?
ということは、冥徳解脱供養はゼロ?
これで他人のお説教するんだから、厚かましいというか、図々しいというか。
どれほど面の皮が厚いのかとあきれる。
護摩木などほとんど書いていない。
何本か他人に書いてもらったと大喜びしていた。
しかし、私から何度も今年の勧進本数を聞かれても答えない。
法施などもらったはずもないのに、よくまあ出すものだとあきれる。
彼はこれでも昔は護摩木の托鉢までやったというのです。
たしか、伝法会も護摩法まで行ったはずです。
だが、何の効果もなかったのは今の準シュダオンさんを見れば十分。
ここでは供養の功徳をお説教するが、根っからのケチで、今ではほんど
アゴン宗に金を出さない。
アゴン宗に金を出しても何の効果もないことを体験して知っているのです。
そして、無料で総本殿からデンパを受信して、預流向を自覚したなどと自惚れている。
タダ酒を飲むのが大好きで、糖尿病になってからもまだ酒がやめられない。
餓鬼丸出しの自分の姿が見えないだろうとばかりに、
財施をしろなどと高見からお説教です。
三十年信者のなれの果て、みっともないというよりも、醜い。

74深山:2011/06/15(水) 21:39:19
>>66修正
正 準シュダオンさんの書き込みは「反面教師」だと最近やめた元信者からも感謝された。
誤 準シュダオンさんの書き込みは「反論教師」だと最近やめた元信者からも感謝された。

75アゴン:2011/06/15(水) 22:00:08
>>73 偉そうにお説教を垂れる準シュダオンさんは たしか解脱供養が四体でしたっけ? ということは、冥徳解脱供養はゼロ

そうなんですか。
おいこら…。どーゆーことやねん。それで財施は嫌かえ?って聞くなっちゅーねん。。

しかも生前戒名を領収書みたいなものですヨ。って…。
職員に袋叩きにされんで。おっちゃん。
いや、じーさんか。
おじーちゃん、昨日の夕飯は何食べたのぉ?!っていうレベル。

76ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/16(木) 08:24:12
>>58:準シュダオン11/06/15(水) 15:08:56
>菩薩になるのにお金がいる?
>考え方の問題ですね。管長が、教団に財施供養した者にはその貢献に応じて、
>称号を与える、というものでしょう。別に驚くことはないでしょう。
>今までだって、法施グッツが授けられていますよ。
>生前戒名にしても、法施グッズの一つ、と考えたら良いのです。

>菩薩の名前をもらえたとしても、解脱したと言う意味ではありませんよ。
>教団に財施をしたという、その領収書だと思えばよいのです。

これはある面なるほどと納得もできますよ。
さすが長年の会員歴のある準シュダオンさんで、アゴン宗のグッズ販売商法を
よく心得ている。
そもそも今回の当スレのサブタイトルにあるようにアゴン宗は何でも金次第で
地獄の沙汰も金次第とはアゴン宗の解脱供養に対して評価された言葉のように思える。
悪業があっても10万円の供養料で地獄苦から解放されるのだという。
今回は私はまだはっきりとした情報はわからないが、生前菩薩が50万円で
買えてしまうのだと言う。
菩薩というのは自分の心や行いを正して得られるものであるはずが、それすらも
金の功徳で得られるとした。
これは資産家が1千万円払おうと1億円払おうと得られるものではないはずだ。
それを50万円という庶民でも手の届く価格へと設定して全信徒向けて多くの信者
に買ってもらい、教団は金集めをしたい のが見え見えです。
ところがあなたなど長年の信者はどうせそんな菩薩なんて単なる教団の決めた
称号に過ぎず、お札やグッズの類と変わらないと見抜いた。
桐山さんも初護摩札なんて札そのものよりも金を教団に払ったという事実のみが
重要なのであり、札は領収証と思えばよいと話したことがある。
ただそんなあなたもそのグッズに魅力を感じれば50万円でも投じて買うと思う。
あなたに対する深山さんの評価と私の評価は少し違い、あなたは身体奉仕みたいな
ことは面倒でやらないが、金で解決できる話ならば過去にもどんどんやった形跡がある。
護摩木もそうでかつては年に10万円以上の投資でグッズを買ったはずだ。
あなたは5千円の護摩木が余っていたので金運如意みたいなこと書いたと報告していた。
グッズ欲しさの護摩木購入だったことがよくわかる。
だから今回の菩薩もわからないところです。
あなたの欲をどれだけ煽れるか。

77準シュダオン:2011/06/16(木) 11:18:58
>偉そうにお説教を垂れる準シュダオンさんは たしか解脱供養が四体でしたっけ?
>ということは、冥徳解脱供養はゼロ
>そうなんですか。
>おいこら…。どーゆーことやねん。それで財施は嫌かえ?って聞くなっちゅーねん。

冥徳解脱供養はゼロなんて、デマを流したのは誰だ?
ゼロじゃないよ、数体は出してますよ。
だいたい、修行を、そういう数で評価するのは間違いです。

応供=阿羅漢=福田=(供養に応えるから、供養を受けるにふさわしい)、
という、適当な題材があったので、アゴンさんのためにレスしとこう。
少し長くて面倒だけどさ、釈尊がパセーナディ王に説いた内容です。

「穀物も財も、金も銀も、またいかなる所有物でも、奴僕も、雇人も、使い走り
 の者も、またかれに従属する者どもでも、どれもすべて連れて行くことはでき
 ない。すべてを捨てて行くのである。ひとが身体でなく、ことばや心でなすと
 ころのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。人はそれを取って受
 けて、行くのである。それは、かれに従うものである。影が形に従って行くよ
 うに。それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世
 で人々のよりどころとなる」

この教えで、功徳を来世だけのものと考えるのは、経の読み方が浅いのです。
これは、穀物や金や銀は、この世かぎりで、来世には持っていけないよ。
しかし、功徳は来世にも持って行けるのだよ。だから、来世のためにも功徳を
積みなさい、と、説いてるわけです。

78準シュダオン:2011/06/16(木) 11:39:50
「穀物も財も、金も銀も、またいかなる所有物でも、奴僕も、雇人も、使い走り
 の者も、またかれに従属する者どもでも、どれもすべて連れて行くことはでき
 ない。すべてを捨てて行くのである。ひとが身体でなく、ことばや心でなすと
 ころのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。人はそれを取って受
 けて、行くのである。それは、かれに従うものである。影が形に従って行くよ
 うに。それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世
 で人々のよりどころとなる」

という教えは、パセーナディ王の領地で、ある長者が死んで子も無くて、大王が
その財産を没収したわけだが、その長者は大富豪なのに、ボロを着て、貧しい食
事をしておった。「一体、どういう訳ですか?」と、大王が釈尊に問うたのです。
釈尊は、その長者の何代にもおける前世での、善業、悪業、を説き、その報いを
説き、最期に詩でもって上記のように、教えを説いたのです。

金や銀などの財宝はいくら貯めてもあの世には持って行けないよ。だから程ほど
にしなさい。しかしながら、業の報いは、あの世について行くのですよ。
悪業を積めば、来世で悪因縁となって苦しむし、善業を積めば功徳となって、
来世でのよりどころとなって、果報を得ることができるのですよ。
ですから、来世のためにも、善いことをして功徳をつみなさい、という教えです。

聖者に食事供養した者には功徳が生じて、裕福に暮らせるのです。
別に聖者が功徳を配給するわけではありません。
パセーナディ大王の問いに答えて、釈尊はそのことを説いています。
だから、応供=阿羅漢=福田、に供養した者には、功徳が生じるのです。

79アゴン:2011/06/16(木) 12:04:33
>>77>78 今回は変な文章じゃなかったです。引用も略してないように思えたし。
でも微妙に持論を修正してますね。
ははは。批判がわもとくに功徳が来世だけに限定してないと思ったのですが。?はて
それと準シュダオンさんが今回書き込みされたように、別に解脱の功徳は書かれてないでしょう?
解脱(ニルバーナにいくこと)をしようと思ったら出家して、釈尊の教えた八正道を自分で実践しないと無理なんですよね?

80深山:2011/06/16(木) 12:38:55
>>77 :準シュダオン:2011/06/16(木) 11:18:58
>冥徳解脱供養はゼロなんて、デマを流したのは誰だ?
>ゼロじゃないよ、数体は出してますよ。

私の文章をちゃんと読んでいる。
そして、自分のこととなるとこうやってレスをつけてくる。
エゴ丸出しです。
準シュダオンさんじゃあるまいし、デマなど流していません。
「ということは、冥徳解脱供養はゼロ?」と?を付けた。
冥徳解脱がわずか数体???
冥徳供養が始まってすでに二十年たつのに、わずか数体。
つまり、最初だけ出して、効果がないし、金もないから止めたんでしょう?
解脱供養四体というのはそのままなんですね。
つまり、解脱供養四体で、冥徳解脱供養も数体しか出していない。
それで、信者や元信者に高見からお説教をしているから爆笑なのです。
正直に「解脱供養も冥徳解脱も出したみたが、効果があったのは、
財布が軽くなっただけだ。信者諸君、私と同じように、解脱供養も
冥徳解脱も出さないほうがいいよ」と書いたらどうですか。
それとも、自分は出さないが他人には出せというのか。

81準シュダオン:2011/06/16(木) 12:41:18
>解脱(ニルバーナにいくこと)をしようと思ったら出家して、
>釈尊の教えた八正道を自分で実践しないと無理なんですよね?

そうとばかりは言えないでしょう。出家せずとも在家の優婆塞が、多数、シュダオン
や斯陀含や阿那含になった、というお話しを、お釈迦さまが出家経に説いている
でしょう。読んだことありませんか?
だから、アゴンさんが在家だとしても、仏道を、信じて、五戒を守り、施行して、
経文を読み聞きして、忘れず、あれこれ観察して、法とは何かを追及して、
法友とかと話合い、実践すれば、解脱に進んでいける、ということですね。

教団への身施や財施は、功徳となって、大いに解脱を助けるよ、というわけです。
要は、正しい教団か?ということだけが肝心要なのですね。

82深山:2011/06/16(木) 12:44:33
>>77 :準シュダオン:2011/06/16(木) 11:18:58
>この教えで、功徳を来世だけのものと考えるのは、経の読み方が浅いのです。

ほらまた嘘です。
あなたが引用した経典のどこに、如来に供養すると現世で功徳が得られると
書いてあるのですか。
如来に供養すると解脱できるとどこに書いてあるのだ?
如来に供養すると如来が不思議な力で功徳を返すとどこにあるのだ?
どこにもない。
どうしてそうやって毎回毎回、嘘を書くのだ?
この経典でも釈尊は、

「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世
 で人々のよりどころとなる」

と、善業の功徳は来世に来ると説明している。
あなたの主張を否定しているのです。
ところが、あなたはまるで功徳が現世でも来ると書いてあるかのような言い方をした。
桐山さんと同じゴマカシですね。
長々と、誰も反対などしていない当たり前のことを書き連ねて、
いかにも証明したかのようなふりをして、何の根拠もない自分の主張を入れておく。
桐山さんがいろいろな本で、途中まで阿含経や学者の説を引用して、
世間で認められているような内容を書き連ね、
そして最後のページで突然、霊障だの因縁だのという話をくっつけた。
そのすり替えの手法があなたとそっくりです。

83準シュダオン:2011/06/16(木) 12:49:49
>あなたに対する深山さんの評価と私の評価は少し違い、あなたは身体奉仕みたいな
>ことは面倒でやらないが、金で解決できる話ならば過去にもどんどんやった形跡がある。

身体奉仕も少しはしたことありますよ。しかしねぇ、凡夫が修行の価値、これこれの
修行は価値が高くて、これは低い、とか評価するのは愚かなのです。
そういうことは仏様=法、が決めることであって、人間の判断は間違うのです。
教団の評価と、仏=法の評価は、また別ものであると思いますよ。

84深山:2011/06/16(木) 12:51:59
>>81 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/06/16(木) 12:41:18
>教団への身施や財施は、功徳となって、大いに解脱を助けるよ、というわけです。

これも同じ手法です。
この文章の直前までは、普通の話をして、その後で、
まるで証拠を示したかのようなふりをして上記のような
何の脈絡もない結論を出してみせる。
どこに教団に供養すると解脱の助けになるとあるのだ?
布施や供養をすれば解脱するとか、解脱の助けになるなどとは
釈尊は一言も説いていない。
解脱は自分の煩悩を自分で切ることだから、
他人に何かしたことで解脱するのではありません。
学校の勉強と同じで本人が学ばない限り、先生にいくらお中元を出しても、
学校に資材を寄付しても、成績は上がらない。
供養の功徳によって解脱するなんて教えはありません。
準シュダオンさんの悪業が増えるだけだから、知ったことではないが、
嘘もいい加減にしたらどうか。

85深山:2011/06/16(木) 12:54:09
>>77 :準シュダオン:2011/06/16(木) 11:18:58

「ひとが身体でなく、ことばや心でなすと
 ころのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。」

この経典を見てもわかるように、如来への供養だけが功徳となるなんて書いていない。
他人に善業を為せば、それは来世の功徳となると説いているのです。
しかも、ここでも自業自得を説いている。
自分の為したことが、そのまま自分に返ってくると説いている。
だから、善業をなせば来世の功徳となると言っている。
釈尊の説明での功徳は他人は関係ない。
如来に供養したから、如来から功徳を授けるのではなく、
供養という業(行為)が、「かれに従うもの」と言っているだけです。
如来に供養すると如来が功徳を返すなどという桐山説は真っ赤な嘘です。

86アゴン:2011/06/16(木) 12:59:38
すみません、功徳って来世限定なんですか?阿含経では。
管長が清水次郎長の現世での全財産を布施した徳で死相が消えたと易者に言われたという話が妙に現世功徳を強調してたように記憶しております。

また因果応報で、すぐに結果がでることあってはおかしくないとも思っております。

87深山:2011/06/16(木) 13:00:49
>>77 :準シュダオン:2011/06/16(木) 11:18:58
>応供=阿羅漢=福田=(供養に応えるから、供養を受けるにふさわしい)、
>という、適当な題材があったので、アゴンさんのためにレスしとこう。
>>78 :準シュダオン:2011/06/16(木) 11:39:50
>だから、応供=阿羅漢=福田、に供養した者には、功徳が生じるのです。

はい、だから何なのですか。
阿羅漢が応供であり、供養に値する存在であり、
供養すれば功徳が生じるなんて、あなたにお説教してもらわないと
アゴンさんが理解できないほど馬鹿だと思っているのですか。
あなたと違い、彼女は、賛成反対はともかく、相手の主張は理解できる。
だから、阿羅漢が応供であり、応供とは供養を受けるふさわしい
存在であって、供養に応えるなど嘘だと理解している。
また、阿羅漢に限らず、人々に布施をして善業を為せば、
それは善果となって来世を豊かなものにすると釈尊は説いている。
しかし、阿羅漢だけの供養が功徳があるなんて嘘です。
ましてや、阿羅漢に供養したら解脱するとか、解脱の助けになるなんて
真っ赤な嘘であり、あなたは何一つそんな根拠を示せていない。
根拠を示せていなくても、アゴンさんをごまかせると思っているのか。

88深山:2011/06/16(木) 13:06:19
>>78 :準シュダオン:2011/06/16(木) 11:39:50
>だから、応供=阿羅漢=福田、に供養した者には、功徳が生じるのです。

あなたが引用した資産家の話には、あなたの主張しているような、
供養すればその功徳で解脱するなんて話は出てこない。
この経典は私が前スレで引用した資産家の話です。
あなたは私の批判など斜め読みだから、同じ経典だと気がつかないので、
大発見でもしたかのように解説をしている。
だが、あなたの主張の裏付けにはならないどころか、
否定する内容が書いてあるのです。
あなたやアゴン宗にとって都合の悪い経典をわざわざ出すとは、愚かな人ですね。

89準シュダオン:2011/06/16(木) 13:10:01
>ところがあなたなど長年の信者はどうせそんな菩薩なんて単なる教団の決めた
>称号に過ぎず、お札やグッズの類と変わらないと見抜いた。
>桐山さんも初護摩札なんて札そのものよりも金を教団に払ったという事実のみが
>重要なのであり、札は領収証と思えばよいと話したことがある。
>ただそんなあなたもそのグッズに魅力を感じれば50万円でも投じて買うと思う。

申し込んだ信徒の現世成仏を祈って、管長が法を修するというのですから、
私はすでに魅力を感じていますよ。しかし、懐との相談をしてからのことに
なるでしょうね。
居士も大姉も菩薩の号も、それなりの功徳はある、と私は信じていますよ。
しかし、解脱を約束されたと思うのは、行き過ぎだと思う。
解脱に進む功徳にはなると思いますが、本人の心がけ、程度の問題はあるでしょう。

私は既に聖なるバイブの体験をしてますし、懐と相談して、無理せずに行きますよ。

90深山:2011/06/16(木) 13:12:11
>>78 :準シュダオン:2011/06/16(木) 11:39:50
>だから、応供=阿羅漢=福田、に供養した者には、功徳が生じるのです。

資産家は前世で解脱者に供養したにもかかわらず、
解脱の助けどころか、仏縁すら生じなかった。
だから、彼は同じ街に釈尊はじめ清浄の比丘かたちが
いるにもかかわらず、帰依どころか、供養しようとすらしなかった。
あなたの説と矛盾する。
前世で解脱者に供養したのだから、あなたの理屈なら、その功徳で彼は前世で
解脱への道を歩んでいいはずです。
解脱への道を歩んでいたら、現世では少なくとも預流になっていたはずです。
だが、そんな話は出てこない。
解脱者に供養しても、その効果は天界に生まれることと、
資産家になることだけで、彼自身の解脱とは何の関係もなかった。
そればかりか、彼は功徳を使い尽くして、悪業によって地獄に堕ちた。
解脱への助けどころか、地獄に堕ちない助けにすらならなかったのです。
如来への供養は、供養者の解脱とは関係ないことがこの経典が如実に示している。
笑えるのが、あなたはそれを逆の証拠として引用したことです。

91準シュダオン:2011/06/16(木) 13:17:42
>すみません、功徳って来世限定なんですか?阿含経では。
>管長が清水次郎長の現世での全財産を布施した徳で死相が消えたと易者に
>言われたという話が妙に現世功徳を強調してたように記憶しております。

来世限定なわけないでしょう。そういう考えは間違いです。
考えてご覧なさい。悪事の報いは来世限定ですか?
善業の報い=功徳、にしても同じことですよ。
善事の報い、悪事の報いを、あなたは現世で感じたことはないのですか?
釈迦の教えもよいですが、自分の体験から判断することです、それが自灯明。

92深山:2011/06/16(木) 13:20:52
>>78 :準シュダオン:2011/06/16(木) 11:39:50
>だから、応供=阿羅漢=福田、に供養した者には、功徳が生じるのです。

信者さんたちにこの資産家の話を読んで理解してほしいのは、
供養しただけではダメだという点です。
何度も書くが、解脱とは学校の勉強と同じです。
我々は税金を納めることで学校を維持し、資産家は資材などを学校に寄付する。
これらは社会人としての義務です。
しかし、納税や寄付と、子供の学校の成績とはまったく関係ない。
これと同じで、供養も布施もとても大事です。
それらは聖者たちを生かすという大善業であり、
困っている人たちを助けることであり、大きな功徳となって必ず返ってくる。
だが、それは供養者の解脱とはまったく関係ない。
学校の成績が関係ないのと同じです。
仮に、目の前に釈尊がいて供養しても、信者さんたちの解脱とは関係ありません。
ましてや、インチキ仏教のアゴン宗にいくら寄付しても、
それらは詐欺師に金を与えたのと同じで、ただ金を捨てているだけです。
供養で解脱できるなどという三福道は真っ赤な嘘なのです。

93深山:2011/06/16(木) 13:24:47
>>83 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/06/16(木) 12:49:49
>身体奉仕も少しはしたことありますよ。しかしねぇ、凡夫が修行の価値、これこれの
>修行は価値が高くて、これは低い、とか評価するのは愚かなのです。
>そういうことは仏様=法、が決めることであって、人間の判断は間違うのです。

私はあなたが身体奉仕をしたことがないとは書いていない。
護摩木托鉢までしたというのだから、最初の内は奉仕もしたし、
それなりにお金も出したのでしょう。
だが、効果がないから、やがてあなたは「隠れアゴン宗」になり、
勝手な教学を作って、一人悦に入るようになった。
しかも、あなたはケチだ。
自分のケチをいかにもバランス感覚であるかのように書いているが、
そういうのを出し惜しみ、ケチというのです。
アゴン宗では、その判断を信者がするのは間違いだと説いている。
「人間の判断は間違う」というあなたの指摘はアゴン宗において
そのとおりで、あなたの判断は間違いです。
アゴン宗では精一杯ご供養するように説いている。
我見を捨て、精一杯のお金や奉仕をするところに仏様の
お手配が来るのだと説いているのです。
あなたみたいに、自分の判断で、これは出す、これは出さない
などと勝手に自分の財布を天秤にかけるのはアゴン宗の修行としては間違いです。
私は元信者だから、熱心に修行している信者さんにはそれなりに敬意を払う。
だが、あなたはアゴン宗の信者としても三流です。
口先ばかりで、現場の経験も少なく、ろくなことをしていないのが、よくわかる。

94ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/16(木) 13:24:57
>>77:準シュダオン11/06/16(木) 11:18:58
>冥徳解脱供養はゼロなんて、デマを流したのは誰だ?
>ゼロじゃないよ、数体は出してますよ。
>だいたい、修行を、そういう数で評価するのは間違いです。

いいえ、100体供養した人がまだ50体しか供養していない人を笑うことは
できないと思うが、あなたのように数体しかやってない人は嘲笑、冷笑、批判
という評価をされるのはアゴン宗では間違ってません。
冥徳解脱供養のシステムを知ってるか?
申込み家系数の霊視された先祖の冥徳解脱供養が完了すると、施主がもう結構です
と次の霊示の下付をストップしない限り、次の不成仏霊が生産されます。
そしてその霊視霊示って桐山さんが出したものです。供養しなさいと。
決して施主が欲をこめて大量に申し込んだから出したのではない。
不要な先祖ならば桐山さんは霊視霊示なんか下付するはずがない。
おまえはもう供養は必要ないからもっと別の修行に励めとするはずだ。
それを新たな不成仏霊を下付してきたということはそれだけ施主に祟る先祖が
50体であろうが100体あろうがいたから親切心で下付して供養せよと
ご指導あそばされたのです。
そして自分が霊視して下付した先祖はどれも供養の必要な重要な先祖であり、
これを自分の考えで勝手に供養を止めて、その結果その供養されない不成仏霊の
悪影響により悪い運命に陥っても、その時は手遅れだから私(桐山)は救いたくても
救うことができない、だから必ず供養せよと言ったのです。
で、50体100体なんて特別例外でもなく、皆数十体は桐山さんに下付されて
しまっている現実がある。
あなたのように数体で終わるわけがなく、明らかにあなたの指導無視の怠慢です。
それともなんですか?
桐山さんが一人の施主に数十体も下付するのは、実はいもしない不成仏霊を
勝手に付けてるだけのインチキ霊感商法であることをあなたも認めるのですか?
また下付された不成仏霊をきちんと供養することは、アゴン宗においては
解脱には不可欠の条件です。
なぜならばアゴン宗の解脱は因縁解脱であり現世における不幸不運な運命の回避転換です。
それ(不幸不運な運命)にこの冥徳供養の不成仏霊が直接に関係しているのだから
これをさぼることは修行をさぼることに他ならない。

95アゴン:2011/06/16(木) 14:55:18
>>94 おっしゃるとおりで、解脱供養を数体しかしてないから、そのレベルしか物言えないのか、と信者からも、それが原因と思われてもおかしくないし、阿含宗は因縁のもとは多分に霊障からきていると唱えているので、因縁解脱をめざす人間がそのくらいしかしてないのは、非常に矛盾があるのです。
そこが批判がわ諸兄も、準シュダオンさんが都合のよいサンプルにならないんで残念なところでしょうか?
私も、信徒を代表して、このレベルで擁護をえっらそうにしてほしくないのですねぇ。

つまりあなたの霊示もバイブほんとに何にも参考にならないのです。聞くまえに大体偽物とわかります。

96ラシン:2011/06/16(木) 16:09:36
>86 :アゴン:2011/06/16(木) 12:59:38
すみません、功徳って来世限定なんですか?阿含経では。
管長が清水次郎長の現世での全財産を布施した徳で死相が消えたと

準シュダオンさんの幼稚なロジックに誤魔化されないように。
彼の言い分は、現世で悪いことをしたら法律で罰せられるから、
ホゥラ、来世限定じゃないだろ、と言っているようなものです。
しかし、よく考えてください。
釈尊の説く善行善果悪行悪果は、そんなことではありません。
現世で殺人を犯して懲役刑や死刑になろうとも、
その悪業の報いは、来世にまで続きます。
桐山本にもある「好戦経」の肉段の話しのように、
好んで戦争をし人殺しを犯した報いの情景は、地獄界の後もまだ
苦しんでいたものだったのです。

殺人鬼アングリマーラが受けた迫害も、釈尊は幾来世にも及んで
受けるべき苦を解脱したゆえに、現世限りにて受けていると、
教えたのです。
つまり解脱しなかったら、その人々の復讐迫害だけでは終わらず、
死んだ後の何世にも渡って、その悪果応報を受ける。
桐山本の次郎長話しは、人助けをしたから死相が消えて運命転換した、
という信憑性に薄い逸話で、桐山運命説の我田引水です。

97ラシン:2011/06/16(木) 16:10:29
>86 :アゴン:2011/06/16(木) 12:59:38
すみません、功徳って来世限定なんですか?阿含経では。

ーアングリマーラ経抜粋ー
 世尊は尊者アングリマーラが来るのを見られ、
 こういわれた。
「バラモンよ、あなたは耐えなければなりません。
 バラモンよ、あなたは耐えなければなりません。
 あなたが過去の行為の報いとして、幾年も、幾百年も、幾千年も
 地獄でこうむらなければならない、その行為の報いを、
 あなたは目の当たりに受けているのです。」
URL:http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/mutoku/19_10buttenn%202.html

悪行は現世だけの罰で終わらない、と分かります。
もしアングリマーラが釈尊に帰依して解脱を得なかったら、
「幾年も、幾百年も、幾千年も 地獄で
 こうむらなければならない、その行為の報い」がある。
善行もそうです。
百歩譲って善い事して現世で富貴の身分になったとしても、
それは過去世からの果報です。
今生での善行は、来世に具現するのです。

白隠禅師の施行歌にあるように、
 今生富貴する人は 前世に蒔きおく種(善行)がある。
 この世は前世の種(行為)しだい 未来はこの世の種(行為)しだい。
()はラシンによる。
また、
深山さんも述べているように、供養はなにも如来やその集団、
いわゆる三宝だけに限りません。
布施という善行は、誰に対し行ってもその果報は来世に響く。
しかし、供養で解脱に進むなどありません。
岩波仏教辞典の最初にあります。
供養
 仏教では仏・法・僧の三宝や父母・師長・亡者・などに,
 香華・灯明・飲食・資材などの物を捧げること.ー後略ー
福田
 善き行為の種子を撒いて功徳の収穫を得る田地という意味.
 仏教社会福祉の理念を知る語.ー後略ー

98ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/16(木) 17:57:35
>>94:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/06/16(木) 13:24:57
>そして自分が霊視して下付した先祖はどれも供養の必要な重要な先祖であり、
>これを自分の考えで勝手に供養を止めて、その結果その供養されない不成仏霊の
>悪影響により悪い運命に陥っても、その時は手遅れだから私(桐山)は救いたくても
>救うことができない、だから必ず供養せよと言ったのです。

これは桐山さんの一種の脅迫的手法なんですが、この脅迫から一時的に逃れたように
錯覚する道があります。それは申込み家系に出された霊視の先祖を一通り供養を
終えたところで、次の霊視の下付を希望しない、霊視をストップせよと申し出ることです。
そういう自由はあります。
逆にこの自由が保証されてなければ本当の強要、脅迫になり、これは訴えられた時
教団にとって完全に立場がやばくなるので、臭いメシを食った経験のある桐山さんは
それだけは避けるようにしただけです。
しかしこの下付自体をストップすることは、桐山さんの法話指導の本質をわかってないのです。
たしかにわざわざ管長に霊視してもらった先祖をシカトするような無礼に対する
自責の念は避けられる。
しかしそれだけのことで、では下付をストップせずに続けていたら確実に
供養の必要な先祖が下付されたはずです。
これをほうっておいたら取り返しがつかなくなり管長は責任を持てないよと
言われる先祖をです。
それを最初から放棄してるのだから、本当は供養をして解消させねばならぬ先祖の怨念も
解消されず、不運不幸な運命はやはり取り返しがつかなくなるわけです。
だから勝手に次の霊視の下付をストップするなという脅迫です。
ほんの一時休止してもよいが、また必ず再開しなさいねと言っている。
さもないと、「管長、ガンと宣告されました。どうしましょう?」と訴えられても
「あなたはそのガンの因縁にまつわる先祖を数十体冥徳解脱供養で解脱成仏させることが
この因縁を切る条件だった。そのために冥徳解脱供養の霊視の下付をストップせずに
続けなければならなかったところを、自分でその権利を放棄したのだからどうしようもない」
と言われることになるのです。
表向きはあくまでも強要はしませんで、裏ってか内面的には脅迫してるのですよ。

99ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/16(木) 18:22:40
>>81:準シュダオン11/06/16(木) 12:41:18
>そうとばかりは言えないでしょう。出家せずとも在家の優婆塞が、多数、シュダオン
>や斯陀含や阿那含になった、というお話しを、お釈迦さまが出家経に説いている
>でしょう。読んだことありませんか?

在家でもシュダオンやシダゴンやアナゴンにまでなれたのは八正道を実践したからですよ。
八正道って出家専門の特殊な修行法と思ってましたか?
桐山さんでもそんなことは言っていない。
桐山さんは八正道を馬鹿にしていて、道徳も理解できぬレベルの人間に教える道徳としている。
釈尊の説いた八正道に出家も在家も区別はありません。
徹底してやるかやらないかその程度問題の差に過ぎぬ。
在家は布施の功徳で解脱するのではないのですよ。
戒律すらも八正道に含まれてこれを実践するからアナゴンだって可能なのです。

100アゴン:2011/06/16(木) 18:47:49
ゲイカが罪だと思うことは、確かに人の不安をあおって集金するシステムを何重も作っていることです。
問題がなかなか解決しない場合は、さすがに目の覚める人もいるでしょうが、霊障解脱で因縁が薄まると思えば頑張って解脱供養を出す人もいるし、自分の判断で霊視を止めるのも不安が内在したままの状態になる。。いつも不安定な状態を信者に強いるわけですね。
そして判断をすべて管長に委ねてるわけで。
信者がだんだん口をあけて親鳥からのエサをまつ雛のようになっていく原因もここにあると思いました。そういえば成仏することを、卵から孵化する雛にたとえて表現してましたね。親鳥が外から卵をつついて雛がでてくる。成仏法を実践するものは、成仏したくなくても成仏してしまう。成仏したくなくてもオートマチックに成仏する、とこれまた面白い表現をして信者にたくみな罠にかけるわけです。

私は、家族が弟になん十体も解脱供養をだしても弟が根本的になんも変わってないことに気がついて、今はアゴンを頼ってません。

101ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/16(木) 19:07:58
>>83:準シュダオン11/06/16(木) 12:49:49
>身体奉仕も少しはしたことありますよ。しかしねぇ、凡夫が修行の価値、これこれの
>修行は価値が高くて、これは低い、とか評価するのは愚かなのです。

これもいつもながらの一般論に逃げてごまかそうとしているのがよくわかる。
私は具体的な話しかしないと言ったでしょう?
しかし今回準シュダオンさんは幾分具体的レベルに近づく発言をした。
それが「少しはしたことがある」という表現です。
昔は自分で決めて定期的にやっていたものだが、最近はめっきり回数が減り
しなくなったと言うのならばこんな表現はしない。
少しはやったことがあるでは修行とは言わんのです。
今日は気分がいいから勤行や梵行をしよう、今日は乗らないからやめようなんて
取り組みは修行ではない、それはレジャーだとは、私が言っているのではなく
桐山さんの言葉です。
また一般論的にも継続は力なりとは、物事全般に共通する真理です。
やり過ぎはよくないが、ある程度継続努力しなければモノにならない。
過ぎたるは及ばざるが如しとは、及ばなくてもよいという意味ではない。
及ばざる実践はやはり失格なんです。
アゴン宗の場合、例えば月に1回の例祭運営奉仕も半年は連続してやるように
とかの指導もある。
また最近やってないのならばどうしてやらないのか?
代わりに何をやっているのかという話になる。
身体奉仕なんて言うが、あなたみたいな高齢者は筋肉労働などしなくても
そういうのは若い連中に任せても、道場においてナモナモ参拝して法話ビデオを見て
帰るだけでなく、奉仕修行はなんだってできます。
ましてやあなたには時間がある。

102アゴン:2011/06/17(金) 12:03:33
>>97悪行は現世だけの罰で終わらない、と分かります。 もしアングリマーラが釈尊に帰依して解脱を得なかったら 幾年も、幾百年も、幾千年も 地獄で こうむらなければならない、その行為の報い」がある 。善行もそうです 百歩譲って善い事して現世で富貴の身分になったとしても それは過去世からの果報です 今生での善行は、来世に具現するのです。

悪行は現世にもその報いは具現するのに、善行は来世のみに具現するのは疑問です。そのようには思えないですね。これは準シュダオンさんと同意見です。w

103ラシン:2011/06/17(金) 13:30:20
>悪行は現世にもその報いは具現するのに、善行は来世のみに具現するのは疑問です。
そのようには思えないですね。これは準シュダオンさんと同意見です。w

いつの時点で現世と観るかの違いはありますが、
今この世で犯罪を犯せば、法律によって処罰されるが、
その悪行は、来世にまで及ぶのです。
善行も当然、来世に響いてその果報が生じる。

>「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世
 で人々のよりどころとなる」

深山さんが、最初に引用したお経を
準シュダオンさんも>>77で出した経文↑抜粋です。
読めば分かるが、善業をなせば来世の功徳となると言っています。
このお経に出てくる資産家は、前世での供養の果報で、
今世は努力が実り金持ちの身分を得たのです。
釈尊は、「来世のために功徳を積め」と説いています。
今生も入るなら、「今生と来世のために功徳を積め」と、
説くでしょうが、そうは言っていません。

104ラシン:2011/06/17(金) 13:40:12
>悪行は現世にもその報いは具現するのに、善行は来世のみに具現するのは疑問です。
そのようには思えないですね。これは準シュダオンさんと同意見です。w

ですから為した時点から観れば、今生の果は前世の因と考えられる。
前章の深山さんが引用した経の解説内容を抜粋しますから、
もう一度熟考してください。

>942 :深山:2011/06/12(日) 16:21:05
>「子がいない」(『ブッタ神々との対話』中村元、197頁)という題名の経典です。
 祇園精舎のあるコーサラ国に大金持ちがいたが、巨額な財産を残したまま死んでしまった。
 彼は生前ケチで貧しい暮らしをして、財産を楽しむこともなかった。
 王様はこれを不思議がり、釈尊に質問するのです。
 釈尊によれば、資産家は前世などで解脱者(独覚)に供養して、その果報で、
 七回天界に生まれ、七回長者として生まれた。
 しかし、今生では、目の前に比丘たちがいるのに供養しなかったから、
 功徳を使い果たし、今では前の悪業によって地獄に堕ちてしまった。
 −後略−

為した業が悪行であろうが、善行であろうが、その業は消えないと、
分かります。
それは、因果応報であり、自業自得であることが分かります。
前世の功徳によって、善果も悪果もそれぞれ受けた分けです。
今生の果は前世の因であり、今生の行いは来世の報となる因です。
アゴン宗のように、因縁が供養で切れるなんて説かれていない。
因根が切れていたら、もうこの世で供養しなくても大丈夫のはずです。
どうして資産家が、地獄という悪趣へ墜ちたのかと矛盾が出ます。
悪行善行共に因縁果報の法則にしたがって生じるのです。
悪行だけは法則どおり、だが善行は別だなんてあやふやな解釈は成り立たない。

105ラシン:2011/06/17(金) 13:42:30

訂正

誤:今生の果は前世の因であり、今生の行いは来世の報となる因です。

正:今生の果は前世の業因によるものであり、今生の行いは来世の報となる因です。

106ラシン:2011/06/17(金) 14:04:59

端折って書いたおかげで訂正ばかりですみません。

誤:前世の功徳によって、善果も悪果もそれぞれ受けた分けです。

正:前世の業因によって、善果も悪果もそれぞれ受けた分けです。

107アゴン:2011/06/17(金) 15:43:59
>>103
参考にいたします。ありがとうございました。
多分に果報は来世に具現すると理解しました。
そしてその果報は、解脱の果報ではないことも理解いたしました。

108ラシン:2011/06/17(金) 17:41:07
107 :アゴン:2011/06/17(金) 15:43:59
>>103
参考にいたします。ありがとうございました。

アゴンさん、
ご理解いただければ、レスのしがいがあります。
私も含めて思うのですが、阿含経を理解しようとするなら、
先ず、今までのアゴン宗による仏教知識や仏教用語を白紙にし、
アゴンさん流に言えば、知性をニュートラルに戻して考えることです。
準シュダオンさんのように、自惚れた自己の解釈や観念に浸る事を捨てて、
学説や仏教辞典の解説をフラットな感覚で受け取ることが、
偏向無き客観的根拠を見い出せて、理解に繋がります。

桐山さんは、先発の新興教団からの教義や行法をパクって、
それにラベルを付け替えて、自分の教団に取り入れて来ました。
占い透視指導や加持、先祖の冥徳供養も霊友会や立正佼成会、
真如苑からの拝借です。
包装紙を変えただけで、中身などそれら新興宗教となんら変わらない。
後発の教団ゆえに、桐山さんはまるでどこかの国のように節操無く、
先発団体の模倣を繰り返してきたのです。
だからボロが出る、空海の念力の誤魔法など伝承されていないのに、
自慢がつい口が滑ってあるかのように本にまで書いたりする。

アゴン宗ほど、突っ込み満載の教団は他に類がないほどです。
最近では、桐山御用人の自称仏典研究家「森川真澄」氏がアゴンマガジンで、
教団教義のカルマ解脱や因縁切りが阿含経にある、との主張を深山さんから
論破され覆えされています。
桐山さんの周りは、こういう御用人やヨイショする幹部信者、
ずーっと下がって準シュダオンさんのようなタダ乗りに近い形で教団を
利用道具にする人が、掲示板にも多い。
マジメに信仰していると考えている信者さんには、
正負の意味でも迷惑を通り越して弊害となっています。

109準シュダオン:2011/06/17(金) 18:51:25
>そして自分が霊視して下付した先祖はどれも供養の必要な重要な先祖であり、
>これを自分の考えで勝手に供養を止めて、その結果その供養されない不成仏霊の
>悪影響により悪い運命に陥っても、その時は手遅れだから私(桐山)は救いたくても
>救うことができない、だから必ず供養せよと言ったのです。

そんなこと言うたとて、無い袖は振れないでしょう。そんなこと盲目的に信じた
とて仕方ないでしょう。
私はね、どうせ功徳に応じた分しか救いがないのでしょうから、欲張りません。
功徳に応じた救いだけで、結構でございます。
ですから、仏様に貸し借りはありません。
ですから、必要以上に、感謝も致しません。

と、いう態度なのです。
それで、聖なるバイブまでいただいちゃった!どうしましょう。

110準シュダオン:2011/06/17(金) 19:02:25
>おっしゃるとおりで、解脱供養を数体しかしてないから、そのレベルしか物言えないのか、と信者からも、
それが原因と思われてもおかしくないし、阿含宗は因縁のもとは多分に霊障からきていると唱えているので、因縁解脱をめざす人間がそのくらいしかしてないのは、非常に矛盾があるのです。
>そこが批判がわ諸兄も、準シュダオンさんが都合のよいサンプルにならないんで残念なところでしょうか?
>私も、信徒を代表して、このレベルで擁護をえっらそうにしてほしくないのですねぇ。

アゴンさんがそう思うのなら、別に私は反対いたしませんよ。
そりゃ、解脱供養の数は多いにこしたことはないでしょう。
しかし、その数と解脱は、比例しないということですね。数が多ければ解脱すると
いうものではない。そんなこといったら、金持ちは皆、解脱できてしまう。
そうではないのです。内面の問題です。

111深山:2011/06/17(金) 19:29:29
>>102 :アゴン:2011/06/17(金) 12:03:33
>悪行は現世にもその報いは具現するのに、善行は来世のみに具現するのは疑問です。そのようには思えないですね。これは準シュダオンさんと同意見です。w

悪業は現世で現れて、善業だけが来世なんて誰も書いていません。
準シュダオンさんの滅茶苦茶な主張を鵜呑みにする前に、
もう少し批判側の主張や、経典の根拠を冷静に考えることです。
行為の報いが現世でもある、なんて当たり前ではありませんか。
すでにラシンさんがそのことを何度か説明している。
たとえば、労働によってお金を得た、というのは行為(業)の報い(功徳)です。
だから、善悪を問わず、行為の報いは現世でも来ている。
だが、釈尊が説明している内容は、そんな話ではない。
見える部分での報いだけでないと説いているのです。
善悪を問わず、報いは今来るものもあり、今来ないものもあるが、
いずれ来ると言っているのです。
凡人が見てもわかるような善悪の報いなんて、当たり前すぎて、
何も釈尊にわざわざ説いてもらう必要などない。
釈尊は行為の報いは目に見える形だけでは終わらないと説いたのです。
因果応報の思想であり、釈尊が発明したというよりも、ウパニシャッドの説です。
釈尊は今すぐには来ない報いも説いた。
なぜ、今すぐに来ないような来世の功徳を説いたのか、背景をもう少し理解するべきです。

112準シュダオン:2011/06/17(金) 19:30:11
>在家は布施の功徳で解脱するのではないのですよ。
>戒律すらも八正道に含まれてこれを実践するからアナゴンだって可能なのです。

聖者・正しい教団、への布施の功徳は、あると思います。それが解脱への力を
与えるとは、感じました。別に釈尊が、布施供養を受けたいがためにウソをつ
いた訳ではありませんね。聖者へ対する供養は、それだけで功徳が生じるので
す。私の体験をいえば、そうなります。
但し、供養の態度は非常に重要だと思われます。

田を耕す人(バラモン)の話を、先日引用しましたが、批判派の皆さんは、
供養の精神を会得しているのでしょうか?
田を耕す人・バラモンは、釈尊に、「あなたも田を耕し、種を植えてから食べたら
どうか?」と言いました。簡単にいえば、あなたも稼いで食を得よと言ったのです。
そしたら、釈尊は、「我も耕す、我が信仰は種である、鋤が戒である、・・」とか、
言って、出家者の努力を説いたのです。
 
そしたら、バラモンが納得して、そういう訳でしたら出家者にも食べる資格がある、
私は教えを聞いて納得した、さぁ、釈尊さん、食事を召し上がれ、と食事供養を
した。しかし、その食事を釈尊は拒否したのです。
私は、報酬としての食事は受けないと。教えを説いた駄賃としての食事は受けない
とね。つまり、教師みたいに、教えて、生業を為すようなことは、しないと、
説いたのです。聖者に対する施食供養は、功徳を生じるのだから、ただただ、
敬い、尊敬して、食事を奉げ、奉(たてまつ)れ、とね。

それが供養なのです。阿含教団に財施供養するにしても、そういう態度でしな
ければ、功徳は得られないと知るべきです。
阿含宗が正しい教団ならば、そういう態度で、した供養には、必ず功徳があるし、
邪宗ならば、功徳はないのです。

私は、運良く、功徳を得られました。感謝です。

113深山:2011/06/17(金) 19:31:22
>>102 :アゴン:2011/06/17(金) 12:03:33

聖者に供養なんて言っても、目の前にいたのは、
ボロボロの衣類を着た物乞とさほど変わらない人たちです。
五体満足なのに働きもしない人たちに無償で大事な食料を与えるなど
普通の人たちから見たら、とんでもない話です。
今と違い、庶民は飢えていたのに、その大事な食料を何もしない連中に
くれてやるなんて、冗談ではない。
他の宗教家たちは、先祖を天界に送り届けてやるとか、護摩のイベントを
開き、太鼓を叩き、呪文を唱えるという「労働」をして、
その見返りに庶民から物を得ていた。
物乞ですら、「哀れな者にお恵みを」と口上くらいは言うし、
何かやれば「おありがとうごぜえます」とお礼くらいは言う。
だが、釈尊の弟子たちは何もしない。
ただ入り口に黙って鉢を持って立っているだけです。
食べ物をあげても、お礼も言わず、黙って立ち去る。

114アゴン:2011/06/17(金) 19:33:43
>
無い袖は振れないでしょう。そんなこと盲 目的に信じた とて仕方ないでしょう 私はね、どうせ功徳に応じた分しか救いがないのでしょうから、

盲目てきに信じても仕方ないでしょう??
無い袖は振れない?
あのー。
信じても仕方ないとか、解脱供養数で解脱するわけじゃない、内面が大事っておっしゃいますけど、じゃぁ貴方はどんな内面を磨く修行をしているの?奉仕もしない、勧進もしない、供養も出さない。

115深山:2011/06/17(金) 19:33:46
>>102 :アゴン:2011/06/17(金) 12:03:33

我々はすでに聖者の供養の価値を知っているが、
当時の一般庶民の立場になって考えてみてください。
こんな何もしない、お礼もしない、ただ黙って突っ立っているだけの連中に、
大事な大事な食料を分けようなんて気になりますか。
一昔前には「働かざる者、食うべからず」という諺かあったくらいです。
こんな連中にくれてやるなら、物乞にくれてやったほうがまだましだと思うでしょう。
実際、そのとおりだったから、托鉢しても食べ物が得られず比丘たちは飢えていた。
釈尊は比丘たちを分散させるなど努力しています。
マハーカッサパの元妻だった比丘尼はまったく食物がもらえず、
あまりの様子に、マハーカッサパが托鉢した食物を分け与えた。
これを見とがめられ、妻に愛着があるのだろうと非難され、もちろん、
彼は二度としなかった。
しかし、彼がこういう非難されることを予想したはずなのに、あえて
食べ物を与えたくらい彼女の飢餓状態がひどかったのです。
比丘尼がいたのだから、教団がある程度大きくなっていた時期にしてこの有様です。
釈尊が在家に対して供養を説いたのもわかるではありませんか。

116深山:2011/06/17(金) 19:35:52
>>102 :アゴン:2011/06/17(金) 12:03:33

人々が比丘たちに供養しないのは、何の意味もない無駄なことだと思ったからです。
物乞にくれてやれば、お礼くらいは言うし、
オカルト宗教家たちは護摩など宗教労働という見返りをする。
だが、比丘に供養しても何にもないじゃないか、と庶民は思ってた。
釈尊は、それは間違った考えで、比丘への供養はこういう人たちへの
布施とは比較にならないくらい大きな見返りがあると説いた。
ここで気をつけなければならないのは、釈尊は、
桐山さんみたいに口先で功徳を説いたのとは違う点です。
釈尊は神通力を持っていたから、善業の結果がどうなるかを如実に知っていた。
桐山さんみたいに空想や受け売りで言っているのではなく、
実際に天眼通や宿明通で人々が生まれ変わる様子を見て言っているのです。
人々は目の前で見える部分でしか、行為(業)の報いを考えない。
良いことをすれば誉められ、自分が利益を得るからする、また、
悪いことをすれば捕まり処罰されるから、悪いことをしないという考えです。
しかし、釈尊とウパニシャッドの思想では、為した行為の報いは、
こういう見える形で現世で現れるだけではなく、さらには輪廻を
越えて現れてくると主張した。

117深山:2011/06/17(金) 19:37:37
>>102 :アゴン:2011/06/17(金) 12:03:33

自動販売機にお金を供養すれば、缶コーヒーという報いがすぐに来る。
だが、比丘に供養しても、現世でその功徳が返ってくることはない。
こんなことは何も比丘への供養でなくても、
我々が被災者に寄付をしたからといって、その業の報いが
今の人生の間に来るなんてことのほうが例外です。
確実に報いが来るなら、学者がその報いの法則を発見しているはずです。
だが、善業の報いの法則なんてありません。
現世だけで見るなら、ある人は他人のためにたくさん何かをして、別な人は
たくさん何かをしてもらい、損得勘定が合わないように見える。
現世での因果応報は成り立っていません。
釈尊とウバにシャッドでは、それは現世で成り立っていないだけで、
輪廻の世界まで見れば、成り立っていると主張したのです。
ついでに言うと、釈尊とウパニシャッドでは因果応報の
基本的な考えは似ているが、両者は別物です。
日本人の持つ因果応報の考えはウパニシャッドに近い。

118深山:2011/06/17(金) 19:40:29
>>102 :アゴン:2011/06/17(金) 12:03:33

業(行為)の報いが現世でも来るなんてわざわざ説明するまでもないし、
釈尊にとって必要なのは、現世だけではなく、来世にも影響するのだ
ということを民衆に理解してもらい、比丘たちに供養してもらうことだった。
これを理解すれば、釈尊がなぜ、来世の功徳を得られると
強調しているのかわかるではありませんか。
逆に言うなら、比丘に供養しても現世では何かを得たという
体験がないということです。
供養した者が金持ちになったなんて話はありません。
そればかりか、祇園精舎を寄進したスダッタ長者は晩年は
家業が傾いたことが経典に残っている。
供養することで家運衰退の因縁を切るどころか、家運が衰退したのです。
世俗的な効果ですら、こんな有様ですから、
ましてや、供養した功徳で解脱するなどありえない。

119深山:2011/06/17(金) 19:44:38
>>102 :アゴン:2011/06/17(金) 12:03:33

また、あの老人が威張り散らしながら、戻ってきたようだから、
老人介護の前に、アゴンさんに福田についてもう一つ学んでほしい。
福田(ふくでん)を、供養の見返りに大きな功徳があるから、
福田なのだという説明だけは不十分です。
こういう狭い考えが低劣な御利益信仰を生み出した。
釈尊のいう福田とは、もちろん、来世での世俗的な幸福を意味する功徳も含まれるが、
清浄の比丘たちは、それ以上の功徳を人々に与える存在だからです。
その功徳とは、言うまでもなく、煩悩を断ちきる教法です。
これ以上の功徳なんてありません。
つまり、福田とは、

福田1.煩悩からの解放を説く人たちだから、福田という。
福田2.煩悩からの解放を説く彼らに供養することが大善業だから、
供養すれば、来世に大きな功徳となって返ってくるから福田という。

という二つの意味があるのです。
この二つの意味がなければ、わざわざ清浄の比丘たちを福田と呼称するのはおかしい。
たとえば、飢えた人を助けたり、死にそうな人を助けるのは大きな功徳になる。
もし福田が福田2の功徳だけの意味なら、飢えた人たちも福田になってしまう。
だが、飢えた人、死にそうな人を福田とは呼ばない。
清浄の比丘に供養することと、飢えた人を助けることは何が違うのか。
それが、福田1です。

120深山:2011/06/17(金) 19:47:29
「いずれにしても,福田は布施供養する人にとって菩提(ぼだい)(さとり)の
功徳を得る因となるところのものであった.」(岩波仏教辞典)

準シュダオンさんが出さないから、私が彼の主張の根拠を示しました。
供養によって解脱への進むと仏教辞典に書いてある、という彼の主張の元ネタです。
桐山さんと同じで、頭が良いつもりで記憶にばかり頼っているから、
どこに書いてあったのか、探せなくなったのです。
福田こそは菩提の因だというのだから、「供養→解脱」と短絡したのです。
準シュダオンさんの毎度のあまりの浅はかな解釈に絶句するのだが、もっとも、
「さとりの功徳を得る因」などと、彼のような国語力の低い人が
誤解をするような書き方にもなっています。
福田に供養することが、ただの来世で世俗的な功徳の元となるだけなら(福田2)、
この文章の説明からすると、準シュダオンさんの解釈のように、
「供養→解脱」という意味になってしまう。
だが、福田には、前述のように、ただ世俗的な功徳の元というだけではなく、
福田1の、清浄の教えを説くからこそ福田なのです。

121深山:2011/06/17(金) 19:49:40
「いずれにしても,福田は布施供養する人にとって菩提(ぼだい)(さとり)の
功徳を得る因となるところのものであった.」(岩波仏教辞典)

福田に供養することが菩提の功徳を得る因になるとは、
清浄の比丘たちに供養することで、彼らは生きて人々に教法を説き、
人々はその教法を聞いて煩悩を減らすことを実践するから、
解脱への道を歩むことになり、だから、「さとりの功徳を得る因」となるのです。
これを供養したから、その功徳で解脱に進むなどと短絡したのが準シュダオンさんです。
供養したから歩むのではなく、供養した相手の説く教法を
学び実践したから、解脱への道を歩むのです。
学校の先生の給料を我々の税金から払っているから、先生は教えられる。
その先生から学ぶから生徒は受験に合格できる。
準シュダオンさんは、これを先生に金を払っているから(供養)、
子供が合格した(解脱への道を歩む)と言っているのです。
短絡も甚だしいことで、先生にいくら給料を払っても、お中元を出しても、
子供の成績とは関係がない。
子供は先生から教えてもらったから合格できたのは事実だが、
学んだのは本人であって、先生の給与とは関係がない。

122深山:2011/06/17(金) 19:57:34
「いずれにしても,福田は布施供養する人にとって菩提(ぼだい)(さとり)の
功徳を得る因となるところのものであった.」(岩波仏教辞典)

こういう福田の一つを見ても、桐山さんのいう三福道など
ありえないことがわかります。
準シュダオンさんが何度も引用して示したように、如来への供養とは
来世の功徳なのです。
如来に供養しても、現世で金持ちにもならないことはスダッタ長者の
実例が示すとおりです。
如来に供養しても、現世で悪因縁を切ることもなければ、
運がよくなることもなく、ましてや解脱するなんてありえません。
釈尊と弟子したちが福田という我々に大きな功徳を与えてくれるのは、
その教法を我々が実践した時です。
本当の仏陀に供養しても解脱などしません。
ましてや、インチキ仏教のアゴン宗に供養しても何の意味もない。
アゴン宗に供養したなれの果てが、白銀バイブを
受信したと妄想をもって喜んでいるミジメな老人です。

123アゴン:2011/06/17(金) 20:34:32
深山さんの福田についての、正しい知識が非常に参考になりました。毎回すごい勉強になります。

なにか伝えなければいけないという使命のようなものまで感じますね。
ありがとうございました。

124ラシン:2011/06/17(金) 20:46:21
>123 :アゴン:2011/06/17(金) 20:34:32
深山さんの福田についての、正しい知識が非常に参考になりました。毎回すごい勉強になります。

深山さんの”簡”にして”明”なる解説で、
よりよく理解できたと思います。
私もおかげさまで、より理解を深めることが出来ました。
批判において阿含経の理解をすれど、解説となればなかなか
文章にして詳細かつ簡明にまとめることは、至難の技です。

深山さんは、なるべくスレに見合わない阿含経の議論は、
控えておりました。
もちろん片足は常にアゴン宗批判を置いてあります。
今回、久々に阿含経における行いとしての「業」と、
その「報」、そして「福田」との関係を明らかにしてくれました。
久々と言うのは、私も過去に考えをブツケて議論を挑んだことが
あるからです。
今回の深山さんの解説も、保存ものだと思います。

125アゴン:2011/06/17(金) 21:14:32
なんか論文でも出されたらどうかと思ってしまいます。(笑)
アゴン宗のとくアゴン経典との違いと、問題点をここまで明確にできるのは、ある意味このスレしかないですね。(笑)

いやいや、おもろいなー。

126ラシン:2011/06/17(金) 22:16:38
>112 名前:準シュダオン
>田を耕す人(バラモン)の話を、先日引用しましたが、批判派の皆さんは、
供養の精神を会得しているのでしょうか?
>出家者の努力を説いたのです。
>しかし、その食事を釈尊は拒否したのです。
私は、報酬としての食事は受けないと。教えを説いた駄賃としての食事は受けないとね。
つまり、教師みたいに、教えて、生業を為すようなことは、しないと、説いたのです。

介護に逆戻りと言われるかもしれませんが、
毎回同じ誤った見解を否定する義務で反論します。

このお経は広く知られている中村 元博士訳『ブッダのことば スッタニパータ』
(岩波文庫)ー蛇の章ー「田を耕すバーラドヴァージャ」です。

準シュダオンさんの自惚れと自己顕示欲の塊が、「出家者の努力」だと?
を前提にして、「見返りの食物は受けない」という今までの批判側の
アゴン宗の「見返り信仰」批判の根拠にタダ乗りした瞬間です。
しかし、このお経で見返りを受けない釈尊の姿勢を認めても、
このお経の要諦を理解していないことは、次の主張で明白です。

>それが供養なのです。阿含教団に財施供養するにしても、そういう態度で
しなければ、功徳は得られないと知るべきです。
>それが供養なのです。>私は、運良く、功徳を得られました。感謝です。

などと、どういうわけか「財施供養」と「功徳は得られない」に摩り替っている。
準シュダオンさんは、「教えを説いた駄賃としての食事は受けない」などと、
批判側根拠に便乗しながら、功徳を貰う心得なんだと自慢している。

127ラシン:2011/06/17(金) 22:32:31
>112 名前:準シュダオン
>田を耕す人(バラモン)の話を、先日引用しましたが、批判派の皆さんは、
供養の精神を会得しているのでしょうか?
>それが供養なのです。阿含教団に財施供養するにしても、そういう態度で
しなければ、功徳は得られないと知るべきです。
>それが供養なのです。>私は、運良く、功徳を得られました。感謝です。

まるで話しが違います。
釈尊は耕作するバラモンに、煩悩の滅の大事を説いたのがこの経の要諦です。
それは、次の釈尊の詩の一文で分かります。

77 「わたしにとっては、信仰が種子である。苦行が雨である。
    智慧がわが軛と鋤とである。慚が鋤棒である。
    心が縛る縄である。気を落ちつけることがわが鋤先と突棒とである。
78 「身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。
    わたくしは真実をまもることを草刈りとしている。
    柔和がわたくしにとって〔牛の〕軛を離すことである。」
79 「努力がわが〈軛をかけた牛〉であり、安穏の境地に運んでくれる。
    退くことなく進み、そこに至ったならば、憂えることがない。」
80 「この耕作はこのようになされ、甘露の果実をもたらす。
    この耕作を行なったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。」

相手の言葉を使用して釈尊の説くべき内容を語る方法は常のごとしです。
では、この詩は釈尊が何を説いているのでしょう。
釈尊が、法を説いた報酬として捧げられた食物は受けないのは当然です。
生産や労働をしないのが出家者ですから、ましてやその対価を
拒否したのは言うまでもない。
仏教知る人なら、よく読めばこれは煩悩滅と涅槃に至る道を説いた、と、
すぐに理解が出来ます。
それは、バーラドヴァージャの次の言葉に現われている。

「素晴らしいことです、素晴らしいことです。
 例えば倒れた者を起すように、覆われたものを開くように。
 方向を迷った者に道を示すように、ー中略ー
 あなたは、種々の仕方で真理を明らかにされた。
 ゆえに、わたしは、ここで、ゴータマに帰依します。
 また真理と修行僧の集いに帰依します。
 私は、師の元で出家し、完全なる戒律を授かります。」

バーラドヴァージャの「方向を迷った者に道を示すように」や、
この「種々の仕方で真理を明らかにされた」と感歎共鳴し、
釈尊の教導を素直に受けたことで、釈尊が煩悩滅と涅槃に
至る道を説いたことは明々白々です。
相手が答えて行動したその事実が、釈尊の説いた目的と要諦を物語っています。
釈尊のこの教導で、
最期は、バーラドヴァージャの解脱の日々を送る様子でこの経は終わっています。
それがどうして、功徳を受ける供養の姿勢となるのだ。
こういう理解度ひとつ見ても、準シュダオンさんの自分教の意図が丸見えです。
上位目線で、「批判派の皆さんは、供養の精神を会得しているのでしょうか?」
なんて、のっけからの分かった風な傲慢な態度が、その性格をよく表しています。
しまいには常のごとく、「私は、運良く、功徳を得られました。」などと、
自分の自慢話しを言い放ったのだから、これがホンネなのです。
このズレ方は、半端じゃないほど並はずれています。

128ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/18(土) 08:09:14
>>109:準シュダオン11/06/17(金) 18:51:25
>そんなこと言うたとて、無い袖は振れないでしょう。そんなこと盲目的に信じた
とて仕方ないでしょう。
>私はね、どうせ功徳に応じた分しか救いがないのでしょうから、欲張りません。
>功徳に応じた救いだけで、結構でございます。

盲目的に信じる?こういう表現が出ること自体桐山発言指導なんかに騙されるなと
批判してることになるのですね。
この脅迫指導は決して桐山さんがいたずらっぽくブラックユーモア的に吐いたセリフではない。
極めて大真面目な指導だから宗報記事にも載るのです。
あなたの言う通り無い袖は振れない。
ではどうすればよいかと言うと、結局金が貯まるのを待って、袖が振れるようになってから
支払って申し込むしかない。
それでなければ永久に成仏しません。
悪影響を防ぐことができず不幸な運命を反復します。
桐山さんは近年の法話にも解脱供養が高いことに対する不満への回答として
君たち信徒がいくら勤行などしても生涯を通して1体か2体の不成仏霊が成仏する
くらいで、霊障になると桐山さんしか太刀打ちできないわけです。
だからせっせと申し込まないと救われない。
これまで救いのあった部分だけでいいやと思っても、これから迫り来る不幸から
救われないのです。
癌になってウンウン苦しむ。
冥徳解脱供養を20体でもしておけば避けられた運命も、4体ではどうにもならない
というわけです。
今からでも残り16体を金払って供養しよー。

129ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/18(土) 08:24:41
>>110:準シュダオン11/06/17(金) 19:02:25
>そりゃ、解脱供養の数は多いにこしたことはないでしょう。
>しかし、その数と解脱は、比例しないということですね。数が多ければ解脱すると
>いうものではない。そんなこといったら、金持ちは皆、解脱できてしまう。
>そうではないのです。内面の問題です。

いいえ、比例するのです。そりゃ40体完了と50体完了の人とは果たしてどちらが
向上してるかどうかはその人によりまちまちであり、一概に差別はつけられない。
しかし指導に従い数十体供養した人とあなたみたいに指導に従わず20年間で数体しか
供養してない人とは歴然の差がつく。
またそのような差がつかなければ解脱供養なんてやる値打ちがないことになる。
あなたの仰る通り金持ちだけが守護霊までも買えるのです。
だから地獄の沙汰も金次第、菩薩の功徳も金次第なんです。
内面ってなんですか?
桐山さんのいう霊と我々の関わりは内面の問題です。
心、行いこそ実は表面に関することであり、その根底には霊の問題が密接に関わって
いるのだから、霊的障害を除去することなく、心身の浄化などあり得ない。
霊性を持つとはまずは必死に解脱供養をして霊的浄化をすることから始まり
絶対必要条件です。

130アゴン:2011/06/18(土) 11:28:28
>>129 まーそうですね。ユキビタスさんと同見解です。
ゲイカが大真面目にいっている因縁と霊障の先祖の関連性について
、霊性は解脱供養することで清められ、梵行で高められる、と言っているのに、両方とも、「盲目てきに信じない」で実践していない信者が、偉そうに私に説教する資格などないのです。

せめてアゴン教学については、まともに論じてくださいよ。と準シュダオンさんには申し上げたい。

131深山:2011/06/18(土) 12:15:10
>>109:準シュダオン11/06/17(金) 18:51:25
>私はね、どうせ功徳に応じた分しか救いがないのでしょうから、欲張りません。
>功徳に応じた救いだけで、結構でございます。

無料で白銀バイブを受信したとか、おれは預流向だとか、
さんざん身の程知らずの欲張りなことを言いながら、自分は欲張りではないと言う。
準シュダオンさん、なかなか笑える自虐ネタですね。
あなたのその厚かましく、面の皮が厚く、異常なまで自己評価の
高さを見ると、さすがは桐山ゲイカの弟子だけのことはあると感心します。
桐山さんもあなたと似たようなことを書いていた。

『求聞持聡明法秘伝』85頁
「かれもかれの妻も、金や物を財産だと思っていないのである。かれらに限りなく
信頼と期待をよせてくれる信徒たちこそ、かけがえのない財産だと思っている。」

たしかに信者とはお金を生み出す宗教家畜だから、これさえあれば、
いくらでも財産を生み出すことができる。
勲章をあるが上にも欲しがり、さらには愛人まで持っていた桐山さんが
自分はなんの執着もない阿羅漢だと自惚れる。
こういう身の程知らずの教祖の信者だから、準シュダオンさんも
欲張りで傲慢で無知丸出しの自分を白銀バイブを受けた預流向だと自惚れる。
この教祖にしてこの信者。
老醜とはまさにこのことです。

132深山:2011/06/18(土) 12:24:17
>>112 :準シュダオン:2011/06/17(金) 19:30:11
>私の体験をいえば、そうなります。

ろくにアゴン宗に金も出さない準シュダオンさんが供養で解脱が進んだのだそうだ。
桐山さんはあなたの因縁がキレタなんて認めていない。
進んだというなら、たしかに一つ進んだことがありますね。
妄想です。
そこは桐山さんとそっくり同じ道を進んでいる。
桐山さんも飽食で糖尿病になり、インドで脳障害を起こして、自分は白銀バイブを
受信したと錯覚して、アナゴンであると自覚したという。
準シュダオンさんも食い過ぎで糖尿病になり、小梗塞をおこして、
自分は白銀バイブを無料で受信したと錯覚して、預流向であると自覚したという。
これを体験と言われれば、たしかに「症状」の進み方はそっくりですね。

133深山:2011/06/18(土) 12:29:29
>>112 :準シュダオン:2011/06/17(金) 19:30:11
>私は、報酬としての食事は受けないと。教えを説いた駄賃としての食事は受けない
>とね。

素晴らしい。
そのとおりです。
釈尊は、法を説いた後での供養を拒絶した。
これは法は売り物ではないからです。
釈尊の教法にはいっさいの取り引きがありません。
供養されても、聖者が何かを返すのではないから、取り引きではない。
聖者は供養に対しては何も返さないのです。
桐山さんや準シュダオンさんの説のように、聖者が供養に対して神秘力で返すなら、
それは取り引きです。
だが、聖者たちはただ食べ物を受け取るだけで、供養した者は
それが善業だから果報としての功徳を受け取るだけです。
聖者は何も返さない。
聖者は供養に対して何もしないのが、準シュダオンさんの引用した経典からもわかる。
説法のお礼に供養しようとした物を拒絶するほど厳しい態度をする釈尊が、
供養してくれたから、お礼に功徳を授けるなんてするはずがない。
取り引きはいっさいなしです。
あなたが引用した経典は、供養に神秘力で功徳を返すという
あなたの説を否定しているのです。
準シュダオンさんは自分で引用した経典が、自分の説と
矛盾することすら気が付かないのだから、本当にオメデタイ。
あなたが経典を引用すればするほど、あなたの説の否定になるのがおもしろい。
それって、笑いをとろうとする自虐ネタですか。

134深山:2011/06/18(土) 12:37:02
>>112 :準シュダオン:2011/06/17(金) 19:30:11
>それが供養なのです。阿含教団に財施供養するにしても、そういう態度でしな
>ければ、功徳は得られないと知るべきです。
>阿含宗が正しい教団ならば、そういう態度で、した供養には、必ず功徳があるし、
>邪宗ならば、功徳はないのです。

なるほど、アゴン宗は邪宗ということですね。
意見が一致しました。
聖者は供養に対して功徳を授けたりはしない。
だが、あなたが功徳を受け取ったというのだから、
それを授けたのは聖者とは正反対の邪霊だということになる。
釈尊は供養をすれば来世の功徳となると説いている。
だが、あなたはアゴン宗に供養したら現世で功徳が得られたという。
これも、アゴン宗にいるのは釈尊のような聖者ではない何よりの証拠です。
本物の聖者なら現世で功徳を授けたりはしない。
だが、邪霊ならば欲望を煽るためにも取り引きをするでしょうね。
アゴン宗は邪霊の棲んでいる邪宗のようです。
教祖とその信者の準シュダオンさんが煩悩の厚い衣を付けたような状態ですから、
邪宗と言われれば、十分に納得できます。

135アゴン:2011/06/18(土) 13:14:01
>>134 ふふふ。(笑)そういう結論になりますよねー。功徳がいただけることを自慢しながら、私は欲張りじゃない。といっている矛盾。意図的に誘導されたことに本人は気がついているのかしら。

釈尊や聖者への供養が来世への善果になり、現世では家業が傾い寄進者の実際の例といい。

でもこれは納得ですよ。下賤な人間ほど、親切のしたには下心ありまからねぇ。w
霊性の高い善人はなにも見返りなど求めません。
アゴン宗はビックリするほど表面的なご利益はありますよ。(笑)
でも内実は、煩悩や欲から離れるように導いた釈尊とは正反対に導いているんですよね。

136準シュダオン:2011/06/18(土) 19:55:45
>いいえ、比例するのです。そりゃ40体完了と50体完了の人とは果たしてどちらが
>向上してるかどうかはその人によりまちまちであり、一概に差別はつけられない。
>しかし指導に従い数十体供養した人とあなたみたいに指導に従わず20年間で数体しか
>供養してない人とは歴然の差がつく。

そういうのは、比例しないのよ。だから、ユビキタスさんの信仰も、独りよがりで
効果がなかったのです。管長が、解脱供養数の数に比例して、解脱が進むと、
話したことがありますか?ありませんよ、そんなこと。
そんなことは、信者が勝手に思っていることです。
優れた信者は、一体の解脱供養でも、解脱が進むのです。
出来の悪い信者は、百体解脱供養しても、無駄なのです。

おそらく、出来の悪かった批判派は、見返り供養に徹して、我欲を掻き立てて、
供養をしたのでしょうw。隠しても、賢者にはわかりますw。
そういう供養には、功徳はありません。
供養には見返りを求めず、ただただ、尊敬して供養を捧げること。
そういう供養には、功徳が、あって、自覚できるのです。

供養しても見返りが無い人は、欲から供養したからだと、自覚することです。
見返りを期待しない人は、いくらでも、供養を続けられますね
見返りを期待してる人は、嫌になって、辞めるわけです。

見返りを期待してる人には、功徳は無くて、
見返りを期待していない人には、功徳が生じるのです。
それが、法則ですね。

137トキ:2011/06/18(土) 20:10:41
>>136

>>ユビキタスさんの信仰も、独りよがりで効果がなかった

 すみません。お尋ねいたします。

「効果』とは、具体的に何をさすのですか? よければご教示下さい。

138干柿:2011/06/18(土) 21:02:09
>>136
優れた信者と出来の悪い信者の違いってなんだと思われるのですか?
準シュダオンさん。
思い込みの霊的バイブレーションを受けたという
思いがあるかないかですか?また、そういうのと精神病院の患者が恍惚の表情
で「わたしは悟りを得た仏陀である。」というのと変わりないように思われる
のですが、そうではないというのなら、その違いはなんだと思われますか?

139ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/18(土) 21:27:01
>>136:準シュダオン11/06/18(土) 19:55:45
>そういうのは、比例しないのよ。だから、ユビキタスさんの信仰も、独りよがりで
>効果がなかったのです。管長が、解脱供養数の数に比例して、解脱が進むと、
>話したことがありますか?ありませんよ、そんなこと。

私が言う比例とは厳密な数量比較でもなく、一般論的な「サボっている人は一生懸命にやる人にかなわない」
というものです。
あなたはこれを否定しますか?管長の教えを素直にきかずに屁理屈だけで
サボってる人は真面目に取り組んでいる人よりも優れていると言いたいのか?
桐山さんは素直に教えを実践せよと説いている。
「力の限り供養せよ」「蒔けば蒔くほど実るもの」「骨身惜しまず蒔くことぞ」
と説いている。あなたはこれにケチを付けるわけですね?

>おそらく、出来の悪かった批判派は、見返り供養に徹して、我欲を掻き立てて、
>供養をしたのでしょうw。隠しても、賢者にはわかりますw。

それ誰がどう見てもあんたですがなw
あなたは運命好転の因縁解脱のない仏教など価値がないと、御利益志向を剥き出しにした。
もちろん私にもそういうあさましい心がないとは言わない。明らかにあった。
しかし私が冥徳解脱供養をせっせとしたのは霊視をしてもらった先祖さんが苦しんで
いるから、早く救ってあげたいというものです。
あなたは先祖が苦しんでいてもそんなもんどこ吹く風ですよね?
尊い仏縁を得て自分の立場の責任感を自覚していない。
それから殊に冥徳供養は桐山さんの方で御利益があるぞと煽ったのです。
先祖が解脱成仏するだけでなく、おかげの功徳が得られると宣伝した。
ところであなたが言う「解脱供養をしたからと言って解脱の進み具合には比例しない」
という説の前者の解脱と後者の解脱はどう違うのですか?

140アゴン:2011/06/18(土) 21:28:21
だから準シュダオンさんは、グルグル出口のないところで何百回何千回迷ってるんですかね。
解脱の功徳ってずばり、なんのことよ?
あなたのは、ただのいったもん勝ちです。(爆)

正直老人いじめる趣味はないけど、いい加減、この人は頭大丈夫か?と思います。

解脱の功徳がなにかここで書いてください。見返りを求めてない人間には功徳がある。ということですね。準シュダオンさんは見返りを求めずに、教団になにを身捧げし、何を差しだし、してきたのでしょうか?そして、どんな功徳が貴方にはあったのですか?

アゴン信徒は期待してあなたのレスを待っています。

141深山:2011/06/18(土) 23:37:54
>>136 :準シュダオン:2011/06/18(土) 19:55:45
>効果がなかったのです。管長が、解脱供養数の数に比例して、解脱が進むと、
>話したことがありますか?ありませんよ、そんなこと。

ユビキタスさんに反論するなら、せめてその前の彼の主張を理解してからにしてはどうか。
>>94の解脱供養や冥徳供養の話は彼の意見ではなく、アゴン宗の教義であり、
桐山さんが説いていることです。
解脱供養の回数、冥徳解脱の回数を決めるのはあなたのような信者ではない。
桐山ゲイカです。
だから、ゲイカから「もういい」と言われるまで、信者は出し続けなければならない。
冥徳解脱も守護神を持つまでは信者の義務だから、最低でも40体です。
このように、どこまでやればいいかを決めるのは桐山ゲイカです。
信者ではない。
だが、あなたは勝手に解脱供養を四体でやめて、冥徳解脱供養も
数体で打ち切ってしまった。
それは我見による判断、因縁丸出しの判断としてアゴン宗では間違ったこととされている。
言い訳をせずに、反省して、解脱供養や冥徳解脱を出すべきです。
必要でないなら、桐山ゲイカが「いらない」と拒絶してくれる、そうなんでしょう?

142深山:2011/06/18(土) 23:40:02
>>136 :準シュダオン:2011/06/18(土) 19:55:45
>おそらく、出来の悪かった批判派は、見返り供養に徹して、我欲を掻き立てて、

解脱供養や冥徳供養が金銭的に続かない信者の場合はしかたないとされている。
だが、それはそれでいいと言っているのではなく、
不徳だから仕方ない、やむを得ない、延期しなさいという意味です。
だから、桐山ゲイカが「もういい」とおっしゃるまで解脱供養や
冥徳解脱を出せない信者は全員が不徳な身として、己を恥じなければならない。
ところが、あなたは恥じるどころか、威張っている。
そして、桐山ゲイカの指示に従い、精一杯、解脱供養や冥徳解脱を出して
先祖を供養しようとした人たちに向かって、「我欲だ」と罵った。
それは桐山ゲイカに向かって「我欲だ」と言っているのと変わりない。
桐山ゲイカの出した指示を我欲だというなら、我欲をかき立てたのは桐山ゲイカです。
その点だけはあなたの意見に賛成です。

143深山:2011/06/18(土) 23:45:00
>>136 :準シュダオン:2011/06/18(土) 19:55:45
>おそらく、出来の悪かった批判派は、見返り供養に徹して、我欲を掻き立てて、

あなたの主張は、アゴン宗の教義や、供養、我欲なんて高尚な話しではない。
あなたはただのケチで、必死にケチの言い訳をしているだけです。
桐山さんが自分の犯罪の言い訳にアゴン宗まで作り出したのと同じ手法です。
解脱供養や冥徳解脱を出してみたが、何も効果がなく、ただ高額のお金が
次々と消えていくだけだから、惜しくなって苦しむ先祖を見捨てて、財布をしまった。
桐山ゲイカの霊能力を本当に信じていたら、これまでのあなたの収入からして、
この三十年間に解脱供養40万円、冥徳解脱が数十万円というのはあまりに額が低い。
それでいてあなたは夜中に酒を飲み続け、糖尿病になるほど食べた。
自分が飲み食いすることには出し惜しみせず、しかし、先祖が苦しんでいることには
お金を惜しんで、出さなかった。
ただのケチ、吝嗇ですよね。
その言い訳のために、批判側の修行がおかしいかのように因縁をつける。
批判側や先祖供養の話ですらなく、またアゴン宗の批判や擁護ですらなく、
準シュダオンさんは自分のドケチを必死に言い訳しているだけです。

144深山:2011/06/18(土) 23:48:34
>>136 :準シュダオン:2011/06/18(土) 19:55:45
>見返りを期待しない人は、いくらでも、供養を続けられますね

なるほど、供養を続けなかった準シュダオンさんは見返りを期待したのですね?
見返りを期待したが、見返りがないので、解脱供養は四体、
冥徳解脱は数体でヤーメタというわけですね。
正直な告白をありがとう。
告白してもらわなくても、あなたには低劣な御利益信仰しかないことくらい
批判側はみんなよおく知っています。
前に、功徳がないなら仏教なんて信仰しないとまで書いて、
批判側の苦笑を誘っていましたね。
十年前にいた「よー痴」さんという信者が、あなたと同じで、
御利益信仰の何が悪いという態度で、それを恥ずかしいとも思わずに、
堂々と表明するものだから、私はあっけにとられた。
あなたには「見返り」と「功徳」が別物に見えるのでしょう?
あなただけを批判するつもりはない。
私も信者だった時代、自分が目標にしている因縁切りが
御利益信仰の一つにすぎないと気が付くのにしばらく時間がかかった。
因縁切り、功徳、お手配、ご加護とか、桐山さんはこういう言葉で
ごまかすのがうまいから、つい騙されてしまう。
だが、見返りも功徳もお手配も同じ物で、それを御利益信仰というのです。
あなたは相変わらず、そんな区別もつかない。
どうしてかわかりますか。
桐山さんと同じで、貪が普通の人よりも強すぎるからです。

145深山:2011/06/18(土) 23:52:59
>>136 :準シュダオン:2011/06/18(土) 19:55:45
>見返りを期待しない人は、いくらでも、供養を続けられますね

あなたは供養なんて続けていない。
護摩木もろくに書いていないから、法施なんてもらえるはずもない。
会費以外は最小限です。
金をかけないで御利益を得る方法を編み出したのです。
それも桐山さんと同じ手法で、脳梗塞の症状を白銀バイブだと
思いこむことで、自分の解脱が進んだと自惚れた。
これなら一銭もかからないから、あなたのケチな心は大満足です。
あなたが得た功徳とはこれだけではなく、
自分は他の連中よりも進んだのだという慢心も持ち、他人を侮蔑した。
仏教とは白銀バイブを出すような御利益信仰だと思いこんだ。
つまり、あなたが二十年以上もアゴン宗にいて得た成果とは、
貪瞋癡の三大煩悩をしっかり増長させたことです。
特に無明は大幅に増大した。
この意味ではあなたは間違いなく桐山ゲイカの弟子だと認めてあげます。
現実のあなたは、今も、また来世でも外道の信者でしょう。

146深山:2011/06/18(土) 23:57:22
>>136 :準シュダオン:2011/06/18(土) 19:55:45

ところで、小縁経に「阿羅漢」と書き入れた件はどうなったのだ?
あなたは嘘を平気で書き、それを指摘されても、絶対に自分の非を認めない。
やはり口を拭って、トンヅラか。
さすがは桐山さんの信者だけのことはある。
経典に書き入れるような捏造がなんともない。
桐山さんも都合の悪いことになると素知らぬふりをして、
他のことをしてごまかそうとする。
アゴン宗批判が雑誌に載ると、マスコミを使ってその雑誌に
広告などを載せて、あたかも雑誌社側が批判を謝罪したかのように錯覚する。
桐山さんが長年使った手法です。
だが、雑誌社側は批判記事を間違っていたと撤回した事例は一つもないし、
批判記事の内容は今でもそのままです。
準シュダオンさんも都合の悪いことはいっさい触れないようにして、
議論を他のことにずらして、批判側が忘れるのを待っているのでしょう?
あなたって、仕事でもずっとそれをして来ましたね。
だから、嫌われたのですよ。
やはり、銀狐の弟子は古狸だ。

147準シュダオン:2011/06/19(日) 10:49:42
>優れた信者と出来の悪い信者の違いってなんだと思われるのですか?
>準シュダオンさん。

優れた信者とは、教えを受け取れる信者。
出来の悪い信者とは、我見で解釈して、教えを理解できない信者。

>思い込みの霊的バイブレーションを受けたという
>思いがあるかないかですか?また、そういうのと精神病院の患者が恍惚の表情
>で「わたしは悟りを得た仏陀である。」というのと変わりないように思われる
>のですが、そうではないというのなら、その違いはなんだと思われますか?

それこそが思い込みでしょうw。自分に体験が無いから、他人の体験を思い込み
と決め付けてしまう。それをこそ我見、思い込み、というのです。
もしかしたら、本物かな?と、いう想像力もない、お粗末、脳味噌w。

精神病患者と仏陀の違い?あんた、アホか。
管長が精神病院に居るというのかい?
ならば、その話を聞いてるあんたも、精神病院の患者だろうが。

148準シュダオン:2011/06/19(日) 10:55:53
>すみません。お尋ねいたします。

>「効果』とは、具体的に何をさすのですか? よければご教示下さい。

「効果」とは、何を求めて入行したのか?ということに関わります。
求めたものが得られたら、効果があったのです。
求めたものを得られない場合は、効果がなかった、のです。

149準シュダオン:2011/06/19(日) 11:07:02
>あなたはこれを否定しますか?管長の教えを素直にきかずに屁理屈だけで
>サボってる人は真面目に取り組んでいる人よりも優れていると言いたいのか?

あのね、勤勉があるから、サボリというのがあるのです。
サボリだけの信者は、信者ではないでしょう。
この意味↑、解らないのかなあ。

1日24時間、1年365日、そのすべてを真面目だけでは務まらない、という
ことです。生命体というのは、そのようには出来ていない。
全力疾走とは、せいぜい、100メーター、か200メーター、が限界でしょう。
だから、一生を生きるには、サボリも必要だ、ということです。

150準シュダオン:2011/06/19(日) 11:15:14
>あなたは運命好転の因縁解脱のない仏教など価値がないと、
>御利益志向を剥き出しにした。
>もちろん私にもそういうあさましい心がないとは言わない。明らかにあった。

運命好転・因縁解脱が、なんであさましいの?
そういう考えこそ、異常ですよw。
運命好転・因縁解脱は、まともな人の、まともな願いです。
そうでない人は、M願望の、異常な人ですね。

お釈迦様だとて、四苦八苦から逃れようと出家、したのですからね。
それを普通、あさましい、とは言わないよ。

151準シュダオン:2011/06/19(日) 11:30:27
>それから殊に冥徳供養は桐山さんの方で御利益があるぞと煽ったのです。
>先祖が解脱成仏するだけでなく、おかげの功徳が得られると宣伝した。
>ところであなたが言う「解脱供養をしたからと言って解脱の進み具合には比例しない」
>という説の前者の解脱と後者の解脱はどう違うのですか?

批判派の考え方は、なにか解脱供養の数が多ければ、数の少ない人よりも優秀な信者だ、
というような雰囲気を感じるのね。だから、そういうものではありませんよ、と言う
のです。解脱供養は助行です。
「なんでもかんでも、霊障のせいにする人は、いくら解脱供養しても無駄です」
とは、管長が説いていることです。それを良く考えましょう。

前者の解脱と後者の解脱の違い?よく意味が解りません。
たとえば、深山さんのレスなどは、我執が強くて、延々と続けています。
これなどは、煩悩解脱といいながら、我執、我見、という一番最初に断つべき
煩悩が少しも断てていない証拠です。少しも解脱が進んでいないのです。

152準シュダオン:2011/06/19(日) 12:34:39
>だから準シュダオンさんは、グルグル出口のないところで何百回何千回迷ってるんですかね。
>解脱の功徳ってずばり、なんのことよ?
>あなたのは、ただのいったもん勝ちです。(爆)

私は別に迷いはないですよw。迷ってるのはあんたでしょ、退会しよか、しまいかと。
さっさと、退会しなさい、ての。あんたは深山さんや、ラシンさん、みたいなとこ
あるから、それを直さないうちは、いくら修行しても無駄ですよ。

「解脱の功徳」、ほんとに意味が解らないのかい?
功徳には福徳という意味もあるけど、功徳に依って解脱が進むと考えられている
訳よね。功徳というのは、身に備わる特性のことよね。だから、煩悩が薄れて、
解脱がある程度進んだ状態を、「解脱の功徳」と呼んでもいいのです。
そういう意味では、高い品性、も功徳の一つと言えますね。

>正直老人いじめる趣味はないけど、いい加減、この人は頭大丈夫か?と思います。

別にあんたのレスくらいではイジメになっていないよw、屁のつっぱりにもならん。
「正直老人」とは、いいネーミングだ。あんたはホラ吹き若人かい?

>解脱の功徳がなにかここで書いてください。見返りを求めてない人間には功徳がある。
>ということですね。準シュダオンさんは見返りを求めずに、教団になにを身捧げし、
>何を差しだし、してきたのでしょうか?そして、どんな功徳が貴方にはあったのですか?

見返りを求めない、といっても、全く何も求めない、というのではないよw。
全く何も求めないのなら、修行することないじゃない、アホらしい。
何のために善根を修するの?
何のために修行してるの?
解脱のためでしょう。
そしたら、解脱は最大の功徳でしょう。それが解脱の功徳。

153深山:2011/06/19(日) 12:44:42
>>151 :準シュダオン:2011/06/19(日) 11:30:27
>たとえば、深山さんのレスなどは、我執が強くて、延々と続けています。
>これなどは、煩悩解脱といいながら、我執、我見、という一番最初に断つべき
>煩悩が少しも断てていない証拠です。少しも解脱が進んでいないのです。

延々と、アゴン宗と関係のない準シュダオン教を書き続けているのは
準シュダオンさん、あなたです。
桐山さんがいつ解脱供養を信者が判断してやめていいと言いましたか。
そんなこと言っていないにもかかわらず、頑迷にそれを主張し続ける。
こういうことを主張するのを我見といいし、続けることを我執というのです。
いつ、桐山さんがあなたのような白銀バイブを認めましたか。
認めていないと指摘されても、あなた7年に渡りそれを主張し続けている。
いつ桐山さんがあなたを預流向だと認めたのですか。
そんなことは桐山さんが言っていないにもかかわらず、
あなたは7年間、何度注意されても主張し続けている。
私はあなたのこういう間違いを反論しているだけで、何も主張などしていない。
7年間、あなたは桐山さんが認めていないこと、ここの議論のテーマですらないことを
何度批判側から指摘されても、書き続けている。
それが我執、我見でなくて何なのだ?
否定された時は黙るが、しばらくすると、あなたは前の議論を
完全無視してまた同じ主張を始める。
出してくる阿含経まで同じです。

154深山:2011/06/19(日) 12:48:51
>>151 :準シュダオン:2011/06/19(日) 11:30:27
>たとえば、深山さんのレスなどは、我執が強くて、延々と続けています。
>これなどは、煩悩解脱といいながら、我執、我見、という一番最初に断つべき
>煩悩が少しも断てていない証拠です。少しも解脱が進んでいないのです。

小縁経の件はどうなったのですか。
何度そのことを言われ続けても、あなたは絶対に自分の非を認めない。
自分の間違いは絶対に認めないのが準シュダオンさんです。
私はあなたとは八年近いつき合いだが、間違いを修正したのを見たことがない。
自説を譲らないなどという生やさしいものではなく、
明瞭な過ち、明瞭な間違いを指摘されても、あなたは絶対に認めない。
屁理屈をつけて右に左に逃げまどうか、小縁経のように
屁理屈をつけられない時は、口を拭って素知らぬ顔をする。
絶対に頑迷に自分の説にこだわり、頑迷に自分の間違いを認めないのを
我執、我見が強いというのです。
そして、自分の間違いは完全無視して、今回のように>>147-152のように
「延々と」関係のない自説を自惚れを垂れ流しながら、書き続ける。

155深山:2011/06/19(日) 12:52:52
>>151 :準シュダオン:2011/06/19(日) 11:30:27
>たとえば、深山さんのレスなどは、我執が強くて、延々と続けています。

私がいつあなたみたいに自分の間違いを認めないことがありましたか。
四果と四向四果を一緒に説明するという間違いをした時は、
自分からその間違いを認めて、修正した。
念のために言うが、あなたの説が正しいのでも、私の間違いを
あなたが指摘したのでもない。
私が自分の間違いに気が付いて、自分から修正したのです。
一方、あなたはどんなに阿含経や学者たちの説明を出されても、
「預流向≠聖者」と言い張って、絶対に譲らない。
今回の議論の供養の功徳の件も、現世で功徳があるとか、
解脱を進めなどあなたの説の根拠は示せないのに、
自分の説の間違いを絶対に認めない。
少し時間がたてば、まるで自分が根拠を示したかのような顔をして
また同じ主張を始めるでしょう。
あなたの説を支持する根拠はただの一つも出せないのに、あなたは頑迷に
自分の説に固執する。
そういうのを我見、我執が強いというのです。

156深山:2011/06/19(日) 12:56:23
>>151 :準シュダオン:2011/06/19(日) 11:30:27
>煩悩が少しも断てていない証拠です。少しも解脱が進んでいないのです。

私がいつ解脱を目指すと言いましたか。
他人を批判するなら、相手の書いていることくらい理解してからにしなさい。
ろくに読みもしない、ろくに記憶もできないなら、他人の批判などするものではない。
私はアゴン宗にしか帰依したことがないから、未だに仏教徒ですらない。
私の肩書きは「元外道信者」です。
あなたみたいに預流向になったなんて自惚れはありません。
私が切った煩悩とは、桐山さんから植え付けられた身見、疑惑、戒取です。
霊魂があるとか、釈尊の解脱が因縁解脱だとか、
護摩や占いをするとか、そういう低劣な煩悩を捨てたのです。
こんな煩悩すら捨てられない者が預流向なはずがあるまい。
捨てられないどころか、あなたは強く執着し、絶対に離そうとしない。
しかも、それは桐山さんを信じているからではなく、あなた場合、
「自己顕示欲」
です。

157準シュダオン:2011/06/19(日) 12:58:48
>そして、どんな功徳が貴方にはあったのですか?

この、アゴンさんの質問であるが、今までに沢山レスしていますよ。
例えば、聖なるバイブの功徳ね。これは下品(ゲポン)の成就、なのかも知れない。
しかし、その後、仏教辞典の解説などが、簡単に理解できるようになったね。
一例を挙げれば、三転十二行相、など、以前は辞典を読んでも何のことか、よう
解らんかった。それが、聖なるバイブ以後は、何だ、そういうことか、と簡単に
理解できるようになった。理屈的に理解できるということで、体得出来たのではないよ。

この春、将棋の天才、羽生九段が、「大局観」という本を上梓した。
興味深いよ。若い時は沢山、手が読めるのだそうだ。加齢とともに読む手が衰える。
しかし、経験とともに、大局観が優れていくから、無駄な手を読まない、ように
なっていく。だから、若い時より手は読めないが、有効な手に絞って、読むから、
若い自分に負けない、という。

私は、その意味がよく解るね。私は、計算力や記憶力が衰えた。推理ドラマなど、
見てから二〜三日も経てば、八割方忘れてしまう。管長の本を読んでも、八割方
忘れてしまう、若い頃は八割方を覚えていたろう。しかし、仏法を理解する脳は、
計算力や記憶力に使う脳とは、また別の脳らしいことが解った。
羽生九段のいう、大局観、を司る脳と、関係あるように思うね。

158深山:2011/06/19(日) 12:58:59
>>151 :準シュダオン:2011/06/19(日) 11:30:27
>煩悩が少しも断てていない証拠です。少しも解脱が進んでいないのです。

あなたがここでアゴン宗を擁護しているのは、ただの自己顕示欲です。
自分くらいエライ者はないと言いたい、それだけです。
現実世界では誰も相手にしてくれないから、ここに来て、威張ってみせる。
だが、アゴン宗擁護が目的ではないから、書けば書くほど、準シュダオン教になる。
準シュダオン教の教義の大黒柱は、
「オレ様はエライ」
です。
そこは桐山さんと同じで、あなたは桐山さん良き弟子です。
現実世界では得られなかった自己満足をここで満たしている。
偉そうにアゴン宗を擁護をすれば、批判側がまともに相手してくれる。
そこで、威張りちらしながら、「どうしようもない批判側」に
御高説を垂れるのがあなたにとって快楽なのです。
だから、どんなに間違いを指摘されても何ともない。
なぜなら、仏教教義やアゴン宗に興味があるのではなく、
「オレ様はエライ」だけが目的だからです。

159深山:2011/06/19(日) 13:01:28
>>151 :準シュダオン:2011/06/19(日) 11:30:27
>煩悩が少しも断てていない証拠です。少しも解脱が進んでいないのです。

本当にアゴン宗に信仰を持っているのなら、あなたのような
アゴン宗と関係のない教義を書くことは避ける。
信仰心があれば、それをしたら、桐山ゲイカに申し訳ないと思うからです。
ここに出てきたまともな信者はみんなそういう反応です。
アゴン宗の正しい教義を批判側から説明されることに恥じる。
だが、あなたはそうではない。
アゴン宗の教義なんてきちんとは知らないし、実は興味もない。
だから、さも何かわかったかのような我流の解釈を適当にここに書き並べるから、
それを毎回、批判側に足払いをかけられる。
解脱供養の回数の話もそうです。
普通の信者なら、四回しかしていないことを恥じるし、
冥徳解脱を数回しかしていないなんて、恥ずかしいから、
あなたみたいに「何を言うか、おれは出している」なんて書いたりしない。
だが、あなたは教義なんて興味がないし、アゴン宗なんて踏み台だから、
教義の間違いを否定されても、痛くもかゆくもないし、
解脱供養の回数の少ないことに恥じることもない。

160深山:2011/06/19(日) 13:04:33
>>151 :準シュダオン:2011/06/19(日) 11:30:27
>煩悩が少しも断てていない証拠です。少しも解脱が進んでいないのです。

本当に仏教に興味があるなら、自分の知識の間違いを指摘されたら、
痛みを感じながらも、むしろ喜ぶはずです。
だが、あなたはそのどちらでもない。
アゴン宗も仏教も、あなたは「オレ様はエライ」というための踏み台にすぎないからです。
職場でもあなたは時々、仏教の知識などを披露して、
さも自分がすごいかのように見せかけていますね。
他の人たちが沈黙するのを見て、自分の高説と知識の深さに
皆さん感心したのだと思いこんだ。
違います。
ここでと同じで、皆さん、あなたの自惚れと執拗さにウンザリしている。
嫌われ、疎まれているのです。
それに気が付くチャンスが何度もあったのに、あなたは
嫌われていることを、いつも逆に解釈する。
職場で、自分が全員一致で良い職に推挙されたと書いていた。
あなたに閑職に行ってもらいたかったのです。
仕事に加わって、口をだされてはたまらない。
まとまるものもまとまらない。
だから、閑職に隔離した。
だが、あなたの留まることのない慢心は、
それを自分は周囲から才能を買われて推挙されたと解釈した。
ひたすらオメデタイ。

161深山:2011/06/19(日) 13:13:55
>>151 :準シュダオン:2011/06/19(日) 11:30:27
>煩悩が少しも断てていない証拠です。少しも解脱が進んでいないのです。

自分に対する非難を礼賛とみなすのだから、
あなたのそのオメデタさは、桐山さんとそっくりです。
桐山さんも、小学校の先生から、「この子は大人物か、大悪人になる」と
警告されたのを見て、自分を高く評価してくれたのだと解釈していた。
その先生の言いたかったことは、「こいつ、相当なワルだ」です。
穏やかな先生だから、親を怒らせてはまずいと、言葉を弱め、
両方出しているが、大悪人になると言いたかった。
そして、この先生の予想はズバリ当たった。
だが、桐山さんはこの本を書いた六十過ぎても、まだ先生の
本音を読みとれず、自分への礼賛だと思っていた。
天井知らずの煙です。
あなたもそうですよね。
県庁に勤めていた公務員か、出向していたのでしょう?
たぶんあなたは公務員だった。
それなら、あなたのその実力のない威張りっぷりの説明がつく。
権限があるから、他人に対してものすごく高飛車で威張っていられた。
退職後も関連企業に天下りできた。
だが、あなたの仕事ぶりはここでの主張と同じで穴だらけ。
しかも、自分の能力の程度を知らず、威張る、威張る、威張る。
ミスはいっさい認めず、言い訳を羅列するだけだから、職場では若い頃からうまくいかず、
出向先でも全員一致の推挙で閑職に追われた。
だが、あなたはそれは自分がエライからだと今でも思いこんでいる。
我見と執着とは、桐山さんやあなたの人生そのものです。

162ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 13:28:15
>>149:準シュダオン11/06/19(日) 11:07:02
>あのね、勤勉があるから、サボリというのがあるのです。
>サボリだけの信者は、信者ではないでしょう。
>この意味↑、解らないのかなあ。

>1日24時間、1年365日、そのすべてを真面目だけでは務まらない、という
>ことです。生命体というのは、そのようには出来ていない。
>全力疾走とは、せいぜい、100メーター、か200メーター、が限界でしょう。
>だから、一生を生きるには、サボリも必要だ、ということです。

また一般論でごまかしてますね。
ならば具体的な基準を考えましょう。
私の示す真面目、サボリの差の基準って、すごくハードルが低いのですよ。
まず奉仕梵行の話で言うと1年365日毎日道場で奉仕してる主婦の信者がいるとしますね。
彼女が旦那や子供の夕食をコンビニで弁当を買って済ませよなんてことやって
周囲に迷惑掛けているならば、これは心得違いのやり過ぎです。
迷惑を掛けずにうまくバランスを保っているにしても毎日なんて他の人は真似できない。
よってこういう人は基準になどできない。
ではそうではなく月に一度の例祭に参拝ではなく、当日申し込みでもよいから
運営奉仕をすることは決して無理などない。護摩の時間は勤行にも専念できるし、
法話の時間はメモを取りながら拝聴できるのは参拝者と同じ条件です。
で、この月に1回の例祭運営参加だけで他の日は奉仕梵行をやってない人がいた
としても、私はこれをサボリなどとは認定せず真面目と評価します。
1ヶ月のお手配願いを申し込むと「3日間道場えお参りせよ」と戒行が課されます。
このお参りとは決して参拝だけに終わらずに清掃など道場奉仕もするように
付加コメントもあります。
この辺を一つの基準と考えるが、私は月に3日梵行しなくても1日でも梵行参加
する日があれば十分と認めます。例祭に限らず。
それも30分か1時間護摩木判押しや会報発送手伝いするだけでも、とにかく
やっている人は熱心な人と認めます。少しも無理などなく、やる気があるかないか
の違いだけです。
ところが1年間で全くこういうことをしなかった信者がいたとしたら、それはサボリであり、
真面目信者に比べて軽蔑されて当然だと思いませんか?
奉仕は少ししたことがあるなんて書く人はこの類です。
では金のかかる解脱供養について考えてみましょう。

163ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 13:56:50
>>149:準シュダオン11/06/19(日) 11:07:02
>あのね、勤勉があるから、サボリというのがあるのです。
>サボリだけの信者は、信者ではないでしょう。
>この意味↑、解らないのかなあ。

>1日24時間、1年365日、そのすべてを真面目だけでは務まらない、という
>ことです。生命体というのは、そのようには出来ていない。
>全力疾走とは、せいぜい、100メーター、か200メーター、が限界でしょう。
>だから、一生を生きるには、サボリも必要だ、ということです。

解脱供養を考えてみましょう。
これって一体10万円もするのだから生活保護の人には無理ですよね。
しかし勤め人だった人ならその中から何回か捻出することは可能です。
ましてやあなたは別ハンドルの頃、車を5回か6回乗り換えていると書いている。
数十年の間ですが。別に贅沢とも思いませんよ。車なんて常に乗り換えるものですから。
しかしそれができるならば冥徳供養が始まって20年たち、年に1回10万円を申し込むだけで
20体は冥徳解脱供養ができる計算です。
2年に1回申し込んでも10体になる。
それを20年間で数体とはいかにやらなかったかよくわかる。
対して他の人はよくやっている。
これは例祭や冥徳祭、通常の参拝で他の人の冥徳供養のお塔婆の数と色でわかる。
色により何巡目かわかりますからね。
そこで考えて欲しいのが全体の平均というものです。
20年で百体を超過したような人を基準にしてもいけないと思う。
平均をとるとやはり当初からやってる人は数十体供養してることになる。
この平均にケチをつけるならば、あなたはアゴン宗の平均に対して心得違いであるか
のようにイチャモンをつけていることになる。
自分は平均以下、それも偏差値を導入するのならば、極端に低い数値と言える。
このことに対して恥ずかしいという気持ちを示さず、かえって正当化を訴える
あなたの神経がアゴン宗的にはおかしいのです。
学校のテストで10点か20点の落第点とって何が悪い?と開き直っているようなものです。

164ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 14:36:08
>>150:準シュダオン11/06/19(日) 11:15:14
>そういう考えこそ、異常ですよw。
>運命好転・因縁解脱は、まともな人の、まともな願いです。
>そうでない人は、M願望の、異常な人ですね。

因縁解脱で運命を好転させるなんて話は実はあさましい欲望なんですよ。
そりゃ誰だって今この現状を打開して少しでもよくなろう、健康になろう、快適を求めよう、
幸福を求めようと現実努力をしており、誰もこれをあさましいなんて言いません。
しかし不幸の原因を根拠のないものを設定して、これの除去に祈りや呪術によって
達成して幸福を得ようなんて話は不当な欲望なんです。
人間生きているからには誰だって病気もするし事故にも遭う。
しかしそれを諦めるのではなく、少しでもこれを減らして快適にしようという営みが
医療医学であり交通法規の整備であり、自動車などの安全性の追求なわけです。
そしてそれは明らかに効果を上げてきた。
しかしこれを超えて都合のよい幸運な人生を祈るのはあさましい。
あなたが好きな五難得の物ですよ。
要するに四苦八苦を克服することですが、四苦八苦を克服するというのは
死ななくなることなのか?老いなくなることなのか?憎いあんちくしょうが
消えてくれることなのか?という話です。

>お釈迦様だとて、四苦八苦から逃れようと出家、したのですからね。
>それを普通、あさましい、とは言わないよ。

だからお釈迦様は四苦八苦をどのように解決したのか?
死ななくなったのか?いいえ、死んでいます。
老いなくなったのか?いいえ、老いて病んでいます。
憎いあんちくしょうが消えたのか?いいえ、妨害する人はいくらでもいました。

165ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 14:45:14
>>150:準シュダオン11/06/19(日) 11:15:14
>そういう考えこそ、異常ですよw。
>運命好転・因縁解脱は、まともな人の、まともな願いです。
>そうでない人は、M願望の、異常な人ですね。

で、私もあなたと同じように因縁解脱による運命の転換を求めたのです。
つまりあなたと同じだと言いたかったのです。
それをあなたはまるで自分以外の私など批判側だけが心得違い、不当なあさましい
ものを求めているかのように勝手に根拠なく決めつけたから、いやいや、あなたと
同じだったんですよと示したわけです。
求めたものが共通ならば、それで他人を批判するならば、自分自身を批判したことになる。
つまり信仰の目的が共通なんだから、あなたはそれだけで我々を批判する材料には
ならないということです。

166ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 15:07:23
>>151:準シュダオン11/06/19(日) 11:30:27
>批判派の考え方は、なにか解脱供養の数が多ければ、数の少ない人よりも優秀な信者だ、
>というような雰囲気を感じるのね。だから、そういうものではありませんよ、と言う
>のです。解脱供養は助行です。
>「なんでもかんでも、霊障のせいにする人は、いくら解脱供養しても無駄です」
>とは、管長が説いていることです。それを良く考えましょう。

あなたがサボリ癖があることが中途挫折の因縁が強いのかどうか知らないが
先祖の霊障のせいだなんて責任を押しつけるなと指導しているわけです。
頭が痒くて痒くて仕方がないのは先祖の霊障が原因ではなくて頭を洗ってないからです。
昔いしいひさいちの4コマ漫画にありましたね。
「先生、足が痛いのですが、コレラでしょうか?」
「先生、頭が痒くて仕方がないのですがコレラでしょうか?」
「先生、腹が減ってひもじいのですがコレラでしょうか?」
コレラ騒動があった時の時事ネタです。
要するに自己責任であるものを何でも責任転嫁してはいけないという指導なんですが、
だからといって霊障がない、解脱供養が必要ないなんて言っていない。
霊障が原因のものには解脱供養によるしかないのです。
ましてや桐山さんの御霊示により霊障の先祖が出されるわけですよ。
これは解脱供養をするしかありません。
我々が自分はコレラではないかと憶測したのではなく、桐山さんがコレラ菌を
断定したのです。
だからごまかすのはやめなさい。

>前者の解脱と後者の解脱の違い?よく意味が解りません。

前者とは解脱供養の解脱です。
後者とはその解脱供養をすることによって施主が獲得する解脱です。
あなたは深山さんを腐すことを含めて後者を煩悩解脱であるかのように示しているが、
桐山アゴン宗では煩悩解脱は小解脱に過ぎず、求めるべきは運命転換の大解脱たる
因縁解脱です。
しかるに解脱供養とは霊障の先祖が悪い因縁を助長してその大本、根幹になっており
これを解消するのだから、一体でも解脱供養した方が因縁解脱は進む、すなわち
比例するはずではないかと、質問した次第です。

167アゴン:2011/06/19(日) 15:56:50
>正直老人いじめる趣味はないけど、いい加減、この人は頭大丈夫か?と思います 別にあんたのレスくらいではイジメになっていないよw、屁のつっぱりにもならん 正直老人」とは、いいネーミングだ。あんたはホラ吹き若人かい? >

あーそう。じゃ遠慮なく書きますわ。正直老人なんて意味ちゃうわ、ボケ。正直、相手にできんと書いとるんじゃ。
あんたこそ、ホラ吹き老人の称号を与えよう。一貫して嘘ばっかり書いとるからなー。
批判がわのひとは、よーこんなん相手にしてきましたね。ある意味すごい博愛精神ですわ。こんなん現実近くにいたら絶対無視してるわ。

168アゴン:2011/06/19(日) 17:26:31
まともに考える気のあるひとには、こちらも礼節をわきまえますが、なんせバカ田大学ですから無理ですね。
西から登ったお日様が東にしずーむー♪といって譲らないのと一緒です。
これでは誰も相手にはしませんよ。
それと退会したらいい、とか余計なお世話で、管長も言わないことをあんたが偉そうにいう権利もないのです。
身内が職員なので、体裁を考えて保留中なのですよ。

私がアゴン宗に問題意識を感じていることは、釈尊の説いていないことを実践していながら、釈尊直説の経典を拠り所にした教団であると布教することに弊害があり、信徒は知らずに嘘をついてしまって修行していることです。

ゲイカはモウロクして、過去の自分の数々の詐術など、とうに忘れているけれども、ちゃんと負の歴史は残るのです。
そして、その行為は必ず報いとなってきます。知っていて悪びれず、信者から集金している人間がいたとしたらそれは悪行です。
でも現実問題で救われた人間もいることは事実なのです。
だったら効果があったので、いいではないか。というのが準シュダオンさんの考えでしょうが、私は違います。
それは、あなたよりも、修行経験があるので信者さんの問題やアゴンの体制の問題などを経験で知っているからです。
貴方は脳内信仰だけなので、おめでたいのです。w

169アゴン:2011/06/19(日) 17:45:46
そして自分だけよければいい、という考えだから、問題意識もないのです。
そういうひと修行仲間でいましたよ。w
その人のことで皆が頭を抱えて悩んでいるのに、当の本人はけろっとしてまた問題行動を起こす。その人は仕事場で上司に、この人は自分のことしか考えてないんですよ、と第三者に紹介されたと言って怒ってました。
でも事実そうで、結界内でも急に倒れたり、何回いってもチーフの言うことを聞かなかったり、大変でした。グループでのお役だったので、連帯責任で、皆大変な思いをしたことがあります。
その人が少しでも、皆に迷惑をかけているから、行動を変えよう、考え方を変えよう、と思ってくれたら随分周囲のひとも助かったし、印象を変えただろうと思います。
そういう他者への思いやりと配慮が育成できる場であれば、修行も意味があるのです。別に偽物でも意味はあると思っています。
あなたには全くそういう意識も感じられないです。アゴン宗に対しても。

170深山:2011/06/19(日) 18:51:32
>>157 :準シュダオン:2011/06/19(日) 12:58:48
>なっていく。だから、若い時より手は読めないが、有効な手に絞って、読むから、
>若い自分に負けない、という。
>私は、その意味がよく解るね。私は、計算力や記憶力が衰えた。推理ドラマなど、

若い者には負けないというのは、負けないから言えるのです。
若い者に負けながら、大局を読んでいるなどとほざいても、何の説得力もない。
羽生さんは勝っているから、それを言えるが、議論で惨敗で、コソコソと
逃げだして、口を拭う準シュダオンさんが仏法の脳などとほざいても何の説得力もない。
批判側を打ち負かしてこれを書いているのなら、読者にも説得力もあろう。
どこで打ち負かしたのだ?
証拠として出す経典や辞書はことごとくあなたの国語力の低さと
勝手な解釈にすぎないことが暴露された。
批判側に論破され、ゴマカシやインチキを指摘され、アゴン宗の教義を
ろくに理解せず、修行も中途半端にしかしたことがないのを暴露され、
それらを恥じることもなく、「簡単に理解できるようになった」という。
議論で足払いをかけられ、ねじ伏せられているという現実すら見えないのでしょう?
簡単に理解できるようになったのではなく、
あなたの場合、脳が老化して現状を理解できなくなったのです。

171深山:2011/06/19(日) 18:54:14
>>157 :準シュダオン:2011/06/19(日) 12:58:48
>解らんかった。それが、聖なるバイブ以後は、何だ、そういうことか、と簡単に
>理解できるようになった。理屈的に理解できるということで、体得出来たのではないよ。

典型的な老人脳です。
理解できるように錯覚しているだけで、実際には理解力が低下したのです。
前にもあなたに説明してあげたが、当然忘れている。
本人が頭が良くなったつもりで、実際は逆です。
あなたの言っていることは「寒気がするから、体温が下がっているのだ」と
言っているようなものです。
寒気がするのは風邪を引いて体温が上がっているからです。
自分では頭が良くなったつもりで、実は全く逆で、ますます
記憶力も理解力も低下している。
それは2004年のあなたの脳梗塞以降の書き込みをみれば明かです。
あなたのような言い分は、脳の老化した年寄りには珍しくない。
周囲が新しい話をしているのに、それを、
「自分の古い知識にあてはめようとする」
のが一大特徴です。
新しい内容が難しいと理解できないのは若い人でも同じです。
普通の脳の持ち主はわからないことは「わからない」と判断する。
こういう人は脳がまだ健全なのです。
ところが、老人脳は、自分の理解している過去の知識にあてはめて、自分では
パッと理解したかのように錯覚する。
さらには、「おまえたちは理解が足りない。それはこれこれなのだ。
おれの話を聞け」などと、他人の無理解を批判し、間違った解釈を他人にお説教しようとする。
これが老人脳の特徴で、準シュダオンさんにそのまま現れている。

172深山:2011/06/19(日) 18:57:33
>>157 :準シュダオン:2011/06/19(日) 12:58:48
>解らんかった。それが、聖なるバイブ以後は、何だ、そういうことか、と簡単に
>理解できるようになった。理屈的に理解できるということで、体得出来たのではないよ。

老人脳と書きましたが、50代にはこういう症状が現れる人は珍しくありません。
しかも、困ったことに、これは知性の高さとは関係ないから、
案外、大学教授などにこういう人がいたりする。
古い概念に当てはめるのは間違いだと説明しても、彼らは理解できません。
むしろ、彼らの解釈を受け入れないのは周囲がバカなのだと主張する。
有名な所ではアインシュタインの相対性理論で、あれが受け入れられたのは、
古典力学で頭が固まってしまった物理の大御所たちが死んだ後です。
会社の中で決定権を持つ人がこれだと部下たちはものすごく苦労する。
準シュダオンさんは前からこの症状で、自分ではシュダオン界からの
智慧を受信しているなどと自惚れていた。
本人も書いているように、この「病状」が出てきたのは、
彼のいう白銀バイブ、つまり脳梗塞の後です。
現実は見てのとおりで、他人の書き込みを理解もできないし、
自分の主張すら忘れてしまうくらい脳が老化している。
この準シュダオンさんの様子は、どこかで見た光景だと思いませんか。
そう、桐山さんとそっくりです。

173深山:2011/06/19(日) 19:00:31
>>157 :準シュダオン:2011/06/19(日) 12:58:48
>解らんかった。それが、聖なるバイブ以後は、何だ、そういうことか、と簡単に
>理解できるようになった。理屈的に理解できるということで、体得出来たのではないよ。

桐山さんは1980年にインドで白銀バイブを受信した。
六十歳前後で、美食飽食をしていたから、脳の老化が十分に始まっていた。
そこにインド旅行が災いして、小梗塞を起こし、手が震えた。
脳の一部が破壊したのです。
しかし、準シュダオンさんと同じで、脳が老化し、破壊したとはみなさず、
むしろ、自分は仏陀の智慧を獲得したのだと解釈した。
だから、その前後から作り出した霊障教義も矛盾だらけ、
阿含経講義はデタラメもいいところです。
だが、本人は自分ではものすごい業績を上げたと思いこんでいる。

174深山:2011/06/19(日) 19:03:36
「率直にいわせてもらうと、阿含宗を立てて阿含経を世に出した私の業績は、
天才か、天才的才能がなければできない仕事である。」(『阿含仏教超能力の秘密』80頁)

法話では何度も桐山さんは自分は天才なのだと言い放った。
「私はね、諸君が考えている以上の天才なのだよ、フフフ」などと
言うのを私も聞きました。
だが、天才だという桐山さんが作り出した宗教を見てください。
釈迦仏教の目的は因縁解脱だという。
数学の天才だと名乗る人が、1+2=12と計算したようなものです。
信者さんたちの反発を恐れずにあえて言うなら、
仏教の解脱の定義すら間違えたら、これは天才というよりも、大馬鹿者です。
桐山さんも準シュダオンさんも元々理解力に優れた人たちではありません。
むしろ、劣っている。
だから、桐山さんは公立の中学校すら受験できないほどのひどい成績だった。
ところが、彼は自分はすごく頭が良いのだと自惚れている。
そのギャプを埋める方法が、仏教を理解するのに、あるがままに理解するのではなく、
すでに自分が理解している概念にあてはめることです。

175深山:2011/06/19(日) 19:08:27
「率直にいわせてもらうと、阿含宗を立てて阿含経を世に出した私の業績は、
天才か、天才的才能がなければできない仕事である。」(『阿含仏教超能力の秘密』80頁)

新しい概念をそのまま理解しようとするのではなく、
自分の理解している概念を強引に当てはめて、さも理解したかのように錯覚する。
今の準シュダオンさんがまさにそれをしている。
桐山さんの本や法話での解説を聞いて、私はいつもそれを感じていました。
桐山さんの話は実におもしろく、わかりやすく、もし本当に阿含経や仏教
そのものをこんなふうに興味を引くように話しているのなら、立派です。
だが、実はそうではなく、阿含経に書いてあることとは似ても似つかない
勝手な解釈をしているだけです。
釈尊は漏尽解脱だと説いているだけなのに、桐山さんはこれを因縁解脱で、
漏尽解脱は小解脱だというのだから、違う話というよりも、嘘の話です。
内容を本当に理解しているのではなく、自分の解釈を強引に阿含経に
あてはめて、さも理解したかのように説いているだけです。
だから、丁寧に検証すると、矛盾だらけです。

176深山:2011/06/19(日) 19:10:55
「率直にいわせてもらうと、阿含宗を立てて阿含経を世に出した私の業績は、
天才か、天才的才能がなければできない仕事である。」(『阿含仏教超能力の秘密』80頁)

桐山さんは未だに釈尊の説いた漏尽解脱の意味が理解できない。
縁起(=因縁)の意味も理解していない。
四諦の解説など、信者時代に聞いてさえも、首を傾げた。
「苦」は因縁しだいで苦ではなくなる・・・はあ??
「集」とは悪因縁を集めることだ・・・え゛っ!!??
「道」は八正道ではない・・で、でも、釈尊がそうおっしゃっていますよ。
ろくに阿含経も読まず、学者の解説も理解せず、
適当に自説に難しそうな言葉を並べて説明して煙に巻いているだけで、
桐山さんの解釈は無知、浅薄、軽率です。
阿含経や学者の解説をあるがままに読んで理解するのではなく、
自分の稚拙な考えが先にあり、それに強引にあてはめて行くのです。
ミミズを「これは足がないから蛇の仲間だね」と言っているようなものです。
そして、飽食をやめないから、病気は進み、脳の老化は加速され、
桐山さんの記憶はデタラメになり始めた。

177深山:2011/06/19(日) 19:12:52
『守護霊の持てる冥徳供養』126頁
「「釈尊から直接、教えを受けた自分たちがいなくなったら、釈尊の教えが消えてしまう。
今のうちに文字にしておこう」
ということで、十年かかって、釈尊の説法がすべて記録された。」

桐山さんがこの本を書いた頃には、「今回の本は文献はまったく見ないで
記憶だけで書いた」と自慢していた。
だが、その結果がこの有様です。
阿含経が釈尊入滅後、10年で文字に記録された!!??
桐山さんの名誉のために申し上げるが、前はこんな馬鹿なことは書かなかった。
第一回結集で口頭で申し合わせたことがアーガマの原型となって、
口述で伝えられ、それが後に文字になったと、普通の学説を唱えていた。
文字になったのは、一説によれば、大乗仏典が造られた頃だというのだから、
釈尊入滅後数百年も後のことです。
それを桐山ゲイカの高度の仏陀の智慧によれば、十年で文字にされたのだそうだ。
これはちょっとした記憶違いなんてものでは済まされない。
阿含経成立については異説は少なく、十年後に文字になったなんて説は
見たことも聞いたこともない。
阿含経を護持する者なら、絶対に記憶し、間違えるはずのない仏教史の基本的な
知識が桐山さんの頭からは抜け始めていたのです。

178深山:2011/06/19(日) 19:16:12
『守護霊の持てる冥徳供養』126頁
「「釈尊から直接、教えを受けた自分たちがいなくなったら、釈尊の教えが消えてしまう。
今のうちに文字にしておこう」
ということで、十年かかって、釈尊の説法がすべて記録された。」

この本が書かれたのは1991年頃です。
つまり、桐山さんは脳梗塞を発症するずいぶん前から、すでに記憶に
かなり問題が生じていた。
1980年代後半から、突然、栄養学の講義を始め、
サプリメントの重要性を説き始めた。
つまり彼自身の体調に異変があったのです。
1990年代には、突然、糖尿病財団に寄付を始めた。
80年代後半から、すでに桐山さんの本は凡庸になり、
焼き直しが多くなり、新しいネタが書けなくなっていた。
あれは彼の脳の衰えそのままです。
脳が衰えているのに、桐山さんが打ち出したのは、ブッダの智慧を
獲得するための仏陀の法です。
自分の知性がいかに優れているかを自慢し、練脳塾でも信者には
「管長並の知性」を目指すように説いた。
脳が衰えているのに、逆に知性を自慢する者がここにも一人いる。
そう、準シュダオンさんこそが管長並の知性に到達しつつある信者です。

179深山:2011/06/19(日) 19:21:41
>>157 :準シュダオン:2011/06/19(日) 12:58:48
>解らんかった。それが、聖なるバイブ以後は、何だ、そういうことか、と簡単に
>理解できるようになった。理屈的に理解できるということで、体得出来たのではないよ。

桐山さんと同じように、小梗塞になり、脳が老化し始めると、逆に自分の
知性が拡大したかのように錯覚している。
準シュダオンさんは練脳塾など参加しなくても、
桐山さんのいう管長並の脳をすでに獲得した。
準シュダオンさんの性格からして、食生活を正すことは無理でしょう。
桐山さんも

「食いしん坊だから大食いするけれども、食べた食物が
脂肪になったときにその脂肪を燃やしてしまうようにしているのです。」
(ダルマチャクラ、175号、2004年、31頁)

などと、言っているくらいで、理性を司る大脳新皮質が衰えているから、
食欲を抑えようとする理性が働かない。
老人の食生活を直すことは不可能だと言われる理由です。
だから、準シュダオンさんも引き続き、食べ続け、飲み続け、
それがやがて小梗塞や脳梗塞などをまた引き起こすでしょう。
桐山さんの最初の小梗塞は1980年で、脳梗塞が1996年ですから、
桐山さんと同じ道をたどるなら、準シュダオンさんもいずれ本格的な
脳梗塞を発症することになる。
私は何度も彼に医者に行くように勧めたから、義務は果たした。
信者さんたちも、管長並の知性や脳を持ちたければ、練脳塾で訓練など必要なく、
桐山さんや準シュダオンさんのように、飽食して、生活習慣病を獲得することです。
信者さんたちが仏陀の智慧だと信じている内容は、
実は美食飽食を長年続けた男の脳の老化そのものなのです。
わざわざ脳の老化と自惚れを獲得して準シュダオンさんのようになりたいと
いうのなら、私は特に引き留めはしません。

180準シュダオン:2011/06/19(日) 19:38:18
>あーそう。じゃ遠慮なく書きますわ。正直老人なんて意味ちゃうわ、ボケ。
>正直、相手にできんと書いとるんじゃ。

そんなこと、解ってておちょくってるんじゃやい、ボケやろうw。
あんたらは、ボケの骨折り損の、くたびれもうけ、だということじゃよ
阿含宗に、いくら貢いだって、あんたらには、効果がないのw
その理が、解らんのが、あんたらには、不幸だね。
馬鹿につける薬はないの。
さっさと、退会しなさい、アホはいくら修行しても、修行にならないのだよw。

181アゴン:2011/06/19(日) 19:52:52
>>180
なんにもアゴンの教団に帰依してないんだから、あんたこそインチキ宗教の教祖にでもなって、独立したらえーがな。w
そして掲示板別に立ち上げたらいいですよ。
誰も行かないけどね。

182干柿:2011/06/19(日) 20:00:01
準さんは効果があったというわけですね。
で、このありさまですかw
あまり私は年齢的な脳の老化とかいいたくないですけどね
いくら歳とっても多少鈍くなるとはいえ、しっかりしている人は
しっかりしていますし、自分の至らないところを認め、勉強やら
修行、修養に励む人はいくらでもいます。
けれど阿含宗には少ない、そして自惚れて自分の間違いすらみとめず
でたらめなことをさも正しいことのようにみせるためウソをかさねる
桐山ゲイカもそうですね。
いくらがんばってみても妄想は妄想、ウソはウソなのです。
いいかげんクダラナイことはやめたらいかがですか?
すなおに仏教なら仏教、正統的なものから学ばなきゃ三歳児にも劣りますよw

183大東洋 ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 22:44:55
>>147:準シュダオン11/06/19(日) 10:49:42
>優れた信者とは、教えを受け取れる信者。
>出来の悪い信者とは、我見で解釈して、教えを理解できない信者。

誰がどう見ても、アゴン宗の現役信者が見ても、あなたの方が後者ですよね。

>それこそが思い込みでしょうw。自分に体験が無いから、他人の体験を思い込み
>と決め付けてしまう。それをこそ我見、思い込み、というのです。
>もしかしたら、本物かな?と、いう想像力もない、お粗末、脳味噌w。

しかし実は桐山さんもあなたのような感覚体験による判断を否定しているのですよ。
それを想像妊娠をたとえに感覚など指標にならないことを説いている。
チャクラの開発などもそうです。
チャクラの開発を感覚の変化などで説明しない。
誰が見ても客観的に外見的にそれとわかる肉体の一部の変化を説明している。
と言いつつその場所は見せられないとしてますが。
だからバイブがあった感覚などよりもその後どう客観的に改良されたのかを
示す必要があるわけです。

184大東洋 ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 23:13:27
>>152:準シュダオン11/06/19(日) 12:34:39
>そういう意味では、高い品性、も功徳の一つと言えますね。

だから桐山さんの言う解脱の功徳とは品性みたいなものではないのです。
これを説明するのに桐山さんは天理教など他教団からアゴン宗に宗旨替えをした
信者の「今まで天理教で修行してきたことは無駄だったのでしょうか?」との質問に
「そんなこともない。あなたはこれまでの天理教の修行、修養により我がなくなるなどの
人格は高まった。しかし霊的には不成仏霊を抱えていて浄められていないので
これはシャカの成仏法によるしかないのだから、アゴン宗でしかできない霊的浄化に
邁進すればよいとアドバイスをしたのだそうな。
つまり品性、人格なんてのは他宗教の教えでも向上できる話であって、アゴン宗では
狙いの角度は違うのです。
つまり一体よりも二体。二体よりも十体、十体よりも二十体とか解脱供養の数に
比例する霊的浄化の功徳を説明したわけです。指標は病気など厭な運命からの脱却です。

>「正直老人」とは、いいネーミングだ。あんたはホラ吹き若人かい?

一応突っ込ませていただくと、この場合アゴンさんは「正直老人」なんて単語を
ネーミングしたのではありません。
正直に言って老人をいじめる趣味はないが・・・という日本語の使い方です。
やはり根本的に国語力に欠けてますね。

185ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 23:16:07
ああ、また失敗。
投稿者の大東洋をユビキタスに訂正。

186ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 23:32:35
>>157:準シュダオン11/06/19(日) 12:58:48
>しかし、経験とともに、大局観が優れていくから、無駄な手を読まない、ように
>なっていく。だから、若い時より手は読めないが、有効な手に絞って、読むから、
>若い自分に負けない、という。

>私は、その意味がよく解るね。私は、計算力や記憶力が衰えた。推理ドラマなど、
>見てから二〜三日も経てば、八割方忘れてしまう。管長の本を読んでも、八割方
>忘れてしまう、若い頃は八割方を覚えていたろう。しかし、仏法を理解する脳は、
>計算力や記憶力に使う脳とは、また別の脳らしいことが解った。
>羽生九段のいう、大局観、を司る脳と、関係あるように思うね。

あなたの考えは間違っています。
知識の積み重ね、記憶というものをないがしろにしてはいけません。
加齢に伴い、若い頃の記憶力が衰えてくることは致し方ありません。
しかしだからこそ直観と勘違いするような思い込みに逃げるのではなく、記憶が
不確かならばよく調べて記録することが大切なのは実は若い人にも共通で、
仕事の基本と言えます。
仏教でなぜ読経をするか?かつて青柿さんがこの件で呪術でないかと疑問を呈した
ことがある。これに対して私は、わけもわからぬ漢文経典の暗記ならば呪術と
言われても仕方ないが、現代日本語訳した経典を声に出して何回も繰り返して読むことは
暗記するだけでなく理解深化に役立つからです。
まずは偏見、先入観を入れずに書いてある内容を正しく覚えて正しく理解して
正しく実践するのです。
釈尊の仏教には文底秘沈、あるレベルに達した者のみが理解できるなんてものはなく
子どもでも読んで理解できるものなんです。

187ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/19(日) 23:43:55
>>180:準シュダオン11/06/19(日) 19:38:18
>そんなこと、解ってておちょくってるんじゃやい、ボケやろうw。

アゴンさん、ご覧ください。
これが聖なるバイブレーションを体感して、品性がどうのこうのと書いたお方の品性です。
たしかにアゴンさんの挑発的な発言を受けたものだが、本当に品性がある方ならば
心に余裕を持って笑いながら、自分だけは挑発にのらず、かえって冷静かつ丁寧な
言葉でレスをしてみせてその差を示すチャンスだったはずです。
しかしこの程度のことで準シュダオンさんはボケやろうなどと醜い罵倒を相手に
浴びせねば気が済まない品性だったのです。
聖なるバイブなんてこの程度のものだったのです。
だから主観的な体感なんかより、外部からもわかる客観的な人格などの向上の方が
指標になるわけですが、準シュダオンさんは見事に品性など少しも高まってない
ことを証明してくれた。
私はそんなんだったらバイブレーションの体感なんて真っ平御免です。

188深山:2011/06/20(月) 01:01:03
>>180:準シュダオン11/06/19(日) 19:38:18
>そんなこと、解ってておちょくってるんじゃやい、ボケやろうw。

アゴンさんは女性だから、「やろう」ではありませんよ。
準シュダオンさんらしく、アゴンさんに化けの皮が剥がれて、
古狸丸出しになりましたね。
その品性の卑しさこそ「このバカつまみだせ」の桐山ゲイカのお弟子さんです。
桐山さんも格好よく瞑想のポーズなどをとり、八風不動などと何事にも
動じないようなことを言っていたが、オバサンに「嘘つき」と言われたとたんキレタ。
見ていた情けない姿だった。
人前で不動の聖者を演じることもできず、オバサン一人に本当のことを
言われたくらいでキレテ、怒りにまかせて「キサマ!キサマ!」を連発し、
暴力で排除した。
阿羅漢でございます、なんていくら言っても、あんな程度です。
準シュダオンさんも、我は預流向なり、準シュダオン界から
御霊示をもらい、仏法の智慧がある、エヘンなどとさんざん威張りちらしたが、
ボケと言われたとたん、キレテ、「ボケやろうw」。
銀狐がオバサン一人にシッポを出し、
古狸もアゴンさんにの一言に汚いハラワタとシッポを出す。
さすがはアゴン宗、口先だけの妄想宗教です。
教祖も信者も馬脚ならぬ、シッポ丸出し聖者ゴッコ。
やはり、応供の如来のあのシッポは本物だったのだ。

189アゴン:2011/06/20(月) 07:47:45
ボケやろうってなにいってんだ?w程度で別に驚いてはいないですよ。どうせ最後はその程度しか返せないことは最初から知ってましたし。w
真っ当に議論できないから、最後は退会しろだの腐ったみかんだの(さいしょのほうのレスでね)しかいえない。
私も思わず直接的な暴言でしか気がつかないと思って発言したら、やっとバカにされていることに気がついてくれたww
散々バカにしてたのに、ほんとにおバカだから喜んでいる始末。
怖かったなー。w

190ラシン:2011/06/20(月) 12:54:18

相変わらず、準シュダオンさんはアゴン宗を道具にして、
自己顕示欲を発揮しまくっていますね。
街中でズボンのチャックが開いたサマを笑う女性に、
自分に興味があると自惚れるようなバカっプリです。
ところで、
agama@chs-1の意見交換板で、サライさんが好運会の"運命概観"の
タネ本は、昭和初期の法象学会の会長であった小林四明氏によって
書かれた「法象学」という本を八割がた丸写ししたものであった、
と指摘されています。(意見交換板>>301-303より)
サライさんの指摘で言えば、桐山さんは他人の著書をネタにして、
好運会と称して金集めをしたことになります。
作家としてだけじゃなく宗教家として考えるなら、
その倫理観の不毛ぶりは目を疑うばかりの所行です。
桐山さんのこういうパクリや剽窃は過去の批判ログで知られるところですが、
サライさんの、「出典を明記する"礼儀"」、それすら持ちあわせていないようです。

191アゴン:2011/06/20(月) 15:20:52
オリジナルが作れず全部パクリとは本当に情けなくて悲しいのと同時に笑えます。
アーガマ考察室で、モトネタとゲイカの著書、資料を一目瞭然に参照できたら滑稽で笑えますね。
私は最近道場でも、モトネタはーとか言ってしまって、信者さんに訝しげに見られることがあって、あっぶねーと冷や汗かくことがあります。(爆)

192天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/20(月) 19:10:09
>>191 それは確かに危ないw 内密も大変だよね。

193アゴン:2011/06/20(月) 22:50:56
ほんとに大変です。

2ちゃんねるではまた件の裁判が出てますね。元内弟子さんは結局会員には戻っていないんでしょうか?
個人的にはもう一暴れしてほしいところです。

ほんとにこの騒動はうまく立ち消えになりましたからね。欺瞞をしった今では真相がもっと明るみに出てほしいところです。ww

194サライ:2011/06/21(火) 00:44:17
>>190 ラシンさん、出典をはっきり明記されずお気の毒な、"小林四明著「法象学」"のパクリの件、お取りあげいただき、ありがとうございます。こんなパクリ、もちろん一般社会では通用しないから、阿含宗内のムラ社会での話です。でも、これだけ、盗作等が問題視されるこの風潮の世にあって、堂々とそれを実行して高額の金銭を取る事をやるとは、恐れいったものです。偽ビールづくり時代の旺盛な創作欲は健在なのですね。心ある会員さん達は皆、気付いていて、内心しょうがないなぁ、と思ってるんですがね。まあ、顧問弁護士のリーガルチェク等はクリアしたかどうか、知りませんが、下請け作業に従事した職員も一定数いるわけで、いやはやです。最近の道場では、相変わらず、中国の教育関係に寄付した話ばかり放映されてます。まるで、中国の利益誘導団体のようですね。もう、いいかげんに中国からは手を引いてほしいです。パクリ占いでカネ集めて、外国にせっせと寄付して、そこまでやるかと感じますね。

195サライ:2011/06/21(火) 00:56:54
>>191 そう、全部パクリなのは悲しいと同時に笑える、というのはその通りです。w >>192 溝口氏と小学館週間ポストの続報がありませんが、さて、どんな手を使って懐柔させたんですかね。カネ? 電通? こちらも興味深い所です。

196天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/21(火) 05:20:19
>>195〜溝口氏の事 

これは私の個人的な推察になりますが、懐柔したのかどうなのかは分かりかねます。
ただ、おそらくはオファーが切れた(色川さんとの)ことと関連しているのではないか、
と思っています。

溝口氏が「これはネタになる。色川さんからのオファーがなくても溝口氏の個人的
探求でも充分飯になる」となるならやっていたかもしれません。
逆から言えば「突っついてもさほど効果も無い」ということを感じたのかもしれません。

それこそ故織田住職が生きておられた時期や、早川本、廣野本の辺りなら良かったかも
しれませんが、今では阿含宗は突っついても喜ぶのは阿含宗を良く思わない人達などで、
巷では「どうでもいい」もしくは「ああ、そういう団体あったよね」と言うぐらいなのでしょう。
ですから非常にお金にならないのだと思います。ですから続報もやらないのでしょう。

週間実話でも一時期宗教に対しての記事がライターやまださんが書かれていましたが、あれは
一通りの宗教を挙げただけで終わっています。
ああいうのを見るとやはりうちらのように「阿含宗をどうのこうの」と思っては居らず、きな臭い
宗教全般を扱った、といえます。
ですから色川さんのことで溝口氏は乗りましたが実際的にどうだったのか、といえば、確かに
いいネタだった。ですが、継続的にやって儲かる?となると「そうでもない」と判断されたのかな、
と思いますね。こちらとしては続けて欲しかったのですけどねw

197準シュダオン:2011/06/21(火) 08:45:12
>あなたの考えは間違っています。
>知識の積み重ね、記憶というものをないがしろにしてはいけません。
>加齢に伴い、若い頃の記憶力が衰えてくることは致し方ありません。
>しかしだからこそ直観と勘違いするような思い込みに逃げるのではなく、記憶が
>不確かならばよく調べて記録することが大切なのは実は若い人にも共通で、
>仕事の基本と言えます。

私のは、考えというよりは、体験ですね。記憶が衰えたとしても、肝心なところ
だけは憶えているから、不思議なのです。若い時は管長の本を読めば、八割方、
憶えていたでしょう。今はせいぜい、2割くらいですかw。それでも、肝心な
ところを、掴みますから、若い時より理解が深いのです。根本を掴めば、枝葉は
忘れても良いのです。

私は、これでも優しいのです。相手をコテンパンに、KOすることは、避けてる
のですよ。アゴンさんにしても、「解脱の功徳とは?」との質問で、そのレベル
が解るのですよ。功徳の意味をよく理解していないと、そういう質問になるのです。
仏教辞典の「功徳」の項に、一つは福徳の意味があり、
もう一つの意味は、解脱に進む、身に備わった特性という意味であることは、
前回、レスしました。

また、三供養品の三善根・三福道の経には、
「仏法僧において、功徳の種を蒔けば、涅槃界へ至る福を得られる」と、説かれて
います。功徳の種が成長した果実が涅槃界というのですから、功徳=涅槃界と
考えて良いのです。アゴンさんは、残念ながら、そういうところまで思いつく
自灯明が、まだ無いのです。それなのに、生意気ちゃんにも、私を見下している
でしょう、自分の未熟さも知らずに。

198準シュダオン:2011/06/21(火) 09:01:29
「解脱の功徳」について、仏教辞典を引用しましょう。
岩波仏教辞典の「福田」という項に、
「福田は布施供養する人にとって菩提(さとり)の功徳を得る因となる・・云々」
と、あります。

「解脱の功徳」も、「さとりの功徳」も、同じ事でしょう。
私の場合は、そういうことが記憶のデータベースに入っていて、
解脱の功徳という言葉も出てきたのですよ。

アゴンさんにすれば、
「さとりの功徳」とは何ですか?との質問が出るところでしょう。
それは、功徳の意味を、正確には理解出来ていない証拠なのですよ。
それなのに、管長を批判するとは! 千年早いのです。

199準シュダオン:2011/06/21(火) 09:34:23
>一応突っ込ませていただくと、この場合アゴンさんは「正直老人」なんて単語を
>ネーミングしたのではありません。
>正直に言って老人をいじめる趣味はないが・・・という日本語の使い方です。
>やはり根本的に国語力に欠けてますね。

勿論、解っていたけど、たまには揚げ足とって、遊ぶ場合もあるんだね。

200準シュダオン:2011/06/21(火) 09:42:15
>釈尊の仏教には文底秘沈、あるレベルに達した者のみが理解できるなんてものはなく
>子どもでも読んで理解できるものなんです。

そうとばかりは言えないでしょう。
「誰が功徳を配給するんか?」
などと質問するレベルの、功徳の意味の理解者もいる。

「来世のために功徳を積め」を、文字通り、来世のためだけに功徳を積め、と、
誤解してるレベルの者も居る。
とても、こどもに理解出来るものばかりでは、ありませんね。

201準シュダオン:2011/06/21(火) 09:53:23
>>そんなこと、解ってておちょくってるんじゃやい、ボケやろうw。

>アゴンさん、ご覧ください。
>これが聖なるバイブレーションを体感して、品性がどうのこうのと書いた
>お方の品性です。

まぁ、そんなに気にしないことですねw。
細川たかしの歌に、「わたし馬鹿よね〜♪」という歌がありますね。
あの調子で、「あなた、ボケやろう〜ね♪」と、レスしてんですよ。

まぁ、悪口に動揺しないのも、煩悩解脱の訓練でしょう。
こんな程度で品性なんて! 大げさな!

202準シュダオン:2011/06/21(火) 10:01:19
>オリジナルが作れず全部パクリとは本当に情けなくて悲しいのと同時に笑えます。
>アーガマ考察室で、モトネタとゲイカの著書、資料を一目瞭然に参照できたら
>滑稽で笑えますね。

あらら、仏教は、お釈迦さま、の教えを完全にパクレたものが、一番優秀なん
でしょうよ。
真実の教えということが、要点なのであって、
誰が最初に説いたのか、なんてのは、わたしゃ、どうでもいいね。

203ラシン:2011/06/21(火) 10:12:02

サライさんのレアでホットな情報に、いつも注目しております。

>まるで、中国の利益誘導団体のようですね。カネ? 電通?

まさに現代社会の裏側を髣髴させるルートではないでしょうか。
これらを繋ぐのは政治家、フィクサー、裏仲介屋などなど。
総本殿用地取得のキナ臭い噂から、というよりそれ以前から続く人脈は、
アゴン宗教団が利益誘導社会の構図そのものを体現しているようです。
それと、桐山さんお得意の死人に口無し状態を見計らって利用する手法です。
これなど利用された方々は、枚挙に暇が無いほどの数でしょう。

204ラシン:2011/06/21(火) 11:37:47
>197 :準シュダオン
>私のは、考えというよりは、体験ですね。記憶が衰えたとしても、肝心なところ
だけは憶えているから、不思議なのです。

そんなハッタリは通用しません。
第一にあなたは、掲示板に於いてすら自分が吐いた言葉を
忘れ、議論した内容を忘れ、指摘されたことを曲解する。
その繰り返しのスパイラルからさえ脱出できぬ準シュダオンさんが、
いくらポイントを押さえたと自己申告しても説得力の欠片すらない。

>私は、これでも優しいのです。相手をコテンパンに、KOすることは、
避けてるのですよ。

笑えます、TKO負けを食らってヨレヨレで手を挙げるボクサーに等しい。
観客はそれをただのパフォーマンスとか、悔しさの逆印象操作だと苦笑する。

>もう一つの意味は、解脱に進む、身に備わった特性という意味であることは、

またウソつきの本性を発揮した。
それも>>37では、>「功徳を積むことによって解脱へ進むと考えられ」から、
今回の>「解脱に進む、身に備わった特性」と言葉を微妙に変えている。
こういう姿を”牽強付会”のやからというのです。
自分の都合のいいように強引に理屈をこじつける癖は、十八番のようだ。
岩波仏教辞典での功徳の意味は、「善行に備わった善い性質」とか、
重ねて特性を使用した文章は「善行をなすことにより人に備わった特性」と、
解説されているが、「解脱に進む」と辞典を改竄したようだ。
深山さんが、>>48で功徳を『岩波仏教辞典』を書き写してくれています。
読者諸兄姉も見てください。
功徳の解説で、この「解脱に進む」という表現などありません、
と何度も指摘され、他の辞典にあるならそれを示すよう促されても、
記憶障害で忘れている。
「肝心なところだけは憶えているから」なんて口からデマかせだった。

205ラシン:2011/06/21(火) 11:39:23
>197 :準シュダオン
>また、三供養品の三善根・三福道の経には、
「仏法僧において、功徳の種を蒔けば、涅槃界へ至る福を得られる」と、
説かれています。

agama考察室ですでに桐山三供養品のウソが掲載れています。
今回も>>15で、深山さんからも指摘されている。
また、三供養品のお経そのものも過去に引用掲示してある。
だが、準シュダオンさんの記憶の中では完全消去された?
そして何度も同じ主張を繰り返しても、その根拠を示せたことが一度も無い。
批判側からKOを食らっても蘇るゾンビで、もちろんゾンビに記憶力は無い。

206アゴン:2011/06/21(火) 11:50:30
最近は道場でもまともに法話ビデオを見ていませんが、この間は豪華客船の船旅はいいですよーとかおっしゃっておられたのをちらっと聞いた。
こんな大変な時に、すごいことを言ってるな潤オ…
とドッチラケになりました。思えばゲイカは外国貴族に憧れてる風がある。小説の主人公自己投影して、うっとりしておられることもよくありました。
このひとなる職業を過ったなぁ…。文学なら好きに自分の妄想を遊ばせることができたのに。
それか衝動を分散させたら良かったのだ。そうすれば、現実と夢の区別がついたであろうに。

下じもにも多分の影響を与えることに気がつくのが遅い。
本人はもう楽しい脳内世界でご満足なのだ。そして信者などほったらかしの一人遊び。
嗚呼、本当に老境とはかようなものかと感じ入ることも多いですねww

207ラシン:2011/06/21(火) 13:46:58
>198 :準シュダオン:2011/06/21(火) 09:01:29
「解脱の功徳」について、仏教辞典を引用しましょう。
岩波仏教辞典の「福田」という項に、
「福田は布施供養する人にとって菩提(さとり)の功徳を得る因となる・・云々」

また言い出した、深山さんの反論くらい読んで応じたらどうか。
まず、云々もなにも、あなたの短絡した自己解釈はお呼びでないのです。
仏教の基本を連綿と理解していないから、頭がショートするのです。
解脱の功徳を得る原因を作るのは、相手が福田だからです。
辞典にある功徳の「善行をなすことにより人に備わった特性」の意味が、
理解出来ないからでしょう。
また、「因」とは、「解脱に進むこと」ではないし、そんな表現も無い。
辞典では、「供養が(で)・・得る因となる」ではなく、「供養する人に
とって・・得る因となる」との違いを理解出来ないからです。
供養で解脱を得られるのではなく、供養した者がその因を作るのです。
だから「善行をなすことにより」「供養する人にとって」なのです。
その原因をつくる行為とは、供養することで福田である聖者から
清浄の教えを聞き、煩悩を無くする善い行いが、その者にとって解脱を得る
功徳の”もと”となるのであって、すわ!解脱、するのではない。

208ラシン:2011/06/21(火) 13:47:46
>200 :準シュダオン
>「誰が功徳を配給するんか?」
などと質問するレベルの、功徳の意味の理解者もいる。

そういう理解の徒が、準シュダオンさんだと教えている。
あなたに分かりやすいそういうあなたのレベルです。
ニョライ様が応えてくれるのだから、あなたの信じる応共の
ニョライ様は功徳の”配給者”です。
あなたは、垂涎しながら配給を期待しているじゃないの。

>201 :準シュダオン
>まぁ、悪口に動揺しないのも、煩悩解脱の訓練でしょう。
こんな程度で品性なんて! 大げさな!

多少の恥ずかしさはあるようだが、恥じる気持ちは皆無です。
だから動揺していないと見得を切った。
アゴンさんの挑発にイロを失って反レスしたのは誰あろう、
準シュダオンさんあなただ! 掲示板ですら理性を保てない。
瞬間湯沸し器の桐山さんによく似ている。
大げさではなく大げさに受け取って腹を立てたあなたの
掲示姿勢、それを品性下劣というのですよ、覚えておきなさい。

209ラシン:2011/06/21(火) 13:48:17
>202 :準シュダオン
>あらら、仏教は、お釈迦さま、の教えを完全にパクレたものが、一番優秀なん
でしょうよ。

現代語のパクルとは、盗むと言う意味です。
五戒のうちの「不偸盗戒」と戒められています。
そう言うと準シュダオンさんなら、職人が親方や
先輩から技を盗むとある、との反論が出そうだから、
あえて説明しておきます。
それの例の場合の盗むとは言葉のあや、実際の弟子は
手ずから教わるのではなく、技術を観て自己鍛錬して、
修練し覚えることです。
また、親方や先輩はそれを容認していることです。
だが、
桐山さんは労無くして他人の著作を勝手に使って、
金集めに利用した。
準シュダオンさんの倫理観は、アゴン宗に長くて居て
麻痺した、と告白しているようなものです。
パクル悪行とお得意の「自灯明」すら判別できない。
子供でも分かる道徳すら準シュダオンさんには備わっていない。
元々なのか?アゴン宗で喪失したのかどちらでしょうね?

210アゴン:2011/06/21(火) 13:56:14
>>202どーでもいいけど「パクレたもの」って使い方が変です。w

正解は「パクったもの」です。ぎゃは。
無理すんなよ、じーちゃん。

211アゴン:2011/06/21(火) 14:23:59
いや、ちがうな。パクれたもの、という意味か?
だったらあってるな。
レベル低いわー。私と準シュダオンさんだと、ボケ&ボケの漫才になってまうから、危険危険。

212ラシン:2011/06/21(火) 14:55:46
>210 :アゴン:2011/06/21(火) 13:56:14
>>202どーでもいいけど「パクレたもの」って使い方が変です。w

>解は「パクったもの」です。ぎゃは。

過去形が、「パクったもの」。
もとの言語が「パクる」ですから正解でしょう。
当初の意味あいは、隠語の「捕縛する」です。
それと、俗語の「盗む」との意味に当ります。
ですが、
この「パクレたもの」とは受動態の「ら」抜き言葉で日本語乱れ現象を
端的にあらわしています。
ラ行の五段活用さえ意識していません。
年を重ねたいい大人が、「ら」抜き言葉を使用して平然としている。
桐山さんは、サライさん情報から考えれば他人の著作をパクッタことになります。
初めがどうだとの問題すり替えをしても無駄で、無断使用や著書引用の不明記なら
盗用と避難されるのは当然です。
順シュダオンさんは、子供でも分かる善悪の区別さえ付け「ら」れない。

213アゴン:2011/06/21(火) 15:40:49
>212 (笑)よかった。正解で。

しかし、2ちゃんねる話題からですが、アゴンの愛染明王の法力はすごいですよ。マジで。
これぞ呪術ですよ。
うちの母が私に勧められて愛染の絵馬を書いたら、職場の男性二人からコクられたといって、こわいわ潤オ、あんたが無理矢理かかすからや!と言っていた。ww
いや、冗談で勧めただけだったんですが、法がかかったんでしょうね。

最近では、お手配願いに愛染バージョンというのが新たにでて、なんと桃色の封筒だー!。ww。
ほんと人間の欲をここまで煽るかーと最近の集金模様はなりふり構わず、醜い愛憎欲が渦巻いとります。あーヤダヤダ。

管長も最近はすっかり験のある愛染明王さんがお気に入りみたいですね。ゲロゲロです。

214準シュダオン:2011/06/21(火) 16:53:00
>いや、ちがうな。パクれたもの、という意味か?
>だったらあってるな。
>レベル低いわー。私と準シュダオンさんだと、
>ボケ&ボケの漫才になってまうから、危険危険。

やだなぁ、パクリ、そのものが正式な言葉じゃないでしょw。
その使い方をいうなんて、ナンセンス、超低レベルね。

ユビキタスさんから、12因縁解脱について、問われていたが、そちらの問いの
方が、揚げ足取りより、ややレベルが高くて、気になるね。
我が記憶のデータベースに、瞑想で問い合わせていたのだが、管長の本に、
そういう記述があったかどうかは、定かでない。

が、管長が輪廻解脱を説いていたことは、間違いないね。
だとしたら、「般若心経瞑想法」の本、を読むといいね。本の最初に、
意訳般若心経、として管長訳が出ています。「因縁解脱を成就したまえり」
「因縁解脱の彼の岸に」と、因縁解脱がさとりであることが説かれています。

同本のP120から、12因縁が詳しく説かれていますし、P127には、
どのように修観するか?
「この12縁起は、人間のもっとも切実な問題である苦の生存、老死の苦、から
 解脱する道を求めることが目的だからである」と、して逆観を主とする、と
解説しています。

P171には、「業感縁起とアーラヤ識」の解説もあって、管長の説く、因縁解脱
とは12因縁からの解脱であることが解りますでしょう。

215ラシン:2011/06/21(火) 17:51:24
>214 :準シュダオン
>やだなぁ、パクリ、そのものが正式な言葉じゃないでしょw。
その使い方をいうなんて、ナンセンス、超低レベルね。

その「超低レベル」さえ正しく使いこなせないのはどんなレベルだ?

>P171には、「業感縁起とアーラヤ識」の解説もあって、管長の説く、因縁解脱
とは12因縁からの解脱であることが解りますでしょう。

準シュダオンさんが、深山さんをアビダルマの解説だと、
偽って罵っていた。
他人に冤罪をかぶせておいて、自分の頭のハエを忘れていたとは
このことです。

桐山さんが依所したアビダルマを取り上げて何の矛盾を感じない。
世間では鈍感と言われるが、これまた鈍感だからなんのそのです。
業感縁起は、 部派仏教の教説の一つであり、
それを心理的に追求したのが「阿頼耶識縁起」で、
それは、瑜伽行唯識学派が説いたもので大乗仏教の一学派です。
準シュダオンさんは、批判側を勝手にアビダルマ理論だと妄想して、
なおかつ桐山さんまでが批判対象になっていたことも気づかず、
それをご都合で、桐山さんの 部派仏教や大乗仏教論をヨイショする。
この節操の無さと無自覚ぶりは、牽強付会の徒を象徴しています。

216準シュダオン:2011/06/21(火) 17:52:21
>最近では、お手配願いに愛染バージョンというのが新たにでて、
なんと桃色の封筒だー!。ww。
>ほんと人間の欲をここまで煽るかーと最近の集金模様はなりふり
構わず、醜い愛憎欲が渦巻いとります。あーヤダヤダ。

あなた、他人のことをそんなに気にしなくてもいいでしょ。あんたが煽られなけ
りゃ、それでいいでしょ。密教の修法の目的はね、「現世利益から成仏に移る」
こと、なんですよ。仏教辞典に書いてありますよ。
出家者は現世利益を捨てられるけど、在家者はね、現世利益が無くては解脱出来
ない訳ですよ。だから、必要な人は現世利益を祈れば良いのです。それが叶った
人は、次の段階に移れば良いのです。

そういうことが気になるとは、アゴンさんもまだまだ、愛憎の中に生きてる仲間
だということでしょう。
アゴンさんもまだ、現世利益が必要な人なのではありませんか?

217深山:2011/06/21(火) 19:16:58
>>197 :準シュダオン:2011/06/21(火) 08:45:12
>今はせいぜい、2割くらいですかw。それでも、肝心な

自分の記憶力が2割程度だという自覚はあるのですね。
てっきり、記憶力が良くなったと自惚れているのかと思っていた。
あなたは桐山さんの本に限らす、読めばその文章の意味は理解できるが、
内容の記憶ができないから、何を読んだのか、まったく「残らない」のでしょう?
脳梗塞を患った人たちが共通して体験することです。
だから、批判側の書き込みも読めるが、記憶に残らない。
自分の間違いや暴言もまったく記憶に残らない。
あなたの脳味噌は脳細胞が死滅した分、慢心に満たされ、
侮蔑というフィルターがあるから、他人を小馬鹿にしたような
「ww」を連発した文章しか書けなくなっている。
批判側から注意されると一時的に抑えるが、しばらくするとまた出てくる。
新皮質が崩壊しつつあるから理性の抑制が効かないからです。
だから、どんなに反論され、否定されても、永久に同じ主張ができる。
これが準シュダオンさんの「輪廻する脳」であり「老人介護の原理」です。

218深山:2011/06/21(火) 19:19:35
>>197 :準シュダオン:2011/06/21(火) 08:45:12
>ところを、掴みますから、若い時より理解が深いのです。根本を掴めば、枝葉は
>忘れても良いのです。

いいえ、逆です。
あなたの書いている事の大半はアゴン宗の教義ではない。
桐山さんが説いてもいないことを勝手に書いているだけです。
頭が老化して、アゴン宗の教義と自説との区別すらつかなくなったのですね。
枝葉を忘れているのではなく、枝葉すらもあなたは記憶していないのです。
そして何より困ったことに、あなたはその自覚がない。
自分ではかえって頭が良くなったつもりでいる。
記憶力が衰え、判断力も衰えたら、普通の人は自分の脳の衰えを自覚する。
だが、あなたや桐山さんは脳細胞が死んでできた隙間を
慢心が埋め尽くしているから、そんな自覚すらない。
我々はネット上での付き合いだからいいが、
現実世界でのあなたの周囲の人たちは本当に迷惑しているでしょうね。

219深山:2011/06/21(火) 19:21:44
>>197 :準シュダオン:2011/06/21(火) 08:45:12
>また、三供養品の三善根・三福道の経には、
>「仏法僧において、功徳の種を蒔けば、涅槃界へ至る福を得られる」と、説かれて
>います。功徳の種が成長した果実が涅槃界というのですから、功徳=涅槃界と
>考えて良いのです。

はい、そのとおりで、あなたの上記の文章は「三福道」の一点を除き、
文面からだけいうなら、間違っていません。
ただし、あなたが主張したい解釈は間違いです。
三供養品には三福道などという言葉は出てこない。
そんな経典は存在しません。
桐山さんと準シュダオンさんの捏造です。
知らない内は桐山さんの捏造だが、あなたには何度も注意した。
だが、それを無視して、三福道が書いてあるかのような嘘を書いているのだから、
あなたは捏造という犯罪と、釈尊への不敬を働いた。
三福道などないと知っていて書くのだから、非常に悪質です。

220深山:2011/06/21(火) 19:24:10
>>197 :準シュダオン:2011/06/21(火) 08:45:12
>また、三供養品の三善根・三福道の経には、
>「仏法僧において、功徳の種を蒔けば、涅槃界へ至る福を得られる」と、説かれて
>います。功徳の種が成長した果実が涅槃界というのですから、功徳=涅槃界と
>考えて良いのです。

三供養品とは、三善根を説いたものであり、
「三善根=無貪・無瞋・無癡」
という意味であり、これ以外の意味などありません。
貪瞋癡の煩悩をなくしたら、涅槃という福を得るなど当たり前です。
仏法僧において、功徳の種をまくとは、貪瞋癡の煩悩をなくす修行をすることであって、
桐山説のような供養などではありません。
あなたも供養と功徳の種をまくをわざとすり替えてみせた。
さすがは準シュダオンさんです。
信者さんたちは三供養品には供養なんて単語は一度も出てこないことを
よく見てください。
桐山さんのゴマカシに乗らないことです。
釈尊が供養なんて言葉を用いていないのは当たり前で、
これは出家であるアーナンダに説かれた経典です。
どこにも在家に説いたとはない。
在家に説いたかのように桐山さんが嘘をついたのです。
釈尊はこの経典で、功徳の種をまく、福を得るというたとえを用いて、
煩悩を断ちきり、解脱することを説いたのです。
他に意味などありません。

221深山:2011/06/21(火) 19:31:31
>>198 :準シュダオン:2011/06/21(火) 09:01:29
>「解脱の功徳」について、仏教辞典を引用しましょう。
>岩波仏教辞典の「福田」という項に、
>「福田は布施供養する人にとって菩提(さとり)の功徳を得る因となる・・云々」
>と、あります。

私から>>120で反論されたことを完全に無視して同じ主張をする。
ため息のでるような老人介護です。

福田1.煩悩からの解放を説く人たちだから、福田という。
福田2.煩悩からの解放を説く彼らに供養することが大善業だから、
供養すれば、来世に大きな功徳となって返ってくるから福田という。

福田に供養することが、ただの来世で世俗的な功徳の元となるだけなら(福田2)、
準シュダオンさんの解釈のように、「供養→解脱」という意味になってしまう。
だが、福田には、ただ世俗的な功徳の元というだけではなく、
福田1の、清浄の教えを説くからこそ福田なのです。
だから、この辞典の説明には、「供養することが功徳となって菩提の因となる」
とはありません。
供養が直接解脱の因にはならないからです。
清浄の比丘たちに供養し、彼らの教法を聞き、自分で実践するから、解脱への道を歩むのです。
実際、供養に招き、その後で説法を聞いたという場面は阿含経に出てきます。
当時の人たちは、桐山さんや準シュダオンさんのように
供養の見返りがすぐに来るなんて信じておらず、ましてや
それで解脱できるなんてアホウなことは誰も信じておらず、
本当に価値があるのは説法なのを知っているから、それを聞いたら実践したのです。
阿含経を読んでも、桐山さんや準シュダオンさんのように、供養した見返りに
解脱出来るなんて信じていた愚かな在家は一人もいません。
説法を聞いて預流になったというような話はあっても、
供養の功徳で預流になったなんて話はありません。
桐山三福道は仏教史上のお笑いです。

222深山:2011/06/21(火) 19:34:33
>>200 :準シュダオン:2011/06/21(火) 09:42:15
>「来世のために功徳を積め」を、文字通り、来世のためだけに功徳を積め、と、
誤解してるレベルの者も居る。
>とても、こどもに理解出来るものばかりでは、ありませんね。

何を勝手な解釈をしているのですか。
釈尊本人が、「来世のために功徳を積め」
と説いているのに、それを現世の功徳になる、現世で解脱できるなんて解釈こそが
レベルが低いというよりも、曲解であり、勝手な解釈です。
あなたは未だに、釈尊に供養すると現世の功徳になる、その功徳で解脱できるという
桐山説の根拠となる阿含経も学者の説も出せないでいる。
あなたがこれまで引用した経典はすべて供養して「来世のために功徳を積め」と書いてある。

「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世
で人々のよりどころとなる」 >>77,>>13
「それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
 功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」
(『ブッタ神々との対話』中村元、200頁)

釈尊本人がはっきりと、供養することで来世の功徳を積めとおっしゃっているのに、
あなたごとき俗人の勝手な解釈はいらない。
根拠も示せないなら、タワゴトを並べるのはやめなさい。

223深山:2011/06/21(火) 19:37:55
>>201 :準シュダオン:2011/06/21(火) 09:53:23
>まぁ、悪口に動揺しないのも、煩悩解脱の訓練でしょう。
>こんな程度で品性なんて! 大げさな!

桐山さんと同じで、自分にこととなるとこんなふうに必死に言い訳をする。
なんという見苦しい男なのだ。
アゴンさんは預流向だとは言っていないが、あなたは預流向という
聖者だと名乗っている。
その聖者様が、自分の娘のような年の女性から何か言われたくらいで
切れまくった。

>>180
>そんなこと、解ってておちょくってるんじゃやい、ボケやろうw。
>馬鹿につける薬はないの。
>さっさと、退会しなさい、アホはいくら修行しても、修行にならないのだよw。

あなたはすぐに忘れるだろうから、あなたのためにも時々、これを貼り付けることしよう。
品性の善し悪しは、あなたが判断することではなく、第三者です。
それにしても、自分の品性の卑しさが見えないとは本当にお幸せな人ですね。
普通なら、恥ずかしくて出てこれなくなる。
準シュダオンさんの恥知らずぶりは、脳梗塞とは関係なく、若い頃からそうだったのでしょう

224アゴン:2011/06/21(火) 19:44:42
>216「現世利益から 成仏に移る こと、なんですよ。在家者はね、現世利益が無く ては解脱出来 ない訳ですよ。だから、必要な人は現世利益を祈れば良いのです それが叶った 人は、次の段階に移れば良いのです

欲望には際限がなく足ることを知らないのが凡夫だと思います。
釈尊はそこから離れろと説いています。
密教では現世利益を与えて凡夫を成仏に導くのですか?
少なくともアゴンは教祖からして、足ることを知らないようです。

>そういうことが気になるとは、アゴンさんもまだまだ、愛憎の中に 生きてる仲間 だということでしょう

文面を理解してくれました?
愛染明王さまをアゴンが今前面に押し出してる背景には教祖の愛人との円満縁切りに霊験あらたかであったからだという2ちゃんねるの考察において、さもありなん、桃色のお手配願いがスタートしたぞ、ゲロゲロと書いているんです。
ぞして若い愛人を自分に引き寄せたのもそういう法を使ってたんじゃないの?という邪推もはいって、ますます呪術だなーと思っとるわけです。
そのことを嫌悪しているのですが。

そして現世では生きているからには、当然そういう愛憎のなかで生きていますよ。当然でしょう。

225深山:2011/06/21(火) 19:48:23
>>216 :準シュダオン:2011/06/21(火) 17:52:21
>密教の修法の目的はね、「現世利益から成仏に移る」
>こと、なんですよ。仏教辞典に書いてありますよ。

どこに書いてあるのか知らないが、桐山さんは密教で成仏するなんて言っていない。
密教では無理だと言っているのです。
桐山さんが密教から取り入れたのは修行の目的ではなく、様式のみです。
それを桐山さんは繰り返し書いている。
だから、あなたの上記はアゴン宗の教義とは関係ない。
桐山さんは密教の様式でオシャカの成仏ホウをするのだと言った。
釈尊が説いた供養の功徳とは解脱とは関係ない。
善業善果を説いたにすぎない。
だから、出家だけでなく、困っている人たちには布施しなさいと説いている。
解脱するために供養して功徳を得なさいなんて説いていません。
ましてや、現世利益から成仏に移るなんて説いていない。
そんなのは密教という堕落した仏教の教えです。
その堕落した密教ですら、死者成仏、因縁切り、霊障解脱、先祖供養なんて説いていません。
アゴン宗は密教ですらない、オカルト教です。。

226準シュダオン:2011/06/21(火) 20:11:41
深山には悪いけど、私、深山さんとラシンさんのレスは、読まないのよ。
二人のレベルは解ってます。将棋に例えると、二人は定石に詳しいが、将棋自体は
弱いのよ。私は、一応、将棋も有段者です。
だから、羽生九段の「大局観」という本も紹介したけどね。
定跡をいくら、暗記しても、将棋には勝てないのよ。
私は、将棋の定跡など、ほとんど知らない。けれども、定跡に詳しい将棋愛好者の
初心者には勝てる。どういうことだろう?

仏教知識に詳しい、深山さん、ラシンさん、ユビキタスさん、は、仏教の定跡に
ついては、私より詳しいだろう。しかし、闘うと弱い。定跡に詳しくて、実践に
弱い、碁打ちや将棋指しを相手にしてる感じがするね。

なんでそうなるのかは、私も知らない。
将棋の羽生善治氏によれば、加齢と共に、読む力が衰えるけども、大局観が磨かれ
るから、若い棋士に負けないのだという。無駄な手を読まない技量が、身につくの
だという。将棋の一局面における手は、平均で80手だという。
つまり、相手が5手、自分が5手指す場合、10手の組み合わせの数は、
80×80・・・80の10乗の数になるわけだ。80の10乗はいくら?

227アゴン:2011/06/21(火) 20:28:35
>>226 どわー。(笑)
ここは別に将棋について議論する場ではなく、勝ちも負けもないのですよ。

準シュダオンさんはゲイカのように超感覚で勝利の布石を置いていける。そして最後は解脱者になったと言いたいのか?
ですが仏陀を最高の覚者とするなら、仏陀の説いたことが成仏の道であり、それ以外は仏教ではないのでしょう?
そのことについて言及している場であり、定石もなにも。。

やっぱり勝負事に熱くなっているとことをみると、修羅界の因縁ですなぁー。随煩悩を解脱しなさい。

228深山:2011/06/21(火) 21:47:16
>>226 :準シュダオン:2011/06/21(火) 20:11:41
>深山には悪いけど、私、深山さんとラシンさんのレスは、読まないのよ。

わざわざ断らなくても、あなたが読んでいることは知っています。
だから、私から、冥徳解脱0と言われて、すぐにレスをつけた。
あなたが読まないというのは、
1.読んでもすぐに忘れてしまい、記憶できないから、反論もできない。
2.批判に反論できないから、悔しくて、読まないということにした。
それだけです。
羽生さんの話を出しても無駄です。
彼は勝負を正面から受けて立ち、勝ったのです。
あなたみたいにコソコソと逃げて、「俺は勝った」なんて言っているのではない。
彼は勝者、あなたは負け犬です。
彼のは勝利の雄叫び、あなたのは負け犬の遠吠えです。

229深山:2011/06/21(火) 21:51:15
>>226 :準シュダオン:2011/06/21(火) 20:11:41
>ついては、私より詳しいだろう。しかし、闘うと弱い。定跡に詳しくて、実践に

闘うと弱い?
私がいつあなたと議論して負けましたか。
四果と四向四果については、私が自分の間違いを修正しただけで、
あなたの説は今でも間違いです。
あなたのその愚かな説を取り入れたのではない。
桐山アゴン宗の説だけでなく、しばしばあなたの準シュダオン教すら
足払いをかけてきた。
ついこの間も、あなたが引用した漢訳経典を引用して、
あなたの説が成り立たないことを示した。
女性の前で格好をつけてあなたが威張ってみせたから、
私が足払いをかけたのです。
転んだのはあなたであって、私ではない。
小縁経の「阿羅漢」の件はどうなった?
反論できないから、口を拭ってごまかしている。
阿羅漢なんて記述はどこにもないのに、あなたは経典を捏造し、意味をゴマカシた。
そのあなたの嘘を暴いたのは私です。
罵声ばかり勢いがよく、闘うと弱く、一度も勝てたことがないのが
準シュダオンさんです。

230深山:2011/06/21(火) 21:55:06
>>226 :準シュダオン:2011/06/21(火) 20:11:41
>ついては、私より詳しいだろう。しかし、闘うと弱い。定跡に詳しくて、実践に

私も批判側もあなたには絶対に勝てない。
あなたは記憶力がまだらになっているから、同じ話を何度も何度も、
繰り返し書き続ける。
心を病んだ人と、脳を病んだの独特の執拗さです。
こちらは何回かは反論するが、記憶があるし、読者を意識しているから、
やがて反論しなくなる。
あなたは公衆の前でパンツまで下ろしても羞恥心がないから平気だが、
批判側は羞恥心があるから、そんな真似はできない。
だから、あなたには勝てないのです。
あなたの醜態に皆さん顔を背けても、あなたはそれを自分への礼賛だと勘違いする。
無知、恥知らず、厚かましい、図々しい、厚顔、鉄面皮、自惚れ、傲慢、思い上がり、
思い込み、侮蔑心、自己評価の高さ、このすべてにおいてあなたは批判側を
はるかに上回っている。
だから、準シュダオンさんが常に勝者です。

231ラシン:2011/06/21(火) 22:13:05
>226 :準シュダオン
>定跡をいくら、暗記しても、将棋には勝てないのよ。

桐山さんの思考形態で、その著書にも「行李」を尋ねた修行時の
道元禅師が先達僧から言われた、「畢竟じて何の用ぞ。」でしょう。
いくら過去の問答を学んでも、それがいったいどうなるかと言われ、
禅師は爾来、道の人となった、と言えば準シュダオンさんも格好がエエ。

だが、アゴンさんも指摘している通り、勝ち負けそれ自体
意味が無い。
将棋の定跡は基本だろうし、あなたはその応用力を誇りたいらしい。
だが勝負事など、桐山さんが密教占星術で暗に否定していますよ。
あなたが譬え将棋の応用力があるから何なのだ?
素人有段をいくら自慢しても、千駄ヶ谷の将棋会館では、
掃いて捨てるほどの数の内です。
その将棋会館へ来て、オレ様は剣道の有段者だと誇れば
笑われるはずです。
日本酒利き酒の席で、アタチはソムリエだじょうと自慢するくらいの
愚考に気付かない。

232ラシン:2011/06/21(火) 22:13:42
>仏教知識に詳しい、深山さん、ラシンさん、ユビキタスさん、は、仏教の定跡に
ついては、私より詳しいだろう。しかし、闘うと弱い。定跡に詳しくて、実践に
弱い、

少なくとも私は、仏教の基本を批判諸兄から学んだだけで、
ことさら詳しくはありません。
あなたが無知すぎて、その一線を越えているだけです。
私の場合、
核心から逸れ、誤解を招く解釈も何度もあり、
その都度正しい解釈を批判反レスで示されて気付く次第です。
だが、
闘うというディベート精神と掲示板議論は違います。

あなたが将棋の素人有段者であろうが、ここのスレには関係ない。
桐山さんが引用した、升田幸三棋士の既成の定跡にとらわれない
指し方である「新手一生」を気取っても無駄です。
そう反論されても、準シュダオンさんは気付くわけがない。
仏道と言う道案内人が、釈尊だと理解できないからです。
目的地を達成経験しているから、案内も的を得て正しい方向を
示すことができる。
あなたは、それに背いて案内を無視し勝手に右往左往して正しいと、
言い張っている。
だから笑われているのです。
深山さんやラシンのレスを避けるのも、あなたにとってまともに
見ることができないあなたの心底にある卑怯や姑息を示され、
突かれているからだ。
桐山さんにと同じで、現実を示されると直視する勇気が失せてしまう。
世間ではそういう者は弱虫扱いされます。
だからそれを隠すために、ひたすらハッタリとスレと関係ないことを
引っ張り出し、慢心して上位目線に浸る。
仏教に「新手一生」なんて考えは無用の長物なのです。
釈尊の教示に従うのが、真の仏教徒の姿ですよ。
あなたのワザとらしいトリッキーな言い訳など想定内でしかない。

233干柿:2011/06/21(火) 23:24:33
将棋が強いことが阿含宗や仏教を考察することに関係ないだろ〜w
準シュダオンさん、小島よしおっていう芸人知っていますか?
あなたにおすすめw

234ラシン:2011/06/21(火) 23:29:10
>226 :準シュダオン:2011/06/21(火) 20:11:41
深山には悪いけど、私、深山さんとラシンさんのレスは、読まないのよ。
二人のレベルは解ってます。

そんな苦し言い訳は笑われるだけですよ。
深山さんから指摘された通り、あなたは読んでいた。
ただし、あなたの汚いハラワタを見透かされるレスだから、
斜め読みして理解の外で、半端なレスしか出来ないだけです。
慢心に満ちた天狗の鼻っ柱を折られた時だけ過敏に反応する。
肝心の論旨は把握できず、見栄をいくら張っても、
アゴンさんの挑発でも理性を失ったくらいだ。
あなたのレベルは桐山さん同様に、すぐに崩れて正体を曝け出す。
本当に余裕を持っているならその矜持心を保てばいいのに、
桐山さんが聖者の演技が継続できないと同じ、って誉め言葉と喜ぶ?
準シュダオンさんが作ったジオラマの世界では、
常にあなたが主役で勝者であり、周りの人形兵隊がひれ伏すだろうが、
その妄想を掲示板に持ち込んだ途端、あなたは現実相手と
向き合うことになり、足をすくわれる痛みに耐えられない。
>>197の「解脱に進む、身に備わった特性」とはどの辞典?
>>5の「この功徳によって解脱に進むと仏教辞典」とはどの辞典か?
準シュダオンさんが言い放った言質は残っている。
小縁経の「阿羅漢」はどこから出て来たと質して、まだ待っている。
まさかその論拠を示すことができない痴呆いな放置状態が、
あなたのいうそのレベルなのか。
中飛車で突いたら、桐山王がコケタようだ。
せめて「金矢倉」くらいの守りを出したらどう?
いくら自慢しても、「馬の高跳び歩の餌食」みたいに落馬した。
でも、準シュダオンさんの場合「王手飛車取り」でも飛車を守るから驚く。

235ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/21(火) 23:53:30
>>197:準シュダオン11/06/21(火) 08:45:12
>若い時より理解が深いのです。根本を掴めば、枝葉は
>忘れても良いのです。

私は記憶力だとか能力の話をしていない。
そんなものは衰えて当たり前だからです。
私が指摘するのはあなたの態度です。
記憶など能力が衰えて来たら、記憶に頼るのではなく、記録をとる地道な努力を
謙虚になって今までよりも余計にすることこそが、逆に若い人にも勝てる道です。
枝葉末節と馬鹿にしない。枝葉末節とは具体的な話です。あなたが一番できないものです。
一般論でしか返せないですよね?
月に一回道場で30分の護摩木判押しをする人の努力を私は認めると説いた。
これは無理のない話ではないですか?
あなたは無理はいけないとかすぐに一般論でごまかそうとするが、無理か無理でないかは
具体的な指標が必須です。
まああなたの次のごまかしの一般論くらい予想できる。
長期入院してる人が毎月道場に通えないように、条件によって無理かそうでないかは
異なるのだとか。ならば質問してやる。あなたは長期入院してるのか?と。
そんなことで月に1回無理のない奉仕をする人を認めるが、一年間、二年間そういう
実践すら皆無だとしたらこれはサボリでしょう?いつサボリをやめてまた勤勉に
努力するのですか?と私はあくまでも具体的に突っ込んでいく。
羽生さんの大局観って羽生さんが老化して培われたものなんですか?
そうではないでしょう。人一倍の細かな努力あったればこそ大局観ができる。
枝葉末節を知っているからです。
あなたは将棋は忘れてないだろうが、将棋や囲碁の定石やルールすらもマスター
せぬうちに大局観とか勘違いしてるだけです。
能力なんて大差ないのだからもっと謙虚になって枝葉末節まで記録する努力をしなさい。
>>226で深山さんやラシンさんの文は読まないなんて態度自体が大局観に反するのです。

236ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 00:54:04
>>199:準シュダオン
11/06/21(火) 09:34:23
>勿論、解っていたけど、たまには揚げ足とって、遊ぶ場合もあるんだね。

と言うことは、私が突っ込んであげなければ、あなたが遊びでわざと書いたことすらも、
周囲には理解されず、誰も物言わなくても「国語が弱いなあ」と軽蔑しているところを
私のおかげでそれを示すことができたわけだ。

237ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 01:13:26
>>200:準シュダオン
11/06/21(火) 09:42:15
>そうとばかりは言えないでしょう。
「誰が功徳を配給するんか?」
>などと質問するレベルの、功徳の意味の理解者もいる。

ここのところの意味がよくわからないのだが、あなたにしては意味深な発言とも
私にはとれる。
誰が功徳の配給者?という視点のおかしさを説いているのか?
その通り、功徳だの福だのって仏が配給してプレゼントするのではない。
自分が自業自得により獲得するのです。
仏教では善いものも悪いものも自業自得です。
善業をなしたから功徳がある。福が生じる。
だから仏弟子たちを福田とする場合、仏が福の配給者だから福田という論理ではないのですよ。
田とは耕して収穫を得る環境です。耕すのは自分です。
ただその環境として善業を為す対象として仏弟子がいるのです。
彼らの生存を援助するという善業です。
すると仏弟子は何も返さないが、布施した人の自業自得、因果応報の原理により
福となるわけです。
盗人集団を援助しても何もならないばかりか悪業になるが、聖者集団を助ければ
それは善業に当たるんだよとしただけです。
だからあなたが馬鹿にしたように大乗になると福田の範囲を拡大する。
すなわち貧民救済を菩薩行として福田としたわけです。
あなたの論理だと貧民を救済したとて貧民のどこに福を配給、プレゼントする力があるか?
ということになる。
これは大乗以前から福田という用語に福の配給元なんて発想がなく、福を自ら育てる
チャンスの場という原則が浸透していたからと言える。
そうでなければ、貧民救済を菩薩行とするのはよいが福田なんてすること自体
ピンボケになってしまうのです。

238ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 01:29:51
>>201:準シュダオン11/06/21(火) 09:53:23
>細川たかしの歌に、「わたし馬鹿よね〜♪」という歌がありますね。
>あの調子で、「あなた、ボケやろう〜ね♪」と、レスしてんですよ。

>こんな程度で品性なんて! 大げさな!

わたし馬鹿よねとあなたボケよねとは正反対の声かけです。
わかりますか?あなたは人を傷つける発言をしたのですよ。
あなたが軽い気持ちでも世の中はそれでは通りません。
ボケやろうは明らかに人を傷つける言葉の凶器です。
不悪口(ふあっく)戒を破ったのですよ。あなたは。
もちろんアゴンさんだけでなく、私だってあなたを侮辱するような凶器発言は
してしまっています。
そういう時は素直にそれを認めて反省することですね。
売り言葉に買い言葉では戦争が終わらないのです。
聖なるバイブを受けたのならばそんなことくらい朝飯前のはずです。
すなわちここで本当に細川たかしを唄うのです。
わたしボケよね〜♪
この相手を傷つけない自虐ネタこそ周囲を笑わせ、あなたのユーモラスは懐の大きさ、
心のゆとりを示せる歌だったんですよ。
ボケやろうではぶち壊しです。ユーモアがあなたから消えたのです。

239ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 01:51:34
>>202:準シュダオン11/06/21(火) 10:01:19
>あらら、仏教は、お釈迦さま、の教えを完全にパクレたものが、一番優秀なん
でしょうよ。
>真実の教えということが、要点なのであって、
>誰が最初に説いたのか、なんてのは、わたしゃ、どうでもいいね。

ようやくここまで辿り着けたか。
今回最もレスを付けたかったところですね。
これは桐山さんが信者に販売した運命概観が、実は昭和初期の絶版本の8割方引用
というパクリ指摘に対する反論ですよね。
著作権法の時期の過ぎているものですし、引用元を明示するのならかまいませんよ。
それをせずに隠していることが問題な訳です。
わかりますか?例えば準シュダオンさんが苦労してお釈迦様の阿含経をあちこち
まるまる引用して本を出版したとしますよね。
この場合、これはお釈迦様のお説きになった阿含経である。これは雑阿含経の○○経。
そのように堂々と示せばパクリなんて言う人はいません。
準さん、よくこれだけの文献を引用努力されましたね。これは金を払って買う価値がある、
となる。
しかしこれをお釈迦様の阿含経とどこにも示さずにまるで準シュダオンさんが
考え出した思想のごとく示したらどうなりますか?
ネタ元なんてお釈迦様であろうが、自分だと勘違いされても大したことはない、
要は説いた教えが大切なのだ、で済みますか?
お釈迦様の名前と出典、引用元を明らかにしなければ明らかにパクリであり、
盗作ではないですか?著作権法関係なく。
「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら」を
女子マネを男子記録員に替えて中身はまるまる同じ小説を書いたようなものです。
もしドラは著作権法に触れるが、源氏物語を自分の創作にしたようなものです。
それも誰も知らないだろうと読者を馬鹿にして騙して。

240ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 08:07:45
>>214:準シュダオン11/06/21(火) 16:53:00
>だとしたら、「般若心経瞑想法」の本、を読むといいね。本の最初に、
>意訳般若心経、として管長訳が出ています。「因縁解脱を成就したまえり」
>「因縁解脱の彼の岸に」と、因縁解脱がさとりであることが説かれています。

>同本のP120から、12因縁が詳しく説かれていますし、P127には、
>どのように修観するか?
>「この12縁起は、人間のもっとも切実な問題である苦の生存、老死の苦、から
> 解脱する道を求めることが目的だからである」と、して逆観を主とする、と
>解説しています。

桐山アゴン宗の擁護をするのに桐山さんの解説など出しても意味ないのだが、
そちらが般若心経瞑想法の十二縁起の記述を出してきたのならば、都合がよい。
桐山さんは十二縁起を釈尊の悟り、あるいは悟りの内容を修観にしたものという
学者説を支持しています。
つまり十二因縁とは悟りであり、真理だとしているのです。
十二因縁の法則があったればこそ苦が生起する原因がわかり、逆に苦の人生を
越える道も説かれている。
だから十二因縁解脱というあなたの説は成り立たない。
十二因縁は悟りであり真理であると桐山さんも認めるのだから、悟りからの解脱、
真理からの解脱となってしまう。
だから桐山さんに因縁解脱とは十二因縁解脱という解釈で宜しいですかと質問
してみなさいと言ったでしょ?
こういう質問には真面目に答えてくれるはずですから。
それにこの十二縁起の内容は生老病死の苦をその大本の煩悩をなくすことを示唆する
道であっても、ガンの因縁がなくなり、ガンにならずに健康で快適な人生を送る
桐山因縁解脱の内容にはならない。
自分でその方程式にあてはめてごらんなさい。
Booさんが試みて結局諦めた。
どう考えても成立しなくなるはずであるが、一見あてはまるかのような経過を示すのは
論理に飛躍、嘘があるからです。

241ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 08:19:50
>>216:準シュダオン11/06/21(火) 17:52:21
>密教の修法の目的はね、「現世利益から成仏に移る」
>こと、なんですよ。仏教辞典に書いてありますよ。
>出家者は現世利益を捨てられるけど、在家者はね、現世利益が無くては解脱出来
>ない訳ですよ。だから、必要な人は現世利益を祈れば良いのです。それが叶った
>人は、次の段階に移れば良いのです。

ではあなたはその次の段階に移ったのですか?
もう現世利益を卒業したのですか?
まだならいつ卒業して次の悟りに向かうのですか?
あなたは欲貪などはシュダオンになってから切ることを考えればよいなどと書いてましたね。
今生中にそれはあるのですか?
祈りなどで現世利益の願望が叶ったら、あれも叶えよう、これも叶えようと
ますます欲望が起きて悟りなんかに進みたくなくなります。
欲望は限りないものなんです。
私はスケベ屋さんでオキニのヒメを指名して欲望を満たすが、終わるごとに
もうこのヒメからは卒業しようと決意する。
しかししばらくするとまた同じヒメを指名したくて通うのです。

242ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 08:33:39
>>226:準シュダオン11/06/21(火) 20:11:41
>仏教知識に詳しい、深山さん、ラシンさん、ユビキタスさん、は、仏教の定跡に
>ついては、私より詳しいだろう。しかし、闘うと弱い。定跡に詳しくて、実践に
>弱い、碁打ちや将棋指しを相手にしてる感じがするね。

これは寧ろ全く逆でしょう。
あなたは仏教の定石も定跡も正しく捉えていないが、実践に関してが一番弱い。
あなたは単なる能書き信者です。
具体的な実践を示せない。
密教の現世利益の話もそうです。移行などと能書きの言葉だけで具体的にどう
移行したのかするのか実践が示せない。
具体的な話をする時は架空の設定です。現実を示せない。
それは書かない、教えたくないと逃げる。
橋本京明氏の話は出せても桐山靖雄氏が占いを当てたり過去を言い当てたりする
話は出せない。
地震の時、偶然に通りかかったパン屋のワゴンからパンを買うことができて
役に立ったとか、本来具体的な話を書く能力はある。
しかしアゴン宗に関しては実践を示せず下手な能書き屁理屈しか出せない
極めて議論に弱い人です。

243準シュダオン:2011/06/22(水) 10:17:54
>これは寧ろ全く逆でしょう。
>あなたは仏教の定石も定跡も正しく捉えていないが、実践に関してが一番弱い。
>あなたは単なる能書き信者です。
>具体的な実践を示せない。

そうじゃないのよ。あんた方は、碁や将棋の定跡を知っていても、なんでそうな
かを知らないから、実践に弱いのです。例えば、預流向を聖者だと頑固に言い張る
姿勢一つで、私にはそのレベルが解るのです。預流向を聖者に定義付けたのは、
アビダルマ論師です。経典を読めば、預流果からが聖者扱いしてることが解ります。
が、自灯明の無い人には、解らないでしょう、学者の説を丸呑みするしか能がない。

来世のために功徳を積め、の解釈にしても、そのとおり。
部派仏教の有部だったかな、現世に起こる諸法はすべて前世の業に依り、現世の業の
報いはすべて来世に起こる、との考え方があるね。その考え方に立てば、功徳もすべ
て来世のために、ということになる。しかし、釈尊はそんなこと言っていない。
現世で報いがある、とは、経典のあちらこちらで、説いています。

深山さんやラシンさんやユビキタスさんは、知識はあっても、それを応用して
説かれていないことを認識する力、つまり、智慧がないのですね。

244準シュダオン:2011/06/22(水) 10:45:12
>これは寧ろ全く逆でしょう。
>あなたは仏教の定石も定跡も正しく捉えていないが、実践に関してが一番弱い。
>あなたは単なる能書き信者です。
>具体的な実践を示せない。

具体的な実践というけどね、そういうことを比較しても意味はない、と前から
レスしています。そういうことが気になるというのは、実践と解脱が比例する、
との誤った見解を持つからです。人はそれぞれ、違った条件で生活してますから、
実践を比較したとて、大した意味はないのです。まして、見返り欲しさに実践を
励んだとて、逆効果になる恐れさえあるのですからね。

管長の教えに言葉を返すようで申し訳ないが、私は、会費を払って、真剣に勤行
するだけでも、解脱は進む、と考えていますよ。要は、内面の問題でしょうからね。

245準シュダオン:2011/06/22(水) 11:04:38
>ではあなたはその次の段階に移ったのですか?
もう現世利益を卒業したのですか?
>まだならいつ卒業して次の悟りに向かうのですか?
あなたは欲貪などはシュダオンになってから切ることを考えればよいなどと書いてましたね。
>今生中にそれはあるのですか?
祈りなどで現世利益の願望が叶ったら、あれも叶えよう、これも叶えようと
>ますます欲望が起きて悟りなんかに進みたくなくなります。
>欲望は限りないものなんです。

欲望は限りない?人によるでしょう。3,11の余震で、4月に強いのがあった。
その余震で、私の本棚から3冊だけ、大きく飛び出してた本があった。何気なく
その本を開いた頁に、以下のことが記してあった。
「カーネギーは、死ぬまで大金持ちでいるのは、恥さらしだ、と言ってたそうだ。
 ビルゲイツは、その考えに賛成で、医学方面に莫大な財産を寄付してしまった。
 ウォーレンバフェットは、死ぬまで大金持ちでいなければ、寄付もできない、
 と、カーネギーの考えに反対だったらしい」とね。

このように、欲望に限りはないように見えても、裕福になるにつれて、
人は社会的責任を感じる生物らしいよ。日本の調査でも、年収600万円あたり
を境にして、それ以上収入が増えても幸福は増えない、との回答が多かったと
いうでしょう。

ですから、現世利益から成仏に移ることは簡単なのです。アゴン宗報を毎月読ん
でいたら、そうならない方が不思議です。

246ラシン:2011/06/22(水) 11:19:50
>243 :準シュダオン

批判側は何度も経典示しています、涅槃経/仏陀最後の旅や小縁経など、
最近でも深山さんが再々掲示しています、直近は>>46にあります。

今回は「小部 吉祥経」、パーリ経典では[クッダカ・ニカーヤ](小部)の
[クッダカパータ]第5章にあるマンガラ・スッタを引用します。

6 正しくある者たちに賞賛された、彼ら、八者の人たち(八輩:預流道・預流果・
一来道・一来果・不還道・不還果・阿羅漢道・阿羅漢果)――〔すなわち〕
これらの四組(四双:預流道と預流果・一来道と一来果・不還道と不還果・
阿羅漢道と阿羅漢果)が有るとして――彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、
施与されるべきである。
これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。
これもまた、僧団(僧:サンガ)における、妙なる宝である。
この真理によって、安穏有れ。

247ラシン:2011/06/22(水) 11:20:53
243 :準シュダオン
>例えば、預流向を聖者だと頑固に言い張る
姿勢一つで、私にはそのレベルが解るのです。

ハッタリはもういいから、その預流向≠聖者を示す経典を
出してみなさい、あなたのレベルなどそれからです。

>自灯明の無い人には、解らないでしょう、

お得意のその「自灯明」の意味を知っているのですか?

ー岩波仏教辞典 自灯明・法灯明ー
 自らを灯明とし,自らをたよりとして,他人をたよりとせず,
 真理(法)を灯明とし,真理をよりどころとして,他のものを
 よりどころとせずにあれ.

との釈尊の遺言に近い修業のあり方、姿勢、心構えです。
釈尊の残した(法)を専門の学者が研究し解説としている。
あなたにはそれが、他力本願に映るようだが、マチガイです。
あなたのような外道風情が自己解釈しても意味がない。
釈尊の法の意味を専門家に委ねて、それを理解することは法灯明です。
我流の解釈や勝手な尾用などは通じません。

248ラシン:2011/06/22(水) 11:46:06
>245 :準シュダオン
>来世のために功徳を積め、の解釈にしても、そのとおり。
部派仏教の有部だったかな、現世に起こる諸法はすべて前世の業に依り、現世の業の
報いはすべて来世に起こる、との考え方があるね。その考え方に立てば、功徳もすべ
て来世のために、ということになる。しかし、釈尊はそんなこと言っていない。
現世で報いがある、とは、経典のあちらこちらで、説いています。

だから、批判側の誰も部派仏教など根拠としていません。
読解力ばかりか、視力も衰えているらしい。
あなたが、引用した経典も来世の功徳しか述べられていない。
あるなら出せばよいだけなのに、「経典のあちらこちらで、説いています」などと、
口先ばかりで、そういうのをホラ吹き人間というのです。

>具体的な実践というけどね、そういうことを比較しても意味はない、

じゃあ、準シュダオンさんの将棋素人有段にどういう意味がある?
まさか、桐山さんと同じ名誉有段者ではないだろう?
将棋連盟が発行した名誉○段なんて、よくあるのですよ。
だが、あなたは違うなら、将棋の実践を積んだわけですよね。
このように、
準シュダオンさんは、自らひけらかした将棋の例えすら矛盾する。
ユビさんに異を唱えるならあなたは”ナンチャッテ有段者”です。
だから、批判側から冷やかされるのだ。

>管長の教えに言葉を返すようで申し訳ないが、私は、会費を払って、真剣に勤行
するだけでも、解脱は進む、

これが準シュダオンさんンのホンネです。
精一杯のご供養を説かれても、あくまで我流を押し通す。
真剣に勤行しているなら和賛くらい読誦しているはずだが、
飛ばしても記憶がついていかずに自己満足に浸るだけ?

249アゴン:2011/06/22(水) 12:26:04
経典のあちこちにある現世利益とやらを、一個くらい出してください。
あちこちにあるんだったら、一個くらい探しだして引用していただければ、幸いです。

それだけで議論はまともに先に進みますよ。

実践を説いていますがアゴン宗で山伏の経験はございますか?
桐山ゲイかは山岳修行の重要性を説いておられます。
成仏法を修得するには強靭な体力と精神力がいるそうです。

250ラシン:2011/06/22(水) 12:42:05
>245 :準シュダオン
>このように、欲望に限りはないように見えても、裕福になるにつれて、
人は社会的責任を感じる生物らしいよ。日本の調査でも、年収600万円あたり
を境にして、それ以上収入が増えても幸福は増えない、との回答が多かったと
いうでしょう。
>ですから、現世利益から成仏に移ることは簡単なのです。

つまるところ準シュダオンさんの利益は、ひたすら富裕層に
的を絞っている、と理解できます。
裕福=お金、という図式が根底にあるから例えもそれに固執偏執する。
アメリカの富裕層が、ボランティア活動や慈善事業への寄付行為などは、
節税の意味でも当たり前の習慣ですよ。
しかし、
金持ち問わず金額の大小に関わらず、アメリカ国民すべての層は、
当然の如く行っている習慣でもあるのです。
準シュダオンさんの世間知らずも、ここにカン極まる。
それで煩悩を減らしたなんて言えることではない。
もっとも、出し惜しみする準シュダオンさんよりは遥かにマシです。
だが、煩悩を減らすのは供養したから減るのではない。
貪りや怒りや無知を減らす行為は、自身による勤めとしないといけない。
それが、あなたのお得意の「自灯明」です。
釈尊の教法によらずして、どうやって解脱の道を進むのか。
それを言うなら、キリスト教徒も解脱する??
出し惜しむ気持ちを減らしただけで、どうやって瞋恚や愚癡を消せるのだ?
供養だけで解脱に進めるのなら、桐山さんのジョーブツリキなど不要でしょう。
なんとも浅はかで、あさましい考えです。

251ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 12:54:02
>>245:準シュダオン11/06/22(水) 11:04:38
>欲望は限りない?人によるでしょう。

>このように、欲望に限りはないように見えても、裕福になるにつれて、
>人は社会的責任を感じる生物らしいよ。日本の調査でも、年収600万円あたり
>を境にして、それ以上収入が増えても幸福は増えない、との回答が多かったと
>いうでしょう。

>ですから、現世利益から成仏に移ることは簡単なのです。アゴン宗報を毎月読ん
>でいたら、そうならない方が不思議です。

ほらね。皆さん、欲望には限りが無いところだけに一般論で反論してみせて
肝心の準シュダオンさんは護摩による現世利益追求を卒業したのかどうか
明答しないで、ごまかしているのがわかるでしょ?

252アゴン:2011/06/22(水) 12:54:36
ああ、実践と解脱は比例しないとか、手前がってなことを既に書いておられましたね。

ここでは実践とか書かなくていいんじゃないですか?準シュダオンさん。
貴方が実践者じゃないんだから。

それと個人的にお世話になってる霊能者は偶然の事故でクンダリニーが開いて以来、霊視力をもつようになり、天台宗で特度した(証明も見せてもらったw)こともあり、クンダリニーが開いたときに前世をすべて思い出したそうです。巫女(シャーマン)の前世が多かったといってました。
護摩を焚いたりもして、非常にアゴンの解脱供養よりよく効いています。w半信半疑でしたが、あまりにすごいんで母も信じだした。w
だからといって、その人が煩悩から解脱しているかと問われれば
霊からの影響を受けてヒステリックに怒ったりもするし、解脱していないと思います。
釈尊はそういう神通力よりも、煩悩からの解脱こそがニルバーナの道であると、輪廻からの脱出と説いているのだと思います。
スレ違いかもしれませんが、ひとつの考察の参考までに。

253ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 13:11:51
>>244:準シュダオン11/06/22(水) 10:45:12
>管長の教えに言葉を返すようで申し訳ないが、私は、会費を払って、真剣に勤行
>するだけでも、解脱は進む、と考えていますよ。要は、内面の問題でしょうからね。

じゃあアゴン宗スレに来て、アゴン宗を語らないでください。
桐山さんは会費しか払わない人を会員として、参拝はする信徒と梵行もする弟子とに
それだけでランク分けしてるのですから。
実践と効果を比例して考える健全な前提条件です。

254ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 13:16:17
追記。
諸君は全員弟子になれと命じて、桐山さんは会員や信徒など認めてないようなものなのです。

255ラシン:2011/06/22(水) 16:40:47
>252 :アゴン
>それと個人的にお世話になってる霊能者は偶然の事故でクンダリニーが開いて以来、
>非常にアゴンの解脱供養よりよく効いています。w半信半疑でしたが、
あまりにすごいんで母も信じだした。w
>スレ違いかもしれませんが、ひとつの考察の参考までに。

阿含宗考察と検証や意見交換が目的のスレの流れによって、
桐山さんの説く教義の矛盾やウソが露呈し批判としています。

批判側は、不思議現象それ自体を否定していません。
理由は、検証する客観的根拠を見い出せない対象だから、
それについて是非をつける議論はしないだけです。
たとえ私自身が、不思議現象の経験者であろうとも、
第三者に納得させるだけの説明をするのは不可能です。
それを準シュダオンさんのように強引に主張すれば、
手前勝手な押し売りになってしまう。
ましてや、その根拠たる桐山さんにその能力の無い事実が
存在すれば、いくら強調しても泡に水の如くムダの一語に尽きます。

256ラシン:2011/06/22(水) 16:47:11
>252 :アゴン
>それと個人的にお世話になってる霊能者は偶然の事故でクンダリニーが開いて以来、

桐山さんもホー話で、階段から転げ落ち尾てい骨を打って覚醒なんて
たとえ話をしていました。
しかし、桐山さんの場合は自ら法を修したと述べている。
グモンジ法を何回も試みて、空海の秘密を解いた、どこで?
真言を一日百万回で100日間、これを何度も修した??いつ?
桐山さんは信者を放置してつごう3ヶ月以上も道場を空けていた?
それも一回ではなくてですよ。
念力のゴマもそうですが、グモンジ法も桐山小説です。
結果から判断してそう断定できてしまいます。
桐山さんは、グモンジ脳による五つの超能力をどこで発揮したのか?
直近の話しでも桐山さんの無限の道徳性などウソだと分かります。
著作権法に抵触しないから、他人の著作を無断使用する道徳性?
女性の愛弟子から訴えられる道徳性ってなんでしょう?
色情の因縁はアゴン宗では地獄界クラスです。
信者さんは超能力だけに目が行き、その無限なる道徳性の有無など斟酌しない。

257ラシン:2011/06/22(水) 16:51:43
>252 :アゴン
>それと個人的にお世話になってる霊能者は偶然の事故でクンダリニーが開いて以来、

普通なら占いの一つや二つは宛てるのがプロですが、
桐山さんの場合は、全敗です、当てた何かがあるかと問えば、
何もありません、本の中で威張って見せるだけです。
不思議開祖の人達は、滝に打たれて覚醒とか多種多様なケースがあります。
だが、どれも客観的検証を為しえない、信じるか信じないかの二者択一です。
あとは巷の評判に頼るしかないでしょう。
アゴンさんが認めるその霊能者も、不思議な能力がある。
だが、どれも限定品でしょう、宝くじはダメ、投資銘柄もダメなどなど、、、。
信者さんは、2chで愛人明王祭と揶揄されたおゴマにも何がしかの
効力があると言うでしょう。
桐山さんの霊動だの鎮魂帰神法だのと過去から宗教用語を刷り込まれている。
ですから日々日常のすべてをそういう見えないものに物差しを当てて、
目に見えた桐山さんの所行ではなく、目に見えない期待に神経を
ふりそそいでいます。
結果、
よい事はすべてアゴン宗にご奉納し、悪いことは自己責任という自虐信仰です。

258アゴン:2011/06/22(水) 20:59:01
>アゴンさんが認めるその霊能者も、不思 議な能力がある だが、どれも限定品でしょう

そうです。この人は本当に困っている人をお役目で助けているから、それ以外のご利益なんてもんは与えませんし、不当な金銭は要求しません。
もともとは養護教諭でしたが、お役目がきてこの行に邁進することにしたそうです。

どこかの教祖解脱供養百体してもダメだった問題を一発で見破って、スゲーな…という今日この頃です。(笑)

259ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/22(水) 21:01:53
>>243:準シュダオン11/06/22(水) 10:17:54
>そうじゃないのよ。あんた方は、碁や将棋の定跡を知っていても、なんでそうな
>かを知らないから、実践に弱いのです。例えば、預流向を聖者だと頑固に言い張る
>姿勢一つで、私にはそのレベルが解るのです。預流向を聖者に定義付けたのは、
>アビダルマ論師です。経典を読めば、預流果からが聖者扱いしてることが解ります。

ほらね。皆さん。彼のこういうところが仕事の基本ができていないことを
私は口を酸っぱくして指摘しているのです。
これまでの議論で相手の説いていることを理解していないのです。
こちらが預流向も聖者に含むとする根拠はアビダルマ論などではなく、ちゃんと
釈尊の経典に中村元訳の現代語訳を載せて引用したことなど眼中にない。
のみならず、アビダルマ論こそ聖者の前段階の三賢だの四善根だの経典にもない
ものを設定して、どちらかと言うと預流向から聖者にしたくないのです。
預流向は預流果に至る直前の一刹那なんてこれまた経典にもない無理な話を
こしらえたのもアビダルマ論です。
これをだいぶ昔からごく最近に至るまで説明しているのに、準シュダオンさんは
聞く耳を持たないで、うんざりするほど同じことの繰り返し。
これが準シュダオンさんの大局観なんだとさ。
羽生さんにも失礼にあたりますね。
こちらは王手をかけてるか、とっくに王様をつんでいるのに、準さん次の大局観の
一手に自己満足してます。
相手の書き込み内容も読めずに何が大局観だ?

260サライ:2011/06/22(水) 22:57:03
>>196 天照 11/06/21(火) 05:20:19
>溝口氏が「これはネタになる。色川さんからのオファーがなくても溝口氏の個人的探求でも充分飯になる」となるならやっていたかもしれません。
>ですから色川さんのことで溝口氏は乗りましたが実際的にどうだったのか、といえば、確かにいいネタだった。ですが、継続的にやって儲かる?となると「そうでもない」と判断されたのかな、と思いますね。 。。。なるほど、世間一般から見れば大したネタではないから、カネにもならないし、I川さん側のオファーも切れたのではという事ですね。そうだとしたら、それも残念な事ですね。W まぁ、1回でも記事になった事は一定の成果とも見れますがね。

261サライ:2011/06/22(水) 23:49:31
>>203 ラシン11/06/21(火) 10:12:02 >政治家、フィクサー、裏仲介屋など 、アゴン宗教団が利益誘導社会の構図そのものを体現しているようです。 。。。ラシンさん、レスありがとうございました。レアな情報取れたらまた、書いていきますね。ところで、中国にせっせと送金する一方、 毎年、電通に巨費を支払ってTV番組制作やJR広告、新聞広告続けてきてますが、しらけますよね。ちょっと違うんじゃないの、と。無駄使いやめて、と。個人的にはそろそろ、カネも続かなくなるような気がします。みかじめ料(!)も払えなくなった折りには、さて!?。

262天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/23(木) 05:20:31
>>260 週刊ポストの事は私もよかったと思っています。色川さんが訴訟を起こさなければ派生しない
記事だったのと溝口さんは有名なジャーナりストでしたし、また我々も色川さんがそういった事項で
動いたのは非常に話題的にも考察にも非常に役に立ちましたから、是非展開が続いて欲しかったものです。
ですので、私も一回でも記事に成ったのは一定の成果である、というのは同意です。

また、もしかしたら秘密裏に動いていて色川さんも何か将来攻撃(笑)するかもしれない、と想像して
いたりしましたが、それはよろしいことです。
黙って泣き寝入りしてはいけない。それは強く色川さんに要望したいところです。
しかしながら裁判では一応終息をした。ここからどうするか?ですね。

色川さんは浄財を貪ったのですから肩を持つつもりは無いですが、ゲイカを攻撃するのであれば
喜んで応援はする所存であります。

263ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/23(木) 08:33:17
岩手で震度5弱の地震。
まだ油断なりません。

264準シュダオン:2011/06/23(木) 10:16:29
>ほらね。皆さん、欲望には限りが無いところだけに一般論で反論してみせて
>肝心の準シュダオンさんは護摩による現世利益追求を卒業したのかどうか
>明答しないで、ごまかしているのがわかるでしょ?

何でごまかしなのよ?
護摩による現世利益追求を卒業したかどうかに答えていないからかい?
そんなの私のレス見てたら解るでしょう。
何年も前に、一度、経済に関する祈願を護摩木に書いたことがあるけど、それ以来、
自分に関する現世利益の祈願を、護摩木に書いたことはないね。
だが、これからのことは解らないでしょう。
これから生活に窮することがあったら、祈願するかも知れないじゃん。
だから、卒業したのかどうかは、解らないでしょう、今は必要ないだけでさ。

でも、現世利益で肝心なのは、自分が働くことですぞ。
釈尊だって、パセーナディ大王に、
「勤勉こそが、この世でも、かの世でも利益をもたらす。影が形に従うように」
と、説いてるでしょう。祈願を主とするのは、おかしいのです。

265準シュダオン:2011/06/23(木) 10:34:48

>じゃあアゴン宗スレに来て、アゴン宗を語らないでください。
桐山さんは会費しか払わない人を会員として、参拝はする信徒と
>梵行もする弟子とにそれだけでランク分けしてるのですから。
>実践と効果を比例して考える健全な前提条件です。

実践と効果を比例して考える?また、そんな愚かな考えをw。
まだ解らないのですか。じゃあ、残酷なことをはっきり書きますが、同じく実践
しても、個人の資質が違うので、効果は違ってくる、というのです。
たとえば、資質が優れた人は、護摩木勧進数が極めて少なくても、勧進数がかなり
多い人よりも、はるかに解脱が進んだりもするんです。
だから、そういう実践だけで判断するのは間違いですね。

管長が梵行を課すのは、信者の多くが悪因縁をもっているから、それを切るための
親心で言うわけでね、もし機根の優れた信者であれば、会費払って、勤行して、
宗報を眺めてる程度でも、かなり解脱が進むはずですね。

266準シュダオン:2011/06/23(木) 10:50:08
>これをだいぶ昔からごく最近に至るまで説明しているのに、準シュダオンさんは
>聞く耳を持たないで、うんざりするほど同じことの繰り返し。
>これが準シュダオンさんの大局観なんだとさ。

聞く耳は持っていますよ。しかしながら、学者の訳も鵜呑みにしないで、自分で
判断する力を持ちなさい、てのよ。確かに、釈尊は、四双八輩是聖賢之衆、として
いるけれども、他の経典を読めば、預流果とは、流れを手中にした、という意味で、
聖者の流れ、悟りの流れ、を手中にした、という意味なのよ。あるいは、入流と
訳しているでしょう。預流向とは、その流れをまだ手にしていない努力中の者を、
言うのです。
このことを理解できないようでは、やはり、智慧がない、というしかないね。

267準シュダオン:2011/06/23(木) 11:00:33
>じゃあアゴン宗スレに来て、アゴン宗を語らないでください。
>桐山さんは会費しか払わない人を会員として、参拝はする信徒と梵行もする弟子とに
>それだけでランク分けしてるのですから。

ランク分けするのは管長の自由でしょう。但し、そのランク分け通りに解脱が
進むわけではありませんね。現に私なんぞ、梵行を見れば、いくらかはしてる
けども、楽しながらの実践です。それでも聖なるバイブの恩恵があった。
解脱供養数体、だけでも、運が良ければ、善い事が起こりますよ。

268ラシン:2011/06/23(木) 11:48:12
>259 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU
>預流向は預流果に至る直前の一刹那なんてこれまた経典にもない無理な話を
こしらえたのもアビダルマ論です。

これは、私にも耳が痛い話です。
預流向が、清浄行を実践する生りたての修業者なら、
どうして聖者の範疇に入るのか、と自問した時期がありました。
自前の解釈ながら、預流果への「一刹那」なら納得できそうだと、
判断したわけです。
これは、スマ師の解説にもあったので批判側にぶつけた。
しかし、真の意味は釈尊がそんな煩雑な色分けなどしていないと、
経典で示された。
事実、釈尊は預流向から阿羅漢果までを聖者の集団と認めています。
ならば、仏陀釈尊のことばに異を唱えることじたい、仏道から外れる。
下手なヘ理屈など必要ないと理解した次第です。
釈尊に出家を認められて励む修行者なのだから、否応なく聖者の仲間であり、
もしそこから脱落すれば、現世での聖者集団から離脱=聖者ではなくなる。
普通に考えればべつに不思議ではありません。

さしずめ準シュダオンさんの場合、
自己顕示欲といういやらしい個人観から勝手に預流向を名乗れば、
そのある種の後ろめたさゆえか、屁理屈をこねて聖者説を否定するしかない。
ホンネは、「オレ様は聖者とまでは言わないが、お前ラより上なんだゼ〜イ」と、
上位目線を保ちたくてこのようにしがみ付いているから、
本道からも本論からもハズレまくる結果を生じています。
ようは簡単なことで、個人的に弁解を延々と言いまくっているだけです。

269深山:2011/06/23(木) 12:26:41
>>265 :準シュダオン:2011/06/23(木) 10:34:48
>まだ解らないのですか。じゃあ、残酷なことをはっきり書きますが、同じく実践
>しても、個人の資質が違うので、効果は違ってくる、というのです。

これは一つ目には、準シュダオンさんは資質があるから効果があり、
他の元信者は資質がないから効果がないと威張りたいのですね。
二つ目には、準シュダオンさんは護摩木をろくに買わないことの
言い訳のために、数が少なくてもいいのだと言うのですね。
いずれもあなたの言い訳にすぎず、そんな教義はアゴン宗にはありません。
あなたが言いたいのは、アゴン宗の教義ではなく、
「自己弁護」です。
要求1「ケチだから護摩木にお金を出したくない」
要求2「お金は出したくないが、御利益だけほしい」
この二つの要求を満たすのに、ほんのわずかしか護摩木を書かない
自分を正当化するために、資質が必要だとか、効果が違うなどと
準シュダオン教を作り上げた。
「残酷なことをはっきり書きますが」などと他人を圧倒したつもりだろうが、
あなたの姿はケチでお金を出したくないのに、御利益だけほしいというただの餓鬼です。

270アゴン:2011/06/23(木) 12:28:31
>また、そんな愚かな 考えをw まだ解らないのですか。じゃあ、残酷なことをはっ きり書きますが、同じく実践 しても、個人の資質が違うので、効果は違ってく る、というのです たとえば、資質が優れた人は、護摩木勧進数が極め て少なくても、勧進数がかなり 多い人より


ゲイカはそれを徳のあるひとは、と表現しますね。そのように表現されたらどうですか?資質なんて信者の反感を買うような言い方は決してされません。徳を積みなさいといってボンギョウを進めるんですよ。
でも徳って、おごり怒りで百千の功徳の種を焼くとしれ、と言ってますよ。ご存知でしたか?
なんにも傲るところもないのに勝手におごり高ぶってるひとは、ほんとに薄徳のひとなんでしょうね。
えらいほど頭をたれる稲穂かなの反対にふんぞり返って、よろけて、後ろに倒れてしまわれそうなかたにご忠告です。

271深山:2011/06/23(木) 12:28:51
>>265 :準シュダオン:2011/06/23(木) 10:34:48
>まだ解らないのですか。じゃあ、残酷なことをはっきり書きますが、同じく実践
>しても、個人の資質が違うので、効果は違ってくる、というのです。

仏様が応えてくださるかどうかは、資質などではなく、アゴン宗では真心です。
しかも、その真心とは、普通の意味の真心ではなく、具体的な数字です。
1本より10本、10本よりも100本に多くの功徳がある。
だから、桐山ゲイカは一本でも多く供養するように説く。
供養という言葉はきれいだが、金を出せと言っているのです。
供養のない所に見返りはないという、現金決済の教義です。
個人の資質というなら、アゴン宗ではお金を出すのが優れた資質であり、
あなたのようにお金を出さないのは不徳といい、劣った資質です。
だから、アゴン宗ではお金を出した者が高く評価され、
資格を得て、守護神はじめ様々な功徳がもらえる。
守護神は、冥徳解脱で400万円を出すことが最低の「資質」です。
だが、あなたは数体しか出していない。
アゴン宗でのあなたの資質は最低クラスです。
だから、アゴン宗の功徳もありません。

272深山:2011/06/23(木) 12:31:15
>>265 :準シュダオン:2011/06/23(木) 10:34:48
>まだ解らないのですか。じゃあ、残酷なことをはっきり書きますが、同じく実践
>しても、個人の資質が違うので、効果は違ってくる、というのです。

あなたは自分は預流向になったと自惚れている。
だが、アゴン宗ではいっさいそんなことは認めていない。
ということは、あなたは泥棒なのだ。
泥棒!
資格もないのに、アゴン宗が認めてもいないのに、
勝手に名乗るのだから、泥棒です。
もっとも、桐山さんは資格泥棒では有名な人だから、この意味では、
準シュダオンさんを桐山さんの弟子としての資格は十分にあると思う。
桐山さんは、僧侶の資格、阿闍梨の資格、大僧正の資格を偽り、
さらには阿羅漢を偽っている。
このくらい資格を盗むのが得意な教祖だから、
あなたも桐山さんと資質が似ていて、泥棒、コソドロなのだ。
泥棒の大親分の上前をはねるのだから、立派な泥棒です。

273深山:2011/06/23(木) 12:34:20
>>266 :準シュダオン:2011/06/23(木) 10:50:08
>確かに、釈尊は、四双八輩是聖賢之衆、として
>いるけれども、他の経典を読めば、預流果とは、流れを手中にした、という意味で、
>聖者の流れ、悟りの流れ、を手中にした、という意味なのよ。あるいは、入流と
>訳しているでしょう。預流向とは、その流れをまだ手にしていない努力中の者を、
言うのです。

主張するなら、その経典を出してからにしなさい。
あなたのその解釈なんか聞いても意味がないばかりか、
平気で嘘を書くのはよく知っている。
原文を出しなさい。
聖者の「流れを手中にした」とは、聖者という意味です。
「入流」とは「流れに入る」、つまり「聖者の流れに入る」のだから、預流向は聖者です。
わざわざ、預流向が聖者だという証拠を示している。
準シュダオンさんの解釈を見て、いつも驚くのは、あなたの主張と正反対の
ことが書いてあるのに、それでも平然と自分の主張の根拠として引用することです。
「来世の功徳」と釈尊が述べている章をあなたは引用しているのに、
それをまったく逆に現世の功徳だと主張する。
あなたは十行どころか、一行の文章を理解し記憶するのがやっとなのではありませんか。

274深山:2011/06/23(木) 12:36:50
>>243:準シュダオン11/06/22(水) 10:17:54
>預流向を聖者に定義付けたのは、
>アビダルマ論師です。経典を読めば、預流果からが聖者扱いしてることが解ります。
>>266 :準シュダオン:2011/06/23(木) 10:50:08
>確かに、釈尊は、四双八輩是聖賢之衆、としているけれども

266では、経典に四双八輩が聖者とあると書きながら、
243では、平然とそれをしたのはアビダルマだと言う。
阿含経に書いてあることを認めながら、よくまあ、そういう矛盾したことが書けますね。
準シュダオンさんは直前に自分が書いたことも忘れているようだ。
あなたは未だに釈尊が「預流向≠聖者」と書いたという経典を引用したことはない。
当たり前で、そんな経典は存在しない。
しかも、これを主張するのはアゴン宗の擁護や仏教の解釈のためではない。
護摩木や解脱供養と同じで、「自己弁護」です。
自分を預流向だと主張したが、これを聖者だと認めたら、聖者がそのザマか、
とあざ笑われるから、預流向は聖者ではないと主張し続けているだけです。
自分のことしかない。
自己弁護のためなら、アゴン宗も阿含経も踏み台することがなんともない。
エゴ丸出しです。

275深山:2011/06/23(木) 12:38:50
>>266 :準シュダオン:2011/06/23(木) 10:50:08
>聞く耳は持っていますよ

聞く耳を持っていたとは殊勝なことです。
てっきり、馬耳東風、ロバの耳かと思っていた。
では、小縁経に「阿羅漢」と書き入れたことの弁明をしなさい。
あなたが引用した小縁経の説明では、応供とは四双八輩すべてを指している。
だが、あなたはこれをわざわざ「阿羅漢」と書き入れた。
私がその嘘を暴露した。
あれも、預流向もまた聖者であることの何よりの証拠です。
元の経典を誰も調べないだろうとばかりに、部分を引用して、自分の説に
合うように「阿羅漢」などと書き入れて経典を捏造して、我々を騙そうとした。
しかも、あなたはこういうことをするのが初めてではない。
前にも、同じような手を使い、私から暴露された、
普通、一度そういうことをして暴露されたら、二度としない。
だが、あなたは自分の過ちや非難をまったく記憶しないから、
また同じ犯罪に手を染める。
今回も、何度こちらから小縁経の事を指摘されても、無視する。
だから、あなたはまた同じような犯罪をします。

276深山:2011/06/23(木) 12:42:36
>>267 :準シュダオン:2011/06/23(木) 11:00:33
>楽しながらの実践です。それでも聖なるバイブの恩恵があった

ところで、私は一つ気になっていることがある。
それはあなたが桐山さんの嘘にも、女性関係にも、経典捏造や、他人の本の
パクリなど犯罪行為にも、まったく気にしていない様子です。
これは今まで出て来た信者の中でも例外です。
あのペテン大作さんですら、こういう件に関しては弁護はせずに、
沈黙することで逃げていた。
ところが、準シュダオンさんは桐山さんの悪事をことごとく擁護する。
信じられないほど低レベルの道徳心です。
世間の普通の人が持っている道徳心、公共心が欠落している。
桐山さんも道徳心が低いが、彼は嘘の通用する世界の詐欺師です。
だが、あなたは県の公務員だったらしい。
こういう道徳心で仕事をしていたのですか。
すると、あなたはワイロも接待も、袖の下もまったく気にしなかったことになる。
天下りしたところを見ると、いっさいばれなかったのですね。
あなたのその飲食に対する意地汚さを見ると、
どうやら、関係業者などにたかり、好き放題に飲み食いをしたのでしょう。
あなたの文章に現れている根性の汚さに、時々、辟易させられる。
だが、問題はその汚い根性のままに、公務員という税金を使った仕事をしていたことです。
下っ端の公務員でも、世間の企業の社員に比べたら、高い公共性や倫理を求められる。
一時、県庁などで、飲み食いのためにお金をプールしたり、業者から
キックバックさせていたことが問題になっていた。
どうやら、あなたもそのお仲間らしい。

277ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/23(木) 12:44:02
>>264:準シュダオン11/06/23(木) 10:16:29
>>何年も前に、一度、経済に関する祈願を護摩木に書いたことがあるけど、それ以来、
>自分に関する現世利益の祈願を、護摩木に書いたことはないね。
>だが、これからのことは解らないでしょう。
>これから生活に窮することがあったら、祈願するかも知れないじゃん。
>だから、卒業したのかどうかは、解らないでしょう、今は必要ないだけでさ。

要するに今困ったことがないから護摩木祈願してないだけで、また困ったことが
起きたら護摩木祈願するというわけね。
密教における現世利益祈願の次の段階への移行とはそういうことなんですか?
それにアゴン宗ではどうして個人に対して護摩木祈願の誓願本数を立てさせたり
ご褒美に法施グッズを千本以上とか二千本以上とか設定してまで煽るのですか?
個人の誓願だけでなく地区の誓願ノルマとは本部道場単位のノルマとかアゴン宗
全体での達成ノルマに向かって先達や幹部は邁進するのはなぜですか?
桐山さんがこういう指導をするのはなぜですか?
卒業生が多く、今年は護摩木祈願を必要としない信者の多いことはそれだけ修行が
進んでいる証拠で、本数が減ったことは喜ばしいことではないか、となぜ言わない?
もっと根本的な問題があります。
この先また困ったことが起こるとして、それは悪い因縁があるから起こるのですよね?
これを護摩木祈願で解決するのですか?
あなたは解脱解脱と言うけど、やはり本音は釈尊の説く解脱は煩悩解脱だと
わかっているのですね。
ところが桐山解脱は、煩悩解脱など小解脱であり大解脱は不幸な運命転換の因縁解脱です。
不幸な運命転換って、これ現世利益に他ならない。
だから仏教の解脱が本当に因縁解脱なら、これって密教の祈祷とそう矛盾しない
はずなんですよ。護摩を焚くのは飛び道具を出すようなものなんていってさ。
密教でさえも解脱は因縁解脱ではないから、いろいろ言い訳をしているのです。
本来は我ら密教こそが因縁解脱の現世利益の王道なりと胸を張るはずでないか?

278深山:2011/06/23(木) 12:48:25
>>267 :準シュダオン:2011/06/23(木) 11:00:33
>楽しながらの実践です。それでも聖なるバイブの恩恵があった

あなたはアゴン宗に事かけて、自己弁護をするのが大好きです。
というよりも、あなたの書いていること大半が、自慢と自己弁護です。
桐山さんの弁護ではなく、実はすべてあなた自身を自慢し弁護している。
悪事をなす桐山さんを擁護するのは、実はあなた自身も
かつて似たような悪事をしていたからではありませんか。
桐山さんの悪事を批判すれば、準シュダオンさんの悪事を
批判することになり、それに耐えられないから、あなたは桐山さんを弁護する。
そうしてみると、公務員時代、どれほどの悪事をなしたのだろう。
公金を私物化するなんて平気でしていたのでしょうね。
桐山さんの色事にも寛容なところを見ると、業者に女性を斡旋されたこともあったのですか。
こういう世界に長くいたから、小縁経の件のように自分の悪事を目の前に示されても、
どこ吹く風で、自分を正当化するためには、目の前にある釈尊の言葉を
逆に意味に解釈しても、屁とも思わない。
あなたのその姿は、裏社会で生きて来て、逮捕されても太々しく
笑っている人のようです。
これがあなたの公務員時代の仕事ぶりだったんでしょうね。

279深山:2011/06/23(木) 12:50:41
>>267 :準シュダオン:2011/06/23(木) 11:00:33
>楽しながらの実践です。それでも聖なるバイブの恩恵があった

ここはあなたの低い道徳心でも通用する職場ではないから、
その汚いハラワタをここにさらすのはやめてもらえないか。
釈尊は、あなたや桐山さんと違い、世間の倫理道徳よりも
もっとはるかに厳しい規律を求めた方です。
それなのに、道徳心のカケラもないようなあなたのその汚い手で
釈尊を触るのはやめてもらえないか。
餓鬼が汚物にまみれた手で経典をいじくりまわしているようで、
見ていて、とても不愉快です。

280アゴン:2011/06/23(木) 16:05:41
全ての公務員がそうとはいいませんが、非常に道徳心が低いから擁護できるという見解には同意しますね。。
私も最初はゲイカに愛人いてもええやんwと思っていた。
奥さん死んだら寂しかったんやろー。と思っていたけど、まさか、ご霊諭なるもので、若いときから唾つけてた事実にはドン引きでしたね。。
ほかにもどんびいたことは沢山あったけど、その事実だけで理屈じゃなく、もう無理や。。信じられん。となるのが普通の常識だと思いますw

281ラシン:2011/06/23(木) 18:15:18
>280 :アゴン:2011/06/23(木) 16:05:41
全ての公務員がそうとはいいませんが、非常に道徳心が低いから
擁護できるという見解には同意しますね。

今の時代、行政も真の公僕として地域住民へのサービスという、
心掛けが行き届いています。
ふた昔前の、上から目線で、してあげていると言う態度は、
地方公務員の化石のようなものです。
釈尊の「真のバラモンとは生まれによってではなく、
行いによって真のバラモンとなる」との意味を考えれば、
真の公務員もその行いによって真の公務員たるを評価をすべきです。
釈尊の説いた内容は、身の行為・口の行為・意の行為によって、
その人間の成果と価値が決まる。
だが、
桐山さんは、他人の著書の偸盗や弟子との邪淫の身業、
あばちゃん信者を罵倒した悪口・両舌の口業、美食に浸る
貪欲の意業など、これら悪業を満遍なく見せ付けてくれました。
本でいくら桐山小説を夢想しても、現実の桐山さんは身口意の
三悪業にどっぷりと浸かっていたわけです。

282ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/23(木) 21:05:01
>>265:準シュダオン11/06/23(木) 10:34:48
>実践と効果を比例して考える?また、そんな愚かな考えをw。
>まだ解らないのですか。じゃあ、残酷なことをはっきり書きますが、同じく実践
>しても、個人の資質が違うので、効果は違ってくる、というのです。

実践と効果は比例すると説くのが、どの道でも健全なんです。
言い換えれば頑張った人は頑張った分だけ報われるということです。
努力が目に見える効果に繋がるぞと桐山さんもまた奨励しているのをあなたは
愚かな考えと罵ったわけです。
そりゃ一般論的に言って、効率のよい仕事の仕方を知らないなど、努力しても
浮かばれず、サボってる奴が得することもあるかもしれない。
しかしだからそういう例外的事例(事例などあなたは出したこともないが)だけで
あなたは勤勉を否定してサボリを勧めるのか?
よろしいか?例外と言うのはあくまでも例外であり、ごくごく少数だから例外と
言うのです。
それをあなたは世の中には例外もあるのだからと言って、それが世の中の大勢で
あるかのように取り違えて示すから、これをゴマカシと評価してるのです。
何事でもやればやっただけ、やらない人より差がつくのです。
腐った公務員暮らしをしてきたあなたは、努力なんかせずに生きてきたのですね。

283ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/23(木) 21:14:31
>>266:準シュダオン11/06/23(木) 10:50:08
>聞く耳は持っていますよ。しかしながら、学者の訳も鵜呑みにしないで、自分で

いいえ、持ってません。
経典をめぐる解釈の相違の話ではなく、あなたが書いた預流向も聖者なんて
アビダルマ論の考えなんて示した事実が、こちらの話に耳を貸さなかった証拠です。
耳を貸していたら、最初からこちらが出してもいないアビダルマ論なんて出すことなく
最初から四双八輩を全部聖者とみなす経典があることを前提に、しかし・・と
話を切り出すはずです。
アビダルマが預流向が聖者だとしたと言うのなら、そのアビダルマを引用してみなさい。
あなたの言ってることは単なる屁理屈の言い訳で、議論の内容よりも議論における
初期反応でバレバレなんです。書いたものは残る。
私は議論の内容以前の態度の話をしたのです。

284ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/23(木) 21:39:43
>>267:準シュダオン11/06/23(木) 11:00:33
>ランク分けするのは管長の自由でしょう。但し、そのランク分け通りに解脱が
>進むわけではありませんね。現に私なんぞ、梵行を見れば、いくらかはしてる
>けども、楽しながらの実践です。それでも聖なるバイブの恩恵があった。
>解脱供養数体、だけでも、運が良ければ、善い事が起こりますよ。

それはあなたが解脱を因縁解脱、霊障解脱と見ないで、煩悩解脱だと見る視点が
あるからです。
ところが桐山解脱は因縁解脱であり霊障解脱です。
つまり30体の不成仏霊がいる人がいて解脱供養を必要とするならば、そのうち
まだ3体しか供養していないならば、確実にもう27体分の解脱が残っています。
逆に同じ条件で27体供養した人はあと3体分の頑張りが残され、どちらが
進んでいるかは説明の必要もあるまい。
ただし人格の向上は必ずしも比例しませんよ。
あなたはやはり解脱を人格と絡めているのですね。
しかし桐山さんは人格なんて天理教でも向上するとしている。
アゴン宗が狙う解脱とは霊的な浄化です。
人格で差をつけたって解脱供養で浄化しないとダメなんです。
それともなんですか?あんな解脱供養だの霊障だの不成仏霊が悪影響を与える
なんて桐山さんの嘘っぱちとでも?
それから千座行から解脱宝生行にかわってからは今まで勤行に充てていた時間を
梵行に充てよとの指導です。つまり梵行しなけりゃ因縁解脱しない。
いや、千座行時代ですら桐山さんは勤行だけして梵行しない信者でも、因縁は
3割切れると話していた。逆の言い方をすると3割しか切れず7割は切れないと
はっきり数字の比較を示している。
それから解脱供養数体でもよいことくらいありますよ。
しかしあなたがその場でよいと感じただけで、実はまだ悪い因縁も霊障も残っている。
桐山さんは言った。法華経が説く御利益などに目も向けなかった。
そんな御利益なんか因縁さえ切ったら自力で獲得してやると。
しかし悪い因縁が一つあったらいくら結構な御利益があっても結局は救われないから
因縁解脱、霊障解脱を求めたのです。
あなたはこれを信じないのですね?
それはよいことです(笑)

285天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/25(土) 04:42:06
自分も過去そうでしたが、批判側の諸兄様方は本当に阿含教学を学ばれています。
なので私が間違ったことを述べたことがありますが、それもすぐに指摘されました。
いやはや汗顔の至りですね。誤魔化しが一切効かない。これは凄いことです。

286アゴン:2011/06/25(土) 16:29:54
昔は管長も強気で教義について教鞭をとっておられましたからねぇ。ビデオでも迫力を感じましたもの。

その時代に真剣に修行されたかたの、記憶されるところのものは、そこらへんの信者では立ち向かえませんよ。w

そして嘘だったらそりゃ怒りますよ。
怒らないのはチャランポラン信者だけw

287準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>それはあなたが解脱を因縁解脱、霊障解脱と見ないで、煩悩解脱だと見る視点が
あるからです。
>ところが桐山解脱は因縁解脱であり霊障解脱です。
つまり30体の不成仏霊がいる人がいて解脱供養を必要とするならば、そのうち
>まだ3体しか供養していないならば、確実にもう27体分の解脱が残っています。
逆に同じ条件で27体供養した人はあと3体分の頑張りが残され、どちらが
>進んでいるかは説明の必要もあるまい。
>ただし人格の向上は必ずしも比例しませんよ。

これも、まか不思議なことですが、私が伝法会で聞いた管長の講義では、
あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
です。と、講義なされた。ユビキタスさんのレスを読むと、まるで解脱供養は、
管長・教団以外では出来ないようなレスだね、他力本願のみのw。

これは重要なレスですね。管長の講義を聞いても、理解する力が違います。
同じ講義を聴いても、理解度が全く違うのです。

解脱供養を管長に頼りきりのユビキタスさんのレスを読むと、情けなくなり
ますね。修行が進めば、解脱供養など、自力で出来るのです。
そのことを、管長は説いています。解脱供養を、教団頼みの信者は、まだまだ
修行が足りないからです。修行が進むと、解るんです。

ユビキタスさんなどは、まだまだ初心者です。
しかし、深山さんやラシンさんよりも、ユビキタスさんの方が、
少しは解脱の可能性があると思う。
少しばかり、相手の知的経験を想像する、知力がありそうだからね。
まぁ、本当のところは、解りませんけど。

288ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/26(日) 22:25:14
>>287:準シュダオン11/06/26(日) 20:55:29
>これも、まか不思議なことですが、私が伝法会で聞いた管長の講義では、
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。ユビキタスさんのレスを読むと、まるで解脱供養は、
>管長・教団以外では出来ないようなレスだね、他力本願のみのw。

これは私の書き込みをよく読んでないのですね。
私はアゴンさんかサライさんかどちらかが報告してくれた最近の法話指導で
桐山さんが、解脱供養料の高いことに対する質疑応答として、君たちが一生
かかって修行したってせいぜい不成仏霊を一体か二体成仏させられるのが限度
ということを話したことをあなたにも示しました。
桐山さんの修行者に対する期待なんて単なるリップサービスだと長年やってて
わからないのですか?
君たちは私を踏み台にして跳べだの。
また桐山さんは昔から霊障を起こしている先祖は自分しか太刀打ちできないと
述べている。
あなたが伝法会で聞いた話など、君たちもサハスララチャクラを開発して
クンダリニーを覚醒して念力の護摩を焚かねばならぬと言っているようなレベル
なんですよ。自力で解脱成仏させられるようになれなんて。
つまり雲を掴むような遠い未来の理想です。
それだのに、あなたはまるで自分は自力で解脱成仏させたものだから
解脱供養の申込み数が絶対的に少なくても、多い人と比例せず、同等か逆転も
あると示唆しているようなものなんです。
それって、教団に対してすごく不遜な態度だと理解できるかな?
布施供養による見返り御利益祈願を強調する他力本願、他力依存信者が
こちらの他力本願を指摘するなど片腹痛い。

289深山:2011/06/26(日) 22:31:42
>>287 :準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。

同じ話を聞いても、まったく逆の意味に取るのがおもしろい。
桐山さんの言っていることは、あなたのように勝手に自分で
判断して良い、という意味ではありません。
信者の中から桐山さんのオシャカの成仏ホウを体得する徳と素質のある者が
出てくるのを期待するという意味です。
もちろん、こんな話し自体が嘘なのは、そんな人は未だ一人もいないのを見れば十分です。
桐山さんが超能力を目指す信者たちを釣るのに使った疑似エサです。
ましてや、一般信者が解脱供養について勝手な判断をして良いなどと許しているのでない。
むしろ、あなたのように霊能力もないのに、勝手な言い方をするのを
桐山さんはものすごく嫌っていた。
当たり前です。
解脱供養は桐山さんの重要な商売道具です。
それを信者が四体でいいなんて勝手に打ち止めしたら、商売にならない。

290深山:2011/06/26(日) 22:35:52
>>287 :準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。

準シュダオンさんの入信は1980年代前半だから、行歴だけは
三十年になろうとしている。
前は関西で、今は福島や宮城などの太平洋岸に住んでいる。
年金をもらう年齢だから、60代後半か70歳前後。
入行から2004年頃までの二十年間護摩木は一本も書いていない。
解脱供養は四体、冥徳は数体出している。
もちろん、最近はいっさい出していない。
伝法会は終了していて、護摩許し状をもらっている。
星まつりに修行で参加したのは一度くらい。
こんなふうに彼の行歴を見ても、とても「修行者」という名前は付けられない。
ろくに梵行をした形跡もなく、ファミリーなどのグループ活動もしていない。
護摩木がゼロだったのに、伝法会だけはしっかりと出ているのを見れば
わかるように、超能力だけがほしいという桐山さんのいう「我利我利信者」です。
彼が入行した当時から言われていた積徳行の大切さはまったく理解していない。
と言うよりも、我利我利信者だから、他人のためなど指一本動かすのが嫌なのでしょう。
入信してから二十年間護摩木ゼロということは、いかに準シュダオンさんが
ドケチなのかがよくわかる。
あれほど桐山ゲイカが仏様にご供養する大切さを毎月の法話で説いているにも
かかわらず、彼は二十年間、見向きもせず、そんなことのためには
百円を出すことすらしなかったのです。

291深山:2011/06/26(日) 22:39:54
>>287 :準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。

準シュダオンさんの話しはアゴン宗ではなく、自分教です。
超能力ほしさに伝法会は受けるが、直接的に何の利益にもならない護摩木には
一円も払わないし、ただの労力奉仕にすぎないボン行なんてしない。
彼の主張はもちろんアゴン宗の教義やその弁護などではなく
「お金を出さなくても良い言い訳」「ボン行をしなくても良い言い訳」です。
彼がしてきたサボりや低劣な御利益信仰を言い訳するだけでなく、
むしろ、それが最も正しいのだと自己弁護しているにすぎない。
桐山さんに言われたことすらサボり、餓鬼丸出しの根性をさらして、
それを自慢するのだから、ひたすら醜悪。
自分の薄汚い欲望を恥じて隠すどころか、それをどんなもんだいと自慢して、
人前で黒い腹を出して踊って見せるのだから、言葉がない。

292深山:2011/06/26(日) 22:43:16
>>287 :準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。

毎度思うのだが、誰しも年をとり、老化し、衰える。
だが、桐山さんや準シュダオンさんのようにだけはなりたくない。
老いても、ここまで醜い姿をわざわざ人前にさらしたくない。
みっともないを通り越して、醜い、醜悪です。
この二人は、本来ならさらす必要のない醜態までさらしている。
桐山さんは88歳にして愛人に訴えられた。
きちんと自分で責任をとって、しかるべきお金を出してケジメをつけるべき所を、
無責任で、よい子のふりをして逃げたから、裁判にまでなった。
信者の前で釈明すらできず、口を拭い、W田さんに全部尻ぬぐいをしてもらった。
88歳のブッダ様が愛人騒動ですよ。
金銭問題でも醜いのに、よりにもよって、下ネタです。
ほかの教団の88歳の教祖が愛人問題を起こしたら、信者さんたちは笑うはずだ。
だが、よその教祖とも桐山さんは違う。
桐山さんは仏陀なのですよ。
仏陀とは、煩悩を完全に断ち切っているから、女性問題など起こすはずがない。
自分で雪駄もはけず、身の回りを世話してもらわないと生きていけないような
老人が、なんと色沙汰です。
信者さんたちは桐山さんを一人の人間として見ても「醜悪」だとは思わないか。

293深山:2011/06/26(日) 22:48:23
>>287 :準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。

準シュダオンさんは老人だから醜いのではない。
ろくな修行もせず、教義すらもろくに知らない癖に、自惚ればかり強く、
自己評価だけは異常に高く、威張りちらすから醜いのです。
現実世界では道場に行っても誰も相手にしないから、ここに来ては威張り散らす。
アゴン宗とは関係のない準シュダオン教を延々と高見からお説教を始める。
内容はすべて自己弁護と言い訳と自慢です。
自分が周囲からどれほど嫌われているかわからないという点では、
栗花さんと同類です。
準シュダオンさんは、現実世界で、周囲から嫌われているどころか、
自分の発言に周囲は一目置いていると自惚れている。
周囲が彼の言動にウンザリしていることに気が付かないだから、
本当に幸せな人です。
信者さんたちはこうはなりたくないでしょう。
だが、準シュダオンさんは三十年近くも桐山さんを信じて
付いてきた信者なのですよ。
信者さんたちから見て、彼は、なんと、先達です。
この醜悪な男を先達としなければならないとは、信者さんたちに深く同情します。

294深山:2011/06/26(日) 22:51:48
>>287 :準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。

準シュダオンさんは三十年前と何も変わらないどころか、むしろ、
アゴン宗で信仰をもったばかりにかえってどうしようのない人間になってしまった。
アゴン宗が準シュダオンさんの自惚れと言い訳に拍車をかけている。
人格をもっと低くしてしまったのです。
彼は、世間ではまったく通用しないから、自分は預流向なのだと
自惚れることで、世間よりも自分は上なのだと思いこんでいる。
宗教を使い、妄想の世界でエラクなったのです。
だが、信者さんたちも見てのとおり、現実の準シュダオンさんは
人格的にも、道徳的にも、人間としてもかなり低い。
気が付きませんか。
妄想の世界でエラクなった分、現実の準シュダオンさんの人格は下がった。
これは当たり前なのですよ。
妄想の世界でエラクなったつもりで自惚れた分、自惚れだけは現実になり、
彼の煩悩が増えたのです。
これを信者さんたちは他人事だと思わないほうがいい。

295深山:2011/06/26(日) 22:54:40
>>287 :準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。

アゴン宗はどうしてあんなに威張っている連中が多いのだ?
威張るだけの実力があるならまだいいが、本人は何の実力もないのに、
威張る、威張る、威張る。
準シュダオンさんだけが例外ではありません。
アゴン宗という妄想の世界でエラクなったから、
現実の彼ら自身の心に自惚れという煩悩が増えてしまったのです。
もちろん、実力はまったく伴わない。
普通は、会社で肩書きがついてエラクなるから、威張る心が作られる。
だが、アゴン宗の場合、妄想の世界にすぎないのに、
本人はすっかりエラクなったつもりで威張っているのです。
能力など獲得していないから現実は何も変わっていない。
つまり彼らが得たのは能力ではなく、慢心という煩悩だけです。
こういうアゴン宗の環境にいると、朱に交わり、元々威張る素質を
持っている人たちはたちまち慢心に頭角を現す。
その典型が準シュダオンさんであり、模範を示したのが桐山さんです。

296深山:2011/06/26(日) 23:00:19
>>287 :準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。

桐山さんも現実では何一つ通用しなかった男です。
作家になれなかったし、商売も失敗です。
本業の宗教にいたっては解脱の定義すら未だに理解できていない。
教義のデタラメ、矛盾だらけ、インチキ。
だから、彼の肩書きはすべて妄想か、金で買ったか、二種類しかない。
僧侶という簡単な資格すら嘘で、阿闍梨や大僧正も嘘です。
超能力者、念力、アナゴン、アラハン、アンゴルモアの大王など
妄想の通用する肩書きを使い、自分をエラク見せた。
現実世界では、信者から集めた金で位階や名誉学位を買って、
実力があるかのように見せかけた。
だが、桐山さんには何の実力もありません。
信者から集めた金がなかったら、桐山さんは何もできない。
愛人一人を後かたづける能力すらない。
焚き火のイベントをして、名誉を買い、力があるかのように見せかけているだけです。

297深山:2011/06/26(日) 23:09:35
>>287 :準シュダオン:2011/06/26(日) 20:55:29
>あなた自身が、先祖霊の解脱成仏をさせる力を持ちなさい、それが本当の修行なの
>です。と、講義なされた。

準シュダオンさんも同様で、この人も現実世界では周囲から嫌われた。
だが、彼はそれを認めたくないから、アゴン宗に逃げ込んで、
預流向ゴッコをすることで自己満足を得た。
その愚行の功徳として、彼は慢心を積み上げることになった。
羞恥心すらなくなり、積み上げた慢心だけが、
彼の黒い腹の中に積み重なり、腐臭を放っている。
年齢とともに、彼のこの状態はもっとひどくなるでしょう。
信者さんたちは彼を他人事だと思わないことです。
あなた方はまさに準シュダオンさんと同じ所にいるのですよ。
朱に交われば赤くなるように、無知と無恥と慢心が積み重なった教団に
いれば、自ずと信者さんたちのこれらの煩悩は増え、行き着く先は、
準シュダオンさんのように修正が効かないほどのひどい状態になってしまう。
他人から「おまえの腹ワタは汚い」と言われても、無視し、あざ笑い、
かえってその汚いハラワタを自慢気に出して来る。
信者さんたちは彼を自分の姿を映した鏡だと思って良くみることです。

298準シュダオン:2011/06/27(月) 09:14:27
>桐山さんが、解脱供養料の高いことに対する質疑応答として、君たちが一生
かかって修行したってせいぜい不成仏霊を一体か二体成仏させられるのが限度
>ということを話したことをあなたにも示しました。
桐山さんの修行者に対する期待なんて単なるリップサービスだと長年やってて
>わからないのですか?
>君たちは私を踏み台にして跳べだの。

その考えはおかしいですよ。私は、管長のリップサービスとは思ったことは
ありませんよ。
ユビキタスさんみたいな考え方では、次の管長からは、解脱供養が出来なく
なってしまうw。
そんな馬鹿げた考えは、管長も教団幹部も、持つわけないね。

299トキ:2011/06/27(月) 10:51:10
>>86

 古い話を蒸し返してすみません。

 清水の次郎長と易者の話は、確か、天台宗大僧正で作家の今東光氏の「毒舌辻説法」に
書いてあったはずです。勝手な想像ですが、桐山さんは、結構、本は読んでいるみたいで、その
中で、使える部分があると、出典を出さずに使っておられる印象があります。

 閑話休題。

300トキ:2011/06/27(月) 11:12:02
>>299


 失礼しました。上の書き込みは、「無関係な人間です」です。お詫びして、訂正いたします。

301準シュダオン:2011/06/27(月) 11:36:54
>清水の次郎長と易者の話は、確か、天台宗大僧正で作家の今東光氏の「毒舌辻説法」に
>書いてあったはずです。勝手な想像ですが、桐山さんは、結構、本は読んでいるみたいで、その
>中で、使える部分があると、出典を出さずに使っておられる印象があります。

それは、お互いさまですね。毒舌辻説法にも、桐山本の引用らしいのがあり
ますからね。著名人は、お互いに、勉強し合っていますから、当然でしょう。
すべてのオリジナル、なんてのは有り得ないですから。

302準シュダオン:2011/06/27(月) 11:51:47
>解脱供養の申込み数が絶対的に少なくても、多い人と比例せず、同等か逆転も
>あると示唆しているようなものなんです。
>それって、教団に対してすごく不遜な態度だと理解できるかな?
>布施供養による見返り御利益祈願を強調する他力本願、他力依存信者が
>こちらの他力本願を指摘するなど片腹痛い。

片腹痛い、なんて言ってるようじゃ、見込みがないね。
だから、信者時代のあなたの修行は、修行になっていないのです、無駄なのです。
信徒の解脱が、解脱供養数に比例しないのは、当たり前の話でね、「同等か逆転」
なんて言葉自体が、数に拘ってる成果主義に陥ってる証拠なのです。
解脱なんてのは、そういうものじゃないのよ。

管長は、「何でも霊障のせいにする人は、何体解脱供養しても無駄です。」と、
法話で説いてるのですよ。
ユビさんなどは、そういう話は馬耳東風で、成果主義のところだけ記憶してるね。
聴き取りにバランスを欠いているのです。

303準シュダオン:2011/06/27(月) 12:01:39
>解脱供養の申込み数が絶対的に少なくても、多い人と比例せず、同等か逆転も
>あると示唆しているようなものなんです。
>それって、教団に対してすごく不遜な態度だと理解できるかな?

全く、不遜ではありませんよ。当たり前のことですよ。
解脱供養どころか、徳の高い人は、阿含宗に入らなくても、冥徳を受けて
社会で成功できるわけですよ。信徒同士でも、解脱が解脱供養数に比例しない
のは当たり前の話です。
でも、私の話は、単純なお頭には難解なお話なのかな?

304深山:2011/06/27(月) 12:36:21
>>298 :準シュダオン:2011/06/27(月) 09:14:27
>私は、管長のリップサービスとは思ったことは
>ありませんよ。

何度言われても、理解できないようだが、あなたがどう思ったか、
ではなく、桐山ゲイカがどうおっしゃったか、なのです。
あなたの自己弁護のための意見や解釈など誰も聞いていないし、興味もない。
桐山ゲイカがただの一度でも、解脱供養は各人の判断で中止して良い、と
おっしゃったことがありますか。
ありません。
解脱供養も冥徳解脱も、十分かどうかは桐山ゲイカが霊視して判断するので
あって、信者が勝手に判断して良いなどと言ったことはありません。
あなたが引用した>>287にもどこにも信者が判断して
4体でやめていいなんて言っていない。
成仏ホウを体得できるように努力しなさいと言っているだけです。
それもただの釣り、リップサービスにすぎないことは、
誰一人そんな人が出てこないのを見れば十分です。
なぜ伝授しないかわかりますか。
準シュダオンさんみたいに「勝手な判断」を始める人がいるからです。
解脱供養の数を四体でいいなどと信者が勝手に判断したら、
桐山さんの商売はあがったりです。
商売に障るようなことを桐山さんがいうはずがない。
信者の分際で桐山ゲイカの商売の邪魔をするな。

305深山:2011/06/27(月) 12:40:15
>>298 :準シュダオン:2011/06/27(月) 09:14:27
>私は、管長のリップサービスとは思ったことは
>ありませんよ。

解脱供養の数が信者が勝手に決めて良いなどとは桐山ゲイカがおっしゃって
いないのは、批判側だけでなく、信者さんたちも賛成している。
唯一、準シュダオンさんだけが主張している。
それもこれも、ケチで先祖に金など出したくないからでしょう?
あなたが解脱供養を出した理由は自分のことです。
仕事でグチャグチャになり、ストレスから体調不良で病院に行っても、
どこも悪くないと言われる。
そりゃそうです。
身体が病気だったのではなく、自惚れと根性の悪さが原因だから、
医者は根性は治せない。
自己評価ばかり高く、間違いを指摘されても、開き直りの言い訳を並べ、
あげくが周囲を小馬鹿したような言い方をしていたら、
助けてくれていた人たちもいなくなり、上司からは睨まれ、孤立し、
仕事が詰まってしまうのは当たり前です。
あなたの仕事ぶりは知らなくても、今のあなたを見れば十分です。
ここで書いているような屁理屈と自惚れと慢心と欲望丸出しの姿勢で
仕事をしていたら、うまくいくはずがない。
あなたも、桐山さんと同じで、自分への反省は皆無だから、
それを霊障のせいではないかと解脱供養を奮発した。

306深山:2011/06/27(月) 12:43:48
>>298 :準シュダオン:2011/06/27(月) 09:14:27
>私は、管長のリップサービスとは思ったことは
>ありませんよ。

ケチなあなたが四体も出したという所に、いかにあなたが仕事に
行き詰まっていたかを良く示しています。
20年間、護摩木一本も書かなかった準シュダオンさんが、
40万円もの投資をしたのを見れば、その深刻さがよくわかる。
だが、何の効果もなかった。
当たり前です。
先祖ではなく、あなたの性格に問題があるのだ。
他人に嫌なことをしたら、誰も寄りつかなくなる、これがあなたが孤立した理由です。
あなたの態度に上司は怒り、同僚は無視して、部下たちは距離を置く。
だが、今のあなたように、自分の非だとは絶対に認めなかった。
このスレに来て、さんざんな間違いを指摘されても、
ただの一度もあなたは撤回も謝罪もしない。
仕事上でこれをしたら、次がないのが普通です。
しかも、あなたはこれだけではない。
口を拭って、素知らぬ顔をして、次に出てくる時には「w」とか
「単純なお頭」(>>303)などと人を小馬鹿にしたような態度で出てくるのを職場でしていた。
あなたのせいでトラブルが起きても、謝罪もせず、尻ぬぐいしてくれた同僚や
上司に反省や感謝の言葉も述べず、まるで他人事のように
「次からは気をつけないといけないね」などとお説教したのです。
最初はカバーしてくれた上司や同僚も、あまりの馬鹿馬鹿しさに
あなたと関わりを持たないのが一番だと気がつく。
要するに、準シュダオンさんはどこでも鼻つまみ者です。
そのことに気が付いていないという点で、栗花さんとそっくりです。

307深山:2011/06/27(月) 12:47:24
>>298 :準シュダオン:2011/06/27(月) 09:14:27
>私は、管長のリップサービスとは思ったことは
>ありませんよ。

あなたの場合、アゴン宗に行っても同じだった。
最初は、偉そうな口調で、阿含経などを引用しながら、
いっぱしの屁理屈を並べて話をするから、周囲はあなたを尊重した。
それだけで満足すればいいのに、あなたは天井知らずの自惚れ屋だから、
調子に乗って、アゴン宗とは違う教義を滔々と述べ始める。
今、あなたがここでしているのと同じです。
あなたの主張がアゴン宗とは違うと指摘する信者がいても、
あなたはそれを、ここでと同じで屁理屈で強弁する。
だから、最初は耳を傾けていた信者も、あなたの自惚れ演説に
一人去り、二人去り、そして誰もいなくなった。
当たり前です。
あなたが御立派な話をするから、どれほど熱心にアゴン宗の修行を
してきたのだろうと聞いていると、護摩木はゼロ、解脱供養四体、
冥徳解脱数体だという。
星まつりには一度くらいしか出たことがなく、例祭も行かない。
それでいて、恥じる様子もなく、むしろ、自慢気に得々として自己弁護を繰り広げる。
あなたは気がつかなかっただろうが、聞いていた信者たちは鼻先で笑ったのです。
普通の人はこういう相手の反応を見て「しまった」と思う。
だが、あなたは逆に、相手が沈黙したのは自分の説に感激して、
何も言えなくなったのだと解釈する。
違います。
あきれて、絶句して、あなたと関わるのをやめたのです。

308深山:2011/06/27(月) 12:52:14
>>302 :準シュダオン:2011/06/27(月) 11:51:47
>管長は、「何でも霊障のせいにする人は、何体解脱供養しても無駄です。」と、
>法話で説いてるのですよ。

なるほど、ケチな準シュダオンさんが四体出しても、
解脱供養では何の効果もなかったのだ。
あなたは桐山さんの口舌を信じて、自分が仕事がうまくいかないのは、
霊障のせいだと思って、大枚四十万円も出したが、結果は何の効果もなかった。
つまり、霊障のせいにしたあなたが間違っていたと、桐山ゲイカも
御指導され、あなたもそれを受け入れるのですね。
そのとおりで、あなたの仕事の病気は霊障でも因縁でもなく、あなたの性格の問題です。
霊的な話ではなく、あなたが現実に為したことの報いがそのまま返ってきただけです。
それで二度とこの空気に金を出すような解脱供養には金を出すのをやめたのですね。
ケチは身を助く、というところでしょう。
四体でやめたのは、解脱供養は効果がないことを、あなたは身をもって示したのですね。

309深山:2011/06/27(月) 12:55:26
>>302 :準シュダオン:2011/06/27(月) 11:51:47
>管長は、「何でも霊障のせいにする人は、何体解脱供養しても無駄です。」と、
>法話で説いてるのですよ。

桐山さんのいう、何体出しても無駄だというのは、出すなという意味ではありません。
四体で良いなどとは絶対に言っていない。
これは解脱供養に効果がないという信者からの苦情への屁理屈、
強弁、言い訳、言い逃れです。
あなたと同じで桐山さんは無責任だから、言い逃れを得意としている。
桐山さんは問題解決のために解脱供養を出せと言っている。
ところが、効果がない。
当たり前です。
桐山さんには死者を霊視する力も、成仏させる力もない。
ただ本人がその気になって焚き火に念を凝らしているだけです。
解脱供養による効果程度なら、他の新興宗教の加持祈祷でもいくらである。
だから、新興宗教の御利益程度には効果があるだろうが、
逆に言うと、大半の人たちには効果がない。
それは準シュダオンさんが生き証人です。
四体だしたが、何の効果もなかった。

310深山:2011/06/27(月) 12:59:06
>>302 :準シュダオン:2011/06/27(月) 11:51:47
>管長は、「何でも霊障のせいにする人は、何体解脱供養しても無駄です。」と、
>法話で説いてるのですよ。

あなたは信者さんたちのお世話などしたことがないから、
桐山さんがこういう言葉を出てくる背景を知らないのです。
信者の多くは問題を抱えて入信してくる。
因縁切り、霊障解脱をすれば問題が解決すると桐山さんは言っています。
実際、効果があったという信者の体験談を教団は宣伝に使っている。
その宣伝にひかれて入信して、高額の解脱供養を出して、
なんとか問題解決を図ろうとする。
ところが、何の効果もない。
当然、苦情が出る。
数千円の祈祷料ならともかく、何十万円という金額です。
何の効果もなかったら、苦情が出るのが当たり前です。
これに対する桐山さんの反撃、言い逃れが、あなたが引用した上記です。
あなたと同じで、自分の非など絶対に認めず、むしろ、
相手に原因があるのだと攻撃するのが桐山さんの常です。
上記も簡単に言うなら「おれは悪くない、信者が悪い」と言っている。
桐山さんはいつもこのパターンです。

311準シュダオン:2011/06/27(月) 13:04:11
>それって、教団に対してすごく不遜な態度だと理解できるかな?
>布施供養による見返り御利益祈願を強調する他力本願、他力依存信者が
>こちらの他力本願を指摘するなど片腹痛い。

他力依存信者は、あなた、ユビさんだったでしょうw。
解脱供養数も、私よりはるかに多いようだしねw。
私なんぞは、折をみて、クレーン車で庭石を置いたり、遊ぶこともあります。
ユビさんだったら、そういうお金は解脱供養や財施に回すのでしょう。

私の、見返り御利益祈願の、布施供養は、程ほどなのです。
例えば、薬師如来の十二大願は、「衆生に御利益を与えて解脱へ導びこう」と、
いうものですよ。例えば、「今月の家賃をどうしよう」と、悩んでる人は、解脱
どころではない。病気で苦しんでる人も、梵行どころではない。
そういう人に御利益を与えよう、というのが如来の大願ですよ。

だから、人が御利益を願わなかったら、如来の仕事が無くなっちゃうのよ。
衆生に御利益を与えよう、との如来の崇高な願いは、衆生の御利益願望があって、
成り立つのですね。御利益願望は浅ましい、と思う人は異常人格者ですよ。
強欲、貪欲が、悪いだけです。

312深山:2011/06/27(月) 13:06:16
>>302 :準シュダオン:2011/06/27(月) 11:51:47
>管長は、「何でも霊障のせいにする人は、何体解脱供養しても無駄です。」と、

解脱供養も霊障も霊的な世界の話だから、桐山さんの口先一つで済んでしまう。
徳が足りない、心の因縁を切ろうとしないなど、なんとでもインネンを付けられる。
あなたと違い、桐山さんの言いつけを守り、ボン行や導きで徳を積み、解脱供養を出しても
それでも問題が解決しなかったケースを私は知っています。
あなたみたいな導きゼロ、護摩木ゼロのサボり信者ではない。
桐山さんから言われたことをほぼそのまま実行していた。
だが、問題は解決しない。
それでチーフが職員に頼んで、御指導願いを出した。
そしたら、面接になった。
だが、その面接での桐山さんの答えが、半年で解決するという宣言と、
ただの勇気づけだけだった。
もちろん、半年たっても何ら問題は解決しない。
だからチーフが職員にかけあった。
職員は困り果てて、桐山さんに職員会議の時に頼んでくれたらしい。
しかし、その場で桐山さんは怒り出して、それで話は終わりです。
もちろん、その信者の問題はその後も何も解決しなかった。
まったく、何一つ、解決の兆候すら見えなかった。
私はこの件を今でも貴重な体験としている。
桐山さんの正体がだんだん見え始めた出来事の一つです。
私は問題解決もさることながら、桐山さんがどう対応するかを知りたかった。
仏陀の智慧だの仏の慈悲だのを持っているという桐山さんが、
彼の指導に従順に従った信者にどのように対応するのかを見たかった。
桐山さんは追求されると、あなたと同じで、こうやって、怒り、逃げた。
「このバカつまみ出せ」と同じパターンです。
あなたが引用した上記はその逃げ口上の一つです。
あなたと同じで、桐山さんは自分の「仕事」に対しては超無責任男なのだ。
超無責任、これが桐山さんの仏陀の智慧の正体です。

313深山:2011/06/27(月) 13:11:48
>>303 :準シュダオン:2011/06/27(月) 12:01:39
>解脱供養どころか、徳の高い人は、阿含宗に入らなくても、冥徳を受けて
>社会で成功できるわけですよ。

準シュダオンさんのこの説は桐山さんの説とは違います。
準シュダオンさんて、こうやって桐山さんの説の中に適当に自説を混ぜて話して、
いかにもアゴン宗を理解しているかのような態度をとる。
あなたのはアゴン宗の教義ではありません。
桐山さんは社会的な成功をいくらおさめても、因縁を切らなければ、
やがて因縁がでてきてすべては失われると説いている。
桐山さん自身の体験として何度も説いている。
桐山ゲイカは、天才的な才能があり、他の人にはない素晴らしい運命の星を
二つも持っていたのに、因縁によってつぶされた。
だから、まずどんな人でもしなければならないのは因縁切りです。
その因縁を切るには、解脱供養は絶対に必要だと説いている。
霊障のホトケがなくならない限り、因縁は切れないからです。
この桐山さんの説に準シュダオンさんは反対のようだ。
そういう勝手な説はここでは用無しです。
霊障のホトケがなくなったかどうかは桐山ゲイカしか霊視できない。
信者が勝手に判断していいことではありません。
アゴン宗に教義では、あなたの判断は間違いです。

314深山:2011/06/27(月) 13:13:33
>>303 :準シュダオン:2011/06/27(月) 12:01:39
>信徒同士でも、解脱が解脱供養数に比例しない
>のは当たり前の話です。

また話をすり替えている。
桐山さんは解脱供養の数と解脱が比例するなどとは言っていない。
あなたの作り話です。
桐山さんは、解脱供養は解脱の必須条件だと言っているのです。
霊障があれば因縁は切れないから、解脱もできない。
解脱供養は解脱のためには絶対に必要です。
何体すれば解脱できるなんてもちろん言っていないからこそ、
桐山さんから、「これで終わりだ」と言われるまで出し続ける必要がある。
なぜなら、一つでも霊障のホトケがあれば、因縁は切れないから、解脱できない。
だから、解脱供養は「桐山ゲイカがもういいと言うまで出し続ける」のが
アゴン宗の教義です。
それをあなたは勝手に四体でいいと打ち止めにした。
信者がこのような判断をしてもいいと桐山ゲイカは言ったことは一度もありません。
あなたのしたことと主張はアゴン宗の教義では間違いです。
自己弁護はあなたの自由だが、アゴン宗の教義を勝手に変えるのはやめなさい。

315深山:2011/06/27(月) 13:24:15
>>311 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/06/27(月) 13:04:11
>そういう人に御利益を与えよう、というのが如来の大願ですよ。

その大願とやらの根拠となる阿含経を示しなさい。
あなたの説はどうでもいいから、根拠を示しなさい。
私は釈尊がそんな大願を持ったなんて、見たことも聞いたこともない。
あなたが引用した経典で釈尊はすべて、供養すれば、
「来世の功徳がある」と説いているだけで、
今の病気や貧困をなんとかしてくれるなんて説いていない。
しかも、釈尊の説く功徳とは、病気を治すなど、報いを消すという話しではない。
アゴン宗の因縁切りのように報いの帳消しなど、どこにも説いていません。
あなたも引用した、コーサラ国の長者のように、悪業の報いはそのままに、
善業の報いもそのままに本人が受け取るだけです。
あなたが今しているような如来への誹謗の悪業はそのままあなたが受け取るだけで、
誰も帳消しにはしてくれません。
だから、信者さんたちも如来への誹謗中傷はやめるべきです。
如来への誹謗中傷とは、釈尊が因縁切りを説いたとか、
霊障解脱を説いたとか、護摩を認めたとか、死者成仏を説いたなどという
真っ赤な嘘を信じて、世間の人たちに広めることです。
その悪業をそのまま自分に返って来ます。
如来への供養という善業の功徳は極めて大きいのだから、
如来への誹謗中傷の悪業の報いも大きいことになる。
そんな愚昧なことは準シュダオンさんに任せて、
信者さんたちは如来への誹謗中傷をやめるべきです。

316ラシン:2011/06/27(月) 16:35:58
>311 :準シュダオン
>私の、見返り御利益祈願の、布施供養は、程ほどなのです。
例えば、薬師如来の十二大願は、「衆生に御利益を与えて解脱へ導びこう」と、
いうものですよ。

大笑いです、阿含経に対して大乗経典で言い分けをする。
ましてや釈尊の時代を飛び越えて、架空の仏を持ち出し喘いでいる?

>例えば、「今月の家賃をどうしよう」と、悩んでる人は、解脱
どころではない。病気で苦しんでる人も、梵行どころではない。

準シュダオンさんがいかに道場でボン行していなかったのか、
よく分かる言葉です。
チラシ折りやゴマ木版押しなど、闘病しながら下座の行をしていた信者さんは、
何人も居ましたよ。
供養料を工面できない分、日々ボン行をして徳を積もうとしていた。
若い信者さんなど、バイト料も入らずカツカツで生活しながら、
道場ご近所の日課清掃やチラシ撒きに精を出していました。
職員さんですら一般の収入より少ないが、分割払いで解脱供養を重ねていた。
みんな少しでも悪い因縁を切りたいから、アゴン宗でボン行する価値を
認めていたのです。
病気で苦しむ人は少しでも良い因縁を得て、良薬や名医にご縁が持てると期待した。
それがアゴン宗の普通の信者さんの姿です。
準シュダオンさんの頭でだけ考えた観念的な発想を押し付けてはいけない。

317準シュダオン:2011/06/27(月) 19:32:24
一口で言うと、批判派の仏教説には、大局観が、無いのです。
ユビキタスさんは、何処かのレスで、釈尊の教えは子どもでも解る、と言ってた。
しかし、釈尊の教えには、子どもでも解る単純なこともあれば、12因縁のよう
に、学者にも難解な教えもあるのです。ユビさんのように、単純に割り切って、
考えては、修行は進まないでしょう。

まして、私から見たら、ユビさん、深山さん、ラシンさんは、批判派の三パカ大将
ですw。批判派の中でも、これほどボンコツな元信者は、稀有でしょうw。
一例を挙げましょう。
深山さんや、ユビさんは、預流向を聖者だと、言い張った。
少し勉強すれば、それはアビダル論者の説だと解ろう。
あるいは、中村元先生も預流向を聖者と訳してるから、だからとか言う。
アホかw?

私だって、四双八輩是聖賢衆、を訳したら、預流向を含めて聖者と訳すよw。
しかし、聖者の意味が違うんです。
勉強の意味で、次のような質問を、初心者から質問されたら、どう答えるか、
考えてご覧なさい。批判派のあなたは、どう答えますか?

「四双八輩の八種の人が聖者なら、なんで八沙門果ではなくて、
 四沙門果なのですか?」と、いう質問です。
これが解れば、預流向の聖者か否か、という考え方が解るのです。
それが解らないかぎり、学者のいいなりなのですねw。
智慧というか、自灯明が無いからです。

318ラシン:2011/06/27(月) 20:28:59

薬師如来=大乗の架空の仏 にはダンマリで、ボン行もしていない準シュダオンさんが、
ゴマかして逃げた↓?

>317 :準シュダオン
>まして、私から見たら、ユビさん、深山さん、ラシンさんは、批判派の三パカ大将
ですw。
>私だって、四双八輩是聖賢衆、を訳したら、預流向を含めて聖者と訳すよw。

私が、ユビさんや深山さんと同格とは、お世辞にしても嬉しい話しです。
それで、一応認めた体裁を繕って、デンパ発信に切り替える?

>しかし、聖者の意味が違うんです。

どう違うかは答えることができない、いつものハッタリです。
自ら答えずにすぐ質問してくる態度は、ただのハッタリ屋と言うに等しい。

>「四双八輩の八種の人が聖者なら、なんで八沙門果ではなくて、
 四沙門果なのですか?」と、いう質問です。

では、
あなたは、預流向を認めずになぜ一来向、不還向、阿羅漢向を認めるのだ?
あなたは、八を見て七と答える? 簡単な数さえ数えられない。
おバカな質問をしたとは、一生涯気づかないだろうがね。

桐山さんはビジネスの上で「預流向」を曖昧にしている。
それをよいことにタダ乗り準シュダオンさんが、運転までしだした。
無免許準シュダオンさんが、無免許運転をして一生涯大汗をかいて、
言い訳人生を送る?
あなたは掲示板で過ちを認めないから、批判側から必ず無免許運転を
詰られ、笑い者の対象を卒業できない。

319ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/27(月) 20:54:39
>>298:準シュダオン11/06/27(月) 09:14:27
>その考えはおかしいですよ。私は、管長のリップサービスとは思ったことは
>ありませんよ。

あなたがアゴン宗の信者として、私が桐山指導発言をリップサービスと書いたことに
侮辱として不愉快だと言うのならば、私はあなたに謝りはせぬものの
取り消すことにやぶさかではありませんよ。
つまりリップサービスなのかどうかは今回の私の力点を置きたい論点ですらなく、
単にあなたが桐山指導を理解していないことだけを示すのが私の目的なんだから。
だからここは仮に桐山さんの発言をリップサービスとは取り消して「真面目な指導」
ということにしましょう。
その前提の方がこちらはやりやすいのです。
さて、信者も自分で祖霊を解脱成仏させられるようになれという桐山さんの
真面目な指導を考えてみましょう。
準シュダオンさんに質問する。
あなたはこの伝法会にて話された桐山真面目指導を、次のどれと解釈するか?

@今日この場で教えている伝法内容がまさにその解脱供養法である。
さあ、明日から君も解脱供養を自分で修しなさい。
A普段から君たちに教えている千座行や解脱宝生行に励んでおれば、自ずと
解脱供養も自分でできるようになるから頑張りなさい。
Bいつまでも管長に頼るな。解脱供養くらい自分で工夫して開発してみなさい。
C諸君はこれから高い法にアタックしてマスターせねばならない。
霊能力を獲得して解脱供養を自分でするくらいの法も教えるので
マスターしてもらいたい。しかしそれにはまず基本をマスターすること。
今日の伝法会で教える作法やら確実にマスターしなさい。これらが基本となって
高い法に進めるのだから足元を固めなさい。しかし基本に終わることなく
先の高い法にチャレンジする精神を養っておきなさい。

いかがですか?私にはCの指導としか思えない。
@やBなど論外でAでもない。
それは一生かけても霊障にまでは至らない不成仏霊を一体か二体成仏させられるのが
関の山という指導が証明している。こちらも最近の真面目な指導なのだ。
そしてそんな解脱供養法の伝法会などありませんよね?
解脱成仏させられる信者が一人も育っていない。
弟子の機根が悪いから?そういうことにしといてもいいよ。あなたを含めてね。
だからそういう現実ならば、誰も解脱成仏させる力なく、皆等しく桐山解脱供養に
オンブにダッコです。

320ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/27(月) 21:21:46
>>298:準シュダオン11/06/27(月) 09:14:27
>ユビキタスさんみたいな考え方では、次の管長からは、解脱供養が出来なく
>なってしまうw。

これはよい視点です。
そのとおり、解脱供養ができる管長でも導師でも、桐山さんでなくても
大変なハードルなんですよ。
「仏陀の法」を読んでご覧なさい。
アジナーチャクラを受信器としてサハスララチャクラを発信器とするとある。
単に悟りを開いていただけでは駄目で超能力が必要なんですよ。
それには錬行が必要です。
桐山さんはインドのサヘトマヘトで白銀のバイブを受けた。
しかしこれを受信できたのは密教時代のグモンジ修行をやっていたからとある。
目から火花が出たアレですね。あれで基ができて外部からのバイブでも受けたの
だから、そういう修行、錬行をしていない信者がいきなりアジナーだのサハスララだの
夢のまた夢です。
その夢の道を遙か彼方に目標として示したのですね。
もっとも脳梗塞発作で倒れて例祭の解脱供養護摩もF田さんに委ねればならなく
なってからは、F田さんもいつのまにかサハスララの開発者になってしまった
理屈になるのだがw

321深山:2011/06/27(月) 23:41:32
>>317 :準シュダオン:2011/06/27(月) 19:32:24
>少し勉強すれば、それはアビダル論者の説だと解ろう。

またご病気がぶり返し、発作が始まったようですね。
手間のかかる老人だ。
「預流向≠聖者」は議論が終わっているのです。
過去の議論を完全無視て、また同じ事をくり返す。
このスレはアゴン宗に関係した議論をする。
中心は桐山さんの作り出した教義であって、仏教ですらない。
ましてや、準シュダオンさんの個人的な意見などここでは議論の対象外です。
だから、沙門四果についての準シュダオンさん個人の意見など
誰も聞いていないし、関心もない。
私を含めた批判側や読者の関心は、預流向について、
1.桐山説・・・桐山ゲイカがどのように言っているか、
2.釈尊説・・・釈尊が阿含経でどうおっしゃっているか、
3.学者説・・・学者たちはどのように言っているか、
この観点しかなく、この中には、
4.準シュダオン説・・・準シュダオンさんがどう言っているか、
という観点は含まれない。
あなたがずっと書き続けているのは1〜3ではなく、4です。
批判側は1〜3しか書いていない。
批判側は誰も1〜3と違う説を書いていない。
4は場違い、スレ違い、ピント外れな意見です。
何か自分がとても着目され、高見からのお説教を読者がありがたく
拝聴しているのかのようにあなたは錯覚しているようだが、
何度も言うように、4には誰も関心がないから、出さないでほしい。
批判側も、読んでいる信者さんたちも関心は1〜3のみで、
あなたの説には誰も興味がないのだ。
だから、4は「出すな」。

322深山:2011/06/27(月) 23:46:41
1.桐山ゲイカがどのように言っているか、

この点についてはすでに文章が引用され示されている。
準シュダオンさんが引用した『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』では、
桐山さんは預流向については一カ所でしか述べていない。
あなたは前に預流の記述を引用して根拠にしていたが、預流向について話して
いない文章を引用しても無意味です。

「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀諸Yになっていないまでも、須陀諸Yに近くなって
いる人たちもいます。須陀諸Yにどんどん向かっているのですから――これを
須陀諸Y向といいます――みなさんは外道凡夫ではありません」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)

この文章の途中は「預流向≠聖者」とも「預流向=聖者」のどちらともとれる。
だが、最初と最後の文章が決め手です。
「わたしたちは外道凡夫ではありません」
「みなさんは外道凡夫ではありません」
外道凡夫とは、一つの言葉ではなく、外道と凡夫のことです。
桐山さんは信者を外道でもなく、凡夫でもないと述べている。
仏教では凡夫とは聖者と対を為す言葉です。

「仏教では,主に凡夫(ぼんぶ)(pthag-jana,異生(いしょう))との対立概念として用いられる.」
(岩波仏教辞典)

仏教では世の中の人のことを二つに分けて、「聖者」「凡夫」としたのです。
だから、仏教では、世の中には聖者と凡夫しかいない。
桐山さんは信者を凡夫ではないというのだから、聖者だと言ったのと同じです。
預流に向かっている信者たちは凡夫ではない、つまり聖者だと言ったのです。
ごらんのように、桐山説は「預流向=聖者」です。

323深山:2011/06/27(月) 23:51:04
1.桐山ゲイカがどのように言っているか、

私が桐山さんの文章にある凡夫を指摘して準シュダオンさんに
反論したことなど覚えていないでしょうね。
桐山さんが預流向について説明したのはこの一文のみであり、
そこから判断するならば、桐山さんも「預流向=聖者」とみなしている。
つまり結論は出ている。
ただ、そうでないほうがおもしろいから、この件は
下巻が出るまで先延ばしにしようと提案したのです。
というのは、桐山さんは聖者と凡夫の仏教的な意味なんて知らないだろうと
予想したからです。
そればかりか、彼は四向四果の内容についてもろくに理解していないのが、
文章の端々から読みとれる。
たとえば、『人間改造の原理と方法』では預流向を聖者に入れていない。
インドで白銀バイブを受信して、自分は聖者だと自覚する、などと書いている。
阿含経の仏道を歩むのは全員が聖者であることを知らないからです。
また、聖者という肩書きを信者に安売りするとは思えない。
だから、下巻で思いっきり「預流向≠聖者」と書いてくれれば、
桐山聖者様の無知ぶりを大爆笑してやろうと待っていた。
だが、ユビキタスさんが下巻を調べてくれた範囲では、
預流向については何もなかったという。
アゴン宗の預流向についてはこれで議論は終わりです。
桐山さんが今後、本や機関誌で預流向について書かない限り、
議論自体が意味がない。

324深山:2011/06/27(月) 23:54:45
2.釈尊説・・・釈尊が阿含経でどうおっしゃっているか、

これについてはもう論を待たない。
準シュダオンさんが引用した経典を含めて、阿含経の釈尊はすべて「預流向=聖者」です。
二年前にユビキタスさんが引用した次の経典に示すとおりです。

「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経―」中村元訳、50〜51ページ
「尊師の弟子のつどいとは、すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)
とであるが、かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、
世間の最上の福田である〉と。かれは、聖者の愛する、切れ切れではなくて、
瑕の無い、斑点のない、よごれていないで、自在であって、知者の称讃する、汚れの無い、精神統一を、身に具現している。」

準シュダオンさんが最近引用した小縁経とほぼ同じ内容です。
四双八輩のすべてが聖者であり、預流向も供養に値する者であり、福田です。

325深山:2011/06/27(月) 23:57:27
3.学者説・・・学者たちはどのように言っているか、

これも例外はなく、「預流向=聖者」です。

「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)

この説明を読んでもわかるように、四向四果すべてが「聖者の階位」とある。
さらに着目してほしいのが、この点については原始仏教もアビダルマ仏教の
両方において、「四向四果=聖者」だと述べている点です。
準シュダオンさんは学者の説をアビダルマ仏教だけの説であるかのように書いているが、
上記の記述を見てもわかるように、まったくの無知です。
四向四果が聖者であることについては、釈迦仏教もアビダルマ仏教も同じです。
なぜなら、釈尊その人が四双八輩(四向四果)は聖者だと断定しているからです。
「預流向≠聖者」などというタワケ説を唱えているのは準シュダオンさんだけです。

326深山:2011/06/28(火) 00:02:02
>>317 :準シュダオン:2011/06/27(月) 19:32:24
>「四双八輩の八種の人が聖者なら、なんで八沙門果ではなくて、
> 四沙門果なのですか?」と、いう質問です。

こちらの質問にまったく答えない準シュダオンさんの愚問に
なんでこちらが答えなければならないのだ?
まったく厚かましい老人だ。
しかも、無知丸出しの質問です。
八沙門果????
よく恥ずかしくもなく、こんな質問ができるものだ・・・そうか、恥知らずだった。
こんな程度のことも知らずに議論しているのですね。
と言うか、知らないから愚にも付かないことをいつまで言っていられるのだ。
準シュダンオンさんには何を説明しても無駄だろうから、
信者さんたちのために説明しましょう。

327深山:2011/06/28(火) 00:05:51
四沙門果・・・預流(=預流果)、斯陀含(=斯陀含果)、阿那含(=阿那含果)、阿羅漢(=阿羅漢果)
四双八輩・・・預流向、預流果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果

これが四沙門果と四双八輩(四向四果)の中身です。
わかりやすいたとえは学校です。

小学生(預流向) 小卒(預流果)
中学生(斯陀含向) 中卒(斯陀含果)
高校生(阿那含向) 高卒(阿那含果)
大学生(阿羅漢向) 大卒(阿羅漢果)

さあ、準シュダオンさん以外の方にお聞きしますが、ここにいくつの資格があるでしょうか。
もちろん、小卒、中卒、高卒、大卒の四つです。
ところが、準シュダオンさんのオエライ脳では、これが八つでないとおかしいというのです。
おかしいのは、どう見ても、彼の脳味噌です。
資格としては四つです。
そしてその資格を取ろうとしているのが小学生(預流向)、中学生(斯陀含向)、
高校生(阿那含向)、大学生(阿羅漢向)です。
小学生や中学生を卒業資格者とは言わない。
こんな程度のことすら彼は理解せずに、物がわかったかのようにお説教を垂れている。

328深山:2011/06/28(火) 00:12:07
四双八輩・・・預流向、預流果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果

もう一つ、信者さんたちに質問します。
小学生は学生でしょうか。
もちろん、小学生から大学生まで、勉強などを学ぶ者ですから、学生です。
彼らは小学校卒業資格(預流果)を目指して学ぶ者たち(預流向)です。
小学生だけは学生ではないなどという人は世の中にはいません。
ところが、一人だけ、小学生だけは学生ではないという変な老人がいるのです。
笑いをとろうとして言っているかと思ったら、本気で言っているのです。
桐山さんの本でも、預流向は凡夫ではないとある。
釈尊は、四双八輩は聖者だというのだから、「預流向=聖者」です。
学者たちも、釈迦仏教とアビダルマ仏教の両方で、四向四果は聖者だというのだから、
「預流向=聖者」です。
つまり、今の所、桐山説も、釈尊説も、学者の解説も一致しており、「預流向=聖者」です。
批判側は賛成も反対もなく、釈尊のおっしゃることをそのまま受け入れています。
読んでいる信者さんも、釈尊本人が「預流向=聖者」とおっしゃっているし、
桐山さんも認めるようだから、異議はないでしょう。
そうなんです。
ところが、一人だけ、「預流向≠聖者」だと言い続けるオッサンがいます。
もう何年にも渡り、相手を小馬鹿にしながら、同じ主張を延々と繰り返す。
アゴン宗の職員の方が読んでいられたら、この老人をお引き取り願いたいのだが
・・・口だけ達者で護摩木も買わないようなケチな信者はいらないって?
準シュダオンさんてどこに行っても嫌われ者ですね。

329ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/28(火) 00:20:27
>>302:準シュダオン11/06/27(月) 11:51:47
>信徒の解脱が、解脱供養数に比例しないのは、当たり前の話でね、「同等か逆転」
>なんて言葉自体が、数に拘ってる成果主義に陥ってる証拠なのです。
>解脱なんてのは、そういうものじゃないのよ。

じゃああなたの言う解脱とは何がどうなるものだか、書いてみなさい。
今度は私は書かないから。
桐山解脱ってのは因縁解脱であれ、霊障解脱であれ、津波被災地の瓦礫の除去
みたいなものです。未だにあの瓦礫が除去されずに残ってますね。
あれ除去されなきゃそのままです。
全部撤去できれば理想だが半分撤去すれば半分きれいになります。
少なくとも全然撤去しないよりは。
それとも瓦礫の山も美しいと残しますか?
やはり比例なんですね。
もっとも瓦礫自体は直接危害を与えないからアゴン宗の因縁や霊障に相当しない
かもしれない。
相当するのは福島の崩壊した原発ですね。
あれだって1号炉だけは修復したというのと全然修復せずほったらかしと
比例した差が出るでしょうが?そういう次元の話です。

>管長は、「何でも霊障のせいにする人は、何体解脱供養しても無駄です。」と、
>法話で説いてるのですよ。
>ユビさんなどは、そういう話は馬耳東風で、成果主義のところだけ記憶してるね。
>聴き取りにバランスを欠いているのです。

それもレス済みで、頭が痒いのは風呂に入らないからで、霊障のせいではないと
いしいひさいちの漫画を題材に説明したでしょ?
何でも霊障のせいにしてはならないとは、そういうものもあると言うだけで
霊障のせいでないものは無いということではない。
霊障が原因のものもあるからそれは解脱供養によるしかない。
そうそう、私なんか何でも霊障のせいだと決めつけなかったから、解脱供養は
たったの3体と少ないのですよ。冥徳解脱供養は20体供養しましたがね。
と言うのは何か逼迫した問題がある時には解脱供養を申し込め、そうでない時には
冥徳解脱供養を進めよという教団の指導ですからね。
だからそうそう困った問題なんて無いですよ。
問題は常に何かしら抱えるが、さりとてそれを霊障なんかに結び付けなかったから
解脱供養なんか自発的に申し込まなかった。申し込んだ3体全部先達の勧めによるものです。
それに対して冥徳解脱供養はほっとくとどんどん不成仏霊を桐山さんが付けて
くるわけですよ。成仏させてあげねばと供養する。

330ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/28(火) 00:52:07
>>302:準シュダオン11/06/27(月) 11:51:47
>管長は、「何でも霊障のせいにする人は、何体解脱供養しても無駄です。」と、
>法話で説いてるのですよ。
>ユビさんなどは、そういう話は馬耳東風で、成果主義のところだけ記憶してるね。
>聴き取りにバランスを欠いているのです。

解脱供養は資料箋に先祖だけでなく差し迫った問題を付記するとよいとある。
つまりその問題の解決に一番関係している霊障の先祖を桐山さんが見つけてくれる。
ここで頭がかゆいとか霊障に関係のない問題だったら、霊障のホトケなど下付
されるはずがない。
ところが下付されるのはやはり問題となる霊障があったからで、こちらの申込みは
間違ってなかったことになる。
これは冥徳解脱供養も然りで、特別自覚する問題はなかったが、やはり見えない
ところで私の運命を暗くしている不成仏霊がいたから下付されたのです。
だから解脱供養の申込みが通るということは心得違いではないことになる。
つまり何でも霊障のせいにしていてはいくら解脱供養をしても駄目だということは
解脱供養の効果で朝寝坊が克服できるなどと考えている奴に言っているのであり
朝寝坊なんか克服されません。
しかし解脱供養を申し込んで、君には供養すべき霊障などないなどと突き返されない
限り、その供養は妥当であり必要だったのであり、供養しないより確実に
人生のある根本面が改善されたことになるのです。

331ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/28(火) 01:16:44
>>303:準シュダオン11/06/27(月) 12:01:39
>全く、不遜ではありませんよ。当たり前のことですよ。
>解脱供養どころか、徳の高い人は、阿含宗に入らなくても、冥徳を受けて
>社会で成功できるわけですよ。信徒同士でも、解脱が解脱供養数に比例しない
>のは当たり前の話です。

不遜です。
なぜ不遜かと言うと、私はあなたがゴマカシで持って行きたいような一般論を
語っているのではなく、常に個別の具体的な話をしている。
つまり準シュダオンさん、あなたについて具体的に論じているのです。
私は例えばアゴンさんと天照さんとどちらが優等だったか、解脱供養や梵行の数量
も比較材料に語ろうとしているのではない。
そんな比較は不要と考える。
2人とも梵行実践経験はそこそこにあります。
天照さんは仕事などの事情で一時できなかったこともあったというだけで、
そんなのは誰でもそうであり、概して梵行などは普通にやってた人とわかる。
これを比較する気持ちなど毛頭ない。
しかし準シュダオンさん、あなたは別です。
あなたは梵行実践であれ解脱供養の申込みであれ、限りなくゼロに近いとも
表現できる。こういう人が恥を忍んでいるならば私はこれに突っ込みはしない。
アゴン宗の擁護などは実践に関係なく誰にも自由です。
しかし実践が著しく少ない自覚があるのならば、その発言態度は自ずと違ってくる。
私だったらこう書きます。
桐山管長はご存知の通り、人を頭の人とハラの人に分類します。
私は決して実践に強いハラの人ではなく、頭デッカチの能書き垂れかもしれません。
しかしその頭デッカチでもあなた方の批判に反論にならないかと文献資料を
示してみたいのです。とやる。
こういう謙虚な態度ならばあなたの実践皆無など不問です。
ところがあなたはそれを恥じる気持ちなどなく、真面目に実践努力している
信者さんを冒涜する発言をするので、私はそういう信者さんの気持ちも汲みして
あなたのアゴン宗教義、実践無視をなじるのです。
あなたが極端過ぎるのです。
一般論に用はない。あなた個人に用がある。逃げても駄目です。

332ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/28(火) 01:35:55
>>303:準シュダオン11/06/27(月) 12:01:39
>全く、不遜ではありませんよ。当たり前のことですよ。
>解脱供養どころか、徳の高い人は、阿含宗に入らなくても、冥徳を受けて
>社会で成功できるわけですよ。信徒同士でも、解脱が解脱供養数に比例しない
>のは当たり前の話です。

さて一般論ではなく準シュダオンさんについての個別具体論だから
ここでアゴン宗で因縁切りなどする必要がない徳の有る人を出したということは
あなた自身が、そういう高徳な人と宣言したようなものです。
あなたにその気がなくてもそういうことになってしまう。
だから解脱供養を何体もしなければ生きていけないアゴン宗信者みたいな情けない
奴らに比べて自分なんて数体もすりゃ十分なのさと言っているようなものです。
してその根拠は単なる我見です。
桐山さんが最も嫌い、旧会員証にも我見を排せと指導する我見です。
解脱供養が必要なのか必要でないのか、それは桐山さんにしか決められません。
お金がないから許してならわかる。しかし必要ないかのように勝手に供養を止める
ことを肯定奨励するかのような発言は教団に対して不遜です。
指導を仰いだこともないくせに我見を自慢するのは桐山さんに対する不遜です。

333天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/06/28(火) 06:48:48
>アゴン宗で因縁切りなどする必要がない徳の有る人

良く在籍していたときにこういう話題が出たが、考えてみればおかしい。
現世に於いて「因縁切りをする必要が無い」と思われるような高徳な人がいたとしても
それは何がゆえに切らなくて良いだけの方なのか。

それは「徳が一杯有って尚且つ過去世で修行をされてきているからだ」と言う推測であろう。
現世の環境の良さ・恵まれ度などを見た上での推測にしかならない。
釈尊はそういう「徳がたくさんあればブッダだ」といったのか?

その観念・教義は管長個人のもので阿含宗の教義にしか他ならない。
ではその因縁を切る必要の無い人は、現世で人生を謳歌した後自動的に涅槃へ入るのか?
そのことに対して管長はこういう内容のことを言っている。

現世で徳がある人でも徳を使い果たしたらまた境涯が下がる。
如何に現世で徳があろうとも積徳をしなければいけないのだ。
そして徳を積む、ということは簡単に誰でも出来ると思いがちだが
なかなかそうは行かない。諸君が徳を積むためには阿含宗の修行を
して(いわゆる阿含宗での梵行のことです)徳を積むのが良い。
仏様のみもとで徳を積むための修行をして徳を積むのが一番の確実な
積徳の仕方なのである。
仏様にご供養すると徳を授けてくださる。その徳を授けてくださる
貴重な仏様が他の宗教団体にいるか?である。
阿含宗の仏様は生きた仏様である。また真正仏舎利も奉安している。
君たちが修行をしてご供養できる場所とそれに応じてくれる仏様、
つまり「応供の仏様」がいらっしゃるのだ。
この仏様からいただく徳と解脱力によって成仏できるのだ。

こういう理論だから阿含宗での成仏は可能になるという教義ですが、これは嘘で
仏教でそのような教義はありません。
釈尊がそのように言った箇所を出せず、勝手な教義を言っているのが管長です。
こういう嘘とデタラメを信者に植え込み信じさせて従わせているのです。
信者も勿論真実だと信じてせっせと言われた嘘に応じてしまう。

高徳で因縁を切る必要が無ければ天命を全うしたら自動的に涅槃へ至るはずです。
それこそ高徳な人物は有世得涅槃の聖者であるはずです。
阿含宗の教学どおり、徳がたくさんあって因縁を過去世で切っているのなら阿含宗に
入信せずともいいのなら来世は生まれ変わってこないのが道理。

しかし管長はデタラメ屋ですから、如何に高徳でも阿含宗の修行が不可欠だ、という。
でも一方で「高徳なら解脱できる」とも言う。こういう適当野郎が教祖なのです。
ですから因縁きりをしなくても良いという人は存在しないのです。
死ぬまで因縁きりをせねば涅槃へ入れないのが阿含宗の正確な教義なのです。
そしてその教義は仏教ではないデタラメなものであるという事ですね。

334ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/28(火) 08:39:40
アゴン宗における「解脱」の進捗状況を決めるのは信者さんではありません。
それは桐山さんです。
そもそもどんな因縁を持っているか一部の条件を満たした人しか示されない。
もちろん過去の人生を振り返ってこんな因縁もあったことになるとわかるものがある。
しかしそれが全てではなく、他にどんな悪い因縁があるか実はわからない。
今まで平穏無事でいたのが、今年交通事故死するかわからない。
昔はよく怪我したものだったが、最近久しく怪我しないので、肉体障害の因縁は
切れたかと言うと、それもわからず今年大きな怪我で手足を失わないとは言い切れない。
つまりいつまで経っても桐山さんにしかわかり得ない話なんです。
実は桐山さんも自他の運命なんかわからないのが現実ですが。
霊障にしても然り。何か問題があってそれが霊障が原因なのかどうか桐山さんにしか
わからない。
特に問題なくても自分の運命に暗い影を落としている霊障や不成仏霊がいるのか
どうか、桐山さんにしかわからない。
ただ申し込めば確実に霊障でも不成仏霊でも出してくれる。
解脱成仏したのかどうかも桐山さんにしかわからない。
それと生活の状況も無関係で、解脱成仏しても解決しない問題はある。
準シュダオンさんのように解脱供養を久しく滞らせていても平穏無事の人も多い。
準シュダオンさんは言う。
アゴン宗で因縁切りの修行をして救われた体感があると。
一部の因縁は切れてあるいは軽減された体感があると。
もしアゴン宗に入信していなかったらどうなっていたか?
今のような平穏無事は無いかのような言いぶりです。
しかし最初からアゴン宗に入信しなくても今の状況を確保できていたであろうことは、
このサボリ信者の準シュダオンさんを観察する他の信者さんが学んでほしい。
解脱供養などしても意味がないし、最初からアゴン宗に入らなくても問題はない。

335準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>アゴン宗における「解脱」の進捗状況を決めるのは信者さんではありません。
>それは桐山さんです。

管長が言ってもいない、そういうウソを↑言ってはダメですよ。
管長は、解脱の境涯は自分で自覚出来るようになる、とダルマチャクラに
書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

管長は、ある信徒から、「修行の参考にしたいので、誰がシュダオンなのか、
教えてほしい」と、問われたそうだ。
で、管長は、「教えるとシュダオン当人のためにならない。それに解脱が進んで
行くと、自分の境涯が解るようになるし、相手の境涯も解るようになる。ああ、
あの人は、ほぼシュダオンだな、というようにね」と、答えたのです。

だから、ユビキタスさんの認識はトンチンカンのウソなのです。
そういう間違った認識で、批判しているのです。

336準シュダオン:2011/06/28(火) 10:32:06
>もしアゴン宗に入信していなかったらどうなっていたか?
>今のような平穏無事は無いかのような言いぶりです。
>しかし最初からアゴン宗に入信しなくても今の状況を確保できていたであろうことは、
>このサボリ信者の準シュダオンさんを観察する他の信者さんが学んでほしい。
>解脱供養などしても意味がないし、最初からアゴン宗に入らなくても問題はない。

あなたも、よけいなお節介が好きな人ですね。
阿含宗に入って境遇が良くなったという信徒が多数いるわけだから、それはそれで
認めたらいいでしょう。私だって、ユビさんの境遇を認めているのだからね。
なんでそんなに救われた人を、否定したいのかね?
あんたが救われなかったことが、そんなに悔しいのかね?

「いやぁ、ユビキタスさんはね、首吊り寸前のところを阿含宗に入って救われた
のだそうだ。救われたので、もう信仰の必要もない、と退会して、恩義を感じる
のが嫌だから、批判してるのだそうだ」
↑と、言われたらどんな感じですか?
相手の意見を否定するということは、そういうことなのですよ。

337深山:2011/06/28(火) 12:33:48
>>336 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/06/28(火) 10:32:06
>あなたも、よけいなお節介が好きな人ですね。

それを言うなら、準シュダオンさんのほうがよほど余計なお節介をしている。
あなたがここに書き込んでいる理由は、信者が批判を読んで、
信仰を迷うといけないから、というものだった。
2ちゃんねるでは、あなたの書き込みを反面教師として読んで、
辞める決心をしたという書き込みがあった。
あなたのしていることはよけいなお節介どころか、逆効果で
あることが証明されている。

338深山:2011/06/28(火) 12:36:08
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>管長が言ってもいない、そういうウソを↑言ってはダメですよ。
>管長は、解脱の境涯は自分で自覚出来るようになる、とダルマチャクラに
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

嘘は準シュダオンさんのほうです。
あなたは経典引用も、こういう桐山さんの言葉の引用も、
ある一部分だけを使い、とんでもない意味に解釈してみせる。
それって、脳梗塞だからそうなったのではなく、あなたの読解力、つまり
知能に問題があるからです。
桐山さんのいう解脱の境涯を自覚できるとは、各人が勝手にやっていい
などという話ではない。
因縁がどこまで切れたか、四沙門果など、どの境涯に行ったかは、
本人の自己申告ではなく、まず桐山ゲイカに霊視してもらうのが原則です。
その上で、「君の自覚は正しい。君には霊視能力がついているから、
自分で判断するように」と桐山ゲイカに保証してもらうなら、それは正しい。
だから、光和の当時の専務さんも、桐山さんから「95%因縁がキレタ」などと
保証してもらった。
あの心の因縁の強い専務さんのどこが因縁がキレタのかよくわからないが、
彼の従順さと絶対服従を見込んで、桐山さんに保証してもらった数少ない一人です。
亡くなった東海本部のO村理事は、桐山ゲイカに「因縁はない」と言われ、
あるいはシュダオンになったと保証してもらったという噂があります。
亡くなった関東のM本理事は葬儀で桐山さんから「仏界に行った」と
保証してもらった。
在家が仏界に行ったというのだから、亡くなる時はアナゴンで、
その後、解脱したという保証です。
こんなふうに、実際には桐山ゲイカの霊視による保証がなければ、
信者が勝手に境涯を名乗ることは許されていない。

339深山:2011/06/28(火) 12:39:38
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>管長は、解脱の境涯は自分で自覚出来るようになる、とダルマチャクラに
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

桐山さんが「この店は我々のものなのだ」と言っているを聞いて、
店員の準シュダオンさんは、「そうか、我々の物なのだ」と
店の商品を勝手に自分の物にしているようなものです。
あなたが本当に預流向を名乗るなら、宗務局に聞いてみればいい。
「桐山ゲイカは境涯が進めば自覚できるとおっしゃった。
私は自分が預流向であると自覚する。
入信して間もなく三十年たつが、これまで護摩木は数本買っただけで、
解脱供養も冥徳解脱は合計一桁以下、最近は出していないし、今後出すつもりもない。
法話も聞いていないし、興味もない。
預流向を宣言するが、それで良いか」と質問してみなさい。
前にも私にこれを言われた。
だが、あなたは絶対に宗務局に質問しない。
あなたは、怒られ、追い返されるのを知っているからです。
だから、絶対に質問はしない。
卑怯者だからです。

340深山:2011/06/28(火) 12:42:47
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>管長は、解脱の境涯は自分で自覚出来るようになる、とダルマチャクラに
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

宗務局がダメなら、桐山さんに質問を出せばいい。
「ゲイカ、私は夜中に酒を飲んだとき、白銀バイブを無料で受信し、
預流向と自覚しました。
ところが、批判側ばかりか、宗務局までこれを否定し、小馬鹿にし、あざ笑います。
私のことを自惚れが高じたただの妄想老人だと言います。
私の脳には慢心しか入っていないとまで言いやがった。
どうぞ、私が預流向であることを認知してください」と質問してみなさい。
質問がもみ消されるというなら、例祭の法話の時、直接質問すればいい。
信者が預流向という聖者の領域に到達したのだから、
桐山ゲイカは大いに喜ばれ、あなたを祝福するでしょう。
できるか?
あなたは絶対にしない。
「このバカつまみ出せ」になることを知っているからです。
宗務局も桐山さんも認めないことを知っているからです。
そこが本当にあなたの卑怯なところです。
小ずるく卑怯な男で、陰でこうやって預流向を宣言して威張るしか能がない。

341深山:2011/06/28(火) 12:46:19
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

小縁経の件はどうなった?
嘘を平然と書いて、口を拭って知らぬ顔。
ただの卑怯者です。
あなたは預流向どころか、凡夫としてもレベルが低い。
桐山さんもそうだが、聖者など目指す前に、まずまっとうな人間を目指すべきです。
二人とも、人品卑しく、嘘もデタラメもへっちゃら。
私が、準シュダオンさんは脳梗塞で記憶や知性に障害が出ていると書いた。
あなたはそれをあざ笑っていたが、記憶の脱落はひどい状態です。
「預流向=聖者」の件も、今年で何回あなたは出したと思っているのだ?
批判側はアビダルマ仏教だと言い続け、その証拠を出して見せろと言われても、
無視して、同じ主張を繰り返す。
あなたは気がついていないようだが、私はあなたを擁護してあげたのです。
実は、あなたのその知性と記憶の低さは脳梗塞だけが原因ではない。
元々、あなたの知性と記憶力はその程度なのです。
理解力がかなり低い。
脳梗塞になる前から、あなたは数行以上の他人の文章が理解できなかった。

342深山:2011/06/28(火) 12:51:57
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

このスレを読んでいる方々は、準シュダオンさんが毎回、同じパターンで
間違いをしていることに気がついているでしょうか。
彼は長い文章を読み、理解することができないのです。
彼はおそらく数行以上の文章は記憶できない。
十行の文章があるとすれば、彼は5行目あたりを読んでいる時は、
その前の1〜3行目の文章の内容を忘れている。
これは脳梗塞だからそうなったのではなく、元々彼はそうなのです。
文章の読み方がすべてそうです。
小縁経の読み方も、彼が引用した直前に、四双八輩の説明があるのに、
その後の文章を読み始めると、彼の脳から四双八輩は消えてしまう。
前に読んだ所の文章の意味をまとめて記憶することができないのです。
前提となる四双八輩は消えて、応供や福田という言葉が出てくると、
彼の記憶にある「阿羅漢」と短絡させた。
文章をあるがままに理解できないから、自分の頭ですでに理解している内容と
適当に短絡させる、これが彼の脳のもう一つの特徴です。

343深山:2011/06/28(火) 12:54:10
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

彼は前提となる前の文章が記憶できないから、
それ補うために、自分の記憶にある内容を勝手に入れる。
準シュダオンさんの解釈が勝手解釈が異常に多いのはこれが理由です。
たとえば、批判側の主張はアビダルマだ、などと批判側が言ってもいないことを
勝手に作り出すのは珍しくもない。
彼は他人の主張をそのままには理解できない。
その代わりに、自分の頭にすでにある解釈をそこにあてはめて理解しようとする。
批判側が四角だと主張しているのに、彼はそれを丸だと置き換えてしまうのだから、
現実世界での彼の周囲の人たちは困っているでしょうね。
準シュダオンさんの問題はこういう知能障害だけではない。
その自己流の解釈を素晴らしい知恵だと自惚れているから、周囲はたまったものではない。
現実の彼は、相手の言っていることをあるがままには理解できないのだから、
簡単に言えば、頭が悪いのです。
頭が悪いにもかかわらず、逆に本人は頭が良いと思っているのだから、周囲は大迷惑です。

344深山:2011/06/28(火) 12:55:47
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

私のこの解説を、準シュダオンさんは何を言われているのか、理解できないはずです。
だから、彼は「読まない」と言う。
読んではいるが、大半が彼の頭では理解できないから、読まないということにした。
議論とは、相手の主張を理解した上で反論するものです。
ところが、ユビキタスさんとの議論を見ればわかるように、
ユビキタスさんの主張をまるで理解せず、ユビキタスさんの主張に
関連した自分論をただ展開しているだけです。
つまり、外にある新しい物を理解するのではなく、自分の頭にある古い物を
ただ出しているだけです。
準シュダオンさんの知性が低いことを指摘するために書いたのではありません。
信者さんたちに、準シュダオンさんとそっくり同じ人がいることに気がついてほしいからです。
もちろん、桐山さんです。

345深山:2011/06/28(火) 13:00:58
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

信者さんたちは桐山ゲイカを仏陀の知恵を持つ聖者だと信じている。
だが、信者さんたちは桐山ゲイカの高い知性をどこで見ましたか。
私は批判を抜きにして見たことがない。
桐山さんが仏教の解脱の定義すら理解していないという点に
信者さんたちはもう少し驚いてほしい。
「お釈迦様が一生かけて説いたのが因縁解脱だ」と法話でもくり返し、
本にも何度も書いています。
だが、阿含経どころか、仏教には因縁解脱などありません。
運命を変えるなんて概念すらない。
こんなことを釈尊が説いたと主張する桐山さんの知性にもっと疑問を持ってほしい。
この事実一つを見ただけでも、桐山さんは知性が高いのではなく、
実はかなり理解力が低いのではないかと疑いませんか。
これではまるで、自称大学の数学科教授が、1+2=12と計算したようなものです。
どう見ても、桐山さんに高い知性があるように見えません。
たくさん本を書き、何か理論らしいことを連ねているから、一見、
とても知識があり、頭が良いかのように見えるだけで、それ自体がハッタリなのです。
ちょうど準シュダオンさんが阿含経を引用して稚拙な自説の補強に
使っているのとそっくりです。

346深山:2011/06/28(火) 13:05:59
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

桐山さんは半世紀にもわたり、仏教を仕事にしてきた。
阿含経の講義本まで出しているのに、阿含経の神髄である解脱の定義を
間違えているのですよ。
ヒマラヤに登山するべきところを、ハワイに泳ぎに行ったようなものです。
それって勘違いというよりも、一言で言えば、頭が悪いからではありませんか。
桐山さんが仏教の解脱を因縁解脱だと信じ込んだのは、
ある新興宗教から物真似して、そのまま信じ込んでいるからです。
その新興宗教の教祖は貧しく教育も受けられなかったから、
仏教の因縁を聞いても理解できず、それを運命と解釈した。
その教祖は「色情の因縁」などという奇妙な言葉を作り出し、
因縁切りを信者たちに売り出した。
桐山さんも同じで、仏教の因縁の解説を聞いても理解するだけの知性がなく、
「因縁=運命」という簡単でわかりやすい解釈を受け入れた。
仏教の因縁とは縁起のことであり、運命などという意味はありません。
桐山さんは未だに仏教の因縁を理解していないのですよ。
これが知性の高い人??
私には準シュダオンさんレベルの頭が悪く理解力の低い人にしか見えない。

347深山:2011/06/28(火) 13:13:23
>>335 :準シュダオン:2011/06/28(火) 10:05:08
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。

桐山さんは仏教の基本である四諦すらも理解していない。
だから、「因縁しだいで物事が変わるのだから、苦と決めるのはおかしい」
とか「道とは八正道ではない」などと無知をさらしている。
釈尊がその教法を端的に言い表した内容なのに、こんな初歩的なことすら、
何を言いたいのか桐山さんには理解できないのです。
因縁を変えると物事が変わるなんて釈尊は説いていないし、
そもそも「苦」で始まらなかったら、仏教は成り立たない。
「道」が八正道であることを釈尊が阿含経で述べているのです。
本人が八正道だと言っているのに、これを否定して、どうするの?
だが、桐山さんは知識がなく、自分の頭で理解できる程度の稚拙な解釈を
強引に仏教にあてはめようとする。
準シュダオンさんがそうです。
書いてあるがままを理解するだけの知性がないから、
自分の頭にある稚拙な解釈を強引に当てはめて、理解したように錯覚する。
そして、それが仏陀の知恵だの、大局的に見ているなどと自惚れる。
桐山さんも、仏教の因縁の意味が理解できず、「苦」の意味も理解できないから、
因縁しだいで変わるなどととんでもない解釈をして、
それを仏陀の知恵だと自惚れている。
まったく逆で、彼らは知性が低いです。
普通の人たちが理解していることを理解できないのだから、知性が低いのです。
桐山さんを仏陀の智慧を持つと信じている信者さんたちは反発するだろうが、
それなら、解脱を明治以降の新興宗教の教祖と同じ間違いをして、
四諦の意味を理解せず、トンチンカンな解説をする桐山さんをどう見るのですか。
仏陀の智慧など、桐山さんが自分の知性の低さを隠すためのカモフラージュです。

348アゴン:2011/06/28(火) 14:07:56
アゴンでのお陰の数々は、密教や陰陽道や修験道の呪術の数々をみれば、容易に似たようなものを発見できます。加持祈祷の類いです。ゲイかは密教の私度僧みたいなものでしょうね。密教の作法でもって宇宙の力を取り入れている。たしかにアゴンで救われた人も
多いですよ。準シュダオンさんがいうように。
私の友人が祖父が病気で死にかけてるから、病気平癒の御守りほしいと言っていたので星祭りの御守りあげたんですよ。
そのあと、アゴンの欺瞞に気がついて、あーあ変なものあげちゃったなぁwと後悔してたら、偶然そのこに会ったら、じいちゃん生き返ってかなりよくなったわーと言われた(笑)。愛想でいうこでもないので、ほんとに驚いていた。


でも桐山管長は釈尊の目指したところのものと違う方向性ですよね。それはゲイカがある意味欲も人一倍持っている人間らしいからだとも思います。

釈尊のように全てを捨てることはできない。だから、釈尊の実践したところのものを、本当に見いだすのはむずかしい。実践できたものでしか語れないものだとも思いますね。
少なくとも私には無理ですw釈尊がこの世にでてこないかぎり、帰依することはできないでしょうね。
おそらく仏陀と一緒にいることで弟子たちのチャクラも調整され修行もすすんだものと思いますね。

349ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/28(火) 19:29:55
>>335:準シュダオン11/06/28(火) 10:05:08
>管長は、解脱の境涯は自分で自覚出来るようになる、とダルマチャクラに
>書いています。だから、私は準シュダオンを名乗っているのです。
>管長は、ある信徒から、「修行の参考にしたいので、誰がシュダオンなのか、
教えてほしい」と、>問われたそうだ。
>で、管長は、「教えるとシュダオン当人のためにならない。それに解脱が進んで
>行くと、自分の境涯が解るようになるし、相手の境涯も解るようになる。ああ、
>あの人は、ほぼシュダオンだな、というようにね」と、答えたのです。

桐山さんも非常に曖昧無責任な発言をしますね。
シュダオンになれば自ずとわかるって、具体的にはどうわかるんでしょうかねえ?
また他人がシュダオンになった時の見分け方もです。
こんな曖昧なこと言われたら、普通のマトモな信者さんは、調子に乗って
「俺もシュダオンになったよ」なんて言いません。
だってそうではありませんか?
世の中には早く自分がシュダオンになりたい、なったことにしたいという
所謂オッチョコチョイというのがいますね。
いや、あなたがそうだとは申しません。あなた以外の誰かを一般論として想定
してください。
そういうオッチョコチョイでも言ってしまえば勝ちのシュダオン認定とあなたは
するのですか?
厳密に分けねばならないでしょう。
例えばあなたがバイブレーション体験から、これはシュダオンに近づいた現象では?
と思ったら、そこで準シュダオンを名乗るのではなく、管長にお伺いを立てるのが
当たり前でしょう。
他人のシュダオンについては、まあこちらはアゴン宗の信者を未だに続けている
ような人は一人としてシュダオンはいないと断じることができる。
それは三結煩悩の内容を知っているからです。
さてそこで準シュダオンさんに質問です。
三結断ったのがシュダオンですよね。
ところでアゴン宗では三結断ってシュダオンになると、ガンの因縁とか横変死の因縁とか
数々の霊障の不成仏霊はどうなっている状態なんでしょうか?説明してみてください。
三結とかシュダオンとか仏教用語です。対して因縁解脱は桐山用語です。
これをうまくくっつけて論じることができるかな?
できなきゃシュダオンに近づいたなんて言える根拠がない。
ヒントは「21世紀は智慧の時代」を読んで下さい。S・ニルヴァーナの解説です。
シュダオン意外と雲の上ですぞ。

350ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/28(火) 19:52:49
>>336:準シュダオン11/06/28(火) 10:32:06
>あなたも、よけいなお節介が好きな人ですね。
>阿含宗に入って境遇が良くなったという信徒が多数いるわけだから、それはそれで
>認めたらいいでしょう。私だって、ユビさんの境遇を認めているのだからね。
>なんでそんなに救われた人を、否定したいのかね?
>あんたが救われなかったことが、そんなに悔しいのかね?

あなたを含めて信者さんの救われた現世利益体験を否定したことはありません。
ただこれを機会に考えてみて下さいと、あなた以外の人に問題提起する。
たとえあなた方に御利益体験があろうとも、それとは別に桐山さんの数々の嘘が
暴露されてますね。
これに対して、あなた方は自分の人生に対してどういう折り合いをつけるか?
教祖は嘘つきであることを容認せざるを得ないとしても、自分に御利益体験があるから
退会するようなもったいないことをとどまるのか?
この先またよい御利益もあるかもしんないし。
そこで考えてほしい。過去に救われた体験も含めて、これって本当にアゴン宗に
入信しなければ得られない幸福だったのか?
それも含めて世の中の倫理の問題、自分の人間としてのプライド、良心、
アイデンティティの問題、自分を観察してわかるムシのよい欲望の問題を総合的に
考えて欲しい。
オウムの青山弁護士もオウム信仰により椎間板ヘルニアが治る御利益体験が
あったそうな。だから青山弁護士はオウムは正しいと信じて担いでよかったのか?
各自の判断があるからそれは各自におまかせしますよ。
私は私なりの決断をした。御利益なんか関係なしに。
準シュダオンはそのままでいいっすよ。
あなたにお節介する気だけはありませんw

351深山:2011/06/29(水) 12:35:20
>>348 名前:アゴン 投稿日: 2011/06/28(火) 14:07:56
>釈尊のように全てを捨てることはできない。だから、釈尊の実践したところのもの を、本当に見いだすのはむずかしい。実践できたものでしか語れないものだとも思い ますね。
>少なくとも私には無理ですw釈尊がこの世にでてこないかぎり、帰依することはできな いでしょうね。

あなたの主張は桐山さんと同じで、「わかっちゃいるけど止められない」という考えです。
1か0の両の極端を持ち出すことで、自分はできないと言う。
あれは桐山さんの逃げ口上だと気がついていますか。
桐山さんはいわゆる倫理道徳は守りたくない。
彼の目的はエラクなり、金も女も権力も思うがままになることです。
だから、輪廻して美男美女に生まれ変わりたいなんて阿呆なことを堂々と言う。
仏教の戒律なんて、桐山さんは大嫌いです。
だから、彼はそれを守らなくても良い言い訳と理由をたくさん作った。
その一つが、「わかっちゃいるけど止められない」です。
因縁があるとどうにもならない、などと、自分の欲望を抑えなくても
良い理由を作った。
因縁なんだから、しようがないと言うことで、同じように
欲望に流れたい我々俗人の賛同を得た。
あなたの「全てを捨てる」という極論と同じです。
だが、釈尊はそんな極論だけを説いたのではありません。
出家に対してはすべてを捨てることを求めた。
だが、在家は別です。

352深山:2011/06/29(水) 12:41:03
>>348 名前:アゴン 投稿日: 2011/06/28(火) 14:07:56
>釈尊のように全てを捨てることはできない。

在家に求められたのは煩悩を減らすための五戒などです。
すべてを捨てろではなく、減らせと言っているのです。
ここを桐山さんから巧みにすり替えられて、錯覚させられ、
結局、欲望を減らすどころか、逆に増やすことを教えられる。
釈尊は在家には欲望を減らせと説いている。
『アゴンマガジン』52号の21ページで、桐山さんは邪淫戒をあげています。
愛人のいた桐山さんが邪淫戒を講義して、これをマジメに信者が
聞いている光景は、もはやお笑いでしかない。
邪淫戒とはその言葉どおり、邪淫を慎むことであって、不淫戒とは違います。
性的な関係のすべてを断ち切るのは出家であって、在家は邪淫は禁止だが、
性的な関係そのものを禁止されているわけではありません。
つまり、淫欲の禁止(ゼロ)ではなく、淫欲の制限(減らす)です。
これすらもできないと言うなら、そもそも仏教なんて信仰しなければいい。
愛人がいた桐山さんは在家の邪淫戒すら守れなかった。
解脱者を自称しながら、在家の戒律すら守れなかった。
情けない男ですよねえ。
こんなヤカラは解脱者どころか、出家でさえあるはずがない。
在家としてさえも失格なのに、出家なら破門で、教団から追い出される。
実際、比丘や比丘尼が不淫戒を守らず、追い出された例があります。

353深山:2011/06/29(水) 12:45:41
>>348 名前:アゴン 投稿日: 2011/06/28(火) 14:07:56
>釈尊のように全てを捨てることはできない。

釈尊は、在家にもさらに一歩進んで、淫欲を慎む修行も勧めています。
つまり、出家並みのことを在家のままで修行するのです。
それが梵行です。
アゴン宗では梵行はただの労力奉仕などの積徳行などと言われているが、
仏教の梵行とは狭い意味では性的な禁欲です。
桐山説のボン行などまったくのデタラメです。
淫欲を慎み、制御するから、欲貪が抑えられ、シダゴンになる。
淫欲を含めた欲望を断ち切ってしまえば、アナゴンです。
出家経の解説を読めば、ちゃんと書いてあり、筋が通ります。
徳を積んだら、シダゴンやアナゴンになるなんて、何の話?
徳を積むとどうして欲貪や瞋恚が減るのですか。
こういう桐山説では脈絡がなく、意味不明であることに気が付いてください。
釈尊は徳を積んで煩悩を減らすなんて説いていない。
自分の煩悩は自分で減らすのです。
欲貪の一つが性欲であり、梵行としてこれを減らすから、
シダゴンになるというのなら、内容は単純明瞭で、筋が通ります。

354深山:2011/06/29(水) 12:50:01
>>348 名前:アゴン 投稿日: 2011/06/28(火) 14:07:56
>釈尊のように全てを捨てることはできない。

桐山さんの口車に乗って、1かゼロ、白か黒などと思わないことです。
欲望や怒りをすべて捨てるのは難しくても、減らすことはできます。
アゴンさんはすぐにでもそれができるのですよ。
成仏ホウも供養もいらない。
自分でそのように心がければ、欲望や怒りを減らすくらいできます。
部屋を掃除すればきれいになるのと同じです。
クリーンルーム並にチリもホコリもないというわけにはいかないが、
見えるゴミを捨てるくらいのことは我々にもできる。
ましてや、アゴン宗から植え付けられた愚かな欲望を捨てるなんて
とても簡単です。
護摩木祈願を止めればいい。
因縁を切りたい、先祖を成仏させて好運を得たい、運命を変えたい、
天命殺を避けたいとか、こういう愚昧な欲望を捨てるのが、そんなに難しいですか。
いわゆる祈願、祈りのすべてを捨てればいいだけです。
これを捨てたからといって、生活に何ら支障はない。
むしろ、捨てることで、財布の穴がふさがります。

355深山:2011/06/29(水) 12:53:45
>>348 名前:アゴン 投稿日: 2011/06/28(火) 14:07:56
>釈尊のように全てを捨てることはできない。

桐山さんに植え付けられたくだらない欲望だけでも捨てれば、
アゴンさんの欲望は減ったことになり、それが釈尊の説く解脱への道です。
すべてを捨てろと釈尊は説いている相手は出家であり、
在家の我々は「全て」である必要はなく、部屋のゴミを捨てればいいのです。
日常でも、欲望や怒りを減らすことを心がけるなら、
それだけでもずいぶん違います。
そういう心がけには、特別な法なんていりません。
これだけでも五下分結の欲貪と瞋恚は減ります。
さらにアゴン宗信者の問題となるのが、その前にある三結です。
あなたも相変わらず三結を抱えている。
それが次です。

356深山:2011/06/29(水) 12:56:50
>>348 名前:アゴン 投稿日: 2011/06/28(火) 14:07:56
>おそらく仏陀と一緒にいることで弟子たちのチャクラも調整され修行もすすんだもの と思いますね。

あなたのこの意見は桐山教であって、仏教ではありません。
チャクラやクンダリニーが覚醒しないと欲望も抑えられない、と信じているようですね。
釈尊の修行にチャクラやクンダリニーは関係ありません。
桐山さんですら、阿含経にクンダリニーに相当する記述はないと書いている。
当たり前です。
仏教はチャクラやクンダリニーの覚醒を目指して修行するのでも、
これらによって解脱するのでもありません。
桐山さんはこれらの覚醒と神通力を勝手にくっつけているが、
両者が同一の物だという証拠は何もありません。
阿含経にはチャクラもクンダリニーも出てこないし、
それに相当する話も出てこない。
チャクラやクンダリニーを覚醒させ、神通力で解脱するなんて桐山オカルト教です。
つまり、三結の一つ、戒取です。
こういう馬鹿みたいなオカルト教を捨てることです。
しかも、現実に成り立っているのならともかく、この桐山説はただの空想小説です。

357深山:2011/06/29(水) 13:06:24
>>348 名前:アゴン 投稿日: 2011/06/28(火) 14:07:56
>おそらく仏陀と一緒にいることで弟子たちのチャクラも調整され修行もすすんだもの と思いますね。

桐山説どおりに超能力者が出たのなら、桐山教としては正しいでしょう。
だが、超能力開発を全面に出した『変身の原理』から、40年たつのに、
超能力のカケラもない。
あなたは桐山さんの超能力をまだ信じているのかもしれないが、
彼には超能力どころか、世間の霊能者程度の霊能力すらもない。
自分で雪駄もはけないヨボヨボのヂイチャンのどこが超能力者なのだ?
これまでは総本殿という環境ができないから超能力開発ができなかったと
言い訳にして、信者から金集めができた。
だが、総本殿が出来て、練脳塾なるものを立ち上げて十年たち、
どこにその超能力の片鱗でもいいから、体得した人がいるのだ?
いるのは、相変わらず自称霊能者や、準シュダオンさんみたいな
自称聖者だけです。
あなたが前に書いていたアゴン宗の信者で霊能者なんて、意味がない。
霊能力を否定しているのではありませんよ。
桐山さんのインチキも見抜けない霊能って、何の役に立つのだ?
その人は霊能力を発揮する前に、もっと普通の知性を磨くべきです。
こんなふうに、アゴン宗はただの宗教のディズニーランドのようなものです。
砂場の遊び、オママゴト、ナンチャッテ超能力です。
現実のアゴン宗には超能力のカケラもないのに、チャクラや
クンダリニーを覚醒させ、神通力で解脱するなんて信じている自分を
おかしいと思いませんか。

358準シュダオン:2011/06/29(水) 14:18:55
>桐山さんも非常に曖昧無責任な発言をしますね。
>シュダオンになれば自ずとわかるって、具体的にはどうわかるんでしょうかねえ?

それは解りますよ。三結煩悩が断たれるわけですからね。私だとて、三結が薄れた
自覚があるから準シュダオンを名乗っているわけでね。批判派は我見が強いから、
擁護派の言うことを信じられないのですな。

いつぞや、ユビさんから「御利益信仰を卒業したか?」との問いがあったね。
考えて見れば、密教の修行とは、自分が聖如意輪観音になって衆生に御利益を与え、
成仏に導く、という内容ですからね。このことを教えられたのは、かなり前で、
何時だったか憶えていないよ。その時から、「密教の修法の目的は、現世利益から
成仏に移る」ためのもの、との理窟を知っているわけだから、御利益信仰は卒業して
いるわけですね。
 
それを知らずに修行していたユビさんとは、明らかに質が違っていたわけです。

359準シュダオン:2011/06/29(水) 14:25:29
>例えばあなたがバイブレーション体験から、これはシュダオンに近づいた現象では?
>と思ったら、そこで準シュダオンを名乗るのではなく、管長にお伺いを立てるのが
>当たり前でしょう。

そんなことしたら、私の存在が教団に知られて、怠けるのが難しくなるというか、
マイペースの修行が難しくなるであろうから、お伺いなんて出来ないね。

360準シュダオン:2011/06/29(水) 14:38:55
>ところでアゴン宗では三結断ってシュダオンになると、ガンの因縁とか横変死の因縁とか
数々の霊障の不成仏霊はどうなっている状態なんでしょうか?説明してみてください。
>三結とかシュダオンとか仏教用語です。対して因縁解脱は桐山用語です。
これをうまくくっつけて論じることができるかな?
>できなきゃシュダオンに近づいたなんて言える根拠がない。
>ヒントは「21世紀は智慧の時代」を読んで下さい。S・ニルヴァーナの解説です。

あなた、ヒントは21世紀は智慧の時代とか言ってねw、シュダオンに近づいて、
自灯明が出てくると、管長本に頼りきりには、ならなくなるんですよ。
あなたにはそれがないから、すぐに管長にお伺いを出せ、という。
自分に体験が出てくると、一々お伺いを立てなくても確信が湧いてくるのです。

因縁解脱が桐山造語だとしても、「悟りは縁起の滅した世界とされた」と、
仏教辞典にあるでしょう。
経典を読めば、12因縁の滅がさとり=12因縁の解脱がさとり、であることが、
並みの知性がある人には、解るのですね。

361準シュダオン:2011/06/29(水) 14:47:24
>この先またよい御利益もあるかもしんないし。
>そこで考えてほしい。過去に救われた体験も含めて、これって本当にアゴン宗に
>入信しなければ得られない幸福だったのか?

これは確かめようがないでしょう。タイムマシンで過去に行って、阿含宗を退会
するわけには行かないもの。議論するだけ無駄でしょう。

362準シュダオン:2011/06/29(水) 14:58:07
>これに対して、あなた方は自分の人生に対してどういう折り合いをつけるか?
>教祖は嘘つきであることを容認せざるを得ないとしても、自分に御利益体験があるから
>退会するようなもったいないことをとどまるのか?

先ず私は、100%真実だけ話す人には出会ったことがない。
釈尊は100%真実だけを話すのか?私は出会ったことがないからわからない。
と、なれば、どういうウソなら許されて、どういうウソなら許せない、という
ことになるね、私の場合。

私の場合は、因縁の洗い出し現象みたいのがあったし、聖なるバイブらしいのも、
あったし、入行時よりは境遇が良くなっているから、他の細かいことには関心が
ないね。因縁解脱以外には、あまり関心がないということね。

363準シュダオン:2011/06/29(水) 15:16:38
最初にボタンを掛け違えれば、どこまで行っても間違うよね。
預流向を聖者だと、頑固に言い張る如く。この基本を誤解するようだから、
どこまで行っても、批判派は誤解してるように思えるね。

批判派が提示した経典に、帝釈が「我今是佛弟子 得須陀温道」と言ってる場面
があって、シュダオン向の資格は仏弟子であること、と読めるわけよね。
だから、得シュダオン向、という記述は、ほんとの稀にしかないわけよね。

四沙門果には、シュダオン向を除いた7種の人々が含まれてるわけよね。
その訳を考えたら、阿含経での聖者の意味も解るわけね。
まぁ、日本でなら、出家得度を受けたら即、俗世間を離れた聖者とすることも
出来ようが、阿含経での聖者の定義は、それとは少し違うね。

364アゴン:2011/06/29(水) 16:26:32
疑問がいくつかあります。
アーガマにチャクラについて記載がなくても、神通力を持っている時点で、仏陀が普通の三次元しか認識できない人間とは違うことは予想できます。また仏陀の時代は、はたでゴロゴロヨーガなどを修行して神通力をもった行者はいた。でも解脱はしていない。おそらく釈尊のとくところの漏尽解脱ができていなかったからだろうと思う。
ヨーガを釈尊も一通りバラモンたちと修行していったなかで、
通ってきた道であると思う。
ならば周知の事実としてチャクラは開発されていたから、わざわざアーガマにはかかれなかった。チャクラ開発法などは。調べてみればあるかもしれませんが、とりあえず予想の見解ということで。

仏教ウパニシャッドは取り入れていることなどを見ると、仏陀も真理に逸れないものは自然に取り入れて、さらに解脱に必要なプラスアルファの教えを説いたのだと推測します。

これはあくまで私の見解です。

365アゴン:2011/06/29(水) 16:40:01
もうひとつ、管長がまったく霊能力がないかということについては、色々と裏付けもあり、私は否定しません。
過去はしりませんよ。でもまぁ、多分あるような気がします。

知り合いの霊能者もクンダリニーが偶然開いたことで、目覚めて力の原理がわからず、悩んでいたら桐山氏の「密教」という本で大分理解が進んだと言っていました。
私がなんども、でもあの人はインチキだという疑いもありましてーと信者らしからぬことを何度も言いましたが、でも私の体験からもあれは勉強になったし、今でも読んでいる。と本まで見せてくれました。ここまでかけるひとはそういないわ、と言ってましたが、
あの本もモトネタあるんですかね?wwあー我ながらやな信者だ、

ただ霊能者も宗教にしてお金を取り出すと道をあやまるわね。と笑ってましたが。

366アゴン:2011/06/29(水) 16:43:32
私は否定しません、じゃなかった。肯定はしません、だ。
失礼しました。

367無関係に人間です:2011/06/29(水) 20:02:22
>>357

>>だが、超能力開発を全面に出した『変身の原理』から、40年たつのに、
>>超能力のカケラもない。

 部外者がこんな事を言うのは失礼なのですが、普通、40年も「超能力」を売り物にして、散々、金を貢がせて
あげくに誰も「超能力」を獲得した人間がいない、というのは、詐欺というよりか、もう漫画みたいな話だと思います。

 山梨の山の中で、「徳川の埋蔵金」を探す為に、何十年も発掘を続けている人がいるそうですが、まだ、あの
ほうが、マシです。

 40年の間、桐山さんは愛人も持てて、ロールスロイスに乗れ、ホテルオークラで美食を楽しめて満足だったかも
しれませんが、人生を無駄にした信徒には、残酷というしか表現のしようがないです。

 私も、あの時、騙されていたら、と思うと、ゾッとします。

 とりとめもない感想ですが、ふと、そんな事を感じました。失礼をお許し下さい。

368無関係な人間です:2011/06/29(水) 20:03:49
>>367

無関係「な」人間です、でした。失礼をしました。

369アゴン:2011/06/29(水) 20:21:25
無関係さんの言われる通りですね。
でも、いるんですよね。
お坊さんでも慰霊成仏させられる力をもつ人はいます。信者でもいます。
でもあんまり書いても平行線なので書かなかったのです。
今後も書くつもりはないです。理由の一つは、だからといって管長の嘘まで擁護する気はないのに、擁護していると見なされるので。
人格と霊能は関係がないということ、が書きたいので。人格者にこしたことはないですが。
だから私も今検証中です。失礼ながら、無関係さんのような、アゴンに属していない部外者はやはり一生わかりえないことだと思います。

370無関係な人間です:2011/06/29(水) 20:41:09
>>369

 おっしゃる事はわかります。超能力とか、霊能力というものは否定するつもりはありません。
ただ、桐山さんの場合、「看板に偽りあり」という印象がどうしてもあるのです。

 私が若い頃に「渡辺式記憶術」というのが流行した事がありました。「どんな難関試験でも、この記憶術を使えば、簡単に突破できる」
という謳い文句で、雑誌などでジャンジャン宣伝をしておりました。最近、ネットを見たら、やはり、上手くいった人もいれば、
いかなかった人もいるみたいです。個人的には、申し訳ありませんが、少し怪しいと思ってはいました。
 しかし、あの場合、提唱者の渡辺さんは、「記憶術」を使って東大に行き、司法試験にも1回で合格したそうです。また、テレビなど
で、「記憶術」を実演しておりました。
 つまり、この渡辺さんに関して言えば、「記憶術」を本人は使いこなしているし、他の人がマネをして、うまく行くケースもあれば、
行かないケースもあった訳で、少なくとも、彼は「記憶術」を伝授する資格は持っていたと思うのです。

 反して、桐山さんの場合は、本人の大言壮語と反して、本人が超能力を持っているのかを実演した事がないみたいですし、彼の言う通り
して、誰も解脱した人がいない、というのは、彼は、「超能力」を伝授する資格を持っていなかったと思うのです。

 ですから、「記憶術」を否定できないのと同じく、「超能力」も否定できないが、ただ、桐山さんに限っていえば、彼が言う事は信頼
できない、という事なのです。

 失礼な事を書いて、気分を害されたら、お詫び申し上げます。

371ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/29(水) 20:47:51
>>358:準シュダオン11/06/29(水) 14:18:55
>それは解りますよ。三結煩悩が断たれるわけですからね。私だとて、三結が薄れた
>自覚があるから準シュダオンを名乗っているわけでね。批判派は我見が強いから、
>擁護派の言うことを信じられないのですな。

もちろん三結煩悩の内容まで知ってますよね。
身見、疑惑、戒取です。一言でいうと、誤った認識を脱して正しい認識ができる
ということですよね?違うなら個別具体的に反論してください。
知情意の知に関する迷い、煩悩ですよね。情意に関することは欲貪とか瞋恚です。
三結断ったシュダオンはまだ欲貪も瞋恚も切れてない。つまり腹を立てたり
スケベしたいムラムラするとかの情意に関する煩悩から抜け切れていない。
しかし物事の基本認識はできているわけです。
わかっちゃいるけどやめられない面は残しているが、しかしわかってはいる。
道理がわからないわけではない。
さて、この道理が理解できたシュダオンからが聖者であるとあなたも桐山さんも説く。
桐山さんは間違いなくシュダオン果から先を聖者とみなしてますよ。
シュダオンになるのが一番大変だ、なぜなら凡夫が聖者になるのだから
これは並なことではない、シュダオンまで行った人はアナゴンに到達するのは
比較的容易いのは延長線上にあるからなのだという。
アラハンはこれは人間を超えることなんだから最も難しいのだが、しかしアナゴン
まで達した修行経験から自ずとその飛翔の道も見つけるだろうとしている。
つまりシュダオンが一番の関門なわけです。
シュダオンからが聖者なんだから、途上の修行者はまだ凡夫というわけですね。
桐山説では。
それはさておきまだ怒りや欲望なども残した聖者はひとえに理解認識の正しさが
指標になる。だって三結の内容から言ってそれしかない。
ゆえに準シュダオンさんも我々批判側の見解を間違っているとして、自分の見解こそが
正しく、その理解度が高いゆえに自分もシュダオンは遠くないと判断したわけだ。
批判側の見解と準シュダオンさんの見解のどちらが正しいかは、ここでは問わない
ことにします。もっと面白い展開があるのだ。
どちらが正しいかは置いておくとして、整理しましょう。
聖者シュダオンであるかないかの違いは三結の克服度による、つまり頭による理解度が
その指標である。
これを念頭に置いてください。後の私の質問にも関係してくる。

372無関係な人間です:2011/06/29(水) 20:50:47
>>369

 なお、私は、アゴンさんの言われる通り、阿含宗の経験がないので、認識に至らない点が多々あると
思います。おそらく、実際に経験をされたアゴンさんのほうが、はるかに正確な情報をお持ちかと思います。
 至らない点は、謙虚に受け止めますので、いろいろとご教示を下されば、幸いです。

373ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/29(水) 21:22:03
>>358:準シュダオン11/06/29(水) 14:18:55
>いつぞや、ユビさんから「御利益信仰を卒業したか?」との問いがあったね。
>考えて見れば、密教の修行とは、自分が聖如意輪観音になって衆生に御利益を与え、
>成仏に導く、という内容ですからね。このことを教えられたのは、かなり前で、
>何時だったか憶えていないよ。その時から、「密教の修法の目的は、現世利益から
>成仏に移る」ためのもの、との理窟を知っているわけだから、御利益信仰は卒業して
>いるわけですね。
 
理屈を知ったら卒業なんですか?
そうではないでしょう?理解して初めてそこからスタートであり、この理解をもとに
実践をせねばならない。
自分が如意輪観音となって衆生を救わねばならないと気付くことが転機とするならば
気付いて理解して終わりでなくて本当に実践しなくちゃ。
理解だけしたよ。後は君たち頑張ってね。わたしゃ寝るからでは話にならない。
そんな他人事みたいに言うのは理解すらもしてない証拠ですね。
如意輪観音になって衆生を救いなさいよ。
それは道場に行ってお導きをすることです。
他人を道場に連れて行って法を聞かせ、法次法向することです。
八法十六法です。
自分は道場にも行かずサボリどうして十六法が実践できる?
どうして如意輪観音の働きができる?
ほら?あなたはやっぱりまだ現世利益の我利我利信仰から卒業していない。
理解だけはしたけど、そんなめんどいことはやりたくなく、現世利益の我利我利信仰に
一生しがみついていたいのです。

374ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/29(水) 21:38:58
>>359:準シュダオン11/06/29(水) 14:25:29
>そんなことしたら、私の存在が教団に知られて、怠けるのが難しくなるというか、
>マイペースの修行が難しくなるであろうから、お伺いなんて出来ないね。

そういう気持ちがあるのなら準シュダオンと勝手に名乗ることも遠慮すべきでしょうが?
私はいい妥協案を考えてやったではないか?
求シュダオン。
ぺーぺーの新米でもシュダオンを求めていると示すことは不遜ではなく立派な志です。
ところが準シュダオンの準とは準ずる、ナンバー2という意味です。
昨夏の東海大相模、今春の九州国際大附属と同じ準優勝で、優勝に一歩及ばぬ
だけで準優勝楯ももらえる名誉な成績です。
これを許可なく勝手に名乗ってしまえ、どうせ身元がわからないのだから
という姿勢は、ばれなきゃ万引きしてもよいという考えに等しい。

375ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/29(水) 22:25:37
>>360:準シュダオン11/06/29(水) 14:38:55
>あなた、ヒントは21世紀は智慧の時代とか言ってねw、シュダオンに近づいて、
>自灯明が出てくると、管長本に頼りきりには、ならなくなるんですよ。

ならば21世紀は智慧の時代なんて読まなくてもいいから、逃げてごまかしてないで
私の質問に自由に答えてみなさいよ。
三結断った聖者シュダオン果は、ガンの因縁とか横変死の因縁とか霊障の不成仏霊
とかはどうなっているのですか?
シュダオン果に近づいた準シュダオンならそのくらいわかるでしょうが。
桐山さんはシュダオン果を浄められた聖者としている。
何やら清らかな青いオーラが漂っているのだそうだ。
まあそんな誰にも見えない話はどうでもよいが、浄められたシュダオン果とは
実はまだ不浄な霊障を抱え、ガンや横変死の因縁など十分に切れていない状態なのか
それともそんなものは全て浄化済みの状態なのか?という質問です。
なぜならここのところは重要なところで、準シュダオンさんも信じる苦の滅たる
因縁解脱って三結煩悩という間違った理解、誤謬を正して、正しい理解を得る
だけで得られるものなんですか?
桐山さんがいう苦のモトとは因縁であり霊障です。
これを除去せずに解脱はない。
しかるにシュダオン果なんて私があなたのレスをも踏まえて確認したように
頭で理解しただけで情意の面ではまだまだ克服できていない。
そんな程度の悟りで霊障も因縁も切れるものなんですか?という質問です。
霊障も因縁もまだまだ切れてないなら、なぜ浄められた聖者なんですか?という質問です。

376アゴン:2011/06/29(水) 22:27:57
>>372 いえ、こちらこそ看板に偽りがあった点など、信者としても弁解のしようがないので無関係さんのおっしゃられることも充分理解しております。

ただ桐山氏のやってることは密教の加持祈祷の類いで、それなりに験があっても、仏陀のとく解脱者ではないことを認識しているだけです。
そして慰霊についての所作は古来より色んな方法があったので、それについて独自に勉強しています。
信者やお坊さんも独自で研鑽していることは最近ちょこっと耳に入ってくるのと、見聞もするので、そのことをありのままに書き込んだ次第です。

アゴン宗って別に準シュダオンさんのようにサボろうと思えばサボれるし、強制はないんですよね。w
だから意味がないと思えば退会するひともおおいでしょうけど、
それなりに体験もあり残っているんでしょうね。

377深山:2011/06/29(水) 22:44:08
>>358 :準シュダオン:2011/06/29(水) 14:18:55
>それは解りますよ。三結煩悩が断たれるわけですからね。私だとて、三結が薄れた
>自覚があるから準シュダオンを名乗っているわけでね。批判派は我見が強いから、
>擁護派の言うことを信じられないのですな。

ごまかしなさんな。
「擁護派の言うこと」などと、まるで、準シュダオンさんの背後に
たくさんの応援団がいるかのような書き方ですね。
あなたを応援する擁護派とはどこにいるのだ?
いつ、どこの擁護派が準シュダオンさんを預流向だと認めた?
準シュダオンさん以外のどこの擁護派が「預流向≠聖者」だと認めた?
どさくさに紛れて、とんでもないことを言い出す男だ。
そんなパープリンな自惚れを垂れ流しているのはあなた一人です。
擁護側なんて誰もあなたを預流向だなんて認めていないし、
「預流向≠聖者」などと言っていない。
桐山さんの同意も得ずに、勝手に預流向を名乗るのを
アゴン宗では「我見が強い」と言います。
桐山商店の宗教商品を盗んだのだから、あなたは万引きであり、泥棒です。

378ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/29(水) 22:47:33
>>362:準シュダオン11/06/29(水) 14:58:07
>先ず私は、100%真実だけ話す人には出会ったことがない。
>釈尊は100%真実だけを話すのか?私は出会ったことがないからわからない。
>と、なれば、どういうウソなら許されて、どういうウソなら許せない、という
>ことになるね、私の場合。

またこちらが書いてもいないこと示してごまかしてますね。
誰が桐山さんは100%の嘘つきなんて述べたか?
100%なんてことはない。しかし結構嘘の確率が高い。
あれもこれもで8割9割方嘘とさえ思えます。
あなたの許容は何%ですか?
実はこの許容に関しては個人差があるものとしている。
あなたが言うように「何が」嘘だったら許せないとか、%によらぬ質の問題も
含めてね。
だから私はそれは各自が各自の許容度で考えて決めてくださいと提唱したのです。
あなたや私が何か吠えたらそれでこのスレの決定事項、世の中が決まるなんて
ことはないのです。
だから各自にまかせているのです。
あなたにはこの件については質問してないからレスしなくてよろし。
あなたの許容度はあなたが決めることだから。

379深山:2011/06/29(水) 22:52:46
>>359 :準シュダオン:2011/06/29(水) 14:25:29
>そんなことしたら、私の存在が教団に知られて、怠けるのが難しくなるというか、
>マイペースの修行が難しくなるであろうから、お伺いなんて出来ないね。

逃げ口上を言いなさんな。
あなたが預流向を名乗り、ここで何年にもわたり、勝手なアゴン宗擁護をしていると
教団に知られたら、かなり激しく叱責される。
おそらく、「二度と書き込みはしません」という始末書を書かないのなら、除名でしょう。
あなたは桐山さんの性格を知らないだろうが、
桐山さんはあなたみたいな勝手なことをいう信者が大嫌いです。
「このバカつまみ出せ」です。
W田さんも桐山さんの性格と同じだから、あなたみたいな信者は容赦しない。
職員は上の顔色を伺っているだけだから、言われた通りに、あなたを「始末」します。
私はそうやって始末された職員や先達を何人も見ている。
「ガンになりました。助けてください」と泣きつく信者を山門から
夫婦もろとも叩き出すのが桐山さんですよ。
ヤクザ顔負けの冷酷無慈悲です。
そうやって弱い者をバッサリ斬ることを彼は「英霊底の漢」だと自惚れている。
こういう桐山さんですから、せいぜいばれないように気を付けなさい。
そうでなくても、あなたは行歴や、年齢、前と今の所在地、護摩木を
二十年間買わなかったこと、解脱供養四体、冥徳数体しか出しておらず、
県庁の元職員らしいこと、そして何より自称・預流向で、
威張り腐った態度であることなど個人情報をネット上で満載にして公開した。
私が職員なら簡単にあなたを特定してみせます。
県庁の元職員らしいというのも、批判側を小馬鹿にしたつもりで書いた内容から
ばれてしまった。
これからもせいぜい威張り、他人を見下し、ついでに個人情報を書き込んで、
職員が特定しやすいようにしてあげなさい。

380深山:2011/06/29(水) 22:55:13
>>360 :準シュダオン:2011/06/29(水) 14:38:55
>あなた、ヒントは21世紀は智慧の時代とか言ってねw、シュダオンに近づいて、
>自灯明が出てくると、管長本に頼りきりには、ならなくなるんですよ。
>あなたにはそれがないから、すぐに管長にお伺いを出せ、という。

ユビキタスさんの言ったことは、彼個人の意見ではなく、
それがアゴン宗のルールだからです。
勝手に預流向などを名乗るなど、アゴン宗では絶対に許されない。
もちろん、あなたが桐山さんや宗務局に質問するなど
絶対にありえないことくらい知っています。
なにせ、卑怯者で内弁慶で、ここで威張りちらすしか能の準シュダオンさんですから、
そのあなたが堂々と自分の信じることを表明するなんて勇気があるはずがない。
あなたはこれまでの人生でいつもそうでしたよね。
陰で威張り、陰で他人を小馬鹿にするが、目上の者や人前に出ると、
それまでの勢いはどこへやら、借りてきた猫みたいになる。
そういう所も桐山さんとそっくりです。
桐山さんも信者の前では「霊障のホトケによる地球壊滅」などと
さんざん死者を罵っているのに、アウシュビッツに行くと、
そんなことは口を拭い、世界平和などと言い出す。
死者たちの崇りで戦争が起きていると信者の前では吠えるのに、
イスラエルの権力者の前では嘆きの壁に頭をすりつけてみせる。
桐山さんもあなたも裏表を使い分け、姑息で卑しい人たちです。

381ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/29(水) 22:57:43
>>362:準シュダオン11/06/29(水) 14:58:07
>先ず私は、100%真実だけ話す人には出会ったことがない。
>釈尊は100%真実だけを話すのか?私は出会ったことがないからわからない。
>と、なれば、どういうウソなら許されて、どういうウソなら許せない、という
>ことになるね、私の場合。

ああ、ごめんなさい。100%嘘の人ではなく、100%真実で嘘はついたことは
見たことがないというわけね。
これは私が取り違えていました。
ちなみに釈尊は在家でも最低限守らねばならない五戒に不妄語戒を置いて
嘘つくな、嘘をつくものは地獄に堕ちる(ダンマパダ)と説いていますが。
この訂正だけで後は同じですよ。
世の中私も含めて全く嘘をつかない人も珍しいけど、さりとてどこまで許せるかは
各自が考えて決めることです。

382深山:2011/06/29(水) 23:01:32
>>360 :準シュダオン:2011/06/29(水) 14:38:55
>因縁解脱が桐山造語だとしても、「悟りは縁起の滅した世界とされた」と、
>仏教辞典にあるでしょう。

これは驚いた。
因縁解脱が桐山造語だと認めるのですね。
なんでも桐山万歳の準シュダオンさんにしては意見を変えることもあるのですね。
そのとおりで、因縁解脱は桐山さんの造語で、仏教には存在しない。
しかも、桐山さんのいう因縁とは仏教の因縁(縁起)のことではなく、
運命のことです。
縁起には運命などという意味はない。
「悟りは縁起の滅した世界とされた」
という記述は、何度も書くが、部派仏教を含めた説明文に書いてある文章です。
この説明こそアビダルマ仏教の説明です。
普段はアビダルマ仏教を小馬鹿にしながら、こういう時だけは取り入れる。
そのズルサがいかにも準シュダオンさんらしい。
解脱しても生きている間は縁起に支配される。
だから、いったん解脱しても、煩悩をもつと再び苦の世界に逆戻りです。
ごらんのように、解脱しても縁起がちゃんと成り立っています、
と言われても、何がどう縁起が成り立つのか、意味がわからないのでしょう?
あなたも桐山さんも縁起の意味を理解していない。
意味を理解していない桐山さんの物真似をしているのを見れば、
あなたが縁起を理解していないのがよくわかる。

383干柿:2011/06/29(水) 23:02:02
なんかねぇ〜、準シュダオンさんって阿含宗を擁護している気になっているんですか?
ぜんぜんそうじゃないと思いますが準シュダオン教という似て非なる
へんなマイ宗教をあれこれ出しているだけでしょ自覚してください準シュダオンさん。

384ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/06/29(水) 23:03:54
>>381:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/06/29(水) 22:57:43

またまた訂正

>ああ、ごめんなさい。100%嘘の人ではなく、100%真実で嘘はついたことは
>見たことがないというわけね。


ああ、ごめんなさい。100%嘘の人ではなく、100%真実で、嘘は1%も
ついたことがない人は見たことがないというわけね。

385深山:2011/06/29(水) 23:04:01
>>362 :準シュダオン:2011/06/29(水) 14:58:07
>先ず私は、100%真実だけ話す人には出会ったことがない。
>釈尊は100%真実だけを話すのか?私は出会ったことがないからわからない。
>と、なれば、どういうウソなら許されて、どういうウソなら許せない、という
>ことになるね、私の場合。

抽象論で逃げようとしても無駄です。
あなたは仕事で自分がミスをしてもこういう逃げ口上を使ったのでしょう?
>「先ず私は、100%ミスをしない人には出会ったことがない。
>君は100%ミスをしないのか?私は出会ったことがないからわからない。
>と、なれば、どういうミスなら許されて、どういうミスなら許せない、という
>ことになるね、私の場合」
聞いていた周囲はウンザリしたでしょうね。
しかも自分のことを示すのに、釈尊と比較している。
釈尊が嘘をついたという証拠を出してみなさい。
釈尊の恐ろしい所は、言動が一致していることです。
あなたや桐山さんのように嘘などつかない。
嘘とは、あなたが預流向だという主張です。
アゴン宗を信じている者が預流向になど絶対になれない。
身見、疑惑、戒取がそのまんまです。
あなたは自分には霊魂があると信じ込み、
釈尊の漏尽解脱を因縁解脱と同じだなどと釈尊の教法をねじ曲げ、
護摩、占い、死者成仏など外道のマジナイを信じている。
こういうあなたは世間の人たちよりもはるかに三結が強い。
預流向とは仏教の信者のことです。
だが、あなたはアゴン宗という外道の信者です。

386深山:2011/06/29(水) 23:10:49
>>363 :準シュダオン:2011/06/29(水) 15:16:38
>最初にボタンを掛け違えれば、どこまで行っても間違うよね。
>預流向を聖者だと、頑固に言い張る如く。この基本を誤解するようだから、
>どこまで行っても、批判派は誤解してるように思えるね。

準シュダオンさんの脳味噌のボタンをかけ直してみたらどうか。
無意味なお説教を並べる暇があるなら、「預流向≠聖者」という証拠を出しなさい。
1.桐山ゲイカが「預流向≠聖者」と言った証拠
2.阿含経で釈尊が「預流向≠聖者」と言った証拠
3.学者が「預流向≠聖者」と言った証拠
これらを出してみなさい。
だせないから、上記のように口先であれこれ空虚な言葉を並べる。
あなたって、本当に口先だけの薄っぺらな人間ですね。
あなたみたいに口先でペラペラと、出任せに軽薄に主張しているのと違い、
私は>>322-325できちんと証拠を示している。
桐山説も、阿含経の釈尊も、学者たちも全員が「預流向=聖者」です。
準シュダオン教など誰も興味がないから、出すな。
あなたの汚い自惚れというゲロなど誰も見たくないから、出すな。

387深山:2011/06/29(水) 23:12:05
四種の須陀諸Y道分有り。善男子に接近し、正法を聴き、内に正思惟し、
法次法向するなり。
(雑阿含経、須陀諸Y経、『國訳一切経 阿含部 2』318頁)

「今、我弟子は皆、まさに須陀諸Y道.斯陀含道.阿那含道.阿羅漢道を成ずるべし。」
(増一阿含経、37、『國訳一切経 阿含部 9』256頁)

その時、戒成就の比丘にしてこの五盛陰を思惟せば、便ち須陀諸Y道を成ぜん。
(増一阿含経、26、『國訳一切経 阿含部 9』452頁)

此の二力、忍力、思惟力を修せば、便ち、須陀諸Y道、斯陀含道.阿那含道.阿羅漢道を成じ、無余依涅槃界に於いて、般涅槃せん。
(増一阿含経、7、『國訳一切経 阿含部 9』121頁)

「我れ今、是れ、仏弟子、須陀諸Y道を得て、余趣に堕せず、七往返を極めて必ず道果を成ず。」
(長阿含経、10、『國訳一切経 阿含部 7』234頁)

今此の衆中、最小下座の者も、須陀諸Y道を得て、必ず当に上不退転の法に及ぶべし。
(増一阿含経、24、『國訳一切経 阿含部 9』12頁)

「或いは復、須陀諸Y道.斯陀含道.阿那含道.阿羅漢道、辟支仏道、若しは仏道を成ずる有り。」
(増一阿含経、36、『國訳一切経 阿含部 9』652頁)

388深山:2011/06/29(水) 23:16:44
>>363 :準シュダオン:2011/06/29(水) 15:16:38
>だから、得シュダオン向、という記述は、ほんとの稀にしかないわけよね。

>>387のように、須陀オン道についての経典は稀ではありません。
ましてや、須陀オン向まで入れたら、たくさんある。
三十七道品という単語が出てくるほうが稀です。
準シュダオンさんがこの経典を引用して、何を言いたいのか、意味不明だが、
いずれにしろ、ろくに調べもしないで知ったかぶりで書くのはやめたほうがいい。

389深山:2011/06/29(水) 23:22:04
>>363 :準シュダオン:2011/06/29(水) 15:16:38
>批判派が提示した経典に、帝釈が「我今是佛弟子 得須陀温道」と言ってる場面
>があって、シュダオン向の資格は仏弟子であること、と読めるわけよね。

読者の皆さんに、準シュダオンさんがどれほどずるく、卑怯で
意地が悪いか紹介しましょう。
彼は漢文をそのまま転記しています。
彼が漢訳経典を使っているのなら、あるいは批判側が漢文を引用したのなら、
これはしかたないが、実は彼が引用するのに使った本は漢文の他に、
現代語で訳された文章があるのです。
だが、彼はわざわざ漢文だけ引用する。
これはしかも、毎回です。
普通、自分の主張に引用する時には、読者に理解しやすいように、現代語訳を引用します。
しかし、彼はわざといつも漢文を引用し、しかも、どの本に掲載されているかを示さない。
どうしてだと思いますか。
批判側に調べられないようにしているのです。
これまでも彼が引用した阿含経はデタラメが多く、私が何度も足払いをかけた。
しかし、元の阿含経がわからなければそれも難しい。
そこで、わざわざ批判側が探しにくいように、漢文だけを引用して、
本もページもいっさい示さない。
いかに、準シュダオンさんが姑息で、小狡く、卑怯で、汚い男かこれだけでもわかる。
余談だが、ここに彼の現役時代の仕事の仕方が見事に現れている。
他人に意地悪をしたつもりで、仕返しされたはずです。
もっとも、仕返しされたことに彼が気が付いていないかもしれない。
では、その元の本から経典を引用してみましょう。

390深山:2011/06/29(水) 23:24:48
「我れ今、是れ、仏弟子、須陀オン道を得て、余趣に堕せず、
七往返を極めて必ず道果を成ず。」
(『國訳一切経 阿含部 7』234頁)

「ところで私は今、仏の弟子であり、悟りの第一段階である須陀オンの道に達し、
他の境遇に堕落することなく、七たび生死の世界へ往復したのち、かならず
須陀諸Yとしての結果を成就します。」
(現代語訳阿含経典3、平河出版、147頁)

須陀オンの「オン」は文字化けすることもあるので、カタカナに変えてあります。
準シュダオンさんはこの文章から「シュダオン向の資格は仏弟子であること」
と主張して、何を言いたいのだ?
帝釈天はただ仏弟子になった、預流向になったと宣言しているだけです。
片方がもう片方の条件だなんて述べていない。
これが「預流向≠聖者」の証拠だと言いたいのですか。
意味不明の解釈を書き殴って、「預流向≠聖者」を証明したかのように
錯覚しても、それは準シュダオンさんのオメデタイ頭でしか成り立たない妄想です。
帝釈天が釈尊の教えを理解し、帰依したと宣言しているだけです。

391深山:2011/06/29(水) 23:30:40
>>363 :準シュダオン:2011/06/29(水) 15:16:38
>四沙門果には、シュダオン向を除いた7種の人々が含まれてるわけよね。

完全に間違いです。
やはり、あなたの脳にはボタンの掛け違いどころか、
最初からボタンはついていないようだ。
四沙門果は四種類の資格者を表す言葉だから、四種類の人を示しているだけです。
7種などではありません。
誤解するといけないと思い、>>327でわざわざ両者を書き並べてあげたのに、
見ようともしない。

四沙門果・・・預流(=預流果)、斯陀含(=斯陀含果)、阿那含(=阿那含果)、阿羅漢(=阿羅漢果)
四双八輩・・・預流向、預流果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果

四沙門果とは、資格と資格者だけを取り上げたのです。
四双八輩は、資格を目指す者も含めた分類です。
だから、両者は別物です。
前に私は両者を同一のものと勘違いして、両者を統一的に説明しようとした。
だが、両者は重なる部分があるだけで、同一ではないから、一緒にはできない。
あなたは、私が何を間違ったか、丁寧に説明した時、何も学ばなかったのですね。

392深山:2011/06/29(水) 23:36:39
>>363 :準シュダオン:2011/06/29(水) 15:16:38
>四沙門果には、シュダオン向を除いた7種の人々が含まれてるわけよね。

あなたは四沙門果の中に「向」を入れようとしている。
入りません。
小学校卒業資格者の中に小学生は入りません。
四双八輩の中に四沙門果はあるが、逆は成り立ちません。
私が前に自分の間違いをきちんと説明したのに、あなたは読んでも
理解できなかった。
そうでしょう。
あなたは他人の間違いからも、自分の間違いからも、何も学ばない人です。
桐山さんも自分の間違いから逃げて逃げて、正面からは自分を
見ようともしなかった人です。
現実の自分から逃げまどう二人ですから、その結果が、
二人とも自惚れの砂場で聖者ゴッコをして一生が終わりです。
他人の人生とはいえ、溜息が出るくらい空しい人生ですね。

393深山:2011/06/30(木) 00:14:06
>>369 :アゴン:2011/06/29(水) 20:21:25
>お坊さんでも慰霊成仏させられる力をもつ人はいます。信者でもいます。

これが367の無関係さんに対する反論なのですか??
アゴンさんの議論の焦点がずれてしまうのはよくあることなのだが、
無関係さんが指摘しているのは、桐山さんの超能力開発に沿って
出てきた超能力者がいないと指摘しているのです。
いませんよ。
桐山さんが一度でも、訓練によって信者の超能力や霊能力の
発現を認めたことがありますか。
ありません。
そもそも「慰霊成仏」って何?
アゴン宗の教義には解脱成仏と慰霊供養はあるが、慰霊成仏なんて
聞いたことがない。
あなたが引用した坊さんが誰なのか知らないが、
その人が慰霊成仏ができるというなら、それは桐山さんが
認めた能力ではなく、その人が勝手に自慢している力ですよね。
信者も同様です。
昔から、そんな人はいました。
私は信者でサハスララチャクラの開発に成功した人を知っています(笑)。
他にも、準シュダオンさんみたいに、自分は高度の瞑想によって
高い境涯に達したと自称する信者もいた。
しかし、彼らは桐山さんの修行法で開発して、桐山さんから認知されたものではなく、
すべて自己申告です。
それが成り立つなら、準シュダオンさんは預流向です。

394深山:2011/06/30(木) 00:18:33
>>369 :アゴン:2011/06/29(水) 20:21:25
>お坊さんでも慰霊成仏させられる力をもつ人はいます。信者でもいます。

彼らの力が本物であるかどうかは議論をさておき、
桐山さんが主張した超能力開発の一端として能力を獲得したのではありません。
なぜなら、桐山さんは慰霊成仏の力など伝授したことはないからです。
結局、その坊さん、信者、そしてあなたのような霊能力大好き、
不思議大好きな人たちが集まって、付和雷同しているだけです。
元々、アゴン宗信者はそういう人たちが集まっているから、
必ず霊能者が現れては、時には大騒動になる。
横浜では二十五年前、百人からの破門事件にまで発展した。
議論の焦点は、桐山さんによって霊能力でも超能力でも覚醒し、
桐山さんも認め、第三者もその力を認めているのかどうかです。
真如苑などはそれを正式に大量生産している。
彼らは接心という名前で、霊能力で人生指導をしている。
それが正しいかどうか別として、こういう人たちがいてこそ、
能力開発をしたと言えます。
だが、そんな修行者はアゴン宗のどこにいるのだ?
あなたが紹介した坊さんも信者も、全部「モグリ」ですよね。
桐山さんが正式に認めたのは独古加持くらいで、
あんなもの形ばかりの霊能者で、実際に力などなにもない。
つまり、あなたが言うような霊能力者、超能力者などアゴン宗では出ていません。

395深山:2011/06/30(木) 00:23:50
>>364 :アゴン:2011/06/29(水) 16:26:32
>ならば周知の事実としてチャクラは開発されていたから、わざわざアーガマにはかかれなかった。チャクラ開発法などは。調べてみればあるかもしれませんが、とりあえず予想の見解ということで。

こういう主張をするのは、あなたが阿含経の釈尊の性格を知らないからです。
釈尊は食事、呼吸、瞑想について述べている所がある。
食事や呼吸、瞑想という当時の当たり前のことをきちんと説明しているのです。
周知の事実を釈尊はきちんと、はっきり言うなら、しつこいくらい
繰り返し説明する人です。
阿含経を読んでごらんなさい。
繰り返しが多いのは、後の比丘たちが暗記するためにもあるが、
それ以上に教義の説明の仕方が、箸は右、茶碗は左と、しつこいくらい
繰り返し、手を変え品を変え、たとえを変えて、説明している。
こういう釈尊が、チャクラ開発という特殊な修行を必要とするのに、
その説明の片鱗もないなどありえない。
「調べてみればあるかもしれません」などというのは、「オシャカさんは
金儲けの方法も説いたかもしれない」と言っているのと同じで、
あなたのは主張や推測ですらなく、ただの希望的な空想です。

396深山:2011/06/30(木) 00:28:32
>>364 :アゴン:2011/06/29(水) 16:26:32
>ならば周知の事実としてチャクラは開発されていたから、

チャクラ開発がどうして周知の事実なのですか。
いったいいつ時代の何の話をあなたはしているのだ?
チャクラ開発が周知の事実になった時代なんて、私は聞いたこともない。
チャクラ開発が解脱に必要なら、釈尊がそれを説かないはずがない。
釈尊は教師の握り拳はないと述べた。
これは世間の師匠たちが、桐山さんのように、秘伝や口伝で
弟子たちを釣っていたからです。
だが、釈尊は「内外を問わずすべてを説いた」と述べている。
信者だろうが、外道だろうが、教法を惜しみなく、そのまま説いたのです。
その釈尊がチャクラ開発だけ、空気を吸うみたいに当たり前だから、説かなかった???
もう少し、自分の脳味噌を疑ってみることです。
あなたは桐山教に深く汚染されている。
「桐山虫」が脳に巣くっている。
時々、桐山虫がニョロニョロとあなたの文章に姿を現すのです。
出てきた時がチャンスなのだから、可愛がっていないで、薄汚い虫を捨てなさい。
自分から捨てようとしない限り、桐山虫はずっとあなたの脳に住み着いて、増殖します。
仏教にはチャクラ開発などありません。

397深山:2011/06/30(木) 00:34:25
>>365 :アゴン:2011/06/29(水) 16:40:01
>過去はしりませんよ。でもまぁ、多分あるような気がします。

桐山さんに霊能力があるというなら、その根拠を示して初めて主張といえる。
「気がします」は議論ではなく、小学生の感想文です。
また、それを主張すれば、では、桐山さんが霊視して成仏させたという
18人の霊障武士はどこにいるのか、
ソンディは異母兄の生まれ変わりだと霊視したのに、どうしてソンディは
異母兄に四歳から育てられたのか、生きている人をどうして解脱供養したのか、
こういった桐山さんの霊能力について、あなた自身がきちんと説明することを
求められる。
また、その議論をやり直すのですか。
議論とは根拠を示して主張して初めて議論になる。
あなたの感覚はそれはそれでかまわないが、感覚は、実証されない限り、
それはあなたの感覚という主観にすぎず、いい加減で、曖昧なものにすぎない。
もう少し、自分の感性と知性、主観と客観を区別するように心がけてはどうか。

398深山:2011/06/30(木) 00:41:06
>>365 :アゴン:2011/06/29(水) 16:40:01
>知り合いの霊能者もクンダリニーが偶然開いたことで、目覚めて力の原理がわからず、悩んでいたら桐山氏の「密教」という本で大分理解が進んだと言っていました。

だが、その霊能者は桐山さんのインチキがわからないのでしょう?
だったら、私はその人の霊能力なんて信じない。
クンダリニーなど覚醒していない桐山さんの本が参考になったとか、
ヨギバジアンさんみたいに、金色の蛇が見えたなんて話を聞けば、
彼らもまたクンダリニーなど覚醒していないのがわかる。
あるいは、仮にクンダリニーが覚醒していたとしても、
本物と偽者の区別すらつかないのだから、それは何の役にも立たない代物です。
あなたは桐山さんの擁護のために彼らを使っている。
だが、彼らの桐山さんへの反応こそが、むしろ、彼らの能力が本物かどうか、
どの程度なのかを知るモノサシなのです。
桐山さんはアジナ・チャクラの位置すら知らない。
アジナタッチと称して、念力注入しているが、位置を間違えています。
あれは物理的な位置だから、チャクラ開発などしていなくてもわかります。
医者でない者が心臓がどのあたりにあるか知っているのと同じです。
アジナは仏像や第三の眼などで絵に描かれるし、
インド人女性が額にマークをつけるから、ついあれに惑わされる。
だが、インド人は長い時間をかけてその部分の位置を丁寧に割り出し、
文献で公開しています。
桐山さんはこういうことも調べていない。
桐山さんの倒立を見たことがありますか。
あれはハタヨーガすら習ったことがない倒立です。
桐山さんてそんな程度なのですよ。

399アゴン:2011/06/30(木) 11:52:55
>>398まずその霊能者は、実際に個人的なことで次々と符号にあった回答をして、実際に効き目があった。
そして、そのひとは桐山氏の著書に感銘をうけただけで、霊能者として有能かどうかまで言及していない。
ただ読経をしてるだけで因果は変えられないと断言してましたね。あと、桐山氏は詐術をつかってるのよ、と言っていた。

それくらいで、だからインチキだから私に頼れとかも言わなかった。
以上です。

400アゴン:2011/06/30(木) 12:06:16
それと質問です。釈尊のとく煩悩解脱をしたら、ひとは宿命通をもつにいたるのでしょうか。
実証をしてから書きなさいといわれた深山さんも実証をされたのでしょうか?
準シュダオンさんがまえに書いていましたけど、釈尊の教えをただ盲信しているだけじゃないの?てありましたが、わたしが抱く印象はちょっと違って、ただ欲をすくなくするくらい一瞬は出来ますが、しばらくすると苦しくなる。
どうしようもない衝動がおこる。こういう力の作用なら誰でも実感したことがあるでしょう。
それすらも消滅させて、心を静寂にするにはどうしたらよいのでしょうか?

401深山:2011/06/30(木) 12:38:49
>>399 :アゴン:2011/06/30(木) 11:52:55
>あと、桐山氏は詐術をつかってるのよ、と言っていた。

それなのに、桐山さんのクンダリニー本が参考になったのですか。
私は霊能や霊能者を否定したことは一度もありません。
また、クンダリニー覚醒の本物のヨギと思われる人を一人知っていました。
しかし、それらが本物かどうかは、検証を必要とする内容だが、
たいていそれはかなり難しい。
ましてや、霊能大好き、不思議大好きのあなたの体験をそのまま鵜呑みに
することはしません。

402深山:2011/06/30(木) 12:46:07
>>400 :アゴン:2011/06/30(木) 12:06:16
>それと質問です。釈尊のとく煩悩解脱をしたら、ひとは宿命通をもつにいたるのでし ょうか。

経典を読むかぎり、そういう場合と、そうでない場合があります。
解脱を釈尊から認められた比丘たちが、神通力を持っていないケースが
経典に残っているからです。
ですから、宿命通を持たない解脱者もいたことになります。
ところで、あなたはどうしてこんな質問をするのですか。
私は自分が知る知識の範囲なら説明しますが、あなた場合、
解脱者の持つ神通力に興味を前に、まずアゴン宗の超能力の
インチキをまずしっかりと見るのが順序のように気がします。
なぜなら、あなたは相変わらず、アゴン宗によって超能力や
霊能力を持った人たちがいると信じている。
論点をずらさないで、まずあなたが信じている内容について
丁寧に検証を加えることです。
それが桐山虫を駆除する方法です。

403深山:2011/06/30(木) 12:59:52
>>400 :アゴン:2011/06/30(木) 12:06:16
>それと質問です。釈尊のとく煩悩解脱をしたら、ひとは宿命通をもつにいたるのでし ょうか。
>実証をしてから書きなさいといわれた深山さんも実証をされたのでしょうか?

何をどう実証する必要があるのですか。
準シュダオンさんの口先のすり替え論理をそのまま信じているとは驚いた。
私は、阿含経の釈尊はこのように説かれている、と説明しているだけです。
釈尊の神通力は正しいなんて信仰に関わるような主張をしたことはありません。
だから、あなたが釈尊の神通力を本物だと信じないというなら、
私はそれを説得しようなんて気はさらさらないし、したこともありません。
霊視能力もないあなたが、坊さんの自己申告の慰霊成仏力を信じているのに、
釈尊の神通力を信じないというなら、私はただ苦笑するだけです。
私は、桐山さんの、彼自身の超能力も、超能力開発も実証されていない、
と事実を指摘しているのです。
仏教の神通力の実証ではなく、桐山さんと弟子たちの超能力の実証です。
それなのになんで釈尊の神通力の実証をしなければならないのですか。
また、桐山さんのいう、神通力でカルマを断ち切るのが解脱だ、
という主張は真っ赤な嘘だと批判しているのです。
あなたの悪い癖で、論点があっちフラフラ、こっちフラフラと拡散する。
だから、次の質問も、桐山さんの超能力の真偽、という
テーマからまったく外れた方向にさまよいだしている。
まず、一つのテーマについて議論をして、そこである程度是非の結論を出し、
それから次のテーマに移ることです。
あなたの議論を仕方を見ていると、デパートに行って、衣類や食品など
脈絡なく、興味のおもむくまま、目に付いた物を次々と手に取っているように見えます。
何が議論の焦点なのかをよく理解し、そこから外れないようにすることです。

404深山:2011/06/30(木) 13:07:33
>>400 :アゴン:2011/06/30(木) 12:06:16
>それすらも消滅させて、心を静寂にするにはどうしたらよいのでしょうか?

これを私に質問しないで、釈尊の教法から学んでみてはどうですか。
釈尊の説いた修行法とは何かと私に質問しているのと同じなのですよ。
このスレが、いくらアゴン宗のみの議論ではないとはいえ、
テーマは大きくずれてしまい、また相当な量になる。
その質問は、原始仏教スレにでも行って、質問するか、
自分で阿含経を読んで学んでみてはどうか。
ただ質問すればいいというものではなく、ある程度
自分で学んで、その上でわからないことを質問しないと、
ザルに水を注いだような状態になります。
実際、私はここで説明しても、あなたは聞き流すだけです。
それに近いことをすでに私は何度も説明している。
だが、あなたは記憶にありませんよね。
だから、説明をしてもあなたは「ふ〜ん」と言って、
また他の話題に変えて終わりです。
まず、自分で学んでみることです。

405深山:2011/06/30(木) 13:12:09
>>400 :アゴン:2011/06/30(木) 12:06:16
>どうしようもない衝動がおこる。

「衝動的な欲望」をあれこれ言う前に、「衝動的でない欲望」を
制御してみてはどうですか。
アゴン宗の信者は、皆さん、潜在意識がどうの、衝動がどうのと、
難しい事を言うばかりで、簡単なことをやろうとすらしない。
たとえば五上分結を切るのは容易ではないだろうが、
そんなことを考える前に、まず五下分結を切ることです。
それもまずは三結から切ることです。
三結を切るのに、衝動的欲望など考える必要もない。
欲貪や瞋恚も、衝動的な欲望や怒りを制御する前に、
普通の欲望や怒りを制御してみてはどうですか。
やれないことから考えるのではなく、やれることから考えるのです。
欲望を制御しても、いずれまた欲望が出てくるなんて当たり前です。
そんなのは解脱した比丘たちも同じで、彼らに食欲や睡眠欲が
なかったわけではない。
我々との違いは、彼らはそれに囚われることがなかっただけです。

406深山:2011/06/30(木) 13:16:18
>>400 :アゴン:2011/06/30(木) 12:06:16
>どうしようもない衝動がおこる。

私は元信者だから、その衝動的という言葉に胡散臭さを感じるのです。
なぜなら、桐山さんがソンディ心理学などが借用して、
とんでもない意味に用いているからです。
桐山さんは、これを欲望などを制御しなくてもいい理由、
あるいは欲望をそのまま出したことの言い訳に使っている。
「因縁とはそのようなもので、心の奥に存在し、顕在意識では
制御できないくらい衝動的で強く、人生のここ一番という時に、
それが火山のように噴出してくる」と教えられる。
では、たとえば、小学生が
「ボクが成績が悪いのは、心に前世からの深い傷と衝動があるからだ。
勉強しようといくらしても、潜在意識から衝動が起きて、
無意識にテレビを付けたり、気がついた時にはゲームをしている。
すべては衝動的な欲求が悪いのだ」
と言ったら、あなたは同情するのか。
普通の親なら叱りつける。
桐山さんやあなたの言っていることは、この小学生と同じです。
衝動や無意識がないなどと言うつもりはない。
だが、桐山さんのいう衝動は、自分の努力不足や、自分の欲望の
言い訳に使っているにすぎない。
そして、あなたのような信者は、自分も欲望を制御する努力をせずに、
欲望のままでいたいから、渡りに舟とばかりに、衝動説に飛びつく。

407深山:2011/06/30(木) 13:21:34
>>400 :アゴン:2011/06/30(木) 12:06:16
>どうしようもない衝動がおこる。

人間の言動のほとんどすべてが自分の意志によっている。
衝動や無意識と言わなければならないのはほんの一部です。
その一部が全てであるかのように言うのはいかがなものか。
それって、ただの逃げですよね。
自分の判断でしていることを、衝動や悪因縁のせいにしているだけです。
桐山さんの因縁論はまさにそれです。
彼が偽ビールを造ったのは衝動でも何でもなく、彼なりの緻密な計画の結果です。
彼の作り出したアゴン宗の教義が嘘だらけなのも、無意識の行動などではない。
こういう彼自身が百も承知でやった行動を悪因縁だの、衝動だのと言うのは、
自分の過ちや欲深さを認めないための、責任逃れ、言い訳、詭弁です。
あなたに桐山さんよりも羞恥心があるのなら、
自分の言動に、こういうもっともらしい言い訳をせず、
あるがままに自分の為したこととして認めることです。
でないと、桐山さんと同じように、嘘で固めた人生を歩むことになりますよ。

408無関係な人間です:2011/06/30(木) 22:07:32
 昨年、大学時代の友人から「生長の家」の雑誌が届きました。読んでいたら、「四無量心を行じる神想観」という瞑想がある、と書いてありました。

それは、それで、忘れていたのですが、最近、阿含宗の元会員の方が、「ご参考に」と見せてくれた阿含宗の雑誌「アゴンマガジン2008年2月号」に、「四無量心観」という瞑想がある、と書いてありました。

 これは、どう違うか、調べてみよう、と思い、本屋さんに行ってきました。友人から教えてもらい、宗教法人 生長の家から出版されている「詳説 神想観 」(谷口雅春氏著)を買って読むと、「四無量心を行じる神想観」というものが書いてありました。
仏教で説く「四無量心」という概念を説明した上で、その心境に近づくように、瞑想をする、という説明があります。
 
 これに対して、阿含宗の「アゴンマガジン2008年2月号」には、「平成19年度夏期伝法会」で「四無量心観」は「不動法」として伝授されたとはありますが、
具体的な内容は書いてありません。(「詳説 神想観 」には、具体的な内容は書いてあります。)。ですから、内容の比較は出来ませんでした。が、阿含宗の「四無量心観」でも、仏教で説く「四無量心」という概念を説明した上で、
その心境に近づくように、瞑想をする、という説明がありました。ですから、基本的なコンセプトは似ているようです。

 次に、どちらが先か、調べてみようと思いました。阿含宗の「四無量心観」は、「平成19年度夏期伝法会」で伝授されたとはあります。いつから始まったのか、わかりませんでした。
生長の家の友人も、「四無量心を行じる神想観」という瞑想がいつから始まったのか、知りませんでした。

 「四無量心を行じる神想観」が掲載されている宗教法人 生長の家から出版されている「詳説 神想観 」(谷口雅春氏著)は、2004年版のものでした。が、Amazonで調べると、「詳説 神想観 」は何回か改定されていました。そこで、Amazonで
さらに古い版の「詳説 神想観 」を購入し、調べたところ、昭和33年初版(昭和36年7月1日 第20版 当時の定価は400円)の135ページから136ページに「四無量心を行じる神想観」の具体的な方法が掲載されていました。

 なお、「詳説 神想観 」は、大きな本屋さんやAmazonで、1300円出せば、誰でも購入できます。

 ただし、これ以上の調査は、できませんでした。この両者の類似が、偶然のものか、どちらかの故意によるものかは、私は判断できません。ただ、調べた結果のみをここにアップいたします。

409深山:2011/07/01(金) 00:17:53
>>408 :無関係な人間です:2011/06/30(木) 22:07:32

貴重な情報をありがとうございます。
また一つ、桐山さんの元ネタがばれました。
読みながら、いかにも桐山さんらしいので、笑いました。
桐山さんは谷口さんを本で攻撃したことがあります。
『霊障を解く』の260頁くらいからあります。
さんざん谷口さんを批判していながら、こうやってネタを拝借するのが
いかにも桐山さんらしい。
おそらく、間違いなく、桐山さんのパクリです。
伝法会のネタは何かないかと、自分の書庫を見て、昔買った谷口さんの
本を見て、講義を思いついたのでしょう。
その証拠に、桐山さんは「四無量心」を講義したのではなく、
「四無量心観」を講義している。
四無量心そのものは仏教というか、それよりも前のバラモン教や
ウパニシャッドにあった考えを仏教が取り入れたものです。
桐山さんが伝法会で講義したそのものはわかりませんが、
彼が四無量心について書いた文章はあります。
『密教超能力のカリキュラム』の231ページから書いてあります。
おそらく桐山さんの伝法会での講義はこれに近いでしょう。
この本は長年絶版になっていますから、最近伝法会に出るような
新しい信者さんたちは知りません。
桐山さんは、○○瞑想法、○○法、○○観などとご立派な名前をつけるのが
大好きですから、谷口さんの本からヒントを得て、ご立派な名前を付け、
そこに古い講義を突っ込んで、まるで新しい事を教えたかのように錯覚させたのでしょう。

410深山:2011/07/01(金) 00:20:41
>>194 :サライ:2011/06/21(火) 00:44:17
>ラシンさん、出典をはっきり明記されずお気の毒な、"小林四明著「法象学」"のパクリの件、お取りあげいただき、ありがとうございます。

もし、サライさんが読んでおられたら、一つ提案があります。
このパクリを公表してもらえませんか。
方法は、桐山さんの運命概観と、小林さんの本の記述を比較して示すのです。
両者をそれぞれスキャナなどで取り入れて、写真として
載せてもらえれば一番わかりやすいが、もしそれが無理なら、
文章を書き写してもらえませんか。
このスレにはスキャナの映像を載せることはできませんから、
天照さんにメールで送って「agama考察室」に掲載してもらうのです。
桐山さんが密教占星術奥伝と称して講義した元ネタの斉藤氏の本との比較も
「agama考察室」に掲載してあります。
百聞は一見にしかずで、桐山さんの密教占星術奥伝が斉藤氏の本そのまま
なのは、誰が見ても明らかです。
批判よりも、こういう現物を信者さんたちに見せるのが一番です。
法象学はたいへん手に入りにくい本ですし、元信者の多くは運命概観は
もらっていませんから、比較できません。
ぜひ、ご検討をお願いします。

411天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/01(金) 06:59:50
>>408 無関係さんのこの記事は凄いですね。私も勉強に成りました。
汗顔と頭が下がる思いです。深山さんのおっしゃった『密教超能力のカリキュラム』
はたまたま持っていますので後で確認してみたいと思っています。

掲示板情報は本当に勉強になり助かります。

412無関係な人間です:2011/07/01(金) 11:32:53
深山様、天照様

 御丁寧なご感想、ありがとうございました。深く感謝申し上げます。

 桐山さんは、最近、いろいろな瞑想を発表されているみたいです。
ところで、生長の家の谷口雅春氏の「詳説 神想観 」には、さまざまな瞑想が
紹介してあります。両者の瞑想を比べると、さらに面白い結果になるかもし
れません。

 では、今後とも、よろしくご指導のほど、お願いします。

413ラシン:2011/07/01(金) 11:59:32
>408 :無関係な人間です
>阿含宗の雑誌「アゴンマガジン2008年2月号」に、「四無量心観」という
瞑想がある、と書いてありました。

無関係さん、もと信者以外の第三者のご指摘に感謝します。

深山さんが指摘したとおり、桐山さんは散々に谷口さんを批判していた。
あの「幸福の原理」において、生長の家の谷口さんの生命の実相を
因縁論で反論し、その主張の材料としていたのです。
天照さんがアップしてくれた「幸福の原理」P104〜109に渡り、
なんと6頁も割いて、谷口さんの生命の実相観を有害な教えだと非難した。
避難しながら、得になるものはパクってしまう。
呆れてものが言えないとはこのことで、その姿勢はここにでも居る
自分教の信者さんを見ればあきらかです。
無関係さんが取り上げた「四無量心観」も実際は釈尊の教えからは亜流です。
調べた限りは、上座部が積極的に取り入れ初期から部派仏教にいたって、
アビダルマ論師が論として解釈し採用した仏教用語のようです。
事実、5世紀前後頃のブッダゴーサによる清浄道論という当時の
仏教百科事典と扱われた中にも取り上げられていますが、
スリランカではパーリ三蔵外典とされたように、むしろ利他慈悲を説く
大乗仏教に色濃く反映されてきた経緯があるようです。
もちろん皆さんご承知のように釈尊の教説は、四字熟語的体系的に
説かれたものはありません。
桐山さんは阿含経など関係なく、商売上のウリになる仏教標語なら
なんでも利用する無節操ぶりを発揮しただけでしょう。

415無関係な人間です:2011/07/01(金) 20:12:44
>>414は「無関係な人間です」です。お詫びして、訂正申し上げます。勝手ながら、できれば、削除お願いします。

以下、同文をアップさせていただきます。


 ラシン様、コメント、ありがとうございました。私も勉強になりました。

 桐山靖雄さんが谷口雅春さんを嫌う理由ですが、私が、生長の家の友人から聞いたのは以下のような話です。
真偽のほどは知りませんが、そのまま、紹介させていただきます。

 ある日、谷口雅春氏のところへ、桐山さんの著書が送られて来たそうです。それを読んだ谷口氏が、

「桐山さんという人は、大言壮語をして、一見もっともらしい事を書いているが、宗教家としては大変な偽物であるから、絶対に信用してはいけない」

という趣旨の感想を「生長の家」の月刊誌のコラムに書いたそうです。それ以後、阿含宗は生長の家と谷口氏を目の敵に
するようになった、との事です。これが、桐山さんが谷口さんを嫌う原因だったみたいです。

 谷口氏の名誉のために付け加えると、彼は、「万教帰一」を唱え、宗教同士の争いを止める事を提唱し、
「野心家が利己的な目的で作った人造宗教以外」は、互いに尊敬することを主張していたそうです。

 以上、ご参考までに書きました。

416ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/02(土) 08:28:17
>>415:無関係な人間です11/07/01(金) 20:12:44
> 桐山靖雄さんが谷口雅春さんを嫌う理由ですが、私が、生長の家の友人から聞いたのは以下のような話です。
>真偽のほどは知りませんが、そのまま、紹介させていただきます。

> ある日、谷口雅春氏のところへ、桐山さんの著書が送られて来たそうです。それを読んだ谷口氏が、

>「桐山さんという人は、大言壮語をして、一見もっともらしい事を書いているが、宗教家としては大変な偽物であるから、絶対に信用してはいけない」

>という趣旨の感想を「生長の家」の月刊誌のコラムに書いたそうです。それ以後、阿含宗は生長の家と谷口氏を目の敵に
>するようになった、との事です。これが、桐山さんが谷口さんを嫌う原因だったみたいです。

情報をありがとうございます。
その谷口氏の桐山批判と思われる機関誌の文章を、深山さんも指摘していた
「霊障を解く」で、桐山さんも引用、反論しています。
その時にラシンさんも指摘した昭和30年に書いた生長の家の教義批判の引用も添えて。
無と空は異なるという趣旨でして、こういう反論は悪口には相当せず許される。
霊障を解くにおける谷口氏への反論も形の上では、かなり穏やかな口調です。
谷口雅春先生と表現している。
桐山さんも若い頃には谷口先生の教えにかなり惹かれたが、無と空の違いについて
最終的には受け入れを拒否したわけです。
さりとて谷口先生を批判する気はなく、まあ懐かしいから書いたまでとしている。
だからこれを読んだ当時は、桐山さんが谷口氏に対してそれほど怨みは無いと見ていた。
しかし今回調べると、その霊障に解くに引用された「念力宗(アゴン宗)」に対する
批判記事って昭和56年8月号なんだそうです。
一方この霊障を解くも昭和56年の発売です。
つまりすぐ書いた。同書には聖教新聞に破仏法とまで批判した創価学会教学部の
記事も引用して一つ一つ反論している。
最後にはこの記事を書いた創価学会の粟生氏にお礼申し上げるなんて余裕まで
見せている。
準シュダオンさんみたいにボケやろうと感情丸出しで返す愚を避けたのですね。
しかしそれは寧ろ皮肉であり、創価学会にしても谷口雅春先生にしても
すぐに取り上げて反論の本を書いてしまうあたりに桐山さんの怨念が垣間見えます。
桐山さんは告白している。自分を批判する文が出るたびに、その日からナニクソと
本を書き始めたと。

417ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/02(土) 08:32:56
訂正

×その時にラシンさんも指摘した昭和30年に書いた生長の家の教義批判の引用も添えて。

〇その時にラシンさんも指摘した昭和30年代に「幸福への原理」に書いた生長の家の教義批判の引用も添えて。

418準シュダオン:2011/07/02(土) 09:56:31
>準シュダオンさんみたいにボケやろうと感情丸出しで返す愚を避けたのですね。
>しかしそれは寧ろ皮肉であり、創価学会にしても谷口雅春先生にしても

お前も馬鹿野郎じゃのうw。言葉だけで感情丸出しと思うのかい?ボケが。
そんなこと言うたら、今東光大僧正なんて方は、二言目には馬鹿野郎、だぜい。
それを感情丸出しというんか?未熟者めが。
私が、あんた方に感情丸出しなんてことは有り得ない。そんなにあなた方を高く
評価していないよ。だから感情的になることは有り得ないのよ、健康にも悪いし。

419無関係な人間です:2011/07/02(土) 10:09:46
>>416

 ご教示、ありがとうございました。御礼が遅れて、すみません。
また、天照様、削除、深く感謝申し上げます。たいへんなご迷惑をおかけして、すみませんでした。

 それにしても、そろそろ「無関係な人間です」というHNは考える必要がありそうです。
 まさか、こんなに長く投稿をするとは思わなかったので、適当な名前をつけたのが仇になりました。

「トキ」が良いかと考えているのですが、見てみたら、他のスレッドで、同じ名前を使っている人を見たので、
どうしたものか、と考えております。

 まあ、とりあえずは「無関係」だけで行く事を考えております。
と、言う訳で、改名予告だけ申し上げます。

420ラシン:2011/07/02(土) 11:13:11
>私が、あんた方に感情丸出しなんてことは有り得ない。
そんなにあなた方を高く評価していないよ。

そりゃ、こちらから願い下げです。
準シュダオンさんから高い評価を得たら、万引き犯に褒められる、
泥棒に技術を認められるようなもので、大変な屈辱ですよ。

桐山さんは、まだボケが酷くないうちだったので、
谷口さんへの反論を通して自説の論拠とする余裕があった。
しかし、谷口さんを生長の家を、有害な教えだと非難した。
新興宗教先輩のライバル宗を非難し否定したのは事実です。
それも桐山さんに似つかわしからずの堂々の宣言です。
まあ、日本の宗論はけっこうあったようで、
有名なのが浄土宗と法華宗の安土問答でしょう。
最期は法華宗が敗退し、信長の命で法華の坊さんは斬首された。
昔の宗論は、命がけだったようです。
桐山さんは、ことばでは「命を懸けて」なんて勇ましいが、
やることなすことすべて権力に頭を下げてイベントに精出す。
しまいには、無関係さんも指摘にあるライバルであろうが、
異宗論であろうが、得になれば剽窃パクリなど気にも留めない。
こういう無節操は、準シュダオンさんを見れば分かりやすい。
信仰の目的が違うから、桐山さんへの異常な寛容さは、
裏を返すと自分自身への寛容を認めたい、と言う言い訳です。
桐山さんが仏教の解脱を取り違えて煩悩を減らすことに価値を
見い出していないから、準シュダオンさんなどもそれを見習って、
平気で他者を罵倒することに矛盾と恥を知覚できない。
それでいて三結を断じる途中だと自惚れ、よくもまあ酸欠にならないものだ。

421深山:2011/07/02(土) 11:28:37
>>418 :準シュダオン:2011/07/02(土) 09:56:31
>お前も馬鹿野郎じゃのうw。言葉だけで感情丸出しと思うのかい?ボケが。

記憶がまだらの準シュダオンさんが他人に向かって、「ボケが」とは、
自虐ネタには笑えますよ。
小縁経についてはどうなった、と質問されても、いっさい無視するが、
自分へのコメントになると、急に反応する。
それも恒例の罵声を丸出しにする。
ユビキタスさんからちょっと言われると、すぐに感情的になって、
こうやってレスを付ける。
そういうのを感情丸出しというのです。
あなたがいくらそのつもりがないと言っても、
感情丸出しかどうかは読者が判断するのであって、あなたではない。
私から、冥徳解脱はゼロ?と言われて、感情的になり、
数体などとわざわざ告白した。
あなたは冥徳解脱が数体であることが恥ずかいどころか、自慢なんでしょう?
泥棒だと疑われただけなのに、「何を言うか!俺は万引きしただけだ」と
わざわざ告白するようなものです。
批判側を腐したつもりで、自分の職業までアゴン宗に教えてしまうなんて、
「お前も馬鹿野郎じゃのうw」

422深山:2011/07/02(土) 11:31:31
>>418 :準シュダオン:2011/07/02(土) 09:56:31
>それを感情丸出しというんか?未熟者めが。

はい、感情丸出しです。
今東光がどうかしましたか。
ただの俗物の坊さんを出して、何を言いたいのだ?
感情に囚われないとは釈尊のような人を言うのです。
経典には釈尊の罵声など一言も出てきません。
桐山さんやあなたは感情の制御という点では、俗人よりも劣る。
いくらブッダだの預流向だとの威張っても、無駄です。
オバサンから嘘つき呼ばわれされたとたん、キレテ、
信者の前で怒鳴り声を上げ、「このバカつまみ出せ」と暴力まで働いた。
準シュダオンさんは元々、傲慢で他人への侮蔑心の強い人です。
公務員をしていたから、実力などなくても、外に対して威張っていられた。
それを自分の実力だと勘違いする人生をずっと送ってきた。
周囲はあなたに頭を下げていたのではなく、権力に頭を下げていたのです。
だから、ポストから外れたら、あなたなんかには鼻もひっかけない。
昔は手もみをしながら近づいてきた業者が、退職後会って、あなたから声をかけても、
「だれ、あんた?」とろくな挨拶もしなかったことがあったでしょう?
あなたは人間として嫌われていたからです。

423深山:2011/07/02(土) 11:38:43
>>418 :準シュダオン:2011/07/02(土) 09:56:31
>それを感情丸出しというんか?未熟者めが。

今のあなたがここでしている感情まかせの侮蔑や罵声を現役時代もしていたのでしょう?
立場の弱い相手となると、バカだの未熟者だとの口をきわめて罵った。
あなたの無能が原因で職場でも嫌われた分、外の者たちに威張りちらしていた。
こういう点、あなたは桐山さんとよく似ている。
桐山さんも職員などに怒鳴りつけるのは珍しくなかったと職員がぼやいていた。
自分の勘違いで突然怒鳴りはじめる。
その勘違いを指摘などしようものなら、逆恨みされ、もっとひどい復讐を受ける。
信者の前で桐山さんの記憶違いを指摘した職員は、翌年退職せざるを得なかった。
あなたも脳梗塞になり、いよいよ理性による抑制が効かなくなり、
妄想が激しくなった結果、預流向を名乗ることにした。
肩書きがなくなり、威張りちらすことができなくなったから、
自前の肩書きを名乗って、威張っているのでしょう?
あなたがここから離れられないのもそれが理由です。
そして、ここからが桐山さんとは違う点です。
桐山さんのブッダ妄想は信者がいるから、教団では通用する。
だが、準シュダオンさんの預流向の肩書きは世間ではまったく通用しないし、
道場で出したら、袋だたきに遭うだろうから、ここでしか使えない。
あなたにとって重大な快楽である威張ることが、ここでしかできない。
だから、ここからは離れられない。

424深山:2011/07/02(土) 11:46:36
>>418 :準シュダオン:2011/07/02(土) 09:56:31
>それを感情丸出しというんか?未熟者めが。

ユビキタスさんからからかわれていることも気が付かず、
あなたはここでいっぱしの論陣を張っていると思いこんでいる。
今日もユビキタスさんがちょっと餌をまくと、たちまち巣穴から出てきて、
餌に食いついた。
あなたはただのピエロにすぎない。
優秀なピエロとは、他人を笑わせようとしていないのに、
観客が彼を見ただけで笑ってしまうような人です。
準シュダオンさんがまさにそうです。
お笑い芸人は笑いを取るためにわざと威張ってみせるが、あなたは自分は
預流向でエライと信じているのだから、本気で威張る。
それが笑いを取っている。
からかわれると感情をむき出しにしながら、自分は感情的ではないという。
準シュダオンさんは優秀なピエロです。
感情的になって、威張って、恥知らずな事をどんどん書き込みなさい。
そうすれば、あなたは個人情報をもっと書くでしょう。
職員があなたを特定したくて、待っていますよ。

425深山:2011/07/02(土) 11:58:49
>>415 :無関係な人間です:2011/07/01(金) 20:12:44
>それ以後、阿含宗は生長の家と谷口氏を目の敵にするようになった、との事です。

アゴン宗批判に対して反論すること自体は良いことです。
だったら、批判本にも反論すればいいものをいずれも無視です。
桐山さんはきっと「悪口には反論しない」などと言うのだろうが、
『阿含宗の研究』などは教義そのものについてかなり手厳しく批判しているから、
あれを無視したら、反論できないとみなされてもしかたない。
実際、反論できないのです。
それでいて、地下鉄サリン事件の時には、スポーツ新聞に載った記事にまで反論していた。
それも名前を間違えているなんて、つまらない内容にケチをつけた。
スポーツ新聞の書いた内容が支離滅裂なのを笑っていたが、
それを言うなら、桐山さんの作り出したアゴン宗も同様で、
オシャカが因縁解脱を説いたなどという嘘を堂々と教義している。
スポーツ新聞の解説はたしかに支離滅裂だが、それを言うなら、
アンゴルモアの大王がオシャカだという桐山さんの
説そのものが支離滅裂なのだから、どっちもどっちです。

426深山:2011/07/02(土) 12:01:45
桐山さんへの批判というなら、最近の最大の批判がE川裁判です。
これは単なる悪口などではなく、具体的な証拠をもって、
桐山さんとの個人的な関係を追求した。
個人的関係だから、教義と関係ないとは言わせない。
なぜなら、彼は有余依涅槃の聖者、つまりブッダだと宣言している。
ブッダに色恋沙汰などあるはずがない。
それを週刊誌に書かれた。
若い女性に、弟子にしてやるから、夜中の11時に自分のホテルに
来いと誘い、金まで同封した。
それも御霊諭として出している。
奥さんが生きていた時期にすでにこの有様です。
これを世間では内弟子とは言わない。
E川さんとは師弟関係のみであり、男女の不適切な関係などなかったと
桐山さんはきちんと宣言するべき義務があった。
だが、信者の前ですら一言の釈明もなく、ひたすら愛染明王に祈っていたらしい。
これが仏陀の智慧を持つと自称する男のすることだというから、笑えます。
その功徳によって、昨年ケリがつき、詳細は闇に葬られた。

427深山:2011/07/02(土) 12:03:44
明日は、それを記念して、桐山さんの愛欲の始末をしてくれた有り難い
愛染明王の功徳を信者たちに分けてあげようというイベントです。
まるで、桐山さんのはき古したパンツを拝むようなものです。
よく考えてみれば、アゴン宗の教義の多くが、桐山さんの悪業の
後始末の話しばかりです。
偽ビールで捕まると、これで因縁切りを売りにした。
前科を暴露されると、これで霊障を売りにした。
糖尿病になると、サプリの講義をして信者に販売した。
脳梗塞になって手足が冷えると、身体を温める健康器具を売り、
医者から寝る前に水を飲むように言われると、
これを健康法として、浄水器などを売り出した。
そして、色事で裁判沙汰になると、使い古しの愛染明王で信者を
集めて、金儲けをする。
全部、桐山さんの悪業、悪食、色恋沙汰など、欲望の
後始末をそのまま信者に仏道修行と称して売りに出す。
転んでもタダでは起きないその商魂のたくましさはすさまじい。

428深山:2011/07/02(土) 12:12:03
明日の愛染明王の祈願会で、信者たちは桐山さんの使い古しのパンツの
ような愛染明王を有り難く拝む。
信者さんたちは気が付かないのでしょうか。
去年暮れに裁判は終わったばかりです。
その直後に桐山さんは新しい愛染明王を出してきた。
前から愛染明王があったのに、突然、新しい愛染明王を出して、
桐山さん自らが護摩を焚き、イベントを開く。
E川裁判の決着と愛染明王が結びついていることは容易に連想できます。
愛欲にまみれた桐山さんの後始末に使われた愛染明王を、
信者たちはオシャカの成仏ホーで拝むのだという。
笑うというよりも、見たくない光景です。
これを読んでいる信者さんだけでも、
現実を良く見ることです。
ヒンドゥー教出身の神様を、釈尊が禁止した護摩で、オシャカの成仏ホーで
拝むという支離滅裂さもさることながら、霊的な浄化などと、
不浄を嫌うなら、どうして桐山さんのパンツのような愛染明王を
拝むことができるのだ?
御利益さえあれば、桐山さんとE川さんの汚物でも何でも拝むのですか。

429ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/02(土) 12:57:37
>>418:準シュダオン11/07/02(土) 09:56:31
>お前も馬鹿野郎じゃのうw。言葉だけで感情丸出しと思うのかい?ボケが。
>そんなこと言うたら、今東光大僧正なんて方は、二言目には馬鹿野郎、だぜい。
>それを感情丸出しというんか?未熟者めが。

今東光さんはもともと口が悪いが、彼が本や雑誌などに書くあの毒づいた言葉は
不特定多数の人に向けて馬鹿野郎と言ってみせるパフォーマンスであり
彼のキャラ作りの一つなのですね。
ところが、あなたの場合は前回といい、今回といい、アゴンさんとかユビキタスとか
個別の相手がいるのですよ。
仮装のハンドルを使用した仮面舞踏会とはいえ、演じているのは生身の人間です。
これに対して馬鹿野郎などという言葉を表立って使うことは、たとえあなたが
感情丸出しなどではない冷静な判断によるものだと言い訳しても通用しません。
冷静なら尚更たちが悪い。
意識して相手を罵ったからです。
外から見えない内面なんかではなく、人は外面から判断します。
だから外見には決して軽く見ず、言動には注意を払うのが普通人です。
相手に誤解を与えるような言動をする方に責任がある。つまりシャレは通用しない。
相手がどう挑発して来ようと、自分は自分、決して感情丸出しのように見えてしまう
発言を表に出すのも禁欲し、ここは敢えて谷口雅春先生とか礼を欠かない表現で
レスする余裕を示すことすらできないのですか?
もちろん皮肉をこめてかまいませんから。
昔から言われたでしょ?
馬鹿と言った方が負けだと。
心に余裕あっての発言などと言い訳しても負けは負けです。

430ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/02(土) 13:04:25
>>419:無関係な人間です11/07/02(土) 10:09:46
> それにしても、そろそろ「無関係な人間です」というHNは考える必要がありそうです。
> まさか、こんなに長く投稿をするとは思わなかったので、適当な名前をつけたのが仇になりました。
>「トキ」が良いかと考えているのですが、見てみたら、他のスレッドで、同じ名前を使っている人を見たので、
>どうしたものか、と考えております。

土岐者今天下知五月哉
(ときはいま あめがしたしる さつきかな)
まあ朱鷺でも鴇でもトッキーでもその他なんでも改名はご自由にどうぞ。

431ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/02(土) 13:12:03
今回、谷口雅春さんをWikipediaなどで調べてわかったのですが、桐山さんは
やはり谷口さんにも憧れていた面あると思います。
しかし敵わないから批判だけしておく。
400冊も著書を書く教祖になりたかったのでしょう。
谷口さんが当初いた大本教から独立して教祖として旗揚げした時に
「今起て」と天啓を受けたようです。
これって桐山さんの「今だ、起て」とそっくりですよね。
つまりこれをヒントに霊示の話も創作したんじゃないかな?

432無関係:2011/07/02(土) 13:50:20
ユビキタス 様、レスありがとうございました。無関係な人間です。

>>430

 ありがとうございます。今、少し体調を崩しておりますので、もう少し頭がクリアーになったら、決めます。

>>431

 私は、桐山さんとは全く面識がないのですが、彼の本を立ち読みして感じたのは、結構、いろんな本は読んでいるな、
という点です。兵役から逃げて、図書館にこもっていたぐらいですから、読書は好きなのでしょう。それをネタにして
あとは好きな事を書いたり、言ったりしているような気がします。たぶん、あちらこちらの宗教から、都合の良い部分
を引っ張りだしているのかもしれません。

433準シュダオン:2011/07/02(土) 14:43:51
>仮装のハンドルを使用した仮面舞踏会とはいえ、演じているのは生身の人間です。
>これに対して馬鹿野郎などという言葉を表立って使うことは、たとえあなたが
>感情丸出しなどではない冷静な判断によるものだと言い訳しても通用しません。
>冷静なら尚更たちが悪い。
>意識して相手を罵ったからです。
>外から見えない内面なんかではなく、人は外面から判断します。
>だから外見には決して軽く見ず、言動には注意を払うのが普通人です。

そうじゃないのよ、馬鹿やろ、が。(←今東光の口調を真似て)
あんた、今東光氏の肉声を聞いたことがあるかい?
同じ言葉でも、使う人によって、まるで違うのだ、ということを憶えておきな。
今さんの馬鹿野郎は、すごい猫なで声なんだよ。
猫が今氏の「馬鹿野郎」と言う声を聞いたら、ゴロニャン、と寄って行くぜい!

あんたが、感情丸出し、と思うのは、あなた自身が感情を出すという未熟もん、
だからなのですよ。わたしゃ、レスに感情入れて読み書きしたことないから、
感情なんて、思いつきもしなかったよ。我見が強いから、相手のレスに喜んだり
腹立てたりするわけでね、先ず、それを無くすことから修行するこったね。
それが三結煩悩を断つ、第一歩だよん。

これが活字の危険性でね、あなたのように、あなたの感情で馬鹿野郎を解釈する
と危険な訳だ。

434無関係:2011/07/02(土) 14:49:18
>>433

 無関係な人間です。

準シュダオン様

>>あんたが、感情丸出し、と思うのは、あなた自身が感情を出すという未熟もん、
だからなのですよ。

 失礼ですが、よく、訳がわからない理屈ですね。

435無関係な人間:2011/07/02(土) 14:54:31
>>425

 コメント、ありがとうございました。無関係な人間です。

 桐山さんの本を立ち読みすると、自分はどんな無理難題を言われても対応できるような言い方を
されるのですが、どうも、実態は違うみたいですね。と、言うか、批判の一部だけ反論し、それを
もって誇大に宣伝したら、批判全部に反論したみたいに思えるのかもしれません。ただ、私は彼の
事をまだ理解していないので、自信がありませんが。

 今後とも、ご教示のほど、宜しくお願いいたします。

436深山:2011/07/02(土) 18:36:27
>>433 :準シュダオン:2011/07/02(土) 14:43:51
>これが活字の危険性でね、あなたのように、あなたの感情で馬鹿野郎を解釈する
>と危険な訳だ。

言葉とは相手がどう受け取ったかが重要で、あなたがどんなつもりで
言ったかを説明するのを「言い訳」と言います。
あなたの理屈が成り立つなら、どんな罵声を相手に浴びせてもいいことになる。
「いや、おれは感情的には言っていない」と言えば済んでしまう。
それにしても、あなたはこういう言い訳を仕事場でもしていたのでしょうね。
さんざん相手を罵り、その言葉づかいを注意されると、
こんなふうに開き直る。
桐山さんが横浜道場のワガママなオバサンを処罰した時も、
「おれは怒っていない」などと、目をつり上げながら言っていたそうです。
あなたも桐山さんもこういう自分に対する点数の甘さにかけては
本当に良く似ています。
ワガママで身勝手で、感情のままに言うヤカラに限って、
自分への点数が超甘い。
準シュダオンさんのことです。

437深山:2011/07/02(土) 18:44:05
>>433 :準シュダオン:2011/07/02(土) 14:43:51
>わたしゃ、レスに感情入れて読み書きしたことないから、
>感情なんて、思いつきもしなかったよ。

正直な告白です。
あなたは仏道修行について何一つ知らないと告白した。
釈尊の説いた仏教修行では、自分の行動と言葉と心に
いかなる感情的な波立ちもないように常に監視する。
感情への監視は仏道修行ではとても重要なことです。
感情という煩悩と深く関わっているものに
何の目も向けなかったというあなたは、自分の無知を告白した。
仏教など何も知らないと言っているのと同じです。
しょせん、あなたも桐山さんもそんな程度だから、
ちょっと揺さぶられると感情が丸出しになるのです。
仏教など持ち出さなくても、二人とも感情を抑制することもできず、
人間としてとても未熟な人たちだというのがよくわかります。

438深山:2011/07/02(土) 18:47:06
>>433 :準シュダオン:2011/07/02(土) 14:43:51
>あんたが、感情丸出し、と思うのは、あなた自身が感情を出すという未熟もん、
>だからなのですよ

「感情丸出し」という批判の根拠が「感情を出す」から??
無関係さんも指摘しているように、日本語にすらなっていませんよ。
「おまえが感情丸出しなのは、感情丸出しだからだ」と言っているにすぎない。
こういう日本語にならないような言葉を書き並べるのを
感情的になっているというのです。
感情的でないと吠えるのはもういいから、感情的でない普通の日本語を書きなさい。

439深山:2011/07/02(土) 18:50:12
>>433 :準シュダオン:2011/07/02(土) 14:43:51
>我見が強いから、相手のレスに喜んだり
>腹立てたりするわけでね、先ず、それを無くすことから修行するこったね。

なるほど、桐山さんもあなたも我見が強いという意味ですね。
それは賛成です。
桐山さんも我見が強いから、オバサンに嘘つきという事実を
指摘されて、腹を立てた、というのはそのとおりかもしれない。
桐山さんは自己中心的で自惚れが強く、しかも狭量だから、
すぐに感情に左右されて怒り出すだけでしょう。
要するに、あなたも桐山さんも器が小さい「小男」なのです。
器が小さいから、ちょっと風が吹くと、すぐにグラグラと揺れて、他人に
罵声を浴びせ、自己弁護と、自分に一番あてはまるようなお説教が始まる。
これがお二人の現実の姿です。

440深山:2011/07/02(土) 18:53:32
>>433 :準シュダオン:2011/07/02(土) 14:43:51
>我見が強いから、相手のレスに喜んだり

批判側はあなたのレスに喜んだことはありません。
笑っているのは、喜んでいるのではなく、あなたの下劣さに失笑しているのです。
あなたの無知と自惚れの強さに苦笑しているのです。
腹を立てているように見えるのは、腹を立てているのではなく、
準シュダオンさんの書き込みに鼻をつまんでいるのです。
正直、誰しもワガママで身勝手な老人介護などしたくない。
あなたの無能な癖に自惚れるというゲロや、無知を誇り、「w」を連発して他人を
侮蔑しないと一行も書けないような歪んだ性格に辟易している。
あなたの現役時代の、周囲の顔を思い出してください。
上司、同僚、部下、そして関係した他の人たちも最後は
あなたに対して、沈黙し、溜息をつき、目線が宙をさまよった。
批判側の反応はあの人たちと同じです。
簡単に言えば、あなたは箸にも棒にもかからない奴として嫌われているのです。

441深山:2011/07/02(土) 18:55:41
>>433 :準シュダオン:2011/07/02(土) 14:43:51
>それが三結煩悩を断つ、第一歩だよん。

いいえ、これは間違いです。
どさくさに紛れて、知りもしないことを言わないでください。
三結煩悩を断つことに感情など関係ありません。
身見とは、アゴン宗のように霊魂があると信じ込むことであって、
あなたのように性格が歪んで我執の固まりのことだけを言うのではありません。
疑惑とは、アゴン宗のように、釈尊の解脱を小解脱と罵ることであって、
あなたのように、桐山商店の品物を盗むことではありません。
戒取とは、アゴン宗のように、護摩、占いなど外道の行為をすることであって、
あなたのように、威張りたい一心で愚かさをさらすことではありません。

442ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/02(土) 20:11:24
>>433:準シュダオン11/07/02(土) 14:43:51
>そうじゃないのよ、馬鹿やろ、が。(←今東光の口調を真似て)
>あんた、今東光氏の肉声を聞いたことがあるかい?
>同じ言葉でも、使う人によって、まるで違うのだ、ということを憶えておきな。

>これが活字の危険性でね、あなたのように、あなたの感情で馬鹿野郎を解釈する
>と危険な訳だ。

ここは最初から活字だけの交流であり、お互いの肉声などわかり得ないと
わかりきった場所ではないか?
それならば言葉のニュアンスだの誤解を与えるような表現は極力慎み、
普通の会話をすべきですよね。
くだけた口調にしないとあなたは会話できないのですか?
あなたは対話のTPOを無視してるのです。
東宮御所あたりで園遊会が開かれ、歌手の松山千春と亡くなって久しいが作家の
今東光が招かれたとしますね。
この時松山千春が天皇陛下に向かっていつものように「おまえさあ…」と声を掛け
陛下は顔をひきつらせたとしますね。
その時チハルを知る周囲は「チハルの言葉はぞんざいだが、悪意は一つもないのは
知られたことだ。それを理解もせず顔をひきつらせるなんて天皇はなんて狭量なんだ」
と天皇の方を批判しますか?
また陛下が今東光に対して「今度の小説よかったですね」と声を掛けたら
「へっ、本当に読んだのかい?この馬鹿ヤロ」と猫なで声で答えたことに
対してムッとされたら「今さん一流のテレも理解できない天皇の方がおかしい」
と評価しますか?
だいたいあなた前にBooさんから「おっさん」と言われただけで不快感を示したではないか?
他人には厳しく自分には甘いのですか?
もちろんそんなことで世の中通用しない。
自分の意見などを否定されて感情的に不快になるのも当たり前のことです。
しかし問題なのはその後でだからと言って感情まかせにせず、理性的な対処を
心掛けます。
あるいはこのような公開の場での登場人物の一人としての自覚があれば
議論の流れから、本当は感情を害してなくても感情を害して吐いた暴言と
周囲に受け取られる発言だけは慎む。
それをしたのが桐山さんで、道場ではキレても著書を書く時は十分に冷静に
対処できる時間があるから、敢えて創価学会の一こわっぱ信者に対しても
お礼申し上げるとか、自分を醜くなく演出してみせているのですよ。
あなたはそれすらもできないらしい。
私の祖父は言った。我慢だ我慢だやせ我慢でもよい

443天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/03(日) 06:09:33
>>442 ふふふ。例えなので突っ込みのは「なし」が本当でしょうが、ちょっと。
松山千春さんは天皇崇敬派なので「おまえさあ」とは死んでも言わないですよ。
くだらない突っ込み、勘弁ねw

でも、Booさんに言われてむかついたのは皆さんが証人です。
過去ログにも記録として残っているし。
如何に「俺はクール」といった態度でも通用しません。
今までが今までだし。
ユビさんの意見には私は同意です。

444ラシン:2011/07/03(日) 09:01:06
>433:準シュダオン11/07/02(土) 14:43:51
>そうじゃないのよ、馬鹿やろ、が。(←今東光の口調を真似て)

30センチの「物差し」しか持たない準シュダオンさんが、
いけしゃぁしゃ〜と、よくもまあ他人をののしれるものだ。
普通は学ぶことでその「物差し」の長さや幅を大きくする。

また知恵があれば、30センチの「物差し」でも計測は出来る。
しかし知恵の無い準シュダオンさんは、その方法すら浮かばない。
知恵も金も無い奴あ〜、体を使うしかないのだから体を使いなさい。
あなたの脳も筋肉で出来ているのだろうから、肉体労働もダイボージだ。

>あんた、今東光氏の肉声を聞いたことがあるかい?
>同じ言葉でも、使う人によって、まるで違うのだ、
ということを憶えておきな。

掲示板は、ことばの議論場じゃないだろうに、
このハッタリ爺さんは、何を寝ぼけているのだ?

445準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47

>>あんたが、感情丸出し、と思うのは、あなた自身が感情を出すという未熟もん、
だからなのですよ。

 >失礼ですが、よく、訳がわからない理屈ですね。

そうか、訳がわからない理屈ですか。なら説明しよう。
私は、この板の、レスを読んだり書いたりする場合、喜んだり怒ったり、とかの
感情はほぼ無い。テレビの水戸黄門を観るときの方が興奮してるね、ああ、助さん、
もたもたすんな、早く行って助けよ!とかね。

だいたい、批判派の深山さん、ラシンさん、ユビさん、の三パカ大将のレスは、
私が真面目に相手するようなレベルじゃないしね。だから今はユビさんのレスの
一部を読んでる程度なのよ。そのように低レベルの人に悪口書かれても、気にも
ならないし、関心もないわけ。
私が、ボケやろう、とレスした相手は、アゴンくんだったかな。
彼は未熟なくせに生意気ちゃんだから、修行しても効果は無いわけよね。
それを知らせる意味でボケやろう、とレスしたわけでね。
しかし、まぁ、今東光大僧正の肉声を知らない者には、その有り難さも解らない
だろうよ。

私が今大僧正の肉声を聞いたのは、阿含宗に入る何年か前のころでね、そりゃ、
驚いたもんさ。とても優しい、甘い声でさ、慈悲に満ちた声で、「馬鹿野郎」と、
呼び掛けるわけよ。その声だけで、大僧正と心服させられてしまうぜい。
以来、私は今氏の声に負けない、声を獲得しようと、修行してきたようなものね。
で、はや半生を費やすかというのに、まだまだ、あの声には遠く及ばないね。
今大僧正の馬鹿野郎には、慈悲が込められているわけよね。
あの声を知らない人は、可哀想だね。
まるで、可愛い赤ちゃんをあやすような声で、ソフトに、バカヤロ、バカヤロ、
というわけね。

だから、ボケやろう、とか、馬鹿野郎のレスで、感情丸出し、と指摘されて新鮮
だった訳よね。

446深山:2011/07/03(日) 18:42:49
>>445 :準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47
>そうか、訳がわからない理屈ですか。なら説明しよう。

批判側が感情丸出しの未熟者だという批判の根拠が
感情丸出しの未熟者だからと、あなたは書いたのです。
それでは日本語としてさえも意味が通じない。
「おまえはバカだから、バカだ」と言っているのと同じです。
その説明をすると称して、今度は、
「おまえがバカなのは、おれがバカではないから」と書いた。
これは説明ではなく、あなたの一方的な主張をただ繰り返しているだけです。
普通、感情丸出しというなら、相手に罵声を浴びせるとか、
支離滅裂な文章を書きまくるなどを指します。
だが、批判側の誰も書いていない。
そういう感情的な文章を書いたのは準シュダオンさんだけです。
あなたは馬鹿、ボケなどの怒りにまかせて罵声を浴びせた。
あなたの文章は、「あんたが、感情丸出し、と思うのは、あなた自身が感情を
出すという未熟もん、だからなのですよ」
などと、意味不明、支離滅裂です。
いくら説明します、などと言っても、感情丸出しなのは準シュダオンさんだけです。

447深山:2011/07/03(日) 18:44:51
>>445 :準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47
>私が、ボケやろう、とレスした相手は、アゴンくんだったかな。
>彼は未熟なくせに生意気ちゃんだから、修行しても効果は無いわけよね。

娘みたいな年齢の女性から笑われて、頭に来たわけだ。
あなたの世代の男性にしてみると、屈辱的でしょうね。
そこで怒りにまかせて、ボケている準シュダオンさんが女性のアゴンさんを
ボケ野郎と罵った。
もうこれだけでも爆笑なのに、さらに「ヲレは感情的になっていない」と威張ってみせる。
すスゴイ、すごすぎる。
準シュダオンさんて、自虐ネタにかけては天才ですね。
この光景には読者は大爆笑です。
しかも、私からアゴンさんは女性だから、野郎ではないと指摘されたものだから、
むきになって、「アゴンくん」「彼は」などと、なんとか男にしようと必死です。
右を左と言い換えても絶対に自分の間違いを認めないのは
いかにも桐山さんの弟子の準シュダオンさんらしい。
こういう詭弁を言うから、感情的だと言われるのです。
小さな間違いなどすぐに認めてしまえば、何のことはないのに、
あなたも桐山さんと同じで、つまらない間違いすらも絶対に認めない。
だから、あなた方は器の小さい小者なのです。

448深山:2011/07/03(日) 18:50:46
>>445 :準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47
>だいたい、批判派の深山さん、ラシンさん、ユビさん、の三パカ大将のレスは、
>私が真面目に相手するようなレベルじゃないしね。

コテンパンにやっつけられて、小縁経の嘘を追求され、逃げまくって
いる準シュダオンさんのレベルが高い!?
これも高度なお笑いで、自虐ネタもなかなかすごいですなあ。
とても普通の人の神経では、冗談でもこんなこと言えません。
準シュダオンさんくらいの恥知らずにならないと、無理です。
ところで、アゴンさんは未熟な生意気、深山、ラシンさん、ユビキタスさんは
三パカ大将なら、どうして準シュダオンさんはここにいて、何をしているのですか。
あなたが相手しているのはこの四人と無関係さんです。
それが相手にするようなレベルでないなら、相手しないほうがいい。
あなたがここを去ればいい。
はい、どうぞ、誰も引き留めませんから、さようなら。
ほら、逝った、逝った。
なんでここに居座って、動かないの?
他に行き場所がないからですよね。
現実世界では嫌われ者のあなたは信者すらも相手にしてくれない。
しっかりと相手してくれて、威張り散らせるのはここしかない。
だから、ここに張り付いているのでしょう。
この点では、あなたは栗花さんと同類です。

449深山:2011/07/03(日) 18:53:01
>>445 :準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47
>だから、ボケやろう、とか、馬鹿野郎のレスで、感情丸出し、と指摘されて新鮮
>だった訳よね。

これは完全にあなたの思い込みです。
あなたは他人の感情に鈍感なのを自分は感情的でないと誤解している。
準シュダオンさんは他人の痛みにものすごく鈍感なのに、
自分の痛みだけに敏感な人です。
他人の痛みに鈍感だから、自分では感情的でないと思っているだけで、
もっと簡単に言えば、エゴイストなのです。
こう言われても自分のことだとわからないだろうから、
参考にすると良いのが、あなたを映した鏡のような桐山さんです。
桐山さんもあなたと同じで、感情を完全にコントロールしていると思いこんでいる。
瞑想のポーズをとった時のあの悟り済ました顔をごらんなさい。
今のあなたと同じで、自分は感情になど左右されない高度な
レベルの人間だと思いこんでいる。
ところが、そんなのはただのポーズにすぎないことは、
二十年前、一人のオバサンによって暴露されてしまった。
「この馬鹿つまみ出せ」事件です。

450深山:2011/07/03(日) 18:55:33
>>445 :準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47
>だから、ボケやろう、とか、馬鹿野郎のレスで、感情丸出し、と指摘されて新鮮
>だった訳よね。

準シュダオンさんはあの当時、関西にいただろうから、現場を見ていなかったでしょう。
それはもうすごい光景でした。
桐山さんが例祭法話で、総本殿の上棟式の話などを始めると、
「同仁病院はアゴン宗のものではない。管長ゲイカは嘘つきです」と
オバサンが場内から発言した。
桐山さんは最初、同仁病院が阿含宗のものであると普通に説明を始めた。
しかし、オバサンは同仁病院が桐山ゲイカの宣伝とは違うことや、
いろいろな問題点があることを次から次と指摘すると、
桐山さんは急に語調が荒くなり、ついには、
「登記簿を見て言っているか、キサマ!」と机をドンと叩いた。
この後、キサマの連発です。
「キサマ!謝らせるぞ!」
「キサマ!登記簿を見て、キサマ!なんというか!!」

451サライ:2011/07/03(日) 18:55:57
>>410 :深山11/07/01(金) 00:20:41 >"小林四明著「法象学」"、のパクリ>このパクリを公表してもらえませんか。>法象学は大変、手に入りにくい本ですし、元信者の多くは運命概観はもらっていませんから、比較できません。 。。。。。深山さん、ご提案いただき、ありがとうございます。公表の件ですが、私も立場上、現在の所、そのものずばりは、まだ、難しいかと。運命概観は小林四明氏の九星別の本から各人の九星に応じて、引っ張ってきております。九星ごとにさらに何種類かの干支に応じて該当部分を書き写しているだけです。小林四明著「法象学」全12巻・明玄書房(1953年〜1956年刊)は国会図書館でも閲覧できるようです。 また、国書刊行会より12巻セット15万円で復刻されているようです。古書ネットでも出ているようですが、お目当ての九星がなかなか、出てきませんね。運命概観の書き出しはこうです。「"○○○星の特質と運勢動向" これから、貴君の因縁と運勢について、密教占星術とブッダの因縁透視法に依って講述する。(←これはひどい記述ですね。"小林四明先生のご著書依って"の間違いでしょ)・・・貴君は○○○星○年の生まれである。(この後、ひたすら、小林氏の著書よりA4紙10枚程にまとめて、該当部分を写すだけ。) 前半部分終了。後半部分以下、概略。いつか、1万円で頒布したコンピユータ占いと7割方同内容です。@あなたの性格と因縁傾向 A両親、他郷に関する因縁B兄弟、友人に関する因縁C仕事、職業に関する因縁D異性・子供に関する因縁E財・不動産に関する因縁F身体、心に関する因縁G天命殺(年、月、時)Hご指導欄(旧座右宝鑑同様、例によって空欄のまま。廣野本に指摘されている通り、空欄を作って、信徒を失望させるのは昔から) よって、昔の1万円のコンピータ占いを持っている方は、国会図書館で、" 法象学"の自分の該当九星・干支のページをコピーすれば、ほぼ、現在の運命概観と同様なものが作れます。5万円節約できます。以上、申し訳ありませんが、とりあえず概略のみでお許しください。

452深山:2011/07/03(日) 18:57:01
>>445 :準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47
>だから、ボケやろう、とか、馬鹿野郎のレスで、感情丸出し、と指摘されて新鮮
>だった訳よね。

桐山ゲイカは座っていることもできず、ついには椅子から立ち上がって、
壇上の端のところまで来て、
「管長のものだったら、キサマ!どうする。キサマ!どうする!!」
とマイクの音が割れるくらいの声で怒鳴りつけた。
「ちょっとこっちに来い、キサマ!」
と、キサマのオバサンを近くまで呼びつけて、座らせた。
罪人を眺め下ろすような位置から、
「アゴン宗のものではないとキサマ言ったな!」とオバサンを指さして威嚇する。
「一番最初、キサマの発言は、管長は嘘つきだとこういっただろう」
と追求するが、キサマのオバサンが一向にひるむ様子がないと、
「つまみ出せ、このバカ」
と、桐山ゲイカは二度言った。
この瞬間、拍手がおこった。

453深山:2011/07/03(日) 19:01:35
>>445 :準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47
>だから、ボケやろう、とか、馬鹿野郎のレスで、感情丸出し、と指摘されて新鮮
>だった訳よね。

桐山さんは最初は冷静に対応していたように見えた。
だが、私は最初の桐山さんの表情の変化も見逃しませんでした。
オバサンに最初に言われた時から、桐山さんの目がつり上がり始めた。
不快感がもろに顔に浮かんだのです。
それでもかろうじて感情を抑え、オバサンに話をしたが、
オバサンは引き下がらない。
ついに桐山さんはキレテ、机を叩き、キサマを連発し始めた。
おもしろいのは、オバサンは最後まで冷静だったことです。
この桐山さんを、「感情を制御した聖者」「感情に囚われない解脱者」と
見る人いないでしょう。
だが、『修行者座右宝鑑』では、桐山さんは
「感情のコントロール・システム」(237頁〜)と題して、
感情的にならない方法をあれこれ信者に教授している。
その桐山さんの実態は「このバカつまみ出せ」です。
普通俗人ですら出さないような怒りを平然と出すのに、
なんと自分では感情のコントロールを完ぺきにできるとばかりに、
他人にお説教を垂れているのです。
正反対に思い込んでいる点など、準シュダオンさんとそっくりですね。
身の程知らずで、自己評価が異常に高いという点ではあなた方二人は
とんでもなく、良く似ている。

454深山:2011/07/03(日) 19:03:29
「『碧巌録』に導かれて」『師の一言』(講談社)
「おおよそ宗教を扶豎せんには、人を殺すに眼を貶せざる英霊底の漢なるべし。」(75頁)

桐山さんは自分を英霊底の漢という、腹の据わった大人物だと言っている。
ちなみに、桐山さんが碧巌録から引用したという上記文章は、
前にユビキタスさんが指摘したように、恒例の捏造です。
桐山さんはあなたと同じで、自分はとても冷静で、人を殺しても、
眼をぴくりとも動かさないくらいの肝も腹も据わった人物だと思いこんでいる。
だが、それはあなたと同じで、「冷静」と「冷血」とを取り違えているのです。
桐山さんもあなたも器の小さい、小心な人たちです。
だから、桐山さんはオバサン一人に激昴し、
あなたもアゴンさんにからかわれて、キレタ。
二人とも、器がいかに小さく、肝も腹も据わらない人物か、
その反応を見れば十分です。
現実は小心なのに、どうしてあなた方は自分を冷静だと錯覚しているのか。
それが冷静と冷血の錯覚です。

455深山:2011/07/03(日) 19:06:06
「おおよそ宗教を扶豎せんには、人を殺すに眼を貶せざる英霊底の漢なるべし。」(75頁)

桐山さんは英霊底漢ではなく冷血漢です。
ガンになって助けを求める信者への対応を見てごらんなさい。
自分のアゴン宗にケチを付けられたとばかりに、自分の痛みについては
何度も何度も繰り返し述べているのに、相手への同情などほとんどない。
17頁にも渡り、信者をさらし者にしたあげく、夫婦もろとも、
山門からたたき出した。
その信者の文章からは、長年信仰してきてガンになってしまった惨めな
自分をなんとか助けてくれと、まるで泣いているかのようだった。
ところが、桐山さんは泣いて助けを求める彼を足蹴にしてたたき出した。
もうこれだけでも冷酷非情なのに、これを機関誌にわざわざ載せたのですよ。
権力を使い、絶望している信者をさらし者にした。
冷酷を通り越して、残虐です。
管長にこういう態度をとったら、どうなるか一罰百戒の見せしめにしたのです。
北朝鮮さながらです。

456深山:2011/07/03(日) 19:08:58
>>445 :準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47
>だから、ボケやろう、とか、馬鹿野郎のレスで、感情丸出し、と指摘されて新鮮
>だった訳よね。

このガン信者への対応に見られるように、桐山さんは非常に冷酷なエゴイストです。
にもかかわらず、彼は自分はとても冷静で慈悲に溢れていると信じている。
準シュダオンさんもそうです。
すぐにカッとなって感情丸出しに相手を罵る。
だが、その現実はいっさい見ようともせず、自分は冷静なのだと自惚れている。
あなたもまた桐山さんと同じで、他人の痛みにものすごく鈍感なのです。
それはあなたが入行以来、20年にわたり、護摩木を一本も書かなかったことに
典型的に現れている。

457深山:2011/07/03(日) 19:12:44
>>445 :準シュダオン:2011/07/03(日) 16:35:47
>だから、ボケやろう、とか、馬鹿野郎のレスで、感情丸出し、と指摘されて新鮮
>だった訳よね。

あなたが入信してから中国の残留孤児養父母のための基金集めがあった。
だが、あれだけ信者たちが頑張っていたにもかかわらず、
あなたはびた一文出さなかった。
あれは仏様への供養とか、中国で護摩を焚くということよりも、
気の毒な養父母たちへの同情から、信者たちは金を出したのです。
二年近くにわたり、周囲は動いていたのに、あなたたった百円すら出さなかった。
自分以外ことにはびた一文出したくない、というあなたのエゴイストぶりがわかりやすい。
車を六台乗り換えるだけの金もあったし、伝法会に出るだけの金もあった。
だが、見も知らない他人の不幸のためには百円すら出さなかった。
あなたが他人への同情心が少ないのは、感情に囚われないからではなく、
単に冷血だからです。
あなたは冷静なのではなく、桐山さんと同じで冷酷なのです。
感情に囚われないのではなく、他人への同情や共感が極端に少ないのです。
あなたの心は狭量で、冷たい。
そして空いた隙間には、桐山さんと同じように、自惚れや自己愛を満たしている。
桐山さんと違う点は、彼はそれをうまく隠し聖者ゴッコをして信者から
尊敬を集めるだけの詐欺の才能があるが、あなたはその才能がなく、
冷血なエゴを丸出しにするから、現役時代も今も周囲から常に嫌われるのです。

458無関係な人間:2011/07/03(日) 20:17:54
 准シュダオン様、無関係な人間です。

>>445

 ご説明、ありがとうございました。ただ、いくら読んでも、何をおっしゃりたいのか理解できません。
おそらく、高邁な准シュダオン様のご発想と優れた英知に、私のごとき愚か者はついてけないためかと
拝察します。

 ところで、今東光氏は、口は悪いですが、どなたにでも理解できるように話をされました。
准シュダオン様のお話は、おそらく、ご本人以外は理解できないかと思います。

 品性下劣な私は、阿含宗の修行をすると、頭がおかしくなる、と信じ込んでおります。
知性も麻痺し、桐山さんに金を献上するだけの哀れな存在になるという妄想を持っております。
 そこで、准シュダオン様が、桐山さんの弁護をされるというので、どんな弁護をされるか、
期待をしております。が、今まで、准シュダオン様の投稿を拝見し、私の妄想は増すばかりです。

 准シュダオン様は、桐山さんの援護をされたいのなら、もっとわかりやすい言葉でお話をされる事を
お勧め申し上げます。

 余計な事を申し上げて、気分を害されたらお詫び申し上げます。

459準シュダオン:2011/07/03(日) 22:42:58
>ご説明、ありがとうございました。ただ、いくら読んでも、何をおっしゃりたいのか理解できません。
>おそらく、高邁な准シュダオン様のご発想と優れた英知に、私のごとき愚か者はついてけないためかと
>拝察します。

英知なんて、大差ないのだから、そんなにへりくだる必要はないよ。
慇懃無礼なんて言葉もあるしさ、丁寧な言葉が無礼なこともある。
要は、言葉使いよりも、真心が大切だ、ということは人生経験を重ねると解ることね。

460準シュダオン:2011/07/03(日) 22:47:59
>ところで、今東光氏は、口は悪いですが、どなたにでも理解できるように話をされました。
>准シュダオン様のお話は、おそらく、ご本人以外は理解できないかと思います。

そりゃ、大変だね。私は管長の言葉を、より解りやすく通訳してるつもりだがね。
それでも他人に(まぁ、批判派だけだろうが)理解されない、ということは、
管長の教えを理解することはさらに難しいね、50年後に来なさい、というしかない。

461ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/03(日) 22:49:55
>>445:準シュダオン11/07/03(日) 16:35:47
>私は、この板の、レスを読んだり書いたりする場合、喜んだり怒ったり、とかの
>感情はほぼ無い。テレビの水戸黄門を観るときの方が興奮してるね、ああ、助さん、
>もたもたすんな、早く行って助けよ!とかね。

感情は普通に持っていた方がよいですね。感受性と言い換えてもよい。
車なんか運転していてハッとするでしょ?脇の小道から別の自動車が侵入しようとしている。
なんかフラつく自転車を見る。
思わず右足がピクリと動きます。
しかし状況判断してブレーキを踏むまでには至らぬ。
しかしいつでもブレーキを踏めるように右足が反応したのはハッとしたからであり
そのハッと気付く感覚こそが必須なわけです。
だから感受性は豊かに持っていた方がよいが、流されて自分を見失っては
ならぬということですね。
桐山さんはこんな話を紹介している。
ある禅僧の面倒を見る婆さんが試しに若い女を近づけて手を握らせた。
すると禅僧は「巌に枯れ木が触れたようなもので私は何も感じない」と答えた。
それを聞いた婆さんは「この生悟りめが」と禅僧を追い出したとか。
桐山さんは「じゃあ、どうすれば合格だったのでしょうね?手を握り返しても困るし」
と笑っていた。ええ、桐山さんなら間違いなく握り返して押し倒していたでしょうw

>だいたい、批判派の深山さん、ラシンさん、ユビさん、の三パカ大将のレスは、
>私が真面目に相手するようなレベルじゃないしね。だから今はユビさんのレスの
>一部を読んでる程度なのよ。そのように低レベルの人に悪口書かれても、気にも
>ならないし、関心もないわけ。

で、感情に流されることなく、批判側にパカと罵りの言葉を敢えて書くということは
敢えて意識して悪業を犯す確信犯だというわけですね。
仏教では身口意の三業を浄化する。語業清浄に努める。悪い言葉を口にしない。
ましてや相手を罵り傷つけるようなことをしない。
あなたは感情に流されたわけでもないのにこの悪業を意識的に行ったのは
仏教に対する挑戦なわけですね。
真面目に相手にしないと言うならば、最初から相手にしなければよい。
ところが敢えて不真面目に相手にすると宣言している。

462準シュダオン:2011/07/03(日) 22:53:25
>品性下劣な私は、阿含宗の修行をすると、頭がおかしくなる、と信じ込んでおります。
>知性も麻痺し、桐山さんに金を献上するだけの哀れな存在になるという妄想を持っております。

そんな解決策は簡単だよw。近づかなければ良いだけだよ。
知性が麻痺して頭がおかしくなる、ようなお方に、どうして近づくのかね?
あんたもおかしなことレスするねえw。
あんたのレス読むと、こちらの頭の方ががおかしくなるぜよw。

463ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/03(日) 22:59:48
>>445:準シュダオン11/07/03(日) 16:35:47
>私が、ボケやろう、とレスした相手は、アゴンくんだったかな。
>彼は未熟なくせに生意気ちゃんだから、修行しても効果は無いわけよね。
>それを知らせる意味でボケやろう、とレスしたわけでね。
>しかし、まぁ、今東光大僧正の肉声を知らない者には、その有り難さも解らない
>だろうよ。

>私が今大僧正の肉声を聞いたのは、阿含宗に入る何年か前のころでね、そりゃ、
>驚いたもんさ。とても優しい、甘い声でさ、慈悲に満ちた声で、「馬鹿野郎」と、
>呼び掛けるわけよ。その声だけで、大僧正と心服させられてしまうぜい。
>以来、私は今氏の声に負けない、声を獲得しようと、修行してきたようなものね。

だから今東光さんはそうかも知らんが、あなたは今さんではないでしょう?
世の中には口が悪くてもハートは温かい人もいると、あなたは例によって一般論を
述べただけで、世の中の全ての口の悪い人が今さんを適用できるわけではないのです。
私はあなたの優しさなどちっとも感じない。
あなたがいかに自分のことを過大評価しても周囲はそれを認めないのです。
それならばせめて優しい言葉を掛ける必要などはないが、せめて暴言、言葉の暴力と
評価されてしまう発言だけは控えるという知恵すらもないのか?

464準シュダオン:2011/07/03(日) 23:02:48
>そこで、准シュダオン様が、桐山さんの弁護をされるというので、どんな弁護をされるか、
>期待をしております。が、今まで、准シュダオン様の投稿を拝見し、私の妄想は増すばかりです。

私は、管長を擁護しようとか、そういう大それたことを考えたことはないよ。
私のレスで、阿含宗がどうなるわけでもないし、どうなっても、私のせいではないよ。
すべては阿含宗の徳次第なのだからさ、あなたが気にやむ必要もないわけさ。
私は、ただ、誠実に、自分に起こった事実を、レスしてるだけでね、
それが阿含宗の擁護になってるか、貶めてるかは、私は関知しないよ。

465準シュダオン:2011/07/03(日) 23:09:04
>余計な事を申し上げて、気分を害されたらお詫び申し上げます。

いえいえ、私は、気分を害したりはしませんよ。あなたは私のレスを真面目に
読んではいないのですか?
この板のレスの読み書きで、私の感情は、ほぼ動かない、と書いてるでしょう!
ウソではないのですよ。少なくても、仏が見てるんですからね、ウソは書けないの。

466ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/03(日) 23:14:25
>>459:準シュダオン11/07/03(日) 22:42:58
>要は、言葉使いよりも、真心が大切だ、ということは人生経験を重ねると解ることね。

これを桐山さんが一番否定していることを知ってますか?
桐山さんはこういう屁理屈を一番嫌う。
内容だの真心だのと嘯いて外見の形式とか礼儀を軽視することを否定しています。
形式、カタチこそが大切なんだとしている。
カタチがきちんとしているから十分な力が発揮できるのです。
相撲にしても然り、ラグビーのスクラムにしても然り。
我流でない正しい型を身につけるからこそパワーが発揮できる。
真心などと言う前に形式、礼儀をマスターせよというわけです。
アゴン宗で密教の四度加行の伝法会を開くのは、あれがオリジナルの成仏法
などとしていない。
本当の成仏法にアタックする以前に基礎として身につけておかねばならない
仏に対する礼儀作法を身につけることが目的だとしている。
密教が仏教の中で一番礼儀作法について発展したものだから、そのうるさく細かい
作法を敢えて教えるのは必須のこととしたのです。
こんなことすら知らないあなたに桐山さんの通訳などできるはずがない。
しかし人生経験を積み重ねてこの程度のアレですか?あなたは。

467ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/03(日) 23:28:27
>>464:準シュダオン11/07/03(日) 23:02:48
>私は、管長を擁護しようとか、そういう大それたことを考えたことはないよ。
>私のレスで、阿含宗がどうなるわけでもないし、どうなっても、私のせいではないよ。
>すべては阿含宗の徳次第なのだからさ、あなたが気にやむ必要もないわけさ。
>私は、ただ、誠実に、自分に起こった事実を、レスしてるだけでね、
>それが阿含宗の擁護になってるか、貶めてるかは、私は関知しないよ。

要するに無責任を決め込むというわけですね。
発言というものには全て責任が伴う。
責任の伴わない仕事なんてものは無い。
準シュダオン教を語ってすらその発言内容は全てあなたの責任となるのに
ましてやアゴン宗というあなたが創案したものでない他人が作ったものについて
コメントする時、責任なんか知ったことではないでは通らない。
あなたがどんな公務員だったか知らんが、役所の施策についてあなたが我流で
市民に示した場合、その責任は役所の徳の問題になるのか?
一役人の発言と言えど、それは役所を代表する発言となって一部に伝わって
しまったのだから、役所はあくまでも役所の責任として市民に頭を下げてお詫びします。
その代わりあなたも責任をとらされます。

468準シュダオン:2011/07/03(日) 23:29:42
>ところで、今東光氏は、口は悪いですが、どなたにでも理解できるように話を
>されました。

つい最近、今東光の極道辻説法のレスをしたのは、誰でしたっけ?
今東光氏は生前、先月に世界遺産になっった、平泉・中尊寺の住職を努めていてね、
今東光氏の声こそは、人間国宝に値すると私は思うね。弟子の寂聴さんも、社会的
に活躍はしているが、声が甲高くて、師の東光氏には、まだまだ及ばないね。

長い瞑想の末に、「出離者は寂なるかな、梵音を聴く」とかいう句から、寂聴という
名を瀬戸内さんに与えたというね。ともかく、今東光氏は名僧だよね。
極道辻説法はレコード化されて、市販されたわけよ。
私は、それを聞いて、今氏の馬鹿野郎、という声を聴いて、ぶったまげたわけさ。
まるで、赤ちゃんをあやすような、優しく甘い声、なんだからね。
あれこそ、厳しい修行なくしては、得られない声だろうね。
少しでも関心湧いたら、レコード探して、今さんの声を聴いてみたらいいね。損はないよ。

469ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/03(日) 23:49:56
>>468:準シュダオン11/07/03(日) 23:29:42
>極道辻説法はレコード化されて、市販されたわけよ。
>私は、それを聞いて、今氏の馬鹿野郎、という声を聴いて、ぶったまげたわけさ。
>まるで、赤ちゃんをあやすような、優しく甘い声、なんだからね。

じゃあ、あなたが批判側にバカと罵る時も実は慈愛のこめられた者で悪口に相当
するものとは聞こえないと私らが感じることができるように、あなたの馬鹿野郎を
音声と共に動画に撮ってyoutubeでうpしてください。
そうでなけりゃ、ここで関係ない今さんの話なんかしても意味ないでしょ?
それから桐山さんの「キサマ!登記簿を見たか!」「つまみ出せ!このバカ」は
優しく甘いどころかヤクザみたいにおっかなかったですぜ。

470深山:2011/07/04(月) 00:03:36
>>460 :準シュダオン:2011/07/03(日) 22:47:59
>そりゃ、大変だね。私は管長の言葉を、より解りやすく通訳してるつもりだがね。
>それでも他人に(まぁ、批判派だけだろうが)理解されない、ということは、
>管長の教えを理解することはさらに難しいね、50年後に来なさい、というしかない。

準シュダオンさんが総本殿から白銀バイブを受信したとか、預流向だと
主張することが、桐山管長の言葉を通訳??
あなたって本当に思い上がりのひどい人ですね。
桐山さんはそんなことはいっさい認めていません。
信者も誰一人としてあなたの白銀バイブもアゴン宗の預流向とも認めません。
今まで、あなたの法友でもいいから、あなたを預流向だとか、
白銀バイブを受信した件を認めてくれた人がいましたか。
いませんよね。
あなたの一方的な主張に辟易して、同意したかのようなふりは
しても、いざとなったら、認めません。
なにせ、そんなことを認めたら、アゴン宗に逆らっていることになるからです。
信者が信じているは桐山ゲイカであって、準シュダオンさんではない。
普通の信者なら、白銀バイブを無料受信しただの、預流向になったなどと
宣言したら、除名処分されかねないことを知っている。
皆さん、あなたの巻き添えを食うのはごめんだから、
誰もまともには相手にしないのです。

471深山:2011/07/04(月) 00:05:37
>>460 :準シュダオン:2011/07/03(日) 22:47:59
>そりゃ、大変だね。私は管長の言葉を、より解りやすく通訳してるつもりだがね。

あなたのその「通訳」なんてなくても、批判側はあなた以上にアゴン宗の
教義にも精通しているし、きちんと説明できる。
これまでの八年間、どれほどあなたの説明の間違いを指摘したことか。
批判側は、あなたのような勝手な解釈などしていないし、
桐山さんの本音や、教義の背景から、それがどうして間違っているかまで、
証拠を示しながら説明ができます。
あなたみたいに無知と妄想に自惚れを添加して、桐山さんが
言ってもいないことを勝手にしゃべりまくるのとは違います。
信者を含めて、誰一人あなたの「通訳」など必要としていないから、やめなさい。

472深山:2011/07/04(月) 00:11:01
>>460 :準シュダオン:2011/07/03(日) 22:47:59
>そりゃ、大変だね。私は管長の言葉を、より解りやすく通訳してるつもりだがね。
>>464 :準シュダオン:2011/07/03(日) 23:02:48
>私は、管長を擁護しようとか、そういう大それたことを考えたことはないよ。

ものの十分前に自分が何を書いたすら覚えていないようですね。
あなたのいう通訳と、擁護と何が違うのだ?
口から出任せにその場しのぎのことをよく書きますね。
本当に品性のかけらもない人だ。
あなたは桐山さんの通訳も擁護もしていない。
擁護どころか、桐山さんに大恥をかかせている。
世間の人たちはここでの議論を読んで、アゴン宗の信者のレベルとは
こんな程度なのかとあきれる。
議論内容はわからなくても、あなたが無知なだけでなく、自分の書いたことの
記憶すらない知性なのに、人を小馬鹿にしきった態度で、
偉そうにお説教をするのが大好きで、間違いなど指摘されても、
完全無視する態度をみれば、普通の良識すらないのがわかる。
信者も、あなたの書き込みを読んで反面教師になったと
2ちゃんねるで書いてくれていた人がいた。
アゴン宗の行歴が間もなく三十年になろうという先達様の
準シュダオンさんがこの醜態では、信者は頭をかかえるしかない。

473深山:2011/07/04(月) 00:13:29
>>465 :準シュダオン:2011/07/03(日) 23:09:04
>ウソではないのですよ。少なくても、仏が見てるんですからね、ウソは書けないの。

アゴン宗のホームページでは、桐山さんが次のように言ったとある。

「ウソの多いこの世の中に、せめて宗教家だけは、命をかけて真実を守り、真実を世に弘めていこう」

宗教だけは真実を、などと叫ぶ桐山さんの作り出したアゴン宗は嘘だらけ。
その信者も、小縁経に阿羅漢などと書いていないのに、
捏造という嘘をついても「ウソは書けない」などと嘘を言う。
小縁経であなたが嘘を書いたのを指摘されてる最中に
「ウソは書けない」なんて、よくまあ恥ずかしくもなく書きますね。
あなたのその厚かましさにはほとほと感心する。
あなたは一年ほど前にも同じように、嘘はつかないと書いた。

474深山:2011/07/04(月) 00:16:32
>>465 :準シュダオン:2011/07/03(日) 23:09:04
>ウソではないのですよ。少なくても、仏が見てるんですからね、ウソは書けないの。
>20 :準シュダオン:2010/04/06(火) 20:45:02 ID:agsP6ENM0
>私は、嘘のレスだけはしていない。

毎年、こうやって年中行事のように、あなたは嘘をついていないと嘘をつくらしい。
ここまで来ると、桐山さんと同じで、準シュダオンさんには虚言癖があるようだ。
桐山さんは嘘をついているという意識がない。
現実と妄想の区別がつかないからです。
どうやら、準シュダオンさんもだんだん桐山さんのこの境地に
到達しつつあるようだ。
嘘をつかないというなら、あなたが引用した小縁経のどこに阿羅漢と
あるのか、説明してみなさい。
仏が見ているのでしょう?
その仏が説いた経典にあなたは「阿羅漢」と書き加えた。
だが、どこにも阿羅漢などなく、四双八輩が応供であると書いてあった。
準シュダオンさんの嘘であり、捏造です。
さあ、仏が見ているのだから、嘘を書けないと言いながら、
仏の説いた経典に嘘をあなたは書き込んだ。
つまり、また嘘をついたのだ。
経典捏造して一度嘘をつくばかりか、仏が見ているから、
嘘をつけないなどと、嘘の上塗りをまたやった。
どこまで準シュダオンさんて小汚い男なのだろう。
では、あなたの阿含経について昔書いた嘘を出してあげましょう。
昔からあなたは経典捏造のご病気を持っていた。

475深山:2011/07/04(月) 00:19:10
>[446]トラベラー 05/03/05 13:34 g0PI9DrfTl
> 釈尊もウパカに説法では、失敗した。五人の昔の修行仲間も、釈迦の説法
> を認めなかった。釈迦は「我が顔を見よ!」と言って神通を現し、帰依させた。

トラベラーは準シュダオンさんです。
こんな経典がどこにあるのか示してみなさい。
と、六年前に言われた時も完全無視した。
あるはずがない。
あなたの勝手な空想です。
この部分の経典を示されて、あなたの記憶違いだと指摘されても、
いつものようにまるで素知らぬ顔。
間違いを認めるなら、それはミスで済んでしまう。
だが、認めないなら、あなたは嘘をついたことになる。
立派に嘘をついている。
それも経典に対する嘘です。
仏に対して嘘をついているのと同じです。
これに対するあなたの逃げ口上はすでに知っている。

476深山:2011/07/04(月) 00:22:42
>[1011]大王の使者 05/08/01 11:23 TdzIehQpWg
> あとね、使者、眠り猫、トラベラー、等、友人だとしても、メンバーが
> 一人でも辞めたらハンドル変えてましたから、ハンドル変わった時点で、
> 過去の発言に責任持てないわけです。意味わかりますね。

大王の使者も準シュダオンさんです。
自分の発言にはいっさい責任を持たないと言うのでしょう。
経典について嘘を書き連ね、それを指摘されても素知らぬふりをして、
それでいて「仏が見てるんですからね、ウソは書けない」などと
ぬけぬけと書く厚かましさ。
ちなみにこの六年前のあなたの質問「意味わかりますね」に対する返事は、
もちろん、あなたが大嘘つきの無責任男だということがわかります。
こんな奴が公務員をしていたかと思うと、税金泥棒というよりも、
税金で世の中を悪くしたようなものです。

477深山:2011/07/04(月) 00:28:28
>>468 :準シュダオン:2011/07/03(日) 23:29:42
>つい最近、今東光の極道辻説法のレスをしたのは、誰でしたっけ?

批判にキレテ罵声を出しことを、言い逃れようと、
なんにも関係のない今東光を出して、ごまかそうと必死です。
今東光の話しではなく、あなたの罵声を指摘しているのです。
批判とか議論を抜きにして、あなたって、本当に男らしくない人ですね。
仕事でも何でも、あなたの人生って、すべてそういう姿勢だったんでしょう。
桐山さんと同じで、絶対に自分の非を認めず、
話を他にそらして、逃げて、ごまかして、口を拭う。
若い頃あなたはそれをしたから、仕事がうまくいかなくなった。
上司に怒られ、ストレスで異常な疲れを感じ、いつ首になるかと恐れた。
それがきっかけでアゴン宗にはいったのだが、あなたのその癖は直るどころか、
逆に桐山さんという模範を得て、ますます詭弁と無責任を学んだ。
公務員だからやめさせることもできず、周囲があきれて、だれも追求しなくなった。
それを良いことに、あなたは自分の屁理屈が通用したと思い込み、
ついには自惚れと屁理屈でできた無責任男が完成した。
信者さんたちはよく準シュダオンさんをごらんなさい。
アゴン宗に三十年近くも修行して、こんなふうになってしまうのです。
この年齢になったら、さすがに軌道修正はもう無理で、
脳が老化している分、ますます、妄想と嘘と自惚れがひどくなる。
信者さんたちも準シュダオンさんみたいな醜悪な老人になりたいのですか。

478準シュダオン:2011/07/04(月) 00:34:54
私は、準シュダオンという個人の責任は持つが、阿含宗を背負ってはいない、という
ことです。そのあたりの道理を、ユビさんなどの愚か者には、理解できていない。
まあ、預流向を聖者だと言い張る人には理解できないかも知れない。
そろそろ、批判派にも、阿含経の聖者の意味を理解する人が出ていよう。
そうすれば、深山さんや、ラシンさんや、ユビさんの信用もがた落ちかw?

私は、阿含経に説く聖者の意味を理解しない人と、まともに議論する気が起きない。
預流向を、学者先生が聖者と訳してるから、聖者なのだと解釈するレベルではねw。

阿含経での聖者には四種ある。
1、阿羅漢・仏。解脱した聖者。
2、阿那含・不還。五下分結を断じて、死後は天に生まれて仏になる聖者。
3、斯陀含・一来。もう一度だけこの世に生まれて来て、成仏する聖者。
4、須陀温・三結断じて不堕悪趣、最大7回の輪廻で成仏する聖者。
上記↑の四種の聖者が、四沙門果という、阿含経に定義されている聖者です。
経典で、須陀温向は、これらの聖者には含まれていないのです。

しかしながら、倶舎論ではこの定義を変えてしまうのです。
須陀温向は見惑を断じた聖者、とかの、理窟をつけてね。
向というのは、未到達の、努力中という意味です。
それが解れば、すべて解り、学者への盲信を避けられます。
深山さん、などはそれが出来ていない。
知識はあっても、智慧が、自灯明がないのです。

須陀オンを、入流とか、預流とか、逆流とかに、漢訳されています。
逆流とは、生死の流れに逆らう聖者という意味ですね(仏教辞典に書かれてます)。
向とは、まだそこに未到達、だという意味です。
例えば、国会議員候補者=国会議員向で、国会議員当選者=国会議員果、だと
すれば理解されるでしょう。同じ国会議員という名が付いていても、当選者と候補者
では意味は違うね。向と果もそれと同じことです。
預流向と預流果も、それくらい違うわけです。

深山さん、ラシンさん、ユビさんなどはそれの理解が、出来ていなかったのです。
三人とも同レベルです。

479深山:2011/07/04(月) 01:29:57
>>478 :準シュダオン:2011/07/04(月) 00:34:54
>深山さん、ラシンさん、ユビさんなどはそれの理解が、出来ていなかったのです。
>三人とも同レベルです。

何度説明されても無視ですね。
三人は同レベルだというそのとおりで、普通なのです。
唯一、あなただけが、頭があまりに悪すぎて、あまりに頑固すぎて、
あまりに自惚れが強すぎる。
三人ではなく、あなた以外は誰もあなたと同じ主張などしていない。
誰一人、「預流向≠聖者」などと主張していない。
あなただけです。
桐山さんも、預流向は外道凡夫ではないと指摘した。
これは正しい。
凡夫ではない存在は、仏教では聖者です。
あなたがどんなに詭弁を弄しても、無駄です。
「預流向≠聖者」など、今のところアゴン宗の教義ですらない。
ましてや、仏教では四双八輩すべてが聖者であると
釈尊本人が経典の中で名言しているから、常識です。
桐山さんですら唱えていないことを、いつまでしつこく
主張するのはやめてもらえませんか。
ここは、何度もいうが、アゴン宗をテーマとするスレであって、
準シュダオンさん個人の考えを議論するスレではない。
アゴン宗の教義でないことを主張するなら、よそに行きなさい。
あなたはあまりに執念深い。

480深山:2011/07/04(月) 01:31:57
>>478 :準シュダオン:2011/07/04(月) 00:34:54
>経典で、須陀温向は、これらの聖者には含まれていないのです。

四沙門果に預流向が含まれないなど当たり前です。
こんな簡単なことも理解できないとは、どうしてそんなに頭が悪いのだ?
前回これを書いた時、他の人から、あなたのその理屈では、
斯陀含向、阿那含向、阿羅漢向は聖者でなくなってしまうと
皮肉を書かれたのを覚えていないのか。
どうしてそんなに理解力が低いのだ?

四沙門果・・・預流(=預流果)、斯陀含(=斯陀含果)、阿那含(=阿那含果)、阿羅漢(=阿羅漢果)
四双八輩・・・預流向、預流果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果

これがそれぞれの意味です。
四沙門果という四果しかない者を出して、そこに
預流向が含まれていないなど当たり前です。
四双八輩の「向」と「果」はペアになっているのです。
言ってみれば、小学生と小学校資格者がペアになっている。
あなたはその資格者だけを取り上げている。
>>327で私は学生のたとえを出した。

481深山:2011/07/04(月) 01:40:44
>>478 :準シュダオン:2011/07/04(月) 00:34:54
>同じ国会議員という名が付いていても、当選者と候補者
>では意味は違うね。向と果もそれと同じことです。

だから、あなたの解釈など誰も聞いていないのです。
誰も興味がない。
「おまえにもおまえの説にも誰も興味がない」
どうしてそれがわからないのだ?
釈尊が四双八輩を聖者だといい、学者たちも四双八輩を
聖者だといい、桐山さんも預流向は凡夫ではないと言った。
全員が、「預流向=聖者」だと言っているのだ。
なのに、どうしてそこで勝手な説を一人で唱えているのだ?
あなたは自分の勝手な説に合わせて、国会議員の話を出している。
それは経典の説明とは違う。
経典での釈尊の説明と違うたとえを出しても無駄です。
釈尊本人が四双八輩を聖者だと言っており、その経典まで
示しても、まだ違うと言う。
よくそれで公務員試験に合格しましたね。

482ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/04(月) 08:16:16
>>478:準シュダオン11/07/04(月) 00:34:54
>私は、準シュダオンという個人の責任は持つが、阿含宗を背負ってはいない、という
>ことです。そのあたりの道理を、ユビさんなどの愚か者には、理解できていない。

いいえ、インターネットの掲示板という公共の場にアゴン宗の現役信者を名乗って
アゴン宗のことを長年語ったからには、アゴン宗を背負ったことになり
アゴン宗に対して責任を持ちます。
我々が責任を追及するのではなく、教団が追及することになります。
我々はアドバイスをしているだけであり、あなたが教団に捕獲されてもかまわない
と言うのならば自己責任において続け、教団から追及された責任について対処しなさい。
テレビに出演してアゴン宗を語ったのと同じなんですね。
正しいことを語ったのならまだしも、違ったこと、教団も説いていないことを
勝手に説いたら教団からお咎めを受けることに我々もフォローできないと
申しておるのです。
かつてアゴン宗の信者が高野山の坊さんとネット上で議論した時、桐山さんは
自分は高野山の教学部長以上の人の質問状でなければ受けないし、また信者にも
ネット上でのアゴン宗に関しての議論を禁じ、したい場合は宗務局の許可を得よ、
ただしめったなことでは許可しないと述べています。
あなたは許可を宗務局の得ているのですか?

483ラシン:2011/07/04(月) 13:33:17
>478 :準シュダオン:2011/07/04(月) 00:34:54
>向とは、まだそこに未到達、だという意味です。

この暑い中、準シュダオンさんの脳味噌も熱中症の最中で、
沸騰中のようだ。

準シュダオンと自惚れたことで、大汗をかいての弁解人生。

預流果は三結を断じた者だが、身見・疑惑・戒取のどれを断じて、
または断じようとして準シュダオンだと名乗っているのだろうね。

批判側から見れば、富士山を目指すべきをフジシャンを目指している。

484準シュダオン:2011/07/04(月) 21:54:06
>」テレビに出演してアゴン宗を語ったのと同じなんですね。
>正しいことを語ったのならまだしも、違ったこと、教団も説いていないことを
>勝手に説いたら教団からお咎めを受けることに我々もフォローできないと
>申しておるのです。

だからぁ、そういう配慮はいらない、というのです。そういう配慮は無駄なのよw。
あんただって、最初は擁護派だったんでしょう?それが今では、そのザマよw。
だから、他人に配慮するのは、止めなさい。余計なお世話なわけよ。

私のレスで、教団が迷惑するか、しないのか、そういうことをユビさんが心配する
必要はないわけよ、馬鹿らしいw。私でさえ心配しないのに、なんであんたが心配
するのかね?馬鹿らしいw。アホの骨頂だがね。

宗教を、理詰めで解決することは、出来ない。
客観的な、科学的なことに反するのが、宗教だからね。
私は、聖なるバイブレーションの体験も、因縁の洗い出し現象の体験も、
3,11のときは霊示も受けた。
しかし、その証明はできない。
脳梗塞の前兆だ、と言われたら、抵抗できないから、笑うしかない。

しかし、そういう体験がない人とのレスの交換は、ホントは馬鹿らしいのよね。

485干柿:2011/07/04(月) 23:02:26
妄想の垂れ流しでしょ。
それが聖なるバイブレーションだと言う証拠や根拠など
実は何もないということに気が付かなければダメでしょ
というか、それを証明するために議論しているわけなんでしょうか?
だとしたら、まったく証明になっていませんねw
むしろ個人的な妄想の思い込みのレベルということを証明していますよ。
あれ?脳の病院にいる入院患者と同じように思えてきますけどw
準シュダオンさんご自身以外でそれを認めた人っているんですかね?
身内の方を含めてw

486深山:2011/07/04(月) 23:36:07
>>484 :準シュダオン:2011/07/04(月) 21:54:06
>宗教を、理詰めで解決することは、出来ない。

一般論でごまかしなさんな。
小縁経には阿羅漢などとは書いていない。
間違いを追求されると、こうやって理詰めではないと逃げ出す。
卑怯で情けない男ですよね。
理詰めでないというなら、>>478は何のまねだ?
昨夜書いたことをもう忘れたか。
あなたが書いたのを理屈、正確には屁理屈というのです。
理詰めでないなら、他人に説教していないで、まずはあなたが
屁理屈を並べるのをやめなさい。

487深山:2011/07/04(月) 23:38:02
>>484 :準シュダオン:2011/07/04(月) 21:54:06
>3,11のときは霊示も受けた。
>しかし、その証明はできない。
>脳梗塞の前兆だ、と言われたら、抵抗できないから、笑うしかない。

私は少なくともそんなことは言っていませんよ。
あなたが急に気が変わったおかけで災害に遭わずに済んだ、
という自己申告が本当かどうかなんて誰も検証のしようがない。
なにせ、その場しのぎに平気で嘘をつき、また後になって
あれこれと自己弁護の言い訳をする人ですから、あなたの証言なんて私は信じていない。
もちろん御霊示なんてのも信じない。
後でとってつけた嘘だと思っている。
なにせ脳梗塞を白銀バイブだと主張する人です。
桐山さんと同じで、自分をエラクみせるのに都合の良いように
話を膨らませるのがあなたの特徴です。
事実は、あなたは災害に遭わなかった、それだけです。

488深山:2011/07/04(月) 23:41:30
>>484 :準シュダオン:2011/07/04(月) 21:54:06
>だから、他人に配慮するのは、止めなさい。余計なお世話なわけよ。

そう言っているあなたは、信者さんが批判を鵜呑みにするといけないから、
ここに書き込んでいると前に言っていた。
他人に説教していないであなたが「他人に配慮するのは、止めなさい。」
いや、準シュダオンさんが他人に配慮しているなんて思っていませんよ。
自分が書き込む言い訳に、他人に配慮しているようなふりをしているだけです。
エゴイストのあなたが他人に配慮などするはずがない。
他人への心遣いができないのが準シュダオンさんです。
他人に配慮するだけの心があれば現役時代はもっと人間関係がスムーズだったし、
道場でも嫌われることはなかったし、ここに延々と同じ事を書き込みをして、
他人の迷惑になるようなことはしない。
信者のことを思って、迷うといけないから、書いているなんて、
ぬけぬけとよくもまあ、自惚れ丸出しの嘘がかけるものだ。
桐山さんとそっくりですね。
人類救済とか、世界平和などと、まるで他人のために何かしているかのように
大上段に振りかざしているが、中身はただの自己顕示欲です。
彼自身がエラクなるためにきれい事の建前論を振りかざしているにすぎない。

489深山:2011/07/04(月) 23:46:28
>>484 :準シュダオン:2011/07/04(月) 21:54:06
>私でさえ心配しないのに、なんであんたが心配
>するのかね?馬鹿らしいw。アホの骨頂だがね。

ユビキタスさんがあなたのことを心配して書いているように読めるのですか。
ユビキタスさん本人がコメントを書くだろうが、私にはそんなふうには見えない。
あなたは、自分の発言とアゴン宗は関係ないかのような書き方をしているが、
それはあなたの主張であって、宗務局はそうは見ないのです。
準シュダオンさんは他人の立場で物事を考えるという癖が皆無だから、
わからないのでしょうね。
あなたのここでの書き込みは桐山さんの顔に泥を塗っていて、
アゴン宗側はものすごく迷惑して、怒っている。
だから、あなたの身元がわかったら、間違いなく、処分されます。
こういう点での処罰の仕方をあなたは知らないから、のんびりしてられる。
私は現場を何度も見ているから、桐山さんや職員は情けも容赦もないのを知っている。
一罰百戒、見せしめに、たたき斬る。
道理も、裁判も、弁明もなんもなく、一方的に罪を着せて処罰する。
一番近いはヤクザの世界です。
あなたみたいにネットで勝手な主張を繰り返せば、
こんなふうになるぞ、という見せしめにちょうでよい。
土下座して謝れば会員に留まれるだろうが、
桐山さんやW田さんまで報告が行ったら、除名でしょうね。

490深山:2011/07/04(月) 23:51:42
>>484 :準シュダオン:2011/07/04(月) 21:54:06
>私でさえ心配しないのに、なんであんたが心配
>するのかね?馬鹿らしいw。アホの骨頂だがね。

あなたは除名になっても、精神に被害を受けないから、大丈夫です。
鈍感で鈍重でツラの皮が厚いから、立ち直りも早い。
自分教をすでに作っているから、なんともない。
これに対して、ペテン大作さんなどは除名になったら、危険です。
心が不安定な人だから、依存する相手を失えば、もっと心を病むでしょう。
だから、彼が、彼の個人情報をネットに書いてもいいと言った時、
私は彼に、本当に良いのかとわざわざ確認した。
後で逆恨みされたら、いやだからです。
彼のような性格の人は逆恨みが得意で、執念深い。
彼は、私から宗務局の処罰の仕方を聞いてからはコテハンを極力使わず、
書く回数も減らし、書く内容も個人の話をいっさいしないようにした。
それは正解です。
彼は関東別院所属だから、私が書いた宗務局の処罰の仕方がけっして
大袈裟な表現ではないことを見聞きして、知っていたのでしょう。
この点、田舎にいて、桐山さんや宗務局の実態を知らない準シュダオンさんは
不用心にここに自分の姿をさらしている。
準シュダオンさんみたいに長い間書き続けると、必ず個人情報が出てしまう。
だが、あなたはゾンビだから、除名になっても大丈夫です。

491深山:2011/07/04(月) 23:54:59
>>484 :準シュダオン:2011/07/04(月) 21:54:06
>私でさえ心配しないのに、なんであんたが心配
>するのかね?馬鹿らしいw。アホの骨頂だがね。

前に2ちゃんねるに書き込んだ先達で教団から叱られた人がいます。
準シュダオンさんと違い、有名先達だったから、書き込み内容から
特定されてしまい、叱られたのでしょう。
彼は長年かけてアゴン宗の出世コースを進み、あわよくば理事の地位を
狙っていたようだが、ネットでの書き込みでそのチャンスをふいにした。
除名にならないのは、今まで人と金を集めるのに成果を上げ、今後も
稼ぎ頭として期待されているからです。
でも、準シュダオンさんは違う。
あなたはアゴン宗に何の貢献もしていないから、
クビを斬ることに、誰もためらいがない。
弁護してくれる人は誰もいないでしょう。
桐山さんもW田さんも誰かを吊し上げて血祭りにするのが大好きです。
桐山さんは冷血に人を斬ることをむしろ自慢している。
「腐ったミカンはつまみ出せ」
これが桐山さんとアゴン宗の合い言葉ですから、
あなたの身元がばれたら、十中八九、つまみ出されます。
そこで話を戻して、あなたを心配するかどうかですが、
私はまったく心配していない。
ユビキタスさんも他の人も、あなたを心配しているようには読めない。
あなたはゾンビみたいな人で、鈍感で厚かましく、恥知らずで、
脳味噌の代わりに慢心と自惚れと妄想と嘘が入っている。
感じるべき神経を持たない人の心配など誰もするはずがない。
石を蹴飛ばしたら、石が痛いだろうかと心配するようなもので、無意味です。

492ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/05(火) 01:25:19
>>484:準シュダオン11/07/04(月) 21:54:06
>だからぁ、そういう配慮はいらない、というのです。そういう配慮は無駄なのよw。
>あんただって、最初は擁護派だったんでしょう?それが今では、そのザマよw。

私が擁護側で2ちゃんねるに初登場した時も1996年頃宗報にも載ったネット議論
禁止令については読み落としたのか、知りませんでしたね。
それはまだ擁護側の時代に批判スレで朧気に知りました。
でも教団の言うことを守らず擁護の議論を続けたわけです。
まあ教団教祖に泥を塗るような内容の書き込みもしてないし、教団を辱める態度

もとってない自負もありましたが、無視は無視ですね。
ですから当時の私にも無視した責任を追及されたらこちらは沈黙せざるを得なかった
わけです。だから私は今でも擁護側信者に対するネット議論禁止令なんてナンセンス
だと思ってるのですよ。
しかし無視してやるからには、各自がそれなりの覚悟を持たねばならないと思いますね。

>だから、他人に配慮するのは、止めなさい。余計なお世話なわけよ。
>私のレスで、教団が迷惑するか、しないのか、そういうことをユビさんが心配する
>必要はないわけよ、馬鹿らしいw。私でさえ心配しないのに、なんであんたが心配
>するのかね?馬鹿らしいw。アホの骨頂だがね。

いいえ、そこまで言うのなら心配なんかしてないから、これからもどんどん
教団に泥を塗る発言を続けなさいな。
我々はあなたがどう処分されようと知ったことないのですから。
そもそも東北の被災地の一つである某県、アゴンネットワークも通信衛星受信設備も
未だに完備されていない道場と、通信衛星だけはあるが、アゴンネットワークが
配置されてない連絡所のある県なんて、面積こそ広けれ、信者数なんて知れてます。
この道場や連絡所に名簿上登録されてるはずのあなたを特定することなんて
職員がその気にさえなれば意外と容易だと私は見てるわけです。
それでも堂々と続ける度量があるならば私はその度量に敬意を服して
あなたを牽制などしたりしません。
あなたの自己責任で頑張りなさい。
ただし教団があなたに追及する責任は、あなたが決めるのでも私が決めるのでもなく
教団が決めるのだから、いざという時、ジタバタしないように。

493ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/05(火) 01:40:36
小さい道場や連絡所の職員だけでなく、一般信者にも気を付けた方がよいかも?
え?心配してるのかって?
違いますよ。オモチロイから脅してるんですよ(笑)

494名無しさん:2011/07/05(火) 01:54:05
(´▽`*)アハハ

495ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/05(火) 02:07:29
組織の論理
本庁「〇〇本部は何をやっとる?」
地方本部「〇〇道場はどういう管理をしてるのか?」
地方道場「すみません!すぐに差し出します!」

496準シュダオン:2011/07/05(火) 16:50:53
ユビさんは、管理人のマナー違反から、私のPC場所を特定して、所属道場を
推測しているんだろうけど、恥ずかしくないのかね?ないのだろうなw。
そういう人間失格の性格だから、いくら修行しても無駄だったわけさ。
それに、無関係な人さんや、アゴンくんや、干し柿くんは、預流向の議論を、
どのように感じてたのかな?

深山さんや、ラシンさん、ユビさん、みたいに、預流向を聖者だと考えるよう
では、いくら修行しても無駄だがね。四向四果は阿含仏教の基本だからさ。
これを理解出来ない頭では、いくら議論しても無駄だねw。
足し算も解らない頭で、偉そうに因数分解の議論してるようなもんですw。

以前に何度も書いたけど、岩波仏教辞典の四向四果の項には、
「向は修行の目標、果は到達した境地を示す」との説明があるわけよ。
また、「預流とは聖者の流れに入ること」との説明もある。
普通の頭があれば、じゃあ、預流向とは預流を修行の目標にしてる修行者で、
預流果とは、預流に到達した修行者だな、ということが解るだろう。
深山さんなどは、それさえ理解できない頭してたんだよ。

もう、いくらか成長しただろうから、理解し始めるかも知れないが。
「預流とは聖者の流れに入ること」で、
預流向とは聖者の流れに入ることではない、の。
預流向とは、聖者の流れに入ることを目標にして修行してる身なのよ。

497準シュダオン:2011/07/05(火) 17:02:26
学者先生が、預流向を聖者だと訳してるから聖者なんだ、と短絡的に考えてる
ようでは、まだ初心者過ぎるね。

聖なるバイブレーションの証明はできないさw。
私は、不完全ながら、聖なるバイブレーションを受けた、と述べてるだけで、
証明なんて出来るわけがない。体験が無い者は、脳梗塞の前兆だと思うだろうよw。
体験のない者には想像も出来ないだろうw。
だから、干し柿くんは、何も体験がないのだな、ということが解るね。

干し柿くんには、私の境地が理解できないだろうが、私には干し柿くんの境地が
解るわけです。だから、個人的な妄想という干し柿くんの意見はよく解るね、無理もないさ。

498ラシン:2011/07/05(火) 18:09:59
>497 :準シュダオン:2011/07/05(火) 17:02:26
学者先生が、預流向を聖者だと訳してるから聖者なんだ、と短絡的に考えてる
ようでは、まだ初心者過ぎるね。

まだシツコクほざいているの。
あなたが自分で釈尊が預流向を聖者だと認めてたと、
言ってしまっているじゃないの ↓。

>>266:確かに、釈尊は、四双八輩是聖賢之衆、としているけれども、
    他の経典を読めば、預流果とは、流れを手中にした、という意味で、
    聖者の流れ、悟りの流れ、を手中にした、という意味なのよ。

変な日本語だが、四双八輩これ聖賢の者たちである、と読めたわけだから、
偉い偉い、釈尊の言葉に素直に従いなさい。

流れを手中にしたも流れに入ったも、表現の違いこそあれ意味は同じです。
オバカな日本語解釈では、預流向が岸辺に居る存在で預流果が川に入った、
なんて自己解釈をしたいらしいのか。
いいですよ、それでも。
此岸から彼岸なんだから、岸辺に来て川に入ろうとするのは預流向で、
彼の岸にたどり着いて這い上がったのが、阿羅漢果です。
四双八輩=預流向〜阿羅漢果=此岸〜彼岸=聖者集
脳が沸騰しても、図式くらい理解できるよね?

499深山:2011/07/05(火) 18:45:11
>>496 :準シュダオン:2011/07/05(火) 16:50:53
>ユビさんは、管理人のマナー違反から、私のPC場所を特定して、所属道場を
>推測しているんだろうけど、恥ずかしくないのかね?ないのだろうなw。

思い違いをしてるようだが、天照さん以外は、だれもあなたの場所を
特定することはできないし、する必要もない。
準シュダオンさんの個人情報は我々が披露したのではなく、
あなたが書き込んだのです。
物忘れがひどいから、自分が書いたことも忘れているのでしょう。
2004年までの20年間護摩木を書かなかったこと、解脱供養4体、冥徳解脱数体、
定年を迎え、年金を受け取っているが、役職にしがみついていること、
県庁に勤務したか、出向していたことがあること、
白銀バイブを受けたとき、あなたは総本殿から百キロの圏内にいたこと、
その後、被災地域に引越をしてこと、すべてあなたがネット上に書いたことです。
我々はそれ以上のことなど何一つ書いていない。
年齢や引越した地域などから絞り込めば、職員ならあなたを特定することは
それほど難しくない。
特定されたら最後、タダでは済みません。
だから、ペテン大作さんは書き込みを減らしたのです。

500深山:2011/07/05(火) 18:47:48
>>496 :準シュダオン:2011/07/05(火) 16:50:53
>以前に何度も書いたけど、岩波仏教辞典の四向四果の項には、
>「向は修行の目標、果は到達した境地を示す」との説明があるわけよ。
>また、「預流とは聖者の流れに入ること」との説明もある。

それでどこに「預流向≠聖者」と書いてあるのだ?
仏教辞典の説明から、「預流向≠聖者」というのはあなたの解釈ですよね。
仏教辞典に書いてあるのではなく、あなたの勝手な解釈です。
あなたは文章を書いてあるとおりに読むのではなく、
先に自分の結論があり、書いていないことを勝手に解釈する。
「向は修行の目標、果は到達した境地を示す」
など、当たり前であって、向と果は一組ずつのペアなのです。

預流向、預流果
斯陀含向、斯陀含果
阿那含向、阿那含果
阿羅漢向、阿羅漢果

仏教辞典の説明はこの組み合わせを示すだけです。
そして、これらは四双八輩と呼ばれ、すべて聖者です。
「斯陀含向、斯陀含果」「阿那含向、阿那含果」「阿羅漢向、阿羅漢果」
この三組が聖者なのに、どこに「預流向、預流果」の組み合わせだけは
聖者ではないと書いてあるのだ?
あなたが引用した文章にもどこにもそんな説明はありません。

501深山:2011/07/05(火) 18:55:08
>>496 :準シュダオン:2011/07/05(火) 16:50:53
>また、「預流とは聖者の流れに入ること」との説明もある。

これも当たり前です。
仏教辞典のこの説明は「果」の説明をしているのであって、「向」の説明をしているではない。
だから、その後の説明も、斯陀含、阿那含、阿羅漢について説明し、
「向」の説明はありません。
預流果から聖者だとどこにある?
預流向は聖者でないとどこにある?
あなたが引用した岩波仏教辞典のどこにもそんなことは一言もない。
書いていないことを、その理解力の低い頭で解釈するのはやめなさい。
書いてあるとおりに読めばいいのです。
四双八輩すべて聖者です。
準シュダオンさんは自分が>>266で書いたことを忘れてるのでしょうね。
あなたが引用した長阿含経でも釈尊が四双八輩を聖者、福田であると認めている。
266の引用も、そのボケ始めた頭の記憶で書かないで、正確に引用しなさい。

「四双八輩 是謂如来賢聖之衆」

ごらんのように、四双八輩すべてが賢聖の衆だと釈尊がはっきり述べている。
もはや議論の余地などないのです。
釈尊本人が言っているのに、凡夫のあなたが何をよけいな口を出すのだ?

502深山:2011/07/05(火) 18:56:26
>>496 :準シュダオン:2011/07/05(火) 16:50:53
>以前に何度も書いたけど、岩波仏教辞典の四向四果の項には、
>「向は修行の目標、果は到達した境地を示す」との説明があるわけよ。
>また、「預流とは聖者の流れに入ること」との説明もある。

>>243 :準シュダオン:2011/06/22(水) 10:17:54
>預流向を聖者に定義付けたのは、
>アビダルマ論師です。経典を読めば、預流果からが聖者扱いしてることが解ります。
>が、自灯明の無い人には、解らないでしょう、学者の説を丸呑みするしか能がない。

243では預流向を聖者だと定義づけたのはアビダルマ論であり、それを学者たちが
採用し、批判側は鵜呑みにしていると非難しながら、496ではその学者たちの
編集した仏教辞典を引用する。
いったい準シュダオンさんの面の皮って、どのくらい厚いのでしょう。
私はあなたみたいに学者や経典の文言の「解釈」などしない。
書いてあるそのままを理解する。
あなたの引用した岩波仏教辞典を編集した学者たちは次のように定義しています。

503深山:2011/07/05(火) 18:59:15
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)

四向四果すべてを「聖者の階位」と説明している。
それも、アビダルマ仏教でそうだというのではなく、原始仏教、
つまり釈迦仏教での定義として述べているのです。
あなたはアビダルマ論から預流向が聖者になったなど勝手な説を
ほざいているか、上記の記述はそれを完全に否定している。
学者たちは釈迦仏教においても預流向は聖者だと定義している。
釈迦仏教時代から、「四双八輩=聖者」であり、「預流向=聖者」です。
批判側は経典や学者の文言を解釈しているのではありません。
釈尊本人も、仏教辞典にもすべて「四双八輩=聖者」と書いてあるのだから、
「預流向=聖者」であることは議論の余地がない。
いい加減、その老人のタワゴトをやめてもらえないか。

504深山:2011/07/05(火) 19:01:38
>>497 :準シュダオン:2011/07/05(火) 17:02:26
>学者先生が、預流向を聖者だと訳してるから聖者なんだ、と短絡的に考えてる
>ようでは、まだ初心者過ぎるね。

あなたの珍説はもう聞き飽きたし、こちらは根拠も示している。
霊障のホトケみたいに、いつまでも執念深く同じことを書き続けるのではなく、
どちらの主張が正しいか、読者に判断を任せなさい。

505深山:2011/07/05(火) 19:03:51
>>497 :準シュダオン:2011/07/05(火) 17:02:26
>聖なるバイブレーションの証明はできないさw。

いいえ、できます。
桐山さんの白銀バイブは、1999年に嘘であることが証明された。
1980年のインドでの白銀バイブは、世紀末に起きる地球壊滅を
予告したものだと、桐山さんははっきり本に書いている。
そのバイブが本物かどうかは、1999年に判断がついた。
結果は、白銀バイブなど真っ赤な嘘です。
地球壊滅などまったく起きなかった。
なによりも、桐山さんのバイブによれば、地球壊滅にさいして、
桐山さんが地球救済の力をもった聖者として釈尊から期待されているはずだった。
だが、地球壊滅もなければ、どこからもお呼びがかからなかった。
そこで、桐山さんは地球壊滅の賞味期限を10年のばして、
2010年までに地球壊滅が起きると予言したが、
これも馬鹿外れして、何も起きなかった。
桐山さんの記述を見れば、斜め前方からガーンと打たれたとか、
手が震えたなど、明瞭な脳梗塞の初期症状です。
前年に公開されたパニック映画の記憶が蘇り、都市が赤々と燃え、
高僧ビルが焼け落ちる幻影を見た。
2001年のニューヨークのテロでさえ、炎などどこにもなく、
ビルが焼け落ちるなどしていません。
インドでのバイブが桐山さんの脳障害の幻影にすぎなかったことは、
こんなふうに明瞭に実証された。

506深山:2011/07/05(火) 19:08:29
>>497 :準シュダオン:2011/07/05(火) 17:02:26
>聖なるバイブレーションの証明はできないさw。

準シュダオンさんのバイブも十分に脳梗塞で説明がつく。
あなたが桐山さんと同じで生活習慣病を患っていたことを自ら告白している。
脳梗塞となるべき要因がある。
あなたは桐山さんと同じで食い意地がはっていて、
夜中まで酒を飲んで、わざわざネットに中継していた。
脳梗塞になった後ですら、酒をやめられない。
記憶力の極端な減退を見れば、あなたの2004年の聖なるバイブとは、
小梗塞と呼ばれる脳梗塞であることは素人でもわかる。
聖なるバイブを受信して、あなたの人格が向上でもしたのなら、ともかく、
まったく逆です。
それまでの丁寧な態度をかなぐり捨てて、罵声を延々と書き続けた。
そして、何度注意されても、今でもそれがやめられない。
理性の抑制が効かないのです。
元々あまり頭が良くないところに、さらに暴飲暴食が原因で
糖尿病になり、それでも節制しないから、小梗塞になった。
私は断言してあげてもいいが、あなたの脳の断層撮影をすれば、
あちらこちらがスカスカになっています。
悪いことは言わないから、病院で診察を受け、治療しながら、食生活を見直すことです。
今からでも食生活を直せば、桐山さんと同じ道はたどることは回避できるかもしれない。
・・・ま、あなたのその人を小馬鹿にしきったような顔を見れば、
こういう助言が無駄なのは知っています。
私は義務を果たしたにすぎない。
好きなだけ砂場の白銀バイブゴッコをやってなさい。

507準シュダオン:2011/07/05(火) 20:38:45
批判派の三バカ大将、深山、ラシン、ユビ、さん等のレスを読む時間は、
私にはない。預流向を聖者だと言い張るバカものどものレスを、読めと、
干し柿くんや、アゴンくんや、、無関係な人さんは言うのかね?

四向四果は、阿含仏教の基本だよ。
是を理解してない、深山さん、ラシンさん、ユビさんを、相手にするには、
欠伸がでて、仕方がない。

私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。だから、管長の教えを真実だと、理解できる、
しかし、そういう体験のない人は、インチキだと思うのが、当たり前だろう。
勝手にしなさいw。

508干柿:2011/07/05(火) 20:47:28
>>497
バカバカしいw、よく人の境涯がどうだとか言えますねw
だったら桐山ゲイカの境涯はどうなんでしょうか?
まあ、あなたの人の境涯を見る目などというのはその程度なのです。
もっとも私も人のことはいえたもんではないが、それでも馬鹿は馬鹿なりに
「学習する」、ということはできます。
それから、バイブレーションはわからないと言ってますけど私が星祭りだったころ、さんざん
バイブレーションとか言っていたのを御存じないのか!おそらくアナタ以上に
体験はありますよ。それもあなたとは違って護摩法要や勤行時における
教団のまさにいうところのバイブレーションの体験ですね。あなたの体験は
日常生活で脳がどうかしちゃって体験したものでしょう。全然ちがうと思いますがw
もっとも、ユビさんとかに言わせれば同じものかもしれませんが、意図的に
作り出すという点でまさに宗教的の操作によって作り出されるものです。
そしてこれは暗示なりマインドコントロールの領域に入るものです。
しかし、あなたの体験はちがう。そんな宗教的行為とは全然関係なく
とつぜん受けたのでしょう?霊的バイブレーションをw
どう考えてもこれは病気の領域に入ると思いますがねw
病院いって精密検査を受けた方がいいですよ。
東京に出てきて人間ドックに入りなさい。

509ラシン:2011/07/05(火) 21:02:10
>497 :準シュダオン:2011/07/05(火) 17:02:26
学者先生が、預流向を聖者だと訳してるから聖者なんだ、と短絡的に考えてる
ようでは、まだ初心者過ぎるね。

自分の吐いたことば↓の責任は取りなさいね、じゃないとゲロ化する。

>>266:確かに、釈尊は、四双八輩是聖賢之衆、としているけれども、

あなたの↑は、私が>>498で示した図式↓で充分です。
「四双八輩=預流向〜阿羅漢果=此岸〜彼岸=聖者集」

短絡とは、あなたのようにニューロンがショートするような
もので、途中の論理や筋道を無視して、本来関係のない原因と
結果あるいは、前提と結論を性急に結び付けてしまうこと、ですよ。

批判側が学説を引用し根拠とすることは短絡とは言わない。
すでに構築され世間や学識的認知を得ているからです。
あなたの認知されない主張こそ短絡的と言い、認知症を呈しているのだ。

>干し柿くんには、私の境地が理解できないだろうが、
私には干し柿くんの境地が解るわけです。

干し柿じゃなく「干柿」さんだ、このうっかり老人さんは、
目も悪くなっているのか。
昔はバリバリの桐山擁護者さんだったが、氏のウソインチキに
気づいた人です。
あなたのように、一生弁解、言い訳人生を止めて転換した人です。

510深山:2011/07/05(火) 22:33:56
>>507 :準シュダオン:2011/07/05(火) 20:38:45
>批判派の三バカ大将、深山、ラシン、ユビ、さん等のレスを読む時間は、
>私にはない。預流向を聖者だと言い張るバカものどものレスを、読めと、

準シュダオンさんには他人の文章を理解するだけの知性がないのだから、
読んで、理解しろなんてそんな無理難題を批判側が言うわけがない。
釈尊その人が四双八輩は聖者だと述べており、その文章を
あなた自身が引用して、釈尊がそこで述べていることを認めて、
それでも、「預流向≠聖者」だと主張する。
経典の根拠、学者の根拠、桐山さんの説のすべてが「預流向=聖者」と
述べているのに、頑迷にあなたはそれを拒絶する。
こういう知性のあなたから見たら、我々はバカに見えるでしょうね。
そのほうがありがたい。
あなたと一緒では困る。
あなたに批判側の反論を理解しろと言っているのではない。
関係のない話を書くのをやめなさいと言っているのだ。
アゴン宗でも仏教の教義でもない、ただの老人のタワゴトをここに
書かないでくれと言っているのです。
あなたの書いていることはスレ違いなのです。
誰がバカでもいいから、あなたの書いていることはスレ違いだから、
書くのはやめてください。
「居間でオシッコをする」のはやめてくれ。

511深山:2011/07/05(火) 22:39:42
「・・・という四対八種の人びとが如来の神聖なる弟子たちがあるが、
(かれらを)非常に恭しく敬い、世の中の福徳の田である、と(信じる)」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、321頁)

読んでいる信者さんたちは、ここまでの議論を読んで、
「預流向≠聖者」とはさすがに思わないでしょう。
思い込みだけで生きているような準シュダオンさんは放置して、
信者さんたちは正しく仏教を理解してください。
準シュダオンさんが引用した経典の根拠の和訳が上記です。
皆さんに気を付けてほしいのは、準シュダオンさんが漢文で引用した経典は
彼のデタラメの記憶から適当に書いているから、信じないことです。
この人、桐山さんの真似をして、自分はすごい記憶力を持っていると
思いこんでいるのでしょう。
だが、この人の記憶がいかにデタラメか、比較して見てください。

「四双八輩是聖賢之衆」(準シュダオンさんの記憶 >>266)
「四双八輩是謂如来賢聖之衆」(正しい漢訳経典)

ごらんのように、準シュダオンさんの記憶力はこんな程度です。
自分の書いたことも時々忘れてしまう準シュダオンさんが
自分は記憶力が良いと自惚れているのが笑えます。
こういうレベルだから、桐山さんの経典捏造なんか、気にならないのでしょう。

512深山:2011/07/05(火) 22:47:09
「・・・という四対八種の人びとが如来の神聖なる弟子たちがあるが、」

四対八種の人びととは四双八輩、四向四果のことです。
釈尊は彼らは神聖な弟子であると述べている。
この部分の「如来賢聖之衆」については学者は次のような註釈を付けています。

「また賢聖はここでは賢者聖人のこと。」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、499頁)

賢者、聖人、聖者など表現はいろいろあるが、意味は同じです。
くれぐれもこういう言葉を桐山流に解釈しないことです。
桐山さんは位階を売るために、賢者や聖者を別々に分けている本があります。
だが、釈尊は位階を売るような商売はしていないから、そんな区別はしません。
仏道修行をする者はすべて聖者です。

513深山:2011/07/05(火) 22:49:59
>>507 :準シュダオン:2011/07/05(火) 20:38:45
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
>を体験してる。だから、管長の教えを真実だと、理解できる、

こらこら、桐山商店の品物に勝手に手をつけるな。
どさくさに紛れて、とんでもないことを言う。
あなたの聖なるバイブも、洗い出しも、霊示も桐山さんはいっさい認めていない。
そういうことは、すべて桐山ゲイカや宗務局の同意を取って
初めてアゴン宗では認められる。
信者が勝手に名乗っていいなどとは桐山ゲイカはおっしゃっていない。
私はあなたの聖なるバイブも、因縁の洗い出しも、霊示も
インチキだとは言っていない。
あなたの錯覚と思い込みだと言っているのです。
聖なるバイブなど典型的な脳梗塞の症状だし、因縁の洗い出しや霊示も、
あなたみたいな思い込みの激しい人の話など話し半分どころか、
脳梗塞と同じで現実的な説明がつくはずです。
なにせあなたの話は一事が万事、信用がおけない。
その思い込みの激しさの一例を彼の過去の書き込みから皆さんに示してあげましょう。
半年に渡る準シュダオンさんの独り言です。
あまりのオメデタサに笑えます。
こんなことをほざている準シュダオンさんの御霊示や洗い出しなど
信者すらも信用しません。
「如来の子孫」とは準シュダオンさんのことです。

514深山:2011/07/05(火) 22:51:20
[840]如来の子孫 08/03/20 20:28 Bj.cdF2kp6
私自身、もしかしたらシュダオンの入り口に入ったのかな?
[1009]如来の子孫 08/03/31 10:29 LGksRgotLI
こりゃ、私もシュダオンに成ってるのかなぁ、と思います、ま、
こりゃ、ジョークですが。
[4]如来の子孫 08/04/01 20:52 9hWjqriglk
私は、霊界のシュダオン界の力を得て、応えてあげよう。
[52]如来の子孫 08/04/04 19:23 9hWjqriglk
私には、シュダオン界のテレパシーを、受けてる感じがあるので
[885]如来の子孫 08/06/03 16:48 XgL5H.msHL
限りなくシュダオンに近づけてる自覚があるのですよ。
[467]如来の子孫 08/06/13 16:30 oNmU9AvgdV
私が書いたのは、限りなくシュダオンに近づいた気がする、だよ。
[470]如来の子孫 08/06/13 19:33 oNmU9AvgdV
私はシュダオンに近い、と思う。
[510]如来の子孫 08/06/14 20:33 oNmU9AvgdV
シュダオンに限りなく近い感じがする、と述べたのね。
大違いでしょ、フフ。たぶん、私の口の悪い因縁が切れたら、
シュダオンだと思う、フフフ。
[202]如来の子孫 08/06/29 17:10 Bj.cdF2kI0
自分でいうのは可笑しいですが、私はシュダオンに近づいてる自覚
があるんですよ。
[277]如来の子孫 08/07/01 13:19 LGksRgot8d
だから、私は修行をサボるわけです。それでもシュダオンに近づい
てる自覚があるのですね、エヘエヘ。
今ではマジにシュダオンに近いと自覚してるのです。
[572]如来の子孫 08/07/09 16:52 LGksRgot8d
私はシュダオンに近いと思うから、シュダオン並みの理解が
出来た、と思う。
[763]如来の子孫 08/07/16 14:24 9hWjqrigkD
だが、シュダオンに近づいた、という自覚はあるね。
[799]如来の子孫 08/07/17 13:31 9hWjqrigkD
私は最小限の参加です。さぼり過ぎると、霊界から叱られる感じが、
するんですね、フフ、だからシュダオンに近いのかな?なんて思う。
[872]如来の子孫 08/07/21 10:50 18TZXoMZvv
私の場合は、或いは、シュダオンの相承を受けたかも、知れないね。
[1005]如来の子孫 08/07/26 10:54 18TZXoMZvv
私は、なんか、シュダオンに近い知恵が湧くような、気がするんだ
よね。
[1019]如来の子孫 08/07/26 13:48 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いかな、なんて、おこがま
しいことまでレスしたのですよ。
[29]如来の子孫 08/07/28 11:53 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いのか?とも考えたのよね、フ。
[150]如来の子孫 08/08/01 16:35 hTuSt843kK
私のいう桐山教法では、私はシュダオンに近いという自覚・確信が
あるのですよ。
[170]如来の子孫 08/08/02 09:47 hTuSt843kK
私としては、まぁ、シュダオンまでは行かないが、
及第点をあげようか、と自己採点しましたよ、フフ。
[196]如来の子孫 08/08/02 16:57 hTuSt843kK
自分では、やれやれ、やっとシュダオン近くに来れたか!
と自己満足してんですよ、生活も楽になってさ。
[607]如来の子孫 08/08/12 13:49 Fen4TGEF1J
もしかしたら、これがシュダオン・預流、ということで、解脱の流れ
に入ったことなのかなぁ、とも考えた。
[608]如来の子孫 08/10/27 11:24 PL3a0oHZ4G
涅槃に流れる川があって、その川の中に浮かんだ心境なんですよ、だから預流かな。
[618]如来の子孫 08/08/12 16:57 Fen4TGEF1J
でね、確かに私はシュダオンに近いかも知れない、と思うのよ。
[708]如来の子孫 08/08/15 13:23 Fen4TGEF1J
賢者のシュダオンには、かなり近づいた感じがする、と今でも思って
いるし、そのことを書いたつもりね。
[275]如来の子孫 08/09/11 17:40 XgL5H.msHL
だから、私は、もしかしたらシュダオン(賢者)に限りなく近い
かも知れない、と書いた。

515ラシン:2011/07/06(水) 00:41:37
>507 :準シュダオン:2011/07/05(火) 20:38:45
批判派の三バカ大将、深山、ラシン、ユビ、さん等のレスを読む時間は、
私にはない。

いくら嘘をついて、ハッタリをつけても、無駄です。
何人もの批判側を相手する能力がないのと、
熟読すれば、怒りで脳が沸騰するから斜め読みをしているだけ。
それがさらに、あなたの読解力不足に拍車をかけて恥を晒すのです。
もともと熟読できず一知半解の悪癖が、沸騰した脳に熱湯をかけた
状態で、怒り心頭極まりないのでしょう。
熱中症と相乗効果をなして、チラ見だけで頭に湯を沸かしたのでしょう。
準シュダオンさんは、自分の家の節電だけは可能です。
あたまにターバンならぬタービン取り付け可能の自家発電だ。
メルトダウンはないから、セシュウムは放出しないが、
ウソや品性下劣は回るにばらまくけど、誰にも吸着しません

516ラシン:2011/07/06(水) 00:42:38
>四向四果は、阿含仏教の基本だよ。
是を理解してない、深山さん、ラシンさん、ユビさんを、相手にするには、
欠伸がでて、仕方がない。

基本ならどうして預流向を外すのだ?
あなたの屁理屈では、三向四果ではないか。
四向四果=預流向〜阿羅漢果=此岸〜彼岸=聖者集 です。
あなた流に即して言っているのだが、岸に近づかず、彼岸を
目指さない者が凡夫です。
逆に言えば此岸から彼岸へ目指すのが聖者集だとなる。
釈尊はそれを聖者の流れとの比喩であらわしたのだ。
欠伸をし過ぎてアゴを外した老人の介護をするつもりはない。
いい加減に、そのダラダラと垂らすヨダレを拭けと注意している。

桐山さんが解脱の定義を間違いているから、その教義がお笑いになるのだ。
準シュダオンさんは、それに同調して冬山に登山するのに登山靴を履かずに、
ビーチサンダルで登る愚行して、滑って転んで大分(痛)県です。
スクーバダイビングをするのに、スカイダイビングの用意して海に飛び込む?
解脱の定義を間違えるとそういうお笑いを披露することになる。

>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

子供が仮面ライダーや、ゴレンジャーの戦士だと自慢するならまだ可愛い。
だが、いい老人が、真剣に言い張るところに、
イタイのとこみ上げる笑いが付きまとう。
あなたの3.11が真実なら、知人宅へなぜ知らせてあげなかったのだ?
あなたが、他人ごとに無関心冷酷なのか、作り話なのかどちらなのだ?
あなたなら、携帯が繋がらずとも電波発信ができた筈だろ?

517ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/06(水) 08:15:25
>>507:準シュダオン11/07/05(火) 20:38:45
>批判派の三バカ大将、深山、ラシン、ユビ、さん等のレスを読む時間は、
>私にはない。

読みたくなければ読まなくてもよいが、それなら書くのもやめればよいのでは
ありませんか?
単に読むことの数倍、書くのには時間を要します。暇なんでしょうね。
相手の書いていることを読まずに自分の主張だけを繰り返す。
まあこんな醜態を世間に晒すだけで意味があるのではないかな。
私からの質問も無視ですよね?
三結断った浄められた聖者シュダオン果はガンや横変死の因縁や霊障はどうなって
いるのか?という質問です。
わからないならわからないと答えればよいものを、それすらもせずに違う話をする。
そんなものは忙しくて読んでる暇もないと言い訳しながら、別の書き込み時間を
捻出しているのを、私だけでなくギャラリー皆観察しています。
各自があなたに対する評価をしましょう。

518ラシン:2011/07/06(水) 11:48:11
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

このフレーズを見るたびに、桐山さんを思い出し苦笑します。
桐山さんほど、現実の実力に乏しくそれを補うために、
小説の中のヒーローを夢見た大人は数が少ないからだ。
だが、準シュダオンさんの夢見る自惚れ振りとは違う点がある。

たとえば、「飯綱の術」という神道の秘術の話しが記憶にあります。
いつどこかを明らかにしていない、いつもの桐山修業時のオハナシです。
行者宿でふとしたことから知り合った老行者からのお勧めが、
この空想話しの出発点です。
だが、このふとした切っ掛けを桐山さんは、自分を褒めること褒めること、
読んでいてすら恥ずかしい。
以下その部分は、天照さんのアップした「龍神が跳ぶ」より引用します。

519ラシン:2011/07/06(水) 11:49:24
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

その行者宿では、一目を置かれる老行者先生に言わせた桐山賛美です。
桐山さんを宿の自室へお茶を振舞うために招いた光景で、

「いやいやあんさんのようかたはめずらしいおす。ー中略ー
 ながいことずいぶん行者を見ているが、あんさんのようなかたは
 はじめてじゃ、とな。むずかしい本を読んだり、書き物をしとられる。
 あれはただのひとじゃないちゅてな。」

桐山さんの心底にある「オレさまは、只者じゃないんだぞ」という意識を
この小説の老行者にさりげなく語らせているわけです。
準シュダオンさんは、ここでは小説も書けず誰も代弁してくれないから、
自己申告をして笑いを誘うしかないわけなのです。

520ラシン:2011/07/06(水) 11:50:33
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

まあそれから、例の如くいつどこかを明らかにせずに「飯綱の術」の
宗家に赴き、そこの老齢の宗主と若い孫娘が登場し桐山さんこそ、
この深遠なる秘術を授けるに値する人物だ、と話が進んで行きます。
中ほどと最期でその妖艶な孫娘が桐山さんを慕う場面も描かれている。
いやあ〜、桐山さんって超能力者までをウットリとさせる魅リキに
溢れているのですよ、準シュダオンさんも羨ましい限りでしょう。
さてさあ、
いよいよ伝授されるか、と読み手を惹きつけてしかし、
その秘術は、「有漏の通力」だからと、丁重に断る場面を演出する
手の込みようなのです。
つまり桐山さんはカッコよく、「煩悩」からの超能力を退けた!スンゴイ!
しかもな〜んと「空の通力」こそ大事なのだと、思いを込めて書いた。
ようは「因縁切り」が一番、と言いたかったわけです。

桐山さんは、天地開闢の神の眷属である狐霊神を受け継ぐ宗家からの伝授を
それは「煩悩」による通力だと断った。
固く門を閉ざし、門外不出の秘術を桐山さんこそ受けるべき資格者だと言わせて、
あっさりと退けている。
う〜んカッコええ、準シュダオンさんのかなり上を行っているわね。

521ラシン:2011/07/06(水) 11:52:56
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

多くの信者をたぶらかす能力だけは、準シュダオンさんなど到底及ばない。
でもそれって実は、作り物、脚色されていて宗家の方々とも無関係なのです。
何故って?
桐山さん本人が、後書きでそのように書いているからです。
それも書いた宗家なるものの実在性すら、あやふやな言い繕いをしている。
桐山さんは、準シュダオンさんなど足許に及ばない点がこういうところにある。
小説でカッコよく求道者のヒーローを演出し、最後に一応問題が出ても、
言い逃れができるようにコメントを書いているのです。
だが読み手は、もう大枚の頁数に書かれた桐山ヒーローの印象の虜です。

ここで確認すべきことは、桐山さんが密教と初めて出会った原点としている。
その宗家の蔵にあった密教の解説本を見つけたことです。
この著書の初版は1981年2月15日とあるから、アゴン宗立宗から3年近くを経ている。
しかし書いている中身は、超能力、因縁、千座行、守護霊というオカルトです。
昔の修業時代?の経験経緯を経て、阿含経の真髄すら語っていない。
ようは桐山さんは、阿含経をマトモに読んでいないで立宗していたのでしょう。

522ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/06(水) 12:54:46
>>507:準シュダオン11/07/05(火) 20:38:45
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
>を体験してる。だから、管長の教えを真実だと、理解できる、

その洗い出しとやらは、どのくらいの期間続いて解消したのでしょうかね?
一応きまりがありまして。

523ラシン:2011/07/06(水) 14:34:46
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

いくら準シュダオンさんが懸命に自慢しても、
あなたのこの主張の限界は掲示板だけだ。
あなたは道場ですら言えないことをここで喧伝している。
自分自身が、いかにアホらしい所行なのかくらい自覚していますよね。
それがミエミエだから、なおさら笑えるのです。
桐山さんの物マネをしても、所詮匿名の掲示板のみが限界なのだ。
桐山さんはまだ自小説で自慢し、著書として発行し、
狭い信者の中だけは大いに自惚れて威張ることが出来ます。
だが、
それに比べて準シュダオンさんのなんと狭い中での好き放題。
あなたも桐山さん同様に現実社会ではなにも通用しないから、
掲示板で特別を夢見て自慢を繰り広げている。

524ラシン:2011/07/06(水) 14:35:28
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

ある事件だが、弁護士を偽って詐欺を計画したが、
出て来た本物の弁護士と直面し、弁護士登録を聞かれたら、
スタコラ逃げ去った。
桐山さんもおそらくこういう場面に、もし直面したらどうなるか。
坊さんのドチョウも示せず、アジャリの証明書もありません。
それを隠すためにチベットなどの名誉称号などで覆面をしている。
師が師なら弟子や信者もそういう妄言が通じるとバカマネをし出す。
その典型が準シュダオンさんです。
自信があるなら準シュダオンさんも、道場や職場や家庭で、
オレはな、実は仏教でいう「預流向」サマなんだよ、と言えるのか?
まあ、「預流向」と言っても聖者ではないんだけどね、と言えば
周りから大笑いです。
仏教であろうが何であろうが、準シュダオンさんが「聖者」なんて
言葉を持ち出してそれをワザワザ否定するだけでも、
自虐いっぱいで大受けをする。

525ラシン:2011/07/06(水) 14:37:42
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

あなたの普段の言動から「聖者」なんて言葉ほどいかに現実から
かけ離れているのかが、周知の事実だからですよ。
まるで、「ボクって大臣の椅子まではいってないけど政務次官なんだ」
という、冗談にもならないくらいの自意識過剰で、
周りをドン引きさせる言動と変らないからです。
剣道経験が無いくせに、自称初段を偽ってコテンパに叩かれたいらしい。

あなたは掲示板ですら、いかに自己申告をしようが、誰からも信用されない。
だからあなたが、将棋素人有段者を誇っても笑われたのです。
それは、わたしが億万長者だと誇るのと変らないほどバカらしい主張です。
掲示板では誰もその確認をできないことを知っているから、
普通の知性があれば、そういうタワゴトは例え事実でも言いません。
それを臆面もなく、何度も言えるその脳味噌に驚きを感じる。
どう考えてもそのお脳が沸騰して、スカスカになっているしか想像できない。

526ラシン:2011/07/06(水) 15:03:21
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

ウソをつく姿勢だけは、準シュダオンさんも学習した。
もちろん桐山さんほどのテクは無く、口真似だけです。
たとえば、
国や地方時自治体の問題は、法律や規制指導の数に比例する。
問題があるから、それに対処する法律が生じるのと同じで、
桐山さんのウソインチキぶりがいかに多いかが弁明と比例し、
桐山さんの他人から褒められたい意識のいかに多いかも、
氏の小説本に他者からのヨイショ発言で占められています。
それは偉ぶりたい意識が満載で、一冊の本で多量に仕込まれている。
だが桐山さんはまだ賢いから、準シュダオンさんのように自分を
自分で褒めるようなバカはしない。
必ず第三者を作り上げて、その者から桐山偉大性を言わせます。
あのE川さんや伊達さんのように、いかにも客観性を演出する。
だが実際はすべて桐山さんの創作による脚色を物語っている。
信者さんたちは、そういう桐山劇場ではただのオーディエンスに過ぎない。
それにしては、チョイと木戸銭が高すぎではないのか。

527ラシン:2011/07/06(水) 15:41:29
>私は、聖なるバイブレーションと、因縁の洗い出し現象と、3、11の霊示と、
を体験してる。

天照さんがアップしてくれた「龍神が跳ぶ」91頁です。
桐山さんの特別性、選ばれし資格者を誇る文章です。
もちろん第三者であり、今回は門を固く閉ざした宗家の主、
志満女に桐山さんの選民性を語らせている。

「当家は、ご推察の通り、飯綱明神の司家、飯綱の術の宗家でございます。
 くわしいことは、この巻物を読まれますよう。
 宗家の者以外、一切他見を許さぬ秘書でございますが、あなたには、
 とくに許しましょう。
 これを読み、とくとご勘考の上、もし受けたいとあらば、御神霊をお分けし、
 術をおさずけいたしましょう」

こうして一夜を明かした桐山さんは、なんとその御神体を御拝する機会までを
得て不思議体験で物語の価値を吊り上げた。
ところが桐山さんの後書きの、なんともまあ味気ないことこの上なしです↓。

ーあとがき 前中略ー
 おわりに「飯綱の術」のくだりは、修業時代の著者の経験からなっているが、
 地名その他一部を変え、多少の脚色もある。
 この術の「宗家」なるものが実在しているとしても、
 この本の中の宗家やそのひとびととはなんの関係もないことを附記しておきたい。

なんですかこれは? 結局は作り物、自小説だと「多少の脚色」などを理由に
言い訳を述べているだけだ。
こういう作り物を事例として、読み手に超能力の存在を植えつける。
これが桐山さんの手法です。
こういうバッカらしい受売りの典型が、準シュダオンさんだと分かれば、
少しは世に相手をされない老人の悲哀が見えてくるかもしれない。

528天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/06(水) 19:50:10
ラシンさんの引用説明は的確でわかり易いですね。本当に頷きながら拝読させていただきました。

529深山:2011/07/06(水) 23:58:22
>>451 :サライ:2011/07/03(日) 18:55:57

同じタワゴトを繰り返す老人の介護に忙殺され、ついスレが遅れまして、
失礼しました。
ご説明いただいた件、よくわかりました。
また、これだけでも十分にパクリがわかります。
こうやってみると、やはり神田の古本屋街こそが
桐山さんの「深山幽谷の修行場」だったのがよくわかります。
彼は他人の本を切り売りする宗教占い詐欺師ですね。
桐山さんの四無量心の講義が、生長の家のパクリらしいし、
学者の本は丸写しだし、ここまで来ると、「桐山ゲイカのパクリ」という
特別コーナーを設置できそうです。

530深山:2011/07/07(木) 00:00:33
>>529修正

正 同じタワゴトを繰り返す老人の介護に忙殺され、ついレスが遅れまして
誤 同じタワゴトを繰り返す老人の介護に忙殺され、ついスレが遅れまして

531天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/07(木) 06:52:08
>>529 特別Pとして本日出勤前に急いで考察室にUPしました。

この55章の>>480で無関係さんが投稿してくださった「四無量心」のアゴンマガジンと
生長の家の本との比較Pです。

直アド http://agama.zouri.jp/shinsou.html

皆様の考察の一助となれば幸いです。
最後に、私めに資料を提供いただいたお方に深く感謝申し上げます。

532ラシン:2011/07/07(木) 10:41:39
>531 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/07(木) 06:52:08
>>529 特別Pとして本日出勤前に急いで考察室にUPしました。

無関係さんの指摘が役立ち、またも批判資料となりました。
最近では、深山さんのアゴンマガジン反論、因縁解脱が
阿含経にあるとのトンデモ解説のマチガイなど、資料が
さらに充実してきております。
思い起こせば、私などの場合、アゴン宗を退転していた時期を
含めると、離れて十数年を経ています。
信者当時の資料なども捨て去ってなにもなく、
桐山さんのホウ話や行事ごとイベントなども記憶の外になり、
アゴン宗の実態にはかなり疎くなってきておりました。
しかし、こういう資料情報のおかげで再び確認することが出来ます。
このようにまとまった資料が、私が逡巡していた当時にあったなら、
私の退会ももっと早まったこだと、少々忸怩たる思いに駆られます。
何せ、退転していて2chを読みつつなかなか踏ん切りがつかなかった。
批判側と対論出来なかったことも、長引いた大きな理由の一つです。
天照さんと批判指摘や資料ご協力の皆さんには、ほんとうに感謝です。

533準シュダオン:2011/07/07(木) 11:10:52
>読みたくなければ読まなくてもよいが、それなら書くのもやめればよいのでは
>ありませんか?
>単に読むことの数倍、書くのには時間を要します。暇なんでしょうね。
>相手の書いていることを読まずに自分の主張だけを繰り返す。
>私からの質問も無視ですよね?
>三結断った浄められた聖者シュダオン果はガンや横変死の因縁や霊障はどうなって
>いるのか?という質問です。
>わからないならわからないと答えればよいものを、それすらもせずに違う話をする。

三パカ大将以外は、まだ見込みがあると思うからレスしてんです。
三結断った聖者シュダオン果のガンの因縁などどうなるか?ね。
そうね、レベル低いけど、いい質問ね。三結断ってるからシュダオンは聖者なの
です。シュダオン向はシュダオンを目標に修行している身なので、まだ聖者に
到達していないのです。「四双八輩是聖賢之衆」を訳せば、シュダオン向も
聖者になるけど、これは言葉のアヤでね、四双八輩をひとまとめに、凡夫集団か
聖者集団か、と言うならば聖者集団になるわけです。

三結断つと不堕悪趣ですから、ガンの因縁などは切れるわけです。しかし、不堕悪趣に
は二つの意味がありまして、現世でガンにならないという意味と、ガンで死んでも
三悪趣に生まれず、天に生まれる、という意味です。
だから、ガンの因縁が切れたと言っても、必ずガンにならない、という意味では
ありません、これは管長本に書いてあります。
(ユビさんの勉強不足ですw)

534準シュダオン:2011/07/07(木) 11:24:37
>その洗い出しとやらは、どのくらいの期間続いて解消したのでしょうかね?
>一応きまりがありまして。

どのくらいの期間続いたか?ということですが、ユビさんは管長のお話しを、固く
考え過ぎてはいけません。管長のガンの因縁の洗い出し現象は、管長のガンの因縁
の場合なわけです。だから、管長と同じ期間続く、と考えるのは間違いです。
因縁の種類、因縁の強さの程度によって、期間が違って来るのは当然でしょう。
私の場合は、切れた、という実感は弱くて、薄れた、という確信ですね。
期間は、管長よりは短い期間でしたよ。

535アゴン:2011/07/07(木) 11:34:56
>533 質問です。
あなたは、アゴンの修行をサボって聖者の境涯になったと必死に書き込みをされてますね。
私もアゴンの指導どおりに、必死に修行をしても、聖者といいがたい人を見かけるので、そこに異論は、ありません。

そこで、貴方が聖者になったのは、どういうことを実践して、そのような境涯になったのでしょうか?
教鞭を垂れたいなら、そこまで書き込んでみて下さい。

妄想劇場なのか、納得がいくような方法なのか、聞いてみましょう。

536ラシン:2011/07/07(木) 11:34:57
>シュダオン向はシュダオンを目標に修行している身なので、まだ聖者に
到達していないのです。「四双八輩是聖賢之衆」を訳せば、シュダオン向も
聖者になるけど、これは言葉のアヤでね、四双八輩をひとまとめに、凡夫集団か
聖者集団か、と言うならば聖者集団になるわけです。

自分で書いていて矛盾を感じないのが、準シュダオンさんです。
釈尊は「言葉のアヤ」なんて曖昧模糊など述べていません。
あなたの脳みそが、マダラ模様という”アヤ”に染め上がっているだけだ。
明確に比すれば、
「凡夫集団か聖者集団か、と言うならば聖者集団になるわけです。」と、
言わざるを得なかった”恥性”だけはあるようだ。
ならばそれで充分です、シュダオン向=聖者の仲間 となるのみ。
老人のウダウダは必要ない。

>三結断つと不堕悪趣ですから、ガンの因縁などは切れるわけです。
しかし、不堕悪趣には二つの意味がありまして、

脳が”沸騰”し続けているようで大笑いです。
あなた、ユビさんの質問の意味すら理解できず他人を嘲笑することだけは、
一人前以上のようだ。
ユビさんは、
桐山批判にたって問い質しているのに、桐山弁解を持ち込んでどうするの?
桐山教義は、地獄界の因縁にガンがあるから、不堕悪趣≠地獄界で、
因縁が切れるなんて既知の上で、三結断が、ガン・横変死の因縁・霊障に
どのように結びつくのかというロジックを証明しなさいとの質問ですよ。
あなたは、脳でお湯を沸かせるくらいの発熱量があるのだろう?
あなたの慢心度から言えば、
そんな答えはヘソで茶を沸かせるほど簡単じゃないの?

537ラシン:2011/07/07(木) 11:51:32
>三結断つと不堕悪趣ですから、ガンの因縁などは切れるわけです。
しかし、不堕悪趣には二つの意味がありまして、

準シュダオンさんは長文が読めなかったわけだからもう一度だね。
仮に桐山さんの教えだとしてそうなら、
あなたのは、単なる桐山さんの口移し(気持ち悪り〜)ではないの?
つまり、桐山レトリックの脈絡が示されていないということです。
だから、
三結断とは、ガン・横変死の因縁・霊障にどう影響しているのだ?
あなたの答えによれば、
身・見・疑惑を切ったら、どうしてガンの因縁が切れるのですか?

先ず桐山さんのその本の部分を引用して説明してください。

538アゴン:2011/07/07(木) 12:00:59
阿含宗という看板の実態は釈尊のとくアーガマをそのまま実践していないのは充分すぎるほど分かりました。
看板だけ借りて、中身は山岳密教です。神道も入ってます。

実践から徳を積み、運命転換の聖者の流れに入るのが、阿含宗管長の教えです。道徳なんてものは、アゴンの修行で仏陀の智慧を身につければおのずと生活態度は改まり、人格は完成し、人から尊敬される人物になるようになる、と言っています。
阿含宗は実践宗教です。これは間違いない。

これを外して、聖者になったなんて言ってるのですから、貴方はどういう方法で足かけ8年も、掲示板で(ププー)威張りつづける阿含宗の大先達になれたのだ?

明記してください。

539ラシン:2011/07/07(木) 12:06:42
>だから、ガンの因縁が切れたと言っても、必ずガンにならない、という意味では
ありません、これは管長本に書いてあります。

準シュダオンさんの言い分は、桐山教義の地獄界の因縁に
ガンがあるから、預流果ならガンの因縁が切れる。
つまり、不堕悪趣≠地獄界=聖者が成り立つと、
解釈していることくらいは承知なのです。
しかし、
桐山さんがそのように述べているなら、引用文を出してください。
またあなた流の解釈ならここでは不要です。
ようは、ガンや霊障など「聖者」になんの関わりも無いのですよね。
ガンになろうが、釈尊のように食あたりの横変死となろうが、
その資格者である「聖者」にどう関係するのですか?

540ラシン:2011/07/07(木) 12:18:32
>三結断つと不堕悪趣ですから、ガンの因縁などは切れるわけです。しかし、不堕悪趣に
は二つの意味がありまして、現世でガンにならないという意味と、ガンで死んでも
三悪趣に生まれず、天に生まれる、という意味です。
だから、ガンの因縁が切れたと言っても、必ずガンにならない、という意味では
ありません、これは管長本に書いてあります。

あなたは釈尊の不堕悪趣≠地獄界を根拠として、
桐山教義の地獄界=ガンの因縁をくっつけて応用した。
こういう作業を”短絡”というのです。
釈尊の地獄へは堕せずと、桐山教義のガンの因縁=地獄界とは、
ベツモノだと知るべきです。
桐山教義のガンの因縁=地獄界なんて教えを
釈尊がいつ述べたのだ?
その桐山教義じたい、阿含経のどこにあって根拠となったのだ?
こういう病気の有無と預流がどう結びつくのだと聞いている。

541深山:2011/07/07(木) 12:50:22
>>533 :準シュダオン:2011/07/07(木) 11:10:52
>三パカ大将以外は、まだ見込みがあると思うからレスしてんです。

見込みのある方って、どこにいるのですか。
書き込みをしている人で、「預流向≠聖者」などと主張しているのは
準シュダオンさん一人で、誰一人あなたの説など支持していない。
妄想がひどくて、準シュダオンさんの説を支持する歓呼の声が聞こえるのですね。
あなたと違い、普通の知性をもっている信者は、批判側の証拠を見て、
「預流向=聖者」であることを疑わない。
「預流向≠聖者」などと主張し続けているのは、あなただけです。
現役時代も、あなたはどこまでも根拠のない話を主張し続けて、
周囲が辟易したことがありましたね。
一度、こうだと言い出したら、どんなにそれが間違いだと示されても、
あなたはテコでも動かない。
子供っぽい性格がそのまま大人、いや、老人になってしまった。
あなたは人生から何も学ばず、だから、何の進歩もない人です。
周囲から侮蔑と嫌悪を買っているとも気が付かず、
自分くらいエライものはないと他人を小馬鹿にする。
哀れでミジメな男だ。

542深山:2011/07/07(木) 12:55:59
>>533 :準シュダオン:2011/07/07(木) 11:10:52
>到達していないのです。「四双八輩是聖賢之衆」を訳せば、シュダオン向も

まただ!!
あなたの引用は嘘です。

「四双八輩是聖賢之衆」(準シュダオンさんの記憶 >>266)
「四双八輩是謂如来賢聖之衆」(正しい漢訳経典)

>>512で指摘されて読んでも、「フン!」という気持ちだから、その場で忘れて
しまい、自分に自惚れがあるから、間違った記憶に頼り、こういう嘘を堂々と書く。
教祖も教祖なら、信者も経典捏造という大罪をなんとも思わない。
読んでいる信者さんたちは準シュダオンさんの頑迷さと学習能力皆無にあきれないか。
だが、それは信者さんたちも似ているのですよ。
間違いを指摘されたら、振り返って、よく検討し、間違いだと自覚して、
修正をすることです。
自分が選んだ信仰だからと桐山ゲイカにしがみつくのではなく、
自分は判断を間違えることもある凡人にすぎないと自覚することです。
間違えることが恥ずかしいのではない。
間違えたことを認めないことが恥ずかしいのです。

543深山:2011/07/07(木) 12:58:03
>>533 :準シュダオン:2011/07/07(木) 11:10:52
>聖者になるけど、これは言葉のアヤでね、四双八輩をひとまとめに、凡夫集団か

言葉のあや?
釈尊の説法に言葉のアヤなどありません。
釈尊は桐山さんと違い、なんでもストレートに説法した。
準シュダオンさんて、ほんとうに厚かましいヂイさんです。
自分の主張と違うことを釈尊が述べていると、言葉のアヤなどと言い出す。
釈尊の言葉のアヤではなく、あなたのアヤマリです。
あなたがインチキ引用した「四双八輩是聖賢之衆」の現代語訳は次のようになっている。

「・・・という四対八種の人びとが如来の神聖なる弟子たちがあるが、
(かれらを)非常に恭しく敬い、世の中の福徳の田である、と(信じる)」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、321頁)

学者たちはきちんと「四双八輩=聖者」と訳しており、アヤなどありません。
もしそんなアヤがあるというなら、脚注に説明をかくはずです。
だが、脚注にも次のように聖者だと書いている。

「また賢聖はここでは賢者聖人のこと。」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、499頁)

「四双八輩=聖者」だから「預流向=聖者」です。

544深山:2011/07/07(木) 13:00:36
>>533 :準シュダオン:2011/07/07(木) 11:10:52
>だから、ガンの因縁が切れたと言っても、必ずガンにならない、という意味では
>ありません、これは管長本に書いてあります。

初めて聞きました。
桐山ゲイカの本にあるというが、どこにあるのか、ぜひ教えてほしい。
ユビキタスさんはあなたの解釈を聞いたのではなく、アゴン宗の教義を
説明してみなさいと言ったのだから、桐山さんの本を引用しなさい。
桐山さんがこれこれと書いているなんて、あなたの記憶など信用するに値しない。
「四双八輩是聖賢之衆」のように、間違いを指摘されても、
あなたは頑迷に自分の間違いを主張するような、嘘がなんともない人間です。
小縁経には四双八輩が応供であると書いてあるのに、あなたは
それを隠して、「阿羅漢」などと書き入れて、自分に都合良いように釈尊の教法をねじ曲げた。
そして、そのことを未だにあなたは修正も釈明もせず、口を拭っている。
こんな卑怯者の準シュダオンさんの話は元の文献を見ない限り、何一つ信用できない。

545深山:2011/07/07(木) 13:04:29
>>533 :準シュダオン:2011/07/07(木) 11:10:52
>だから、ガンの因縁が切れたと言っても、必ずガンにならない、という意味では
>ありません、これは管長本に書いてあります。

私が桐山ゲイカの御著書を拝読した範囲では、
ガンの因縁が切れても、ガンにならないとは限らないという話はたしかにある。
だが、あなたの説明みたいな妙な話ではありません。
法の力で前世からのガンの因縁は切れても、相変わらず貪りの心という
心の因縁を持ったままだと、今生で新たにガンの作るという話です。
だから、貪りの心をなくし、教団に金を出せと桐山ゲイカは言いたい。
つまり、あなたみたいに解脱供養四体、冥徳解脱数体、護摩木0なんて
貪りの心のままにしている人は、前世からの悪因縁が切れないばかりか、
今生でさらに悪因縁を作っていることになる。
あなたのそのガツガツと物を食べ、タダ酒を飲むのを無上の喜びとし、
自分のためなら解脱供養や伝法会や車に金を出すのに、残留孤児の養父母の
ためにはたった百円すらも出さなかったのを見れば、
それは前世からの悪因縁ではなく、今の人生でのあなた煩悩(心の因縁)による行為です。
桐山さんと同じで、あなたはそれらを減らそうと努力もせずに、自己弁護し、
自己正当化して、煩悩のままに生活している。
桐山説によれば、その報いによるガンの因縁などの悪因縁は
今の人生で出るか、出なくても、次の人生での持ち越しになる。
準シュダオンさんの場合、供養が足りず、霊的な浄化もされていないから、
当然、前世からの悪因縁は切れていないし、さらに心の因縁が強いから、
今の人生でなした貪りの報いはあなたに返っていきます。
これがアゴン宗の教義です。

546準シュダオン:2011/07/07(木) 13:12:59
>仏教辞典の説明はこの組み合わせを示すだけです。
そして、これらは四双八輩と呼ばれ、すべて聖者です。
>「斯陀含向、斯陀含果」「阿那含向、阿那含果」「阿羅漢向、阿羅漢果」
この三組が聖者なのに、どこに「預流向、預流果」の組み合わせだけは
>聖者ではないと書いてあるのだ?
>あなたが引用した文章にもどこにもそんな説明はありません。

あらまぁ、偶然、深山さんのこのレスの部分だけが目に入ったよ。
どこに「預流向、預流果」の組み合わせだけは聖者ではないと書いてあるのだ?
とのことですが、預流向は預流(聖者の流れに入った者)を目標に修行してる身
なので、未だ聖者に到達していないのです。預流果は預流(聖者の流れに入った者)
に到達した聖者です。

「預流=聖者の流れに入った者」との説明は、岩波仏教辞典の「四向四果」の説明
にもあるし、「預流」という項の説明にもあります。
預流向の(向)とは、預流に到達していない、という意味です。
預流果の(果)とは、預流に到達した、という意味です。
こういうことは、ギャラリーなら解ると思うのですが、深山さんは頭が良すぎて、
単純なことが解らない、ようです。

547深山:2011/07/07(木) 13:19:28
>>533 :準シュダオン:2011/07/07(木) 11:10:52
>だから、ガンの因縁が切れたと言っても、必ずガンにならない、という意味では
>ありません、これは管長本に書いてあります。

桐山さんが、前世からのガンの因縁が切れたといっても、ガンにならないとは
限らないというのは、因縁霊視が外れた場合の言い訳です。
桐山さんは因縁霊視などできないから、当たらない。
だから、切れたと宣言した後で、ガンになったら、言い訳ができない。
今はよほどアゴン宗に貢献のあった人でないと、因縁がキレタとは
桐山さんは宣言してくれないが、昔はリップサービスをしていたようです。
実際、慈恵会時代の会員への話でそういうのがあった。
ところが、その後でガンになったしまったと、矛盾を指摘された。
「ガンの因縁がキレタのに、どうしてガンになったのか」と信者は迫る。
そこで桐山さんお得意の屁理屈がこれです。
つまり、法の力で前世からのガンの因縁は切ったが、
信者が新たにガンの因縁を作ったというものです。
なにせ因縁を霊視できるのは桐山さんだけですから、
不成仏霊の話と同じで、こういう屁理屈はどうにでも付けられる。
信者さんたちに気をつけてほしいのは、実際に因縁を作ったか
どうかなんて誰もわからないのですよ。
だが、貪りの心に思い当たらない人なんていないから、
桐山さんにそう言われると、反論もできない。
桐山さんの屁理屈の大勝利です。
こうやっておけば、信者は桐山さんから離れられない。
因縁をいったん切っても、また作る可能性があり、それを切るためには
やはり桐山さんに頼るしかないのだから、結局、一生奴隷です。

548深山:2011/07/07(木) 13:21:21
>>534 :準シュダオン:2011/07/07(木) 11:24:37
>私の場合は、切れた、という実感は弱くて、薄れた、という確信ですね。

こういう自己申告はアゴン宗では認められません。
因縁がキレタ、洗い出しだというのは、今でも桐山さんしか判断できない。
なぜなら、因縁を霊視する力は桐山さんしか持っていないからです。
信者が勝手に、オレの因縁は切れたとか、薄らいだなどと
判断するのはアゴン宗では御法度です。
桐山さんからきちんと御霊示をいただくか、もしくは光和のF津さんのように、
宣言してもらうかしない限り、信者の自己申告など無意味です。
そんなことは当たり前で、桐山さんが簡単に因縁を切ったことなど
認めたら、商売にならない。
自己申告など認めたら、あなたみたいな信者は勝手なことを言い出す。
因縁切りは桐山商店の重要な商品です。
ろくに金も出さない準シュダオンさんみたいな信者に大事な商品を渡すわけがない。
準シュダオンのしていることは、桐山商店の品物の万引きです。
あなたは大泥棒から盗むコソドロです。

549深山:2011/07/07(木) 13:32:17
岩波仏教辞典「四向四果」
「原始仏教や部派仏教における修行の階位で,預流向(よるこう)・預流果,一来向(いちらいこう)・
一来果,不還向(ふげんこう)・不還果,阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと.
<向>は特定の果に向かう段階,<果>は到達した境地を示す.向と果の対(双)が四種(四双)あるため,
総計で八種の段階にある人という意味で,<四双八輩(しそうはっぱい)>ともいう.
<預流>とは聖者の流れ,すなわち見道位に入ることで,最大7回欲界の人(にん)と天の間を
生れかわれば悟りを開く位.<一来>とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位.
<不還>は欲界には再び還らず色界(しきかい)に上って悟りに至る位.
<阿羅漢>は今生の終りに悟り(涅槃(ねはん))に至り再び三界には生れない位をいう.
この位に到達した者を<無学>といい,これ以前の聖者(七輩)を<有学(うがく)>という.」

550準シュダオン:2011/07/07(木) 13:32:31
>それでどこに「預流向≠聖者」と書いてあるのだ?

そういう言い方をしたら、どこに「預流向=聖者」と書いてあるのだ?

>仏教辞典の説明から、「預流向≠聖者」というのはあなたの解釈ですよね。

ならば、「預流向=聖者」というのはあなたの解釈ですよね。

>仏教辞典に書いてあるのではなく、あなたの勝手な解釈です。
>あなたは文章を書いてあるとおりに読むのではなく、
>先に自分の結論があり、書いていないことを勝手に解釈する。

と↑、いうのはあなたの勝手な解釈です。いいでしょう。公平な判断はギャラリーに
していただきましょう。

>「向は修行の目標、果は到達した境地を示す」
>など、当たり前であって、向と果は一組ずつのペアなのです。

あなたは一組ずつのペアの意味を理解しなさい。
未到達の者と、到達した者とのペアなのですよ。
向とは未到達を意味し、果とは到達したことを意味しているのです。
だから、預流向は預流(聖者の流れに入った者)に未到達を示し、
預流果は預流(聖者の流れに入った者)に到達したことを示すのです。

551アゴン:2011/07/07(木) 13:36:25
なんかいつまで、この議論がおわるのか、というくらいに準シュダオンさんはしつこい。
こういっちゃなんですが、批判がわと同じ釈尊のといた阿含経という教材で議論してるから、一番論点がぶれようがないのに、中々認めないから読んでてもアホらしくなる。

552深山:2011/07/07(木) 13:37:32
>>546 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/07/07(木) 13:12:59
>「預流=聖者の流れに入った者」との説明は、岩波仏教辞典の「四向四果」の説明
>にもあるし、「預流」という項の説明にもあります。
>預流向の(向)とは、預流に到達していない、という意味です。
>預流果の(果)とは、預流に到達した、という意味です。

また同じことを書いてる。
その説明は、四向四果ではなく、「四果」の説明です。
>>549をよく読んでみなさい。
前半四向四果の説明をした後、四果について説明しているのです。
岩波仏教辞典でのあなたが引用した説明は「果」の説明です。
「果」には預流向はない。
預流果の説明をしているであって、預流向の説明などしていないのです。
だから、預流果が聖者の流れに入った者という表記は当たり前なのです。
何について説明しているのかを無視して、辞典の言葉尻をとらえるのはやめなさい。

553深山:2011/07/07(木) 13:41:19
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)

「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

これらの文章の説明を見なさい。
四向四果とあり、それを「聖者の四つの位」と書いている。
聖者の階位は四つなのです。
あなたは勝手に八つだと思っているが、八つではない。
なぜなら、向と果は一組だからです。
四向四果とは、聖者としては四つの位を表し、しかも
四向四果のすべてが聖者です。

554準シュダオン:2011/07/07(木) 13:46:01
「預流とは聖者の流れに入った者」とは、仏教辞典に書いてあります。
「(向)は修行の目標、(果)は到達した境地を示す」とは、辞典に書いてあります。

だから、預流向とは、預流を修行の目標にしている修行者です。
そして、預流果とは、預流に到達した修行者のことです。
斯陀含向、阿那含向、阿羅漢向、も同じことです。

国会議員候補者と国会議員当選者、とは違いますね。
向と果も、それくらい違うのです。

555深山:2011/07/07(木) 13:47:56
「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

聖者の階位は四つしかない。
準シュダオンさんの理屈では斯陀含向、阿那含向、阿羅漢向は聖者ではないことになってしまう。
四向四果を八つの階位だと信じ込んでいるからです。
前に、その矛盾を他の人から皮肉として書かれても、
あなたってまったく学習しない人なのですね。
私が学生のたとえをした。
小学校から大学まで、卒業資格は四つしかない。
そして、そこで学ぶ人たちは全員が学生です。
小学生だけが学生ではないなどという人はあなただけです。

556ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/07(木) 13:49:46
>>533:準シュダオン11/07/07(木) 11:10:52
>三結断つと不堕悪趣ですから、ガンの因縁などは切れるわけです。しかし、不堕悪趣に
>は二つの意味がありまして、現世でガンにならないという意味と、ガンで死んでも
>三悪趣に生まれず、天に生まれる、という意味です。
>だから、ガンの因縁が切れたと言っても、必ずガンにならない、という意味では
>ありません、これは管長本に書いてあります。
>(ユビさんの勉強不足ですw)

管長本とは輪廻する葦のことか?
晩に帰宅したら該当箇所と思われるところを読み直してみるが、こういうのは
あなたの方から引用すべきでしょうね。
私は引用する予定です。
明朝くらいのレスになると思うが。

557準シュダオン:2011/07/07(木) 14:07:52
>これらの文章の説明を見なさい。
>四向四果とあり、それを「聖者の四つの位」と書いている。
>聖者の階位は四つなのです。
>あなたは勝手に八つだと思っているが、八つではない。
>なぜなら、向と果は一組だからです。
>四向四果とは、聖者としては四つの位を表し、しかも
>四向四果のすべてが聖者です。

あなたねぇ、四向四果のすべてが聖者なら、仏教辞典には、
「預流向とは聖者の流れに入った者」と、説明があるべきですよ。
そうではなくて、預流とは聖者の流れに入った者、なのです。

聖者の四っつの位は、正確には四果の四沙門果です。
阿羅漢果、不還果、一来果、預流果、の四つです。
阿羅漢向とは、不還果のことで、阿羅漢を修行の目標にしている不還果を
阿羅漢向と呼ぶのです。

四向四果は、算数で言えば足し算や引き算の基本です。
深山さんは、まだ、学者の説明を鵜呑みにしている段階で、内容を理解できて
いないようです。学者先生には、倶舎論の四向四果の説明をしている場合が多い
ので、注意が必要です。仏教経典の定義と倶舎論の定義は違うからです。

558準シュダオン:2011/07/07(木) 14:32:31
>聖者の階位は四つしかない。
>準シュダオンさんの理屈では斯陀含向、阿那含向、阿羅漢向は聖者ではないことになってしまう。
>四向四果を八つの階位だと信じ込んでいるからです。
>前に、その矛盾を他の人から皮肉として書かれても、
>あなたってまったく学習しない人なのですね。

あんたこそまったく学習がないねwこれじゃあ、管長の教えを誤解して、
修行も無駄なわけだよ。
四向四果を八つの階位?、勝手にデマを飛ばすんじゃない!
私が何時、そんなレスしたか。してないよ。
まぁ、邪悪な深山さんだから、そんなデマも言うだろうw。

私の理窟では斯陀含向は聖者ではなくなるだと!!
そんな考えはアホだけやねん。
斯陀含向とは預流果の別名なんだよ。
斯陀含を目標に修行している預流果のことを、敬意を表して斯陀含向と呼ぶの
です。
同じように、阿那含向=斯陀含果です。阿羅漢向=阿那含果です。
だから、昼寝ばかりしている預流果は、斯陀含向とは呼ばないのです。

まぁ、深山さんには難しくても、ギャラリーは、だんだん理解するでしょう。

559トキ:2011/07/07(木) 15:38:42
>>558

>>まぁ、深山さんには難しくても、ギャラリーは、だんだん理解するでしょう。

 私は、准シュダオンさんの投稿の意味が全然理解できません。

560アゴン:2011/07/07(木) 15:43:05
>>558 その根拠となる経典をだしてください。 そうすれば、ギャラリーも貴方に軍配をあげることも、もしかしたら、万にひとつ、あるかもしれませんよ。

561準シュダオン:2011/07/07(木) 16:27:26
>「四向四果・・・聖者の四つの位」
>(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
>聖者の階位は四つしかない。

ここは阿含仏教の、基本の部分ですからおろそかにはできません。
聖者の四つの位とは、阿羅漢果、阿那含果、斯陀含果 須陀オン果、の四つです。
四向四果が四つの位だから、阿羅漢果と阿羅漢向のペアで一つ、と数えては間違え
てしまいますよ。ここからは自分の頭で考えて見ることです。
阿羅漢果とは仏のことです。阿羅漢向はまだ仏になっていないのです。

だから、仏(阿羅漢果)と仏で無い者(阿羅漢向)を一つには出来ませんね。
では、阿羅漢向はどこの位か?というと、阿那含果に含まれるのです。
阿羅漢を目標にして修行している阿那含果に、敬意を表して阿羅漢向と呼ぶのです。
だから、阿那含果(阿羅漢向を含む)なのです。
すると、四つの位とは、
1、阿羅漢果 2、阿那含果(阿羅漢向を含む)3、斯陀含果(阿那含向を含む)
4、須陀オン果(斯陀含向を含む)
なのであり、須陀オン向は聖者の四つの位からはじき出されてしまうのです。

ここのところはややこしいので、よく瞑想して会得しましょう。

562ラシン:2011/07/07(木) 16:40:25

>ここのところはややこしいので、よく瞑想して会得しましょう。

はいはい、ウソツキ老人さんの屁理屈なら、預流向は凡夫果なのね。
一生”恥じき出されて”いなさい、来なくていいから。

563準シュダオン:2011/07/07(木) 16:47:25
>>558 その根拠となる経典をだしてください。
>そうすれば、ギャラリーも貴方に軍配をあげることも、もしかしたら、
>万にひとつ、あるかもしれませんよ。

トキさんは全然理解できなくて、アゴンさんは、もしかしたら、私に軍配を上げる
可能性も万に一つあるかも、とね。根拠となる経典か。それは沢山、引用しないと
難しいね。学者先生の解説を鵜呑みにしてるだけじゃ、難しい。
先ず、須陀オン≠須陀オン向、須陀オン=須陀オン果、であることを明確に
理解することです。これは経典に、「得須陀オン、向須陀オン、得斯陀含、向斯陀含」
と、四双八輩のことを書いてますから、須陀オンとは須陀オン果の、果の省略形である
ことが解りますね。

須陀オン=須陀オン果+須陀オン向、だと勘違いすると、完全に間違えてしまう
のです。

564ラシン:2011/07/07(木) 17:08:59
>>555 :深山:「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

>561 :準シュダオン
>すると、四つの位とは、
1、阿羅漢果 2、阿那含果(阿羅漢向を含む)3、斯陀含果(阿那含向を含む)
4、須陀オン果(斯陀含向を含む)

↑↑↑↑        ↑↑↑↑↑↑↑↑↑
はいはい、(四双)位は、むりくり四つですね。↑

はい、つぎの八輩はいくつかな? 七つしかないから足し算があわないのね。↑

はい、四向四果じゃなく三向四果なのね、足し算できないわけだね。↑

介護の時間、終了!

565深山:2011/07/07(木) 18:19:44
>>554 :準シュダオン:2011/07/07(木) 13:46:01
>国会議員候補者と国会議員当選者、とは違いますね。
>向と果も、それくらい違うのです。

あなたの国会議員のたとえは、自分に都合のよいたとえを
持ち出しただけで、釈尊の説明とは違うのだから、意味がない。
たとえとは、実態をわかりやすく説明したもので、あなたは
自説に合わせて意味を歪めている。
しかし、しつこいから、あなたのたとえを使って反論しましょう。
当選を目指す議員の肩書きは何ですか。
政治家です。
議員という資格を目指して選挙活動をしている政治家です。
当選しないと政治家と名乗っていけないなどという法律も社会常識もない。
当選した議員も政治家、まだ当選しない議員も政治家です。
これと同じで「向」は「果」にまで到達していないが、
果という当選を目指す政治家、つまり聖者です。

566深山:2011/07/07(木) 18:22:16
>>554 :準シュダオン:2011/07/07(木) 13:46:01
>「預流とは聖者の流れに入った者」とは、仏教辞典に書いてあります。
>「(向)は修行の目標、(果)は到達した境地を示す」とは、辞典に書いてあります。

だから、「預流とは聖者の流れに入った者」とは預流の説明です。
どこに預流向の説明だとあるのだ?
預流の説明が預流向の根拠にならないのは当たり前です。
あなたは二つの文章をくっつけて勝手な解釈をしているにすぎない。
あなたの国語の解釈を聞いているのではなく、経典での釈尊の説明と、
学者たちの解説などが一貫して、一致しているかどうかです。
あなたの解釈は、釈尊の経典、他の学者の説明と全部矛盾する。

「・・・という四対八種の人びとが如来の神聖なる弟子たちがあるが、
(かれらを)非常に恭しく敬い、世の中の福徳の田である、と(信じる)」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、321頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

これをあなたはどう説明するのだ?
釈尊は四双八輩が聖者だといい、学者も四向四果が聖者の位だと述べている。
「預流とは聖者の流れに入った者」という岩波仏教辞典の解説は、
預流果に対する説明であり、預流向については何もない。
あなたは勝手に預流果からが聖者なのだと解釈しているだけです。
その解釈が間違いなのは、経典など上記の記述を見れば十分です。

567深山:2011/07/07(木) 18:24:01
>>557 :準シュダオン:2011/07/07(木) 14:07:52
>深山さんは、まだ、学者の説明を鵜呑みにしている段階で、内容を理解できて
>いないようです。学者先生には、倶舎論の四向四果の説明をしている場合が多い

学者の説などアビダルマ論だなどと腐しながら、
あなたが引用した岩波仏教辞典はその学者たちが書いたのです。
どこまで厚かましいのだろう。
桐山さんも成長の家の谷口さんをさんざんこき下ろしながら、
彼の本からパクリをしたのとそっくりですね。
学者の説はアビダルマなどではありません。

「・・・という四対八種の人びとが如来の神聖なる弟子たちがあるが、
(かれらを)非常に恭しく敬い、世の中の福徳の田である、と(信じる)」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、321頁)

あなたが引用した経典で、釈尊が「四向四果=聖者」と書いている。
また、学者たちはアビダルマだけではなく、釈尊の仏教においても
「四向四果=聖者」と書いている。

「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)

原始仏教でも「四向四果=聖者」と書いてあるのが読めませんか。

568準シュダオン:2011/07/07(木) 18:26:03
知るはいっときの恥、知らぬは一生の恥、といいますからね、ラシンさんなども、
いっときの恥ですからね。四向四果について、正しいことを知りなさい。
私が正さないと、一生笑われて過ごすはめになるかも、知れないのですからねw。
アゴンさんは、平河本(長阿含経現代語訳)を、持っているんかな?
それがないと、私が根拠の経典を示しても、自分で確かめられないでしょう。
阿含宗を批判するのなら、平河本くらいは読んでからにしてほしいよね。

聖者の四つの位は、四沙門果として、阿含経典にしばしば出ています。
阿羅漢果、不還果、一来果、預流果、の四つです。
経典に、「得阿羅漢、向阿羅漢」とか出てきますが、得阿羅漢=得阿羅漢果である
ことが読み取れますか?
阿羅漢には向阿羅漢は含まれないのです。最低、これを読み取れるくらいの知力は
必要です。
深山さんなどは、「阿羅漢に、阿羅漢向は含まれないとどこに書いてある?」なんて
言うかも知れないがねw。「得阿羅漢、向阿羅漢」の表記から、阿羅漢=阿羅漢果、
なのであって、阿羅漢≠阿羅漢向であることを理解できなくてはいけませんよ。

煩悩をすべて断ったら阿羅漢果です。これにはアゴンさんも異議なしでしょう。
例えば、平河本の遊行経には、「断五下分結 不還 三結断淫怒痴薄 得斯陀含 
三結断 得須陀オン」とか出てきます。
つまり、阿含経典での四向四果の定義は、
1、阿羅漢果→煩悩をすべて断ち、後有を受けない(輪廻しない)聖者。
2、阿那含果→五下分結を断じ、この世には還らない(不還)の聖者。
3、斯陀含果→三結断じ淫怒痴薄れた、一度だけ輪廻する聖者。
4、須陀温果→三結煩悩断じ、不堕三悪趣の聖者(オンの正しい字が出ないので温)。
なのです。

そして、阿羅漢向、阿那含向、斯陀含向、須陀温向、の定義は、経典には出ていない
のです。倶舎論には、斯陀含向の定義とか、出ていますよ。修惑煩悩のこれこれを
断じた者、とかねw。しかし、それを鵜呑みにしてはいけないのです。
長阿含経とは、比較的に長い経を意味します。それなのに、得預流向、という語が
ほとんど、出て来ません。つまり、預流向は聖者の第一段階ではない、という証拠です。

わずかに、帝釈が「我是今佛弟子 得須陀オン道」と言った箇所が一箇所見られ
ますが、須陀オン向の資格条件は、佛弟子であること、以外の何も示していません。
仏弟子ならすべて聖者か?
そのあたりを、自分の頭で考えて見ることですね。

569深山:2011/07/07(木) 18:26:36
>>557 :準シュダオン:2011/07/07(木) 14:07:52
>あなたねぇ、四向四果のすべてが聖者なら、仏教辞典には、
>「預流向とは聖者の流れに入った者」と、説明があるべきですよ。

他の仏教辞典に書いてある。
ものわかりの悪い老人のために、何度でも引用してあげましょう。

「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)

これだけ明瞭に、はっきり、断定的に、
「四向四果=聖者」
と示されているのに、何をくどくどといつまでも言っているのですか。

570深山:2011/07/07(木) 18:29:28
>>558 :準シュダオン:2011/07/07(木) 14:32:31
>私の理窟では斯陀含向は聖者ではなくなるだと!!

説明されないのとわからないのでしょう?
岩波仏教辞典は預流の話をしているのに、あなたはそれを根拠にして、
預流「向」は聖者ではないと主張した。
預流向など書いていないのに、聖者ではないという根拠にした。
そんな主張がなりたつなら、岩波仏教辞典の四果の説明では、
斯陀含はあっても斯陀含向はないのだから、斯陀含向は聖者ではないことになる。
あなたの説を使うとこんなふうに矛盾すると指摘しているのです。
と、説明されてもあなたの頭では理解できないでしょうね。

571深山:2011/07/07(木) 18:33:34
>>558 :準シュダオン:2011/07/07(木) 14:32:31
>斯陀含向とは預流果の別名なんだよ。

また始まった。
過去に否定されたことを完全に無視して、同じ説を何度も何度も出す。
「預流果=斯陀含向」だという。
こんな程度の理解ですよね。
向を階位の一つだと思いこんでいる。
向は階位ではありません。
それならば、どうして釈尊はわざわざ向と果と二つ説いたのだ?
同じならいらない。
あなたみたいに適当にその場しのぎに自説を展開すると、
必ずこういう自己矛盾に突き当たるのです。
前、ペテン大作さんもそうだった。
賢いつもりでその場しのぎに屁理屈を並べるから、
途中で自家中毒に陥る。
あなたと彼の違いは、彼は矛盾を指摘され、ついに
逃げ場がなくなると、観念して、自説を取り下げたこともある。
つまり、あなたよりもまだ彼のほうがこういう面ではましということです。

572深山:2011/07/07(木) 18:36:55
>>558 :準シュダオン:2011/07/07(木) 14:32:31
>斯陀含向とは預流果の別名なんだよ。

準シュダオン説の四向四果
「預流向(四向四果に含まれない)
預流果=斯陀含向、
斯陀含果=阿那含向、
阿那含果=阿羅漢向、
阿羅漢果」

準シュダオン教の珍説です。
信者さんたちのために言うが、こんな珍説はどの経典にも、どの学者も唱えていない。
向も果も区別がつかず、両者を同列にこの人は取り扱っている。
卒業資格と資格者をごちゃ混ぜです。
準シュダオン説が成り立つなら、小学校を卒業して小卒の資格を持っている人は
中学生だということになる。
中学卒業資格者は高校生だということになり、高校卒業生は大学生らしい。
爆笑です。
信者さんたちもおかしいと思いますよね。
ところが、実はこの準シュダオン説は必ずしも彼の苦し紛れの説ではなく、
桐山説の一部なのです。

573深山:2011/07/07(木) 18:45:40
>>558 :準シュダオン:2011/07/07(木) 14:32:31
>同じように、阿那含向=斯陀含果です。阿羅漢向=阿那含果です。

「斯陀含向は、斯陀含に向かってはいるものの、まだ須陀オンの範疇です」
(『ダルマチャクラ』69号、P8)

準シュダオン説の元ネタが桐山説であるのがわかります。
「斯陀含向=預流(須陀オン)」と準シュダオンさんは短絡した。
同時に、準シュダオンさんの国語力がかなり低いのもわかる。
桐山さんは微妙に言葉を濁し、「範疇」だと言っているだけで、
準シュダオンさんのように同じだとは言っていない。
両者が同じなら、なんでわざわざ別名をつけているのかと
誰でも疑問に思うから、桐山さんも範疇という言葉で濁した。
だが、頭が単純な誰かさんは、桐山さんの意図がわからず、
同じだと決めつけてしまった。
小学校を卒業すれば、中学に進学する資格はある。
だが、だからといって、中学生ではありません。
進学しない限り、中学生(斯陀含向)にはなれない。
一方、中学生(斯陀含向)を小卒資格者(預流果)なんて言いません。
あるいは、桐山さんみたいに、小卒(預流)の範疇だ、なんて言いません。
普通は小卒者などというはずもなく、中学生(斯陀含向)です。
ところが、準シュダオン説によれば、
「少卒資格者=中学生」
ということになる。
今の日本では、全員が中学に進学するが、現実にはこれは正しくありません。
それは、たとえば、
「高校卒資格者=大学生」(準シュダオン説の「阿那含果=阿羅漢向」)
が成り立たないのをみれば明かです。
高校を卒業しても大学に進学しない学生はいくらでもいます。
高校卒の人が大学生だと限らないように、阿那含果と阿羅漢向とは別です。

574深山:2011/07/07(木) 18:54:19
>>561 :準シュダオン:2011/07/07(木) 16:27:26
>1、阿羅漢果 2、阿那含果(阿羅漢向を含む)3、斯陀含果(阿那含向を含む)
>4、須陀オン果(斯陀含向を含む)
>なのであり、須陀オン向は聖者の四つの位からはじき出されてしまうのです。

準シュダオン説の四向四果
(預流向・・・四向四果ではない)
預流果=斯陀含向、
斯陀含果=阿那含向、
阿那含果=阿羅漢向、
阿羅漢果

こういう馬鹿みたいな説を唱えるから、預流向ははみ出てしまう。
預流向が四向四果でないなんて、爆笑説を堂々と出す。
準シュダオンさんの珍説では、三向四果です。
算数ができないなどと人を小馬鹿にしながら、
自らは三と四の区別もつかない。
よくまあ、ここまで馬鹿みたいな説を堂々と並べられるものだ。
四向四果とは、この辞典での記述のように、一対をペアとする四組のことを指している。
それらは、準シュダオンさんのような切り方ではなく、
名前そのままの単純な分け方です。

四向四果の説明
「原始仏教や部派仏教における修行の階位で,預流向(よるこう)・預流果,
一来向(いちらいこう)・一来果,不還向(ふげんこう)・不還果,
阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと」 (岩波仏教辞典)

読者の皆さんはこの辞典の四向四果の説明を読んで、準シュダオンさんの
ような分け方をして、預流向は四向四果に入らないと理解しますか。
小学生でも、四向四果とは次のようなものだと分類するはずです。

預流向+預流果
斯陀含向+斯陀含果
阿那含向+阿那含果
阿羅漢向+阿羅漢果

これが四向四果の正しい分け方です。

575深山:2011/07/07(木) 18:57:24
>>558 :準シュダオン:2011/07/07(木) 14:32:31
>まぁ、深山さんには難しくても、ギャラリーは、だんだん理解するでしょう。

そのギャラリーとやらは誰のことなのだ?
あなたの説に賛成している人を私は知らない。
念のために言うが、観客も私に賛成しているのではない。
阿含経の釈尊の記述、学者の解説、これを読んで各人が判断している。
釈尊は四双八輩が聖者であり、応供であり、福田だと述べている。
つまり、預流向は聖者です。
あなたが何度も引用した経典のとおりです。
出家して仏道を歩む者はすべて聖者であり、供養に値する人たちだ
という分類は単純でわかりやすく、教師の握り拳を持たないという
釈尊らしい明快さです。
桐山さんみたいに位階に値段をつけて売ろうというさもしさが何もない。
本当はこれだけで十分です。
釈尊がそのようにおっしゃっているのだから、我々ごとき凡夫が
横から口を出すことではない。
学者の説明も四向四果は聖者だと書いているのだから、
四向四果の一つである預流向は聖者です。
ここまではっきりしている内容なのに、あなただけは断固として譲らない。
しかも、観客はあなたの説に賛成しているはずだという。
観客とは、あなたに取り憑いている霊障のホトケのことか。

576深山:2011/07/07(木) 19:19:35
>>568 :準シュダオン:2011/07/07(木) 18:26:03
>深山さんなどは、「阿羅漢に、阿羅漢向は含まれないとどこに書いてある?」なんて
>言うかも知れないがねw。「

あなたも本当に底意地が悪い男ですね。
私はその説は間違いであると認めて、撤回している。
あなたみたいに間違いを絶対に認めないのではなく、間違いは間違いと認めている。
だから、わざわざ以下を何度も並べている。

四沙門果・・・預流(=預流果)、斯陀含(=斯陀含果)、阿那含(=阿那含果)、阿羅漢(=阿 羅漢果)
四双八輩・・・預流向、預流果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢 向、阿羅漢果

あなたにお説教を賜わらなくても、読者は私がこれを最初から何度も
出してから、皆さん理解しています。
「阿羅漢=阿羅漢果」と書いてあるのが見えないか。
あなたは四向四果の説明をあれこれしているが、そういう一般論は
これまで批判側がくどいほど経典や学者の説を出して説明したから、
みんな知っているのです。
一番理解していないのはあなたです。

577深山:2011/07/07(木) 19:26:41
>>568 :準シュダオン:2011/07/07(木) 18:26:03
>そして、阿羅漢向、阿那含向、斯陀含向、須陀温向、の定義は、経典には出ていない

書いていないなど、真っ赤な嘘です。
よくまあ、ここまで寝言をいうものだ。
預流に向かうのが預流向、
斯陀含に向かうのが斯陀含向
阿那含に向かうのが阿那含向、
阿羅漢に向かうのは阿羅漢向です。
預流から阿羅漢まではすべて定義されている。
それぞれの煩悩を断ちきった境涯です。
「果」が定義されているのだから、それに向かう、つまり
それらの煩悩を断ちきりつつあるのが「向」です。
他に何があるのだ?
定義が出てこないなんて、何をとんでもないことを言い出すのだ?
桐山さんが果の定義をした阿含経講義をしている。
果という目標がはっきりすれば向は定義されるに決まっている。
「勉強して合格点を目指そう」と言っているのに、
あなたは「うーむ、合格点は示されたが、そこにどのように向かうのか
定義が示されていない」などと間抜けたことを言う。
それって、勉強したくない子供の言い訳です。

578深山:2011/07/07(木) 19:28:34
>>568 :準シュダオン:2011/07/07(木) 18:26:03
>長阿含経とは、比較的に長い経を意味します。それなのに、得預流向、という語が
>ほとんど、出て来ません。つまり、預流向は聖者の第一段階ではない、という証拠です。

阿含経は長阿含経だけではありませんよ。
準シュダオンさんて、自分が持っている阿含経がすべてだと思っているのですか。
この間、>>363であなたが同じ事を書いたから、>>387で経典を示した。
だが、まったく記憶になく、また同じ事を言う。
ほんとうにあなたってボケ老人なのですね。
私が引用したのは、「シュダオン道」の例だけで、
これに「シュダオン向」まで加えたら、相当な数になる。
ネットに大正新脩大蔵経が公開されているから、検索してごらんさない。
とても引用しきれないほど出てくる。
自分の手元の本と、あなたのちっぽけな脳をすべてだと思わないことです。

579深山:2011/07/07(木) 19:31:26
>>568 :準シュダオン:2011/07/07(木) 18:26:03
>仏弟子ならすべて聖者か?

はい、そのとおりです。
あなたの好きな長阿含経から、あなた自身が何度も引用しながら、
どこに目をつけているのだ。

「・・・という四対八種の人びとが如来の神聖なる弟子たちがあるが、
(かれらを)非常に恭しく敬い、世の中の福徳の田である、と(信じる)」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、321頁)

釈尊は、この前文で四双八輩をいちいち上げて、これら四双八輩すべてを
聖者だと断言している。
四双八輩の中に預流向が含まれる。
つまり、預流向も聖者、応供、福田だと釈尊は述べているのです。
あなたは釈尊に文句があるのか?

580アゴン:2011/07/07(木) 19:49:13
準シュダオンさん、マジでうざいわー。
理解したものもゴチャゴチャにするから、さっぱりワケワカメになるわ!

581アゴン:2011/07/07(木) 19:53:04
嘘ばっかりつくなよ!あんたは管長かっつの。

ゲイカはわかってて隠したり、確信犯っぽいところあるけど、あんたは中途半端な低脳芸人だから余計意味不明になんねん。

ヤメテヨネー。

582準シュダオン:2011/07/07(木) 19:58:05
ユビさんの言うとおり、輪廻する葦、のP256に、不堕悪趣の意味が書かれて
います。横変死の因縁が切れたといっても、絶対に横変死しないという意味では
ないのですね。横変死しても三悪道に生まれない、という意味もあるんです。
だから、批判派が、キャアキャア騒いでる意味は、、的外れなのですw。

私が、批判派から総非難を受けている、ということは、擁護派の役に立っている
証拠なんですねw。批判派から褒められたら、私も考えるでしょう。
批判派が、ここから私の退場を願うなら、私を賞賛することですよね。

すべての宗教は馬鹿げているのです。
キリスト教も、ユダヤ教もイスラムも、神道も仏教も、献金を求めます。
だから、批判派が、阿含宗を非難するのは、片手落ちなんですw。
仏教の布施供養を否定するならば、他の宗教の献金も否定しなければいけない、
のです。

583準シュダオン:2011/07/07(木) 20:06:26
深山さん、こそ阿呆ですw。
あんた、阿羅漢果と阿羅漢向を一つに出来ると思うのかい?
「仏」=阿羅漢果と、「仏未満」=阿羅漢向を一つに出来るか、という問題だよw。
チンパンジーでも解る問題さw。

時間経つほど、深山さん、ラシンさんは、恥かくだけねw.

584ラシン:2011/07/07(木) 20:39:20
>583 :準シュダオン:2011/07/07(木) 20:06:26
深山さん、こそ阿呆ですw。
あんた、阿羅漢果と阿羅漢向を一つに出来ると思うのかい?

バカっ恥も、感極まるテイタラクです、大笑い。

誰が、「阿羅漢果と阿羅漢向を一つに出来る」と言ったのだあ?

それを出してみなさい。

深山さんは、四対↓のうちの一対という解釈で説明している。
>>567
「・・・という四対八種の人びとが如来の神聖なる弟子たちがあるが、
(かれらを)非常に恭しく敬い、世の中の福徳の田である、と(信じる)」
(『現代語阿含経典 1』平河出版、321頁)
>>574 
四向四果とは、この辞典での記述のように、一対をペアとする四組のことを指している。

一つと一対は、意味が違うんですけどね。

足し算を忘れた三向四果説のご老人。

向と果を一つにしたと言う文章を
出してみなさい。
ほら、出してみなさい。

準シュダオンさんの新たな批判文の解釈ぶり→「一対は一つ」

585ラシン:2011/07/07(木) 20:49:43

さて追加だ、深山さん指摘参照。

準シュダオンさんの→↓新たな批判文への反論、↓チ〜ン解釈ぶりをググロう。

>>558:阿羅漢向=阿那含果です。→「高卒資格者(果)は、大学生(向)だ」

あなたの職場や家で言ってみなさい、大笑いされる。

586無関係な人間:2011/07/07(木) 20:55:37
>>582

 支離滅裂ですね。(笑)

587深山:2011/07/07(木) 22:27:34
>>582 :準シュダオン:2011/07/07(木) 19:58:05
>批判派が、ここから私の退場を願うなら、私を賞賛することですよね。

退場なんかしないください。
退場させる気なら、天照さんにお願いして、書き込み禁止にしています。
だが、天照さんがあなたの態度に書き込み禁止しようとした時ですら、
私や他の批判側は、禁止しないように意見を書いた。
私があなたに自重を求めるのは、相手の主張も読まない、
反論を完全無視して同じ事をくどくど繰り返す、
過去の議論を完全無視する、人を小馬鹿にしたような態度をとる点です。
だが、もちろん、あなたがそれを直せるとは思っていない。
元々、性格が性格だし、その上、脳の老化によって、抑制も効かなくなっている。
また、準シュダオンさんが暇を持てあまし、現実世界では信者すら誰も相手にくれず、
何より好きな威張り散らすことが、相手がいないためにできないという
孤独な老人だという事情も、慈悲の心で見てあげることは必要でしょう。
ただ、賞賛は期待しないでください。
あなたの慢心と自惚れと無恥の悪臭に鼻をつまみながら、我慢して、
この暑い時期に老人介護をしているのです。
その上あなたへの賞賛など期待するのは、過剰な要求というものです。

588深山:2011/07/07(木) 22:33:32
>>582 :準シュダオン:2011/07/07(木) 19:58:05
>私が、批判派から総非難を受けている、ということは、擁護派の役に立っている
>証拠なんですねw。

はい、そのとおりです。
だから、2ちゃんねるでは、あなたの書き込みを読んで、
反面教師となったので、アゴン宗を辞めます、という書き込みがあり、
こちらにも転載しましたよね。
準シュダオンさんは立派に擁護派に役だったのです。
準シュダオンさんが自惚れと妄想を垂れ流しているだけで、
アゴン宗から見て迷惑で役立たずの老人だという指摘は一面の真実ではあるが、
一方において、信者さんたちに、こんなふうにだけなりたくない、
という危機感を与えるという点では役立っているのでしょう。
あなたは今までの人生では、他人に嫌われ、迷惑をかけるばかりだったのに、
ようやくここに来て、信者の目を覚まさせるという善業を為しているのかもしれません。
あなたはこの悪業で三悪趣に墜ちても、そのおかげで救われる信者も出てきたのです。

589深山:2011/07/07(木) 22:36:54
>>582 :準シュダオン:2011/07/07(木) 19:58:05
>だから、批判派が、阿含宗を非難するのは、片手落ちなんですw。
>仏教の布施供養を否定するならば、他の宗教の献金も否定しなければいけない、
>のです。

また、批判側が書いてもいないことを勝手に捏造する。
だれが、「仏教の布施供養を否定」しましたか。
誰もそんなことは否定していない。
そもそも、釈尊は清浄な比丘たちに供養しろと説いた。
また、困っている人たちに分け与えることを説いた。
誰もそんなこと否定していない。
そればかりか、私は過去に何度か、信者さんたちにアゴン宗に金を出すくらいなら、
困っている人たちに寄付するように勧めた。
準シュダオンさんて、自分が書いていないことを書かれると、カッとなって
レスをつけるのに、他人が書いていないことを捏造することが全然平気ですね。
その温度差が、いかにもエゴイストの準シュダオンさんらしい。

590深山:2011/07/07(木) 22:39:53
>>582 :準シュダオン:2011/07/07(木) 19:58:05
>だから、批判派が、阿含宗を非難するのは、片手落ちなんですw。
>仏教の布施供養を否定するならば、他の宗教の献金も否定しなければいけない、
>のです。

あなたの主張は恒例のゴマカシですよね。
「アゴン宗の布施供養への批判」と「仏教の布施供養を否定」をすり替えた。
さも、批判側は仏教を否定したかのように見せかけた。
どうしてそうもずるく、小賢しいのだ?
よくそんな小汚い、小手先の手法を使いますね。
そういうのを見るたびに、あなたの現役時代の仕事ぶりがわかる。
批判側が批判しているのは、アゴン宗の布施供養です。
供養すれば死者が成仏するかのような嘘をつき、
信者が解脱できるような嘘をついている。
釈尊は死者成仏なんて否定しているし、供養すれば解脱できるなんて
くだらない教法は説いていません。
清浄な比丘に供養してこそ、大きな功徳にもなるだろうが、
食欲、性欲、物欲、名誉欲が人の何倍もあるような桐山さんに供養しても、
カルト宗教を広める手伝いだから、悪業にこそなれ、善業にはなりません。

591深山:2011/07/07(木) 22:46:20
>>583 :準シュダオン:2011/07/07(木) 20:06:26
>あんた、阿羅漢果と阿羅漢向を一つに出来ると思うのかい?
>「仏」=阿羅漢果と、「仏未満」=阿羅漢向を一つに出来るか、という問題だよw。

>>574に書いた下記を見て、あなたは笑っているのですか。

預流向+預流果
斯陀含向+斯陀含果
阿那含向+阿那含果
阿羅漢向+阿羅漢果

私が「+」と書いたから、両者を足し算して一つにするとあなたは
受け取ったのですね。
いかにも数行以上の文章が読めない準シュダオンさんらしい。
普通の人は「阿羅漢向+阿羅漢果」を足し算とは解釈しない。
私はこの直前に岩波仏教辞典を引用して、その四向四果の説明をわかりやすく
分類するなら、2つがペアになるという意味で「+」と表記したのです。
普通の人は文章の主旨を読みとるから、阿羅漢向と阿羅漢果を一つに
するなんて狂ったような解釈は誰もしません。
あなたの仕分けの仕方が完全な間違いだと示すために指摘したのです。
自分の間違いを指摘されても、それを阿羅漢の足し算だと解釈するとは・・・。
現役時代、あなたのミスで仲間が青くなっている時、あなたはまるで
他人事のように、くだらない冗談を言って、一人で笑っていたことがありませんか。
自分が笑われているのも、疎まれているのも気が付かないとは、あなたは本当にお幸せな人だ。

592深山:2011/07/07(木) 22:49:18
>>583 :準シュダオン:2011/07/07(木) 20:06:26
>チンパンジーでも解る問題さw。

準シュダオン説の四向四果
(預流向・・・四向四果ではない)
預流果=斯陀含向、
斯陀含果=阿那含向、
阿那含果=阿羅漢向、
阿羅漢果

上記がどうして四向四果になるか説明してください。
いくら数えても、三向四果にしかならない。
あなたは預流向は四向四果から抜けていると主張している。
預流向を抜くと、三向四果です。
だが、釈尊は四向四果が聖者だとおっしゃっている。
「4−3=1」で、一つ足りません。
ぬけている「向」は何ですか。
チンパンジーでもわかるように説明してください。
あなたの説では、もはや四向四果ではなく、ただの四果ですよね。
同じことなら、何もわざわざ別記する必要はない。
向は廃止して、全部、果だけにすればいい。
チンパンジーでもわかるように説明してください。
しかし、そうなると四双八輩はどうなるのですか。
準シュダオン説では四双「七」輩になり、これも釈尊の数え方と違う。
チンパンジーでもわかるように説明してください。
果と向は同じなのだから、四双ではありませんし、七輩でもない。
四輩です。
四輩でもいいものを、釈尊はわざわざ四双八輩と言っている。
準シュダオン説と釈尊の説ではまったく別物のように見えます。
チンパンジーでもわかるように説明してください。

593ラシン:2011/07/07(木) 23:44:35

>自分が笑われているのも、疎まれているのも気が付かないとは、あなたは本当にお幸せな人だ。

私は一つと一対は、意味が違うのだと指摘した、国語の範疇です。

足し算を忘れた三向四果説のご老人に、
向と果を一つにしたと言う文章を出してみなさいとも、促した。
だが、
深山さんの予測によれば、深山さんが>>574に書いた
あの(+)表記を、足してひとつと読み違えた可能性が
あるのですか?
まさか、(+)だから足して”一つ”だなんて考えないはずですよね。
前説を読めば、預流向+預流果とは預流向(と)預流果という
一対の図式だと分かります、、よ、ね ?

いくら深山さんでも、準シュダオンさんを愚弄していませんか。
私はこの件だけは、深山さんに、そんな〜こたぁ〜ないでしょ?と、
意見をしたい。
だって、預流向+預流果だから、1a+1b=1 だなんて解釈??
そんな高等な算数、知りま、せん。
えっ? ホントにそう考えたのですって?
おお〜っ、準シュダオンさんは神いや紙を突き破ってメビウスの輪を
今も廻り続けているのですね、終わりなき 準 廻 いや、巡廻。

まるで、ハツカネズミの新ワザ輪廻を実践して見せた、スンバラシイ!

594ラシン:2011/07/08(金) 00:19:51

ひとつ準シュダオンさんが詭弁で反論する余地を
思い出したので、先に指摘しておきます。

深山さんの指摘参照として私は>>584で、
>>558:阿羅漢向=阿那含果です。→「高卒資格者(果)は、大学生(向)だ」
を取り上げて、準シュダオンさんの沈説再説を皮肉った。

準シュダオンさんは、阿羅漢向=阿那含果は「高卒資格者(果)は、大学生(向)だ」
ではなく、「大学生(向)は、高卒資格者(果)だ」と言い返す可能性がある。
ひとつ順番を変えれば、国語的意味あいが変化する例です。
だがこれを手提げに、反論するなら仏教無知を自明するだけです。
しかも、これは確信的なのか単に偶然ボケなのか、
釈尊の四向四果をまったく捻じ曲げています。

仏教の修行段階から言えば、阿羅漢向=阿那含果という順位制は無い。
釈尊の教えに倣うなら、せめて阿那含果→=阿羅漢向→=阿羅漢果の
修行階梯の順を踏むことにならねばおかしいことになる。
四向四果を論じているのだから、出発は預流向から阿羅漢果までの順番です。
つまり、珍説でも阿那含果=阿羅漢向→「高卒資格者(果)は、大学生(向)だ」
との例えとなり、ようは大笑いとなる。
まあ、サルの知恵を凌ぐような証しをみせてください。

595ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/08(金) 01:18:13
輪廻する葦
255頁〜256頁(初版本)より

須陀オンになりますと、三悪趣に堕ちない。三悪趣というのは、つぎの三種の境界です。
地獄界、横変死の因縁
    刑獄の因縁
    肉親血縁相剋の因縁ともなうつよい家運衰退の因縁
餓鬼界、ガンの因縁
    つよい家運衰退の因縁、中途挫折により貧困に苦しむ。(無財餓鬼)
    財物を持つが、その財のためにかえっていろいろ苦しむ。(有財餓鬼)
畜生界、つよい肉体障害の因縁
    つよい脳障害の因縁
    肉親血縁相剋の因縁
こういう因縁で苦しむ境界です。これを「三悪趣」あるいは「三悪道」といって、
この三つの境界の因縁で亡くなると、必ず霊障のホトケとなります。
たんなる不成仏霊ではなく、霊障を生ずるのです。そうして、また、来世に再生
するときには、この三悪趣に生まれてきて、苦しむわけです。
この『悪趣に堕せず』には二つの意味があるので、
 一つは、現世でこれらの因縁を断ち切ってしまって、三悪趣の境界から脱出
してしまう、という意と、もう一つは、過去の業によりたとえこれらの因縁で
亡くなっても、不成仏霊とならず、天へ往生する、という意と、この二つです。
はやく自分の因縁に気がつぎ、成仏法を修してカルマを断てば、現生において
これら三悪趣の因縁を解脱し、安楽円満な人生を送ることができます。
 仏道に入ることがおくれ、カルマが十分に断てない場合でも、寿尽きてのち、
天界に往生して、二度と悪趣に落ちることがない、という二つの意を持っております。

596ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/08(金) 01:19:49
では、おやすみなさい。

597ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/08(金) 08:37:04
>>533:準シュダオン11/07/07(木) 11:10:52
>三結断つと不堕悪趣ですから、ガンの因縁などは切れるわけです。しかし、不堕悪趣に
>は二つの意味がありまして、現世でガンにならないという意味と、ガンで死んでも
>三悪趣に生まれず、天に生まれる、という意味です。
>だから、ガンの因縁が切れたと言っても、必ずガンにならない、という意味では
>ありません、これは管長本に書いてあります。
>(ユビさんの勉強不足ですw)

>>582:準シュダオン11/07/07(木) 19:58:05
>ユビさんの言うとおり、輪廻する葦、のP256に、不堕悪趣の意味が書かれて
>います。横変死の因縁が切れたといっても、絶対に横変死しないという意味では
>ないのですね。横変死しても三悪道に生まれない、という意味もあるんです。
>だから、批判派が、キャアキャア騒いでる意味は、、的外れなのですw。

この私も>>595に引用した輪廻する葦の桐山論によると、私があなたに質問した
桐山シュダオン果において、ガンや横変死の因縁や霊障はどうなる?というものに
対する一つの大きな回答となり得ます。
つまりシュダオンとして死んで後、自ら霊障になることはなく天界に赴く。
しかし死ぬ前には因縁切れずにガンで死んだり、横変死することもあるということです。
因縁は切れたのではない。切れずに遂行されてしまったのです。
ただし今生限りでそれは終息し、死後に持ち越すことはないとしたのです。
それが桐山流三悪に堕ちないです。
あなたの「因縁が切れても」という表現が適切でなかったのです。
もう少し修行に取り組むのが早く、頑張っていたらこれらの因縁も切れて
安穏な生涯を全うできたはずだと桐山さんは著書で述べたのです。
この桐山シュダオンについてはまた別途論じるかもしれません。

598準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
四向四果・・・聖者の四つの位。
これは阿含仏教の基本だから、ここを理解できていない人とは議論する気にならん。
いいですか、四つの位とは、四果です。四向は位ではありません。それは経典を
読むと解るんです。例えば増一経でもいい、四果を証得せよ、と出てきます。
四向を証得せよとは、何処の経にも出てきません。四向は位ではないからです。

で、阿羅漢果は仏です。阿羅漢向は仏ではなく、位としては阿那含果に属するの
です。深山さんは、阿羅漢果と阿羅漢向をペアとして一つの位に考えているよう
ですが、それは間違いです。聖者の位は四果の四つです。そこを理解しないから
間違えるのです。倶舎論は、預流向を見惑のいくつかを断じた聖者に定義しまし
たが、経典にはそういう記述はありません。仏弟子になった時点で預流向でしょ
うね。

四向四果は、凡夫が仏になるまでの過程です。阿羅漢向は、阿羅漢という文字が
ついてはいますが、阿羅漢=仏ではありません。阿羅漢を目標にして修行している阿那含果
に敬意を表して阿羅漢向と呼ぶのです。同じように、阿那含向は斯陀含果の位に属し、
斯陀含向は預流果の位に属し、預流向は凡夫の位です。凡夫が聖者に入ろうと修行して
のを、敬意を込めて預流向と呼ぶのです。

599アゴン:2011/07/08(金) 12:09:31
>>598
だからその根拠となる釈尊の経典をだしてくださいって。あんたの意訳なんざどうでもいい。
しかも読んでも、例えそれが嘘であっても読んで書き手の言いたいことが理解できる文章ってあるけど、あんたのは文章も支離滅裂で何を伝えたいのかもわからん。

見きり発車でエンストおこして、故障してる車がいつまでたっても廃車されず、残骸がある感じで気持ち悪い。

ほんとキモい。

600深山:2011/07/08(金) 12:20:03
>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>四向四果・・・聖者の四つの位。
>これは阿含仏教の基本だから、ここを理解できていない人とは議論する気にならん。

誰に向かって、なんの説教をしているのだ?
どうしてそんなに頭が悪いのだ?
誰が、八つの位があると書きましたか?
それを疑われているのはあなたです。
だから、私が、あなたが八つの位があると誤解しているのではないかと
疑問を投げると、あなたは、誰がそんなこと書いた!と怒った。
私は何度も、次の資料を引用した。

「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

ここに「四つの位」とある。
あなた以外の人たちは、みんなこの大学者の定義を読み、
四向四果とは四つの位だと理解しているのです。
これを引用したのは私ですよ。
あなたの上記はそれをそのままコピペしながら、
引用元すら示さず、まるで自分が大発見したかのような書き方です。
どうしてそんなに厚かましく、面の皮が厚いのだ?
他人の引用をちゃっかり拝借しながら、まるであなたは自分以外は
みんな理解していないかのように偉そうに高見からお説教を始める。
頭が老化して、他人の書いたことが理解できないことを斟酌しても、
あなたのその無知と自惚れの態度には皆さんウンザリしていることを
もっと配慮してはどうか・・・と言っても、配慮の知性すらないのだから無理か。

601深山:2011/07/08(金) 12:22:21
>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>深山さんは、阿羅漢果と阿羅漢向をペアとして一つの位に考えているよう
>ですが、それは間違いです。

間違いはあなたのほうですよ。
引用しながら、どこを読んでいるのだ?

「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

四向四果は四つの位なのです。
四果が四つの位ではなく、四向四果が四つの位です。
「向」を含んで、四つの位です。
そんなこと当たり前です。
全員が聖者なのだから、卒業資格(果)が取れないうちは、
位はないなんて、ケチなこと言いません。
あなたは位なんていうと、勲章みたいな肩書きだと思っているのでしょう。
だから、愚かだと言われるのです。
桐山さんと同じで、自分の欲望で、欲望を否定した釈尊を判断するから、理解できない。
八種類あるのに、位は四つしかないという・・さあ、あなたの頭は混乱してきた。
あなたみたいに位階だと位だのと、勲章みたいに考えているから理解できない。
私が学校のたとえをわざわざしているのに、それでも理解できない。
そしてあなたの結論はいつも同じで、矛盾だらけの自分の考えに固執して、
自惚れを足れ流しにする。

602深山:2011/07/08(金) 12:28:34
>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>倶舎論は、預流向を見惑のいくつかを断じた聖者に定義しまし
>たが、経典にはそういう記述はありません。仏弟子になった時点で預流向でしょ
>うね。

倶舎論を誰が持ち出したのだ?
倶舎論など誰も議論していない。
私は倶舎論の見惑を預流向の定義に出したことはありません。
まるで批判側が倶舎論に基づいて議論しているかのような言い方を
あなたはいつもするが、いつ私がそんな主張をした?
倶舎論を出したという証拠を示してみなさい。
出せるはずがない。
私は四向四果を議論するのに、倶舎論の独自の見解などを出して
主張したことはありません。
注意されても絶対に撤回せず、批判側は倶舎論に基づいていると言い続ける。
さすがは因縁付けのアゴン宗の信者だけのことはある。
ありもしないことでしつこく因縁をつけるのだから、ヤクザですよね。
宗教ヤクザの弟子だから、やはりヤクザなのだ
・・・脳梗塞のヤクザの介護老人が二人、いやはや。

603深山:2011/07/08(金) 12:35:02
>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>倶舎論は、預流向を見惑のいくつかを断じた聖者に定義しまし
>たが、経典にはそういう記述はありません。仏弟子になった時点で預流向でしょ
>うね。

私はあなたがそのように思いこんだ理由を知っています。
樹意さんが倶舎論を出したからです。
だが、それはあなたとの議論ではない。
ましてや、私は倶舎論の定義に賛成したことは一度もない。
だが、あなたの頭はグチャグチャだから、批判側が倶舎論を出して
議論していたのを見て、私も倶舎論に基づいて主張しているかのように錯覚した。
樹意さんが倶舎論を出し、私が阿含経を出し、両者は意見が一致しなかった。
だが、あなたはそういう議論の流れすら理解できず、
批判側を全部倶舎論だと決めつけた。
どうして、そんなに理解力も記憶力も低いのだろう。
こういう説明をされても、あなたはしばらくすると説明を忘れて、
また、批判側は倶舎論だと始まるでしょうね。

604深山:2011/07/08(金) 12:38:21
>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>倶舎論は、預流向を見惑のいくつかを断じた聖者に定義しまし
>たが、経典にはそういう記述はありません。仏弟子になった時点で預流向でしょ
>うね。

記憶力や理解力が低いは大した問題ではない。
あなたの一番の愚かさは、自分の記憶力、理解力が人並みすらないことを知らず、
逆に自分は高い知性を持っていると自惚れている点です。
だから、漢文経典を記憶だけで引用して、記憶力を誇ったつもりだったんでしょう?
漢文経典をすらすらと引用する自分はどんなもんだいと、威張ったつもりだった。
だが、記憶違いであり、あなたの記憶力とはあんな程度なのです。
だが、私から引用がデタラメであると指摘され、恥を書いても、
自分への反省が皆無だから、懲りずに、また出した。
その自惚れから来る愚かさが桐山さんとそっくりです。

605深山:2011/07/08(金) 12:40:15
>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>阿羅漢向は、阿羅漢という文字が
>ついてはいますが、阿羅漢=仏ではありません。

またインチキが始まった。
「阿羅漢=仏」です。
桐山さんですら、大乗仏教が「阿羅漢≠仏」としてしまったと激しく非難している。
阿羅漢向は仏ではない。
そんなことはあなたに説明してもらわなくても、みんな知っている。
だが、阿羅漢は仏です。
上記はあなたの書き間違いで、「阿羅漢向=仏ではありません」と
書きたかったのでしょう?
普通の人が書いたら、私はいちいち、インチキなどと批判しない。
しかし、あなたは批判側が書いてもいないことを捏造して、
注意されてもそのまま主張するなど、極めて悪質な人間だから、
文字通りに受け取り、あなたの嘘、ゴマカシ、デタラメと指摘します。
阿羅漢は仏、如来です。
嘘を書くな。

606深山:2011/07/08(金) 12:43:13
>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>凡夫が聖者に入ろうと修行して
>のを、敬意を込めて預流向と呼ぶのです。

あなたのその愚説はもうわかったから、証拠を示しなさい。
同じ事をただクドクドと繰り返さなくても、読者はあなたの珍説は理解している。
今は、>>599でアゴンさんが書いているように、皆さん、
あなたが経典の証拠を出すのを待っているのです。
あなたはもう昨日のことは忘れているのだろう。
>>560でアゴンさんから「経典の証拠」を示してほしいと言われて、
あなたは>>563でたくさんあるとだけ書いて、それっきり一つも出せないでいる。
桐山さんと同じで前置きだけ立派で、本編が何も出て来ない。
預流向が凡夫だと書いてある経典を出してみなさい。
出せるはずがない。
出せないから、また適当に経典を引用して、あとはあなたの屁理屈を
並べて、お茶を濁すつもりでしょう。
毎度あなたがしていることです。
だが、アゴンさんが要求したのは、あなたの解説ではない。
あなたの屁理屈の解釈など聞き飽きている。
ズバリ、経典です。
釈尊が「預流向は凡夫である」と述べている経典を示せと言っているのです。
釈尊の言葉だけでよく、あなたの解説などいらない。
出せるものなら、出してみなさい。
準シュダオンさんはただの嘘つき、法螺吹きにすぎない。

607深山:2011/07/08(金) 12:45:25
>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>凡夫が聖者に入ろうと修行して
>のを、敬意を込めて預流向と呼ぶのです。

敬意どころか、あなたは清浄の比丘たちを罵倒した。
彼らを凡夫と罵った。
桐山さんですらしていない悪業をしましたね。
清浄の比丘たちに供養する功徳は大きい。
逆に、彼らをけなし、罵ることの悪業の報いも大きい。
私の知るかぎり、清浄の比丘たちを凡夫と罵ったのは準シュダオンさんが初めてです。
桐山さんは如来の解脱を小解脱と罵り、信者は聖者を凡夫と罵った。
二人ともよほど地獄に墜ちたいらしい。
変わった趣味だ。

608深山:2011/07/08(金) 12:47:42
準シュダオン説の四向四果
「預流向(四向四果ではない)
預流果=斯陀含向、
斯陀含果=阿那含向、
阿那含果=阿羅漢向、
阿羅漢果」

四双八輩とは四組の八種類の人という意味です。
準シュダオン説は四組も八種類もない。
準シュダオン説は向もなく、ただの四果です。
四向四果、四双八輩と矛盾しているのを説明してみなさいと
言われても、もちろん、説明などできるはずがないから、無視する。
準シュダオンさんは説明するだけの能もないし、「卑怯者」だから、返事しない。
こういう馬鹿みたいな説にあなたの欲望がよく表れている。
あなたは位という文字に目の色を変えている。
桐山さんと同じで現役時代は肩書きを渇望していたのでしょうね。
だが、あなたは得られなかった。
だから、今でも、位という文字を見ると、異常な執着を持つ。
預流向を名乗りたがるのもその一つです。
そして四向四果とは位で区別するものだと思いこんでいる。
あなたは学校で学ぶことに重点をおかず、学歴しか価値を置いていない。
だから、四果のみに異常に執着する。
四向四果とは、煩悩を断ちきる修行過程なのだと理解すれば、
預流向を聖者から外すなんて発想そのものが起きない。
準シュダオンさんの満たされなかった欲望と執着という汚物を
四向四果になすりつけたのが、上記の準シュダオン説です。
あなたも桐山さんも、老醜という言葉がぴったりする。

609ラシン:2011/07/08(金) 13:54:19
>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
四向四果・・・聖者の四つの位。
これは阿含仏教の基本だから、ここを理解できていない人とは議論する気にならん。
いいですか、四つの位とは、四果です。四向は位ではありません。

まだわからない?
準シュダオンさんは批判側が(向)と(果)を一つの果、
または一つの定義(例えば預流向+預流果=預流)と、
解釈していると思い込んでいるのですか?
深山さんから四向四果と四沙門果とは別と正されて批判側も学んでいる。

一つではなく一対で一つの位だと指摘しているのが、
理解できないのか、しようとしないのか、たぶん出来ないのだろうね。

四向四果で四対の位、それは四対(双)の総計八人(輩)の人達です。

一つの位の中に一対が含まれているのだから一つではなく、
一対での一つの位なのです。
アゴン宗のように、ごった煮にして向果が一つと混ざったのではない。
だから、四向四果=四双八輩(四対八種)となるのだが、
準シュダオンさんの算数知識では、計算が出来ないらしい。
釈尊は、「果」を目指しなさいと述べているのです。
そこへいたるにはそれぞれ三つの果を乗り越えて最終解脱が待っている。
その説明が、四沙門「果」となっている。
三つの各果を超えて最終の果(阿羅漢果)があるだけ(3+1)です。
また、
そこへ向かうそれぞれの人達すべてをまとめて聖者だと述べている。
だから総計は、八人(種)の人達でその内訳は四組(四対)の位です。
4対(組)×2(向と果)=8種=預流向〜阿羅漢果の四向四果です。
さあ、こんがらかってください、あなたの無明度がわかる。

610アゴン:2011/07/08(金) 14:03:32
準シュダオンさんは、感情が先にたつから、批判がわの文章を冷静に読解できない。
あなたのことを、愚かだの老人だの、醜悪だの書くから、貴方はカッチーンとなって、こんな奴らにまともに相手できるかとおもって、斜め読みして半解のまま書き込む。

だが結果はやはり、批判がわのあなたの人物批評が、ギャラリーにも納得の結果になっている。

貴方はここでなんの賛辞がなくても、ただ俺は「お前らより知ってる」んだぞ、と威張りたいだけ。
じゃぁ、あなたの論拠となる経典は?と何千回きかれても、それは出さず、
だーかーらー!おれは知ってるの!なんかを、雰囲気で、なんとなくそうだってしってんの!とジタバタ足掻いて無様にジタンダ踏んでるだけ。
そういう風にしか見えない。
称賛があったら、退場するって書き込みも、精神の病に思えてならない。
称賛なんかあったら、ますます天井知らずの煙となって、いつまでも居座るから、正直に、「経典を出さないなら、ウザイから退場しろ。」と言っておく。
だって、あんたアゴンの修行の実践やらんと、ここで字面だけでやりあってるんだろうが。だったら、経典を出せ。

611アゴン:2011/07/08(金) 14:58:15
それと、深山さんらが、阿含経典を熟読しているのは、入行の動機が釈迦の真実の仏教をやれるとおもって、入行したからで、だからこの桐山氏のテキトウアゴン経が許せないから、偽りを正すために正義のために書き込んでいる。
このフィールドやり合ったら負けるに決まってるんだよ。だから私もそこは敬意をもって、読んでるんですよ。
私は入行の動機が霊的なものだったから、釈尊が無記でとかなくても、仏教を外れたとしてもそういう問題の根本原因を追求してるから、アゴンのゴッチャまぜをまだ容認してるところもある。

あんたは、なんなんだ?アゴン経典でやりあって、なにが言いたい?

612ラシン:2011/07/08(金) 15:54:06
>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
四向四果・・・聖者の四つの位。
これは阿含仏教の基本だから、ここを理解できていない人とは議論する気にならん。
いいですか、四つの位とは、四果です。四向は位ではありません。

四バカ向四バカ果・・・愚者の四つの位(種類)。
準シュダオン説の結論→四バカ果です!四バカ向は種類ではありません!

>>598
>四向四果は、凡夫が仏になるまでの過程です。阿羅漢向は、阿羅漢という文字が
ついてはいますが、阿羅漢=仏ではありません。

私、深山さんのように優しくないからそのまんまで受領、あなたは妄走したのか?

岩波仏教辞典
阿羅漢:サンスクリット語arahan(パーリ語arahant)に相当する音写.
(羅漢)とも略称する.漢訳は(応供).−以下略−
応供:供養を受けるにふさわしい者の意.サンスクリット語を音写して
(阿羅漢)という.釈尊時代のインドにおいて,宗教的な最高の境地に
達した聖者の呼称として用いられたもの.仏教でも如来の称号たる別号たる
十号の一つと数えられ,仏そのものを指したが,−以下略−

阿羅漢=如来 です。
やはりこのご老人は、根っからのウソつき人間です。

613ラシン:2011/07/08(金) 16:11:47
>>598:準シュダオン
>同じように、阿那含向は斯陀含果の位に属し、
斯陀含向は預流果の位に属し、

お〜いウソつき老人の称号にデタラメを付加すんじゃありませんよ。

同じ>>598の前書きでは、
>四向は位ではないからです。

同じカキコで、「四向は位ではないからです」と言いながら、
その九行目当りからは、「斯陀含向は預流果の位に属し、」と、
書いて、その記憶も矛盾にも気づかない。

はい、準シュダオンさんのための国語の時間です!
属する:「種類・区分に入る」ことですから「向は果の位に属し」とは、
自分で否定し疑問した一つ、にまとめてしまった。

たぶん準シュダオンさんは、「果の位」に入るのだ、と言うだろうね。
どうであろうが「属す」のなら、向は「位」じゃないの。
それじゃ言葉通りに図式するなら、向≦果 となるのだが?
これはすごい主張ですよ、自分で過去の主張をひっくり返した?

自説を言い張ると、こういう分けのわからない説で辻褄が合わなくなる。
正解は、読んでその通りに解釈すれば、
四果だけが四つの位ではなく、「四向四果が四つの位」と分かればよいのです。

614アゴン:2011/07/08(金) 17:06:57
四バカ向四バカ果・・・愚者の四つの位(種類)
準シュダオン説の結論→四バカ果です!四バカ向は種類

おもろいですね。(笑)
阿羅漢は仏じゃないって書き込みで、私もはぁ?!って思いました。自分で書いたこともよく分かってないのがよく分かる。

615ラシン:2011/07/08(金) 22:24:54
>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
四向四果・・・聖者の四つの位。
これは阿含仏教の基本だから、ここを理解できていない人とは議論する気にならん。
いいですか、四つの位とは、四果です。四向は位ではありません。

四向四果と自分で表示していても見えない?

法次法向を二つに分けた桐山さんと同じで、
表示した「四向四果」を「四向」と「四果」に分けている。
まあなんですか、釈尊の教説を手前勝手にいじくりまわす。
あなたは、何様だ?

616ラシン:2011/07/08(金) 22:26:27
>598 :準シュダオン
>それは経典を読むと解るんです。例えば増一経でもいい、
四果を証得せよ、と出てきます。
四向を証得せよとは、何処の経にも出てきません。
四向は位ではないからです。

ほうらあなたは、何も修行経験がない自惚れのアタマでっかちと
自白したようなものです。
証果を目指すのだから、どうして目指す過程を証得せねばならんのだ?
このウソつき老人は、○○駅を目指して歩いている人に、
思いっきり、「あんた、誰が駅を目指して歩けと言ったの?」と、
ボケをかましているような言行だ。
○○駅を目指せと言うことは、そこに向かって行くことで、
そんな当たり前をなんで、わざわざ言う必要があるのだ?
どこまで、脳が沸騰しているのだ、このお爺いチャマは。

合格点を取るために勉強している学生に、
このお爺いチャマは、「勉強などするな!合格しろ」と言うに等しい。

617ラシン:2011/07/08(金) 22:37:02
>598 :準シュダオン
A:>で、阿羅漢果は仏です。
B:>阿羅漢向は、阿羅漢という文字がついてはいますが、
   阿羅漢=仏ではありません。
 
ううっ、頭イテ、ま、このABの文を見比べましょう。
A 阿羅漢果=仏
B 阿羅漢≠仏
この結論じたい仏教からは全くの大間違いです。
私が示した>>612での辞典の通り、阿羅漢=仏、
もちろん、阿羅漢果も仏です。
つごうで分けるいつもの誤魔化しを手前勝手に行っている。

>阿羅漢を目標にして修行している阿那含果に敬意を表して阿羅漢向と呼ぶのです。

釈尊が敬意を表した? 勝手に作ってはいけないですね。
お得意の経典にあるなら、出せと言われても空手形ですよね。

618ラシン:2011/07/08(金) 22:39:12
>598 :準シュダオン
>阿羅漢向は仏ではなく、位としては阿那含果に属するのです。

しかし、準シュダオンさんの珍説は前述したとおり
向≦果としてしまった。
言い張って自分の言い分が迷い込んで「向≦果」を導いてしまった。
イコール阿羅漢とは、仏でない阿羅漢向と阿那含果だと力説している。
            ↓
     C:阿羅漢=阿羅漢向≦阿那含果
しかし、
同文章で、「阿那含向は斯陀含果の位に属し」とも言ってしまった。
            ↓
     D:阿那含=阿那含向≦斯陀含果

C:阿羅漢=阿羅漢向≦阿那含果 D:阿那含=阿那含向≦斯陀含果

では、Cの阿那含はDの阿那含果でもあることになり、えええっ??
    珍論:阿羅漢=Cの阿那含果=Dの阿那含=斯陀含果
       阿羅漢=斯陀含果 ??

と共通し、迷路に入って巡回し続けることになる迷子の徘徊です。
だから、
阿羅漢≠仏 と言う爆笑を買って出て結果、自爆です。

自分で恥をわざわざ、かかざるを得ない。
書きマチガイではなく、逆順を追うと確信的に
言わざるを得なかったわけです。
準シュダオンさんが、自信で導いた珍説珍論です。
もちろんこんな説は、桐山さんの著書にもなく言っていない。
迷子の老人脳が、グッチャグチャのごった煮で沸騰したのです。

619アゴン:2011/07/08(金) 23:20:26
あー。もうゴチャゴチャしてわけわからんわ。(笑)
珍説ばっかり打ち立てるから、収拾つかなくなってるやんか。大笑い。

というわけで結論。
珍説老人が一番自分の持論を分かってない。

はい、終了ー。

620天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/09(土) 08:53:17
準さんが言っているように、うちらも無視すればいいんですよ。
私なんか理解できないから準さんの記事を目を通してはいるが、
頭になんか入れませんよ。

あれ?俺も準さんと同じか、それじゃあwww

621準シュダオン:2011/07/09(土) 08:58:57
>深山さんから四向四果と四沙門果とは別と正されて批判側も学んでいる。
>一つではなく一対で一つの位だと指摘しているのが、
>理解できないのか、しようとしないのか、たぶん出来ないのだろうね。

偶然、ラシンさんの↑部分だけが目に入った。足し算も解らない人の分数論など、
聞きたくもないけど、目に入ったから、正論をレスしておくねw。
あのね、一対で一つの位なんてのはないのです、スケートのアイスダンスをして
るのではないのです。ペアで修行してるのではない、個人です。
お釈迦さまに「私は、預流向ですか?預流果?」と、聞いてご覧なさい。

お釈迦さまが、「一対で一つの位だから、お前は預流向と預流果の両方だ」と、
答えると思うのかね?そうなったら、お釈迦様は脳障害の因縁ですぜw。
深山さん、ラシンさんは、その程度のレベルなのです。

622準シュダオン:2011/07/09(土) 09:19:46
>深山さんから四向四果と四沙門果とは別と正されて批判側も学んでいる。

ここもまたおかしな事レス↑してますね。岩波仏教辞典の四向四果に、
阿羅漢果、阿羅漢向、不還果、不還向、一来果、一来向、預流果、のこと、と、
出ていますよ。四つの向と四つの果が出ているでしょうw。一桁の数もかぞえ
られないのかい?四果とは、阿羅漢果、不還果、一来果、預流果、のことだと
解るでしょう。また阿含経典の、四沙門果の説明も同じ内容です。

だから四向四果の四果とは、四果=四沙門果、なのです。
内容が同じなのですから、呼び方を変えても同じなのです。
「比丘、比丘尼、優婆塞 優婆夷」のことを四衆と呼びますね。
あるいは、四部衆とも呼びます。

内容が同じだから、四衆=四部衆、です。四果も四沙門果も同じです。

623準シュダオン:2011/07/09(土) 09:25:57
>おもろいですね。(笑)
>阿羅漢は仏じゃないって書き込みで、私もはぁ?!って思いました。
>自分で書いたこともよく分かってないのがよく分かる。

あらまぁ、アゴンさんまで、どさくさに紛れてデマ書いてらぁ。
私が、何処に、阿羅漢は仏じゃない、と書いたかね?
それは理窟で負けた批判派が、何処かにデマを書いてんだよ!
そういうデマに惑わされんじゃねえよ。
愚か者に言ってもしゃあ、ないかw。

624準シュダオン:2011/07/09(土) 09:36:59
私が書いたのは、「阿羅漢向は仏じゃない」と、書いたのです。
ここが、肝心よ。
阿羅漢向は仏じゃなくて、阿羅漢果は仏です。
だから、阿羅漢向と阿羅漢果の一対で一つの位と考えるのは、間違いです。
そういうごちゃまぜの考えをしてるから、修行にならない、のです。
先に進めなくなっているのです。

阿羅漢=阿羅漢果です。阿羅漢≠阿羅漢向です。
ここ↑大事だから、前にもレスしてます。
再度、強調して言いますよ。
仏=阿羅漢果と仏≠阿羅漢向の一対を一つの位には出来ないのです。
そういう間違いを犯してるから、批判派は、基本を突破できないでいるのです。

625準シュダオン:2011/07/09(土) 09:47:51
大乗仏教では、僧を聖者僧と凡夫僧に分けてるところがありますね。
五十二位、とかに区分しています。

阿含仏教では、預流向は凡夫僧で、預流果からが聖者僧ですね。
初心者の頃は、四双八輩が聖者僧で、そこに至らない僧が凡夫僧なのかと
考えがちですが、そうではなくて、四双八輩は釈迦の教団の全体を言うのですね。

626ラシン:2011/07/09(土) 10:52:53
>623 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:25:57
>偶然、ラシンさんの↑部分だけが目に入った。足し算も解らない人の分数論など、
聞きたくもないけど、

分数じゃない、区分けです、しっかりしなさい。
四向四果=聖者の四つの位 だから一向一果(一対)×4です。
小学生は掛け算も習うのだが、もう一度考え直したらどう。
あなたは、三向四果になって、四双八輩を説明できない。
足し算が合わないことすら確認できないのだから、
自分で三行を書いて、はじめを忘れるお笑いを演じる。

あなたは、鶏のように三歩歩むと、もう忘れてしまうのです。

>お釈迦さまが、「一対で一つの位だから、お前は預流向と預流果の両方だ」と、
答えると思うのかね?

硬い頭が悪すぎと、ボケがはいっているようです。
すでに駅の例 >>616 で述べた、読んでいないから
ズボンのチャックが開いてると教えられても、
まだ直していないどころか、パンツまで下げよったで。
ここは女性もいるのだ、少しは自重せ!

627ラシン:2011/07/09(土) 11:02:44
>623 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:25:57
>あらまぁ、アゴンさんまで、どさくさに紛れてデマ書いてらぁ。
私が、何処に、阿羅漢は仏じゃない、と書いたかね?
それは理窟で負けた批判派が、何処かにデマを書いてんだよ!

デマの本家本元にデマと言われてもね、じゃあ自分で書いたんだ。
まあこの徘徊老人さん、昨日のことをもう忘れたようだ。
あなたの沸騰した脳では、記憶が(↓)スカスカで穴だらけです。

>>598:準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>四向四果は、凡夫が仏になるまでの過程です。阿羅漢向は、阿羅漢という文字が
ついてはいますが、阿羅漢=仏ではありません。

それで、
そのあなたの仏果を目指して仏道を歩むという凡夫(預流向?)と、
では、そうでない凡夫は何と言うのだ?
そうそうあなた流では、預流向は凡夫果に属すのだろ?
釈尊もまた桐山説でもないことを言い張る醜さは、憐れだ。
適当に作って誤魔化さないように。
読み手はあなたの偏狭な屁理屈に辟易し、あきれてものが言えない。
その老臭で、
みな息ができないのだから、シャワーを浴び歯磨きとウガイをして来なさい。

628準シュダオン:2011/07/09(土) 12:07:09
それで、
>そのあなたの仏果を目指して仏道を歩むという凡夫(預流向?)と、
では、そうでない凡夫は何と言うのだ?
>そうそうあなた流では、預流向は凡夫果に属すのだろ?
>釈尊もまた桐山説でもないことを言い張る醜さは、憐れだ。

都合が悪くなると一段と言葉使いが悪くなるようですねw地が出てくるわけだ。
駅の例えは今読んだ。私が読むとは、ラシンさんも、ほんの少し、進歩したから
かもしれないね。駅の例えで言うと、仏駅に着いたのが阿羅漢果で、仏駅に向かって
歩いているのが阿羅漢向なわけだ。だから、仏駅に着いた者と、歩いている者の
一対で一つの位にするのは無理だと解ろう。

A駅に到着し、次のB駅を目指して歩いている者(B駅向)の実績は、A駅までなので
あり、その位はA駅果に属するという理窟なわけよ。解ったかい?

預流向は凡夫果?そうそう、そのとおりです。私流ではなくて、阿含経典流では
そうなるのです。人は生まれながらにして凡夫なのであり、凡夫未満の凡夫向と
は、謂阿修羅、とか餓鬼の別称です。
仏道を歩む凡夫に敬意を表して、預流向と呼ぶのです。
仏道を歩まない凡夫を、外道凡夫というのです。

だから、信者時代のラシンさんは預流向でしたけれども、退会して外道凡夫に
なったわけです。まぁ、四向四果の基本をも、理解しないままに修行していた
ので効果が出なかったのでしょう、無理もない事です。
しかし、再出発は心がけ次第で、何時からでも可能ですよ。

629ラシン:2011/07/09(土) 12:17:13
>628 :準シュダオン:2011/07/09(土) 12:07:09
>都合が悪くなると一段と言葉使いが悪くなるようですねw地が出てくるわけだ。


話をそらさず、↓の吐いた言葉のけじめをつけなさい。

>>623 :準シュダオン
>私が、何処に、阿羅漢は仏じゃない、と書いたかね?
それは理窟で負けた批判派が、何処かにデマを書いてんだよ!

>>598:準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>阿羅漢向は、阿羅漢という文字がついてはいますが、
阿羅漢=仏ではありません。

630ラシン:2011/07/09(土) 12:34:22
>628 :準シュダオン:2011/07/09(土) 12:07:09
>A駅に到着し、次のB駅を目指して歩いている者(B駅向)の実績は、A駅までなので
あり、その位はA駅果に属するという理窟なわけよ。解ったかい?

合格点を取るために勉強している学生に、
勉強などするな!合格しろ! と言う徘徊老人が何を言うんだ?

何度も深山さんが示している
「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

あなたのような徘徊老人風情が、「四向四果」を勝手に二つに
区分けなどするんじゃない。

あなた程度に合わせれば、「ワラサ(向)ブリ(果)」を
ブリ(果)だけが、「魚」だと言っているようなもので、
知能と常識の欠如で脳が爆発している。
ワラサさも「魚」だと教えられて、あなたは何と答えるんだ?

阿羅漢=仏でないと言っていたけど、デマ老人を認めたのか。
さあて、けじめ位つけられるのかな、自称預流向デマ老人がどう徘徊するのか。

631準シュダオン:2011/07/09(土) 14:05:17
>阿羅漢=仏でないと言っていたけど、デマ老人を認めたのか。

そう言って↑いるのは、深山さんとラシンさんだろうがw。
阿羅漢向は仏でないのに、阿羅漢向を阿羅漢に含めたら、仏でない阿羅漢が居る
ことになってしまうだろう。一対を一つの位にすると、そういう馬鹿げた理窟に
なるのだよ、わかったかい?

>阿羅漢=仏でないと言っていたけど、デマ老人を認めたのか。
だから、阿羅漢を仏でないといってるのは批判派の、一対で一つの位論者だよ。

632準シュダオン:2011/07/09(土) 14:39:14
しかし、ラシンさんは駅というわかりやすい例えを出してくれた。
この分だと、あと少しで阿含経の四向四果を理解できるかも知れないよ。
阿含経では、聖者の駅は四つです。

預流果駅、一来果駅、不還果駅、阿羅漢果駅、の四つです。
ところが、倶舎論では駅を増やして、全部で八つの駅にしてしまうのです。
見道位の十五心が預流向、修惑の前四つを断じたら一来向、などという具合に
倶舎論では駅を増やしたのです。それに惑わされてはいけませんよ。

阿含経では、阿羅漢果駅が最期の駅で、大聖者駅です。
阿羅漢向は、不還果駅に着いて、阿羅漢果駅を目指して歩いている者です。
一対で一つの位だと勘違いして、阿羅漢向を阿羅漢に含めると、支離滅裂に
なってしまうのです。

不還果駅は、阿羅漢果駅の一つ手前の駅です。
不還向は一来果駅を過ぎて、不還果駅を目指して歩いている途中です。
不還とは不還果のことで、不還向は、不還に含まれないのです。

だから、不還果と不還向の一対で不還という一つの位だと、考えるのは間違いです。
ためしに、仏教辞典持つ人は、「不還」を引いてご覧なさい。
岩波仏教辞典の「不還」には、「原始仏教では、五下分結煩悩を断じた者が得る位」
との説明があり、不還とは不還果のことであることが解ります。

また、同辞典の不還向の説明には、「不還向とは、前段の一来果を得たものが、次の
不還果を得ようとして修行している者」と、あります。
だから、不還向は不還に含まれないんです。一対で一つの位と考えるのは間違いです。
もしも、仏教学者で、深山さんみたいに、一対で一つの位だと考える人がいたら、
、間違いですから指摘してあげましょう。

633準シュダオン:2011/07/09(土) 15:24:22
>あなた程度に合わせれば、「ワラサ(向)ブリ(果)」を
>ブリ(果)だけが、「魚」だと言っているようなもので、
>知能と常識の欠如で脳が爆発している。
>ワラサさも「魚」だと教えられて、あなたは何と答えるんだ?

駅の例えは巧いけど、出世魚の例えは拙いよ、誤解してしまうだろう。
修行のスタート地点は、預流果駅を目指して歩く預流向からです。
信者になって修行を始めたら預流向なんです。
その預流向の自覚があって、はじめて三結断じた預流果の目標が見えるわけで、
預流向を聖者だと考えていたら、最初の目標は預流向になってしまうでしょう。

じゃあ、具体的に、どうすれば預流向になれるの?で、ん?
そんなの経典の何処にも書いてないよ!
三結断じたら預流果です、と、預流果になる条件は具体的で解るけど、
肝心のスタート地点の預流向になる方法が、経典の何処にも書いてない。
まぁ、倶舎論には書いてあるけど、それにはウソも多いし。

というわけで、預流向を聖者だと考えていた批判派は、具体的に預流向になる
方法が解らず、修行に躓いたわけでしょう。
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」というお釈迦さまの言葉は、
「我が弟子は、すべて聖者衆なり」と、おっしゃっているわけで、それを額面
どおりに受け取ってよいものでしょうかね。
預流向は凡夫で、預流果からが聖者の流れに入った聖者、だと経典からは読み
取れますよ。

634準シュダオン:2011/07/09(土) 15:34:07
>>598:準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>阿羅漢向は、阿羅漢という文字がついてはいますが、
>阿羅漢=仏ではありません。

大変失礼。これ↑を見落としていました。
これは他のレスを見れば解るように、阿羅漢向=仏ではありません、と書こうと
して「向」を落としたのですよ。
 こりゃあ、意地の悪い揚げ足とりみたいな指摘ですよ。
他にもケアレスミスは、あるはずですが、判読してくださいよ。

635深山:2011/07/09(土) 15:44:53
>>634 :準シュダオン:2011/07/09(土) 15:34:07
>これは他のレスを見れば解るように、阿羅漢向=仏ではありません、と書こうと
>して「向」を落としたのですよ。
> こりゃあ、意地の悪い揚げ足とりみたいな指摘ですよ。
>他にもケアレスミスは、あるはずですが、判読してくださいよ。

では、今まであなたが我々にした非礼、無礼を撤回しなさい。
我々はただの一度も阿羅漢が仏でないなど書いたことがないにも
関わらず、こちらが書いてもいないことをくどくど何度も書き、
それを反論しても、あなたはただの一度も修正をしたことも撤回したこともない。
自分のこととなると、揚げ足取りなどと弁護しながら、
他人への無礼は謝ろうとすらしない。
この件について、あなたが午前中から批判側を罵り続けたことを謝罪しなさい。
なんて、言っても、あなたは何もせずに、素知らぬふりをするタヌキだから、
あなたの間違いを引用して、ボケ老人ぶりを笑ってあげます。

636深山:2011/07/09(土) 15:46:02
>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>阿羅漢向は、阿羅漢という文字が
>ついてはいますが、阿羅漢=仏ではありません。
>>623 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:25:57
>私が、何処に、阿羅漢は仏じゃない、と書いたかね?

598に書いたあなたの文字を読んでみなさい。
「阿羅漢=仏ではありません」
これはあなたが書いた文字です。
読めないのですか。
阿羅漢が仏でないと準シュダオンさんが書いている。
昨日自分が書いたことも忘れているのだ。
アゴンさんだけでなく、私からもラシンさんからも
その点を指摘されているのに、自分が書いた文章すら
この人は読めないのだ!?
昼飯を食ったことも忘れて、「私が、いつ飯を食ったかね?」
などと周囲に吠えているのでしょう。
本物のボケ老人です。

637深山:2011/07/09(土) 15:47:21
>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>阿羅漢向は、阿羅漢という文字が
>ついてはいますが、阿羅漢=仏ではありません。
>>624 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:36:59
>私が書いたのは、「阿羅漢向は仏じゃない」と、書いたのです。

さあ、皆さんでこのボケ老人をあざ笑いましょう。
私が指摘したとおりでしょう。
彼は、「阿羅漢向=仏ではありません」と書いたつもりだったのです。
それを「阿羅漢=仏ではありません」と書いてしまった。
私やラシンさん、アゴンさんから、笑われても、何を笑われているか
それすらも本人は分からない。
自分の思い込みばかりで、他人の文章が、読めないし、理解できないばかりか、
自分の文章すらこの人は読めないほど脳が老化している。
他人のミスをあざ笑うなんて、私はしたくない。
だが、この自惚れしか脳味噌に入っていない老人だけは、
あざ笑ってあげるのが礼儀というものでしょう。

638深山:2011/07/09(土) 15:49:09
>>624 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:36:59
>そういう間違いを犯してるから、批判派は、基本を突破できないでいるのです。

間違いをしたのは準シュダオンさん、あなたです。
基本を突破どころか、自分の書いた間違いすらわからない脳味噌です。
>>598で自分が書いた文字をよんでごらんなさい。

>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。

これがあなたが書いた文章です。
阿羅漢を仏でないと書いている。
阿羅漢を仏ではないと書いたのは批判側ではなく、準シュダオンさんです。
自分の書いた文章の意味もわからないそうだ。

639深山:2011/07/09(土) 15:51:24
>>631 :準シュダオン:2011/07/09(土) 14:05:17
>そう言って↑いるのは、深山さんとラシンさんだろうがw。

あなたの間違いを認めるなら、私やラシンさんがそう書いたという
この誹謗中傷を謝罪して撤回しなさい。
などと、いくら書かれても、あなたは無視する。
あなたって、どこまで嘘つきなのだろう。
もう一回コピペしてやるから、自分の書いた文章をよく読んでみなさい。

>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。

準シュダオンさんて、自分が昼飯を食ったのを忘れて、目の前にいる人に
「おれの昼飯をおまえ食ったな」と言っているボケ老人そのまんまです。

640深山:2011/07/09(土) 15:53:04
>>621 :準シュダオン:2011/07/09(土) 08:58:57
>お釈迦さまが、「一対で一つの位だから、お前は預流向と預流果の両方だ」と、
>答えると思うのかね?そうなったら、お釈迦様は脳障害の因縁ですぜw。

私の名前を出すなら、私が書いてもないことを書くな!
あなたみたいに、向と果を同じ物だなんて主張したことは一度もない。
預流向と預流果は一対であり、一つの位階です。
あなたは名誉餓鬼だから、肩書きでしか物事が考えられないから、
一対で一つの位階だという意味がわからない。
おまけに、自分の文章すら読めない頭の悪さを棚に上げて、
「お釈迦様は脳障害の因縁」!!??
言うに事欠いて、如来の誹謗がよほど好きらしい。

641深山:2011/07/09(土) 15:55:08
>>622 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:19:46
>ここもまたおかしな事レス↑してますね。岩波仏教辞典の四向四果に、
>阿羅漢果、阿羅漢向、不還果、不還向、一来果、一来向、預流果、のこと、と、

おかしいのはあなたの頭です。
どうして、準シュダオンさんて、こういう嘘を堂々と書くのだ?!
どうして、預流向を抜いて表記するのだ?
どさくさに紛れて、とんでもないことをする男だ。

「原始仏教や部派仏教における修行の階位で,預流向(よるこう)・預流果,
一来向(いちらいこう)・一来果,不還向(ふげんこう)・不還果,
阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと」(『岩波仏教辞典』)

四向四果の説明には預流向がちゃんと入っています。
それなのに、抜いて、いかにも岩波仏教辞典の四向四果には預流向が
ないかのようにみせかけようとした。
セコイ、小狡い、小悪党、コソドロ。
あなたって、古狸そのものですね。

642深山:2011/07/09(土) 15:57:00
>>622 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:19:46
>だから四向四果の四果とは、四果=四沙門果、なのです。
>内容が同じなのですから、呼び方を変えても同じなのです。

四向四果の四果が四沙門果のことだなんて
あなた如きに説明されてなくも、みんな知っている。
それを理解した上で、四向四果と四沙門果は切り口が違うと指摘しているのです。
四沙門果には、果だけを数え、向の話は出てきません。
向が出てこないのだから、同じ内容ではありません。
準シュダオンさんは未だに区別が付かないでしょう?
私が何度も並べた下記の説明の意味が理解できないのでしょう?

四沙門果・・・預流(=預流果)、斯陀含(=斯陀含果)、阿那含(=阿那含果)、阿羅漢(=阿羅漢果)
四双八輩・・・預流向、預流果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果

643深山:2011/07/09(土) 16:01:21
>>625 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:47:51
>阿含仏教では、預流向は凡夫僧で、預流果からが聖者僧ですね。

このようなことを書いてある経典を示しなさい。
預流向の比丘が凡夫僧であるなどという阿含経も
学者の説も私は見たことも聞いたこともない。
全部、あなたの空想ですよね。
つまり、口から出任せの嘘です。
一昨日から、アゴンさんからあなたに請求されたのは、
こういう勝手な解釈ではなく、阿含経です。
釈尊が「預流向≠聖者」と言ったという証拠です。
あなたの解説や解釈はいらないのです。

644深山:2011/07/09(土) 16:09:59
>>628 :準シュダオン:2011/07/09(土) 12:07:09
>預流向は凡夫果?そうそう、そのとおりです。私流ではなくて、阿含経典流では
>そうなるのです。

いいえ、あなたの私流というか、ただの嘘、妄想です。
何一つ根拠のないあなた個人の見解を述べているにすぎない。
>>632-633など、長々しい無意味な説明はいらない。
誰もあなたの解釈など聞いていない。
もうそういう話はいらないと、アゴンさんからも言われている。
アゴンさんがあなたに請求しているのは、
「預流向≠聖者」ということを示す阿含経です。
あなたの意味不明の長たらしい解釈など、我流の解釈にすぎないことは、
私が何度も解説しているから、読者はみんな知っているのです。
アゴンさんから、阿含経を根拠を示すように要求されても、
あなたはそれらを示すことができない。
そこで、朝から、延々と自己流の解釈を書き殴ることで、
ごまかすつもりでいるのでしょう?
無駄です。
何をどう書こうが、逃げられない。
というよりも、逃がさない。
あなたは「預流向≠聖者」という阿含経の根拠を求められている。
さあ、出しなさい。

645深山:2011/07/09(土) 16:31:08
>>634 :準シュダオン:2011/07/09(土) 15:34:07

小縁経の件はどうなったのだ。
阿羅漢と書き入れたあなたの犯罪の件はどうなったのだ。
頭のボケ始めた老人を今まではあまり追求したら気の毒だと思って、
適当な時期から書かないようにして来たが、それをすると、
あなたはゴマカシが効いたとばかりに、調子に乗るようだから、
私はあなたのシッポを放すのをやめることにしよう。
小縁経の件はかれこれ一ヶ月近くなるというのに、
未だにあなたからは謝罪も撤回もない。
逃げられると思いなさんな。
ここはあなたが生きた来た社会と違い、文字となってすべて残る。
「阿羅漢≠仏」の件も、逃げられなくなった。
あれが現実世界なら、言葉だから、逃げられた。
あなたが私の文章を読み飛ばしても、他の人はみんな読んでいる。
ずっと、あなたの嘘つきぶり、デタラメぶり、妄想ぶり、
そして姑息で卑怯な態度を指摘してあげます。
まず、アゴンさんの要求に従い、阿含経から
「預流向≠聖者」と釈尊が述べている文章を出しなさい。
いっぱいあるとあなたは書いた。
それが嘘でないことを示してみなさい。
男なら、ミジメに屁理屈を並べて逃げまどうのではなく、
女性の前で少しは格好をつけてみなさい。

646名無しさん:2011/07/10(日) 03:28:16
準シュダオンさん、もう止めていただけませんか
あなたは批判側の結束を固めるのに貢献しているだけの存在になっています

理由がどうであれ、老人がいたぶられている様子はあまり見ていたくないものです

647アゴン:2011/07/10(日) 08:11:05
>>546 やめへんやめへん。(笑)
この人は、イタブラレてるなんて思ってないから。

過去にあわれんでみたこともあったが、アホらしくなるほどの厚顔無恥。だから本人のためにはっきり、論拠を出せ。というのが正しいのです。

648アゴン:2011/07/10(日) 08:12:00
>>646 の間違いです。寝ぼけー。

649準シュダオン:2011/07/10(日) 08:54:11
阿羅漢=仏ではない、とミステイクして顰蹙をかったが、深山さんの言うように、
一対を一つの位と考えると、阿羅漢=仏ではない、ということも半分正しい、という
へんてこなことになってしまうのです。なぜそうなるか、考えてご覧なさい。

阿羅漢果は仏です。阿羅漢向は仏ではありません。
そして、阿羅漢果と阿羅漢向の一対を一つの位として、阿羅漢という名を与えたと
しましょう。さあ、どうなるか、阿羅漢=仏ではない、という主張が半分正しいと
いう珍現象が出てしまう。だから、一対で一つの位と考えるのは間違いです。

阿羅漢=仏ではない、というミステイクが、とんだ怪我の功名になって、
解りやすい例えになったでしょう。
ここを理解しないと、先に進んでも無駄ですよ。
四向四果は阿含仏教の基本ですからね。

650準シュダオン:2011/07/10(日) 09:02:08
四向四果→聖者の四つの位、の意味は、厳密には四果が聖者の四つの位という
意味です。仮に中村先生に、「一対で一つの位ですか?」と、訊ねたら、
「いや、違う。厳密には四果が四つの位だよ。」と、答えるでしょう。
今は、中村先生、他界していて聞けないが、昨夜夢見て訊ねたら、そう答えたねw。

651準シュダオン:2011/07/10(日) 09:28:58
ユビキタスさんは、大海を仏の悟りに例え、預流を山の源流の一滴に例えたレスを
したことがあったから、ほぼ四向四果を理解してると思う。
しかし、批判派の仲間として深山さんの間違いを指摘することは出来ないのだるう。
ラシンさんは、駅に例えたから、いずれは四向四果を理解し、預流果からが聖者だ
ということを理解するであろう。

川の山の源流を探している状態が預流向です。源流が見つからず、探すのを止めて
しまう預流向もいる。だから預流向は正式な聖者ではない。
預流果は山の源流を見つけた者です。あとは流れに沿って谷川、平地の大河、大海へ
と至るだけです。だから預流果を、仏道から不退転の境地というのでしょう。

預流果駅を見つけたら、最初の聖者です。あとは線路が見えるから、次の駅の方向が
判るので簡単に進めます。最初の駅を見つけるのが一番大変です。そのように管長本
には書かれています。四つの駅の、駅を通過するごとに一つの位が与えられます。
最初の駅は預流果駅です、そこを通過すれば預流果の称号が与えられます。
預流果が、二つ目の一来駅を目指して歩いていれば、一来向の称号が与えられます
が、途中で歩くのを止めて昼寝ばかりしていると、預流果に戻ります。
だから、一来向の正式な位は預流果に属するのです。

不還向、阿羅漢向、も同じ理窟です。
預流向は、凡人果に属するのです。

652深山:2011/07/10(日) 10:14:47
>>649 :準シュダオン:2011/07/10(日) 08:54:11
>阿羅漢=仏ではない、とミステイクして顰蹙をかったが、深山さんの言うように、
>一対を一つの位と考えると、阿羅漢=仏ではない、ということも半分正しい、という
>へんてこなことになってしまうのです。なぜそうなるか、考えてご覧なさい。

誰もあなたほど脳が腐っていないから、そんな考えは出てきません。
批判側はただの一度も「阿羅漢≠仏」などと書いたことはない。
「阿羅漢≠仏」と書いてたのはあなただろうが。
それを批判側が書いたなどと因縁を付けた。
自分の言葉に責任を取るどころか、まだ批判側が「阿羅漢≠仏」と
言っているかのような書き方をする。
本当に盗人猛々しい男だ。
それならば、私もあなたの責任を追及しよう。

>>631 :準シュダオン:2011/07/09(土) 14:05:17
>そう言って↑いるのは、深山さんとラシンさんだろうがw。
>だから、阿羅漢を仏でないといってるのは批判派の、一対で一つの位論者だよ。

631で、あなたは批判側が「阿羅漢≠仏」と書いたと非難した。
さあ、証拠を出しなさい。
あなたは嘘つきです。
批判側はただの一度も「阿羅漢≠仏」などと書いたことがない。
書いたのはあなたです。
もう忘れてしまったようだから、あなたが記憶できるまで何度でも書いてあげましょう。

>>598 :準シュダオン:2011/07/08(金) 10:32:04
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。
>阿羅漢=仏ではありません。

653深山:2011/07/10(日) 10:23:12
>>649 :準シュダオン:2011/07/10(日) 08:54:11
>さあ、どうなるか、阿羅漢=仏ではない、という主張が半分正しいと
>いう珍現象が出てしまう。

珍現象が出てくるのは準シュダオンさんの頭だけです。
あなたは階位を阿羅漢という果だけと限定しているから、
そんなアホウな結論が出てくるのです。
ラシンさんからあれほどわかりやすく説明されても、
あなたは読みもしなければ、理解もできない。
阿羅漢果と阿羅漢向は一組で階位を表すのです。

「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

これだけ簡単明瞭でわかりやすい説明があなたは理解できない。
この文章に、下記の岩波仏教辞典の四向四果の説明を加えてみなさい。

「四向四果・・・原始仏教や部派仏教における修行の階位で,預流向(よるこう)・預流果,
一来向(いちらいこう)・一来果,不還向(ふげんこう)・不還果,
阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと」(岩波仏教辞典)

この二つの解説から、預流向と預流果が一組であり、二つで一組の位であり、
二つとも聖者であることは十歳以上の子供でも理解できる。
理解できないのは自惚れしか脳に詰まっていない準シュダオンさんだけです。

654深山:2011/07/10(日) 10:26:02
>>649 :準シュダオン:2011/07/10(日) 08:54:11
>いう珍現象が出てしまう。

準シュダオン説の四向四果
「預流向(四向四果ではない)
預流果=斯陀含向、
斯陀含果=阿那含向、
阿那含果=阿羅漢向、
阿羅漢果」

珍現象が出てくるのは準シュダオン説です。
これのどこが四向四果、四双八輩なのだ?
四向四果ではなく、三向四果で、四双八輩ではなく、三双七輩で、しかも、向がない。
あなたの頭の状態と同じでメチャクチャです。

「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)

釈尊も学者も四向四果が全部聖者だと言っているのです。
「預流向≠聖者」という珍説は準シュダオンさんだけです。

655深山:2011/07/10(日) 10:32:25
>>650 :準シュダオン:2011/07/10(日) 09:02:08
>四向四果→聖者の四つの位、の意味は、厳密には四果が聖者の四つの位という

そんな説はあなた以外、誰も唱えていない。
「四向四果→聖者の四つの位」は文字通りの意味しかない。
あなたの勝手解釈など誰も聞いていないのだ。
あなたは学者を小馬鹿にしているようだが、
学者が、四向四果が四つの位、と書いたら、四向四果が四つの位、です。
桐山さんの秘伝の切り売りや、あなたのその場しのぎの話と違い、
学者は言葉を選び、表現を選び、別な意味など持たせない。
「四向四果が四つの位」と書いているのだから、
果と向が一組で一つの位を表し、それが四組あるから、四つの位です。
こんな程度は、子供でも理解できる。
あなたの老人脳解釈はいらんから、オムツの中にしまいなさい。
・・・あ、間違えた、オツムの中にしまいなさい。

656深山:2011/07/10(日) 10:36:01
>>651 :準シュダオン:2011/07/10(日) 09:28:58
>預流向は、凡人果に属するのです。

あなたが解釈を長々と出すたびに、根拠を示せないのをごまかそうとしているのがよくわかる。
長々と書くと、すっかり自分の説が証明されたかのように錯覚しているのでしょう。
解釈などいらない。
証拠を出せと言っているのだ。
頭がボケてしまい、何を議論しているのかも忘れているようだから、
アゴンさんの要求を転載してあげます

>>560 :アゴン:2011/07/07(木) 15:43:05
>その根拠となる経典をだしてください。

これに対して、準シュダオンさんは次のように答えた。

>>563 :準シュダオン:2011/07/07(木) 16:47:25
>根拠となる経典か。それは沢山、引用しないと難しいね。

この書き込みから三日たっても何も出てこない。
くどくどあなたの馬鹿みたいな解説を書いている暇があるなら、
その沢山あるという経典とやらを少しずつでもいいから、引用しなさい。
やれるものなら、やってみなさい。
やれないから、長々と自己流の解釈を書いて、ごまかそうという魂胆でしょう。
そんなこといくらやっても無駄です。
他の人はあなたほど頭が老化していない。
ユビキタスさんやラシンさんを何とか自分のほうに引き入れようとしているらしいが、
二人とも鼻をつまんでいる。
その前に、信者であるアゴンさんの質問に答えて、彼女を説得してみなさい。

657名無しさん:2011/07/10(日) 10:49:16
準シュダオンさんを追い込めば準シュダオンさんが治るのですか

それ以外にやることはないかもしれませんが

658深山:2011/07/10(日) 12:43:27
>>657 :名無しさん:2011/07/10(日) 10:49:16
>準シュダオンさんを追い込めば準シュダオンさんが治るのですか

誤解されているようだが、私は準シュダオンさんを追い込んでいるのでも、
治そうとしているのでも、彼を説得しているのでもなく、
スレに彼がまき散らした汚物を片づけているだけです。
預流向の件も、結論はもう何年も前に出ている。
老人介護だと何度も書いているとおりです。
老人介護とは皮肉で書いているのではなく、そのままです。
彼は元々あまり知性が高いほうではない上に、さらに脳梗塞で脳を病んでいる。
少なかった知性は衰退して、慢心と思い込みだけはそのまま残った。
だから、何をどう説明されても、彼には理解できない。
預流向の議論は預流向が聖者かどうかではなく、
彼が自分が預流向と名乗ったことを正当化するための屁理屈です。
だから、どんなに経典や学者の解説など出しても、彼は絶対に受け入れない。
批判や反論は斜め読みか、読んでもその場で忘れて、
また、元の準シュダオン教という穴の中ではいずりまわるだけです。
気が付きませんか。
昨日も今日も、午前中、彼は同じ事の繰り返しにすぎないのだが、
準シュダオン教を書きまくっている。
ああやって、同じ事を書きまくることで、自分の汚物をスレにまき散らし、
すっかり準シュダオン教が正しいかのように、錯覚するのです。
ユビキタスさんやラシンさんですら、彼に歩み寄っていると錯覚している。
老人介護だから、介護老人を追い込むことも、治すこともできません。
汚物を片づけないと、ますます彼は喜んで、自分の汚物をまき散らします。
こういう老人介護の仕事は単純作業のくりかえしで、汚物を早めに片づけることです。

659準シュダオン:2011/07/10(日) 12:55:44
>>560 :アゴン:2011/07/07(木) 15:43:05
>その根拠となる経典をだしてください。

初心者じゃあるまいし、何処にも沢山あるでしょう。例えば、経典のあちこちに、
「三結尽 得須陀オン 三結尽貪瞋痴薄 得斯陀含 五下分結尽 得阿那含」
と、出ているでしょう。この場合の得須陀オン、得斯陀含 得阿那含には、
須陀オン向と斯陀含向と阿那含向が含まれていないことが、解りますね?
それぞれ、煩悩を断じたことが記されていますから、須陀オン向斯陀含向阿那含向
は含まれないことが解るのです。
だから、得須陀オンとは須陀オン果のことです。
得斯陀含とは斯陀含果のことだと解るのです。
じゃあ、「向」は何処に行ったのか?
得須陀オンが歩き始めたら斯陀含向と呼ぶのです。得斯陀含が歩き始めたら、
阿那含向と呼ぶのです。

得斯陀含が歩きはじめたら阿那含向と呼ぶのですが、阿那含向は何も達成した
わけではないので、正式な聖者の位は斯陀含果になるのです。

これを、最初から預流向を聖者と位置付けて説明するから、ちぐはぐなことが、
生じて来るのです。一対で一つの位と考えて、仏と仏でない者が一つの位とか、
じゃあ、預流向の聖者様が仏道止めたらどうなるの?聖者じゃなくなるの?

預流向を凡夫に位置付けたら、すべてが無理なく説明できるのです。
仏道止めた預流向は、元々が凡夫なわけですから、凡夫です。
で、聖者の四つの位とは、預流果(一来向含)、一来果(不還向含)、
不還果(阿羅漢向含む)、
阿羅漢果(阿羅漢向は仏でないのでここに含まない)、の四つです。
当然、預流向は聖者の四つの位には含まれません。
今の批判派みたいなアビダルマ論師たちが、預流向を聖者に含めるために、
見道位の何処そこを預流向と定めたのです、経典には無いことをね。

660ラシン:2011/07/10(日) 13:25:11
>646 :名無しさん:2011/07/10(日) 03:28:16
準シュダオンさん、もう止めていただけませんか
あなたは批判側の結束を固めるのに貢献しているだけの存在になっています
理由がどうであれ、老人がいたぶられている様子はあまり見ていたくないものです
>657 :名無しさん:2011/07/10(日) 10:49:16
準シュダオンさんを追い込めば準シュダオンさんが治るのですか
それ以外にやることはないかもしれませんが

もしかして名無しさんは信者さんのようですが、
準シュダオンさんの醜態を暴かれて、
あなたが心を痛めるのなら、準シュダオンさんの理屈が、
いかにトンデモ論を繰り広げているのかの証明でしょう。
おそらく信者さんの誰も、氏が張る論陣を賛同し擁護できない。

批判側は、彼の吐き散らすゲロをそのままにはしないだけです。
批判側が、個別の対論者へ共同結束するなどはしません。
共通性は、桐山さんとその教義への批判と言う立場だけです。
そして、阿含経解釈を学び、アゴン宗の情報を得てその真偽を
吟味している。
読み手を意識し、阿含経の間違った桐山教義の指摘と是正です。
それは、批判側の独自の意見ではなく、阿含経に従い、
学説に従い、先入観を排除し、経の現代語訳を素直に受け取っている。
しかし、アゴン宗に長く在籍してきた先達とは、
どんな信仰姿勢なのかを準シュダオンさんを例に、
その成果を批評しています。
もちろん準シュダオンさんが、アゴン宗信者さんの典型とは言わない。
だが、彼の信仰姿勢からくる偏重で驕慢な態度は、
アゴン宗に長く在籍すればするほどその共通性を否めません。
ここにいる批判側の誰ひとり、準シュダオンさんを矯正しようなどと、
そんな大それたことを考えて掲示してはいません。
だから、私などが準シュダオンさんに多少でも認められるなら、
これは私の不徳になるようなものです。

661深山:2011/07/10(日) 13:32:26
>>659 :準シュダオン:2011/07/10(日) 12:55:44
>初心者じゃあるまいし、何処にも沢山あるでしょう。例えば、経典のあちこちに、
>「三結尽 得須陀オン 三結尽貪瞋痴薄 得斯陀含 五下分結尽 得阿那含」

この文言のどこに「須陀オン向」とあるのだ?
あるいは、「須陀オン向は聖者ではない」とあるのだ?
どこにもない。
須陀オン向という言葉すら出てこない経典をいくら出しても無意味です。
どこにもないのに、「須陀オン向≠聖者」の証拠にはならない。
そんな経典があるはずがない。
あなたが引用したのは、四沙門果の説明で、すでにわかりきった内容、
当たり前の内容です。
あなたが証明しなければならないのは、須陀オンの説明ではなく、
「須陀オン向≠聖者」と書いてある経典があるという証拠です。
経典の後のあなたの馬鹿みたいな解説や解釈などいらないから、
「須陀オン向は聖者ではない」と釈尊が述べている経典を出しなさい。
出せもない癖に、よくまあ、そうやって嘘が並べられるものだ。
あなたって、ただの嘘つきですよね。

662ラシン:2011/07/10(日) 13:43:21
>659 :準シュダオン:2011/07/10(日) 12:55:44
>初心者じゃあるまいし、何処にも沢山あるでしょう。例えば、経典のあちこちに、

ごまかすのはやめなさい!
準シュダオンさんあなたは、小縁経に阿羅漢と加筆し経典捏造した。
小縁経に阿羅漢表示があるなら出しなさいと言われて、ダンマリです。
また、阿羅漢=仏ではないと言い募り、それは批判側のデマだと言った。
だからどうあなたは、その過ちに対しケジメをつけるのかと質されている。
預流向は、凡人果に属するとの経典は、まだですか?

663ラシン:2011/07/10(日) 13:45:20

準シュダオンさんは見境いのつかない盛りのついた犬猫のごとく、
涎を垂らして「位階」に目が膠着しているから見分けがつかない。
つぎに再度、読者のために掲示しておきます。

四沙門果は、修行者が得る四つの結果です。
預流果、一来果、不還果、応供果(阿羅漢果)の
四つの各果です。
釈尊が示した修行で目指すべき各課ですよ。
深山さんが”例示”比喩したように、学生が目指すべき
四種の結果である小卒、中卒、高卒、大卒という四つの果です。

664ラシン:2011/07/10(日) 13:50:10
次に
四向四果は、聖者集である修行者の段階を表す四つの位です。
だから、
四向四果=四双八輩(四対八種)とされたのです。
いわば修行する人たちを具体的に「向」う人達と「果」に
到達した人たちであらわし、
それらの人達を「聖者の集い」と定義したのです。

1預流果を目指す預流向との一対
2一来果を目指す一来向との一対
3不還果を目指す不還向との一対
4応供果を目指す応供向との一対
-----------------------------
  四果     四向  四対  →4+4=8種と四対

釈尊は、「四沙門果」と「四向四果」の両方を説いた。

準シュダオンさんは、文字や言葉の内容を把握できないから、
四向四果という同数熟語ではなく、四双八輩と考えなさい。
あなたの脳は、勝手な区分けに走る癖があってバグの塊となるからね。
釈尊が「四双八輩」を聖者の集いと認めたのです。
では、四双八輩の意味を考えたら、四向四果だと理解できる。

665名無しさん:2011/07/10(日) 15:51:35
>>660

>もしかして名無しさんは信者さんのようですが、

天に誓って信者ではありません
でも、もう結構です

666アゴン:2011/07/10(日) 19:52:00
準シュダオンさんって漢文そのまま引用してるけど、読み下し文も書いてくださいよ。
あなたの引用の漢文には出てこない単語をしれっと意訳に使ってるのは、誤魔化し以外のなにものでもないでしょう?

最近のご法話で、管長先生は、弟子を一人もとっていない!断言されたそうな。
てことは、管長の弟子たる資格の模範となる人がだーれもおらんということですね。(笑)

自己申告の電波受信者も、誰ひとり弟子でもなんでもないそうです。わざわざ宗務局に聞くまでもなかったですね。
しかし、まぁどうしちゃったんだろう。教祖さまは。

667干柿:2011/07/10(日) 21:10:44
I川さんを内弟子にしたんじゃなかったのかw
まあいつものパターンの開き直りですねw
どうせ弟子なんかとれっこないですから教えるべき中身などない法の数々
法務部つくったって何も教えていないそうですから
考えて見れば無責任このうえないこのいいかげんさウヤムヤのまま
きっとホッポッたまんま、あの世に逝くのでしょう桐山ゲイカわ

これが聖者桐山の正体なんですね。

668準シュダオン:2011/07/11(月) 11:00:32
>準シュダオンさんは、文字や言葉の内容を把握できないから、
>四向四果という同数熟語ではなく、四双八輩と考えなさい。
>あなたの脳は、勝手な区分けに走る癖があってバグの塊となるからね。
>釈尊が「四双八輩」を聖者の集いと認めたのです。
>では、四双八輩の意味を考えたら、四向四果だと理解できる。

ラシンさんも、深山さんも、仏教書はだいぶ読んでるようですから、この辺で一度、
学者先生の解説は置いて、自分の頭で、経典の記述だけで四向四果=四双八輩を
考えてご覧なさい。預流果は三結を断じ、輪廻が七回以内に仏になる聖者だと
いうことは解りますね。

では、預流向はどういう聖者ですか?
何回輪廻を繰り返しても仏になる保障は無く、煩悩は一つも断じておらず、それ
どころか、いつ仏道を捨てて外道になるかわからない者ですよ。
それを聖者だと思いますか?
預流向の内容を考えたら、「なんだ、自分と何処が違う?それなら自分だって
既に預流向だ!」と、そう気付きませんか?

煩悩だらけで、何度輪廻を繰り返しても仏に成れる保障は無く、いつ仏道を捨てて
外道になるかわからない存在、それが預流向なのです。
お釈迦さまが、四双八輩の預流向を含めて聖衆と呼んでるのは、弟子を励ます
リップサービスですよ。

管長もたまに、法話で、「皆さんは皆、聖衆です。」と、リップサービスしてた
ではないですか。腹の中ではどう思っていらっしゃるのですかねえ。

669ラシン:2011/07/11(月) 12:20:57
>668 :準シュダオン
>ラシンさんも、深山さんも、仏教書はだいぶ読んでるようですから、この辺で一度、
学者先生の解説は置いて、自分の頭で、経典の記述だけで四向四果=四双八輩を
考えてご覧なさい。

どうしてそんな必要がありますか、釈尊の説法であり、学説となっている。
私などその意味では門外漢であり専門の学者などと比べるのも失礼です。
桐山さんや準シュダオンさん位の自惚れでは、物事を誤る。

>では、預流向はどういう聖者ですか?
>煩悩だらけで、何度輪廻を繰り返しても仏に成れる保障は無く、

桐山アゴン宗の預流向や預流は、仏教解釈とは違います。
身見・疑惑・戒取という三結じたい、間違っていると何度も
あなたは指摘されたはずです。
預流果は数ある煩悩のうち、たった三つだけ絶てばよいだけです。
霊魂を認めず、仏の教えを信じ、ゴマや占いを止めるだけでいい。
だから釈尊帰依した時点で、大して時間を経ずとも預流果を得る。
それと真逆をしているあなたは、三結断どころかどんどん遠ざかっている。
そもそも、解脱の意味すら間違って、因縁切りを大解脱だと
信じている外道の徒だからですよ。
桐山さんの「仏陀の真実の教えを説く阿含経講義」を
よく読むことです、トンでも解釈ですよ。

670ラシン:2011/07/11(月) 12:24:02
>668 :準シュダオン
>お釈迦さまが、四双八輩の預流向を含めて聖衆と呼んでるのは、弟子を励ます
リップサービスですよ。

師に「握り拳は無い」という言葉を信じることも出来ないあなたは、
三結の”疑惑”の真っ最中です。
桐山さんは、信者から金と労力を出させる必要があるから、
リップサービスもしていた。
まんまとタダ乗りしたのは、見返り信仰の亡者である準シュダオンさんです。
あなたの下種な感性で釈尊をけなす行為は、疑惑のゴミ箱に等しい。
釈尊の教えに背き、別な手前勝手な解釈に固執するのは、戒取です。
あなたの今日の文章の中だけでも、疑惑・戒取という二結すら断じていない。

小縁経に阿羅漢と加筆し経典捏造した。
小縁経に阿羅漢表示があるなら出しなさいと言われているのはどうしました?
阿羅漢=仏ではないと言い募り、それは批判側のデマだと言った。
だからどうあなたは、その過ちに対しケジメをつけるのかと質されている。
預流向は、凡人果に属するとの経典は、まだですか?
預流向≠聖者という経典は、いつ出すのですか?

671深山:2011/07/11(月) 12:39:56
>>668 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/07/11(月) 11:00:32
>学者先生の解説は置いて、自分の頭で、経典の記述だけで四向四果=四双八輩を
>考えてご覧なさい。

「預流向≠聖者」の根拠となる経典を出せないのですね。
あなたの持っている長阿含経をひっしにひっくりかえしてみたが、
どこにもそんな記述は見つからなかった。
そこで言い逃れのために、上記のような書き方をした。
アゴンさんは、自分の頭で考えるかどうかなんてあなたに質問しているのではない。

>>599 :アゴン:2011/07/08(金) 12:09:31
>だからその根拠となる釈尊の経典をだしてくださいって。あんたの意訳なんざどうでもいい。

準シュダオン説「預流向≠聖者」の根拠となる阿含経をそのまま引用してみせろと
言っているのです。
あなたの解説、意訳、考えをいらないと言っている。

672深山:2011/07/11(月) 12:45:33
>>668 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/07/11(月) 11:00:32
>お釈迦さまが、四双八輩の預流向を含めて聖衆と呼んでるのは、弟子を励ます
>リップサービスですよ。

リップサービスなんてあなたの解釈はいらない。
アゴンさんの意見が理解できないようだから、要点だけ書くと、

1.「預流向≠聖者」と書いてある阿含経を示せ、
2.準シュダオンさんの意訳や解説や考えはいらない。

この二点を求めている。
だが、あなたは今回も阿含経は示せず、書くなと
言われている自分の解釈やら意見やらを書き並べた。
アゴンが要求したことを何一つできない。
口だけペラペラと、さも何かあるかのように見せかけるが、
出してみろと言われると、何もできない。
あなたは口先ばかり偉そうにしゃべるが、何もできない無能男です。
自己流の勝手解釈は並べるが、証拠を示せない無策男です。
ただの「口先男」です。
当たり前です。
そんな経典はあなたの妄想脳以外には存在しない。
こんなことはもう何年も前からわかっていた。
そして、問題になるのはいつもその後のあなたの態度です。
絶対に、自分の間違いを認めようとしない。
こういう点、準シュダオンさんは「男ではない」。

673深山:2011/07/11(月) 12:47:13
>>672修正
正 アゴンさんが要求したことを何一つできない。
誤 アゴンが要求したことを何一つできない。

674深山:2011/07/11(月) 12:54:43
>>563 :準シュダオン:2011/07/07(木) 16:47:25
>根拠となる経典か。それは沢山、引用しないと難しいね。

準シュダオンさんは証拠となる経典は沢山あると書いた。
沢山どころか、ただの一つもあなたは引用できない。
引用したのは>>659の預流向なんて一言も出てこない経典です。
「預流向≠聖者」と書いてある経典がたくさんあるとあなたは書いた。
だが、証拠を何一つ示せない。
嘘なのだ。
あなたは嘘をついたのだ。
阿含経にないなら、ないと素直を認め、自分の主張を撤回するのが普通の人です。
だが、あなたは絶対に自分の間違いを認めない。
あなたは往生際が悪く、恥知らずで、嘘やデタラメがばれても、
>>668のようなゴマカシで人を煙に巻いて、人生を送ってきた。
こういう姿勢で仕事をしたら、公務員でなくても、うまくいくはずがない。
仕事も人間関係もズタズタだった。
医者に行っても相手にしてもらえず、それであなたは宗教に逃げ込んだのでしょう?
無駄です。
問題は周囲にあるのではなく、諸悪の根元はあなた自身の絶対に自分に
非を認めないという態度なのだ。

675深山:2011/07/11(月) 13:03:10
>>668 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/07/11(月) 11:00:32
>リップサービスですよ。

信者の皆さん、よく見てください。
準シュダオンさんは、さもに阿含経に「預流向≠聖者」と
たくさん書いてあるかのように言っていたが、もちろん、
そんなのは真っ赤な嘘だから、何も出せない。
そして、意味不明の自己弁護を並べて、なんとか読者を煙に巻こうと必死です。
みっともないとは思いませんか。
人間だから、間違いや思い違いはある。
それがわかったら、素直に認めてこそ進歩というものです。
だが、準シュダオンさんはこれから先も頑迷に自分の間違いを認めず、
引き続き、「預流向≠聖者」と書き続けます。
ここを信者さんたちに見てほしいのです。
桐山さんとそっくりの人生を歩んでいるのですよ。
桐山さんも、絶対に自分の間違いを認めなかった。
偽ビール造りという詐欺事件を自分から起こしていながら、
未だにあれを悪因縁、霊障、そして仏の十界修行だと言っている。
一言で言うなら、桐山さんも絶対に自分の非を認めないのです。
そこに霊的な言い訳を書き並べて、自己正当化した。
アゴン宗の教義は桐山さんの自己弁護、自己正当化そのものです。
彼は自分の間違いなど絶対に認めず、その場しのぎの言い訳で
教義を作り上げたから、アゴン宗の教義は全部が嘘です。

676深山:2011/07/11(月) 13:08:54
>>668 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/07/11(月) 11:00:32
>リップサービスですよ。

準シュダオンさんは逃げまどい、ごまかそうと必死になって、「ラシンさんも、
深山さん」などと普通に敬称まで付け始めた。
ずるく、セコク、恥知らずな男です。
桐山さんも自分の間違いを認めず、嘘の上にさらに嘘で塗り固めのが、
超能力や18人の霊障武士や、地球壊滅の話です。
両者はそっくりである事に気が付きませんか。
そこで信者さんたちです。
信者さんたちも、間違いやミスをしないのですか。
人間だからしますよね。
我々に共通した最大のミスは、アゴン宗を選んだことです。
私や批判側はそのミスに気が付いて、軌道修正した。
自分のミスを認めるのは勇気がいるが、しかし、それをしなければ
人間としての進歩がないからです。
信者さんたちはどうなのだ?
これだけアゴン宗のインチキがばれ、桐山さんの言い訳や醜態が積み重なって
いるのに、このような人物を聖者として崇拝することは、正しい選択なのか?
明瞭な間違い、選択ミスです。
根拠のない信仰を、嘘デタラメの信仰をしている自分に気が付いたら、
まず、それを素直に認め、自分の信仰の軌道修正をしてはどうか。
そうでないなら、今ここで醜く、ジタバタと言い訳をして、
自分の非から逃れようともがいている姑息な老人と同じになってしまいますよ。

677アゴン:2011/07/11(月) 13:53:16
準シュダオンさんって、ほんとに何も出せない男です。

とにかく要求したことを、いつまでたっても出せないのは、
釈尊の経典で、あなたの論説の後押しをするものがないからです。それを自分でも分かってるから出さないし、出せない。

678ラシン:2011/07/11(月) 14:14:19

<桐山さんの「仏陀の真実の教えを説く阿含経講義」を
 よく読むことです、トンでも解釈ですよ。>

なんとも老人の頑迷さが悲哀を感じさせる状態です。
自説を通すためには、桐山さんすら蹴っ飛ばす。
これが準シュダオンさんの正体です。
あなたは、阿羅漢≠仏 と言ってしまった。
経典にも無く桐山さんすら、そんな妄言を述べていない。

桐山さんの「仏陀真実の教えを説く阿含経講義」188頁に
如来の十号の説明で、「阿羅漢とは仏さまの別名です。」
「何度もいうように、阿羅漢と仏陀は呼び方が違うだけで、
 その示すところは同じです。」
と解説している。
あなたはアゴン宗の信者でありながら、桐山さんに逆らうのか?

679ラシン:2011/07/11(月) 14:15:08

さて、準シュダオンさんが威張りたい「預流向」は、
阿含宗流の解釈に基づくのだから、外道の解釈です。
その外道の徒が、勝手に「預流向」を名乗っている。
私はそれ(外道の預流向)なら構わないと、準シュダオンさんを
擁護してあげます、ただし教団に無断な所行と付け加えます。
根拠は、桐山さんのこの言質↓があるからだ。

「仏陀真実の教えを説く阿含経講義」196頁
「わたしは『阿含経』に載っている、お釈迦さまのこのようなお言葉を
 受け継いで、 阿含宗を立てる決意をしました。
 身見から瞋恚までの五下文結は、 解脱宝生行で切れるわけです。
 ただし、欲貪・瞋恚を切るあたりからは、 七科三十七道品の一部が
 加わり始めます。
 しかし、三結は解脱宝生行だけで絶対断ち切れます。」

絶対断ち切れるそうですよ。
ということは、解脱宝生行をしている阿含宗信徒は「預流向」となる。
うれしいですか〜?
もちろん仏教の「預流向」ではなく、阿含宗という外道預流向です。
準シュダオンさんが勝手に名乗るのも、桐山さんのこのリップサービスが
あるならば、止むを得ないと、擁護してあげましょう。
信者を自惚れさせノサバらせるのも、桐山さんの軽薄不徳からでしょう。
さあ、晴れて準シュダオンさんは「預流向」を堂々と乍、姑息に名乗れます。
ただし、そうなれば解脱宝生行をしている信者さんと横並びだ。
あなたのその”自惚れ”度は、信者さんにすら通じない同床異夢の烏合の徒となる。

680準シュダオン:2011/07/11(月) 15:23:10
>しかし、三結は解脱宝生行だけで絶対断ち切れます。」

>絶対断ち切れるそうですよ。
>ということは、解脱宝生行をしている阿含宗信徒は「預流向」となる。
>うれしいですか〜?

ラシンさん、あんた阿含宗でいうところの脳障害があるんですか?
三結断ち切ったらね、預流向ではなくて、預流果なのです。
やはり基本が理解出来ていないなあ。
やはりあなたはまだ三パカ大将だよ。

681準シュダオン:2011/07/11(月) 15:34:21
準シュダオンさんが勝手に名乗るのも、桐山さんのこのリップサービスが
あるならば、止むを得ないと、擁護してあげましょう。

あんた、前は、阿含宗信徒だったと自称してるけど、ウソでしょう?
管長本には、預流果からが聖者で、預流向は聖者ではないことが書かれているよ。
管長が信徒は預流向だといっても、全然、リップサービスにはならないのw、
阿含宗で、預流向だといったら、ダメ信徒と言ってるのと同じよ。
いつまで最低ランクの預流向やってんのよ、早く預流果に成りなさい、てねw。

682準シュダオン:2011/07/11(月) 15:53:37
四向四果も四双八輩も同じこと。そういう言葉に惑わされるのは、阿含仏教の
聖者の内容を理解していない証拠です。阿含仏教の聖者は、断った煩悩の種類と、
輪廻する数で区分されるのです。

煩悩で区分する場合は、
1、すべての煩悩(十結)を断った、阿羅漢果
2、五下分結煩悩を断った     不還果
3、三結断ち二結薄れた      一来果
4、三結断った          預流果
以上が聖者の四つの位です。

輪廻の数で区分する場合は、
1、輪廻を滅した・・・・・・・・・阿羅漢果
2、この世に還らず天界で涅槃を得る 不還果
3、一度だけこの世に来る      一来果
4、最大七回輪廻する        預流果
以上が聖者の四つの位です。

これを理解したら、言葉などに惑わされなくなるのです。十年や二十年も仏教を
勉強したら、学者の卵程度の知識は得るのですから、何時までも学者先生の説明
に頼りきるのは止めなさいな。自分の判断を生かせないといけませんね。
まぁ、それが出来ないから、退会の流れになるのでしょうけど。

683ラシン:2011/07/11(月) 16:03:04
>680 :準シュダオン
>ラシンさん、あんた阿含宗でいうところの脳障害があるんですか?
三結断ち切ったらね、預流向ではなくて、預流果なのです。
やはり基本が理解出来ていないなあ。

相変わらず沸騰した脳で、理解が出来ない。
いつ私が、三結断=預流向 と書いたのだ?
また宿題が増えたようで、出してみなさい、涎を拭いてからね。

アゴン流なら、
>>679<ということは、解脱宝生行をしている阿含宗信徒は「預流向」となる。>
を読み間違えた「アワテ者」ですか、あなたは?
現在進行形すら、見分けがつかないと自白した?
解脱へ向かってのアゴン宗の”彼の尊い宝生行”をしている信者は、
アゴン宗流で言えば「預流向」でしょうと、笑ってあげているのです。
解脱宝生行を終了すれば、アゴン宗では「預流」です。
これは私ではなく、桐山さんが「仏陀真実の教えを説く阿含経講義」196頁に
書いてあることだと指摘したのです。
桐山本くらい読んでから、泡を吹いたらどうなのだ?

>あんた、前は、阿含宗信徒だったと自称してるけど、ウソでしょう?
管長本には、預流果からが聖者で、預流向は聖者ではないことが書かれているよ。

じゃあ、それを引用掲示してから強弁したらどうですか?
あなたのウソツキ度は、ここでは日常茶飯事だから誰も信用しない。
桐山さんは、預流向を聖者とも未満だとも断定せず曖昧にしているだけです。
自分で吐いたゲロすら始末できない徘徊老人が、何を偉そうに語るのだ?

>管長が信徒は預流向だといっても、全然、リップサービスにはならないのw、
阿含宗で、預流向だといったら、ダメ信徒と言ってるのと同じよ。

うわおう〜!、準シュダオンさんが「ダメ信徒」と自覚した?
別にコチラはそんなことはどうでもよい、どちらを選択してもお笑いですから。
まあ、これからは、「ダメ信徒」老人さん、と呼ばせていただこう。

684ラシン:2011/07/11(月) 16:16:24
>682 :準シュダオン:2011/07/11(月) 15:53:37
四向四果も四双八輩も同じこと。そういう言葉に惑わされるのは、阿含仏教の
聖者の内容を理解していない証拠です。

準シュダオンさんいやもとい、ダメ信者老人の自己流など、
ここではお呼びでないと何度言われれば分かるのだ?
自惚れて木に登ってが、自力で降りることも出来ないサルなのか?

四向四果も四双八輩も聖者だと経典にはある。
ダメ信者老人さんのは、四向四果も四双八輩ではなく、
三向四果と四双七輩じゃないの、それで仏教を学んだ?
算数の数読みすら小額低学年に劣ると自慢する?
くだらないあなたの認知”賞”など誇らなくてよいから、
さっさと質問に答えなさい、ウソツキは通用しません。
誰もあなたの知性や知恵など必要としていません。
経典があるなら示せばよい、が、出来ない、ホラ吹きダメ信者と自認するか。

685準シュダオン:2011/07/11(月) 16:25:02
例えば、「仏陀の真実の教えを説く」本のP200には、出家経が出ていて、
斯陀含が定義されています。「断三結 貪恚痴薄 得斯陀含」とね。
平河本(2巻)の典尊経の斯陀含の定義は、「三結尽 薄淫怒痴 一来」です。
通常、斯陀含の定義は、「三結尽 薄二結(欲貪・瞋恚)」なんですが、
出家経も典尊経の定義も少し違いますね。

因みに、平河本(第2巻)衆集経の五下結の定義は、
「身見、戒盗、疑、貪欲、瞋恚」の五つです。

このように細かな違いはあるのですが、判断力がついてくると、このような細かい
違いは気にならなくなります。

四双八輩だから、一対で一つの位だ、と考えるのは単純過ぎです。
もう一歩踏み込んで、社交ダンスやアイスダンスのように、ペアで修行してる
わけではない。ペアで一つの位なんてあるのか?仏道は個人での修行だ。
自分は向なのか?果なのか?向と果の対、どちらも同じ一つの位なんて、おかしな
話だなあ、と、いうように追求して行かないと、進めませんね。

686ラシン:2011/07/11(月) 16:34:28

ここを読んでいる信者さんも、おそらく驚天動地、くちアングリでしょう。
準シュダオンさんは、たしかに過去より「アワテ者」の称号に恥じない
言行履歴が満載の「ダメ信者」さんです。
今回もまた、焦ってアワテて、解脱宝生行をしている=預流果 と、
読み間違えた。
解脱宝生行をしている=預流向 と笑ってあげているのにそれすら
気づかず、ラシンは預流果の意味を知らないと来たもんだ。

学者などに頼るな、と自惚れながら、満足に一行の文章すら読めずに誤読する。
それも桐山センセイのゴ著書すら、まともに理解できない。
それでいて偉っそうに、四沙門果をひけらかす。
ほんの数ヶ月前までは、四沙門果すら上の空でした。
批判側から何度も示されて、やっと”門前の小僧 習わぬ経”を読み始めた。
しかし、四沙門果と四双八輩すら区別がつかない、不思議スパイラルです。
最後は、アゴン宗の預流向とは「ダメ信者」の意味だと、
桐山さんの口を勝手に借りて、ウソを堂々と述べている。

687ラシン:2011/07/11(月) 16:40:48
>685 :準シュダオン:2011/07/11(月) 16:25:02
例えば、「仏陀の真実の教えを説く」本のP200には、出家経が出ていて

お〜い、「ダメ信者老人」さん、そんな御託はいりませんよ!
汗だくになって、焦ってごまかすな〜。
いつ私が、三結断=預流向 と書いたのだ?
早く見つけて来なさい!
宿題が溜まる一方ですが〜、どうするのだ?

688深山:2011/07/11(月) 17:23:54
>>685 :準シュダオン:2011/07/11(月) 16:25:02
>例えば、「仏陀の真実の教えを説く」本のP200には、出家経が出ていて、
>斯陀含が定義されています。「断三結 貪恚痴薄 得斯陀含」とね。
>平河本(2巻)の典尊経の斯陀含の定義は、「三結尽 薄淫怒痴 一来」です。
>通常、斯陀含の定義は、「三結尽 薄二結(欲貪・瞋恚)」なんですが、
>出家経も典尊経の定義も少し違いますね。
>因みに、平河本(第2巻)衆集経の五下結の定義は、
>「身見、戒盗、疑、貪欲、瞋恚」の五つです。

例えば、などと書いたから、いよいよ証拠を出すのかと期待しているのに、
どこに「預流向≠聖者」とあるのだ?
どこに「預流向≠四向四果」とあるのだ?
全然ない。
斯陀含なんて何にも関係ない。
斯陀含の定義など誰も聞いていない。
アゴンさんの簡単な質問がわからないようだから、何度でも貼り付けてあげます。

>>599 :アゴン:2011/07/08(金) 12:09:31
>だからその根拠となる釈尊の経典をだしてくださいって。あんたの意訳なんざどうでもいい。

斯陀含の説明を聞いているのではなく、準シュダオン説の「預流向≠聖者」
「預流向≠四向四果」の経典の根拠を質問しているのです。
あなたは示せない。
なぜなら、そんな経典は存在せず、あなたは嘘つきだからです。

689深山:2011/07/11(月) 17:33:06
>>681 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/07/11(月) 15:34:21
>管長本には、預流果からが聖者で、預流向は聖者ではないことが書かれているよ。

引用してごらんなさい。
これも何年もの間、何度も議論して、あなたの主張も、
批判側の主張も出尽くしている。
桐山さんは阿含経講義で預流向については一カ所でしか説明していない。
預流向とは外道凡夫ではないとしている。
仏教では凡夫でないなら、聖者です。
あなたがいつも根拠にして引用するのは預流向ではなく、預流について説明です。
そこから例によって、あなたの勝手な憶測が加わり、
桐山さんも預流向は聖者とは言っていないと始まる。
無駄です。
桐山さんは預流向の説明で、凡夫ではないと書いている。
これを否定する根拠を示さない限り、桐山さんもまた
「預流向=聖者」と正しく認識していることになる。
私はそうでないほうがうれしいが、桐山さんの説といえども、
あなたと違い、ねじ曲げて解釈するようなことはしたくない。
阿含経解説をそのまま読むぶんには、
桐山さんもまた「預流向=聖者」と言っていることになる。

690深山:2011/07/11(月) 17:36:20
>>682 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/07/11(月) 15:53:37
>四向四果も四双八輩も同じこと。そういう言葉に惑わされるのは、阿含仏教の
>>685 :準シュダオン:2011/07/11(月) 16:25:02
>このように細かな違いはあるのですが、判断力がついてくると、このような細かい
>違いは気にならなくなります。

「あんたの意訳なんざどうでもいい」(>>599)というアゴンさんの指摘が見えませんか。
準シュダオンさんが気になろうが、なるまいが、そんなことは誰も
質問していないし、求めてもいない。
求めているのは、準シュダオン説の阿含経の根拠です。
あなたはこうやって余計なことをゴチャゴチャと書いているうちに、
読者は、何を議論しているのか忘れてくれるだろうと期待しているのでしょうね。
残念ながら、私が論点をずらしません。
同じ事の繰り返しになるので、今までは適当な所で見逃したが、今回はそうはいかない。
あなたの人生ではいつもそのゴマカシが通用しただろうが、ここでは通用しない。
準シュダオン説の、
「預流向≠聖者」「預流向≠四向四果」
これらの経典の根拠を示しなさい。
繰り返すが、あなたの考えも気持ちもいらない。
ズバリ、経典の文章と文献の名前やページを示しなさい。
あなたの解説ではなく、釈尊の言葉を示しなさい。

691ラシン:2011/07/11(月) 18:15:09
>681 :準シュダオン
>やはりあなたはまだ三パカ大将だよ。

だからそのバカに説明せよと質問しているのです。

「仏陀真実の教えを説く阿含経講義」196頁
「身見から瞋恚までの五下文結は、 解脱宝生行で切れるわけです。
 ただし、欲貪・瞋恚を切るあたりからは、 七科三十七道品の一部が
 加わり始めます。
 しかし、三結は解脱宝生行だけで絶対断ち切れます。」

三結を断ち切ったら「預流果」です。
桐山さんは、「三結は解脱宝生行だけで絶対断ち切れます。」と、
断言している。
ならば、解脱宝生行を修業しているアゴン信者さんはアゴン宗で言う
ところの「預流向」になる。
ダメ信者さん、あなたはアゴン宗の「預流向」だと擁護してあげたのだ。

私が、三結断=預流向 と書いた文章を出してくれ。

小縁経に阿羅漢があるとの経典を示しなさい。
阿羅漢≠仏 との経典を示しなさい。
預流向≠聖者 との経典を示しなさい。
預流向は、凡人果に属するとの経典を示しなさい。

どうしたのだあ? バカから質されても沢山ある経典すら出せないのですか?

692準シュダオン:2011/07/12(火) 10:26:03
>どうしたのだあ? バカから質されても沢山ある経典すら出せないのですか?

まぁ、三パカ大将と言われても、あんたの誹謗から見たら、可愛いもんでしょ?
根拠経典はね、そのものズバリ書いてなくても、読み解くものなんです。
智慧(般若の)とは、強靭な認識する力、のことです(仏教辞典)。

四双八輩→聖者の四つの位、というのは、阿羅漢果:阿羅漢向の一対を考えれ
ば、内容を検討すれば、一対で二つの位、なのです。
阿羅漢果←阿羅漢向←不還果の三輩を見た場合、阿羅漢果は仏の位です。
阿羅漢向は仏ではないので、位としては不還果の位になるのです。
阿羅漢向は不還果の同類項なのです。

1、阿羅漢果(仏)と阿羅漢向(仏ではないので聖者の位は不還果の位)の対
2、不還果と不還向(五下分結を断じていないので聖者の位は一来果の位)の対
3、一来果と一来向(貪欲と瞋恚が薄れていないので聖者の位は預流果の位)の対
4、預流果と預流向(煩悩を一つも切れていないので凡夫僧の位)の対

以上が↑聖者の四つの位の内容です。
四双八輩は、凡夫(凡夫僧)が仏に至るまでの過程を示しています。
聖者僧が仏に至ることは簡単に想像できますが、凡夫が聖者に至る過程が一番肝心
でしょう。煩悩が揃ってる凡夫が、煩悩が揃ってる預流向に至ったとしても、実質
の聖者とはいえません。仏道を歩んでいることに敬意を表して聖衆に含めているだけです。

693ラシン:2011/07/12(火) 11:49:20
>692 :準シュダオン
>まぁ、三パカ大将と言われても、あんたの誹謗から見たら、可愛いもんでしょ?

だから誹謗ではなく、あなたのゲロを指摘したのです。
あなたの読み解く実力など、誰からも認知されていない。
その以前である、経典を示して、
自分で吐いたゲロくらい、自分で掃除しなさい。
あなたのいい加減で、くだらん解説など必要ありません。

1私が、三結断=預流向 と書いた文章を出してくれ。
2小縁経に阿羅漢があるとの経典を示しなさい。
3阿羅漢≠仏 との経典を示しなさい。
4預流向≠聖者 との経典を示しなさい。
5預流向は、凡人果に属するとの経典を示しなさい。

出来なきゃ、準シュダオンさんが”白旗”を揚げたということになる。
その実力にそぐわない慢心からくる天狗の鼻を 自ら折ったことになる。
端的に言えば、あなたが示せない=ウソツキ徘徊老人という証明です。

694ラシン:2011/07/12(火) 11:59:18
>692 名前:準シュダオン
>根拠経典はね、そのものズバリ書いてなくても、読み解くものなんです。

準シュダオンさんは、自説の根拠となるお経など、
いくらでもあるとアゴンさんに豪語した。
それで、
批判側からもそれを示してくれと言われて、
苦し紛れに吐いた言葉が、

「根拠経典はね、そのものズバリ書いてなくても、読み解くものなんです」

なんて、言い訳を並べても読み手は騙されない。

出せないなら、そろそろあなたの「ウソツキ」が確定します。

批判側は、あなたの謝罪もウソを認めることも期待などしていない。

批判側の目的は、準シュダオン説=ウソ これさえ読者に理解されれば、
達成されることになるから、その時点で終了です。

以後あなたの名誉ある称号は、「ウソツキ老人」です。

695深山:2011/07/12(火) 12:49:27
>>692 :準シュダオン:2011/07/12(火) 10:26:03
>まぁ、三パカ大将と言われても、あんたの誹謗から見たら、可愛いもんでしょ?
>根拠経典はね、そのものズバリ書いてなくても、読み解くものなんです。

あなたに何を言っても理解できないのは、夏の暑さのせいでないのは分かっています。
茶碗は右、箸は左、から説明しましょう。
読み解くにはまずその経典を示すことです。
あなたはまだその経典すら示していない。
読み解くべき経典も示さずに、どう読み解くのだ?
たとえば本もないのに、その本の感想文を書くことはできないのと同じです。
経典を読み解くには、まず経典を示すことです。
準シュダオン説「預流向≠聖者」「預流向≠四向四果」を示す経典をまず示すことです。
その上でどう解釈するかを議論するべきです。
アゴンさんはじめ全員があなたにその経典を示すように求めている。
まずあなたが根拠となる経典を示すことです。
それまでは>>692 のように、何度も何度も、同じ準シュダオン説を
念仏のように唱えても、何の意味もない。
根拠も示さずに空想説をいくら示しても、何の説得力もない。
自分が何を求められているか、思い出してください。

696深山:2011/07/12(火) 12:56:53
>>692 :準シュダオン:2011/07/12(火) 10:26:03
>まぁ、三パカ大将と言われても、あんたの誹謗から見たら、可愛いもんでしょ?
>根拠経典はね、そのものズバリ書いてなくても、読み解くものなんです。

「預流向≠聖者」「預流向≠四向四果」の経典根拠、
これがあなたが求められていることです。
あなたはそれらの経典はたくさんあると書いた。
だったら、出してみなさい。
あなたの説明は、右利きの人が茶碗は右、箸は左のような状態なのです。
昼飯を食べたことは覚えていますか。
あなたの「パカ」みたいな解説は皆さんウンザリしている。
いりません。
阿含経を出しなさい。
出せないなら、ないことを認めなさい、なんて、恥知らずの老人に言っても、
無駄なのも知っています。
三パカ大将からこんな当たり前のことを説明されないとわからない準シュダオンて、
三重パカ大将ということになりますね。

697深山:2011/07/12(火) 13:05:19
>>692 :準シュダオン:2011/07/12(火) 10:26:03
>まぁ、三パカ大将と言われても、あんたの誹謗から見たら、可愛いもんでしょ?

横レス失礼。
ラシンさんがどんな誹謗をしたのですか。
あなたが釈尊をさんざんに誹謗しているのはいくつも証拠がある。
「ウソツキ」というのを誹謗中傷だというのですか。
それなら、簡単で、あなたが証拠となる阿含経を示せばいいのです。
たちまち、あなたはウソツキではなくなる。
我々も、そのような経典があれば、ウソツキと批判したことを撤回しましょう。
そうしてほしいと希望しているのです。
「ウソツキ」が誹謗中傷か、それとも事実かは、
準シュダオンさんが経典を示すかどうかにかかっている。
すでにアゴンさんの請求から六日もたっているのに、あなたは必要のない自説を
繰り返すだけで、「預流向≠聖者」と釈尊が説いた経典を示していない。
そういうのを姑息、セコイ、卑怯というのです。
ウソツキ、姑息、セコイ、卑怯でないなら、早く示しなさい。

698ラシン:2011/07/12(火) 15:01:38
>>692 名前:準シュダオン
>煩悩が揃ってる凡夫が、煩悩が揃ってる預流向に至ったとしても、実質
の聖者とはいえません。

煩悩が揃うってなんですか?
今度は言い訳がましく「実質の」なんて言いはじめた。
何を言ってんだか、あなたの”へ理屈”はあなたの
スカスカ脳と同じく”穴”だらけです。
では、凡夫というなら二結を断っても預流向だから、
何も断っていない凡夫との境い目は、何と言うのだ?
釈尊は、どうやって区別しているのですか?
また、あのバカげた「凡人果」と言うならどの経に根拠があるのか?
最初に「凡夫果」と書いて揶揄したのは私ですよ。
まさかそれを根拠とはしないだろうが、
このご老人は他人が揶揄のために使った言葉までパクって言い募る。
いったいどういう神経の持ち主なんだ、なんていつものことですよね。
だが、穴だらけの脳でいくら考えて豪語しても、あなたのただの妄想です。
二結を断った預流向も三結を断った預流果もまだ煩悩だらけの
修行者ですよ。
あなたの理屈など、そういう観点でも矛盾していてまるで整合しない。
どこの釈尊が、預流向は煩悩があるから聖者の仲間ではない、
と言ったのだ?
煩悩の残数に基準を置けば、阿羅漢果以外に聖者は存在しないことになる。
あなたのサジ加減で、聖者の位置を決められているのではありません。
釈尊(仏教)に帰依し、仏道を歩み果を目指す人達はみな聖者の集まりです。
つまり、預流向〜阿羅漢果まで聖者集と釈尊は認め、経にしたためられている。
そこには何の矛盾もなく、屁理屈など言う必要も、入り込む隙間もない。
手前勝手の言い訳のために、経を捏造しデタラメな解釈を吹聴するのは、
もういい加減にやめたらどうなのだ。

スカスカ脳のウソツキだから↓応えられないんですか?
1私が、三結断=預流向 と書いた文章を出してくれ。
2小縁経に阿羅漢があるとの経典を示しなさい。
3阿羅漢≠仏 との経典を示しなさい。
4預流向≠聖者 との経典を示しなさい。
5預流向は、凡人果に属するとの経典を示しなさい。

もうそろそろ”称号”が定まりますよ。

699アゴン:2011/07/12(火) 16:02:53
8日たっても、うだうだ、経典だけが全てじゃないとか、読みとく能力が必要とか、書いて下さってましたけど、まずは引用をしてからでしょう。そういうことを書くのも。

私がここまでこだわってるのは、あなたみたいなサボり信者が、えっらそうに、預流とかなんとか言ってるのが、気にくわないからです。
預流だったら、こんなところで自分を尊敬してもらうために書き込みなんかせずとも、人が貴方を尊敬して充分満たされた人生でしょう。
いや尊敬されずとも、貴方はアゴン宗でそこまでの境地になれたことを感謝して、道場で後身の育成に励んでいることでしょう。

とにかくここで脳トレをするのやめなさい。まずはその品まがった根性と性格から治されることをオススメします。

700準シュダオン:2011/07/12(火) 16:53:28
>8日たっても、うだうだ、経典だけが全てじゃないとか、読みとく能力が必要とか、
>書いて下さってましたけど、まずは引用をしてからでしょう。そういうことを書くのも。

あんたねぇ、一つの経典に答えが書いてあるわけじゃないのよ。いくつもの経を照らし
合わせて答えが見つかるわけよ。それに経を示しても、たぶんあなた方の頭では、
理解出来ないのじゃないかな。

普通の頭なら、「Aさんは、男です」という情報があれば、「Aさんは女じゃない」
ということが解る。ところが、批判派は、「Aさんが女じゃないと、何処に書いて
ある?女じゃないと書いてある部分を示せ!」という理窟でくるw。
四双八輩なんて、普通の推理力があれば、預流向の内容も、いずれ解る、問題さ。

釈迦の教団に弟子入りした者は、初日から皆、聖者だと思うかね?
そんなわけなかろう。弟子入り当初は、所謂、凡夫僧なはずだ。そして、預流向
が聖者だとすれば、なによりも凡夫僧から預流向に至る過程が説かれていなけれ
ばならないだろう。それを説いてる経典を示してご覧よ。
「凡夫僧が、かくかくしかじかで、預流向を得た」という経があるかね?
先ず、それを自力で探すのが修行だよ。自習能力がないといけない。

>私がここまでこだわってるのは、あなたみたいなサボり信者が、えっらそうに、
>預流とかなんとか言ってるのが、気にくわないからです。

あんたも懲りないアホだなぁ、私は準預流を自称してるわけで、預流を自称して
はいない。預流とは預流果のことなんだよ、まだそういう初歩も解らんのかね。
そういう初歩も解らん奴が、管長を批判してるんだから、お笑いも度を越してるよ。
それに、私がサボリ信者と申告してる部分だけは信じてるようだが、アゴンくんよ
りは立派に修行してるよ、それだけは間違いない。

701アゴン:2011/07/12(火) 16:57:03
くどいようだが、批判がわが間違っているというあなたの論説の論拠となる経典を出してください。

例えば、愛人もいて、必ず君たちを一人前にしてあげる、と約束しておきながら、現在弟子の育成もできず、あげくに弟子は誰一人おらんといい放ち、護摩と占いで集金してもなお、即身成仏しているという教祖の擁護ができる阿含経典を探すことが不可能なように、その教祖でさえ説かなかった、準シュダオン教の論拠となる阿含経典を出してください。

702アゴン:2011/07/12(火) 17:05:22
あんたも懲りないアホだなぁと私に矛先をむけて、核心から話題をそらす。なるほど、管長の批判を貴方はしていないが、管長の言ってないことをとくとくと語る。どっちもどっちだと気がつかれないのか?

それから君には理解できないよ、と書いてますが、ロム者が分かるように、経典を引用して、釈尊はこれこれと言っている、故にわたしはこう論じる、と簡単明瞭に書くことが、なぜ誰もが理解できないのだ?

703準シュダオン:2011/07/12(火) 17:08:09
私がサボリ信者だと申告してるのは、阿含宗には相当数の預流果が誕生している
わけでね、そのような方々と比較したらサボり信者なわけで、アゴンくん等と比較
したら私は勤勉な信徒ですよ。

私なんぞは、先達から見たら、まだまだ未熟者よ。
知識量は深山さんやラシンさんの方が、私より上だろう。
問題はその理解力ね。
んで、言いにくいが、境涯は私の方が上だろうね。

704アゴン:2011/07/12(火) 17:13:33
管長の批判というが、事実だけみて、判断したまでです。
事実が、それだけお笑いも度を越しているということだったんですよ。

それ以上に罵る気はわたしはありません。信じた方も責任がありますからね。

705準シュダオン:2011/07/12(火) 17:35:57
>それから君には理解できないよ、と書いてますが、ロム者が分かるように、
>経典を引用して、釈尊はこれこれと言っている、故にわたしはこう論じる、
>と簡単明瞭に書くことが、なぜ誰もが理解できないのだ?

アゴンくんは「仏陀の真実の教えを説く」上、を持ってるかね?
その本のP163に管長が、身見煩悩の解説をしているね。預流果を目指す仏教徒が
いの一番に切らねばいけない三結煩悩の一つです。だから、この「身見」の理解が
修行の第一歩でもあり、基本ですね。ところで、アゴンくんは、他人に身見を説明
できますか?管長は、要約して、解りやすく解説していますけどね。それを暗記し
ているだけでは不足だと思いますよ。
少なくても、管長が教える「身見」を理解するためには、岩波仏教辞典の「見・けん」
「我見・がけん」「有身見・うしんけん」「邪見・じゃけん」「辺見・へんけん」
くらいの解説は読んで理解を深めなければ、管長の解説を本当には理解できないよ。

「なぜ誰にも理解できないのだ?」とアゴンくんは言うけどね、阿含信者の大多数
は理解してるんですよ。私の四向四果の論は、管長の解説を通訳してるだけで
からね。私はその正しさを、自ら経典に当って確かめているのです。

706アゴン:2011/07/12(火) 17:44:45
>>703 境涯など、ここでは論じていない。
よく批判がわの辛辣な書き込みに、低い境涯だから阿含宗が理解できないんだ、と勝手に決め付け、逃避する人も多いかと思いますが、少なくともそこに感情を向けるだけでは、洗脳は解けないですね。何度も何度も注意されて私も気がついた。
すべてすべて批判がわと同一見解ではないですが、アゴン宗による脳内停止状態からは脱せられたと思っています。
教祖のことをもっと知れ、もっと見ろ。ということです。

707準シュダオン:2011/07/12(火) 18:03:03
>くどいようだが、批判がわが間違っているというあなたの論説の論拠と
>なる経典を出してください。

実は、その経典の一部を既に出してるんですよ。それに気付く力があなたには
まだない、ということです。だからね、先ず、「凡夫僧が、かくかくしかじかで、
聖者の預流向を得た」と説いてる経典を自力で探してみなさいよ。そうすれば、
力がついてきます。何時までも人の解説を充てにしていてはダメです。
学者先生だって初めは人の教えからスタートしてますし、完全無欠ではないの
ですからね。早くあなたも学者の卵くらいには成ることです。

>例えば、愛人もいて、必ず君たちを一人前にしてあげる、と約束しておきながら、
>現在弟子の育成もできず、あげくに弟子は誰一人おらんといい放ち、

愛人というのはあなたの推測・妄想でしょ?例えば同じベッドに居たとか、その
現場を目撃したのですか?そうでなけれな推測・妄想です。

弟子は一人もおらんとか言うたとて、それを真に受けるのは可笑しいよ。
弟子の居ない教祖なんて、有り得ないね。
「信徒は全員破門、教団は解散する!」と、宣言したら、一人の弟子も
いないことを、私は認めましょうw。

708ラシン:2011/07/12(火) 18:12:15
>700 :準シュダオン
>「凡夫僧が、かくかくしかじかで、預流向を得た」という経があるかね?

バカな質問で誤魔化すでない。
ましてあなたの”穴”のあいた説明など不要だ。
やはり、お経などいくらでもあると言って、
ついに出せず仕舞いに終わった、ただのハッタリです。
当たり前です、それらあなたの論拠となる
お経などは、元々無いから出せませんよね。

準シュダオンさんの長年の言行の結実となる称号が決定!

 ウソツキ老人さん!

どだいあなたの言う「凡夫僧」なんてタワケた概念が、
どこにあるのだ、仏教無知なだけです。
一来となったスダッタは在俗信者ですよ。
預流となったスジャータも在俗信者ですよ。
在俗信者とは僧侶ではないことくらい常識です。
パーリ仏典長部第16経に書かれている。

709アゴン:2011/07/12(火) 18:56:12
ボンプソウってなに?(笑)
ボンプソウって書いてる経典だして。

かくかく然々ってなに?

チンパンジーでも分かるように説明してください。

710無関係な人間:2011/07/12(火) 20:46:18
>>707

 準シュダオン様。すごい居直りですね。仰天してしまいます。

711干柿:2011/07/12(火) 21:12:17
というか真面目に真剣に仏教を学ぼうという気がないのでしょうね。
間違いとか正しいとかは関係ない、ただ自我主張してるだけ
無我など程遠い境地。自我、我利我利の塊に・・・そんなの向だか果だかしらんが
聖者どころか餓鬼の境涯でしょう
ここでの議論いったい何の意味があるんでしょうかね。

712深山:2011/07/12(火) 23:36:57
>>700 :準シュダオン:2011/07/12(火) 16:53:28
>あんたねぇ、一つの経典に答えが書いてあるわけじゃないのよ。いくつもの経を照らし
>合わせて答えが見つかるわけよ。それに経を示しても、たぶんあなた方の頭では、
>理解出来ないのじゃないかな。

これは嘘です。
すべての経典に漏れなく答えが書いてある。
釈尊の教法とは煩雑複雑なものではなく、手を変え、品を変え、たとえを変えて
言っているだけで、同じ内容の繰り返しです。
十歳の子供の知性があれば理解できる内容です。
無学な二千五百年前の人たちにも理解できた。
釈尊の説明は簡単明瞭で、「四双八輩=聖者」です。
信者さんたちもくれぐれも準シュダオンさんのような口舌に惑わされないように。
三十七道品なんて教え込まされて、修行法がたくさんあると信じているが、
あれは一つのことを様々な側面から述べているだけです。
あれを別々な物だと説く桐山さんの知性がおかしい。
桐山さんは間脳を開かないと阿含経は理解できないなどという。
今の我々に理解できないほど高度で複雑な内容を当時の庶民がどうして言葉で
説明を聞いただけで理解し、その場で実践できたのですか。
教法そのものはものすごく簡単でわかりやすいからです。
逆に言うなら、桐山さんや準シュダオンさんのように、
「自分にだけわかり、おまえたちにはわからない」などという連中は嘘つきで
あるばかりか、これは彼らが釈尊の教法を理解していない何よりの証拠です。

713深山:2011/07/12(火) 23:38:52
>>700 :準シュダオン:2011/07/12(火) 16:53:28
>釈迦の教団に弟子入りした者は、初日から皆、聖者だと思うかね?
>そんなわけなかろう。弟子入り当初は、所謂、凡夫僧なはずだ。

これも嘘です。
信者さんたちもこの準シュダオンさんの説に同意したのではありませんか。
それは聖者というものを信者さんたちは、桐山さんのような特殊な人なのだと
思いこんでいるからです。
桐山さんからオーラが光っているなんて根拠のない話を植え付けられている。
聖者を普通の人と違う特殊な人だというのは世間一般の概念です。
仏教では違います。
釈尊は当時使われていた様々な世間の言葉を自分の教法に取り入れた。
解脱、涅槃、因果応報などは釈尊のオリジナルではなく、言葉を借りた。
だが、気を付けなければならないは、内容を微妙に違えていることです。
聖者も同様です。
釈尊は桐山さんみたいに位階を売るつもりなどないから、
仏道修行する者は聖者、しない者は凡夫と簡単な仕分けをしただけです。
釈尊はケチ臭くない。
だから、さっき入門したばかりの初心の比丘も、仏道修行をしているのですから、
すでに預流向であり、聖者です。
釈尊の時代の出家は、全員が聖者です。
だから、大般涅槃経からユビキタスさんが引用した釈尊の文言にも、
準シュダオンさんが引用した小縁経にも、四双八輩すべてが
聖者、応供、福田であるとはっきりと述べている。

714深山:2011/07/12(火) 23:46:24
>>700 :準シュダオン:2011/07/12(火) 16:53:28
>釈迦の教団に弟子入りした者は、初日から皆、聖者だと思うかね?
>そんなわけなかろう。弟子入り当初は、所謂、凡夫僧なはずだ。

凡夫僧などという言葉は阿含経にはもちろんありません。
準シュダオンさんが勝手に作り出した言葉で、まるで何か調べて
書いているかのように臭わせるが、老人の妄想ですから、まともに取り扱わないことです。
釈尊は凡夫と聖者の二種類に分けた。
出家の比丘とは程度の差こそあれ、聖者だから、これを凡夫とは言いません。
初日から出家は聖者です。
準シュダオンさんや桐山さんが何を勘違いしているか、信者さんたちはおわかりでしょうか。
彼らは聖者を位階という勲章や資格のようなものだと思いこんでいるからです。
二人とも、勲章が欲しくて欲しくてしようがない名誉餓鬼だから、
聖者などと聞くと、立派な肩書きなんだと思いこむ。
だが、聖者とは行為において聖者なのです。
煩悩を排した清浄な行為をする者が聖者なのです。
肩書きや資格でもなく、身体と言葉と心の行為そのものが清浄だから、聖者なのです。
霊的な話などではなく、第三者が見てもわかるような
身口意の行為にちゃんと現れているから聖者なのです。
つまり、仏教の聖者とは我々凡人が見てもわかるのです。
釈尊のいう聖者は実にわかりやすいと思いませんか。

715深山:2011/07/12(火) 23:48:41
>>700 :準シュダオン:2011/07/12(火) 16:53:28
>「凡夫僧が、かくかくしかじかで、預流向を得た」という経があるかね?

準シュダオンさんのゴマカシのテクニックをごらんください。
まるで準シュダオンさんは阿含経をすべて読破して、凡夫僧という言葉が
阿含経にあるかのような言い回しです。
だが、凡夫僧という言葉自体が、阿含経には出てこない。
だから、あるかね、などという質問自体が無意味です。
それを、さも自分は阿含経に精通しているかのような態度で、逆に相手に迫る。
まるで、カッパライとして捕まえられた男が、
「六法全書にカッパライという単語があると思うかね」
などと言い出したようなものです。
だんだん、準シュダオンさんが甲羅を経た妖怪のように見えてきました。
皆さん、準シュダオン妖怪って、どんな姿を想像しますか。
銀狐の二番煎じらしく、古狸はいかがでしょうか。

716深山:2011/07/12(火) 23:51:56
>>700 :準シュダオン:2011/07/12(火) 16:53:28
>くらいの解説は読んで理解を深めなければ、管長の解説を本当には理解できないよ。

また、何も理解していないのに、知ったかぶりのお説教が始まった。
あなたや桐山さんみたいにアビダルマの分類を引用して、
さもわかったような顔をしてみせても無駄です。
それは難しい言葉を自分の飾りに使い、自分を偉そうにみせているだけです。
こういうことをやる奴らはたいてい中身がない。
だから、偉そうに講義している桐山さんとあなたは未だに霊魂は存在すると信じている。
それで身見を理解したというから笑わせる。
身見とは、霊魂が存在すると信じる煩悩のことです。
アゴン宗では、人間の中にはタマシイがあり、それは魂魄から成り立ち、
死ぬと片方が、ニョロッと出てくるなんて教えている。
こういう教法を身見というのです。
霊魂があるなどと言ったとたん、それはもはや仏教ですらない。
桐山さんが不成仏霊とか魂魄など唱えているのをみれば、
アゴン宗が身見すら捨てられない外道なのがよくわかる。

717深山:2011/07/12(火) 23:57:54
>>700 :準シュダオン:2011/07/12(火) 16:53:28
>あんたも懲りないアホだなぁ、私は準預流を自称してるわけで、預流を自称して
>はいない。預流とは預流果のことなんだよ、まだそういう初歩も解らんのかね。

皆さん、準シュダオンさんのセコサをごらんください。
アゴンさんが「預流とかなんとか」と書いたことに因縁を付けた。
アゴンさんは「預流とかなんとか」と書いたのだから、預流だとは言っていない。
ところが、こういうちょっとした表現の言葉尻を捕らえて、
「懲りないアホだなぁ」「初歩も解らんのかね」などと相手を徹底的に叩く。
準シュダオンさん本人は、「阿羅漢≠仏」と書き間違えて、
まるでその間違いを批判側がしたかのような言いがかりまでつけていながら、

> こりゃあ、意地の悪い揚げ足とりみたいな指摘ですよ。
>他にもケアレスミスは、あるはずですが、判読してくださいよ。(>>634)

などと徹底して自己弁護だけはする。
自分のミスには超甘く、他人にはインネンを付けてでも罵る。
まあ、なんという根性の悪い古狸妖怪だ。
こういう準シュダオンさんを見れば、彼が現役の仕事でどんな態度だったか、
容易に想像がつく。
彼のミスで周囲が真っ青になっても、自己弁護ばかりで、反省は皆無。
それでいて、誰か小さなミスなどしようものなら、
待ってましたとばかりに、相手をギュウギュウに責める底意地の悪さ。
これで仕事がうまくいくはずもなく、彼は体調を崩し、医者に相談したが、
当然、医者は彼のねじくれた根性など直せるはずもない。

718深山:2011/07/12(火) 23:59:41
>>705 :準シュダオン:2011/07/12(火) 17:35:57
>私の四向四果の論は、管長の解説を通訳してるだけで
>からね。私はその正しさを、自ら経典に当って確かめているのです。

また嘘を言う。
桐山さんは預流向については阿含経講義本で一カ所でしか説明していない。
>>322の説明を繰り返します。

「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀諸Yになっていないまでも、須陀諸Yに近くなって
いる人たちもいます。須陀諸Yにどんどん向かっているのですから――これを
須陀諸Y向といいます――みなさんは外道凡夫ではありません」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)

「わたしたちは外道凡夫ではありません」
「みなさんは外道凡夫ではありません」
この言葉が決定的です・
外道凡夫とは、一つの言葉ではなく、外道と凡夫のことです。
桐山さんは信者を外道でもなく、凡夫でもないと述べている。
仏教では凡夫とは聖者と対を為す言葉です。
つまり、今ところ「須陀オン向=聖者」だと桐山さんは言ったことになる。

719深山:2011/07/13(水) 00:03:26
>>707 :準シュダオン:2011/07/12(火) 18:03:03
>愛人というのはあなたの推測・妄想でしょ?例えば同じベッドに居たとか、その
>現場を目撃したのですか?そうでなけれな推測・妄想です。

いいえ、あなたの古狸頭で理解できないだけで、裁判の資料でも立証されたし、
最近、桐山さんはそれを自ら認めたのです。

>>666 :アゴン:2011/07/10(日) 19:52:00
>最近のご法話で、管長先生は、弟子を一人もとっていない!断言されたそうな。

ほら、桐山さんは自ら、E川さんを愛人と認めたのだ。
と言われても、準シュダオンさんの脳味噌では理解できないでしょうね。
E川さんは、内弟子だと主張したのに、桐山ゲイカは認めないと宣言した。
だが、15年も、E川さんはお手当をもらっていたと書いている。
直接渡していたのを弁護士を通そうとしたのが、2005年ですから、
15年間、手渡しでお金を渡していたことになる。
では、このお手当とはいったい何のお手当なのか。
週刊誌では、内弟子としてのお手当となっていて、愛人のお手当であるとは書いていない。
だが今回、桐山さんは内弟子のお手当であることを否定した。
すると、後は一つしかありません。
愛人のお手当です。
桐山ゲイカも素直に愛人だと認めることにしたようですね。

720サライ:2011/07/13(水) 00:05:42
>>529:深山11/07/06(水) 23:58:22 >同じタワゴトを繰り返す老人の介護に忙殺され・・・ >ご説明いただいた件、よくわかりました。また、これだけでも十分にパクリがわかります。こうやってみると、やはり神田の古本屋街こそが桐山さんの「深山幽谷の修行場」だったのがよくわかります。>学者の本は丸写しだし、ここまで来ると、「桐山ゲイカのパクリ」という特別コーナーを設置できそうです。 。。。。。深山さん、レスありがとうございました。ご返事遅れました。今回の好運会のパクリの事例はスタートのゲイカの第1声から、全信徒が記憶が鮮明であるため、パクリのノウハウがわかりやすい事例となっております。なぜ、ここに来て、盗作の危ない橋を渡る事を決めたか?金集めに追われてせっぱ詰まったのか、と想像してしまいますね。

721準シュダオン:2011/07/13(水) 08:55:36
>ボンプソウってなに?(笑)
>ボンプソウって書いてる経典だして。

凡夫僧という語は、たぶん経典には出ていないよ。大乗になって、聖者の僧と、
聖者ではない僧を区別するために考え出された語で、仏教辞典には出ているよ。
そういう用語も知らずして、管長を批判してるたぁ、たまげたね。

阿羅漢=仏ではない、とレスした時は、アゴンくんはすぐに反応できたのに、
「四向四果は、一対で一つの位」という場合には、すぐにおかしいと気付けない。
阿羅漢果と阿羅漢向の一対で一つの位、と定めたら、
阿羅漢=仏ではない、ということも半分正しいでしょ。
阿羅漢果、又は阿羅漢向という具合に、向と果を省略することは許されなくなるね。

一対で一つの位とすれば、五下分結を断じない「不還」も登場することになる。
そういうへんてこなレスには、私が指摘してやらないと、アゴンくんは気付けない
だろう。批判派支持の思い込みに偏って、公平な判断が出来なくなっているからよ。

文字も読めず、計算も出来ず、科学的素養も無い人を、学者とは呼べないでしょう。
たとえ、お釈迦さまがそういう人を学者と呼んでも、そりゃ、賛成できないね。
預流向を聖者と定義することは、そういう類ですよ。

722準シュダオン:2011/07/13(水) 09:08:57
アビダルマ論師は、預流向を見道位の十五心と定めた。
それが正しいのなら、経典の何処かに「・・見道修 得須陀オン向・・」とかの
記述が出ていないとおかしいね。「・・三結尽 得須陀オン・・」と、同じくらい
の頻度で出ていないとおかしい。なにしろ、最初の聖者の位だからね。

だが、未だに私は、経典の何処にも、「見道修 得須陀オン向」とか、
「見道習修 得預流向」とかの記述を発見できていない、ただの一箇所もだよ。
それを発見した人は、どうか知らせてください。
その時は、私も考えを改めますよ。

723準シュダオン:2011/07/13(水) 11:14:31
アゴンさんは、管長が「弟子は一人もいない」と、お話ししたとレスしていたが、
私はそれを直接聞いていなくて、語調も解らず、その意図を判断できない。が、
私はそれを、師から弟子への法の「血脈相承」を与えた弟子は一人もいない、
という意味だと思いますね。

つまり、法(金剛界・胎蔵界・念力の護摩法とか)の跡継ぎを意識した言葉だ
と思いますね。いずれ、管長は、信徒の誰かに、法の血脈相承を授けると思い
ます。それが何人になるか、解らないが、それが本当の弟子だ、というこ
とでしょう。

724ラシン:2011/07/13(水) 11:19:32
>721 :準シュダオン:2011/07/13(水) 08:55:36
>ボンプソウってなに?(笑)
>ボンプソウって書いてる経典だして。

>凡夫僧という語は、たぶん経典には出ていないよ。大乗になって、聖者の僧と、
聖者ではない僧を区別するために考え出された語で、仏教辞典には出ているよ。

阿含経に出ていないことじたい、議論に絡めることはやめなさい。
また仏教辞典にあるなら辞典を出して述べなきゃ、涙なくして聞けません。
あなたの作り話の終末性に悲哀を感じ、つい大笑いしてしまう。

>阿羅漢=仏ではない、ということも半分正しいでしょ。
阿羅漢果、又は阿羅漢向という具合に、向と果を省略することは許されなくなるね。

何が半分ですか、全部マチガイであり半分というのはあなたの知性だ。
そうして「ウソツキ老人」の実態は不勉強さゆえに、
それを隠す上で意図的に「ウソ」をつく習性か。
阿羅漢果を得た者は、阿羅漢と釈尊は言われている。
不還果は不還と表現している。
ウソツキを”習性”としている老人の屁理屈は”修正”しておく。

ーパーリ原始仏典長部第16経「大パリニッバーナ経」ー
アーナンダよ。
修行僧サールハは諸々の汚れが消滅したが故に、
すでに現世において阿羅漢に達し、
汚れの無い心の解脱、智慧による解脱をみずから知り、体得し、具現していた。
したがって、この比丘は、今さとりの世界におり、再び迷いの生存を受けることはない。

アーナンダよ。
尼僧ナンダーは、ひとを欲界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、不還となり、
おのずから善き世界に化生した。
この比丘尼はその天界から直接さとりの世界に入り、再び迷いの世界に戻ることはない。

725ラシン:2011/07/13(水) 11:22:07
>一対で一つの位とすれば、五下分結を断じない「不還」も登場することになる。
そういうへんてこなレスには、私が指摘してやらないと、

位階や現実の役職、地位、学歴に劣等感を持った者の現象です。
あなたは、現時世界では何一つ成果を得ていない窓際族だったのでしょう。
だから、あこがれた地位に脳内世界で繰り広げる愚行を続ける。
釈尊はなにも一果を成し遂げねば聖者とならないなんて、
どこにも定義していない。
コンプレックスの塊から来る「称号」願望の結果です。
あなたにはちゃんと名誉称号の「ウソツキ老人」があるだろう。
それで満足していればよいのだ。
釈尊は「四双八輩是謂如来賢聖之衆」と述べた。
これをそのまま受け取れない「ウソツキ老人」の三結の「疑惑」を
そのまんま表しているだけです。

726ラシン:2011/07/13(水) 11:30:29
>722 :準シュダオン:2011/07/13(水) 09:08:57
アビダルマ論師は、預流向を見道位の十五心と定めた。
それが正しいのなら、経典の何処かに「・・見道修 得須陀オン向・・」とかの
記述が出ていないとおかしいね。

だから、おかしいのはあなたの知性だ、とご忠告申し上げている。
何を今更つごうでアビダルマ論を持ち出す無節操を発揮するんだ?

パーリ経典(小部)[クッダカパータ]第5章マンガラ・スッタ
6 正しくある者たちに賞賛された、彼ら、八者の人たち(八輩:預流道・預流果・
一来道・一来果・不還道・不還果・阿羅漢道・阿羅漢果)――〔すなわち〕
これらの四組(四双:預流道と預流果・一来道と一来果・不還道と不還果・
阿羅漢道と阿羅漢果)が有るとして――彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、
施与されるべきである。

どうかな、「ウソツキ老人」さん、いやあその称号が板についている。

727アゴン:2011/07/13(水) 11:49:10
・・・ 善男子よ、世・出世間に三種の僧有り
一には菩薩僧 二には声聞僧 三には凡夫僧
文殊師利及び弥勒等、是れ菩薩僧なり 舍利弗・目助譏A等の如きは、是れ声聞僧なり 若し、 別解脱戒 を成就する有る真善凡夫、乃至 一切の正見を具足し、能く広く他の為に衆の聖道の 法を演説し開示し、衆生を利楽するものを、凡夫僧 と名づく。
未だ無漏の戒・定、及び慧・解脱を得る こと能わずと雖も、而も供養すれば、無量の福を獲 ん 是の如き三種を真の福田僧と名づく

大乗本生心地観経』巻2 経典名からも分かるように、これは大乗 経典です。

抜粋です。

728アゴン:2011/07/13(水) 11:59:46
経典にはないよ。断言してましたね。(笑)
今やインターネットの普及で検索したらすぐ分かり、便利です。

ところでこれって大乗経典なのですが、管長は阿含経典以外を創作経典と価値なしと言い切った経典ですが。

729アゴン:2011/07/13(水) 12:10:39
だからさ、やっぱり阿含宗って看板はおかしいっていうことですよ。擁護しようと思ったら広範囲の経典から援護射撃するしかない。(笑)

730ラシン:2011/07/13(水) 12:17:38
>727 :アゴン
>大乗本生心地観経』巻2 経典名からも分かるように、これは大乗 経典です。

アゴンさんの言われるとおり、「凡夫僧」なんて考えは、
大乗仏教のそれです。
例えば法華経での「凡夫僧」は日蓮さんになってしまう。
アゴンさんが提出した大乗本生心地観経は、密教のお経です。
いわばヒンドゥー教に影響された思想だから、「凡夫僧」など、
お笑いのタネです。
経緯を見れば「凡夫」というのは聖者の対語であり、
意味は「愚か者」ですから準シュダオンさんに符合するでしょう。

731深山:2011/07/13(水) 12:30:32
>>721 :準シュダオン:2011/07/13(水) 08:55:36
>凡夫僧という語は、たぶん経典には出ていないよ。大乗になって、聖者の僧と、
>聖者ではない僧を区別するために考え出された語で、仏教辞典には出ているよ。
>そういう用語も知らずして、管長を批判してるたぁ、たまげたね。

あなたのいう仏教辞典とはどれを指すのか、辞典名と頁数を教えてください。
岩波仏教辞典は凡夫僧なんて検索しても出てこない。
大乗仏教で出てくる用語を知らないとたまげるとは、たまげた。
では、あなたはすべての仏教用語を知り尽くしているのか。
阿含経にも出てこない言葉を知っているのが、それほど自慢か。
あなたの自惚れぶりには本当に鼻をつまみたくなる。
あなたは理解できないだろうが、今はアゴン宗と阿含経の話をしているのだ。
四向四果の議論に大乗仏教は関係ない。
関係ない言葉を出すな。
何かで読んで、自分の知識を自慢したくて出したのでしょう?
桐山さんと同じで、ちょっと何かかじるとたちまち、それを体得し、
すべてを理解したかのように思いこみ、他人にお説教を始める。
二人とも、本当に底の浅い男ですね。

732アゴン:2011/07/13(水) 12:31:26
しかし改めて思いますが、阿含宗って名前つけたのはある意味戦略的には大正解ですね。(笑)
つくづく大胆不敵で目の付け所はすごいですよ。
まぁこれもまた師匠の受け売りみたいですが。(笑)

北野師匠は宇宙人と交流するだけのことありますね。ww

横道それちゃった。

733深山:2011/07/13(水) 12:32:27
>>721 :準シュダオン:2011/07/13(水) 08:55:36
>そういう用語も知らずして、管長を批判してるたぁ、たまげたね。

桐山さんがいつ凡夫僧の話をしましたか。
私の知る限り、彼はそんな言葉も概念も出したことはない。
桐山さんを批判するのになんで彼が出したこともない大乗仏教の
言葉を知っていないといけないのだ?
桐山アゴン宗を批判するのに、御立派な知識などいらない。
解脱の定義すら間違うような桐山さんを批判するのには
仏教の一般解説書で十分です。
また、桐山さんの教義自体が自己矛盾だらけだから、仏教の知識すら必要としない。
十八人の霊障武士など存在しないし、ソンディは異母兄の生まれ変わりなはずがない。
いずれも仏教とは関係のない分野で桐山さんの嘘がばれた。

734深山:2011/07/13(水) 12:34:38
>>721 :準シュダオン:2011/07/13(水) 08:55:36
>阿羅漢=仏ではない、とレスした時は、アゴンくんはすぐに反応できたのに、
>「四向四果は、一対で一つの位」という場合には、すぐにおかしいと気付けない。

当たり前です。
前者はあなたの間違い、後者は仏教の正しい教義です。
アゴンさんの二つの反応を準シュダオンさんは違う反応だと見えるのですね。
私にはどちらも同じに見える。
なぜなら、両者の反応の共通性は「準シュダオンさんは嘘つきだ」です。
「阿羅漢≠仏」は準シュダオンさんの嘘、
「一対で一つの位ではない」というのも準シュダオンさん嘘です。
アゴンさんはあなたの嘘をちゃんと見抜き、指摘している。
彼女の判断は正しい。

735深山:2011/07/13(水) 12:36:15
>>721 :準シュダオン:2011/07/13(水) 08:55:36
>一対で一つの位とすれば、五下分結を断じない「不還」も登場することになる。

また、タワゴトが始まった。
これは仏教の議論ですらなく、あなたの国語力の問題なのです。
一対で一つの位という表現が、あなたには理解できないのですね。
あなたは不還だけが位だと信じ込んでいるからです。
自分の理解こそが正しいと思いこんでいるから、そこから一歩も出られない。
あなたは四果だけが位なのだと信じ込んでいる。
一対で位ということは、不還果と不還向の両方一組で位なのです。
「不還向・不還果」これが一組の位です。
不還果だけが位ではなく、「不還向・不還果」が位です。
だから、五下分結が断じていなくてもかまわない。
と、言われても、何のことか理解できないのでしょう?
自惚れで頭が固まってしまい、一組で一つの位だと言われても、
あなたの頭にその概念がないから、理解できない。
また理解したくないのです。
自分の考えをゴリゴリと他人に押しつけて、威張るのが何よりも好きなのだ。

736深山:2011/07/13(水) 12:39:08
>>721 :準シュダオン:2011/07/13(水) 08:55:36
>一対で一つの位とすれば、五下分結を断じない「不還」も登場することになる。

準シュダオンさんは無理でも、信者さんたちのために説明しましょう。
たとえば、夫婦とは一組で夫婦です。
「妻・夫」が一組で夫婦という「位」がある。
それを準シュダオンさんは「夫は男なのだから、一対で一つの位なら、
男の妻がいることになる」などと、言っているのです。
どうしようもない脳味噌です。
四向四果は、学者の解説にもあるように一組ずつの四つの位を表します。

預流向・預流果,
一来向・一来果,
不還向・不還果,
阿羅漢向・阿羅漢果

これらは四組であり、全部が聖者、福田、応供です。
もちろん、預流向も聖者です。
こういう簡単なことが準シュダオンさんには理解できない。
預流向を外したら、四向四果や四双八輩と数が合わなくなると
いくら指摘されても、自惚れが強すぎて、受け入れられない。

737深山:2011/07/13(水) 12:41:10
>>722 :準シュダオン:2011/07/13(水) 09:08:57
>アビダルマ論師は、預流向を見道位の十五心と定めた。
>それが正しいのなら、経典の何処かに「・・見道修 得須陀オン向・・」とかの
>記述が出ていないとおかしいね。

準シュダオンさんの頭って、相当に狂っているのですね。
「見道位の十五心」がアビダルマ論であることはあなたも知っている。
アビダルマは主に釈尊死後に作られた内容です。
後世作られた概念にすぎない「見道修」が
どうして釈尊の説いた阿含経に載っているはずがあるのだ?
まるで、「古事記に信長が出てこないのはおかしい」と言っているようなもので、
おかしいのは、あなたの頭です。
「阿羅漢≠仏」の件もそうだが、どれほどおかしなことを書いているか
気がつかないくらい、脳が壊れているようですね。
批判側から「預流向≠聖者」の根拠を示せと言われても、
何一つ出せず、それでいてすでに出したかのようにゴマカシを並べた。
一週間たっても、もちろん、そんな経典は出せない。
さらにゴマカスために、こんな時間順序を無視したような詭弁を並べて、
なんとか煙に巻こうと必死です。
準シュダオンさんの姿は、ひたら醜悪な妖怪です。

738深山:2011/07/13(水) 12:43:24
>>723 :準シュダオン:2011/07/13(水) 11:14:31
>アゴンさんは、管長が「弟子は一人もいない」と、お話ししたとレスしていたが、
>私はそれを直接聞いていなくて、語調も解らず、その意図を判断できない。が、

信者でありながら、法話も聞かないようなあなたが
桐山ゲイカの意図を勝手に判断するのはやめなさい。
どうしてそんなに厚かましいのだ。
法話を聞いたアゴンさんにあなたの考えをゴリゴリ押しつけるのではなく、
まず、桐山ゲイカの法話を拝聴するのが順序です。
語調を聞き、メモを取ってきて、その上で、「ゲイカはこのように
おっしゃっている」というのなら、幾分説得力も出てくる。
だが、あなたの書いているのは毎度ただの空想です。
あなたみたいなウソツキ老人の妄想や判断など信者ですら聞いていない。
判断できないといいながら、勝手な判断をするのやめたらどうか。

739深山:2011/07/13(水) 12:49:27
>>723 :準シュダオン:2011/07/13(水) 11:14:31
>アゴンさんは、管長が「弟子は一人もいない」と、お話ししたとレスしていたが、

桐山さんに弟子がいないなんて当たり前です。
本当に能力のある人、誠実な人なら、インチキに気がついて逃げだす。
桐山さんは他人など誰も信用していない。
W田さんやF田さんですら信用していません。
桐山さんは自己愛が強すぎて、他人への愛情が欠けている。
こんな桐山さんに弟子などできるはずがない。
優秀で誠意のある人たちは逃げだし、桐山さんの嘘でも何でも
受け入れるような人たちだけが残る。
優秀な弟子がいないのは、桐山さんがそのように選択したからです。
アゴンさんが桐山さんの話として、「運命学は肉親に伝える」と
言ったとありました。
あれも昔から桐山さんはそう言っている。
なぜなら、因縁霊視は霊視ではなく、占いを用いているから、
外に出すわけにはいかない。
四柱推命など使った簡単な内容だが、それが桐山家の伝家の宝刀です。
だから、外部には絶対にもらさず、一子相伝の秘伝として、
跡継ぎにしか教えないと言っていた。
大事な宗教詐欺の商売道具だから、他人に盗まれたら、元も子もない。
こんな態度の桐山さんに優秀な弟子など育つはずがない。

740深山:2011/07/13(水) 12:55:35
>>723 :準シュダオン:2011/07/13(水) 11:14:31
>アゴンさんは、管長が「弟子は一人もいない」と、お話ししたとレスしていたが、

桐山さんは、経典の出せない準シュダオンさんと同じで、前宣伝だけで、
何も出てこない。
因縁霊視を秘法だと信じ込んで欲に釣られた信者たちを
引っ張るために様々な道具があるだけで、
>>720でサライさんが紹介しているように、他人のパクリや剽窃ばかりです。
だから、逆に信者にそれらを教えるわけにはいかない。
詐欺ネタを教えたら、商売があがったりだし、「パクリだ!」
「こんな程度の占い?!」などと思われたら、信者は逃げ出す。
秘伝だと称して隠して教えなければ、信者は欲に釣られて付いてきます。
桐山さんの秘法と称するものがこれまでもいくつか伝授された。
たとえば、独古加持です。
しかし、あれは法華経行者の加持祈祷そのままです。
因縁診断士に因縁診断の秘法が伝授された。
だが、その中身は信者の話を聞き、それに因縁をあてはめて、
修行者宝鑑と称して授けるという絶句するような稚拙なものだった。
運命外観も小林四明の本のパクリです。
こうやって、桐山さんの秘伝と称するものが出てきたのを検証すれば
かわるように、護摩木の法施と同じで、夜店のガラクタです。
桐山さんうまいのは、そのガラクタが本物であるかのように
信者を騙す能力です。
だから、そこから先は桐山さんの問題ではなく、信者さんたちの問題になる。

741深山:2011/07/13(水) 13:05:14
>>723 :準シュダオン:2011/07/13(水) 11:14:31
>アゴンさんは、管長が「弟子は一人もいない」と、お話ししたとレスしていたが、

信者さんたちは、桐山さんから欲に釣られ、恐怖に追い立てられている。
超能力、運命改造、好運などの欲と釣られ、悪因縁や霊障という恐怖に追い立てられている。
だが、実はその両方とも、中身がない。
普通の新興宗教にある程度の御利益に夢中になり、ニンジンをぶら下げられ、
もっと欲しいと欲の皮をつっぱらせているから、桐山さんの釣りにひっかかる。
それも毎度毎度、同じ手でひっかかる。
後ろからは霊障の恐怖に追い立てられる。
今も万燈会に信者さんたちは供養しようとしている。
だが、その万燈会の元となった盂蘭盆経は大乗経典ですらない偽経典です。
だから、あそこに出てくるオシャカも大目連も全部偽者です。
あれが事実なら、法華経に出てくるオシャカも本物ということになる。
こんな偽経典の嘘を元にして、信者さんたちは何をしたいのだ?
未だに、ウランバナが倒懸の苦しみだなどという千五百年も前の説に騙されて、
供養すれば霊障のホトケの苦しみがなくなると思いこんでいる。
阿含経の釈尊は死者の供養や成仏を否定しているのです。
この事実を信者さんたちはどう見ているのだ?
禁止された護摩を焚きながら、否定された死者成仏を、オシャカの成仏ホウで、
オシャカの骨に祈願する!?
阿含経、阿含経と何とかの一つ覚えのように唱えながら、
それでいて釈尊が否定したことを堂々と行事として行う。
こういう矛盾したことをする自分に疑問を持つ知性と感性を復活させてください。

742アゴン:2011/07/13(水) 14:48:53
準シュダオンさんは、おそらく仏教用語無知の私に絡めば、矛先がかわるわい、ヒヒヒとでも思ってたんでしょうねぇ。(笑)
でもあとから参加した私の方が仏教を理解してきているのは、どういうことなんだろう?(笑)
仏教って難しい学術的なものだと思わせて、わざと難しい用語を使ってケムにまいていますよね。あ、誰かにそっくり。
仏陀は素直でない人間は悟れないと断言しています。

まぁ私は、しょーもない男の、しょーもないボス猿争い心理が理解できないぶん、すんなり批判がわの、引用してくださった経典が素直に読めるんでしょう。
批判がわは釈尊にたいして謙虚です。

743山葵:2011/07/14(木) 21:58:33
結局、桐山さんって人は『偽りだけで生きてきた人』で終わりじゃないでしょうか?
偽ビール事件のこともそうですし、高僧の位もお金を払って授かったし。
信者の方に「私はお金がないから」と言って寺院設立用のお金を募っておきながら自分はホテルで贅沢生活をし、妻とは別に会っていた女性(愛人)にお金を渡していたり。
私には自分のためにお金が欲しくて宗教を立ち上げたとしか思えません。
元々、他宗教に対して批判するつもりはありませんでしたが、阿含宗のやり方を知った時、本当に吐き気がしました。
仏教徒の私からすると釈尊の名前を用いて詐欺行為をしているのが許せないのです。
批判している時点で私も人間としては最低なのでしょう。
ですが、「阿含宗は宗教として成り立ってはいけない」と考えておりますので書き込ませてもらいました。
長文、失礼致します。

744ケンケン:2011/07/14(木) 23:28:05
山葵さん

お気持察します。
桐山さんが食い物にするのは、「超能力を得たい」という欲「因縁を切りたい」という欲
「霊障をときたい」という欲であり、それを仏教の根本経典の目的であるかのように
理論付けしました。それらの欲を得ることが仏教の本当の目的であり、それゆえに
それらの欲を達成するため精進する教団に「阿含宗」と名づけたのです。

その実態を知ったら・・・吐き気しか出ませんね。

745干柿:2011/07/14(木) 23:29:10
>>743
阿含宗とは関係ない仏教徒の方ですか、率直な意見ありがとうございます。
まあ結局は商売だったんでしょ。しかも詐欺師的性格によく合った職業
宗教ならあいまいさをちらつかせれば犯罪にならないしね・・・。
ただ、釈迦の本当の仏教(いまだにこんなこといっているんですよ!)
だと宣伝するのは本当にやめてほしいと思いますね。

746サライ:2011/07/14(木) 23:51:41
>>743:山葵11/07/14(木) 21:58:33 >結局、桐山さんって人は『偽りだけで生きてきた人』で終わり・‥…>偽ビール事件のこともそうですし、高僧の位もお金を払って授かった>信者の方に「私はお金がないから」と言って寺院設立用のお金を募っておきながら自分はホテルで贅沢生活・・・>別に会っていた女性(愛人)にお金を渡して>お金が欲しくて宗教を立ち上げたとしか思えません>本当に吐き気がしました。仏教徒の私からすると釈尊の名前を用いて詐欺行為をしているのが許せない。 。。。。山葵さんのおっしゃる事、その通りです。とにかく、カネ、カネ、カネの教団になってますね。確かに何かやろうと思ったら金は集めなきゃならないでしょう。なら、きちんと、会計報告を信者にすればいい。それができないのは、最初からカネは集めたら「こっちのもの」という、不遜な姿勢があるんですよ。カネが集まれば集まる程、堕落して集金餓鬼に成り下がってますね。 もうカネにおぼれて、愛人スキャンダルで世間に笑われている事さえ、認識不能に陥ってます。困ったものです。(批判はいやなもんですね・苦笑)

747アゴン:2011/07/15(金) 00:36:32
確かに、今も在籍していて批判することには、私も葛藤があります。
でもすべてを肯定して擁護をしている人の書き込みを客観的にみると、非常におかしいことに気がつくんですね。かわいそうなくらいイタイヒトになっていく。
そして、事実がどこまで事実なのか私も知りません。ただ潔白なら自信をもって信者に表明するべきだと思いますし、それが信頼感につながると思っています。

748アゴン:2011/07/15(金) 00:44:31
かわいそうなくらいイタイヒトというのは準シュダオンさんではありません。(笑)
姑息で嘘つきにはどこが批判されてるのかも分からないようですからそういう輩は、品行下劣で同情にもあたいしません。

749ラシン:2011/07/15(金) 12:51:54
>744 :ケンケン:2011/07/14(木) 23:28:05
山葵さん

たしかに桐山さんは、阿含経を最初は学者の説明を
引用して正しく書いています。
煩悩とはかくしかじかとこのようあるなんて述べて、
その後に、灘の銘酒がどうのコップいっぱいの水を
捨てろだのと、下世話なたとえ話や関係ない宗教例を
出して、だからそのためには因縁を解脱しなければならない
などと、釈尊が経に書いてもいないことをまるで「時そば」ように、
話しを付け加え読み手をかく乱してしまう。
客「いくらだい?」
主「ええと、具入りで、十六文です。」
客「銭が細けえんで、お前さんの手に置くからな。」
主「へい。これに願います。」
客「十六文な?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、
  なな、  やー、  今、何どきだい?」
主「エー、九つで。」
客「とお、十一、十二、十三、十四、十五、十六文。」

750ラシン:2011/07/15(金) 13:10:01

それを真似する準シュダオンさんの場合。

準「いくらだい?」
主「ええと、具入りで、十六文です。」
準「銭が細けえんで、お前さんの手に置くからな。」
主「へい。これに願います。」
準「十六文だな? ひー、ふうー、みー、よー、いつ、
  むー、なな、やー、今、何どきだい?」
主「へー、四つで。」
準「いつ、むー、なな、やー・・・十五、十六? 
  あレレ、数が?」
主「へい、四向四果で四双八輩」
準「なに?四向四果で三双七輩だろ? 簡単な足し算だよw」
主「・・・どうせなら四四が十六 文とシャレたら?」

751サライ:2011/07/16(土) 11:15:43
>>747 アゴン07/15(金) 00:36:32 >確かに、今も在籍していて批判することには、私も葛藤があります。>事実がどこまで事実なのか私も知りません。ただ潔白なら自信をもって信者に表明するべきだと思いますし、それが信頼感につながると思っています。 。。。。アゴンさんのおっしゃる事、ごもっともです。あの件については、今だに知らんぷりですからね。月刊「文芸春秋」平成4年5月号、月刊「現代」(講談社、現在廃刊)平成7年8月号に阿含宗の批判記事が掲載されましたが、ゲイカの発した言葉は「 記事は阿含宗の悪い所しか、書いてない。いい所は書いてくれない」でした。良いところなんてのは、世間様から給料もらって生活してるんだからあたりまえでしょう。「悪い所、批判点」に改善、進歩のヒントがあるのに、こういう事は徹底して無視する。(自己愛性人格障害だからか)。記事を反省して改善してれば、もう少しマトモになってたかもしれませんが、ここまで来てしまって、このざまです。ワンマン経営教団の宿命でしょうか。(文春の記事は今度、雑誌図書館で再度閲覧したいと思ってます。)

752サライ:2011/07/16(土) 12:34:39
あと、思い出すのは、会員がちょっと皮肉を込めて、疑問点(なぜ宗務局の窓口はつっけんどんなのかetc.)を例祭でゲイカに質問したら「文句があるなら、そちらが、私を破門して出て行けばいいでしょ。私と一緒に行って地獄に落ちるなら、一緒だし、その代わり、極楽行くなら一緒に行きましょう」なんて言ってましたね。もう、進言や意見を述べる余地なしです。「来るものは一定期間財施をしてもらったらもうOKです、欺瞞に気がついた方は、去るのをこばます゛」の姿勢ですね。これじゃ、進歩なしですよね。

753アゴン:2011/07/16(土) 13:09:09
そうですね。過去の言行などを知ると、ほんとにこんなこと言ってたの?!とビックリすること多いです。
でも最近はマジでリアルタイムに聞いていますからね(笑)

ここから先、どんな商法をつかって集金されるか注目です。
そういえば管長が施主の生前戒名の話を最近、聞かないですね?
やめたのかな?!

754アゴン:2011/07/16(土) 13:16:31
ある日突然、「諸君らのなかでわたくしのことをあれこれ言うているのがいる、ときく。苦節○○年、わたくしほど血のにじむような修行をしてついてきたもの結局誰もいなかった。わたくしの秘法を譲るべき法器は誰もいない。よってこれより阿含宗は解散する!解散!」
て言わはったら大笑いですね。

755ケンケン:2011/07/16(土) 13:16:33
>「文句があるなら、そちらが、私を破門して出て行けばいいでしょ。私と一緒に行って地獄に落ちるなら、
>一緒だし、その代わり、極楽行くなら一緒に行きましょう」

ずーっと以前にもこのような答えを聞いたことがあります。ある地方の道場でのことですが
多分w田女史絡みで世話役が破門となったときに職員がまー体を張って阻止しようと
しましたが、結局その職員も退職となったのですが・・・その時に質問が出て、
「アゴン宗が正しい仏教だと思ったら、たとえどんな状況でもやめるべきではない。カンチョウが
間違っているというなら、破門になったもどこまでも辞めないで、逆に管長が出てゆくべきだ、
と主張すべきだ。」なんてね。そんなことできっこないのを見越して、選択権を相手に与えているような
印象を会員の前で披歴して得意になっていたのでしょう。

756サライ:2011/07/16(土) 14:35:10
>>753 :アゴン11/07/16(土) 13:09:09
>ここから先、どんな商法をつかって集金されるか注目です。 。。。 とりあえずは、3〜4年前まで、「1日3時間5千円、2日間・6時間で1万円で選べた伝法会特別講義・8月7日(日)で集金でしょう。これも2〜3年前から1日3時間のみに短縮され選べなくなり、料金は以前の2日分1万円しっかり取ってますね。会員のサイフを何だと思ってるのか、わからんですね。生前戒名は批判噴出なもので、下準備を進めているのでは。あと、仏像商法ですね。○○道場に○○仏像奉安しますので、お堂荘厳基金3億円集めましょう、みたいな。もう、4億円で購入した仏舎利様だけで、十分なのに、それだけじゃ商売にならないから、手を換え品を換え、「偶像崇拝・如来の模型」と批判してた各種仏像の持ち込みが続きますね。

757サライ:2011/07/16(土) 14:54:59
>>754 いわはったら、大笑いですね。(笑)実務的には宗教法人のM&Aで、受け皿となる他宗教法人があればいいですね。お得意のブローカー網を使って。ホントに解体なら、法の華三法行さんの富士の本山みたいに無惨にブルドーザーで解体されたりして。(苦笑)

758アゴン:2011/07/16(土) 14:59:02
最近知ったのですが、土地浄霊するのにも、土地提供者に上納金うん百万円渡すとか。そんで信者に募るために基金基金。

しかしね、信者に罪はないのよ。(泣)
色々探ってるけど、地区の運営者もマンション一個ぶんは払ってきたとか言ってるし、正しいことをしてると思っていますからね。
結局本当に組織の頂上だけが極秘にしてること多いんでしょうね。

759サライ:2011/07/16(土) 15:47:08
>>755 私が、この言葉を聞いたのもずっと以前の千代田区平河町にあった"東京総本部"道場の時です。別院に移ったあともしばらくは宗務局の窓口は゛つっけんどん"でしたね。(林郁男氏の「オウムと私」にもアゴン窓口の"つっけんどん"は指摘されてますね) 最近は"フツー"ですかね。W田氏がらみで、職員、先達の退職、退会の話ですか。W田氏も罪な方ですね。 教団の辞めていった先達たちの苦労話は廣野隆憲著「阿含宗の研究 桐山密教の内実」(東方出版)で色々知りました。話が戻りますが、管長に「出ていけ」と言えばいいと言ったわけですね。とすれば、"釈尊の教団の規定"に反するようなスキャンダルを起こした今がそれを言うべき時、という事になりますよね。誰も言う人いるわけないですが。

760準シュダオン:2011/07/16(土) 16:26:33
>ただ、釈迦の本当の仏教(いまだにこんなこといっているんですよ!)
>だと宣伝するのは本当にやめてほしいと思いますね。

釈迦の本当の仏教なんて、誰も知らないのだからさ、各人、言論・学問の自由だ
からさ、どうでもいいのよ。わたしゃ、古典的仏教では役に立たず、因縁解脱に
関心があるから入行したのでね、違うと思う人は辞めたらいいだけよ。
あまり、他人事に関わらなくても良いわけよ。

ラシンくんがさ、先日、
>管長から、阿含信者は全員、預流果に成れると言われてうれしいか?

というような質問を、私にしてきたんだけど、ぶったまげたね。あまりに驚いて
返答しないでいた。
管長のお話しは、当たり前のことで、うれしくも何とも無いよ。
阿含信者は、行歴が長ければ、死ぬまでには必ず預流果までには成れますよ。
30〜40年も修行して預流果にも成れないようじゃ、何やってるか解らんでしょw。
預流果なんて、身見・我見さえ断てたら、簡単に成れるのだからね。
欲貪・瞋恚、なんてのは持っててもよいわけだから、簡単に成れる。

しかし、預流向を本当の聖者だと考えてるような知能では、永遠に預流果には
成れないだろうねw。それは、管長のお話しを理解できていない証拠だしね。

761深山:2011/07/16(土) 18:32:12
>>760 :準シュダオン:2011/07/16(土) 16:26:33
>阿含信者は、行歴が長ければ、死ぬまでには必ず預流果までには成れますよ。

いいえ、絶対に無理です。
アゴン宗という外道の信者が預流になるなどありえない。
人間には魂魄という霊魂があり、死んだ後、その片割れが霊体になるなんて、
立派な身見という煩悩です。
釈尊のいう身見を捨てるとは、こういう自己の中心となる存在を否定することから始まる。
霊魂があるというアゴン宗の考えは当時の外道の教えそのままです。
釈尊の解脱である漏尽解脱を小解脱と罵る煩悩を疑惑といいます。
釈尊は煩悩を断ちきれば解脱すると説いたのに、桐山さんと信者さんたちは
これを否定し、悪因縁を切らないと解脱できないと信じている。
釈尊の教法に疑問を持ち、信じようとしないのが疑惑という煩悩です。
釈尊は護摩や占いを禁止し、死者供養、死者成仏を否定した。
こういう外道の行為を続けることが戒取という煩悩です。
アゴン宗は三結の何一つを捨ててはいないばかりか、
逆に三結煩悩を増大させるような信仰をしている。
信仰を持たない一般人よりもずっと三結が強い。

762深山:2011/07/16(土) 18:35:20
>>760 :準シュダオン:2011/07/16(土) 16:26:33
>わたしゃ、古典的仏教では役に立たず、因縁解脱に
>関心があるから入行したのでね、違うと思う人は辞めたらいいだけよ。

ほら、準シュダオンさん自ら、三結が強いことを告白している。
古典的仏教とは原始仏教のことでしょう?
つまり、釈迦仏教をあなたは役立たずと言いたいらしい。
これでまた準シュダオンさんの如来誹謗が一つ増えましたね。
釈尊の説く仏教に限らず、大乗仏教ですら、漏尽解脱であり、
因縁解脱なんてありません。
なにせ、因縁解脱なんて言葉を造ったのは桐山さんなのだから、
仏教に因縁解脱なんてあるはずがない。
因縁解脱なんて、現代の外道の新興宗教の教えです。
釈尊の解脱とは漏尽解脱、アゴン宗でいうところの煩悩解脱です。
これを「役に立たず」というのが、疑惑という煩悩なのです。
釈尊の教法を「役に立たず」と疑い、信じようとしないことが疑惑です。
疑惑という三結煩悩を丸出しにしながら、「おれは預流向だ」?!
なかなかの自虐ネタですね。
準シュダオンさんは何の矛盾も感じないで書いているのでしょう?
そのあなたの程度の低さが爆笑を誘う。

763深山:2011/07/16(土) 18:39:37
>>760 :準シュダオン:2011/07/16(土) 16:26:33
>しかし、預流向を本当の聖者だと考えてるような知能では、永遠に預流果には
>成れないだろうねw。それは、管長のお話しを理解できていない証拠だしね。

ご託はいらないから、「預流向≠聖者」と釈尊が言っている阿含経を示しなさい。

>>560 :アゴン:2011/07/07(木) 15:43:05
>根拠となる経典か。それは沢山、引用しないと難しいね。

沢山あるという経典を引用してみなさい。
数日沈黙していたのは、必死にあなたなりに阿含経を読んで、
屁理屈を付けられるような経典はないか探していたんでしょう?
だが、探し出せなかった。

>771 :準シュダオン:2009/11/24(火) 13:49:38 ID:P9JinFks0
>など出来ません。平河本の学者先生方も、須陀諸Y向を聖者としてはお
>りません。平河本の学者先生も、聖者とする記述は須陀諸Y果からです。

二年前、あなたは平河本の中に、学者が「預流向≠聖者」と書いていると述べた。
二年前も私はどこにあるかと質問したが、あなたは無視した。
男なら自分の言葉に責任をもって、どこにあるのか示してみなさい。
できるはずがない。
ありもしないものをこうやって、何年も何年も言い続ける。
知能も精神も病んでいますね。

764深山:2011/07/16(土) 18:43:23
>>760 :準シュダオン:2011/07/16(土) 16:26:33
>しかし、預流向を本当の聖者だと考えてるような知能では、永遠に預流果には
>成れないだろうねw。それは、管長のお話しを理解できていない証拠だしね。

いいえ、桐山さんの本を理解していないのはあなたです。
桐山さんの本を読む限り、「預流向=聖者」です。
>>718で貼り付けたばかりだが、準シュダオンさんみたいなザル脳ではすぐに
忘れてしまうだろうから、何度でも貼り付けてあげましょう。

「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀諸Yになっていないまでも、須陀諸Yに近くなって
いる人たちもいます。須陀諸Yにどんどん向かっているのですから――これを
須陀諸Y向といいます――みなさんは外道凡夫ではありません」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)

「わたしたちは外道凡夫ではありません」
「みなさんは外道凡夫ではありません」
桐山さんは信者を外道でもなく、凡夫でもないと述べている。
仏教では凡夫とは聖者と対を為す言葉です。
つまり、今のところ「須陀オン向=聖者」だと桐山さんは言ったことになる。
主張する時、私のように根拠を示すことです。
あなたの解釈などいらないから、桐山さんが「預流向≠聖者」と書いている文章を出してみなさい。
あなたが前に示した文章は預流向ではなく、預流についての説明であり、
そこにあなたの勝手な解釈をしているにすぎない。

765深山:2011/07/16(土) 18:47:43
>>760 :準シュダオン:2011/07/16(土) 16:26:33
>しかし、預流向を本当の聖者だと考えてるような知能では、永遠に預流果には
>成れないだろうねw。それは、管長のお話しを理解できていない証拠だしね。

宿題を忘れているようだから、列記しておいてあげましょう。
よけいな話はいらないから、根拠示しなさい。

1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。

766アゴン:2011/07/16(土) 20:35:06
>>話が戻りますが、管長に「出ていけ」と言えばいいと言ったわ けですね。とすれば、"釈尊の教団の規定"に反するようなスキャンダルを起こした今がそれを言 うべき時、という事になりますよね

そうですよね。内弟子事件については、うちの道場でも話題になりましたよ。(笑)どよめいとりましたけど。あのこやん、いい子やったのにー!というオバサンもいましたよ。ww
だーれも公共の場で質問もできない。ww当たり前ですね。
週刊紙のような下世話な記事と管長は境涯がちがうんだ。と思っていますからね。

私も最初は一笑に付していました。まぁなんというか、だからなんなの?この女性は何が言いたいの?て感じで生ぬるかったから、今いち、パンチにかけとった。(笑)
管長の御霊諭のほうが相当パンチがきいていましたね(笑)

今となっては、どこまでボロが明るみに出て、解散寸前までいくのか見届けたい心境です。おそらく身からでたおおさびで、ガラガラといっちゃうでしょうね。
信者同士の友情は大切に、人間関係は大切に、していきたいとだけ思っています。。日本も大変なときですし。

767干柿:2011/07/16(土) 22:17:02
>>760
はい、だから私はやめました!しかも釈迦の仏教じゃなかったからでけでは
ない、やることなすことデタラメでパクリ、そして嘘ばっかり、十三人の武士
の霊障、学歴詐称、そんなのはいい(いいといったら語弊がありますが)
なによりも出来もしない求聞持法を指導するといって伝法会やったり
素人同然のくせしてクンダリニーヨガの奥義を会得したグルだと偽ったり、
偽るだけならいいですよ笑えるだけですから、講座や伝法会、はては
日本メディテーションセンターでしたかそんなの開いてさも自分がすべてを
マスターした権威であるかのようにふるまい会員信者をつのって会費やら受講費
をとって(中身などなにもなく出来もしないことをやるといって)詐欺以外の
なにものでもありますまい。
このような詐欺行為をいまだつづけているようなものでしょう。何も知らない人
が釈迦の本当ので引っかかり損害を受けるのを見ちゃいられないということです。
あなたのような頭の中がお祭りの人のことなど知ったことじゃない。
自分が楽しけりゃいいってことでしょ要はw

世の中には素朴で真面目な人も
いるんですよ。そういう人が騙されるのが嫌だし桐山のような詐欺師にだまされる
のが悔しいのですよ!

768干柿:2011/07/16(土) 22:55:26
>>759
サライさん、そのつっけんどんってK田職員のことでしょw
いまは定年でバイトかなんかまだやってんのかな?
でも、あんなヒドイ奴でも課長までいったんでしたっけ
「あれが宗教団体の職員かよ!」って、みんな言ってましたよw
いま思えば結局のところあれが阿含宗の顔だったんでしょうね。
(事務受付をやっていましたねK田職員、意地悪して信者の御伺書あげないで
その信者まあ鬱みたいだったそうですが、自殺しちゃったこともあったそうです。)

770天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/17(日) 05:41:47

そういう職員がいるのは嘆かわしい・・・。
自分の知る限りの範囲ではそういう人は居なかったので(融通が効かない人はいたが)
なんだか呆れますなあ・・・。

771サライ:2011/07/17(日) 23:30:24
>>766 なるほど、週刊ポストの記事には"御霊諭"までは、出ていませんでしたよね。(笑)では、ネットで教団情報収集してない信徒はまだ、知らない方も大勢いるわけですね。まあ、どなたかが、また、裁判資料として、書籍などになるかですね。

772サライ:2011/07/17(日) 23:39:41
>>768 そう、思い出しました。K田職員(女性)いましたね。ありゃ、カルチャーショックものでしたね。裏でそんな意地悪もやはりやっていたんですね。あれが、アゴンの顔だったわけですね。最近見かけませんね。思い出の彼方・・・ですな。

773ラシン:2011/07/17(日) 23:54:37
>760 :準シュダオン:2011/07/16(土) 16:26:33
ラシンくんがさ、先日、
>管長から、阿含信者は全員、預流果に成れると言われてうれしいか?<
というような質問を、私にしてきたんだけど、ぶったまげたね。あまりに驚いて
返答しないでいた。

ウソつきにウソを書くな、と言っても意味が無いだろうが、
手法は悪質だから指摘しておく。
それって、さも相手の文章をコピペして引用したように見せかける。
経典も平気で加筆や捏造する神経だから、何のためらいも無い。
あなたは、盗癖や万引き癖がある者と変わらない。
あなたのウソつき行為は、生来の悪癖らしい。
その証拠として私の正確な文章を記しておきます。
           ↓
>>679:ラシン
「仏陀真実の教えを説く阿含経講義」196頁
「しかし、三結は解脱宝生行だけで絶対断ち切れます。」
        
<絶対断ち切れるそうですよ。
 ということは、解脱宝生行をしている阿含宗信徒は「預流向」となる。
 うれしいですか〜?
 もちろん仏教の「預流向」ではなく、阿含宗という外道預流向です。>

774ラシン:2011/07/17(日) 23:56:17
>760 :準シュダオン:2011/07/16(土) 16:26:33
ラシンくんがさ、先日、
>管長から、阿含信者は全員、預流果に成れると言われてうれしいか?<
というような質問を、私にしてきたんだけど、ぶったまげたね。あまりに驚いて
返答しないでいた。

どこが「ぶったまげたね」なのだ?
あなたのそのウソを平気でつく、ブッダの教えを曲げる、
だから「仏陀曲げる」と言うのですか?
私が書いてもない文章を作り上げるのだから、桐山さんと同じく
経典の自己解釈など平気の平左なんでしょう。
まあ、そんなヒネリなどスカスカ脳には気が付かないだろうがね。
あなたは、私や批判側からの皮肉や揶揄すら感じる知性も無い。
私から「外道預流向」などと揶われ苦笑されても、
真剣に「阿含信者は、行歴が長ければ、死ぬまでには
    必ず預流果までには成れますよ。」なんてタワケを言い返す。
ホント、あなたって認知症が進んでいるようだ。
忘れないように、「ウソつき老人」に質しておく。

1私が、三結断=預流向 と書いた文章を出してくれ。
2小縁経に阿羅漢があるとの経典を示しなさい。
3阿羅漢≠仏 との経典を示しなさい。
4預流向≠聖者 との経典を示しなさい。
5預流向は、凡人果に属するとの経典を示しなさい。

775サライ:2011/07/18(月) 08:39:49
>>758:アゴン11/07/16(土) > 最近知ったのですが、土地浄霊するのにも、土地提供者に上納金うん百万円渡すとか。そんで信者に募るために基金基金。(泣) 。。。。まあ、そんなもんでしょうね。カネ払ってまで、野外で土地浄霊やる意味がわからんですね。1日の行事の土地賃借料でウン百万円ですか。アホらしい。どこか、狂ってますね。

776私文書為造 ◆iCtd3oCMyM:2011/07/18(月) 10:47:31
>>408-
どうもお久しぶりです。考察室の更新をチェックしてて気が付きました。
谷口氏との関連を考察するのも桐山の心理を解析する上で興味深く、皆さんの
お説をなるほどと読ませて頂きましたが、こういう一面もあると聞いて下さい。

不動法の四無量心観というのは、真言宗の事相としての不動法に最初から
組み込まれてるものです。阿含宗が伝法会でわたすオークションで10万付いてた
次第にも入ってました。

で、四無量心観は「慈悲の瞑想」として現行の上座部でやってる解りやすい方法を
スマナサーラ師が紹介され、しかもこの法は本当に信仰とは無関係なメソッドとして
大変効果があるので最近は「四無量心」で検索するとオウム残党や幸福の科学のサイトなどが
ヒットしてこれらの団体が図々しく取り入れて自分らの信仰と結びつけて布教してるのが見て取れます。

阿含宗のもそう言う流れで四無量心観を強調してきているのかもしれません。

777私文書為造 ◆iCtd3oCMyM:2011/07/18(月) 11:06:35
>>776自レス
>「四無量心」で検索するとオウム残党や幸福の科学のサイト

ちょっと前はそうだったのですが、最近は上位には出てこなくなったようです。

778マーセント ◆wgInCUcaO6:2011/07/18(月) 21:24:07
ここに来るつもりはなかったんですが、2chでカキコできないので、ここに投稿させてください。
『修行者座右宝鑑』が、過去に新聞広告に、値段付きで出ていたことを確認しました。
これは私見ですが、このような書物は、このようなことをすべきではないと思いますが、
出版局は、何を考えていたのか理解に苦しみます。
この程度の軽いノリの書物だったのでしょうかね。

779アゴン:2011/07/18(月) 22:16:07
>>775 ちょっと驚きです。
阿含宗で土地浄霊をするのに、そこまでお金を御礼でわたす意味がわかりません。ただ、あたりまえのように話が進んでいったので、昔からそういう習慣になっているんでしょうね。

それって、焚き火で宣伝させていただいて、ありがとうございます。の料金のようにも思えましたね。
向こうから浄霊をお願いします、と言われるくらいになって初めて管長の「成仏法」の体得冥利につきるんじゃないのかしら?と思いますねぇ。。弟子もまだまだ師を信用をしてないんでしょうかね?

780サライ:2011/07/19(火) 11:31:29
>>778 座右宝鑑が新聞広告で宣伝されていたわけですね。実際、当時の桐山氏は、必ずしも、会員という、特定の派閥に所属をしなくても、広くノウハウをわけようとしたわてけですから、それは、それでよろしいかと感じます。ただ問題なのは、実際座右宝鑑を数万円出して購入しても、肝心の「個人指導欄」は記入なしの空欄のままであった、ということです。(廣野隆憲著・阿含宗の研究 にくわしい) この被害者は数知れないでしょう。これこそ、数ある詐欺の中の明白な一つです。当時は密教講座通信課程なども企画されていたようで、今のように「会員・信者・弟子 」になれ、なんて閉鎖的体制より、よっぽどオープンで、時代に合った企画だったのではないでしょうか。まあ、残念ながら通信課程は、消滅した ようですがね。

781マーセント ◆wgInCUcaO6:2011/07/19(火) 12:29:18
>>780
1980年(昭和55年)3月3日 月曜日 の 朝日新聞 です。
『NO.705 朝日新聞 縮刷版』 75頁 右下に発見しました。
内容の一部も紹介されていて、
頒価 三〇,〇〇〇円
内容案内=要送料共 300円
とあります。
映画と講演≠フ広告といっしょに出ていました。
『朝日新聞 縮刷版』は、ほぼ全国の図書館で閲覧できると思います。

782干柿:2011/07/19(火) 21:33:46
座右宝鑑ですが、半値の15000円で購入して、あとで個人指導のところに
順番待ちで記入するとき、あとの15000円を払うというシステムでした。
だから本だけ希望なら15000円でいいわけで、会員にならなくても
いいわけなのですが、個人指導となると会員になってということでしたか・・・
しかし、この本のウリはなんといっても個人指導の欄に書かれる内容でしょ
だから大抵この本を購入した人は会員、信者になるという前提で
じっさい、この本をきっかけに信者になったという人もいましたよ。
けれども実際に個人指導欄に記入してもらった人はほとんどいません。
これも途中でなげて知らんぷりです。まあ詐欺に近いですね。
まあ購入金額の面では、つまり半値で購入であとで個人記入のとこでもう半分
ということで記入できなければそれは払わなくいいので払うことはなかったです金銭ではだから
半分しかお金取らなかったからいいとでも教団や桐山ゲイカは思っているのでしょうけど
騙して信者を増やすようなモノでしょ。今考えるとホント頭にきますョ。

783サライ:2011/07/20(水) 00:48:42
>>779 :アゴン11/07/18(月) 22:16:07
>阿含宗で土地浄霊をするのに、そこまでお金を御礼でわたす意味がわかりません。
>焚き火で宣伝させていただいて、ありがとうございます。の料金のようにも思えましたね。 。。。。私も同意見です。基金集めてイベントやったら、例によって、会計報告開示しろっていうんですよ。宗報に華々しく載る、地域浄霊イベントも、そういった、陰の部分があるということですが会計結果はとにかく、全信徒で共通認識もたなきゃダメです。それが出来ない行事は偽物でしょう。 上層部がやっている事で現状は、一般信徒はなんのこっちゃ、ですね。

784天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/20(水) 05:22:11
>>779 >>阿含宗で土地浄霊をするのに、そこまでお金を御礼でわたす意味がわかりません。

私は逆に分かりますね。と、いってもゲイカの方を持つわけではないのでご了承を。

どういうことか? それは世の中に遍満する「隠れたしきたり」のようなものだからです。
例えば談合とかそういうので分かるように、ただ(ゼロ円)では物事が進まない。
やはり何かしたら「某の〜」と出すのが逆に世のルールなのです。

しかし、そういうのは表向き堂々とやるものではない。なので見えないように、分からないように
行うので信者は知る由も無いのです。また教団側も大きく言うはずも無い。

これも例えですが、結婚をするときに「結納金」やら「結婚指輪」で結構お金使いますでしょう?
あれもそれに類するようなものです。
金で縛るわけでも補うわけでもないですが、やはり他人の娘さんを貰って「タダ」では済まない。
人身売買じゃないんだが、やはり相当の儀礼として包むのが慣わしなように、ゲイカも祭事を
行わせてもらったら「袖の下」を渡すのは当然なんですよ。
むしろタダでやらせてもらって涼しい顔をしてたらその方が訝しく思われます。
ですから、信者としては「金で解決してたのか」と心境複雑ですが、世間的に見ればゲイカの取る
態度は変ではない。
しかし、金額が半端ではないのには異常性を感じるのは同意としておきます。

785ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/20(水) 08:30:33
>>775:サライ11/07/18(月) 08:39:49
>>>758:アゴン11/07/16(土) > 最近知ったのですが、土地浄霊するのにも、土地提供者に上納金うん百万円渡すとか。そんで信者に募るために基金基金。(泣) 。。。。まあ、そんなもんでしょうね。カネ払ってまで、野外で土地浄霊やる意味がわからんですね。1日の行事の土地賃借料でウン百万円ですか。アホらしい。どこか、狂ってますね。

情報をありがとうございます。
すると信者さん、これはアゴン宗の教義上おかしなことになりませんか?
解脱供養の供養金ですよ。
あれは霊障を受けている施主が出すべきものであり、そうでなければ
霊障の先祖は解脱成仏できない。
いくら教団導師に高い法力があっても、徳の薄い亡者はこれを受け取ることが
できずに、いつまでも解脱成仏は不可能だ。
だから子孫縁者が施主となって総本殿建立基金という徳を積んでその徳を回向して
初めて霊障は解消されるシステムです。
個人の解脱供養であれ土地の浄霊法要であれ、その基本原理は同じはずです。
わが土地の不浄をお払いください、浄化してくださいという真心こもった
土地の施主側の喜捨があるからこそ、法力を受け取れる徳の条件が揃うはずです。
それが逆に教団側がやらせてくださいと金を払ってどうする?
アゴン宗の回向の功徳の理屈から矛盾するのです。
これならば信者など個人が申し込む解脱供養に回向料など不要のはずだ。

786アゴン:2011/07/20(水) 11:47:01
そうなんですよね。
土地浄霊にかかる費用を修行者が菩提心で募って喜捨するのは分かります。それもご供養の心になるからです。で、一方で土地提供者に御礼を渡すのを更に修行者に上乗せするというのはいかがなものかと。
土地提供者も喜捨して初めて徳が積めるのではないのか、と。
思うのですけどね。教義上は。

天照さんのいうように、世間の常識的尺度にあわせて考えますと、こういう習慣があたりまえなのもどこかで分かります。(笑)
非常識きわまりないことをなかば常識のように強いるのは、教団内の人間にだけなんですね。
困ったものです。

787深山:2011/07/20(水) 12:24:40
>>758 :アゴン:2011/07/16(土) 14:59:02
>最近知ったのですが、土地浄霊するのにも、土地提供者に上納金うん百万円渡すとか。そんで信者に募るために基金基金。

これは最近の話ではなく、最初からそうだと聞いています。
神社などで護摩を焚かせてもらうのに、清掃を手伝い、奉納金を出し、
ようやく許可をもらう。
しかし、表向きは、神社から招聘されたとか、頼まれたとか、
神仏両界だといったきれい事を並べる。
ユビキタスさんが指摘しているように、アゴン宗の教義からいったら、
まったくおかしい。
屋敷浄霊をするのに、アゴン宗側が金を出して、させてもらうようなものです。
いや、世間のやり方から見てもおかしい。
たとえば、地鎮祭は土地の所有者が神主に金を払う。
ところが、アゴン宗はこれがまったく逆で、まるで神主が地主に
金を出して頼んで、地鎮祭をさせてもらうようなものです。
ただ、アゴン宗の本音を知れば、別に不思議なことではありません。
アゴン宗は、これで金と人を集め、売名行為ができるから、大きな利益を得る。
土地所有者に金を渡しても元がとれるからです。

788深山:2011/07/20(水) 12:28:50
>>758 :アゴン:2011/07/16(土) 14:59:02
>最近知ったのですが、土地浄霊するのにも、土地提供者に上納金うん百万円渡すとか。そんで信者に募るために基金基金。

アゴン宗は金集め、人集め、売名のために土地浄霊をしていると見れば、
土地所有者に金まで払って土地浄霊をしても、なんの矛盾もありません。
土地浄霊だなんて建前を信じているから、浄霊してもらうほうに金を払うなんて
矛盾があるように見えるだけです。
前に、樹意さんがとても良い視点を示したことがあります。
それは金の流れを見ればいいというのです。
金はほぼ全額が信者から出ている。
信者に、土地浄霊であり、それをしないと土地の因縁が切れず、
大災害でも助からないと脅かし、土地浄霊をすることが
仏の意図にかなうことであり、徳をという大きな見返りがあると教える。
現実には、道場レベルの成果として評価される。
だから、職員も先達も必死に土地浄霊を信者たちにさせる。
護摩木、お札、基金という形でお金を出しているのは信者です。
一見、アゴン宗や道場から金を出しているかのように見えるお金も
元をただせば、直接間接的に信者から出たお金です。
信者が、結果的に、全額出している。
土地浄霊はアゴン宗の坊さんが出てくるから、彼らの仕事にもなる。
土地所有者に金を払ってでも、土地浄霊をしたほうが、
信者たちは護摩木などでお金を出すから、アゴン宗側は十分に元がとれる。
アゴン宗は金銭的にはまったく損をしないばかりか、利益を得ている。

789深山:2011/07/20(水) 12:32:33
>>758 :アゴン:2011/07/16(土) 14:59:02
>最近知ったのですが、土地浄霊するのにも、土地提供者に上納金うん百万円渡すとか。そんで信者に募るために基金基金。

土地浄霊は修行者たちの意欲を煽る効果があります。
柴燈護摩のようにアゴン宗が主体のイベントと違い、
地元の信者が主体的な様々なイベントをこなすようになれば、
イベントのノウハウも体得して、終わった後の達成感も違ってきます。
アゴンさんは前に、こういうイベントを通じて人が育っていると
いうようなことを書いて、私から、イベント興業の店員が増えたと
皮肉を反論されたのを覚えていますか。
人が育っているのではなく、だんだんオカルトにはまっているのです。
これは皮肉でもなんでもない。
なまじ自分たちが企画して成功させたという達成感があるし、
金銭的に成功すれば、桐山さんや宗務局からも誉められるから、
修行者たちは自分たちは正しい道を歩いていると錯覚する。
だが、イベントを開くことのどこが仏道修行なのだ?
釈尊が禁止した護摩を焚いて、釈尊が否定した死者成仏のイベントをして、
これが仏道修行で、人が育つ??
外道街道まっしぐらです。

790深山:2011/07/20(水) 12:35:29
>758 :アゴン:2011/07/16(土) 14:59:02
>最近知ったのですが、土地浄霊するのにも、土地提供者に上納金うん百万円渡すとか。そんで信者に募るために基金基金。

相手に金を払うということにあなたは驚いているようだが、
その模範を桐山さんが示していることにどうして気がつかないのだ?
海外での護摩は、まさに「土地提供者」に上納金を払っている。
そうでない海外の柴燈護摩は一つもありません。
アウシュビッツなどたまたま十万ドルの寄付がばれてしまっただけで、
他のイベントもすべてそうでしょう。
イスラエルの大臣が、わざわざ柴燈護摩を見るために日本に来た。
日程から見ると、柴燈護摩のためだけに来ています。
一国の大臣を呼ぶのにどれほどの金がかかったかは、庶民には想像すらできない。
全額、アゴン宗側の持ち出しなのに、名前だけは「招聘」です。
こういうインチキ招聘を桐山さんが見本を示しているのだから、
信者が真似したからといって、何か不思議ですか。
興業宗教にすぎないアゴン宗ではこれが正当なやり方です。

791深山:2011/07/20(水) 12:37:48
>>758 :アゴン:2011/07/16(土) 14:59:02
>最近知ったのですが、土地浄霊するのにも、土地提供者に上納金うん百万円渡すとか。そんで信者に募るために基金基金。

土地浄霊という外道街道は、アゴン宗にとっては金と人を集め、
売名行為をして、それを仏道修行だと信者たちに錯覚させる効果がある。
さらにアゴン宗の内部矛盾から目をそらさせる効果もある。
超人だという桐山さんは法話の時間になっても何も話が始まらず、
法務部の職員が話を促す有様です。
因縁を切ったブッダ様の桐山さんは88歳にして愛人に訴えられた。
預言はことごとく見事なまでに外れ、教義は嘘と矛盾だらけ。
なによりも、うたい文句の超能力開発も因縁切りも、ただの一人も成就者がない。
そもそも、超能力開発の技術すら公開されないというか、ない。
桐山さんが長年宣伝したことは何一つ実現されておらず、
できあがったアゴン宗は、今の桐山さんのようにボロボロです。
こういう現実から目をそらさせるには、イベントが一番です。
桐山さんが海外に行きにくくなったのか、今年は船を借りて洋上の
イベントをするという。
アゴン宗はイベント宗教だという指摘はそのとおりで、これしかない。
イベントを開く以外にはまったく無能な宗教です。

792深山:2011/07/20(水) 12:42:50
>>758 :アゴン:2011/07/16(土) 14:59:02
>しかしね、信者に罪はないのよ。(泣)

アゴン宗からイベントを取ってしまったら、何も残らない。
金集め、人集め、売名のためにはイベントは欠かせない。
土地浄霊だけでなく、例祭、朔日護摩、冥徳祭など、全部イベントです。
イベントがなくなれば、アゴン宗ではなくなるし、経営も成り立たない。
アゴン宗は興業宗教にすぎないし、これこそが本業なのだから、当たり前です。
信者たちの目をそらすためにも、目の前に土地浄霊というノルマをかけて、
金集め、人集めに奔走させ、焚き火をして自己満足を得らせる。
こういう姿を私は宗教家畜だと指摘しているのです。
土地所有者に金を払ったことだけが問題なのではなく、
ただの焚き火を仏道修行だと信じ込んでいる連中もおかしいのです。
アゴンさんは、信者は罪がなく、良い人が多いという。
だが、その善人たちの為していることは悪業ですよ。
死者を霊障のホトケと罵り、できもしないくせに死者成仏を唱える。
そして自らは、死者を成仏させ、仏から徳をいただいたと自惚れる。
阿含経や釈尊の名前を使い、人びとを騙す手伝いをしている。
悪業を為している彼らのどこが罪がないと言えるのだ?

793深山:2011/07/20(水) 12:49:30
>>758 :アゴン:2011/07/16(土) 14:59:02
>しかしね、信者に罪はないのよ。(泣)

無知もまた罪ですよ。
昔のように情報が行き渡らない時代ならともかく、
ネットでこれだけ暴露され、週刊誌にまで愛人問題が出ても、
それでも目を向けないなら、それは本人の罪です。
こういう情報に目を向けようとしないのは、頑迷だからですよね。
自分の信仰は絶対に正しいと信じ込んで、他人の意見を聞いてみよう
ともしないのを頑迷、ガンコといい、自惚れから来る煩悩の一つです。
ネットや週刊誌を見なくても、目の前に桐山さんという巨大な矛盾がある。
法話で言葉がでてこない桐山さんのどこが超人なのだ?
90歳で元気でカクシャクとしている老人など珍しくもない。
因縁丸出しの桐山さんのどこが因縁解脱したことになるのだ?
桐山さんの地球壊滅の預言が次々と外れた現実をどうして見ないのだ?
今の桐山アゴン宗を見てもまだ信じていられる人たちの感性と知性には絶句する。
こういう信者は、自分では気がついていないのだろうが、慢心が強いから
自分の判断に疑問を持たないのです。
桐山さんを選んだ自分を誇りにさえ思っている。
桐山さんを信じていれば、この世もあの世もうまくいくという欲望に釣られている。
結局、欲望、慢心、無知の貪瞋癡という三大煩悩そのままです。
信者にも罪はあるのだ。
彼らに罪の全責任があるとは言わない。
だが、半分以下であっても、罪は間違いなく信者にあります。

794アゴン:2011/07/20(水) 13:30:14
もちろん本当に疑問で書き込みをしていたわけではなく、上納金システムを無意識にしている大先達の姿に、やはり!と府に落ちてとポンと手をうったしだいであったわけです。

そういうこともあって、アゴン信者はどこか娑婆世界の真似事を無意識にやって、ゲイカへの点数稼ぎをしているんだと気がついたわけです。こういう矛盾もこれからドンドン出てくるでしょうね。不買運動も起こってくる。
みんなの目が覚めてくると思います。

795ラシン:2011/07/20(水) 15:30:42
>794 :アゴン:2011/07/20(水) 13:30:14
もちろん本当に疑問で書き込みをしていたわけではなく、上納金システムを無意識にしている大先達の姿に

まるで末端組員から「ミカ締め料」を徴収して、
それを上部組織に納める暴力団組織とよく酷似している。

末端組員は上から示された方針(庇護)で企業や事業主、
個人商店を守るために「ミカ締め料」を徴収する。
問題が起きれば、それを解決してあげるために、
相談を受けて、その成功報酬を得る。
例えば「切り取り折半」なんて言葉があるくらい、
ヤクザの方がすべてを搾り取る事はしないだけ、まだマシだ。

教団は不成仏霊を示しそれが霊障となると脅迫し、
霊障から家族や自身を守るために供養金を差し出させる。
また「お手配願い」を出させて問題解決を示す。
すべて有料です。

信者さんは、教団と暴力団の運営方式が瓜二つだと、
指摘されて気分を害するでしょうが、手法や目的は同じです。
どちらも脅迫という行為や圧力をかけて金集めをしている。
法的にはこういう行為は恐喝です。
阿含経にみる釈尊がそんな脅しを使って布教をしましたか。
していませんよね。
ところがアゴン宗は、先祖や家族を人質にして布施をチラつかせる。
ヤクザでこういう圧力を「キレイな恐喝」というのです。
ヤクザが「金を貸せ」と言うのは金をくれと言うことで、
絶対に貸した金は返って来ない。
教団も何一つ返してくれません、目に見えないご利益以外はね。
ヤクザは体を賭けてシノギをしているが、桐山さんはそれを
宗教というキレイな包装紙に包んで信仰心で教団依存を図る。
あとはヤクザの義理場(葬儀)と同じイベントをうって集金する。

796天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/20(水) 19:39:46
商売や催事物でイベントするのは当然ですが、宗教でイベントはやはり情けない。
イベントをやらないと人が来ないのはやはり力の無い証拠。ああ、無常w

797サライ:2011/07/20(水) 23:05:07
>>781 マーセントさん、座右宝鑑の広告日、ありがとうございました。見方によっては3万円という、値段入りの商品を広告に出す勇気と一般性がまだ、当時の桐山さんの事業にはあったということ。現在は会員制のため、金銭搾取システムは、外部からは見えにくくなっているといえます。 >>782 干柿さんは座右宝鑑、半値の15000円にしてもらったということで良かったのですが、残りの15000円分の個人指導の記入の約束は、例によって、すっぽかされたということで、さんざんでしたね。私は、個人指導欄未記入で、3万円丸々、ボッタクられました。あと、ついでながら、修行者指導原簿保管料、1000円、全員から、ボッタくってますか゛、原簿を使った、個人指導できないなら、1000円、返還してもらいたいものです。(この件、廣野氏の本にも指摘あり)

798サライ:2011/07/20(水) 23:28:55
>>785:ユビキタス ◆18iA.mwnDU
11/07/20(水) 08:30:33
>いくら教団導師に高い法力があっても、徳の薄い亡者はこれを受け取ることができずに、いつまでも解脱成仏は不可能だ。>土地の不浄をお払いください、浄化してくださいという真心こもった土地の施主側の喜捨があるからこそ、法力を受け取れる徳の条件が揃う>それが逆に教団側がやらせてくださいと金を払ってどうする。 。。。。。そう、だから、解脱供養に1体10万円払わなくても、外護摩で、すべての不成仏霊を、まとめて成仏させてもらったほうが、安上がりですね。ゴマキ1本100円でも成仏してしまうのではないですか。だが、これでは商売にならないから、大きな声では言わない。でも、最近の外護摩は「慰霊供養」とうたわず、「解脱成仏供養」とうたってる。まあ、教団側の真意は「成仏法で修した慰霊供養だから、解脱成仏に縁がつながる慰霊供養です、厳密には、1体10万円でご供養下さい」とでも言うのでしょう。

799サライ:2011/07/20(水) 23:41:02
>>784:天照 11/07/20(水) 05:22:11
>それは世の中に遍満する「隠れたしきたり」のようなものだからです。 なるほど、やはり、そういう事ですね。天照さんのおっしゃる所が、"世の中"というものですね。ただケタの違いの異常性がある、という事ですね。

800天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/21(木) 05:04:16
私も世間の「隠れたしきたり」を例えに出して主張をしましたが、ユビさん、ラシンさん、深山さんの言われたことに
同意です。阿含宗にはかなりの矛盾が多いが、このイベント性について考えても非常に矛盾が発生する。
やはりどこかに嘘や間違いがあるからそれをぬぐえないのですね。ましてお釈迦様の言動と照らし合わせれば全然
合わないと言うのが浮き彫りになる。世間一般での隠れた事項では当たり前でも仏教の教義でも、阿含宗の主たる
イベントを行う上での公な言い分にみても何でそういう袖の下が必要か、になれば甚だ懐疑になります。
ですから一番望ましいのはそんな袖の下など渡す義理も習慣も必要ではなく、相手方と阿含宗とのクリーンな関係、
つまり袖の下無しで行う関係があるのが宗教行為ではなかろうか、と思うのです。

ですからNY市警の方へ「京人形を買ってください」と渡した賄賂を返却したように、アウシュビッツ関係者も、
神社関係者も阿含宗にお金を返せばいいのが返してない。結局は貰っちゃっているわけです。
なので貰う方も世間の「裏常識」になぞって「ではくれたのですからいただきますか」と受け取る。
やはりそういうことで動きが成り立っているのだな。そして阿含宗はそういうことで道筋を立てていた。
何も知らない人が見れば「奇蹟だ」「よくあのOOが阿含宗に許可したものだ」などと思わせるには充分すぎる
効果を狙ったものだが、裏を見れば袖の下パワーですから何のことは無い。
やはり阿含宗はクリーンで力のある宗教ではなかった、ということですね。

801名無しさん:2011/07/21(木) 12:26:24
2chのスレがたちません
199になるのですがもう一週間近くなります
管理人は生きているんでしょうか、それともアゴンの圧力によってスレ立てられない
でしょうかね

802深山:2011/07/21(木) 12:28:45
>778 :マーセント ◆wgInCUcaO6:2011/07/18(月) 21:24:07
>出版局は、何を考えていたのか理解に苦しみます。

信者の指導用なのだから、外に広告を出すのはおかしいと誰もが思います。
だが、出版局が勝手に広告を出せるはずもなく、
大々的に宣伝したのは桐山さんの判断以外にはないでしょう。
桐山さんの目的を理解すれば、こういうやり方は当然だとわかります。
桐山さんの目的は指導などではなく、信者を集めることです。
「教団に入れば、こんなすごいことを教えてやるぞ」という餌です。
超能力開発から因縁霊視、天命殺、好運の宝石まで並べてみせた。
不思議大好き人間なら、誰もが欲しがるような内容です。
三万円で教えてもらえるとなれば、食いつく人も出てくる。
桐山さんはこれらの餌で新規の信者を集めようとして、宣伝したのです。

803深山:2011/07/21(木) 12:33:06
>778 :マーセント ◆wgInCUcaO6:2011/07/18(月) 21:24:07
>出版局は、何を考えていたのか理解に苦しみます。

今の座右宝鑑と、旧座右宝鑑には、餌に大きな違いがあります。
それは旧座右宝鑑の広告の売り文句にもあるように、
「解脱と超能力へのカリキュラム」
です。
二十年前に作られた今の座右宝鑑では、因縁霊視を修行者宝鑑にして、
超能力開発を求聞持スクールや練脳塾に分けた。
少しでも人と金を集めるために、分けたのです。
慈恵会時代、桐山密教は超能力開発を前面に出すことで信者を集めていた。
桐山さんは超能力開発をうたいながら、伝法会では滝行、ハタヨーガ、
密教の作法と、ありふれた内容しか出せなかった。
それが初めて、旧座右宝鑑で具体的にチャクラ開発を教えると宣伝したのです。
だから、「はじめに」という最初の文章のタイトルは、
「だれでも五つの超能力を持てる」
と題して、この座右宝鑑の目的が超能力開発であることを
最大の売り物にしたのです。
超能力開発は桐山さんの最大のウリであり、それまでもこれで信者を
集めていたのですから、この餌で人を釣るために広告に出すのは当然です。

804深山:2011/07/21(木) 12:35:00
>778 :マーセント ◆wgInCUcaO6:2011/07/18(月) 21:24:07
>出版局は、何を考えていたのか理解に苦しみます。

信者の多くは、桐山さんがかつて用いたチャクラ覚醒方法を旧座右宝鑑で
公開したのだと思っていた。
だが、あれは桐山さんが旧座右宝鑑を書く時に思いついた空想です。
反式呼吸で腹圧をかけてチャクラを開発するという方法を思いついて、
旧座右宝鑑に書いた。
その証拠に、実は、座右宝鑑に書いてある方法はそのままは実行できない。
桐山さんは、口伝のためにわざと違えて書いたと言うかも知れないが、
空想で思いついて、書いたにすぎないからです。
講義と本で内容が違っていて、信者から質問が出ると、あわてて
講義内容を取り消していた。
ああいう呼吸法を編み出してチャクラを開発したのなら、
こんなことを思い違いするなどありえない。
桐山さんの話は体験ではなく、思いつきと空想である何よりの証拠です。

805深山:2011/07/21(木) 12:41:09
>778 :マーセント ◆wgInCUcaO6:2011/07/18(月) 21:24:07
>出版局は、何を考えていたのか理解に苦しみます。

桐山さんが座右宝鑑を出すのはあの時が初めてではありません。
一番古いのは「千座行教典」でしょう。
その後、本として出したのが『密教超能力のカリキュラム』(1974年)です。
内容的には座右宝鑑で、市販本です。
桐山さんの常で、何か頭で考えて、書いてはみたが、中身が何もない。
結局、何年かたち、アゴン宗も立宗したからという理由をつけて、
出したのが、旧座右宝鑑です。
そしてまた、当たり前だが、何も効果がなく、
超能力開発を切り離した今の座右宝鑑を出した。
超能力開発を『仏陀の法』『求聞持聡明法秘伝』などで出した。
この本を書くのに思いついたプラーナがマグマのようにどろどろと流れるなんて、
意味のない空想を書き並べただけで、もちろん、何の効果もない。
麻原彰晃に盗られたシャクティ・パッドの真似をしたが、
実は桐山さんはアジナチャクラの位置すら知らない。
そこでまた打ち上げた花火が練脳塾です。
これも十年たつのに、焚き火と水浴び以外、何も出てこない。
座右宝鑑に限らず、桐山さんて、全部このパターンだということに気が付きませんか。
彼はただ一般の人や信者に絵空事の餌をまいて、それで金と人集めているだけです。
その集める手段が、座右宝鑑、伝法、柴燈護摩などのイベントと
少し種類があるだけで、繰り返しこれを使っている。
最近の例でいくと、ブータンの伝法潅頂のイベントなんかもそうです。
アゴン宗はイベント業だから、宣伝がすべてなのです。
だから、旧座右宝鑑の宣伝こそが本業であり、すべてなのです。
最初から中身は何もない。

806深山:2011/07/21(木) 12:44:01
>778 :マーセント ◆wgInCUcaO6:2011/07/18(月) 21:24:07
>出版局は、何を考えていたのか理解に苦しみます。

桐山さんは大仰な宣伝だけで中身が何にもない。
その場しのぎに、いかにもこれから体系的な修行法を
伝授するかのように大花火を打ち上げ続けた。
その一つが旧座右宝鑑です。
桐山さんはその場しのぎに信者の関心をひき、金を集めればそれでいい。
いつも、さも握り拳の中に大秘伝があるかのように見せかけながら、
信者を釣り、それで去るなら去れと宣言することで、
握り拳の中に大秘伝が本当にあるかのようにポーズを作ってみせる。
何も出さないとまずいから、つなぎに占いや瞑想や加持祈祷の伝法をした。
密教占星術、好運会、○○瞑想法、独古加持、屋敷浄霊などです。
しかし、中身を調べると、こんな「つなぎの法」ですら、ほぼ全部が他人のパクリです。
桐山さんのオリジナルなど何もない。
こんなデタラメなことを長年繰り返している桐山さんが本物の秘伝を
持っていると信じている人たちがいることに驚かされます。

807深山:2011/07/21(木) 12:47:10
>778 :マーセント ◆wgInCUcaO6:2011/07/18(月) 21:24:07
>出版局は、何を考えていたのか理解に苦しみます。

長い間、桐山さんはこのパターンで信者を騙し続けてきたのに、
未だにその餌に釣られている信者がいます。
昨今入った信者ならともかく、何十年もいたら、
毎回、桐山さんが同じ騙しをしていることに気がつかないはずがない。
犬や猫でも同じ手で何度も騙すことはできません。
だが、相変わらず、桐山ゲイカには秘伝があるのだと信じて、
付いてきた古い信者たちがたくさんいます。
練脳塾で秘伝の護摩を習ったのが77人いた。
希望すれば習えたのではなく、様々なノルマをかけられ、
それをクリアした行歴の長い立派な大先達様たちです。
何十年も超能力開発の餌に釣られて、何度も何度も騙されても、
未だに信じて、絵に描いた餅に食いつこうと必死になっている人たちです。
失礼ながら、彼らは犬猫よりも学習能力が低い。

808深山:2011/07/21(木) 12:49:21
>778 :マーセント ◆wgInCUcaO6:2011/07/18(月) 21:24:07
>出版局は、何を考えていたのか理解に苦しみます。

あの時、77人いたということは、似たような人たちがたくさんいるということです。
信者たちが桐山さんの欺瞞に気がつくだろうという予想をする人もいるが、
私はそうは思わない。
もちろん、欺瞞に気がついて辞める人たちもいるだろうが、それは常に少数です。
欺瞞だったら、十年前、二十年前もたくさんあったにもかかわらず、
アゴン宗は存続し、今でも多額のお金をばらまいて、イベント業を続けている。
結局、学習効果の低い人たちが多数存在し、桐山さんに依存し、
自分が欲望に釣られていることに気がつかず、
自分の選択が正しいと自惚れる慢心に気がつかず、
準シュダオンさんのように嘘が大好物で、無知と恥知らずを誇る人たちが
いる限り、アゴン宗は存続するでしょう。
多数の人たちは、残念ながら、目が覚めない。
だが、少数は目が覚めます。
また、アゴン宗の欺瞞に気がついたら、さらに他の宗教に依存することが
ないように、自分を見つめ直すためにも、ここでの批判を読んでほしいものです。

809深山:2011/07/21(木) 12:57:21
>>801 名前:名無しさん 投稿日: 2011/07/21(木) 12:26:24
>2chのスレがたちません

様々な規制があり、私も立ち上げようと試みたのですが、ダメでした。
スレが立たないのはアゴン宗とは関係ありません。
サーバごとの規制や、各個人への規制など、いろいろあるようですから、
ぜひ、皆さんも立ち上げを試みてください。
2ちゃんねるは、その場の思いつきで様々な規制をかけてきますから、
気にせず、ねばり強く、試してみることです。
多数の人が試みれば、規制にかからない人が一人くらいいるものです。
なお、言うまでもないことですが、スレの主旨は守るようにお願いします。

810無関係な人間:2011/07/21(木) 13:51:20
阿含宗という宗教199

http://toki.2ch.net/psy/index.html#1

建ててみました。慣れないものですから、不都合がある場合は、お知らせ下さい。

811無関係な人間:2011/07/21(木) 13:52:05
追加です。

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1311223780/

812無関係な人間:2011/07/21(木) 13:59:43
 以上、偶然、建てられましたので、ご報告申し上げます。

813名無しさん:2011/07/21(木) 14:11:13
>>812
ありがとうございました

814準シュダオン:2011/07/21(木) 16:00:08
>多数の人たちは、残念ながら、目が覚めない。
>だが、少数は目が覚めます。

目が覚めたのではなくて、落ちこぼれただけです。
凡夫僧=預流向を、聖者だと思い込む知能では仕方あるまいがw。

815準シュダオン:2011/07/21(木) 16:18:38
土地浄霊にン百万円のお金、とかいうアゴンさんのレスが目に入ったけど、
そりゃ、伝聞でしょ?推測というべきか。

そりゃ、公用地での宗教行事は難しいだろうから、私有地を借りることが多く
なるわけでしょう。私有地ともなれば、固定資産税とかの税金も払っているだろう。
それを借りるわけだから、貸主が信徒でもない限り、いくらか謝礼を払うんは、
当たり前の話でしょう。要は金額です。

この件で、ユビさんの意見は妥当なようでも、信徒ではない土地の貸主が一般人
の場合には通用しない話ですね。

816ラシン:2011/07/21(木) 16:43:06
>814 :準シュダオン:2011/07/21(木) 16:00:08
>目が覚めたのではなくて、落ちこぼれただけです。
凡夫僧=預流向を、聖者だと思い込む知能では仕方あるまいがw。


凡夫僧=預流向なんて誰が言いました?
菩薩僧、声聞僧、凡夫僧なんて区分けが阿含経の
どこにあるの?
大乗仏教を語りたいなら、他のスレをあたりなさい。

詐欺ビジネス、結婚詐欺、詐欺宗教に”しがみ付く”人や、
また、それに”騙され続ける”のも人生だろうが、
あなたの場合は、
アゴン宗を利用しているだけです。
それもその所行は、「タダ乗り」「カスメ取り」という姑息です。
全〜部、自分のエゴを満足するための道具でしかない。
さらにその言動が底割れし、その汚いハラワタが見透かされている。
それにも気づかない準シュダオンさんの文章を
つい笑ってしまう?
これも「ウソツキ老人」ならではの悲哀感が漂っている。

817深山:2011/07/21(木) 18:09:10
>>814 :準シュダオン:2011/07/21(木) 16:00:08
>目が覚めたのではなくて、落ちこぼれただけです。
>凡夫僧=預流向を、聖者だと思い込む知能では仕方あるまいがw。

私から>>808で準シュダオンさんの名前を出されて、ノコノコと出てきましたね。
それで「預流向≠聖者」の証拠はどこにあるのだ?
「預流向=凡夫僧」と書いてある阿含経はどこにあるのだ?
何の根拠もない口から出任せの嘘を書き続けているのが準シュダオンさんです。
だから、「嘘が大好物」(>>808)です。
根拠など示せないのは当たり前で、阿含経では「預流向=聖者」であり、
阿含経には凡夫僧なんて言葉すらない。
全部、あなたの嘘です。
それを指摘されても、恥とも思わないから、
「無知と恥知らずを誇る」(>>808)です。
私が指摘した内容そのままの姿で出てきて、わざわざ私の主張を実証して
くれるとは、なんと奇特な方だ・・・いや、あなたの脳味噌と良心は危篤です。

818深山:2011/07/21(木) 18:12:47
>>814 :準シュダオン:2011/07/21(木) 16:00:08
>目が覚めたのではなくて、落ちこぼれただけです。

落ちこぼれでない準シュダオンさんは、二十年間、護摩木を一本も買わなかった。
自分の悩みを解決するために解脱供養は四体、冥徳解脱は数体出したが、
効果がないのでやめてしまった。
自分の能力を得るためには伝法会は全部出たが、超能力どころか作法すら体得できなかった。
ファミリー活動など何もしておらず、せいぜい道場に行っては、
自慢話をして、周囲から鼻つまみになっただけ。
気のせいか、アゴン宗から見ても、あなたほうがよほど落ちこぼれに見える。
もっとも、私はあなたのこういう行歴を見ると、
ある意味でアゴン宗での優等生とさえ思える。
それはあなたのエゴ丸出しの態度です。
中国の養父母のために百円すら出さないあなたが、自分の悩みを解決したり、
超能力獲得という我欲のためなら、何十万円でも惜しまない。
そのエゴ丸出し、ガリガリ亡者ぶりが、いかにもアゴン宗の優等生です。
なぜなら、桐山ゲイカがまさにそうだからです。
自分の得になることには一銭も金を惜しまない。
寄付のように見せかけても、全部、見返りをもらう。
桐山さんのこういうガリガリ亡者ぶりをあなたは真似て優等生になったらしい。
では、喜んで、我々は落ちこぼれになりましょう。

819深山:2011/07/21(木) 18:14:30
>>815 :準シュダオン:2011/07/21(木) 16:18:38
>土地浄霊にン百万円のお金、とかいうアゴンさんのレスが目に入ったけど、
>そりゃ、伝聞でしょ?推測というべきか。

そういう準シュダオンさんは土地浄霊に関わったことがあるのですか。
ありませんよね。
参拝でも参加していれば、護摩木ゼロってことは絶対にありえない。
あなたは土地浄霊なんて何もしていない。
土地を確保するのに信者たちがどんなに苦労しているか、あなたは何も知らない。
そのあなたがどうして土地浄霊がどうであるかわかるのだ?
ろくに知りもしないのに、まるで何事かを知っているかのように
他人にお説教するその厚かましさには本当に感激する。
その厚かましさだけでもあなたはアゴン宗の優等生で、我々は落ちこぼれです。
あなたの真似はできないし、絶対したくない。

820深山:2011/07/21(木) 18:16:13
>>815 :準シュダオン:2011/07/21(木) 16:18:38
>そりゃ、公用地での宗教行事は難しいだろうから、私有地を借りることが多く

あなたはこんなことも知らない。
まったく逆で、公用地のほうが借りやすいのです。
千鳥ヶ淵がなんで宗教行事ができると思っているのですか。
あそこは環境省が管轄する公共地だからです。
物品の販売や破壊行為など、違反行為さえなければ、
公共用地だから、だれでもやれる。
アゴン宗だけが特別扱いされたのではなく、規則を守り、
他にいなければ行事ができるのです。

821深山:2011/07/21(木) 18:18:08
>>815 :準シュダオン:2011/07/21(木) 16:18:38
>それを借りるわけだから、貸主が信徒でもない限り、いくらか謝礼を払うんは、
>当たり前の話でしょう。要は金額です。

なるほど、あなたは土地浄霊が商売と同じだというのですね。
行事をするのに土地を借りるのだから、賃貸関係にあり、
謝礼を払うのが当たり前だという。
まさにそのとおりで、アゴン宗のイベントは、
金銭授受が伴うただの商売にすぎない。
興業宗教だから、興業するのに所場代を払ったにすぎない。
土地を借りるのに数百万円払っても、何か不思議ですか。
場所が場所なら、根回しもしなければならないから、当たり前です。
アゴン宗側にしてみれば、そんな金はたちまち信者に
護摩木やお札を買わせて回収できる。
あなたの言うとおりで、所場代を払って焚き火の興業をして
人集め金集めの商売をしているにすぎない。

822深山:2011/07/21(木) 18:20:10
>>815 :準シュダオン:2011/07/21(木) 16:18:38
>それを借りるわけだから、貸主が信徒でもない限り、いくらか謝礼を払うんは、
>当たり前の話でしょう。要は金額です。

準シュダオンさんも認めているように、アゴン宗の行事の
ほとんど全てが、裏で金を使って場所などを確保している。
なにせ、桐山さんがその模範を示した。
伊勢柴燈護摩と称して、伊勢神宮とは全然関係のない護摩を焚いた時も、
土地所有者から、平地に造成することを条件として借りたという。
今はそこにマンションが建ったそうです。
土地の造成には莫大な費用がかかるが、それをアゴン宗でしてくれるというなら、
土地所有者は喜んだでしょうね。
海外での護摩も為政者たちに多額のお金を出して確保した。
招聘でもなければ、お手配でもなく、全部金銭授受を伴った取り引きです。

823深山:2011/07/21(木) 18:23:57
>>815 :準シュダオン:2011/07/21(木) 16:18:38
>当たり前の話でしょう。要は金額です。

あなたは仏教の基本を知らないから、こんな阿呆なことを堂々と言えるのです。
仏教では、出家が供養を受け取るのです。
教団や出家がお金を出すなどありえない。
出家がお金などを出して交換条件に何かをするなどありえない。
精舎すらも信者から寄進されたものであって、なんら見返りなど授けていない。
供養には重要な条件があります。
「与えられない物は受け取らない」
もう少し、簡単にわかりやすく言えば、
「出家は自分からは要求しない」
読んでいる信者さんたちもよく覚えておいてほしい。
出家とは、自分から絶対に何かを要求することはしません。
托鉢でも、ただ鉢を持って玄関の所に黙って立っているだけで、
飯をくれとも、お経を唱えることも、尺八を吹くこともない。
これにはちゃんとした修行上の理由があり、自分から要求することはありえない。
つまり、準シュダオンさんの説のように金額の問題などではありません。
泥棒は金額の大小にかかわらず犯罪であるように、
修行に金銭の授受が入ることは金額にかかわらず仏道としては間違いです。

824深山:2011/07/21(木) 18:25:30
>>815 :準シュダオン:2011/07/21(木) 16:18:38
>当たり前の話でしょう。要は金額です。

土地浄霊は在家の信者さんたちが企画するのだから、
かまわないというかもしれない。
だが、それは成り立たない。
なぜなら、アゴン宗という宗教団体としての行事であり、
その多くは出家を自称する人たちが主体となる。
土地の所有者が、自分たちから行事を申し出たのならともかく、教団側から
要求し、金を払い、行事をさせてもらうなんて仏教ならありえない話です。
これでは、托鉢の比丘がお金を払って食べ物を購入したのと同じです。
もう一つ、信者さんたちに覚えておいてほしいのは、
土地浄霊そのものが仏教では禁止されていることです。

825深山:2011/07/21(木) 18:26:48
「原始仏典 1」春秋社、457ページ

「また、修行者・バラモンたちのなかには信者からの布施を受けながら、次のような似非科学、間違った生活
手段、すなわち願をかけること、お祈りをすること、土の家で呪文を唱えること、鬼霊の呪術、精力を増すこと、精
力を減らすこと、地相を占うこと、土地を清めること、口を清めること、身体を清めること、犠牲をささげること、
嘔吐剤の使用、下剤の使用、清めのための嘔吐、清めのための下痢、頭痛治療(頭を清めること)、耳にオイルを注ぐ
こと、目を洗うこと、鼻の治療、点眼剤を使うこと、目に軟膏を塗ること、眼科医となること、外科医となること、
小児科医となること、〔木の〕根と薬を与えること(調剤)、薬の効力を消すこと(解毒)によって生活するものもあ
る。しかしかれは、それらの似非科学から離れている。これがかれの戒律の一つである。」

826深山:2011/07/21(木) 18:29:24
「また、修行者・バラモンたちのなかには信者からの布施を受けながら、次のような似非科学、間違った生活
手段、すなわち願をかけること、お祈りをすること、土の家で呪文を唱えること、鬼霊の呪術、精力を増すこと、精
力を減らすこと、地相を占うこと、土地を清めること、」

よくこの阿含経の一文を読んでください。
土地を清めること、つまり土地浄霊を禁止しています。
「似非科学、間違った生活手段」
と、はっきりと土地浄霊を断罪しています。
簡単に言うなら、アゴン宗で行っているような呪術や加持祈祷は
釈迦仏教では全面禁止なのです。
桐山さんみたいにオシャカの成仏ホウがあれば何をしてもいいなんてことはありません。
この経典の最後の部分を読んで見てください。
「戒律の一つである」
桐山さんや信者さんたちが大嫌いで、侮蔑してやまない戒律です。
信者さんたちは戒律を小馬鹿にしている。
だが、戒律とは釈迦仏教はもちろん、インドの大乗仏教でも土台であり、
これなくして仏道修行はありえない。
戒律を無視した仏教や法などという物はありえません。

827深山:2011/07/21(木) 18:33:43
「また、修行者・バラモンたちのなかには信者からの布施を受けながら、次のような似非科学、間違った生活
手段、すなわち願をかけること、お祈りをすること、土の家で呪文を唱えること、鬼霊の呪術、精力を増すこと、精
力を減らすこと、地相を占うこと、土地を清めること、」

信者さんたちは何のために釈尊が定めた戒律をことごとく無視して、
これを積極的に破るのですか?
するなと言われたことくらい、できるだけしないように努力するのが普通です。
護摩を焚くな、占いをするな、土地浄霊をするな、という程度の禁止は
在家でも守れないことはない。
こんなことをしなくても、いくらでも生きていけるし、
現実に世俗の多くの人たちはこんなことはしていません。
簡単に守ることができる戒律なのに、なんのために破るのですか。
信者さんたちは積極的に禁止事項を破り、
しかも、それが釈尊が阿含経で説いた仏道修行だと主張する。
そのムチャクチャさ具合、矛盾していること、おかしいのがわかりませんか。
それすらもわからないなら、準シュダオンさん並の脳味噌ということになってしまう。
準シュダオンさんの書き込みを読んで、さすがに彼の脳がまともでないことが
わかるでしょう。
嘘も平気、嘘を指摘されても恥とも思わない彼を見て顔が赤らみ、
こんな人が信者代表のように書き込んでいることを多いに迷惑だと思っている。
そのとおりです。
しかし、釈尊が禁止していることを、逆に釈尊が説いた修行だと称して
土地浄霊をするなら、脳味噌に妄想と嘘、恥知らず、自惚れしか入っていない
準シュダオンさんと同類になってしまいます。

828深山:2011/07/21(木) 18:34:49
>>812 :無関係な人間:2011/07/21(木) 13:59:43

スレ立てをありがとうございました。

829干柿:2011/07/21(木) 21:56:58
>>797
サライさん、座右宝鑑でまるまる三万円取られたんですか!
それって絶対詐欺ですよ!、だって私が購入したときは、後で実際にゲイカが
面接なり行って個人の欄は記入しますからそのとき半分の15000円払って
ください。って説明うけたもの・・・その後そういうこともぜずに全額払い
になっていたんですね。ひでー話だ

830名無しさん:2011/07/21(木) 23:55:54
>>812
スレ立てありがとうございました。

新スレでは、桐山さんの愛人ネタが出ていますね。

831天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/22(金) 05:38:54
>>829 私の入行したときの先達(数年前に寿命で亡くなった)も半額払いでしたね。
全額を払った方は今のところ自分の中では聞いた人はいないので私もびっくり。
やっぱり最初は勢いで「全額払う人も受け付けますよ」とやったのだろうか。
やらずぼったくりと適当主義で無責任爺ですからね、ゲイカは。
因縁解脱修行宝鑑も急にやめて好運会にしたのもそう。

無責任男は映画の「植木 等」さんのやった架空役だけでたくさんですわ。

832サライ:2011/07/22(金) 07:40:17
>>829 >>831 座右宝鑑3万円の領収書が、目の前にあれば良いのですが、昔なもので(笑)。 定価分支払ったのに、個人指導欄は空欄のままで、何の説明もなく、納得いかなかったが、特に説明も求めなかった、記憶があります。ホント、無責任男は、映画の植木さんだけにしてほしいですね。

833準シュダオン:2011/07/22(金) 09:49:52
アゴンさんは、仏教辞典などはお持ちかな?
自分の頭で考える、自力を付けないと、インチキ論に騙されてしまうからね。

例えば、岩波仏教辞典の「僧そう」の説明の中には、
「・・悟った聖者の集団を聖者僧と呼び、三宝の一つとしての僧はこの聖者僧で
 あるともなされ、一般の僧を凡夫僧、世俗僧ともいう。」
と、いう部分があります。
これなどは、預流向は聖者僧か?凡夫僧か?、と自分の頭で考える材料になるね。

帝釈が、「我今是佛弟子 得須陀オン道」(私は今、仏弟子であり、須陀オン道
を得た)と、話してるように、仏弟子になったら、得須陀オン道ですね。

凡夫僧に対して、聖者僧の数の割合というのは、どの程度であろうか?
遊行経に那陀村というのが出て来る。そこで、阿難が考えた。
「那陀村では、在家信者の誰それが死んだ。また、あいつもこいつも死んだ。
 その後、何処に生まれたんだろう?」と、そこで、お釈迦さまに尋ねた。

そうしたらお釈迦さまが答えた。
「那陀村の死者のうちで、あいつや、こいつらの12人は不還果を得てるので
 この世には還らない。50人は一来果を得てるので一度だけ還る。500人
 は預流果を得ている。」と。
那陀村の死んだ在家には、阿羅漢は一人も居なかったようですね。
阿羅漢は0人、不還果が12人、一来果が50人、預流果が500人、といった
割合のようです。残りは、預流向・凡夫僧の数千人、といったところでしょうか。

834アゴン:2011/07/22(金) 11:55:27
>>833 あなたの創作話はもういいですの百回リピートで、お願いいたします。

835深山:2011/07/22(金) 12:33:35
>>833 :準シュダオン:2011/07/22(金) 09:49:52
>これなどは、預流向は聖者僧か?凡夫僧か?、と自分の頭で考える材料になるね。

話をごまかそうと必死ですね。
凡夫僧という言葉が大乗仏教に出てくるのはアゴンさん自身が経典から引用している。
あなたが引用し『岩波仏教辞典』(第1版)では、凡夫僧の説明の前に、
「大乗仏教が成立してからは・・・・」(508頁)
と、凡夫僧とは大乗仏教ができてからの概念であることが示されている。
だが、あなたは何と書いたか?

>>625 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:47:51
>阿含仏教では、預流向は凡夫僧で、預流果からが聖者僧ですね。

阿含仏教というのだから、阿含経に凡夫僧という言葉が出て来て、
「預流向=凡夫僧」であるかのように書いた。
あなたって、本当にウソツキですね。
仏教辞典では、大乗仏教の説明として凡夫僧を出している。
それをまるで、阿含仏教の説明であるかのようにごまかし、人を騙そうとした。
「縁起滅」の件も部派仏教の説明を阿含仏教の説明だと今でも書いている。
文章の脈絡を無視して、自分に都合の良いように話を歪める。
読み間違えならともかく、それを指摘されても、いっさい無視して、
同じ嘘を主張し続ける。
こういうのを「自分の頭で考える」とは言わない。
あなたは、嘘、デタラメ、ゴマカシを考えているのだ。
どうしてそうもあなたは悪質なのだ?

836深山:2011/07/22(金) 12:36:10
>>833 :準シュダオン:2011/07/22(金) 09:49:52
>割合のようです。残りは、預流向・凡夫僧の数千人、といったところでしょうか。

よくまあ、阿含経を使ってこんな嘘が書けますね。
あなたは本当に劣悪な人間です。
釈尊は凡夫僧なんて言っていないのに、阿含経の話に凡夫僧なんて言葉を
混ぜて、いかにも釈尊が預流向を凡夫僧と言ったかのようにみせかけようとした。
遊行経のどこに凡夫僧とあるのだ?
出してみなさい。
あなたは本当にウソツキです。
釈尊は遊行経で、四双八輩が聖者であると述べているのです。
「預流向=聖者」です。
比丘は、昨日出家したばかりでも、清浄な行いをしている者はすべて
聖者、福田、応供です。

837深山:2011/07/22(金) 12:39:41
>>833 :準シュダオン:2011/07/22(金) 09:49:52
>帝釈が、「我今是佛弟子 得須陀オン道」(私は今、仏弟子であり、須陀オン道
>を得た)と、話してるように、仏弟子になったら、得須陀オン道ですね。

それで何を言いたいのですか。
この阿含経をあなたは何度も出しているが、
どこにも、須陀オン道(預流向)が聖者ではないとは書いていない。
どこにも、「預流向=凡夫僧」とはない。
あなたの主張の根拠になっていないのです。
あなたはこうやって阿含経を間にすべりこませて、まるで
「預流向≠聖者」と証明したかのように錯覚させようという魂胆なのでしょう?
仏弟子になったら預流向なんて当たり前のことを出したら、誰も反論しない。
反論しないから、自分の「預流向≠聖者」の証拠を出してかのように
あなた自身が錯覚する。
そして、後になって「すでに証拠を出した」などと言い出すつもりなんでしょう?
そんな古狸のゴマカシなど効かない。
間もなく十年近くもあなたとは議論しているのですよ。
これまで小手先のゴマカシをさんざん見せられたから、そんな手は効きません。

838深山:2011/07/22(金) 12:42:48
>>833 :準シュダオン:2011/07/22(金) 09:49:52
>那陀村の死んだ在家には、阿羅漢は一人も居なかったようですね。

あなたの頭って、どうなっているのだ?
ここまで逝ってしまっているのか、それとも最初から知らないのか。
在家に阿羅漢がいるはずがないだろう。
アゴン宗の教義ですら、在家はアナゴンまでです。
頼むから、仏教の教義でもなく、アゴン宗の教義でもない主張は
やめてくれないか。
準シュダオン教などと少しあなたを持ち上げた表現をしたが、
実際は、頭の老化した老人のタワゴトです。
「預流向=凡夫僧」「預流向≠聖者」などアゴン宗にも阿含経にもない。
あなた個人の宗教観というよりも、妄想にすぎない。
それをやめなさいと言われているのがわかりませんか。
あなたの根拠のない空想など信者ですら興味がないし、聞きたくない。
アゴンさんなど信者に読んで、同意してもらいたいなら、
1.アゴン宗の教義を書く、
2.阿含経に書いてあることを書く、
3.主張する時は、解説抜きの阿含経そのものから根拠を示す、
ことです。
あなたの「考え」とやらは、世間では妄想といいます。
ここに出さなくていい。

839深山:2011/07/22(金) 12:47:45
>>833 :準シュダオン:2011/07/22(金) 09:49:52

1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。

準シュダオンさんの宿題が溜まっていますよ。
今回の書き込みも仏教辞典や阿含経を引用しながら、
実際には、あなたの主張を裏付けることは何一つなかった。
つまり、この一週間ほど、あなたは必死に根拠を調べたが、
もちろん、見つかるはずもない。
そこで、前と同じ経典を出して、ゴマカスそうとした。
あなたの現役時代の仕事ならこういうゴマカシも効いたのはわかる。
あなたは相手が黙るまでこういう強弁を繰り返した。
だから、疎まれ、嫌われ、いつも排除された。
同僚から無視されたり、後になってのけ者にされたことに気がついた時、
とても傷つき、あなたは体調不良になった。
今のあなたの「仕事ぶり」を見れば、当たり前の報いです。
自分のミスを絶対に認めず、屁理屈を並べて自己弁護を繰り返し、
それでいて他人のミスには猛然と食ってかかるのだから、
だれもあなたと一緒に仕事などしたくなく、孤立するのは当然です。

840深山:2011/07/22(金) 12:52:12
>>833 :準シュダオン:2011/07/22(金) 09:49:52

私が何度もあなたの手の内を暴露して嘘を指摘している。
読者は、あなたと違い、私の指摘を読んでいるから、
準シュダオンさんの主張や引用が信用ならないことを知っている。
信者ですら、あなたの主張など「また嘘の解釈をして、
深山から暴露されるだろう」と信じていない。
現役時代も、ここでも、信用を失うようなことをしたのはあなた自身ですよ。
「おれはエライ」という根拠のない自惚れをしたい一心で、
その場しのぎのゴマカシをしたら、どんな分野の仕事でも成り立たない。
あなたはそれでさんざん失敗して、周囲の信用を失って、苦しさのあまり体調がおかしくなり、
医者に相談し、さらに宗教にまで頼ったのに、まだ同じゴマカシを続けようとする。
あなたも桐山さんと同じで、自分の失敗から何も学習もしない人です。
全部他人のせいにして、我欲のやり方をどこまで突き通そうとする。
自分の間違いや悪業を因縁や霊障のせいに責任転嫁して、
屁理屈を作り上げて、周囲を騙そうとする。
自分の間違いを嘘の上に嘘を作ってごまかそうとする。

841深山:2011/07/22(金) 12:58:06
>>833 :準シュダオン:2011/07/22(金) 09:49:52

桐山さんもあなたも、もう自分の過ちを直すだけの時間も脳もない。
無駄な人生どころか、悪業を積み、煩悩を増やすだけの人生でしたね。
死んでからでは、どうやら軌道修正が効かず、またこの世に戻って来て、
一からやり直しをさせられるのでしょう。
信者さんたちはこの準シュダオンさんの醜い姿を参照にしてほしい。
間違いは素直に認めるのが、一番少ない被害で済む。
桐山さんのように、強弁し、他人を騙し、宗教家として成功しても、
彼が得たのは悪業と煩悩だけです。
アゴン宗を選んだ自分を絶対に正しいというなら、
桐山さんや準シュダオンさんと同じになってしまう。
人間だから、間違いをするのです。
間違いをしたら素直に認め、次からは間違わないように修正する。
それこそが学習や向上というものではありませんか。
こんな小学生でもしている当たり前のことを自称仏陀の知恵を持つ聖者様はできないのです。
選ぶ宗教を間違えた、指導者の選択を間違えたと気がついたら、間違いを認め、
修正することです。
修正する前に人生が終わってしまったら、また輪廻して同じ事のやり直しです。
修正するチャンスがいつでもあると思うのは間違いで、
我々は誰一人、明日生きていると保証されている人はいません。

842ラシン:2011/07/22(金) 13:45:46
>833 :準シュダオン:2011/07/22(金) 09:49:52
>預流向は聖者僧か?凡夫僧か?、と自分の頭で考える材料になるね。

ウソ老人は、>>692で、「凡夫(凡夫僧)」と書いている。
凡夫とは、仏教の理を知らない「愚か者」、これが仏教の基本解釈です。
応用力のない者が、基本を無視してイジクリ回す「愚か者」を露呈した。
次にあなたのその陳腐な「解釈」を”介錯”してあげます。
それはあなたは、

>>625 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:47:51
>大乗仏教では、僧を聖者僧と凡夫僧に分けてるところがありますね。<

などと、桐山さんも創作経典と認める大乗経典を持ち出しても、
贋作を本物と強弁するために、ニセ鑑定士に説明させるバカな行為でしかない。

ウソツキは、ウソを糊塗するために”ツギハギ”説明に終始する。
カツラにカツラをかぶせるように必死の作業です。
準シュダオンさんの「ウソつき自転車操業」は尽きないだろうね。
つまり、漕ぐのを止めたらコケルから、一生言い続けるしかないのです。

843準シュダオン:2011/07/25(月) 15:07:41
いやはや、人にはボケ老人と言いながら、深山くんは、未だに預流向=聖者の
間違いに気付けていないようだw。救いようのないアホだね。

あのね、預流向は十結煩悩が揃っているのだよ、
んで、三結断じたら預流果という聖者なのよ。
自分の頭で、「十結煩悩が揃ってる預流向が、何で聖者なの?」と、考える力も
ないのかえ?

初心者の頃は、預流向=聖者と定義してる倶舎論の説明をしている学者先生の解説を
丸呑みしていても良いだろう。しかし、何年も阿含経を勉強しているのなら、
いい加減に、預流向=凡夫僧であることに気付きなさいよw。

「仏教とは煩悩を断つ教え」だというのは知っているようだが、本当にそう思って
いるのかえ?
「十結煩悩揃ってる預流向を聖者」だというようでは、「仏教と煩悩は関係ない」
と、言ってるようなものでしょうw。

844準シュダオン:2011/07/25(月) 15:24:47
ギャラリーで、仏教辞典を持っていない人は、岩波仏教辞典を入手して、
自分で、「僧そう」の項を確かめてご覧なさい。
わたしのレスの正しさが、確認できるでしょう。

そうでないと、下手すると、深山さんやラシンさんの嘘解説に騙されて、地獄へ
行っちゃうかも知れないからね。気をつけるこったね。

845ラシン:2011/07/25(月) 18:02:58
>843 :準シュダオン:2011/07/25(月) 15:07:41
いやはや、人にはボケ老人と言いながら、

ボケよりも”ウソツキ”老人だって。
そのウソツキが性懲りもなく湧き出て来ましたね。
ウソを垂れ流しても言い訳をしても、あなたの欺瞞が、
掲示板に山積みされるだけです。

ウソ常習犯の桐山さんですら述べていない大乗解釈の「凡夫僧」を
阿含経から出してみなさい。
そう言われて出せずに、半泣きしながら強弁している老人に、
誰が納得する?

>自分の頭で、「十結煩悩が揃ってる預流向が、何で聖者なの?」と、考える力も
ないのかえ?

預流は七結の煩悩が残っていますが、三つ減ってから聖者だなんて、
誰が言ったのか根拠を示しなさい。
誰もあなたのそのスカスカ知能のレベルに合わせる義理もないのだ。
阿含経の釈尊の言葉と学説に従うだけで何ら矛盾しないからです。
どんなに頑張っても、あなたはここのスレ違いであり、
三向四果三双七輩という数も数えられない自称、預流向サマです。
自慢したくば、鏡に向かって汚物を飛ばしなさい。
あなたの決済期限はとうに過ぎているがどうしますか?

846深山:2011/07/25(月) 18:18:10
>>843 :準シュダオン:2011/07/25(月) 15:07:41
>いやはや、人にはボケ老人と言いながら、深山くんは、未だに預流向=聖者の
>間違いに気付けていないようだw。救いようのないアホだね。

準シュダオンさんは、私が自説を唱えていると思いこんでいるようですね。
「預流向=聖者」とは私の説や主張ではなく、
阿含経の釈尊が述べており、学者たちも同様に認めている。
私は釈尊のおっしゃるように、学者たちの説明も釈尊の説明に一致しているから、
それを採用しているだけです。
私の説でも、私の考えでもない。
阿含経に書いてあるまま、学者の解説のままを引用しているだけです。
「預流向≠聖者」などとほざいているのは、私の知る限り、
準シュダオンさん一人です。
私がアホなら、釈尊もアホ、学者たちもアホということになる。
あなたは相変わらず、如来を誹謗する悪業を積むのが大好きのようですね。
毎回こうやって釈尊を小馬鹿にしているのだから、
>地獄へ行っちゃうかも知れない(>>844)
のは、私や読者ではなく、準シュダオンさん一人です。

847深山:2011/07/25(月) 18:19:56
>>843 :準シュダオン:2011/07/25(月) 15:07:41
>あのね、預流向は十結煩悩が揃っているのだよ、
>んで、三結断じたら預流果という聖者なのよ。
>自分の頭で、「十結煩悩が揃ってる預流向が、何で聖者なの?」と、考える力も
>ないのかえ?

預流向の意味すらあなたは理解していない、
預流向は三結が薄らいでいるから、聖者なのです。
あなたは勝手に三結を断ち切った比丘から聖者などと決めているが、
そんな規則が阿含経のどこにある?
あなたが毎度勝手な規則を作り、そのように思いこんでいるだけです。
釈尊の凡夫と聖者の分類は、三結を切ったかどうかが境ではない。
仏道を歩んでいるかどうかという違いす。
預流向は仏道を歩み始めたから、聖者です。
こんなことも「考える力もないのかえ?」
「あんね」などと、あきれかえってみせても、無知はあなたのほうです。

848深山:2011/07/25(月) 18:22:24
>>844 :準シュダオン:2011/07/25(月) 15:24:47
>ギャラリーで、仏教辞典を持っていない人は、岩波仏教辞典を入手して、
>自分で、「僧そう」の項を確かめてご覧なさい。

岩波仏教辞典の第2版には、あなたが引用した、凡夫僧なんて載っていない。
1版にはたしかにあります。
しかし、大幅に改訂され、2版には凡夫僧は出てきません。
仏教辞典に「預流向=凡夫僧」とあるなら、引用してみればいいではないか。
ところが、準シュダオンは引用しない。
これが彼の本当にズルイ点です。
上記の文章では、いかにも辞典に書いてあるかのように見せかける。
では、私が代わりに引用して、準シュダオンさんが
いかにインチキ男か示してあげましょう。
凡夫僧の説明が大乗仏教のものであることを示すために、全体を引用します。
読み仮名などは省略してありますが、ほぼ全文そのままです。
変換ミス等はご容赦ください。
全体を読むのが面倒だという方は途中の「大乗仏教が成立してからは」から読んでみてください。

849深山:2011/07/25(月) 18:24:04
『岩波仏教辞典』第一版

僧 <僧伽>とも音訳
し,〈和合衆〉〈衆〉などと意訳する・またサンスクリット語の僧と漢語の侶とをあわせて
〈僧侶〉ともいう。Sangha(サンガ)はインドで古くから〈集い〉〈群れ〉〈団体〉〈組合〉等を示
すのに用いられ,これが仏教に採用されて,仏教の教団を指す用語となった.仏教の教団
は平和の実現を主としたから,和合僧・和合衆などと呼ばれ,仏・法・僧の三宝の一つと
して尊重され,三帰依(*三帰)の対象となっている.僧は仏陀の教えを実行し,その教え
の真実であることを世間に示し,あわせて弟子を教育し,教法を次代に伝える役目をする.
僧が滅すれば仏教も滅びるのである.狭義には僧は仏教の出家者である比丘と比丘尼の
教団を指し,〈比丘僧〉〈比丘尼僧〉といい,これを〈二部僧〉または〈両僧伽〉ともいう.そし
て現実に目前に成立している僧を〈現前僧〉という.ある土地に4人以上の比丘がおれば,
僧を組織することができる.さらに将来仏教教団に入ってくる比丘までも含めて,三世一
貫の僧を〈四方僧〉と呼び,これを常住僧となし,僧伽の土地や精舎,什物などは
四方僧の所有となす.
大乗仏教が成立してからは,在来の僧を〈声聞僧〉と呼び,大
乗の教団を〈菩薩僧〉と呼んだ.菩薩僧では,在家出家の区別が明瞭でなく,両者を含めて
僧とも衆とも呼んでいる.悟った聖者の集団を〈聖者僧〉と呼び,三宝の一つとし
ての僧はこの聖者僧であるともなされ,一般の僧を〈凡夫僧〉〈世俗僧〉ともいう.後世,大
乗仏教には,仏・法・僧の三宝を一体と見る一体三宝(同体三宝)の見方が現れ,それま
での別体三宝観と別の見方が主張された.なお,後世,中国や日本では教団に属する個々
の出家者を〈僧〉というようになった.

850深山:2011/07/25(月) 18:29:35
「大乗仏教が成立してからは,・・(中略)・悟った聖者の集団を〈聖者僧〉と呼び,三宝の一つとし
ての僧はこの聖者僧であるともなされ,一般の僧を〈凡夫僧〉〈世俗僧〉ともいう.」

準シュダオンさんの言うように、ここには凡夫僧、聖者僧という
2種類があることが述べられている。
だが、これらの説明の前提として、凡夫僧の説明は、
「大乗仏教が成立してからは」
とあるように、大乗仏教での言葉です。
また、アゴンさんがその具体的な経典を引用してくれた。
ところが、準シュダオンさんはこれを完全に無視して、凡夫僧の説明はそのまま
釈迦仏教にあてはまると主張しているのです。
ここまで来ると、仏教の問題ではなく、彼の国語力の低さが問題なのです。
準シュダオンさんは少し長めの文章を理解するだけの読解力がないのです。
これは彼の脳が老化したからだけではなく、元々この人はそうなのです。
一知半解で、読解力がない分を自分の妄想と勝手な解釈で埋め合わせ、
それを彼は「考える」と称している。
現役時代は書類もろくに読めないのだから、彼の仕事は傍迷惑だったでしょうね。

851深山:2011/07/25(月) 18:32:09
>>844 :準シュダオン:2011/07/25(月) 15:24:47
>ギャラリーで、仏教辞典を持っていない人は、岩波仏教辞典を入手して、
>自分で、「僧そう」の項を確かめてご覧なさい。

準シュダオンさんの申し出のとおり、岩波仏教辞典の「僧」を調べ、
そこには「預流向≠聖者」などという記述がないことを確認しました。
あなたの主張には何の根拠もないことを確認しました。
普通、「大乗仏教が成立してからは」と書かれたら、それ以降の文章は
大乗仏教以降の話だと解釈する。
だが、準シュダオンはその区別がつかないのです。
私がそれを>>805で指摘した。
普通の国語力があれば、凡夫僧の話は大乗仏教での分類だと理解する。
準シュダオンさんは、岩波仏教辞典の記述を根拠に、
「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)
だというのだから、明瞭な嘘です。
大乗仏教の説明だときちんと書いてあるのに、彼は読めないのです。
凡夫僧と書いてある阿含経を出してみろ、と言われても、
もちろん、出せるはずもない。
だが、準シュダオンさんはこのゴマカシを>>805で指摘されても、
そもそも他人の指摘など読もうともせず、
相手を小馬鹿にしながら、ガミガミと自説を唱え続ける。
この国語力がもともと低い上に、慢心だけ肥大した老人をどうします?

852深山:2011/07/25(月) 18:35:01
>>844 :準シュダオン:2011/07/25(月) 15:24:47
>そうでないと、下手すると、深山さんやラシンさんの嘘解説に騙されて、地獄へ
>行っちゃうかも知れないからね。気をつけるこったね。

そうならないためにも、あなたは以下の質問にちゃんと答えるべきです。

1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。

アゴンさんが質問してから、もう何週間になるだろう。
あなたの考えや解説はいらないから、ズバリ、阿含経や
学者の解説を出してください。
あなたが示さないと、読者は批判側の説明が正しく、準シュダオンさんは
ウソツキだと信じて、あなたの説によれば地獄に行ってしまうという。
そりゃ大変なことです。
読者を地獄に落とさないという重大な使命を準シュダオンさんは負った。
あなたも読者を地獄に落としたくはないでしょう。
だったら、いつまでもお待たせしないで、上記の四つについて、あなたの
考えや解釈ではなく、阿含経と学者の解説をそのまま引用してください。

853準シュダオン:2011/07/26(火) 16:02:18
>預流は七結の煩悩が残っていますが、三つ減ってから聖者だなんて、
>誰が言ったのか根拠を示しなさい。

あらまw、「三結断 得須陀オン」と、お釈迦さまが説いてますよ。
これはね、煩悩が三つ減ったら預流果という聖者です、と、お釈迦様は
言ってるわけですよ。
四向四果は阿含仏教の基本ですからね、これを理解せずに、深山さんとラシンさん
は、御託を論じてるから可笑しくてならんのよ。

854準シュダオン:2011/07/26(火) 16:24:30
誤りは改めた方が良いよ、何時までも恥かいてるよりはね。
四向四果→聖者の四つの位、のことですけどね。
この場合の四つの位とは、四果をいうのです。四向は含まないのよね。
一対で考えては間違いよ。だってそうでしょ。阿羅漢果と阿羅漢向を同じ位に
したら、仏と仏未満を同じ位にすることになるからね、それは変よ。

深山さん、ラシンさんは、私の説明の証拠が欲しい?
それなら岩波仏教辞典で「四向四果」を引いて勉強しなさい。そこの解説の最期に
「鹿(かせぎ)が苑なる岩屋より、四果の聖ぞ出でたまう」と出てるでしょう。
鹿(かせぎ)が苑とは、釈迦の初転法輪の地、鹿野苑のことね。
「鹿野苑から、四果の聖者が出でたまう」と、詠んだ平安時代の法文歌ですね。

平安時代の人々の方が、深山さんやラシンさんよりも、正確に四向四果を理解して
いたわけですね。

855準シュダオン:2011/07/26(火) 16:58:23
>ウソ常習犯の桐山さんですら述べていない大乗解釈の「凡夫僧」を
>阿含経から出してみなさい。
>そう言われて出せずに、半泣きしながら強弁している老人に、
>誰が納得する?

なんで半泣きすんの、大笑いだよ。バカらしいからあんたのレスはほとんど、
読まないだけだよ。あんたの頭、まともでないよw、「大乗解釈の凡夫僧を
阿含経から出してみなさい」だと!w!
何で大乗解釈を阿含経から出すのよ?
大乗解釈なら、大乗経から出せと言うぜ、普通は。

それに、別に、凡夫僧というのは、大乗解釈だけでもないらしいよ。辞典には、
菩薩僧も出てくるね。菩薩というのは大乗だね。菩薩の修行階位は、52位だね。
「十信、十住、十行、十廻向、十地」で50でしょ。それに等覚と妙覚の二つを
足して52位になるわけです。んで、十地位からを聖位として、聖者の菩薩僧と
定め、十住と十行と十廻向の階位を凡位として、凡夫の菩薩僧とするそうだよ。

菩薩僧の場合、十信というのは凡夫未満でね、凡夫にもなれない「外凡位」と
呼ぶのだそうよ。凡夫未満の僧とは恐れ入ったね。だから、大乗の場合は、考え方
として凡夫果というのがあるんだね。阿含経的にいうと、十信位は凡夫向であり、
十住位が凡夫果、ということになるね。
菩薩僧の場合は、「外凡夫僧」と「凡夫僧」と「聖者僧」の三種があるわけですね。

まぁ、このようなことは仏教辞典に書いてありますからね。それらを読んでるうち
には、ラシンさんでもいつか、四向四果の正しい理解ができるかもね。

856ラシン:2011/07/26(火) 17:03:39
>853 :準シュダオン:2011/07/26(火) 16:02:18
>預流は七結の煩悩が残っていますが、三つ減ってから聖者だなんて、
>誰が言ったのか根拠を示しなさい。

>あらまw、「三結断 得須陀オン」と、お釈迦さまが説いてますよ。
これはね、煩悩が三つ減ったら預流果という聖者です、と、お釈迦様は
言ってるわけですよ。

ウソを足して二で割るような落語はいらない。
「煩悩が三つ減ったら預流果という聖者です」
との経典などあるのか? 捏造好きの老人だね、もはや病気だ。

>854 :準シュダオン
>深山さん、ラシンさんは、私の説明の証拠が欲しい?
それなら岩波仏教辞典で「四向四果」を引いて勉強しなさい。そこの解説の最期に
「鹿(かせぎ)が苑なる岩屋より、四果の聖ぞ出でたまう」と出てるでしょう。

あなたは、ガキマル出しのゲイ人のようだ。
2chでは、天台宗になびいて、ここでは法然の浄土宗にすがるのか?
あなたが根拠にしたのは、黒谷上人(法然)の「梁塵秘抄」に
あることば(歌)です。
出すなら釈尊のことばを出しなさいと言われて、
苦し紛れに、法然を出すしかゲイがない、いや能がない?
ウソツキ老人のこの”ゲイ能”っぷりを見て欲しいものだ。
見事な外しっぷりです。
さすがは、老いの悲哀を超えて”汚わい”をさらけ出している。

あなたどこの宗徒だ? アゴン宗デス、天台宗デス、浄土宗デス、。

857ラシン:2011/07/26(火) 17:21:52
>855 :準シュダオン
>あんたの頭、まともでないよw、「大乗解釈の凡夫僧を
阿含経から出してみなさい」だと!w!
何で大乗解釈を阿含経から出すのよ?

やっと理解できたようだ、鏡を置いてあげたらあなたが映ったのだ。
阿含経の釈尊の言葉を論じている最中に、「大乗解釈の凡夫僧」などを
出す愚かさに気づいたのだから目は見えるようだ。
自分の頭がマトモでないと気づくのがチョイト遅いだけです。

畢竟、準シュダオンさんは阿含経に無い解釈で釈尊を論じる愚かを
ようやく認めた。
あなたの完敗宣言ですから、乾杯しましょうか。
どういじくりまわそうが、あなたは大乗仏教の周りしかうろつけない。

阿含経を出せと言われて、「ハイ出しまスた、大乗経典デス!」
今度は、「アビダルマ解釈デス」・・・アレレ?「批判側はアビダルマ論だ」と、
言ったことは「忘れまスた!」
おもしろい、面白すぎるほど苦しそうだ、お前苦しいかい?の世界か?。

あなたどこの宗徒だ? アゴン宗デス、天台宗デス、浄土宗デス、。

858深山:2011/07/26(火) 18:34:04
>>853 :準シュダオン:2011/07/26(火) 16:02:18
>あらまw、「三結断 得須陀オン」と、お釈迦さまが説いてますよ。

あなたの「あらまw脳味噌」では質問の意味すら理解できないのでしょうね。
三結を断じればシュダオンになるなんて、当たり前すぎて誰も議論していない。
「預流向≠聖者」の阿含経の根拠を示せと言っているのです。
預流や預流果の話ではなく、預流向の話です。
預流果と預流向の違いはわかりますか。
預流果が聖者だと証明しても、預流向が聖者でない証明にはならない。
あなたは未だに四沙門果と四向四果の分類の違いが理解できていない。
前に私が解釈を間違ったことを認めて説明しても、あなたは何のことか
理解できなかったのでしょう?
あなたも桐山さんも自分と他人の間違いから学ぼうとしないからです。
両者は分類の視点が違うのだと説明しても、あなたには理解できない。
四沙門果が聖者であるからといって、預流向が聖者でない証拠にはならない。
あなたの説は「小卒、中卒、高卒、大卒の四つの資格のなかに小学生は
いないから、小学生は学生ではない」と言っているのと同じで、間違いです。
四沙門果は、四つの資格という点に重点を置いた分類です。
四向四果は、学生と資格と両方の関係を示した分類です。
だから、小学生(預流向)も学生(聖者)です。

859深山:2011/07/26(火) 18:38:11
>>854 :準シュダオン:2011/07/26(火) 16:24:30
>平安時代の人々の方が、深山さんやラシンさんよりも、正確に四向四果を理解して

あなたの引用した文章のどこに「預流向≠聖者」とあるのだ?
ありません。
平安時代の人も「預流向≠聖者」だなんて言っていない。
あなたはいつも存在しない文章を読んでいる。
それは「あの女はおれに微笑んだから、気があるに違いない」と
あなたが思ったのと同じで、ただの妄想です。
四果が聖者なんて当たり前です。
誰も四果の話なんてしていない。
四向四果の一つ、預流向の話をしているのです。

「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

あなたは勝手に、小学生と小卒を同類の資格だと思いこんでいる。
その誤解を解いてあげようと、小学生と小卒の違いだとたとえ話を
しても、あなたは理解できない。
教育でも小学生と小卒が一組として考えているように、
預流向と預流果は聖者の一組の位です。
一対の聖者なのに、片方が聖者でないなんてありえるはずがないだろう。
一対とか、一組で聖者という意味がわからないのでしょう?
準シュダオンさんは四向四果について理解するのをあきらめたらどうか。
あなたの頭では理解できないのです。

860深山:2011/07/26(火) 18:41:21
>>855 :準シュダオン:2011/07/26(火) 16:58:23
>何で大乗解釈を阿含経から出すのよ?

お得意の居直り強盗ですね。
だが、読者にはそんな逃げ口上は通用しない。

>>625 :準シュダオン:2011/07/09(土) 09:47:51
>阿含仏教では、預流向は凡夫僧で、預流果からが聖者僧ですね。

これはあなたが書いた文章です。
阿含仏教とは阿含経にある仏教のことです。
「阿含仏教では、預流向は凡夫僧で」と書いた根拠を示せと言っているのです。
答えられるはずがない。
凡夫僧など大乗仏教に出てくる言葉であり概念です。
大乗仏教よりも過去の阿含仏教に凡夫僧が出てくるはずがない。
「阿含仏教では、預流向は凡夫僧で」なんて準シュダオンさんの嘘です。
「預流向≠聖者」という主張をするために、持ち出した詭弁です。
口から出ませの嘘を書き並べて、追求されると開き直りのシラ笑いをする。
ただの古狸です。
昼間は準預流になり、午後は準シュダオンに化けた。
どんなに化けたつもりでも、そのでっかいシッポと煩悩だらけの醜い姿は何も変わらない。
臭いがプンプンしているから、すぐにばれる。
それにしても、あなたって、どうしてあんな必要もない嘘をわざわざつくのだろう。
そんな嘘をついたら、自分の主張の信頼性を失う・・とは思わないのですね。

861深山:2011/07/26(火) 18:47:05
>>855 :準シュダオン:2011/07/26(火) 16:58:23
>阿含経的にいうと、十信位は凡夫向であり、
>十住位が凡夫果、ということになるね。

またゴマカシが始まった。
直前までは大乗仏教の話をしながら、こうやって、脈絡もなく、
阿含経の話であるかのようにすり替える。
古狸ぶりが全開です。
「阿含経的にいうと」とは何の話だ?
それを625でやって批判側からさんざんに根拠を示せと追求されても、
何もなかったかのように、また同じ手法でごまかそうとする。
普通の人なら、625でうっかり書いたことを反省して、二度としない。
だが、あなたはなんともない。
桐山さんと同じで、嘘やゴマカシがあなたの人格の一部だからでしょう?
ゴマカシや嘘という意識すらなく、自然にスラスラと嘘が出てしまう。
桐山さんは根っからの詐欺師であるように、
あなたも根っからの虚言癖があるようですね。
子供の頃、「ウソツキ」というあだ名がついていませんでしたか。
と質問されても、ウソツキが「はいそうです」なんて正直に答えるはずがありませんね。

862深山:2011/07/26(火) 18:51:02
>>855 :準シュダオン:2011/07/26(火) 16:58:23
>それに、別に、凡夫僧というのは、大乗解釈だけでもないらしいよ。

どこが大乗解釈だけでもないのだ?
あなたが引用した文章も、説明も解釈も、全部大乗仏教であって、
阿含経などただの一つも出てこない。
あなたの恒例の勝手な解釈があるだけです。
凡夫僧などという言葉や概念が阿含経にあるはずがない。
釈尊死後、数百年もたってから作られた概念にすぎない凡夫僧や
菩薩僧が、阿含経に出てくるはずがなかろう。
凡夫僧が阿含経にないことを認めたその直後に、
またこうやって、嘘デタラメを書き始める。
準シュダオンさんて、まるで、万引きで警察の取り調べを受けながら、
机の上にある品物を万引きする常習犯みたいですね。
>>849のどこに凡夫僧が阿含経と関係していると書いてあるのだ?
この辞典の解説のどこをよめば、凡夫僧が阿含経と関係してくるのだ?
ないものをあると主張してその嘘を追求されても、また同じことを繰り返す。
かなり病的ですね。

863深山:2011/07/26(火) 18:53:22
>>855 :準シュダオン:2011/07/26(火) 16:58:23
>阿含経的にいうと、十信位は凡夫向であり、
>十住位が凡夫果、ということになるね。

これは>>849の辞典に書いてあるのではなく、あなたの勝手な解釈です。
それをやめてくれと言っているのです。

準シュダオンさんの解説はいらない。
準シュダオンさんの解釈はいらない。
準シュダオンさんの説明はいらない。
準シュダオンさんの考えはいらない。

読者が求めているのは、準シュダオンさんの壊れた頭ではない。

阿含経に書いてあるまま、
釈尊のおっしゃっているまま、
辞典に書いてあるまま、
学者の説明のまま、です。

それが出せないなら、書くな。
どうせ出せるはずもない。
準シュダオンさんはただの大嘘つきの古狸です。

864深山:2011/07/26(火) 19:06:02
>>855 :準シュダオン:2011/07/26(火) 16:58:23

また2ちゃんねるに準預流向で出てください。
「おれは準シュダオンじゃない」というのが、すごく面白かった。
恥を知っている人なら、絶対にあんなこと書けない。
恥知らずの分野は準シュダオンさんの独壇場です。
桐山さんの嘘つきぶりといい、その信者の準シュダンオンさんの
嘘つきぶりといい、もうここまで来ると、感動の領域です。
私は昔、五戒の中に、嘘をつくなというのがあるのを見て、
どうしてこんなわかりきったことを言うのだろうと思ったことがあります。
しかし、桐山さんや準シュダオンさんを見て考えが変わりました。
世の中には、徹底して嘘をつく人がいるのだというのを知った。
幸か不幸か、今の私の実生活の中には、桐山さんやあなたのような
本格的な嘘つきがいないのです。
私は、桐山さんがかなり例外的な人なのだと思っていた。
ある種の心の病を持ち、虚言癖が小さい頃から身についてしまったのだろうと
推測していた。
ここに出てきた多くの信者たちも、桐山さんの嘘を追求されると結局、黙る。
あるいは本人の嘘や間違いを指摘されると黙る。
だが、準シュダオンさんだけは違った。
あなたは、桐山さんと同じで、何ともない。

865深山:2011/07/26(火) 19:08:26
>>855 :準シュダオン:2011/07/26(火) 16:58:23

準シュダオンさんはどんなに嘘を暴露され、間違いを指摘されても、どこ吹く風。
私はここで十年も議論していて良かったと思っている。
周囲には桐山さん以外には大嘘つきがいなかったのに、桐山さんに劣らないくらいの
嘘つきを目の前に見ることができる。
これは私はとても大きな収穫で、いつも嫌悪しながらも感動する。
ちょうど、ピンク色のゴキブリを見つけたようなもので、猛烈に気色悪いが、
しかし、嫌悪感を抑えながら、恐い物見たさに目が離せない。
アゴン宗で一つ自分が得たことは、いろいろな人たちを観察できたことです。
そして、ここでさらに面白いサンプルに巡り会った。
私など、思いついても絶対に口にしないような嘘、詭弁、屁理屈、
ゴマカシをあなたは平然と言う。
ばれても恥じる様子もない!!(うわあ、スッゲー、こっちが恥ずかしい)
今日の2ちゃんねるでのあなたの嘘も、私は予想しなかった。
目が点なり、吹き出しました。
私は、あなたのその不気味さ、壊れっぷりに深い感動を覚えるのです。
今後とも、よろしく嘘をつきまくって、如来や聖者たちを誹謗してください。
私はあなたの嘘を指摘するだけだから、悪業は全部あなたのものです。

866アゴン:2011/07/26(火) 23:17:29
この間の例祭で、改めて、「ない」ものをさも「ある」かのごとく風呂敷を広げ過剰な演技に、あれ?誰かさんに似ているw
と思いましたよ。最後は映画のワンシーンのようなエピソードを実地体験のごとく語っていましたからね。命の危機に新たなエピソードが加えられたのです!初耳でしたね。
いい勉強になっているのは現信者もです。

867天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/27(水) 06:38:07
>>866 出た!伝家の宝刀(と、いっても何本も持っていますが)の「無いものを有るかの如くいう奥義」炸裂w
ゲイカはそれが得意で人生の大半を繕ってきましたからねえ・・・。

精神科や老人ホームでは「はいはい。わかりましたよお爺ちゃん」で終り。
阿含宗は、もはや老人ホーム???

868ラシン:2011/07/27(水) 11:32:19
>866 :アゴン:2011/07/26(火) 23:17:29
この間の例祭で、改めて、「ない」ものをさも「ある」かのごとく風呂敷を広げ過剰な演技に、

そういう部分は不良信者の準シュダオンさんでもキチンと
ゲーカの意に適う信仰姿勢があるようです。
準シュダオンさんの詭弁など、すでに見抜いているアゴンさんでしょうから、
批判側が一々に彼に反論するのは、読み手を意識した誤った解釈を正す、
ということであることをどうかご理解ください。
たとえば、彼がさかんに>>854で言い訳する内容↓なども噴飯モノです。

「一対で考えては間違いよ。だってそうでしょ。阿羅漢果と阿羅漢向を同じ位に
 したら、仏と仏未満を同じ位にすることになるからね、それは変よ。」

批判側は余りにバカらしいから黙っていると、お調子に乗っていつまでも言い続ける。
いかに準シュダオンさんの知能が、普通からみて異常かが分かります。
彼は、「阿羅漢果と阿羅漢向を同じ位にしたら」などと杞憂を抱いています。
大笑いですね、だが彼の口癖は「預流果以上が聖者だ」です。
いつもの老人らしく自説自論を自分自身で”蹴っ飛ばして”いることに気づかない。
じゃあ、「預流果以上が聖者だ」ならどうして阿羅漢果と比べないのだ?
準シュダオンさんの珍説でいけば、
「預流果以上が聖者だ」しかし「阿羅漢果と阿羅漢向を同列」とすると、
「仏と仏未満を同じ位にすることになるからね、それは変よ。」だそうです。

批判側は、一度も「果と向」を同列に考えた、と言ってはいません。
四向四果四双八輩だから、”各一対”だとの解釈を述べている。
そしてそれら全体を釈尊も学者の解説も「聖者」としている、と述べただけです。
だが、
準シュダオン説は、「預流果〜阿羅漢果」までの三向四果が聖者である。
だけれども、>「果と向」を同列に出来ないから<、なんて批判側が
主張してもいない妄想を引っ張り出して、反論しているつもりです。
自説の「仏と仏未満を同じ位にすることになるからね、それは変よ。」と言うなら、
どうしてそれら「預流果〜阿羅漢果」の三向四果が聖者として同じく括れるのだ?

その場しのぎの詭弁など、準シュダオンさんの頭の中に仕舞っていてもらいたいでしょう。
アゴンさんはとうにご理解しているはずだが、彼はなんでも「オレが!オレが!」と、
自分を強調したい性癖の結果、自分でスッ転んでいます。

869ラシン:2011/07/27(水) 17:10:39
>854 :準シュダオン
>「一対で考えては間違いよ。だってそうでしょ。阿羅漢果と阿羅漢向を同じ位に
 したら、仏と仏未満を同じ位にすることになるからね、それは変よ。」

この詭弁自体が、矛盾をはらんでいることさえ気づく知能はないでしょう。
一つは、批判側は「果と向」を”同列”若しくは”同位”と主張したことはない。
あるなら出せと言われても、とぼけて自分で撒いたゴミを拾えない。
あなたの親御さんのシツケは、そういうものだったのか? ご立派だ。

もう一つは、あなたの珍説でいけば、”同位”でもないなら預流果〜阿羅漢果の
三向四果の人達をどうして「聖者」とみなせるのだ?
あなたは、預流果以上でないと「聖者」とはならないと強弁していたが、
そうなら、あなたの言で預流果と阿羅漢果が”同位”でなくても”聖者”と
みなす矛盾が、出て来てしまうからお笑いネタとなるのです。

870ラシン:2011/07/27(水) 17:11:15
>854 :準シュダオン
>「一対で考えては間違いよ。だってそうでしょ。阿羅漢果と阿羅漢向を同じ位に
 したら、仏と仏未満を同じ位にすることになるからね、それは変よ。」

後、いつも困ることが、準シュダオンさんの国語力不足から面倒な解説を
批判側が常に強いられることです。
どうせまた、あなたの小学生より劣る読解力を見せられては適わないから、
先に述べておきましょう。
あなたは、「一対で考えては間違いよ」の”一対”を”同位”と
勘違いしているようだから、マチガイだと指摘しておきます。
一対=同位 なんて国語的解釈などありません。
この”対”は相互関係ですから”同位”ではないことになる。
いわゆる”双”も”対”です、だから四対八種が聖者ということです。
果に”対”して向があって”一対”なのです。
煩悩を順に滅している者が、過去の”果”を引きずって新たな”向”に
移行などしない。
卒業したら過去の”果”にこだわらないから煩悩の滅に意義があるのです。
あなたのようにヨダレを垂らし、自分の業績を誇ったりこだわるようなことを
しないのが、聖者たる所以なのです。
たとえばアナゴン果を得たら、阿羅漢果を目指す阿羅漢向が存在するだけです。
釈尊の教えに素直に従えば、この「向果一対」は何ら矛盾しない組み合わせです。

871アゴン:2011/07/27(水) 21:56:47
まぁ、なんというか準シュダオンさんの書き込みはワケワカメなんで適当に読んでいますが、批判がわの読解努力に感心いたします。準シュダオンさんはいい加減、預流向は聖者じゃないとか、(どっちでもいいが、)程遠い境涯についてあれこれ議論せず身の丈にあった今からできる善い心がけをすればいいのに。。と思います。管長にもそう思います。いつまでもふんぞり返って偉そうにせず、壇上から下界におりてきて信者に人としての慈しみ思いやりを語ってください。もうそれだけでいいのです。

色んな人間がいるのですねぇ。。私も今生で色々と勉強させてもらっています。ww

872ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/27(水) 23:28:28
>>866:アゴン11/07/26(火) 23:17:29
>この間の例祭で、改めて、「ない」ものをさも「ある」かのごとく風呂敷を広げ過剰な演技に、あれ?誰かさんに似ているw
>と思いましたよ。最後は映画のワンシーンのようなエピソードを実地体験のごとく語っていましたからね。命の危機に新たなエピソードが加えられたのです!初耳でしたね。

できればあなたがそう感じた例祭法話の内容を具体的に示していただけませんか。
私ら現役信者でない者は知らないもので。
評価のしようもありません。
例えば私がまだ小学生の頃、怖い心霊や怪奇現象を子ども向けに書いた本を
学校図書館から借りて読んでゾクゾクしました。
今思えばその著者はあの「密教念力入門」をその後に書くことになる中岡俊哉
だったと思いますw
作り話が多いわけです。
そうわかるのはその「小説」の描写です。
兄弟でブランコを漕いでいた。
正式に言うと兄がブランコを漕ぎ弟はその下で待つ。
兄がブランコを漕ぐとある地点で異様に生暖かい空気に触れて気持ち悪くなる。
兄は悲鳴を上げる。弟は怪訝な顔で兄を見る。
(なんでもないんだよ)と声を掛けようとする兄だが声にならない。
そして次にまたあの熱い空気に触れた時・・・
兄は消えてなくなった。
まさに四次元の亀裂にはまって行方不明になったような怖い話です。
しかし考えてもみてください。これってその生暖かい四次元の亀裂にはまった
当事者だからこそ語ることのできる感覚ですよね。
だから兄がその後帰還してその時の異常感覚を語らないことにはこの話は書けない。
客観的には目の前でブランコを漕いでいた兄が途中で顔をしかめたと見ていたら
いつの間にか消えてなくなった、それだけの証言しか書けない。
兄が弟に掛けようと思った言葉なんて書けるはずがない。
しかし兄が帰還したなんて後日談は添えてもいない。
つまり、作り話、作り話、つっくり話だよ〜んと一発でわかります。
桐山さんの話もどんな脚色を添えていたのか興味が深いです。

873名無しさん:2011/07/27(水) 23:33:40
すみません、全く関係ないことですが…
ユビキタスさん、そろそろお誕生日ですよね
おめでとうございます

874アゴン:2011/07/27(水) 23:42:44
うーん。。なんか昔みたいに整然と話されないんでテープおこしならぬ法話おこしはちょっと難しいんですけど。。ちょっと頑張ってみます。。サライさんもよろしく。。お願いいたします。

なんか中二病のような感じで、「オレガやっとおめーらに超すげー超能力法を教えてやるんだから、おめーらは全力でオレに向かってこい!!弾きとばしてやんよ!(威勢よく)
でもな、オレモちょっとその超能力法を使えるかまた鍛え直さねーといけねーんだわ。それくらいオレは気合いはいってんだ!オメーらも死ぬ気で鍛え直してから、受講しろよな!!」
って言うようなことをいってました。
いや、マジでこんなアニメレベルに聞こえました。

875ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/27(水) 23:47:58
>>873
つい先日ハッピーバースデーでしたよ。
今月は高校野球の地区予選観戦に忙しくてココ寄ってる暇ないんですよ。
まあ幸いにもどこかの爺さんはレスする価値あることも書いてくれんし。
平日含めた公休日活用して遠征ばかりしてるよ。
福島、秋田、滋賀、山梨、広島・・・カネが解脱供養2体分ほど出て赤字赤字。
それでも来月は総決算で甲子園に行く。

876アゴン:2011/07/27(水) 23:51:22
命の危機については戦争時アメリカの軍の飛行機?が管長めがけて発泡してきて、一張羅が汚れるのが多少気になったが池か沼か飛び込んで身を隠した。敵の操縦士の目が俺を見ていた。パーっとこっちに近づいてきて、云々カンヌん。。しかも繰り返し繰り返し同じエピソードを繰り返すのです。
そういう命の危機も準低観音経の功徳によって免れたと言いたかったみたいですが。。
はっきちいって。初耳です!
そして時系列てきにもおかしい気がしたのですが。。

877アゴン:2011/07/28(木) 00:11:07
もうちょっと追記すると、その四神足法の伝授に一万円なわけですよ。
やっぱり当然ですが受けるのを躊躇しますよね。でも怖いもの見たさでどんなふうに誤魔化すのか聞いてみたい気もしますし。
そして後半一時間はドンだけ脱線してエンドレスリピートが起こるのか、ハラハラドキドキの三時間。ちょっとホラーも入ってたりして。

信じられないことに、ボケてもゲイカがそこにいてくださるだけで思念が送られると言っている人もいるのです。(すごい。お手上げ)

878ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/28(木) 00:17:23
>>876:アゴン11/07/27(水) 23:51:22
>命の危機については戦争時アメリカの軍の飛行機?が管長めがけて発泡してきて、一張羅が汚れるのが多少気になったが池か沼か飛び込んで身を隠した。敵の操縦士の目が俺を見ていた。パーっとこっちに近づいてきて、云々カンヌん。。しかも繰り返し繰り返し同じエピソードを繰り返すのです。
>そういう命の危機も準低観音経の功徳によって免れたと言いたかったみたいですが。。
>はっきちいって。初耳です!
>そして時系列てきにもおかしい気がしたのですが。。

即レスをありがとうございます。
その通り、まさに初耳の時系列で矛盾している。
桐山さんが準胝観音経を発見して救われたとしているのは事業をして負債を抱えた
時に自殺しようとして見つけた。
これは戦後のはずです。
戦前戦時の彼は結核にかかって療養などしていたはずだ。
それにも矛盾して東京大空襲の前夜都内の友人宅で熱弁し、夜遅くなったので
泊まっていけと勧めるのを断って千葉県の家まで歩いて帰ったという。
翌日東京大空襲が始まり以後友人は消息不明になったとか。
千葉県に帰った桐山さんは難を逃れたわけです。
それがいつの間にか戦闘機が桐山さんめがけて発砲し、操縦士と目があったなんて
すげーリアル体験になるのだ?
ましてやジュンテークドクジュ・・・

879名無しさん:2011/07/28(木) 00:37:16
>>875
おめでとうございました
(。・ω・ノノ゙☆ネ兄☆ヾヽ(・ω・。) パチパチ

遠征されているのですか
今年も目の保養の季節がやってきましたね

実は阿含宗に入ったことはないのですが、にちゃんねるの阿含スレを読ませていただいたおかげで数年前に他の宗教を無事退会しまして、その後原始仏教に興味が湧き今は主に仏教の勉強のために読ませていただいています

甲子園楽しみですね

ROMに戻ります オジャマしました〜・*-・゚☆(・v・)ノ☆・*-・-

880名無しさん:2011/07/28(木) 01:01:21
>>877
> ボケてもゲイカがそこにいてくださるだけで思念が送られると言っている人もいるのです。(すごい。お手上げ)

オーラの祭典2での「ブッダの思念の伝達」が見られます。どう見ても思念を送っていないのが笑えます。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ4ITgdlwxk&feature=related
0:40秒辺りから

881天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/28(木) 03:54:01
>>880 ふふふw あのキョロキョロ・キョトーンのやつですね。このような教祖の有様をみても
「おかしい」と感じない信者さんがいるのには参りますが、この動画は本当にそれを知るには
良いものですね。引用感謝申し上げます。

ゲイカがそこに居てくださるだけで、と思うのはやはりゲイカの過去に発した発言内容の
「自分が発信器になって」という内容の言葉のせいでしょうね。
思念の相承や解脱供養の死者を成仏させる中身にあるような「自分が発信器」の件を信者は
信じているから、そのように「居るだけで発信しておられる」と想定し考えてしまう。
こちらは「そうじゃねーだろ」と見えているし分かるのですけどね・・・。

でも、敢えて言えば電波発言をする教祖ですから(笑)そういう電波を受信する、という意味
では正解かもしれない。聖なるならぬ”性なるボケ電波”なら発信しているかもしれない、と
いうのはあるでしょうから(汗

882天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/28(木) 04:03:28
>>876 また得意の嘘話が始まった。信者は黙って聞いているからいい気になってそれこそツッコミを
入れるやつがいたりしたら、またキレて「このばかつまみだせ」炸裂させるんかい?
まったく「ヨタ話もいい加減にしろや、この爺」ですね。しかも何度も・・・。

この件は石原慎太郎氏の書いた本「弟よ」に似ていますね。
弟の故石原裕次郎さんのことについて書いた大分以前の本ですが、その中に弟裕次郎さんと畑に
いたときにアメリカ兵の操縦する飛行機が攻撃してきた件に似ています。

まあ、話なんて如何様にも作れますからね。例えば自分なんかも女にモテて凄いんだよとか
お金持ちなんだよ〜ん、なんて一切ないことをいくらでも言うだけなら一秒後にもいくらでも
できますからね。

ありもしない・できもしないことを言う教祖ですから油断がなりません。
生卵よりもカラーボールや硬い石でも投げつけてやりたくなりますわ、あの爺。

883ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/28(木) 08:21:30
>>877:アゴン11/07/28(木) 00:11:07
>もうちょっと追記すると、その四神足法の伝授に一万円なわけですよ。

これは安い!安過ぎる!お買い得ですよ。
桐山さんが売りの七科三十七道品の中核は四神足法です。
七科三十七道品の成仏法は桐山さんによると、教えと瞑想とタパス(練行)によって
成り立つとする。
オシエによって人間は改革できないとするのが桐山さんの昔からの主張です。
よっていかな三十七道品と言えど、特殊なタパスという雲をつかむような話しか
看板としてだけ示せない。
四神足法の中には四安那般那念法とか四止息法とか笑える秘伝もある。
この高度、最上の法を1万円で教えるとは安い!
まあ桐山さんも昔説いたこと忘れちまっているのでしょう。
それでも金額含めたカネの話が出てくるところが、いかに薄利多売でも商売して
金を集めたいのかよくわかる。
実際に伝法会など開く機会があったら、雑談漫談の講義に終始し、最後に思念ゴッコ
でもして、とてもタパスなどには程遠く、「これで四神足法が済んだと思うな。
これはまだ四神足法入門に過ぎないのである」とするでしょう。
1974年の昔、平河町の道場の壁に貼ってあった話だが、ある日桐山会長センセーが
青年部のいるところに道場に登場し、手を使わない柔道の受け身とか披露し、
得意になって汗を流されたとかの青年部報告。
どれ、四神足法の型を教えてやろかなんて、この手のノリなんでしょうな。
それも俺は昔柔道もかじったことがあるから、教えることができると
今身体が動かないことも忘れて。
戦闘機の話といい、予想以上のボケ進行ぶりです。

884ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/07/28(木) 12:48:14
>>882:天照 ◆MO30b8Jwoo11/07/28(木) 04:03:28
>この件は石原慎太郎氏の書いた本「弟よ」に似ていますね。
>弟の故石原裕次郎さんのことについて書いた大分以前の本ですが、その中に弟裕次郎さんと畑に
>いたときにアメリカ兵の操縦する飛行機が攻撃してきた件に似ています。

案外にこれが桐山呆話の元ネタ全てかもしれませんね。
桐山さんは昔密教本の書評を慎太郎さんによく書いてもらったことがあるから
慎太郎さんが好きです。
彼の本も読む。
そこで読んだ本の内容を自分の体験にしてしまう。
法話で石原本を示して、彼もこんな体験してるんだねと示すならばよいが、
なぜか他人の体験を自分がした体験としてペラペラしゃべってしまう。
これって高齢でボケたからではなく、子どもの頃からそうなのかもしれませんよ。
小学校の担任教師が警戒したくらいです。

885準シュダオン:2011/07/28(木) 14:30:00
>まぁ、なんというか準シュダオンさんの書き込みはワケワカメなんで適当に
>読んでいますが、批判がわの読解努力に感心いたします。準シュダオンさん
>はいい加減、預流向は聖者じゃないとか、(

私も違う話題にしたいのだが、なにしろ四向四果は基本だからね。ここを理解
しないと、修行も無駄でしょうね。果は、果(はた)したこと。向は途中のこと。
アゴンさんは、小学生と小学卒業生との違いを説明できますか?
中学生と中学卒業生との違いを説明できますか?
高校生と高校卒業生との違いは?
大学生と大学卒業生の違いはなんですか?

預流向と預流果の違いは、小学生と小学卒業生との違いみたいなものです。
阿羅漢向と阿羅漢果の違いは、大学生と大学卒業生との違いみたいなものね。
在学生と卒業生に、同じ資格は与えられません。
現役高校生の既得学歴は、中卒ですね、なんか例えが悪いけどさw。

小卒、中卒、高卒、大卒、の四つの学力があるとして、この四つの学力を証得
せよ、というのが、四沙門果に例えられるでしょう。最初の学力の資格は小卒
です。小卒=預流果です。中卒=一来果です。小学生=預流向です。
小卒=預流果=中学生=一来向≠中卒=一来果、です。

ですから、預流向=小学生、にはまだ、小卒、中卒、高卒、大卒の、いずれも
学力の資格がないのです。

886準シュダオン:2011/07/28(木) 15:55:12
>もう一つは、あなたの珍説でいけば、”同位”でもないなら預流果〜阿羅漢果の
>三向四果の人達をどうして「聖者」とみなせるのだ?
>あなたは、預流果以上でないと「聖者」とはならないと強弁していたが、
>そうなら、あなたの言で預流果と阿羅漢果が”同位”でなくても”聖者”と
>みなす矛盾が、出て来てしまうからお笑いネタとなるのです。

わたしの説は、阿含経典の説であって、珍説ではないよ。ラシンさんや深山さんの
説は、アビダルマ倶舎論の四向四果説であり、釈迦の教えとは違うということです。
お笑いネタはあなたです。
十結煩悩を一つも切れていない預流向が、なんで聖者なの?

アビダルマ論師達が、預流向を聖者にするために、見道や修道を持ち出して、
いい加減な定義をしたのです。それを解説した学者さん方の説を鵜呑みにして
いるのがラシンくん達です、自力で考える力がないからね。

>三向四果の人達をどうして「聖者」とみなせるのだ?

との質問だが、三向四果の人達は、皆、いずれかの煩悩を断っている。
断った煩悩の種類や数に違いはあるが、三向四果の人達は煩悩を断っている。
煩悩を断っているという点で、三向四果は聖者なのです。
聖者と凡夫の違いは、煩悩を断っているか、否か、の違いですからね。

887準シュダオン:2011/07/28(木) 16:20:13
四向四果→聖者の四つの位、ですね。
正確に言うと、四果=四沙門果=聖者の四つの位、です。
それは、経典を読む力があれば、解ります。

仮に、「学者」を次のように、四つに定義しましょう。
1、小学校卒=小学者 2、中学校卒=中学者
3、高校卒 =高学者 4、大学卒 =大学者
以上が、学者の四つの称号・位と定義します。

すると、大学生は大学者とはならないことを理解できますか?
大学生の学者としての称号は、高学者ですね。
同じように、高校生の学者としての称号は中学者です。
そして小学生だけは、どの学者の仲間にも入れないことが理解できるでしょうか?

四向四果も、学力を煩悩に置き換えて、上記と同じように考えていけば理解できる
でしょう。

888アゴン:2011/07/28(木) 16:29:31
>>仮に、「学者」を次のように、四つに定義しましょう 1、小学校卒=小学者 2、中学校卒=中学者 3、高校卒 =高学者 4、大学卒 =大学者 以上が、学者の四つの称号・位と定義します すると、大学生は大学者とはならないことを理解でき

なんじゃそりゃ!!
爆笑ものですね。

889深山:2011/07/28(木) 18:35:56
>>885 :準シュダオン:2011/07/28(木) 14:30:00
>アゴンさんは、小学生と小学卒業生との違いを説明できますか?

あなたのことだから、小学生のたとえを自分が思いついたと思っているのでしょうね。
まるで自分が考えついたかのような態度で、しかも、正反対の主張を、
さらにはお説教調子で話すという厚かましさには、
いかにも準シュダオンさんらしく、苦笑いするしかない。
相変わらず、あなたは四沙門果と四向四果の区別がついていない。
あなたは勝手に卒業資格を持っているかどうかで聖者の階位を
決めていると思いこんでいる。
アゴン宗で山伏の位階をもらうのと同レベルだと信じている。
何度も言うように、釈尊は階位の切り売りなんてしない。
あなたの考えとは逆で、比丘が聖者になるのではなく、
比丘は全員がまず聖者なのです。

890深山:2011/07/28(木) 18:39:14
「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

この学者の表記をよく読んでごらんなさい。
「四つの聖者の位」ではなく、「聖者の四つの位」なのです。
あなたは資格があって、それに当てはまる比丘だけが聖者なんだと思いこんでいる。
だが、釈尊は、あなたみたいな教条的でケチ臭い分類はしない。
仏道を歩む者は全員が聖者です。
その全員を四向四果、四双八輩と分けているにすぎない。
比丘たちを、これは聖者、あれは凡夫だなんて言っているのではなく、
「比丘=聖者」なのです。
先ほど出家したばかりの比丘も、清浄なる修行によって
三結が薄らいでいるだから、聖者、応供、福田です。
あなたのそのケチ丸出しの根性で比丘たちを測るのはやめなさい。

891深山:2011/07/28(木) 18:43:29
>>885 :準シュダオン:2011/07/28(木) 14:30:00
>アゴンさんは、小学生と小学卒業生との違いを説明できますか?

預流向と預流果、つまり小学生と小卒を一組の位として、
それを聖者としているのです。
あなたは「一組」「一双」という意味を理解するだけの知性がない。
「二つあるのに、一つの位とは何だ?預流向と預流果では中身が違うじゃないか」と
意味が理解できないのでしょう?
それであなたは「卒」という資格の部分だけを分離した。
一つに分離すると、あなたもようやく理解できるからです。
だが、世の中で一組で一つを表すものなど珍しくない。
夫婦とは二人一組で、夫も妻もどちらも夫婦という資格を持っている。
こういうたとえを前に出しても、記憶に残らないでしょう?
釈尊は四向四果に小難しい概念など持ち込んでいない。
出家し、清浄の仏道を歩む者は聖者、応供、福田と言っているだけです。
さらにその聖者の中でも、煩悩から解放されだ程度で四つの階梯を進むのです。
小学生の低学年でも理解できる内容です。
それが理解できないという準シュダオンさんの知性はそれ以下ということになります。

892深山:2011/07/28(木) 18:45:24
>>885 :準シュダオン:2011/07/28(木) 14:30:00
>小卒=預流果=中学生=一来向≠中卒=一来果、です。

違います。
「預流果=一来向」なんて分類は仏教にはありません。

準シュダオン説の四向四果
「預流向(聖者ではない)
預流果=斯陀含向、
斯陀含果=阿那含向、
阿那含果=阿羅漢向、
阿羅漢果」

これがあなたの説です。
「果」と「向」が同じなら、なんでわざわざ二つに分類したのですか。
あなたの説では四向四果ではなく、一向四果になってしまう。
これでは四双八輩ではなく、ただの五輩です。
あなたは「小卒=中学生」と書いているが、現実世界ですら間違いです。
小卒がなんで中学生なのですか。
小学校で卒業証書をもらったばかりの生徒はまだ中学生ではありませんよ。
中学に入学して初めて中学生になるのです。
私のたとえを使ってくれるのは歓迎するが、インチキ話を混ぜるのはやめてくれ。

893深山:2011/07/28(木) 18:47:23
>>885 :準シュダオン:2011/07/28(木) 14:30:00
>小卒=預流果=中学生=一来向≠中卒=一来果、です。

これを書かれて、あなたの宿題がもう一つあることに気がつきました。
増やしておきますから、下記の宿題を早く済ませなさい。

1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=斯陀含向」「斯陀含果=阿那含向」「阿那含果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?

アゴンさんから証拠を出せと言われて、三週間もたつのに未だに
一つの証拠も出していない。
何度も書くが、あなたの解説や説明は誰も求めていない。
阿含経や学者の解説をそのまま引用すればいいだけです。
今までのように口から出任せを書けば書くほど、あなたの宿題は増える。
宿題は増えた分、あなたの信用はいよいよ減る・・・元々ないか。

894深山:2011/07/28(木) 18:49:09
>>885 :準シュダオン:2011/07/28(木) 14:30:00
>私も違う話題にしたいのだが、なにしろ四向四果は基本だからね

誤解しているようだから、注意しておきます。
あなたとは誰も話をしたくない。
同じ話題だろうが、違う話題だろうが、誰もあなたとは話をしたくない。
これが本音です。
批判側だけでなく、信者も同様で、アゴンさんの反応をみればわかる。
アゴン宗と関係のない準シュダオン教を延々と垂れ流しにするのだから、
信者から支持が得られるはずはない。
四向四果に限らず、あなたとはアゴン宗の議論も、仏教の議論も無意味です。
どんな証拠を出されても、あなたはそれらを完全無視して、
自己流の同じ主張をどこまで続ける。
相手があきれて黙るまで書き続ける。
その態度には批判側だけでなく、読者もウンザリしているのです。
あなたのしていることは議論ですらない。
自分の考えの押しつけ、押し売りです。

895深山:2011/07/28(木) 18:51:44
>>885 :準シュダオン:2011/07/28(木) 14:30:00
>私も違う話題にしたいのだが、なにしろ四向四果は基本だからね

私やラシンさんが書き込んでいるのは、あなたと議論しているのではなく、
あなたがスレにまき散らした汚物を片付けているだけです。
読者はそれすらもウンザリしているのはわかるが、放置すれば、ゴミはゴミを呼ぶ。
放置すれば、慢心総意のあなたは喜んで、もっと別な慢心汚物をまき散らす。
八年以上にわたりあなたはずっとそれをしてきた。
前代未聞、空前絶後の恥知らずの偉業です。
あなたが信者からもとても嫌われていることくらい自覚してください。
栗花さんですら、ものすごく嫌われていることを自覚していた。
あなたが現役時代、職場で無視され、ストレスで病院に行きましたね。
職場の同僚たちの顔、あれがここでの読者の顔です。
無視したいが、ここではあなたに書き込まれたら、誰かがその汚物の
後片付けをしなければならない。
同じ主張を延々と年寄り独特の執念深さであなたは書いている。
こちらは「またか」と顔をしかめ、溜息をついている。
せめて、嫌われ、迷惑がられていることくらいは自覚してください・・・無理かな。

896深山:2011/07/29(金) 12:53:33
>>877 :アゴン:2011/07/28(木) 00:11:07
>もうちょっと追記すると、その四神足法の伝授に一万円なわけですよ。

一万円はちょっと出費だが、ぜひ参加してください。
今のアゴンさんには一万円の価値があります。
生の桐山さんと信者を見て絶句するのが一番です。
講義内容については、私が2ちゃんねるで予測を書きました。
20万円の法施の販売が目的だと思うが、しかし、今の桐山さんの
状態では、それが目的であることすら忘れて、ひたすら自慢話に
終わってしまうのではないかと危具されます。
また、周囲の信者の様子もよく観察してください。
あなたが書いているように、桐山ゲイカからデンパを受信する信者や、
中には四神足を体得して、その力自慢を始める信者も出てきます。
教祖と信者たちの狂想曲を特等席で見られます。
裸の王様のお洋服を誉める民衆、という場面を実写で見られます。
人生でそう何度とあることではないから、自分の目でじっくりと観察して、
元をとってください。

897アゴン:2011/07/29(金) 13:44:17
>896 そういう意味での授業料と思えば確かに納得の一万円ですね。でも、ほんと嫌なんですよー。明らかにボケてんのに、深い意味を見いだそうと必死の信者さんを見るのが。あわれというか、笑えない同情が起こるんです。意外に私って優しいんだわ。。と気がついたり。(笑)変な発見が多くてもう。。
来世は絶対に宗教組織には入らんぞ。。と思います。

898天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/07/30(土) 05:28:01
自分が伝法に行ってた時期は「パール瞑想」の時期でしたね。
その際も「聴講」があり、一日¥5000で二日だと¥10000でしたか。
どちらも半日ほどの伝法の合間の「合同講義」の時間だけしか聴講はできませんけどね。

でも伝法料を丸々払わないで見れるのは良いなあ、とは思ってましたね。
過去に伝法を終えているから伝法自体はさほど不要だというのもあるでしょうがw

で、言いたいのはここからで、実は自分が行かなくなった後「不動護身結界法」が
出てきてそれを得る(知る)には10万必要でした。ですが、後で「聴講で披露した」というのです。
自分は凄くショックでした。聴講で聞けたら10万要らないジャン!と。

随分法の安売りをするもんだなあ、と当時は思っていましたね。
そしてその後縁あって「無料でゲット」しましたが、次第を見て「こんなものが10万」
と正直思っちゃいました。将来考察室で披露しようかと温存していますけどね・・・。

きっとそれを見たら皆さんも「これって創作だろうし効果あるんかね」と思うでしょう。
阿含宗はやはりデタラメと嘘インチキで商売をしているからそれでもっている。
騙される方も悪いが、さてさてですよ。
1万円で四神足法が手に入る?のですから、ユビさんの言うように「安い」と思いますが、
もう詐欺の手口を知っていますから、醒めてしまってこれも「なんだか」ですよね。
四神足法なら安く、インチキなら高い! これ如何に、ですねえ・・・。

899準シュダオン:2011/07/31(日) 08:22:37
>なんじゃそりゃ!!
>爆笑ものですね。

それを理解できないようでは、アゴンさん、思念の相承、は無理です。
伝法会に出ても、無駄です。聖なるデンパというのは、管長一人だけのものでは
ありませんね。聖なるデンパは満ち満ちているのだけれども、私達はそれを直接
受けることはできません。管長は一つのプロバイダみたいなもの、と考えたら良い
と思う。私達は、プロバイダを通さないとネットを利用できないでしょう。
思念の相承も、それと似ていますね。

900準シュダオン:2011/07/31(日) 08:59:48
阿含経の四向四果と、倶舎論の四向四果との違いを理解できるのは、アゴンさんが
一番可能性があると思う。深山さんやラシンさんは我見が強いから無理だろう。
凡夫と聖者の関係を、無学文盲と学者に例えて、もう一度レスしましょう。
四向四果は阿含宗の目的ですからね、これが解らないと修行の意味がないから。

国民がすべて無学文盲の国があって、そこに一人の大学者が訪れた。その大学者は、
この国に学者を養成しようと、小学校、中学校、高校、大学、という学校を
作った。そして、その学校の卒業生には、それぞれ、小学卒=小学博士、
中学卒=中学博士、高校卒=高校博士、大学卒=大学博士、という四つの
学位・称号を設け、授けることにした。

大学者は、「私の愛弟子衆、小学生:小学卒 中学生:中学卒 高校生:高校卒
 大学生:大学卒、この四双八輩は世の学者衆である」と、述べた。

だが、正確にいうと、小学生だけには何の学位も無いことが解るでしょうか?
正確に言うと、小学生という在校生は、学者衆には入らないのです。
まだ無学文盲のままの小学生もいるでしょうからね。小学卒以上の七輩が学者の
仲間になるのです。

阿含経典の四向四果も、それ↑と同じ構造です。
三結断=預流課程=小学校課程と考えたら良いのです。
五下分結断=不還課程=高校課程です。
小学生と小学卒に、同じ位は与えられませんね。「向」と「果」は、いわば、在校生と
卒業生の関係です。小学卒=中学生、という関係、預流果=一来向、ということです。

901準シュダオン:2011/07/31(日) 09:16:52
前レスで、小学生がまだ学者の仲間に入らないごとく、預流向はまだ聖者の仲間
ではないのですが、アビダルマ論師達が、見道(見諦道)・見惑、修道・修惑、
などの理窟を作り出して、預流向を聖者に位置付けたわけです。
批判派が、倶舎論説の四向四果を採用するのなら、それでいいでしょう。
しかし、それでは何時までたっても預流果には成れないでしょうね。

預流果に成ろうと努力している修行者を、預流向といいますね。
だから、修行者は先ず、預流向であらねばいけないわけですよ。
預流向の自覚無くして、なんで預流果に成れるわけ?
深山さんやラシンさんの修行が実らなかった原因の第一は、自分に預流向の自覚が
無かったからだと思われますね。
だから、真剣に三結を断つ修行には、ならなかったのでしょう。

902深山:2011/07/31(日) 12:35:49
>>899 :準シュダオン:2011/07/31(日) 08:22:37
>伝法会に出ても、無駄です。聖なるデンパというのは、管長一人だけのものでは
ありませんね

王者の相承の思念が周囲に満ちているなどという主張はアゴン宗の教義ではありません。
チベット仏教の解説をそのままあなたは鵜呑みにしているようだが、
桐山さんは引用しただけで、自分の王者の相承もそうだとは言っていない。
桐山さんは、オシャカの成仏ホウによる王者の相承は自分にしかできないと
言っているのです。
そして、何より、そのデンパ受信に必要なものは、徳だと言っている。
徳なくしては、どんな頑張っても受信できないと言っている。
アゴン宗の徳とは、人と金を貢いだ総量で決まる。
準シュダオンさんみたいにろくに護摩木を書かず、解脱供養も四体で、
徳を積んでいない人は受信などできない。
ましてや、あなたみたいに王者の相承の伝法会にも出ず、無料で勝手に
受信できたなんて桐山さんは認めていない。
あなたの説明は準シュダオン教です。
アゴン宗の信者であるアゴンさんに準シュダオン教の押し売りはやめなさい。
それから、信者なら「聖なるデンパ」などという無礼な表現はしないことです。
デンパとは霊能者や霊能をバカにして言っている言葉です。
それを信者が桐山ゲイカに使うとは何事だ。
あなたには師に対する礼儀すらない。

903深山:2011/07/31(日) 12:39:52
>>899 :準シュダオン:2011/07/31(日) 08:22:37
>だが、正確にいうと、小学生だけには何の学位も無いことが解るでしょうか?

この一文を読めば、あなたは四向四果をまったく理解できないのがわかる。
私の文章を読まないのではなく、読んでも意味を理解するだけの知性がない。
相変わらず、「一組」「一双」の意味がわからないのです。
学位だけを分類したのが四沙門果です。
四向四果の分類は四沙門果とは違うのです。
学生と学位を一対の位としたのが四向四果です。
両者は分類の切り口が違う。
それをあなたは、かつての私のように、ごちゃ混ぜにしている。

「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)

ここでいう「位」とは、あなたのたとえの学位とは意味が違う。
あなたのはたとえになっていないのです。
「四つの位」とは、あなたのいう学位ではありません。
「生徒と学位」が四つの位なのです。
「小学生と小卒」が一組の聖者の位です。
だから、預流向もまた聖者、応供、福田です。

904深山:2011/07/31(日) 12:43:55
>>899 :準シュダオン:2011/07/31(日) 08:22:37
>小学卒=中学生、という関係、預流果=一来向、ということです。

まだ言っている。
あなたのこのたとえは、現実世界ですら成り立たないのです。
小学校の卒業式で学位をもらった小学生は、あなたの理屈で言ったら
中学生になってしまう。
だが、小学校を卒業できても、中学に入らなければ中学生ではありません。
小卒という資格と、中学生という学生の区別もつかないらしい。
たとえとは、現実に成り立つわかりやすい内容を言う。
成り立たないたとえをして何の役に立つ?
預流果とは三結を断じただけで、欲貪と瞋恚はこれからです。
こんな簡単なこともあなたにはわからないのですね。

905深山:2011/07/31(日) 12:49:28
>>901 :準シュダオン:2011/07/31(日) 09:16:52
>アビダルマ論師達が、見道(見諦道)・見惑、修道・修惑、
>などの理窟を作り出して、預流向を聖者に位置付けたわけです。

アビダルマ仏教が、「預流向=聖者」にしたかのような言い方だが、
これもまったく根拠がなく、あなたの勝手な空想、嘘デタラメです。
アビダルマ仏教では、四向四果そのものには何も手を加えてはいません。
あなたが引用した小縁経にもあるように、四向四果が聖者であることは
釈尊本人が言っているのだから、アビダルマ仏教でもこの点について文句はない。
だが、アビダルマ仏教では準シュダオンさんと同じで、昨日入門したばかりの
新米比丘も聖者だというのは受け入れがたかった。
釈尊の分類では、新米比丘も預流向であり、聖者です。
そこでアビダルマ仏教では四向四果の前に、位を作り出したのです。
その一つが四善根という位で、三供養品の三善根とはまったく関係ありません。
四善根は凡夫で聖者ではありません。
釈尊が預流向を聖者だと分類したから、アビダルマ仏教ではこれに逆らうわけにはいかず、
預流向のさらに手前に出家でも凡夫だという位を創作したのです。
アビダルマ仏教は準シュダオンさんほど頭が悪くないから、「預流向≠聖者」
などという馬鹿な説は作らず、預流向の前に別な凡夫の位を作ったのです。

906深山:2011/07/31(日) 12:57:48
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」(『佛教大辞典』小学館、379頁)

この辞典の説明のように、釈迦(原始)仏教でもアビダルマ仏教でも、
四向四果はすべて聖者であり、「預流向=聖者」です。
この点については両者に違いはありません。
アビダルマ仏教は四向四果を変えたのではなく、
四向四果の手前に釈尊が説いてもいないよけいな位を作り出したのです。
新米比丘を聖者とはみなさいないという点では、
準シュダオン説はアビダルマと発想だけは同じです。
アビダルマ仏教が四善根などを作り出したのを見ればわかるように、
当時の部派仏教はすでに階級社会を作っていたのがわかる。
階位を決めて、それで差別化しようとしてたのでしょう。
だが、釈尊はそんなケチ臭いことはしません。
昨日入門しても、すべてを捨て、清浄の修行をする者は全員が聖者です。
正確には、それを聖者と言ったのです。
だが、餓鬼心の強い準シュダオンさんは四向四果を世俗の資格や肩書きと
しかみなさいなから、釈尊の決め方が理解できないのです。
餓鬼には無理です。

907深山:2011/07/31(日) 13:00:59
>>901 :準シュダオン:2011/07/31(日) 09:16:52
>深山さんやラシンさんの修行が実らなかった原因の第一は、自分に預流向の自覚が
>無かったからだと思われますね。

おいおい、頼むから、準シュダンオンさんと一緒にしないでくれ。
あなたほど慢心が強くないし、釈尊の言葉をねじ曲げるほど、根性は曲がっていない。
何よりも、あなたと違い、普通の羞恥心を持っている。
あなたみたいな恥知らずでもないかぎり、桐山さんが認めてもいないのに
預流向を名乗るなんて、普通の信者はしません。
そもそも、アゴン宗ではどんなにがんばっても三結は一つとして切れません。
理由は簡単で、世俗の人たちよりも三結を強めるような信仰をしているからです。
三結の一つ目、身見とは、自分に霊魂があるとみなすことです。
アゴン宗では人間には霊魂があると説いているが、これが身見です。
身見という捨てなければならない煩悩を堂々と教義にしている。

908深山:2011/07/31(日) 13:08:18
「霊魂は魂魄とも言うように、魂と魄から成り立ちます。
魄はアーラヤ識でできており、ここにその人の記憶がすべて納められています。(『密教誕生』平河出版社刊参照)
人が死ぬと魂は消えてしまいますが、魄は残って、それが冥界や霊界を経て転生します。」
(『阿含宗報』283号、3頁、2009年)

桐山さんは人間の本体は霊魂であり、死んでも、魄が残り、輪廻する主体になるという。
この説明だけでも身見が切れていないのがよくわかる。
信者さんたちも自分を仏教徒だと思うなら、良く覚えておいてほしい。

「輪廻する主体を説いたら、もはや仏教ではない」

釈尊は当時の輪廻を認める宗教家の中で初めて輪廻の主体を否定した人です。
これを信者さんたちは良く理解することです。
これを理解しないのはあまりに恥ずかしい。
仏教で霊魂を説くのは、お釈迦様は人殺しを説いた、と主張するのと
同じくらいバカげた内容です。
信者さんたちが怒るのを承知でいうなら、あまりに無知です。

909深山:2011/07/31(日) 13:12:04
「人が死ぬと魂は消えてしまいますが、魄は残って、それが冥界や霊界を経て転生します。」

当時の有力な思想であったウパニシャッドなどでは輪廻の主体として霊魂を考えていた。
信者さんたちも解説を読んでみれば、実に良くできて思想だと納得するはずです。
だが、この輪廻の主体を否定したのが釈尊なのです。
わかりやすく言うと、霊魂の存在を否定したのです。
釈尊は人間の存在とは五つの要素(五蘊)から成り立つ複合体だと説いた。
五つの要素は人間の肉体や感覚や認識など、我々が自覚しうるような
内容であって、霊魂ような自覚できない物は含まれません。
釈尊は五蘊以外には人間の要素を説いていない。
では、霊魂や魂魄とは五蘊のどこにあるのだ?
これだけでも桐山さんの魂魄説など仏教の教法でないのがわかる。
魂魄なんて、外道の教えです。
釈尊は中心の核となるように霊魂のような存在を否定したのです。
このことを無我説、非我説といいます。
だが、桐山さんは人間には魂魄という霊魂が中心にあり、
死んでも霊魂の一部がふわふわと漂って、不成仏霊になり、
あるいは輪廻する時の核となるという。
こんな説は仏教では外道の説であり、まさに身見です。
霊魂説を唱える桐山さんは釈尊の説いた無我説の意味すら理解していないのです。
頭が良いどころか、無知丸出しです。
だから、こんな桐山説を信じているアゴン宗の信者が身見が切れるはずがない。

910深山:2011/07/31(日) 13:17:21
「人が死ぬと魂は消えてしまいますが、魄は残って、それが冥界や霊界を経て転生します。」

信者さんたちがどうしても霊魂説を信じたければ、
ウパニシャッドを読んで見ることです。
釈尊よりも百年ほど前の思想家が作り上げた霊魂説は
それはもう完ぺきで、様々な矛盾にもしっかりと答えている。
桐山さんの子供じみた霊魂説とはレベルが違います。
当時のインド人たちは、徹底的な思考と議論を繰り返し、
矛盾のない精緻な霊魂説、輪廻説を作り上げていた。
あれ以上の霊魂説なんてできません。
実際、インド思想史を見ても、これの焼き直しは出ても、凌駕する思想は出ていない。
それに比べたら、桐山さんの魂魄説なんて、おそらく中国の霊魂説から
持ってきたのだろうが、矛盾だらけの稚拙な考えです。
霊魂説など、仏教では外道思想として否定しているのです。
釈尊が否定した霊魂説を信じて、信者さんたちは何をしたいのだ?

911深山:2011/07/31(日) 13:21:54
「人が死ぬと魂は消えてしまいますが、魄は残って、それが冥界や霊界を経て転生します。」

信者さんたちは、なんで桐山さんがこんな仏教と矛盾するような
霊魂説をずっと唱え続けているかわかりますか。
一つには、霊魂説を唱えないと、死者成仏を売るイベント宗教としての商売が
成り立たないからです。
もう一つは、桐山さんはあまり頭が良くないからです。
釈尊は肉体と霊魂は一緒か別か、などという議論は解脱に役立たないから
するなと説いている。
だが、桐山さんはそれが我慢できない。
「霊魂がない?じゃ、何が輪廻するのだ?」などと
良くもない頭で考えるから、魂魄なんて中華思想を取り入れるしかなくなる。
ウパニシャッドの霊魂説すら桐山さんは知らない。
身見が切れるどころか、桐山さんの魂魄説によって、
信者さんたちは身見がもっと強く、強固になっている。
釈尊が霊魂など説かなかったという説を知ることで、
初めて、輪廻の主体としての霊魂の存在に疑問を持つ。
その疑問こそが、身見が薄らいだ状態です。
だが、信者さんたちはいよいよ霊魂を信じて、しかもその中身は
魂魄で出来ているなんて階層構造まで作って信じているのだから、
世間の人たちよりも、身見が強固になっているのです。
身見を強めているのだから預流向から遠ざかっているのがアゴン宗の信者です。

912深山:2011/07/31(日) 13:23:46
>>899 :準シュダオン:2011/07/31(日) 08:22:37

私の反論を無視するのはあなたの自由だ。
だが、アゴンさんを含めた読者は、全員、私の反論を読んでいる。
そして、あなたが実際は私の反論を読んでいながら、読まなかったかのような
タヌキ面をして、同じ内容の主張をする卑怯者であることも皆さん知っている。
あなたは興味がないだろうが、自分の主張を受け入れてほしいなら、
まずは自分の信用度を高めることです。
「準シュダオンさんなら嘘はつかないから、何の根拠もないことを言うはずがない」
という信用を勝ち得ることです。
今のあなたは、「準シュダオンさんの書き込みは、きっとまた根拠の
ない空想で書いているのだろう」という古狸としての信用は勝ち得た。
信用を得るのは難しいが、失うのは簡単です。
今のあなたは何を書いても無駄です。

913深山:2011/07/31(日) 13:28:14
>>901 :準シュダオン:2011/07/31(日) 09:16:52

今回も準シュダオンさんは何一つ証拠を出せなかった。
勝手な解釈や自説を並べるだけ。
反論を無視して、矛盾だらけの自説をひたすら唱えて、
なんとかごまかそうと必死です。
質問を増やしましょう。

1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=斯陀含向」「斯陀含果=阿那含向」「阿那含果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?

質問の数とは、実は準シュダオンさんの嘘の数です。
この人はこうやって、次から次へとその場しのぎの嘘をつく。
聖者を目指す前に、まず嘘をつかないという普通の人たちが
持っている道徳を学んだらどうかと思うが、もちろん、古狸の
耳には慢心という耳垢が貯まっているから、聞こえない。

914サライ:2011/07/31(日) 13:47:12
>>874 >>876:アゴン11/07/27(水) >命の危機については戦争時アメリカの軍の飛行機?が管長めがけて発泡してきて、一張羅が汚れるのが多少気になったが池か沼か飛び込んで身を隠した。敵の操縦士の目が俺を見ていた。パーっとこっちに近づいてきて、云々カンヌん。。しかも繰り返し繰り返し同じエピソードを繰り返すのです。。。。アゴンさん、ご法話の詳細なテープ起こしをありがとうございました。(私にはここまでうまく描写できませんよ)。この話は焼けトタンが空を舞った話がリピートされるので、お付きの方が"もう時間ですよ"と制止して、準テイさんご真言テープ復唱機と一緒に5唱位を唱和した時、本来即、法話を終了すべき所、急にまたこの話しを話をし出したものですね。そしてまた、この話もリピートするので、お付きの方が制して終わらせましたが。"新調の服を着ていたが、戦闘機が向かって機銃掃射してきたきたので池だか、河に飛び込んで服はもったいなかったが一命を取り留めた、という話しでしたね。まあ、直接、その時は準テイさんに救われたわけではないが、振り返って思い返してみれば、仏様のお陰で救われている、という程の意味でしょうかね。

915ラシン:2011/07/31(日) 14:45:52
>914 名前:サライ 投稿日: 2011/07/31(日) 13:47:12

桐山さんの戦争体験は、法話で聞いたような他の人とダブる話しです。
そもそも米軍の本土空襲は、日本が制空圏を失った1943年頃からでしょう。
B29による無差別爆撃ですが、それを護衛する戦闘機が低空飛行で、
逃げ遅れた民間人を狙い撃ちした話しは疎開した小学生の間に広まっていた。
桐山さんの年齢から考えて小学性なわけがない。
東京にいたはずですから、高高度からの爆撃はあっても都会での戦闘機の
低空飛行での機銃掃射はあまり話には聞かない。
首都圏には対空砲撃砲は残存していたからです。
桐山さんがどこで機銃掃射されたか知らないが、疎開先の田舎での話しを
借用したとしか考えられません。
このあたりは、日米戦争史を調べればその信憑性を疑って仕舞います。

916ラシン:2011/07/31(日) 16:40:41
>901 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/07/31(日) 09:16:52
>深山さんやラシンさんの修行が実らなかった原因の第一は、自分に預流向の自覚が
無かったからだと思われますね。

落ちこぼれでけっこうです。
準シュダオンさんをみてつくづくそう思います。
あなたのアゴン流の修行とやらは、まるで仏教に適っていない。
あなただって知っていて認めたくないだけでしょう。
だから、煩悩を断じていない預流向なんて表現をしている。
以前は盛んに因縁切りに拘っていましたよね。
批判側との議論で少しは仏教辞典にめざめ、煩悩滅が仏教の要と、
理解できるようになったが、桐山さんの漬け込みに縛られてというか、
批判側を肯定したらあなたのその自己顕示欲と慢心を満足出来ない。
だからチャッカリ桐山さんへの信仰の名の下に自分の欲望を吐き出している。
向と果は、深山さんが何度も解説していますから、いまさらあなたには不要です。
読者はいやというほど理解できているでしょう。
分からず屋のウソツキ老人以外、みんな耳にタコです。
ウソインチキの見本が桐山さんで、あなたはそれを真似るうちに
桐山さんの不甲斐ない性格まで受信したようですね。
どうせなら"受診"したほうが良いと思いますが、いらぬお世話でしょうね。

917サライ:2011/07/31(日) 23:50:02
>>915 そうですね、今後、機銃掃射に遭遇した話が出たら、場所がどこであるか、特定できるように聴いてみます。 (7月23日 土曜法話バージヨン) 「今は国難とも言うべき状況にある。中央構造線が動き出したら、我々の命はもはや、安らかなものではない。もう、この御真言におすがりするしかないと思っております。これより助かる道はないんです。必ず助けていただける。必死にお唱えしなさい。( 復唱機ボタン)"準テイ観音経・・・5唱"したらまた、ストップボタン押し、また再スタートボタンすぐ押し、"準テイ観音経・・・ " ←この動作を5回位繰り返し。その後、ご法話終了でした。(余談) 最近、小松左京氏が亡くなりましたが、氏の代表作"日本沈没"は時期が時期だけに、感慨深いものがあります。

918天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/08/01(月) 05:27:24
>>917 酷い・・・酷すぎるよママン。と言いたくなるほど酷すぎますねえ。
これでは唖然とするのは当然です。私が居た2007年頃ならそこまで酷く無かった。
せいぜい何分かの「フリーズ」が主で後はいつものダンジョンさながらのループ話や
自慢話などでしたが、まさに@chs-1の「昔が良く見えてしまう位、現在のボケ居座りが最悪」
はここまで重篤だとは・・・。

駄目ですよ。子供とボケ老人に「ジュンテイ真言マシン」を与えちゃ・・・。

919アゴン:2011/08/01(月) 09:58:51
>>917 そういえばそうでした。真言行もリピートがかかってましたね。この事態をどう説明するのでしょうかねぇ。。
グモンジ脳はいったいどうなっているのでしょう。
そしてもうひとつ気になるのが、未来についてまったく余談を許さない。と言っていることです。
土地浄霊でも間に合わないかもしれないと言っています。やらないよりはマシだが。。と言っている。
そのことで非常な危機感を信者は抱き、恐怖しています。超脳思考の本で、世界の人口が十分のいちになったときに初めて人類は目が覚めると書いていますが、まさにそういうことを言わんとしているようです。
私はここらへんがまだボケてないな、と思うところです。
これでアゴンをやっていたら絶対に大丈夫だ、とか我田引水を根拠もなくお話になってたら、完全に脳内がお花畑だと思ってしまいます。

920準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>アビダルマ仏教が、「預流向=聖者」にしたかのような言い方だが、
>これもまったく根拠がなく、あなたの勝手な空想、嘘デタラメです。

深山さんの↑部分だけを目にしたが、あなた仏教辞典を持つでしょう?
「煩悩」を引いて調べてみなさいな。説一切有部が、煩悩を見惑と修惑に分け、
六大根本煩悩を定義した、と書いてあるでしょう。で、ヨガ行派は随煩悩を20
に定め、倶舎論では19とした、とかも書いてあります。

また後に、倶舎論では見惑の八十八随煩悩を断じた聖者を預流果と定め、
預流向は見道の十五心(刹那)としたことも、辞典に書いてあります。
だから、倶舎論では「預流向=見道位の十五心=聖者」なのですよ。
何が私の勝手な空想、嘘デタラメですか、笑っちゃうよ。
あんたこそ、空想でたらめ、になってるでしょう。

阿含経典での預流向とは、三結を断じた預流果を目指して修行している者を
いうのです。つまり、「三結を断じる小学校の小学生」を預流向と考えたら良い
のです。三結を断じたら小学卒業で預流果、と考えたらいいのです。
で、小学卒=預流果=中学生=一来向、という仕組みが、お釈迦さまの四双八輩
という構造なんですね。

この仕組みを理解できないままに、梵行しててもねえw、
あなた、何を目指して修行してたんですか?と、言いたくなりますね。

921ラシン:2011/08/01(月) 11:36:59
>920:準シュダオン

マジに「j受診」したほうがよい、ここまでヒドイなら。
深山さんが言ってもいなことをまた、妄想しだした。
あなたは、批判側が主張してもいないことをどうして創作するの。
あなたが、アビダルマを持ち出し、四向四果を定義したかのように
言ったのでしょう。
深山さんも批判側も四向四果については、原始仏教もアビダルマも同一の
解釈との見解だ。
自分が何を言い張ったのかすら、覚えられないなら、
もう掲示板はやめて治療に専念した方が身のためでしょう。
批判側は、あなたのリハビリの相手ではない。

922アゴン:2011/08/01(月) 12:16:19
予断をゆるさないの訂正です。

923深山:2011/08/01(月) 12:39:13
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>だから、倶舎論では「預流向=見道位の十五心=聖者」なのですよ。

相変わらず国語力が皆無ですね。
アビダルマの難しい言葉を並べればごまかせると思っているのでしょう?
無駄です。
アビダルマで「預流向=聖者」なんて当たり前です。
なにせ、釈尊が「預流向=聖者」と言っているのだから、
アビダルマが釈尊に逆らうはずはない。
釈迦仏教でもアビダルマ仏教でも「預流向=聖者」です。
だが、あなたはアビダルマ仏教が「預流向=聖者」と改悪したのだというから
その証拠を出せと言っているのです。
>>913の質問をよく読んで見なさい。

6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?

アビダルマ仏教が犯罪をしたのだとあなたは指摘したから、
他人の罪を指摘するなら、証拠を示せと書いたのです。
だが、犯罪者はアビダルマ仏教ではなく、準シュダオンさんです。
あなたがアビダルマ仏教の犯罪であるかのようにでっち上げた。
自分の嘘をごまかすために、アビダルマ仏教を犯罪者にした。
犯罪者はアビダルマ仏教ではなく、準シュダオンさんです。

924深山:2011/08/01(月) 12:43:37
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>で、小学卒=預流果=中学生=一来向、という仕組みが、お釈迦さまの四双八輩
>という構造なんですね。

嘘を書くな。
二度書かれてもまだ理解できないなんて、ほんとうにあなたって頭がおかしいのですね。
小学卒がなんで中学生なのだ?
小学校の卒業式で卒業証書をもらったばかりの生徒は中学生か?
中学生とは中学に入学してからの生徒のことをいうのです。
小学校を卒業しただけでは中学生ではない。
あなたの脳味噌ではそんなこともわからないらしい。
ここはあなたのような脳を病んだ老人をリハビリをするスレではない。

925深山:2011/08/01(月) 12:49:00
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>で、小学卒=預流果=中学生=一来向、という仕組みが、お釈迦さまの四双八輩
>という構造なんですね。

「預流果=一来向」なんて、阿含経のどこにあるのだ?
阿含経にもないし、学者もこんなタワケは説いていない。
質問5(>>913)を読んでみなさい。
あなたの上記の主張の阿含経の根拠を質問しているのだ。
準シュダオンさんの妄想解釈はいらない。
あなたのそのチンケな考えはいらない。
準シュダオン教という老人の妄想やタワゴトは書くな。
文章の証拠を出しなさい。
出せるはずがない。
なにせ、全部、準シュダオンさんの妄想であり、嘘なのだから、
経典や学者の解説の根拠なんてあるはずがない。
出せないから、何の根拠もないから、あなたのタワゴトをまるで事実で
あるかのようにゴマカスためにクドクドと同じ主張を書き続けている。
四双八輩の話ではなく、「準シュダオンは嘘つき」だと証明しているにすぎない。
あなたは大嘘つきです。

926深山:2011/08/01(月) 12:55:29
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>この仕組みを理解できないままに、梵行しててもねえw、

準シュダオンさんがいつどこでボン行をしたのだ?
この三十年近く、あなたはろくにボン行などしたことがない。
自分がしなかったことの自己弁護に他人を踏み台しているのです。
どうしてそんなに厚かましいのだ?
ボン行した上で、他人にお説教するなら、資格くらいあるでしょう。
だが、ろくにボン行をしたこともないあなたが
ボン行をした元信者たちにどの面下げてお説教ができるのだ。
その厚かましさ、恥知らずぶりには毎回、絶句させられる。
あなたのその恥知らずは性格というよりも病気です。
こういうことを職場でもしていましたね。
そうやって偉そうに身の程知らずのお説教をして殴られたことはありませんか。
暴力には賛成しないが、殴った人の気持ちだけは、私はじめ読者はよおくわかります。

927深山:2011/08/01(月) 12:58:01
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>あなた、何を目指して修行してたんですか?と、言いたくなりますね。

そういう準シュダオンさんは何を目指しているのですか。
エラクなりたいのでしょう?
威張りたいんですよね。
現役時代、あなたは本当はもっとエラクなって、威張りたかった。
だが、あなたは無能だった。
公務員だから、首は切られなかったが、仕事は滅茶苦茶で、無責任で、
言い訳ばかり繰り返したから、周囲から排除された。
再就職先でも、全員一致で、体裁良く閑職に追いやられた。
あなたとは誰も仕事をしたくないのです。
ここでのあなたの書き込みを見れば、あなたの仕事ぶりはよくわかる。
私はあなたと絶対に一緒に仕事はしたくない。
無能な癖に威張るばかりで、ミスをしても絶対に認めない。
最悪です。
あなたのおもしろいところは、自己評価が高すぎるから、
職場でも周囲からどれほど嫌われていることに気がつかなかった。

928深山:2011/08/01(月) 13:00:52
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>あなた、何を目指して修行してたんですか?と、言いたくなりますね。

準シュダオンさんも自分が周囲から嫌われているらしいことを薄々と感じてはいた。
だが、あなたの嫌われ方は、あなたの感じているのとは桁が違う。
仕事場でも鼻つまみだったのをあなたは、幸いにして、気がついていない。
仕事ができないのは大した問題ではない。
あなたの問題は、その自分の無能さに自覚がまったくなく、
むしろ、自分は有能だと自惚れている点です。
だから、ミスをしても反省も謝罪もない。
そもそも、自分のミスを絶対に認めない。
目の前に証拠を突きつけられても、言を左右にして、絶対に認めない。
ヘラヘラ笑いながら、周囲に責任転嫁する有様です。
あなたは上司から注意されてさえも、認めませんでしたね。
周囲がミスをカバーしても、感謝の言葉すらない。
自分がミスをしても、まるで誰かがしたかのような態度です。
さらに悪質なのは、誰かがミスをすると、それを激しく批判する。
普段のあなたの仕事ぶりからいったら、他人のミスなど批判できたものではない。
だが、誰かがミスをすると、口を極めて批判し、謝れとまで言う。
自分は仕事もできず、ミスだらけで、反省は皆無の無責任男なのに、
他人のミスには不寛容とくれば、あなたを誰も相手にしなくなるのは、
数年とかからなかったはずです。
その間に、同情心のある親切な人があなたに助言をしたが、もちろん、
あなたは聞く耳を持たない。
自分はエライから、近寄ってきたのだろうと錯覚していましたね。

929深山:2011/08/01(月) 13:07:14
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>あなた、何を目指して修行してたんですか?と、言いたくなりますね。

準シュダオンさんは、職場で総スカンを食らい、仕事そのものができなくなり、
体調を崩し、病院に相談に行った。
だが、もちろん、医者やカウンセラーがあなたの性格を直せるはずはない。
桐山さんの虚言癖を医学が治せないと同じです。
桐山さんとあなたは、程度の差はあるが、虚言癖があり、自己評価が異常に高く、
反省が皆無で、絶対に自分の非を認めないという共通点がある。
桐山さんは宗教という嘘の通用する世界で身を立て、
あなたも現実世界では通用しなかったから、宗教の世界でエラクなろうとしている。
現実世界では通用しなかったから、お得意の嘘が通用する世界でエラクなろうとした。
桐山さんは言うに及ばず、あなたも虚言癖という心の病を持っている。
嘘は誰でもつくが、虚言癖という病気との境は、
「必要のない嘘をつくかどうか」です。
あなたは、2ちゃんねるで「準預流≠準シュダオン」と、わざわざ嘘をついた。
あまりに見え透いた嘘であり、何ら必要のない嘘をついた。
あなたは日常生活でも嘘が平気だから、どうとも思っていないのだろうが、
普通の人はあんな嘘はつかない。
嘘が必要のない所で、気軽に出てくるのが、虚言癖という病人の一つの特徴です。

930アゴン:2011/08/01(月) 13:09:31
準シュダオンさんは一回ご法話を聞きにいけばよい。
自分と同じような曖昧模糊な歯切れの悪いご法話を一度拝聴すればいいんですよ。壊れたテープレコーダーをきいて、さすが聖者と心のそこから沸き上がる感動を味わってみたらいいんです。

引きこもり偉そうに書き込みしている暇があれば、法話おこしでもしてみたらいいんですよ。

931深山:2011/08/01(月) 13:09:38
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>あなた、何を目指して修行してたんですか?と、言いたくなりますね。

虚言癖のもう一つの特徴は「ばれても、ひるまない」。
普通の人は嘘がばれると恥じるから、沈黙する。
桐山さんの嘘を批判されると、信者の多くは沈黙する。
自分の嘘でなくても、嘘を信じていると笑われるのを恥じるからです。
最近の例でいくと、2ちゃんねるで宝生さんが出てきた。
今は沈黙している。
理由の一つは、彼の予言が外れたことを指摘されたからです。
予言が外れたのだから、予言は彼の妄想であり、嘘だった。
それを指摘されると、彼は恥じてしばらくは沈黙する・・・また出てくるだろうけど。
これは、宝生さんは妄想癖はあっても、桐山さんや
あなたほどの虚言癖の持ち主ではないことを示している。
だが、準シュダオンさんはどんなに嘘を指摘されても、まったくひるまない。
あなたが書き込みをしない日があるのは、ひるんだからではなく、
阿含経やアビダルマを調べて、次の嘘を書く準備をしているからです。

932深山:2011/08/01(月) 13:12:02
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>あなた、何を目指して修行してたんですか?と、言いたくなりますね。

桐山さんの嘘を全部是認しているのも、準シュダオンさん一人です。
たいていの擁護派は、一部の嘘を認めてしまい、そういう点は
触れないようにしている。
信者といえども嘘は悪いことだと知っているからです。
だが、準シュダオンさんだけは違う。
桐山さんのありとあらゆる嘘を是認し、擁護する。
それも他人の議論にわざわざ口をはさんで、批判側をあざ笑いながら、
根拠のない擁護をする。
それは桐山さんを信仰しているからではない。
桐山さんを絶対信仰していたら、もっとお金を出し、例祭やイベントに出て、
講義に出てホウを学ぼうとする。
あなたは桐山さんのお勧めの商品はいっさい買わないのに、桐山さんを全面的に是認する。
理由は、あなたが虚言癖の持ち主だからです。
虚言癖という病気だから、嘘に対して、あなたは何も罪悪感も嫌悪も覚えない。

933深山:2011/08/01(月) 13:13:39
>>920 :準シュダオン:2011/08/01(月) 10:48:15
>あなた、何を目指して修行してたんですか?と、言いたくなりますね。

>>913の1〜6の質問とは、質問ではなく、準シュダオンさんの嘘を指摘している。
この6つはここ数ヶ月の準シュダオンさんの嘘です。
わずかの期間に6つも嘘を書いた。
八年間に書いたあなたの嘘はものすごい量にのぼる。
しかも、他の擁護側と一つだけ決定的に違うのは、ぜったいに自分の嘘を
認めないことです。
預流向の議論にしても、阿含経と辞典を示され、そのどちらでも
「預流向=聖者」と載っていれば、もはや議論の余地がない。
ここまで示されたら、普通の知性のある人は引き下がる。
だが、あなたはどんなに証拠を示されも、なんともなく、
同じ嘘の主張を繰り返す。
それはあなたが、桐山さんと同じで、虚言癖という病気の持ち主だからです。

934天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/08/01(月) 20:23:18
>>919 >そしてもうひとつ気になるのが、未来についてまったく余談を許さない。と言っていることです。
土地浄霊でも間に合わないかもしれないと言っています。やらないよりはマシだが。。と言っている。
そのことで非常な危機感を信者は抱き、恐怖しています。超脳思考の本で、世界の人口が十分のいちになったときに初めて人類は目が覚めると書いていますが、まさにそういうことを言わんとしているようです。
私はここらへんがまだボケてないな、と思うところです。

過去のゲイカのいい口とさほど変わらない内容です。こうやって信者を不安にしている悪業&嘘を信じるほうが騙される。
今までどれだけこの手口で引っ張ってきたか。昔は世紀末前でしたから騙させた面もあるが、もう今では1999年も
過ぎて尚且つ阿含宗に長く居てゲイカのこういった発言がどれだけ当たったかわかりますか?

いつも後出しじゃんけんで”つぎはぎな方便ばかり”で予知も出来てないただの一般人と同じ教祖様です。
何が「予断を許さない」だ。何年もいつも同じことばかり言うなアホ爺、ですよ。

土地浄霊でも間に合わないのならお前が護摩を焚いて何とかしたらどうだ。
ヨレヨレで何もやれないくせに、口ばかり達者でふざけるな。
信者にやらせて貢がせて「やらないよりはマシ」だと?! キサマ!ですよ。

危機感を抱く必要は有りません。何を恐れる必要がありますか。
予知も出来ない教祖の妄想の何が怖いですか。口からでまかせで法螺吹き。
「狼が来るぞ」という童話?のようにあんなものを信じると馬鹿を見るのは信じた人です。

ボケまくりですよ。過去の繰り返しと妄想劇。ボケているからこういうことをいうのです。
正常な人間だといい加減こういうゲイカのような愚行はしないものです。

いつまでも「世界が滅びる」ということばかり言っているのですから相手にしないほうがいいですよ。

935名無しさん:2011/08/01(月) 20:41:07
>>919
仮に滅びても何一つ力を発揮できない今のゲイカじゃどうにもなりません。
アゴン宗にいる意味もありません。
世界が滅びるなら滅びればいい。何も出来んアゴン宗とは別な方法で危機に立ち向かうだけです。
どっちにしてもゲイカの発言などもう眼中にはありません。

936サライ:2011/08/01(月) 20:55:56
>>918:天照 11/08/01(月) 05:27:24
>駄目ですよ。子供とボケ老人に「ジュンテイ真言マシン」を与えちゃ・・ 。。。天照さん、ご感想ありがとうございます。そうですね、おもちゃをいじくるように、繰り返しボタン押させたら、かえってお気の毒です。 まあ、そのご様子を拝見して、生老病死の"老".の無情を学ばせていただくと思っております。見るだけなら"ただ"ですから。それ以外の法外な高額お布施メニューはW田さん他財務担当職員が価格設定しているでしょうから、不買運動で、極力無視です。

937干柿:2011/08/01(月) 21:48:50
まったくふざけておりますよねぇ〜w
「おれが恐怖の大王か!」で危機は終わって、
マヤとの合同法要オーラの祭典で「人類は滅亡しません」じゃなかったんですか?
まったく予断を許さない・・・土地浄霊でもまにあわない・・・
では何のためにやってきたのでしょう?
土地浄霊はじまって20年以上たってんですよ
そしてノストラダムスにはじまった霊障とカルマによる人類の危機を言いだしてから
30年ですか・・・
阿含宗など何の役にも立たないと言っているのと同じことです。
こんなくだらない教団をいまさらながら信じ込んでいた自分に腹が立ちます。
まったく人生の時間を無駄にしてしまった。

938ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/08/02(火) 08:30:32
>>901:準シュダオン11/07/31(日) 09:16:52
>預流果に成ろうと努力している修行者を、預流向といいますね。
>だから、修行者は先ず、預流向であらねばいけないわけですよ。

ならば他人のことよりあなたが預流向ですらないではありませんか?
この場合、本当の仏教の預流向はもちろん、アゴン宗の預流向、準シュダオン
ですらない。
努力してないからです。

↓ここにもあなたの梵行努力の道へのコンプレックスが見られる。
>>920:準シュダオン11/08/01(月) 10:48:15
>この仕組みを理解できないままに、梵行しててもねえw、
>あなた、何を目指して修行してたんですか?と、言いたくなりますね。

言外に自分がしていないことを理由に他人がする梵行の否定が読み取れる。
本当に聖なるバイブレーションの思念の相承を受けたならば、あなたの生き方が
変わっているはずだ。
つまり道場に足繁く通い梵行奉仕をすることを楽しみとする。
普通の人でも魂の家である道場に通い詰めたいのだが、いかんせん仕事などが
忙しく時間が割けないことが悩みのタネです。
しかしあなたは昼間から書き込みをする時間が十分にありながら、道場には行かない。
梵行に対する質問をしても過去にはやったことがあるという回答だけで、しかも
はっきりとサボリであることを自己肯定的に認めている。
思念を受けたのならば過去こそサボリ信者であろうが、今は喜んで梵行奉仕を楽しみ
とする変身を遂げているはずなのに。
要するに修行努力なんて大嫌いでアゴン宗預流向ですらない。
逆向ですね。アゴン宗から逃げている。
自覚はなくてもアゴン宗が嫌いなんでしょう。
所詮アゴン宗もまたあなたのメガネに適わないあなたが逃避できる場所では
なかったのです。
ここで自分教の世界に現実逃避するしかないのです。

939準シュダオン:2011/08/02(火) 10:22:50
>言外に自分がしていないことを理由に他人がする梵行の否定が読み取れる。
>本当に聖なるバイブレーションの思念の相承を受けたならば、あなたの生き方が
>変わっているはずだ。
>つまり道場に足繁く通い梵行奉仕をすることを楽しみとする。

そうでもないですよ。何か安心感が出て、マイペースになりましたね、私の場合。
何となく大船にでも乗れたというような感じかな。梵行をしないというのではなく
て、マイペースで、他人と比較せずに行う、という感じですよ。

>しかしあなたは昼間から書き込みをする時間が十分にありながら、道場には行かない。
梵行に対する質問をしても過去にはやったことがあるという回答だけで、しかも
>はっきりとサボリであることを自己肯定的に認めている。
思念を受けたのならば過去こそサボリ信者であろうが、今は喜んで梵行奉仕を楽しみ
>とする変身を遂げているはずなのに。

↑も、ユビさんの勝手な思い込みです。サボリと申告はしても、預流果を得ている
熱心な現役信者に比較すれば、サボリなのであり、自分ではまぁ、平均的な信徒だ
ろうと思いますよ。昼に書き込みをする時間がある、と言ってもね、PCを使う現役
の仕事を持ってますからね、その合間に書き込みしてるだけですよ。
他に非常勤の公職もあるしね。

940準シュダオン:2011/08/02(火) 10:54:02
>準シュダオンさんは一回ご法話を聞きにいけばよい。
>自分と同じような曖昧模糊な歯切れの悪いご法話を一度拝聴すればいいんですよ。
>壊れたテープレコーダーをきいて、さすが聖者と心のそこから沸き上がる感動を
>味わってみたらいいんです。

管長法話は時々聞いてますよ。まぁ、確かに同じ話の繰り返しが多くなったけれども、
内容は間違えていませんよ。話がくどくなるのはお年寄りの特徴でね、不思議でも何
でもない。私には、聖なるバイブが起きたし、3・11には霊示が起きたし、アゴン
さんとは基本的に、管長に対する捉え方が違うのです。

私の預流向の説明を理解できないようでは、アゴンさんも深山さんの二の舞ですよ。
「仏陀の真実の教えを説く」上の本に、出家経が出ています。比丘や優婆塞などが
阿那含とか預流果などを得るお話しです。管長はその解説で、P159で、
「・・ここは非常に重要なところです。というのは、ここに仏教の目的が説かれて
いるからです。なんのために仏道修行をするのかが説かれています。」
と、述べておりますね。

だから、私は阿含経の四向四果に拘っているのです。これを理解できないうちは、
修行の実りは期待できませんね。預流向を聖者だと考えているようでは、四向四果
など他人事になってしまう。彼等は聖者なのだから、私とは違う、というように、
他人事になってしまうし、預流向=見道位の十五心、などと聞かされても、
どうすればその預流向に成れるのか、わからないでしょう、嘘の定義だからです。

941準シュダオン:2011/08/02(火) 11:22:59
アゴンさんも岩波仏教辞典などで、四向四果を確かめたらよいでしょう。まだ現役
信者の分だけ、アゴンさんのほうが、深山さんラシンさんよりは自灯明があるよう
ですから。

岩波仏教辞典の「預流・よる」の項に、「預流向=見道位の十五心(刹那)」と、
「預流果=見惑の八十八随煩悩を断った者」との説明があります。しかし、これは
倶舎論定義の預流向預流果であり、お釈迦さまが説いた預流向と預流果とは違いま
すね。アビダルマ論師達が、「預流向には、真っ黒けの煩悩を持つ者もいるだろう
が、三結の薄れた預流向もいるだろう」と考え、見道位の十五心以上を聖者の預流向
とし、それ未満を凡夫と位置付けたわけですね。

同辞典の「煩悩・ぼんのう」の項の説明には、「説一切有部は、煩悩を見惑と修惑と
に分けた」とあります。つまり、釈尊は煩悩を、見惑とか修惑とかに分けはしなかった
のです。ですから、見惑で預流果や預流向を定義している倶舎論は、ウソという
ことになります。そこに気付けない深山さんなどが、何時までも、倶舎論を説明して
いる学者の説明を盲信しているわけです、救いようがありませんね。

942準シュダオン:2011/08/02(火) 11:39:07
倶舎論にも、なるほどなぁ、と感心する説明はあります。
例えば、説一切有部は悪見を五見にまとめています。
有身見、辺執見、邪見、見取見、戒禁取見、の五つだったと思うけど、このあたり
は辞典で確かめずにレスしていますよ。加齢とともに、だいぶ記憶力が衰えてるの
ですが、このあたりの暗記は出来てますから不思議ですね。

この五見は、三結の身見(我見)のことであるから、断つようにと管長本に
書いておりますね。常住不変の我(アートマン)は無い、というのが身見の基本
なのに、深山さんなどはその意味を理解できずに、2年前のレスなどを引っ張り
出して議論しています。全く、無常のなんたるかを理解していないのだなぁ、
と、気の毒に思ってしまいます。

943深山:2011/08/02(火) 12:34:43
>>939 :準シュダオン:2011/08/02(火) 10:22:50
>そうでもないですよ。何か安心感が出て、マイペースになりましたね、私の場合。

また嘘をつく。
マイペースは入行当時から同じです。
あなたの修行の基準は、自分に利益があるかどうか、だけです。
だから、超能力獲得のための伝法会には全部出た。
仕事がうまくいかないから、霊障のせいだろうと、解脱供養を40万円も出し、
冥徳供養も数体出した。
ただし、いずれもまったく効果がなかったから、やめた。
他人のためのことは舌を出すのも嫌だから、護摩木などろくに書いたこともないし、
ボン行なんて奉仕はほとんどしていない。
中国残留孤児の養父母への寄付すらしなかったでしょう?
あなたは入行当時から我利我利の信者であり、老化した分、
ペースが落ちたが、相変わらず、私利私欲しかない。
脳梗塞で頭細胞が崩壊し始めたから、安心感が出てきたのです。
年をとると現状認識が曖昧になる。
今後、ますますあなたは安心感が強くなり、自分がいよいよ悟りに近づいたと
思い込めるようになります。
だが、それはただの脳の老化です。
その模範が桐山さんです。

944深山:2011/08/02(火) 12:36:20
>>939 :準シュダオン:2011/08/02(火) 10:22:50
>他に非常勤の公職もあるしね。

非常勤でまだしがみついているのだ!
「老害」という言葉そのままです。
少しは周囲の迷惑を考えたらどうか。
嘘が平気で、自分のミスを絶対に認めず、どこまで強弁し、
それでいて他人がミスをすると激しく非難する。
あなたみたいな人は絶対に周囲にいてほしくない。
あなたを閑職においやって、常勤から非常勤にして、周囲の人たちはホッとした。
だが、あなたが辞めない限り、どうやら追い出せないようです。
周囲の人たちが気の毒です。
公職というのだから、税金が使われているでしょう。
税金の無駄使いをしないでくれ。
あなたみたいな無能な人が公職を辞めないのは税金の無駄使いです。
あなたが本当に必要とされている人なら、辞任を申し出ても、周囲が引き留める。
試してごらんなさい。
辞任を申し出たら、周囲は大歓迎してくれます。
それこそが周囲のあなたへの本音、本当の評価です。
どこまで悪業を積むつもりなのだ?
税金を食い物にして他人に迷惑をかけるのはもうやめなさい。
一人で預流向ゴッコをやっていればいいではないか。

945ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/08/02(火) 12:37:31
>>939:準シュダオン11/08/02(火) 10:22:50
>そうでもないですよ。何か安心感が出て、マイペースになりましたね、私の場合。
>何となく大船にでも乗れたというような感じかな。梵行をしないというのではなく
>て、マイペースで、他人と比較せずに行う、という感じですよ。

ふふふ、今更現在でも少しはやっているかのようなゴマカシを具体的な実践を示さない
ことを条件に書いたってもう遅いのですよ。
あなたは私の梵行に関する質問に、昔やったことがあると回答したのです。
これは裏を返さなくても今は少しもやっていないという意味です。
いまでも細々とマイペースでやっていたら、最初からこんな回答はしないはずです。
いまでも昔に比べて量的なものは減ったもののやっているという回答になる。
ごまかしきれないのですね。
過ぎたるは及ばざるが如しとはいいますよね。
しかしこれは及ばざるのは許されるという意味ではありません。
両方とも不合格という意味です。
ましてや現在限りなく絶無なら何をか言わんや。

>↑も、ユビさんの勝手な思い込みです。サボリと申告はしても、預流果を得ている
>熱心な現役信者に比較すれば、サボリなのであり、自分ではまぁ、平均的な信徒だ
>ろうと思いますよ。
向も果も関係ないでしょう?果を得てない向だからこそ余計に努力する意識が
あるはずです。焦らなくてもよいが着実に努力してるはずです。

>昼に書き込みをする時間がある、と言ってもね、PCを使う現役
>の仕事を持ってますからね、その合間に書き込みしてるだけですよ。
>他に非常勤の公職もあるしね。

どうして道場に行く暇がないというはっきりわかりやすい書き方ができないのか?
非常勤なら常勤よりも時間があるはずだ。
道場が遠いなら、例えば護摩木判押しを在宅に持ち込める修行もあることをご存知か?

946深山:2011/08/02(火) 12:38:15
>>940 :準シュダオン:2011/08/02(火) 10:54:02
>私には、聖なるバイブが起きたし、3・11には霊示が起きたし、アゴン
>さんとは基本的に、管長に対する捉え方が違うのです。

いずれも桐山さんはまったく認めていない内容です。
それがアゴン宗の教義でも正しいというなら、宗務局に申し出てみなさい。
3.11の話は御利益話として採用してくれるだろうが、
聖なるバイブの話なんてしたら、怒られる。
それを準シュダオンさんは百も承知だから、
絶対に宗務局にも桐山さんにも話はしない。
ただの卑怯者です。
この二つの話をしたら、準シュダオンさんであることがばれてしまう。
ばれたら、誉められるどころか、処罰される。
桐山さんがそんなに甘い男だと思うなら、申し出てみなさい。
「ゲイカ、私は聖なるバイブを無料受信いたしまして、
ほとんど預流に近い預流向であることを強く自覚スました」
申し出てみなさい。
できもしない卑怯者のくせに、口先だけペラペラとよくしゃべりますね。

947深山:2011/08/02(火) 12:41:05
>>940 :準シュダオン:2011/08/02(火) 10:54:02
>阿那含とか預流果などを得るお話しです。管長はその解説で、P159で、
>「・・ここは非常に重要なところです。というのは、ここに仏教の目的が説かれて
>いるからです。なんのために仏道修行をするのかが説かれています。」

また虚言癖が始まった。
桐山さんのこの文章のどこに「預流向≠聖者」とあるのだ?
どこにもない。
出家経には、「果」は出てくるが「向」は出てこない。
桐山さんが上記の文章を書いた目的は、
仏道修行が漏尽解脱が目的であることを強調するためです。
なんら、四向四果についての説明はないのに、
どこから「預流向≠聖者」という結論が出てくるのだ?
まったく関係のない文章を出して、あなたの根拠のない説を
さも桐山さんも唱えているかのようにごまかそうとしているのだけです。
そんなにあなたの虚言癖を証明してくれなくてもいい。

948深山:2011/08/02(火) 12:42:36
>>940 :準シュダオン:2011/08/02(火) 10:54:02
>阿那含とか預流果などを得るお話しです。

桐山さんがこの本で預流向を出しているのは一カ所のみです。
あなたが引用した向経です。
>>322>>718の説明を繰り返します。

「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀?になっていないまでも、須陀?に近くなって
いる人たちもいます。須陀?にどんどん向かっているのですから――これを
須陀?向といいます――みなさんは外道凡夫ではありません」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)

「わたしたちは外道凡夫ではありません」
「みなさんは外道凡夫ではありません」
この言葉が決定的です。
外道凡夫とは、一つの言葉ではなく、外道と凡夫のことです。
桐山さんは信者を外道でもなく、凡夫でもないと述べている。
仏教では凡夫とは聖者と対を為す言葉です。
つまり、今ところ「須陀オン向=聖者」だと桐山さんは言ったことになる。
いかにも桐山さんが「預流向≠聖者」と言っているかのように
あなたはごまかそうという魂胆だろうが、この文章を読む限り、
桐山さんはそんなことは言っていない。

949深山:2011/08/02(火) 12:43:37
「四向四果」『岩波仏教辞典』

「原始仏教や部派仏教における修行の階位で,預流向(よるこう)・預流果,
一来向(いちらいこう)・一来果,不還向(ふげんこう)・不還果,阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと.
<向>は特定の果に向かう段階,<果>は到達した境地を示す.
向と果の対(双)が四種(四双)あるため,総計で八種の段階にある人という意味で,
<四双八輩(しそうはっぱい)>ともいう.
<預流>とは聖者の流れ,すなわち見道位に入ることで,
最大7回欲界の人(にん)と天の間を生れかわれば悟りを開く位.
<一来>とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位.<不還>は欲界には
再び還らず色界(しきかい)に上って悟りに至る位.
<阿羅漢>は今生の終りに悟り(涅槃(ねはん))に至り再び三界には生れない位をいう.
この位に到達した者を<無学>といい,これ以前の聖者(七輩)を<有学(うがく)>という.」

950深山:2011/08/02(火) 12:47:12
>>941 :準シュダオン:2011/08/02(火) 11:22:59
>アゴンさんも岩波仏教辞典などで、四向四果を確かめたらよいでしょう。まだ現役

そんなふうに言うなら、どうして「預流向≠聖者」と書いてある部分を
そのまま引用してあげないのだ?
ないからですよね。
>>949に岩波仏教辞典の四向四果の説明をそのまま引用しました。
この文章のどこに「預流向≠聖者」だとあるのですか。
ありません。
そんな文章も説明もないから、あなたは引用はせずに、
さもそんな文章があるかのように「確かめたらよいでしょう」などと書いた。
ゴマカシです。
もう毎回あなたはこういうゴマカシを繰り返し、それを私が指摘しているから、
アゴンさんでなくても、読者は誰もあなたのこういう解説を信用していない。
「どうせ、深山から嘘を暴露されるだろう」としか見ていないのです。

951深山:2011/08/02(火) 12:49:29
「預流」『岩波仏教辞典』

「サンスクリット語を音写して<須陀(しゅだおん)>とも.
無漏(むろ)の聖者の流れに入った者.四向四果(しこうしか)の最初の段階.
原始仏教では三結(さんけつ)(有身見(うしんけん),戒禁取(かいごんじゅ),
疑(ぎ))を断じた者が得る位であったが,のちの『倶舎論(くしゃろん)』では,
見道(けんどう)において見惑の八十八随眠(ずいめん)(煩悩)を断った者が得るとする.
この位に達すると退転することがなく,最多でも7回人間界と天界を往来するだけで悟りに達するとされる.
<預流向>は<預流果>に向かう見道位の十五心(刹那(せつな))のこと」

952深山:2011/08/02(火) 12:54:48
>>941 :準シュダオン:2011/08/02(火) 11:22:59
>岩波仏教辞典の「預流・よる」の項に、「預流向=見道位の十五心(刹那)」と、
>「預流果=見惑の八十八随煩悩を断った者」との説明があります。しかし、これは
>倶舎論定義の預流向預流果であり、お釈迦さまが説いた預流向と預流果とは違いま
>すね。アビダルマ論師達が、「預流向には、真っ黒けの煩悩を持つ者もいるだろう
>が、三結の薄れた預流向もいるだろう」と考え、見道位の十五心以上を聖者の預流向
>とし、それ未満を凡夫と位置付けたわけですね]

>>951に預流の説明を引用しました。
しかし、この預流の説明のどこに「預流向≠聖者」とあるのだ?
原始仏教とアビダルマ仏教のそれぞれの預流の説明がしてあるだけで、
どこにもあなたが主張するような「預流向≠聖者」とはない。
辞典では原始仏教での定義の説明もしている。
だが、その説明の中にもどこにも「預流向≠聖者」と読みとれるような
文章はありません。
原始仏教とアビダルマとの違いを出して、さも釈尊が「預流向≠聖者」と
説いたかのようにごまかそうというのがあなたの魂胆なのは、良く知っている。
読者は皆さん、あなたのそのゴマカシの手法は知っているから、
ひっかかりません。
どこにも「預流向≠聖者」などという説明はない。

953深山:2011/08/02(火) 12:59:32
>>941 :準シュダオン:2011/08/02(火) 11:22:59
>見惑で預流果や預流向を定義している倶舎論は、ウソという
>ことになります。そこに気付けない深山さんなどが、何時までも、倶舎論を説明して
>いる学者の説明を盲信しているわけです、救いようがありませんね。

また、すり替えのインチキ、嘘が始まった。
誰がアビダルマ論の預流向を主張したのだ?
毎度勝手にあなたがアビダルマ仏教の預流の話を出しているだけで、
私は、預流や預流向を定義するのにアビダルマ仏教など用いたこともなければ、
引用したこともない。
今回の議論でもアビダルマを出しているのは批判側ではなく、あなたです。
それをまるで、批判側がアビダルマの預流の定義を使っているかのように
嘘をつきまくっている。
しかも、こういう主張も、また私から反論も初めてではない。
もう何度も何度も、あなたは私がアビダルマを使っている主張し、
そのたびに私から「いつそんなことを書いたか証拠を出して見せろ」と言われても
どこ吹く風で無視して、またこうやって同じことを書く。
ここまで来ると虚言癖というよりも、精神を病んでいますね。

954深山:2011/08/02(火) 13:03:30
>>941 :準シュダオン:2011/08/02(火) 11:22:59
>見惑で預流果や預流向を定義している倶舎論は、ウソという
>ことになります。そこに気付けない深山さんなどが、何時までも、倶舎論を説明して
>いる学者の説明を盲信しているわけです、救いようがありませんね。

私は、ただの一度も、預流向を倶舎論で主張したことはありません。
アビダルマ仏教の四向四果の説明を採用したことは一度もない。
それを準シュダオンさんは、まるで私がずっとアビダルマ仏教の
こういう定義を採用しているかのように言い続ける。
因縁付けのアゴン宗の信者でも、言いかがりもいい加減にしろと言いたい。
準シュダオンさん、いい加減に嘘をつくのはやめなさい。
私がいつ倶舎論を持ち出しましたか。
私は四向四果の説明に倶舎論など持ち出したことはありません。
よくまあ、そうやって、人が書いてもいないことを、書いた書いたと
くり返し、罪をなすりつけるものだとあきれる。
何度も私はこれを否定しているのに、あなたはくり返しこれを書き続けている。
私が倶舎論に基づいて書いたという文章を示してみなさい。
あるはずがない。
何度否定されても、何の根拠がなくても、私が言ってもいないことを捏造して、
罪をなすりつける。
あなたって本当に頭も性格もおかしいんですね。

955深山:2011/08/02(火) 13:05:58
>>941 :準シュダオン:2011/08/02(火) 11:22:59
>ことになります。そこに気付けない深山さんなどが、何時までも、倶舎論を説明して
>いる学者の説明を盲信しているわけです、救いようがありませんね。

準シュダオンさんて、こういう言い掛かりを仕事でもこれをしたことがあるでしょう。
相手が言ってもいないのに、「おまえは言った」とどこまでも相手に罪をなすりつけた。
だから、殴られたことがあるでしょうと指摘したのです。
面と向かって仕事でこれをされたら、しかも、一度ならず、何度も繰り
返されたら、普通の男は怒り、怒鳴りつけるだろうし、
あなたと同世代や前の世代の気の短い男なら殴っている。
怒鳴りつけられたか、殴られたか、あなたは経験があるはずだ。
でも、怒鳴りつけられても殴られても、あなたはまた平然と、
「おまえは言った」と相手に罪をなすりつけましたね。
それでは職場で疎まれるのが当たり前です。

956深山:2011/08/02(火) 13:08:28
>>940 :準シュダオン:2011/08/02(火) 10:54:02
>見惑で預流果や預流向を定義している倶舎論は、ウソという

原始仏教でも倶舎論でもなんでもいいから、
「預流向≠聖者」だと書いてある文章を示しなさい。
あなたの説では、阿含経で釈尊は「預流向≠聖者」だと言っているのに、
アビダルマ仏教では「預流向=聖者」だとねじ曲げたことになっている。
だったら、話は簡単で、アビダルマ仏教の説明ではなく、
釈尊の説いた阿含経から「預流向≠聖者」と述べている文章を
示せばいいだけです。
アビダルマ仏教のあなたの勝手な解釈など聞いても意味がない。
アビダルマ仏教が釈尊の教法をねじ曲げたというのなら、
元々の釈尊の教法を出せばいいだけです。
出してみろ、と言われて、間もなく一ヶ月になろうとしているのに、
あなたは相変わらず出せない。
それをゴマカスために、アビダルマの小難しい言葉を出して、
なんとか読者を煙に巻こうと必死です。
今まではそれで逃がしてあげた。
だが、もうウンザリなのです。
いくらあなたが煙を出しても、私が読者を案内するから誰も
そのゴマカシには巻かれない。
あなたの主張に必要なのはアビダルマ論ではなく、
釈尊が説いたという「預流向≠聖者」という阿含経です。
アビダルマはいらないから、これを示しなさい。

957深山:2011/08/02(火) 13:12:03
>>940 :準シュダオン:2011/08/02(火) 10:54:02
>阿那含とか預流果などを得るお話しです。

アナゴンや預流果なんてどうでもいいから、「預流向≠聖者」の証拠を出しなさい。
嘘であり、何の根拠もないから、ごまかそうと必死ですよね。
わずかの間に、6つもの嘘をつきまくった。
さらにもう一つ嘘を追加しましょう。

1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=斯陀含向」「斯陀含果=阿那含向」「阿那含果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(>>940)

アビダルマを持ち出して煙に巻こうとしても、
あなたの書いている嘘は上記の7つにまとめられる。
読者は上記しか見ていない。
これ以外のあなたの文章は意味が何もなく、ゴマカスための駄文です。
嘘をついたなんてことに何の自責の念も感じないのでしょう?
だから、あなたはただの嘘つきではなく、虚言癖のある病人です。
7を繰り返すに至っては虚言癖というよりも、精神を病んだ病人です。

958深山:2011/08/02(火) 13:26:20
>>942 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/02(火) 11:39:07
>は辞典で確かめずにレスしていますよ。加齢とともに、だいぶ記憶力が衰えてるの
>ですが、このあたりの暗記は出来てますから不思議ですね。

自分が先週書いたことすら忘れて、同じ内容をまた書いたことは
覚えていないのですね。
そんなに記憶力がしっかりしているのなら、>>957の質問にちゃんと答えない。
あなたの解説はいらないから、阿含経や学者の解説など
あなた以外の人の書いた具体的な文章を引用しなさい。
力自慢ばかりで本編が出てこないのは桐山さんだけで十分です。
力自慢はいらいなから、早く根拠を示しなさい。

959深山:2011/08/02(火) 13:30:36
>>942 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/02(火) 11:39:07
>この五見は、三結の身見(我見)のことであるから、断つようにと管長本に
>書いておりますね。常住不変の我(アートマン)は無い、というのが身見の基本
>なのに、深山さんなどはその意味を理解できずに、2年前のレスなどを引っ張り
>出して議論しています。全く、無常のなんたるかを理解していないのだなぁ、
>と、気の毒に思ってしまいます。

また自慢話から無知をさらしている。
アートマンがないということと、私の>>908以降の身見の説明とが
別な説明に読めるのですね。
爆笑です。
だから、わざわざ私は無我、非我説だと書いた(>>909)。
「常住不変の我(アートマン)は無い」というのを無我説というのです。
偉そうに書きながら、実はまったく意味を理解せずに書いているのがわかる。
しかも、あなたは無我説と無常と一緒にしている。
無常と無我は関係はしているが、教義としては別物です。
桐山さんが、縁起と無常をごちゃ混ぜにしているように、
あなたも無我と無常の区別すらつかない。
それもそのはずで、私が具体的にわかりやすく無我説を説明しても、
あなたはそれが無我説の説明だとすら気が付かず、
「意味を理解できず」などと言う。
「常住不変の我(アートマン)は無い」と霊魂とが矛盾することすら
あなたは理解できないのでしょう?
他人の無知を笑ったつもりで、あなたの無知を暴露したのです。
それとも何とか話を「預流向≠聖者」からそらすための古狸の作戦か。

960アゴン:2011/08/02(火) 13:51:40
管長はすっかり好好爺になったかと思いきや、護摩を地区道場で
修行者に焚かせてくださいとのお願いに、はっきりと拒絶の表情を出し、「だれでも焚かすわけにはいかない。厳重な審査を私がして、判断する!」と語気強く言われた。
準シュダオンさんが、こんなとこで汚物を撒き散らしていることがばれたら、張り倒されますね。
あなたが本当に批判がわの活動を止めたいなら、こんなところにおらず、立派な修行完成者になればいいんですよ。
そして人格的にも、この人の言うことはマトモで常識的で最初から最後までよく統一されていて、実に明瞭で快い感情にさせてくれる
、と読者に思わせる文章を書いたら少しは擁護になるでしょう。

961ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/08/03(水) 08:42:14
>>939:準シュダオン11/08/02(火) 10:22:50
>↑も、ユビさんの勝手な思い込みです。サボリと申告はしても、預流果を得ている
>熱心な現役信者に比較すれば、サボリなのであり、自分ではまぁ、平均的な信徒だ
>ろうと思いますよ。

果を得たから努力するのではなく、向において努力したから果を得たのです。
これは預流向から聖者とすることにも関係している。
長部経典で沙門果経というのがある。
阿闍世王に対して六師外道の教えを示し、最後に釈尊の教えを説く。
阿闍世王は仏教には目に見える沙門の果報があるのか?と質問すると、
ありますともと段階に分けて順次沙門の目に見える果報を釈尊は説明する。
その一番目が王に仕えるシュードラという奴隷階級の者がいる。
彼は王よりも夜遅く寝て王よりも朝早く起きて一日中王様の機嫌をうかがう。
そんな奴隷が一念発起して出家して沙門となる。
するとどうなるか?今度は奴隷をつかってきた王の方が出家となった元奴隷に対して
合掌礼拝して敬い供養するのです。
これが沙門の第一の目に見える果報です。
出家したというだけです。シュダオンになったからなんて条件は書いていない。
つまりぺえぺえの新米でもいきなり敬われ供養される対象であり聖者集団の一員です。
どうしてそのような扱いを受けるかというと厳しい戒律を守り、自己節制の努力を
しているからです。
もちろん最初から自己統御できる者などいない。
シュダオン果たりとてもまだ感情的な煩悩を克服できないのです。
しかし努力をしている。
聖者と聞いて他人の病気を治したりする超能力者みたいに考えるからおかしくなるのです。
ならば聖者を聖人君子という言葉に置き換えてみてはどうか?
仏教では聖人君子という呼び方は妥当とは言えないが、出家の生活に対して
評価をするならば聖人君子の生活としか言わざるを得ない。
だって250戒を守り欲望から離れた生活をするのですよ。
最初はやせがまんでも、そのやせがまんは一生続くのです。
我々はともすると「僕は何も聖人君子みたいな生き方を勧めやしないが最低限・・」
みたいな言い方をするが、出家の場合は俗人が呆れて軽蔑しようがあれは
聖人君子の生活なのです。
成果よりも努力していることに意義があるのです。

962準シュダオン:2011/08/03(水) 10:45:37
>果を得たから努力するのではなく、向において努力したから果を得たのです。
>これは預流向から聖者とすることにも関係している。

だからね、預流向から聖者とするのは、アビダルマ倶舎論の理窟なんですよ。
管長本「人間改造の原理と方法」のP180から、「アビダルマ教学では・・・」
と、見道と修道を解説していますが、ここでの四双八輩は、アビダルマ教学での
四双八輩であり、阿含経典での四双八輩とは違うのです。
P181の四双八輩の図も、預流→預流果→一来→一来果、というような説明に
なっており、預流向、一来向を含んで聖者としているようでありますね。

しかし、管長はアビダルマ教学の四双八輩は、お釈迦さまが説いた四双八輩とは
違うことに気がついたようで、「輪廻する葦」本のP258の四双八輩の説明で
は、「三結断じた預流」からを聖者にしています。

>つまりぺえぺえの新米でもいきなり敬われ供養される対象であり聖者集団の一員
>です。

そりゃあ、お釈迦さまは、四双八輩を一まとめにして聖衆と呼びましたよ、まさか
凡夫衆とは呼べないでしょうからね。しかし、新米ぺえぺえの預流向までが聖者な
のかと経典を読んで行くと違うのです。預流や入流というのは「聖者の流れに入る」
という意味ですね。「向」は、聖者目指して修行中を意味し、「果」はそれを果した
という意味です。

だから、預流向と預流果が、同じ預流という名称がついていても、意味がまるきり
違うのです。小学生と小学卒業生との違いです。「小卒」という学位は、小学生に
は与えられないのです。そして、小学卒業生(預流果)というのは、中学生(一来向)
の仲間なのであって、小学生(預流向)の仲間ではありません。
だから、小卒者(預流果)は家で怠けていてはだめで、早く中学校(一来)に入学
手続きをして中学生(一来向)にならないといけまっせん。

963準シュダオン:2011/08/03(水) 10:58:35
>聖者と聞いて他人の病気を治したりする超能力者みたいに考えるからおかしく
>なるのです。
>ならば聖者を聖人君子という言葉に置き換えてみてはどうか?

だからねぇ、お釈迦さまは、聖者と凡夫の区別を、十結煩悩をいくつ断ったか、
で定めているのです。聖者の四つの位も、十結煩悩をいくつ断ったかで、決めて
いるわけですよ。深山さんなどは、その煩悩を無視しているから、十結煩悩を
すべて持っている預流向を聖者と定義されても疑問を感じないのです。
最も、アビダルマ論師達も、それでは具合が悪いから、預流向を見道位の十五心
に位置付けたわけですが、それは勝手な創作です。

964準シュダオン:2011/08/03(水) 11:24:57
><向>は特定の果に向かう段階,<果>は到達した境地を示す.
>向と果の対(双)が四種(四双)あるため,総計で八種の段階にある人という意味で,
><四双八輩(しそうはっぱい)>ともいう.
><預流>とは聖者の流れ,すなわち見道位に入ることで,

深山さんのレスは、↑の部分だけが目に入った。
だからねぇ、見道位というのはアビダルマ教学なのであって、釈尊の教えとは
違うのです。見道、見惑、修道、修惑、などというのはアビダルマ倶舎論の理窟
で、釈尊の教えではないんです。だから、加行位、見道位、修道位、無学道、とか
で、見道位からを聖者とする、なんてことは釈尊の預かり知らんことで、
アビダルマ論師達の創作なのです。

釈尊の教えは、十結煩悩のうち、「三結を断ったならば預流果であり、預流果
を目指して修行中の者が預流向」なのです。
それ以外の説明は、釈尊の預かり知らない理窟で、創作です。
深山さんの四向四果説は、まるで大乗経典を根拠にして阿含経を小乗と言い張った
大乗仏教徒のようですね。

965準シュダオン:2011/08/03(水) 11:39:08
管長本「人間改造の原理と方法」のP92に、五悪見の解説がありますね。
今、確かめたら、有身見、辺執見、邪見、見取見、戒禁取見、の五つで、
昨日、記憶だけでレスした内容と同じですね。
この五悪見を断つ修行が、預流向としての修行の1丁目1番地でしょう。
これを断たないうちに、欲貪や瞋恚を断とうとしても、無理な相談でしょうね。
欲貪や瞋恚を断つ修行は、預流果を得てからの修行目標ですからね。

966深山:2011/08/03(水) 12:32:03
>>962 :準シュダオン:2011/08/03(水) 10:45:37
>と、見道と修道を解説していますが、ここでの四双八輩は、アビダルマ教学での
>四双八輩であり、阿含経典での四双八輩とは違うのです。

だから、その証拠を出しなさい。
あなたの「違うのです」などという発言は何の意味もない。
阿含経では違うというなら、「預流向≠聖者」と書いている阿含経を出しなさい。
出せるか。
出せないから、こうやって口先でさもあるかのように嘘を書き並べている。
あなたはただの嘘つきです。
嘘がなんともない。
よく、毎日毎日、こうやって嘘をつきますね。

967深山:2011/08/03(水) 12:35:10
>>962 :準シュダオン:2011/08/03(水) 10:45:37
>P181の四双八輩の図も、預流→預流果→一来→一来果、というような説明に
>なっており、預流向、一来向を含んで聖者としているようでありますね。

桐山さんのデタラメな知識を披露したいようですね。
前に、樹意さんがこれを引用して、桐山さんのでたらめさに爆笑していた。
では、読者の皆さんに桐山さんの四向四果をご紹介しましょう。

預流〈須陀垣ともよぶ〉
預流果
一来〈斯陀含ともよぶ)
一来果
不還(阿那合ともよぶ〉
不還果
阿羅漢道
阿羅漢果
(『人間改造の原理と方法』181頁)

表なので、記述の一部は省略して、四向四果の部分だけを転載しました。
たしかに、二つが一組になっているが、なんか表現が変だと思いませんか。
正しい四向四果とは、次のようになっています。

968深山:2011/08/03(水) 12:38:19
四向四果(『岩波仏教辞典』)
「原始仏教や部派仏教における修行の階位で,預流向(よるこう)・預流果,
一来向(いちらいこう)・一来果,不還向(ふげんこう)・不還果,
阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと」

この岩波仏教辞典の説明をまとめるなら、次のようになります。

四向四果・・・預流向・預流果、一来向・一来果、不還向・不還果、阿羅漢向・阿羅漢果

一方、桐山さんの本では、次のようになっています。

桐山説・・・預流・預流果、一来・一来果、不還・不還果、阿羅漢道・阿羅漢果

岩波仏教辞典と桐山さんの表現の違いは、「預流向→預流」「一来向→一来」
「不還向→不還」「阿羅漢向→阿羅漢道」です。
阿羅漢向を阿羅漢道と表現するのは間違ってはいませんが、
普通は預流向を預流とは言いません。
同様に、一来向を一来とは、また不還向を不還とは言いません。
普通は、預流とは預流果、一来とは一来果、不還と不還果をいいます。
だから、厳密には桐山さんの表現はデタラメです。
アゴン宗を立宗した当時ですら、桐山さんの知識がいかにデタラメで、
その場しのぎの付け焼き刃か、これを見てもわかります。
阿含経を読破し、体得したはずの桐山さんは四向四果がなんであるか理解していなかったのです。
桐山さんの種本は、水野弘元氏の『原始仏教』ですが、その本を読んでさえも、
仏陀の知恵を持つ桐山ゲイカは理解できなかったのです。
しかも、準シュダオンさんはこの本での桐山さんの説明すらも間違いだという。

969ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/08/03(水) 12:40:01
>>962:準シュダオン11/08/03(水) 10:45:37
>だからね、預流向から聖者とするのは、アビダルマ倶舎論の理窟なんですよ。

皆さん、ご覧ください。準シュダオンさんの脳の硬化度を。
こちらはアビダルマならぬ釈尊自らお説きになった阿含経典の長部経典沙門果経を
文証として示したのです。
王に対してつい昨日まで王に仕える奴隷が出家しただけで、かつての主人の王すらも
恭敬礼拝供養する対象となったのです。
これは釈尊の四姓平等、カースト否定をも含蓄しています。
しかしそれだけの問題ではない。王から見て旧奴隷は奴隷から解放されただけです。
もうこき使うことはないのだが、だからと言ってどうして恭敬の対象にまでする
必要がある?
それもシュダオン果を得ただのそんな指標はこれっぽっちも示していない。
単に出家して戒律生活に入っただけの相手です。
ここにも預流向もまた聖者に含むことが見てとれる。
根拠はアビダルマではなく阿含経典です!

970深山:2011/08/03(水) 12:40:06
>>962 :準シュダオン:2011/08/03(水) 10:45:37
>P181の四双八輩の図も、預流→預流果→一来→一来果、というような説明に
>なっており、預流向、一来向を含んで聖者としているようでありますね。

準シュダオンさんの上記の記述の根拠が以下です。

「この預流(初果)というのは、四諦の真理を完全に理解会得した境地で、ここから
「聖者」の列に入るのである。」(『人間改造の原理と方法』182頁)

この本での桐山さんの分類では預流とは預流向のことですから、「預流向=聖者」と
述べていることになる。
そのとおりで、桐山さんの記述は正しい。
桐山さんもまた「預流向=聖者」だと認めているのです。
しかも、これは桐山さんがアゴン宗を立宗してからの話です。
ところが、準シュダオンさんに言わせると、これは桐山さんの間違いであり、
その間違いに気がついて書いたのが以下の文章だという。

971ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/08/03(水) 12:44:23
>>963:準シュダオン11/08/03(水) 10:58:35
>だからねぇ、お釈迦さまは、聖者と凡夫の区別を、十結煩悩をいくつ断ったか、
で定めているのです。

四沙門果という4つの段階の聖者を示しています。
しかし3以上が聖者、未満は凡夫などと示していない。
示している経典を引用してください。

972深山:2011/08/03(水) 12:46:37
「須陀オンというのは、別名「預流」と申します。流れに預る、流れに入る、という意味です。な
んの流れに入るのかというと、聖者の流れに入る、聖者の末席に加わるということで、須陀涯に
なると、もう聖者です。聖者の仲間入りをする。」
(『輪廻する葦』258頁)

この本での桐山さんのいう預流とは、三結を断じたとありますから、預流果のことです。
桐山さんはこの本では預流向については何も書いていない。
ところが、準シュダオンさんに言わせると、これが桐山さんが
「預流向≠聖者」と書いた内容だという。
そんなことはどこにも書いていない。
桐山さんはここでは四向四果の話をしているのではなく、四沙門果の
話をしているだけです。
桐山さんは預流が聖者だという当たり前の話を書いているだけです。
この本のどこにも「向」についての説明はありません。
「預流向≠聖者」という珍説を主張するために、桐山さんをウソツキ呼ばわりした。
だが、何の根拠もない。
桐山さんの本を見る限り、一貫して「預流向=聖者」です。
嘘を書いているのは桐山さんではなく、準シュダオンさんです。
自分の珍説を主張するためなら、桐山さんをウソツキ呼ばわりさえする。
なんとまあ、愚劣な人間だろう。

973深山:2011/08/03(水) 12:49:06
>>962 :準シュダオン:2011/08/03(水) 10:45:37

信者の皆さんも、桐山さんの四向四果の表記や説明のデタラメさはともかく、
「預流向=聖者」と解釈していることがわかるでしょう。
桐山さんが預流向やそれに相当する言葉を出して説明した本は2冊しかありません。
『人間改造の原理と方法』と『仏陀の真実の教えを説く阿含経』(>>948)です。

「この預流(初果)というのは、四諦の真理を完全に理解会得した境地で、ここから
「聖者」の列に入るのである。」(『人間改造の原理と方法』182頁)

「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀オンになっていないまでも、須陀オンに近くなって
いる人たちもいます。須陀オンにどんどん向かっているのですから――これを
須陀オン向といいます――みなさんは外道凡夫ではありません」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)

新旧2冊の本の中で、桐山さんはいずれも、「預流向=聖者」だと述べている。
そして、それは正しい。
「預流向≠聖者」だと言い続けるウソツキがここに一人いるだけです。

974ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/08/03(水) 12:50:28
>>965:準シュダオン11/08/03(水) 11:39:08
>この五悪見を断つ修行が、預流向としての修行の1丁目1番地でしょう。
>これを断たないうちに、欲貪や瞋恚を断とうとしても、無理な相談でしょうね。
>欲貪や瞋恚を断つ修行は、預流果を得てからの修行目標ですからね。

続きがあるんでしょ?
書いてごらんなさい。
預流果を得るまでは我利我利信仰をしていてもかまわない。
欲貪だの瞋恚を断つことなんて預流果を得てから初めて考えればよいと。
かつてたしかにそう書いてました。
皆さん、こんな程度の人なんですよ。
じゃあなぜ出家するといきなり250戒も課せられるのか?
段階を経てノンビリやればいいではないか?

975深山:2011/08/03(水) 12:51:01
>>962 :準シュダオン:2011/08/03(水) 10:45:37
>そりゃあ、お釈迦さまは、四双八輩を一まとめにして聖衆と呼びましたよ、まさか
>凡夫衆とは呼べないでしょうからね。しかし、新米ぺえぺえの預流向までが聖者な
>のかと経典を読んで行くと違うのです。

読者の皆さん、上記をよく読んでください。
釈尊が預流向を聖者だと呼んでいることを準シュダオンさんは認めているのです。
ところが、あたかも別な阿含経ではそれを否定しているかのように
「経典を読んで行くと違う」などと書いている。
では、その読んだ経典を出してみればいい。
お釈迦様が「預流向を聖者と言ったけど、あれは方便でねえ」と
言っている経典を出しみればいい。
だが、その後の文章では、恒例の準シュダオンさんの妄想説を並べるだけで、
実は何の根拠も示せない。
準シュダオンさんの書いている内容はいつもこの調子のハッタリです。
さも、阿含経に根拠があるかのように見せかけ、
アビダルマ論を出して、煙に巻くだけで、実は何も証拠などない。
ただの嘘つきです。

976深山:2011/08/03(水) 12:54:02
>>962 :準シュダオン:2011/08/03(水) 10:45:37
>そして、小学卒業生(預流果)というのは、中学生(一来向)
>の仲間なのであって、小学生(預流向)の仲間ではありません。

何度注意されても、この人、まだ言っている。
準シュダオンさんてほんとうに頭がおかしいのですね。
どんなに間違いを指摘されても、絶対に自分の主張を曲げない。
こんな調子で現実世界で仕事されたらたまらない。
準シュダオンさんの世界では、小学校を卒業すると、自動的に中学生になるだという!?
文科省に質問してみなさい。
小学校を卒業しても、中学に入学しない限り中学生にはならない。
こんな簡単なこともこの人はわからない。
預流と一来も同様で、預流とは三結を断じだけで(小学卒)、欲貪と瞋恚を
なくすための努力(中学)を何もしていない段階をさすのだから、一来向なはずがない。
だが、準シュダオンさんの妄想脳の中では、「預流果=一来向」なのだそうだ。
そんなことが本当なら、なぜ釈尊はわざわざ預流果と一来向を
別々に表現しているのだ?
理由は簡単で、小学卒と中学生では違うからです。

977深山:2011/08/03(水) 13:05:03
>>963 :準シュダオン:2011/08/03(水) 10:58:35
>だからねぇ、お釈迦さまは、聖者と凡夫の区別を、十結煩悩をいくつ断ったか、
>で定めているのです。

また、こういう言葉のゴマカシをして、嘘をつく。
あなたって本当に悪質な人間ですね。
あなたは「いくつ断った」かで決めているという。
では、預流と一来の違いは何なのだ?
預流は三結を断じている。
だが、一来は欲貪と瞋恚が薄らいでいるだけで、断じてはいない。
「いくつ断った」というあなたの定義が正しいなら、一来は三結しか
断っていないだから、「預流=一来」ということになり矛盾する。
四向四果ではなく四沙門果だけを考えても、あなたの上記の記述は成り立たないのです。
断ち切らなくても、薄らいでいるだけでも釈尊は階梯が進んだと認定している。
だから、預流と一来は違うのです。
一来は欲貪と瞋恚が断ち切れず、薄らいだだけでも次の階梯なのです。
それどころか、一来向は、「欲貪と瞋恚が薄らぐ」に向かっているにすぎないが、
それでも聖者です。
つまり、釈尊の基準は、いくつ断ったかではなく、
「煩悩を断ちきるための清浄な行いをしているかどうか」です。
預流向は三結は断じていないが、清浄な修行によって三結が薄らいでいるから聖者です。

978深山:2011/08/03(水) 13:08:18
>>963 :準シュダオン:2011/08/03(水) 10:58:35
>深山さんなどは、その煩悩を無視しているから、十結煩悩を
>すべて持っている預流向を聖者と定義されても疑問を感じないのです。
>最も、アビダルマ論師達も、それでは具合が悪いから、預流向を見道位の十五心
>に位置付けたわけですが、それは勝手な創作です。
>>964 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/03(水) 11:24:57
>それ以外の説明は、釈尊の預かり知らない理窟で、創作です。

勝手な創作はあなたです。
私がいつアビダルマの十五心を出しましたか?
嘘を言い続けるのはやめませんか。
「嘘も百回言えば本当になる」というのが大作さんが名言だと
いう説があるが、あなたは大作さんの信者か。
私はアビダルマ説を紹介したことはあっても、「四向四果=聖者」と
書いた時、ただの一度もアビダルマを論拠としたことはありません。
私が出したのは、あなたも引用した小縁経や、ユビキタスさんが
引用した大般涅槃経での釈尊の記述です。
そのどちらも、四双八輩(=四向四果)を聖者と述べている。
また、原始仏教とアビダルマの両方を研究した学者たちの解説です。

「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)

ごらんのように、学者たちも、原始仏教とアビダルマの
両方において、四向四果は聖者だと述べている。
この点については釈尊もアビダルマ仏教も違いはありません。
釈尊も、学者も、桐山さんも、批判側も、全員が「預流向=聖者」と認めている。
ただ一人、あなただけが「勝手な創作」をしている。

979深山:2011/08/03(水) 13:13:45
>>964 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/03(水) 11:24:57
>深山さんのレスは、↑の部分だけが目に入った。
>だからねぇ、見道位というのはアビダルマ教学なのであって、釈尊の教えとは

あなたが引用したのは私のレスではありません。
>>949は岩波仏教辞典の説明そのままです。
こんなこともあなたは区別がつかないのだ。
あなたが辞典を論拠としなから、引用もしないから、私が引用してあげたのです。
私の説明ではなく、岩波仏教辞典の説明です。
そして、この辞典でも原始仏教とアビダルマ仏教の
内容の違いをきちんと説明している。
あなたは私を批判するのに、見道位という文言を指摘しているが、
私は「預流向=聖者」を説明するのに見道位を用いたことは一度もない。
あなたに説明してもらわなくてもアビダルマであることを知っているからです。
私の分類は釈尊が阿含経で分類したそのままで、アビダルマ仏教など採用していない。
ろくに私の文章も読まず、理解もできず、一方的な妄想と決めつけで人に
罪をなすりつけるのはやめなさい。
あなたはその妄想と決めつけが自慢らしいが、私には汚物にしか見えない。
あなたの汚物を私になすりつけるのはやめてもらえないか。

980深山:2011/08/03(水) 13:19:24
>>965 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/03(水) 11:39:08

今回も口先でペラペラと準シュダオン教という妄想を語るばかりで、
なんら阿含経も出せなければ、学者の説も出せませんでしたね。
自分の妄想説を主張するために桐山さんが無知だとまで言った。
桐山さんを踏み台にすることがなんともない。
この態度を見れば、あなたが何のために信仰しているのかよくわかる。
「だからねぇ」などと、いかにも根拠を示してかのようなポーズをとるばかりで、
あなたの妄想以外何もない。
「預流向≠聖者」なんて、あなたの虚言癖から出た山のような嘘の一つにすぎない。
宿題が山積みなのに、一つも終わっていませんよ。
それにしても、よくまあ、ここまで嘘を積み上げられるものだ。

1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=斯陀含向」「斯陀含果=阿那含向」「阿那含果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(>>940)

981準シュダオン:2011/08/05(金) 10:54:58
>新旧2冊の本の中で、桐山さんはいずれも、「預流向=聖者」だと述べている。
>そして、それは正しい。
>「預流向≠聖者」だと言い続けるウソツキがここに一人いるだけです。

まだこんな↑ことをレスしていたんか、呆れたねえ。
どちらが嘘つきか、管長本をお持ちの方は、「人間改造の原理と方法」P181と
「輪廻する葦」本P258を、自分の目で確かめてくださいね。
人間改造の原理と方法・本の四向四果は、アビダルマ教学のものですから、預流向
も聖者にとしています。
(修行を終えた聖者を、次の八つの段階に分ける。)と本に書いています。

ところが、それから約5年後の、「輪廻する葦」本の四向四果の説明では、
P258にあるように、三結断じた預流を聖者として、聖者の図から預流向は
外されています。こういうとこに気付けないから、深山さんなどの修行は、第一歩
目から間違えていたのです。

982準シュダオン:2011/08/05(金) 11:19:56
>続きがあるんでしょ?
>書いてごらんなさい。
>預流果を得るまでは我利我利信仰をしていてもかまわない。
>欲貪だの瞋恚を断つことなんて預流果を得てから初めて考えればよいと。
>かつてたしかにそう書いてました。

だからね、自分が煩悩にまみれた預流向だと自覚して、三結を断つ修行が大事
なのです。先ず我見を断つ修行です。岩波仏教辞典で、「我見}を引いて調べて
みなさいよ。説明が長いので最期の部分を引用しますと、
「一切衆生は皆我見を起こす。我見を根本として貪瞋痴の三毒を起こすなり、三毒
 を起こすを衆生と名づく」と、あるでしょう。

我見を根本として三毒を起こすのですから、先ず、我見を切らないとダメなわけ
です。そのためには、自分が預流向であることを自覚して、て、いうか、預流果を
目指す預流向であらねばいけないわけです。理窟を憶えただけでは我見は切れません。
普段から、我見の習気を意識しながら梵行しなければいけませんね。
その心構えで、十年、二十年と修行して、ようやく我見が薄れていくわけですよ。

あ〜あ、それなのに、預流向を聖者と考えていたのでは、修行になりません。
我見を断った預流果に成る前に、先ず預流向に成るのが先になってしまう。
しかし、預流向に成る方法は経典には説かれていません。
で、一体、何を目指して修行しているのか解らなくなるのです。

983準シュダオン:2011/08/05(金) 11:37:17
>1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
>2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?

「預流」というのは、「聖者の流れに入った聖者」という意味ですよ。
で「向」は未到達を意味し、「果」は到達したことを意味します。
だから、預流向とは聖者に未到達の者を意味しており、預流果とは聖者に到達
したことを意味しているのです。一来向と一来果も同じことです。
一来に未到達のものが一来向で、一来に到達した者が一来果です。
だから、一来向は一来に含まれない、のです。
「向」=未到達で、「果」=到達、と訳したら解りやすいかもね。

管長が「預流向≠聖者」と言ったという証拠ですか?
たとえば、輪廻する葦のP258の聖者図を見なさいよ。
聖者から、預流向が外されていることを、読み取れないのですか?

984準シュダオン:2011/08/05(金) 11:52:21
>3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?

「四双八輩 是如来弟子衆 聖賢之衆」とかの、衆の意味は、教団全体を意味して
います。衆は、サンガの漢訳ですからね。
すると、いわゆる聖者僧や凡夫僧という分けかたを考えたら、凡夫僧は預流向と
いうことになりますね。十結煩悩の一つも切れていないのが預流向ですから、
預流向=凡夫僧だと考えるのはごく自然でしょう。

アビダルマ論師達が煩悩を見惑と修惑に分け、見惑を断つ修行を見道として、
預流向を見道位に位置付けて、聖者にしたのです。
しかし、この分け方はデタラメであり、釈尊の教えとは違っています。

985深山:2011/08/05(金) 12:40:37
>>981 :準シュダオン:2011/08/05(金) 10:54:58
>聖者の図から預流向は外されています。
>>983 :準シュダオン:2011/08/05(金) 11:37:17
>聖者から、預流向が外されていることを、読み取れないのですか?

どうしてこういう嘘を平気で書くのだろう?!
では、あなたに聞くが、この図のどこに一来向,不還向,阿羅漢向があるのだ?
この図は、預流,一来,不還,阿羅漢という四沙門果の説明であって、
四向四果の説明ではないから、預流向、一来向,不還向,阿羅漢向はない。
あなたの説によれば、この図にない階位は聖者ではないらしい。
それならば、一来向,不還向,阿羅漢向は書いていないのだから、
聖者ではないことになる。
こんなふうに簡単に矛盾するデタラメな主張です。
この図には「向」は一つも出てこないのだから、預流向がないのは当たり前です。
それをまるで桐山さんが「預流向≠聖者」だと言ったかのようにごまかした。
どうしてあなたはこういうインチキを平気で書くのだ?
あなたはこういう小手先のゴマカシを平気でやるインチキ男ですよね。

986深山:2011/08/05(金) 12:43:12
>>981 :準シュダオン:2011/08/05(金) 10:54:58
>どちらが嘘つきか、管長本をお持ちの方は、「人間改造の原理と方法」P181と
>「輪廻する葦」本P258を、自分の目で確かめてくださいね。

あなたと違い、私のその両者から具体的に引用して、
あなたの説には何の根拠もないことを丁寧に説明したから、
自分の目で確認した読者は、あなたの説が嘘だと知っています。
『人間改造の原理と方法』で、あなたも認めているように、
桐山さんは「預流向=聖者」だと正しく述べている。
『輪廻する葦』には預流向の話は出てきません。
預流の説明をしているだけです。

987深山:2011/08/05(金) 12:45:46
>>981 :準シュダオン:2011/08/05(金) 10:54:58
>ところが、それから約5年後の、「輪廻する葦」本の四向四果の説明では、
>P258にあるように、三結断じた預流を聖者として、聖者の図から預流向は
>外されています。

あなたは四沙門果と四向四果をごちゃ混ぜにして、区別がつかない。
いつもあなたは四沙門果を持ち出して、「向」の説明をするが、
四沙門果には「向」はありません。

四向四果・・・預流向・預流果,一来向・一来果,不還向・不還果,阿羅漢向・阿羅漢果
四沙門果・・・預流(=預流果),一来(=一来果),不還(=不還果),阿羅漢(=阿羅漢果)

両者は切り口が違うから、あなたみたいにごちゃ混ぜにしても意味がない。
あなたは両者の区別が未だにつかないのです。
私も最初間違えたから、あなたの無知を責めることはできない。
だが、これだけ何度も説明され、上記のようにわかりやすく並べても、
まだ理解できない。
2ちゃんねるでは、私の一度の説明で四向四果の意味が理解できたと書いた人がいた。
あなたは私から何度説明されても理解できない。

988深山:2011/08/05(金) 12:50:00
>>983 :準シュダオン:2011/08/05(金) 11:37:17
>「預流」というのは、「聖者の流れに入った聖者」という意味ですよ。
>で「向」は未到達を意味し、「果」は到達したことを意味します。

やはり準シュダオンさんは日本語が読めないようですね。
それって幼稚園児以下ですよ。

>1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?

阿含経の根拠は何かと質問されているのに、どうしてあなたの
毎度毎度の根拠のない解釈を並べるのだ?
解釈ではなく、根拠を質問しているのです。
あなたの説明など誰も求めていないと何度言われたらわかるのだ?
阿含経を示せと言っているのだ。
四向四果は、準シュダオンさんが作った概念ではなく、釈尊が説いた概念です。
釈尊がなんと説いているかを議論しているであって、あなたの説など関係ない。
準シュダオンさんの解説には読者は興味がない。
私の解説にも読者は興味がない。
釈尊がなんと言っているのか、また阿含経を調べたら学者たちが
なんと言っているのかを読者は知りたがっている。
小縁経、大般涅槃経でも、釈尊は四双八輩(四向四果)はすべて聖者であり、
応供、福田だと述べている。
預流向は四双八輩の一つだから、「預流向=聖者」です。
このように私は阿含経の根拠を示している。
あなたにもそれを示せと要求しているのです。
質問1に対するあなたの今回の回答は根拠を示していないから0点です。

989深山:2011/08/05(金) 12:54:36
>>984 :準シュダオン:2011/08/05(金) 11:52:21
>「四双八輩 是如来弟子衆 聖賢之衆」とかの、衆の意味は、教団全体を意味して
>います。衆は、サンガの漢訳ですからね。

また嘘を書いてゴマカス。
「衆」の意味は教団を指すとして、あなたが引用した経典のどこに
凡夫僧とあるのだ?
これのどこに凡夫僧とあるのだ?

>3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?

私はあなたの解釈を質問しているのでなく、「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」と、
阿含経に凡夫僧と出てくるかのように書いてる根拠を示せと言っているのです。
ないから、ごまかそうと必死なんですよね。
あるはすがない。
「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」など、何の根拠もない、あなたの真っ赤な嘘です。

990準シュダオン:2011/08/05(金) 12:59:14
>『人間改造の原理と方法』で、あなたも認めているように、
桐山さんは「預流向=聖者」だと正しく述べている。
>『輪廻する葦』には預流向の話は出てきません。
預流の説明をしているだけです。

輪廻する葦には預流向の話は出てこないでしょう、聖者の話をしてるのに預流向
は出て来ない、それが預流向を聖者から外してる証拠なのですよ。
深山さんは性格がひねくれているのよ。
「40点以上は合格です。」と言った場合、普通は40点未満は不合格を意味します。
それを、30点は不合格と書いてないから合格だ、と言うのが深山さんの手法です。
それでは修行から落ちるわけですね。

「人間改造の原理と方法」本の四向四果は、アビダルマ説の四向四果だから、
預流向が聖者になるのです。しかし、それは間違いなのです。
だから、管長はその間違いに気付いて、輪廻する葦本では、預流向を外している
のです。いい加減、深山さんは、恥をさらし続けるのはやめなさいな。

991深山:2011/08/05(金) 12:59:25
>>984 :準シュダオン:2011/08/05(金) 11:52:21
>アビダルマ論師達が煩悩を見惑と修惑に分け、見惑を断つ修行を見道として、
>預流向を見道位に位置付けて、聖者にしたのです。
>しかし、この分け方はデタラメであり、釈尊の教えとは違っています。

また言っている!!??
しつこいというか、執念深いというか、頭が悪すぎるというか、
何をどう言われても、何一つ受け入れようとしない。
だれが「預流向=聖者」だと主張するにアビダルマを出しましたか。
私は出していない。
私の主張の根拠は阿含経と学者の解説文のみで、アビダルマなんて出していない。
あなたの捏造です。
出していないことを反論しても何の意味もない。
アビダルマを出しているのは桐山さんと準シュダオンさんです。
私は出していない。
他に反論もできないから、悔し紛れに嘘を作り上げて、
反論したつもりなっているのでしょう?
あなたは悔しがる負けん気だけは誰にも負けないが、あとは無能無策です。

992深山:2011/08/05(金) 13:02:41
>>982 :準シュダオン:2011/08/05(金) 11:19:56
>我見を根本として三毒を起こすのですから、先ず、我見を切らないとダメなわけ
>です。そのためには、自分が預流向であることを自覚して、て、いうか、預流果を
>目指す預流向であらねばいけないわけです。理窟を憶えただけでは我見は切れません。
>普段から、我見の習気を意識しながら梵行しなければいけませんね。
>その心構えで、十年、二十年と修行して、ようやく我見が薄れていくわけですよ。

またしても、知ったかぶりの無知な解釈が始まった。
阿含経にもない、桐山さんも唱えていない勝手な準シュダオン教です。

我見 (岩波仏教辞典)
「自我(tman)の存在を是認する誤った見解(邪見)のこと.
ときとして自我の所有(tmya),わがものに執着する邪見(我所見(がしょけん))を含めていうこともある.」

我見とは身見とほぼ同じ意味で、アゴン宗のように、
自分の本質は霊魂であるなどと信じることです。
我見が煩悩の元になっているからこそ、釈尊は身見を真っ先に
出して、これを捨てるように説いた。
身見や我見を切るのに、十年、二十年なんていりません。
自分の本質は霊魂であり、死ぬと肉体から出て、輪廻の核と
なるなどという荒唐無稽な外道の教えを捨てることです。
「理窟を憶えただけでは我見は切れません」なんて嘘で、
我見は理屈理論で捨てるのです。
釈尊の説明では、人間は五陰と呼ばれる要素で成り立つものです。
この五陰は肉体や感覚、認識作用など、普通の人間が認知できる要素であって、
霊魂にように認識できないものは含まれません。
この点を信者さんたちもよく知っておいてほしい。
なぜなら、アゴン宗はこの点においても釈尊の教法に逆らっているからです。
あなた方が桐山説の霊魂を信じる限り、我見や身見は切れません。

993深山:2011/08/05(金) 13:09:40
>>982 :準シュダオン:2011/08/05(金) 11:19:56

今回の準シュダオンさんのレスの評価は次のようになります。
彼の7つの主張は全部嘘だから、まともに答えられるはずもない。

1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
→ 嘘だから、阿含経を示せなかった。
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
→ 引用したが、桐山さんはそんなことは書いていない。
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(>>625)という阿含経の根拠は?
→ 阿含経にあるはずもなく、示せなかった。
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
→ 嘘だから答えられない。
5.「預流果=斯陀含向」「斯陀含果=阿那含向」「阿那含果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
→ 嘘だから答えられない。
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
→ 嘘だから答えられない。
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(>>940)
→ 嘘だから、質問を無視して、同じ主張をしただけだった。

994準シュダオン:2011/08/05(金) 13:20:02
「末世成仏本尊経講義」本のp234にも、輪廻する葦にある図と同じに、四向四果
の表があります。預流向は外されています。聖者の表には、三結断じ預流、とあり
ますから、預流向が含まれないことは明らかです。

しかし、管長は苦労しますねぇ、こんなに解りやすく四向四果を説明しても、
理解できない読者がいるのですからねぇ、深山さんみたいに・・。
「向」とは、向かいつつあるけど未到達の意味です。
「果」とは、到達したという意味です。
だから、預流向とは、預流に未到達のことだから、預流向≠預流、です。
預流果とは、預流に到達したという意味ですから、預流果=預流、です。

これ↑を理解できてから、阿含宗の修行は、始まるのです。
だから、深山さんなどは、初めから修行になっていなかったのですね。
お気の毒でしたね。

995アゴン:2011/08/05(金) 13:22:39
>>
自分の本質が霊魂などいう教義は浅学ながら、聞いたことがありませんでした。縁起流転水想観の観想では、いくらでも縁次第で自分というものは変化する、なので固定化した物体というのはない。縁次第で生滅する。
というふうに認識しておりますので、霊魂が本質とは私自身は思っておりませんでした。
可能であれば、そのことをはっきりと言っておられる文章や、著書名など教えていただけますでしょうか?

996深山:2011/08/05(金) 13:23:28
>>982 :準シュダオン:2011/08/05(金) 11:19:56

準シュダオンさんの反応は脳梗塞で脳を病んだというだけでは説明がつかない。
あなたは子供の頃、国語などはかなり成績が悪かったでしょう?
でも、他の教科で点数をかせいだから、進学や試験ではなんとかなった。
あなたに障害があると思うのが、その猛烈なこだわりです。
自説にどこまでもどこまでしがみつき、絶対に譲らない。
あなたは気がついていないだろうが、ここまで一歩も譲らず、
自説にしがみつくのは、2ちゃんねるを含めて、あなただけです。
普通の人は反論されると、自説を捨てはしないが、主張をどこまでも
繰り返すということはせず、いったん降りる。
だが、あなたは絶対にそれすらしない。
あなたは気にならないだろうが、読者は、議論内容を抜きにしてあきれはてている。
アゴンさんなど、はっきりとそれを表明している。
だが、こういう読者の反応すら、あなたは理解できないのでしょう?
他人の気持ちや考え、相手の立場を類推する能力が欠けているからです。

997準シュダオン:2011/08/05(金) 13:31:28
>7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(>>940)
>→ 嘘だから、質問を無視して、同じ主張をしただけだった。

お前さん、ほんとにアホやなぁ、昼ごはんの時間になったから、レス辞めて食べに
出ただけだよ。
そんで今見たら、アホな質問だなあ、くだらないから答えないし、やはり深山さん
のレスは読むに値しないね。

他の批判派で、預流向は聖者でないことに気付いた人もいるでしょう?
いい加減に深山さんに教えてあげなさいなw。
同じ批判派の深山さんが、何時までも気付けずに、恥のレス続けてますよ。
まぁ、今だに五時八教を正しいと信じる人もいるからねえ、無理ないかw。

998深山:2011/08/05(金) 13:33:50
>>990 :準シュダオン:2011/08/05(金) 12:59:14
>輪廻する葦には預流向の話は出てこないでしょう、聖者の話をしてるのに預流向
>は出て来ない、それが預流向を聖者から外してる証拠なのですよ。
>>994 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/05(金) 13:20:02
>「末世成仏本尊経講義」本のp234にも、輪廻する葦にある図と同じに、四向四果

お気の毒なのはあなたの理解力です。
>>985で指摘された矛盾すら理解できない。
では、この表に一来向,不還向,阿羅漢向はどうしてないのだ?
桐山さんは彼らも外していることになる。
預流向を外したのが聖者でない理由だというなら、
一来向,不還向,阿羅漢向も全部聖者ではなくなる。
表は四向四果の説明ではなく、四沙門果の説明です。
「向」はこの表に出てこないのは当たり前です。
桐山さんはあなたがあげた二つの本で、四沙門果という
「果」だけについて述べているのであって、四向四果については
何も述べていない。
あなたの勝手な解釈です。

999深山:2011/08/05(金) 13:40:21
>>997 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/08/05(金) 13:31:28
>そんで今見たら、アホな質問だなあ、くだらないから答えないし、やはり深山さん
>のレスは読むに値しないね。
>他の批判派で、預流向は聖者でないことに気付いた人もいるでしょう?

読むに値しないのではなく、あなたは読んでも理解できないのです。
他人の文章を理解するだけの知性がない。
賛成反対はともかく、普通の議論とはまず相手の主張を理解することから始まる。
だが、あなたにはそもそも他人の文章を理解する能力がない。
記憶もできない。
その代わり、自分の頭の中にあるキメツケを執念深く出すだけです。
「他の批判派で、預流向は聖者でないことに気付いた人もいるでしょう」などと
いくら口先で言っても無駄です。
だれがあなたみたいな根拠のない勝手解釈を受け入れるはずがあるか。
アゴンさんは信者だが、あなたの説を受け入れていない。
読者が知りたいのは、準シュダオン説でもなければ、深山説でもなく、
釈尊がどう説いたかです。
だから、私は阿含経や辞典から引用して示した。
他人を説得したければ、まずその嘘をつくのをやめることだ。
これだけ嘘をつきまくり、その間違いを認めないのでは、
あなたが正しいことを書いても誰も信用しません。

1000準シュダオン:2011/08/05(金) 13:42:05
小卒、中卒、高卒、大卒、を学者の四つの位としましょう。
で、小学生:小卒者、中学生:中卒者、高校生:高卒者、大学生:大卒者、という
四双八輩に区分したら、理解しやすいでしょう。
現役の小学生だけには、何の学位もないことが理解できますね?
他の七輩は、なにかしらの学位を持っています。

お釈迦さまの四向四果も、同じ構造ですからね。
預流向だけが、一つも、聖者の位を持っていないのです。

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