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阿含宗と桐山氏について 第五十三章 【さあ、やるぞ!今夜にでも】
1天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/27(木) 14:28:53 ID:4bs3KqGY0

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2修験者:2011/01/27(木) 16:08:52 ID:Etct2vj.0
昨年のオーラの祭典にも龍神様や本当に仏様だと思われるはっきりとしたお顔が現
が現行されました。証明仏の現形に勝る証明無し、猊下は真の聖者、人間の証明ほど
当てにならないものはない、惑わされないように、要注意!
猊下の般若心経瞑想法の空の概念は聖者にしか書くことはできない。
よって猊下は境界の高いブッタである。凡人や偽物には、あの空の理論はとうてい書けるものではない。
証明仏に勝る証明無し!!!!!!!

3桐山千景:2011/01/27(木) 17:17:21 ID:ShlmSMsM0
>>2
証明仏?現形? 焚き火の中に出ちゃったの〜?よかったね〜、しあわせだね〜。
しかし、アンタ頭のほうは大丈夫ですかね?
そういうのを「魔の仕業」と言うんですよ。よーく憶えておきなよ。
(実は、ただ頭が悪いだけかもしれんがね。)
いいね、ニセ修験者くん。

4桐山千景:2011/01/27(木) 17:23:18 ID:ShlmSMsM0
>>2
>よって猊下は境界の高いブッタである

境界がの低い凡夫のアンタがよう分かるもんだねぇ〜。
桐山さんの顔見たら「詐欺師」だと分かるでしょ。間違いない詐欺師の顔だよ。
そんな者を「猊下」などと呼んでいるようでは、アンタの人生も洗脳家畜化で
終わりですよ。
被害者にならように、自分の馬鹿さ加減を見つめたらどうですか。
何が「オーラに祭典」だよ。おめでたいね君は。

6干柿:2011/01/27(木) 22:51:01 ID:BBtat4sE0
>>2
現形ならば教団も公表していないようなハッキリうつった写真も
見たことありますよ。たぶん見たらあなたも驚くようなやつ。
でも、私は証明仏だとは思わないですね。教団のやってきたこと見りゃ
明らかじゃん(笑)現形など30年前からあるんだよ!
で、証明とばかり歩んできて今のこのありさまはなに?
バカじゃないの!あるいはいつまでもこんなマヤカシが通用するとお思いか!
と言いたいですね。まあ、あなたはあんなもんにとらわれて本質とか見えない
ようですからお好きにとしか言えませんが本質は仏の形が炎の中に現れる
ことじゃないでしょよく考えるべきですね。

7釈迦の使者:2011/01/28(金) 09:39:12 ID:LI9Au5sk0
>>2
よく考えて下さい
神仏は特定の団体にだけしか存在しないと本当に思っているのですか??
神仏はアゴン宗にだけしかいない、アゴン宗の会員しか救わない、
あなたはほんとうに神仏がそんなにケツの穴の小さいものだと思っているのですか?
あなたは神仏は○○したものだけ助けるなどと条件付きで動く存在だと
本当に思っているのでしょうか??
本当の神仏の慈悲と愛とはどんな境遇どんな立場の人であれ皆平等に差し伸べられる
アゴン宗の会員だけしか助けない??そんなのは仏ではありませんよ
宗教団体が単に神仏を自分達の教団存続の為に勝手な解釈を貼り付けて
利用しているだけです。神仏の慈悲と愛は平等です、
そして神仏はあなたの外側にはいません、あなたの内側、心の中にいるのです。
全ての人の心の中にあるのです、炎が仏の形に見えるのはあなたの心の中の
仏の想い、イメージが外側に投影されただけです!桐山さんも以前言ってましたよ
「私が念じれば釈迦でもキリストでもなんでも投影させてだしてみせる」と。

8名無しさん:2011/01/28(金) 11:28:14 ID:hEa6V0po0
>>7
>よく考えて下さい
>神仏は特定の団体にだけしか存在しないと本当に思っているのですか??
>神仏はアゴン宗にだけしかいない、アゴン宗の会員しか救わない、
>あなたはほんとうに神仏がそんなにケツの穴の小さいものだと思っているのですか?
>あなたは神仏は○○したものだけ助けるなどと条件付きで動く存在だと
>本当に思っているのでしょうか??
>本当の神仏の慈悲と愛とはどんな境遇どんな立場の人であれ皆平等に差し伸べられる
>アゴン宗の会員だけしか助けない??そんなのは仏ではありませんよ

たしかに。。!
神仏のケツの穴はそんな小さいもんじゃない!? 神仏にケツの穴が在ったらね!?
さらに、アゴン宗に金(供養)や労働奉仕(梵行)を提供した奴のみ助けるなんて、そんな取引信仰みたいな事する訳がない!!
もっと常識で考えろよ!!
桐山さんがあんなおかしい事を言い出した時にもっと「疑問」に思わないといけないね。
桐山さんの「罠」に嵌る前に一般常識でよ〜く考えることなんだよ。
そうすれば三福道に疑問の目が行き、結局は捏造だと言うこともわかる。
そして桐山さんの真の目的も見えてくる訳だ。 簡単に騙されたらいけない。

9準シュダオン:2011/01/28(金) 11:45:40 ID:1F7rdgXk0
常識で考えたら、宗教にならないよ。
科学的常識で考えたら、火葬場の火も、ゴミ焼却の火も、護摩の火も、同じ
酸化現象です。しかし、宗教では、それらの火を同じに見ない。
オリンピックの聖火は、今だに太陽の光をレンズで集めて、火を採ってるね。
それはなぜか?宗教的考えだから。

神仏は平等だ、なんて、誰に解かる?
慈雨は平等に、誰にでも降る、というのも嘘です。雨量の多い地域もあれば、
砂漠もある。大日如来の日光は、誰にも平等に降り注ぐ、というのも嘘です、
日当たりのよい場所もあれば、何時も日蔭の場所もある。

だいたい、神仏と言うだけで、科学的合理主義者には、常識外れです。

10ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/28(金) 12:07:27 ID:SmEF4Oe2O
>>9
アゴン宗と桐山氏の話と関係ない話をするならばスレ違いなんで出て行ってください。
関係があるのなら、その関係が誰にもわかるように、アゴン宗と桐山氏の話に
結びつけて主張願います。

11Boo:2011/01/28(金) 12:10:37 ID:jVBRE2rY0
>オリンピックの聖火は、今だに太陽の光をレンズで集めて、火を採ってるね。
>それはなぜか?宗教的考えだから。

古代オリンピック発祥のギリシャの神話、太陽の神アポロンから聖火を採ることと
護摩という焚火の中に現形することとどのような宗教的な関連があるのでしょうか?
オリンピックの聖火は火を採る方法(太陽の神アポロンより採火する)に意義が
あるのであって、採火した火は化学現象です。アゴン宗の護摩の火も念力による採火、
着火に意義があるんじゃないの?その念力の護摩を柴燈護摩でも使用しているし、
そこにのみ現形するから「現証仏」と考えられる側面もある。

ところが、念力の護摩自体がかなり怪しい。しかも、中華鍋にも現形しているし、
中岡俊哉の本ではろうそくの火に神仏が現れる現象も紹介されている。
他に例を挙げると、世界貿易センタービルのテロの時に、煙の中にビンラディン
らしき姿が現れています。何かの新聞記事でアゴン宗の人から見せられましたよ。
つまり、火の中に神仏らしき姿が現れるのは宗教現象かどうかも疑わしいことであり、
そんなことより、(色情の因縁などの)因縁を切ることで存在意義のある宗教団体の
宗教指導者が愛人を囲っていた(色情の因縁現象が出ていた)、という「現象」にこそ
目をむけるべきなんじゃないですか?

12天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/28(金) 12:17:48 ID:iiJ6SEu20
>>10 非常に同意。説明も嫌なら来ない方がいい。
ここは「自己主張スレ」ではありません。

13桐山千景:2011/01/28(金) 12:21:28 ID:ShlmSMsM0
>>9
>名前:準シュダオン 投稿日: 2011/01/28(金) 11:45:40 ID:1F7rdgXk0
>常識で考えたら、宗教にならないよ

非常識でもいいということじゃないだろうよ。
桐山さんの言ってることは非常識だろ。さっさと念力で火を出してみろよ。
おまえが宗務局に進言しろ。桐山はいつでも火を出せる力を蓄えているとか
本にも書いてたろ。しかし結局逃げた。トリックだから。
護摩のホトケについても実験したぞ。何枚でもそれらしい形の火が撮れる。
いちいち現形などいうこと自体が非常識。
宗教だから、信仰だからいいんだという、お前は愚か者だな。
狂信もとにして職員やってんだろ。ほんとクズだな、GOだ野郎。

14ラシン:2011/01/28(金) 12:38:35 ID:x9FuHHv20
410 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2011/01/01(土) 22:05:38 ID:S517eCjJ
『 御 霊 諭 』
                           平成1年5月4日
第○○則○○(無記)
「『×××しないと×××するぞ』とか『付き合え』とかいうようなそんな職場に君は勤めていてはい
けない。今すぐやめなさい。わたくしがもっと君にふさわしい良い仕事を君に紹介してあげる。」

「『釈迦は桐山靖雄を出現させるために現れた』と書いてあるが、
実はわたくしもそう思っていた。自分からは言い出せなかったので、
人に言ってもらうと本当にうれしい。君はなかなか見所がある」
「君が命がけでやるというなら弟子にしてあげる。」
「但し道場では君にだけ会うと君がねたまれるから、
私の修行場所があるからそこで面接する。
打ち合わせをする。私の秘密電話番号を教える。」

(ここに管長の秘密電話番号が書いてある)

「そこに電話すると交換手が出るから、
そうしたら暗号の数字を言ってからどうするかを伝言をしなさい」
「その電話に私の方から君にかけることのできる電話番号を
入れておきなさい。(今夜にでも)」
(「(今夜にでも)」というのは原文のまま)

「又は、私は名古屋の東急ホテルに六日の夜、泊まる。
君も名古屋へ泊まって、夜十一時頃、私の室へ電話をしなさい。
今夜にでも秘密電話にどうするか報告しておきなさい。」

「名古屋で泊まる費用を同封しておく」

(以上)

天照さん、新スレ乙です。
タイトルにふさわしいので一応貼り付けさせてもらいます。

15ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/28(金) 12:40:51 ID:SmEF4Oe2O
>997:天照 ◆8Sws/yExDc11/01/28(金) 12:05:43 ID:iiJ6SEu20
>やはり埋めないで新章に行きましたか。
>今度は埋まってからスレを立てることにしましょう。

いえ、できれば今回のように旧スレ使い尽くす直前に新スレ立てていただければ
助かります。安心します。
今回も個人的には旧スレ残りを活用する予定だったのですが、準シュダオンさん
こっちへ来ちゃうんだもん。

16ラシン:2011/01/28(金) 13:00:00 ID:x9FuHHv20
>2 :修験者:2011/01/27(木) 16:08:52 ID:Etct2vj.0
昨年のオーラの祭典にも龍神様や本当に仏様だと思われるはっきりとしたお顔が現
が現行されました。証明仏の現形に勝る証明無し、

だからどうしたのですか?、その時の空の雲も龍神に見えていただろうね。
あなたの主張は日蓮系のそれと変らない。
たとえ龍神が炎になったからとして、解脱には無関係です。
以前、深山さんが指摘していた仏教の龍とは「蛇」を指すのです。
または「象」を言う場合もあるようですが、知らないのですか?
仏陀の知恵をお持ちの桐山さんは、いまだにその常識すら知らない。
また釈尊は、理証だの証明仏だのと言っていますか?
アゴン宗の看板だけで、阿含経知らずと言うことになる。
桐山さんが主催するものは全て、催事、イベントです。
それもただの金集めでしかなく、短気で性急だから「今夜にでも」すぐにと、
発破をかけられます。
ここにうろつく電波老人を見てみなさい。
桐山さんの信徒らしく、桐山さん同様に経典を都合勝手に捏造して、
懲りずに自己主張を繰り返しています。
だから、あなたの信仰をとやかく言うツモリはないが、
桐山さんを聖者などとホメはやすのは失笑を買うことになる。
言うなら、「性者」が的を得た正しい表現でしょうね。

17ラシン:2011/01/28(金) 13:17:21 ID:x9FuHHv20
>9 :準シュダオン:2011/01/28(金) 11:45:40 ID:1F7rdgXk0
常識で考えたら、宗教にならないよ。

この一言で電波老人の異常性が証明されます。
仏教を何かの道具としか見ていない証拠です。
常識じゃないなら、異常性の強調?つまりカルト思考ですね。
桐山さんは、仏教を詐欺の道具としてビジネスモデルを作り上げ、
そして宗教貴族を目指して今にあります。
僧衣とスーツを使い分ける器用な人間でもある。
同じく、
この電波老人は、自己の虚栄心と顕示欲を満足するために、
常に慢心を誇っている。
だから議論の手段でウソや捏造などを自戒する気は、更々ありません。
仏教の基本が、人格の完成であることすら気づかない。
そのためには煩悩を滅することと釈尊は教えています。
だが桐山さんも己の欲望には素直で、人格など気にしないから女性信者に、
今夜でも!などと千載一遇の機会を見逃さない根性だけは人一倍です。
師が師だから、弟子はそれにアグラをかいて恥じることを知りません。

18修験者:2011/01/28(金) 16:01:17 ID:Etct2vj.0
釈迦が説いた説法をまとめたのが、阿含経、その中に因縁を解脱する方法がとかれていて、
その阿含経を修行したのは猊下だけ、だから阿含宗に入会して信仰してる。
仏教=阿含経
これを信じてるから阿含宗も信じる。その上、証明仏の証明があるんだから、より一層信じれる
確信が持てる。人間のいろいろな思惑に満ちた噂、陰口、週刊誌、程当てにならないものはない。
真実は猊下のみが知っている。それが正しいと仏様が現形された。
信仰者にとり、これ程、こころ強い証明は無いのでは。

19釈迦の使者:2011/01/28(金) 17:03:28 ID:LI9Au5sk0
>>18
アゴン宗で因縁切れた人誰ですか?
桐山さん因縁切れてますか??
自分の脳障害の因縁を自分のお得意の
透視力で見抜けずしかも脳梗塞になってはじめて
「そんなはずがない!!」とビックリしながら
病院にかけこんだ?!
「あとは先生にお任せする以外御座いません」と
病院にかけこんでいる
未来予知の大聖者が自分の悪因縁に気づかず
脳梗塞になってしまった!
その他、内弟子に訴えられて、刑獄の因縁も切れていない!
大将の因縁が切れない以上外弟子のあなたの悪因縁も
恐らく切れないでしょう。

20無関係な人間です:2011/01/28(金) 17:08:01 ID:qcMoreEQ0
>>18

 すみません、主観的には「証明された」とお考えでしょうが、第三者から拝見したら「証明」に
なっていないと思います。具体的に「証明」の内容を教えて頂けないでしょうか?

21桐山千景:2011/01/28(金) 17:10:07 ID:ShlmSMsM0
>>18
>名前:修験者 投稿日: 2011/01/28(金) 16:01:17 ID:Etct2vj.0
>釈迦が説いた説法をまとめたのが、阿含経、その中に因縁を解脱する方法がとかれていて、
>その阿含経を修行したのは猊下だけ、だから阿含宗に入会して信仰してる。

桐山靖雄さんがいつ修行したんだ。しょっちゅうホテルオークラで飯食っていて
いつやるんだ。この間抜けが。そのうえ「愛人会員」まで居って、何が修行だよ。
桐山靖雄さんは「(若い女性バカ会員に)今夜にでも」といって、ホテルに
誘い出したニセ自称僧侶(大僧正)。いまどきそんな者を信じてるニセ修験者(爆

22ラシン:2011/01/28(金) 17:15:37 ID:x9FuHHv20
>18 :修験者:2011/01/28(金) 16:01:17 ID:Etct2vj.0
釈迦が説いた説法をまとめたのが、阿含経、その中に因縁を解脱する方法がとかれていて、
その阿含経を修行したのは猊下だけ、

あなたが信じるのは構いませんよ。
しかし、仏教を言うならその眼目は因縁解脱ではなく煩悩解脱です。
あなたも毎日の勤行で応説経を読誦していますよね。
漏尽解脱能ずという経文が、煩悩解脱です。
漏とは煩悩の別名だと、桐山さんも認めています。
ならば因縁解脱なんてどこにあるのか、出してみたらどうか?
仏教に因縁解脱なんて概念などありません。
道品法もなにもかもすべて煩悩を見つめ制御し滅止なさいと説かれている。
阿含経のどこに因縁を解脱する方法があるのですか?

>その上、証明仏の証明があるんだから、より一層信じれる確信が持てる。
人間のいろいろな思惑に満ちた噂、陰口、週刊誌、程当てにならないものはない。

だからそのような思考形態じたいが、日蓮系なのです。
桐山さんは法華経を六年学んで来世成仏だったから去った、
などと寝言を言っても文証・理証・現証の三証を誇るのは、
なんら法華経から抜けて出ていません。
また、
アゴン宗の三宝じたいすべてインチキです。
おシャカの真骨は、どこの誰とも知れぬ見えない物売りからの贈り物を金で取得し、
三福道は、桐山さんの経典捏造された教えであり、
導師である桐山さんは、度牒も示せず僧侶の資格さえないニセ坊主です。

陰口や中傷と言うのは根拠なく非難することですよね。
桐山さんは、因縁切りを説きながら自ら密教食事件で刑獄の因縁を出し(1987年)、
脳梗塞となって脳障害の因縁(1996年、2001年)、内弟子の告発で色情の因縁も、
裁判で明らかにさらけ出した(2009年) 。
当てにならないというならどうしてあなた自ら調べて現実を出して証明しないのだ?
ただ否定するだけなら子供でも出来ます。
あなたがアゴン宗信徒と自負するなら、自分の目と耳で現実を見ることです。

>真実は猊下のみが知っている。それが正しいと仏様が現形された。

解脱し輪廻しない釈尊が、どうしてこの世に出て来るのですか?
釈尊は生涯無一物で、入滅した時は僧衣と一鉢だけですよ。
サンガの250戒律にも身を装飾する行為は禁止されている。
あなたの言う仏とは、横を向いてお飾りたくさんつけた応供の如来サマ?
それじたいが理仏なんだが、その大日如来は、応身如来のようにこの世に顕われる仏ではない。
したがって、生国も成道の年月日などはありません、というのが密教側の主張です。
それも知らずして何が現形ですか。
そもそも応供とは、如来の十号の一つで供養を受けるにふさわしい者という意味です。
いわば阿羅漢であり如来なのに、応供の如来なら如来の如来様になってしまう。
これじたいが噴飯モノでしょう。
それがどうしてご利益を返してくれることになるんですか?
仏教無知も甚だしい、桐山さんのオツムの程度が知れるところです。
あなたはその桐山さんのクチパクだけという恥ずかしい言動を呈しているのです。

23ラシン:2011/01/28(金) 17:43:52 ID:x9FuHHv20
>18 :修験者
>その上、証明仏の証明があるんだから、より一層信じれる確信が持てる。
人間のいろいろな思惑に満ちた噂、陰口、週刊誌、程当てにならないものはない。

あなたには、>>14で示した「御 霊 諭」が読めないらしい。
まさか目を隠して見えないなどと言いませんよね。

2chの深山さんの紹介文です。
409 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2011/01/01(土) 21:58:29 ID:S517eCjJ
>次に掲載する御霊諭は、E川裁判に提出された御霊諭を手書きで書き写したのです。
「 」の部分が御霊諭の文章、つまり桐山さんがE川さん宛に書いた文章であり、
( )の文章は私が書き加えた説明です。

深山さんの知人が、東京地裁へ行って書き写したものだと分かる。
つまりこの「御 霊 諭」は、桐山さんの直筆だと判断できるものです。
あなたも普通の国語力があるなら、この桐山さんの邪心に気づきませんか?
端的に言えば、桐山さんが職権を濫用して女性信者を誘った文章に読めませんか。
自称聖者サマなのに男の下心がミエミエの、ご指導に名を借りたパワーハラスメントです。
パワハラの相談にパワハラで応えると言うのも、さすがは桐山さんの度胸ではないか。
しかし、相手のE川さんは望んでそれを受諾した。
爾来、十数年にわたりお手当てや様々な贈り物と享楽生活を楽しんだのですから、
まさに見返り信仰の賜物でしょう。
あなたはそれでも確信が持てるなら、よほどの桐山洗脳者です。

24ラシン:2011/01/28(金) 18:21:33 ID:x9FuHHv20
>18 :修験者:2011/01/28(金) 16:01:17 ID:Etct2vj.0
釈迦が説いた説法をまとめたのが、阿含経、その中に因縁を解脱する方法がとかれていて、
その阿含経を修行したのは猊下だけ、だから阿含宗に入会して信仰してる。

あなたが真に仏教徒と自認し阿含経を認めているなら、
もう少し勉強されたほうが懸命です。
桐山教義をただ頭から信じる込むのではなく、阿含経をよく読んだらどうか。
たとえば、出家者の食事は一日一食それも午前中のみです。
厳密に言うなら、午前中に托鉢した食事を何度かに分けて食べてもよい。
しかし、それだけです。
出家は生産行為をしてはならず、乞食で与えられた食べ物をありのまま食す。
食欲という煩悩に出来るだけ囚われないようにするための戒律です。
戒律とは解脱への修業を助け防護するものなのです。

だが、桐山さんはどうでしょう?
記憶違いで無ければ、人の三倍食べて五倍働くなんて豪語していましたよね。
食への欲を制御すべき出家者が、こんな言動を恥ずかしげもなく自慢していた。
結果は、食の生活習慣病で糖尿を患い、終いにはその合併症で脳梗塞という、
脳障害の因縁をさらけ出した。
後遺症を克服できたのは、E川さんという若い女性フェロモンの刺激です。
これで大脳新皮質が活性化された。
間脳を開化した人間が、大脳新皮質の刺激に捕らわれていたのですよ。
あなたは桐山教義を知っているなら、これほどの矛盾はない。
あなたはこの事実をどう斟酌しますか?
あなたのアゴン宗への信仰心を言うなら、これら矛盾を説明してください。

25準シュダオン:2011/01/28(金) 19:01:47 ID:1F7rdgXk0
ところで、管長の脳梗塞って、本当かしら?
仮病と違うか?
脳梗塞でも、普通人より優れた仕事してたじゃん、信じられない。
健康人は、恥ずかしくて・・・健康とは言えない・・じゃんか。

常識で、もの考え、言うのは、今や、愚かな証拠だよ!
わずか数百年前は、天道説が常識であった、今はどうか?
わずか、何年か前は、人種差別・奴隷制度が当たり前、今はどうか?
わずか、何年か前は、天皇が神は当たり前、今はどうか?
わずか、何年か前は、大乗仏教が当たり前、小乗は低い、今はどうか?

ラシンくんのレスが、半行ほど目に入ることもあるが、愚か者だと解かる。
ゆえに、一行までは、読まない。
おそらく、現世利益を求めて阿含宗の修行をしたのであろうw。
そんな私利私欲の現世利益が、叶うはずもない、愚かなw。
今の阿含信者には、私利私欲の現世利益を求める者は、ほとんどいないね。

だから、仏・菩薩の誓願として、財施などして世界平和のイベントをして、
見返りは求めていない。それについて来れない強欲ラシンくん、みたいな
者が、悔しさから悪態をついているわけです。見苦しいねw。

26名無しさん:2011/01/28(金) 19:18:23 ID:sBD4NsD.0
最終的に桐山氏は
アーガマの成仏法ではなく
求問持聡明法でもなく
脳梗塞、認知症という
人生最悪の危機を
昔、命を助けて頂いた観音信仰に
求めたのでしょう
信者に真言行をしきりに
説き出したのはおそらく
その為でしょう
自分の人生のピンチの時に救いを
求めたのはアーガマの成仏法ではなく
観音信仰のご真言だった。
しかし、結局、桐山氏が一番恐れていた
事態になってしまった
認知症によって
あの天才桐山靖雄?がボケてしまったと
いうことです、
これほど不幸なことはありません。
自分が一番恐れていたことが
現実に起こってしまったのです。
まさに事実は小説より奇なり、ということでしょうか

27準シュダオン:2011/01/28(金) 19:24:28 ID:1F7rdgXk0
阿含の現役信者は、ラシンくんみたいな、長いレスに惑わされてはいけんよ。
ラシンくんみたいな元阿含信徒は、オウム信者と同じようなものだからね。
たぶん、オウムと似たような者だ、と考えてたら、間違いはないよ。
だから、阿含宗を、退会したのだろうからよ。
現世利益を我利我利求めて実らず、退会したのに違いないのだ。
それを、今更、良い子ぶって、笑えるレスしてるわけさ、バレバレなのさw。

28準シュダオン:2011/01/28(金) 19:28:24 ID:1F7rdgXk0
名無しさん、管長はボケていませんよ。
少なくても、あなたよりは、マトモな話をしています。
あなたも、元信者ですか?
現世利益を我利我利求めて、実らず、悔しくて、退会して悪口いってる輩?

29名無しさん:2011/01/28(金) 19:31:55 ID:sBD4NsD.0
桐山氏が脳梗塞なのは事実です。
自ら著書に書いてます。

30名無しさん:2011/01/28(金) 19:33:36 ID:sBD4NsD.0
わたしが書くのは事実のみです。

31桐山千景:2011/01/28(金) 20:19:37 ID:ShlmSMsM0
>>25
>名前:準シュダオン 投稿日: 2011/01/28(金) 19:01:47 ID:1F7rdgXk0
>ところで、管長の脳梗塞って、本当かしら?
>仮病と違うか?
>脳梗塞でも、普通人より優れた仕事してたじゃん、信じられない。

準糞野郎、コイツおかしいんじゃねえか。
桐山靖雄さんは本でも書いてるし、崩話でも言ってるだろ。何言ってんだ。
おまえの言うことは勝手な作り話や解釈ばっかりなんだ。頭は大丈夫かよ。

おまえのほうがオウムに近いな〜。
桐山靖雄さんはボケてますね。近くで目撃している確実なスジから聞いてるからね。
準糞は桐山さんから名前すら呼ばれたこともないんだろ。
近くで事実を見たことがない。そうだろ。違うか。お前の想像話では擁護できないし
そもそもアンタはアゴン宗という教団の修行者ですらない。ただの会員だよ。君は。
まともに修行してからモノを言いな。

「今夜にでも」という桐山靖雄さんの「御霊諭」を繰り返し読むところから
はじめてごらん。準シュダオンという名は今日限りにして「準糞会員」にしな(爆

32修験者:2011/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0
お釈迦様が説かれた教えと法は阿含経のみだ。ということです。
それ以上でもなく、それ以下でもない、お釈迦様を信仰するのなら、
阿含経に依るしか無い。ということです。
そして今現在、阿含経を拠り所として信仰したければ、阿含宗の桐山靖雄の元で修行するしかないという事です。
ブッタが説かれた教えと法は、阿含経にだけ書かれていて、その他のお経は、
ブッタが説かれたものではなく、後世の人が書いた人間が書いた創作経典だ、という事実は
皆さんご存知でしょう?だからこそ証明仏が現れるのでしょう。
仏教を学びたければ阿含経しかない。この事実は認めざる負えないでしょう。

33名無しさん:2011/01/28(金) 21:13:29 ID:sBD4NsD.0
逆に聞きたいよ?
阿含宗でシチカサンジュウシチドウホンという
システマチックにのっとった成仏法を
実際に教えてもらった超ラッキーなお方が
いるのなら是非紹介して下さい。お願いします。

34天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/28(金) 21:43:46 ID:kLk17gXs0
>>33 私も賛同。是非伺いたいものだ。
信者は「学んだ。受けた」というが誰も成仏法をマスターした人はいないし、
ゲイカも指導をしてません。せいぜい「深田さん」ぐらいは嘘でも
「教えた。マスターした」といえるかもしれないが、そのほかで「俺は管長から
教えて貰って習得した」という人はいませんからね。

出せるものなら出してもらいたいですね。

35ラシン:2011/01/28(金) 22:58:01 ID:98U1EaJc0
>25 :準シュダオン:2011/01/28(金) 19:01:47 ID:1F7rdgXk0
>ラシンくんのレスが、半行ほど目に入ることもあるが、愚か者だと解かる。

さすがは電波老人さん、私のレスを読まなくとも”ビビ”っと分かる。
すんごいNO能力です、と言いたいが、ただの悔し紛れでしょう。
実は読んでいるから、腹が立って面白くない。
見ざる聞かざる言わざるの三サルが、あなたですよ。
サル知恵で反論したあなたの文章を読み直したら、
普通の人間はなら恥ずかしさを覚えるが、あなたには通用しない。
桐山さんの三サルと共同歩調し、調教されたサルに等しい姿が、
あなたによく見えます。

>おそらく、現世利益を求めて阿含宗の修行をしたのであろうw。
そんな私利私欲の現世利益が、叶うはずもない、愚かなw。
今の阿含信者には、私利私欲の現世利益を求める者は、ほとんどいないね。

おっしゃるとおり、過去の私の我欲を否定はしません。
誰しも人生において蹉跌はあります。
ただ大事なことは、それに気付いたら修正する勇気ではないでしょうか。
また、私利私欲の現世利益だけで多額な金銭をご喜捨でますか?
あなたはどうなのだ?
批判者は自分の愚かさを認めたから、桐山さんのインチキを言及出来るのです。
では、あなたはどうですか?
純粋にご喜捨をした実績を披歴してみてください、出来るのか?

>だから、仏・菩薩の誓願として、財施などして世界平和のイベントをして、
見返りは求めていない。それについて来れない強欲ラシンくん、みたいな
者が、悔しさから悪態をついているわけです。見苦しいねw。

あなたは見返りを求めないなら、その聖行の結果を見届ける責任はあるでしょう。
それで、そこに何があるのだ?
キャッチコピーなら誰でも創作できます。
ならば結果はどうなったのだ?
過去にご利益がない宗教は要らないと言ったあなたの言葉の責任は、
どうなるのだ? 答えられるのですか?
それともまた、うんこだと逃げるのか。
批判意見が悔しさに基づくなら客観的論拠など示しませんよ。
それに対してあなたの反レスの論拠はどうしたのだ?
ただ、ただ、
勝手な独善を咆哮するための偽造捏造の知恵を磨いているのでしょう?
その証拠を直近のあなたの卑怯姑息があるから再現してあげますね↓。
親切心を押し売りはしませんから、反論できるならどうぞ。

ー阿含宗と桐山氏について◆第52章【オイラの祭典・マヤかしの祈り】ー
>984 :準シュダオン:2011/01/27(木) 10:32:31 ID:1F7rdgXk0
「十六法成就者は威徳顕照にして、沙門衆も詣でる」と、経にありますね。

ウソと偏向です、そんな経文はありません、正しい原文は、
一切事経:http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky038800uoft#page/104/mode/2up
ー抜粋ー
 魔訶男、若し優婆塞、是の如き十六法を成就する者は、彼の諸々の大衆悉く其所に詣づるなり。
 謂く婆羅門衆、刹利衆、長者衆、沙門衆の諸衆中に於て威徳顕曜せん。
ー訳ー
 マハー・ナーマンよ、もし男性在家者でこのような十六法を成就する者は、
 多くの人々がそこに参詣するであろう。
 いわゆる、バラモンの人達、王侯貴族の人達、長者の人達、修行者の人達の中に居て、
 その威徳は光り輝くであろう。

>984 :準シュダオン
>「十六法成就者は威徳顕照にして、沙門衆も詣でる」と、経にありますね。
 外道の沙門が詣でるくらいで、威徳が優れてると、お釈迦さまが言うと思うのですか?w。

>と、経にありますね<

何だ??、このような経文が一切事経のどこにあるのだ?
この表現が、いかに独善的に偏っているかは歴然でしょう?
これが、あなたの本性であり、稚拙な国語力なのです。

桐山さんと同様、欺瞞と姑息でチンケなハッタリ屋を証現していますよね。
だから、
あなたの「この外道の沙門が詣でるくらい」と言う表現は違いましたよね。
当時のインド社会の価値観を知らない愚考です。
婆羅門衆、刹利衆、長者衆、沙門衆、との経文を飛ばしたあなたの稚拙な国語力か?
それとも、捏造?、またはゴマカシですか?
好きなほうを選んでみたらどうですか。
あなたのプライドがかかっていると思いますよ。

36干柿:2011/01/28(金) 23:22:04 ID:BBtat4sE0
>>32
あのね〜
なんで釈迦を証明するのに後の人々が考え出した観音やら大日如来とかいう
偶像が現れたりするんだよ
あなたはわかっているんですか?観音や大日如来とかは、いわゆる大乗やら
密教やらの釈迦の直説とはほど遠い偽経典に登場する想像佛だということを
そして釈迦は自分自身を崇拝の対象とされることを嫌ったというか意味がない
姿かたちなど拝むな法を学べ修行せよ!と説いたのです。
そして護摩などは禁止したし、釈迦に帰依した護摩を焚いて祈ることをしていた
カッサパ三兄弟はあっさり護摩の道具を捨ててしまったのです。
悟りを求め解脱を得るために護摩法などまったく意味のないものだということです。
はたして真実の釈迦がそんなものを証明のあかしに用いるとお思いか?
まったく、ここに来る人でいまだこんなこといっているゲイカに毒された人も珍しい
ゲイカや阿含宗のひとりよがりな教えや本だけでなく
自分で実際に阿含経なりスッタ・ニパータなり読んで考えたら?
すくなくとも釈迦直説、根本仏教を自称するなら阿含宗のやっていることは
まったくのインチキだと学ぶべきでしょう。

37桐山千景:2011/01/28(金) 23:26:10 ID:ShlmSMsM0
>>32
>名前:修験者 投稿日: 2011/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0
>お釈迦様が説かれた教えと法は阿含経のみだ。ということです。
>それ以上でもなく、それ以下でもない、お釈迦様を信仰するのなら、
>阿含経に依るしか無い。ということです。
>そして今現在、阿含経を拠り所として信仰したければ、阿含宗の桐山靖雄の元で修行するしかないという事です。
>ブッタが説かれた教えと法は、阿含経にだけ書かれていて、その他のお経は、
>ブッタが説かれたものではなく、後世の人が書いた人間が書いた創作経典だ、という事実は
>皆さんご存知でしょう?だからこそ証明仏が現れるのでしょう。
>仏教を学びたければ阿含経しかない。この事実は認めざる負えないでしょう。

「法と教え」ねぇ〜?
「証明仏」ねぇ〜?
あんたは桐山靖雄さんの三段論法に洗脳されているな。
まるで阿含宗教学試験の模範解答のようだね。パンフレットそのままだな。
おまえ「栗花」だろ。ええ、違うか。

釈迦の仏教というのなら、なぜ桐山靖雄さん以下坊主モドキが「戒律」を
遵守しないのだ。なぜ護摩を焚くんだ。
釈迦は厳格に戒律を制定し、世俗に交わることを禁じた。護摩などは外道の
やることだとしてやらないし、先祖供養をやって10万円搾取するということなど
やらなかった。
桐山靖雄さんは「指導」と称して、「御霊諭」なるものをしたため、若い女性信者をホテルに
誘った。釈迦仏教どころか、その辺の土建屋のチョビヒゲ社長と変わりがないではないか。
あんた釈迦の教えとか阿含経というのは、ご勝手だが桐山さんのやっていることは
宗教ではないのだ。詐欺なんだよ。
宗教の皮を被った「宗教詐欺」なのだ。
エロ川の件で、完全に桐山靖雄の化けの皮は剥がれたのだ。
桐山さんがコケタのだから、あんた教団の教えでものを言っても、もはや
世間では通用しないんだよ。もはやこの流れは押さえることはできんよ。

38上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/28(金) 23:34:23 ID:SmEF4Oe2O
>>2:修験者11/01/27(木) 16:08:52 ID:Etct2vj.0
>昨年のオーラの祭典にも龍神様や本当に仏様だと思われるはっきりとしたお顔が現
>が現行されました。証明仏の現形に勝る証明無し、猊下は真の聖者、人間の証明ほど
>当てにならないものはない、惑わされないように、要注意!

こんばんは!上高田三郎っす!
首も吊らなかったし、風も強くないけどまた来てしまいました。
修験者さん。質問です。
アゴン宗の方はさておいても、マヤの長老たちの焚き火の方には何か出ましたか?
マヤの信仰はどんなもんか調べてみました。
太陽信仰、巨石信仰ですね。あと蛇なんかも信仰するようだ。
あの焚き火に蛇みたいの這ってませんでしたか?
いいですか?これは文化交流ですよ。
アゴン宗の方だけ龍神とか舞ってみせるのはどんなものでしょう。
イヤミではないですか?オラたちはこんなスゴイ法力がある。
こら!メキシコの田舎から来たマヤどもよ。おまえらにこんなことができるか?
アゴン宗だけの焚き火ならば、龍神だろうがなんでも舞わせればよい。
しかし今回は合同法要のお客様がいる。
慎み深い日本人ならば遠慮というものがあろう。
相手に力がないのなら現形奇蹟も慎ましげに自粛すべきだ。
それともオタクの龍神恥知らず?
しかし相手のマヤにも法力あって蛇神を這わせる現形があるならば、これは龍蛇の
競演、演舞乱舞です。
ユビキタス君に代わって僕が出てきたのには新たな発見をしたんだよ。
マヤの宗教とは日本と同じ太陽信仰と書いたよね?
そこで昨年のオーラの祭典で何か思い出さない?
ノストラダムスの4行詩ですよ。

日の国の法と金星の法が競い合う
たがいに予言のエスカルゴがプリプリしながら
背を向けあうが
胃大なるメシーは日の国の法によって保たれる

日の国の法とは日本の天照信仰と思われていた。
ところがこの日の国って日本に限らんのですよ。
マヤ・メキシコも太陽信仰の国です。
今回太陽信仰のマヤとアゴン宗が合同焚き火をした。
どちらも占い予言もするし。
あの焚き火大会って競演、競い合うではないですか?
金星の法、言わずとしれたアゴン宗の看板だけの昔の商品グモンジ法です。
あのノストラダムスの予言は実は昨年のオーラの祭典を予言していたのです!
イベントネタに窮したアゴン宗は胃大なるゲイカのメシの代金を稼ぐため日の国

マヤの法のネタを借りたのです。

39深山:2011/01/28(金) 23:58:52 ID:OS6GgYzw0
>>2:修験者11/01/27(木) 16:08:52 ID:Etct2vj.0
>>18 :修験者:2011/01/28(金) 16:01:17 ID:Etct2vj.0
>>32 :修験者:2011/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0

最初に、修験者さんのようにきちんとアゴン宗教義を主張される信者さんが
このスレに来られたことを歓迎いたします。
このスレをごらんになればわかるように、隼シュダオンさんは
アゴン宗の教義など無視して、勝手な宗教観を並べて、
これは批判側にとって迷惑なだけでなく、アゴン宗にとっても迷惑行為です。
準シュダオンさんはすでに議論の終わったことを完全無視して、
また同じ内容をくどくどとくり返すものだから、ここはまるで脳を患った患者のいる老人病棟状態です。
一方、2ちゃんねるでは壊れてしまった元愛人が暴れまくっているから、精神病院状態です。
きちんとしたアゴン宗についての議論をしたいと思っても、
「まともな信者」「まともな擁護側」がいないのです。
だから、あなたのようにアゴン宗の教義をそのまま書いてくれる方はありがたい。
なぜなら、それこそ沈黙のまま読んでいる信者さんたちの信じている内容だからです。
あなたはアゴン宗と信者を代表するという自覚を持ってその姿勢を貫いてください。

40深山:2011/01/29(土) 00:04:51 ID:OS6GgYzw0
>>32 :修験者:2011/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0

私も修験者さんには反論や質問がたくさんがあるが、他の人たちの
質問も多いから、今日は遠慮しておきます。
修験者さんにお願いしたいのは、反論や質問を無視して、一方的に教義を
独り言のようにただ並べるのではなく、質問にはきちんと答えてください。
こういう議論のキャッチボールが大切なのです。
あなたの書き方を見ていても、それをしたことがないのがわかる。
ここにいる批判側の大半は元信者ですから、あなたが説明したアゴン宗の
教義も、また阿含経の位置づけもよく知っています。
あなたの主張の元ネタとなっている桐山さんの本も知っています。
だから、阿含経がシャカ直説の経典であるといった説明は
あなたに教えてもらわなくても、ここでは常識です。
まず、テーマを一つか二つ、あなた自身が選んで、批判側から
出された質問にきちんと答えてみてください。
なお、議論する上でお互いに気をつけなければならないこととして、
あなたも仏道修行をしているという自覚があるだろうから、
罵声やあざ笑い、根拠のない自惚れや侮蔑は避けて、冷静に議論しましょう。
また、準シュダオンさんを反面教師として、あなたはどこまでも
アゴン宗の教義に基づいて主張するべきで、アゴン宗の教義ではない
個人的な宗教観を主張するようなことは避けてください。
老人病等の患者は一人で十分です。

41ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 08:26:29 ID:SmEF4Oe2O
>>2:修験者11/01/27(木) 16:08:52 ID:Etct2vj.0
>猊下の般若心経瞑想法の空の概念は聖者にしか書くことはできない。
>よって猊下は境界の高いブッタである。凡人や偽物には、あの空の理論はとうてい書けるものではない。
>証明仏に勝る証明無し!!!!!!!

大乗仏教の般若心経など持ち出しているが、これは以下に矛盾してませんか?

>>32:修験者11/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0
>お釈迦様が説かれた教えと法は阿含経のみだ。ということです。
>それ以上でもなく、それ以下でもない、お釈迦様を信仰するのなら、
>阿含経に依るしか無い。ということです。

>ブッタが説かれた教えと法は、阿含経にだけ書かれていて、その他のお経は、
>ブッタが説かれたものではなく、後世の人が書いた人間が書いた創作経典だ、という事実は
>皆さんご存知でしょう?だからこそ証明仏が現れるのでしょう。
>仏教を学びたければ阿含経しかない。この事実は認めざる負えないでしょう。

般若心経は阿含経典ではなく、後世に創作された大乗経典です。
しかし当然私も知ってますよ。
阿含経ではないが、大乗経典であれど、その説いている空の教えは間違っておらず
重要なことだから毎日読唱するのであると桐山さんも説明している。
観音経までもそうなんでしょうかねえ?w
しかしこの般若心経瞑想法の本は装丁こそ過剰で少しの内容を馬鹿でかい字で
ページ数だけ稼いでいるのだが、それでも桐山さんはこれを学者の文献などを
読み漁り苦労して書いた著書だとしています。
パンフレットの文章用にと気楽に書いたのが「守護霊をもて」のベストセラーに
なってしまったのに対して、苦労して書いたこの著書が売れないことをこぼしていた。
この著書で画期的だったのは仏教史の年表を導入してアビダルマなどと比較した
ことだと自分で述べている。
つまり学者の研究成果をお借りしての考察なんです。
他人のふんどしで相撲をとりながら、この程度の「理論」に聖者でなければ
書けないなんて、あなたもよほど桐山本以外の仏教書を勉強したことがありませんね。
それにあの瞑想法、空観など体得できませんよ。
空がわからない、わかりたくないからあんなものしか書けないのだと思う。
続く

42ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 08:36:45 ID:SmEF4Oe2O
>>2:修験者11/01/27(木) 16:08:52 ID:Etct2vj.0
>猊下の般若心経瞑想法の空の概念は聖者にしか書くことはできない。
>よって猊下は境界の高いブッタである。凡人や偽物には、あの空の理論はとうてい書けるものではない。
>証明仏に勝る証明無し!!!!!!!

月の中に輝かしい菩薩が現れて、その光を受けて自分も光り輝くという瞑想法です。
三つのカテゴリーに分けて不滅なものはないなど空を考えさせるメニューを
用意しているが、こんな妄想にうっとりしていたら空なんて永久に悟れない
のではないかと思います。
阿含経に出てこない般若菩薩や観音菩薩なんかが出てきて。
それにしても証明仏については干柿さんが一番痛烈なツッコミをしている。

43ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 09:17:54 ID:SmEF4Oe2O
>>32:修験者11/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0
>お釈迦様が説かれた教えと法は阿含経のみだ。ということです。
>それ以上でもなく、それ以下でもない、お釈迦様を信仰するのなら、
>阿含経に依るしか無い。ということです。
>そして今現在、阿含経を拠り所として信仰したければ、阿含宗の桐山靖雄の元で修行するしかないという事です。
>ブッタが説かれた教えと法は、阿含経にだけ書かれていて、その他のお経は、
>ブッタが説かれたものではなく、後世の人が書いた人間が書いた創作経典だ、という事実は
>皆さんご存知でしょう?だからこそ証明仏が現れるのでしょう。
>仏教を学びたければ阿含経しかない。この事実は認めざる負えないでしょう。

>>36で干柿さんが書いたように、仏教の真実の教えは阿含経のみに説かれていて
それを弘めた桐山さんの功績を証明するために現れたというのならば、どうして
阿含経には説かれもしない大日如来や不動明王などがノコノコ出て来るのか?
桐山さんはこれら後世の創作経典が作り出した実在しない架空の仏としています。
観音などは後にペルシャから来た神だと桐山さんも書いている。
桐山さんは空想の仏と感得の仏がいるとも般若心経瞑想法で書いている。
観音などは感得の仏としている。
しかしてその正体はペルシャの神様です。
私は伝法会で用紙で質問したことがある。
感得もできたペルシャの神である観音はいつ仏教の成仏法を習い解脱したのかと。
もちろん回答はなかった。
ムチャリンダ竜王は阿含経にあります。
それはコブラであり釈尊に覆いかぶさり、悪天から守護したとされる。
しかしアゴン宗に現形したムチャリンダ竜王は蛇、コブラではなく、中国で信じられていた
それとわかる馬面です。
これは何を意味するかわかるか?
釈尊の説いた阿含経を唯一実践する教団ではないことを証明しに現れたような
ものではないか?
「こんにちは、証明仏です。桐山靖雄のアゴン宗は正しい阿含経仏教を復活させた
正統教団であることを証明しに遥々やってきた」
「あんた誰?」
「大日如来です」「不動明王です」「観音菩薩です」「中国製馬面ムチャリンダ竜王です」
「汝らは阿含経にない全て後世の創作、偽作経典に説かれる実在しない空想架空
のホトケではないか?面白いのう。お前ら後世の空想のホトケが何を証明しに来た?
アゴン宗も空想と証明しに来たか?」

44仏陀を探しています:2011/01/29(土) 09:23:40 ID:LI9Au5sk0

「釈迦が説いたからアーガマが尊いのではない!
別に近所の田中さんが説こうが井上さんが説こうがかまわない、
そこに成仏法があるならば!!」

桐さんがよく法話で話していたことです。
では立宗◯◯年になるそうですが、だいぶ年月が経ちました、
阿含宗の中でその尊い成仏陀法(仏陀に成る法)を
実際に体得して桐さんのように?完全仏陀になられたお方は
いったい何人いらっしゃるのでしょうか?
阿含宗の中に仏陀は何人いますか?
是非生きた仏にお会いしたいなと、
我こそは仏陀であると断言できるお方いらっしゃいますか?

45ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 12:54:57 ID:SmEF4Oe2O
>>32:修験者11/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0
>お釈迦様が説かれた教えと法は阿含経のみだ。ということです。

どうして教えと法の2つに分けるのですか?
たしかに教法という言葉はあります。
しかしこれはどちらも同じ意味で真理の教えを表します。
法とは真理を表し、真理の教えだからです。
しかし私はアゴン宗の元信者だからあなたが説きたいことは十分によくわかります。
教えとは言葉により説かれたもので人はそれをよく理解して実行して目標に
近づこうというものです。
一方法とは摩訶不思議な密法であり、言葉や理解を超えて直接に力が加えられて
目標に到達する道です。
しかし密教ではこのような顕密の両道を説いても釈尊はこんな説き方をしません。
釈尊は言葉で教えを説いて理解納得させてその実践を説いたのです。
おかしな法術みたいなものはない。
それは七科三十七道品と言えど、あれはおかしな密法ではない。
実行すべき教えの範疇なのです。
桐山さんは輪廻する葦で初めて七覚支の解説をしましたね。
あれを読んで思ったが桐山さんが説明しているそれは教えではないかと。
落語の厳しい修行の逸話で一杯の天ぷらそばの話とか書いているけど、要するに
教訓話ではないかと。
本当の七覚支法はあれよりももっとシステマティックな道なんですけどね。
しかし教えの実践には変わらず、桐山解説でも教訓でしか示せない。
桐山さんは大乗の六波羅蜜を批判しました。
得べき実践徳目ではあっても修行法ではないと。
では修行法、成仏法として示した七科三十七道品を解説させたら六波羅蜜と基本的には
同じ語り口の教えにしかならない。
桐山さんもそれを認めざるを得ず、七科三十七道品は教えと瞑想と練行からなる、
瞑想は四念処で、練行としては四神足くらいしか指差せなかった。
しかし四神足が神通力を得る道ならば、実は目標目的の解脱を得るのに神通力も
必須などではない。煩悩を断つだけでよい。
いずれにせよ桐山さんは単なる教えでは人は救えず神秘の法の力を加えるより他ないとした。
しかしそんな神秘の法など釈尊は説いていない。
あくまでも言葉で解説して理解して観念工夫して実践する道であり、それが三十七道品
などにいろいろと名称もつけられた修行法です。

46準シュダオン:2011/01/29(土) 12:56:48 ID:1F7rdgXk0
おっ、仏陀を探してる方、なかなか鋭い指摘です。胎蔵とは、誰にでも仏性
は内在している、という意味ですね。その仏性の種が目覚めて芽を出すか否
かの問題です。わたしの印象では、阿含宗の僧侶を含めて、須陀?クラスは
相当数居ると思います。これは、管長もそう話しています。信徒の中に、
阿羅漢は、たぶん、まだ誕生していないと思われます。
釈迦の教団でさえ、阿羅漢は多くはなかったので、仕方ないでしょう。
しかし、須陀?になれば、仏陀へのエスカレーターに乗ったようなものだ
といわれてますから、仏陀の卵誕生と考えて良いでしょう。

仏陀の聖なるバイブレーションを受けるのは、近道なような気がします。
昨年5月例祭にて「仏陀の思念の瞑想」を、13年ぶりに管長が行いました。
参加者は、「体がぽかぽか温かくなり、ゾクッとしました」とか、
「やる気満々になるバイブレーションを感じました」とか、
「全神経を集中させたので、思念を吸収できました」とか、感想を述べて
いますが(宗報第293号)、残念ながら、これはまだ聖なるバイブレーション
とは、違いますね、まだその予備段階でしょうね。

聖なるバイブレーションは、曖昧なものではありません。強烈です。
地震に例えたら、震度5の地震が10秒間も、続いたに相当する衝撃です。
相当鈍い人でも、気がつくでしょう。人間の思念とは思い難い振動です。
どこかに思念の、ブースターステーションがあって、そこから来たのか、
と思うような強さです。まぁ、私の個人的・主観的な感覚ですけども。

47ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 13:15:28 ID:SmEF4Oe2O
>>32:修験者11/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0
>そして今現在、阿含経を拠り所として信仰したければ、阿含宗の桐山靖雄の元で修行するしかないという事です。

いいえ、そんなことはありません。いくらでも実践者はいます。
日本国内でも実践されています。
たとえば日本テーラワーダ仏教協会の代表のスマナサーラ師です。
聞いたことありますか?本をたくさん書いている。パーリ聖典の解説もあります。
東京都内の自らの精舎でヴィパッサナー瞑想も教えています。
スマナサーラ師ってどういう人か知ってます?
スリランカ仏教のシャム派の日本代表、最高地位の長老です。
桐山さんがもらった名誉の法号はスリランカ仏教のシャム派からですよね。
そのシャム派の日本最高権威です。
その彼が日本人に正しい仏法を教えている。
ちなみにスマナサーラ師は某教団の解脱供養を批判しています。
名指しにはしないが、解脱供養なんて用語はアゴン宗にしかない。
他に日本からスリランカ、ミャンマー、タイに渡り現地で出家修行をしてきた
日本人もいます。井上ウィマラ氏とか地橋秀雄氏とか。彼らもヴィパッサナー瞑想を
教えている。
今まで知らなかったのならそれは仕方がない。
知ったら読んで調べてみてはどうか?
天照さんもまだ現役信者の時、これを実践した。
スマナサーラの説く教えはあなた方アゴン宗の信者には満足いくものではないでしょう。
しかし一読してそれなりの感銘を受けた。アゴン宗とは別の。
干柿さんもスマナサーラは愛読書です。
しかし彼は自分の観察もよくできていて、自分が好きなのは昔から密教や修験の
方だと言う。しかしスマナサーラ仏教はこれはこれで素晴らしいと認める。
そして本当の釈尊の教えはスマナサーラ師の方が近くて本物だろうと悟った。
桐山さんは密教の行者で通していればよいものを釈尊の阿含経の道を誤って示した
ことを批判している。まあその密教修験ですら修行経験もないのですが。
このように勉強すれば、阿含経に則った実践をする師は皆無だなんて無知なことは
言えなくなる。

48ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 13:48:38 ID:SmEF4Oe2O
>>18:修験者11/01/28(金) 16:01:17 ID:Etct2vj.0
>釈迦が説いた説法をまとめたのが、阿含経、その中に因縁を解脱する方法がとかれていて、
>その阿含経を修行したのは猊下だけ、だから阿含宗に入会して信仰してる。

因縁解脱など阿含経にも大乗仏教にもどこにも説かれていません。
そのような用語もなければ概念もない。
因縁とは運命ではなく単に原因のこと、あるいは物事は関係しあっている法則です。
これの脱却なんて有り得ない。
解脱という用語はある。しかしこれは煩悩の鎖を解き放つ悟りと実践と成果です。
桐山因縁解脱の表す概念もない。
桐山因縁解脱とは現世今生において不運な運命を回避好転する運命転換ですよね。
しかしそんな運命転換を説いていないのです。
説くのは煩悩をなくす解脱、煩悩解脱しかない。
人生は短い、長く生きても百年だ、いつ死んでもおかしくないのだから、今この
瞬間を清らかに生きよというものであり、明日をもわからぬ命を延ばすことなど
説いていない。
運命の改善があるのなら死んでから来世にまた生まれ変わるはずのものが
生まれ変わらなくなる輪廻からの脱却だけです。
そこだけに限定され、現世の運命の好転など説いてもいないし、求めてもいない。
桐山さんは「仏陀の真実の教えを説く」で阿含経を紹介引用して解脱を説きました。
そこに示された解脱は煩悩解脱です。読めばわかる。
しかし桐山さんはこれを示しながら「しかし」とした。
しかし煩悩解脱だけならばこれは小解脱ではないか?身体も運命も変わってこそ
大解脱なんだと説いた。
普通こういう大事なことを語るならば経典の記述根拠を示すのが当たり前ですよね。
だって阿含経の解説本なんだから。
ところがそんな当たり前のことがされていない。
小解脱、大解脱の区別分類なんて阿含経のどこにも示唆すらされていない。
桐山さんの好みに過ぎない。
煩悩解脱だけじゃつまらんだろ?小解脱だろに過ぎないだろ?と釈尊の阿含経に
ケチをつけ唾棄、侮辱したのです。

49仏陀を探しています:2011/01/29(土) 14:00:48 ID:sBD4NsD.0
準シュダオンさん
さすが準シュダオンさんだけの
ことはあるね
詳しいね
ところで準シュダオンさんは
準なだけにまだシュダオンには
到達してないの?
頑張って早くシュダオンにならなくちゃね
シュダオンのオーラは純粋なブルー
らしいよ
そっかぁまだ阿含宗には仏陀アラカンさんは
いないのかぁ
残念だなぁ
誰か桐山さんの他に
我こそは仏陀である!って
かっこよく進言してくれる人
いないのかねぇ、期待してたのに
残念だね
準シュダオンさんは準なだけに
まだ無理そうだね

50ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 15:13:18 ID:SmEF4Oe2O
>>32:修験者11/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0
>ブッタが説かれた教えと法は、阿含経にだけ書かれていて、その他のお経は、
>ブッタが説かれたものではなく、後世の人が書いた人間が書いた創作経典だ、という事実は
>皆さんご存知でしょう?だからこそ証明仏が現れるのでしょう。
>仏教を学びたければ阿含経しかない。この事実は認めざる負えないでしょう。

皆さんはこの証明仏が証明に現れたという話を聞いて恥ずかしいと思わないか?
創作経典法華経の話を知ってますか?
釈尊が四十五年未顕真実を打ち破って遂に初めて真実の法を説法した。
すると大地が震動し、地中から巨大な宝塔が現れて宙に浮いた。
宝塔に呼び寄せられた釈迦如来は多宝如来と対峙する。
多宝如来は釈迦如来の教えの正しいことを証明する。
オペラだねと桐山さんが言ったこの話は、決して賛辞ではない。
馬鹿馬鹿しいお伽話としたのです。そう、私もそう思う。
空想小説ならではの笑える作り話です。
しかしあなた方アゴン宗徒にこの法華経の多宝如来を笑える資格はない。
炎の中に仏が証明の為に現れたなんて信じているからです。
宝塔が地中から現れるのも、炎の中に仏が現れる話も、全く同じく笑える話なんです。
しかもその炎のホトケたるや横向いて猫背気味だ。
どこのお寺に横向いてる仏像があるのか?
これが証明仏か?しかも桐山さんにしか「我は応供の如来なり」なんて聞こえないし。
こんな馬鹿馬鹿しい権威がなければ証明されないなんて馬鹿な話があるか?
当時の民衆は釈尊が解脱した聖者であることを認めたのは、その立ち振る舞い、
言動に少しも煩悩を離れていると観察できたからです。
決してバイブレーションでビビビと感じたからではない。
ビビビと感化できるバイブレーションがあるならば桐山さんにはどうしてそれがないのか?
人目見ただけで帰依させるバイブレーションです。
もっともE川さんには通用したようだが。新聞広告の写真見ただけでこの往年の
ロマンスグレーのダンディーイケメンにビビビときた。
しかしあなた方は私も含め、そんなバイブレーションで入信していない。
著書を読んで共鳴したからです。あるいは入行後の御利益体験。
だから入行の例祭日初めて見る桐山ゲイカは既に聖者のように見えてもその根拠は
本の宣伝内容の共鳴の先入主です。
証明仏を見て帰依したのではない。

51ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 15:27:01 ID:SmEF4Oe2O
>>32:修験者11/01/28(金) 21:01:41 ID:Etct2vj.0

法華経の四十五年未顕真実も書きましたが、これも笑える話ですよね。
35歳で悟りを開いて45年間方便の教えを説いて、いま初めて弟子たちに強く
勧められて、一度はおまえたちには難解難入だと退けた法華経の真実の教えを
説こうと決意する段です。
もちろんこれは法華経の創作で、釈尊は45年間最初から最後までずっと阿含経
のみを説いてきたと我々はわかる。
しかしあなた方アゴン宗徒はこの四十五年未顕真実すらも笑う資格がない。
その45年説き続けてきた阿含経の成仏法は普通の新皮質脳では理解も体得も
困難、不可能で間脳を開発せねばならないと教えられているからです。
釈尊没後にしてこういうことをほざくのだから四十五年未顕真実よりもひどい。
2500年未顕真実です。
そんなことはなく、誰でも読めば理解できるあの教えが真実なのです。
あなた方は法華経信者以下だ。

52ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 18:38:06 ID:SmEF4Oe2O
>>9:準シュダオン11/01/28(金) 11:45:40 ID:1F7rdgXk0
>オリンピックの聖火は、今だに太陽の光をレンズで集めて、火を採ってるね。
>それはなぜか?宗教的考えだから。

これがアゴン宗が護摩を焚くことを擁護する書き込みだとしたら二つの理由で
それは成り立たないことを論じます。
まずオリンピックの聖火ですが、これは宗教にも共通する精神の表れだとしても
オリンピックは宗教でもないし、宗教的でもない。
それはオリンピックの主旨はスポーツマンシップに則ったスポーツ競技であり
シンボルとして聖火をマニアックに掲げたとて、それはオリンピックそのものと
何も関係ありません。
競技者にとって聖火などどうでもよい。
聖火の力にすがって競技に勝ったり記録を高めたりすることなど一人として考える
奴はいない。よって煩悩に発展する要素がない。
一方あなたのいう宗教心とは何か科学では説明のつかない神秘な力を頼り目的を
達しようというものです。
だからあなたの掲げる宗教心とやらにオリンピックの聖火を比較材料として出す
のは甚だピンボケです。
二つにはあなたがどんな宗教心を持とうと自由だが、殊釈尊の阿含経に説かれる
教えはそのような神秘の力に依存することを否定しています。
だからあなたの宗教心を守りたかったら、阿含経を選んだ桐山さんを恨むことです。
密教の立場を貫いていたらこちらも護摩を焚いて祈祷することに対してとやかく言わない。
阿含経を拠り所にしたから当然釈尊が阿含経で否定した護摩などをすることを批判します。
桐山さんに言いなさい。
護摩を焚きたかったら阿含の看板を下ろしなさい。
昔みたいに密教の立場でよいではないか?
ただ一度阿含を形だけでも掲げ、また密教に戻るからには、釈尊の阿含経は
価値がないと否定する立場をとることですね。
さもなくば、あなたがアゴン宗なんて看板を掲げる教団をやめて他の密教教団や
御利益信仰団体に移ることです。

53ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 20:50:36 ID:SmEF4Oe2O
>>25:準シュダオン11/01/28(金) 19:01:47 ID:1F7rdgXk0
>ところで、管長の脳梗塞って、本当かしら?
>仮病と違うか?

例祭法話を聞いてないのですね。
また内弟子E川さんの確たる情報から週刊誌の知るところにまでなっています。

>脳梗塞でも、普通人より優れた仕事してたじゃん、信じられない。

普通人より優れた仕事って何ですか?
これも具体的にあげてください。
私には自由業ならではの暇な楽な稼業だと思います。
ゴルフも読書もグルメも何でもありです。

>わずか、何年か前は、人種差別・奴隷制度が当たり前、今はどうか?

女性差別をしています。夫の運気を剋する因縁を出して、妻の運気を剋する因縁を
説きません。
後家の因縁を以て女性版中途挫折の因縁としています。
女性の自立を無視したような発言です。

>わずか、何年か前は、天皇が神は当たり前、今はどうか?

日本は神国としました。
森元総理がこの発言で失脚した。
神々がおわす国と神国とは意味が違う。
神によって統治されたる国です。
すなわち天皇=神とした天皇制の肯定に他ならない。
人種差別と言えば、日本に来た外国人は日本の神を信じるべきだとしています。
そんな必要などありません。日本にいながら母国のアイデンティティを持つのも
自由です。
日本なんて特別な国ではなく世界の中の一つの国なんだからお互いに平等であり
お互いに尊敬し合うべきではありませんか?
桐山さんには差別意識がある。

54桐山千景:2011/01/29(土) 23:14:09 ID:ShlmSMsM0
準糞(殉しゅだおん)は、自分の発言が桐山さんの足を引っ張ってることに
気がついてないんだな。わざとやってるのかもね。
とぼけた野朗だよ。洗脳された職員というのが「正体」だろ。

そういえば、「止息法」の大好きだったオヤジがいたね。
2ちゃんに。確か、「実行委員長」という野朗だったな。
九州の方の田舎で「何とか堂」とかやっていて、インチキくさい
商売やってたんじゃないか。それと豆販売な。

55ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/29(土) 23:23:25 ID:SmEF4Oe2O
>>54
止息法の実行委員長は私も今日思い出しました。
修験者さんの「ブッタ」を見てからです。
(豚じゃないんだから…)
ブッタと書く人は他にもいたように思うが、実行委員長も書いていたような。
もちろん修験者さんが実行委員長とも思ってない。
文章は短くてもボキャブラリーが違う。

57天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/29(土) 23:33:04 ID:QoM7aDlw0
HN 沢田研二さん。貴方は歌詞を上げての投稿はスレ違いですので、削除しました。
次回同じことをしましたらアク禁です。そういう行為はご自身でサイトを持ってお書きに
なられるか、別所でおやり下さい。

58現世利益ガリガリ君:2011/01/30(日) 01:22:45 ID:sBD4NsD.0
『現世利益を我利我利求めて、実らず、悔しくて、退会して悪口いってる輩?』
って準シュダオンさん随分ひどい事言うよね
現世利益をガリガリ求めて
たくさん稼いでドンドン供養金
阿含宗に入れなさいと
しきりに
10分法話で
行ってらっしゃい
勝つために!って
さんざん急かした
のは桐山さんだよ。
準シュダオンさんだってガリガリ稼いで
ガンガン財施供養してるんじゃないの?
ガンガン稼いでドンドン供養しないと
いつまでたっても餓鬼界の意地汚い因縁は切れないよ?!

59準シュダオン:2011/01/30(日) 10:01:08 ID:1F7rdgXk0
阿含経には因縁解脱を説いてますよw、そういう基本も理解できないままに、
修行したから、ユビキタスさんなどは、修行の効果が出なかったのです。
因縁解脱=因縁滅=縁起解脱=縁起滅、であることの理解が必要です。
で、仏教辞典には「悟りは(解脱)、縁起の滅した世界とされた」と、
説明されているのです。(縁起の項)

そういうことも理解できない、低いレベルで、勝手な解釈で修行したから、
修行の効果が出なかったのです、これを我見というのです。
辞典の説明を理解できないことも問題だが、辞典を盲信してもいけません。
例えば、岩波仏教辞典の「覚支」には、七覚支法の説明がありますが、
その説明は、阿含仏教の七覚支の説明ではありません。

辞典には、「(念覚)→おのれの言行を思い起こし(択法)→それらをよく
思料しつつ、(精進覚、喜覚、軽安、定覚)省略・・(捨覚)→あらゆる
感情を離れた平等な態度が達成される。」と、説明されています。
 しかしながら、阿含経典にはそのような説明はありませんね。
テーラワーダの瞑想法には、辞典のような解説の七覚支が、あります。

ですから、辞典の「覚支」の項を担当した仏教学者は、テーラワーダと
原始仏教を同じものだと考えて、テーラワーダの七覚支を解説したのですね。
しかし、阿含仏教の七覚支とテーラワーダの七覚支は違います。
そのように、辞典を盲信してもいけません。経典に当たり、確かめる智恵が
必要ですね。わたしは、誰に教わったわけでもないのに、そういうことが、
解かるようになりました。(バイブレーションに教わったのかも?)

60ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/30(日) 11:00:05 ID:SmEF4Oe2O
>>59:準シュダオン11/01/30(日) 10:01:08 ID:1F7rdgXk0
>例えば、岩波仏教辞典の「覚支」には、七覚支法の説明がありますが、
>その説明は、阿含仏教の七覚支の説明ではありません。
>辞典には、「(念覚)→おのれの言行を思い起こし(択法)→それらをよく
>思料しつつ、(精進覚、喜覚、軽安、定覚)省略・・(捨覚)→あらゆる
>感情を離れた平等な態度が達成される。」と、説明されています。
> しかしながら、阿含経典にはそのような説明はありませんね。

ほう?あなたは全ての阿含経典を読んだ上で発言されているのですか?
それならば問うが、桐山さんみたいに念を強くしてバランスを保つみたいに書いてある阿含経典を
示してみなさい。

>テーラワーダの瞑想法には、辞典のような解説の七覚支が、あります。
>ですから、辞典の「覚支」の項を担当した仏教学者は、テーラワーダと
>原始仏教を同じものだと考えて、テーラワーダの七覚支を解説したのですね。

はははは、学者が辞書の編纂に一部特定団体の実践など根拠にしますかいな。

さて、あなたへのレスはこれだけです。
全て反論済みですし。

61天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/30(日) 11:41:47 ID:LHqOYEAE0
反論済み攻撃はいいなあ〜。何度説明しても同じことをするんだから、これが当然かも。

62ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/30(日) 12:18:50 ID:SmEF4Oe2O
七覚支の念覚支が桐山さんによると、念を強くするですよね。
一方辞書まどはおもいを平らかにするです。
さて桐山成仏法として念を強くするという覚支がそれなんだと仮定しましょう。
では念を強くするには具体的にどうするのか?
そこまで阿含経に書いてあるのか?
ちなみにおもいを平らにするならば、これは教えなんだから各自観念工夫すればよい。
念力を強くするもそうなのか?
念力を強くすりゃいいんだ。よっしゃ、わかった!あとは具体的にどうやって
念力を強くするから阿含経を離れて仙道に求めたり自由に模索しよう、ヒントだけ
得たんだから。
そういうことなのか?
しかしそれだったら六波羅蜜の徳目だけの羅列と変わらんじゃないか?
バランスを保つってのも具体的にどうやってそれで何を狙うのか?
桐山さんが六波羅蜜を成仏法ではないと言う理屈ならば桐山アゴン経シチカクシも
成仏法システムなどではないことになる。

63ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/30(日) 13:10:02 ID:SmEF4Oe2O
>>58:現世利益ガリガリ君11/01/30(日) 01:22:45 ID:sBD4NsD.0
>準シュダオンさんだってガリガリ稼いで
>ガンガン財施供養してるんじゃないの?

これはそのとおりだと思います。
身体を使った奉仕などは誰がそんな疲れることするもんかという態度でも
金払って済ます話には結構我利我利取り組んでいると思います。
と言うのは昨年こんな報告をしていた。
ある年、5千円か1万円の護摩木が余っていたので、特に困ってもいなかったが、
金運如意の祈願を書いたら、その年はさんざんだった。
やはり欲張りな祈願は叶わないと痛感したというものでした。
五千円か一万円の護摩木が余ってたからその消化の為に自分で余剰な祈願を書いた
と告白している。
こんな祈願をする背景にはやはり千本、二千本購入して書いて法施グッズをゲット
しようという狙いです。そのための消化です。
私もこういうことしたからよくわかる。
今年も2千本購入して輪廻転生瞑想曼荼羅を買うのでしょう。
奉仕ボン行はせず、こういう御利益購買だけはしっかりする。
我利我利信仰もいいとこですね。

64準シュダオン:2011/01/30(日) 14:56:18 ID:1F7rdgXk0
現世利益ガリガリ君、図星でしょ?我利我利求めて、供養して、実らず、
退会して悔しくて悪口言うw 図星でしょ。
凡夫の現世利益願望を、仏・菩薩の誓願まで高める修行を、仏道修行という
のですよ。だから、私は、初めは我利我利修行で良い、とレスしたのです。
しかし、何時までも我利我利修行では、見込みがないのよw。
これを、教えられて解かるようでは、ダメです。
管長だって、あちらこちらで、そのことを説いてるのですけど、我利我利信者
には、耳にも、目にも入らないわけです。

そういう信者は、幸福の宗教に行って修行した方が良いね。あそこは、
信者も多いし、その割に、幸福実現党は、国会議員150人は当選する、
と総裁は豪語してたらしいが、当選者ゼロとは、笑えて可笑しいね。
週刊誌には、大川某氏が、一夫多妻制を唱えたとかで、笑える記事を書いて
るね。あの教団の方が、阿含より大きくて、騙されて供養金出してる信者が
多いよ。ホントに人助けするつもりなら、そういう大教団を批判すべきで、
ないのかね?批判派は。

65ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/30(日) 15:00:45 ID:SmEF4Oe2O
>>64:準シュダオン11/01/30(日) 14:56:18 ID:1F7rdgXk0
>凡夫の現世利益願望を、仏・菩薩の誓願まで高める修行を、仏道修行という
>のですよ。だから、私は、初めは我利我利修行で良い、とレスしたのです。
>しかし、何時までも我利我利修行では、見込みがないのよw。

はいはい、んで、いつ我利我利信仰を卒業したんですか?
それともまだまだ卒業できないで我利我利信仰してるのですか?

66準シュダオン:2011/01/30(日) 15:09:27 ID:1F7rdgXk0
私のように、聖なるバイブレーションを受けると、退会など考えませんよ。
また、議論に左右されることもありません。管長の言葉にも、あまり、左右
されなくなります、そういうことは解かり切ってる、という心境ですから。
ゆえに、管長の「供養せい!」という言葉にも、馬耳東風ですw。
私は、無視してます。いや、無視はしないけど、無理はしないのです。

まして、現世利益などは自分で稼いで得る、という心境になってますから、
そういうことまで仏に頼るつもりも無くなってます。
おや、困った時の仏頼みの心境を忘れてますねw。
そのとおりです、仏への恩をもう忘れているのです。
そう、仏は恩着せがましくないから、いいのですわw。

無上ヨガタントラは、無努力にして、グルの力で解脱を成就する、といって
も、文字通りの無努力ではありませんよ。自力で努力して、努力して、
自力の限界を知った後での、無努力のことです。
まぁ、理屈ではそういうことなのだそうです。

67ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/30(日) 15:30:31 ID:SmEF4Oe2O
>>66:準シュダオン11/01/30(日) 15:09:27 ID:1F7rdgXk0
>無上ヨガタントラは、無努力にして、グルの力で解脱を成就する、といって
>も、文字通りの無努力ではありませんよ。自力で努力して、努力して、
>自力の限界を知った後での、無努力のことです。
>まぁ、理屈ではそういうことなのだそうです。

で、あなた自身はそういう自己努力をしたことすらなく、その屁理屈を採用して
最初から努力しない準シュダオン教を作ったのですね。
お願いだから出て行ってください。

68準シュダオン:2011/01/30(日) 15:36:45 ID:1F7rdgXk0
安那般那念経には、有覚、有観、寂滅、純一にして明分なる想、と出て
来ますが、有覚有観は初禅ですね。第二禅が、浄、喜、楽、です。
第三禅四禅を省略して、八解脱の第四解脱が住空処です。で、第八解脱が
滅尽定で、寂滅の想のことでしょう。第八解脱のことを、入滅想ともいいます
からね。だから、この経は、初歩の瞑想法から最高度の瞑想法を解説している
のだ、という管長の言葉が正しいことが解ります。

四念処法の説明だ、とするのは誤りですねえ。
止息とは休息のこと、なら身心止息とはどういう状態を指すのか?
そのための意識の有り方はどうなのか?
「念を繋げてよく学し」とは、意識を飛ばさないことをいうね、プッツン
しないことw。管長はそのための、テクニックを教えたのだと思いますね。

69ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/30(日) 15:44:11 ID:SmEF4Oe2O
>>66:準シュダオン11/01/30(日) 15:09:27 ID:1F7rdgXk0
>私のように、聖なるバイブレーションを受けると、退会など考えませんよ。

まあ身元が割れたら強制退会、除名処分ですけどね。
一応気を付けてくださいね。

>そのとおりです、仏への恩をもう忘れているのです。
>そう、仏は恩着せがましくないから、いいのですわw。

つまりこれは「俺は世紀末の危機に際して命がけで諸君を守る。だから諸君も
13人の守られる隊列を作ることを誓え。これは男と男の約束だ」と言った
桐山さんが根拠ない恩の押しつけと批判してるわけね。同感です。

70ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/30(日) 15:52:47 ID:SmEF4Oe2O
>>66:準シュダオン11/01/30(日) 15:09:27 ID:1F7rdgXk0
>まして、現世利益などは自分で稼いで得る、という心境になってますから、
>そういうことまで仏に頼るつもりも無くなってます。

この場合現世利益をお金があるのにお金儲けとか欲張り祈願的なことに想定してませんか?
そうではなく病気が治るように祈願したり、事故災害など遭わないように無事を
祈ることを現世利益と言うのです。
あなたはそういうことを釈迦が説かなかったら仏教は要らないとまで言いましたよね。

71ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/30(日) 16:04:28 ID:SmEF4Oe2O
>>68:準シュダオン11/01/30(日) 15:36:45 ID:1F7rdgXk0
>四念処法の説明だ、とするのは誤りですねえ。

こういうことを書くからにはもっと突っ込んで詳しく説明しなさい。
と言うのは桐山さんは四念処を瞑想に位置付けている。
一方あなたも安那般那念を初歩の瞑想から高度の瞑想とした。
瞑想だから四念処にはならないでは桐山発言に矛盾する。
どういう瞑想だから、こういう瞑想である四念処と異なると示さねば両者は
全く別物という根拠になりません。

>止息とは休息のこと、なら身心止息とはどういう状態を指すのか?
>そのための意識の有り方はどうなのか?
>「念を繋げてよく学し」とは、意識を飛ばさないことをいうね、プッツン
>しないことw。管長はそのための、テクニックを教えたのだと思いますね。

桐山さんは止息を休みともせず呼吸法のように解釈してるようですが、ところで
意識がプッツンしなくなることが成仏法なんですか?
言葉の断片がわかったかのように思えたからと言って全体がわからないならば
知ったかぶりはやめることです。
てか準シュダオン教には用がないからアゴン宗スレから出て行ってください。

72準シュダオン:2011/01/30(日) 18:32:15 ID:1F7rdgXk0
だから、言葉だけで理解しようとするのは、無理なのです。
私だとて、こういうスレには居たくない、けれども、これが阿含宗の実態だ
などと、元阿含信者にデタラメなレスをされたままでは、見過ごすのもねえ。
何も知らない、これからの現役信者が、嘘を信じてはかなわない。
だから、私の真実を、レスしてるのですよ、思念の相承も事実だ、とね。

準シュダオン教とは、管長の教えを通訳したものですから、阿含宗の範疇の
ものです。多分に大胆な意訳もありますけどね。
阿含経に因縁解脱が説かれていない、などというのは、話にならない。
因縁解脱のない仏教など、存在価値はないのです。
私は、仏教に因縁解脱が説かれていると管長が言うから、仏教を認めているので
あって、因縁解脱のない仏教など、ただの道徳で、興味はないね。

因縁解脱のない仏教の、どこが有りがたいの?馬鹿じゃないのw?

それから、ひろさちやさんが、大乗仏教の視点から駄文の本を高額で売ってるね。
これなど罪が重いよ。小乗仏教では出家しか成仏しないとか、男性しか成仏出来ない
と説いてるとか、無知をさらけ出して、大きな顔で本を出してる。
これなど、社会の害悪ですよ。大乗仏教の提灯もちをして、金を稼いでいるのか。
哀れだねw。

73ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/30(日) 20:46:31 ID:SmEF4Oe2O
>>72:準シュダオン11/01/30(日) 18:32:15 ID:1F7rdgXk0
>私だとて、こういうスレには居たくない、けれども、これが阿含宗の実態だ
>などと、元阿含信者にデタラメなレスをされたままでは、見過ごすのもねえ。
>何も知らない、これからの現役信者が、嘘を信じてはかなわない。
>だから、私の真実を、レスしてるのですよ、思念の相承も事実だ、とね。

そのような自覚があるのならば、あなたはアゴン宗の信者として模範とまでは
行かなくてもよいから、マトモな活動をし、アゴン宗の正統教学を身につけて
いなければ、現役信者に対しても説得力がありません。
さぼっていてもよいなどという戯れ言に誰が耳を貸すか?

>準シュダオン教とは、管長の教えを通訳したものですから、阿含宗の範疇の
>ものです。多分に大胆な意訳もありますけどね。

そう思うならば、あなたの考えを宗務局を通して桐山さんに伝え、それが正しいか
どうか許可を申請することです。
まず内部的にやっておかねばならないことがあるのはどこの世界でも同じです。
社長の決裁もなく一平社員考案の新商品をその会社の名前で
発表してよいか?
かつて上高田三郎君が「西面するタターガタ」を勝手に出版しなかったのは
宗務局に原稿を提出して許可を得なかったからです。
本気で出版なんか考えたら当然宗務局→管長に許可を乞います。
上高田三郎君2ちゃんねるにまで進出してアホキャラになりつつありますが。

>阿含経に因縁解脱が説かれていない、などというのは、話にならない。
>因縁解脱のない仏教など、存在価値はないのです。
>私は、仏教に因縁解脱が説かれていると管長が言うから、仏教を認めているので
>あって、因縁解脱のない仏教など、ただの道徳で、興味はないね。

その因縁解脱が現世利益祈願そのものに他ならないのです。
あなたが先程現世利益など自分でなんとかすると嘘をついた・・・

74干柿:2011/01/31(月) 01:17:08 ID:BBtat4sE0
準さんへ、
だいたいわかりましたねwバイブレーションとかいっても、あれでしょ
道場とかで祈りの最中とか護摩修法のときとかじゃなく、自宅とかで
ふとなんか感じたというのでしょ、そんなのどこがアゴンのいう霊的バイブレーションとかいうのと関係あるんですか?
護摩のときバイブレーションを感じたという人けっこういましたよ。まあそんな人もだいぶやめていなくなっていたのですが
考えてみれば例祭さえろくに参加したことがなかったのですよね。
たぶん、わたしが感じたのとは違うものでしょう、妄想っぽかねw
無上ヨガタントラとかいってるけど何が無努力なんでしょうかね?
何かと勘違いしているんでしょ無上ヨガって、あれですよ
ゲイカとE川さんがやっていたようなヨガですけど(笑)
昔は実際にしてたのを観想、瞑想法にした大天才がチベットにいて
それが今のチベット密教に引き継がれているというものみたいです。
だから師からどうのこうのじゃなく実際瞑想法がある密教行法です。
正木教授も本だしていますからちゃんと読んでくださいね
適当な妄想で努力しないだのとバカいってないでください。

75準シュダオン:2011/01/31(月) 09:57:24 ID:1F7rdgXk0
「んで、いつ我利我利信仰を卒業したんですか?」
とのユビキタスさんの質問があったけど、呆れて答えていなかった。
ホントに解からないの?

あのねぇ、現世利益の我利我利願望というのも、結局は十結煩悩から出て
来てるわけでしょ、阿含仏教ではさ。で、成仏とは十結煩悩を断って行く
過程でしょ。だから、シュダオンになっても欲貪や瞋恚はあるわけだから、
現世利益の願望もあるわけよ。んで、五下分結を断った阿那含でさえも、
精神的な欲望というか、五上結煩悩は残っているわけでね、名誉欲という
か、そういう現世利益が、阿那含といえどもゼロではないわけさね。
そういう欲望が完全になくなったら、仏陀なわけですからね。

だから、現世利益の我利我利信仰とは、仏陀になるまでは、完全な卒業は
出来ないわけです。程度問題なのです。だから、当然、わたしも卒業して
いない。卒業したという人は、嘘つきなわけですw。
でも、現世利益願望を、仏菩薩の誓願に転換するのが仏道修行と、気付いた
人と、気付いていない人の信仰では、修行の質が全く違うわけですよね。
で、批判派の皆さん方は、気付かないままで、退会してるわけですね。

76ラシン:2011/01/31(月) 12:27:52 ID:x9FuHHv20
>72 :準シュダオン
>阿含経に因縁解脱が説かれていない、などというのは、話にならない。
因縁解脱のない仏教など、存在価値はないのです。
私は、仏教に因縁解脱が説かれていると管長が言うから、仏教を認めているので
あって、因縁解脱のない仏教など、ただの道徳で、興味はないね。
>因縁解脱のない仏教の、どこが有りがたいの?馬鹿じゃないのw?

だから、馬鹿はあなたです。
仏教に因縁解脱などないと何度も批判側から指摘証明されている。
あなたの因縁解脱の解釈↓とは、

1>因縁解脱=因縁滅=縁起解脱=縁起滅、
2>仏教辞典には「悟りは(解脱)、縁起の滅した世界とされた」と、
 説明されているのです。(縁起の項)

これが間違いです。
縁起とは岩波仏教辞典を読めば簡単理解です。
縁起:縁って生起すること。
   ゴータマ・ブッダの悟りの内容を表明すると伝えられる。
   仏教の根本教理の一つ。
   生存の苦悩はいかにして生起し、また消滅するのかを示す。
   諸法の因果関係。此れを縁とすること、の意をもつも同義。
   
これによれば、
2>悟りは、縁起の滅した世界=生存の苦悩はいかにして生起し、また消滅するのかを示す。
つまり、1>因縁解脱=因縁滅=縁起解脱=縁起滅 との方式は成立しません。
釈尊は、教典で分かるとおり漏尽解脱という表現をしている=煩悩から解脱する。
辞典でも、「種々の縁起説は、煩悩→行為→苦悩を骨格する、」と解説されています。
ゆえに意味は、解脱し輪廻の停止によって、縁起という苦の生起は消滅するのです。
つまり縁起の滅した世界と言う表現となる。
縁起の解釈は、以上に拠らねばならない。

ではどの阿含経典に、因縁から解脱せよ、とあるのだ?
因縁解脱などこのように仏教にはありませんから、
アゴン宗は仏教ではない、ただの外道です。
桐山さんの批判する大乗仏教ですら煩悩滅を認めているから、仏教の残滓くらいはある。
アゴン宗には煩悩滅を小解脱として低く見ているのだから、釈尊に違背している。
ありがたい、ありがたくない、などの観点でしか宗教を捕捉出来ない。
こういう醜い本音を晒してまで、仏教にしがみつくことはない。
桐山因縁切りという信仰をすればよい、ただし外道の教えです。
ただの道徳なんていう道徳価値を卑下する発想しかもてないから、
桐山さんの不道徳性には極端に鈍感なのだ。
仏教とは、道徳を追求した人格の完成にある。
だから聖者と敬われるのです。
桐山さんのような世間の笑い者とは大きく隔たり、比べようのないほど違いすぎます。

77ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/31(月) 13:11:23 ID:SmEF4Oe2O
>>75:準シュダオン11/01/31(月) 09:57:24 ID:1F7rdgXk0
>あのねぇ、現世利益の我利我利願望というのも、結局は十結煩悩から出て
>来てるわけでしょ、阿含仏教ではさ。で、成仏とは十結煩悩を断って行く
>過程でしょ。だから、シュダオンになっても欲貪や瞋恚はあるわけだから、
>現世利益の願望もあるわけよ。んで、五下分結を断った阿那含でさえも、
>精神的な欲望というか、五上結煩悩は残っているわけでね、名誉欲という
>か、そういう現世利益が、阿那含といえどもゼロではないわけさね。
>そういう欲望が完全になくなったら、仏陀なわけですからね。
>だから、現世利益の我利我利信仰とは、仏陀になるまでは、完全な卒業は
>出来ないわけです。程度問題なのです。だから、当然、わたしも卒業して
>いない。卒業したという人は、嘘つきなわけですw。

はははは、ゴマカシにしても頭が悪い。
あなたは修行していてもまだ欲望が残っていることと
欲望を追い求める我利我利信仰を混同している。
あなたの屁理屈によると五上分結がいつのまにか断てたアラハンになるまでは
我利我利信仰をしていてよいことになる。
己の欲望を追い求めているうちにいつのまにかアラハンになるのかしら?
そうではなく最初のうちは我欲を求める信仰をしていても、そのうちに転機が
訪れてそういうものを追い求めなくなる、そしてさらに修行して欲望が漏れて出る
こともなくなるアラハンになるはずだ。
そもそもあなたは批判側を現世利益の我利我利信仰と罵ったのです。
しかしあなたの理屈によるならばアラハンでないのだから当たり前じゃんという
ことになる。
欲望がなくなった時期なんか聞いてません。あなたが我利我利信仰ではいかんと
悟り、それを改めた時期を聞いているのです。
それとも頭で悟っただけで、改めてない、改める気もない、我利我利信仰を
続けておればよいとでも?

>でも、現世利益願望を、仏菩薩の誓願に転換するのが仏道修行と、気付いた
>人と、気付いていない人の信仰では、修行の質が全く違うわけですよね。
>で、批判派の皆さん方は、気付かないままで、退会してるわけですね。

だから気付いてあなたの我利我利信仰はどう変わったのですか?
これは菩薩の誓願と思って我欲の追求に努めることにしたのですか?

78Boo:2011/01/31(月) 13:21:08 ID:WcLKDWl20
>43 名前:ユビキタス ◆18iA.mwnDU 投稿日: 2011/01/29(土) 09:17:54 ID:SmEF4Oe2O
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>「こんにちは、証明仏です。桐山靖雄のアゴン宗は正しい阿含経仏教を復活させた
正統教団であることを証明しに遥々やってきた」
「あんた誰?」
「大日如来です」「不動明王です」「観音菩薩です」「中国製馬面ムチャリンダ竜王です」
「汝らは阿含経にない全て後世の創作、偽作経典に説かれる実在しない空想架空
のホトケではないか?面白いのう。お前ら後世の空想のホトケが何を証明しに来た?
アゴン宗も空想と証明しに来たか?」

面白い会話ですね。腹抱えてわろた・・・

79ラシン:2011/01/31(月) 13:26:55 ID:x9FuHHv20
>>72 :準シュダオン
>阿含経に因縁解脱が説かれていない、などというのは、話にならない。

この電波老人の1>因縁解脱=因縁滅=縁起解脱=縁起滅、という主張根拠が、
2>仏教辞典には「悟りは(解脱)、縁起の滅した世界とされた」と、
 説明されているのです。(縁起の項)
と、短絡して読解しているが、まるで仏教辞典の悟りの項を解釈できていなかった。

辞典で縁起とは、「生存の苦悩はいかにして生起し、また消滅するのかを示す」とある。
煩悩から解放され、二度と輪廻しない世界その境地が悟りであり、
だから、生存苦の生起と消滅=縁起 が滅した世界という解釈でおかしくない。
目的は何かと言えば、解脱でありその手段や方法は煩悩滅ということです。
解脱とは縁起滅の世界だから、縁起から解放されよなんて言っても方法論は何だ?
縁起滅の方法は、煩悩を滅することにあるのを両者混濁した結果が、この電波解釈です。

平和とは戦争や争いのない状態だから、戦争滅としてもその方法論は?となると同様です。
戦争を無くすのはどうすればよいかに対して、戦争を滅するのだとおっしゃる。
つまり、
戦争無くすためにはどうすればよいかとの発想が出てこない。
これが、平和=戦争滅 の限界論です。
戦争はなぜ起こるかと言えば、国々の欲によるものです。
国益と言う国の欲は、人間の欲望から生起するのだからその欲を無くせとなるのが正解です。

同じく縁起の世界を無くすためにはどうすればよいか?
釈尊は、漏尽解脱=煩悩解脱 との方法を示された。
しかし、電波老人は、=縁起滅=因縁切り だとおっしゃる。
失笑を禁じえないこのたわ言を、まじめに信じられてきたのがアゴン宗信徒ですよね。
このように、
この電波老人の解釈は、目的と手段を混濁したことによる屁理屈なのだと分かります。

80ラシン:2011/01/31(月) 14:10:37 ID:x9FuHHv20

>はははは、ゴマカシにしても頭が悪い。
あなたは修行していてもまだ欲望が残っていることと
欲望を追い求める我利我利信仰を混同している。

ユビさんに簡単に突っ込まれ、矛盾を露呈しました。
そのような稚拙な論理にも程遠い屁理屈のすり替えが、
世間で通用すると考える浅はかさは、治りようもないようです。
ふつう、ビジネスの世界ではこんな拙論が通るほど甘くはない。
前頭葉の萎縮でないなら、その意図性は人格的問題にあるかでしょう。
多分思うに、お役所の御方でしょうか。
お役所なら企業での知略や常識論など無用での仕事が出来ます。
馬鹿を隠すこともさほど難しくない。
昔ならお役所仕事は、
戦略的知識や戦術熟考、比較論など必要とならない前例に倣う仕事で充分こと足りた。
いやいや、お役所の人間を非難しているのではありません。
役所ならこのような偏重思考や拙論者という人格は、ある程度隠せると言うことです。
だと見るなら、過去自慢していた社会的に認められた栄誉栄華も地位的に可能でしょう。
しかし、
その混同混濁振りは、掲示板では通用しません。
過去ログに自分の吐いたゲロ否、言論は残ります。
足元が常にブレた発言は、矛盾と言う証拠として残ります。

一番よい例が桐山語録であり、ご本人の著書として矛盾と恥をさらしている。
三供養品に存在しない“三福道”や仙尼経の”異陰”を捏造したこなど、
その剽窃やパクッたという批判の的は、枚挙に暇がないほどです。
信者さんも擁護するなら、agama考察室をよく見て反論したらよいでしょう。

81ラシン:2011/01/31(月) 14:49:22 ID:x9FuHHv20

お役所の話を持ち出したのは、私の過去にみた出来事による
独断と偏見かも知れませんが、いちおうその話しをします。

幼い頃、役所をリタイアした初老の方が近所にいました。
その老人は、毎日早朝に近所を見回ってくれます、ありがたい。
見回り元役人と呼ばれていた。
ただし、その出陣の際に必ず行う儀式があります。
サルマタを脱いでパタパタと屑りを叩いて履き直して出かけます。
自分の敷地とはいえご近所からは、丸裸状態が丸見えです。
どういうわけかそれを行ってサルマタ一丁で見回りをしていました。
まあ褌を締めなおして出陣する意味であったようですが。

これと相似しているのが桐山さんです。
ふだん信者に耳聞こえのよい言葉を連発しているが、
実際のご自分の生活態度は、上記ご老人と変らない。
桐山さんは僧衣とスーツを器用に分けて着こなすのが上手いのです。
しかし、世間から見たら丸裸の状態を呈した笑い者です。
宗教界で、愛人から訴えられて私生活が暴露された人は余りいない。
裁判資料では「今夜にでも」なんて聖者サマにあるまじき下心までが見つかった。

だがアゴン宗という結界内に居ればそんな醜聞は聞こえない。
超人的な電波耳も、自身への批判は聞こえないというご都合主義です。
それを思念の相承なんて自慢しても、ただ恥ずかしい限りでしょう。

82準シュダオン:2011/01/31(月) 15:46:32 ID:1F7rdgXk0
だから、我利我利信仰も程度問題だってのよwユビキタスさんはドタマ悪過ぎ。
阿羅漢にならない限り、煩悩は残っているわけよ。
それでも、現世利益願望を、いずれは仏・菩薩の誓願に転換しなければならない、
と考えてる阿含信者と、そういう考えに至らなかった批判派の修行は、天と地ほど
違う訳です。阿含信者の現世利益願望には、おのずと抑制が働くし、批判派の
それには抑制がない。だから、果報は得られず、退会の憂き目をみるのです。

それと、批判派のレスを見て感じるのは、比丘の修行と、優婆塞の修行を混同して
いるね。簡単にいうと、釈尊は、比丘には現世利益など少しも説かないが、
優婆塞には現世利益を得ることを説いています。それを、批判派は、出家の真似
ごとしたいのか、無視しているようです。

因縁解脱もそのとおりです。仏教辞典には、
「初期仏教の悟りは縁起の滅した世界」と説明してあるし、経典を当たれば
「終帰滅度」や「是如来説無上滅」という語があちこちに説かれていて、
縁起(因縁)の滅が解脱であることが、説かれています。
すでに「縁起の滅」が悟りであることが辞典に書かれているのですから、
これからの阿含仏教の学者は、因縁解脱が初期仏教の目的であることは、
ごく常識になって、解説書などを出すことになるでしょう。

それを、元阿含信徒が、因縁解脱を否定するとしたら、
笑いのタネにしかならんね。

83準シュダオン:2011/01/31(月) 16:40:35 ID:1F7rdgXk0
あとね、現世利益と聞けば、なにやらガメツイような印象もあると思うけど、
十善戒と四重禁戒を考えてみなさいな。
四重禁戒の一つは、自分にも他人にも不利益なことをしてはならない、
という戒行ですよ。
又は表現を変えて、衆生に利益を与える、という戒行ですよ。
それが密教修行者の三昧耶戒というものです。

だから、ユビキタスさんと私では、利益の捉え方がまるで違うね。
ユビキタスさんは、あまり深く考えたことはないみたいだね。
その点、わたしは欲貪と健全な欲の区別を、ずーと、考えてきたからね。
前世利益についても、適度なそれは得ようと、努力してるし得てもいますよ。

84ラシン:2011/01/31(月) 17:12:21 ID:x9FuHHv20
>82 :準シュダオン:2011/01/31(月) 15:46:32 ID:1F7rdgXk0
だから、我利我利信仰も程度問題だってのよwユビキタスさんはドタマ悪過ぎ。

だから、その程度を証明しなさい。
あなたの知能程度は充分知られていますが。

>それと、批判派のレスを見て感じるのは、比丘の修行と、優婆塞の修行を混同して
いるね。簡単にいうと、釈尊は、比丘には現世利益など少しも説かないが、
優婆塞には現世利益を得ることを説いています。

阿含経に現世利益などありません。
あると言うなら出典してみてください。
混濁した主張をしているのは、誰あろう電波老人です。
在家には布施の功徳として来世に善き処に生じるとされています。
もしあるならば、現世に於いて修業を完成した果実=解脱です。
そのことは出家修行者への言葉ですよ、ゆえに真逆なのだ。
その意味では、下記の釈尊の言葉を参照できるでしょう。

「弟子達よ、汝等のものでないものとは何であるか。身は汝等のものではない、
 その身を捨てよ。心も汝等のものではない、心を捨てよ。
 それを捨てれば汝等の永劫の利益となり幸福となるであろう。」
「では、それらのことは、何故にわたしによって説かれたのであろうか。
 マールンクヤプッタよ。それは他でもない、利益があるからであり、
 清浄の行のはじめとなるからであり、厭離・離貪・滅尽・智通・正覚・涅槃に役立つからである。」
(雑阿含経)

>縁起(因縁)の滅が解脱であることが、説かれています。
すでに「縁起の滅」が悟りであることが辞典に書かれているのですから、

だから、その方法論は何ですか? どうすれば悟りに到達するのか?
釈尊は、漏を滅し尽くして苦から解放される、と教説しています。
因縁を滅せよと、どこにあるのか出してみなさい。
目的到達点を手段方法とする間違いを過去より今まで笑われているのだ。

戦争のない状態が平和なら、方法は戦争の滅だという論理は成り立たない。
戦争の原因は何か? 国単位の恨みや国益という征服欲の結果でしょう。
戦争を生起さないために、恨みや欲を滅するべし、となるのが論法です。

縁起の滅という状態が悟りなら、その方法は煩悩を絶つということです。
だから漏尽解脱がある。
阿含経典に因縁解脱の一つもない証左が、電波の間違いを証明しています。

>83 :準シュダオン:2011/01/31(月) 16:40:35 ID:1F7rdgXk0
あとね、現世利益と聞けば、なにやらガメツイような印象もあると思うけど、
十善戒と四重禁戒を考えてみなさいな。
四重禁戒の一つは、自分にも他人にも不利益なことをしてはならない、
という戒行ですよ。

何をまたもや捏造脚色しているのだ?
戒律をよく読んだほうがよいでしょうが、電波キャッチじゃ無理でしょう。
阿含経を差し置いて、密教の四重禁を語る愚行です。

85ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/31(月) 20:42:45 ID:SmEF4Oe2O
>>82:準シュダオン11/01/31(月) 15:46:32 ID:1F7rdgXk0
>だから、我利我利信仰も程度問題だってのよwユビキタスさんはドタマ悪過ぎ。

その程度とやらを示したかったら毎度お馴染みの一般論ではなく、こちらの質問に
答えて、あなたの具体的な変化について書くことが一番説得力がある。
そして我々とも比較材料にもなる。
まああなたは断言するが自分に関する具体的なことは絶対に書かない。書けない。

>阿羅漢にならない限り、煩悩は残っているわけよ。
>それでも、現世利益願望を、いずれは仏・菩薩の誓願に転換しなければならない、
>と考えてる阿含信者と、そういう考えに至らなかった批判派の修行は、天と地ほど
>違う訳です。阿含信者の現世利益願望には、おのずと抑制が働くし、批判派の
>それには抑制がない。だから、果報は得られず、退会の憂き目をみるのです。

おいおい?何を根拠に批判側が程度をわきまえぬ我利我利信仰をしていたと決めつけるのだ?
それに「考える」だけじゃ駄目だろ?
考えたらどう態度に示したのか?考えたけど、今の我利我利信仰のままでしゃああんめい
と何も態度を変えずにいて、まあそのうち何か変化があるかもしれないから
心の準備だけでもしておこうか?そうならないうちは我利我利信仰三昧だと
いうことなのか?否定してごらんなさいよ。もちろん具体的に。
頭だけではない行動面の変化です。
もちろん欲望に負けて挫折の繰り返しでもかまいませんよ。
要はいつまでも我利我利信仰だけではいけない、我利我利信仰ではいけないと悟り
何をしたか。

86ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/31(月) 22:26:53 ID:SmEF4Oe2O
>>82:準シュダオン11/01/31(月) 15:46:32 ID:1F7rdgXk0
>それと、批判派のレスを見て感じるのは、比丘の修行と、優婆塞の修行を混同して
>いるね。簡単にいうと、釈尊は、比丘には現世利益など少しも説かないが、
>優婆塞には現世利益を得ることを説いています。それを、批判派は、出家の真似
>ごとしたいのか、無視しているようです。

これについて説明しましょう。
たしかに出家と在家では戒律が違います。出家に比べて在家にはそれほど厳しくない。
しかし在家でも出家のように煩悩を断つところまで行かなくても、せめて減らして
欲しい。余剰な煩悩は増やして欲しくないのです。
だからお正月に初詣に行ってしまいました〜許して!と在家の信者が釈尊に告白
しても、釈尊は許してくれるかもしれませんよ。
ちなみに私も初詣行きました。
今年は南伊豆ですね。河津来宮神社、白浜神社、石廊崎の石室神社、突端の祠の
熊野神社。
http://imepita.jp/20110131/709030
白浜神社の裏の海岸
http://imepita.jp/20110131/710040
石廊崎の先端に向かう途中。
まあ信仰心ならぬ観光心、物見遊山心ですが。
今年は干柿さんはどこへ行ったかな?
で人並みに御利益祈願をしましたよ。ささやかに。
そんな私を釈尊はキサマ許さん!と叱られるとも思わない。
しかし、しかしですよ。
釈尊の方からブッダ神社を開設して、さあ初心の信者よ、ここに現世利益を祈りなさい
なんて用意しますか?
他所にお詣りに行ったことは許しても、わざわざ自分の方から現世利益を祈る
機会を設けるはずはありません。
だって世間一般の人って、お賽銭あげても護摩木まで書く人って多くないでしょ?
護摩木なんかに依存しなくても間に合っているんですよ。
その人にどうして依存の煩悩が増える現世利益なんか促すか?
そういうことなんです。
アゴン宗はなんでわざわざ護摩なんかで現世利益を煽る?
煽られなきゃ初めから自立する道は早いですよ。
遠ざけてどうする?

87ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/31(月) 22:55:09 ID:SmEF4Oe2O
>>83:準シュダオン11/01/31(月) 16:40:35 ID:1F7rdgXk0
>あとね、現世利益と聞けば、なにやらガメツイような印象もあると思うけど、
>十善戒と四重禁戒を考えてみなさいな。
>四重禁戒の一つは、自分にも他人にも不利益なことをしてはならない、
>という戒行ですよ。
>又は表現を変えて、衆生に利益を与える、という戒行ですよ。
>それが密教修行者の三昧耶戒というものです。
>だから、ユビキタスさんと私では、利益の捉え方がまるで違うね。
>ユビキタスさんは、あまり深く考えたことはないみたいだね。
>その点、わたしは欲貪と健全な欲の区別を、ずーと、考えてきたからね。
>前世利益についても、適度なそれは得ようと、努力してるし得てもいますよ。

これに答える前にもう一度ここ↓を読み直してほしい。
>>70:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/01/30(日) 15:52:47 ID:SmEF4Oe2O
>この場合現世利益をお金があるのにお金儲けとか欲張り祈願的なことに想定してませんか?
>そうではなく病気が治るように祈願したり、事故災害など遭わないように無事を
>祈ることを現世利益と言うのです。

人は誰しも健康でありたい。病気になりたくない。事故に遭いたくない。
これって、がめつい欲望とは普通言いませんよね?
ささやかな庶民の願いと言ってよい。
しかし仏教では健全な身心を得る為に現実的な養生をするのはよいが、こういう
願いを祈りで叶えたい心を否定するのです。
そんなことを祈ってもどうにもならない。不当な欲望なんです。
厳しいようだが、そこを乗り越えよと説くのが仏教なんですね。
それを無責任に汝の欲望を叶えてやろうなんて人の弱みにつけこんではいけないですよ。

88ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/31(月) 23:07:57 ID:SmEF4Oe2O
>>83:準シュダオン11/01/31(月) 16:40:35 ID:1F7rdgXk0
>四重禁戒の一つは、自分にも他人にも不利益なことをしてはならない、
>という戒行ですよ。
>又は表現を変えて、衆生に利益を与える、という戒行ですよ。
>それが密教修行者の三昧耶戒というものです。

だから能書きはいいからあなたはどういう利他行をしてるのですか?
私が訊きたいのはそこです。
我利我利信仰をしてきたが、ある日利他行に目覚めたとかね。
その利他行に他人に護摩木を勧める護摩木勧進など出したら私は批判する準備も
あるのだが、それはさておきあなたの利他行、利他心を訊きたい。
ただあなたは昨年言ってましたよね?
最初から利他なんて考えるのは偽善だと。
だからいつから利他に目覚めるのか?
それからものすごい暴言が出た。
欲貪を断つなんてシュダオンになってから考えればよいのだと。
あなたはまだシュダオン未満の準シュダオンですよね?
つまり煩悩を制御するなんて考えてもおらず、今は欲望のままに現世利益の
我利我利信仰を自分で肯定してるのです。
こんな醜い自分を差し置いて、よく他人(批判側)を貶せますね。

89ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/31(月) 23:12:48 ID:SmEF4Oe2O
>>83:準シュダオン11/01/31(月) 16:40:35 ID:1F7rdgXk0
>前世利益についても、適度なそれは得ようと、努力してるし得てもいますよ。

現実努力するのが当たり前だろ?
適度どころか皆懸命に努力するのです。
それは密教行者とて同じです。
明日は1日だから朔日法話として桐山さん得意の顕密両輪の道を説法してあげようか?

90ラシン:2011/01/31(月) 23:24:08 ID:98U1EaJc0
>83 :準シュダオン:2011/01/31(月) 16:40:35 ID:1F7rdgXk0
あとね、現世利益と聞けば、なにやらガメツイような印象もあると思うけど、
十善戒と四重禁戒を考えてみなさいな。

電波老人はどう考えるのか?
たとえば十善戒のひとつ、不邪淫戒とは「みだらな性的関係を持ちません」ですよ。
だが、普通の既婚男子が、自分好みの女性とホテルディナーに行ったとする。
その女性は自分を尊敬してくれているし、憧憬も感じているようだ。
男性であれば悪い気はしないし、そこで大いにその憧憬の拡張を促す。

男性「どうですか、先ずはシャンパンでも?」
女性「はい、いただきます〜〜う」
男性「なら僕の好きなボランジェ・グランダナなんて君の口に合うと思うけどな」
女性「え〜とできれば、ピンドンなんか好きなんですう〜〜けど」
男性「(ううっ、チョイ高いけどな、ここじゃ10万円は来るぞ」)、、
   ああ〜の、モエの赤でどう?(2万円くらいだし、、)」
女性「(えっ?、けっこうケチくさいのね)、、まああ、いいですヨね(妥協)」

な〜んて、財布と欲望の睨み合いのはざまで男子は獲物を物色する。
こういう風景は、俗物的一般社会のよくある光景です。
しかし、出家いや在家であっての五戒や十善戒の不邪淫戒は、そのような状況を
作るな、ということです。
在家の五戒である不飲酒戒=酒を飲んではいけない、にも相当している。
あなたが「考えてみなさいな」ということは、このような想定を熟考し、止息することだ。
つまり、それを抑制制御することに価値を置いているのが、仏教の戒律です。

あなたはただ、四字熟語の言葉の感性に酔って桐山さんのキャッチコピーに、
実はもっと何かあるのだとぞと、そこだけは深読みに徹してしまう軽薄な姿勢なのです。

上記のような現象は、現実の想像に匹敵する状況が男女間にはある日常を看過しないように。
だから、どんな男女関係も上記に示した男女のやり取りを笑えない。
しかし、仏教でいう戒律はそれを否定していることに意義と価値があるのです。
桐山さんは、そんな場合は僧衣法衣を脱いで還俗した高級背広に着替えている。

桐山さんが、愛弟子と師弟愛をは育むことじたい、してはいけないのが仏戒なのだ。
だが、桐山さんのIFという純愛が当時に存在したことは、俗世間で普通です。
だったら、宗教家を名乗る資格はありません。
ビジネス界の長として君臨するなら、まだ言い訳も少しは成り立つ。

批判者は元信者で、我欲によって挫折したと言われるが、
桐山さんのこういう俗物の下心に気が付いたら、まじめな信者ほど憤りを感じるのが、
求道者の偽らぬ心情だと理解するのも、理解の内ではないでしょうか。

91ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 00:44:27 ID:SmEF4Oe2O
顕密両輪の朔日説法の前に「今夜にでも」話しておきたい話がある。
準シュダオンの言わんとする我利から利他への転換のタイミングというのは
その半分くらいは理解できるのです。桐山教義を知る元信者として。
法が身につくと自ずと教えも実行できる自分に変身するという話です。
桐山さんはかつて胃ガンの因縁を持っていたという。
これが千座行により切れた。
これは桐山さんが観音慈恵会時代に自らの機関誌である「大白身」に寄稿した話です。
昭和44年発行の第4号ですね。
胃ガンの因縁を切ったのは4年前と書いてあるから昭和40年のことになりますね。
密教を修行していたとされる時代です。
まだ阿含経の価値に気がついていないとされる時期ですね。
成仏力をアゴン経から発見していない頃です。
この頃編成した千座行で後に夫人も切ることができなかったガンの因縁を切った
というのだから大したものです。
アゴン経なんかなくても因縁切れるんでねの?
それはさておき、桐山さんは胃ガンの因縁があった。
だから何かあるとすぐにお腹が痛んだり下したりしてた。
自分には脳卒中などを起こす脳障害の因縁はないから、何かあると偏頭痛を
起こしたりしないけど代わりに胃ガンの因縁のせいでお腹が痛む。
なるほど理に適った説明だ。フムフム。
で、胃ガンの因縁がめでたく切れた。
するとどうなったか?
肉類を食べたいと思わなくなったそうだ。嫌いになったわけではないが、
食べたいと思わなくなった。野菜が好きになった。こう供述している。
いや、感動しました。肉を控えよ、野菜をとれと教えを無理矢理実行するよりも
自然と食べたくない体質に変身したのだから、これは本物です。
法が身につき因縁が切れるとこうも違うのです。
法が身につくと教えが実行できる我に変身するのです。
素晴らしい転機と言えますね。
準シュダオンさんが言う転機というのもこういうことが言いたいのでは?
そこまで教学を知らないかな?
さて問題はこの法を身につけ因縁を切るにはどうしたらよいかということです。
法が身につけばしめたものだが、そこまで到達するにはどうすればよいか?
続きは明朝の法話にて。
顕密両輪そろわねばならないという桐山教学を解説します。
え?今晩のこの逸話の方が何かと面白かったって。
突っ込みどころ満載だしね。
うん、明日の法話の方がつまらなく、今夜の方が面白い。
だから「今夜にでも」なんじゃよ。

92ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 01:18:56 ID:SmEF4Oe2O
幸福への原理 昭和32年1月1日発行

現世成仏 1983年(昭和58年)6月30日発行

明朝の説法が終わったらテーマ変えたいw

94ユビキタス@桐山靖雄朔日法話 ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 08:21:39 ID:SmEF4Oe2O
皆さん、おはようございます。元気ですか?
うーん、そんなことでは元気とは言えないね。もう一度、元気です!
宜しい。だいぶ元気らしくなってきたね。
人間いつでもどこでも元気であらねばいけません。
発言に矛盾があろうと嘘を指摘されようが、しらばっくれて元気を通すことが
重要なんです。そうでなければ詐欺師なんかつとまらない。
さて昨夜話したように私は胃ガンの因縁を切ったわけだ。
因縁を切るには法の助けが必要です。教えだけで因縁は切れません。
因縁が悪けりゃその教えすらも実行できない。
しかし法を身につければその教えすらも実行できるようになるのです。
まことに法の力は素晴らしいですね。
しかし問題なのはその法を身に付けて因縁を切る、そこまで到達するのは大変
ということなんだね。簡単に行くなら誰も苦労しやせん。
千座行を機械的に行じていさえすれば法が身に付き、因縁が切れるわけじゃない。
法を身に付ける努力が必要なんです。
それは何かと言うと一言で言うと教えの実践に他ならない。
悪い心癖を改める心解脱行をする。梵行奉仕をして徳を積む。不徳を補う。
法の実修を密という。教えの実践を顕という。
この2つがそろってなければいかんのです。
教えだけで因縁は切れないが、さりとて法だけでも因縁は切れない。
顕密両輪と言うて、この両輪がそろってないと前に進まないのです。
片輪だけだとぐるぐると回ってしまうでしょ。
だから必死に教えを実践すること。この教えの実践のぎりぎりの先に法の力が
加わるのです。
正行に助行を行わなければならない。
私はその都度法の方を正行にしたり助行にしたり定まらないが、どちらが正であれ
助であれ両方励まにゃ因縁は切れん。
我欲丸出しでは法は身に付きませんよ。
なぜかと言うと、我というのは因縁の現れであり、欲とは因縁の現れなんです。
これを野放しに因縁なんか切れやせん。
わかりやすい例が交通安全の祈願をしたからと言って、スピード違反をしていたら
やはり事故に遭うでしょう。スピード違反をせず交通ルールに遵守してこそ
事故にも遭わない。
だから準シュダオン君の言う我利我利信仰でよいというのは間違いなんだね。
やはり初心の頃から欲望にまかせるのではなく、教えを実践する必要はあるんだね。
それなくして教えが楽に実践できるほど法が身に付く転機などありゃせんのです。
私の胃ガンの因縁が切れた例を見ようかね。

95ユビキタス@桐山靖雄朔日法話 ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 08:55:12 ID:SmEF4Oe2O
さて私が胃ガンの因縁を切ったのは大白身によると昭和40年のことなんだが
そこまで来るのに並大抵の努力ではなかったんだよ。
因縁を切る実践を古い著書に書いている。
昭和32年1月1日発行の「幸福への原理」だね。
実際にこれを書いたのは昭和31年になる。
復刻版を諸君もお読みでしょう。
笠原トキさんの話があるでしょ。
私は他人の因縁切りを指導しながら自分の因縁切りに励んでいた。
人を救うことが自分の因縁切りにつながると考えたわけだ。
だいぶ因縁が切れてきたと感じたので、自分の因縁を見てみた。
前に見た時かなり切れているのであともう半年か一年ほどかなと思ったので。
そしたら少しも切れてない。修行が進んでいない。
ショックでしたね。仏様から叱られたように思った。自分の因縁を見てる暇が
あったら溜まっている全国からの相談に答えよと。
それで自分の因縁のことなど忘れて指導に専念することにした。
すると今年(昭和31年)になって面白いことが起こった。
看護婦長をやっていた信者の笠原トキさんからいいことを聞いたんだね。
本や新聞を読みながら食事をする人に胃ガン患者が多いという統計なんだね。
これは私そのものだ。私は食事中も何かしら読んでいる。
そこで感じたのは、これは観音様のお諭しだ。観音様が笠原トキさんの身を以て私にガンの因縁を
切る行いを諭してくれた。
もちろんその悪習慣をやめるだけで因縁が切れるわけではなく、もっと複合的な
要素で絡んでいるのが因縁なんだが、しかしやはりその悪習慣をそのままに
因縁は切れんわけです。これを悟った。それが「幸福への原理」の内容なんだが
大白身に書いたように胃ガンの因縁が切れるのは、その昭和31年から9年経った
昭和40年なんだから因縁切りの道は険しいのです。
もっとも私は「現世成仏」でも胃ガンの因縁が切れたことを書いている。
ある時お腹の調子が悪く寝込んだ。ガンみたいな症状だがガンとは診断されない。
その時に例祭もやってるのだが、不思議と修法時と法話時はしゃんとしてるが
終わると這うようにして自室に戻りダウン。
それでヤケにもなって冷蔵庫の物をひたすら胃につめこんでビールまで飲んで寝た。
そしたら一昼夜寝込み、気付いたら胃が爽快になっていた。
洗い出しが済んで因縁が切れたことを自覚した。
これは現世成仏を書いた12、3年前のことです。そう書いた。
現世成仏発行は昭和58年。12、3年前は・・・

96ラシン:2011/02/01(火) 12:12:02 ID:x9FuHHv20
>ある時お腹の調子が悪く寝込んだ。ガンみたいな症状だがガンとは診断されない。
その時に例祭もやってるのだが、不思議と修法時と法話時はしゃんとしてるが
終わると這うようにして自室に戻りダウン。
それでヤケにもなって冷蔵庫の物をひたすら胃につめこんでビールまで飲んで寝た。
そしたら一昼夜寝込み、気付いたら胃が爽快になっていた。
洗い出しが済んで因縁が切れたことを自覚した。
これは現世成仏を書いた12、3年前のことです。そう書いた。
現世成仏発行は昭和58年。12、3年前は・・・

なるほどなるへそ、成仏法がなくても確かに胃がんの因縁を切った。
胃がんの因縁は、桐山さんの自己申告だから真偽のほどは確認できない。
じゃあ〜、仏教に阿含経など必要ないわけだ、成仏法が唯一ある阿含経?
しかし、そんなこたあない、と誰かが力みそうで、
因縁切りを強めるのがブッダの成仏リキだそうで、モノは言い様です。
しかし現世成仏の記述は、桐山さんの記憶違いか私の方なのか?
たしか、
まる一昼夜因縁の洗い出し状態で寝込んだとあったような?
しかし、目覚めて何かしら体調が戻り、それから!家人の用意したサンドイッチを
食べ、おまけにビールまで恐る恐る飲んだとの記憶なんですが、違うかのな??
なにせ桐山さんの著書は、ほとんどが以前の書いたものの焼き直しなんだが、
そこですら記述違いがあると感じるのは、私だけか?

そうそう、同じ事を真似しているのも、ここの電波老人さんだね。
過去の発言とつじつまが合わなくても平気の平左です。
師たる桐山さんは、絶対自分の間違いを訂正できない性格で、
そのために釈尊の仏教教義まで変更捏造する。
自分の蹉跌を先祖にまで責任転嫁して、そのネタを宗教ビジネスに活用した。
これを知れば、アゴン宗に居て修業などできる信者さんは少ないと思うのだが、
世の中、自分の過去を捨てきれないのが実情のようです。

97ユビキタス@桐山靖雄朔日法話 ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 13:24:59 ID:SmEF4Oe2O
>>96のラシン君。私桐山が書いた現世成仏ではビールを飲んだ後にまた寝たんじゃな。
それから起きたらスッキリだったのじゃ。
現世成仏では見つけられなかったが、サンドイッチも正しい。
ハムとかチーズが口に広がり美味だった。
さて現世成仏を書いた昭和58年から12、3年遡ると昭和45年か46年になるな。
この時に因縁の洗い出しが出たわけじゃ。
なお昭和44年に大白身に書いた胃ガンの因縁を切ったという記述は4年前、
すなわち昭和40年のことになる。
私が教団の機関誌に嘘を書くはずがないから、これは現世成仏の記憶違いだろうか?
ちなみに私は何でも記憶して忘れず思い出せるグモンジ法を体得した身であるから
体得後の昭和58年に忘れるはずはないのだが。
それからこの現世成仏では天命殺にあたる12、3年前と書いた。
天命殺の時期に因縁の洗い出しがあり、切れたことはよく覚えている。
これを間違えるはずはない。
それでは昭和44年の機関誌に昭和40年に胃ガンの因縁が切れたという記述は
なぜ書いたのだろう?
あ、そうか!それ以降に実はまだ気付かぬ因縁が残っていて、最後の洗い出しが
翌年か翌々年に起きたのじゃな。
しかし私は書いている。
それまで腹が痛くなることが多かったのが、因縁が切れてからそれがなくなったと。
つまり大白身の頃はもう4年も大丈夫なことを確認したことになる。
また現世成仏の時もそのサンドイッチとビール後にそれまで悩まされていた
腹痛から解放されたと書いている。
うわっはっはっはっ
一日三笑、来世は明るい。

98ユビキタス@桐山靖雄朔日法話 ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 13:43:31 ID:SmEF4Oe2O
それから大白身では私桐山は、胃ガンの因縁が切れてから、肉を食べたいと思わなく
なったと書いている。
これも本当のことであり、嘘ではない。
後の著書にも書いてあろう。驚天動地の念力を出すのに肉を食べ酒を飲んで
できようかと。
著書「念力」の最後の方の密教食の紹介では肉はせいぜい週に1、2回にして
豆腐など植物性のタンパク質をとることを勧めている。
しかして私が昭和45年に初護摩で念力の護摩を焚いた時、京都から北陸へ
移動の車中、随行の職員を食堂車に誘い、カツライスを平らげたのはきっと
職員たちに下手な気を遣わせないというパフォーマンスなんじゃろな。
職員たちには自由に食わせ、私はサラダとコーヒーでもよかったのだが。
それから最近は生肉を食うほどの肉好きだ。
ホテルオークラなどで肉に舌鼓を打つ私を見た者もあろう。
これは私の栄養学知識が進んだ証明でもあろう。
やはり肉など動物性タンパク質も必須であると。
そして意識して食うようになったのじゃな。
しかしそれなら昭和44年以降私がそれまで好きだった肉を食べたいとも思わなくなった
体質の変化とは何の意味があったのだろうか?
うわっはっはっはっ一日三笑。来世は明るい。

99ユビキタス@桐山靖雄朔日法話 ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 13:51:22 ID:SmEF4Oe2O
しかし、現世成仏、大白身に共通することは、私が胃ガンの因縁を切る前は
胃ガンの因縁ゆえに仕事の多忙などで無理がたたると胃が痛くなったことだな。
大白身に書いたとおりこれが脳障害の因縁がある人なら、無理がたたると頭痛に
悩ませられる。
私の場合は大白身に明記した通り、脳障害の因縁は持ってなかったのでそれはなく
代わりに症状として胃が痛くなったわけだ。
うん、この私が脳梗塞を患ったとて、それを脳障害の因縁であるとは・・・
うわっはっはっはっ一日三笑。来世は明るい。

100ラシン:2011/02/01(火) 13:51:39 ID:x9FuHHv20
>97 :ユビキタス@桐山靖雄朔日法話 ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 13:24:59 ID:SmEF4Oe2O
>>96のラシン君。私桐山が書いた現世成仏ではビールを飲んだ後にまた寝たんじゃな。
それから起きたらスッキリだったのじゃ。
現世成仏では見つけられなかったが、サンドイッチも正しい。
ハムとかチーズが口に広がり美味だった。

なるほどなるへそ、さすがは胃大なるゲーカの味に関するこだわりは、
私なども目を見張るくらいに底が深〜い。
まるで地獄の底、乃至は、、、、。
今、2chでも深山さんからの指摘どおり、ゲーカの間脳はハチャメチャのようで、
記憶違いは私のほうでゲーカは常に正しいのです、ん? これじゃ私は電波老人さんかい。
いやいやそれしても、
>「こんにちは、証明仏です。桐山靖雄のアゴン宗は正しい阿含経仏教を復活させた
 正統教団であることを証明しに遥々やってきた」
「あんた誰?」
「大日如来です」「不動明王です」「観音菩薩です」「中国製馬面ムチャリンダ竜王です」
「汝らは阿含経にない全て後世の創作、偽作経典に説かれる実在しない空想架空
 のホトケではないか?面白いのう。お前ら後世の空想のホトケが何を証明しに来た?
 アゴン宗も空想と証明しに来たか?」
これが三笑、いや三証の一つの現証ですから、
>一日三笑、来世は明るい< は、まさしく言い得て妙?ん?明か?妙だな?

101ユビキタス@桐山靖雄朔日法話 ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 13:55:22 ID:SmEF4Oe2O
>>100
いや、サンドイッチのハム本当に美味しかったんじゃよ。
でもその直後ハムを含めた肉が食べたいとも思わなくなったのかな。
うわっはっはっはっ一日三笑、来世は明るい。

102ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 14:10:50 ID:SmEF4Oe2O
さて準シュダオンさん。
>>94に書いた顕密両輪そろわねばならないというのがアゴン宗の正統教義であり、
法だけに頼るのは間違いで自ら教えを実践しなければならないのです。
その中には利他行も含む。
徳がなければ法が身につかない。
桐山さんだって>>95に書いたように、まだ自分のガンの因縁も切れてないのに
他人の因縁切りの指導をしていたのは、他人を救う徳によって自分の因縁も切れる
というものであり、これ偽善ではないのですよ。
利他行をやらないと因縁が切れないから最初から奉仕梵行に励む必要があるのです。
準シュダオン教にとって桐山アゴン宗もなかなか面倒臭い、あなたの趣味でない
かも知れないが、そんなことはどうでもよい。
あなたは批判側を我利我利信仰で願いが叶わないから悔しくて退会して愚痴を
書いていると腐しましたよね。
しかし我々批判側はこの通り桐山教学を理解していたのです。
つまり因縁がなかなか切れない、願いが叶わないのは、法に問題があるのではなく
真っ先に自分が教えを十分に実践していないからではないかという自己反省の念に
駆られたわけです。
だからあなたの我利我利信仰とは異なる。
こういう我々を根拠なく我利我利信仰と決めつけた侮辱について土下座して詫びよ
なんて求めないから、せめて訂正しなさいな。心があるならば。

103ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 17:14:22 ID:SmEF4Oe2O
今晩、もう少ししたら大白身と現世成仏の該当箇所を引用して嘘つき桐山文証を提示します。

104ラシン:2011/02/01(火) 17:31:58 ID:x9FuHHv20
>102 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 14:10:50 ID:SmEF4Oe2O
さて準シュダオンさん。
>>94に書いた顕密両輪そろわねばならないというのがアゴン宗の正統教義であり、
法だけに頼るのは間違いで自ら教えを実践しなければならないのです。

この常套句は桐山さんお得意の文言ですね。
あっちこっちの著書で使いまわしている。
車の両輪の如く金と力は?なんてホンネは黙っていましたけどね。
ふつうなら電波さんには、釈迦に説法となるところだが違いました。

ユビさんの記述にある「幸福への原理」はそもそも生長の家の谷口雅春氏への
反論ではなかったかな。
もはや桐山さんの著書は手許にないので正確に記せませんが、
氏の病気を否定し信じ悟れば病気も無くなるのは、世の因縁因果を知らない論理だとかね。
桐山さんの結果とはそこに必然的な原因があるのだ、なんて言われてコロリとまいった。
だが仏教的には、この説明は原因と結果という因縁をよく解説していました。
また、縁とは触媒作用だとも述べていた。
この辺になると妖しくなってくる。
原因がすぐに結果に結びつくのではなく、縁というカタライザーが無ければ結果が生じない。
変身の原理のサナギから蝶へとは、飛翔であるなんて今に思えばオカルト的表現です。
まあ、化学的”素養”を匂わせるのは桐山さんの十八番ですから。
だがこの桐山触媒論なら、仏教の縁起は筋が通らない。
縁起も因果も同様の扱いが仏教の考え方だからです。
悟りの境地は縁起の滅だからとは正解だが、桐山さんはそれを根拠にしていない。
他の新興宗教教団の因縁切りが仏教だ、と信じ込まされていた。
我ながら仏教無知も甚だしかったが、そこに刷り込まれたのだから自己責任です。
利他行が積徳となり、その最たるものは教団へのお布施行為となる。
競ってその徳積みの実践を行い、出来なければたしかに自分への悔悟悔悛につながる。
自分の最小限の範囲でなんてのは、末端会員か初座の修行者の範疇です。


これをばっさり切り落としているのが、電波老人さんです。
辞典まで用いて桐山擁護を始めていたが、それじゃあ〜触媒論はどうなる?
縁起は「生存の苦悩はいかにして生起し、また消滅するのかを示す。諸法の因果関係。」

105ラシン:2011/02/01(火) 17:39:42 ID:x9FuHHv20

文節が抜け落ちたので↑追記します↓。

<だがこの桐山触媒論なら、仏教の縁起は筋が通らない。
縁起も因果も同様の扱いが仏教の考え方だからです。
悟りの境地は縁起の滅だからとは正解だが、桐山さんはそれを根拠にしていない。

これをばっさり切り落としているのが、電波老人さんです。
辞典まで用いて桐山擁護を始めていたが、それじゃあ〜触媒論はどうなる?
縁起は「生存の苦悩はいかにして生起しまた消滅するのかを示す。諸法の因果関係。」
であるのだから、縁起滅=因縁解脱 とはなりません。
触媒作用によって起こるのなら、原因はどこにあるのか、
諸法の因果関係をどうやって切るのでしょう?
悟りを以って悟りを切るなんて全く国語力というか論説を無視した継ぎ接ぎ思考です。

107天照 ◆8Sws/yExDc:2011/02/01(火) 19:03:48 ID:cc3iaT4M0
ユビさんの解説は面白いな。でもまたきっと無視して勝手な論を始めるんだろうな。あの方は。

108ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 20:40:40 ID:SmEF4Oe2O
大白身第4号(昭和44年3月1日発行)より

大白身法千座行和讃講座
観音慈恵会長 桐山靖雄

p.43〜44より部分抜粋

ところが、ところがである。なんの因果か、私は生まれつき肉が大好きなのである。
また油濃いものが大好物である。
(中略)
私が癌の因を持つゆえに、肉を好むという癌の発生に最適の縁を自然につくり出す
のだと考えて私は慄然としたのである。
(中略)
ところが、私の癌の因縁が、今から四年ほど前にスッパリと断(き)れたのである。
その少し前に大分つよい因縁の洗い出しがあって、それから間もなく癌の因縁が
きれいさっぱりと断れてしまった。それまでは九分通りは断れてはいたが、まだ
少し残っておった。そのために、私は過労になると、必ず胃が不快になり、異和感
を感じた。それを押してさらに体を酷使すると、胃が、きゅうっとさしこんで
くるのであった。私の過労というのは、もちろん精神労働であるから、頭が痛く
なるか重くなるかが普通であるのに、私はいくら疲れても頭が痛くなるということは
殆んどなく、必ず胃に来るのである。これは、私に脳の因縁、つまり脳溢血の素因
がなく、胃癌の素因があるためである。これがすっかり断れて、以来、私は胃の
調子が非常によいのである。と、同時にしばらくして、私は妙なことに気がついた
のである。それは、あれほど好きだった肉類がすっかり欲しくなくなってしまった
ことである。きらいになったというほどではないが、食べたいと思わないのである。
その反面、あれほどきらいだった生野菜が、非常に美味しく感じられるように
なってきたのである。最近など丼いっぱいの生野菜を食べて、ちっともあきない。
この私の食物の好みの変化は、考えてみると、癌の因縁が完全に断れる前後から
急激に変ってきたものである。

109ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 21:02:14 ID:SmEF4Oe2O
現世成仏(昭和58年6月30日発行)

p.211〜214より部分抜粋

因縁を切る前に「洗い出し」という現象があるが、一度は、きわめて危ないことがあった。
いまから、十二、三年前の、わたくしが天命殺の時、「癌の因縁」がまだ切れて
いなければ、そろそろ出る時期だと思っていたところ、案の定、ものすごい下痢が
はじまった。その下痢はなかなか止まらず、執拗につづいた。
(中略)
すると、「それは因縁の洗い出しによるものだ」とのご霊示がくだされた。
因縁の洗い出しというのは、因縁が切れる前に起こる現象で、長くて三週間、
早ければ一週間で治まる現象である。要するに、因縁の洗濯、垢落としの現象である。
(中略)
(中略)
(中略)
(中略〜!)
目が覚めたら、またお腹が空いてきた。そこでまたいろいろなものを充分に食べて、
さあ今度はどうなるかと様子を見ていたが、ちっともお腹が痛まない。下痢も起こらない。
だんだんに身体に力が満ちてきて、すごく壮快になってきた。癌の因縁がこれで
切れたな、と直感した。
それまではちょっと無理すると、すぐ胃のあたりが痛くなっていた。しかし、それ以来
それがまったくなくなった。

110ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/01(火) 21:06:51 ID:SmEF4Oe2O
昭和44年の4年前=昭和40年

昭和58年の12年前=昭和46年
昭和58年の13年前=昭和45年

単なる記憶違いの問題になりませんぞ。

111干柿:2011/02/01(火) 23:29:22 ID:BBtat4sE0
>>108
大笑いしました。すげー嘘つき(笑)
好みなんかちっとも変ってないですよね。だって何年か前、京都のフレンチ
レストランで生肉を食べたということを自慢げに例祭で語っていましたからね
お肉大好き、生臭大好き、カンチョーゲイカですから(爆)
それにしても幹部集めて吉兆で一人頭20万の食事会とかしてたとは腹立つ!
そんなことに使う金あったら弟子の教育育成に使え!信者の浄財だろが!
吉兆って、こないだ問題起こした老舗名門店でしょ
なんか間抜けだよなあ〜

112ラシン:2011/02/02(水) 00:00:14 ID:98U1EaJc0

>>110

な、なんだぁ?、ワシの記憶違いよりゲーカのほうが、スンゴイわけでしたか?

ゲーカは洗い出しなどない、などと必死に否定していた時期がありましたが、
意味が、わっかりません。

>案の定、ものすごい下痢がはじまった。その下痢はなかなか止まらず、
執拗につづいた。

そうか下ー痢‐”クーパー”(古) じゃなく、”食う〜派”いや”食う〜歯”が、
かなり、”鋭かった”わけですね、納得・納豆〜水戸納豆! 

スかし、肉好きのブッダ様なんて、阿含経において聞いたことも読んだことも、
ネ〜〜〜。
煩悩好きのDEンパ老人に通じる理解度100パ〜クルクル、煩悩クソ菩提、浅い!

ユビさんの長きに渡るアゴン宗信徒としての豊富な”ご”経験は、大変”ご”貴重ですね。

ご・ご ホホんの誤、おい誰か”記帳”せよ、あ〜クダラね、もち下ー痢‐”クーパー”ですから。
おアトがよろしいようで、準シュダオンさん、”ご”苦労様です、シンクーラ!

113ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/02(水) 00:18:24 ID:SmEF4Oe2O
サンドイッチの話が見つかりません。
記憶によると冷蔵庫の中にサンドイッチがあったのではなく、ハムだのチーズが
入っていたので、これをパンにはさんで食ったら口の中にチーズの風味が広がり・・
この話は耳で聴いた記憶ではなく、活字で読んだ記憶なんだが、どの著書だろう。
もちろん癌の因縁が切れた時のエピソードとして。

114ラシン:2011/02/02(水) 00:56:58 ID:98U1EaJc0
>111
>それにしても幹部集めて吉兆で一人頭20万の食事会とかしてたとは腹立つ!

いやあぁ、そりゃ〜、まるで世間の常識と言う分け知らずでよ。
たかが「吉兆」で一人20万円なんて、大嘘ですよ! まさか嵐山ですらもあり得ない?
たとえ
東京の赤坂店も銀座の店も、絶対あり得ませんね。
もしホントなら、バカにされた、ただのボラレただけの田舎者扱いですよ。
京都祇園の花見通りの「一力なら」、エロエロと分かりますけどね。
まあ、
菊乃井のほうが、味も品質も格は上だと思いますけど、(自分好み)かも、
しかし、桐山さんの食通のセンスは、凡愚・通常の旦那くらいでしょうネ!
そのスジで言われる、ガジラレる「ダンベ」、いわくバカにされる類いです。
それでも、アゴン宗の解脱者であり、聖者サマだから非難の的を射かけられるのよ。

115ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/02(水) 08:28:57 ID:SmEF4Oe2O
>>107:天照 ◆8Sws/yExDc11/02/01(火) 19:03:48 ID:cc3iaT4M0
>ユビさんの解説は面白いな。でもまたきっと無視して勝手な論を始めるんだろうな。あの方は。

「あの方」は昨日一日のように、この問題についてレスを付けず無視するのが
一番賢明なんですが、よせばよいのにレスを付ける可能性があり、それが今まで
ですよね。
予想されるのが、バイブレーションを受けると、そんなことも気にならなくなる
というものですね。
しかしもしそんなレスをしたとすれば、それは超鈍感ということになる。
問題の本質がわかっていない。
桐山さんの愛人問題についてバイブレーションを受ければそんなことはどうでも
よくなると言う理由には、物理学者が愛人を持とうとその説く物理学には変わらない
というもので、桐山さんに愛人がいようと、あたしゃ因縁切りを求めてるわけで
その教祖に愛人がいようと気にしないというものでした。
私はその因縁切りの教祖が色情の因縁を自ら説きながら色情の因縁が切れずに
苦しんでいる実例だよと否定した。
今回のケースは準シュダオンさんが一番求めている因縁解脱の指導の話です。
桐山さんが自らの体験をもとに因縁切りの指導を示したわけです。
その桐山商売の最も重視すべきところに話の前後の矛盾、すなわち嘘、作り話が
あるのです。
これは単なる桐山さんの記憶違いの問題ではない。
洗い出しが作り話だからこそこういう間違いが起こるのです。要するに嘘です。
嘘の因縁解脱を信者に指導しているのです。
これはゆゆしき問題です。
これが気にならないと言うならば、その人は因縁解脱に興味がない、どうでもよい
という人です。
教祖が因縁解脱の嘘を説こうがあたしの知ったことじゃないね。
あたしゃこの金ピカの宝塔を部屋に飾って眺めるのが趣味なんだから、因縁解脱が
嘘だろうがなんだろうが興味ないのさと言っているようなものです。

116天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/02(水) 09:07:16 ID:d7t4YHBM0
>>115 本当にそうですね。そのあたりを私も含めて準さんの姿勢には遺憾を感じている
方は多いと思います。その中身はユビさんが述べられている通りです。

それを私も含め「自分教」だといったのがそこです。
自分教のお披露目や自慢・主張なら別所でやってもらいたい。
ですが、あまりにも頑固なので私も以前「アク禁」にしようか、といったのです。
(この件はすでに納得済みですが)

ユビさんが勧める「阿含教学に基づいて、または教祖の言っていることなどを用いて、
そして何よりも相手の言っていることや内容に対してもちゃんと議論すべき姿勢」が
欠けている訳で、これでは本当に議論どころか会話にすらならない。
自分の主張の垂れ流しにしか見えない。

一応アク禁については以前論じ納得しましたが、あまりに酷いのでは再度考えることも
さすがに出て来そうになりますね。

ここでは少々の雑談や連絡、また阿含宗の話題に関わること(沿う事項)ならOKですが、
自分の自慢や主張をしに来る場所ではない。
そういうのは自分でブログかHPでも作ってそこでやれば良い。そう思います。

因縁解脱が好きで、自分の考える・思うがままの好き勝手な信仰をやりたければそれは
その方の自由ですが、それは「個人でやってくれ」ですね。

私たちは阿含宗と教祖のあまりにもでたらめな内容と行動について論じている。
個人的信仰は勝手にやっても構わないから、自分教はよそでどうぞ、でありますね。

117天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/02(水) 09:18:04 ID:d7t4YHBM0
また、修験者さんやアゴン擁護の意見を投稿される方もひるむ必要は無い。
どんどん「自分はこう思う」と意見も出してもらえば良い。
また批判側の意見も「そこはこのように違う」と反論すればよろしい。

私もかつて擁護でユビさんや深山さんに食ってかかったものですが、撃沈です。
そしてアゴンの欺瞞に気がつき、批判側にシフトしました。

またユビさんも深山さんもラシンさんも・・・その他批判側といわれる方々の
大半は元信者であり、相当に阿含宗でいうところの「修行」や「信仰」をやって
来られた方ばかりです。
教学も深く勉強しており、尚且つ批判をするに当たってなおも考察されている。

どんどん「批判側のここがおかしい」「阿含宗のここが素晴らしいのだ」とかを
出して論じて欲しいですね。

ここんところ全然出てこないですが、ひるんでいるのか、ただ悔しがっているのか
皆目分からないですが、会話の順序など気にしなくていいので、意見投稿なさって
下さい。(自分なんかはスレの流れを気にして投稿を控えたものですが、そういう
気遣いなど不要です)

擁護は擁護の主張、批判は批判の主張があり、お互いの意見をぶつけ合って
どこが間違っているか、どこが正しいのかを知ることが重要です。

尚且つゲイカは嘘とインチキの権化です。この事実を知らないで信じきっている
のが信者です。馬鹿を見るのは信者だけです。こう断言できるのは考証を重ねた結果です。

掲示板に来てそういう機会ができたのですから、くすぶったり寡黙になってないで
どんどん意見すれば良い。そこから見えてくるものがあるのですから。

現実を見ないで、真実を見ないでいるのがアゴン信者なのです。
この繰り返しをしてはならない。そう思います。

118準シュダオン:2011/02/02(水) 10:38:16 ID:1F7rdgXk0
あのね、色川さんが管長の愛人だと思い込んでるのは、ユビさんなどの、
批判派だけなのです。世間はそう思ってはいない。週刊誌にもそういう記事は
ない。それだけ、批判派は、世間の見方とズレてるのです。まぁ、そのズレの
自覚がないから、恥ずかしくもなくて批判派を続けられるわけですね。

週刊誌に、「幸福の科学の不幸すぎる離婚劇」なんて記事が出てますね。
流石に週刊誌の記者はネーミングが上手い、と感心しますね。管長にも愛人
の匂いがあれば、週刊誌記者は容赦しないよ。それでメシ食ってるのです
からね。だから、管長に愛人と信じ込んでるのは、批判派だけなのです。
そういう思い込みが激しいから、信者時代は盲信・狂信してしまうのです。

しかし、幸福の科学は、御布施だけで年に、約300億円だとかw。
すごいねぇ、やはり歴史上の大人物が降臨して教祖にもの言わせてますから、
集める御布施もすごいよ。
管長にも、シャカや信長や家康や薬師如来さんなどが降臨すればいいのにねw。
いや、↑は、冗談です。
昨日、レスを休んだのは、国会の論戦が面白かったからですよ。今も公明党が
質問に立ってますけどね、なかなか、いい質問してますね、面白い。

と、いうわけで、私はそれほどこのスレに熱中してるわけではないです。
何事ものめり込んではいけないのです。

119名無しさん:2011/02/02(水) 11:34:50 ID:hEa6V0po0
>>118 :準シュダオン:2011/02/02(水) 10:38:16 ID:1F7rdgXk0
>昨日、レスを休んだのは、国会の論戦が面白かったからですよ。今も公明党が
>質問に立ってますけどね、なかなか、いい質問してますね、面白い。
>
>と、いうわけで、私はそれほどこのスレに熱中してるわけではないです。
>何事ものめり込んではいけないのです。

准シュダオンさんはもう出てこんでもいいよ。あなたの非論理的で誤魔化しだらけな文章を読んでいても時間の無駄です。
あなたには国会の論戦を見て楽しんでいる方が丁度お似合いです。

120ラシン:2011/02/02(水) 12:02:38 ID:x9FuHHv20
>118 :準シュダオン:2011/02/02(水) 10:38:16 ID:1F7rdgXk0
あのね、色川さんが管長の愛人だと思い込んでるのは、ユビさんなどの、
批判派だけなのです。世間はそう思ってはいない。週刊誌にもそういう記事は
ない。

相変わらず頓珍漢な見解を出してお笑いを誘っているのか。
そう、エルカンターレが、あなたにはお似合いです。
そして輪廻するブッダ様のご指導を仰げばよいでしょう。

幸福の科学の信者数は公表されていないようだが、
推測されている数だけでも、30万人をくだらないようで、
話半分でも15万人です。
創価学会などは教団公式発表で800万人、割り引いて6掛けでも480万人。

比べてアゴン宗3万人程度の小規模教団など、世間に知られていませんし、
興味すらないからスキャンダラス的バリューなどありませんよ。
どうみても桐山さんがライバル視していた池田さんの実績に遠く及ばない。
あなたのオツムが、批判側に遠く及ばないと同様にね、動揺しないように。

>管長にも愛人の匂いがあれば、週刊誌記者は容赦しないよ。
それでメシ食ってるのですからね。

この慢心と自惚れに思わず笑いこけてしまうほど、電波さんらしいご意見だ。
世間で注目を浴びるほどの知名度が無ければ、余程のことでない限り売れません。
費用対効果は、商売の鉄則ということも知能がついていかないようです。
今回の週刊誌沙汰もE川さんが裁判を起こしネタを持ち込んだからで、
いちいち記者が独自調査し取材してまで手間隙掛けるほどの注目度はありません。
だから、それ以後の特集記事など組まれていないのです。

批判側が取り上げるのは、元信者だからです。
あなたの知能は、>>14の桐山さんの”御霊諭”すら読み取れないの?
それじゃ〜、仏教書や文献を考察するなんて端から無理ですよね。
批判側はもう少しあなたの知能を高く評価していたが、
これはお詫びせねばならない。
読解力の無い方へ、これはこうだと論じた批判側が悪いのですよね。

>と、いうわけで、私はそれほどこのスレに熱中してるわけではないです。

なるへそ、余裕をかましたツモリでもあなたの反論不可というホンネが見えた。
まともな反論を期待する批判側が悪いのだから、電波に精を出してください。
ただし、電波に感電して自慢するのだけは、お控えください。

121ラシン:2011/02/02(水) 12:36:34 ID:x9FuHHv20
>117 :天照 ◆MO30b8Jwoo
>私もかつて擁護でユビさんや深山さんに食ってかかったものですが、撃沈です。
そしてアゴンの欺瞞に気がつき、批判側にシフトしました。

天照さんの凄いところは、それを検証するためのスレを作った。
そして批判側の言うとおり阿含経を読み開いてアゴン教義と比較検証した姿勢です。
それに気づいたら、スレの完成度を練り上げる行動は、他が真似できぬ位の姿勢です。

普通の知能なら、天照さんのようにおかしいと気づきます。
私も2chスレで、それに気づきながらしかしロム専しか出来ませんでした。
別に行歴に未練は無かったが、なかなか退会する決断がつかなかった。
準シュダオンさんのように自分教じゃないが、自分なりの摺り合わせで修業を目指した。
だが、それは結局、己自身を誤魔化していると気づいたのです。
騙されて尚、自分で自分を誤魔化すんじゃ、社会人として仕事人として恥ずかしい。
勇気を見たのは擁護派だったユビさんが素直に非を認めて退会したからで、
その潔さに触発されたのです。

つまり多くの信者さんは、在家として仏道修行の価値をアゴン宗に求めていたと思います。
またその利益が、家内や仕事や来世にまで及ぶとの願いもあった。
布施も教団を通してこその生かされる他者救済の道を信じていた。
だからこそ、それが仏教とは程遠い教義で教祖のインチキ振りに気づけば、
普通なら辞めるでしょう。
準シュダオンさんのような、自己の慢心と顕示欲を満たす手段とは見ていないからです。

122ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/02(水) 12:51:36 ID:SmEF4Oe2O
>>118:準シュダオン11/02/02(水) 10:38:16 ID:1F7rdgXk0
>あのね、色川さんが管長の愛人だと思い込んでるのは、ユビさんなどの、
>批判派だけなのです。世間はそう思ってはいない。週刊誌にもそういう記事は
>ない。それだけ、批判派は、世間の見方とズレてるのです。まぁ、そのズレの
>自覚がないから、恥ずかしくもなくて批判派を続けられるわけですね。

溝口さんは週刊ポストで桐山さんとE川さんとの関係を愛人関係と断定してないが
愛人ではないとも断じていない。各自が判断してくれというかなり皮肉めいた
表現です。
だからあなたがお持ちのポスト記事をアゴン宗信者でないお隣さんとか、ご近所の
方にお見せして愛人関係に思えるかどうか判断してもらえばよいではないですか?
隣近所があなたに遠慮があるのなら、街頭に出てみて何人かに聞いてみるような
ことをすればよいかもしれない。
そういう統計を集めた上で愛人ではないと答えた人が圧倒的に多いことを証明
してみなさいな。

>しかし、幸福の科学は、御布施だけで年に、約300億円だとかw。

うん、アゴン宗の場合、星まつりの護摩木数が3000万本
で30億円だから、そこだけと比較すると10倍になるね。
信者数とかはどうなんだろう?

>管長にも、シャカや信長や家康や薬師如来さんなどが降臨すればいいのにねw。
>いや、↑は、冗談です。

では私も冗談を。(天照さん、ごめん)

http://www.youtube.com/watch?v=66785NCnXfA

http://www.youtube.com/watch?v=Nb3hEwTEGRI

↑上を見てから下を見てください。
上はたしかにけしからんが、下は不謹慎にも笑えます。
シャカの出動ですね。
今度から宝塔の中にシャカシャカポテトチーズ味でも入れたらどうですかね?
食べたら御利益百倍。

>昨日、レスを休んだのは、国会の論戦が面白かったからですよ。今も公明党が
>質問に立ってますけどね、なかなか、いい質問してますね、面白い。

テレビ三昧は結構なことでござんすが、その時間を道場に足を運び、座って
護摩木判押しをする時間も捻出しようと思えばできるわけですね。

123天照 ◆8Sws/yExDc:2011/02/02(水) 13:28:36 ID:d7t4YHBM0
>>121 ラシンさん、恐れ多い言葉恐縮です。
ですが、私は本当に目が覚めて改心した。目が覚めていろんな思いが交差し、黙ってられなくなりました。
なので、欺瞞を世に出す活動を「しなければいけない」と思いましたね。

ラシンさんの躊躇した様は自然だと思います。
私もかなりの段階を経てもう教祖にも教団にも疑念がかなり湧いていた。
それでも哀しいもので自分の信じている信仰は「正しい」と思っていた。
それが覆されたのには、なんともいえない気持ちが起きましたね。

深山さんもおっしゃっていますが、普通の知能や思考があるのなら批判内容を読んだら、通常は黙る
ものです。私も実際言葉を失ったところが結構ありました。
それを認めて真実を認知するか、それとも私の法友のように「幻想」に逃げるか、です。

法友は私が「ほだされた」とかはっきりと言ってはいなかったが「狂った」と思ったでしょう。
つい何ヶ月前までは「阿含宗万歳!」が「偽仏教だ」と180度変わったのですからね。

結局、釈迦仏教をやるのか桐山教をやるのかなのでしょう。
欺瞞が分からないうちは「桐山教、上等でしょう」と言ってたのが、中身を知ればとてもじゃないが、
講じれない。おぞましくてやれるものではない。

退会者を教祖は「脱落者」というが、社会から脱落しているのは教祖の方ではないか。
某国の将軍様ように君臨し威張ることだけしか能が無い虚飾者・妄想者には付き合ってられない。
われわれはまだ「正常な精神」が残ってたんだなあ、と安堵するほどです。

124ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/02(水) 13:34:38 ID:SmEF4Oe2O
シャカシャカポテトではなく、シャカシャカチキンなんですね。
食ったことない。
食うと悟り開けるかな?

125ラシン:2011/02/02(水) 15:02:06 ID:x9FuHHv20
>123 :天照 ◆8Sws/yExDc
>退会者を教祖は「脱落者」というが、社会から脱落しているのは教祖の方ではないか。
某国の将軍様ように君臨し威張ることだけしか能が無い虚飾者・妄想者には付き合ってられない。
われわれはまだ「正常な精神」が残ってたんだなあ、と安堵するほどです。

たしかに社会の常識から脱落、アゴン宗流でそれは社会からの解脱でしょうか。
桐山さんは「下立つ者」いやまちがい、今となっては解脱者のほうですよね多分、。

釈尊は真理に悟り法を教え、自らも法に従った生活をしていました。
出家したとはいえ、社会性を無視した言動は取っていません。
だが、桐山さんは自ら唱えた教法に従えずいわば人治主義を貫いています。
つまり、アゴン宗の教義より桐山さんが偉く優先なのです。
ですから、ユビさんが示したとおり因縁切りも己の所行には鈍感です。

教祖自ら因縁も切れていないのに、信者がいくら逆立ちしたとて切れるわけが無い。
準シュダオンさんは、
仏教に因縁解脱が無いなら価値はないとまで豪語していたが、
見えるものには無頓着で、見えないバイブに感電し電波老人を誇っています。
誰が見ても、それは黙認か意識的に目を瞑ったかのどちらかです。
いちおう桐山さんは「下立つ」のほうだけは目指していたと認められます。

>われわれはまだ「正常な精神」が残ってたんだなあ、と安堵するほどです。

準シュダオンさんは、
信者さんですら呆れる位の妄言を恥も無く披瀝出来るのが摩訶不思議ですね。
修験者さんは、反証されたら沈黙しているようです。
修験者さんのように桐山さんを崇拝し、アゴン宗が好きでという姿勢だけなら、
批判側も元信者だから、その心底は理解できます。
だができれば、agama考察室の阿含関連資料掲示HPを見ていただきたい。
ここの1から簡単にエントリーできるのですから。

126ラシン:2011/02/02(水) 17:00:03 ID:x9FuHHv20

天照さんの資料提供で、久々に「幸福の原理」を読めました。
因縁の箇所の拾い読みでしたが、桐山さんの論スジは実に巧妙です。
まあ、準シュダオンさんの読解の原点みたいなもので笑える。
そこは批判諸兄の知るところで指摘されていますが、
簡略すれば最初に至極まともな主張の展開があり、
継いでホンネを上手に語り始めます。

いやあ〜、この辺りの文章誘導力は感動すら覚えます。
電波老人さんの支離滅裂な屁理屈など到底及ばないでしょうね。
先ず、
桐山さんはキチンと我欲を捨てろ、と説いています。
しかし仏教の諸悪莫作・衆善奉行の八語の実践は、
自分の悪い因縁が転換され仏界の生命まで転化されると後説している。
以後は桐山さんの独断場です。
それは単なる道徳ではないが、道徳の終点から宗教の力が発揮される、
という展開論です、上手いな〜、ただ否定する単細胞ではなく、
認めながら暗に否定する手法です。
この間に幾度もいろいろな比ゆを用いて、因縁の転換の必要性を説いている。
読み手はそれに引きずられて、仏教の因縁転換、運命の転換を刷り込まれます。
その後は専ら道徳の無力を否定する。
道徳の完成を考えるのではなく、信仰心を植えつけている。
初めに我欲を捨てろと言いつつ、長い文脈をかけて終いには煩悩を
上手に否定しているのです。

仏教無知の単細胞(私もそのクチで)なら、コロリと桐山さんの
必死の訴えを真に受ける。
読み終えたら、その人の頭の中は、仏教の法=因縁転換の法、
という理論体系の持ち主です。
それが進化して因縁切りが仏教の法なのだとなるのです。

桐山さんは明解にこの著書129頁で、観音信仰が現世利益だと述べている。
その前段階はすべて幸福を得る説明ですから、いわばご利益信仰だ。
時を経ても、鎧兜を重ね着しただけのことです。
観音信仰が準テイ観音になり、密教大日如来からニセ阿含経という看板を
幾重に重ね貼りした。
しかし、その論理(材質)が薄いため、すべて透けて見えています。
四畳半フスマの下張りりみたいなもので、重ね貼りは確かに強度性は増します。
まずい所は、捏造紙で修繕貼りしているのだが、信者さんには見分けがつかない。

桐山さんに与えられたサングラスで、阿含経を読んでも漏尽解脱をなぜか
因縁解脱と読んでしまう。
因縁を切れなんて、阿含経のどこを探して見つけられない。
一般人はすべての阿含経の読破など無理だが、学者は専門家だから精通しています。
どこの学者が、仏教は因縁解脱なんてタワケを表明しているのでしょう。
こう言うと、桐山さんの心眼話しや学者物知り後回しなんて侮蔑した考えを出す。
しかし当の桐山さんの説明は違いました。
118頁にその記述があるので掲示しておきます。

 「昔、天理教の教祖は、学者もの知り後廻し、と云ったそうですが、
  なにも文字通り学者もの知りというのではなく、我を捨てにくい人の
  説きがたいことを云ったのでしょう」

ようは我欲に囚われ説明しても理解しない人だ、と説明しています。
それがどうして、電波感電せにゃ〜ならんのよ。
言葉だけで理解できぬ者が、電波で理解できるなんてそれこそ感電障害です。

127天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/02(水) 23:58:36 ID:qCS5HG2.0
ラシンさん、本当にご意見を拝見して納得です。
私もその「騙されたクチ」でございます。

私の掲示板上での経緯をご存知なラシンさんや古くからROMされている方は
お分かりだと思いますが、私は本当にゲイカの主張だけを鵜呑みにしていた。
そして信じ込むことだけが「信仰心の深さ」とさえ錯誤してた。
私がいつも述べる言葉の「信者さんは教祖の言い分だけを信じ込み、それが
本当かどうかを調べていない」というのは過去の自分も含めて言っているのです。

ラシンさんの文章を引用しますと

「仏教無知の単細胞(私もそのクチで)なら、コロリと桐山さんの
必死の訴えを真に受ける。
読み終えたら、その人の頭の中は、仏教の法=因縁転換の法、
という理論体系の持ち主です。
それが進化して因縁切りが仏教の法なのだとなるのです。」

「桐山さんに与えられたサングラスで、阿含経を読んでも漏尽解脱をなぜか
因縁解脱と読んでしまう。
因縁を切れなんて、阿含経のどこを探して見つけられない。」

ラシンさんの意見は皆大事ですが、抜粋して尚且つ自分が述べたいのはこの
2箇所です。これこそが信者が錯誤し誤認する原因です。

例えばこれがゲイカの言い分は横に一旦置いといて、仏教の歴史や中身などを
再度改めて学ぶ。ゲイカのよく言う「学者に阿含経や阿含宗の意味など分からない」
という言葉も横に置いといて、まずは「仏教の基本や中身を確認する」のです。

そして、それをやれば必ず不整合さが出てくる。
学者さんのいうことと、ゲイカの言うことに必ず「隔たり」が出てくるのです。

それから吟味してゆけば、自ずから答えは出てくるのです。
そう!嘘をついていたのは「桐山靖雄」だというのが。

これが分からないのはラシンさんの言われた「サングラス」を掛けたまま物事を
みたり考えたりしているから判断・判別出来ないのです。(続く)

128天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/03(木) 00:14:34 ID:qCS5HG2.0
そして実際の事をいいますと、私がまだ真実を知らなくて擁護にいたときに
様々な主張をします。
ですが、その事項に対して色々言われた中で効いた言葉は沢山ありますが、
最たるものを上げたらこの言葉があります。

「貴方は仏教をちゃんと勉強しているか。阿含宗の信者は教祖の言うことを
信じて一生懸命なのは分かるが、仏教の基礎さえ知らない。中身などいえば
”ほとんど知らない”のが現実である。それでいながら”自分たちは仏教を
よくわかっている”という姿勢が物凄く多い。貴方もその一人である。」

「批判側がいい掛かりや憶測でものを言っているというのならその事項を
調べて反論してみればいい。
デタラメなことや嘘を平気でついている教祖と信じられない批判側の意見とを
あなた自身が調べてみて、批判側が間違っていればその箇所を示せばいい。
一番大事なのは”あなた自身がちゃんと仏教を調べ確認する”ことだ。」

この様な内容でしたね。

そこで私は「ようし、では調べてお前たちをギャフンといわせてやる!」と
いきり立って調べてみた。批判側の示す内容に間違いがあったらただでは
すませない。お前らを撃破してみせる、と・・・。

そして調べたら段々青くなったのは今でも覚えています。
いや、死ぬまで忘れないでしょう。
どんどん出てくる不整合な事実。教祖のいう内容と全然違うわけです。

自分たちが覚えた教学や実際的な事項(梵行や修行について)は釈尊の教え
とは全く違うもので、それこそ阿含宗のやっていることは「これはどこから
出てきたものか」というのが非常に多い。

まして要の「因縁解脱」が阿含経に無い。また大乗仏教経典にさえ無いという。
そこで非常に焦りましたね。そんな馬鹿なはずがあるかと。

そのほかに色々「こうではないか」「ああではないか」と主張をしました。
それが過去の「@chs」という場所に過去ログとして残っています。

仏舎利の事にもかなり食い下がっています。それに対しユビさんが丁寧に解説し、
お陰さまで疑問が解けました。

そのほかの事項には深山さんやラシンさん、またその他の皆さんに教えて貰い
疑問や謎が解けました。
ですから、納得がいくまで討論されてみるのがいいのです。

ただし、自分教はいけませんが。

129天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/03(木) 00:26:50 ID:qCS5HG2.0
結局、阿含宗の信者さんは教祖の言い分だけを信じ、本当の仏教のことを知らない。
ゆえに無知識なまま間違った教えを信じ込むので、欺瞞に気がつかないのです。

無関係な人間ですさんという方が投稿をされますが、彼が「どうして阿含宗の手法に
かからなかったのか」という理由を書かれていましたが、それはまず先に「教祖の
主張に疑問を持った」というのと「仏教の知識を得て考証してみた」ということです。

確かに私も過去布教に関わりましたから分かりますが、いくら阿含宗の事を説明しても
「いや、信じられない」と言って入り込んでこない・乗ってこない人がいるのです。

結局仏教の知識が無いのでこちら側には突っ込みはありませんが、感覚で「嫌だ」と
思っているのですね。
これは本来正しい反応ですが、信者には「こいつは何も分かってない・知らないのだ」
と思っている。

ですが、本当の仏教の知識を得た人から見れば本当に分かってないのは阿含宗の信者
であり、自分自身なのですよね。
だから、掲示板で論ずると「あんた本当に仏教を分かっている?」といわれる。

でも、阿含宗で教学を勉強しているので「ふざけるな。そんなことぐらい知ってる!」
と腹が立つものです。馬鹿にしているのかと。

ですが、批判側の言うことはそういうことではなく、仏教の中身をちゃんと知っているのか、
ということです。本当に仏教を勉強したら教祖の言うことは「嘘だらけ」というのが
わかるのです。ですから、無関係さんのやられた「仏教を学び考証した」というのは
基本であり、基礎であり、教祖の言い分が正しいかを判断する唯一の「方法」なのです。

こういうことを阿含宗の信者さんが入信する前に行ったら、阿含宗に入信する人はまず
いません。なぜなら教祖の言うことは不整合すぎて「外道の教え」だというのがわかる
からです。なので、批判側のいう「本当の仏教を知っているのか」という言葉はケチを
つけているのではなく、真実を問うているのです。

130天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/03(木) 00:44:00 ID:qCS5HG2.0
そしてこれも自分の経験ですが、色々不整合な事実に目が覚めても自分の信じた
信仰をなかなか捨てられないものです。

ラシンさんが言われた「掲示板で色々知っては行くが、すぐに退会に到れなかった」
というのは私が「それは自然ですよ」というのは本当だからです。

自分が信じた信仰が「まさか間違い」だとは夢にも思わない。
何か胡散臭いな、というのを感じても、哀しいもので真実よりも自分が信じるものの
方を取ってしまうのが実際はあるものなのです。
だから私は掲示板に接して理解し退会したのは早かったですが、心境的には私もラシン
さんと何ら変わりが無いと思っています。ショックで本当に現実味が無かった。
でもこのショックが「現実なんだ」と受け入れるかどうかが要なんだ、とも思った。

そして退会と悟ったのが早かったのは、ある程度自分は追及していた。
教団内にいながら衰退する様を見て「変だ」と思った。
また教祖の言い分がおかしくなっている。どんどん疑念が高まっていた。
それは自分が何度も辞めようとしたのがあったのですが、「これで最後だ」と性根を
入れ替え、アゴンの信仰に励んでいたのもありましたね。

マジで職員になろうともしたし、アゴンの復興を望んでいた。
自分の中ではそれ相当に信仰に命をかけていた部分があったので、欺瞞を知ったら
目が覚めることができたのだと思います。

私が目が覚めることができたのは掲示板と批判側諸兄様方のお陰です。
そして、この活動を世に出さねばいけないとも。

教祖は「釈迦を世に出す」などとほざいてましたが、そんなのは嘘でした。
自分が如何に世に出て君臨できるか、人々を自分に配下させるか・従わせるか、です。

それに対し私は「教祖と教団の欺瞞を世に出す」ことを心情としています。
釈尊は世に出さなくてもよろしい。もうとっくに出ているのだから。
それよりもこの稀なる天才詐欺師の欺瞞の数々を世に知らしめ、末路は一発報いを
味わせてからあの世に送りたい、というのが個人的にはあります。

まあ、個人的な感情は別としても世に教祖と教団の欺瞞を知らしめる。
これで教祖の毒牙に掛かった被害者(信者さんの事)を救うというか被害回避できる
ことに繋がるので、それを成し遂げたいですね。そういう考えです。

131天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/03(木) 01:02:14 ID:qCS5HG2.0
釈迦を世に出すのなら「釈迦仏教」をやるべきです。
ところが教祖は何をやっているか?

仏教に有るはずのない「因縁解脱」から始まって、釈迦の教えも講じていない。
ご宝塔を拝んで教団へ貢ぐことをメインに信者に間違った教えを行わせている。

これで「釈迦仏教」なのか?

釈迦は何かを拝んで利益を得るような「取引信仰」をしたのか?
そういうずるい仏教開祖なのか?

因縁解脱に関する項目はどこにあるのか?
あの数種類ある因縁は著書「密教占星術」をみれば答が書いてあります。
あれは占いから用いた「運命の星」であり、仏教での「因果説」の出所ではありません。

これは私が信者でいた時代にさえ気が付かなかった事項です。
だから「騙されている」というのです。

因縁解脱も嘘。行も別所の宗教法人からのパクリ。成仏法は「名称だけ」中身は無し。
全然講じてない。それどころか難解で素人には講じれないから供養にすり返られている。
信者は騙されて搾取されて終りなんです。

まして釈尊が禁じた護摩や占いを堂々とやっている。
また密教は「後期大乗」です。
何で釈迦仏教をやるのに大乗にひるがえるか?

それは観念し妄想に浸らせるには密教が一番だからです。
釈迦仏教をやれば、今阿含宗が行っている事項は全て捨てなければ行けない。
そうなると収入はゼロになりかねない。儲からないのです。
密教で誤魔化しているのです。
密教の所作で成仏法を講じる、というのは嘘です。

釈迦を世に出すなんて真っ赤なうそです。
出すのなら儲からないのです。

釈尊は世俗から離れた行為をされたし、それを通した。
お金は要らない。むしろ貧乏で質素であった。
糞掃衣と托鉢の鉢と自分の体のみだけで人生を通したのです。

金。物。人とまくし立てる教祖と、一生質素で教えを説いた釈尊と一緒に出来る
はずがありません。ましてや教祖の嘘に騙されているのに気が付かない。
これが現実なんです。現実を見ることも把握することもできないのがアゴン信者
なのです。

一日でも早く真実と教祖の嘘を見抜いて、気が付くことをお勧めします。
そのためには自分の信仰を一旦横に置いて検証・考察されること。
これが一番気付くのに最適ですね。ぜひ、信者さんにはそこをわかってほしいですね。(終)

132ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/03(木) 08:28:59 ID:SmEF4Oe2O
>>128:天照 ◆MO30b8Jwoo11/02/03(木) 00:14:34 ID:qCS5HG2.0
>ですが、その事項に対して色々言われた中で効いた言葉は沢山ありますが、
>最たるものを上げたらこの言葉があります。
>「貴方は仏教をちゃんと勉強しているか。阿含宗の信者は教祖の言うことを
>信じて一生懸命なのは分かるが、仏教の基礎さえ知らない。中身などいえば
>”ほとんど知らない”のが現実である。それでいながら”自分たちは仏教を
>よくわかっている”という姿勢が物凄く多い。貴方もその一人である。」

これは私も同じでした。
私が擁護側として颯爽登場して反論弁明した時、今の深山さんに指摘されて
こたえたのが、長年の行歴がありながら(書き込み内容から行歴が長いと悟られていた)
桐山本以外に阿含経を読んで検証することはなかったのかという怠慢の指摘でしたよ。

>仏舎利の事にもかなり食い下がっています。それに対しユビさんが丁寧に解説し、
>お陰さまで疑問が解けました。

舎利信仰についてはこれは先に議論の題材となったオリンピックの聖火を考えれば
よいわけですね。
オリンピックにとって聖火とはシンボル以外の何物でもなく、競技自体とは
何の関係もない。
太陽光をレンズで集めて火をおこす凝りも自由だが、そもそも長野オリンピックの
聖火リレーを見てもわかるように途中で何度も消えている。
その時にまた太陽光を集めて発火などさせていない。一番最初の形式だけです。
だから今後、火炎は炭酸ガスを生成し環境に宜しくないから電気にしようとか
赤い紙切れを下から扇風機で煽ってヒラヒラ火みたいに見せよう(恥ずかしい…)
なんてことになったとしても聖火は聖火です。
舎利と同類のシンボルに法輪と仏足跡石がある。
あれに真正も偽物もないでしょ?
あんな馬鹿でかい足跡があるか?
しかしこれは教主釈尊を思い出し、その教えに帰依せんものと誓うシンボル
なんだからあれでもよいわけです。
仏足跡がなければならないかと言うとそんなこともない。
なくてもよい。
舎利も然り。これを舎利に見立てて仏教徒のシンボルとして教えを守ろうでよい
のであり、真正である必要などない。
真正でなければ力がないなんて言ってる田舎者はアゴン宗だけです。
しかし偽物を釈尊の御遺骨と思わせるのは騙しではないかと言われれば
そりゃそうだ。そういう気持ちがあるなら舎利なんかなくてもよい。

133ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/03(木) 08:41:43 ID:SmEF4Oe2O
アゴン宗みたいにシャカのホネでなければならぬなんて言ってる田舎者には
シャカシャカチキンでもやっとけ。
シャカの骨ならぬ肉であるぞと。鶏肉だけど。
天下のマクドナルドが売り出したのだから味も程よく調整されているだろう。
好みでチーズやチリソースを添えるもよし。
但し注文したら必ず代金を払って商品を受け取りましょう。

134ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/03(木) 08:50:26 ID:SmEF4Oe2O
お釈迦様始動!
ぴ〜ぽ〜ぴ〜ぽ〜
「桐山靖雄、詐欺で逮捕する」
そうだったらいいのになあ♪そうだったらいいのになあ♪

135ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/03(木) 09:04:24 ID:SmEF4Oe2O
桐山靖雄って、シャカシャカチキンを注文してドライブスルーをスルーして行った
「歯茎」と似てるな。
シャカシャカボーンを提示して成仏法を教えるぞと言いながらスルーしていきよる。
はっはっはっはっ、はっはっはっはっ

136準シュダオン:2011/02/03(木) 09:21:19 ID:1F7rdgXk0
ありゃー、天照さんは、仏教に因縁解脱はない、なんて言って、呆れたね。
あなた、仏教辞典はないのですか?私が何度も教えたでしょう、仏教辞典に
「初期仏教のさとりは縁起の滅した世界とされた」と、書いてあることを。
さとり=縁起の滅=因縁の滅=因縁解脱=縁起解脱、なのですよ。

縁起滅、縁起解脱、因縁滅、因縁解脱、これら四っつの言葉のどれを聴いて
も、同じ概念がすぐに湧くようになって、はじめて仏教を理解したと言えま
すね。縁起解脱?そんな耳慣れない言葉、何処にあるか?インチキだ、
なんて言うようでは、仏教を理解できていないのです。

137準シュダオン:2011/02/03(木) 09:35:44 ID:1F7rdgXk0
それと肝心なことは、因縁解脱なのであって、因縁解脱のない宗教では意味
がありません。因縁解脱のない宗教など、存在価値がありません。
そういう宗教は、選挙運動でもやってたら良いのです。

私は、「悪い因縁を切れる、運命は変えられる」という管長の教えがあった
から入行したのであって、正しい仏教とか、そんなのに興味はなかったね。
シャカ仏教とか、真実の仏教とか、偽仏教とか、そんなのはどうでもよく、
悪い因縁(運命)を切れるか?だけが関心事でしたね。

んで、入行後二十ン年、悪い因縁の一つは切れた自覚があるし、まぁ、まだ
切れていない因縁もいくつもあるけど、社会的にも経済的にも、まぁ満足
できる生活を送れていますから、批判派に邪教だから辞めろ!と、言われ
ましてもねえ、余計なお世話ですねん。
それに、チベット仏教の思念の相承・聖なるバイブレーションまで体験しま
したからね。まぁ、批判派の理解できない気持ちも解かりますけど。

138Boo:2011/02/03(木) 09:52:26 ID:9m3EYlIY0
判った!!

カンチョウゲイカのI川愛人週刊誌暴露事件はゲイカの色情の因縁の洗い出しだったんですね。

準シュダオンさん、あなたは正しかった・・・

ん?待てよ?ゲイカって完全解脱してたんじゃね?完全解脱した後でも因縁の洗い出しって
あったけ?

139神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/02/03(木) 10:11:33 ID:YaD7r0520
私の理解では準某氏がバイブを言い出した時点で法論は終わってますね!
彼の目的はアゴン云々でもなく、仏教でもなく、
もっと下世話のものだと見えますね?!彼の人生の擁護者の為しょう。
その擁護者が今、危機にあり何とか地元をまとめたい?
まとめる地位にありたい一心に見えます。
そのためには、自分が如何に長けているか?
周りに知らすめす必要からでしょう?!

140天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/03(木) 10:12:00 ID:OhT2dbnY0
>>136 又同じ事を・・・。私もユビさんに習って書かなければいいのですが、読んでいる信者さんのために
書くとして準さんへの返レスでないことを宣言しておきます。
(貴方は何度行っても自分教だから言っても意味がありませんから)

ダルマチャクラやゲイカの本などにも「仏教は煩悩解脱だ」と書いている箇所があります。
ですから、ゲイカも全くの馬鹿ではないのです。

ですが、こと持論の話に持って行くのが非常に上手い。
つい1秒前までは「煩悩解脱だ」と言っていながら、すぐ1秒後には「因縁解脱」の話をする。
さも「仏教は因縁解脱だ」と言わんかのように。

因縁解脱という教祖の思考に慣らされると正常な仏教の、つまり釈尊の言葉も意味も無視になります。
全く理解できないようになるのです。だから教祖の教えは一旦横に置いた方がいいというのです。

因縁解脱という仏教の教えでない思考に染まると、縁起滅という思考に入ります。
縁起滅とか阿含宗の中の教えのように「悪い縁を切る」ということですが、究極の縁起滅になれば
いい因縁までも切るということになり、この世からの縁を切る、つまり輪廻しないという思考になります。

輪廻しないという理論ではいいですが、それではいい因縁まで切ったらこの世にいられない。
自殺では無いがこの世から「おさらば」せねばならない。
そういうことをお釈迦様はいっているか?です。

全ての因縁を切って輪廻しない涅槃へ到るのだ、といったのか?
解釈の仕方ではそのようになるだろうが、そういう風に、では学者も解釈や説明をしている人はいるのか?
「ある特定の人」しかそういう思考をしてないのが「現実」です。

またそうなると主張に困るからゲイカは「悪い因縁だけを切るので充分なのだよ」と言っている。
これは全ての縁起滅をしたらこの世から去らねばならない矛盾を補うための理由からきています。
悪い因縁だけ切れば、後はいい因縁だけで生きればいい。寿命が来るまで生きていいんだよ、の説明で
済ませるために、そう言っている。

だが、縁起滅なら悪い因縁だけではない。いい因縁も切ってしまう事を指すのです。
そういう中学生でも分かることを知らずに人を小馬鹿にするのはいかがものか。

また各種の因縁の項目はどこから出した?密教占星術に書いてある占いの項目だと何度も言っている。
そういう項目を釈尊が本当に「切れ」といったのか?

またご宝塔を拝むことで切れるのか? ではなぜ釈尊は弟子たちに昔からご宝塔を授け拝ませる行為を
しなかったのか? 今阿含宗がやっているような行為で事が済むのではないか?
ちょっと考えても分かることを理解できないのがアゴン信者なのです。

141準シュダオン:2011/02/03(木) 10:21:44 ID:1F7rdgXk0
ボーさんて、おバカさんねw。週刊誌にさえ、愛人とは書いてないよw。
愛人と考えて妄想たくましく、してるのは批判派だけなのよw。

阿含経には、「得阿那含 種種神通境界 天眼天耳・・」とあって、
阿那含から超能力が生じるように記されてます。しかし、わたしの体験では
そうでもない。わたしは修行無しに、入行前に霊視が出来たことがあった。
それはたぶん、釈迦が説く天眼の一種だったと思う。
管長は、「自然に生じた霊視能力は、自然に消えてしまう」と、伝法会で
説いていましたが、自然に生じる霊視能力も、存在するのですね。

まぁ、科学的合理的精神から言えば、すべての宗教は詐欺みたいなものです。
科学的精神から、「すべての宗教はアヘンだ!」と言われたら、宗教はグゥ
の音も出ないのですw。だから、阿含宗だけを攻撃するのはおかしいのです。
すべての宗教は、科学的にみたら皆、変なのです。

142天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/03(木) 10:28:31 ID:OhT2dbnY0
煩悩滅と聞くと非常に違和感があるのは私も分かります。
ことアゴン信者はこのことを知らないので、こと違和感がありますし、因縁解脱を信じる
人には「なんだそんな訳のわからないもの」となります。

深山さんもユビさんもそれを私に過去説明していただいたものですが、実際はピンと来なかった。
そんな「頼りないもの」や「お寺さんが言うような”煩悩を滅せ”」なんてちゃんちゃらおかしくて
そんなものを信じているのか、と小馬鹿にしたものです。
むしろ、心の中ですが”鼻で笑っていた”ものです。

ですが、ちゃんと仏教の解説書や一般本、また初期・原始経典の解説を見ていけば私の考えや
感情は非常に愚かなものだと分かった。

釈尊が何を説き、何を示唆したかが分かるのです。そしてその後から阿含宗を振り返ったら
「砂の城」であったのが分かった。そしてそこで「宗教ごっこ」をしていた自分がいた。

この谷から突き落とされたような衝撃は今でも忘れない。いや、一生忘れない。

教祖の主張は妄想や他所からのパクリで作られた虚像・虚飾です。
経典の勝手解釈で「因縁解脱」を信じようがそれは個人の勝手。
好きな人は好きなだけ好けばいい。

ですが、真剣に因縁解脱を信じ研究したなら、そういう事項は仏教に無いのだと知ります。
それでも因縁解脱が好きなら阿含宗にいなさい。

私も悪因縁を切ろうとして真剣だったし、教祖を信じていた。
ところがいつまで経っても変化が無い。
当然です。嘘の教えと中身が無いインチキ信仰をやって何がありますか。

agama考察室の各資料を見て御覧なさい。あれは提供も結構ありますが真実です。
資料室とリンク集の集成が「agama考察室」なのです。

私はご宝塔の分解、独鈷の分解もしています。
また支援もあって、信者が行う行の中身にも触れて解明しています。
古くから密教に伝わる「千座行」なんて嘘です。
よその教団のパクリです。

それで因縁が切れる?笑わせるなですよ。
しかも釈尊がそれを示唆した? 仏教の世界でそういうことを言ったら相手にもされません。
阿含宗の中だけに通用する「遊び」か「観念の世界」であり、「宗教ごっこ」なんですよ。

お遊びで十分な人なら講じてもいいが、私は真剣なので宗教ごっこには付き合う気がない。
なので退会したのですよ。

143天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/03(木) 10:43:06 ID:OhT2dbnY0
準さんは今日は随分饒舌だなあ。(よっぽど暇なんだな)

また信者さんに問う。今の教祖を見て何も感じないか?

私は丁度イスラエルの護摩が終わってからまもなく退会したが、そのあたりにも
「輪廻転生瞑想法」の事を言っていた最中でした。
その時少し前から私は訝しく思っていた。いや「狂った」とさえ思った。

それは何か? 
そう因縁解脱を説いていながら、今度は「輪廻を自在に操る法」だと抜かしやがった。
この事実はどうするのか、です。

因縁解脱はもう輪廻転生しないためのものです。それがそういう風に言っている傍ら、
「輪廻転生していい人生を得ましょう」
馬鹿じゃねーか、と思った。

道場で親しい信者にこのことを言うと「まあまあ。そんなに怒らないで」というだけ。
お前らは変だと思わないのか?と何度も言ったが駄目でしたね。
私に同意する人はゼロでした。

教祖の言い分だけを信じて泣きを見るのは自分です。
ましてボケが酷くなってますます悪くなっている。
あの阿含宗報を久方ぶりに見たが、なんですかあの呆けた焦点の定まらない顔と目。
ああいう爺が好きなら死ぬまでいなさい。

それもそうだが、言っている内容や不整合に気が付かないほうが信じられない。
貴方たちは自分の考えさえも無いのか。判断力も無いのかといいたい。
教祖が相反することを言ってそれで納得ができる神経がわからない。

まあ、思いっきりやってそれで失敗してもそれが貴方の人生ならそれでいいでしょう。
好きにすればいいですが、もしも感じることがあるのなら「調べなさい」
釈尊を選ぶのか、教祖を選ぶのか。それだけで全然違いますから。

教祖の言うことを聞いてたら人生損をしますよ。

144準シュダオン:2011/02/03(木) 11:21:20 ID:1F7rdgXk0
そりゃ、阿羅漢なり阿那含までいけた人なら、輪廻転生しないわけだから、
輪廻転生瞑想法は必要ない。しかし、シュダオンや斯陀含留まりの信者は、
嫌でも輪廻転生は避けられない。そうなったら、なるべく良い人生に輪廻
したいでしょう。そのための輪廻転生瞑想法なのですよ。
お解かりですか?

増谷先生の羅摩経訳の一節、釈尊が五比丘に言います。
「来たれ比丘達よ、梵行を行じて苦の滅を得るがよい」と。
苦の滅を得るのが、仏教の目的です。そのための手段が、煩悩を断つこと
です。だから、経典の結論として、「必尽苦際」とか「終帰滅度」とか、
「無上滅」とか「得涅槃」とか、至るところで説かれているのです、
いずれも同じ意味です。

「梵行を行じて苦の滅」の、梵行の代表的なものが37道品です。
苦の滅の、苦とは諸々の苦のこと、すべての苦のことです。
この苦を、管長は「何何の因縁」というわけです。
だから、苦(因縁)の滅=苦・因縁を切る、というわけです。

で、煩悩から苦が生じるわけで、煩悩は無明という煩悩から生じますから、
無明を断つには智恵(知識ではない)を得るしか手段はない。
その智恵を得る修行法が、37道品とか、8法16法、三宝三供養法、で
あるわけですね。

145天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/03(木) 11:32:26 ID:OhT2dbnY0
上手い方便ですよ。

いいですか?言っている内容も検証して物を考える、というのです。

まず、一日に三回笑いなさい。
そして、自分が望むようないい輪廻先を瞑想しなさいが主たる内容です。
しかも、本も出版されない顛末。

これで何が指導?なにが瞑想?妄想でしょう笑わせるなよ、冗談言うなよです。
それでありがたくなるなら貴方も「ボケ老人脳」です。
なにが求聞持脳ですか。脳障害ですよ。

どうせ輪廻うんたら瞑想をやって輪廻が上手くゆかなかったって責任も取れないでしょうし。
ゲイカがその信者の転生先に行って責任を取れるはずもない。言うだけ勝ちですよ。
そして信じたものが馬鹿を見る。

もっともらしく言うのが教祖と阿含宗の性質です。
現実を見るほうが一番賢明です。
妄想よりも今を生きろと。
釈尊の教えがそれですから。
阿含宗は仏教ではない。

146ラシン:2011/02/03(木) 12:00:01 ID:x9FuHHv20
>136 :準シュダオン

この御方は、本当に脳が退化しているようだ。

天照さんの葛藤は、ここの批判者のみなすべてが持っていました。
しかし、通じないお方も居るのだからそれは仕方が無いと思うしかない。

>釈迦を世に出すなんて真っ赤なうそです。
出すのなら儲からないのです。

これは少なからず宗教全般に言えることですね。
しかし、他教ならいざ知らず仏教には絶対あってはなら事です。
桐山さんの心底ホンネをズバリ言い当てています。

>136 :準シュダオン
>さとり=縁起の滅=因縁の滅=因縁解脱=縁起解脱、なのですよ。

縁起の滅とは悟りの境地だと言っても脳が退化しているから、
こんな簡単も理解できないようだ。
なにが「私が何度も教えたでしょう」なのだ?
感電障害者が、何様でしょうね、失笑を禁じえない傲慢さだ。

縁起の滅の境地を得るのに「縁起解脱」だ、など日本語として通用しない。
縁起とは、「生存の苦悩はいかにして生起し、また消滅するのかを示す」のです。
解脱したら、この苦の生起が消滅するのに、縁起解脱とはこれいかに。
普通こういう人は脳がおかしいと判断される。
つまり、
縁起の滅の境地に至る為には、煩悩を滅し尽くせ、とうのが漏尽解脱です。
天照さんの指摘である「だが、縁起滅なら悪い因縁だけではない。
いい因縁も切ってしまう事を指すのです。」に反論できないからするーして、
シャカシャカチキン状態なのですよね、ユビさん。
まあ、これは信者さんに申し上げているのであって、電波老人など論外です。

>141 まぁ、科学的合理的精神から言えば、すべての宗教は詐欺みたいなものです。
科学的精神から、「すべての宗教はアヘンだ!」と言われたら、宗教はグゥ
の音も出ないのですw。

ウソツキは、こういう薄笑いを平気でしてしまうとの心理学的見解がある。
何が「科学的合理的精神」? この姑息さこそ、この御方の人格でしょう。

カール・H・マルクスの
 宗教的悲惨は現実的悲惨の表現でもあれば現実的悲惨にたいする抗議でもある。
 宗教は追いつめられた者の溜息であり、非情な世界の情であるとともに、
 霊なき状態の霊でもある。それは人民の阿片である。

との指摘を共産主義者が、標語として利用したのです。
電波障害者は、実は共産主義者だったのね。
それも、マルクスの「霊なき状態の霊でもある。」とは、
霊を認めない夢幻だとこけ落とされているのに、
それも知らずに「霊視」などを誇る矛盾と言うか無知蒙昧を曝け出して笑えます。

桐山さんの「幸福の原理」の末尾204頁には、
 正しい法を伝えて人を導けば一切の悪因をて関する徳を得る、
 と経文にも説かれてあります。

このロジックのいやらしさと言うか小ズルサを電波障害者が真似ている。
この「経文にも説かれてあります。」との表現、ウアマイですね。
書かれているとは言わず、説かれているのですから解釈の自由だと逃げられる。
この辺りの表現力をもっと見習えば、電波さんも少しは桐山詐欺に近づけるのにね。

147ラシン:2011/02/03(木) 13:00:08 ID:x9FuHHv20

「だが、縁起滅なら悪い因縁だけではない。
 いい因縁も切ってしまう事を指すのです。」
この天照さんの指摘は鋭く、けだし名言です。

桐山さんの『幸福の原理』を読めば様々な仕掛けが為されていた、
いわば今にいたるアゴン宗詐欺の原点なのだ、と気づかされます。
しかし矛盾だらけで、桐山さん自身が過去の言質を否定したのが、
上記天照さんのご指摘です。
200頁の桐山語録を参照掲示しますと、
  
 苦労して良いことをし、徳をつめば確かに悪い因縁が転換し、
 良い宿命となって楽をすることが出来るようになるのは
 間違いのないことです。

因縁切りなんて桐山指導じたい自身の言質を否定しているのが上記文です。
だったら、因縁切りじゃなく、悪因縁切り とすればよかったでしょうが、
それも後の祭り、大いに笑えます。
もう一つは、「楽をすること」を謳っている。
これじゃ、電波障害者がいくら擁護しようが、取引信仰・ご利益信仰です。

では苦肉の策で、
良い因縁はヨイショと脇に置いといて、悪因縁切りで縁起解脱でどうだ。

こういう愚考を呈している電波障害者は、多分論理の矛盾に気づけない。
だから、阿羅漢を除いて、

>シュダオンや斯陀含留まりの信者は、
 嫌でも輪廻転生は避けられない。そうなったら、なるべく良い人生に輪廻
 したいでしょう。そのための輪廻転生瞑想法なのですよ。お解かりですか?<

などと自信ありげに無知を晒すのでしょう。
学説を差し置いて、いったい何様なのだ?
それなら頑張って「悪因縁解脱」という標語に仕切りなおして自惚れたらいい。

148ラシン:2011/02/03(木) 14:38:02 ID:x9FuHHv20

>>146
桐山さんの「幸福の原理」の末尾204頁には、

誤:正しい法を伝えて人を導けば一切の悪因をて関する徳を得る、

正:正しい法を伝えて人を導けば一切の悪因を転換する徳を得る、

149名無しさん:2011/02/03(木) 18:13:02 ID:Te3nv4YI0
>>144
あるとき、仏陀は、ナーディカの煉瓦堂で、マガタ国の、在俗信者の転生先を探していた。
そのとき、独り夜叉が、仏陀の目の前に現れた。
「久し振りです、ビンビサーラであります。ジャナヴァサバという、夜叉に生まれました。
今は、毘沙門天の側近として、仕えております。」
「尊師よ、まことに、仏の法は偉大でした。仏陀の教えにより、私は、天に生まれました。
次は、預流から、一来を得たいと願っています。」
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/janava1.htm
______________________________________________________________________________________________________________________________

上の経典のように
釈尊の在家信者であった父王のビンビサーラはアジャセ王子に幽閉され餓死したが天界へ生じた話がある。
ビンビサーラは囚われが多く仏陀の真理を直接理解させるのは難しかった人でもあったと云われるが
熱心な在家信者でもあり戒をよく守ったとも云われる。
その果報により天に生じたわけだがはたして釈尊が在家に未来(輪廻)に執着させる法など説いているかな?

150Boo:2011/02/03(木) 19:15:42 ID:9m3EYlIY0
>141 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/02/03(木) 10:21:44 ID:1F7rdgXk0
>ボーさんて、おバカさんねw。週刊誌にさえ、愛人とは書いてないよw。
>愛人と考えて妄想たくましく、してるのは批判派だけなのよw。


準さんて、おバカさんねw。私はゲイカを擁護しているのよ、色情の因縁
の洗い出しだって。それ以外にI川さんから立場を傷つけられていることの
合理的説明はできないの。アゴン宗の因縁論ではね。

151ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/03(木) 20:38:07 ID:SmEF4Oe2O
>>136:準シュダオン11/02/03(木) 09:21:19 ID:1F7rdgXk0
>あなた、仏教辞典はないのですか?私が何度も教えたでしょう、仏教辞典に
>「初期仏教のさとりは縁起の滅した世界とされた」と、書いてあることを。
>さとり=縁起の滅=因縁の滅=因縁解脱=縁起解脱、なのですよ。

この場合、表現される縁起を滅した世界とは、生まれて来なくなることを指します。
なぜならば縁起自体の意味は縁りて生じ起こるということですからそれ自体に
悪因縁の意味はありません。原因があるから結果が生じる法則ですね。
だから快適で幸福な人生というのもこれは縁起によるものです。
これをも含めて滅してしまう。
幸福な人生はそのままでよいからそれは促進して、不幸な人生だけを滅すると
いうならば、これを縁起の滅とは言わない。
縁起いろいろあれど悪い縁起だけを選んで滅する世界とこう表現せねば意味が通じない。
しかしそんな言い方は仏教辞典にもありませんね。
それにこの場合、悪い縁起なんてややこしい表現をしません。
人生を悪く不幸にしている原因となる何かを滅するわけであり、法則自体滅して
しまったなんて言わない。
法則自体が滅したら幸福な人生が生じることもなくなるのです。
それでも縁起を滅した世界なんて表現することは生まれて来なくなることです。
つまり幸福な人生も滅してしまうのです。
幸福だの不幸だの感じる以前に生まれて来なくなる。
これは十二縁起を見てもわかるように無明から始まって生老病死に至る。
苦は老病死だけではありませんよ。四苦八苦の四苦は生も含みます。
生自体が苦です。無明の煩悩があって愛執の煩悩により生という苦が生まれるのです。
だからこの縁起の世界の滅とは無明や愛執などを滅することであり、そうすることに
より生老病死もなくなるのです。
老病死だけなくなるはずもない。老病死以前の問題として生がなくなる。
輪廻が止んで生まれて来なくなる。
桐山さんもこの輪廻が止まることを究極としています。
しかし桐山因縁解脱は決してこれを指さない。
ガンの因縁、横変死の因縁、中途挫折の因縁などを切って、命を延ばしたり、
よりラッキーでハッピーな人生をエンジョイし続けようとする。
これが桐山因縁解脱です。
しかし縁起を滅した世界にはこれがない。
今生で煩悩がなくなるから次に生まれて来なくなり縁起の世界すらもないと
いうものです。

152ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/03(木) 20:59:11 ID:SmEF4Oe2O
>>137:準シュダオン11/02/03(木) 09:35:44 ID:1F7rdgXk0
>それと肝心なことは、因縁解脱なのであって、因縁解脱のない宗教では意味
>がありません。因縁解脱のない宗教など、存在価値がありません。

はい、そのような価値観はあなたの自由です。

>私は、「悪い因縁を切れる、運命は変えられる」という管長の教えがあった
>から入行したのであって、正しい仏教とか、そんなのに興味はなかったね。
>シャカ仏教とか、真実の仏教とか、偽仏教とか、そんなのはどうでもよく、
>悪い因縁(運命)を切れるか?だけが関心事でしたね。

それも結構なことでございます。だから仏教などに拘らずに桐山運命転換教として
信じて仏教の方は捨てればよいと思います。

>できる生活を送れていますから、批判派に邪教だから辞めろ!と、言われ
>ましてもねえ、余計なお世話ですねん。

あなたに辞めろなんて一度も言ったことはありません。
どうか辞めないで一生続けてください。
あなたに限らず我々の情報を受け入れたくない人はそのまま続ければよいと思います。
理解できた人だけが各自辞めるなどすればよい。

153ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/03(木) 21:13:48 ID:SmEF4Oe2O
>>141:準シュダオン11/02/03(木) 10:21:44 ID:1F7rdgXk0
>ボーさんて、おバカさんねw。週刊誌にさえ、愛人とは書いてないよw。

あなたは塙さんですか?ヤホーとかw

>愛人と考えて妄想たくましく、してるのは批判派だけなのよw。

回答済ということで。

>阿那含から超能力が生じるように記されてます。しかし、わたしの体験では
>そうでもない。わたしは修行無しに、入行前に霊視が出来たことがあった。
>それはたぶん、釈迦が説く天眼の一種だったと思う。
>管長は、「自然に生じた霊視能力は、自然に消えてしまう」と、伝法会で
>説いていましたが、自然に生じる霊視能力も、存在するのですね。

どうでもいいですが、あなたは若い頃はガチガチの唯物主義で占いも超能力も
信じてなかったと書いていませんでしたっけ?
占いがあたるということとアゴン宗入信以前に芽生えてアゴン宗に入行してからは
その能力も失ってしまったその霊視能力とあなたの唯物主義からの脱皮、転機、
そしてアゴン宗を選んだことなど書き綴ってみてはいかがでしょうか?
準シュダオン教には興味がなく、スレ違いなんだがアゴン宗との出会い、入信の
動機とか経緯、心境の変化などを吐露することはスレ主旨に合うものと思います。

154ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/03(木) 21:44:16 ID:SmEF4Oe2O
>>144:準シュダオン11/02/03(木) 11:21:20 ID:1F7rdgXk0
>そりゃ、阿羅漢なり阿那含までいけた人なら、輪廻転生しないわけだから、
>輪廻転生瞑想法は必要ない。しかし、シュダオンや斯陀含留まりの信者は、
>嫌でも輪廻転生は避けられない。そうなったら、なるべく良い人生に輪廻
>したいでしょう。そのための輪廻転生瞑想法なのですよ。
>お解かりですか?

シュダオンは天上界と人間界を七たび生まれ変わるという。
天上界とは人間界より恵まれた世界です。
だからいくら桐山さんが御利益たっぷり欲を煽るように輪廻の先の世界を説いた
とて所詮天上界を乗り越えるような世界ではない。
それにその恵まれた天上界を含めて六道輪廻と言うのであり、これはまだ苦界です。
しかもあなたがかつて出した経典によるとその六道輪廻の世界とは悪趣とも表現
されているのですから。
仏道修行をしていればたとえシュダオンで今生が終わっても来世はもっとよりよく
上へ進める期待が持てるのだから、そんなものはオマカセでよい。
それよりもあくせくと来世を妄想すること自体が煩悩を増やすことになり
この人はそれが為にかえって先に進めません。
ますます低い悪趣から抜け出せなくなるでしょう。

>増谷先生の羅摩経訳の一節、釈尊が五比丘に言います。
>「来たれ比丘達よ、梵行を行じて苦の滅を得るがよい」と。
>苦の滅を得るのが、仏教の目的です。そのための手段が、煩悩を断つこと
>です。だから、経典の結論として、「必尽苦際」とか「終帰滅度」とか、
>「無上滅」とか「得涅槃」とか、至るところで説かれているのです、
>いずれも同じ意味です。

梵行とはあなたも本当は知ってる通り清浄行であり、これは性欲などの欲望を
断ち切る禁欲の道です。
禁欲をして苦を滅するとはがまんしてがまんした果てにご褒美の安楽が待っている
ということではない。
それは酒断ちして、誓願期限が過ぎたらまたビールで乾杯して酒は上手いと
言っている発想です。
欲望をなくして苦を滅するのは欲望自体が苦だからです。
欲望の虜だったのが欲望を捨てた時に自分を苦しめていた苦しみから解放されて
肩も軽くなる。ゆえに悟りなんです。
事故災難病気、こういう欲望に関係ないものから受ける苦痛感など変わりませんよ。
生きている間はそれが当たり前なんだからそれは受け入れる。
来世の夢想など欲望による苦です。

155天照 ◆8Sws/yExDc:2011/02/03(木) 21:53:49 ID:ywkn/f8E0
私もここのところ忙しかったので書き込みがあまり出来なかったのですが、久々に
書かせてもらいました。まだ書き足りない感がありますが、あまり書くとHPのネタ
が減るのでやめときます(笑)

ユビさんのおっしゃるとおりでスレ違いな内容でなければ構わないです。
アゴン宗との出会い、入信の動機とか経緯、心境の変化などを吐露することは別段
問題はありません。

2chで良く見られる仏教や阿含宗に関係ないものや明らかな荒らし行為。
また自分教と思われる内容の投稿は芳しくないですね。

そこのところを気をつけながら、また相手の言っていることにも会話をしてゆく。
そういうちゃんとした論なら管理行使も入れる必要もないし、大いに論じて行きたい
そう思っていますよ。

擁護なら擁護意見でもいいから、トコトンやるべきです。
私はそれをやらせていただきました。尚且つ「擁護専用だ」なんてラインを張りながら、です。
それでもユビさんは果敢というか大胆というか、堂々と意見を述べられた。

私の知人は掲示板に来れば負けるから来ません。
そして反発ばかりしている。こんなのはただの弱虫と強がりです。
自分が妄想や教祖の言い分だけを暖めているのが好きでたまらない。
そういう人は一生それを愛せばいい。

私は間違ってはいたが真剣に阿含宗に半ば命を掛けていた。
遊びや冗談で宗教をやっていたのではないのです。
ましてお金も掛かる訳ですしね。

本気で真面目にやる気があって尚且つ探求をするのなら答えは出ます。
それをROMられている人はどこまで考えているか、です。
私は「宗教ごっこ」は不要です。そんなものは要らない。

なので、本気で考え論じれる人が意見を出すのは、大歓迎ですね。

156ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/04(金) 08:28:27 ID:SmEF4Oe2O
>>144:準シュダオン11/02/03(木) 11:21:20 ID:1F7rdgXk0
>そりゃ、阿羅漢なり阿那含までいけた人なら、輪廻転生しないわけだから、
>輪廻転生瞑想法は必要ない。しかし、シュダオンや斯陀含留まりの信者は、
>嫌でも輪廻転生は避けられない。そうなったら、なるべく良い人生に輪廻
>したいでしょう。そのための輪廻転生瞑想法なのですよ。
>お解かりですか?

そもそも桐山さん自身、自分が死後、来世にどこに行くのか気にしていると
例祭法話で話しているとのことです。
本来桐山さんは有余依涅槃の聖者となっており、死んだら無余依涅槃に自動的に
移行することが決まっているはずです。
しかし弟子も育っていないし、仏界に行くはずのところを仕方ないからまた敢えて
人間界に戻りアゴン宗を支えていくと宣言するのならばまだわかるが、
ちゃんと人間界に生まれ犬猫などに生まれないか心配までしていると言う。
これは甚だおかしいことと言わざるを得ない。
桐山さんは現実に近づいてきた死をかなり恐れているのです。
同時に来世に対して夢想している。
金持ちで美男美女で名声を受ける来世を誰よりも自分が希求しているのです。
生まれ変わらなく涅槃など真っ平なんです。
ここに来てホンネが恐怖と共に出てきたのです。

157準シュダオン:2011/02/04(金) 09:43:06 ID:1F7rdgXk0
管長が死後どこに行くのか気にしている、というのは噂で、嘘でしょう。
私は聞いたことないね。わたしが聞いた時は、管長は、「私は死後何処へ
行くか知っている」と、話していましたけどね。

さて、阿含宗の基本の因縁解脱、ですが、因縁=原因、というような意味
ですから、原因解脱、と聞けば解かりやすいですか?
お釈迦さまは、五比丘に「来たれ比丘たちよ、梵行を行じて苦の滅を得るが
よい」と、おっしゃいました。
この、「苦の滅を得る」が、修行の目的です。
では、「苦の滅」とは何か?先ず「苦」とは、

苦諦、集諦、滅諦、道諦の、苦諦集諦が苦です。具体的には、12因縁の
1無明2行・・・7受8愛・・11生12老死、を、「是為此大苦因縁」と、
経典に説いてありまして、12因縁=苦諦集諦、なのであります。
で、この12因縁=苦諦集諦、を滅するには、1無明という根本煩悩を滅す
れば良いと、釈尊は説きます。

その無明を滅する修行法が、道諦なのであり、37道品や8法16法です。
お解かりですか?釈尊は、12因縁を「是為此大苦因縁」と、説いている
のです。ですから、「苦の滅を得る」とは、12因縁の滅のことです。
滅と解脱は同じ意味ですから、12因縁の解脱=苦の滅、ということです。
この12因縁の中に、管長の説くガンの因縁やら横変死の因縁やら○○の
因縁がすべて含まれているわけですね。

だから、阿含経典の説くところと、管長が説くところは同じなのです。

158天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 09:59:29 ID:veOQxJBU0
>>156 私はイスラエルの護摩が終わって、その翌年の2月の柴燈護摩前に退会を決意しましたので
まあ、イスラエルの護摩が最後の護摩で道場にもその辺りから行かなくなったけれども、ゲイカが
自分の転生先を案じていた発言は在籍していたときに聞いていて訝しく思ったのでユビさんの言って
いる事は憶測ではないですよ。

阿含宗報とかにそれが書かれていればいいのだけれど、都合の悪い発言はカットされるから載ってないでしょう。
やはり生の法話を記録した媒体(ビデオかDVD)で調べないとそれは出せないかも。

別院なら5年前までの法話なら腐るほどあるし誰でもいつでも簡単に借りれるので借りて調べたいが、
退会したのでちょっと無理かな。

私も法話でゲイカが自分が有依得涅槃なのに、あの世へ精通しているはずなのに、何でそんなに来世やあの世の
案ずるのか、また輪廻しないのが究極の因縁解脱なのにそういう「おかしげなこと」をいうのか。そして、ゲイカ
だけでなく「信者の君たちも虫や動物などに生まれたくないだろう」なんて強く言うのは変だと思いましたね。

教祖なら「一生懸命努力して涅槃へ行くのだ」と言うのが本当でしょう?
私もユビさんの言っている

「桐山さんは現実に近づいてきた死をかなり恐れているのです。
同時に来世に対して夢想している。
金持ちで美男美女で名声を受ける来世を誰よりも自分が希求しているのです。
生まれ変わらなく涅槃など真っ平なんです。
ここに来てホンネが恐怖と共に出てきたのです。」に同意です。

そうでなければボケた思考だけではこういうことは言わないし行わない。
段々ゲイカは自分で自滅してボロを出しているのです。

159天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 10:15:31 ID:veOQxJBU0
おお、これも思い出した。

阿含宗の信者は死後は霊界の一番低いところに最低でもいける。そしてシュダオンの
境涯に成る、と言っていましたな。

そしてシュダオンになったら虫や動物に生まれるはずが無い。
7回転生を繰り返しながら、境涯を上げて行き最終解脱の「アラハン」になるんでしょう?

だったら何を恐れる必要があるのか。
何で輪廻をいじくる必要があるのか、です。

というか釈尊さえも言わない・説かない輪廻の先を調整できる法?
随分偉くなったものですね。

まだ掲示板に来ていなかったアゴンの教学にどっぷり漬かっていた時期ですよ。
欺瞞に全然気が付いてなかった在籍していた信者時代でも「それはおかしい」と
思っていた。

因縁解脱を主張して「それしかないんだ」と言ってた方がまだ良かった。
それが急に路線変更よろしく「輪廻していい境涯に生まれて解脱を果たすんだ」には
呆れて「お前殴ってやろうか」と思った。

教祖をボコボコにしたら有名人になっていたかもしれませんね。
まあ実際にやったら今頃は自分は刑務所の中でしょうが。

それだけ本気で呆れていた。また信じられなくなっていた。
霊障も先祖供養も因縁解脱もわかるが、輪廻転生だけは認められない。
阿含宗の根幹をやってたら、憤るのが当然です。

ですが、それを周りに言っても誰も「気付かない」
馬鹿の集団か?と思いましたよ。

そしてゲイカはおしゃべりが過ぎる。余計なことまでいわなければいいのに、法話でポロっと
「自分の死後を案じているような内容」をこぼすから「あれ?」と疑われるんです。

また先ほども述べましたが阿含宗の信仰をやっていて死後の安泰や輪廻も保障されている旨の
発言を過去にしておきながら、近年になって「虫や動物に生まれ変わる恐れがある」と言い出した。
ああ、頭が狂ったんだなあ、と思いましたよ。

でも狂ったのもあるかもしれないが、ボケたのと嘘をついていたのが隠せなくなった。
不安でしょうがなくて本音を出し始めたんですね。
ゲイカ自身も過去に言ってたでしょう? 死が近くなるとあっちの世界へ波長が近くなる。
そうなると今まで強気だったのが弱気になり、また波長が近くなるんで非常に不安に成る、と。

まさにそれを体感しているのが今のゲイカでしょう。
だからそれに脳障害も加わってますます妄想が酷くなっているし、怖がっている。
これがアゴンの教祖であり聖者さんなのです。

160準シュダオン:2011/02/04(金) 10:31:27 ID:1F7rdgXk0
確かにシュダオン以上になれば、輪廻転生瞑想法は必要ない、とも言えます
ね。だから、まだ発売されていないのかな?
でも、その瞑想法があっても邪魔にはならないですよ。
シュダオンなら、最大7回も輪廻しますから、どうせなら良い境遇に生まれ
たいですもん。

161天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 10:42:27 ID:veOQxJBU0
あと、来月の「アゴンマガジン」の中の経典解説がどういう風にするのか楽しみだが、
阿含宗の矛盾を露呈するものが、釈尊と亡くなり方と一部弟子たちの無残な亡くなり方
です。

阿含宗での教学(教祖の言い分)ですがそれで見てゆけば、釈尊の亡くなり方も、一部
の弟子たちの無残な亡くなり方も説明が付きません。
無理やりな「方便」でしか通用しません。本当に阿含宗で教わる仏教の要は「因縁解脱
である」というのなら、釈尊の亡くなり方も、一部の弟子たちの亡くなり方は「因縁解脱を
果たしてない」=「成仏してない、解脱していない」こととなります。

ですが、仏教学者の研究や内容でみると、成仏は「煩悩解脱」であり、悟りを得ることで、
因縁解脱というものではありません。そして釈尊の亡くなり方や一部弟子たちの残酷な
亡くなり方は「自分の過去世の因果応報の表れ」であり、悟りを得ても因果の報いは別で
あるという説明だと合点がいきます。

また目連さんは托鉢には非常に困窮したとありますが、それも過去世での報いが出ており、
飲食に困るほど布施をしてなかったからだといわれています。

これが阿含宗の理論で行けば功徳をかなり積んだなら過去世の悪業と相殺されて、現世では
困窮したり、残酷な死を迎えるというのは「ありえないこと」になります。
また困窮や残酷な死が「ありえる」としたならば、因縁が切れてないことに成る。
そうなると目連さんが「仏陀になった」というのは嘘であり、釈尊も目連さんの成道を認め
たのは「間違い」という事になります。また釈尊自体も「仏陀」というのは嘘、ということに
なります。

これでは仏教自体が破綻します。嘘の宗教・教えという事になります。
そうなれば阿含経もくそもない。仏教全部が「にせもの」となります。

これではいかにも阿含宗の理論だけを尊重するには無理があります。
では、釈尊がインチキなのか? それとも桐山氏がインチキなのか?です。

で、調べてゆけば桐山氏のインチキが露呈されるというわけです。
こんなことは中学生でもわかりますよ。でも、それを知らなかったのはアゴン信者であり、
過去の自分でもあった、ということですね。

162準シュダオン:2011/02/04(金) 10:44:04 ID:1F7rdgXk0
幸福の科学は、年に300億円御布施があって、国会議員選挙に300人以上
立てて、全員落選して供託金を11億円没収されたそうです。
選挙運動に100億円使ったと言われてますが、総裁は「ゴミみたいな金額だ」
と、おっしゃっているそうです。

わたしとすれば、御布施は「マヤとの合同法要」みたいなイベントに使用して
他民族と友情の輪を深めた方が、有意義だと思いますね。
阿含宗を批判するなら、もっと批判すべき団体があるんじゃあないですか?

163準シュダオン:2011/02/04(金) 10:58:42 ID:1F7rdgXk0
天照さんは、頑なで間違えてますよ。仏教辞典で「解脱」を引いて御覧なさい。
煩悩からの解脱と、輪廻からの解脱、との二つの意味がある、と解説して
います。それなのに批判派は、煩悩からの解脱しか取り上げないw。
それでは不十分なのです。

輪廻から解脱するために、煩悩から解脱するのです。
この意味↑を理解してください。
管長が、煩悩解脱は小解脱、という意味は、煩悩を無くしても、過去の悪業に
よって作られた報い(因縁)を無くさない限り、大解脱にはならない、という
意味です。

その点、学者を信じるか、管長を信じるか、という観点だけでは不十分なの
です。やはり、我見ではなくて、自灯明が必要です。
それから、100パーセント完全なものはない、と知るべきです。
お釈迦さまでも、転んで怪我したことがあったのです。

だから、因縁解脱しても、たまに間違う人も居るのです。

164天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 11:05:10 ID:veOQxJBU0
信者さんに重ねて問います。

今回の法施の中に「輪廻転生瞑想法」に関わるものがあるのをご存知ですね?
あれって未だ本にもならず、またマトモな講義も無いままに出されているのをいかがか。

これから法施を出した後で「使い方」ということで方法は教えると思われるが、では
それではこういうことは考えられないか、です。

「シュダオン以上になれば、輪廻転生瞑想法は必要ない、と言える。
 だから、著書がまだ発売されていない」

私は言いましたよね?教祖自身が過去に

「阿含宗の信仰を真面目にやっているのなら死後は最低でも霊界の一番低い所には
必ずいける。そしてアゴン信者はシュダオンの境涯に生まれ変わってくる」と。

だったら「輪廻転生瞑想法」は講じなくてもいい、という事になります。

むしろ講じるのはなぜか?それは「いい境涯でいい身分や環境に生まれてきたい」
という願望があるからでしょう。

それは悪い境涯よりはいいかもしれません。ですが、いい境涯だから必ず解脱を果たす、
とは限りません。むしろ恵まれていたら人生の悲哀を感じず、人の苦労も判らずまして
信仰を行おうとする気にはなるとは思えません。

お金があって不自由が無く恵まれた環境で悠々と因縁が切れるという都合のいいことばかりを
望んでいるからそういう「依存が生まれる」のです。

では釈尊はそういうことを説いたのか、です。
「弟子たちよ。恵まれた環境でなければ、解脱など無理だぞ。輪廻を調節してよい環境に
生まれてそれからようやく解脱が出来るのだぞ」などという説法は聞いたことがありません。

阿含経にそういう記述があるのなら出して見なさい。
(大乗経典でもいい)

また教祖自体がそこへ逃げ込む事がおかしい。
因縁解脱を果たしたのなら、そういう未練がましい・妄想ランドのような事項よりも、
「君たち私のように涅槃へ入れるように精進せよ」というのが本当でしょう?
なんで「来世を構築しましょう」と勧め、尚且つ「一日三回笑え」「来世の成りたいイメージを
しなさい」で来世の確定が出来るのか、です。

それこそそういうのを世間で言って御覧なさい。精神病院へ行けといわれますよ。
自分が頭で「イメージトレーニングしただけ」で来世がコントロールできる???
冗談も休み休みにしろ、といわれるか、精神病院へ行けといわれます。

また「阿含宗というのはそういうくだらない教えを教えるところなのか」と訝しく思われます。
だから「宗教ごっこ」とか「変身ごっこ」「砂場遊び」といわれるのです。

いくら変身ベルトをつけても、ウルトラアイを目にかざしてもその架空の人物に成れない。
テレビでヒーローものの特撮が今でもあるが、あれは架空のものだから見れるが、あれを真剣に
信じて「本当に変身できてあの存在になれる」と思うのは子供だけです。

いや最近の子供は醒めていて「TVの中だけの演技物」だと分かっている。
分からないのは「おめでたい人だけ」「知能が低いか認識が出来てない人だけ」です。
(幼児とか障害者は別です)

まともな人なら架空やTVやアニメだけの世界だと分かっているものです。
それが宗教の世界では「架空も現実もごっちゃにしている」のです。
しかも「大の大人が」です。

信者さんもそろそろ目を覚ましたほうが貴方の人生のためになりますよ。

165天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 11:08:33 ID:veOQxJBU0
>>162 人の文章を読んでから物をいいなさい。
ユビさんを始め私以外の批判側の諸兄様方は他の宗派や宗教を批判してないが、
私だけは「宗教全般」を批判している。
ただ、全て批判するときりが無いのと、自分がいたのは阿含宗だし欺瞞があるから
特化して批判しているだけ。

私はほとんどの宗教は「悪にちかい」と思ってますよ。

さあ、これを読まないで批判したら懲らしめますよ。

166天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 11:30:47 ID:veOQxJBU0
>>163

>天照さんは、頑なで間違えてますよ。仏教辞典で「解脱」を引いて御覧なさい。
煩悩からの解脱と、輪廻からの解脱、との二つの意味がある、と解説して
います。それなのに批判派は、煩悩からの解脱しか取り上げないw。
それでは不十分なのです。

輪廻から解脱するために、煩悩から解脱するのです。
この意味↑を理解してください。
管長が、煩悩解脱は小解脱、という意味は、煩悩を無くしても、過去の悪業に
よって作られた報い(因縁)を無くさない限り、大解脱にはならない、という
意味です。<

どうしてここまで分かっていてひん曲がるかなあ。頭大丈夫?
私より長く生きてて物知りならば、さっさと理解したらいかが?

「解脱」の意味はその通りで、両方の解脱です。煩悩と輪廻の両方。
そして、「輪廻から解脱するために、煩悩から解脱するのです。」
ここまでわかってどうして逸れますか?

私みたいな三下なんかの解説よりも貴方が分かってないでどうします?
あなた自身が「理解しなさい」といいたい。

なぜ煩悩解脱なのか。それは様々なタンハーの発生は「煩悩」から発生
しているからです。タンハーを無くすには煩悩の発生原因を突き詰め
それを元から絶たねば成らない。
煩悩の発生を絶てば煩悩が滅却します。
すぐに全部滅却とは言わないが、少なくしていって結果滅すまでにいたる。
煩悩滅却即菩提なのです。だから煩悩解脱が要なのです。

そして煩悩が滅却すればタンハーが起きなくなる。タンハーが起きなくなれば
輪廻する元が断たれる。だから「輪廻しない」のです。

ただ、煩悩は生きている限り発生します。なのでユビさんがいつも言っている
とおり、始終気をつけて滅すのに気をつけていなければいけない。
毎日寝ているとき以外は煩悩を消すのに大変なんです。

また、阿含宗は輪廻解脱でなくて「因縁解脱」でしょう?
縁起をなくしてどうすんの? それで輪廻解脱?
悪因縁が輪廻? まだそういう貸し借り理論ばかり尊重して歪んでいる。
ちゃんと仏教書や仏教辞典を持っているなら、真実を見なさい。

>管長が、煩悩解脱は小解脱、という意味は、煩悩を無くしても、過去の悪業に
よって作られた報い(因縁)を無くさない限り、大解脱にはならない、という
意味です。<

またこうやって教祖のうがった解釈を出してくる。こんな説明は学者にしたら
笑われますよ。頭大丈夫かって?

私が先ほど書いた記事の中の目連さんのやつに意味が書かれていますからそれを
読んでから意見なさいな。
どうせ読まずに我説を垂れ流すんでしょう?
それだったら貴方にはブラフマダンダで接します。
いい加減に学習してから出直してください。
小解脱・大解脱は沢山ですし、間違いです。

あと教祖の言い分の「学者を小馬鹿にした態度」もやめて欲しいものです。
学者の言い分を認めたくないし持論を通したい教祖の手法ですから、そういうのは
教団の中だけでおやりなさい。

公の場で恥をかくのは無知な教祖と信者だけです。
学者以下なのは「阿含宗と教祖と信者だけ」です。

167天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 11:54:26 ID:veOQxJBU0
本当はHPを作ったらそこに書こうと思ってたが、リアルタイムで丁度いいから書きますか。
読んでいる信者さんのためですよ。(本当にもう)

煩悩解脱が阿含宗の信者さんには何か「頼りない」「物足りない」ように感じるのは教祖の
「因縁解脱説」と「学者の説を馬鹿にした教祖の言い分の刷り込み」なんです。

私もこの「煩悩解脱」を理解するのに一ヶ月ちょっとかかりました。
それだけ洗脳というか思い込み、観念の強さというのは恐ろしいのです。

目連さんの例で見てみましょう。

「管長が、煩悩解脱は小解脱、という意味は、煩悩を無くしても、過去の悪業に
よって作られた報い(因縁)を無くさない限り、大解脱にはならない、という
意味です。」

これで見ていくと目連さんは「小解脱」を果たしてはいるようです。
というのは釈尊が目連さんは「仏陀だ」つまり「解脱を果たしている」と認定している
からです。
ですが、阿含宗の言う理論で行けば、それは片手落ちであり、過去世からの悪業によって
作られた報いの清算を目連さんは果たしてないので、確かに托鉢で食うものにも困ったり、
最後には死する時には無残な亡くなり方をしたわけです。

そうすると目連さんは「片手落ち」なため、つまり悪因縁が残っているためその悪因縁を
切るまでは「転生して清算しなければいけない」もしくは、阿含宗の本尊に対して功徳を
積んでそれを本尊へ供養して清算するしか方法は無いわけです。

そうなると釈尊在世の時代は釈尊がいるのですから釈尊へ功徳を積んで供養すればいい。
だが、そういう記述は無いし、おかしい。
なぜなら釈尊とともに寝起きして出家生活をしているのに、尚も釈尊に供養というために
お金や物を目連は供養をするのか、が出てきます。

また釈尊もそういうのを弟子たちから「貰った」という話は聞きませんが、もしも貰って
その見返りで釈尊は目連の過去世での悪因縁をなぜ消滅させなかったのか?です。

実際無残な亡くなり方をした記述(事項)があるのですから、そうなると釈尊はとても
無慈悲で差別的で目連さんを見放した、という事になります。
供養を受けるだけ受けて「しらんぷり」という事になります。

これっておかしいでしょう?

また目連さんがケチって釈尊に供養をしなかったという考えも出ます。
しかし、他の弟子たちが供養したというのは聞いたことが無い。
弟子たちがやったのは釈尊の教えを守り、戒律を守り、托鉢と修行をしたことはあっても
何かを釈尊に供養したというのは聞かない。
せいぜい、身の回りの世話をしたとか、掃除をしたとかぐらいで金や物を供養したなどとは
聞かない。また托鉢で得た食べ物を釈尊にみんなが供養したと言うのも聞かない。
一切の金品などを持たない集団ですから、せいぜい釈尊に供養できるのは「托鉢の食物」
ぐらいです。

弟子たちはかなり人数がいましたから、少しの供養でも釈尊はかなりの食べ物を得られる
はずです。そしてその得たものを一人でたらふく食っていたのでしょうか?
そんな記述は一切経典でも研究でも出てきません。

なので、釈尊がどう考えても取引信仰のような行為や「供養せよ」ということで弟子たちから
お金や物を供養させて君臨するようなことは「ありえない」のであり、また供養と引き換えに
悪因縁を相殺するとか消すことが出来るというのは「存在しません」

まずこれらが「大解脱」などとほざく教祖の言い分への解説(反論)です。(続く)

168ラシン:2011/02/04(金) 12:01:50 ID:x9FuHHv20

釈尊の説く十二支因縁とは、人間の苦悩はどうしておこるのか。
その苦しみの根本原因と、苦しみの生起してくる「過程」を
十二の順序で説いているのです。
無明から、、、→老死にいたるまでの十二の過程・プロセスです。

>157 :準シュダオン
>釈尊は、12因縁を「是為此大苦因縁」と、説いているのです。

当たり前でしょう、苦しみの根本原因とそれによるそれぞれの結果なのだから、
これらの因縁によって大きな苦しみとなるということです。
ようは、
この世のあらゆる事象にはすべて原因があると言うことを順に表している。
その中身は、煩悩と業と苦によるものです。
知らなかったようですね、大笑いです。

>ですから、「苦の滅を得る」とは、12因縁の滅のことです。

こんな陳腐な解釈など、上記の十二支因縁を理解すれば恥ずかしくて、
言えませんよね。
十二支のなぜ”支”とするかは、こういう手合いへも理解を深めさせるためです。
”支”とは文字通り、支えると担う意味があります。
それぞれの生起する因果の関係を担い合っていることです。
このプロセスを真理として述べているのに、それを滅するなんて短絡思考は、
脳の異常を自慢するようで、これまた大笑いです。

>その無明を滅する修行法が、道諦なのであり、37道品や8法16法です。
お解かりですか?

お解かりですか?などと言っている本人が、一番分かっていない。
三笑の大笑いでしょう。
無明とは無知のことで、明かりが無いから何も見えないのです。
ゆえに光明は知恵となる。
無明(無知・迷い)を原因として煩悩が生じる、と釈尊は説くのです。
だからこそ煩悩滅が、修業の目的手段なのです。
また、
八法十六法は修行法ではありません。
在家として修業すべき一番良い姿勢、心がけの必要性を説いたものです。
ですから、自他共に安穏する、とだけ述べて四果などを説いていません。

自分で自惚れても、この感電障害者自ら”無明”を晒しているので分かりやすい。
信者諸兄も、この無知蒙昧ぶりこそ”無明”そのものなのだと見えるはずです。

169深山:2011/02/04(金) 12:33:58 ID:m8P85aLI0
解脱 げだつ[s:moka][s:vimukti][s:vimoka]

原語は,束縛から解き放す意.仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.
インド思想全般で説かれる理念で,仏教にも採用された.解脱した心は迷いがなく,煩悩が再び生じないので,涅槃(ねはん)と同じ意味になる.
インド一般の思想では,輪廻(りんね)から解放されて,二度と生存世界に立ち戻らない状態に到達することをいう.
釈尊(しゃくそん)は煩悩から解脱して涅槃を得たが,35歳の成道(じょうどう)後80歳で亡くなるまでは身体を備えていたので<有余(うよ)(依(え))涅槃>といい,死とともに<無余(むよ)(依(え))涅槃>に入ったとか<大般(だいはつ)涅槃>に入ったという.
(『岩波仏教辞典』)

170深山:2011/02/04(金) 12:37:23 ID:m8P85aLI0
>>163 :準シュダオン:2011/02/04(金) 10:58:42 ID:1F7rdgXk0
>天照さんは、頑なで間違えてますよ。仏教辞典で「解脱」を引いて御覧なさい。

読んでいる信者さんたちも隼シュダオンさんの勧めに従って、
仏教辞典で解脱の意味を調べてください。
>>169は岩波仏教辞典の解脱の説明です。
仏教の解脱とはどういう意味か、たった一行で説明されている。

「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」
(『岩波仏教辞典』)

これが仏教の解脱の意味です。
これ以外にはありません。
煩悩から解放されること、つまり漏尽解脱こそが仏教の解脱なのです。
信者さんたちは驚きませんか。
桐山さんから聞いている解脱と意味が違います。
桐山さんの説によれば、仏教の解脱とは次のようなものです。

「釈尊がお説きになった仏教は、生きている人間が、生きているまま、
悪業を消滅し、因縁を解脱して、仏陀(ほとけ)になることを目的にしたものです。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』2頁)

桐山さんの説く解脱とは因縁解脱であり、それは悪業を消滅させること、
桐山さんのいうカルマを断ち切ることです。
両者はずいぶん違うと思いませんか。
実は桐山さんも煩悩からの解放(漏尽解脱)を説いていないわけではありません。
アゴン宗でもこれを煩悩解脱として説いている。
アゴン宗の煩悩解脱と因縁解脱の位置づけは次のようになっています。

171深山:2011/02/04(金) 12:42:54 ID:m8P85aLI0
「ひとくちに「解脱」と申しますが、「解脱」には「小解脱」と「大解脱」の二種類があります。「小解脱」
とは、いわゆる「煩悩解脱」です。それに対して、「大解脱」とは、「因縁解脱」のことなのです。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』176頁)

桐山さんは煩悩解脱を小解脱、つまり劣った解脱、不完全な解脱として、
本当の解脱とは因縁解脱であり、これが大解脱だと説いているのです。
隼シュダオンさん以外の普通の知性のある信者さんなら、
仏教辞典の記述と桐山さんの記述に大きな違いがあることが理解できるでしょう。
仏教の解脱とは漏尽解脱(=煩悩解脱)しかなく、
どこにも因縁解脱(=カルマ解脱)などありません。
しかも、桐山さんは仏教の漏尽解脱を小解脱と卑しめている。
釈尊の解脱は漏尽解脱ですから、彼の解脱を小解脱だと非難したのと同じです。
このことはよおく信者さんたちに自覚してほしい。
仏教の解脱には因縁解脱など存在しません。
仏教では信者さんたちが信じているようなカルマを断ちきるなんて説いていないからです。
釈尊に限らず、大乗仏教ですら、漏尽解脱しか説かない。
仏教のどこにも因縁解脱など存在しません。
なぜなら、因縁解脱という言葉を作ったのは桐山さんだからです。
信者さんたちが釈尊が説いたと信じている因縁解脱は、桐山さんが
他の新興宗教で説いた因縁切りをヒントに作り出したオカルト用語です。
桐山さんが作ったのだから、仏教に因縁解脱など言葉も概念もないのは当たり前です。
もちろん、上記の小解脱、大解脱などという分類は阿含経にも仏教にも存在せず、
桐山さんの創作です。

172深山:2011/02/04(金) 12:48:53 ID:m8P85aLI0
>>163 :準シュダオン:2011/02/04(金) 10:58:42 ID:1F7rdgXk0
>煩悩からの解脱と、輪廻からの解脱、との二つの意味がある、と解説して
>います。それなのに批判派は、煩悩からの解脱しか取り上げないw。

準シュダオンさんは解脱には二種類あり、それはらは漏尽解脱と
輪廻からの解脱があるのだという。
つまり、桐山説に従い、次のように主張しているのです。

煩悩解脱(小解脱) → 漏尽解脱
因縁解脱(大解脱) → 輪廻からの解脱

だが、岩波仏教辞典にはそんなことは書いてありません。
「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」
と明瞭に、漏尽解脱が仏教の解脱だと書いてあります。
では、隼シュダオンさんは何をもって両者が書いてあると主張したのでしょう。
>>169の岩波仏教辞典をもう一度見てください。

「インド一般の思想では,輪廻(りんね)から解放されて,二度と生存世界に立ち戻らない状態に到達することをいう.」

隼シュダオンさんの癖で、この文章の冒頭の「インド一般の思想では」という
部分を省略して、輪廻からの解放も解脱だと主張しているのです。
インド思想ではまさに輪廻からの解放こそが解脱です。
だが、これはインド思想の説明であって、仏教の解脱の説明ではありません。
準シュダオンさんは、「縁起滅」の件もそうだが、その文章がどういう前提で
書かれているかを無視して、適当に切り貼りする。
だから、彼の主張は元の文章を検証しないではまったく信用できない。
前、経典を引用して正反対の意味に主張するという悪質なことをしたことがある。
頭がごちゃ混ぜなのか、他人を騙せると思っているのか、毎回これをする。

173ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/04(金) 12:54:28 ID:SmEF4Oe2O
>>157:準シュダオン11/02/04(金) 09:43:06 ID:1F7rdgXk0
>管長が死後どこに行くのか気にしている、というのは噂で、嘘でしょう。
>私は聞いたことないね。わたしが聞いた時は、管長は、「私は死後何処へ
>行くか知っている」と、話していましたけどね。

こういうことを書く時は「自分はこの〇年間毎月例祭法話を拝聴している。
例祭には必ずしも毎月行けないが、しかし1月遅れでも本部から送られてくる
法話ビデオは地区道場参拝の折りに欠かさずに聴くようにしている。
その自分の拝聴記録、記憶からはそんな話はされたことがなくデマではないか
と思われる」という風に証言するのですよ。
逆にそうでなければ何の説得力もない。
もちろん天照さんの言うように例祭法話をビデオ起こしして、職員が都合の悪い
ところは編集カットしたものを地区道場などにも送っている可能性はあります。
しかしまずは自分自身の拝聴条件の提示ですよ。
どうなんですか?
>>160:準シュダオン11/02/04(金) 10:31:27 ID:1F7rdgXk0
>ね。だから、まだ発売されていないのかな?
↑こんなことを書くところを見ると、今アゴン宗で桐山さん指導による輪廻転生瞑想法
が有料で何らかの伝法が始まっているのかいないのかすら知らないようですね。
例祭法話を聴いていれば自分が伝法会に参加しなくても最低限それくらいわかりますよ。
ってか地区道場に参拝しただけで情報は得られる。
あなたの例祭法話は宗報で要点抜粋されている記事を読むだけですからね。
宗報にはふと不用意に洩らしたそんなヤバイ発言はカットされます。
最近は自分の行き先が気になるとか、犬猫などに生まれないだろうかなんて
桐山さんが例祭法話で洩らしたというのは2ちゃんねるに書いてあったことだから
私もまだその真偽をたしかめてません。
しかしもし嘘、デマならば、マトモな信者から「それはデマだ。批判はともかく
事実に反した嘘、作り話だけはやめろ」とクレームがつくはずですよ。
だってあちらにも擁護側信者がいるのだし。
しかし未だにこの件でクレームなどついたことはない。

174深山:2011/02/04(金) 13:07:41 ID:m8P85aLI0
「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」

信者さんたちは上記をよく何度も読み直し、理解することです。
仏教では、解脱とは煩悩から解放されることなのです。
煩悩から解放されたら輪廻から解放されるのは当たり前です。
両者は紙の表裏のようなもので、切り離しはできない。
隼シュダオンさんは仏教を理解していないから、
紙の表と裏を指さして、「これは二枚だ」と言っている。
仏教の解脱でも輪廻から解放が得られるなら、なぜ書いていないのでしょうか。
理由は簡単で、輪廻からの解放を解脱としてしまうと、
仏教の解脱と意味が違ってくるからです。
輪廻から解放されるには死ななければならない。
だが、仏教の解脱と生きている時に達成される。
つまり、まだ輪廻の中にいる時に達成されるのです。
輪廻から解放を解脱だとしてしまうと、矛盾してしまうから、
上記の定義こそが仏教の正しい解脱の説明です。
準シュダオンさんはこういう仏教の基本すら理解していないのに、
さも何かわかったかのように、他人をあざ笑いながら書く。
彼には何年にも渡り何度も何度もこういう説明をしてあげるのに、
慢心や無明という煩悩が強くすぎて、受け入れられない。

175深山:2011/02/04(金) 13:13:33 ID:m8P85aLI0
「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」

当時のインドでは、輪廻からの解放こそが解脱だった。
また輪廻を作り出している摩訶不思議な力、つまりカルマを
断ち切ることを解脱だと主張した宗教もありました。
今でもインドに残っているジャイナ教がそれです。
だから、アゴン宗の因縁解脱はまさに外道の解脱です。
だが、釈尊は旧来の解脱とは意味も方法も違うことを主張した。
輪廻からの解放ではなく、煩悩からの解放を解脱としたのです。
厳密に言うなら、釈尊は解脱を説いたのではなく、煩悩からの解放を説いた。
その煩悩からの解放を、それまでインド宗教で使われていた解脱という
言葉を借用しただけです。
こういう世間で使われている言葉を用いて、
仏教的な意味に変えて使うことはいたるところで見られる。
たとえば、梵行、涅槃、因果応報などもそうです。
これらの言葉は釈尊のオリジナルではありません。
気を付けなければならないのは、意味を微妙に違えている点です。
解脱がまさにそうで、解脱が先にあったのではなく、
煩悩からの解放という内容に解脱という名前を付けたのです。
煩悩からの解放が先にあり、解脱は後でつけた名前にすぎない。
だから、桐山説のような、仏教の解脱に二つあるなどということはありえません。
仏教で解脱と言ったら、漏尽解脱の中にすべて入ってしまうし、
そこからはみ出たものが仏教の解脱であるはずがない。
つまり、因縁解脱など仏教の解脱ではありません。

176天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 13:16:33 ID:veOQxJBU0
深山さん、解説ありがとうございます。

一つ訂正を。

私が準さんのいう「両方合っている」というのは仏教辞典での参照ではありません。
国語辞典での参照です。なので私は「両方合っている」といいました。
誤解を招くので、その旨を申しあげておきます。

私は仏教辞典は持ってないので、そのようになりましたが、Webでの検索でみたら
深山さんの言うように「煩悩解脱」となりますね。重ねてお詫びいたします。

またこれも補足ですが、小解脱と大解脱論は私は認めてません。
それに関して後で投稿しますが、準さんの主張の煩悩解脱・輪廻解脱までは国語辞典
の参照としてまでは認めますが(個人的に)小解脱・大解脱の論は認められません。
とりあえず、昼食もありますので後ほど・・・・。

177深山:2011/02/04(金) 13:22:49 ID:m8P85aLI0
「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」

煩悩から解放されたら解脱だから、生きている間に解脱は達成される。
輪廻からの解放が解脱だと言ってしまったら、
生きている間の釈尊は解脱していないことになり、矛盾します。
煩悩から解放されたら、輪廻の中にあっても仏教の解脱なのです。
煩悩から解放された者は、輪廻からの解放など求めなくても得られる。
象の足跡に、他の動物の足跡がすべて入ってしまうのと同じです。
桐山さんも準シュダオンさんもこういう仏教の基本を理解していない。
だから、解脱の意味を当時のバラモン教やジャイナ教などの外道思想と
一緒にして考えているのです。
当時のインド宗教の解説書を読めば、こんな程度のことはいくらでも書いてあります。
2ちゃんねるで出戻り信者にも勧めたことがあるが、
ウパニシャッドなどの解説書を読んでみることです。
桐山さんはこういう勉強をしたことがないのがよくわかる。
だから、バラモン教もウパニシャッドも仏教もごちゃ混ぜにしている。
釈尊は旧来の宗教を否定して出てきたのです。
解脱を輪廻からの解放やカルマを断ち切ることではなく、
煩悩からの解放こそが解脱、涅槃であると説いた。
他のいかなる宗教も煩悩から解放を解脱だとは説いていなかった。
釈尊の宗教のすごい所は、生きている間に解脱できるという点です。
それが革命的だった。
それなのに、その旧来の解脱思想をそのまま取り入れて、どうするの?
桐山さんといい準シュダオンさんといい、低劣というか、無知というか、言葉がない。
読んでいる信者さんたちだけでも、正しい知識を学び、その無知から解脱してください。

178天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 13:42:40 ID:veOQxJBU0
又繰り返しになりますが、「大解脱」を果たすのに何度も生まれ変わらないといけない。
そうなれば煩悩解脱だけでは足りなくて、阿含宗の言うとおり「悪業解脱」をしなければいけない。

それが正しかったら釈尊はその示唆をされているはずですし、また説かれているはず。
弟子たちに実際に「こうしなさい」と方法を教え、そのことも経典に書かれているはずです。

ところがかの大乗仏教にもそれが書かれていない。こと「因縁解脱」などとは。

供養の大切さは書かれているでしょう。ですが、それは「修行法」の掏り替えであってこれは
もう皆様充分分かっているでしょう。七科三十七道品を行えない人たちにどのように仏教を
講じさせるか、また七科三十七道品を出せない「大乗仏教」の方便であり、また教団側が存続
するためには供養をさせると教団が継続できるメリットがあったからです。
いわゆる「修行法の掏り替え」であり、方便であり、在家の修行法であり、供養法なのです。

この供養だけで「悪因縁が切れる」というのが阿含宗の教えです。
でも、阿含経にはそういうことは書いてありません。供養で救われるなら五根、五力、七覚支、
その他の修行法は別段要らないことになり、供養だけやっていればいい、ということです。

また目連さんを見てみた上で阿含宗の教学との隔たり(相違点)が非常に多い。
それは何か? それは阿含宗の教学では片が付かないことばかりが経典に書かれているからです。

それは>>161で述べたことです。整合性が出ない。むしろ反発している。
ならば究極的に追ってゆけば、釈尊が嘘をついているのか、桐山氏が嘘をついているのか、の
どちらかになります。

「貴方は解脱を果たした」と目連に言った釈尊が「嘘つき」か、それとも因縁解脱を説く桐山氏
の「悪因縁解脱」(小解脱・大解脱)を果たしたのが「真の解脱」というのが正しいのか、です。

阿含宗側から見たら、釈尊が間違い、となります。
ですが、そうなると仏教自体が欠陥宗教となり、この解脱だけでなく他の箇所も崩れて成り立たなく
なります。つまり暴論となります。

尚且つ、釈尊側から見たら阿含宗の言うことが「間違い」ということです。
そして学者さんの言っていることは皆が大体沿っていることから、多数決ではないが総じて整合性が
有るといえます。むしろ暴論なのは仏教が説かない「因縁解脱」を主張する阿含宗側の負けです。

179天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 13:43:03 ID:veOQxJBU0

学者の解説を重んじたら阿含宗の理論は通りません。
なので、教祖は「学者の言うことは理論ばっかりだ。間違いが多すぎる」と貶し、重んじることさえ
避けるようにしたのがまさに意図的です。

そして尚且つ自分の都合のいいところだけは「学者がこういっている」と引用し、教祖が通したい
関連の事項になれば「学者は学問的で話にならん」と切って捨てます。

ならば、教祖の言う「因縁解脱」から始まって阿含宗の中にある教えの中のものは仏教の教えといえる
ものがどれだけあるか、です。
仏教開祖の釈尊をふっ飛ばし、教祖の作り上げた論が大半です。
それでいながら「釈尊の成仏法を体得(会得)した」とのたまい、仏教にあらずの行為を堂々と行い
「わが教団こそ本当の仏教を講じている」と宣言している。

教祖が昔仏教の歴史を説明したものに「鎖国が解けて外国に日本の仏教学者が世界の仏教学者と接した
時のこと」を分かり易く述べたものがありますが、あれを思い出してください。

外国の方は長い鎖国があった日本ではどのように宗教を講じてたか。また仏教を信奉していたのですから
どのような内容かを聞かれた際に
「日本では浄土信仰と法華経信仰が盛んです」と答えたら笑われた、という件があります。

仏教の歴史や内容を私情を挟まず研究した学者さんはおおよそのこと(真実)を知っています。
仏教は「アーガマだよ」といわれてショックを受けたのは日本側です。

で、今は情報がかなり流通している時代です。
そこに「阿含宗でござい」と大きな顔で現れても、仏教の中身を本当に勉強している人に阿含宗の中身を
披露したら、鎖国が明けた日本のときと同じように笑われるのがオチです。
なぜなら、阿含宗のやっていることは「仏教に無いことばかり」だからです。

偽仏教とか欠陥経典郡、大乗経典と批判した阿含宗。だが、中身を見たら全然釈尊の内容からかけ離れて
違うことや外道の事項ばかりを行っているのですから、笑われます。
何も知らない素人を騙すのはできても、知識のある人を騙せるほど教祖は賢くありません。

だから大きな顔で「小解脱だ」「大解脱だ」と素人に毛が生えたような(それよりも悪いかも)方便で
仏教を知っている・プロだ、というような態度でいれるのです。
仏教のプロに掛かったら、恥をかくのは教祖と信者です。
阿含宗は「恥も欠陥も知らない集団の集まり」であり、外道の教団なのです。
看板だけは立派で、中身が無い偽仏教教団なのです。

180ラシン:2011/02/04(金) 14:15:51 ID:x9FuHHv20
>163 :準シュダオン
>その点、学者を信じるか、管長を信じるか、という観点だけでは不十分なの
です。

桐山さんが学者を上回るいかほどの実績があるのだ?
深山さんも指摘している解脱の定義一つとっても桐山説は間違いであり、
意図的に解釈を歪めている。
そこにおいて疑問すら感じられない感電障害者こそ、不十分です。

>やはり、我見ではなくて、自灯明が必要です。

自灯明とは、他者に頼らず、自己を拠りどころとせよとの、
釈尊が入滅する前にアーナンダに説いた言葉ですよ。

弟子のアーナンダにとっては、教化教導の師である釈尊は、
心から頼りとする偉大なる師であったのでしょう。
だが、その師が亡くなってしまったならば、
そのあとのアーナンダ自身は、誰から教えを受け、
どうやって生きていったらよいのかと不安を覚えた。
そのアーナンダの問いに答えて、
釈尊は、
「私や他者に頼ってはならない。自己とダルマを拠りどころとせよ。」と、
この教えを説いたのです。
その意味すら理解できていないから、我見を読み違えるのです。

国語辞書の我見:自分だけの偏った見方や狭い考え。
仏教辞典の我見:自我の存在を是認する誤った見解、時に我執を含む。
        我執とは、意識ある生き物の主体として、恒常不変の
        自我が実在すると考えて執着すること。

このように我見の意味は、国語的解釈と違いがあるのに、
仏教の自灯明を持ち出して他人に偉そうに説教する滑稽は、
見ていて哀れです。

181無関係な人間です:2011/02/04(金) 15:35:34 ID:uwE4VwBg0
>>179

 そう言えば、大昔、阿含宗の活動家の方々と論争をしたとき、阿含宗側が「学者も桐山猊下の言われる
事を賞賛している」と自慢するする事が多かったです。
 根性の悪い私は、学術書を出して「でも、学者の書いた阿含経典の解説書から見ると、桐山さんの
阿含経典の解釈には違う点が多い」と突っ込むと、阿含宗側は「学者の解釈は机の上の解釈であり、書籍の
文字だけの解釈だから、限界があるのだ。その点、桐山猊下は、血ににじむような修行をされ、得た悟りと
霊感を持って釈尊と直接に対話された上で解説をされているので、こちらのほうが正しい。」と言い返され
ました。そのご都合主義には、感動すら覚えたのを覚えております。
 その頃から、阿含宗の活動者は、ああいえばこう言う、という部分がありました。
准シュダオン様は、その意味では、優秀な阿含宗の修行者なのでしょうか。

182ラシン:2011/02/04(金) 16:53:35 ID:x9FuHHv20
>181 :無関係な人間です
>准シュダオン様は、その意味では、優秀な阿含宗の修行者なのでしょうか。

いいえ、批判側の多くはそうは見ていないと思います。
桐山説でもない自分勝手な解釈を堂々と述べたり、
批判側に向けて投げたツモリの石を桐山さんに当てたりと、
その無頓着ぶりと横着さは、信者さんでも舌を巻いているでしょう。
ただし、無関係さんの言われた「ご都合主義」はアゴン信徒共通です。

>阿含宗側は「学者の解釈は机の上の解釈であり、
書籍の文字だけの解釈だから、限界があるのだ。

私が、>>126で申し上げた桐山説を再掲します。

「幸福の原理」118頁
 「昔、天理教の教祖は、学者もの知り後廻し、と云ったそうですが、
  なにも文字通り学者もの知りというのではなく、我を捨てにくい人の
  説きがたいことを云ったのでしょう」

批判掲示板で数多く論証されていても、ただ慢心と自惚れと言う執念だけで、
勝手な屁理屈をこね回すことを桐山さん自身が、かように戒めているのです。
しかし、
桐山さんが付け焼刃で引用する著書の箔付け諸説は、すべて学者の見解です。
それでいて「オレサマの解釈は実践から得たものだ」と自説を押し付ける。
この態度をそっくり真似しているのが、準シュダオンと言う電波感電者さんなのです。

183天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 16:54:53 ID:d7t4YHBM0
無関係さん、ご意見ありがとうございます。
実は無関係さんが述べられた言葉が「くせもの」であり、それを信じることは
教祖の術中にはまることなのです。

学者の言うことは「机上の空論」とまで非難し、それとは逆に「教祖は実際の
修行により釈尊の成仏法を体得している。これは経験の無いものには分からない
のだ」という内容の言葉で主張してきたのです。

この言葉にしたがうものは馬鹿を見ます。そして実際馬鹿を見たのが私です。

もう2chなどや阿含宗や教祖の関わる書物などを見てきた方には周知の事項
ですが、教祖は途中で滝行を抜け出したり、自分だけうな重を注文したり、
贅沢三昧で糖尿病になって脳梗塞まで併発した。

それどころか愛人を作り愛人から訴訟までされた。
ホテルオークラを病室代わりに使うなど、普通の企業の社長ですらやらないことを
信者からの浄財で補い、使い果たしている。

そういう輩の「修行」など何の信憑性があるものか。
また実際に奇蹟を見せたことがないし、信者や公の目の前で証明して見せたことが
あるのか、です。

仏舎利の拝受のときの証明書も出せない。ダライラマ関連からいただいた仏舎利の
証明も出せない。念力念力といいながら教祖の念力を見たことが無い。
まして仏教の教学事項さえ間違っているのに訂正すらない。(一切事経)
また三福道のことも勝手に捏造(改変)している。仙尼経の「異陰」もそう。
ハチャメチャな事項に対し学者も呆れて反論しないから、のさばってきたのです。

一番の事は「因縁解脱」です。阿含経の何々経のどこそこに「因縁解脱」と書かれている、
と教祖自体が示すことが一切無い。
また仏舎利を信仰することは仏教の根本です、などと堂々と言っているが、ではそれは
阿含経のどこに書いてるかを示したことは未だ一度も無い。

これだけ見ても学者以下ではないか、という事実ばかりです。

スッタニパータやパリニッパーナ経をたまに用いるが、それも差しさわりの無い部分だけで
肝心な「仏舎利に関する箇所」や「成仏を釈尊が語っている箇所」もパスして示さない。
こういう「こすずるい教祖」に我々は騙されたのです。

ですから、実際に修行したとか、霊感で釈尊と云々クソくらえです。
こういう「嘘を平気でつく」のが阿含宗の教祖なのです。

ああいえば上祐というのも生まれるのは阿含宗がオウムの真似した教団であるというのは
本当に否めない事実とともに、詐欺師だけに「口から生まれた」ようであって、嘘やデタラメ
は非常に上等で油断が成らないのであります。

準さんについてはコメントを控えさせていただきます。

184天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 16:57:10 ID:d7t4YHBM0
>>183 失礼しました。脱落がありました。補正いたします。

実は無関係さんが述べられた言葉が=X

実は無関係さんが述べられた「信者と教祖の言葉」が、に訂正補記いたします。
大変失礼しました。

185無関係な人間です:2011/02/04(金) 18:01:57 ID:uwE4VwBg0
ラシン様、天照様、ご丁寧なご教示に深く感謝申し上げます。

 天照様のご文章で思い出したのが、以前、中国産のうなぎを鹿児島産と偽装して「国産うなぎ」
と広告した事件がありました。これが、刑事事件になりました。しかるに、ニセ仏教は無罪放免
なんですから、矛盾を感じますね。

ラシン様のご文章で思い出した事が一つありました。
ご引用のご文章で、桐山さんの「幸福の原理」の中の

>>「昔、天理教の教祖は、学者もの知り後廻し、と云ったそうですが、

という言葉は,当時も阿含宗の活動家の皆様がしきりに引用をしていました。

 この下りですが、私が当時調べたところでは、「学者、もの持ち 後廻し」と天理教の教祖
である中山みき先生が言われたというのは事実なようです。一部では、「学者 金持ち 後廻し」と
いう表現もあります。言われる意味は「知識や財産に執着する人は、神様の救いが得られない」とい
う意味にとられます。しかし、桐山さんの言われるような「学者 もの知り」という表現を中山みき
先生が言われたのか、どうかは私が調べた範囲では確認できませんでした。

 私は天理教の信徒でもなく、天理教関係の友人もおりません。また、それ自体は些細な事だと思って
います。が、「学者 もの知り」の部分は今でも確認が出来ていません。ただ、「学者 もの知り」
では同じ意味を二度言及した事になりますから、「学者 もの持ち」のほうが自然だとは思います。

 私は、どうも、幸福の原理の当該くだりは、天理教祖が言われた「学者、もの持ち 後廻し」
という言葉を桐山さんが間違って覚えて「「学者、もの知り 後廻し」と書いたような印象を持って
います。もしくは、知識人は救われないが、金持ちは歓迎である、という意味で改変したのでしょうか?
 それとも、私の勉強不足でしょうか?
 この部分について、ご存知の方がおられましたら、ご教示をお願いします。

186天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/04(金) 18:21:23 ID:d7t4YHBM0
先ほど夕食をとりながら逡巡してましたらいい例えがあったのでそれを述べさせてもらいます。

実際の話で私の父親の事なんですが、私の父はいつもこういうことを言います。

「上司は上級試験を受けて役職が上でも、現場では自分らが至上。
 上司は確かに自分より役が上で大学も出て給料も高い。しかしみんなは叩き上げでなく
 試験で合格して役が上だというだけで学問や知識はあるかもしれない。
  
 だが、実際現場に入れば経験の無い若造なゆえ机上での物事しかできないし、いえない。
 実際に現場で若い頃から苦労して身体を使って経験を積んだものには適わないのだよ」

こういうことをよく言ってました。

父は幼少から畑仕事をやらされ学問はほとんど会得しておらず、そのまま高校生に年齢に
なったころに農家から長年勤めた職場に変わり勤め、定年まで勤務しました。

現場は力仕事でまた時代的に昭和20〜30年代の頃は機械も発達しておらず、馬や人力、
現在とは比べ物にならない道具や機械(車など)で重労働をしてきたのです。
ですから現場主義・実力経験主義に成るのは当然の事と思います。

ですが、こと教祖がこの「父親」のように修行というもので叩き上げてきた。
一方学者は学問には精通しているかもしれないが、教祖いわく
「学者は机上の上でだけ語るしかできない。実際に修行をして経験や苦労をしてきたものには
適わないのだよ」といっているのと非常に似ています。

私の父は実際いろんな経験をしているので、トラブルも難問も全てこなしてきました。
そういう事項があるから多少の傲慢さも許されるというか、皆が認めるものです。

一方教祖は実際的に自分らに何を見せたか?
少なくとも私は何も見てないですね。

教祖は「口だけは達者」で「実際に見せたことが無い」のです。
私がよそ見や見逃していたわけではないのです。

まして阿含宗はビデオに逐一記録し信者に見せます。
なので、見落としは早々無いし、仮に私が見逃しても他の信者さんが見るのですから、その
何かの事項に対して「私は見たよ」という証言があるわけです。
またビデオを借りて確認することも信者であれば出来ます。
(ただしあまり古い時期の記録物は確認できない場合が有ります)

教祖が言う「実践主義」たる事項もこれと言ってない。では何を信用するか?といえば、
教祖の「自己申告」を信じるしかないわけです。

で、事こうやって元信者側から批判され、その事項について指摘されて後から気がつく場合が
非常に多い。

教祖が「OOと言っているがそれを見たものはいるのか」とか「OOの証拠を出せ」といわれて
その証拠が無いことに気づきます。これも阿含宗と教祖の欺瞞を知ったときの衝撃です。

阿含宗と教祖の擁護をする際に提示できる証拠や物が非常に少ないのです。
なので、「示しようが無い」状態に陥るのです。
で、そこで初めて「あ、やられた」と気がつくのです。

ですから教祖の言い分を真っ当に額面どおりに受けて擁護したら、恥をかくのは信者です。
こういう経験もしてみれば、批判側が言いがかりではないことに気付きますよ。

187ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/04(金) 22:13:47 ID:SmEF4Oe2O
>>157:準シュダオン
11/02/04(金) 09:43:06 ID:1F7rdgXk0
>さて、阿含宗の基本の因縁解脱、ですが、因縁=原因、というような意味
>ですから、原因解脱、と聞けば解かりやすいですか?

いや、アゴン宗の因縁解脱の定義から考えると原因解脱ではなく、業報解脱ですね。
業の報いを受けないことです。
原因解脱なんて変な日本語を想定するならばそれはまだ起きていない原因に対して
抑止をかけるものです。これは可能でしょう。
例えば刑獄の憂き目に遭いたくなかったら悪い心を捨てて窃盗や殺人など悪い
ことをしないことです。これが原因断ちの教えです。
ではアゴン宗の因縁解脱もこれが適用されるかと言うとそうはいかない。
アゴン宗では刑獄の因縁を運命にしてしまっているのです。
つまり悪いことするなと教えても実は既に何かの原因があって悪いことをする
ように衝動を駆り立てられる。それがアゴン宗の因縁論運命論です。
運命があるからには既に運命を導く原因がある。
しかし覆水盆に還らずで、時間というのは不可逆性がありますから過去からあった
原因はお釈迦様でも消せません。
何度か出した喩えネタだが、山上たつひこの漫画に外科医半田溶助というのが出て来る。
半田ドクターのもとにダンプにはねられた瀕死の交通事故被害者が運ばれる。
半田は患者を見るなり嘆息する。
「これはひどい。手遅れだ。ダンプに轢かれる前だったら何とかなったものの」
「当たり前のことを言うな」
つまり過去に起きた事実は変えられないのです。
となると運命を呼び込む原因が過去にあるのならばその過去の原因は変えられません。
つまりアゴン宗の因縁解脱は原因解脱ではない。
ではアゴン宗では何を変えるかと言うと、原因から生じたる結果、報いを受けぬ
ようにすることです。
つまり業報解脱です。
これならばそれが可能かどうかはさておき用語としては意味が通ります。
では仏教にそんな思想があるかと言うとありません!これははっきり否定されて ます。
為した業(行い)の報いは必ず受けねばなりません。
天井に唾を吐いたら必ず自分のところに落ちてきて消えてなくなることはありません。
だから仏教では業報解脱なんてない。
それは業報思想の否定になります。
この辺もう少し掘り下げて論じましょう。

188ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/04(金) 22:55:24 ID:SmEF4Oe2O
>>157:準シュダオン
11/02/04(金) 09:43:06 ID:1F7rdgXk0
>さて、阿含宗の基本の因縁解脱、ですが、因縁=原因、というような意味
>ですから、原因解脱、と聞けば解かりやすいですか?

これについて桐山さんは面白い質問を信者から受けて答えている。
それはオウムのテロ事件があった時です。
オウムの麻原、それにサリン事件の実行犯、大変な悪業を作ってしまいましたね。
彼らは死んで後、地獄に堕ちる。
アゴン宗で言うならば不成仏霊となって霊障を引き起こす。
逆恨みの霊障なんかに祟られた日にゃ周囲はたまったもんじゃないですよね。
霊障解脱させて災難の元を断たないと。
そこで質問が信者からあがったのです。
そういうケースでオウムの麻原や実行犯らが死んで霊障を起こした後、縁者が
アゴン宗を頼って解脱供養を申し込みに来る。
そしてそれを引き受けて解脱供養を修した場合、彼らは霊障を脱して解脱成仏
するのかという質問です。
これはなかなか鋭く苦しい質問ですよね。
桐山さんは苦しみながらもこれに答えました。
それは麻原らでも自分の解脱供養で解脱成仏するというものです。
しかしそれでは皆が納得しないから条件をつけた。
それは、一時的には桐山成仏法で解脱成仏しても最終的には将来悪業の報いを
受けねばならないというものです。
なんのこっちゃ?と思ったが、この通り桐山さんでも悪業が消えてなくなり
もう報いは受けなくてもよいことなど説けなかったのです。
つまり報いを受ける時期が早いか遅いかだけでやはり避けることはできないとしたのです。
業報解脱なんてない。時間をずらしても意味がないのです。

189ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 00:17:23 ID:SmEF4Oe2O
>>157:準シュダオン
11/02/04(金) 09:43:06 ID:1F7rdgXk0
>さて、阿含宗の基本の因縁解脱、ですが、因縁=原因、というような意味
>ですから、原因解脱、と聞けば解かりやすいですか?

私はアゴン宗に関わりを持ち、これを支援した過去の悪業があります。
この悪業は消えません。
だから私は来世において何らかの悪業の報いを受けてしんどい気持ちを味わう
ことになるでしょう。
しかしこの悪たるアゴン宗を批判して、私一人の業績ではありませんが、
一部の信者さんを啓蒙して目覚めさせることに微力ながらもお役に立てたことは
善業に相当するものとの信念があります。
だから当然その善業の報いも来世にささやかに受けて善いことがあるでしょう。
私は善悪両方のカルマの報いを受けることになります。
私に限らず皆ですが。
善業が悪業の帳消しをしたり相殺することはありません。
それぞれ別に受けるわけです。
だから悪業の報いも受けることを覚悟せねばならないのですが、考えてみるならば
受けるべき報いはとっとと早く受けてしまった方が嬉しいですね。
なぜならば報いを受けることで一応チャラに解消すると思われるからです。
天に向かって吐いた唾は必ず自分に落ちて来ますが、しかし唾を吐いたのが
一回ならば一回落ちて受けてしまえば二度も唾は吐いてないので二度目の報いは
ないわけです。
報いから逃げている限りは必ず追いかけてくる。
しかし潔く受けてしまえばそれ以上苛まれる必要はなく、あとは今とこれから
唾を吐くような悪業を新たに作らねばよいわけですから。
しかし来世になってしまえば、その善悪両方の報いもそれがそうなんだと認識
できぬまま体験するでしょう。
それを考えたら善の報いも悪の報いもどちらも気にすることなく泰然自若として
いればよいとわかる。
これが釈尊の説く過去に囚われるなの教えです。
業報解脱たる因縁解脱を追い求めるのはそれ自体不要な重荷を抱える愚かな選択です。

190ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 00:54:58 ID:SmEF4Oe2O
>>157:準シュダオン
11/02/04(金) 09:43:06 ID:1F7rdgXk0
>ですから、「苦の滅を得る」とは、12因縁の滅のことです。
>滅と解脱は同じ意味ですから、12因縁の解脱=苦の滅、ということです。
>この12因縁の中に、管長の説くガンの因縁やら横変死の因縁やら○○の
>因縁がすべて含まれているわけですね。
>だから、阿含経典の説くところと、管長が説くところは同じなのです。

いいえ、同じではなく全く別物です。
十二因縁、十二縁起を出したならば何が煩悩なのかわかりますよね。
そう、無明が煩悩です。それから愛も煩悩です。執愛、貪愛の愛ですからね。
ならば苦はどれに相当するか答えてみなさい。
最後の老死ですよね。本当は生も入る。いや、この十二縁起の成り立ち自体が
苦と言えるわけだが。
そこで仮に生を除いて老死だけでもよいですよ。
この老死の苦を滅するにはどうすればよいか?
最初に遡って無明から滅していく。あるいは途中の妄愛、執愛を断ち切る。
すると全てが連鎖してなくなっていく。
老死の苦もなくなります。では老死の前に何があったのか?
それは生です。生まれてきたから老死の苦も付随してきたのです。
どうして生まれたかというと無明から始まって妄愛、執愛が働き、生を選び取った
からです。だから老死苦を滅するには生まれてこなければよい。
生を滅するのです。生を滅するには無明や愛執を滅すればよい。
これが十二縁起を用いた苦の滅ですよ。
一方桐山さんの因縁とは何か?
ガンの因縁、横変死の因縁、中途挫折の因縁・・・
十二因縁の法則を使うのならばこれらの因縁現象を滅したかったら最初から
生まれてくるなとこれしかありません。
しかし桐山因縁解脱、諸々の因縁を切るとは一度死んでもう生まれ変わらなく
なることではない。
ガンの因縁を切ったからガンにならず元気に生き長らえて、横変死の因縁を切るから
自殺もせず殺されもせず事故死もしないで命が延びて、中途挫折の因縁を切るから
挫折せずに成功の人生を歩むことを指します。
こんな話が十二縁起のどこから導き出されるか?
愛執の結果として生じた生をそのままにどうして老死の苦だけなくなるのか?
いや老死がなくなるなんて桐山さんでも述べてないですよね?
死ぬ因縁がある。この因縁を切ると死ななくなり永久に生きてる。
老いる因縁がある。この因縁を切れば老いなくなりいつまでも青年である。

191ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 01:04:56 ID:SmEF4Oe2O
>>157:準シュダオン
11/02/04(金) 09:43:06 ID:1F7rdgXk0
>ですから、「苦の滅を得る」とは、12因縁の滅のことです。
>滅と解脱は同じ意味ですから、12因縁の解脱=苦の滅、ということです。
>この12因縁の中に、管長の説くガンの因縁やら横変死の因縁やら○○の
>因縁がすべて含まれているわけですね。
>だから、阿含経典の説くところと、管長が説くところは同じなのです。

だからそんな老死の因縁とか説かないし、老死の因縁切りなんて示さない。
つまり老死の苦の滅は桐山因縁ではないのです。
ではやっぱし生の方にも苦があるとして、人生いろいろで苦しい人生もあり
それを滅する・・・と都合のよい解釈はできません。
十二縁起が示しているのは生まれてくることそれだけだからです。
苦しい人生なんて限定していない。
全ての生の誕生をもってこれを苦界の縁起の一つにしているのです。
いやな人生は滅してしまいましょ、でも美味しい人生は滅したりせずに残して
享受しましょなんて話はこの法則のどこにもない。
生まれて来なくなるほどの煩悩の滅、これが苦の滅なんです。

192ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 01:30:57 ID:SmEF4Oe2O
>>160:準シュダオン11/02/04(金) 10:31:27 ID:1F7rdgXk0
>確かにシュダオン以上になれば、輪廻転生瞑想法は必要ない、とも言えます
>ね。だから、まだ発売されていないのかな?
>でも、その瞑想法があっても邪魔にはならないですよ。
>シュダオンなら、最大7回も輪廻しますから、どうせなら良い境遇に生まれ
>たいですもん。

いいえ、これは完全に邪魔になります。
真理を悟り欲を減らしてシュダオンなどまで来れたのです。
ここで醜い欲望丸出しの輪廻転生瞑想なんかやったらぶちこわしです。
シュダオンまで行くような清らかな聖者だったら必ずや来世だって清らかな
善いことが待っています。
悪いことはせずに善いことをして清らかに生きてきたのだから天上界にも生まれ
人間界でも最高の存在です。
だから何も瞑想なんかであくせく求める必要がない。
我は仏法修行者なりと泰然自若としていれば生じる来世に悪いことは待っていない。
それ以上求めるのは欲というものです。
何ですか?美男美女で金持ちで英雄の誉れも高いって?
よくそんな低劣な欲望を口にできるな?
これを大のおとなが大マジに瞑想するんでしょ?
20万円の曼荼羅を買ってまで。
恥ずかしくないのか?
一日三笑で明るい来世があるなんて他愛もない罪もないような教えだけだったら
無害に近いかもしれない。
でもそれだけじゃ絶対にないでしょ?
それならば一般人も笑ってるだけで来世もハッピーになってしまう。
テレビで漫才見て笑えば来世は明るいのか?
やはり単なる人生訓ではない特別な差別化があるはずなんですよ。
ただネタがないから教えられないだけで。
それに笑っていさえすりゃハッピーなんて理屈は通用しません。
もっと自分を日々省みて観察して行いをよくするのが仏教です。
それを笑っているだけなら「笑って許して」「笑ってごまかせ」です。

193天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/05(土) 07:04:56 ID:UyLIyoZA0
私も色々と考える輩ですが、なぜに阿含宗、もしくは似たようなシステムの宗教に
人ははまるのか、というのを考えたら、推測ですがこういうのがあるのでは?と。

それは「安心を買う」です。
現世での不安。死後の不安。それらの不安を解消したい、または補えるものとして
宗教に「安心を買う」のがあるのだと思います。
(ただし全ての方がこの傾向だということではありません。大方、という感じです)

それこそ保険のような感じともいえるでしょう。

「この信仰をしていれば安心だ。悪い因縁を消して幸せな人生が送れる。
 また死後も安泰だし、生きているうちに頑張ればあの世も来世も幸せな状態が
 構築できる 」
そのように思ったり感じたりして、尚且つそれが得られるのならば多少の労苦は
あっても出費があっても、「これは自分と家族・孫のためなんだ」という感じで
阿含宗をやられている方もいるかと思います。

ただ、保険の場合は何かあった際に保障があります。
良くないことですが、怪我や事故にあった、もしくは病気になったら保険金を
受け取ることができます。死亡の際でも貰えます。
(ただ、保険の種類によっては受け取れないものもあります)

しかし、阿含宗の場合は何も有りません。
せいぜい死亡時退会手続きをすれば香典ぐらいはもらえますが、それ以外は何も
ありません。
また実際に阿含宗で言う「因縁が発動した」ということで何かあった際にでも
それは「仕方が無い」とか「得が足りなかった」とか「修行不足」などと言い、
責任さえ取りません。また補いさえも無い。

勿論阿含宗は敢然たる「保険」ではありませんから保障などありえないのは
わかりますが、そうなると保険よりも頼りに成らない、といえますでしょう。
安心を求めて入ったものの、それは個人的に感ずる「安心」だけであって、
なんら保障もないし、確定も無い。

阿含宗は様々な「奇蹟や功徳、ハッピー」という商品を並べ販売している。
悪い因縁を必ず切ることができる。切ると幸せな人生を送れる、と偽ってそれを
巷に宣伝し謳っている。

釈尊を見てみればいい。そういう巷で見る「安心」など謳っていない。
最初から最後まで一貫して「仏陀に成ること」の示唆です。
何々をしたから安心が得られるとか、幸せに成る云々など言っていません。

釈尊は一貫した「仏陀への道」。
阿含宗は人々の欲や願いを煽るようなものばかり。
全然中身も違い、一緒にすることは出来ません。

阿含宗が如何に阿含経を依経とし、成仏法があるんだと誇示しても中身はゼロ。
嘘とインチキとデタラメで作り上げたものが大半だから、虚飾の世界です。
派手にきらびやかに見えるが講じても信者が個人で感じる安心でしかない。

安心を感じれるのならまだ良いが、それすらさえも感じないようになる。
つまり阿含宗の中身の無さに気づくとそういう風になります。
いわゆる「踊らされている」というやつです。

そうしていよいよ安心を求めて違う宗教に行くか、もしくは阿含宗にもっと固執する。
中身が無いのだからどこまで行っても答えはゼロ。
そこに気付くか気付かないか、で大きく変わります。

釈尊は言います。この世は無常だと。常に変化し変わるのだと。
そして生きていればいろんなことに遭うし起きる。
人生は楽しいこともあるが苦しみの方が大きい。

そういう世界を生き抜き仏陀に成るには煩悩を絶ち悟りを得るしかない。
何かを拝んだり何かに頼ることではなく、答えは自分自身の中にあるのだ。
それを掴んで解脱するのだ、ということが仏教の教えです。

阿含宗は仏教ではない。

194ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 08:14:29 ID:SmEF4Oe2O
>>160:準シュダオン11/02/04(金) 10:31:27 ID:1F7rdgXk0
>確かにシュダオン以上になれば、輪廻転生瞑想法は必要ない、とも言えます
>ね。だから、まだ発売されていないのかな?

まず訂正とお詫びをば。
私は昨日>>173で準シュダオンさんがアゴン宗において輪廻転生瞑想法がまだ発売
されてないのかされているのかすらも知らないのではないかと書いたが、これは
私の読み違いであり、まだ発売伝法されてないことをちゃんとご存知のようです。
シュダオンにもなれない人の為に必要なのが輪廻転生瞑想法だからまだ発売されて
いないのではないかと推測したわけです。
発売とはズバリよく言ったもので的確であると同時に発売された宗教を買うという
この人の信仰姿勢がよく見えるが。
またまだ発売されない理由としてシュダオン以下か未満の為という論理も理解不能だ。
シュダオン以上に必要な伝法と言うのなら、シュダオンはまだ少ないので時期尚早
ということで伝法を遅らせているという論理ならわかるが、シュダオン未満ならば
準シュダオンさん含めて大勢いるのだから発売を遅らす理由にはならない。
ともあれ読み違いお詫びいたします。
さて、しかし長年在籍していてシュダオンにもなれないなんて情けない。
釈尊の教団ならばシュダオンの悟りならばそれこそ瞬時のごとく在家においても
続々誕生しているのに。
もっともアゴン宗なんか支持するような人は絶対にシュダオンになれません。
それはアゴン宗の教義と実践が身見、疑惑、戒取の三結煩悩を満たしているからです。

195ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 08:34:57 ID:SmEF4Oe2O
>>160:準シュダオン11/02/04(金) 10:31:27 ID:1F7rdgXk0
>確かにシュダオン以上になれば、輪廻転生瞑想法は必要ない、とも言えます
>ね。だから、まだ発売されていないのかな?

逆にアゴン宗はシュダオン以上を目指すのだから輪廻転生瞑想法なんて不要だから
出しかけた話を引っ込めようかと躊躇っているのかなと解釈したのかな?
しかし星まつりの法施に輪廻転生瞑想曼荼羅まで20万円で用意したのだから
そういうことはありません。
単にネタがないだけです。
著書も桐山さんはほぼ書き上げてあり出版を待つばかりだみたいなことを例祭で
述べたことがあるそうだが、現実は少しも書けてないのではないかと思います。
桐山さんの頭の中の構想だけではもう書き上がったかのように自分で思ってる
だけで、いざ本当に執筆しようとしたら書けるものではない。
書いてもブラバッキーを出そうが何を出そうがとても本と呼べる代物にはならんでしょう。
修法は曼荼羅を前にオンブラバッキーソワカ、わっはっはっ、わっはっはっ、わっはっはっ
とするのかな?
今の桐山さんでは本を書ける頭はない。
上高田三郎君の西面するタターガタの方が昔から目次構想まであったくらい
具体的だったからまだ出版可能に近いですよ。

196ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 08:48:36 ID:SmEF4Oe2O
>>162:準シュダオン11/02/04(金) 10:44:04 ID:1F7rdgXk0
>幸福の科学は、年に300億円御布施があって、国会議員選挙に300人以上
>立てて、全員落選して供託金を11億円没収されたそうです。
>選挙運動に100億円使ったと言われてますが、総裁は「ゴミみたいな金額だ」
>と、おっしゃっているそうです。
>わたしとすれば、御布施は「マヤとの合同法要」みたいなイベントに使用して
>他民族と友情の輪を深めた方が、有意義だと思いますね。
>阿含宗を批判するなら、もっと批判すべき団体があるんじゃあないですか?

ここは宗教全般を語るスレでなくアゴン宗を語るスレだからです。
幸福の科学ならばそちらのスレがあるのだからそちらで批判をすればよいだけです。
実際にされている人は多くいるでしょう。
私も幸福の科学に対する知識があれば批判も可能だが、関わったこともなければ
興味もないので、そちらに行かないだけです。
だから私も幸福の科学なんかお笑いに過ぎないのだが、あなたの出したネタで
言うならば、その百億円の投資にも一応彼らなりの表向きの大義名分があるのだ。
政治に進出して世の中をよくしようという理想です。
全員落選をしたがまだまだこれは架け橋であり、屈することなく理想を追求
していくのだとでもなんとでも言える。
アゴン宗みたいにマヤ法要もそうだが、いつもその場限りの自己満足に金を投資
して何にもつながらないのだから他人のことを批判もできない。
桐山さんは宗教は信念、政治は妥協であり、宗教が政治を利用するのは宗教の敗退
であるなどと言ったが、現実は元与党政権に裏献金をしてアウシュビッツの時も
代議士を弁明に使って政治を利用している。
アゴン宗の信者が政治家になればよいみたいなことをチラと洩らしたこともある。
さすがに俺が政治家にとまで本音は言わなかったが。

197ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 08:56:48 ID:SmEF4Oe2O
>>163:準シュダオン11/02/04(金) 10:58:42 ID:1F7rdgXk0
>煩悩からの解脱と、輪廻からの解脱、との二つの意味がある、と解説して
>います。それなのに批判派は、煩悩からの解脱しか取り上げないw。

これについては深山さんより詳しい解説が済んでいるが、煩悩解脱と輪廻解脱は
二つではなく一つです。
輪廻解脱は目的ですらなく煩悩解脱の結果に過ぎない。
そしてその輪廻解脱ですらも今回死んだら次は生まれ変わることなないという
ものであり、現世人間として生きている期間中に幸運をつかむ話ではない。
つまり桐山因縁解脱ではない。

198準シュダオン:2011/02/05(土) 09:23:56 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんと深山さんは、輪廻と煩悩の肝心なことを間違えて、
アベコベにしていますw。いいかね、輪廻解脱が目的で、煩悩解脱は手段なの
です。輪廻解脱は煩悩解脱の結果にすぎない、ですと?
笑わせますね。輪廻解脱があるから、煩悩解脱をするのですよ!
輪廻解脱がないなら、煩悩解脱をする意味はないのです。

釈尊は、「苦の滅を得よ」と、羅摩経で説きました。
苦=四苦八苦=苦諦=12因縁=輪廻、だと、世尊は説きました。
だから、苦の滅とは、12因縁=輪廻、の滅を意味するのです。
で、苦=12因縁=輪廻、の原因(因縁)が、煩悩であるから、煩悩を断て、
と教えているのです。

よ〜く考えて、理解しなさいな。

199準シュダオン:2011/02/05(土) 09:36:52 ID:1F7rdgXk0
輪廻転生瞑想法であるが、これは天照さん、考えが単純すぎますよ。
阿含仏教の「涅槃」は、生死輪廻を解脱した状態のことですが、
大乗仏教の「涅槃」は、生死即涅槃といいまして、輪廻と涅槃は相即不二の
関係だとします。つまり、輪廻と涅槃は一体だ、と考えるのが大乗仏教です。
だから、阿含と大乗の融合を考える、管長の輪廻転生瞑想法は、当然でもあるのです。

「生死即涅槃」については、仏教辞典で、「生死しょうじ」の項を引いて、
確かめてください。分段生死、変易生死、4種生死、7種生死、生死即涅槃、
とかが出ているはずです。

200天照 ◆8Sws/yExDc:2011/02/05(土) 09:45:36 ID:EngPKGok0
私もはしょって国語辞典で準さんの解説にあったようなことがあるので同意は
したが、厳密に(厳正に)意味を追えば「煩悩解脱」しかないです。

ただ、輪廻解脱も内容的には沿うことから「まあ含まれるか」で2つOKと
しましたね。

ですが、中身を間違ってはいけない。阿含宗の悪いところは輪廻解脱と因縁解脱を
結び付けていることです。
輪廻する原因はカルマと因縁である。このカルマと因縁を解脱しない限り輪廻を
繰り返す、ということです。

しかし、釈尊はこういうことは言ってません。また輪廻に際してあまり関わっては
いない。ただし経典で見られるように「この者はどこそこへ行く」という発言が
あるため「あ、これは輪廻だな」と解釈できるし釈尊は輪廻を肯定しているもの
であると判断できます。しかし、輪廻に対して論論と説説とはされていない。
それは輪廻解脱が目的ではないからです。

ユビさんが明確に答えてますが、1つであり輪廻解脱は解脱した結果生じるものです。

煩悩解脱を果たせば輪廻解脱が可能です。ただし完全解脱が必須ですが。
三結だけ断じたというのでは部分的に解脱を得ているが完全ではない。
なので、転生をするわけです。聖者のエリアにいながらも、です。
それは完全解脱〜仏陀になってないからです。

完全に解脱を果たしてその結果輪廻する原因・元を断じたから転生しないのであって、
逆の「輪廻解脱をしたから煩悩解脱が出来る」というのはありえません。
煩悩解脱をしたから輪廻解脱をしなくなったのが結果であって、順も正しいのです。

ところが因縁解脱などという仏教で説かないことが入り込みますとおかしくなる。
輪廻することがカルマや因縁を切ることだ、ですから、そのカルマ・因縁断絶をすれば
輪廻しなくなって涅槃へ入る、という事になり煩悩解脱はそっちのけになる。
つまり、「煩悩解脱しなくても涅槃へ入れる」という事になり煩悩など切らなくても
解脱できる、という事になります。

これは誠に煩悩をもつ輩としてみれば都合のいい話です。
ですから阿含宗の教祖がいくら煩悩を持ってても・まみれてもOKという事になります。
因縁を切って「俺は有余依涅槃なんだぞ」と自己申告すればもう聖者様であり解脱者
なんですからね。楽なものです。

また因縁が切れたとか俺は解脱したという宣言だけで成り立つのですからこんな楽な
宗教は無い。ましてこれで「仏教だ」と大きな顔が出来るのですから釈迦も要らないですね。
だから釈迦も説かない「輪廻転生瞑想法」なんておかしげなものを平気で出せるのです。

また書きながら気がついたが、阿含宗の信者が「煩悩解脱」に興味が無い、無碍にするのは
やはりこの「因縁解脱」を信奉するからですね。煩悩を滅するのは本当に大変です。
ですが、それよりもこの「因縁解脱」の方がまだ楽です。
なぜなら拝んで奉仕供養をして貢げばそれで「悪因縁から開放される」のですから。
煩悩をそのままにして性格が多少悪かろうが、悪い心癖があってもそれを直さずとも煩悩
まみれでも全然構わない。拝んで供養という名の「貢ぎ行為」をすればたちまち悪因縁が
ありがたいご本尊様のお力(成仏力)でたちまち消えるのですから、人を殺そうが盗みを
働こうが、人を泣かそうが関係ない。いざとなったらご本尊!ですからね。
過去や現世の悪業もみんな阿含宗の本尊が「チャラ」にしてくれます。

こういうのが仏教だといえますかね?

至難のわざと言える煩悩解脱に挑む。やはりこれが仏教なのです。
そして煩悩解脱を果たせば輪廻解脱も果たせる。2つは1つなのです。

阿含宗の言うような「カルマと悪因縁解脱が輪廻解脱で大解脱。煩悩解脱は小解脱。小解脱よりも
大解脱の方が”大”が付くからいいんだよ」なんて幼稚園レベルの教えです。
しかも大の大人がその幼稚園児に教えるようないかさまを「信じている」のです。
この事実を知ったら恥ずかしくて「阿含宗の信者でござい!」なんて顔は出来ない。
私はこの大解脱小解脱はあまり認識してなかったが、掲示板に来てから良く学ばされた。
それで深く認識したが恥ずかしくて暫くはうつむいたままでしたよ。

私よりも知識がある某氏は、意外と物知りなようで知らないんだなあと思いますね。
掲示板で示されているんだから、ちゃんと認識してもらいたいものです。

201天照 ◆8Sws/yExDc:2011/02/05(土) 09:53:41 ID:EngPKGok0
>>199 記事200に答が書いてるので読まれてください。
そして反レスすると「阿含仏教」ではなく「釈迦仏教」でお答え下さい。
阿含宗の持論をここは披露する場所ではありません。

もしもするならば「阿含仏教」ではこうだが、釈迦仏教でもこうだ。
一致しているではないか、ぐらいの考証を以って示すべきです。
少なくとも阿含仏教と釈迦仏教は違いが多すぎる。

なぜ一致しないか?それは「勝手解釈」をするからです。
阿含宗は釈迦仏教を行う気がさらさら無いからです。
まして妄想猛々しい教祖が作り上げた「勝手解釈」だからです。

阿含仏教を示すだけでなく釈迦仏教も出してから論じてください。

202準シュダオン:2011/02/05(土) 09:56:44 ID:1F7rdgXk0
マヤとの合同法要を、その場限りと考える批判派も居るが、視野が狭いね。
ジャパンのキョウトでアゴンシュウの皆さんと、我らマヤ民族伝統の火の祭典
を合同で行った。という記憶は、この先50年100年、あるいは数百年先まで
もマヤの人々へ誇りとともに、記憶されるのです。

前にもレスしたと思うけど、日韓ワールドカップの時、イタリアサーカー
チームが宮城県にキャンプ地を決めた大きな理由の一つが、数百年前に、
宮城県仙台の伊達政宗がローマに使節団を送った縁、とかの記事を何かで
読みましたよ。そのように、マヤとの合同法要も、この先どのような影響が
生まれるか、解からないのです。
予想されるのは、たぶん、どのような影響が起こるにしても、その影響は、
善い影響であろうと、思われますね。

203準シュダオン:2011/02/05(土) 10:08:43 ID:1F7rdgXk0
輪廻解脱は煩悩解脱をした結果である、とユビさん天照さん言うけどねw。
釈尊が、煩悩解脱をさせるのは、輪廻解脱をさせるためなのですよ!
私が、なんどレスしても、理解できないのでしょうか?

煩悩解脱しても輪廻解脱がないのならば、煩悩解脱などする必要はないのです。
何で苦労して煩悩解脱をするのか?
あれ欲しい、これ欲しい、と欲望を満たすことがなぜ悪いの?
欲望煩悩を満たすことが幸福ではないのか?
それなのになぜ煩悩を解脱させるのか?
それは、煩悩を解脱すると、輪廻解脱ができるからです。

輪廻解脱が阿含仏教のテーマ、なのです。そのための煩悩解脱なのです。

204準シュダオン:2011/02/05(土) 10:34:38 ID:1F7rdgXk0
阿含経典には12因縁が説かれています。
12因縁=「1無明2行3識4名色5六処7触8受
9渇愛10有11生12老死」=輪廻、です。
これが輪廻のメカニズムであり、四苦八苦であると釈尊は説くんです。

で、12因縁の9番目の渇愛の尽きないことが苦を生じさせる、と説きます。
で、根本煩悩は1無明です。老死の苦の元は渇愛であり、渇愛の元は無明で
あると、説いています。しかし、無明を完全に無くせるのは阿羅漢になった
場合だけです。

この12因縁の中に、管長が説くガンの因縁やら○○の因縁がすべて含まれて
いるのです。○○の因縁を否定することは、仏教の業報を否定することです。
業と報いを肯定するならば、○○の因縁(星)を肯定するしかありません。
そうでなければ、運命の星はすべて偶然になってしまいます。

反対論は何時でも可能です。釈尊にだって反対はできます。業報なんて嘘だ、
と反論もできます。輪廻転生なんてあるわけない、あるなら証拠を出せ、
なんてねw。だから、反対のための反対は避けるのが、望ましいね。

205準シュダオン:2011/02/05(土) 11:46:20 ID:1F7rdgXk0
あれ、私の前レスに間違いがありましたね。
12因縁の第9番目は渇愛ではなくて、取(執染)でしたね。
渇愛があるから取が生じて有がある、でしたね。

206準シュダオン:2011/02/05(土) 12:07:46 ID:1F7rdgXk0
解脱には、大別して、煩悩からの解脱と、輪廻からの解脱の二つの意味が
あり、管長は煩悩解脱は小解脱、因縁解脱が大解脱、だと解説しています。
阿含経を読めば解かるように、解脱には多様な意味があり、辞典だけの解説
では不十分です。まぁ、字数制限があるでしょうから、無理もないです。

経典には、欲貪解脱が心解脱であり、無明を尽くす智恵を具える慧解脱、
八解脱をマスターすることが倶解脱であると、説いています。
ですから、正しくは、煩悩解脱の説明だけでは不十分なのです。
八解脱とは、物質を物質と見るのが初解脱、から始まって、空入処が第四解脱、
滅尽定が第八解脱です。このように、禅定を修めていくことも解脱と呼んで
います。

この他、五喜解脱というのもありますし、四無量心を具えていく、慈解脱や
悲解脱、というのもあります。
いずれも最終目的が苦諦の滅=不受後有=輪廻解脱であることが、経典を読むと
解かります。

207ラシン:2011/02/05(土) 12:53:51 ID:zTmpX2G20
>185 :無関係な人間です:2011/02/04(金) 18:01:57 ID:uwE4VwBg0
>>「昔、天理教の教祖は、学者もの知り後廻し、と云ったそうですが、

>という言葉は,当時も阿含宗の活動家の皆様がしきりに引用をしていました。
 この下りですが、私が当時調べたところでは、「学者、もの持ち 後廻し」と天理教の教祖
である中山みき先生が言われたというのは事実なようです。一部では、「学者 金持ち 後廻し」と
いう表現もあります。言われる意味は「知識や財産に執着する人は、神様の救いが得られない」とい
う意味にとられます。

無関係さん、いつも新鮮な情報をありがとうございます。
たしかに、
私もネット上で見た限りでは、ご指摘の「学者金持ち後廻し」が、
ヒットしました。
天理教批判板でしたから、信憑性は高いと思います。

となればこれまた、桐山さんの勘違いなのか恣意的な剽窃なのか。
現代の話題ならいざ知らず、50年以上前の桐山著書となれば、
それこそ天理教もまだ隆盛の時代で、適用も正確を期せるはずです。
ということは、桐山さんの性格がよく垣間見えますね。
桐山さんは昔からウル覚え癖なのか、他人をパクって都合よく焼き直す。
ようは、ウソつき人格との批判指摘は間違いではない証拠の一つとなります。
まったく剽賊と言わざるを得ません。

またこういう引用ひとつ取っても、桐山さんの不正確さが出てしまう。
多くの著書の引用は、学者をバカにしながら学説を多用し、箔をつけてきた。
ひとつひとつ精査すれば、それらの学説引用の正確さについては、
非常に怪しいものかしれません。

208準シュダオン:2011/02/05(土) 13:52:19 ID:1F7rdgXk0
天照さん、阿含仏教=釈迦仏教なのですよ。そこを勘違いしています。
で、大乗仏教≠阿含仏教であり、大乗仏教≠釈迦仏教なのです。
そこを混同されています。
また、阿含宗=阿含仏教+大乗仏教なのです。
   阿含宗=釈迦仏教+大乗仏教といっても同じことです。
そこをよく理解してください。

また、私は管長の教えを通訳してるだけで、私の説を自分教だ、なんて言う
のは管長の教えを理解していない証拠なのです。
管長の説を、誤解したまま批判しても、可笑しいことです。

209無関係な人間です:2011/02/05(土) 14:21:12 ID:bEe8KJmE0
>>207

 ご投稿、ありがとうございました。

 昔、私が調べた事ですが、この部分は「がくしゃ ものもちゃ あとまわし」と「がくしゃ かねもちゃ
あとまわし」の二つのバージョンがあるようです。先に述べたバージョンの言葉の真ん中の
くだり「ものもちゃ」は「物持ち」という意味ですが、方言に属するものらしく、他府県の方が聞いても
すぐには分からないようです。天理教祖の中山みき先生は、奈良の丹波市(現在に天理市)のご出身
でしたから、当時の奈良県の方言かもしれません。
 ここから先は想像ですが、桐山さんは、天理教の人と話したか、又は天理教の説法を聞いた事がある
のかもしれません。そこで、「がくしゃ ものもちゃ あとまわし」という言葉を聞いて、「学者
物知り 後回し」という風に勘違いをしたのかもしれません。
 ただ、この下りは、天理教祖の発言の中でも、特に有名な部分ですから、50年前でも簡単に調べる
事は出来たと思います。つまり、耳で聞いた言葉を勘違いして、書物で読んだような振りをして、自説の
補強に使っておられたと考えています。
 ただ、深読みすれば、学者はダメだが、金持ちは良い、というのは、桐山さんには、たいへん都合のよ
い教えだとも言えなくもありません。

210準シュダオン:2011/02/05(土) 14:21:22 ID:1F7rdgXk0
天照さんが、カルマ解脱についてもふれていたので、カルマ=業、についても
レスしておきましょう。仏教辞典で、「業ごう」を引けば解かるように、
「輪廻転生を縁起としてとらえ、煩悩に基づく業によって苦なる生存が繰り返
えされるとする」との説明があります。
つまり、煩悩に基づく業・カルマによって、輪廻転生がある、ということです。

ですから、管長の説く「カルマ解脱」というのは、輪廻から解脱することであり、
当然、煩悩からも解脱することです。煩悩による身口意の三業・カルマ(行為)
によって、輪廻があるのですから、カルマを切るという意味は、過去の業・
行為・カルマによって作られた受けるべき「報い・運命の星・因縁」を消す、
という意味なのです。

過去に犯した業(行為)は変えられませんが、それによって受けるべき報いが
生じるまでの期間に、梵行を為してその報い(悪い星・因縁)を変えてしま
おう、という意味、それがカルマを切る、という意味なのです。因縁を切る、
でも同じことです。

211準シュダオン:2011/02/05(土) 15:32:56 ID:1F7rdgXk0
カルマ解脱について、言葉を変えて言うと、仏教では因果応報を肯定して
いますから、過去に為した業(カルマ・行為)によって、未来の応報(星・
因縁)を形成していることになります。この未来の応報(運命の星・因縁)
を、梵行によって消してしまおう、という説明が管長のカルマ解脱です。

カルマを、行為とだけ解釈してはいけません。仏教辞典では、カルマ(業)
を、「輪廻転生をあらしめる力」とも、説明していますから、
カルマ(業)=運命の星を形成する力、と解釈できます。
管長の言うカルマ解脱とは、そういう意味でのカルマ(業)ですね。

212天照 ◆8Sws/yExDc:2011/02/05(土) 15:51:28 ID:Roq.i8Cc0
人の話(意見)を読まないで、どうしてこうも抜けぬけとしかも上から物を言う
姿勢なんだろうね。

誰が「煩悩解脱しても輪廻解脱がない」といいました?
自説を説くならブログなら登録すればすぐにできるからそこでやりなさい。

解脱の解説は学者も辞典も合っています。合わないのは阿含宗だけです。
その他も含めてよく阿含仏教は釈迦仏教だと言えるものだ。

またこれも過去に言っているが大乗仏教やチベット仏教や南伝仏教などそれらを
統合(融合でもなんでもいい)したというがそれはゲイカが思っていることで
あってその証明を出せたのか。

チベットでもスリランカでもその阿含宗と関係のある団体が「友好や交流」はあるが、
いつ「統合しました」と公に結んだか。

また仮にチベットや南伝系が「結んだ」と言っても、大乗が結んだというのは聞かない。
どこの大乗系が阿含宗と統合(融合)したのか出してみなさい。
自惚れや妄想だけは逞しく(あつかましく、が正しいか)証明さえしないでしかも教団
内だけの教祖の「宣言」だけではないか。

自己申告や言ったもの勝ちも大概にしろ、です。
狂った教祖の通訳とは、頭がおかしいにもほどがある。
人を小馬鹿にする前に、自分のおかしさも知らないのだからつける薬もないようだ。

阿含宗は「桐山妄想・捏造+大乗仏教・その他の外道宗教」です。
釈迦仏教など良くもいえたものだ。

管長の説く「カルマ解脱」など沢山だから、釈迦仏教なら釈尊の説く「カルマ解脱」を
出してみなさい。

貴方は釈迦仏教を知らないのか?辞典も解説書も持っていて分からないのか?
国語辞典天照より知能が無いことになりますぞ。

再度いいます。
管長の説は要らないから「釈尊が説いたというカルマ解脱」を出してください。

213準シュダオン:2011/02/05(土) 18:44:31 ID:1F7rdgXk0
天照さんは、我見が強過ぎで、愚かだよ。わたしも愚かだけどさw、
あんたは、管長の教えを、2割くらいしか解かっていないね。
仏教の煩悩解脱の意味も、解かってはいない。
批判派が、よく欲貪煩悩の解脱を口ではいうけどさ、その意味を少しも
解かってはいないw。欲を無くせなんてさ、その意味を理解してはいない
のよw。欲貪とはさ、あるが上にも、更に欲しいという欲望をいうのよw。
その点、批判派は、何もないくせに、望まないように、レスから感じるねw。
それが愚か、ということだね。何もないくせに、欲を捨てて何になる?
お笑いだよ。

欲貪煩悩を断つことを心解脱という。無明を断つ智恵を慧解脱という。
欲望の煩悩を捨てたからと言って、慧解脱は得られないのだよ!
また、欲煩悩を断つことは、どこまで行っても、断ったつもりなのであって、
断ててはいないのだ。それを解からぬ批判派はピエロだねw。

欲貪煩悩を断つためには、大欲を抱いて、欲を求めて求め抜くのだよ!
その結果、欲貪のなんたるかが、想像できようw。
批判派の欲貪煩悩を断つ妄想など、何処までいっても妄想で、
欲貪を無くした、減じた、妄想、つもりに、過ぎないのだよw。
その証拠が、今の批判に現れていますw。

214ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 19:52:29 ID:SmEF4Oe2O
>>203:準シュダオン11/02/05(土) 10:08:43 ID:1F7rdgXk0
>煩悩解脱しても輪廻解脱がないのならば、煩悩解脱などする必要はないのです。
>何で苦労して煩悩解脱をするのか?
>あれ欲しい、これ欲しい、と欲望を満たすことがなぜ悪いの?
>欲望煩悩を満たすことが幸福ではないのか?
>それなのになぜ煩悩を解脱させるのか?
>それは、煩悩を解脱すると、輪廻解脱ができるからです。

うわーーーーーっっっっっ!!!!!すげー発言!
これで仏教徒か?もうわたくし感動いたしました。
準シュダオンさん、今度どこか仏教サロン、仏教学サロンみたいなスレを探して一緒に行きましょうよ。
皆の前でドツキ漫才演じましょうよ。あなたアゴン宗徒、わたしアンチアゴン宗で。
まだ輪廻解脱にまで至らない(要するに死んでない)煩悩解脱がいかに素晴らしいか
解説する前にちょっと考えてご覧なさいよ。
そこまで言うほど我欲大好き、離したくない、欲望を追い求めて満たすことが
幸福だと考えているあなたがどうして輪廻解脱を求めるんですか?
いいですか?桐山因縁解脱でなく輪廻解脱です。
輪廻解脱って何か知ってますか?
輪廻解脱は死ぬことによって得られます。だって生きている間は輪廻から抜け出て
ないのだから。で、死んでどうなるかと言うと次にもう生まれ変わることが二度
となくなります。輪廻が止んだのです。
これが輪廻解脱です。
ですから欲望を満たしたいと思っても欲望を持った自分がもういないのです。
これって本当にあなたにとって魅力なんですか?
死んで後、天国よいとこ一度はおいで♪酒は旨いしねーちゃんはきれいだ♪
なんて世界に行くわけではないですよ。
そのみっともない欲をどう解消する気なんですか?
優勝するまでは大好きな酒を断とう。
そして優勝したら美酒に酔おうなんて話ではないのですよ。
酒を断って断ちっぱなしでもう永久に酒を飲むことなないという世界なんですよ。
だから桐山さんは気づいたのですよ。
死んでもう生まれて来ない?それってつまんないじゃん。
それよりもこんな楽しい人生来世もまた楽しみたいよね。
来世が楽しければそのまた来世も楽しい。
だって思ったままの来世が創造できちゃうんだもん。
それが輪廻転生瞑想法です。
輪廻しない解脱が釈尊の悟りならば、輪廻転生することが私の悟りなんだと
信者の質問に答えたんだよ。
これは仏教をやめたのです。

215ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 20:09:14 ID:SmEF4Oe2O
>>203:準シュダオン11/02/05(土) 10:08:43 ID:1F7rdgXk0
>煩悩解脱しても輪廻解脱がないのならば、煩悩解脱などする必要はないのです。
>何で苦労して煩悩解脱をするのか?
>あれ欲しい、これ欲しい、と欲望を満たすことがなぜ悪いの?
>欲望煩悩を満たすことが幸福ではないのか?
>それなのになぜ煩悩を解脱させるのか?
>それは、煩悩を解脱すると、輪廻解脱ができるからです。

さあ、準シュダオンさん。
イメージしてください。
大好きな煩悩を我慢して我慢して解脱してついに輪廻解脱を得たのです。
しかしてその世界とはもう死んでしまって生まれて来なくなる世界です。
ってか存在があるのか無いのかすらもわかりません。
もう意識もないのでは?
苦しいことがない代わりに楽しいこともありません。
欲望もありません。何も叶いません。
これがあなたが苦労してでも求めていた世界なんですか?
準シュダオンさん、聞かせてください。
輪廻解脱すると何がどうなるのですか?
あなたは勘違いをしてるかもしれませんからね。
そして桐山輪廻転生瞑想法をイメージしてごらんなさい。
私にはこちらの方があなた向きだと思う。
今までの輪廻は来世にどんな苦しみが待っているか憂鬱で、下手すると犬や猫に
生まれてくる恐れもあった。
しかしそうならない、来世は自分で創造できるんだ。
美男美女で金持ちで英雄の誉れの高い楽しい楽しい来世が待っている。
それは瞑想により自分で創造できる。
来世が思うままに作れるならばそのまた来世も思うままです。
つまり永久に楽しい人生です。
いや、飽きることはないでしょう。
だって前世の記憶のないまま現世を生きているわけだから永久に続いても
常に現世しかない。しかもその現世は楽しい。
輪廻転生万歳です。
これならばこんなに楽しい輪廻から脱出してもう生まれてこなくなるなんて
馬鹿でねーの?
輪廻解脱よりも楽しい輪廻創造です。
この悟りで桐山さんはシャカを超えたとまで言ったそうです。
準シュダオンさん。聞かせてください。
この桐山さんの悟りをどう思うか?

216ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 20:34:09 ID:SmEF4Oe2O
>>203:準シュダオン11/02/05(土) 10:08:43 ID:1F7rdgXk0
>煩悩解脱しても輪廻解脱がないのならば、煩悩解脱などする必要はないのです。
>何で苦労して煩悩解脱をするのか?
>あれ欲しい、これ欲しい、と欲望を満たすことがなぜ悪いの?
>欲望煩悩を満たすことが幸福ではないのか?
>それなのになぜ煩悩を解脱させるのか?
>それは、煩悩を解脱すると、輪廻解脱ができるからです。

あなたが本当に輪廻解脱を欲していて今生にサヨナラしたいと思える人ならば
桐山さんの説いている輪廻転生瞑想法なんてなんてウザイたわけたものと感じます。
もうちょっと人生を楽しんでから輪廻にオサラバしましょ。
冗談言うねい。もうちょっと、もうちょっとでやめられまっかいな。
これがわからん奴は人生経験の無い奴です。
欲望を求めて求めて飽きたらなくす。
そんなことをできる奴はいない。
欲望は限りないのです。
結局輪廻解脱なんて言いながらあなたは輪廻解脱なんて求めてもいない。
桐山さんがここに来てボケたのではなく正直になった。
輪廻解脱なんぞ糞くらえ。
俺は欲望を求めて求めて何もかも手にして輪廻世界の王になる!
彼の本音がついに開いたのです。
それでもまだ仏教を名乗る狸ではあるがの。
こうして見ると桐山さんと準シュダオンさんと言うのはよく似ている。

217ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 21:02:12 ID:SmEF4Oe2O
>>203:準シュダオン11/02/05(土) 10:08:43 ID:1F7rdgXk0
>煩悩解脱しても輪廻解脱がないのならば、煩悩解脱などする必要はないのです。
>何で苦労して煩悩解脱をするのか?
>あれ欲しい、これ欲しい、と欲望を満たすことがなぜ悪いの?
>欲望煩悩を満たすことが幸福ではないのか?
>それなのになぜ煩悩を解脱させるのか?
>それは、煩悩を解脱すると、輪廻解脱ができるからです。

輪廻はまだ抱えたままの現世に生きている、つまり輪廻から脱していないけれども
煩悩からは脱していること自体がどんなに素晴らしいことかわからないでしょう?
それは悟りだからです。
悟って初めてわかる。悟りの内容はあるいはなあんだというものかもしれない。
しかし本当に悟るとそれはまさしくそうなんだなー!と輝くように素晴らしいものです。
じゃあ、おまえは悟っているのかって?
いえいえ、シュダオンの悟りも開けていないかもしれません。
しかし全ての煩悩がなくなる悟りは想像できなくても、たった一つの煩悩を捨てた
悟りだけでもどんなに解放感があるものか私は実感している。
煩悩がなくなると心が平安になるのですよ。
煩悩にかき乱されない。あくせく求めない。
ちなみにあなたは一生かけて悟りを得ることはないと思う。
今から書くたった一つの煩悩を捨てた喜びの悟りすらも。
あなたはバイブレーションは感じたものにしかわからないと空虚な自慢をしていましたね。
私はその自慢を醜いな、汚いな、臭いな、ゴミみたいだなと思うだけで間違っても
羨ましくないが、今度は私の方からあなたを挑発してあげましょうか?
自慢ととるならとりなさい。
あなたは私が得た悟りなど一生理解できぬまま終わるでしょう。

218ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 21:20:04 ID:SmEF4Oe2O
>>203:準シュダオン11/02/05(土) 10:08:43 ID:1F7rdgXk0
>煩悩解脱しても輪廻解脱がないのならば、煩悩解脱などする必要はないのです。
>何で苦労して煩悩解脱をするのか?
>あれ欲しい、これ欲しい、と欲望を満たすことがなぜ悪いの?
>欲望煩悩を満たすことが幸福ではないのか?
>それなのになぜ煩悩を解脱させるのか?
>それは、煩悩を解脱すると、輪廻解脱ができるからです。

私が捨てた煩悩とはアゴン宗そのものです。
アゴン宗自体が煩悩だったのですね。
この煩悩は当初は手放したくなかったのだが、捨てると決心した時、本当に捨てた時
素晴らしい喜びに包まれました。
見事な解放感でした。心の重荷が離れて肩が軽くなった。
それは長年賭けてきたものを捨てるのだからこれまでの自分の否定です。
でもどんなに長年だろうがそんなの関係ねえ。そんなの関係ねえ。
ちっぽけな自分が否定されるこの痛快感よ!
今までの小せえ自分を捨てて脱皮できたことを悟った喜びよ。
スキップしたくなるような気分が続きましたよ。夜空を見上げながら。
桐山靖雄なんて足元に転がるつまらんゴミに見えました。
なあんだ。こんな俺でもこんなゴミより遙かに上だったんだ。
あらゆる煩悩を捨てるなんてなかなかできません。
スケベ煩悩から離れられまへん。
あの店のあのヒメとはこれが最後にしよう。いかん、また来てもうた。
そんな私でもアゴン宗なんて他の人は必要ともしない煩悩は簡単に手放せます。
しかしそれを実行しただけでこの喜びはどうだ?
アゴン宗を捨てたことによって因縁の恐怖が離れた。
その代わりいつ交通事故に遭ったり不幸災難に遭う危険性も自覚した。
今までは守られていると空虚に信じる空虚な安心感(恐怖を土台とする)と保障に
依存していたが、その保障を捨てたことによって危険がいっぱいになった。
いや、実は何も変わってなく昔から危険なんだが。
しかしそんなことは誰でもそーじゃん。そんなことを気にして生きていけるか。
普通の人間としてありのままに生きていく勇気がわいた。
これ一種の心の平安ですよ。かつ不動心ですよ。

219ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 21:40:47 ID:SmEF4Oe2O
>>203:準シュダオン11/02/05(土) 10:08:43 ID:1F7rdgXk0
>煩悩解脱しても輪廻解脱がないのならば、煩悩解脱などする必要はないのです。
>何で苦労して煩悩解脱をするのか?
>あれ欲しい、これ欲しい、と欲望を満たすことがなぜ悪いの?
>欲望煩悩を満たすことが幸福ではないのか?
>それなのになぜ煩悩を解脱させるのか?
>それは、煩悩を解脱すると、輪廻解脱ができるからです。

釈尊の悟りでは決してないのだが、このような悟りを理解するには文学作品が
わかりやすい。
前に出したことがあるが、芥川龍之介の杜子春です。
洛陽の都に住む杜子春は不老不死の仙人に憧れる。
そして峨眉山の仙人のもとで修行を積む。
課題が課せられた。地獄に堕ちて無言の行を積むことです。
地獄で老いた動物が刑を受けていた。
見るとそれは亡くなった自分の母親であった。
それでも杜子春は沈黙を守る。守りきれば晴れて念願の仙人になれるのだから。
閻魔大王が責め立てる。
「これでもまだ口を開かぬか。この薄情者めが」
しかし杜子春もそんな誘導にはかからない。
しかし動物と化した母親が息子の杜子春に声をかけた。
「おまえが何か目的があるのならば、この母のことなど何も心配することなど
ないのだよ。おまえがその目的を遂げたのならばこの母はどんな苦しい思いを
しても本望だから」
これを聞いて杜子春ホロリと落ちた。
「おかあさん・・・」
次の瞬間杜子春は峨眉山に戻っていた。
無言の行は守れなかった。これで仙人の道は永久に閉ざされた。
しかし杜子春の心はたいそう軽く明るかった。
仙人なんかになれなくてもよい。普通の人間として平凡に生きていくだけでよい。
でもそれって仙人なんか求めるよりも十分に充実した生き方だと悟った。

この小説を読んで杜子春なんて仙人修行に挫折したことに自分で言い訳をしてる
だけなんだと罵るのが、悟りを開けぬ準シュダオンさんです。

220天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/05(土) 22:20:51 ID:Roq.i8Cc0
>>213 ついに本性を出したか。
お釈迦様が「欲貪煩悩を断つためには、大欲を抱いて、欲を求めて求め抜くのだ」
といったのか? またこの論は教祖の受け売りか? それとも持論か?
それが釈迦仏教? 話にならない。

221ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 23:10:59 ID:SmEF4Oe2O
>>204:準シュダオン11/02/05(土) 10:34:38 ID:1F7rdgXk0
>この12因縁の中に、管長が説くガンの因縁やら○○の因縁がすべて含まれて
>いるのです。○○の因縁を否定することは、仏教の業報を否定することです。
>業と報いを肯定するならば、○○の因縁(星)を肯定するしかありません。

ではその〇〇の因縁なんて曖昧な書き方ではなくて、桐山さんは極めて具体的に
因縁の種類を命名表示しているのだから、どれでもいいからその具体的な因縁を
例に十二縁起の法則、方程式にあてはめて運命の形成とその解脱を説明してごらんなさい。
ガンの因縁、横変死の因縁、中途挫折の因縁、刑獄の因縁などなど。
無明から始まって老死で終わる十二縁起の方程式でガンの運命の生成を説明して
ごらんなさい。
次に無明を滅し、渇愛を滅することによりそのガンの運命が滅する証明を方程式を
もとに解説してみなさい。
これは必ず途中で行き詰まります。

222ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/05(土) 23:27:08 ID:SmEF4Oe2O
>>213:準シュダオン11/02/05(土) 18:44:31 ID:1F7rdgXk0
>批判派が、よく欲貪煩悩の解脱を口ではいうけどさ、その意味を少しも
>解かってはいないw。欲を無くせなんてさ、その意味を理解してはいない
>のよw。欲貪とはさ、あるが上にも、更に欲しいという欲望をいうのよw。

美男美女で金持ちで英雄の誉れ高く生まれることを瞑想することは、あるが上にも
更に欲しい欲望ではないのですか?
まず人間に生まれてくるだけで、人間は考える葦なんだから、それだけで可能性はある。
あるいはせめて五体満足でありたい。
来世もアゴン宗と仏縁ができますように。
この程度の願いで十分ではないか?
あなたは桐山さんの醜い欲望を批判してるのですね?
それから釈尊も全ての欲望を断てなんて言いません。
食欲を断てなんて言いません。睡眠を断てなんて言いません。
食欲ならば生きていくのに最低必要な分量だけ食してあとは求めない。
欲望を減らすのです。

223天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/05(土) 23:48:21 ID:Roq.i8Cc0
さすがはユビ管長!この>>221で又一つ謎が解けたましたね。

ゲイカは不思議と12因縁を重んじてないんです。それが何でなのか良くわからなかった。
だけど、こと因縁解脱をこの12因縁で証明する解説をやってゆくと行き詰まるのでは
重んじれるはずが無い。だから重んじなかったのか、と思いましたね。

なので、
「次に無明を滅し、渇愛を滅することによりそのガンの運命が滅する証明を方程式を
もとに解説してみなさい。これは必ず途中で行き詰まります」は行き詰まらずに説明できたら
教祖超えですね(笑)

ぜひとも12因縁の方程式で納得の行く解説を伺いたいですねえ。
ちゃんと解説できたら土下座して今までの態度を改め崇敬して差し上げますよ。

224ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 01:40:10 ID:SmEF4Oe2O
>>181:無関係な人間です11/02/04(金) 15:35:34 ID:uwE4VwBg0
> 根性の悪い私は、学術書を出して「でも、学者の書いた阿含経典の解説書から見ると、桐山さんの
>阿含経典の解釈には違う点が多い」と突っ込むと、阿含宗側は「学者の解釈は机の上の解釈であり、書籍の
>文字だけの解釈だから、限界があるのだ。その点、桐山猊下は、血ににじむような修行をされ、得た悟りと
>霊感を持って釈尊と直接に対話された上で解説をされているので、こちらのほうが正しい。」と言い返され
>ました。そのご都合主義には、感動すら覚えたのを覚えております。

遅まきながらこの問題に立ち入らせてもらいたいと思います。
準シュダオンさんばかり相手にしていては主張したいことも主張できぬ。
学者物知り後回しでも物持ち後回しでもどちらでもよいが、これは信者が言うことは
全く当を得ていない。
阿含経を自分で読んだことがないからこんなたわけたことが言えるのだと思う。
学者がああ言うこう言うの話ですらなく、阿含経とは中学生くらいの学力の子ども
でも理解できる内容です。
だから学習障害があるのかなと思われるチューダパンダカでも真意を理解できたのです。
日本に伝わる経典の難しさとは漢文とか古い用語とかそういう問題です。
しかし現代語訳されたものを読めば学習だろうが子どもだろうが坊さんだろうが
商人だろうが共通の認識をします。
学者も坊さんも子どもも主婦の読者も共通認識しており、桐山さんだけ違うと言う。
そして桐山さんが説いていることが正しく、学者、坊さん、子ども、主婦の読者に
共通した誤認を与えたのは釈尊の下手な教え方の責任ということになるではないか?
そんな言葉で誤解させた釈尊の責任です。
阿含経は抹殺などされていない。
南伝の国では連綿と続けられてきた経緯がある。
これを間違いなんて言ったら無責任なややこしい言葉で誤解を植え付けた釈尊の責任です。
釈尊は誰にでもわかる平易な言葉で教えを説いた。
相手に応じて臨機応変な説き方をしているが、それを集めると実は一つのことしか
説いていないことがよくわかる。だからいくつかの経典を読めば、わかった、
あなたの言いたいことはよくわかったよと理解できます。
そして釈尊は教師に握り拳はないとまで示した。
しかし信者はその握り拳の話すら読んだことがないのです。
2500年未顕真実のバカバカしさに気づかない

225ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 01:49:54 ID:SmEF4Oe2O
>>181:無関係な人間です11/02/04(金) 15:35:34 ID:uwE4VwBg0
> 根性の悪い私は、学術書を出して「でも、学者の書いた阿含経典の解説書から見ると、桐山さんの
>阿含経典の解釈には違う点が多い」と突っ込むと、阿含宗側は「学者の解釈は机の上の解釈であり、書籍の
>文字だけの解釈だから、限界があるのだ。その点、桐山猊下は、血ににじむような修行をされ、得た悟りと
>霊感を持って釈尊と直接に対話された上で解説をされているので、こちらのほうが正しい。」と言い返され
>ました。そのご都合主義には、感動すら覚えたのを覚えております。

技術論の話ならば学者ではない実践修行者である現場の人間の方がより優れた
ものを示せるのは一般論的にそうです。
しかし細かい技術の話ではなく、信仰の目的が食い違うなんてことはない。
登山を語るのにヒマラヤ登山者と高尾山登山者とではレベルが違う。
しかし生まれつき車椅子に乗って歩行できない障害者でも歩く感覚はつかめなくても
登山という行為がどういうものかは説明できます。
足で歩いて山に登るのだ。時に岩によじ登ることもあるのだとか。
体験はなくてもその説明は間違っていない。
登山とはプールサイドでアイスコーヒーを飲むことだなんて言いません。
ところが桐山実践者の霊感によると登山行為の説明自体がプールサイドの話に
なるのです。

226干柿:2011/02/06(日) 01:52:31 ID:BBtat4sE0
あまりにもヒドイひどすぎるあ〜(爆
準シュダオンさんて何のために阿含宗に入信したんでしょうか?
たぶん私が思うにあれですよ、マイケルジャクソンがネバーランド
つくって夢の世界に遊んでいたじゃないですか
きっと阿含宗は準シュダオンさんにとってのネバーランドなんですよ(笑)

227天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/06(日) 02:21:55 ID:Roq.i8Cc0
私も散々意見を書いたが、改めてみたら書きたくなったぞ。
追記ということでちょこっとね。

「阿含宗側は「学者の解釈は机の上の解釈であり、書籍の文字だけの解釈だから、限界があるのだ。
その点、桐山猊下は、血ににじむような修行をされ、得た悟りと霊感を持って釈尊と直接に対話された上で
解説をされているので、こちらのほうが正しい。」

ですが、これに妙に納得するから相手(アゴン側)の言うとおりになってしまう。
私たちが過去信者だったときがそうでしたから、我々もその「方便」にやられました。

一番いいのはその実証を示させればいいのですよね。
「ほう?随分立派なご高説ですね。
 ではその”血のにじむような修行の果てに成したものを見せていただきたい。
 実証できなければ教祖の言うことはただのハッタリであり、虚言である。
 それだけ大言を言うのだから、ちゃんと見せてもらえるんでしょうね?
 口では何とでも言えますからね」

これを私が信者のときにやらなかった後悔がありますね。なぜ突っ込まなかったのかと。
勿論私が漫才での「ボケ担当」だから、というオチではありませんよ、念のため。 

尚私の意見は無関係さんに対して言っているのではなく、過去の自分とこれから阿含宗へ突っ込みを
入れられる方への策として使っていただけると幸いということです。

228天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/06(日) 02:27:52 ID:Roq.i8Cc0
ここでブレイクタイム。

ユビ管長!質問があります。(挙手した感じで)

どうして準シュダオンさんは仏教辞典も持っていて、また仏教の解説書も持っていて
色々物知りなはずなのに、間違ったことばかり発言するのでしょうか?
私は国語辞典しか持ってないので良くわかりませんが、古本屋で買った原始・初期仏教
の本で読んだ内容は準さんの内容とは全然違います。

ユビ管長、どうかご指導をお願いいたします m(_ _)m

229神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/02/06(日) 10:10:52 ID:YaD7r0520
ユビさん切れ味素晴らしい!!
デモ、切られた方には切られた自覚はないでしょうね?
腐った豆腐のようなもので、グニャグニャですから、

230ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 12:51:24 ID:SmEF4Oe2O
>>218
それは準シュダオンさんは仏教辞典を見ても、その一部しか引用しないわけです。
辞書というのは国語辞典を見てもわかるように一つの用語にいくつも意味がある場合
その全部を網羅します。
解脱や業だってそうです。
これらの用語は仏教の専売特許ではありません。
釈尊以前からインド社会に通っていた用語です。
釈尊はその用語を使用して自らの教えを構築するにあたり用語の意味も新たに
作り替えたわけです。
業なんかはそれこそ運命のように使われていたわけですが、釈尊は行為とその影響
とだけ借用して、もっぱら今現在の行いを重視するわけです。
業の改造とは今現在の自分の行いを改めるわけです。
過去からの業報は否定しません。しかしそれは囚われずに気にするなというものです。
覚えてすらいない前世のことなど悔いても過去は変えられない。
それよりも今の行いを正すことを説くわけです。
こういったことが仏教辞典に簡略に書かれている。
時代時代の経緯ですね。
仏教は大乗まで包含するから後世に大乗で意味がまた変容したらそれも示す。
ただしごちゃごちゃ頭が混同しないようにちゃんと時代で区切って明確に分類して
示しているから、普通の人は混同しません。
準シュダオンさん一人だけが混同してるのです。
しかもズルイから仏教辞典に示された初期仏教の本来の意味は隠すかのごとく引用しない。
あるいは隠す意図はなくても本当に自分の都合のよいところしか目をやらないのです。
これはかつての私と言えど例外ではありませんでした。
私も信者時代決して学者による仏教の一般解説書を読んだことがなかったわけではない。
中村元・三枝充填の「バウッダ」(小学館)とか、渡辺照宏の「仏教 第二版」(岩波新書)とか。
渡辺本なんて自分で鉛筆で傍線なんか引いてある。
どういうところに引いたかと言うと、中国文献ではなくインド文献に遡らねば
ならないとか、桐山説と矛盾しない部分です。
バウッダにしても桐山説に反するものもあるのに、そういうものは目もくれない。
なぜなら桐山さんは阿含経から成仏法を発見したのは自分だけだと提唱してるのだから
学者がそれを見つけるわけないということがわかっていた。
しかしそんな先入観があれど、桐山さんに反する矛盾というのは問題視すべきでしたね。
やはり私も準シュダオンさんみたいに鈍感だったわけだ。

231ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 12:55:09 ID:SmEF4Oe2O
↑ふぎゃ。レスアンカー付け間違いでした。
>>218ではなく>>228の天照さんでした。

232ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 14:25:06 ID:SmEF4Oe2O
>>202:準シュダオン11/02/05(土) 09:56:44 ID:1F7rdgXk0
>マヤとの合同法要を、その場限りと考える批判派も居るが、視野が狭いね。
>ジャパンのキョウトでアゴンシュウの皆さんと、我らマヤ民族伝統の火の祭典
>を合同で行った。という記憶は、この先50年100年、あるいは数百年先まで
>もマヤの人々へ誇りとともに、記憶されるのです。

はははは。マヤのアレハンドロ長老の団体って日本ではアゴン宗だけに限った
ことではない。NHKやTBSなどのマスメディアだけでなく、新興宗教団体の
白光真宏会などもアレハンドロ長老たちと合同法要をしたのは、2008年3月のこと
であり、アゴン宗の法要よりも2年半前です。
マヤとしては自分たちのことがアピールできる機会があればどこでもよいのですよ。
あちらの需要とこちらのネタ探しが一致しただけです。
それよりも一発屋で長く続かないのは毎度のことです。
フランスのルーブルで瞑想講演会を開いた時も、これは毎年継続したいなんて
抱負を述べていたくせに第2回すらない。
アゴン宗パリ支部なんてのも聞かない。
ニューヨークで護摩を焚いていながら、アメリカの拠点を失った。
ダライ・ラマは何度か報日しているのにアゴン宗は素通りです。
ノーベル平和賞の5人までの友人招待の間柄であるはずなのに。

233Boo:2011/02/06(日) 16:04:32 ID:S4F8XPsE0
>221 名前:ユビキタス ◆18iA.mwnDU 投稿日: 2011/02/05(土) 23:10:59 ID:SmEF4Oe2O
>>>204:準シュダオン11/02/05(土) 10:34:38 ID:1F7rdgXk0
>>この12因縁の中に、管長が説くガンの因縁やら○○の因縁がすべて含まれて
>>いるのです。○○の因縁を否定することは、仏教の業報を否定することです。
>>業と報いを肯定するならば、○○の因縁(星)を肯定するしかありません。

>ではその〇〇の因縁なんて曖昧な書き方ではなくて、桐山さんは極めて具体的に
>因縁の種類を命名表示しているのだから、どれでもいいからその具体的な因縁を
>例に十二縁起の法則、方程式にあてはめて運命の形成とその解脱を説明してごらんなさい。
>ガンの因縁、横変死の因縁、中途挫折の因縁、刑獄の因縁などなど。
>無明から始まって老死で終わる十二縁起の方程式でガンの運命の生成を説明して
>ごらんなさい。
>次に無明を滅し、渇愛を滅することによりそのガンの運命が滅する証明を方程式を
>もとに解説してみなさい。
>これは必ず途中で行き詰まります。

これ私も以前ユビキタスさんに言われたことがあります。その時の私の解釈を披露しましょう。
この理屈は準シュダオン氏にとって、福音となるかもしれません。

「無明」により輪廻転生した「我」は「行」「識」という「○○の因縁(仮に癌の因縁としま
しょうか)」により感覚器官やその感受作用などがすべて癌の発病という結果をもたらすような
嗜好を生活習慣に反映してしまう。その結果癌となり死を迎える。その癌による死は次の餓鬼界
の因縁の「因」となり、次の「生」に引き継ぐと・・・

このように考えました。そうするとアゴン宗の「因縁論」で説明できるでないの?ユビさん?
やっぱりアゴン宗はそして、桐・山師は正しかった、と。ところが・・・ところが、ですよ。
準シュダオンさん、それでも私は退会することとなった。それはどうしてかわかりますか?

234準シュダオン:2011/02/06(日) 16:14:39 ID:1F7rdgXk0
仏教辞典の一部引用ではなくて、要点を引用してるのですw。
全部引用したのでは、長くなってたまらんがな。
仏教辞典に、
「初期仏教のさとりは、縁起の滅した世界とされた」
と、解説されています。

仏教辞典は、多くの人が持っているのですからね。上記の記述を読んだ人
なら、初期仏教=阿含仏教では縁起の滅がさとりなんだな、と解かっている
のですよ。それなのに、元阿含信徒が縁起滅=因縁解脱を否定したら、お話
にならないね。そのうち、他宗からまで、仏教の目的は因縁解脱ですよ、と
教えられることでしょう。

増谷先生訳の阿含経で、因縁解脱の説明に恰好な経を思いついたので、次に
レスします。
ダライラマに疎遠にされたとて、気にすることじゃあ、ないでしょ。
言いにくいですが、ダライラマは、亡命政権が長くて、地位が危うくなって
いるのですからね。それに管長は、チベット仏教のすべての法脈を受け継い
でおり、今やダライラマの下の地位でもないし、そういうことも関係してる
かもよ。本当のことは、解からないけど。

235準シュダオン:2011/02/06(日) 16:51:03 ID:1F7rdgXk0
南伝 相応部経典12の2分別 という阿含経が縁起滅の理解に役立ちます。
「 」内が増谷先生訳のお釈迦様の言葉です。

「比丘たちよ、わたしはいま、汝らのために縁起を分別して説こうと思う。
 汝らはそれをよく聞いて、思念するがよい。比丘たちよ、縁起とは何で
 あろうか。比丘たちよ、無明に縁りて行があり、行に縁りて識があり、
 識によって・・・(以下、12因縁について3頁も説明がされています
 が長いので省略して結論部分を記します。( )内は準シュダ註)・・
 ・・老死は滅し、愁・悲・苦・憂・悩もまた滅する。かくのごとくにし
 て、すべての苦しい人間存在は滅する。」

どうですか?これが仏教の目的、縁起滅なのです。仏教辞典の「さとりと
は縁起の滅した世界」との説明の正しさが解かるでしょう。釈尊は、縁起とは
十二因縁のことであり、それが苦の生じる構造であり、それを滅することを
教えているのです。そのための煩悩解脱なのです。
縁起=因縁、滅=解脱、であることは解かりますね、縁起滅=因縁解脱です。
管長の正しいことが、お解かりでしょう。

なお、○○の因縁を12因縁のメカニズムに当てはめて説明するのは、非常に
困難です。12因縁だとて、学者で諸説に分かれています。わたしもボンヤリ
としか解明できていない。ただ、8渇愛9取10有・・の取(執着)のところ
に「我・我見に執着」という因縁があって、それも輪廻を起こす大きな原因
です。今の批判派の状態が、それだと思われますね。



236ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 17:02:49 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさん。出て来られましたか?
私が昨夜出した質問に答えてください。
>>214-215で質問した輪廻解脱とは何がどうなることであり、本来幸福を求めて何が悪い?という煩悩・欲望を制御してまで得る境地とは何なのか?
という質問です。
また十二因縁の方程式に〇〇の因縁ではなくてガンなど具体的な因縁を入れて
ガンの生成とその解消を説明してください。
Booさんの説明とは別にあなた自身の言葉で語ってください。Booさんは省略した
ガンの因縁の解脱の原理もまた十二因縁方程式に基づいて。
質問に答える気がないなどと示すのはよいが、ロムする人は逃げたなと受け止めます。

237ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 17:52:17 ID:SmEF4Oe2O
>>234:準シュダオン11/02/06(日) 16:14:39 ID:1F7rdgXk0
>仏教辞典の一部引用ではなくて、要点を引用してるのですw。

要点ではありません。要点にもいくつかあってその一部です。
時代によって立場によって用語の意味は全く変わるのです。
その一部を拾ってきて、それがその用語の唯一の意味であるかのように示すのは
目眩ましです。

>言いにくいですが、ダライラマは、亡命政権が長くて、地位が危うくなって
>いるのですからね。それに管長は、チベット仏教のすべての法脈を受け継い
>でおり、今やダライラマの下の地位でもないし、そういうことも関係してる
>かもよ。本当のことは、解からないけど。

相手の立場が危うくなると冷たく無視するのですか?
そうではなく親交があったのですから来日した時くらいコンタクトがあってもよい。
またどいらが上とか下とか関係ありません。
一応対等の立場です。ダライ・ラマに伝法されたのではなく、またダライ・ラマに
伝法もしていない。
ダライ・ラマも忙しいからそうそうアゴン宗ばかりに足を運べない。
ならばメッセージだけでもよい。
昨年は第2回オーラの祭典のはずです。
メッセージぐらい寄せてくれてもよいではないか?
第1回の時はダライ・ラマと合同法要をした仲なんだから。

238深山:2011/02/06(日) 17:59:29 ID:3HbNrQP60
>185 :無関係な人間です:2011/02/04(金) 18:01:57 ID:uwE4VwBg0
>>「昔、天理教の教祖は、学者もの知り後廻し、と云ったそうですが、
>>207 :ラシン:2011/02/05(土) 12:53:51 ID:zTmpX2G20
>桐山さんは昔からウル覚え癖なのか、他人をパクって都合よく焼き直す。

桐山さんのウル覚えが原因だと思います。
あの方は自分では超人的な記憶力があるとか、目がカメラだなどと
言って、自慢している。
ある講義の時、「今日参加してくれた人たちの顔を名前を覚えますから、
呼ばれたら、一人一人立ってください」と言って、
そこにいた何百人かを点呼した。
私を含めた参加者はみんなびっくりです。
一度見たら名前と顔を覚えてしまうというのです!!
桐山さんの本では読んでいたが、目の前でそれをしているのを見て、
「うわあ、なんてスゴイ人だ」と思いました。
今から振り返ると、爆笑です。
桐山さんがしたことは、覚えますと言っただけで、
実際にその後、その能力を披露してくれたわけではない。
別院で採用された若い男性職員二人の顔と名前を桐山さんは覚えられなかった。
たとえば、入社したばかりの山川さんと山本さんがいて、背格好も似ていたら、
取り違えることは普通の人にもよくある。
あれと同じです。
桐山さんには特殊な記憶力なんてない。
あるのは、自分は特殊な記憶力を持っているという思い込みだけです。

239深山:2011/02/06(日) 18:03:05 ID:3HbNrQP60
八十年代、桐山さんの法話を「法友」という信者が編集する機関誌に載せていました。
ある時、桐山さんの話が間違っていて、そのまま載せてしまった。
これを見た桐山さんは激怒したという。
編集者の信者は、超人的記憶力を持つ桐山ゲイカに記憶違いなんてあると
思っていないのだから、内容についてわざわざ調べるはずもない。
調べて直したら、逆に怒られるかもしれない。
実際、桐山さんの法話での記憶違いや、覚え間違いの爆笑ネタはたくさんあります。
「ショウジョウバエの寿命は一晩である」
ショウジョウバエは環境さえよければ二ヶ月くらい生きるとされています。
桐山さんはショウジョウバエとカゲロウを取り違えた。
法話はまだ消えてなくなるからいいが、問題は本です。
その典型が、前にユビキタスさんが指摘した英霊底漢です。

240深山:2011/02/06(日) 18:07:55 ID:3HbNrQP60
「『碧巌録』に導かれて」(『師の一言』、講談社)
「須殺人不貶眼底是英霊底漢(すべからく人を殺すに眼を
貶せざる底の英霊漢なるべし)」(『師の一言』71頁)

これは『師の一言』という本に寄せた桐山さんの「『碧巌録』に導かれて」
という文章で引用された『碧巌録』の一節です。
いや、正確にはこんな文章は『碧巌録』にはなく、正しくは次のような文章です。

『碧巌録』大正新脩大蔵経
原文→「大凡扶豎宗教。須是英霊底漢。有殺人不貶眼底手脚。方可立地成仏。」

両者を見比べてみれば違いは一目瞭然です。

桐山説 → 須殺人不貶眼底是英霊底漢
原文 → 須是英霊底漢。有殺人不貶眼底手脚

つまり、桐山本にある漢文自体が桐山さんの捏造です。
漢文の書き下しの解釈の違いではなく、桐山さん自身が漢文を捏造したのです。
桐山さんがおもしろいのはこれだけではありません。

241深山:2011/02/06(日) 18:11:28 ID:3HbNrQP60
「大凡そ宗教を扶豎せんには、須らくこれ英霊底の漢なるべし。
人を殺すに眼を貶せざる底の手脚あって方さに立地に成仏すべし。」
(『師の一言』72頁)

これは桐山さんが本の中で引用した漢文の書き下しです。
ここでは原文を正しく書き下している。
おそらく参考書からそのまま書き写したのでしょう。
72頁で正しい引用した後の73頁では、

「大凡そ宗教を扶豎せんには、須らくこれ英霊底の漢なるべし。」(『師の一言』73頁)

と、そのまま正しい文章を書いています。
普通、72〜73頁と二度も原文の書き下しを正しく引用したら、冒頭の71頁で書いた、

「すべからく人を殺すに眼を貶せざる底の英霊漢なるべし」(『師の一言』71頁)

という文章の間違いに気がついていいはずです。
だが、それに気がつかないばかりか、75頁まで書き進めると次のように書いている。

「おおよそ宗教を扶豎せんには、人を殺すに眼を貶せざる底の英霊底の漢たるべし。」(『師の一言』75頁)

つまり、引用を無視して、また冒頭の71頁と同じ間違った文章を書いています。
たった六頁なのに、こんな程度の一貫性すらない。
この文章を書いている時の桐山さんの頭の中は次のようなものだったのでしょう。

242深山:2011/02/06(日) 18:15:30 ID:3HbNrQP60
「須殺人不貶眼底是英霊底漢(すべからく人を殺すに眼を貶せざる底の英霊漢なるべし)」(71頁)

冒頭の上の文章を桐山さんは記憶で書いた。
桐山さんの記憶とは、「人を殺すに眼を貶せざる底の英霊漢なるべし」です。
私はこれを桐山さんの法話でも聞いたことがあるから、彼はこのように記憶しているのです。
漢文から書き下したのではなく、記憶している文章を漢文風に直したのです。
冒頭にいきなり漢文を出したのは、教養のほどを示して、
格好をつけたつもりだったのでしょう。
だが、桐山さんが覚えている(と本人は思いこんでいる)のはこの部分だけで、
前後がわからないから、蔵書から『碧巌録』の解説書を取り出して、
その部分を72頁に書き写した。
目の前に参考書や引用した原稿があるから、73〜74頁では記憶ではなく、
そのまま書き写したので、次のように正確に書いている。

「大凡そ宗教を扶豎せんには、須らくこれ英霊底の漢なるべし。」 (『師の一言』73頁)
「人を殺すに眼を貶せざる底の手脚あって方さに立地に成仏すべし。」
(『師の一言』74頁)

だが、原稿が進み、引用の部分が見えなくなると、また記憶で次のように書いた。

「おおよそ宗教を扶豎せんには、人を殺すに眼を貶せざる底の英霊底の漢たるべし。」(『師の一言』75頁)

自分の記憶を過信しているから、目の前に間違いを教えてくれる材料がありながら、
気がつかないのです。

243深山:2011/02/06(日) 18:19:14 ID:3HbNrQP60
「須殺人不貶眼底是英霊底漢(すべからく人を殺すに眼を貶せざる底の英霊漢なるべし)」(71頁)

桐山さんの愚かな所は、上記の漢文を捏造してしまった点です。
桐山さんは自分では漢文の素養があると自惚れていますから、
書き下しから逆に漢文を作ってみせたのでしょう。
だから、原文とは違う。
もし、この捏造漢文を載せなければ、上記の書き下しも、漢文の解釈の
違いだと逃げられたのに、漢文を書いたばっかりに、捏造の証拠を自分で出して、
自分で逃げ道をふさいだ。
自惚れたい一心で、馬脚を現した。
桐山さんが原文を確認しながらも自分の記憶違いに気がつかないという点も
彼の脳味噌を示す非常に興味深い点です。
理由は、猛烈な自惚れから来る思い込みでしょう。
桐山さんは抜群の記憶力を持っていると自惚れているから、
自分の記憶を疑おうとすらしない。
準シュダオンさんとよく似ている。
桐山さんの知性とは身の程知らずのこんな程度です。
もう一つ、爆笑ネタをご紹介しましょう。

244深山:2011/02/06(日) 18:25:06 ID:3HbNrQP60
「仏陀釈尊がおなくなりになってすぐに、仏陀の弟子たち五00人が集ま
って、自分たちの聴聞した釈尊の教えを、おたがいに確認し合いながら、
記録した。それまで、釈尊の説法は文字にされていなかったのである。
「釈尊から直接、教えを受けた自分たちが、いなくなったら、釈尊の教え
は消えてしまう。今のうちに文字にしておこう」
ということで、十年かかって、釈尊の説法がすべて記録された。その記
録は、「アーガマ(伝承)」と名づけられ、漢訳されて、「阿含経」という
経典になった。」(『守護霊の持てる冥徳供養』126頁、1991年)

桐山さんの説明によれば、釈尊が亡くなった直後の比丘たちの結集で
教法を文字に記録し、十年後には文字としての阿含経が出来上がったというのです。
だが、学者たちの説によれば、阿含経とは口で伝えられたとされています。

「・・それらは口伝によって、何代にもわたり、また遠近の各地に伝承されていく。」
(『バウッダ』42頁)
「しかし、上述したように、それはすべて口誦によって長期にわたり伝承されたものを
継承しつつ総括しており・・・」(『バウッダ』46頁)

ごらんのように、学者たちの説、というよりも、普通の仏教史の認識では、
阿含経は口伝、つまり個人の記憶に頼りながら伝承されたものです。
文字にされたのはかなり後の事で、大乗経典が作られたことが
刺激となって文字にされたのだという説すらもあります。
いずれにしろ、第一回の結集でアーガマが文字にされたなどという珍説は
聞いたこともありません。
おもしろいのは、この本より十年前の桐山さんの本です。

245深山:2011/02/06(日) 18:31:08 ID:3HbNrQP60
「これを、歴史上、「第一結集」というのであるが、このとき結集されたのが、
「長阿含経」「中阿含経」「増一阿合経」「雑阿合経」の四阿含であった。
ただし、このとき、これらの阿含経がすべて文字に記されたというのではなく、
釈尊の正しい説法をえらぴ出し、これを法門(dharmaparyaya)として制定し、
後世につたえやすく暗諭しやすいように編成したというのが、学者の説である。」
(『輪廻する葦』34ページ、1982年)

桐山さんの記述の細かい部分はちょっと抜きにして、
ここでは、「文字に記されたというではなく」「暗喩しやすいように」と、
文字ではなく暗記であったと書いています。
また、桐山さんの名誉のために申し上げるなら、
私は、桐山さんが法話で、第一回結集で比丘たちが経典を唱和して、
暗唱し、その暗唱を伝えたのだと聞いたことがあります。
では、どうして上記の本の十年後には、文字にしたなどというトンデモ説を言い出したのか。
それは他でもない、桐山さんの理解や記憶が極めていい加減だからです。
桐山さんはいかにも長年、阿含経を研究したかのような書き方をしているが、
実際は彼はアゴン宗を立宗してから阿含経を紐解いている。
しかも、ちょっと読むと、たちまち精通していることになって、
それを例祭などで講義したのです。
つまり、長年の深い学習ではなく、付け焼き刃の知識で、
しかも、超人的な記憶力を持っているなどと自惚れて、
自分の空想や記憶違いをそのまま信じて、確認もせずに、書いたのです。

246深山:2011/02/06(日) 18:37:22 ID:3HbNrQP60
どの本だったか忘れましたが、この時期の桐山さんは法話で、
「今回の本はまったく文献を見ることもなく、記憶だけで書いた」と
自分の記憶力のスゴサを自慢したことがあります。
だが、見ての通りで、彼の記憶力など普通の人と変わらず、適当、いい加減、
曖昧、デタラメで、彼が専門とするべき結集に関することの記憶すら、
素人顔負けの間違いをしています。
「冥徳供養」の本がでた1991年は、愛人と「今夜にでも」を実践して二年たち、
バブルの影響で護摩木の本数がピークになり、つまり収入が最大になり、
年に何度も海外に出かけてはその金であちらこちらから勲章を買い集め、
ついでに糖尿病財団に寄付していたくらいだから、桐山さんの脳も
砂糖漬け状態になっていたはずです。
総本殿も完成して、伽藍堂を誇っていた。
つまり、いろいろな意味で桐山さんの絶頂期なのです。
実際にはその前の五年間には信者が毎年のように減りつつあったのだから、
危機感を持つべきなのだが、桐山さんの常として目の前にある問題に
正面から立ち向かって解決するのではなく、別なことをしてごまかしてしまう。
算数で0点でも、体育で100点取ればいいという生き方です。
勲章を身体中につけて、愛人とよろしくやりながら、伽藍堂を見せびらかし、
悪因縁を数年前に完全に切ったと宣言し、冥徳供養という新しい商品を開発し、
信者たちに横変死の因縁85%などというとんでもない脅かしをかけていた。
絶頂期の砂糖漬けの脳が作り出した思い込みです。

247深山:2011/02/06(日) 18:47:01 ID:3HbNrQP60
「今のうちに文字にしておこう」
ということで、十年かかって、釈尊の説法がすべて記録された。」

こういう状態の桐山さんが、自分のいい加減な記憶に頼って、
阿含経は釈尊の死後、十年後に文字になった、などという荒唐無稽な
話を作り上げたのが、『冥徳供養』の一文です。
当時の桐山さんは70歳です。
元々、妄想癖がある上に、脳が老化し始めていた。
だから、こんな初歩的知識すらも間違ったことを堂々表明するようになった。
これとそっくり同じ人がここにいます。
準シュダオンさんです。
懲りもせずに、「縁起滅」など阿含経に存在しない言葉を引っ張りだし(>>234)、
くっつくはずのない十二縁起とくっつけて、一人で威張っている。
岩波仏教辞典の「縁起滅」の説明は初期仏教ではなく、部派仏教であることは、
文章からも明らかであり、この点は何度も指摘されているのに、
完全に無視して、これを初期仏教の説明だと言い張る。
何をどう反論されようが、聞く耳を持たないし、理解できないし、そもそも読まない。
桐山さんもこういう状態だったのではあるまいか。
しかも、準シュダオンさんと違い、桐山さんに反論する人は誰もいなかった。
批判には「このバカつまみ出せ」というのが桐山さんのやり方だった。
つまり、単に桐山さんの思い込みと、ウル覚えという記憶力のなさ
だけでなく、準シュダオンさんのように脳が老化して、前よりもますます
他人の意見や批判を聞かないし、理解もできないという
状態になりつつあったのでしょう。
誰しもいずれは老化して、記憶力も判断力も衰えます。
この点で、桐山さんと準シュダオンさんはまさに反面教師だと思っている。
年をとってから、ああなってはならないという反面教師です。
桐山さんと準シュダオンさんを見ていると、年をとっても恥じる心だけは
失いたくないとつくづく思います。

248ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 21:33:46 ID:SmEF4Oe2O
追記すると、準シュダオンさん以外の信者、元信者はご存知でしょうが、
深山さんの示した英霊漢の話は、アゴン宗報の一面記事に対して桐山さんが
例祭法話にて出版局にかなりの剣幕で怒っていたものです。
人の文章を載せる時は正しく引用せよと。
しかしもともと自分の引用が正しくなかったわけです。

249ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 23:26:39 ID:SmEF4Oe2O
小学館「バウッダ」中村元 三枝充よし より引用

阿含経の基本的思想
「阿含経に満ちているあまたの「問い」は、すべてみずから現に体験している苦しみ、
悩みから発せられ、そのそれぞれに対して釈尊はその質問者の現実に即して答える。
ただし、苦悩そのものを即座に解消するような、いわば直接的な手段や方策と
いうよりは、むしろ苦悩に対処してゆくべきその在り方をとりあげて、それを
熟慮しつつ、「答え」がなされる。いわば、外部の情況その他は不変のままありながら
実は苦悩でなくなり、いつしかその苦悩がその内部において消え、安らかな境地に
もたらされる、そのような図式を描いて展開する、と解してよい。
釈尊はその「答え」において、人間の力を絶した創造主としての神も、また祈祷や
呪術に応じて魔力をふるう神秘も、ことごとく退けており、一切の不可思議で
超自然的なものはすべて排し、捨てる。そうではなくて、あくまでもこの現実に
徹し、この現実に即し、終始この現実において解決しようとする。」
(113〜114頁)

「「苦」とは何か。「苦」の本質とは何か。「苦」(ドゥッカ、ドゥフカ)とは、
あらためていうまでもなく、単なる身体的もしくは生理的な苦痛ではなく、
日常的な不安または苦悩でもない。それは阿含経に説かれるものを、極言して
現代語に置き換えるならば、「自己の欲するままにならぬこと」「思いどおりに
ならないこと」と解釈される。」
(120頁)

「右のうち、一例として生(しょう)についていうならば、自己は自己の望むがまま
思いどおりに生まれることは、けっしてあり得ない。」
(123頁)

250ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 23:37:17 ID:SmEF4Oe2O
>いわば、外部の情況その他は不変のままありながら
>実は苦悩でなくなり、いつしかその苦悩がその内部において消え、安らかな境地に
>もたらされる

つまりガンとか事故による怪我などの苦しみがなくなるわけではなく、それは
そのままなんです。人間関係の軋轢なんかもそうで、そのままです。変わりません。
変わらぬままでの苦の滅です。

>あらためていうまでもなく、単なる身体的もしくは生理的な苦痛ではなく、
>日常的な不安または苦悩でもない。それは阿含経に説かれるものを、極言して
>現代語に置き換えるならば、「自己の欲するままにならぬこと」「思いどおりに
>ならないこと」と解釈される。

これも押さえておかねばなりませんね。
苦の滅とは、じゃあ自己の欲するままになることなのか?思いどおりになること
なのか?だから苦しようないぞ、苦の滅じゃなんて話と思えますか?

>右のうち、一例として生(しょう)についていうならば、自己は自己の望むがまま
>思いどおりに生まれることは、けっしてあり得ない。

これは四苦八苦より生じる苦について述べたものです。
桐山さんの輪廻転生瞑想法を否定しています。あり得ないと。

251ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 23:55:17 ID:SmEF4Oe2O
>>249-250は全て高名な仏教学者三枝先生の解説です。
準シュダオンさんもご存知のはずです。
あの人はかつて自分で書いていたが、仏教の通信講座かなんかを受けていたようで
国立T大の先生もいるのだと自慢していた。
私はふざけて富山大ですか?鳥取大ですか?徳島大ですか?と突っ込んだが、
東大、東北大、筑波大などが考えられる。
筑波大の三枝先生あたりも候補になる。
さて、準シュダオンさんもこういうものを示されたら学者にはわからない、
管長の方が正しいとか言い出すのだが、我々はこういう学者の言葉を根拠にしている。
鵜呑みにしているのでなく、現代語の仏典などを読むと、なるほど、まさにそうだと
自分の頭でも合点するから主張している。
それに対して準シュダオンさんは仏教辞典などにこう書いているのにまだわからんのか?
などと人を見下すように言う。
ならば同じことを三枝先生に言ってごらんなさい。
あんた学者のくせにこんなこともわからないのかwとwをつけることもわからずに。
私だったら批判側に反論するのに、そんな見下した態度は間違ってもとれませんね。
私があなたの立場だったらこう言う。
「ええ、学者もそう言うのだから、あなた方がそう言うのも当たり前だと理解できますよ。
あなた方はよく勉強されてる。しかし桐山管長の洞察はもっともっと深いものと
思うのです。それは私にもまだわかりませんが、きっと学者の説も否定してしまう
ような画期的な発見をされているものだと信じています。それを一緒に考えませんか?」と。
間違ってもこんなこともわからんのかと中村も三枝も馬鹿だと言うことに等しい
罵り発言を浴びせるほど無知でも無恥でもない。

252ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/06(日) 23:59:02 ID:SmEF4Oe2O
訂正

誤:あんた学者のくせにこんなこともわからないのかwとwをつけることもわからずに。

正:あんた学者のくせにこんなこともわからないのかwとwをつけることも忘れずに。

253ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/07(月) 00:07:33 ID:SmEF4Oe2O
>>233:Boo11/02/06(日) 16:04:32 ID:S4F8XPsE0
>このように考えました。そうするとアゴン宗の「因縁論」で説明できるでないの?ユビさん?
>やっぱりアゴン宗はそして、桐・山師は正しかった、と。ところが・・・ところが、ですよ。
>準シュダオンさん、それでも私は退会することとなった。それはどうしてかわかりますか?

こちらの流れとは関係なく続けてください。時間のある時に、準シュダオンさん向けに。
十二縁起応用の試論については様子を見てからレスします。

254天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/07(月) 11:35:11 ID:CPTbpXlE0
>>230 ユビさん・・・もといユビ管長、解説ありがとうございます。
なるほど・・・またただの解説だけでなく、ご自身の過去にも触れられて自分も
考えさせられました。

私も信者時代にはあれこれ考えましたし、捏造までは行きませんが阿含宗に都合の
いいものを当てはめたり見つけたりとしていました。

ですが、実際に行動や経験をしているとどうしても不整合なことや現実的でない
事項が頻繁に起きるので「どうしてこうも阿含宗の不安定さがあるのか」と
思ってましたが、それは真実を知らないからであって、欺瞞がわかれば何のことは無い。
中身が無いものを嘘などで補っているから、整合性が出ないのです。

それからですね。擁護もする気にならなくなったのは。

ですが、信者時代&欺瞞に気が付かない間は色々と擁護したり持論で論破しようと
するものがあります。今思えば本当に情けないし恥じる過去です。
そんな思いも感じました。解説ありがとうございました。

255無関係な人間です:2011/02/07(月) 11:36:17 ID:wZxde6Xc0
 天照様、深山様、コメントありがとうございます。

昨日は体調を崩して寝ていました。失礼をしました。

 天理教祖の発言は、最初にその話を聞いたときには学生で少し時間があったので、大型書店に行き、
天理教から出ている天理教祖や天理教の歴史の本を数日かけて立ち読みしました。おかげで天理教の事
も少しだけ分かりました。でも、「学者 物知り 後回し」は確認できませんでした。膨大な天理教祖
の発言を点検したら、ひょっとしたらあるのかもしれませんが、そこまでする必要もないと感じたので
結局、そのままにしました。しかし、一番説得力がある考えは、桐山さんの間違いという結論です。
 天理教祖のこのくだりは、大変ポピュラーであり、他宗教の多数の文献にも紹介されているからです。

 と、言うよりも、天理教の教会など街の中にはいくらでもあるのだから、桐山さんも調べようとしたら、いく
らでも手段があるはずです。それをしないのは、彼の頭の中には、真実には関心がなく、自分に都合の
よい発言のみが存在する価値がある、という考えがあるのでしょう。

 ただ、最近は桐山さんに愛人がいるとか、高級料亭で豪華な食事をしていたとか、ロールスロイス
に乗っているだとか、笑わせてくれるような話題が噴出し、そもそも桐山さんの頭の中は、想像以上
に笑わせてくれるような構造になっているのが伺えて、ある意味では楽しいとは思います。反面、
この人を信じて人生を棒に振った多数の方々の事を思うと、それ以上に深い憤りも感じます。もう
この人に償いを期待するのは無理ですが、せめて、一人でも多くの方が桐山さんの正体に気がつく事
を祈らずにはいられません。

256準シュダオン:2011/02/07(月) 12:29:03 ID:1F7rdgXk0
小学館「バウッダ」によれば、神や神秘や超自然的なことは、ことごとく、
釈尊は排除してる、とのことですが、だから、学者先生の言うことを鵜呑み
にして信じてはいけない、というのです。自分で確かめなさい。
ならば、阿含経にしばしば出てくる「・・得阿那含 種種神通界 天眼天耳」
なんていう、釈尊の言葉を何と理解するね?
種種神通界天眼なんてのは、神秘的でも超自然的でもない、というのかいW?

だから、学者先生を鵜呑みにするなというのよw。
私が提示した、縁起滅の話は、辞典の解説を、経典で実証したのですからね。
私の場合は、学者の意見ではなく、学者の経典訳を示したのです。

257準シュダオン:2011/02/07(月) 12:50:05 ID:1F7rdgXk0
それから、煩悩解脱について、肝心なことですが、大きく分けて、次の三つの
違いがあることを知らねばいけません。

1、阿含仏教では、輪廻解脱(成仏=さとり)をするために、煩悩解脱をします。
2、前期大乗仏教では、煩悩解脱をさとりとします(輪廻解脱を説かない)。
3、後期大乗仏教では、煩悩即菩提、生死即涅槃、を「さとり」とします。

つまり、前期大乗仏教の、煩悩からの解放を「さとり」とする仏教解説を信じ
こむと、それが正しい仏教だと、勘違いしてしまうのです。
そのことを専門に解説学者が多い。
どうやら、ユビキタスさんなどは、その学者を信じ込んだようですw。
大乗の菩薩の四弘誓願にしても、煩悩無量誓願断、というように、煩悩を断つ
ことだけ出ていて、輪廻解脱の意識が感じられませんからね。

上の、1、2、3、を頭に叩き込むことです。

258ラシン:2011/02/07(月) 12:55:13 ID:x9FuHHv20

>244 :深山:2011/02/06(日) 18:25:06 ID:3HbNrQP60
「仏陀釈尊がおなくなりになってすぐに、仏陀の弟子たち五00人が集ま
って、自分たちの聴聞した釈尊の教えを、おたがいに確認し合いながら、
記録した。

久々に深山さんの投稿です。
2chは、落書きスレの大量消費で過去へすぐに飛ばされます。
できれば、こちらへも望みたいものですね。
桐山さんの突っ込みどころは、著書の淫尿もとい、引用一つ取っても満載です。
反レスではなくても、充分、桐山批判は可能ですしね。

上記知識で、ずいぶん前に私も宗教掲示板で恥をかいたことがあります。
それもなお、法華経は来世成仏で五時八教判がまちがいだ、ともやったら、
アゴン宗信者だネ、と看破されて、散々でした。
桐山さんを信じていたばかりに、大恥をかいてしまった我が身の不徳でした。
しかし、
まあ、それを恥とも知らず批判側をバカ扱いできる人格の徒は、オオモノです。
毎回の独断と偏見、引用も部分的で省略してあるから経文を見直せば継ぎ接ぎだらけ。
これは、すでに反論や反レスされる資格すらありません。
ならば、
桐山語録の考察の方が、読者諸兄に大いに役立つ。
無関係さんの指摘で、そのことに気づいた次第です。

259ラシン:2011/02/07(月) 13:22:02 ID:x9FuHHv20
>218 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU
>私が捨てた煩悩とはアゴン宗そのものです。
アゴン宗自体が煩悩だったのですね。

これは蓋し名言です。
そう、皆さんご存知のようにアゴン宗に居れば居るほど煩悩増大となります。
オレサマたちだけが知っているホンマモンの仏教、あとはバカン仏教だゼイ。
こういう慢心は、信者なら少なからず心底にあります。
どんなに和顔施であろうが、矜持心ではなく鼻つぁきのプライドです。

>今までの小せえ自分を捨てて脱皮できたことを悟った喜びよ。

ーサンユッタ・ニカーヤ3ー

はしり流れる妄執の水流を涸らし尽くして余すことの
ない修行者は、この世とかの世とをともに捨てる。
あたかも蛇が旧い皮を脱皮して捨てるようなものである。


爽快感ですね、たったアゴン宗をやめただけでもその解放感は計り知れない。
ですから、釈尊が煩悩滅を果たしていく過程で知恵が芽生え、解脱を知った時、
そりゃもう我々凡夫などは想像がつかない。
だから釈尊の説法は、至る所四六時中、その煩悩滅の必要と素晴らしさを説いた。

ダンマパダ

第十八章
不品行は婦女の汚れである。もの惜しみは、恵み与える人の汚れである。
悪事は、この世においてもかの世においても汚れである。

243 この汚れよりもさらに甚だしい汚れがある。無明こそ最大の汚れである。
修行僧らよ。この汚れを捨てて、汚れ無き者となれ。

第十九章
わたしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。
それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、
またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。
修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。

260準シュダオン:2011/02/07(月) 13:29:56 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんが、退会したあとの解放感について、レスしていたが、その
気持ちが分らぬでもない。束縛されていたから、解放感があるわけです。
実は、わたしも十年近く前だろうか、辞めようか?と、考えたこともある。
辞めた後の自由のことを想像したら、気楽でいいだようなあ、と思った。
が、踏みとどまった。あの時点で、私が退会していたらたぶん、ユビキタス
みたいに解放感を味わっていただろう。しかし私が今、退会しても解放感は
ない。今は束縛感がないからです、解放感など生じようがないのですよ。
あまり書きたくないけど、何で束縛感が無いのかというと、楽しみながらの
いい加減な修行だからです。管長は、いい加減な修行を強く戒めていますけ
どね、わたしは、気にしないのです、というよりも、これも書きたくないが、
聖なるバイブレーションを受けてから、マイペースになって、あまり管長の
言葉が気に成らなくなったのです。何か、目的地に向かう大船に乗った気分
ですから、船に乗っちまえばこっちのもんです。管長の言葉を聞く前に、
「ああ、解かってます、解かってます」てな感じで、・・・すみません。

261ラシン:2011/02/07(月) 13:40:55 ID:x9FuHHv20

桐山さんの大失敗は、宗教詐欺というビジネスモデルを
ただ、他宗からパクッてしまった軽薄さでした。
仏教の因縁という概念を捻じ曲げたのか不学なのかどうでもよいが、
因縁解脱としたなら、すべての因縁からの解放ですから良い因縁まで、
切らにゃならぬと言う矛盾を残したマンマの無責任男です。
これは、天照さんが指摘したとおりです。

信者さんが、目の色を変えて勤行するお経すら漏尽解脱なのに、
心眼で読誦すれば、それは因縁解脱であり、今世の利益すら獲得できない。
その混成ぶり今世では気がつかないのだから、オツムがお目でたいのです。

平和を唱えて「戦争滅」と読誦すると戦争は、あ〜ら不思議、滅して平和だ?
それは、戦争がなぜ起こるかを考えないし、過誤を学ぶ姿勢が無いからだ。
これを三笑して、生まれ変わって英雄となって美女を従えるのが、
教祖サマの夢らしい。

262準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
私に「何で入行したのか?」との干柿くんの質問を、チラと見かけたね。
それは、私、入行前は無神論の合理主義者でね、運命や霊視などの話は、
幻覚に過ぎん、と笑い飛ばしていた。ところが、八方塞がりとの言葉が
あるけど、無神論の天罰か、入行する頃は六方塞がりの状態で、私は、
窮してたのですよ、で、管長の信仰しなくても、密教修行で超能力を持て
る、悪運命の星を変えられる、との本を読んでね、入行したのです。
超能力を身につけて、私の六方を塞いだ悪因縁の星を叩きつぶそうと考え
たのです。

だから、入行当初は、管長が輪廻の話をしたときは、「そういう本当か嘘
か解からぬ非科学的な話よりも、超能力を得る修行法を話してほしいな」
とか、思ったものです。管長が、念力の護摩は神仏の助けがあって、成功
した、なんて話を言ったときは、ガッカリしましたね。自力だけで焚けた
のではないのか、とガッカリしたんです。神仏といえど、私は他力をすかん
かったからね。

でもね、「輪廻する葦」を読んで、すぐに、煩悩を断たねばダメだ、と
痛感してね、超能力獲得の欲望を一切捨てて、煩悩切りに努力したのです。
でもね、批判派は欲望と煩悩を混同してると思いますね。
欲望=煩悩ではないのですよ。
それに、1我見2疑惑3戒取4貪欲5瞋恚、の順番に断って行かねばいけない
のに、三結さえ切れていないのに、批判派は何かというと欲望を否定するで
しょ。わたしに言わせれば、欲望を断てなんて言うのは十年早い、ですよ。
そう言う前に、我見疑惑戒取を断じてシュダオンになりなさい、ですよw。

私が何で入行したか解かりましたか?
それと現在は、どうやら五方くらいは開けた感じです。あと三方開いて、
八方開けたら阿羅漢ですw。退会しようか?と考えた頃は、四方塞がりの
四方開け、という状態でしたかね、パッとしなかったからでしょう。
それが聖なるバイブレーションで、一方が開け、五方開けの状態です。
だからもう、管長が解散宣言しないかぎり、退会は考えられないね。

263ラシン:2011/02/07(月) 14:36:13 ID:x9FuHHv20

平和とは戦争の無い状態、悟りとは縁起の滅した状態。
その状態に辿り着くためにはどうすればよいのか?
因縁解脱です! 桐山説です!
因縁滅だから、縁起滅です! エンギ団子三兄弟です!

「では信者諸君、現世で不幸を無くし幸福な状況を作り出せるのが、
 この私の因縁解脱ですよぉ〜」
「因縁解脱とは、もとより因縁から解放されることですね〜。
 だから悪い因縁もバンバン切ってゆくからランバン加持も教えている」
「なになに? フランスブランドのランバン?
 あ〜、ありゃワシモ履いてますよ、チヒロもホメ取ったな、カッチョええなんて」
「ところで、因縁解脱したら善い因縁まで切れる矛盾、なんて指摘した人が居るが、
 こういうのをアホバカ丸出しと言うんじゃよ、ケケケ。」
「お釈かサマの説いた因縁減脱はね、悪い因縁にはジェッタイ作用せんのよ。
 そこは、ちゃ〜んとお経に説かれていますからね、これは簡単には見せませんけど、
 私の法リキを信じて、経文を読解できる心眼を養えばよいのですヨお。」
「心願成就じゃなく、心眼成就なんですね、いやぁワシって才能の宝庫ですな。」
「知ったかぶりした者だけが、こういうヘ理屈をコネるんですね〜、困り者です。」

質問者より、
「では、ゲーカ様、生天して天国に居るバヤイは、天国切りでいいんですね?」
「戦争からの解放は戦争解脱が平和で、色情の因縁はチヒロ解脱と言う解釈で、、」
管長ゲーカ、
「おい、このバカつまみ出せ!」 はい、「馬鹿解脱」させまッス!

264ラシン:2011/02/07(月) 16:15:18 ID:x9FuHHv20

雑阿含経に「好戦経」というお経があります。
桐山さんもアゴン宗の教義解説に取り入れているから既知でしょう。
しかも、
釈尊が、無我五陰説などで当時のアートマン思想を否定したことを
百も承知し解説までしているにも関わらず、コロリと変えて肯定している。
肯定して、不成仏霊とし、障りがあるぞと、脅しの根拠にまでして有効活用している。
これが、ある種、桐山マジックであり、論理のスリ替えが上手いのです。

このお経の粗ら筋は、神通力第一と言われた目蓮尊者が、
勒叉那比丘という僧侶と二人で町へ托鉢に行った途中、
ある一大衆生が肉段となって苦しむ様を目連尊者が見た、
というところから始まります。
空中で肉段となって、トビやタカ、野犬、ワシなどの、これまた動物たちに、
体を突かれ蝕まれている様子を見た。
その箇所の経典には、目連が「心に所念あり欣然として微笑せり。」と、
あります。
欣然とは喜ぶ様で、欣喜雀躍なんて四字熟語のそれです。
目連は阿羅漢になったほどだから、そのような苦しむ姿を喜ぶと言うのは、
なにか釈然としない。
これはむしろ「はは〜、やはりそうなのだ」と納得合点したものだと言えます。

その様子を見た勒叉那比丘が、目連にどうしましたかと質問しますが、
目連は、今は乞食中であるから師の元へ帰って再度質問しなさいと答えます。
さて目連が、
釈尊の前で本日の托鉢道中で、これこれこのような衆生の肉段を見たとの話しをすると、
これを聞いた釈尊は、
「よろしい、今、目蓮が言った事はその通りであり、まぎれもない事実である」と、
答えられた。
そして続いて釈尊は、
 『この者は生前この地で戦争を好行していた者である。
  この業(カルマ)によって彼の者は長らく地獄に落ち、
  今、ようやくこの世界に届って来るも、
  その余罪によって先の苦しみを受けているのである。』
さらに釈尊は続けます。
 『よろしい、僧たちよ、今、目連が言った事は全て事実である。
  修行に通達して完成が成されれば、このような世界を見るのである。
  そして、私もまた、このような衆生を見るのである。
  しかしながら、滅多な事では私はこのような衆生の話はしない。
  何故ならば、如来の言葉を信じず疑念を起こす者は、
  愚痴の人となり悪業になって苦を受けてしまうからである。』

信者さんもこの釈尊の
『如来の言葉を信じず疑念を起こす者は、
 愚痴の人となり悪業になって苦を受けてしまうからである。』
という部分によく刮目してください。
これが、身見からくる疑惑であり、邪教を信じてしまう戒取となる煩悩です。
釈尊の正しい教説を疑うのは、身見や戒取に依所しそれを欲しているから、
どれもこれもそれは欲であり煩悩です。

しかも桐山さんは、これを信者脅迫の根拠として吹聴活用しています。
これでは、まるで三結を奨励しているようなものです。
このような釈尊の大事な言葉を平気で省略して信者を騙す。
三結が薄らいでいたり切れていたなら、このような諸行は出来ない。
勇気があるんですね、桐山さんとは。

265ラシン:2011/02/07(月) 18:13:47 ID:x9FuHHv20

れは中国の北傳雜阿含508經です。
ネット上にあったのでコピペできました。
ここにおいても霊魂に該当する経句はありません。
経題は「好戦経」ではありませんが、分かりやすいので、
一応タイトル付けしました。
又いくつかの中国簡体字は、現代漢字に直してあります。
ご参照ください。

ー雑阿含経「好戦経」抜粋ー

尊者大目?連語尊者勒叉那,
「我路中見一衆生,身如重閣,啼哭號呼,憂悲苦痛,乘虚而行,我見是已,作是思惟
『如是衆生受如此身,而有如是憂悲大苦。』故發微笑。」
 爾時,世尊告諸比丘,
「善哉!善哉!我聲聞中住實眼、實智、實義、實法,決定通達,見是?生。
 我亦見此衆生而不説者,恐人不信,所以者何 如來所説,有不信者,是愚癡人,長夜受苦。」
 佛告諸比丘
「過去世時,彼大身衆生在此王舍城為屠牛兒,以屠牛因縁故,於百千歳墮地獄中,從地獄出,
 有屠牛餘罪,得如是身,常受如是憂悲惱苦。

そして信者さんも、
「我亦見此衆生而不説者,恐人不信,所以者何 如來所説,有不信者,是愚癡人,長夜受苦。」
との釈尊のことばをよく注意して護持することです。

266ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/07(月) 20:52:15 ID:SmEF4Oe2O
>>262:準シュダオン11/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>それは、私、入行前は無神論の合理主義者でね、運命や霊視などの話は、
>幻覚に過ぎん、と笑い飛ばしていた。ところが、八方塞がりとの言葉が
>あるけど、無神論の天罰か、入行する頃は六方塞がりの状態で、私は、
>窮してたのですよ、で、管長の信仰しなくても、密教修行で超能力を持て
>る、悪運命の星を変えられる、との本を読んでね、入行したのです。
>超能力を身につけて、私の六方を塞いだ悪因縁の星を叩きつぶそうと考え
>たのです。

あなたに新たに付ける反レスはいろいろあるのですが、今日はこちらについて
レスしたいと思います。
私はこのレスは今まであなたが書いてきた中で一番素直で自然なものと思われ、
私はいささか感動すらしているのです。
こういう素直な告白の態度ならばかつての同志同類として対話が成り立つような気がします。
あなたの入行に至る心の変化などの経緯は干柿さんよりも私が質問しました。
ただ正直に言うと、それを訊いた私の真意は、失礼だが話に嘘がないだろうか
という検証なんですね。
まああなたは話をごまかすことは得意でも嘘はそうつかない人だと評価しています。
星まつりの現地修行なんて昔飽きるほどやったわいなんて嘘はつかずにもっぱら
一般論めいた話でごまかすだけですから。
しかしわかりづらいところがあったのです。
あなたが入行前は唯物論者だったことはあなたの書き込みで知っています。
かつ入行前に霊視ができたこともあると書いている。
この辺をどう整理して理解しようかあれこれ詮索するよりはあなたに訊いた方が
確実だと思ったのですね。
今回の告白でもよくわからない部分がある。
あなたは合理主義者だった。
しかしあるふとしたことで霊みたいなものを見てしまったこともあった。
しかしあなたはそれは幻覚ではなかろうかと自分で頭を整理していた。
それにのめりこむようなことはなかった。
そうこうしているうちに六方塞がりの行き詰まりを感じた。
入行前にある占い師に占ってみてもらったら当たっていた。
それで合理主義者であった自分も運命を信じざるを得なくなった。
今の苦境も運命か?ならば運命転換を説く超能力者桐山靖雄を著書で知り
これに賭けてみようかと思った。
こんな感じなんですかね?

267ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/07(月) 21:58:28 ID:SmEF4Oe2O
>>262:準シュダオン11/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>でもね、批判派は欲望と煩悩を混同してると思いますね。
>欲望=煩悩ではないのですよ。
>それに、1我見2疑惑3戒取4貪欲5瞋恚、の順番に断って行かねばいけない
>のに、三結さえ切れていないのに、批判派は何かというと欲望を否定するで
>しょ。わたしに言わせれば、欲望を断てなんて言うのは十年早い、ですよ。
>そう言う前に、我見疑惑戒取を断じてシュダオンになりなさい、ですよw。

これはあなたの考え方が根本的に間違ってますね。
煩悩とは欲望だけではないが、欲望の占める位置はかなり大きいです。
それよりも欲望の制御は後回しでよいというのが間違いです。
これは入門と同時に始めねば意味ありません。
三結の誤認識を断ってシュダオンになるまでは手をつけなくてもよいなんてことはない。
野放しでいいわけがない。
ただ三結煩悩とは誤認識の問題だから、これは認識を改めるように努めれば
切れるものであり、比較的簡単と言える。すぐに悟る人もいる。
対して欲貪などは感情面に根ざすものだから頭でわかっていてもだからと言って
すぐに改められるものでない。やはりそれなりに時間はかかる。
しかしだからと言って最初からチャレンジに取っ付くのを諦めるのではなく
これは最初から意識してとりかからねばならない。
それがなくなる時間の問題であり、決して第一関門を突破した者しかトライしては
ならないなんて話ではない。
そう考えるのは屁理屈をこじつけて、欲望制御を後回し後回しにして、その実
そんなことはやりたくない逃避の証明です。
これもまた煩悩ですね。
だいたい三結煩悩って何ですか?
一つ一つ解説してごらんなさい。
そしてこの三結を切るにはどうしたらよいと思うか?
どうして二十うん年もかけてこれが切れないのか?
切れないから欲望なんてのはそのままにしていていいわけがない。
だとすると釈尊は何十年でも欲望を放置しておいてよい道を提示したことになる。

268ラシン:2011/02/07(月) 22:19:24 ID:zTmpX2G20
>266
>まああなたは話をごまかすことは得意でも嘘はそうつかない人だと評価しています。

横レスですが、大いに意義あり!

-誤魔化す-
大辞泉:
本心を見やぶられないように、話をそらしたり、でまかせを言ったりして、
その場やうわべをとり繕う。
三省堂辞書:
欺く 偽る まやかす 瞞す 取り繕う 欺瞞 瞞着 
〈失敗を〉糊塗する⇒偽る 

御覧のように誤魔化すことは、ただウソをつく行為だけではなく、
ウソをつく行為+他者を害するものです。

その最たる人が、詐欺師たる桐山さんです。
同様に、
感電障害原因なのか、今やその言動は掲示板においてさえ迷惑千万!
 
先述したことがありますが、霊視出来る人は私でも知っていた。
それが釈尊の目的手段に役立たないことも皆さん周知の事実です。
その人は霊視出来てしまう状況をとても嫌がっていました。
うるさいのだ、と困窮困惑していた。
批判側も神秘や世の不思議を闇雲に否定したことはない。
ただ、桐山さんのそれは、ただのハッタリと究明した。
詐欺の道具でしかない。
ここの電波老人さんは、詐欺行為こそしていないだろうが、
自己顕示欲の増長は、見ていて顕著です。

ユビさんらしくもない、ここの御方がウソつきではないとは賛同しかねます。

269ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/07(月) 22:51:27 ID:SmEF4Oe2O
>>260:準シュダオン11/02/07(月) 13:29:56 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさんが、退会したあとの解放感について、レスしていたが、その
>気持ちが分らぬでもない。束縛されていたから、解放感があるわけです。
>実は、わたしも十年近く前だろうか、辞めようか?と、考えたこともある。
>辞めた後の自由のことを想像したら、気楽でいいだようなあ、と思った。
>が、踏みとどまった。あの時点で、私が退会していたらたぶん、ユビキタス
>みたいに解放感を味わっていただろう。しかし私が今、退会しても解放感は
>ない。今は束縛感がないからです、解放感など生じようがないのですよ。

たぶんあなたとは根本的に異なると思います。
と言うのは私はあなたのように束縛感からやめたいなんて思ったことがない。
そもそも絶対にやめたくなかったわけです。
ただ再入行してから一時、疑問に思ったことがある。やれ因縁が悪い霊障が悪い。
切った切った、よくなった。
これって本当に自分の為になっているのだろうか?
そんなことじゃいつまで経っても成長しないんじゃないかと思った。
ちょうど廣野さんの批判本も出たあたりで、私は寧ろ積極的に読んだものでした。
総本殿の落慶法要は席まで用意されて案内が届いたが最初から欠席で返送しました。
この時期は行もしていないし、例祭含めて道場に足を運んでいない。
しかし冥徳供養が始まった後あたりからまた再開するようになり、
それからは富士山の標高3776を抜く日数の連続勤行を続けましたが。
あなたの考えを借りるならば、疲れたら休めばよいわけで無理はせずマイペース
で乗り切ってきたわけだ。
私が擁護側信者として教団に否定的批判的なことを書いた時、同じ信者でアドバイスを
してくれた人がいた。
「ユビキタスさんは今そんなにお困りのようでもないし、熱心にやることはやめて、
不真面目にやるくらいのつもりで退会だけはせずに、存続だけしてもよいのでは?」
というものでした。
しかし彼にアドバイスされるまでもなく私はそういう選択肢まで自分で考えていたのです。
やめてしまったらまた戻るのもしんどいし。本物だったらどうしよう?捨てたら惜しい。
でも考えたんですよね。そこまで考える情けない自分って何?
いい加減に自立しようよ。惜しいと思うそれを敢えて捨てる勇気を持とうよ。
そして過去スレを読んで決断した。詐欺の加担はごめんだと。

270ラシン:2011/02/07(月) 23:36:16 ID:zTmpX2G20

釈尊が唯心論者なんて考えることじたい、
桐山さんの刷り込み患者の証明です。
それが先に示した「好戦経」でも理解できます。
世に不可思議はあるが、それがどうしたという姿勢です。

解脱に役立たず、それでいて摩訶不思議を話して弟子を
混乱させ、それで衆生まで迷わし、疑義を生じさせたらそれが、
相手の業をつくる元となるから話さない。
しかし、
釈尊は世の倣いを真っ向否定するのではなく、
相手の境涯身分に合うように話を進めて納得させる。
それこそ知恵を以て、当意即妙に相手の得心合点を促す。
オカルト話しで脅迫もしなければ、強要もしない。
ニセ唯物的行為は、スローガンの連呼など団塊世代教育の悪弊、
ただの夢・幻と言う非現実性と非日常性にしかすぎません。

私は自治労のトップと仕事上付き合いはあったが、その労働貴族ぶりには、
甚だ驚愕させられた。
唯物的イデオロギーの、その凄まじいエナジーには金満主義フルカラーです。
スーツはウン十万円の仕立など当り前、自宅も億を超す豪華贅沢。
銀座の飲み代は、出入り業者にツケ回し。
誰かに似ていませんか?
階級闘争と宗派闘争は、あまりにも相似している。
単に収奪される人種が、労働者か信仰者かの違いがあるだけで、あとは遜色がない。

因縁解脱のない仏教など価値がないと豪語する人は、
社会に不平等を根絶できぬ政治など意味が無いと言うに等しい欺瞞がある。
釈尊は業になど囚われない差別なき修養の生活を全うした。

271ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/07(月) 23:50:47 ID:SmEF4Oe2O
>>268:ラシン11/02/07(月) 22:19:24 ID:zTmpX2G20
>ユビさんらしくもない、ここの御方がウソつきではないとは賛同しかねます。

もちろん相手を誑かし目眩ませているのだから、正直な人ではありません。
しかしここでは敢えて非常に狭義な嘘の話に絞っています。
それは桐山さんみたいな自分の身の上に関する作り話です。
きわめて具体的な話をするのだが、いかんせん作り話の嘘です。
準シュダオンさんはこれが顕著とは言えない。
バイブレーションも脳梗塞の軽い前兆発作で説明がつくし、この人が幽霊を見たとて
だから何?ということで嘘にする必要もない。
ただ唯物論者と霊視のギャップを埋める理屈を自ら説明してくれると変な嘘つきと
誤解を受けることがないので、私は彼に助け舟を与えたつもりです。
さて私らがおまえ、星まつりの現地修行なんかやったことがないだろう?と
準シュダオンさんに突っ込んだ場合、彼は作り話の嘘で切り抜ける手もあるんですね。
やったわい。えーと、会場係と交通係と・・・。
しかしそういう事実に反する嘘だけは言わない。
言うのはやり過ぎはよくないだの、与えられた役ばかりが梵行だろうか?
なんて一般論でごまかす。
これを読めば、要するにやったことがないのねと誰でもわかる。
もちろんやったことがないとは認めない形だが、しかしやったことはある
という嘘だけはつかないのです。
こういう点だけは、まだ完全に腐りきってないと評価するのです。
私は議論相手に対して甘いですから。
レベルは低くてかまわないから、もう少しマトモになろうねという呼びかけのつもりです。

272深山:2011/02/07(月) 23:59:16 ID:p.g4hXzM0
>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>でもね、批判派は欲望と煩悩を混同してると思いますね。
>欲望=煩悩ではないのですよ。

また知ったかぶりのお説教が始まった。
いったい準シュダオンさんは誰に向かって、何のお説教をしているのだ?
ここが準シュダオンさんの根性の悪い所なのです。
相手が言ってもいないことを勝手に作り上げて、お説教を始める。
現実社会であなたはずっとこれをして、どれほど嫌われたか気がついていない。
批判側がいつ「煩悩=欲望」だと言いましたか。
欲望は煩悩です。
だが、煩悩が欲望だけでないなんて当たり前ではないか。
三善根の所で貪瞋癡が煩悩の三毒として出しているように、
欲望とは貪であり、煩悩の一つです。
欲望だけが煩悩だなんて言っていません。
だが、欲望が煩悩の中で特に重要であることは、
貪瞋癡の一つになっていることから見ても明らかです。

273深山:2011/02/08(火) 00:02:06 ID:p.g4hXzM0
>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>でもね、批判派は欲望と煩悩を混同してると思いますね。
>欲望=煩悩ではないのですよ。
>それに、1我見2疑惑3戒取4貪欲5瞋恚、の順番に断って行かねばいけない
>のに、三結さえ切れていないのに、批判派は何かというと欲望を否定するで

準シュダオンさんに何を言っても無駄だろうが、読んでいる信者さんたちが
この準シュダオンさんの三結についての知ったかぶりのインチキ講義を
本気にするといけないから、説明します。
それは、五下分結をこの順序で切っていくのだという準シュダオン説の嘘です。
この人はどうしてこういういい加減なことを、まるで自分の高い知性で
見いだしたかのように自慢しながら書くのだろう。
準シュダオンさんは身見、疑惑、戒取を切ってから、
欲貪、瞋恚を切っていくのだと思いこんでいる。
さすがは三結が満載のアゴン宗の信者だけのことはある。
準シュダオンさんの意見に賛成した信者さんがいるならお聞きするが、
釈尊がいつこの順序に切ると言いましたか。
桐山さんが出家経を引用していますから、和訳の部分を読んでください。
釈尊は五下分結をこの順序に切っていくなんて一言も言っていない。
この順序である必要などありません。
捨てられる煩悩から捨てていくのです。

274深山:2011/02/08(火) 00:05:07 ID:p.g4hXzM0
>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>それに、1我見2疑惑3戒取4貪欲5瞋恚、の順番に断って行かねばいけない
>のに、三結さえ切れていないのに、批判派は何かというと欲望を否定するで

信者さんたちがぜひ理解してほしいのは、
釈尊は教条的な説き方をした人ではないという点です。
教条的とは、三十七道品のように体系的に修行法を説いた人ではない、という意味です。
煩悩もそうです。
十結に分けて、それを順序よく切っていくなんて、バカな説き方はしない。
釈尊の目的とは、煩悩を捨てろ、断ち切れ、です。
だから、その条件に合うことなら何でもいいし、これに合わなければ、
どんなご立派な話もダメです。
ところが、信者さんたちは三十七道品という大系を釈尊が説いたなどと
桐山さんから教えられているから、学校の教科書のように大系付けられ、
順序に沿って教えているのだと思いこむ。
インド人は数字が好きだから、なんでも数字に置き換えると、
信者さんたちはそれはその数に意味があると思ってしまう。
たとえば、三宝に帰依するというと、三種類に帰依すると信じていませんか。
違います。
あれは一つのことに帰依することを三度繰り返しているだけです。
煩悩が貪瞋癡と分類されると、煩悩とは三種類あるのだと思っていませんか。
これも違います。
貪も瞋も癡も同じことを切り口を変えているだけです。

275深山:2011/02/08(火) 00:10:04 ID:p.g4hXzM0
>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>それに、1我見2疑惑3戒取4貪欲5瞋恚、の順番に断って行かねばいけない
>のに、三結さえ切れていないのに、批判派は何かというと欲望を否定するで

五下分結の説き方も同じです。
単に、修行の階梯を順序立てて説明しているだけで、
この順序で捨てなさいなんて一言も言っていない。
その証拠に、たとえばサーリプッタなどは簡単な詩句を聞いただけで、
教法を理解し、短時間でアラハンになった。
最初に帰依した五人の比丘も、おそらくは数週間でアラハンになった。
どうしてかわかりますか。
それ以前から、欲望や怒りを抑えるという修行をしていたからです。
欲望や怒りを制御するなど、釈尊だけでなく、当時の普通の宗教で
いくらでもしていた。
ウパニシャッドでは欲望を抑制することの重要とされ。
釈尊よりも百年も前と言われるヤージュニャヴァルキヤなどがすでに説いている。
だから、まともな宗教なら欲望を抑えるなんて、当たり前すぎるほど当たり前のことです。
アゴン宗のように欲望を増大させる宗教は当時からレベルの低い宗教で、
心ある出家した人たちは最初から相手にしなかった。

276深山:2011/02/08(火) 00:13:54 ID:p.g4hXzM0
>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>それに、1我見2疑惑3戒取4貪欲5瞋恚、の順番に断って行かねばいけない
>のに、三結さえ切れていないのに、批判派は何かというと欲望を否定するで

最初の五比丘が釈尊を見捨てた理由は、釈尊が乳粥を食べたことを見て、
食欲に負けた、欲望に負けたとみなしたのです。
この彼らの反応を見ればわかるように、彼らも釈尊に教えられるまでもなく
欲望を制御するなんて当たり前だと思っていた。
だから、欲貪や瞋恚を抑えるなんて、三結を切る以前に、ある程度は実行できることです。
五下分結は身見から順序よく切っていくなんて内容ではなく、
これらは同時並行的に切っていくものです。
ただ、三結については知識によってある程度捨てることのできる煩悩だから、
桐山教を絶対に信じている人たちには無理だが、
釈尊の教法をあるがままに信じる気のある人なら、ある意味切りやすい。
自分の本質が魂で出来ているなどという外道の思想を捨てて、
釈尊の漏尽解脱こそが本当の解脱だと信じて、
護摩を焚くなどの外道の宗教を捨てるだけです。
それに比べて、欲望や怒りなどは、煩悩の大御所のようなものだから、
なかなか捨てるのは難しい。
だから、四番目と五番目に来ているのです。

277深山:2011/02/08(火) 00:17:01 ID:p.g4hXzM0
>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>それに、1我見2疑惑3戒取4貪欲5瞋恚、の順番に断って行かねばいけない
>のに、三結さえ切れていないのに、批判派は何かというと欲望を否定するで

欲望を全部捨てろと言われたらたしかに大変だが、減らすことはできます。
護摩木祈願などしなければいいのです。
焚き火に祈るというその行為自体が欲望です。
祈りなどときれいな言葉にごまかされているが、ただの欲望です。
私も信者さんたちも有り余るほど欲望を持っているのに、
さらに護摩木祈願をして欲望を増やして何なるのだ?
欲望を絶無にはできないが、元々、持っていなかった欲望なら簡単に捨てられる。
護摩木祈願なんて信者さんたちは元々持っていなかった欲望です。
護摩木に限らず、冥徳供養、因縁切り、霊障解脱など
全部、元々信者さんたちが持っていなかった欲望です。
護摩木祈願をやめ、星まつりにいかなければ、それだけでも
信者さんたちの欲望は減る。
このように三結を断じていなくても、簡単に欲望を減らすことができます。

278深山:2011/02/08(火) 00:21:24 ID:p.g4hXzM0
>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>それに、1我見2疑惑3戒取4貪欲5瞋恚、の順番に断って行かねばいけない
>のに、三結さえ切れていないのに、批判派は何かというと欲望を否定するで

三結を減らすのはもっと簡単です。
信者さんたちは、今すぐにも三結は簡単に捨てられる。
人間の霊魂は魂魄でできており、死んだらその片割れがどこかに
飛んでいき、霊障のホトケになるなんて信じるのを身見というのです。
身見について桐山さんは小難しい説明をしているが、
そんな話ではなく、今の信者さんたちの霊魂信仰こそが身見です。
身見を捨てたら、不成仏霊の成仏なんて何の意味もないと気がつく。
桐山さんの真似をして、釈尊の漏尽解脱を小解脱だ、倫理道徳のオシエに
すぎないなど罵倒するのをやめれば、疑惑という煩悩が減る。
因縁解脱、護摩、占い、死者成仏などという外道の宗教を捨てれば、
戒取という煩悩を減らすことができる。
星まつりに護摩木祈願するとか、参拝や修行をやめれば戒取が減ります。
批判側の元信者たちは、このようにして、三結を大幅に減らした。
信者さんたちはアゴン宗にいることで、五下分結という煩悩を
普通の人たちにもはるかに多く背負ってしまった。
だが、背負った物だから、下ろすことは簡単です。
五下分結を減らすのに順序など関係ない。
桐山さんから背負わされたこれらの煩悩を捨てただけでも、
五下分結のいくつかは大幅に減ります。
信者さんたちは五下分結を減らすのが修行の目的なはずです。
さあ、減らしましょう。

279ラシン:2011/02/08(火) 00:40:56 ID:zTmpX2G20
>271 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU
>もちろん相手を誑かし目眩ませているのだから、正直な人ではありません。
しかしここでは敢えて非常に狭義な嘘の話に絞っています。
>こういう点だけは、まだ完全に腐りきってないと評価するのです。
私は議論相手に対して甘いですから。
レベルは低くてかまわないから、もう少しマトモになろうねという呼びかけのつもりです。


なるほど、ユビさんの心根が理解できる姿勢で了解です。
ただ、豚もおだてりゃ木に登るの例えじゃないが、
そのユビさんに対して、不遜であり失礼極まりないから横レスしました。
ユビさんへ突っ込めば、必ず真意表明が出るはずだとね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

>273 :深山
>釈尊がいつこの順序に切ると言いましたか。
桐山さんが出家経を引用していますから、和訳の部分を読んでください。
釈尊は五下分結をこの順序に切っていくなんて一言も言っていない。
この順序である必要などありません。
捨てられる煩悩から捨てていくのです。

さすがは深山さんで、目から鱗です。
私も漠然ながら、身見→疑惑→戒取 なんて思い込んでいた。
語呂合わせ的に、解釈しやすかったので、そこに目が行ってなかった、
というのが正直な気持ちです。
私も教条的視点を捨てきれていない証拠でした、感謝します。

280ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 07:59:58 ID:SmEF4Oe2O
>>256:準シュダオン11/02/07(月) 12:29:03 ID:1F7rdgXk0
>小学館「バウッダ」によれば、神や神秘や超自然的なことは、ことごとく、
>釈尊は排除してる、とのことですが、だから、学者先生の言うことを鵜呑み
>にして信じてはいけない、というのです。自分で確かめなさい。
>ならば、阿含経にしばしば出てくる「・・得阿那含 種種神通界 天眼天耳」
>なんていう、釈尊の言葉を何と理解するね?
>種種神通界天眼なんてのは、神秘的でも超自然的でもない、というのかいW?
>だから、学者先生を鵜呑みにするなというのよw。

神通を得ることと超自然的な力に頼ることとは異なります。
釈尊が否定したのは依存です。
ところが修行の過程において神通を得ることは実は仏教の目的である解脱、
苦の解決と何の関係もありません。
神通力ってどんな神通が得られたか知ってますか?
阿含経典にいくつでも記述ありますよ。
空を飛ぶ、壁をすり抜ける、身体が巨大になる、逆に微細になる、一身が多身になり
多身が一身になる、他人の心が読める、見えないものが見える・・・これらの力が
苦の滅の何の役に立つのか?
それに神通力は得られないでいながら、最高のアラハンにまで到達した弟子もいる。
解脱には関係ないあってもなくてもよい副産物みたいなものです。
こういうことを学者も知っているのです。

281ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 08:30:01 ID:SmEF4Oe2O
>>256:準シュダオン11/02/07(月) 12:29:03 ID:1F7rdgXk0

>私が提示した、縁起滅の話は、辞典の解説を、経典で実証したのですからね。
>私の場合は、学者の意見ではなく、学者の経典訳を示したのです。

これですよね。

>>235:準シュダオン11/02/06(日) 16:51:03 ID:1F7rdgXk0
>「比丘たちよ、わたしはいま、汝らのために縁起を分別して説こうと思う。
> 汝らはそれをよく聞いて、思念するがよい。比丘たちよ、縁起とは何で
> あろうか。比丘たちよ、無明に縁りて行があり、行に縁りて識があり、
> 識によって・・・(以下、12因縁について3頁も説明がされています
> が長いので省略して結論部分を記します。( )内は準シュダ註)・・
> ・・老死は滅し、愁・悲・苦・憂・悩もまた滅する。かくのごとくにし
> て、すべての苦しい人間存在は滅する。」
>どうですか?これが仏教の目的、縁起滅なのです。仏教辞典の「さとりと
>は縁起の滅した世界」との説明の正しさが解かるでしょう。釈尊は、縁起とは
十二因縁のことであり、それが苦の生じる構造であり、それを滅することを
教えているのです。そのための煩悩解脱なのです。

この経典の説くことは縁起の法則であり、縁起の法則を用いて苦の滅を説いたのです。
縁起の法則を滅したのではない。
と言うのは桐山さんも提示しているが、釈尊の悟りである縁起の法則とは「これあるによりてこれ生ず、これなきによりて
これ滅す」です。
これ生ずが物事の生起の法則ですよね。しかし釈尊は生起だけでなく滅も説く。
これ滅すの法則です。これを含めて縁起の法則としており、これは悟りなんです。
だから厳密には縁起縁滅とでも表現した方がいいのではないですか?
この縁起縁滅の法則(存在と生滅の法則)に苦をあてはめたのが十二縁起です。
これによって出る回答は生まれ老死する苦を滅したくば、遡って無明や渇愛などの
煩悩を滅すればよいというのは、真理の法則の活用です。
だから縁起の法則を滅してしまったらなくなるはずのものもなくならなくなってしまう。
朝日が昇ってきたら、その太陽熱の上昇により草木は枯れ人間も凍死したなんて
因果関係もムチャクチャな話になる。
煩悩を滅したら苦が増えたなんて話になる。
ところがそうならないのは縁起の法則という真理が生きているからこれを活用
する。

282ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 08:37:11 ID:SmEF4Oe2O
>>257:準シュダオン11/02/07(月) 12:50:05 ID:1F7rdgXk0
>それから、煩悩解脱について、肝心なことですが、大きく分けて、次の三つの
>違いがあることを知らねばいけません。


>つまり、前期大乗仏教の、煩悩からの解放を「さとり」とする仏教解説を信じ
>こむと、それが正しい仏教だと、勘違いしてしまうのです。
>そのことを専門に解説学者が多い。
>どうやら、ユビキタスさんなどは、その学者を信じ込んだようですw。

あのね、三枝先生のバウッダといい、阿含経のみに見られる思想の特徴と後世の
大乗思想は章立てして厳密に分けてそれぞれを論じているから、混同する暇がないのですよ。
あなただけですよ。大乗の思想と混同してるのは。
輪廻からの脱却とは死後もう生まれ変わらないことです。
人間にも動物にも神(天)にも生まれ変わらない。
苦が楽になることではなく、苦楽を超越する。苦も楽もなくなる。
感じる本体がないのだから。

283ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 08:45:55 ID:SmEF4Oe2O
>>235:準シュダオン11/02/06(日) 16:51:03 ID:1F7rdgXk0
>なお、○○の因縁を12因縁のメカニズムに当てはめて説明するのは、非常に
>困難です。12因縁だとて、学者で諸説に分かれています。わたしもボンヤリ
>としか解明できていない。ただ、8渇愛9取10有・・の取(執着)のところ
>に「我・我見に執着」という因縁があって、それも輪廻を起こす大きな原因
>です。今の批判派の状態が、それだと思われますね。

説明できなければ意味ありません。
全ては生→老死に完結されます。
この場合、生は生きるではなく、生まれる、生じるです。
この世に生を受けて生まれてくることです。
それ自体が無明に始まり渇愛によるものとしている。
不幸な運命も幸福な人生もそんな区別はないのです。
区別があるならば、そこのところをわかるように表現するはずです。
そして生の滅とはもう生まれてこなくなることであり、不幸な条件だけつぶして
生まれてくるわけでもないし、ましてや生まれてから運命を変える話にならない。
以上はBooさんの試論の反論にもなります。

284ラシン:2011/02/08(火) 11:00:44 ID:x9FuHHv20
>>264-265
我亦見此衆生而不説者,恐人不信,所以者何 如來所説,有不信者,是愚癡人,長夜受苦。
『しかしながら、滅多な事では私はこのような衆生の話はしない。
 何故ならば、如来の言葉を信じず疑念を起こす者は、
 愚痴の人となり悪業になって苦を受けてしまうからである。』

私の拙い口語訳ですが、意味はそう違っていないと思います。
しかし、ここで補足説明をさせていただく必要性を考慮し追記します。

特にアゴン宗信者さんは、仏罰とか、やはりブッダの諸説を守らんと、
地獄に落ちるんだ、などのオカルト話しと混同されたくないからです。
準シュダオンさんなども、知ってか知らずか過去に如来の諸説を聞かないと、
悪趣に墜ちるなんて、お経にあると述べていました。

この「如來所説,有不信者,是愚癡人,長夜受苦」を
よく読んで欲しい。
実に当たり前の注意を促しているだけに過ぎない。
これが、釈尊が罰を与えるなどと拡大解釈してもらっては
困るからです。

理由は、釈尊の教説こそ唯一、苦を克服できる法です。
その道以外に解脱へ至る道はありません。
ゆえに、
結局は「如來の所説」を信じない=仏道を歩まない→四果を得られない。
結果は長夜に輪廻して苦の本際を知らず、苦からの解放を達成できません。
このように釈尊は心配しているに過ぎません。

修道していく最中で、神通を得る者も居ればそうでない修行者も居ます。
ですから、むやみに業苦を受けて死んだ者の話しをしても、
見ることの出来ぬ者には、釈尊の話しを信じることが出来無かった場合、
それで修業が進まぬ結果をもたらせば、当然それは苦の解決に至らない。
決してどこかのオカルト的な仏罰の話しでもなく、修業脱落を防止する対処です。
釈尊が仏罰を与えたり利益を与えるのではないとの逆説的な例えと言えます。

285Boo:2011/02/08(火) 12:22:34 ID:o0kBxmw.0
>全ては生→老死に完結されます。
>この場合、生は生きるではなく、生まれる、生じるです。
>この世に生を受けて生まれてくることです。
>それ自体が無明に始まり渇愛によるものとしている。
>不幸な運命も幸福な人生もそんな区別はないのです。
>区別があるならば、そこのところをわかるように表現するはずです。
>そして生の滅とはもう生まれてこなくなることであり、不幸な条件だけつぶして
>生まれてくるわけでもないし、ましてや生まれてから運命を変える話にならない。
>以上はBooさんの試論の反論にもなります

ここですね、私が当時考えたのは。
どういう具合かと言いますと「癌の因縁」の無明があると、癌の因縁となる「行」(運命を
人生のうちに現実化する因子)を集め、そのような(無)意識をもつようになり、癌の運命を
実現させる(人)生を送る。そうして時間の経過とともに(老いることにより)癌を発病し
癌の死因で死に、その餓鬼界の生死を繰り返す。このたびは癌の因縁だけを人生のすべてに
置き換えて考えますが、実際の人生はいくつかの○○の因縁とその強さ程度、その因縁の
発動する時期が複雑に絡まって、生死を繰り返す。とまあ、こんな具合ですね。

では、再度尋ねます。

準シュダオンさん。それでも私が退会したのはなぜでしょう?

286準シュダオン:2011/02/08(火) 12:40:07 ID:1F7rdgXk0
本日は、271以降の、ユビキタスさんだけのレスを見て、レスしますよ。
国会論戦を見るし、仕事もあるからね。
先ず、嘘つく人は、相手も嘘つきだと思いがちです。だから、私が嘘ついてる
と思う人は、嘘つきだって、ことです。嘘つき合戦しながら、レスして時間
の無駄使いする暇は、私にないよw。

唯物論者と霊視のギャップ?そんなの簡単ですよ。超能力、エスパー的発想
ですよ。霊視できたときも、神仏などは考えなかったですよ。入行初期は、
輪廻や仏なんて、信じていなかったですよ。映画のスーパーマン的考えです。

神秘的な力に依存しないことね、その考えなら解かりますよ、その通りです。
私はそういう力に依存せよ、なんて、一度も言ってないよw。ただ、そういう
力の存在を、自分に無いからといって否定してはいけない、ということです。
また、依存するのではなくて、12因縁を理解するには、そういう力がゼロ、
では理解不能だと思いますね。

今は、理解不能だとしても、将来は理解可能だと思いますから、12因縁に
ついてレスしますか。管長の輪廻転生瞑想法を批難するということは、批判派
は、解脱とは輪廻から解脱することだと、解かっているわけです。
しかし、大乗になると、それが曖昧になっていきます。
解脱=涅槃は、空の体得とか、煩悩を離れた正しい認識、唯識、とかね。

287ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 13:13:07 ID:SmEF4Oe2O
>>286:準シュダオン11/02/08(火) 12:40:07 ID:1F7rdgXk0
>先ず、嘘つく人は、相手も嘘つきだと思いがちです。だから、私が嘘ついてる
>と思う人は、嘘つきだって、ことです。嘘つき合戦しながら、レスして時間
>の無駄使いする暇は、私にないよw。

だから私はあなたをずる賢い人とは思っても作り話の嘘で取り繕うほど腐ってない
と信じたいから、そういう誤解を少なくするように、わかりやすく説明してください
と言っているわけです。

>唯物論者と霊視のギャップ?そんなの簡単ですよ。超能力、エスパー的発想
>ですよ。霊視できたときも、神仏などは考えなかったですよ。入行初期は、
>輪廻や仏なんて、信じていなかったですよ。映画のスーパーマン的考えです。

要するに唯物論者だった時代に霊視できた。霊が見えた。
しかし唯物論者のあなたは神仏は信じなくても霊は信じていたのですか?
霊に見えたそれはエスパー超能力による何かに見えたものと解釈したのですか?
エスパー超能力は唯物論者としても信じていたのですか?
この辺に矛盾が感じられよく理解できないのです。
こちらはなるべく理解してあげたいのだが。

>しかし、大乗になると、それが曖昧になっていきます。
>解脱=涅槃は、空の体得とか、煩悩を離れた正しい認識、唯識、とかね。

誰も大乗の話なんかしてないて。
最初から最後まで阿含経で理解できる話しか論じていません。

288Boo:2011/02/08(火) 13:16:25 ID:o0kBxmw.0
先ほどのレスに補足いたしますと、○○の因縁を切る、ということは12因縁上の
餓鬼界なり地獄界なりの世界で輪廻転生しているわけですから、○○の因縁を切り
12因縁を解脱すると、それぞれに所属する世界での輪廻、癌の因縁であれば餓鬼界、
横変死の因縁であれば地獄界という具合に、それぞれの世界での輪廻が止み、最終
的にはすべての世界の輪廻が止まりニルバーナーに至る。

癌のタンハーなのか無明なのか判りませんが、その煩悩があると、その煩悩を実現化
する「行」なり「識」なりがその人に備わり、癌の人生を送り、老いて(癌で)死ぬ。
その「餓鬼界」の輪廻生死を繰り返す。とまあ、こんな具合ね。

どう?準シュダオンさんの飛んでも解釈よりずーっと説得力あるっしょ?

289準シュダオン:2011/02/08(火) 13:24:10 ID:1F7rdgXk0
12因縁には、諸説あるようですが、伝統的なのは説一切有部の、三世両重の
因果説だとか、いいますね。つまり、1無明2行は、前世の行為業だと、
いうわけです。その前世の業が因になって、現世の3識4名色5六処6触、
7受8愛9取10有、が形成されている、というわけです。
で、現世の3〜10有が因になって、来世の11生12老死を形成するのだ、
という説明ですね。

で、前世と現世と来世の三世に、因果が二つ(前世→現世と現世→来世)
重なっているから、三世両重の因果説、と呼ぶそうですね。
さぁ、生があるから老死がある、のは誰でも理解できるでしょう。が、
有(存在)があるから生がある、のは理解出来ないでしょう。
私なら、世尊に「えっ、生があるから有(存在)になるのではないですか?」
と、質問しますね。

ところが、釈尊の答えは違います。出産で生まれて来たから生があるのでは
なく、もともと有(存在)しているものが産まれてくると言います。
無から、受精した受精卵が成長して有(存在)になるのではなくて、
もともと形成されていた有から生が起こる、と説きます。
このあたりが、「業・カルマ・○○因縁」と関係してきますから、説明しても
理解が難儀で、理解が困難なのでしょう。
お釈迦さまも阿難に対して、「お前には理解はまだ無理だ、智恵を具えた
優れた比丘にしか理解できない」と説いてる経もあります。

私が経典を読んだ範囲では、釈尊は三世両重の因果説のようには説いており
ませんね。まぁ、あながち三世両重説も外れではないとは思えますけどね。
縁起の滅というのは、法則の滅という意味ではありませんwそのように
つむじ曲がりに解釈してはいけません。
お釈迦さまは、比丘たちに、「縁起とは何であろうか。無明によって行が
あり、・・・・生によって老死があり、苦しい人間存在の縁ってくるとこ
ろである・・・人間存在は滅する」と、説いてるのですよ。
お釈迦さまに、「それは縁起の説明ではありません」と、文句言うのですか?

290準シュダオン:2011/02/08(火) 13:49:09 ID:1F7rdgXk0
縁起の滅を、法則の滅と曲解してはいけません。
お釈迦さまが「縁起とは何か、それは無明に縁って行があり、・・・・
人間存在は滅する」というように、人間の存在と滅の原理を説明しています。
だから、縁起の滅とは、12因縁の滅のことだな、と理解できる徳性が必要です。
これは知性で理解出来る問題ではなくて、徳性で理解する問題です。
徳の無い人には理解できませんね。

私が、霊視というのは、死者を見たという意味ではありません。
そんなの、勝手に想像で見たら良いでしょうw。
そういう話は、私は、全く馬鹿にして、いたのです、で、私に起こった。
こんなのは人の話聞いて解かるものではありません。
そういうのは脳の病気だ、と断定するのが我見であり、
わたしは体験ないから、あるかないか知らない、と事実を認識するのを
自灯明といいます。

批判派には、我見があって、自灯明がないのです。

291ラシン:2011/02/08(火) 14:42:52 ID:x9FuHHv20
>>284
『しかしながら、滅多な事では私はこのような衆生の話はしない。
 何故ならば、如来の言葉を信じず疑念を起こす者は、
 愚痴の人となり悪業になって苦を受けてしまうからである。』

これの文語体のお経を見てみましょう。
 
 我も亦た此の衆生を見て、而かも説かざるは信ぜざるを恐るるが故なり。
 所以は何ん。如来の所説を信ぜざる者有らば是れ愚痴の人にして長夜に
 当に饒益せざる苦を受くべければなり。

ところが桐山さんは何と解説しているか?
間脳思考163頁で、

「そもそも『霊』の実在をみとめず『霊』の存在を説かない宗教家など、
 東西古今を通じて、いたためしがないのである。
 いたとすればそれは、三流、四流のエセ宗教家である。」
このように前置きして、霊のアンテナをキャッチ出来ぬ宗教家は、
宗教家ではない、とまで断言しています。
さらに、釈尊の重要な説法を捻じ曲げ、シャカは分からんやつには説かない、
と超然としていた、ブッダの発せられた言葉を信じない者は、仏罰によって
饒益せざる苦を受けるようになる。つまり地獄に落ちるようになる。
かように、釈尊の慈悲を曲解し脅しの道具にしています。

これは前述した、釈尊の教説こそ唯一、苦を克服できる法ですから、
その道以外に解脱へ至る道はありません。
だからこそ、「如來の所説」を信じない=仏道を歩まない→四果を得られない。
結果は、長夜に輪廻し、苦からの解放を達成できないとの当たり前の理由と
比較して、この桐山さんの短絡的解釈には目を見張る仕掛けが見て取れます。

地獄に落ちて苦しんでいたのは、戦争を好行していた者です。
戦争を生業とし、その道具で利益を得て扇動した者だということと、
この「如來の所説」を信じない者とは違います。
ですから、そこには仏罰も無ければ地獄へ墜ちるとの脅しも皆無です。

そもそも釈尊は無我を説いたのですから、永遠恒常の主体は無いのです。
あるのは、
煩悩によって形成された五陰が死んでも尚、継続するという事実です。
この「間脳思考」じたい、agama考察室で暴露糾弾された「異陰」の間違いを
霊魂と暗示し、刷り込んで、ギリシャ神話のプリメテウスの挿話を駆使し、
いかにも釈尊が霊魂の存在を説いたかのように操作偽装しています。
仙尼経に異陰を捏造 http://agama.zouri.jp/framepage9.html

是を見抜けなかった私は、仏教無知だった。
仏教の基本中の基本すら、自分で確認せず桐山説を丸かじり信じた結果です。

292準シュダオン:2011/02/08(火) 14:43:19 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんに、自灯明を生じさせるレスを試みてみます。
前にもレスしましたが、自分で仏教辞典の「因縁」の語を引いて見て
ください。
因縁とは、「仏教では、広くは原因一般をさす」と、説明してあるでしょう。
また、「因と縁は原始経典ではともに原因を意味する語であった」との
説明もありますね。

だから、いい加減に、因縁(縁起)を法則だけに解釈しないで、原因と解釈
したら如何ですか?
そうすれば、因縁解脱=原因解脱、ですね?
苦の原因解脱のことだな、と、すぐ理解できるでしょう。

293準シュダオン:2011/02/08(火) 14:58:32 ID:1F7rdgXk0
私は、星祭りの出仕修行は、ゼロに近いけど、ゼロではないですよ。
また、護摩木勧進とかでは、グッヅを頂ける程度にはしましたよ。
導き行も、少ないけどゼロではないです。
でも、他人のこういうことに関心を持つようではダメです。
そういう出来高で、修行が進むわけではないでしょう。
例え、教団がそういう基準で評価したとしても、教団の評価で己の境界が
決まる訳ではないでしょう。

要は、無理しない程度に、身の丈に合わせて、一生懸命修行したら良いの
です。ユビキタスさんには、阿含宗自体が煩悩であった、とのことですが、
そういう欲を描いた修行では、煩悩を増すばかりですね。

294ラシン:2011/02/08(火) 15:33:58 ID:x9FuHHv20

間脳思考165〜166頁

戦争を好楽する者の末路、と題して桐山さんは年配の質問者に、
次のように述べています。
まあ、どうもそれじたい作り物っぽいのですが。
質問内容は、戦争を好楽せず自分の本意で無く戦地に駆り出され、
それで殺生しても、同様なる地獄の責め苦を味わうのか?
桐山さんの答えは、戦争を好み楽しんだ殺生ではなく、
召集令でいやいや戦争に加担した者は、これには入らないが、
それなりの業受は覚悟すべきだから、成仏法要くらいは受けろ、です。
なんとも曖昧且つ無責任、釈尊の教法を無視した回答です。

ご存知のように、アングリマーラは確信的殺人を犯して千人近くも
他者を殺めたが、釈尊に帰依し終には解脱を得て安穏なる境地を得た。
彼を捕らえに来た波斯匿王と武官に対して、明解にその解脱者への
供養を確認させた。

何が「成仏法要」ですか、何が赤紙一枚で嫌々なのだ?
桐山さん自身は、結核をわずらい徴兵不合格で報国できぬ泥炭の悔しさを
味わったはずで、血涙したとまで言って恥じていた。
桐山さんの兵役逃れ疑惑は消えていないが、
その人が、靖国を参拝した? それだけなら誰でも可能だ。
国や家族を守るために散華した魂を、どうして焚き火で癒さないの?

アングリマーラは生存中に涅槃を得たのだから、どこにも転生しない。
だが他者を殺めたという業は消滅しないから、現世でその苦を味わう。
その現世での業苦、庶民からの暴虐無尽は当然ですが、
その姿を見た釈尊の言葉は、
「アングリマーラよ、忍び受けるがよい。
 なんじは、なんじの行為の報いによって、幾とせも幾とせも、
 他生において受けねばならぬ業果を、今現在において受けているのである。」

ーダンマパダ173ー
以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、
その人はこの世の中を照らす。 雲を離れた月のように。

295準シュダオン:2011/02/08(火) 16:10:24 ID:1F7rdgXk0
因縁(縁起)とは原因のことであると知れば、
釈尊が「縁起とは何であろうか。無明に縁って行があり・・・老死がある。
無明が滅すれば行が滅し、・・・人間存在は滅する」と説いた意味が、
解かるでしょう。
人間存在の原因であるところの無明を滅すれば、苦の人間存在は滅する、
ということ、無明=原因=因縁ということになります。
だから、因縁の滅は少しもおかしくありません。

さて、12因縁の11、生があれば老死があり、10有(存在)があれば
生がある、でした。つまり、死によって有が滅するものでないことが解かります。
有(存在)は9取に縁って、生じます。取とは、我と我見にたいする執着の
ことです。我見に対する執着から有(存在)が起こり、生が起こります。
ですから、批判派の皆さんは我見に執着していますから、有が起こり、生が
起こって来世も転生が間違いないでしょう。
この、有(存在)から生が起こる、という部分は、実は天眼が生じないと
理解不能でしょう。釈尊は、「天眼生じて、衆生がその業に縁り、五道を
往来するのを如実に見る」と、説いています。
つまり、天眼無しに、12因縁を如実に理解することは不可能でしょう。

解脱は神通力に依存しない、とは言えても、解脱知見が無いかぎりは四諦も
12因縁も理解出来ないのですから、阿那含以上の聖者になるためには、
神通力が絶対に必要になります。まぁ、斯陀含あたりまでは、神通は必要あり
ませんね。

296準シュダオン:2011/02/08(火) 16:24:56 ID:1F7rdgXk0
天眼生じれば、衆生がその業に縁り、五道を往来するのを如実に見る、と
言うのですから、業・カルマによって、それに応じた五道の運命の星を
受けることになります。また、釈尊は「苦厄老病死 此三悪道」とも説いて
いますから、人間界にも地獄・餓鬼・畜生道が存在していることを示して
います。

業と○○の因縁の、その具体的な因果関係は解かりませんが、
業を縁として、○○の因縁(運命の星)が形成されるということは、
経典から容易に読みとれると思います。

297Boo:2011/02/08(火) 19:20:26 ID:o0kBxmw.0
はい、ごくろうさまでした。準シュダオンさん。私の言っていることは理解できたようですね。
解説まで付けてありがとうございます。

で、12因縁と○○の因縁と「因縁解脱」の解釈は、準シュダオンさんが言ったあたりで、
最大限アゴン宗にとっては、都合のよい理屈になっていますね。

私はそこまで理屈付けはしたが、最終的に退会しました。それはどうしてかわかりますか?

298ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 19:27:16 ID:SmEF4Oe2O
>>290:準シュダオン
11/02/08(火) 13:49:09 ID:1F7rdgXk0
>縁起の滅を、法則の滅と曲解してはいけません。
>お釈迦さまが「縁起とは何か、それは無明に縁って行があり、・・・・
>人間存在は滅する」というように、人間の存在と滅の原理を説明しています。
>だから、縁起の滅とは、12因縁の滅のことだな、と理解できる徳性が必要です。
>これは知性で理解出来る問題ではなくて、徳性で理解する問題です。
>徳の無い人には理解できませんね。

原理も法則も同じです。
この経典は縁起の原理を説いている。この原理にしたがって生まれて老死する
苦が生成すると同時にこの原理に従って生まれて来ずに老死もない、苦も生じない
苦の滅を説く。だから縁起は必須だから滅してはならない。
縁起の活用です。活かさないと。
12縁起に乗って生じたり滅したりする。
こんなことは国語の問題でありどこまでも知性の問題です。
徳性とは何か言ってみなさい。
桐山さんみたいに不徳な不成仏霊でも10万円代わって払うことによって補完されるものか?

299準シュダオン:2011/02/08(火) 19:49:30 ID:1F7rdgXk0
霊視について、ユビキタスさんに、一言述べておきたい。
唯物論者と霊視のギャップとのレスで、あらためて気付いたけども、言葉の
意味・定義の難しさです。わたしが、例えば、私のすでに死んでいる祖父母を
霊視したとして、それを霊視とは簡単にいいません。勝手に祖父母の姿を想像
して、幻覚を見たのだろう、と自分でも疑うし、他人にも言われましょう。

私が何を霊視と呼ぶのか?それは、過去、入行前に、霊能者の占い師の鑑定に
同席して見学したしたことがあった。占い師は、眼を開けたまま、依頼者に、
「あなた、以前、これこれの動作をしてますが、これは何ですか?」と、
依頼者に問うた。依頼者は、驚いたように、その動作を見て、自分の何十年前
の仕業を話したね。つまり、その霊能者は、依頼者の過去の動作を霊視した、
わけです。別に死者を霊視したわけではない。依頼者の災難の原因を霊視して、
無数にあるであろう、依頼者の過去の行動の中から、一つが見えて、これこれの
動作は何ですか?と、問うたのです。おそらく、画質の悪い動画のように見えて、
何をしているのかまでは、解からなかったのでしょう。

お解かりですか?死者を見るばかりが霊視ではありません。わたしの場合も、
死者ではなく、遠隔地の何かを、集中して見えたのです。死者を見た場合、
それを確かめるすべはありません。先の霊能者の占い師の場合、依頼者に動作の
確認をして、それが何十年前もの行動の事実だということが確認されました。
だから、わたしも、その霊能者の霊視を本当だと、断定したのです。

わたしの場合の霊視も、それと同じくらいの事実性があるから、霊視と呼んだの
です。でも、正確には「念視」と呼ぶのがふさわしいね。
私の、既に死んでる祖父母を見た場合、わたしは霊視とは言わないね。
そんなの、幻覚、または過去の記憶の脳細胞が働いて、視たと錯覚したの
だろう、と思うでしょう。

私がいう霊視とは、そういう疑問をいう余地がない、ものをいうのです。
その確信を、言葉で説明できはしないです。
あなたが、食物を味わった感覚が、幻想ではなくて、事実だと、どう言って
照明出来ますか?その味の感覚は幻想だよ、と、いわれたらそれまでです。
味の感覚の事実は、当人しか知らないことです。
私の霊視の事実であることは、私にしか解からないことです、その味(霊視)は
は厳格だよ、といわれたら、それまでなのです。
だから、体験の無い人には、何を言っても伝わらないのです。

300ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 20:00:52 ID:SmEF4Oe2O
>>290:準シュダオン
11/02/08(火) 13:49:09 ID:1F7rdgXk0
>私が、霊視というのは、死者を見たという意味ではありません。
>そんなの、勝手に想像で見たら良いでしょうw。
>そういう話は、私は、全く馬鹿にして、いたのです、で、私に起こった。

ひょっとしてあれですか?
あなたが入行前に起こったことと記憶しているが(違っていたらごめん)
ある名簿を前になぜか無意識のうちに丸をつけていた。
そしたら1週間後だかにその名簿に丸をつけた大して親しくもない人たちが訪問して
吃驚したという逸話。
もしそれを指すならばそれは霊視ではなく霊感、インスピレーションと言う。
このアゴン宗スレで霊視という言葉を使うならば、それは桐山さんがやる死者の
霊障などを見ることを指します。
だから使用する言葉には注意を払った方がよい。
霊視という表現は唯物論者の時に使ったのならば、幽霊を見たわけでもないのに
信じてもいない霊なんて言葉をあてはめることは考えにくい。
しかし霊感ならばわかる。
霊感の霊に死者の霊の意味はないからです。

>こんなのは人の話聞いて解かるものではありません。
>そういうのは脳の病気だ、と断定するのが我見であり、
>わたしは体験ないから、あるかないか知らない、と事実を認識するのを
>自灯明といいます。

どうして人に信じてもらえないと決めつけるのか?
私は信じようとしている。
私はあなたは作り話の嘘をついていないと信じている。
決しておまえの嘘を暴いて恥曝しにしてやるなんて裏心ではない。
だってそんなことしても面白くもないし意味もないし。
それよりあなたが入行の動機を綴る文体に素直さが感じられたので、お互いに
変に意地を張らない対話が可能ではないかと思い呼びかけたのです。
そもそもその名簿体験の時だって私は霊感として認めてあげたではないか?
嘘とか脚色だとか否定したことはない。
今でもあなたが霊感体験してもおかしくないと思っている。
素直な対話から考察したいと思ったのです。
例えばあなたは自分で思ってるほど唯物論者でもなく、神仏や輪廻は信じないが
ESPなら受け入れていたとかね。
疑似科学にひっかかりやすいタイプかな?と。
大槻教授ならば超能力も否定します。

301準シュダオン:2011/02/08(火) 20:09:45 ID:1F7rdgXk0
前レスの、照明は証明の間違い、厳格は幻覚の間違いです。念のため。
生きている人物の、過去の行動がテレビのように見える、これは神仏の仕業か
エスパーか?だから、私の霊視に、唯物論者とのギャップはないでしょ?
私の霊視は、エスパー的霊視だったのです。

でも、私に、そういう霊視の体験があっても、輪廻する葦を読んで以来、
超能力獲得の願望はすべて捨てたのです、煩悩を捨てねば、の一念でした。
何でそう思ったかは、説明できません。今でも霊視とかには関心ないし、
そういう力を欲しいとも思いません。だが、霊視の現象はある、それが事実
であることは知っています。

302天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/08(火) 20:37:26 ID:t8fChwVQ0
霊視についてツッコミを。

霊視というのは霊感が強い、または霊能力を持っている人が霊を視るのに行う行為で、
準さんの説明や内容には語弊があります。

詳しく言うならばどのような霊をも視れてその霊が言いたいことや状況などを把握し、
察知判別できる能力です。
準さんの説明を見ていると、確かに霊能者の過去の事項などを当ててはいるが、それは
霊視では有りません。TVや雑誌などで「間違って使われている表現」です。

ユビさんの言うとおり霊感の方が幅があり適していると思われます。
霊視というのは合ってないと思います。

その点だけ気になっただけで後の事は口を挟みません。以上です。

303ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 21:21:15 ID:SmEF4Oe2O
>>301:準シュダオン11/02/08(火) 20:09:45 ID:1F7rdgXk0
>生きている人物の、過去の行動がテレビのように見える、これは神仏の仕業か
>エスパーか?だから、私の霊視に、唯物論者とのギャップはないでしょ?
>私の霊視は、エスパー的霊視だったのです。

意味不明の日本語で何が言いたいのかわからんな。
こういう時には>>299のようにもったいつけたように他人の透視能力の話なんか
出して説明するのではなく自分の生体験をそのまま綴ることが一番です。
だってそうでなければ誰も聞かずに離れていくだけだよ。
そんなに話したくないならこちらもわざわざ聞きたくもないから、そのまま煙に
まいていなさい。そうしてあなたは誰からも相手にされなくなり、せっかくあなたが
力説して何か説きたいと思っても自分で道を塞いでいる。
我々にとってはどうでもよいことだが、あなた自身にとって損な話だ。
それでいいなら独りで説得力のない話をブツブツ呟く爺さんを続けておればよい。
要は自分でも説明のつかないものを見て吃驚して、唯物論で説明のつかないものを
見て唯物論から脱皮したというわけなのかな?
人の過去が映像のように見えることを唯物論的に説明するものはない。
つまり普通は自己の体験にギャップを感じる。
感じてなければ大した唯物論を持っていなかったということだね。
ギャップを乗り越え超能力を信じるようになったという表現ならばわかるが。
うるさいようだが、相手の理解を得られる具体的な表現を学習してくれないと
議論する相手としてどうだかと思う。

304ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 22:49:32 ID:SmEF4Oe2O
>>292:準シュダオン11/02/08(火) 14:43:19 ID:1F7rdgXk0
>だから、いい加減に、因縁(縁起)を法則だけに解釈しないで、原因と解釈
>したら如何ですか?
>そうすれば、因縁解脱=原因解脱、ですね?
>苦の原因解脱のことだな、と、すぐ理解できるでしょう。

何を言ってるのですか?この人は?
十二縁起の法則など持ち出したのはあなたの方です。
こちらは最初から因縁とは原因とか関係という意味だとしています。
十二縁起にするのか原因にするのかはっきりしなさいな。
原因解脱なんてどうしてそんなまわりくどい表現をするのか?
どうして桐山さんは仏教界で使われたことのない用語を造語しなければならないのか?
誰がなんと言おうとこれは造語なんです。
因縁解脱なんて四文字熟語は経典に存在しない。
存在しない用語をさも仏教そうに思わせて無知な大衆を騙しているのです。
どっこい大衆は桐山さんほど頭が悪くないからいずれ気付くのです。

305ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 23:08:43 ID:SmEF4Oe2O
>>293:準シュダオン11/02/08(火) 14:58:32 ID:1F7rdgXk0
>私は、星祭りの出仕修行は、ゼロに近いけど、ゼロではないですよ。

それならそうと最初から事実を書いて能書きのごまかしなんかやめなさい。
みっともないだけだから。
人は能書きではなく事実に動くのです。
アゴン宗みたいに能書きだけで騙された例もあるが、事実こそその欺瞞を剥がしてくれる。

>そういう出来高で、修行が進むわけではないでしょう。
>例え、教団がそういう基準で評価したとしても、教団の評価で己の境界が
>決まる訳ではないでしょう。

一般論的には賛成なんだが、教団は明らかに出来高で評価差別します。
逆に出来高さえよければその人の徳性なんかどうでもよいのが現実です。
また少ないことにコンプレックスを持つのはかまわないが、ゼロではないが
ゼロに近いでは誰も納得しない。
桐山さんはこう言います。
たまに思い出したようにやるのは修行でもなんでもない。それはレジャーだと言う。
継続は力なり。やはり何事も継続努力してきた事実と実績があるから説得力が
あるのです。
あなたが昔はさんざんやったが、やり過ぎはよくないと思ったから今は考えあって
意識して控えているというならば、その意見に耳を傾ける人もいよう。
しかしゼロに近いじゃ話にならん。
まず一度はくたくたになるくらいやってから、それから批判意見でも改善意見でも
述べなさいということになる。
怠け者のレジャーに修行など語る資格がないのだから、発言したいのなら
そちらこそ身の丈を知るべきですね。

>要は、無理しない程度に、身の丈に合わせて、一生懸命修行したら良いの
>です。ユビキタスさんには、阿含宗自体が煩悩であった、とのことですが、
>そういう欲を描いた修行では、煩悩を増すばかりですね。

欲というよりも恐怖ですかね。恐怖も立派な煩悩の一つですが。
梵行をしないと修行が進まない、因縁が切れない。
だから因縁切りに励もうと志す。
それとも因縁を切りたいというのは欲望の煩悩なんですか?あなたにとってもw

306ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/08(火) 23:17:42 ID:SmEF4Oe2O
>>293:準シュダオン11/02/08(火) 14:58:32 ID:1F7rdgXk0
>要は、無理しない程度に、身の丈に合わせて、一生懸命修行したら良いの
>です。

あなたの場合、その一生懸命さがまるで感じられないのだね。
毎日屁理屈の書き込みに必死だなと思うくらいで。

>私は、星祭りの出仕修行は、ゼロに近いけど、ゼロではないですよ。

あとどうでもよいことだが、参考までに言うと、アゴン宗の星まつり修行で
出仕というと通常結界内の山伏たちを言います。
こちらはそんな山伏修行など相手にも求めていません。
炎の見えない場所での会場整理で十分なのです。

307ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 00:18:45 ID:SmEF4Oe2O
>>299:準シュダオン11/02/08(火) 19:49:30 ID:1F7rdgXk0
>私がいう霊視とは、そういう疑問をいう余地がない、ものをいうのです。

たぶんその自己検証が甘いと思う。
人間の脳は何だって見ます。
オウムの信者が神秘体験したように。
たぶんあなたは自分は唯物論者だと思ってたつもりが最初から厳格な唯物論者
などではなかったのだと思う。
検証が甘いだけだし、客観性に乏しい主観主義者であり、それが今に至るまで
続けているのだと思う。
あなたの何らかの体験事実に嘘はないと思う。
しかし唯物論者だったというのが、これは嘘ではなく、自分が見えていなかった
だけだと思う。
そう考えるとあなたがアゴン宗に惹かれて入行に至った経緯を矛盾なく理解できる。

308修験者:2011/02/09(水) 07:05:38 ID:f8W0HPss0
君は地球のまわる音を聞いた事があるか?
その音をかつて聞いた男が一人いた、その男は非常な悲しみの心でその音を聞いていた。
さあ、君もその男の話を聞きに行こう?
明後日の11日京都でその男は待っている?
法爾無作の仏 、仏像や人間の作った作り物の仏では無い、生きた仏、自然の仏
法爾無作の仏にあう為にかつて、多くの修験者や信仰者が
命も惜しまず精進して修行に明け暮れた、金など問題では無い、命も惜しまず、
法爾無作の仏に会いたいが為に精進努力した、その生きながらの仏様に、明後日京都花山で
会えます?
11日の13時から東京MXテレビ9チャンネルでも中継放送が見れます。
テレビでも法爾無作の仏に会えるのですから、素晴らしい日になりますね!
多くの修験者や信仰者達が命も惜しまず、会いたいと精進して思いこがれた法爾無作の仏様に会い
ブッタの弟子として初志貫徹しましょう!

309天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/09(水) 07:41:09 ID:pT.vseU.0
>>308 宣伝ご苦労さん。まだ分からないんだねえ。ちゃんと掲示板の内容(記事)読んでないね?
無視して自分の気持ちと教団・教祖の言い分に陶酔・心酔することばかりしてない?

貴方の言っているのはわかりますよ。でも、それは教祖の嘘なんですよ。
嘘に気が付かず、貢いで楽しいですか?最高ですか?

阿含宗は釈迦仏教ではなく「桐山教」ですよ。看板に騙されていないで本当に教祖の言い分が
正しいか確認しましたか?
教祖の言い分を信じる期間が長いだけ、ダメージは大きくなりますよ。
よく掲示板にある記事と教祖の言い分とを比較検証してみることを奨めますが・・・
まだ分からないんだろうなあ・・・。

310ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 07:57:29 ID:SmEF4Oe2O
>>307
明後日は京都も雪になりそうだね。
命を惜しまないはよいが風邪など引かぬように気をつけた方がよい。
できればそのテレビ参拝で済ますとか、それもしないとか。
ちなみに私はその日は休日出勤です。
三連休の初日で例年より多い参拝客を見込んでいたところ、悪天候ならばダウン
してしまう。
朝の放送時にはまだ雪は降ってないかもしれないが。
下手すりゃ翌日の後片づけに登るバスも運行できなくなるかも。

311ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 07:59:17 ID:SmEF4Oe2O
ん?>>308か。
やはりコピペせにゃだめか。俺の場合。

312ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 08:43:48 ID:SmEF4Oe2O
>>296:準シュダオン11/02/08(火) 16:24:56 ID:1F7rdgXk0
>天眼生じれば、衆生がその業に縁り、五道を往来するのを如実に見る、と
>言うのですから、業・カルマによって、それに応じた五道の運命の星を
>受けることになります。また、釈尊は「苦厄老病死 此三悪道」とも説いて
>いますから、人間界にも地獄・餓鬼・畜生道が存在していることを示して
>います。
>業と○○の因縁の、その具体的な因果関係は解かりませんが、
>業を縁として、○○の因縁(運命の星)が形成されるということは、
>経典から容易に読みとれると思います。

どうしてここに運命の星が出てくるのか?
人間界の三悪趣にしてもどうしてこれが運命になるのだ?
占い師に未来の運命を当てられたから運命はあるのだなんて自分の経験ではなく
経典の中において。
ところで十二縁起の方程式を運命の星たる因縁にあてはめるとおかしなことになる。
Booさんが退会理由にどのネタを準シュダオンさんに示すために持ってくる予定
なのかは私にはわからない。
こちらはあくまでも十二縁起方程式の範囲内だけで反論するならば、
〇〇の因縁という千差万別の因縁を抱えて生まれてきたのが十二縁起ならば
その〇〇の因縁を滅する方程式として十二縁起をあてはめるならば
それは一度死んで今度は〇〇の因縁を持たないように生まれ変わってくるという
ことになる。
なぜならば十二縁起の最後は必ず生→老死だからだ。
この場合の生は生きるではなく生まれる、生じるです。
赤ん坊として生まれるです。
〇〇の無明を断じ減らして〇〇の執愛を断じ減らしたから〇〇を持たずに
生まれてくる・・・いや、生まれてくること自体説明になってないのだが。
この十二縁起は〇〇の種類など関係なく執愛の力があるからこそそこに有が生じ
人間として生まれることを取る原理が示されているのだから。
〇〇がなくなっても生まれてくるのは別の執愛があることになる。
しかしまあとにかく〇〇の運命の星は持たずに生まれてくることになる。
しかしこれだと一度は死んで生まれ変わって来なければならない理屈になる。
生を生じるとだけ読んで因縁が生じるとしても後に老死があるのだから
やはりこれはオギャーの生誕です。
だいたい因縁っていつ決まるのか?生前に決まる。
だって桐山因縁って生年月日で見る。生年月日は生きている間不変です。
現世の因縁解脱にならない

313聖☆おにいさん:2011/02/09(水) 10:19:30 ID:YFqsstWI0
準さんってもしかしたら、シャルルボネ症候群の可能性があるね。

http://d.hatena.ne.jp/twooclock/20040128

http://www.jiten.com/dicmi/docs/k12/17252s.htm

314準シュダオン:2011/02/09(水) 10:28:46 ID:1F7rdgXk0
運命の星とか、12因縁とか、天眼とか、すべて関連しているのです。
ユビキタスさんは、どうしてここで運命の星が出てくるのか?
とかいいますが、あなたはまだそこまで仏法を、一連のものとして、
理解できていないのです。因縁を法則と解釈するか、原因と解釈するかも、
文脈で柔軟に判断すれば良いのです。
因縁解脱という場合は、因縁=原因、と解釈するのです。そして、12因縁
とは輪廻の実相のことですから、解脱=輪廻の滅、を意味しますから、
解脱=12因縁の解脱、と解釈して良いのです。

315Boo:2011/02/09(水) 10:49:56 ID:9YeFGJ0s0
>>312

どの道、準シュダオン氏は私の質問に答えないでしょうから、自分で示しましょう。

12因縁については、ユビキタスさんの解釈でほとんどの先入観のない人は納得するでしょう。
しかし、アゴン教学に汚染された思考では12因縁に無理やり○○の因縁を理屈づけて
なかなかユビキタス教学(?)を理解できなかった。我田引水で昨日の準シュダオン説が
まあ、よく出来た理論でしょう。釈尊の12因縁が因縁解脱のことだと真実考えている人にとって。

そもそも、12因縁は釈尊の首尾一貫した教説で全体体系の中でも矛盾のないように構成されていて、
これ自体に疑問を挟む余地はなく、その解釈も曲解しない限りにおいては、アゴン宗の○○の因縁とは
まさに「縁も縁(ゆかり)もない」ものとすぐに理解できます。先ほども言ったように洗脳されている
間は、これはアゴン教学の「因縁解脱」に違いない、なんてかってに理屈付けるのは自然なことだと思う。

私がその洗脳から抜けたのは、その「○○の因縁」がないんですね、これが・・・

どの占星術でも「○○の因縁」は絶対にない、と断言できます。いちばん近いものは四柱推命の
「吉凶神殺星」だけです。一つだけ私が確認する必要があると思っているのは、森田龍僊師の
「密教占星法」です。これもネットで復刻版が出ていましたので、さっそく注文しました。この中に
「○○の因縁」の算出法がなければ、因縁を特定する法は存在しないど断定できます。

ちなみに・・・四注推命の「吉凶神殺星」はアゴン宗の因縁のように必ずその運命の星の通りになる、という
ものではありません。第一、四柱推命自体は中国源流の占星術であり、インドの密教系の占星術とは程遠い体系の上に
成り立っています。

おそらく人類の到達できる最高度の意識に達した釈尊が、因縁解脱法を三十七道の中に、特殊な修行した
グモンジ脳にしか理解できない暗号のような表現をしたとして・・・その個別因縁を判断できる占星術
も、更に潜在意識を総動員しなくては理解できないような難解なものの痕跡のみを歴史に残すなんてこと
するかと考えると、その可能性はいかほどか考えてしまった。

因縁解脱法は難解なもので、釈尊クラスの頭脳、桐・山師の登場を待たなければ不可能と1000歩譲っても
その判断法は普通に理解できる簡単なものでなければ「因縁解脱」を世に広めることはほとんど不可能でしょう。

そのような考えに至ると因縁解脱の解脱供養が「幸せになる壺」と同じレベルに感じましたね。

316準シュダオン:2011/02/09(水) 11:08:08 ID:1F7rdgXk0
霊視という日本語は確立していません。よって、定義も定かでありません。
私が体験した霊視の種類は、先にレスした、ある霊能者が相談者の過去の
行動を霊視した、その類のものです。過去の行動は、ビデオに撮っておけば、
後で誰でも視ることができます。しかし、その霊能者はビデオなしに、相談者
の動きを再現して見せた。これを、わたしは霊視と呼びます。まぁ、念視と
呼んでもいいと思います。わたしの霊視体験も、それと似た感じのものです。
その体験が、天眼の存在を肯定するきっかけにもなりました。修行が進めば
たぶん、お釈迦様の説く天眼を得るのであろうと、信じられた。

名簿と、ある3人の出会いとのことは、霊視とは別の体験です。それは、
人は運命の星を持つ、との確信を持った出来事です。入行の前年の出来事
だったが、何十人かの名簿の一覧表を見ながら、ペンを持って仕事していた。
顧客名簿か社員名簿か同好会名簿か、私の職業を出す気はないので、
そういう名簿の種類は出せない、が、特別な付き合いがあるわけではないが、
名簿の名前と顔は一致する程度には、知ってる関係です。
で、座ったまま、一瞬、くらくらと、めまい状態になって、自由がきかなく
なった。操り人形状態といえば良いのか、くらくらとしながら、手がゆれて、
気がついたら、3人の名前にチェックマークがされていた。その時は、今のは
なんだろう、名簿のチェックマークは何だろう、と思う程度で、特別気には
しなかった。ところが、その翌日か、翌々日だと思う。
同じ場所で、同じ時間帯に、その3人と遭遇する目にあって、驚いた。
その3人とは、その翌年から今日まで、約30年、一度も会ったことも消息も
知らないが、今でも3人の名前を、いずれも漢字で四文字、覚えていて書けま
すよ。それは、何者かが、私に運命はあるよ、と教えてくれたのだと思うね。
そして、本日、そのことをレスさせているのでしょう。

まぁ、偶然だ、と考えればそれまでです。が、
何十人かの名簿から任意に3人選んで、その3人と同日の同じ時間帯に遭遇
する確率は、計算でどのくらいか?わたしゃ計算できない。
だから、占い師が未来を予知しても、否定はしませんよ。

317深山:2011/02/09(水) 12:37:38 ID:cYBG30cU0
>>308 :修験者:2011/02/09(水) 07:05:38 ID:f8W0HPss0
>君は地球のまわる音を聞いた事があるか?

>>2で出てきた時には、やっとまともなことをいう信者が出てきてくれたと
期待したが、期待はずれでした。
ただ、自分の主張を一方的に「吠えて」終わり。
これがあなたの長年の修行成果ですか。
いかにも議論のできない桐山さんの信者らしい。
仏陀の智慧を目指すなとど偉そうなことを言いながら、凡人との
議論すらできない状態に情けないという気持ちはないのですか。
>>40であなたに議論のキャッチボールをしましょうとわざわざ呼びかけた理由を
理解していないようですね。
きっとできないだろうと思ったからです。
一方的にキャンキャン吠えて、批判側から何をどう言われようが、
無視するつもりで出てきたのでしょう?
>>2,18,32のあなたの書き方がまさにそうです。
「因縁を解脱する方法がとかれて」というから、
阿含経のどこにそれがあるのだと質問されても、何も答えない。
証明仏とは何なのだ、と質問されても、何も答えない。
アゴン宗の、桐山さんのどこが阿含経に基づく修行なのだと指摘されても、何も答えない。
そればかりか、あなたは無視することこそが正しい修行であり、格好が良いと思っている。
バカは相手にしないと言いたいのでしょう?
だが、単にあなたは答えるだけの能力がないだけです。
答えられないから、言い訳をしているだけです。

318深山:2011/02/09(水) 12:40:26 ID:cYBG30cU0
>>308 :修験者:2011/02/09(水) 07:05:38 ID:f8W0HPss0
>君は地球のまわる音を聞いた事があるか?

あなたは批判に反論しないことを美徳だと思っているのではありませんか。
釈尊もそうしたと信じているのでしょう?
あなたが阿含経など実は読んだこともないのがわかる。
釈尊は議論を奨励したのです。
法に関する議論を奨励したからこそ、三蔵の一つは論蔵です。
教律論は仏教経典の三本柱です。
これを見ても、いかに釈尊が議論を奨励したかわかる。
知性による理解は修行の重要な要だからです。
釈尊が亡くなる時、最後の言葉の前に何を言っていたか知っていますか。
「わからないことがあれば質問せよ」です。
釈尊は、霊魂があるかないかというような
約十項目ほどについては、無意味だとして答えなかった。
ところが、アゴン宗ではその釈尊が議論するなと言った霊魂を
存在するなどと主張している。
釈尊は罵倒に対してさえもちゃんと反論している。
あなたも>>2などで阿含経をいかにも実践しているのようにお説教するなら、
釈尊のこの姿勢を見習い、しっかりと議論したらどうか。
あなたみたいに一方的に吠えるばかりで、議論もできないのは阿含経のアの字も
理解していない外道の信者だとわざわざ証明しているようなものです。

319深山:2011/02/09(水) 12:44:19 ID:cYBG30cU0
>>308 :修験者:2011/02/09(水) 07:05:38 ID:f8W0HPss0
>君は地球のまわる音を聞いた事があるか?

桐山さんの口まねしかできないのでしょう?
それはあなたがこれまで書いた内容を見れば十分です。
自分の頭で考えたことは一つもない。
教えられた内容を検証したこともない。
反論しないのではなく、実はできないのです。
それはあなたが桐山さんの話をただ鵜呑みにして繰り返しているだけで、
自分の言葉で他人に説明してみようとしたことが一度もないからです。
あなたの頭の中には桐山さんが作り出した上記のようなキャッチコピーがあふれかえっている。
だから、たちまちあなたは自分がアゴン宗について説明をして、
誰とでも議論して、完璧に論破できると自惚れている。
桐山さんから自惚れを植え付けられ、自分たちくらい知性あふれる
宗教はないから、簡単に論破できると自惚れている。
だが、実際はしたことがない。
アゴン宗の中でお説教みたいに話したことはあっても、
第三者と議論したことがない。
嘘だと思ってから、批判側への反論を書いてみなさい。
パソコンの前に座ったきり、一言も出てこないはずです。
あなたは、自分の頭の中には反論とおぼしきものが渦巻いており、
それを出せば批判など一撃できるように思っている。
やってごらんなさい。
それを文字にしようとした瞬間、消えてしまい、何も出てこないはずです。
出て来るのは桐山さんから習った宣伝文だけです。

320深山:2011/02/09(水) 12:49:33 ID:cYBG30cU0
>>308 :修験者:2011/02/09(水) 07:05:38 ID:f8W0HPss0
>君は地球のまわる音を聞いた事があるか?

あなたが議論したことがないのは、上記の一行でもわかるのです。
議論していれば、こういう無意味な桐山さんの口まねはできなくなる。
あなたはそれを言いながら、自分がとても格好が良いと自惚れている。
桐山さんにすっかりなりきっている。
先達にあなたみたいになりきっている「プチ桐山」を何人も見た。
中には偉そうに信者を叱りながらお説教を垂れていた。
信者時代ですら、こういうナリキリを見てウンザリした。
あなたの姿はただの宗教奴隷です。
桐山さんから言われたとおりの言葉、言われたとおりの表現を
そのまま針の飛んだレコードみたいに繰り返している。
金も惜しまない、命も惜しまない、この口上も桐山さんの真似です。
なんなら、私が桐山さんの本の元を示してあげてもいい。
つまり、あなたが書いた文章のほぼ9割方、桐山さんの口まねです。
すっかり自分が素晴らしい修行者であるかのように錯覚している。
だが、あなたはただの宗教家畜です。
脳味噌が動いていない。
あなたのことだから、11日にはコスプレ山伏で焚き火をするのでしょう。
あなたのような人のために何度でも言うが、
「釈尊は護摩を禁止した」
釈尊が禁止した護摩を焚いて、どこが阿含経に基づく修行なのだ?
あなたがしようとしていることは釈尊の禁止事項を破っている。
こんな簡単な矛盾すらわからないほど頭が麻痺しているらしい。
金集め人集めの外道イベントの無料エキストラ、これがあなたの姿です。
かつての自分の姿でもあるから、あなたのために言ってあげましょう。
なんという愚昧でミジメな姿だ。

321深山:2011/02/09(水) 12:54:00 ID:cYBG30cU0
>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>でもね、「輪廻する葦」を読んで、すぐに、煩悩を断たねばダメだ、と
>痛感してね、超能力獲得の欲望を一切捨てて、煩悩切りに努力したのです。
>>301 :準シュダオン:2011/02/08(火) 20:09:45 ID:1F7rdgXk0
>でも、私に、そういう霊視の体験があっても、輪廻する葦を読んで以来、
>超能力獲得の願望はすべて捨てたのです、煩悩を捨てねば、の一念でした。

準シュダオンさんは入行間もない頃から煩悩を切らねばならぬと決心したらしい。
>>262で書いた時は、年寄りの自慢話、法螺だと思って聞き流したが、
誰も指摘しないと、嘘がばれないと見て、いい気になって、また>>301で書いた。
よくまあ、ぬけぬけとこんな嘘が書けるものだ。
何という嘘つき男だろうと私は深く感動しました。
準シュダオンさんが『輪廻する葦』を読んだあたりから煩悩を切るのを
決心したなんて真っ赤な嘘です。
準シュダオンが煩悩を切ることの重要さを理解したのは最近のことで、
批判側から繰り返し繰り返し、仏教の解脱とは漏尽解脱であり、
煩悩を切ることこそが最も重要なのだと教えられたからです。
準シュダオンさんはなんとか反論して因縁解脱を主張しようとしたが、
未だに因縁解脱は見つからない。
だが、この石頭の準シュダオンさんも次第に漏尽解脱こそが
釈尊の説いた解脱だと気がつき始めたのです。
彼の好きな長阿含経をいくら読んでも、たしかに因縁解脱は出てこない。
気がつき始めたのだから、そこまでは素晴らしい。
だが、この人、桐山さんと同じで絶対に自分の間違いを認めない。
どんな屁理屈をつけてでも、自分を正当化する。
そこで「自分は最初から煩悩を切ることを目的にしていた」というお話を作り上げた。
入行当時から、煩悩を切る決心をしていたなどと自分を美化して見せたのです。
どうしてこの人ってここまで薄汚いのだろう。

322ラシン:2011/02/09(水) 13:04:19 ID:x9FuHHv20
>308 :修験者:2011/02/09(水) 07:05:38 ID:f8W0HPss0
>法爾無作の仏 、仏像や人間の作った作り物の仏では無い、生きた仏、自然の仏

法爾無作の仏ってなんですか?
ただの桐山造語を、何の疑いも持たず使用し、
あり難がっているようです。
ではここで桐山解説を確認しましょう。

間脳思考の237頁
「法爾とは自然そのもの、という意味、無作とは作られたもの
 ではない、という意味で、要するに、『作りものではない
 自然のままの生きたホトケ』という意味である。」

岩波仏教辞典によれば、
 法爾:法(事物)のあるがままの状態をいう。
 法爾に自然が結びつけられて(自然法爾)(法爾自然)、
 道理が結びつけられて(法爾道理)という。

無作に関してはほぼ桐山さんの解釈通りだが、
大乗では修業によらない本来的な仏の三身として考えられている。
以上を考察すれば、あるがままの道理として人為的でない仏、
仏教辞典でのいわゆる大乗での法身・報身・応身との解釈を得られますが、 
阿含経のアゴン宗に対して、どうして大乗仏教の概念仏がスタコラ出て来て、
何を証明するのですか?

1979年(昭和54年)2月4日、それは阿含宗創建の翌年のことであった。
ー中略ー
要するに、応供の如来とは、「(信者)の供養を受けて、
その供養を(信者に)功徳として返す」という意味である。

何度も批判側より指摘され嘲笑されているのが、この桐山さんの解釈だ。

岩波仏教辞典
応供(arhat):供養を受けるにふさわしい者の意。サンスクリット語を
音写して(阿羅漢)という。如来の十号の一つ。

どうですか?
桐山さんの仏教無知、その音痴振りが理解できる知性はお持ちではない?
桐山解釈での「応供の如来」なら、如来の阿羅漢、如来の如来となってしまう。
反論できるなら、一応、試してみたらいかがですか。

323深山:2011/02/09(水) 13:06:38 ID:cYBG30cU0
[4068]眠りブッダ 04/10/21 9:42 yI4JYEpi.Wz
「聖なるバイブレーション」を受けることができるようになると、空海を師と
仰いでも、その人の熱意と才能によって、応えてくれたかどうか、如実にわか
るようになります。ちょっと一言さんに経典分析の才能を感じたから、輪廻する葦から
始めると一番早く理解できるかな、と進めておきます。ご利益信仰を認める私がなぜ
二十年以上もの間、お金を求める護摩木を一本も書かなかったのか、これまでの福の
論議をよく検討するとわかると思います。

324準シュダオン:2011/02/09(水) 13:11:20 ID:1F7rdgXk0
今年のアゴンマガジン1月号の質疑応答のとこに、
「長い間、阿含宗で修行をしているのに、退会される方・・そういうことは
仕方ないのでしょうか?」という質問が出ていますね。
ユビキタスさんのような場合です。
管長はまるまる2ページも費やしてお答えしてますが一部だけ引用すると、
「・・わたくしは他の教団のように、やめたら地獄に堕ちるというような
ことは申しません。本人が考え抜いて決めたのならばそれでよいでしょう」
と、答えています。また、
「ただ、ここで考えてほしいことがあります。それはこれからの宗教は、
自分の幸せのことばかり考えていたのでは、本当の宗教ではなくなって
しまうということです。・・・これからの宗教は、全体の幸せ、全体の
平和というものを実現する、偉大な宗教が出て来なければならない時代
に入っているのです。」と、お答えしています。

なるほど、そういえば、釈尊が他の教団に呼びかけたりして、平和の法要
を行った、というようなお話は、経典に見当たりませんね。管長の場合は
個人ばかりではなくて、全体の平和を考えて、マヤにまで呼びかけて、
偉大な宗教の実践をしています。
 退会した元会員にも、「地獄に堕ちるとは申しません」とのこと、
良かったですねぇ。でも、大会後に悪口言ってる人も該当するんですかね?

325深山:2011/02/09(水) 13:15:04 ID:cYBG30cU0
>[4068]眠りブッダ 04/10/21 9:42 yI4JYEpi.Wz
>始めると一番早く理解できるかな、と進めておきます。ご利益信仰を認める私がなぜ
>二十年以上もの間、お金を求める護摩木を一本も書かなかったのか、これまでの福の
>論議をよく検討するとわかると思います。

眠りブッダは準シュダオンさんの前世です。
ここで準シュダオンさんは護摩木を書かない理由を「輪廻する葦」が根拠であると書いている。
つまり、煩悩を切ることを決心するとは、教団に金をできるだけ出したくない
という彼の煩悩を満たすための決心です。
そしてここでも彼ははっきとりと「御利益を認める」と書いている。
御利益を認めるのではなく、準シュダオンさんの信仰とは御利益を求めることです。
彼は、前にはっきりと、功徳という御利益がないなら、仏教など
信仰しないとまで書いていた。
煩悩を捨てねばならぬと決心したのではなく、一円でも教団に金を出さずに、
しかも御利益を得るという彼の信仰の言い訳に煩悩を捨てる話を利用しただけです。
よくまあ、ここまでぬけぬけと自分をごまかせるものだとあきれる。
その屁理屈の煩悩だけでも立派なものです。

326深山:2011/02/09(水) 13:18:30 ID:cYBG30cU0
>792 :準シュダオン:2009/04/23(木) 10:15:07 ID:l3CoGeBg
>三宝は帰依する対象なのであって、煩悩を絶つ修行に、三宝を指定する必要は
>ないのだよ。

これは三供養品の三善根について議論していた時の準シュダオンさんの反応です。
彼は、三供養品の三善根とは無貪・無瞋・無癡ではないと言い張った。
他の経典の三善根は無貪・無瞋・無癡だが、この経典だけは
断固として違うと言い張ったのです。
煩悩をそれほど断ちきることが重要だと昔自覚した人が、
三善根とは無貪・無瞋・無癡だと指摘されても、絶対に受け入れないなんてありますか。
むしろ、逆で、まっさきにその意見に賛成したはずです。
だが、彼の頭の中は供養することで御利益が得られるという煩悩そのものだから、
未だに三供養品の三善根とは無貪・無瞋・無癡ではないと主張している。
こんな男が「煩悩を断たねばダメだ、と痛感」したはずがあるまい。
彼が決心したのは「護摩木で金を出すのはやめよう」です。
自分のドケチを煩悩を捨てるという言葉を用いて言い訳しただけです。

327深山:2011/02/09(水) 13:22:18 ID:cYBG30cU0
>792 :準シュダオン:2009/04/23(木) 10:15:07 ID:l3CoGeBg
>だから三供養品以外の、他の経にも優れた修行僧に布施すれば果報を得ると、
>説かれています。
>で、わたしはその三福道で準シュダオンまで至れたと感じているわけです。

ごらんのように、アゴン宗の教義から見ても滅茶苦茶なことを言っている。
三結という煩悩を捨てつつあるのが預流向です。
だが、彼は煩悩を捨てたのではなく、金と物を出した見返りで
預流向になったと言っているのです。
これが「煩悩を断たねばダメだ、と痛感」した男の言う言葉か。
ほんとうに痛感していたのなら、
「私は煩悩を切ったから預流向になれた」と書くはずです。
護摩木を買わない言い訳に煩悩を切ることだと言ったのは
おそらく準シュダオンさんが初めてではないだろうか。
餓鬼の屁理屈もここまでくるとすさまじい。

328ラシン:2011/02/09(水) 13:23:04 ID:x9FuHHv20
>324 :準シュダオン
>管長はまるまる2ページも費やしてお答えしてますが一部だけ引用すると、
「・・わたくしは他の教団のように、やめたら地獄に堕ちるというような
ことは申しません。本人が考え抜いて決めたのならばそれでよいでしょう」
と、答えています。

ユビさん、この「感電障害者」をいくら庇っても、
やはり、
私が指摘したとおり、ウソをつくことに何の躊躇も無く、
物事の確認すら出来ぬ、社会的落伍者じゃないの?

>>291ラシン

間脳思考163頁

「そもそも『霊』の実在をみとめず『霊』の存在を説かない宗教家など、
 東西古今を通じて、いたためしがないのである。
 いたとすればそれは、三流、四流のエセ宗教家である。」

このように前置きして、霊のアンテナをキャッチ出来ぬ宗教家は、
宗教家ではない、とまで断言しています。
さらに、釈尊の重要な説法を捻じ曲げ、シャカは分からんやつには説かない、
と超然としていた、ブッダの発せられた言葉を信じない者は、仏罰によって
饒益せざる苦を受けるようになる。つまり”地獄”に落ちるようになる。
かように、釈尊の慈悲を曲解し脅しの道具にしています。

頼みたいことは、ここは自語相違を羅列するスレではないということです。
スレ違いすら自覚できない愚行は、ブタが木に登るようなものです。

329深山:2011/02/09(水) 13:27:42 ID:cYBG30cU0
>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>でもね、「輪廻する葦」を読んで、すぐに、煩悩を断たねばダメだ、と
>痛感してね、超能力獲得の欲望を一切捨てて、煩悩切りに努力したのです。

煩悩を切ると決心したはずの準シュダオンさんがここに来て、何をしたか
皆さん覚えていますか。

>[379]如来の子孫 08/02/27 10:23 lPSJb/jtbq
>本当にダメ元馬鹿信者くんはレベルが低いよ。
>[394]如来の子孫 08/02/28 10:48 lPSJb/jtbq
>何を言うか!この駄目元馬鹿信者!
>[422]如来の子孫 08/03/01 13:55 lPSJb/jtbq
>ないだろうね?駄目元信者くんは。
>なにしろ単細胞だからね、きみは。
>[430]如来の子孫 08/03/01 16:02 lPSJb/jtbq
>馬鹿につける薬は管長如来にもないからなあ。
>大笑いだ。
>この大バカ元信者くんに座布団4枚だー、(歌丸調)
>ほんと、馬鹿だなあ、護摩木を買って、他人にも勧進し、間に合わな
>い時は、自身で負担しても違反にはならないだろう。
>[436]如来の子孫 08/03/01 16:47 lPSJb/jtbq
>護摩木勧進も施本も、自分がしてないから他人もしてないだろう、
>とか、邪推してはいけないよ、アホバカ元信者くん。

如来の子孫とはもちろん、煩悩を切ることを決心したというご立派な準シュダオンさんです。
わずか三日の間にこれだけ罵りを並べていた。
この罵りはほんの一部です。
煩悩を出すまいと慎む人が他人をこんなふうに罵倒するのはずがあるまい。
口先でどんな綺麗事を並べても、実際の準シュダオンさんは普通の人よりも
はるかに「瞋」の煩悩が多く、しかも丸出しです。

330深山:2011/02/09(水) 13:33:12 ID:cYBG30cU0
>9 :準シュダオン:2009/12/23(水) 13:43:12 ID:P9JinFks0
>その代り、入行後、十年くらいで成人病になってしまいました。
>サプリメントも採っていましたけどね。

おかしくありませんか。
入行前に煩悩に任せて食べたので成人病になったというなら仕方ない。
だが、煩悩を捨てねばの一念で十年間節制したら、成人病になったというのです。
もし『輪廻する葦』を読んだ当初から煩悩を断ちきることが必要だと
強く認識していたら、おそらく準シュダオンさんは脳梗塞にはならなかった。
だが、彼は桐山さんと同じで、食欲に任せて飲食を続けた。
2004年に脳梗塞を発症した直後も、なんと酒を飲んでいた。
私は、糖尿病で脳梗塞なら酒を飲むのはやめたほうがいいと助言したが、
もちろん、彼は聞く耳など持たない。
欲のままに酒を飲み続ける人間のどこが、「煩悩切りに努力した」のだ?
よくまあ、誰も知らないと思って、口から出任せに書くものだ。
私は、今出ている準シュダオンさんの霊能力話もまったく信用していない。
準シュダオンさんは脳梗塞の兆候を白銀バイブだと言う人です。
ちょっとした体験も自分を大きく見せるためにものすごく大袈裟に言う人です。
護摩木に金を出したくないというケチな根性を煩悩を切ると大言する男です。
桐山さんは1990年代には地球壊滅など言わなくなったとか、
ニューヨークが崩壊するビジョンを例祭で配ったなどと
記憶はデタラメ、いい加減、ごちゃ混ぜです。
桐山さんと同様で、こういう人の話は、話半分ではなく、
十分の一くらいにして聞いたほうがいい。

331準シュダオン:2011/02/09(水) 13:37:15 ID:1F7rdgXk0
前にレスしたように、わたしの場合、入行時にはエスパー的霊視の体験も、
していたし、運命の存在の体験もしていましたから、運命の星を打ち破ろう
として入行したのです。入行当初、無神仏論は、そのままでした。
だから、本当の仏教は、なんて関心もないし、関係なかった。
ですから管長の、「因縁解脱を説いている阿含経こそ真実の仏教です」との、
お話を聞いてから私は、「おー、仏教とは有り難いものだったんだ」と、
初めて仏教を評価したのです。

それまでは、煩悩を無くすなんて、余計なお世話だ、なんて毎年除夜の鐘など、
ボーン、と聞くたびに思ったものです。だって、そうでしょ?
二十代の頃は、ボーイズビーアンビシャス、ですよ。一つ、世のため人のため、
でっかい仕事するぞ、ひと旗あげるぞ!と、思いますよ。大欲を抱け!ですよ。

それなのに仏教ときたら、口を開けば欲を無くせ、です、アホらしいw。
二十代の頃はそう考えていましたね。
・・で、「輪廻する葦」を読んでから、煩悩を断たねばいかん、と自覚した
わけです。で、「あぁ、あれは因縁の洗い出し現象だったんだ!}と、思う
ことも体験した。本当はどうなのか、解からないが、8割方は因縁の洗い出
し現象だと思っています。

332ラシン:2011/02/09(水) 13:44:40 ID:x9FuHHv20
>329 :深山
>煩悩を出すまいと慎む人が他人をこんなふうに罵倒するのはずがあるまい。
口先でどんな綺麗事を並べても、実際の準シュダオンさんは普通の人よりも
はるかに「瞋」の煩悩が多く、しかも丸出しです。

好戦経の大目鍵連を真似れば、この「感電障害者」さんの数多の罵詈雑言は、
私にしても、「心に所念あり欣然として微笑せり。」となります。

アゴン宗信者に長年にわたり在籍していると、深山さんが指摘したとおり、
普通の人が見ていても、反吐を吐きたくなるほどの言動を呈すようになる、
そのよい見本です。
だから私は、大目鍵連が、戦を好んだ者が肉段となって喘ぐ末路の様を見て、
「心に所念あり欣然として微笑せり。」に同意するのです。
「やはりね、合点がいきますよ、なるほどなるへそ。」というところです。

333準シュダオン:2011/02/09(水) 15:26:14 ID:1F7rdgXk0
私は楽しみながらのいい加減な修行なので、束縛感がないので、退会しても
ユビキタスさんのような解放感はない、とレスしたら、ユビキタスさんから
「管長は気儘な修行を戒めてる」という旨のレスがあった。
やはり、言葉は難しいw。
「いい加減」には二つの意味があって、お風呂の温度がいい加減、という
ようにな適度という言う意味と、無責任とかなまぬるい、という意味です。

ユビキタスさんは、なまぬるいとか怠けの、意味にとりました。
怠けも適度、修行も適度の意味で私は書いた。阿含宗の先達なら、
言葉のアヤだろう、とか、たぶん、私のレスの意味を理解しますね。
そのような行き違いが多々あるのだが、いちいち答えるのは無理です。

般若心経瞑想法にも、12因縁が詳しく解説されています。また、学者先生
の解説も多々あります。しかし、どれを読んでも、たとえ丸暗記できても
理解は無理でしょう。感受があれば渇愛がある、とか部分的には理解可能で
しょうけど、全体的な理解は不可能でしょう。
じゃあ、なぜ理解できない事を、お釈迦さまは、なぜ説いたのか?

あれ、話が横道にそれてきてますから、修正します。
楽しみながらのいい加減な修行、とは、誤解されそうな言葉使いでした。
怠けも適当に、というか、過去と同じような修行をしていても、何時の間にか
束縛感、苦しさが抜けている状態だ、という意味です。
別に、やせ我慢をしていってるのではなくて、同じ勤行しても、護摩木書くに
しても、何となく喜楽が生じている場合が多い、感じです。

有覚有観、貪欲離れて、喜楽生じて、初禅に入る、ですけど、そういう感じな
のかなぁ、と思いますよ。我見を離れたら自然に欲貪も薄れてきますよ。
我見に執着するから、我欲があるわけですからね。
と、いうわけで、現役信者の皆皆さまが、批判派方の信者時代のような、
苦しさを感じながらの修行ではないのですよ。

334天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/09(水) 15:40:49 ID:0PjgvAYg0
>>313 「聖☆おにいさん」さんのこの引用、素晴らしいですね。
私も初めてこの病の名前を見ましたが、中身を見たら「まさに!」ですね。
これはいいものを教えてくださって感謝でございます。
そうか、そうか・・・そうだったんだ。納得納得。

335ラシン:2011/02/09(水) 16:36:01 ID:x9FuHHv20
>308 :修験者:2011/02/09(水) 07:05:38 ID:f8W0HPss0
>法爾無作の仏 、仏像や人間の作った作り物の仏では無い、生きた仏、自然の仏

桐山語録の検証中、あなたはタイムリーに問題を提起してくれた。
間脳思考の246頁の目次題を見たら、今では恥ずかしい限りです。
それがこの、「シャカは未来にあらわれる如来を説いた」です。
あなたは、これを読んで恥ずかしげも無く心が「洗われた」のかな?

如来とはアラハト、音写して阿羅漢です。
解脱者だから、輪廻はしません。
では、どこからやって来たのだ?

「ど〜この誰かは知〜らないけれど、誰もがみ〜んな知〜てい〜る」

それが焚き火の炎の中に現形したのだからスんごい!ターミーネーターですか。
あなたはそれを、生きた仏だと言うのだから、批判側などは舌を巻く驚きです。
桐山さんは、同頁で如来とは如来そのもので、如来の模型や「像」ではない、
と述べている。

生きた如来ならどうして、炎から出て来て、桐山さんも「お熱い中ご苦労様」と、
拝み感謝し、生き仏サマは、「供養を受け、功徳を返すぞ」と言わないの?
焚き火の炎も「像」だからですよ。
ありがたく仏壇に飾ったその写真も「像」の部類じゃないの?

アゴン宗が、商法いやもとい性法、否、正法の証とした「法爾無作の仏」とは、
大乗仏教でいう、法身・報身・応身という概念の仏です。
その大乗仏教仏が、阿含経を依処とするらしいアゴン宗の正しさを証明するために、
スタコラさっさと熱い焚き火の中にやって来たなんて、矛盾しませんか?

理由は簡単です、桐山さんが捏造した「増一阿含経三供養品」ですが、
アゴン宗での経典名は「末世成仏本尊経」であり、その経文にある、
功徳を植えて、「思念による王者の相承」を可能とするためのウソ話しを
補完するためだからです。

桐山さんは、自惚れが強烈だから聖師と聖衆は、オレサマ達だと標榜でケた。
仏教音痴ゆえに正法まで強調もできたが、肝心の仏・法・僧の仏、
いわゆる「如来の所において功徳を種う」の「如来」を見い出せなかった。
そこで、焚き火の炎を「法爾無作の仏」などと造語して「思念の相承」の
可能性を信者さん達にブチ上げたのです。

>君は地球のまわる音を聞いた事があるか?
その音をかつて聞いた男が一人いた、その男は非常な悲しみの心でその音を聞いていた。

おお、そうなら、
その男が、例祭においてどうして阪神淡路大震災の轟音が前以って聞こえなかったのだ?
弁解をお願いしましょうかね。
それに釈尊の禁止した護摩、そのイベントを喧伝するあなたが、ブッダの弟子だと? 
桐山外道の眷属だろ。

336天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/09(水) 18:46:37 ID:0PjgvAYg0

>>308
>法爾無作の仏 、仏像や人間の作った作り物の仏では無い、生きた仏、自然の仏

ラシンさんが説明されていてそれにかぶりますが、私も。

法爾無作の仏の証明は「阿含経」に書かれていますか?
釈尊が「法爾無作の仏はいるぞ」といったのでしょうか?

法爾無作の仏の「出所」を信者さんは確認すべきです。
釈尊も「言わない」「認めてない」教祖が言っただけのことを信じるのですか?
それで法爾無作の仏? おかしくないですか?

かつての私も教祖の言い分を真に受けて仰いだものですが、何もなかった。
法爾無作の仏も架空ですから、何もないのは当たり前です。
架空の仏を拝まないのが阿含宗ではなかったのではないですか?

法爾無作という言葉に騙されてはいけません。

337ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 20:38:58 ID:SmEF4Oe2O
>>316:準シュダオン
11/02/09(水) 11:08:08 ID:1F7rdgXk0
>その体験が、天眼の存在を肯定するきっかけにもなりました。修行が進めば
>たぶん、お釈迦様の説く天眼を得るのであろうと、信じられた。

なるほど。だいたい見当つきました。
やはり当時のあなたは今のあなたと同じで主観的であり自分は科学的合理主義者
などと自惚れていたが、神仏や輪廻などは信じないが、エスパー超能力などは
カタカナやアルファベットを見ただけでこれは合理科学だなどとあっさりと信じて
案外にそれに対する憧れが潜在的にもあった。

>名簿と、ある3人の出会いとのことは、霊視とは別の体験です。

そうですか。ありがとうございます。
いや、ありがとうと礼を言ったのは、私はひょっとしてあれですか?と訊いた
名簿の件にイエスともノーとも答えてくれないものと思っていたのです。
このように名簿の件なんて昨年の今頃だったかな?こちらが訊いてもないのに
自分から具体的な体験を書いてきたのだから、今回のような霊視だか透視の件も
これと同じように具体的に綴ってもらえば、あなたの主張したいこともより具体的な
体験事実を裏付けに語れるのですがね。思わせぶりに他の霊能者の話なんか
比較に出さなくても。
しかし明かしたくないのならばいいですよ。
こちらも聞かなくてもいいから。
あなたが書きたくなった時に書けばいいです。
永久に書かなくても結構です。他人の体験なんかどうでもいい。
その代わり何か臭わせる物の言い方もやめた方がよい。

338ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 21:13:44 ID:SmEF4Oe2O
>>316:準シュダオン
11/02/09(水) 11:08:08 ID:1F7rdgXk0
>名簿と、ある3人の出会いとのことは、霊視とは別の体験です。

名簿の話は今でも作り話の嘘でもなく脚色もないと信じていますよ。
そしてそれに対する解釈は、本当に霊感が走ったのかもしれないし、単にあなたが
人の話を聞いてないだけかもしれない。
今だって他人の書き込みを読まないように。
これは年のせいではなく性格、態度によるものですからね。
「準さん、例の件の委員ですが、A、B、Cの3名に決定しました。
つきましては今後ご自宅に委員がお伺いするかもしれません」
「・・・・・」
「準さん、聞いているんですか?」
「・・・・・」
あなたはもともと興味のない話だし、他に考え事をしていたし、報告を聞く態度も
なってない非社交性だし。
でも潜在記憶は聞いて覚えているから、あなたの頭の中で沸々としている。
そろそろ明日にでも訪問するはずだぞと。
それが名簿を目の前に出させて名前にチェックを無意識に入れる行為に駆り立てる。
桐山さんが著書でも紹介したフロイトの後催眠暗示ですね。ボタンはどこだ?
本人は暗示を受けた記憶など思い出せない。
そして自分が予知したかのように事実件の3人が訪問したから仰天した。
強い精神的ショックを受けた体験は30年経っても覚えているものです。
3人のフルネームまで。
私だって40年前の小学校時代パンツを見た女の子をフルネームで覚えているし、
その情景も昨日のようによく覚えており、牛のように反芻している。
それからこの体験により合理科学では説明できないことがあると悟ったのだと
しても、これは入行前のことでアゴン宗体験でもないからアゴン宗がそのような
不思議な力を与えてくれるところかどうかはまた別の検証が必要なんですね。
まあアゴン宗を信じたんだからあなたの霊視、透視能力はその程度のものだったのだ。
世の中に奇蹟の神秘があろうともそれを売り込む個人や団体が全部本物なんて
ことはない。
準シュダオンさん、実は私にもその霊視的透視能力があるんですよ。
念視と言った方がしっくり来るかな?
あなたの書き込みを読んで私は念を凝らした。
あなたの今日着ている洋服の色は〇色でしょう。おっと、〇は個人情報にふれるから
書きませんよ。フフフ。
さて、私の念視をあなたは簡単に信じますかな?

339ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 21:48:04 ID:SmEF4Oe2O
>>316:準シュダオン
11/02/09(水) 11:08:08 ID:1F7rdgXk0
>名簿と、ある3人の出会いとのことは、霊視とは別の体験です。

この体験って、あなたが運命ってあるんだと信じるようになった原体験なんですよね?
笑っちゃいます。
私はあなたのこの体験を不思議な霊感体験と認めてあげてもよいが、運命の証明
だけは笑止です。
だってその予知をした翌日か翌々日に来訪があったのでしょ。
ならばこれはあなたのエスパー的テレパシー能力かもしれないではないですか?
前日件の3人は相談する。
「じゃ、明日お互いに気乗りしないけど準さん宅に訪問ということで。
12時に駅に集合ね」
このシーンをあなたはテレパシーの知らせがあった。
それだけです。しかしそれは前日に決まったことで運命ではない。
それまではそんな運命なんかなかったのです。
そして前日決まった運命は当日必ずしも遂行されたかどうかも実はわからない。
メンバーが風邪をひいたら3人で来れない。
その時は運命はもろくも崩れ、たまたま風邪ひかなかっただけです。
私は明後日休日出勤するのは運命ではない。

340ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 22:48:09 ID:SmEF4Oe2O
>>316:準シュダオン
11/02/09(水) 11:08:08 ID:1F7rdgXk0
>名簿と、ある3人の出会いとのことは、霊視とは別の体験です。

明後日京都の星まつり会場で雪が降る可能性が高いことは運命ではない。
私は来月また甲子園に行きたい。しかし運命ではない。行けないかも知れない。
なんとか運命を遂行するかもしれんが。
ムシの知らせってありますよね。
うん、昨年私がこのネタでそんな用語も使用した。
我が子を思う母親がムシの知らせで子どもの事故を予知する。
しかしこれって間際ばかりですよね。
産まれた時からこの子の事故を予知したわけではない。
すると運命というのは刻一刻と形成されることになる。
たしかに運命がほぼ確定してしまった人もいる。
「あれを見よ」
「あ、高層ビルの屋上に人が。あっ!飛び降りた!」
「この高さでは助かるまい」
「もう即死の運命ですね」
しかし飛び降りる前に運命が決まっていたかはわからない。
ってか本人は自殺を決意していたのだから、運命は限りなく遂行されようとしていた。
しかし人生に悲観せず詞藻富む青年時代に彼の運命などわからない。
モンゴルの天気予報と同じだな。
2日後の運命がわかった。

341ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 23:10:19 ID:SmEF4Oe2O
>>316:準シュダオン
11/02/09(水) 11:08:08 ID:1F7rdgXk0
>すよ。それは、何者かが、私に運命はあるよ、と教えてくれたのだと思うね。
>そして、本日、そのことをレスさせているのでしょう。

ぷっ。桐山さんを思い出させるような自己陶酔のセリフ。
このためにはるばる我は来つらむか。
世の中あんた中心にまわってないんだて。

342ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 23:23:40 ID:SmEF4Oe2O
>>324:準シュダオン11/02/09(水) 13:11:20 ID:1F7rdgXk0
>「ただ、ここで考えてほしいことがあります。それはこれからの宗教は、
>自分の幸せのことばかり考えていたのでは、本当の宗教ではなくなって
>しまうということです。・・・これからの宗教は、全体の幸せ、全体の
>平和というものを実現する、偉大な宗教が出て来なければならない時代
>に入っているのです。」と、お答えしています。

桐山さんがこの言葉を吐いたのが、退会した信者に対する質問への回答だとしたら
桐山さんも準シュダオンさんと同レベルのピンボケと勝手なきめつけがありますね。
まるで考えぬいて退会した信者は自分のことばかり考えて、他人の幸福を考えた
ことがないとでも言いたいようだ。
我々は他人を幸福にする教団であるぞ。自分だけ幸福になりたい利己主義者は
やめるがよかろう。そして我らの聖業に刮目せよと。
笑っちゃいますね。
その桐山さんの言葉にお答えしましょう。
逆です。我々は自分のことだけでなく他人のことを考えたから退会をしたのです。
自分独りならば続けようかと悩んでいた時期もありました。
しかしきっぱり決意して退会を急いだのは他人を巻き込んで霊感商法で騙して
他人を不幸にする教団に金を払い、ガンクビ並べて信者でございと支持支援する
ことに耐えられなかったからです。
他人は救えなくても他人を騙すことに加担したくない。
そういう思いだったのは本当のことです。
いま批判までしてるのも、他人を不幸から救いたいからです。

343ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/09(水) 23:34:34 ID:SmEF4Oe2O
>>328:ラシン
11/02/09(水) 13:23:04 ID:x9FuHHv20
>ユビさん、この「感電障害者」をいくら庇っても、
>やはり、
>私が指摘したとおり、ウソをつくことに何の躊躇も無く、
>物事の確認すら出来ぬ、社会的落伍者じゃないの?

まあじわじわと行く所存です。
相手の言い分を仮に認めても成立しないことを論じていきたいと思ってますので。

344ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 00:31:35 ID:SmEF4Oe2O
>>314:準シュダオン
11/02/09(水) 10:28:46 ID:1F7rdgXk0
>解脱=12因縁の解脱、と解釈して良いのです。

準シュダオンさんはコンピューターのプログラミングをしたことがありますか?
いえ、私はありませんが。
エクセルの関数を使うくらいでプログラミングまではやりません。
しかしプログラミングとは完璧なフローチャートが書ければ作れるものと聞いています。
フローに抜け、省略、ごまかしがあっては絶対にプログラミングはできません。
さて十二縁起とはこれは一種のフローチャートと考えればよい。
完璧なフローチャートか疑問だが。
しかしこのフローチャートに沿ってガンの因縁など具体的な因縁をあてはめて
いこうとする場合も少なくとも十二縁起レベルの完璧さのフローだけは作れないといけない。
Booさんが擁護側時代に試論で考えた十二縁起応用のフローも準シュダオンさんの
言葉だけのフローも完璧ではありません。
抜け、省略、ごまかし、語句のすり替えがあるからです。
準シュダオンさんが難しいと言うのも本当のことで、アゴン宗の因縁形成と
因縁解脱の理念に沿うように十二縁起を使うのはこんな窮屈な作業はありません。
窮屈なだけならよいが、結局現世においてそれまで抱えていた悪因縁がなくなり
不幸を回避して幸福になるという話にフローが作れぬのです。
十二縁起は当初は十二もなくもっと簡略なフローだったようだ。
しかしそれでも最後は「→生→老死」が立ちふさがり邪魔をする。
語句の意味ごと変えてフローが成立したかのようにごまかすことはできるが
それではプログラミングにならない。
だからBooさんが悟ったように、こんな十二縁起なんて別の物をわざわざ使用
しなければならないことに疑問を感じるはずです。
準シュダオンさんも方程式の応用は難しいと書いたようにそんな難しいややこしい
十二縁起を根拠に縁起解脱、因縁解脱なんて造語すること自体に普通の人なら
首を傾げるはずです。

345ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 00:56:57 ID:SmEF4Oe2O
>>333:準シュダオン
11/02/09(水) 15:26:14 ID:1F7rdgXk0
>「いい加減」には二つの意味があって、お風呂の温度がいい加減、という
>ようにな適度という言う意味と、無責任とかなまぬるい、という意味です。

適度適温という場合は適度に厳しいのです。
厳し過ぎないがそれなりの厳しさはある。

>怠けも適度、修行も適度の意味で私は書いた。阿含宗の先達なら、
>言葉のアヤだろう、とか、たぶん、私のレスの意味を理解しますね。

しませんw

>楽しみながらのいい加減な修行、とは、誤解されそうな言葉使いでした。
>怠けも適当に、というか、過去と同じような修行をしていても、何時の間にか
>束縛感、苦しさが抜けている状態だ、という意味です。

怠けて悪いとは言いません。
お釈迦様の教えとは別に人生には休養も必要だ。
頑張らない人生もある。休め休め。
でも休みっ放しではよくない。疲れたら休んでよいが、程よく回復したら
また努力して歩み出すのです。
一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。
いつその前への一歩を踏み出す?
私は信者の皆さんには明後日の星まつりの修行も参拝も休みなさいと勧めたい。
やってる内容が星まつりなんて煩悩を増やし魂を汚すものだからですが。
しかしあなたにだけは別です。
あなたには星まつりの現地修行をしてもらいたい。
それも後片付けです。
今回は三連休の初日に星まつりが済むから残り2日後片付けのチャンスです。
大雪で関西総本部から花山に登るバスが運休しなければ参加できる。
やはり準備と後片付けこそが大変なんです。
しかしその苦労がなければあの華やかな行事は実現しないのです。
だからこそ縁の下の力持ちの功徳を桐山さんも説く。
花を咲かせる苦労をしてみる経験をしてみなさい。
アゴン宗の星まつりの無意味さを批判することとは別に、あなたのような行動が
伴わない能書きたれを見てると反吐が出るのです。
たまには汗を流してみなさい。その後休んでいいから。

346ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 01:25:56 ID:SmEF4Oe2O
>>333:準シュダオン
11/02/09(水) 15:26:14 ID:1F7rdgXk0
>私は楽しみながらのいい加減な修行なので、束縛感がないので、退会しても
>ユビキタスさんのような解放感はない、とレスしたら、

私の解放感とあなたのイメージする解放感とは根本的に違うと思うと書きました。
私のそれはあなたみたいに厳しい練習をしなくてもよいホッとした安堵感みたいな
情けない話ではない。あなたにはそれぐらいしかイメージできないのだろうが。
私のそれは憑き物が落ちたような感覚でしょうか。
読んだことのない人には恐縮だが、京極夏彦というミステリー作家がいる。
彼の小説に出てくる古本屋京極堂の主人の中禅寺秋彦の得意とするのが憑き物落としです。
と言って古本による陰陽師などのマニアックな知識はあるものの、彼が本当の
陰陽術を使うのではない。
彼の憑き物落としとは、相手が陥っている迷妄を打ち破ることです。
憑き物とは頑なな迷妄です。
京極氏は関東水木会の会員でもある水木しげるファンの妖怪好きなんだが、
実は彼の作品は妖怪を題材にしながら妖怪が少しも出てこない。
妖怪とされるのは個人が抱く迷妄です。
環境によって他人によって植え付けられた迷妄がある。
これを解きほどく。
それは言葉によって、状況証拠の提示によって、過去の誤解、誤認を明らかにして。
そうすることで各自の憑き物が落ちる。
囚われていたものから自由になる。
信者時代から愛読していた京極作品だが、この憑き物はまさにアゴン宗も同じで
アゴン宗を自分の意志で捨てた解放感とはまさに憑き物が落ちたみたいなもので
苦笑した。
憑き物が落ちると軽くなるだけでなく精神が自由になる。
そうすると知性が復権する。
私は退会してからスレを離れずにもっぱらまだ残る信者に対して反レスをつける
形でアゴン宗を批判した。
そこで驚いたことがある。
アゴン宗批判を書いて投稿した後で自分自身がびっくりした。
俺ってこんなことが書けるのか?こんな発想ができるのか?
信者時代には考えてもみなかった発想が次々と頭に浮かぶ。
信者時代の擁護的な考えは甚だ窮屈なものだったのが、この自分にとって新しい
発想は自由自在だ。
いや、特別に勉強したわけではなく当たり前の良識を綴っただけです。
しかしその当たり前の良識が新鮮に感じられ今までにない建設的なものなんです。
塞がれていた知性が復権したのです。

347ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 08:01:11 ID:SmEF4Oe2O
天気予報やはり雪が早まったな。
京都でも今夜から明日にかけて雪になる見込みで、明日は真っ白の雪が積もった
中での星まつりになる運命かな。
国道広場までの送迎バスは運行できるだろうが、東山ドライブウエイが通行できず、
遠方からのバスツアーは山に登れず、京都駅か七条のあたりで下ろして、送迎バスに
乗ってもらうしかないでしょう。

348ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 08:33:18 ID:SmEF4Oe2O
東山ドライブウエイに大型バスが通行できなけりゃ団体バスツアーだけでなく
当日関西総本部から登る現地修行者も登れなくなるな。
チェーン巻いた小型車で何回もピストンしなけりゃ。
総本殿に泊まれる人ならいいけど。

349ラシン:2011/02/10(木) 12:02:18 ID:x9FuHHv20

こういう電波障害者御方の自慢したいのみの自己顕示欲など、
スレの消費が早くなるだけで、対象外であり、大迷惑ですね。

さて、
天照さんのおかげで、桐山語録の矛盾が数多あることが分かります。
私も、記憶のみに頼ることなく引用できることに感謝申し上げます。

輪廻する葦

私は、この桐山著書で感動し、しかも仏教無知の始まりとなる、
ある種の私的な、エポックメーキングでもありました。
先ず、
ここで目を引くのは、ムチャリンダ龍王の写真が巻き頭にて、
掲載されていることで、キャプションには、御神霊は入れていないが、
大事にしろ、との意味が書かれてある。
その龍王に関しては、93〜94頁で中村元訳の「へび」説を引用している。

現在知られることでは、蛇を表すナーガ信仰は、特に南インドで盛んであった。
シャータヴァーハナ朝関連の遺跡からは、ナーガ像が多数発見されているそうです。
また北インドの、クリシュナの生誕地とされるマトゥラーでもナーガ像が、
多数発見されていて、それらはキングコブラの姿をしているか、
若しくは、背中にコブラを背負った形で描かれている絵図があるそうです。

何れに於いても中村元博士は、それは神話であろうとの見解を示しています。
つまり、桐山さんはそれらの学説・定説を”充分認識”していたことになる。
批判側の言う桐山さんは、単なる仏教無知ではないことがわかります。
しかし、
次に桐山さんは、その定説をあっさりと翻すのだから始末が悪い。
龍という概念は、はなはだ懐疑的だが、と述べた上で、
ある質問者をデッチあげて、蛇と言う低級生物をなぜ守護神と考えるか、
と提起させます。
なかなか手の込んだ事前刷り込みを桐山さんは、最も得意とする。
そして、ここからが桐山さんの独壇場となるのです。
94頁、長いので要約します。

「龍王、龍神と、ヘビとはなんら関係ないのである。」として、
龍王、龍神とは大神通を表するエネルギーであり、
そのエネルギーが形を成す時に、我々の意識想像の「龍」という概念を
喚起する神霊的存在となる。
その見解をインド文献ににもあるとして、そのエネルギーが心のエネルギーに
感応して、龍の形状を現すのだから、ヘビという生物とは無関係である。
その証明が、アゴン教団の大紫燈護摩供に現形する龍王であり、
本尊準テイ如来の眷属であり龍王自ら「我はムチャリンダ龍王」とのお告げを
聞いたのです、と力説しています。

これって、ムチャリンダ龍王説ではなく、ムチャくちゃな独説です。
何故ならば、阿含経の説話としてあるのは、ムチャリンダ樹においての
釈尊の解脱三昧の描写であり、それは七重にとぐろを巻いたナーガだとある。
話しを摩り替えるにもほどがありすぎだと、読者は思いませんか?

岩波仏教辞典
竜「naga」:(那伽)と音写。蛇に似た形の一種の鬼神。
天竜八部衆の一つ。インド神話におけるナーガは、蛇(特にコブラ)を
神格化したもの、、、。
竜王「naga-raja」:インドにおいて、主として非アーリアン民族の間で
行われた一種のトーテミズムとしての蛇崇拝が仏教にとりいれられ、
中国において四神の一つでもある竜神信仰と混淆(種々入交じる意)した。

つまり、桐山さんのムチャリンダ龍王の解説は、学説や定説を知りながら、
混淆された中国風の竜神信仰を、自己申告付きで、全くの独善的主張を
展開したに過ぎません。
これを
丸かじりし、食して栄養なのだ、と思い込んでいるのがアゴン信者さんです。

350ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 13:09:00 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんも現地参拝に出発したかな?
雨や雪の降る星まつりは過去に何回もありましたが、雪が積もった状態での
星まつりは記憶にありません。
雪かきしとかんと足場とかかなり危なくなるが。
早朝をどうするか。

351天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/10(木) 13:36:17 ID:ABUYMjug0
>>350 さて、どうでしょう? 自分教だから京都までいく金を掛けてない気が
するのは私だけ?

おそらく東○本部での中継は見るかもしれないが、それでも定かではないと。
去年も「お護摩がどうの」とはあまり言ってなかった気が。
もう護摩もどうでもいいんじゃないのか、と推察しちゃいます。
だって自分の考えに突き進む人ですからね〜、とかw

352ラシン:2011/02/10(木) 14:06:06 ID:x9FuHHv20

11日の星祭にどれほどの参拝者が参集するだろうか。
教団発表など、ウソばかりで当てにはなりません。
信者さん達は、聖師の下で聖衆の仲間入りをしたツモリの
お役や参拝の自己満足感を達成するのでしょう。
その気持ちは、私も元信者だからよく理解の内です。
少しでも悪い因縁から逃れたいために世界平和を祈願する。

火炎を清浄と考えるのは、何でも燃えるからだが、
必ず、ススや灰は残ります。
その火炎が、五陰に潜む因縁(原因)を燃やしてくれるの?
因縁とは因果であり、原因結果なのに、それから解放される分けなの?

糖尿病の原因は、通説では食の生活習慣病と考えられています。
最近のそれは、カロリーではなく炭水化物の多量摂取らしい。
また諸説あって、細胞受容でのGTF不足が、インスリンと
インスリン受容体の元気を奪い、それが糖代謝の異常を起こすと言う。
ただ何れにしても、食習慣との因果関係は否定できない。
それを節制することが、その生活習慣病を防ぐのです。
食という欲を節制する、すなわち食欲という煩悩ではないのか。
そういう所謂、食い意地を原因として病という結果が出てくるのですから、
煩悩を統御し、最後には滅尽しなさいと釈尊は説いています。

ところが、桐山さんは因縁を切れと言う、しかしその矛盾が「輪廻する葦」に
桐山さん自ら記説しています。(続く)

353天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/10(木) 14:08:13 ID:ABUYMjug0
>>349 星祭り前だからか?投稿が減りましたな。少し書きますか。

ラシンさん、ご意見ありがとうございます。資料の事ですね。お読みいただいて
ありがとうございます。お役に立って居られる様で本当に私も嬉しゅうございます。

私も当時(昭和58年)にアルバイトをしてお金が手に出来たことも有って、
本屋で定価で購入したものです。まあ、今のようにブックオフも無かったので当然と
いえば当然でありますが、買って読むふけったものです。

ですが、そこに欺瞞を見つけられることができず額面どおり受け取った自分がいました。
懐かしい過去でありながら哀しい過去でもあります。

また当時はよく「現形写真」が通用した時代でもありました。
しかし、数年前から今度は逆に「現形写真」が通用しません。

いまどきの若いものは霊性も無いのか? 龍と蛇の違いも分からないのか?
と思ったものですが、まさか今になってその逆を知るとは思いもしませんでした。
蛇を龍だと思ったのは「私の方」だったからです。

また「霊障を解く」のジュンテイ尊の護摩現行の写真を拝受している人がいて
当時は羨ましく思ったものでした。ですが、いくら拝んでも効果が無いので意味無し。
私も別な現形の写真をいただいて(御霊入り)祀りましたが何も無かったですよ。

写真に気合だけを入れただけなんだから、話にならんですね。ああ。

信者が変に祀り上げるよりも、学者さんの解説のほうが正しいのは今になってみれば
そのとおりだったと痛感します。

354無関係な人間です:2011/02/10(木) 14:57:23 ID:Iygn1e8Q0
 体調を少し崩しておりまして、失礼をしました。
明日は阿含の星祭りですね。地元、京都では、さかんに阿含宗がテレビで宣伝をしています。が、
職場でも、街中でも、阿含宗の「あ」の字も聞きません。地元でも全く無視されています。

 ちなみに、本日の京都は朝は晴れていましたが、昼から曇りだし、急に寒くなり、小さな雹も
降ってきました。明日は仕事はお休みですが、どうしたものかと思案をしています。あ、星祭りには
いきませんが。

355ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 15:15:42 ID:SmEF4Oe2O
祭壇の裏手の斜面って雪が大量に積もった場合、危なくないか?雪崩の心配。
上の結界では高熱の炎。
裏手斜面は例年防火班が消化ホースを持って引火しようものならばすぐに
消火できる態勢で取り組んでいるところだ。
足元が雪崩を起こす危険性とかは今までは例がない。
まあ樹木がどれだけ覆われているかだけど。
下は参拝道だし。
万一の事故は取り返しがつかない。
火を焚いているだけにスキー場の管理とは違うはずなんです。
消防署がどういう指導をするか?
雪崩の心配はそこだけではないかもしれない。

356ラシン:2011/02/10(木) 16:10:59 ID:x9FuHHv20
>353 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/10(木) 14:08:13 ID:ABUYMjug0
>また当時はよく「現形写真」が通用した時代でもありました。

私も仏間に飾って満足していた口で、まことに恥ずかしい限りです。

続きです、「輪廻する葦」2

桐山さんの霊障解脱の根拠はこの「輪廻する葦」に出ています。
異陰相続す109〜117頁にわたる偽造された力説解説です。
要点は、「陰と与に相続して生ず」を「異陰相続して生ず。」と、
ぎぞうしたことです。
ここではagama考察室http://agama.zouri.jp/framepage9.htmlに、
詳細に看破されていますから省きますが、一つだけ記説します。
正しい國訳一切経の書き下しにおいては、
「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて陰と與に相続し生ず。」
慢とは煩悩ですから、
「慢を断じられないゆえに死んでこの五陰を捨てたとしても、
 陰と連れ立って次に生じるのである」
では、
この「與=与」の意味である連れ立つ何が、この陰と一緒なのか?
答えは簡単で、そこれこそが慢という煩悩が一緒だからですよ。
つまり煩悩とこれらの陰が、ともに相続し関連しあって次に生じるのです。
それを、桐山さんは霊魂=異陰と姦計し、霊障解脱の根拠としたのです。
信者は信者で、この桐山奸謀を丸呑みさせられたのです。

357ラシン:2011/02/10(木) 16:12:13 ID:x9FuHHv20

「輪廻する葦」3
241頁 ”奇なるかな成仏法の威力”

私も信者さんもこの手合いの桐山標語に弱いんですね。
この目次のお題をつけた理由は、引用した雑阿含経「出家経」の
末文にあるのです。
桐山さんは、婆蹉種という弟子の感嘆言葉を悪用したのです。
引用した経文を掲載します。

「甚だ奇なり。仏・法・僧の平等法律なることや。」

ようは、
「大変に言いようが無いほど尊師の定め、教示する、
 差別無き法えと戒律なのですね。」と、
感動したのです。
それを桐山さんは、抜け目無く律を省いて成仏の法だけを強調した。
しかし、問題はこの雑阿含経「出家経」の下記の部分を刮目すべきです。

「衆多の比丘ありて、此の法律に於いて諸の有漏を尽くして乃至後有を受けざるなり」
意味は、
「多くの出家者が、私の法と律により諸々の煩悩を滅尽したので、
 次の生に転生しないのです」

さて桐山解説では、
有漏とは、五官の欲望から出る執着であり、きちんと煩悩だと前置き解説して、

「無漏はもうすべての煩悩がなくなってしまって、迷いも惑いもない。
 そういったものからすべて解脱し超越してしまっている」

ここまでは、漏尽解脱を完全解説していますが、次頁を見れば唖然です。

「後有というのは、のちの生のこと、未来の生です。
 後有を滅したもの、というのは、もう”因縁解脱”しカルマを断って
 ニルヴァーナに入り、転生しなくなったもの、ということです」

どうでしょう? このコロリと言葉を”転生”させて平気でいられる所行は、
厚かましく、なお恥を知らない稚拙さと、著書を発行するその度胸に驚きます。
これで信者さんは、
疑うことも知らずに「因縁解脱」をシャカが説いた、と慢信?することになる。

358ラシン:2011/02/10(木) 17:31:59 ID:x9FuHHv20
>どうでしょう? このコロリと言葉を”転生”させて平気でいられる所行は、

全く以って桐山さんの突っ込み所は、いたる所満載でしかも悪どい。
経典解釈は、いちおう学説を引用したまともなものです。
そこから社会生活などの比ゆを長々と面白おかしく述べて、
だから、これが因縁解脱なのだ、とお結びをつくって信者に食べさせる。
握り飯に海苔じゃなく、嘘を糊塗したおむすびだから信者に伝染するのです。

桐山さんの著書評を何かで呼んだ記憶では、品がない!の一言でした。
もちろん当時は信者だったから、反感を覚えた。
今にして、まさに正鵠を得た評価だと過去の”異”を正したい。

桐山さんが引用した経典でさえ、このように因縁減脱なんて表現はありません。
信者さんも、「輪廻する葦」や「間脳思考」など持っているはずだから、
それを読み返してみたらよいと思います。
書かれてもいない語句をあると読み取るのが、超能力や思念相承だとは言えません。
深く感じ入ってインスパイアーされただけなら、まだわかります。
無い語句をあると信じるのは、脳の病気と笑われます。

359ラシン:2011/02/10(木) 18:15:06 ID:x9FuHHv20

まあ、紀元節を星祭にする桐山さんの姦計には反吐が出ます。
氏は、保守本流の憂国の士でしょうか?
違います、徴兵を逃れた当時で言えば逆賊の士、非国民ではないのか。
戦争を反対するなら、それがその人なりの理由を以って分かります。
誰でも戦争は嫌であり、したくないでしょう。
しかし、国を守り家族を守らねばならない状況下に於いて、
桐山さんに徴兵逃れの疑惑があることは、
批判諸兄、特に深山さんやユビさんから指摘されている。
当時の教育では、天皇は神格視されたが、家庭の範たる存在と、
国家を守る象徴でもあった。
日本は神国という考えに、国民は一致結束していたと思います。
日本のその神道は文化そのものであり、その象徴が2月11日です。
それを先祖の悪霊化した霊障取り除きごっこをするなどは、
紀元節という国そのものの祖霊を侮蔑している行為に他なりません。
そんな星祭など、魑魅魍魎や動物霊が参集しても清浄などありようが無い。

360無関係な人間です:2011/02/10(木) 19:47:16 ID:Iygn1e8Q0
>>359

 ラシンさんの言われる事に賛同します。本当にその通りだと思います。

桐山さんは、徴兵拒否で国家を騙し、えせ○○で多くの信者さんを騙し、あまいささやきで女性を
騙し、誇大広告で世間を騙しました。激しく糾弾されるべきだと思います。

361ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 20:16:29 ID:SmEF4Oe2O
そもそも雪の積もった山の上で巨大な焚き火を一日中続けるってのが常軌を
逸してるんだよな。
本当に積雪量が多かったら中止だぞ。
いや、延期すればよい。
1987年などは焚き残して3月にもう一回焚いたくらいだ。
そりゃここに来て延期するのは大変な損失です。
しかし安全第一です。
万一大きな事故があったら来年以降開催が危ぶまれる。
それを考えたらコンディション不良にて中止、延期にするのが賢明です。
それを自分らで決断したらその英断は評価します。
消防署の指導、勧告、命令による中止ならばそれはラッキーと思わねばならない。
事が起きてからでは遅過ぎるからです。
そして来年以降はこの危ない時期をはずせばよい。
星祭、星供は節分に行われることは他の密教寺院でも多いというだけで実は
きまりがない。節分でない季節に行う寺院だってある。
ましてや星供を山の上で柴燈護摩の形式で行い、それも超巨大規模ならば
もう少し考えるべきである。
最初から季節をずらせばよいのだ。
明日は会場係だけでなく護摩木販売やお札販売の売り子も、参道を固めることに
専念し、参拝者の安全を守ることだ。
事故がないことを祈る。

362ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 20:24:40 ID:SmEF4Oe2O
足場を考えると、桐山さんはオーラの祭典の時と同じく御輿に担がれるのが必至だな。

363ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 20:27:22 ID:SmEF4Oe2O
http://www.agon.org/m/

しかしこの携帯サイトのホシモビ、人相の悪い山伏だなw
少年漫画の不良番長の世界みたいw

364ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 20:57:37 ID:SmEF4Oe2O
怪我人が出ても事故ゼロなんて言うんだろな。

365天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/10(木) 21:11:06 ID:ofEWv1NY0
ラシンさん、解説ありがとうございます。再勉強になりました。
阿含宗の欺瞞を何度も確認することは本当に有意義なことですね。
特に最近記憶力が落ちてきたので、私は必須な事項だと痛感いたします。

ユビさん、確かに降雪が懸念されますが、北海道などや豪雪地方ほど降らないのでは?
というか降ったらおそらく柴燈護摩初の事項になるでしょうが・・・。
個人的には悪業だらけの教祖に何かの罰が当たって欲しいものですけどね。

366ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 22:32:33 ID:SmEF4Oe2O
>>365
雪に弱い都会の東京の明日の雪の方が気になるけどね。
京都は今どんなんだろう?
気温からいって湿れば間違いなく雪なんだが。

367ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 22:41:49 ID:SmEF4Oe2O
199何年だったかな?
現地修行を終えて関西総本部に泊まった。
翌日は後片付けだ。
朝起きたら銀世界。
あれま?昨夜そんな素振りなかったのに。
朝飯食って本堂で待ってたらバスが登らないので中止とのこと。
だから一晩で積もる時には結構積もる。

368ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 22:45:57 ID:SmEF4Oe2O
明日はスキーを履いた龍神が現形するんじゃないですか?

369天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/10(木) 22:49:42 ID:ofEWv1NY0
バスが登れないで中止・・・そういうことがあるんですね。

なるほど!スノボをつけた龍神もアリかもwww

370ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 22:56:35 ID:SmEF4Oe2O
>>369
関西総本部から東山ドライブウエイを登るルートです。
これは登れない。
しかし国道1号で東山隧道越えるだけのバスだったら動くと思う。

そうだ!桐ちゃん、ソリに乗って登場もいいね。

371ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 22:59:38 ID:SmEF4Oe2O
クイズ
明日阿●快さんは何遍転んでみせるでしょう?

372ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/10(木) 23:15:47 ID:SmEF4Oe2O
ありがさんがころんだ


荒らしになってきたな(^^;)

373ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/11(金) 07:50:52 ID:SmEF4Oe2O
東京はまだ降雪の段階で積雪にはなってないが、京都も積雪の方は大したことないかな。
雪がみぞれから雨に変わり昼にはあがりそう。
足場はぐちゃぐちゃ、傘必携のいやらしい天気だな。

374ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/11(金) 08:06:20 ID:SmEF4Oe2O
いや、未明から昼まで大雪だな。

375無関係な人間です:2011/02/11(金) 09:20:38 ID:HSCP19nk0
本日の京都は朝から雪です。
まだ積もってはいませんが、気温も下がっており、交通には
要注意です。

376天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/11(金) 10:56:13 ID:EGdhtb3E0
無関係さん情報ありがとうございます。地元の人がくれる情報は便利ですね。

豪雪にはなってないが、路面などには注意が必要、という程度でしょうか。
私もその感じかな、と想像していました。
もっと降るとユビさんが過去に経験したような感じになるんでしょうね。
そうなると参拝者も減りますね。

今年もまた「何々が現れた」とかやるんでしょうね。
で、阿藤さん、そんなに転ぶんですか?ユビさんwww

377無関係な人間です:2011/02/11(金) 12:15:19 ID:HSCP19nk0
ただいま、雪が止みました。でも、晴れてはいません。
ちなみに、山科区です。

378ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/11(金) 13:36:38 ID:SmEF4Oe2O
>>376
阿藤さんについては彼のキャラクターを考えての表現です。
巨大に似合わず忙しなく落ち着きなくちょこまか動き回るでしょ。
そのキャラで雪に滑って転んだら面白いなと。
阿藤さんアゴン宗を擁護しなければ嫌いな人ではないのだが。
で、阿藤さんが転ぶより3年連続司会となる有賀さつきさんが転んでパンツでも
見えてしまった方が面白いかなと。
有賀さん、今年もあの大きな目玉でゲイカヨイショの市川森一センセーを
この世のモノとは思われないばかりにマジマジと見るのでしょうか?
ゲストの書道家、武田双雲さんは何か一筆書いたのかな。
私は半日の休日出勤が終わって今から帰るところです。道草食いながら。
東京は大雪になってきました。
積もらない雪なら今回が初めてではありません。
一日中雨に祟られた年もあります。
こういう悪条件の時は桐山さんは逆手にとります。
雪のふりしきる中修行者の姿が感銘を与えるとか。
齢九十の管長を筆頭に。ストーブがあれば大丈夫大丈夫。
しかしこれが数日間続いた雪で積雪の山だったらそこで大きな焚き火をするなんて
眼下の山科の住民に対しても不謹慎と思うのは私だけでしょうか?

379無関係な人間です:2011/02/11(金) 14:15:21 ID:HSCP19nk0
京都もようやく薄日がさしてきました。
でも、まだ、寒いです。

380ラシン:2011/02/11(金) 14:35:02 ID:ka3sgn0E0


花山より美山でしょう、京都ならというか丹波からですが。
私は鞍馬山を超えていきましたけどね、このアクセスは大変でした。
紅葉の時節は、山が燃えているようです。

ところで京都って、どこどこ下ってとか上ってとの言い方をしますね。
なんせ右側が左京で、順逆あべこべが面白い。
私好みは、石塀通りですね、まあ、夜の花見小路は別ものですが。
桐山さんの京の贅沢ぶりは、想像つきますよ。
せいぜい祇園くらいまでで、宮川あたりの屋方で朝飯でも食ってみろって。

信者さん方々、事故が無いようにだけはお祈りします。
寒いから、結界など気にせずに焚火で暖を取るほうがありがたくってエエよ。

381ラシン:2011/02/11(金) 15:02:56 ID:ka3sgn0E0

送迎バスでの事故が懸念されますね。
無関係さんなら分かるでしょうが、
京都の人ってイラチが多い、いわゆる短気なんです。
桐山さんみたいにね。
だから交通マナーは、東京に比べてかなり悪いです。
あと、京都生まれは顔が濃〜い。
昔から内乱の最終地だったから血が混じった結果です。
本当の京美人は、外人並の顔立ちです。
戦争の被害者は、必ず庶民が割を食う、レイプです。
西欧人に比べてその割合度は低いでしょうが、
それでも略奪と強姦は戦果の付き物ですから結果は混血です。
焚き火でエセ平和を祈って自己満足するより、
そういう過誤を宗教を超えて懺悔し鎮魂するならエエけど。
信者時代、本殿を歩いて清浄の気持ちなど起こらなかった。
それより平安神宮のほうが、清らかさを感じた記憶があります。

382ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/11(金) 15:17:26 ID:SmEF4Oe2O
>>380
その通りですね。
いかに批判側とはいえ事故の被害者だけは出て欲しくない。
洒落にならんからです。
事故が起きるくらいなら中止、延期にした方がマシと書いた所以です。
でも本当に中止命令になったら神仏の加護はなかったのか?と批判する気だった
のでしょ?と突っ込まれれば、そりゃそうだw

383無関係な人間です:2011/02/11(金) 17:23:29 ID:HSCP19nk0
 連休中の京都は人と車で市内は動けない状態になるのが普通ですが、今日は
静かです。寒いし、朝は雪が降っていたので、観光どころではないのでしょう。
 ところで阿含宗側は、今日は何十万人もの人間が参拝をしている,と宣伝をしており
ますが、会場の近くにいる人間から見て、その割には京都市内に人間が少ない、というのが
実感です。参拝だけして、すぐに出身県に帰るのなら別ですが、他府県から
何十万人もの人間が殺到したのなら、京都市内はもっとにぎやかになっているはず
だと思います。
 あと、阿含宗の星祭りは、京都市内でも全く無視です。
昔なら、職場の女子社員が友人に連れられて参拝をした、という程度の話は
聞いたのですが、最近は話題にもあがりません。それだけ信者さんが減った
のでしょうか。

384名無しさん:2011/02/11(金) 17:52:44 ID:VKTfwnEQ0
京都市五山の禅宗の送り火(大文字焼き)は京都市登録無形民俗文化財だけど
阿含の星祭りも500年もつづけば無形民俗文化財になれるんかね?

385無関係な人間です:2011/02/11(金) 18:11:42 ID:HSCP19nk0
>>384

500年後に阿含宗や星祭りが存続しているか、という論点は別にして、
一般の京都市民の市民感情から言うと、それは難しいと思います。

386準シュダオン:2011/02/11(金) 18:21:49 ID:1F7rdgXk0
イベントはイベント、観光や参拝者が多いから真っ当な教団とは言い難い。
日本にそんなに多数の、質の高い仏教徒がいようかw?
ひろさちやさん、なんて1冊2,100円もの高額な「釈迦」という本を
出したばかりだ、大乗仏教の視点でね。レベルの低い時代遅れの仏教書、
だということは、読まずとも私にはわかる。私の二十代の頃は、そういう
欲(煩悩)を捨てて平安に生きよ、それが仏教だ、というわけのわからん
本が氾濫していたからね。

そういうこと言いつつ、ひろさちやさんは自宅に金の延べ棒蓄えてて、
泥棒に盗まれて、泣きべそかいてたw。そんで、またひと儲けしようと、
大乗仏教に、ゴマすり本を書いたのだろうね。阿含経の、根本仏教本出した
とて、既成仏教に睨まれるだけだからね。
その点、平河本に書いた、仏教学者は、骨のある本物の学者だってのよ。

387準シュダオン:2011/02/11(金) 18:48:40 ID:1F7rdgXk0
本物の学者でも、何でも正しいとは言えないよ。ユビキタスさんが、小学館
のバウッダを引用してたけどさ。あの釈尊は、超自然的なことは排除した、
との記述をした三枝先生も、立派な学者だけどさ、でも間違いも書いてるんだ。
ユビさんが引用したんは、バウッダの114頁だね。その隣の115頁に、
十難の内容を書いてますね(あるいは十四難)。
そしてその次の116頁に、十難については無記で通したが、阿難には、
ふと、無記のものは無記のまま了解せよ、とか説いたという。
それ以外は、釈尊はつねに無記をとおした、と書いてます。

しかし、違うんだなあ、これが。十難の中には、例えば、如来が死後は、
存在するか、存在しないか、などの問題もある。わたしは、この十難に
ついて、阿難に答えた経を、平河本の現代語訳長阿含経の中に発見した。
ゆえに、三枝先生の過ちを指摘できる。
しかし、本日は、星祭りのお祝いをして、少し般若湯を飲んでるから、
それについてはレス出来ない。正確を期さねばいけんからね。

と、いうわけで、ユビキタスさんよ、例え、バウッダの本を丸暗記できたと
しても、シュダオンにはなれないよ。仏教知識は、博士並みになろうと、
それでシュダオンに成れるというわけでは、ないのだよ。
それからね、バウッダ本の150頁に、涅槃の説明が詳しく書かれてますが、
これは60点くらいの出来です。私が教授なら、三枝先生の涅槃についての
説明には、60点しかあげられないね。それはなぜか?
それは、阿含経と、前期大乗と、後期大乗で、涅槃・解脱の定義が違うから
です。三枝先生はそれを無視して、仏教の涅槃はこれこれこうだ、と説明して
います。それでは肝心なことを説明していることには、なりません。

388ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/11(金) 18:51:00 ID:SmEF4Oe2O
>>386
IDが変わってないところを見ると自宅だな。
つまり星まつり現地参拝には行ってないと。
よかったですね。こんな悪天候の時には参拝するのもしんどいし馬鹿馬鹿しい。
もうあんな焚き火なんかに興味ないでしょ?

389ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/11(金) 18:57:28 ID:SmEF4Oe2O
>>387
あなたの場合、般若湯ばかり飲んでると、特にこの季節逝っちゃうぞ。

390ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/11(金) 19:06:46 ID:SmEF4Oe2O
>>387
根拠の経典を示す示さないはあんたの決めることだが、するってえと、シャカは
二枚舌とでも言いたいわけ?
十難、十四難に無記の立場をとったのは三枝さんの想像ではなく、そういう
漢訳やパーリの経典を根拠にしている。
あなたのいう平河阿含経があなたの解釈のとおりならば、釈尊の二枚舌を証明
してみせたと言いたいのかな?

391ラシン:2011/02/11(金) 20:10:45 ID:ka3sgn0E0
>387 :準シュダオン
>しかし、本日は、星祭りのお祝いをして、少し般若湯を飲んでるから、
それについてはレス出来ない。正確を期さねばいけんからね。

準シュダオンさん、
やはり星祭に参拝せず、酒を飲んでいた。
アゴン宗信者としてはあるまじき行為です。
また、
あなたが言う、正確を期した主張などほとんどありません。
私が、桐山さんの著書のウソを批判したように書いたらどうだ。
その桐山さんのような姑息さを真似て”正確”なんて、
頼みますから、笑わさないで欲しい。
ここは桐山教義やアゴン宗を批判するスレッドです。
ひろさちやなんて自称評論家で、学者でもないのだから止めなさい。

今、ユビキタスさんが唯一の相手だからと言えど、
ここは介護掲示板ではないから、勝手な自分教なら別スレへ行きなさい。

2chを見ても、ゲロを吐き続ける元信者を深山さんが、
孤軍奮闘で相手をしている。
だが、そういうアラシ行為は絶対終わらない。
今のあなた同様、ゲロ吐き人間は無視するしかないのだ。

昔のあなたはまだ桐山擁護論があり、反レスをつける意義もあった。
だが、ここに至っては、あなただけを非難する行為になってしまう。
深山さんが、いくら立ち位置を桐山批判においていると言えども、
2chでゲロを吐く行為者の言動に目が向くのと同じです。
アゴン宗信者の末路など、充分あなた達で証明している。

議論すらできない状況では、そのような擁護者など無用です。
ユビキタスさんの優しさに甘えて、ゲロを吐き続けるのは止めてくれ。

392ラシン:2011/02/11(金) 21:37:22 ID:ka3sgn0E0

事故なく祭りが終了されたと願いたい。
批判者であっても、無事を願う気持ちはあるのです。
焚き火を拝む過ちを批判はしても、私たちも元信者だから、
会場整理のお役は大変ですし、ある種、達成感も理解できます。
経験なき人に分かりようがないほどの使役労苦だと。

何度か先述したとおり、私が信者時代、2chで桐山さん批判を
長年ロムしていた。
だが、議論に参加できないと痛感させられていた。
深山さんがよく言うところの、反論など簡単だと思いながら、
いざ文章にすると、とてもじゃないが、理屈が成り立たない。
ユビさんの擁護の理屈のもどかしさにも、イラついたほどだ。
だが、
なんとか論破して欲しい反面、批判論に勝てないと感じていた。
それなのに退会できない自分自身が情けなかった。
しかし、
ユビさんは潔く決断したのには、驚きでした。
勇気ある行動です。
私の長きに渡る優柔不断の決別に励みがついた時です。

それと同じことを天照さんがしていました。
第二のユビキタスさんだと思った。
私が当時の天照さんへ意見を開陳しなかったのは、
そんな時代の私の過去を考えて、とてもじゃないが
資格がない。

ユビさんと深山さんが其々に説諭しました。
そこで、
天照さんと私の違いは、それを公然と疑問考察し、掲示し、
確認して学んだことです。
そして、間違った証拠を正確に偏向なく考察室を作り上げた。
その天照さんの行動力には、本当に感服します。

だからここの板の意義を忘れたくない。

ー「このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です。」ー

これがスレの趣旨だと言うことを。
考察と検証や意見交換をできないなら、どんなご立派も必要ありません。

393Boo:2011/02/11(金) 22:30:08 ID:x7TpQ8xA0
>だからBooさんが悟ったように、こんな十二縁起なんて別の物をわざわざ使用
>しなければならないことに疑問を感じるはずです。
>準シュダオンさんも方程式の応用は難しいと書いたようにそんな難しいややこしい
>十二縁起を根拠に縁起解脱、因縁解脱なんて造語すること自体に普通の人なら
>首を傾げるはずです。

そうなんですね。まったく異なった事象を三段論法で結論するようなことだったんです。
 A→B
 c→D
 ゆえに
 A→D
という理屈をどうしたって論理で説明できません。
釈尊の哲学と桐・山師の妄想を論理的に矛盾なく繋げて説明しようって言った
って無理なんです。桐山氏が密教占星術で言うように、○○の因縁の算出の
方程式が仏教の輪廻思想を源流とするならば多分容易に説明できるのでしょうが
「○○の因縁」自体が桐山氏の妄想か他教団のパクリに源流があるわけですから
なんのこっちゃ、ってな具合ですね。それを一生懸命12因縁で説明しようったって
無理ってもんです。私が長いこと洗脳されていたにもかかわらず、その洗脳が
解けたのは、「○○の因縁」と分類される「密教占星術(学)」も他の高度な
占星術も存在しないことを発見したからに他ならないんです。

ちなみに森田龍僊師の「密教占星法」も目次だけですが、「人はどんな因縁を持つか」
のような項目はありませんでしたね。

○○の因縁って、どんな「星占い」で出してるの?準シュダオンさん。

394ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/11(金) 23:02:21 ID:SmEF4Oe2O
>>392:ラシン11/02/11(金) 21:37:22 ID:ka3sgn0E0
>それと同じことを天照さんがしていました。
>第二のユビキタスさんだと思った。

私自身がそれを最も強く感じました。
私の時の態度とよく似ているのです。
天照さんが大日如来と名乗って初登場した時の態度はお世辞にもよいものでは
なかった。
しかしユビキタスだって同じなんです。
ユビキタスが初登場したのは29スレなんだが、後に明かしているが、28スレの
時に既に書いているのですね。別の浮動ハンドルで。
最初に準胝、次に真言行、それからウミタコ、ウミタコ竜王などで最後は脳障害
で終わっている。
この初登場の準胝君の態度が鼻につく。
「ここで議論することってアビダルマになるのかな?まあアビダルマの何たるかを
知らない人には・・」ってな内容でした。
批判側に対してきちんと反論する擁護側信者がいない。
馬鹿丸出しのよー痴ばかりで。
これってマトモな信者はこんなスレを相手にしない見識があるのだろうか?と思った。
そこで私は(信者仲間に対して)提言のつもりで書いた。
批判側の批判に対して反論を試みることって、自分たちの教義実践に対して
どれだけ理解深化しているか図るバロメータみたいなもので、一種のアビダルマに
なるんでないの?だから自分は自分自身に対するアビダルマのつもりで君たちの
見識などかなぐり捨てて議論に参加するよという表明です。
この考えは今でも間違ってないと思うし、問題のある態度ではない。
問題なのは次のセリフで、アビダルマの何たるかをわかっていない云々です。
これは批判側に対してイヤミをこめたつもりだった。
君たちってさあ、アビダルマとか知ってるの?と相手を見下す態度です。
よくもまあ自分よりも仏教知識の詳しい先輩たちに何も知らずにこんなセリフを
吐けたものだと汗顔の至りです。
他の書き込みでレベルと書けば済むものをレヴェルなんて気取って書いたり。
これは大日如来さんが初登場の時、最近ここも盛り上がってないからネタを投下して
相手にしてあげようかみたいな不遜で高慢な態度でした。それが準胝君や真言行君
とそっくりだった。
しかしウミタコ連合はその後少しの議論で相手の実力を感じる。
これはこんなふざけた態度ではなくもっと誠意ある態度で対峙せねばならないと
してコテハン化したのがユビキタスです。
同じように大日如来さんも態度を改めた。

395ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/11(金) 23:31:43 ID:SmEF4Oe2O
>>392:ラシン11/02/11(金) 21:37:22 ID:ka3sgn0E0
>私が当時の天照さんへ意見を開陳しなかったのは、
>そんな時代の私の過去を考えて、とてもじゃないが
>資格がない。

そうは仰いますが、たしかに擁護側信者時代に擁護の戦いを挑む書き込みは
しなかったかもしれないが、退会をしてからは書き込みをしているわけです。
実はこれ自体極めて稀で、氷山の一角とも思われます。
つまり大概の信者さんはロムしていて、目が覚めて退会に至ってもまだロム専任
であるか、あるいは卒業して去るかで、要するに書き込みをしない。
それを考えるとラシンさんのようなロム→悩み→退会に至った潜在数がどれだけ
いるのか計り知れない。
ラシンさんはそれでも他のロム者に比べて勇者の面があるのです。
私自身感じたのだが、退会して卒業してスレを去ったり、ロムに徹しないで
批判の書き込みを続けてよかったと思う。
先に書いたように自分で批判を書くことにより、書いてから自分で吃驚するくらい
新たな発見があった。
何よりも自分に役立ったわけです。
ペテン大作さんみたいに一度退会同然のアゴン宗離れをしていながら、揺り戻しも
あり元に戻った人までいる。
私にそれがなかったのは、もともと書くことが好きだったせいもあるが、
ユビキタスのパーソナリティを伸ばして書き込みを続けたことが功を奏した。
私がまたアゴン宗に戻りたくなった時、対決しなければならない最強の敵は
このユビキタスなんです。これは自分が作り出した自分そのものなんだから
深山さんその他の強敵は避けて通れても自分からは逃げられないからです。
ユビキタスが偉そうに書いてきた批判の数々に納得のいく反論ができなければ
ならないからです。
天照さんも同じで彼はホームページを作ることが得意で趣味でもある。
この特技特性をうまく使った。
私は当初天照さんにも揺り戻しが訪れるかもしれないことを心配していたが
あのホームページを作った時点で、これはもう大丈夫だ、不退転だ、シュダオンだ(笑)
と確信したものです。

396ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 00:02:02 ID:SmEF4Oe2O
>>393:Boo11/02/11(金) 22:30:08 ID:x7TpQ8xA0
>私が長いこと洗脳されていたにもかかわらず、その洗脳が
>解けたのは、「○○の因縁」と分類される「密教占星術(学)」も他の高度な
>占星術も存在しないことを発見したからに他ならないんです。
>ちなみに森田龍僊師の「密教占星法」も目次だけですが、「人はどんな因縁を持つか」
>のような項目はありませんでしたね。
>○○の因縁って、どんな「星占い」で出してるの?準シュダオンさん。

ここですね。桐山さんは〇〇の因縁は密教占星術で導き出せるとした。
三元九星の四段掛けなんて因縁を抽出する密教占星術ではない。
桐山さんが言うにはカンを養うにはここから始めるのが練習になるとして公開した
練習台に過ぎず、まだまだ因縁を算出する運命学としての密教占星術には程遠い。
とにかくそれはたしかに密教占星法として古くから伝えられる宿曜占術から
導き出されるはずのものと示されている。
それが著書の密教占星術1です。
この著書の致命的なミスは「人はどんな因縁をもつか」で、各因縁に専門的な
難しい漢字の星の名前を付与したことです。
脳障害の因縁なら阿鼻惹星とか。
つまり古来より因縁を表す星が示されていたかのように示して、読者にそれらしく
訴えた。ところがこれは森田さんの密教占星法の復刻でわかったのだが
たしかにそういう星の名前があるのだが、それは房宿とか奎宿とか二十八宿の
サンスクリット名を音写して漢字の当て字をしたものだった。
すると桐山因縁とは二十八宿のことになる。二十八宿のあるものはガンだったり
横変死だったり脳障害だったり。
こんな馬鹿な話はない。
桐山因縁とは作り話だとすぐにわかる。
これはBooさんにとっても最大のショックだったと思う。

397ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 09:26:29 ID:SmEF4Oe2O
>>384:名無しさん11/02/11(金) 17:52:44 ID:VKTfwnEQ0
>阿含の星祭りも500年もつづけば無形民俗文化財になれるんかね?

これで思い出すのは初期の月刊アーガマにあった対談シリーズで、桐山さんと
霊長類研究の今西錦司博士との対談。
この中で桐山さんは京都の古本屋の主人から、あの花山、百年もすれば立派なお山に
なりまっせと言われ、あと十年もすればではなくあと百年と言われたことに
さすが千年の都京都だなあと感じたと述べている。
千年の都を出したのは今西先生だったかな。
さて星まつりもまだ半世紀も歴史がないわけです。
星まつりの売りとはあの巨大な規模です。
やってることは柴燈護摩であり、これは全国各地で行われている火渡り含めた
柴燈護摩と変わりない。
アゴン宗がこれだけの護摩木を集めて巨大規模で柴燈護摩を行えるのは桐山さんの
求心力があればこそです。
しかし桐山さんは必ず死ぬし、星まつり五十周年を自ら焚くことは考えられない。
桐山さん没後アゴン宗は崩壊状態を引き起こすだろうが、解散することはなく
細々と続くことはあれだけ問題を起こしたオウムのその後を見てもわかる。
アゴン宗の場合も規模の大幅縮小という形で残る。
星まつり行事が残るとしてもそれは規模が大幅縮小される。
そうなるとそこらの寺院あちこちでやってる火わたりと変わりない。
これを無形文化財にするならば他の寺院の行事も全部そうせねばならない。

398準シュダオン:2011/02/12(土) 10:07:07 ID:1F7rdgXk0
三枝先生は、月刊アーガマに長く寄稿した、立派な学者であったから、
私は、バウッダの間違いの箇所について、気付いていたが、レスはしないで
来た。しかし、ユビキタスさんがP114の「釈尊は、超自然的なものは
すべて排し、捨てる」という、三枝先生の文を引用してきたから、三枝先生
の間違いを指摘しておく。

それは、P115〜116に、十難の記述がしてあろ。
1〜6は、省略するが、
7、如来は死後に生存する。
8、生存しない。
9、生存し、かつ生存しない。
10、生存するのでもなく、かつ生存しないのでもない。
こういう質問には、釈尊はつねに無記を通した。というのが定説であって、
三枝先生もP116にそう書いている。
しかし、私はこの定説をひっくり返す経を、平河本で発見していた。
釈尊が、阿難に説いた、次の文がそれである。

「阿難 此比丘当名為慧解脱。如是解脱比丘如来終亦知、如来不終亦知、
 如来終・不終亦知、如来非終・非不終亦知 」と、いう記述です。
これを、学者先生の訳に頼らずに、自分で読みとる力が付けば、これまで
釈尊が無記を通した、という説がひっくり返るでしょう。上記の漢文は、
十難の9と10が、同時に起こっている、というのである。
詭弁か?といえば、そうではない。但し、慧解脱した比丘でなければ、理解
できないのだ、と阿難に言っています。

399Boo:2011/02/12(土) 10:20:51 ID:x7TpQ8xA0
>「阿難 此比丘当名為慧解脱。如是解脱比丘如来終亦知、如来不終亦知、
> 如来終・不終亦知、如来非終・非不終亦知 」と、いう記述です。
>これを、学者先生の訳に頼らずに、自分で読みとる力が付けば、これまで
>釈尊が無記を通した、という説がひっくり返るでしょう。上記の漢文は、
>十難の9と10が、同時に起こっている、というのである。

おいおいおっさん。
「・・・・・というのである。」って誰の説を引用してるのだ?準シュダオンさん自ら
「学者先生の訳に頼らずに、自分で読みとる力」で読み取って、結果
「・・・・というのである。」という表現だったら国語力が低いし、学者以外の
誰かが読み取った伝聞を無批判にここにレスするなら、その学者じゃない奴の
漢文を読み取る力について、お聞かせ願おうじゃないか?

400準シュダオン:2011/02/12(土) 10:22:31 ID:1F7rdgXk0
「如来は生存し、かつ生存しない」と説く、釈尊の言葉をどう解釈すれば
良いのであろうか?勿論、慧解脱していない者には理解不可能だが、
私は、ヒントを得ている。
それは、「音楽というものはあるけど、ない」という議論である。
科学的に言えば、音楽というものはなくて、ただ音の高低と強弱の変化が
あるだけである。というのである。空気の振動数と振幅の変化だけがある
だけで、音楽という実態はない、と科学者はいいます。しかし、音楽家は
納得すまい。では、波の音や風の音も、音楽と言うべきではないか?
と、科学者は問う。

と、まぁ、私は上記の問答に、如来の存在、非存在の類似性を感じますね。
ユビキタスさんは、現世での解脱は無理でしょうけども、一度は阿含宗で
成仏法と縁をつけてますから、来世以降には、解脱できるでしょう。
だから、一刻も早く、反対のための反対は捨てて、客観的にものを見る訓練
をすることですね。それが我見を捨てるということですよ。

401ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 10:23:35 ID:SmEF4Oe2O
>>398
だからこれは如来に関しては、慧解脱を得た比丘ならばそれを自ずと知るのだ
と説いたわけではないか。
まだその域にも達していない弟子からの質問に「うん、存在するんだよ」「しないんだよ」
と明確に答えたわけではない。
相変わらず曖昧なままでしょ?
これまた無記と言うんですよ。
引用した経典からあなたの解釈を聞かせてください。
存在するんですか?しないんですか?

402準シュダオン:2011/02/12(土) 10:26:46 ID:1F7rdgXk0
BOO、なにーおっさん?
先ず、年長者に対する口のききかたを覚えな、この馬鹿者!

403ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 10:50:38 ID:SmEF4Oe2O
>>403
おっさん、おっさん。
相手の言葉に腹立てて馬鹿者なんて畜生言葉使っちゃいかんよ。
がまんしてでも余裕のある態度を示さないと。
それにスレ内では年長とか年少は一切関係ない。
対等であり、議論をするならばその内容の優劣だけが問われる。
あなたは実社会でも自分が年長であることをかざすことをしてきたのでしょうね。
私の感覚は逆であり、もし自分が年長とわかれば、相手を見下すような威張るような
そんな態度だけは恥ずかしいと心得ている。
だから敢えて年長者とわかっても敢えて容赦せず、逆に不遜な物の申し方をする。
逆に相手が年少者とわかれば極力敬語を使い遠慮も尊重もする。
年長者こそこきおろせ、逆に年少者こそこきおろされる覚悟で尊重せよがモットーです。
いや、本当は対等なんだが、敢えて差別化つけるとあなたの逆なんです。

404ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 10:54:00 ID:SmEF4Oe2O
>>402の間違いですた。
相手にさんをつけましょう。

405ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 11:05:56 ID:SmEF4Oe2O
>>398:準シュダオン11/02/12(土) 10:07:07 ID:1F7rdgXk0
>「阿難 此比丘当名為慧解脱。如是解脱比丘如来終亦知、如来不終亦知、
> 如来終・不終亦知、如来非終・非不終亦知 」と、いう記述です。

(学者の訳を読まずに意訳にトライ)
阿難よ、かの比丘はまさに慧解脱を得る。
かくのごとき慧解脱を得た比丘は如来が(死後)生存せず終わるのか、生存して
終わらないのか、その両方であるのか、両方でもないのか、それを知るのである」

つまり何も答えていないのです。
こんな回答で何が判別できる?
こういう表現を無記と言うのです。

406天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/12(土) 11:12:57 ID:9uJuCiKY0
議論中すみません。すぐ消えますので。

準さんの怒られたのも当然ですよ。Booさんはやはり短くても「準さん」と
発するべきでしたでしょう。
そしてユビさんの言われたことはそのとおりです。年長年下は関係ない。
掲示板では例えば中学生の参加であれ「社会人」とみなされます。
礼儀と常識は必要でしょう。
次回投稿よりその点に気をつければ、よろしいかと思います。

407ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 11:27:12 ID:SmEF4Oe2O
>>406
わかりました。それでは私の>>403のおっさん、おっさんも相手を挑発する
不適切発言としてここだけ取り消しましょう。
準シュダオンさん、失礼しました。

408Boo:2011/02/12(土) 11:37:40 ID:x7TpQ8xA0
>>406

スレをお読みの皆様に一部不愉快となる書き込みがあったこと、深く反省し
謝罪するとともに、今後このようなことがないよう努めてまいります。

409ラシン:2011/02/12(土) 12:18:58 ID:ka3sgn0E0
>393 :Boo
>○○の因縁って、どんな「星占い」で出してるの?

Booさんのご指摘通り、輪廻思想と桐山因縁は結びつきません。
ユビさんもBooさん同様、アゴン教学をよく知っているから、
言えることで、はっきり言えば独立採算で金を取ったのです。

本社は「因縁解脱」の売りなんですが、占い支店は「三元九星」を販売中。
売れりゃ何でもいいのです。
サプリもウルでよ、との乗りです。
元の九星なんてのはある種、人のバイオリズムです。
善い時もあれば悪い時もある、勢いだと桐山さんも述べていた。
これを統計的に振り分け、これ以上でも以下でもない。
桐山小説で以て、いかにも〇〇の因縁話しを創作して、
長屋の寅さん、八っあんの人情苦労噺となんら変わりません。

インドから中国へと変遷し空海が手直ししたような宿曜占星術は、
本質が、個人の性格・能力・人間関係・相対性と、
日々の運勢の鑑定による占いで、どこに運命転換術がありますか。
○○因縁など入り込む隙間もありません。
桐山さんが勝手にくっつけただけで、その接着剤が「信心」だったから、
まことに始末が悪い。
占いは売らない、じゃなく、売っちゃった桐山さんのうっちゃり勝ちか。
信者さんもその八百長ぶりに無気力なんですね。

410準シュダオン:2011/02/12(土) 12:58:56 ID:1F7rdgXk0
おっさん、にそんなに怒ったわけではないが、ちょいムッ、としたのですw。
ユビキタスさんの、漢文についての解釈は、学者の訳とはちょいと違います
よ。学者は、「如来は亡くなりかつ亡くならない」と、訳してますよ。
あまり詳しく引用すると、著作権違反になるでしょう。だからユビキタスさん
も、平河本を購入して、研究しなさいな。平河本現代語訳阿含経第3卷に
ありますよ。この講義は、無記ではなくて、ちゃんと如来の死後のことを、
説いていると思います。

「如来は(死後)、亡くなるのでありかつ亡くならない」のです。
詭弁のようですが、詭弁ではありません。
例えば、日中の明るいときを昼として、夜中の暗いときを夜としましょう。
では、夕暮れは昼か、夜か?
夕暮れは、昼+夜、とも言えますし、昼でも夜でもない、とも言えますし、
「昼でありかつ夜である」とも言えます。

まぁ、如来の場合は違うとは思いますが、夕暮れに似ているのではないですか?
「夕暮れは、昼でありかつ夜である」と、
「如来は(死後)、亡くなりかつ亡くならない」
その意味を理解するには、慧解脱、しないといけませんね。

411天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/12(土) 13:14:25 ID:9uJuCiKY0
>>410 準さん、またまた言い逃れをw
本を全部丸写しとかの掲載なら「著作権侵害(違反)」になりますが、一部引用はなりませんよ。
単に転載引用が面倒くさいからでしょう?

本を持っている人なら「何々の本の何Pの何行目から何行目まで」といえば済むが、本を持ってない
人に示すにはやはり示さないと。

412ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 13:32:51 ID:SmEF4Oe2O
>>410:準シュダオン11/02/12(土) 12:58:56 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさんの、漢文についての解釈は、学者の訳とはちょいと違います
>よ。学者は、「如来は亡くなりかつ亡くならない」と、訳してますよ。
>あまり詳しく引用すると、著作権違反になるでしょう。だからユビキタスさん
>も、平河本を購入して、研究しなさいな。平河本現代語訳阿含経第3卷に
>ありますよ。この講義は、無記ではなくて、ちゃんと如来の死後のことを、
>説いていると思います。

はははは。たかが数行程度の部分引用は著作権違反になりませんよ。
著作の半分以上引用したら違反になりますが。
第一あなたもこれまでに著作権違反をしてきた前科があるし、桐山さんなど
著作権法違反で逮捕される話になってしまう。
それよりもここできちんと引用しないと、何か隠してごまかしているのではないか
と誤解を受けるだけあなたが損です。
こちらはどうでもよいのですが。
第一その平河本、現在書店で販売されているのですか?
八重洲ブックセンターでも見かけなかったが。
学者の訳が亡くなるでもなんでもよいです。私のは意訳と断り書きした。
如来でも亡くなるのは当たり前ですよね。
釈尊の入滅がそれを証明している。もっともこれを説いたのは釈尊その人で
入滅前になりますが。
しかしその死後はどうなるかという話ですね。
ところで如来ではない凡夫なども死ぬけど来世にまた輪廻してきます。
これを以て凡夫もまた亡くなりかつ亡くならないなんて論法も可能です。
この論法から見ると釈尊もまた輪廻するなんて話になる。これはおかしい。
人間として生まれ変わるのではなく、仏界というところに神様みたいな存在として
生存を続けるというのもおかしい。それは天上界への輪廻を指すことになり
六道輪廻の苦界のはずなんです。
だから如来の死後というのは結局どういうものなんだか興味があるところです。
消滅して何もなくなってしまうのか。
ところがこの質問疑問に関して釈尊の回答ははっきりしない。
それははっきり答えていないのです。
無記の立場を依然として貫いている。
準シュダオンさんみたいな夕暮れ頭の人だけが勝手に禅問答みたいなものと
考えて夕暮れみたいなものだなんてピンボケ解釈をするだけです。
如来になると死後は夕暮れだ。わかりますか?これ?
尚準シュダオンさんのことを夕暮れ頭と書いたことは取り消しません

413準シュダオン:2011/02/12(土) 13:35:02 ID:1F7rdgXk0
ラシンさんの文を、ちょい読んだけども、やはり我見(決めつけ)が強過ぎ
ます。だから、事実を正しく見ることが出来ないのです。
前に、批判派と、善き友とは釈尊のことである、とか、否、釈尊だけとは
かぎらない(私の見解)とか、議論したことがあった。
そのときも、批判派の我見の強さを感じましたよ。

ちょうど良い機会ですから、ユビさんも持ってる、小学館のバウッダから
「よき友」を引用しましょう。バウッダのP24です。
第1部 三宝=全仏教の基本 僧、の解説を中村元先生が解説しています。
次の・・・以降から、次の・・・までが、中村先生の文です。

・・・「人は独立、自由を目指して、犀の角のように、ただ独り歩め」と
教えていた。しかし、修養につとめるということになると、修養について
指導してくれる人が必要になる。原始経典でも、一方では、静かな所にひ
とりで住め、と教えているとともに、他方ではまた、よき友をもて、と説
いている。真面目に修養につとめている人々のあいだでは、おのずから心
が通い合うことになる。そこで、聡明な友を得たならば、ともに行ぜよ、
ともに歩め、ということも教えられる。・・・

どうですか?よき友とは、よき法友のことだと思われませんか?
中村元先生は、そのように解釈されてるようです。
勿論、よき友の代表として釈尊も含まれますよ。しかし、阿含経典郡の
よき友の意味は、釈尊だけに限るとは思われません。
以前の批判派の方も、どなたか学者の、善き友=釈尊、説を強く信じ込ん
で居たようでしたが、もっと柔軟に考えたらよかろうと思いますね。

414天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/12(土) 13:56:58 ID:9uJuCiKY0
>平河本

リアル書店で扱っている店は少ないと思われます。
なのでWebで検索されるとかアマゾンだと売っているようです。
またはネットで取り寄せとか。

私もいつかは購入を、と思っていますが金額が高くて・・・。

415ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 14:04:57 ID:SmEF4Oe2O
>>413:準シュダオン11/02/12(土) 13:35:02 ID:1F7rdgXk0
>よき友の意味は、釈尊だけに限るとは思われません。
>以前の批判派の方も、どなたか学者の、善き友=釈尊、説を強く信じ込ん
>で居たようでしたが、もっと柔軟に考えたらよかろうと思いますね。

誰がよき友は釈尊「だけ」と主張したと言うのですか?
勝手なあやふやな記憶だけでなく、引用してみなさいな。
全文引用したとて著作権違反にもなりませんよ。
我々は掲示板に寄稿することでどこからも対価を得ていないのだから。
犀の角の教えとよき友の教えは矛盾しません。
基本は自立した自分であり、これが確立されており他人に依存し左右されることが
ないのなら、釈尊ならずとも同志の法友はよき切磋琢磨の相手です。
だからラシンさんや他の批判者が、よき友は釈尊だけを指すと書いた書き込みを
示してみなさい。

416準シュダオン:2011/02/12(土) 16:44:32 ID:1F7rdgXk0
善き友とは釈尊のことだ、と釈尊に限定されたから、私は釈尊だけではない、
と反論したのです。意見が一致していたのでは、議論になりませんから。
まぁ、過去に遡って確かめることはしませんよ。時間がかかるし。

凡夫が死んだ場合は、「亡くなりかつ亡くならない」とは言えませんよ。
如来の、「亡くなりかつ亡くならない」とは、「存在しかつ存在しない」
という意味です。しかし、凡夫の場合は、必ず輪廻しますから、存在しない
とは言えないのです。凡夫の場合は、必ず輪廻する何かが存在するのです。

学者は、「如来終・不終亦知」を「亡くなりかつ亡くならない」と訳して
ますが、「存在しかつ存在しない」と訳した方が、解かりやすいのではね?
その方が凡夫との比較がしやすいです。

○○の因縁(運命の星)が、存在するのかしないのか、それを理屈で証明する
ことは出来ませんね。信じるか、信じないか、しかありません。私だって、
名簿の一覧表に、偶然チェックが入って、偶然その3人に遭遇する事件が
あったから、運命を信じるようになったわけです。だから、車の無いある人
から、霊能者の占い師まで車で送ってほしいと頼まれて、引き受けたのです。
そうでなければ、「占いなんて、止めとけ、アホらしい」と、答えてましたよ。
(つづく)

417準シュダオン:2011/02/12(土) 17:05:07 ID:1F7rdgXk0
で、その相談者を某占い師に連れて行きました。そんで、更に驚いた。
占い師は、目を開けたまま、その相談者の数十年前の動作を、演じて見せた
のです。「あなたの災難続きの原因は、これこれらしい」と、ね。
そしたら、その動作は、数十年前、その相談者が家畜虐待ともいえる内容の
ことをしていた、その時の動作とのことでしたよ。

と、いうわけで、わたしは、○○の因縁の存在を信じてるわけです。
このことは、理屈で考えを改める、というわけにはいかないでしょう。
平河本現代語訳阿含経第4卷の経に、
「・・見生死智証 以天眼浄見衆生所為善悪 随業受生 往来五道・・」
との記述があります。これは、天眼智が備わると衆生の業に応じて五道を
往来するのが如実に解かる、という記述です。
つまり、地獄の因縁、ガキの因縁、畜生の因縁、に応じて五道を往来する、
ということでしょう。管長は、それをガンの因縁やら、手足を断つ肉体障害
の因縁やらと、呼び名を変えてるだけに過ぎないと思いますね。

418準シュダオン:2011/02/12(土) 17:25:45 ID:1F7rdgXk0
ラーメンとお寿司とカツ丼をゴッチャにして食べる、との表現が、批判派に
以前ありました。上手い例えです。それに塩を沢山入れて食べたから、批判派
は腹痛を起こしたのでしょう。

ラーメン=阿含仏教=戒定慧解脱解脱知見の五分法身が阿羅漢=解脱の必須条件。
お寿司=前期大乗仏教=涅槃は煩悩から解放された、空を体得した状態。
カツ丼=後期大乗仏教=煩悩即菩提、生死即涅槃、を、さとりとする。
           だから、現世利益を否定しない。

上の、ラーメン、お寿司、カツ丼を混同しなければ、迷わないのです。
ラーメンの感覚で、カツ丼を批判してるから、おかしくなるのです。
管長は、上の三つの仏教をも、統合しているのです。
「根本仏教だけやってれば良いというものじゃない」と法話で話してました。
だから、阿含経の視点で護摩を批判しても、しょうもないのですw。

419深山:2011/02/12(土) 18:06:11 ID:xIXN6YUQ0
>>410 :準シュダオン:2011/02/12(土) 12:58:56 ID:1F7rdgXk0
>おっさん、にそんなに怒ったわけではないが、ちょいムッ、としたのですw。

やはり、これだけでしたか。
準シュダオンさんがどう反応するか、楽しみにしていた。
予想通りの爆笑です。
準シュダオンさんが前に何と書いたか。

>>262 :準シュダオン:2011/02/07(月) 14:02:32 ID:1F7rdgXk0
>でもね、「輪廻する葦」を読んで、すぐに、煩悩を断たねばダメだ、と
>痛感してね、超能力獲得の欲望を一切捨てて、煩悩切りに努力したのです。
>>301 :準シュダオン:2011/02/08(火) 20:09:45 ID:1F7rdgXk0
>でも、私に、そういう霊視の体験があっても、輪廻する葦を読んで以来、
>超能力獲得の願望はすべて捨てたのです、煩悩を捨てねば、の一念でした。

煩悩切りに努力した、煩悩を捨てようという一念だという。
さんざん偉そうなことを言いながら、オッサンと呼ばれただけで切れた。
切る努力を長年したはずの準シュダオンさんは煩悩丸出しです。

420深山:2011/02/12(土) 18:10:02 ID:xIXN6YUQ0
>>402 :準シュダオン:2011/02/12(土) 10:26:46 ID:1F7rdgXk0
>BOO、なにーおっさん?
>先ず、年長者に対する口のききかたを覚えな、この馬鹿者!

ご覧ください。
これが「煩悩切りに努力した」「煩悩を捨てねば、の一念」で
何十年も修行してきたという人の反応です。
この人、煩悩も、煩悩を切るも、煩悩を捨てるの意味もまるでわかっていない。
煩悩を捨てるとは怒りを外に出さないことです。
怒りが起きなければベストだが、俗人だから内心怒ることもある。
だが、煩悩を切る修行とは、その怒りが起きても囚われないことです。
だが、準シュダオンさんの反応を見てください。
怒りを丸出しにしているばかりか、罵声を並べている。
「怒ったわげではない」などといくら言い訳をしても無駄で、
上記の文章が怒りに囚われているのでないなら、何ですか。
Booさんの「おっさん」は罵声とまでは行っていません。
準シュダオンさんの書いている内容があまりに飛躍し、屁理屈の羅列だから、
あきれかえって、使った言葉です。
ところが、それに対する準シュダオンさんは
1.「BOO」と呼び捨てにし、
2.「覚えな」と高見から命令し、
3.「この馬鹿者!」と罵声を浴びせている。
怒りと憎しみと奢りの煩悩丸出しです。
この反応を見れば、「煩悩切りに努力した」「煩悩を捨てねば、の一念」
なんて、口先の綺麗事であり、中身はまったくないのがわかる。
つまり、準シュダオンさんは舌先三寸の嘘つきです。
彼の恥知らずぶりはこれだけではない。

421ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 18:12:59 ID:SmEF4Oe2O
>>416:準シュダオン11/02/12(土) 16:44:32 ID:1F7rdgXk0
>まぁ、過去に遡って確かめることはしませんよ。時間がかかるし。

それは甚だ間違った態度です。
他人に難癖つける時はその根拠と共に示すのが義務です。
その義務を遂行でくないのであれば、最初からこの件でレスをつけることを
諦めるべきです。
あなたのあやふやな記憶で決め付けられるのは迷惑な言いがかりなんですから。

>如来の、「亡くなりかつ亡くならない」とは、「存在しかつ存在しない」
>という意味です。しかし、凡夫の場合は、必ず輪廻しますから、存在しない
>とは言えないのです。凡夫の場合は、必ず輪廻する何かが存在するのです。

>学者は、「如来終・不終亦知」を「亡くなりかつ亡くならない」と訳して
>ますが、「存在しかつ存在しない」と訳した方が、解かりやすいのではね?

だからそれで何が解ったのですか?
存在して存在しないなんてなんのこったかさっぱりわからない。
しかも輪廻ではないという。
こんな禅の公案みたいなことを釈尊は示しません。
これで解ったなんてほざいているのは、知ったかぶりの勘違い野郎です。
だからこれは釈尊は説明しなかったわけです。
それよりも修行に励んで慧解脱を得れば自ずと体現することなんだから
こんなとりとめのないことであれこれ詮索しても仕方がないのです。
だからこの回答そのものが無記の態度と言えます。

422深山:2011/02/12(土) 18:16:53 ID:xIXN6YUQ0
1.「BOO」と呼び捨てにし、
2.「覚えな」と高見から命令し、
3.「この馬鹿者!」と罵声を浴びせている。

この三点から言葉使いそのものを見たとき、準シュダオンさんこそが謝罪し、
自分の言葉を撤回しなければならないはずです。
Booさんもユビキタスさんも「おっさん」を撤回した。
普通なら、当然、準シュダオンさんも「私も言い過ぎた。撤回する」と
言うのが常識ではありませんか。
そんなことは仏教を持ち出さなくても、普通の社会のルールです。
だが、そんな常識はオエライ準シュダオンさんには通用しない。

>>410 :準シュダオン:2011/02/12(土) 12:58:56 ID:1F7rdgXk0
>おっさん、にそんなに怒ったわけではないが、ちょいムッ、としたのですw。

まるで、一方的に相手が悪く、相手が謝ったから許してやらんでもないと
いうような横柄な態度です。
笑ってごまかし、自分への反省のカケラもない。
「この馬鹿者!」などと罵声を浴びせたのは、準シュダオンさんだけです。
他の二人は皮肉っぽい表現をしただけで、呼び捨てにもしていないし、
命令もしていないし、ましてや罵声など浴びせていない。
一番、深々と頭を下げなければならないのは誰が見ても準シュダオンさんです。
だが、準シュダオンさんは自分が一番悪いことをしたという意識すらない。
みてください、410のエラっそーな態度!

423深山:2011/02/12(土) 18:18:59 ID:xIXN6YUQ0
>>402 :準シュダオン:2011/02/12(土) 10:26:46 ID:1F7rdgXk0
>BOO、なにーおっさん?
>先ず、年長者に対する口のききかたを覚えな、この馬鹿者!

年長者風を吹かせるなら、年長者らしい態度をとるべきです。
滅茶苦茶な主張にあきれかえられて「おっさん」と言われただけで、
相手を呼び捨てにして、命令し、馬鹿呼ばわりするのが年長者のすることか。
恥ずかしくもなく、よく言うものだとあきれる・・・ま、羞恥心を
解脱した準シュダオンさんに恥を説いても無駄だが。
職場にこんな人がいたら最悪です。
この人はこれまでの人生でもずっとこういう態度だった。
自分の間違いは絶対に認めず、態度だけがデカクて、偉そう。
彼が現役時代に仕事上でずいぶん苦しんだと書いていたが、
こういう準シュダオンさんを見れば当たり前の自業自得です。
だが、準シュダオンさんは、実はどうでもいい。
信者さんたちに準シュダオンさんの横柄な態度を見て、誰かを思い出してほしいのです。
もちろん、桐山さんです。

424深山:2011/02/12(土) 18:22:31 ID:xIXN6YUQ0
>>402 :準シュダオン:2011/02/12(土) 10:26:46 ID:1F7rdgXk0
>先ず、年長者に対する口のききかたを覚えな、この馬鹿者!

桐山さんはオバサンから「管長ゲイカは嘘つきです」と言われて、ぶち切れた。
準シュダオンさんと同じだと気がつきませんか。
当時、桐山さんは煩悩を断ちきる修行している段階ではなく、
煩悩を断ち切った後です。
本人の自己申告にもかかわらず、オバサン一人に何か言われると、
怒りという煩悩を丸出しにして、座ってもいられず、立ち上がり、
壇上の端まで来て、オバサンを指さしながら、
「キサマ、管長を嘘つきといったな!」
などと、マイク音がぶち切れるほどのすごい怒鳴り声を上げた。
キサマを連発し、最後は、
「つまみ出せ、この馬鹿」
と、罵って、オバサンを暴力で排除した。
普段、煩悩を切ったとか、切る修行をしているなどといくら
偉そうなお説教を垂れても、この一件を見ただけで、
桐山さんは普通の俗人よりもはるかに煩悩が強いのがわかる。
あれは、桐山さんに与えられた「試験」だった。
本当に煩悩を断ちきる修行をしているのか、それとも口先ばかりで、何もしていないのか、
試験をすればすぐにわかる。
結果は、準シュダオンさんと同じで、落第です。
威張ってみせても、桐山さんが煩悩を切ったなんて話は真っ赤な嘘だと、
たった一人の俗人のオバサンに暴露されてしまったのです。

425天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/12(土) 18:22:36 ID:9uJuCiKY0
私もそこが抜けていましたね。私からもBooさんへ謝罪いたします。
準さんも以降は気をつけてください。
後は皆さんの言うとおりですね。私からはその失念を本当に申し訳ないと反省。
Booさん、大変失礼をしましたm(_ _)m

426深山:2011/02/12(土) 18:25:57 ID:xIXN6YUQ0
>>402 :準シュダオン:2011/02/12(土) 10:26:46 ID:1F7rdgXk0
>先ず、年長者に対する口のききかたを覚えな、この馬鹿者!

桐山さんの心には激しい怒りがあり、何ら制御されていないし、制御したこともない。
桐山さんはよく自分を瞬間湯沸かし器だなどと短気であることを
正当化しようとしていた。
これも本当に煩悩を制御しようとしている人の発言としてはおかしい。
短気な解脱者などいません。
怒りにまかせて相手を怒鳴りつけるのは、当時の桐山さんとしては
珍しいことではないのを職員から聞きました。
実際、私は他にも、たまたま桐山さんが突然、怒り出したのを見て、
びっくりしたことがある。
怒った内容は彼自身の一方的な思い込みです。
桐山さんが怒りを抑えない理由は八つ当たりとマウンテングです。
気分が悪いと部下に八つ当たりする愚かな上司がいる。
サル社会ではボスザルが気分が悪いと、大暴れして、
自分がすごい強いサルなんだとアピールすることがある。
弱い立場の者を怒鳴りつけて、マウンテングして
自分が「上位のサル」であることをアピールする。
あれと同じです。
ただし、サルの名誉のために言うなら、本当に立派なボスザルは
そういう愚かな真似はしない。
弱い者を威嚇し、怒鳴りつけ、威張りちらすことでうっぷん晴らしをするのは、
人間どころか、サルとしてもレベルの低い連中です。
桐山さんのことです。

427深山:2011/02/12(土) 18:32:27 ID:xIXN6YUQ0
>>402 :準シュダオン:2011/02/12(土) 10:26:46 ID:1F7rdgXk0
>先ず、年長者に対する口のききかたを覚えな、この馬鹿者!

準シュダオンさんは桐山さんと同じで、八つ当たりとマウンテングをしているから、
発言の中に、「年長者」という言葉が出てきた。
オレは上位のサルだぞ、と吠えたのです。
それを強調するのは他に力がないからです。
桐山さんもそうだが、実力がないから、空虚な力自慢や
威嚇で周囲の尊敬を集めようとする。
準シュダオンさんは>>399のBooさんの質問には答えられないから、
言葉尻をつかまえて、「オレ様は上位のサルだぞ!」と空威張りをしてみせた。
学者の説が間違っているなどと偉そうに吠えながら、
おかしな面をBooさんに指摘されても、根拠は何も示せない。
準シュダオンさんの稚拙で勝手な解釈にすぎないからです。
反論を無視し、あるいは今も「友」の件で批判側の反論を勝手に捏造し、
我一人尊しと吠えているのが準シュダオンさんの姿です。
煩悩を切るどころか、煩悩のままに日々増長してきたのです。

428深山:2011/02/12(土) 18:36:58 ID:xIXN6YUQ0
>>402 :準シュダオン:2011/02/12(土) 10:26:46 ID:1F7rdgXk0
>先ず、年長者に対する口のききかたを覚えな、この馬鹿者!

私は、信者さんたちに準シュダオンさんの様子を参考にしてほしい。
信者さんたちは修行というと、山の上で焚き火をしたり、
座って、瞑想することだと思っている。
実際、桐山さんからそのように教えられている。
だが、釈尊の説いた修行とは漏尽解脱(煩悩解脱)だから、日常座臥すべてです。
飯を食う時も、トイレに入る時も、すべて日常座臥に煩悩を出さないようにするのが修行であって、
瞑想のポーズをとり、頭の中でツモリの空想することではありません。
桐山さんは何年か前、再び信者から例祭で「嘘つき」と言われて、
何も言わずに引っ込んだそうですね。
これを信者さんたちは正しい姿だと思っているなら、それもまた
仏教を理解しない態度です。
2ちゃんねるの信者が批判と悪口の区別がつかないように、
信者さんたちは議論と争論の区別がつかない。
釈尊は議論を奨励したのです。
信者から「嘘つき」と批判されたら、怒鳴りつけるのも、
また沈黙して何も反論しないのも、どちらも仏教徒としては正しくない。
仏教のあり方から見て、桐山さんの反応はどちらも間違っています。
それは桐山さんが煩悩だらけの人間で、切ろうとしたことがないからです。
釈尊の教法を知っている人はそのどちらの態度も取りません。

429ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 18:41:46 ID:SmEF4Oe2O
>>417:準シュダオン11/02/12(土) 17:05:07 ID:1F7rdgXk0
>と、いうわけで、わたしは、○○の因縁の存在を信じてるわけです。

前世ではなく現世で家畜を虐待した報いで今の苦しみがあるのが桐山因縁ですか?
桐山因縁とは産まれた時に決まっているものです。
また現世の悪業は来世に悪い報いとなります。
このような過去の自分の行為に対して釈尊はくよくよするなという立場です。
もし報いがあるならば潔く受けて、今これから家畜虐待みたいな行いをやめれば
よいのです。
この態度ってアゴン宗の因縁切り的に見ておかしいと思いませんか?

>平河本現代語訳阿含経第4卷の経に、
>「・・見生死智証 以天眼浄見衆生所為善悪 随業受生 往来五道・・」
>との記述があります。これは、天眼智が備わると衆生の業に応じて五道を
>往来するのが如実に解かる、という記述です。

あなたは天眼などの神通力はアナゴンからという解釈だったようなので
この占い師はシャカの成仏法も知らないのにアナゴンだったわけですか?
そしてその占い師の弟子になったのでもなく、なぜか何の関係もない桐山さんの
ところに入信した。

>つまり、地獄の因縁、ガキの因縁、畜生の因縁、に応じて五道を往来する、
>ということでしょう。管長は、それをガンの因縁やら、手足を断つ肉体障害
>の因縁やらと、呼び名を変えてるだけに過ぎないと思いますね。

どうしてガンや事故による怪我などが地獄や餓鬼や畜生なのか?
地獄、餓鬼、畜生とは悪念を抱き悪業を為したものが陥る境涯です。
それを仮に現世に限定しようとも。
病気や怪我がそんなに悪いことなのか?
病院で入院してる奴らは刑務所に入るがごとき犯罪者の入る所と言いたいのか?

430深山:2011/02/12(土) 18:42:39 ID:xIXN6YUQ0
>>402 :準シュダオン:2011/02/12(土) 10:26:46 ID:1F7rdgXk0
>先ず、年長者に対する口のききかたを覚えな、この馬鹿者!

釈尊の姿勢は、「初めも、中も、終わりも、理にかなった言葉で説く」です。
沈黙したのは、霊魂の有無、それから今の準シュダオンさんが
吠えているような如来の死後についてのみです。
これらについては仏教では無記であり、議論しないのが正しいあり方で、
それは一部の学者が言っているのではなく、二千五百年前からそうです。
だから、「嘘つき」と批判されたら、ちゃんと反論するのが正しいあり方です。
信者さんたちも、アゴン宗を批判されたのだから、黙っていないので、
アゴン宗を擁護するのが正しいあり方です。
批判されたら、桐山さんのように怒りに任せて怒鳴りつけるのでもなく、
桐山さんのように沈黙してしまうのでもなく、
準シュダオンさんのように弱い犬の遠吠えやサルのマウンテングをするのでもなく、
この二人のように煩悩丸出しにするのではなく、
信者さんたちは初めも中も終わりも理路整然とアゴン宗を擁護してください。
今まで出てきた信者側の中にはそれをきちんとした人もいました。
信者さんたちは正しい方を見習ってください。

431ラシン:2011/02/12(土) 18:55:56 ID:ka3sgn0E0
>417 :準シュダオン
>管長は、上の三つの仏教をも、統合しているのです。
「根本仏教だけやってれば良いというものじゃない」と法話で話してました。
だから、阿含経の視点で護摩を批判しても、しょうもないのですw。

準シュダオンさんが議論のやり取りに再び目覚めたようなら、
反応し応対したいと思います。

桐山さんの「根本仏教だけやってれば良いというものじゃない」との、
この理由をどこに見い出せますか。
桐山さんは、「輪廻する葦」63頁で、アゴン宗立宗の趣意として、
阿含経が釈尊直説のお経だけということではなく、
「あらゆるお経の中で、ただ一つ、阿含経にだけ、成仏法があるからだ」
と、宣言しています。
あなたが指摘している桐山語録は、否定しませんが、上記宣言とあなたの
引用している桐山語録をどう刷り合わせているのか、
その桐山さんの説明文を出してください。

桐山さん曰く「阿含経にだけ、成仏法があるからだ」が、アゴン宗立宗の
重大な趣意宣言でありながら、どうして大乗仏教をも必要とするのですか?

そうなら、阿含経に何かが欠落しているというような矛盾になります。
それこそ、根本仏教では商売にならないから、看板だけ借りたに過ぎない。
あなたは、私を「我見」が強いと批判しましたが、
根本仏教を証する阿含経を不足として、他の大乗諸典まで統合することこそ、
それを「我見」と言うのです。
大乗仏教は、未来仏や転生まで謳っている、即ち非我でなく「我見」です。
それだけでなく「疑惑」「戒取」までと手を結んでいる。
像法までを統合して何になりますか、聞こえ心地の良い言葉に自己陶酔している。

432ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 19:07:19 ID:SmEF4Oe2O
>>418:準シュダオン11/02/12(土) 17:25:45 ID:1F7rdgXk0
>ラーメン=阿含仏教=戒定慧解脱解脱知見の五分法身が阿羅漢=解脱の必須条件。
>お寿司=前期大乗仏教=涅槃は煩悩から解放された、空を体得した状態。
>カツ丼=後期大乗仏教=煩悩即菩提、生死即涅槃、を、さとりとする。
 
お願いだからアゴン宗とは異なる準シュダオン教は出さないでください。
桐山さんの示す前期大乗とは、苦がなくならなくても自分の受け止め方を変える
価値観の転換、あるいは来世への持ち越しなどです。
そしてあなたが書いた涅槃は煩悩なら解放された状態とは、阿含仏教の立場です。
また後期大乗の密教として生死即涅槃なんて認めてない。
桐山さんが認めるのは桐山流金剛大乗です。
すなわち苦しみの本となる外界の現象は変わらなくとも自分の心を変えて対応する
なんて消極的なヌルイ話ではなく、鳴かぬなら鳴かせてみよう、ホトトギスで
叶わない願望も叶えてみせる大念力、超能力で問題そのものを打破しようというのが
金剛なんだそうです。
桐山流四諦の法則もそうです。
「おまえ苦しいだろう?」
「はい、苦しいです。苦しいからここに来てるだけで苦しくなかったらハワイに
行ってます」
「その苦しみはな、集めているからなんだ。おまえが苦しくてハワイに行けない
条件を集めており、それを悪因縁という。だからその悪条件の悪因縁をここに
道があるのだから、これを使って悪因縁を滅してしまえば、苦しみはなくなり
楽しい人生になる。さあ、この道に励んで念願のハワイに行こう」という
それはそれは低レベルな悟りなんです。

433ラシン:2011/02/12(土) 19:40:16 ID:ka3sgn0E0
>418 :準シュダオン:2011/02/12(土) 17:25:45 ID:1F7rdgXk0
ラーメンとお寿司とカツ丼をゴッチャにして食べる、との表現が、批判派に
以前ありました。上手い例えです。それに塩を沢山入れて食べたから、批判派
は腹痛を起こしたのでしょう。

皮肉を込めたつもりで放った言葉が、準シュダオンさんではなく、
桐山さんに当たった瞬間です。

アゴン宗は、阿含経を看板にしてぶち上げただけで、
中身は像法である大乗仏教そのまんまの現世利益という取引信仰、
味加減が足りないから、海外から塩のみならず砂糖や香辛料と言う、
金ピカな勲章を買い集めて、鍋に注ぎ込んだ。
これを仏教の統合と言う、なんて鍋奉行が桐山さんであり、
それを有難くヨダレを垂らしてススっているのが、あなたのような信者だ。

昔もよく、看板に偽りあり、などとの諺があります。
信者さんは、街角でキャッチセールスのように客を引き寄せ、
客がいざ店に入ってみたら、誇大広告のように中身が違った。
>それに塩を沢山入れて食べたから<、批判派が退会したのではありませんよ。
塩のみならず沢山の香辛料を入れて味を誤魔化した、と分かったからです。
鍋に余分な材料を入れて、一見豪華に見せ代金を底上げしたのが桐山さんだ。

434Boo:2011/02/12(土) 20:13:31 ID:x7TpQ8xA0
深山さん、天照さん、恐れ入ります。初めに相手に絡んだのは私のほうなので
私のほうから一方的な謝罪でこの件については納めていただけると助かります。
貴重なスレなので、余計な消費は避けたい気持ちもあります。スレッド全体の
雰囲気にかかわることでしたので、準さんというよりは管理者の天照さんに対する
謝罪ととっていただくと幸いです。

さて、>>416で準シュダオン氏いわく

>○○の因縁(運命の星)が、存在するのかしないのか、それを理屈で証明する
>ことは出来ませんね。信じるか、信じないか、しかありません。私だって、
>名簿の一覧表に、偶然チェックが入って、偶然その3人に遭遇する事件が
>あったから、運命を信じるようになったわけです。だから、車の無いある人
>から、霊能者の占い師まで車で送ってほしいと頼まれて、引き受けたのです。
>そうでなければ、「占いなんて、止めとけ、アホらしい」と、答えてましたよ

桐山氏は密教占星術で因縁の星の存在を著書で明らかにする、と言っていましたね。
「密教占星術シリーズ」でそのように書いていますね。高度な運命学は仏教の真髄にも
通じるものがあるんだそうで、すべて、理詰めで説明するつもりだったようです。
運命学の最高峰の密教占星学では80%だかまでだが、密教占星術では90%だか
120%だかまで的中できる。それを今後著書で出す、と言っていましたが、準シュダオン
さんは密教占星術1読んでないの?

435天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/12(土) 20:23:13 ID:9uJuCiKY0
>>433 ラシンさんはよく「ごった煮」という表現を使われていますが、この433の
表現も見事な説明です。素晴らしい。

私たちはこのゴッチャになったものを食べて「美味い」と思っていた。
でも、そのうちに「美味しい」と食べていたものが食べれなくなって違和感が出た。
舌が正常化したのだと思います。

舌や味覚が狂っているとどうしても変なものまで「美味い」と感じてしまう。
433の文中にある「塩のみならず沢山の香辛料を入れて味を誤魔化した、と
分かったからです」には、賞賛の拍手物ですね。

雑多でいい加減といえる料理が阿含宗で、周りから見たら「あんた何食べているの!?」
と驚かれ酷い場合は嫌われていたかもしれません。
それに対して「この美味さがわからないんだろうなあ」と錯誤して陶酔して居たのが
過去の私であり、過去に信者だった方たちです。

それが舌も感覚も正常化して気が付いたら、阿含宗の料理など食べられたものではない。
良く食中毒を起こさなかったと思うほどで、実際身体にも悪かった。
感覚が狂っていて美味いといって食べていて身体を壊したのが自分でした。

悪い食べ物をやめれば体が治るのは当然といえましょう。
そして「鍋に余分な材料を入れて、一見豪華に見せ代金を底上げしたのが桐山さんだ。」
本当にその通りだと思いますね。

436天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/12(土) 20:26:47 ID:9uJuCiKY0
>>434 Booさん、ありがとうございます。そういっていただけると助かります。
またしたらばは2chのような荒らし行為はほどんどなく、あっても少しなので
スレ消費は懸念しなくても大丈夫ですよ。いくらでも立ててゆきましょうw

では、どうぞ投稿をお続け下さい。

437ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 21:27:47 ID:SmEF4Oe2O
>>416:準シュダオン11/02/12(土) 16:44:32 ID:1F7rdgXk0
>○○の因縁(運命の星)が、存在するのかしないのか、それを理屈で証明する
>ことは出来ませんね。信じるか、信じないか、しかありません。私だって、
>名簿の一覧表に、偶然チェックが入って、偶然その3人に遭遇する事件が
>あったから、運命を信じるようになったわけです。

もう馬鹿馬鹿しいんだけど・・・では質問します。
その3人が訪問したのは何の因縁だったんでしょうか?
あなたがその見ず知らずの3人の訪問を10年前に予知していたと言うのなら
これは運命なのかもしれない。
ある日バイブレーションと共に自動書記が。
書いたものを見ると全く知らない3人の氏名が。
どういうことなんだろ?と思ったが一応記録だけ残しておき、忘れるともなく
十年の月日が過ぎた。そして十年目に見事に自動書記と同姓同名の3人が訪問した!
これなら準シュダオンさんならずとも運命が定められていたのだろうか?と感じます。
しかし3人が訪れたのは翌日か翌々日なんでしょ?
それも3人はそれぞれ全く見ず知らずの赤の他人で、駅を降りてトイレを探していて
偶然にも同時にトイレ貸してくれませんかと入ったのが準シュダオンさん宅
だったと言うのなら、これも運命を感じる。
しかしたった前日か前々日に決めた、あなたが顔を知らずとも何らかの関係
(会社の従業員仲間、地域の自治会メンバー等)の共通性がある(先に名簿ありき)
人たちだったのだから、10年前運命でなかったものを、前日に運命を作ったのです。
こうして考えると運命というのは絶えず瞬間瞬間作られていると言える。
しかし桐山さんが提唱する〇〇の因縁とはそんな運命ではありませんよね?
生まれた時に既に決まっている。これは特殊な成仏法でないと変えられない運命のことです。
準シュダオンさん。2011年2月11日に星まつりに行かない因縁は生まれた時からの
運命だったのですか?

438ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 21:50:27 ID:SmEF4Oe2O
>>435
ごった煮と言うとそれでもなんだか美味そうでもあるように感じてしまう人も
いるようですが、要するに「食い合わせ」の問題ですよね。
鰻に梅干し、天ぷらに西瓜です。
消化不良を起こす根拠があるのです。
今度夏になったら皆でアゴン宗道場に天ぷらかき氷を食いに行きましょう。
案外に美味いかもしれません。その後どうなっても知りませんが。

439ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/12(土) 23:52:13 ID:SmEF4Oe2O
>>434:Boo11/02/12(土) 20:13:31 ID:x7TpQ8xA0
>桐山氏は密教占星術で因縁の星の存在を著書で明らかにする、と言っていましたね。
>「密教占星術シリーズ」でそのように書いていますね。高度な運命学は仏教の真髄にも
>通じるものがあるんだそうで、すべて、理詰めで説明するつもりだったようです。

この部分「密教占星術1」から引用抜粋してみましょう。
私の持ってる初版本だと76頁から始まる「仏教と運命学の原理」の章です。

本当の運命学を得て原理論を読んだ時の感激を、私は今も忘れることはできない。
まことにこれこそ「帝王の学」であると同時に「学の帝王」、すべての学問の上
にあるべきものだと痛感したのである。
私の長年求めていた人間生命の三世にわたる輪廻の姿、その原理、業の成立と
その解消、因縁、宿命の原則などことごとく解明されているのであった。
同時に、ふと、私は、たいへんなことに気がついたのである。
仏教の三世因縁、宿命論、業などの理論は、実は、この運命学の原理が基礎に
なってつくられたのではないかということである。この運命学の原理がもとになって、
仏教教理が生まれているということである。

自分自身だけのことではない。人を指導する場合、その人の因縁、宿命を知らずに、
どうやって因縁の解脱、宿命の改善をすることができるか。仏教は決して中途半端な
ものではなく、人の因縁、宿命、運命のいっさいを知る原理と方法がちゃんと
あるのである。そして、それらの上に仏教の教理と教学が組み立てられているのである。

昔の聖者たち(古代インド)は、この仏教の源泉である運命学を学んで、次に
運命学の原理に導かれて仏教の教理にすすみ、教学を学び、仏教の経典におよんだのである。

その本当の運命学、その運命学の名を「密教占星学」という。

この「密教占星学」は、仏教の教理を成立させる上に非常に重要な役目をなすもので、
仏教教義に欠くことのできないものである。この密教占星学の実践部門である
密教占星法、あるいは密教占星術によって実際に運命を透視してみて、はじめて
人間三世にわたる輪廻がはっきり実証されるのであって、その上に立ってこそ
そこからの解脱がなっとくできるのである。

(最後の部分は93頁)

440ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 00:03:55 ID:SmEF4Oe2O
>仏教の三世因縁、宿命論、業などの理論は、実は、この運命学の原理が基礎に
>なってつくられたのではないかということである。この運命学の原理がもとになって、
>仏教教理が生まれているということである。

>昔の聖者たち(古代インド)は、この仏教の源泉である運命学を学んで、次に
>運命学の原理に導かれて仏教の教理にすすみ、教学を学び、仏教の経典におよんだのである。

そこで非常に面白いことがある。
この密教占星術1よりもずーっと後になって、・・アゴン宗になって、
平河町の東京総本部ではなく、三田の関東別院になるほどの後のことなんだが、
その関東別院の例祭法話である質問を取り上げた。
上記の密教占星術1に記述ある運命学から仏教が生まれたという説についても
言及された質問だった。
これを読んで桐山さんは言った。
「誰ですか?この運命学から仏教が生まれたなんて言った人は」

441名無しさん:2011/02/13(日) 01:04:26 ID:Z.z2/AEc0
なんじゃそりゃw きりちゃん信念ないんかい〜 本代返せー

442天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/13(日) 07:42:28 ID:jdGlgJG.0
漫才なら「お前じゃボケェ!」とハリセンで叩くところですが、それやったら破門ですわw
まあ、自分から辞めたので破門上等ですがwww

しかし、自分の発言に責任も持てないし記憶も無いんだから、如何に適当かというのが
分かりますね。こういう教祖についてゆく気が知れないですわ、ああ。

443準シュダオン:2011/02/13(日) 09:18:00 ID:1F7rdgXk0
密教がそんなにいいなら阿含経はいらない、真言宗でもいいじゃないかと、
ユビキタさんが書いてますけど、管長が言ってるのは、「阿含経のない
大乗仏教だけではダメだ」ということであり、「阿含経のある大乗仏教
ならOK、力を持つ」と、いうことなのです。
だから、阿含宗でも大乗の般若心経を読誦させています。
一時的には、阿含経を打ち出すために、強烈に大乗経典を批難しましたが、
管長が言うのは、大乗経典だけではダメ、ということです。
ラーメン、お寿司、カツ丼に例えたのは、私教ではなくて、管長の教えを
食べ物に例えただけです。ラーメン(阿含経)の味精神で、カツ丼(護摩・
大日経)の味精神を批難しても、はじまらない、ということです。

444準シュダオン:2011/02/13(日) 09:33:08 ID:1F7rdgXk0
業の報いは、現世において訪れる場合もあれば、来世にもちこまれる場合も
ある、と理解すれば問題はないでしょう。
くよくよしないで生きよ、だけでは仏教になりませんw。そういうのはエセ
学者の仏教論の読み過ぎです、洗脳されてますぞw。

釈尊が、何で、「苦の滅を得よ」「三悪道を抜けよ」と教えているのか
考えたら良い。
欲(煩悩)を離れて平安に生きたとしても、災難や事故や強病から避けられ
ないとしたら、欲(煩悩)を離れる意味がないではないか、アホらしい。
災難や苦公平に訪れるのだとしたら、我欲(煩悩)を満たして生きた方が
よろしいだろう。

445準シュダオン:2011/02/13(日) 10:11:49 ID:1F7rdgXk0
「生死即涅槃」を認めないのは、勉強不足です。
岩波仏教辞典で「生死しょうじ」を引いて御覧なさい。
説明してあります。私が引用するのは手間がかかり過ぎ、しまっせん。

仏道が、地獄の因縁(運命の星)を変え、滅する教えであることは、
アングリマーラの例を考えたらすぐに解かるでしょう。
アングリマーラは殺人鬼でした。あのままでは地獄行きの運命は避けられ
ません。それを仏道修行によって、地獄行きを変えたのです。
阿含宗的にいうと、つまり、地獄の因縁を滅したのです。

ユビさんなどの批判派は、反桐山に立つあまり、釈迦の教えまで否定して
いることに気づかないようです。

446準シュダオン:2011/02/13(日) 10:27:03 ID:1F7rdgXk0
私が、○○の因縁を信じているのは、管長の理論を読んだからではありません。
そこが、私と批判派の違うところでもありますね。
わたしは、二十代には無神論者の唯物論者であった。ゆえに、宗教や占いなどは
迷信だとしていた。但し、仏教書は、小学校、中学校、高校など、いずれも
担任などに現職の坊主が居たりして、影響を受けたのか、仏教の本は読んで
いた。しかし、いずれも欲を離れた心とか、空の話とか、くだらない仏教論ばかり
で、訳が解からんかった。
で、「輪廻する葦」を読んで、青天の霹靂であった。納得した。

と、いうわけで、私は運命の星の因縁を確信する体験をしたから入行した
のであって、管長の教えを聞いてから信じたのではありません。

447準シュダオン:2011/02/13(日) 10:31:36 ID:1F7rdgXk0
運命学から仏教が産まれた!
なかなか面白いですね。
真相はお釈迦様しか知りませんw。

448ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 10:37:46 ID:SmEF4Oe2O
Booさん、やっぱり密教占星術1を読んでないようですな。準シュダオンさんは。
私は密教占星術1を引用したのに、初めて読んだような反応ですぜ。

449ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 10:46:56 ID:SmEF4Oe2O
>>443:準シュダオン11/02/13(日) 09:18:00 ID:1F7rdgXk0
>密教がそんなにいいなら阿含経はいらない、真言宗でもいいじゃないかと、
>ユビキタさんが書いてますけど、管長が言ってるのは、「阿含経のない
>大乗仏教だけではダメだ」ということであり、「阿含経のある大乗仏教
>ならOK、力を持つ」と、いうことなのです。

いや、私が真言宗でもよいはずではないか?と言ったタイミングを覚えてますか?
あなたが胎蔵法を出して九識を五智に転じるなんて説いていた時です。
この伝法会で教える胎蔵法も九識も五智もアゴンとミックスして生まれたものでなく
昔から真言宗で伝えているものです。
だからそれを出すなら真言宗の胎蔵法で事が足りるでないのと申したのです。
いや、真言宗の胎蔵法だけでは足りないのだと言いたいのなら、九識を五智に
転じる理屈なんか出しても意味ないじゃんというわけです。

450ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 11:06:50 ID:SmEF4Oe2O
>>443:準シュダオン11/02/13(日) 09:18:00 ID:1F7rdgXk0
>ラーメン、お寿司、カツ丼に例えたのは、私教ではなくて、管長の教えを
>食べ物に例えただけです。ラーメン(阿含経)の味精神で、カツ丼(護摩・
>大日経)の味精神を批難しても、はじまらない、ということです。

だから単なるごった煮では食い合わせの禁忌の問題なんですよ。
相反してお互いに融合せず成立しないものがある。
護摩などがまさにそうです。
ラーメン(阿含)の精神、すなわち木片を燃やしても何も浄らかにならない、
かえって煩悩を増すだけだの精神で、カツ丼(密教)の精神の護摩を焚けというわけですね。
いや〜、存在して存在しないだの、護摩を否定して肯定せよだの、禅の公案
みたいですなあw

451ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 11:13:00 ID:SmEF4Oe2O
訂正
×だから単なるごった煮では食い合わせの禁忌の問題なんですよ。

○だから単なるごった煮の問題ではなく食い合わせの禁忌の問題なんですよ。

452ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 11:31:57 ID:SmEF4Oe2O
>>445:準シュダオン11/02/13(日) 10:11:49 ID:1F7rdgXk0
>「生死即涅槃」を認めないのは、勉強不足です。

認めないというのは私のことを言ったのではありません。
桐山さんが生死即涅槃も煩悩即菩提も認めたことは一度もないと言ったのです。
文句があるなら桐山さんに勉強不足となじりなさい。
生死即涅槃は煩悩即菩提ともセットになる一部の大乗の思想で、生死なくて涅槃なく
それは不即不二であるのだから煩悩抱えた生死を厭うこともなく、ゆえに涅槃を
求める必要もないという訳のわからん思想です。
あなたはこれを後期大乗の枠組みに入れたが、これはたしかに前期、初期大乗には
ないものだが、唯摩経などにあり、中期大乗と言える。
桐山さんも使う後期大乗とは密教のことであり、基本的に中期大乗の思想の影響を
受けているが、中期大乗とは異なります。
桐山さんが後期大乗としての密教で看板にしたのは桐山流金剛乗という
金剛力パワーで障害を打破していこうというものです。
煩悩即菩提も生死即涅槃も認めないのです。
煩悩を断って(桐山流小解脱)さらに大解脱たる桐山流涅槃に至ることを説いている。
煩悩生死を厭わず涅槃を求めない生死即涅槃など否定しているわけです。
少なくともこれがごった煮にできるわけがない。
桐山さんがごった煮のメニューからはずしているものをあなたが勝手に加える
準シュダオン教はアゴン宗の側からも迷惑だからやめてくれと申しているのです。

453Boo:2011/02/13(日) 11:39:43 ID:x7TpQ8xA0
>>439

ユビキタスさん、引用お疲れ様です。本の引用は非常に大変なものです。準シュダオン
さん。是非見習ってください(無理だと思うが・・・)。

改めて引用部分ですが、読み返してみると大変なことが書いてありますね。
お釈迦さまが聞いたら、びっくりすることでしょう。

密教占星術(宿曜占星術)の原理で、西洋占星術とは違う特有のホロスコープ
を組みます。27宿を円形に並べてみると自分の宿星(これを「命」宿と呼びます)
から60度離れたところに「胎」があり、とそこからさらに60度離れたところに
「業」というエリアがあります。自分の宿星からみて「胎」が来世の自分、「業」
が前世の自分、と言われています。

小峰有美子監修『秘伝 密教占星術』滑w習研究社 p201〜
 
『業・胎の関係
人間社会の不思議
宿曜ホロスコープ上で「命」「業」「胎」はトライアングル(正三角形)を形成しています。
宿曜占星術では、この3つの言葉で前世、現世、来世の考え方を取り入れています。
業は自分が前世で生きた星であり、胎は来世で生きることになる星だと考えます。

この考えは、宿曜経が密教の経典であることを示す部分で、仏教が説くところの輪廻転生説
に基づいています。業と胎はどの時代でも常に出会うことのできる間柄で、この関係にある
人はソウルメイトと呼ぶべきかもしれません。』

ま、ここのところの考え方が桐山氏のユビキタスさんが引用した部分に相当するのでしょうか?
仏教以前からインドには天文学や占星術があり、輪廻思想もあったわけです。仏教哲学の成立背景
にもこれらの考え方が当然あるわけですから、桐山氏の説もあながち頓珍漢ではないんでしょうが
最大の頓珍漢はでは、その深遠な原理部分は別として、運命分析のノウハウ自体を桐山氏が
体得していなかったところでしょう。

要するに「密教占星術1」を売りたいがために、こんなに大仰な表現をし、その実中身はさっぱりなかった。
ここだけ捉えると、まさに詐欺師ですね。

454ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 11:44:23 ID:SmEF4Oe2O
>>446:準シュダオン11/02/13(日) 10:27:03 ID:1F7rdgXk0
>私が、○○の因縁を信じているのは、管長の理論を読んだからではありません。
>そこが、私と批判派の違うところでもありますね。

あなたの心境の経緯など関係ありません。
人それぞれ信じるようになった動機、経緯は異なれど終着した桐山流〇〇の因縁は
桐山さんの考えたものであり、人それぞれに解釈が異なってはならないものです。
異なるというのは単に桐山流〇〇の因縁を理解していないだけです。
だから我々が批判の対象とするのは全信者に共通するところの桐山流〇〇の因縁
そのものであって、あなたの体験がどうあれそんなものは批判の対象にすらならない
どうでもよいことです。

455深山:2011/02/13(日) 11:56:29 ID:.lr4cmsg0
>>413 :準シュダオン:2011/02/12(土) 13:35:02 ID:1F7rdgXk0
>勿論、よき友の代表として釈尊も含まれますよ。しかし、阿含経典郡の
>よき友の意味は、釈尊だけに限るとは思われません。
>以前の批判派の方も、どなたか学者の、善き友=釈尊、説を強く信じ込ん
>で居たようでしたが、もっと柔軟に考えたらよかろうと思いますね。

よき友について前に書いたのは私だから、反論しておきます。
反論というよりも、老人介護です。
準シュダオンさんのおかしい点は、
1.経典も読まずに勝手な解釈をする、
2.経典にもなく、学者も書いていない結論を出す、
3.経典も学者の本ばかりか、桐山本すらろくに読まず、知らないのに知ったかぶりをする、
4.批判側が書いてもいないことを捏造して批判する、
5.間違いを指摘されても無視して、修正も謝罪もしない、
6.自分の間違いを認めないから、また同じ間違いをする。
今回の良き友の件もこのままです。

456深山:2011/02/13(日) 11:59:25 ID:.lr4cmsg0
「みんなは、わたくしを善き友とすることによって、老いねばならぬ身でありながら、
老いより自由になることがでるではないか。・・・・」
(『ブッダ・ゴータマの弟子たち』増谷文雄、71頁)

アーナンダが、「善き友とは聖なる道のなかばだ」というと、
釈尊は善き友とは聖なる道のすべてだと指摘し、
なぜすべてかという説明をしたのが上記の文章です。
善き友は釈尊なのだと言ったのは、私や批判側ではなく、釈尊その人です。
阿含経に書いてあるのです。
釈尊という友から聖なる道を学んで、解脱の道を歩んでいるのだから、
釈尊と善き友となることが解脱のすべてです。
この経典では、善き友とは誰かという議論をしているのではありません。
仏教以外には道はないという主張を善き友にたとえたのです。
アーナンダの意見を巧みな比喩で返し、聖なる道を歩むことの
大切さを釈尊は教えた。
これを経典も読まず、意味も理解せず、いい加減な記憶で、善き友とは誰なのか、
などという狭量な話にすり替えている愚か者が準シュダオンさんです。

457深山:2011/02/13(日) 12:05:50 ID:.lr4cmsg0
>>413 :準シュダオン:2011/02/12(土) 13:35:02 ID:1F7rdgXk0
>以前の批判派の方も、どなたか学者の、善き友=釈尊、説を強く信じ込ん
>で居たようでしたが、もっと柔軟に考えたらよかろうと思いますね。

経典を読めば、善き友とは釈尊のことだと釈尊が言っているのだから、
批判側の解釈などではないことに気がつくはずです。
経典に書いてあるのをそのまま私は引用しただけです。
準シュダオンさんは経典すら読まないで、勝手な空想と解釈で偉そうにお説教をする。
これが準シュダオンさんの常の如しです。
普通なら、ここまで指摘されたら、自分の誤解と勝手な解釈であったと反省し、
批判側への指摘を撤回するでしょう。
だが、準シュダオンさんは自分の間違いを撤回したり、謝罪したことが一度もない。
間違いや、今回のように批判側にありもしない罪をなすりつけて、
それを指摘され反論されても、馬耳東風、馬の耳に念仏。
「読んでいないwww」などと人を小馬鹿にしたような態度で無視するだけです。
今回の「馬鹿者!」(>>420)という罵りも、反省もしなければ、撤回もしていない。
自分が悪いことをしたなど金輪際思っていないからです。
無視して、サラリサラリと流すような性格ならまだいい。
実は、根はものすごく執念深い。
だから、私が「善き友」を書いたことを覚えているのです。
そして、時間がたってから、自分の記憶だけでこういう誹謗中傷を平気で書く。
脳梗塞でおかしくなったと弁護してあげたいけど、違うでしょう。
元々、準シュダオンさんはこういう性格の人です。
脳梗塞で知性が衰えた上に、性格の歪みがもっとひどくなった。
他人に柔軟になどとお説教しているが、一番柔軟性がないのは準シュダオンさんです。
頭がガチガチだから、自分への反省が何もなく、修正が効かない。

458深山:2011/02/13(日) 12:09:25 ID:.lr4cmsg0
「みんなは、わたくしを善き友とすることによって、老いねばならぬ身でありながら、
老いより自由になることができるではないか。・・・・」
(『ブッダ・ゴータマの弟子たち』増谷文雄、71頁)

毎度、申し上げるが、信者さんたちも他人事だと思わない方が良い。
「善くない友」を師として仰いでいると、誰でも準シュダオンさんのようになってしまいます。
簡単に言えば、朱に交われば赤くなる。
準シュダオンさんだけでなく、信者さんたちも知性も性格も歪んでしまう。
釈尊がわざわざ善き友は道のすべてである、と言った意味をよく考えてください。
釈尊の説いた道以外はダメだと言っているのです。
アゴン宗は因縁解脱などという仏教以外の道、つまり外道を歩んでいる。
これを善き友とは言わない。
善き友は釈尊であり、彼の説いた教法のみです。
それは信者さんたちも知っているように阿含経以外にはない。
その阿含経には因縁解脱などありません。
護摩や死者成仏や超能力開発など、善き友が説いた聖なる道ではない。
釈尊を善き友とすることはとても簡単で、阿含経を読み、実践するだけです。
オカルト教祖や準シュダオンさんの勝手な解釈は必要としません。
釈尊本人が説いている言葉を直接聞き、学べばいいだけです。

459ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 12:26:28 ID:SmEF4Oe2O
>>446:準シュダオン11/02/13(日) 10:27:03 ID:1F7rdgXk0
>但し、仏教書は、小学校、中学校、高校など、いずれも
>担任などに現職の坊主が居たりして、影響を受けたのか、仏教の本は読んで
>いた。しかし、いずれも欲を離れた心とか、空の話とか、くだらない仏教論ばかり
>で、訳が解からんかった。
>で、「輪廻する葦」を読んで、青天の霹靂であった。納得した。

悲しいことだが、そのあなたの気持ちは入信当時の私の気持ちと共通するものがあり
理解だけはできます。
あなたは輪廻する葦だったわけだが、私の場合は密教占星術1だったわけです。
占いには興味がなかったが、私が仏教や密教に興味を持ち出したことを知っている
私の母が、私の入院中に買ってきてくれた。
私のそもそも桐山密教に興味を持ったのは中一の時、坊主になりたいと思ったのが
きっかけです。
当時のテレビCMで凝りと痛みにトクホンチールでこんなのがあった。
「ファイト、ファイト」
ある山寺で女子高生のバレーボール部員が泊まり込み合宿をしていた。
お寺の境内でブルマから美味しそうな生足だしてトレーニングに励む。
それを見てた小僧さん、庭を掃く箒の手も休めて鼻をヒクヒク。
それを見てた和尚さん「カーーーツ!!!」
いいなあと思った。
いや、これは冗談だが、将来の希望として父みたいに毎朝背広にネクタイしめて
通勤電車に揺られて都会のオフィスに勤めるサラリーマンを志望したくない気持ち
があった。お寺みたいな所がよい。それなら東京みたいなゴミゴミしたところが
いいなあ。神護寺なんかどうだろう?山の中で自然に恵まれ。
ほう、高野山もあるのか、室生寺なんかもいいなあ。
そんな気楽な動機です。登山や旅行に憧れてましたし。
だから仏教の教義なんかどうでもよかったわけです。
さあ何宗にしようか?極楽浄土往生の浄土系はなんか情けないし、座禅は足が
痛そうだし、日蓮はなんか排他的で嫌いだし、拝む祈祷の真言宗なんかどうかな
と思っていたところに桐山密教の情報が入ったわけです。
お釈迦様の教えとかきちんと読んで学んでいたわけではなかった。
だって寺院建築や仏像彫刻や庭園の写真もないしw
そんな自分の不勉強をさておいて、仏教って何なのかわからないと思ってましたから。
それが氷解したのは密教占星術1を読んでからです。
はっきりと仏教の目的を因縁解脱による現世の運命改善とした。

460ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 12:31:31 ID:SmEF4Oe2O
訂正
×それなら東京みたいなゴミゴミしたところがいいなあ

×それなら東京みたいなゴミゴミしたところでなく、やっぱ京都あたりがいいなあ

461ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 13:04:43 ID:SmEF4Oe2O
>>446:準シュダオン11/02/13(日) 10:27:03 ID:1F7rdgXk0
>但し、仏教書は、小学校、中学校、高校など、いずれも
>担任などに現職の坊主が居たりして、影響を受けたのか、仏教の本は読んで
>いた。しかし、いずれも欲を離れた心とか、空の話とか、くだらない仏教論ばかり
>で、訳が解からんかった。
>で、「輪廻する葦」を読んで、青天の霹靂であった。納得した。

私が当初読んだのは百科事典の仏教の欄などだった。
当然煩悩がどうのとか読んでいるのだが、頭で暗記レベルの理解はできても、
どうしてそれをするのかもわからない。
大法輪なんかも買ったし、「高野山金剛峰寺」なんて座主の書いた本まで買った。
でも密教の教えってとどのつまり何がどうしたいの?とわからなかった。
それが密教占星術1を読んだ時わかったと思った。

「仏教の目標はなにかというと、いうまでもなく「成仏」であり、成仏とななにか
というと、因縁解脱ということである。自分の因縁、宿命を知らずして、
因縁解脱は不可能であり、自分の運命を知らずして、どうして運命を改善し、
人格の完成をすることができようか。」(77〜78頁)

「要するに大乗仏教は、因縁を解脱することにより運命を改善していって、人間
として最高の生きかたができるようになる、こう説いているわけである。
(中略)
こういうと、いやしくも深遠高邁な大乗仏教を、そんなに簡単に割り切ってしまう
とはなにごとかと、偉い宗教家からお小言が出るかもしれない。
先日も真言宗のある偉い坊さんで学者のかたが、新聞誌上で、″最近、密教を
ハウツウもののように扱う人がいるが、けしからんことである。密教はもっと
深遠高邁のものである″という意味のことをいっておられたが、私はそれを読んで
呵々大笑した。密教といわず、仏教といわず、つきつめていけば一種のハウツウもの
である。仏教は、(もちろん密教も)ハウツウものなのである。即ち、いかにして
ホトケになるかということを論じ、その方法を示すものが、仏教であり、密教なのだ。
(中略)
仏教こそ最高の運命転換術ともいうべきであり、それを説く仏教は最高のハウツウもの
だといってもおかしくはないのではないか。」(231〜232頁)

これをあっさりと信じてしまった。
同時に坊主になりたいなんて夢みたいな話が消え、自分の人生、運命を考える
ようになった。因縁解脱が必要だ

462ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 13:29:44 ID:SmEF4Oe2O
>>446:準シュダオン11/02/13(日) 10:27:03 ID:1F7rdgXk0
>但し、仏教書は、小学校、中学校、高校など、いずれも
>担任などに現職の坊主が居たりして、影響を受けたのか、仏教の本は読んで
>いた。しかし、いずれも欲を離れた心とか、空の話とか、くだらない仏教論ばかり
>で、訳が解からんかった。
>で、「輪廻する葦」を読んで、青天の霹靂であった。納得した。

あなたの場合は私とも違って曲がりなりにも仏教書まで読んでいながら
その説く真意が理解できなかったのです。
それはあなた自身の欲を離れるなんてつまらんことに何の価値があるの?という
考えを改められなかったのです。
それだけのことです。仏教を受け入れたくなかったのです。
ところが輪廻する葦を読んで、辛い運命を解消して御利益を得るためには
その離したくない煩悩も離さねばならないと頭だけで理解しただけです。
もちろん現世で不幸な運命の転換など釈尊は説いていないのですが。
準シュダオンさんが輪廻する葦を読んで煩悩の除去に努めたなんてのは嘘です。
いや、批判側を目眩まし騙してやろうなんて悪意ではなく、単に自分が見えていない
だけです。同時に煩悩の何たるかも理解していない。
しょうがあんめい。それならいやいや煩悩も断つしかねぇな、と書いていることに
気付いていない。

>>444:準シュダオン11/02/13(日) 09:33:08 ID:1F7rdgXk0
>欲(煩悩)を離れて平安に生きたとしても、災難や事故や強病から避けられ
>ないとしたら、欲(煩悩)を離れる意味がないではないか、アホらしい。
>災難や苦公平に訪れるのだとしたら、我欲(煩悩)を満たして生きた方が
>よろしいだろう。

この書き込みが本音は今でも煩悩を手離したくないことを証明している。
イヤイヤがまんして煩悩を断つと言っている。
だから桐山さんも否定する煩悩即菩提だの生死即涅槃を持ち出し準シュダオン教を
桐山アゴン宗と勘違いしている。

463準シュダオン:2011/02/13(日) 14:22:40 ID:1F7rdgXk0
「煩悩即菩提」も「生死即涅槃」も、大乗仏教の思想なので
あって、準シュダオン教ではないよ。そこんとこ間違わないで。大乗仏教
では、生死=輪廻=涅槃、という思想なのであって、これらは不離一体な
のよ。だから、管長は「自分の悟りは輪廻転生、釈迦の悟りは輪廻解脱」
と、言ったわけです。

真言宗の胎蔵法は、37道品を修行していないから、九識を五智に転換する
と言っても難しい、ということを、管長は言ってるのです。ユビさんは、
本当に頭悪いねW、わざと理解してないのかえ?
阿含宗の胎蔵法は、阿含経の37道品を取り入れてるから、九識を五智に
転換できる、というわけです。つまり、護摩木の御利益祈願も、37道品
修行の功徳によって、現世利益から仏菩薩の誓願に転換できる、という
理屈ですよ。批判派は、そこに気づけずに退会してしまったけどね。

464準シュダオン:2011/02/13(日) 14:44:11 ID:1F7rdgXk0
わたしは、学校時代の担任に現役坊主が居たせいか、二十代の頃は仏教書も
読んでいましたよ。大乗仏教全盛期でね、欲を離れて平安に生きよ、とか
空を解説した物を。でもね、二十代といえば、ボーイズビアンビシャスの
思想が普通ですよ。大欲抱いてどんどん進め、が健全な若者でしょう。
それを、欲を捨てて平安になんて、それは老人に言うべき言葉です。
どうせ墓場に財産は持って行けないのですから、欲かいてたって仕方ない。
高齢者に、あの世は近いのだから、財産はどこか社会に寄付して欲を捨てて、
少欲知足で生きなさい、なら解かるね。わたしゃ、こんな仏教などいらん、
と、思っていたわけです。

ところが約30年前、六方塞がりの状態になって、非常に苦しい事態になった。
で、超能力を獲得して、六方を塞いでる悪い星を粉砕しようと、入行した。
勿論、その時は、体験上、運命の星の存在を確信していた。
で、輪廻する葦を読んで、晴天の霹靂であったわけね、これまでの仏教観を
ぶち壊す本であった。これが仏教なら、存在価値がある、と思ったね。
で、煩悩撲滅に目標を定めたわけです。そこがユビさんとは違うところですね。

465準シュダオン:2011/02/13(日) 14:55:00 ID:1F7rdgXk0
お釈迦さまは、「得阿那含 種種神通界」と、説いていて阿那含から神通力
が生じると説いています。しかし、わたしが30年前に会った占い師は、
阿那含ではないであろうが、霊視能力を実証してみせた。
ここで、考えねばいけないのは、釈尊の言葉を絶対視してはいけない、と
いうことです。釈迦の言葉にも、例外はあるわけですよ。

必ずしも阿那含からだけ神通力が生じるのではなく、それは不明です。
一般的には阿那含から神通が生じる、ということを釈尊は言うのですよ。
その占い師に弟子入りしなかったのは、別に私は占い師になるつもりは
なかったからですよw。ユビさんて、おかしなところに疑問を持つ方ですねえ。

466準シュダオン:2011/02/13(日) 15:13:33 ID:1F7rdgXk0
釈尊は、「苦厄老病死 此三悪道」と、説いていて、この悪趣から衆生を
救うために法を説いた、というわけですよ。それが、苦の滅を得よ、という
ことです。と、なれば、管長流に言えば、地獄の因縁、ガキの因縁、畜生
の因縁を衆生は持つ、ということでしょう。その因縁を滅してやろう、という
のが、仏道でしょう。

では逆に質問するが、地獄、ガキ、畜生、という三悪道とは、具体的には
どういう状態を言うのですか?世紀経に説かれているような、地獄が実際に
あるというのですか?あの世紀経にも不思議な点はありますよ、
あの地獄界に罪人として生まれて、数々の苦しい目に遭う衆生と、
現世に生まれて数々の苦しい目に遭う衆生と、一体どこが違うのか?

管長の説く、○○の因縁が地獄でないのなら、何を地獄と呼ぶのですか?

467ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 15:35:19 ID:SmEF4Oe2O
>>432:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/02/12(土) 19:07:19 ID:SmEF4Oe2O
>「おまえ苦しいだろう?」
>「はい、苦しいです。苦しいからここに来てるだけで苦しくなかったらハワイに
行ってます」
>「その苦しみはな、集めているからなんだ。おまえが苦しくてハワイに行けない
>条件を集めており、それを悪因縁という。だからその悪条件の悪因縁をここに
>道があるのだから、これを使って悪因縁を滅してしまえば、苦しみはなくなり
>楽しい人生になる。さあ、この道に励んで念願のハワイに行こう」という
>それはそれは低レベルな悟りなんです。

ここで私が添えた「ハワイ」とは私のオリジナルではありません。
桐山さんは実際に例祭法話の中で「苦しいから道場に来てるのであり、苦しく
なかったらハワイにでも行ってます」と話したことがあります。
ただしもちろん「さあ、苦しみを脱してハワイに行こう」となど結論付けては
おらず、それは私の勝手な意訳添えだと思っていただきたい。
しかし、結局桐山さんが言いたいことはそういうことになるんですよ。
先にハワイを出した文脈から。
我々は欲望を持ちながら欲望が叶わない。思うようにならない。
だから苦なんだと四苦八苦を引用して示す。
次にどうして苦があるのかという命題で、苦の原因を集めているからなんだとした。
本当は妄執の煩悩を集めているからその煩悩を滅せよと説かれているのだが、
桐山さんはこれを苦しい運命の星たる因縁に読み替える。そしてその星を潰す話に
読み替える。
するとどうなるかと言うと、その不幸の運命がなくなる分幸福になり、苦しみが
なくなり、楽しくなり堂々とハワイに行けますよ。ってな勧誘宣伝になります。
釈尊はそんな安っぽいことは言わない。
苦しみの本体は煩悩そのものなのだと教えるわけです。
煩悩、欲望の追求が本人がそれを快楽のように感じていてさえこれは囚われの
苦しみから抜け出せない状態なんだと教えている。
だから悪条件を祓い落としたから、欲望はそのままにこれまで叶えられずにいた
ものも叶えられる快楽人生になるなんて話ではない。
煩悩をなくせば不当なものを求めなくなり、あるがままに受け入れられるように
なり、要らん苦しみを感じなくなる、増幅しなくなる、一の矢は受けても二の矢は
受けぬ心の平安を説く。
だから煩悩除去はラッキーゲットの手段ではなくそれ自体目的です。

468無関係な人間です:2011/02/13(日) 15:53:25 ID:yNc4rixQ0
一昨日に開催された世紀の祭典 阿含の星祭りが、地元の京都でどのように
報道されたかを知る為に、京都市中央図書館に行って参りました。で、各新聞
の扱いを見ると以下の通りです。

京都新聞(地元紙) 12日の朝刊の最終面に写真入りで二段の記事。
読売新聞 12日の朝刊、夕刊とも記事にしていません。
朝日新聞 12日の朝刊、夕刊とも記事にしていません。
毎日新聞 12日の朝刊、夕刊とも記事にしていません。
産經新聞 12日の朝刊、夕刊とも記事にしていません。
日本経済新聞 12日の朝刊には記事にしていません。

ちなみに、京都新聞は、星祭りの中継をした近畿放送とは関連会社の関係にあります。
各新聞とも、他の伝統宗教に関する記事は掲載しておりました。

 偉大なる宗教家 桐山靖雄さんが焚き火、もとい、護摩をたかれたのに、各新聞とも
無視の扱いであります。なんと、地元欄でも掲載はされていませんでした。と、なると、
他府県では全く期待ができませんねえ。

469ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 16:00:35 ID:SmEF4Oe2O
>>463:準シュダオン11/02/13(日) 14:22:40 ID:1F7rdgXk0
>「煩悩即菩提」も「生死即涅槃」も、大乗仏教の思想なので
>あって、準シュダオン教ではないよ。そこんとこ間違わないで。

だから大乗仏教の思想であっても、桐山さんが支持する思想ではないと申しておるのです。
たしかに桐山さんは大乗仏教の全てを否定したりやしませんよ。
肯定して取り入れているものもある。しかし否定して取り入れていないものがある。
だからこれは個別の検証が必要なんです。
あなたはそういう基本を考えずに桐山さんが全面否定しなかった大乗仏教なんだから
あたかも全面肯定するかのように勝手になんでも採択するのです。
これならば大乗仏教の一派は、法華経こそが真実の教えであり、それまで説いてきた
教えは皆方便なんだという説まであるのだから、それも考慮して阿含経も考え直そう
という立場でいるのが完全仏教というごった煮だと主張するようなものです。

>大乗仏教
>では、生死=輪廻=涅槃、という思想なのであって、これらは不離一体な
>のよ。だから、管長は「自分の悟りは輪廻転生、釈迦の悟りは輪廻解脱」
>と、言ったわけです。

不即不二など悟ったようなことを書いていて解るのですか?
じゃあ結局輪廻解脱など必要なく輪廻を続けていればよいということなんですか?

>真言宗の胎蔵法は、37道品を修行していないから、九識を五智に転換する
>と言っても難しい、ということを、管長は言ってるのです。ユビさんは、
>本当に頭悪いねW、わざと理解してないのかえ?
>阿含宗の胎蔵法は、阿含経の37道品を取り入れてるから、九識を五智に
>転換できる、というわけです。つまり、護摩木の御利益祈願も、37道品
>修行の功徳によって、現世利益から仏菩薩の誓願に転換できる、という
>理屈ですよ。批判派は、そこに気づけずに退会してしまったけどね。

その37道品を取り入れた胎蔵法を習いましたか?
あれは真言宗の胎蔵法です。どこに37道品があるか?
つまりまだ習ってない。
護摩木祈願もまたしかり。
37道品も習わず修行せず修習してない未熟者が護摩木だけ書いている。

470ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 16:13:54 ID:SmEF4Oe2O
>>465:準シュダオン11/02/13(日) 14:55:00 ID:1F7rdgXk0
>お釈迦さまは、「得阿那含 種種神通界」と、説いていて阿那含から神通力
>が生じると説いています。しかし、わたしが30年前に会った占い師は、
>阿那含ではないであろうが、霊視能力を実証してみせた。
>ここで、考えねばいけないのは、釈尊の言葉を絶対視してはいけない、と
>いうことです。釈迦の言葉にも、例外はあるわけですよ。

馬鹿ですねえ、いくら経典にアナゴンを得、種々の神通世界を体験すると書いてある
からと言って、神通力を得るのがアナゴン以上が条件なんてつける必要など
ないではありませんか?
アナゴンを得るという文と種々の神通世界を得ることは単に並べて読めばよいだけです。
Aを得たからBを得るのであるなんて読み方をしなくてもよい。
神通力など四沙門果のバロメータですらないのですよ。
アラハンでも神通力がない人も多くいるくらいですから。
神通力と解脱は関係ない。
まあそんなどうでもよい役にも立たない副産物を得られることもあるとしたまでです。

471ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 16:27:17 ID:SmEF4Oe2O
>>466:準シュダオン11/02/13(日) 15:13:33 ID:1F7rdgXk0
>では逆に質問するが、地獄、ガキ、畜生、という三悪道とは、具体的には
>どういう状態を言うのですか?世紀経に説かれているような、地獄が実際に
>あるというのですか?あの世紀経にも不思議な点はありますよ、
>あの地獄界に罪人として生まれて、数々の苦しい目に遭う衆生と、
>現世に生まれて数々の苦しい目に遭う衆生と、一体どこが違うのか?
>管長の説く、○○の因縁が地獄でないのなら、何を地獄と呼ぶのですか?

貪り、傲り、怒り、ぐちなどの悪念により悪い行いをした状態がそうです。
つまり人を殺したり、人の物を盗んだり、騙したり、人に危害を与えたり。
こういう人は悪趣に堕ちます。
すると死後その地獄界などに堕ちる前からこういう悪い境界にいることになります。
だから一番大切なのは自分が今どういう心を持ってどういう行いをしているかです。
しかるに歩道を歩いていたら交通事故にあって全身付随の苦痛を受けることに
なったとて、この人にいかなる悪念や悪い行いがありましたか?
悪いのは酒飲んで暴走運転して歩道にまで突っ込んだドライバーの方です。
加害者が悪いのであって被害者は気の毒ではあるが少しも悪くない。
ましてや地獄に堕ちることはない。
そりゃ全身付随寝たきり人生なんて辛いだろうが、だからといってその不運な
境遇を地獄界だの餓鬼界だの言いません。
アウシュビッツの件も地獄に堕ちるのはナチスであり、処刑者ではない。
処刑者が地獄に堕ちたのならナチスは正しい処刑をしたという理屈になります。

472準シュダオン:2011/02/13(日) 18:46:33 ID:1F7rdgXk0
不慮の事故に遭って、全身不随の寝たきり人生を地獄と言わずして、
何を地獄というのですか?そういう人生こそ、釈迦は地獄というのです。
そう言う人生から逃れなさい、そのための仏道なのです。
加害者も地獄なら、被害者も地獄なのです、その道理を理解出来ないのでは
仕方ありません。仏道の意義を理解できていないのです。

473準シュダオン:2011/02/13(日) 18:54:34 ID:1F7rdgXk0
ガキ界というのは、死者の霊の世界のことです。
では、畜生界というのは何ですか?現世にも畜生(動物)は、人間と同居
しているではないですか。
では、畜生界と人間界は同じなのか?という疑問も生まれるでしょう。
そういうことを、考えた上での○○の因縁、の考察でなければ、
管長の因縁論は理解できません。
掛け算割り算できない小学生が、解かったふりして、微分積分を、
を論じてるようなものです。

474Boo:2011/02/13(日) 19:06:18 ID:x7TpQ8xA0
>448 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 10:37:46 ID:SmEF4Oe2O
>Booさん、やっぱり密教占星術1を読んでないようですな。準シュダオンさんは。
>私は密教占星術1を引用したのに、初めて読んだような反応ですぜ。

あはははは。準シュダオンさん。まずゲイカの本読んでから仏教辞典読んだらいかが?
まったく、順序ってもんがない人ですね。

475ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 19:53:11 ID:SmEF4Oe2O
>>472:準シュダオン11/02/13(日) 18:46:33 ID:1F7rdgXk0
>不慮の事故に遭って、全身不随の寝たきり人生を地獄と言わずして、
>何を地獄というのですか?そういう人生こそ、釈迦は地獄というのです。
>そう言う人生から逃れなさい、そのための仏道なのです。

ならばそれを具体的に説いた経典を示してみなさい。
災害事故病気は悪趣の境界なんだから、これを脱しなさいと説いた経典、
あるいは災害事故病気から脱した功徳を示す阿含経を出してください。
たしかに悲惨な事故は地獄絵図のようだと言いますよね。
でもそれって宗教的には間違っている文芸的表現としかいいようありません。
地獄は西洋にもある宗教概念ですが、東西に共通する地獄の定義は悪いことを
した人がその罰として堕ちるところです。
だから文芸的感傷表現で地獄みたいだとしても本当の地獄に比定してしまっては
大変な侮辱を被害者に与えることになります。

>加害者も地獄なら、被害者も地獄なのです、その道理を理解出来ないのでは
>仕方ありません。仏道の意義を理解できていないのです。

加害者も地獄に堕ちると認めるのですね。
ならば質問します。どうして被害者の霊障ばかりをヨーロッパ社会を暗くして
壊滅に導くように説き、加害者である地獄に堕ちたナチスの怨念の霊障の解消を
説かないのか?
どうしてナチスは地獄に堕ちたはずなのに怨念の霊障を発して社会を暗くしないのか?

476ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 20:20:11 ID:SmEF4Oe2O
>>473:準シュダオン11/02/13(日) 18:54:34 ID:1F7rdgXk0
>ガキ界というのは、死者の霊の世界のことです。
>では、畜生界というのは何ですか?現世にも畜生(動物)は、人間と同居
>しているではないですか。
>では、畜生界と人間界は同じなのか?という疑問も生まれるでしょう。

餓鬼界とは貪りの結果陥るところですから、あれが欲しい、これも欲しいと我欲
ばかりで生きている人はそのまま餓鬼道です。
畜生とは人間でない動物のことですから、生物差別になるが、当然人間のような
知恵がない。
つまりおろか、痴の煩悩で生きているのが畜生道です。

>そういうことを、考えた上での○○の因縁、の考察でなければ、
>管長の因縁論は理解できません。
>掛け算割り算できない小学生が、解かったふりして、微分積分を、
>を論じてるようなものです。

だから病気、事故、災害などの被害者のどこに貪りや愚痴があるのか?
過去世の報いではなく、今病気で苦しいということのどこに貪りの悪念があるのだ?

477Boo:2011/02/13(日) 21:14:47 ID:x7TpQ8xA0
>>そういうことを、考えた上での○○の因縁、の考察でなければ、
>>管長の因縁論は理解できません。
>>掛け算割り算できない小学生が、解かったふりして、微分積分を、
>>を論じてるようなものです。
>
>だから病気、事故、災害などの被害者のどこに貪りや愚痴があるのか?
>過去世の報いではなく、今病気で苦しいということのどこに貪りの悪念があるのだ?

準シュダオンさんはえらっそうなことほざく前に、その管長の因縁論の書いてある
「密教占星術1」を読んだらどうよ?え?まったくレベルの低い人だこと。

478ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 21:49:10 ID:SmEF4Oe2O
>>453:Boo11/02/13(日) 11:39:43 ID:x7TpQ8xA0
>ま、ここのところの考え方が桐山氏のユビキタスさんが引用した部分に相当するのでしょうか?
>仏教以前からインドには天文学や占星術があり、輪廻思想もあったわけです。仏教哲学の成立背景
>にもこれらの考え方が当然あるわけですから、桐山氏の説もあながち頓珍漢ではないんでしょうが
>最大の頓珍漢はでは、その深遠な原理部分は別として、運命分析のノウハウ自体を桐山氏が
>体得していなかったところでしょう。

実占部門の研鑽はもちろん原理部の考察もBooさんが検証されたほどしておらずに
やれヴェーダがあるだのウパニシャッドがあるだの百科事典でもわかる程度の
知識はあるものの、所詮それに毛が生えた程度の読書しかしていないと思う。
だから輪廻だの業だのという言葉の響きだけで運命や因縁の星に結びつけている
だけでしょう。
宿曜経典群の提示も目録を引用しただけと思われ内容は読んでないでしょう。
あとは彼が得意な創作文芸で話を飾る。
運命学から生まれた仏教なんてのも単なる飾りの文句です。
本当に心血注いだ研究でない、その場で考えついた思いつきの表現だったから
後から問われても誰が説いたの?と言うわけです。
本当に研鑽してきたのであれば、その後間違いに気付いたとか、経緯を語れる
はずで忘れたなんてあり得ない。

479ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/13(日) 22:07:34 ID:SmEF4Oe2O
>>464:準シュダオン11/02/13(日) 14:44:11 ID:1F7rdgXk0
>それを、欲を捨てて平安になんて、それは老人に言うべき言葉です。
>どうせ墓場に財産は持って行けないのですから、欲かいてたって仕方ない。
>高齢者に、あの世は近いのだから、財産はどこか社会に寄付して欲を捨てて、
>少欲知足で生きなさい、なら解かるね。わたしゃ、こんな仏教などいらん、
>と、思っていたわけです。

これを若気の至りとして反省しているのならばよいのだが、どうなんですかね?
これって老人侮辱の言葉ですからね。
しかしそのあなたが30年経って、毎日仕事をしなくてよいほどの高齢者、老人と
なってしまった。
あなたは欲かいていたって仕方がないから金なんかどこか施設に寄付して
もっぱら少欲知足でよいと思えるようになりましたか?
なっていないならいつなるのか?欲は尽きない。それは桐山さんの強欲を見ればわかる。
それを考えれば老人向けなんて考えは誤りで、若者にも共通の教えとわかるはずです。

>ところが約30年前、六方塞がりの状態になって、非常に苦しい事態になった。
>で、超能力を獲得して、六方を塞いでる悪い星を粉砕しようと、入行した。
>勿論、その時は、体験上、運命の星の存在を確信していた。
>で、輪廻する葦を読んで、晴天の霹靂であったわけね、これまでの仏教観を
>ぶち壊す本であった。これが仏教なら、存在価値がある、と思ったね。
>で、煩悩撲滅に目標を定めたわけです。そこがユビさんとは違うところですね。

私との違いなんて言うけど、自慢できた話ではなく、恥ずかしい話ですよね。
あれだけ老人蔑視をしていた人がちょっと苦境に立たされただけでオタオタして
超能力で都合よく問題を解決したいと考えただけに過ぎません。
つまりもともと精神的に弱者であり、宗教に逃避を求めたのです。
どうやら入行した後に輪廻する葦が発売されてそれを読んで、なんだ煩悩を断たないと
苦しみから逃れられないのか、仕方がないと観念した(頭だけで行動伴わず)。
情けないばかりの人生供述です。

480ラシン:2011/02/14(月) 11:18:09 ID:x9FuHHv20

釈尊は、現世に於いて苦の解決の必要を説き煩悩を絶てと説いた。
それ以外、善悪の果報は、来世に生じると説いています。
布施の功徳も来世の善趣、悪業の応報も来世の悪趣です。
桐山さんもそこのところは、「輪廻する葦」241頁で、
雑阿含経「出家経」を引用して解説しています。
ただ、ここでの解説にさらりと「因縁解脱」「カルマの断滅」を
付け加えて、読み手を騙している。(248頁)
さらに、その三悪趣のたとえば、地獄界を横変死・刑獄・肉親相克・
家運衰退の因縁だと、勝手にこれもまた付け加えています。

これで読み手、特に信者さんは”信心”という接着剤で簡単に、
経典にその意味がある、と刷り込まれてしまう。
しかし、少しでも注意力があれば、おかしいと気づくことも、
桐山さんの目くらましによって、この因縁論を身に着けてしまう。
これについて258頁の解説では、

「こういう因縁で苦しむ境界です。これを『三悪趣』『三悪道』といって、
 この三つの境涯で亡くなると、必ず霊障のホトケとなります。
 たんなる不成仏霊ではなく、霊障を生ずるのです。そうして、また、
 来世に再生するときには、この三悪趣に生まれてきて、苦しむわけです。」

出家経にそんな事柄を暗示する経文はありません。
そして、この桐山理論は、完全に自己矛盾を起こしています。
たとえば刑獄という、殺人を犯した場合に、刑獄の因縁がある来世に生じるなら、
再び加害者という立場でしょう。
加害者がどうして地獄の業火で苦しんで尚、また殺人を犯す来世に生じる?

また、ユビさんも指摘している通り、
被害者ばかりを霊障解脱し、加害者を放置しておいて平気なのもおかしくないか。
これは桐山業報輪廻から言って矛盾です。
因果応報を解説していないことになる。
目連は過去に為した業の報いで、惨殺され、それを神通力で防がずに受容した。
なぜなら、「カルマの断滅」など出来ないからです。
だから、加害者が次の来世に生じるなら被害者になって苦を受けるのが、
因果応報ではないのか。
私も、信者時代この桐山理屈が腑に落ちなかった。

信者さんもこういう矛盾があることに鈍感で、現世の地獄のような生き様などと、
釈尊が説いてもいない事に恐怖させられ、それを食い止められるというのが、
桐山因縁切りです。
だが釈尊の説いたことは、この世はどうであろうと苦界だということです。
だから仏教ではない外道の考えだ、と指摘しているのです。
しかも、その現世の災難災厄を食い止めるどころか、実は何の抑止力も無い。
出来ないことをあたかも可能だと吹聴して金を収奪する行為を詐欺というのです。

481ラシン:2011/02/14(月) 13:13:37 ID:x9FuHHv20

誤:私も、信者時代この桐山理屈が腑に落ちなかった。

正:私も、信者時代この桐山理屈の矛盾が腑に落ちなかった。

482ラシン:2011/02/14(月) 14:33:21 ID:x9FuHHv20

「輪廻する葦」4

身見(我見)の桐山さんの間違い。(262頁)

一、身見(我見ともいう)
「これには、二つの意義があります。
 一つは、さきのアートマンのところでおはなしいたしましたように、
「我」というものが、常住実在であると考える考え方、これが身見です。
 これはまちがいで、「我」は、五陰が因縁によって化合したものであると
 する仏教の考え方が正しいのです。
 まずこの身見を断滅するということ。」

どうでしょう、この見事な自説の付け加わえぶりは。

仏教辞典の我見:自我の存在を是認する誤った見解、時に我執を含む。

ご覧のように、ここまでは学説を踏襲していますが、次にいきなり
>我は、五陰が因縁によって化合したものである<、と断じている。
では、
釈尊やその他阿羅漢になった者たちが、因縁が切れて成道したなら、
五陰の化合がほどけて、入滅してしまうことになる。
さて、それでどうやって遊行し衆生に説法を続けたのだ、との矛盾です。
諸行無常の五陰だからこそ、それは常住不変でなく、現世で煩悩が滅したら、
死んだ後に五陰が滅し、来世に生じないのが、釈尊の教えです。
この世での因縁切りを果たしたら、化合した五陰そのものが、もう成り立たなくなる。
つまり、あたり前のことだが、現世での利益果報なども成り立たないのです。
結論は、>我は、五陰が因縁によって化合したものである<、との桐山説は、
間違いです。

しかしここで、一つの屁理屈が出てきます。
因縁も有余涅槃だから、死ぬまでは化合した五陰はほどけないんだ、と。
だが、これも説得力ゼロとなります。
仏教での”有余”とは辞典でも、
煩悩は滅したが、肉体的存在=肉体的束縛=余の存在 を指します。
釈尊は桐山方程式の、>我は、五陰が煩悩によって化合したものである<とは、
説いていないからで、それが化生であると言うなら大乗仏教です。
だが桐山説の「因縁による化合→因縁切り」、となれば化合の崩壊は達せられる。
なんら”因縁の余り”を解説していませんから、屁理屈で終わるのです。

(262頁)「つぎにもう一つは、「我執」「我慢」という意味の身見です。
 これは、わが身を主に、我が身を中心にすべて考え、行動する自己中心の考えです。」

仏教辞典で我執とは、「意識ある生き物の主体として、恒常不変の自我が実在する、
と考えて執着すること。」、とありますから、桐山さんの間違いです。
我見も我執も、仏教解釈ではどちらも「非我」を表した言葉です。
桐山さんの主張は、国語辞書の我見:「自分だけの偏った見方や狭い考え。」を混同し、
経典を解説してしまっています。
これをそのまま、受け売りして批判側に説教を垂れるお方がいるが、理由はこんなもので、
間違いかどうかを確認する知性を喪失した結果です。

483天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/14(月) 22:54:34 ID:MO.D3.Ek0
準さん出てこないね。考え中かな?

484名無しさん:2011/02/14(月) 23:34:50 ID:GX1wqY7YO
詐欺師って偽物でも本物って言いますから、、、
ゾゾゾゾってきちゃつた。

486天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/15(火) 08:33:39 ID:9oYem24A0
あと不思議に思ったのだが「六方塞がり」って普通「八方塞がり」といわないかな、と。

六方なら2方空いているわけで、その2方があるんだからそのどちらかを行けばいいんじゃ
ないか、といわれそうと。

まあ、気になっただけですのでスルーでよろしく。

487ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/15(火) 08:42:44 ID:SmEF4Oe2O
>>486
八方塞がりだろうが六方塞がりだろうが、自分が簡単にそう決めつけているだけで
自分で打開すること、辛抱することを諦めているだけで、本当のところは
具体的に分析しないとわからないんだよね。
時間が全てを解決するということがある。
救われたと言うならばどんな奇跡が連続したのか書いてみるとよいわけです。
そもそも因縁解脱がなけりゃ煩悩なんか断っても意味がないなどと言うが、
信仰を始めて10年過ぎてから、それまでなかった成人病を増やしている。
たぶんこれは不治の生活習慣病です。
療養を誤ると失明や命を落とす恐れだってある。
悪い因縁を増やしたのです。

488天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/15(火) 09:06:03 ID:9oYem24A0
ええ、わかりますよ。その通りです。
まして”あの方”は老後の今が安定・安泰だから大きなことをいえます。
今後どうしても老化により種々の不具合が出てくる。
そのときにどうなるか、も個人的には懸念していたりもします。

まあ、本音などここでは出すはずも無いが、強がって終りでしょうね。
いきがって強がっても、寄る歳の波には勝てぬ。
あのゲイカさえ大分おとなしくなってしまったし法話でも愚痴を言っていたし。
まあ「俺は天国へいけるんだ」と呆けてしまえば怖さもないでしょうけどね。

平穏無事な生活にいる人はどんな強がりでもいえますよ。
せいぜい余生を楽しく過ごせるのかもしれませんね。
人に嫌われてもね。

489天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/15(火) 09:10:46 ID:9oYem24A0
>自分で打開すること、辛抱することを諦めているだけで

私もそう思います。だから今が安泰だからそれを「信仰のお陰」なんて生ぬるい
ことを言ってられるんです。
自分は日々戦いの毎日だからそんなことなど言ってられないですね。
ましてアゴンの信仰のお陰など無かったしw

今後安泰が崩れたら何と言うんでしょうね?
因縁が発動した?なんて、お笑い種ですよ。

まあそのときになって気づくんでしょうか分かりませんが、せいぜい減らず口や
勝手解釈で通すんでしょうね。
アゴンの信仰など何の効果も無いと気付かない幸せな人には私たちの意味も内容も
分からないですからね。

490ラシン:2011/02/15(火) 11:21:23 ID:x9FuHHv20
「輪廻する葦」5

疑惑の桐山さんの間違い。

二、疑惑(264頁)

うたがいまどうということです。なんにたいして、うたがいまどうのか。
仏陀の正しい教法にたいして、です。

しかし桐山さんは、釈尊の教法を信じ一切の疑惑を捨てて、仰ぎ見ているか?
釈尊が説いたのは、漏尽解脱だけなのに因縁解脱・カルマ解脱を説いています。
煩悩を滅することには精を出さず、ひたすら因縁切りだと言う。
霊魂の有無を無記とした釈尊の姿勢に反して、経典捏造して異陰=霊魂としました。
これは、ユビキタスさんが過去に指摘した霊障のホトケの根拠ですから再掲します。

この「異陰」こそが、かねてからわたくしがいっている
「不成仏霊」であり、「霊障のホトケ」だったのです。
この存在が、どれだけ多くのひとに苦しみをあたえ、
どれだけ多くの家庭を不幸のどん底におとしいれているか、
『守護霊を持て』『霊障を解く』(平河出版社刊)その他に
書いた通りです。
わたくしは、あらゆる不幸・不運・災難のもとは、この異陰
が原因であると確信しております。
(輪廻する葦 p.156)

これが釈尊の教法を仰ぎ見て深く信心する姿とは、到底見えません。
どうであろうと、この世は苦の世界と知り、その苦の解決は煩悩を
滅することだと説いたのが、釈尊の教法だからです。
おまけに自分の著書と平河出版の宣伝まで図々しく行っている。
桐山さんは、「幸福の原理」で生長の家の谷口雅春氏への思想批判で、
何を言っていたか。
109頁
 一切の罪業なし、罪悪なしと説くことは、たしかに人の心から、 暗いものを
 取り去りますが、同時に正しい信仰を持つさまたげともなるものです。

煩悩を制御節制することは、確かに人の心から暗いものを取り去りますが、
同時に正しい信仰を持つ妨げともなるものです、と自覚すべきです。

491名無しさん:2011/02/15(火) 11:53:43 ID:1F7rdgXk0
疑惑というのは仏の教えを疑うことですが、このように大量の経がある中では、
どれがホントの経かを、先ず考えねばいけない。

八方塞がりか、六方塞がりか、苦しいか、楽か、幻覚か事実か、夢か現実か、
なんてのは、当人が一番解っているわけで、他人がとやかく言うのは愚かさを
示してるだけなのです。

結局、私と批判派の皆さんの違いは、わたしが運命の星(○○の因縁)を、
確信する体験をしたから入行したのに対し、批判派の皆さんは理論や理窟だけで
入行していることです。だから、議論に負けると退会してしまうのですw。

492ラシン:2011/02/15(火) 12:11:10 ID:x9FuHHv20

「輪廻する葦」6

戒取の桐山さんの間違い。

三、戒取(264〜265頁)

この戒取というのは、仏陀の正しい教法を理解せず、あるいは
理解しようとせず、それ以外の教え、たとえば道徳とか、
仏教以外の宗教、そういったものを「絶対正しい」と信じて固執
することです。

桐山さんの騙しのテクニックが、遺憾なく発揮されています。
解説内容の初め部分は、そう間違いではありませんが、
正確を期する上で仏教辞典に拠れば、過った五見の一つ、
仏教以外の宗教で、解脱を得るためや天界に生まれるために誓いを立て、
禁戒習慣を守り、苦行を行おうとするのを、正しい方法とみなす過った見解、
とあります。
五見のほか四つはアビダルマ解釈なので省きます。

仏教は、釈尊と聖衆の集まりにおける戒律ひとつをみても、
道徳の完成=人格、それも高潔なる人間性の完成です。
ここでも、桐山さんは道徳など大嫌いで、絶対守りたくないから、
上手な言い回しで、「たとえば道徳とか、仏教以外の宗教、」などと、
正解半分と道徳を唾棄したホンネ半分、という解釈を展開しています。

桐山さんが為していることは、禁止された仏教以外の宗教のゴマを焚いて、
釈尊が説かない因縁解脱・業解脱という外道の教えを臆面も無く、
信者さんに謳いあげ、実践しています。
過去には、厳寒の滝行という苦行も自慢していました。
戒取を行えば救いようがないと述べながら、堂々と禁を犯している。
桐山さんが、いかに確信犯であり、釈尊を侮蔑しているかが分かります。

信者さんは、暴力はいけないと言いながら暴力を堂々とする人を
信用できますか、出来ないはずで、それこそが常識でしょう。
しかし、信仰となると信心という接着剤で外道の札を平気で額に貼っている。

以上の三結は、過去より批判諸兄が散々に指摘してきた内容です。
このたびは天照さんから共同ファイルドキュメントを提供していただき、
不肖ながら、桐山さんのウソと騙しのテクニックを再認識する意味で、
書かせていただきました。
また、もし解釈や指摘の点で間違いがありましたら、どうかご指導賜りたく、
よろしくお願い申し上げます。

493準シュダオン:2011/02/15(火) 12:19:40 ID:1F7rdgXk0
例えば、初期ガンの手術をすれば、ガンの因縁があることが解かるし、手足
を切断する事故に遭えば、肉体障害の因縁があることが解かるし、夫婦で別居
生活に入れば夫婦縁障害の因縁があることが解かる。と、いうように、
私の場合、因縁が出てから入行したわけです。↑に出した例は、私ではない
よ。私の具体的な因縁例は出さないよ、そこまでのサービス精神はないねw。

で、私は、因縁の洗い出し現象を体験したし、仏陀の思念のバイブレーション
も体験することができた。だから、私は、管長の因縁切りの法を信じてるし、
思念の相承を説いてるチベット仏教も信じてるのです。解脱知見が生じて、
煩悩と輪廻から脱したことを知る、と説く阿含仏教よりも、管長の法と、
チベット仏教の方を信じてるのです。

阿那含になって、神通界を体験したら、阿含仏教も信じます。
いやぁ、因縁の洗い出し現象を体験してからは、「不堕悪趣」を説いてる
阿含経を信じてますけどね
「欲を離れて平安な心」なんてのを説く仏教は、私には向かないし不用だね。
スーパーコンビューター、何で一位でなくちゃダメなんですか?二位じゃ、
ダメなんですか?と、訪ねた政治家が居たけど、欲を離れる仏教なら二位でも
ビリでも良いでしょうw、でもそれじゃ、日本が衰退するだけです。

494ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/15(火) 12:32:06 ID:SmEF4Oe2O
>>491
おや、準シュダオンさん。
ネームを入れ忘れてますよ。
IDで判断できましたが。

495ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/15(火) 12:51:01 ID:SmEF4Oe2O
>>491:名無しさん11/02/15(火) 11:53:43 ID:1F7rdgXk0
>八方塞がりか、六方塞がりか、苦しいか、楽か、幻覚か事実か、夢か現実か、
>なんてのは、当人が一番解っているわけで、他人がとやかく言うのは愚かさを
>示してるだけなのです。

本当に八方塞がりならば、それは最悪自分はどうなってしまうのか考える必要が
ありますね。
殺されるのか?警察に逮捕されるのか?会社をクビになるのか?上司にお目玉をくうのか?
それを考えた上でとり殺されるのでなければ、その最悪のケースは訪れるものと
覚悟して行動すべきでしょうね。だってジタバタしたって始まらないのだから。
余計に苦しみが増すし。不安、焦り、恐怖ー
せめてこういうものを減らして覚悟を決めるしかない。
物事はなるようにしかならない。
上司にお目玉は食いたくないんだけれども、それは欲というもので、やはりミス
などがあった場合、お目玉を食っても上司に報告して、共に今後の対策を考えることだ。
クビになるなら仕方がない。次の職場を探すようにしなければならない。
自分が本当に犯罪に関わったならば前科がついても自首した方がよい。
医師から余命いくばくと宣告されたら、これだとて仕方ないことだから
受け入れて覚悟を決めるしかない。
多くの人はそれでおかしな宗教に頼らずに乗り切ってきているのです。
あなただけではない。皆そうです。
問題はきれいに片付かなかったかもしれないが、「それでもまだ生きている」。
但しそのような世知辛い人生において宗教を信じて、例えば釈尊の言葉などに
「勇気を得る」というのは健全な信仰だと思う。
しかし因縁が悪いんだ、この因縁を切ってくれることを教えてくんなくちゃ
信仰しても仕方がない、問題が都合よく解決してくんなくちゃなんて言っている
のは明らかに逃避ですね。

496ラシン:2011/02/15(火) 13:18:35 ID:x9FuHHv20

>491
>結局、私と批判派の皆さんの違いは、わたしが運命の星(○○の因縁)を、
確信する体験をしたから入行したのに対し、批判派の皆さんは理論や理窟だけで
入行していることです。だから、議論に負けると退会してしまうのですw。

議論に負けて退会した人間を嘲笑したいようですね。
釈尊に帰依し弟子になった者は、ほとんどが議論に負けたのです。
釈尊に議論を挑んで、その間違いに気づいて師に帰依したのです。

ところが準シュダオンさんは、議論など無視でしょう。
自己主張のできる範囲と相手を見つけて、自説を述べ自慢し陶酔したい。
だからとても分かりやすい。
あなたのような人が、社会には多く存在した乃至するのも事実です。
新暴対法の成立前には、暴力団を背景に威嚇する人間や企業が多数存在した。
これとよく似ているのが、準シュダオンさんです。
桐山教義の正否や真偽など、どうでもよいのでしょう。
あなたの大事な点は、桐山さんという虎の威を借りて偉ぶりたいだけだ。
自己顕示欲の権化だから、桐山因縁切りに執着し慢心していたい。
それには、長年培った桐山教の理論武装という鎧の着心地が馴染んでいる。
それを脱いでしまったら、自分は崩壊すると恐れているからです。

あなたが外道を信じようが、批判側の誰一人期待もしなければ退会も勧めない。
ご勝手に外道信者を続けてください。
ただ、仏教と外道の違いだけは、桐山さんを通して批判するのみです。

497準シュダオン:2011/02/15(火) 13:35:55 ID:1F7rdgXk0
ネーム忘れも私のレスでした。
ユビキタスさんの考え方を改める第一は、悪趣の考え方だと思いますね。
阿含経にちゃんと、「苦厄老病死 此三悪趣」と、説かれているのですから、
地獄、ガキ、畜生、三悪道は、死後のことだけではなくて、現実のこの苦の
人生のことも言い表しているということです。勿論、死後もそのような苦の
状態があるぞ!と、説いてるのでしょうけども、ユビキタスさんは死後のこ
とだけに限定しすぎて、三悪趣を考えてますね。

もっと、現実での人生の、三悪道を考えるべきです。地獄、ガキ、畜生とは、
どのような状態をいうのであろうか?と考えることですね。別に管長と同じ
分類でなくても良いでしょう。私などは、元連合赤軍のリーダーなどが、
地獄界に居ると思いますね。彼らは40年前、「総括」と称して、仲間を
リンチで十数人も殺した。最近、幹部リーダーの永田○子が病気で獄中死した。
何か、実名を書くと霊障に祟られるかも知れないので、○子と書いたです。

あと他のリーダーの一人は、獄中で首を吊って死んだ。こういう人生は、
悲惨でしょう?こういう運命を三悪道と呼ぶのだと思いますね。管長もその
ように分類していますね。元連合赤軍などは、殺人という業の報いを、
生前に受けた例でしょうね。そして、現世で報いを受けたから、死後はバラ色
の霊、となるのでしょうか?そうは甘くないでしょうね。

498Boo:2011/02/15(火) 13:41:47 ID:RjTICWFw0
>493 :準シュダオン:2011/02/15(火) 12:19:40 ID:1F7rdgXk0
>例えば、初期ガンの手術をすれば、ガンの因縁があることが解かるし、手足
>を切断する事故に遭えば、肉体障害の因縁があることが解かるし、夫婦で別居
>生活に入れば夫婦縁障害の因縁があることが解かる。と、いうように、
>私の場合、因縁が出てから入行したわけです。↑に出した例は、私ではない
>よ。私の具体的な因縁例は出さないよ、そこまでのサービス精神はないねw。

準シュダオンさん、考え方が逆ですよ。「癌の因縁」を指摘されて癌になるから
「ああ、桐山さんの言うとおりだな」となるんです。本来はね。桐山さんのずるい
ところは、各自が勝手に(準シュダオンさんのように)、「ああ、自分には肉体障害
の因縁があるんだな。」と思わせるところですね。桐山さん自身、因縁をみる力なんか
ないのにね。癌の因縁や色情の因縁を指摘して、そのようになった架空の物語で読者を
信者にするという方法です。

まし、○○の因縁が本当に人生を決定する要素であるなら、○○の因縁がどのような占星術
で導き出されるのか、明確に答えられる阿含宗の信徒がいるはずです。私などよりも優秀な
占星術の研究者など信徒の中にもごろごろいますからね。

ところが一人もいないんです。○○の因縁がどのような占星術でどのように算出されるのか。
不思議だと思いませんか?準シュダオンさん。

499準シュダオン:2011/02/15(火) 13:58:27 ID:1F7rdgXk0
「自説を述べ、自慢し、陶酔したい」?大笑いだね。だからユビキタスさんは
まぁ、批判派一般だけど、煩悩の何たるかを知らないのです。自慢で陶酔なん
てのは、我見に執着してるからです。我見の強い人がそういう発想をするの
です。十結煩悩の第一は、我見で、2疑惑3戒取4貪欲・・の順に断って行く
のです。我見を断たずに欲貪は断てないのです。欲貪とは、我に執着するから
生ずるわけで、我(我見)を断てば、自然に欲貪も薄れてくるのです。

批判派は、それを言わずして欲貪を断つことを言うから可笑しいのです。
我見を断たずに、欲貪を断つなど可笑しいね、そんなの断ったつもり、と
言うのですw。私には、議論の勝ち負けなどの意識はありませんよ。
むしろ、議論に負けて新しい発見をしたいくらいです。

十難のレスをして、釈尊は無記だけではなくて、ちゃんと如来の死後について
説いてるじゃないか!と、私は書いた。そしたらユビさんが、否、その内容を
無記というのだ、と反論してきた。私は一応、ユビさんの見解を否定はしたが、
(なるほど、そうかも知れないな)とも考えて、自説に執着してるわけでは
ないよ。自説に執着するのが我見、ですからね。
我見を捨てて、自灯明に持っていくにはどうしたら良いのか?ですね。

500準シュダオン:2011/02/15(火) 14:27:44 ID:1F7rdgXk0
○○の因縁が存在することと、それを占星術で導き出すこととは、違うと
思いますね。私は、○○の因縁が存在することは確信してますけど、密教
占星術でそれを導き出せるのかどうかは、知りません。占星術が本当なのか
インチキなのかは解かりません。だから占いの議論は出来ません。

釈尊は、「業に応じて五道をそれぞれ往来する」と説いています。
つまり、業に応じて○○の因縁を形成する、ということでしょう。
で、天眼智と宿命智を得れば、業と○○の因縁の因果関係が解かる、と
いうわけですね。如実に知る、とはそういうことでしょう。

で、管長は、人の○○の因縁の透視ができる、ということですね。
それが本当かどうかは、私は知りませんけど、本当である可能性は高いと
思います。受け入れの秘儀の時、そのように私は直感した。
インチキだと感じた人がいたら、それはそれで否定しないよ。

30年前、ある占い師が、「あなたの災難続きの原因は、これこれのせい
ですよ」と、細かに動作をして見せて、相談者が何十年前もの家畜虐待を
即座に思い出した例を、私は見てますからね。○○の因縁と、その原因を
透視できる人が居たとしても、私は肯定いたしますね。

501ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/15(火) 15:18:42 ID:SmEF4Oe2O
>>500:準シュダオン11/02/15(火) 14:27:44 ID:1F7rdgXk0
>○○の因縁が存在することと、それを占星術で導き出すこととは、違うと
>思いますね。私は、○○の因縁が存在することは確信してますけど、密教
>占星術でそれを導き出せるのかどうかは、知りません。占星術が本当なのか
>インチキなのかは解かりません。だから占いの議論は出来ません。

だからあなたの考えなど関係なく桐山さんは密教占星術1ではっきりと古くから
伝わる密教占星術に因縁の星を導き出す方式があると書いている。
それは難解にして今ではそれをマスターする人も途絶えたところを桐山さんが
研究、実験して復活させたと言っています。
それはたしかに難解で霊感的なものも必要としますが、アナハタチャクラなどを
活用した他心通とかヴィシュダーチャクラを活用した天耳通、アジナーチャクラを
活用した天眼通など人に備わった能力を使役するものとも異なり、それだけで
システムをなしていると冒頭から書いている。
まずは密教占星術1を読みなさいな。
脳障害の因縁(阿鼻惹星)とか占星術の星の名前まで明記しています。
アビジャ星なんておかしな名は桐山さんの創始ではなく古来からある星の名を
使っているのです。
古い本だから今は通用しないなんて理屈は通りません。
桐山さんは観音慈恵会の昔から占いを使って因縁を見て人生相談をしていたと
書いている。
自分にもガンの因縁や刑獄の因縁があることを信仰に入る前から占いで知っていた
とはアゴン宗になってからの著書に明記されている。
昔は嘘をついていたとあなたは言いたいのか?

503天照 ◆8Sws/yExDc:2011/02/15(火) 16:03:21 ID:NN50HJjQ0
>>500
>○○の因縁が存在することと、それを占星術で導き出すこととは、違うと
思いますね。私は、○○の因縁が存在することは確信してますけど、密教
占星術でそれを導き出せるのかどうかは、知りません。占星術が本当なのか
インチキなのかは解かりません。だから占いの議論は出来ません。<

これが証拠ですね。だから貴方は「自分の憶測で物を考える」といわれるのです。
信者なんだから手元になかったら仕方ないが、道場に行った際に「密教占星術T」
ぐらいあるはずだから、読んでから反レスされては?

ゲイカはTだかUだか忘れたが、本の中で
「インスピレーションは体調によって左右される。なので、体調に左右されない
”占星術”で出す、といわれている。
各種の因縁もそうで、占星術で諸々の因縁を出してから、仕上げにゲイカの霊力で
漏れがないかチェックするそうです。

それさえも”はしょった”のが有名な「因縁診断士」制度です。
これは因縁診断士と信者が面接して所定の書類を出したほかに、直に不明な点などを
信者から聞き、その書類とおおよそのゲイカから習ったことで出される「各種の因縁」
を提出する。それをゲイカが見て微調整をする。そして最終的に出された諸々の因縁
は昔なら「因縁解脱修行宝鑑」として下付された。

まさか知らないとは言わせないですよ。

批判側が言いがかりがどうか、調べてから反レスするべきでは?

504ラシン:2011/02/15(火) 16:44:57 ID:x9FuHHv20
>499 :準シュダオン:2011/02/15(火) 13:58:27 ID:1F7rdgXk0
「自説を述べ、自慢し、陶酔したい」?大笑いだね。だからユビキタスさんは
まぁ、批判派一般だけど、煩悩の何たるかを知らないのです。自慢で陶酔なん
てのは、我見に執着してるからです。我見の強い人がそういう発想をするの
です。十結煩悩の第一は、我見で、

ほうら、批判側を「煩悩の何たるかを知らない」とののしりながら、
一番知らないのは、準シュダオンさんだと自ら鼻を垂らした、小汚い老人だね。
介護するのも大変ですから、もう一度、教示だけしましょう。

>>482にも掲示したばかりだが、慢心とプライドが強すぎて見えないらしい。
あなたの使う「我見が強い」は、国語的意味の「自分だけの偏った見方や狭い考え。」が、
強いことで、十結煩悩の「我見」ではありません。

我見に妄執することとは、釈尊の「非我」「無我」説を否定することになるのですよ。

(岩波仏教辞典)
〈我見〉:自我の存在を是認する誤った見解、時に我執を含む。
 意識ある生き物の主体として、恒常不変の自我が実在する、
 と考えて執着すること。

505ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/15(火) 20:42:56 ID:SmEF4Oe2O
>>493:準シュダオン11/02/15(火) 12:19:40 ID:1F7rdgXk0
>例えば、初期ガンの手術をすれば、ガンの因縁があることが解かるし、手足
>を切断する事故に遭えば、肉体障害の因縁があることが解かるし、夫婦で別居
>生活に入れば夫婦縁障害の因縁があることが解かる。と、いうように、
>私の場合、因縁が出てから入行したわけです。↑に出した例は、私ではない
>よ。私の具体的な因縁例は出さないよ、そこまでのサービス精神はないねw。

それは自分の持つ因縁の一部がわかっただけで、全ての因縁がわかったことには
なりませんよね。
あなたでなくても誰でもこれまでの過去の人生を振り返れば、少なくともこの
因縁はあったはずだなとわかります。
だから臨終の際、全ての因縁がわかるというものです。
過去形の因縁はわかるが未来形の因縁はわからない。
例えば横変死の因縁などは出て始めてわかる。確信する。確証される。
しかし発現してしまったらおしまいで、もう人生にオサラバです。
だからあなたに横変死の因縁が無いという保証などない。
あなたがいかに高齢であっても、高齢者ならば事故死しない、他殺されない
なんてことはないからです。
寧ろ山岳遭難死が中高年に多いことを見ても、高齢者こそ横変死の危険性は高い
と言える。
しかもこれは心掛けなど関係ない。
あなたは安全運転を心掛けてきたから今まで事故もなかったろうが、だから今後も
事故がないとは言えない。対向車が居眠りで正面から突っ込んでくれば、
いかにあなたのマナーがよくともたまったものではない。
だからこの通り運命なんてまだまだわからないところがいくらでもあり
あなたが自分の因縁の一部が悟れたなんて話はあまり意味ないのです。

506ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/15(火) 21:06:17 ID:SmEF4Oe2O
>>497:準シュダオン11/02/15(火) 13:35:55 ID:1F7rdgXk0
>私などは、元連合赤軍のリーダーなどが、
>地獄界に居ると思いますね。彼らは40年前、「総括」と称して、仲間を
>リンチで十数人も殺した。最近、幹部リーダーの永田○子が病気で獄中死した。
>何か、実名を書くと霊障に祟られるかも知れないので、○子と書いたです。
>あと他のリーダーの一人は、獄中で首を吊って死んだ。こういう人生は、
>悲惨でしょう?こういう運命を三悪道と呼ぶのだと思いますね。

なかなかよい題材だと思います。
しかし考えてみてください。
元連合赤軍は獄中死したから、獄中で首を吊ったから地獄界なんですか。
そうでなく逮捕されることなくのうのうとそれなりの贅沢な暮らしをしている犯人も
想定されるわけです。
そのまま捕まることなく普通に死ぬかもしれないし、もう死んでるかもしれない。
そんなに悲惨な苦しみを受けることもなく。
この人たちはまだ地獄界ではないと言うか?
私は遅かれ早かれ人殺しをした彼らは地獄に堕ちることが約束されていると思う。
獄中死なんて生ぬるい話ではなく地獄はそんな程度で済まされるものではないと思う。
善人だって首を吊ることがありますしね。
ましてや病死なんて獄中にいようがどこにいようが同じ病死です。
獄中にいるだけそれまでの生活は安定保証されていて恵まれているなんて考え方
だって可能ですw
だから生きている時の境遇は大差ないとさえ言える。
そんなことよりも地獄界と非地獄界に分けるものは何かと言うと、やはり殺人などを
した自分の加害行為なんですね。
単なる被害者ならば悲惨な死に方をしても地獄に堕ちません。
それ自体は可哀想な話でも堕地獄界なんて罵れない。

507ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/16(水) 00:09:11 ID:SmEF4Oe2O
>>499:準シュダオン11/02/15(火) 13:58:27 ID:1F7rdgXk0
>「自説を述べ、自慢し、陶酔したい」?大笑いだね。だからユビキタスさんは

>まぁ、批判派一般だけど、煩悩の何たるかを知らないのです。自慢で陶酔なん
>てのは、我見に執着してるからです。我見の強い人がそういう発想をするの
>です。十結煩悩の第一は、我見で、2疑惑3戒取4貪欲・・の順に断って行く
>のです。我見を断たずに欲貪は断てないのです。欲貪とは、我に執着するから
>生ずるわけで、我(我見)を断てば、自然に欲貪も薄れてくるのです。
>批判派は、それを言わずして欲貪を断つことを言うから可笑しいのです。
>我見を断たずに、欲貪を断つなど可笑しいね、そんなの断ったつもり、と

まず冒頭の「自説を述べ、自慢し、陶酔したい」?とは誰が書いた書き込みですか?
そのような内容は私も書いたかもしれないし、ラシンさんが書いたかもしれない。
こういうものを唐突に出すのではなく、相手の書いた書き込みを見つけて
コピペしてください。
コピペの仕方を知ってますか?知らなかったら教えてあげます。
マウスをお持ちでしたらマウスを使ってコピーしたい文章をまるごとドラッグする。
ドラッグわかりますよね?該当箇所が黒く反転するはずです。
項番、ネーム、日時も忘れずにまとめてドラッグする。
そうしたらマウスの右ボタンをクリックすると選択画面が出てくるのでコピーを選ぶ。
これだけでコピーは完了です。
次に貼り付けだが、投稿画面に入り、再びマウスの右ボタンをクリックして今度は
貼り付けを選ぶ。するとコピーした箇所が簡単に書けてしまいます。
わざわざ自分でキーボードを打つ必要はなく、楽でいいです。
後は特に項番の前に半角記号の>を二ついれて>>にする。
そうすると単に貼り付けただけでなく、そこをクリックすることにより該当の項番
に飛んでいけるから読む人はわざわざ探さなくても遡らなくても済む。
さてこのようにコピペの習慣を身に付けてください。
そうでないと私はあなたが唐突に何を言いたいのか理解できない。
理解できないとレスのしようもない。
どうやら我々批判側があなたに対して自慢して陶酔してると書いたようだ。
ならば私はあなたの漫という煩悩を指摘したことになる。
漫も煩悩です。この煩悩は欲貪とも性質が異なる。
欲や貪りがあまりなくても無知なだけで漫は育つ。我見の前提も

508ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/16(水) 00:17:21 ID:SmEF4Oe2O
>>499:準シュダオン11/02/15(火) 13:58:27 ID:1F7rdgXk0
>「自説を述べ、自慢し、陶酔したい」?大笑いだね。だからユビキタスさんは
>まぁ、批判派一般だけど、煩悩の何たるかを知らないのです。自慢で陶酔なん
>てのは、我見に執着してるからです。我見の強い人がそういう発想をするの
>です。十結煩悩の第一は、我見で、2疑惑3戒取4貪欲・・の順に断って行く
>のです。我見を断たずに欲貪は断てないのです。欲貪とは、我に執着するから
>生ずるわけで、我(我見)を断てば、自然に欲貪も薄れてくるのです。
>批判派は、それを言わずして欲貪を断つことを言うから可笑しいのです。

あなたの漫を指摘したのだからあなたの我見も指摘したわけです。
漫が起こる背景にはやはり我見が密接な関係がある。
だから私はあなたの誤った我見も指摘したのです。
だから自慢して自己陶酔に陥るわけです。
我々の我見ではなくあなたの我見を指摘したのであり逆です。
こういう時に欲貪の話を持ってくるから私はあなたが何を言いたいか理解できない。
欲貪も我見も漫も決して順番などはないから同時に改めなくしていけばよいのです。

509ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/16(水) 00:36:25 ID:SmEF4Oe2O
>>499:準シュダオン11/02/15(火) 13:58:27 ID:1F7rdgXk0
>十難のレスをして、釈尊は無記だけではなくて、ちゃんと如来の死後について
>説いてるじゃないか!と、私は書いた。そしたらユビさんが、否、その内容を
>無記というのだ、と反論してきた。私は一応、ユビさんの見解を否定はしたが、
>(なるほど、そうかも知れないな)とも考えて、自説に執着してるわけでは
>ないよ。自説に執着するのが我見、ですからね。

と言うよりもこの平河本の引用や内容紹介もきちんとしてないですよね。
前後の文脈も出さずに短い断片を示したのみです。
これでは誰でもわかりませんよ。
桐山さんの著書ならばここはアゴン宗スレですから元信者でもわかります。
しかしそのような平河本は誰もが持っているわけではない。
出したいのならばある程度の文脈説明と該当箇所の現代語訳などの引用が必要です。
幸いその平河本の長阿含経の丘山新先生の大縁方便経も入手できました。
あなたがしないならこちらで時間がある時それをします。
十二因縁を語ったもので、釈尊自ら言うようになかなか難しい。
この文脈の中で真意をつかまねばならない。
あなたは本の読み方の基礎ができてないのだと思う。
木を見て森を見ず。断片だけで勝手な解釈をする。
ちゃんと筋に沿って読まねば桐山本まで理解できません。
密教占星術1面白いですよ。かつて中沼さんも面白いと言っていたが。
なかなかうまい構成でこれを読むと因縁解脱しなければならないと結論が出ます。
私はこの一冊で入行したようなものです。
Booさんにも大きな影響を与えたようだ。
しかしあなたみたいな断片勝手読みでは理解も桐山教学まで理解できないでしょう。

510ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/16(水) 00:38:42 ID:SmEF4Oe2O
>>508の漫は誤変換ですね。
漫でなく慢です。

512準シュダオン:2011/02/16(水) 12:32:59 ID:1F7rdgXk0
私だとて、密教占星術1を読んでいますよ。管長が密教占星術で人の因縁を
知ることができる、と本に書いてることも知っています。しかし、わたしが
言うのは、理屈でそれを証明することは出来ない、ということです。
そこが、管長の言うことをすべて盲信するか、盲不信するかの批判派と、
私の違うところです。

これは、人生とは運命が決まっているのか、偶然なのか、の問題なのです。
そういうのは理論、理屈で証明できるものではありません。それは各自、
人生体験を通して、信じるか信じないか、の問題です。
管長だとて、人の運命の星(因縁)を知ることが出来ると主張しているので
あって、理論で証明しているわけではありません。理論で証明出来たらそれ
は学問であって、学校でも教えられて、誰でも運命鑑定士になれるではあり
ませんか。そういう馬鹿な話は、ありません。

私は、密教占星術を否定してるのではありませんよ。それで人の因縁を正しく
占断できるかできないかは、知らない、と言ってるのです。
要するに、信じるか信じないかの問題です。
釈尊の説く、業によって報いがある、という教えだって、要は信じるか、
信じないかの問題ですよ。そうなこたぁ、嘘だ、悪いことしたって、見つから
なきゃ、天罰なんてのもない。釈尊の教えは、勧善懲悪論であって、実相とは
違うよ、と言われたらそれまででしょう。


513準シュダオン:2011/02/16(水) 14:00:34 ID:1F7rdgXk0
密教占星術で、肝心なことは、管長が、正しい占断ができるためには、三つの
必須条件があって、それは勘と、常識と、教養である、と本に書いています。
それがないと、占っても当てられないと書いています(密教占星術UP46)。
で、常識や教養は勉強することで身に付けられると思いますが、勘はどうすれば
身に付くでしょうか。勘とは、五感でわからないことを知る能力、第六感、など
と説明されますが、学問的には解明されていないものです。

学問的には解明されていない勘がないと、当てられないというのですから、密教
占星術も学問的には解明されていない、ということになります。管長は、占星術
を説明しているのであって、証明しているのではありません。説明は信じるか、
信じないかの次元であって、証明は信じる信じないに関わらず、客観的に正しさ
が明らかになることです。

密教占星術は、正しさが学問的に証明されているわけではありません。
まぁ、占いは皆そうですけどね。それを混同しないことですね。

514準シュダオン:2011/02/16(水) 14:38:31 ID:1F7rdgXk0
コピペは、一部引用は誤解の元だから、しないだけです、ああ、でも例外的に、
どなたかのレスを一度だけ一部コピペ引用をしたことがあったかも、でもね、
皆さん、自分に都合の良いとこだけ引用してるのが実態でしょうw?

大縁方便経に、十難の「如来終・不終亦知」のことなど説かれていますね。
バウッダのP114〜116に、十難と無記の説明がされています。無記とは、
釈尊が外道から十難について論争を挑まれたり、あるいは弟子から質問された
ときに、沈黙を通したこと、です。沈黙して答えなかった、ということです。
「如来は、死後に生存するか、生存しないか」というような内容も十難の一つ
に数えられています。

で、わたしは大縁方便経の、釈尊が阿難に説いている内容を、無記ではなくて、
ちゃんと如来の死後について、答えていると解釈したわけです。前にその部分の
漢文を引用しましたけど、その解釈を、「如来は死後に生存し、かつ生存しない。
また、生存するのでもなくて、かつ生存しないのでもない」というように私は
捉えたわけです。これは釈尊の詭弁ではありません。
瞑想が高まれば、その内容を理解出来るのだと思います。

例えば、色即是空とは、色は有でもなく無でもないから空だとします。
でも、無をゼロと捉えるならば、空はゼロではないから有の範疇に入ります。
管長がいうように、仏陀の思念は時空を超えて存在しますけども、それはある
条件を備えた人間だけに認識することが可能です。そういう点では、存在しない
とも言えます。ですから、聖なるバイブレーションを、脳梗塞の前兆としか想像
できない人達と、私とでは、大縁方便経の解釈も、まるきり違ってしまうのですね。

515ラシン:2011/02/16(水) 15:01:49 ID:x9FuHHv20

桐山さんの徴兵、丙種のウソ

兵隊検査は丙種(現世成仏41〜43頁)
「結核を病みながらも小康を得た時に、町役場からの要請もあり、
 国民体力検定と言うのを受けたことがあった。ー中略ー
 千葉県で三人しか上級に合格しなかったと後で聞いて、やはりやって
 よかったと思った。しかしこの後一ヵ月にわたって、かなりの熱が
 つづいて苦しんだ。ー中略ー
 しかし、その頃は、兵役を免れるということは、逆に世の中から見捨てられた
 ような苦痛を感じたものである。父が御用商人だから、偉い人に頼んで徴兵を
 免除してもらっているのではないなどと噂をされ、、、」

桐山さんの記述では、その頃の時期を昭和18〜9年とあるから24歳前後です。
もし桐山さんが肺結核と診断されたなら、週報第355号・昭和18年8月4日号の
24頁「結核撲滅をめざす健民修錬所」という厚生省発行文によれば、

 昭和18年度に3000万円をかけて千数百の健民修錬所を設置し、
 42万人の修錬を実施することになったとのことで、その概要を説明しています。

 昭和15年に国民体力法が制定されたのを受け、15歳から25歳までの男子は、
 全員が体力検査を受け、各種指導や結核・性病の治療を行っていたとのこと。
 しかし結核の蔓延を防ぐには不十分で、毎年15万人の死者とその10-20倍の患者を
 出しているため、感染防止と早期治療を行うことになりました。

 国民体力法の対象となる男子を結果によって健康者、弱体者、病者の3種に分類し、
 健康者には鍛錬を、弱体者には健民修錬を、病者には結核病床への収容を実施します。
 ー中楽ー
 修錬の方法は個人により異なっており、体力を調査した上で指導と実践を行います。
 該当者は地方長官の指示で法律上の義務として入所し、修錬とあわせて集団勤労奉仕作業や
 一定限度の通学・通勤を実施します。

当時の上記記載が本当なら、おかしいと思いますね。
結核の丙種でもし重篤なら、軍隊生活も一般生活も隔離されるのが基本です。
図書館でうろうろしているなどありえない。
わざわざ徴兵検査をしたのなら、隠しようの無い公然性があるからです。
それでいて千葉の体力検定で三人以内の上級者なら、健康者にはいり、
上記所定での入所鍛錬を強要されたはず。
また、元結核患者というだけで、結婚も破棄や、見合いまで断られた時代ですよ。
当時に於いて徴兵逃れは、一ヶ月以上一年以下の重禁固に処し、三円以上三十円以下の
罰金に処すとあります(徴兵令 第6章 雑則)。
桐山さんの刑獄の因縁は、この頃から合致していた?

太平洋戦争時には昭和2(1932)年4月1日制定の兵役法による国民兵役とは、
 
 第一国民兵役と第二国民兵役を合わせた分類。
(1)第一国民兵役
 常備兵役と補充兵役を終了した者が服する。
(2)第二国民兵役
 年齢17歳以上45歳迄の者で常備兵役・補充兵役・第一国民兵役に服さなかった者が対象となる。

 徴兵検査基準の「丙種」と判定された者がこれにあたり、その基準は「身体上極めて欠陥の多い者」をいう。
 徴兵検査では甲種・乙種が合格で、丙種は一応合格、丁種・戊種が不合格だったが、
 戦局が悪化し末期になるとこの一応合格の身体上、極めて欠陥の多い者までも戦地に送られた。

516ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/16(水) 15:21:27 ID:SmEF4Oe2O
>>514:準シュダオン11/02/16(水) 14:38:31 ID:1F7rdgXk0
>コピペは、一部引用は誤解の元だから、しないだけです、ああ、でも例外的に、
>どなたかのレスを一度だけ一部コピペ引用をしたことがあったかも、でもね、
>皆さん、自分に都合の良いとこだけ引用してるのが実態でしょうw?

都合のよい所ではなく、自分がレスを付けたいと思う箇所を選んでコピペします。
全文コピペしたらそれだけで終わりますからね。
当然カットされる部分はあります。
しかしそれはゴマカシに相当しません。
それは項番ごとコピペするからです。さらに>>を付けることにより、そこをクリック
することにより自動的にそこに飛んで行って、全文を各自確認できます。
ちょっとこのログの冒頭で試してみなさいな。
敢えてそのようにオープンにしてるのです。公正を期すために。
その上でこの問題に答えてこの問題に答えないのはいかなることだ?と当事者
及びロム者が思ったら指摘でも質問でもすればよいことです。
これを習慣付ければ頓珍漢なレスも唐突なレスも防げます。

517ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/16(水) 15:31:39 ID:SmEF4Oe2O
>>514
コピペせずとも、こうやって相手の項番を指定してレスアンカーを付けてはどうですか?
これだけで>>514の書いてある内容が誰にも読めて、その上でのレス内容を理解できます。

518無関係な人間です:2011/02/16(水) 16:29:01 ID:XsPSegyY0
>>515

 そう言えば、戦艦大和の沖縄特攻(菊水1号作戦)のときに、第2国民兵が搭乗していたのは
有名な話ですね。昭和20年、桐山さんが千葉や東京で勉学に励んでいた頃、同じ東京都の硫黄島
では、30歳、40歳の兵隊さんがアメリカの海兵隊と死闘を繰り広げていましたのも事実です。

519無関係な人間です:2011/02/16(水) 16:32:41 ID:XsPSegyY0
>>514

 ところで、准シュダオン様は、永年、阿含宗と桐山さんを援護されてきましたが、
そこまで桐山さんに心酔している以上は、それなりに阿含宗のために活動をされたと
拝察します。身元が分からない範囲で、准シュダオン様は、どんなご奉仕をされたのか、
そして、どんな感想を持たれたのか、ご教示下されないでしょうか? 入信後の准シュダオン
様と組織との関わりも教えて下さい。

520準シュダオン:2011/02/16(水) 17:02:10 ID:1F7rdgXk0
名前:ユビキタス ◆18iA.mwnDU 投稿日: 2011/02/16(水) 15:21:27 ID:SmEF4Oe2O
>>514:準シュダオン11/02/16(水) 14:38:31 ID:1F7rdgXk0
>コピペは、一部引用は誤解の元だから、しないだけです、ああ、でも例外的に、
>どなたかのレスを一度だけ一部コピペ引用をしたことがあったかも、でもね、
>皆さん、自分に都合の良いとこだけ引用してるのが実態でしょうw?

都合のよい所ではなく、自分がレスを付けたいと思う箇所を選んでコピペします。
全文コピペしたらそれだけで終わりますからね。
当然カットされる部分はあります。
しかしそれはゴマカシに相当しません。
それは項番ごとコピペするからです。さらに>>を付けることにより、そこをクリック
することにより自動的にそこに飛んで行って、全文を各自確認できます。
ちょっとこのログの冒頭で試してみなさいな。
敢えてそのようにオープンにしてるのです。公正を期すために。
その上でこの問題に答えてこの問題に答えないのはいかなることだ?と当事者

解った、々、段々にはそのような習慣をつけるように、努力しましょうか。
でも、今は、ザーと、レスをいくつか、まとめてナナメに読んで、記憶に残った
問題についてレスしてます、溯ってレスを読み返したりしてませんから、時間の
節約になっています。コピペすると手間かかりますからね、理由があるんです。

○○の因縁は、理論で証明も出来ないし、否定も出来ません。考えてご覧なさい。
例えば、癌の因縁がある、と占断したとします。そして癌になれば、修行が間に
合わず、癌になったと説明され、占断は正しかったことになります。
癌にならなかった場合は、目出度く修行で癌の因縁が切れたことになります。
いずれにしても、インチキとも正しいとも、証明は出来ないのです。
だから私は、知らない、とレスしたのです。

521準シュダオン:2011/02/16(水) 17:04:46 ID:1F7rdgXk0
前レス、>>を入れるのを忘れました。失礼。

522ラシン:2011/02/16(水) 17:56:14 ID:x9FuHHv20
>518 :無関係な人間です:2011/02/16(水) 16:29:01 ID:XsPSegyY0
>そう言えば、戦艦大和の沖縄特攻(菊水1号作戦)のときに、第2国民兵が搭乗していたのは
有名な話ですね。昭和20年、桐山さんが千葉や東京で勉学に励んでいた頃、同じ東京都の硫黄島
では、30歳、40歳の兵隊さんがアメリカの海兵隊と死闘を繰り広げていましたのも事実です。

おっしゃるとおり、戦艦大和の数少ない生き残り兵の証言もありました。
桐山さんは、奥さんと結婚したのが、昭和21年とあります。(54頁)
結婚を前提とした交際が、20年3月10日の東京大空襲の時期です。
それも、岩手県花巻市で歯科医をしていた亡きたち夫人と交際していたのです。
その頃の1〜2年前は文学青年が寄り集まり、気運が乗じて当時の東条内閣を
廃して新しい官僚を作るために、暗殺団的な計画を立てていたとある(52〜54頁)
結果、桐山さん暗殺担当のK氏の家も空襲で焼けて、その計画は頓挫したとある。

昭和18〜9年に結核を患いながら、千葉県の国民体力検査に上級者入りし、
次に憂国の士として暗殺団を企てながら、夫人勤める岩手県花巻市を往来していた。
肺結核の重篤患者さんが、一年少々で動き回れるほど医学は発達していなかった。
ましてや、戦時最中の食料や医療品の不足していた時期です。
当時の桐山さんの履歴です↓。

1941年 日本大学芸術科学園文学部創作科入学(=自称)。
1944年 痔瘻で長期入院。
1945年頃 兄弟でヤミ屋を営む。
1946年 結婚

長期入院していたという時期が、上記の数々のご活躍ぶりです。
桐山さんは、当時から超人的能力を発揮されていたわけです。

523ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/16(水) 17:56:57 ID:SmEF4Oe2O
>>520:準シュダオン11/02/16(水) 17:02:10 ID:1F7rdgXk0
>解った、々、段々にはそのような習慣をつけるように、努力しましょうか。

いやあっ!素晴らしい!
ご理解いただけて感激しています。

>>521:準シュダオン11/02/16(水) 17:04:46 ID:1F7rdgXk0
>前レス、>>を入れるのを忘れました。失礼。

長い目で見てますから段々と慣れていってください。
使い出すと面白いですよ。
それから>>では全角記号ですから、これを使うと飛んでいけません。
半角記号で>>を付けてください。数字の前に。
今回は私の書き込みの516の項番が抜けてましたね。
原因は想像つきますよ。ドラッグの指定範囲の始点がうまく決まってくれないのですね。
時々あることです。
そういう時は前のログの最終行あたりから始めてコピーして、貼り付けた後に
不要部分を削除すればよいですよ。

524Boo:2011/02/16(水) 18:15:59 ID:K275UA4U0
>513 :準シュダオン:2011/02/16(水) 14:00:34 ID:1F7rdgXk0
>密教占星術で、肝心なことは、管長が、正しい占断ができるためには、三つの
>必須条件があって、それは勘と、常識と、教養である、と本に書いています。
>それがないと、占っても当てられないと書いています(密教占星術UP46)。
>で、常識や教養は勉強することで身に付けられると思いますが、勘はどうすれば
>身に付くでしょうか。勘とは、五感でわからないことを知る能力、第六感、など
>と説明されますが、学問的には解明されていないものです。


まず、根本的に考えなければならないことは、癌になったということが癌の因縁の
存在を証明することにはならないということです。男に強姦されたことが色情の
因縁の存在の証明にもならないし、自分に色情の因縁があることの証明にもならない
ということです。

これら○○の因縁があることの証明というのはこういう具合です。

まず、Aさんに癌の因縁があることがわかりました。Aさんは天命殺の時期に
胃がんになりました。Bさんにも癌の因縁があることが分かりました。すると
Bさんの天命殺の時期に大腸がんになりました。Cさんにも癌の因縁のあること
が分かりました。するとCさんの天命殺の時期に癌になりました。
過去に癌で亡くなった方の因縁を調べました。すると癌で亡くなった方の
70%の方に「癌の因縁」がありました・・・このような状況が確認できて
初めて癌の因縁がある、と、確認できて、癌の因縁があると70%の確立で
「癌で死ぬ」と確認できるのです。わかりますか?

その癌の因縁の存在を確認する方法が曖昧なのですよ。それは感による、
ということなんですか?違いますよね?

サハスララチャクラの開発で未来予知ができるようになりました。人の人生の未来予知しながら、
運命学上の星を照らし合わせることにより、更にその人の実際の人生を確認する作業をして初めて、
サハスララチャクラによる予知力と運命学上の○○の因縁の存在と精度というか「あたる確率」
が判断できるのですよ。わかりますか?

以上のことを確認するために、私は占星術の本を必死に探したんです。「○○の因縁」
にあたる運命学上の星が存在するのか否かを。

525準シュダオン:2011/02/16(水) 18:45:20 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんに考えてほしいのは、横変死の加害者と被害者の区分けをしていて
同じ悪趣に行くのは変だ、と考えていることです。どのレスだったか溯りはしま
せんけど、そう言うレスを読みました。そういう考えは、浅いのです。
 私も、被害者感情を考えれば、とても実名ではレスできないのですが、
例えば、アキバの通り魔犯の加藤被告と被害者の関係、それは、前世で、加藤被告を
集団でリンチしていた人たちが、今回、復讐されて被害者になったのかも知れないの
です。そうだとすれば、被害者と加害者の、単なる輪廻関係です。
管長は、そういう現世だけでの加害者、被害者の区別はしていません。それだけ、
厳然と、事実を述べているのだと思います。被害者だといって安心していてはい
けないのだと思うのです。

市橋某は、英語教師を殺して逃亡し、毒蛇をぶつ切りにして焼いて食べ、とても
旨かった、と体験談を書いてますが、前世では逆の立場だったのかも知れません。
そう言う点、ユビキタスさんは、我見が強いと思います。
同じ元阿含宗徒とはいえ、オウム信者と、健全な元信者の違いはどこにあるのか?
そのあたりを、明確に説明できる必要があると、私は思いますねえ。

一度は成仏法に縁を得ながらも、オウムの末路は哀れ過ぎますからねえ。

526ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/16(水) 19:54:23 ID:SmEF4Oe2O
>>525:準シュダオン11/02/16(水) 18:45:20 ID:1F7rdgXk0
>例えば、アキバの通り魔犯の加藤被告と被害者の関係、それは、前世で、加藤被告を
>集団でリンチしていた人たちが、今回、復讐されて被害者になったのかも知れないの
>です。そうだとすれば、被害者と加害者の、単なる輪廻関係です。
>管長は、そういう現世だけでの加害者、被害者の区別はしていません。それだけ、

厳然と、事実を述べているのだと思います。被害者だといって安心していてはい
けないのだと思うのです。
>市橋某は、英語教師を殺して逃亡し、毒蛇をぶつ切りにして焼いて食べ、とても
>旨かった、と体験談を書いてますが、前世では逆の立場だったのかも知れません。

これはいずれ準シュダオンさんならずとも出してくると思いました。
以前に私が秋葉原の通り魔事件を想起させる話を書いて、不謹慎だとの声を受けた
ことがあります。しかし私が不謹慎ならば桐山さんはもっと不謹慎です。
なぜならこの通り魔事件をネタに本を書こうと例祭法話で話したことがあるようだ。
内容はまさにあなたが書いたようなものになるだろう。
書かずに出版しなくてよかったが、書いていたら大変な侮辱になるところでした。
加藤被告に対してではなく、被害者に対してです。
殺される側にも殺されるべき見えない理由があったというものです。
見えないからと言って、よくこんな侮辱を言えたものだ。
しかし業報の世界というものはわからない。
だからむごい殺され方をしたのも前世の報いなのかもしれない。
では釈尊はそれに対してどういう態度をとったかと言うと、過去のことをくよくよするなです。
過去に思い煩うことなく未来も求めない、これが釈尊の姿勢です。
これっておかしくないですか?
釈尊は悪趣から脱することを説きます。
しかし自分が覚えてもいない過去世の悪業の報いで現世は被害的悪趣の境涯です。
これに対してくよくよ思い煩うなはないでしょう。
過去世を懺悔して一刻も早く因縁解脱に励めと説くはずだ。
どうして説かぬ?相手は地獄界の現世住人なんだぜ?
一刻も早くこの横変死の因縁を解きなさいと説くはずです。
だってそれが釈尊の教えの根幹の因縁解脱なんでしょ?
説かないのはこの人は地獄界から離れているからです。
過去などどうあれ現世では悪念悪業を起こさぬ平凡な市民だからです。
現在の悪念悪業だけが問われるのです。

527ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/16(水) 20:03:00 ID:SmEF4Oe2O
>>525:準シュダオン11/02/16(水) 18:45:20 ID:1F7rdgXk0
>例えば、アキバの通り魔犯の加藤被告と被害者の関係、それは、前世で、加藤被告を
>集団でリンチしていた人たちが、今回、復讐されて被害者になったのかも知れないの
>です。そうだとすれば、被害者と加害者の、単なる輪廻関係です。
>管長は、そういう現世だけでの加害者、被害者の区別はしていません。それだけ、

ならはアウシュビッツの法要でなぜそう言わぬ?
ナチスに殺されたるアウシュビッツの処刑者よ。
ナチスも愚かならば汝等も愚かなのだ。
これは過去世になしたる悪業の報いでこうなるのも必然の運命だったのだ。
汝等は自らの悪業を悔やみ懺悔する必要があるのに、まだこうやって怨念の
霊障を発して社会を暗くするか?
まさに汝等こそ地獄界に住む住人なんだと悟れと。

528深山:2011/02/16(水) 23:46:15 ID:19kJJY8M0
>>515 :ラシン:2011/02/16(水) 15:01:49 ID:x9FuHHv20

ラシンさん、これすごい発見ですよ。
桐山さんが結核でなかったことが証明された。
ラシンさんが引用したように、ネット上ではこの官報を所持している人が
内容を解説しています。
「週報 第355号(昭和18年8月4日号) (官報付録)」
http://www.geocities.jp/aobamil/kanchousitu/shuuhou/355.html

「昭和15年に国民体力法が制定されたのを受け、15歳から25歳までの男子は、
全員が体力検査を受け、各種指導や結核・性病の治療を行っていたとのこと。」

桐山さんの『現世成仏』では、結核の話ではなく、
国民体力「検定」という、体力を競うような検定を受けたという話です。
だが、上記の文章によれば、それは体力「検査」であり、
目的は結核や性病の病人を見つけ出し、治療にすることにあったらしい。
だが、桐山さんは書き方はまるっきり違う。

「その検定試験には、上級、中級、普通と三段階あって、町で上級で
通りそうなのはわたくしくらいしかない、一人も通らないのでは、
町として県に顔向けができないということであった。
もちろん、わたくしも、そういわれれば、身体に悪いことはわかっていても、
意気がって出てやろうという気持になるのは当然である。
上級というのはなかなか基準がむつかしい。たとえば、二千メートルを六分三十秒で走る。・・・・」(『現世成仏』41頁)

運動能力に優れている者を選び出す、今でいうと国民体育大会に
桐山さんが選ばれたような感じ、という印象を持ったのは、私だけではないでしょう。
だが、話はどうやらまるで違う。
国民体力「検定」などではなく、病気を調べるための体力「検査」だった。

529深山:2011/02/16(水) 23:50:50 ID:19kJJY8M0
「結核撲滅をめざす健民修錬所」
これが文章の表題なのです。
つまり、体力の検定などではなく、結核者を探し出すことが目的です。

「国民体力法の対象となる男子を結果によって健康者、弱体者、病者の3種に分類し、
健康者には鍛錬を、弱体者には健民修錬を、病者には結核病床への収容を実施します。」

皆さん、気がつきましたか?
・桐山さんの文章 → 「上級、中級、普通と三段階あって」
・厚生省の文章の趣旨 → 「健康者、弱体者、病者の3種に分類し」
桐山さんはまるでオリンピックの金銀銅のうち金メダルを取ったかのように自慢した。
だが、実は、そうではなく、健康な人と身体が弱い者と結核患者を分類したのです。
桐山さんが結核なら当然、「病者」に選ばれたはずです。
だが、桐山さんは上級に選ばれたというのだから、検査の結果は。
「健康者」
と認定されたのです。
それも千葉県のトップ3というのだから、健康者の中でも上から三番目の成績だったのです。
結核だったなんて、真っ赤な嘘だと桐山さんは自ら証明した。

530深山:2011/02/16(水) 23:53:39 ID:19kJJY8M0
「国民体力法の対象となる男子を結果によって健康者、弱体者、病者の3種に分類し、
健康者には鍛錬を、弱体者には健民修錬を、病者には結核病床への収容を実施します。」

桐山さんはなんと「健康者」に選ばれたのです。
弱体者でもなければ、病者でもない。
だが、この当時の桐山さんは喀血して一週間後に、順天堂大学で診察を受け、

「君は重症であるから・・・」(『現世成仏』108頁)
「医師は、かれの母に、あと二、三年の生命であろうと告げた」(『求聞持聡明法秘伝』40頁)

と教授が診断しているような重症の結核患者だった。
その彼が、厚生省が青年男子を対象に実施した結核の検査で、
なんと「健康者」に選ばれたのです。
この検査は文章の表題にもあるように結核を撲滅するのが目的だったから、
結核に感染しているかどうかをまず調べた。
実際、この検査ではツベリクリン反応を実施したという記述があります。
http://www.jatahq.org/siryoukan/kikanshi/pdf/310.pdf
結核を調べる国民検査で、桐山さんは「健康者」に認定されたばかりか、
その体力は千葉県でも三位に入るほどだった。
これでも信者さんたちは桐山さんが結核だったと信じられますか。

531深山:2011/02/16(水) 23:56:19 ID:19kJJY8M0
「国民体力法の対象となる男子を結果によって健康者、弱体者、病者の3種に分類し、
健康者には鍛錬を、弱体者には健民修錬を、病者には結核病床への収容を実施します。」

桐山さんの本も話も一字一句が嘘なんですね。
ラシンさん、すごい発見です。
桐山さんが結核でなかったことを証明してしまった。
信者さんたちはよくこの事実を見てほしい。
国民体力検定などではなく、結核を調べる検査だったのです。
そこで彼は健康者として認定されたのですよ。
この事実をどう説明するのですか。
桐山さんは結核ではなかったのです。
にもかかわらず、丙種合格で兵役を免れた。
御用商人の桐山さんの父親のコネで兵役逃れをしたのです。
やっぱり、同じ若者たちへの裏切り者だった。
兵役を逃れて一度裏切り、今度は彼らを霊障ホトケと侮辱し、
自分の売名行為に使って、また裏切った。
この男に戦死者を弔う資格などない。
戦死者に代わって、無駄を承知で私が桐山ゲイカに申し上げる。
「恥を知れ!」

532ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 00:15:13 ID:SmEF4Oe2O
おとなしく結核しとりゃええもんを、自慢したいもんだから・・・
自分でばらしたようなものだな。

533ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 00:50:10 ID:SmEF4Oe2O
よし、春秋社「原始仏典」第二巻の「大縁方便経」でも該当箇所を確認。
こちらはパーリ仏典だが漢訳長阿含経の大縁方便経とも同じ構成で一致します。
明日時間があるから占いなど他の問題も含めて論じますか?
平河本と春秋本で。
準シュダオンさん。大縁方便経なんて新進気鋭の丘山先生の発見などではないのですよ。

534天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/17(木) 08:47:37 ID:UTqTPly60
ラシンさんの考察・考証には頭が下がる思いです。
先般「とあるネットワーク」(笑)よりの資料がこんなに活きて発展とは夢にも
思いませんでしたし、ネット上にその証明になるものがあるとは予想しなかった。
まさに「情報化時代」の発達が世に席巻していると思います。

過去に深山さん・ユビさんが掲示板上にて「鳩山病院」の所在やゲイカの主張から
色々な考察をされていてそれも素晴らしいものでしたが、今回のラシンさんの考察・
考証も非常に素晴らしいものであります。

ユビさんの平河本と春秋本の展開も楽しみ。
長くやっていればこういうこと(展開)もあるんだなあ、としみじみ。
非常にありがたい次第です。

535無関係な人間です:2011/02/17(木) 09:51:31 ID:Uh11VYJM0
>>522

 ラシンさんのご文章を拝見し、桐山さんの言い分に疑問があるのを感じました。

 まず、東条英機暗殺計画です。東条英機暗殺計画は、陸軍と海軍の戦争早期終結を主張する軍人
や右翼の間で別々に進行していました。有名人では、高木忽吉海軍少将や津野田是正陸軍少佐
が首謀者でいます。中野正剛氏も関係者だと言う人もいます。しかし、当時の警察や憲兵の監視
体制、国民意識を考えると、普通の学生がそんな事を考えるのは考えにくいです。また、本当に
暗殺計画が存在したのなら、憲兵や特別高等警察が気がつかないのも驚異に値します。ちなみに
当時の文学仲間で、俳優の金子信雄さんは、東条英機暗殺計画については何も証言を残してい
ません。

>その頃の1〜2年前は文学青年が寄り集まり、気運が乗じて当時の東条内閣を
>廃して新しい官僚を作るために、暗殺団的な計画を立てていたとある(52〜54頁)
>結果、桐山さん暗殺担当のK氏の家も空襲で焼けて、その計画は頓挫したとある。


 次に、暗殺担当のK氏の家が空襲で焼けた、とのくだりですが、日本本土への本格的な
空襲が開始するのは、東条内閣が倒れ、小磯内閣になってからです。時期が合致しません。
そもそも、東条内閣が倒れたのは、サイパンを失い、日本本土への空襲が必至となった点
が背景にあります。

 さらに、桐山さんは、当時、ある人の家に下宿していた、と回顧しておられます。
当時の国民感情を考えると、結核患者を自宅へ下宿させる人間がいたのでしょうか?

536ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 10:08:28 ID:kluDU/DA0
>>514 :準シュダオン:2011/02/16(水) 14:38:31 ID:1F7rdgXk0
>大縁方便経に、十難の「如来終・不終亦知」のことなど説かれていますね。
>バウッダのP114〜116に、十難と無記の説明がされています。無記とは、
>釈尊が外道から十難について論争を挑まれたり、あるいは弟子から質問された
>ときに、沈黙を通したこと、です。沈黙して答えなかった、ということです。
>「如来は、死後に生存するか、生存しないか」というような内容も十難の一つ
>に数えられています。

これについて反レスをします。そもそも桐山さんがこれを持ち出しているわけでも
なく、準シュダオンさん個人の考えなので、レスをつけること自体にどうかとも
思われますが、反論するものは反論して、尚且つ釈尊の基本的な考え方を示して
準シュダオンさんと桐山さんに共通するものを否定したいと思います。
そのためには、この大縁方便経という経典がどのようなものであり、何が説かれて
いるのかをロムしている人たちのためにざっと知らせねばなりません。
それこそが公共の場での公正な議論というものです。
準シュダオンさんが示したのは漢訳経典の長阿含経の大縁方便経です。
準シュダオンさんの出典は平河出版のものです。訳者は丘山新先生です。
ただしこの漢訳大縁方便経を出したのは丘山さんだけではない。
大蔵出版の長阿含経でも菅野博史先生が現代語訳ではないが和訳を紹介している。
また実はパーリ仏典にも同じ大縁方便経があります。成立を考えるとこちらの
方が原典に近い。しかし構成と説く内容は全く同じです。
だからここでは平河本の丘山さん訳の漢訳大縁方便経と、春秋社から出ている
中村元先生監修の「原始仏典」の第二巻に収められているパーリ文の長部経典
大縁方便経の「現代語訳」を対比しながら論じていきます。
パーリ文の訳者は岡野潔先生です。
対比ったって漢訳もパーリ訳も少しも違わず、丘山訳も岡野訳も全く矛盾ありません。
あとは読み手の捉え方だけです。

537ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 10:13:58 ID:kluDU/DA0
準シュダオンさんの引用はもう少し付け加えねば、何にこちらが反論したいのか
わからないので、付け足します。



>で、わたしは大縁方便経の、釈尊が阿難に説いている内容を、無記ではなくて、
>ちゃんと如来の死後について、答えていると解釈したわけです。前にその部分の
>漢文を引用しましたけど、その解釈を、「如来は死後に生存し、かつ生存しない。
>また、生存するのでもなくて、かつ生存しないのでもない」というように私は
>捉えたわけです。これは釈尊の詭弁ではありません。
>瞑想が高まれば、その内容を理解出来るのだと思います。

これに反論します。

538ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 10:31:48 ID:kluDU/DA0
まず経典の概略について説明します。
これは漢訳、パーリ訳共通で説明します。なぜなら漢訳もパーリ訳も
全く同じ構成で意味も少しも変わらないのだから分ける意味がありません。
この経典は大雑把に三部構成になっており、まず十二縁起を懇切丁寧に
説明し、次に自我の問題で無我を説き、最後に七識住と二入処と八解脱を
説きます。
準シュダオンさんが示した死後の無記たるところを無記にあらずしてちゃんと
説明したという部分は、十二縁起を阿難に説明して了解させた後に結んでいる
言葉です。これは後に漢訳の丘山現代語訳とパーリ文の岡野現代語訳を
そのまま示します。
で、無我と八解脱などの問題は割愛して十二縁起の解説だけざっと述べる
スタイルをとらせていただきます。

539ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 10:54:41 ID:kluDU/DA0
釈尊が阿難について十二縁起を再度説明します。と言うのは阿難は十二縁起は
深遠にして難解だが、自分の心には眼前にあるかのようにはっきりと見えます
なんて言い方をするのだから、そんなわかったようなわかってないような言い方
をする阿難に向かって、釈尊は、そんなことを言うのはおやめなさい。十二因縁は
とても難解なんだから、正しく理解しなければならないとして、これを一つ一つ
問答形式にて確認し合って理解を助けるようにする展開です。
老死にはよりどころがあり、それは生まれてくることである。生まれてくることは
よりどころであり、それは存在が生じることである。存在のよりどころは
執着である。執着のよりどころは渇愛である。渇愛のよりどころは感受作用である。
感受作用のよりどころは接触である。接触のよりどころは6つの感受領域である。
6つの感受領域のよりどころは名称と形態である。名称と形態のよりどころは
認識がよりどころである。認識のよりどころは行為である。行為のよりどころは
無知である。と遡る。
次に、ではこのよりどころがなくなれば、と一つ一つ仮定していく。
すなわち生まれてくることがなければ老死はないとか、渇愛がなければ執着がない
とか。これを阿難に確認させていく。
そしてこれが縁起の理法であるのだと説く。この理法によりあるがままに
観察すれば穢れなき心の解脱を得ると結ぶ。このような比丘こそ智慧により解脱
せるものと名づけ、例の無記表現が出てくる。
次にそれを引用しよう。

540ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 11:12:23 ID:kluDU/DA0
まずは平河本の漢訳の丘山現代語訳からです。

阿難よ、この(縁起の理法の)範囲で語り、応答し、この範囲で語り、応答し
この範囲で限定して、ひろく説き、この範囲で智慧による観察をし、衆生のために
なすのである。
阿難よ、比丘たちはこの理法についてあるがままに正しく観察すれば、穢れなき
心の解脱をなすのだ。
阿難よ、このような比丘こそ智慧により解脱せるものと名づけられる。
このように解脱した比丘は、如来が亡くなることも知り、亡くならぬことも、
亡くなりかつ亡くならぬことも、亡くならぬわけでもないことも知っている。
阿難よ、この範囲で語り、応答し、この範囲で限定し、ひろく説き、この範囲で
智慧による観察をし、衆生のためになし、このように理解しつくして穢れなき
心の解脱した比丘は、(人に)理解されることなくとも、(四句を)このように
理解する。
(114頁)

541ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 11:22:04 ID:kluDU/DA0
春秋社の原始仏典の現代語訳に移る前に、平河本から以下を追加補充したい。
理由は春秋本の現代語訳を引用した時に述べます。
十二因縁を説明し、感受せる自我について考察して、無我を説いた後で
結びのように以下唱えている。

阿難よ、このような比丘こそ知慧により解脱せるものと名づけられる。
このように解脱した心の比丘は、我があることも理解し、我があるわけでもなく
無いわけでもないことも理解する。それはなぜか。阿難よ、この範囲で智慧による
観察をし、衆生のためになし、このように理解しつくして穢れなき心の解脱をした
比丘は、(人に理解されなくても)このように理解する。
(118頁)

542ラシン:2011/02/17(木) 11:28:26 ID:x9FuHHv20
>529 :深山:2011/02/16(水) 23:50:50 ID:19kJJY8M0

深山さんからお褒めの言葉をいただけて、本当にうれしい限りです。
これも、天照さんによる資料提供のおかげです。

>「結核撲滅をめざす健民修錬所」
これが文章の表題なのです。
つまり、体力の検定などではなく、結核者を探し出すことが目的です。

私がネットで参照したのも、深山さんがヒットしたものと同一です。
深山さんが、以前に桐山さんの結核話には兵役逃れの疑惑が大だと、
指摘されていたことを思い出し、再確認したのです。
深山さんの指摘が正しかった、と確信出来ましたので、
今後の参考のためにも、全文掲示させていただきます↓。

「週報 第355号(昭和18年8月4日号) (官報付録)」
24ページからは「結核撲滅をめざす健民修錬所」という厚生省の文。

昭和18年度に3000万円をかけて千数百の健民修錬所を設置し、
42万人の修錬を実施することになったとのことで、
その概要を説明しています。

昭和15年に国民体力法が制定されたのを受け、15歳から25歳までの男子は
全員が体力検査を受け、各種指導や結核・性病の治療を行っているとのこと。
しかし結核の蔓延を防ぐには不十分で、
毎年15万人の死者とその10-20倍の患者を出しているため、
感染防止と早期治療を行うことになりました。
国民体力法の対象となる男子を結果によって健康者、弱体者、病者の3種に分類し、
健康者には鍛錬を、弱体者には健民修錬を、病者には結核病床への収容を実施します。

健民修錬所は弱体者を入所させ、合理的な健民生活を実践させることで
剛健な心身を保有させるのが目的とのこと。
弱体者は徴兵検査で第2乙または第3乙に相当する筋骨の発育が不良な筋骨薄弱者と、
ツ反(ツベルクリン反応の意味)で陽性転化するなど結核発病のおそれのある者
および結核の発病を見たものの程度が軽い者である結核要注意者に分類されます。
修錬の方法は個人により異なっており、体力を調査した上で指導と実践を行います。
該当者は地方長官の指示で法律上の義務として入所し、
修錬とあわせて集団勤労奉仕作業や一定限度の通学・通勤を実施します。
下の段には「結核は必ず治る」という文。結核は感染しても発病するのはごくわずかで、
初感染時の健康状態によるものが大きく、
感染と気が付いたら当分の間注意して生活することで免疫を得ることができるとしています。
感染に気付くためにツベルクリン反応検査を繰り返し行い、
感染が判明したら睡眠と栄養を十分にとり、過労に気をつけることを呼びかけています。
                                       以上
私同じこと言いたいです。
>>531
御用商人の桐山さんの父親のコネで兵役逃れをしたのです。
やっぱり、同じ若者たちへの裏切り者だった。
兵役を逃れて一度裏切り、今度は彼らを霊障ホトケと侮辱し、
自分の売名行為に使って、また裏切った。
この男に戦死者を弔う資格などない。
戦死者に代わって、無駄を承知で私が桐山ゲイカに申し上げる。
「恥を知れ!」

543ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 11:45:18 ID:kluDU/DA0
では春秋社のパーリ長部経典大縁方便経の該当部分を引用します。
しかし実はこの引用は決して漢訳と場所が同じではありません。
漢訳はまず十二縁起の理法を解説した後で如来の亡くなるのか亡くならないのか
という話が出て、次に自我の考察を進めていきます。
しかしパーリ文にはこれに相当する箇所がありません。そういう記述がなく
自我の考察に入り、結論を終えた後に結ぶ形で、>>541>>540と同スタイルの
文を唱える。
してパーリ文の以下はその>>541に相当する箇所に述べられている。
しかしてその意味は>>540の方が一番それに相当するのです。

アーナンダよ、このように解脱した心をもつ修行僧にかんして、ある者が
『かれは<全き人(如来)は死後も存在する>という、このような見解を
もっている』という、このような見解をもっているというなら、そのことは
適切なことではない。ある者が『かれは<全き人は存在しない>という、
このような見解をもっている』というなら、そのことは適切なことではない。
ある者が『かれは<全き人は死後に存在するのでなく、存在しないのでもない>
という、このような見解をもっている』というなら、そのことは適切なことではない。
(92〜93頁)

544ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 12:00:43 ID:kluDU/DA0
さて、>>543の全き人(如来)は死後も存在するの部分には校注が添えられています。
(18)という校注です。その校注も見てみましょう。

(18)全き人(如来)は死後も存在する−仏教では、生ける者は死後、輪廻する
とされる。ところが如来とは解脱した人であり、解脱した人は輪廻しない。
輪廻を離れている如来が死んだら、その如来は、死後、存在するのか、存在しないのか。
ここではそのことが問題になっているのである。ブッダはこの問題は解脱に
資すことなく、無益であるとして、沈黙を守っている。これを「無記」という。(N)
(486頁)

545ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 12:19:47 ID:kluDU/DA0
以上で引用を終えます。
尚、蛇足ながら大蔵出版の漢訳長阿含経の大縁方便経のその如来不終亦知
の箇所にも校注がされてました。やはりここで十四難の無記の一部について
述べていると書かれてあります。これは立ち読みですが。
また平河本の現代語訳の「如来が亡くなることも知り」の箇所にも58という
校注があります。その校注になんと書いてあるか?
ところが私はこの平河本を入手したのだが、あいにくこの校注の解説の部分が
火事で焼けてしまったかトイレに流してしまったか忘れたが(笑)、引用できません。
よってここは平河本をお持ちの準シュダオンさんにそのまんまの引用をお願いしたい
ところです。丘山先生は「ここは無記とされるところを何と例外的にも釈尊が解説した
のである」とでも書いていますでしょうか?
さて、引用だけではわからないでしょうから、これからまとめで私の見解を述べます。

546深山:2011/02/17(木) 12:35:36 ID:3vWFz/3M0
>>535 :無関係な人間です:2011/02/17(木) 09:51:31 ID:Uh11VYJM0
>次に、暗殺担当のK氏の家が空襲で焼けた、とのくだりですが、日本本土への本格的な
>空襲が開始するのは、東条内閣が倒れ、小磯内閣になってからです。時期が合致しません。

さっそく矛盾が出てきましたね。
桐山さんの話って、みんなこのパターンです。
桐山さんのこれまでのやり方から推測すると、暗殺計画はなかったが、
「暗殺計画の物語」はあったと思います。
桐山さんは小説家なのです。
暗殺計画は桐山さんとその周囲での茶飲み話でしょう。
文学仲間かなんか知らないが、その人たちと国を憂いた話をしていて、
声をひそめて「暗殺しかない」なとど誰かが言い出した一夜の会話を、
まるで本当に計画していたかのように大袈裟に話を膨らませているのでしょう。
体力検査という病気の調査を、体力検定で上位三人に選ばれた話に
拡大させているのが典型で、桐山さんの話とは、
1.何か元ネタがある、
2.話をちょっとずらし、針小棒大に膨らませる、
3.自分がいかにすごかったかという大ホラを吹く、
という特徴があります。
暗殺計画や、知床の独立国も同様で、何かちょっと話題に上ったりすると、
彼の頭には「膨らませ粉」があり、「憂国の士」ができあがる。

547深山:2011/02/17(木) 12:42:03 ID:3vWFz/3M0
桐山さんの膨らませ粉の成分は、極端に高い自己評価という慢心、
天才のオレ様は迫害されたという自己憐憫、そして妄想で、
できあがった話はたいてい嘘だから、無関係さんが指摘しているような矛盾が出てくる。
アゴン宗を始めてから、その典型なのがインドの白銀バイブです。
『一九九九年カルマと霊障からの脱出』に出てくる話で、
インドの祇園精舎で、オシャカから地球救済の御霊示をもらったというものです。
だが、その描写を読むと、どう見ても脳梗塞の初期症状です。

「右ななめ前方から、があんと、頭から頬にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ」(199頁)
「定にはいると、すぐに手がはげしく動いた。」(205頁)

特定の部分を殴られたように衝撃が起きたとか、手が震えた、
また過去の記憶などが突然蘇ったというのは、脳梗塞の初期症状によく見られます。
ただの脳梗塞による幻覚をこのお方は、地球壊滅を救えというオシャカからの
命令という話に膨らませた。
彼が地球と人類を救うスーパーマンだというのです!
美食から来た生活習慣病を、人類救済のメシアに仕立て上げた。
>>546の1〜3の特徴そのままです。

548深山:2011/02/17(木) 12:48:03 ID:3vWFz/3M0
十八人の霊障武士の話も同じです。
おそらく彼の祖父が孫と同じ大法螺吹きで、上意討ちをしたなどという
嘘を作り上げた。
祖父は追っ手を恐れていたといいますから、元いた藩で何か悪事をして、
逃げて来たのでしょう。
孫の性格から推測すると、きっと人を騙したのでしょう。
その内容は武士としてはあまりに情けない話だから、そのまま話せなかった。
当時、水戸藩の天狗党が天皇を掲げて挙兵したが、結局、見捨てられ、
家族もろとも惨殺された。
これを恨んだ遺族が、仕返しの仇討ちをする血で血を洗う悲惨な事件があった。
天狗党は信州を通過して、斬り合いになっています。
だから、桐山さんの祖父をその話を聞いて、上意討ちをしたため、
仇討ちに狙われているという話を作ったのでしょう。
孫はさらに脚色して、最初三人だった霊障武士をついには十八人まで
膨らませ、孫たちを殺し、刑務所に入れ、ガンにしたなどという話に仕立てた。

549ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 12:49:46 ID:kluDU/DA0
パーリ文の現代語訳の>>543を読むと>>544の校注を出す理由がよくわかります。
これこそまさに無記であることを証明する表現と言えます。
Aであるというのも適切でないし、AでなくBであるというのも適切でない、
AかつBというのも適切ではないし、AでもBでもないというのも適切でない
と述べているのです。いったいどれなんだよ?何が適切なんだよ?という素朴な
疑問に全く答えていない。
>>540の漢訳の丘山訳の方は「適切でない」ではなく「知る」とあります。
だからこれは意味が違うのではないか?と言うと少しも違いません。
なぜならAであるかどうかを知り、AでなくBであるのかどうかを知り、
AかつBであるかどうかを知り、AでもBでもないのかどうかを知ると
述べているわけです。いったいどれなんだよ?どれを知ったんだよ?
とますますわからなくなる表現をしている。
つまりこれは最後までこの如来の死後の生存の件については明かさなかった
のです。無記を貫いたのです。
つまりどちらも共通してこれは無記表現なんです。
ところが準シュダオンさんはこの意味不明な表現でも「瞑想により悟れる」
なんて書いています。しかしこの禅問答のような態度は釈尊が否定している。

550深山:2011/02/17(木) 12:54:39 ID:3vWFz/3M0
桐山さんの自殺の話もただの脚色だと思います。
私は信者時代、桐山さんの自殺についての文章を読んで、
真実味に薄いと感じていました。
自殺したが助かった人の手記などを読むと、文章が稚拙でも、
かなり現実味があります。
だが、桐山さんの自殺についての話はどこか作り物っぽい。
彼の自殺の話は、結核の時と事業に失敗した時があります。
結核での自殺なんて、そもそも結核ですらなかったのだから、
ある時は二度だといい、ある時は三度だと言う。
自殺の手段や結末も微妙に変わる。
ちょうど無関係さんが指摘したように、内容に矛盾が出てくる。
自殺という身体極まった状態なら、回数を間違えたり、描写が違うなんてありえない。

551深山:2011/02/17(木) 12:59:13 ID:3vWFz/3M0
私が桐山さんの自殺話で真実味が薄いと思ったのは、事業で失敗した時の自殺です。
ただし、文章を読んだ時の印象です。
『般若心経瞑想法』の244頁からのあとがきに詳しく書いてあります。
まず今になって目につくのが、「結核の再発」などという嘘です。
しかし、こういう個々の事例よりも、話全体を読んでみてください。
人生に挫折し、病気を患い、なにもかもいやになった青年が、
二日間、廃屋にこもり、一睡もせずに死ぬことばかり考えていた。
そして、死のうとした瞬間、経典を見つけた!
その経典を読んで、死ぬのをやめようと決心した時、
東の山から太陽が昇り、太陽に合掌する堤青年!!
きっとアゴン宗は将来、教祖伝の映画を作る時、
ここを感動の一場面としてするでしょう。
だが、なんとなくわざとらしいと思いませんか。
映画の一場面のような、妙な臭さがある。
桐山さん自身が、この文章で読者を感動の嵐に引き込もうとしているような、
みょうな臭さがあるのです。
いかにも、小説家が頭の中で場面を考えながら、描写しているような、
わざとらしさがプンプンしている。

552深山:2011/02/17(木) 13:02:16 ID:3vWFz/3M0
桐山さんの性格を知れば知るほど、自殺をするタイプの人ではないと思う。
自殺をした人たちの様子を聞くとタイプがあります。
だが、桐山さんはそのいずれのタイプにも属さないばかりか、
彼は人を殺してでも自分が生き残るタイプです。
だから、懲役を逃れた。
あれなど、他人の死を踏み台にして彼は生き残ったのです。
したたかさ、粘り強さ、執念深さ、生命力の強さ、そして今日、
輪廻転生瞑想法にみられる命への猛烈な執着が桐山さんにはあり、
とてもこの人が自殺するタイプには見えない。
自殺しようとしたのではなく、ちょうど、暗殺計画の「話」と同じで、
自殺の「話」を思いついた。
有名作家など自殺する人もいるから、そういう話を見て、
自分も自殺したどうだろう、などと考えたことはあったでしょう。
だが、彼が実際に自殺を決心したなんておそらく嘘です。
あの描写は桐山小説にすぎない。
結核を患う、かわいそうな、かわいそうな自分、
才能があるのに霊障でつぶされたかわいそうな自分、
世をはかなみ自殺しようとした繊細な自分、
という強烈な自己憐憫と、
何をさせてもすぐにマスターする天才的なオレ様、
文才もあり、容姿もよく、東大なんか簡単に入れるオレ様、
オシャカも推薦する地球救済のメシアとしてのオレ様、
という鼻をつまみたくなるように自惚れが桐山さんの性格を形作っている。
おまけに彼には現実と空想の区別がつかない妄想癖という武器と、
嘘という長年の大親友がいます。
おおよそ、こういう性格の人が自殺をはかるなどありえない。
自殺の話そのものが、桐山さんの自己憐憫から出た空想でしょう。

553ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 13:07:32 ID:kluDU/DA0
>>514 :準シュダオン:2011/02/16(水) 14:38:31 ID:1F7rdgXk0
>で、わたしは大縁方便経の、釈尊が阿難に説いている内容を、無記ではなくて、
>ちゃんと如来の死後について、答えていると解釈したわけです。前にその部分の
>漢文を引用しましたけど、その解釈を、「如来は死後に生存し、かつ生存しない。
>また、生存するのでもなくて、かつ生存しないのでもない」というように私は
>捉えたわけです。これは釈尊の詭弁ではありません。
>瞑想が高まれば、その内容を理解出来るのだと思います。

この大縁方便経の冒頭の出だしを読んでごらんなさい。阿難は十二因縁は深遠で
難解だが、自分には目の前に見えるようだなんて述べている。この半端な理解に
対して釈尊は「おやめなさい。そのように言ってはなりません」とたしなめている。
そして何をしたかと言うと、さらに理解が正しくできるように阿難に一つ一つ
問答形式、確認形式でその縁起の「論理」を言葉で示して了解を助けたのです。
不立文字、瞑想で悟れなんて言っていない。そのような曖昧な知ったかぶりの
態度を諌めて、どこまでも論理で説明した。
言葉では説明できない。ぶわーっときて、だーっとこうなるのだなんて長嶋語は
使っていません。長嶋語だって言葉の巧みなコーチならそのバッティングのコツを
言葉で示せると書いたでしょ・体重移動の仕方、どこに軸を置くか等。
だからそこまで理に沿って懇切丁寧に解説した釈尊がここだけ後は自分で考えよ
なんて説き方をするはずはない。
つまり如来の死後の生存は説かなかったのです。説いたのは縁起の理法をよく
理解した者が、心の解脱をした如来だということだけです。

554ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 13:23:32 ID:kluDU/DA0
>阿難よ、この(縁起の理法の)範囲で語り、応答し、この範囲で語り、応答し
>この範囲で限定して、ひろく説き、この範囲で智慧による観察をし、衆生のために
>なすのである。
>阿難よ、比丘たちはこの理法についてあるがままに正しく観察すれば、穢れなき
>心の解脱をなすのだ。
>阿難よ、このような比丘こそ智慧により解脱せるものと名づけられる。

これは>>540の丘山訳ですが、なぜここから引用したのかと言うと、ユビキタス管長には
深遠なお考えがあったのでござる。
これは準シュダオンさんが力説し続ける「十二因縁の滅」だから因縁の滅、縁起の滅、
因縁解脱で正しいのだという主張をお釈迦様が否定しいています。
この十二因縁、十二縁起の理法を理解して、この理法を使って観察すれば解脱を
得られると書いてある。
縁起の法則は「これがあるから、これがよりどころになって、これが生じる」
だけではなく「じゃあ、これがなくなれば、よりどころを失うからこれは生じなく
なるよね」と理解させたのが縁起の法則なんです。
これは表裏一体なのはお釈迦様の解説を待たずとも理解できます。
だからこの十二縁起を滅してしまったら、苦の解決、滅もできなくなるわけです。

555ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 13:27:43 ID:kluDU/DA0
ちかれたので、大縁方便経の話はここまで。
ご協力(謎w)下さった方々に深く感謝申し上げ、この反論を以て
お礼と代えさせていただきたいと思います。
占い等、他にネタはありますが、それはまた時間でも改めて。

556上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 13:38:46 ID:kluDU/DA0


551 :深山:2011/02/17(木) 12:59:13 ID:3vWFz/3M0
私が桐山さんの自殺話で真実味が薄いと思ったのは、事業で失敗した時の自殺です。
ただし、文章を読んだ時の印象です。
『般若心経瞑想法』の244頁からのあとがきに詳しく書いてあります。
まず今になって目につくのが、「結核の再発」などという嘘です。
しかし、こういう個々の事例よりも、話全体を読んでみてください。
人生に挫折し、病気を患い、なにもかもいやになった青年が、
二日間、廃屋にこもり、一睡もせずに死ぬことばかり考えていた。
そして、死のうとした瞬間、経典を見つけた!
>その経典を読んで、死ぬのをやめようと決心した時、
>東の山から太陽が昇り、太陽に合掌する堤青年!!
>きっとアゴン宗は将来、教祖伝の映画を作る時、
>ここを感動の一場面としてするでしょう。

うん。わしも小説を書こうとしたんじゃの。ここをプロローグとして。
西面する如來(タターガタ)という感動を喚起させることを目的とした小説を。
過ぎた昔とは言え、汗顔の至りじゃの。

557ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 14:20:17 ID:kluDU/DA0
>>545で述べました平河本のトイレに流してしまった校注、出てきました!(笑)
きっと如来様のお恵みかも知れない。(存在するのかーーーー?)
これは全文そのまま58の校注解説を引用しましょう。

58−如来終亦不知 この句と以下、「如来不終」「如来終不終」「如来非終非不終」
の三句とでいわゆる四句分別をなす。しかもこの内容は十四無記(問に対して是とも
非とも答を与えないこと)の四句をなす。パーリ文献では普通、
(1)如来は死後に存在し(hoti tathagato parammarana)
(2)如来は死後に存在せず(以下略)、の句順で、表現と内容も漢訳本とは
やや相異なる。

準シュダオンさん。ここを読まなかったのですか?読まなかったとも思えない。
亡くなるではなく存在するどうこう書いてましたからね。
どうしてこの丘山さんの記述を隠していたのですか?
それとも丘山さんの書いた意味がわからなかったのですか?
無記とは問に対して是とも非とも答を与えないことと自ら説明しているではないですか?
この四句はそのまま是とも非とも答えてないのだから、これがズバリ無記なんだと
丘山さんが証明している。
それにしても春秋社のパーリ本も読んで出しておいて、その方向性は正解だったな。
わしも如来なのかも知れんW 死後存在するかな?知るか。無記じゃ(笑)

559ラシン:2011/02/17(木) 15:31:53 ID:x9FuHHv20
>535 :無関係な人間です
>まず、東条英機暗殺計画です。東条英機暗殺計画は、陸軍と海軍の戦争早期終結を主張する軍人
や右翼の間で別々に進行していました。有名人では、高木忽吉海軍少将や津野田是正陸軍少佐
が首謀者でいます。

無関係さんの記憶力はまちがいなく、桐山さんより優れていますよ。
面白い内容ですから、その桐山文を掲示いたします。

「現世成仏」国を憂えて50頁
 しかしだからといって、わたくしたち文学青年が、文学ばかりに憂き身を
 やつしていたわけではない。国を守るという気持ちは、ほかの青年たちに
 比べて遜色はなかった。
 むしろ、病弱のために第一線に立てないという肩身の狭さが妙に屈折した
 愛国心となって、くすぶっていたといっていいだろう。
 そのくすぶりが燃え上がって、国のために要人を暗殺しようという
 大変な計画となったのである。
 ー中略ー(以後、実名の文壇仲間から賞賛を受けた自魔話しが長々と続く)

そして51頁後半から、深山さんが指摘した”ふくらませ粉”が活用されます。
文学青年が寄り集まり、気運が乗じて当時の東条内閣を廃して、
新しい官僚を作るために、暗殺団的な計画を立てていた話が続きます。
また、その文壇仲間=「文芸首都」雑誌の3羽烏といわれるほど有名さを鼓舞し、
特高警察の刑事までが、聴衆メモしたり同席したと言う。
あの時代、特高に目を付けられて無事なわけが無い。
ただし、当時の特高の役目は赤狩りです、しかもでっち上げが多かった。
さて次の52〜53頁では、
元陸軍退役将校K氏の自宅の一室を集会の場所とし、
そのK氏の時局を憂いての悲憤慷慨によって、閣僚暗殺の機運が高まった。
しかし、”3月10日”の東京大空襲でK氏の自宅も焼失したので、
暗殺団も解散したと言う。
なんともアヤフヤな憂国の士の話しです。
だから私は以前に、紀元節と同日の星祭の日の胡散臭さを感じて皮肉を書いた。
これらは、桐山さんの愛国心の強調と兵役逃れの言い訳に作られた話しに過ぎない。

桐山さんの担当した暗殺相手は、戦後の首相で今なお怪物として矍鑠としているという。
その元官僚のK氏といえば、故岸信介元総理です。(54頁参照)
先述したK氏の家の焼失と、このK氏の混同は、私の読み間違えでした。
それにしても、桐山さん、いくら話しに”箔”を付けたいとは言えど、
当時官僚の故岸信介元総理だったとは、恐れ入り谷の鬼子母神です。

この時期の昭和18年、戦局悪化への対応として商工省が廃止され、
軍需省へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、
岸さんは衆議院議員で軍需次官(無任所国務相兼務)に就任。
半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。
また、無関係さんが言われたように、東條内閣打倒もウソで、
東條の内閣総辞職は、昭和19年つまり1944年7月18日です。
この時期にはまだ、東京大空襲はされていません。
ですから、
桐山さんの言う↑「東京大空襲でK氏の自宅も焼失したので暗殺団も解散した」は、
該当しません↓。
東京は、昭和19年の1944年11月14日以降に106回の空爆を受けたが、
特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月25日に大規模な空襲を受けた。
通常「東京大空襲」と言った場合、特に規模が大きかった1945年3月10日に
行われた空襲を指すことが多い。

これらの話しじたい、日大入学時二年先輩の女優小暮美千代がいたという
1941年から、1943〜4年の国体話し(実はウソ)と東京大空襲の
1945年までの長きに渡る経過を語ったものです。
桐山さんの経歴と合致しますか↓?

1941年 日大芸術科学園文学部創作科入学。(21歳、徴兵検査は受けなかった?)                      
1944年 痔瘻で長期入院。(24歳で国体で上級合格、実は結核病を検査する体力検定)
1945年頃 兄弟でヤミ屋を営む。(25歳)
1946年 結婚(1月5日生まれだから26歳、結核は完治して結婚か?)

560無関係な人間です:2011/02/17(木) 15:59:44 ID:Uh11VYJM0
>>542

 そう言えば、手塚治虫さんも修練所に入れられたみたいですね。
深山さんの言われる通り、大変貴重な資料だと思います。さすがは、ラシンさんです。
 大変貴重な資料を発掘された事に、敬意と感謝を表します。

>>546

 丁寧で、精緻なコメント、ありがとうございました。

 これは私が言う事ではないのですが,桐山さんも、もう少し調べてからウソを
書いたらいいのにと思います。この調子で調べたら、もっと桐山さんのウソが露見すると
思います。

561準シュダオン:2011/02/17(木) 16:28:57 ID:1F7rdgXk0
ボランテァの非常勤公職の用事で役所へ行き、先ほど帰って来てから
545のレスからザー、斜めに目を通し、記憶に残った部分へレスしますと、
大縁方便経の十難に対する釈尊の阿難に対する言葉を、無記そのものだ、
と解釈したユビキタスさんの考えを、否定するものではない。
そういう考えが、学者間でも主流なのかもしれない。

しかし、私が受けた印象は違う。釈尊は、如来の死後のことを答えてる、
と思う。無記とは違う。それは、生存してるか否か、というような二者択一
の問題ではないのです。例えば、昼と夜しかないような惑星に行って、
地球には夕暮れ、という昼でも夜でもない、ものがあると教えたとします。
そして、夕暮れは、昼でありかつ夜である、と教えたらどうなるだろうか?

あるいは、ウィルスは生物か?あるいは単なる物質か?と問うたら、どう
答えますか?生物でありかつ単なる物質である、と、なるでしょう。
ですから、如来は生存しておりかつ生存していない、のです。
では幽霊か?それでもない。それは、言葉・思考・文字では伝えられない
ものであり、自らさとる以外にないのです。それを根本の道理、と言いまして、
バウッダのP320から、根本道理を、中村元先生が解説しています。

562無関係な人間です:2011/02/17(木) 16:39:52 ID:Uh11VYJM0
>>559

 コメント、ありがとうございました。
 ラシンさんのおっしゃる通りだと思います。まあ、私の記憶力はすこぶる怪しいのですが、この件
では間違いがなかったようで、ホッとしています。桐山さんの書く事はコロコロ変わるし、整合性も
ないし、後世、彼の人生を映画化するときには、シナリオライターはさぞや苦労されるでしょうね。

 だいたい、当時、軍部に反感を覚えていたのなら、石原完爾の東亜連盟でも中野正剛の東方会でも
加盟をするのが普通だと思います。現実に多くの人がそうしています。それに当時は紙は貴重品で
出版社でも割当だったと聞いております。同人誌に紙の割当があったのか、という疑問はあります。

 東京大空襲は、ケネディ大統領時代に国防長官をつとめたマクナラマが立案者だという本を読んだ
事があります。彼は晩年,これを深く後悔し、自分のした事は戦争犯罪だったと告白していたようです。
余談まで。

563準シュダオン:2011/02/17(木) 16:49:16 ID:1F7rdgXk0
それから、昨日読んだレスの中で、びっくり仰天して、笑ったものがある。
それは、「困難を避けようとするのは逃避である」というようなレスをした
ユビさんの文章です。そんなこと言われてもねぇw、釈尊は、四苦八苦から
逃れようと出家したのであり、それは逃避だ、と批難してもねぇ。

1、阿含仏教は、12因縁の滅を説きます。それが五分法身を必須とする
  阿羅漢の姿です。
2、前期大乗仏教では、菩薩の煩悩無量誓願断、に象徴されるように、
  煩悩を断じて「空」をさとることが涅槃とされ、輪廻解脱が曖昧になりました。
3、後期大乗仏教は、密教に代表されるように、煩悩即菩提、生死即涅槃、の
  思想になりました。

上記の、1、2、3、を理解すれば、管長の教えに惑うことはないのです。
批判派は、上記の一方を持って、一方を排除しているのです。
管長は、どれも排除せずに、統合しているのです。
わたしは、及ばずながらも、それを通訳しているのです。

564ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 19:42:39 ID:SmEF4Oe2O
>>561:準シュダオン
11/02/17(木) 16:28:57 ID:1F7rdgXk0
>545のレスからザー、斜めに目を通し、記憶に残った部分へレスしますと、

まず第一に斜め読みをしたことが何の自慢だか言い訳になるのですか?
他人の書き込み内容にレスをしようと思ったら精読するのが礼儀でしょうが。
それが忙しくて斜め読みしかできていない時には、少なくとも書き込みをするのは
やめて遅らせて、精読してから実行すべきです。
自分はマナー知らずの無恥ですよと宣言するのがあなたのモットーか?

>大縁方便経の十難に対する釈尊の阿難に対する言葉を、無記そのものだ、
>と解釈したユビキタスさんの考えを、否定するものではない。
>そういう考えが、学者間でも主流なのかもしれない。

主流も非主流もなく、仏教学者で十四無記を否定する人など一人もいません。
今回だってあなたの期待した丘山先生もまた無記であることを証明してくれていた。
あなたは丘山先生の本も斜め読みしてたのですね。

>しかし、私が受けた印象は違う。釈尊は、如来の死後のことを答えてる、
>と思う。無記とは違う。それは、生存してるか否か、というような二者択一
>の問題ではないのです。例えば、昼と夜しかないような惑星に行って、
>地球には夕暮れ、という昼でも夜でもない、ものがあると教えたとします。
>そして、夕暮れは、昼でありかつ夜である、と教えたらどうなるだろうか?
>あるいは、ウィルスは生物か?あるいは単なる物質か?と問うたら、どう
>答えますか?生物でありかつ単なる物質である、と、なるでしょう。
>ですから、如来は生存しておりかつ生存していない、のです。
>では幽霊か?それでもない。それは、言葉・思考・文字では伝えられない
>ものであり、自らさとる以外にないのです。それを根本の道理、と言いまして、
バウッダのP320から、根本道理を、中村元先生が解説しています。

あなたが受けた印象なんてこちらは知りません。
なるほど如来の死後は薄ぼんやりとした生きているのか死んでいるのかもわからない
夕暮れみたいなもの、あるいはウイルスみたいなものと言いたいわけですか?
こういう訳のわからない表現は実は桐山さんが一番嫌うことをあなたは知りませんね。
だから言葉、思考、文字で伝えられないことだったら、そんなことを伝える必要も
ないのですよ。解脱に必要なことだけを伝えればよい。

565ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 20:06:38 ID:SmEF4Oe2O
>>563:準シュダオン11/02/17(木) 16:49:16 ID:1F7rdgXk0
>それから、昨日読んだレスの中で、びっくり仰天して、笑ったものがある。
>それは、「困難を避けようとするのは逃避である」というようなレスをした
>ユビさんの文章です。そんなこと言われてもねぇw、釈尊は、四苦八苦から
>逃れようと出家したのであり、それは逃避だ、と批難してもねぇ。

逃避と書いたのは心理学で使う現実逃避です。
現実に立ち向かうことなく逃げようとする。
これは煩悩の一つです。
釈尊の説く苦の克服とはバウッダにも書いてあったように外界の苦と見える現象を
受けなくても済むなんて都合のよい話ではない。
それはむしろ堂々と受け入れる。
しかし不動の強い心を持った人にはそれはもはや苦ではないのです。
私が中学時代、入信を許可してもらうのに父から言い渡された条件が逃避にならない
ようにというものでした。

566ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 21:25:51 ID:SmEF4Oe2O
>>513:準シュダオン11/02/16(水) 14:00:34 ID:1F7rdgXk0
>学問的には解明されていない勘がないと、当てられないというのですから、密教
>占星術も学問的には解明されていない、ということになります。管長は、占星術
>を説明しているのであって、証明しているのではありません。説明は信じるか、
>信じないかの次元であって、証明は信じる信じないに関わらず、客観的に正しさ
>が明らかになることです。
>密教占星術は、正しさが学問的に証明されているわけではありません。

こちらは占いが物理科学などでは証明ができないから、それを使うのは間違いだ
なんて論調で批判をしたことはありません。そして今回もまたそうです。
まず考察にあたって共通認識の土俵に立ってもらうために、桐山因縁は昔から密教占星術
という占いによって導き出されていることになっているということを理解してもらった。
本論はここから始まる。Booさんはそんな占いなどついに発見していないというものです。
もちろん桐山密教占星術は古い法から発掘した(という建て前)とは言え、
桐山さんオリジナル創始のようなものです。(それも建て前なんだが…)
それは難解にして常人には理解体得困難であるかのように示す。
しかしそれに矛盾するような事実がいくつも浮かび上がるのです。
例えばその一つに桐山さんがまだ密教占星術はおろか密教すらも知らぬ偽ビールで
逮捕される前から、自分の刑獄の星を知っていたというものです。
これは「1999年カルマと霊障からの脱出」に書いてある。
まだ仏教はやってなかったが、運命学を勉強していたので自分の運命を掌握していた。
淵海子平(四柱推命)など出しているが大変な吉星を持っていると書いてある。
しかし同時に刑獄の星も出て来た。気になったが、これだけの吉星があるんだから
うまく相殺されるのではないかと甘く考えた。しかしこの悪い運命の星は
出てしまい、悪貨は良貨を駆逐することを思い知らされたと書いている。
この刑獄の星はもちろんその難解で霊感を必要とする密教占星術でなくても
わかったことになる。
たしかに四柱推命などには私も安価な新書版の入門書を買って実際に占ってみた
から知っているが刑獄に相当するような囚獄という凶星がある。
著者は必ずしも犯罪を起こす星ではないとしているが。
また他の運命の星も信仰に入る前から掌握していたという。

567ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 21:44:58 ID:SmEF4Oe2O
>>513:準シュダオン11/02/16(水) 14:00:34 ID:1F7rdgXk0
>学問的には解明されていない勘がないと、当てられないというのですから、密教
>占星術も学問的には解明されていない、ということになります。管長は、占星術
>を説明しているのであって、証明しているのではありません。説明は信じるか、
>信じないかの次元であって、証明は信じる信じないに関わらず、客観的に正しさ
>が明らかになることです。

解脱への遍歴として自分のガンの因縁はその信仰をすることによってなくすことは
できるのかと問うて回ったのだという。
いくらガンの家系で家族にガンにかかった人がいるからといってそれだけで
ガンの因縁、運命にする人はいない。
ガンの凶星なんて四柱推命でも聞いたことがないが。
また昭和31年に書かれ翌年1月に出された「幸福への原理」では信者の指導に
いくつか具体的な因縁を指摘している。
密教門に入る前の法華経の観音経時代です。
難解な密教占星術など発見も創始もしていないはずの頃です。
それでも因縁の凶星がわかるならば、なぜその四柱推命などを教えることすらしないのだ?
複雑だがいろいろな本が出ているくらい凶星を出すホロスコープくらい立てられる。
疑問点はまだまだいろいろある。

568ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/17(木) 22:12:15 ID:SmEF4Oe2O
>>513:準シュダオン11/02/16(水) 14:00:34 ID:1F7rdgXk0
>学問的には解明されていない勘がないと、当てられないというのですから、密教
>占星術も学問的には解明されていない、ということになります。管長は、占星術
>を説明しているのであって、証明しているのではありません。説明は信じるか、
>信じないかの次元であって、証明は信じる信じないに関わらず、客観的に正しさ
>が明らかになることです。
>密教占星術は、正しさが学問的に証明されているわけではありません。

幸福への原理にも書いてあるが、因縁がどのくらい切れたか判別することもできるそうだ。
しかし与えられている情報は生年月日くらいしかない。
生年月日なんてのは途中で変わるものではない。
ゆえにBooさんなどは生年月日から割り出す星占いに人相学などを加えたものではないか
と考えたこともあるそうだ。
また生年月日とかが運命を決めるわけではない。占いで土剋水の凶などと出たから
と言って、その陰陽五行が運命を決めるのではなく、因縁を決めるのはあくまでも
ブッキョーで説くところの輪廻やカルマの論なんだという。
ただそれを占う方式として土剋水とかの相で出るのであり、土剋水が決めたのではない。
生年月日も然りで生年月日が運命を決めたのではなく生年月日に表れたというだけ
という、わかったようなわからないような説明です。
しかしそれとてもその逆算する生年月日が同じならば同じ運命になるはずなんだが
実はそんなことはない。
この通り占いの話にすると、占いが科学で証明できるかの議論以前に占い理論、
桐山因縁理論を信じたとしても矛盾だらけで自家撞着を起こすのです。

569天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/17(木) 22:20:00 ID:tyi8KUgQ0
ぼやきですので、無視してもOK。

「密教占星術は、正しさが学問的に証明されているわけではありません。」

ならばどうしてその証明されないものを教祖が用り重んじるのかを不遜に思わないのか?
おかしいとは思わないのか。
占いなどで因縁を出すのではなくて、霊感・霊力で因縁を出す・示唆すべきではないか、
という気持ちが出るはずだ。

釈尊も占いを重んじなかった。それに反した教祖。おかしいではないか。
また厳しい修行を重ねて高度の域に達した人がなぜ占いに頼る?用いるのか?
著書密教占星術に書いてあるように「インスピレーションが落ちる」などが原因なら
それは程度が低いというしかないではないか。

学問的に証明もされないものを使うのが聖者さんのやることか?
言うことも考え方も、すでに自家撞着を起こしているとしかいえないね。

570Boo:2011/02/18(金) 00:57:36 ID:UVg9ZvcI0
ユビキタスさんと天照さんの言うとおり!!

占星術で算出する「○○の因縁」など存在しないのです。存在しないものを「切る」なんて
こともそもそも不可能なんです。

571天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/18(金) 06:58:35 ID:tJE0wGiI0
私はBooさんとは考察した経緯や中身が違いますが、最終的に到った結果は同じです。
それで「ああ、これでは駄目だ」と判断・理解したんですね。

因縁診断士の資格は私は持ってないので中身は分かりませんが、阿含宗で因縁に関わる
事項を知っているのはゲイカと診断士の人だけという事になります。
(深田さんに任務を与えてないところが凄いといえば凄い)←笑

ゲイカは別として因縁診断士はゲイカから「因縁を見る・判断する方法を教わった人」
であり、ゲイカ以外に特別に「資格を持った人」なわけです。因縁を見る方法がある。
だが、知り合いの信者に聞いたら「密教占星術で因縁を出してはいない」というのが
帰って来た。つまり因縁診断士は密教占星術で各種の因縁をはじき出して出しているの
ではなく「状況や環境を調べてそれから伺い知れることでOOの因縁がありそうだ」
ということをゲイカに報告している、という事になります。

私が思ったのは、ゲイカが何の本かは忘れたが本の中に
「密教占星術ではじき出し、指導しないと誤ることがある」というような内容で、
それを話した”あるアジャリが「やっぱり密教占星術でやらないとだめか」という旨の
ことを吐露していた、という件があります。またゲイカ自体も密教占星術の凄いところは
単なる占いたい事項の示しだけでなく、その人の因縁まで表してくるという内容のことを
述べています。なので、密教占星術は普通の占いを超えた、また占いの最高峰なのだ、
という印象を受ける発言までしています。(続く)

572天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/18(金) 07:09:27 ID:tJE0wGiI0
ならば「それだけ凄い占いならば研鑽・取得したい」と思うのが当然です。(興味や関心がある人)
なので、私ではなく知り合いの信者も結構勉強したようですが、占い自体はできるが、因縁を見る
ということは出来なかった。当選ですよね?ゲイカがそこまでのものは教えてませんから。

そしてそこから超えて占いを探したり調べた人もいますが、出てこない。
でもそこを不思議に思ってもそれ以上調べないのだから、そこがおかしい。
だから私の知っている信者の間で「密教占星術はインチキだよ」という人はいなかったですね。
そして羊のような信者は『ゲイカが秘法を教えるまでずっと待つ』わけです。

Booさんや私のように「本当にどこまであるか」と探したら必ず行き詰まります。
それは「元々がパクリでインチキだから」です。
そりゃあそうでしょう。ただの九星占いを「密教占星術」とやっているんですから。
看板の挿げ替えだけで成り立たせているインチキですから、本物が出てくるはずがない。
というか、ゲイカのいう「密教占星術」など「存在しない」のですからね、出るはずがない。

私は教団の将来を案じてそこから入って占いに関わった経緯です。そこがBooさんと違う点です。
内容を述べれば長くなるし、以前も触れたことがあるんで割愛しますが、要は教団を思って、
またどうにかしたくて色々考えていた経緯から密教占星術に触れた&調べた。
するとどうしても「不整合」が出てくる。そこで止まっていた中で2chに触れて答がそこにあった。
そして調べたら「ビンゴ」であった。つまり欺瞞が分かったわけです。

573天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/18(金) 07:11:41 ID:tJE0wGiI0
>>572 誤字失礼。訂正を。

当選ですよね=X 当然ですよね=○

後で又、続きを書きます。

574天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/18(金) 08:27:52 ID:tJE0wGiI0
そして阿含宗で言うところの「OOの因縁」というのがデタラメでしかも密教占星術の本に
ゲイカ自らが書かれているではないですか。
そしてそれの整合性を確かめたら、全然なってない。
尚且つどのお経にも「因縁解脱なんてものは説かれていない」のを知ると、この詐欺師め!
となるわけです。決別するには充分でしたね。
ただ、それでも「どこかにいいものや整合性が有るはずだ」と仏舎利やら解脱供養やらで
しつこく食らい下がった。ですが、ユビさんが@chsにて阿呆な私にも丁寧に解説して
下さった。だから完全に目が覚めたし退会できた。

途中経過の考証で占いに触れた自分でしたが、やはり調べてみるのは非常に有効なことです。
自分の思いや憶測だけで物事を、しかも阿含宗の教義に沿って考えるのならば、どうしても
真実には至らない。阿含宗の教義や教祖の言い分、自分の考えを捨てて公正な状態で検証する。
そして言い分と現実のものとを重ねてみる。そこに絶対違いが出てきます。

教団にいて信者をやっていて教団の考えに染まっていても、普通の常識良識を持っていれば
どっちが正しいかわかるものです。第三者ならもっと分かりますね。(終)

575Boo:2011/02/18(金) 08:48:32 ID:UVg9ZvcI0
天照さんの苦しかった胸の内は私も程度の差こそあれ通ってきた道と言えます。

「因縁解脱」の根本部分「人はどんな因縁をもつか?」の根拠が前世の業による。
人の因縁をみることができる能力ってなにさ?となる。宿命通でないの?それって
アナゴンの持つ神通だべ?ゲイカって生まれながらの「聖者だ」なんて寝ぼけたこと
考えていた時期もありました。だから、生まれながらに宿命通を持っていても
矛盾はない。なんて、勝手に理屈づけて擁護していましたよ。

真言宗に伝わる密教占星術(宿曜占星術)をいろいろ調べてわかった。

当時、マイナーな真言宗に伝わる密教占星術を師なくしてマスター、再編纂
して、復元するなどたとえ「グモンジ法」で天才になっていたって絶対に無理。
それが私の結論です。

576準シュダオン:2011/02/18(金) 13:01:38 ID:1F7rdgXk0
ザーと読むのは自慢じゃないよ。ユビさんは汚れた我見から、汚れた推測し
か出来ない。仕方ないから、言いたくないが、事情を書くと、今、目医者に
定期的な検査の要があって、PCの時間制限があるのよ。だから、じっくりと
時間かけて見るわけにいかんのよ。前に、目に悪いから長いレスは読まん、
と書いたのは、そういうわけね。あぁ、肉体障害の因縁がバレてしもうた。

577準シュダオン:2011/02/18(金) 13:13:48 ID:1F7rdgXk0
天照さんの、お経に因縁解脱なんてない、というレス。
ユビキタスさんも、縁起の滅、になんかケチつけてましたね。
まだそういうこと言ってんの?
先ず、「縁起の滅」は、私の説ではなくて、岩波仏教辞典に、ちゃんと、
「初期仏教のさとりは、解脱や滅と表現され、縁起の滅した世界とされた」
と、書いてあるのです。
縁起=因縁、解脱=滅、であることを理解すれば、縁起の滅=因縁解脱で
あることが解かるでしょう。
初期仏教=阿含仏教の成仏=さとりとは、因縁解脱のことなのです。

578準シュダオン:2011/02/18(金) 13:34:17 ID:1F7rdgXk0
もう少し、論理的に因縁解脱の意味を説明しますと、
煩悩→業→苦の円環的因果関係を、業感縁起と呼びますね。
つまり、煩悩による行為(行為)によって苦(生存)が繰り返されることを
いいます(仏教辞典の「業」の項にかいてあります。
その代表的なものが、説一切有部の12因縁三世両重の縁起説です。

この、煩悩→業→苦、の苦を分析して管長は○○の因縁と呼ぶのです。
この苦を滅するためには、勿論、根本原因である煩悩を断たねばなりません。
煩悩解脱を否定するのではありません。当たり前です。五下分結煩悩を断てば
阿那含で、十結煩悩を断てば阿羅漢だ、と解かり切っているのですから、
煩悩解脱を否定するのでは、ありません。

ではなぜ煩悩を断つのか?それは、煩悩→業→苦、という苦を滅するため
です。苦の元から断たなきゃダメ、というわけです。
で、煩悩を断てばそれでいいのか、というとそれだけではなく、過去に為した
業によって、未来に受けるべき苦(○○の因縁)の、まだ発現していないもの
がある。それを断たなきゃダメだ、と管長は説くのです。
だから、煩悩解脱は小解脱、因縁解脱は大解脱です。

579準シュダオン:2011/02/18(金) 13:52:57 ID:1F7rdgXk0
煩悩→業→苦(報い)、について、釈尊は、天眼を得れば衆生が業に応じて
五道を往来するのを如実に知る、と、説いています。
つまり、それぞれの業に応じて、地獄の因縁、ガキの因縁、畜生の因縁、
人間の因縁、天上の因縁、を形成し、五道を往来するというのです。

釈尊は、諸々の苦をまとめて、地獄、ガキ、畜生、と表現なされているの
でしょう。管長は因縁透視でそれを分類整理したのです。
私は、人生体験上、○○の因縁の存在を確信してから入行したのであって、
管長の理論を聞いてから○○の因縁を信じたのではありません。
ですから、○○の因縁を知る方法は、何であってもかまいません。
九星占星術でもよいし、細木数子の方法でもよろしい。

わたしが30年前に出会った占い師は、相談者に名前を書かせると、何か
見えてくるのでしたよ。生年月日や、住所で解かる占術も、勿論あるでしょう。
足裏診断だって、否定はできませんよ、笑えてくるけど。

580名無しさん:2011/02/18(金) 14:13:21 ID:ysupfq4Y0
準シュダオンさんは「煩悩」、「業」、「苦」、「○○の因縁」などをどのように定義して使っていますか?
これらの関係性をしっかり理解して使っていますか?
簡単に 煩悩→業→苦 などと記述されていますが、本当に理解しているのだろうか?
あなたの認識度を伺いたい。

581準シュダオン:2011/02/18(金) 14:14:57 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんは、平河本第3卷を手に入れたそうで、おめでとうございます。
そのP103に、大縁方便経があって、
「・・・縁生有老死憂悲 苦悩大患所集 是為此大苦陰縁」と、ありますね。
これが、四諦の苦諦と集諦のことでしょう。
12因縁は、苦諦、集諦、そのものですよ。

582準シュダオン:2011/02/18(金) 14:35:58 ID:1F7rdgXk0
>>580
煩悩→業→苦、という記述は、岩波仏教辞典の「業感」という項の表現を
そのまま転用したものです。
「・・業感とは、業による報いを感受すること。・・業は惑(煩悩)の
結果であり、その業から苦が結果するというように、惑→業→苦の循環
において輪廻する縁起のあり方を解釈したものを業感縁起という・・」
などとの説明が、辞典に書かれています。

また、業とは輪廻をあらしめる力、とか辞典に定義されており、
一応は、辞典的には自分なりに理解してるつもりです。

583ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/18(金) 16:12:50 ID:SmEF4Oe2O
>>582
おや?レスアンカーを正しく使っている。
少しずつ進歩してるのかな?

584名無しさん:2011/02/18(金) 16:17:05 ID:ysupfq4Y0
>>582
有難うございます。「 煩悩→業→苦 」などは理解した上で書いておられる訳ですね。

>>578
>ではなぜ煩悩を断つのか?それは、煩悩→業→苦、という苦を滅するため
>です。苦の元から断たなきゃダメ、というわけです。
>で、煩悩を断てばそれでいいのか、というとそれだけではなく、過去に為した
>業によって、未来に受けるべき苦(○○の因縁)の、まだ発現していないもの
>がある。それを断たなきゃダメだ、と管長は説くのです。
>だから、煩悩解脱は小解脱、因縁解脱は大解脱です。

「過去に為した業によって、未来に受けるべき苦(○○の因縁)の、まだ発現していないもの」=種子 とするなら
種子A=ガンの因縁、種子B=脳障害の因縁、種子C=色情の因縁...という具合に置き換えができるでしょう。
これらの種子A、B、C、D・・・・が発現せず眠っており、それら種子の発芽を生起させて成就させようと働く力とその影響が
業(カルマ)だと管長は言っていると思うが、本当にそれらは切ることができるのであろうか?
まず、釈迦はそんな事は言ってませんよね。
釈迦は、煩悩を消滅させることのみを説いてます。それが全てで、煩悩が無くなれば副次的に輪廻も止むと
述べているだけです。そして、七科三十七道品は煩悩を切る修行であり因縁を切る修行ではない。
それは阿含経を読めば明らかです。阿含経にはあなたの言う小解脱しかありません。
ところが、管長は七科三十七道品で悪因縁を切るのだと言っている。おかしくないか?
管長の大解脱の修行とは何なのか?
実際、桐山管長の○○の因縁は切れていますか?
最近暴露された諸々の所業をみれば管長の因縁が切れていないことは明白です。
あなたはこれらをどう説明するのでしょうか?

585ラシン:2011/02/18(金) 16:39:44 ID:x9FuHHv20

解脱=滅 なんかでは、ありません。
出発が幼稚園児で、心だけが慢心満杯の大人だから困る。
物事は、先ず第一に正確を期することが社会人の基本。

〈岩波仏教辞典〉
解脱:言語は束縛から解放す意。
   仏教では煩悩から解放されて自由な心境と
   なること。

縁起:縁って生起すること。
   釈迦の悟りの内容を表明すと伝えられる。
   種々の縁起説は、煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)を骨格とするが、
   無明を根本原因とする12の項目からなる縁起(十二因縁)の説が、
   次第に定着した。→因縁、因果。
  【初期仏教・部派仏教】
   ー前略ー
  (説一切有部)や(二十四縁)(南方上座部)というような縁起説も
   説かれるようになった。
   しかしこの段階までの縁起説は、迷いの世界のみを説明するものであり、
   悟りの世界は縁起の中に含まれなかったから、”悟りは滅や解脱”と
   表現され、縁起を超越し”縁起の滅した世界”とされた。

このように頑迷な準シュダオンさんは、姑息にも初期仏教・部派仏教の
見解や解釈を借用していたのです。
しかし、”縁起の滅した世界”でも”因縁の滅”でもよいのです。
解脱を果たしたのだから、もう縁りて起こることや原因も生起しない。

解脱したことで輪廻も停止し、縁起という苦の生起は消滅するのです。

これらは起こらなくなった、何故なら解脱を果たしたからです。
どのように解脱をしたか、煩悩を滅し尽くしたからそこから解放された。
煩悩の滅尽によって、縁起も滅となったから滅した世界という状況や
境界を解説しているのです。
辞典にも「縁起を滅しなさい」などとは出ておりません。

煩悩に”縁”って行為が生”起”し、苦悩を受けるから縁起説なのです。
それを八正道に縁って、煩悩を滅尽したから解脱を得るのです。
縁起を滅尽してしまったら、釈尊の法じたいが成り立たなくなる。

587ラシン:2011/02/18(金) 18:10:01 ID:x9FuHHv20
>>577:準シュダオン
>先ず、「縁起の滅」は、私の説ではなくて、岩波仏教辞典に、ちゃんと、
「初期仏教のさとりは、解脱や滅と表現され、縁起の滅した世界とされた」
と、書いてあるのです。

どうでしょうこのいかにも釈尊が、さも説いたかのように、
「初期仏教のさとりは」なんて言いくるめています。
釈尊の直説となる阿含経典は、仏教辞典では原始仏教などと表される。
または、釈尊から弟子にいたる教義を初期仏教という使い方もある。

岩波辞典の表記は、
「しかしこの段階までの縁起説は、迷いの世界のみを説明するものであり、
 悟りの世界は縁起の中に含まれなかったから、”悟りは滅や解脱”と
 表現され、縁起を超越し”縁起の滅した世界”とされた。」

上記を見れば「初期仏教のさとりは」なんて前置きはありません。
あなたの捏造です。
ならば、
初期仏教から部派仏教までの時代に変遷された解釈、と正しく書きなさい。
それらは、釈尊入滅後に咀嚼され敷衍された部派仏教の理論体系です。

【初期仏教・部派仏教】
 初期仏教時代の縁起説は、苦しみ悩む有情が主題となったため、
 老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める(十二支縁起)
(十二因縁)説が代表的なものであった。
 続く部派仏教時代には、、、、、
 ー中略ー
(説一切有部)や(二十四縁)(南方上座部)というような縁起説も
 説かれるようになった。
 しかしこの段階までの縁起説は、迷いの世界のみを説明するものであり、
 悟りの世界は縁起の中に含まれなかったから、”悟りは滅や解脱”と
 表現され、縁起を超越し”縁起の滅した世界”とされた。

このように、初期から部派へいたる流れがあって、滅・解脱と解された。
しかし、辞典で悟りや解脱の頁に「初期のさとりは縁起の滅」なんて、
説明はありません。
釈尊がそのように説いたお経が、阿含経にあるのですか?
私は知りませんし、辞典でもそのような記載は無い。
ならば厳密には、初期仏教〜部派仏教時代までの「解釈」とすべきです。

釈尊が説いたのはあくまでも、漏尽解脱です。

588天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/18(金) 18:27:51 ID:tJE0wGiI0
>>585 >>587 ラシンさん、辞典からの引用と詳しい説明ありがとうございます。
仏教辞典を持ってない私には非常にありがたく助かりました。
これで今後準さんの捏造には対抗できます。

こうやって自分が正しいと主張するずる賢さ、呆れますね。
よくそれで人を批判できるものだ。
罰として半年アク禁・・・といいたいところです。

今後こういうことをするのであれば、アク禁も考えますよマジに。

589深山:2011/02/18(金) 23:15:15 ID:n9cWUJfs0
>>571 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/18(金) 06:58:35 ID:tJE0wGiI0
>ではなく「状況や環境を調べてそれから伺い知れることでOOの因縁がありそうだ」
>ということをゲイカに報告している、という事になります。

はい、そのとおりです。
因縁診断士から直接、資料も見せてもらい、内容も聞きました。
あれは因縁の診断などではなく、簡単に言えば、「信者の自己申告」です。
たとえば、祖父がガンで亡くなり、オバサンがガンで手術したことを
信者が診断士に言えば、これでガンの因縁を授けてもらえます。
今の日本なら二人に一人がガンになり、三人に一人が
ガンで死ぬのだから、適当につけてもかなりの確率で当たることになる。
信者がガンではなく脳梗塞で亡くなっても、「先に脳障害の因縁が出た」とごまかせる。
信者のこれまでの人生や家系の様子を聞き取りして、
その中から、信者にあてはまりそうな因縁を書くのです。
つまり、建前としては、因縁診断士は因縁を決めるのでなく、
聞き取りをして、本人の推測を書いていただけです。
診断士は推測した因縁と根拠を書き、これを宗務局に提出します。
因縁診断士の仕事はここまでです。
つまり、実は因縁診断士などいらないのです。
こんな程度なら、本人が自分の人生か家系から因縁を推測して、
それを資料にして提出すればいいだけです。

590深山:2011/02/18(金) 23:17:14 ID:n9cWUJfs0
因縁診断はこんなふうにデタラメだが、診断士たちが良心の呵責に
さいなまれることはなかったでしょう。
というのは、因縁の最終判断は桐山ゲイカがすることになっていたからです。
診断士はあくまでも資料提供と自分の個人的な判断をしたのであって、
間違っていれば、桐山ゲイカが霊視してくださると思っていますから、
詐欺の手伝いをしているという意識はありません。
診断士が提出した資料は、根拠がはっきりしていれば、担当の職員が
ほぼそのまま修行者宝鑑の原稿としてワープロに入れて、桐山さんに提出します。
必要に応じて担当の職員が因縁を変えるようです。
桐山さんは最初の頃は目を通して、課行あたりに赤丸をつけていたようです。
この赤丸を見れば、桐山さんのしたこと、目的が明瞭にわかります。

591深山:2011/02/18(金) 23:20:51 ID:n9cWUJfs0
1.桐山ゲイカは因縁霊視などしておらず、職員がワープロ打ちした因縁をそのまま下付した。
2.因縁をつけて課行というノルマを達成させることが目的である。

桐山さんがこういうデタラメなやり方をしたのには理由があります。
桐山さんの因縁霊視の中身は四柱推命でしょう。
桐山さんは慈恵会を始めた当初から因縁霊視、因縁透視をしていた。
仮に彼が後に密教によって因縁透視の能力を獲得したとしても、
慈恵会を始めた当初、そんな力があったはずはない。
だが、最初から彼は因縁霊視をしていたのです。
このことは逆に、桐山さんには因縁霊視などという霊能力などないことの証拠のようなものです。
最初から彼は占いを使って、それを因縁霊視と称しており、
後になってその力を密教の修行で得たかのようにハクを付けたのでしょう。
私が四柱推命だろうと推測するのは、四柱推命の星を出すのに、
桐山さんの時代には手間暇がかかったからです。
生年月日から表を使って割り出すのは、慣れていてもそれなりに時間がかかる。
量産できないのです。
因縁を信者につけないと、脅かせないから、何とか因縁霊視を量産したい。
そこで、簡単に量産できる方法として因縁診断を始めた。

592深山:2011/02/18(金) 23:23:01 ID:n9cWUJfs0
桐山さんが因縁の量産をしようとして最初に試みたのが
コンピューター占いの因縁透視です。
今なら、パソコンでできる内容だが、当時、平河町の東京総本部に
専用の部屋を作ったと聞いています。
この因縁透視の元ネタは紫微斗数です。
占いの好きな法友がいて、二人で、因縁透視の結果と紫微斗数から
出した結果を比較すると、おどろくほど一致していた。
桐山さんのオリジナルはところどころに霊障を入れたことです。
あれで解脱供養を出させる魂胆だったのでしょう。
紫微斗数だと疑いながらも、一つ疑問がありました。
紫微斗数は生まれた時間がわからないと占えません。
ところが、日本人は生まれた時間を覚えている人は少ない。
因縁透視は申し込む時、生まれた時間がわからなくてもいいのです。
これがなければ紫微斗数は占えないはずだから、
申込書に時間を書かなくてもいいということは紫微斗数ではないことなる。
だが、出てきた因縁透視は紫微斗数とそっくりです。
さあ、これをどう説明するか。

593深山:2011/02/18(金) 23:25:36 ID:n9cWUJfs0
後に、職員がこっそりその答えを教えてくれました。
時間を書いていない人は全員を12時にしてしまうのです。
そこで、生まれ時間のわからない信者の因縁透視の内容と、
紫微斗数で12時にして結果を比較すると一致した。
絶句しました。
なぜなら、紫微斗数を知っている方はご存じのように、
紫微斗数では生まれ時間が基準になっている。
だから、これを変えてしまったら、占いとして成り立っていない。
桐山さんの悪い意味での大胆さを見せられてギョッとした。
他人から見えないなら、どんな誤魔化しも平気なのです。
大胆、ズボラ、いい加減、その場しのぎ、デタラメ。
桐山さんがコンピューター占いに紫微斗数を使い、四柱推命を
使わなかったことで、ますます彼のいう因縁透視とは
四柱推命なのだろうと疑いました。
もし、そうでないなら、因縁透視は生まれ時間がなくても占える四柱推命を用いたはずです。
因縁透視はプログラムにバグがあり、同じ誕生日を入れても、
別な内容が出てくるなど問題が出て、廃止になった。
今なら、ネットの無料占いでできる程度の内容です。

594深山:2011/02/18(金) 23:30:53 ID:n9cWUJfs0
因縁透視の失敗で再び、量産の道が断たれてしまい、
そこで編み出したのが因縁診断です。
信者を使い、本人に自己申告させているにすぎないのに、
いかにも霊視したかのように見せかける。
これなら生産できます。
信者たちは自分で自分に因縁をつけているだけなのに、
それを桐山ゲイカにお金や人を貢いで、ありがたく拝受して、
そこに書かれたノルマを達成するようと努力する。
これが奴隷や家畜でなくて何でしょう。
因縁透視、因縁診断のやり方を見れば、桐山さんの頭の中がよくわかります。
こんな程度なのです。
占いどころか、信者の自己申告にすぎない内容を
さも霊視したかのようにごまかして授ける。
今も好運会と称して、週刊誌まがいの稚拙な占いを配布して、
信者を釣っている。
手品のネタはばれているのだから、そろそろ信者さんたちにも
気がついてほしいとは思うが、欲に釣られているうちはダメでしょうね。

595深山:2011/02/18(金) 23:37:51 ID:n9cWUJfs0
>>588 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/18(金) 18:27:51 ID:tJE0wGiI0
>今後こういうことをするのであれば、アク禁も考えますよマジに。

いや、天照さん、それはまずい。
準シュダオンさんのこういうインチキ引用やインチキ解釈は
これ一つに限らず、これまでも数知れないほどあります。
もちろん彼は元々が性格があまりよくなく、
自分の知性を過大に評価する自惚れが極端に強い人です。
おまけに反省という言葉は前世で捨てて来たらしい。
そこにさらに脳が萎縮しはじめているために、文章全体の意味を理解できなくなっている。
国語力が元々低い上に、脳梗塞で記憶力も減り、読解力がますます低下している。
文章を読んで理解するのではなく、書いてある文章の内、
自分の考えに都合の良い部分だけを採用するのです。
都合の悪い所は見ないし、読まないし、引用もしない。
私など何度それを彼に指摘したことか。
元々、間違いを指摘されるのが大嫌いなのは桐山さんと同じで、
しかも老化したおかげて、指摘はすみやかに忘れる。
彼がユビキタスさん以外をまったく相手にしようとしないのは、
読めないし、理解できないし、それを認めるが悔しいからです。
こういうハンディキャップを持った人であるという点を斟酌してあげる必要があります。
2ちゃんねるの栗花さんもそうですが、
準シュダオンさんも現実世界では相手にしてもらえない。
ここだけが生き甲斐なのです。
それに煩悩丸出しの彼が煩悩を切ることを決心したとか、
自惚れや侮蔑心の煩悩を垂れ流しにしながら、批判側が煩悩のなんたるかを
知らないなどと、このスレに爆笑をもたらしてくれる。
彼に対して寛容さと慈悲の心をもって、生温かく見守ってあげましょう。

596孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2011/02/19(土) 00:02:34 ID:Z.z2/AEc0
ありゃりゃ、準シュダオンさんて捏造してたんですね。
その文章は一応信じてたのにウソだったとは残念ですね。

597ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/19(土) 00:36:17 ID:SmEF4Oe2O
>>576:準シュダオン11/02/18(金) 13:01:38 ID:1F7rdgXk0
>ザーと読むのは自慢じゃないよ。ユビさんは汚れた我見から、汚れた推測し
>か出来ない。仕方ないから、言いたくないが、事情を書くと、今、目医者に
>定期的な検査の要があって、PCの時間制限があるのよ。だから、じっくりと
>時間かけて見るわけにいかんのよ。前に、目に悪いから長いレスは読まん、
>と書いたのは、そういうわけね。あぁ、肉体障害の因縁がバレてしもうた。

自慢の他にもうひとつ書いた言い訳の意味がわからんかな?
それは言い訳にならないんだよ。
時間などに制限があるのならば、レスを急ぐ必要なんてないって言ったろ?
今日は全部精読なんてできないんだから、ここまでは精読しておこうと区切る。
残りは翌日以降に精読するように少しずつ読めばよい。
その上で精読できた部分からつけたいレスをつければよいのだ。
チャットやってるんじゃないんだよ。
時間を置いてレスした方が自分でも熟考したものが書けるんだよ。
私も時間を置いたから春秋社の原始仏典との比較なんかも示せた。
逆にザーと斜め読みしかできていないと感じたらレスしないのが礼儀なんだよ。
遅れてするのが礼儀なんだよ。

598ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/19(土) 08:11:41 ID:SmEF4Oe2O
>>578:準シュダオン11/02/18(金) 13:34:17 ID:1F7rdgXk0
>ではなぜ煩悩を断つのか?それは、煩悩→業→苦、という苦を滅するため
>です。苦の元から断たなきゃダメ、というわけです。
>で、煩悩を断てばそれでいいのか、というとそれだけではなく、過去に為した
>業によって、未来に受けるべき苦(○○の因縁)の、まだ発現していないもの
>がある。それを断たなきゃダメだ、と管長は説くのです。
>だから、煩悩解脱は小解脱、因縁解脱は大解脱です。

その過去の業の元も過去の煩悩ですよね。
なにしろあなたが示す煩悩→業→苦なんだから。過去の業を滅するには
過去の煩悩を滅する必要がある。
そうすりゃ未来(現世)に受けるべき〇〇の因縁の苦もなくして桐山大解脱の
完成です。
過去の煩悩をなくすにはタイムマシンに乗らねばならない。
準シュダオンさん、タイムマシンを開発しなさい。
お釈迦様の時代はタイムマシンはなかった。
そして今現在もタイムマシンはないのだから。

599ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/19(土) 08:36:29 ID:SmEF4Oe2O
>>581:準シュダオン11/02/18(金) 14:14:57 ID:1F7rdgXk0
>そのP103に、大縁方便経があって、
>「・・・縁生有老死憂悲 苦悩大患所集 是為此大苦陰縁」と、ありますね。
>これが、四諦の苦諦と集諦のことでしょう。
>12因縁は、苦諦、集諦、そのものですよ。

そのとおりだと思います。
しかし釈尊の十二因縁解説は103頁の説明で終わりではなくまだまだ続く。
ではもし生まれることがなかったら、老死の苦も生じないというふうに
「これあるによりてこれ生じ」だけでなく縁起のもう一つの側面である
「これなきによりてこれ滅す」も開示している。
これが縁起、十二因縁ですね。
つまり苦諦、集諦だけでなく滅諦までも包含していることがわかる。
だから十二因縁を滅したらこれが否定されてしまう。
これなきによりてまだこれありになってしまう。
生まれて来なくなったのに老死があったりとか。
さすが存在して存在しない夕暮れの世界とは訳のわからん悟りだ。

600天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/19(土) 09:35:13 ID:Dkxjt.sg0
いつも思っていることでしたが、今まで言わないでいましたのを伺いながら書いてみます。

十二因縁ってそんなに大事かな?と。
個人的にもあまり重きを感じないんですが。

八正道と気づき、観察である程度事足りるような気がするんですが。
まあ後は積徳行為と戒を守るとかも大事ですが。

2chでもたまに十二因縁がでますが、いつも途中で終わるし十二支になぞらえて、
ということを学者さんも言われている。
まして因縁解脱にもそぐわない十二因縁を持ち出して擁護できて無いし、あまり十二因縁
には魅力も重みも感じないのですが、どうですかね?

601ラシン:2011/02/19(土) 12:13:19 ID:ka3sgn0E0

桐山さんが、阿含経から本当に「因縁解脱」を発見したのなら、
それこそ、仏教の文献学的にも論理体系上において、大発見です。
英国のサンスクリット研究者や仏教学会も上へ下への大騒ぎとなる、
はずだが、どうにもなっていません。
誰も相手にしていないし、桐山さん自身そんな論証も試みていない。
少なくとも、それを証明するには阿含経に「因縁解脱」を説いた
文章を示さねばならない当り前の論拠を出さねばならないからです。
しかし、あるのは「漏尽解脱」だけで、まさかデンパで読み取った、
なんて飛躍論は開陳できないから、公にはダンマリです。

ただ自教団内で、信者相手に偉ぶってデンパ講釈を垂れている分には、
社会的に問題視されない、だから伝統仏教界も呆れて相手しない。

過去に桐山さんは、作家になるための勉強が視野狭窄的だった、
と述懐しています。
文学に数学など必要ないと思っていたから、頑なに学ばなかった。
結果、きわめて跛行的であったと述べています。
現実は数学以前の算数が苦手であった。
算数は現実的な答えを求められるから、空想が入込めず嫌ったのでしょう。
そこで、跛行とは、釣り合いが取れない状態ですから、
学業が偏っていた、と気付き反省した。エライ!
だが、
桐山さんの驚異的錯誤は、自分の欠点に気付いただけで、
次には「しかし、やる気になれば、一年くらいで大学を卒業できる
程度の実力はもってみせるという自信をずうっともちつづけていた。」

どうでしょう、この短絡的思考の典型・特例ともいえる慢心大の考え方。
欠点を自覚したら、すでに大学入試の勉強や試験をパスする過程を無視し、
あっという間に飛び越えて、卒業を一念いや一年くらいで為す??

この「現世成仏」の初版が1983年6月だから、執筆時年齢は60を
過ぎていた初老の言う言葉か、と驚愕しないだろうか。

これが、桐山さんが幼児期から培って来た思考形態です。
読んだだけで理解を超えて実践したことになる。
だから直木賞も、少しばかりの原稿を直木賞候補と褒められた?
これだけでもう、直木賞を卒業し、
だが、やるなら純文学で芥川賞を目指す、と考え日大へ入学し、
祖父をモデルにした「私鉄のある町」を文芸首都に持ち込んだという。
しかし、
冗長なので半分の原稿枚数に縮めて、出版社最後の芥川賞候補に
推薦すると嘆願されたが、それは作家理念に反すると考えて断ったという。

これで、
幻の芥川賞候補作品→ →いつでも芥川賞くらい取って見せる。
という、超飛躍論理が生まれる、もの凄いわかりやすい例えです。

この飛躍論理が、桐山教義であり、桐山さん特有の仏教解釈論だと
考えて、桐山語録を検証すれば、ボロがボロボロと見えてきます。

602準シュダオン:2011/02/19(土) 15:31:26 ID:1F7rdgXk0
天照さん、私のは捏造ではありません。あなたも仏教辞典を購入して確かめて
ご覧なさい。ラシンくんこそ、自分に都合の良いとこだけ引用する馬鹿もの
なのです。わたしゃ、目に悪いからラシンくんのレスは読んでいないけどさ。
レベルが低くて話にならんよ、ラシンくんのは、一流なのは人の悪口だけだw。
天照さんも人にだまされやすいなぁw。

603準シュダオン:2011/02/19(土) 15:45:21 ID:1F7rdgXk0
ユビさん、時間に制限、と書いたのは、PC画面を見る時間に制限がある、というこ
となのですよ。健康な目なら、じっくり画面見てもいいけど、わたしの場合、まだ
そういうわけに行かないの。それで、数個のレスを読んで、共通する誤解みたいなの
にレスをしてるわけで、特に、どのレスに対してとかの厳格な意味はありません。
言葉尻や、揚げ足とりなら、正確に相手のレスを引用する必要があるけどさ、
わたしにゃ、そういう意識はないからね、レスから相手の精神を読むのであって、
言葉使いの些細な間違いや、誤字、脱字など、どうでもいいのよ。

裁判の陳述書など、見たことないですか?わたしゃ、以前、冒頭陳述書とか、
見せられたことありましたけど、誤字とかの些細な間違いは結構ありましたよ。
でもね、裁判官や検事や弁護士なんて方は、そう言う細かいことには触れないの。
精神を見るわけよ。批判派の皆さんも、そういう精神を学びなさいよ。
そういうのを、品性とか徳性というわけね。知性より一段高い、ものなのさ。

604ラシン:2011/02/19(土) 15:53:20 ID:ka3sgn0E0

2chでまたおかしな桐山擁護論にユビさんが教示し、
深山さんが、さらにユビさんを補完しています。

スレでは余談になりますが、桐山さんのブッダの知恵を
参照する意味で、与太話しを書かせていただきますので、
お許しを、、、。

ユビさんが指摘した桐山家・堤家の家名違いの中で、
堤家出自の人吉藩内騒動の丑歳騒動が出ていました。
ネットでも知られるいわゆる維新前、
江戸初期からの伝統である山鹿流軍制を守ろうとする家老ら勤王派による
14名の上意討ちをしたことにより、逆にオランダ式の勤王派が、
その人吉藩の主導権を掌握した事件です。
桐山擁護者曰く、その堤家は人吉藩の名家だという。

それなら私の祖父も滋賀で古城を持つ武士の出だし、だから私も京都好き、
私の混血に、京都人のDNAがあると言うのも、否定されないでしょう?
また、父親の世代で巷間よく言われた千葉道場出身云々は、時代的都市伝説の
類いに等しい世間一般的な誇大自慢話しで、当時なら枚挙に暇がないほどです。

ところでその山鹿流ですが、赤穂事件のクライマックスである、
吉良邸討ち入りの際の山鹿流陣太鼓を、大石由良の助が打ち鳴らす場面がある。

だが、戦後生まれの世代は、この事件の大事な部分を実は知らされずにいます。
ようは、団塊の世代の歴史学的弱点でしょうね。

赤穂浪士における吉良上野介と浅野内匠頭の確執は、巷間語られてきたような
「厭味な爺様の若者いじめ」とは、まるで違うということです。

この二人の確執の背景には、山鹿流という皇室尊崇を説いた学問を学んだ内匠頭と、
幕府将軍家こそが大事の要、とする吉良上野介との思想の対立であったのです。
その対立が、匠頭の殿中松の廊下の刃傷沙汰のあと、徳川幕府が下したのが、
匠頭の切腹と上野介の一切のお咎め無し、という素早い対応の裁定に
その理由の真相が見て取れます。

大石内蔵助が討入の際、夜中に敢えて山鹿流陣太鼓を打ち鳴らした理由もここにある。
しかし、この山鹿流陣太鼓は、実際には存在しないがあえて物語に取り入れた。
後年、歌舞伎や文楽、講談といった江戸の町芸能で、赤穂浪士は盛んに上演されます。
吉良と内匠頭の確執が、実は山鹿流という思想上の対立に根差したものという「説明」は、
この山鹿流陣太鼓の挿話で、当時から明治の庶民はよく理解していたのです。

桐山家の上位討ちを仮に、人吉藩内騒動の丑歳騒動と挿げ替えて主張したなら、
桐山さんは、最低限この程度の歴史観を披露しなければならない。
だが、桐山さんが「修行者座右宝鑑」にまで用いたのは、
桐山家の祖父が在した信州某藩での上位討ち事件で、それは郷土史の一片の欠片もない。
つまり創作だった、という落ちのつかないお噺だった。

605天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/19(土) 15:57:57 ID:djRYMlC60
>>602 準さん、おどけた表現ですけどいかがなものか。

ラシンさんが都合のいいところだけ出している?
図書館か何かで岩波仏教辞典があって確かめて見ますが、それで準さんの方が
「都合のいい引用」なら問題ですよ。

また目が悪いなどで誤魔化すのもいい加減にしましょう。
準さんは以前ちゃんと人の文章に応えているときがある。
読まないのではなく「意図的に見ない」だけを屁理屈で言うのも
そろそろおやめになったらどうか。

そんなに目が悪いのなら掲示板へ来ない方がよろしいのではないか。

606準シュダオン:2011/02/19(土) 15:58:46 ID:1F7rdgXk0
アク禁になったら嬉しいよ。
何時、私の住所を探し出されて、サリンでも播かれかねないかと、
気味の悪い思いが、全くないわけじゃないからね。
天照さんは、レスの出何処を探ると言う、管理人のマナーを破った全科もあるし。

批判派の誰だったか、「オウムと阿含宗は同じ穴のムジナ」と、レスした人が
いた。それを言うなら、オウムと批判派こそ、元阿含信者という共通項があるよ。
現役信者よりも元信者の批判派の方がオウムに近いでしょうよ。
麻原某の「桐山清雄を斬る」というHPを見たことあるけど、批判派と同じ論法で
解脱供養をインチキと書いてたっけしね。

607天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/19(土) 15:59:49 ID:djRYMlC60
間違えた。岩波仏教辞典があって確かめて見ますが、ではなくて

「岩波仏教辞典があったら確かめて見ますが」です。

丁度本屋さんに岩波仏教辞典が置いてないものでね。
後は図書館しか調べようが無いのです。

608ラシン:2011/02/19(土) 16:04:46 ID:ka3sgn0E0
>602 :準シュダオン:2011/02/19(土) 15:31:26 ID:1F7rdgXk0
天照さん、私のは捏造ではありません。あなたも仏教辞典を購入して確かめて
ご覧なさい。ラシンくんこそ、自分に都合の良いとこだけ引用する馬鹿もの
なのです。


そうなら、私の所有する岩波仏教辞典と準シュダオンさんの辞典の
表記が違うと言うことになります。
同じ岩波仏教辞典でも種類があり、改訂板もあるでしょう。
私を「馬鹿者」扱いをする前に、あなたの辞典の出版時期と頁数を表示し、
その部分を掲示してみてたらいかがですか。

>わたしゃ、目に悪いからラシンくんのレスは読んでいないけどさ。
レベルが低くて話にならんよ、ラシンくんのは、一流なのは人の悪口だけだw。

読まないでレスを付けられる才能は、デンパ感電者だからですか? 凄い!
それにしては、”捏造”と言う私の一言には、随分に過敏で傷つきやすいようですね。
私を「馬鹿者」と笑い飛ばしたいなら、「w」なんて薄ら笑いの嘲笑ではなく、
大笑いで、笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑、と表示するくらい男らしく出来ませんか?

609天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/19(土) 16:05:24 ID:djRYMlC60
>>606 調べてからにしますよ。個人的にはとっくに永久アク禁したいのを我慢していますからね。

あと準さん以外の2chの馬鹿もいってたが住所やら住居やらまでは分からない。
発信もとの地域までは分かる。例えば東京のOO区とかね。

例外に稀にOO区のXX企業という風にかなり精巧に判る場合があるが、普通は地域まで。
あと全科は「前科」ね。

貴方はそろそろ2chで活動された方が私は良いと思いますよ。

610準シュダオン:2011/02/19(土) 16:10:31 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさん、仏教辞典で、「業感」を引いてご覧なさい。
惑(煩悩)→業→苦、と書いてあって、説明もありますから。
いいですか、過去の煩悩によって作られた未来の苦(○○の因縁)も、
ある訳です。だから、タイムマシンはいらないのよ。

過去の煩悩によって作られた、未来の苦を、今の善業によって消して行く、
ということなのです。経典の「梵行既立」とういうのがそれでしょう。
業(カルマ)を消す梵行はすでに成し終えた、という意味でしょう。

611ラシン:2011/02/19(土) 16:32:07 ID:ka3sgn0E0

準シュダオンさん、私が指摘した↓あなたの掲示です。

>>577:準シュダオン
>先ず、「縁起の滅」は、私の説ではなくて、岩波仏教辞典に、ちゃんと、
「初期仏教のさとりは、解脱や滅と表現され、縁起の滅した世界とされた」
と、書いてあるのです。

私が所有する辞典では、あなたの「初期仏教のさとりは」なんて言うような
前置きはありません。
私が掲示しているように、【初期仏教・部派仏教】初期仏教時代の縁起説は、
と解説表記されて、最後に結ばれている表示は、
「悟りの世界は縁起の中に含まれなかったから、”悟りは滅や解脱”と
 表現され、縁起を超越し”縁起の滅した世界”とされた。」
となっています。
ですから、>>587で、
<ならば厳密には、初期仏教〜部派仏教時代までの「解釈」とすべきです>
と申し上げたのです。
あなたの所有する岩波仏教辞典にはどうあるのか、掲示してください。

612準シュダオン:2011/02/19(土) 16:46:31 ID:1F7rdgXk0
ユビさんはじめ、批判派の間違いは、何時の間にか、煩悩解脱が最初からの
仏教の目的だと、思い込んでしまったことです。そうではなくて、釈尊は、
人生の四苦八苦を逃れるために、出家して、仙人を訪ねたのです。
そして、仙人の瞑想には満足できず、自分で瞑想し、苦諦、集諦、と、苦の生起
が煩悩を縁として生じることを知り、煩悩を断ったのです。

ですから、お釈迦さまは、煩悩→業→苦、の連鎖のうち、苦から逃れようと、
スタートしたのです。そして、業、煩悩、へとたどり着いたのです。
それなのに、ユビさんなどが、煩悩を断つのは良いが、苦から逃げるのは逃避だ、
なんてレスするから、私はびっくり仰天するわけですw。
まぁ、その原因も解ります。
その原因は、阿含経の「・・漏尽 得解脱 生解脱智 生死己尽 不受後有・・」
を正しく訳す仏教学者が、ほとんど居なかったからです。

三枝先生でさえ、誤訳というか、誤解を与えています、その方が知的な現代人に
受け入れやすいからか、釈尊は超人的な力を排除した、なんてデタラメまで、
書いています。生解脱智が無ければ、解脱を確認できないのです。
生死己尽を確認できるのは天眼智です、不受後有を確認できるのは宿命智です。
漏尽を確認できるの漏尽智です。いずれも超人的な力です。この超人的な力が
ないと、根本仏教では解脱ができないのです。
 でも、そういう肝心なことを説明している学者は、居ますか?
まるで倫理みたいな仏教論ばかりです。
そんなの、デカンショ読んでりゃ間に合うよ。

613準シュダオン:2011/02/19(土) 16:51:34 ID:1F7rdgXk0
ラシンくん、そんな言葉尻捉えるようなことは辞めなさい。
初期仏教だろうと、初期仏教時代だろうと、そんな些細な言葉尻はどうでも
よろしい。裁判の陳述書の例は、そのために書いた。精神を学びなさい。

614ラシン:2011/02/19(土) 17:09:44 ID:ka3sgn0E0
>610 :準シュダオン:2011/02/19(土) 16:10:31 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさん、仏教辞典で、「業感」を引いてご覧なさい。
惑(煩悩)→業→苦、と書いてあって、説明もありますから。

批判側は既知です。
>>585でもその前にも、

縁起:縁って生起すること。
   釈迦の悟りの内容を表明すと伝えられる。
   種々の縁起説は、煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)を骨格とするが、
   無明を根本原因とする12の項目からなる縁起(十二因縁)の説が、
   次第に定着した。→因縁、因果。

と、表示し理解しています。

>業(カルマ)を消す梵行はすでに成し終えた、という意味でしょう。

目ん玉を開て、再掲した上記辞典の解説を見たらどうか?

「煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)を骨格とするが、」とあります。

カルマの意味は、行為ですよ。
梵行もひとつの行為ですよ。
そして、
あなたの言う”カルマ”の始まりは、煩悩からだと分かりませんか↑。
ゆえに、煩悩を滅するという行為を命題にして、釈尊は説いているのだ。
また、梵行は清浄行であり、主に性的行為の戒めなのですが、、、。

どちらにせよ、業(カルマ)=行為 を消したら梵行という行為も
意味が無くなる。
行為を滅しなければならないなら、何もできない、するなとなって、
あなたの「滅」も「因縁切り」という行為も、成立しません。

あなたの理屈が自爆したのであり、それを自己撞着と言う。
また、
<あなたの所有する岩波仏教辞典にはどうあるのか、掲示してください。>
は、どうしましたか? 掲示できない?

615ラシン:2011/02/19(土) 17:16:32 ID:ka3sgn0E0
>613 :準シュダオン:2011/02/19(土) 16:51:34 ID:1F7rdgXk0
ラシンくん、そんな言葉尻捉えるようなことは辞めなさい。
初期仏教だろうと、初期仏教時代だろうと、そんな些細な言葉尻はどうでも
よろしい。

だったらあなたが、

608 :ラシン:2011/02/19(土) 16:04:46 ID:ka3sgn0E0
>>602 :準シュダオン:2011/02/19(土) 15:31:26 ID:1F7rdgXk0
天照さん、私のは捏造ではありません。あなたも仏教辞典を購入して確かめて
ご覧なさい。ラシンくんこそ、自分に都合の良いとこだけ引用する馬鹿もの
なのです。

この言質は↑、どうなりますか?

>>577:準シュダオン
>先ず、「縁起の滅」は、私の説ではなくて、岩波仏教辞典に、ちゃんと、
「初期仏教のさとりは、解脱や滅と表現され、縁起の滅した世界とされた」
と、書いてあるのです。

上記、「初期仏教のさとりは、」は、あなたが捏造した文と認めるのですか。

616ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/19(土) 19:56:29 ID:SmEF4Oe2O
岩波仏教辞典(第二版)

業感
業による報いを感受すること。善悪の行為を原因として苦楽の結果を受けること。
このような業を中心に据え、業は惑(煩悩)の結果であり、その業から苦が結果
するというように、惑→業→苦の循環において輪廻する縁起のあり方を解釈した
ものを〈業感縁起〉という。十二因縁の中では〈無明〉という惑から生じる
〈行〉と〈受〉〈取〉という惑から生じる〈有〉とが業に当り、残りの七つが苦に当る。
「夫れ災禍の興る、略三種あり。一つには時運、二つには天罰、三つには業感なり」
〔妙好人伝〕→業、惑業苦

(全文引用)

617準シュダオン:2011/02/19(土) 20:43:16 ID:1F7rdgXk0
ラシンくんのレスに、思い直して、レスしてみよう。岩波仏教辞典をお持ちの
方なら、いかに馬鹿げた、言いがかりwか、解かると思いますが、もし、
ラシンくんが、真面目な気持ちで、レスをしたのなら、私も考え直さなくては
いけない。

私は、「初期仏教のさとりは、滅とか解脱と表現され、縁起の滅した世界
とされた」と、レスした。そしたら、ラシンくんが、自分の辞典には、
さとりの前に初期仏教の語はついていない、と、質問してきた。
それを、私は、言葉尻を捉える、という。または、上げ足取りねw。
レベルが低すぎます。が、回答しますね。

先ず、岩波仏教辞典の、縁起の説明は、長文です。簡単に全てを引用するわけ
にはいかない。そこで、要点を記すことになります。で、辞典の縁起の説明を
次の「 」部分に引用しますが、・・の部分は長いので省略した部分です。

「初期仏教時代の縁起説は、苦しみ・・十二支縁起説が代表的なものであった。
続く部派仏教時代には、・・二十四縁というような縁起説も説き出されるよう
になった。しかし、この段階までの縁起説は、・・さとりの世界は縁起の中に
含まれなかったから、さとりは滅とか解脱と表現され、縁起の滅した世界と
された」
と、解説した後で、「大乗仏教に至って、さとりの世界も空・・・」という
ように、大乗時代のさとりの説明が続きます。それは省略しました。
管長の説く「因縁解脱」というのは、阿含仏教=初期仏教の事ですからね。

どうですか?確かに、さとりの前に直接、初期仏教という語はありません。
しかし、馬鹿でないかぎり、縁起滅というさとりの定義は、初期仏教から
部派仏教時代のことだと解かるはずです。ラシンくんが真面目に私に質問し
たのだとしたら、小学5年生程の国語力しかありません。そう言う人とは、
真面目に議論はできません、レベルが違いすぎます。
そうでないとしたら、揚げ足取りです。それもレベルが低い。
ラシンくんがどういう意図でレスしたか、自分の胸に手を当てて、よーく
考えてみることですね。

618ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/19(土) 20:49:40 ID:SmEF4Oe2O
>>610:準シュダオン11/02/19(土) 16:10:31 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさん、仏教辞典で、「業感」を引いてご覧なさい。
>惑(煩悩)→業→苦、と書いてあって、説明もありますから。
>いいですか、過去の煩悩によって作られた未来の苦(○○の因縁)も、
>ある訳です。だから、タイムマシンはいらないのよ。
>過去の煩悩によって作られた、未来の苦を、今の善業によって消して行く、
>ということなのです。

残念ですが、桐山〇〇の因縁にはこれは適用されません。
時系列を考えていない。
なるほど、過去に沸き起こった煩悩に対してそれによる悪業(悪い行い)を起こす
前に元の煩悩ごと断ってしまえば悪業を犯すことはなく、その悪業を為す前だった
のだから、それの報いとしての苦は受けることはありませんね。
では桐山〇〇の因縁はどうか?
これはもう生まれた時から決まっている運命です。
何で生まれた時点で既に報いの苦が予定されているのかというと、過去世に煩悩に
基づいて悪業を為してしまった報いなんですよ。
だから桐山因縁は原因ではなく業報、報いなんだと言ったでしょ?
あなた書いたじゃないですか?
アキバの通り魔事件の被害者の因縁です。
何で殺されたか?過去世において加藤被告の前世とつながりがあり、前世の加藤を
強姦しちゃったからです。ん?加藤を強姦?掘っちゃったんでしょうな。
加藤は肛門を抑えながら、おのれ、この怨み晴らさでおくべきかと呪って死んだ。
そして現世に本人は覚えてなくても不思議な因縁でアキバに当時の輪姦仲間と
加藤が集まり、加藤が殺したのはその前世の輪姦グループだったわけです。
だから被害者は前世で掘りてえという劣情の煩悩だけでなく、前世において
姦っちゃったんですよ!そして現世に生まれてきた。その報いが現世に用意されている。
今更煩悩ごと悪業を改めようにももう手遅れなんですよ。
タイムマシンに乗ってまだ犯す前に戻れたらどうにかなったものを。
そして>>616に全文余すことなく引用させてもらった岩波仏教辞典の業感にしても
時系列に沿った因果関係の惑業苦を説くだけで、時間の可逆性などどこにも説いていない。
覆水盆に還らず。桐山因縁はもう前世で水をこぼしてしまった報いを現世に
受けるというものなんですよ。

619ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/19(土) 21:05:51 ID:SmEF4Oe2O
>>603:準シュダオン11/02/19(土) 15:45:21 ID:1F7rdgXk0
>わたしにゃ、そういう意識はないからね、レスから相手の精神を読むのであって、
>言葉使いの些細な間違いや、誤字、脱字など、どうでもいいのよ。

誰が誤字、脱字の揚げ足取りなどした?
そんなことはしたことがない。
誤字、脱字など私も多いのだから相手にも許容しています。
話をごますな。
それよりもあなたのいう相手のレスから精神を読むにはザーと斜め読みでは駄目で
ある程度の精読が必要だと言っているのです。
それができないと言うのならば眼科の治療に専念してもう書くな。
治るまで書くな。
私はあなたを強制的にアク禁にするのは大反対です。
うざくてもこちらが苦しくてもあなたに自由だけは保証したい。
だからこちらから強制はしないが、おまえが自由な意志で自主的にスレを去れ!
目を治して参加できるようになってから来い。その時は精読を忘れるな。

620ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/19(土) 21:20:54 ID:SmEF4Oe2O
>>606:準シュダオン11/02/19(土) 15:58:46 ID:1F7rdgXk0
>アク禁になったら嬉しいよ。
>何時、私の住所を探し出されて、サリンでも播かれかねないかと、
>気味の悪い思いが、全くないわけじゃないからね。

わかってないですね。
批判側の誰一人としてあなたをウザイとは思っても危害を与えようなんて考えてません。
サボリ幽霊信者がどこの誰であろうと興味がない。
あなたが用心すべきはアゴン宗という教団です。
あなたの書き込みを読んだ信者か職員が桐山さんに報告する。
こんな教団を辱める発言を長年やめようとせず、恥曝しで教団の評判を落とすと。
それを聞いた桐山さんが、誰だ?そいつは?ひっつかえよなどと漏らした日には
あなたの危険度は高まる。
桐山命令が出たとならば宗教奴隷の職員どもは必至にしらみつぶしに探しますよ。
ターゲットを〇〇道場か〇〇連絡所に絞って〇〇本部から至上命令です。
あなたは宗務局に対して気味悪さを感じた方がよい。

621ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/19(土) 21:30:00 ID:SmEF4Oe2O
自分の誤字脱字訂正集

×話をごますな。

○話をごまかすな

×誰だ?そいつは?ひっつかえよ

○誰だ?そいつは?ひっつかまえよ

622ラシン:2011/02/19(土) 23:26:11 ID:ka3sgn0E0
>608 :ラシン:2011/02/19(土) 16:04:46 ID:ka3sgn0E0
>>602 :準シュダオン:2011/02/19(土) 15:31:26 ID:1F7rdgXk0
天照さん、私のは捏造ではありません。あなたも仏教辞典を購入して確かめて
ご覧なさい。ラシンくんこそ、自分に都合の良いとこだけ引用する馬鹿もの
なのです。

>>577:準シュダオン
>先ず、「縁起の滅」は、私の説ではなくて、岩波仏教辞典に、ちゃんと、
「初期仏教のさとりは、解脱や滅と表現され、縁起の滅した世界とされた」
と、書いてあるのです。

>>617 :準シュダオン

>どうですか?確かに、さとりの前に直接、初期仏教という語はありません。

>しかし、馬鹿でないかぎり、縁起滅というさとりの定義は、初期仏教から
部派仏教時代のことだと解かるはずです。ラシンくんが真面目に私に質問し
たのだとしたら、小学5年生程の国語力しかありません。そう言う人とは、
真面目に議論はできません、レベルが違いすぎます。
-------------------------------------------------------------------------
つまり、
>>577の「初期仏教のさとりは、」との書き出しは、
私が指摘したように、あなたが捏造した文だった。

>>587で、初期仏教から部派仏教時代のこと、と指摘したのは私です。
あなたではない。
他人の指摘に気付いて、後出しジャンケンは卑怯です。
あなたは、「初期仏教のさとりは、」と捏造加筆したのです。

引用なら捏造、勝手な加筆は、契約書なら私文書偽造です。
社会常識くらい、覚えなさい。
それは、ミニミニ桐山さんですね。
あなたへの誉め言葉ですよ。
自分に都合の良いとこだけ引用しただけに留まらず、
親切に「捏造」までしたのです。
>>617は、いつになく文章が長い、それだけつまらぬ弁明が多い。
あなたの嘘をついた弁明だから、結果、長文となった証拠です。

ウソつき人間は、多弁となるのは必定です。

初期仏教と部派仏教は、イコールではありませんよ。
そのくらいは、ここで学んだでしょう?
あなたは、いかにも「初期仏教」のみのような解説表示をしました。
でも、
あなたのその恒常的な姑息性を、自省する気はないでしょうね。

このように、どんなに言い逃れをしても掲示板には残りました。
しかし、>>605の天照さんの忠告にまで、>>606で噛みついた。

天照さんの管理マナーにまで、オーム扱いで罵った。
卑怯な人ですね。
さらに、

「天照さん、私のは捏造ではありません。あなたも仏教辞典を
 購入して確かめてご覧なさい」

ここまで↑言い切ったあなたが、結局は正しく表示していなかった。

私の国語力レベル以前に、まずあなたが天照さんに謝罪すべきです。

ただし、私もあなたへのアク禁は反対です。
桐山批判には欠かせないほど、準シュダオンさんの所悪業がある。
あなたの批判板での貢献度は、それほど高いのですよ。
その意味で、どうか参板を継続していただきたい。

緑内障か白内障で読み違えても、レスに精を出してください。
あなたの汚くて醜いアゴン魂を、今後も遺憾無く発揮していただきたい。

623名無しさん:2011/02/20(日) 00:01:52 ID:ysupfq4Y0
>>622:ラシン
>緑内障か白内障で読み違えても、レスに精を出してください。

最近は黄斑変性症という目の病気が増えています。これは加齢により網膜の中心部である黄斑に障害が生じ
見ようとするところが見えにくくなる病気です。病状の悪化ともにゆがみが強くなり、眼底出血などにより
視力低下、中心暗点がみられ、失明に至る場合もあります。
五十代〜六十代の層に多く発症していると報告されていますので準シュダオンも気をつけたほうがいい。
一度悪化すると直りません。また緑内障であるならレスは止めた方がいいね。

624ラシン:2011/02/20(日) 00:01:53 ID:ka3sgn0E0
>>617 :準シュダオン

>どうですか?確かに、さとりの前に直接、初期仏教という語はありません。

>しかし、馬鹿でないかぎり、縁起滅というさとりの定義は、初期仏教から
部派仏教時代のことだと解かるはずです。ラシンくんが真面目に私に質問し
たのだとしたら、小学5年生程の国語力しかありません。
----------------------------------------------------------------------

小学5年生程の国語力という私にも、あなたは対抗できなかった。
それも、捏造・加筆というワザを使って、あなたの姑息な力量が
バレたのです。

悟りの定義に、あなたの言う「縁起滅」はない。
縁起の滅については、初期仏教から部派仏教時代までの考察であり、
悟りの定義ではありません。
こういう論理のすり替えは、小学5年生程にでも通用しない。
あなたは、いったい小学何年生なのだ?

あなたが所有する岩波仏教辞典の「悟り」の頁を見たらどうです?
縁起の滅なんて、解釈がありますか?
ただ、そういう境界という受け取りは間違いではない、と先述した。
しかし、あなたの解釈の仕方では問題が残るということです。
これって、小学5年生程の国語力での指摘ですから、
理解できますよね。
あなたが誤魔化す、質問ではなく指摘です。
あなたに質問をしなければならぬほど、
小学5年生程の国語力は、衰えていません。

だが結局、
自分の姑息な嘘を弁解するために、またウソを重ねた。
仏教では、これを「業」を重ねるというのです。

師である桐山さんに学んでいないようですね。

625孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2011/02/20(日) 00:08:00 ID:Z.z2/AEc0
非常にみっともないな準さん。
正確な引用できないなら "「・・」のような趣旨" のことが書いてある、と書けば良かったんだよ。趣旨とつけるの。
で誰かから正確な引用されてそのような趣旨など書かれてないと反論されたら、自分はそう思ったんだから許してちょ、と下手で出るべきだった。

それを相手が間違ってるとか、なんならお前も辞典買って確かめろというような 趣旨 のことを書き
あげく相手の言ったことをさも自分が言い出したような書き方は見ぐるしい。
どこまで堕ちりゃ気が済むのか。

626ラシン:2011/02/20(日) 00:13:28 ID:ka3sgn0E0

準シュダオンさんは、623の名無しさんの親切心に
感謝し、従うべきでしょう。

いかにも黄斑変性症という目の病因は、
生活習慣病からくる糖尿病や循環器系の合併症状です。
軽佻な脳梗塞の弊害のようです。

対象物が、歪んだりするそうです、皮肉ではなくね。
車の運転も危険です。

このように批判側も、623の名無しさんのように、
あなたを気遣う心がある。
感電した弊害を素直に認めて、お気をつけてください。

627ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/20(日) 00:16:21 ID:SmEF4Oe2O
>>618の強姦掘っちゃった話、不謹慎でした。
業感と強姦をかけたのですが、アキバ通り魔事件の被害者と絡めたことが
何よりの不謹慎でした。アゴン宗の因縁理論の喩えだとしても。
反省お詫びします。

628ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/20(日) 00:28:08 ID:SmEF4Oe2O
眼の病気なんて屁理屈だよ。
読むよりも書く方が時間のロスが大きい。
準シュダオンさんは一日に何個か書いている。
それだけ書く時間が眼に許されるなら、読むことはその数倍可能です。
ザーと斜め読みではない精読でも。
単に精読したくないだけです。

629ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/20(日) 00:32:04 ID:SmEF4Oe2O
2ちゃんねるにも準シュダオンさんに負けないくらい、頭が硬くて、一度自分の
考えを信じたら、他人の意見が耳に入らぬ人がいる。
それが反桐山になっている自覚すらないのか?
おじいさま、おばあさま、管長猊下などと言葉だけ丁寧にしても、書いてる内容は
桐山さんに泥を塗っている。

その他また意味不明の人もいるし。信者ではないが。

630ラシン:2011/02/20(日) 02:23:32 ID:ka3sgn0E0
>603 :準シュダオン:2011/02/19(土) 15:45:21 ID:1F7rdgXk0
>言葉尻や、揚げ足とりなら、正確に相手のレスを引用する必要があるけどさ、

私への牽制なら、あなたの捏造・加筆という裏ワザがバレた。
ただ、それだけです。

>精神を見るわけよ。批判派の皆さんも、そういう精神を学びなさいよ。
そういうのを、品性とか徳性というわけね。知性より一段高い、ものなのさ。

知性を上回るのが品性なら、仏教はその品格を求めるものです。
何度も指摘した人格・品格の完成です。
だが、あなたは辞典の捏造・加筆を行った。

簡便に言うなら、ウソを書いた。
あなたのご近所の小学五年生くらいに教えてあげなさい。
ウソを書くことは、知性を上回るほどの品性なのだと。

たぶん、このおじさんはオツムに花が咲いた、と驚かれる。
あなたはそれで、ご近所を歩きまわれますか?
あなたなら、気にせずに出来るでしょうね。
しかし、
あなたのその言い分は、毛皮を着て動物虐待を訴えるに等しい。

タレント化したアグネスチャンが、豪邸を何軒も持ちながら、
恵まれないアフリカの子供へ基金を募るほどの欺瞞に等しい。
日本ユニセフのピンハネ率は、アゴン宗より低く30%程度ですが、
権力におもねる姿勢は、桐山さんに惹けはとらないほどだ。
また、
油のみの抽出のために、散々クジラを乱獲しておいて、
今さら、調査捕鯨を非難する西欧人に等しい矛盾です。

こういう欺瞞を呈しているのが、桐山さんです。
あなたは、それを知りながら反面教師とせずに、
同じように真似をして掲示板で高笑いをしている。

あなたの精神とか品性・徳性は、道徳の部類です。
読んで字のごとし、と分かるでしょう。
しかし、
道徳をバカにしたあなたが、都合が悪くなると持ち出した。
上位目線で、精神を学べと言う。
因縁解脱はどうしたのです?

あなたに似ているのが、
警察の不正を糾弾しながら、ヤクザに脅されて警察に依頼する人種。
暴力反対と言いながら、企業利益のためにヤクザを使う人種がいる。
桐山さんが、その典型で、だから相性が良い。

631名無しさん:2011/02/20(日) 12:39:08 ID:ysupfq4Y0
いまだにアゴン宗の信者は仏に選ばれしものたちという感覚でやっているのかな?
だから自分は偉く他者は劣っていると見下してしまうんです。

632ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/20(日) 15:03:47 ID:SmEF4Oe2O
>>617:準シュダオン11/02/19(土) 20:43:16 ID:1F7rdgXk0
>「初期仏教時代の縁起説は、苦しみ・・十二支縁起説が代表的なものであった。
>続く部派仏教時代には、・・二十四縁というような縁起説も説き出されるよう
>になった。しかし、この段階までの縁起説は、・・さとりの世界は縁起の中に
>含まれなかったから、さとりは滅とか解脱と表現され、縁起の滅した世界と
>された」

・・・を補うとこうなりますね。

「しかしこの段階までの縁起説は、迷いの世界のみを説明するものであり、
 悟りの世界は縁起の中に含まれなかったから、”悟りは滅や解脱”と
 表現され、縁起を超越し”縁起の滅した世界”とされた。」

さて議論はこれまで「この段階まで」をどこに読むかでした。
準シュダオンさんは初期仏教から始まって部派仏教までを含む、つまり原始仏教時代
まで遡ると主張しています。
対して批判側は私を含めラシンさんも深山もこれは部派仏教までしか遡れない
アビダルマ論師の下手な屁理屈とみなしていました。
ところが昨日あたりから思うのですが、この部分に国語解釈は残念ながら私もラシンさんも深山さんも失格で、準シュダオンさんが
唯一人正しいのではないかと思われるようになりました。
すなわち初期仏教、原始仏教まで遡っての縁起の滅した世界を悟りとしたと
岩波仏教辞典は表現している。
しかしだからと言って準シュダオンさんの縁起滅→因縁解脱論が正しいと言って
いるのではない。
準シュダオンさんは別のものを読み違えている。
同時にこちらもつられて読み違えていたのだが。
それは「縁起の滅した世界」の「の」の用法です。
準シュダオンさんはこれを「を」と読んでいた。
縁起を滅した世界と読んでしまった。
たしかにこれは超越なんて言葉が前にあるからややこしいのだが、十二縁起「を」
なくしてしまうなんて話ではない。
十二縁起はどっこい生きている。
また縁起には悟りは含まれないという表現がヒントになります。
このへん含めて、では何が言いたかったのか論じてみましょう。

633ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/20(日) 15:34:07 ID:SmEF4Oe2O
>「しかしこの段階までの縁起説は、迷いの世界のみを説明するものであり、
> 悟りの世界は縁起の中に含まれなかったから、”悟りは滅や解脱”と
> 表現され、縁起を超越し”縁起の滅した世界”とされた。」

これを理解するのに必要な基礎知識があります。
すなわち縁起の法則には二面あるというもの。つまり縁起と縁滅です。
「これがあるとき、かれがある。これが生ずるとき、かれが生ずる」
これが物事の生成の縁起の法則です。
しかし縁起論はこれで終わりではなくこう続く。
「これがないとき、かれがない。これが滅するとき、かれが滅する」
これが物事の生成だけでなく生滅の法則です。
この表裏一体の側面の両方を縁起縁滅、略して縁起の世界とするわけで
その中にはややこしい難解な十二縁起もまた例外ではありません。
だから縁起の世界には生じた世界と滅した世界があるわけです。
岩波仏教辞典が書いている「縁起を滅した世界」ならぬ「縁起の滅した世界」とは
この2つある縁起世界のうちの後者を言い表したものではないか?
これが滅するとき、かれが滅する世界です。
煩悩が滅するとき、苦が滅する世界、この滅って解脱ですよね。
しかしこれに悟りが含まれていないとはどういうことかと言うと、悟りとは
苦諦、集諦、滅諦、道諦の四諦そろったものだからです。
準シュダオンさんは大縁方便経に説かれた十二因縁から、これは苦諦と集諦を
説いたものだねと私に示した。
私はそれに対して、うん、たしかに苦諦と集諦を説いているが、それだけじゃ
ないんだぜ、実は滅諦まで説いているんだぜと示した。
しかしじゃあ十二縁起はそれだけで完璧な悟りかというとそうではない。
道諦が欠けているのです。
つまり八正道により滅を現実のものとする実践が欠けている。
仏教でいう悟りとはここまでを含むべきで頭でわかっただけの段階ではない。
十二縁起はそれをよく理解することで目標が定まっただけに過ぎない。
あとは本当に滅する道を歩んで得られるのが悟りの世界です。
これを指したのではないか?
参考として次の学術サイトを読めば今私が論じたことがわかると思う。
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-kenkyusi/kensi-nomidenai.htm

634ラシン:2011/02/20(日) 15:43:30 ID:ka3sgn0E0
>この部分に国語解釈は残念ながら私もラシンさんも深山さんも失格で、

>>587
【初期仏教・部派仏教】
 初期仏教時代の縁起説は、苦しみ悩む有情が主題となったため、
 老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める(十二支縁起)
(十二因縁)説が代表的なものであった。
 続く部派仏教時代には、、、、、
 ー中略ー
(説一切有部)や(二十四縁)(南方上座部)というような縁起説も
 説かれるようになった。
 しかしこの段階までの縁起説は、迷いの世界のみを説明するものであり、
 悟りの世界は縁起の中に含まれなかったから、”悟りは滅や解脱”と
 表現され、縁起を超越し”縁起の滅した世界”とされた。
-------------------------------------------------------------------
このように、初期から部派へいたる流れがあって、滅・解脱と解された。
しかし、辞典で悟りや解脱の頁に「初期のさとりは縁起の滅」なんて、
説明はありません。
釈尊がそのように説いたお経が、阿含経にあるのですか?
私は知りませんし、辞典でもそのような記載は無い。

→ならば厳密には、初期仏教〜部派仏教時代までの「解釈」とすべきです。←

釈尊が説いたのはあくまでも、漏尽解脱です。
----------------------------------------------------------------------

私もユビさんの指摘に悩んでいた「しかしこの段階までの縁起説は、」が、
どこまでの段階か、をです。

結論は、初期仏教〜部派仏教時代までの「解釈」または「考察」だと。
ですから「初期のさとりは」との総括的判断はよくないと、申し上げた。
部派仏教に至るまで、「縁起の滅した世界」との解釈と考察がなされていた。
初期だとか、部派だけとは限定できないのだろうと。
まあ〜、準シュダオンさんが主張したいのは、それで因縁滅→因縁解脱という、
とんでもない飛躍論を展開するための布石が、「初期のさとりは」なんて、
姑息な捏造・加筆を行って偽装したのです。
しかしその以前の>>585で、「縁起の滅した世界」はそれでもよいと述べています。

<このように頑迷な準シュダオンさんは、姑息にも初期仏教・部派仏教の
 見解や解釈を借用していたのです。
 しかし、”縁起の滅した世界”でも”因縁の滅”でもよいのです。
 解脱を果たしたのだから、もう縁りて起こることや原因も生起しない。

 解脱したことで輪廻も停止し、縁起という苦の生起は消滅するのです。

 これらは起こらなくなった、何故なら解脱を果たしたからです。
 どのように解脱をしたか、煩悩を滅し尽くしたからそこから解放された。
 煩悩の滅尽によって、縁起も滅となったから滅した世界という状況や
 境界を解説しているのです。>

635ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/20(日) 15:48:53 ID:SmEF4Oe2O
>>617:準シュダオン11/02/19(土) 20:43:16 ID:1F7rdgXk0
>「初期仏教時代の縁起説は、苦しみ・・十二支縁起説が代表的なものであった。
>続く部派仏教時代には、・・二十四縁というような縁起説も説き出されるよう
>になった。しかし、この段階までの縁起説は、・・さとりの世界は縁起の中に
>含まれなかったから、さとりは滅とか解脱と表現され、縁起の滅した世界と
>された」

準シュダオンさんの間違いは十二縁起を含む縁起「を」滅する、なくしてしまう
世界と読んだことだと思う。
迷いの世界、苦が生じる世界の縁起があるわけです。
この因縁世界を滅してしまう。
すなわち因縁滅、因縁解脱という表現は造語としても妥当であるという主張です。
しかし縁起を滅してなくしてしまうのではない。
縁起世界の中で迷いの苦界を生成、形成する世界だけでなく、縁起を逆活用しての
よりどころとなる煩悩などの条件を滅した世界がある。
この滅した縁起世界(縁起世界の中の滅した方の世界)こそが解脱なのだと
悟りにも比定したと 見れば、やはり因縁解脱、縁起を滅するなんて用語は成り立たないと
わかるのです。

636ラシン:2011/02/20(日) 15:54:51 ID:ka3sgn0E0

>これを理解するのに必要な基礎知識があります。
すなわち縁起の法則には二面あるというもの。つまり縁起と縁滅です。


苦しみの生起も消滅も、縁りて起こる、→縁起説。

637深山:2011/02/20(日) 16:59:28 ID:IcNmBAcQ0
1.「縁起の滅=因縁解脱」は準シュダオン教にすぎない

そもそも準シュダオンさんの個人的な解釈をアゴン宗の教義で
あるかのように議論する必要はありません。
桐山さんが因縁解脱の阿含経の根拠としてあげた経典は『超脳思考をめざせ』にあり、
それは準シュダオンさん自らが引用した。
桐山さんが挙げたのは唯一これだけですから、アゴン宗の教義としてはこれが全てです。
「縁起の滅」の件は、桐山さんは唱えていないのだから、
準シュダオン教にすぎず、議論の対象ですらない。
しかも、その解釈たるや、
縁起の滅 →因縁の滅 → 因縁解脱
というのだから、もうメチャクチャな主張です。
なぜなら、仏教の因縁と阿含宗の因縁では意味が違う。
トイレの水洗と花の水仙を一緒にしているようなものです。
桐山さんが因縁解脱の根拠としていない以上、
これを議論すること自体がそもそも意味がない。
だが、読んでいる信者さんたちの中には、
準シュダオン教の詭弁を信じる人も出てくるかもしれないから、
再度、成り立たないことを示しておきます。

638深山:2011/02/20(日) 17:00:33 ID:IcNmBAcQ0
「岩波仏教辞典」の縁起の説明からの引用

初期仏教・部派仏教
初期仏教時代の縁起説は,苦しみ悩む有情(うじょう)が主題となったため,老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める<十二支縁起>(十二因縁)説が代表的なものであった.
続く部派仏教時代には,これを過去世・現在世・未来世の三世にわたる業の因果関係とみる三世両重の<業感(ごうかん)縁起>説として解釈することが行われたが(説一切有部(せついっさいうぶ)),一般諸科学の発達に促されて世界観も広がったため,客観世界や客観的現象までも説明しうる<六因・四縁・五果>(説一切有部)や<二十四縁>(南方上座部)というような縁起説も説かれるようになった.
しかしこの段階までの縁起説は,迷いの世界(有為(うい))のみを説明するものであり,悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかったから,悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.

639深山:2011/02/20(日) 17:06:54 ID:IcNmBAcQ0
2.国語の読解力の問題
>>638に岩波仏教辞典をそのまま引用し、文章ごとに改行しました。
これが準シュダオンさんが主張している文章の根拠です。
文章は三つから成り立っている。

文章1「初期仏教時代の縁起説は・・・」
文章2「続く部派仏教時代には・・・」
文章3「しかしこの段階までの縁起説は・・」

問題は文章3が、直前の部派仏教(文章2)の説明なのか、
それとも初期仏教(文章1)を含めた説明なのかという点です。
まず文章構成として、初期と部派ときちんと分けて段階的に説明していますから、
文章3は文章2の補足説明であるとみるべきです。
また文章3の「この段階」とは直前の部派仏教のことをさしますから、
「しかし部派仏教の段階までの縁起説では、悟りは縁起の滅した世界とされた」
と解釈されるべきでしょう。
ここでは初期仏教で縁起の滅としていたとは述べているのではなく、
部派仏教までの段階で縁起の滅としていると述べているだけです。
縁起の滅は部派仏教の段階で出てきたと述べているのです。
ただ、これだけだと国語の読解や解釈の問題になってしまいます。
だが、釈尊の説いた仏教を理解したら、「縁起の滅」が初期仏教(釈迦仏教)の
説明であるなどありえないことがわかります。
なぜ、この初期仏教の説明で縁起の滅と書いていないのか。
それは筆者自らが説明している。

640深山:2011/02/20(日) 17:14:54 ID:IcNmBAcQ0
3.如来の死後を議論してはならないという原則

「世界(有為(うい))のみを説明するものであり」

初期仏教では娑婆世界を含めた輪廻の世界(有為)だけが議論の
対象であり、死んだ後のアラハンがどうなるかは無記なのです。
だから、アラハンが死んだ後の世界が縁起を超越しているかどうか
という議論自体が初期仏教では行われなかった。
してはならないのです。
解脱した者が死んだ後、彼らの世界は縁起によって成り立っているのか、
それとも縁起を超越しているのかという議論は、如来は死後存在するのか、
しないのか、という議論と同じです。
してはならない議論を部派仏教は始めた。
初期仏教の比丘たちは釈尊の指示に従い、如来の死後については議論していないから、
その世界が縁起が滅しているなどというはずがない。
「縁起の滅」という言葉を見ただけで、これが部派仏教の議論であることは明瞭なのです。

641深山:2011/02/20(日) 17:22:21 ID:IcNmBAcQ0
4.縁起の滅など阿含経にはない

解脱して死んでしまえば、輪廻からも脱出します。、
部派仏教の人たちは縁起が支配する世界から脱出するから、縁起の超越、
あるいは縁起が成り立たないだろうから、縁起の滅と表現したのでしょう。
だが、これは釈尊の定義した解脱と意味が違ってしまう。
なぜなら、釈尊の解脱とは縁起が支配するこの世界での解脱を指しているからです。
釈尊の説く解脱とは死んでから解脱するのではなく、生きている間です。
だが、生きている間に解脱しても、この世の中の法則から逃れられるわけではない。
肉体がある限り、縁起の世界にまだくくりつけられているから、
縁起は滅っしておらず、縁起の超越などできません。
事実、再び煩悩に捕らえられて阿羅漢から転落した比丘がいた。
アラハンは縁起を超越していないが、解脱している。
だから、縁起の超越や滅を悟りとする考えは初期仏教の考えではありません。

以上のように、準シュダオンさんの説は、桐山さんも説いておらず、
縁起の滅と因縁解脱ではまるで意味が違うし、辞書の解釈も支離滅裂で、
縁起の滅自体が阿含経にない考えですから、どこをどう切り取っても、成り立ちません。
自惚ればかり強い老人のタワゴトであり、我々がしているのは老人介護です。

642ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/20(日) 18:25:13 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんも眼の治療が済んだら、私が>>633の最後に示した仏教学のサイトの
5人の先生の文章をそれぞれ全部よく読んでください。
とりわけ森章司先生の論が岩波仏教辞典の表現に近いものがある。
迷いの世界を縁起で見たのならば悟りの世界は縁滅なわけです。
しかしてその縁滅は既に説かれているわけです。三枝先生の文章ならば逆観です。
逆観が最初から説かれているのだから縁起には縁滅も包含されているわけです。
後は実践の道諦だけです。
この仏教学サイトが初期仏教を説明したのか部派仏教を説明したのかなんてこと
よりも、苦の滅には縁起「を」滅するなんて話は部派仏教にすらあり得ない。
縁起あったればこそ縁滅があり、それを活用するからこそ苦の滅が得られる。
因縁解脱なんて用語は成立するはずがない。
面白いのは5人目の田中教照先生がガンを宣告された人の苦悶を示している。
ガンを宣告されとも死やガンを思わず目の前にあることだけに専念して
ガンは治らずとも苦悶からだけは離れる道を示している。
この具体例ってアゴン宗のガンの因縁を切る話にはなりませんよね。
アゴン宗のガンの因縁解脱はガンそのものがなくなることです。
しかしそんなことは仏教では説かない。
治らずとも苦悶からだけは離れる道を説いており、これこそ苦の滅です。
ガンになるなんて縁起ですよ。肉体が老化やストレスなどにより抗酸化物質の
生成が減り、酸化してしまうことであり、これは当たり前の現象です。
個人差あれど誰しもガンなどになる。
それをならなくなるようにするなんてのは、生きていながら死ななくなる、
老化しなくなると説く戯言の妄執煩悩と変わりない。
しかしガンになど当たり前になろうとも、苦悶を離れる道を説くのが仏教です。
不当な期待をするのはそれ自身煩悩ですね。

643ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/21(月) 08:20:13 ID:SmEF4Oe2O
苦の滅、苦の元を離れるから桐山さんの因縁解脱は正しいという理屈は通りません。
苦の元とは外の事実、現実から苦だと受け止める苦受たるわが心にあるとする
からです。
田中教照先生が示したように、ガンと宣告された患者が、ガンや死などの恐怖を
考えず、もっぱら目の前のすべきことに取り組み、囚われない。これによって
ガンは治らなくてもガンの恐怖という苦悶からは離れる。
これこそ苦の滅であり、苦の元たるわが心の恐怖などの煩悩の克服です。
桐山流ガンの因縁の解脱などない。
初期仏教にも部派仏教にもそれはないのです。

644ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/21(月) 08:42:21 ID:SmEF4Oe2O
ある日、休日にアキバにショッピングに行こうかと思った。
そしてアキバの歩行者天国を歩いていたら、通り魔に襲われ刺殺された。
それは偶然ではなく横変死の因縁の約束が遂行されたと桐山さんは説く。
この時アキバに行こうと何気なく思った衝動は煩悩などではない。
その衝動自体には殺されることにつながる悪念などない。
普通人並みの購買などの願望があっただけだ。
電器商品を見て買いたい、歩行者天国をブラリしたい、たったそれだけの心の動きに
殺される煩悩など観察もできない。
仏教の説く煩悩は観察によりわかるものです。
部派仏教になって説かれるようになった業感縁起にも相当しない非道理の話です。

645準シュダオン:2011/02/21(月) 12:21:18 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんに、私の・・部分を補って頂いて、有難うございます。
ユビさんは、真面目ですねぇ、そして緻密。私なんぞ、「・・さとりは、
解脱とか・・」のさとりが、初期仏教、部派仏教、原始仏教、の、どの時代
までなのか、なんて議論は、馬鹿げてて、どうでもいいと思うのよ。
要は、阿含仏教時代のさとりのことで、大乗仏教のさとりとは違う、という
ことが解かれば良いのです。

それから、ラシンくんは「補足」と「捏造」の違いを理解しないといけないね。
わたしが、・・さとりの語の前に初期仏教と入れたのは、補足というのよw。
脳足りんが、大乗仏教のさとりも含むと勘違いして解釈するのを避けたわけよ。
そういう些細なことを、大げさに、レスしてはいけないね、アホくさ。

646ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/21(月) 12:40:35 ID:SmEF4Oe2O
>>632:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/02/20(日) 15:03:47 ID:SmEF4Oe2O
>対して批判側は私を含めラシンさんも深山もこれは部派仏教までしか遡れない
>アビダルマ論師の下手な屁理屈とみなしていました。
>ところが昨日あたりから思うのですが、この部分に国語解釈は残念ながら私もラシンさんも深山さんも失格で、準シュダオンさんが
>唯一人正しいのではないかと思われるようになりました。

今ようやく気がついたのですが、前半部の深山さんにさんが抜けてますね。
失礼しました。
さて私が自分も含めてラシンさんも深山さんも失格と書いたのは>>633の仏教学者
の諸説を読んだからなのですが、この説は部派仏教時代の仏教だけを論じている
のではないと解釈したわけなんですが、考えてみると、部派仏教、アビダルマとは
仏教の解釈であり、現代の学者がやってるのも仏教の解釈なんですね。
自分の考えを入れない仏教史の資料的事実の提示とも異なるわけですから
各学者の考えが部派仏教の考えに近いこともあるでしょう。
縁起を超越した縁起の滅した世界というのは、やはり縁起を説いた初期仏教に
対して加筆評価されるような理屈なんでしょうか。

647準シュダオン:2011/02/21(月) 12:41:21 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんは、なかなか勉強家ですね。大縁方便経の12因縁について、
わたしが、苦諦と集諦、を表している、示した部分に、ユビさんは滅諦も
説いている、とレスしています。12因縁全体では、そのとおり、滅諦も
含まれていますね。でも、わたしが引用した部分に限定すれば、苦諦と集諦
だと思いますね。

で、ユビさんは業感縁起についても、調べたようです。惑→業→苦、の循環
が、12因縁の輪廻転生を縁起と捉えた、部派仏教までの見解でしょう。
で、管長は、惑と業と苦(○○因縁)を断て、と教えます。批判派のユビ
さんは、仏教では惑を断てとは教えるが、苦(○○因縁)を断てとは説いて
いない、と主張します。
そこが、管長論とユビさん論の、違うところです。

で、煩悩を断つと、何で横変死などの因縁が消えるのか?という疑問に繋がる
わけです。しかし、この疑問は、「煩悩が何で苦(○○因縁)を形成する
わけ?」という疑問と同じことです。そして、地獄、ガキ、畜生の運命に、
横変死やガンの運命やその他の災難が含まれるのか?という、悪趣の考え方
に繋がってきます。

648準シュダオン:2011/02/21(月) 12:51:40 ID:1F7rdgXk0
で、もしも、煩悩が苦(○○因縁の総体)を形成しているのだとしたら、
煩悩を断ずれば、新しい苦(○○因縁)を形成しなくなるのは当然であり、
悪業悪果、善業善果、の法則により、善業を行うことによって、未だ機が
熟せずに発現していない苦(○○因縁)を消すことができる、という考え
が、管長の説くところですね。それが、在家の八法十六法ということで
しょう。

649準シュダオン:2011/02/21(月) 13:13:01 ID:1F7rdgXk0
ユビさんが、小学館のバウッダを話題にしたから記しますが、ああいう本に
仏教の魅力を感じますか?私は全く感じないし、ああいう本が仏教の誤解を
与えていると思います。ああいう本は、私が二十代の頃読んだ仏教書に似て
います。仏教史の勉強には役立つだろうが、生き方の足しにはなりません。
ああいう、仏教の倫理道徳的解釈ならば、小学や中学の学校の教師の方が
ホームルームなどで、もっと、具体的にマシな道徳を教えていますよ。
道徳なら、仏教の出る幕はないね、健全な欲まで失って国我が衰退するね。

三枝先生は、バウッダで、釈尊は神秘的なことや超自然的なことを排除して
いる、と書いてますが、それは嘘で、だいたい、神秘がなければ西洋では
宗教と認めないでしょう。ユビさんは平河本第3卷を入手したそうで、
それの最初に十上経がありますね。世尊が舎利弗に、「我は疲れたから汝が
説法せよ」と命じられました。

舎利弗は、説法を始めます。説法の最初を見てください。P38に、
「十上法がある あらゆる束縛を除き 涅槃に至り すっかり苦しみを
 なくすことができるもの」と、あります。
「涅槃に至り すっかり苦しみをなくすことができる」から、仏教は有り難い
のでしょう。で、P50には、六神通を証得せよ、と、説いています。

650準シュダオン:2011/02/21(月) 13:33:39 ID:1F7rdgXk0
平河本の十上経の次には、世尊が増一経を説いています。十上経に似ている
ところも多いです。P81には、これまた六神通を証得せよと説いています。
次に涅槃へ趣く三聚経が説かれ、次の大縁方便経で12因縁が説かれています。
そして次の釈堤桓因問経の帝釈との問答を通して、煩悩が苦を形成する様を、
詳しく説いています。この経は、世尊が火界定をして山が炎の色をしていた
とか、世尊の居た狭い石窟が、来客によって広くなったとか、超自然的な
ことが書かれていますよ。

いずれにしても、三枝先生などは、知的な現代人にも受け入れられるように、
阿含経に説かれている、多くの神秘的なことは排除して、バウッダを書かれた
ようです。学者だから、これでいいのでしょうか?
わたしは、「仏陀の真実の教えを説く」本のように、阿含経をありのままに
解説した方が、正しいと思いますね。

651準シュダオン:2011/02/21(月) 13:51:54 ID:1F7rdgXk0
逆観による縁起滅、ね。そうですよ。その縁起滅を獲得するのが、仏教の
目的なのですよ。縁起滅=因縁解脱、でしょう。ややこしく考えてはダメ
です。苦諦、集諦、滅諦、道諦とは、もっと正確には、集諦→苦集諦のこと、
滅諦→苦滅諦のこと、道諦→苦滅に至る道諦のことです。
因縁解脱とは、苦の因縁解脱のことです。
因縁=苦の原因、と解釈すれば良いのです。

仏教辞典で、滅を引いてご覧なさい。滅=涅槃、の意味であることも説明して
います。十二因縁の迷いの世界、その迷いの世界の滅=涅槃、であることは、
阿含経に説かれていますよ。学者だけに頼らずに、自分で阿含経を読んで、
意味を理解する力をつけましょう。

652ラシン:2011/02/21(月) 13:56:17 ID:x9FuHHv20
>646 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU
>各学者の考えが部派仏教の考えに近いこともあるでしょう。
縁起を超越した縁起の滅した世界というのは、やはり縁起を説いた初期仏教に
対して加筆評価されるような理屈なんでしょうか。

辞典による初期仏教時代の縁起説は、この12の因縁説までとあります。

「無明」によって、「行」があり、・・・ないし、・・・「生」によって「老死」がある。
「無明」が滅して、「行」が滅し、・・・ないし、・・・「生」が滅して「老死」が滅す。

ご存知のように、縁起による苦の生起と消滅にいたる、順観と逆観です。
包括的に捉えれば、ここでの解脱成就者の状況は「縁起の滅」の境地に至った。
だが、
有余涅槃者と考えるなら、いまだこの世を構成する「縁起」の滅とはならない。
縁起に左右される世界でしょう。
だが、釈尊在世時の解脱者を有余と無余にわけたのも、後世の論師でしょう。
無余を無記とすべきなら、有為のみでの悟りの境地は「縁起の滅」の世界でもある。
まあ、広義な解釈をすればの話しですが。
よって、もちろん初期仏教に限定されるべきものであるはずがない。
そこで、
部派仏教の解釈であろうが、広義的には初期〜部派までの考察でもよいのでは、
と考えた次第。
しかし、それが釈尊の説いたことではないのも事実です。
また、何度も言いますが理由は、「悟り」の定義ではないからです。
その意味をたどれば、縁起滅だから因縁解脱なんて成り立たない。
それゆえに少々、その解釈にこだわった次第です。

653ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/21(月) 22:38:28 ID:SmEF4Oe2O
>>647:準シュダオン11/02/21(月) 12:41:21 ID:1F7rdgXk0
>含まれていますね。でも、わたしが引用した部分に限定すれば、苦諦と集諦
だと思いますね。

そのとおりです。あれが苦の生起の説明ですね。
経典はこれで終わっておらず次に苦滅諦を説いている。
そしてこの一連の流れが縁起縁滅であり、縁起と呼ばれる真理である構図を
よく抑えておいてください。
この縁起を真理とするのは桐山さんも力点を置くところです。
だから縁起滅、縁起解脱なんてのは、真理滅、真理解脱と言っているようなものです。

654ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/21(月) 23:06:48 ID:SmEF4Oe2O
>>648:準シュダオン11/02/21(月) 12:51:40 ID:1F7rdgXk0
>で、もしも、煩悩が苦(○○因縁の総体)を形成しているのだとしたら、
>煩悩を断ずれば、新しい苦(○○因縁)を形成しなくなるのは当然であり、
>悪業悪果、善業善果、の法則により、善業を行うことによって、未だ機が
>熟せずに発現していない苦(○○因縁)を消すことができる、という考え
>が、管長の説くところですね。それが、在家の八法十六法ということで
>しょう。

部派仏教の惑業苦の思想など出さずとも惑なる煩悩自体が苦を形成しているのです。
あなたは苦を外面のものとしか捉えていません。
しかるに仏教では苦とは内面のものとして見つめるわけです。
だから囚われの煩悩があればそれ自体が囚われの苦であり、囚われの煩悩から
解放されると心は軽くなり平安になる。これが解脱です。
またその桐山惑業苦の理屈で言うと、その〇〇の因縁は決して新しい苦ではない。
それは生まれた時に既に決まっている運命だと説くからです。
これから熟して形成されるのならばこれを運命とは言わない。
怒らないとか煩悩を改善するだけで避けられるならば運命ではない。
桐山さんの占う因縁は百パーセント当たると桐山さんは豪語する。
あなただって肉体障害の因縁があると直接霊視されたとして、怪我したり眼科に
かかったら、やったぜ!因縁は当たっていたと喜ぶでしょ?
桐山さんは煩悩をなくす心解脱だけなら小解脱と言っている。
運命を変えるのが大解脱としている。
おかしいではないか?
煩悩をなくしたのにどうして〇〇の因縁がなくならない?
そして惑→業→苦で〇〇の因縁が形成されてしまったのです。
生まれる前に。苦を生む業は前世になされた。
だからこれを滅するにはタイムマシンが必要と言ったのです。

655ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/21(月) 23:16:10 ID:SmEF4Oe2O
>>648:準シュダオン11/02/21(月) 12:51:40 ID:1F7rdgXk0
>悪業悪果、善業善果、の法則により、善業を行うことによって、未だ機が
>熟せずに発現していない苦(○○因縁)を消すことができる、という考え
>が、管長の説くところですね。それが、在家の八法十六法ということで
>しょう。

これが大間違いなんです。
善業を積むことにより悪業を相殺して帳消しにしてくれるなんて都合のよい話は
仏教にはない。
善業は善果、楽果として受けるが、それとは別に悪業は悪果、苦果として受けねば
ならない。
キャッチボールをしていたら余所の家の窓ガラスを割ってしまった。
あなたはそこの家に言って、奥さん美人ですねとおだてて喜ばせてもそれと
ガラスを割ったことは別です。
やはりガラス代を弁償するという報いは受け、謝罪しなければならない。
人殺しをした人が翌日身投げしようとしている人を救助救命したからと言って
じゃあ人殺しはなかったことにしようなんて話はない。
あるのはアゴン宗だけです。
悪業を積んで不徳な先祖に代わって子孫が総本殿建立基金を払って先祖に回向して
悪業をチャラにしてあげるというものです。
これを地獄の沙汰も金次第と言う。

656ラシン:2011/02/21(月) 23:31:25 ID:ka3sgn0E0
>だから縁起滅、縁起解脱なんてのは、真理滅、真理解脱と言っているようなものです。

数学の方程式を滅するのが数学なら、
数学そのものが成り立ちませんよね。

方程式は、数学の論理を成立させる必要要素でもある。
または解答を導き出す手段・目的であり、それこそが真理を具現する。

しかし数学のある方程式そのもので答えを出したら、
数学は終了し、数学は滅したというのと、
数学方程式を滅するのが、数学の目的だと言うのは、
あまりにもバカげた理屈です。

縁起を滅せよ、と、縁起が滅した世界、
この両者の意味の違いを判別、判釈できないのは、
仏教の基本に無知だからです。

数学会で「クロネッカーの青春の夢」と呼ばれる難問があった。
ある関数を複素数全体に拡張した場合、φ(κ)の根は必ず1の
ベキ乗根の有理整数係数の有理関数として表されるのではないか」と、
予想される問題提起がありました。
ところがこの「予想」を、数理学論上で証明することができない。
しかしついに、この難問を解いてしまった日本人数学者が居た。
この数解は、数学の方程式を駆使した結果です。

ところが、この数解の目的手段が、数学方程式で解くのではなく、
この方程式を瓦解するのだと言う。
こんなバカげた解釈を披歴したら、顰蹙を買うだけだと分からない。

657ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/21(月) 23:38:39 ID:SmEF4Oe2O
>>649:準シュダオン11/02/21(月) 13:13:01 ID:1F7rdgXk0
>ユビさんが、小学館のバウッダを話題にしたから記しますが、ああいう本に
>仏教の魅力を感じますか?私は全く感じないし、ああいう本が仏教の誤解を
>与えていると思います。ああいう本は、私が二十代の頃読んだ仏教書に似て
>います。仏教史の勉強には役立つだろうが、生き方の足しにはなりません。

別にあなたがどう考えようと自由ですよ。
それなら仏教など無理に信仰せず、あなたのわがままを聞いてくれる、満足させてくれる
別の宗教を探せばよい。
どうやらアゴン宗もあなたの眼鏡に適わなかったみたいですけどね。
面倒な修行をしなければならない。嫌だからさぼっている。
バウッダに説かれていることは仏教共通の基本です。
仏教の例外ではないのですよ。
あなたも貶す大乗のひろさちやさんなんてのはさておき、仏教学者ならば
あのバウッダの説く思想は当たり前であり、他の仏教解説書、仏教学書も同じです。
だからあなたは仏教を捨てればよいだけです。それはあなたの選択の自由です。
逆に仏教を教えたいという人の門下についたら、あなたにはやめていただきたい
でしょう。

>いる、と書いてますが、それは嘘で、だいたい、神秘がなければ西洋では
>宗教と認めないでしょう。

神秘、超自然、神通の問題については次にレスするが、仏教は西洋でいうreligion
には相当しないとも言われているのですよ。
神など人間を超えた絶対的な存在に額づくのが宗教というならば、仏教は違う。
ただ後の大乗やら密教やらが神様の信仰みたいにしてしまっただけです。
西洋のreligionを宗教と訳したのは明治時代と言われています。
それまで宗教と言うと仏教のことだった。仏教という用語がなく、仏法、宗教と
呼んでいた。ところがキリスト教などに対応する全般の用語として宗教を採用
したのだが、この西洋の基準の宗教から見ると、仏教はキリスト教などと全く
立場を別にして本当に宗教と呼んでよいのか疑問なんです。
しかし人を信仰によって教え正しい道に進ませる営みから神などに依存せずとも
宗教の分類に入れる。
だから桐山さんも著書に書いているようにギリシャ哲学などの方に近いわけです。

658ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/22(火) 00:03:49 ID:SmEF4Oe2O
>>650:準シュダオン11/02/21(月) 13:33:39 ID:1F7rdgXk0
>平河本の十上経の次には、世尊が増一経を説いています。十上経に似ている
>ところも多いです。P81には、これまた六神通を証得せよと説いています。

>そして次の釈堤桓因問経の帝釈との問答を通して、煩悩が苦を形成する様を、
>詳しく説いています。この経は、世尊が火界定をして山が炎の色をしていた
>とか、世尊の居た狭い石窟が、来客によって広くなったとか、超自然的な
>ことが書かれていますよ。

三枝先生が超自然的なことを排除したと説くのは、超自然的なことを認めない
というのではなく、その超自然的な力に依存する、恩恵を受ける為に求めることを否定したと
言いたいのです。
だからその六神通を証得せよとあるが、証得でしょ?
神通力を使って苦を脱せよなんてどこに書いてあるか?
神通力にすがれ、神通力がないと解脱できないぞなんてどこに書いてあるか?
修行に励むと副産物として神通力が生じてしまうこともあるだけです。
神通力を得ずして最高のアラハンに達する者も少なくない。
神通力をどう活用せいなんて書いてあるのか?
病気を治し、災害を予知して回避せよなんてどこに書いてある?
山が炎の色になったからといってそれが何の価値があるの?それが苦の滅に
どう役立つの?
手品師やスプーン曲げとその影響力は変わりないと言って過言はない。
神通力がある。ただそれだけです。
だからどうした?と言って返してもよい。

659ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/22(火) 00:09:16 ID:SmEF4Oe2O
>>651:準シュダオン11/02/21(月) 13:51:54 ID:1F7rdgXk0
>逆観による縁起滅、ね。そうですよ。その縁起滅を獲得するのが、仏教の
>目的なのですよ。縁起滅=因縁解脱、でしょう。ややこしく考えてはダメ

縁起滅ではありません!
この場合は縁滅という。
これ滅するに縁りてかれ滅するの真理が縁滅です。
総じて縁起の真理と言う。
だからこの真理を滅してはだめですよ。
だから桐山因縁解脱は縁起の真理解脱ではなくて、そんなことは桐山さんも
認めておらず、あてはめるならば業報解脱なんです。
今度桐山さんに提案しなさい。
アゴン宗の解脱は業報解脱の方が意味的、用語的に矛盾しませんよと。

660ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/22(火) 08:29:07 ID:SmEF4Oe2O
>>649:準シュダオン11/02/21(月) 13:13:01 ID:1F7rdgXk0
>ユビさんが、小学館のバウッダを話題にしたから記しますが、ああいう本に
>仏教の魅力を感じますか?私は全く感じないし、ああいう本が仏教の誤解を
>与えていると思います。ああいう本は、私が二十代の頃読んだ仏教書に似て
>います。仏教史の勉強には役立つだろうが、生き方の足しにはなりません。

10人の仏教学者がそれぞれ釈尊の仏教の本を書いていたら10冊ともバウッダと
同じような内容になり、矛盾しないものになります。
逆に1冊だけ桐山さんの本が矛盾する、対立する、正反対になることになります。
桐山本が仏教に誤解を与えていることがよくわかります。
しかしあなたの考えには共鳴できなくとも理解だけはできます。
私もまたアゴン宗の欺瞞に気付かなかったらあなたと同じ感覚だったろうと思うし、
あるいはアゴン宗に最初から関わり合わなかったら、仏教書を読んで間違った
ことは説いていないとわかっても、さして魅力など感じなかったでしょう。
アゴン宗などという妄執に囚われていた自分が観察できたので初めて仏教の説く
教えがこちらの胸に響いてきたものと思われる。新鮮にさえ思えた。
あるいは人生の辛酸を舐めるとまで行かなくてもある程度の人生の現実経験をして
苦労を感じれば、そこを乗り越えるには夢みたいなことを追いかけても駄目で
地に足をつけるしかないとわかるはずです。
アメリカ人で歴代大統領の規範ともなる「話し方教室」で有名なデール・カーネギー
の著書で「道は開ける」というものがある。
万人向けに人生の悩み、苦しみに対処する道を説いた啓蒙書です。
それはカーネギー独りの考えではなく、心理学、精神医学、哲学、古今東西の宗教や
文芸、体験談などからそのエッセンスを拾ってまとめたものです。
これなど読むと、なるほど釈尊の仏教も入っているなとわかります。
現実をあるがまま受け入れ、明日のことを思い煩うのではなく今日一日だけを
懸命に生きる。
それは奇抜な話ではありませんが、逆に奇抜な話の方が内容のない軽薄なものと
わかります。

661ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/22(火) 08:41:59 ID:SmEF4Oe2O
>>649:準シュダオン11/02/21(月) 13:13:01 ID:1F7rdgXk0
>ユビさんが、小学館のバウッダを話題にしたから記しますが、ああいう本に
>仏教の魅力を感じますか?私は全く感じないし、ああいう本が仏教の誤解を
>与えていると思います。ああいう本は、私が二十代の頃読んだ仏教書に似て
>います。仏教史の勉強には役立つだろうが、生き方の足しにはなりません。

また批判側に転じて擁護側と仏教一般の教えとの比較を用いた議論もまた生きた
勉強になったと思う。
本を暗記するように知識だけ広げる読み方ではなく、現実問題に即した生きた
使い方をしたと言える。
これは自分でやっていて何よりも自分が一番面白いと感じたものだが、ロムする
人にも面白さが伝わってもいるようだ。
もう何年も昔になるが、2ちゃんねるのアゴン宗スレにて、「このスレ面白い!
勉強になる!」と書いた人がいた。
どうやらアゴン宗に関わりを持たなかった訪問者らしいのだが、信者と批判側の
議論がすこぶる面白いのだという。
議論のやりとりを見てすごく勉強になると書いていた。
そしてこの人と同一と思われる人がどこかで自分のお気に入りスレとして
アゴン宗を書いていた。やはり議論のやりとりを読むと勉強になって面白いと
いうものです。私はその議論の当事者としてニンマリ満足したものです。
こちらの面白味が伝わったかな、理解していただけたかな。
ですから私にとって仏教一般の教えも比較に活用した議論は面白いのであり、
仏教の教えは面白い魅力あるものなんですよ。
あなたには当分わかるまいが。

662Boo:2011/02/22(火) 11:07:51 ID:zLhbkM5k0
>もう何年も昔になるが、2ちゃんねるのアゴン宗スレにて、「このスレ面白い!
勉強になる!」と書いた人がいた。
どうやらアゴン宗に関わりを持たなかった訪問者らしいのだが、信者と批判側の
議論がすこぶる面白いのだという。
議論のやりとりを見てすごく勉強になると書いていた。
そしてこの人と同一と思われる人がどこかで自分のお気に入りスレとして
アゴン宗を書いていた。やはり議論のやりとりを読むと勉強になって面白いと
いうものです。私はその議論の当事者としてニンマリ満足したものです。


私が面白いと感じたのは「スターダスト」というコテハンで書き込んでいた人です。
初め中立的立場でありながらアゴン宗擁護的ともとれる意見を書き込んでいました。
しかし、最終的にはアンチアゴン的意見となった。途中でスタンスが変わったのでは
なく、あくまでも客観的スタンスで自説を展開した結果、最終的にアンチとなった。

これを見て、桐山理論は入口は広く正当仏教を装っているが、奥は飛んでも理論かも
しれない、と考察するきっかけとなった体験でした。

663ラシン:2011/02/22(火) 11:31:38 ID:x9FuHHv20

滅:漢字仏教文献には<滅>が頻出するが,いずれも基本教義は,
  消え失せる(こと),ほろびる(こと)である.まず,苦悩が
  消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃は<滅>と
  漢訳されることがある.(岩波仏教辞典 999頁)

苦の原因(因縁)は、無明を因として行が生起し、、、生を原因として、
老死が起こる。
この生起と止滅の因果(因縁)関係を12の順逆観で表したのが、
12支因縁です。

これで分かるように、苦の原因(因縁)は無明によって無我に気づかず、
我見を起こし、更に種々の煩悩の発生源となり、その代表が、
貪・瞋・痴の三毒です。
よって、苦の原因(因縁)=因縁 なんてバカげた発想など成り立ちません。

664名無しさん:2011/02/22(火) 13:29:37 ID:ysupfq4Y0
>>663
>よって、苦の原因(因縁)=因縁 なんてバカげた発想など成り立ちません。

わたしの見る所、準氏は十分わかっていてすり替えを行っていますね。桐山さんと同じです。
ユビキタスさんが二度も三度も説明(>>618 >>644 >>654 )しているのにまったく無視して「苦(○○因縁)」と書き続けている。
これはもう確信犯ですね。お茶を濁すような対応しかできない。そして相変わらず「苦(○○因縁)」と言い続ける。
この人の精神構造が良くわかる反応です。聴く耳を持たない彼に何を説明してもムダです。

665ラシン:2011/02/22(火) 15:17:57 ID:x9FuHHv20
>664
>この人の精神構造が良くわかる反応です。聴く耳を持たない彼に何を説明してもムダです。

桐山さんでさえ、因縁解脱を阿含経に見出せなかった。
だから、明解な論拠を桐山さんは示せていません。
あとはごまかしのテクニックを駆使するしかなかった。

>>357を再掲しますと、「輪廻する葦」241頁 
桐山さんが、雑阿含経「出家経」を下記に引用して、
「衆多の比丘ありて、此の法律に於いて諸の有漏を尽くして乃至
 後有を受けざるなり」
ー意訳ー
「多くの出家者が、私の法と律により諸々の煩悩を滅尽したので、
 次の生に転生しないのです」

続く桐山解説では、
有漏とは、五官の欲望から出る執着であり、煩悩だと前置き解説して、

「無漏はもうすべての煩悩がなくなってしまって、迷いも惑いもない。
 そういったものからすべて解脱し超越してしまっている」

このように「漏尽解脱」を解説しています。
しかし次頁から↓いきなり自説を展開します。

「後有というのは、のちの生のこと、未来の生です。
 後有を滅したもの、というのは、もう”因縁解脱”しカルマを断って
 ニルヴァーナに入り、転生しなくなったもの、ということです」

前頁では全く解説されていないことを、堂々と自己解釈した言葉を
押し付け、いかにも釈尊の説いたかのように偽装しています。
これが、恒常的に行われる桐山ゴマカシのテクニックです。

こうでもしないと、桐山因縁解脱を植えつけられなかったのです。
その苦しい桐山さん事情に、信者さんがお人良しにお付き合いしている。
深山さんは、このような桐山解説を木に竹を接ぐと酷評した。
だから、あちこちにバラバラと落下しています。
それを、拾い集めて信心という接着剤で継ごうとしている愚か者がいる。
この継いだ竹があちこちで落ちる共鳴音こそ、バイブそのものなのでしょう。

666ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/22(火) 20:40:18 ID:SmEF4Oe2O
>>664:名無しさん11/02/22(火) 13:29:37 ID:ysupfq4Y0
>この人の精神構造が良くわかる反応です。聴く耳を持たない彼に何を説明してもムダです。

もちろんそれは最初からわかっているのですが、実は私は準シュダオンさんにレスを
付ける形で、準シュダオンなどに理解してもらおうと説明などしていません。
あれは一生あのまんまでいいと思う。
私が説明している相手はロムする方々です。信者さんや外部の人も含めて。
彼らから一定の理解をしてもらえば十分です。
もちろんロムする方々でさえウンザリするような同じ話を繰り返してきます。
こちらもさすがに面白くもなくなってきますが、がまんしてここに居させてやってる
のは、彼が正真正銘アゴン宗の信者なのだからアゴン宗の信者にはこんな恥知らず
しかいないと逆宣伝してくれているようなものです。
だから彼は批判の役に立っている。
屁理屈にもならない頭の悪さだけではない。態度の悪さもそうです。
我々のアゴン宗批判って弱いものイジメに見えなくもないところがある。
我々は決して強くないのだがアゴン宗が弱すぎる。
アゴン宗の信者でも仕事などにおいて優秀有能な人は多いと思う。
しかしどんな頭のよい優秀な人でもアゴン宗を擁護しようと思ったら無力を
感じるしかない。その人が無能なのではなく桐山さんが無能で弱すぎる。
だから弱いものイジメに見えて仕方がない面もある。
さて日本人は判官贔屓のところがあるから弱いものイジメはする方に対して厳しく
される方に同情の念が集まるのが普通です。
だからせめて信者の唱える論が拙劣幼稚であっても、健気で謙虚で礼儀を守り
その態度だけでも立派であれば、どんなに同情を買い見直されるか想像に難くない。
しかし準シュダオンさんって健気、謙虚、礼儀を守るの正反対を行くでしょw
こちらも情け容赦なく叩けるというものです。
そんな彼でも時々いいネタを出して来ることがある。
昨日で言うなら、善業が悪業を帳消しにしてくれるという論です。
これなら桐山教学に則っており、それを信じる信者も多い。
ならばこちらはチャンスとばかり、このネタが出るのは初めてではなく
さんざん出尽くされたネタとは言え、久々の話なので、こちらも喜んで面白味を
感じながら反レスができます。善悪の業の相殺などはないというものです。
このネタを久々に示すことは準シュダオンさんならぬ他のロム者の役に立つ

667ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/23(水) 00:22:14 ID:SmEF4Oe2O
もう一つのスレが盛況だったんですね。
1週間ぶりに覗いたら先週からすっかり新展開だったんすね。知らんかった。
すっかり取り残されてしまった。グスン。
しかしまあ青柿さんも干柿さんも元気なようで、頑張って相手にしたってや。
しかしどうして礼儀正しい信者さんが来ないのでしょうか?
そういう人がアゴン宗にはいないのでしょうか?

668名無しさん:2011/02/23(水) 00:55:53 ID:1rAVquyQ0
>>667
彼女は礼儀正しく書く様になりましたよ

669神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/02/23(水) 07:22:51 ID:YaD7r0520
>>668
>彼女は礼儀正しく書く様になりましたよ <
アレデ?私には慇懃無礼に見えますが!!
ユビさんに感謝
ネット上のやり方大変便利!!

670ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/23(水) 08:01:49 ID:SmEF4Oe2O
>>668
そのようですね。聞く耳を持ったようです。
少なからぬショックを受けている。
教学には弱そうだが懇切丁寧に欺瞞の事実を示せばよいでしょう。
準シュダオンさんとの違いは実践の場にいるから自ら問題意識も持っていることですね。

671神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/02/23(水) 08:11:23 ID:YaD7r0520
>>669
追加
私は思うのですよ。
人生上の様々な悩み苦しみにもがいている時に
マズ、探すべきは宗教の中だけでなく路傍の方々の
一遍の言葉や行動の中に何か参考はないのかと探すべきだと
四六時中神経を研ぎ澄まして、
たとえ、童であろうと自分にとって金言かも知れません!!
そういうものから自分に必要なものを拾う努力が
真摯に人生に立ち向かう姿勢ではないのかと!!
こういう姿勢が準某氏や彼女には見られません?!!
特に話しやすいユビさん以外は無視する。
こういう姿勢は何かを求める姿ではありません。
まして況や仏教においておやデス

672天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/23(水) 08:55:10 ID:TiFzSYK20
私も神人さんの見解に同意。
確かに彼女は真面目に語るときもあるが、まだまだですね。

ただ、今後どのようになるかはわからないけど、欺瞞を知り
正常なものの考え方になって欲しいと願います。

私も過去乱入した当初は「因縁付け」でしたから汗顔ですが。

PS ユビさん、お部屋へどうぞ。

673準シュダオン:2011/02/23(水) 11:00:07 ID:1F7rdgXk0
ユビさんは、釈尊が、
「神通力を使って苦を脱せよなんてどこに書いてあるか?」と質問されて
います。そういうのを屁理屈質問というのでしょうよ。

では私もその手法を真似して質問します。
 苦を脱するのに神通力を使うなと、どこかに書いてありますか?
書いてないでしょう。

六神通は、苦を脱するには必須なのです。でなければ、証得せよなんて、
説くはずはないのです。手に握った葉っぱほどの、大切なことだけを説
いてるわけですからね。だが、現代の知的、合理的精神の学者先生などは、
そういう神秘的なことは信じ難い。だから、本根では、避けたいのでしょう。
無理もないです、私だとて、霊視の体験などない二十代の頃は、神秘的な
ことは幻覚だ、脳の病気だと、笑い飛ばしていましたからね。

霊能力を持つ学者先生が出て欲しいが、そういうことを真面目に言う学者先生
は、世間から??視されますからね。

674準シュダオン:2011/02/23(水) 11:16:41 ID:1F7rdgXk0
縁起滅ではありません!縁滅です。ですかw?
あのね、阿含仏教では、因=縁=因縁、なのです。後世になって、因を直接
原因、縁を間接原因、などというようになったのです。だから、縁=縁起な
のです。縁滅=縁起滅なのです。だから、辞典にも「縁起の滅した世界」
と書いてあるのです。

縁起とは、「縁って起こる」という意味であることはバウッダP146にも
詳しく説明されていますが、「縁って滅する」だから縁滅であり、縁起滅で
はないという主張も解からぬではないが、
さとりの世界は、「縁りて起こる」=縁起という苦が起こる現象が無くなる
ことを言うのですから、縁滅でも縁起滅でも良いでしょう。

675準シュダオン:2011/02/23(水) 11:43:25 ID:1F7rdgXk0
なんで、私の論は、すり替えだ、なんて発想が出るのかいね?
疑り深いにも程があるよ。
因縁解脱を、率直に考えなさいよ。ひん曲げないで考えたらいいの。
「因縁とは、原因の意味」ですよ。
苦の輪廻の原因は何ですか?惑→業→苦、業感縁起の循環のことで、
苦の原因は、惑(煩悩)ですよね。
ですから、因縁解脱とは、(苦の)原因解脱のこと、つまり惑(煩悩)解脱
のことをも言うのです。

但し、管長は、惑→業→苦、の、業のことをも「不徳」=悪因縁と呼んで
います。また、○○の因縁というように、惑→業→苦、の苦のことも因縁
と呼んでいますから、批判派の皆さんは、そのことだけに限定して因縁解脱
を考えて、誤解しているかも知れません。

因縁とは、惑→業→苦、の、惑も因縁であり、業も因縁であり、苦も因縁で
あり、「惑業苦の循環=輪廻」自体も苦の原因ですから、輪廻も苦の因縁
なわけです。つまり、輪廻=苦の因縁(原因)です。
だから、管長のいう因縁解脱とは、惑(煩悩)解脱の意味であり、業解脱の
意味であり、苦解脱の意味であり、輪廻解脱の意味であるわけです。

反対のための反対、の立場を捨てて、上記のことを↑何度も読めば、
批判派は、誤解して、あるいは曲解していることが解かるでしょう。

676準シュダオン:2011/02/23(水) 12:08:15 ID:1F7rdgXk0
ユビさんには「縁起の滅」について、学者さん方の説を読め、と紹介され
ましたけど、私は仏教辞典で理解しましたから、他の学者先生の説は、特に
必要ありません。だって、岩波仏教辞典は、約200名の学者先生方の
結集によって発行されたものですよ。しかも「縁起」は、仏教の中心思想、
と、縁起の説明の冒頭に出ていますから、先生方にとっても力瘤の出る用語
なわけです。
そこの説明に、「さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し縁起の滅した
世界とされた」と書かれています。それで十分ですよ。

釈尊は、辞典に書かれているように、縁起の説明で12因縁を説明しています
し、12縁起の滅を説いています。無明の滅が、12因縁=輪廻の滅なわけ
です。無明漏の滅が慧解脱です。無明の滅=慧解脱が12因縁(輪廻)解脱
のことも意味していますね。

677準シュダオン:2011/02/23(水) 13:23:22 ID:1F7rdgXk0
無知な者には、口は重宝なのだろうね、間違いの者が、正しい方に悪口言うと、
自分の方が上のような錯覚に陥って、満足しているのだろう。
満足したブタは、ソクラテスより偉い、とか言った人もいたね。

ユビさんも少しは進歩が見える。恐ろしい勘違いもしてる人ではあるがw。
惑→業→苦の関係を、少し理解していただいたのは、めでたい限りです。
これを否定したのでは、仏教は成り立たない。
こういうのは、信じるか信じないか、の世界です。

殺人鬼のアングリマーラは、仏道を修行して、将来受ける予定であった苦を
滅してしまった。アングリマーラは、惑→業(大量殺人)→苦、の予定で
あったのです。これが本当だとすれば、アングリマーラは、○○の因縁を
切ったことになります。その○○の因縁が、何であったのかは解からない、
横変死なのか、業病だったのか、それは不明ですが。
これを否定したのでは、仏教ではなくなってしまうね。

仏教辞典の「業」の項に、
「我が重き病を得しは、殺生の業によるがゆえに」(霊異記)
と、いうような、惑→業→苦、の思想の例が出ています。
このように、悪業によって重き病を得たのが本当なら、善業によって
重き病も消せる理屈のはずです。アングリマーラも同じ理屈です。
阿含宗の理屈も、それと同じです。

678天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/23(水) 13:44:01 ID:cuoRmVNw0
阿含宗の「因縁解脱」は悪業を相殺する善行とのバランスで行われるものです。

ではアングリマーラはどのような善行を積んで相殺したのでしょうか。
またお釈迦様はアングリマーラに対して「999人の人を殺して指を切り取った
悪業を消すことが出来た」と言ったのでしょうか?

こういうことから見てもお釈迦様は「悪業を善行で相殺できる」なとということを
説いてないというのが分かります。
またもしも説いているなら阿含経を始め全ての仏教経典に「功徳を積めば悪業が
消せる」という記述があるはずです。

信者の皆さん。善行で相殺できるという行為やそれが因縁解脱だというのは
有りませんから気をつけてください。

(これは準さんへのレスではありません。念のため)

679ラシン:2011/02/23(水) 14:11:48 ID:x9FuHHv20
>673 :準シュダオン
>では私もその手法を真似して質問します。
 苦を脱するのに神通力を使うなと、どこかに書いてありますか?
書いてないでしょう。

あなたは、桐山さんを信じていないようだ。
桐山さん自身が、明確に中村博士を引用している。

「中村元「ゴータマブッダ」からの抜粋
 しかし、ゴータマ・ブッダは、一般の修行僧が恣に
 神通を現ずるのは良くないと考えていた。
 伝説によると、長老ピンドーラ・バラードヴァージャが
 神通力によって王舎城の商人のところから紫檀の鉢をもらってきたとき、
 神通奇蹟の使用を禁じた。」
釈尊が神通力を禁じられたことは、他のアーガマにもしばしばしるされている。
(輪廻する葦90頁)

他人を「そういうのを屁理屈質問というのでしょうよ。」などと言う前に、
あなた自身の無知を自覚したらどうですか。
桐山さん自ら「釈尊が神通力を禁じられたことは、」と認めているではないか。
桐山語録も知らずして、何を偉そうに高邁を述べるのでしょうね。

680ラシン:2011/02/23(水) 14:28:42 ID:x9FuHHv20
>674 :準シュダオン
>だから、辞典にも「縁起の滅した世界」
と書いてあるのです。


小学生レベルと同時に老人介護です。
縁起滅=「縁起を滅する」ことと、「縁起の滅した世界」とは、
意味が異なります。

戦争が無くなった世界=平和な世界=戦争を滅する、となるか?
戦争を滅するには、どうすればよいのか、という問題が残る。
これは、小学生レベルの問題です。

況してや、深山さんから指摘されても、まだ粘着して懲りない。
桐山さんが述べてもいないのだから、縁起滅=因縁解脱などスレ違いです。

いい加減、恥の上塗りは自粛しなさい。
辞典を捏造・加筆しても補足だなどと盗人猛々しいことを言うことじたい、
恥ずかしい弁解です。
あなたは、何様なのだ?
あなたのチンケな補足など、必要ない。
それよりも、桐山著書を知恵を働かせてよく読むことから始めたらどうか。

681ラシン:2011/02/23(水) 17:25:02 ID:x9FuHHv20
>677 :準シュダオン
>仏教辞典の「業」の項に、
「我が重き病を得しは、殺生の業によるがゆえに」(霊異記)
と、いうような、惑→業→苦、の思想の例が出ています。

阿含経でもない平安時代の霊異記など持ち出して何になる。

>このように、悪業によって重き病を得たのが本当なら、善業によって
重き病も消せる理屈のはずです。アングリマーラも同じ理屈です。

バカ丸出しの解釈です。

アングリマーラは解脱して、この世の楽を享受しましたか?
解脱して尚、托鉢でさんざん民衆から狼藉を受けていた。
では、何の因縁を切ったのだ?

アングリマーラは生存中に涅槃を得たのだから、
どこの悪趣にも転生しないということです。
だが他者を殺めたという業は消滅しないから、現世でその苦を味わっていた。
その現世での業苦、庶民からの暴虐無尽は当然ですが、
その姿を見た釈尊の言葉は、

「アングリマーラよ、忍び受けるがよい。
 なんじは、なんじの行為の報いによって、幾とせも幾とせも、
 他生において受けねばならぬ業果を、今現在において受けているのである。」

少しは学んだらどうでしょうね、出来ないのは感電障害の余病かな。

682準シュダオン:2011/02/24(木) 09:35:18 ID:1F7rdgXk0
ユビさんも持ってる平河本の大縁方便経には、「縁痴有行」というように、
12因縁が説かれています。阿含経では、因=縁=因縁、ですから、
「縁痴有行」とは、「無明を因縁として行為があり」という意味になります。
なぜ12因縁というのか、というと、輪廻転生の原因(因縁)を、12支に
数えたからですよね。つまり、痴も因縁であり、行も因縁であり、識も因縁で
あり、、、老死も因縁であるわけです、で、12因縁になります。

12因縁を、惑(煩悩)→業→苦、の業感縁起に当てはめると、
惑(煩悩)→痴、渇愛、取
業    →行、有
苦    →識、名色、六処、触、受、生、老死
と、いうことになります(仏教辞典・業感の説明に書いてあります)。

で、痴という因縁が滅すれば、12因縁(12縁起)が滅します。
痴=無明という因縁を滅(解脱)することを慧解脱、といいますね。

惑(煩悩)→業→苦、の業感縁起において、
惑(煩悩)も因縁であるし、業も因縁であるし、苦も因縁であるわけです。
管長のいう因縁解脱とは、上記の因縁から解脱する、ということです。

683準シュダオン:2011/02/24(木) 09:54:45 ID:1F7rdgXk0
仏教辞典の業の説明に、
「輪廻転生を縁起としてとらえ、惑(煩悩)に基づく業によって苦なる生存が
 くり返されるとする、業を中心とした、この惑・業・苦の円環的因果関係を
 特に(業感縁起)と呼ぶ」と、書いてあります。
その代表的なものが、説一切有部の十二支縁起に基づく三世両重の因果説であ
る、そうです。

冒頭の、「輪廻転生を縁起としてとらえ、」が、大事な部分です。
釈尊も、輪廻転生を縁起としてとらえた説明をしているわけです。
だから、縁起の滅とは輪廻転生の滅であり、それが涅槃、さとりであるのです。
それが、阿含仏教です。
大乗仏教になると、それが変質してきます。
批判派の皆さんは、その変質した部分を根拠にして、阿含仏教を批判してきた
わけですね。

684準シュダオン:2011/02/24(木) 10:37:01 ID:1F7rdgXk0
アングリマーラは、どんな善行を積んだのか?
というレスがチラリと目に入った。

それはね、護摩木勧進や奉仕修行だけが善行ではないのね。
身口意の三業というね。
邪心を捨てて、慈悲喜捨の四無量心を養うこと、これ大事な善行でしょう。

アングリマーラの大量殺人は、確かに大罪ではあろうが、枠→業→苦の法に
よれば、殺された人達にも、それなりの業→苦の運命を持っていたことにな
りますから、アングリマーラの罪も、贖えないわけではないだろう。
世俗を捨て、石ぶつけられながらも、耐えて托鉢したことも、善行なのでしょう。

685ラシン:2011/02/24(木) 10:44:19 ID:x9FuHHv20
>682 :準シュダオン
>なぜ12因縁というのか、というと、輪廻転生の原因(因縁)を、12支に
数えたからですよね。つまり、痴も因縁であり、行も因縁であり、

バカ丸出しが、また始まった。
釈尊は、人間の苦悩はどうしておこるのか。
苦しみの根本原因と、苦しみの生起してくる過程を「12因縁」として、
説いたのです。
これが、ふつうに「12因縁」を捉えた考察です。

>で、痴という因縁が滅すれば、12因縁(12縁起)が滅します。

痴が因縁? 痴は煩悩ですよ。
あなたは、因縁オタクだったわけね、酒も因縁焼酎?因縁大吟醸か?

例えて言えば、
あなたのような因果の道理を理解できない無知を原因として、
仏教辞典を捏造・加筆する愚行という行が生起し、と連綿と続くさまです。
あなたのその無知は。○○の因縁のどれに該当するか述べられますか?

あなたのチンケな解釈など、桐山さんのそれでもなく必要の無いスレ違いです。

>惑(煩悩)も因縁であるし、業も因縁であるし、苦も因縁であるわけです。

症状の悪化がひどく進んだようです。

>惑(煩悩)も因縁であるし、業も因縁であるし、苦も因縁であるわけです。

またデタラメとウソが始まった、それとも読解すら困難と言う症状か。
説一切有部と釈尊を混濁している。
また、業感とは業による報いを感受すること。
惑→業→苦の循環に於いて、輪廻する縁起のあり方を「業感縁起」という。
これのどこが、釈尊が説いていたのですか。

あなたは、ごった煮有り、ウソもあり、変質された論も平気の因縁おじさん。
昔の人は、因業爺と笑ったようです。
神通力禁止の話しは、もう忘却の彼方か? 全く、ご都合だけで書いている。

介護はやはりユビさんですな、ただしスレの無駄な消費はお互い気をつけましょう。

686ラシン:2011/02/24(木) 10:58:22 ID:x9FuHHv20
>684 :準シュダオン:2011/02/24(木) 10:37:01 ID:1F7rdgXk0
アングリマーラは、どんな善行を積んだのか?

ボケなのかとボケなのか、それとも姑息なのか?
さっそく創作が始まった。
そんな質問などありません。
>>681:アングリマーラは解脱して、この世の楽を享受しましたか?
です。

あなたの”へ理屈”なら、マーラは因縁解脱したのだから、
余生は、享楽を得て安穏して生きたんじゃないの?
ところが、
>石ぶつけられながらも、耐えて托鉢したことも、善行なのでしょう。

じゃあ、あなたも頑張って因縁切りして、周りから嘲笑と言う石飛礫を
浴びながら、その善行をして生きて楽しんでいるわけね。

687無関係な人間です:2011/02/24(木) 14:14:16 ID:eKRTJVWU0
今週号の「週刊実話」に阿含宗の特集が掲載されています。
ありきたりの内容ですが、短期連載の予定のようです。

688天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/24(木) 14:17:48 ID:RmQ1Q.ls0
無関係さん、情報ありがとうございます。
早速本屋へGOですねw

689天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/24(木) 14:43:25 ID:RmQ1Q.ls0
ぬはは。自分のほうは地方だから入荷は明日以降ですね。
本屋へ見に行ったら売ってなかった〜。
ちなみに先週号では「統一教会」の記事でしたw

690無関係な人間です:2011/02/24(木) 15:47:38 ID:eKRTJVWU0
 週刊実話は、女の人の裸や暴力団の記事などが満載の週刊誌です。
立ち読みですが、内容は、
「阿含宗からオウムの麻原彰晃が出て来た」、とか、
「阿含宗は最初、麻原彰晃が阿含宗出身であることを隠そうとした」、
「週刊文春の記者が広報担当として阿含宗に就職している」
「星祭りは商売である」
等等でした。次号は、桐山さんの宗教ビジネスについて紹介されるようです。

691天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/24(木) 16:06:36 ID:RmQ1Q.ls0
無関係さん記事概要をありがとうございます。
楽しみですね。ぜひ入荷したら読んでみます。

しかし煩悩だらけの雑誌で笑いましたwww

692無関係な人間です:2011/02/24(木) 16:35:59 ID:eKRTJVWU0
 ところで、聖者 桐山靖雄猊下の自伝「現世成仏」を拝見しました。
大変感動的な内容なのですが、何しろ根性の悪い私は、またまた疑問に思う点を見つけてしま
いました。

 同書のp42には、「昭和18、9年頃、満州国の特別警察隊の将校の募集があり、受験資格が
ある者は受験するようにとの役場からの通達があった。軍隊に入りたいとは思っても、丙種では
どうにもならぬ。満州国なら何とかなるかもしれまんと思い、矢も盾もたまらず、受験した。」
(現世成仏)
 とあります。

 当時、兵学校や士官学校はもちろん、陸軍の幹部候補生(将校育成を目的)でも旧制中学
(5年制)の4年は終了している必要がありました。旧制高校の受験資格もそうです。しかし
桐山さんは旧制中学を中退したとは書いてありますが、4年終了とはどこにも書いてありません。
特別警察隊の将校の資格はいくら調べても判明しなかったのですが、当時の他の制度と比べると
4年終了は要求されたと思います。すると、桐山さんはそもそも受験資格を満たしていたのか
不思議です。いや、中退とは4年終了だろう、という反論もあるかもしれません。しかし、同書の
p39に「東大を志す訳にはいかない」とあるところから見ると、当時の旧制高校を受験する意思は
持っていた様です。すると、そこまで行ったら、普通は旧制高校を受験するのが常識でしょう。
 しかし、桐山さんは旧制高校を受験した形跡はありません。
と、なると、4年終了も行っていなかったと思います。

 だいたい、役場から通知が来るのは強制的な制度である兵役検査であり、その他は海軍の予科練
や予備学生であれ、軍の各種学校であれ、志願制でした。一体、役所から特別警察隊の将校の受験通知
があるというのは、たいへん珍しいケースだと思います。
 また、そもそも、満州国の特別警察というのも初めて聞きました。

そのあたり、ご存知の方がおられたら、ご教示下されば幸甚です。

693無関係な人間です:2011/02/24(木) 16:46:41 ID:eKRTJVWU0
 余談ですが、私の親族の友人に満州国からの引揚者がいます。

その方は、元々、内地の学校を出たのですが、本土空襲が始まり、ご自分も被災された
ので、コネをつかって満州の役所に就職したそうです。で、その方の話では、当時、空襲
が始まった内地と違って、満州はより安全な場所だと思われていたそうです。(これは
他の方の話や、書籍でも言われていました)そのため、軍隊や役所にコネのある人間の
で、身の安全を考える人は、わざわざ満州国の役所や会社に内地から就職しに行ったそう
です。悪い言い方をしたら、コネを使って安全な場所へ逃げさそうとしたとも言えるかも
しれません。

 もちろん、桐山さんは、武士の血を引く人間であり、武道の達人であり、自伝で数々の
武勇伝を疲労する益荒男であり、国の為には要人暗殺まで考える憂国の士でありますから、
同世代の男性が前線で必死に闘っているのに、自分だけ命を惜しんで満州へ逃げ出すような、
そんな卑怯なマネをしたとは、私は思っておりません。

694無関係な人間です:2011/02/24(木) 16:53:38 ID:eKRTJVWU0
 訂正です。当時の海軍兵学校は、中学卒業資格は求められていませんでした。
この点については、高木忽吉少将の回顧録にも詳細が掲載されています。
お詫びして、訂正させていただきます。

695天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/24(木) 22:22:04 ID:Ri7Ikzhk0
無関係さん、なかなかの考察ですね。感心しました。
訂正の箇所はそれとして、満州になぜ行きたがるかがわかって勉強になりました。
又これで1つ考察箇所が増えました。感謝申し上げます。

696ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/24(木) 22:34:33 ID:SmEF4Oe2O
>>687:無関係な人間です11/02/24(木) 14:14:16 ID:eKRTJVWU0
今週号の「週刊実話」に阿含宗の特集が掲載されています。

>>690:無関係な人間です11/02/24(木) 15:47:38 ID:eKRTJVWU0
>立ち読みですが、内容は、
>「阿含宗からオウムの麻原彰晃が出て来た」、とか、
>「阿含宗は最初、麻原彰晃が阿含宗出身であることを隠そうとした」、
>「週刊文春の記者が広報担当として阿含宗に就職している」
「星祭りは商売である」
>等等でした。次号は、桐山さんの宗教ビジネスについて紹介されるようです。

情報をありがとうございます。
ポストの次は実話ですか?いいですね。
このシリーズがあることは前から知っていましたが、ようやくアゴン宗にも
回ってきたわけですね。
買って読みたいところだが、私が帰宅の途上に寄るコンビニでは置いてないほど
マイナーな週刊誌であり、アゴン宗にはこの辺で上等でしょう。
ここ数日@chsのアゴンさんが大人気で、こちらは信者が出すネタもないですから
こういうネタで盛り上がるのもいいでしょう。

697九十九:2011/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
はじめまして。流れを切ってしまいすみませんm(_ _)m
最近このスレを見始めた者です。宗教についての知識は殆どありません。しかし最近になって身近な人物が阿含宗だと言う事を知り、話を聞いてみると
「人は行動や性格が全て先祖から影響を受けている(先祖がその人の行動を決めている)」「桐山氏はスサノオノミコトの生まれ変わりである」「阿含経は釈迦が説いた唯一ホンモノの経典であり、仏教学でも阿含経は認められている」
などと、ホントにそうなのだろうか?と思うような話ばかりで、阿含宗について調べようと思いネットで調べておりました。ここのスレを見ているととても勉強になります。しかし、素人で頭の弱い私には難しい…。
桐山氏の言う事がいかに信憑性がないかというのが少し分かった気もしますが、上記で挙げた「」内の真偽がわからぬままです…。
阿含宗は信じてもいいものなのか、そうでないのかが知りたくて、色々な著書など読んでみようと思うのですが、膨大な量で何から手をつけていいのかわかりません。
まずこれを読んでみては?と言う本があれば教えて頂けないでしょうか?
拙い文章で読みにくく申し訳ありません。よろしくお願いします。

698ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/25(金) 08:26:01 ID:SmEF4Oe2O
>>697:九十九11/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
>「人は行動や性格が全て先祖から影響を受けている(先祖がその人の行動を決めている)」

これは人には運命があり、定められた運命を歩むのに我々はなんらかの選択行動をする。
この選択行動にあたり、我々は自分の自由意志で行っているように誰もが思っている
わけだが、実はそうではなく特定の先祖の特殊な抑圧された欲求が人生の岐路となる
ような重要な場面で、その人の衝動となって強い影響を与え、不幸な運命を選択する
行動をとらせてしまうというもので、自分の中の赤の他人と表現しています。
こういう運命につながる性格などを形成するものをアゴン宗では因縁と呼んでいます。
因縁は本来仏教用語なんですが、仏教ではこんな意味はなく、アゴン宗の誤用です。
その辺の説明は割愛させていただきます。
さてその悪い因縁をなくして不幸な運命を回避して、幸福な人生を歩ませることを
因縁解脱と呼んでいますが、これは心がけを改めるだけで変えられるなんてことはなく
特殊な成仏法によらねばならぬとしています。
不幸な運命を辿ったある特定の先祖の抑圧された欲求は、子孫にその運命を反復させる
ために、子孫の深層意識に根付くからです。
だからいくら表面意識で変えようと努力しても「わかっちゃいるけどやめられない」
ものであり衝動でありどうにもなりません。
これは単に心理遺伝だけの話ではなく、亡くなった不幸な先祖の霊が子孫に悪い
放射能みたいな影響を与えていると説くわけです。
では実際にはどうなのか検証してみましょう。
つづく

699神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/02/25(金) 08:30:27 ID:YaD7r0520
>>697
本ではありませんが、せっかく来られたのですから、
此処のア−ガマ考査室にあります2チャンのアゴン宗という宗教を
おすすめします。多くの人の手になる大作です。笑えますから
飽きずに読めます。
それからBBS掲示板 その後続のしたらば・・此処ですネ
そのほかにも、気になる所には参考文献が一杯です!!
毎日少しづつ読まれるといいですよ!!

700ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/25(金) 08:48:15 ID:SmEF4Oe2O
>>697:九十九11/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
>「人は行動や性格が全て先祖から影響を受けている(先祖がその人の行動を決めている)」

その実例としているのが教祖である桐山靖雄さんの体験です。
桐山さんは刑務所に入った前科があります。
宗教団体を開く前に偽ビールを仲間と作りキリンのラベルを貼って売ろうとして
逮捕された。
これには先祖の怨念が強制的な影響を与えたのだと言う。
桐山さんのお祖父さんは信州某藩の剣術指南役を務めていた武士であり、幕末の
ある日、尊皇攘夷運動を起こす改革派の武士を殿様の命令で斬れと命じられた。
お祖父さんは部下と ともに革命の志士を18人上意討ちで斬り殺した。
この時斬った18人の武士の怨念が桐山さんのお祖父さんに祟り、その子孫の運命を
悪くした。それで桐山さんは偽ビールで逮捕され監獄の憂き目に遭う運命を味わった。
霊視すると18人の武士の怨念が発見されたので、これを成仏させたと言う。
しかしこの話が嘘と証明された。
信州11藩のどこにもこんな上意討ちの大事件の記録が史料として残されてない
ばかりか、巷間伝えられる噂もない。
のみならず信州どこの藩も尊皇攘夷か佐幕開国かは藩論決まらないまま明治維新を
迎えたのです。
ともあれこんな歴史上実在しない武士の先祖霊が子孫の代である桐山さんに
偽ビールを作らせたのだということですから参考にしてください。

701ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/25(金) 08:53:04 ID:SmEF4Oe2O
>>697:九十九11/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
レスはまだ続きがありますが、それはまた晩など時間を改めて。
他の方からのレスもあると思われ、内容も重複すると考えられますが。

702準シュダオン:2011/02/25(金) 10:29:20 ID:1F7rdgXk0
神秘が無ければ宗教ではなくて、倫理・道徳なわけだが、神秘を認める
学者は世間から???視、怪しげに見られるから、厄介なわけですね。
私も、二十代の頃は、輪廻転生なんて、馬鹿げていると考え、地獄なども
迷信、迷信、と考えてきた。今もそういう人々の方が多いのではなかろうか?

だから、バウッダなどのように、神秘的な話は極力排除した、仏教論の方が
世間受けすると思う。しかし、こういう本は、阿含経にフタをするようなも
のです。涅槃の説明にしても、P150から5頁も割いて説明しているので
あるが、阿含経の涅槃の肝心な定義には、半分しか触れていない。
「尽有漏 生死己尽」のうち、煩悩が尽きる状態を説明してはいるが、
生死尽、つまり輪廻が尽きることは説明していない。輪廻など持ち出して、
迷信と思われることを避けているのだろうか?

あまりに神秘に拘るのもカルト的になってよろしくないが、
全部否定したのでは宗教にならないでしょうよ。

703準シュダオン:2011/02/25(金) 11:00:00 ID:1F7rdgXk0
学者先生は、パーリを読めて、論語や老子にも詳しく、それで漢訳経典を
和訳しているのだから、十割信頼したいのであるが、そうはいかない例を、
平河本の釈堤桓因問経から、勉強してみよう。
平河本第3卷P147。帝釈が世尊に次のように話します。

「我今是佛弟子 得須陀?道 不堕餘趣 極七往返 必成道果 唯願 
 世尊 記我 為斯陀含」

丘山新先生は、須陀?道を悟りの第一段階と訳されてますが、それは倶舎論
の考え方であって、妥当ではないですね。また、必成道果を須陀?果のこと
だと、解釈していますが、それも妥当ではないでしょう。勉強になります
から、ユビキタスさんも自分で訳してみましょう。
 以下は、私の和訳です。丘山先生訳とは違っています。
「私は今、佛弟子となって須陀?道を得ています。この後、悪い境遇に
 堕ちることなく、最大七回、生死を往来するうちに必ず、沙門果を得ます。
 世尊よ、どうぞ、私が斯陀含を成就することを御予言してください」

必成道果を、須陀?果と限定せずに、四沙門果のいずれかと解釈した方が
よろしいかと思いました。須陀?道の条件も記されていて、興味深い経典
です。須陀?道の条件は、佛弟子であることです。その他の条件は示されて
おりません。「我今是佛弟子 得須陀?道」ですからね。

704ラシン:2011/02/25(金) 11:36:39 ID:x9FuHHv20
>697 :九十九
「人は行動や性格が全て先祖から影響を受けている(先祖がその人の行動を決めている)」
「桐山氏はスサノオノミコトの生まれ変わりである」「阿含経は釈迦が説いた唯一ホンモノの
経典であり、仏教学でも阿含経は認められている」

九十九さん、はじめまして。
阿含経は確かに、唯一釈尊の直説に近い経典として認知されています。
今の日本の仏教は、中国経由で北伝された大乗仏教であり、
その大乗経典は、釈尊の死後数百年を経て創作され敷衍されたものです。
さて、
その唯一釈尊の直説である阿含経を拠り所としているというアゴン宗は、
釈尊が禁じた、呪術・占い・死者成仏・ゴマ焚き・因縁切りなど、
ことごとく釈尊に違背した教法を持つ新興宗教教団です。
つまり、
釈尊の直説である阿含経のみを看板に掲げ、利用しているだけで、
中身は仏教とは、ほど遠いカルト教団です。
ここの掲示板でもその良きサンプルとしての信者さんが存在します。

>>702あまりに神秘に拘るのもカルト的になってよろしくないが、
全部否定したのでは宗教にならないでしょうよ。<<

このようにさらりと、神秘性が宗教だ、などと主張していますが、
仏教は、西洋の概念にあるような宗教ではありません。

釈尊の説く重要な点は、煩悩をこの現世で滅すること、しかも自力でです。
もし、仏教を知りたければきちんとした仏教辞典を手許に置いて、
その基本知識を先に学んでください。
それと、どこぞの教団の手垢のつかない「阿含経」を購入し読んでみる事です。
もちろんネットにもあります。

批判側は皆ほとんどが、アゴン宗の元信者です。
アゴン宗の教義とその欺瞞に気づいて、今は批判しているのです。
アゴン宗は、信者に元々無かった欲という煩悩を植えつけて、
金銭を収奪しております。
ですから、アゴン宗へ入行し行を深めれば深めるほど、慢心が増大し、
驕り高ぶりを増して、上位目線で他人を見下すようになります。

釈尊は、霊魂を無記(議論しない姿勢)とし、先祖を祭る重要を説いては
いません、今で言う習俗や文化として認めただけです。
また、桐山さんが誰の生まれ変わりであろうとも、それは自己申告に過ぎず、
客観的な証明は、本人にすら出きていません。
釈尊は、知性で議論を尽くせぬことは説いていないのです。

705ラシン:2011/02/25(金) 12:02:23 ID:x9FuHHv20
>>683:その代表的なものが、説一切有部の十二支縁起に基づく三世両重の
因果説である、そうです。
>>703:丘山新先生は、須陀?道を悟りの第一段階と訳されてますが、
それは倶舎論の考え方であって、妥当ではないですね。

九十九さん、上記をよく読んでみてください。

>>683では、自説の補強で「説一切有部」を謳い、
>>703では、逆に勝手な自説を不調するために「倶舎論」の考えとして、
今度は否定の材料にしています。

このように、足許がブレても我田引水に手段を選ばぬ厚顔無恥ぶりです。
理由を申し上げましょう。

上記の「説一切有部」とは、釈尊の教説を忠実に解釈する過程で、
膨大なアビダルマ哲学を体系化し完成させ、逆に煩雑や難解という
悪効果も生じさせたのです。
その教義の代表格が、「大毘婆沙論」「六足論」「発智論」「倶舎論」という、
数多の論書です。

つまり、都合によって一説では「説一切有部」と目くらましし、
別の自論展開では、「倶舎論」などと語句をごまかしている。
どちらも同一、出所は同じです。
これが、アゴン宗で長く修業した信者さんの掲示姿勢です。
ご参考になさってください。

706ラシン:2011/02/25(金) 12:08:38 ID:x9FuHHv20

誤:逆に勝手な自説を不調するために「倶舎論」の考えとして、

正:逆に勝手な自説を吹聴するために「倶舎論」の考えとして、

707準シュダオン:2011/02/25(金) 12:17:29 ID:1F7rdgXk0
釈堤桓因問経について、もう少し記す。
冒頭の「如是我聞」とは、やはり阿難が聞いたのであろうか?
阿難が帝釈と世尊の問答を聞いたというのか?そんな馬鹿な!
帝釈はバラモン教の神であるから、世尊と問答したはずはない。
が、後世に作られた経であろうから、そんな野暮なことは言わないこと。

さて、帝釈は世尊を訪ねたいと思い、先ず執楽神に命じて、世尊の御機嫌
伺いをさせた。執楽神は琴を弾いて歌い、世尊を讃えた。世尊は大層喜ばれ、
汝の歌声は素晴らしい、と執楽神を誉めた。
(お釈迦さまは、ミュージーシャンを好きだったようですね。)

で次に、帝釈は子分の神々を引き連れて、世尊のおわす狭い石窟を訪れた。
すると、石窟が広がって、全員座れた。で、世尊と帝釈の問答が始まる。
世尊は、「執着しない心には三種ある。自分とか、他人を害する場合には、
執着しない心を捨てよ」と、教えています。執着しない心は、何時でも良い
というわけではないことが、解かりますね。執着しないのも善し悪しなのです。

最後に、八万四千の神々に、法を知る明るい眼が生じたという。八万四千と
は無数という意味だそうです。わたしゃ、この経を読むまでは、天上には33天
しか居ないのか?と、思っていたが、天上の神々も人間みたいに無数に居るの
ですね。帝釈はそこで、任期無現の、大統領をしているわけですね。

708深山:2011/02/25(金) 12:33:33 ID:1h2LffCc0
>>697 :九十九:2011/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
>はじめまして。流れを切ってしまいすみませんm(_ _)m

いいえ、流れを切っていただいて批判側は全員があなたに感謝しています。
信者である準シュダオンさんは脳が老化して、同じ事を何度も何度も
蒸し返して、それがもう何年も続き、みんなうんざりしています。
>>703など、私が記憶するだけでも彼は五回以上同じ経典を引用し、
同じ主張の議論を蒸し返しています。
批判側はその都度、彼の主張が成り立たないことを反論するが、カエルの面に
水で、しばらくたつときれいに忘れて、今回のようにまた同じ主張を始める。
批判側の反論は完全無視です。
我々は老人介護と呼んでいます。
アゴン宗で信仰をしているとこんなふうになるという「使用後」の
参考にしてください。
準シュダオンさんは桐山さんと似ている部分があるのです。
桐山さんも美食を続けたために脳梗塞の生活習慣病になった。
インドに行った時、脳梗塞の初期症状が起きて、
これを桐山さんはお釈迦様からの御霊示と称して、
以後二十年間にわたり信者たちを地球壊滅で脅かした。
脳梗塞という彼の病気を宗教や地球壊滅に仕立て上げたのです。
準シュダオンさんも2004年に脳梗塞を発症したが、
それはアゴン宗の総本山からのデンパを受信したのだと主張している。
だから、準シュダオンさんの悲惨な様子を観察するのは、
桐山さんを見ると似ていますから、参考になります。
九十九さんの質問にすでに他の人も答えていますから、
内容的に重複しますが、参考にしてください。

709深山:2011/02/25(金) 12:37:54 ID:1h2LffCc0
>>697 :九十九:2011/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
「阿含経は釈迦が説いた 唯一ホンモノの経典であり、仏教学でも阿含経は認められている」

桐山さんは事実を巧みに混ぜて、彼のオカルト宗教を
本物であるかのように見せかけるのが実にうまい。
上記はその典型で、桐山さんがいかに人を騙すのがうまいかを示す事例です。
まず、ラシンさんも書いてるように、大筋で上記の言葉は正しい。
阿含経が、釈尊の説いた言葉を聞いた比丘たちが口述して
残した唯一の経典であるというのは学者も認めている内容です。
逆に言うなら、法華経、阿弥陀経など有名ないわゆる大乗経典は
釈尊その人とは何の関係もない偽経典です。
ですから、阿含経が釈尊直説の唯一の経典であるという主張は大筋で正しい。
ここで気をつけてほしいのは、こういう阿含経の成り立ちと価値は、
アゴン宗という宗教とは何の関係もないことです。
これは仏教学という学問で確認されたことであって、桐山さんが
発見したことでも、桐山さんが日本で最初に主張したことでもありません。
今から百年ほど前、日本が開国した後に知られたことです。
アゴン宗はまるで自分たちの手柄であるかのように宣伝しますから、
気をつけてください。
アゴン宗は、シャカ直説だという阿含経の権威を彼らの商売に悪用しているだけです。

710深山:2011/02/25(金) 12:44:26 ID:1h2LffCc0
>>697 :九十九:2011/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
「阿含経は釈迦が説いた 唯一ホンモノの経典であり、仏教学でも阿含経は認められている」

「アゴン宗は釈尊直説の阿含経を護持する唯一の教団」
これがアゴン宗の宣伝文句です。
これにも巧みな嘘が混ぜられている。
阿含経を拠り所の経典としているのは事実です。
しかし、アゴン宗の阿含経を護持するとは、看板に使っているだけで、
阿含経の中身については、まったく正反対のことをしています。
これを護持しているとは言わない。
>>704でラシンさんが指摘しているように、
阿含経で禁止されているはずの護摩や占いをして、
阿含経で否定されている死者成仏ができると説き、
阿含経では行わない先祖供養を勧める。
しかも、これらがアゴン宗の最大のウリです。
一番ひどいのは解脱の定義です。
ご存じのように、解脱とは仏教の目的ですから、
これを間違えたら、もはや仏教ですらない。
釈尊が阿含経で説いた解脱とは漏尽解脱といい、煩悩を断ちきることです。
桐山さんはこれを小解脱と卑しめ、彼が発明した因縁解脱というのが
大解脱なのだと自慢している。
解脱の定義を歪めたら、仏教ではなく外道です。
つまり、アゴン宗とは、阿含経の権威を看板にしているだけで、
中身は仏教ですらない、ただの外道なのです。

711深山:2011/02/25(金) 12:47:03 ID:1h2LffCc0
>>697 :九十九:2011/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
「阿含経は釈迦が説いた 唯一ホンモノの経典であり、仏教学でも阿含経は認められている」

さらにひどいのは、阿含経を桐山さんは捏造している。
アゴン宗で中心となる阿含経は二つあり、応説経と三供養品です。
この内、在家向けに説くに重視されるのが三供養品で、
そこには三福道という在家向けの修行法が説かれているというのが、
桐山さんの主張であり、オリジナルです。
だが、三供養品にはそもそも三福道という言葉はありません。
正しくは三善根であり、これを三福道などといかにも御利益があるかのような
言葉に勝手に作り替えたのです。
大乗経典を偽経典と批判を繰り返しながら、自らは経典を
捏造するというとんでもないことを桐山さんは平気でします。
桐山さんの捏造は三福道という言葉だけではありません。
意味も捏造したのです。
元々の三善根とは煩悩を断ちきって解脱するという意味です。
ところが、桐山さんは教団に貢ぐと解脱できるという
とんでもない意味に解釈している。
釈尊の教法であるかのように見せかけ、似ても似つかない桐山教を
宣伝して、信者から金と人を絞り取っているのです。

712深山:2011/02/25(金) 12:50:41 ID:1h2LffCc0
>>697 :九十九:2011/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
「阿含経は釈迦が説いた 唯一ホンモノの経典であり、仏教学でも阿含経は認められている」

桐山さん自身もおおよそ阿含経に基づく僧侶ではありません。
日本では戒律をとても軽く見るが、シャカ仏教では戒律は土台です。
阿含経を護持するというなら、戒律を守ることは最小条件です。
だが、桐山さんは在家の五戒すら守っていない。
ムショに入ったトラウマから髪の毛はそらず、
一日一食など守るはずもなく、本人は未だに食いしん坊だと
法話で放言して恥じることもない。
酒は大好きで、一流レストランで高級ワインを飲み、成上り者を満喫していた。
嘘は桐山さんの昔からの大親友で、彼が作ったアゴン宗の教義で嘘でない部分を
探すのが大変なくらいです。
おまけに仏陀宣言をした後、愛人を囲っていたことがわかった。
88歳にして愛人から裁判に訴えられるという前代未聞の艶聞の持ち主です。
彼は仏陀どころか、俗人の中でもさらに欲望や執着の強い俗物です。

713深山:2011/02/25(金) 12:56:41 ID:1h2LffCc0
>>697 :九十九:2011/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
「阿含経は釈迦が説いた唯一ホンモノの経典であり、仏教学でも阿含経は認められている」

このように、上記の文章そのものはほぼ正しいが、
だからといって、アゴン宗の正当性には何の役にも立ちません。
信者たちは、桐山ゲイカが日本に阿含経を初めて広めたというでしょう。
これも間違いです。
明治以降、阿含経がシャカ直説の経典であることは知られるようになり、
その事実を広めようと努力した人たちは何人もいます。
友松圓諦さんなどその一人で、当時のマスコミであるラジオを使い、
また百冊近い本を書いています。
また、教団として阿含経を取り入れたのはアゴン宗が初めてではありません。
立正佼成会という法華経系の教団は、原始経典として
教えの中に取り入れることを教祖が宣言しています。
アゴン宗はむしろ阿含経をイメージを歪めた。
アゴン宗と言えば、星まつりなどの護摩が有名ですから、
まるで釈尊が護摩を認め、死者成仏を説いたかのような
錯覚を人々に与えています。
事実、信者の多くは釈尊がこれらを説いたと信じている。
阿含経を看板に使っただけに、その罪も極端に大きいのがアゴン宗です。
信者たちは自分たちこそが釈尊の教法に最も近い仏教だと信じ、
他宗教に侮蔑心すら持っている。
だが、実際は、大乗仏教や伝統仏教よりももっと遠い、ただの外道なのです。

714ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/25(金) 12:59:32 ID:SmEF4Oe2O
>>697:九十九11/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
>「桐山氏はスサノオノミコトの生まれ変わりである」

簡単に言うと、ある人におだてられて、それを真に受けただけの恥ずかしい話です。
ある人とは、伊勢神宮よりも先の鳥羽より先の磯部というところに伊雑宮という
古い神社があります。
そこの宮司さんが小泉太志さんというのですが、彼に招かれて伊雑宮を桐山さんが
訪問した。この時の桐山さんは有名人になってました。
「変身の原理」や「密教・超能力の秘密」を書いて出版し、自ら超能力者であるかの
ように示した。密教界、仏教界、宗教界に一つの旋風みたいのを示して注目もされた。
それで小泉さんも興味を持ったのでしょう。
お宮の前の剣道の道場に泊めてもらい、その晩桐山さんは不思議な夢をみたそうな。
ここ磯部の地で桐山さんは古代服を着て座っている。
そこに右からやはり古代服を着た男たちが桐山さんの前に現れ「ご機嫌よろしゅう」
と挨拶をして去っていく。次に左から古代服を着た女性たちが桐山さんの前に現れ
挨拶をして去っていく。
自分も古代語を話てかれらに指示を与えている。
変な夢だなと思い、翌朝朝食の際に、小泉さんにその夢の話をすると
「それは夢ではなく神集いをしたのですよ。あなたはスサノオノミコトの生まれ変わり
ですから、当時の神々があなたに挨拶に来たのです」
桐山さんはこれを真に受けた、単にそれだけです。
まずこれを言う小泉さんですが、後にワールドメイトの深見青山さん(現・深見東洲さん)
のこともおだてるくらい、自ら不思議大好きのおだて好きのようです。
だから密教界の改革者であるかのようによく検証もせずにおだてたのでしょう。
桐山さんの側の夢は作り話か本当に見たのかわかりません。
しかし本当にそんな夢を見たからといってそれが何なのでしょうか?
私が好きな女性の夢を見たとする。
それってその女性が私の夢枕に現れてくれたと解釈しますか?
単に自分だけの願望の投影ではありませんか?

715ラシン:2011/02/25(金) 13:39:46 ID:x9FuHHv20

九十九さん

>>712 ムショに入ったトラウマから髪の毛はそらず、

思わず飲んでいたコヒーを噴き出しました。
本来の出家僧侶は、剃髪と言って髪を剃ります。
お釈迦様も、剃髪し糞掃衣と托鉢用の一鉢だけでした。
なるほど、桐山さんが剃髪しなかったのは格好付けだけでなく、
刑務所に入れられた心的外傷だったとは、実に興味深い推理です。

糞掃衣とは、使い道が無くなり捨てられたぼろ布のことで、
汚物を掃除するくらいしか用の無くなった端布を拾い集め、
綴り合せた出家者の衣のことです。
ある時、釈尊の糞掃衣が余りにもボロボロなので、お弟子さんから
もう少し新しい衣を提供されたほど、生涯無一物を貫いたのです。

在家の五戒とは、出家していない仏教信者さんの守るべき戒です。

不殺生戒:生き物を殺してはいけない。
不偸盗戒:他人のものを盗んではいけない。
不邪淫戒:自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。
不妄語戒:ウソをついてはいけない。
不飲酒戒:酒を飲んではいけない。

>>712で、深山さんが指摘されたように桐山さんは、これらの戒を
すべて無視し破っています。
だが、自称アジャリ様ですから、破戒僧ということになります。
在家の五戒すら守らない宗教家の教団を信用できますか?
その桐山さんのデタラメぶりが↓にありますから覗いてみて下さい。
agama考察室 http://agama.zouri.jp/framepage9.html

それも阿含経を標榜していながら、阿含経に従っていないのです。
桐山さんは、日本の仏教全てニセの経典の宗派だと非難し、
それでいて、大乗経典である法華経の観世音菩薩普門品や、
准胝観音経を信者の勤行として、読誦させている矛盾があります。
とてもじゃないが、仏教に値する教団ではありません。

716ラシン:2011/02/25(金) 14:17:35 ID:x9FuHHv20

九十九さん、

agama考察室 http://agama.zouri.jp/framepage9.html
この中の 左端にある「阿含関連資料掲示HP]です。
是非、ご覧になってください。
真実が暴露されています。
また、
仏教用語などは、ネットでいくらでも検索できます。
私も、辞典だけでなくウイキや小学館辞書などから、
参考にして、掲示解説ではコピペして利用しております。
先述した糞掃衣や在家の五戒もウイキで調べられます。

阿含経は漢文ですから、ネットならば↓に国訳一切経があります。
http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky028800uoft#page/n565/mode/2up
kokuyakuissaiky038800の数字の0のあとを2から3に直してエンターすれば、
阿含部三のお経が出ます。
最初は「ダンマパダ」や「スッタニパータ」などの単語ををググれば、
多数ヒットしますから、是非読まれたらいかがでしょう。

717ラシン:2011/02/25(金) 16:43:04 ID:x9FuHHv20

なんとも怪しいブッダの知恵持つ桐山さん。
著書「仏陀の真実の教えを説く」

信、戒、施、見、聞、持、観、法次法向(一切事経経典)

信、戒、施、聞、持、観、法次、法向 (桐山解説041頁)

ところが、桐山さんはこの↑の間違った分類を
自ら”見”を持ち出し否定しいたのです、ただしあやふやで
全くおかしい。
深山さんがよく言うように、桐山著書からインチキ間違い以外を
探し出すほうが、逆に難しいのかもしれません。

040頁 仏さまはマハーナに告げられました。
@戒 「自分は仏の戒を受けてそれを守っても、他者に仏の正しい戒を
    受けることも、またそれを保つことも勧めない。
A施  自分は布施を行っても、他者が布施を実践するようには勧めない。
B見  自分は塔寺に参詣してもろもろの沙門に見(まみ)えても、
    他者に塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えるようには勧めない。
C聞  自分は熱心に沙門の説法を拝聴しても、他者に正法を拝聴して
D持  それを受け保つようには勧めない。
E観  自分は仏法の深遠な教義をよく観察しそれについて熟考しても、   
    他者には仏法の深遠な教義をよく観察して、それについて
    熟考するようには勧めない。
F法次 自分は深遠な仏法を知り、法に近づき、法を追求しても、
 法向 他者が法に近づき、法を追求するようには勧めない。
マハーナよ、このように八法だけを成就する者は、自分を安らかにし
慰めても他を安らかにし慰めない優婆塞というのです」と。

番号付けの箇条書きは私です、また「沙門に見(まみ)えて」の
ルビは、著書に書かれたとおりの表記です。
だが、
これでは、”信”がどこへ行ったのか?
しかし、ここで”見”をきちんと解説していますが、7法でしかない。
ここでは、法次法向を一つとした文章となっている。
それで、次頁の041では、
信、戒、施、聞、持、観、法次、法向の八つに分けて解説しているが、
今度は、”見”はどこへ行ったのか?
一方では、”信”を忘れ、一方では、”見”を外して取り繕った結果が、
041頁でしょうか。

上記の正しいお経の文章は、ユビさんが前スレ>>319で掲示しています。

@自ら戒に立つも他をして正戒に立たしむること能わず。
A自ら浄戒を持つも他をして持戒具足ならしむるけと能わず。
B自ら布施を行ずるも施を以て他を建立すること能わず。
C自ら塔寺に詣で諸の沙門を見るも、他に勧めて塔寺に詣で往いて沙門を見せしむること能わず。
D自ら専ら聴法するも、人を勧めて正法を楽聴せしむること能わず。
E法を聞いて自ら持するも他をして正法を受持せしむること能わず。
F自ら能く甚深の妙義を観察するも、人を勧めて深義を観ぜしむること能わず。
G自ら深法を知り能く法次法向に随順して行ずるも、人をして勧めて法次法向に随順して行ぜしむること能わず。

718ラシン:2011/02/25(金) 17:30:51 ID:x9FuHHv20

さて、次の桐山あやふや解説が「仏陀の真実の教えを説く」の
046頁です。

 お釈迦さまのお答えを聞いた後で、マハーナーマは
「世尊よ、優婆塞は幾の法を成就し自ら安んじ他を安ずるや」
 と質問しました。
 ここに、安んじという言葉が出てまいりますが、これは、
 単に心が安らかになる、ということでは無く、成仏するという
 意味です。

これは間違いです、経に成仏などと言う意味あいも言葉もありません。
安穏とは、「安らかで平穏無事なこと.」と仏教辞典にあります。

これは在家信者の心がけを説明したものだからです。
と言うのは、最初にマハーナーマが、釈尊に質問した内容を読めば、
桐山さんの解釈は、大笑いとなります。
マハーナーマの質問は、
「世尊よ、如何が優婆塞と名づくるや」013頁 というものだからです。
在家信者とはどのような者に対し名づけられるのか?
また次には、
完全なる在家信者とはどういう者を指すのか?
またそうなるにはどうしたらよいのか?と言う質問への答えが、
成仏する16の教えの成就者だ、では会話が成り立たない。
マハーナーマが聞いたのは、成仏する法ではないことが、
以上の質問内容で分かるはずです。
それは、
釈尊の「十六の心得」とも言うべき教えであるからです。
心得や心掛けだけで、成仏=解脱は出来ません。
解脱を得るには、煩悩を絶たねばならないことは明白です。
しかし桐山さんは、046頁で「因縁解脱することだ、因縁を切って
初めて、本当の安心が得られるわけです。」なんて読み手を騙しています。
全く以って、手が込んでいるようでお間抜けです。

719ラシン:2011/02/25(金) 17:41:24 ID:x9FuHHv20

717の「マハーナ」との表記は、マハーナーマの私の書き写し間違いです。
桐山さんの著書にはありませんので、失礼しました。

720ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/25(金) 22:39:05 ID:SmEF4Oe2O
>>697:九十九11/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
>「阿含経は釈迦が説いた唯一ホンモノの経典であり、仏教学でも阿含経は認められている」

これはラシンさんや深山さんが書いているように、その説はたしかに間違っていません。
しかしそれは阿含経の話であり、アゴン宗とは関係ありません。
アゴン宗は釈尊唯一の阿含経を依経とする教団などとしていますが、看板だけで
現実は釈尊の阿含経に一番遠い正反対の教えと実践です。
どう正反対なのかはラシンさんや深山さんが詳しく論じています。
私はあなたが出した最初の先祖が自分の行動を決定する話で考察してみましょうか。
こんなことは釈尊は説きません。釈尊は徹底して自己責任と自己による自己の
統御を説きます。先祖に責任転嫁などしません。
しかしそうは言っても我々は親や先祖から受け継いだ気質などがあるのは否めません。
しかしだから何なのか?と言いたい。
例えば俺が気が短いのは親譲りという人がいますよね。
しかしそれならば、親譲りであろうともその気質はもはや自分のものにもなっているのだから
親なんか関係なく、自分でその短気を改めるようにすればよいだけではないですか?
親は親、自分は自分です。それとも親を供養しないと短気は改めることができない
と言うか?
このように先祖が行動を決めるなんて教義自体が釈尊の阿含経と正反対であるばかりか
かえって釈尊の教えを実践しにくく邪魔をしていることになる。
ではどうしてそんな矛盾があるのに、わざわざ自分も実践できぬ阿含経などを
看板にアゴン宗など立てたのかと言うと、阿含経が釈尊唯一の教えという点を
武器に他宗、他教団を攻撃できるからです。
攻撃の目的は自分んとこの差別化です。
わがアゴン宗だけが唯一釈尊の教えを伝え実践する教団なのであり、他はダメ駄目
なのであると示せば、人を集められるし、世間に誇示することができる。
俺だけがエライのだと言いたいからです。
でもそれって看板だけでなく、ちゃんと阿含経を読んで正しく理解して実践して
初めて言えるセリフだと思うんすけど。

721ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/25(金) 22:51:29 ID:SmEF4Oe2O
>>697:九十九11/02/25(金) 04:23:05 ID:9L2os4AYO
>阿含宗は信じてもいいものなのか、そうでないのかが知りたくて、色々な著書など読んでみようと思うのですが、膨大な量で何から手をつけていいのかわかりません。
>まずこれを読んでみては?と言う本があれば教えて頂けないでしょうか?

偽ビールを作ったのは歴史に実在しない武士の怨念によるものだとかいう話に
共鳴して、オモロイ、自分もこういう詐欺の霊感商法をしたいと言うならば
信じてみることを止めはしません。
しかしそうでないならば、君子危うきに近寄らずが一番賢明で桐山さんの本なんか
読むべきではありません。時間の無駄であるばかりか、魂が腐ります。
我々のように欺瞞を悟りきった批判側ならば、お笑い本の価値はあるが。
ラシンさんなども退会と共に捨てた桐山さんの著書も最近また読み直す機会を得て
信者時代とは違う目で新たな発見をしている。
しかしあなたは幸いアゴン宗などに関わったことがないのだから、そんなリハビリも
必要ありません。
予防ワクチンとして批判スレや考察室を読むだけでよい。
お知り合いがアゴン宗信者であるとのこと。
まずは自分が伝染されないことだが、気になることがあれば、書いてくだされば
質問などにお答えいたします。

722天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/26(土) 07:10:26 ID:2NhXQM9Q0
九十九さん、携帯で読みづらい場合はネットカフェなどで見ることをお勧めします。
また質問はどんどん出してください。皆さん優しい方ばかりですので丁寧に教えて
くださいますから。それでは。

723神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/02/26(土) 08:25:36 ID:YaD7r0520
>>721>予防ワクチンとして批判スレや考察室を読むだけでよい
九十九さん
直裁に言うとユビさんの言うとおりです。
免液を持たないあなたには、K氏の著作は毒薬です。
元信者の方方の多くの人は、そういう本は捨てています。
それほどの悪書です。
デスカラ、マズ、2チャンやBBS掲示板を読んでください。
人は甘言や脅しに弱い「オレオレ詐欺」がその最たるものです。
自分だけはと思うところから人は騙されています。
それほど巧妙なのです天才詐欺師のやり方は!!
>>721>君子危うきに近寄らずが一番賢明で桐山さんの本なんか
読むべきではありません
私もあやうくというトコロデ、2チャンやBBS掲示板に遭遇し
迷わずに済んでいます。とにかく、時間と労力と金銭の浪費でしかありません。
危険な人物とは会わないことです。へんじんと言われようとも!!
向こうの方が変人なのですから!!

724ラシン:2011/02/26(土) 12:23:31 ID:ka3sgn0E0

なんとも怪しいブッダの知恵持つ桐山さん。
著書「仏陀の真実の教えを説く」

2chより
481 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU :2011/02/26(土) 08:37:09.68 ID:zClHCIab
>>476:名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/26(土) 00:52:14.51 ID:IM/kWtyb
>阿含経の解説本の下巻ってどうなったの?
>国立国会図書館にはありましたが、販売されていないようですが・・・
>なぜ?

ダルマチャクラに桐山さんの法話が載っており、ほとんど加筆修正することもなく
それを載せればよいだけなのに、それも出来ず、これだけ長く止まっているのも
異常です。
私も何度か見解を示しているが、桐山さんのゴーサインが出ないのだと思う。
+ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー+
阿含経講義下巻が出ないのは、恥を知っているからでしょうか。
そんな分けは無い、臆病なのでしょう、自信を喪失した?

一切事経の「八法」や仙尼経での「異陰相続して生ず」の間違いは、
改訂版を出したからどうなるものでもない。
臭いものに蓋式で隠したが隠しきれません。
040頁の
「自分は塔寺に参詣してもろもろの沙門に見(まみ)えても、
 他者に塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えるようには勧めない。」
は、堂々と桐山さんの「現代語訳」と銘打っています。
それでいて、八法は、信、戒、施、聞、持、観、法次、法向 と、
表記する矛盾を呈しています。

さらに、
「世尊よ、優婆塞は幾の法を成就し自ら安んじ他を安ずるや」
とのマハーナーマの質問を
「優婆塞はいくつの法を成就すれば、自分を成仏させ、
 他の者を成仏させることができるのでしょうか?」046頁
と、現代語訳で解説しています。
そして桐山さんは、
八法十六法の実践で自分のみならず他人も成仏させることが出来る、
と結論し、解説しているのです。048頁
とんだ大笑いネタです。
桐山さんは、ここで何を言いたいのかと言えば、
「阿含経は自分だけの悟りを考える小乗経典ではない」048頁
ことの証明なのだそうです。
そしてアゴン宗立宗の決意が、この十六法を説かれていたからだそうです。
「お釈迦さまは、自他ともに成仏させる十六法を説いていらっしゃいます」
つまり、十六法が、自他ともに成仏させるから立宗を決意した。←↑049頁

批判側は桐山さんのウソに慣れ親しんでいるから、別に大して驚かない。
だがこれは、
アゴン宗流で言えば、十六法の実践で自他ともに因縁が切れるのですよ。
在家でありながら、「三福道」より優れている。
下根の成仏法など必要ないことになります。
もちろん応説経の七課三七道品法も必要ない?
しかし、信者さんはどうでしょう?これらの矛盾の存在を。
桐山さんの言う成仏とは、仏陀に成ることですから、解脱者です。
ホトケとは、諸々の因縁しがらみがホドケル、なんてダジャレまで述べてた。
しかし、
解脱の定義は、煩悩から解放され自由な境地を得ることです。
それには、その煩悩を滅し尽くさねばなりません。
だから、「漏尽解脱」というのです。
この一切事経の優婆塞の説明のどこに解脱や成仏なんて解説がありますか。
あるのは、「自ら安慰し亦他人を安慰する」という結論だけです。
桐山さんが述べた「安んずる。安心」とは、成仏の意味などありません。
やすらかにする、安穏となるなどの意味で、明らかに解脱とは違います。

725ラシン:2011/02/26(土) 13:36:35 ID:ka3sgn0E0

桐山さんは八法十六法をアビダルマ論師を真似て、
体系的に解説を試み、結果は惨敗です。
アビダルマは、法数分類が得意なのです。
学説とすれば、分類区分けがシステム的に必要となる。
しかし、釈尊は学者ではなく、説法者です。
だから、その相手に合わせて教えを説いた。
切り口や表現を変えても、同じことを言っているに過ぎない。

桐山さんはどうでしょう。
体系付けしようとして、信、戒、施、聞、持、観、法次、法向 と、
分類したのはいいが、解説では「信」を忘れて、「見」を入れて述べた。
法次・法向ではなく「法次法向」と一つに解説した。
結果、自惚れて得意げに話しても、確認ミスを犯して出版した。

この認知症的ミスに付き合わされる信者さんも大変です。
桐山さんを擁護しても、桐山さん自身がマジメに「見」の解説を
していたのです。
桐山さんを擁護していたら、逆に蹴飛ばされたのだから笑えない。
○○法といえば飛びついて有難がる信者さんも、笑えない。

桐山さんが唯一体系的なのは、金銭の「収奪法」「集金システム」です。
釈尊の法ではなく、桐山さんのは法は法でも法違いです。

初めに結論ありき!

偉くなりたい→金持ち→金集め→詐欺商法→販売商品→商品説明→経典捏造

経典捏造するのは、販売商品がニセモノだから商品説明が矛盾する。
それを誤魔化すために、捏造や敷衍、恣意的な曲解という所業を為す。
ところがそれだけでは、結果、またも矛盾の輪廻に嵌ってしまう。
だから強引に結論を歪めて、いかにも正論のごとくに装うのです。
それを
深山さんが、「木に竹を接ぐ」と表現しています。
まさに言い得て妙で、性質の違うものをつなぎ合わせるから、
結果は調和がとれず、矛盾や綻びを表出してしまうのです。
きちんとした接ぎ木なら、台木に接合癒着されるでしょうが、
所詮はデタラメ、下心が金集め商品販売だから、雑種の理屈となって、
ウソが方々でバレるのです。

726準シュダオン:2011/02/26(土) 15:24:40 ID:1F7rdgXk0
九十九さんは、宗教に詳しくないということですので、阿含宗には簡単に
近づかないほうがよろしいでしょう。阿含宗は、阿含経という輪廻を前提と
したお経を依経としていますからね。倫理や道徳みたいな屁みたいな宗教と
は違うのですよ。宗教とは馬鹿げた教えです。科学的根拠がないのですよ。

九十九さんは、輪廻を信じられますか?それはなぜですか?
自分にそれだけの体験がありますか?他人の意見や議論でグラグラ変わる
ような体験でしたら、宗教には近づかない方が良いのです。
今の批判派を御覧なさいな。退会してまで阿含宗から離れられないでいる。
いい加減な体験から信者になっては、退会後まで、麻薬みたいに離れられ
なくなりますよ。宗教はアヘンとは、よくぞ言ったものです。
確かに、そのようになる恐れがありますからね。

自分で、他人に話すとおかしく思われるような、不思議な体験をいくつか
した場合、運命論とか輪廻の勉強を始めても良いでしょう。そうでなけれ
ば、安易に輪廻などの州境を信じるのはおかしいことです。
 また、阿含宗の教えには、阿含経以外のことも含まれていますからね、
気を付けないといけません。退会するまで、全部阿含経の教えだと勘違い
されてた、元信者の方もいたようですし。

それにね、批判派は教祖の半世紀以上も前の事件のことを、しつこくレス
してるでしょう。偽ビール事件とか何とかw、そういうこと知らないで入行
したのかしらね?そうだとしたら迂闊だよね、教祖の過去は、沢山活字に
なってるのにね。過去を知ってて入行して、退会してから過去を持ち出すと
したら可笑しいよね。
「あーなたの♪過去など、知りー♪たくないのー♪」と、言って結婚して、
結婚してから過去を批難するみたいでさw人間の屑でちゅね。

727ラシン:2011/02/26(土) 16:19:19 ID:ka3sgn0E0
九十九さんへ

>726 結婚してから過去を批難するみたいでさw人間の屑でちゅね。

結婚詐欺師でも、婚姻関係続ける愚か者がいる、と言うことですね。

このように、他者を「クズ」とののしるような人間が、
アゴン宗にはたくさんいます。
自分の非を指摘されても、平然と厚顔無恥を呈している人が、
アゴン宗にはたくさんいます。

つい最近も、付番さえ読み取れず、ネットでその経典を
示されても、臭いモノには蓋式のサンプルで、ダンマリです。

教祖がまずいことには一切触れず、ダンマリを決め込むから、
このデンパ障害者さんのように、教祖の真似が身に染み付いています。

>>725
<桐山さんを擁護しても、桐山さん自身がマジメに「見」の解説を
 していたのです。
 桐山さんを擁護していたら、逆に蹴飛ばされたのだから笑えない。>

これに↑一番符合したのが、この準シュダオンさんです。
だから、笑ったら可哀想ですから、こちらも触れずに
黙していたら、自分からお笑いを誘ってノコノコ出て来て、
他人を嘲笑する悪癖だけは、チャッカリ忘れていません。

仏教は人格の完成を目指すのに、道徳を小馬鹿にした態度で、
見て充分わかるとおり、人間的品性は著しく低下します。

728ラシン:2011/02/26(土) 17:13:04 ID:ka3sgn0E0
>726 それにね、批判派は教祖の半世紀以上も前の事件のことを、
しつこくレスしてるでしょう。偽ビール事件とか何とかw、

ここでの最近の桐山さんの話題は、結核のウソをついての
徴兵逃れです。
まるで話しを理解していません、前頭葉の委縮でしょう。
批判の目的を知らないようです。

仏教の大法要であるアゴン宗の例祭の月に阪神・淡路大震災が、
起こりました。
大霊能者の桐山さんは、警告一つも出来なかった。
何のための例祭なのだ。

イスラエル建国60周年奉祝と世界平和を祈念する護摩法要を
大金を出してイベントを行ったその4か月後に、
イスラエル軍による、ガザ地区の大虐殺が起こった。
世界平和を祈念した直後です。

このようにアゴン宗という教団は、欺瞞の百貨店です。
知らずに信者をしている人は、まだ悪業に気付いていない。
しかし、
ここに参板した限りにおいては、こういう情報を目にした訳です。
それでも、アゴン宗にしがみついているという所業は、
詐欺の片棒を担ぐ確信犯と言うことになる。
ところが、
この準シュダオンさんは、それに留まらないツラの皮の厚さを
自ら自慢して恥じない。
いわゆる、詐欺師にタダ乗りして自惚れているのです。
ボン行もお布施もケチって、自分教を開陳して偉ぶっていたい。
ただそれだけのために、アゴン宗を利用し離れない。
だから、
出てくるのは、他者を罵倒するだけで、反論すらできないダルマ状態。
手も足も出せず、継ぎ接ぎ解釈でその場しのぎの屁理屈に終始する。

前スレで出した話題、それもスレ違いの話しを何度も出す。
慢心を絵に描いたようにふんぞり返り過ぎて、
何度ものけ反り、後ろに転んでいるのに懲りない。
笑いを我慢するのも、努力がいるのです。

729名無しさん:2011/02/26(土) 18:07:15 ID:M.gWeUqY0
『仏教の大法要であるアゴン宗の例祭の月に阪神・淡路大震災が、
起こりました。
大霊能者の桐山さんは、警告一つも出来なかった。』

結局、桐山さんの未来予知力って
古本屋の古本から見つけた占いを土台に
してるような頼りないものだったのでしょうかね

阪神大震災もそうですが
やっぱり私が引っかかるのは
ニューヨーク911テロです
桐山さんはテロの10ヶ月前にニューヨークに
行って教会でお護摩を焚いてるのですよ
まったく予知も警告も無いまま帰宅。。
のちにテロが起きたあとに
「あの光景には見覚えがある、そうだ、サヘトマヘト
でみたあの戦慄の光景がそうだったのかぁ〜」
となる。
まさに後付け以外のなにものでもございません。

730準シュダオン:2011/02/26(土) 18:47:34 ID:1F7rdgXk0
不幸になる、本当の仏教よりも、
幸福になる偽物の仏教の方が、有り難いわけです。
要は、本物の仏教か否かよりも、幸福に成れる教えか、成れない教えか、
それが問題でしょう。

私の場合、六法塞がりの状態で入行し、今は三方塞がりの状態ね。
入行時よりは、幸福度が増えてます。だから、本当の仏教か否かなんてのは
問題じゃない。入行時より苦が減って楽が増えてればそれでいいのね。
管長の教えで楽になったかならないか?それだけが問題です。
本当の仏教なんて、どうでもいい、そんなの寝ていなw。

九十九さんも、そういうことですよ。
あなたが今、不幸で耐えきれない状態なら、阿含宗は助けに成るでしょう。
しかし、中途半端な気持ちなら、止めた方がよろしいでしょう。
まして退会後に、教団にその責任転嫁をするような根性では、まず成功は
しません。どういう結果があろうとも、それは自分の責任であり、万一、
気が変わって退会しようとも、それは自分の責任であり、教団とは一切、
関わりありません。
と、いうような強い責任感がある場合のみ、奇跡は起こるのです。

何も起きないとしたら、それも自分の責任です。我見の強い故なのです。
安易に、他人の意見に左右されないことですね。
負け犬になったら、哀れですよ、死ぬ間際に、ああいう教団に入らねば
良かったと、後悔していたらどうですか?地獄、ガキに堕ちますよ。

だから先ず、宗教に入るには、その責任を他人のせいにせず、己の責任、
つまり、自己責任という大人の覚悟が、一番必要なことですね。
その覚悟が無い人は、何時までも、愚だ愚だと未練の悪口を言っていますw。

731名無しさん:2011/02/26(土) 19:28:48 ID:M.gWeUqY0
桐山さんが
自分は五つの超能力を持った
スーパーブッダだ!
と自分を神のように演出してきた
それがまだ若くて元気なころはそれでも
よかった、そのころは私も桐山さんのことを
因縁解脱したブッダだと思っていた
桐山さんが転べば地球も揺れるなんて
でもそれはただの幻想だったのだ
桐山さんは法話や映画やイベントや
ありとあらゆるものを使って自分を演出した
そして自分が神でありホトケであると
思い込ませた、しかし晩年ほころびが
目立ちはじめ今となってはどうしようもない
状態になってしまった。

732ラシン:2011/02/26(土) 21:35:23 ID:ka3sgn0E0
>730 :準シュダオン:2011/02/26(土) 18:47:34 ID:1F7rdgXk0
不幸になる、本当の仏教よりも、
幸福になる偽物の仏教の方が、有り難いわけです。
要は、本物の仏教か否かよりも、幸福に成れる教えか、成れない教えか、
それが問題でしょう。

追い込まれて本音を漏らした瞬間です。
アゴン宗は、「偽物の仏教」だと認めていたのだね。
詐欺でも、自分が幸福になればよいと言う独りよがりです。
では、今までの継ぎ接ぎ反論は、むなしいものだったとなる。
また、
その幸福を誇る老人のどこに、他者からの羨望が存在しますか。
できれば、こういう因業老人にはなりたくない。
そのよきサンプルだから、反面教師としての効能だけは認めます。

>私の場合、六法塞がりの状態で入行し、今は三方塞がりの状態ね。

こんな子供だましの自己申告に、いかほどの説得力があると考える?
それほど、社会的知性が低く、世の中を舐めきっている姿を曝け出した。
自惚れだけが強い証拠です。
どんな素晴らしい現世利益なのか、私などと比較しても(想像)
苦笑を禁じ得ない、笑いを堪えるのも努力がいるのだ。

>あなたが今、不幸で耐えきれない状態なら、阿含宗は助けに成るでしょう。

これを「犯罪教唆」という、詐欺を奨励するのだから、「幇助」です。
なぜなら、準シュダオンさんは充分に桐山教の宗教詐欺性を知っている。

>まして退会後に、教団にその責任転嫁をするような根性では、まず成功は
しません。

あなたの成功とはなんなのだ?
六法塞がりが、三方塞がりになっただけ?それが成功?
何なんだ、このチンケな、チャライ自慢振りは?
詐欺性が法律スレスレで、塀の内に落ちないから、
刑事事件にはならないから、ただ批判が教団にその責任転嫁しただと?

その責任転嫁とはなんですか? 具体的に述べてみなさい。
出来ないでしょう、あなたの単なる悔し泣きのたわ言だからです。

あなたから垣間見えてくる成功ハナシなど、悪いが退会しただけで、
すでに完了し、解放感で満ち溢れています。
あなたの喜ぶ現世利益など、信者時代にすでに達成していたレベルだ。
仕事の成功は、アゴン宗とは無関係でした。

あなたが現実生活をいかに自慢しても、
その低レベルと欺瞞とハッタリは隠せない。
私から見ても、簡単に見透かすことができるレベルです。
あなたの成功自慢など、悪いが私から見てもレベル的に番外だ。
それで、そんなものが何になる?
信者時代は、
余分なお金をご喜捨した、その当時の自分を反省しています。
生活費を削り、それでもなお教団に貢いでいた信者さんに比べて、
私のそれは余りにも驕慢だったから、贖罪意識を捨てきれず、
その意味でも現実を見られるよう、真実の情報提供に徹しているのです。

あなたが三方塞がりになったと喜んでいた時期は、
桐山さんは、ヴィンテージのマルゴーを飲み、菊姫大吟醸に
舌鼓を打っていた。
あなたが逆立ちしても想像できない金額ですよ。
それを水代わりに飲んでいたのです。

頼むからあなたの低レベルで、他者を測らないでください。

733ラシン:2011/02/26(土) 23:24:29 ID:ka3sgn0E0
>>730 :準シュダオン
負け犬になったら、哀れですよ、死ぬ間際に、ああいう教団に入らねば
良かったと、後悔していたらどうですか?

あなたは満足しているようですね。
戦後、高度成長期を迎えた後の功成り名を遂げた人種。
そのステータスの証しが、帝国ホテルではなく、
ホテルオークラです。
準シュダオンさんにその理由が分かるほどの、
常の自慢する成功レベルは感じられない。
だが、
当時から企業人のトップは、ホテルオークラなのです。
ホテルニュー大谷、ヒルトン(キャピタル東急ホテル)など、
数はあれど、その一流と言われたのがフランス料理です。
それは迎賓館にまで影響を与えたほどでした。
当時のセレブは、ホテルオークラで挙式を上げるのが当たり前。
桐山さんもご多分に漏れず、こよなくオークラを利用した。

エントランスで迎えられるポーターに名前を覚えられる。
それが、セレブの証しでした、な〜んていってもあなたには、
何のことやらサッパリ分からないでしょう。
護山会も、だからホテルオークラでした。
桐山さんのセレブ感を大いに満足させた。

それとRRに乗る?、私が知っていたのは緑色のメルセデスだった。
だが、電気系統が難点だったRRに乗るのが夢だった桐山さん?
大方がハンドメイドだから、数年でガタツキガ激しい。
まあ、アメ車と変わらない、ハンドルの切れは良かったからね。
知らなかったのでしょうね、桐山さんは。
ベントレーのほうが、趣味が良いと思われた。
RRの中古値はつかない、まあ500万円以下は確かです。
5千万円の耐久消費財が、十分の一以下です。
それでも売れない。
理由は、RRを乗る人種は中古など見向きもしないからです。
普通の人が安いからと購入しても、経費維持費が莫大です。
だから、中古は売れない。
因みにRRは、ボンネットの前のエンブレムで可動式です。
オーナーのキイホルダーは、プラチナ製で15年昔で80万円くらい。
また、20年ほど前のジャガーのディラーは、
お客さんの年収が2千万円以上じゃないと売らない時期があった。
それほど、スペック上でトラブルが多かったからです。

聞いていて、あまりにも俗物的でくだらないでしょう?
あなたが目指していたのは、どのレベルだったのです?
病気や事故を回避し、安心して身の丈に合った生活ですか?
違いますよね、あなたが自慢していたのは。

桐山さんはそんなセレブな生活を、信者の浄財で使い放題。
あなたが羨ましがるのは、理解の内です。
そして、
その上前を撥ねているのだから負け犬ではない、ご立派と言うしかない。

734名無しさん:2011/02/27(日) 05:34:26 ID:9L2os4AYO
レス遅れてしまい申し訳ないです。
天照さん、ラシンさん、深山さん、神人同行さん、ユビキタスさん、準シュダオンさん、たくさんのレスありがとうございます。m(_ _)m
なるほど、そういう事だったのですね…
アゴン宗が、阿含経を悪用した宗教だと言うことがよくわかりました。
偽ビール製造について私が知人から聞いたのは、製造するにあたって自分が偽物を作っているとは知らず、そのうち同業者に裏切られ、罪を着せられたというものでした。
もしかしたら聞き違えかもしれないので、機会があればもう一度その阿含宗の知人に聞いてみます。

確かに、免疫の無い私は阿含宗著書を読まない方がいいかもしれません。
昔から神様や霊の存在などは漠然と信じているところはあります。
不思議な体験…とまではいかないかもしれませんが、それらしき事は何回かありました。

しかし悪い縁を全て切ってしまわなければまた人間に生まれてしまい苦しむ事を繰り返す(と聞きました)だとか、そういう類いのものに少し疑問を感じるというか、阿含宗の事を知り合いから聞いて何かが違うと感じました。
阿含宗の知人と関わり、宗教とは本来どういうものなのか?という疑問を初めて持ちました。
その知人に阿含宗の実態を知ってもらいたいです…。
だからこそ阿含宗の著書を読んではだめでしょうか?
宗教については私が今専攻している分野と全く関係がないので、何も分からない今の状態が歯痒いです。

お言葉に甘えて分からない事があればまた質問させて頂きます。
文章がまとまらず何が言いたいのかも自分でも分からなくなりました…すみませんm(_ _)m
みなさん丁寧な説明を本当にありがとうございました。

735九十九:2011/02/27(日) 05:37:32 ID:9L2os4AYO
>>734
↑名前入れ忘れました。
上のレスは九十九が書いたものです。

736天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/27(日) 06:06:23 ID:r0NerhT.0
九十九さん、私は諸先輩方の意見をまず、と思ったのであまり書きませんでしたが
私は「検証したい」という気持ちと「冷静に判断できる」というのでしたら、
阿含宗教祖の本を読むのは良いかと思います。

ただ、気をつけてもらいたいのは阿含宗の教祖の主張は大半が間違っているという
ことです。教祖が自分の主張を広めたくて捏造や改ざん、嘘をついているのが大半
です。なので全く信じずクールな見方で単なる「これは教祖の主張だけだ」という
感じで覚えておき、掲示板や正しい仏教の情報と照らし合わせて比較照合すること
が大事です。それが出来ないのなら教祖の本は読まないほうがいいかと思います。

737天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/27(日) 06:19:43 ID:r0NerhT.0
そして信者の言うことは教祖の言い分の受け売りです。
教祖の主張をそのまま鵜呑みにして物を覚え言っている。

信仰なんだから普通はそうなるのは当然の事です。
教祖の言い分に疑惑があったり信じられなかったら信者になりません。
入信などするはずがない。当然です。

われわれは一旦信じた。それは無知で教祖の主張が「正しいだろう」と
思って信じたし、それで入信したわけです。
ですが実際信仰をやって、とか教祖の言動に矛盾が生じ「変だなあ」となってきた。
それで本当の仏教や教祖の言動のチェックをしたらとんでもない詐欺宗教だという
のが分かった。だから退会したしその事項を世間に知らしめるためにこうやって
掲示板で展開・活動しているのです。

ですから>>734で九十九さんが知人の信者さんの言ったことを書かれていますが、
これは何も知らない信者さんが述べる事項は合っています。
しかし、これの本当の事項は信者さんで知っている人はかなり少ない。
それは教祖が誤魔化しや嘘をついているからです。

まず、教祖は偽ビールだけの事しか言っていませんが、この偽ビール以外にも
犯罪歴が2回あります。つまり偽ビールを入れれば「犯罪歴3回」なのです。
このことはほとんどの信者さんは知りません。
同業者に罪を着せられ、というのも教祖の自己申告です。
調書にそのような記述があるか誰も確かめてはいません。なので教祖が嘘を
費えたらそこまでです。
当時の状況やら時系列で見れば「騙された」というのは甚だ懐疑状態です。

http://agon.konjiki.jp/oitachi.html

ここにそのデータを纏めて載せてあります。是非ご覧下さい。
(HPの仕様が変わって一部見づらいところがあります)

これを見れば逮捕歴や教祖の言動、時系列での様相が分かります。
こういう事項は信者さんは「知らない」のです。

738天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/27(日) 06:31:52 ID:r0NerhT.0
教祖の嘘などは教団や教祖の著書の中だけからは察知することは出来ません。
比較検証できるものがなければできません。
なので、教祖の著書だけでなく仏教書や掲示板情報との比較検証が必須です。

現在は巷に教祖の人気が低迷したからか書店で阿含宗の本を扱うところが
少なくなりました。なので中古大手書店とかどこか扱っているところで
読まないと読めないかもしれません。図書館などにあれば幸いですが。

私が勧める比較するに良い本を紹介しておきます。
(仏教の概略を押さえる、という点でだけです。まだこのほかにもあります)

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%93c%8F?%8FG/list.html

もう一度学びたいブッダの教え 田上 太秀著 西東社刊

廉価版は「図解ブッダの教え」というやつです。
こっちの方が安くて同じ内容です。
この本でおおよその仏教の知識を得られます。
ただ、この本だけで阿含宗の教祖の欺瞞を把握できないのでまだ検証が
必要です。手早く比較できる本という示しです。

739天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/27(日) 06:39:23 ID:r0NerhT.0
阿含宗の教祖は巧妙に本当の事実を嘘に交えながら論を展開しています。
なので無知識な人は騙され易い状況になります。
九十九さんはそういったことに成る前にここにきたので大丈夫かと思いますが、
ぜひ、阿含宗の教祖の言い分には耳を貸さず、冷静沈着、クールな判断で
検証を深めて行って欲しいです。

また阿含宗信者さんと会話して情報を得るのは手軽で簡単ですが、巻き込まれる
可能性があるので気をつけてください。
信者さんは悪意が無くても教祖の言い分をマジに信じています。
なので、教祖のように嘘をついている自覚も意図も無いので真剣だったりします。
そこにやられ易いのです。

また話をすることが出来る、ということは何らかの縁があるということです。
知り合いとかなら人間関係上「ほだされる」ということもあります。
おそらく九十九さんはそういうことは無いと思いますが。

なので長くなりましたが、私の述べたような状態や気持ちでなら教祖の本を読むのは
構わないと私はみます。ぜひ参考にされていただけたら幸いです。
また随時分からない点がありましたら、掲示板でどんどん聞いてください。

740名無しさん:2011/02/27(日) 11:40:00 ID:ysupfq4Y0
>>730 :準シュダオン
>不幸になる、本当の仏教よりも、
>幸福になる偽物の仏教の方が、有り難いわけです。
>要は、本物の仏教か否かよりも、幸福に成れる教えか、成れない教えか、
>それが問題でしょう。

あなたは不誠実な人間ですね。
偽物のアゴン宗では幸福にはなれません。でも、あなたにはアゴン宗がお似合いです。

741準シュダオン:2011/02/27(日) 11:42:03 ID:1F7rdgXk0
九十九さんは、不思議な体験とまではいかないが、それらしき体験は何度か
あった、ということですね。
う〜ん、宗教的要素があるのかどうか?解りませんね。
阿含経には、六神通を認めるどころか、証得(獲得)せよと説かれています。
煩悩が尽きた、生死(輪廻)が尽きたとか、六神通でしか確認できないからです。
だから、本当の仏教というか、阿含仏教は、カルトと紙一重なのです。

それを、既成仏教は、煩悩(欲)を無くせばそれでいい、それが本当の仏教だ、
なんて、毒にも薬にもならない人畜無害の仏教にしたようですw。
私の小中学、高校時代の担任にも、現役の坊主がいましたから、良く解ります。
勧善懲悪を進めてね、悪業には悪の報いがある、なんて、子供だましの教えを
受けたものです、天罰もある、なんてね。

わたしは、そういう教えは信じなかった。泥棒したって見つからなければ天国だ
ろう、ルパン3世を見なさいよ!とかね。殺人したとて、バレなければ、罰は
ないかも、と思っていたね、死んじゃえば終わりだし、と。まぁ、自分で犯罪
犯すことまでは考えなかったけど、業報思想はインチキだと考えてました。

それが今では、科学的根拠の無いものを信じてるんですから、人生解りません。
まぁ、宗教するなら、本当の苦重苦、というような、人生苦からが本当だと思い
ますね。お釈迦さまも苦しんで、妻子などよりも、自分を助けようとして出家し
たのです。最初から利他行なんて、そんなのインチキですね。

742名無しさん:2011/02/27(日) 14:36:43 ID:VKTfwnEQ0
ところで上座仏教の国々の在家は本物の福田に近いはずだけど貧困、内戦が多いのは何故?
インドでは原始仏教は滅びて大乗はイスラムの破壊とヒンドゥーに吸収され滅びて今あるインドの仏教は現代に再興されたもの。
在家の福は全て死後び還る?
在家に還る福が出家の理念の福が還るとするなら欲界から離別する福が還るからなのかな?

世の幸福を望むなら旧約聖書かな?
世の冨は旧約聖書を持つ民族が牛耳ってるようだね。

743ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/27(日) 14:56:36 ID:SmEF4Oe2O
>>734:名無しさん11/02/27(日) 05:34:26 ID:9L2os4AYO
>偽ビール製造について私が知人から聞いたのは、製造するにあたって自分が偽物を作っているとは知らず、そのうち同業者に裏切られ、罪を着せられたというものでした。

これは単に主犯格でないというだけです。
主犯格はSという男だと桐山さんは「現世成仏」という自叙伝まがいの本に
書いています。
しかし共犯者として知らないとは言わせません。
桐山さんは偽ビールを最初から作る気はなく、粉末ビールを作りこれに焼酎などを
加える即席ビール商品化の構想があったという。ところがそんな構想もまだ
実現化していない状態でキリンのレッテルが貼られた偽ビールが出荷してしまい、
それを知った時、主犯格のSから「もう遅いよ、堤さん」と言われたという。
Sはプロのブローカーで、逃げ、残った桐山さんが捕まった。
しかしそもそも日本では酒を醸造すること自体許可を必要とします。
そういう工場を作ること自体許可が得ないとできません。
だから偽ビールでない真面目なビール醸造にも許可申請が必要なんだから
桐山さんたちがやろうとしていたこと自体が法律違反です。
法律は知らなかったでは済まされない。事業を展開しようといういい大人が。
桐山さんはこの主犯格のSに危険な魅力を感じていたのだと言う。
もともと今の事業は生計を稼ぐ為であり、小説家志望なんだから、この怪しい魅力の
Sを小説の題材にもしたく、ついつい付き合っていたのだと言う。
しかしこの言い訳もおかしい。
桐山さんは偽ビールで逮捕される以前に、自分に刑獄の因縁という運命を占いで
知っていたのだという。「1999年カルマと霊障からの脱出」という著書に記述がある。
占いによると自分には他に素晴らしい吉星があるから、この凶星は相殺される
のではないかと期待していたのだという。
ところがSとの共犯以前に桐山さんは2回別の罪で逮捕されているのです。
それでやはり自分の刑獄の運命を自覚して恐れおののき、こんな危険なSなどに
近づくはずがない。
要するに桐山さんはまんまと騙されたウブな市民などではなく、相当したたかな
共犯者です。

744ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/27(日) 15:33:43 ID:SmEF4Oe2O
>>734:名無しさん11/02/27(日) 05:34:26 ID:9L2os4AYO
>しかし悪い縁を全て切ってしまわなければまた人間に生まれてしまい苦しむ事を繰り返す(と聞きました)だとか、そういう類いのものに少し疑問を感じるというか、阿含宗の事を知り合いから聞いて何かが違うと感じました。

まず話を整理しますと、桐山さんなど関係なく、仏教では生を苦とみなして
輪廻を説きます。この輪廻転生は釈尊が説いたものではなく、釈尊以前から
あったものであり、釈尊はこれを肯定したのです。
輪廻をするのは煩悩があるからであり、無知に始まり執着の煩悩があるから
来世もまた人間という苦から離れられない存在として生まれてくる。
苦は煩悩を抱えているそのこと自体が苦をいつまでも離さず増大させているのです。
だから生老病死などの四苦八苦を説くのですが、そんなことは当たり前のことですよね、
人間として生まれてきたからには。
しかしこれを当たり前のこととしてあるがままに受け止めることができず
ジタバタと恐れて回避しようなんて考えること自体が不当な欲望の煩悩なんです。
それがなければ病気や怪我などは単にそれだけの苦痛に過ぎないのに、煩悩があるから
さらなる煩悶に拡大してしまう。
それをなくせば一の矢を受けても二の矢、三の矢を受けることがない。
これが仏教の悟りであり、解脱とも涅槃とも言われる心の平安な境地です。
肉体は老化してボロボロでも心だけは安定して平和です。
煩悩に左右されない不動の境地です。
こういう状態で寿命が尽きると・・その死に方は事故死でも何でもよいのだが・・
もう依るべき煩悩がないから来世は人間として生まれることはなく、輪廻がなくなる
副産物も得られるわけです。だから我々は輪廻の先なんて気にすることなく
煩悩をなくせば生きているまま平安な涅槃を得るのですから、そこを目指せばよい。
ゆえに釈尊の仏教はカルトとも異なる。
しかし桐山さんはこの煩悩をいつのまにか運命の星としての因縁にすり替え
それは特殊な成仏法によらねば解脱を得られない、輪廻も続くぞと脅したのです。
ところがさらに笑えることに、今度はその輪廻もやむことにも価値を理解できずに
来世は面白おかしく意のままになるぞと夢想を説く輪廻転生瞑想法を近年説きだした
というのです。
つまり執着をますます捨てられなくなったのです。

745ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/27(日) 15:51:44 ID:SmEF4Oe2O
>>734:名無しさん11/02/27(日) 05:34:26 ID:9L2os4AYO
>その知人に阿含宗の実態を知ってもらいたいです…。
>だからこそ阿含宗の著書を読んではだめでしょうか?

それならば指定するわけではありませんが、私が>>743に少し紹介した
現世成仏(1983、力富書房)
1999年カルマと霊障からの脱出(1981、平河出版社)
などは試しにいかがでしょうか?
「現世成仏」は自叙伝構成ですが、読んだだけではわかりませんが嘘だらけです。
また「1999年カルマと霊障からの脱出」は、桐山さんが最も脚光を浴びた黄金時代の
ものです。
これより前の「守護霊を持て」が百万部を超える大ベストセラーになり、その流れにある。
守護霊よりも不成仏霊、霊障の恐怖を説き、それの解消としての解脱供養という
霊感商法を新たに展開した。
守護霊シリーズは豊富な面接指導の実例なんか書いているが、しかし面接指導を
受けた信者なんて探すのが困難、稀なほどされていない現実がありながら
作り話を書いている。
1999年カルマと霊障からの脱出はさらにノストラダムスの予言まで取り入れて
地球壊滅の恐怖で脅して、それを回避するアゴン宗の成仏法でなければ救われない
というカルト全開の名著(笑)です。
いずれもどこに嘘、欺瞞があるのか質問に応じて教えてあげます。

746準シュダオン:2011/02/27(日) 16:49:05 ID:1F7rdgXk0
>>742
そうですね。上座仏教の地域はなんで福田が見えないの?
その一つは、上座仏教は、部派仏教の一部だから、完全ではないね。
管長が、戒律仏教と呼んだことあるらしいけど、上座仏教の瞑想法は、
確かに、阿含経の瞑想法とは、違うね。

ヨーロッパの白人が、アメリカと共謀して、中東の石油を奪うために、王族を
保護して民衆を無視した。そのツケが、リビアデモを切っ掛けにして、中東を
襲いそうだね。善業善果というが、小さな善は解りやすいが、大きな善悪は解
らないね。例えば、小沢元代表を強制起訴したのは、善か?悪か?
こうなると、解らない。例えば、09年3月に大久保秘書が逮捕されて、小沢
代表は代表を降りた。西松献金疑惑で逮捕された大久保裁判では、検察側証人
が大久保秘書に有利な証言をして、検察は慌てて、10年1月に土地購入疑惑
で、別容疑で再逮捕した。チョンボしたと思われた、特捜部長は、捜査の責任者
でありながら、ろくな証拠も見つけないまま、捜査途中で栄転して転勤、東京か
ら居なくなっていた。アメリカ陰謀説まである。特捜部はCIAの子分だというのだ。
どうやら、日本記者クラブが、既得権益を守ろうとして、小沢つぶしの世論操作
をしているらしい、とも言うが、定かなことは解らない。

どれが本当かを知るのは、本当に難しい。
本当の仏教も、自称本当の仏教、が多くて、どれが本当か、定かでないね。

747天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/27(日) 16:51:09 ID:Dranygyk0
2chより http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297585419/l50

522 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU :2011/02/27(日) 02:46:00.87 ID:vR399Rkb
>>514:名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/26(土) 23:45:42.34 ID:IM/kWtyb
>ユビキタスさん、下巻は一般書店や阿含宗では販売されていませんが、国立国会図書館には置いてあるのです。
>これも謎?です。見に行かれたことあります?

これは初めて知りました。
そう言えば、何年か前の星まつりのテレビ放送の際の平河出版のCMで、
下巻の近日発売予定をやってましたが、その時は表紙などの装丁の完成品らしき
映像を映してましたね。
また天照さんも下巻が出たことになっているのに実際にはないことを不思議に
思っていたようです。 本屋はおろか教団内で売らないとは・・・ たしかに謎ですね。
今度機会を作って国会図書館に行って出してもらおうかと思います。

_______________

先ほどみて驚き。発刊されていて巷に無い???摩訶不思議ですねえ。
霊障の仏じゃ有るまいし(大笑)

私の知人の東京の法友もCMというか宣伝を聞いていたので「入荷する」と言ってましたが、
その後手に入れたというのを聞いてません。
つまり、宣伝だけしておいて発刊してませんね。

本やタウンというこのシステムに参加・登録している本屋さんで取りよせができるものが
あるのですが、それにも付いていますが発刊されてないので購入できませんね。

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?free=%8B%CB%8ER%96%F5%97Y&vague_search=1&x=24&y=9

巷に無くて国会図書館にあるこの不思議現象を教えてくれた名無しさんに感謝ですね。
またユビさん、国会図書館に行きました際は、レポートお待ちして居ります。

748深山:2011/02/27(日) 19:03:15 ID:sb9VXIi60
>>734 :名無しさん:2011/02/27(日) 05:34:26 ID:9L2os4AYO
>その知人に阿含宗の実態を知ってもらいたいです…。
>だからこそ阿含宗の著書を読んではだめでしょうか?

本を読むのはかまわないと思います。
ただ、お知り合いの信者さんにアゴン宗の実態を知ってほしいと
いうなら、九十九さんは中立の立場にたち、相手の信者さんたちに
「ネットの批判側がこんなふうに言っていたよ」という伝え方を
してはどうでしょうか。
たとえば、偽ビール事件で罪を着せられた、という主張が
成り立たないことは、>>743でユビキタスさんが反論しています。
こういう内容をその信者さんに伝えるのです。
偽ビール事件についての桐山さんの主張は、
1.インスタントビールを作ろうとした、
2.醸造所を買い取り、権利を確保した、
3.自分は偽ビールを作っているとは知らなかった、
4.密造酒で死んだ人が出たために特別に重い刑罰になった、
というものです。
しかし、これらは当時も今日も成り立ちません。

749深山:2011/02/27(日) 19:06:37 ID:sb9VXIi60
1.インスタントビールを作ろうとした、
桐山さんは試験醸造だからかまわないかのような書き方をしています。
しかし、試験醸造ですら、税務署の許可が必要です。
試験醸造という言葉に騙されないことです。
許可に際しては、誰が醸造するのかという人物まで調べますから、
密造酒の前科のあったS(主犯)が入れば、許可がおりたとは思えません。
いずれにしろ、桐山さんは試験醸造だろうがなんだろうが、
まったく許可も取らずに醸造したのだから、違法です。
インスタントビールを試験的に造ったもっともらしい言い訳を桐山さんは
していますが、当時も今日も立派な犯罪です。
税務署に相談すれば違法だとすぐにわかったはずです。
最初から相談しなかったのだから、犯罪だと百も承知でやったのです。

750深山:2011/02/27(日) 19:08:28 ID:sb9VXIi60
2.醸造所を買い取り、権利を確保した、
桐山さんは休業状態の醸造所を買い取って、あたかも醸造権が
あったかのような書き方をしていますが、これも成り立ちません。
醸造の許可は酒類別に行われますから、日本酒の醸造所を買い取っても、
ビールの醸造はできません。
桐山さんが作ろうとしていたインスタントビールは雑酒で、
それまで造られたことのない酒ですから、まったく新たに税務署に
申告して、許可を取る必要があります。
つまり、1と2の桐山さんの主張は、あたかも密造酒ではなく、
正式な醸造をしたかのようにごまかしているだけで、
実際にはできるはずがないのです。
税務署の許可をまったく取らずに醸造していた、この事実だけでも、
インスタントビールという名前の密造酒で一儲けしようとしたことは明かです。

751深山:2011/02/27(日) 19:11:14 ID:sb9VXIi60
3.自分は偽ビールを作っているとは知らなかった、
密造酒と偽ビールではたしかに違います。
だが、密造酒造りに最初から関わっていたはずの桐山さんが、
偽ビールを造っていることを知らないなんてありえるでしょうか。
ラベル製造器も購入した本格的なものだった。
それを桐山さんに知られないように工場の隅で印刷して、
貼り付けていたとでもいうのでしょうか。
逆に、では、造ったインスタントビールをどうやって売ろうとしたのでしょう。
税務署の許可も取らない「桐山ビール」を店に売り込んでも、
店だって摘発を恐れて買いません。
ただ造っても売れないのです。
そんなことを桐山さんが知らないはずはない。
桐山さんが偽ビールに関わったことは裁判の判決でも明瞭に示されてます。

752深山:2011/02/27(日) 19:14:44 ID:sb9VXIi60
〈第一、被告人白砂藤三、同丸山茂、同堤真寿雄は共謀の上、昭和二十八年四月二十七日頃から
同年五月二日頃迄の問、埼玉県北足立郡大和村白子千八百五十五番地広沢菊次方醤油工場に於
て、酒精分約三度五分位の日本ビール約三十箱〈約二石五斗)、酒精分約三十度の雑酒約一石、炭
酸瓦斯を水にて溶解したるもの約四石八斗、味の索、若塩酸、酒石酸、乳酸、砂糖、食塩、カル
メラ及センブリ液各若干等を原料とし琺瑯タシク、混合機及壜詰機等を使用し、ビール壜に仕込
み酒精分約一、五度乃至四度の雑酒約八石田斗(二打入約百箱)をビール名下に製造し〉
(「阿含宗・桐山靖雄の知られざる正体」77〜78頁)

これは桐山さんが有罪となった偽ビール事件の判決文の一部です。
「堤真寿雄」が桐山さんの実名です。
この判決では、罪状が四つあり、その内、上記の「第一」と、
私文書偽造の「第四」に桐山さんの罪が問われています。
第二は「蜂ブドウ酒」、第三には醸造未遂が指摘されており、
これら二つには桐山さんの名前はありません。
四つのうち、偽ビールと思われるのが上記の「第一」です。
炭酸ガスを混入して、カルメラで色をつけ、センブリなどで苦みを出し、
ビール名で製造したとあります。
つまり、偽ビールの製造について裁判所は桐山さんの責任を認定していたのです。

753深山:2011/02/27(日) 19:17:11 ID:sb9VXIi60
>>734 :名無しさん:2011/02/27(日) 05:34:26 ID:9L2os4AYO
>偽ビール製造について私が知人から聞いたのは、製造するにあたって自分が偽物を作っているとは知らず、そのうち同業者に裏切られ、罪を着せられたというものでした。

判決文を読む限り、これで、三十すぎの男が偽ビールを造っているとは知らずに、
同業者から裏切られたと言われても、何の説得力もありません。
罪など着せられていません。
だから、第一の偽ビールについても主犯ではなく、三番目にあります。
裁判はこれを見る限り、かなり公正に行われ、桐山さんだけが罪に問われたのではありません。
しかし、「第四」については桐山さんのみが罪を問われています。

754深山:2011/02/27(日) 19:20:52 ID:sb9VXIi60
〈第四、被告人堤真寿雄は、昭和二十六年九月十五日頃、千葉県東葛飾郡流山町三百二十八番地
の自宅に於て、事情を知らないタイプライター印書屋をして印書せしめて置いた、千葉県販売農
業協同組合は被告人の主宰する北日本物産商会を青森県岩手県等に於ける甘藷一手販売店として
指定し、甘藷五十車以上百車迄を昭和二十六年十二月末までに販売せしむる旨及その販売代金決
済方法等を記載した契約書と題する書面一通の末尾の契約書署名欄にほしいままに、偽造の右連合会代表
者たる会長堀越英次の記名ゴム印をその下に偽造の同人丸印を、更に同欄上部に偽造の右連合会
角印を夫々押印し、以て千葉県阪売農業協同組合連合会長堀越英次名義の権利義務に関する文書
一通を偽造し
たものである〉
(「阿含宗・桐山靖雄の知られざる正体」79頁)

ここでは農協の組合長の名前や印鑑を偽造して、相手方を騙して
契約書を作成したのが、桐山さんであることが明瞭に書かれています。
おそらく密造酒を造るための芋を購入するのに使ったのでしょう。
桐山さんはこういう文章によって人を騙すことに何の躊躇もない人で、
後に、自分のインチキ履歴書も二度も書いています。
イモを手に入れるのにも人を騙して、インスタントビールと称して、
醸造所の許可も取らずに偽ビールを造り、
これで偽ビールとは知らず、罪を着せられたなどとは、
恐ろしく空々しく聞こえませんか。
罪を着せられたと言う桐山さんこそが、
自分がしたことを他人に罪を着せていることになります。

755深山:2011/02/27(日) 19:25:07 ID:sb9VXIi60
4.密造酒で死んだ人が出たために特別に重い刑罰になった、

そもそも、桐山さんの裁判の直前にそういう事件があったかどうか、
わかっていません。
偽ビール造りに1年半の判決ですから、たしかに軽くはありません。
だが、それはちゃんとした理由があります。
桐山さんが偽ビールだけなら、刑罰はもっと軽かったでしょう。
一つが、桐山さんは私文書偽造という単独で別な罪があって、
両者を合わせた罪です。
二つ目に、逮捕歴三度です。
つまり、逮捕されてもまったく懲りることなく、密造酒造りに専念していた。
これは普通の人の神経ではありません。
そして、三つ目が、このことにからんでいるのが、桐山さんの開き直りです。
今日の桐山さんがまさにそうであるように、自分の罪をまったく
認めようともせず、反省もしなかったのでしょう。
桐山さんは国選弁護人だからうまくいかなかったかのように
未だに主張しているように、自分への反省が皆無です。
これが裁判官の心証を著しく悪くしたはずです。
逮捕されても反省せずに犯罪を続けた堤さんは、
起訴されても、相変わらず開き直って、おれは悪くないと言い張る。
これでは裁判官の心証が良いわけがない。

756深山:2011/02/27(日) 19:28:41 ID:sb9VXIi60
4.密造酒で死んだ人が出たために特別に重い刑罰になった、

桐山さんがどうして二度の逮捕にも懲りず、また裁判でも開き直りをしたのか。
これには桐山さん独自の性格があります。
自分はものすごく頭が良いと自惚れているからです。
二度の逮捕という、犯罪から引き返す重大なチャンスが二度もあったのに
彼はそのまま突き進んだ。
逮捕され警察でお説教を受けて釈放された時、彼は自分の頭の良い弁舌で
警察ごときは簡単に論破できたのだと思いこんだのでしょう。
実際は、警察は若い彼のために前科をつけまいと情状酌量にしたのだが、
これが災いし、桐山さんは自分の能力で警官ごときは簡単に言い含められると自惚れたのです。
裁判が始まっても、裁判官に詭弁を並べれば通用すると思ったのでしょう。
今の桐山さんを見ても、嘘で他人を騙すことがなんともない人です。
だが、もちろん桐山さんの妄想は裁判では通用しなかった。
逮捕歴三度、私文書偽造、偽ビールを造ったという桐山さんは
どう見ても、カタギの青年には見えません。
そして当時の、このヤクザ顔負けの堤青年の姿は今日の桐山さんの
嘘だらけの宗教とぴたりと同じ線上にあります。

757準シュダオン:2011/02/28(月) 10:42:43 ID:1F7rdgXk0
>苦は煩悩を抱えているそのこと自体が苦をいつまでも離さず増大させているのです。
>だから生老病死などの四苦八苦を説くのですが、そんなことは当たり前のことですよね、
>人間として生まれてきたからには。
>しかしこれを当たり前のこととしてあるがままに受け止めることができず
>ジタバタと恐れて回避しようなんて考えること自体が不当な欲望の煩悩なんです。
>それがなければ病気や怪我などは単にそれだけの苦痛に過ぎないのに、煩悩があるから
>さらなる煩悶に拡大してしまう。
>それをなくせば一の矢を受けても二の矢、三の矢を受けることがない。
>これが仏教の悟りであり、解脱とも涅槃とも言われる心の平安な境地です。
>肉体は老化してボロボロでも心だけは安定して平和です。

いやぁ、ユビさんの説には笑うしかないよ。人生、四苦八苦が当たり前だ、と
言われたのでは、釈尊の出る幕がないね。上記の説は、釈尊の悟りではなくて、
大乗仏教の考え方です。仕方ないものは有りのままに受け入れよ、という屁みた
いな教えです。そんな臭い教え、何で有りがたいの?
そういう諦めの教えは、負け犬というか、落ちぶれた人なら、誰でも悟る内容
ですよ!別に釈尊に教わるまでまでもない。そんなつまらん教えなら、お布施
あげる必要はない、馬鹿馬鹿しい。

阿含経の教えは、そんなつまらん悟りを教えるものではない。
苦(○○の因縁)の運命を持つ人の、苦(因縁)を断ち切るものです。
それを実感するためには、自分の苦・○○因縁を自覚している必要があ
ります。自覚のない○○の因縁など、切れようが切れまいが、実感できる
わけがない。
だから、因縁透視で他人から自分の○○の因縁を教えられているようでは、
あまり見込みがないね。自分の因縁を実感してから入行するこってすね。

758ラシン:2011/02/28(月) 11:57:31 ID:x9FuHHv20
>757 いやぁ、ユビさんの説には笑うしかないよ。人生、四苦八苦が当たり前だ、と
言われたのでは、釈尊の出る幕がないね。上記の説は、釈尊の悟りではなくて、
大乗仏教の考え方です。仕方ないものは有りのままに受け入れよ、という屁みた
いな教えです。そんな臭い教え、何で有りがたいの?

それはあなたが、仏教無知、音痴、阿含経知らずだからです。
この世は四苦八苦、だから娑婆の世界、といったのは桐山さんだ。
つまり、
仏教無知に飽き足らず、桐山教義にも無知だ、という体たらくです。

>そんなつまらん教えなら、お布施あげる必要はない、馬鹿馬鹿しい。

仏教を何か、金融投資と履き違えていないか?
レバリッジなどのハイリスク、ハイリターンと考える愚かさは、
全く以って、人間の下卑た根性丸出し。
普段の生活に成功も潤いも無いから、念力で一丁、儲けたれ?
この人間の下心が、ミエミエで非常に分かりやすい。
まあ、だいぶオツムが壊れて来たらしい。

>阿含経の教えは、そんなつまらん悟りを教えるものではない。
苦(○○の因縁)の運命を持つ人の、苦(因縁)を断ち切るものです。

だから、そうなら因縁切りだと説かれた阿含経を出してみなさい。
辞典の解釈、それも部派仏教の解釈をひっくり返し、いじくり回さず、
そのフン詰まりした便秘論を解消してごらん。
イチジク浣腸ゲイカすら、言ってもいないからゲイカ論は当てにならんよ。

759準シュダオン:2011/02/28(月) 13:33:12 ID:1F7rdgXk0
ユビさんは勉強家だからレスしときますが、阿含経の悟りと、大乗仏教の悟りは
違うのです。今のユビさんの、悟りの説は、従来の常識的な説です。それが正し
くて、阿含経の悟りと同じならば、阿含経を世に出す必要はないね。しかし、
大乗の悟りは、阿含からは変質しています。
 
阿含経の悟りは、「尽有漏 心解脱 生死尽 不受後有 生解脱知 」が、
常套句であり、煩悩と輪廻からの解脱と解脱知見を備えることがセットなのです。
しかし、大乗になるとそれが変質して曖昧になります。まず、それを見抜けない
といけません。仏教辞典で「さとり」の項を調べて理解してください。
阿含経の悟りと、大乗の悟りが、両方説明されています。

煩悩→業→苦、という業感縁起を肯定するのならば、管長の○○因縁論を肯定
せざるを得ないのです。そうでなければ、人生は偶然なのであり、釈迦の業報
理論は否定されてしまうのです。地獄、ガキ、畜生と表現するか、○○の因縁
と表現するかの違いだけです。その○○の因縁を透視する方法があるか否かは、
また別の問題です。

760準シュダオン:2011/02/28(月) 13:50:04 ID:1F7rdgXk0
仏教辞典の「悟り」の項には、
「悟りの行は、自利と利他の両面を願って行動し続けることである」と、解説
されています。ですから、我利我利信仰も悪いわけではありあせん。程度問題
なのです。そのあたりが、ユビさんなど、批判派には誤解があるようです。
自利も出来ない者が、利他など出来ようはずがないのです。良かれと思ってし
たことが、アダになるのがオチです。

自利が出来る者には、利他も可能でしょう。
キリスト教のイエスさまは、病人を治したり、盲人の目を見えるようにしたり、
死人に命じて立ち上がらせたり(仮死だったのでしょう)、水瓶の水を酒に変え
たり、多くの奇蹟を表しました。尾ひれがついてるでしょうけども、これを
すべて否定したのでは、宗教ではなくなってしまいますね。
釈尊にも、同じことが言えるでしょう。

唯物論、合理主義者には馬鹿げた話しでしょうねw。

761ラシン:2011/02/28(月) 15:45:11 ID:x9FuHHv20


>>759-760

ありゃ、みんな介護拒否ですかいな、保険適用外か。

762ラシン:2011/02/28(月) 16:59:32 ID:x9FuHHv20

桐山さんの「因縁解脱」の根拠

「おまえ苦しいだろう、お前が苦しいのは、
 苦しむ因縁があるからで、それをなくせば 
 苦しみは消える。
 その苦しみの元の因縁を切るのが仏道なのだ。
 因縁を切ることは仏道にしかできないのだ。
 だから仏道を歩みなさい。」
その”仏さまの声”を聴いて、私は四諦の訪問の真意を
理解したのです。(仏陀の真実の教えを説く141頁より抜粋)

これだけ? そう、これだけが桐山さんの因縁解脱の根拠です。
お釈迦さまの説かれたお経を読んでいて、お釈迦さまの声が、
聞こえてきた、と言う内容です。

どこかのデンパ老人と同じですよね。
学僧の解説書は文字が空転した言葉、概念の遊戯、だと貶し、
これらは、因縁を切り幸せを得ようとするには役に立たない、
のだそうです。
これをオシャカノ声を聴いたと言って、正当化しています。
たったこれだけが、桐山さんの根拠です。
なぜか?
阿含経をいくら探しても、因縁解脱を見出せなかったからです。

>>757 人生、四苦八苦が当たり前だ、と言われたのでは、
釈尊の出る幕がないね。上記の説は、釈尊の悟りではなくて、
大乗仏教の考え方です。
>>759 煩悩→業→苦、という業感縁起を肯定するのならば、
管長の○○因縁論を肯定せざるを得ないのです。

これらをすべてぜ〜んぶ、上記の桐山語録が否定していた。
もっとも「業感縁起」とは、惑→業→苦の循環に於いて、
輪廻する縁起のあり方をいうのですが、桐山さんはそんなことは
述べていません、「仏さまの声を聴いて」それを論拠としたのです。

いやあ〜、また老人介護をしてしもうた。

763名無しさん:2011/02/28(月) 17:16:06 ID:ysupfq4Y0
>>761:ラシン
>ありゃ、みんな介護拒否ですかいな、保険適用外か。

介護、お疲れさまです。
当初、準氏は岩波仏教辞典の「業感」の表現から 煩悩→業→苦、を持ち出し、この苦を
滅するためには煩悩を断っと同時に過去に為した業によって、
未来に受けるべき苦(○○の因縁)の、まだ発現していないものをを断たなきゃダメだ
とし、煩悩解脱は小解脱、因縁解脱は大解脱だと管長説を披露しておきながら
姑息にも、後のレスでは○○の因縁がまるで煩悩の一部であるかのように話を摩り替えてしまう。
多分、彼はきちんと反論する意思もないし初めから出来ない事も分っているのです。
準氏との真摯な対話など望めないし時間の無駄でもある。
もし違うと言うならユビキタスさんの >>654 にきちんと反論してみなさい。
準氏はきっとまた無視するでしょうね。
だから、こんな人との対話など無意味なのです。

764ラシン:2011/02/28(月) 17:46:37 ID:x9FuHHv20

誤:四諦の訪問  正:四諦の法門

介護ついでに(仏陀の真実の教えを説く131頁)から抜粋して、
くだらない老人のたわ言を桐山さんに、否定してもらいましょうか。

 「この縁起の法からみちびかれて出てきたのが、
  有名な四つの図式です。
 ー中略ー
  なにがある、かにがあると、限定したものはなにも出して
  いないのです。原理なのです。この原理を人間に即し、
  人間に当てはめて説かれたとき、人間における最大のテーマ、
  「苦」を主題にして述べられたのです。」

桐山さんは、縁起の法とは「苦」を主題にした「原理」だと述べています。
さて、

原理:事象やそれについての認識を成り立たせる、根本となる仕組み。

ですから、その原理を滅したらどうなるかは、自明の理です。
原理が無くなって、その仕組みが及ばなくなった世界と、
原理を滅すると言うのは、根本的に違うわけです。
まあ、このあたりは所詮、国語力の問題でしかないのです。

765準シュダオン:2011/02/28(月) 19:50:58 ID:1F7rdgXk0
>>>>654
宗教とは馬鹿げているものだ!と、いうことを、先ず知らねばいけない。
公立学校では、特定の宗教教育も、宗教活動も、禁じられているのです。
それだけ、宗教とは、怪しげなもので、認められた学問ではないのです。

だから、この宗教は正しくて、この宗教はおかしい、とは誰にも言えない
のです。
「私は、これこれの宗教で、これこれの考え方、修行をして失敗した」と、
いえるだけです。同じ宗教で成功している人もいるのですから、お笑いですw。
阿含宗で成功してる人もいれば、失敗してる人も居る、それだけです。
退会してまで付きまとう人は、それだけで、失敗の人生なのです。

766ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/02/28(月) 20:16:40 ID:SmEF4Oe2O
>>761:ラシン11/02/28(月) 15:45:11 ID:x9FuHHv20
>ありゃ、みんな介護拒否ですかいな、保険適用外か。

わめくから 殺してしまえ 準シュダオン

↑こりゃいかんと思うんですよね。

↓やっぱこれしかないんですかいのう。

わめくから 死ぬまで待とう 準シュダオン


>>765:準シュダオン11/02/28(月) 19:50:58 ID:1F7rdgXk0
>>>>>654
>宗教とは馬鹿げているものだ!と、いうことを、先ず知らねばいけない。

あの〜・・・これって>>654の反レスになっているのですか?
もうワケワカメw

767天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/02/28(月) 20:23:31 ID:KnRwakRA0
辞めたなら黙れ、ということなのでしょうね。
退会したのにグダグダいうな、と。
信者側からすれば、ウザイしね〜。
教祖がデタラメ行為しなければ、言われなかったんですがね。

768ラシン:2011/02/28(月) 21:21:31 ID:ka3sgn0E0
>765 :準シュダオン:2011/02/28(月) 19:50:58 ID:1F7rdgXk0
>>654
宗教とは馬鹿げているものだ!と、いうことを、先ず知らねばいけない。

もう、ワケワカメ(アゴンさん真似)という、切羽詰まり、フン詰まり、
下剤も効かない状態。 浣腸ゲーカ、って遅い。

オツムが、いや、オムツ、が役立たたず、爆裂しています。
だから、反論不可能=自分教しか、開「チン」できない。
お願いです、人格と品性だけは桐山さんを真似せず、
守りなさい! 戒 チ〜ン! オン去らば、オン猿ば〜、、、。

769ラシン:2011/02/28(月) 21:36:33 ID:ka3sgn0E0

>阿含宗で成功してる人もいれば、失敗してる人も居る、それだけです。
退会してまで付きまとう人は、それだけで、失敗の人生なのです。

批判側の誰が、そう言った?
オツムの壊れ度が、激しいようですね。

成功したなら、それでいいじゃないですか。
批判側は、阿含経を依経としている仏教だというアゴン宗は、
インチキで、ウソで、詐欺だ、と批判している。

あなた、何年もここに参板しても、まだこの本質を感受できないの?
だいじょーぶか。
あなたの成功って、私から言わせれば、ショボクて、チャライ!

偉そうに生意気を言いたいなら、もう少し説得力を発揮しなさい!
なに?
これで限界?、
じゃあ〜、黙ってなさい、レベルが低すぎだからね。
桐山さんの
RR車の憧れ度と変わらん、まあ、額が随分とちがうけどね。

770干柿:2011/02/28(月) 23:39:56 ID:BBtat4sE0
ちなみに2ちゃんの神社仏閣板には准提観音とかいうスレがありまして
じゅんてい観音は因縁解脱の本尊ですか、とかいう質問してたやつに
答えて因縁も解脱も仏教用語であるが因縁解脱などという言葉はない
宗教板のカルトに聞きなさいとバカにされていましたw
因縁解脱なんていうのは普通の仏教では使わないんだってさ準シュダオンさん

771名無しさん:2011/03/01(火) 00:15:59 ID:u/dw15d60
>>770
1993年だったかな、阿含宗は退会していたが阿含宗の洗脳が解けていないときで、
わたしは太陽と光の瞑想の後にトランス状態になって神社の神主の家の前に引っぱていかれたんだよ。
車に乗り無意識に勝手にハンドルを操作しながら行った所のない道へ入っていった。
引っぱていかれた家の神主はここの神社の神主。ヤマトタケルとミヤズヒメの縁の場所
            ↓
http://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/yukari/hikamianego_jinja.html

年末の時期で
この家の車庫で収穫された玉葱の仕分けを百姓さんたちがしてる最中に
自分は無意識に何を想ったのか?この家のポストに入れてあったカレンダーを取り
百姓さんに渡したら、じゃあ、この子がそうなのかな百姓さん達が話し出して
自分は無意識に、よしこれで因縁解脱ができるぞと言ったら、
あれあれまだ、こんなことを言っているぞこれりゃ駄目だと百姓さん達がいいだした。

その意味が今は、よくよく判るよ。神さんにビンタをくらったようだ。

772ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/01(火) 04:15:16 ID:SmEF4Oe2O
未明に霊感が・・・
次スレのサブタイトルノミネート。
【おまえはどこのワケワカメじゃ】

773神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/03/01(火) 05:50:51 ID:YaD7r0520
>>772
此方は次スレタイトル未だはよ−ゴザイマスが、
ユビさんキャッチコピ−旨いネ−
ついでに、今年の流行語大賞候補がでてきた
未だ春三月と言うのにワケワカメ!

774天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/01(火) 06:13:31 ID:wGWash2w0
>>772 さすがはユビさん。上手いなあ〜。
なお、サブタイトルは随時募集していますので、どうぞ応募のほどを。

今度はちょっとだけ長いサブタイトルでも調整をしますので13文字でなくても
応募下さい。ただ、異常に長いのは駄目です(笑)

775ラシン:2011/03/01(火) 10:29:36 ID:x9FuHHv20

スレ趣旨はあくまでも桐山アゴン宗ですから、
次スレのサブタイトルノミネート案:NO2。
【下巻は玄関までなのワケワカメ】
下巻が、出てこないからです。

776神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/03/01(火) 11:03:22 ID:YaD7r0520
>>775
【下巻は玄関までなのワケワカメ】
下巻が、出てこないからです。
みなさん、旨いナ−
こりゃ−天照さん悩むだろう!
ホントは事実がこれなら文句なし
「オレはぼけたよワケワカメ」

777ラシン:2011/03/01(火) 12:53:42 ID:x9FuHHv20

無関係さんの情報と天照さんのその資料提供に、
感謝申し上げます。

しかし、
記事内容のオームに関しては、私もその弁解著書を
読んでいたから思い出しましたが。
松本智津夫こと麻原が、教団信者リストに見つからなかったと。
理由は、生年月日に明治生まれとあったから別人だと思った?
目が悪い麻原が、レ点のつけマチガイであろうか、
それにしても確かに、教団側の管理のズサンさは否めない。
また、
麻原は面談指導していなくてもオーム幹部林郁夫は、
結婚式まで勤め上げたのが、桐山さんだった。
人間の運命は見抜けなかったということになって、大ハズレ!
大霊能者が、地下鉄サリン事件を防げず、結果多くの犠牲者を出した。
日ごろの平和祈願はどうしたのか、この時は休日だったから?
しかもこれに対して、宗教家としての一遍の責任すら桐山さんからは、
うかがえない。
記事コメントを読んでいて、胸が悪くなりました。

778ラシン:2011/03/01(火) 12:58:50 ID:x9FuHHv20


おおっ! ↑、スリーセブン777だ。
これぞ、神仏のお手配でっせ!
天照さん、なにか褒美はいただけない?
いけない、これぞ、見返り信仰だ。

すみません、スレをいたずらに消費いたしました。

779天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/01(火) 13:18:20 ID:Lyt9D/zk0
ははは。ラシンさん、めでたいですねえ。
何か褒美に成るものは・・・と考えたのですが、何にも無い・・・。
申し訳ないです。

でも、きっと何かいいことがあるかもしれませんよ。

780準シュダオン:2011/03/01(火) 15:06:51 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんは、もう気付いたかも知れないが、あなたは大乗仏教の
「悟り」と、阿含仏教の「悟り」の区別がついていなかったのです。
今はもう、区別がつくでしょう?

大乗仏教のさとりは、仏教辞典から引用しますよ、次の「 」部分です。
「すなわち煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが、大乗仏教の求め
 るさとりにほかならない。」←(仏教辞典の煩悩の項・そのまま引用)

どうですか?大乗仏教になると、「生死尽 不受後有」という阿含仏教の
さとりの定義が何処かへいってしまうのです。それをユビさんなどは、
これこそ本当の仏教だと、逆洗脳されてしもうたのですw。
惑→業→苦、という循環の滅が無ければ涅槃=さとりではありません。

気の持ちようで苦の解決はしません。考えても御覧なさい。
末期ガンで苦しんでる人に、煩悩無くせば楽になります、と言えますか?
借金苦で悩んでる人に、煩悩無くせば楽になりますと言えますか?
アホらしい。大乗のさとりでは、何の解決にもなりません。
客観的な苦の、滅が必要なのです。

惑→業→苦、の円環的因果関係を業感縁起と呼ぶのです。
この輪廻転生=業感縁起の滅が、初期仏教=阿含仏教のさとり、なのです。
だから仏教辞典に、「さとりは縁起の滅した世界とされた」と、書いて
あるのです。辞典は、約200名もの学者先生のまとめとも言えるもので、
一部の先生の意見とは違うのですよ。いわば総意とも言えるのです。
 因縁解脱という用語がないなんてのは、子供みたいな理屈です。
 「縁起の滅」した世界、を勉強することです。

781ラシン:2011/03/01(火) 15:34:25 ID:x9FuHHv20

天照さん提供 週刊新潮

大阪ミナミのホスト 中村大河さんとの放談
「さあやるぞ、かならず勝つ」宣伝ペイジ

この大河さんがホストになった理由は、夢のお告げだそうで。
大河「男として”一番”になりたいんすけど」
浣腸「じぇったい、勝とうと決心することだね」
大河「気持ちですか」
浣腸「うん、一日中。腹の中でいつもつぶやいていればいいのよ」
   (今夜にでも!)

ーダンマパダー
 戦場において百万人に勝つとしても、唯だ一つの自己に克つ者こそ
 最上の勝利者である。
 自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。
 つねに行いをつつしみ、自己をととのえている人、
 このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神もガンダルヴァも、
 悪魔も、梵天もなすことができない。

782ラシン:2011/03/01(火) 15:51:09 ID:x9FuHHv20
天照さん提供 週刊新潮
大阪ミナミのホスト 中村大河さんとの放談
「さあやるぞ、かならず勝つ」宣伝ペイジ

この大河さんがホストになった理由は、夢のお告げだそうで。
大河「男として”一番”になりたいんすけど」
浣腸「じぇったい、勝とうと決心することだね」
大河「気持ちですか」
浣腸「うん、一日中。腹の中でいつもつぶやいていればいいのよ」
   (今夜にでも!)

ーダンマパダー 第二一章
 たとえ樹を切っても、もしも頑強な根を断たなければ、樹が再び成長するように、
 妄執(渇愛)の根源となる潜勢力をほろぼさないならば、この苦しみはくりかえし現われ出る。

人は煩悩に支配されてる有為の世界にいて、悩まされ、
苦に苛まれています。
煩悩は、誰の目にも見えて、推し量れるものです。
釈尊は、見えない世界を説いたのではないことを知るべきです。

仏教の修行の目的は、
涅槃を証するためです。
涅槃とは、精神と物質の止息(消滅)をいいます。
それには
無貪、無瞋、無痴を基根とする善名法および、
貪、瞋、痴を基根とする不善名法を完全に消し去る必要があります。
それらは、再三再四、生・老・病・死という輪廻の苦しみを
作り出すからです。

観智と道智をもって、徹底的にそれらを消し去ることが出来たならば、
修行者は、涅槃を証することができます。
それには
人間の持つ傲慢や怒り、猜疑心はどこから生じてくるのか?
これをよく見つめ、その原因を突き止める。
その原因がわかったら、それを弱める努力、出さないように辛抱する努力、
出た場合、封じ込める努力、そして次第にひとつの煩悩が薄まり、
出なくなると、それらを常に監視して、二度と起きない努力をする。
釈尊はこれらを、日々、日常の生活の中での統御を指示した。
そして時に、
瞑想でその思いと、それによる所作が業を作り出すと理解し、
理解したら、二度と同じ業を作らない自身を修養する行に戻したのです。
成道した釈尊にしても、常にふたたび煩悩が出ないよう、
自己を監視続けていたのです。

783ラシン:2011/03/01(火) 16:53:15 ID:x9FuHHv20

桐山さんの因縁解脱なんて、どこを探そうがありません。

増一阿含経、巻13、地主品23、8、『國訳一切経 阿含部8』229頁
「此の三善根有り。云何が三と爲すや。不貪善根。不恚善根。不癡善根なり。
是を比丘の三善根有りと謂うなり。」

「一切行は無常なり 生ずれば必ず死あり 生ぜずば即ち死せず 
 此の滅を最楽と為す」
『國訳一切経 阿含部9』65頁

この「生ぜずば即ち死せず 此の滅を最楽と為す」 の
”此の滅”とは何でしょうか?
お経の前文にありますから記しましょう。

「爾の時諸の女、諸の塵垢尽きて法眼浄を得」64頁
http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky098800uoft#page/330/mode/2up

塵:汚れ不純物という点で、欠陥・欠点.さらには,心を汚す
  塵・垢として煩悩の意でも用いられる。

ようは、煩悩を滅すれば、「生死尽 不受後有」は、生死が尽きて、
次の生を受けない、との意味です。
簡単ですね、すなおに経典を読めば帰するところは、漏尽解脱です。

784アゴン:2011/03/02(水) 12:01:46 ID:OC45SUHs0
準シュダオンさん。私は別のスレで参加しているものです。
私は信者です。現在。
あなたのように朗々と持論を述べる勇気に感嘆いたします。なんにも怖いものがないようですね。
ですがいい加減にしてこのスレの内容を誰かにお見せしてみてはいかがですか?その勇気があればできるはずです!
恥ずかしくなってきますよ。

そして新たな援護を頼むべきですよ。

785ラシン:2011/03/02(水) 16:04:57 ID:x9FuHHv20

あごんさん、
アゴンさんは、いま非常に葛藤し苦しいと思います。
一皮脱ぐのは、身を剥がされるくらい苦しい。
私がユビキタスさんの経過を見て触発され決心がついたように、
アゴンさんもどうか、その過程を経験し納得を見出して欲しい。
また、アゴンさんが阿含経の論証を良く学んでから、
ご家族なり、ご友人法友と話されるべきで、
生半可での議論は、かえって立場と論拠を失います。
批判側は、どうしろなどとは勧めません。
あくまでも、あなたご自身のご判断が必要です。
批判側は、その論拠と資料を以って、事実のみお伝えいたします。

ー+スッタニパータ蛇の章4+ー
激流が極めて弱い葦の堤を壊すように、驕慢を滅して余すこと
なき修行者は、この世とかの世とをともに捨てる。
あたかも蛇が旧い皮を脱皮して捨てるようなものである。

ー+サムユッタ・ニカーャ+ー
799
智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見を
かまえてはならない。
自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人より「劣っている」とか、
或いは「勝れている」とか考えてはならない。
800
かれは、すでに得た(見解)[先入見]を捨て去って執著することなく、
学識に関しても特に依拠することをしない。
人々は(種々異なった見解に)分かれているが、かれは実に党派に盲従せず、
いかなる見解をもそのまま信ずることがない。

786準シュダオン:2011/03/03(木) 10:09:28 ID:1F7rdgXk0
アゴンさん、このスレは勇気など不要ですよ、匿名ですもん。
反論する人は、ほとんど幼稚ですしい、あらたな擁護を頼め、なんてw、
意味が解りませんね。相撲でいうと、批判派は幕下です。私は十両ドン尻くらい
です。力の差があるから、八百長も不要ですw。

アゴンさんは、わたしのレスの内容が理解できますか?
理解できたら、新しい擁護など不要なことがわかると思いますけどねえ。
わたしの、支えは仏教辞典ですからね。

787アゴン:2011/03/03(木) 11:20:20 ID:OC45SUHs0
786 スンマソン。まったく分かりません。
猊かってそんなマニアックな仏教講義してましたっけ?
ご自分の教義をえんえん語っておられるのでは。!?

788名無しさん:2011/03/03(木) 11:22:58 ID:ysupfq4Y0
>>786 :準シュダオン
>反論する人は、ほとんど幼稚ですしい、あらたな擁護を頼め、なんてw、
>意味が解りませんね。相撲でいうと、批判派は幕下です。私は十両ドン尻くらい
>です。力の差があるから、八百長も不要ですw。

あなたはいつもそうやって批判側を見下すが、ユビキタスさんの >>654 への反論はどうなっているのですか?
わたしはあなたの正式な反論をずっと待っているのです。
まさか >>765 がそうだとは言いませんよね?

789準シュダオン:2011/03/03(木) 11:23:24 ID:1F7rdgXk0
アゴンさんは、何か、批判派の意見が正しいと思うことがあるのですか?
あるならそれを書いてくださいな。わたしも、勉強になるかも。
それから、私の持論、とあなたは仰せでしたが、わたしは持論を極力控えて、
管長本や仏教辞典から、多くを引用しているつもりですよ。

790準シュダオン:2011/03/03(木) 12:03:09 ID:1F7rdgXk0
私の>>780 を読んでいただければ、
ユビキタスさんの、
>あなたは苦を外面のものとしか捉えていません。
>しかるに仏教では苦とは内面のものとして見つめるわけです。
>だから囚われの煩悩があればそれ自体が囚われの苦であり、囚われの煩悩から
>解放されると心は軽くなり平安になる。これが解脱です。
>またその桐山惑業苦の理屈で言うと、その〇〇の因縁は決して新しい苦ではない。
>それは生まれた時に既に決まっている運命だと説くからです。
>これから熟して形成されるのならばこれを運命とは言わない。
>怒らないとか煩悩を改善するだけで避けられるならば運命ではない。
>桐山さんの占う因縁は百パーセント当たると桐山さんは豪語する。
>あなただって肉体障害の因縁があると直接霊視されたとして、怪我したり眼科に
>かかったら、やったぜ!因縁は当たっていたと喜ぶでしょ?
>桐山さんは煩悩をなくす心解脱だけなら小解脱と言っている。
>運命を変えるのが大解脱としている。
>おかしいではないか?
>煩悩をなくしたのにどうして〇〇の因縁がなくならない?
>そして惑→業→苦で〇〇の因縁が形成されてしまったのです。
>生まれる前に。苦を生む業は前世になされた。
>だからこれを滅するにはタイムマシンが必要と言ったのです。

の回答になっていることが解からないでしょうか?
ユビさんは考えが浅いのです。例えば、苦を生む業は前世になされたの
だから、それを滅するにはタイムマシンが必要だという。
そうじゃないの、前世になされた業の場合は、現世での苦(○因縁)を
善業によって滅する、のです。
惑→業→苦、という循環は、時間が多くかかる場合と、すぐ現れる場合など
があるわけですよ。
 例えば、仏教辞典の「業感」の説明に、
「浮世の事はみな、前世の業感なり」(妙好人伝)
と、あり、阿含仏教の考え方が記されています。管長の生まれたときには、
現世での運命が決まっている、という説と同じですね。

791準シュダオン:2011/03/03(木) 12:15:30 ID:1F7rdgXk0
ユビさんは、
>これから熟して形成されるのならばこれを運命とは言わない。
>怒らないとか煩悩を改善するだけで避けられるならば運命ではない
と、言ってますが、このような考えには根拠がありません。
釈尊は、「業の機が熟したとき、諸々の苦を舐める」と、説いているので
あり、それを運命と呼ばずして、何と呼ぶのか。
地獄、ガキ、畜生の境界が業によって決まっているとしたら、それを
地獄、ガキ、畜生、の運命と呼ばずして何と呼ぶのか?
釈尊の説く、
「悪趣に堕せず」というのは、悪趣の運命を変えた、ということだろうよ。

792準シュダオン:2011/03/03(木) 12:30:28 ID:1F7rdgXk0
また、ユビさんは、
>しかるに仏教では苦とは内面のものとして見つめるわけです。
>だから囚われの煩悩があればそれ自体が囚われの苦であり、囚われの煩悩から
>解放されると心は軽くなり平安になる。これが解脱です。
と、書いてますが、阿含経にはこういう解脱の定義はありません。
ユビさんの解脱の定義は、大乗仏教の定義です。
大乗の「悟り=解脱」については、すでにレス済みです。

阿含経の解脱は、「心解脱、生死尽不受後有、解脱知見」がセットなのです。
輪廻解脱には煩悩解脱が意識され、含まれていますが、
煩悩解脱には必ずしも輪廻解脱が意識されていません。
それが、大乗の煩悩解脱の欠点なのです。

793準シュダオン:2011/03/03(木) 12:36:44 ID:1F7rdgXk0
また、因縁透視は、○○の因縁がある、と言えば、100パーセント当たり
なのです。
出たら、「ほれ、当たったろう」ですし、
出ない場合は、「修行で押さえた」、だから当たっているのです。

私は生まれつき、眼がいくぶん弱かったから、因縁透視など無くても
肉体障害の因縁があることは解かるがねw。

794アゴン:2011/03/03(木) 12:39:24 ID:OC45SUHs0
いやいやいやー。準シュダオンさん。
私は猊かの経典捏造 が間違いない事実なので猊かの教義で頑張ってる貴方はどこかおかしいのじゃないか?と思いますよ。
釈尊と猊かの雲泥の差に気がつかないのはどこに目がついてるの?て
思います。
ものすごく簡単なアゴン経の本で事足りましたよ。私は。
猊かはよく「お釈迦様のいうことなんで、わたくしがゆってるんじゃないんですよ!!」てよく自信満々にいってましたよね?ほんとに口は上手いですよ。でも実際の行いは??疑問符いっぱいつきませんか??
なので、まず釈尊に目を向けたらいかがです?

私はそれで目が覚めてきたのですから。

795名無しさん:2011/03/03(木) 13:55:49 ID:ysupfq4Y0
>>790 :準シュダオン
>ユビさんは考えが浅いのです。例えば、苦を生む業は前世になされたの
>だから、それを滅するにはタイムマシンが必要だという。
>そうじゃないの、前世になされた業の場合は、現世での苦(○因縁)を
>善業によって滅する、のです。
>惑→業→苦、という循環は、時間が多くかかる場合と、すぐ現れる場合など
>があるわけですよ。
> 例えば、仏教辞典の「業感」の説明に、
>「浮世の事はみな、前世の業感なり」(妙好人伝)
>と、あり、阿含仏教の考え方が記されています。管長の生まれたときには、
>現世での運命が決まっている、という説と同じですね。

また同じことを言っていますね。あなたの説明は堂々巡りです。
まったく反論になっていない。
 >現世での苦(○因縁)を善業によって滅する、のです。
これは〇〇の因縁を善業で滅するということと同じですよね。
そんなことを管長は言ってますか?
〇〇の因縁は煩悩と同じなのか、そうではないでしょ。
管長は
煩悩解脱(漏尽解脱)は小解脱で、因縁解脱(〇〇の因縁切り)は大解脱だと言っています。
準シュダオンさん、
〇〇の因縁と煩悩の関係を明確に定義して下さい。

796ラシン:2011/03/03(木) 15:23:24 ID:x9FuHHv20

ー雑阿含経・自軽経(自恐経)抜粋ー
汝 爾の時に当りて怖畏を生ずること勿れ。
命終の後、善処に生じて悪趣に堕せず、悪報を受けざらん。
譬えば、大樹の如し。初めて正長する時、恒常に東に靡けば、
若し斫伐あらんに、当に何方に向いて然る後堕落すべきや。
当に知るべし、此の樹必ず東向いて倒れん。
汝も亦是の如し。長夜に善を修して、若し悪趣に堕し悪報を
受くれば、是の処あることなし。(阿含経講義・上 106頁)

先ずこのお経はというか、釈尊は、命終の後の六道を気にかけ、
現世での悪趣などは、説いていないことを知る必要があります。
何故なら、
現世では「修業を完成せよ」であるからです。
沙門四果が、語るとおりで、現世利益など番外です。

先ず、経の前文では、マハーナーマが釈尊への質問である、
「自分は世尊のもとで修業していても、街の中で狂象や車や馬などに、
 轢かれたとして、その時に三宝を忘れ、世尊を思わずに死んだとしたら、
 いったい私は、どんな報いを受けて、何処の境涯に生じるのでしょうか」
との問いに答えられたのが、上記お経の内容です。

釈尊は答えます、そのような恐れを抱くことはありません。
まじめに修養しているそなたは、死んでも善い所に生じて、悪い所には生ぜず、
悪い果報も受けません。
例えば、大樹のように成長するときに東を向いて樹が伸び出したら、
若しそこで伐採されても、どの向きへ倒れるかと言えば、
必ず東方へ倒れるように、そなたもこれと同じことです。
長らく善行を為して、悪趣に墜ち、悪報を受けるなら、
このような道理など、説くわけが無いのです。

善行をしたら、死後は悪趣に墜ちませんよ、と説かれています。
善行をしたら、この世で美味い飯が食えて綺麗なおネエチャンと、
遊べますなんて、ウンメイ話しでは、ありません。

また業とは、行為のことまたは作用などです。
悪業とは悪い行為の意味で、悪いことをした、との意味です。
インド全般に知られた意味解釈で、仏教でもそれを精進努力し、
現状打破の自発的行為としての業は、強調されていた。
ただし、惑業苦の円環的因果関係の論理は、説一切有部の解釈です。

桐山さんは、これらの解釈の中に、”因縁切り”を紛れ込ませたのです。
お経のどこにも書かれていないのに、八百長解釈です。
人情解釈と称して、恥じないのがアゴン宗信徒にも居ります。
ならば、
殺人鬼だったアングリマーラは、解脱してウンメイことになったか?
托鉢の際には、常に周りから復讐され、暴力行為を受けていたのです。
目連であっても、運命転換など出来なかった。
過去に作った業によって外道から撲殺された。
目連は捨身供養などではなく、甘んじて受けたのはそれを避けても、
業は消滅しないし、新たなる業を作りたくなかっただけのことです。
ですから、善業が悪業を相殺するなんて、タワケ話しなどありません。

797準シュダオン:2011/03/03(木) 16:00:43 ID:1F7rdgXk0
○○の因縁と煩悩の関係を明確に定義してください、と、名無しさんは書きました。
仏教辞典には、明確に示されているのですよ。前にも書いてますが、再度、辞典
から引用いたしましょう。
惑(煩悩)→業→苦の円環的因果関係を業感縁起と呼ぶわけです。
煩悩に基づく行為(業)が苦を形成している、という意味です。
で、その苦には色々ありますから、
管長はそれを○○の因縁と名づけていますし、釈尊は地獄ガキ畜生と名づけています。
この業感縁起が、運命を形成するについての考え方を、仏教辞典の「業感」という
項で、二つ示しています。

引用しましょう。次の二つです。
1、「それ災禍の興る、ほぼ三種あり、一つには時運、二つには天罰、三つには業感」
2、「浮世の事はみな、前世の業感なり」

1、の考え方ですと時運と天罰は業感(業の報いの苦)ではないとしていますね。
2、の考え方ですと、みな業感ですから、十割業の報い、になります。
どちらの考え方が正しいのか、そこまでは記しておりません。

煩悩と苦(○○の因縁)の定義、関係が理解できたでしょうか?
○○の因縁を否定することは、阿含経の縁起説を否定することになるのです。
もっとも、大乗仏経では阿含経の縁起説を否定しているのですがね。

798準シュダオン:2011/03/03(木) 16:19:26 ID:1F7rdgXk0
○○の因縁を善業で滅する、と私は書きましたけど、善業とは修行のことですよ。
管長は、そのように説いてるのです。名無しさん、よく考えてください。
管長のいう因縁解脱とは、煩悩→業→苦の循環(輪廻)を、滅するという意味
なのです。それが大解脱の意味です。煩悩解脱だけではなくて、業解脱と苦解脱
をも意味しているのです。

「仏陀の真実の教えを説く」本の、煩悩解脱と業解脱、というところで説明して
いるでしょう?前世で為した不徳=悪因縁を滅せねばいけない、と。
これは、前世で為した不徳が、現世の未来に受ける予定の○○因縁を形成して
いるから、その○○因縁を修行で滅せねばいけない、という意味です。

799準シュダオン:2011/03/03(木) 16:36:42 ID:1F7rdgXk0
アゴンさん、私は管長の経典捏造などで修行はしてませんよw。
わたしは、阿含経と仏教辞典で修行しています。
もしも、管長が経典を捏造したとしたら、正しい方の経典で修行すれば良いだけ
です。捏造と知るからには、正しい経典を知ってるわけでしょうから。
捏造って、まさか三善根と三福道の関係?
だとしたらアホらしいよw。
わたしが、経典訳者なら、三大福道、と訳すところですね。
経典の魅力を示さねばいけないわけですからね。

アゴンさんは、目が覚めてきた?
情けない、今まで眠っていたのかい?
それとも、己の欲かき信仰に目覚めてきたと言う意味かい?
それなら目覚めるのが遅いよ!
邪心から修行しても無駄ですからね、お金出しても奉仕しても、
骨折り損のくたびれもうけ、だけだろうね。

800ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/03(木) 16:55:11 ID:SmEF4Oe2O
>>799:準シュダオン11/03/03(木) 16:36:42 ID:1F7rdgXk0
>捏造って、まさか三善根と三福道の関係?
>だとしたらアホらしいよw。
>わたしが、経典訳者なら、三大福道、と訳すところですね。
>経典の魅力を示さねばいけないわけですからね。

準シュダオンさん。訳ではないんだよ。
(桐山さんの)命名だと書いている。
つまり三福道という経典はなく、桐山さんの命名によるものだという。
理由はあなたの言うように経典の魅力を示すためだ。
だからあなたはそれを読んだら喜ぶでしょう。
しかし桐山さんは三福道は自分の命名などとこれまで長く説いていなかった。
このネタは2ちゃんねるにて詳細発表する。引用も添えて。
なぜなら2ちゃんねるで国立国会図書館の情報を得たのだから。

801名無しさん:2011/03/03(木) 16:57:29 ID:ysupfq4Y0
>>797:準シュダオン

あくまでも桐山理論での説明ですが
あなたが前に書いたように「過去に為した業によって、未来に受けるべき苦(○○の因縁)のまだ発現していないもの」が
○○の因縁であり、これは苦(○○の因縁)そのものとは異なります。
発現していない間は苦(○○の因縁)を感じることはありません。
つまり ○○の因縁=種子 であり、縁によって発芽してはじめて苦を受けることになります。
わたしがあなたに問いたいのはこの種子そのもののことであり発芽した後の苦ではありません。
わたしが伺いたいのは ○○の因縁=種子 と煩悩の関係なのです。
だって桐山理論はこの種子を切って縁にあっても働かないようにする訳ですから。
この関係を明確にせずに業感縁起を持ち出しても意味ないでしょ?
「惑(煩悩)→業→苦の円環的因果関係を業感縁起と呼ぶ」と仏教辞典をもちだしても無意味です。
○○の因縁=種子 と煩悩の関係はあなたの頭の中でどう処理されているのでしょう?

802ラシン:2011/03/03(木) 17:36:29 ID:x9FuHHv20

>>797-798については反面教師として扱い、正しく考察しておきます。

>1「それ災禍の興る、ほぼ三種あり、一つには時運、二つには天罰、三つには業感」
2「浮世の事はみな、前世の業感なり」

これらは↑、
1は空海の「秘蔵宝論」や、2は浄土教や浄土真宗の「妙好人伝」のもとが、
善導の『観無量寿経疏』散善義において書かれたものです。
どちらも、大乗仏教からの解釈です。

大乗仏教にケチをつけながら、大乗仏典に頼る愚行。
それも、常の通り、正しく掲示しない八百長解説です。

業感:業による報いを感受すること.善悪の行為を原因として
   苦楽の結果を受けること.このように,業を中心に据え,
   業は”惑”(煩悩)の結果であり,その業から苦が
   結果するというように,惑→業→苦の循環において輪廻する
   縁起のあり方を解釈したものを<業感縁起>という.

しかし、この解釈は部派仏教の説一切有部十二支縁起に基づく、
三世両重の因果説である。
(岩波仏教辞典)

このように初期仏教・釈尊の説かれた阿含経を補完するものではなく、
難解で煩雑となったアビダルマ論師の手による吟味弁別の解釈からの
作為的なる剽窃です。

論師たちは、教理の体系化を進めて、須弥山説といわれる巨大な
宇宙観を含む壮大な教理体系を築き上げたといわれる。
ヴァイシェーシカ哲学の宇宙論においても影響されたようです。
野沢正信 (沼津高専 教養科 哲学)参照
また、
百歩譲ったとしても、どこにも「因縁解脱」や「業解脱」という
言葉のみならず、概念すらありませんから、八百長、捏造です。

まあ、アゴン宗信者のある種、ズルイ典型例であることは否めません。

803ラシン:2011/03/03(木) 17:43:17 ID:x9FuHHv20
>801 :名無しさん
>わたしが伺いたいのは ○○の因縁=種子 と煩悩の関係なのです。
だって桐山理論はこの種子を切って縁にあっても働かないようにする訳ですから。
この関係を明確にせずに業感縁起を持ち出しても意味ないでしょ?

鋭い的を得た指摘ですが、最初から理解していません。
と言うより、出来ないのです。
理由は、桐山標語は覚えても、教義には疎いからです。
まあ、ワケワカメいみとろろで、明解にすることは無理でしょうね。

804準シュダオン:2011/03/03(木) 20:03:35 ID:1F7rdgXk0
○○の因縁=種子と煩悩の関係はあなたの頭の中で、どう処理されているのか?
と、いう名無しさんの問いです。
先ず、惑(煩悩)→業→苦、の輪廻の関係において、釈尊でさえ、すべてを解き
明かしているわけではないということが、第一点です。前世の行為(業)が、
現世での運命に作用していると釈尊は説いてますが、現世での運命が過去の業に
何%支配されるのかが、不明です。ですから、理詰めで運命・○○の因縁をすべて
解明することは不可能でしょう。謎は、どこまでも残るのです。

ですから、種子としての○○の因縁は、それはあるのだ、としか申し上げられ
ません。煩悩が、どのような経緯で苦(○○の因縁)を形成するのか、という
プロセスは、天眼という超人的な力なしには、解明できないのです。
それが、釈尊の阿含経の教えでしょう。

あとは、その釈尊の言を、信じるか信じないかの問題だと思いますね。

805準シュダオン:2011/03/03(木) 20:16:39 ID:1F7rdgXk0
はっきり言えることは、煩悩による行為(業)が、種子としての○○の因縁を
形成しているのであれば、善による行為(善業)によって、その○○の因縁を
滅することも可能であろう、という理窟です。

悪業が悪○因縁を形成するのなら、善業で悪○因縁を変えられるであろうという
理窟です。泥水に清水を流せば、水は清くなるであろう、という理窟です。
その泥水が種子の段階であっても、効果はあるであろうという、考え方ですね。

806ラシン:2011/03/03(木) 20:26:31 ID:ka3sgn0E0

>あとは、その釈尊の言を、信じるか信じないかの問題だと思いますね。

だったら、釈尊・仏教を語るな!

勝手に桐山密教をやればよいでしょう。
ウソや、偽装は、やめなさい!

悪業だけ積んでいるくせに、績徳なんて言う欺瞞はやめなさい。

807天照 ◆8Sws/yExDc:2011/03/03(木) 21:47:47 ID:wwYM5Foo0
週刊実話の阿含宗の記事の続き出ましたね。
以前2chで情報を求めていた「ライターやまだ」さんは本当にこの方だったようで。
来週も楽しみです。

808名無しさん:2011/03/03(木) 22:36:02 ID:ysupfq4Y0
>>804 :準シュダオン
>ですから、種子としての○○の因縁は、それはあるのだ、としか申し上げられ
>ません。煩悩が、どのような経緯で苦(○○の因縁)を形成するのか、という
>プロセスは、天眼という超人的な力なしには、解明できないのです。
>それが、釈尊の阿含経の教えでしょう。

そうでしょうね、私もこのことについて桐山管長から伺った記憶もないし、またこのこと
についての書物の有無も知らない。
だから 桐山理論と仏教理論 の整合性となると問題がありすぎるのです。
確かに桐山理論はある意味で大変魅力のある理論であった。
初期の頃の管長は仏教の因縁に独自の意味を付加して彼の理論の補強も図っていた。
たとえば心理学の言葉を使い
  「 因縁 = 深層心理、無意識の意識層における行動選択の偏向性のパターン 」 
などの説明がそれで、当時は魅力を感じたものです。
だから管長には仏教とは一線を画して追求してほしかったが今となっては何の希望もありません。
特にアゴンの実践理論となるとあまりにもお粗末で、ほとんどないに等しい。
あなたが >>780 で書いた言葉
 >気の持ちようで苦の解決はしません。考えても御覧なさい。
 >末期ガンで苦しんでる人に、煩悩無くせば楽になります、と言えますか?
 >借金苦で悩んでる人に、煩悩無くせば楽になりますと言えますか?
は正直に言えば気持ちはよく分ります。
たとえば、今話題の 陰陽師・橋本京明 氏の鑑定などをYouTube でみれば何か感じるものがあります。
  ↓陰陽師・橋本京明
http://www.youtube.com/watch?v=Wxi68iu9f5A
しかし、桐山管長に彼のような力はありません。

809名無しさん:2011/03/04(金) 00:20:27 ID:7odXoXBY0
>気の持ちようで苦の解決はしません。考えても御覧なさい。
>末期ガンで苦しんでる人に、煩悩無くせば楽になります、と言えますか?

釈尊の教えは五感で享受する現世の悦楽など棄てるものであり解脱しているものに対しては
病の苦を脱するのに自殺を認めている。

>借金苦で悩んでる人に、煩悩無くせば楽になりますと言えますか?

煩悩無くせば在家から出家を志す、出家したものの戒に不蓄財があるから借金は自己破産みたいなもんで
金の無い人間から債権者もとりようがない。
かくして借金苦はなくなる。

810準シュダオン:2011/03/04(金) 08:59:47 ID:1F7rdgXk0
自殺は苦じゃないのか?
出家が大嫌いな人には、出家は苦だろうがw?
借金苦を出家苦に変えただけだろう。
こんなのじゃ、議論にならん。
だめだ、こりゃ、(猪狩や調)

811準シュダオン:2011/03/04(金) 09:27:56 ID:1F7rdgXk0
橋本京明氏については、テレビで彼の鑑定する様子を見たことがありましたが、
確かにすごい能力をお持ちでした。しかし、京明氏のやり方では、大衆を救う
ことは出来ません。面接出来た人だけに、救いの可能性があるだけです。それ
では限界があります。

今の管長はどうか解りませんが、管長の若い頃は、京明氏を凌ぐ能力があった
と私は思います。だから一宗を立てることができたのです。仏教の目的は、苦
の滅です。岩波仏教辞典の「苦」の項には、
「初期仏教やアビダルマ仏教では、この苦を直視し、これを超克することが最大
 の課題であった・・・大乗仏教に至ると・・・苦が最大の関心事ではなくなり・・」
と、記されています。

つまり、阿含仏教は苦の解決が目的であり、大乗になるとそれが変質してしまう
のです。だから、ユビさんなどは、人生に苦はつきものだ、などと言い出して、
お釈迦様の出る幕がなくなってしまうのですw。
お釈迦さまの仏教は、煩悩→業→苦の循環=輪廻転生を滅する教えです。
前世の業が、苦(○因縁)の種子になって、現世に繰り越されて来ている、という
ことが前提になって成り立つ教えです。

煩悩→業→苦の循環において、前世の業が現世に繰り越すことを否定しては、釈尊の
教えは成り立ちませんね。

812準シュダオン:2011/03/04(金) 09:49:25 ID:1F7rdgXk0
「桐山理論と仏教理論の整合性」と、名無しさんは書きましたが、
苦についての仏教理論は、大まかですよ。四苦八苦、地獄、ガキ、畜生、愁、
悲、憂、悩、というのが仏教の苦の定義でしょう。具体的な内容までは、示して
おりませんね。
 その点、桐山○○の因縁論は、具体的に苦の内容を示しており、仏教経典より
も親切だと思いますね。
私見を少し言わせて貰うと、わたしは、会費を払って、一日5〜10分程度の
勤行をしてるだけでも、○○の因縁を切る効果はあると思いますよ。あと宗報を
読んで勉強する程度でもいいね、こういうと、「梵行せい!」と言う管長に叱ら
れるでしょうけどね、私の体験上は、そう思いますね。

813ラシン:2011/03/04(金) 12:18:23 ID:x9FuHHv20

アゴン宗流の小解脱「漏尽解脱」も出来ていないのに、
大解脱「因縁切り」が出来て来たと大ホラを吹く信者がいます。

814ラシン:2011/03/04(金) 16:14:48 ID:x9FuHHv20

因縁論や因縁解脱について、いちおう記述しておきます。
過ったオカルト造語ですから、間違った解釈の無いように↓。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E7%B8%81%E8%A7%A3%E8%84%B1

仏教に於いて解脱者の自殺は、あながち禁じられたことではない。

>「自殺を禁じない」と言うことは「自殺を勧める」こととは全く異なった態度です。
(以下に参照した文です)

このあたりは、国語力の問題ですがね。
釈尊にしても、成道しそのまま涅槃界に留まろうとした。
この悟りは、無師独悟のものであって、その内容は他者が理解しがたいと考えた。
しかし、有名な梵天勧請で思い起こし、衆生への説法に踏み切ったという逸話がある。

事例1:ヴァッカリの自殺(サンユッタ・ニカーヤ(相応部22.87))
---{
長者ヴァッカリは、陶器づくりの者の家で、病にふし、困苦し、重病であった。
…skip
(ヴァッカリの願いで釈迦が病床に訪れ、体の具合を尋ねる。ヴァッカリは釈迦に答える)…
「師よ、わたしにはしんぼうができません。元気もございません。強い痛みが増して、
 薄らぎはしません」
…skip
(釈迦はヴァッカリに無常を説いた後、帰る。その夜、鬼神が釈迦を訪れ、
ヴァッカリの涅槃(同時に自殺でもある)を予言する)…
釈尊はその夜が過ぎてのち、比丘たちによびかけられた。
「比丘たちよ、あなたがたはヴァッカリ比丘のところへいきなさい。
 行ってヴァッカリ比丘に次のように伝えなさい。
『…ヴァッカリよ、おそれるな。おまえの死は罪に汚れてはいない。
 罪なくして臨終を終えるであろう』と」
…skip
(比丘たちはヴァッカリに釈迦の伝言を伝える。
 ヴァッカリは教えに疑念を持っていないと釈迦に伝えてくれと比丘たちに頼む)…
「友よ、承知しました」と、この比丘たちは長者ヴァッカリに返事をして、
帰って行った。そのとき長者ヴァッカリは、この比丘たちが出てゆくや否や刀を取り出した。
…skip
(ヴァッカリは自殺した。後にそれを知って釈迦は次のように述べる)…
比丘たちよ。善男子ヴァッカリは、その魂がどこかに止まることなく、
完全な涅槃に入ったのである」
---}『バラモン教典・原始仏典』456ページ。中央公論社
参照転載 http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html

815準シュダオン:2011/03/05(土) 11:18:14 ID:1F7rdgXk0
苦についての定義も、仏教辞典に書かれているように二つありまして、一切皆苦の
場合は、すべてを苦ととらえます。たとえ楽であっても、無常の原理により、
いずれは楽を失う苦を免れませんから、苦です。
仏教辞典の「修行」の項に。
「初期仏教以来、修行の目的は苦滅の境地に達すること」と書かれています。
つまり、苦滅の境地が、初期仏教のさとり、なわけです。
そして、苦=迷いの輪廻転生、を縁起ととらえて論を展開し、
苦=輪廻転生=縁起、の滅を、さとりとしたのです。
だから、仏教辞典に、「さとりは、縁起の滅した世界」と、書かれているのです。
因縁の滅でも同じ意味です。

これからは、因縁の滅とか、縁起の滅について、解説する仏教学者が多く出て
来るでしょう。仏教に因縁解脱なんてない、と言ってる人は、阿含経を知らない
先の読めない、過去の仏教しか知らない人です。後で恥かく運命ですね。

苦滅の境地に達することが、初期仏教以来の目的でしたが、大乗になると、それ
を忘れてきます。だから、その影響を受けたユビキタスさんなどは、人生に苦は
付きものだ、それを滅するなんて逃避だ、と言い出す始末ですw。
 しかし、まぁ、ユビさんは勉強家だから、来世以降はそのことに気づいて、成仏
の道を進めるでしょう。

816ラシン:2011/03/05(土) 12:29:58 ID:ka3sgn0E0

縁起を理解していない気取り屋がいるようですが、
漢文を読めるなら、いかにタワケかが、わかります。

阿含部 縁起經8
如是我聞。一時薄伽梵在室羅筏。住誓多林給孤獨園。
與無量無數聲聞菩薩天人等倶。爾時世尊告?芻衆。
「吾當爲汝宣説縁起初差別義。汝應諦聽極善思惟。
 吾今爲汝分別解説。」?芻衆言。唯然願説。我等樂聞佛言。
「云何名縁起初。謂依此有故彼有。此生故彼生所謂無明縁行。
 行縁識。識縁名色。名色縁六處。六處縁觸。觸縁受。
 受縁愛。愛縁取。取縁有。有縁生。生縁老死。
 起愁歎苦憂惱是名爲純大苦蘊集。如是名爲縁起初義」ー後略ー

縁起の滅は、説一切有部發智大毘婆沙論なのです。
阿毘達磨大毘婆沙論では、縁起滅智とも解されて、
涅槃を得れば、生死の世界に束縛されず、
それはもう再び縁りて起こらない世界だ、と言うことです。

817ラシン:2011/03/05(土) 12:41:37 ID:ka3sgn0E0

どだい桐山因根切りは、悪因縁だけに限定されるべきとなる。
善因、良い因縁をどうするのか?
自動判別機でも購入しますか。
自動判別機が壊れて善因まで切っちゃた、さあ大変。
道品法を学び行ずる因縁まで切っちゃた、さあ大変。
ほとんど、
お笑いの世界、恥をわざわざ学者が、研究解説する分けがない。

818ラシン:2011/03/05(土) 12:58:00 ID:ka3sgn0E0

深山さん

捨てアドにメールしております、よろしく。

819ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/05(土) 13:04:07 ID:SmEF4Oe2O
私は今回国立国会図書館から複写してきた一部の資料を共有したいと願っていますが、
いかんせん、スキャナーなどなく、特定個人に郵送という形でしか送れません。
今日土曜日は国会図書館は殺到しているのかしら?

820名無しさん:2011/03/05(土) 15:45:10 ID:ysupfq4Y0
>>805 :準シュダオン
>はっきり言えることは、煩悩による行為(業)が、種子としての○○の因縁を
>形成しているのであれば、善による行為(善業)によって、その○○の因縁を
>滅することも可能であろう、という理窟です。

○○の因縁=種子 と煩悩ですが、
桐山造語と理解して使いますが、因縁の種類 の中に「ガンの因縁」があります。
これがもっとも ○○の因縁=種子 に当てはめて説明しやすい因縁です。
たとえば歌手の川村カオリさんは乳ガンで亡くなりましたがお母さん(ロシア人)も
若くして乳ガンで亡くなっています。
特に乳ガンは遺伝性が強いのか母親が乳ガンの場合、子供に出る確率が高い。
この場合の「ガンの因縁」=「ガン遺伝子」と考えてよいでしょう。
すると、ガン遺伝子はDNAかRNAかは分りませんが染色体の中にあって
親から子へと遺伝しこの種子が環境が整えば発芽するわけです。
さて、この段階でガン遺伝子と煩悩を比較してみると、眠っている点は似ていますが
ガン遺伝子 = 煩悩 ではないし、煩悩はもちろん染色体の中にはありませんから
○○の因縁と煩悩は完全に独立した別の領域に存在すると考えるのが妥当でしょう。
ところで、前にも書きましたが管長は次のようにも言ってます。
「 因縁 = 深層心理、無意識の意識層における行動選択の偏向性のパターン 」 
この表現では ○○の因縁 は無意識の意識層に存在していることになります。
また煩悩については、
煩悩が眠っている状態を随眠と呼び、それが覚めると纏と呼ばれ、心の奥深くに眠っている
心の状態は無意識の意識にほかならないとも言ってます。
この表現では○○の因縁と煩悩は同じく無意識の意識層にあることになる。
これって辻褄が合いますか?
また、因縁を切るって、この場合は染色体の遺伝子の修理みたいなものですが
善業で修理ができるのか??

821天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/05(土) 16:43:37 ID:UTqTPly60
ユビさん、お部屋ヨロ、です。

822名無しさん:2011/03/05(土) 18:25:26 ID:HxJnGdDg0
間脳思考―霊的バイオ・ホロニクスの時代 [単行本]
http://www.amazon.co.jp/%E9%96%93%E8%84%B3%E6%80%9D%E8%80%83%E2%80%95%E9%9C%8A%E7%9A%84%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E6%A1%90%E5%B1%B1-%E9%9D%96%E9%9B%84/dp/4892030058
「三善根」に関する不思議な経典, 2005/5/4
By vivekatrek (大阪府枚方市) -
(トップ500レビュアー) レビュー対象商品: 間脳思考―霊的バイオ・ホロニクスの時代 (単行本)
本書に引用された「増一阿含経 三供養品(増一阿含経2番)」は不思議な経典である。著者は、この経典を在家者が聖者(四沙門果)に至る道を説いたものだと指摘する。漢訳経典の電子テキストで確認すると、その道を「三善根」と訳している。
増一阿含経に幾つも存在する「三善根」に関する経典は、“貪・瞋・痴の三不善根を持つ比丘は三悪趣=地獄界・餓鬼界・畜生界に堕ち、不貪・不瞋・不痴の三善根を持つ比丘は人・天の境涯=人間界・天上界に生まれる。”と三善根本来の意味で説いている。
しかし、本書に引用された上記の経典が不思議だと言う理由は、三善根本来の意味とは異なるのである。先ずは漢訳経典を示す。
“爾時世尊告阿難。有三善根。不可窮盡。漸至涅槃界。云何爲三。所謂於如來所而種功徳。此善根不可窮盡。於正法。而種功徳。此善根不可窮盡。於聖衆而種功徳。此善根不可窮盡。是謂阿難。此三善根不可窮盡得至涅槃界。是故阿難。當求方便獲此不可窮盡之福。如是阿難。當作是學。爾時阿難聞佛所説。歡喜奉行。”
これを訳すと、“1)如来の所で功徳を種(う)える、2)正法において功徳を種える、3)聖衆において功徳を種える、という3つの方法(三善根)によれば、涅槃界に至る。”と説いているのである。その意味で、著者は「三福道」と意訳したのであろうか?

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http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A20W9LHAZKE4FG/ref=cm_cr_dp_auth_rev?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview
           ↑
かなり精神世界を勉強して考察しているな、天照氏かな?

823天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/05(土) 18:59:44 ID:UTqTPly60

>>822 いえいえ、恐れ多いです。私では有りません。
私は仏教の詳しい論は苦手でこの方の足元にも及びません。
またこのほかにもこの方の別なレビューも見ましたが、なかなかの考察者です。
凄く勉強熱心だと感じています。

824ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/05(土) 19:07:50 ID:SmEF4Oe2O
>>822
その書評は私も何年か前から発見してますが、感じたことは、アゴン宗の信者が
一番こういうことを知らないな、勉強してないから、ということです。

825ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/05(土) 19:22:10 ID:SmEF4Oe2O
「社会科学としての阿含仏教」277頁

ここでは、徳薄き福少ない者であっても、福徳を身につけて成仏に向かうことのできる
という下根の成仏法が説かれた、『増一阿含経・三供養品 三福道』と同内容で
異訳本の『増一阿含経・三供養品 三善根』(以下、「三善根」)を講義いたします。

皆さん、これが桐山捏造の証拠です。
今回発掘(?)できた「仏陀の真実の教えを説く(下)」では三福道は桐山さんの命名
としており、原典はあくまでも三善根としている。
矛盾しますよね。こちらでは異訳本があると示していた。
異訳って桐山訳か?そういうのは訳とは言わない。
しかしそんなことよりよく読んでください。
三福道ではなく、三善根の方が異訳本と示しています。
社会科学としての阿含仏教の日本語は。
異訳が三善根?桐山意訳という言い訳も通用しません。
やはり桐山さんは捏造をしていたのです。
その証拠がここにあります。

826ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/05(土) 19:33:21 ID:SmEF4Oe2O
「社会科学としての阿含仏教」277頁

ここでは、徳薄き福少ない者であっても、福徳を身につけて成仏に向かうことのできる
という下根の成仏法が説かれた、『増一阿含経・三供養品 三福道』と同内容で
異訳本の『増一阿含経・三供養品 三善根』(以下、「三善根」)を講義いたします。


724:ユビキタス◆18iA.mwnDU :2011/03/03(木) 19:28:11.22 ID:xdqYJWkS
仏陀の真実の教えを説く(下)
96〜97頁
『三供養品』の内容に戻りましょう。
お釈迦様は、サーヴァサッティーの祗樹給狐独園(祇園精舎)に滞在されていた時、
弟子の阿難に、次のようにお告げになられたわけです。
「三善根(三福道)有り、窮尽す可からずして、漸く涅槃界に至る」
この三善根を、『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で引くと、
【三善根】さんぜんごん 無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根。一切の善法が
この三つから生まれるからである。それらは具体的には施・慈・慧となって
現われる。三毒の対。
と書かれています。しかし、わたくしは、これを三善根という名称のまま弟子たちに
教えるのは、少し分かりにくいと考えました。
それでは、この修行法は、具体的には、どのように呼ぶべきなのでしょうか?
経文中に、
「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」
とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道であります。したがって、
わたくしはこれを「三福道」と命名しました。
そこで、わたくしは弟子たちが読経をする際に、三善根を「三福道」と変えて
読誦するように指導しているわけです。

827ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/05(土) 20:00:07 ID:SmEF4Oe2O
「社会科学としての阿含仏教」277頁

『増一阿含経・三供養品 三福道』と同内容で
異訳本の『増一阿含経・三供養品 三善根』(以下、「三善根」)を講義いたします。

724:ユビキタス◆18iA.mwnDU :2011/03/03(木) 19:28:11.22 ID:xdqYJWkS
仏陀の真実の教えを説く(下)
96〜97頁
しかし、わたくしは、これを三善根という名称のまま弟子たちに
教えるのは、少し分かりにくいと考えました。

わたくしはこれを「三福道」と命名しました。
そこで、わたくしは弟子たちが読経をする際に、三善根を「三福道」と変えて
読誦するように指導しているわけです。

828ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/05(土) 20:05:28 ID:SmEF4Oe2O
社会科学としての阿含仏教→三福道の異訳本として三善根が存在する。

仏陀の真実の教えを説く(下)→三善根を変えて三福道と命名して信徒に読ませている。

しつこいようだが重要なところだから何度でも書きます。

2ちゃんねる196スレ誰か立ててくれないかな?
私は昨日試みてやはり立てられなかった。

829天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/05(土) 21:12:56 ID:UTqTPly60

2chの196立ったようですね。これで195のいい流れも続いて欲しいですね。

830ラシン:2011/03/05(土) 21:28:30 ID:ka3sgn0E0

阿含宗という宗教196
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1299325221/

831準シュダオン:2011/03/06(日) 09:50:01 ID:1F7rdgXk0
名無しさんの、
>この表現では ○○の因縁 は無意識の意識層に存在していることになります。
>また煩悩については、
>煩悩が眠っている状態を随眠と呼び、それが覚めると纏と呼ばれ、心の奥深くに眠っている
>心の状態は無意識の意識にほかならないとも言ってます。
>この表現では○○の因縁と煩悩は同じく無意識の意識層にあることになる。
>これって辻褄が合いますか?
>また、因縁を切るって、この場合は染色体の遺伝子の修理みたいなものですが
>善業で修理ができるのか??

という指摘ですが、同じく桐山論を読んで、私の解釈は名無しさんと違います。
桐山造語ではなく、仏教辞典から引用しますと、
「十二因縁の中では、無明という惑から生じる行と(愛)(取)という惑から
 生じる有とが業に当り、残りの七つが苦に当る」(岩波仏教辞典・業感縁起)
つまり、惑(煩悩)→業→苦の循環が、釈尊の説く輪廻の構造=苦、ですが、
先ほどの仏教辞典の解説によりますと、
惑(煩悩)→十二因縁の、無明、愛、取、という因縁
業    →十二因縁の、行、有、という因縁
苦    →十二因縁の、識、名色、六処、触、受、生、老死、という因縁
と、いうことになります。
そして、前世の業が現世に繰り越されてきますから、ガンの因縁の場合も、
種子として現世に繰り越されて来てるわけです。
無明、愛、取、という煩悩から、業を経由して、ガンの因縁という苦が形成され
る、というわけです。無明・愛・取から、我見、疑惑、戒取、欲貪、瞋恚、・・
というように、様々な煩悩が形成されるわけですね。
そして、(ガンを形成する煩悩)が、(ガンを形成する業)を為し、ガンの因縁
を形成して、ガンで死ぬわけです。で、その異陰(与陰)が、来世でガンのDNAを
持つ母体に宿って、同じ運命をたどる、というわけです。

で、釈尊の教えは、ガンを作る煩悩・業があれば、ガンを消す梵行・業もある、
という解釈なのです。それが阿含仏教なのだ、と管長は説いているのです。

832ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/06(日) 10:05:14 ID:SmEF4Oe2O
>>831
ってか、それを示すには、先祖からのDNAは縦の因縁、前世から持ち越す煩悩が横の因縁、
縦と横の因縁の交じり合ったものが自分である、自分の前世の業が因となって
ガンの家系という縁が生じたという桐山教学をそのまま出せばいいんだよ。

833準シュダオン:2011/03/06(日) 10:11:42 ID:1F7rdgXk0
>また、因縁を切るって、この場合は染色体の遺伝子の修理みたいなものですが
>善業で修理ができるのか??
 
 と、名無しさんは疑問を呈していますが、釈尊は、「三結断じて不堕悪趣」と、
説いてるわけですね。つまり、煩悩を断てば、地獄餓鬼畜生の因縁を切る、と、
阿含宗的に表現すれば、そうなるのです。
善業=煩悩を断つ行=梵行、という意味で使用していますよ。

悪業が苦(○の因縁・種子)を形成するのであれば、
善業で苦(○の因縁・種子)を消せる、という考え方です。
仏教の教えが、そうでないのならば、私は仏教に値打ちを感じないです。

834ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/06(日) 10:16:26 ID:SmEF4Oe2O
>>831
で、その縦の因縁も加わり結びついたDNAの「修復」をどう説明するね?
善業だけでどうして生理機構まで変えられる?
十二因縁を利用するならば、現世で悪念をある程度断った結果、来世には
ガンのDNAの家系を選ばない、縁が生じなくなると言えば、理屈はわかるが、
桐山因縁解脱とは現世でガンの因縁が切れることだ。

835名無しさん:2011/03/06(日) 10:40:54 ID:ysupfq4Y0
>>831 :準シュダオン
>そして、(ガンを形成する煩悩)が、(ガンを形成する業)を為し、ガンの因縁
>を形成して、ガンで死ぬわけです。で、その異陰(与陰)が、来世でガンのDNAを
>持つ母体に宿って、同じ運命をたどる、というわけです。
>
>で、釈尊の教えは、ガンを作る煩悩・業があれば、ガンを消す梵行・業もある、
>という解釈なのです。それが阿含仏教なのだ、と管長は説いているのです。

「ガンの因縁」=「ガン遺伝子」でも書きましたが、「ガンの因縁を切る」とは
現世で切るわけです。
ということは、現世で染色体内の遺伝子治療を行うことになります。
前世の業で体内に宿った「ガン遺伝子」を現世の梵行で消すと簡単にあなたは言うが
管長がそう言ってるだけでしょ。
仏教、阿含経の中にそんな記述などありませんよ。
釈尊が生きていた時代に遺伝子治療と同等な梵行などあるのか? そんなのありません。
だいたい、そんなことを釈尊は言ってないでしょ。

836名無しさん:2011/03/06(日) 11:05:14 ID:ysupfq4Y0
>>833 :準シュダオン
>善業=煩悩を断つ行=梵行、という意味で使用していますよ。

だから、わたしは ○○の因縁 と煩悩の関係を何度もあなたに質問したのです。
○○の因縁は煩悩ではありません。
善業=煩悩を断つ行=梵行 は正しいでしょう。
しかし、
善業=○○の因縁を断つ行=梵行 ではないのです。

837名無しさん:2011/03/06(日) 11:15:51 ID:ysupfq4Y0
>>833 :準シュダオン
>善業=煩悩を断つ行=梵行、という意味で使用していますよ。

ユビキタスさんも述べているように
善業=煩悩を断つ行=梵行 により来世で○○の因縁を受けなくなる(可能性が減る)。
が釈尊の正しい教えでしょう。

838名無しさん:2011/03/06(日) 11:31:44 ID:ysupfq4Y0
>>833 :準シュダオン
>善業=煩悩を断つ行=梵行、という意味で使用していますよ。

釈尊は現世で全ての煩悩を断っ(漏尽解脱)ことを説いています。それにより輪廻も止み
来世で ○○の因縁 を受けることも無くなります。これが最終的な釈尊のおしえでしょう。

839準シュダオン:2011/03/06(日) 14:08:56 ID:1F7rdgXk0
名無しさんの言う、

>善業=煩悩を断つ行=梵行 は正しいでしょう。
>しかし、
>善業=○○の因縁を断つ行=梵行 ではないのです。

という意味は理解できますよ。しかし、ですよ、
煩悩→業→苦(○○の因縁)という、業感縁起の法則に縁り、
煩悩が苦(○○の因縁)を形成するわけですから、
煩悩を断つ行=○○の因縁を断つ行、に繋がると思うのですけどね。

ガンの因縁の種子を持っていた場合、ガンの種子を育てる煩悩を持っているので、
そのままではいずれ、ガンが発現するでしょう。しかし、ガンを育てる煩悩を
断った場合、ガンの種子が死んでしまう、と私は考えます。管長の因縁を切る、
という教えは、そのことを言うのだと思います。
煩悩を断つ修行は、ガンの因縁の種子を殺す、修行になっているのだと考えます。

840準シュダオン:2011/03/06(日) 14:36:57 ID:1F7rdgXk0
名無しさんの
>ということは、現世で染色体内の遺伝子治療を行うことになります。
>前世の業で体内に宿った「ガン遺伝子」を現世の梵行で消すと簡単にあなたは言うが
>管長がそう言ってるだけでしょ。
>仏教、阿含経の中にそんな記述などありませんよ。
阿含経の中にそんな記述などないと、言う部分ですが、
釈尊の説く、「三結煩悩を断って不堕悪趣」という部分を、どう解釈するかの
問題だと思います。

地獄餓鬼畜生とは、どのような人生の境遇をいうのでしょうか?
阿含経には、「苦厄老病死 此三悪趣」という記述がありますから、人生にも
地獄餓鬼畜生の境遇があることを示しています。
ですから、「三結尽 不堕悪趣」と言う場合には、現世において、地獄餓鬼畜生の
境遇(因縁)を切った、ということになりましょう。
三結煩悩を断つことによって、苦(地獄餓鬼畜生の境涯)を受けない、と世尊は
説いているのです。しかし、煩悩を断つのは難しい。
一番断ちやすいとされている我見にしても、簡単には断てやしません。
我に執着するな、といえど、このスレッドにしても、皆、我見の押し付け合い
になってはいないでしょうか?

841名無しさん:2011/03/06(日) 14:39:01 ID:ysupfq4Y0
>>839 :準シュダオン

>ガンの因縁の種子を持っていた場合、ガンの種子を育てる煩悩を持っているので、
>そのままではいずれ、ガンが発現するでしょう。しかし、ガンを育てる煩悩を
>断った場合、ガンの種子が死んでしまう、と私は考えます。管長の因縁を切る、
>という教えは、そのことを言うのだと思います。
>煩悩を断つ修行は、ガンの因縁の種子を殺す、修行になっているのだと考えます。


だから、それは桐山教であり釈尊の仏教とは一致しないのです。
今まで何のために論証を進めたのか?
桐山教が好きだと言うのはあなたの勝手です。
我々は桐山理論を信じたいから仏教理論との整合性を調べたわけです。
しかし、整合性は破綻していると言わざるを得ない。
結局、桐山教は仏教ではないのです。

842準シュダオン:2011/03/06(日) 14:47:17 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんの、
>善業だけでどうして生理機構まで変えられる?
という指摘ですが、
まさか、血液型まで変えられる、とは申しません。
しかし、発ガンのメカニズムは解明されておりません。
善業=煩悩を断つ行、によって、ガンの因縁の種子を殺してしまう、としか
申し上げられませんね。
煩悩は、ガンの因縁の種子に栄養をやって、育てている、そう考えます。

843名無しさん:2011/03/06(日) 15:08:03 ID:8E3MGR2c0
>>842
エクアドルで糖尿や癌にならない遺伝子が発見されて話題になっているが
http://amefuji.blog22.fc2.com/blog-entry-1556.html

癌が遺伝子レベルの病なら癌は因縁なのか?DNA治療が確立されて癌の遺伝子を無くしたら癌の因縁解脱なのかw
彼ら遺伝子工学の研究者に法で癌の因縁を切るとうい話をしたとしたら、明日の天気をテルテルボウズの法で
晴れさせるのと同じ理論だと嘲笑われるだろうな。

844ラシン:2011/03/06(日) 15:32:59 ID:ka3sgn0E0

>煩悩は、ガンの因縁の種子に栄養をやって、育てている、そう考えます。

お子ちゃま並みの回答です。
突然変異原物質が、細胞遺伝子に変異が起こさせ、
細胞のガン化が始まります。
ならば「夫婦縁障害の因縁」も遺伝子レベルの
感情イシエーターが、働き出すのかいな。
ど素人の付け焼刃で、DNAまで語らないで欲しいものです。

>ガンの因縁の種子を持っていた場合、ガンの種子を育てる煩悩を持っているので、
>そのままではいずれ、ガンが発現するでしょう。しかし、ガンを育てる煩悩を
>断った場合、ガンの種子が死んでしまう、と私は考えます。管長の因縁を切る、
>という教えは、そのことを言うのだと思います。

では、因縁滅=煩悩滅 となるが、桐山さんはそんなことは言っていない。
漏尽解脱は小解脱、因縁解脱こそ切るべき大解脱だと言っている。
つまりは、因縁切りなどは、整合性が取れた説明などできない。
無理をすれば、結果、桐山さんと異なることになり、
行きつくところは、煩悩を滅するという結論に赴くのです。

845ラシン:2011/03/06(日) 15:54:10 ID:ka3sgn0E0
>ガンの因縁の種子を持っていた場合、ガンの種子を育てる煩悩を持っているので、

笑われに出て来たような、お粗末な知恵です。
ガン細胞は誰もが持っているのです。
今や医学界の常識、準シュダオンさんの無知。
じゃあ〜、みんなガンの因縁を持っているのだから、
因縁透視などいらない。
因縁投資じゃないの。

>ガンを育てる煩悩を断った場合、ガンの種子が死んでしまう<

ガンの因子を切るために栄養である煩悩を断つんでしょう?
なら、兵糧攻めの煩悩滅で終了です。

名無しさんが述べているように、エクアドルで糖尿や癌にならない遺伝子が、
発見され注目を浴びている。
TVでも放映された、小人の村です。
あなたは、常々放言していた現世で役に立たない仏教など不要、
なのだから、桐山教よりエクアドルで安心して暮しなさい。
そこでなら、いつでも上位目線で居られる。

846ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/06(日) 19:42:11 ID:SmEF4Oe2O
>>842:準シュダオン11/03/06(日) 14:47:17 ID:1F7rdgXk0
>善業=煩悩を断つ行、によって、ガンの因縁の種子を殺してしまう、としか
>申し上げられませんね。

今、話しているのは遺伝子機構DNAの話です。
大昔、桐山さんは「密教・超能力のカリキュラム」が発売された、あるいは発売予告の
新聞広告で、「著者は古代密教に伝わる法より、強力な念力による遺伝子機構DNAの
変換による人間の改造(因縁解脱)」うんぬん宣伝しておったのですよ。
趣旨はこうです。古代密教の秘密技術は不随意筋を随意筋にする。
それを可能ならしめるのに特殊なホルモンや酵素を分泌させる。
チャクラやクンダリニーなどの開発によりそれを可能にする。
それにより遺伝子機構を変えて変身してしまおうという理念です。
ただしこの路線は守護霊ブームになってからむしろ否定するようになった。
ソンディの異母兄の遺伝情報がどうしてソンディに遺伝しようか?その怨念の継承に
遺伝子が介在することはあり得ない、テレパシーのようなものを想定するしかないとした。
(尚、余談ですが、批判側は異母兄とソンディに共通する抑圧意識は遺伝の理論で
説明可能と、桐山さんの頭の悪さを笑いましたが)
ところが、こういう特殊な秘密技術の訓練で生理機能を開発するという話ではなく
善業を積むことで、遺伝子を変えるなんて話はいくら桐山さんでもしていないのです。
あなたが出した話はあくまでも善業の話であり、ジョーコンの成仏法技術の話ではない。

847天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/06(日) 21:34:19
テスト

848準シュダオン:2011/03/07(月) 09:06:31
ユビさんの、
>善業だけでどうして生理機構まで変えられる?
という疑問に、管長のガンの因縁の事例を挙げると、
管長は、50歳前後にガンが発病するという星(因縁)を持っていたそうだ。
で、事前にそれを透視した管長は、善業=煩悩を断つ行、をしてたわけです。
で、あるとき、ガン患者の多くが、活字を読みながら食事をする習慣を持つ、
という研究者の発表を知ったわけです。その研究発表を知った医師や看護師
さん方も、読みながら食べる人は居なくなったという。

管長も、それを知るまでは、活字を読みながら食事する習慣があったという。
理由は解らないが、読みながら食べる習慣は、ガンの種子を育てる働きをして
いたわけでしょう。で、仏道修行をすることによって、そういうガンの種子を
助ける煩悩(読みながら食べる煩悩など)が、断たれていく、と考えられます。

849準シュダオン:2011/03/07(月) 09:23:07
名無しさんの、
>だから、それは桐山教であり釈尊の仏教とは一致しないのです。
>今まで何のために論証を進めたのか?
>桐山教が好きだと言うのはあなたの勝手です。
>我々は桐山理論を信じたいから仏教理論との整合性を調べたわけです。
>しかし、整合性は破綻していると言わざるを得ない。
>結局、桐山教は仏教ではないのです。

という部分ですが、釈尊は確かに、桐山説のようなことまでは説いていません。
しかし、だからと言って、桐山教は仏教ではない、とまでは言えないのです。
桐山教が釈尊仏教とすべて一致、という証明は出来ないものの、違うという
証明も出来ないのです。

また、仏教に桐山論のような働きが無い場合、仏教は何の役に立ちますか?
庶民から食い扶持を布施して貰い、厭世を説くだけではないですか。
仏教に、桐山的因縁切りがないならば、全くつまらない教えです。

850準シュダオン:2011/03/07(月) 09:36:31
名無しさんの、
>桐山教が好きだと言うのはあなたの勝手です。
>我々は桐山理論を信じたいから仏教理論との整合性を調べたわけです。
という部分ですが、私は好き嫌いで論じてるのでは、ありませんよ。
管長言うところの因縁が、いくつか発現してる状態で入行し、その因縁の
一つが、因縁の洗い出し現象があって、切れたな!という体験があって、
議論してるわけです。
そこが、名無しさんと私とで、立ち位置の違うところです。
私は、仏教を信じて入行したわけではありません。輪廻は迷信と思ってました。
管長の因縁切り論に魅力を感じて入行したのです。

で、管長は、因縁切りの法は阿含経に説かれている、といいます。
だから、私は、阿含経も大したもんだ、と思うわけで、阿含経に因縁切りがない
としたら、ただの世捨て人の放浪記じゃないですか。

851準シュダオン:2011/03/07(月) 09:49:10
ユビキタスさんは、ジョーコンの成仏法をどう考えているのかな。
三福道の情報は、有りがたいことでした。
三福道は、管長が命名したと知って、納得しました。

上根の成仏法については、「輪廻する葦」本に、成仏法で解脱するのではない、
徳で解脱(成仏)するのだ、と、管長は念を押しています。
徳が無ければ、成仏法を示されても、修行できない、と書いています。
私は、管長の言う意味が、実感として解りますよ。
だから、私には上根の法は苦しくて、難しいのですw。

852準シュダオン:2011/03/07(月) 12:26:34
ユビさんの、
>善業を積むことで、遺伝子を変えるなんて話はいくら桐山さんでもしていないのです。
と、言う部分は、想像力の不足でしょう?

管長のガンの因縁の場合、「活字を読みながら食事する習慣を止めた」という善業に
よって、ガンを形成する遺伝子を弱らしめた、と考えられるのです。
つまり、「読みながら食べる事を止めた」=善業が、ガンの遺伝子を変えた、
と、言えるのではありませんか。
まぁ、そういう種々の要因が多く集まって、因縁を変えてしまうのでしょう。

853準シュダオン:2011/03/07(月) 14:17:36
名無しさんの、
>癌が遺伝子レベルの病なら癌は因縁なのか?DNA治療が確立されて
癌の遺伝子を無くしたら癌の因縁解脱なのかw
>彼ら遺伝子工学の研究者に法で癌の因縁を切るとうい話をしたとしたら、
明日の天気をテルテルボウズの法で
>晴れさせるのと同じ理論だと嘲笑われるだろうな。

先ず、ガンは因縁なのか?という問ですが、
ガンは、苦の因縁だ、とは言えるでしょう?この場合の因縁は、原因という意味ね。
間違いなく、治療法の確立していない現状では、ガンは苦の因縁ですよ。
簡単にガンが治療で治る病気になった場合は、因縁とは申しません。

>我々は桐山理論を信じたいから仏教理論との整合性を調べたわけです。
>しかし、整合性は破綻していると言わざるを得ない。
>結局、桐山教は仏教ではないのです。
とのことですが、何処の整合性が破綻してますか?
釈尊は、地獄餓鬼畜生、愁・憂・畏・悲、とか、人生の苦を説いています。
管長は、○○の因縁で、地獄餓鬼畜生を説明しています。
横変死・刑獄・強度の家運衰退は、地獄の因縁とかですね。

例えば、長阿含経・阿摩昼経において、釈尊は比丘の憂いを在家の人に例え
て、説いています。比丘も五蓋に覆われて、憂い、畏れがあるのだ、召使の
ように、あるいは、奴僕のように、あるいは借金してる人、あるいは牢獄の
人、あるいは長い病気の人、のように憂いている。それが、修行によって、
牢獄を出た人、召使を止めた人、奴から解放された人、借金を返した人、
病気が治った人、のように安楽な境地になれるのだ、と、説いていますよ。

ですから、釈尊のいう、地獄・餓鬼・畜生とは、在家で言うと、奴隷の人、
長い病気の人、借金のある人、牢獄の人、などの苦しい生活状態をいうのだ
と、推測しておかしくありませんよ。
だから、管長は、○○の因縁で説明してるのではありませんか。
整合性が破綻してるどころか、説得力があるでしょうよ。

854準シュダオン:2011/03/07(月) 17:09:43
名為しさんの
>癌が遺伝子レベルの病なら癌は因縁なのか?DNA治療が確立されて癌の
遺伝子を無くしたら癌の因縁解脱なのかw
>彼ら遺伝子工学の研究者に法で癌の因縁を切るとうい話をしたとしたら、
明日の天気をテルテルボウズの法で
>晴れさせるのと同じ理論だと嘲笑われるだろうな。

という部分に補足しますと、先ほど国会で松あきら議員が、ガン予防検診
をもっとやれ、と政府に意見してましたね。胃ガンはピロリ菌云々とか。
先ず、科学では菌とかDNAとかの、病気の条件を具えるから病気になる、
と考えますが、阿含仏教では、その人が、その病気(ガン)の種子を持って
いるから、病気の条件を具えるようになる、と説いています。
つまり、最初に、その病気の運命を持っているのだとね。
だから、最初から、仏教の煩悩→業→苦、という論は、科学的にはお笑いの
説である、ということです。

テルテル坊主の法で、明日の天気を晴れにする、というと、モンゴルの雨と
同じことになりますね。しかし、それが科学的根拠のない、宗教というもの
でしょう。常識を超えた話ですから、議論で証明できるものではありません。
私だとて、二十代の頃は、この手の話は笑い飛ばしていたのですね。

855ラシン:2011/03/07(月) 18:10:09
2chより転載。
157 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU :2011/03/07(月) 08:28:47.47 ID:uBMy5VxV

ー仏陀の真実の教えを説く(下)96〜97頁ー
 しかし、わたくしは、これを三善根という名称のまま弟子たちに
 教えるのは、少し分かりにくいと考えました。
 それでは、この修行法は、具体的には、どのように呼ぶべきなのでしょうか?
 経文中に、
 「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」
 とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道であります。したがって、
 わたくしはこれを「三福道」と命名しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

桐山さんは、経典を「信者弟子に分かりやすくする」と言う美名の下に、
改竄した、と言い放ったのですね。
自己の教団のために、経典を勝手に改竄したり加筆修正などは、
許される行為ではない。

大蔵経からの原典

 増壹阿含經三供養品第二十二
       (二)
聞如是。一時佛在舍衞國祇樹給孤獨園。
爾時世尊告阿難。有三善根。不可窮盡。漸至涅槃界。
云何爲三。所謂於如來所 而種功徳。此善根不可窮盡。
於正法。而種功徳。此善根不可窮盡。於聖衆而種功徳。
此善根不可窮盡。是謂阿難。此三善根不可窮盡得至涅槃界。
是故阿難。當求方便獲此不可窮盡之福。如是阿難。當作是學。
爾時阿難聞佛所説。歡喜奉行。

>三善根は仏教語大辞典でも引用されているように
無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根です。

私も同様に、そのように解釈しています。
それ以外の「三善根」が、あるのでしょうか。
桐山さんは、下巻で他の「三善根」経典掲示しているのか?
と言う問題でもなく、示した経典じたいが、増壹阿含經の
三供養品第二十二(二)の部分です。
私が他に見たのは、唯一「中阿含例品 第一得經第四第五 」にあったのみ。
それも、福をもたらすとはありません。

856ラシン:2011/03/07(月) 18:28:18

>三善根は仏教語大辞典でも引用されているように
無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根です。

まざっと、列挙してもユビさんの指摘どおり!

佛説長阿含第二分衆集經第五 抜粋
如來説三正法。謂三不善根。一者貪欲。二者瞋恚。三者愚癡。
復有三法。謂三善根。一者不貪。二者不恚。三者不癡。

佛説長阿含第二分衆集經第五 抜粋
謂三不善根。一者貪欲。二者瞋恚。三者愚癡。
復有三法。謂三善根。一者不貪。二者不恚。三者不癡。

佛説大集法門經卷上 抜粋
復次三不善根。是佛所説。謂貪不善根。瞋不善根。癡不善根 
復次三善根。是佛所説。謂無貪善根。無瞋善根。無癡善根

857ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/07(月) 19:47:57
>>848:準シュダオン11/03/07(月) 09:06:31
>管長は、50歳前後にガンが発病するという星(因縁)を持っていたそうだ。
>で、事前にそれを透視した管長は、善業=煩悩を断つ行、をしてたわけです。

>>852:準シュダオン11/03/07(月) 12:26:34
>管長のガンの因縁の場合、「活字を読みながら食事する習慣を止めた」という善業に
>よって、ガンを形成する遺伝子を弱らしめた、と考えられるのです。

まず準シュダオンさんはレスをする時にその場その場で思いつきを書くのではなく
桐山さんの立場をよく考慮して頭を整理してください。
宜しいですか?桐山さんはまずオシエを軽視するのが基本です。
オシエだけで因縁が切れるか?ホーに依らねばならぬ。
だからこそホルモンや酵素の分泌による遺伝子の安全な組換えまでコメントして
こんなことオシエの宗教にできるか?としたのです。
しかるに物を読みながら食事をする悪習を断つこと含めて所詮それらはオシエの実行の
範疇に過ぎない。
桐山因縁解脱教学には正行と助行がありますね。
悪習を断つなどは助行の一部なんです。だからそれだけでは因縁は切れない。
あるいは正行のホーをやってないとそのオシエも実行できない、長続きしないとするのです。
それに桐山さんは煩悩解脱だけでは小解脱と言っているでしょうが。
つまり悪い運命が好転する大解脱たる因縁解脱には届かないのです。
煩悩解脱は必要だが、それだけでは因縁は切れないと言っているわけです。
そこにあなたがガンの因縁を切るのに善業だどうの煩悩がどうのと、オシエによって
成し遂げられるかのごとく説くのは、桐山教義ともこれまでのあなたの主張とも
矛盾するもので、生活実践に即したものでなく、単に言葉を並び立てたとよくわかります。

858名無しさん:2011/03/07(月) 20:05:18
>>854
癌細胞は全員が常に発生していて免疫細胞が癌細胞を殺していて
癌患者の場合は抗体による癌細胞の処理が間に合わなくなるだけだけだけどね。

>私だとて、二十代の頃は、この手の話は笑い飛ばしていたのですね。

昔、話題になったフィリピンの心霊治療のことかなw
準氏は、もし重症な癌になったら病院の治療よりフィリピンの心霊治療を信じるのね。

859ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/07(月) 20:16:19
>>852:準シュダオン11/03/07(月) 12:26:34
>管長のガンの因縁の場合、「活字を読みながら食事する習慣を止めた」という善業に
>よって、ガンを形成する遺伝子を弱らしめた、と考えられるのです。

遺伝子を弱らしめたのではなく、遺伝子はそのまま変わらずとも縁を変えることにより
遺伝子が成し遂げたい遺伝の遂行を少しでも遠ざけたと表現を変えるべきでしょうね。
ジョーコン技術でもなければ桐山さんもこんなことは説かない。
こんなところまで修正してやらんといかんとは。
環境を変えただけでは(オシエを実践しただけでは)因縁は切れません。
結局武器を持たずに運命を変える努力をしても、皮肉にもそれがかえって運命の遂行を
進めてしまうというのが、桐山さんお得意の操り人形論です。

860ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/07(月) 20:27:54
>>851:準シュダオン11/03/07(月) 09:49:10
>三福道は、管長が命名したと知って、納
得しました。

その納得とは、今までありもしない異訳本があるかのように、いやあると明言して
漢文経典三福道まで示し、ハラハラしていたのが、ようやくそんな異訳本などはなく
自分の命名だと明かしたことにホッとしたということですか?
しかし過去に嘘をついた事実は消えないんですよ。
何も知らない世間一般はごまかせても信者の目はごまかせない。
そもそもこの下巻って発売されてない、普及していない、今後も発売されない見込みも高い。
だからあなたはまだホッとできません。

>上根の成仏法については、「輪廻する葦」本に、成仏法で解脱するのではない、
>徳で解脱(成仏)するのだ、と、管長は念を押しています。

だから徳を積む為に奉仕梵行が必要で、その徳で難しい成仏法も修行できる自分に
なって因縁解脱を成し遂げるという桐山教学です。
あなたはジョーコンもゲコンもどちらも嫌いでやらないから関係のない話でしょうが。

861ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/07(月) 21:00:56
>>853:準シュダオン11/03/07(月) 14:17:36
>間違いなく、治療法の確立していない現状では、ガンは苦の因縁ですよ。
>簡単にガンが治療で治る病気になった場合は、因縁とは申しません。

これは桐山因縁の欺瞞をついた鋭い視点です。
その通りです。桐山因縁とはすぐに治ってしまっては意味がない。
もっとも桐山因縁は重病に関わらず、例えば脳障害の因縁の程度の軽いものは
軽いノイローゼのような一過性のものも含むのです。
目を失い手足を断つがごとき肉体障害の因縁も、重いものは文字通り目や手足を失うが
椎間板ヘルニアとか虫垂炎で人体にメスを入れただけでこの因縁があったことになります。
今健康体でもね。
しかしこの難病死病というのも時代によって変わるもので、科学医学の発達で
死病は死病でなくなります。
桐山さんが若い頃かかったという結核もそうです。
結局は今でもかかる人はかかり、発病したら隔離され、死には至らずならずも
不自由を強いられます。人生の苦です。
どうして結核の因縁がないのか?
薬が開発されて栄養知識と実際の栄養環境改善により、結核の因縁が解脱したことになる。
宗教も成仏法もこれっぽっちも必要とせずとも。
桐山因縁は科学を持ち出せば持ち出すほど矛盾が出る。
エイズが流行し出した時、桐山さんはこれを横変死の因縁といって「ハア?」と
思った。
治療法が確立されたら何もなかったかのように取り消すってかしらばっくれるのでしょうね。

862天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/07(月) 21:29:00
>>861 ユビさんのこの投稿で思い出したので書かせていただきますが、やはりゲイカの
諸因縁は893が言いがかりをつけるいわゆる「因縁をつける」が如く如何様にでも
できる野田と思ったことがありますし、信憑性にも欠けますね。

それは白血病をゲイカは「横変死の因縁」と言っていたことです。
白血病は”血液のガン”といわれていますが、それを「横変死」???
詳しい説明も無いままに「横変死」決定です。

あと警察の事を「裏刑獄の因縁」と言ってましたね。
それは若干の解説があってそれによると
「警察官とかの前世をみると犯罪者だった場合がある。その犯罪者が犯罪者を捕まえる
という因縁があってゆえに”裏刑獄の因縁”といえるのだよ」というのを聞いたことが
あります。

因縁に「裏も表もあるのか?」と思いましたし、随分変な因縁解釈だな。
確かにそういうこともあるのかもしれないが、でもそれは警察関係の人を愚弄した
物言いにならないか?と思ったものです。

結局はゲイカの妄想ですから根拠などありえない。裏何とかだっておそらく
ゲイカの作り上げた因縁でしょう。そんなものに根拠があるのなら出してもらいたい。
どこが裏でどのように裏なのか、を。

ですからユビさんの最後の
「治療法が確立されたら何もなかったかのように取り消すってかしらばっくれるのでしょうね。」
に同意ですね。私もエイズのときのゲイカの解説には「?」でしたからね。

863天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/07(月) 21:29:59
野田ってどうよw 誤字です。「のだ」で、お読み下さい。

864ラシン:2011/03/07(月) 22:26:48

>あと警察の事を「裏刑獄の因縁」と言ってましたね。

これは私の記憶にあります、退転していた時かも知れないが、
当時は、なるへソ、という意外性を見た。
モノは考えようだな、すごい見方視点を新たに垣間見た。
しかし、
桐山さんの過去を知った時、
なんだ、自分の恨みへの反転じゃあ、ないのか?
と、疑問が彷彿した。
桐山さんを逮捕した刑事への、ある意味の逆キレです。
「チクショ〜〜、オレ様のような才能豊か人間を逮捕し、
 刑事罰にシヤガって〜〜、こ、この恨みは、いつか晴らさで、
 いらりょうか、ベ・ベンベン弁!」
ですから、
>「警察官とかの前世をみると犯罪者だった場合がある。その犯罪者が
 犯罪者を捕まえるという因縁があってゆえに”裏刑獄の因縁”
 といえるのだよ」<
と言う理屈が成立した。
じゃあ、麻原は、アゴン宗に入行した因縁は、過去に犯罪者を
捕まえたから、その業果で現世は死刑囚になった証明なの?
退会が、何の理由にもならん。

865名無しさん:2011/03/07(月) 23:11:11
>>849 :準シュダオン
>また、仏教に桐山論のような働きが無い場合、仏教は何の役に立ちますか?
>庶民から食い扶持を布施して貰い、厭世を説くだけではないですか。
>仏教に、桐山的因縁切りがないならば、全くつまらない教えです。
>>850 :準シュダオン
>で、管長は、因縁切りの法は阿含経に説かれている、といいます。
>だから、私は、阿含経も大したもんだ、と思うわけで、阿含経に因縁切りがない
>としたら、ただの世捨て人の放浪記じゃないですか。

もうすこし柔軟に仏教を考えてみたらどうでしょう。
阿含経の中に因縁解脱は説かれていないので仏教では現世で○○の因縁=種子は
切れないが、現世で切れなくともそれが発芽しないように環境調整をすることは
できるかもしれない。煩悩滅にその可能性があるかもしれませんよ。
あなたも >>852
 >管長のガンの因縁の場合、「活字を読みながら食事する習慣を止めた」という善業に
>よって、ガンを形成する遺伝子を弱らしめた、と考えられるのです。
>つまり、「読みながら食べる事を止めた」=善業が、ガンの遺伝子を変えた、
>と、言えるのではありませんか。
と書いていますしね。
花の種子に水をやり日光を与えて環境を整えば芽を出し茎も伸びて花が咲きます。
しかし種子をビンの中に入れ水も日光も遮断すれば芽も出ないし花も咲かない。
この場合、○○の因縁=種子 は存在するが縁が整わないので眠ったままです。
煩悩滅にはこの環境を整える力があるかもしれません。
ただし煩悩を完全に滅しない限り来世に○○の因縁がまた出るでしょう。
つまり、仏教はあなたの言うような厭世を説くだけの教えではないかもしれない。
だから、桐山的因縁切りができなくとも正しい釈迦仏教を勉強する価値は多いにあります。

866名無しさん:2011/03/07(月) 23:26:56
>>865
下から4行目訂正
煩悩滅にはこの環境を整える力があるかもしれません。
          ↓
煩悩滅にはこの環境を変える力があるかもしれません。

867ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/07(月) 23:58:22
>>854:準シュダオン11/03/07(月) 17:09:43
>先ず、科学では菌とかDNAとかの、病気の条件を具えるから病気になる、
>と考えますが、阿含仏教では、その人が、その病気(ガン)の種子を持って
>いるから、病気の条件を具えるようになる、と説いています。

>しかし、それが科学的根拠のない、宗教というもの
>でしょう。常識を超えた話ですから、議論で証明できるものではありません。

これは今の議論の中身がわかっていないピントはずれのすり替え、ごまかしです。
物が先か、目に見えない心みたいのが先かなんてのは、鶏が先か卵が先かみたいなものだ。
言えることは、そこから猫は生まれないということだ。
言ってる意味がわかるか?
我々の知り得ぬ神秘の約束があれど、とにかく肉体という物を伴って生まれて
きちまったのさ。
もちろん永遠ではない。無常の存在で必ず滅びる。空なる存在だ。
しかし生きてる間、この物とは死ぬまでつきあわねばならない。
既に備わってるDNAなんかも含めてね。
体質なんてのもある程度の訓練である程度変えられるでしょう。
ただしフィジカルな努力をすればね。栄養も含めて。
やはり肉体という物の枠内で生きていかねばならない。
だからとりとめのない物事の生成の話なんかしても意味がない。
悔しかったらその肉体消してみろ。形変えてみろ。
もし足を切断したらそれは生えてこない。
足が欲しかったらまた生まれ変わるしかない。
そういう次元の話をしてるのです。
切断した足はどうにもならない、それは業報(ごっぽう)だからだと桐山さんは
説いています。
今ある肉体をDNAごと変えるなんてのは業報を変えることになるわけです。
来世の肉体がまだ生じる前だったらDNAごと選べるかもよ。
ちょっと難し過ぎたかな?

868ラシン:2011/03/08(火) 00:07:55

>つまり、「読みながら食べる事を止めた」=善業が、ガンの遺伝子を変えた、
>と、言えるのではありませんか。

余りにも拙論なので、レスを控えていましたが、
名無しさんやユビさんまでが、余りにも優しいので一言。

そんな桐山さんの食生活習慣の改善が、=善業なわけはない。
ただの、悪癖です。
親の「シツケ」の問題です。
普通の家庭で、新聞などを読書しながら食すのが礼儀ですか?
食事をかまえた相手への礼儀が、「読みながら食べる事」?

カフェで、コーヒーブレイクするのとは違うのです。
仏教での食事とは、一種の儀礼戒にも値する。
農作されたお百姓さんに感謝する。
ただし、
一般的に農作物の方々に感謝の念は教えられるが、
私たちは、屠畜、畜殺する畜産農家に感謝しなさい、
と教えられたか?
牛や豚や鶏を屠畜、畜殺する現状を考えて話をしている?
宗教を語る以前の話しを、感電障害者に篭絡されています。

釈尊は、自分たちの布施のために屠畜、畜殺する食事は、
拒否したのですよ。
あくまでも、”余りもの”を托鉢し乞食したのです。
そのかわり、その食材中身に関しては、拘らない。
泰然自若として受け入れただけで、煩悩を止息した姿勢、
これが、サンガの食事の作法であり、シツケという施一食処過受戒、
不受食戒、奪畜生命戒、「恭敬して施食を食べるべきである」との
仏戒なのです。
なにが、善業ですか、苦笑します。

869ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/08(火) 00:17:42
警察官が裏刑獄の因縁なら桐山ゴーストバスターズは裏霊障か?
俺はオメエそのものが表も裏も霊障みたいな存在だと思うがw

870ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/08(火) 00:29:13
>>862:天照 ◆MO30b8Jwoo11/03/07(月) 21:29:00
>あと警察の事を「裏刑獄の因縁」と言ってましたね。
>それは若干の解説があってそれによると
>「警察官とかの前世をみると犯罪者だった場合がある。その犯罪者が犯罪者を捕まえる
>という因縁があってゆえに”裏刑獄の因縁”といえるのだよ」というのを聞いたことが
>あります。

コイツ(桐山さん)には犯罪とは何か?治安とは何か?悪とは何か?正義とは何か?
とかわからんのか?
捕まえた、捕まえられたの視点でしか物事を見ていない。
だから刑獄の因縁なんて呼称もおかしいのです。
なくさねばならないのは犯罪の因縁です。
人様に世の中に害悪を与える犯罪はしないようにしましょう。
罪を犯したら牢獄も甘んじなければならない。
牢獄の憂き目だけを忌避する。
一見間違ってないようで、実は根本が違う。
被害者としての自己本位を説くのではなく、加害者にならない思いやりを説け。

871天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/08(火) 06:52:20

>>870 わからないのかも知れませんね。
3度の逮捕歴に懲りず、未だに詐欺行為を行いそれで飯を食っている。
マトモな精神の人ならできないでしょう。
これも脳障害のなせる業なのか、いや元々の性格・気質でしょうね。

教祖が「殺人とかであるまいしちょっとくらいの軽い犯罪で俺を犯罪者にしやがって」
という気持ちも有るのかもしれませんよ。
自分が正しく、自分が一番、自分が最高、自分が偉い、というような思考の持ち主。
その「自分至上主義」な人間が逮捕〜受刑されたんですから警察への恨みは強いと。
なのでそういう勝手な、また愚弄するような思考がでたのかもしれません。

因縁に裏も表も無い。さも自分は「諸因縁のプロだ」と言わんばかりに逆に無知を
さらけ出していたという顛末でしょう。
まあ、それに騙されていた・信じた自分も愚か者ですが。

872ジ−ジ−榊:2011/03/08(火) 08:07:47
>>871
2チャンにレスされている元信者の方の事実に勝るものはないでしょう!
いかにクリハナと準某君が詭弁を振り回そうとネ
たまさか其処にいないと言うだけでふんぞり返る心の醜さを知ることもなく
こういう人は輪廻を繰り返す 全ての生で周りから嫌われながら!!

873ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/08(火) 08:44:35
>>871
警察に対して「この公僕の犬が」と罵ったも同然のセリフですよね。
それも宗教家ともあろうものが。

犬と言えば、今朝のNHKのニュースで、忠犬ハチ公の標本からMRIを撮ったら
肺の部分に末期ガンに侵されていたことが判明しましたね。
ハチ公もガンで苦しんで死んだわけだ。
するとハチ公にもガンの因縁という地獄界の因縁があり、それは前世に積んだ
悪業だと言うか?
ガンも苦しいが、他の病気も苦しい。釈尊も食あたりで苦しんだ。下痢も止まらず。
それって過去の悪業による因縁が切れてなかったのか?
こうして考えると悪業だの煩悩だのとガンなどの病気は基本的に関係ないと
言えまいか?

874ラシン:2011/03/08(火) 11:31:39

桐山さんが看板に掲げた阿含経と、アゴン宗は”魔逆”です。
読者諸兄姉や信者さんを意識して述べれば、
仏教は、厭世観に根ざしたものではありません。

ペシミズムではなく、現世の苦を積極的に解決していこう、
とのポジテブな考え方です。
それには先ず、この世をどう判断するべきか、から始まる。
この世はどう考えても、苦であるからその解決に挑戦した。
同じようなことは、桐山さんも解説しています。
また、
桐山さんは、「幸福の原理」で生長の家の谷口雅春氏への思想批判で、
何を言っていたか。
109頁
 「一切の罪業なし、罪悪なしと説くことは、たしかに人の心から、暗いものを
  取り去りますが、同時に正しい信仰を持つさまたげともなるものです。」
つまり、
欲望や現世利益を肯定することは、確かに人の心から暗いものを取り去りますが、
同時に正しい信仰を持つ妨げともなるものです、ということになる。

欲望はキリが無く、次から次と生じるから「漏」れると言う。
足るを知るなどと、高尚な悟り言葉だけでは苦を免れない。
それで、戒律という防御の元に知恵を得る修業を開始するのが仏教です。

元々が、欲望から生じる苦ですから、その欲を制御する。
その第一が、出家者の一日一食の戒律である施一食処過受戒。
それも、非時食戒という一食を何度かわけて食しても良いが、
午前中のみの食事に徹するのです。
先ず食欲という生命維持に欠かせない根源的欲に目を向け制御する。
次には、子孫を残すと言うこれまた人間の本能を統御する。
異性との交じりを一切避けるのが、梵行の根幹で、不淫戒・与女人共宿戒です。

これに悉く違背しているのが、桐山さんです。
食欲の赴くまま大食し、女性弟子と同宿する。
大きな伽藍をつくり、海外から名誉を買い漁る。
出家とは生涯無一物なのに、着飾りRR車を欲しがって所有する。
法衣と背広を上手に着分けている。
この所行のどこが、阿含経を標榜していることになるのだ。

875準シュダオン:2011/03/08(火) 12:28:48
ユビさんの次のような推理ですが、

>その納得とは、今までありもしない異訳本があるかのように、いやあると明言して
>漢文経典三福道まで示し、ハラハラしていたのが、ようやくそんな異訳本などはなく
>自分の命名だと明かしたことにホッとしたということですか?

まぁ、だいたいそういうところですね。最初から、三福道は、管長の命名だと
明かしていても良さそうに思えますが、もしも三福道と訳してる経典が見つか
れば、それはそれで、また拙いでしょう。
あの経は、有三善根ではなくて、有三成道とかに訳されていたら、何の問題も
無かったのにと思いますね。

876ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/08(火) 12:41:15
>>875:準シュダオン11/03/08(火) 12:28:48
>まぁ、だいたいそういうところですね。最初から、三福道は、管長の命名だと
>明かしていても良さそうに思えますが、もしも三福道と訳してる経典が見つか
>れば、それはそれで、また拙いでしょう。

全然拙くないですよ。かえって上手いですよ。
だって自分が命名したのが、後になって本当に同じ異訳本が出て来たら
この著者はすごい!とかえって評価が上がるじゃないですか?
三善根は実際にあるのだからそれを示すのに拙いことは一つもない。
現段階でわかっていることを確実に示し、単に自分の希望にも過ぎないものを
希望とも書かずに示してきたのは非常に拙いことです。

877準シュダオン:2011/03/08(火) 12:43:11
>桐山因縁は科学を持ち出せば持ち出すほど矛盾が出る。
>エイズが流行し出した時、桐山さんはこれを横変死の因縁といって「ハア?」
と思った。
>治療法が確立されたら何もなかったかのように取り消すってかしらばっくれる
>のでしょうね。

と、ユビさんは言いますが、宗教に科学を持ち出しては可笑しいですよw。
名無しさんのレスに有りましたが、テルテル坊主の法で、明日の天気を晴れ
に出来る、と信じるのが宗教ですからね
 イエス・キリストを御覧なさい。イエスは嵐で海が荒れたとき、「静まれ!」
と、嵐に命じて、すぐさま穏やかな天候に変えたのですよ。テルテル坊主さえ
使わずにね。「なんてお方だ!嵐さえ静めるとは」と、弟子達は驚嘆したね。
 キリスト教徒の大方は、このイエスの奇蹟を信じてるわけですよ。
だから、宗教として成り立っています。科学者は有り得ないというでしょうが。

878ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/08(火) 13:01:10
>>877:準シュダオン11/03/08(火) 12:43:11
>と、ユビさんは言いますが、宗教に科学を持ち出しては可笑しいですよw。

だからそんな分類区別もしてないのです。
桐山宗教の範疇においてさえも区別できるものがある。
桐山宗教でも切断した手足がニョキニョキ生えてくるなんて説かない。
DNAの変換にしてもそれはチャクラやクンダリニーを用いてホルモンや酵素を分泌する
という似非科学的技術では認めても善業だの煩悩解脱だのオシエの世界ではそれを
認めてないのです。
エイズの話でレスするならば、桐山アゴン宗では、横変死の因縁とは自殺、他殺、
事故死であり病死は含まないはずだ。
死病だから横変死なんて理屈にもならない。
そんな変な理屈をつけるなら昔結核な不治の病で死病だったから横変死の因縁で
医学の発達によりいつのまにか各自の横変死の因縁がなくなったことになる。

879準シュダオン:2011/03/08(火) 14:25:05
>だから刑獄の因縁なんて呼称もおかしいのです。
>なくさねばならないのは犯罪の因縁です。
>人様に世の中に害悪を与える犯罪はしないようにしましょう。
>罪を犯したら牢獄も甘んじなければならない。
>牢獄の憂き目だけを忌避する。
>一見間違ってないようで、実は根本が違う。
>被害者としての自己本位を説くのではなく、加害者にならない思いやりを説け。

ユビさん、支離滅裂になってますよ。
名無しさんにレスしてて気づいたのだけど、釈尊は人生における、地獄・餓鬼・
畜生の境涯を具体的に説いていたのですよ。阿摩昼経に出ていますよ。
奴僕の人、牢獄の人、借金のある人、長い病気の人、召使、荒野を財宝抱えて
旅する人、このような人を、憂い畏れのある人として、説いています。

釈尊も牢獄の人を例にあげてますから、刑獄の因縁は地獄界の因縁でしょう。
釈尊は、横変死の人は、憂い畏れの例に出していませんが、横変死した人は、
もう人生を取り返せない、からでしょう。
「三結断じて不堕悪趣」とは、上記の阿摩昼経に説いてるような境涯には落
ちない、ということでしょう。やはり、管長の○○の因縁の、地獄餓鬼畜生の
区分は、経典に根拠がありましたね。

880準シュダオン:2011/03/08(火) 14:31:17
>だから刑獄の因縁なんて呼称もおかしいのです。
>なくさねばならないのは犯罪の因縁です。

私などは、刑獄の因縁を切る、ということは、犯罪の因縁を切る、と同じ
意味になるのですけど、ユビさんには違うのですね。言葉は難しいもんです。

881準シュダオン:2011/03/08(火) 14:45:47
>死病だから横変死なんて理屈にもならない。
>そんな変な理屈をつけるなら昔結核な不治の病で死病だったから横変死の因縁で
>医学の発達によりいつのまにか各自の横変死の因縁がなくなったことになる。

医学の発達により、横変死の因縁がなくなったことになる、とユビさんは言う。
それはそれでいいのではありませんか?
例えば、釈尊は奴僕の境涯を苦しい境涯の例に挙げてます。インドの階級制度が
どの程度苦しいのか知らないが、阿含宗的に言うと、奴僕の因縁です。

社会制度が進んで、身分制度が無くなれば、釈尊が例にあげた奴僕という制度
も無くなります。死病の例も、それと同じことでしょ。

882ラシン:2011/03/08(火) 15:19:16

刑獄の因縁を切るというのは、桐山さんのトラウマからです。
犯罪者が、必ずしも刑事罰を受けて刑務所にいるわけではない、
のだから、犯罪を無くすことの方が、宗教家としてあるべき教えでしょう。
いかにも逆恨み専門の桐山さんらしい。

言葉が難しいのではなく、社会的見識が極端に低いだけです。

阿摩昼経は、青年バラモンの阿摩昼が釈尊に対し、
「”心は歓んでもはや憂い畏れることがない”という境地に至る、
 というのは、いかなる気分なのでしょうか?」との質問に
比ゆを以って答えた内容です。
比ゆ、例え話が、因縁になるという話ではない。
ライオンのような恐ろしい顔だから、その人間はライオンなのです?
バッカらしいオチエだ。
正確に記すのは、公平の証である。

「長阿含」第13・第30経の「阿摩昼経」(抜粋要約)
 内面にしずけさを行じ、ざわつく心をなくす。
 疑いを断ち切り、疑いを超え、心は「善」なることがらだけを
 考えるようになる。
ー中略ー
 召使に対して身分ある人が姓を与え、
 安らかに解き放って召使をやめさせる、
 その心は歓んでもはや憂い畏れることがないようなものである。

 借金をして事業をなし、非常に利益を得て、
 借りを返しても残りの資力が十分ある、
 その心は歓んでもはや憂い畏れることがないようなものである。

 長い間病気だった人が、病気がなおって
 ものが食べられるようになり、身体の力が充実し、もう大丈夫だと、
 その心は歓んでもはや憂い畏れることがないようなものである。

 長い間牢獄に閉じ込められていた人が、
 無事に出ることができて「解放された!」と
 その心は歓んでもはや憂い畏れることがないようなものである。

 多くの財宝を持って大広野を横切る人が、
 盗賊にあわずに無事に通り過ぎることができたとき、
 その心は歓んでもはや憂い畏れることがないようなものである。

「ないようなものである」→比ゆ・例えです。
阿摩昼は仏弟子ではないから、出自バラモンにも分かる例えで答えたものです。
記述されて来た、釈尊の基本中の基本である、対機説法です。
賢者とは、比ゆを以って説く!
バラモンにはバラモンに分かる言葉、クシャトリアには、商人には、農夫には、
ということの常識の常識です。

883ラシン:2011/03/08(火) 15:28:48

以上、比較して、
文章とはその人間の体ようを表す、歴史を現す、見識を表す。
桐山さんの文章は、まさに他人を騙す架空、絵空事、小説であり、
さも事実かのように欺く、いわゆる詐欺文です。

感電障害者さん? いつもの通り自分の都合の良い引用、
改竄表現という姑息な文章は、小ズルイ人生だと分かります。

884ラシン:2011/03/08(火) 15:58:53

もう一つ、釈尊の比ゆを以っての説法です。
桐山さんの品の無い教えと違って、喩えが的を突いています。
耕田を例えたからといって、釈尊は農夫になれと言った訳ではない。

いちおう断るのは、比喩と目的を混同するオチエの人もいるので。

比ゆ 耕田(相応部7)

ある時、世尊がマガダ国のエーカナーラーと呼ぶバラモン村にとどまっていたとき、
バーラドヴァージャというバラモンの男が種まきをする鋤を整えていた。
世尊は朝早く、衣をつけ、鉢を持ってバーラドヴァージャの仕事場に近寄った。
バーラドヴァージャは、ちょうど人々に食べ物を分配しているところだった。

バーラドヴァージャは世尊が托鉢のためにそこに立ったのを見て、
世尊に向って言った。
 「沙門よ、私は耕して種をまく。耕し種をまいて、そして食うのである。
  沙門よ、そなたも耕して種をまくのがよろしい。耕し種をまいて、しかる後に食するがよろしい」
世尊は言う「バラモンよ、私もまた耕して種をまく。耕し種を撒いて、そして食うのである」
 「されど、私どもは、そなたゴータマの軛も、鋤も鋤の先も、鞭も、牛も見たことが無い。
  それにもかかわらず、そなたゴータマが、私もまた耕して種をまく、
  耕し種をまいてそして食うのであると言うことは、どうした事であるか」

バーラドヴァージャは詩でもって世尊に言った。
 「そなたは自ら耕すものといえど、我はいまだにそなたの耕すのを見ず。
  我はそなたに問う、いかにして我そなたの耕すを知らん」

 世尊もまた詩をもって答えた。
 「信は種子なり。戒は雨なり。知恵は軛につなぎし鋤にして、反省はその柄。禅定はその縄。
  正念はわが鋤の先なり。 身を守り、語を守り、食するに量を制し、真理を持って草刈をなし、
  楽住をたのしむはわが休息なり。
  精進はわが引く牛にして、我は静けき安穏に運び、行きて帰ることなく、到って悲しむ事なし。
  かくのごときがわが耕耘(こううん)にして、甘露(涅槃)はその果実なり。
  我はかくのごとく耕して、全ての苦悩より解脱せり」。

かく教えられてバーラドヴァージャは大きな青銅の蜂に乳粥を持って、世尊に献じて言った。
 「尊者ゴータマよ。受けて食べたまえ。尊者ゴータマは真に耕すものでございます。
  あなたが耕したのは、甘露の果のためでありました」

だが゙世尊はそれをしりぞけて、詩をもって言った。
 「我は詩を唱えて食を得るものにあらず。
  バラモンよ、それは智見あるものの法にあらず。諸々の仏は詩を唱えて賃を退けたもう。
  バラモンよ、ただ法に住するこそその生活の道なり。全くの大聖をば、飲食をもって奉仕せよ。
  これ功徳を求むるものの福田なればなり」
ー後略ー

885ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/08(火) 23:17:16
復活したやんw
さて阿摩昼経読まな。

886天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/09(水) 08:37:17
早い復旧でしたね。さすがは、したらば。

887ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/09(水) 08:39:20
>>853:準シュダオン11/03/07(月) 14:17:36
>例えば、長阿含経・阿摩昼経において、釈尊は比丘の憂いを在家の人に例え
>て、説いています。比丘も五蓋に覆われて、憂い、畏れがあるのだ、召使の
>ように、あるいは、奴僕のように、あるいは借金してる人、あるいは牢獄の
>人、あるいは長い病気の人、のように憂いている。それが、修行によって、
>牢獄を出た人、召使を止めた人、奴から解放された人、借金を返した人、
>病気が治った人、のように安楽な境地になれるのだ、と、説いていますよ。
>ですから、釈尊のいう、地獄・餓鬼・畜生とは、在家で言うと、奴隷の人、
>長い病気の人、借金のある人、牢獄の人、などの苦しい生活状態をいうのだ
>と、推測しておかしくありませんよ。
>だから、管長は、○○の因縁で説明してるのではありませんか。

>>879:準シュダオン11/03/08(火) 14:25:05
>名無しさんにレスしてて気づいたのだけど、釈尊は人生における、地獄・餓鬼・
>畜生の境涯を具体的に説いていたのですよ。阿摩昼経に出ていますよ。
>奴僕の人、牢獄の人、借金のある人、長い病気の人、召使、荒野を財宝抱えて
>旅する人、このような人を、憂い畏れのある人として、説いています。

私はこの阿摩昼経を漢訳でなくパーリ経典の現代語訳で調べました。
春秋社の(原始仏典)の第1巻です。
これに相当する箇所が見当たりませんでした。
ないということはもともとあってもなくてもよいことだと解釈します。
そしてラシンさんの経典提示に頼るしかありません。

>>882:ラシン11/03/08(火) 15:19:16
>「長阿含」第13・第30経の「阿摩昼経」(抜粋要約)
> 内面にしずけさを行じ、ざわつく心をなくす。
> 疑いを断ち切り、疑いを超え、心は「善」なることがらだけを
> 考えるようになる。
>ー中略ー
> 召使に対して身分ある人が姓を与え、
> 安らかに解き放って召使をやめさせる
> そのものである。

> 多くの財宝を持って大広野を横切る人が、
> 盗賊にあわずに無事に通り過ぎることができたとき、
> その心は歓んでもはや憂い畏れることがないようなものである。

つづく

888ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/09(水) 08:47:37
>>882:ラシン11/03/08(火) 15:19:16
>阿摩昼経は、青年バラモンの阿摩昼が釈尊に対し、
>「”心は歓んでもはや憂い畏れることがない”という境地に至る、
> というのは、いかなる気分なのでしょうか?」との質問に
比ゆを以って答えた内容です。

>「長阿含」第13・第30経の「阿摩昼経」(抜粋要約)
> 内面にしずけさを行じ、ざわつく心をなくす。
> 疑いを断ち切り、疑いを超え、心は「善」なることがらだけを
> 考えるようになる。
>ー中略ー
> 召使に対して身分ある人が姓を与え、
> 安らかに解き放って召使をやめさせる
> そのものである。

> 多くの財宝を持って大広野を横切る人が、
> 盗賊にあわずに無事に通り過ぎることができたとき、
> その心は歓んでもはや憂い畏れることがないようなものである。

準シュダオンさん、見てください。
桐山因縁解脱って、そもそも牢獄に最初から入らなくなることではないですか?
牢獄に入ってしまったら因縁切れず敗北した証拠です。
ところがこの経典の内容は刑期を果たした受刑者が解放されて安堵する心境を
説いている。
病気もそうです。桐山因縁解脱は最初から病気にかからず無事健康に過ごすことを言う。
ところがこの経典は長年病気で苦しんできた人がようやく治った喜びを示している。
桐山刑獄の因縁の解脱って刑獄の憂き目を見た後にその刑期を終える安堵のことなんですか?
ガンの因縁解脱とは長年ガンで入院するなど苦しんで、手術などでようやく治癒して
退院する喜びなんですか?

889準シュダオン:2011/03/09(水) 11:21:39
>全然拙くないですよ。かえって上手いですよ。
>だって自分が命名したのが、後になって本当に同じ異訳本が出て来たら
>この著者はすごい!とかえって評価が上がるじゃないですか?

そうは思えませんねぇ。
「自分が命名したと、得意になっていたが、ちゃんと三福道と訳した経典も
 あるじゃないか!阿含宗を名乗っていながら、ろくに阿含経を調べてもいない。
 いい加減な教祖だ。」
と、批判派なら言うでしょう。

ともかく、三供養品の三善根を、無貪瞋痴と解釈したのでは、欲張らない、
怒らない、愚かなことしない、の三無い運動だけで涅槃へ至れることとなり、
他の経典との整合性が取れませんね。仏法僧の元で、何もしなければ涅槃へ
至れる、と説いてるようなものですからね。

890準シュダオン:2011/03/09(水) 11:51:20
>準シュダオンさん、見てください。
>桐山因縁解脱って、そもそも牢獄に最初から入らなくなることではないですか?
>牢獄に入ってしまったら因縁切れず敗北した証拠です。
>ところがこの経典の内容は刑期を果たした受刑者が解放されて安堵する心境を
>説いている。

パーリ文から訳した先生は、要約する場合が多いと思いますよ。
例えば、増谷先生は、解脱の部分を、「迷いの人生は尽きた。再び迷いの人生を
受けることはない」と、訳されています。これは、「生死巳尽 不受後有」と、
いう部分の訳で、つまり輪廻から解脱したという意味なのですが、そう正確に
捉える人はどのくらい居るでしょうか。
 「煩悩から離れて迷いの人生を逃れたのだな」と、その程度の認識に終わる人
も多いのではないでしょうか。生死とはサンスクリットのサンサーラの訳、つまり
輪廻のことですから、輪廻から解脱した、と訳して欲しいと私は思いますよ。

阿摩昼経は、煩悩から離れて、初禅や第二禅に入る比丘を、牢獄から解き放たれて
安堵する受刑者に例えているのです。つまり、三結煩悩を断って、初禅や第二禅に
入れた比丘は、「三結尽 不堕悪趣」というわけで、もう牢獄に入るような苦しい
人生の因縁を断った、という意味でしょう。三結を断てない比丘は、牢獄に入ると
か、借金苦とか、奴隷とか、そういう苦しい状態に堕す、ということでしょう。
桐山理論と同じだと、わたしは思いますね。

891準シュダオン:2011/03/09(水) 12:24:10
阿摩昼経では、長老のバラモンが、阿摩昼という自分の青年弟子に命じて、釈尊の
偵察をさせるわけです。で、その青年バラモンが釈尊といろいろ問答するわけです
が、その昔、釈迦族にイジメられたことがあって、シャカ族の悪口を言ったりする。

で、阿摩昼が、釈尊との問答の様子を師の長老に報告すると、長老は怒って、
「この馬鹿者」と、阿摩昼を蹴飛ばします。すると、阿摩昼は病気になってしまい
ました。で、今度は長老バラモンが自ら釈尊を訪れて、教えを受けます。
そして、釈尊御一向を食事に招待して、七日間、供養します。

その後、間もなく、長老は病気で死んでしまいますが、比丘達が長老の行方を釈尊
に問うと、「阿那含を得たのでこの世に帰らない」と、答えます。
阿摩昼の病気は、釈尊の祈りで、たちまち治りますし、その他、分身の術とか、
様々な神通力がこの経典には出ています。

神通力すべてを信じるのもどうか?と思いますけど、すべてを否定することも、
行き過ぎでしょうね。

892ラシン:2011/03/09(水) 12:51:13
>>870
>被害者としての自己本位を説くのではなく、加害者にならない思いやりを説け。

ユビさんが指摘したとおり、
犯罪者が、必ずしも刑事罰を受けて刑務所にいるわけではない、
犯罪を無くすことの方が、宗教家としてあるべき教えでしょう。

長い間牢獄に閉じ込められていた人が、
 無事に出ることができて「解放された!」と
 その心は歓んでもはや憂い畏れることがないようなものである。

「ないようなものである」→比ゆ・例えです。
耕田を例えたからといって、釈尊は農夫になれと言った訳ではない。

ライオンのような恐ろしい顔だから、その人間はライオンなのです?
あの女性は、マリア様みたいな女人です、そうそう、マリア様です?
ここはまるで、極楽のようだ、ハイそうです、天国です?
刑期満了でシュッショスました、はいそう、刑獄の因縁が切れました。
また、シャブで捕まりまスた。?

バッカらしいほどの、オチエの解釈だ。

893ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/09(水) 14:19:31
今ようやく会議が終わり、遅れての昼飯も終わったのだが、今日の準シュダオンさん
のレスはとびきりひどいな。
また晩に。

894ラシン:2011/03/09(水) 14:25:46

桐山さんは因縁を切れる、切ったなどとタワ言を言い、
それをまともに信じて止まないお調子者がいるが、
阿含経には、どうでしょうか。

解脱者でも、退転しまった例
7度転落した比丘の自殺

その話は『サンユッタ・ニカーヤ』(相応部)の第四篇第三章第三節に説かれます。
すなわち、イシギリ(仙人の住所)といういわば聖地に住むゴーディカは、
熱心に修行に精励しまして、さとり(心解脱)が得られますけど、
そのさとりは一時的なものであって、再び元に戻ってしまいます。
そこで更めて熱心に修行に精励しまして、さとりが得られますが、また戻ってしまう、
そういうことを計6回繰り返します。
その7度目にさとり(心解脱)に到達しましたときに、今回もまた従来と同じように、
それが一時的であって元に戻ることを恐れまして、剣をとって自殺しようとします。

895ラシン:2011/03/09(水) 14:26:28

それを知った悪魔が釈尊のところに来まして、そのことを告げたそのときに、
ゴーディカは自殺をとげました。
そこで釈尊はその悪魔に向かい、
「ゴーディカは英雄のように渇愛を根絶してニルヴァーナに入った」
という詩をとなえます。
さらに、釈尊がその現場まで来ますと、そこには四方にも上下にも煙が立ち昇っており、
釈尊は更めて「ゴーディカはニルヴァーナに入った」という詩をとなえます。
「阿含経を読む」下664pe頁三枝充悳著

雜阿含經卷第三十九 抜粋

我獨一靜處思惟。不放逸行精勤修習。以自饒益。時受意解脱身作證。而復數數退轉。
乃至六反猶復退轉。我今當以刀自殺。莫令第七退轉。時魔波旬作是念。
沙門瞿曇住王舍城毘婆羅山側七葉樹林石窟中。有弟子瞿低迦。住王舍城仙人山側黒石室中。
獨一靜處專精思惟。得時受意解脱身作證。六反退轉而復還得。彼作是念。我已六反退而復還得。
莫令我第七退轉。我寧以刀自殺。莫令第七退轉。若彼比丘以刀自殺者莫令自殺
出我境界去。我今當往告彼大師。爾時波旬執琉璃柄琵琶。詣世尊所鼓絃説偈
大智大方便 自在大神力  得熾然弟子 而今欲取死
大牟尼當制 勿令其自殺  何聞佛世尊 正法律聲聞
學其所不得 而取於命終  時魔説此偈已。世尊説偈答言
波旬放逸種 以自事故來  堅固具足士 常住妙禪定
晝夜勤精進 不顧於性命  見三有可畏 斷除彼愛欲
已摧伏魔軍 瞿低般涅槃  波旬心憂惱 琵琶落於地
内懷憂?已 即沒而不現


まず「悪魔が」ゴーティカの自殺を止めるように釈迦に次のように進言した
「あなたの弟子はいま死を望み、死を思うています。それをとどめたまえ。光を放つ方よ。
尊師よ。教えを喜ぶあたなの弟子が、まだ心にさとりを得ないで、まだ修め学ぶべきであるのに、
どうして死を遂げるということがあってよいでしょうか。」

「思慮ある人々は、実にこのようにするのである。
生命を[延ばすことを]期待していない。
妄執を、根こそぎにえぐり出して、ゴーティカは安らぎに帰したのである」
「悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤU」中村元訳岩波文庫 50頁

896ラシン:2011/03/09(水) 14:56:04
>>893
>今日の準シュダオンさんのレスはとびきりひどいな。
また晩に。

占いじゃなく予測です、しょせん老人介護に終始すると思います。

897ラシン:2011/03/09(水) 16:17:52

貪・瞋・痴
世間(詩・雑阿含38)

ある時、世尊が祇園精舎におられるとき、コーサラ国のパセーナデイ王が世尊を訪れ、
世尊の傍らに座しました。王は世尊に申し上げた。
 「世尊よ、いったいどのようなことが世間に生じれば、
不利、苦悩、不安がおこってくるのでしょう」。

 「大王よ、三つのことが世間に生じれば、不利、苦悩、不安が起こってくるのである。
貪欲(どんよく・貪り、執著すること)が世間に生じれば、不利、苦悩、不安が起こって
くるのである。瞋恚(しんに・嫌悪すること)が世間に生じれば、不利、苦悩、
不安が起こってくるのである。愚痴(ぐち・真実に暗いこと)が生じれば不利、苦悩、不安が
起こってくるのである。
 大王よ、これらの三つのことが世間に生じれば、不利、苦悩、不安が起こってくるのである」
 世尊はそのように説いた。そしてさらに重ねて、詩を説いて仰せられた。
 「貪欲と瞋恚と愚痴と、この悪しき心、人に生じて人を害す。
 たとえば、かの竹の類の、その実を生じて倒れるが如し」。

898ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 08:13:43
>>889:準シュダオン11/03/09(水) 11:21:39
>そうは思えませんねぇ。
>「自分が命名したと、得意になっていたが、ちゃんと三福道と訳した経典も
> あるじゃないか!阿含宗を名乗っていながら、ろくに阿含経を調べてもいない。
> いい加減な教祖だ。」
>と、批判派なら言うでしょう。

これはヒドイ考え方ですね。
要するに準シュダオンさんはもし自分が調べてなく発見してないものがあっても
その段階で知ったかぶりをしていた方がよいと言いたいわけだ。
そもそもが大正蔵などが三善根であり三福道なんて未だに見つけられてないのだから
そんな発見してなくても恥ではない。
逆に大正蔵を知らなかったら、読んでもないのか?と非難しますが。
あなたの仕事ぶりがわかりました。
事実と自分の考え、希望を混同して報告する。
大切なことは現時点で事実として分かっていることと希望的観測とを明確に
分けて示すことが、仕事ができる人間と評価されるのです。
予言まがいのハッタリはたとえそれが当たってすら、発言に信用のおけぬ奴と
社会から疎んじられる。
最初から命名だったら当たった時に拍手喝采ものだったのに。
準シュダオンさんに聞くが、今後三福道本が発見されたらあなたはどうするのだ?
今回命名だと表明してしまった。
これから発見されたらあなたの理屈で言うと桐山さんは恥をかくことになる。
繰り返すがあなたの信条は事実でなくても事実であるかのように知ったかぶりをせよです。

899ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 08:33:59
>>890:準シュダオン11/03/09(水) 11:51:20
>パーリ文から訳した先生は、要約する場合が多いと思いますよ。

勝手な想像を書いてはなりません。それは学者に対する侮辱というものです。
一語抜けたなんて話ではなく、牢獄からの解放、長年の病気からの完治の安堵の
話自体が発見されてない。あったらこれを省略する理由がない。

>阿摩昼経は、煩悩から離れて、初禅や第二禅に入る比丘を、牢獄から解き放たれて
>安堵する受刑者に例えているのです。つまり、三結煩悩を断って、初禅や第二禅に
>入れた比丘は、「三結尽 不堕悪趣」というわけで、もう牢獄に入るような苦しい
>人生の因縁を断った、という意味でしょう。三結を断てない比丘は、牢獄に入ると
>か、借金苦とか、奴隷とか、そういう苦しい状態に堕す、ということでしょう。

だから例えの意味がわかってないのです。
桐山因縁解脱とはいっぺん牢獄の憂き目にあって刑期を終えて安堵する話ではなく
最初から刑務所に入ることなどなくすようにすることだから、そのような安堵の感覚
すら味わえないはずなんです。

900ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 08:49:12
>>891:準シュダオン11/03/09(水) 12:24:10
>阿摩昼の病気は、釈尊の祈りで、たちまち治りますし、その他、分身の術とか、
>様々な神通力がこの経典には出ています。
>神通力すべてを信じるのもどうか?と思いますけど、すべてを否定することも、
>行き過ぎでしょうね。

阿摩昼経の内容は私もパーリ経典の現代語訳を読んでいるから知ってますが
釈尊が祈って阿摩昼の病気を治す話なんか出て来ません。
経典にあるのはアンバッタ(阿摩昼)を許してやって欲しいと言われ、許しましょう
と言っているだけです。
祈って治したと言うのならば、あなたがその平河本のそれに相当する現代語訳を
改変せずにそのまま引用してみなさい。
それから釈尊の神通力を分身の術を含めて否定したことがない。
分身の術や空中飛行などの神通力が何の役に立つのか?解脱の役に立つのか?
と言っているわけです。
分身の術で病気を治すのか?

901ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 09:21:59
>>880:準シュダオン11/03/08(火) 14:31:17
>私などは、刑獄の因縁を切る、ということは、犯罪の因縁を切る、と同じ
>意味になるのですけど、ユビさんには違うのですね。言葉は難しいもんです。

もちろんそんなことは私もわかっているが、力点の置き方に注意しなければならない
と説いたのです。
犯罪者を取り締まることに日夜真剣に取り組んでいる警察官に対して、前世は
捕まる方だった逆刑獄の因縁などとふざけた侮辱を述べるくらいなら。
桐山さんは密教食の薬事法違反で書類送検された時に「まだ刑獄の因縁が切れて
なかったか」と側近のフジウスさんなどに漏らしていたようです。
光和の会長職だったので責任を問われたわけで、「光和の馬鹿が」と自分が悪くなく
光和の無能が悪いかのように発言していたが、実はこれは見つからなかったが
もっと悪質な法律違反があった。
桐山さんが慈恵会薬局で漢方薬の処方をしていた事実です。
もちろん桐山さんに薬剤師の資格などない。
薬剤師の資格がないと漢方薬と言えど処方なんて許されないことを知らぬわけがない。
フジウスさんらは監査が入るにあたり、この証拠書類を職員の自宅に持ち帰らせ
もみ消した。
刑獄の因縁=犯罪の因縁を切っていたらこういう法律違反とわかっていることを
しなくなるはずです。
しかししていたということは、犯罪はしても見つからなければよい、見つからなければ
刑獄の憂き目に遭わないとしたのでしょうか?
だから認識が甘いのです。

902準シュダオン:2011/03/10(木) 09:48:41

>私はこの阿摩昼経を漢訳でなくパーリ経典の現代語訳で調べました。
>春秋社の(原始仏典)の第1巻です。
>これに相当する箇所が見当たりませんでした。
>ないということはもともとあってもなくてもよいことだと解釈します。
>そしてラシンさんの経典提示に頼るしかありません。
私は、春秋社の(原始仏典)を持っていないので、平河本4巻の阿摩昼経をレス
しました。春秋社のは、とても重要な部分を省略していると思いますね。
釈尊が、具体的に苦の内容を説いてる経典は、少ないのではないですか?
召し使いとか、借金苦とか、牢獄とか、長い病気とか、そういう大事な部分を
省略する学者先生の考えが理解できませんね。

あと、何時ぞや、ユビキタスさんが、その他の神通力について、空を飛ぶとか、
壁を抜けるとか、日月を手に掴むとか、レスしてたと思いますが、阿摩昼経に
もそれは説かれています。しかし、そういう神通力を行うのは、瞑想で創り出し
た、自分の化身が行うのですよ。「化作化身」という語などが経典にあって、
そのことが解ります。春秋社の原始仏典にそのことが書かれていますか。

903ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 09:51:22
>>881:準シュダオン11/03/08(火) 14:45:47
>医学の発達により、横変死の因縁がなくなったことになる、とユビさんは言う。
>それはそれでいいのではありませんか?

呆れたが、それでは別の観点から示しましょう。
結核は戦前に比べて飛躍的に激減しましたがなくなったわけではありません。
依然として現代日本にも世界中にも広まっています。
今、世界の3大感染症と言えば、エイズ、マラリア、結核なのです。
結核菌の保菌者は世界で20億人と言われています。
ただ発病する結核と発病しない潜在結核とありますが。
2009年度における日本の結核保菌者は59000人ほどいて、24000人が新規に
保菌が認められた。
もちろん発病して死者までいます。
結核による死者の数が2159名。
1日に6人の割合でこの日本で結核で死んでいる計算になります。
この2159名という数字だが、比較参考までに交通事故による死者数は5000名を
下回っているのです。
つまり交通事故死者数の半数くらいの結核死者が現代日本にいる。
これでどうして結核の因縁を設定しないのか?
因縁なんて単なる作り話だからですよね?
だから制作者の無知に影響されるのです。

904準シュダオン:2011/03/10(木) 10:01:02
>準シュダオンさんに聞くが、今後三福道本が発見されたらあなたはどうするのだ?
>今回命名だと表明してしまった。
>これから発見されたらあなたの理屈で言うと桐山さんは恥をかくことになる。
>繰り返すがあなたの信条は事実でなくても事実であるかのように知ったかぶりをせよです。

そのとおりです。今後発見されたら、調査不足ということで恥をかきます。
仕方のないことです。一種の賭けですから。
但し、この経の三善根を、無貪瞋痴と解釈したのでは、欲張らない、怒らない、
愚かなことしない、の三無い運動だけで涅槃界へ行ける事になり、間違いです。
何もしなければ、涅槃へ行けることになるでしょうw。

905ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 10:25:50
>>902:準シュダオン11/03/10(木) 09:48:41
>しました。春秋社のは、とても重要な部分を省略していると思いますね。

>省略する学者先生の考えが理解できませんね。

学者先生が省略したのではなく、パーリ経典にそういう表現がなかったのです。
漢訳で紹介していれば当然訳しているはずです。

>あと、何時ぞや、ユビキタスさんが、その他の神通力について、空を飛ぶとか、
>壁を抜けるとか、日月を手に掴むとか、レスしてたと思いますが、阿摩昼経に
>もそれは説かれています。しかし、そういう神通力を行うのは、瞑想で創り出し
>た、自分の化身が行うのですよ。「化作化身」という語などが経典にあって、
>そのことが解ります。春秋社の原始仏典にそのことが書かれていますか。

書かれています。阿摩昼経だけでなく、沙門果経その他非常に夥しい数の
長部経典にこの神通力が示されており、学者の合理主義の偏見などで省略されていません。
ところで質問するが日月をつかむとあるが、どうして火傷しないのか?
どうしてつかまれた太陽と月はそれを目撃されてないのか?
もちろんその答えはあなたが知っているはずだ。
この辺で現実の病気も治してしまう超能力と釈尊の神通力の違いが理解されるはずだ。
化作化身の話もパーリ経典に例外なく出て来ます。
で、それで何に使うの?
宿題を忘れたら化作化身を作って登校させ、先生に叱られさせ、ほとぼりが
冷めた頃、本家本元の自分が登校するのか?

906準シュダオン:2011/03/10(木) 10:34:24
>阿摩昼経の内容は私もパーリ経典の現代語訳を読んでいるから知ってますが
>釈尊が祈って阿摩昼の病気を治す話なんか出て来ません。
>経典にあるのはアンバッタ(阿摩昼)を許してやって欲しいと言われ、許しましょう
>と言っているだけです。
>祈って治したと言うのならば、あなたがその平河本のそれに相当する現代語訳を
>改変せずにそのまま引用してみなさい。

ほら、「改変せずにそのまま引用してみなさい。」なんて、ユビさんは、
なんか傲慢なものの言いようね。だからいくら修行しても無駄だったのです。
そういう煩悩をなくさないといけないのです。
平河本ではね、(『』内が平河本訳)

『仏は婆羅門にお告げになった。
 「あなたの寿命は長く、この世で平穏に過ごせるように。あなたの弟子は
  白○が治ることができるように」
 仏のことばが終わると、その弟子の白○はすぐさま治った。』

と、なっていますよ。白○の○は、ヤマイダレの難しい漢字、一字なんだけど、
このPCでは出てこない字なので、○にしました。語註には、病とあります。
 どうやら、平河本の方が、詳しいですね。

907ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 10:49:54
>>906:準シュダオン11/03/10(木) 10:34:24
>『仏は婆羅門にお告げになった。
> 「あなたの寿命は長く、この世で平穏に過ごせるように。あなたの弟子は
>  白○が治ることができるように」
> 仏のことばが終わると、その弟子の白○はすぐさま治った。』
>と、なっていますよ。白○の○は、ヤマイダレの難しい漢字、一字なんだけど、
>このPCでは出てこない字なので、○にしました。語註には、病とあります。

やればできるではないか?
普段からそのような引用を心掛けてください。
で、そこの解釈はともかく、パーリ経典にはそこの部分が書かれてないのですね。
時代的にはパーリ経典の方が古い成立だと思うが。

908準シュダオン:2011/03/10(木) 10:58:41
>つまり交通事故死者数の半数くらいの結核死者が現代日本にいる。
>これでどうして結核の因縁を設定しないのか?
>因縁なんて単なる作り話だからですよね?
>だから制作者の無知に影響されるのです。

とのことですが、釈尊の説く、惑→業→苦、の輪廻論=縁起説を肯定するならば、
管長の○○因縁論を肯定せざるを得ないのです。前世の業の報いが、現世に繰り
越されて来る、というのが釈尊の説ですよ。
「○○の因縁=前世の業の報いが現世に繰り越されてきたもの」と、表現すれば
解りやすいですか?

前世でどのような悪業を積めば、現世に横変死の因縁を持って生まれてくるのか
解りませんが、まぁ、50歳で横変死する因縁を持って生まれてきたとします。
すると、煩悩のままに生活してますと、横変死の因縁の種子が発芽して、50歳
で横変死するわけです。

ところがその人が、40歳で仏道に入り、煩悩を断つ修行をすると横変死の因縁
の種子が十分に発芽せず、50歳に肉体障害の因縁だけで済んだりします。
つまり、煩悩を断つ修行は、横変死の因縁を変えたのです。
だから、煩悩を断つ修行は、○○の因縁を断つ修行と同じことなのですよ。

909ラシン:2011/03/10(木) 11:54:20

道(経・ダンマパダ20章)

諸々の道の上では八正道が最も優れている。
諸々の真理のうちでは四諦が最も優れている。
諸々の徳のうちでは情欲を離れる事が最も優れている。
人々のうちでは仏陀が最も優れている。
これこそ道である。
真理を見る働きを清めるためには、このほかに道は無い。
汝らはこの道を実践せよ。
これこそ悪魔を迷わしてうちひしぐものである。
汝らがこの道を行くならば、苦しみをなくすことが出来るだろう。
矢を抜いて癒す方法を知って、私は汝らにこの道を説いたのだ。
ー後略ー

桐山さんは、八正道を単なる教えに過ぎないとした。
しかし師釈尊が、この道が最も優れていると宣言しています。
因縁切りなどお呼びでなく、番外と知るべきです。

淫欲(句・スッタニパータ・テッサ・メッテイヤ抜粋)

かつて独りで暮らしていたのに、後に淫欲の交わりにふける人は、
車が道から外れたようなものだ。

世の人々は彼を『卑しい』と呼び、また『凡夫』と呼ぶ。
聖者はこの世に、この災いがあることを知り、独りで居る修行を堅く護れ。
淫欲の交わりにふけってはならない。

桐山さんは、女性信者のパワハラの相談を受けた。
それを逆利用し、「今夜にでも」とパワハラで返した。
そんな人間をセイジャと呼ぶ信者の知性が狂っている。
さっさと阿含の看板を降ろし、「今夜にでも宗」と変更すべきだ。

910ラシン:2011/03/10(木) 12:32:55

やはり老人介護でした、私の占いは良く当る、来たれ信者諸君!w

このご老人の健忘症というかボケは進んでいますね。
また同じを持ち出している、しかも深山さんに徹底して、
論破されたことも忘れている。
昼飯を食べて、またランチを食べに行くようなものです。

>>482 :準シュダオン:2009/08/30(日) 11:54:53 ID:ybulEK.c0
>お釈迦さまが、祈って人の病気を治したことがあるでしょうか?
>ありますよ。阿摩昼経をご覧なさい。平河本第4巻のP193をご覧なさい。

ご覧ください、これ「第四十三章 英霊達 への盂蘭盆会」の時です。
約一年半前です。

>508 :深山:2009/08/31(月) 12:34:04 ID:hUzlpf5A0
>あなたって、どうしてこうやって、前後を無視して、
一文だけをひっぱりだすのだろうか。
読者を騙すためにわざとやっているのですか、
それとも、あなたの読解力とはそんなに稚拙なのだろうか。

あとは、この章の>>509-519の深山さんの解説をご覧ください。
ようは、業老人の都合解釈である、アンバッタが師から蹴られて、
白癩を生じた、というトンデモ解釈です。
白癩とは現代でいうハンセン病で、蹴落とされたくらいで発症する病気ではない。

>514 :深山:2009/08/31(月) 13:02:47 ID:hUzlpf5A0
「白癩・・〔「そむけば白癩になる」という意から〕かたい誓い・決心の言葉として用いる語。」
>「そむけば白癩になる」という使い方をしていたというのです。
誓いを破れば白癩という業病を受けてもかまわないという意味だそうです。
ピンと来ませんか。
アンバッタはバラモンの弟子であり、服従を誓っていた。
インドのバラモンの師と弟子は今でも強い主従関係にあります。
だが、アンバッタは師匠の指示にそむいて、釈尊に噛みついた。
師匠であるバラモンに背いたから、それを白癩になったと言っているのです。
白癩を生じるとは、病気になったという意味ではなく、
そむいたことを白癩になったとたとえたのです。
アンバッタは逆らった罰として、車から蹴落とされた。
蹴落とされたから白癩になったのではなく、そむいたから罰を与えられ、
これを白癩が生じた、と表現したのです。
バラモンは釈尊にアンバッタの無礼の謝罪をして、釈尊は許した。
無礼を許したから、アンバッタのバラモンの指示に逆らった罪も消えたのです。
だから、白癩が消えたと表現した。
白癩が消えたとは、彼がそむいたことが許されたという意味です。

いやはや介護は大変ですな。

911ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 13:00:33
>>910
ああ、なるほど、その話でしたか?
私も忘れていたw
フォローサンクスです。
パーリ経典の許しましょうと一致しますね。

912ラシン:2011/03/10(木) 13:49:56

深山さんは、

>阿摩昼経は『現代語訳阿含経典4』(平河出版社)の151頁から始まり<

と、きちんと著書と頁を示していました。
比べて、業老人さんは、「白○の○は、ヤマイダレの難しい漢字」とか、
「このPCでは出てこない字なので、○にしました。語註には、病とあります。」
などとゴマカシている。
自分が過去、

>>482 :準シュダオン:2009/08/30(日) 11:54:53 ID:ybulEK.c0
>(白癩とは病也。悪疫也。と語の注釈にあります)

と書いていることすら記憶に無い。
出ないならば、IMEパッドの手書きモードで充分確認できます。
それをYhoo辞書で検索すればよいだけです。
自分で、「悪疫也」と書いていたのだから、コレラ・ペストなど、
悪性の流行病だと理解できる、普通のチセイをお持ちならだけどね。

蹴られて落ちて「流行病」という疫病が発症すると思ってしまう、
そのチセーには、舌を巻くほどです。

この業老人さんの悪癖は、みつごの魂百までも、ということでしょう。
なんとも桐山さんにソックリです。

913準シュダオン:2011/03/10(木) 14:01:41
>この辺で現実の病気も治してしまう超能力と釈尊の神通力の違いが理解されるはずだ。
>化作化身の話もパーリ経典に例外なく出て来ます。
>で、それで何に使うの?
>宿題を忘れたら化作化身を作って登校させ、先生に叱られさせ、ほとぼりが
>冷めた頃、本家本元の自分が登校するのか?

で、化身の超能力を何につかうの?ということですが、解脱への道しるべ、と
考えたらよろしいと思いますね。そのような能力が出て来ないうちは、煩悩を
断てていないのですよ。煩悩を断ったつもり、なだけです。
阿摩昼経の解脱への道しるべ、として、
1、有覚有観、欲貪と不法を離れ、喜楽生じて初禅に入る。
2、覚観無しの喜楽生じて、第二禅に入る。
3、喜を捨て、起護念楽にて第三禅に入る。
4、不苦不楽、浄にして第四禅に入る。
5、第四禅にして、起変化心 化作異身、が最初の優れた比丘の在り方。
6、化作化身、が第二の比丘の優れた在り方。
7、化作化身が、空を飛び、壁を抜け、日月を掴めて第三の優れた比丘の在り方。
8、天耳智を証得し、天と人間の二種の声を聞けて第四の優れた比丘の在り方。
9、他心智が生じて他人の心が手にとるように解り第五の勝れた比丘の在り方。
10、宿命智、天眼智、漏尽智生じて、煩悩と輪廻からの解脱を知る。

と、いうのが阿摩昼経に説かれた、解脱の道しるべです。
特に、空を飛ぶ能力を何かに使うというものではありませんね。
記憶力と解脱は関係ないのです。何時までも記憶がどうのと言うアホが居るが、
チュウダパンダカが解脱できた理由は、このアホ(ラシのこと)には永久に解らんねw。

914ラシン:2011/03/10(木) 15:05:34

そうですね〜、しばらくはこの↑業老人さんの「認チセー」を晒して置きましょう。

915名無しさん:2011/03/10(木) 16:40:35
ユビキタスと準シュダオンは息もピッタリだなw

916ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 20:07:26
>>915
首でも吊ろうかな。

917ラシン:2011/03/10(木) 21:21:11

>>913 :準シュダオン
>チュウダパンダカが解脱できた理由は、このアホ(ラシのこと)には永久に解らんねw。

チュウダパンダカ? 因縁切ったわけですね桐山流解釈では、ブッダのチエで。

アホの記憶では、チューラパンタカ(周利槃特)のことだと思いますが、
単なる記憶です、あくまでも悪魔でも。

918ラシン:2011/03/10(木) 21:25:06
>

916 名前:ユビキタス ◆18iA.mwnDU 投稿日: 2011/03/10(木) 20:07:26
>>915
首でも吊ろうかな。

アゴンのごホーセで、シメ縄くらいは手に入りまっせ!

919ラシン:2011/03/10(木) 21:29:35

中国からクマが来たって?

そ、そう、名前は、チュウダ「パンダ」カ?

920ラシン:2011/03/10(木) 21:29:47

中国からクマが来たって?

そ、そう、名前は、チュウダ「パンダ」カ?

921ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/10(木) 21:41:44
>>913:準シュダオン11/03/10(木) 14:01:41
>このアホ(ラシのこと)には永久に解らんねw。

読者の皆さん、とくとご覧あれ。
>>904:準シュダオン11/03/10(木) 10:01:02
>但し、この経の三善根を、無貪瞋痴と解釈したのでは、欲張らない、怒らない、
>愚かなことしない、の三無い運動だけで涅槃界へ行ける事になり、間違いです。
>何もしなければ、涅槃へ行けることになるでしょうw。

このとおり何もしないでいられないばかりでなく、怒りを捨てられず、愚かなことを
やめられないでいる。
だから涅槃は難しいことなんです。
理解は簡単にできても。

922名無しさん:2011/03/11(金) 05:09:28
天才バカボン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%B3
この作品には仏教がかかわっている説がある。

1.「バカボン」は、仏教の「薄伽梵」。
2.「これでいいのだ」は、悟りの境地をあらわす。
3.レレレのおじさんは、周利槃特をモデルにしている。

しかし、あくまで仮説で証拠はない。

By wikipedia 参照

923名無しさん:2011/03/11(金) 05:21:06
バカボンとは馬鹿なボンボン(世間知らずな子供)から来た名前だと思っていましたが、
仏教の「薄伽梵」(ばぎゃぼん、釈迦如来)に由来するそうです。

バカボンのパパの常套句「これでいいのだ」も「覚りの境地」の言葉であるようです。
レレレのおじさんも、お釈迦様のお弟子の一人で「掃除」で悟りをひらいたチューラパンタカ
(周利槃特=しゅりはんどく) をモデルにしているそうです。いやはや驚きです。

バカボンにはチョー天才児「はじめちゃん」という弟がいる。
「はじめちゃん」・・・・決して奇天烈な名前などではない。別に何処にでもありそうな名前である。
しかし・・・・・これもインド仏教学を学んだ経験があれば、ピンと来る名前なのである。
即ち、東大インド哲学科の碩学で、近年亡くなった中村元(なかむらはじめ)博士の名である。
http://33497230.at.webry.info/200808/article_1.html
         By トレバー・ボークの世相を斬る 参照

924ジ−ジ−榊:2011/03/11(金) 07:08:57
>>923名無しさん:2011/03/11(金) 05:21:06
へ−赤塚不二夫 おぬしもやるな−
只の酔っぱらいのオジサンじゃなかったのネンノネン

925名無しさん:2011/03/11(金) 09:09:35
3/10のユビキタスと準シュダオンの投稿時間。

901 :ユビキタス :2011/03/10(木) 09:21:59
902 :準シュダオン:2011/03/10(木) 09:48:41
903 :ユビキタス :2011/03/10(木) 09:51:22
904 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:01:02
905 :ユビキタス :2011/03/10(木) 10:25:50
906 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:34:24
907 :ユビキタス :2011/03/10(木) 10:49:54
908 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:58:41

すばらしい掛け合いだw

926ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/11(金) 12:51:45
>>925
その時間帯の書き込みはこちらは全て新幹線の中からの投稿だな。
移動がてらチャットしていたようなものだ。

927ラシン:2011/03/11(金) 16:33:31
みなさん、大丈夫あですか。

928ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/11(金) 18:33:46
大丈夫だが、皆さんと同じように足がなくて帰れんでいる。

929名無しさん:2011/03/11(金) 21:46:21
>>925
もしかして、準さんをユビキタスさんの自演だと言いたいのかな?
2ちゃんねるでもそういう事を書いていた人がいたが、それは貴方ですか?
信者さんには準さんは存在してほしくない存在のようだが、彼はきちんと
実在の信者です。
認めてあげてくださいw

930ラシン:2011/03/11(金) 21:46:25
こちらも最悪です
旅行中で、アイパッドからです。
東京は、足がだめなようで大変らしい。
みなさん、どうかおきをつけて、

931ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/11(金) 23:27:59
>>929
昔、須賀川洋行だったかな、「気分は形而上」というマンガがあった。
身の回りの何気ない話題から信じられない行動をするOLや女房を描いて
「このOLは実在する」「この女房は実在する」とか書いていた。
準シュダオンさんもこの世に、しかもアゴン宗に実在する!
しかし準シュダオンさん大丈夫かな?
ご無事を祈ります。
緊急時は書き込みなどしなくてよいですよ。
私は職場に寝泊まりです。まあ快適です。

932天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/12(土) 06:17:17
>>931 すっかり忘れてた!準さんは向こうの方の方でしたよね。

「気分は形而上」懐かしい!モーニング連載で見てましたw
私は「ゴールデンラッキー」なんかも好きでしたがw

TVを見ていましたが東京の交通マヒは酷かったですね。
職場足止め如何ばかりかと思います。
やっぱ平和が一番ですね・・・。

933ラシン:2011/03/12(土) 10:20:24
皆さん全員の無事を願っております。

934ジ−ジ−榊:2011/03/12(土) 11:46:25
こうじゃっか悟りや詭弁等大自然の前では、無力 屁にすぎぬ

935ラシン:2011/03/12(土) 12:54:39


関東以北で、犠牲者が多数続出していますです。

桐山さんが、これを霊障だなんて言ったら、許せぬ!

被害者の方々には、言葉もありません。

936名無しさん:2011/03/12(土) 14:29:33
3/10のユビキタスと準シュダオンの投稿時間。

901 :ユビキタス :2011/03/10(木) 09:21:59
902 :準シュダオン:2011/03/10(木) 09:48:41
903 :ユビキタス :2011/03/10(木) 09:51:22
904 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:01:02
905 :ユビキタス :2011/03/10(木) 10:25:50
906 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:34:24
907 :ユビキタス :2011/03/10(木) 10:49:54
908 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:58:41

これを見れば何の説明もいらんw

937名無しさん:2011/03/12(土) 14:31:04
ユビキタスは自分で墓穴掘る天才だなw

938名無しさん:2011/03/12(土) 16:09:37
>>936,937
議論するつもりがないのなら、出て行ってください。

939Baa:2011/03/12(土) 16:44:33
『形而上』には振り仮名がふってありました。『うああ』と。ちがいました?

940名無しさん:2011/03/12(土) 17:32:37
福島第一原発で爆発音と白煙

被害が大きくならない事を祈ります
桐山さんが後日自慢しそうで、嫌だな

941ラシン:2011/03/12(土) 19:18:12
>940 :名無しさん:2011/03/12(土) 17:32:37
福島第一原発で爆発音と白煙

米軍情報によると、汚染流域はマスコミ情報と
格段に異なっています。
知らせると、関東は大パニックでしょう。
どうすれば?

942ラシン:2011/03/12(土) 19:53:25

チェルノブイリの時は、セシウム汚染範囲は、
当初が、28,000u。
最終的には、日本の面積の4割に相当する
145,000uです!
すでに、甲状腺異常を防ぐという薬が薬局で売れ切れ!

944ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/12(土) 20:23:27
>>936-937
準シュダオンというネームの書き込みが私の意図ある自作自演だとするならば
準シュダオンさんの長年の書き込み内容などアゴン宗的にも使えねえとあなたも
認識したわけですね?

>>940
被災地の方々はお気の毒の限りですが、しかし私などの住む首都圏も電力の削減
による停電や断水などのライフラインの制限がこれから起こります。
昨日爆発した千葉のコンビナートの空中に拡散した有害物質も週明けの雨に
混じります。
そして福島原発の・・・
アゴン宗どころではありません。

945名無しさん:2011/03/12(土) 20:29:04
>>944
気分を害されたようで申し訳ありません
本当に被害が大きくならない事を祈っております

946ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/12(土) 20:33:21
>>945
いや、この観測史上最大の大災害の問題は名無しさんの書き込みと関係なく
えらいこってすよ。

947天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/12(土) 20:36:54

2chの人やしたらばで新しい人は分からないようですね。
自作自演じゃないんですがね。

ユビさんは東の都会の方で、準さんは今地震の起きている地方の人です。
IPで私はある程度わかっていますし、かなり掲示板を見て把握している人は
準さんとユビさんは別人であることはわかっています。
憶測でものを言わない方がいいですよ。
準さんも被害を受けているみたいでしょうし、しばらくは書き込みも出来ないでしょう。

948ラシン:2011/03/12(土) 20:39:50

原子炉溶、ECCS稼働せず。

福島はセシウム137の安全基準を1000倍を超えている!?
(米軍スジ情報)

949ジ−ジ−榊:2011/03/12(土) 20:41:53
>>944アゴン宗どころではありません。
そのとおり、アホ宗教を話題になど出来ません
人間生きるか死ぬかの瀬戸際。信者はアゴンに駆けつけよ!!
そして、教祖の実体を見極めよ!!納得してから今後をかんがえよ
用心しなさい口がうまいから、実体現相が出てから後は決めなさい!!
いくだけ無駄だけど。君田の顔をたてての事だけど?!!

950ラシン:2011/03/12(土) 21:39:50

ユビキタスさん、天照さんへ

ユビさんは、やっと帰宅できたようでご苦労様。
私は、河口湖へ行っていたんのですが、
チェックインした途端、地震でしたから、、、。
あとは停電、暖房無し、水無し、食い物も無し。
最悪を経験しました。
最上階(8階)で、近隣のコンビニや、
公衆便所さえ往来が大変でした。EVも当然停止です。
コンビニもほとんど売れ切れ状態、日本ってダイジョウぶ?

ドコモ、固定電話もアウト、唯一IPADでの情報取得でした。
携帯のTVは見れましたが、電源の問題もあって。
仕事だけは、社員からメールで無事を確認できました。
それと、深山さんとはメールで確認できました。
SNSは紹介しておりますよ、天照さん。
中央道は無事でしたので、帰宅できた。

準シュダオンさん、大丈夫かな、心配ですね。

桐山さん、京都なら全然危機感もないでしょう。

米軍情報筋は、私の知り合いの彼氏が米軍所属です。

951天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/12(土) 21:44:50

>>950 ラシンさん、詳細ありがとうございます。
それはTVで放送されているまさに通りで、いやあ実体験は半端じゃないですね。
本当にご苦労様でした。

しかし、現代機器が活用できたのはいいですね。
電話も駄目。携帯もさて・・・。アイパッドが活用できたのはまさに現代。
ありがたい次第です。

米軍の情報は凄いですね。妻に話したら否定されましたが(大笑)
まあ、いずれはっきりするだろうよ、と捨て台詞を残してきました。

TVでの報道制御がされているのかと思うとなんだか・・・です。

952ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/12(土) 21:45:43
>>950
深山さんもご健在でしたか?
東日本大震災と関係なく少し心配してました。
1週間姿を現してないですからね。
国立国会図書館のネタに関しては、深山さんなどきっちりした方ですから
自分でも資料に目を通してからコメントされると最初から予想してましたが、
その他の話題でも全然書き込みがないから災害以外の別の問題が生じてしまい
休止されているのかな?と想像しているところですが。

953無関係な人間です:2011/03/12(土) 21:45:58
>>947

 皆様のご無事を祈っていました。が、准シュダオンさんが被害を受けられた可能性があるのですか。
心配です。いつも、荒唐無稽な流言飛語を臆面もなくばらまく人でしたが、災害となれば話は別です。
 心からご無事をお祈り申し上げます。

 個人的には、仙台市にいる友人と連絡がとれないで、心配をしております。内陸部に住んでいるの
で大丈夫だとは信じておりますが、心配です。これ以上、犠牲者が増えない事を心から祈らずには
いられません。

 流言飛語といえば、そろそろチェーンメールで根も葉もない噂が流れだしています。
実は、私もところにも一つ届き、確認をするとデマでした。チェーンメールが届いた時は、情報の
信憑性を確認する必要があると思います。もちろん、できる範囲で被災者の方々に協力するのは
大切な事だと思いますが。

954無関係な人間です:2011/03/12(土) 21:57:09
 ちなみに、京都は直接、地震の影響はありません。
隣の滋賀県だと軽い揺れを感じた人がいたそうですが、京都は全く揺れを感じた人は
いませんでした。ただし、地震の影響で式典が中止するなど、間接的な影響はありました。
 道を行く人の顔も、みなさん、厳しい顔をされています。
阪神大震災で、大きな揺れを体験し、その後、ボランティアで神戸に救援活動に行った人が多い
ので、他人ごとではないと思います。

 今回は、津波という事で、復旧がより困難なようです。被災されて方々の心境を考えると、
涙が出そうになります。行方不明の方のご無事を心からお祈りしております。

 (考えたら、京都はほとんど空襲もなく、鳥羽伏見の戦い以降は戦火もなく、戦後は治水が完備
したので、大きな洪水もありません。桐山さんにとっては、理想的な場所ではないかと思います。)

955ラシン:2011/03/12(土) 22:05:05

枝野さんの説明は矛盾していると思いますよ。

最初の避難勧告は3kmから5、20kmへと。
ようやく放射能検知が低下してどうして20kmなのか。
軽水炉の換気も、最初は稼働していなかった。
放射能フィルターにも問題があったのでは?
ECCS稼働も遅いですね。

しかし、ホテルであっても水無し電気無し暖房無しは、
たった一日でもつらいです。
それが、何日も続けば想像を超えるものでしょう。
今こそ、
アゴン宗信者さんは、ボン行のために被災地へ行きますか?
違いますよね、
祈るだけ、それも安全な場所で、そしてご祈願達成!
で、自分の功徳を積んだ?

956深山:2011/03/13(日) 00:04:46
>>952 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/12(土) 21:45:43
>深山さんもご健在でしたか?

デンパの届かない所にいました。
おまけに、地震のために足止めを食い、帰国が遅れました。
桐山ゲイカの阿含経講義の下巻の件は、情報を寄せてくたれた金剛院派さんと
確認したユビキタスさんはすばらしい。
下記の一文を見て、爆笑しました。

「わたくしはこれを「三福道」と命名しました。」
(「仏陀の真実の教えを説く : 阿含経講義. 下」)

平河出版の社員がこのように書いたともとれますが、
桐山さんが書いた可能性もあります。
平河側から、たとえば「三福道の経典を探し出せないので、ゲイカの資料を
示してほしい」と桐山さんに質問が行き、それに対する桐山さんの答えが上記です。
普通の人なら、これでは自分の悪事を認めたようなものですから、
自分から書くなどありえないことだが、桐山さんにはそんな罪の意識はありません。
だから、三福道だけでなく、「須陀諸Yより阿那含に至り・・・」などという
文章も二十数年前にすでに付け加えたことを書いている。
あれではまるで万引きしたことを堂々と告白するようなものです。
あんなこと普通の人は書きません。
そこが普通の我々とは決定的に違う。
桐山さんは三福道を捏造したことが悪事だとは思っていない。

957深山:2011/03/13(日) 00:07:43
「わたくしはこれを「三福道」と命名しました。」
(「仏陀の真実の教えを説く : 阿含経講義. 下」)

桐山さんは捏造を仏陀の智慧くらいに思っているのでしょう。
同じような感覚の人が世の中はいて、栗花さんもそうだし、
おそらく準シュダオンさんも「何が悪いのか」と言うでしょう。
世の中はこういう嘘が全然平気な人たちがいる。
だが、平河出版の良識の生きていた社員の一部は、桐山さんの返事に、
「これでは捏造を認めたのと同じではないか」と議論になり、出版は
見送られたのかもしれません。
これまでの本ではまるであの三供養品が2種類あるかのように書いている。
だが、ここで桐山さんははっきりとその内の一つは彼自身の捏造であることを
認めてしまった。
桐山さんの詐欺師の感覚では、それが悪事だとは理解できない。
だが、平河出版の人でなくもて、一般人から見たら、完全な捏造であり、嘘です。
仏教は世間よりもはるかに厳しい道徳心を求められるのに、
こんな道徳心の極端に低い人の阿含経講義に何の価値があるのか。

958深山:2011/03/13(日) 00:11:59
「わたくしはこれを「三福道」と命名しました。」
(「仏陀の真実の教えを説く : 阿含経講義. 下」)

三福道こそがアゴン宗の信者たちの一番の拠り所です。
ところが、なんと言葉も概念も桐山さんの捏造だと認めた。
こんな事を書いて出版したら、批判側のかっこうの餌食になるだけではない。
批判を読むまでもなく、これまでの桐山さんは2種類の三供養品が
あるかのような書き方をしていたが、これも嘘だということになる。
本文には仏教辞典から、三善根の元々の意味も引用しています。
三善根には桐山さんのいうような供養で成仏するなんて意味はない。
これではわざわざ、捏造を自分から告白しているようなものです。
いったい信者さんたちはこの事実をどう見るのでしょう。
三福道こそは在家信者の基本中の基本であり、拠り所です。
だが、その言葉も概念も阿含経にはなく、桐山さんの捏造だと本人が
告白してしまった。
これでは出版することに反対が出て、保留になったのもわかるような気がします。
桐山さんの捏造に同調すれば、自分の良識を疑われ、
捏造と認めれば、アゴン宗への信仰が崩壊する。
栗花さんや準シュダオンさんのような人でないかぎり、
まともな知性と感性を持っている信者なら頭を抱えます。

959深山:2011/03/13(日) 00:13:57
「前述のように、わたくしは三善根を三福道と名づけているのですが、三福道とは
文字どおり「三つの善根=三つの福の道」です。(97頁) 」

笑えるのが、これまでの準シュダオンさんの説を桐山さんが
上記のように否定している点です。
桐山さんは三善根も三福道も同じだと書いています。
一方、準シュダオンさんは三供養品の三善根は辞典の意味とは違うと主張してきた。
桐山さんを味方したつもりが、桐山さんに足払いをかけられた。
毎度のことながら、ミジメなもんです。
もっとも、準シュダオンさんのことだから、桐山さんから足払いを
かけられたことすらも理解せず、また同じ主張をくり返すでしょうね。

960ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/13(日) 09:10:22
よかった。深山さんも復活されましたね。
なるほど。桐山さんが過去に2つの経典があると示したことなどコロリと忘れて
命名なんだ、何が悪いと示した可能性はありますね。
だからこそこれは現役信者さんの質問にかかっています。
国会図書館で読んだがどうして発売しないのか?と。
E川愛人問題と違った教学上の問題なんだから。

961ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/13(日) 09:59:27
私は上巻が出た時に最も都合がよい話を提供してやっていたんですけどねえ。
下巻から三供養品は外すという手段です。
普段、根本聖典として複数の著書でも解説済みだから、今回は信者にとっても
馴染みの薄い経典を示すのが目的だと。
しかし上巻でもう一つの根本聖典の応説経を示し、過去にも示した仙尼経も
示してしまいましたからね。
三供養品を示さないと信者が不審に思うかもしれない。
それに深山さんの推論通りならば、平河は桐山さんとグルで信者を騙そう、ごまかそう
なんて悪意はなかったことになる。
寧ろ平河こそが桐山さんが嘘などついておらずに信じていたから資料を出すように
依頼したことも考えられる。
私は「ゲイカ、これはヤバイですぞ」と犯罪を隠すことばかり想定していたが。
(もちろんその説はまだ生きていますが)
上巻の仙尼経の異陰→与陰もまた桐山さんが書いたのだろうか?
陰だけでも霊魂の話にはできると。
ただ「社会科学としての阿含仏教」と比較して脅迫めいた話をカットしたのは
平河が編集するか、あるいは平河主導でこれは避けましょう式にゲイカに従わせないと
なかなかああならないと思います。
下巻の三供養品解説と社会科学本の三供養品解説とは構成が同じ部分と
取り上げる余談のような話が違うものもあります。
その辺を考察するには資料が共有化されてないので難しいものがありますが
ゆくゆくは言及もしていきたいと考えています。

962名無しさん:2011/03/13(日) 11:20:56
>>932 :天照
>>931 すっかり忘れてた!準さんは向こうの方の方でしたよね。

確かに。
成りすまし問題が起きたとき、あのお方は東北地方にお住まいだと天照さんから伺いました。
元気で生活していらっしゃればよいが。ちょっと心配ですね。

963名無しさん:2011/03/13(日) 15:44:51
3/10のユビキタスと準シュダオンの投稿時間。

901 :ユビキタス :2011/03/10(木) 09:21:59
902 :準シュダオン:2011/03/10(木) 09:48:41
903 :ユビキタス :2011/03/10(木) 09:51:22
904 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:01:02
905 :ユビキタス :2011/03/10(木) 10:25:50
906 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:34:24
907 :ユビキタス :2011/03/10(木) 10:49:54
908 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:58:41

準シュダオンさん、どうか御無事で〜〜

964名無しさん:2011/03/13(日) 16:37:38
>>963
本気で心配してないだろ

965天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/13(日) 16:43:00

>>963 以前も同じ内容のコピペですが、議論になってないのでスレ違いを警告します。
次も行ったら管理行使します。もうおやめ下さい。

966ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/13(日) 17:24:34
準シュダオンさんはご無事であっても、とても書き込みなどできる環境になく、
しばらくは顔を出すことはないと思います。
よって呼び掛けをせずに静観いたしましょう。

967神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/03/14(月) 05:00:22
信者側からのボランテイアの呼びかけや募金等の
危機困難克服の具体策の提唱は一切ありませんネ?!
ナモナモするだけで事足りると思っているのですかネ
今は釈迦も衣を持ち上げて走る時だと思いますがネ!!

968天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/14(月) 05:25:23

>>967 教団擁護では有りませんが少々。

過去に募金の声を掛けたことがあります。何のときだったかは忘れましたが、
その時に「ああ、教団内でも募金集めて寄贈するんだ」と思ってました。
私はそのときは募金は教団外で行ってたので教団内ではやりませんでしたが。

なので、もしかしたらやるかもしれませんよ。
ただ、もう道場には行かないので確認ができませんがw

969神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/03/14(月) 06:03:36
信者側からのボランテイアや募金等又、
安否確認の呼びかけや動きは見られません?!
利用できない者は見捨てるということでしょうか?
準某氏については>>866のとうりでしょう!!
しかし、個人情報は使わないネットの習いなら、
ネットで呼びかけ続けるべきでしょう。
ネット空間での好敵手であったとしても、命は命
一人の背後に多くの人の安否が確認できるかももしれません。
日本存亡の危機です。スレの趣旨を逸脱しようとも
緊急避難的には許されてしかるべきでしょう!?

970天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/14(月) 06:26:37
ああ、失礼をしました。「信者側が」ですね。それは無理でしょう。
なぜなら一個人では信用性もないし募金をしてくれる人がどれだけいるか。
また実際今はボランティアも入れないとTVで聞いています。
時間が経ってからだと入れるでしょう。

また教団は勝手なことをすると罰を受けます。
一信者が発心して行う事項でありながらも教祖や教団に許可を得ないでやれば
エライ目に遭います。
なので信者側からというのは出来かねると思います。
個人レベルでとか信者の仲間内などでは可能かもしれませんが。

東北地方の信者さんで道場での救助活動関係に参加したいというのを
宗務局に言って許可を貰えば出来るかもしれません。

971名無しさん:2011/03/14(月) 06:47:20
これはひどい、津波前と津波後の衛星写真 空襲の痕みたいになっている・・・
http://www.abc.net.au/news/events/japan-quake-2011/beforeafter.htm

972ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/14(月) 09:23:02
次スレのサブタイトルですが、ワケワカメシリーズがオモロイと思ってノミネート
しましたが、こういう事態になってしまったので、こんなのはどうでしょうか?

【震災から学ぼう真実を】

973天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/14(月) 13:23:40

>>971 名無しさん、情報ありがとうございます。私も見ました。
TVを見ていて分かっているはずなのですが、絶句です。言葉が出ない・・・。
元画像との比較は分かり易く、はっきりとした違いが明らかですね。

津波がなかったら助かった命が多かったはずなのに・・・もしもは通用しない
のだけれど本当に言いたくなります。

本当に亡くなられた方へのお悔やみと、被害に遭われたかたのお見舞いを申し上げます。

974干柿:2011/03/14(月) 14:38:45
今回の災害の現実というものをみると、○○の因縁だとか、因縁で人は
ないてっているだとかゲイカの阿含宗の理論がいかに空虚でいいかげんなものか
怒りさえ感じます。
町ひとつがすべて壊滅し一万人安否不明のところもあるそうですね。
そのようなところに住んでいた人にはすべて横変死の因縁があるのか
ふざけるな!といいたい。
阿含宗の理事だった故M理事には横変死の因縁があったという
ゲイカと違って赤紙がきて戦争にかりだされ、たいへんな目にあってきた人だ
あるとき機銃掃射され隊列の自分の前後の人はやられたが自分は無傷
であったという話も聞いた。横変死の因縁があるのになぜ?

釈迦はいう、ヒトは明日どころか次の瞬間にも死ぬかもしれない、と

975無関係な人間です:2011/03/14(月) 16:22:41
>>971

 先日の投稿で「京都では地震を感じた人はいません」と書きましたが、その後、地域によっては
地震を感じた人はいたようでした。

 スレの趣旨とは違いますが、今回、津波被害にあった地域は過去にも再三、津波で甚大な被害を受けた
地域です。今後、街の再建に当たっては、都市計画を根本から見直し、場合によっては住宅は高層住宅を中心に
するなど、津波対策を中心にした都市計画をする必要があると思います。高層住宅は、殺風景だし、権利関係
が錯綜するので、好きではないですが、人命中心にするならば、仕方がないとは思います。
 
 まあ、自分は取りあえずは、閑を見つけて、献血と献金には行ってきます。

 スレ違い、失礼をしました。

976名無しさん:2011/03/14(月) 16:26:31
901 :ユビキタス :2011/03/10(木) 09:21:59
902 :準シュダオン:2011/03/10(木) 09:48:41
903 :ユビキタス :2011/03/10(木) 09:51:22
904 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:01:02
905 :ユビキタス :2011/03/10(木) 10:25:50
906 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:34:24
907 :ユビキタス :2011/03/10(木) 10:49:54
908 :準シュダオン:2011/03/10(木) 10:58:41

準シュダオンさ〜ん、早く出てきてくださいよ〜
”こんな大変なときに信者は何をしている”
なんてコイてるバカがいますよ〜

977ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/14(月) 20:08:53
↑削除でええんちゃう?

978ラシン:2011/03/14(月) 20:14:16
>977 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/14(月) 20:08:53
↑削除でええんちゃう?

いいんにゃ、アゴンカルト信者の典型として残すべき!

979干柿:2011/03/14(月) 20:24:51
信者もここまで腐ってしまったのでしょうかね?
もう良識ある信者はほとんどいないという情報もちらほら
初護摩(関東別院の)参加者、あきらかに減っていたそうです。
去年の三分の二くらいだったとか、
その反面、「わたしもお護摩焚きたい」などという、もう教団のいいなり
の家畜信者が多数・・・そういうのだけが残っていくのねw

980名無しさん:2011/03/14(月) 21:06:24
>>978
そのレスは残して、アク禁にするのはどうでしょう?

981天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/14(月) 22:40:18
54章立てました。
サブタイトルは今回は過去の応募の中から、と思っていましたが、
震災がおきて間もないのと、震災から色々学ぶ・考察することもあるだろう、
という意味合いからユビさんの案を採用させていただきました。

書き込みを防ぐためにスレッドストップにしてあります。
こちらが埋まりかけたら開放しますので、ご了承下さい。

982天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/15(火) 13:58:53
@chs−1が賑わって、逆にこっちが過疎になっちゃったw
 
二号機も四号機もアウト。さあ、どうする東電&政府。

983ラシン:2011/03/15(火) 14:32:47

54章は時流に適ってよいタイトルだと思います。

誰しもあなような天災に遭遇する可能性はあります。

そこで学ぶべきことと、アゴン宗の関連を吟味したいものです。

984ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/15(火) 17:57:19
震災に学ぼう真実をの真実とは、もちろん広義でいろいろな事項を指しますが、
狭義にはアゴン宗の欺瞞の真実ですね。
信者さんが今回の震災を通してアゴン宗の説いてきた教義や実践、桐山発言などの
嘘、矛盾、限界などといった真実を学んで欲しいと思いました。
阪神大震災で油断があった!などと言い訳をしていた桐山さんが、阪神大震災や
関東大震災を上回る観測史上最大の大地震、万単位の死者数、原発の危機まである
大惨事に対してどう言い訳するつもりなんですか?

985天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/15(火) 19:00:15

>>984 本当にそうですね。油断もクソもない。霊能力を持ち聖者様なら把握できた
はずです。普通の人間なら責めもしないがゲイカはそうではないですからね。
それとも「普通の老人に戻ります」ってか!?

確かに5年前のときにアゴンさんが言われたように地震の事を言ってたような記憶は
あります。ですが、ゲイカはこういうことをよく言ってましたね。

「東京に大災害が起きる前には必ず知らせる」という内容です。

当時信者だった自分は頼もしく思っていました。
ですが、その後阪神大震災の予知も公示もなかった。
そのとき

「東京は予知で助けて、阪神地区は助けないのか」と当時思ったものです。
で、今回の東北地震もそれに類すると思います。

言い訳など聞かない。嘘をたくさん並べるだけでなく何も当てれない・示唆できない
ただの老人なのだから何も出来ないので当然です。

お悔やみ申し上げます、で終りでしょう。それとも得意の解脱供養で全員成仏?
焚き火を焚いて終りの阿含宗でしょうよ。

986ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/15(火) 20:06:22
>>985:天照 ◆MO30b8Jwoo11/03/15(火) 19:00:15
>確かに5年前のときにアゴンさんが言われたように地震の事を言ってたような記憶は
>あります。ですが、ゲイカはこういうことをよく言ってましたね。
>「東京に大災害が起きる前には必ず知らせる」という内容です。
>当時信者だった自分は頼もしく思っていました。
>ですが、その後阪神大震災の予知も公示もなかった。

阪神大震災は16年前だから、5年前の話とは食い違いますが、阪神大震災よりも
前から東京の話ばかりしていたということならば納得です。
桐山さんは阪神大震災の時、地震は関東にばかり来るものと思い込んでいた、
しかし活断層だらけの日本ではどこに来てもおかしくないと訂正をしたわけです。
だから阪神大震災以降であるならば、今度は油断なんて言い訳は通用せず、
単に霊感なんてこれっぽっちもなかったことになる。

987天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/15(火) 20:33:18

ユビさん説明をはしょって申しわけありません。阪神大震災の前ですね。
1988〜1990年辺りです。

なぜその辺りかといいますと丁度私が働いていた職場のバイトが高校を卒業し、
東京に就職する、と言っていたのでその時に連絡先を聞いて

「東京で大地震が起きる前にうちの教祖が察知して知らせてくれるので、もしも
そのときは連絡してあげる」と言ってたからです。
で、実際寮でしたが聞いてメモしたのですから、記憶があるのです。

幸い東京は未だ酷い震災に遭ってませんが、それは遭ってないからいいのであって
遭ってはならないがさてゲイカが予知できたか?というと「さて」ですね。

なんだかんだ言っても阪神大震災の前の日にすぐ傍の地域に居て「気がつかなかった」
ですから話になりません。
また東京もあのお台場で護摩法要をしましたがそのときに「これで安心だ」という
ようなことも言ってませんでしたか?
一応戦争や大火で亡くなった方を供養したのだから霊障はこれでないはずですよね?
東京に於いては、です。

また京都に於いて毎年護摩を焚いているのは日本はもとより世界の霊障を解いて
いるのではないか。それが機能してない証拠です。
イスラエルの護摩でも分かっていますが、法要まもなく戦火が起きた。
あれだけでも「意味無し」は見えるものです。

988天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/15(火) 20:39:38
またゲイカの言葉にも説得力が無い。
確かに各地に行脚して法話などをする際には「地震」のことを言います。
ですが、必ず出るのは「気をつけなさい」

こんな普通の人が言う言葉だけでは話になりません。
なぜ偉大な能力を持っているのなら事前に予知し、あまりいい表現ではないが
信者だけでもいいから「いついつ地震が来るから避難しなさい」と示唆しないか。

世間に言うと問題がおきるから信者だけでも伝えるのは出来るはずです。
東京を救うといってたのだから、世界のどこそこを予知できなくても国内なら
出来るはずです。でもそれすらしてない。

そして当たってから「ほら俺の言ったとおりだ」といくらでもいえるでしょう?
ゲイカお得意の「俺の言うことを聞かないからそうなったのだ」とその時に言えばいい。
たったこれだけで阿含宗の株も上がるというものです。

後だしじゃんけん、方便だらけの老人に出来るのは戯言・妄想発言だけでしょう。

989天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/15(火) 20:59:08
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1299325221/l50

535 :ナニワ金融:2011/03/15(火) 18:57:20.12 ID:6z0e5HOg
13救いの輪運動のノルマを達成した、東北のグランドミッショナリーたちは無事なんやろなぁ。

何気ない一行文章ですが、鋭いですね。
まだ安定してないですから答えは大分後に成ると思いますが、もしもグランド〜の方が災害に
遭って亡くなってたらどう弁解するか見ものです。

救われる隊列の最高の証を貰っているのですよね?
それで救われなかったら、茶番以下の何ものでもない。
それこそおもちゃのようなバッジと賞状を与えて「君たちは救われる隊列の中に入った」
というのですから、如何に騙されているかが分かる。

今は推測だけだから何ともいえないが、本当に隊列云々は別にして無事であって欲しいと思います。

990ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/15(火) 21:19:58
>>987:天照 ◆MO30b8Jwoo11/03/15(火) 20:33:18
>また東京もあのお台場で護摩法要をしましたがそのときに「これで安心だ」という
>ようなことも言ってませんでしたか?

これはそのお台場護摩に野次馬に行って見聞きしたのだからよく覚えています。
今日この護摩を焚いて東京にテポドンが落ちてくるのを防ぎました。
今日参拝された方は震災にあっても大丈夫とか。
しかし福島原発の爆発によりさいたま市や千葉市などでも多大な放射線量が
観測されています。今後大爆発なんかしたら東京も危ない。
桐山さんはこの当時東京に3個目の原爆が落ちるとか脅していたそうですね。
東京が無事ならば東北はどうなってもいいのか?
岩手の三陸といったら故・たち夫人の生家ではないか?
だからピンチを感じたら東北で御親修法要を事前にやってるはずですよ。
もう遅い。

991ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/15(火) 21:32:49
民放のテレビを見ていて、CMも間に挟むようになったが、AC公共広告機構メインに
制限してるのを見て、ああ、阪神大震災の時もこうだったっけと思い出した。
同時に厭なことも思い出した。
阪神大震災の時、今年最大の事件が起きてしまったと思ったが、もう一つ大きな
大事件が起こることを予期すらしなかった。
オウム真理教による地下鉄サリン事件です。

992天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/15(火) 21:35:51

そうでしたね。1995年は震災とサリンのダブル最悪年でしたよね。
私は当時TVをあまり見てられなかった環境なのでなんでやたらACのCM
ばかり放送するのか、と不思議でしたがそうなんですね。

まさかテロとか起きないだろうね・・・。サリン撒かなくても・・・。

993ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/03/15(火) 21:40:44
おかしな宗教団体が変なことしませんように。(-人-)

994リンク先・参照:2011/03/15(火) 22:49:30
会員の川本です。先週末から線量計を入手しようと奔走しています。ここは原発から100kmです。
週明け、各販売店が一斉に在庫なしの表示を出した理由が、わかりました。
政府がメーカーに、出荷停止命令を出したのです。個人、組織問わず、出荷させない通達のようです。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
___________________________________

もう政府も信用できんなこれは。

995名無しさん:2011/03/16(水) 00:19:05
かつて、桐山さんは例祭法話で
「東京で災害が起これば、アゴン宗信者に関東別院を避難所とする」
と言っていた事がある。
正直、「信者だけ?」とその時、がっかりした。
東京の交通マヒなどで、関東別院を信者だけでも開放したのなら良いが。
今回、何もしていない気がするw

996天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/16(水) 07:04:45

>>995 私もうっすらと記憶があります。そしてこう言う内容も言ってましたよね。
「別院にはOO個備蓄があるから信者以外の人が来ても大丈夫だ云々」
私はそれを聞いて「はあ?」と思いました。
また私は一回だけ別院に行ったことがありますが、あそこは海よりも低いとか。
尚且つ海に近いので津波が来たら避難所にならないのではないかと。
津波も火事も起きない地震ならいいですけどね。

そして多くの人が困っているのに信者だけOKもおかしいし、また信者以外にも
と大きな口を叩いていた。絶対人口の多い東京だからすぐに備蓄など無くなるのは
目に見えている。本気でこの教祖はものを言っているのか、と思いましたよ。

また実際に今回何もして無いでしょう。というか東京だけ守る、しか考えてない。
いや、「自分だけ守ることしか考えてない」と思いますよ。
将軍様と同じだから信者が飢えても自分だけは備蓄は確保するでしょう。
実際今でも信者から搾取しているのだから、助けるはずなど無い、と。

997神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/03/16(水) 08:56:20
>>996
現在直接の関係者達は気も動転しながらも頑張っておられるはずです。
我らが出来るのは彼等が後顧の憂い無く働けるのを手助けすることだけです。
祈ることでもナモナモする事じゃない。アゴンは集会をするとか?
無意味千万!!己達の気休めに憂き身をやつす、笑止なり 茶番なりアゴン宗
日本人の公徳心を妨害するアゴン宗 ジゴクに堕ちるべし教祖も信者も!!

998名無しさん:2011/03/16(水) 09:21:52
>>908
>前世でどのような悪業を積めば、現世に横変死の因縁を持って生まれてくるのか
>解りませんが、まぁ、50歳で横変死する因縁を持って生まれてきたとします。
>すると、煩悩のままに生活してますと、横変死の因縁の種子が発芽して、50歳
>で横変死するわけです。
>
>ところがその人が、40歳で仏道に入り、煩悩を断つ修行をすると横変死の因縁
>の種子が十分に発芽せず、50歳に肉体障害の因縁だけで済んだりします。
>つまり、煩悩を断つ修行は、横変死の因縁を変えたのです。
>だから、煩悩を断つ修行は、○○の因縁を断つ修行と同じことなのですよ。

まず、明確にしておかなければならないことは、皆さん何度も書いていますが
阿含経の中に因縁解脱は説かれていないと言うことです。
だから、因縁解脱を説いた段階でそれは仏教ではなく外道の教えとなります。
桐山さんの教えは仏教とは全く関係がない桐山教なのです。

ですから、仮に○○の因縁が存在しても仏教では○○の因縁を切ることは教えません。
だから、煩悩を断つ修行は、○○の因縁を断つ修行と全く関係がありません。

純粋に仏教的に考えれば、いろいろ縁を変えることで結果は異なってきますから
当然環境を変えれば結果も変化します。
ただし煩悩を断つ修行とこれら結果との因果関係は今のところ明確には出来ません。

999天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/16(水) 09:32:02
http://p.k-sal.jp/kaiun/201103090284404/

ここで阿含宗の地震に関する動きが見れるので便利。
今日は16日なので冥徳祭ですが、記事には今日の法要は
東北関東大震災の早期終息を祈念すると共に、犠牲者の方々の
ご冥福をお祈りする法要となるとのこと。

阿含宗もこれだけの災害なのですから何らかの動きがあるとは思います。
ですが、私が懸念するのは阿含宗が「祈る=拝むこと」に特化するのが
最たるものです。
災害が早く終息するように。被害が拡大しないように。祈るのは無宗教の
人でも同じことです。
ですが、阿含宗の場合はそれを本尊に依存し、また祈る(拝む)ことで
叶えようとする姿勢です。

変な話、祈らなくても拝まなくてもいいから実際的な行動をすることです。
勿論修復・復旧作業は行わねばなりませんが、それは人間の力であって
神仏の力だとは思わないことです。
祈って復旧が進むか?実際的に身体を動かし、また諸作業を行える体制が
あって進むものです。
護摩という炎を拝んだりご法楽を捧げている暇があったら、自衛隊駐屯地に
物資を提供したり、基金を提供したりできるはずです。
拝んで目標を達成しようと思わないことです。

1000天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/03/16(水) 09:38:41
また諸兄様方が言われていることですが、今回の地震で信者さんも考える気掛けに
して欲しいということです。

いくら勤行しても解脱供養してもグランドミッショナリー成るものを得ても
運命など変えれないということです。
パクリの勤行、意味の無い焚き火(護摩)、偽物の本尊などなどを拝んでも
何もならない。ただの自己満足です。

釈尊はそういうことなど示唆しなかった。
自分をしっかり持ってその瞬間瞬間一日を大切に生きろといっていた。
他に依存するな。煩悩を消すんだ。サティを得なさいといっていた。
仏像仏画曼荼羅などなどを拝んでお経や真言を唱えることなどやらせていない。
外道の信仰でどうにかなったら仏教など要りません。

丁度これで埋まりましたね。
では54章で展開して行きましょう。

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