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阿含宗と桐山氏について◆第52章【オイラの祭典・マヤかしの祈り】
1天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/10/29(金) 15:23:56 ID:MqmwXD4.0
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2孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/10/29(金) 22:43:12 ID:dXJ10IoA0
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/3419/1280288319/993
>南伝上座仏教は、部派仏教の一部が伝わったと考えられますね。テーラワーダ気付きの瞑想法は、阿含仏教37道品の瞑想法とは、明らかに
違います。どこかで変質したのでしょう。

うひょw そうなんですか? どう違うんですか?「阿含仏教37道品の瞑想法」というのはどのようなものですか?

3ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/10/29(金) 23:13:40 ID:SmEF4Oe2O
要するに準シュダオンさんって仏教が嫌いなんでしょ?w

4準シュダオン:2010/10/30(土) 12:10:29 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんは、管長の説と私の言ってることが違うように思ってる
らしいけど、それは誤解なのです。管長の説を私が解釈すると、わたしのレス
のようになるのです。批判派は、理解度が浅いのです。
例えば、管長の説とテーラワーダの説が食い違った場合、批判派は二者択一し
て、片方が正しくて片方は間違い、だと考えてしまう。
自分の体験があれば、必ずしもそうはなりません。
両方正しい場合もあります。

で、南伝上座仏教の気付きの瞑想法は、阿含仏教瞑想法とは違うことに、
自分で気づくくらいの智恵がほしいね。気付きの瞑想法は、今に気づくこと
を教えますね。ところが、釈尊の瞑想法は、凄まじい雷鳴にさえ気づかない
ような禅定もあります。これ一つとっても、釈尊の瞑想法と気づきの瞑想法
との違いが解るでしょう。

三聚経に、「云何十法向善趣 謂十善行 不殺 不盗・・・」と、説いて
おります。十善行でも十善戒でも十善根でも、呼び方が違ってもその内容は
すべて同じです。で、8・9・10番目の内容は、謂三善根です。
2000年1月5日に発行された、平河本第3巻の三聚経の中に、賢聖八道と
世俗八道の、二つの八正道が説かれています。道諦=八正道に、異議を唱えた
管長の誕生日に、この第3巻は発行されました、面白いですね。

5準シュダオン:2010/10/30(土) 12:29:24 ID:1F7rdgXk0
私の場合、仏教が好きか嫌いかの問題ではなく、苦を逃れたい一心で、管長の
阿含仏教信者を続けているのです。羅摩経で、釈尊は五比丘に何と説いていま
すか。八正道と四諦の真理を教えられた比丘たちは、「師のみもとにおいて、
修行したい」と、申し出ましたね。
そうしたら、釈尊は、
「来たれ比丘たちよ。梵行を行い、苦の滅を得るがよい。」と、答えました。

この、「苦の滅を得る」が、肝心要です。
諸々の苦とは、阿含宗的に言うと、○○苦の因縁です。
釈尊の云う、「苦の滅を得る」とは、苦(○○因縁)の滅(解脱)と、いう
ことです。
わたしが聞くと、釈尊の説くことと、管長が説くことは同じです。
批判派が、何で違うと言うのか、解りませんね。

6ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/10/30(土) 12:48:01 ID:SmEF4Oe2O
>>4:準シュダオン
10/10/30(土) 12:10:29 ID:1F7rdgXk0
>ところが、釈尊の瞑想法は、凄まじい雷鳴にさえ気づかない
>ような禅定もあります。これ一つとっても、釈尊の瞑想法と気づきの瞑想法
>との違いが解るでしょう。

その瞑想は厳密に言うと釈尊の推奨する瞑想に値しないのですよ。
アーラーラ・カーラーマらより習ったこの禅定を上記までマスターして、尚且つ
これでは解脱を得られないと別の道を模索したのです。

>2000年1月5日に発行された、平河本第3巻の三聚経の中に、賢聖八道と

平河出版刊行というだけで、桐山さんもろくに読んでないと思いますよw

7準シュダオン:2010/10/30(土) 15:02:00 ID:1F7rdgXk0
今に気づくという、テーラワーダ気づきの瞑想法と、釈尊の説く止(集中)
と観(拡散)との瞑想法は、わたしの体験上からも違うと思いますね。
阿含仏教37道品の瞑想法は、南伝説よりも管長の説く方が、正しいと思い
ます。
なによりも、その方法で、わたしは不完全ながらも、聖なるバイブレーション
を受けることができましたからね。それが管長が正しいと思う証拠です。
わたしの場合は、思念の流れが入って来なかったので、中品の成就でしょう。

バイブレーションと共に、思念の流れが入ってきた場合は、上品の成就で、
即、須陀?果、かと思われます。
わたしの場合、不完全な思念の相承だったと思われますが、それでも経文の理解
度が飛躍的に進歩したような自覚がありますね。以前のように、学者先生の解説
にすべて依存するようなことが、なくなりました。
漢文読んだだけで、何となく意味が解るようになってきましたよ。

マヤとのオーラの祭典では、マヤの大長老が、魔法の杖を持ってくるそうです。
門外不出の杖なのだそうですが、桐山管長の招待ゆえに、特別に持参してくる
そうです。ネットでライブ中継するそうですから、ユビキタスさんも参拝した
らよかろうと思いますね。

8名無しさん:2010/10/30(土) 15:45:22 ID:DzuZqAsA0
>>7
> 聖なるバイブレーションを受けることができましたからね

だから、そんな電波受信で修行が進むなど、本来の仏教にはないの

9ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/10/30(土) 23:05:33 ID:SmEF4Oe2O
>>7:準シュダオン10/10/30(土) 15:02:00 ID:1F7rdgXk0
>マヤとのオーラの祭典では、マヤの大長老が、魔法の杖を持ってくるそうです。
>門外不出の杖なのだそうですが、桐山管長の招待ゆえに、特別に持参してくる
>そうです。

それがどうかしたの?
その魔法の杖でヨボヨボじいちゃんの腰がしゃきっとするとでも言うの?
電動車イスの方がいいよ。
テクマクマヤコン、テクマクマヤコン・・・
おおっ!「マヤ」だって!

10孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/10/31(日) 00:54:43 ID:dXJ10IoA0
>>7 またまた笑いを取りましたね!
学者の解説なしで経典が分かるだの、漢文で意味が分かるだの・・よく言いますねw
準さん安那般那念経が 南伝の気付きの瞑想 及び ラジニーシの"サティヨーガ"だということ知らなかったじゃないの。
批判派に説明されて理解したでしょ。

11干柿:2010/10/31(日) 06:34:42 ID:BBtat4sE0
どうせゲイカの本の「仏陀の法」にどっぷりつかっていまだチャクラ開発
クンダリニーヨーガ(実際のクンダリニーヨーガはバジアン師、本山師
と面識が多少あって、本で知識を仕入れただけ、実践は朝日カルチャー
で習ったという桐山ゲイカでですがw)が成仏法でアンナパンナは息を止めて
チャクラ開発だと思っているのでしょうネw(ちなみに呼吸と瞑想を説いた
経典は安那般那念経だけではなく治意経とかけっこう詳細に説かれているようです。
ゲイカは実は阿含経を研究などしていません、大ウソですw)
そうですね。キリヤマ・アジャリの”サイテイ・ヨーガ”とでも名づけましょうw
あ〜あ、最低・・・。

12準シュダオン:2010/10/31(日) 09:30:38 ID:1F7rdgXk0
マヤの大長老は「聖なる杖」てのを持ってるらしい。
管長も、常時、杖を持ってますね。
聖なる杖の交換、なんて、セレモニーがあったらよいね、いやこれは冗談よ。

さて、悟りの第一段階の須陀?果を得たときの、一般的な阿含経の常套句は、
(例えば自歓喜経の)
「・・三結尽 得須陀? 極七往返 必成道果 不堕悪趣 」です。
ところが珍しい記述もあって、平河本第3巻の釈堤桓因問経で、帝釈は、
「・・我今是佛弟子 得須陀?道 不堕餘趣 極七往返 必成道果 」
と、述べています。
「得須陀?道」を、学者先生は、悟りの第一段階、と訳していますが、
それは変だと解かりますね?
普通は、「三結尽 得須陀?」、つまり、三結煩悩断じて須陀?果を得た、
なのですが、帝釈の場合は、「三結尽」の代わりに「我今是佛弟子」となって
います。
つまり、「得須陀?道」とは、「今是佛弟子」というほどの意味で、仏弟子に
なったという意味ですね。

また、普通は不堕悪趣のところが、帝釈の言では不堕餘趣になっています。
悪趣と餘趣ではどう違うのか?学者先生頼みだけではなく、自分でも調べて
みましょう。

13ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/10/31(日) 09:47:42 ID:SmEF4Oe2O
>>12:準シュダオン10/10/31(日) 09:30:38 ID:1F7rdgXk0
>「・・我今是佛弟子 得須陀m9道 不堕餘趣 極七往返 必成道果 」
>と、述べています。
>「得須陀m9道」を、学者先生は、悟りの第一段階、と訳していますが、
>それは変だと解かりますね?

学者の解釈もなにも原文に必成道果と明記しているのだから、シュダオン道(シュダオン向)が
聖者の仲間入りの証明じゃん。

15準シュダオン:2010/10/31(日) 14:04:38 ID:1F7rdgXk0
まだ管長講義の誤解が解けていないのかな?
「必道成果」の意味は、四沙門果のいずれかを得る、という意味ですよ。
須陀?道(釈迦の弟子の意味)を得たからには、
必ずや道果(四沙門果のいずれか)を得る、という意味です。
須陀?道を得てからの必成道果が、須陀?果だけとは限らないのです。

須陀?果を得てからの「必成道果」という記述も沢山見られますが、
その場合の意味は、阿羅漢果を得ることだと解釈されています。

批判派は、四双八輩の定義について、管長説と学者先生説を、二者択一して
いたわけです。学者が正しい場合は、管長説が誤りということになります。
しかし、管長は阿含仏教での四双八輩を解説しており、学者先生は倶舎論の
四双八輩を解説しています。そこに気付くことが大事です。

帝釈が、「我今是佛弟子 得須陀?道」と、言うように、得須陀?道とは、
佛の弟子になった、という意味です。
仏の弟子になれば即、得須陀?向です。
外道凡夫に対して、佛の凡夫弟子のことを敬意を表して須陀?向と呼ぶのです。
それを後世のアビダルマ論師が、須陀?向を見惑煩悩のいくつかを断じた聖者
に祭り上げた、というわけです。

16準シュダオン:2010/10/31(日) 14:25:29 ID:1F7rdgXk0
大乗仏教では、三宝の僧とは、聖者僧(悟った僧)のことであり、その他の
未熟な僧を凡夫僧と呼んで、三宝の僧と区別したのです。

アビダルマ論師達も、上記↑大乗仏教と似たような考え方をしてて、凡夫僧
の修行がある程度進んで、見惑煩悩のいくつかを断じた聖者僧を、須陀?向
だと定義しました。しかし、阿含経典にはそういう記述はありません。
阿含経典では、佛弟子は、即、得須陀?道です、帝釈のいうとおりです。

だから、須陀?果まで、はるかに遠いところに居る須陀?向もいれば、
須陀?果までもう一歩、という須陀?向も居るでしょう。

17孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/10/31(日) 15:30:03 ID:dXJ10IoA0
キリヤマ・アジャリの”サイテイ・ヨーガ”を「阿含仏教37道品の瞑想法」と呼んでいる哀れな老人 自称聖者↑

18天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/10/31(日) 23:45:22 ID:.COCrmXM0
記事No14が無いのは、No13のユビさんの同じ内容の二重投稿でしたので削除しました。
ご了承下さい。

19準シュダオン:2010/11/01(月) 08:19:39 ID:1F7rdgXk0
「原文に必成道果とあるのだから、シュダオン道は聖者の仲間じゃん」との
ユビキタスさんのレスの趣旨に、後で気がついたのですが、
そうではないのです。
確かに帝釈の言葉には、「得須陀?道 極七往返 必成道果」とありまして、
「七回の生死を往来するうちには、必ず四沙門果を成じます」と、話ました。
その後、帝釈は、「唯願世尊 記我為斯陀含」と、言葉をつづけ、
「どうか世尊よ、私が斯陀含を得ると、予言してください、お答えください」
と、言いました。

ところが、釈尊は、帝釈の言葉には答えませんでした。つまり、帝釈の言葉を
肯定しなかったのです。考えてみるとすぐに解かります。
「得須陀?道」では、「必成道果」は、約束されないのです。
そうではなく、
「得須陀?果」で、はじめて「得不退転法 必成道果」なのです。

「得須陀?道」では、いつ還俗するか、わからない存在です。
だから聖者の仲間ではないのです。
だから、この経典では、釈尊は帝釈の言うことを承認しませんでした。
そういうことです、ユビさん。

20ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/01(月) 08:44:59 ID:SmEF4Oe2O
>>15:準シュダオン
10/10/31(日) 14:04:38 ID:1F7rdgXk0
>しかし、管長は阿含仏教での四双八輩を解説しており、学者先生は倶舎論の
>四双八輩を解説しています。そこに気付くことが大事です。

根拠のないことは書かないでください。学者たちは何も倶舎論など持ち出さなくても
阿含経を根拠に四双八輩を示しているのです。
その経典(大パリニッバーナ経)の二組からなる4つの集いについてはこちらも
何度も示しましたよね?
宜しいですか?桐山さんが出した喩え話がわかりやすい。
五層の楼閣を建設して世に誇りたい殿様がいる。この殿様のために一階の基礎工事
の説明をすると、一階なんか知らん、早く五階を作れと命ずる愚かな殿様の話です。
東京スカイツリーもそうですね。何も建築の途上で東京タワーの高さを抜いた時に
初めてスカイツリーになるのではなく、着工当初よりスカイツリーなのです。
あなたも書いていたではないか?シュダオン果はそのままシダゴン向の始まりでもあると。
つまりシュダオン向は連続して阿羅漢果まで直結するのです。
だから聖者の流れなんです。
完成された聖者がふんぞり返って大名行列をすることではないと書いたでしょう。

>それを後世のアビダルマ論師が、須陀m9向を見惑煩悩のいくつかを断じた聖者
>に祭り上げた、というわけです。

話を捏造しないでください。見惑の三結を断じたのはシュダオン果です。
シュダオン向はこれらをまだ一つも断じてない者もいようし、2つ断じた人も
いようし、総じて修行に励み阿羅漢果を究極に目指す人たちです。

21ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/01(月) 08:52:18 ID:SmEF4Oe2O
>>19:準シュダオン
10/11/01(月) 08:19:39 ID:1F7rdgXk0
>「どうか世尊よ、私が斯陀含を得ると、予言してください、お答えください」
>と、言いました。
>ところが、釈尊は、帝釈の言葉には答えませんでした。つまり、帝釈の言葉を
>肯定しなかったのです。考えてみるとすぐに解かります。

これも桐山さんの喩え話ですぐわかります。
すなわち一階の基礎工事から初めて励めと説く釈尊に二階の完成ばかりを叫ぶ
弟子に答えなかっただけとわかります。

22準シュダオン:2010/11/01(月) 14:28:19 ID:1F7rdgXk0
私が経典を引用してるのに、アホなユビさんはまだ理解できないのかね?
だいたい、釈堤桓因門経を読んだことがないのでしょう?
私が概略を教えてあげましょうねw。
世尊は、帝釈の質問に丁寧に、いろいろ答えてあげています。
それが釈堤桓因門経です。
ところが、帝釈が
「わたしはシュダオン道を得て、あと七往返するうちに必ず四沙門果を得ます。
 どうか、わたしが斯陀含を成就することを示してください」と、話すと、
世尊は、それには答えず、話題を変えてしまうのです。

だから、得シュダオン道では、必成道果、は約束されないんです。
なんど教えたら解かるのかなw。
あとね、経典では、三結断じたらシュダオン果です。
シュダオン向は、まだ悩を断てていないのです。
それを倶舎論では、見惑煩悩などを持ち出して、見惑をいくつか断じた
聖者をシュダオン向と定義したのです。シュダオン果を八十八見惑煩悩を
すべて断じた聖者としたのです

それを、何が捏造ですか?少しは勉強してから、ものを言いなさい。
批判派だって、皆がユビキタスさんのような、愚か者ではありませんよ。
嘘をレスしてごまかそうとしても、いずれバレてしまうのですw。

23準シュダオン:2010/11/01(月) 14:38:32 ID:1F7rdgXk0
建物を例に出すなら、シュダオン果にならないうちは、基礎工事は完成しない
のです。シュダオン向は、基礎工事が未完成なのです。それなのに一階を建て
ようというのが、ユビキタスさんなのです。シュダオン果になって、はじめて
阿羅漢までが一連の道になるのです。
それを、
「得須陀? 得不退転法 必成道果」と、称し、経典のあちこちに見られます。

「得須陀?道 得不退転法」などという記述はありません。
得須陀?道では、いつ還俗するかわからない、存在なのです。
そんなの聖者ではあり得ませんw。

24準シュダオン:2010/11/01(月) 14:51:45 ID:1F7rdgXk0
「四双八輩 是為如来弟子衆也 為世福田」と、小縁経にありますね。
如来弟子衆の「衆」は、SAMGHAの訳ですから、
「四双八輩は、如来のサンガと為し、世の福田である」と、いうことです。

サンガですから、当然、優れた弟子もおり、未熟な弟子も居ます。
けれども、釈尊は、まとめて、聖者衆と呼んだのです。
だからと言って、昨日、サンガに入ったばかりの、未熟な須陀?向までを
聖者としたのでは、世尊の言葉尻をとらえただけです。
他の経典を読むと、それが解るのです。解かる人にはねw。

25孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/11/01(月) 14:59:17 ID:dXJ10IoA0
準シュダさん 4や5のような書き込みするとボロが出まくりだから、シュダオン向が聖者かどうかみたいな重要じゃない当たり障りもない話題で誤魔化す。

26ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/02(火) 00:07:54 ID:SmEF4Oe2O
>>23:準シュダオン10/11/01(月) 14:38:32 ID:1F7rdgXk0
>建物を例に出すなら、シュダオン果にならないうちは、基礎工事は完成しない
>のです。シュダオン向は、基礎工事が未完成なのです。それなのに一階を建て
>ようというのが、ユビキタスさんなのです。シュダオン果になって、はじめて
>阿羅漢までが一連の道になるのです。

(東京都墨田区押上にて)
「あれ?工事中だね。何が建つのかな?」
「まだ基礎工事の段階だから建つかどうかもわかりません」
「そんなことないだろ!」
「一階ができたらわかります。それまでは何が建つかわかりません」
「こらこらっ!暇潰しジジイ!勝手なことを言うんじゃない!ちゃんと東京スカイツリー
2011年竣工予定と書いてあるだろ?」
「1階ができるまではそれもわかりません」
「そうだよなw2010年で地球が壊滅したらスカイツリーも建たんからなw」

27ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/02(火) 08:31:38 ID:SmEF4Oe2O
>>22:準シュダオン10/11/01(月) 14:28:19 ID:1F7rdgXk0
>ところが、帝釈が
>「わたしはシュダオン道を得て、あと七往返するうちに必ず四沙門果を得ます。
> どうか、わたしが斯陀含を成就することを示してください」と、話すと、
>世尊は、それには答えず、話題を変えてしまうのです。
>だから、得シュダオン道では、必成道果、は約束されないんです。

シュダオンとシダゴンの違いは七来と一来の違いであり、煩悩をなくし減らした
段階によって差がつくわけです。
それはひとえに各自の精進努力にかかっているわけです。
我々は誰しもシュダオン果を得る素質もあるしシダゴン果を得る素質もあるし
アナゴン果、アラハン果さえ得る素質があるわけで、努力次第です。
だから七来のシュダオンから説明しているのにそれを無視、飛ばしてシダゴンの
話など質問されても待っておれと無視するしかないでしょう。
あわてる乞食は貰いが少ない、千里の道も一歩からなのに足下も見えずにその一歩
を軽視するようでは駄目です。
シュダオン向はシュダオン果だけに終わらず最後のアラハン果まで向かう第一歩です。
だから七来を説こうとも七回生まれ変わりして行き着く先は涅槃です。
七回生まれ変わりしてシュダオン果に達するのではないとはわかりますよね。
七回かかるか一回で住むか生まれ変わりゼロかは努力の差ということで。

>それを倶舎論では、見惑煩悩などを持ち出して、見惑をいくつか断じた
>聖者をシュダオン向と定義したのです。シュダオン果を八十八見惑煩悩を
>すべて断じた聖者としたのです
>それを、何が捏造ですか?少しは勉強してから、ものを言いなさい。

>>15
>それを後世のアビダルマ論師が、須陀m9向を見惑煩悩のいくつかを断じた聖者
>に祭り上げた、というわけです。
とアビダルマを明記してますね。失礼しました。
しかしこちらはアビダルマ論なんかに用はないのですよ。
アビダルマ論なんかなくても三結断じたのがシュダオン果ならば、いきなりポンと
それがなくなるわけでもないのだから、シュダオン果に至るまでの過程には
一結や二結も薄らぐことも想定されます。三結なんてまだまだ二結の断てない
煩悩を抱えた身なんだから五十歩百歩の話です。
トライアスロンのチャンピオンは自転車に乗れるよう転んでいる時には既に
始まっていると言える。

28準シュダオン:2010/11/02(火) 08:39:59 ID:1F7rdgXk0
四双八輩について、管長が阿含教学の基本だ、と述べています。
その基本を、批判派は理解できていません。
次のことを丸暗記しなさい、そうすれば、何時か理解できます。

須陀?=須陀?果、なのであって、
須陀?≠須陀?向、なのです。
須陀?とは、須陀?果の「果」の省略形なのです。
果とは、到達したという意味であり、向とは到達していないことを意味します。

29大東洋 ◆18iA.mwnDU:2010/11/02(火) 08:50:43 ID:SmEF4Oe2O
>>28
阿羅漢向も阿羅漢果には到達してないよ。
物事なんでもそうさ。
阿羅漢果だけを終着点の聖者にしてしまう分類だって可能なわけさ。
だから分類なんかに絶対なんてものはない。
仏教では、お釈迦様は阿羅漢果未満であれど尊いとした考えというだけです。
あなたが分類するのでなく、既に過去の人が分類した記録が残っているだけです。
我々はその記録を眺めているだけです。
あなた個人がシュダオン果以上を聖者、未満を仏道凡人にしたかったら
すればいいだけの話なんだが、それを釈尊が説いたと触れ回らないことです。

30準シュダオン:2010/11/02(火) 08:52:28 ID:1F7rdgXk0
阿含経典の四双八輩の定義と、倶舎論の四双八輩の定義が、大きく違います。
そのことを理解できないと、先へは進めません。
ユビキタスさんは、岩波仏教辞典の「預流」の項を、100回読みなさい。
そうすれば、そのことが解るでしょう。

お釈迦さまは、「四双八輩 是為如来弟子衆 為世福田」と話してますね。
「四双八輩が、我が教団を為し 世の福田である」と、いう意味ですね。
ですが、我が教団=四双八輩は聖者衆である、とは言えど、中には悪いこと
をして追放される比丘だって居ます。そういう比丘までが聖者であろうはず
がないでしょう。

そういう悪いことをする可能性があるのが、須陀?向なのです。
須陀?果になれば、法眼が生じるので、そういうことがなく、聖者なのです。

31準シュダオン:2010/11/02(火) 09:00:17 ID:1F7rdgXk0
大東洋くんの云うように、聖者の分類の仕方はいくつもあるさw。
それで、わたしは阿含経典の聖者の分類に従って、議論してるわけさ。
各自の勝手な分類の定義によって議論したら、話にならんでしょがw。
ソフトボールと野球のルールを、ゴチャまぜに理解して野球をするようなものだね。

32ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/02(火) 09:00:17 ID:SmEF4Oe2O
アゴン宗の説くアゴンの聖衆というのはシュダオン果を得てからではないと
適用してらならないのですか?
シュダオン向に過ぎないのに護摩木勧進などに励む信者は聖衆に相当しないのですか?

33ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/02(火) 09:05:20 ID:SmEF4Oe2O
あれっ?
また大東洋のネームを間違えて使っていた。
大東洋=ユビキタスです。

34準シュダオン:2010/11/02(火) 09:05:26 ID:1F7rdgXk0
護摩木勧進したとて、本当の聖衆の証明にはなりません。
だって、後で退会して教団の悪口言う人もいます。
そういう人が聖者であろうはずがありませんから。

35ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/02(火) 09:14:11 ID:SmEF4Oe2O
>>34
わが内弟子さんを含めてねw
本人は気がつかないが桐山さんの統治する聖教団を貶しているw

36準シュダオン:2010/11/02(火) 12:48:31 ID:1F7rdgXk0
管長の言葉を、硬直的に鵜呑みにしてはダメ、だということです。
管長は、阿含教団を聖衆と呼びますね、だからといって、全員が聖者という
ことはあり得ない。私だって、「なんだ、あんな奴、長年修行してあのザマか!」
なんて思う信徒がいますからねw。
全員が聖衆であるはずがないですよ、言葉のアヤです。

37ラシン:2010/11/02(火) 16:29:31 ID:b9Cg2rfo0
>23 :準シュダオン:2010/11/01(月) 14:38:32 ID:1F7rdgXk0
建物を例に出すなら、シュダオン果にならないうちは、基礎工事は完成しない
のです。シュダオン向は、基礎工事が未完成なのです。


あいかわらずデンパ老人の喩えにもならぬ段階論だ。
いわばつまみ食いして自説を誇る、笑笑笑笑笑。

建築施工と言うものは、基礎が始まって竣工に向かうことだ。
注文建築でなくても建売くらいの経験はあるだろう。
着工から完成に向かうことを工事過程
という。
基礎工事が目的ではなく、建物完成が目的なのだ。
だから、預流道とは阿羅漢を目的とする最初の工程の内だ。
基礎工事による着工が建築工事なら、預流道とは阿羅漢成道を目的とする、
つまり仏道に踏み込んだことになるんだ。
基礎がなされる事が最終目的でもなく、それでよいなどと釈尊は説いていない。
基礎が始まり着工と言うことは、建築基準法に則り確認申請が為されてはじめて可能だ。
基礎が出来、各階を支える柱が建てられる。
同様に預流道に踏み入れたものは、在家でも出家でも数は違えど受戒をして、
戒律に則った仏道を歩むことを可能としたことなんだ。
だから預流道は在家であれ出家であれ、戒律と清浄行を実践するから聖者の仲間という。
それは俗世間から厭離であり、不放逸だから凡夫なんて言わないんだ。
全体像を見据えることも出来ずに、いったい何を分かったような自惚れをさらすんだ?

38ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/02(火) 21:16:14 ID:SmEF4Oe2O
>>36:準シュダオン10/11/02(火) 12:48:31 ID:1F7rdgXk0
>管長の言葉を、硬直的に鵜呑みにしてはダメ、だということです。
>管長は、阿含教団を聖衆と呼びますね、だからといって、全員が聖者という
>ことはあり得ない。私だって、「なんだ、あんな奴、長年修行してあのザマか!」
>なんて思う信徒がいますからねw。
>全員が聖衆であるはずがないですよ、言葉のアヤです。

またゴマカシが出てますね。
その通り。世の中には100%なんてものはない。
どんな優れた集団にも必ず例外や落ちこぼれはいるものです。
しかしあなたが説いているシュダオン未満≠聖者、聖衆ならば、準シュダオンの
凡夫に過ぎないあなたも含めてアゴン宗の信者にはシュダオン果と認められた
者がほとんどいない。
これに対するあなたの反論はわかってますよ。桐山さんの著書での発言を根拠に
信者の中にはシュダオンになっている者たちもいるというものです。
しかしそれでは訊ねるが、そのシュダオン集団は今のアゴン宗のどれだけを占めるのか?
何割か?何パーセントか?
準シュダオン流聖衆の定義=シュダオン果以上の条件ならば、桐山さんが
ボン行や布教の三福道に励む信者をアゴンの聖衆と呼ぶことはおかしいことになる。
和讃まで書いて大真面目に説いている聖衆があなたによって単なる言葉のアヤと
侮辱されたことになる。
シュダオン果以上なんてハードルを設けずにシュダオン向も含めてやればこの問題は
軽くクリアされるのに。
意固地になって桐山さんの首を絞める結果になりましたね。
シュダオン果を得れば不退転ですか?
なるほどアゴン宗も信者が激減しましたし、今後も減りますからね。
つまりアゴンの聖衆なんて桐山さんの妄想に過ぎなかったとあなたは評価したわけだ。
人を説得したかったら言葉のアヤでごまかすのではなく、数字、定量的指標で
示しなさい。社会人の報告の基本です。

41天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/03(水) 07:09:50 ID:gXLHMcNU0
昨夜、悪意投稿があったため、削除後の記事のage処理のための書き込みです。

日本からでは足がつきやすいため、アメリカからの投稿で来ましたか。
私もこういう文字掲示板ではなく、別所で別ものの管理人をしていますから、外国経由で来るのは慣れています。
まあ、そういう方法しかないでしょうね。嫌がらせをしやすいのは。
業者といわれる方が、広告や宣伝を貼ったり、そういうのは日常茶飯事ですからね。
無駄な抵抗というか行為をしてまで嫌がらせをしたいのでしょうね。
人間性を疑うことこの上なし、ですね。

このままどうぞ討論をお続け下さい。

42準シュダオン:2010/11/03(水) 08:39:11 ID:1F7rdgXk0
管長の言う「聖衆」には、二種類の聖者が含まれているのです。
シュダオン果以上の、不退転法を得た本当の聖者と、
シュダオン果未満=シュダオン向という、外道凡夫に比して聖者、という
意味の聖者です、本当の聖者ではありません。修行が嫌いになれば退会する
存在です。そんなのは本当の聖者ではありません。

釈迦の教団でも同じことです。釈迦の経団は聖衆で、世の福田だと称しても、
中には悪さをして教団を追放される比丘も居るのです。
お釈迦様は自分の教団を聖衆と呼ぶし、管長は阿含宗徒を聖衆と呼んでます。
お釈迦さまも管長も、その点では同じです。
だからと言って、全員が聖者なんて、あり得ないのです。
どうも、ユビキタスさんは、真に受け過ぎてんではないですか。

4日後には、マヤとの合同法要があります。護摩壇が五つ作られる予定とか。
その場所で、護摩導師の手足となって動いてる修行者の、半数近くはシュダオン果
と考えてよいでしょうね。こういう人達は、不退法を得ていますから、
信者が減ろうが増えようが、全く動じることはなく、自分の修行を淡々と進める
だけです。

43準シュダオン:2010/11/03(水) 09:01:41 ID:1F7rdgXk0
わたしだとて、信者が減ろうが増えようが、ユビさんみたいに一喜一憂する
ことはありませんよ。どうでもいいとまでは言わないが、動揺することは
ありません。
もし、管長が、星の教団のように、教団の解散宣言でもすれば、少しは驚く
かも知れないが、それでも動じないね。
もしそうなったら、自分なりに、阿含仏教を学んで行くだけですよ。
まぁ、そういうことはあり得ないでしょうけどね。

釈堤桓因問経で、釈堤桓因が世尊に会いに行こうと考えたとき、世尊は、
毘陀山の洞窟内で、火焔三昧に入っていましたね。釈堤桓因とはパーリ語
の音写で帝釈天のことですね。テーラワーダ瞑想法には、たぶん、火焔三昧
とか、火界定という瞑想法はないでしょう。
火焔三昧のように、自由に瞑想を操れるようになれば、三十三天とも自由に
話せるようになるのでしょう。

44天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/03(水) 09:41:32 ID:gXLHMcNU0
釈堤桓因問経=阿含経ではないのでは?

火界定を突っ込むまえに一応お経のほうを突っ込んでみましたw

おそらく法華経でしょう?釈堤桓因問経は。

45孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/11/03(水) 12:15:20 ID:dXJ10IoA0
>>43 準さんは本当に知識がありますね。色々なことを知っている。知識と知能が異なるのは知っているね?

火焔三昧など出してきて テーラワーダの瞑想は37道品じゃないよ と暗に示したいらしい。

さて、ゲーカの本にも引用されている釈尊が龍を調伏した話し、ゲーカは龍を修行者と解釈した。
その解釈に従い話しをすると、龍と呼ばれるところの修行者と釈尊が火焔三昧合戦をやったことになる。

では龍とされる修行者は37道品の実践者なのか?師である釈尊とケンカしたのか?

37道品とは三十三天とも自由にお話しできる瞑想なのか?釈尊のエピソードを持って来て37道品を色々空想しているが
じゃあ阿含経のなかに火炎になる技術が説かれているのかね?

釈尊自身は仏教以前の従来の瞑想法に熟知していても、それが37道品かというと違うのだよ。
気付きの瞑想 の技術は阿含経にちゃんと説かれているよ。

46準シュダオン:2010/11/03(水) 14:38:30 ID:1F7rdgXk0
あらまぁw、釈堤桓因問経は、「長阿含経」の第14番目の経典だそうですよ。
本経には、パーリ語長部経典の第二十一経が対応し、漢訳違訳経が三経と、
中央アジア出土のサンスクリット写本の断簡などがあるそうです。
このお経に、火焔三昧・火界定が記されているのですよ。

47準シュダオン:2010/11/03(水) 14:49:36 ID:1F7rdgXk0
釈堤桓因問経には、世尊がマカツ国のアンバラ村の北、毘陀山のインダシャラ窟
で火焔三昧に入っておられたそうです。その時は、毘陀山も炎のような色を
していた。と、経典に記されています。

しかし、まさか、釈尊の瞑想で山が炎の色をするわけがない、これは何か
の暗示か、比喩であろうと、わたしは思いますね。

釈尊の瞑想に感応した修行者が、その影響を受けて、山が炎の色に見えた、
ということはあり得ると思いますよ。

48名無しさん:2010/11/03(水) 17:33:46 ID:8zGvi51U0
準シュダオンさんの悪いところは、阿含宗を空想で理解している点。
阿含宗の活動をほとんどしていないので実際の様子は内部問題にも全く気付いていない。
だから想像で阿含宗を美化できる。いや、想像で美化した阿含宗に酔っているだけ。
阿含宗で熱心に活動すればボロが分かるっていうもの。

また日本の大乗仏教や、南方仏教の世界を覗いてみれば、阿含宗との比較もできてしまう。
よその仏教と阿含宗を比較するだけでも、阿含宗のデタラメ振りが分かってしまう。

阿含宗の中で頑張っても阿含宗のいかがわしさが分かるし、よその仏教を調べても
阿含宗のインチキさが分かる。

準シュダオンさんは、どちらかをやってごらんなさい。そうすれば自ずと答えが出てきますよ。

49名無しさん:2010/11/03(水) 17:35:56 ID:8zGvi51U0
阿含宗なんかバカバカしくて、話しにもならないレベルの仏教であることが
よく分かるようになる。こんなデタラメな教理が仏教となっていること自体が
熱が出るほど頭の痛い話し。

50天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/03(水) 19:31:39 ID:N.xH7Whc0
>>43

釈堤桓因問経で、釈堤桓因が世尊に会いに行こうと考えたとき、世尊は、
毘陀山の洞窟内で、火焔三昧に入っていましたね。釈堤桓因とはパーリ語
の音写で帝釈天のことですね。テーラワーダ瞑想法には、たぶん、火焔三昧
とか、火界定という瞑想法はないでしょう。
火焔三昧のように、自由に瞑想を操れるようになれば、三十三天とも自由に
話せるようになるのでしょう。

阿含経には本当に弟子たちの文言を記録したとはいえないものも混ざっている、
と聞いたことがあるが、これもその中のものではないかと推察しますね。

そのお経を示したものを見れないのでお経全部の意味がわからないが、ただ、
いえることはそんな桐山密教(オカルト密教)が沿うようなお経を引用して
自説の主張に持ってくるところはさすがは準さんというべきか。

お釈迦様が弟子たちに「帝釈天が自分に逢いに来てな・・・云々」という
説法をしたのか懐疑ですね。
ましてや火界定だのそういう瞑想を、指導したのか?そこも懐疑です。

テーラワーダではそういうオカルト的な指導はしてません。
なので、火界定はもとより何かにトリップするような瞑想などありません。
オカルトなことしかやらない外道宗教や瞑想教室などがやることでしょう。

また三十三天と自由に話せるようになってどうするのか?
話せてなにがあるのか?またゲイカも話したか、などは言ってませんね。

そんな三十三天と話など出来なくても自分の持つよくない煩悩を滅して、
貪りや間違った方向に行かないように自分を律し正すのが仏道者でしょう?
やれ神仏だとか何々天などや先祖の霊などコンタクトすることばかり考える
変な宗教よりも、よっぽどそちらの方が釈尊の指導だと思いますが。

51干柿:2010/11/03(水) 20:56:44 ID:BBtat4sE0
>>42
大採燈護摩じゃなかったんですか、つまり平安時代とかにはやった五段護摩
なんでしょ、ゲイカ筆頭にF田さんY橋さんと2chのスターが中心に法務部が焚くんでしょうねw
ところで、準シュダオンさんは知識がおありのようなので、
祇園精舎ミラクルの池のエピソード、釈迦が池の上空に浮かび上半身は火に下半身は水
になったという話、どこにどの阿含経に説かれているんでしょうか?
カッサパ三兄弟の話は有名ですが、このミラクルの池の話などゲイカが話して
自分の本に書いたことのほかに見たことも読んだこともないのですが?
これはゲイカのまったくの作り話では(空海の清涼殿の即身成仏の技法をみせたという
話を元にして創作したんじゃないかと友人が申しておりましたが)
もっともミラクルの池というものは実はない、ということはハッキリしておりますがねw

52ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/04(木) 00:45:45 ID:SmEF4Oe2O
>>48:名無しさん10/11/03(水) 17:33:46 ID:8zGvi51U0
>準シュダオンさんの悪いところは、阿含宗を空想で理解している点。
>阿含宗の活動をほとんどしていないので実際の様子は内部問題にも全く気付いていない。

この文含め以下全く同意なんですが、準シュダオンさんが今回に限らず時々書く
↓は正直だと思いますね。

>>43:準シュダオン10/11/03(水) 09:01:41 ID:1F7rdgXk0
>もし、管長が、星の教団のように、教団の解散宣言でもすれば、少しは驚く
>かも知れないが、それでも動じないね。
>もしそうなったら、自分なりに、阿含仏教を学んで行くだけですよ。

私は↑からむしろ彼はアゴン宗の方から解散してほしいと寧ろ潜在的に願っている
と思う。自分から辞めるのも面倒だから相手頼みの他力本願ですね。
在籍していたところで今年も金を出し続けはするが当然何の進歩も面白いこともないし。
彼にとっては道場に参拝することよりもここで相手にしてもらうことの方が喜びに
なっているのではないですか?
私がスルーを決意したらどうなるのかな?
アゴン宗なんかどうなってもよく、擁護する気持ちもないでしょう。
自分に都合のよいように書き換える以外は。
現実は書き換えられないから現場から逃避する。
アゴン宗があのとおり何の力のない教団であることが、それでも彼がまだ
しがみついていられる理由なのではなかろうか?
アゴン宗が仏教と異なろうとも看板通り修行練磨で多くのアデプトでも輩出している
ことが世に認められている、なんらかの本物集団だったら、彼は批判側に回って
いるのではないてすか?
彼こそどこの世界にでもいる落ちこぼれだからです。
万年落ちこぼれには恨み節がよく似合う。

54ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/04(木) 08:28:19 ID:SmEF4Oe2O
>>42:準シュダオン10/11/03(水) 08:39:11 ID:1F7rdgXk0
>管長の言う「聖衆」には、二種類の聖者が含まれているのです。

こういうことを書く時は、きちんと管長に質問をしてたしかめる努力をしてからに
しなさい。
桐山さんは常に我見を排せと指導しているが、自分の説いたことを質問して確認
することもせずに独断で解釈され、それをよりによってこういう掲示板のような
公共の空間にて示されることを最も嫌う。
桐山教学は桐山さんの作品なんだからそれに勝手にひげを書き加えることはせずに
自分の考えはアゴン宗的に正しいか質問するのが第一です。
夏季伝法会などで配布される質問用紙がありますよね。
あれを宗務局からもらって書いて宗務局に提出すればよい。
全国どこの地区道場からの提出であろうが、管長に対する質問状は桐山さんに
渡るはずです。内容によっては桐山さんが例祭などで取り上げてくれるかも知れない。
これはアゴン宗だけでなくどんな世界でもそうですね。
思い込みの独断を避けていちいち質問、確認することは重要なことです。
質問として自分の考えを書いたところでそれだけで除名処分なんかにされるはずは
ないですよ。たとえ桐山さんと違う主張であっても、管長は間違ってなんて
あからさまに批判するような書き方をせず、私はこう考えますがいかがでしょうか
と質問すれば答えてくれるはずのことです。
それ(その努力)をしないのはあなたの怠慢です。

55準シュダオン:2010/11/04(木) 08:49:14 ID:1F7rdgXk0
ホントに馬鹿につける薬はないなぁw。昔の人はうまいこと言うよ。
管長が言う阿含信徒の「聖衆」に二種類の聖者があることが解らないのか?
こんなこと、いちいち管長に確認してたら、馬鹿だと思われるってのW。
管長の法話聞いてたら、当たり前だろが、そんなこと。

56準シュダオン:2010/11/04(木) 09:38:46 ID:1F7rdgXk0
管長に質問して確かめろ、ということ自体が、ユビさんは管長の聖者について
の解説を、理解出来ていない証拠ですね。
聖者に二種あることは、わたしにとっては常識なのに、批判派には常識では
ないのね。
「仏陀の真実の教えを説く」本を読んで御覧なさい。須陀?果からが聖者だ
ということを、耳にタコができるほど、説いています。
と、いうことは、須陀?向は正式な聖者ではない、ということです。
P302や、P323あたりを良く呼んで御覧なさい。
そうすれば、教団をひとまとめにして、聖衆と呼ぶことがありますけど、
その場合は、須陀?向も含めて聖衆と呼んでいるわけです。
しかし、阿含経典の定義では、須陀?向は真の聖者ではありません。


四双八輩について、阿含経典の定義と倶舎論の定義の違いを理解できましたか?
辞典を読めばよく理解できるでしょう。
辞典の引用は、もうしません、日が暮れてしまいますw。

57ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/04(木) 12:56:11 ID:SmEF4Oe2O
>>56:準シュダオン10/11/04(木) 09:38:46 ID:1F7rdgXk0
>管長に質問して確かめろ、ということ自体が、ユビさんは管長の聖者について
>の解説を、理解出来ていない証拠ですね。

世の中はそういうものではありません。
私は一般論として思い込みの危険性と、念押し確認の必要性を説いているのです。
私でも誰でも「これは考えるまでもなく当然こうなんだろう」という思い込みで
仕事などをしてしまい、小さなミスをすることは未だにしばしば見られます。
準シュダオンさんが仕事がうまくいかなかったのもこれが原因してるはずです。
だから何事も質問をして再確認をすることは大切なことです。
訊くはいっときの恥、訊かぬは一生の恥とも申します。
準シュダオンさんの考えが桐山さんと共通している可能性もあるのだから
きちんとたしかめるべきですね。
なぜならば準シュダオン教、すなわち準シュダオンさんの仏教観を語るだけなら
よいのだが、ここではそれは相手にしていない。
しかしアゴン宗の教義を語るのであれば、これは慎重にやって教団や教祖に
迷惑が掛からぬようにすべきなんですね。
まあ準シュダオンさんが教団に質問など絶対にしないとこちらもわかってますから
ここを読んでいる信者の皆さんは代わりに質問してみたらどうですか?
彼の主張はこうです。
アゴンの聖衆と言っても2種類ある。
一つはシュダオン果を得て不退転の境地に達した一部選りすぐりの信者、
もう一つはまだシュダオン果を得ていないがシュダオン向として日々梵行に邁進する
多数派を占める信者たち。
この多数派の信者たちはシュダオン果を得ていないのだから、いつ退会して悪口を
言うか信用ならん者たちであり、彼らを聖者の流れなんて常識で考えても認められない。
それでもシュダオン果未満の修行に励む信者も含めて「聖衆」と呼ぶのは管長の
単なる言葉のアヤであると。

58準シュダオン:2010/11/04(木) 15:18:08 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさん、よく解ったではないですか↑。それで完璧ですよ。
管長は便宜的に、阿含宗教団を「聖衆」と呼んでますけど、ほんとの聖者は
不退転法を得た須陀?果からなのですよ、ということですね。
こんな解り切ったことを質問したら、馬鹿だと思われますよw。

わたしは、仕事するのに結構慎重ですよ。それで表彰も受けてますよ。
前に仕事が行き詰まった、とレスしたことはあるけど、何もミスしたわけ
ではありませんよw。わたしは仕事の目標が高かったからですね、主観的
に考えて行き詰まった、とレスしただけで、客観的に見てミスがあったわけ
ではないのよ。

59準シュダオン:2010/11/04(木) 15:30:15 ID:1F7rdgXk0
星の教団みたいに解散、と書いたのは冗談ですと、レスしてるではないですか!
どこ見てるんですか?呆れた。わたしが阿含宗の解散を望むわけがないでしょw。
全くアホらしい。まぁ、信者数は、そろそろ底だと思われますね。
退会すべき信者は退会し、今残ってる信徒は本物の玉でしょう。この球が核に
なって発展し、今後の千年紀の、世界の仏教をリードしていくことになるでしょうね。

平河本の現代語訳阿含経・長阿含経も、今後の阿含経研究の核になっていく
ことになるでしょう。

60ラシン:2010/11/04(木) 15:40:56 ID:b9Cg2rfo0
>四双八輩について、阿含経典の定義と倶舎論の定義の違いを理解できましたか?
辞典を読めばよく理解できるでしょう。
辞典の引用は、もうしません、日が暮れてしまいますw。

預流:サンスクリット語を音写して須陀?とも。
無漏の聖者の流れに入った者。
四向四果の最初の段階。
(岩波仏教辞典)

老人の捻くれた解釈など無縁だ。
辞典に「四向四果の最初の段階」とあるのだから、
預流向が「無漏の聖者の流れに入った者」に何の抗弁も用無しだ。
読者諸兄もこの四向四果が八つに区分けされた修行段階との
誤解が多分にあるようだが、経典を読むとまるで違うことが分かる。
修行段階は四つなのだ。
預流に向かう者が預流向であるにすぎない。
経典になぜ預流向の脱落者の記載がないのか不思議に思うはずだ。
預流向で死んでもそれは預流であり、次の世には成道するからだ。
預流とは預流向と預流果をワンセットにしたものだ。

「−前略−『尊師の弟子のつどいは、すなわち、二人ずつの四組と八人の人々とであるが、
 かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の副田である』と。
 かれは聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕のない、斑点のない、よごれていないで、
 自在であって、知者の称讃する、執れのなく、精神統一に導く戒律を身に具現している。」

 ずつ:同じ分量・割合・程度であることを表す。(三省堂大辞林)

だから「二人ずつの四組」とは、預流・一来・阿那含・阿羅漢の修行の四段階を示すうちの四果だ。
預流向とは預流果をめざすのではないんだ、あくまでも阿羅漢を目指している一段階なだけだ。
つまり預流向とは預流果の修行段階ではなく、預流果を得る者をいうにすぎない。
これが四果の第一段階となる。
預流向と預流果は「二人ずつの第一組」にすぎない、割合程度はすでに同等であると考えるべきだ。
八つの修行過程と見るから見誤るだけのことだ。
釈尊が、「二人ずつの四組」と表現した意味がここにある。
仏教の眼目、釈尊の苦の解決はどこにあるかと言えば、漏尽解脱だからだ。
この思想を分からぬ者は、阿含経を読んでも永遠に時々の言葉や字面に翻弄され、
桐山さんのように勝手な解釈がつくだけだ。

>46 :準シュダオン:2010/11/03(水) 14:38:30 ID:1F7rdgXk0
あらまぁw、釈堤桓因問経は、「長阿含経」の第14番目の経典だそうですよ。
本経には、パーリ語長部経典の第二十一経が対応し、

パーリ長部34経に相当するのは帝釈天が男女についてのことじゃないのか。
そのパーリ相当の断簡とは、きれぎれになった書き物、文書の断片ということ
だから、どうも明確ではないのはいつものことで、経典名を挙げてみたらどうか。
知っているのは、ガヤーのネーランジャラー河のほとりのウルヴェーラ村での
火の行者カッサパ3兄弟の話しだが?
まあ、小出し断片話はいつものことだから、いわば悪癖だな。

61ラシン:2010/11/04(木) 17:57:04 ID:b9Cg2rfo0
>P302や、P323あたりを良く呼んで御覧なさい。
そうすれば、教団をひとまとめにして、聖衆と呼ぶことがありますけど、
その場合は、須陀?向も含めて聖衆と呼んでいるわけです。
しかし、阿含経典の定義では、須陀?向は真の聖者ではありません。

阿含経のどこにそんな表区があるんだ?
読み間違いも大概にしたほうがよい。
老人の好きな”ほどほど”というところだ。
釈尊は有余涅槃を得て、さあこれからは何でもOKだとしたのか?
常に漏れ出でる煩悩の制御に一生明け暮れたのではなかったのか。
真の聖者とは、解脱して安心して人や金や愛人に耽溺することではない。
常に自己観察を怠らず戒律を守って生活するから聖者なんだ。
少なくとも釈尊の教えは、老人の妄想期待には応えられない。
だから、世間の最上の副田の資格は「知者の称讃する、執れのなく、
精神統一に導く戒律を身に具現している」と言われる所以だ。
ゆえに預流向とは預流果を約束された預流に向かう者の段階だから、
「二人ずつの四組のうちの一組」に相当する。
桐山さんの馬の鼻先に人参をぶら下げられていつまでも走らされ続けるものではない。

62ラシン:2010/11/04(木) 18:26:07 ID:b9Cg2rfo0
60 :ラシン:2010/11/04(木) 15:40:56 ID:b9Cg2rfo0
>四双八輩について、阿含経典の定義と倶舎論の定義の違いを理解できましたか?
辞典を読めばよく理解できるでしょう。

辞典を読んでも理解出来ないのはなぜか?
それは桐山さんの洗脳の賜物だからだよ。
いつまでも聖者と固定せず、しかしながら聖者だと匂わす空かし屁に踊らされている。
臭く汚泥されたものが好きな野は、アゴン宗信者だからか。
学者の解説は阿含経の多くを読み分け、分類統合し、導き出された結論だ。
桐山デンパを受けた妄想とは大きく異なる。
再掲すれば、
預流:サンスクリット語を音写して須陀?とも。
無漏の聖者の流れに入った者。
四向四果の最初の段階。(岩波仏教辞典)

ここでの辞典にある説明は、預流向でも預流果でもないのだ。
預流とは何かを説明していることに気づくべきだな。
預流とは、「サンスクリット語を音写して須陀?とも」である。
預流とは、「無漏の聖者の流れに入った者。」である。
預流とは、「四向四果の最初の段階。」である。

その「四向四果の最初の段階」とは、預流向であり預流果である。
いわば預流とは、「預流向と預流果」である。
下手な解釈や屁理屈は無用だ。
こんな簡単な解釈に、「日が暮れてしまいますw」と言うほどの愚脳だったか。

63ラシン:2010/11/05(金) 00:16:29 ID:98U1EaJc0
>55 :準シュダオン:2010/11/04(木) 08:49:14 ID:1F7rdgXk0
ホントに馬鹿につける薬はないなぁw。

この外道老人の言うとおり、薬は見つからないだろう。
外道老人とは仏教以外を信じる在家老人だ。

>42 :準シュダオン:2010/11/03(水) 08:39:11 ID:1F7rdgXk0
管長の言う「聖衆」には、二種類の聖者が含まれているのです。
シュダオン果以上の、不退転法を得た本当の聖者と、
シュダオン果未満=シュダオン向という、外道凡夫に比して聖者、という
意味の聖者です、本当の聖者ではありません。

アゴン宗の誰が、聖者の真贋を見極めるんだ?
駄レスばかりで看過しようとも考えたが、外道凡夫だと?
いったいどこから持ち込んだんだ?
外道は仏教以外を信じている沙門や在家者という宗教信者だから、
どこが凡夫なんだ、凡夫とは簡便すれば無信心の一般生活者だよ。
凡夫の対語は聖者だ、外道の対語は仏教だ。
外道と凡夫は別ものだ、勝手に造語する卑屈なたくらみ老人で、あきれるな。
阿含経にない外道凡夫は浄土真宗系「外道凡夫人」という三賢位の賢者を内凡に対し、
十信以下の善悪の凡夫を外凡という五逆謗法以外の凡夫人を混同しごった煮したんだろ。
それが桐山さんの聖者二種に該当するって、桐山さんも仰天だろ。
ホントならwスタという二枚舌カンチョーか、事実は舌はもっと多いだろうが、笑笑笑笑笑。

>4日後には、マヤとの合同法要があります。護摩壇が五つ作られる予定とか。
その場所で、護摩導師の手足となって動いてる修行者の、半数近くはシュダオン果
と考えてよいでしょうね。こういう人達は、不退法を得ていますから、

よく笑わせてくれる、焚火人夫、焚火作業員がシュダオン果だ?
昔の風呂焚き番はみな聖者か、笑笑笑笑笑。
釈尊は心に湧き起こる煩悩の灯を消せと諭した。
あわてて水を飲んだ正直者より、火を山盛りにして芋も焦げるほどの行為に何の意義がある。
空を飛べると自己洗脳して山から飛び降りる愚行と変わらない。
成り切り度は、恐っろしく高いわな。
マヤにも因縁解脱があるなら共通するかな、笑笑笑笑笑。

65孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/11/05(金) 00:59:35 ID:dXJ10IoA0
準シュダオンさんのいうことも分かるような気がします。そこで検索し調べました。
ユビキタスさんやラシンさんが正しいのでしょうが、準さんのいう疑問と同じことをテーラワーダの人も考えた。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp69.html
で、そうしたかというと、預流向を単に仏法僧に帰依した人じゃなく、
「修行に専心して励んでヴィパッサナーの智慧の境地にも達して、あと瞬間で預流果の悟りを開ける人のみ、預流向にした」とある。
この分類でいうと準シュダオンさんは準シュダオンじゃない。2つの意味において。
・あと瞬間で預流果の悟りを開ける人じゃない
・アゴン宗は根本仏教と全く関係ない

私は準さんの預流果・預流向の区分けより、技法が違うのによく根本仏教の階梯を語るほうがおかしいと思います。

66ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/05(金) 08:38:55 ID:SmEF4Oe2O
>>42:準シュダオン10/11/03(水) 08:39:11 ID:1F7rdgXk0
>4日後には、マヤとの合同法要があります。護摩壇が五つ作られる予定とか。

2日後に迫ったんですかね。
これなどはショーとしてよくわかります。
第二回オーラの祭典と名をうってマヤを呼んだはいいが、アゴン宗として何をするか。
前回の目玉はダライラマと桐山さんがそれぞれ護摩壇を築いて武道館で同時に焚く
というものであった。
今回京都の総本山でやるはいいが、星まつりの敷地で大柴燈護摩を焚いてしまうと
来年の星まつりでお焚き上げする護摩木が大幅に減じてしまい、これはまずい。
各地の土地浄霊で焚く程度の小規模な柴燈護摩壇を星まつり会場ではみすぼらしい。
総本殿の中で独り護摩を焚くならば例祭や初護摩と変わらない。
そこで考えたのが五人囃子ですね。
伝統の真言密教にも伝わるものだぞと由緒も示しておく。
これでショーとして成り立つというものです。
ショーとは華やかなものでなければならない。
奇を眩うようなものが相応しいのです。

67準シャダオン:2010/11/05(金) 10:02:23 ID:1F7rdgXk0
孫くん紹介のテーラワーダの預流向論を読んだよ。
わたしが言ってるのは、テーラワーダの預流向論みたいな考え方が、誤解だという
のです。結局、テーラワーダの預流向論も、倶舎論の預流向と同じ考え方です。
だが、阿含経典の四双八輩・預流向には、テーラワーダや倶舎論に説くような条件
はないのです。阿含経典では、仏弟子は即預流向、三帰依を唱えたら即預流向だと、
考えられるのです。

ところが、倶舎論では、仏弟子即預流向はおかしい、と考えて、見惑煩悩を持ち出
して、見惑煩悩の十五を断じたら預流向、見惑の八十八煩悩をすべて断じた聖者を
預流果と定義したのです。斯陀含向からは、修惑煩悩を持ち出して、それをいくつ
断じたかで、斯陀含向や斯陀含果、と定義したのです。それで、阿含経典の定義と
倶舎論の定義とで食い違いが出てしまったのですね。

で、批判派は倶舎論の考え方で議論してくるし、管長と私は、阿含経での預流向の
考え方をレスしてますから、食い違うのですw。

68ラシン:2010/11/05(金) 10:40:37 ID:b9Cg2rfo0
>私は準さんの預流果・預流向の区分けより、技法が違うのによく根本仏教の階梯を語るほうがおかしいと思います。

たしかに孫さんがおっしゃるとおり、阿含経の実践などしていない無戒律人間が、
あたかも阿含経の都合よいとこ取りで、偉そうに自説を展開する。
老人の厚かましさといえばそれまでだが、チャッカリ精神はアゴン宗で培われた。

テーラワーダは、パーリ研究者の藤本慈照文学博士がその正当性を語っている。
簡略すれば上座部が守り続けた律蔵の変遷が無い事実を以って釈尊の言葉と思想が、
今に伝承されているのがパーリだそうですから、部派の影響が入り込んだ隙間が無い。
ただし解釈には、其の都度の「布薩」にて論議しあっていた。
ヴィパッサナーは修行の常識とまで考えられていたのですから、言うに及ばずでしょう。
仏教の修行階梯は四果の漸悟過程の階梯と考えられる。
大乗禅の何度もの頓悟の繰り返しなどありえない。

しかし預流は、辞典にあるように預流向と預流果を指している。
釈尊の教えに共鳴し在家五戒や、ましてや出家するまでの決心に至るに、
凡夫の精神状態から脱却し、理解する法眼が生じて故の決心行動です。
並みの決定心ではできるものではありません。
その意味でテーラワーダの預流向と預流果の時間的経緯を刹那と考えたようです。
桐山さんのノルマ達成と言う修業過程への影響力が、預流向から長期修業にて預流果を
得るのと同様に、他の向果もそう理解してしまう間違いがあるのでしょう。
目的は阿羅漢であり、その階梯過程を四果に区分けされた。
後世の論師は、それを合理的につけた詳細が四向四果だった。

「預流とは四向四果の最初の段階。(岩波仏教辞典)」を消去法で考えれば尚簡単です。
四向でいえば、阿羅漢向が最初の段階か?不還向が一来向が最初か?違うから残りは預流向だ。
四果でいえば、阿羅漢果が最初の段階か?不還果が一来果が最初か?違うから残りは預流果だ。
残り二つを併せれば答えは、預流とは四向四果の最初の段階=預流向と預流果だとなる。
老人の「辞典の引用は、もうしません、」なんてのは弁解に過ぎないと分かるものです。

69ラシン:2010/11/05(金) 11:37:30 ID:b9Cg2rfo0
>中には悪いことをして追放される比丘だって居ます。
そういう比丘までが聖者であろうはずがないでしょう。
そういう悪いことをする可能性があるのが、須陀?向なのです。<

なんて>>30にて勝手な主観論で阿含経にある四双八輩を否定しておきながら、
今度は
>阿含経典では、仏弟子は即預流向、三帰依を唱えたら即預流向だと、
考えられるのです。<
なんていいだす始末で、だから何なんだ? 
法の鏡の実践とは何かも健勝すら出来ずに、屁理屈だけは止まないヘンチクリンだ。
預流向は悪いことをする可能性があり、預流果ならないだと?
その違いは不退転法の成就の有無だ? 勝手な言い草と捏造が恒常的だ。
不退転という言葉はあるが、何でも法をつければ通用し立派に見えるという姑息さには、
桐山さんの幼稚性のなにものでもないマネこきサルだな。
それこそ大乗の菩薩四区分で言う見性体験いわば大乗禅という倶舎論の発展見解じゃないの。
ブレだらけの主観抗弁は、他国からバカにされたどこかの元首相に似ている。

それでいつ批判側が根本仏教ではない倶舎論の見道説など持ち出したのだ?
この老人のすごいところは、見えないもの言ってもいない事をあたかもあったように、
平気で既述と考え及ぶことだ。
デンパ癖は一生モノらしい、笑笑笑笑笑。
経や辞典を他人によく読めなんて偉そうに言う張本人がこの様だ。
老人の消去法の理解度は多分、九字を切って忍者のように消えることなんだろうね。

70準シャダオン:2010/11/05(金) 12:28:55 ID:1F7rdgXk0
孫くんには、テーラワーダや倶舎論の四双八輩を解説している学者さんの言うことを
盲信せずに、自分の頭で考えることをお勧めします。
テーラワーダは、部派仏教の一部が伝わったものらしいですからね。
部派仏教を総合するものではないようです。

さて、管長が四双八輩は阿含教学の基本である、というのに、それを理解できない
ままに、阿含宗を批判するのもナンセンスですw。
小縁経に、「・・四双八輩 是為如来弟子衆也 為世福田 」とあり、
遊行経に、「・・四双八輩 是謂如来賢聖之衆 世之福田 」とあります。
ここでの、弟子衆、賢聖之衆の「衆」とは、SAMGHAの訳だそうです。
音写すれば僧伽です。つまり、四双八輩とは、教団のことです。

それを、聖衆とか福田の語に惑わされて、アビダルマ論師やテーラワーダもが、
預流向までを、悟った聖者に含めてしまったわけですね。
元々の福田とは、釈尊だけのことでした。
それがやがて、釈尊の悟った弟子をも、福田に含めるようになり、
やがて教団自体をも、福田と呼ぶようになったのだそうです。

やがては、袈裟衣までが福田と呼ばれるようになりました。
だから、四双八輩 是福田の語に惑わされて、預流向までを悟った聖者と考える
のは間違いなのです。
預流向とは、仏道修行者の最下位の位なのです。
仏道修行者で、預流向より下の位は、ないのです。

71ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/05(金) 12:52:06 ID:SmEF4Oe2O
>>59:準シュダオン10/11/04(木) 15:30:15 ID:1F7rdgXk0
>退会すべき信者は退会し、今残ってる信徒は本物の玉でしょう。この球が核に
>なって発展し、今後の千年紀の、世界の仏教をリードしていくことになるでしょうね。

これは笑いましたね。選りすぐりの信者、選ばれし者と言いたいのでしょう。
桐山さんもまたそういうおだてをしてのせることありますからね。
これっぽっちのアゴン宗信者で人類を救うのだそうです。
ちなみに地球壊滅の危機の延長リミットとなった今年2010年はあと2月を
きりましたが。
まあオイラの祭典にてマヤの魔法の祈りも手伝わせて、また延期のマヤカシを
する気かどうかは知りませんが。
その篩にかけられた選ばれし戦士たちの中には準シュダオンさんみたいに道場に
戦いに行くことも拒否して暇潰しをする人まで混ざっているわけだ。
誰かがやってくれるのだろうと傍観するわけですね。
この少数精鋭が地球壊滅の危機を救うというのはアゴン宗的におかしいのですね。
なぜなら桐山さんは地球壊滅の危機の根拠として、横変死の因縁の激増を示した。
80%なんてとんでもない数字を出したこともあるが、人類の人口の4割5割が
横変死の因縁が見られ、これが地球が壊滅的危機に陥る証拠なんだと。
ならばその解決法とは布教してアゴン宗にしかない因縁解脱の成仏法を教え、
修行させて因縁切って初めて壊滅的打撃の回避となる理屈のはずです。
それが少数精鋭でいいなんてどういうことか?

72ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/05(金) 12:55:18 ID:SmEF4Oe2O
>>59:準シュダオン10/11/04(木) 15:30:15 ID:1F7rdgXk0
>平河本の現代語訳阿含経・長阿含経も、今後の阿含経研究の核になっていく
>ことになるでしょう。

いや、特別に他の学者さんと異説を説いているわけでもなし。
読む人によって勝手に都合よく誤解されてるだけでしょうね。

73ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/05(金) 13:04:27 ID:SmEF4Oe2O
>>70
ちょっと待った。
またゴマカシで書き換えたな?
いつの間にか「悟った聖者」にしたな。
こっちはそんなことを説いていない。
悟りに向かう聖者と主張表現している。
大海が究極の悟りならば山の源流一滴の始まりが聖者の流れだ。預流だ。
悟った聖者がふんぞりかえって大名行列する話ではないと何度説明した?

74ラシン:2010/11/05(金) 13:13:26 ID:b9Cg2rfo0

>小縁経に、「・・四双八輩 是為如来弟子衆也 為世福田 」とあり、
遊行経に、「・・四双八輩 是謂如来賢聖之衆 世之福田 」とあります。
ここでの、弟子衆、賢聖之衆の「衆」とは、SAMGHAの訳だそうです。
音写すれば僧伽です。つまり、四双八輩とは、教団のことです。

バカ丸出しの短絡的な解釈だ、笑笑笑笑笑。
お経の前文から意味を考察しなさい、姑息な老人よ。
また偉そうに「自分の頭で考えることをお勧めします。」なんてのは、
偏向と我見になるから、客観的第三者の専門家の解釈を参照すべきは、
当たり前の理だ。

こういう愚考を世間では「つまみ食い解釈」と言うとか言わんとか、笑笑笑。
経文は全体像を把握してこそ、意味が繋がるのは文章の基本中の基本だ。
プロ野球球団の各選手等はプロじゃないらしい。
プロ選手のいないプロ球団? わっかりやすい、笑笑笑。
バカも休みすぎて、真のバカになる必要は無い。

「また彼は、僧(サンガ=教団)にに対して清らかな信仰を起こしている。
『尊師の弟子のつどいはよく実践している。尊師の弟子のつどいは真っ直ぐに実践している。
 尊師の弟子のつどいは正しい道理にしたがって実践している。
 尊師の弟子のつどいは和敬して実践している。尊師の弟子のつどいは、すなわち、
 二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、尊ぶべく、
 もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の副田である』と。
 彼は聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕のない、斑点(まじり)のない、
 よごれていないで、自在であって、知者の称讃する、執れのなく、精神統一に導く戒律を身に具現している。」
『大パリニッバーナ経』 浄土真宗やっとかめ通信(東海教区仏教青年連盟)参照

これらは教団=サンガに集い「清らかな信仰を起こしている」弟子たちであり、彼である。
つまり、「二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)」が何組もいるということ、
それがサンガという組織集団と成っているから聖衆というのだ。

75ラシン:2010/11/05(金) 13:39:13 ID:b9Cg2rfo0
>70 :準シャダオン:2010/11/05(金) 12:28:55 ID:1F7rdgXk0
孫くんには、テーラワーダや倶舎論の四双八輩を解説している学者さんの言うことを
盲信せずに、自分の頭で考えることをお勧めします。
テーラワーダは、部派仏教の一部が伝わったものらしいですからね。
部派仏教を総合するものではないようです。

このような小狡さはどうしたら身につくのか?
前述五十章>>998に、部派仏教とテーラワーダに関しての肯定説である
ー引用抜粋ー
「一部派の経典が完全な形で現在まで伝わっているのは、南方上座部のパーリ聖典だけである。」
ー水野弘元『パーリ語文法』山喜房書林ー
と、否定説の荒牧典俊博士(講談社刊原始仏典七)や>>68ではパーリ研究者の藤本慈照文学博士の
解説を掲示している。
つまり学説は確定していないという認識だからだ。
それを「部派仏教の一部が伝わったものらしい」なんて安直に主観を述べ、
根拠を示さずに断定しようという老人の浅ましさには驚く。

そうかと思えば、得意の「つまみ食い解釈」や「切り取り解釈」という卑怯さで、
公職を自慢し、受賞までチラつかせて手弁当を披瀝する。
アゴン宗の長年の修業成果なのか、元々の性癖に磨きがかかったのか、どちらなんだ。

76ラシン:2010/11/05(金) 15:34:34 ID:b9Cg2rfo0
>73 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/05(金) 13:04:27 ID:SmEF4Oe2O
>>70
ちょっと待った。またゴマカシで書き換えたな?
いつの間にか「悟った聖者」にしたな。こっちはそんなことを説いていない。
悟りに向かう聖者と主張表現している。

だから先述したとおり、こちらが言ってもいないことや見えてもいないことが、
老人デンパ脳には、すでに存在したことになるんです、スンゴイでしょ。
デンパのデンパたる由縁だからだ、笑笑 笑笑笑。
このデンパ脳は、悟りの概念すらあやふやなのダす。
どだい仏教の煩悩滅すら意味を明解につかめていない。
それでいてチューダパンダカをコケにして、奉仕解脱なんて会釈まで平気の平左だ。

彼は、釈尊から言い渡された「塵を払え、垢をとれ」を一心不乱に行じた。
何度も同じことの繰り返しの中で、彼はその真の意味を体得したのだ。
ところがどうだ、公職の身分を誇りながら受賞まで受けたご立派なデンパ老人が、
その意味を分かるところか、掃除奉仕という布施で解脱したと思い込んだ。
布施で解脱まで行けるそうな、アゴン宗ってやっぱりスンゴイ!笑 笑笑笑 笑。
仏教じゃなかったのね。
桐山さんもさすがに説かない「布施解脱」という新語は驚異的?
だから預流向を悟った聖者と考えるのも、み〜んなアビ論師やテーラワーダの”せいじゃ”。
この驚異的解釈は、他の追随を許さないほどの猛進いや妄信ぶりだ。

もっと面白いのが「四双八輩とは、教団のことです〜〜」なんて言ったくせに、
なんと〜、、「預流向とは、仏道修行者の最下位の位なのです」と来たもんだ?
だから聖者ではないと言いたいらしい。
すでに何を主張したいのか支離滅裂というか奇天烈か?
預流向が、仏道修行者の最下位であろうが聖者の仲間に変わりは無い。
プロ野球六球団の最下位が、どこの球団でもプロ球団なんだがね、笑 笑笑。
デンパ老人のご高説によれば、最下位になればプロ球団の看板を下ろせと言う。
その前に準シュダオンの看板を下ろすのが先だろうね、笑 笑笑笑笑。

77準シャダオン:2010/11/05(金) 16:27:49 ID:1F7rdgXk0
 ユビさん、「悟った聖者」とレスしたのはね、辞典で福田を引くと、
「はじめ釈尊を福田としたが、やがて聖者の仏弟子たちも福田と呼ばれた」と、
説明されています。この「聖者の仏弟子」を、わたしは「悟った聖者」とレス
したのです。だって、悟らない聖者は、本来はおかしいでしょ?
預流向は、煩悩だらけで、悟っていない者ですから、聖者にするのは本来、おか
しいのです。

孫くんは、理解度が進歩したねw。
「四双八輩 是為如来弟子衆也 為世福田」の経文を何度も唱えることですね。
弟子衆の「衆」は、SAMGHAの訳です、音写は僧伽です、サンガ=教団のことです。
お釈迦様は、「四双八輩 是を如来の教団と為す、世の福田を為す」と、
説いているのです。

「四双八輩を如来の教団と為す」を、何度も唱えてご覧なさい。
そして、「教団は福田である」も、何度も唱えてごらんなさい。
すると、やがて、「教団員、すべてが福田だろうか?」と、疑問が湧く時期が来ます。
教団員がすべて預流向だけだったら、それでも釈尊は福田と呼ぶだろうか?とかね。

そしてやがて、倶者論の預流向の定義はおかしいと、気づくのです。

78ラシン:2010/11/05(金) 17:44:39 ID:b9Cg2rfo0
>77 :準シャダオン:2010/11/05(金) 16:27:49 ID:1F7rdgXk0
 ユビさん、「悟った聖者」とレスしたのはね、辞典で福田を引くと、
「はじめ釈尊を福田としたが、やがて聖者の仏弟子たちも福田と呼ばれた」と、
説明されています。この「聖者の仏弟子」を、わたしは「悟った聖者」とレス
したのです。だって、悟らない聖者は、本来はおかしいでしょ?

だったら袈裟が悟るのかいな?
聖者の意味は、凡夫との対立概念として用いられた。
凡夫:仏教を理解していない者、俗人=世間一般人。

>預流向は、煩悩だらけで、悟っていない者ですから、聖者にするのは本来、おか
しいのです。

またもや勝手を言ってる、笑 笑笑笑笑。
聖者の資格に悟りがどこにあるんだ?
俗世間を離れての清浄行の実践者が、聖者と言われる所以だよ。
悟りとは涅槃と同義語なんだけどね、笑 笑笑。
預流果が解脱者というアホ話になってしまうな。
預流とは、預流向と預流果のことで、これが永遠に分からぬ者に仏教は遠いだろ。

>お釈迦様は、「四双八輩 是を如来の教団と為す、世の福田を為す」と、

だから、尊師の弟子のつどいは、すなわち、 二人ずつの四組と八人の人々は、
彼らを敬うべく、尊ぶべく、 もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の副田である、
と説かれているんだ。
四双八輩という言葉自体が、部派仏教漢訳圏の考え方だ。

79ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/06(土) 08:41:27 ID:SmEF4Oe2O
>>77:準シャダオン10/11/05(金) 16:27:49 ID:1F7rdgXk0
> ユビさん、「悟った聖者」とレスしたのはね、辞典で福田を引くと、
>「はじめ釈尊を福田としたが、やがて聖者の仏弟子たちも福田と呼ばれた」と、
>説明されています。この「聖者の仏弟子」を、わたしは「悟った聖者」とレス
>したのです。だって、悟らない聖者は、本来はおかしいでしょ?

この場合の仏教辞典の「聖者の仏弟子」とは字面だけ眺めるに2通り考えられます。
まともに考えれば1つしかありませんが。
一つは「聖者=釈尊」の弟子という捉え方。
もう一つは聖者であるところの仏弟子、聖者=仏弟子という捉え方。
実際には前者ではなく後者で読むのが常識だが。
前者だと当初聖者は釈尊しか認めていないことになってしまう。
しかしそれではシュダオン果やシダゴン果やアナゴン果は聖者でないことになります。
釈尊は阿羅漢果ですから。
しかしその阿羅漢果も釈尊一人ではない。
初転法輪で五比丘に対して教えを説き、まずコーンダンニャの目が開きシュダオン果の
悟りを得たことを皮切りに、5人ともまもなく修行含めて阿羅漢果を得て、釈尊含めて
6人の阿羅漢果が誕生したのが仏教の始まりです。
立宗して32年経っても未だに一部の者(誰とは示さない)にしかリップサービスで
シュダオン果を認めず、大部分はシュダオン向にしておくどこかの教団とえらい違いですね。
さてその中で釈尊だけを聖者としたという話になってしまう。
これはおかしいのだが、読み方がおかしいのです。
だから後者の仏弟子=聖者と読むべきでしょう。
この場合、仏弟子にいろいろあれど、聖者の仏弟子と聖者でない仏弟子のうち
聖者仏弟子だけに限定するのよなんて区別も差別も一切書かれていません。
仏弟子と認められた以上初心の新米でも聖者集団の一人なのです。
だから頭を剃ってまもない青々とした出家が門前に托鉢で立っていても
「こんなぺーぺーに供養しても仕方がない」と供養をしないなんてことはなく
尊い清浄行者と敬って供養をするのです。
これはパーリ仏典の沙門果経にもあります。
これまでシュードラ(奴隷)というカーストの人もひとたび出家するや立場は逆転
人から尊敬を受ける見になると書かれている。
一部の例外は例外でしかない。出家教団の人員を破戒者だらけのようにみなすのが
おかしい。千人の教団で3人の例外を除けば聖者集団です。

80準シャダオン:2010/11/06(土) 08:51:04 ID:1F7rdgXk0
ダラダラと長い駄文を書いてる人もいるなぁ、わしゃ、そんなの読まんからいいけど。
阿含教学の基本、四双八輩についての、簡単な説明方法が解った。
なんで今まで思いつかなかったか、不思議だw。

ユビさん、「人間改造の原理と方法」本のP180〜182に、アビダルマ教学の四双
八輩が、解説されています。倶舎論と学者の説を基にした解説でしょうから、P181
の表も、未整理な感じです。
 さて、それから5年後に、「輪廻する葦」本が発行されました。本のP258に、
十結煩悩と四沙門果の関係が、表にされています。是こそが正しい釈尊が定義され
た四双八輩なのです。表には預流向が含まれないことを確認してください。

人間

81ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/06(土) 09:03:44 ID:SmEF4Oe2O
おや?準シャダオンに改名したのですか?
2回も間違えるなんて。

82準シャダオン:2010/11/06(土) 09:04:06 ID:1F7rdgXk0
「人間改造の原理と方法」本のP180〜182の四双八輩の解説は、見道や修道が
出ているように、アビダルマ倶舎論の教学です。この教学は、釈尊の定義と違って、
預流向も聖者に含めていますね。批判派はこのアビダルマ教学の四双八輩を信じて
いるようですが、四双八輩についての、この教学は間違いです。

正しい阿含教学の四双八輩の定義は、「輪廻する葦」本P258にある表のとおり
です。

83準シュダオン:2010/11/06(土) 09:14:21 ID:1F7rdgXk0
シャダオンは間違いです。
「四双八輩 是為如来弟子衆也 為世福田」とは、釈尊が、
「四双八輩が我が教団であり、世の福田である」と、宣言しているのです。

教団が聖衆であり、福田だからと言っても、不退転法を得るのは預流果からであり、
預流向は何時還俗するかわからない存在です。他の経典を読むとそれが解ります。
だから、四双八輩が聖衆と称されても、吟味していくと預流向は聖者ではないこと
が解るのです。

84ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/06(土) 09:27:27 ID:SmEF4Oe2O
>>77:準シャダオン10/11/05(金) 16:27:49 ID:1F7rdgXk0
>すると、やがて、「教団員、すべてが福田だろうか?」と、疑問が湧く時期が来ます。
>教団員がすべて預流向だけだったら、それでも釈尊は福田と呼ぶだろうか?とかね。

遊行をする中で、ある地域を訪れて、一気に仏弟子入門者が増えることは想定されます。
その場合、その時点でまだ悟りなど開けてないから預流向が大部分を占めることになる。
しかしそれでも聖者集団です。なぜならちゃんと先輩のいるサンガで我流に陥る
ことなく、まっすぐに修行に励むからです。煩悩なんて預流果に達してもまだ
残っているのですよ。
在家で五戒を守る人たちは聖者集団と言えます。
だって五戒って今日だけでなく毎日これから一生守っていかねばならないのですよ。
仮に酒を飲んでしまい破戒行為があったにせよ速やかに反省して以後酒を飲まぬ
ように励むこと一生です。やはり普通の凡人とは異なる。
酒を飲むことを禁止もせず、愛人を作り、嘘八百を並びたて、商売ネタはよそからの
無断パクリ、亡くなった犠牲者を地獄に堕ちたなどと侮辱して二度殺すことに
なんとも思わない人が聖者のはずがない。

>そしてやがて、倶者論の預流向の定義はおかしいと、気づくのです。

誰も倶舎論の話などしていません。
一刹那だの見道の第何十位なんて小賢しいアビダルマの屁理屈なんて私も深山さんも
否定しているのです。
アビダルマ論の全てを否定するわけではないが、おかしなものは否定する。
これは桐山さんも同じです。担ぐものは担ぎ、批判するものは批判する。
あなただけが頭の整理ができていない。

85準シュダオン:2010/11/06(土) 09:36:24 ID:1F7rdgXk0
大海が究極の悟り(阿羅漢)ならば、山の源流の一滴が聖者の流れだ、預流だ。
とは、ユビさん、うまいことレスしたなぁ。
どうやら、ユビさんは、阿含経の四双八輩を悟ったらしい。
そうです。山の源流の一滴の始まりが預流(預流果)です。
で、預流(預流果)に成れば、最大七回生死を往来するうちに、大海に至るというのです。

預流向とは、山の源流の始まりを、探し訪ね回っている状態で、まだ源流を見つけて
いないのです。

86ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/06(土) 13:20:36 ID:SmEF4Oe2O
>>85:準シュダオン10/11/06(土) 09:36:24 ID:1F7rdgXk0
>預流向とは、山の源流の始まりを、探し訪ね回っている状態で、まだ源流を見つけて
>いないのです。

山の源流の一滴を預流果の方に喩えたのはよいとして、この表現は逆に下手ですね。
ではその発見した一滴ってどうしてそこから垂れたの?
無から有は生まれない。
原因なくして結果はない。
預流向なくして預流果はない。
預流向とは預流果を得た原因です。
つまり三結の迷妄をなくす教えを聞いてよく了解できたからです。
そうなると預流向の努力こそ大切で不可欠だとわかる。
いきなり気まぐれ偶然に三結断てて預流果になれたのではない。
山の源流で言うならば、雨が降り、地面にもしみいり、砂礫を通してその一滴が
うまれたのです。この努力を軽視してはならない。
砂礫の中の水とも違い、外から見れば預流向も預流果も同じ形をした人間だし
修行生活の姿ですからね。
仏弟子となって未熟ながらも悟りを求めて修行することは並大抵ではないのです。
昨日までの欲望と煩悩のほしいままに無為な生活を送ってきたのと比べて雲泥の差があり
聖者の生活に入ったのです。
とまあ反論したのだが、私はこれ以上預流向論議をする気はない。
準シュダオンさんが預流向≠聖者、預流果からが聖者のスタートと捉えることに
関してはこちらは何も言いません。お好きなようになさい。
アビダルマ論師ですらここのところで無駄に苦しい屁理屈を拵えてきたのですから。
桐山さんがこの件でどういう見解をお持ちなのかは著書や機関誌などでもどちらとも
とれ、はっきりしないのですから、新著を待つしかないと思います。
それよりも預流向議論しかレスをつけられず、千年紀がどうのこうのとおめでたい
ことを言っても信者が減少して拡大せぬ状況で悪い因縁を持った人間がそのままに
地球壊滅の危機を説いた教祖がその地球壊滅を救う話にはなり得ないという矛盾に
答えられない構図が面白い。
準シュダオンさんもお気の毒で同情します。
「くそっ、地球壊滅だの破滅のカルマだの因縁解脱だの苦しい命題を立てやがって。
キリヤマのバカヤロウ」と愚痴を言いたい気持ちがよくわかります。

87名無しさん:2010/11/06(土) 19:59:10 ID:BBtat4sE0
準シュダオンさんは明日、京都にいくのかい?
マヤの魔法の杖おがむんだろw

88準シュダオン:2010/11/07(日) 09:08:16 ID:1F7rdgXk0
管長が預流向≠聖者に区別してることは明らかです。管長本でこれを読み取れな
かったら、何を読んでも誤解するでしょう。
「人間改造の原理と方法」本P180〜の四双八輩の説明は、アビダルマ教学の
定義です。だから見道・修道を終えた聖者と定義してるのです。
この本は、1977年に発行されました。

さて、その5年後の1982年に「輪廻する葦」が、発行されました。この本の
P258に、十結煩悩と対比した四双八輩が説明されています。これは阿含経を
よく調べて説かれたものです。聖者の中に預流向が含まれていないことを確認
してください。
 さて、その十数年後の1995年のダルマチャクラ69号の7ページから、四双
八輩が、更に詳しく説かれています。預流果からを聖者とすることを、耳にタコが
できるくらい、説明していますw。

預流向と預流果を説明していて、「預流果からを聖者とする」と説明されたら、
相当のアホでないかぎり、預流向は聖者に含まれないと解るものだ。
さて、山の源流の始まりが、平野の大河となり、大海(阿羅漢の悟り)へ至る。
預流向とは、源流を探し尋ねて歩き、まだ見つけられない存在です。
で、川なんかない、嘘だと思って探訪を止める人もいます。

預流果とは、源流を見つけた存在です。源流が谷川となり、平野の大河になり、
大海に至るのです。それは時間の問題です。だから流れに預かると言う意味で
預流果と訳したのです。入流、とも訳されていますね。聖者の流れに入った者、
悟りの流れに入った者、という意味ですね。

源流が谷川になり、海へ行かずに、地下水になって消えてしまう場合もある、
なんて屁理屈は考えないことです。

89ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/07(日) 09:12:37 ID:SmEF4Oe2O
>>87
こちらが予想した通り、オーラの祭典だのマヤだの興味なく、こちらで預流向だの
書いている方が百倍面白いようです。

90準シュダオン:2010/11/07(日) 09:17:54 ID:1F7rdgXk0
今日は京都ではなく、道場から中継を見る予定です。
魔法の杖が楽しみです。杖に乗って空を飛んだら、魔女の箒もかたなしです。
境内を杖で突いたら水が沸いたとか、ないかなぁ、その水は高く売れるね、
ミラクルウォーター、1g千円、てとこか。

91準シュダオン:2010/11/07(日) 09:52:55 ID:1F7rdgXk0
世尊は、五比丘に対し、極端を避ける八正道を説き、次に四諦を説いたとされて
います。三帰依を唱えて、最初の在家信者になったのは、ヤサの父親だとされて
います。ヤサには、施を説き、戒を説き、生天の法を説き、欲愛の災いを説き、
出離の功徳を説き、次いで、苦集滅道の四諦を説きました。ヤサはそのまま出家
してしまいました。ヤサを探し尋ねて、釈尊のところへ来たヤサの父親にも、
ヤサと同様の順で、釈尊は教えを説きましたね。

釈尊晩年の最期の旅で、アンババリ女に説いた順も、施、戒、生天の法、欲愛の災い
、出離の功徳、四諦、と、ヤサと同じ順でした。
在家の解脱の法は、信戒施聞持観法次方向、ですね。

92ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/07(日) 15:29:57 ID:SmEF4Oe2O
>>90
千円じゃ安いだろw
準シュダオンさんは霊感商法師には向かないねw
魔法の杖使ってダウジングみたいなことしたら大日如来の種字を刻んだ大きな石が
出てきたなんてことするかもしんない。
あ?もうやったネタかw

93準シュダオン:2010/11/07(日) 19:51:16 ID:1F7rdgXk0
マヤとの合同法要、すばらしかったですね!ユビさんは、ご覧になったでしょうか?
ネットでしばらくの間は、観られるとのことですよ。
「ワンピースライブ阿含宗」で検索すれば、観られるとのことです。
批判するにしても、新しい情報を仕入れていかないと、ついて行けませんよ。
管長の挨拶も素晴らしかったね、言語も明瞭でした、過去に脳梗塞?仮病でないの?
てな、感じでしたねw。

マヤとの縁もできました。管長はいろいろな所と、縁をつけてくださいます。
これを手がかりにして、将来、発展させて行くのは、弟子の役目です。
ユビさんは、いつだったか、管長の仕事は単発的で、継続性がない、というよう
なレスをしてたが、そうではないのです。単発の仕事に見えて、縁は後世に長く
残るのです。弟子はそれを発展させて行くのです。

日韓ワールドカップの際、イタリアチームが仙台・宮城県をキャンプ地に選んだ
のは、400年前に、仙台・伊達政宗公がイタリア・バチカンに使節団を送った
縁からだ、とも伝えられています。正宗公の使節団派遣も単発でした。
しかし、それが400年後にも、影響を与えているのです。
管長の外国におけるイベントも、後世に長く影響を与えるでしょう、勿論、それ
を生かすかどうかは、弟子の肩にかかっています。

ユビさんは、阿含退会を早まりましたねw。良い先達に出会えていれば、正しく
管長の教えを理解出来たでしょうに。そうすれば今ごろは阿含宗の中核的リーダー
になっていたかも知れませんねw。まぁ、来世には間に合うでしょう。

94干柿:2010/11/07(日) 23:04:45 ID:BBtat4sE0
どんな感じか道場みてきました。人のでは例祭ていどでしょうか
いや、茶番でしたねw、派手なパフォーマンスだけですよ
すで白光会がやっていることだしね。
w田さんの肩につかまってではなく、御輿にかつがれてゲイカ登場(笑)
もう自力で歩くのも不自由なのかな脳梗塞わずらって高齢でも身体に鞭打って
出ないと信者がついてこないのかと、あわれに思いました。

形だけチベット方式の護摩を中央でゲイカが焚いてるように演出、
長年みてりゃわかるよ作法も、ブータン留学の法務部職員が手伝っていたしw
そのまわりを四っの護摩壇がかこって、信者の中からよりすぐった人が
護摩を焚く信者にも修行させるんだというアナウンスがありました。彼ら幹部信者
いくら金つんだ信者だかわかりませんがw信者向けに伝法と修行でこれからは
金を集めようとする考えがみえみえ(笑)
で、思念の瞑想とやらのパフォーマンスをやったんですが、宝鈷杵っていうですか
独鈷の剣の部分が宝珠になったやつで九字きって一瞬瞑目、そのあとキョトンとした目
でまわりをみまわしボーっとしてましたわ。あれが思念の瞑想?10数年前の
思念の瞑想のほうがキチンとしてましたね。

それはともかく一番頭にきたのは最初のスピーチ、人類は滅亡しない。しぶとく生き残るとわたくし
は思うし、そう予言した。マヤの長老の意見と一致したから合同法要を行う
という意味のスピーチでした。
さんざんノストラダムスで脅しておきながら、なんでそんなウソをいうのか!
ふざけるな!と思いましたね。

まあ、このくやしさは自分の妄想につかってるエセ信者の準シュダオンさんには関係ないでしょうけれどね。
なんで正しく管長の教えをだとかユビさんに説教できるのか?
あなたの言ってることは阿含宗の教えとは違いますぜ、もちろん釈迦の教えとも
違いますが(笑)

マヤの長老も、まあちゃんとした人らしいんですけど2000年前から代々家に
伝わる杖っていうのも胡散臭いし(笑)絶対ちがうウソですねあれはw
スキップしながらの軽い感じの陽気な祈りの儀式、南米の花まつりとかコンドルは
飛んでいくと言った感じの音楽の演奏の中でおこなうお祭りっていう感じで
阿含宗より良かったんじゃないの。あのくらいの軽さの祭りでいいんだよな(笑)
まあその程度です。

95ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/08(月) 00:04:23 ID:SmEF4Oe2O
>>93
>>94
論調違えどそれぞれレポート乙でした。
野球の方が百倍面白いね。

96名無しさん:2010/11/08(月) 05:53:52 ID:BBtat4sE0
あんなの信者以外誰がみるんだっちゅーのw

97ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/08(月) 08:19:52 ID:SmEF4Oe2O
>>93:準シュダオン10/11/07(日) 19:51:16 ID:1F7rdgXk0
>管長の挨拶も素晴らしかったね、言語も明瞭でした、過去に脳梗塞?仮病でないの?
>てな、感じでしたねw。

脳梗塞に倒れてから14年、回復を宣言してから7年経っておりリハビリをしてきた
のだから当たり前でしょう。

>マヤとの縁もできました。管長はいろいろな所と、縁をつけてくださいます。

干柿さんが書いているように数年間白光真宏会も招致したイベントを今回も前列に
則り真似しただけです。あちらもマヤの知名度を宣伝したいし金も欲しい。
お互いの利害が一致したわけです。

>ユビさんは、いつだったか、管長の仕事は単発的で、継続性がない、というよう
>なレスをしてたが、そうではないのです。単発の仕事に見えて、縁は後世に長く
>残るのです。弟子はそれを発展させて行くのです。

単発で終わっており、今回もまたその一つに過ぎません。
イベントをめぐってのみ交流があり金を支払いイベントが終わってしまうと
それまでです。
よい例がパリの護摩で桐山さんはルーブルで瞑想講演をして、翌年以降も継続したい、
自分が来れなくても弟子を派遣して教えたいなどと抱負を述べていたのが
その現状は語らずもがなです。
アメリカの教会で2年続けて護摩を焚いたものの、3度目のヤンキースタジアム
では実現ならず世界の中心と自慢したアメリカではそれで終わるばかりか
アゴン宗の道場を閉鎖して拠点を失った。
常に目先を変えてその場限り内輪で盛り上がるだけのことで継続して実るものもない。
だからアゴン宗の信者も世界中でこれっぽっちも増えてない。

98準シュダオン:2010/11/08(月) 08:44:59 ID:1F7rdgXk0
釈迦の時代はトコトコ歩いて択鉢してていい時代よ。せいぜい槍でついて人を殺して
た時代です。戦車も像でしょ。地球壊滅なんて有り得ない。
ところが、今は違う。どこかの馬鹿軍人が、核ボタン押したら、大変な事態だよ。
もう、聖者の超能力で、それを阻止するしかないかも知れない。
聖者の超能力というよりは、宇宙に神仏の霊波というものがあって、聖地・聖者は
その中継所、という感じですね。わたしには、思念の流れは来なかったが、強い
バイブレーションに間脳が打たれた。

仏陀の思念の瞑想なんて、体験しないものには空想物語だと思うであろうが、
そういうものは確かにあるね。パソコンは電気によって、繋がり、情報を共有
することができる。人間の脳も、「何かの力」によって情報の共有ができるし、
言語なしに会話も可能だと思うね。その「何かの力」の一つが、思念の相承だと
思われます。

昨日の参拝者は多かったですね。桟敷席も満席みたいでしたし。
釈迦、釈迦、と、あまりゴータマ釈尊に拘ることはないね。
ゴータマ釈尊は一人しかいないけども、仏陀は沢山居ますからね。

99名無しさん:2010/11/08(月) 10:37:04 ID:hEa6V0po0
>>98
相も変わらずお目出度い奴だww
まぁ、その調子でがんばれや。 もうあんたしかここで反論する奴もおらんしな。

100ラシン:2010/11/08(月) 10:59:03 ID:b9Cg2rfo0
>88 :準シュダオン:2010/11/07(日) 09:08:16 ID:1F7rdgXk0
管長が預流向≠聖者に区別してることは明らかです。管長本でこれを読み取れな
かったら、何を読んでも誤解するでしょう。

どうしてこうも知能が薄いんだ?

その桐山説が間違っていると指摘してるんだよ。

拠るべき経典も無くて何が誤解だよ、笑笑笑の笑笑。

>98 :準シュダオン:2010/11/08(月) 08:44:59 ID:1F7rdgXk0
>ところが、今は違う。どこかの馬鹿軍人が、核ボタン押したら、大変な事態だよ。
もう、聖者の超能力で、それを阻止するしかないかも知れない。
聖者の超能力というよりは、宇宙に神仏の霊波というものがあって、聖地・聖者は
その中継所、という感じですね。

何かおかしなものを食べたか、降圧薬の飲みすぎかね、?、笑笑笑。
コンゴのLRAによる惨殺行為も、聖者サマには見えんのだろう、インチキ老人だな。

101準シュダオン:2010/11/08(月) 14:07:02 ID:1F7rdgXk0
そうだね、批判派に反論してるのは、どうやら私だけになったみたいですw。
擁護派の皆さんは、批判派の強情さに飽きれたのでしょう。
しかし、わたしが粘ったことで、三善根や四双八輩に対する認識が、深くなった
と思いますね。

後は、護摩に対する誤解、占術に対する誤解、などが解けていけば良いですね。
お釈迦様時代、占術をして代価を得て、暮らしの助けにしていたバラモンなどが
沢山いたようです。釈尊は、仏弟子にそういうことを厳しく禁じたのですね。

護摩については、「焚き火をしたからとて心が清くなったと思うな」と、拝火信者
を戒めたのであって、火を焚いたら解脱出来ないという意味ではありません。
釈尊は、護摩を解脱の修行手段としては採用しなかった、というだけのお話しです。

102ラシン:2010/11/08(月) 14:18:06 ID:b9Cg2rfo0
>101 :準シュダオン:2010/11/08(月) 14:07:02 ID:1F7rdgXk0
そうだね、批判派に反論してるのは、どうやら私だけになったみたいですw。
擁護派の皆さんは、批判派の強情さに飽きれたのでしょう。

意固地に粘っても納豆ほどにもおよばず!
苦し紛れの断末魔にしか見えんな。
桐山さんのは、それこそアビダンマ論の受け売りにすぎない。
自惚れ者が、山の天辺まで登りつめたようだ、笑笑笑笑笑。

>護摩については、「焚き火をしたからとて心が清くなったと思うな」と、拝火信者
を戒めたのであって、火を焚いたら解脱出来ないという意味ではありません。

戒めたということの意味は、禁を犯したり、失敗したりすることのないように、
前もって注意を与えたことだ。
採用も何も、禁じたのだから、屁理屈など通用しない。
小学生の国語からやり直したほうがよい。

103準シュダオン:2010/11/08(月) 15:11:14 ID:1F7rdgXk0
体験のない者は、思念の相承なんて、空想物語に過ぎまいw。無理も無い。
だが、わたしは、まだ未体験の現役信者のために、思念の相承の存在することを
レスしているのです。批判派のために言ってるのではない。安易に批判派のレス
を信じたら、損するだけだってことですね。

何年か前に、ハッカーに侵入されて、わたしのパソコンのファイルを乱雑にされ
たことがあった。心当たりとしては、外資系の大きな雑誌が、記事についての意見
を募集していたので、反対意見をメールで投稿したことがあった。政治的な問題
に関することだったので、わたしのPCを調べて、身辺調査をしたのだと思う。
気味が悪くなって、それ以来、外資系の出版物には触れないことにしている。

言いたいことは、技量の高い者は、他人のパソコンを、電気を通じてアレコレ
操作出来るということです。これを人の脳に置き換えれば、強い「脳力」を持つ
者は、他人の脳に、大きな影響を与えることが可能ではないか、ということです。
他人の脳を、脳で操作するところまで行けばSFの世界でしょうけど、ある程度の
操作は可能かも知れません、わたしはバイブレーションを受けてからは、そう思って
います。

管長がおこなっている、思念の相承、とは、その一環だと思っています。

104ラシン:2010/11/08(月) 15:18:37 ID:b9Cg2rfo0

この老人の妄想たわごとの姿勢は、アゴン教団の存在性をよく表していて、
見ていて反吐が出るとはこのことだ。
それに比べれば2chの落書きの繰り返しはくだらなくて一抹の悲哀を感じさせる。
 
特に最近の一連の論拠無き咆哮は、巷間を賑わしている尖閣の問題での中国の姿にダブル。
ビデオを見せ付けられても、いまだ自国の誹を認めず、まるで反対の現実を言い張る。
この傾向、中華人民の性癖は以前にも掲示したが「中国人の“避諱”観念」であろう。
ー引用ー
『春秋穀梁伝』によれば、孔子は『春秋』を編むに当たり、“尊者の為には恥を諱(かく)し、
 賢者の為には過(あやまち)を諱し、親者の為には疾(あしきこと)を諱す”という原則を
 立てたという。
 現代語に訳すと、「偉大な人物についてはその人物の不面目な事柄は隠し、
 優れた人物についてはその人物の過失を隠し、自分の血の繋がった親族については欠点を隠す」である。
 つまり、避諱の本質は、自分以外の誰かのためにその誰かの恥を隠すことなのである。
 そして、他の誰かのために隠すとは他の誰かのために嘘をつくということに繋がる。
 つまり、伝統的な中国の道徳においては、他人を守るために嘘をつくことが非難されない、
 それどころか奨励されているということである。

『論語』に、中国人の“避諱”とはどのようなものであるかを見事に表している逸話がある。
 ある人が孔子に、「私の村にはとても正直な人物がいて、父親が他人の羊を盗んだ時にそれを告発しました」
 と言った。
 孔子は、「その人物を正直とは思いません。父は子のために隠し、子は父のために隠す、
 これが本当の正直というものです」と答えた〔金谷注・『論語』「子路第十三」〕。  
(林思雲 従中国的民族性談中日関係)

105ラシン:2010/11/08(月) 15:19:58 ID:b9Cg2rfo0

承前より

つまり今までご老体に無恥を打って(笑、桐山さんを庇うために経文捏造、切り取り引用、
曲解と主観を声高に言い募ってきた、すんばらしい、いや師匠に比べての話しだが。
桐山さんは自らの人生を捻じ曲げ言い訳したのに比べて、この老人は一応、他者のために
擁護を為している。
まあ、それも自分の値打ちを桐山御大という虚像におもねているからだがね。
そこで戻るが、アゴン教団の存在性を考えるにつけ、かの中共とよく似ている点だ。

アゴン宗の社会科学性の強調だ、中共もしかり。
中国は清朝改革にあたり、西欧列強国の文明の利器である兵器や機械、製作技術といった
形あるものの導入にのみ関心を払うだけだった。
だから若き光緒帝の改革は否定され終には滅んだのだ。
ようは自然科学を認めず、実証主義の精神に反する「社会科学」を謳いあげていた。
アゴン宗も同様である、似非平和という言葉を借りてきての社会に応用する体制維持だ。
だから見ればよく分かる。
清朝が列強国の文明を生じた思想価値観を無視して形のみ拝借したと同様に、
アゴン宗の思想は釈尊を反映せず、他教団の真似事や拝借した標語だけのオンパレードだ。
これを世界宗教などと仰ぐその心根は、あまりにも愚鈍で幼稚そのものだ。

106ラシン:2010/11/08(月) 16:34:52 ID:b9Cg2rfo0

>103 :準シュダオン:2010/11/08(月) 15:11:14 ID:1F7rdgXk0
体験のない者は、思念の相承なんて、空想物語に過ぎまいw。無理も無い。
だが、わたしは、まだ未体験の現役信者のために、思念の相承の存在することを
レスしているのです。批判派のために言ってるのではない。安易に批判派のレス
を信じたら、損するだけだってことですね。

理に詰まると早速、主観の世界に逃げ込んだ?
ケンかでボコボコニされて、ホントはオレ様は有段者だからな〜と、
悔し紛れに仲間に囁いているに等しい、笑 笑笑。
それでその「思念の相承」を受けた者がどうして「損するだけだってこと」
なんて損得勘定に走るんだ?
その「思念の相承」の素晴らしさを自分で打ち消した書き込みすら気づかない。
どうせ憑くウソなら、上手にすべきだろうや。
この一言でその「思念の相承」なんて自己修養に無価値だと分かる。
体験者が告白してるんだから、間違いないようだ。

それで、ニューロンが電気的刺激で情報伝達されていても、
それがどのように解脱に役立つんだ?
アゴン宗的には、因縁切りだろうが、切れたとの自己申告が他者救済?オツムは九歳。
シナプスが、どのように煩悩を消してくれるのか?
広い世の中だから、そのような作用力の強い人がいることは否定しない。
その一点だけを考えて、桐山さんにその能力などは無いと指摘している。
あるならどうして世界の至る所に戦争が生じているんだあ?
あれほど何度も平和祈願をして浄財までどこかにバラ撒いても、
世界に飢餓は無くなっていないし、いまだにどこかで民族が蹂躙されている。

意味も分からぬマントラ真言をつぶやいても唸っても、どこも変わっていない。
それどころかイスラエル護摩のあとにガザの虐殺が起こったのは何だ?
その「思念の相承」で教団の誰と誰が賢者となり世界平和に貢献したんだ?

食欲一つコントロールできない桐山さんのデンパは、飲食業界すら活性化できてない。
どうせ無駄金を使うなら銀座ででも豪遊してクラブのオネエチャンでも喜ばせばよい。

107干柿:2010/11/08(月) 23:34:40 ID:BBtat4sE0
星まつりと違って参拝者は動かず。
そして全国の道場から信者のツアーといったところでしょうか
まずほとんど信者でしょうね。
というのはワンピース・ライブでお願い事募集してたでしょ、
あれ合間に映していたけど、ほとんど信者からだとわかるw
だってアゴン用語の祈願文だぜ(笑)いわゆる因縁解脱とか聖業成就
というような。まあ世界平和は一般でもいうけどね。
さめた目であらためて見てみると、参拝したこっちが恥ずかしくなったわ!
まあヌケヌケとお釈迦様の本当の根本仏教だのと、釈迦の悟りの思念を送り
ます。だのと、「ち影がいないとさびしい」という御老人のどこに釈迦の
悟りがあるんでしょうかね(笑)
しかも、思念のテレパシー送ったつもり、アホな信者はそれを受け取って
悟ったつもりw、
そんなんで悟れたら釈迦は苦労しないわ!つくづくアホじゃないかとあきれました。

108ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/08(月) 23:48:37 ID:SmEF4Oe2O
わしゃワンピースライブよりもビキニライブの方がいいけどなw
マジレスは明日明日

109ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/09(火) 08:35:43 ID:SmEF4Oe2O
細かに反レスをつけるスタイルをとる前に今回のワンピースライブについて
総括的に考察してみます。
第1回オーラの祭典から共通することは「祈り」です。
今回もネット配信を含めて多くの祈りを集めようとしている。
祈願文の投稿も含めて。
67億の祈りだって集めることは理屈上可能というのがこのネット配信の売りです。
もちろん67億の祈りなど集まってません。圧倒的多数の人がこんなサイトさえ
知りません。
アゴン宗の信者とほんのごく一部の物好きしか訪れません。
ましてや真面目に祈りなんかに参加しません。
これで世界平和を実現しようというのだからおめでたい。
その祈りというのも個人の都合のよい欲望を満たす祈願文で祈りゃいいのか?と
疑問に思う。
第1回オーラの祭典の時の桐山さんの雄叫びを覚えている。
「祈りは人を浄めます!祈りは人を高めます!」
あの力強い宣言に多くのアゴン宗信者が感動に震えました。
私は当時信者を離れてましたので、これを後日ビデオで見て知るのですが。
たしかに力強い宣言に感動はしましたが、その内容に「そうかなあ?」と思った
のも事実です。
祈ればよいというものではない。だいたい日本人は特定宗教にあまり祈らないが
世界中皆なんらか祈っているのです。祈りなんてありふれた行為です。
ましてや現世利益の祈りなんて日本人でも万人祈って願う。
それで世界平和など実現したためしもないし、紛争や戦争は絶えない。
「チャンネルをまわせ」で説いたことをお忘れか?
単なる慈悲や善意、祈りでは自分自身すら不可知の矛盾かつ錯綜に満ちた近代人を
救うことはできぬ、と。
それで深層心理学に根拠を持つ高い技術によるアプローチを提唱するのだが
後にその深層心理とはズバリ霊なんだという方向に進んでいく。
パームサンデーでは「単に平和でありさえすればよいというものではなく、
最も大切なことは我々が聖なるものに目覚めることである」と提唱し、霊性を説いた。
パームサンデーでは曖昧にしか示されない霊性だが、桐山霊性とは何かと言うと
まず第一に霊魂の存在を認めることであり、その霊魂は我々の生活に密着に関係
していることを自覚することです。
ズバリ霊障と相対することであり、霊障を解消すること、つまりは悪霊退治をする
ことです。これを先祖霊を敬うことから始まるとかもっともらしそうな健全そうに
説くが、その実先祖霊の侮辱です。
はたしてマヤに同じ思想があるか?

110ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/09(火) 08:54:37 ID:SmEF4Oe2O
>>109を踏まえて人類滅亡の問題について考えたい。
今回このワンピースライブのサイトでも桐山さんは2010年までが正念場と
いう自分の発言を隠さずに明らかにしています。
しかしこの正念場という表現とその取り扱いにマヤカシがわかります。
桐山さんは単に67億の祈りを集めれば人類壊滅は防げるなんて説いていなかった。
まずノストラダムスに自分の霊視霊感までも駆使して1999年の地球壊滅、
あるいは壊滅的危機、打撃がこのままでは確実に実現することを説いて脅してきた。
その1999年がなぜか回避されて、しかし消滅したわけではなく依然として
残っており2010年まで延期させたのです。
この2010年の壊滅の危機に対して我々はそれを受け入れ新たなる霊的世界への
移住などは説いていない。あくまでも地球存続を説いている。
しかしそれには条件があるのです。
ズバリ霊障の除去です。
地球を厚く覆う暗い霊障のカルマを特殊な成仏法によって取り払って初めて
地球は壊滅的危機を逃れ存続すると難しい条件を提示してきたのです。
それを2010年の年の瀬の迫った先日マヤたちとお祈りをしたからといって
それがなされるのですか?
桐山さんは人類は滅亡しないと思うなんて他人事みたいなセリフを吐けるのですか?
マヤの思想に本当にこのような霊障の除去の条件の前提があるのですか?
私はマヤについて不勉強にして知らぬが、決して一致などしていないように思う。

111ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/09(火) 13:11:11 ID:SmEF4Oe2O
一昨日京都で屋内の焚き火が行われ、そこにマヤの祈りも合同で加わった。
それはネットワークでアゴン宗の各道場に中継されただけでなく、インターネットの
専用サイトでその動画は配信された。
これを地球上のほんの一握りですらない極めて稀な人たちだけ同時に祈った。
各自の欲望に基づく願い事なども含めて。
さあ、これでどうしてあれだけ地球壊滅、壊滅的打撃を説いていた桐山さんが
掌を返したように人類は滅亡しないと思う、そこにマヤとの接点があるなんて
言い出したのか?
成仏法の成仏力は桐山さんにあり、桐山さんはバイ菌を撒き散らすがごとく
その放射能をネットに乗せて配信したから地球を覆う霊障のカルマは取り払われ
壊滅すべき運命が壊滅しなくなったのですか?
随分安直な救いですね。
さあ、アゴン宗のこれまでの教義に則り説明してごらんなさい。

112無関係な人間です:2010/11/09(火) 13:43:12 ID:2oESoHy20
 今週の週間ダイヤモンド誌の特集は「宗教とカネ」。
阿含宗も特集が組まれていますが、その中で、今回のマヤのイベントの護摩木
のお値段が1本千円と書いてありました。普段は100円で、原価が知れている
ので、大もうけだとか、それほど財政が逼迫しているとか書いてありました。
 この護摩木1本1000円というのは事実なのでしょうか?

113天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/09(火) 16:00:54 ID:rvbJOjzE0
無関係さんの横レスになってしまいますが、参考のため少々書き込みを。

毎年1月5日は教祖の誕生日として「生誕祭」が行われます。
その時に恒例なのが教祖のために”買わされる”護摩木が¥2000です。
私は一度も買うことをしませんでしたが、明らかなこじつけ商売です。
「日ごろのゲイカに対する感謝をこめて購入して祈願しましょう」という
趣旨ですが、自分は毎年逆い、購入はしませんでした。

なので、今回の行事で購入させる護摩木はそれよりは安い。
ですが、原価を考えれば高いですね。
普段から¥1000護摩木も有りますが、¥100より少しサイズが大きい
だけで、一回の祈願を書けば¥1000もあっという間に飛んでゆきます。
しかも、¥100護摩木より少し大きいサイズなら、そう原価も掛かりません。
まして信者が判押しした代物ですから印刷代も掛からないので物凄く安い。

見事に護摩というものを商売に利用しているかが伺えます。

114無関係な人間です:2010/11/09(火) 17:12:43 ID:2oESoHy20
>>113

 ありがとうございました。私は京都に住んでいるのですが、会社への通勤途中の京都駅にマヤの祭典のハデな
広告が出ていました。が、街の人は無関心、というよりも、そんな行事があることすらみんな
知らない様子でした。新聞を見ても、一行もそんな行事があった事は書いていないし、
もう世間自体が無視をしている様子。それでも1000円の護摩木をみんな買うのでしょうか?
なんだか、かわいそうだなあ、とふと思ってしまいました。

115準シュダオン:2010/11/09(火) 17:51:32 ID:1F7rdgXk0
マヤの護摩木1本千円、」というのは本当ですよ、私も購入しましたからね。
原価より高いのは当たり前でしょ、マヤの人々を招待したのですから、資金援助
は当たり前です。マヤとか、アメリカ先住民の苦難は、大変なものでした。
白人に、「先住民は、人の頭の皮を剥ぐ野蛮人也」とか、言いふらされて、絶滅
されそうな環境でした。しかし、そうは行かず、今は先住民の意向を無視した政治
は、出来ない世界環境にあります。

桐山管長が、こういう先住民との友好関係を結んだことは、意義が大きいです。
マヤ民族の代表が、ジャパンの京都で、マヤ伝統の火の儀式を行った、という
事実は、今後の、彼らマヤ民族の記憶に深く、刻まれるのです。
批判派は、己の私欲に懲り固まっているので、そういう意義が解らないのです。

釈迦が最初の説法を、五比丘に説こうとして、歩いて近づいて行きました。
それを見つけた五比丘は、「見よ、修行を捨てた、ゴータマがこちらに歩いて
来る、彼が来ても敬意を表さないことにしよう、立っては迎えまい、衣鉢をとる
まい」と、申し合わせていました。
 ところが、釈尊が近づくと、五比丘は皆立ちあがって、彼を迎え、礼をしました。
ある者は衣鉢をとり、ある者は座を整え、ある者は足を洗う水を用意して、釈尊に
敬意を表したのです。これはどういうことか?

これは、他心通で五比丘の申し合わせを知った釈尊が、「念=脳力」によって、
五比丘の思考と行動を変えたのです。
このエピソードを、事実として信じられるか、あるいは単なる御伽噺とするか、
それは自由ですけど、
わたしは、バイブレーションを受けて以来、この逸話は事実であろうと確信しています。
管長は、「思念の瞑想」で、それを為そうとしているのだと思いますね。
勿論、体験のない、科学的合理主義者には、お笑いにしか思えないでしょうw。

116ラシン:2010/11/09(火) 18:00:53 ID:b9Cg2rfo0
>111 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/09(火) 13:11:11 ID:SmEF4Oe2O
一昨日京都で屋内の焚き火が行われ、そこにマヤの祈りも合同で加わった。

今だから笑えるが、釈尊が神仏に祈ったかということだね。
たしかに心情として、真に困った時は何かに祈らざるを得ない心境となる。
その祈り自体は不純だと思わない。
だが、
アゴン宗の祈りって何だい?
祈りに金まで必要なのか。
どんな高邁な理由をつけようとも、お金を必要とされる。
道場以外でも困窮して無為に祈ったら、後日、金を請求されるようなもんだ。
実際、その手の言い草が振るってる。
そんな時も道場に来た時に、その時のことを思い起こし感謝してご喜捨すると、
あなたの積徳になりますです、ハイ、笑笑笑笑笑。
もし祈りが必要なら純粋に祈ればよい、ただし金など払わず護摩木代金など無し。
なまじ護摩木など買うから、余分な期待が生じ、それが執着心や貪欲を招く。

欲ボケ老人計算は、祈り一人1ボルト×一万人なら一万ボルト、君の瞳は一万ボルト♪
地球に降りた最後の〜天使♪

桐山さんの計算は、祈り一人1千円也×一万人なら1千万円也、君の財布は徳を煽ると♪
家計にひびく最後の〜ペテン師♪

117ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/09(火) 19:06:00 ID:SmEF4Oe2O
>>111:ユビキタス ◆oGqIQwSRtg10/11/09(火) 13:11:11 ID:SmEF4Oe2O
>一昨日京都で屋内の焚き火が行われ、そこにマヤの祈りも合同で加わった。

すみません。屋内ではなく屋外だったようですので訂正します。
2ちゃんねるでリンクされたまさおさんのブログの画像で確認しました。
動画が見れんなあ。
もともと見る気もなかったのだが。

118干柿:2010/11/09(火) 22:33:39 ID:BBtat4sE0
千円の護摩木に一言、特別な行事っていいますが、たしかに特別
ですね。特別というところでは準シュダさんと一致したようです。
でも、その特別の内容は特別で意味のある行事だから信者は参加しないと
損だということを匂わせ短期間で集中的にお金を集められる意味において
特別なのですョw
援助資金といいますが援助資金を集める場合は護摩木とは別に
ちょくせつ募りますよ。なんもわかってないのでしょうか準シュダオンさんは?

あともう一つ護摩木勧進の期間が星まつりとちがって非常に短い
てっとり早く護摩木の収入を上げるためには100円護摩木で集めていたのでは
いくらにもなりません。だから、というわけですね。
オレって準シュダさんとちがって、信者時代、護摩木関係やってたもんね
ボンギョーでさwハン押しとか祈願護摩木の整理、だからよくわかる。
モンゴルんときもそうだった、あれハン押ししたもんw

119干柿:2010/11/09(火) 23:27:13 ID:BBtat4sE0
行事そのものについてですがユビさんがおっしゃてるように
ダライラマを招いておこなった第一回のオーラの祭典にくらべると
太陽にほえろの松田優作ふんするジーパンの名セリフがでてきてしまいます(笑)
武道館で料金も払っての参加でしたが、たしかにあのときは感動ありましたよ!
まあ今思えば、その感動に騙されたわけですが、騙されるほどのものがあった
というわけです。
でも、今回は、なんかわざとらしいパフォーマンスのような感じで
いくら信者でも「よかった」とは言うでしょう、でも「感動した!」とは
いかないと思いますね。やめときゃいいのに滅亡予言などもちだしてきて
「人類は滅亡しません」ときた!バカじゃないかね?
だったら何のための法要なのかっていう疑問もおこるだろう普通
今の現役信者の人らは何も考えないのかね?

どうでもいいですけど、ゲイカ猿回しかなんかの猿に見えた
法具を器用にあつかって芸をして目をつぶって瞑想の真似
すぐ目を開けてきょろきょろ
見世物の猿みたいだあ〜(笑)。

120大東洋 ◆18iA.mwnDU:2010/11/10(水) 00:01:43 ID:SmEF4Oe2O
>>119
芝居が下手になったんだねw

121ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/10(水) 08:22:21 ID:SmEF4Oe2O
>>98:準シュダオン10/11/08(月) 08:44:59 ID:1F7rdgXk0
>釈迦の時代はトコトコ歩いて択鉢してていい時代よ。せいぜい槍でついて人を殺して
>た時代です。戦車も像でしょ。地球壊滅なんて有り得ない。
>ところが、今は違う。どこかの馬鹿軍人が、核ボタン押したら、大変な事態だよ。
>もう、聖者の超能力で、それを阻止するしかないかも知れない。

これって誰のどの書き込みに対するレスなんでしょうかねえ?
それとも独り言かな?
たしかに我々はかねがねより釈尊は救いなどは説かなかったと示しているが。
細かいことを言うと、桐山さんは古代インドの叙事詩などとそれのトンデモ解釈
を根拠に、古代インドに核戦争が起きたなどと示しているが。(核戦争などではなく
隕石の衝突で説明がつくが)
人類壊滅の戦争などなくても釈尊の時代に一族国家が殲滅するような戦争はあった。
しかし釈尊はそれをなくすこともしなかった。
説法の対象はあくまでも個人の心だからです。
人が人を殺すことを否定して禁じたが、社会全体にまでは浸透しなかったのです。
局地的な戦争も回避できないのにどうして人類が壊滅するような全面核戦争など
止められる?
それとも何か?釈尊は人が象に踏み潰されて何千人殺されようが知ったことではないが
人が数十億人死ぬような戦争になったら初めてその重い腰をあげて「どれ、平和の
思念でも送ろうかの。とっておきの秘術を開封して。ありがたく思えよ」と言った
とでも言うのか?
もう少し考えて注意深く発言したまえ。

122ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/10(水) 08:43:42 ID:SmEF4Oe2O
>>103:準シュダオン10/11/08(月) 15:11:14 ID:1F7rdgXk0
>体験のない者は、思念の相承なんて、空想物語に過ぎまいw。無理も無い。

>言いたいことは、技量の高い者は、他人のパソコンを、電気を通じてアレコレ
>操作出来るということです。これを人の脳に置き換えれば、強い「脳力」を持つ
>者は、他人の脳に、大きな影響を与えることが可能ではないか、ということです。

ラシンさんもレスしているようにイスラエルで護摩を焚いて一ヶ月後にガザ空爆で
多くの惨殺をした事実をどう見る?
それともあの護摩とは単なる焚き火だけで思念は込め忘れたとでも言うのか?w
それともパレスチナなんて殺っちまえと思念を送ったか?
今回京都からワンピースライブを思念ごと発信し、インターネットに乗せて
全世界に送ったつもりだが、現地に参加している人こそ最も思念を受けやすいはずです。
イスラエルだって現地で平和の護摩を何よりもまずイスラエルに発信したはずで
イスラエルはそれを受け取ったはずです。
しかしそれまで安泰だったイスラエルがおかしくなった。
何の効果もなかったからですよね。
ましてや負の結果が出ようとは?
釈尊は説きます。「人は他人を浄められない」

123準シュダオン:2010/11/10(水) 10:18:53 ID:1F7rdgXk0
ご免、目医者に目を大切にするように言われて、ラシンくんのレスは見てない。
ん、イスラエル護摩の後、一ケ月後にガザ空爆があっただと?
そんなの簡単だ、護摩焚いてなかったら、7日後にガザが全滅する空爆があった
と考えたらいいのだw。それほど根が深いということだね。

ビキニライブは、いいネーミングだね。
猿回しもいい表現だw。干柿君は、猿が聖者に見えることだろう。
わたしの体験をいえば、管長の思念の瞑想は、時期が大幅にずれてから、来た。
思念の相承の伝授など、忘れ果てていた時に、来た。他人の場合はどうだか知ら
ないが、私の場合は、そうでした。

バイブレーションを受けてからは、どうなったか?
1、批判派の管長を非難するレスを読んでも笑えるようになった。
2、仏教の知識が連結された感じ。自動車のエンジンに喩えれば、スイッチが入っ
  たエンジンと、入らないエンジンの違いみたいだ。
3、財施供養も奉仕供養も、中道になり、腹7分目の修行になった、無理はなし。
4、もしかすると、山の源流を見つけたのかなぁ?と、思う時もあるねw。

124ラシン:2010/11/10(水) 13:54:53 ID:b9Cg2rfo0
>イスラエル護摩の後、一ケ月後にガザ空爆があっただと?
そんなの簡単だ、護摩焚いてなかったら、7日後にガザが全滅する空爆があった
と考えたらいいのだw。

詐欺宗教の常套句だな、笑笑笑。
信仰のおかげで本来死ぬところを全治三ヶ月で済んだ交通事故話しか?

この老人信者の冷徹さを、読者諸兄も見て口あんぐりだろう。
空爆だけで数百発のミサイルを撃ち込まれ、一般市民だけで900人以上の
人々が死んでいても、「そんなの簡単だ、護摩焚いてなかったら」全滅だと考えろと、
アゴン護摩のためなら、こういう態度を恥ずかしげも無く出す人物だ。
それが、思念の相承を受けた人間の誇れる姿らしい。

イスラエルは、ハマスを通してパレスチナ人を何人殺してきたか知ってるのか。
そしてPLO側からも報復テロで殺し合いの連鎖は続いている。
YOUチューブでも確認できるから、それを自分の取引信仰に比して正視してみな。
それをたかが安全な場所からの祈りで、それも自分の徳積みにしようとの信者連中と、
金を芋づる式で得ようとする桐山さんや取り巻き連中の姑息が、なんの役に立つんだあ?
自己満足の何ものでもないことをさらに誇り、なお自賛する浅ましい人間には反吐が出る。

そんなに平和の使者を自慢したいなら、ガザへ行って地雷の一つでも撤去して来な。
戦いを阻止するために、現地で信者全員で人間の盾を作って来い。
安全は保障できないが、アゴン宗の平和を口先ではなく実践できるチャンスじゃないの。

>バイブレーションを受けてからは、どうなったか?

1〜4まで、み〜んな増長性が高くなっただけじゃないの、笑笑笑 笑笑。
恥ずかしげも無く、よく掲示できるその神経だけは、成果が出たようだ。

125ラシン:2010/11/10(水) 14:45:16 ID:b9Cg2rfo0

誤:イスラエルは、ハマスを通してパレスチナ人を

正:イスラエルは、モサドを通してパレスチナ人を

126ラシン:2010/11/10(水) 17:37:09 ID:b9Cg2rfo0

マヤの祈り自体、古えよりの習慣は人の心臓を神にささげる生け贄の儀式だ。
スペインの支配以降、先住民はカトリックへの改宗を強制されたためその儀式は
姿を消したそうだ。
だがマヤの人々は、いまだにその神に生け贄を捧げ続けているという。
もちろん現在は人間ではなく、七面鳥などの食用類らしい。

このような宗教はなにもマヤアステカに限ったことではないだろう。
人身御供や生け贄という信仰じたいにその土地の民間の言い伝えがあるだろうが、
桐山さん本人が、スサノオの生まれ変わりと公言していたくらいだから、
生け贄信仰がアゴン宗とつながる可能性は、屁理屈をつければ尤もらしい話を作れる。
伝聞に拠ればスサノオも、「馬の皮剥ぎ」という神事の謂れがあるようだからだ。

アゴン信者さんも現代の人身御供といって過言ではないだろう。
無償報酬の労働を請われ、さらにお金まで巻き上げられている。
いわば生け贄の代用に等しい。
アステカ古来の土着信仰にならって、標語だけは合同の祈り、合同法要だなんて、
まさにアゴン宗らしい八方美人ぶりのインチキを発揮している。
簡単に言えば合コンだろ。

127深山:2010/11/10(水) 18:31:14 ID:aA.igNMk0
>>112 :無関係な人間です:2010/11/09(火) 13:43:12 ID:2oESoHy20
> この護摩木1本1000円というのは事実なのでしょうか?

今回のイベントでも、護摩木は百円から十万円まで値段がいろいろありました。
メインは千円護摩木にローソクをつけて「合同法要特別護摩木セット」として
千円で売りました。
ローソクはマヤの祈願のためです。
金剛界、胎蔵界で一セットですから、実際は二千円です。
週刊誌での指摘の千円でボロもうけの件よりも、ぜひ着目してほしいのは、
桐山さんの作り出した宗教のビジネスモデルの素晴らしさです。
2ちゃんねるの綬鋳老師さんが前に鋭い指摘をしていたのが、
宗教を金の流れや経営といった視点から見るべきだという点です。
珍しい指摘ではないものの、どこかで宗教だと思っていると、
ついこれを忘れてしまう。
今回も何の意味もない焚き火のイベントで、荒稼ぎした。
あのイベントは小学生の学芸会でしかない。

128深山:2010/11/10(水) 18:37:01 ID:aA.igNMk0
>>112 :無関係な人間です:2010/11/09(火) 13:43:12 ID:2oESoHy20
> この護摩木1本1000円というのは事実なのでしょうか?

中身が何もなく、ただ偉そうな人が焚き火をして、
祈りを捧げるというポーズを取っている砂場の宗教ゴッコです。
山の上で焚き火しただけで現実の平和にはまったく何の役にも立たないばかりか、
焚き火をして地球温暖化に貢献した分、争いの種を作った。
だが、この子供騙しのイベントに信者たちは喜んで金を出す。
護摩木の元は廃材ですから、一本は一円もしないでしょう。
そこに信者にハンコを押す作業という一番手間と金の
かかる作業をさせて、人件費がすべて浮く。
さらにすごいのが、そのハンコを押した信者に売る!
会社で言えば、一番金のかかる人件費がタダで、材料はほぼタダで、
社員が商品を作り、買い取ってくれて、おまけに優遇税制です。
経営者なら泣いて喜ぶようなビジネスモデルがアゴン宗の霊感商法であり、
桐山ゲイカは成功を収めた。
アゴン宗は霊感商法の草分けという称号に恥じない。
この桐山ゲイカの功績はもっと評価されるべきでしょう。

129深山:2010/11/10(水) 18:43:54 ID:aA.igNMk0
>>112 :無関係な人間です:2010/11/09(火) 13:43:12 ID:2oESoHy20

桐山ゲイカのうまい所は、知識や知恵はアゴン宗が一番すごいと思わせている点です。
信者を無知なままに保つのはとても重要なことで、幸い、ネットなど
見ない世代がいますから、宗教家畜には困りません。
無知をベースに、巧みに欲望と慢心を煽っているのは、
準シュダオンさんの反応によく現れています。
パレスチナへの攻撃について、準シュダオンさん(>>123)と、
2ちゃんねるのヨハネさんがまったく同じ反応を示したことにお気づきでしょうか。

>165 :ヨセフ :2010/10/30(土) 19:10:21 ID:0xYbihkV
>ガザへのミサイル攻撃は、修法をしなければその数百倍以上のひどいことになっていたと思いますね。

>>123 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/11/10(水) 10:18:53 ID:1F7rdgXk0
>ん、イスラエル護摩の後、一ケ月後にガザ空爆があっただと?
>そんなの簡単だ、護摩焚いてなかったら、7日後にガザが全滅する空爆があった
>と考えたらいいのだw。それほど根が深いということだね。

二人とも、護摩のおかげで、被害は減ったのだと言っています。
これは桐山さんですらそんなことは言っていない。
信者とはこのように、教祖すら言っていない妄想を作り出して、弁護してくれます。
彼らが他人に対して言っているというよりも、自分でそのように解釈して自分を納得させる。
教祖が洗脳したのではなく、彼らが自分で自分を洗脳するのです。

130深山:2010/11/10(水) 18:47:40 ID:aA.igNMk0
>>112 :無関係な人間です:2010/11/09(火) 13:43:12 ID:2oESoHy20
> この護摩木1本1000円というのは事実なのでしょうか?

彼らのもう一つの共通点は、自分の信仰の言い訳を唱えるばかりで、
パレスチナの被害者への同情の言葉は出てこないことです。
信仰を持つなら、一般人よりも犠牲者に深い同情を示すべきなのに、
一言もないばかりか、準シュダオンさんなど、「w」(>>123)まで入っている。
悲惨な光景を見たら、普通の人の感覚なら「w」なんて書けません。
子供の死骸の写真を見ても、彼らはすでに何も感じないのです。
むしろ、霊障のホトケがいる、カルマがある、悪因縁を持っているなどと、
インネンを付けて内心小馬鹿にしている。
桐山さん自身、ガザ紛争や、その犠牲者についてはただの一言もない。
平和の護摩を焚いて、カルマを減らしたのなら、戦争が始まるのはおかしい。
桐山さんは『宗教新聞』(平成21年1月5日号)で命懸けで恒久平和を
実現するなどと高見からお説教をするのに、ガザ紛争には一言の批判もしない。
教祖と、そして二人の信者の反応が共通しています。
自分の信仰以外には極端に鈍感です。
現実をあるがままに見ようともせず、都合の悪いことは妄想を広げるだけ。
血だらけの子供の死体の写真を見ても「w」という彼らを宗教家畜や宗教奴隷が
不適切だというなら、鬼畜生か宗教ロボットとでも言ったらいいのでしょうか。

131ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/10(水) 21:45:34 ID:SmEF4Oe2O
>>123:準シュダオン10/11/10(水) 10:18:53 ID:1F7rdgXk0
>ん、イスラエル護摩の後、一ケ月後にガザ空爆があっただと?
>そんなの簡単だ、護摩焚いてなかったら、7日後にガザが全滅する空爆があった
>と考えたらいいのだw。それほど根が深いということだね。

結局あんたもそれを出すしかないですか?残念です。嘆かわしい。
護摩焚いた後に予期せぬ地震とか不可抗力の天災が起きてしまった責任を問うている
のではないのだ。いや、起きてもそちらさんの教祖の責任上一応は問わせてもらうがw
不可抗力の天災の回避などではなく人間の暴力の歯止めにすらならなかったことを
批判しているのです。
な〜にが他心通だ?できもしないのなら下手なアピールと擁護はやめよ。
ガザに核ミサイル落とさなかっただけマシと言いたいのか?
あのね。核がついてなくてもミサイルぶちこんだら国家人類滅亡までいかなくても
多くの人が死んじゃうの。わかる?
パレスチナもいかんから懲らしめてやらんと。水でもかけてやれ。どうだ?冷たいだろ?
ん?誰だ?間違えて硫酸置いといたのは?なんて話とは違うのだ。
空爆したら明らかに人が死ぬことはわかっていてやったのです。
それを桐山思念の他心通は止められなかった。
(パレスチナを攻撃する)イスラエルを支持しますと嘆きの壁に頭をつけてまで
誓い、媚びへつらったからです。
マヤの長老にも媚びてますね。
アゴン宗の予言とマヤの予言など一致しません。
桐山さんはアゴン宗にしかない成仏法で救わないと人類の未来はないと説いてきた。
明らかに人類壊滅を主張し、回避の条件を自らの教団いかんとした。
人類はなかなかしぶといなんて説いていない。
マヤのまじないなどに成仏力を認めてない。
それでも媚びへつらったのです。
イベントやって名声を得たいのもあるが、今回のイベントでわかった。
たしかに2010年でけりをつけました。
人類は滅亡しないと今までの発言にしらばっくれて、そんなことなかったのように
路線転換してまやかす。
もう決着つけたのだから黙っとれと。

132無関係な人間です:2010/11/10(水) 21:45:43 ID:LBIDx6QQ0
深山さん、丁寧なご教示に深く感謝申し上げます。
一読了解で、よくわかりました。
ローソクとあわせて2,000円ですか。桐山さんの才能には、感嘆しますね。
私など、とても、とても、マネができません。
でも、こんな才能を持っても、世界平和には貢献しないような気がします。

127 :深山:2010/11/10(水) 18:31:14 ID:aA.igNMk0
>>112 :無関係な人間です:2010/11/09(火) 13:43:12 ID:2oESoHy20
> この護摩木1本1000円というのは事実なのでしょうか?

>今回のイベントでも、護摩木は百円から十万円まで値段がいろいろありました。

 100円の護摩木と10万円の護摩木の違いって、一体、何でしょうか?
どうでもいい話なのですが、どう説明をして、売っているのでしょうか。

133天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/10(水) 22:24:52 ID:EGJ7.s.k0
>>132 またまた横から失礼します。深山さんから詳しく解説を待つとして、私からは
通常のものをお知らせしましょう。また後日本物の護摩木も画像で考察室にUPしましょう。

¥100 ¥1000 ¥3000 ¥5000 ¥1万 ¥10万の6種類があります。
それぞれ金剛界(願望や祈願を叶える方)と胎蔵界(先祖供養の方)の種別があるので
両方揃って記入・購入を勧められるので、実際は一祈願を¥100護摩木で行うなら、
最低¥200は掛かることになります。

また¥3000護摩木からは神社なのでよく見かける「お札」のような形になっていますので
数種の祈願を記入できるようになっていますが、大きさに限度もあるのであまり多くは
書けませんね。また¥100護摩木は一本につき1祈願ですが数本購入して書けば数種の祈願が
できると言うことになります。

実際例を考察室での画像で見ないとちょっとわかりづらいと思いますが、しばらくお待ち下さい。
後日UPしますのでw

134天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/10(水) 22:26:16 ID:EGJ7.s.k0
神社なので=X 神社などで=○ 誤字失礼しました。

135ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/10(水) 22:56:03 ID:SmEF4Oe2O
>>123:準シュダオン10/11/10(水) 10:18:53 ID:1F7rdgXk0
>バイブレーションを受けてからは、どうなったか?

老婆心から申し上げますと、こういうことは書かん方が賢明ですよ。
特にあんたの場合w
昔信者時代のBooさんなども私とは真っ向から対立してアゴン宗を擁護したい
立場であるにもかかわらず、信者仲間で一くくりにされてしまうあなたにだけは
不愉快に思い、邪魔だった。他の信者さんもしかりです。
恥さらしはやめなさい。
こういう時は謙虚に私のような未熟かつ努力の至らぬ者には何も体感できていない
ように思いますが、諦めずに精進したいですとでも書いた方がよほど好感もてる。
しかし↓だけは質問しておきましょう。

>3、財施供養も奉仕供養も、中道になり、腹7分目の修行になった、無理はなし。

ならば他の人の参考のためにも、あなたのその腹七分目の修行を具体的に示して
ください。個人差があるので絶対的な指標にはならずとも一具体例として参考にできる。
腹七分とは十分に対する七分という数量的指標なんですから。
何をどれだけどのように実践しているのか?

136干柿:2010/11/11(木) 00:32:09 ID:BBtat4sE0
ワンピース・ライブの司会してたロッキー刑事、なんかかんでばかりいたね
(笑)、とくに思念の瞑想についての説明があまりにもブっトンだ内容
だったのでトンでもない仕事ひきうけてしまった!と動揺したんじゃねえの
阿含宗って実はぶっ飛んだカルトじゃ・・・しまった!なんてね(笑)

137天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/11(木) 08:22:20 ID:zhUTs5IQ0
>>136 木ノ元さんもここ数年は旅行番組やリポート物が多く、ドラマや劇はやってないみたい。
仕事も少ないことも有って請け負っているのもあるのかと。
阿藤さんのようにわざわざ出なくても食べれる状態ではないからだとしても、なんだか昔太陽に
ほえろを見ていた私としても痛々しい感じを受けます。

しかも、噛みまくりだしw また途中でナレーションも止まるのはいやはや、ですね。

アゴンがカルトだから「やべえ」と思ってもう今回を最後に出なくなったら嬉しいですがw

138準シュダオン:2010/11/11(木) 08:22:57 ID:1F7rdgXk0
腹七分目というのは、わたしの胃袋の関係での例えです。
各自の胃袋の大きさは、解らないので、食べた本人が、七分目を悟るしか
ないのです。具体的に、これこれの量と、示すことはできません、胃袋の
大きさが各自違うからです。

欲が深いと、早く効果を出そうと、欲張った無理な梵行になるかも知れません。

139準シュダオン:2010/11/11(木) 08:27:58 ID:1F7rdgXk0
釈尊が、五比丘の思考と行動を、脳力によって、変えられたのは、五比丘が
出家修行していたからです。ボンクラ相手では、釈迦の瞑想も相手に影響を
与えられません。
 優れたハッカーでも、相手のパソコンがあまりに粗末な場合は、手も足も
出ないに似ています。

140ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/11(木) 08:46:04 ID:SmEF4Oe2O
>>138:準シュダオン10/11/11(木) 08:22:57 ID:1F7rdgXk0
>腹七分目というのは、わたしの胃袋の関係での例えです。
>各自の胃袋の大きさは、解らないので、食べた本人が、七分目を悟るしか
>ないのです。具体的に、これこれの量と、示すことはできません、胃袋の
>大きさが各自違うからです。

そんな言い訳は最初から想定していたから、個人差は認めるが参考までに書いて
みなさいと促したのがわからないのですかねえw
だからあなた自身の満腹と腹七分を具体的に書いて比較してみればよいのです。
例えばこんな具合です。
1日2時間を道場に通い、護摩木判押しに費やそうとするのが満腹とします。
しかしそれを毎日続けるのは結局長続きしない結果になると悟る。
そこであなたは無理のない腹七分プランを立てる。
週に1、2回道場に参拝し、ビデオ法話を見るだけでなく、1時間は護摩木判押しに
費やそう、これなら無理はない、とか。

141ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/11(木) 09:47:17 ID:SmEF4Oe2O
>>132:無関係な人間です10/11/10(水) 21:45:43 ID:LBIDx6QQ0
> 100円の護摩木と10万円の護摩木の違いって、一体、何でしょうか?
>どうでもいい話なのですが、どう説明をして、売っているのでしょうか。

私も横レスをばさしあげます。
今日は午前中は暇なんで。
10万円護摩木は大きさの違いだけでなく特別なオプションサービスがつきます。
それは桐山管長お手ずから護摩の真っ最中に特別祈願してもらえるというものです。
特別祈願と申しましても大したことはありません。
修法地の一角に置いておいた10万円護摩木の板きれを係の者が順に取り出し
桐山さんの目の前を通過させるというものです。1秒間に2枚程度ですかね。
その時に桐山さんは九字を切るなんて言っても実際には手印を組んだりもしない
のですが、1本1本に気合いをこめているつもりに見せかける演出です。
これで桐山さんの念力で修法してもらったかっこうになるのです。
桐山さんは著書にきめ細やかな面接指導や法の後押しをしてるかのように作り話を
こしらえますが、実際には例祭など多くの聴衆の前で一方通行の法話をするだけの
交流と指導ですから、こんなちゃちなサービスでも信者なんてものは大金はたいても
祈願をしてしまうものなんです。過去の私も含めて。(反省)

142ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/11(木) 10:03:26 ID:SmEF4Oe2O
>>132:無関係な人間です10/11/10(水) 21:45:43 ID:LBIDx6QQ0
> 100円の護摩木と10万円の護摩木の違いって、一体、何でしょうか?
>どうでもいい話なのですが、どう説明をして、売っているのでしょうか。

さて護摩木にも百円、千円、三千円、五千円、一万円、十万円とか用意されている
わけです。オプションは10万円にだけしかつきませんが。
これを伊勢の護摩の時に同行した信者ではない友人は私の説明に露骨に嫌悪を
示しましたけどね。「そういう大金払った人にだけ特別サービスする差別システムが
嫌いなんだ」と。まさにその通りですが。
オプションのつかない護摩木でも値段に等級があるわけですが、どうして等級が
あるのか?という質問が寄せられて、桐山さんが法話で回答した話があります。
それはお札や護摩木などに等級があるのではなく、あなた方の祈願、お願いに等級が
あるのだという回答です。
この祈願を叶えてもらうのに百円では足りないと思う人はいくらでも高く設定すれば
よいというものです。教団はそれに見あった護摩木を用意してるんですと。
消費者のニーズに答えたと言いたいそうです。
つまり都合よく叶えたい欲望も金の支払いを自らの判断でつり上げることによって
応える体制をとっているということです。
私はこれを「地獄の沙汰も金次第」システムと呼んでいます。
あさましい欲望は当初ささやかなものであってもこのようにますますあさましく
助長されるわけです。
桐山さんはこれはお札の例ですがこう話しました。
「お札なんてのは領収証だと思えばよい。要はこれだけ金をホトケに捧げたのだ
という事実こそが重要なんです」と。
これって宗教なんですかねえ?どう思います?

143準シュダオン:2010/11/11(木) 11:24:21 ID:1F7rdgXk0
科学的根拠がないから宗教なんです。
信じない人には、バカバカしいの、それが宗教なんです。
腹七分目の修行とは、私の方針であって、正しいかどうかは別ものです。
もっと多くしたい人はすれば良いし、七分目でも多いと思う人は、もっと減らせば良い。

護摩木だって、インチキだと思う人は止めたら良いだけですw。

144ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/11(木) 11:39:24 ID:SmEF4Oe2O
>>143:準シュダオン10/11/11(木) 11:24:21 ID:1F7rdgXk0
>科学的根拠がないから宗教なんです。
>信じない人には、バカバカしいの、それが宗教なんです。
>腹七分目の修行とは、私の方針であって、正しいかどうかは別ものです。
>もっと多くしたい人はすれば良いし、七分目でも多いと思う人は、もっと減らせば良い。

今回問うている腹七分目の修行と科学的根拠とか正しい正しくないの話は別なんですよ。
全部正しいんだよ。修行の量がゼロでなければ。
だからゼロでない具体的な修行を示せば正しいことになるんだよ。
示せないんでしょ?具体的なゼロでない修行。
こっちもイヤミだから示せないと知ってて質問してるんだがねwケケケw

145天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/11(木) 11:43:24 ID:zhUTs5IQ0
>>141 >>142 ユビさんの記憶力には頭が下がります。
先ほど私の護摩木の所蔵の現物写真とユビさんが解説された該当のダルマチャクラを
用意しました。写真の方は午前中に完成。あとはダルマチャクラ探すのに時間が掛かったので
スキャンは午後から行います。本日中にUPしますのでどうぞご期待下さい。

ユビさんのおっしゃるとおりで、本当にこういう方便に当時はよく騙されたものだと反省。
準さんのいうとおり「買わなければイイ」のですよ。
ですからみんな会費も払うなw 護摩木も買うなw そうすれば自然にアゴンは自滅しますw

146ラシン:2010/11/11(木) 12:40:18 ID:b9Cg2rfo0
>143 :準シュダオン:2010/11/11(木) 11:24:21 ID:1F7rdgXk0
科学的根拠がないから宗教なんです。
信じない人には、バカバカしいの、それが宗教なんです。

だからそれを仏教というなかれだ。
勝手にカルト遊びをするのは構わない。
仏教を利用して金稼ぎをすることは、批判の対象だ。
たかが催事で物売りしているに過ぎないことを
尤もらしい美名で他人を騙すなと言っているのだ。

桐山さんの入場じたい、戸板に乗せられたよぼよぼの老人に過ぎない。
祭りというなら、御輿に乗せられた見世物の代表じゃないの。
ただ仰々しく装っても、単なる祭りの山車以下で縁日でくず板とろうそくを
燃やして平和になるなんて考えるじたい、平和を冒涜している。

147無関係な人間です:2010/11/11(木) 14:10:24 ID:tNdAo3oY0
>>142

 なるほど、よく分かりました。ありがとうございました。

 意地の悪い言い方をすると、阿含宗の仏様というのは、お金をたくさん出した人には沢山救い、
少ししか出さない人には、目もくれないケチな存在という事になります。これは聖人ではなく、
商人のとる行動です。つまり、お金と奇跡の取引という事になります。
 そんが強欲な存在を、あがめ、奉るのはどうかしていると思います。

 中村元先生の本をいくら読んでも、そんな事は書いていないような気がしますが、
これは気のせいでしょうか。

148ラシン:2010/11/11(木) 16:40:36 ID:b9Cg2rfo0
>147 :無関係な人間です:2010/11/11(木) 14:10:24 ID:tNdAo3oY0
>中村元先生の本をいくら読んでも、そんな事は書いていないような気がしますが、
これは気のせいでしょうか。

気のせいではありません。
>>132で無関係さんは、素朴で実に当たり前の疑念を呈していた。
ユビさんが答えたとおりです。

釈尊集団への布施行為は、出家した彼らが最低限に生活できる範囲です。
生産行為や利益を上げる世俗行為をしないための出家という方法だからです。
欲望を抑え制御するためには、過分は必要ないのです。
ゆえにその出家集団の修業の手助けになる行為を布施とした。

だから不足過不足や充足に無関心な姿勢も修業のうちでした。
ところが桐山さんは、阿含経には釈尊の生き生きしとした生活が見て取れる、
などと言いながら、信者に護摩木勧進を煽っている。
つまり布施が足りない、もっと出せと注文をつけている。
解脱した聖者が、布施の食べ物をもっとよこせと言うに等しい。

こんな解脱者がいるわけはないのに、何かと標語を付けられると、
いかにもその行為に価値があると思い込む信者の思い入れがある。
自己満足と差別化を利用されていることに気づかない。
気づくどころか信者自身もその指向を強くし慢心創意の身となって来る。

イデオロギーで資本家に搾取されるという労働者、その幹部が、
スローガンで集めた組合費超過で労働貴族の生活を保障されるように、
信仰という言葉と○○勧進や平和達成という美名で、
宗祖一族は宗教貴族に成り上がっている。

デットという負債を担うのは常に信者側で、エクティという資産は桐山一族や
ごく少数の幹部たちが享受している。
これが宗教教団の利益構造です。

これを分かっている知に長けた老人は、だから勧進なども殆んどしない。
理屈は布施の効用を謳っても、自分は程程と抑制してデンパ発信に精を出している。
桐山さんの上前を撥ねるほどの信仰心です。

149無関係な人間です:2010/11/11(木) 17:22:29 ID:tNdAo3oY0
 ラシンさん、ご丁寧な解説に厚く御礼を申し上げます。
寿司の松竹梅のランク分けみたいですが、要は高ければ効果があるような錯覚
がありますから、護摩木というのはすごい商売のやり方ですね。
 ただ、こういうやり方がいつまでも続くか、ちょっと疑問を感じます。
商売という観点から見ても上手くないし、外から見ていると、その場しのぎの
自転車操業という印象を持っています。

 全然関係ないのですが、レウコクロリディウムという寄生虫がいます。
この虫はカタツムリに寄生するのですが、恐ろしいのは体に寄生するだけでなくその行動
まで支配するのです。卵は鳥の糞の中にあり、それを御馳走だと食べたカタツムリの体内
でふ化するのですが、幼虫がある程度、成長すると、カタツムリの頭をのっとり、
カタツムリの行動を自分の制御下に置くのです。カタツムリは普段は天敵を恐れて物陰に隠れる
のですが、レウコクロリディウムに頭を支配されたカタツムリは最後には、鳥に
食べられやすいように、目立つ場所にわざわざ出て来て、鳥に食べられるような
行動に出るのです。そして、鳥に食べられたカタツムリと共に鳥の体内で産卵し
再び卵は糞と共に外に出て、それを食べたカタツムリに寄生するのです。

 全然、関係ない話を書いて、すみません。

150天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/11(木) 18:07:11 ID:Cgrbk.Oc0
お待たせしました。護摩木関連のP、UPしました。
いつものメニューの項目にもありますが、一応直アドで記しておきます。

護摩木写真画像のP http://agama.zouri.jp/gomaki.html
護摩木の値段の差について教祖の回答 http://agama.zouri.jp/shitugi_top.html
護摩木祈願の例P http://agama.zouri.jp/gomakibook.html

これらのPは実際の見たPにもリンクされているのでそちらでもいけます。
皆さんの考察の一助になれば幸いと願っています。

(なお2chには今回はこのアドは上げません)

151ラシン:2010/11/12(金) 00:34:27 ID:98U1EaJc0

天照さん、護摩木関連のP、UP、ありがとうございました。

読んでいていかにも耳への聞こえが良い。
だが、100円も一万円の護摩木も斟酌するような違いがない、
と言うならどうして金額の種類があるんだ?
ゴホーセがついたりするハードルが設けられているんだ?
現実はあらゆる面で差別化されて、一目でその金額の違いが分かるような
仕組みに何故なっているんだ、との突っ込み満載です。

桐山さんの説明は、一見綺麗で真心を重視しているように錯覚させる。
だったら信者の真心を重視し信じるなら、最低限の金額設定で問題はないはずだ。
釈尊の集団は最低限の生活さえ危ぶまれても、そんな選択ラインなど設けていなかった。
今さら入滅して娑婆に縁すらない釈尊が、どうして娑婆の布施供養など必要なんだい。
そこで、
百円護摩木だから、気軽にたいして気持ちを込めずに出す場合もある。
逆に一万円をポンと軽い気持ちで出して余裕を見せる信者もいる。
アゴン流ならそれをたしなめ説諭するのが、宗教の師である役目ではないのか。

自分の懐ろ具合と願い事の重さで仏に真心を差し上げるだと?

ビル一棟分とマンション一室取得という願い事の重さは確かに違うから、
願望量に見合う割合が必要だと言っているに等しい。
それは願い事という執着心の強さに見合う額だと言うことだ。
願い事なんて気持ちを認めることじたい、大乗仏教だ。

真心が釈尊に届くのではない、それは教団に収奪され使うのは生身の桐山一族だ。
釈尊の代理受領なんてありえないことを堂々と宣言して勝手に教団収入にしている。
宗教を騙った商売のナニモノでもない。

桐山さんの言い分は、紙屑でも放り出すような祈願料など供養にならないらしい。

釈尊在世時の供養は、出家者を保護し生活の一助になることを願った行為です。
供養に自我を出さない、見返り期待も求めないなら紙屑と紙幣に違いがないほど、
自分のそれら執着煩悩を捨てる気概で、一生懸命にもてなす気持ちだけがあればいい。
かかる費用は、それこそ紙屑を捨てるつもりで、一片の価値に囚われない気持ちが必要だから、
その在家供養に意義が生じるのではないのか。

152天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/12(金) 05:58:02 ID:G1oKx.Tc0
ラシンさん、早速の感想・ご意見ありがとうございます。
>>151を拝見して、本当にその通りだと感じました。

また、自分では「不要だろう」と思って割愛したものも後日上げようと思います。
それは教団が信者に対してどのような内容で動かしているかが窺い知れる物だからです。

今回掲示した「ダルマチャクラ」では懐具合となっていますが、それだけで信者が
動くわけではない。もっと多用な方便により信者を操作しているからです。
その内容は、実際書物画像を上げたときに説明をさせていただきます。

釈尊はよく「世俗を離れたことに徹底していた」といわれますが、そのとおりで出家と
言うものはそれが当たり前で当然の姿勢です。在家と同じように商売やら生産を
行ってたらもはや出家ではないからです。
それだけに留まらず、煩悩を増やすになる行為はカットしていた。
釈尊がお金を貯めて所持し、贅沢三昧、飽食をしたというのは聞いたことが有りません。
教団の繁栄や維持のために金銭や労力を在家に求めたというのも聞きません。
また、願い事を叶えるぞというのも言いません。

巷の人が本当の仏教を知らないことをいいことに方便の使い放題です。
みんなが騙されない知識を持てばいいのでしょうが、なかなかそうはいかない。
麻原氏が「宗教は金に成る」と着目したのがわかります。

とかく天才詐欺師の言い分はまともに聞いたら損をすると掛からねばならないのは
必要なことだと強く宣言いたします。

153天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/12(金) 07:04:06 ID:G1oKx.Tc0
>>149  無関係さん、レスが後になってしまいました。恐縮です。
この寄生虫の話は初めて知りました。ありがとうございます。
なんだか、本当に信者に巣食う「見えない寄生虫」が居るような感じを受けました。

阿含宗というものに自分は携わった過去があるわけですが、自分は他の教団に
関わったことはありません。
ですが、アゴンを退会して周りを見渡したとき、アゴンだけでなく他の教団も
似たようなことをしているのに気がつき、なんだかやりきれない気分です。

私は宗教は人を成長・向上させる働きがあると信じてきました。
ところが現実を見れば、宗教を講じている人の多くは「それで宗教人か」と思うような
行動や思考をしている人を見かけます。それらは宗教が悪いのではなくその当人が悪いのだ、
と思っていましたし、実際そういうこともあるでしょう。ですが、最近は宗教法人自体が
よくないものも多いことから、信者をも駄目にしている面があるのでは、と思うように
なりました。目に見えない寄生虫は案外「宗教法人」だったのか。カタツムリは自分たちでは
なかったのではないか、と思ったりしました。

関係の無い話ではないと私は受け取りました。いい話だと思いますよ。
いつもいろんなご意見感謝しております。

154干柿:2010/11/12(金) 07:39:42 ID:BBtat4sE0
キリヤマアゴンボケリウムという脳に寄生する、やっかいな寄生虫がいるw

155天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/12(金) 08:21:10 ID:fLxbi.hU0
>>154 この寄生虫に感染すると間脳に巣付き、脳内妄想が酷くなり、
常時妄想を広げるという悪い影響を与えるらしい・・・とか。

156ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/12(金) 08:33:06 ID:SmEF4Oe2O
>>151のラシンさんのゴホーセを読んで、そうだ、無関係さんに対する護摩木商売の
システムの説明として、法施授与サービスの説明をするのを忘れていたと気付きました。
それはアゴン宗の護摩木を考えるに必須不可欠の要素ですから。
護摩木は通常1本百円とするのが基本です。
これを単位に何本買ったかその実績が指標となり評価されます。
と言うのは護摩木勧進と言って、信者でない一般人に対して護摩木に祈願を書いて
もらうことをお勧めすることは相手に仏縁を与えるという意味で大変功徳のあることと
アゴン宗ではされます。因縁解脱の為にはそのような徳を積んでおくことが必要と
されます。だからできるだけ多くの人に多くの護摩木勧進が奨励されるのです。
ノルマは決してないが誓願という目標を立てなさいと指導される。
(個人ノルマはないが地区ごとの誓願目標はノルマのごとくあり、職員や先達に
とってはノルマであり、また活動に定期的に参加する一般信者(準シュダオンさん
などはこれに該当しない)にはこの先達の勧めがあって誓願を出すように言われます。
さてそこで各個人の護摩木勧進の成績があるレベルに達すると、管長の桐山さんから
褒美をもらえます。まあ他愛のないペンダントだのマンダラみたいな類いですが、
案外に信者にとってはこんなものでも「法がこめられている」と信じて人気です。
桐山さんはかねがね言う。
「自分は寄付を受けて何も返さないということはしない。必ず何かお返しをする。
法をこめたものを出すから、もとより法施目当ての勧進ではいかんのだが、目標と
思って戴けるように励みなさい、仏様からのプレゼントです」と言って、毎年今ごろから
年末にかけて目玉商品の法施グッズを発表する。
で、この護摩木勧進とは各自が信者でない家族や一般人に書いてもらった実績が
問われてしかるべきなんだが、宗務局ではそんなこと掌握できないから、あくまでも
各信者が伝票を起こして護摩木を購買した記録だけで法施授与の資格とします。
他人に勧めなくても自分で書いても勧進実績なんです。
アゴン宗の護摩木は祈願だけでなく必ず先祖の霊障の妨害を受けないように供養の
護摩木を書くことになっているから、1日2本毎日書けば、730本の実績になる。
で、1本百円単位だけでは効率が悪いから考え出されたのが10本相当千円の護摩木
とか百本相当一万円の護摩木、千本相当の十万円護摩木などです。

157ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/12(金) 08:42:29 ID:SmEF4Oe2O
今年の3月に準シュダオンさんがこんなことを書いていた。
ある年護摩木が余っていたので、五千円護摩木か一万円護摩木か忘れたが、それに
金運如意のような祈願を書いて納めた。果たしてその結果はその年は金運如意とは
いかず、祈願は効かなかった。これというのも本来そんなに逼迫したわけでもないのに
分不相応の祈願を書いてしまったから、仏様は叶えてくれなかったのだろうと書いていた。
私はこれを読んではは〜んと理解できた。
なぜ準シュダオンさんは本来書いても書かなくてもよい余剰な護摩木、それも
五千円とか一万円も するのを購入して書いたのか?
これはこのような購買の金額累計が勧進本数の累計とカウントされ、法施授与資格に
つながるからなんですね。
準シュダオンさんも 法施グッズ欲しさに高価な護摩木を買い揃えておき、しなくても
よい祈願までしたわけです。

158準シュダオン:2010/11/12(金) 09:19:47 ID:1F7rdgXk0
グッズ欲しさというよりは、腹八分目の財施供養として、護摩木を購入したの
です。やはり、腹五分目の梵行では、怠けすぎかと。

159準シュダオン:2010/11/12(金) 09:36:49 ID:1F7rdgXk0
五比丘は、遠くから歩いて来る釈尊を見て、
「修行を捨てた、沙門ゴータマには礼をすまい。起立しては迎えまい。」と、
申し合わせをしていたが、釈尊は他心通でこれを知るや、近づいた。
すると、五比丘は皆、起立して釈尊を迎え、座を整え、衣鉢をとった。

管長のことばで言うと、五比丘の間脳が開き、霊性があったので、釈尊は五比丘
の思考を操作できたのだろうね。これが、凡凡人の、鈍い脳では、釈尊といえど
も、どうにもできなかったと思う。
わたしにも、似たような体験はある。あの人に合ったら、必ずこう言おう、と強く
決心していて、実際に合ったとたんに、気が変わって違うこと言うとか。
これは相手の脳力に感化されたのだ、と思うね。

160無関係な人間です:2010/11/12(金) 10:44:13 ID:J7.sCX6k0
>>150

天照様、ご教示とサイトのアップ、ありがとうございました。
貴重な資料を拝見し、理解がすすみました。あと、「護摩木の値段の差について教祖の回答」
の横に「解脱供養の10万円が高い」という質問は少し関心を持ちました。
 桐山さんの説明は長いので、読んでいるうちにそういう気持ちにはなると思いますが、
では、桐山さんの説明に納得できるかと言えば、頭の悪い私には理解できない部分が多くありました。

ある種の教団を維持するにはお金は確かに必要ですし、宗教の場合は、寄付というシステムを
作る必要はあると思います。全面的に肯定するつもりはありませんが、法律や道徳に反しない
限り、そこまでは否定するつもりはありません。
 しかし、桐山さんは、既成宗教や他の新宗教、特に既成仏教を痛烈に批判し、自分たち
は釈迦の原始仏教を実践すると主張したはずです。
 現在の仏教は、確かに批判に値する部分はあり、真面目に仏教を修行する人の期待にそうもの
ではないとも言い得ます。その意味で、桐山さんの言動に期待した人はいると思うのです。
 が、桐山さんのした事は、結局、既成宗教と同じ事であり、その点に言動の不一致があると
いう印象を持っています。

161無関係な人間です:2010/11/12(金) 11:12:45 ID:J7.sCX6k0
>>156

 ユビキタス様、ご解説に深く感謝申し上げます。私は、この件には全然無知ですから、ご教示には
本当にありがたく思います。
 

>>自分は寄付を受けて何も返さないということはしない。必ず何かお返しをする。

 桐山さんの最大の問題点は、彼の自慢の「法力」が実はインチキではないか、という
点だと思っています。カネに執着する聖者様というのはあり得ないが、仮にそれを肯定しても
すくなくとも、信者が救済を期待してお金を出す以上は、それに応える義務はあると考えていま
す。私は桐山さんの言動には不信感を昔から感じては居ましたが、それでも、少しは「法力」が
あるのではないか、また少なくとも本人は自分の「法力」の存在は信じているのではないか、と
は期待していました。
 が、このサイトの一連の書き込みを拝見し、桐山さんには「法力」は皆無であり、彼は確信犯
である、との印象を持つに至りました。これは、すごく酷い詐欺だと感じます。
 

 ともあれ、実際に経験をされた方の体験は貴重だと感じます。重ねて感謝申し上げます。

162天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/12(金) 11:58:03 ID:fLxbi.hU0
>>160 無関係さん、感想ありがとうございます。

なるほど。最後のPの掛かる部分の「解脱供養」のことも気になりますよね。
後日それもちょっと長いのですが上げましょう。今しばらくお待ち下さい。

本当はあの最後の掛かった部分を画像カットしようと思ったんですが、わざと
残したのは切らない方が本当にダルマチャクラから引用したと見えるからです。
やはり無関係さんが関心を得たように信者でも疑問を感じるものです。
その質問に管長が回答していますが、その回答もなかなか妙なものですから、
ぜひ、後日UPを楽しみにしてください。
(実は午後から用事で出かけるので、そのような言い方になっているのです)

法力については無関係さんがおっしゃるとおりです。我らも本当か嘘かわからない。
でも、もしかしたら本当なのかも、と信じて入信したわけです。

護摩木の裏に「法力之護摩」と印字がありますが、阿含宗では管長の護摩や念力に
対して「法力無比」とかいいます。つまり法力が他の宗派のお坊さんとは違い、
並々ならぬものがある、比べ物にならないくらいあるんだぞ、の示した文字です。

ですが、実際にその法力の凄さというのは見たことが無く、それこそすり替えというか
事項が何かあってそれが法力の凄さだぞ、というものでして、後出しじゃんけんと揶揄
されるものが有名です。

例えばモンゴルの雨にしてもあれもインチキでしたし、その他管長の「これぞ法力」
というのは未だ確認できたものはありません。
なので、法力など微塵ほども無く、ハッタリばかりです。
それこそユビさんがいつも示されますが、それだけ法力があるんだったら北朝鮮に
拉致されている人たちを解放させてみろよ、というのに私も同意です。

何も示せないくせに威張るのと嘘をつくのと教団内だけで吼える内弁慶教祖には
一生何も示せないで終わると思いますね。

163ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/12(金) 13:22:10 ID:SmEF4Oe2O
>>161:無関係な人間です10/11/12(金) 11:12:45 ID:J7.sCX6k0

準シュダオンさんは後回しにして、↓について補足をば。
>自分は寄付を受けて何も返さないということはしない。必ず何かお返しをする。
桐山さんは護摩木を添えることを仏に対する供養としています。
しかしもし供養のつもりならば、寄せられた供養に対してお返しをすることは
釈尊の仏教の精神に反することになります。
釈尊は布施供養というものに見返りの対価を返すことを否定しています。
布施供養はあくまでも見返りを求めない純粋なものでなければならないのです。
ところが桐山さんはこれを知らずに太っ腹であるかのように見返りを出すぞなどと
かえって欲望を煽ってしまった。
だいたい各自の好き勝手な欲望の祈願を書いたものを受け付けておいてこれ以上
何も返す必要はないでしょう。お願いごとを書く。火にくべる。仏はこの祈願を
受け取り、祈願成就に向かわせてくれる(お願いごとが叶う)というのが前提の
話なんだから祈願を叶えさせてくれたら祈願主にとってはありがたい話で
これ以上プレゼントなどもらう理由がない。
そこに仲介者である桐山さんが紹介手数料をピンハネするならばまだその商売理屈は
わかるが、逆にお礼の褒美をさしあげるとはいかなることか?
桐山さんは一般人に護摩木を托鉢することを「菩提心を供養する」と位置付けています。
無信仰だった人にこの世には神も仏もいるんだねえと認識させることが仏縁をつけて
さしあげることなんだそうだ。
しかし考えてもみましょう。護摩木に願い事を書いて叶えてもらおうという話ですよ。
なんて都合のよい、あさましい勧誘なんだろうか?
「間に合ってます」と相手にされないのならばまだそちらの方が救いがある。
本気になってこんな御利益信仰に目が開けてしまったら、その人に本来不要の余計な
依存心を植え付けてしまうことは罪なことではないか?
だからこんなものは菩提心の供養に相当しない。
桐山さんが褒美を出すのは護摩木を各自大量に買ってもらうための欲を煽る戦術に
過ぎない。

164ラシン:2010/11/12(金) 15:04:49 ID:b9Cg2rfo0

>申し合わせをしていたが、釈尊は他心通でこれを知るや、近づいた。
すると、五比丘は皆、起立して釈尊を迎え、座を整え、衣鉢をとった。

この表現だけでどうして「五比丘の間脳が開き、霊性があったので、釈尊は五比丘
の思考を操作できた」なんて解釈が成り立つんだ?
だったら、釈尊の説法は必要ないことになる。
たとえ釈尊が他心通で五比丘の思いを知りえたとしても、
コンダンニャが悟った内容は、釈尊の言葉による教示です。
それを理解したのは、釈尊の説く道理の内容を把握できたからだ。
間脳が開いたのではなく、目から鱗だよ笑笑笑。
ゆえに知恵の宗教といわれる仏教たる所以がある。

>これが、凡凡人の、鈍い脳では、釈尊といえど
も、どうにもできなかったと思う。

知恵でなくデンパに頼る老人とは訳が違うのだ。
ならば外道ウパカの場合、どうして釈尊のデンパ発信でビビっと悟らせなかったのか?
そんなことは釈尊ですら出来ないからだ。
出来るならわざわざ遊行せずとも、山頂から空中説法でデンパをバラ撒けばよいだろ?

チューラパンダカでさえ垢を落とすことは心の穢れを無くすことだと気づいたのだ。
物忘れのひどい今で言えば知的障害にあたる者でさえ、デンパ受信などと言ってはいない。
ところがここに居座る老人は、物忘れのひどさは共通しても、
知恵に難があるようでデンパ受信ばかりを自慢し、自分の目に見えぬアンテナを磨いている。

今回も天照さんが指摘しているように、モンゴルの雨も北朝鮮拉致問題なども、
桐山さんは何一つ具体的成果を明らかしていない。
身内だけの狂信者に自慢したって、それはたしかに内弁慶教祖と揶揄られて仕方がないだろう。
出来ないことをホザクのを法螺吹きと言う、それで金を取るのを騙すと言う。
ジャンルが法の網を抜けた宗教なら、宗教詐欺と言われるのは理に適うだろうね。

無関係さんの言う「レウコクロリディウム」とはまさにアゴン宗の主従関係の輪廻する虫だ。

165天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/12(金) 15:27:10 ID:uSsN7Few0
無関係さん、お待たせしました。午後からの用事が早く終了したのでスキャンを終え、
諸加工が終了し、ただいまUPしました。

http://agama.zouri.jp/shitugi_top.html このPの下をスクロールすると

5P目〜9P目と書いてあるPらが、その該当の記事の画像です。
ぜひ、ご覧下さい。

また無関係さんだけでなく、教学をあまり勉強してない信者さんや失念していた
信者さんもどうぞ見てください。ゲイカの法話が載っているのですからね。

166無関係な人間です:2010/11/12(金) 17:09:48 ID:J7.sCX6k0
>>165

 ありがとうございました。早速、拝見させていただきました。

 ざっと拝見して、本堂の建設などにお金がかかるというのを理由にあげて
いましたが、それは用途を挙げて寄付を募るなどの手段を採るべきで、箱モノ
の建築にお金がかかるのを根拠にするのは、こじつけではないか、という感想
がありました。
 
 ただ、同時に感じたのが、うまいやり方だな、という事です。
例えば、ブランド物のバッグが売れる理由に、価格が高い点にあるという人が
います。あるバッグを1万円で売り出したら全然売れないのに、10万円で売り出したら
売れだした、という話を聞いた事があります。
 同じ様に、解脱供養を1万円でするのと、10万円でするのでは、受ける側の感じは
違うでしょう。しかし、30万円では、高すぎて出せません。この辺りの機敏を桐山さん
はよく知っているなあ、という印象を受けました。10万円も出すのだから、効くはずだ
という期待を信徒に与えるし、効かなくても泣き寝入りする金額だと思います。これが
100万円だったら、効かなかったら大騒ぎするでしょう。
 ただ、この「解脱供養」効き目はあったのでしょうか?
気になるところです。

 天照様、本当にありがとうございました。

167天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/12(金) 17:50:33 ID:uSsN7Few0
>>166 無関係さん、早速の感想ありがとうございます。
 
解脱供養においては色々ありまして自分も「もしや効果があるのでは」と最後まで
食らいついたものですが、やはり根拠が出せないゆえに解脱もどうも信じられない、
という結論に達しました。そのことはまた追々会話してゆきたいと思います。

また、ダルマチャクラをUPしたら当方燃えまして(笑)護摩木勧進修行読本という
非売品のものをUPしました。

アドは http://agama.zouri.jp/gomabook_top.html です。
こちらは護摩木勧進をする上で一種のマニュアル本に近い内容となっています。
完全なマニュアル本は存在しないので、これがもっともマニュアルに沿った感じと
いえましょう。

自分が過去護摩木勧進を頑張る際に無知識な物でしたから、この本を機軸に色々
案を加えて勧進した過去があります。その時に使った本でも有ります。

阿含宗の教義が網羅されていて、またもしも勧進の際に質問してきたら答えられる
用にという感じでしょうか。教祖の回答やら法話が網羅されています。

考察のお役に立てたらこれ幸いです。
また不明な点はユビさんを始め諸兄様方も居りますし、自分もわかる範囲で
答えますのでどうぞ遠慮なく質問くださいませ。

それではこれから夕食なので、また後ほど。

168準シュダオン:2010/11/12(金) 18:24:25 ID:1F7rdgXk0
、釈尊は布施供養に対する見返りを否定してるだと?
笑わせるなよw。阿含経典の多くに、聖者に対する布施供養には果報がある、と、
説いています。そして、果報の内容は様々で、限定していません。
批判派みたいに、強欲から布施供養しても果報はないわけで、適度な期待、控えめな
期待には、ちゃんと果報はあるのですw。
仏は、布施供養者の心を、お見通し、というわけです。

169ラシン:2010/11/12(金) 18:30:06 ID:b9Cg2rfo0

天照さん、再度ありがとうございます。

今もって見ても、桐山さんの供養金の必要解説は回りくどく、
本音をうまく隠している。
すでに批判側は承知ですが、再検証してみると、

1アゴン宗の解脱供養は桐山さんが一体10万円と決めた。
2根拠は総本殿建立基金一口10万円を基本としその法施一体分を同列にした。
3総本殿建立はお釈迦様への功徳となる。
ーさて、ここでお決まりの先祖の霊障のホトケと成仏リキだ。ー
4世に数少ない霊視リキとおシャカの成仏ホーを体得した桐山さんだけが出来る解脱リキ。
5他に比較しても決して高くない戒名料10万円!
6子孫に迷惑をかける先祖の霊障のホトケの退治なら絶対安い!
7この一体10万円は、先祖の霊障のホトケに代わってさしあげるものだ。
8一転してその行いはホトケへのご供養が功徳となって自分へUターンするという見返りだ。
9その見返りを受け取らず先祖へ返す回向という行為で、自分の現世が楽になる。

1は宗祖の一存ですがそれはさておいて、2の建立基金の法施が解脱供養だと言う。
目的意識が違ってユビさんの言うオプション?それともおまけや付録か?
桐山さんのホンネは、ここでは建立基金の勧進らしい。
では釈尊が、精舎建立を一般在家に募っただろうか?
先述したが釈尊は常に供養に際しては相手任せだった。
求めず何かを与える約束と言う交換条件などありません。
信者時代には、その姿勢と桐山さんは大きく隔たることを疑念するくらいの
気持ちがなかった、いや釈尊の思想自体知らなかった。
だから総本殿などをお釈迦にプレゼントするなんて発想がおかしいと気づくべきだ。
ましてやそれで功徳を積む?なんて釈尊は言わない。
すべて桐山さんの騙りにすぎません。
5は料金比較論です、笑うしかない宗教宣伝です。
誰かが地獄の沙汰も金次第宗教とはよくぞ言ったもので、
アゴン宗解脱成仏の料金差別化というビジネス精神の旺盛は群を抜く。

6〜9は、少しばかり頭を冷やさないとコメントできないほどのウンザリ感を覚えます。

170準シュダオン:2010/11/12(金) 18:57:42 ID:1F7rdgXk0
批判派の修行がうまく行かなかったのは、考え方が独善的で、頑迷だった
からでしょうね。倶舎論を解説してる学者の、預流向を聖者とする考えを
頑迷に信じ込んだり、三善根と聞けば、無貪瞋痴のことと信じて疑わない。
単細胞すぎます。ユビさんなどは、自分が恥じるべきなのに、逆に私に恥じ
ろ、という始末です。擁護派には、わたしの言うことなどは常識でしょう。

批判派だけが、無知の強さで、強弁していますw。
三供養品・三善根の経典も、阿含宗徒にとっては基本です。
批判派は、この三善根とは、無貪瞋痴のことだと、頑迷に言い張って来た。
だが、誰が考えたって、貪らない、怒らない、愚かな事をしない、の、
しない、しない、しない、の戒の修行だけで涅槃界へ至る、ということは、
おかしいのです。

修行を、する、する、する、で涅槃界へ至るのです。それが功徳の種を
うえる、という修行です。
功徳とは、功徳=善根を修して身に備わった特性
        功徳をつむことによって解脱へ進むと考えられる。
 と、仏教辞典にあります。

だから、功徳の種をうえれば解脱へ進むのです。
功徳とは=善根を修して身についた特性なのであって、
功徳とは≠三善根を修して身についた特性
では、ないのです。
このあたりになると、ややこしくなって、批判派の皆さんには難しいかも
知れませんねw。

171準シュダオン:2010/11/12(金) 19:06:08 ID:1F7rdgXk0
功徳≠三善根を修して身に備わった特性↑と、訂正しておきますw。
功徳=善根を修して身に備わった特性。です。

172準シュダオン:2010/11/12(金) 19:23:22 ID:1F7rdgXk0
元阿含宗信徒なら、覚えててほしいこと。
それは、管長が、
「何が何でも、こうなってほしい、という祈りは、信仰ではない」と、
いうことです。
お解かりですか?
批判派のレスを読んでいて、気になるのはその点です。

こうなってほしい、と祈るのは良いが、あまりにそれが強くなると、
神仏に、自分が命令していることになるのです。
神仏の上に、自分が君臨して、祈りという言葉で命令する、
そんな馬鹿な話はない。神仏は信徒の召使か?と、いうことになりますw。

だから、護摩木勧進も、その量で修行が評価されはしないのです。
千本勧進者が、二千本勧進者より修行が下ということはないのです。
それは、教団の評価とは別問題なのです。
でも、多くの信徒は、教団の評価に惑わされるでしょうね、仕方ない。
そのことが解るのは、ある程度、修行が進んでからです。

まぁ、現役信者さんは、退会者に惑わされることなく、無理せず継続して
行くことが肝心でしょうね。
私みたいな怠け信者でも、運が良ければ「聖なるバイブレーション」を、
受けることが可能なのですからね。

173天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/12(金) 20:21:44 ID:uSsN7Few0
ラシンさん、分析もいいですね。素晴らしい。
新たな気持ちでまた勉強になります。


さて布施ですが、日本では馴染みが無いが、お釈迦様の居られた時代には出家者に布施するのは
当たり前のような習慣であり、またそれも強制ではないのですから、稀に布施をしない人もいますが、
まあ大半は何らかの布施をします。
出家者が托鉢をするとそれに対し食べものや稀ですがお金なども布施するようです。

また寺院に於いては在家の人がやはり食べ物やお金、物品などを布施するようです。
それはやはり出家者は在家者と違い、お寺のルールに沿って商売や食物生産などを
しないからです。求道者も人間ですから食物を取らないと餓死します。
出家者は先ほど述べたように畑を耕したりして食物を自給自足したり、商売をして
その得たお金で食べ物や生活のために使用するということはしません。
ただ、ひたすらに釈尊の示唆された「仏陀になるための修行」を行うので、どうしても
在家などの外部からの支援が必要になります。
そして、それは聖者集団、つまり仏教の出家者に対して布施を行うことはまさに、
修行の後押しであり、生命をつなぐための助けであり、その功徳は大きいというのが
あるので、釈尊はそういう聖者の布施に対し功徳がある、というのは言っていますよ。

ですが、阿含宗のどこが聖者集団でしょうか?
釈尊の教えと逆のことばかり、また大乗仏教のなぞりしかやらないインチキ集団が
聖者集団? 阿含宗に布施しても何の功徳にもならないのは明白なことです。

またどこの箇所かは忘れたが、聖者に布施をすることばかりが功徳ではありません。
釈尊は貧なる人や病気で困っている人など境涯の悪い人などを助けることも功徳に
なるといっています。これは宗教でなくても道徳上でも当たり前のこととなっています。

また功徳が悪因縁を切る(解脱する)と釈尊は言っていません。
悪因縁の解脱さえ言っていないのに、阿含宗はそういう新興宗教の説くことを釈尊が
説いたと嘘までついている。それで釈尊の教えと法を護持(保持)しているなどと
良くも大きな顔をして言えるものだと。

密教は後期大乗です。大乗仏教を痛烈に批判しておいて自分(桐山氏)がやっている
ことは何だ?密教の真似事ではないか。
釈尊が御宝塔なるものを用いて弟子たちに拝むことをやらせたか?
釈尊が護摩は方便でもOKだといったのか?
釈尊は占いも使い方にはOKだといったのか?
釈尊は商売まがいのことをやって教団を運営しなさいといったのか?

インチキとオカルトばかりが交差する宗教法人に嫌気と目が覚めるのは当然のこと。
目が覚めないほうがおかしいのです。

良識ある人たちの判断が一番正しいのは、言うまでも無いことです。
良識さえ機能してないアゴン信者が一番問題があるのです。

174干柿:2010/11/12(金) 20:38:18 ID:BBtat4sE0
ほしい、ほしい、じゃありませんね。
あなたは勘違いしています。
阿含宗、桐山管長は約束したことをやっていない
指導もお金だけとって中途半端うやむやにして知らんぷり
>運が良ければ「聖なるバイブレーション」を
なんてほざいているあなたにはわからないことなのでしょう
運がどうだとか以前の問題です。約束を守らない嘘つきの聖職者などクズです。
でイベントや総本殿など立てて見栄張ることばかり優先
弟子や信者の指導などちゃらんぽらん。でバイブレーションなどという
オカルトをだしてきて誤魔化す。そんなもので何が変わるの?
何にも変わってないですよ。因縁なども切れません。ハッキリ断言できます。
>修行が進んでからです。
あなたのいう修行が進んだ信者とは、道場にいけば餓鬼のような形相で
勧進とかを進める大先達とかいう人々をいうのですか?
それとも、てきとうな信仰で梵行などもテキトーながら、阿含宗の教えも
自分流に変えてねじ曲がった信心で教団につかまっているアナタのような
人を言うのでしょうか?
>その量で修行が評価されないのです。
では何で評価されるとお思いですか?言っておきますが他人の評価
教団の評価など私は考えたことなどない。ひたすら自分自身の納得
できる自己実現というべきものを私は求めていました。
おそらく、ほかの元信者、現役信者の人達もそうだと思います。
ただの慾だけだったら阿含宗に魅力を感じて入信などしなかったはず。
評価を考えるのは「良いお役につきたい」とか「管長ゲイカにほめられたい」
とか「幹部になりたい」とかの慾を持った人、持ち始めた人達でしょう。
バイブレーションとかいうオカルト慾をあなたはおもちのようでw
そんな子供だましのバイブレーションという玩具をほしがる慾
それで信者全体を評価して判断するのは間違っていますね。

175干柿:2010/11/12(金) 20:43:24 ID:BBtat4sE0
あ、174は172の準さんに対してのものですね。

176天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/13(土) 07:51:54 ID:M/fCemz20
>>166 解脱供養は実は後から出来たものです。
自分は出来てからの入信でしたからはっきりわからないのですが、ユビさんならきっと思えているでしょうw
おそらく昭和56年辺り?からかな、と思います。
つまり、観音慈恵会から阿含宗に後に変更になりますが、その阿含宗に変更になってまもなく解脱供養が
開始されたと伺っています。

解脱供養は丁度当時の本、「守護霊を持て」「続 守護霊を持て」が後押しになった形で物凄く発展し、
有名になりました。阿含宗が有名になったことでもあるようです。
(この時期のあたりは無関係さんも知人や友人の関係が有ったときですのでよくご存知かも知れませんね)

私も当時解脱供養の必要性を本を読んで感じ、行いたかったのですがやはりまだ若造でしたのでお金が
用意できなかったので解脱供養を申し込んだのは少し時間がかかりました。
最初の解脱は今の妻と同時に申し込みました。洗い出し現象が起きましたが、それだけで後はさほど特に
何かあったということはなく、せいぜい妻の性格が変わったぐらいで、自分は手相が変わったぐらいですね。
特に劇的な変化や吉兆は無かったですね。

その後、私の弟がB型肝炎にかかり重い病状でした。
なんとか普通の生活が出来るまでには回復しましたが、肝臓の数値が全然よくなりません。
それで解脱供養を大分後になってから申し込んで先祖が成仏した翌月、全くの正常値になりました。
この体験はかなり衝撃的でしたね。それから弟は亡くなるまで一切肝臓の数値は正常でした。

弟もその後教団の指導というか霊障を解くため解脱供養は数体かけました。
ですが、劇的な効果があった最初の解脱供養だけがお陰があって後は何も無し。
なんだか、拍子抜けしたのを覚えています。

その後2chでの解脱供養の中身というか裏話を見たら、「効果が無いのは当然か」という結論に至り
現在は信じる気にはなれません。
インチキ・嘘だらけの人間が「解脱供養だけ本物」というのはありえない。
なので、かなり最後まで解脱供養を信じていましたが、もう今では信じない側にシフトしましたね。
概略だけを述べましたが、そのような経緯ですね。

177天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/13(土) 07:52:53 ID:M/fCemz20
護持失礼。

ユビさんなら思えて=X ユビさんなら覚えて=○ でした。失礼しました。

178天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/13(土) 08:23:13 ID:M/fCemz20
誤字さえ間違う御馬鹿ぶり・・・情けなや・・・

追記ですが、思うに先祖供養をうまく利用したものが解脱供養だろうなあ、と思いますね。
また、単に先祖を成仏させる、というだけでなく霊障というものが有るんだ。
そのせいで生きている人間は様々な不幸な目にあったりする。
また運命に於いても密接な関わりがある。ならば単なる先祖の供養にのみならず、解脱供養は
非常に意味や意義が有り効果もあるんだ。しかも10万円!という触れ込みには無知な我らも
ころっと騙されたので「畜生め。さすがだな」とは思います。

またそれから発展してかなりの供養をした人には守護霊がいただけるチャンスあり、と
したところもうまい。もちろん守護霊などいらない、という人もいただろうが、もしも
いただけるのならいただきたい、という気持ちが起きてくるのもあるでしょう。

天才詐欺師といわれる所以がここにもある気がいたします。

179無関係な人間です:2010/11/13(土) 09:42:16 ID:mGJc22B20
>>166


 貴重な資料のご呈示、重ねて御礼を申し上げます。

 サイトを拝見しての感想は、よく出来ているなあ、というものでした。
あちらこちらに「釈尊」「功徳」の文字が並び、なんとなく「そうかもしれない」
という錯覚に陥ると思います。桐山さんに愛人がいて、前科もあるのを知らないと、
信じる人がいるでしょうね。
 100円の護摩木の勧進は、社会通念から見ても違法性はないので、それ自体は
責められないのですが、実際、この護摩木に効用があるか、疑問です。それは、
ここに書かれている内容が解脱とか悟りではなく、阿含宗の言う仏様との取引
だからです。ここから先は主観的な感想ですが、そういう取引に集まる霊魂は
程度の低い霊魂である可能性があるからです。
 ただ、こういう書類が一般に公開されるのは意義のある事であると信じます。

 ありがとうございました。

180準シュダオン:2010/11/13(土) 09:46:38 ID:1F7rdgXk0
天才詐欺師なんて、大げさな敬称は付けなくてもいいよ。
先祖供養なんてことは、どこの教団でもやってることだし、別に阿含宗の
専売特許ではないよ。昨日のフジテレビ系テレビでもさ、運命鑑定士なるものが、
相談者にね、「事故死した貴女の夫が横に来てますよ」とか言って、相談者を
感激させていましたよw。

そういう鑑定士を詐欺師といって笑うか、あり得るかも知れない、と考えるかは
人の勝手というべきで、科学的根拠はないことだね。

仏に布施供養をしても見返り・果報はない、という考えは、見返りを期待して
布施供養をしていた自分が恥ずかしくなった反動で言ってることでね、阿含経に
説いてることを無視してますね。

181準シュダオン:2010/11/13(土) 09:51:11 ID:1F7rdgXk0
仏様との取引などは有り得ませんw、大笑いです。
何処に仏様との取引契約書がありますか?
どこに仏様の署名、捺印がありますか?

取引信仰など、初めから有り得ない、のです。

182無関係な人間です:2010/11/13(土) 10:57:43 ID:mGJc22B20
 お金を払って、自分の願望を叶えてもらう。名目をどう称しても、実体は取引です。


 取引契約書がなく、書名、捺印が存在しない事が、取引を否定するものでは
ありません。例えば八百屋に行って野菜を買う時に、誰が契約書をかわしますか?
 しかし、あれはまぎれもない取引です。

 もちろん、准シュダオン様が、神聖な仏様へのご供養つまり寄付と考えるのは
自由ですが。

183ラシン:2010/11/13(土) 12:14:48 ID:98U1EaJc0
>追記ですが、思うに先祖供養をうまく利用したものが解脱供養だろうなあ、と思いますね。
また、単に先祖を成仏させる、というだけでなく霊障というものが有るんだ。
そのせいで生きている人間は様々な不幸な目にあったりする。

天照さん指摘の桐山思想のこれって仏教で言えばおかしい、
本末転倒どころか沈んだ石が浮かび上がるようなレトリックですよね。
>>169での6〜9は、同じ疑問だと思います。
----------------------------------------------------------------------------------
そもそも釈尊は先祖供養など説いていなかった。
慣習としてある生活の中の考えそのものは強く否定していないが、
釈尊の説いたことは、あくまでも現世で解脱を目指せ!です。
だから不放逸を説いたのです。
苦の解決としてこの世に再び生を受けない、そのための煩悩滅です。
釈尊はこれしか大事を説いていない。

ところが桐山さんは、現世での楽に拘り千座行で魂の浄化と運命改善、
次に先祖供養の必要を説いて無限にある先祖解脱をビジネス化したのです。
だから比較論として他の宗派の戒名料より安価でも、いつまでも尽きない先祖の
それも霊障化したホトケの成仏を推奨し販売商品とした。
片方で脅して片方で手を出している、永遠に続く集金システムです。

これは釈尊の説いた仏教ではなく、先祖の供養をするという人間本来ある慣習を
仏教につなぎ合わせた考えです。
祖霊崇拝は人や生物の執着、子孫繁栄の望みであり、DNA的煩悩に過ぎない。
それを桐山さんが体得したという成仏ホーで解脱させ、その成就まで桐山さんの
霊視能力でしか確認できない、非常に曖昧で客観的検証の外にある。

そしてその功徳でアゴン信者はどうなるんだ?
本来の目的意識を失って先祖供養のために出した解脱金で信者の願望達成が可能となる。
修行修行と言いながら、その修行がどこにあるのだ?
各イベントに手弁当を持って参加し、イベント料募ったり払ったりしているのが修行?
イベントを成功させる裏方作業が修行?
三七道品などどう関係しているんだ?
行きつく本音は、下根の成仏ホーで三供養品で説かれた三福道の実践を謳いあげた。
修行とは金を積むことだと言っているに等しい。
積金=績徳で、それで涅槃界=アナゴンまでの可能性をブラ下げた。

結局、実践行の八正道三七道品は蚊帳の外で、布施に修行をくっつけたのだ。
いわば募金行と変わらない、募金に法をくっつけて募金法なんて、
一見宗教的価値のある言葉に挿げ替えたに過ぎない。
それを無知をさらして有難がる。

これ等、指摘事項の何一つ桐山さんは阿含経から担保していない。
桐山さんのウソを信じるにしても、その根拠が阿含経にないのだ。
アゴン宗の考え方は、、、なんて嘯いてもその教義に根拠がない。
あるのは引き受け手の独善的勝手な解釈だけです。

姑息な老人は、そのアゴン教義を擁護するために桐山教義には(笑)なんて言って
恥と無知を持ち出している。
功徳の意味すら取り違えて、金物の寄進行為が解脱に至るなんて強弁するその本人が、
いちばんその行為をサボって舌すら出さないケチぶりとは、まったくの皮肉だ笑笑笑。

釈尊の説いていない先祖供養料を布施行なんて騙して集金しているアゴン宗のどこが、
阿含経を奉じる唯一の仏教になるんだ。

184ラシン:2010/11/13(土) 12:24:12 ID:98U1EaJc0

>>180-181のあわて者は、せっかく天照さんがアップした桐山語録を
よく読みなさい。
それをまとめたのが、>>169での1〜9です。
桐山さんが、何を言い何を求めているのすら理解できていない。
だから、この老人は信者からさえも鼻つまみ者で信用されていない。

185天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/13(土) 16:08:51 ID:rnNGkM4I0
無関係さん、丁寧に感想幾度もありがとうございます。
HPにアップを頑張った甲斐がありました(喜)

無関係さんはよくご理解をされていて本当に驚きです。
私たちも同様にゲイカのインチキや嘘、方便というものを感じています。
実際経験をした私たちと同じく洞察をもつ無関係さんは本当に凄いと思います。

それに比べ、妄信している信者の哀しいこと・・・。
信者にならなくとも様々な情報を得て考察している方より、実際に信者になって
信仰をしている人が信者ではない人より劣るとは情けないです。
分別・判別もできないのかと憤りを感じますね。

ラシンさん、ご意見ありがとうございます。
HPの内容はダルマチャクラ82号ですので準さんも持っているでしょう。
HPなど見なくてもいいから、ダルマチャクラ82号を読めば同じですから
読んでみてはいかが?

あ、準さんには教祖も関係ないから読まなくてもいいのかな?

186準シュダオン:2010/11/13(土) 17:37:43 ID:1F7rdgXk0
そのうち八百屋にいって野菜を買う場合には、契約書が無くても、八百屋の主人とか、
売り手がいるでしょうw。その点、八百屋と仏様との契約を一緒にしている、
無関係さん、とかの低脳レベルが、バレテしまうのです。

ダルマチャクラ82号の記憶は、ありませんが、そのうち、見てみましょう。

187準シュダオン:2010/11/13(土) 17:42:09 ID:1F7rdgXk0
すみません、そそっかしいもんで、文章を確認しないままに、「書き込む」
ボタンを押す場合もあります。↑
冒頭の、そのうち、は、消し忘れです。

188準シュダオン:2010/11/13(土) 17:57:08 ID:1F7rdgXk0
取引信仰などは、初めから有り得ない、のです。
阿含経を読めば、解るでしょう。煩悩を断じた聖者に布施供養すれば、果報は
あるのです。しかし、果報の内容を指定することは出来ないのです。
果報の内容を指定できたら、取引です。だが、それは出来ません。
それは祈ることしか出来なくて、叶うかどうかは、不明なのです。
それが、宗教なのです。

それを、あれこれ、理論で説明しようとしていることが、滑稽ですw。
宗教とは、唯物・科学的・合理的なものではありません。
全く、馬鹿げたものなのです。
わたしは、入行したのが、30代です。
それまでは、毎日車を運転する身でありながら、お守り一つ、持ったことも
ありません。議論で決めようとしても、それは無理ですねw。

189準シュダオン:2010/11/13(土) 18:02:18 ID:1F7rdgXk0
仏様との、取引など、有り得ない、のです。
その点、無関係さんも、愚かです。

190ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/13(土) 18:43:32 ID:SmEF4Oe2O
>>188-189
あなたの言うとおり仏教に取引信仰などあり得ません。
しかしアゴン宗のは取引信仰です。
ここは仏教スレではなくアゴン宗スレだと何度言ったらわかるのですか?
千本以上の護摩木勧進(購買)者にはこの法施グッズ、2千本達成者にはこの法施グッズを
と示し、誓願を立てさせる。分納も受け付けており完納誓約書まで用意されている。
取引じゃないですか?
仏教にはこんなものはない。
アゴン宗は仏教ではないのです。

191無関係な人間です:2010/11/13(土) 19:32:02 ID:mGJc22B20
>>186

 准シュダオン様、コメントありがとうございました。
私のごとき、低能レベルの愚か者にも返答を下さり、感謝申し上げます。

 ただ、准シュダオン様の論旨は混乱しているような気がします。
契約書がないから取引は存在しない、という主張だったのに、今度は売り手
がいないから契約が成立しない、という主張にすり替えています。つまり契約
当事者の片方が存在しないから、契約は不成立とう事でしょう?
 それって、桐山さんのいう釈迦とか仏というのは存在しない、という
事なのでしょうか? だって、契約当事者の片方である信徒は存在するのですから。
 その論理がいきつくと、桐山さんは信者に存在しない仏様を相手に祈願を
しろ、と指導している事になります。すると、桐山さんは架空の仏様を拝んで
功徳を説き、その仏様をダシにお金を集めている事になります。これは、わかり
やすい言葉で言えば、「詐欺」ということではないでしょうか?

192天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/13(土) 21:42:02 ID:aUcthF3M0
準さんは素直にダルマチャクラ82号を読んでみるかな、といわれましたが、もしも
探すのが面倒くさいのなら、私がスキャンした82号の画像を見ると早いですよ。
色や大きさなどの加工はしていますが、それ以外はしていません。
ダルマチャクラをスキャンして本当にそれを上げていますから一字一句82号
そのものです。

そしてその中の文面を見れば「取引信仰」なのがわかります。
まず、「仏様がくださるご利益に差は無い」というのが2Pめの後ろから2行目に
書かれてあります。仏様は我々のささげたお金の金額に応じて利益に等級をつける
のではない旨を述べているわけですが、この文から「仏様はご利益製造者」という
ことが伺えます。
仏様は「供養を受ける(応える)側」で、自分たちは「供養をしてもらう側」であり、
阿含宗や桐山氏などは「我々と仏様の間を取り持つ役」であるはずです。
実際に3Pで「お取次ぎ云々」という説明も出ていますので尚更です。

これが仮に人間間であっても同じ事で、何かを行う際にその道のプロや慣れている人が
いたとします。その人に契約書を交わさず頼みごとをする場合があります。
それと同じ事で何かを請け負う人との間が「仲介役」であって、我々は依頼者。
我々から依頼を受けて物事を行う人を請負人といいます。この関係は仏様が「請負者」
であり、我々は依頼者、阿含宗や桐山氏は仲介者となります。

契約書がないから取引にはならないなど、中学生以下にしか通らない屁理屈は
いかがなものかと思いますが。

193天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/13(土) 21:52:23 ID:aUcthF3M0
また如何に阿含宗や桐山氏が「取り次ぎ」だ、といっても売上を取っているのは
阿含宗です。仏様が実際に金銭を受け取る訳でない。
肉体もない仏様が金銭をどうして授受できようか?
まして護摩木を販売しているのは阿含宗です。
仏様のお取次ぎなどと綺麗な言葉を言っているが、実際は何をやっているか?
護摩木やいろんなものなどを売って収入を得ているのは阿含宗という教団です。

釈尊が生きていたときにそういうことはしてたのか?です。

ユビさんのおっしゃるとおりで、誓約書は所持してないから考察室にあげることが
できないが、それをかいた経験はわたしはあります。
15万や20万など、すぐに払えませんからね。
勧進をした多くの信者は大抵は書いているものです。

仏様をダシにして商売をしているといわれるのが嫌なのはわかります。
しかしそれが現実だから仕方ないでしょう?
もちろん、護摩木だけではない。お守りもお札もお手配願いもすべて無料以外の
ものは取引であり、商売です。

194名無しさん:2010/11/13(土) 23:46:05 ID:dXJ10IoA0
準シュダオンさんは>>174に回答できませんか?
ご利益だバイブレーションだより 肝心の技法習いたいのに ゲエカってそっち方面は逃げてるでしょう?

195ラシン:2010/11/14(日) 00:23:16 ID:98U1EaJc0
>181 :準シュダオン:2010/11/13(土) 09:51:11 ID:1F7rdgXk0
仏様との取引などは有り得ませんw、大笑いです。
何処に仏様との取引契約書がありますか?
どこに仏様の署名、捺印がありますか?


まともな社会生活を経験して来なかったようだ。
口頭による契約も法的に有効、というのが常識だよ。
問題が起きた場合に解決する方法や決められ内容証拠として、
約束した事柄を書面にして双方保持するのが契約書だ。
少しは社会常識をわきまえて発言しないと笑われると言っても、
過去よりさんざん苦笑されてきたんだから、意に介さないだろうが。

信者が祈るときは、何か願いことをしそれが達成されるように祈っている。
これが、内容如何を問わず、祈りの姿でしょう。
桐山さんは、それを功徳が積まれてお釈迦が返してくれる、と述べている。
毎度の祈りが、アゴン宗を媒介した取引そのものじゃないの、笑笑、笑笑笑。
祈って金を払って、その対価が保障されている。
これぞ取引そのものだ、いくら非常識人間でもそのくらいは分かるはずだ。
ただし桐山商品は、常にごホーセ以外は先延ばしだ。
信者が勤行と称してその都度、桐山さんに保証された対価を信じ、
何がしかの心願成就を願う、その行為こそ取引きと言うのだ。
原則では、その取引権利を会員費で購入してるんじゃないの、笑 笑笑。

無知老人でも分かりやすい例で言えば、
不動産物件を購入するに当たり、仲介業者が媒介し重説の納得合意を以て、
双方売買契約を交わす、というのは承知しているはずだ。
桐山さんは、売り手をお釈迦と見立てて購入を宣伝し、保証し仲介している。
信者はそれを信じて護摩木などの販売品を購入し、お釈迦からの引き渡しを
期待し待っている。
しかし、いつまで待ってもお釈迦からそれらの引き渡しを受けることはない。
物件の場合は、売買契約をし手付金を払って、物件引渡し時に残金の同時決済、
同時に抹消と新登録が済まされる。
物件の引き渡しが出来なければ、それは契約不履行で罰せられる。
違約金も生じるんだが、桐山さんのように先延ばししていれば詐欺となる。
それも桐山さんの手法は、媒介し宣伝し尚且つ、総代金そのものも受領する。
お釈迦のためだなんて、代理受領しているとの言い訳など通じるわけがない。
もし本当にお釈迦のためなら、本殿も別院もすべて名義は釈尊にすべきだ。

もちろん、そんな現在において実在しない仏陀の登記名義など不可能だ。
だから代わりに教団名義にしている。
釈尊が今さら飲食するわけがないから、代わりに桐山さんが飲食している。
それも釈尊の節度節制を超えた贅沢な食事に耽溺している。
どれもこれもすべて、実在しない釈尊をいいことにして、口に入れるのは桐山さんだ。
桐山さんの緋色の法衣も、飲食も本殿も別院も道場も掛る経費もすべて、
信者からの浄財でお釈迦の代わりに、桐山さんが受け取っている。
これが現実なんだから、いくら桐山さんがダルマチャクラでお釈迦に供養している
なんて綺麗な言い草をしようと、釈尊には何も行き届いていない。
言うまでもなく、釈尊は生涯無一物を貫いたんだから、そんな分け前すら受け取らない。
何ものにも執着しない釈尊の思想と生き方、なんでも執着する桐山さんの生き方。
これが聖者と凡人を見極める簡単な方法だ。

196準シュダオン:2010/11/14(日) 19:22:04 ID:1F7rdgXk0
174の千くんのレスは、つい今しがた、読んだよ。
回答しない場合には、そのレスを読んでないと思ってください。
また、あまりにつまらない質問にも回答はしないよ、時間の無駄だw。

管長は、約束を守らない、ということだが、そうではなくて、
境界が低い人には、約束を守らないように思えるのです。
たとえば、条件つきの約束の場合は、その条件の方を忘れるわけです。
「機が熟した時は、必ずこれこれのことをします」と約束した場合、
機が熟さない場合は、しない、ということなのです。

また、100%の人はいませんから、あまりに過大評価はしないことです。
お釈迦様の身近な弟子でも、還俗した人がいます。
お釈迦様でも、皆を正しく導けるわけではないのですからね。

197準シュダオン:2010/11/14(日) 19:33:46 ID:1F7rdgXk0
取引信仰ではないでしょう。
誓約書にしても、信徒が一方的に出すだけであって、管長がそれについて、
見返りとして、これこれ確約します、とか、管長の誓約書を頂いていますか?
取引とは、双方の合意があって、はじめて成り立つものです。
阿含宗の場合は、信者が一方的に誓約書を出したとしても、管長の確約書が
ないのですから、取引ではありません。
まして、お釈迦様の署名、捺印もないのですから、取引ではありません。

信徒の「信」があって、はじめて成り立つ活動で、信がなくなったらお終いの
関係です。だから「信仰」というのでしょう。
信仰は、信がなくなったら、その関係はお終いです。

198準シュダオン:2010/11/14(日) 19:42:16 ID:1F7rdgXk0
無関係な人間さんは、
私の前レスの、仏様の署名捺印入りの契約書もないし、管長の署名捺印入りの
契約書もないし、だから取引ではない、という私のレスで理解してください。

取引の契約書もないし、だから、阿含宗を詐欺で訴えても無駄なのです。
だから批判派も、こんなとこのネットで非難するしか手がないのでしょう?

199準シュダオン:2010/11/14(日) 20:14:37 ID:1F7rdgXk0
ああ、護摩木○○勧進したら、これこの法施グッツをあげる、という約束ね。
それを取引信仰というのですかw?
そういう約束は守っているんじゃないの?
それの何が問題なのかな?

法施グッツに何らかの効験があるのか?何もないのか?
そんなのは科学的手法では、解らないのです。だから宗教は非科学的なのです。

法施グッツをくれるとかは、私の取引信仰の定義には入らないね。
これこれの法施グッツを頂いた人は預流果を得る、とかの約束をしたのであれば
取引信仰になるけどもね。
阿含宗は、これこれの法施グッツを得た人は、これこれの沙門果を得る、とかの
契約をしていません。つまり、取引ではありません。

たとえば、「法施グッツを得た者は運が良くなる」と、約束していたとします。
この場合、運が良くなるの定義がされていないので、取引にはなりません。

ある人が、法施グッツを頂いて、半年後に癌で死んだとします。
その家族が、癌で死んだから運は良くならなかった、インチキだ詐欺だ、と言った
とします。
しかし、第三者が、「法施グッツがなかったら、この人は通り魔に刺されて死ん
と言った場合、どう考えますか?
ガン死と通り魔殺人のどちらが運の良い死に方か、私には解りませんが、そのよう
に、運が良くなる、とかの約束は抽象的で、契約・取引には当らないと思いますね。

200準シュダオン:2010/11/14(日) 20:35:54 ID:1F7rdgXk0
私は「ダルマチャクラ82号を読んでみようか」なんてレスは書いた記憶がない
のですが、天照さんの勘違いではありませんか?それとも、私の、なりすまし、
でも登場したのかな?

例えば、お釈迦さまは、施食供養した在家信者には、いろいろと教えを説きました。
この場合、「施食供養した信者には教えを説き、供養もしない信者には教えを説か
ない。釈尊は信者差別だ、取引信仰だ!」と、非難できるであろうか?
このあたりの、考え方が、心の境界を示しそうですね。
批判派は、どう考えるのかなぁw。

201干柿:2010/11/14(日) 21:19:48 ID:BBtat4sE0
>>196
バカなこといってんじゃないよ!
あなたはロクに伝法とか受講したことないんだろが!
2ちゃんにも批判していたひとがいたが「わたしが直々に指導します。」
といっておいて指導したためしなどない
グルが直接指導したうえでまだ時期ではない・・・とその旨弟子や信者個人
に伝えるならば、あなたの言うことも一理はあるでしょう。
しかし、そんなこと管長ゲイカは一度も行ったことはありません。
そんな人がいたならば(指導受けて言われた人)お目にかかりたいですね。
いないですよ、ハッキリいって
やってないもんw、そして指導すべき内容など実は何もない
こっれって実は第二期メシアの法伝法(護摩木の御法施の光明宝蓮華つかうやつ)
でゲイカ自身どう指導すべきか悩んだと講義の法話で話しているんですが、
まさか本とかにさんざん書いてきたのに何も指導方法など知らないなどと
夢にも思いませんでしたから、別の深い意味で言ったのかな?と
思ったのですが、まんま、だったのですw
(ゲイカはぽろっと本音いっちう癖あるんだよね)
それにこれについては(求聞持法、仏陀メシアの法)元幹部職員の桐止さんが
(彼は修行関係の資料や道場設備の担当でもあったらしい)最終的にゲイカより
修行指導について「出来ない、不可能だ」といわれたとザザビで告白している
つまり、ウソだったということはハッキリしているんですよ。
なにが時期ではない、というのでしょうかね。何もやらないで何もわかる
わけないでしょが!
で、いつ期が熟するんですか?最後まで熟さなかったらダメだ、といって
何もやらないってのは、騙しと同じことです。
それに弟子一人として成仏法を体得していないってのもおかしいと思わないの?
全員時期が熟さないのですか(爆
>お釈迦様の身近な弟子でも、還俗した人がいます
ゲイカの身近な弟子で追放された人がいるのはどうなんでしょうかね(笑
その内弟子をはじめ教団のトップのw田さんでさえ何もないってのは
還俗以前の問題でしょうが、何考えているんですかアナタわw
で、
で、待ち切れなかった信者とかが阿含経や上座部、チベットなどの仏教の本とか
中村元先生の著作よんでみてビックリ、「なんだよ阿含宗ってインチキじゃん」
ということになった人も多いと思いますね。
アナタは何の疑問も感じないようですね。もっとも自分流に妄想つくって
夢の中で遊んでりゃいい人みたいですから、そうなのでしょうけれど

203天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/14(日) 22:09:55 ID:iEIdRHI60
>>200 私は「ダルマチャクラ82号を読んでみようか」なんてレスは書いた記憶がない
のですが、天照さんの勘違いではありませんか?それとも、私の、なりすまし、
でも登場したのかな?

これについて引用

186 :準シュダオン:2010/11/13(土) 17:37:43 ID:1F7rdgXk0
そのうち八百屋にいって野菜を買う場合には、契約書が無くても、八百屋の主人とか、
売り手がいるでしょうw。その点、八百屋と仏様との契約を一緒にしている、
無関係さん、とかの低脳レベルが、バレテしまうのです。

ダルマチャクラ82号の記憶は、ありませんが、そのうち、見てみましょう。

_________________

確かに 「見てみましょう」なので読むとはかいてませんが、普通「見る」とは読むを意味するので
そのように捉えるのはあながち間違いではないが、ではあなたの「見る」は「眺める」に則し、
読むではないのですね。

では該当の記事を見てから反論してください。
これでいいですね?

204ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/15(月) 08:30:52 ID:SmEF4Oe2O
>>197:準シュダオン10/11/14(日) 19:33:46 ID:1F7rdgXk0
>取引信仰ではないでしょう。
>誓約書にしても、信徒が一方的に出すだけであって、管長がそれについて、
>見返りとして、これこれ確約します、とか、管長の誓約書を頂いていますか?
>取引とは、双方の合意があって、はじめて成り立つものです。
>阿含宗の場合は、信者が一方的に誓約書を出したとしても、管長の確約書が
>ないのですから、取引ではありません。

信者が一方的に出すのではなく、桐山さんが例祭で法施授与の条件を話して
もとより法施目当ての勧進ではないが、しかし全員授与できるように申し込みなさい
と促します。文書になって会報と一緒に同封されて来ることもありますよね。
原稿用紙に手書きで書いたもののコピー。あなたはもう申し込まれましたか、と。
教団トップの管長がそう公然と指導するのだから教団が申し込み用紙を用意し、
信者はこの用紙で申し込むわけです。勝手に自分の便箋で一方的に申し込むことは
しません。勧進の誓願書もそうですし、分納誓約書もそうです。
勧進の誓願を提出した人は道場に名前が貼り出されますし、勧進本数を達成すると
ちゃんと法施グッズがもらえます。
もう一から十まで整備された契約関係であり、商取引です。
教団は管長の命令に従って動いているのです。
教団との取引は管長との取引です。管長責任の取引です。
13救いの輪なんてのも信者が一方的に申し込むのではなく、まず管長の方から
誓えと督促が下るのです。
これで桐山さんが知らんなんて話はあり得ません。ガチ契約であり取引です。

205ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/15(月) 08:42:47 ID:SmEF4Oe2O
>>199:準シュダオン10/11/14(日) 20:14:37 ID:1F7rdgXk0
>ああ、護摩木○○勧進したら、これこの法施グッツをあげる、という約束ね。
>それを取引信仰というのですかw?
そういう約束は守っているんじゃないの?
>それの何が問題なのかな?

釈尊の仏教にはあり得ない取引信仰です。
なるほど釈尊の教団でも戒律を守ることを信者、弟子に誓わせます。
しかしそれに対して教団や釈尊の方から褒美、プレゼント、見返りを出すなんて
ことはしません。
桐山さんは所定の基準の本数、金額、人数などをクリアした人に対してなんらかの
サービスをするぞと 約束して約束を果たしているのです。
この場合その見返りグッズの効験が本当にあるかないかなど関係ありません。
なんかしら効験があるかのように見える商品グッズを示して欲望を煽る行為を
非難しているのです。
期限までに不邪淫戒を守れ、さすれば女を抱かせてやるぞと言っているようなものです。
一方釈尊が誓わせる戒律は一生続けるもので、それをやってやった見返りに何か
ええことなんかプレゼントされません。
戒律のようなものは自分が清浄になるために守るものであり、清浄が保てれば
それだけで十分で他に御利益など要りません。

206準シュダオン:2010/11/15(月) 09:16:54 ID:1F7rdgXk0
法施グッツには女を抱かせるなんて馬鹿な物はない。
財施供養や奉仕供養やその他、なんらかの修行をした記念品として、法施グッツ
を与えたとて、悪いことではないだろう。
信徒にしても、目標や励みになって、善い点が多いだろう。
害になるのは、我欲の強い者だけにだろう。
このような我欲の強い者は、どのようにしても救いはない。
ナントカは〜死ななきゃ〜治らない、と、昔の人は巧いことを言うもんだ。

207準シュダオン:2010/11/15(月) 09:55:32 ID:1F7rdgXk0
ダルマチャクラ82号を、見てみましょうも、読んでみましょうも、ほぼ同じ
意味です、そんな言葉尻は問題ではありません。
たしかに、13日のレスでは、82号を読んでみようかと思ったらしいね。
でも、結局は今、ダルマチャクラは分散管理しており、82号は見つからず、
すぐに探すの止めたらしいね。

それに今、司法書士に、ある仕事の依頼をしてて、意識がそちらの方にあり、
やや、阿含レスが上の空状態のようです。
天照さんには失礼しました。

208準シュダオン:2010/11/15(月) 11:06:21 ID:1F7rdgXk0
管長本を読むと、修行によってチャクラが開顕したり、超能力が身に付いたりと、
凡人以上の力を持つことが可能のように思います。
しかし、信徒向けへのお話しでは、そういう超能力獲得の修行を強く戒めても
います。
チャクラ開発とか、超能力獲得を目的に修行すると、我執を強めるだけのこと
になり、不徳を積む結果になりやすい、というのです。
管長自身は、煩悩を無くす修行をしている途中で、副産物として超能力が身に付
いた、と話していたと思います。
ですから、超能力を獲得しようと修行したのでは、煩悩は断てないし、超能力も
身に付かないと思われます。

仏心とは宇宙意識、とも話していますね。
煩悩に塗れていれば、仏心には届きません。
一酸化炭素は重いから空気の下層にたまります。
水素やへリュウムは軽いので、空気の上層にたまります。
これを意識に例えると、仏心は軽く、上層にあり、
凡夫心は重く下層にあり、煩悩に塗れて苦しい状態です。

で、管長は仏心の宇宙意識を、思念の相承として発信しており、
煩悩が薄れた修行者は、それをキャッチできるのではないかと思われます。
まぁ、私みたいな怠け信者には偉そうなことは言えないのですが、今の時点で、
管長のお話しを、私が解釈すると、そのようになりますね。

209ラシン:2010/11/15(月) 11:21:55 ID:b9Cg2rfo0
>206 :準シュダオン:2010/11/15(月) 09:16:54 ID:1F7rdgXk0
法施グッツには女を抱かせるなんて馬鹿な物はない。
財施供養や奉仕供養やその他、なんらかの修行をした記念品として、法施グッツ
を与えたとて、悪いことではないだろう。

老人の程度にあわせ、分かりやすい喩えに噛み付く本気度は何だ?
そこれを言葉尻を捉えた屁理屈と言うんだよ。
それで、
家の守護仏「三弁宝珠御法塔」はどうなんだ?
守護神として最高の「守護霊御社」はどうなんだ?
これを単なる法施グッズや記念品と捉えているなら信者失格だ。
これらはアゴン宗信者の最高の取引目標だよ。
これがお釈迦と無関係なら、桐山さんは大法螺吹きの過剰宣伝をしたことになる。
もちろん結果はそうだが、アゴン宗的にはお釈迦の功徳返しとして保障されてる。
もとよりそこまで桐山さんの言うことを信じていないから、
無料デンパでただ、自惚れて力んでいるだけに過ぎない。

この老人は、「三弁宝珠御法塔」や「守護霊御社」拝受が「害になるのは、
我欲の強い者だけにだろう」などと蔑んでいる。
アゴン宗でそんな理屈は通じない。
境涯が高いから拝受が可能だという立場で奨励しているのだ。
また、仮に我欲が強ければ、それによって心の我欲が浄化されるだけの
価値があってはじめて桐山さんが授ける価値があるのではないのか?

批判側は今となってはそのようなたわ言など真っ向否定しているが、
信者の立場でそれも桐山教義を擁護する者が、白々しく言うことではない。
何を隠そう、自分がしてもいない、出来ない、する価値を見出していない、
それと、持てる者への嫉妬から、教団の本質を否定したわけだ。
こういう老人は、つねに足元がぶれて姑息な心底を曝け出す不用意さに気づかない。

210ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/15(月) 12:54:39 ID:SmEF4Oe2O
>>208:準シュダオン10/11/15(月) 11:06:21 ID:1F7rdgXk0
>管長本を読むと、修行によってチャクラが開顕したり、超能力が身に付いたりと、
>凡人以上の力を持つことが可能のように思います。
>しかし、信徒向けへのお話しでは、そういう超能力獲得の修行を強く戒めても
います。
>チャクラ開発とか、超能力獲得を目的に修行すると、我執を強めるだけのこと
>になり、不徳を積む結果になりやすい、というのです。

また桐山さんが説いてもいないことを勝手に自分の想像で捏造する。
かつて著書に書いた超能力は、一般向けの嘘と言いたいのですか?
著書に書いた話はそのまま信者に対する理念の提示であり、形の伴わない指導です。
密教時代に書いた超能力の秘密時代から時間が経過してアゴン宗になり、先祖供養
などを前面に押し出す路線について、ある評論家から、アゴン宗はラジカルな超能力
路線を示すオウムと一線を画すべく、穏健な路線に模様替えしたと評価された。
これに対して桐山さんはそれを否定して、我々こそラジカルな超能力路線を提唱
するものだと例祭で信者に話し、事実「阿含仏教超能力の秘密」とか「阿含仏教
超奇蹟の秘密」とか超能力本を立て続けに出した。
またそれ以前から求聞持聡明法に欠かせないチャクラの開発を説いている。
超能力路線をひっこめたことはない。
逆にさらに提唱しようとしたのです。
信者向けの話で超能力開発の修行を戒めたなんて示す根拠を出しなさい。
いつどこでそんな話をした?
なぜアシュラムアーガマの伝法会などをする?

211ラシン:2010/11/15(月) 17:43:59 ID:b9Cg2rfo0
>208 :準シュダオン:2010/11/15(月) 11:06:21 ID:1F7rdgXk0
管長本を読むと、修行によってチャクラが開顕したり、超能力が身に付いたりと、
凡人以上の力を持つことが可能のように思います。
しかし、信徒向けへのお話しでは、そういう超能力獲得の修行を強く戒めても
います。

これが、「思念の相承」を受けたと自慢する老人の解釈度だ。
桐山さんの趣旨を何も理解していない。
理解していないばかりか批判側の過去に指摘に影響されて自慢してる。

桐山さんは著書やホー話では、いかにも善人面で話す仮面の師だ。
説法六十心でも、実際の大日経六十景16とは多少異なるが、
記憶では確か「如何が阿修羅心、いわく生死に処せんと楽(ネガ)う」と、
あることを引用して、桐山さんは、阿修羅心とは解脱し得る能力を持ちながらも現世で、
超能力を鼓舞し、そこで安楽して解脱まで行かない存在だと説いていた。

桐山さんいわく、
信者もアゴン宗に入行して少し経てば自然と能力が備わってくる。
予想や感というインスピレーションも鋭くなり賭け事なども強くなるが、
決して修行者はそのような俗事にかまける事がないように気をつけるべきだ。
これが桐山さんの、いかにも修業する姿勢の肝要さを戒めているように述べている。
決して超能力獲得を目的とするな、と言っているのではない事に気づくべきだ。
桐山さんは、アゴン宗の超能力ありきを前提とし、しかしそれを過ったことに使うな、
と諭している。
いんやあ〜、すばらしい説得だ、身につく能力をさりげなく当然とし、その使用法を
過まるなとは、表と裏の使い分け能力は群を抜いている。

このように桐山さんは断じて超能力獲得を戒めているのではない。
アゴン宗で身につく超能力の使用法を尤もらしく制限しているのだ。
これは謙遜しながら実は自慢している、というあざとい表現じゃないか。
しかしながら、いつものこの老人の解釈はなんとも不甲斐なく的をはずしている。

212神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2010/11/16(火) 09:23:11 ID:YaD7r0520
2チャンをメチャクチャにしたくて、スレ乱立させたI川姉妹弟  すでに、
狂って逝っちゃってる状態。自滅自壊状態・・このまま廃人への道か?
何事か現実に起きる前にご近所が気づいて、
警察か病院に通報されることを希望します。
此処の準某さんも前期的症状・・通報される日も近いのではと拝察いたします。
こういう輩がアゴンにはまだまだいるのでしょうネ?・・

213ラシン:2010/11/16(火) 11:00:46 ID:b9Cg2rfo0
>212 :神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2010/11/16(火) 09:23:11 ID:YaD7r0520
2チャンをメチャクチャにしたくて、スレ乱立させたI川姉妹弟  すでに、
狂って逝っちゃってる状態。


過去も同様なことが幾度かありました。
アラシの目的はその意味では一時的に達成される。
しかし、明確な反論として残らないただの落書きだから、
過去レスを見たとき、信者としても根拠ない愚行と読み飛ばす。
誰あろう私自身がそうで、擁護に失望しあきらめた。
どんな偉そうな理念を持とうと、なした悪業は消えません。
もし、釈尊の思想を信じるならそれだけは避けるでしょう。
そんな経緯をたどりながら、批判板として10年も継続しているです。
世の中は、そういう種類の者たちも存在し跋扈しているとのよき例です。

214天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/16(火) 22:39:34 ID:Gimb8vrE0
このザビビ継承スレをご覧の方にお願いがあります。

2chの「阿含宗という宗教182」を探しています。
これは今お金を払って過去ログを見ないと見れないようになっています。

ですが、もしもこの182章をお持ちの方が居られるようでしたら、ぜひでーたを
提供してくださる方を探しております。

何卒勝手なお願いではありますが、提供をしてくださる方が居られましたら
よろしくお願いできませんでしょうか。

以上、連絡でした。

215孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/11/17(水) 00:11:34 ID:dXJ10IoA0
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/psy/1281259735/
これって見れないんですか?

216天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/17(水) 06:33:28 ID:9k2L1XAM0
青柿さん、ありがとうございます。
こういうPがあるのを知りませんでした。大変助かります。
深くお礼申し上げます。m(_ _)m

217準シュダオン:2010/11/17(水) 09:13:29 ID:1F7rdgXk0
超能力開発を戒めた根拠ねえ。超能力開発の姿勢を戒めた、というのが正確な
言い方ですね。姿勢の戒めです、姿勢といっても、心構えのことです。
たとえば、前にもレスしたように「修行読本1」P112には、身供養、財供養を
しないと、我利我利の行になって、品性とみにいやしくなる、と、書いてますね。
このようなことは、「龍神が飛ぶ」にも書いてあったと思います。超能力を目的
に修行している者の中に、キツネや狸に人相まで似てくる者がいる、とかね。

アゴンマガジン2010・9月号のP72〜73に、昭和50年の法話が掲載され
ております。そこには、管長がチャクラを開発できたのは偶然の産物であること、
滝行や断食したとて、我執ならば不徳をつむことにしかならない、ことなどが、
説かれています。アゴンマガジンの文章は長いので、引用は避けますが、
要するに、
「チャクラ開発、超能力獲得を目的に修行しても、煩悩は断てないし、超能力は
付かない。煩悩を断つことを目的に修行する中の、副産物として超能力も付く」
と、P72〜73を、わたしなら、そのように要約します。

ユビキタスさんは、女を抱かせる法施、とか、私などでは思いも付かない、エゲツ
ないレスを平気で書けますw。
「ハハァ、ユビキタスさんは具体的な見返り果報を、法施と認識していたのだなぁ」
と、ユビさんのレスから判断できるのです。
これじゃあ、修行は進まないね。
と、納得できるし、反面教師として、ユビさんのレスは勉強になります。

218深山:2010/11/17(水) 12:49:02 ID:KcatD23o0
>>215 :孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/11/17(水) 00:11:34 ID:dXJ10IoA0

青柿さん感謝!
こういうのがあるとは知りませんでした。

219ラシン:2010/11/17(水) 14:45:31 ID:b9Cg2rfo0
>217 :準シュダオン:2010/11/17(水) 09:13:29 ID:1F7rdgXk0
超能力開発を戒めた根拠ねえ。超能力開発の姿勢を戒めた、というのが正確な
言い方ですね。

姿勢だなんて、散々こちらから指摘していたことを使いまわすな!笑。
このご老人だってアゴン信者なんだから、如意輪法の伝法くらい
受けたはずだ。
密教で如意輪観音とは、思いのままに願い事をかなえてくれる宝珠を持ち、
敵を打ち砕く菩薩様だ。
人々の苦しみを除き、願いをかなえ、特に長寿、安産、魔除に功徳が
あるとされている。
経典にいう"如意輪観音"の功徳は、俗世間の財(金銀財宝)、
出世後の財(福徳智慧)ともに満足させることにあると言われている。
ー密教辞典参照ー

いわば在家にあっては、願望達成の菩薩であり、これを本尊として
修法する次第が、如意輪法だ。
老人が尿意の頻度をもよおすことではな〜いのだ、参考までに。
そして桐山さんも伝法にさいして述べている。
初心の者が修すると意外なほどの効験が現れ出て来るが、
それは初心のうちは、次第に忠実で邪心なく行うからだ、と言っている。
いかにもアゴンの伝授する法が、意の如く物事が達成されるかのような表現だ。
普通人がこの修法を聞けば、超能力の方法に見えるだろう。
その修法が「我執を強めるだけのこと」になるならどうして伝法会なんて、
金を取ってまで教えるんだ?
姿勢を説くのなら空宣伝で、密教の秘儀を形から学んで修業の糧にする、
などと桐山さんが補説する必要がどこにあるんだ。

だから「超能力開発の姿勢を戒めた」のではない。
先述したように桐山さんは、<アゴン宗の超能力ありきを前提とし、
しかしそれを過ったことに使うな、と諭している>ことに気づくべきだ。
アゴン伝法の法の効果をきちんと謳っているのだよ。
その上で、その能力をくだらない世俗ごとに使うなと言っているのだから、
それは、「開発姿勢を戒めた」ではなく「超能力獲得の修行を強く戒めて」なんてもいない。
観音慈恵会から変わらない馬の鼻の人参にすぎない。

>チャクラ開発、超能力獲得を目的に修行しても、煩悩は断てないし、超能力は
付かない。煩悩を断つことを目的に修行する中の、副産物として超能力も付く

なんだこれ? 
桐山さんは因縁切りからいつ宗旨替えをしたんだ?
批判側が過去より言っていることじゃないか、笑笑笑。
またそれに、散々反論していた自分の過去の記憶をスッポリと忘れて、
しかも「煩悩を断つことを目的に修行」なんて批判側の口マネまで始めている。
因縁解脱は、どうしたんだ?
それとも、批判側の意見を取り入れて副次効果としての神通力などでは、
煩悩からの解脱など不可能だと認めたのか?笑 笑笑。

そうなら「思念の相承」なんてデンパ話しなど何の意味もなかったことを
しつこく自慢していた自分自身を先ず、恥じてから賛同の意を表すんだな。

220ラシン:2010/11/17(水) 17:31:39 ID:b9Cg2rfo0
>チャクラ開発、超能力獲得を目的に修行しても、煩悩は断てないし、超能力は
付かない。煩悩を断つことを目的に修行する中の、副産物として超能力も付く


自称準聖者の老人は、反論のために闇雲にところかまわず掘っていた穴に、
自ら転げ落ちる。
過去例を覆すことのないよくある陥穽だよ、笑 笑笑笑。

自分の間違いを認められない準聖者サマ。
自己矛盾に気づかない準聖者サマ。
話しを捏造する準聖者サマ。
自論に一片の責任も持たない準聖者サマ。
称号や名誉が好きな準聖者サマ。

桐山さんのことではありませんよ、桐山さんは”聖者”サマだからね。

準:名詞に付いて、それに次ぐもの、それに近いもの。大辞林(三省堂)

221ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/18(木) 08:36:59 ID:SmEF4Oe2O
>>217:準シュダオン10/11/17(水) 09:13:29 ID:1F7rdgXk0
>アゴンマガジン2010・9月号のP72〜73に、昭和50年の法話が掲載され
>ております。そこには、管長がチャクラを開発できたのは偶然の産物であること、
>滝行や断食したとて、我執ならば不徳をつむことにしかならない、ことなどが、
>説かれています。アゴンマガジンの文章は長いので、引用は避けますが、
>要するに、
>「チャクラ開発、超能力獲得を目的に修行しても、煩悩は断てないし、超能力は
>付かない。煩悩を断つことを目的に修行する中の、副産物として超能力も付く」
>と、P72〜73を、わたしなら、そのように要約します。

市販されている桐山本を示すのならばわかるが、アゴン宗でしか売られてない機関誌の
それも何年も前にやめた元信者ならば持っているはずもないアゴンマガジンの
今年の9月号を根拠に示すのならば、面倒でも必要箇所を抜粋引用するのが当たり前
であるのにしないこの現役信者の怠慢を皆さんは観察してください。
超能力が煩悩除去の修行過程における副産物ならば、最初から超能力を宣伝して
欲を煽るような著書を出さねばよいだけです。
信者時代から私が気に入らなかったのが、大衆受けを狙った(受けないが)
桐山本の数々の安っぽいタイトル群。
そもそも桐山さんは超能力を副産物なんて説かずに未来社会に必要なものと提唱
したはずなのだ。ここでいう超能力とは超常現象を起こす力ではない。
密教の与える五大超能力だのアゴンブッキョウの与える六大超能力だの示して
これを得ることを奨励している。それは人間として社会の中で生きていくにつき
高い能力を発揮して世の中をリードしていける能力です。
だから超人類社会を提唱した時、そのような高い能力を持った超人類社会でなければ
壊滅の危機に頻した人類を救う問題解決の根本対策にならないと説いたわけです。
超能力とは後ろめたい欲望ではなく高い理想だったはずです。
しかしそもそも私も超能力なんてのはうんと先に追求でもすればよい課題であり、
入行の動機になったのは因縁解脱です。
最初「念力」を読んで違和感、抵抗感を覚えた私だったが、次に読んだ「密教占星術1」
を読んで因縁解脱の必要性を感じて入行したわけです。
千座行に挫折して再入行した時に誓ったのが千日終えるまでは伝法会に参加もしないでした。

222ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/18(木) 09:09:05 ID:SmEF4Oe2O
>>217:準シュダオン10/11/17(水) 09:13:29 ID:1F7rdgXk0
>たとえば、前にもレスしたように「修行読本1」P112には、身供養、財供養を
>しないと、我利我利の行になって、品性とみにいやしくなる、と、書いてますね。

アゴン宗でいう供養とは身体奉仕でも金を捧げるものでも、見返り目的なんだから
ますます品性卑しいあさましい所業ではないか。
まだ供養なんかせずに能力開発に励む方が健全と言えます。
我利我利と言うけれどもあなたはそもそも最初は我利の信仰、我利の行でもかまわない
と書いていたではないか?もちろんある時点からはその我利も離れるというわけだが
ではいつ我利を捨てるのかそれも示さない。
そんなものはシュダオンになってから考えればよい話で、我利信仰を肯定していた
のはあなたです。
いちいち書いていることがその場しのぎで矛盾しますね。
もっとも桐山さんも矛盾してましてね、当初は我欲目的から始まる修行も肯定して
いたんですよ。今はないだろうが「修行者指導現簿」というのがありましたよね。
修行者座右宝鑑の元になるもの。密教・超能力のカリキュラムに載ってますね。
あの中に得たい能力とかこうなりたいと願望とか書く欄がある。
あそこに何を書いてもかまわないと指導された。空を飛びたいでも。
好ましくない欲望でも密教の修行により自ずと是正されていくというものです。
つまり修行目的からして考え直せなんて諫めはしなかったのですね。

223天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/18(木) 11:35:24 ID:E.zh5cLE0
阿含宗指導原簿 http://agama.zouri.jp/agon02.html

参考までにどうぞ。

224ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/18(木) 13:40:22 ID:SmEF4Oe2O
>>217:準シュダオン10/11/17(水) 09:13:29 ID:1F7rdgXk0
>たとえば、前にもレスしたように「修行読本1」P112には、身供養、財供養を
>しないと、我利我利の行になって、品性とみにいやしくなる、と、書いてますね。

超能力開発をなにか心に疚しい都合のよい心の働きと考えているから
こんなゴマカシ発言が出るのでしょうかね?それとも超能力開発なんて
掛け声だけで、その実何のネタも披露できないことに対する予防線ですか?
超能力開発を能力開発に置き換えればよい。
我々の社会にも様々な能力開発の研鑽の場があります。
有料で商売になっているが必要なスキルが身につき、今後の仕事に、自分の活動に
プラスになるのなら大いにやるべきで意義あることです。
もちろん能力を身に付ける以前に最低限の礼儀とかマナーとかも身に付けねば
ならないが、そういうものは日頃からいつでも併行して行えばよいだけです。
供養をしないと我利の行になるというのは受講料を払わないと泥棒になるという
意味ですか?受講料なら皆払いますがな。
師や先輩に対する感謝の気持ちと礼儀の話ですか?そりゃ皆踏まえてますがな。
能力開発のセミナーを受けると講師、インストラクターを軽んじる人がどこにいるんですか?
ほら?身供養だの財供養だのと言っても説明もできない。
今日神宮大会で高校野球も決勝が済んだようですが、高校野球なんかも野球以前に
礼儀とか環境整備を重視しますよね。グランド整備は欠かさない。
下級生は玉拾いをするのも円滑な練習には必要とも言える。
しかしそんな下級生でもやがて守備練習とか打撃練習とか練習試合とか要するに
野球の開発訓練をしなければ意味がない。
これをいつまでもさせなかったらどうなるか?
お前は補欠なんだから3年間ずっとスタンドで口ラッパの曲覚えとメガホン持って踊る
ステップの踏み方の訓練でもしてろなんてことがなければ、野球の練習をするのは
当たり前です。供養なんて必要ない。
要するに桐山さんが能力開発訓練の実際を示せない言い訳です。

225準シュダオン:2010/11/18(木) 13:46:13 ID:1F7rdgXk0
「念力」本にも、我欲超能力修行は、人相まで狸に似てくる、と書いてあります。

226準シュダオン:2010/11/18(木) 13:57:24 ID:1F7rdgXk0
「念力」本のP141〜142に、理念と超能力、狸にならないために、
ということで、戒めが書いてあります。
我欲の超能力修行では、人相まで狸に似てくる、というのです。
ユビキタスさんは、何度も読んで、理解することですね。

「龍神がとぶ」という本にも、似たような戒めが書いてあります。
わたしは、始めは我欲からの修行でも良い、とレスしたが、いつまでも我利我利
の修行で良いとは書いていません。
本当に修行していたら、我利ではいけないということに、すぐに気がつくはず
なのです。それに気がつかないようでは、いけませんね。

アゴンマガジン9月号の法話は、昭和50年の「慈眼」という機関紙に載って
いるものです。まともな批判をするつもりなら、アゴンマガジンくらいは購入
してから批判すべきですね。

227準シュダオン:2010/11/18(木) 14:05:15 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんのような性格では、身供養も、財供養も、我欲からの供養に
なってしまうみたいですねw。
ユビさんは「我欲・貪欲」と健全な欲との違いを考えながら、修行すべきでしたね。
このことも、言葉では説明できないと思います。

お釈迦さまも、言葉では説明できないから、37道品を教えたのでしょう。

228ラシン:2010/11/18(木) 17:19:08 ID:b9Cg2rfo0
>226 :準シュダオン:2010/11/18(木) 13:57:24 ID:1F7rdgXk0
「念力」本のP141〜142に、理念と超能力、狸にならないために、
ということで、戒めが書いてあります。


だから能力使用の戒めや心構えと「超能力開発を戒めた」こととは意味が違うだろ。
どうしてアゴン信者って、こうも国語力が低いんだ。
また、書いてあるというなら、その本文を掲載しなさい。
自称準聖者さんの自己流解釈など、だれも信用しておらんウータン。

道場や法話で桐山さんから指導を受けたはずだ。
ユビさんも何度も指摘しているとおり、桐山さんは超能力開発を信者に促した。
オレ様が体得したグモンジ脳の少しでも、今の老人や知的障害で悩む人々に
植えつけられたら、認知症や障害を取り除ける、いやアゴン宗は奏しなければいけない!!
な〜んてスンゴ〜ク力んでいた。

>わたしは、始めは我欲からの修行でも良い、とレスしたが、いつまでも我利我利
の修行で良いとは書いていません。

こんな幼児的言い訳が通用するほど、掲示板参板者はバカではない。
だったら初心者は我利から始まっても、それを克服浄化しなければならぬ、
とかなんとか補説しておけばよかったね。
今更、修業度で気づく気づかないなんて、今気づいて慌てても、遅い!
つまり忘れたんではなく、批判側に抗し切れなくなって考え方を訂正したんだろ、笑笑。

>227 :準シュダオン:2010/11/18(木) 14:05:15 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんのような性格では、身供養も、財供養も、我欲からの供養に
なってしまうみたいですねw。

って、ユビさんは信者止めたんだから、その可能性はゼロだ。
他人をどうこう言う前に、自分自身の矛盾を考えることだ。

>お釈迦さまも、言葉では説明できないから、37道品を教えたのでしょう。

37道品も言葉での説法だよ、アゴン宗のようなバレーなのかタコ踊りか知らんような
教え方はしてない。
言葉で説諭し、その言葉が伝承されて今にあるのだ。
また、デンパ踊りでも始める気なのか?

229ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/18(木) 21:38:43 ID:SmEF4Oe2O
>>226:準シュダオン10/11/18(木) 13:57:24 ID:1F7rdgXk0
>「念力」本のP141〜142に、理念と超能力、狸にならないために、
>ということで、戒めが書いてあります。
>我欲の超能力修行では、人相まで狸に似てくる、というのです。

もちろんこの話はよく知ってますよ。
超能力修行をしてるわけでもないアゴン宗の先達に狸や鼠みたいな動物みたいな
品性のない顔した人たちが少なくないことをどう説明するのか?と言いたいがw
しかしあなたみたいに著書や古い機関誌からの引用を鵜呑みに受け入れ、自分の
頭で考え直してみない人に言いたいが、その狐や狸が取り憑いてしまうほどの我欲
って具体的にどんなあさましい心と行いなのですか?
健全な欲と我欲を区別しなければならないのはその通りです。
我々が自らの能力を高めて価値ある人生を築こうと志すのは健全な欲ですよね。
そのためにナモナモ祈るのではなく現実努力をすることは。
アゴン宗の理念として説かれた超能力も本来安易にゲットできる甘いものではなく
体得は難しく厳しいが、しかしその道程目標を示したのです。
これに邁進して己の人生を明るいものにしようとしたのが信者です。
もちろんあなたが書いていたように最初から世のため人のためというのは偽善だと
思いますよ。やはり本音は自分のためだろう。
その根底にはコンプレックスもあるかもしれませんよね。
なにくそ、いつかビッグになって見返してやるというコンプレックスの裏返しです。
あなたはそれを我欲と申すか?
ならば問おう。このナニクソ精神は桐山さんがシャープの創業者の早川さんだったか
朔日護摩の法話の題材として我々もまた教訓とすべく取り上げ、「さあやるぞ かならず勝つ」
にも掲載されました。
だからこの程度のコンプレックスをバネに励んで逆転出世を美談とした。
つまりこれが狸がつくような我欲だとしたら桐山さんの話は矛盾があることになる。
さあ、説明してごらんなさい。狸が憑くような我欲とは具体的にどんな奴か?
もちろんどんな団体にも必ず少数の落ちこぼれ野郎はいますよね。
ふとあなたの顔が浮かんだがw
努力修行を嫌い安直な御利益を頼みにするようなヤツ。
しかし多くの信者は桐山理念に共鳴して努力する覚悟を誓ったのです。
だからその能力開発努力の道を示さなかった桐山さんの方が嘘つきペテン師です。
あちらが狐だったのだから仕方がないw

230ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/18(木) 22:45:05 ID:SmEF4Oe2O
>>226:準シュダオン10/11/18(木) 13:57:24 ID:1F7rdgXk0
>わたしは、始めは我欲からの修行でも良い、とレスしたが、いつまでも我利我利
>の修行で良いとは書いていません。
>本当に修行していたら、我利ではいけないということに、すぐに気がつくはず
>なのです。それに気がつかないようでは、いけませんね。

だからその気付いて改めたその転機点をあなたの実体験として語られてないのです。
なにやら他人がこんなこと説いてるよ。おら知らねーけんど。としか聞こえず
説得力がありません。
入行当初自分は自分の祈願護摩木ばかり祈る我利信仰だった。
それがある時を機にすっかり変わってしまった。
今は自分の護摩木祈願なんか興味なく他人のお世話ばかりしている。
道場に連れて行って一緒に奉仕修行をして指導して。そんな無償行為が自分の
楽しみになった。
我ながらエゴイストの怠け者がこんなに変わったことに、いやはや信仰というものは
不思議なものだと感激している。
・・・とかそんな体験談が少しも語られていない。
一番肝心の部分を体験しておらず、単に能書きを垂れるだけです。
逆に書いていることは無理はいけない、ほどほどに。
欲貪などの煩悩を断つ?そんなことシュダオンになってから考えればいいんだよ。
それまでは我欲信仰でかまわないさ。
要するにあなたもまだ我利我利信仰から抜け出せていない。
そんなあなたに桐山狐さんは狸が憑くぞ とあなたに戒めたのですよ。

231孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/11/18(木) 23:59:02 ID:dXJ10IoA0
>>216 >>218 お安いご用です!というかたまたま検索して出ただけですがw

>>226 準シュダオンさんは情けないねえ。奉仕が嫌いなら共感できるが訓練が嫌いだったんですね。ナモナモおまじないバカだったとは!
221のユビキタス氏の指摘とダブるが、訓練が嫌いでもやらないと人類滅びちゃうんですよ。
ホモエクセレンスに進化しないと人類に明日はない。
それを実現する超技術が7か37どーほん じゃないですか?

232準シュダオン:2010/11/19(金) 09:17:38 ID:1F7rdgXk0
じつざい私の体験ねえ。
私の入行時にはね、いくつかの因縁が出ていて、管長本の超能力が本当なら、
それを身につけたら、今の状況を打開できる、と考えて入行したのです。
入行前に、管長本で、瞑想を実習して見た。あるとき、2〜30分、すごく集中
できた時があって、そのとき遠隔地の物が見えた。千里眼は本当に実在すること
を知った。で、管長本は本当だ、と信じるに至った。
 しかし、わたし自身は霊能者になるつもりもなく、そういう能力を身に付けよ
うとの考えもなかった。それ以後も、ある程度、瞑想の訓練をしたが、千里眼が
生じたことはなかったね。まぁ、そういうのを嫌ったわけです。
霊能者として生きるつもりもないのに、そういう力がついても、どのようにして
いいのか、かえって困りますからね。

で、「念力」本で、我欲の超能力修行では、人相まで狸に似てくる、というところ
を読み、また、因縁解脱とは十結煩悩を断つことであることを知り、わたしは、
入行後すぐに、超能力獲得は止めにしました。入行後、一週間もしないうちに
俗的な我欲修行というものを止めたのです。

233準シュダオン:2010/11/19(金) 09:36:32 ID:1F7rdgXk0
前レスの書き出し、「じつざい」はミスです。消し忘れです。

昭和48年発行→念力本で、我欲の超能力獲得修行は、狸に似てくるよ、と警告。
昭和50年発行→慈眼にて、我欲の超能力獲得修行は、不徳を積むだけ、と警告。
昭和53年発行→修行読本1にて、我欲超能力獲得修行は、キツネ・狸憑くと警告。
昭和56年発行→龍神が翔ぶ、にて「有」の神通力では解脱できないと警告、P102。

で、超能力指向のオウムがサリン事件を起こしてから、
「オウム真理教と阿含宗」本のP121にて、
「霊性の開発を伴わない超能力開発は魔道に陥る」と、警告しています。

わたしは、これら一連のことを、努力して探しているのではないです。
以前に読んだ本とか、ごく自然に、連結されて、思い出されてくるのです。
それを、芋蔓式とか、知識にエンジンがかかった感じ、とか表現したのです。

234天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/19(金) 10:23:06 ID:jsPBMZHU0
>>231 の青柿さんの意見に同意。

奉仕が嫌でも訓練はしなければいけないのはゲイカの論。
では、その訓練をどれだけ果たせたのか?は無いのが阿含宗。
ゲイカは何も指導らしきものはしてない。
だが、妄信信者は「した」と突っ張るだけ。中身を示さずにね。

訓練が嫌いでもやらないと人類滅びてしまうという意味の内容を
言ったのはゲイカ。
ホモエクセレンスに進化しないと人類に明日はないという内容を
言ったのはゲイカ。
それを実現する超技術が七科三十七道品だといって打ち出したのが
ゲイカではないか。

で、実際どれだけの人間がそのホモエクセレンスが誕生し、存在する
のかは一切触れてないし公言もしていない。これもゲイカ。

言うだけ言うのなら幼稚園児でもいえるのですが。

聖者だとか王者の相承などいいから、実際にその完成された人を公に
出してみるべきです。ですが教祖自ら出さないのだから出しようが無い。

それよりも教祖は弟子たちを育て上げるよりも、来世をどのように自分の
都合のいいように生まれ変わるかの方に逃げたではないか。
輪廻転生瞑想法がオシャカになったからと言って、我々はあの事項を忘れた
訳ではないぞ。

ゲイカは自家撞着を起こして、逃げを起こしただけに過ぎない。

235ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/19(金) 12:32:20 ID:SmEF4Oe2O
>>232:準シュダオン10/11/19(金) 09:17:38 ID:1F7rdgXk0
>入行前に、管長本で、瞑想を実習して見た。あるとき、2〜30分、すごく集中
>できた時があって、そのとき遠隔地の物が見えた。千里眼は本当に実在すること
>を知った。で、管長本は本当だ、と信じるに至った。
> しかし、わたし自身は霊能者になるつもりもなく、そういう能力を身に付けよ
>うとの考えもなかった。それ以後も、ある程度、瞑想の訓練をしたが、千里眼が
>生じたことはなかったね。まぁ、そういうのを嫌ったわけです。

私があなたに訊いた実体験とは、当初我欲我利の信仰ばかりしていたあなたが
ある時を機に価値観が転換してしまい我利信仰がなくなり、利他まで考え行動
するようになった経緯を具体的に訊いているのです。
あなたのそのピンボケ体験報告だと、我欲とは遠隔地を透視したりそんな不思議な
千里眼のような霊能力を持ってみたいという願望、目的から修行を志すということに
なってしまいますね。
しかし私も書いたでしょ?そんなキモイ霊能力なんか別段欲しくもない。
それよりも私が求めたものは中途挫折の因縁を切ることです。
桐山本を読んで自分には中途挫折の因縁が強いと思い込むようになってしまった。
このままでは先の人生明るくない。挫折者にならぬようにこの悪因縁を切らねば
と思い、入行を強く志願したのです。
千座行もあるが究極には深層意識をコントロールしてしまう大随求法をマスターしたい。
私が密教占星術1を読んで一番歓喜したのが「選択の原理」でショウペンハウエルの
「知性と意志の行う決断は無関係である」という無意識層の障害の把握と
それをも制御してしまう大随求法の提示でしたからね。
だからオカルト趣味はないのです。
一体誰に対してどのような意図で我欲云々の話をしているのだ?
結局あなたの体験談から我欲を乗り越えたなんて結論は得られない。
桐山さんは瞑想者などの見る神秘体験を禅の魔境と位置付けてとりあうなと
しているが、あなたもそれに興味を追い求めたりしなかっただけです。
これが桐山さんの言う我欲の超越なんですか?
あなたの人格的に向上した姿が全然見えてこない。

236ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/19(金) 12:49:09 ID:SmEF4Oe2O
>>233:準シュダオン10/11/19(金) 09:36:32 ID:1F7rdgXk0
>昭和48年発行→念力本で、我欲の超能力獲得修行は、狸に似てくるよ、と警告。
>昭和50年発行→慈眼にて、我欲の超能力獲得修行は、不徳を積むだけ、と警告。
>昭和53年発行→修行読本1にて、我欲超能力獲得修行は、キツネ・狸憑くと警告。
>昭和56年発行→龍神が翔ぶ、にて「有」の神通力では解脱できないと警告、P102。

>で、超能力指向のオウムがサリン事件を起こしてから、
>「オウム真理教と阿含宗」本のP121にて、
>「霊性の開発を伴わない超能力開発は魔道に陥る」と、警告しています。

だから我欲という単語の列挙はいいからその我欲目的の修行とは具体的にどんな
ものか書いてみなさい。
私が書いた中途挫折の因縁の克服とは我欲なんですか?
あなたも解決したい問題があって入信したと書きましたよね?
そのとおりで、それは桐山さんが認めた話です。
現実問題も解決できないような怯惰な瞑想は意味がないと王陽明の陽明学まで出している。
瞑想とは現実問題を解決する我を作るものだとしている。
また朔日護摩法話の早川徳次のナニクソ精神を示して、このように弱点、コンプレックス
も克服して、能力実力を蓄えて見返してやるがごとき立身出世の努力を奨励している。
だからこれを我欲扱いして狸が憑く話にすると矛盾するからこれは違うとわかる。
では狸が憑く我欲修行とはどんな信仰修行なのか具体的に示してみなさい。
示せないでしょう?
そう考えるとアゴン宗の元信者も現役信者もそんな人はほとんどいないとわかる。
少しはいますよね。
例えば準シュダオンさん、あなたです。
修行努力も嫌って都合よく御利益が下がることを願うあなたには狸が憑くかもしれない。
あ?もう憑いてますねw
我々は狸を相手に議論してきたのかw

237ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/19(金) 16:37:17 ID:SmEF4Oe2O
誤字訂正
怯惰→怯懦

238準シュダオン:2010/11/19(金) 19:39:25 ID:1F7rdgXk0
結論を言えば、残酷なようですが、修行を止めて退会し、阿含宗の悪口を述べて
いる批判派が、我欲信仰の証拠なのです。

我欲信仰だから、効果を得られなかったのです。
結果は残酷に、事実を知らしめます。
我欲信仰修行者は、効果を得られず、退会の道を進みます。
わたしには、ユビさんが、なんで修行が進まなかったか、よく見えますw。

密教修行で、簡単に超能力が得られると思うのは、誤解です。
前世から、修行してきている人が、初めて、効果を得られるのです。
注意深く、管長本を読んでいれば、それが解ります。
ユビさんをはじめ、批判派の皆さんは、それを解っていないねw。

239準シュダオン:2010/11/19(金) 19:49:18 ID:1F7rdgXk0
ホモエクスレンス、アデプトは、もうすでに誕生しているのです。
そんなことに驚く必要はないのです。
管長のいうアデプトは、すでに誕生しています。

明治時代の人が、タイムマシンで昭和時代に来て、昭和時代の人を見たら、
どう思うでしょうか?アデプトに見えるでしょうねw。

アデプト時代に、仲間のアデプトを見ても、凡人に見えるだけですw。

240準シュダオン:2010/11/19(金) 20:08:45 ID:1F7rdgXk0
間脳思考P251に、
「シャカのむずかしい成仏法を修行しなければ間脳がひらかず、霊性開顕が不可能
であるとするならば、いったいどれほどのひとが、霊性開顕することであろうか?
ごくかぎられた、わずかなエリートしか、到達することができぬであろう。」
と、管長は書いています。

「思念による王者の相承」が、それを打破するのです。
間脳思考本のP220をご覧なさい。そこには、
「霊性の開顕は、グルに受け入れてもらえたら、八分通り成功したといっていい」
くらいだと、書いています。

だから、管長の受け入れの秘儀を受けた人は、あくせくと、自力での修行成就を
あせるのは間違いです。自力は2割でいいのです。あとは、グルの御業ですw。

241名無しさん:2010/11/19(金) 21:22:40 ID:hEa6V0po0
>>240

くだらん。

242ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/19(金) 21:42:53 ID:SmEF4Oe2O
>>239
つまらん。(ギャグとして)

243ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/19(金) 22:02:40 ID:SmEF4Oe2O
>>238:準シュダオン10/11/19(金) 19:39:25 ID:1F7rdgXk0
>結論を言えば、残酷なようですが、修行を止めて退会し、阿含宗の悪口を述べて
>いる批判派が、我欲信仰の証拠なのです。

>わたしには、ユビさんが、なんで修行が進まなかったか、よく見えますw。
>密教修行で、簡単に超能力が得られると思うのは、誤解です。

毎度毎度書く前に他人の文章くらい読めや。老眼鏡かけて。
超能力など求めてないと書いてあるだろが。
効果なんかなかなか現れなくても長く続けてきて、今後も効果などなくても続けて
いくことは意義があると思っていたんだよ。
退会したのは桐山さんの悪意の嘘に気づいたからで、それ以外の何物でもありません。
私は会費など払って宗教詐欺の片棒など担ぐ気にもなれぬ。それだけです。

>前世から、修行してきている人が、初めて、効果を得られるのです。
>注意深く、管長本を読んでいれば、それが解ります。

だからそんなこと説いてないから桐山さんに質問して確認してから侮辱しなさい。

244ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/19(金) 22:10:36 ID:SmEF4Oe2O
>>240:準シュダオン10/11/19(金) 20:08:45 ID:1F7rdgXk0
>間脳思考P251に、
>「シャカのむずかしい成仏法を修行しなければ間脳がひらかず、霊性開顕が不可能
>であるとするならば、いったいどれほどのひとが、霊性開顕することであろうか?
>ごくかぎられた、わずかなエリートしか、到達することができぬであろう。」
>と、管長は書いています。
>「思念による王者の相承」が、それを打破するのです。

釈尊の時代に何百人の阿羅漢果が誕生したと思っているのだ?
アナゴン、シダゴン、シュダオン含めるとさらに大変な数です。
経典に書いてあるだろ?
もちろん釈尊は弟子たちに対して思念のバイブレーションの手助けなどしていません。
人は他人を浄めることはできないと断言しています。
自己努力しかないのです。
桐山さんも阿含経を読んでないのですね。
そこの狸憑きもw

245ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/19(金) 22:23:45 ID:SmEF4Oe2O
>>239:準シュダオン10/11/19(金) 19:49:18 ID:1F7rdgXk0
>明治時代の人が、タイムマシンで昭和時代に来て、昭和時代の人を見たら、
>どう思うでしょうか?アデプトに見えるでしょうねw。

桐山さんはギリシャ・ローマ時代に比べて人類は精神的に退化していると述べています。
道具が発達しただけだとしています。
未だに戦争もなくならない愚かさに昔も今もないとしています。
アデプトとはこれを乗り越えるものとしています。

246ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/19(金) 22:30:54 ID:SmEF4Oe2O
>>245の終わりに付け足しをしておこう。

未だに戦争もなくならない愚かさに昔も今もないとしています。
アデプトとはこれを乗り越えるものとしています。
自分の御利益しか頭になくて社会の平和とか考えたことのない狸憑きにはわかりませんw

247ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/19(金) 23:52:15 ID:SmEF4Oe2O
>>238:準シュダオン10/11/19(金) 19:39:25 ID:1F7rdgXk0
>結論を言えば、残酷なようですが、修行を止めて退会し、阿含宗の悪口を述べて
>いる批判派が、我欲信仰の証拠なのです。

結論?桐山さんが言う狐や狸が憑く我欲とは何か?と質問したその回答結論が
これなんですか?
つまり桐山さんは願いが叶わなかったら退会する人は狸が憑くと言ったというのですか?
私にゴマカシは通用しませんよ。

248桐山千景:2010/11/20(土) 16:20:38 ID:HSnthUfE0
準シュダオンってさ、ほんと低脳だよな。
別院職員のG田だろ。変な屁理屈ばっかだな、おまえは。

迷得新聞でも作ってろよ。
いまだに桐山さん信じてるの?頭は大丈夫ですか?

あんたは古いんだよ。
道場に修行に行ってないというわりに、いろいろ言うよな。
おまえは職員だろ。

おいコラ、化けの皮剥がすぞ。とぼけて書き込みしてんじゃねぞ。
S倉職員はどうしてる。執事次長にでもなったか。
陰湿な下町出のボケ女房はどうしてる。みんなで桐山さん信じているのか。
おめでたいヤツラだな。

249名無しさん:2010/11/20(土) 23:31:27 ID:hEa6V0po0
ほんと低脳だよ。
救いようがない奴だわ。

250準シュダオン:2010/11/21(日) 09:59:45 ID:1F7rdgXk0
アゴンマガジン9月号に、旧日本兵で阿含信徒の栗栄吉さんのガダルカナル護摩
法要の参拝体験談が載っています。長いから引用しませんが、人の心が残っている
なら批判派の皆さんも、マガジンを買って、読んでから批判することですね。

その後、栗さんの戦友達の生き残り方が、阿含宗の僧侶を呼んで追悼法要を行い、
今後は毎年、「阿含宗でこの供養を続けてほしい」ということになっているとか。

251準シュダオン:2010/11/21(日) 10:05:14 ID:1F7rdgXk0
我欲の説明など、必要ないでしょう。
国語辞典にも「我欲」の説明はあります。
それを自分なりに理解するしか手はありません。
修行をしても効果がなかったら、それは、我欲が強いからと、知れば良いのです。
言葉だけで知ろうとしても、無理でしょう。

要するに、我欲が満たされないから退会するわけで、
我欲が無い人は、退会する理由がないのです。

252ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/22(月) 08:28:57 ID:SmEF4Oe2O
>>251:準シュダオン10/11/21(日) 10:05:14 ID:1F7rdgXk0
>我欲の説明など、必要ないでしょう。
>国語辞典にも「我欲」の説明はあります。
>それを自分なりに理解するしか手はありません。
>修行をしても効果がなかったら、それは、我欲が強いからと、知れば良いのです。
>言葉だけで知ろうとしても、無理でしょう。
>要するに、我欲が満たされないから退会するわけで、
>我欲が無い人は、退会する理由がないのです。

我欲とはわがままな欲望でしょうね。
だからある希望を叶えたいと願う時、当然それなりの努力や辛抱や時間などを要する。
この過程をすっぽかして都合よく結果だけ得ようなんてのは不当でわがままな欲です。
だから願いが叶わないから退会しましたというのは、それってわがままな欲
だったんじゃない?というケースもありましょうね。
しかし私の場合は一生信仰に励む決意でいたのです。
それは当初の決意というよりも、長く続けているうちに身に付いた目標と言えましょうね。
多くの人と同じように特に顕著な面白い御利益みたいなものはないわけです。
しかしだから面白くないから辞めるなんてことはしない。
それでもまだ希望は残しつつも、一生顕著な向上の見られない想定も無意識のうちに
してしまう。それでも続ける動機を「無事之名馬」で、特別悪い災害病気を
予防する信仰にする。向上がないのは自分の至らぬせいと見る。
それでうだつの上がらぬまま一生を終わる。すると斉の広場で私を霊界まで
推進してくれる存在を感じる。解脱供養や冥徳供養で解脱成仏を導いて「やった」(笑)
先祖たちです。「ユビキタスよ、ご苦労さん。さあ、我々が霊界に連れていって
あげるよ」と空中飛行をする。
Booさんも信者時代似たようなことを書いていた。死んだ時に証明があればよいと。
だから死ぬまで結論を急がず退会するはずがないのです。
それを退会したのは全く別の理由です。
道義的におかしいと思ったからです。
あなたはオウムを退会した人は我欲があったからであり、未だにアーレフなどを
続けている信者こそ我欲のない人と言いますか?
もちろんオウムとアゴンはやったことの犯罪性の程度が異なります。
しかし元信者が退会した理由とは我欲など関係なく、道義的に足を洗ったわけです。
欲があるのならば自力で求めねばならなくなった。
それを清々しく潔いと感じた。

253ラシン:2010/11/22(月) 11:02:46 ID:b9Cg2rfo0

>要するに、我欲が満たされないから退会するわけで、
我欲が無い人は、退会する理由がないのです。

何を分けのわからぬ独善に溺れて自惚れているんだ?
論を持たない者の究極な決め付けだ。
我欲を制御し、最後には消滅させてしまうのが、仏教じゃないの。
我欲が無ければそれはすでに修業の終焉に近いと言って過言ではない。

>修行をしても効果がなかったら、それは、我欲が強いからと<、

と言うなら、
つまりそれは、我欲に対してアゴン宗は無力だ、と言うことになる。
どうしてその理屈の矛盾に気づく知恵がないのだ?
そこまでアゴン宗の無力を勝手に宣伝して、逆に桐山さんを侮辱していることさえ
気づかない。
だが、アゴン宗など無力だ、と導かれるその結論は正しい。
桐山さんは信者を助けられないし、先祖の霊障も解けない。
釈尊がはっきり不可能だと2500年も前に教えてくれている。
つまり桐山さんが出来ると言ったことはウソだと気づいたから、
批判側は退会したのだ。
釈尊が不可能だとしたことを可能と放言していた桐山さんを見限ったのだ。
しかし、
桐山説にのっかて他人を見下し、優越感に浸る気持ちを
捨てきれないから信者を止めずに残っている。
王者の思念の相承を自己申告して威張りたいから退会せず、しがみついている。
これだけでも我欲がある証拠だ。
なぜなら「我欲が無い人は、退会する理由がないのです」なんて大見得を
切っているその姿こそ、傲慢と驕慢をよく表しているからだ。
我欲があるから今でも止めずに、桐山さんというニセ虎の威を借る狐でいられるのだ。

254準シュダオン:2010/11/22(月) 15:50:54 ID:1F7rdgXk0
私は、アーレフの教えは解らないので、我欲で続けてるのか、そうでないのか
解らないね。ただ、元阿含宗信徒のユビさんなどが、なんで修行が続かなかった
かなどは、想像がつくね。おそらく、超能力なども付かなかったであろうね。
そんで、「自分には超能力のかけらも付かないし、教えもインチキに違いない、
他の修行者などにも超能力者はいないはずだ」と、思っているのだろう。

覚えておきなさい、管長以外の阿含宗信徒の超能力者は、能力を口外はしない
はずだよ。わたしだとて、聖なるバイブレーションの洗礼があったことは、ネット
以外には口外していない。ネットは匿名だから、報恩謝徳のつもりでレスしたまで
でね、他人の持たない能力が身についた場合、秘めておきたくなるものですよ。

さて、釈尊の苦行者時代は、涅槃を得ようと修行したわけだが、それは我欲に
当らないのであろうか。

255準シュダオン:2010/11/22(月) 16:13:30 ID:1F7rdgXk0
私は、明治時代の人が昭和の人を見たら、アデプトに見えるだろうとレスした。

管長は、紀元前に中国では孔子をはじめとした思想家が出てるし、ギリシャでは
イソップやソクラテスや多くの賢人が出てるし、インドではシャカやその他の
思想家がでている。それ以来、人類は知能が進んでいるとは言い難い、
と本に書いてます。確かに、それは肯定せざるを得ない。

しかし、古代ローマでは巨大なコロシアムで奴隷同士戦わせ、殺し合わせて、
見物するのを娯楽とした。他国も皇帝やら王族やら貴族やらが民衆を支配し、
奴隷などを使役した。それを見れば、やはり一面では人類は進歩しているね。
江戸・明治時代から見たら、戦後の主権在民、基本的人権を保障した日本国
憲法は格段の進歩であろう。

「間脳思考」本では、「密教・超能力の秘密」本でいうアデプト、ホモ・エクセレンス
とは、間脳・霊性を開顕した人のことである、と明かしています。

257天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/22(月) 18:46:56 ID:X9a.rBWU0
削除済み256 IP 210.101.131.231 DACOM Bldg., 706-1, Yoeksam-dong, Kangnam-ku 韓国(ソウル)

アメリカ 香港 今回は 韓国からですか。

あなたのような能無しでコピペしか貼れないのは「屁」でしかない。
いつまでもそういう馬鹿な行為をやっていても自分を落とすだけ。
言ってもわからないでしょうがね・・・。

258孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/11/23(火) 00:55:45 ID:dXJ10IoA0
>>254 >ただ、元阿含宗信徒のユビさんなどが、なんで修行が続かなかったかなどは、想像がつくね。おそらく、超能力なども付かなかったであろうね。
そんで、「自分には超能力のかけらも付かないし、教えもインチキに違いない

ちょっと酷すぎます。>>252 >>235を再度読むべきです。
PCは本と違い直接光だから目が疲れるのは分かるけど、疲れないように速読の要領で単語中心に追いつつ斜めに読んでいくと意味は分かるはずですよ。
それすらせず 相手のレスは無視でユビさなんはこうだろうと勝手に予想し決め付けはいけません

259ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 07:54:35 ID:SmEF4Oe2O
>>254:準シュダオン10/11/22(月) 15:50:54 ID:1F7rdgXk0
>私は、アーレフの教えは解らないので、我欲で続けてるのか、そうでないのか
>解らないね。

いや、教えの内容がどうこうなんて次元の話です。
教えの内容なんて誰にでも立派そうに見えるものを作れますよ。
だからそれを基準にしても本当の姿は見えない。
オウムは大量殺人テロを起こした教団ですよ。
いかに立派そうな教えで飾っていてもこれだけは容認できない。
だから教祖も教団もあんなことをしたら、関わりもしなかった、知りもしなかった
下の信者でさえもこの殺人教団の仲間であったことを悔いて恥じて解散するか
少なくとも自分だけは社会的責任をとるためにも退会するのが筋でしょう。
アゴン宗は殺人テロまではやってないが、犯罪のレベルは違うと言えど
明らかな嘘と騙しによる霊感商法の団体であり、程度の差はあれ共通の害悪です。
だからこれを知ったら即座に足を洗い、残った信者の為にも教団外の一般人に
対しても、これを知らしめる情報発信をすることが自分の義務と考えるわけです。

>覚えておきなさい、管長以外の阿含宗信徒の超能力者は、能力を口外はしない
>はずだよ。わたしだとて、聖なるバイブレーションの洗礼があったことは、ネット
>以外には口外していない。ネットは匿名だから、報恩謝徳のつもりでレスしたまで

勝手に教団の方針を作りなさんな。その方針は違います。
桐山さんはネットなどで(アゴン宗に関わることを)議論するなと示しています。
議論するならば宗務局の許可を得よ、ただしめったなことで許可はせぬという
基本方針を明らかにしている。
ネットには良い面悪い面両方ありますね。
顔が見えないことは自由な意見を誰でも述べられ利点があるが、超能力なんて
検証を必要とするものに対しては、顔が見えないことをいいことにどんなデマでも
飛ばせ、しかし逆に信憑性皆無で馬鹿にされるのがオチです。
アゴン宗の信者にはこんな馬鹿がいたかと示すだけ教団の恥さらしであり
泥を塗る行為です。
まあ私にはどうでもいいことですけどね。
あなたがどれだけ教団に泥を塗ろうが。

260ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 08:09:26 ID:SmEF4Oe2O
>>255:準シュダオン10/11/22(月) 16:13:30 ID:1F7rdgXk0
>しかし、古代ローマでは巨大なコロシアムで奴隷同士戦わせ、殺し合わせて、
>見物するのを娯楽とした。他国も皇帝やら王族やら貴族やらが民衆を支配し、
>奴隷などを使役した。それを見れば、やはり一面では人類は進歩しているね。

それを言うならば20世紀人は原爆を広島と長崎に投下して瞬時に大量殺人をする
古代では考えられない愚行をしたのです。21世紀人でも焚き火で平和を祈る
教団と意気投合したかのような国が空爆攻撃をしている。
戦争はなくなっておらず、このように人類はちっともそちらの部分が改善されてない
というのが桐山さんの主張なんですね。

>江戸・明治時代から見たら、戦後の主権在民、基本的人権を保障した日本国
>憲法は格段の進歩であろう。

桐山さんは戦前の日本人の方が仏壇や神棚を祀り、家父長を中心に一家で拝むことを
よき習慣として、これを復活させる意味でも守護神の販売を始めたわけです。
霊性という観点からは現代よりも明治や江戸の方が機能していたと言いたいのです。
残念ですね。桐山さんの考えと合わなくてw
あなたの主張は桐山さんの言うところの新皮質脳による発想ばかりではないですかw

261ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 08:12:17 ID:SmEF4Oe2O
>>259訂正
いや、教えの内容がどうこうなんて次元の話です。

いや、教えの内容がどうこうなんて次元の話ではありません。

262準シュダオン:2010/11/23(火) 08:54:45 ID:1F7rdgXk0
わたしゃ、知らんが、アーレフはオウムとは教義が違うんでしょ?
名前も違うし、同じに見るのは偏見ではないのか?
で、アーレフの教えをわたしゃ、知らない。
もしかしたら、我欲修行を肯定してるかも知れない。
そうしたら、アーレフを辞めないのは我欲があるから、ということになるねw。
そのように、ユビさんの考察は、浅いのよ。

アメリカでは南北戦争で奴隷制度を無くしたし、日本では明治維新で士農工商の
身分差別を無くした。と、いうように、ある面では人類の考え方は進んでいる。
しかし、管長のいうように、霊性という面では、原爆を持ち出すまでもなく、
後退しているとも言えよう。

「密教・超能力の秘密」本のP482には、誰でもが最上階のアデプトになれるわけ
ではない、と書かれています。それは、前世、前々世、からヨーギとして修行して
来た者が超人・アデプトになるのだそうである。
 だから、いくらか修行してみて、超能力が付かなかった場合は、
「自分には才能がない」と、早めに気づいて、因縁解脱一本に絞るべきなのですね。

263準シュダオン:2010/11/23(火) 09:10:26 ID:1F7rdgXk0
たぶん、ユビキタスさんなどの境界では、霊視が出来たり、思念の相承を受けた
場合は、得意になって法友などに話すだろうね。残念ながら、そういうレベルの
人には超能力はつかないでしょうね。
自分にそういう力が無い場合、相手にもないと思いがちなのは仕方ない。

わたしは、思念のバイブレーションを受けたし、霊視・念視ができたこともある。
だから管長の言うことは本当だと思う(但し、オーバー気味の表現はあろうか)。
だから、現役信者が、批判派のいうことのみを、鵜呑みにしては間違いなので、
こうしてネットで知らせているのですよ。

江戸や明治時代を出すまでもなく、昭和60年あたりの人が、長期の眠りについて、
現在目覚めたとしたらどうだろう?パソコンを駆使してる現代人を見たならば、
アデプトに見えるのではなかろうか。
凡人とアデプトの差は、大きくて小さい、とも言えそうです。

264ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 13:44:43 ID:SmEF4Oe2O
>>262:準シュダオン10/11/23(火) 08:54:45 ID:1F7rdgXk0
>わたしゃ、知らんが、アーレフはオウムとは教義が違うんでしょ?
>名前も違うし、同じに見るのは偏見ではないのか?


たしかにアーレフは元オウムとはいえ、一応前教祖は否定しており、ソフト路線に
変えてるようですよね。しかしその代表はかの地下鉄サリン事件でもマスコミに
詭弁を説き続けた上祐氏です。
あれだけのテロ殺人に幹部が知らなかったとは言わせない。
実行犯でなかったから逮捕されなかっただけで殺人教団の幹部だった責任はあると
思いますね。それを教義一部変更だけでごまかそうとし、それについていく奴等
というのは殺された遺族の気持ちを考えてはできないことと思われます。
社会的な責任感が稀薄なんでしょうね。
で、私は教祖が代わって前教祖を否定しているわけでもない未だに桐山教祖が
同じ宗教詐欺を続けているアゴン宗になど在籍をしていること自体自分を汚す
ものだと思うから、すぐに退会したのです。
甘い希望、我欲はその際に一緒に捨てました。
四正断を実行したわけです。過去は取り消せないが、今これからはこの悪を捨てて
二度と染まらなければよいのです。

>アメリカでは南北戦争で奴隷制度を無くしたし、日本では明治維新で士農工商の
>身分差別を無くした。と、いうように、ある面では人類の考え方は進んでいる。

だからそういう進歩があることは事実です。進歩してないなんて桐山さんだって
言っていない。桐山さんが言っているのは霊性の話です。
戦争をやめられないホモスツルチッシス(超愚人)だったか、その愚かさを
新皮質脳だけでは駄目なんだと示したわけです。

>「密教・超能力の秘密」本のP482には、誰でもが最上階のアデプトになれるわけ
>ではない、と書かれています。それは、前世、前々世、からヨーギとして修行して
>来た者が超人・アデプトになるのだそうである。

だったらそんな超能力の著書なんか書かなければいいじゃないですかw
これから本著で書く超能力は前世からやってないと無理だからおまえらは諦めろ、
読むだけ空しくなるよとか。
本当に読解力が無いんですねえw

> だから、いくらか修行してみて、超能力が付かなかった場合は、
>「自分には才能がない」と、早めに気づいて、因縁解脱一本に絞るべきなのですね。

だから因縁解脱一本に絞ったと書いたろ?

265ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 13:56:05 ID:SmEF4Oe2O
>>263:準シュダオン10/11/23(火) 09:10:26 ID:1F7rdgXk0
>たぶん、ユビキタスさんなどの境界では、霊視が出来たり、思念の相承を受けた
>場合は、得意になって法友などに話すだろうね。残念ながら、そういうレベルの
>人には超能力はつかないでしょうね。

私だったらそんなものを感じただけだったら他に合理的説明ができないかどうか
考えて、できるならば、そちらの方で解釈する冷静さを保ち、間違っても有頂天に
なって宣伝するような恥ずかしい真似はしませんよ。

>わたしは、思念のバイブレーションを受けたし、霊視・念視ができたこともある。

ほら、おまえの方が自慢で晒しとるw
本当に信者のためを思うならば、私はネットではなく、アゴン宗の道場で管長に
たしかめてもらって披露しますよ。それが一番の説得でしょうが。

266ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 17:49:15 ID:SmEF4Oe2O
オーラの祭典で祈ったら北朝鮮が韓国の島に砲弾を撃ち、韓国も応酬しましたな。

267準シュダオン:2010/11/23(火) 18:05:25 ID:1F7rdgXk0
アゴン宗の道場で管長に確かめてもらって披露するとね?
まぁ、それは、想像出来る、最上のことでしょう。
だが、そうはならない。説明できないが、そういう場は自覚なければ生じない。

最近、著名な作詞家が逝った。それに、365歩のマーチてのがあった。
アゴンマガジン11月号のP40に、「師とともに歩む」という記事があって、
管長は、「1日休むと2日休む、2日休むと5日休むから、必ず毎日続けなさい」
と、指導したそうです。

千座行では、一日休むと二日の後退、ですね。
365歩のマーチは、
「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩さがる」です。
ここで、わたしは、プラス思考をしますね。

三日修行して、一日休んだら二歩後退、まだ一日分の貯金はあるね。
て、ことは、三日修行して一日休む、を続けていけば、前に進むわけですよw。
そのようにプラス思考でいけば、休みながらの修行でも、前に進めるのです。
管長は、慈悲から、早く信徒の修行を進めたくて、休むな!というわけです。

268ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 18:25:15 ID:SmEF4Oe2O
>>267
365日休みっぱなしってことにならないように頑張ってねw

269準シュダオン:2010/11/23(火) 18:27:18 ID:1F7rdgXk0
北朝鮮と韓国が打ち合いをした。
だから、阿含宗の護摩法要は、無意味だという考えもあろう。
ならば、キリスト教が行う平和のミサも無意味だというのか?
どうせ、戦乱は避けられない、平和を目指す政治家も無意味なのか?
どうせ、戦乱は止められていないから。

阿含宗にケチをつけている批判派の言い分は、↑のように思われる。
既成の団体の平和活動が無力だと思うのならば、ケチをつけてる暇があったなら、
自分で効果的な平和活動をしたらよかろう、と、思うねw。

270ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 18:35:21 ID:SmEF4Oe2O
>>269
なるほど、アゴン宗の大イベントの祈りって、キリスト教のミサの形式と同等と
みなしていたわけね。
大切なのはパフォーマンスだ!

271ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 18:44:05 ID:SmEF4Oe2O
>>267:準シュダオン10/11/23(火) 18:05:25 ID:1F7rdgXk0
>管長は、「1日休むと2日休む、2日休むと5日休むから、必ず毎日続けなさい」
>と、指導したそうです。

364日やって1日休んでしまうとそれまでの364日も休んでいたことになって
しまい、振り出しに戻るシステムだけどね。

272干柿:2010/11/23(火) 22:46:04 ID:BBtat4sE0
まだやっているんですか準シュダさんは?
ところで霊的バイブレーションで何が変わったっていうわけ?
なんもかわらんじゃないですか
だからマヤかしだというのですよ、私も感じたことがある
擁護派だったとき、それこそ成仏力の正体だと思ったこともある
そういう点ではユビさんよりもあなたを理解しているかもしれない
でもね何にも変わらん、むしろそんなもんに感激してのめりこんで
洗脳されおかしくなった連中のなんと多いことか!
幸いにも私は一途にのめりこむという性格ではなく八方美人でミーハー
であったため神社仏閣で感じたこともあったため阿含宗だけが特殊な力
を持つものではないということもわかったし(明治神宮で感じたこと
ありましたよ、あまり人のいないときでしたが)
なんか心地よく感じたからといって、それが良いもの正しいものだとは
言えないじゃないですか、それこそ薬で気分が良くなるのと同じw
宗教はアヘンとはよく言ったものですw
まあそうですね人の念が集まるところ(阿含宗は意図的に護摩法要とかで
やっているわけで)そんなバイブレーションみたいなのがたまるのでしょう
考えてみればわかることで念の中には慾やら怨恨やらもある
清らかな祈りの念に隠れてそのようなものが見え隠れしている
祈りと念だけで、なんの行もない阿含宗が破綻するのもうなずけるわけでしてねw
道場に行けばいくほど変になる人も出てくる道理です。
そこで準シュダさんは、あまり道場やら梵行やらやらないからそういう
恐ろしさもわからず、ノー天気にやっておられるのでしょう。
現実は悲惨なものです外面だけはつくろっているが、それも限界でしょ
ダメですね、もう阿含醜は

273ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/24(水) 08:32:19 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんの感じたバイブレーションなんて干柿さんが神社で感じる霊気
なんてのとも全然異なるのです。
彼はちょうど今頃晩秋の寒い未明に目が覚め、痺れの感覚と猛烈な寒さを感じた。
それを総本殿の方角から送られてきた思念の相承のバイブレーションと思い込んだ
単なるおめでたい頭です。
これは脳梗塞の軽い前兆発作と考えれば説明がつきます。
桐山さんがサヘトマヘトで受けたという霊的バイブレーションもこれと同じです。
疲労の極致にあったインド行のサヘトマヘト訪問でもともと不摂生で糖尿を引き起こし
ていたところを軽い発作が起きた。前兆に過ぎないからすぐに弊害はないわけです。
そして単なる脳の痺れをメッセージに受け止めようが勝手だが、問題なのはその
思念のバイブレーションを受けてどう人格の向上変化を起こすかどうかですよね。
準シュダオンさんがそれまでさぼりがちだったのが、この思念を受けたことを契機に
それを境に道場にも足繁く通うようになり梵行に邁進することに苦痛を感じなく
なったとかならまだわかる。
ところがこの人は依然として例祭などもサボる一方で、寝ていても思念があちらから
来たのだからいいのだとかえって修行しなくてよい言い訳にしてしまった。
桐山さんの指導とは道場に通って梵行に励み大大運気を運べです。
それゆえに因縁も切れる理屈です。
果報は寝て待てではなく練って待てと研鑽努力を重視している。
その指導に添うのではなくかえって背く理由にしているバイブレーションに
何の意味があるか?
マトモに相手にするだけ馬鹿馬鹿しいのです。

274ラシン:2010/11/24(水) 10:37:10 ID:b9Cg2rfo0
>266 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/23(火) 17:49:15 ID:SmEF4Oe2O
オーラの祭典で祈ったら北朝鮮が韓国の島に砲弾を撃ち、韓国も応酬しましたな。

痛烈な皮肉だね。
アゴン宗の祈りは、祈願成就という装置の機能はないが、
何か紛争を呼び込むのが得意らしい。
これって一応、準聖者老人あたりが自慢したいデンパ力になるのか。
ガザといい今回の延坪島砲撃といい、アゴン宗ゴマは危険を占うのか。
マヤの祭典で、桐山さんが朝鮮半島危機を憂いたポーズくらいすべきだった。
遅きに逸したわけだ、もちろんここにいる老人のデンパなど何の役にも立たなかった。

275ラシン:2010/11/24(水) 16:54:19 ID:b9Cg2rfo0
>269 :準シュダオン:2010/11/23(火) 18:27:18 ID:1F7rdgXk0
北朝鮮と韓国が打ち合いをした。
だから、阿含宗の護摩法要は、無意味だという考えもあろう。
ならば、キリスト教が行う平和のミサも無意味だというのか?

じゃあ逆に、
ローマカソリックの平和のミサに意味があるからと、
アゴンゴマ法要の貢献度が、どうして関係するんだあ〜?
世界でキリスト教信者数は、20億人以上にものぼる。
その中には、政治家や経済人や軍関係者と危機に関わる重要人物を多数含む。
影響力で考えれば、比較することじたいに意味がない世間知らずじゃない(笑)
比してアゴン信者は何人だ?
戦争を否定することに関わる重要人物がいるのかね。
キリスト教による平和のミサは、そうした世界に向けたメッセージだ。
祈ってその地を覆う霊障のカルマが雲散霧消するという趣旨ではないのよ(笑)
だから、
アゴン法要など、メッセージ力も警鐘力もカルマ消滅力も何にも無い無の力だよ。
ただの金集めと宗教商売という催事じゃないの。

>既成の団体の平和活動が無力だと思うのならば、ケチをつけてる暇があったなら、
自分で効果的な平和活動をしたらよかろう、と、思うねw。

だからそれは政治参加で平和反映を願うことが社会人の第一歩だ。
コスプレして祈って平和になるツモリ宗教で、積徳にヨダレを垂らすなんてしたくない。
桐山さん本人が各国や当事国の重要人物と掛け合えるなら見直してやろう。
だが、会えもしないし人を介して金だけ出しているだけじゃないの。
それなら名誉称号コレクターの池田さんのほうが可能性は大じゃないの。
もう今回で300個めの称号を買ったそうだからね。
その意味では桐山さんなど足元にも及ばない。

276ラシン:2010/11/24(水) 17:14:15 ID:b9Cg2rfo0

深山さんがよく引き合いに出す、嘆きの壁に頭をこすりつけた桐山さん。
みんなあの姿を写真などで見たはずだ。
普段は、他宗教の無力を貶していながらゴマイベントのためには、
いつもの看板を隠して、権力になびく姿のどこに誇りが感じられるんだあ?
選挙のときだけ白手袋をはめて手を振る政治家と変わらない。
いやいやそれよりももっと劣る情けなさだ。
政治家は当選すると国会であれ、自分の意見を表現できる機会を得る。
しかし、桐山さんはどうだあ?
黙して語らず、集金した伝票チェックだけの是非で終わっているじゃないの。

277準シュダオン:2010/11/25(木) 10:26:36 ID:1F7rdgXk0
聖なるバイブレーションは、やみくもに努力ばかりしてたって、だめです。
骨折り損のくたびれ儲けw、という言葉もありますからね。
管長の言葉は本当なんだけども、努力してたら報われるというわけでもないね。
聖なるバイブレーションを受けることは、山の源流を見つけるに似ているね。

山の源流は谷川になり、平野の大河になり、大海へそそぐ。
当初は、源流や谷川を見つけようと、あくせくと探し回るね。
で、源流や谷川を見つけたら、どうなると思うかね?
わたしの場合は、「!!、これでもう安心、もうあせることぁない、少し
休んで一服しよう。や、川だけ探して焦ってたが、良く見ると草も木も、
花々も綺麗に咲いてるね、いい景色、もう少し休んだら、歩き始めよう、
谷川に沿って歩けば海に着けるんだから、あせる必要はないさ。例祭なんて、
たまにサボってもどうということはないよ。」

と、いう心境になるだけだね。
まぁ、信じられない人には、脳梗塞の前兆と思うしかないだろうがねw。

278ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/25(木) 12:33:27 ID:SmEF4Oe2O
>>277
はい、あんたは一生休んでなさい。

279ラシン:2010/11/25(木) 12:44:30 ID:b9Cg2rfo0
>努力してたら報われるというわけでもないね。
聖なるバイブレーションを受けることは、山の源流を見つけるに似ているね。
山の源流は谷川になり、平野の大河になり、大海へそそぐ。
当初は、源流や谷川を見つけようと、あくせくと探し回るね。
で、源流や谷川を見つけたら、どうなると思うかね?

何なんだこの幼稚な展開は?
努力だけで得られないバイブレーションが川の源流の喩えにして、
それがどのように見つけたのだあ?
何の脈絡も川の源流に至って安心して、自分の努力不足の言い訳にしている。
ダメ信者、サボり信者の言い訳に、わざわざ大河の源流話を出してごまかしたつもり。
得意のなったつもり、したつもり信仰が積もり積もって自分の無恥と無知をさらけ出す。
木に止まった鳥がアホーと笑う光景が目に浮かぶようだ、笑笑笑笑笑。
それでその「聖なるバイブレーション」が社会にどう貢献したんだ?
桐山さんの人格をどう高めたんだ?
刑獄の因縁や脳障害の因縁、色情の因縁から血縁相克の因縁までさらけ出した人格って、
何だあ?

>まぁ、信じられない人には、脳梗塞の前兆と思うしかないだろうがねw。

それを言うなら後遺症だろ、笑笑笑笑笑。
こんなチンケナ説明しか出来ない老人は、大人子供という知能発育不全を暴露している。
それとも知能後退性症候群なのか、いづれにしろ子供の御伽噺し止まりSF話し以前だ。

280名無しさん:2010/11/25(木) 13:04:47 ID:hEa6V0po0
>>277
>管長の言葉は本当なんだけども、努力してたら報われるというわけでもないね。

当初、桐山さんはアゴンの法はシステムとして機能すると言っていたぞ!?
信心など無くとも法に則って訓練したら一つの力が現れるともいってたくらいだ。
今となっては旨い冗談話(うそ)だと笑うしかないがね。
貴方、システムって知ってる?
昔、桐山さんはどこかでシステムやシステム工学の説教をしていたよ。工学系の勉強をした人はシステムが機能すればどうなるかぐらいは理解してます。
こうやって現代用語を仏教に巧みに取り入れてカムフラージュし、かっこよく見せて若い信者を獲得してたんだよ。
でも、現実はどうだったか?
言葉に酔わされただけでシステムとしての力も発揮されず脳味噌が完全に麻痺して無明の中でバカ踊りしてただけじゃん。

281準シュダオン:2010/11/25(木) 13:09:34 ID:1F7rdgXk0
わたしゃ、一生休むわけではないよ。
ユビキタスさんとは、優婆塞の8法の数え方でも、意見が違ってたね。
沙門に見えるという、「見」も一つに数えるべきだ、とかね。
そのように説明している学者さんも居るのだろうけど、それは間違いですね。
ユビさんも、人の意見に左右されずに、冷静に経典を読んで、自分で判断
して御覧なさい。

一切事経を読めば、すぐに解りますよ。
「・・見諸沙門 不一心聴受正法 是不具足 信戒施聞修習満足 聞巳不持
 是不具足 ・・」と、あるでしょう?
これで、「見諸沙門と聴受正法」=聞、であるということが、解りますよね?
解りませんか?

信戒施聞修習満足でも、「持」を具えていなければ、まだ不具足である、
と、次に説いています。信戒施聞修習満足の次は、持だと言うのですよ。
信戒施見聞ではないことに、注目してください。
というように、学者先生の言うことを鵜呑みにしているだけではいけない
のです。

282天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/25(木) 13:15:31 ID:dLOVLekY0
>>278 さすがにユビさんも呆れて短く終わらせましたね(笑)でも、見事です。
この言葉が全てですね。

>>280 本当に同意です。
7つのシステム 37のカリキュラム 言葉上は格好いいが、その中身は?
というと、全く無い。
それを信じた私らにも過失はあろうが、やはり看板を立てそれに惹かれて中身を
知ろうとしたのはある意味興味が沸いたら当然の行動に成るのではないだろうか。

で、いつまで経っても中身を示さないので「あ、嘘ついてるな」とわかり退会する。
これも当然の結果ですね。

永遠に騙そうたってそうは行かない。やはりアゴンはゲイカ一代で終わるでしょうね。

283準シュダオン:2010/11/25(木) 13:20:03 ID:1F7rdgXk0
「法次法向」で一つ、と説明してる人も居るようです。
が、学習は、予習と復習で一つ、とも説明はされようが、
法次とは、法に続くこと、管長は「法に近づく」と説明しています。
つまり、教わった法は実践する、ということでしょう、これが法次です。
法向とは、奥深い法を追求していくことですね。

教わった法は実践しつつ=法次
更に法を追求して行く =法向
と、いうわけで、法次と法向は別に考えるべきで、
わたしゃ、やはり管長説が正しいと思いますね。

284準シュダオン:2010/11/25(木) 13:35:06 ID:1F7rdgXk0
それと優婆塞の8法は、比丘にとっても必須の法だということですね。
たとえば、十上経に比丘が成し遂げるべき七成法というのがあって、
「云何七成法 謂七財 信財 戒財 施財 聞財 ・・・」と、あります。
ここに、信戒施聞、が出ていますね。「持」は、「守持不忘」とか、同じ意味が
沢山説かれていますし、「観」も多々説かれています、止観の観だって、
観です。すると、信戒施聞持観、と、優婆塞も比丘も同様の法で、
比丘も、法次法向は必須であることは、解りますね。

285準シュダオン:2010/11/25(木) 13:54:14 ID:1F7rdgXk0
管長一代で終わるわけがありませんw。
現に、わたしみたいな怠け者でも、教えをある程度、会得できました。
熱心な修行者は、もっと多く会得していると思いますね。

あり得ないことですが、もしも管長が教団の解散宣言をしたとしても、
いずれ、弟子達は再結集をして行くはずですよ。

法はシステム、と、確かに説いていましたね。
それは本当なのでしょうけど、誰でもが大きい成果を得られる、というもの
ではないようですね。やはり、資質というものが必要なようです。
管長は、徳、と話していましたが。

阿含経には、「得阿那含 種種神通境界」と、あって、阿那含の境界から
超能力が発生すると、説かれています。
が、管長の教えでは、密教修行者には超能力が生じるように説かれています。
けれども、本をよく読むと、前世や前々世からの修行者が、法力を持った
アジャリに成れるものみたいですね。

まぁ、ベストセラーを狙うには、多少、大げさに書かんと売れないでしょう。

286天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/25(木) 14:20:12 ID:dLOVLekY0
間違った教えを会得できても、それは仏教ではなく外道の教えだということです。
仏教以外の教えなど、どこの誰でも会得できたといえるし勝手です。
ここは仏教の教えとアゴンの間違いと欺瞞の検証の場所です。

システムと語ろうがカリキュラムと語ろうが中身が無いんで話以前の問題で、
外道の「法」とやらを教えられてそれで喜んでいる・満足している人には
わからないでしょう。

ゲイカは以前言ってました。自分が亡き後は分裂するだろうな、と。
でも、分裂してもっと悪く成るならそれは叩かねばならないですね。
オウムの残党アーレフもあるしね。彼らのように生き残っては困る。
世の中の害だ。

287ラシン:2010/11/25(木) 14:54:48 ID:b9Cg2rfo0
>これで、「見諸沙門と聴受正法」=聞、であるということが、解りますよね?
解りませんか?

独断してごまかさないほうがよい。
「信・戒・施・聞・持・観・法次・法向」は誤りだって何度も過去に指摘された。
一切事経、正式は雑阿含経(929)によれば、
「信・戒・ 施・『見』・聞・持・観・法次法向」だ。
信、戒、施を正しく実践するために僧伽に『詣』でて、法話を聞く。
つまり『見』を『詣』と訳す学者もいるようだが、
それを覚えて(持)、日常の所作を観察(観)する。
それが沙門果に向かうこと=法次方向なのだ。
どだい「八法・十六法」なんてお題は桐山さんが勝手につけたものだ。

288準シュダオン:2010/11/25(木) 16:29:13 ID:1F7rdgXk0
さて、優婆塞の8法については、先ほど経典を紹介して述べたとおりです。
即ち、結論部分として、経の中ほどに、
「・・信戒施聞 受持観察了達深義 隋順行法次法向 摩可男 是名満足
   一切種優婆塞事 」と、あるように、「見」は数えられていません。

8法では、「随時往詣沙門専心聴法」や「随時往詣塔寺見沙門聴受正法」と、
ありまして、これを「聞」と、説いているのです。
つまり、8法では、「見諸沙門+聴受正法」=「聞」、になっています。

ところが、面白いことに、(面白いと言っては語弊があるが)、
十六法では、8法との数え方が、違うようです。
十六法では、「信、戒、施、見沙門、聴法、持、観察、法次法向」を、自分と、
他人にも教える、ことと説かれています。
つまり、十六法には、「聞」という語が無くて、「見」と「聴」が、別々に説か
れています。この場合には、法次法向で一つと数えなければ、数が合いませんね。

と、いうことですねw。
このことが理解されたら、大騒ぎして議論するほどでもないですね。

289準シュダオン:2010/11/25(木) 19:20:51 ID:1F7rdgXk0
さて、流石のユビキタスさんといえども、一切事経の八法と十六法とで、
「聞」の語が、有ったり、消えたり、の事は、わたしが指摘するまで気付かな
かったのではありませんか?
もっと正確に記するならば、八法で、聞とは、
「聞」=往詣沙門+見沙門+聴法、のことなのです。

つまり、「往詣塔寺 見諸沙門 聴受正法」、とあるように、
「1、道場にお参りし、2、沙門に見えて、3、法を聴く」=「聞」なのです。
それが八法での聞です。

しかし、十六法では「聞」の語はありません。経を伝承する過程でそれが
変化したのか否か?それは謎です。
で、あとは自分の頭で考えましょう。
ビデオや電話が無かった釈迦の時代、「法を聴く」ということは、
「見(まみ)えて聴く」ということと、同じではないでしょうか?。

ビデオや電話が無い時代の、「聞」とは、「見える」という内容を含んだ
聞、だと私は思いますね。
だから、見と聞を、別々に数える考え方には反対です。
まぁ、そういうことですね。
学者先生の解説を、鵜呑みにすることには、反対しますよ。

290ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/26(金) 08:06:25 ID:SmEF4Oe2O
>>281:準シュダオン10/11/25(木) 13:09:34 ID:1F7rdgXk0
>わたしゃ、一生休むわけではないよ。

休むということは何をするにも大切なことで不可欠なことです。
休むからこそ前に進める。睡眠をとる時間を設けるから生きていられる。
しかしあくまでも合間合間の話であり、適度の休みをとったらまた歩き出さねばならないのです。
そうでなければ山の頂上には着きません。
麓か山腹で一生終わりです。
時間はかけても最終的には自分で歩いていくしかない。
365歩のマーチでも大切なことを歌ってますね。
幸せは歩いて来ない。だから歩いて行くんだね。

>ユビキタスさんとは、優婆塞の8法の数え方でも、意見が違ってたね。

今度はこのネタですか?またしても反論済みの。

291ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/26(金) 08:30:39 ID:SmEF4Oe2O
>>281:準シュダオン10/11/25(木) 13:09:34 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさんとは、優婆塞の8法の数え方でも、意見が違ってたね。
>沙門に見えるという、「見」も一つに数えるべきだ、とかね。
>そのように説明している学者さんも居るのだろうけど、それは間違いですね。
>ユビさんも、人の意見に左右されずに、冷静に経典を読んで、自分で判断
>して御覧なさい。

これは何も学者の学説などではなく、私でも自分で原文を読んでそれとわかる話です。
意味解釈の問題ですらないのです。
単なる文章配列の国語の問題です。
意味解釈だったら何も八に拘る必要はないのです。見と聞を一つにまとめて
七法でもよいし、あるいは往詣と見えると聴聞するに分けて九法にしてもよい。
法次法向は分ける意味がありません。
これは法次も法向も似たようなってか同じ意味だからです。
精進努力とか刻苦勉励とか言いますよね。
これはまず精進して次に努力するとか、まず刻苦して次に勉励するとか言わないでしょ?
これと同じです。だから経典も必ず法次法向とくっつけて分けていない。
しかしこんな理屈よりもあくまでも文章構成の問題なんです。
中国の漢詩で五つからなる語が四行並んでいたら五言絶句、八行並んでいたら
五言律詩と言うでしょう?意味内容関係なく。
そういうレベルの問題なんです。
七法でも九法でもあるいはもっと大雑把な数え方でもよいのだが、この時釈尊は
八を数え、次にその倍の十六を数えた。
その数え方の根拠が明記されているのですよ。

292ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/26(金) 08:48:36 ID:SmEF4Oe2O
>>281:準シュダオン10/11/25(木) 13:09:34 ID:1F7rdgXk0
>沙門に見えるという、「見」も一つに数えるべきだ、とかね。
>そのように説明している学者さんも居るのだろうけど、それは間違いですね。

一切事経について桐山さんは「仏陀の真実の教えを説く」で示してますね。
あれは解説を除いて漢文原文と和訳書き下し文と現代語訳だけならば、なかなかの
快挙で名著ですよ。現代語訳も正しいし。解説にだけ嘘と間違いがありますが。
38頁から39頁にかけての「自利の八法」を読んでみなさい。
とりわけ下段の和訳書き下し文ですね。現代語訳と対比させてもかまいません。
「自ら・・・も、・・・こと能わず」という文が八箇所出てきます。
そして最後にこの八法と初めて八法の言葉が出る。
そして43〜44頁の自利・利他の十六法につながるわけです。八法とセットになった。
だからこの「自ら・・・も、・・・能わず」の八法構成は、「詣でて見えて」と
聴法(聞)が分けられて、法次法向は分けられておらず一つに数えられている。
これが八法の数え方の根拠です。
仏教を知らない素人でも当たり前の国語力でこの八を理解します。

293準シュダオン:2010/11/26(金) 14:10:41 ID:1F7rdgXk0
「仏陀の真実の教えを説く」本のP38〜39、だけではなくて、全体を
読まないといけません。P58〜60まで、パーと、読むのです。
すると、「信戒施聞修習満足」という語、「信戒施聞」などが、何箇所か
出ています。「詣塔寺見諸沙門」とか、「詣沙門聴受正法」とかもあります。

つまり、詣塔寺+見沙門+聴受法=「聞」で、あることを読み取れなくては
いけないのです。信戒施聞が、八法の中の前4法です。次に、
「信戒施聞 聞則能持」と、経典にあるように、信戒施聞の次に持が出て
きます。そして、観、法次法向、と出ています。
だから、後半の4法が、持、観、法次、法向、であることが解るのです。

十六法の説明では「聞」という語が出ていませんが、これは前半部分の経で、
見沙門+聴受法=聞であることを説明しているので、省略していると考えられます。
内容を考えたら、解るでしょう。
ビデオや電話が無い時代、「法を聴く」と言ったら、「見えて聴く」という
意味なのです。だから、「信戒施見聞」などと言う語は出ていないのです。

294準シュダオン:2010/11/26(金) 14:33:10 ID:1F7rdgXk0
ユビさんは、何時までも抵抗するのは止めた方が良いですよw。
時間が経つほどに、恥ずかしくなるだけですよ。
経が何で、「信戒施見聞修習満足」ではなくて、「信戒施聞修習満足」に、
なっているのかを、考えて御覧なさいな。

あとは、法次法向の意味を考えて見ることです。
管長は、法次とは、法に従うこと。法向とは法を追求すること、だと説明
しています。法次法向は、やはり二つに、考えた方が良いのです。
管長の説明を、わたしが砕いて言うと、

例えば、ある優婆塞が、お釈迦さまから八法の教えを聴いたとします。
それで、信戒施聞の前4法については、集中して聴いたので良く理解できた
とします。しかし、後半の持観法次法向の説明は、心が上の空になり、よく
聴かなかったので理解できなかったとします。
 そして、信戒施聞については、意味が解ったので良く実践しました、これが
「法次」です。教わった法に従い実践すること、法次です。

だが、持観法次法向の意味は解らなかったので、次に訪問したとき沙門に訊い
てみよう、自分でも意味を考えて見よう、と心掛けるのが「法向」です。
このように、「見える」と「聞」を分けて考えるより、法次と法向を分けて
考えた方が、はるかに修行は進むのです。

内容で判断する力を具えないと、いけませんね。

295天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/26(金) 15:28:50 ID:wu0r3XzY0
どうも準さんはゲイカの(阿含宗の)解説を。ユビさんはそれは違う、と言われていますが、
どちらがどうで正しいのかがわかりにくいです。

どなたか詳しく解説していただけるとありがたいのですが。

あと『阿含経講義』(安井廣度著)には「信・戒・施・詣・聞・持・観察・法次方向」
とあり、見では無く”詣”と有るようです。
そこのところも解説していただけるとありがたいです。

296ラシン:2010/11/26(金) 16:54:11 ID:b9Cg2rfo0
>内容で判断する力を具えないと、いけませんね。

タイトル好き老人が、偉そうに説教まで始めた。

>>287で、どだい「八法・十六法」なんてお題は桐山さんが勝手につけたものだ。
と言っている。
阿含経に八法だの十六法だのとあるのかいな?
釈尊が七課三七道品と言ったのか。

ユビさんの、
>意味解釈だったら何も八に拘る必要はないのです。見と聞を一つにまとめて 七法でもよいし、
あるいは往詣と見えると聴聞するに分けて九法にしてもよい。 法次法向は分ける意味がありません。
これは法次も法向も似たようなってか同じ意味だからです。 精進努力とか刻苦勉励とか言いますよね。

これが正解に等しい。
老人の苦し紛れの言い分は、八法では法次と法向で、十六法では法次法向だと?
都合都合で言い方や表現を変え意味を勝手に解釈する。
それを桐山さんのくちパク真似というのだ。
桐山さんの語呂合わせにこだわるから、法次と法向などと見誤るんだ。

釈尊は、正しい教えを聞かないとダメだ、信戒施を聞いて修習しても聞いただけで
持続しなければダメだ、法次法向に逆らわず従うことである、という説法だよ。
八だの十六だのと屁理屈など必要ない。
在家の正しい信戒施とはサンガに詣でて教えを聞き、聞くだけではなく持して、
法次法向(不放逸)することを何度も説いているだけよ。

正宗とのタイトルを付けられたら、日蓮宗にでも走る短絡的思考の回路だな。

297ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/26(金) 17:47:47 ID:SmEF4Oe2O
>>295
わかりました。
帰宅したら桐山本から面倒でも該当箇所を引用しましょう。
ただし遅くなってから引用だけでなくいろいろ論じねばならないのは億劫なので
帰宅途上に要約を書いて、帰宅後に正式引用をするというスタイルをとるかもしれません。
これは阿含経の八法・十六法を一般的に考察する営みではなく、私は今回は
桐山さんの国語力のなさを指摘したいわけです。
法次と法向は厳密に段階差があるのかもしれないとか、見と聞はひとまとめでも
よいのではないかなんて感想は各自の自由なんです。
そうではなく、内容の話ではなく、あくまでも文章構成、文章配列を読み取れない
桐山さんのお粗末な国語力の話です。

298準シュダオン:2010/11/26(金) 19:59:04 ID:1F7rdgXk0
8法16法について、結論を言うと、
ユビキタスさんはじめ、批判派の考え方は、経典の字面しか理解できていない
ということです。それでは仏教学者に成れても、教祖には成れないのです。

経典の内容を理解できないと、学者には成れても、霊能者にはなれません。
要するに、わたしと、ユビキタスさんの、8法16法の解釈の違いは、
わたしは、見諸沙聞と聴受法を一つに考えて、聞としており、
ユビさんは、見沙聞と聴受法を分けて、二つに数えて考えています。
それだけの違いです。

私は、法次法向を、法次と法向の二つに考え、ユビさんは、法次法向で一つ
に数えています。その数え方の違いだけです。
これは、経典解釈のセンスの問題ですね。学者なら、ユビキタスさんのような
数え方をするでしょう。だが、管長のように、仏法を理解した人の数え方は、
違って来るのです。

それが、霊性で理解するか、新皮質脳で考えるか、の違いでしょうね。
法次法向を一つと数えるならば、「法受持法観察」で一つ、と感じるのが
霊性判断ですね。まぁ、それを理解出来るか否かが、センスというものです。

一切事経を読んで、学者ならば、八法を、
「信、戒、施、見沙門、聴法、法持、法観、法次法向」との、八っつに数える
でしょう。
 ですが、仏法を会得した者には、そういう字面だけの解釈はできないのです。
そういう解釈では、修行が進んだ者に笑われてしまうのです。

そういう霊能者は「詣塔寺見沙門聴法」で、「聞」の一つと、数えるのです。
このことを理解出来るかどうかが、阿含宗脱落か、継続かの岐路かも知れません。
管長だって、八法について、ユビさんみたいな数え方はしたと思いますよ。
でも、それじゃあ、おかしいのです。
管長は、法の内容・本質で八法を分類し、数えているわけですね。

299桐山千景:2010/11/26(金) 20:33:16 ID:HSnthUfE0
G田殉シュダオンのクソ記事見るのもつまらんな。
しかし、おまえ今度は霊能者気取りかよ。どっかいけつまらん。

おまえは霊能者ではなく低脳者なんだよ。いいかげん自覚しろよクソ爺。
(迷得新聞編集者さん、ゲラゲラ)

300天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/26(金) 21:53:46 ID:ChaCTbJk0
>>297 お手数をおかけして恐縮です。ぜひ、今夜でなくても解説お願いいたします。
阿含宗はもとより他の宗派でも勝手な解釈があるようですから、やはり正しいものを
示さねば、仏教など如何様にでも解釈次第で講釈できるものになってしまいますしね。

>>299 桐山千景さん、せっかく投稿してくださっているのに罵倒は良くないです。
そういう発言はここではご遠慮してもらっていますので、どうかご配慮下さい。

301天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/26(金) 22:05:52 ID:ChaCTbJk0
日本語がおかしくなった(爆)

#300訂正。

「そういう発言はここではご遠慮してもらっていますので、どうかご配慮下さい」を
「罵倒発言はご遠慮してくださいね」に訂正です。

302ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 08:13:32 ID:SmEF4Oe2O
「仏陀の真実の教えを説く(上)」38頁〜39頁(和訳書き下し文)

仏、摩カ男に告げたまわく、
「若し優婆塞能く、自ら戒に立つも他をして正戒に立たしむること能わず。
自ら浄戒を持つも他をして持戒具足ならしむるけと能わず。
自ら布施を行ずるも施を以て他を建立すること能わず。
自ら塔寺に詣で諸の沙門を見るも、他に勧めて塔寺に詣で往いて沙門を見せしむること能わず。
自ら専ら聴法するも、人を勧めて正法を楽聴せしむること能わず。
法を聞いて自ら持するも他をして正法を受持せしむること能わず。
自ら能く甚深の妙義を観察するも、人を勧めて深義を観ぜしむること能わず。
自ら深法を知り能く法次法向に随順して行ずるも、人をして勧めて法次法向に随順して行ぜしむること能わず。
摩カ男よ、是の如き八法成就者は、是れを優婆塞能く自ら安慰し他を安慰せずと名づくなり」と。

303準シュダオン:2010/11/27(土) 08:31:28 ID:1F7rdgXk0
8法16法について、ユビキタスさんの言い分も解りますよ。
ユビさんは「仏陀の真実の教えを説く」本のP58〜59をご覧になりながら
私のレスを読んでくださいな。
P59の8行目に、成就十六法者とありまして、「何等為十六」と、十六法の
説明があります。その内容は、
「正信、浄戒、布施、見諸沙門、聴法、受持法、観察、法次法向」の八法を
他者に教えて、十六法です。

確かに、ユビさんの言うように、見沙門と聴法と二つに分けて数えられ、
法次法向で一つに数えられています。しかし、これをそのまま受け取っては、
経を理解していないのです。これは経典作者のひっかけ問題かも知れませんよ。
十六法の説明には「聞」の語が出ていません、なぜでしょう?

同じく、P59の6行目に「如是八法成就者」と、出ています。是の八法の
説明は、「浄戒、布施、見諸沙門、聴法、受持法、観察、法次法向」です。
あれ!信が抜けて、7法になっていますよ!経典で確かめてください。
そして、4行めには、「聞法自持」と言う語があって、ここには「聞」とい
う語が出ています。見諸沙門と聴法とで、「聞」であることを意識させて、
いるのでしょう。

で、経の最初に戻って、信戒施聞と言う語が、三か所も出ていて、
見諸沙門と聴法とで「聞」であることを、繰り返して意識させています。
結論を次のレスで。

304ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 08:32:04 ID:SmEF4Oe2O
「仏陀の真実の教えを説く(上)」40頁(現代語訳)

仏さまはマハーナーマに告げられました。
「自分は仏の戒を受けてそれを守っても、他者に仏の正しい戒を受けることも、またそれを保つことも勧めない。
自分は布施を行っても、他者が布施を実践するようには勧めない。
自分は塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えても、他者に塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えるようには勧めない。
自分は熱心に沙門の説法を拝聴しても、他者に正法を拝聴してそれを受け保つようには勧めない。
自分は仏法の深遠な教義をよく観察して、それについて熟考するようには勧めない。
自分は深遠な仏法を知り、法に近づき、法を追求しても、他者が法に近づき、法を追求するようには勧めない。
マハーナーマよ、このように八法だけを成就する者は、自分を安らかにし慰めても他を安らかにし慰めない優婆塞というのです」
と。

305準シュダオン:2010/11/27(土) 08:55:23 ID:1F7rdgXk0
一切事経の十六法の説明では、八法を、
「正信、浄戒、布施、見諸沙門、聴法、法受持、観察、法次法向」として
います。ですが、少し修行の力がついてきますと、この八つの分類には
疑問が生じて来るのです。
では、お釈迦様に次のように質問しましょう。

「法次法向で一つと数えるのならば、法受持と法観察とで一つと数える
 べきではないでしょうか?法を受持して初めて法観察が可能なのですから、
 法持法観で、一つとすべきだと思います。」
と、いうことになるでしょう。

そして、経の最初に戻って、この八法についての数え方に、その力量が試さ
れる内容があるわけですね。
前レスで示した本のP58のお終いから2行目に、
「信戒施聞受持観察了達深義 隋順行法次法向 摩可男 是名満足一切種優婆塞」
と、ありますね。此の一切満足優婆塞の八法を数えて御覧なさい。
どう数えても、信・戒・施・聞・持・観・法次・法向の八っつになるでしょう。
これが結論で、それを惑わす、見沙門、とかの罠が仕掛けられているのです。

管長は、簡単にそれを喝破しています。
やはり管長は偉いなぁ、と思います。ただの漢文学者とは違います。

306ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 09:01:01 ID:SmEF4Oe2O
「仏陀の真実の教えを説く(上)」43頁〜44頁(和訳書き下し文)

仏、摩カ男に告げたまわく、「若し優婆塞十六法を成就する者は、是れ優婆塞自ら安んじ他を安んずと名づく。
何等を十六と為す。摩カ男よ、若し優婆塞、
正信を具足し、
他人を建立し、
自ら浄戒を持し、
自ら布施を行じ、
人に施を行ずるを教え、
自ら塔寺に詣で諸の沙門に見え、
自ら専ら法を聴き、
亦人に聴くを教え、
自ら法を受持し、
人に受持するを教え、
自ら義を観察し、
人に観察するを教え、
自ら深義を知り法次法向に随順して修行し、
亦復た人に深義を解了し、法次法向に随順して修行するを教う。
摩カ男よ、是の如く十六法成就する者は、是れを優婆塞能く自ら安慰し亦他人を安慰すると名づく。」

307ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 09:05:19 ID:SmEF4Oe2O
後で仕上げに一応十六法の現代語訳も引用して、その後私の解説論評に入ります。
尚私は準シュダオンさんではなく桐山さんを相手にしています。
今回は準シュダオン説が桐山説と共通だから題材として取り上げレスをしたのです。

308ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 09:09:57 ID:SmEF4Oe2O
>>306の引用に抜けあり。
すみません。これも後で補完して十六にします。

309深山:2010/11/27(土) 12:25:18 ID:PVMmP38M0
231 :神も仏も名無しさん:2008/06/10(火) 13:16:16 ID:kPIVgXUc

「信戒施聞修習満足す」
「信戒施聞し、聞けば即ち・・」(33頁)
「信戒施もて聞き、受持し観察し・・・・」(38頁)

ごらんのように、一切事経の八法の説明に「見」が抜けている文章があるのです。
だから、最初の八法だけ読むと、桐山さんみたいに、
「信・戒・施・聞・持・観・法次・法向」になってしまう。
ところが、釈尊はその後の十六法の説明では、
「見」を入れて説明しています。
こういう一切事経の書き方をみれば、桐山さんが
この経典をどう読んだかわかる。
桐山さんは前半の八法だけ読んで、十六法とは
これの倍なんだろうとばかりに、読まなかったのです。
経典は繰り返しが多いから、「どうせ同じなんだろう」と
桐山さんが読まなかった気持ちだけはわかる。
だが、他人に講義するというのなら、それはしてはならない。
面倒がらずに一字一句を丁寧に読むのが当たり前です。
桐山さんはそれすらせず、斜め読みの一知半解で講義をした。
桐山さんは他人の文章を読む時はいつもこのパターンです。

310深山:2010/11/27(土) 12:28:44 ID:PVMmP38M0
>>289 :準シュダオン:2010/11/25(木) 19:20:51 ID:1F7rdgXk0
>さて、流石のユビキタスさんといえども、一切事経の八法と十六法とで、
>「聞」の語が、有ったり、消えたり、の事は、わたしが指摘するまで気付かな
>かったのではありませんか?

準シュダオンさんは本当に自惚れの強い年寄りです。
他の人は一切事経を読んでおらず、自分だけは丁寧に読んだから、
何事か理解したかのように自惚れている。
そんなことは批判側はみんな知っている。
>>309に引用したのは、私が二年前に準シュダオンさんに指摘した内容です。
だが、もちろん、彼の頭からはきれいに消去され、
まるで自分が発見したかのように上記のように自惚れている。
批判側はそんなことは百も承知です。
学者たちもみんなそれを知った上で八法十六法を論じている。
今回の議論は、八法十六法の議論ですらなく、
準シュダオンさんの上記の強烈な自惚れと、全体を理解するのではなく、
字面に因縁を付ける国語力の問題なのです。

311深山:2010/11/27(土) 12:30:59 ID:PVMmP38M0
信者さんたちの中には何を議論しているのか今ひとつわからない方もいるでしょうから、
まずそこを簡単に説明します。
『仏陀の真実の教えを説く阿含経 上』の最初にある一切事経についてです。
一切事経にある八法、十六法の具体的な項目の数え方を
桐山さんは間違っているのです。
桐山説「信・戒・施・聞・持・観・法次・法向」
だが、経典全体を普通によめば、次のように書いてある。
「信・戒・施・見・聞・持・観・法次法向」
>>306でユビキタスさんが引用している十六法の最後の説明をみれば、
これが正しいことは明かです。
だが、準シュダオンさんは、>>309で私も指摘した八法の説明の所で、「見」が
省略されている事例を出して、桐山説のほうが正しいと主張しているのです。
いや、そればかりか、彼は桐山説とすらも違う主張をしている。

312ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 12:40:08 ID:SmEF4Oe2O
では十六法書き下し文の訂正補完をば。


何等を十六と為す。摩カ男よ、若し優婆塞、
正信を具足し、
他人を建立し、
自ら浄戒を持し、
亦浄戒を以て他人を建立し、
自ら布施を行じ、
人に施を行ずるを教え、
自ら塔寺に詣で諸の沙門に見え、

亦人に往きて諸の沙門に見えるを教え、
自らら専ら法を聴き、
亦人に聴くを教え、
自ら法を受持し、
人に受持するを教え、
自ら義を観察し、
人に観察するを教え、
自ら深義を知り法次法向に随順して修行し、
亦復た人に深義を解了し、法次法向に随順して修行するを教う。
摩カ男よ、是の如く十六法成就する者は、是れを優婆塞能く自ら安慰し亦他人を安慰すると名づく。

313深山:2010/11/27(土) 12:41:09 ID:PVMmP38M0
「釈尊は大系づけてから説明したのではない」

信者さんたちにまず気をつけてほしいのは、
桐山説と準シュダオン説とは違うという点です。
準シュダオンさんはいつもこのゴマカシをする。
今回、準シュダオンさんは、八法と十六法では中身が違うなどという
とんでもない説を出してきた。
これは桐山さんも学者たちもそんな説は唱えていません。
一切事経で釈尊は、八法とそれを他人に勧める十六法を
説いているだけで、八法と十六法が別々だなどということはありません。
では、>>309で示したように、なぜ一切事経では「見」が抜けるような表現の違いがあるのか。
そんなことは阿含経では珍しくもない。
阿含経は文字として書かれたのではなく、話し言葉を文字にしたすぎないからです。
釈尊が文章を書いたり、それを読んでいるのではなく、相手に応じて、
一つのことも様々な表現を用いて説明した記録です。
釈尊は八法十六法という修行法を最初から大系づけてから、
それをマハーナーマに話しているのではありません。
八法十六法はこの時に釈尊が思いついて説明しているのです。
だから、表現が違ったり、言葉が省略されていても何の不思議もない。
準シュダオンさんのように個々の言葉尻をとらえるのではなく、
全体として何を言っているのかを理解するべきです。

314深山:2010/11/27(土) 12:43:35 ID:PVMmP38M0
「信戒施聞修習満足す」(33頁)
「信戒施聞し、聞けば即ち・・」(33頁)
「信戒施もて聞き、受持し観察し・・・・」(38頁)

信者さんたちもまず『仏陀の真実の教えを説く阿含経 上』を開いてください。
「見」を省略した上記がある一方で、その同じ文章の前後を読んでみてください。
33頁の上記の文章の前後には次のような文章も入っている。

「・・随時に塔寺に往詣して諸の沙門に見える。」(33頁)
「・・随時に沙門に往詣して・・・」(33頁)

たった十行の文章の中にちゃんと「見(まみ)える」に相当する文章が
二度も入っているのです。
それを準シュダオンさんは無視して、省略された文章だけを
引用して、「見える」がないかのように見せかけようとする。
汚い手を使うのが平気なのか、頭がこの程度なのか、
それともまったく読解力が低いのわからないが、
文章とは全体を読んでこそ意味があるのであって、
表現を省略した部分だけを引用するのは悪質です。

315深山:2010/11/27(土) 12:52:34 ID:PVMmP38M0
表現が違ったり、省略されているのはこの経典では珍しくもない。
十六法の説明をしている39頁を開いてください。
>>302でユビキタスさんが引用している文章です。
釈尊は「信・戒・施・・・」の内、信を抜いて「「浄戒・戒・施・・・」と説明しています。
浄戒は信に相当するのだろうが、しかし、信とは述べていない。
その後の十六法の説明では、「信・戒・施・・・」と説明しています。
しかも、その戒については浄戒と述べている。
では、「信・戒・施・・・」と「浄戒・戒・施・・・」のどちらが十六法なのですか。
また、正戒と戒と浄戒とは同じなのか、違うのか。
こんなふうに釈尊の言葉尻をとらえることはいくらでもできる。
準シュダオンさんの理屈が正しいなら、十六法にも二種類あることになってしまう。
八法にも何種類もあり、十六法にも何種類もある??
こんなバカみたいな解釈は準シュダオンさんだけで、他に誰もしない。
別なことを説いたなんて普通は解釈しない。
普通の知性を持っている人なら、これらはすべて同じ事を説いたのだから、
釈尊が信を戒として説明したか、経典成立の過程で混乱したと解釈する。
だが、頭のお良ろしい準シュダオンさんは何種類もの八法、十六法があるのだそうだ。
ダイヤには透明、茶、青、ピンクなどがあり、普通の人は色が違ってもダイヤは
ダイヤだが、準シュダオンさんによれば色がつくとダイヤではないらしい。

316ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 12:55:25 ID:SmEF4Oe2O
「仏陀の真実の教えを説く(上)」45頁

マハーナーマよ、
自分自身が正しい信を持つと共に、
他者にもそれを確立させる。
自分が布施を行うと共に、
他者にも布施行を教える。
自分が塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えると共に、
他者にも塔寺への参詣と沙門に見えることを教える。
自分が沙門の説法をひたすら拝聴すると共に、
他者にも説法を拝聴することを教える。
自分が法を受持すると共に、
他者に受持することを教える。
自分が仏法の深義を観察すると共に、
他者に仏法の深義を観察することを教える。
自分が仏法の深義を知って法に近づき法を追求すると共に、
他者に仏法の深義を理解させて、また法に近づき法を追求する修行を行わせる。
マハーナーマよ、この十六法を成就する者は、自分を安んじ慰めて他人を安んじ慰める優婆塞というのです。

317深山:2010/11/27(土) 12:59:19 ID:PVMmP38M0
釈尊は文章で書いたのではなく、話をしているのです。
桐山さんはまるで釈尊が修行法を大系づけたかのように思いこんでいるが、
釈尊はその場で法を説明しただけです。
たとえば七科三十七道品などという分類は釈尊はしていない。
だから、おそらく八法十六法も釈尊本人がこのように名前をつけたのではなく、
後世の人たちが暗記しやすいにつけた名前でしょう。
その場で話をしているのだから、我々がそうであるように、表現が
変わっても、またわかりきっている部分を省略しても別に不思議ではない。
だから、たとえば沙門に「見(まみえ)る」と「詣でる」は同じ意味です。
また「聴」と「聞」は同じ意味です。
準シュダオンさんは話し言葉にすぎないのに、言葉尻をとらえてゴチャゴチャと
意味不明の屁理屈を並べて、煙に巻いている。
信者さんたちは準シュダオンさんの説明を聞いて、明瞭に理解できましたか。
何を言っているのか、ゴチャゴチャしてさっぱりわからないでしょう?
本人の頭の中がゴチャゴチャしているからです。
だから、三善根も意味が二つあるなどという珍説を唱えている。
信者さんたちは、脳味噌がまだら模様になっている老人の話ではなく、
釈尊の簡単明瞭な八法十六法を理解することです。
一切事経で説明している内容はきわめて簡単です。

318深山:2010/11/27(土) 13:02:50 ID:PVMmP38M0
×「信・戒・施・聞・持・観・法次・法向」
○「信・戒・施・見・聞・持・観・法次法向」
であって、桐山さんの間違いです。
>>316のユビキタスさんと重複するが、
『仏陀の真実の教えを説く阿含経 上』の45頁を開いてください。
一切事経の現代語訳が載っています。
桐山さんが訳したのだから、信者さんたちも文句はないのでしょう。
ここに釈尊が「では、十六法とはどのようなものでしょうか?」と問いかけ、
次にそれらを全部説明しています。
六行目の「マハーナーマよ」以下がその説明で、
それぞれに番号を付けて引用するなら次のようになります。

1.自分自身が正しい信を持つと共に、他者にもそれを確立させる。
2.自分が浄戒を保つと共に、他者にも浄或を確立させる。
3.自分が布施を行うと共に、他者にも布施行を教える。
4.自分が塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えると共に、
他者にも塔寺への参詣と沙門に見えることを教える。
5.自分が沙門の説法をひたすら拝聴すると共に、
他者にも説法を拝聴することを教える。
6.自分が法を受持すると共に、他者に受持することを教える。
7.自分が仏法の深義を観察すると共に、他者に仏法の深義を観察することを教える。
8.自分が仏法の深義を知って法に近づき法を追求すると共に、
他者に仏法の深義を理解させて、また法に近づき法を追求する修行を行わせる。

引用は番号を付けただけで、文章は桐山さんの現代訳そのままです。
「自分が」と「他者に」が対になって、8組あるのがわかる。
普通に読むなら、4番目に来るのは「見える」です。
これを桐山さんみたいに5番目の「拝聴」の中に入ってしまうなんて
解釈は成り立たない。
また、8番目の法次法向も、二つに分けるような文章の構成ではありません。
信者さんたちも信仰を抜きにして、普通の国語力で現代語訳を読んでください。
どう見ても、桐山説は間違いです。

319ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 13:02:51 ID:SmEF4Oe2O
しつこいようですが、このくらいしつこく示して理解納得させるのはお釈迦様の
説法に倣ったものです。

@自ら戒に立つも他をして正戒に立たしむること能わず。
A自ら浄戒を持つも他をして持戒具足ならしむるけと能わず。
B自ら布施を行ずるも施を以て他を建立すること能わず。
C自ら塔寺に詣で諸の沙門を見るも、他に勧めて塔寺に詣で往いて沙門を見せしむること能わず。
D自ら専ら聴法するも、人を勧めて正法を楽聴せしむること能わず。
E法を聞いて自ら持するも他をして正法を受持せしむること能わず。
F自ら能く甚深の妙義を観察するも、人を勧めて深義を観ぜしむること能わず。
G自ら深法を知り能く法次法向に随順して行ずるも、人をして勧めて法次法向に随順して行ぜしむること能わず。

摩カ男よ、是の如き八法成就者は、是れを優婆塞能く自ら安慰し他を安慰せずと名づくなり」

320深山:2010/11/27(土) 13:07:04 ID:PVMmP38M0
「法次法向は一つの言葉」

桐山説では法次法向は一つではなく、法次と法向は別だと主張している。
経典を読めばわかるように、法次法向をばらばらに説明している箇所は一カ所もありません。
全部、「法次法向」とひとまとまりで説明されている。
他の、信、戒、施などが、それぞれ一つずつ自分が行い、
他人にも勧めるのだと、バラバラに説明をしています。
たとえば、十六法では、最初の七つについては、
「正信を具足し、他人を建立し」(40頁)
「自ら浄戒を持し、亦浄戒を以て他人を建立し」・・・
こんなふうに一つ一つバラバラに説明している。
法次法向については、
「自ら深義を知り法次法向に随順して修行し、
亦復た人に深義を解了し、法次法向に随順して修行する」
ごらんのように法次と法向をバラバラには説明していない。
これは八法でも同じです。
33頁で、信、戒などはもちろん、
「・・・諸の沙門に見える」
とはっきりと「見える」が他とは別個に説明されています。
だが、法次法向は
「而も法次法向に随順して知らざるは・・」(38頁)
と一つとして取り扱っています。
普通の国語力があれば、法次法向を別々なものとする桐山説が
間違っていることは明かです。

321ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 13:16:23 ID:SmEF4Oe2O
何等を十六と為す。摩カ男よ、若し優婆塞、

@正信を具足し、
A他人を建立し、
B自ら浄戒を持し、
C亦浄戒を以て他人を建立し、
D自ら布施を行じ、
E人に施を行ずるを教え、
F自ら塔寺に詣で諸の沙門に見え、

G亦人に往きて諸の沙門に見えるを教え、
H自ら専ら法を聴き、
I亦人に聴くを教え、
J自ら法を受持し、
K人に受持するを教え、
L自ら義を観察し、
M人に観察するを教え、
N自ら深義を知り法次法向に随順して修行し、
O亦復た人に深義を解了し、法次法向に随順して修行するを教う。

322深山:2010/11/27(土) 13:16:42 ID:PVMmP38M0
ここで信者さんたちに私の>>309に引用した文章をもう一度読んでほしい。
桐山さんが法次法向を別々の物として読み違えた理由を説明しました。
一知半解、早とちりです。
信者さんたちは桐山さんが仏陀の智慧で丁寧に経典を読んでいると思っている。
違います。
「自分の思い込みで読む」のが桐山さんの文章の読み方です。
それを彼は直感的に読むなどと言うが、普通はこういう読み方を一知半解といいます。
桐山さんの八法の間違いはこの阿含経が講義され1982年に
信者からすでに指摘されたのです。
『法友』の質疑応答の中に残っています。
だが、他人から間違いを指摘されるのが死ぬほど嫌いな桐山さんは
間違いを認めず、そのままは突っ走った。
その後、『ダルマチャクラ』に出たときも修正されず、
なんと本として出版されてしまった。
機関誌なら信者くらいしか読まないだろうが、本は世間に恥をさらしたことになる。
信者さんたちに桐山さんのこのやり方を反面教師にしてほしい。
間違いは指摘された時、気がついた時、素直に直すことが、
自分にとっても最善であり、恥をかかない方法です。
だが、桐山さんも準シュダオンさんも頑迷不屈な人たちだから、
絶対に自分の間違いを認めず、どこまで屁理屈を並べる。
信者さんたちは真似しないほうがいい。
それは信仰以前の問題として、あまりにミジメで格好が悪い。

323ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 13:24:38 ID:SmEF4Oe2O
国語のペーパー試験で自分自身の考えを問うものは一切ありません。
全て転用の筆者、作者の文章の示すことを問うものです。
そしてその回答は必ず文中にあります。
三田紀房氏の漫画「ドラゴン桜」の国語担当の芥山先生の教訓でも読みなさい。

324ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 15:40:55 ID:SmEF4Oe2O
さて、この八法十六法に関して、深山さんよりこのような用語の分類体系などは
後世の付け足しではないかという見解が出されています。
その通りだろうと思いますが、ここでは敢えてあくまでもお釈迦様がこの8ないしは
16という数字による分類を示したとします。
経典としてそのように広まった経緯があるのですからね。
だからまずはあれこれ詮索する前に経典の意味を忠実に捉えねばなりません。
それは仏教解釈の問題ではなく、国語として誰もがその言語表現から共通認識
できるところを誤りなく読み取る国語力です。
ペーパー試験にもありますね。傍線箇所はどこにかかるか示せとかいう設問に
正しく答えられる能力がなければ文章を読む資格はありません。
そしてその答えは幾通りもあるなんてことはなく、必ず限られています。
それが国語の約束なのです。宗教の話ではありません。
だからそれから常識的に考えると準シュダオンさんも認めざるを得ないように
私が@〜G、あるいは@〜Oで示したそれ以外にありません。
もちろん一見それと矛盾するような見や聞の省略表現も散見されますが、
これは単に省略なら省略で説明がつき、根底から覆す材料になり得ません。
そもそも見も聞もなくなっていませんが。
聞の代わりに聴があります。聞くも聴くも同じであることにどうして気付かないのか?
準シュダオンさんすらも指摘し得なかった(指摘したら自分の立場も否定することになる)
「信」が無いことも説明できます。
あの文章でもどっこい信は生きてます。
戒に立つと浄戒を持するの違いですが、仏法に対する入信とは在家も含めて戒を受ける
ことですからね。だから受戒が信と捉えればよい。
仏教でいう信とはナモナモやるけん願い事叶えてチョなんて話ではないからです。
だから釈尊が努めて誰が聞いてもわかるように平易な言葉で示した国語の基本から
考えると、信、戒、施、見、聞、持、観、法次法向の数え方しかないわけです。
まずは国語でその大原則を押さえること。
内容の考察はそれからのこれまた別個の作業なんです。

325ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/27(土) 16:08:19 ID:SmEF4Oe2O
次の作業としてたまたま8×2=16という数字で分類整理された体系の内容考察
による解体作業です。
これは各自自分の中で自由にやってよいと思う。
8だの16だのという数字に絶対性なんかないからです。
見と聞なんか一まとめにしてもよいのではないかなんて提言するのも自由です。
シャカはああ示したが、俺なら同じことを説くのに7つに絞って
七法十四法にするとか、逆に九法十八法の方がよいとかね。
それでもお釈迦様が説きたい真意は何ら変わりませんからね。
しかしそれはあくまでも自分の分類なのです。
経典に示された分類数字の数え方ではない。
自分の分類を示したかったらそれを明記断り書きすべきです。
だってまず経典を忠実に紹介する作業があって、それを終えてから初めて
発展的自由考察をすべきでしょ?それを誰にでもわかるように厳密に区別すべきです。
経典を忠実に紹介する時点で私見を入れてはなりません。
準シュダオンさんはある境界になると常識的解釈を超えた分類がわかるようになる
とか桐山さんが説きもしないことをほざきましたよね。
ならば桐山さんは馬鹿になるじゃないですか?
桐山さんがそう説きたい意図があるならば、まず凡人国語分類を示しておいて
しかし私くらいになると八法はこうなるのであるとそういう示し方をします。
そうしないと単に国語力のない頭の悪い人と誤解されてしまいます。
原文、和訳書き下し文、現代語訳としっかりしているのにどうして解説だけ違うの?となる。
あれは並べて書くのに非常に恥ずかしい話です。
ある意味捏造と違って正々堂々としているとも言えますが、なんてことはない、
自分が国語力のないことに気付かなかっただけです。
現代語訳と解説の違いに気付いていたら、必ず断り書きがあります。
それがない。つまり単なる馬鹿だったんです。
国語の約束に気付かなかったのです。
だから秘伝などではなく、諸君、読みたまえ、お釈迦様はこのようにわかりやすく
分類しているではないか?と自分の数え方が正しいと勘違いして示してしまったのです。

326天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/28(日) 16:36:25 ID:ny2vu.l20
ユビさん、深山さん解説ありがとうございました。助かりました。

で、準さんの反論を待っているのですが、音沙汰が無い・・・。
考え中かな?

327ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/28(日) 20:47:57 ID:SmEF4Oe2O
>>326
できれば反論などせずにそのまま沈黙してくれたらいいんじゃがのw
永眠まではせんでもいいがw

328準シュダオン:2010/11/29(月) 12:30:02 ID:1F7rdgXk0
反論も何も、ごちゃごちゃ言わんと、経典で示したら良い。
前にもレスしたが、「仏陀の真実の教え」本のP58を開いて見なさいよw。
一切事経が掲載されています。P58の8行目を見てください。
「信戒施聞修習満足」と、あるでしょう。
その前の行には、「往詣沙門聴受正法」と、あるでしょう。
これを読めば、普通の人は、往詣沙門+聴受正法=聞、だということが、
解るでしょう。

信戒施見聴修習満足ではなくて、信戒施聞修習満足であることを確認してください。
算数計算の基礎は、足し算、引き算、掛け算、割り算、の加減乗除ですね。
算数を知らない人は、これを、「加法、減法、乗法除法」と、三つに分類
するかも知れません。まぁ、それでもいいでしょうが、算数を知ってる人は、
「加法、減法、乗法、除法」と、四つに区分して教えるでしょうね。

優婆塞八法の後半の4法も同じことです。「法持、法観、法次、法向」の
四つが自然なのです。
1法を受持し、2法を観察し、3法に従い実践し、4より高い法を追求する、
という四つなのです。

329深山:2010/11/29(月) 12:30:20 ID:uT3.6QLc0
>>327

隼シュダオンさんのスゴサを知りませんね。
八法十六法についてはもう一つ議論になったテーマがありました。
あれをきっと蒸し返します。
過去に議論し反論された内容をきれいに忘れ、まるで新しく発見したかのように
書き連ねて、「指クンは何も知らんのだろうw。ワシャ考えなくてもパッと
思いつくんだよww」などと人を小馬鹿にしながら、また出て来ます。
彼がいなくなるのは、脳梗塞が再発して、パソコンがたたけなくなった時です。

330ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/29(月) 12:46:27 ID:SmEF4Oe2O
>>329
もう一つの批判点は承知してますが、面倒くさいから敢えて触れずにおります。
準シュダオンさん以外の人のために批判ネタ提供済みとはいえ、再度紹介サービス
してもよいのですが、そもそも準シュダオンさんが気がつくかどうか?

威徳顕揚ならん。

331準シュダオン:2010/11/29(月) 12:48:40 ID:1F7rdgXk0
前にもこの八法論議をしたが、「見える」と聞とを別々にする批判派の意見を
見て、あまりに馬鹿馬鹿しくて、よく経典を確かめなかったです。
今回、経典で確認して見たわけですが、確かに経典では、十六法の説明
(本のP59)では、「信、戒、施、見沙門、聴法、法持、法観、法次法向」
の、八法になっています。
しかし、これは、経の前半で、見沙門+聴法=聞であることを説明していま
すから、それが省略されているのです。
ですから、「信、戒、施、聞(見沙門聴法)、法持、法観、法次、法向」が、
正しい八法になるのです。

法持、法観、法次、法向、の四つの違いを、見抜ける力量があるかどうかが、
この経典理解のミソですねえ。

332ラシン:2010/11/29(月) 13:24:50 ID:b9Cg2rfo0
>331 :準シュダオン:2010/11/29(月) 12:48:40 ID:1F7rdgXk0
前にもこの八法論議をしたが、「見える」と聞とを別々にする批判派の意見を
見て、あまりに馬鹿馬鹿しくて、よく経典を確かめなかったです。


そもそもどうして法次と法向に分ける必要があるんだ?
どうして見=聞にしなければいけない?

信・戒・施・見・聞・持・観はそれぞれ独立した必要なことだ。
信じ、戒めて、利他し、サンガに詣で、僧の説法を聞く、その教えを受持し、
その法えをよく観察し、法に従い法を追求する。
この八つの姿勢を説いている、八種類の姿勢の必要を説いている。
どこに法に従うことと法を追求することを分ける必要があるんだ?

>見抜ける力量があるかどうかが、
この経典理解のミソですねえ。

力量とかの問題なのか? だからデンパ力と言いたい、笑笑笑笑笑。
つまり、
聞くためには参詣しなければ聞けないからイコールだ、と言いたいのだろうが、
国語力の未発達ゆえの考えが浅い老人の証拠だよ。

聖者とは、その言葉や所作に矛盾が無いから聖者なんだ。
だからサンガに詣でて、僧(沙門)の一挙手一投足をよく「見る」ことが必要だ。
聞くだけではなく、わざわざ「見」というすべき姿勢を説いたのはその意味があるんだよ。

デンパで感じるようなオカルト思考だから、見=聞 なんてアホを考える。
賢者や聖者の証は、その言動によって見分け、自分の修業の糧にするんだけどね。

333準シュダオン:2010/11/29(月) 13:35:49 ID:1F7rdgXk0
不明を恥じて深山くんは勉強中かと思いきや、深山くんも何やらレスして
るようですねw。恥ずかしくないのかなぁ?四双八輩についての、経典と
アビダルマ倶舎論の、定義の違いは理解できたのかな?

「仏陀の真実の教えを説く」本のP58の、お終いから2行目を読みなさいな。
八法を、次のようにまとめていますね。
「信戒施聞 受持観察了達深義 隋順行法次法向 摩可男是名満足一切種優婆塞」
この「 」に、八法の全てが入っています。
満足一切種優婆塞の意味は解りますね?これまで説明していては日が暮れてしまうw。

上記の「 」内のどこに、見沙門がありますか?無いのです。
往詣塔寺も、見諸沙門も、「聞」が目的なのであり、聞に含まれているのです。
電話やビデオの無い時代ですから、そんなこと当たり前でしょうw。
「信戒施聞」の記述が三か所も出ていて、念を押しています。
「信戒施見」などの表記は唯の一か所も出ていませんw。

334準シュダオン:2010/11/29(月) 13:48:08 ID:1F7rdgXk0
あれ、ラシンくんもまだ出てたのかい?
恥の自覚もないから、出られるわけだw。
あんたも、信戒施聞を、何度も読みなさい。
沙門を見るのが修行なんて、よく思いつくねえw。
わたしゃ、可笑しくて、前には経典を確かめもしなかったさ。大笑いしてさ。

何時も釈迦ばかり見ていた、釈迦の弟子が居たんだよ。
そしたらお釈迦さまが、
「私ばかり見て居たって修行にはならない。ちゃんと他所で瞑想なり修行
 しなさい」と、たしなめたお話も経にはあるんだよ。

だから、大真面目に見沙門を修行としたレスを見て、大笑いしたのね。
まぁ、見たら何かしら参考に成るだろうが、法と言うほどのものではないねw。

336準シュダオン:2010/11/29(月) 14:05:06 ID:1F7rdgXk0
一切事経は、とても大切なお経で、管長はこの経で阿含宗を立てる
決意をしたのだそうです。阿含経は、私利だけの小乗ではない、
また出家仏教でもない、ということが、この経典で解るからなそうです。

ゆえに、元阿含宗信徒とはいえ、八法十六法の内容くらいは、正確に理解
してほしいものです。
ラシンさんは、「仏陀の真実の教えを説く」本のP58を、何度も読んで
御覧なさい。「信戒施聞」が、三か所も出てきます。
なんで、「信戒施見」が一か所もないのか、考えて御覧なさい。
何度も読めば、いずれ、見沙門+聴法=聞、であることが解るでしょう。

337ラシン:2010/11/29(月) 16:02:09 ID:b9Cg2rfo0
>沙門を見るのが修行なんて、よく思いつくねえw。


釈尊の十大弟子だったサーリプッタがどうして帰依したのか。

それは釈尊の弟子であるアッサジが、ラージャガハで托鉢をしいた折に、
その立ち居振る舞いの隙の無さと清らかさを『見』て強く心を動かされたことにある。
もしこの世に真の聖者がいるならば、その弟子の一人に違いないだろう、
と、感銘して師である釈尊に面会して弟子になった。

桐山さんが得意話しとするオーラの光放でもなく、自慢話やご利益話でもない。
釈尊の弟子となってまだ日が浅いアッサジの一挙手一投足が、
サンジャヤ修行者中、一位二位を誇るサーリプッタさえをも上回っていたのだ。
当のサーリプッタは、その態度の清浄さを『見』て気がついたのだ。

ご老人なら昔の剣道くらい知っているだろう。
竹刀を使う剣道ではなく、武術でいう木剣でのものだ。
真剣勝負とは、切っ先の間合いを直感的に計り知ることくらい知ってるよね。
チャンバラのように真剣どうしを叩き合うのではない、間合いの勝負だ。
その剣の間合いを学ぶのは型から始まる、いわく他者の型を『見』て学ぶ。
空手なども同様に、聞くだけではなく見ることも学びの一つだ。

だから、在家者の初学修養は、沙門の動作をサンガに詣でて『見』るのだ。
釈尊が、弟子に自分ばかり見ていないで瞑想に努めよと言ったのなら、
それはすでに出家を許された弟子が次に為すべき修業を諭したに過ぎない。
奥深く読み取ることを自惚れるなら、その違いくらいは分別することだね、笑笑笑。

ー大パリニッバーナ経抜粋ー『浄土真宗やっとかめ通信』参照
「尊師がみごとに説かれた法は、現にありありと『見』られるものであり、
 直ちにききめのあるものであり、実際に確かめられるものであり、
 理想の境地にみちびくものであり、諸々の知者が各自みずから証するものである』

>「信戒施聞」が、三か所も出てきます。

国語力が低いな、笑笑笑笑笑。
このお経の言わんとしていることは、「信戒施聞」じゃあない。
在家への主題は「信戒施」が基本なんだけど。
そのための見・聞・持・観・法次法向であり、在家の「信戒施」を護持することにつながる。
在家信者に「信戒施」なくば、見・聞・持・観・法次法向も意味を持たない。
釈尊が入滅するときに、四辻にストーパを建立しなさいと言ったことと同じだ。

ー大パリニッバーナ経抜粋ー『浄土真宗やっとかめ通信』参照
アーナンダよ。信仰心のあるまじめな人が実際に『訪れて見て』感激する場所は、この四つである。
その四つとはどれどれであるか?
「修行完成者はここでお生まれになった」といって、信仰心のある良家の子が実際に訪れて『見』て
 感激する場所(霊場)がある。
「修行完成者はここで無上の完全なさとりを開かれた」といって、信仰心のある良家の子が実際に訪れて『見』て
 感激する場所がある。
「修行完成者はここで教えを説きはじめられた」といって、信仰心のある良家の子が実際に訪れて『見』て
 感激する場所がある。
「修行完成者はここで煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られた」といって、
 信仰心のある良家の子が実際に訪れて『見』て感激する場所がある。
 アーナンダよ。これら四つの場所が、信仰心のある良家の子が実際に『訪れて見て』感激する場所である。

338ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/29(月) 20:13:35 ID:SmEF4Oe2O
はい、やはり準シュダオンさんは反論してきませんでしたねw

339ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/29(月) 20:24:44 ID:SmEF4Oe2O
>>334:準シュダオン10/11/29(月) 13:48:08 ID:1F7rdgXk0
>沙門を見るのが修行なんて、よく思いつくねえw。

またお釈迦様に唾を吐きましたね。
まあ勝手にすればいいけど。
まみえるは単なるlookじゃないんだけどね。
ラシンさんの指摘するようにそのlookもまた大切な修行なんだが。
まみえる、塔寺に参詣してまみえるってあなたに一番不足している修行じゃない?w
桐山さんも道場に足を運んで運を運べと指導してるし。

340ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/30(火) 12:57:56 ID:SmEF4Oe2O
>>333:準シュダオン10/11/29(月) 13:35:49 ID:1F7rdgXk0
>「仏陀の真実の教えを説く」本のP58の、お終いから2行目を読みなさいな。
>八法を、次のようにまとめていますね。

今回の準シュダオンさんのゴマカシの手法を「仏陀の真実の教えを説く」をお持ち
でない方に説明しましょう。
準シュダオンさんはページのゴマカシをしているのです。
準シュダオンさんはしきりに58頁から59頁を読めと促しています。
これは私が自利の八法を示した38頁から39頁を引用した直後に書いています。
自利の八法を引用したのは>>319です。(わかりやすいように番号付き)
また自利と利他を備えた十六法の引用を>>321に番号付きで示しています。
これは43頁から44頁ですね。
準シュダオンさんはそれより後ろのページを示したわけです。
では58頁から59頁には何があるかと言うと、この経典全体の漢文白文のみです。
この本の構成は漢文の白文を上段に、和訳書き下し文を下段に、現代語訳と解説を
その後に、細々と節ごとに分けて解説する丁寧なスタイルになっています。
そして全文解説を終え、結論も述べた後に既に解説済みの漢文全文を白文で示して
終わるというスタイルです。
この漢文白文は既に前のページで十分解説済みだからここでは付け足しも何も
ないのです。
準シュダオンさんはどうして丁寧に解説されている前のページを示さずにこのページを
示したか?
それは私が引用したページよりも後ろにあることで、私の引用を否定したいのです。
ところが今回読め読めと示した58頁の後ろ2行というのは、私が引用した頁よりも
前の箇所なんです。
するとどうなるか?
いかにそこで省略表現がされていようとも、それより後で>>319で、八法成就者と
その八法は何であるか誰にでもわかるように示され、尚もこれに利他を含めた
十六法(>>321)に話を進めるのです。
つまり結論はここで下され、前の省略など単なる省略とわかるのです。
だから準シュダオンさんは必死にそれを指摘されないように私よりも後ろのページを
示す眩惑攻撃のゴマカシに出たのです。

341天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/30(火) 13:27:36 ID:djQlKM2k0
>>340 ユビさん、これが本当だとするならば、本を持ってない人や無知識な人
(特に自分を含む)に対して悪質な作為を以って居ることが予測されますね。

特に自分は本を持っておらず、尚且つ疎いので解説をお願いしたわけですが、
こういうことが桐山氏だけならまだしも信者が行うと言うのは遺憾ですね。

自分も解説をお願いしたのはもうひとつ理由があります。
それは@chs−1の方に名無しさんの回答で自分が答えていますが、阿含宗
での教学や桐山氏の嘘をわかるための専用のPを作ろうと計画中です。
(@chs−1での記事440がそれです)

それでこの八法十六法も良く出てきますが、したらばでの過去ログを見たら
今回ほど詳しい解説が無かったため解説をお願いしたのです。

勿論自分が疎いのがあるのが大きな理由でもあるのですが、そういう何度も
繰り返す「同じ論」を跳ね返す、または参照するためには必須なPになろうかと
思ったのもあります。
また、間違った教えを信じこんでいる人の確認にもなります。
ですので、今回は本当に恐縮でありお手数をおかけしましたが、そのような
考えも有ったのです。
深山さん、ユビさんには本当に深く感謝申し上げます。

これと言った反論も無いことから、おそらく決定的なものを受けたのかもしれません。

その纏めサイトはすぐには完成しませんが、今構築中ですのでお待ち下さい。
そして、間違った論を展開してくる人に対して「これが本当の仏教の教えだ」というのを
示すことが出来る場所を展開したい。そう思っています。

ユビさんの素晴らしい解説、ありがとうございます。

342天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/30(火) 14:04:06 ID:djQlKM2k0
お知らせです。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ザビビが落ちています。
ですので、今まで当たり前のように過去ログを見れたのが見れなくなっています。

(実際は該当地のTOPに飛びますが、故障中という表示で閲覧できません)

そのため以前から考察室などにおいてありました「過去ログメニュー」から
訪れても「ザビビが見れない」という状態でした。

しかし、このたびザビビでの過去ログをお持ちの方よりデータの提供をいただき、
拙なる私が広告などを排除した形で再掲載させていただくことが出来ました。

全てのデータが揃っていませんが、大部分をお持ちでしたので、現在は記事ナンバー
の1〜29、31〜34までUPできました。(リンクできてないのは、今後UP予定です)

とりあえず、したらばに継承スレに移行する前の大方がまた見れることになりました
のでご報告させていただきます。そのザビビを見るためのメニューがある場所は直アドで

http://agama.zouri.jp/kakoindexthebbs.html です。
(もう一箇所はミラーで http://agama.ehoh.net/kakoindexthebbs.html でも可です)

このメニューに行きますとザビビの記事が見れますので、参照したい方はどうぞご利用
下さい。

なお、HPの関係上ザビビでは表示される広告やバナーなどを外していることをご了承
ください。(記事自体は、ほとんどそのままです)

また、31〜34からはザビビさんでの表示の関係上、小区分形式(記事数100ずつ)
になっています。

そして、記事中やタイトルなどのリンクはそのザビビで当時使われていたアドのままですので
ジャンプしても表示されません。
(Pの一番下にある、前後記事やメニューへいくリンクは生きています)

373天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/30(火) 17:03:53 ID:7b8sA/f.0
テスト書き込み

374ラシン:2010/11/30(火) 17:22:34 ID:b9Cg2rfo0
>341 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/11/30(火) 13:27:36 ID:djQlKM2k0
>>340 ユビさん、これが本当だとするならば、本を持ってない人や無知識な人
(特に自分を含む)に対して悪質な作為を以って居ることが予測されますね。

天照さん同様に、私もアゴン宗本は全て捨ててしまっている。
持っていないことは、何度も掲示している。
しかし、それを知っていながらも桐山本をよく読めなんて嘯く老人がいる。
自分が主張するなら、きちんと正しく引用して議論とすべきだが、
自称準聖者サマである老人は、そのあたりの公平性を欠いている。

>ユビさんの素晴らしい解説、ありがとうございます。

八法十六法は過去に何度か議論されていた記憶があります。
2chでも、深山さんやユビさんが丁寧に論破していた話しです。
今回もそれが再掲されています。

経典解釈は一部を読んでそれを拾い引用しても、全体像が把握できない。
経典に限らず文章の読解は、その文章の前後を読み取り全体をつかむことです。
ユビさんの引用で分かるとおり、釈尊の説明は「見」も重要要素と理解できる。
文節の一部を持って全体を否定することなど、ただのゴマカシです。

見=聞なんて屁理屈は、文章の全体像を無視した拾い読みに過ぎない。
観念的に8だの16だのと、数から出発するから内容を理解できないのです。
釈尊のは説法であり、それは重複したり補説した言葉の口伝が文章化されたものです。
だから文章全体の把握が必要になるというのが常識です。
釈尊の思想面から考えれば、それは清浄行であり煩悩滅を目的とする。
だから、
在家は聖衆の集まりに詣でてその言動を見て見習うことも必要だから「見」の
必要も説いた。
聖者の仲間と会い見えることで法次法向という不放逸につながるのだと理解できる。

375ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/30(火) 20:12:36 ID:SmEF4Oe2O
テスト

376ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/30(火) 20:42:18 ID:SmEF4Oe2O
>>341:天照 ◆MO30b8Jwoo10/11/30(火) 13:27:36 ID:djQlKM2k0
>ユビさん、これが本当だとするならば、本を持ってない人や無知識な人
>(特に自分を含む)に対して悪質な作為を以って居ることが予測されますね。

まあ準シュダオンさんの名誉の為に言うと、それほど意識した確信犯的な悪意では
ないのかもしれません。
これは自己洗脳信者に見られる畢竟防御本能的な無意識な逃げ込みとも解釈できます。
本人すらそのことに気付いていない。
58頁など示さなくてももっと詳しい桐山解説も入った前のページを出せばよいのです。
それを無意識的にも避けたのは、私が38頁を引用しているからであり、それよりも
前のページになってしまう。
準シュダオンさんのゴネはこうです。
一箇所の文章に囚われてはならない。
もっと全体を俯瞰して総合的に判断する必要がある。
で最後の白文を示した。
しかしこちらは全体を俯瞰した上で言っているのです。
それが経典全体を通して表現のごく一部に差が見られることに対する合理的説明
ですが、これにはその表現の順番が大切な指標となります。
見が一見見られない差が私が引用した後、最後の方に出てくるならば、こちらの
方が最終結論なのかもしれないとも思う。
しかし私の引用の方が後に出てくるのです。
そこで一時は消えたかに見えた見が復活してはっきりと自利の八法に数えられている。
さらには見を伴ったまま利他を備えた十六法をはっきりと示す。
つまりはこちらこそが最終結論というのが全体を俯瞰した上での分析結論です。
これに準シュダオンさんは反論できない。
だからなるべく後ろの白文から全体を俯瞰して判断せよなどと一般論的にお説教を
言うしかなかった。
その実自分が一部にこだわり俯瞰などできていないのです。

377ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/30(火) 21:25:54 ID:SmEF4Oe2O
>>341:天照 ◆MO30b8Jwoo10/11/30(火) 13:27:36 ID:djQlKM2k0
>自分も解説をお願いしたのはもうひとつ理由があります。
>それは@chs−1の方に名無しさんの回答で自分が答えていますが、阿含宗
>での教学や桐山氏の嘘をわかるための専用のPを作ろうと計画中です。

それならば準シュダオンさんなどどうでもよいから、この一切事経の八法十六法の
桐山解釈のもう一つの間違いについて再度論じることにしましょう。
出家を超えた在家仏教というオハナシです。
ただ著書を引用しての批判作業になるのでしばしお待ちいただきたい。
ただ断っておきたいのは今回の八法の数え間違いの件についても、決して捏造欺瞞
というネタではなく、単なる間違いです。
人間には誰しも間違いはある。私も然りです。
しかし大切な法話として信者に語り、それを活字にまでするのならばもっと
丁寧に読んで間違いを防ぐべきでしたね。
深山さんも指摘している通り、これは信者から見と聞が分かれるのではと
国語の観点から常識的な指摘があった。
桐山さんはこれを退けた。
しかし素直に受け入れればよかったのです。
噛んで説明するように理路整然と失礼のないように示せば桐山さんでも
「あっ、そうか」と気付く話です。
桐山さんでも決して間違いを認めないわけでもあるまい。
私が最後に聴いた例祭法話でこういうのがあった。
2002年の12月かな。
法華経普門品に出てくる観世音菩薩とは準胝観音ではあるまいか?
私の霊感ではそう思う。うん、これからそう断定すると。
そしたら翌日だったか当日だったか法務局職員からメモ書きを示された。
桐山さんはそれを読んで苦笑した。
旧著「霊障を解く」で桐山さん自身が普門品で説かれている観音は準胝観音ではない
と書いているのですね。
桐山さんはそれで間違いを認め前言を取り消した。旧著の発言が正しいと改めた。
そして軽く笑いながら「ははは、管長でも間違えることはあるんだよ」と認めた。
こういう素直な態度で訂正すればよかったのです。
そちらの方がますます信者から尊敬される。
準シュダオンさんみたいにいつまでもしつこく屁理屈にもならない反論すらできていない
ゴネを示す方が見苦しいのです。
これしきのミスで。
今回これから示す在家が出家を超える話も欺瞞捏造ではありません。
単なる解釈の誤りです。
しかし釈尊も説いていない話です。

378ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/11/30(火) 22:16:23 ID:SmEF4Oe2O
壊れてるから復旧するまで待ってから書いた方がいいかな?

379ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/01(水) 07:51:12 ID:SmEF4Oe2O
おや?「仏陀の真実の教えを説く」が見当たらない?

380準シュダオン:2010/12/01(水) 09:40:59 ID:1F7rdgXk0
「仏陀の真実の教えを説く」の本を持っていないのなら仕方ないが、
持っている人はP58〜59で、一切事経を確かめたら良い。
これは阿含宗では1丁目1番地の大切な経です。
P58には、「往詣沙門聴受正法」と、出ていて次に「信戒施聞」と出て
います。だから、往詣沙門+聴受正法=聞、であることは明らかで、
これを読み取れないのは相当のアホウですw。

上記の事が解らない人は、人を脳梗塞と罵る前に、自分は脳梗塞以下の
脳ミソだと自覚することです。
で、P58のお終いの方に、優婆塞の八法をまとめて、
「信戒施聞受持観察了達深義隋順行法次法向摩可男是名満足一切種優婆塞事」
と、書いてあります。この中に、往詣沙門の文言が、省略されてはいますが、
それは含まれているのです。

P59の十六法の説明では、往詣沙門と聴受法が説かれていますが、「聞」は
省略されているのです。経の前半で往詣沙門+聴受法=聞、であることを説明
していますから、経の後半ではそれを省略しているのです。
それを忘れて、往詣沙門と聴聞法を別々に数えるとは、鶏より物忘れがひどいね。

381準シュダオン:2010/12/01(水) 09:58:20 ID:1F7rdgXk0
「仏陀の真実の教えを説く」本のP36には「聞」の説明が書かれています。
聞の代わりに、参拝を強調して詣と、呼ぶ場合もある、と解説しています。
あるいは、経によっては、「信戒施詣持・・」というような経文になって
いるものもあるのかも知れません。

算数の加減乗除といえば、記号も+−×÷、というように4種です。
しかし、「加法、減法、乗除法」と書かれていれば、算数を知らない人は、
これを三種の計算方法だと思うでしょう。
「法持、法観、法次法向」も、同じことです。

次とは、すぐ後に続くことです、管長はP143で、法次=法に従うこと、と
説明しています。法に従うとは、法を順守することです、違反しないという
ことです。それが法次です。
法向とは、法を追求することです。より高い法を、深く探求して行く、ということ
でしょう。それで、法次と法向の区別が解るでしょう。

382天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/01(水) 11:00:12 ID:Xn.kYID20

先の「データ破損」は”新種の嫌がらせ”か?と思いましたが、どうやらただのエラーのようです。
したらばのサポートにも伺いましたが返答がありません。
なので、そういう遅々とした対応は要らないので、記事を消しました。
また、何も無く動いているので、このまま投稿をお続け下さい。

以上連絡でした。
(ちなみに@chs−1でも同じことがおきている。なんでやねん)

383ラシン:2010/12/01(水) 11:52:27 ID:b9Cg2rfo0
ユビさんの結論が得心を得るに値する、全くのこれを上回る読解姿勢はない。

>376
しかしこちらは全体を俯瞰した上で言っているのです。
それが経典全体を通して表現のごく一部に差が見られることに対する合理的説明
ですが、これにはその表現の順番が大切な指標となります。
見が一見見られない差が私が引用した後、最後の方に出てくるならば、こちらの
方が最終結論なのかもしれないとも思う。
しかし私の引用の方が後に出てくるのです。
そこで一時は消えたかに見えた見が復活してはっきりと自利の八法に数えられている。
さらには見を伴ったまま利他を備えた十六法をはっきりと示す。
つまりはこちらこそが最終結論というのが全体を俯瞰した上での分析結論です。

>上記の事が解らない人は、人を脳梗塞と罵る前に、自分は脳梗塞以下の
脳ミソだと自覚することです。
で、P58のお終いの方に、優婆塞の八法をまとめて、
「信戒施聞受持観察了達深義隋順行法次法向摩可男是名満足一切種優婆塞事」
と、書いてあります。

いえいえ、進行がさらに増しているな、笑笑笑笑笑。

>それで、法次と法向の区別が解るでしょう。

ならば、合縁機縁を分けるのか、悪因悪果や因縁因果、以心伝心、悪意悪食、
一栄一辱、一往一来、お得意の自画自賛などなど、み〜んな分けちゃうの?笑笑笑。
法次法向とは突きつめれば不放逸ですよ。
釈尊の思想は一貫しているのだ、経典ごとに違う解釈などない。
あくまでも教えを説くための様々な切り口が相手によって違うだけだ。
それを語り口の言葉に踊らされて数合わせにこだわるから本質が見えないのだ。
この経で釈尊が一番説きたかったことは何だ?
十六法だよ。
八法だけなら、どうして初転法輪がなされたんだ?
釈尊や弟子が、方々に拡散して遊行した意義は何だったんだあ?
これを自覚して経を読んでいるなら、真に八法だけで満足とはならない。
ゆえに、<さらには見を伴ったまま利他を備えた十六法をはっきりと示す。>と言う、
十六法を分析することが、釈尊の法えを理解し正しく解釈することにつながる。
だから>>376のユビさんの結論が、経典を読解する上で正しい姿勢なのだよ。
全く半端な老人は、半端な解釈しか出来ないようだから見無し八法で終わってなさい。

384ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/01(水) 12:28:10 ID:SmEF4Oe2O
今日も準シュダオンさんからの反論は未だなしということで、皆さんようござんすね。

385ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/01(水) 13:16:19 ID:SmEF4Oe2O
>>380:準シュダオン10/12/01(水) 09:40:59 ID:1F7rdgXk0
>P59の十六法の説明では、往詣沙門と聴受法が説かれていますが、「聞」は
>省略されているのです。経の前半で往詣沙門+聴受法=聞、であることを説明
>していますから、経の後半ではそれを省略しているのです。
>それを忘れて、往詣沙門と聴聞法を別々に数えるとは、鶏より物忘れがひどいね。

↓をよく読んでね。

F自ら塔寺に詣で諸の沙門に見え、

G亦人に往きて諸の沙門に見えるを教え、
H自ら専ら法を聴き、
I亦人に聴くを教え、

ちゃんと十六法で見(詣)と聞(聴)を分けて書いてあるぞな。
みなさ〜ん、この日本語知らない日本人、アゴン宗の信者なんですって。

386準シュダオン:2010/12/01(水) 15:07:48 ID:1F7rdgXk0
誤魔化しは止めなさいなw。
↓をよく読んでね。
F自ら塔寺に参詣しもろもろの沙門から教えを聞く、
が、管長の説明です。
一切事経の経文には、番号は付いていませんよw。

経文の十六法の説明には、「聞」が省略されているのです。
だから、見と聞を分けて書いてあっても、その二つで「聞」ということを
理解しなければいけないのです。
経文では、「聴」と「聞」を使い分けているのです。
見沙門+聴法=聞、なのであり、
見沙門+聞法≠聞、です。
よく、文字を確かめなさいな。

また、経文理解力は、日本語の力とは別問題ですね。
わたしゃ、常用漢字が196字、追加されたけど、半分以上は読めても、
半分以上は書けないね。そんな程度でも、経文理解力はユビさんよりは、
・・ですよw。

387準シュダオン:2010/12/01(水) 15:26:15 ID:1F7rdgXk0
法次法向の意味が解れば、二つに数えるのが妥当だと解かるのです。
乗法除法みたいなものです。
再度言うと、法次とは法に従うこと、順法のこと、法を実行することです。

知らない法は実行しようがないので、知るように務めなさい、それが法向です。
それが法を追求する、ということです。

経文を読めば、↑のことが理解できるはずです、ユビさんは何度も読むこと。
経文に、「隋順知法次法向」と、あるでしょう?見つけましたか?
これは、知らない法は知るように務めなさい、ということで、主として法向に
係っています。
また、「隋順行法次法向」と言う語もあって、これは法を実行しなさい、
ということです、隋順行は主として法次に係っています。
 また、「隋順修行法次法向」と言う語もありますね。この隋順修行の語は、
法次法向の両方に係っていますね。

このように、法受持、法観察、法次、法向、を明確に理解できたら良いのです。
法持=法を忘れないように保持し
法観=法を観察し
法次=法に従い実行し
法向=知らない法は知るように追求する。
と、まぁ、そういうことですね。

388準シュダオン:2010/12/01(水) 15:30:14 ID:1F7rdgXk0
前レスの隋順は随順の誤記です。

389準シュダオン:2010/12/01(水) 15:34:48 ID:1F7rdgXk0
今日も未だ反論なし、とは何のこと?

390ラシン:2010/12/01(水) 17:01:25 ID:b9Cg2rfo0
>389 :準シュダオン:2010/12/01(水) 15:34:48 ID:1F7rdgXk0
今日も未だ反論なし、とは何のこと?

笑笑笑笑笑、、>387の漢文訳が滅茶苦茶だと言うことだ。
切り張りは、やめたほうがエエよ。

>この隋順修行の語は、法次法向の両方に係っていますね。

だからぜ〜んぶ、法次法向に掛かっているんだけど。
どうして隋順修行だけなんだあ?
「随順修行法次法向」なら、法次法向に随順して修行する、だろ?
同様に、
「随順知法次法向」は、法次法向に随順して知る、、、となり、
「随順行法次法向」は、法次法向に随順して行ずる、だよ。
随順とは逆らわず従う、信じて従うことだ。
法次法向は一種類の項目ですダ。

釈尊の説いたことは自利と利他、いわゆる自行化他の十六種の項目だ。
だから十六種の項目が最終結論なのですダ。

また八種のうち、信・戒・施は行の基本項目で、見・聞・持・観は行の心構え、
法次法向は道標とか仏道のような意味を含むものだ。
釈尊の説く法えに近づき法えを追求するならそれは、仏道を歩むことだろ?
けだし「法次法向に随順し修業する」と言うことは、三善根という不放逸ですダ。

391ラシン:2010/12/01(水) 18:17:26 ID:b9Cg2rfo0

追記

釈尊は八種だけじゃダメですよと言っている。
ユビさんが示してくれた>>302の「摩カ男よ、是の如き八法成就者は、
是れを優婆塞能く自ら安慰し他を安慰せずと名づくなり」ですよ。
それで十六種の為すべきことがらを説いた。
だから、釈尊の説いた十六種を検証することが最終の項目の結論を導くことになる。

そこで、>>318で深山さんが示した桐山訳があり、その八組16種の中身に「見」がある。
「自分が塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えると共に、
他者にも塔寺への参詣と沙門に見えることを教える。」が、それですよ。

だが、そこで法次法向を2つに分けたら九組十八種になってしまうはずだ。
しかし桐山訳文でさえ、その内容は「見」の文章を入れても八組です。
それとも深山さんの引用法が間違いなのか?
そうなら指摘できるはずだが、一切触れずに沈黙じゃないの。
つまり、
どう言おうが、桐山さんもその擁護論も自己矛盾を呈していることに気づいていない。

392準シュダオン:2010/12/01(水) 21:27:43 ID:1F7rdgXk0
ラシンくんのレスは、悪いけど目に悪いので読まないよ。

ユビキタスさんは、いい加減に、八法についての批判派の過ちを擁護する
のは止めた方がいいねw。恥のウワノリするだけだからね。
十六法のFを、見沙門と、数えたユビさんの見解も、解からないでは
ありません。しかし、Fは、ユビキタスさんが付けた番号ですが、
それはいい線いっていますが、しかし、ちょいと違います。

「仏陀の真実の教えを説く」本の、P58をご覧なさい。
6行目から、「信戒施」が揃っても、「不能随時往詣沙門聴受正法是則不具」と、
とありますね。信戒施が揃っても、詣沙門聴受法が無ければ、不備だという
のです。次に、随時往詣塔寺見諸沙門があっても、不一心聴受正法がなければ
是則不具だと書いています。
 つまり、往詣塔寺+見諸沙門+聴受正法=聞、であることを、説いている
のです。これを読解できなくては、ユビさんとか、深山くんとか、いうように
幼稚な判断しかできないのです。

十六法の説明で、見諸沙門と聴法が分けて説明されているから、それぞれを
一法と数える考え方は、間違いなのです。
経の前半部分で、信戒施聞、と説いているのがその証拠なのです。
信戒施見、とは、どこにも書いてありません。
「見沙門+聴法」=聞、であることを、読みとれなければ、笑いものですw。

393準シュダオン:2010/12/01(水) 21:40:43 ID:1F7rdgXk0
ついでに書きますが、
増一経では、釈尊が比丘に七成法を説いています。
すなわち、比丘が成し遂げるべき、七つのことがらとして、
「云何七成法 謂七財 信財 戒財 施財 聞財 ・・・・」と、説いています。
在家の信戒施聞、と、同じですよね。

それらの中に、見える(まみえる)、という法はありませんw。
在家であれ、未熟な比丘であれ、沙門や先達に見える(まみえる)
ことが大事な修行法であるならば、他にも説かれていようが、それはないw。
考えるまでもない。仏道は内面を問題にするのです。内面は、「見」では見え
ないのです。

394ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 00:28:26 ID:SmEF4Oe2O
>>386:準シュダオン10/12/01(水) 15:07:48 ID:1F7rdgXk0
>誤魔化しは止めなさいなw。
↓をよく読んでね。
>F自ら塔寺に参詣しもろもろの沙門から教えを聞く、
>が、管長の説明です。
>一切事経の経文には、番号は付いていませんよw。

じゃああなたが番号を付けてごらんよ。
あくまでも経典の原文に。
私の方は>>321の付番のように見事にきれいに16の対比文章になりました。
私に作為はありません。
全てこの経典の作者、説法者(釈尊)のおかげです。

395ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 00:37:14 ID:SmEF4Oe2O
>>386:準シュダオン10/12/01(水) 15:07:48 ID:1F7rdgXk0
>経文では、「聴」と「聞」を使い分けているのです。
>見沙門+聴法=聞、なのであり、
>見沙門+聞法≠聞、です。

適当なことを言いなさんな。
そんな足し算必要なく聴法=聞法であり、聴=聞であることは小学生でもわかります。

396ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 00:48:07 ID:SmEF4Oe2O
>>387:準シュダオン10/12/01(水) 15:26:15 ID:1F7rdgXk0
>法次法向の意味が解れば、二つに数えるのが妥当だと解かるのです。
>乗法除法みたいなものです。
>再度言うと、法次とは法に従うこと、順法のこと、法を実行することです。

それを経典のどこで解説しているのか示しなさい。
よろしいか?国語のペーパー試験では文中に示されてもいない、字面だけで勝手に
想像した自分の考えなど書いたら零点と説明したでしょ?
あくまでも文中からその箇所を探さねばならないのです。
そもそも桐山さんの法次法向の説明は法に近づき法を追求するです。
法次が近づく、法向が追求する。
近づくも追求するも同じ意味です。
あなたのように従うなんて言っていない。
ましてやわけのわからん・・

397ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 01:10:00 ID:SmEF4Oe2O
>>389:準シュダオン10/12/01(水) 15:34:48 ID:1F7rdgXk0
>今日も未だ反論なし、とは何のこと?

あなたは昨日も今日もいろいろ書き込みはしているが、未だこちらの書き込み内容に
対して反論のレスなど付けていない、付けたことにならないと申しておるのです。
会話とはキャッチボールです。
「腹減ったね」
「そうだね」
「何か食べに行こうか?」
「和洋中どれがいい?」
「寿司なんかどう?」
「いいね。おごってくれるのかい?」
「割り勘で行こうや」
「仕方ない、まあいいか」
こんな具合で会話には常に相手の言葉を受けてそれに対して何らかの回答を示し
発展していくものなのです。
私の書き込み内容を読んでおらず、それに対する反論を述べていない。
私はあなたの書いた信戒施聞と見が省略された文について見解を示した。
単なる省略である証拠に58頁にあるその文の後、59頁の方でまた見(詣)も
聴(聞)も両方分けて説いて、それぞれ自利の八法と自利・利他の十六法に
誰にでもわかりやすく整理分類して別々に数えている。
一緒にまとめて七法十四法にしても大差ないと思うのだが、たまたま分けて
八法十六法として数えた。
だから見と聞に分けるのが58頁の後に出てくる59頁の結論です。
58頁の表現だけを根拠にするあなたはこの59頁の問題をどう考えるのか?
これを踏まえてこれに答えてこそ反論レス足りうるのです。
すなわちあなたは未だに反論をしていない。

398ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 01:19:11 ID:SmEF4Oe2O
>>392:準シュダオン10/12/01(水) 21:27:43 ID:1F7rdgXk0
>のは止めた方がいいねw。恥のウワノリするだけだからね。

それを言うならウワノリではなく上塗り(ウワヌリ)w

>「仏陀の真実の教えを説く」本の、P58をご覧なさい。
>6行目から、「信戒施」が揃っても、「不能随時往詣沙門聴受正法是則不具」と、

だから私が引用して数字まで付けてぴったり8なり16なりにした>>319>>321
58頁よりも後ろに出てくる59頁の白文が原文ね。

399ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 01:30:59 ID:SmEF4Oe2O
>>393:準シュダオン
10/12/01(水) 21:40:43 ID:1F7rdgXk0
>ついでに書きますが、
>増一経では、釈尊が比丘に七成法を説いています。
>すなわち、比丘が成し遂げるべき、七つのことがらとして、
>「云何七成法 謂七財 信財 戒財 施財 聞財 ・・・・」と、説いています。
>在家の信戒施聞、と、同じですよね。

>それらの中に、見える(まみえる)、という法はありませんw。

はい、それは別の経典だからであって、全部共通にする必要なんかありません。
私だって一切事経の主張で見は聞に含まれるとして、一緒にして七法十四法でも
なんら問題ないと思いますよ。
でも一応一切事経では見と聞を分けて八法十六法で数えてしまったんだから
仕方ないでしょうが。
だからこれは単なる国語の問題、相手の文章を文脈から正確に読み取るだけの
問題で教義教学を考察する問題ですらないと何度言ったらわかるのですか?

400ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 02:06:54 ID:SmEF4Oe2O
>>393:準シュダオン
10/12/01(水) 21:40:43 ID:1F7rdgXk0
>ついでに書きますが、
>増一経では、釈尊が比丘に七成法を説いています。
>すなわち、比丘が成し遂げるべき、七つのことがらとして、
>「云何七成法 謂七財 信財 戒財 施財 聞財 ・・・・」と、説いています。
>在家の信戒施聞、と、同じですよね。

>それらの中に、見える(まみえる)、という法はありませんw。

だって比丘(出家の弟子)に対して比丘(出家の弟子)が成し遂げるべきことを
説いたんでしょ?
聞はあっても見があるわけないじゃん。
普段の生活の場が道場なんだから。
往詣の必要がないのさ。
これを在家に対して示した八法十六法と同じに考える方がおかしい。
*

401準シュダオン:2010/12/02(木) 08:31:01 ID:1F7rdgXk0
比丘だとて、洞窟や林で、一人で瞑想している未熟者も居る。
「見沙門」が修行なら、必ず比丘にも、先達を見よ、と教えるはずさ。
職人の技能や芸は、見て覚えることは重要だ。
しかし、仏道の場合、内面が問題なのだから、見えることは法とまでは
いえない。見えるのは法を聴く手段として必要なのです。

9法18法とか、10法20法にまとめる場合なら、見があっても良いだろうが
8法16法にまとめる場合は、見は入らないのです。
日本語と言うよりも、知能の問題です。

402準シュダオン:2010/12/02(木) 08:40:32 ID:1F7rdgXk0
あのね、普通は、P58を読んでからP59を読むでしょう。
P58には、見沙門+聴法=聞、であることを示しているのです。
P58の8行目に、信戒施聞、とあるでしょう。これは見の脱字ではないの
です。意識的に見を外しているのです。その証拠に、11行目にも信戒施聞
と出ていますし、12行目にも信戒施聞、と、出ています。
だから、「見」は、意識的に外しているのです。

だから、P59で、見沙門と聴受法を分けて説いていても、別々に数えて
はいけないのです。別々に数えると9法になってしまうのです。

403ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 08:42:18 ID:SmEF4Oe2O
「仏陀の真実の教えを説く」枕元近くに落ちていたのを今朝発見しました。
それではまずは引用だけをしたいと思います。

44頁(和訳書き下し文)
摩訶男よ、若し優婆塞の、是の如き十六法を成就する者は、彼の諸の大衆悉く
其所に詣ずるなり。謂く、婆羅門衆、刹利衆、長者衆、沙門衆の諸衆中に於て
威徳顕曜せん。譬えば日輪の初中及び後に威徳顕照せん。是の如き摩訶男よ、若し
優婆塞十六法成就者は世間に得難し」と。

45頁(現代語訳)
マハーナーマよ、この十六法を成就する優婆塞のもとには、あのもろもろの大衆が
すべて参詣するようになります。その大衆とはいわゆるバラモンたち、クシャトリアたち、
長者たち、沙門たちであり、それらの人々の中においても十六法を成就する優婆塞の
威徳は大いに輝きます。ちょうど太陽の光明が日の出から日没まで大いに輝き続ける
のと同じように、優婆塞の十六法を成就する者の威徳は大いに輝き続けるのです。
マハーナーマよ、このように優婆塞の十六法を成就する者は、世間に得難い存在なのです」と。

この現代語にはもちろん問題はありません。

解説と批判は晩遅く以降になりましょうか?

404準シュダオン:2010/12/02(木) 09:07:50 ID:1F7rdgXk0
批判派には一人も、わたしの言うことを解かる人が居ないのか?呆れたね。
P58の7行目に、
「(信戒施を具えていても)不能随時往詣沙門聴受正法 是則不具」と、
あって、見沙門と聴受法が一つに数えられていることが解かるでしょう。

そのすぐ後に、
「随時往詣塔寺見諸沙門 不一心聴受正法 是不具足」と、あって、
見諸沙門があっても聴受法が無ければ不具足だ、と説いています。
で、見諸沙門+聴受法があって、信戒施聞満足、つまり、聞が整うのです。

「見+聴」=聞、なのです。この経典では、「聴」と「聞」とで文字の意味を
使い分けているのです。
「見沙門+聴法」=聞、なのであって、「見沙門+聞法」≠聞なのです。
この↑違いが、解かりますか?
だから、十六法の説明では、聴法の語はあっても、聞の文字はないのです。

「見と聴」とで、一つの「聞」と数えよ、と、P58で示しているのです。
だから管長は、P41のFで、自ら塔寺に参詣し諸々の沙門から法を聞く、
と、聞を説明しているのです。
見と聴を別別に分けて解説してるからといって、分けて数えるのは間違い
なのです。

405準シュダオン:2010/12/02(木) 10:55:54 ID:1F7rdgXk0
日本語では「聴」=「聞」であり、小学生でも解かるのですが、
一切事経の漢文では、「見+聴」=聞としており、聴と聞の文字の意味を
使い分けているのです。
ユビキタスさんは、本を見つけたようなので、本のP58〜59を読んで、
そのことを確認してください。
ただ、何となく、聴と聞を使用しているのではないのです。
十六法の説明でも、見+聴=聞であることを理解しましょう。

406ラシン:2010/12/02(木) 13:31:09 ID:b9Cg2rfo0
>392 :準シュダオン:2010/12/01(水) 21:27:43 ID:1F7rdgXk0
ラシンくんのレスは、悪いけど目に悪いので読まないよ。

反論できず、且つ腹立たしいからだろ?

>信戒施が揃っても、詣沙門聴受法が無ければ、不備だという のです。

だから全体をもって理解することだ。
はじめは「信戒施聞」なんて捕らえていたのは誰だ〜よ、笑笑笑。
在家の者が信戒施を具足するためには、聖者の集団に詣で彼らに見えて、
その清らかな振る舞いを見る・法を聞く・法を受持する・法の深義を観察する・
ようは聖者を手本とすることだ。
そして法次法向という仏道を歩む、してそれを利他して十六法とする。

法を聞くだけなら塔寺に詣でなさいで済む。
サンガに行けば沙門に会える。
わざわざ沙門に見えなさいと言うことは、その聖者の清らかな行い振る舞いを
会って見ることで実感し、手本として体得することに繋がる。
>>390で基本と心構えに分けたのは、その意味を理解できるように促したのだが、
暖簾に腕押し猫に小判だったのか。

>401 :準シュダオン:2010/12/02(木) 08:31:01 ID:1F7rdgXk0
比丘だとて、洞窟や林で、一人で瞑想している未熟者も居る。
「見沙門」が修行なら、必ず比丘にも、先達を見よ、と教えるはずさ。

おバカキャラを止められないようだ。
孤高にての瞑想者が未熟者だと?
釈尊に出家を認められた初学の弟子はサンガや先輩僧に随順して、
その清らかで隙のない所作を見て覚えるんだ。
身体と言葉と心に汚れの無い沙門の一々の所作には同じく汚れがない。
>>337で当時外道のサーリプッタがアッサジの立ち居振る舞いを見た話しをしただろ?
学習能力というより、相手からの都合悪い引用はいつもダンマリじゃないの。

釈尊が説く煩悩滅を理解していないから「見」などを単に「会う」だなんて考える。
六根不浄の眼耳鼻舌身意の「眼」とは何なのだあ?
だから清らかな眼を必要とする学びの必要だ。
それが、不浄と清浄の見分けだよ。

>402 :準シュダオン:2010/12/02(木) 08:40:32 ID:1F7rdgXk0 あのね、
普通は、P58を読んでからP59を読むでしょう。
P58には、見沙門+聴法=聞であることを示しているのです。
P58の8行目に、信戒施聞、とあるでしょう。
これは見の脱字ではないの です。意識的に見を外しているのです。

この老人は、一切事経経典に書かれていることを無いと信じ、
たとえば信者さん馴染みの応説経の漏尽解脱を因縁解脱があるかのように
錯覚する。
デンパオツムは、たとえようの無い都合リキが働くようだ。

>説いていても、別々に数えて
はいけないのです。別々に数えると9法になってしまうのです。

だから分けてはいけない法次法向なのだ、人まね表現をして墓穴を振るなよ、笑笑笑。

>だから管長は、P41のFで、自ら塔寺に参詣し諸々の沙門から法を聞く、
と、聞を説明しているのです。
見と聴を別別に分けて解説してるからといって、分けて数えるのは間違い
なのです。

何を言ってるか分かっているのかあ?
批判側は桐山さんの間違いを指摘しているのに、桐山説を根拠にスな!
別々に解説しているのは、その両者が二種分けて考える必要があるから、
分類して解説するんだよ。
バカ・利巧とか善・悪とは褒貶だから一緒の意味となる、と言うようなキャラが、
建立されてマ!笑笑笑笑笑。

このデンパ老人は、法次法向って意味分かってんのかな?
単なる教えで無いから「法え」なのであって、それは真の理わりを知ることだから
仏道を歩むことなんだ。
釈尊は在家であろうが、説いている究極の目的は、煩悩を滅すると言う漏尽解脱なんだけど。

>十六法の説明でも、見+聴=聞であることを理解しましょう。

無手勝流で解釈法を捻じ曲げたら、なんでもありの世界で収拾がつかなくなる。
数の勘定もまともにできぬど素人が、解説されてもいない足し算を使うなよ。

407ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 22:29:08 ID:SmEF4Oe2O
「仏陀の真実の教えを説く」
53頁〜54頁より抜粋(桐山解説)

これは十六法を成就している優婆塞のところには、たくさんの人たちが参詣にくる
ということです。それではどのような人たちが、お詣りにくるのかというと、
婆羅門衆、刹利衆、長者衆、沙門衆となっております。
(中略)
そして最後に沙門衆とありますが、これは出家たちを指します。
この部分は非常に重要です。なぜならば、沙門衆つまり出家からも、十六法を
成就した優婆塞は尊敬され、教えを乞われるようになるためです。
ふつう、仏教において出家と在家をくらべた場合、やはり、出家は在家を導く
立場となります。ですから、お経の前半では、「塔寺に往詣して諸の沙門を見る」
となっています。在家の者は道場に行き、沙門にお会いして、沙門からいろいろと
教えを聞きなさいとなっているのです。ところが十六法を成就すると、その沙門の人たちでさえも
教えを受けにくるのです。
(中略)
太陽が日の出から日没まで、かくかくと照っているように、十六法を成就した
優婆塞の威徳は輝いている。それは沙門衆にも劣らないどころか、この十六法を
成就した優婆塞の方が沙門を超えてしまう、ということです。つまり在家でありながら
出家の上に立つということをおっしゃっているのです。
ところがそうではない。正しい修行をする者は、沙門=出家よりも上になるぞ、
と説かれているのです。沙門=出家でさえも、その人の門を叩いて、弟子として
教えを聞くようになるぞ、とお釈迦さまはおっしゃっているのです。
わたくしは、お釈迦さまは在家成仏の道を示されたのだ、とはっきり断言します。
その文証(経文に見られる証)がこの『一切事経』です。

408ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 23:05:31 ID:SmEF4Oe2O
さて、それではこの桐山さんの説いた「出家を超える優婆塞」に対する反論です。
沙門とは桐山さんの説くように出家修行者であることは間違いありませんが、
ここで桐山さんは大いなる勘違いをしています。
ここでいう沙門衆とは出家には違いありませんが、仏教の出家、すなわち比丘や
比丘尼とは異なります。
沙門出家と言っても範囲は広いのです。仏教だけの専売特許ではなく、仏教以前から
インド社会に存在していたのです。
これには著書の55頁で脚注として説明されてますよ。


沙門  パーリ語の「samana(サマナ)」、サンスクリット語の「sramana(シュラマナ)」の音写。
元来はインドにおける出家者の総称で剃髪し、諸悪をとどめ、心身を制御して
善に努め、悟りを得るために努力する人を指す。またジャイナ教などの諸宗教の
修行者の呼称でもある。仏教では出家の仏道修行者を指す。息・息心・静志・浄志・
乏道・貧道・功労・勤息とも漢訳する

ズバリこの脚注の中の仏道修行者ではない元からいる外道などの出家などの修行者です。
と言うのはお釈迦様自身もともとは悟りを開いて仏道を示す以前から一沙門だった
のです。王子の位を捨てた沙門ゴータマはまだ仏道すら掴めていない。
釈尊だけでなく他にも当時多くのこういう世を捨てて山林にて苦行に励む出家沙門が
いたのです。
釈尊に一番早く弟子入りした所謂五比丘だって、弟子入りする前は単なる沙門仲間
だったのです。
だから仏教の優婆塞が十六法を実践してその教えを人に勧めて
広める時、バラモンや貴族であるクシャトリアや金持ち長者やら、こういう世捨て
求道者たる沙門までもが、その教えを聞きに来て、その威徳は素晴らしいと
言っているだけの簡単な話であり、仏教集団の中において在家修行者が出家の比丘を
超えてしまうなんて、わけのわからんややこしい話ではありません。

409ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 23:31:28 ID:SmEF4Oe2O
一切事経が在家成仏の証という捉え方は基本的に間違っていません。
釈尊は出家にも在家にも等しく解脱の道を示しましたが、在家が出家を超えるなんて
ことはありません。
なぜならば出家と在家の違いとはプロとアマチュアの違いのようなもので
出家の方がすべてにおいて徹底しているのです。
在家は欲望原理の娑婆世界で生計を営み家庭を築き、生産や消費活動をしながら
煩悩をなるべく最小限に減らしていこうとするものです。
だからやはり出家優位と言わざるを得ない。
優位と言っても出家が在家の上に偉そうにふんぞり返るなんてことではないが
教導するのは常に出家から在家に対してです。
在家はこの尊い出家を供養して生き長らえるように支援する。
間違っても比丘出家が在家に教えを乞いに弟子入りするようなことはありません。
在家が出家を超える!
これは沙門を仏教の出家だけに限って解釈してしまった桐山さんの思いこみです。
お釈迦様の経典ではこんな大どんでん返しみたいな暴論はありません。
在家が出家を超えるなんて飛躍論を示すならば、なぜそうなるのか理路整然と
説明があるはずであり、バラモン衆、クシャトリア衆、長者衆などと同列に語りません。
同列に語るのは所詮外道の修行者に過ぎないからです。
こんな簡単な用語の取り違えミスで、出家を超える在家仏教なんて提唱するのは
桐山さんのおマヌケな証拠です。

410ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/02(木) 23:46:42 ID:SmEF4Oe2O
と言うことで、桐山教義批判のネタとその詳細の論をまとめられるという天照さん、
いかがだったでしょうか?
桐山さんは阿含経の一切事経の八法十六法の提示に対して、とりわけ悪意のある
捏造欺瞞はありません。但し冷静さに欠いた思い込みから二つの取り違えがある。
一つは八と十六の数え方の分類取り違えミスです。
私は桐山さんや準シュダオンさんの言うように見は聞の中に含めて考えてよいと
思います。それでも釈尊の真意は変わりありません。
また法次法向とたまたま二連の用語が使われていることから出発して教えを
聞いて保って観察して、いざ実践するのに段階を設けて考えてみる試論も各自の
自由で、アリだと思います。
しかし経典の正しい数え方をまず把握するという作業において、桐山さんは
これを忠実に示す能力が欠けたというわけです。
まずは正しく解説できないとね。正しい国語に則って。
それからもう一つが今回の沙門を仏教の出家と早合点して、仏教教団の中で逆転が
起こるぞ、なんてお粗末なお笑い解釈を示したミスです。
悪意こそないが誉められた話ではない。

411天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/03(金) 04:45:15 ID:eVrFMnNY0
ユビさん、またも詳しい解説をありがとうございます。
本当にありがたく感謝いたしております。

さて、私事ですが、先般この「仏陀の真実の教えを説く」を注文しました。
おそらくこの2・3日の間に私の自宅に届くと思います。
届きましたらその今回論じられた箇所をスキャンし、新しいサイトのスタートと
して展開してゆきたいと思います。

ユビさんや深山さんやラシンさんが解説してくださいましたように、私のような
疎い人間でもわかり易く説明をしてくださると非常に外部の人間でも理解がしやすい、
と思いますし、また皆さんもご存知の通り何度も同じネタで転がされては見るほうも
たまらない。

やはり辞書ではないが解説があった場合にはそれを記録保存し、尚且つその示した
引用元の画像があれば尚検証したり論じ易いと思います。また、これは稀だと思いますが
再検証したり追記の解説の際にも重宝するかと思います。

例えば間違った解釈や解説があったとしても、それがどのように間違っているのか。
逆もしかりで、ではどのように判断すべきなのか、などを知るには適したものになるのは
あるかと思うのです。

とかく桐山氏は油断がならない。嘘や間違いを平気で垂れ流す場合が多いからです。
それに対し、間違いに気づき指摘する人も多くは無い。
ここまで桐山氏の嘘を暴く人間があまり見られなかったのがあります。

今はネットの環境が広まり情報が流通するようになった。
以前は本を出すか何かの行動で以って示すしかなかったので、その間違いを逐一正す、
というのが出来かねた。
しかし、今の時代は自宅に居て示すことや出すことが出来ます。
そのためにはやはり勉強をされた、または知識がある方のお力が重要となります。

本当にありがたく感謝にたえません。

412ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/03(金) 08:18:07 ID:SmEF4Oe2O
>>402:準シュダオン10/12/02(木) 08:40:32 ID:1F7rdgXk0
>あのね、普通は、P58を読んでからP59を読むでしょう。

>だから、P59で、見沙門と聴受法を分けて説いていても、別々に数えて
>はいけないのです。
そんな世の中をなめたアホな文章は存在しません。
前半にこう断ったんだから、後半は違ったことが書いてあっても読者の責任において
読み替えて読めなんて無責任な文章は世に存在しない。
クイズやパズルではないのだ。
前半で真実を語ったのならば、後半の総仕上げでもきちんと正確に示すのが
当たり前です。
後半では私が>>319>>321で付番を補ったように、同じスタイルの文章が見事に
きれいに8対の組み合わせで書いている。これが八法、十六法だと誰しも理解する
のは、意味を解釈したからではなく、文脈のスタイルの上からです。
この文脈スタイルを作ったのは私ではありません。
経典の作者が作ったのです。
真実の八法があの後半の分類によらないならば経典作者の責任です。

413準シュダオン:2010/12/03(金) 08:40:50 ID:1F7rdgXk0
仏教辞典によれば、沙門とは、「ジャイナ教や仏教などの男性出家者を一般
に意味する」と、ありますから、ユビキタスさんの方こそ、考え方が間違い
ですね。

沙門衆とありますから、仏教の出家者も含まれるのは当たり前です。
十六法成就者の優婆塞には、沙門衆も詣でるというのです。
威徳顕曜の「曜」とは日光の光輝く様子をいうのですから、太陽のように
輝くというのです。
ゆえに、十六法成就者の優婆塞は、ジャイナ教や仏教などの男性出家者を
超える存在になるのです。

仏教以外の出家者を意味するのならば、お釈迦さまはそう言うはずです。
「見諸沙門の場合の沙門は仏教出家者のことで、
沙門衆の場合の沙門は、仏教以外の沙門のことだ」なんて、そんなひねくれ
たややこしいことを、お釈迦さまが説くはずがありませんw。

414ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/03(金) 08:45:44 ID:SmEF4Oe2O
>>405:準シュダオン10/12/02(木) 10:55:54 ID:1F7rdgXk0
>日本語では「聴」=「聞」であり、小学生でも解かるのですが、
>一切事経の漢文では、「見+聴」=聞としており、聴と聞の文字の意味を
>使い分けているのです。

一般論めいた呟きは不要ですから、具体的にこの一切事経という経典の中から
聞という文字を使って説かれた箇所の意味と、聴という文字を使って説かれた箇所の
意味の違いを文証として論じてみなさい。
皆が納得するようにどう違うのか明らかにしてみなさい。
幸い著書には桐山現代語訳も全てについているのだから。
経典に沿った経典内の論述でなければ意味がありません。

415準シュダオン:2010/12/03(金) 09:01:14 ID:1F7rdgXk0
経典作者の責任と言うけどね、「如是我聞」の聞は別にして、一切事経に
最初に出てくる「聞」の文字はP58の8行目の「信戒施聞」の聞です。
信戒施の次に、往詣塔寺と見諸沙門と聴受法が説明されていて、聞、と出て
きますから、聞=「往詣塔寺+見諸沙門+聴受法」のことだと解かるのです。

この経典では、八法の一つを意味する場合には、「聞」を使用しています、
「信戒施聞」や「聞法自持」などです。
また、優婆塞の行為の一つの場合は、「聴」の文字を使用しています、
「聴受正法」という具合にです。
「聞」は、門+耳ですから、「塔寺の門を通って沙門の教えを耳にする」
と、理解すれば、聴と聞との違いが解かりやすいでしょう。

416ラシン:2010/12/03(金) 11:18:11 ID:b9Cg2rfo0
>>405:準シュダオン10/12/02(木) 10:55:54 ID:1F7rdgXk0
>日本語では「聴」=「聞」であり、小学生でも解かるのですが、
>一切事経の漢文では、「見+聴」=聞としており、聴と聞の文字の意味を
>使い分けているのです。

この老人のこだわりは、仏法を成就したから「聞」と「聴」を
分けた特別の意味があり、それを知ることが出来ると自惚れている。
ユビさんの指摘に「日本語では、小学生でも解かる」などと同意しながら、
しかし「霊性で理解するか、新皮質脳で考えるか」とか、
または「仏法を会得した者には、そういう字面だけの解釈はできないのです。
そういう解釈では、修行が進んだ者に笑われてしまうのです。」などと自画自賛の
てんこ盛りで、誰も見えない力を鼓舞している。
だが、自分で引用した経文をよく観察したらどうか。

日本語として「聞」と「聴」は大差なしでどちらでも通じる。
あえて分けて考えるなら「聞」は聞こえるとも使えて耳に自然に入ることに比べ、
この「聴」のほうは、積極的な意思が込められている点の違いだろう。
例で言えば、注意して聴き取る 聴き込む 聴取 謹聴 傾聴 聴講などだ。
だから法を聴くという場合は、あえて「聴」の漢字を使い、
種類項目として述べる場合は「聞」の漢字になっている違いがあるだけだ。
老人が自ら出した漢文の経区を見れば一目両全で、『 』で括ってある。

見諸沙門 不一心『聴受正法』是不具足 
信戒施『聞』修習満足『聞』巳不持 是不具足
随時往詣沙門専心『聴法』
随時往詣塔寺見沙門『聴受正法』
十六法 信、戒、施、見沙門、『聴法』、持、観察、法次法向
信戒施『聞』受持観察了達深義 隋順行法次法向

>また、優婆塞の行為の一つの場合は、「聴」の文字を使用しています、
「聴受正法」という具合にです。

だからそれでよいのですよ。
それ以上でも以下でもない、大きな意味が潜んでいるなんて考えることが、
噴飯者になってしまう。
値打ちをつけてハッタリを咬まさないほうが、知性を疑われないで済む。

417ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/03(金) 13:20:50 ID:SmEF4Oe2O
>>413:準シュダオン10/12/03(金) 08:40:50 ID:1F7rdgXk0
>仏教辞典によれば、沙門とは、「ジャイナ教や仏教などの男性出家者を一般
>に意味する」と、ありますから、ユビキタスさんの方こそ、考え方が間違い
ですね。
>沙門衆とありますから、仏教の出家者も含まれるのは当たり前です。

いいえ、ここでこそ頭を働かせないとなりません。
仏教の出家沙門を含めてしまったらおかしなことにならないか?
たしかに在家信者でも熱心に煩悩除去に励む人は出家のそれにも匹敵しましょう。
しかし超えてしまって出家の方から教えを乞いに来るわけがない。
十六法の在家信者って自分が仏の教えを聴いて実践しようということを他の一般人
にも勧めようというただそれだけの人ですよ。
仏教の信者でもましてや修行者でもない人たちにとっては、その人が位の高い
バラモンであろうが、貴族だろうが金持ちだろうが、他宗教の行者であろうが、
それは是非ともそれがしもその尊い法を聞きたいものですと馳せ参じることは
ありましょうが、どうして既に信を起こして戒律を守り修行に励む仏教の出家が
そこにノコノコ現れて、優婆塞ちゃん、教えてよなんて情けないことを言うのか?
これを考えると、出家沙門には仏教のそれも例外なく含む用語ではあっても
ここでいう沙門衆は仏教沙門(比丘)だけは含まない外道出家だと判断できます。

418準シュダオン:2010/12/03(金) 14:38:41 ID:1F7rdgXk0
沙門衆についてのユビキタスさんの考えはおかしいですよ。
見諸沙門の場合は、当然、仏教の出家者のことです。
お釈迦さまが、「外道の出家者に見えて法を聴け」なんて説くはずがないからです。
だから、当然、沙門衆は、仏教もジャイナ教も、含めた沙門のことです。

十六法成就者とは、阿那含果を得た優婆塞のことでしょう。
出家経には、優婆塞でも阿那含を得られる、ことが説かれていますからね。
阿那含果を得た優婆塞なら、名も知られるでしょうし、預流向や預流や
斯陀含の比丘や比丘尼は、教えを聴こうと、その阿那含優婆塞に詣でるの
も、不思議はないでしょう。

優婆塞阿那含は、出家の阿羅漢や阿那含を超えることはないですけども、
優婆塞阿那含は、出家の預流や斯陀含は超えてるわけです。
管長はそのことを説いてるだけですよ。

419準シュダオン:2010/12/03(金) 14:41:48 ID:1F7rdgXk0
外道出家が相手なら、なにも十六法を成就せずとも、
仏道に入っただけで、もう外道出家を超えているのですw。

420ラシン:2010/12/03(金) 17:25:03 ID:b9Cg2rfo0

大衆とは、社会を占める「大多数の・大勢を占める」とされる人々、民衆です。

ユビさん提示の45頁(現代語訳)の解説では
>その大衆とはいわゆるバラモンたち、クシャトリアたち、 長者たち、沙門たちであり<

とあるのだから、沙門たちもその一般民衆の範疇にあり同列表記であることがわかる。
つまり仏教修行者以外の沙門たちであることが理解できる。

>それらの人々の中においても十六法を成就すする優婆塞の威徳は大いに輝きます。<

これは比較論ですね。
参詣した大衆であるバラモンたち、クシャトリアたち、 長者たち、沙門たちの中にあって、
十六法を成就する優婆塞の威徳は、彼らを圧倒すると言うことだ。
ではその威徳とは、威厳があり徳望、高徳を言う。
さらに言えば聖徳ではないことに気づくべきだ。

>優婆塞の十六法を成就する者は、世間に得難い存在なのです<

世間に得にくい、手に入れにくい貴重な存在だと言っている。
それは当然でしょう、優婆塞なんだから世間という限定された範囲の中では、
貴重な存在であっても、釈尊に許されて出家した出世間とは、段違いであることを
知るべきではないか。
出世間とは、欲望に支配されない欲望に振り回されない生き方だからだ。
つまり>>408のユビさんが指摘したとおり、
>仏教集団の中において在家修行者が出家の比丘を超えてしまうなんて、
 わけのわからんややこしい話ではありません。<
が、正しい。
阿那含果とは、欲界に戻ることの無い境涯だ。
それが世間という欲望の範疇で評価されるわけがあるまい。
十六法を成就する優婆塞が、阿那含果を得ているなんてあり得ない。
ましてや文脈にも無いのだから預流向などでもない。
預流向以前の四向四果に向かう在家者のことであり、
それでも一般大衆より威徳が高い存在だと言うことです。

421ラシン:2010/12/03(金) 17:54:25 ID:b9Cg2rfo0

つまり、十六法を成就する優婆塞の表現を○○法を成就した、
なんて自惚れるから経典解釈を誤るのだ。
この意味は、信・戒・施・見・聞・持・観・法次法向の八種の行いを果たし、
他人にも進める行為を価値あることだと称えたのです。
釈尊の仏法を信じ、戒を課し、利他を行い、寺院に参詣して沙門の言動を見て、
尊い教えを拝聴し、その教えを忘れないで、その深い意義を観察して、
仏道を歩むことを果たす(成就する)なら、世間での評価は大衆の仲に於いて群を抜く、
と言うことが説かれているに過ぎない。
ようは在家者への仏教奨励の言葉であり、その心構えであることだ。

422ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/03(金) 21:35:06 ID:SmEF4Oe2O
>>418:準シュダオン10/12/03(金) 14:38:41 ID:1F7rdgXk0
>お釈迦さまが、「外道の出家者に見えて法を聴け」なんて説くはずがないからです。

そんなことは経典に書いてません。他教団の修行者を勧誘しようと押し売りに
行くのではありません。
向こうから参詣してくると経典には記述されている。
日頃から仏の教えを遵守し、他人にも自分と同じように仏の道を歩むように
働いている在家信者のもとには自ずといろんな人が集まってくると説いているわけです。
とりわけインド社会では身分の高いとされているバラモンやクシャトリアや
一部からは聖者扱いにもされる外道の修行者なども敢えて含めて強調している
と思いますね。普段は頭が高い、控えおろうなんて感じで接点のない方々さえもが
頭を下げてくるわけですよ。カーストの身分差別を超越するわけです。たかだか
バイシャ(平民)の在家信者風情に対して。
これが威徳というものです。
ああ、もちろん外道(異教徒)の沙門なんて仏教教団をライバル視して誰が教えなんか
聞きに行くものかなんて奴らも少なくないと思いますよ。
しかしそのような垣根を乗り越えて心ある求道者ならば、どんな教えか聴いて
みようかと十六法優婆塞に接近する。
優婆塞が自分が教祖になったかのように得意気に説法するのではない。
一緒に正しい法を聴きに比丘にまみえませんかとお誘いするわけです。
あなた方アゴン宗の信者が今度桐山管長の尊い法話を聴きに一緒に例祭に参拝
しませんかとお誘いするようなものです。
おっと、あんたは自分が例祭なんかに参詣しなかったなw

423ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/03(金) 21:57:17 ID:SmEF4Oe2O
>>418:準シュダオン10/12/03(金) 14:38:41 ID:1F7rdgXk0
>十六法成就者とは、阿那含果を得た優婆塞のことでしょう。
>出家経には、優婆塞でも阿那含を得られる、ことが説かれていますからね。
>阿那含果を得た優婆塞なら、名も知られるでしょうし、預流向や預流や
>斯陀含の比丘や比丘尼は、教えを聴こうと、その阿那含優婆塞に詣でるの
>も、不思議はないでしょう。
>優婆塞阿那含は、出家の阿羅漢や阿那含を超えることはないですけども、
>優婆塞阿那含は、出家の預流や斯陀含は超えてるわけです。
>管長はそのことを説いてるだけですよ。

そんなことは桐山さんは説いていない。
そもそも十六法というものは成就するものではなく、実践するかしないかだけです。
そりゃ十六法を真面目に実践している信者は自ずと阿羅漢果を頂点とする解脱の道を
順調に進み、なんらかの佳き成果を上げるものと確信しています。
しかしこればかりはその本人の努力次第で煩悩の除去はどこまで進むかわからない。
シュダオン、シダゴン、アナゴン、アラハンとは煩悩が切れてなくなった程度もの
の話ですからね。
だから十六法というのは在家が努力実践すべきものであるが、だからと言って
阿羅漢果を達成する指標などではないのです。
十六法を実践してもシュダオン止まりの人も十分想定されるのです。
十六法はそんな摩訶不思議な魔法ではない。

424ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/03(金) 22:07:20 ID:SmEF4Oe2O
>>419:準シュダオン10/12/03(金) 14:41:48 ID:1F7rdgXk0
>外道出家が相手なら、なにも十六法を成就せずとも、
>仏道に入っただけで、もう外道出家を超えているのですw。

私もそう思うのですが、しかし「超える」というのは経典の表現ではなく
桐山さんの読み替え表現です。
経典はあくまでも威徳顕曜と参詣に来ることです。
つまり目に見えて相手も認める作用を説いているわけです。
それが外道であろうとも。
もともとどちらが上かなんて話ではないのです。
威徳顕曜だけならば、熱心真面目な在家信者は出家の比丘と較べても遜色はない
という意味で威徳顕曜ということも言っているかもしれない、その場合仏教の沙門も
含めて考えても決しておかしくはないが、しかし沙門衆が優婆塞のところに
詣でてくるという表現がある以上、やはり単なる遜色のない威徳という話だけで
収まるものでないとわかります。
ラシンさんが指摘しているように聖衆たる仏教沙門ではなく大衆たる外道沙門に
対しても目に見えてその威徳がわかると説いたわけです。

425ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/04(土) 08:16:15 ID:SmEF4Oe2O
>>415:準シュダオン10/12/03(金) 09:01:14 ID:1F7rdgXk0
>経典作者の責任と言うけどね、「如是我聞」の聞は別にして、一切事経に
>最初に出てくる「聞」の文字はP58の8行目の「信戒施聞」の聞です。
>信戒施の次に、往詣塔寺と見諸沙門と聴受法が説明されていて、聞、と出て
>きますから、聞=「往詣塔寺+見諸沙門+聴受法」のことだと解かるのです。

なるほど、経典全文俯瞰しての聞と聴の使い分けの件理解しました。
世間で使われる聞も聴もほぼ同じ意味でありますが、この経典での使用例だけから
見ると、見(詣)+聴=聞なわけですね。
ならばそれに則ってこちらも表現を一部訂正しましょう。
八法とそれの対となる8とは、「信、戒、施、見(詣)、聴、持、観、法次法向」 です。
聞を使ってないから文句ないでしょう?
聞を使ったのは桐山さんだし。対してこちらはどの学者の説なども盾にせず、
最初から自分の頭だけが頼りです。
ですから七法ならば聞を使うが、八法十六法ならば聞などあっさり捨てて
見と聴に統一しましょう。
つまり釈尊は58頁で信、戒、施、見+聴=聞、持、観、法次法向を優婆塞の
実践科目として説いた。
そして59頁で自利のみと自利+利他の実践科目分類をまとめとして示した。
聞を使った七法でまとめるのかと思ったら、見と聴を使った八法とその倍の十六法
を使用した。
文脈とその使用語句から汲み取れる八法十六法はそれしかありません。
さらに使用語句に正確に言うと、八法の方は
「戒に立つ、戒を守る、施、詣+見、聴、持、観、法次法向」の8つであり、
十六法とは「正信、戒、施、詣+見、聴、持、観、法次法向」の8つ×2=16です。
これが59頁に示された一切事経全体の最終結論です。

426準シュダオン:2010/12/04(土) 09:14:40 ID:1F7rdgXk0
八法は内容で分けないといけませんよ。経典には、信戒施聞、と何箇所も
出ていますから、見+聴=聞、ということで理解したら何の問題もないのです。
法次法向をどう理解するかもカギになりますね。
なんで、法次法向を一つの意味と考えるのですか?十六法の説明で、熟語みたい
に一つに扱われているから、単純に一つと考えたわけでしょう。

しかし、法次と法向は意味が違います。法次法順とか、法次法従、なら一つに
考えても良いでしょう。或いは、法上法向とか法深法向なら、一つの意味と
考えて良いでしょう。だが、法次と法向は違うのです。
経典を見ても、「随順知法次法向」と「随順行法次法向」と「随順修行法次法向」
との三つの書き方があります。繰り返しのように見えても、単純な繰り返しでは
なく、違っています。

「随順知法次法向」は、知らない法は知るように追求せよ、法向のことです。
「随順行法次法向」は、知ってる法に従って実行せよ、法次のことです。
一方、見と聴とでは、面談というような意味ですから、あえて、面と談を分け
るような意味はないのです。

聞とは、門+耳=聞ですから、門を通って会い教法を耳にすること=面談、
というような意味ですから、敢て「見と聴」を独立させず、聞の一つで解決
したら良いわけです。聞の場合は、面談ですから、質問も可能なわけです。

聴法の場合は、例えばA優婆塞が沙門の教えを聞いてきて、それをB優婆塞に
教えたとします。この場合のB優婆塞は、聞ではなくて聴ということになるで
しょう、沙門に面会もしていないからね。

427ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/04(土) 09:22:37 ID:SmEF4Oe2O
まとめ(その1)
批判側=信、戒、施、詣(見)、聴、持、観、法次法向

@自ら戒に立つも他をして正戒に立たしむること能わず。
A自ら浄戒を持つも他をして持戒具足ならしむるけと能わず。
B自ら布施を行ずるも施を以て他を建立すること能わず。
C自ら塔寺に詣で諸の沙門を見るも、他に勧めて塔寺に詣で往いて沙門を見せしむること能わず。
D自ら専ら聴法するも、人を勧めて正法を楽聴せしむること能わず。
E法を聞いて自ら持するも他をして正法を受持せしむること能わず。
F自ら能く甚深の妙義を観察するも、人を勧めて深義を観ぜしむること能わず。
G自ら深法を知り能く法次法向に随順して行ずるも、人をして勧めて法次法向に随順して行ぜしむること能わず。


@正信を具足し、A他人を建立し、
B自ら浄戒を持し、C亦浄戒を以て他人を建立し、
D自ら布施を行じ、E人に施を行ずるを教え、
F自ら塔寺に詣で諸の沙門に見え、G亦人に往きて諸の沙門に見えるを教え、
H自ら専ら法を聴き、I亦人に聴くを教え、
J自ら法を受持し、K人に受持するを教え、
L自ら義を観察し、M人に観察するを教え、
N自ら深義を知り法次法向に随順して修行し、O亦復た人に深義を解了し、法次法向に随順して修行するを教う。

428ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/04(土) 09:30:41 ID:SmEF4Oe2O
まとめ(その2)
桐山さんと準シュダオンさんの主張=信、戒、施、聞、持、観、法次、法向

@自ら戒に立つも他をして正戒に立たしむること能わず。
A自ら浄戒を持つも他をして持戒具足ならしむるけと能わず。
B自ら布施を行ずるも施を以て他を建立すること能わず。
C自ら塔寺に詣で諸の沙門を見るも、他に勧めて塔寺に詣で往いて沙門を見せしむること能わず。自ら専ら聴法するも、人を勧めて正法を楽聴せしむること能わず。
D法を聞いて自ら持するも他をして正法を受持せしむること能わず。
E自ら能く甚深の妙義を観察するも、人を勧めて深義を観ぜしむること能わず。
自ら深法を知り能くF法次G法向に随順して行ずるも、人をして勧めて法次法向に随順して行ぜしむること能わず。


@正信を具足し、A他人を建立し、
B自ら浄戒を持し、C亦浄戒を以て他人を建立し、
D自ら布施を行じ、E人に施を行ずるを教え、
FG自ら塔寺に詣で諸の沙門に見え、亦人に往きて諸の沙門に見えるを教え、自ら専ら法を聴き、亦人に聴くを教え、
H自ら法を受持し、I人に受持するを教え、
J自ら義を観察し、K人に観察するを教え、
自ら深義を知りL法次N法向に随順して修行し、亦復た人に深義を解了し、M法次O法向に随順して修行するを教う。


窮屈な文章やのう。誰だ?こんな下手な文書いたのは?お釈迦さまか?

429ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/04(土) 10:28:42 ID:SmEF4Oe2O
桐山さんと準シュダオンさんの主張=シャカの主張(信、戒、施、聞、持、観、法次、法向)

@自ら戒に立つも他をして正戒に立たしむること能わず。
A自ら浄戒を持つも他をして持戒具足ならしむるけと能わず。
B自ら布施を行ずるも施を以て他を建立すること能わず。
C自ら塔寺に詣で諸の沙門を見るも、他に勧めて塔寺に詣で往いて沙門を見せしむること能わず。自ら専ら聴法するも、人を勧めて正法を楽聴せしむること能わず。
D法を聞いて自ら持するも他をして正法を受持せしむること能わず。
E自ら能く甚深の妙義を観察するも、人を勧めて深義を観ぜしむること能わず。
F自ら深法を知り能く法次に随順して行ずるも、人をして勧めて法次に随順して行ぜしむること能わず。
G自らさらなる深法を知り能く法向に随順して法向に行ぜしむこと能わず。
摩訶男よ、是の如き八法成就者は、是れを優婆塞能く自ら安慰し他を安慰せずと名づくなり」


何等を十六と為す。摩訶男よ、若し優婆塞、
@正信を具足し、A他人を建立し、
B自ら浄戒を持し、C亦浄戒を以て他人を建立し、
D自ら布施を行じ、E人に施を行ずるを教え、
F自ら塔寺に詣で諸の沙門に見え、自ら専ら法を聴き、G亦人に往きて諸の沙門に見えて法を聴くを教え、
H自ら法を受持し、I人に受持するを教え、
J自ら義を観察し、K人に観察するを教え、
L自ら深義を知り法次に随順して修行し、M亦復た人に深義を解了し、法次に随順して修行するを教う。
N自らさらなる深義を知り法向に随順して修行し、O亦復た人にさらなる深義を解了せしめて法向に随順して修行するを教う。



こうすれば簡単に意味が通じたのにね。
どうしてこういう文章が作れなかったのかしら?
シャカは国語力が乏しかったのかな?

430準シュダオン:2010/12/04(土) 10:58:41 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんは、なんでそんなにひねくれて物事を考えるのかな?
「仏陀の真実の教えを説く」P58の12行目から読みなさいよ。
「信戒施聞受持観察了達深義随順行法次法向摩可男是名満足一切種優婆塞事」
と、あります。
下手な解説するよりも、上記の「 」内から、八法を数えて見なさいよ。
この「 」内は、満足一切種優婆塞というように八法をまとめたものです。
何処に、見や聴がありますか?無いでしょう。
「 」内を数えると、一字で表すなら「信戒施聞持観次向」の八法になります。

十六法の説明では、「聞」を見と聴に分解して説明しているので、批判派は
誤解しているだけです。また批判派は、次と向の意味も理解出来ていないか
ら、法次法向を一つに数えて平気なのです。

431準シュダオン:2010/12/04(土) 11:12:01 ID:1F7rdgXk0
「信戒施聞受持観察了達深義随順行法次法向是名満足一切種優婆塞事」
と、本のP58に有るごとく、ここに八法がまとめられています。
一字で表すなら、信・戒・施・聞・持・観・次・向、です。

十六法の説明では、上記の聞を、見と聴に分解して解説し、次と向を
合わせて解説しただけのことです。

432ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/04(土) 11:40:59 ID:SmEF4Oe2O
>>430-431
私はあなたとの議論のキャッチボールの過程に於いてちゃんとあなたの意見を読んで
それを受けて踏まえて、八法十六法で論じる時、聞という語句は捨てて、
見(詣)と聴にすると表明したのを読んでないのですか?
独りで石を投げてないでキャッチボールしましょうよ。
七法だったら聞を使うべきなんですが、58頁だけだったらそうします。
ところが59頁で初めて八法十六法を整理分類したから、意味内容の深い考察
(読解から発展させた八法十六法の解体作業)などはこの段階ですべきでなく、
まずは経典作者が示す通りに原文に忠実に素直に数えたのです。
58頁だけを根拠に都合の悪い59頁は無視ですか?

433ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/04(土) 13:00:51 ID:SmEF4Oe2O
>>426:準シュダオン10/12/04(土) 09:14:40 ID:1F7rdgXk0
>八法は内容で分けないといけませんよ。

あなたが以下だらだらと書いていることは、経典の解体作業といいます。
経典をまず正しく引用紹介して、次にそれを自分の考えで解体してみることは自由です。
自由ですが、それはあくまでも正しい引用紹介が済まされてから為されるべき作業ですね。
経典の作者の記述と自分の考えが誰にでもはっきりわかるように示す義務がある。
間違っても自分の考えに過ぎないものを経典の作者がそう喋ったかのように
思わせないことです。
だから順番としてはまず経典作者が示したまんまの言葉を紹介し、誰もが共通認識を
得られる物を提示する。
59頁に書かれている自利のみの八法とか自利・利他備えた十六法の数え方なんて
内容以前にあの文体を読めば、十人が十人私の数え方になる。
だからあなたが書いた文章ではなく他人が示した文章なんだから、不満があっても
文句を言わずに自分 の考えなどを入れてはならない。
自分の不満を残したまま提示するのが他人の文章を紹介する者の義務です。
春は曙と書いてあって、今は白鵬だろと思っても曙と示さねばならない。
皆が共通認識できる数え方をまず示して、次にこれは私見の分類であるがと
断り書きをして、見と聴なんて聞にまとめるべきだの、法次と法向は58頁でも
59頁でも常にくっついているが、本来分けて示した方がよいとか論じるべきですね。
桐山さんもこの作業が為されていない。
ってか桐山さんは経典の解体作業に相当すること自体を認識しておらず、
単に読み違えているだけです。
懇切丁寧に説明さしあげれば彼でも理解でき、自分の示した数え方の間違いを
認めざるを得ない。

434ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/04(土) 14:53:55 ID:SmEF4Oe2O
>>430:準シュダオン10/12/04(土) 10:58:41 ID:1F7rdgXk0
>「仏陀の真実の教えを説く」P58の12行目から読みなさいよ。
>「信戒施聞受持観察了達深義随順行法次法向摩可男是名満足一切種優婆塞事」
>と、あります。
>下手な解説するよりも、上記の「 」内から、八法を数えて見なさいよ。

その白文だけ何も知らずに示されればたしかに信、戒、施、聞、持、観、法次、法向の
8分類のように見えますね。
しかしではその58頁より後の59頁に相当する↓はどう説明します?
番号と…()だけこちらで付けただけで、桐山現代語訳を引用しています。
引用元の経典はこのようにわかりやすくきれい8対16組の文体を意図的に
示しています。

T@正信を具足し、A他人を建立し、…(信)
UB自ら浄戒を持し、C亦浄戒を以て他人を建立し、…(戒)
VD自ら布施を行じ、E人に施を行ずるを教え、(施)
WF自ら塔寺に詣で諸の沙門に見え、G亦人に往きて諸の沙門に見えるを教え、…(見)
XH自ら専ら法を聴き、I亦人に聴くを教え、…(聴)
YJ自ら法を受持し、K人に受持するを教え、…(持)
ZL自ら義を観察し、M人に観察するを教え、…(観)
[N自ら深義を知り法次法向に随順して修行し、O亦復た人に深義を解了し、法次法向に随順して修行するを教う。…(法次法向)

435ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/04(土) 15:13:33 ID:SmEF4Oe2O
桐山現代語訳ではなく和訳書き下し文でした。
そちらの方が検証はより公正にできますが。

436ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/04(土) 17:29:01 ID:SmEF4Oe2O
>>426:準シュダオン10/12/04(土) 09:14:40 ID:1F7rdgXk0
>しかし、法次と法向は意味が違います。法次法順とか、法次法従、なら一つに
>考えても良いでしょう。或いは、法上法向とか法深法向なら、一つの意味と
>考えて良いでしょう。だが、法次と法向は違うのです。

>経典を見ても、「随順知法次法向」と「随順行法次法向」と「随順修行法次法向」
>との三つの書き方があります。繰り返しのように見えても、>単純な繰り返しでは
なく、違っています。
>「随順知法次法向」は、知らない法は知るように追求せよ、法向のことです。
>「随順行法次法向」は、知ってる法に従って実行せよ、法次のことです。

意味不明なことぼやいて、字面だけ拾って勝手な憶測を書いてないで、そこの漢文は
著書の中に和訳書き下し文と桐山さんによるものと思われる現代語訳があるのだから
そこを読みなさい。
ったく本の読み方も知らんのか?


自ら深法を知り能く法次法向に随順して行ずる

自分は深遠な仏法を知り、法に近づき、法を追求して


自ら深義を知り法次法向に随順して修行し、
亦復た人に深義を解了し、法次法向に随順して修行するを教う。

自分が仏法の深義を知って法に近づき法を追求すると共に、
他者に仏法の深義を理解させて、また法に近づき法を追求する修行を行わせる。

437ラシン:2010/12/04(土) 21:47:43 ID:98U1EaJc0


法次法向
私見ながら熟考すれば、私なら「継往開来」的な意味で受け止める。
次とは次ぐで「継ぐ」です。
法えを 信、戒、施、見、聞、持、観、という行いを以て受け継ぎ切り開く。
だから、上記七種に比してわざわざ個別に分類する必要などどこにもないのです。
ユビさんが指摘したように、釈尊が刻苦勉励とか奮励努力とかの指針を示したにすぎない。
たとえば、「自ら深義を知り『奮励努力』することによく従い修行しなさい」
でも一向に構わない。
なんとなれば仏道を歩むことを奨励していることになる。
しかし、アゴン信者の多くは桐山さんから○○法と言われれば、何か特別の力と誤解する。
私なら素直に、在家なら八つの方法を相手にも勧めて合計十六の方法が素晴らしいのだ、
と理解するものですね。
だから単純に在家に仏教奨励を説いてその行為の価値を讃えたものに過ぎない。
それで何かしらの結果境涯を得ると言う具体法が示されていないのが、
何よりの証左だからです。

438準シュダオン:2010/12/05(日) 09:17:12 ID:1F7rdgXk0
別に、管長の法次法向の解説に逆らっているわけではありませんよw。
管長解説を読んだ上で、自分流に法次法向を解釈したまでのことです。
さて、一切事経には、まだ大きな注目点がありますが、それはおいといて、
経文に説かれている八法は、よく読むと十でありますね。
「信戒施詣見聴持観次向」の十です。
これだと、優婆塞十法二十法ということになりますね。
比丘に八正道がありますから、優婆塞も八法にまとめたのかも知れません。

上記「」内の詣見聴は、詣=詣塔寺 見=見沙門 聴=聴法 のことです。
この三つが八法では、詣+見+聴=聞と、聞の一字にまとめられています。
管長本ではP36に、「聞」が詳しく説明されています。

439準シュダオン:2010/12/05(日) 09:43:18 ID:1F7rdgXk0
N自ら深義を知り法次法向に随順して修行し、
を、どう説明するか?とのユビキタスさんの問いですが、
わたしは、管長の此の和訳書き下し文を、
1、既に深義を知っている法は随順に行じ、
2、未だ知らない法はもっと知るように追求せよ、
との、具体的な二つの意味に分解しますね。

だって、「法次法向に随順して修行し」と言われても、具体的にどういう
修行をするのか見えないでしょう?

440ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/05(日) 10:25:44 ID:SmEF4Oe2O
こんなのどうです?
臨兵闘者皆陳列在前の九字に対して、信戒施聞持観法次法向でもなんでもいいから
八字を切るのです。
信!→戒!↓施!→聞!↓持!→観!↓法次!→法向!↓
と格子を切っていく。
いや、6つ直線を切ってから「法次法向ー!」と星九字を切って、最後に一点
「エイッ!」と切り込むとかっこよく気持ちいいかな。
桐山さんの昔の法話にこんなのがあった。アゴン宗立宗前年の名古屋の東海本部で
聴いた例祭法話だが。
若い頃自分はバイオリンもたしなめたことがある。先生に習った。
ある日先生に訊かれた。1日にどれだけ練習してますか?
桐山さんは答えた。4時間練習してますと。
先生腕を組んだ。う〜ん…8時間はやらないとねえ。12時間練習しないとプロには
なれない。
これで桐山さんガックリ来て、バイオリンはそこそこでやめたそうだ。
プロになるわけでもないし。
しかしそのバイオリンの先生の言うことは正しい。
何事もマスターしようと思ったら中途半端は駄目でとことんやらねばものにならない。
私も密教をやるようになってどれだけ九字を切ったことか。10万回は切りましたよ。
さてそこでアゴン宗ですよ。
道家の九字なんかでなくシャカの念がこめられた八法字を切るのはどうか?
逆八字を切れば十六法字です。
これを際限なく繰り返す。
これこそ真言密教を超えたアゴン密法、アゴン修験です。
終わった後は十六茶で喉を潤せば爽快爽健美茶(ん?)
奥伝もあります。月亭八方字という。
エイッ!と切り込んだ最後に「阪神タイガース好きか〜」とやるのです。

441ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/05(日) 10:32:25 ID:SmEF4Oe2O
八法字、十六法字を切れば、八法も十六法も成就したことになり、
出家沙門衆に於いて威徳顕曜ならん。
おお!君はF田君にY橋君ではないか?教えを乞いに参詣したか。よしよし。
我はそちどもを超えたり!

442準シュダオン:2010/12/05(日) 11:57:18 ID:1F7rdgXk0
音楽というのは幼年から修行しないと、しかも長時間、大成しないと言われて
いますね。しかも、努力だけでは限界があり、才能が必要とされています。
密教だとて、同じだと思いますね。
仏教は輪廻転生を肯定するのですから、音楽も密教も、前世、前々世、からの
修行が、才能になっているのではないですか?

誰でも身に付く、というのは、言葉のアヤがあるのではないでしょうか。
気合いの訓練としては、臨、兵、ではなくて、エィ、ヤァ、トゥ、でも、
サァ、でも、念を込めれば効果はあると思います。
サァ、は卓球の愛ちゃんの専売特許ですから、許可を得てください。

443ラシン:2010/12/05(日) 12:16:40 ID:98U1EaJc0
>439 :準シュダオン:2010/12/05(日) 09:43:18 ID:1F7rdgXk0
わたしは、管長の此の和訳書き下し文を、
1、既に深義を知っている法は随順に行じ、
2、未だ知らない法はもっと知るように追求せよ、
との、具体的な二つの意味に分解しますね。

在家出家を問わず、具体的な法えは八正道ですよ。
しかしこんな老人が日本社会をけん引してきた一部なのかあ、と思うと情けない。
上記2項目のどこに具体的な法えがあるんだあ?
八法十六法とは、例えば学生は校風を信じ守り相手にも教え、ズル休みせず、
登校して師や先輩を見習い講義を聴き、聞いた講義内容を忘れず復習し、
学んだことを切磋琢磨し、友人仲間にもそれを奨励しなさい。
そうする者は近所世間において立派な学生さんだと讃えられます。

ようはこんなことを言っているだけなのに、何かしらスン晴らしい講義内容を
受講して司法試験でも受かるような錯覚を起こしている。
早読みして大げさに喜んだ桐山さんのいつもの慌てたゆえのマチガイに踊らされたタコだ。
スローガンを掲げられると、さもそれですべてが達成成就されると思い込む世代かあ?
釈尊金口の法・仏法の神髄・消滅した釈迦の法の復活・エロいお姉ちゃん大サービス・
セーラ服限定10着無料進呈!
ほうら、キャッチコピーに満面の涎れを垂らして追随し回るのは誰だあ?

444準シュダオン:2010/12/05(日) 13:11:43 ID:1F7rdgXk0
実は「仏陀の真実の教えを説く」本の一切事経P59の2行目には、写経して
伝承しているうちの、写経のミステイクではないか!と思われる部分があります。
前にも少しレスしましたが、それは、2行目の書き出しから、
「自立戒不能令他立於正戒」とありますが、これは、
「自立信不能令他立於正信」とあるべきところを、信と戒を間違えたのでは
なかろうか、と、思われます。なぜなら、この後にすぐ「自持浄戒」と、
戒が重複して書かれ、八法成就者の説明に、信が何処にも説かれていないから
です。

経の最初に、「有信無戒是則不具」と、ありまして、十六法の説明でも正信から
説かれているように、信は必須なはずです。
わたしは、国訳一切経とか、持っていませんので、確かめられませんが、
おそらくは原本も、信と戒を取り違えているのではないかと思います。
もしそうだとしたら、このような場合、誰が経典を訂正すればよろしいの
でしょうか?
また、上記の戒を信に訂正したら、経を偽造したことになるのであろうか?
ユビさんの見解を聴きたいところですね。

445深山:2010/12/05(日) 13:56:18 ID:gNJAzJxE0
>>441
「新春キリ法話」

初護摩のお酒はおいしいねえ。
ええ、今年の護摩木の法施といたしまして、「八法字、十六法字」を伝授いたします。
護摩木二千本を成就してください。
私は法は出し惜しみませんが、これだけの法を伝授しても、徳がなければ、
成就いたしません。
しかも、これまでの法が密教を元にしているのに対し、
私は初めて阿含経の法を伝授することにした。
この法の功徳は絶大で、釈尊が説いた信戒施・・法次法向の八法を
わざわざ自分でやる必要はなく、八法字を切っただけで、
全部やったことになるという便利なホーです。
正直言うとね、こんなすごい法を君たちのような初心者に伝授するのは惜しい、フフフ。
私がこれを体得するのにどれほど血の涙を流し、三度の飯を五度にして、
夜も寝ないで昼寝して、艱難辛苦、八風不動、税金対策、金策万全だったか、
諸君には想像もつくまい。
だから、私はこれを一子口伝の秘法にしようと思っていた。
ところが、初護摩で「八法字、十六法字を授けよ」という御霊示がくだった。
私は「お言葉ですが、この法は徳がなければ成就できません」と仏様に申し上げたところ、
「二千ぼ〜〜ん」という現金決済の御霊示が降りた。
この御霊示で、私は仏様ってはたいへんな智慧をお持ちだと思ったね。
私など単純に徳がない諸君にはこの法は無理だと思っていた。
だが、仏様くらいの智慧があると、徳を授けるところまでしっかりと考えてくださる。
と言うことでね、諸君は護摩木を仏様に供養して徳を積むだけでなく、
釈尊直説の法を体得できるなんて、諸君は春から好運だねえ。
では、もう一度、完敗しましょう。

446ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/05(日) 18:09:37 ID:SmEF4Oe2O
>>444:準シュダオン10/12/05(日) 13:11:43 ID:1F7rdgXk0
>ユビさんの見解を聴きたいところですね。

今頃この問題に気付いたのか?
あのねえ、他人の書いた書き込みは注意してよく読みなさいね。
その問題については私も深山さんも触れています。
私も見解を示しました。
自分で遡って調べてみなさい。
遡るったって、この八法十六法論議が始まってのことだからつい最近のことであり、
前スレまで遡るような話ではない。

447ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/05(日) 18:55:33 ID:SmEF4Oe2O
>>442:準シュダオン10/12/05(日) 11:57:18 ID:1F7rdgXk0
>音楽というのは幼年から修行しないと、しかも長時間、大成しないと言われて
>いますね。しかも、努力だけでは限界があり、才能が必要とされています。

まあ桐山さんは運も才能のうちとするね。
幼少時よりエライ先生から個人レッスンを受けるなんて誰にでもできることでない。
やはりお金持ちの家庭とかそういう環境に恵まれてこそ努力もできるわけで。
堤家のマスオ君もそういう恵まれた環境なればこそバイオリンを習うこともできたわけだ。
まあ何ですね、新聞配達やったりバイトしたり、家が貧しいから府立中学進学を
断念して余計に金がかかる私立中学に進学したり、結核になって療養したり
登山して煙草吸ったり、桐山さんの青少年時代って波瀾万丈の青春だったわけですね。
そういう重みのある人生経験がそのまま重みのある宗教を作り出したわけでようござんす。

>密教だとて、同じだと思いますね。

いや、密教は桐山さんでも中年になってから入門を志願するもなかなか教えて
くれる人もいないから、法衣纏って最初から出家の僧侶のふりをして、
追い出されることもあったが、ちょちょっと教えを乞うたり、本読んだだけで
密教の阿闍梨を名乗ってしまえるわけだから、これは簡単なのかも知らんよ。

448準シュダオン:2010/12/06(月) 09:04:39 ID:1F7rdgXk0
管長の場合は、前世、前々世から、密教を修行していたので、中年から入って
も大成したわけですよ。

449準シュダオン:2010/12/06(月) 09:15:12 ID:1F7rdgXk0
あ、そうですか。八法成就者に信が無い件のレスは済んでいましたか。
でもレスは遡ってまでは読みませんよ。
私は昨日気付いたのではなくて、その前に戒が無いことをレスしていますよ。
ユビさんのレスは、私のレスよりも前のことでしたか?

450ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/06(月) 12:43:25 ID:SmEF4Oe2O
>>449
遡って読む読まないはそちらの決めることですからご自由に。
まあ今回サービスしときますか。
>>315で深山さんがこれについて触れてますし、>>324の後ろの方で私がこれについて
見解を述べています。
結論から言うと桐山さんだろうと、他の学者さんだろうと十六法でない八法を
信と分類しても捏造には相当しません。
総合的判断というものです。

451ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/06(月) 13:04:42 ID:SmEF4Oe2O
総合的判断とは平たく言うと多数決と思っていただければよい。
まず詣+見+聴=聞とした白文58頁に相当する説明で信が説かれ、次にこれをまとめた
自利の八法の説明(白文59頁)で戒に立つと説かれ、次の十六法ではまた正信
となった。この3セットの多数決で信を採用したというわけ。
だから我々もこの件で桐山さんを批判したことはない。
ご安心されましたか?
間違いですらないと思う。
表現を変えただけです。
戒に立つとは戒律を受けてこれからそれを守り抜く立場に立つぞ、すなわち入信を
意味する。次に実際にその戒律を持し守り抜き実践することですね。

452ラシン:2010/12/06(月) 13:29:38 ID:b9Cg2rfo0
>448 :準シュダオン:2010/12/06(月) 09:04:39 ID:1F7rdgXk0
管長の場合は、前世、前々世から、密教を修行していたので、中年から入って
も大成したわけですよ。

ユビさんの皮肉もさすがにこの厚顔のお方の皮膚は貫かないようだ。
桐山さんは、どこぞの神主さんに須佐の王の生まれ変わりと認定されたのですよ。
それをホー話で嬉々として述べていた。
さすがに法友と顔を見合わせて首を傾げた記憶がある。
須佐の王といえば神話の時代です。
その境涯の高い桐山さんが、いったい何世の輪廻を通して密教修行者になり得たんだ?
釈尊に言わせれば、その天にも匹敵する境涯主サマがさらに幾多の輪廻を繰り返し、
前世、前々世はただの密教修行者だと?
桐山さんは、若い自分から衣帯不解で一意専心して修行に励んだはずだ、らしい。
しかし、擁護するのもあまりに前世という理屈と数が合致しないと気づかないか?
四沙門果を偉そうに講釈する割には、桐山さんの果実が乏しすぎないか。
今生に於いてすら、兵役逃れ疑惑や手形詐欺、密造酒犯罪に関係している。
今になってすら色情の因縁をさらけ出した。
そんな桐山さんが中年から大成しただ? 本人の申告と違いやしませんか?
桐山さんは自分を晩年運だと言っていた。
それも電力の鬼と言われた松永安左エ門と同じ晩年運と言い、囹圄の人であったまでを
紹介して自分の過去の犯罪を薄めようとした。
桐山さんのこういう手法は実に計算尽くしの上で、保身と弁解を他人に語らせている風を装うのが、
非常に上手い。
だから逆に多弁となり、言わなくてもよいことのために疑念を生じさせる。
策士策に溺れて語るに墜ちる、とは桐山さんこそ反面教師だ。
たった二行にも満たない桐山賛美文が、かようにドラマを含んでいる。
それもすべて?が必ず付いてしまう人生ドラマだ。

453ラシン:2010/12/06(月) 14:09:23 ID:b9Cg2rfo0

戒とは、「置く」や「保つ」を意味するサンスクリットあるいはパーリ語の
[シール]から派生したという。
在家には戒はあっても律は無いでしょう。
戒は律とは異なり、あくまで自発的な決意に基づいた、
日常における行為の原則・指標となる心がけと解釈されています。

ゆえに傍流の考え方として述べるなら、
自発的であればこそ、信がなければ戒は成立せず、しかも保てない。
浄戒としたのならなお更、その心底には信と言う確たる心がけが必要ですから、
浄戒は信を強めた意味と考えることも可能ではないだろうか。

454ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/07(火) 08:14:54 ID:SmEF4Oe2O
>>444:準シュダオン10/12/05(日) 13:11:43 ID:1F7rdgXk0
>実は「仏陀の真実の教えを説く」本の一切事経P59の2行目には、写経して
>伝承しているうちの、写経のミステイクではないか!と思われる部分があります。
>前にも少しレスしましたが、それは、2行目の書き出しから、

>>449:準シュダオン10/12/06(月) 09:15:12 ID:1F7rdgXk0
>私は昨日気付いたのではなくて、その前に戒が無いことをレスしていますよ。

それが>>444以前にあなたの書き込み記録に見当たりません。
あなたの今回の八法の数え方に対する書き込みは、

>>281:準シュダオン10/11/25(木) 13:09:34 ID:1F7rdgXk0
>わたしゃ、一生休むわけではないよ。
>ユビキタスさんとは、優婆塞の8法の数え方でも、意見が違ってたね。

に始まるのですが、それまでに聞が消えたり現れたりする問題とか見の問題、
法次と法向の問題、信戒施聞は3回も出てくるとか書いているだけで、信が消えたり
現れたりする問題、戒律に変わってしまっている問題を、あなたがようやく出した
のは>>444が初めてでした。
そもそも>>444で信が無い!と言っているのに、>>449では早くも戒が無いなどと
自分でテーマを見失ってますがw
記憶に頼るよりも記録を遡って調べる作業をすれば済む話でした。
書いたものは記録に残るし、書かないものは記録に残らないことは歴然としており、
誰にでも追認検証できます。

455準シュダオン:2010/12/07(火) 12:29:32 ID:1F7rdgXk0
ユビさんの読みとる力が無さすぎることに呆れて、信と戒を↑間違えたのです。

普通は、馬鹿馬鹿しい事を確かめたりしないけども、今回だけは指摘しておこうね。
例えば、わたしの11月27日のレスにも、八法成就者の内容が書いてあり、
その中に、「あれ、信が抜けて7法になってますよ」
とありますから、探して見つけなさいw。

信が抜けて7法というのは、
「戒・施・聞・持・観・法次・法向」の7法になっていて、八法ではない
ということ、こんな程度は説明なしでも解かるでしょう?

456準シュダオン:2010/12/07(火) 13:08:11 ID:1F7rdgXk0
失礼ながら、深山さんのレスは読んでいないから、信と戒の指摘も当然、
読んでいなかったw。
だって、見と聴を入れて、法次法向を一つとする見解を大真面目に主張して
いるから、わたしとは見解が違いすぎるからね。

まぁ、預流果からを聖者とすることに考えを改めたら、読むかもしれないが。

一切事経には、「随順知法次法向」と「随順行法次法向」と「随順修行法次法向」
の記述があることは何度かレスした。
簡単にいうと、法次法向には、「知る修行」と「行じる修行」の二つがある、
ということですね。
知った法を行じる=法次 と、もっと法を追求して知る=法向 ですよ。

457ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/07(火) 16:14:23 ID:SmEF4Oe2O
>>455
これは失礼しました。↓ですね。

>>303:準シュダオン10/11/27(土) 08:31:28 ID:1F7rdgXk0
>同じく、P59の6行目に「如是八法成就者」と、出ています。是の八法の
>説明は、「浄戒、布施、見諸沙門、聴法、受持法、観察、法次法向」です。
>あれ!信が抜けて、7法になっていますよ!経典で確かめてください。

私も他人のことをとやかく言えませんね。
お互いに相手の文章を読み落としていたのならば、アイコですが、今回は私は
遡って読みに行って落としているのだから私の負けです。
失礼いたしました。

458ラシン:2010/12/07(火) 16:44:34 ID:b9Cg2rfo0
>一切事経には、「随順知法次法向」と「随順行法次法向」と「随順修行法次法向」
の記述があることは何度かレスした。
簡単にいうと、法次法向には、「知る修行」と「行じる修行」の二つがある、
ということですね。

ま〜だゴマカシをやめないようですね。
上記に拠ればの話しだと二つじゃなく、法次法向を「修業する」の計三つになるじゃないの。
「随順知法次法向」という経区で、ほんとにあるの?
もしあるなら「知」や「行」とは、
>知った法を行じる=法次 と、もっと法を追求して知る=法向 ですよ。
ではなく、
知った法を行じる=法次→「随順行法次」と、もっと法を追求して知る=法向→「随順知法向」
と書かれるべきじゃないの。
その意訳じたいは、非常に怪しいけどね、笑笑笑笑笑。
レ点が付いていないことで、勝手につなぎ合わせていないならばの話しですが。

459ラシン:2010/12/07(火) 16:56:08 ID:b9Cg2rfo0

<その意訳じたいは、非常に怪しいけどね、>

456の経典引用は
>>427で、ユビさんが引用した、

自ら深法を知り能く法次法向に随順して行ずるも、人をして勧めて法次法向に随順して行ぜしむること能わず。
自ら深義を知り法次法向に随順して修行し、亦復た人に深義を解了し、法次法向に随順して修行するを教う。

これらの白文を混ぜこぜにしていませんよね。

460ラシン:2010/12/08(水) 14:28:15 ID:b9Cg2rfo0

アゴン宗信者さんが在家の仏教徒なら、在家の五戒を守っているのかな。

不殺生戒:殺生をしない
不偸盗戒:盗みをしない
不邪婬戒:浮気等の邪で淫らな性交をしない
不妄語戒:嘘をつかない
不飲酒戒:酒を飲まない

また八斎戒などはどうだろうか?
桐山さんが在家指導者なら、やはり上記五戒を守っているはずだが?
不邪婬戒という女性問題を過去に疑われ今には、醜聞問題が起きている。
また三福道という経典捏造は、不妄語戒を犯している。
護山会パーティでは不飲酒戒を犯していたし、年頭でも祝杯を信者とあげていた。
また、
桐山さんが僧侶と言うなら、比丘の二五十戒律を犯していないか?
部下の僧侶を叱責し在家従事者の諫言に怒って追放するのは、破僧違諌戒や無根謗戒を犯している。
桐山さんの法衣の多量と華美は、長衣過限戒と雑絹絲作敷具戒を破っている。
サプリメントを信者に有償提供するのは、種々販売戒を犯している。
ホテルオークラに病気リハビリと称してE川姉妹を同宿させたのは、与女人共宿戒を破っていた。
桐山さんの大食は、足食戒・索美食戒・非時食戒を無視している。
アゴン宗が根本仏教と言うなら、これら根源的な戒律に従って生活をするのが僧侶であり釈尊に倣うことです。

461名無しさん:2010/12/08(水) 23:05:58 ID:Z.z2/AEc0
準シュダオン氏は邪欲 我欲で信仰をしている。
シュダオンになるには7科37道品の実践が必須。さぼってバイブレーションで解脱なんて邪欲 我欲の何者でもない。
教祖も信者も在家の五戒を守ってないし。

462天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/09(木) 09:34:13 ID:7u367KhY0
したらばをごらんの方、また批判諸兄様方にお伺いいたします。

先般「仏陀の真実の教えを説く」が届きまして早速HP作成をしておりますが、
一時停止を食らっております。
それは作成をしている際に気がついたことですが、今回の「一切事経」に於いて
論じられているのはこういうことではないか、と思いました。

まず、桐山氏の分類(区分)が間違っているということです。
その原因は桐山氏が『國訳一切経 阿含部3』から調べないで『阿含經講義』(安井廣度)
から転記ミスがあるのを知らないまま引用した経緯が見られるということのようです。
(過去ログデータより)

『國訳一切経 阿含部3』には書き下し文に(1)から(16)まで番号をつけて、八法十六法が
なんであるかをわかりやすく分類してあるそうで、安井さんの本でなく國訳一切経から
引用したら桐山氏の起こしたミスは起きなかったわけです。(と、推察)

また「法次法向」も1つのものなのに2つに分けている。これが桐山氏のミスだと。
お経中の「見」をカットするとどうしても七法十四法になってしまうが、八法十六法と
いうのですから数が合わない。なので合わせるためには「法次法向」を分ける必要が
あったのではないか。または解釈でそうしたのだろうと推察します。

ユビさんの解説にもありましたが、全体の意については捏造は無いが、この区分について
は間違いがあるといっているのが本が届いて見たところ、よくわかりました。

となると、嘘とインチキとパクリの総合商社の桐山氏が今回は「捏造」はしてないが、
間違いを修正せず間違った区分のまま主張をしている、ということでよろしいでしょうか。

教学に疎いものですから、ご指導をよろしくお願いいたします。
また、この解釈で正しければこの方向でHPUPに参りたいと思います。

463準シュダオン:2010/12/09(木) 09:40:59 ID:1F7rdgXk0
シュダオンになるには3結を断てば成れるんですけど、↑37道品をすべて
実践する必要はありません。さぼってバイブレーションとありますが、
何もしなくて良い、というわけではありませんよ。
在家の五戒は、当初は三戒であった、と中村元先生の本で読んだ記憶があり
ますよ。だから、何がなんでも五戒を守らねば解脱できない、というもので
はありませんね。五戒を守った方が、早く修行が進む、ということでしょう。

464準シュダオン:2010/12/09(木) 10:03:30 ID:1F7rdgXk0
一切事経についての、天照さんの指摘は違うと思いますよ。
見を八法の一つに数えたら、笑い物になりますよw。
何でそうなのか、わたしの過去レスを読んだら解かるはずです。

法次法向には、二つの意味があるのです。
1、法次法向に随順して知る修行→法向、と、「随順知法次法向」。
2、法次法向に随順して行じる修行→法次とです。「随順行法次法向」。
本のP58のお終いから3行目に書いてあるでしょう。

三転十二行相の知識が少しでもあれば、法次法向が二つの意味を持つこと
が簡単に解かるのです。三転は、示、勧、証、で仏道修行の基本です。
示転→知ること→法向です。
勧転→知ったら行じること→法向、なのです。

説いてる内容が問題なのであって、説いてる区分の問題ではありません。
詣+見+聴=聞、です。

465天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/09(木) 10:26:46 ID:7u367KhY0
準さんの解釈や意見は「なるほど」と思えるのもありました。
なので反論はいたしません。
ですが、自分から言えるのはやはり「教祖の間違いの点」と仏教から見た修行の相違点
です。

これらは今書いたらHPにあげる意味がなくなりますので書きませんので、HPに
上げた際に見てご意見なり書き込みをされてください。

あと区分の問題と特化判断したのは、レスの内容を見ていて思ったのです。
例えば準さんの意見を読んでも「そうなのか」と思うところがあります。
しかし、それは何も知らない・考えない場合です。
仏教以外の準さん個人としての解釈や意見は頷ける箇所は満載です。
しかし、釈迦仏教からみると準さんがどうの、というよりも教義を立てた桐山氏に
問題があり、ひいては自己解釈に広がるだろうと思います。
ゆえにいつまで経っても堂々巡りの論の展開になります。

自分としてはやはり釈迦仏教で行きたいし講じたいので、準さんの解釈や管長の
解釈は講じれない。そう考えています。
ですから準さんは準さんの意見を出されているのは構いません。よろしいと思います。

ただ一切事経についての解釈においては、私も学者さんや批判側の提示に沿いたい、
という意向なのだということですね。その点をご理解いただければと思います。

466深山:2010/12/09(木) 12:37:41 ID:2Tf2Ihqc0
>>462 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/09(木) 09:34:13 ID:7u367KhY0
>ユビさんの解説にもありましたが、全体の意については捏造は無いが、この区分について
>は間違いがあるといっているのが本が届いて見たところ、よくわかりました。

そのとおりです。
桐山さんの早とちり、一知半解が原因です。
他に理由などありません。
桐山さんが安井さんの本を丸写しにしたことも原因だが、安井さんは「見」を
数えています。
つまり、桐山さんは安井本を種本に使いながら、その解説を
丁寧に読むこともしなかった。
また、仙尼経同様に、國訳一切経で確認すらしなかった。
種本の経典を丸写しにして、斜め読みして、解説をしたのです。
ところが、この経典は説明に一貫性がない。
桐山さんは一部だけを読んで、解釈したために、「見」を抜いてしまったのです。
桐山さんは二重三重の意味で斜め読みで、意味を理解できない人なのです。
だから、これまで隼シュダオンさんとの議論などほとんど無意味で、結論は、
「桐山ゲイカのドジ」「桐山ゲイカの早とちり」
これに尽きます。

467深山:2010/12/09(木) 12:41:13 ID:2Tf2Ihqc0
>>462 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/09(木) 09:34:13 ID:7u367KhY0
>ユビさんの解説にもありましたが、全体の意については捏造は無いが、この区分について
>は間違いがあるといっているのが本が届いて見たところ、よくわかりました。

一切事経の八法、十六法を文字通りに数えると、何種類もあることになってしまう。
一つ一つ別なものだと、わかったかのように屁理屈をならべているのが、
隼シュダオンさんです。
だが、騙されないことです。
彼の理屈は常に、桐山擁護のための詭弁であり、自分が引用した部分の
狭い解説であって、他の部分や全体を見た時には成り立ちません。
狭い解説では一見成り立つかのように見せかけているだけです。
たとえば、私も指摘した件で、隼シュダオンさんは>>303
7法だなどと書いている。
7法ではなく、「戒」「浄戒」と釈尊は二つ並べてるのだから八法です。
桐山さんの現代語訳(40頁)では勝手にこれを一つにまとめてあるから、
隼シュダオンさんは7法などと見事なインチキを書いている。
都合の良い時は原文や書き下しを用い、都合が悪くなるとそれら無視して、
桐山解説を持ち出す。
この人は桐山説に合わせてご都合で屁理屈を並べているにすぎない。

468深山:2010/12/09(木) 12:46:20 ID:2Tf2Ihqc0
>>462 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/09(木) 09:34:13 ID:7u367KhY0
>ユビさんの解説にもありましたが、全体の意については捏造は無いが、この区分について
>は間違いがあるといっているのが本が届いて見たところ、よくわかりました。

原文や書き下し(38−39頁)では、一番目の「戒」「正戒」と2番目の
「浄戒」「戒」を分けて述べているから、両者は違う物だということになる。
では、一つ目の「戒」と二つ目の「戒」は違うのか。
同じならなぜわざわざ二度同じ事を繰り返したのか。
二種類の戒のある八法を説いたのか。
どう思いますか。
こんなふうに一切事経には、「見」の件だけでなく、説明に元々矛盾があるのです。
それを隼シュダオンさんみたいに一つ一つ、バラバラの別々な事を
説いたのだと解釈するのですか。
この経典では、最初は「見」を説いて、途中から「見」を抜いており、
また、最初は「信」を説いて、次には「信」を抜いて「戒」が二度も出てきて、
それでいて最後はまた「信」と「見」を出す。
この経典を文字通りに読んでしまえば、こんなふうに一貫していない。
それを一つの八法十六法を説いたのではなく、隼シュダオンさんみたいに、
別々の内容を説いたなどと解釈するのでしょうか。
隼シュダオンさんを見ていると、テントウムシの分類の話を思い出す。
ナミテントウは点の数、体色など様々あり、それらがちょっとでも違うと
別種であると解釈したという笑い話です。
だが、それらはナミテントウという同じテントウムシです
隼シュダオンさんは、「こちらのテントウムシは点が二つで、あっちは四つあるから
別種に決まっている、W」などと言っているのです。
彼の屁理屈、詭弁に惑わされないことです。

469ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/09(木) 12:49:37 ID:SmEF4Oe2O
>>462
国訳一切経の件ありがとうございます。
そのとおりです。悪意ある捏造はないが、資料(経典)をよく読まないが為に
間違った数え方をしている。それにより経典の意味主張が変わることはないが、
国語文脈の上から間違いは間違いであり、他人にわざわざ示すのに注意が明らかに
不足している。

>>464
天照さんの書き込みをまたしても読んでないのでしょうか?
つまりあなたは国訳一切経の一切事経に書かれている(1)から(16)の付番は愚かな
間違いだと言いたいわけですか?
ちなみに桐山さんも国訳一切経は読みあさったことを著書に示しています。
ならばこれを知っているはずだ。
国訳一切経の数え方が間違いだと言いたいならば、その旨コメントすべきでは
ないですか?

470深山:2010/12/09(木) 12:50:26 ID:2Tf2Ihqc0
>>462 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/09(木) 09:34:13 ID:7u367KhY0
>ユビさんの解説にもありましたが、全体の意については捏造は無いが、この区分について
>は間違いがあるといっているのが本が届いて見たところ、よくわかりました。

別な八法十六法だと主張するのは隼シュダオンさんの自由です。
だが、学者はただの一人も隼シュダオン流の解釈はしていない。
彼らはちゃんと経典を読み、矛盾点など百も承知で、なおかつ、八法十六法を
@信A戒B施C見D聞E持F観G法次法向
と解釈しているのです。
天照さんの持っている安井さんの講義でもこの分類です。
これは、阿含経での釈尊の説き方を知っているからです。
阿含経の釈尊の説き方とは、煩雑複雑な事を次々と並べるということはしない。
たった一つの簡単なことを繰り返し、表現を変え、
手を変え、品を変えて説明するのが釈尊のやり方です。
だから、一切事経という一つの経典の中で、複数の八法十六法を説いたなど
ありえないのです。
我々は文字で読んでいるから、「見」や「信」があったりなかったりすることに気がつく。
だが、言葉で聞いている人たちの多くは気がつきません。
それなのに、その説明過程で次々と釈尊は別な八法十六法を説明するのですか。
説いているのは在家のマハーナーマであり、在家のために説いているのですよ。
学者や研究者に文字で説明したのではなく、ド素人の庶民に言葉で説いているのです。
文字に直さないと気がつかないような煩雑な八法十六法を、
在家の人たちに説いたはずはありません。
こういう大前提を無視して、字面にのみ取り憑き、机上の空論を並べて
一人自惚れているのが準シュダオンさんです。

471深山:2010/12/09(木) 12:54:30 ID:2Tf2Ihqc0
>>462 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/09(木) 09:34:13 ID:7u367KhY0
>ユビさんの解説にもありましたが、全体の意については捏造は無いが、この区分について
>は間違いがあるといっているのが本が届いて見たところ、よくわかりました。

釈尊が説いている相手や現場を考えたら、一つの八法十六法を説いたことは
当たり前すぎるほど当たり前のことです。
単に、釈尊が「信」というべきところを「戒」を出してしまったか、
あるいはアーナンダが聞き間違えたか、後世の人が写し間違えたか、
そんなところであって、釈尊は違う八法、別々の十六法、違う七法などを
説いたのではなく、たった一種類の八法十六法を説いたのです。
こういう前提に立たないと、隼シュダオンさんのようにゴチャゴチャとした
小手先の解釈ばかりするようになる。
違う八法十六法を説いたという隼シュダオン説を相手にしていると、
まさに泥沼の議論になります。
だが、桐山さん自身が、複数の八法十六法があるなどと言っていない。
だから、隼シュダオンさんの説いているのは隼シュダオン説であって、
本来、ここでの議論とは関係のない個人解釈です。
主張したければ自分のスレなり、ホームページで議論するべき内容です。
だが、いくら彼にそれを言っても無視して、テントウムシの点の数が
違うから別種だという詭弁が始まる。
議論する時は、範囲や前提が非常に重要で、これを無視する人が出てきて、
彼らを相手にすると詭弁の泥沼に入り込みます。
前提を無視して、自分に都合の良い部分だけを出すから一見正しいかのように錯覚させる。
隼シュダオンさんやペテン大作さんがその典型です。

472深山:2010/12/09(木) 13:06:19 ID:2Tf2Ihqc0
>>462 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/09(木) 09:34:13 ID:7u367KhY0
>ユビさんの解説にもありましたが、全体の意については捏造は無いが、この区分について
>は間違いがあるといっているのが本が届いて見たところ、よくわかりました。

釈尊は一切事経で一種類の八法十六法を説いた、これが大前提で、
問題は、ではどれがその八種類なのかという点のみです。
再度申し上げるが、八法十六法が一種類であることは桐山さんも認めている。
だから、これをまず前提として議論をするべきです。
そして争点はたった一つ、「見」「法次法向」をどう考えるかだけです。

桐山説 @信A戒B施C聞D持E観F法次G法向
学者説 @信A戒B施C見D聞E持F観G法次法向

ここに議論の争点を絞るべきで、やれ、「聴」と「見」が同じなのか、
「詣」と「見」は別なのかなどという言葉の違いを指摘する隼シュダオンさんの
詭弁に巻き込まれないとです。
阿含経では、同じ事を別な表現で表すのは珍しくありません。
珍しくないどころか、積極的に別な言葉を用いることが多い。
応説経では、結縛、使、纏を切れとあるが、別々の物ではなく、煩悩のことです。
そして、もう一つ重要なことは、上記に私がわざわざ学者説と書いたように、
これは批判側の説ではなく、学者の説だという点です。
経典を詳細に読み、検証した学者たちの説です。
ド素人の準シュダオン説など出る幕がない。

473深山:2010/12/09(木) 13:15:54 ID:2Tf2Ihqc0
桐山説 @信A戒B施C聞D持E観F法次G法向
学者説 @信A戒B施C見D聞E持F観G法次法向

すでに何度も指摘しているように、桐山説が成り立たないことは、
経典での法次法向の記述をみれば明かです。
一切事経では八法十六法をくり返し説明する時、一貫性がないことは述べました。
しかし、法次法向については、一貫した説明をしています。
法次と法向を別々には説明していない。
経典では@からFまではそれぞれ一つとして説明しているように、
法次法向も例外なく、一つにまとめて説明している。
この構成を見れば、法次と法向が別物だという桐山説は成り立ちません。
準シュダオンさんは法次と法向の内容を別物だと説いているが、
それは準シュダオン説です。
八法とは釈尊が説き、その釈尊が一つにまとめているのだから、法次法向は一つのものです。
準シュダオンさんの説明など余計なお世話であり、
釈尊の分類に準シュダオンさんごときが口を出すのは僭越です。
釈尊が法次法向を一つのものとして分類しているのです。
法次法向が一つなら、桐山説は成り立たなくなる。
そのとおりで、学者説のほうが経典の釈尊の説明を矛盾なく説明しています。
議論する必要がないほどにあまりに明瞭で当たり前な内容です。
すべては桐山さんの一知半解と、間違いを絶対に認めたくないという知性と煩悩の問題です。

474ラシン:2010/12/09(木) 13:19:14 ID:b9Cg2rfo0
>462天照
まず、桐山氏の分類(区分)が間違っているということです。
その原因は桐山氏が『國訳一切経 阿含部3』から調べないで『阿含經講義』(安井廣度)
から転記ミスがあるのを知らないまま引用した経緯が見られるということのようです。
(過去ログデータより)


たしか過去ログで深山さんが指摘していました。
國訳一切経 阿含部3 1119頁から(一切事経)として掲文されている。
雑阿含経巻第四十六です。
八法に関しては、天照さんの指摘通りしっかりと番号が付けられて標記されています。
その部分を抜粋します。

(1)自ら戒に立つも他をして正戒に立たしむること能わず。
(2)自ら浄戒を持つも他をして持戒具足ならしむるけと能わず。
(3)自ら布施を行ずるも施を以て他を建立すること能わず。
(4)自ら塔寺に詣で諸の沙門を見るも、他に勧めて塔寺に詣で往いて沙門を見せしむること能わず。
(5)自ら専ら聴法するも、人を勧めて正法を楽聴せしむること能わず。
(6)法を聞いて自ら持するも他をして正法を受持せしむること能わず。
(7)自ら能く甚深の妙義を観察するも、人を勧めて深義を観ぜしむること能わず。
(8)自ら深法を知り能く法次法向に随順して行ずるも、人をして勧めて法次法向に随順して行ぜしむること能わず。

これでいけば、戒・浄戒・施・見(詣)・聴・観・法次法向の八つです。
尚1121頁においては、十六法を説く上で(1)で正信を具足し、と信が出てきます。
前頁に於いても、「若し優婆塞信有り戒無くば、是れ即ち具せず」とあるように、
信戒は優婆塞にとって車輪の両輪のごとく必須だと言うことが分かります。
しかし法次法向は、常に「ひとつの法え」として取り扱われている。
法次法向は、下段にて「不能如説修業」と訳注されています。

ですから、法次と法向を分けた詭弁など通用しません。
ネットでも確認できますよ。
http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky038800uoft#page/104/mode/2up

475ラシン:2010/12/09(木) 13:22:57 ID:b9Cg2rfo0

訂正

表記の1119とは経番らしく、頁部分は450〜452頁の間違いでした。
失礼しました。

476ラシン:2010/12/09(木) 13:35:34 ID:b9Cg2rfo0
>474

訂正2

間違えてばかりです、失礼しました。

誤:これでいけば、戒・浄戒・施・見(詣)・聴・観・法次法向の八つです。

正:これでいけば、戒・浄戒・施・見(詣)・聴・持・観・法次法向の八つです。

477準シュダオン:2010/12/09(木) 15:00:32 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんにお答えしますが、たぶん国訳一切経にも八法十六法の番号
は付されていないはずですよ。それを経文の中から、八法を数えるわけです
が、その数え方に力量が表れてしまうわけです。
まぁ、パーリではどうなのか、それが解れば理想でしょう。
見と聞を二つに分けたとして、それがどのような意義があるのか、笑うしか
ないでしょう。

仏教辞典で、「三転」を引いて御覧なさいな。三転法輪のことです。
仏教は、苦諦、集諦、滅諦、道諦を、知り(示転)、修習し(勧転)、
証得すれば(証転)、解脱完成なのです。
だから、随順知法次法向(知る修行=法向=示転)と、
随順行法次法向(行じる=修習=勧転)とに分かれているのです。
この随順知と随順行の修行をすれば、証転=証したことを明らかに知り、
仏に成る、というわけですよ。

だから、法次法向が一つに説かれているから一つの法だと考えるのは、内容
を知らない証拠でもあるのです。
算数に無知な人が、乗法除法を一つの計算方法と考えてるようなものですね。

478天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/09(木) 16:33:13 ID:Dzuby1uo0
深山さん、詳しい解説ありがとうございました。
お陰さまで前に進めます。感謝申し上げます。
またこのしたらばを見ている方で私のような状態の方には理解を則す
ことになってとてもよかったと感じております。

ユビさん、お言葉ありがとうございます。ようやく着手できます。
本当にあれだけ長い文章の転記をしていただいて、大変でしたでしょう。
本当に感謝いたしております。

ラシンさん、投稿とともに国訳一切経のデジタル版の提示、ありがとうございます。
これは非常に助かります。
アマゾンなどでみても中古でも高価なので私には手が出ず悩んでいました。
これだとどなたでも画像で見れて確認できるので最高の示しとなるでしょう。
目から鱗となりました。深く感謝申し上げます。

数日後にHPをUPいたしますが、不慣れな点があるかと思いますので、
もしもUP後で閲覧し不手際な点などご指導いただけると幸いです。
本当に深山さん、ユビさん、ラシンさん、ありがとうございました。

479ラシン:2010/12/09(木) 16:35:53 ID:b9Cg2rfo0

追記

474の<法次法向は、下段にて「不能如説修業」と訳注されています。>

不能如説修業とは、如説修行=仏の説くとおりに修行することができない。
「法次法向に随順して知らざる」文への注釈かと判断できます。
逆をたどって解釈するなら仏説修業=法次法向となる。
つまり、突き詰めれば仏道を歩むことです。

480ラシン:2010/12/09(木) 16:50:43 ID:b9Cg2rfo0

>ラシンさん、投稿とともに国訳一切経のデジタル版の提示、ありがとうございます。
これは非常に助かります。

リンク付けするかどうか迷いました、転載禁止ではないようでしたのでリンクフリーと受止めました。

天照さん
国訳一切経には、きちんと番号がついていましたね。
すでに論を待たずという感慨ですね。

481ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/09(木) 21:19:41 ID:SmEF4Oe2O
>>477:準シュダオン10/12/09(木) 15:00:32 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさんにお答えしますが、たぶん国訳一切経にも八法十六法の番号
>は付されていないはずですよ。

いや、あなたがいかにそう思ってもそう期待しても、現実に国訳一切経には
ちゃんと付番が添えられているのですよ。
こちらはその証拠、物証を示しています。
どうせあなたのことだから>>474のラシンさんの書き込みなど読んでもいないだろうが、
せめて>>474の一番下にある青いリンクだけでもクリックしてご覧なさい。
おっと、それすらしないだろな。こちらに貼り直します。
http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky038800uoft#page/104/mode/2up

虫眼鏡をクリックして拡大するのがよいでしょう。
これは国訳一切経のスキャニングデータか写真データですね。
後から書き加えたものでないとわかる最初から活字として付番がされています。
おっと、準シュダオンさんはそれでも見ないと逃げるでしょうね。
ようがす。実は最初からあなたなど説得する気はこれっぽっちもない。
好きになさい。
ってことで、準シュダオンさん以外の読者の皆様。自分の目でお確かめください。
こういうことなんです。はい。

482深山:2010/12/09(木) 23:07:56 ID:2Tf2Ihqc0
>>477:準シュダオン10/12/09(木) 15:00:32 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさんにお答えしますが、たぶん国訳一切経にも八法十六法の番号
>は付されていないはずですよ。

ラシンさんから具体的なコピーを示されても、
これを無視して、まだこんなことを言っている。
國訳一切経では、八法と十六法に番号がついています。
もちろん法次法向はひとまとまりです。
そこで読者の皆さんにクイズです。
この後、隼シュダオンさんはどんな書き込みをするでしょうか。
下記の中からお選びください。
複数選択も可です。

1.477の間違いには口を拭い、何をどう示されようが、法次と法向は別物だと頑迷に主張する。
2.あんなのは学者の説だと開き直り、学者の説を採用する批判側をけなす。
3.477で書いたのはそんな意味ではないと屁理屈を並べて、みっともなく逃げて、
批判側を意味もなく小馬鹿にする。
4.何事もなかったかのように話題をそらし、批判側を無知呼ばわりする。
5.477で書いたことは忘れてしまっており、どんな恥をかいたのかも理解できず、
批判側をアホウ呼ばわりする。
6.自分が笑われていると理解できないどころか、むしろ間違いをしたのは
批判側だと信じ込み、激しくあざ笑う。

上記の選択肢の中には、間違いを認め修正するという普通の人が取る選択肢は
入っていませんが、これは可能性がゼロとみなして省略しました。

483天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/10(金) 00:09:12 ID:4YXclalw0
ふふふw クイズとはユニークですね。
どれも該当しそうなのでそれも怖いw

さて、HPですが今、本の原版と解説の抜粋は出来ましたが、詳しい別解説に
時間が掛かっております。もう少し時間がかかりそうです。

深山さんが言われました「もうひとつのこと」が気にかかります。
それを出してくるのかな?と自分は思ったり。
それが出てくるのなら、それも掲載せねばなりませんががが。

もう一切事経は終りにしてください、準さん。

484ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/10(金) 00:24:27 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさん以外の信者さんは今回の件を桐山さんに質問してみてはどうでしょうか?
ちなみに準シュダオンさんは誓っても大金賭けてもそんなことはしないと断言できます。
しかしこんな小狡い準シュダオンさんとは違うことを自認する信者さんならば
自分の立場が危うくならない範囲で質問状を文書で出してみるとよい。
大昔この八法十六法を初めて例祭法話で講義した時、この数え方について疑義の
質問があった。
回答は見は聞に含まれるというそれだけ聴けば納得もしてしまいそうなものでした。
しかし桐山さんが質問者の質問をどこまで忠実に公開したのからわからぬが、
今回再度質問するならば、きちんと資料を添えて根拠を示すことです。
根拠資料は市販されたるゲイカもお持ちの国訳一切経。
これのコピーを添える。ネットからプリントアウトしてもよい。
また私が説明した単なる国語語法上の整然と配列された規則についても示すことです。
但し一つ注意しなければならないのは、ゲイカが間違っていると非難しないことです。
準シュダオンさんのように、私はゲイカの解説が最もしっくりするような気が
致しますが、いかに国語の常識を踏まえた見解とはいえ、学者の説は短慮に過ぎず、
偏った付番までするのはいかがなものかと憤慨するものでありますが、ゲイカの
お考えを聞かせてくださいと書く。
我々アゴン宗徒は学者の説をも超えた高い志で邁進しているのだと、ご著書を
読んで疑義を唱えた一般人に対して、どう説明すべきかご教示願いますと懇願する。
示すべき根拠は辛辣に示し、しかし低姿勢を貫き、一切批判をしない。
まあ私ならば皮肉を書き過ぎて演技に徹する自信もないがw
大方取り上げてもくれないだろうが、やるだけやってみればいいかも。
信者以外の一般人から指摘されて返答に困ったという想定にすればよい。

485ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/10(金) 00:45:36 ID:SmEF4Oe2O
>>483:天照 ◆MO30b8Jwoo10/12/10(金) 00:09:12 ID:4YXclalw0
>深山さんが言われました「もうひとつのこと」が気にかかります。
>それを出してくるのかな?と自分は思ったり。
>それが出てくるのなら、それも掲載せねばなりませんががが。

それについては私が>>403に始まり>>424で一応終結の形をみる幾分の議論も交えて
私が論じました。
十六法を実践する在家の優婆塞は出家沙門衆に於いて威徳顕曜ならんと経典に
書いてあるのですが、桐山さんはこれを同じ仏教教団内において在家の信者が
出家の比丘を超えてしまう逆転現象であかのように示した。
対して我々は沙門という出家行者なんて当時のインドでも仏教以前から存在する
のだから、仏教修行者のことを指すのではなく外道(他宗教)の修行者、求道者でも
仏教の教えを聴きに門を叩くであろうという、仏教以外の沙門に限定せねば
話がおかしくなるであろうと論じました。
深山さんの示唆したもうひとつの問題とはこれのことですよねと先に書いて
その後天照さんの壮大なプランを知って、ならばこれも出そうと書いたわけです。

486ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/10(金) 01:03:07 ID:SmEF4Oe2O
私が予想する準シュダオンさんの応酬

準「馬鹿だねえ。58頁や59頁に出ている(1)だの(16)だの番号なんかどこにも付されていない」

対する回答

指「あたりめえじゃん。誰も漢文経典の原典原文に数字が添えられているかなんて
示したことはない。あくまでもその和訳として編纂された国訳一切経にわざわざ
ご丁寧なことに、読者の理解を助ける為に、編纂した仏教学者が書き添えたものだ。
こういう番号を和訳文に添えることが果たして余計なサービスなのかどうかの
是非論はさておき、仏教学者はこういう数え方をして天下の国訳一切経としている
事実を紹介したまでさ」


(自分が国訳一切経には番号など付けられていないと思うと書いたことを忘れて
漢文原典原文の問題にすり替えてごまかして相手を馬鹿にしようという作戦)

487ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/10(金) 01:06:32 ID:SmEF4Oe2O
訂正

準「馬鹿だねえ。58頁や59頁に出ている(1)だの(16)だの番号なんかどこにも付されていない」



準「馬鹿だねえ。58頁や59頁に出ている漢文の白文には(1)だの(16)だの番号なんかどこにも付されていない」

488神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2010/12/10(金) 07:01:59 ID:YaD7r0520
ユビさん何も誘い水をワザワザ注入しなくても!!
とにかくおとなしくはしてないでしょう。
恥・向上心等々インネンゲダツされてるお方ですから!!

489天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/10(金) 08:38:50 ID:0gp/Z/iE0
>>485 なるほど。もう事前に対策をとられてたんですね。
これでより安心できましたw ありがとうございます。

では、後は「サルにでもわかる〜」略して”サルわか”が出来次第UPいたします。
本当にありがとうございました。

490ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/10(金) 08:43:49 ID:SmEF4Oe2O
>>477:準シュダオン10/12/09(木) 15:00:32 ID:1F7rdgXk0
>まぁ、パーリではどうなのか、それが解れば理想でしょう。

ほらね。早速パーリなどインドへ逃げる準備をしているw
漢訳経典からの和訳は間違っておらず、その日本語現代語訳も間違っていないと
桐山本でわかる。桐山さんが引用し、桐山責任で添えた現代語訳だし。
漢訳の段階から、意味内容はともかく、こう数えろと言わんばかりの文脈が
構成されている。はい、はい、はい。さあ私は前の文ではいを何回言ったでしょう?式の
ならばインドにまで遡ってインドの原典を読めば誤解は解けるものと信じている。
これは無駄な願いです。これに相当するサンスクリット仏典やパーリ仏典、マガダ語の
経典が発見でもされてすら、数字など添えられておらず、単語として単純に数えられる
ものは7つ、8つ、9つ、10あるでしょう。あとはそれをどうつなぎ合わせるか
その国の国語の問題だけです。
漢訳のように恣意的な数え方の誘導があるのか?
なければ漢訳の行き過ぎの誤訳だと示したいわけです。
これも無駄です。そんなインド原典など発見されてないし、桐山さんもあくまでも
漢訳経典だけを根拠に八法十六法を語っているからです。
この経典は漢訳であれインド原典が発見でもされたであれ、かなり信用のおける
良心的な経典ではありませんか?
信が消えたり復活したり矛盾がそのまま残されているからです。
恣意的な改変がされていない、改変したくてもお釈迦様の言葉を崩さずに
そのまま継承されてきたのではないかと推定される。

>見と聞を二つに分けたとして、それがどのような意義があるのか、笑うしか
>ないでしょう。

>算数に無知な人が、乗法除法を一つの計算方法と考えてるようなものですね。

これらは私どもよりも寧ろ日本の仏教学者たちに対して浴びせた罵詈雑言
ということになります。
国訳一切経にあのような付番をしたのは日本の仏教学者の責任です。
一部の早まった学者が偏った付番をしたのなら他の学者たちから異論が唱えられ、
せめて付番するのだけは控えようという話になるはずです。
しかしそんな異論もなく当たり前に世間に出版されているのは仏教学界全体の責任です。
桐山さんみたいな勝手な小説は自由ですが、国訳一切経となると貴重な学術資料ですからね。
これをあなたは無知だと笑ったわけです。

491ラシン:2010/12/10(金) 11:19:13 ID:b9Cg2rfo0

クイズは全て当てはまるような感がしますね。

過去より批判諸兄とくに深山さんが、桐山さんは間違いを糊塗するため、
ウソと言い訳を構築して来た人格と人生のあり様を批判していました。
人間、間違いや勘違いは誰にでもあります。
ようは、そのあとの姿勢が問題です。
批判側だって議論のうえで勘違いはあります。
最近のユビさんのときも素直に認め謝罪しています。
私も、準シュダオンさんにザビビで間違いを謝罪したことがあります。
それで終わることです、普通なら。
しかし、
桐山さんは最初に大風呂敷を敷きすぎて謝罪したらカンチョーの面子が立たない。
成仏リキある聖者の仮面をかぶって、逆に不自由を得たようなものです。
釈尊は弟子たちに「今まで自分の言動に煩悩が出たか否かを問うています」
これは二つを想像できます。
仏陀という覚者としての強烈な自信からか、あるいは求道者としての共に歩む姿勢からか。
私は後者だと受け止めています。
理由は、釈尊自身が教団のリーダー的自覚が希薄だったと言う学説があるからです。
世間でも、サーリプッタが仏教教団の指導者だと見られる向きがあったようです。
そこで釈尊はさらに問います、必要なら「多少の仔細な戒律の改善案」です。
しかし、弟子たち特に長老からはその必要性が出てきません。
ですから今にある戒律は、釈尊当時のものだと理解に足ります。
今回のことは、ユビさんが言うあくまで国語力と注意力の問題です。
桐山さんが言うように国訳一切経から見出したなら、付番で分かることです。
しかし、桐山さんは飢えた餓鬼のように在家の「法」に飛びついた。
女性の「性」の字を見つけて興奮する少年のように、法であればそれはまさしく威力があると、
そう観念的に先読みし欣喜する態度が、はたして冷静で智慧を求められる仏教に適うだろうか。

492準シュダオン:2010/12/10(金) 12:14:50 ID:1F7rdgXk0
別にパーリに逃げてはいませんよw。
パーリ訳があったら、それも読みたいのは人情でしょう、ということ。
それと見と聴をそれぞれ、一法に分けるだけの価値がありますか?てのよ。
それなら往詣塔寺も一法に数えねばつりあいが取れない、てのです。

見(まみ)えたとて、教えを聴かねば、大した意味がないでしょう。
見える、だけでは誤解も生じますよ。
比丘を「見る」だけの修行をしていた優婆塞が、
「ははぁ、あのお方は長い時間、目を閉じて、見ざるの修行をしている
 ようだ。見ざるの修行も大事なのだな!」と、つぶやきました。
「アホ、あのお方はアヌルッダ尊者であらせられるぞ」とかねw。
法を聴かねばだめです。

お釈迦さまが在家へ説くパターンは、ほぼ決まっています。
施を説き、戒を説き、生天の法を説き、貪欲の災いを説き、出離の功徳を
説き、苦諦、集諦、滅諦、道諦、と、説くのです。
この四諦を体得させるのが最終目的でしょう。
それが三転法輪なのです。示転、勧転、証転の三転です。
三転法輪についての学者の説をいくら読んだとて、体得できるわけはないのです。
自分なりに、消化できるところまで行けなくてはいけませんね。
知るべき(真理)ことを知り=法向
修習すべきことを修習し=法次、そして証得するのです。
一切事経も四諦も関連しているのですよ。

493ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/10(金) 13:52:28 ID:SmEF4Oe2O
クイズの正解は1番が最も近かったようです。
何を言われても対話のキャッチボールなどせず、こちらの投げた球は受け取りもせず
投げ返すこともせず、今まで通り自分の出した糞玉をこちらに投げるだけ。

494ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/10(金) 13:54:21 ID:SmEF4Oe2O
>>492
だからそれ全部全ての仏教学者に言えって。

496準シュダオン:2010/12/11(土) 09:32:56 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんともあろうお方が、学者先生だとてミスを犯すことがある
ことを、知らないはずがないでしょう。
学者が、法次法向を一つに数えたからといって、変な解説には従う必要は
ありませんよ。
お釈迦さまが、ちゃんと二つに分けて説明しているでしょう。前にもレス
しましたが、
「随順知法次方向」=法次法向に随順して知る=法向と、
「随順行法次方向」=法次方向に随順して行じる=法次、です。
つまり、「知る」修行と、「行う」修行の二つです。

苦諦集諦滅諦道諦の証得にしても、まず四つの真理を
「知る」ことと、道諦を「行じる」(修習・実践)ことの二つに集約でき
るでしょう。

497準シュダオン:2010/12/11(土) 09:53:43 ID:1F7rdgXk0
管長は「仏陀の真実の教えを説く」本のP142で、道諦とは八正道だけの
ことではなく、仏道のことだ、と解説しています。これも大切なテーマで、
今後の学者先生は、このテーマを研究せねばいけませんね。
そもそも、正見、正思、正語、・・・・正定、の八正道といっても、最初
から正見に入れるわけではありません。
お釈迦さまは、そのことを説いておられます。
雑阿含経の1節に次のようにあります。
「・・明に従う智者において、正見は生じる。正見の存するところに正思は
生じる。生思の存するところに、正語は生じる。正語の存するところに・・」
と、いう具合にです。

お解かりでしょうか?
「明に従う智者において、正見は生じる」のです。ですから先ず、八正道に
入る前に、智者に成る修行をしなければ、八正道に入って行けないのです。
勿論、お釈迦さまは智者になる修行法も説いておられます。
確かに世尊は、道諦とは八正道である、と、説いてはいますが、八正道に
限定してしまうと、おかしくなるのですね。

498準シュダオン:2010/12/11(土) 09:56:34 ID:1F7rdgXk0
前々レスの法次方向は、法次法向の間違いです。派手に間違えていますねw。

499ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/11(土) 13:13:24 ID:SmEF4Oe2O
>>496:準シュダオン10/12/11(土) 09:32:56 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさんともあろうお方が、学者先生だとてミスを犯すことがある
>ことを、知らないはずがないでしょう。

いいえ、一部の学者が自分の著書に独自の間違った見解分類が書かれていても
それが訂正されることも普通ありません。
しかしこれは国訳一切経という日本の仏教学界全体で取り組んだ大事業です。
公共性があり、仏教の経典にはサンスクリットやパーリの原典、チベット仏典、
漢訳経典に加えて遂に待望の和訳経典ができたのです。
日本における仏典の輸入に際して翻訳がされなかったことに対する功罪がある。
功の部分は安易に下手な訳をされずに漢訳のまま残したことによって少なくとも
漢訳段階の経典原典は改変させずに後世に残せることです。
罪の部分はそれがゆえに仏教の教えは民衆の言葉として浸透定着も理解もなく
わけのわからないまま広まったことですね。
日本には漢文の書き下し文という手法があるから、漢文原文を極力崩さずに
日本語で示せることができる。
よって現代語訳のようなわけには行かず、未だに言葉の理解が難しい面もあるが、
それでも漢文だけの経典よりはわかりやすくなった。
国訳一切経というのはそれを阿含経典から大乗経典から密教経典など全経典を
和訳したものだからこれは大変な業績なんです。
公認日本経典と呼んで過言はない。
しかるにこの和訳編纂にあたって一部の学者の偏った考えによって勝手なものが
付け加えられてよいものか?
もしそんなものがされたのならば、仏教学界全体でこれを排除して付番だけは
やめさせて出版します。あるいは改訂出版をします。
しかし学説によってどうにでも分類可能なものを敢えて番号を付けてしまうのは
暴挙であるが、単に国語語法の問題ならばこれに番号をつけるサービスをしても
問題にはなりません。
だからこれが改訂もされずに全仏教学界で公認もされているのです。
漢文の書き下し文は間違っていない。ならばその付番は小学生だって可能です。
日本語さえわかれば誰だってああいう番号を付ける。
それは漢文原文がそういう構成になっているからです。
敢えてああいう文体表現にしたのは十六を数えてもらうためです。
意味を深く考え過ぎてはいかんのです。
これでも正しく数えられない奴は来世に生まれ変わって再度国語を勉強し直すことです。

500ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/11(土) 13:19:30 ID:SmEF4Oe2O
>>496:準シュダオン10/12/11(土) 09:32:56 ID:1F7rdgXk0
>ことを、知らないはずがないでしょう。
>学者が、法次法向を一つに数えたからといって、変な解説には従う必要は
>ありませんよ。

学者によって解説なんかされてません。
今回示された国訳一切経は和訳文と付番だけであり解説などありません。

>お釈迦さまが、ちゃんと二つに分けて説明しているでしょう。前にもレス
>しましたが、
「随順知法次方向」=法次法向に随順して知る=法向と、
>「随順行法次方向」=法次方向に随順して行じる=法次、です。

いいえ、そんなお釈迦様による2つに分けた解説などしてません。
あなたがデタラメに漢文を勝手に分解しただけです。

501ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/11(土) 13:42:07 ID:SmEF4Oe2O
>>496:準シュダオン10/12/11(土) 09:32:56 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさんともあろうお方が、学者先生だとてミスを犯すことがある
>ことを、知らないはずがないでしょう。

一部の学者のミスならばわかるが全仏教学界全員の学者のミスということになる。
あなたや桐山さんの主張こそがごくごく少数派である現実を認識すべきです。
ところがあなたの人(批判側)を馬鹿にするような論調は、自分らが多数派であり
理解の低い少数派の批判側をなじっているかのようですね。
ところがそちらが少数派と認識できたらどうなるか?
自ずと態度は違うものにするのが本当ですよね。謙虚に物を言う。
あなた方がそう数えるのは学者も皆そう数えるのだから仕方ありますまい。
しかし実はそれが違うのですよ。私は全学者を否定してでも説きたい論があるので
聞いていただきますか?と。
桐山さんもそうすべきなんです。
原文と和訳、現代語訳まで正しいものを読者に示した。
解説にあたって学者が皆やってる数え方とは違う数え方を示したいならば
そこのところをきちんと説明する義務があります。
学者も皆そうしているように普通はこういう数え方をしますよね?しかし私桐山の
数え方は今は少数派かも知れないが違うのです。それはこれこれこういう理由からです、と。
しかしそういう説明は少しもありません。
それは自分の分類が学者の分類と違う事実を認識してないからです。
だから当たり前のように説明している。理由も糞もない。
これをきちんと桐山さんに示せば、それがごまかしのできない公の場ならば桐山さんは
これを認めます。訂正もします。
ここまで根拠を示されて尚も見苦しい反論をすることを潔しと思ってないからです。
彼は世間体を最も気にする。常に知的でダンディーでなければならない。
間違っても誰かのように見苦しく自分が馬鹿に見られたくないからです。

503ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/12(日) 21:32:37 ID:SmEF4Oe2O
>>497:準シュダオン10/12/11(土) 09:53:43 ID:1F7rdgXk0
>そもそも、正見、正思、正語、・・・・正定、の八正道といっても、最初
>から正見に入れるわけではありません。
>お釈迦さまは、そのことを説いておられます。
>雑阿含経の1節に次のようにあります。
>「・・明に従う智者において、正見は生じる。正見の存するところに正思は
>生じる。生思の存するところに、正語は生じる。正語の存するところに・・」
>と、いう具合にです。
>お解かりでしょうか?
>「明に従う智者において、正見は生じる」のです。ですから先ず、八正道に
>入る前に、智者に成る修行をしなければ、八正道に入って行けないのです。

私は八正道などに関してあなたとここで仏教一般について論考する気はありません。
なるほどたしかに桐山さんは八正道が道諦ではないと主張してます。
そこに議論の余地が残されているようにも見えます。
しかし私が困るのは上記のわけのわからん屁理屈は桐山擁護の役にも立っていない。
桐山さんとあなたが説くところは違うのです。
桐山さんはあなたのそれより八正道の評価は低い。
桐山文証を添えられなくて恐縮だが、桐山さんは八正道なんてオシエは道徳も
理解できないような程度の低い奴らに説いたものとみなしている。
あなたのように明を得た智者がするものとは説いていない。
しかしそんなことよりあなたの上記屁理屈は全然理屈になっておらず、単なる
頭の悪い書き込みに過ぎないので、こんなものを出されてもこちらは始末に困るのです。

504ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/12(日) 21:50:22 ID:SmEF4Oe2O
>>497:準シュダオン10/12/11(土) 09:53:43 ID:1F7rdgXk0
>そもそも、正見、正思、正語、・・・・正定、の八正道といっても、最初
>から正見に入れるわけではありません。
>お釈迦さまは、そのことを説いておられます。
>雑阿含経の1節に次のようにあります。
>「・・明に従う智者において、正見は生じる。正見の存するところに正思は
>生じる。生思の存するところに、正語は生じる。正語の存するところに・・」
>と、いう具合にです。
>お解かりでしょうか?
>「明に従う智者において、正見は生じる」のです。ですから先ず、八正道に
>入る前に、智者に成る修行をしなければ、八正道に入って行けないのです。

よろしいですか?八正道とは正見や正思うや正語などを得ていく修行、修道ですよね。
上記経典によるとその大本、基本になるのは正見を得ることですよね。
そしてその正見ては明に従う智者でなければ得られないという。
だから明に従い智者となる修行の道を進むのです。
それを得て初めて正見が得られ、それが正思にも正語にも連鎖していく。
ならばその智者になる修行こそが八正道の要ではありませんか?
八正道とはまず正見を得る修行ではないのですか?
智者となって正見を得た者だけが取り組んでいけるのが八正道ですか?
正見獲得者が初めて取り組むことのできるのが八正道ですか?
それならば七正道ではないですか?
八正道の第一が明に従い智者になること、智者になる道、すなわち智者になる
修行とは、立派に八正道の一部であり要であるとどうしてそんな簡単な発想が出来ぬ?
なんで俺はこんな頭の悪い書き込みにマジレスする時間を割かねばならんのだ?(-_-;)

505ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/12(日) 22:11:30 ID:SmEF4Oe2O
>>497:準シュダオン10/12/11(土) 09:53:43 ID:1F7rdgXk0
>「明に従う智者において、正見は生じる」のです。ですから先ず、八正道に
>入る前に、智者に成る修行をしなければ、八正道に入って行けないのです。

物事はなんでも最初が大事です。
オリンピックに出るような水泳選手や競輪選手にしても最初から泳げたり
自転車に乗れたわけではない。
最初は誰しも泳げなかったし、自転車も乗れなかった。
しかし子どもの頃、これを少しの練習によって獲得したのです。
その後人並みよりも優れた能力を発揮できるのも最初は泳ぐことを覚え、自転車を
転ばずに漕げるようになることから始まる。
この過程は水泳や自転車の練習と言わないのか?
カナヅチがおる。水でバチャバチャやっとる。なんだ?この阿呆は?泳げもせんくせに。
やめろやめろ。
何を自転車に乗って転んでる?やめろやめろ。阿呆のくせに無駄なあがきはやめろ。
ところがある日泳げるようになる。自転車が漕げるようになる。
おっ、やったな。それではおまえに水泳なるものを教えよう。自転車なるものを
教えよう。
笑いでか。まだまだほんの入り口に入ったばかりだが、今まで訓練したことが
水泳の練習であり、自転車の練習なんだ。
もちろんこれからの練習はより難易度を増すが、今まで泳ぎや自転車漕ぎの
練習をせずにバチャバチャギコギコ阿呆やってきたのではなく、あれが練習の
第一歩だったのだ。
準シュダオンさんがしつこく主張するシュダオン果以上が聖者であり、シュダオン道を
歩んでいる者はまだ聖者ではないという話もこれと対比してみるとよいのです。
おい!おまえ、何やってる?精舎にまみえて仏の法なんか聴いて。
おまえまだ三結も切れていない非聖者の未熟者阿呆だろ?
阿呆が仏教を修行してるなんて聖者みたいな偉そうなこと言うな。
三結断ってシュダオン果の聖者になってから顔を出せ。非聖者のくだらん奴め。
何?三結断ってシュダオン果を得て聖者の仲間入りをされたか?
よしよし、ならばここから初めて仏法を語ろうぞ。友よ。

506準シュダオン:2010/12/13(月) 10:19:27 ID:1F7rdgXk0
別にユビさん論↑について、反論はありませんよ。
泳げない人、カナヅチ人の水泳練習も、練習には違いありません。
しかし、泳げない人は、水泳競技には出られないでしょう。
泳げない人を、水泳選手、スイマー、とは呼べません。
少しでも泳げたなら、水泳者、スイマーと呼べます。
預流向というのは、水泳に例えたらカナヅチの人です。

「明に従う智者において、正見は生じる」と、世尊は説きました。
また、世尊は、
「いまだ聞かざる諸法において、私に眼が生じ、智が生じ、明が生じた」
と、説いています。学者さんによっては、
「いまだ聞かざる真理によって、私の眼が開き、智が生じ、明が生じた」
と、訳されています。

つまり、諸法・真理によって明が生じ、智が生じた人に正見は生じるわけ
ですね。それまでは八正道といっても、世俗八正道、凡夫の八正道なので
あって、聖賢八正道とは違うのですね。

507準シュダオン:2010/12/13(月) 10:46:53 ID:1F7rdgXk0
法次法向の解釈については、国訳一切経が学者全体の見解なのだから、
法次法向を一つに数えるのが正しい、というのがユビキタスさんの意見ですね。
まぁ、それでは、指導者に従う烏合の衆、といったところで、いつまでたって
も自灯明は生じませんよw。

地動説だって、最初は少数派だったのですよw。
自分の目を開いて、一切事経の法次法向の部分を読みなさいな。
何度も書きましたが、「随順知法次法向」と「随順行法次法向」と書き分け
ているのに気付きませんか?
「法持法観法次法向」というのは、苦諦集諦滅諦道諦を証得させるための
手段なのです。それは、1知ることと、2行(修習)じること、に集約され
るのです。苦集滅道の真理を知ることと、道諦を行(修習)じることの二つ
です。だから、随順知と随順行、と区別しているのです。

つまり、泳げない人でも水泳学者には成れるのです。
仏法を知らない人でも、仏教学者には成れるのです。
その場合は、微妙な間違いが生じやすいのです。

水泳を見たこともない人は、「手のひらで水をよく掴んでかく」という表現
をどう解釈するでしょうか?「水を掴む」とあるから握り拳にするのだ!と、
解釈するでしょう。泳げる人には、笑うしかない。しかし、国語的には、
カナヅチ学者のほうが正しい。
法次法向についても、それと同じようなものですね。

508準シュダオン:2010/12/13(月) 12:26:47 ID:1F7rdgXk0
くどいようですが、一切事経の中ほどに、
「信戒施聞受持観察了達深義随順行法次法向摩可男是名満足一切種優婆塞事」
と、ありますね。これが完全な自安慰の優婆塞なわけです。
上の「 」内から、法の数を数えて御覧なさい。
信・戒・施・聞・持・観・次・向、の八法でしょう。これを他人に教えたら
十六法になりますね。

世尊は、十六法の説明のところで、上記の聞の内容を、二つに分解して説明
し、法次と法向を一つにまとめて説明した、だけのことですよ。

肝心なことは、三転法輪を証得することですね。
四諦を、示転、勧転、証転、と、自分なりに消化できて、
参考書を見ないで、三転法輪を他人に説明できたら、立派な阿含宗信徒、
又は立派な元阿含宗信徒と言えると思いますね。

509ラシン:2010/12/13(月) 12:48:20 ID:b9Cg2rfo0
>明に従う智者において、正見は生じる
>ですから先ず、八正道に入る前に、智者に成る修行をしなければ、八正道に入って行けないのです。


明とは、無明=迷いのぎゃくです。
明解脱とでも位置づけられる。
まさか、この老人は八正道を正見→正思→正語という修業順で考えていた?
桐山さんの仏陀の修業手前に必要な頭を良くする求聞持脳が前段階だと言わんばかりに?

正見
正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名づく、
とあります。
正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。
喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなりといわれる。
我々が身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。
この意味で「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」といわれる所以である。
この正見は、八正道のうちの以下の七種の正道によって実現される。
その点で、八正道は、すべて正見である「智慧」の活動してゆく相である。
八正道は全て正見に納まる。

>法次と法向を一つにまとめて説明した、だけのことですよ。

おいおい、法次と法向の二つの解説だとシツコク強弁していたのはどうなった。

510ラシン:2010/12/13(月) 13:03:06 ID:b9Cg2rfo0

>507
>何度も書きましたが、「随順知法次法向」と「随順行法次法向」と書き分け
ているのに気付きませんか?

法次法向に随順して知る、、、
法次法向に随順して行う、、、

どうすれば法次と法向に分別されるのだ?
漢文漢訳の基本を無視してまで、笑われたい。
いい年をして、ウイスキー瓶とビール瓶を分別にするタワケに等しい。

511ラシン:2010/12/13(月) 16:37:16 ID:b9Cg2rfo0
>507 :準シュダオン:2010/12/13(月) 10:46:53 ID:1F7rdgXk0
法次法向の解釈については、国訳一切経が学者全体の見解なのだから、
法次法向を一つに数えるのが正しい、というのがユビキタスさんの意見ですね。
まぁ、それでは、指導者に従う烏合の衆、といったところで、いつまでたって
も自灯明は生じませんよw。


読者諸兄もこの信者の自惚れぶりには口あんぐりでしょう。
なんたって、学説や学者の解釈の正誤をその時々によって判断できるらしい。
桐山さんでさえ、学者の解説に頼るところが大きい。
ただその欠点は、自惚れが強く確認を怠って字面や思い込みで判断し力説する。
だから、
経典に無い因縁解脱やカルマ解脱なんて概念や、死者成仏、供養利益と、
仙尼経の異陰と読み間違え、止息法を息止めの法だなんて大間違いまでさらす。

ここの老人信者も、「自灯明は生じませんよ」なんてタワケをぬかしています。
どういうわけか火に関して敏感反応し、自然発火の如く生じると思い込んでいます。
皆さんご承知のように、「自灯明」とは自らを灯明とするがごとく、自らを依りどころとする。
他者を依りどころにしてはならない、という教えです。
教えを聞いてそのとおり守ればよいだけだ。
何が「生じる」なんだ、読者の失笑を禁じえない理解力だ。

512ラシン:2010/12/13(月) 17:05:36 ID:b9Cg2rfo0

ここの偏向老人は、以前にも何度か、深山さんのレスは読まない、
ラシンのレスなど気づかない、と言うほどの体たらくを示していた。
普通ならアンカーレスに自分の番号があればチェックくらいはする。
それが普通の大人の態度で、確認作業は社会人の基本です。
だが、それにレスするしないは、個人の勝手です。
しかし、ここの老人はあえて見ない、無いものだとしている。
ところが本音は読みたくないのだ、読むと強烈に気分を害するからだ。
だから自分にとって嫌なものは気づかない振りをして余裕をかましているに過ぎない。
この姿勢に、読者の方々は何かお気づきのはずだ。
そうです、幼児が嫌いなものは食べたくないというわがままな態度だ。
親はそのような食生活ではまともな成長を望めない、と危惧し叱ってでも食べさせる。
そのまま認めると偏食となるから躾が為される。
この老人信者さんは、いわば読解の偏食だから解釈が偏向されてまともに仏教を
理解できない。
釈尊をスーパーマンのごとく神話化しているから、その説いた内容を敷衍し増幅させ飛躍する。
難しく考えないと真理が出てこないと考える愚行です。
そのためには漢文の基本さえゆがめて平気な能天気です。
すべてそれは、驕慢という煩悩から派生している。
阿含経読みのお経知らずに気づかず、煩悩など意に介していないから人前に垂れ流している。
まるで桐山さんを見ているようだ。

514ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/14(火) 00:34:04 ID:SmEF4Oe2O
>>506:準シュダオン10/12/13(月) 10:19:27 ID:1F7rdgXk0
>つまり、諸法・真理によって明が生じ、智が生じた人に正見は生じるわけ
>ですね。それまでは八正道といっても、世俗八正道、凡夫の八正道なので
>あって、聖賢八正道とは違うのですね。

ほら、やっぱり八正道ではないですか?
世俗の八正道だの凡夫の八正道だのあなたが罵ろうが、八正道には変わりない。
あなたは自分でうまいこと発見したとでも思ったのでしょうね。
道諦に八正道なんて認めたくないから、八正道以前の法があるかのようにしたが、
八正道とは正見をも得る道なんだから、これを八正道からはずしたら八正道で
なくなり、正見を得たものだけが許される七正道になる。
こんなことすら気付かずに得意になって示して恥をかいたから、聖賢の八正道と
区別するゴマカシをした。
しかし八正道には変わりない。
そもそも四諦とは凡愚の一般人から聖賢の人に飛躍する真理です。
苦集が凡愚、滅道が聖賢なわけです。
だから凡愚から聖賢に変わることが一番尊いのです。
オリンピック選手なんてほんの一部のエリートがなればよいのであり、そうでない
人は水を克服して泳げるようになればよい。
桐山さんも言っている。シュダオンになるのが一番難しい。
なぜなら凡人が聖者の仲間入りをするからなのだという。
桐山発言などどうでもよいが凡愚→聖賢の道こそが八正道であり、それはまず第一に
正見を得ることです。
全部八正道の範疇なんです。

515ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/14(火) 00:54:31 ID:SmEF4Oe2O
>>507:準シュダオン10/12/13(月) 10:46:53 ID:1F7rdgXk0
>法次法向の解釈については、国訳一切経が学者全体の見解なのだから、
>法次法向を一つに数えるのが正しい、というのがユビキタスさんの意見ですね。
>まぁ、それでは、指導者に従う烏合の衆、といったところで、いつまでたって
>も自灯明は生じませんよw。

>地動説だって、最初は少数派だったのですよw。

私は学者が言ったから右に倣え式に信じているのではありませんよ。
あの文章を読んで自分の頭で考えれば当然一つの分類にしかならない。
意味なんかどうでもよく、他人の言葉をそのままに把握しただけです。
それは当然ながら学者の分類とも一致したわけだが、そんなん当たり前と思っている。
学者の力なんか借りなくても国語語法を根拠に証明できるからです。
ほう?地動説ですか?これまた大きく出ましたね。
しかしそれまで天動説が唱えられていたのが地動説を提唱しようとするならば
これは桐山さんはあの著書の中で大胆にも果敢に学説を否定しなければなりませんよね。
それは少数派が多数派に立ち向かう時は必ず根拠を示す義務がある。
しかし桐山さんはあの本でそんな反逆的な革命など示していない。
たしかに桐山さんはアゴン経など我々凡人が理解しようとしてもできず、
間脳を開いて霊性の目を持たねば理解できぬとかほざいてますよね。
しかしあの八法十六法の教えはそんな特殊な脳を持たねば理解できないなんて
言ってないのです。
あれは違うのです。
あれは誰にでもわかる言葉で易しく説いたお釈迦様の経典を示して、ほら、釈迦仏教
って決して小乗なんかじゃないことがわかるだろ?と我々の新皮質脳に訴えて
いるのです。
それが間違いの分類を講義してしまったのは地動説の革命を起こす意図など
少しも意識になく、あれでいいのだと思っちゃう単なる不注意に過ぎません。
人間には誰しも思い込みと不注意による間違いはあります。
だから間違いは間違いで訂正すれば済む話で誰も責めません。
それを桐山さんは地動説を唱えたなんてこれ以上彼に恥をかかせるのはやめなさい。
準シュダオン地動説とは国語の語法など糞食らえ、無視せよとの革命なんですね。

516ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/14(火) 01:25:41 ID:SmEF4Oe2O
それではまたしても2011年の星まつりの法施を発表しよう。
先日秘伝の八法字、十六法字を授けると発表したね。
ところが今日焚き火してたらまたしても御霊示が下ったのだ。
八正道字を授けよ!
正見→!正思↓!正語→!正業↓!正命→!正精進↓!正念→!正定↓!
バンウンタラクキリクアク、(ウン)とためを作ってイエッ!
あ?いかん。つい口が滑ってもた。
この八正道字を切れば仏教の基本中の基本たる八正道が身についてしまうのだ。
わしゃ八正道嫌いだから、これで伝授したことにするね。
条件は八法字十六法字と同じく2000本!
2000本勧進を達成したら八法字十六法字と八正道字のどちらにするか選んで
申し込みなさい。
両方欲しい人は4000本達成してそれぞれ別々に申し込みなさい。

517ラシン:2010/12/14(火) 12:58:23 ID:b9Cg2rfo0
>516 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/14(火) 01:25:41 ID:SmEF4Oe2O
それではまたしても2011年の星まつりの法施を発表しよう。
先日秘伝の八法字、十六法字を授けると発表したね。


ほんとうですか、結局は宗教商品販売のイベントだね。

それにしても、旅先のお土産程度に買うようなものなら罪は無いが、
勧進して何を作るんでしょ?

大の大人が、コスプレまとって修行者になったつもりの肉体労働とは。

最近は若者だけじゃなく、達成感願望、感動押し売り劇、という仲間内のお涙頂戴が多すぎますわな。

518天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/14(火) 13:18:01 ID:4hC6Z64k0
私も「法施はゲイカが修行の努力に対してくださるもの。また後の法伝授の際に
使う法具なのだから所持しておくのは当然」と思ってたものですが、ただの釣りえさ
だったわけで・・・・。

法施などいらないから、本当の仏教の示唆をしたらそれでよかったんだけどね。
デタラメ・インチキ・嘘ばかりだから、どうしょうもないかw

519ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/14(火) 18:57:56 ID:SmEF4Oe2O
>>517
八法字十六法字の伝授の件に関しては>>445をどんぞ。
お次第>>440-441をどんぞ。

520干柿:2010/12/14(火) 23:43:50 ID:BBtat4sE0
でもまあ正直なとこ御法施もネタつきて職員や地方の幹部信者とかが考えた
のを最近は採用しているみたいですよ(笑)
でたらめな曼荼羅つくったり、大黒天打ち出の小づちとか
もうバアプリンなお笑いカルト笑うしかありません(笑)

521天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/15(水) 15:55:55 ID:lNahr5J20
皆様にご連絡です。
以前告知していました新しいサイトが完成しました。
名前は「agama研究室」と申します。
これが以前から言ってました論議の内容に関する纏めサイトとして
今後項目を増やしてゆこうというもの(HP)です。

また批判側諸兄様方の大切な意見は勿論のこと、僭越ながら
「サルにでもわかるアゴンの嘘とインチキ」と題したPも作り、
各項目に付随した形で、難しい説明は苦手、という方にも
なるべく分かるような形のPも作りました。

今回は即効で作ったのと初回ということも合って不慣れや落ち度が
有るかと思いますので、皆様の気づいた点やご指導を賜りたく存じます。

アドレスは http://agon.genin.jp/ です。
まだ項目はリンクを除くと「一切事経」の1項目しか無いので寂しいですが、
今後増やして行きますのでよろしくお願いいたします。

522天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/17(金) 13:47:06 ID:KvlnSBM20
おやおや書き込みが止まっちゃいましたね。平和だと書き込みも止まるからそれが難なんですがw

最近小銭が入るのでようやく念願の本を随時購入している自分ですが、以前このしたらばでも
無関係さんが教えてくださった中の本山段氏を書いた本「黒幕といわれた男」も購入しました。

中古でしたが美麗なので凄く満足です。で、読んで行ったらある箇所に目が。
それはゲイカと同じ、いやもしくはゲイカがそういう性質を持ってたのか、と思う説明の
箇所があったのです。

それは山段氏など数名の有名な人物などが目標のようなものを立てそれにまい進する。
その目標のために何か準備するとか必要なものを用意したり計画したりなど普通はそういうのが
あるものですが、そういうのは目標達成の間というか最中に整えてゆくような突拍子もない
行動振りを出している、という件があるのです。

それを見て「ゲイカも同じだなあ」としみじみ。
自分が「それを達成する」と思い込んで進みだしたらとまらない癖があります。
さすがにゲイカには頓挫したものもありますが、その山段氏と数名の人間がそのような
周りがついてゆけないような行動力やハチャメチャ振りで達成してしまうのはこういう姿勢
からきてたのか、またそういう行動をする人間がいるのか、と改めて勉強になりました。

2chにて深山さんが「自己愛性人格障害者」といわれていますが、その性質には自分を過剰に
愛し妄想する癖がありますが、周りがついてゆけない行動やらはそこにもあると推察できます。

いづれにしても自分だけの世界の人ですから周りを幸せにすることは出来かねる。
とんでもない人間が教祖になったものです。

あと早川さんの本やら、数冊手に入れましたので将来その本などの中身も紹介しながら、
ゲイカの嘘とデタラメを解明・追及してゆきたいと思います。

523天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/17(金) 17:17:46 ID:KvlnSBM20
>>522 おっと書き忘れました。追記を。

その目標というか物事の達成に集中する・没頭する本人はいいでしょうが、周りが
大変という他に「悪意でやっているかいないか」というのを考えていないというのもありました。

つまり、本人は目標オンリーなのでそれに纏わる行動が悪意か悪意でないかの意識が無い
場合もあるということです。
勿論自分たちはゲイカには悪意が無いとは思いませんが、思い返せばそういうような無意識で
行動をしてたような時もあったような気もします。(全てでは有りません)

いずれにしても周りに迷惑を掛けるわけですから、許されるはずはありません。
この事項を書くのを忘れていたので追記でした。

524天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/18(土) 21:35:03 ID:0zNvTI0E0
皆様にお知らせです。
ザビビの過去ログがザビビ使用のサーバーが落ちた(契約終了のためと思われるが)
ので過去ログを見られない状況が続いております。

そこで幸いデータをお持ちの方が私に提供をしてくださいましたので、そのデータを
用い編集し再UPいたしました。(記事には手を入れてません)

数が多かったので以前は途中までになっていましたが、ようやくデータを上げることが
できましたので、再度ご報告を兼ねての連絡です。

中にはその提供された方が全部のデータを持ってなかったので見れないPもありますが、
全体としては第一章から二十九章。三十一章から三十九章まで(三十八章に一部欠損あり)
閲覧することが出来ます。

あの2chと双肩だったあのザビビのログがまた見られますので、是非活用していただけたら、
と思います。

広告や余計なタグなどを大筋外した記事だけ読む仕様になっていますのと、文中のアンカーや
一部リンクは効いてないことをご了承下さい。(ザビビの当時使用サーバーが無いため)

ザビビ過去ログ倉庫のアドは http://agama.ehoh.net/kakoindexthebbs.html です。

525ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/18(土) 22:09:59 ID:SmEF4Oe2O
天照さん。いつも本当にありがとうございます。
さて今年もやります。アレを。
アレとは2010年したらばアゴン宗スレ大賞です。
来週末には発表したいと思いますが、選考委員長(←誰が決めた?)として
皆様よりノミネートを募集したいと思います。
自由に投票してください。
完全多数決民主主義をとるか、参考程度にするか、完全無視するかは私が決めます。(←横暴)
候補として一人だけ避けたいと思ってる人がいます。
ミケさんです。
アゴン宗の欺瞞に気が付いた貴重な批判派でしたが、我々と仲違いをしたのは
残念なことでした。
特に天照さんとこのスレを嫌っていたようです。
そこであちらさんの気持ちも汲んで、彼女をノミネートするような煮え湯を飲ます
に相当する(彼女から見て)行為は控えたいです。

526天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/18(土) 22:45:49 ID:0zNvTI0E0
>>525 ユビさん、お忙しい中お疲れ様です。
私も神人さんの投稿を見るまではマジで忘れていました。
この時期しか行われない賞なので、ついうっかりです。

さて、私も同意ですね。
去っていかれたのに賞はさすがに・・・ですね。
あの問題が無くて交流があったのなら受賞は間違いでしょう。

私は「無関係な人間です」さんを推薦。
無関係さんは信者ではありませんが、アゴンのことを結構知っておりますし、
話題も情報も豊富で我々にも皆さんにもかなりいい影響を与えてくれました。
(私もアゴン関連書物を知ったのは無関係さんの影響が大きいです)

またスレ大賞ではないですが、私文書さんも何かの賞を、と思っています。

私文書さんの「退会マニュアル」は秀越であり、実際のアプローチに効果があります。
また考察室の記事にも私文書さんのデータが役に立ちまして、3種真言のPには
適した文献を示す運びとなりました。

私としてはそのようにお二人が浮かびました。選考委員長のユビさん、どうぞご高察
いただけますようお願いいたします。

527天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/18(土) 22:47:14 ID:0zNvTI0E0
間違った誤記だ。訂正を。

あの問題が無くて交流があったのなら受賞は間違いでしょう=X

あの問題が無くて交流があったのなら、彼女が受賞するのは間違いないでしょう。

に訂正いたします。

528ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/19(日) 01:06:04 ID:SmEF4Oe2O
>>526
天照さんの投票を読んで、今年は私の悪のりはやめて、完全民主主義の多数決に
しようと決めました。
昨年は新人賞を深山さんにしちゃえというサプライズ案を秘めてましたが
今年はそういうのはないんです。
実を言うと私も今年の大賞は「無関係な人間です」さんを考えていたのです。
信者経験のない方ながら常に語調はどちらに対しても謙虚ながら、指摘する内容は
こちらもはっとするくらい鋭い。よく勉強されている。
だから私も一投票者として、無関係さんに一票投じます。
多数決とはもし仮にこの後投票する人がいなかったら、大賞は無関係さんが
2票獲得で決まりというものです。
私文書さんにも賞をという声があるので、それも採用して何らかの賞を与える
ことになるでしょう。
正直新人賞とかは難しい。
だから思いついた○○賞をこの人にというものを募集して完全多数決で決めたい。
期限は来週日曜日26日の午後7時頃までにしましょうか。
高校野球板でも似たような企画をしており、それも29日の午後9時までとしており
その集計が大変なので、こちらを先にしよう。

529ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/19(日) 01:08:55 ID:SmEF4Oe2O
ああ、どうでもいいが、高校野球でも26日9時の締め切りの間違いね。

531神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2010/12/19(日) 10:11:40 ID:YaD7r0520
私は新人賞は「無関係な人さん」
大賞は「私文書さん」と数々のアゴン関係の窓を作られた「天照さん」との
ダブル受賞でいいのでは無いかと思います。
只、ユ−モア大賞受賞者が見あたりません。
新たには「ツイッタ−賞」として「つぶやき干し柿さん」はどうじゃろかと
思っとりますが、如何じゃろうか愚考しております。
大任を丸投げする習癖の私のことですから、
今回もユビさんに丸投げいたします。
後は良きに計らってください

532ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/19(日) 19:13:46 ID:SmEF4Oe2O
大賞候補に深山さんから2ちゃんねるでI(E)川C景さんがノミネートされましたので
一票として受理します。
今後も2ちゃんねるからも投票を受け付けます。
投票箱を置いてこないと。
I川さんは昨年から念頭にあったのですが、さすがにコテがないだけに控えてました。
とにかく一票として加えます。

533神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2010/12/19(日) 20:24:46 ID:YaD7r0520
大賞のE川氏推薦を深山氏が2ちゃんで行っています。
理由なにがしは賛成こそすれ反対できるものではありませんが、
モットましな方法が無かったのかという思いもあります。
只、
徒手空拳の一人の女性が大きい壁に立ち向かうのはアレしかなかったのかも!!?
そういう意味でまじめにまともに2チャンで表彰式を行ったら如何でしょう!!
色付き音楽付きは無理でしょうネ!!

534ラシン:2010/12/20(月) 14:36:24 ID:b9Cg2rfo0

無関係な人間ですさんへ新人賞一票!

アゴン宗会員ではない立場で、氏の秀逸した文章と、批判擁護者への平等かつ冷静な対応姿勢です。
批判側の視点とはまた別の位置で問題提起され、それが批判擁護への議論促進に大きく貢献しました。

ユーモア賞は、準シュダオン老人さんへ一票投じます!
理由はもちろん8と16の加法減法という「ホーリキ」です。
国語リキでも笑わせてくれましたから、私の駄文拙文すら適いません。

535ラシン:2010/12/20(月) 16:10:03 ID:b9Cg2rfo0

申し送れましたが、大賞は天照さんへ一票!

批判掲示板の充実度と維持管理は並大抵のことではありませんし、
今後のご苦労をも踏まえた意味で、ご推薦いたします。

536天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/20(月) 21:19:23 ID:QY90Y33M0
>>535 ラシンさん、恐れ多いです。大賞は去年いただきましたので今年はどうかと・・・。

別件ですがラシンさん、メールを送りましたのでご確認よろしくお願いいたします。

537ラシン:2010/12/21(火) 13:10:20 ID:b9Cg2rfo0

天照さん

了解です、少しお時間を頂きたく存じます。
よろしくお願い申し上げます。

538天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/21(火) 22:07:53 ID:EJeOeLJE0
ラシンさん、師走の最中しかもこの時期で恐縮です。
年を越してもかまいませんので、ぜひよろしくお願いいたします。

539神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2010/12/23(木) 07:23:43 ID:YaD7r0520
大賞は私文書さんと天照さん
新人賞は無関係さん
ツイッタ−賞は干し柿さん
ユ−モア賞該当なし
なお、I川女史に尽きましては、深山氏の添え状あれど
スレ嵐の張本人故・・スレの各賞にもふさわしくないと存じます。

541ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/25(土) 19:54:01 ID:SmEF4Oe2O
統合アゴン宗スレ大賞中間集計発表!


って明日の19時締切でもう24時間切ってるでないかw
本当は23日にやろうと思ったが、できんかった。
以下ノミネートを敬称略にて。

●大賞ノミネート
無関係な人間です 2票
天照 2票
E川女史 2票
私文書偽造 1票

●新人賞ノミネート
無関係な人間です 2票

●ユーモア賞ノミネート
準シュダオン 1票

●功労賞(とさせていただく)ノミネート
私文書偽造 1票
●ツィッター賞ノミネート
干柿 1票
●ジャンヌダルク賞
E川女史 1票
●E川女史受賞に反対 1票
→E川大賞からマイナス1票の処理にしようか思案中

上記間違いや洩れあれば指摘ください。
またさらなる投票と現投票に追加票は明日19時まで。
同じ賞に一人一回のみ投票権あります。

542ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/25(土) 20:03:40 ID:SmEF4Oe2O
待てよ。
既に一人複数票の大賞候補を受け付けてしまっているな。
え〜い、なるようになれ。

543ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/26(日) 20:09:07 ID:SmEF4Oe2O
それでは、お約束通り2010年アゴン宗スレ大賞・各賞を発表します!
昨日中間集計やっといてよかった〜。

まずはツィッター賞。
推薦者は神人同行さんて受賞は干柿さん。
昔は擁護側のエースだったのですが、最近はたまにしか顔を出しませんが
つぶやくその一言からはアゴン宗の欺瞞を読み取った切れ味も出てきました。
そうです。批判者となってもその道で日々成長していくのです。
友人との付き合いの関係で、まだアゴン宗情報はいろいろ入ってくるようで
来年もまたつぶやいてください。
ツィッター賞干柿さん、おめでとうございます!

544ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/26(日) 20:16:41 ID:SmEF4Oe2O
続きましてお笑い賞。
準シュダオンさん!
昨年もブラックユーモア賞でしたっけ?
本人は仏典を駆使して真面目に示すつもりでも、こちらにはそのピンボケ解釈は
お笑いにしか思えません。
来年はせめて自分が書いたことは忘れずに、他人の書いたことは受け入れなくても
よいから念頭に置いて、それを踏まえた反論たる会話のキャッチボールが成立
することを望みます。

545ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/26(日) 20:22:37 ID:SmEF4Oe2O
功労賞
私文書偽造さん
退会マニュアルはスレが立つたびに貼ってくれて、退会に悩む信者にソフトに
働きかけてくれ、それは天照さんのホームページにも永久保存されるようになりました。
継続は力なり。
お互いに同じネタを何十回でも繰り返してでも信者を目覚めさせる地道な努力を
していきましょう。

546ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/26(日) 20:32:36 ID:SmEF4Oe2O
新人賞
無関係な人間ですさん

先に書きましたが、初登場は昨年末だったかもしれません。
その分今年に持ち越された形ですが、信者経験皆無ながら、数十年前に縁があった
アゴン宗信者を契機に、自ら正しい仏教も勉強して比較するなどその研究心は
甘かった私をしても赤面させるほど、切り口鋭いものでした。
かつ信者の持つ良心をも理解できる健全な感性と丁寧な語り口は、説得力あるものと
して高く評価できます。
新人離れした新人賞はかつてこの賞を受賞したラシンさんとも共通です。
もう一つ共通ありますが、それはこの次に・・・
新人賞、無関係な人間ですさん、おめでとうございます!

547ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/26(日) 20:45:04 ID:SmEF4Oe2O
大賞に行く前に・・・
大賞ノミネート共に2票獲得の方、3名いらしました。
無関係な人間ですさん、天照さん、E川女史です。
このうちE川さんは受賞に疑問視する意見も聞かれました。
スレ荒らしの張本人でもあったからです。
よってこの意見も尊重し、マイナス1票として処理しました。
よって大賞からは外れます。
しかしこの反対を唱えた方と同じ方が、全ての受賞を認めないのではなく
特別な賞を与えるのもアリではないかと、新たに「勇気の人・ジャンヌダルク賞」を
提案されました。
これをそのまま採用したいと思います。
アゴン宗の有名信者であり桐山さんの内弟子でもある彼女が自らその愛人関係の
暴露により、桐山さんとアゴン宗の首を絞める結果になったのは批判側の理屈
以上に説得力あるものでした。
ジャンヌダルク賞、E川女史!
被告側に負けずに頑張ってください。

548ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/26(日) 20:49:52 ID:SmEF4Oe2O
アゴン宗スレ大賞。
村上佳菜子
浅田真央
安藤美姫


間違えますた。

549ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/12/26(日) 21:03:33 ID:SmEF4Oe2O
アゴン宗スレ大賞の発表です。

今年も二人です。
一昨年もラシンさんと○○屋さんの2名受賞でした。
しかもラシンさんは新人賞と大賞のダブル受賞でした。
今年はそのケースと酷似しています。
もちろん一人目はそのラシンさんと酷似の無関係な人間ですさんです!
新人賞だけでは収まらない鋭い切り口を魅せてくれました。

二人目は天照さんが昨年に続いての受賞です!
ご本人は遠慮されましたが、天照さんの業績は昨年だけにおさまるものではありません。
継続は力なり!
今年も来年以降も天照サイトの進化と影響力は目を見張るものがあります。
アゴン宗スレ大賞、無関係な人間ですさん、天照さんの二人です。
おめでとうございます!

さあ、あとは安藤美姫次第。
いや、これは間違い。テレビ見ながら書いてますんでw

550無関係な人間です:2010/12/26(日) 21:10:06 ID:Vwk5edZM0
 このたびは、名誉ある賞を頂戴し、心から感謝申し上げます。
私は、信徒経験もなく、勉強も不足しており、賞に値する人間ではありませんが、
元信徒の方々の情熱と真摯な態度に惹かれて、このサイトに登場させていただいた
者です。皆様の言動には学ぶべき点が多く、諸先輩方の投稿は私の手本です。

 今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、お願いをいたします。
どうも、このたびは、ありがとうございました。重ねて感謝申し上げます。

551Boo:2010/12/27(月) 00:48:09 ID:ao1scvME0
>今年も二人です。
>一昨年もラシンさんと○○屋さんの2名受賞でした。
>しかもラシンさんは新人賞と大賞のダブル受賞でした。

一昨年の大賞受賞、そういえばそんなこともありましたっけね。
○○屋が一昨年の秋に退会してそれをここで発表したら大賞に選ばれました。
最近はなかなか書き込めませんが、離れて外から眺めてみると多くの矛盾に
気がつきます。

>このたびは、名誉ある賞を頂戴し、心から感謝申し上げます。
>私は、信徒経験もなく、勉強も不足しており、賞に値する人間ではありませんが、
>元信徒の方々の情熱と真摯な態度に惹かれて、このサイトに登場させていただいた
>者です。皆様の言動には学ぶべき点が多く、諸先輩方の投稿は私の手本です。

掲示板の良いところは、他の人の知識や経験、また、自分の過去の記憶を確認しながら
記録に残せることだと思います。たとえば「管長ゲイカはうそつきです!」事件でも
「一階本堂のどこそこのあたりで、何歳くらいの女性」という具合に具体的に確認しながら
記憶を整理できます。実はそんな記憶の整理だけでも、ゲイカの言動や教義の矛盾などに
気がつくこともあるのです。または、無関係な人間ですさんのような法律的なアプローチ
から欺瞞に気がつくこともあり、いろいろな人の意見を見聞することは実はとても
価値のあることだと思います。

552天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/12/27(月) 15:57:35 ID:vTBj/p7o0
このたびは名誉ある大賞を受賞し、恐れ多い次第です。
辞退も考えましたが、皆様より票をいただいた気持ちを大事にし、お受けすることに
いたしました。心から深く感謝いたします。

私もへっぽこながらアイディアだけは浮かびますので、体調不良の老いぼれながら
相当な行動は今後も頑張ってゆきたいと思っています。
そして、やはり一部の方には不評のようですが、どうしてもザビビの流れを消したくない。
また拙な自分でありますが、継承して2chに及ばずとも1つの流れとして続けてゆきたい。
本当にそう思います。

Booさんが>>551でおっしゃって居られますとおり、掲示板の意味や意義は非常に大事な
ものであると私も感じております。

ただ、遺憾なのは無許可な広告やら妨害投稿が2chほどは無いものの、未だ投稿されます。
そういった「良くないものは断固規制」はしながら、有意義な意見の投稿は展開してゆきたい。
そのように思っています。

そして掲示板だけでは補えないものはHPなどで展開し、今後も行ってゆきたいです。
なめくじの歩のようですが、辞書的サイト「agama@wiki」資料的総合サイトは「agama考察室」
考察室とダブりますが過去ログ倉庫と過去ログ編集サイトは「agama galage]
阿含宗と仏教との検証や嘘とインチキを考証したサイト「agama 研究室」
まだまだやりたいことは沢山あります。こういったものも展開し、阿含宗の欺瞞を世に知らしめ、
またインチキを暴露する。こういった活動を今後も継続して行きたいと思います。

本当にありがとうございました。今年も皆様にはお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

553干柿:2010/12/29(水) 23:18:46 ID:BBtat4sE0
ツイッター賞とかあったんですかw
たまにしか顔出さないと死んじゃったんじゃないかと思われたり
(つぶやきシロー死亡説とか昔ありましたなw)
これからはもっとつぶやきます。というより「ぼやき」でしょうけどw
銀座アゴンビルはI川さんへ店をもたせるようなつもりでゲイカは購入したのでは?
と最近想像してます。(銀座のホステスを愛人にしたかったゲイカのコンプレックス
じゃねえのかなw、ありそうでしょ)
事実、アゴンビルの五階だったかI川さんが代表というか責任者みたいになって
サロンみたいなのやっていたでしょ、後にw田さんが自ら乗り込んできて閉鎖して
S職員がALC専門の相談所みたいなのにしたけどすぐなくなったし
ダメダメだった、ただゲイカの見栄だけのための無駄遣いバカですなw
あ〜あ、おれらが出した基金やら護摩木やらのお金がつかわれてんだぜ
おれらもバカだった・・・ぎんざなうw

554Boo:2010/12/30(木) 00:49:11 ID:M2sN9OFM0
銀座もそうですが、神保町もそうですね。あの手の店作りは多分メディテーションセンター
が最初でしょうか…

初めて批判派のメディテーションセンターの愛人疑惑を読んだときは「まさか!?」と思いました。
「出鱈目だ!」と信じ込んでいた・・・批判派の出鱈目が一つあると、すべてが信じられなかった。
逆に、ゲイカの真実性を確信する要素となった。不思議なものですね。信仰心とは「これは正しいが
これは間違えている」という思考ではなく、「これが正しければ、すべてが正しい」という思考に
なっちゃう。洗脳度合いはそこらへんで判断できるのかもしれませんね。つまり、教祖の行動や
教団の教義、教団の体質などをニュートラルに判断できるかどうかです。

干柿さんの言うように、もっと早く気がつけば馬鹿教祖やその馬鹿愛人に「浄財」を供養するなんて
馬鹿げた行為を「ご先祖様のため」なんちゅうおかしな理屈で無駄使いするようなもったいないこと
しなくて済んだんでしょうね。

555天照 ◆d953JDjJb6:2010/12/30(木) 10:54:22 ID:1M1KXNFk0
銀座アゴンビル・・・一度も行かないうちに手放したとは情けなや・・・。
ゲイカの中途挫折モロですがな。

というかゲイカの見栄と自己満足だけの楼閣か・・・。

今は道場の老朽化を直すリフォームの改築基金も終わったのかな?
護摩壇を設けるための基金はされている話は聞きますが・・・。
あと地域によっては新道場建立もあるようで、我々にしたら「はあ?」ですけどね。

やっぱり悪の根は絶たないと駄目ですな。
いつまでもゲイカたちの悪い行動にしかお金が使われてない・・・。

556Boo:2010/12/30(木) 16:28:29 ID:lHXeYakQ0
愛人も持てないほど耄碌したから、浄財が馬鹿愛人には渡らなくなりましたが
その分、大御所のWの懐が潤っているのでしょうか?大御所の懐が潤うくらいならば
馬鹿女に貢いでいたときのほうが、金の有効な使用方法だったかもしれません。
大御所はため込んだ金を使わないが、馬鹿女はため込むことを知らないので、ブランド品
を買ったり、うまいもの食ったりして、日本の景気にほんの少し、ちょうど自分の頭脳程度
貢献したかもしれない・・・w

そういえば・・・久しぶりに2chみたら、横浜のYさんのことが書かれていました。

当時、随分おかしな話だと思っていましたがあんな舞台裏だったのですね、納得しました。
一時期「ご指導願い」で若い女性が立て続けに面接を受けていましたが、あれもIさんが
ジジイにアドバイスしていたのではないでしょうか?ああ、やだやだ。

557干柿:2010/12/30(木) 20:18:57 ID:BBtat4sE0
その横浜のYさんですよ。馬鹿愛人の暴露記事がでてもりかえし
wにとりいってどうかしらないけど
護摩壇設置道場の建立基金にと、この不景気で一般人はきゅうきゅうしてるってのに
くそアゴンの横浜に2000万ポンとだしたのは
こんな糞馬鹿信者がいるから、なかなかアゴンはつぶれない

558Boo:2010/12/30(木) 23:50:27 ID:lHXeYakQ0
>>557

2000万円ですか・・・ま、金をもつ人間が自分の稼ぎをつぎ込むのには何とも思いませんが
貧乏人から金を巻き上げるアゴンの集金システムには非人間的な反社会性を感じます。

結局、金を出せる人間を重宝するんですね、かの教団は。ちやほやされるのも出せるうちですが。

しかし、馬鹿愛人に睨まれて失脚して大御所にちやほやされて復活して、何とも思わないんですかね
K大先達も・・・

だとすると、大先達も聖者からはほど遠いようですね。

559準シュダオン:2010/12/31(金) 10:31:54 ID:1F7rdgXk0
さて、今回が私の2010年の最後のレスとなりますね。
アゴンマガジン11月号に、宇宙のバイブレーションについての、
昭和52年当時の管長の捉え方が掲載されています。宇宙意識と言うべきか、
管長は、「修行者にとってもっとも大切なことは宇宙のバイブレーションを
解することであり、言葉はそれほど重要ではない」と説いています。

体験のない人にとっては、宇宙のバイブレーションとか、思念の相承とかは、
脳梗塞の前兆くらいにしか思いつかないのであろうがw、それは確かに存在
するね。あるいは、自然現象として慈悲喜捨に満ちた宇宙意識というものが
あって、管長がそのプロバイダーの役割を果たしているのかも知れない。

その洗礼を受けると、酒を飲むとか、愛人が何人いるとか、そういう外見上
のことはどうでも良く、関心が薄れてしまう。
子供が笑い過ぎた後には、必ず泣くように、修行のやり過ぎには必ず反動が
来るように思う。そのように、批判派の信者時代には、やり過ぎた印象を
受けますね。その反動として、今は教団の悪口を言う訳ですね。

中道の修行とは、センターラインがあるわけではないので、右へ寄ったり、
左へ傾いたり、苦しんだり怠けたり、S字を書くように歩んで、
中道を各自、悟るしかないね。
梵行に励んだり怠けたり、そうしながら、仏陀・思念・宇宙のバイブレーション
を受けることが出来たら、幸運です。
そうすれば宗教観と人生観が変わり、本当の堅固信を持てるでしょう。

560ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2010/12/31(金) 14:03:58 ID:SmEF4Oe2O
>>559
お笑い大賞受賞おめでとうございます。
その宇宙意識だか宇宙のバイブレーションだか知りませんが、そのような遠大壮大に
見える抽象的な話なんて誰でもできますが、その宇宙のバイブレーションに触れた
現実の結果が、史実にない武士が上意討ちで殺されてその怨念が俺に祟って
偽ビールを作り、これを成仏させたなんて説く嘘吐きであることの現実を
準シュダオンさん以外の信者さんは考察してみてください。

561Boo:2010/12/31(金) 15:58:09 ID:lHXeYakQ0
あはははは。なるほど「抽象的な話」は誰にでもでき、偉そうに言えますが
具体的な話になるとぼろが出ますね。

2chにしてもザビビにしても、具体的な話の積み重ねで教祖や教団の矛盾を
突いていますから、とても説得力がある。ユビキタスさんにしても私にしても
天照さんにしても、ラシンさんにしてもその他大勢が掲示板を読んで退会して
いるわけです。掲示板を読んで考えたら退会せざるを得なくなることは、やはり
教団と教祖に欺瞞があるからです。

562干柿:2010/12/31(金) 19:12:19 ID:BBtat4sE0
>>559
その路線でいくと人を殺すとか、人を騙して偽ビールうりつけるとか
空き巣に入るとかしても、どうでもよくなるんですねw
まるでロボトミー手術をうけた人みたいに
おおこわ宇宙のバイブレーションの洗礼!(爆

563天照 ◆d953JDjJb6:2010/12/31(金) 23:02:22 ID:xDWqr2ZU0
私は掲示板や廣野さんの本で知りましたが、ゲイカの逮捕歴は3度あるそうですね。
ゲイカはそのことを隠していますよね?
著書「現世成仏」でもどの著書でも過去の犯罪歴は「1度」になっていますね。
これは自分のいろんな欺瞞の中で許せないランクに入りますね。

信者の多くはこの事実を知りませんよ。また多数の欺瞞も。
Booさんのおっしゃるとおりです。

来年はどんどんWebでの展開をしますので、楽しみです。
ゲイカと教団の欺瞞を世に知らしめましょう。

564ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/01(土) 00:36:08 ID:SmEF4Oe2O
あけましておめでとうございます。

565天照 ◆d953JDjJb6:2011/01/01(土) 00:46:48 ID:xDWqr2ZU0
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

しかし・・・2chでユビさん、自虐ネタに近いギャクですかwww
アラシの人が調子に乗りますよ〜w

566天照 ◆d953JDjJb6:2011/01/01(土) 09:17:31 ID:4QEHnLI20
>>565 一晩寝てみたら「ギャク」って何よwwww
新年早々ボケているのは自分とは。ギャグの間違いでした。

こっちはおみくじできないのね。残念。

567!omikujiユビキタス!dama ◆18iA.mwnDU:2011/01/01(土) 09:29:57 ID:SmEF4Oe2O
>>566
2ちゃんねるだけみたいですね。
それもラウンジクラシック板の避難所では利かずに↑になる。
高校野球板で書いたら最初が大凶、アゴン宗板で書いたら最初が豚だもんな〜。
目指すは【ぴょん吉】と【車だん吉】。本当にあるんですよ。

568無関係な人間です:2011/01/01(土) 10:54:39 ID:gPPiMN3Y0
あけまして おめとうございます。

旧年中はご指導、ご鞭撻の多々を深く感謝申し上げます。

ところで、桐山さんの大予言では、2010年までに地球が滅びる、とあったようですが、
これは2012年に延期になったのでしょうか? 昨年はどうやら、地球は滅びなかった
ようですが、桐山さんはどう言い逃れ、もとい、ご教示をされているのでしょうか?

569ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/01(土) 17:35:40 ID:SmEF4Oe2O
>>568
これは堂々とやることですね。
2ちゃんねるの方で桐山さんが駕籠に乗って星まつり会場入りする話を書きました。
そもそも桐山さんはお山に登れなくなったら引退すると言っていた人です。
しかしもう十数年自分の足で登ってません。
こういう時は開き直って堂々と駕籠に乗って手を振るのです。
信者なんてものは「さすがゲイカ、貫禄が違う」とか感心してしまうものです。
だから2010年を2012年に延長しようが2020年に延長しようが
あっけらかんと発表すればよいのです。
一瞬シーンとしますが、ひるまずに押し切ればよいのです。
そもそも誰が突っ込めますか?
職員が指摘したら衆人環視の前では「そんなこと言ったっけ、はは・・」と
流されるが、翌月からその職員はいなくなります。
数年前の流行語にありましたね。
KY
そう、空気が読めないです。
アゴン宗社会で生きていこうと思ったら空気が読めないようではいけないと
信者は学習すべきなんです。

570干柿:2011/01/01(土) 21:08:42 ID:BBtat4sE0
新年おめでとうございます。
>>568
ユビさんの意見に補足すると
何であれ、なにごともなかったように、イベントのお知らせ囲碁やゴルフの自慢話
の御法話をするだけでよいのです。
I川さんの記事ことなど何もないように(そんな人いるの?)という感じで無視
やっていることを見れば、なんら問題ないことがわかるではないですかw

571干柿:2011/01/01(土) 21:17:55 ID:BBtat4sE0
I川さんに関してはホント、破門とか除籍処分とかなんか問題起こして
教団を追放されたのなら、宗報とか道場の掲示板にその旨張り出される
のですが(過去、分派活動や詐欺行為、窃盗などで除籍処分になった人が
いた場合それを信者会員にお知らせしていましたよ。)
まったく無視のようです。

572干柿:2011/01/02(日) 02:05:35 ID:BBtat4sE0
2chみたらI川裁判の証拠資料ゲイカがI川さんに下ろした御霊示の内容が
深山さんによって公開されてました!さすが閲覧にまでいってきたんですね。
第一級の資料だと思います。

573神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/02(日) 07:23:15 ID:YaD7r0520
I川氏が現在信者であることは、
正直パワハラ・セクハラの証拠要件のマイナスであろう
訴訟で要求した信者の地位保全要求は
セクハラでなく合意と見なされてもおかしくない。
弁護士も下手な訴訟をさせたものだと思う??
もしかすると
I川側の弁護士はアゴンの息のかかった弁護士ではなかったのかと
疑わざるを得ない!!アゴン信者は只、辞めるだけでなく、
キリヤマアゴンをもっと糾弾するべきだし
I川事件が氷山の一角であったことを
証拠固めに協力するべきだと思うが如何?
こういうキリヤマのような人間を宗教界にも
人間の娑婆に放置してはならぬと思うが如何?
モット新たな情報がでてくるのを我らは待つだけでしょう。
I川氏もスレのアラシという愚策を採らず世間に訴えるべきだ!!
ネット世界はマイナスだけでなく、
プラスにもなることを知ってほしかった。

574準シュダオン:2011/01/02(日) 10:15:29 ID:1F7rdgXk0
正月の度に一つ歳をとるわけで、中年以降は、正月もあまり目出度いとは
いえないないね。
「百文は一見に如かず」という。見たことない人に、言葉で説明する難しさを
よく言い表している言葉ですね。

欧米でのことわざに、「プディングの味は食べてみないと解からない」と、
いうのがありますね。プディングというのは、デザートに食べるプリンの
ような菓子です。その味は体験しないと解からない、と言う意味です。

宇宙のバイブレーションとか、聖なるバイブレーションとかも同じことね。
体験のない人には信じられないだろうし、笑うしかないだろう。
それを笑う人は、体験していない証拠、というわけですね。
管長だけが説いていても、信徒に体験者がいないのでは話にならない。
仕方ないから、私が、それは本当であることを証言してるのですね。

まぁ、退会者にはそれを受けるチャンスは無いであろうが、現役信者には
いくらでもチャンスがあるだろうね。

575準シュダオン:2011/01/02(日) 10:32:21 ID:1F7rdgXk0
私は、思念のバイブレーションを受けてから、教わらなくても、いろいろな
ことを思いつくようになったと思う。あるいは、霊界のシュダオンクラスが
いろいろ教えてくれるのかも知れない。
優婆塞の八法にしても、そのとおりですよ。
信戒施見聞、といわれると、「見」はそれほど重要ではない、と思いつく。

昨年、アヌルッダの例をレスしたこともあるが、アヌルッダは居眠りを注意
されてから眠らず、失明してしまった。それでも解脱を得られたね。
つまり、「見る修行」は必須ではないということを証明しているわけです。

法次法向についても、経典に「随順知法次法向」と「随順行法次法向」との
使い分けがあって、法向=追求して知る、と、法次=従い行じる、との
二つの修行のことを説いてることに、すぐに気がつきましたよ。
道交法で赤信号は止まれ、です。赤信号で止まるのは法次=従うです。

576名無しさん:2011/01/02(日) 11:06:26 ID:YaD7r0520
KYの馬鹿はスッコンデロ

577無関係な人間です:2011/01/02(日) 13:10:02 ID:WeAFcW7c0
>569

 そうすると、やはり当分は地球の壊滅はなさそうですね。地球がなくなる前に、阿含宗が消えるのが
先のような気がします。ところで、私の勝手な質問に毎回、丁寧なご返答を下さるユビキタス様、ほんとうに
ご指導、ありがとうございました。桐山さんというのは、詐欺師なのですが、この手の人というのは
時々出現します。戦前なら伊東ハン二とかいましたから。でも、そろそろ、年貢を納めて欲しいです。

578Boo:2011/01/02(日) 16:57:49 ID:lHXeYakQ0
無関係な人間ですさん

2010年は

アゴン宗=世界=桐山世界観

と、こじつければアゴン宗崩壊がゲイカにとっての世界崩壊でありそのことの
予言とこじつけられなくもない。(だとすると笑えるが・・・)

世界が危機に瀕する前年にI川事件勃発。これで目が覚めない信者は桐・山師と
ともに崩壊するしかないのではないか?

ただ、まだ結果が出ていないということも言える。アゴン宗では(というか東洋の
占星術での)年の変わり目を節分近辺に持ってくるのが主流です。ですから平成23年
辛卯歳の年は2月12日(憲法記念日)の柴燈護摩でその年の星を祭ります。

どちらにせよ、ひと月半ほどで結果は出ることになりますが・・・

579神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/02(日) 17:16:56 ID:YaD7r0520
>>578
お説の通りなら新年早々喜ばしい慶賀すべき暗示です!!
歴史も傾城の美女(I川女史が該当するか多々疑問のあるところですが)が出現したり、
権力者が不老長寿(輪廻転生は究極の不老長寿?)を願いだしたら、
その時代はモウ終わり!!
秦の始皇帝ですらその例に漏れません。
堤君では役不足は目に見えてますが!!早く、干柿さんとBooさん達の
気兼ねない思い出話を聞きたいものです。
それまで、お互いに不老長寿でありますように!!
デモ無理だったら、あちらでお会いしましょう!!
天国の門の前で「峠の茶屋」の店だしてますからすぐ、分かりますよ!

580干柿:2011/01/02(日) 19:04:08 ID:BBtat4sE0
>>578
だってBooさん、ゲイカ「1999年よさらば」とかいう本書いて
「オレが恐怖の大王だったのか!」とかいってるじゃないですかw
なにもかも破壊する恐怖の大王それは桐山(笑)
まあ単純にみれば自業自得いづれ破綻するのは目にみえていた(今考えればです。
だってカリキュラムは中身なし、御霊示までつかって自分の欲望をかなえる汚い教祖
それを爆発的な念力による願望達成力とでもいうのかねwww)
しかし信じてついていった信者はたまったもんじゃないなぁ〜あーあ
それでもオウムみたいに残るやつはいるんだろうな愚かな・・・

581Boo:2011/01/03(月) 12:27:51 ID:lHXeYakQ0
>>580
結局「恐怖の桐大王」の妄想に多くの時間と金をつぎ込んでしまったのですね、
我々も・・・笑うしかないですね。

582神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/03(月) 17:42:13 ID:YaD7r0520
>>580>>581嘆いたり笑ってばかりじゃふぬけになりますばい!!
お二人とも好々爺には早すぎる

583ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/03(月) 22:33:34 ID:SmEF4Oe2O
>578:Boo11/01/02(日) 16:57:49 ID:lHXeYakQ0
>ですから平成23年
>辛卯歳の年は2月12日(憲法記念日)の柴燈護摩でその年の星を祭ります。

ごめん。ケアレスミスだけ訂正させて。2月11日建国記念の日でしょ。

584Boo:2011/01/04(火) 00:34:27 ID:jvgt.NpA0
ああ、そうですね(汗)

585神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/04(火) 07:22:44 ID:YaD7r0520
>>>>584
トコロデ、其処が替わったら何か替わるのですか?
おみくじの引き直しみたいに?

586天照 ◆d953JDjJb6:2011/01/04(火) 09:01:41 ID:9ijB0doY0
>>577 私もそう思います。アゴンの方が先でしょう。

今年は色川さんが示談に応じたという話やら、深山さんの裁判所へ行ってきた情報も
上がってましたし、元会員さんの別院の様子も上がっていました。

教祖の「八白は晩年運だ」も脆くも崩れ、段々弱ってきていますし、ヨレてきている。
まさかゲイカの両側を支えられながらの登壇とは思わなかった(私は車椅子での登壇
との予想をしていた)
まあ、あと9年生きればいいほうでしょう、と言ってみる。

587準シュダオン:2011/01/04(火) 09:45:36 ID:1F7rdgXk0
聖なるバイブレーションとか、思念の相承とか、体験すると、酒を飲むとか
飲まないとか、愛人がいるとかいないとか、賭けゴルフをするとかしないと
か、そういう外見上のことはどうでもよく、関心がなくなるね。
どういう意味なのか?

例えば、物理学者がアインシュタインの講義を聴けば、その価値を解かるだ
ろう。アインシュタインが大酒飲むとか、愛人が居ようが、そんなこたぁ、
関係なく、講義の価値は変わらない。講義の意味を解からない者は、外見で
悪口を言うであろう。

私が、もし、アングリマーラの教えを聴いて、理解したら、アングリマーラ
が酒を飲もうと、愛人がいようと、グルメだろうと、そういうことは問題に
しないね。
批判派が、もし、アングリマーラの教えを聴いても、理解しないだろうね。
その外見を批判したり、過去をほじくったりして、本質の理解は出来ないだ
ろうね。

588Boo:2011/01/04(火) 15:12:10 ID:jvgt.NpA0
因縁切りの教祖が因縁丸出しの話、というのは本質に関する話だと思うが?
本質の話をしていることが理解できない馬鹿信者はアゴン宗に搾取され続けるがよかろう。

589Boo:2011/01/04(火) 15:34:58 ID:jvgt.NpA0
大体、宇宙意識だのバイブレーションだの言い出したのはあんたでないの?準さん?

590Boo:2011/01/04(火) 16:17:45 ID:jvgt.NpA0
>589 :Boo:2011/01/04(火) 15:34:58 ID:jvgt.NpA0
>大体、宇宙意識だのバイブレーションだの言い出したのはあんたでないの?準さん?

↑このレスは頓珍漢でした(w)

591干柿:2011/01/04(火) 17:13:56 ID:BBtat4sE0
>>587
やめてくれ〜!腹抱えて大笑いしてしまったw横腹が痛いw
もうあなたのド頭もそうとうメチャクチャでないんかいw
あなたにつきあってるユビさんや深山さんを尊敬しますわwww

592Boo:2011/01/04(火) 19:13:16 ID:jvgt.NpA0
2chの話題ですが・・・I川さんアゴンと和解したとか?

世間相場では年の離れたカップルが、結婚の約束していない状態で交際が破たんした時
慰謝料って請求できるのでしょうか?

593ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/05(水) 00:13:08 ID:SmEF4Oe2O
>>587:準シュダオン11/01/04(火) 09:45:36 ID:1F7rdgXk0
>聖なるバイブレーションとか、思念の相承とか、体験すると、酒を飲むとか
>飲まないとか、愛人がいるとかいないとか、賭けゴルフをするとかしないと
>か、そういう外見上のことはどうでもよく、関心がなくなるね。

バイブレーションを感じた人が自ら飲酒や賭け事、色事などに関心がなくなり
自ずとやらなくなると言うのならば立派なものだが、あなたの言うそれは違いますものね。
バイブレーションを教えてくれた先達である他人が何をしようと気にもならない
というただそれだけのことですからね。
これは仏教を理解してない証拠です。
仏教ではあなたが挙げたものは全て修行の妨げになるものであり、戒律で禁じて
これを認めることはありません。
アインシュタインなどの物理学者で言うならば、アインシュタインはお風呂に入ろうと水を温めてお湯を
作るのに物理学な熱を与えることをせずに合掌してお祈りしてればいつしか
水はお湯に変わると信じているようなものです。
こんな物理学者は少しも物理学に則ってない似非科学者とわかる。
またそれが気にならないあなたも少しも物理科学を理解してない証拠です。

>私が、もし、アングリマーラの教えを聴いて、理解したら、アングリマーラ
>が酒を飲もうと、愛人がいようと、グルメだろうと、そういうことは問題に
>しないね。

この例で言うならば殺人鬼だったアングリマーラが修行の成果あってアラハンの
悟りを得ていながら、未だに殺人や指切り収集を続けているようなものです。
あなたはそれを見ても気にもならない。
仏教の目的など理解していないからです。
この世はすべからず金持ちにさえなれば勝ち組だなんて人ならば、社長が金儲けを
する傍ら、愛人を持とうが賭け事にはまろうが、社員である我々に給料さえ
払ってくれれば気にもしないというのと同じです。
どっこい仏教の指導者、先達というものはそんな利益の追求などに走らず
我々にも節制の徳を説いて自らも実践する人なんです。

594Boo:2011/01/05(水) 00:35:54 ID:jvgt.NpA0
準さんはよーっく目を開いて、ユビキタスさんのレスを読みなさい。

そうした上で反レスがあるなら、言葉をよく選んで反レスしなさい。

修行の完成しかけた、ゲイカのバイブレーションを受けたあなたならできるでしょ?

595ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/05(水) 00:40:47 ID:SmEF4Oe2O
2ちゃんねるより
>544:深山◆Y0jS4ug6fQ :2011/01/04(火) 22:37:57 ID:dB0lN2K3
>でも、裁判の資料を提供してくれた方や、>>467さんのように、
>裁判所に電話して確認してくれた方々に感謝してください。
>皆さんでその方に拍手を送ってください。
>一年も先の話だが、なんらかの賞を贈ってほしい。

承知しました。
年末にまた私がなぜか特別審査委員長をやっていたらの話ですが。
昨年末のように多数決でやるにしても、私自らこのコテハンをつけない勇敢な
実践者に対して何らか賞を推薦しましょう。

596ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/05(水) 08:16:08 ID:SmEF4Oe2O
>>574:準シュダオン11/01/02(日) 10:15:29 ID:1F7rdgXk0
>欧米でのことわざに、「プディングの味は食べてみないと解からない」と、
>いうのがありますね。プディングというのは、デザートに食べるプリンの
>ような菓子です。その味は体験しないと解からない、と言う意味です。
>宇宙のバイブレーションとか、聖なるバイブレーションとかも同じことね。
>体験のない人には信じられないだろうし、笑うしかないだろう。

それは主観評価の話ですね。プリンの味は甘い。この甘さは食べたことのない人には
わからない。主観感覚の話です。
しかしこちらは客観評価の話をしてるのです。
プリンだって食べたことなくても客観評価はできます。
玉子と牛乳から作られているから栄養価は高いと客観的にわかります。
美味しいからと言って食べ過ぎると糖分の取り過ぎやコレステロール値が高く
なることも客観的にわかります。
愛人というものがいれば恋愛経験のある人には相思相愛である期間いかに当人たちは
楽しいかよくわかります。
これは主観です。しかし客観的に評価して愛人問題は何をもたらしたか?
愛人はどちらも傷ついた。片方は裏切られ傷ついている。
もう片方も週刊誌でこれを暴露されたことにより評判を落とし護摩木の売り上げが
激減し、信者も減り、自ら内密に法廷に出廷せざるを得なかった。
あなたに関係なく桐山産業にとってはとんでもない痛手です。
これが愛人のもたらした客観的被害です。
こうなることはわかっているから仏教は諸行無常を説き、一切は苦であると説き
欲望から離れることを説く。

597無関係な人間です:2011/01/05(水) 10:30:07 ID:Jflv19ds0
 色川さんと桐山さんの裁判が和解で終了をしたそうですね。
2chでも、いろいろと書かれていました。私も、
そこで、少し考えてみました

 本来、この裁判は、色川さんの勝ち目が少ない裁判でした。言い換えれば、阿含宗側は
和解ではなく、判決という手段を選ぶ事も可能だったのです。その方が宣伝効果としては
はるかに大きいはずです。しかし、阿含宗は「和解」を選択しました。
 思い返すと、今回の裁判で初めて桐山さんの愛人が名乗りをあげ、その結果、多額の経
済的な損失が阿含宗に生じました。色川さんは多くの証拠を裁判に提出しました。判明し
ているだけでも、その多くは桐山さんに大きな打撃を与えるものです。その上、週刊誌に
告白しました。阿含宗にとって、色川さんはいつ爆発するか不明な時限爆弾だったのかも
しれません。かって深山さんが、2chで色川さんに本の執筆を呼びかけました。多くの人
は冗談だと思ったかもしれませんが、阿含宗側はこれを冗談だとは思わなかったはずで
す。
 そういう背景を考えると、阿含宗側も切羽詰まった背景があったと推測できます。
もし、裁判で負けた色川さんが、メディアで実名で登場し、桐山さんとの関係を細大漏ら
さず告白すれば、その打撃は計り知れないものになるでしょう。 
 その意味では、阿含宗側も色川さんと「和解」する必要はあったのでしょう。

 次に色川さんの側になると、裁判での勝ち目はほとんどないです。
後は、どこで「落としどころ」を見つけるかです。その落としどころは「お金」しかあり
ません。会員に復帰しても、どなたかが書かれていた通り、針のむしろの日々でしょう
し、桐山さんの寿命はそう長くないですから、内弟子に復帰しても、すぐに「失職」するのは明らかだからです。ですから、色川さんの側も「和解」がベストの選択です。

 次に、「和解」内容が非公開という部分に注目をしたいです。つまり、「和解」内容
を他人に知られたくない、という事です。これ自体は珍しくないようですが、今回の場合
は色川さんサイドには、それほど隠す理由はありません。つまり「訴えの取り下げ」や
「請求の放棄」と異なり、「和解」は「双方の譲歩」での決着です。色川さんの言い分
を阿含宗側も一部認めた事です。だとすれば、色川さんは部分勝利を納めた事になります。
他方、阿含宗側は「部分敗北」をした事にはなります。そして、それを隠す必要は
あったという事になります。あと、付け加えると、裁判上の和解は、判決と同様の効果
があります。色川さんも和解内容には拘束されます。さらに、現時点で色川さんが会員
に復帰したとはどこからも聞こえて来ません。すると、請求の内容で争いになるのは、
残る「お金」になります。

 ここから複数の推測は可能です。ただ、私が阿含宗側の弁護士だったとしたら、
色川さんに手持ちの資料を全てを阿含宗側に引き渡し、今後、この件には沈黙を守る
代わりに、色川さんが要求するよりもはるかに高額のお金を支払う事を認めるでしょう。
 その金額は、色川さんも認めざるを得ないだけの金額だったはずです。
 ただ、金額が公開されたら、次の憶測が産まれます。ですから、金額を含めて、
和解の内容は一切、秘密という事にするでしょうね。

 なお、和解は、弁護士に特別の授権をした場合は、代理人でも可能なようですから、
色川さんと桐山さんのご対面が実現をしたかはわかりません。個人的には、それが実現
をした事を望んではいますが。

 以上はあくまでも推測です。
ただ、もし、この推測が正しければ、色川さんは今後の安定した生活を手に入れ、阿含宗
側はトラブルの発生源を封印し、お互いに満足した「和解」となったでしょう。

 ところで深山さんが色川さんへの共著の呼びかけをしたおかげで、阿含宗から色川さん
へ支払われる金額は上がったはずです。もし、そうならば、色川さんは深山さんに心から
の感謝の気持ちを表現すべきだと思いますが、どうでしょうか?

598無関係な人間です:2011/01/05(水) 10:38:08 ID:Jflv19ds0
2chで深山さんが、色川さんはお金で転んだ、と喝破されていますが、それは多分正しいと思います。

私は阿含宗には1円も出した事がないので、寄付金が色川さんのブランド物に化けた経験がありませ
んから、個人的には感慨はありません。が、やはり、ジャンヌダルクはお金で転んではいけないとは
感じます。色川さんの勝利を祈っていたので、その点は残念でした。

599孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2011/01/05(水) 13:22:31 ID:Z.z2/AEc0
>>559 宇宙のバイブレーションを受け神霊から知りえないことを知らされる体験をしているのですね。準シュダオンさんは。
「その洗礼を受けると、酒を飲むとか、愛人が何人いるとか、そういう外見上のことはどうでも良く、関心が薄れてしまう。」
ここのところがよく分からないですね。カルマの法則をご存知ですか?因果応報というやつです。ヒンズー教や仏教でよく言われる。
宇宙のバイブレーションや神霊はそういうことは教えてくれないのですかねえ?
愛人など作ると必ずその報いを受ける。日陰者として相手を扱い人生を狂わせた。来世はどっと来ますよ。これは。
あごん宗の教義だと自分が殺されるとか苦しられるとかは悪因縁でよくないが、他人を苦しめることは自分が苦しいわけじゃないからokなのかな?

600ラシン:2011/01/05(水) 13:26:37 ID:x9FuHHv20

>587 :準シュダオン:2011/01/04(火) 09:45:36 ID:1F7rdgXk0
聖なるバイブレーションとか、思念の相承とか、体験すると、酒を飲むとか
飲まないとか、愛人がいるとかいないとか、賭けゴルフをするとかしないと
か、そういう外見上のことはどうでもよく、関心がなくなるね。
どういう意味なのか?

その理由は、桐山聖者サマにおかれては殺人しようとかまわないと言うことか?
自分だけが深い意味を相承したから、俗事の是非に頓着しませんと言いたい?
その理由付けをアインシュタインの物理講義に結びつけるところが、なお俗っぽい。
アインシュタインの価値とは、理論にこそであって、その言動とは無縁です。
しかし、
アングリマーラの悟りは煩悩滅なのだから、その価値を言動に注視するのは当然です。
清らかな法の眼を得たアングリマーラが、再び殺人を犯すなら仏道は破滅です。

>批判派が、もし、アングリマーラの教えを聴いても、理解しないだろうね。
その外見を批判したり、過去をほじくったりして、本質の理解は出来ないだろうね。

アングリマーラは釈尊によって過去を懺悔し改心して修行に励んで悟りを得たのだ。
翻って桐山さんはどうなのだ?
過去を隠蔽し過誤を認めず、見えない先祖の霊に責任を転嫁した。
最近は愛人を内弟子と偽り醜聞沙汰までさらして一遍の反省も見られない。
反省どころかその事実すら覆い隠そうと目論んだ。
仏教を学んだのなら、アングリマーラを自説の講釈で比ゆすることじたい噴飯モノです。

 世尊よ、私は元から、アヒンサカ(無害という意味)の名を持ちながら、
 愚かさのために多くの人の命を奪い、清まることのない血の指を集め、
 アングリマーラと呼ばれるまでになりました。
 しかし、今や三宝に帰依して、覚りの智恵を得ることができました。

 馬や牛を調教するには杖が要り、象を教えるには鉄の鈎が要るけれど、
 あなたは剣も杖も用いずに、残虐な私の心を調えて下さいました。
 雲に覆われた月が、光を現す時のように、私は今、受けるべき報いを受け、
 正しい法(おしえ)を聞き、清らかな法の眼を得て、静かなこころを得ました。

 世尊よ、私はもう、生きることも、死ぬことも願いません。
 ただ、与えられた人生を生きてまいります
(アングリマーラ経抜粋)

601Boo:2011/01/05(水) 14:13:58 ID:jvgt.NpA0
聖者の言葉というものは読むだけで清められる思いがしますね。

準シュダオンさんも批判側が心打たれ、清らかな気持ちになるような
レスしてみたらいかがですか?あなたのレスには傲慢でわがままな
「バイブレーション」しか感じません。

602天照 ◆d953JDjJb6:2011/01/05(水) 16:21:21 ID:Q4Pic4Fk0
>>600のラシンさんが引用し示されたアングリマーラ経抜粋を読むとぐっと来ますなあ。
如何にアングリマーラが目を覚まし改心したかが伺えます。
法眼を得た人の言葉はやはり違う。
一方未だに空想・妄想電波よろしくなんちゃってバイブレーションを死ぬまで謳い
続ける輩はこのアングリマーラの言葉にも満たない無感動しかない。

603ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/05(水) 19:31:31 ID:SmEF4Oe2O
>>574:準シュダオン11/01/02(日) 10:15:29 ID:1F7rdgXk0
>欧米でのことわざに、「プディングの味は食べてみないと解からない」と、
>いうのがありますね。プディングというのは、デザートに食べるプリンの
>ような菓子です。その味は体験しないと解からない、と言う意味です。
>宇宙のバイブレーションとか、聖なるバイブレーションとかも同じことね。
>体験のない人には信じられないだろうし、笑うしかないだろう。

あなたの言うバイブレーションに相当するものがオウム信者の神秘体験です。
あなたの言う宇宙のバイブレーションとやらとオウム信者が感じた神秘体験とは
お互いに別だと言い合うだろうが、主観客観の別だけで分類するならば同じものです。
オウム信者の神秘体験というのは私はこれを嘘とは思いません。
本当に彼らは神秘を感じたと思う。
これは脳の機序で説明できるし、桐山さんですらも禅僧の見る魔境で説明している
からです。
けだしあなたの言うように神秘体験を感じたことのない者はプディングを食べたこと
がない人と同じようにその味を想像できない。
すると神秘体験をすればその人は至高の境地に近づいたのかと言うと、それは
別の価値判断基準が必要になります。
それが客観的な人物評価ですね。
いかに神秘体験で深い境地にたどり着いたと感じても、そいつらが地下鉄サリンの
実行犯になったら、そんな神秘体験のどこに価値ありますか?

604天照 ◆d953JDjJb6:2011/01/05(水) 21:31:18 ID:btjTxedw0
2chをみたらば、「自伝」の薦めが!

ナイスですね〜。暴露本は駄目でも「自伝」ならやれますね。
こりゃたまげたwww

自伝を発刊してこれまた儲け街道だね、E川さんw

605深山:2011/01/05(水) 22:03:59 ID:I5RAz0qU0
>>595 :ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/05(水) 00:40:47 ID:SmEF4Oe2O
>実践者に対して何らか賞を推薦しましょう。

もう一つ提案があります。
時に応じて「名言大賞」も作りましょう。
一昨年の「千景がいないとさびしい」に続いて、
今年も「今夜にでも」と桐山ゲイカの連続受賞はほぼ確定だと思います。
推薦理由は、男の性欲を実に端的に表したことです。
御霊諭の文面からは桐山さんが一刻も早くE川さんと会って、
やりたい(下品な表現で失礼)という気持ちが脈々と伝わってきます。
まるで発情期の犬がヨダレを垂らしているような雰囲気が良く表現されている。
そのために秘密の電話番号を書いたところで、突然斜め前方から白銀バイブが来て、
「そうだ!おれは明日から名古屋だから、名古屋のホテルに誘えば
いいじゃないか。電話も何も、明日の夜、会えるじゃないか。
おれってヤッパ仏陀の智慧だねえ」と思いついて「又は」と書き込んだ様子が
よくわかります。
桐山さんのニヤケた顔と荒い息づかいすらも感じられるすばらしい御霊諭です。
桐山ゲイカの欲望が染み出すような、すごい臨場感があります。
桐山さんは昔からキャッチコピーがとてもうまく、古くは「変身」「超能力」
「守護霊」などと、時代に合わせて、誰かが使ったのをうまく転用して、
自分が発明したかのような顔をするが得意だった。
だが、「千景がいないとさびしい」と今回の「今夜にでも」は厳密に
桐山ゲイカのオリジナルです。
物まね宗教家、パクリ屋と酷評された桐山ゲイカの名誉を我々が回復してあげましょう。

606ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/05(水) 22:29:48 ID:SmEF4Oe2O
そう言えば流行語大賞を考えていたが、自らノミネートすらしなかったな。
高校野球板の方では流行語大賞も決めたが。
一昨年の千景がいないと寂しいに迫る名言もなかったし。
まさか「Y橋」もなんだしな〜と思ったし。

607ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/05(水) 23:12:56 ID:SmEF4Oe2O
>>597:無関係な人間です11/01/05(水) 10:30:07 ID:Jflv19ds0
>色川さんと桐山さんの裁判が和解で終了をしたそうですね。
>2chでも、いろいろと書かれていました。私も、
>そこで、少し考えてみました

今回の無関係さんの論の切れ味もさすがに鋭いのですが、私が今回感心してるのが
2ちゃんねるでI川さんに対してお説教のアドバイスをしている方ですね。
いろいろとハンネを変えているが代表的なのが(私の印象に残ったのが)
「贖罪」です。
アドバイスの内容も贖罪で、I川さんに対してアゴン宗から支払われた和解金は
どこから出たと思っているのだ?少しは反省して真っ当な仕事をしてみろよ
というものです。
私は感じたのだが、これってI川さんは今はショックのヤケクソでもいずれは
真摯に受け止めねばならない愛情こもったアドバイスですよ。
彼女もいつかは現実を受け止め対処せねばならないのです。
その彼女にアドバイスをするならば、2ちゃんねるで深山さんを非難する理由として
彼女をいかにも擁護しているかのように書いてるようなあんな書き込みは実は
何の役にも立ちません。
私は彼女が暴露本を出版するなどその為の道具、出汁としてしか考えていなかった
のが正直なところです。
彼女がどう壊れようが知ったことではない。
しかし出汁として活躍していただいたお礼とお詫びに今度は彼女の今後を真剣に
考えてアドバイスするとしたら贖罪さんが書いてる内容に言い尽くされているのです。
私自身、自分の甘ったれ体質と現実を直視した時、もう妄想、夢を追ってる場合ではない、
選んでなんかいられないと現実に立脚した努力を余儀なくさせられた経験を思い出した。
それは耳には決して心地よいものではない。面白くない。
しかしその面白くない道でも歩むしかないのです。
だからこれを説教することは慈悲ですらあるんだが、これにはなかなか気がつくまい。
他の信者さんも胸に手を当てて各自考えてほしい。
もはや甘ったれてることは続けられないのだ。

608準シュダオン:2011/01/06(木) 10:49:05 ID:1F7rdgXk0
私は、オウムの神秘体験がどういうものか知らないのでコメントできない。
私がいう聖なるバイブレーションとは、管長が本に書いてるチベット仏教に
説くところの思念による王者の相承のことである。もっとも、わたしの場合
は、思念の流れは入って来ず、強くて長いバイブレーションのみであった。
それでも、「あっ、管長のいうバイブレーションとはこれのことか!」と、
確信できましたね。

バイブレーションを受けたからといって、聖者になった自覚はありません。
だから、「準」を名乗っているわけでね。それでも間脳を刺激された自覚と、
仏教知識が連結されたような自覚が生じましたよ。そりゃ、私の脳自体は、
30代や40代の方が、本を読んでも、今よりは細かいところまで記憶でき
たし、読む速度も速く、ボケてはいなかった。それでも意味が違う。
エンジンが掛かった、とも表現したけど、知識が連結された感じね。
それまでは知識があっても、それがどういう意味か、解かっていないのです。

酒を禁止するイスラムでは、ワインを飲んだイエスキリストを、堕落者と見る。
重婚禁止のキリスト教では、多妻のマホメッドを不道徳の堕落者と見る。
道徳とは何か?ブルカをかぶらない女性はそんなに不道徳かね?
酒を飲もうが不道徳ではない。愛人が居ようが不道徳ではない。愛がないのに
同居してることのほうがはるかに不道徳だね。
しかし、誤解してはいけない。朝から晩まで酒浸りを意味してるのではない。
愛人に溺れた状態を言うのではない。

それに捉われない、ということを言いたいわけね。
別に、人間離れをした人が、聖人なのではないね。
外見上は、俗人と全く同じ生活をしている聖者も、存在するわけね。

609無関係な人間です:2011/01/06(木) 11:33:13 ID:.C5fBbyM0
>>607

ユビキタスさんがご指摘の通り、あの投稿の内容は大切だと思います。
私は、信徒経験がなく、すなわち桐山さんの被害には会わなかったのですが、
実際に桐山さんのウソに騙され、人生を狂わされた人の事は忘れてはいけない
と感じます。
 桐山さんや阿含宗の論法は、ある点では説得力がありました。
大乗非仏説も、最初はびっくりしたのを覚えています。ただ、幸い、専門書を読んだの
で、騙されないですんだのです。
商売は道に賢し、といいますが、やはり専門でしている人には素人は勝てません。
詐欺なら詐欺の道で精進を重ねた人間には、普通の人は騙されます。
騙された人が悪いのではなく、騙した人間が悪いのです。が、そのために人生を狂わされ
自殺をされた人もいるというのは深く心が痛みます。
 その意味では、桐山さんの責任は大変大きいと感じます。

610干柿:2011/01/06(木) 23:13:51 ID:BBtat4sE0
>>608
あなたもいい歳なんだから、いつまでも思念がどータラとか神秘体験とか
いってねーで現実をみなさいな

611名無しさん:2011/01/07(金) 09:22:29 ID:hEa6V0po0
「御霊示」をスケベ行為の道具に使った桐山聖者さま
なんと愚かな奴だ
あのマスクの下にどんな顔が隠されていたのか?
もうヘドしか出ません

612準シュダオン:2011/01/07(金) 10:13:49 ID:1F7rdgXk0
オウムの神秘体験は、薬品を飲んだ幻覚なのか、違うのか、私は知らないので
コメントできない。私が言うのは、管長が本に書いてる、チベット仏教の
思念による王者の相承、のことです。
わたしは、それを体験したが、プディングの味は食べてみないと解からない、
という格言の如く。

今は、puddingを食べたことのない人が、あれこれ、その味の評論している
わけですw。私は、30代や40代の方が、記憶力も本を読むスピードも、
今よりはあった。今は本を読み進む毎に、読んだことを忘れてしまうね。
それでも、30代40代の頃よりも、理解力があることがわかるね。
以前は、四諦の三転十二行相の意味が解らんかった。
それがバイブレーションを受けてからは、意味が解るようになったね。

今は、十二因縁の意味が、よう解からんね。無明、行、識、、、老死、という
十二因縁のことだよ。その解説は暗記できても、内容の意味が解らん、という
ことね。この意味が理解出来たら、阿那含も近いであろうね。

613Boo:2011/01/07(金) 10:22:36 ID:jvgt.NpA0
>オウムの神秘体験は、薬品を飲んだ幻覚なのか、違うのか、私は知らないので
>コメントできない。私が言うのは、管長が本に書いてる、チベット仏教の
>思念による王者の相承、のことです。
>わたしは、それを体験したが、プディングの味は食べてみないと解からない、
>という格言の如く。

準さんにお尋ねします。あなたの文脈から判断すると、あなたはチベット仏教の
「思念による王者の相承」についてゲイカの本を読んだだけで、体験したとは
書いていませんが、アゴン宗のバイブレーションは体験したという。オウムの
神秘体験は自身が体験していないので判断できない。しかしチベットの「王者の相承」
はアゴン宗での体験と同じものだとなぜ判断できたんですか?

614天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/07(金) 10:33:56 ID:qmWWUzrs0
Booさんナイス突っ込み! さあ、どのように回答成るか? ワクワク

615ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 08:22:38 ID:SmEF4Oe2O
>>608:準シュダオン11/01/06(木) 10:49:05 ID:1F7rdgXk0
>私は、オウムの神秘体験がどういうものか知らないのでコメントできない。

>>612:準シュダオン
11/01/07(金) 10:13:49 ID:1F7rdgXk0
>オウムの神秘体験は、薬品を飲んだ幻覚なのか、違うのか、私は知らないので
コメントできない。

薬物なんか使用しなくたって神秘体験を見させることは可能です。
桐山さんもあなたと同じことを言っていましたが、自分がそれすらも与えられない
ものだから、あそこは薬物を使ってるだけなんだと腐したいだけです。
しかしあなたの突っ込み視点はなかなか惜しいですよ。
要するに薬物を使って見た擬似の幻覚のどこに価値があろうかと言いたいわけですね。
私はそれをさらに突っ込んで薬物を使用しようがしまいが神秘体験を感じたり
バイブレーション、痺れを感じたりしたとて、それが何になるの?と言いたいわけですが。
さて桐山さんも主観に過ぎない神秘体験を簡単に容認してません。
多くの瞑想本で必ず魔境を解説してますね。
禅僧が瞑想に耽る。すると線香の灰が落ちる時チャリと聞こえ、あるいは
どーんどーんと音がしたり、あるいは目の前に偉大な仏が見えたり老僧が見えたりする。
さては悟りの入り口かなんて喜んでいると師僧に「顔洗って出直して来い」と鉄槌を打たれる。
畢竟そのような精神作用に過ぎず、桐山さんもそんなものを見たらとりあうな、
無視しておればそのうちに消えるとして囚われてはいかんのです。
これが桐山指導なんだから、あなたも何かを感じたら宗務局を通して桐山さんに
お伺いを立てて指導を受けるべきなんですね。
まあ絶対にそんな勇気もないでしょうが。
さてそのようにバイブレーション感覚なんて言ってもそれが本物?なのかどうかも
判別できないわけです。主観だけでは。
だからこそその体験をしたことによって自分の何が向上したのかそういう客観的な
検証をする必要性を説いているわけです。

616ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 08:32:25 ID:SmEF4Oe2O
>>608:準シュダオン11/01/06(木) 10:49:05 ID:1F7rdgXk0
>仏教知識が連結されたような自覚が生じましたよ。

あなたの仏教知識の解釈整理など全くピンボケもいいことで、桐山発言の知識貯蔵も
貧困で連結されたものが出て来ない。
私が今書いた瞑想の魔境の罠とか連結して提示もされない。
知識の連結なんてのは新皮質脳の作用ですよ。
あなたはそれすらも劣っていたか不勉強なだけです。
そもそも行動面に変化も向上もない。
相変わらずさぼりっぱなしではないか?
釈尊の遺言は「怠ることなく精進せよ」なのに。
バイブレーションを受けるや今まで苦痛、億劫だったボン行実践も率先してやる
ようになったと言うのならばまだわかるが、あなたは逆というか何も向上しませんからね。

617ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 08:42:13 ID:SmEF4Oe2O
>>608:準シュダオン11/01/06(木) 10:49:05 ID:1F7rdgXk0
>酒を禁止するイスラムでは、ワインを飲んだイエスキリストを、堕落者と見る。
>重婚禁止のキリスト教では、多妻のマホメッドを不道徳の堕落者と見る。
>道徳とは何か?ブルカをかぶらない女性はそんなに不道徳かね?

仏教では飲酒をし、愛人がいたら破戒者であり堕落者であり、不道徳者です。

>酒を飲もうが不道徳ではない。愛人が居ようが不道徳ではない。愛がないのに
>同居してることのほうがはるかに不道徳だね。
>しかし、誤解してはいけない。朝から晩まで酒浸りを意味してるのではない。
>愛人に溺れた状態を言うのではない。
>それに捉われない、ということを言いたいわけね。

だから桐山さんは溺れているのですよ。今夜にでも、今夜にでも。
後にそれは相手を傷つけ、自らの立場も傷をつけることになった。
そんな結果になることをなぜする必要があったの?

>別に、人間離れをした人が、聖人なのではないね。
>外見上は、俗人と全く同じ生活をしている聖者も、存在するわけね。

外見は特段超能力者みたいなカリスマ性などありません。
生活を清らかに律しているだけです。
それって四六時中なんですよ。
仕事と余暇の両立、使い分けなんて次元の話ではなく、仕事中も余暇の時間も
自分を律していかねばならないのです。
悟りを開いた後も一生ね。
羽目をはずすなんてことはあり得ないのです。

618準シュダオン:2011/01/08(土) 12:52:42 ID:1F7rdgXk0
生活を清らかに律する意味が、理解できますか?
お釈迦さまは、弟子が未熟なうちは、御馳走などを食べることを禁止しました。
つまり、今風にいえば、グルメ趣味を禁じたのです。
しかし、高弟には制約しませんでした。
高弟には、御馳走食べたってかまわん、としたのです。
その意味が、解かるでしょうか?
それを、わたしは外見上のことは、本来はどうでもよいのだが、未熟者は
惑うので、戒律を厳しくされる、というのです。

粗食にしたから良いというものではない。粗食を実践しながら御馳走を夢
みていたとしたら、グルメの修行者より害が大きいのです。
そのことを理解しないといけませんね。

619ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 13:00:48 ID:SmEF4Oe2O
まだまだ先の話ですが、次スレのサブタイトルこんなんいかがっすか?

【さあ、やるぞ!今夜にでも】

620ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 13:06:14 ID:SmEF4Oe2O
>>618:準シュダオン11/01/08(土) 12:52:42 ID:1F7rdgXk0
>お釈迦さまは、弟子が未熟なうちは、御馳走などを食べることを禁止しました。
>つまり、今風にいえば、グルメ趣味を禁じたのです。
>しかし、高弟には制約しませんでした。
>高弟には、御馳走食べたってかまわん、としたのです。

根拠の経典を示して引用せよ。
粗食とかそういうことでなく、その日その場で必要な分だけ頂いて食したのです。
そしてそれは選ばなかった。
ご馳走が出ればご馳走を頂き、粗食が出れば粗食を食べて、供養がなければ
がまんした。あるいはグループで分けて食した。

621天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/08(土) 13:15:56 ID:.MGxcKig0
>>619 大爆笑です!!新年のTVに次ぐ初笑いですね。
素晴らしい出来です。一応候補募集をして良いのが無かったら即決定ですね。

622準シュダオン:2011/01/08(土) 13:18:14 ID:1F7rdgXk0
生活を清く律するにしても、刻苦に過ぎては害するだけです。
極端を避けた、中道にしなくては、いけませんね。
孔子だったか、加齢の後に「欲するままに行動して道に外れることなし」とか、
言ってますね。それでなくてはいけません。
努力して生活を律するうちは、本物ではないのです。

自由気まま、やりたい放題のことをして、道に外れることはない、それが
聖者でしょう。
ただ盲目的に、これこれの生き方が道徳的だ、と信じる宗教では、
ブルカをかぶらない女性は、不道徳だ、ということになります。

623ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 13:21:59 ID:SmEF4Oe2O
>>622
酒を飲まない、重婚、愛人を持たないことが極端な戒律になるんですか?
逆に愛人なんて持つ方が普通でなく極端ではないか?
あなた愛人います?

624準シュダオン:2011/01/08(土) 13:41:17 ID:1F7rdgXk0
愛人は居る方が自然でしょう?
愛人がいないようでは、男女を創った神に叛くことになります。
但し、後でゴタゴタするようでは愛人とは言えない。
本当の愛人とは、自分より相手を大事にするので、問題は起こらないのです。

色川さんの場合は、愛人ではないのです。だから週刊誌も無視してます。
見向きもしなかった。批判派の期待は、世間からずれている証拠ですね。
溝口記事は線香花火で、彼も老いたせいか、的を大きく外したね。
自ら晩節を汚してしもうたw。

625名無しさん:2011/01/08(土) 17:32:41 ID:hEa6V0po0
>>624 :準シュダオン:2011/01/08(土) 13:41:17 ID:1F7rdgXk0
>愛人は居る方が自然でしょう?

たしかに貴方の言うとおりだわ。だってアゴン宗は桐山認定のエロ宗教ですから。
当然セックスもOK、妾もOKの教えのようです。
貴方、よかったね。
多分、往生間違いなしと思いますよ。あちらの世界でも十分エロを楽しんでくださいなw

626準シュダオン:2011/01/08(土) 19:12:49 ID:1F7rdgXk0
麻木さんと大桃さんは、何が問題か?
あの場合は、未熟な人間が、愛を問題化してるのです。愛というよりは、
自分のエゴを、押し付けて、問題化させてるのです。大人ならば、相手の感情を
尊重するので、問題化にならないのです。
エリカさまの場合、夫をキモイ、といって、愛が醒めたような感じを与えたが、
時間がたって、怪しくなった。人間が未熟な場合、愛人関係も未熟になり不幸に
なるのです。
要は、愛人関係が問題なのではなく、人間の未熟さが問題なのです。

よって、家庭に不和をもたらすようでは、愛人を持つ資格はないのです。
人生をより幸せに、より豊かにする場合のみ、愛人は居たほうが良いのです。
愛人がいたら堕落で、愛人なしが道徳的だ、なんていうのは、根拠なき思い
込みにすぎません。
ブルカをかぶらない女性は不道徳だ、という、思い込みと大差ありません。

627Boo:2011/01/08(土) 19:55:01 ID:jvgt.NpA0


この人何言ってるの?
受け狙ってレスしてるのかしら?

628桐山千景:2011/01/08(土) 22:05:25 ID:ShlmSMsM0
準シュダオンは色川が桐山靖雄さんの愛人ではないと、いまさら変えようの無い
事実を捻じ曲げようとしている。狂信的な還暦男だね。

629桐山千景:2011/01/08(土) 22:16:24 ID:ShlmSMsM0
麻木さんと大桃さんのネタは、芸能人ネタであって、何の問題もない。
一方、桐山靖雄さんは「釈迦を世に出す」とか「自分が釈迦になる」などと
信者に教え、自分は僧侶でアゴン仏教をやっていると言っている人物だな。
桐山は宗教家で「色情の因縁」とか本でも書いているし偉そうに崩話でしゃべって
いるな。信者の女を指導と称して「今夜にでも」とかいって誘い出し、
まんまと『女スパイ』に仕立てあげた。
どこが自然なんだ。どこが聖者なのだ。

そもそもおまえ「準シュダオン」なんか名乗って恥ずかしくないのかよ。
覆面だからいいたいことを言ってんだろ。おまえみたいなのがいるから
世の中がよくならねえんだよ。

あんたは「殉シンダ」にHN変えろよ。これで充分だな。

630ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 23:02:37 ID:SmEF4Oe2O
>>622:準シュダオン11/01/08(土) 13:18:14 ID:1F7rdgXk0
>孔子だったか、加齢の後に「欲するままに行動して道に外れることなし」とか、
>言ってますね。それでなくてはいけません。

だからそれは道に外れたことを欲しなくなるのですよ。
そこまで到達するには節制が必要ですよね。
ところでキリスト教やイスラム教や孔子とかばかりだしてどうしてお釈迦様を
根拠にできないのですか?

>努力して生活を律するうちは、本物ではないのです。

誰しも初心者は努力が必要ですし、桐山さんも努力の道を説きます。
そして悟りを開いたからもう努力しなくてもよいのではなく一生死ぬまで努力して
節制し自己を省察することは釈尊とて例外ではないのです。

>自由気まま、やりたい放題のことをして、道に外れることはない、それが
>聖者でしょう。

こんな道は仏教にはありません。
安那般那念経あるでしょ?あれ桐山さんが言うような呼吸法の経典なんかではありません。
吐く息、吸う息、手や足を洗うなど日常の一挙足一動作に至るまで気を配り
煩悩の起こらぬように監視する修行を説いているのです。
だから自由気ままなんてありません。
但しその道をあなたが否定することは自由ですよ。
そうです。あなたは仏教なんてつまらぬ間違ってると主張して自由気ままな
準シュダオン教を説けばよいのです。
その際はこのスレに来ないでね。

>ただ盲目的に、これこれの生き方が道徳的だ、と信じる宗教では、
>ブルカをかぶらない女性は、不道徳だ、ということになります。

要するに桐山さんと同じで道徳が嫌いで道徳なんて実践したくもないと言いたいのですね。

631ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 23:21:50 ID:SmEF4Oe2O
>>624:準シュダオン11/01/08(土) 13:41:17 ID:1F7rdgXk0
>愛人は居る方が自然でしょう?
>愛人がいないようでは、男女を創った神に叛くことになります。

そこまで言うのなら必ずこの質問に答えなさい。
あなたは愛人がいる、あるいは過去にいたのですね?
愛人を創って神に背かなかったのですね。
但しこの愛人という世間の通念で使用される用語には条件があります。
既婚であり男なら妻が、女なら夫がいるということです。
あなたは既婚者ですか?結婚していなければ誰と交際しようが神の摂理に則した
自由恋愛です。こういう相手を愛人とは言わない。
愛人は神の摂理に則して結婚をしておきながらも、まだ別の女が欲しいと
現在の妻と離婚もせずに男女の仲になる人のことです。
あなたが男か女か知らないが、伴侶の他に愛人がいるのですね?
回答を逃げてはいけませんよ。Booさんの質問からも逃げてますが。
神の摂理に反しないのならば堂々と答えなさい。

>但し、後でゴタゴタするようでは愛人とは言えない。
>本当の愛人とは、自分より相手を大事にするので、問題は起こらないのです。

だから桐山さんは愛人であったE川さんを捨てて傷つけたのですよ。
相手は教団相手に訴訟まで起こしてきた。
会員に戻せ、愛人だったんだから戻せという訴えです。
それは和解金という金で解決されました。つまり願いは結局叶えられず傷ついた
ままで今でもヤケクソになって暴れている。
本人と桐山さんの責任ではないか?
桐山さんはどうしてw田さんやE川さんとも仲良く円満に解決できない?

>色川さんの場合は、愛人ではないのです。だから週刊誌も無視してます。

誰が見ても愛人です。世間の関心を集めなければ愛人ではない?
すると人殺しもばれなきゃ犯罪にはならないと言いたいのですね?

632ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 23:35:14 ID:SmEF4Oe2O
>>626:準シュダオン11/01/08(土) 19:12:49 ID:1F7rdgXk0
>あの場合は、未熟な人間が、愛を問題化してるのです。愛というよりは、
>自分のエゴを、押し付けて、問題化させてるのです。大人ならば、相手の感情を
>尊重するので、問題化にならないのです。

だから桐山さんの場合はあなたの示す法則により、エゴであり、相手の感情も
無視しており甚だ問題です。

>要は、愛人関係が問題なのではなく、人間の未熟さが問題なのです。

はい、桐山さんは人間が未熟ですよね。

>よって、家庭に不和をもたらすようでは、愛人を持つ資格はないのです。

周囲に不和をもたらした桐山さんは愛人を持つ資格ありませんね。

>人生をより幸せに、より豊かにする場合のみ、愛人は居たほうが良いのです。

幸せにも豊かにもしてないから居ないほうがよいですね。

633干柿:2011/01/08(土) 23:40:53 ID:BBtat4sE0
>>624
あなたなに言っているんですか?
自分の言動がおかしいと思わないのですか?
ここまできたら普通じゃないですね
素直にショックでした。とかないんでしょうか?
普通の熱心な信者ならそういうはずです。そして考える
それが出来なければ、もう二度とここにには来ないで閉じこもってしまうか
そのどちらかでしょう。現に色川さんは裁判をおこして御霊諭なる証拠
まで出している。もうどうしようもない事実なのですよ
愛人であろうが内弟子であろうが桐山ゲイカと特別な関係にあったことは
事実です。秘密の修行場所に二人っきりでナニしてたのでしょうかね?
そして、なんだかの修行法があるならばなぜ公開して信者に指導しないのか
ゲイカが直接でなくとも内弟子が指導できるでしょう、20年つかえて
それが出来ないのなんて、そんな内弟子がいるか!と言いたいですね
ゴルフいっしょにやったり、お手当をもらって、マンションまであてがってもらったり
そんな内弟子なんているか!たとえば作曲家の猪俣こうしょう、だったか
マルシアとか内弟子で修行していたが、ほとんどお手伝いさんみたいな感じで
先生の飼っていた犬にあたってストレスを発散させていたとか昔TVで言ってましたね
そのくらい厳しい・・・ましてや音楽なんかではなく釈迦を世に出すとか
言っている宗教家の内弟子です、ホントウなら歌手の修行どころの話ではない
よく考えるべきでしょう、
なにが霊的バイブレーションなのか馬鹿ですよまったく!、バイアグラの間違いじゃねーのかよw

634ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/08(土) 23:43:35 ID:SmEF4Oe2O
>>627:Boo11/01/08(土) 19:55:01 ID:jvgt.NpA0
>この人何言ってるの?
>受け狙ってレスしてるのかしら?

宗教奴隷のよきサンプルです。
かわいそうに、自分の意志、考えというものがない。
教祖を批判することもできず、絶対に間違ってないと擁護しかできない。
教祖が右を向けと言えば右を向き、左を向けと言われれば左を向き、自分の考えがない。
だから教祖が人を殺せば人殺しだって正当化しますよ、この人は。
オウム信者と同じです。
宗教家畜としては稼ぎは悪いが、立派な奴隷根性です。
私も大した人間ではないが、ここまで恥ずかしい人間でなくてよかったと思います。

635ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 00:08:10 ID:SmEF4Oe2O
非常に重要な資料だからこちらにも貼っておきます。



『 御 霊 諭 』
                           平成1年5月4日

第○○則○○(無記)
「『×××しないと×××するぞ』とか『付き合え』とかいうようなそんな職場に君は勤めていてはい
けない。今すぐやめなさい。わたくしがもっと君にふさわしい良い仕事を君に紹介してあげる。」

「『釈迦は桐山靖雄を出現させるために現れた』と書いてあるが、
実はわたくしもそう思っていた。自分からは言い出せなかったので、
人に言ってもらうと本当にうれしい。君はなかなか見所がある」
「君が命がけでやるというなら弟子にしてあげる。」
「但し道場では君にだけ会うと君がねたまれるから、
私の修行場所があるからそこで面接する。
打ち合わせをする。私の秘密電話番号を教える。」

(ここに管長の秘密電話番号が書いてある)

「そこに電話すると交換手が出るから、
そうしたら暗号の数字を言ってからどうするかを伝言をしなさい」
「その電話に私の方から君にかけることのできる電話番号を
入れておきなさい。(今夜にでも)」
(「(今夜にでも)」というのは原文のまま)

「又は、私は名古屋の東急ホテルに六日の夜、泊まる。
君も名古屋へ泊まって、夜十一時頃、私の室へ電話をしなさい。
今夜にでも秘密電話にどうするか報告しておきなさい。」

「名古屋で泊まる費用を同封しておく」

(以上)

636神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/09(日) 10:38:41 ID:YaD7r0520
天照さん お考えとは思いますが、
深山氏から伏せ字のない御令嗣を提供していただいて、ア−ガマに
搭載出来ないのでしょうか?法的に問題があるのなら、伏せ字にするとか?
どうでしょうか?

637ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 11:03:48 ID:SmEF4Oe2O
>>636
伏せ字の箇所は伏せ字にすべきだと思います。
それならば深山さんに送ってもらう必要はなく、これだけで十分でしょう。
書写したもので写真などを撮ることは禁じられているわけですから。

638ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 11:44:28 ID:SmEF4Oe2O
相手にあくまでも選択肢を与えただけのはずがどうして名古屋の宿泊費まで同封するんだーー???

639ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 12:00:59 ID:SmEF4Oe2O
E川さんは当時勤める職場でセクハラにあっていたようです。
それに対する人生相談です。
釈迦は桐山靖雄を生むために登場したというヨイショを添えながら。
肯定する方もすげーもんだが。
この人生相談に対する回答は既にされています。
これは面接する必要もない。
退職手続きをすればよいだけです。
職場を離れてもストーカーに追われ怖くて仕方がないなんて相談ではない。
つまり緊急性がない。
それにもかかわらず、今夜にでも、今夜にでも、とは桐山さんの下品な欲望です。
こんな話にブルカをかぶらない女性は不道徳であろうかなんて視点を持ってくるのが、
ゴマカシか頭が悪いかです。

640ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 12:05:12 ID:SmEF4Oe2O
これで本当にE川さんが名古屋に逢い引きに行ったかなんてわからぬままでよい。
要は桐山さんの方から俺の愛人になりに来いとハアハア欲望丸出しで誘った証拠です。

641ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 12:21:28 ID:SmEF4Oe2O
>>633:干柿11/01/08(土) 23:40:53 ID:BBtat4sE0
>素直にショックでした。とかないんでしょうか?
>普通の熱心な信者ならそういうはずです。そして考える
>それが出来なければ、もう二度とここにには来ないで閉じこもってしまうか
>そのどちらかでしょう。

全く同感ですね。
何も桐山批判なんかする必要はない。
ショックです、信じられません、嘘であると信じたいでよい。
あるいはそんな気持ちすら表明することを避けて、この話は不問で沈黙を守ればよい。
のこのこ無理な擁護をすることは、その人の人格そのものを歪める行為ですね。

642ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 12:43:00 ID:SmEF4Oe2O
>>633:干柿11/01/08(土) 23:40:53 ID:BBtat4sE0
>あなたなに言っているんですか?
>自分の言動がおかしいと思わないのですか?
>ここまできたら普通じゃないですね

我々批判側にも気付かせない新手の批判派と思えばよいと思います。
我々に盾をつくあまりに自らの愚かさ、アゴン宗の愚かさを示す。
アゴン宗の信者にはこんな不倫愛人肯定の思想を示して仏教徒でございなんて
恥知らずがおる、と世間に晒すのは、アゴン宗に対する逆宣伝効果ですからね。
今後も頑張ってアゴン宗を辱めてください。

643Boo:2011/01/09(日) 12:58:59 ID:jvgt.NpA0
>640 名前:ユビキタス ◆18iA.mwnDU 投稿日: 2011/01/09(日) 12:05:12 ID:SmEF4Oe2O
>これで本当にE川さんが名古屋に逢い引きに行ったかなんてわからぬままでよい。
>要は桐山さんの方から俺の愛人になりに来いとハアハア欲望丸出しで誘った証拠です。

それはそうですが、その後の状況から見てE川さんは99.9%以上の確率で名古屋に行ったな。

644名無しさん:2011/01/09(日) 13:58:29 ID:hEa6V0po0
でも、酷いよね桐山は。
過去に暴露本もあったが、なぜかあまり気にならなかった。
当時はまだ桐山に勢いがあり期待の方が勝っていたから。
でも、もうそれもない。
信じてともに歩んだ四半世紀以上の月日が無駄で虚しいものだったと認めることは悲しいが
しかし、これが現実なのだ。

645干柿:2011/01/09(日) 17:39:54 ID:BBtat4sE0
>>644
まったく同感です。
そして、この裁判の証拠品してだされた御霊諭にはあらためてショックを受けました。
暴露本どころじゃないぐうのねも出ない裁判の証拠品です。

聖者どころか凡人にも劣る外道じゃないか(釈迦のいう外道じゃありません
ヤクザのいうところの外道です)
絶対にやってはいけない御霊諭をつかって信者を自分の思いのままにするという
それも内弟子という誤魔化し騙しをつかって・・・

バカ女といい仲になったからウヤムヤになっただけの話でしょ
ハッキリいってこんなの犯罪じゃねーかよ!それも偽ビールどころの話じゃないよ
破廉恥な犯罪!

646干柿:2011/01/09(日) 17:47:49 ID:BBtat4sE0
まあバカ女と見越してこんな御霊諭を出してくどいたんでしょうけどね。
「ケツふってオレについてくるぞ」ってね。
普通に気にいった女性信者にもこんなの出したらお縄になること必至
そこが刑務所に入った経験のあるゲイカならでは
ただのカルト教祖ではない!そこだけほめてあげようw

647ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 17:59:45 ID:SmEF4Oe2O
セクハラの人生相談を書いたら教祖がセクハラだった。
但しセクハラ問題に必ずありがちのこととして、お気に入りの男性だから
恋愛になってしまう。
では自由恋愛かと言うと妻子持ちをお互いに理解した不倫ではないか。
不倫をするにあたって職権を濫用した。
しかも単なる職権ではなく、仏の諭しとして宗教までも冒涜した。

648ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 18:10:29 ID:SmEF4Oe2O
2ちゃんねるに新スレ立ったので、それに倣って、こちらも>>635の典拠解説を補っておこう。

409 名前:深山 ◆Y0jS4ug6fQ 投稿日:2011/01/01(土) 21:58:29 ID:S517eCjJ
>桐山ゲイカがE川さんに授けた「御霊諭」です。
>裁判でE川さんが提出した証拠の一つです。
>アゴン宗では1989年頃、御指導願いとして、信者が桐山さんに文章で相談できる制度があり、
>御霊諭とは桐山ゲイカが仏様にお伺いを立てて、そこに桐山さんなりの
>指導内容を加えて、信者に文章として返すものです。
>当時の御指導願いは、現実には機能しておらず、ごく一部の特別なコネの
>ある人たちが出せる程度でした。
>現場の職員や先達では解決しえないような深刻な問題があっても、一般信者は
>御指導願いを出せない一方、コネのある信者はペットの相談までしていました。
>E川さんがどういうツテで桐山さんに御指導願いを出せたのかははっきりしません。
>しかし、この後に掲載する御霊諭を見てもわかるように、この時期、すでに
>桐山ゲイカはE川さんのことをよくよく知っていた様子がうかがえます。
>
>裁判で提出された証拠は原則として誰でも閲覧できて、コピーや写真撮影などは
>許されませんが、メモを取ることはできます。
>次に掲載する御霊諭は、E川裁判に提出された御霊諭を手書きで書き写したのです。
>「 」の部分が御霊諭の文章、つまり桐山さんがE川さん宛に書いた文章であり、
>( )の文章は私が書き加えた説明です。
>くり返しますが、これは初夢ではなく、裁判に提出された証拠品そのものです。
>解説は後にして、まずはじっくりとお読みください。

649天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/09(日) 19:15:04 ID:cPYEfp8c0
>>636 神人さん、ご提案ありがとうございます。
考えて見ますが、提供あってのことですし、またユビさん仰せの通り掲示板にて
表記されているのでとりあえずこのままでいいかと。

写真を撮るのは禁止ですから、上げれない可能性がありますしね。

650ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 21:04:31 ID:SmEF4Oe2O
つまり写真なんてものはどこにも存在しないのですから、書き写してきたこれが
全てなんですね。
伏せ字の部分を明かすことに意味はないでしょう。
だからこのままアーガマ考察室に資料保管をしてもらえばよいと思います。

651神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/09(日) 21:27:39 ID:YaD7r0520
納得です

652深山:2011/01/09(日) 21:44:42 ID:LKKg213I0
>>636 :神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/09(日) 10:38:41 ID:YaD7r0520
>深山氏から伏せ字のない御令嗣を提供していただいて、ア−ガマに
>搭載出来ないのでしょうか?法的に問題があるのなら、伏せ字にするとか?

『×××しないと×××するぞ』のことですか?
これは閲覧した原文そのままです。
閲覧した人にも確認しました。
桐山さんは「これこれをしないと」というようなつもりで書いたのではないでしょうか。
あるいはE川さんの描写した内容が露骨だったので、伏せ字にしたのかもしれません。

653ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/09(日) 22:08:59 ID:SmEF4Oe2O
>>643:Boo11/01/09(日) 12:58:59 ID:jvgt.NpA0
>それはそうですが、その後の状況から見てE川さんは99.9%以上の確率で名古屋に行ったな。

桐山さんが名古屋を内弟子の為の秘密の修行場所に選んだのは理由があるのかも
しれませんよ。
桐「わが内弟子よ、よくぞ来た」
色「ゲイカ、それで何を伝授してくださいますのでしょうか?」
桐「三種修行がある。まずはこれからだ」
色「これは・・・名古屋名物のきしめんですね」
桐「きしめんと言っても奥が深い。この通り種物のないきしめんはかつお節を
どさっとのせてたれの色は関東風に濃い。しかし天きしとか種物が入るとこの通り
タレは透明に澄んで関西の薄口しょうゆより色は薄い。名古屋ならではの
白しょうゆを使うからだ。最近はその伝統も薄れて嘆かわしいが」
色「美味しいですわ」
桐「次の修行はこれだ」
色「これは名古屋名物・味噌煮込みうどんですね」
桐「まずは食してごらんなさい。蓋にうどんをとって、れんげスプーンでタレを
かけて食べるのだ」
色「八丁味噌ってくせがあって好き嫌い分かれると思うけど・・・このうどん
すごく太くてコシがありますね」
桐「コキコキしてるだろう?さて3番目の修行だ」
色「これは・・・名古屋名物・うなぎのひつまぶしですね」
桐「さよう、まず一杯目は普通に短冊状に切ったうなぎをのせた飯として食す。
2杯目はこのようにトロロやらわさびだかを乗せて食す。そして3杯目はこのように
出汁茶漬けとしてあさつきも散らしてわさびも添えてさらさら食す」
色「もうお腹いっぱいですわ」
桐「スタミナもついたら三種修行の後にいよいよ大極秘伝を伝授しよう。」
(以下省略)

654干柿:2011/01/10(月) 01:05:50 ID:BBtat4sE0
で修行と称して実際にはゲイカが×××しちゃったんだw

655ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/10(月) 02:09:02 ID:SmEF4Oe2O
そしてその本番修行の真っ最中の時間帯ですが・・・

色「秘技、名古屋名物あんかけスパゲッティ!秘技、名古屋名物台湾ラーメン!」
桐「これはワシは知らんかった!経験なかった!昇天」

656Boo:2011/01/10(月) 02:43:55 ID:EfaAiM3c0
ああ〜あ・・・

かつて擁護していた自分が情けない・・・

657天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/10(月) 06:54:27 ID:SHfvsEbE0
>>656 Booさん、ある意味仕方ないですよ。ゲイカが表に出さないで裏でやっていた事ですから。
如何に表では「綺麗ごとを」裏では「汚いことを」やっていたか。それが白日の下に晒されてきた。
これは皆さんの啓発の賜物だと思っています。

これからもどんどん啓発してゆきましょうよ。

658天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/10(月) 07:40:33 ID:SHfvsEbE0
というわけで、概知の事項ではありますが、こちらにも。

阿含宗管長の前科は3度ある。http://agon.konjiki.jp/oitachi.html

659準シュダオン:2011/01/10(月) 10:43:32 ID:1F7rdgXk0
素直にショックも何もw、アレコレ推測して、勝手に舞い上がっててるのは
批判派なのですよw。色川さんは、信者の権利を申し出、訴えたわけですよ。
それを勝手に愛人関係と妄想して論じてるのが、批判派なのよw。
妄想なのよ、批判派の言うことは。
信者時代も、得意の妄想で、修行したのでしょ。だから失敗したのよ。

管長の場合は、世間の常識で、愛人問題ではない。
だから週刊誌も取り上げない。批判派だけが、ズレテいるのよw。
それにね、本当の大人の場合、愛人などは問題ではないの。
「去る者は追わず」という姿勢さえあれば、問題になることはないの。
それを、自分の欲望を押し付けるから、愛人関係は問題になるのよ。
「去る者は追わず」という、大人の思いを守れたら、問題は生じないのです。

要は、未熟だから、問題になるのよ。
護摩木祈願で、願望成就、と言ってもね、仏に成る修行をしてるんだから、
我欲願望で良いのだろうか?と、普通の人は思いつくのよ。
だから、普通の人は、貪欲と健全な欲について、考える。
ところが、批判派ときたら、何時までも我欲の修行ばかりしてたわけよ。
それに気がついて、我欲を恥じて、管長を批難してるわけでしょ。
我欲だけの修行してると、人相までキツネやタヌキに似て来るぞ!と、
管長は警告してるのに、我欲が強いと馬耳東風になって、警告に気付かないわけ。

660ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/10(月) 11:23:40 ID:SmEF4Oe2O
>>659:準シュダオン11/01/10(月) 10:43:32 ID:1F7rdgXk0
>素直にショックも何もw、アレコレ推測して、勝手に舞い上がっててるのは
>批判派なのですよw。色川さんは、信者の権利を申し出、訴えたわけですよ。

権利を申し出て、結局その権利は認められなかったようです。
和解金を受け取ることで妥結したようで不満でしょうね。
元内弟子さんは師匠からも見捨てられ傷つきました。

>管長の場合は、世間の常識で、愛人問題ではない。
>だから週刊誌も取り上げない。批判派だけが、ズレテいるのよw。

ははは、ズレているのはあなたですよ。
週刊誌が取り上げたのですよ。複数の週刊誌ネタにならない、ポストでも第2弾が
出ないだけで、あのスキャンダルは見事に新聞広告などと共に世間に取り上げられた
のです。溝口さんはたしかに愛人だと断定しない表現を書いてますが、世間の常識
では、あれは溝口さん一流の皮肉とわかります。

>それにね、本当の大人の場合、愛人などは問題ではないの。
>「去る者は追わず」という姿勢さえあれば、問題になることはないの。

去る者追わずをここで出すのはピントはずれです。
E川さんは自ら去ったのではない。絶対に去ることなど望んでないのを
桐山さんが代表責任の教団から本人の意志に反して強制的に追い出されたのですよ。
そして来る者拒まずではなく、再帰を拒んだのがアゴン宗です。
こんな円満でない話が大人の話なんですか?

ともあれまた教団を辱めに来ていただいてありがとうございます。
今度から最後に「ねづっちです」もとい、「アゴン宗信者です」と書き添えてください。
また整いましたらいらしてください。

661ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/10(月) 11:55:15 ID:SmEF4Oe2O
>>659:準シュダオン
11/01/10(月) 10:43:32 ID:1F7rdgXk0
>信者時代も、得意の妄想で、修行したのでしょ。だから失敗したのよ。

>要は、未熟だから、問題になるのよ。
>護摩木祈願で、願望成就、と言ってもね、仏に成る修行をしてるんだから、
>我欲願望で良いのだろうか?と、普通の人は思いつくのよ。
>だから、普通の人は、貪欲と健全な欲について、考える。
>ところが、批判派ときたら、何時までも我欲の修行ばかりしてたわけよ。

例によってまたしてもこの議論の上に関係ないこちらの我欲だの護摩木祈願だの
失敗だのと出してますね。
桐山さんの愛人問題を論じるのにこちらのことなど言及する必要がないし
言及などしていません。客観的な事実資料から考察してるだけで、自分の問題と
してません。失敗なんかしてませんよ。
Booさんのようにかつて擁護をしていたなんて情けないと述懐するのを失敗感覚と
言うのならその通りで、私もまたBooさんと同じく擁護していたのだから同じ立場
なんですが、失敗はそれを失敗と認めた時点で成功に転じます。
それよりもこちらが書いてもいない護摩木祈願などの話しか書けないところに
あなたのアゴン宗信仰のスタンスが見えますね。
所詮護摩木など書いて願いが叶うように御利益祈願するだけの信仰だったわけですね。
我欲信仰とは自分のことを指しているわけだ。
そしてあなたの方こそ失敗だった。それは修行の場に参加しないことを見てもわかる。
アゴン宗は修行の場に参加せよと指導する。
帰依とは教祖教団の説くことに素直に従うことだ。
屁理屈つけて従わないのは、こんな面倒な修行をしなければならないことを説く
アゴン宗を選んだのは失敗だったと悔いてるからではないですか?
で本当の信仰心などないものだから、それを我欲準シュダオン教にすり替えて
こういう安全な場所でのみクダを巻くことで、自分に対する言い訳としている。
老婆心から忠告するが、教団から追い出されないように気を付けてくださいね。
初護摩などのネットワーク受信もしていない地方道場の少数の信者ならば、
その気になれば幽霊でも探し出すことは可能かもしれませんから。

662Boo:2011/01/10(月) 12:40:35 ID:EfaAiM3c0
>護摩木祈願で、願望成就、と言ってもね、仏に成る修行をしてるんだから、
>我欲願望で良いのだろうか?と、普通の人は思いつくのよ。

いやいや、大先達は愛人になる修行をして、見事内弟子の資格を得たようですね。
きっと護摩木で「修行順調」なんて書いていたことでしょう。護摩木の祈願で
愛人になる修行が叶ったのは他山の石として見習うべきでしたか?

663準シュダオン:2011/01/10(月) 13:32:08 ID:1F7rdgXk0
いやぁ、妄想は笑うしかないのだけども、妄想を妄想と気付かない哀れさを
何と言えば良いのだろう。自分を冷静に、客観視できないということだね。
つまりは、自分が欠陥人間だということに気づけないわけよ。
それじゃ、どんな宗教でも無駄ですよ。

あのね、愛人問題なんてのは、当事者しか知り得ないことなのです。
そうでしょ、1日24時間、他人を監視してることなど、無理なんですから。
大桃さんと、麻木さんにしてもね、麻木さんも、彼氏も認めてるから、
第三者が、「ああ、そうなのか。」と、認めるわけでね。
これを、例えば、麻木さんが否定して御覧なさい。
真相は藪の中でしょ。そういうことなんです。
あるいは、大桃さんと麻木さんが、裏で手を結んで、話題つくりをしてる
のかも知れないよ。本当は愛人も不倫も、作り話かも知れない。
真実は当事者しか知らないことなのよ。だから、そういうことに関心持つのが
アホウということになるね。

管長と色川さんの場合も、どういう師弟関係か、当事者しか知らない関係ね。
それを勝手に批判派が妄想・推測で盛り上がってるから、可笑しいのよw。

664準シュダオン:2011/01/10(月) 13:52:05 ID:1F7rdgXk0
護摩木なんてのは今や禅宗にもあるし、天台や真言宗を出すまでもなく、
阿含宗の専売特許でもない。批判派を批判する材料の一つとして、出した
までのこと。インチキ宗教が多々ある中で、批判派が何で阿含宗を批判する
かといえば、自分がかって信者だったからだねw。
つまりは、我欲の発散以外の、何物でもないね。
退会してからまで、我欲の発散をしていることに、気付きませんか?

まぁ、騙されてる信者のため、なんて大義名分をつけてるけど、
ほんとは他人のことなど、どうでもいいの。自分のうっぷんを晴らしてる
だけなのさ。多くの現役信者は、そういうことは見抜いています。
バブル信者はふるいにかけられて、だいぶ居なくなったであろうしね。

665ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/10(月) 16:42:59 ID:SmEF4Oe2O
>>663:準シュダオン11/01/10(月) 13:32:08 ID:1F7rdgXk0
>あのね、愛人問題なんてのは、当事者しか知り得ないことなのです。

必ずしもそうとは言い切れないケースがあるんですよ。
それが今回のケースです。
>>635に示した御霊諭が客観的な証拠ですよ。
これはE川さんが自ら裁判に提供した資料です。
私たちはこんなに親密な関係だったことを証明する為に。
そしてその御霊諭の内容は、男が女を愛人として囲おうとする積極果敢なアプローチです。
見込みがあるから内弟子としてあげるからいつでも来なさいと誘うのになぜ
今夜にでもなのだ?
我々はこのような客観資料を分析考察しているのであり、あなたのような一般論
めいた話でごまかすレベルを超えています。

666ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/10(月) 17:02:30 ID:SmEF4Oe2O
>>664:準シュダオン11/01/10(月) 13:52:05 ID:1F7rdgXk0
>護摩木なんてのは今や禅宗にもあるし、天台や真言宗を出すまでもなく、

護摩木祈願の話を出してきたのはあなたの方です。
こちらは桐山さんの愛人問題を出していた。護摩木祈願が叶うだの叶わないだの
話はしてません。護摩木祈願で御利益があった話も過去には肯定すらしています。
愛人問題の話の時に護摩木祈願の話を出すのはあなたが愛人問題に対して反論
しきれないから目先のすり替えをしているわけです。

>インチキ宗教が多々ある中で、批判派が何で阿含宗を批判する
>かといえば、自分がかって信者だったからだねw。

その通りです。アゴン宗以外にもインチキ宗教やら本質を失った批判すべき宗教は
あると思いますが、私が関わったのはアゴン宗しかないからこれを批判しているのです。
創価とかオウムとかは私も大嫌いだが、批判するのは関わった他の人にまかせます。
それは自分の分相応を知っているからです。
自分は全世界の悪を解決するような神みたいな存在ではなく、限られた世界に
生きているのだから、自分にできる限られたことをしているだけです。
釈迦は桐山靖雄を世に出す為に出現した、私もそう思っていたなんて傲慢な自惚れは
持ってません。

>つまりは、我欲の発散以外の、何物でもないね。
>退会してからまで、我欲の発散をしていることに、気付きませんか?
>まぁ、騙されてる信者のため、なんて大義名分をつけてるけど、
>ほんとは他人のことなど、どうでもいいの。自分のうっぷんを晴らしてる
>だけなのさ。多くの現役信者は、そういうことは見抜いています。

これは実はあなたが他人なんか知ったことじゃない、自分さえよければいいのさ
という考えがあるから相手もそのようにしか見えないのです。
あなたのこれまでの言動でよくわかります。
どっこいこちらもあなたが想像するほど聖人君子みたいな人間ではありませんよ。
あなたみたいな分からず屋を見ていると、いい気味だ、ザマアミロ、一生騙されて
いなさいと思います。
しかし自分もまた必死な擁護側の立場だった経緯があり、スレにおける対話により
目覚めさせていただいたことに非常に感謝している。
スレがなかったら今でも本質を悟れぬ信者であろうことを想像するとゾッとする。
だから私の拙い活動が1人の信者の目覚めに役立てば天にも昇るスゴイことになる。

667桐山千景:2011/01/10(月) 19:09:50 ID:ShlmSMsM0
準シュダオンとやらは、只々桐山アゴン教を擁護することが先決のようだ。
批判側の言うことなど、どうでもよいのだろう。

教団関係者であることは、すでにわかっている。
それに頭が老化してきており、凝り固まっているから、もう取戻しができないし、
その気もないのだろう。

週刊誌でも取上げられたし、エロ川さんのネタもしょぼかったので、その後は記事にならなかったのだろう。
しかしね、現役の会員や、元会員にとっては、エロ川さんと桐山靖雄さんの一件は、大変な問題だな。

教団の教えでいう、因縁を切ったという教祖が、若い女とエロ弟子関係になって
いたのだから。現役会員たちがこのまま黙っていると思うかね。今後この問題は、表面にでてくるよ。
準シュダンは鈍いようだから、クズの狂団にずっといるんだろうがな。
ホレ♪あんた「迷匿講新聞」はどうした。

668桐山千景:2011/01/10(月) 19:16:23 ID:ShlmSMsM0
エロ川さんは、桐山靖雄さんの「愛人=エロ内弟子」だということは
真実なんだよ。

準シュダオンよ、おまえがこんなところで、どんなにほざいても、この真実は
変わらないな。

この真実は、すでに記録として残ってゆく。
桐山さんの死後に、よりクローズアップされるな。
事実を隠滅しようとすればするほど、表面に出てくる力は強くなることを
覚えておきなよ。

今年は狂団崩壊元年だな。
ゲラゲラ

669ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/10(月) 19:48:58 ID:SmEF4Oe2O
2ちゃんねるにてまたしてもE川さんが 今回の裁判よりも前に桐山さんに対して
桐山さんとの個人的関係をばらすぞと迫り、それに対して桐山さんが1000万円の
和解金を支払い、口止め料とした証拠が記されています。
これらは本来当事者でなければ知り得ぬ中をよりによってその当事者が第三者に
知ってもらう為に提出されたものです。
E川さんと桐山さんの関係が宗教上に純粋な師匠と内弟子の関係ならば、桐山さんは
和解金という名の口止め料など鐚一文支払う必要はなく、毅然としていればよい。
ばらされるとヤバイやましい関係だから秘匿したのです。
ところが常識の通用しないE川さんはこれを破って>>635に代表されるヤバイ資料を
公開してしまった。
今回会員復帰を訴えた裁判も和解で終結したとはいえ、まだまだE川さんは
やってくれそうで期待が持てます。
桐山さんの晩年は苦しいことになりそうですね。
死んでも尚且つ汚点を残します。

670Boo:2011/01/10(月) 21:48:44 ID:0SEVQj6M0
若い女性の「内弟子」とホテルで蜜月していた時点で宗教家(?)としては
アウトでしょ。たとえそこに男女関係がなくても、です。内弟子とゴルフ修行
なんて、落語や芸能界や花柳界でも聞いたこともない。それが宗教界だから
笑っちゃう。私がいまでも擁護側だったら、擁護のしようがない。出鱈目、憶測
という擁護しか思いつかないが、裁判の証拠間で提出されているんだから
準シュダオンさんのように無恥でなければ「妄想」なんてことは言えない。

準シュダオンよ、修行がたりんぞ!

671ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/10(月) 22:46:12 ID:SmEF4Oe2O
宿泊費まで渡して女性に対して私の泊まるホテルに来なさいなんて書いて
男女関係の意味ではないなんて通用しません。
誰しも誤解のないようにそれだけは避けます。
男女関係を結ぶ意識が毛頭ないのであれば。
あからさまに示すのはあからさまなお誘いです。
しかし割とどうでもいいことだけど、桐山さんは2008年ですら名古屋の東海本部
例祭に出るのにホテル泊まりなんだね。
1989年の時は東海本部と言っても上前津KDビルの2フロアーを借りてる
だけだったので、管長様をお泊めすることなどできないとか理解できたけど
今の立派な東海本部ですら管長を泊めることはできないのか?
どこかの全国各地にある池田文化会館なんてのは、大作さんがいつ来てもよいように
彼の好きな入浴施設まで用意してるというのに。
あるいは桐山さんがそんな道場なんかに泊まれるか、設備の完備した一流ホテル
でないと駄目だと選んでいるのか。もちろんホテル代は信者から搾取した会費等
から支払われます。
まあそもそも脳梗塞で倒れたリハビリを担当したE川さんは病院などではなく
ホテルで桐山さんを介護したわけだからね。
それからE川さんが初期の著書から桐山さんを若返らせる方法がわかった、それは
自分ができると言ったのは、要するに性的に目覚めさせる接触だろうね。
視床下部がどうのと言ったところで、あんな頭の弱い女に生理学だの生化学が
わかるわけがない。桐山さんは真冬に滝に打たれる時、思春期の体臭に戻ったと書いている。
ここにヒントを得たのではないか?
いや真冬の滝行みたいな窮地に追い詰めることではない。
思春期の体臭からピンときた要するに思春期に戻してあげる環境設定です。
つまり恋愛相手を作ることです。その相手として自分が必要だと思ったのでしょう。
これは一理あります。深山さんも以前からw田さんに提言してるでないか?
せめてE川愛人くらい与えてやってはどうかと。
ボケの進行防止の為にも。

672ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/10(月) 22:57:51 ID:SmEF4Oe2O
リンパマッサージかな?
バリ式洗体プラスアロマオイルを使ったマッサージとか。
そのぐらいのテクを勉強してマスターするかもしれん。
誰かその道詳しい人いませんか?
あ!俺かw

673干柿:2011/01/10(月) 23:21:47 ID:BBtat4sE0
>>670
まったくそのとおりですよねw
そして、本当の内弟子であれば会員に隠す必要などないはず。
例祭とかで、「かれこれこういうわけで色川を内弟子にする厳しく鍛え
わたくしの右腕としてみなさんのお役にたてるよう育てます」
と筋通して話せばいいわけでしょ。そしていまだに教団では色川さんが
内弟子であるとも破門したとも言ってはいない。だんまりを決め込んでいる
そのくせ例祭とかで色川さんが来るなんていう情報が入ると
例祭梵行の連中に絶対中に入れるなとか言っていたらしい
ある会員が「週刊ポストにこんな記事が真相はどうなんですか」と職員に聞いたらしい
職員は「いえ、知りません、読んでいません、誹謗中傷の記事ですよ」
で終わり、しかし宗務局内にはしっかりと色川対策本部とかできていたという
まったく嘘ばっかしでつくろっているんだよね
なにが憶測、推測で言っているだよね〜
ちゃんと情報は入るところからは入るのよ、ましてや裁判の資料なんて
まんまだしw

674桐山千景:2011/01/11(火) 03:38:15 ID:ShlmSMsM0
エロ川(元愛人=直弟子)さんねぇ・・・
まあ、20歳で滋賀に嫁ついで、姑問題で離婚して。23歳ぐらいで仙台だか、どこだか東北で水商売をやっていて
妹が桐山靖雄さんに相談したわけだよ。そこで縁ができたわけだな。

平成1年5月4日と言えば、「求聞持法初伝」とか書いて、これをやるからと言ってたな。
後の「プラーナルート」を作る迷想法だな。その日に御霊諭を悪用した「愛人獲得指導」をして
いたのか。

こんな感じだろうな。
「・・・君は桐山靖雄の直弟子になりたいんだな。ならばすべてを捧げないといけないぞ。
 オレは密教の聖者だからクンダリーニが動いている。そのために若い女のエキスが必要だ。
 君はオレのエネルギー供給源になれるか、なる覚悟があるか。どうだ。
 オレは普通こんなことは言わない。キミは特別だ。見所があるからこう言うのだ。
 キミはオレの一部になれるか?なれるのなら服を脱いで身体を洗いなさい。
 そしてオレの指導通りに秘密特別ヨーガをやるのだ。エロ川君わかったねぇ・・・」

675名無しさん:2011/01/11(火) 11:11:18 ID:hEa6V0po0
>>674

桐山さんのやった事はオウム真理教の麻原尊師と同じです。
麻原は一番弟子のケイマ大師(石井久子)に手をつけ子供まで生ませた。
彼らの言い訳は
「精妙な歓喜を知る高い成就者にとって、精を漏らすというのは、大変な苦を伴うものであり、
決して快楽を求めるための行為ではない。衆生の救済のために、そのような行為をなすのだ」です。
挙句には
「尊師レベルになると、身体に触れず、そのような行為無しに、魂を体内に宿す事が出来るのだ」と
まるで聖母マリアの処女受胎のようなことまで言っていたそうだ。

桐山ゲイカはどんな言い訳をするのかな?
聞いてみたいもんだ。

676Boo:2011/01/11(火) 11:36:24 ID:0SEVQj6M0
>>675

いくらなんでも黙殺でしょう・・・
そこまでアゴン信徒は馬鹿ではないと思う。
準シュダオンと名乗る例外はいるがw

677ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/11(火) 13:27:11 ID:SmEF4Oe2O
うーむ。タントリズムがあったか。忘れとった。
わしゃ自分の快楽追求に小賢しい理屈はつけんでな。

678天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/11(火) 23:16:22 ID:MYKZiiDo0
2chの深山さんと匿名さんの記事は秀逸ですね。
纏めて「ガレージ」に格納しようかと思っています。
時折アラシの妨害コピペがあるんで読みづらいが、抽出してあげれば非常に
読みやすくなる。

この同じ板内の「退会を考えている人のスレ」にらるごさんからの報告と
>>673での干柿さんのおっしゃるとおりで、道場ではやはり我々の推測どおり
ダンマリ&誹謗中傷だと切り捨ての対策をしているようです。

今や新聞よりも怖い「ネットの世界」でどんどん攻めてやろうではないですかw

679干柿:2011/01/12(水) 01:42:35 ID:BBtat4sE0
>>675
末娘のSさん神父と結婚したやつね。
副館長との間にできた娘というのはあやしい、お妾さんとの間の子供
だったんじゃないの?wという人がいますがどう思います?

680名無しさん:2011/01/12(水) 09:05:10 ID:GX1wqY7YO
桐山さんって結核に成ったんだよね…
劇薬治療で子供を授かったのが不思議かも!?

681準シュダオン:2011/01/12(水) 09:47:01 ID:1F7rdgXk0
ホント、妄想癖というか、妄想病の批判派の皆さんは、話になりませんねw。
愛人か否か、男女肉体関係にあるかどうか、は当事者にしかわからないのよ。
他人はすべて、推測なのよ、わかる?
だから、批判派は、妄想ごっこで、盛り上がっているわけねw。

例えば、将棋の元女流名人に林葉さんてのが居たね。
彼女は本で、次のように告白してましたよ。
最初、ホテルの中原さんの部屋を訪ね、同じ部屋で、一夜を過ごしたが、
中原さんがその気にならず、その夜は肉体関係がなかった、とね。
大人の男女が同じ部屋で二人で過ごして、何事もない、なんてのは普通は、
ないだろうね。しかし、そういうこともある。

何を隠そう、わたしも若い時、知人の女性と同じ部屋に泊まって、
何事もしないで、過ごしたこともあったよw。
だから、他人の推測は、推測なのであって、事実というわけではないのよ。
だから、推測・妄想は止めた方がいいのよ、時間の無駄ねw。
批判派の皆さんは、失礼ながら、事実と推測を区別する能力が、欠けてるかも。

682準シュダオン:2011/01/12(水) 10:14:03 ID:1F7rdgXk0
聖なるバイブレーションを受けるとね、管長の私生活などに関心が無くなり
ますよ。例えばね、病気で医者にかかる場合、病気を治す医師の技術こそ
が問題で、医師の私生活など関係ないでしょ。病気を治してくれたら有りがたい
わけよ。いくら品行方正な医師でも、病気を治せなかったら意味がない。
愛人を持っていようが、病気を治せる医師の方が有りがたいわけよねw。

私は、30〜40代の頃は、映画を見れば、数年間はそのあらすじの8割方
は覚えていたと思う。今はどうか。すぐにあらすじの8割方は忘れてしまう。
テレビの再放送を見ても、「確かに前に視た」という記憶はあれども、8割方、
忘れているね。だから、若いころより脳が劣化したか、というと疑問だね。
乏しい仏教知識であっても、若い時より理解が深化したように思う。

683名無しさん:2011/01/12(水) 14:13:43 ID:hEa6V0po0
>>679 :干柿:2011/01/12(水) 01:42:35 ID:BBtat4sE0
>>675
>末娘のSさん神父と結婚したやつね。
>副館長との間にできた娘というのはあやしい、お妾さんとの間の子供
>だったんじゃないの?wという人がいますがどう思います?


干柿さんは凄い情報通なんですね。
今2ちゃんを見ていたら爆弾発言が投稿されてました。
I川さんに向けて書かれたもので、その抜粋ですが

「しかし真実を知らないのはあなたの方だと少しでも考えたことはないのですか。
内部の情報によると管長とW田さんは教団の行事で夫婦同然に振舞っているようです。
管長の長女も賛成していて、二人はすでに入籍しているかもしれないということです。
そもそもなぜW田さんは正妻が亡くなった後のナンバー1の既得権を持っているのか。
その既得権について関西の大先達たちは最大のタブーとして口を閉ざしてきたそうです。
そのタブーとは管長とW田さんにはあなたと同年齢くらいの子どもがいるということ。
つまりW田さんのナンバー2の既得権はあなたがこの世に正を享ける頃に確立されていた。
管長の血族に連なることでW田さんはほしいままに振る舞える権力を既得していた。
私はこの情報を信頼できる関西総本部の大先達経由で知りました」

「管長とW田さんにはあなたと同年齢くらいの子どもがいる」と書かれているが
これはひょっとして末娘のSさんなのか?
あるいはどこかに隠し子がいるのか? なんか凄いことになってますね。

684ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/12(水) 14:21:41 ID:SmEF4Oe2O
>>679
>>683
これは違うでしょう。
三女さんとE川さんとでは年代が離れ過ぎている。
三女さんが生まれた年代とwさんが入信したあたりと想定される年代と比較した方がよい。

685ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/12(水) 14:25:19 ID:SmEF4Oe2O
三女さんの生まれたのは観音慈恵会を開く前でなかったかな?
誰か廣野本の後ろのページの年表を調べてください。
私も帰宅したら調べるが。

686ラシン:2011/01/12(水) 14:30:14 ID:x9FuHHv20
>681 :準シュダオン:2011/01/12(水) 09:47:01 ID:1F7rdgXk0
ホント、妄想癖というか、妄想病の批判派の皆さんは、話になりませんねw。
愛人か否か、男女肉体関係にあるかどうか、は当事者にしかわからないのよ。
他人はすべて、推測なのよ、わかる?

わかるって言った本人が仏教知らずだ、と自覚すら出来ないのはジョークですか。
仏教では、比丘が女性と同宿することじたい戒律違反です。
仏教の聖者と一般人を同一にしか見れない自称準聖人サマならではのタワゴトだ。
しかも、批判側を単に推測する妄想者と考える愚考も失笑せざるを得ない。
推測と妄想を同一にしか判断できないのが、この馬齢を重ねた老人です。

桐山さんの「御 霊 諭」を見ていても妄想と言うなら、自分の読解力不足を
自慢するような不思議な行為です。
桐山さんがいくら密教アジャリごっこが好きだからとはいえ、秘密電話番号?暗号?
宿泊費用同封? なんて親心というか師匠の配慮が通用するのが秘密仏教らしい?
普通の会社でも部下から相談があると言われて、上司がこれ幸いに出張先のホテルへ
来いと言われて疑いなく上司の下に行くのが常識のようだ。
ご老人の娘さんだとしたら、これを許すわけだね?
また自分が上司の場合、このような方法を使って部下の相談事を聞いていた?
いやはや、ご立派!

>682 :準シュダオン:2011/01/12(水) 10:14:03 ID:1F7rdgXk0
聖なるバイブレーションを受けるとね、管長の私生活などに関心が無くなり
ますよ。例えばね、病気で医者にかかる場合、病気を治す医師の技術こそ
が問題で、医師の私生活など関係ないでしょ。

思慮が浅いというか真剣さに欠ける言い草だ。
病気治しに匹敵する宗教行為って何ですか?
私なら大事な手術を控えた担当医の二日酔いが気になるがね。
この老人は、私生活が荒んだ医師であろうが体調を崩した医師であろうが、
気にせずに、まな板の鯉になれるそうです。いやはや、ご立派!

それでいて、自分のほうは聖なるバイブを鼻先にぶら下げて脳が深化したなどと、
驕慢踊りを繰り広げる。
まあ多分、桐山さんもセイなるバイブで電動したんだろうね。

桐山さんへは、百歩譲っても、李下に冠を正さずくらいの自負心に欠けた行為です。
普段の空威張りはこういう時には発揮されず、自語相違してしまうのが桐山さんです。
空威張りにスケベ心が勝った瞬間とも言える。
ここの準聖者老人も論語読みの論語知らずで師匠を屁理屈でも何ででも庇う。
じつはこの態度こそ論語信奉者に多いようだ。

687ラシン:2011/01/12(水) 14:56:50 ID:x9FuHHv20

2chより転載

140 :写真説明書 :2011/01/12(水) 13:50:38 ID:b4bixGhy (1 回発言)

証拠説明書 19 写真報告書 写し H22・3・29


@〜Eは山梨県の温泉旅館「鐘山苑」に管長と原告、原告の妹、I葉の4人で宿泊したときの写真である。

Fは管長が慶応大学病院に入院した際、原告や原告の妹が泊まり込みで看病したときの写真である。

G〜Iは、ホテルオークラに管長と原告、原告の妹、I葉の4人で宿泊していたときの写真である。

このうちH、Iは管長が会員の写真を元に霊視を行っている写真である。



@〜Eの写真には管長と3人のユニット(色川さん、妹さん、I葉さん)が映っていました。
温泉旅館の一室でのくつろいだ一時や、管長と3人が庭に出て日光浴をしているようなシーンでした。
管長だけが浴衣姿で、3人は普通の格好をしていました。
色川さんはフルメイクの化粧顔、室内でもベレーのような帽子を被り上から下までびしっと決めた服装でした。
色川さんはその姿で管長と常に寄り添って、傍らに妹さんがいて、I葉さんが撮影者らしく写っていませんでした。
管長と色川さんが文机をはさんで向き合っている写真があり、それが霊視しているという写真かと思われます。
この中で一番記憶に残っている写真は浴衣姿の管長に色川さんがもたれているツーショットです。
二人ともカメラの方を向いているので抱き合っているとまでは言えません。
しかし色川さんが管長の胸に上体を預けている親密な姿には衝撃を受けました。

688ラシン:2011/01/12(水) 15:36:11 ID:x9FuHHv20
>681 :準シュダオン:2011/01/12(水) 09:47:01 ID:1F7rdgXk0
ホント、妄想癖というか、妄想病の批判派の皆さんは、話になりませんねw。
愛人か否か、男女肉体関係にあるかどうか、は当事者にしかわからないのよ。
他人はすべて、推測なのよ、わかる?

687の2chからの転載は、ある方が裁判資料を見て情報提供されたものです。
ここの老人のオツムでは、これを見ても批判側の妄想と言えるのか。
内弟子と数人引き連れての温泉旅行としゃれこんでしかも、「浴衣姿の管長に
色川さんがもたれている」光景とは、どんな師弟関係なんだ?

昔で言えば芸者衆、今で言えばクラブホステス連中を引き連れての旅行なら、
招待側にご愛想の一つで首に寄り添うご愛嬌もあるだろう。
だが、この桐山さんと色川さんは仏教の師弟関係だとここの老人が妄想している。
それがどうして温泉旅行までする必要があるんだ?
桐山管長の胸にどうしてわざわざ上体を預ける行為の必要性があるのだ?

準シュダオン老人の反論は、他人の内ポケットの財布をつかんで気づかれたら、
財布の落下を防止したと言うに等しい言い訳です。
批判側を推測と言うなら、根拠を検証した上で可能性が抽出される結論です。
次のこの老人の弁解を予測するなら、万引きしても金を払えば問題ないというものだろうね。

689名無しさん:2011/01/12(水) 17:03:23 ID:hEa6V0po0
>>682

新年を迎えて以降、2ちゃんの投稿には驚く内容の記事が多い。
今まで隠されていたことが次々に暴露されてます。
読んでいると酷すぎて、もう「聖なるバイブレーション」も「糞」もない、そんなのはもうとっくに吹っ飛んでます。
悪事は隠し通せないもので、いつかはバレルものですね。
ここまで来ると本当にアゴン宗の存続自体が危うくなってきました。
貴方のような御年配の方々は無理として、若い方々はもう絶対ついて行かないでしょう。
管長の下半身のことが話題になりポルノまがいの話がまことしやかに語られるようでは宗教団体として終わったも同然です。

690ラシン:2011/01/12(水) 18:00:39 ID:x9FuHHv20
>681
>例えば、将棋の元女流名人に林葉さんてのが居たね。
彼女は本で、次のように告白してましたよ。
最初、ホテルの中原さんの部屋を訪ね、同じ部屋で、一夜を過ごしたが、
中原さんがその気にならず、その夜は肉体関係がなかった、とね。
大人の男女が同じ部屋で二人で過ごして、何事もない、なんてのは普通は、
ないだろうね。しかし、そういうこともある。

正月用の「初お笑い」セリフだね。
林葉さんと中原名人の醜聞は普通に知っていたが、
あなたのバヤイ、そんな手記まで買うほどスキャンダル好きの興味津々者だったとはね。
それで「その夜は肉体関係がなかった」のは、中原さんの機能的問題でしょうか?
それを理由に愛人関係だったことの否定にはならない。
中原さんの突撃開始の留守電までTV放映されていたからです。
結局二人は愛人関係だった。

>何を隠そう、わたしも若い時、知人の女性と同じ部屋に泊まって、
何事もしないで、過ごしたこともあったよw。
だから、他人の推測は、推測なのであって、事実というわけではないのよ。

あなたの私的なことが、どのように推測を否定する根拠となり得るんですか?
あなたの主観的物語を語って何になる?
主張したいのなら、あなたも桐山さん同様にあなたの「御霊諭」や「写真」に
当たるような客観的な資料を提供しなさい。
その具体性を以って、”知人の女性と同泊して何事もなかった”ことを述べるがいい。
ただし、それが桐山さんと共通する事象だと言えるのであればだが。
つまり、あなたの言い分はそのくらい噴飯モノで笑えるということです。
痴漢の状況証拠のある者を赤の他人が、自己の冤罪経験を語って擁護するような、
とんだお笑い草なのだよ。

691ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/12(水) 21:04:14 ID:SmEF4Oe2O
>>682:準シュダオン11/01/12(水) 10:14:03 ID:1F7rdgXk0
>聖なるバイブレーションを受けるとね、管長の私生活などに関心が無くなり
>ますよ。

つまりそのおかしなバイブを受けると無頓着、無関心、無責任、無恥になるのですね。

>例えばね、病気で医者にかかる場合、病気を治す医師の技術こそ
>が問題で、医師の私生活など関係ないでしょ。病気を治してくれたら有りがたい
>わけよ。いくら品行方正な医師でも、病気を治せなかったら意味がない。

それは医師を病気治療を目的として利用しているからであり、自分の病気さえ治して
くれればスケベ医師でもかまいませんよ。
しかしだからあなたは仏教がわかってないと何遍も言うのです。
仏教は病気を治したり貧乏人をお金持ちにしたりその他世俗的な御利益を与える
ものではない。だから仏教の指導者は病気なんか直せなくても貧乏そのものから
抜け出させられなくても責任はありません。
じゃあ何が問われるのかと言うと、あなたが言うところの品行方正であることですね。
品行方正であれと説くのだから指導者が品行方正にもとるようでは論外です。
またあなたは桐山御利益教すら理解していない。
桐山さんは色情の因縁を説き、さらに因縁切りを説きます。
色情の因縁とは男女関係で苦しむことです。
今回の騒動で両者苦しみました。桐山さんも痛手を受けました。
裁判に訴えられ、和解金を払わされた。信者から搾取した金ですよ。
金の損害よりも名誉を著しく傷つけられた。って自業自得ですが。
週刊誌に暴かれて世間様に恥をさらした。
因縁切っていればこんな目に遭うはずがないのに。
つまり因縁解脱なんて教祖自らできないのにどうしてこれが気にならないのでしょうかね?

>テレビの再放送を見ても、「確かに前に視た」という記憶はあれども、8割方、
>忘れているね。だから、若いころより脳が劣化したか、というと疑問だね。
>乏しい仏教知識であっても、若い時より理解が深化したように思う。

いや、記憶力は基本ですよ。正しく記憶して忘れない間違えないから正しい理解ができる。
もちろん年齢により記憶力は衰えます。だから自分に対して含めて力説するのだが、
「記憶に頼るな、記録をとれ」です。記録を確認してよく読み判断して理解する。
あなた他人の書き込み内容も読まないし資料の引用もいい加減だ。
理解力も衰えていて対策もされてない。

692ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/12(水) 21:24:02 ID:SmEF4Oe2O
>>681:準シュダオン11/01/12(水) 09:47:01 ID:1F7rdgXk0
>愛人か否か、男女肉体関係にあるかどうか、は当事者にしかわからないのよ。
>他人はすべて、推測なのよ、わかる?
>だから、批判派は、妄想ごっこで、盛り上がっているわけねw。

ズバリ露骨な表現をさせてもらうが、挿入したか、膣内射精したかわかりませんよね。
糖尿インポで前愛人と別れた男が。しかしそんな男でも性欲だけは一人前で
性欲処理はなんらかする。
もちろん推測です。しかしその推測は妄想なんかではない。
これだけの告白資料が示されて、これを読ませたら誰しも愛人関係だとニヤニヤします。
あなたがそれをしないのはあなたが桐山さんがそんなことをする人でないと信じたい
信者だからです。そうでなければ、他教団の教祖かなんかであったらあなたでも
愛人疑惑をします。

>何を隠そう、わたしも若い時、知人の女性と同じ部屋に泊まって、
>何事もしないで、過ごしたこともあったよw。

ふふふ。だってあなたが女性である可能性もあるではないですか?
また男性であっても集団で押しかければ乱交パーティーなんかに必ずしもなりませんよ。
私も学生時代二十歳前の女子学生の下宿部屋に深夜お邪魔しましたよ。
大学祭とかの準備で夜遅くなって男女含めた数名でね。
乱交パーティーなんかになりません。
だからラシンさんが言うように、あなたはより具体的なシチュエーションを
語らないといくらでもごまかせるのです。
この辺で男か女だけでも明かしておきますか?
私はどうでもいいが。変態爺だろうが変態婆だろうが。

693ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/12(水) 22:44:08 ID:SmEF4Oe2O
あれ?廣野本が見当たらない。どこのゴミの山ん中だ〜?

694ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/12(水) 22:51:16 ID:SmEF4Oe2O
あったあった。
昭和28年7月三女誕生。
同年8月偽ビールでタイーホ。
昭和30年観音慈恵会発足。
昭和31年京都道場誕生。

つまりw田さんと桐山さんの子→三女さんの線はない。

695ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/12(水) 22:59:14 ID:SmEF4Oe2O
しかし三女さんではない桐山さんとw田さんの隠し子の噂が本当だとしたら
たしかにもう入籍までしてるかもしれない。
信者には今後も含めて一切公表することなしに。
また次期管長とか後継にするには宗規で親族がすると取り決めているのだから
この隠し子を管長にしてしまえばよい。
その際桐山さんの子ともw田さんの子とも公表せずにポッと出で。
現役信者さんは注意してなさいな。
桐山さん亡き後は遠慮なく追及してみることです。
怖いのは893さんだけ。
もっとも桐山さん亡き後って、教団の方がつきあいのあった893さんを恐れると
思うが。

696名無しさん:2011/01/12(水) 23:22:12 ID:hEa6V0po0
>>695

ここでE川さのの方からも隠し子の話が出てくると大変なことになりますが
そんな可能性はありませんかね?

水戸黄門の印籠のように、「この隠し子が目に入らぬか!」となれば最高に面白いのだが。

697干柿:2011/01/12(水) 23:28:12 ID:BBtat4sE0
同行者づれで一晩温泉旅行へ行った話と20年間内弟子でゲイカ秘密の修行場所で
二人きりですごした話と(ゲイカしかしらない秘密の修行場所だろw御霊諭にある)
いっしょじゃないでしょw
同行者もいるんだから一晩くらいなにもないこともあるんじゃねえの
なあ準シュダオンさん。でも見られることにたまらなく・・・なんて人
もいるんでしょ、あなたほど人生経験ないから知らねえけどさw
どうなのかな?(笑)

698ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 00:19:57 ID:SmEF4Oe2O
富士山温泉鐘山苑に行こう!
露天風呂付き客室もあるよ。
http://kaneyamaen-m.com/index.swf

きっと桐山さんとI葉さんが男同士で入浴し、E川姉妹が女同士で入浴したのだろう。
(準シュダオンさん、ご満足ですか?)

699ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 00:30:46 ID:SmEF4Oe2O
>>636
もう4〜5セットくらい妻と子供が出て来たりしてw

700ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 00:32:15 ID:SmEF4Oe2O
すまぬ。>>636ではなく>>686でした。

701ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 06:48:24 ID:SmEF4Oe2O
じゃなくて>>696だったか。老化が・・・

702ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 08:12:26 ID:SmEF4Oe2O
ザビビの過去ログでw田さんの駆け落ち事件が紹介されたことがあります。
書いたのは桐止晴雄さんだったか中沼源太郎さんだったか。
まだ若かりし頃のw田さんが無断欠勤をしてつきあっていた男と駆け落ちをして
逃避行をした。
帰って来てから二人桐山さんに呼び出されこっぴどく叱られたそうだ。
その後すぐにだかどうかはわからないが、この男性は入水自殺をした。
場所は西日本の伝法会でも使われ、瞑想のビデオ映画にも使われた箕面の滝だそうです。
気持ち悪くてその後滝行にも使われなくなったとか。
あるいは入水自殺があってから使用を禁じられたか。
箕面の滝も使った伝法会が行われたのが昭和49年か50年頃です。
瞑想映画で撮影されたのも昭和50年代でしょうか。
するとこの男性の入水自殺事件は昭和50年代になる。
w田さんに桐山さんとの隠し子がいてそれがE川と同年代だとするならば
この事件の時、w田さんには小学生か中学生くらいに大きくなった隠し子がいた
ことになる。自ら育てていたか誰かに委ねていたかはさだかでないが。

703ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 08:17:32 ID:SmEF4Oe2O
E川→E川さん

704天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/13(木) 10:45:45 ID:CFwUB7vk0
あれ?じゃあ和田さんは独身ですか?
何か噂で「家に帰って旦那にメシ食わせないと」というのを昔聞いてたんですが。

705ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 12:34:49 ID:SmEF4Oe2O
>>704
詳しくありませんが独身だと認識してました。
昔からw田姓で変わらず、こちらもM子という妹さんがいますし。

706ラシン:2011/01/13(木) 14:03:01 ID:x9FuHHv20
>また次期管長とか後継にするには宗規で親族がすると取り決めているのだから
この隠し子を管長にしてしまえばよい。

渡世の世界で世襲はご法度ですが、宗教ヤクザは許されて便利です。
桐山さんの跡目をもしかしたら隠し子が継ぐ?
信者さんはこれを矛盾なく受け入れるでしょうか。
北朝鮮のように自己神話を作れるのは桐山さんしかいません。
アデプトでない跡目に説得力があるだろうか。
因縁切りは桐山さんの力に依存されている。
信者さんが信じているのは、満身名誉僧衣の桐山さんの解脱力でしょう。
実子なら自然に身につくと考えたら、アゴン宗はまさにオカルトです。
教団をただ継ぐだけならバカでもできるが、維持運営は力量が問われます。
もちろんその力量とは、会員を騙し続ける技量です。
桐山さんのように口からデマカセを言えて次から次と信者を飽きさせない法施グッズを
生み出せるか?
アイディアだけなら幹部から募れますが、そこに法リキが生じると信じ込ませる力量、
このあたりが大変難しい。
口八丁手八丁でないと騙し続けるのは困難です。
そう考えると、桐山さんは不世出?稀代の詐欺師ですね。

707天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/13(木) 18:56:14 ID:1OBFyOh60
>>705 そうでしたか。自分は和田さんの存在には疎く、途中から「何だこのおばはん」と
自覚してからしか、しかも軽い噂しか聞かないので内容を良く知りませんでした。
その聞いた噂は「関西では怖い存在」「財務局長だから管長の次に権限がある人」などです。
妹さんの存在は今日初めて知りました(ユビさんの記述で、です)

708ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 20:57:49 ID:SmEF4Oe2O
>>706:ラシン11/01/13(木) 14:03:01 ID:x9FuHHv20
>桐山さんの跡目をもしかしたら隠し子が継ぐ?
>信者さんはこれを矛盾なく受け入れるでしょうか。
>北朝鮮のように自己神話を作れるのは桐山さんしかいません。
>アデプトでない跡目に説得力があるだろうか。

そもそも宗の内規で管長は親族がこれを継ぐなんて条文があったことすら
私ら元信者も含めて信者には知らされてなかったのです。
一昨年のポスト記事で我々も初めてそれを知って吃驚したのです。
そういう意味ではあのポスト記事はそれだけでも価値があった。
信者さんもショックだったでしょう。
私も信者時代副管長なんて一種の名誉職だったら単に夫人や実子でもなんとか
気持ちの妥協が出来た。
しかし後継の次期管長は桐山さんはお山が後継者なんてつれないこと言ってたけど
やはり成仏法を完全に体得し、透視能力もある法力霊力ある弟子がいつの日か
登場して、自ずとその人に、ということになるのだろうと期待していたら
今回のザマです。こちらは欺瞞を見抜いたからよいが、現役の信者さんはさぞ
ショックだろうと思う。
但し、この親族が管長を後継する内規なんて話は未だに教団は認めてすらいないんだよね。
あくまでも週刊誌ネタであって桐山さんや教団は信者に対して週刊誌ネタは
無視を貫いているから、親族うんぬんも公式には発表してないし、今後も発表
しないでしょう。だからあくまでもあっけらかんと「これは管長が次期管長に相応しい
と決めたものだ」とそれだけで通すのではないかと思う。
ただ今回の隠し子噂は私はあくまでも噂としか捉えておりません。
真実だったら面白いけど、どうだかな〜?という気持ちもあり、今朝>>702
w田さんの駆け落ちと相手の自殺事件とその時期を示したのは、これはどういう
複雑な説明になるのだろう?と逢えて釘を刺した意図もあったのです。
準シュダオンさんあたりからそろそろ突っ込まれなくても、隠し子噂はあくまでも
噂に過ぎず、真実はわからないという立場だけは示したい。
決め付けたりはしませんよ。

709ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 21:07:11 ID:SmEF4Oe2O
>>707:天照 ◆8Sws/yExDc11/01/13(木) 18:56:14 ID:1OBFyOh60
>妹さんの存在は今日初めて知りました(ユビさんの記述で、です)

関西のことは特にわかりませんが、このw田M子さんって人、除名処分かなんかに
ならなかったっけ?私の記憶がいい加減でなかったら。
姉妹で骨肉争うことやってたのかとにかく知りません。
知ってる人がいたら示してくださいませ。
それが教団批判にもつながり得るネタであれば特に。
私の準シュダオン張りの記憶違いだったらご指摘くださいませ。
w田N子さんM子さん双方にお詫びしますから。

710Boo:2011/01/13(木) 21:52:25 ID:.Cmm/8tY0
そもそも宗の内規で管長は親族がこれを継ぐなんて条文があったことすら
>私ら元信者も含めて信者には知らされてなかったのです。
>一昨年のポスト記事で我々も初めてそれを知って吃驚したのです。
>そういう意味ではあのポスト記事はそれだけでも価値があった。
>信者さんもショックだったでしょう。

これは確かにそうですね。

本では「弟子は師を超えて行け」だの「自分は法の捨石」だのほざいていたが
本音は「アゴン貴族」を自分の家系以外に渡す気なんぞさらさらなかった・・・
まして、それを脅かす「法の伝授」など、たとえ可能であってもする気はないと
判断できます。

その挙句、ホテルオオクラで若い水商売上りのねーちゃんとよろしくやっていたんだから
はなしにならん!!!しかも、伝家の宝刀、信者にとって決して冒すべからずの「仏勅」にも
匹敵する「御霊諭」で女を引っかけてホテルに連れ込むんだから・・・

あ、そういえば、YANの3ぺー氏のスキャンダルか何かの時に「水商売の女ならいざ知らず会員に・・・」
なんて、ホウワしていたような・・・当時は「水商売の女だって、職業に貴賎はねんじゃね?」
って思ったけど、自分は水商売上りのE川氏とよろしくやっていたんだから、所詮「水商売の女を
愛人にしただけだからこのくらいいいべ?本尊さんよ?」てなもんだったんでしょうね。やれやれ。

711神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/13(木) 22:39:02 ID:YaD7r0520
このたびの事案をまとめて見ますと
セクハラと美人局の重層的複合犯罪かと見えます。
デスカラ、ドチらも強く言えず、和解に至ったと!!
そう解釈すれば暴露本も自伝もいっさい世の中にはでないでしょう。
どちら側が出しても自分たちも無事ではすまないからです。
私にはそう見えるのですが!?

712ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 22:58:51 ID:SmEF4Oe2O
>>711
2ちゃんねるを見ても、桐山ゲイカもE川さんもどっちもどっちだろ?
宗教詐欺を糾弾するならばE川さんは被害者ではなく加害者の側でもあり
非難されて然るべき立場だろという声も強いです。
これは世間的に見ればまさしくその通りです。
しかし私は今更E川さんを世間的な良識ある見地から見て批判したとて
それはそれだけのことで、アゴン宗という大屋台を揺るがすにはさほど効果的
にもならないと思う。
それよりもE川さんに対してその立場を冷やかしでもいいから支援、応援して
彼女をその気にさせてますます桐山城に攻め入りさせることの方が有益である
と考えています。
信者の為を思えば、非難の対象として第一に目を向けさせねばならない相手は
桐山さんですからね。
だからその道具としてE川さんを考えている。
言わば彼女の人格などこちらは軽視している。
薄情かも知れんが彼女の人格は彼女自身が考えてくれ。
こちらは桐山城を攻略することだけが目的なんですから。
それが信者の目覚めに最も有効かつ最短の道との信念があるからです。

713天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/13(木) 23:19:34 ID:1OBFyOh60
和解金が1千万ということですが、あまりにも低い。
まして一生暮らすには足りない金額です。
色川さんが何か職にでも就いて高給を貰っているのならまだしも、無職であるならば
あまりにも足りない。

また訴訟も「妻の座を得るため」ではないのでしょうし、第一和解した。
もうここでアゴンへのアクセスは断たれました。

どのような展開をするかは分かりませんが、やはり私も教祖を攻撃する行動を
起こしてくれたら幸いです。一番傍にいて尚且つ関係があった人なのだから中の
中まで事項を出せるでしょう。

これで色川さんがダンマリしたらそれはそれで仕方ないが、果たしてどうか。
様子を見ながら、いつもどおりの活動をするしかないでしょう、と思います。

しかし、今年始まっての2chは面白いね。いいことです。

714ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/13(木) 23:57:57 ID:SmEF4Oe2O
>>713
新年早々色情の因縁に染まってるねw
この掲示板の壁紙もピンク色に染めたいところだ。
予告編書くと挫折するケース多いが明日も桐山色情の因縁思想について論じたい。
「チャンネルをまわせ」の「アンナの末裔」の蔦子と乙吉の話です。

715桐山千景:2011/01/14(金) 02:22:55 ID:ShlmSMsM0
エロ川さんは予想通りのバカ女だった。
しかし、あのアマが桐山の愛人だったとはね。恐れ入ったよ。
シャンバラのN本S子が愛人だったということはあるだろうし、表面に出てきて
いないことも随分あるわけだよ。

銀座のアゴンビルでエロが活躍していたときに、砲座で「ほら、浣腸ゲイカの声だよ」
とかいって、皆に自分の携帯に録音されている桐山の声を聴かしていたというから、
頭のわるいバカ女の振る舞いが表面に表われていたんだよな。
だから知っている人は知っていたんだろう。

オマ〇コまでしていたとはね。射精して喜んでいたとは、まさにチン妙じゃないか。
あたまの悪い女だから、こうすればお金が手に入るとか思えば、またまた暴走するよ。
あの妹なんかは根性あるからね、そう簡単には引き下がらないよ。
暴露本を書けと言いたい。いまならばお金になる。3000万はくだらないぞ。
もうお古のオマ〇コなんだから、そんなもの使ってもお金にならん。
暴露本だ、暴露本。エロ川さん一味はホントによく考えてやってごらん。

だがね、あんたたちの宗教詐欺のかたぶを担いだ悪業は消滅しないな。
人の気持ちの籠もったお金を貪った業は、あの世があるなら、間違いなく
「地獄逝き」の片道切符だぞ。まあな、一味は懺悔して、人助けの為に暴露本を
出すんだな。

716天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/14(金) 07:48:58 ID:F6bWCT.E0
>>714 おお。久々にユビ管長の法話だ。期待して待っていますw

717ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/14(金) 08:40:41 ID:SmEF4Oe2O
「チャンネルをまわせ」の冒頭に出てくるストーリーが「アンナの末裔」です。
桐山さんはあれを道場における人生相談(因縁解脱)指導の実話に幾分の脚色を
添えたものとしているが、たしかに元ネタとなるような相談はあったかもしれないが、
トルストイのアンナ・カレーニナを意識した脚色なんかよりもチャンネルが回っただの
その前提となる因縁を示しての面接指導なんてのは完全に作り話でしょう。
さてこの小説は処女願望の夫、乙吉の度重なる不倫に悩む妻、蔦子が主人公です。
小説の後、先のページに出てくる解説によると桐山さんはこの二人の因縁透視書を
渡すと同時に面接指導をしたそおだ。
その因縁透視書には乙吉、蔦子共に色情の因縁が記されている。
夫の色情の因縁の悩みなんだが妻にも色情の因縁がある。
夫の色情に苦しみを受けるから色情の因縁なのか?
しかしそれはおかしい。
小説の中で自殺を図ろうかと妄想した蔦子に思い止まらせる発言を自らさせている。
「でも私はアンナではないわ。不貞を働いてないもの」
蔦子に色情の因縁ありとしたのは蔦子が乙吉との結婚以前に交際相手と関係を結び
処女を失っていることです。
乙吉は理性では「そんなこと」と問題視しなかったが、奥の部分で根に持っていた。
「ふん、あんたなんかヴァージンでなかったくせに」
蔦子によると交際相手に勝手に幻を描いただけで、傷ついて別れたのだと言う。
しかしこれが色情の因縁ならば恋愛なんてそんなものではないか?
誰しも何人かの異性遍歴を経て別れ傷つきも最後に伴侶を見つけて結婚する。
初体験の相手と結婚する人も決してそんなに少なくないだろうが、そうでない人は
多いのです。
乙吉の色情の因縁は父親よりも母親から受け継いでいるとも桐山さんは診断してます。
彼の母は色情の因縁ゆえに婚前に処女を失っているとか記述しています。
この著書を読んだのは私が高校生の時だが、それじゃあ世のほとんどの人が
色情の因縁になってしまうでないかと苦笑した。
婚前に童貞を失った男は色情の因縁か?
どうもこの辺に桐山さんの女性蔑視の偏見が見てとれる。
後家の因縁も夫の運気を剋する因縁もそうだが、男性本位の古い考えで現代に
通用しない。生涯の伴侶となる男以外に前歴の恋愛、セックスがあるだけで
色情の因縁のレッテルを貼られる。
桐山色情の因縁なんてこの程度のレッテル貼りに過ぎないのだから今回のE川愛人騒動
など完全に色情の因縁です

718Boo:2011/01/14(金) 09:02:14 ID:.Cmm/8tY0
>>717

ま、今回の件はユビさん御指摘のように「色情の因縁」間違いなしでしょう。
色情の因縁の定義は異性(同性の場合もある)から傷つけられることですから
カンチョウの立場は相当に傷つけられた訳です。肉体関係の成立の別なくです。
このことはE川氏の狂言でなければ、完全に色情の因縁ですね。

信者さんたちはこのことに対してどのような「大義名分」をたてて信仰生活を
続けられるのでしょうか?「それでも自分は救われている。だから因縁を切るんだ」
と思うのだろうか?

719準シュダオン:2011/01/14(金) 10:33:04 ID:1F7rdgXk0
聖なるバイブレーションを受ければ、妄想と現実の区別がつきますからねw。
批判派みたいに、妄想で勝手に盛り上がることは無くなるのです。
批判派の妄想は、随眠煩悩そのものなのです。釈尊は、木片を焚いた煙を、
その煩悩に例えているのです。護摩木を焚いても、内心を清めることに利用
出来ない場合は、何にもならない、と、説いてるのです。
正に、批判派のことを指して説いてると言って、良いでしょう。
批判派は、木片を焚いた煙のように、煩悩妄想がモクモクと湧いて尽きません。

凡夫がアレコレ願望を抱くのは自然です。修行者は願望を乗り越えないと
いけないのです。最初から願望なしの修行をするなんて、凡人には無理な
ことです。仏にしても、凡夫の願望を理解せずに、凡夫を救うなんて無理
なことです。仏にしても、凡夫時代を経過して、仏になるのです。

人間にしても、幼年期→少年期→青年期→成人、と成長していくわけで、
幼年期や少年期を省いて、いきなり大人になるのは無理な事です。
批判派は、少年期なしに大人になることを夢見ているようなものです。
仏になる修行は、凡夫の願望時代を経過、乗り越えなくては、成就しないのです。
それが少年期を経ずして成年にはなれない、ということです。

だから、護摩木祈願も、悪いことではない。やがて、成長して、我欲と健全な欲の
区別がついたら良いのです。釈尊にしても、欲が皆無なのではない。
釈尊にしても、托鉢して食欲を満たさなくてはならないのです。
食欲は生命維持のシグナルですから、それを無くすことはいけません。
と、まぁ、そういうことです。

720準シュダオン:2011/01/14(金) 10:55:54 ID:1F7rdgXk0
管長が説く、チベット仏教の思念による王者の相承には、大きく分けて、
二つの種類があるようです。
一つは、強いバイブレーションと共に、思念の流れが入って来るもの。
これは、上品の成就で、いきなり四沙門果のいずれかの成就と考えられます。

二つ目は、強いバイブレーションはあっても、思念の流れを感じないもの。
これは、中品の成就で、未完成な思念の相承、と、考えられます。
わたしの体験は、二番目の奴で、思念の流れは感じずでした。
それでも変化は感じますよ。例えが難しいですけどね。

批判派の仏教知識は立派でも、動いていない新車の自動車みたいです。

わたしの仏教知識は、オンボロ中古車みたいなものだが、エンジンが掛かって
ヨロヨロ走り出してる感じ、何か、そういう感じがしますね。

色川さんが和解したのですか?そりゃ、ようござんしたね。

721Boo:2011/01/14(金) 11:13:17 ID:.Cmm/8tY0
>719 :準シュダオン:2011/01/14(金) 10:33:04 ID:1F7rdgXk0
>聖なるバイブレーションを受ければ、妄想と現実の区別がつきますからねw。
>批判派みたいに、妄想で勝手に盛り上がることは無くなるのです。

聖なるバイブレーターを受ければ、(気持ちいいから)妄想と現実の区別がつきますからねw。
準シュダオンみたいに、妄想で勝手に(スレを)盛り下げることは無くなるのです。

*注・・・かっこ内はBooの注釈

722ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/14(金) 12:45:33 ID:SmEF4Oe2O
アンナの末裔の蔦子さんは結婚前のフリーセックスなどでなく、結婚後の旦那の
不倫で苦しむ運命を以て色情の因縁としてもいいでしょう。
この場合本人が不貞は働いていないと自分に言い聞かせているように自分に落ち度はなく
旦那の迷惑を被っているわけです。
ならば桐山さんは寝た寝ないに拘わらず(少なくとも誘っているが)
結果としてE川さんによって訴えられ責任をとらされている。(和解金、悪評)
だからこれは色情の因縁があって切れてなかったことになるのですよ。
そうでなれば不貞を働かないで、未婚の時のセックスごときで色情の因縁なんて
レッテルを貼られるのは不条理です。
潔白な蔦子さんが色情の因縁があって切れておらず、どうして桐山さんのケースが
色情の因縁なんてなかったなどと言えようか?
それから自分が苦しむだけでなく相手も苦しめた事実です。
桐山さんは堕胎経の解説でこれを水子の霊障話に読んだのはお粗末な限りであるが
自らの胎を堕ろす悪業を女性だけでなく原因を作った男性にも報いはあると
表明もしてるのですから。

723ラシン:2011/01/14(金) 13:21:22 ID:x9FuHHv20

>信者さんたちはこのことに対してどのような「大義名分」をたてて信仰生活を
続けられるのでしょうか?「それでも自分は救われている。だから因縁を切るんだ」
と思うのだろうか?

ここの自分教老人を見ればよく分かります。
簡単に言えば現実逃避です。
目の前の現実に目をつぶるという態度でしょう。
屁理屈を自分自身に言い聞かせて現実と対面しようとしない。
だから批判側の指摘に対して何一つ具体的な返答は出来ません。
色川さんが桐山さんの内弟子なら、男女の仲を彷彿させる写真に疑問を抱くはずです。
しかし勝手に自己の宗教観を主観で述べて、見てみぬ振りのしたり顔をしているだけです。
それだけならまだしも、どうしても己の優位性を鼓舞したい。
批判側が理解できないのは機根が劣っているからで、自分はそれを知っている。
社会見識すら低レベルなのを自覚できずに、上位目線でお説教までたれる。
常に自己弁解しか頭に浮かばない、そういう癖で生きてきたのでしょう。
それの端緒が次の一文によく表れています。

>凡夫がアレコレ願望を抱くのは自然です。修行者は願望を乗り越えないと
いけないのです。最初から願望なしの修行をするなんて、凡人には無理な
ことです。

これだけでもこの老人は、阿含経をまともに理解できていない証拠です。
釈迦の弟子を許され出家したなら、まず受戒生活から始まる。
一番分かりやすい生活が、一日一食を午前中に摂ることです。
これは三食のうち二食を捨てることです。
乞食しても食事が出来ない場合もあるが、それをも我慢する。
やせ我慢ではなく、泰然自若として食欲にこだわらない生活です。
つまり五欲のうちの食欲を制御することから始まるのだから、
上記の「最初から願望なしの修行をするなんて、凡人には無理」なんて言い草は通じない。
四向四果を理解できていないから、「凡人には無理」なんて無能なホンネを漏らす。

>人間にしても、幼年期→少年期→青年期→成人、と成長していくわけで、
幼年期や少年期を省いて、いきなり大人になるのは無理な事です。

この無理解で一見当たり前のことを述べてもただの弁解です。
いきなり阿羅漢になれるのは稀ですが、実際、大目連など証果を得るのに時間を要していない。
この老人のタワゴトは、幼児期は願望がある修業でよいのだと言いたいらしい。
しかし現実の出家は、捨てることから始まるのです。
家や家族、友人其の他俗事から遠く隔たる生活から始めるから出家と言う。
在家信者だとて、まず五戒を守ることからその資格が備わる。
不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒の五つです。
これのどこに願望を許す修業があるのだ?
自分の都合の良い受け取り方しかしないのは桐山さんが戒めている。
修業読本で己を出すなと言っています。
自分勝手な修行をせず、まずは先達や導きの親の指導通りに行いなさいと。

>だから、護摩木祈願も、悪いことではない。やがて、成長して、我欲と健全な欲の
区別がついたら良いのです。釈尊にしても、欲が皆無なのではない。
釈尊にしても、托鉢して食欲を満たさなくてはならないのです。

釈尊は祈れなどと述べているか? それこそ勝手な妄想を披瀝している。
釈尊は欲を一切無くせと説いたのだから、それに従うのが仏弟子でしょう。
我欲と健全欲なんて分けて言っているのは、欲好きの桐山さんだからだ。
釈尊の食事は食欲を満たすものではない。
最低限生活して行くうえで必要だからだ。
釈尊は生きる欲ではなく、生きている間により多くの人々に説法をするためです。
本来は悟り直後にそのまま涅槃にとどまろうとしたが、思いを絶って衆生救済の道を選んだ。
また、
批判側が修行しているなどと誰が言っている?
勝手に思い込んでそれに反論を加えても、それこそ妄想となっている。
それも「エンジンが掛かってヨロヨロ走り出してる感じ」などと自惚れても、
批判側から見れば、欲によって後ろ向きに走っているだけです。
釈尊は欲で動くエンジンを止めよと言っているのだ。
例えを借りるなら、走っている車が修業によって徐々に制動し終には止まる。
エンジンの制止による欲の消滅です。
エンジンが止まり二度と起動しなければ、車本来の価値は消えて消滅する。
いわゆる輪廻の停止です。

724桐山千景:2011/01/14(金) 14:32:12 ID:ShlmSMsM0
この老人と言うか、「詐欺のお手伝いを正当化している頭の老化した職員」というのが
正解だと思います。
妄想しているのは、殉死んだオンとかいう老人さんのほうだな。
思念によるバイブは2種類あるとか勝手に教えを捏造しているのだから。
教祖がいっていないことを発言して放言する。この人物のレベルの低さを
露呈している。
そんなに自信があるのならば、ハヨ宗務局に自分の所見を書いて送りなさいよ。
正式に認定してもらった上で、教学ではこうだと発現したらどうだ。
どうせ出来はしないのだろう。さすがに桐山さんの信者だけあって、屁理屈で
逃げるのがうまいねぇ。・・・。君は見所があるぞ。
では、今夜にでも。

725Boo:2011/01/14(金) 14:35:44 ID:.Cmm/8tY0
>>723

準シュダオン氏は別にして・・・もし私が現時点でアゴン宗の信徒だったらどうだろうか?
と、思うのです。

愛人のような「内弟子」を認められるか否か?
聖者でもない親族が後を継ぐ宗規で納得できるか否か?

愛人と温泉に行く暇があったら、弟子を鍛えてグモンジでもチャゃクラでも
念力護摩、クンダリーニなどなぜ教えないのか?

桐止さんが、数十年前に初めて知った総本山の構想に「サイマテックスグモンジ堂」
がなく、グモンジ法を教える気がないことを知ったことが、退会(退職)の原因であった
ことを告白していた。これが本当ならば、私でも退会していたでしょう。もはや
桐山アゴン教の矛盾は「黙殺」すること以外で対応しきれないところまで来ていると
客観的には思うのですが…

726天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/14(金) 14:47:42 ID:XTxd16PQ0
ユビさんなるほど。理屈をこねたゲイカも終わってますなあ。うんうん。

727ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/14(金) 15:11:39 ID:SmEF4Oe2O
>>725
Booさんが前に報告してくれてましたよね。
桐山さんが実際に行った面接指導の稀な事例。
男絶無ではないけど、なぜか若い未婚女性のそれも恋愛相談なんかが多い。
そんな相談、別れよだの進めよだけでよく、もっと危急の迫った相談者と面接を
すべきでないかと。

それはそうと本日のわが色情の因縁。
本日わが職場で会釈した女性のうち3人バイブレーションが襲った。
やりてえ。
いつも会ってる人たちだが。
桐山さんの擁護ではない。
桐山さん、いくらやりたいからって、本当に不倫しちゃだめだよ。
職権濫用しちゃだめだよ。
自分の欲情に仏なんか使っちゃだめだよ。
小説じゃないんだからさ。

728ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/14(金) 15:16:52 ID:SmEF4Oe2O
晩は準シュダオンさんにちょいレスした後、色情を離れてチャンネルをまわせの
小説の話でもつらつら書くかな。
なんでチャンネルが回ったの?おかしいではないか〜?ってな話。

729Boo:2011/01/14(金) 16:16:42 ID:.Cmm/8tY0
桐止さんは、ゲイカのクンダリニーの開発もかなり怪しいと言っていましたが、
しかし・・・ゲイカってムラダーラチャクラだけは本当に開発してたりして。

730準シュダオン:2011/01/14(金) 16:28:44 ID:1F7rdgXk0
親族が後継いだって良いのでは?良心的というものよ。
赤字だったら、親族が責任とるのですからね、それに、
規約なんて何時でも変えられるでしょ。
何でそんなのに迷うのか不思議だね、我欲の強い人が、そんなつまらんことに
関心が起きるのですよ、私なんて、そういうことに全く関心ない。
財の相続ではなしに、法の相続者たれ、ですよ。

それから、今や、退会して救われる信者は、ごく少数だと思われますよ。
辞めるべき信者は、もうほぼ退会したと思われますね。
いま残ってる信者は、私みたいに、信者になって成功した人だけだと思いますね。
わたしの場合、入行時に比較したら、今は社会的に経済的に成功しましたからね、
他人の意見に左右されはしないのよw。成功してる人に何言うのよ、余計なお世話
だわん。てな感じです。

ホントに困ってる信者を救う気持ちなら、阿含信徒よりも深刻に困ってる
人が居るでしょ、オウムの残党だって、まだ続けてるらしいしね。
それにね、ホントに邪教なら天罰が下るから、回りの人はほっといてもいいのよ。
わたしなんか、邪教と思う宗教は、論議どころか、話題にもしたくないね。
話題にする価値もない。
だから、批判派が、阿含宗を邪教と思うなら、なんで話題にするのか理解不能だね。
やはり、我欲の憂さ晴らし、としか考えつかんね。

731準シュダオン:2011/01/14(金) 16:53:17 ID:1F7rdgXk0
聖なるバイブレーションと言っても、バイブと聴けばあらぬ妄想しか思いつけ
ない批判派には無縁だねw。あんたらには「セイなるバイブレーション」しか
縁はないよ。セイ≠聖だからね、勘違いすんなw。
ユビキタスさんも、せいぜい「セイなるバイブレーション」の口だね。

昔、カールセーガンの本読んだけど、ほとんど忘れた。
しかし、カールセーガンの宇宙観を映画化したやつは、相当覚えてるね。
その映画は、コンタクトという題名で、天文学者が巨大なアンテナで、
宇宙人に電波を送り続けるお話でね、あるとき、何光年も離れた星から
応答があるのです。宇宙人は、ヒトラーのテレビ映像やケネディ大統領の
映像を送りつけてくるわけです。何年も前の地球の電波を受けているよ、
というわけです。
それとともに、地球人レベルでも作れる、UFOの設計図を送ってきた。
で、アメリカで、UFO=宇宙船を完成し、いざ飛び出そうとしたとき、
テロリストにUFOを爆破されてしまうのです。
ところが、予備のUFOを、なんと、北海道沿岸に、日本に作らせていたのです。
で、UFOを発射したら、地球時間の1秒間で、海に墜落してしまうのです。

で、中で気絶していた宇宙飛行士を救助したわけですが、何と、その飛行士は
宇宙時間の16時間の間に、時空を超えて霊界に行き、死んだ父と会話を
して帰って来ているのです。
と、まぁ、今の時代の時間と空間の考え方なら、もし、釈尊が今の時代なら、
時空を超えた思念のバイブレーションを説いたかも知れない、というお話です。

732ラシン:2011/01/14(金) 17:34:06 ID:x9FuHHv20
>730 :準シュダオン:2011/01/14(金) 16:28:44 ID:1F7rdgXk0
親族が後継いだって良いのでは?良心的というものよ。
赤字だったら、親族が責任とるのですからね、

赤字であろうが、つけは信者に回すのだから宗教貴族であることに変らない。
この強欲信者は、つねに弱者とか立場の弱い者への配慮や視点に欠けている。
教団の資産はすべて信者の浄財から出来たものです。
それを身内が受け取ることに、どこが良心的なのだ?

>財の相続ではなしに、法の相続者たれ

これを桐山さんに言ってあげなさい。
しかし桐山さんは、法の後継者すら育成できていない。
信者も指導できないから、あなたのような強欲が幽霊会員となっている。

>いま残ってる信者は、私みたいに、信者になって成功した人だけだと思いますね。
わたしの場合、入行時に比較したら、今は社会的に経済的に成功しましたからね、

一人自慢など、毛ほどの説得力もないと苦笑する。
あなたが入行して何年が経つ?
よほどのバカでない限り、若年から比べたら地位や経済面は向上しているのは当然です。
それがアゴン宗のおかげだなんて言うなら、どれほどの修業=お布施をしたのですか?
身勝手な宗教観で、自分教にかまけた信者が何をノタマウのだろう。
アゴン宗の場合、お布施こそ最大の供養であり、その金額に幸福度が比例するのだ。
アゴン宗のおかげでビルの一棟でも所有したと言うなら分かるが、
ビルや家屋敷を手放した話しばかりが目立つのはどうしてでしょう。
妄想でものを言わないほうが笑われないで済む。

>ホントに困ってる信者を救う気持ちなら、阿含信徒よりも深刻に困ってる
人が居るでしょ、

言った舌の根も乾かぬうちに、アゴン宗信徒で困っている人がいることを認めた?
騙されていたことを自覚できたから退会し、その偽善と矛盾を暴いているのです。
元信者だからこそ指摘できることです。

>それにね、ホントに邪教なら天罰が下るから、回りの人はほっといてもいいのよ。

ーダンマパダ第五章引用ー
悪事をしても、その業は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。
その業は、灰に襲われた火のように、燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。

>だから、批判派が、阿含宗を邪教と思うなら、なんで話題にするのか理解不能だね。
やはり、我欲の憂さ晴らし、としか考えつかんね。

ならばそう言う張本人が、どうしてこのスレに張り付いているんだ?
現実のあなたは、周りの誰からも相手にされず家人からも疎まれている。
唯一勝手に妄想を垂れ流せるのが掲示板だから、ここで驕慢を鼓舞し他人を見下している。
我欲の憂さ晴らしとは誰あろう、言った張本人だと推測される。
だから反論も出来ず、理屈にならない暴論を一方的に垂れ流して恥とも思わない。

733ラシン:2011/01/14(金) 17:53:33 ID:x9FuHHv20
>731 :準シュダオン:2011/01/14(金) 16:53:17 ID:1F7rdgXk0
聖なるバイブレーションと言っても、バイブと聴けばあらぬ妄想しか思いつけ
ない批判派には無縁だねw。あんたらには「セイなるバイブレーション」しか
縁はないよ。セイ≠聖だからね、勘違いすんなw。
ユビキタスさんも、せいぜい「セイなるバイブレーション」の口だね。

聖性は自分が自慢し放言するものではなく、周りから認められるものです。
桐山さんのどこにその聖性が見えるのだ?
チカゲがいないと淋しい、などと女性内弟子を引き留める聖者とは、
いったい何ですか?
内弟子と称しながら、教団内外信者にも知らしめないで、
十数年もお手当てを出していた。
高級ホテルに同宿させて、温泉旅行としゃれこんで、
内弟子にすがり付かれる写真まで撮らせていた。
こんな桐山さんの言動を見たら、セイにまつわる揶揄が出されても自業自得です。
あなたはその桐山さんから無料受信した”セイ”なるバイブなのだから、
その価値が分かろうと言うものだ。
よくそうやって自慢できるものだと驚いてしまう、多分並の神経ではないのでしょう。
だからあなたの弁解は、自らうんこと表現する下劣さをひり出していたのでしょう。
あなたの品性下劣さなど、ここで枚挙に暇がないほど存在しています。

734Boo:2011/01/14(金) 19:11:31 ID:.Cmm/8tY0
桐「チカゲ、わたしの性なるバイブレータはどうだ?」
チ「さっき逝ったので、これで私も性者の仲間入りですね?」
桐「う〜ん・・・準シュダオンくらいになったかな?」

   ・・・・・・・・・・・・・

ちゃん?ちゃん?

735桐山千景:2011/01/14(金) 21:46:12 ID:ShlmSMsM0
>720 :準シュダオン:2011/01/14(金) 10:55:54 ID:1F7rdgXk0
>管長が説く、チベット仏教の思念による王者の相承には、大きく分けて、
>二つの種類があるようです。

ほんと「殉死んだオン」はバカな野郎だな。
説明して真実を教えてあげる時間も惜しいし、そんな義理も無いので
バカのまま命終すればいいんじゃないのかな(爆

なにがチベットの「思念による」だ、邪教しか知らないド素人が
笑わせるね。その邪教に属していてもやってることは中途半端なくせにな。

「コンタクト」だとさ。バカみてえだなオマエは。
おまえの大好きな桐山さんは「恥影いないと寂しい」だとさ。
「今夜にでも」だとさ。

殉死んだオンは「迷徳講新聞」でも黙って編集してな。

736ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/15(土) 00:12:44 ID:SmEF4Oe2O
>>719:準シュダオン11/01/14(金) 10:33:04 ID:1F7rdgXk0
>聖なるバイブレーションを受ければ、妄想と現実の区別がつきますからねw。

バイブレーションで区別判断?なんじゃそりゃ?
宜しいですか?正邪の判断、善悪の判断というものは智慧により行うのです。
あなた方アゴン宗信者は智慧というと神秘的な何かを想像しているが、智慧とは
そんなカリスマにすがることとは逆の道です。
仏教は智慧の宗教、知恵の宗教と言われます。
これはキリスト教などと対比したものです。
神の愛にすがるなんて情緒情操に呼び掛けるのではなく、あくまでも知的であり
理性的であり、論理的であり論旨明快なのです。
桐山さんもまた知恵と言ったらギリシャ哲学とブッダの教えと「21世紀は智慧の時代」
で書いてますね。
その通りでギリシャ哲学とはソクラテスやプラトンを読んでもわかる通り
徹底的に議論して議論して生まれたものです。
こういう西洋哲学の思考訓練の伝統のなかった日本人などはすぐに情緒に逃げて
だめですね。
ブッダの教えもキリスト教なんかよりギリシャ哲学の方に近いのです。
つまり透徹した論理がある。
バイブレーションなんておかしな感情に左右されない確固たる知恵で観察するのです。
だからそれは言葉で説明ができ、議論も話し合いもできる。
正邪の判断をするならばなぜこれが正しくなぜこれは邪なのか話し合ってでも
解説できる知恵です。
愛人問題の判断についてもね。
あるバイブレーションを感じた人だけが理解できるなんておかしな話ではない。
普遍の真理を説いたのです。
説明すれば子供にでも理解できます。

737ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/15(土) 00:16:00 ID:SmEF4Oe2O
>>719:準シュダオン11/01/14(金) 10:33:04 ID:1F7rdgXk0
>釈尊にしても、托鉢して食欲を満たさなくてはならないのです。
>食欲は生命維持のシグナルですから、それを無くすことはいけません。

ほらね、またこちらも書いていない話でごまかす。
誰も食欲を殺して食うななんて書いていません。
人間生きていくのに食べることは欠かせない。
では質問する。
人間生きていくのに妻がいながら愛人も持たないと生きていけないか?

738ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/15(土) 00:51:11 ID:SmEF4Oe2O
>>720:準シュダオン11/01/14(金) 10:55:54 ID:1F7rdgXk0
>これは、上品の成就で、いきなり四沙門果のいずれかの成就と考えられます。
>二つ目は、強いバイブレーションはあっても、思念の流れを感じないもの。
>これは、中品の成就で、未完成な思念の相承、と、考えられます。

桐山さんのバイブレーションを感じだのなら下品の成就でしょうが。
げほん、げぽんとか読んじゃ駄目よ。
げひんって読むの。

739天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/15(土) 07:31:22 ID:n1dtj6rg0
本当にそのとおりですよね。ユビ管長の法話はために成るなあ。

740ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/15(土) 08:27:57 ID:SmEF4Oe2O
>>730:準シュダオン11/01/14(金) 16:28:44 ID:1F7rdgXk0
>親族が後継いだって良いのでは?良心的というものよ。

>財の相続ではなしに、法の相続者たれ、ですよ。

管長職を単に財の相続者としか考えてないからです。
その法とやらの相続者としての管長でなければならんのです。
例えばあなた管長できますか?因縁透視とその指導できますか。霊視と解脱供養
できますか?
求聞持聡明法マスターしましたか?指導できますか?
チャクラやクンダリニーの開発と指導はどうですか?間脳の開発法は?
これら全て桐山さんの掲げた成仏法ですよ。これを普及して広めるのが目的でした。
この成仏法を正しくマスターした実力ある人が管長として信徒を指導するのが本筋です。
その最も優れた人がたまたま親族であってもよい。
しかし最初から親族に限るなんて決めておくのはどういうことだ?
他の者にはさわらせないぞと、まさに財を守ることしか考えてない。
相続する法なんかないからです。
財と権力、権限さえ一族に相続されればよい。

>それから、今や、退会して救われる信者は、ごく少数だと思われますよ。

救われるって何ですか?退会したって何も救われませんよ。
金と時間と善意を悪用されることから逃れることができただけです。
それ以上の成功なんてのは各自が努力すればよいことで退会なんかと関係ない。
宗教に御利益などを期待する依存を捨てたのです。

>辞めるべき信者は、もうほぼ退会したと思われますね。
>いま残ってる信者は、私みたいに、信者になって成功した人だけだと思いますね。
>わたしの場合、入行時に比較したら、今は社会的に経済的に成功しましたからね、

誰しも成功してると言えますよ。成功してても退会することは別の視点なんです。
残ってるのがあなたみたいな人だけならばそれは晒し者のザマミロ信者ですから
教団を支えてください。

>それにね、ホントに邪教なら天罰が下るから、回りの人はほっといてもいいのよ。

阿含経を読んでないのですか?悪業が熟するには時間がかかる。
つまり報いは来世に各自現れます。

>話題にする価値もない。
>だから、批判派が、阿含宗を邪教と思うなら、なんで話題にするのか理解不能だね。

自分が関わった責任があるからですね。
それからあなたのようなザマミロ信者ばかりでなくまだまだ情報を提供すれば
目覚める信者もいるからです。

741準シュダオン:2011/01/15(土) 11:31:18 ID:1F7rdgXk0
金と時間と善意を悪用?
そんなの正確に判定できる人はいない。
悪人には、善行が悪用に感じられるし、善人には善行は善行に見えるだけです。
今のところ、批判派は妄想がたくましくて、自分の煩悩を自覚できないでいる
のです。
自分が修行に失敗したからといって、失敗の仲間を増やそうとするのはどうか
ねぇ、情けないねぇ。退会して救われてるのかと思いきや、そうではないらしい。
じゃ、退会する意味はないね。

幼少年期→青年→成人、というように、大人になるには段階があるね。
幼少年期を省いて、いきなり大人になる訳にはいかないのね。
幼少年期には、お人形やビー玉やメンコに夢中になることが必要なのよ。
今はポケモングッツか、とにかく、子供からそういうものを取り上げては
いけないの。お人形や玩具を与えつつ、さぁ仮名の勉強もしましょうね、
と、指導していくことが大切なのです。

仏に成る修行も同じことよ。
いきなり凡夫から願望を取り上げて、指導するなんて無理な事です。
そういうのは害にしかならない。
凡夫の切実な願望というのも、必然性があるわけです。
で、それを肯定しつつ、戒の意味や、施行の意味を説いていくわけです。
で、修行が進むにつれて、自然に凡夫の願望が、菩薩の四弘誓願に転換して
いく、というわけです。

ところが、批判派には、そういう阿含宗の全体構造が見えないのです。
だから、護摩木祈願などは煩悩を煽ることにしか見えていない。
智恵がないからです。いわば、信者の我利我利祈願などは、幼少年の玩具
みたいなものです。しかし、それを無理に取り上げてはいけない。
そういうのは成長するに従って、とれてしまうからです。
しかし、管長ともなれば、それをストレートに信者に言うことはできない。
信者を子供扱いにすることになって、怒らせてしまう。
だから、私が、あえてレスしたのです。
管長の法話を、ストレートに通訳すれば、以上のようになるのです。

742準シュダオン:2011/01/15(土) 11:50:17 ID:1F7rdgXk0
管長職を親族が継続することに決めていても良いと思う。
次期管長は、因縁透視や霊視や解脱供養が、出来なくたってかまわないね。
そういうことは、能力がある教学部や僧侶にやらせたら良いのです。
管長講義のビデオもあるだろうし、教学が分散することもないでしょう。

宗教法人には、公的団体として、宗教法人法でいろいろな規制があります。
役員構成やら、財務関係の管理の仕方など、報告義務もあります。
管長だからといって、私物化出来るものでもない。
私物化した宗教法人は、いずれつぶれます。
だから、管長職の継承について、一般信者は、とやかく悩む必要はないね。

743Boo:2011/01/15(土) 12:52:25 ID:.Cmm/8tY0
>私物化した宗教法人は、いずれつぶれます。
>だから、管長職の継承について、一般信者は、とやかく悩む必要はないね。

あはははは。大笑いしちゃったよ。あなたの大好きなアゴン宗が潰れかけていること
の理由は桐・山師やw田氏が教団を私物化したことに原因があること、をあなたは
一般論的に説明していることになるよね〜

744ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/15(土) 13:12:10 ID:SmEF4Oe2O
>>741:準シュダオン11/01/15(土) 11:31:18 ID:1F7rdgXk0
>金と時間と善意を悪用?
>そんなの正確に判定できる人はいない。
>悪人には、善行が悪用に感じられるし、善人には善行は善行に見えるだけです。

あなたの書いていることは客観の否定です。
各自の主観で善悪の基準が異なるのだと言う。
それじゃ法律なんか制定できない。
オウムの理屈がそうでした。あのテロ殺人はポアという善業なんだそうです。
彼らのバイブレーションではそのように感じたようです。
あなたはこれを否定するのにどうしますか?
客観的に判断できる指標があるのですよ。
バイブレーションを感じてもよいが、それとは別の当たり前の理性の観察が不可欠なんです。

>自分が修行に失敗したからといって、失敗の仲間を増やそうとするのはどうか
>ねぇ、情けないねぇ。退会して救われてるのかと思いきや、そうではないらしい。

あなたによると私らは失敗したから退会したのだそうだ。
退会したことが失敗ではない。
ならば、自分の頭で判断して自分の意志で退会するように導くことがこれに充当しますか?
わかるかな?退会しても失敗に導けないのですよ。前提は各自異なるのだから。

>で、それを肯定しつつ、戒の意味や、施行の意味を説いていくわけです。
>で、修行が進むにつれて、自然に凡夫の願望が、菩薩の四弘誓願に転換して
>いく、というわけです。

在家の信者はいきなり五戒を受けます。
入信を請うた時からそれは課せられます。誓わされます。
その中には不邪淫戒もあります。
待ったなしです。もう少し愛人と遊んでから段階を進めようと思った時に
不邪淫戒も実行しようかと思ってますなんて要求は通りません。

745ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/15(土) 13:14:40 ID:SmEF4Oe2O
>>742に対してはまた後で。
予想もしていたレスでした。

746桐山千景:2011/01/15(土) 13:33:34 ID:ShlmSMsM0
>>742
>名前:準シュダオン 投稿日: 2011/01/15(土) 11:50:17 ID:1F7rdgXk0
>管長職を親族が継続することに決めていても良いと思う。
>次期管長は、因縁透視や霊視や解脱供養が、出来なくたってかまわないね。
>そういうことは、能力がある教学部や僧侶にやらせたら良いのです。
>管長講義のビデオもあるだろうし、教学が分散することもないでしょう。
>宗教法人には、公的団体として、宗教法人法でいろいろな規制があります。
>役員構成やら、財務関係の管理の仕方など、報告義務もあります。
>管長だからといって、私物化出来るものでもない。
>私物化した宗教法人は、いずれつぶれます。
>だから、管長職の継承について、一般信者は、とやかく悩む必要はないね。

なんだおまえは随分詳しいじゃないか。そうかそうか、S倉とお話してるんだね。
どういう方向へゆくのか聞いているんだろ。黙って「クソ新聞」作ってろ。
もともとS倉は、親族崇拝の人間だものな。左翼的な人物。おまえも仲間。

親族崇拝は固定してるから、そこからものを言う。もう年も年だから今さらどうしようも
ないわな。繰り返し言うが、日本霊異記のくだらない文章でも書いてろ。

どんなにおまえが擁護しても、桐山さんの「愛人かこい問題」は消せないな。
相手がエロ川だぜ。お笑いだよ。

まあ、確かになあの女と話したときに、自信満々でな、どうして修行もたいしてして
いないのに、あれだけ自信があるんだと感じたことがあった。一度や二度じゃない。
今回のことで合点がいった。

そういう眼でみると他にもあるんだな。事実、詳しい人の話しじゃ、まだまだあると言うんだな。
大抵が泣き寝入りか、お金もらってるから、出てこないな。

エロ川には、もうひと踏ん張りしてもらって、暴露本を出してほしいな。
それで桐山さんも終わり。お前がどんなにS倉の手先になっても無駄じゃよ。
あの女は、変に正義感があるから、そこを期待したいな。

G堕よ、くらえゲラゲラ(爆

747準シュダオン:2011/01/15(土) 17:00:48 ID:1F7rdgXk0
善悪の判定なんて、批判派の判定は世間とズレている、ということね。
オウムの場合は、法廷で悪と、正式に判定された。
ところが、批判派の阿含に対する考えは、極めて私的で、世間の支持はない。
邪教ならば、日本の新聞や週刊誌が叩く。日本の新聞や週刊誌はそれほど馬鹿
ではないからね。だから、批判派の方が間違えているのです。

私は加齢によって、若いころより知能は衰えている。十年前の自分と麻雀を
すれば、今の自分が確実に負ける。計算能力だって、十年前より劣った。
しかし、仏教の解釈については、十年前の自分に、今は勝つね。
これはどういうわけだろう?
たとえば、凡夫の願望、護摩木祈願は、仏に成る通過点、幼少年期の玩具み
たいなものだ、なんて発想は、十年前の私には思いも付かないだろう。

密教の胎蔵界・金剛界の行法次第は、凡夫の九識を仏の五智に転換するため
のもの、とは、皆さん習っていることです。煩悩とは凡夫の九識から生じる
のです。その九識がなければ、五智に変換することもできないです。
だから、凡夫から、いきなり願望を取り上げるのはよくないね。願望も
肯定してあげないといけない、そしてそれを菩薩の誓願に質的転換をさせる。
それが肝心なのですね。
でも、こういうことは、十数年前の自分では思い付けはしなかった。
やはり、聖なるバイブレーションの為せる技なのか、なんて思いますよ。

748準シュダオン:2011/01/15(土) 17:14:01 ID:1F7rdgXk0
私のレスを読んでも、聖なるバイブレーションなんて、架空の話だと思い
ますか?釈尊はそんなこと説いてない、とか。
釈尊に握り拳はない、とは言えど、釈尊が説いたのは手に握った葉っぱ程の
量で、説かない内容は林中の葉っぱ程も、残っているのです。
テレパシーや聖なるバイブレーションを説いて、弟子が混乱すると思ったら、
釈尊は説かなかったでしょう。

テレビやラジオ、インターネットのある今の時代にお釈迦さまがお出でなら、
どうだろう?仏陀の思念を、テレビの電波や、あるいはインターネット情報
に例えて、アンテナを磨けとか、プロバイダーに接続せよ、とかの例えで、
聖なるバイブレーションを説いたかも知れません。

性なるバイブ、しか妄想できない批判派の皆さんには縁のないお話でしたか。

749Boo:2011/01/15(土) 17:35:53 ID:.Cmm/8tY0
だからね〜準シュダオンさんが聖なるバイブレーションを受けようが、性なる
バイブを聖なるバイブレーションと勘違いしようが、お釈迦様の残した思念を
受取ろうが、キリストの聖杯でワインを飲もうが、そんなことを議論してるん
じゃないの。

お釈迦さまが残した思念を受け取ったオウムの信者が地下鉄でサリンをまいたかも
しれない、そんな可能性だってあるんですよ。「サリンをまく」という行為の
是非を言っているの。

不邪淫戒があるにもかかわらず、愛人を持つアジャリの是非を言っているのですよ。

750桐山千景:2011/01/15(土) 19:31:56 ID:ShlmSMsM0
>>747
>>748

プッ!聖なるバイブレーションだって。なにそれ。ほんとにくだらねえ。
指導と称して、会員の愛人作って何が聖だ。性だろ、性欲だろうが。
おまえの頭こそサリンだろ。

桐山さんが、エロ川さんを「エロ御霊輸」で名古屋の東急ホテルに来なさいと
指導(オマ〇コ誘惑)したのは間違いのない事実だな。それもホテル代まで
添付してな。御霊輸を多く見たがそんな指導はじめて聞いたな。

おまえ、準シュダオンとか名乗るのいい加減やめたらどうだ。
S倉君と心中でもするんかね。意地悪な奥さんだが結婚してるのだから
御身を大切にしなさい。あんたが京都駅で星まつり後に、今のかみさんと
ベタベタより添っている風景はおぞましかったな。

所詮、桐山さんをどのように擁護しても、化けの皮は剥がれたのだよ。
こんなところでコソコソやっても無駄。会員には、知れ渡ってきているよ。
アゴン桐山教は邪教でいいかげんだから、超過疎化により縮小の一途だな。

課長だとか次長だとか、社会的に通用しない称号もらって喜んでいるような
のが、職掌にいるからダメダメなんだ。おまえなんかその代表だろ。

751無関係な人間です:2011/01/15(土) 20:16:15 ID:Veat9Scw0
すみません、2chで書けないので、こちらへ投稿します。申し訳ありません。


>>225

お返事遅れて、すみません。

結論から言うと、それが立証できれば刑法上の詐欺ですが、その立証は極めて困難でしょう。

 詐欺罪については、皆様が一番、アクセスできるサイトであるウイッキペディアでは、
紹介されていますから、まず、そちらをご覧下さい。 

 http://ja.wikipedia.org/wiki/詐欺罪

 一般論としては、刑法での詐欺を問題にする場合は、先ず、錯誤、簡単に言うと勘違いを
立証しなければいけません。つまり主観と客観の不一致を立証しなければなりません。
 で、桐山さんには霊能力なんか、全然ない、というのは大変立証が難しいです。
桐山さんの偉大な点は、死者を成仏させる、という謳い文句を上げた点です。例えば、ダ
イヤモンドとうたってガラス玉を売りつけたら、主観と客観の不一致が存在し、それが簡
単に立証できますから、犯罪になってしまいます。他の例を上げると、自分でビールを作り、
それをキリンビールとして売り出すと、購入者の主観と客観的事実とは乖離し、それを容易
に立証できますから、容易に「錯誤」は成立します。
 しかし、桐山さんの加持祈祷で迷っている死者をみごとに成仏させる、というの
は、五感では認識できません。主観と客観に不一致が存在するか、どうかは直接、証明で
きないのです。証明できないと、立件できませんから、詐欺に問えないのです。

 また、犯罪の故意、つまり「最初から騙すつもりだった」という点も立証しなければな
りません。つまり、誰かの心理状態を立証する必要があるのです。

 これが、自分でビールを作って、キリンビールと称して売り出した場合は、その行為自
体から犯罪の故意が容易に推定できます。しかし、霊能力の不存在の故意は容易には推定
できません。例えば、本人が一生懸命祈祷をしたが、霊能力が及ばなかったと言う言い訳
を崩すのも大変です。
 桐山さんに愛人がいるとか、釈迦が禁じた行為をするとかは、それらは間接証拠つまり
傍証に過ぎませんから、それだけでは犯罪行為の立証にはならないのです。
 そう考えると、やはり桐山さんは、偉大な○○○であると、感嘆せずにはいられません。
やはり目の付けどころが違うようです。彼は、過去の自分の失敗から学ぶという姿勢
を持つ、まれに見る×××なのです。

 次に詐欺罪(刑法246条)の実際の運用面という視点で考えてみます。
宗教行為が詐欺として摘発を受けた例としては、統一教会、本覚寺グループ、法の華など
があります。一般に詐欺罪は立証が難しいのですが、これらの事案では、当局が長年内偵
し、内部告発者の証言や証拠が集まり、小細工の存在や首謀者の詐欺の故意が立証できた
のです。それは、これらの教団の行為が明らかに犯罪の可能性が高いからでした。例えば
詐欺の結果、被害者が拠出した金額も1回で何百万円という高額の費用で、期間も短期間
でした。つまり社会通念からも許されない金額と方法でした。桐山さんの場合、一回の霊
視で10万円です。社会通念から見て、これをいきなり犯罪とするか、どうかは微妙なと
ころです。また、最初はうまい事をいい、じわじわと搾取する手法は、被害者に自分が
騙されていると自覚させるのを遅らせます。つまり、騙されたと気がついた時には、もう
手遅れ、という事態であります。

 要するに、統一教会、本覚寺グループ、法の華などの皆様が、刑務所の内側に落ちた
のは、プロでになりきれなかったからです。その点、桐山さんは、自分の苦い経験から
刑務所の内側に落ちるようなドジを踏まなかった。実に、プロ中のプロであります。

 被害者には誠にお気の毒ですが、桐山さんこそは、実に○○○中の○○○であります。

 急いで打ったので、行き届かない部分があるかもしれません。
その場合はご指摘を頂戴できれば幸甚です。以上、ご参考になれば幸甚です。

752無関係な人間です:2011/01/15(土) 21:22:16 ID:Veat9Scw0
優婆塞様、2chへの転送、ありがとうございました。
深く感謝申し上げます。素早い行動には本当に感心しました。
今後ともよろしくお願いします。

753天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/15(土) 21:47:32 ID:E/4L8DCY0
>>752 無関係さんへ

丁度作業が終わってこちらを見たんですが、レスの大事さと内容が素晴らしいので
すぐに転載させていただきました。
2chは文字数がしたらばより少なく設定しているので、分けて転載しなければ
いけませんでしたが、何とかはじかれないで済みました。
(以前連続して投稿したら弾かれたんですね)

本当に無関係さんのおっしゃるとおりで、これのせいで阿含宗への被害者団体を
作りにくいのがあります。
2chなどで過去にも「被害者団体作れよ」という意見がありますが、作って
阿含宗をどうにかできるのなら自分も参加するか、自分がとっくに団体のTOPに
なって行動しています。

なので、批判側の諸兄様方の言うとおりで、退会者を増やしたり信者が貢がなく
成るしか阿含宗を駄目にする方法はありません。
 
本当に悪質で巧妙な団体であります。

754ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/15(土) 23:27:04 ID:SmEF4Oe2O
>>742:準シュダオン11/01/15(土) 11:50:17 ID:1F7rdgXk0
>管長職を親族が継続することに決めていても良いと思う。
>次期管長は、因縁透視や霊視や解脱供養が、出来なくたってかまわないね。
>そういうことは、能力がある教学部や僧侶にやらせたら良いのです。

役割分担の発想ですね。霊力サービスは現場の坊主共に任せて、桐山一族は
財務管理をすると言うのか?
管長という職は教団のトップであり、ビジョンを持って指揮する。
その時管長たるものが何の霊視能力も持たぬから地球が霊障のカルマに覆われ
壊滅の危機に瀕していることも鈍感にしてわからず、要するに社会を知らない
子供が社長になったようなものでいちいち大人の家来のアドバイスを受けないと
何もできない、そんなトンチンカンな団体になるでしょう。
やはり能力ある者がリードするのが健全ではないか?
どうしてそんなアンバランスの危険性のあることを目論む。
たまたま親族が一番優れた能力があればリーダーになってもらい、親族よりも
能力ある人が輩出したらその人がリーダーとなるのが最も自然な話です。
どうなるかわからないのだから、管長は親族以外には認めねーよなんて規約をわざわざ
作る気が知れない。それは実は宗教の目的であるところの人心教化とか考えて
おらず、財と名声だけを独り占めにしたいからに他ならない。
管長というのは僧職の地位なんですね。だから夫人や三女のような在家が副管長
だったというのもおかしな話なんですが。
おっと、管長の桐山さんも出家の僧侶ではなかったかw
仏教においては出家が在家をリード教導するのが本来の健全な姿だと桐山さんも
述べています。それは池田創価学会が日蓮正宗大石寺から破門になって僧侶なしに本尊を発行したり
葬式なんか始めた時、なんたる仏教無知!と桐山さんは創価を嘲笑したのです。
そもそも池田大作なんて講頭、つまり檀家総代に過ぎぬくせに出家をさておいて
仏教のリーダーなんて片腹痛いとしていた。
それこそ財務なんか誰か法律に詳しいものに任せて宗教家は宗教に専念、つまり
人心教導に専念する。
まああなたの気持ちはわかりますよ。そんな指導などに興味もない。
霊障だの供養だのその実信じてもないから法のことなんてどうでもよい。
修行なんて面倒なことしたくない、現状で満足してるから、お願いだから何も
指導してくれるな。
誰かが財務でもしてろよ。

755神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/15(土) 23:32:21 ID:YaD7r0520
>>753
無関係さんのおっしゃることが法曹界の現在の趨勢ならば、
教義面での直接法廷対決では解決は無理なようですネ。
とすると深山氏やユビさんの言うごとく
一人一人はがすしか無いかと思われます!!
これも何か雲をつかむような話ですネ。
ROMし続けた私にはじれったくハガイクて、仕方ない。
何か?起死回生な方法はないのでしょうかネ〜
管長の愛人問題が世間的に露見しても馬耳東風な人物が
ふんぞり返ってる姿を見ると骨の髄まで食われてしまえと
わたしのような凡人はおもいます!!

756ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/15(土) 23:50:36 ID:SmEF4Oe2O
>>742:準シュダオン11/01/15(土) 11:50:17 ID:1F7rdgXk0
>管長職を親族が継続することに決めていても良いと思う。

企業の経営本体の問題として同族会社というのは多いですね。
実に多いのだが、それに対する世間の一般的評価は前近代的、閉鎖的、封建的と
いうものです。
前近代的体質を抜け出した発展的企業は同族にこだわらない。
例えばトヨタ自動車なんて企業の社長は時々豊田姓の人が社長や会長になったりも
してるが、それはたまたまのことで固定化せず一族以外の者がトップに立つ。
桐山さんて遅れてると言われるのが大嫌いで発展的進歩的と言われるように見栄を
張りたいのです。ならば前近代的経営を脱皮してはどうか?
尚私は同族企業が害悪だなんて決めつけの批判はしません。
ただ桐山さんが示していたスタンスから矛盾がありまっせと指摘したまでです。
徳川幕府なんてのも長年安泰が続いたし同族必ずしも悪ならずとも思う。
ところがあなたがそれを否定しているのですね。

>管長だからといって、私物化出来るものでもない。
>私物化した宗教法人は、いずれつぶれます。

徳川幕府とは日本という国家を私物化したものです。常にいかなることがあろうと
徳川将軍に従えとした同族国家です。
それがあなたによると「いずれつぶれる」。
なるほど明治維新のクーデターにつぶれましたね。
今では日本という国家は総理大臣もコロコロ変わる。
こういう政権移動を桐山さんは国家が健全であることの証明と評価してました。
鳩山由紀夫が駄目なら菅直人がいるさ。菅直人が駄目なら伊達直人がいるさ。

757干柿:2011/01/15(土) 23:53:17 ID:BBtat4sE0
>>748
そうは思いませんよ。わたしも擁護派だったことさんざん霊的バイブレーション
とか言っていたものですし、(ユビさんが知ってます)感じたものです。
しかし、それで現実的になにがどう変わったのか因縁解脱できたのか
と問うてみると何も変わらん、むしろそのようなものに溺れて
狂ったようになった人がいるわけです。(狂信的にという意味です)
ということは、かのバイブレーションなるものは、あまり(解脱、成仏という
ことに関して)関係がないということです。
酒や薬に酔って、いい気持ちになるのと変わらないということです。
あなたもいいかげん現実・事実というものに目を向けて、真実を見ることです
それこそ釈迦の説く道でもあります。

758ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 15:44:47 ID:SmEF4Oe2O
>>747:準シュダオン11/01/15(土) 17:00:48 ID:1F7rdgXk0
>善悪の判定なんて、批判派の判定は世間とズレている、ということね。
>オウムの場合は、法廷で悪と、正式に判定された。
>ところが、批判派の阿含に対する考えは、極めて私的で、世間の支持はない。
>邪教ならば、日本の新聞や週刊誌が叩く。日本の新聞や週刊誌はそれほど馬鹿
>ではないからね。だから、批判派の方が間違えているのです。

オウムは法廷で正式に悪と判決を下されたから悪なのではなく、最初から悪だったのです。
あれだけ派手な事件を起こしてくれたが、それより前から「徹底的にハードにお布施せよ」
だの問題を秘めていた。まあアゴン宗は将来もテロを起こすようなことはないが、
そうでない問題はいろいろあるわけです。
オウムは宗教団体ゆえに司法当局も不用意に踏み込めず、それが犯罪を生む温床に
なってしまったという見方もあるが、それよりも徹底的にハードなお布施なんて話が
マスコミによって取り上げられて衆目に晒されるようになったのはテロ事件が
起きてからです。それまではこちらもそこまでは知らなかった。
だからオウムはマスコミから決して非難的な目で見られていたわけではない。
面白く興味深く取り上げられもしたし、支持した宗教社会学者までいた。
マスコミからは黙認というよりも是認です。
だってテロ事件の起きるまでは大型書店の宗教書コーナーに桐山本と同じく
並べられており、あるいは桐山本よりも目立って山積みされていたのです。
だからそれを以てあなたはオウムはマスコミでも是認されているのだから
この教団は悪でない証拠であると論じているようなものです。
マスコミだってよほど破廉恥な事件がなければ出版を拒否したりしない。
だからそんな程度のマスコミを指標にするあなたが甘いのです。
善悪の指標というのはちゃんとあり、それはバイブレーションによってコロコロ
変わったり、バイブレーションを受けない者には判別できないなんてものではない。
瞑想とは沈思熟考することです。自分の頭で徹底的に考える。
自分をありのままに観察し真理を如実に観察する。
法とは真理のことであり、神秘な法術ではない。
空想のパールが体内をめぐる妄想お遊びや、デンパを受けるなんて話ではない。

759ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 16:12:31 ID:SmEF4Oe2O
>>747:準シュダオン11/01/15(土) 17:00:48 ID:1F7rdgXk0
>しかし、仏教の解釈については、十年前の自分に、今は勝つね。
>これはどういうわけだろう?
>たとえば、凡夫の願望、護摩木祈願は、仏に成る通過点、幼少年期の玩具み
>たいなものだ、なんて発想は、十年前の私には思いも付かないだろう。

>密教の胎蔵界・金剛界の行法次第は、凡夫の九識を仏の五智に転換するため
>のもの、とは、皆さん習っていることです。煩悩とは凡夫の九識から生じる
>のです。その九識がなければ、五智に変換することもできないです。
>だから、凡夫から、いきなり願望を取り上げるのはよくないね。願望も
>肯定してあげないといけない、そしてそれを菩薩の誓願に質的転換をさせる。
>それが肝心なのですね。
>でも、こういうことは、十数年前の自分では思い付けはしなかった。
>やはり、聖なるバイブレーションの為せる技なのか、なんて思いますよ。

加齢による影響というのは能力が衰える、失われるばかりではなく、逆に増えたり
完成に近づいたりする面もあるわけです。
あなたも若い頃よりたとえ無駄な解釈でも仏教知識は増えています。
興味ある分野ですからね。
但しあなたの場合は解釈もそうだが、賢くなったというよりもずる賢さを覚えた
という方が正解です。
煩悩の問題もそうですよ。
護摩木祈願は幼少時の通過点なんだと言う。
では質問する?通過点ならばいつそれを卒業するのか?
卒業しないで今でも護摩を焚いて祈願をしているではないか?
通過というからにはいずれは捨てるということです。
それを捨てることができないのは、いつまでも幼少のままで成長できず、
働きもしないで玩具に興じているような困り者です。
煩悩即菩提もそうですよ。
いつ五智に転じたのか?転じていない。煩悩のままではないか?
質問します。煩悩即菩提とは煩悩は煩悩のまま放任しておけばそのうちに勝手に
菩提に転じてくれるということですか?
つまり妻がいるのに独身女性を夜中にホテルに誘い、愛人を作るなんてことは
容認してどんどんその愛欲、性欲を追求しておれば菩提に近づくという思想ですか?

760ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 16:33:28 ID:SmEF4Oe2O
>>748:準シュダオン11/01/15(土) 17:14:01 ID:1F7rdgXk0
>私のレスを読んでも、聖なるバイブレーションなんて、架空の話だと思い
>ますか?釈尊はそんなこと説いてない、とか。

説いていません。阿含経にそんな記述はありません。
一方桐山さんは阿含経の中から成仏法を発見したと説いています。
チベット密教あたりにも市販本で読んで、へえ〜、そんなものがあるのかと知った
だけの思念による王者の相承を根拠にしていません。
その阿含経とは人間にわかる言葉で書かれているのです。
そこから読み取ったのだそうです。

>釈尊に握り拳はない、とは言えど、釈尊が説いたのは手に握った葉っぱ程の
>量で、説かない内容は林中の葉っぱ程も、残っているのです。
>テレパシーや聖なるバイブレーションを説いて、弟子が混乱すると思ったら、
>釈尊は説かなかったでしょう。

これはあなたがその経典をよく読まずに誤解しています。
釈尊は自分が知っていることがこの林の葉っぱ全部とするならば、君たちに教える
べき必要なことはこの片手の葉っぱだけなんだと示したわけです。
だから他は修行に必要ないのです。
霊魂について訊かれた時も、その質問には答えぬと無記を貫いた。
それはそんなことを追求しても修行の役に立たないからとしています。
だから片手の葉っぱだけを示して、全てを説き尽くした、教師に握り拳はない
としたのです。尚且つ質問を促して説法を続けた。
それはあくまでも手の中の葉っぱに関するもので、不要とした森の葉っぱ知識ではない。

761天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/16(日) 16:34:04 ID:ZH0IqpGk0
横入りすみません。ちょっとだけ連絡を。

本日先ほど(16:30)より「ツイッター」を開始しました。
アカウントは「datoban」で「天照」です。http://twitter.com/

HP、ブログに並びツイッターも展開です。
いろんな方向で展開をして、一人でも多くの人に「批判活動」を知って
もらうための活動です。

それでは失礼いたしました。

762ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 17:01:34 ID:SmEF4Oe2O
>>755:神人同行 ◆3R1a2NAxr.11/01/15(土) 23:32:21 ID:YaD7r0520
>これも何か雲をつかむような話ですネ。
>ROMし続けた私にはじれったくハガイクて、仕方ない。
>何か?起死回生な方法はないのでしょうかネ〜

心配ありません。
あちらの方で崩壊ネタがこれから続出します。
こちらが騒がなくてもE川さんが暴露本を書かなくてもそれは必ず起きます。
ただ信者さんの頭の整理の為にはこちらの体系立った批判も必要であると思います。
桐山さんも90歳。マトモに姿を晒せるのもあと5年くらいですかね。
その間、それ以降何の騒動も起きず円満に行くはずがない。
歯痒くなるような結果には終わりません。

763ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 19:39:29 ID:SmEF4Oe2O
チャンネルをまわせ冒頭の3つの小説の話です。
その時チャンネルは回った!
最初のアンナの末裔は処女願望の強い旦那乙吉の不倫に悩む蔦子の話。
3度目の乙吉の不倫話、今度は本気のようで、相手は既に乙吉の子どもを身ごもって
いるとも。苦悩する蔦子は探偵者に調査を依頼し、その結果を待ってある事を
実行しようとしていた。その調査が知らされた。やはり相手は乙吉の子を身ごもっている。
蔦子は決心した。あすこへ・・・
その時チャンネルが回った!
ピンポーン♪
「は〜い?どなたかしら?」
扉を開けるとダサイ黄色いトレーナーを着た連中が。
「え〜、毎度馬鹿馬鹿しいアゴンの護摩木販売でござい」
・・・これじゃあまりにアホだな。
そうだ。娘がいい。乙吉に似た不良息子の長男・良夫よりは蔦子が心底可愛いと
信頼している長女尚子がいい。(ん?尚子?桐山さん、そうだったのか!)
「お母さん、ただいま〜」
「あ、ああ、尚子、お帰り。お母さんなんでもないわ」(誰も訊いてないって)
「今日はボーイフレンドを連れてきたの。紹介するわ。指くんよ」
「指丼どえ〜す。尚子ちゃんのカラダをいつも堪能させてもらってま〜す。
おっと、いけねえ。これはお母さんには内緒だった。ん?悪因縁の臭い?」
(つづく)

764ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 19:43:24 ID:SmEF4Oe2O
話は変わるが・・・今日の都道府県対抗女子駅伝、中学生区間ゆっさゆっさの発育のよいJCでしたね。
さてアンナの末裔に戻りましょう。

765ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 20:57:35 ID:SmEF4Oe2O
「あ〜、指丼です。お邪魔してます。うん、美味いコーヒーだ。おかわり。
時に奥さん、もとい、お母さん。話はこの尚子に聞きました。(呼び捨て)
何やらお悩みがありそうで」
「この娘は一家の恥を人様にもう・・でもあなたって不思議な魅力を持った子ね」
「それがしは東京・平河町の日本密教ねもと道場というところに・・なんだ?尚子
うるさいな。え?こんぽん?ああ、そうそう、日本密教根本道場に所属して
信仰、修行しております。尚子ちゃんにも勧誘したのですが、お母さんの許可を
とらないとということで、説明に参ったわけですが、ちょうどいいタイミングで
来たようです。人は因縁の操り人形となって幸不幸が定められています。
お母さんには夫婦縁障害の因縁が、お父さんはさらに色情の因縁があろうかと
推察されます。おっと、それがしにはそんな力はまだありません。しかしわが
会長先生の桐山靖雄大僧正は人の因縁を透視するだけでなくその因縁を切って
運命を転換する道を示していらっしゃいます。さ、さ、こんなところでアンナの
真似事なんかやってないで、やるのならそれは後回しにして、一緒に平河町の
道場に参りましょうぞ。それがしが道案内をします。近道知ってましてね。
例祭の時なんか近所から苦情来ませんかね。尚、相談仲介料は鐚一文いただきません。
しかし道場に行ったら面接御礼とか指導御礼とか払う必要かもしれません。
なにしろそれがしも面接なんかしたことなくて・・。行けばきっと面接も叶いましょう。
そうしないと本書けないし。面接したことに嘘書かねば」

766ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 21:31:25 ID:SmEF4Oe2O
さてなぜか夫婦そろって道場に面接に行った蔦子と乙吉。
先に因縁透視書を作成してそれをもとに面接指導したのだそうだ。
いろいろとヒアリングもしてるようで。
「そうか、乙吉。抱かれるのがいいのか。抱くよりも抱かれたいと言うのが
おまえさんの特徴だの」
ともあれこの面接指導もあってチャンネルは回った。
乙吉は土下座して不倫を詫びて二度としないことを誓った。
不倫相手との子は蔦子が引き取り乙吉と共に育てることになった。
土下座する姿はその前と同じであったが、今度は大丈夫だろう。
なぜなら蔦子のチャンネルが回ったからだ。夫婦のチャンネルは一つだから
乙吉のチャンネルも回ると著書にも書いている。
これはまあ夫婦そろって因縁切りの行に入ったということなんでしょうね。
しかしそれって因縁切りのスタートでありまだまだ油断を許さないはずです。
蔦子には肉体障害の因縁強く横変死の恐れありとされている。
先祖に悪影響を及ぼしている不成仏霊まで霊視されている。
不倫相手の子を引き取ると言うが、決してそれでハッピーエンドではあるまい。
お腹を痛めて出産し、それを本妻に持っていかれる不倫相手はどうなるのだ?
とにかく因縁解脱というのは段階があり時間がかかる。
不成仏霊の解脱成仏はどうなるのか?
解脱供養というのも古い観音慈恵会の時に1万円であったとフジウスさんは
書いていたが、そもそも桐山さんによると、密教の供養法は形式、様式のみで
成仏力がない。成仏力はアゴン経を修行することにより霊視能力と共に身についたはずだ。
桐山さんはチャンネルをまわせを書いた時から密教から阿含へのチャンネルを回した
と現世成仏に書いている。チャンネルをまわせが出る前年の説法六十心では
小乗仏教とか書いて、まだ阿含経の価値に気付いていない。
それから阿含経に気づくにしても随分とギリギリなことのようで。
とにかく因縁切りの時間を無視している。
不倫相手の妊娠した女の赤ちゃんが産まれるのにも時間がかかるだろ?
怪しいな怪しいな。
桐山さん、チャンネルが回ったなんてハッピーエンドを書くのは早過ぎるんでね?
それは希望的観測というもので、実話の脚色とは違いまっせ。
全部作り話ならわかるが。
この問題解決のスピードが早過ぎるのは「にんじんの系譜」ではもっとひどい。

767ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 22:36:56 ID:SmEF4Oe2O
にんじんの系譜
これは赤面恐怖、対人恐怖に悩む気の弱い中学生の啓太少年の話です。
彼のチャンネルを回すのに重要な働きをなすのは、空手の達人でもあるT大生の
家庭教師の石川先生ですね。
日活ばりの安物娯楽映画に出てきそうな、実は強くしてさりげなさをかっこよさに仕立て上げた人です。
啓太はクラスのいじめっ子、伍一ドンに呼び出され、空手部の先輩であるM大の
立花先輩の前で落とし前をつけてやると脅され恐怖におののく。
そしてついには自分を制御できなくなり、ママの言うことも聞かず、登校拒否をする。
その時チャンネルが回った。
九州から1日早く帰ってきた石川先生がチャンネルを回す方法を教えてくれた。
翌週、啓太は伍一ドンや立花先輩の前で堂々と空手の型を演じてみせた。
石川先生から立花君なら知ってるが、そんなわからぬことを言う人じゃないから
こうしたまえとアドバイスを受けた。
しかしそんな諭しくらいで安心して堂々とした性格に変えられるのならば誰も苦労しない。
石川先生が教えたのは単なるアドバイスや空手ではなくもっと別な話だったはずだ。
すなわちチャンネルの回し方。因縁解脱です。
このようなコンプレックスに悩む啓太少年の性格形成には単に教育などで
解決できないものが根深くあり、それが因縁であるのだから、悪い因縁を切る
方法を教えた。そう、何を隠そう、石川先生こそ日本密教ねもと道場で桐山靖雄
会長から指導を受ける観音慈恵会会員だったのだ。
しかし・・・何を教えたのか知らんが・・・たかだか1週間で性格が百八十度
転換するものか?
因縁だって簡単に切れぬものを、長年因縁の支配下にあった性格など変わるには
時間を要するはずです。
だからこんな奇跡的な話は安物映画にもない。
これを実話に脚色を加えたと言うのならば、そんなことはあり得ない。
最初から最後まで作り話です。
もちろん石川先生なんてのもいない。

768ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/16(日) 22:48:12 ID:SmEF4Oe2O
カインの一族。
これは出来の悪い不憫な息子辰吉に悩む定三老人の話です。
定三はある夜、意を決したように泥酔の後睡眠についた辰吉を見て、妻をその場から
離れさせ、この不憫な息子を殺して心中しようとする。
そして掛け矢を手にする。
その時、チャンネルが回った!
「あの時、あの電話がかかって来なかったら」
定三は述懐する。そう電話がきっかけになりその悲惨な因縁は回避に向かっのです。
「こんばんは。毎度馬鹿馬鹿しいアゴンの護摩木販売です」

俺も馬鹿馬鹿しくなってきたから、もう止めて寝よう。

769Boo:2011/01/16(日) 23:20:27 ID:.Cmm/8tY0
ユビキタスさんが言いたいのは要するに、本では簡単にチャンネルを回す(昔のTVのチャンネルは
ガチャガチャとダイヤルのようなハンドルみたいなやつを回して放送局を変えるものでしたねそう
いえば・・・)ように人生というか運命が転換するみたいに書かれているが、実際は40年以上か
かっても回るものじゃない、という現実でしょうか?

なかなか面白い解説でしたが…とくに、護摩木の販売で、簡単に運命が転換してしまうくだりなど。

770ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/17(月) 00:07:44 ID:SmEF4Oe2O
>>769
今度は観音慈恵会の道場に参拝しようと赤坂見附の駅に降り立ったら、
フーターズにてタンクトップとホットパンツのおねいさんに鼻の下を伸ばして
参拝を忘れる指少年を描いてみたい。
タイムスリップしてますが。
フーターズは行ったことないけど、赤坂見附なんて久しく行ってない。
ネタを書きたいのかなんだかわからなくなったが、ご評価のように因縁解脱して
問題が解決してしまうスピードが桐山教学にも矛盾して早過ぎるのです。
ああいう話があるのなら、夫婦は因縁切りの行に共に励むようになり、二人の再起に
幸あれとしか書けないのです。
作り話を脚色とは言わない。
あの話を本当に作り話に決まってるなんて達観してましたか?
ああいう偽りの宣伝は罪作りだと思いませんか?
千座行だってそうでしょう。千日で大抵の因縁が切れて満の行座には自分を終了して
我が子の因縁を切るなんて和讃で説いている。
現実にはいつまで経ってもあるのかないのかわからない因縁は切れない。
千座行や千座行和讃が古くから存在していたというのなら、その誇張表現は
桐山さんの責任でもない。
しかし千座行も千座行和讃も作ったのは桐山さんです。
何を根拠にそんな誇張にも嘘にも値することを書いたのか?

771天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/17(月) 04:47:07 ID:zQyAIUt60
ユビさんの解説を見て思うところ沢山ありましたね。
解脱供養の体験談とかは、信者の体験などの発表なのである程度本物ですが、ゲイカの本や
法話での話は信憑性に欠けます。

特にこの「チャンネルを回せ」の中身もそうですが、その他思いつくのを上げれば、
「守護霊を持て」や「阿含密教・超能力の秘密」とかにも出てくる方々も本当の人と
架空を混ぜているようです。特にチャンネルを回せに於いてはユビさん仰せの通り、
展開が速すぎますし、異様です。

あれらは「仮名で短縮しての話だ」というかもしれませんが、はしょりすぎですし、
また「元となった人物」が一切見えてきません。
頭の中で想像・作成したといわれても仕方ないでしょう。
(まあ我々は額面どおりに本当であろう、と受け止めたので騙されましたが)
これらが「フィクション」であってゲイカの妄想及び架空の話であれば、取るに足らない
「ショー」か「挿話」ですから信じ込むことは無かったでしょうね。

772天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/17(月) 04:52:16 ID:zQyAIUt60
また今気がつきましたが、面接指導なんてここ何年も聞いたことが無いですね。
あれだけ呆けていて指導などできるわけがないか。
また脳梗塞やっているから、かなり前から面接指導もストップしたままでしょうね。

ネットワークが出来たときは「この回線を使ってどんどん指導や面接をする」などと
言ってましたが、一度も見たことが無いし聞かない。
だれもゲイカに反論できないから職員さえも「ゲイカ、回線使わないのですか」と
意見しないままです。

いつも言うことだけは百人前で実行しないからな。駄目教祖。

773神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/17(月) 07:47:44 ID:YaD7r0520
以前、管長の話はバナナのたたき売りというレスをどなたかされてましたが、
時間と空間を極度に短縮し効果抜群の演出がされてますね!!
マサニ。今買わなきゃ損損
どういう教え・宗教か知らねども入りゃな損損
しかも早い者勝ちの印象を与える!!
これでは近くの人は買いますね?
サクラも混じって煽られりゃ人生を皮肉に見る者だとて、
雰囲気に飲まれますね!!
遠くでボ−ット見てた私ニャ何のコッチャ!!
今のところ私には必要はないようだ!!
もし本物ならそのうちに効果のほどが伝わって来るだろうから、
それからでもいいか!!スッカシ超能力はほしいな−!!
所がですな!!効果が伝わらない内にBBSザ掲示板で効果のないことが
四〜五人の立ち話で先に伝わってきた!!
買わなくて正解!!デモ
その当時は☆○よさん達と同じで、
あの叩き売り屋何かを未だ隠してるのでは?
失礼ながら、☆○よさん達に素質が無かったか
まじめに取りくまなかったか?と一瞬・・一瞬ですよ 思いはしましたよ。
デモ私の知らない世界の詳しさに、
まじめに真剣に取り組んでもこの程度なら
ユビさん達が言うことが事実で、何もないのだろう!!
老後の趣味としてとっておこうと思ってましたが
ヤッパリや−めた!!後はこの邪教めに
一瞬でもオレを翻弄した償いをさせずにおくべきや−
チョット動機が不純かも?!!知れませんが
皆様の打倒詐欺師の後ろをトコトコ付いて行きますよ!!
♪ガンバロウ!!突き上げる空に〜♪

774ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/17(月) 08:38:21 ID:SmEF4Oe2O
>>771-772
信者が書く体験談と桐山さんが著書に示す面接指導例のギャップがあり過ぎます。
それは物書きである桐山さんとの表現力の差なんて次元の話ではない。
体験談報告者の報告に桐山さんとの面接で桐山さんは自分にしかわかるはずがない
ことを言い当ててみせられ舌を巻いたなんて書いてくれてないなんて次元の話で
すらなく、桐山さんの面接を受けたという報告が無いのです!
これはおかしな話で表現力云々ではなく面接を受けたならば必ずその事実を報告
するのは義務というものであろう。それを書かない報告書なんてあり得ない。
ところがこれまでに数多く出ている体験談で面接指導を受けた話なんて目にした
ことがない。これはどういうことなんだ?
桐山さんの面接指導まで受ける難しい問題を抱えた相談者たちは薄情にも体験談の
報告をしようとしないのか?それとも面接相談者は効果がなかったのか?
報告もしない薄情者も一部少数いるというのならばわかるが、一人も報告した例が
ないとはどういうことか?
これはつまり面接指導そのものがないということなんです。
稀にあってもそれは若い女性の恋愛相談であったり、報告するに足るものではない。
それが証拠に面接指導のシステムすらない。
面接指導が行われてもいないのにしているかのように示すことを脚色とは言わない。
嘘という。著書に堂々と嘘を書いている。
これを読んだ信者以外の人は、ある程度の脚色を想定してもそのような面接指導
があるものと信じます。
また既に信者である人は、これは自分のことではないから、誰か知らない他の信者の
話か、古い昔あたりの話なんだろうと疑わない。
まさかありもしない大嘘の作り話とは思わない。

775天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/17(月) 08:51:33 ID:zQyAIUt60
そうですよね。多く面接指導があったら、「私もこの間ゲイカに指導を受けた」
「私もよ。それはこうこうこうで・・・」とかおしゃべりな信者が黙っていない(笑)

確かに観音慈恵会や阿含宗になって間もないときの一部の信者で面接指導を受けた
人は知っていますが、2人だけです。それ以外は全く聞かない。

ユビさんの意見に同意なので、これ以上は語ることはないですが、本当に呆れる。
やはり信者は現実を見ないといけません、ということでしょうね。

776準シュダオン:2011/01/17(月) 10:38:39 ID:1F7rdgXk0
チャンネルを回せ、というのを今風に言えば、リモコンのチャンネルボタン
を押せ、ということで、チャンネルを変えよ、ということですよ。
つまり、番組を変えよ、ということ。つまり、運の悪い人生を歩んでる人は、
運の良い人生に変えよ、という意味ですよ。
本当にこんなことも解からないの?呆れたw。

自分に変化が起きた人は、他人の体験談なんか関係ないね。まぁ、参考程度
にはなりますけども、それに大きく影響されることはないね。わたしも、
もはや他人の体験談に、大きく影響されることはないです。

同じ阿含経を読んでも、仏教学者と管長とで、大きく解釈が違う場合があり
ます。それも、決定的に重要な場面で、解釈が違う場合がありますね。
例えば、前にもレスしたように、等見品について、管長は、
「五難得の物を解決する五根法を修行せよ」と、説明しています。
五難得の物とは、老病死とかの避けがたい苦、のことですね。

これについて、仏教学者は、仏教伝道協会発行の仏教聖典において、
「仏の教えを受けた人は、五つの避けがたいことを避けがたいと知るから
 愚かな悩みをいだくことはない」と、訳しています。
つまり、諦めて生きよ、ということですね。

この仏教聖典の訳は、完全に間違いです。なぜなら、羅摩経にもあるように、
無上安穏涅槃というのは、五難得の物を解決した、という教えです。
つまり、涅槃を得たというのは、五難得の物=苦を解決した、という意味
であることは誰でも解かります。それなのに、仏教聖典では、いわば諦めて
生きよと訳しています。

つまり、管長の解釈の方が、明らかに正しいのです。

777準シュダオン:2011/01/17(月) 10:58:08 ID:1F7rdgXk0
先日、TBS系テレビで、マヤ文明とフリーメーソン、マヤ暦のことを報じて
いたね。マヤ暦は、2012年12月22日で終了している、とかね。
でも、マヤの伝道師とかが登場して、これは新しい時代に移るという意味だ、
と説明していましたね。ピラミッド内の壁画なども興味を引いたです。
二人の人物が肩を組んでる絵とか、摩訶不思議な絵でした。

私は、あの絵を見て、新時代とは、混血の時代ではないか、と思ったね。
単一民族は新ウィルスによって、滅亡し、混血のDNAだけが新ウィルスに
免疫があるというわけです。
 テレビではもっと衝撃的な解説をしていて、新ウィルスはフリーメーソン
の陰謀で、世界人口調節のために作られたものだ、とね。
ワクチン買えない人は、人工的新ウィルスによって殺されてしまうのです。
本当に、笑っていいのか、驚くべきか、あわわわ、の番組でした。

778準シュダオン:2011/01/17(月) 11:09:04 ID:1F7rdgXk0
1995年1月号のダルマチャクラのP12に、管長は、
「わたくしは、大乗仏教は絶対にダメだ、といってるのではない。ニセの
経典だけではダメだといってるのです。また架空の仏だけでもダメだと
いっている。阿含経を中心に据えなければいけない、といってるのです。」
と、記しています。もう、今から十五年も前にです。

「大乗仏教はダメ」と、「大乗仏教だけではダメ」と、この二つの意味は
大きく違いますね。批判派は、この二つの意味の違いの理解も無しに、
批判していますよ。

779ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/17(月) 12:36:33 ID:SmEF4Oe2O
>>776:準シュダオン11/01/17(月) 10:38:39 ID:1F7rdgXk0
>つまり、番組を変えよ、ということ。つまり、運の悪い人生を歩んでる人は、
>運の良い人生に変えよ、という意味ですよ。
>本当にこんなことも解からないの?呆れたw。

そんなことはこの著書が発売される予告編の新聞広告を目にした時から私は
わかりました。
私が言いたいのは、そのチャンネルが回って運命が好転するにも段取りがあり、
現実を考えるともっと時間がかかるはずではないか、それを無視してすぐにでも
運命が変わるかのように偽りの宣伝をしたことを批判しているのです。
他人の文章をよく読め。老化以前の注意の問題です。

780Boo:2011/01/17(月) 12:40:25 ID:GnvNPf7g0
私は今更ながら思うのですが・・・

781Boo:2011/01/17(月) 12:43:03 ID:GnvNPf7g0
>776 名前:準シュダオン 投稿日: 2011/01/17(月) 10:38:39 ID:1F7rdgXk0
>チャンネルを回せ、というのを今風に言えば、リモコンのチャンネルボタン
>を押せ、ということで、チャンネルを変えよ、ということですよ。
>つまり、番組を変えよ、ということ。つまり、運の悪い人生を歩んでる人は、
>運の良い人生に変えよ、という意味ですよ。
>本当にこんなことも解からないの?呆れたw。


こいつやっぱり頭悪すぎ・・・そんなこと誰しも承知してるにきまってるのに。

782ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/17(月) 12:47:49 ID:SmEF4Oe2O
>>776:準シュダオン11/01/17(月) 10:38:39 ID:1F7rdgXk0
>五難得の物とは、老病死とかの避けがたい苦、のことですね。
>これについて、仏教学者は、仏教伝道協会発行の仏教聖典において、
>「仏の教えを受けた人は、五つの避けがたいことを避けがたいと知るから
> 愚かな悩みをいだくことはない」と、訳しています。
>つまり、諦めて生きよ、ということですね。
>この仏教聖典の訳は、完全に間違いです。なぜなら、羅摩経にもあるように、
>無上安穏涅槃というのは、五難得の物を解決した、という教えです。
>つまり、涅槃を得たというのは、五難得の物=苦を解決した、という意味
>であることは誰でも解かります。それなのに、仏教聖典では、いわば諦めて
>生きよと訳しています。
>つまり、管長の解釈の方が、明らかに正しいのです。

人間が死んだ後に釈尊のように無余依涅槃に達した人は、もう生まれることもなく
死ぬこともないし、老いることもないし、病気もなんにもないわけですが、
その臨終して得た無余依涅槃に至るまでは老いて病気をして死んだわけです。
ここで問題とすべきはそんな究極の最終涅槃以降の話ではなく、桐山因縁解脱の
ように、ガンの因縁とか横変死の因縁とか色情の因縁とかがいま現世で生きている
間に消えてなくなることを説いているか?ということです。
五難得の物とは生きている間にそれが得られて生きていながら死ぬこともなければ
老いることもない不老長寿を説いているのですか?
そんなことは説いていない。桐山さんでも。

783ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/17(月) 12:50:49 ID:SmEF4Oe2O
>>778:準シュダオン
11/01/17(月) 11:09:04 ID:1F7rdgXk0
>「大乗仏教はダメ」と、「大乗仏教だけではダメ」と、この二つの意味は
>大きく違いますね。批判派は、この二つの意味の違いの理解も無しに、
>批判していますよ。
だからそれは何番の誰のどういう書き込みにつけたレスのつもりなんですか?

784桐山千景:2011/01/17(月) 13:38:37 ID:ShlmSMsM0
>>778
>名前:準シュダオン 投稿日: 2011/01/17(月) 11:09:04 ID:1F7rdgXk0
>1995年1月号のダルマチャクラのP12に、管長は、
>「わたくしは、大乗仏教は絶対にダメだ、といってるのではない。ニセの
>経典だけではダメだといってるのです。また架空の仏だけでもダメだと
>いっている。阿含経を中心に据えなければいけない、といってるのです。」
>と、記しています。もう、今から十五年も前にです。
>「大乗仏教はダメ」と、「大乗仏教だけではダメ」と、この二つの意味は
>大きく違いますね。批判派は、この二つの意味の違いの理解も無しに、
>批判していますよ。

おまえ、頭は大丈夫ですか。
どうせ突然思いついて書いたんだろ。脈絡がないな。
まるでアンタやS倉課長の大好きな桐山靖雄さんのようだな。
頭の中を検査してもらったほうがいいよ。悪い事はないから早く病院に行きな。

批判派というが、この掲示版で、アンタが一番桐山アゴン邪教がダメダメだという
証明になってるんだがね。これ言わないほうがよかったかな。
おまえはずっとここいて、桐山批判の手伝いをしていればいいんだ。
褒めてあげよう、見所がある。今夜にでも(君にはお手当ては無し)

785天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/18(火) 08:30:16 ID:tV.dKcpY0
議論中の横入り連絡、失礼します。

無関係さん、ちょっとお伝えしたいことがありますので、お手数ですがメールを
頂戴できますでしょうか?
目欄にアドを記してありますので、よろしくお願いいたします。

786天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/18(火) 09:12:13 ID:tV.dKcpY0
>>783 ユビさんご指摘の通り、アンカーもつけずただ野次るだけ。
あいも変わらず相手を非難して、それで論議? なんだかなあ・・・。

787<削除>:<削除>
<削除>

788ラシン:2011/01/18(火) 11:43:17 ID:x9FuHHv20
>776 :準シュダオン
>つまり、番組を変えよ、ということ。つまり、運の悪い人生を歩んでる人は、
運の良い人生に変えよ、という意味ですよ。

おもしろですね、この老人の知能程度をよく表していることに、
本人が気づいていません。
実は本人が自問自答しているのですが、その矛盾や正解には
欲に目がくらんで、自覚できていないのが次の文章で分かります。

>これについて、仏教学者は、仏教伝道協会発行の仏教聖典において、
「仏の教えを受けた人は、五つの避けがたいことを避けがたいと知るから
 愚かな悩みをいだくことはない」と、訳しています。
つまり、諦めて生きよ、ということですね。

諦めて生きよなどの意味ではないのです。
このように解釈することじたい、この老人のレベルが分かる。
つまり人生転換など一時の現象で所詮それに固執しても、
避けがたい生老病死苦は、何の解決にもならない。
解決にならないことに固執せず解決できないと知ればおのずと、
欲を離れて涅槃を目指し輪廻の停止を得てバカな人生好転という悩みなどに
囚われることが無くなる、ということです。

だから桐山さんの「五難得の物を解決する五根法を修行せよ」とは、
真の意味で間違いではありません。
ただ桐山さんは五根法などといかにも超人的発想を拭えていないだけです。

五根とは、信・精進・念・定・慧 の五つです。
信: 釈尊の説いた智慧(真理の法)を信じ、
精進:諸々の善きことを身に付けるために努め、
念: それをよく心に止めて忘れず、四念処によって念を得る。
定: 心を散動させずに執着から離れて心の静止を得る。
慧: それらにより苦の滅尽に至ることを得る智慧を自覚する。

これら五根も煩悩を滅するための根本的姿勢です。
ゆえに人生好転の可能性を求めても結局は死を迎えて、
たとえ好転してもそれはむなしく解決できるものではない。
つまり「五つの避けがたいことを避けがたいと知るから
愚かな悩みをいだくことはない」とは、諦めではなく
正しく人生や生を見つめ理解したら、良い人生など無常であると、
気づくことになり、それを求めることはしません。
それを理解できたら、欲は滅し涅槃を得ることになる。
ようは無上安穏涅槃とは、煩悩を滅尽したことです。
桐山さんの因縁切りなどお呼びでないと分かる。

778 :準シュダオン:2011/01/17(月) 11:09:04 ID:1F7rdgXk0
1995年1月号のダルマチャクラのP12に、管長は、
「わたくしは、大乗仏教は絶対にダメだ、といってるのではない。ニセの
経典だけではダメだといってるのです。また架空の仏だけでもダメだと
いっている。阿含経を中心に据えなければいけない、といってるのです。」

こう言わざるを得ない立場だからです。
大乗仏をあっさり否定したらアゴン宗は飯の食い上げだからだ。
諸々の大乗仏の功徳を説けなければ、布施の恩恵に預かれない。
ご利益お布施なくして教団運営、強いては宗教貴族が保てない。
だから大乗仏を否定できず、阿含経の元になどと詭弁を弄するのです。
しかし、阿含経の論旨はご利益など範疇の外であり、
変な加持祈祷などが否定されているのだから、ま逆状況を招いている。
こういうことを抜け抜けと弁解がましく放言するから詐欺師だと言われるのだ。

789天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/18(火) 11:53:49 ID:oCYN87Fo0
記事787の私文書さんの記事はメルアドが書かれているのですが、自分が保存・送信
したので消しました。ご了承下さい。(個人情報保護のため)

790無関係な人間です:2011/01/18(火) 14:16:47 ID:yEvkOvJY0
無関係な人間です。
天照さん、ご伝言、ありがとうございました。
桐山さんの闇は深いとあらためて痛感しました。

文中、「いろはにほへと」が良いと思いました。
また、今後とも、宜しくお願いいたします。

791天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/18(火) 16:23:21 ID:XslTJHe20
無関係さん、ありがとうございます。了解です。
こちらからもよろしくお願いいたします。

792ラシン:2011/01/18(火) 17:20:17 ID:x9FuHHv20

2chで、深山さんが皮肉るE川氏の暴露本ですが、
教団側は多分、出版差し止めの仮処分を請求するでしょうね。
その法的根拠は「人格権に基づく差止請求権」だろうかと思われます。
しかしながら、
民法上には、人格権に基づく差止請求権を明文で認めた条文はないそうですが、
人格権の性質上その保護のために請求権を認める必要があるという判例に基づくものです。
つまり和解内容の認否を別にしても、桐山さんの社会的影響を考慮した人格権がある。

桐山さんの教義の破綻はすでに論破されていても、
それはあくまでも法的根拠を担保していないので、
詐欺師疑惑であろうが守られるようです。
盗人にも三分?五分の理?などはここの老人の定番ですが、
人権は平等に存在するようです。

批判側はE川さんの行状に驚愕しても、たしかに桐山ファンに決定打とはならない。
どんなに法令を強化しても、人間の欲望ある限り騙される人はなくならない。

793無関係な人間です:2011/01/18(火) 18:10:52 ID:yEvkOvJY0
>>792

 いつも適格で鋭いご指摘をされ、敬服をしております。

 ラシンさんのおっしゃる通り、色川さんが暴露本を出した場合、阿含宗側は確実に、出版の差し止め
を裁判所に申し立てるでしょうね。
 ただ、私は出版の世界には疎いのですが、例えば、田中眞紀子さんの親族の離婚が週刊誌で取り上げられ
その差し止めの仮処分が出た時は、仮処分が何の効果もないばかりか、逆に新聞やテレビに取り上げられ
かえって、その内容が世間に広まり、週刊誌の売り上げに貢献したと聞いております。素人考えですが、
同様の効果が仮処分で生じる可能性はあるかもしれないと感じております。
 暴露本が書籍の店頭に並ぶ前に、教団側が情報をキャッチし、仮処分を出せばまだ効果はあるでしょうが、
本が店頭に出てから仮処分が出ても、実際の効果はどこまであるか、という疑問も片方ではあります。仮処分
が出ても、出版社は抗告するでしょうし、表現の自由が問題になるケースですから、最高裁までもつれると思い
ます。単に売り上げに貢献する可能性はあります。
 が、その後、頭に来た阿含宗側が、和解内容の違背を理由に、再度、訴訟をする可能性はあります。
その点のフォローをどうするかは、もう一つの宿題かもしれません。
 
 ご指摘の通り、法令の強化にも限界があると感じます。

794天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/18(火) 18:47:15 ID:XslTJHe20
私も素人判断でアイディアですが、少々。

暴露本が駄目なら自伝。自伝も駄目なら週刊誌で連載。
またはフォーカスなどの写真週刊誌にも掲載とかで原稿料を貰うのはどうかな?と。

本当は単行本でちゃんとした一冊の本が望ましいけど、分散式で出したらどうかな〜。
で、阿含宗にそういった出版をさせないために裏金を使わせ疲弊させるとか。

あまり意味ないか・・・。

795神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/18(火) 19:40:42 ID:YaD7r0520
正直2チャンのアラシ
I川派なのかアゴンなのか?混乱してきました。
深山氏のI川派にそった参考意見に対してもアラシの連続!!
アゴン側の妨害なのか?I川派の分かりましたのジェスチャ−なのか?
これ以上追求する必要は無いのでしょうか?

796私文書為造 ◆iCtd3oCMyM:2011/01/18(火) 20:12:50 ID:6ALM3TBA0
天照さん、15:45頃に頂いたメールですが、二行しか無いのですが・・・。

797天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/18(火) 20:14:33 ID:XslTJHe20
ああ、あれは、というか妨害の輩は基地外でしょう。
構って欲しいのか、またはああいうのが楽しくてやっているんで放置するか
軽くあしらうしかないでしょう。

I川派とか推測されていますが、違うでしょう。
我々がそれに反応することが楽しくてやっているので、構わないのが一番。
まあ、そうはいっても私も時々揶揄するが、程ほどにしています。

追求も相手にする必要も無いですね。

798天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/18(火) 20:15:21 ID:XslTJHe20
>>796 分かりました。今度は別な方法でやってみます。済みません。

799準シュダオン:2011/01/18(火) 20:23:36 ID:1F7rdgXk0
馬鹿は哀れだ・・・!。馬鹿に付ける薬はない・・・!。馬鹿を救うには・。
お釈迦様でも馬鹿は救えない・・・。

馬鹿の定義は、自分を馬鹿だと見抜けない愚か者のことだと釈迦はいう。

私の観察では、阿含宗の教えと、オウムの教えの区別が付かない、低能の
人が社会を騒がせた。批判派の皆さんにも、阿含の教えと、オウムの教え
とでどこが違うのか?解からない人が居るのかも知れない。
笑いたいけど、それは笑えない重要な問題だね。

阿含とオウム、その教えの区別のつかない人には、深刻な問題なのであるが、
逆にいえば、阿含とオウムの教えの違いを、解かる人は、レベルが高いのだ。
それを混同してる人は、未熟な証拠です。私は、簡単にその区別がつく。
しかし、それを論理で説明するのは、難しくて手間がかかるね。

800天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/18(火) 20:26:13 ID:XslTJHe20
>>799 自分のことを言っているのかな? 

>私文書さん

ただいま送りました。これで表示が変なら別なので送信します。よろしくです〜。

801準シュダオン:2011/01/18(火) 20:40:59 ID:1F7rdgXk0
思念による王者の相承は、それを受けよう、受けよう、と意識して修行して
いる限り、それは受けられないと思う。
 それを忘れて修行していたとき、
 あるいは、それを放棄したとき、
 まぁ、具体例は言えないけど、
何らかの、修行の方針・修行態度を変えたとき、私にそれは起こった。

1991年、「メシャの法」という本で、管長は脳の一部が発信機と
受信機になる、と記していたが、聖なるバイブレーションを体験すれば、
「なるほど、うまい表現だなぁ」と、思えます。
わたしの感覚で言えば、携帯電話の電源を入れると、ブブン、として振動し、
「起動中、しばらくお待ちを」と、表示がでる。

あの、ブブン、という振動の感じが、脳の中枢に起きるのです、
それが管長の言う、間脳を刺激され、霊性がよびさまされるバイブレーション
なのだと思いますね。

802ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/18(火) 23:49:20 ID:SmEF4Oe2O
>>786:天照 ◆8Sws/yExDc
11/01/18(火) 09:12:13 ID:tV.dKcpY0
>>>783 ユビさんご指摘の通り、アンカーもつけずただ野次るだけ。
>あいも変わらず相手を非難して、それで論議? なんだかなあ・・・。

彼(彼女)が横着しないでレスアンカーをつけて、こちらのどの主張の反論として
レス内容がわかるようにしてくれたら、私は誰にもわかるように、それにレスを
付けるつもりでおりました。そうでないことには議論が成立しない。
まあレスアンカーの一つも付けないでしょうね。
現役時代いかに仕事ができなかったかよくわかる。

>>778:準シュダオン11/01/17(月) 11:09:04 ID:1F7rdgXk0
>「わたくしは、大乗仏教は絶対にダメだ、といってるのではない。ニセの
>経典だけではダメだといってるのです。また架空の仏だけでもダメだと
>いっている。阿含経を中心に据えなければいけない、といってるのです。」
>と、記しています。もう、今から十五年も前にです。

さて我々の何に対して何が言いたいのか不明だが、我々もまた釈尊の阿含経の仏教
と大乗仏教が対立して共通点がないなんて言いません。
共通点、類似点はあります。
だから大乗でも阿含に反しないよいことはどんどんやってよいと思う。
しかし阿含と相反する部分はやってはならないでしょう。
なぜならば阿含経を依経とする阿含宗と謳っているのだから、根本的な対立があれば
阿含が優先される。
とするとあなたが紹介してる桐山文の範囲では、認めてはいけないものを認め
融合してはならない部分を融合しているようだ。
それが架空の仏です。阿弥陀如来などを指すのでしょう。
桐山さんは言う。シャカの成仏法を体得した導師が阿弥陀如来を祈る時、それは
シャカの南無阿弥陀仏になると。
わけのわからん話ですね。陰陽師が紙人形に息を吹きかけて動かすようなものか?
これは阿含経を知らないからこんなたわけたことが言えるのです。
阿含経は釈迦信仰を否定します。本尊なんて祈る対象の仏を認めない。
強いて本尊があるならばそれは自分自身だ。
神や仏を説いてもそれに依存することは絶対に認めない。
祈る、お力をいただくことを否定したのです。
自立せよと説くのが阿含経だ。
力を貸してくださる釈迦如来すら否定しているのだから、阿弥陀さんが西方に
いようが知ったこっちゃない。

803Boo:2011/01/18(火) 23:54:45 ID:yT8HRxn.0
それって脳梗塞じゃね?

804Boo:2011/01/19(水) 00:23:19 ID:yT8HRxn.0
>>803>>801へのレスね。念のため。準シュダオンさんが勘違いしないように。

805ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/19(水) 01:31:57 ID:SmEF4Oe2O
>>799:準シュダオン11/01/18(火) 20:23:36 ID:1F7rdgXk0
>私の観察では、阿含宗の教えと、オウムの教えの区別が付かない、低能の
>人が社会を騒がせた。批判派の皆さんにも、阿含の教えと、オウムの教え
>とでどこが違うのか?解からない人が居るのかも知れない。
>笑いたいけど、それは笑えない重要な問題だね。
>阿含とオウム、その教えの区別のつかない人には、深刻な問題なのであるが、
>逆にいえば、阿含とオウムの教えの違いを、解かる人は、レベルが高いのだ。
>それを混同してる人は、未熟な証拠です。私は、簡単にその区別がつく。
>しかし、それを論理で説明するのは、難しくて手間がかかるね。

私はオウムの「教え」の話なんか実はしてないのですよ。
オウムの為したサリンテロという悪業の問題を出したのです。
と言うのはオウムの教えについては私は知らないのです。
まだテロを起こす前、桐山本よりも目立って並んでる麻原の本を冷やかしに
手にとって立ち読みしたことあります。目次程度ですが。
テーラヴァーダだのタントラヴァジュラヤーナだのそれらしいことが書いてあった。
ちなみに信者はこのオウム教学にはまって狂喜したんだそうですね。
私は読んでないんだからわからない。
あなたは読んだことがあり、オウム教義を知った上でアゴン宗の教えと比較してる
のですか?
言えることはどこの教団でもそれらしい教え、教義というものがあり、それらしく
説得力ありそうな論理を持っている。
思えば私も密教占星術、チャンネルをまわせ、密教入門、人間改造の原理と方法
といった桐山世界に身震い鳥肌が立つくらいの歓喜を得たものだ。
しかしどんなにえらそうな教えを本に書いたからと言ってテロ事件起こしちゃ
いかんでしょ?愛人問題起こしちゃいかんでしょ?と問題提起したわけですよ。
だから私が問題にしたのはオウムならばテロだけです。教えなんかどうでもよい。
そしてそのテロを起こすことが善なのか悪なのか判断するのに何もバイブレーション
なんか必要ないでしょ?と言いたかったのです。
それともバイブレーションを受けるとサリンテロや愛人問題は我々の良識ある
倫理や論理に反して善に変わってしまうのですか?と言いたかったわけですよ。
わかりましたか?

806ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/19(水) 01:43:39 ID:SmEF4Oe2O
>>801:準シュダオン11/01/18(火) 20:40:59 ID:1F7rdgXk0
>思念による王者の相承は、それを受けよう、受けよう、と意識して修行して
>いる限り、それは受けられないと思う。
> それを忘れて修行していたとき、
> あるいは、それを放棄したとき、
> まぁ、具体例は言えないけど、
>何らかの、修行の方針・修行態度を変えたとき、私にそれは起こった。

桐山さんの思念による王者の相承はアゴン宗の道場に行って特殊な行事機会に
参加すれば受けられます。
1997年に集中して行われた。
私など東京の人間はネットワークを介さないで、関東別院で目の前で受けましたよ。
この思念ゴッコが近年また復活させたみたいで、w田さんあたりの発案か知りませんが
桐山さんは信者に向けて思念を発信する機会があり、参拝した信者はリアルタイムに
それを受けています。
あなただって宗報を読んで初めて知ったんでしょ?
ひょっとして、あなた桐山さんの公式の思念受けたことないんじゃないですか?
桐山さんは思念を受けてそれを育てるコツは梵行に奉仕参加して徳を積むことも
重要で不可欠だとしています。

807Boo:2011/01/19(水) 02:12:47 ID:yT8HRxn.0
しかし、準シュダオンさんは「バイブレーション」なんて、現役信者でも
死語になりつつある単語をくどくど使って恥ずかしくないのでしょうかね。
アゴンニュースで、ハワイだったかブラジルだったかから伝法に参加した中年
の女性が「管長のバイブレーションが・・・」なんて言っていましたが、そのころ
関東別院でも関西でも「バイブレーション」なんて言う言葉を使う人はほとんど
いなかった。それが多分20年以上前です。最近はまた、E川さんの影響で「バイブ
レーション」がはやっているんでしょうか?

私の想像では、準シュダオン氏は道場に行かないから、40年前の本に書かれた
バイブレーションの説明にいまだに新鮮な感覚をお持ちなんでしょうな。

808ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/19(水) 08:49:47 ID:SmEF4Oe2O
>『 御 霊 諭 』

>「『釈迦は桐山靖雄を出現させるために現れた』と書いてあるが、
>実はわたくしもそう思っていた。自分からは言い出せなかったので、
>人に言ってもらうと本当にうれしい。君はなかなか見所がある」

E川さんが桐山さんに取り上げられたのは、これが大きいですね。若い女性からの
コールだったこともあって。
豚もおだてりゃ木に登るとはこのことです。
豚とはY橋さんのことではなく、桐山さんその人だったのですね。
私はこの桐山さんをおだてると喜ぶ話を読むと、苦笑する。
自分も桐山さんが読んだら喜ぶような本を書いてみようかと思ったことがあるのです。
構想だけで、原稿用紙に下書きすら書き出したことがないが。
いろかわちひろ「メシア出現」、坂田芳男「祈りは天地を動かす」に続く
信者によるゲイカ礼讃本の第三弾となり得る本として。
私は桐山さんの御機嫌とりをする気持ちは毛頭なかったが、ある発見があり
それをまとめて綴ってみたいと思った。
当時所属していたファミリーの阿含経ビデオ勉強会の折、概略を少数メンバーの前で
発表したことがある。その時に聴いていたファミリーのサブチーフの方が
「これは管長猊下に手紙で書くとよいですよ。猊下は喜ばれますよ」
とアドバイスしてくれた。
このサブチーフの方は桐山さんに対して皮肉や揶揄の気持ちは少しもなかった
のだろうが、桐山さんの特徴をよく捉えているなと思いました。
手紙などしたためなくてよかったなと思いました。
ましてや平河などを通して本など出版しなくてよかったと思う。
出していたら末代までの恥です。
桐山さん擁護の悪業もそうだが、自分の頭の悪さを晒すところだった。
当時不眠症に悩み栄養も足りてなかったからロクな思考ができなかったんだよ〜。
ペンネームまで考えていた。
上高田三郎。
高田三郎とは風の又三郎の本名。風と共に現れて風と共に去っていく。
つまり一度きりよという意味。
これに当時住んでいた東京中野区の上高田をくっつけた。
近くには表薬師如来、裏如意輪観音という秘仏を本尊とする新井薬師もある。
薬師如来の謎と如意輪観音経の記述も本の内容の一部に入れようと思っていたし。
題して「西面する如來(タターガタ)」
サブタイトルは予言経典・七倶胝仏母心大准提陀羅尼経の秘密。
暇な時に紹介してみましょうか?
私と言えどいかに思い込みの激しい頭の悪い信者だったことを示す反省材料。

809天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/19(水) 13:05:21 ID:4bG1IOio0
>>808 もしもお時間が取れて投稿できるようでしたら、読ませていただきたいです。
退会した今では過去の出来事や構想でも、考察や個人的考えを学ぶ上では大切かと。
時間が掛かっても構いませんので、ご披露待っています。

810ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/19(水) 13:18:31 ID:SmEF4Oe2O
西面する如來(タターガタ)
上高田三郎

構想

序章――東面する男の原風景

第一章 準胝経典の秘密
準胝観音信仰に始まる
準胝観音経―如意珠の予言
七倶胝仏母心大准提陀羅尼経
砂の仏塔とは
択法覚支
菩提分法
経典はそのまま読んではいけない
成仏法発見の予言

第二章 モンゴルの奇蹟
諸観音経典に見られる災害からの救い
七日七晩
落陽に輝くガンダン寺の大貴人

第三章 西面する如來
桐山新三身論
「報身の仏はアミダでも薬師でもよい」?
謎の仏、薬師如来
無能勝の真言
十三匹の鬼
無能勝如来・一切萬霊守護金剛如来
東方瑠璃光浄土
釈迦山大菩提寺総本殿は西面していた!
極東の地・日本より全ての西の世界に向けて



出していたら悪業で地獄堕ちたカモ。

811ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/19(水) 13:23:14 ID:SmEF4Oe2O
>>809
わかりました。これはいつもの批判とは逆になりますが、なんでも許容のこのスレで
ゲイカ礼讃の過去の私を晒させてもらいます。
明日にでも暇が作れるかもしれません。
目次だけでなく解説を致します。

812桐山千景:2011/01/19(水) 17:50:24 ID:ShlmSMsM0
>>810
まあ、色川ちひろには書けない内容だろうね。

時々、思い出すのだが、「メシア出現」というあの駄本。
著者色川ちひろ(桐山さん愛人)の「あとがき」。ほんと笑える。
あたまは大丈夫かよ、ということが書いてある。ほとんど妄想だよ。
天道一希は、高知のY崎さんという在野のノストラダムス研究者。
色川のネタは、桐山さんが、メシアであるという妄想だけ。おもしろいのは
そのメシアからおこずかい(愛人維持費)もらって、メシアが倒れたら
その横で写真撮影するという点。なかなか頭が軽いのにしっかりしてる。
さすが、安い水商売の尻軽女だな。桐山のほうもそんなのと交際してるようじゃ
たいしたことない人間だな。
さすがに「釈迦は桐山出すために出てきた」ということは、あの時点では
言えなかった。おそらく後からバカ女使って言い出す予定だったんだろう。

桐山も色川も、妄想癖があるな。こりゃ重症だぞ。
みんな桐山の密教妄想三文文章、阿含経妄想三文文学の虜になってしまった。
このことは人生の汚点だ。我々は、等しく騙されたのである。
はじめから因縁解脱も釈迦も密教も法力もなにもなかったのである。

813天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/19(水) 19:07:42 ID:4bG1IOio0
>>810 目次項目、素晴らしいですね。楽しみです〜。

814ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/19(水) 20:35:41 ID:SmEF4Oe2O
>>812:桐山千景11/01/19(水) 17:50:24 ID:ShlmSMsM0
>時々、思い出すのだが、「メシア出現」というあの駄本。

>天道一希は、高知のY崎さんという在野のノストラダムス研究者。

兼アゴン宗信者といったところなんでしょうか?
あんな変態的なゲイカ礼讃文はない。
いろかわさんの文章は後ろの一部だけというのは瞭然だったが、この天道氏の
超マニアック解釈には頭がおかしくなると同時に、私もまた狂気の世界にはまりました。
これを読んでから、マトモな考古学ではない偽書による日本超古代史にはまりましたね。
回答の出ない謎ロマンを求めて。
竹内文書、九鬼文書、富士宮下文書、秀真伝、東日流外三郡誌、カタカムナ文明、
日本のピラミッド、漂泊の民サンカの研究・・・
日本のピラミッドの一つと言われる岩手の五葉山にはかの松本智津夫も登頂して
瞑想をしたとか後に知って苦笑した。
私は歴史と地理空間的興味主体なので、おかしな期待して瞑想なんかせんが、
俺もかの尊師も同じ穴の狢のオカルト志向じゃねえかと思った。
役にも立たない無駄知識が増えました。

>桐山も色川も、妄想癖があるな。こりゃ重症だぞ。
>みんな桐山の密教妄想三文文章、阿含経妄想三文文学の虜になってしまった。
>このことは人生の汚点だ。我々は、等しく騙されたのである。

全く同感で明日登場予定の上高田三郎くんもひどい妄想を披露することになるでしょう。
経典の記述をなんでもかんでも桐山靖雄に結びつける恥ずかしい脳内作品です。
明日成仏してもらうか。

815準シュダオン:2011/01/20(木) 09:49:30 ID:1F7rdgXk0
プディング(pudding)の味は、食べてみないと解からない。
というイギリスの諺のように、味の説明は耳で聞いても解からない。
味というのは、舌で味わうものだ。

思念による王者の相承についても同じこと。
聖なるバイブレーションは、耳でも舌でも味わえない。
それは脳で味わうしかない。
それが起これば、「あっ、これか」と、解かる。
それが起こらない人は、空想物語にしか思えないであろう。

思念の相承の伝法を受けることと、脳にバイブレーションが起こること
とは違う。
私は、思念の相承の伝法は何度も受けたが、聖なるバイブレーションが起きた
のは一度だけである。しかもそれは、伝法を受けてるときには何事も起きず、
忘れ去っているときに、自宅で起きた。まぁ、自宅にも御宝塔はあるから
不思議はないのだ。
まぁ、例えて言えば、アンテナに強いテレビ電波を受けたようなものか。
お釈迦さまの時代にテレビがあれば、お釈迦様も思念の相承を説いたかも
知れない。しかし、テレビもラジオもない時代では、例えるものもない。
だから説かなかったのであろう。

816準シュダオン:2011/01/20(木) 09:59:01 ID:1F7rdgXk0
宗教を詐欺だと騒ぐのは、滑稽でもあるね。
宗教は最初から、科学的根拠がないのであるから、科学主義に立てば、
すべての宗教は詐欺だとも言える。
何も阿含宗だけが詐欺なのではない。

キリスト教も、キャンドルサービスといって、ロウソクの炎をイエス・キリスト
の象徴として、有り難がっているのだよ。護摩木の炎とローソクの炎と、どこ
が違うのかな?護摩木には煩悩がある?
ローソクの炎にだって、願いを込めるのだから、煩悩があるでしょ。

817上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 10:33:11 ID:kluDU/DA0
こんにちは。上高田三郎です。
友人のユビキタス君のすすめで13〜14年前の妄想を思い出して、「西面する如來」
を語って来いと言われて来ました。
ユビ君との相談でどういうキャラを演じようか悩みました。
ゲイカ礼賛路線を貫くか、冷静に淡々と説明するか?
残念ながら今の僕には桐山礼賛の情熱もなく、どっちらけている。
それにユビ君からアドバイスを受けたのだが、昔本当に書いた作品ならば
よいが、思いつきの構想だけで、まだ書いてもいないものを本に纏め上げる
ほど書けるほど甘くない。必ず自分で自分に納得がいかない壁にぶち当たる
だろうと予言していた。
彼もユビキタスを名乗って批判スレに反論に出てきた時、最初は頭の中の構想
だけで、相手を説得できなくても少なくとも自分自身に対してだけは納得満足
できる内容を主張できるだろうと思って、いざキーボードに向かったら、全く
自分でも納得のいかない無力感に襲われたのだと言う。
よって今の気持ちに即した自然体でふりかえっていく予定です。

818西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 10:55:59 ID:kluDU/DA0
プロローグ 東面する男の原風景

「 その男は自殺しようとしていた。首を吊って今まさに自らの命を絶たんとしていた。」

ご存知首吊り自殺未遂の際に準胝観音経の経巻を発見し、自分を救う不思議な
暗合に打たれ、自殺をとりやめた話ですね。これを「般若心経瞑想法」のあとがき
などから引用する。そう、外に出ると東の空に朝日が昇る時で、その東の空の太陽に
祈って誓願を立てるところまで。

「この男の名は桐山靖雄。(堤眞壽雄とは書かない)後に宗教団体観音慈恵会を開き、
阿含宗を立宗して管長になる男である。この男の宗教人生はこの時自殺のギリギリの
極致より脱して再起を図った東面する姿から始まる。この時東面して祈った男は
後に逆に西面する。

819西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 11:17:01 ID:kluDU/DA0
第一章 七倶胝仏母心大准提陀羅尼経の秘密

今、シャカの成仏法を唯一実践するアゴン宗は、当初は法華経信仰というよりも
観音信仰だったことを紹介する。(一応信者以外の一般読者を想定)
それも普通の観音信仰と違って、準胝観音というレアな仏の信仰であることを。
そして桐山さんが竜樹作と言っている準胝観音経を示す。
特に「この如意珠に遇わば無等等を得ん」について、これは如意宝珠のことであり、
真正仏舎利が請来されることを予言したものだと説く。ユビキタス君が言うには
これは真言そのものが如意宝珠だと言っているわけで、わざわざ舎利など出す必要は
ないのだが、とにかくこれは上高田三郎の発見ですらなく、桐山さん自身そのように
当時説いていた。
それからいよいよ七倶胝仏母心大准提陀羅尼経の紹介に入る。
出典は「七観音経典集」(伊藤丈,大法輪覚,1996)

820西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 11:23:31 ID:kluDU/DA0
大法輪閣の間違いじゃの。
七観音と言われる観音のそれぞれオリジナル経典を集めて、和訳、現代語訳を
示したもの。件の准提経典は大唐天竺三蔵地婆訶羅訳。

821西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 11:36:30 ID:kluDU/DA0
本論に入りましょう。
「また次にわれ今この大陀羅尼の所作の事を説かん。若しは佛像前に於いて、
或いは塔前に於いて、(中略)持呪者はその壇の中に於いて、面(かお)を
東方に向けて胡跪(こき)し、」
ここに修法者は東方を向くことを紹介する。」すなわちこの時対峙する本尊
は仏像であれ、仏塔であれ、西を向いていることになる。
準胝仏母は桐山さんによると、」その本地は釈迦如来なんだそうだが。
この東面西面のことは触れてだけおき、プロローグの東面する男も読者に
勝手に思い出していただき、理由については述べず、最終結論は後の章で
明かすことにして、経典解説を進める。

822西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 11:54:22 ID:kluDU/DA0
「また次に法あり。若しもろもろの国土の水旱調わず、疫毒の流行するとき、
・・・・(中略)・・・これに呪すること一遍して火中に置きて焼き、或いは七日七夜
を経て、(中略)一切の災疫は悉く消滅せん。」
一応この部分も紹介しておく。ここについては次の章の「モンゴルの奇蹟」
に於いて、他の観音経典とあわせて題材とする予定。
ユビ。笑うなよ。俺も恥ずかしいんじゃ。で、いよいよ成仏法の発見予言の
箇所へと読み進んでいく。

823西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 12:16:17 ID:kluDU/DA0
「また次に法あり。河渚(かしょ)の間の砂ダンの上に於いて、印を以て砂に
印し、塔の形像と為して、呪を誦すること一遍し、印して一塔と成し、満つること
六十万遍なれば、或いは観世音菩薩を見、・・・(中略)・・・或いは菩提の記を
与受されん。」
(現代語訳)
「また次に、もう一つの修法がある。河の中洲の砂洲(すな)の上で、印契をもって
砂に印を結び、その砂で仏塔の形を作り、その塔に陀羅尼呪を一回誦え、そしてまた、
さらに印を結んで、その砂で一塔を作り、このようにして六十万回すれば、観世音菩薩
を見たり、・・・(中略)・・・あるいは悟りに至るための、真実の教えのみを
選び取る、択法覚支などの七つの方法を与えられるであろう。」

824西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 12:29:41 ID:kluDU/DA0
「若し薄福の衆生、少しも善根なき者、根器あることなきの者、菩提分法ある
ことなき者ありて、若しこの陀羅尼法を聞くことを得ば、速疾にアノクタラ
サンミャクサンボダイを証得せん。」
(現代語訳)
「もしも福善の薄い人々、わずかの善果も得られない善行のない人、覚りに向かう
能力や素質のない人、覚りに至るための七つの大切な条件を備えていない人がいる時、
そのような人々が、もしもこの陀羅尼法を聞くことができるならば、速やかに
無上の優れた悟りを得るであろう。」

825ラシン:2011/01/20(木) 12:50:37 ID:x9FuHHv20
>793 :無関係な人間です
>暴露本が書籍の店頭に並ぶ前に、教団側が情報をキャッチし、仮処分を出せばまだ効果はあるでしょうが、
本が店頭に出てから仮処分が出ても、実際の効果はどこまであるか、という疑問も片方ではあります。

私の憶測ですが、暴露本は出さないでしょう。
この先、強請りのネタで出す素振りを見せるだけと思います。
どうもこの女史の経過を見ていると、お金目当てのような気がします。
教団と泥仕合を演じるのは批判側として一向にかまいません。
桐山さんのことだから、臭いものにふたをする。
問題の解決など端から眼中にないでしょう。
狐と狸の化かし合い、というのが実体でしょうか。

ここの老人はそんな桐山さんの色ボケ電波をキャッチしたと自慢する。
桐山さんの色ボケの残滓をあり難がるだけでなく高慢ちきになって、
偉そうにお説教を垂れています。
これがアゴン宗教団に長く籍を置いた自称修行者の正体です。
電波受信に自惚れて、人格障害を起こしています。
仏教はいわば人格の完成を目指すものなのに、
ひたすら人格破壊にうつつをヌカシて、恬として恥じない。
しかしこういう信者が増えれば増えるほど、教団は経済的窮地に陥ります。
布施もしないで只でご利益をかすめ取るのだから、桐山さんの上を行っている。
まじめな信者さんほどいい迷惑です。

826西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 12:52:19 ID:kluDU/DA0
さて当時の僕は>>823-824を以て、これは桐山さんが準胝信仰を広めていくうちに
後に阿含経から成仏法を発見したことの予言とこじつけたわけです。
ユビキタス君が言うにはこの後期大乗に属する密教経典はアビダルマ倶舎論なども
仏教の当たり前の常識として、まとめれたものですから、菩提分法(三十七)
=七科三十七道品が出て来ようが、択法覚支などの七覚支法が出て来ようが
吃驚することはない。
和訳原文には「菩提の記を与受されん」としか記述されていないのですが、
これをどうして伊藤氏は択法覚支まで掘り下げたのか根拠も知りたいですが。
しかし陀羅尼を唱えただけで、これらのことが得られるなんて桐山さんの
密教批判の言葉を借りるならば御都合主義もいいところだ。
ところが上高田三郎は>>824は文面通り読んではならない、これは必ず>>823
前提の上に立てと説く。桐山さんは大乗経典の作者はいろいろな罠を用意してるから
これを謎解きしながら読み進めねばならないと、般若心経瞑想法で提唱している。
すなわち必ず択法覚支して、密教から原点の阿含経に説かれた成仏法を発見し
立ち返ることが必要なんだとする。桐山靖雄はそれを成し遂げた人で
この経典はまさに桐山靖雄の成仏法の発見を予言したものだと書きたかった
わけです。では、桐山靖雄はどうして阿含経から成仏法を発見できたか?

827西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 13:10:13 ID:kluDU/DA0
それが「砂の仏塔を六十万基広めた」功徳です。
河の中州の砂の上とは、いあkにもヒンズー勃興してきたガンジス河の中州
などを聖地化する名残りでしょうが、砂で作る仏塔。
これって千座行時代の黒い陶製の宝塔のことを指すのではないかと考えた。
土を焼いて作った塔ですね。
この準胝を本尊として修するための千座行宝塔を世に何十万基も出した。
アゴン宗信者総数30万人以上だが、現実は、いまその10分の1も残ってないが
古くから退会した人はたしかに何十万になるでしょう。
桐山さんは中村語郎さんの経巻を発見した時、この経巻を百万部広めますと
誓願を立てている。これを経巻冊子の普及だけでなく、宝塔付きの因縁解脱行法
として普及してきた。これは全アジアの仏教史の中でも例のないことではないか?
としたわけです。その功徳で密教から阿含経へチャンネルを回し、真の成仏法を
択法覚支することができたと。
あるいはそのことを予言したのがこの経典ではなかろうかという結論ですね。

828準シュダオン:2011/01/20(木) 13:36:11 ID:1F7rdgXk0
上高田三郎君は、前から妄想癖があったわけだw。そんな妄想者は修行に
成就するわけがないw。いつの世も、詐欺に、騙す人、騙される人、は
絶えることがないが、そういう妄想者は、勝手に騙されるね。

さて、今の私は、十年二十年前の私に、脳力は遠く及ばない。計算力も
本を読む速度も、記憶力も、以前の私に負けてしまう。しかし、不思議な
ことに、仏教語の解釈については、今の方が優っている。それは断言できる。

批判派の間違いを多く指摘できたのも、あるいは聖なるバイブレーションの
効果かも知れない。
批判派は、当初、仏教は因縁解脱など説かない、と主張した。
それは勉強不足である。私は、岩波仏教辞典の縁起の項を提示した。
そこには、初期仏教時代の縁起について、
「さとりは、滅とか解脱と表現され、縁起の滅した世界とされた」
と、説明されている。

つまり、さとり=滅=解脱、なのであり、縁起の滅=因縁解脱、ということを
理解できよう。縁起=因縁なのであり、滅=解脱ですからね。
縁起の滅した世界とは、因縁解脱のことなのです。

829準シュダオン:2011/01/20(木) 13:57:10 ID:1F7rdgXk0
それから批判派は、三供養品の三善根とは、無貪、無瞋、無痴、のことで
あると主張した。しかし、他の経典では、無貪瞋痴の三善根では法向善趣
留まりであり、法向涅槃のためには三三昧を修行せよ、となっており、
批判派の解釈の間違いが明らかになった。

また、四双八輩の須陀?向の解釈について、批判派は聖者に含めた。
しかし、経典ではそうではない。須陀?を漢訳では、預流とか入流と訳すの
であるが、経典では須陀?果からが聖者である。
「四双八輩 是為如来弟子衆」とあるように、「衆」とはSAMGHAの訳であり、
教団のことである。
四双八輩は、教団の中のエリート層のことだと勘違いしやすいが、そうでは
なく、教団そのものが四双八輩なのです。

批判派から、帝釈が仏に「我今是佛弟子 得須陀?道」と述べた経典を提示
されたことがあったが、皮肉にもそれが批判派の考えの誤りを示している。
須陀?道の条件は、仏弟子に成ることです。
だから、「我今仏弟子 須陀?道」なのです。
そして、「三結尽 得須陀?」なのです、ここが悟りの第一段階です。

830西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 14:01:08 ID:kluDU/DA0
第二章 モンゴルの奇蹟

ここでモンゴルの雨降らしの奇蹟の話を紹介します。坂田芳男「祈りは天地を動かす」
などを引用してページ数を稼ぐ。一冊の本として体裁を整えれば・・・・・
平河から管長許可推薦で出版すれば、信者は買うから・・・印税じゃ印税じゃ!
メシア出現なんてトンデモ本が売れるならばこのトンデモこじつけ本も売れない
ことはない。
さて、ここで>>822の話を蒸し返す。
この経典だけでなく七観音経典集に掲載の観音経典を調べてみた。
モンゴルのガンダン寺の国立観音堂の観音は十一面観音です。
そこで十一面観音の経典を調べてみた。めぼしい記述はなかった。
代わりに千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経に興味深い
のを見つけた。(←意味ねーじゃん。byユビキタス)
「ある国家に災難がふりかかろうとする時、・・・(中略)・・・
七日七夜、身心を浄めて仏事につとめ・・・(中略)・・・人びとは
安楽となろう。・・・(中略O)・・・降雨と日照の自然の運行(めぐり)が
狂うといった、このような種々の災難が起ころうとする時、まさしく千手千眼
観世音の像を造り、その顔を西方に向け、・・・(中略)・・・七日七夜にわたって
・・・(中略)・・・もろもろの竜神・鬼神はその国を守護し、雨は自然のままに
もたらされ」
それからアゴン宗とはゆかりの深い如意輪観音の経典にもあった。
(観世音菩薩秘密蔵如意レイン陀羅尼神呪経)
「もしも国土に雨が少なければ、白芥子および祖酥油を用意して、次にこれを
火?陀羅尼を三日の間にわたって呪し、それを火中に投じて焼くならば、
すぐにも雨が降りましょう。」



831準シュダオン:2011/01/20(木) 14:09:03 ID:1F7rdgXk0
凡夫の九識を仏の五智に転換する法が胎蔵界と金剛界の行法次第です。
これを聴いたら、凡夫の願望を仏・菩薩の四弘誓願に転換することを
連想できなくてはいけないね。それが修行なのだと。
そこまで教えられて、解かるようではいけない。

八正道には、世俗八正道と聖賢八正道の二つがあることを、末木先生は記して
います。この記述を発見したことも、私には大きいね。
私には、修行の大きな手掛かりになります。
それは、自分で発見できるようでなくてはいけません。
人に教えられているようでは、ダメです。
ゆえに、そのヒントまでは今後も書かないよ。

832準シュダオン:2011/01/20(木) 14:16:25 ID:1F7rdgXk0
上高田三郎さんが、何回経典を読もうとも、めぼしいものは発見出来ないね。
気付けないのよ、凡夫には。
一切事経を読んで、信戒施見聞、と、見を入れて、鬼の首でも取ったように
喜んでいるのがオチなのです。
「見える」なんて、必須ではない、その証拠にアヌルッダは解脱した。
そう言われて、そうか、と気付く知能レベルですから。

833西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 14:17:28 ID:kluDU/DA0
さてそこで准提陀羅尼経にも千手観音大悲心陀羅尼経にも使われている七日七夜を
恥ずかしさをこらえて考証してみましょう。
6月3日 ジャスライ首相に降雨を約束し、その日の晩よりより雨雲を呼ぶ定にゲイカは入られた。
6月5日 大柴燈護摩供。雨を降らす。
6月10日 北京発共同通信、モンゴル大火災の鎮火を報道。

(6月3日より数えて、七日七夜を過ぎた八日目が6月10日である。)

それから如意輪陀羅尼神呪経では3日で雨が降るんですよね。
1日目 6月3日 ジャスライ首相に約束。定に入る。
2日目 6月4日
3日目 6月5日 大柴燈護摩供。雹まじりの雨が降る。

まあ現実は焚き火する前日に雨が降り、この雨でモンゴル大火災鎮火の見通しが
公式発表されたのですがね。(byユビキタス)

834ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 14:28:43 ID:SmEF4Oe2O
上高田君悪戦苦闘中ですが、こちらの方がアホ丸出しで面白いので携帯から。

>>832:準シュダオン11/01/20(木) 14:16:25 ID:1F7rdgXk0
>「見える」なんて、必須ではない、その証拠にアヌルッダは解脱した。
>そう言われて、そうか、と気付く知能レベルですから。

「みえる」と読むんじゃないんだよ。「まみえる」
足を運ぶという意味さ。ここに目が「みえない」アヌルッダの話を対比に出した
あなたの知能レベルの方が笑えるw

835西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 14:40:49 ID:kluDU/DA0
ユビキタス君が千手観音じゃ意味ねーじゃんと言っており、そのとおりなんでさうが、
本尊の顔を西方に向けることが書かれている。
ガンダン寺の十一面観音像はどうだったんでしょうか?
そこで桐山さんにもこのモンゴルの護摩で印象的なシーンがある。
「祈りは天地を動かす」より抜粋してみましょう。
「桐山管長が法服を着けて、大仏堂の高層の露台(バルコニー)に立ち、はるか
下で合掌する人々に手をふったとき、その姿は折からの洛陽に輝いて、それはまさに、
この世の人とは思われぬ『大貴人』と見えたのです。」
ガンダン寺の観音堂は西面していたのだろうか?桐山大貴人も西面したことになる。
(普通に南面だと思いますが。byユビキタス)
ともあれかつて東面して祈ったその男はついに西面して恩寵を垂れる存在となった
記念的印象的な心象風景です。
最後の章はその西面する如来について考察する。

836西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 14:42:24 ID:kluDU/DA0
洛陽→落陽

837西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 15:10:41 ID:kluDU/DA0
第三章 西面する如來(タターガタ)

このモンゴルの護摩があった当時、桐山管長はそれまでの三身仏の説の
変更を法話で行っています。
それまでの三身仏とは
法身 大日如来
報身 釈迦如来
応身 準胝如来
これを変更してしまった。新しい桐山三身仏説とは以下の通りです。
法身 釈迦如来(ホネ付き!=緒方拳が鈴木杏樹に述べたCMの台詞でどうぞ)
報身 アミダ如来
応身 準胝如来
ずいぶんおかしなことになったと思います。その検証はさておき、ここで桐山管長は
おかしな表現をしています。
「報身の仏はアミダでも薬師でもよい。一応アゴン宗ではアミダ如来としておく」と。
これはどういう意味なんでしょうか?
ヒントは準胝観音経にあると見ています。二世の大願です。
二世とは現世と来世のことです。この両方にわたって救うのが準胝の誓願とのこちょです。
来世を司り救うとされているのが阿弥陀如来。一方薬師如来は現世の御利益を
与えてくださる。
だからどちらでもよいとはそういうことなのかも知れない。
ところでこのアミダでない方の薬師如来。ちょっと仏教界でも異色の存在なんです。
それを考察してみましょう。

838ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 15:18:42 ID:SmEF4Oe2O
>>832:準シュダオン
11/01/20(木) 14:16:25 ID:1F7rdgXk0
>上高田三郎さんが、何回経典を読もうとも、めぼしいものは発見出来ないね。

上高田くんが終わったらあなたに挨拶があるそうです。
上高田くんが出しているのは桐山さんが創作経典と呼んで卑下している大乗経典の
一部です。出してる話も桐山さんが架空の仏とみなしている如来たちです。
私から見れば発見もクソもない。

839西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 15:53:25 ID:kluDU/DA0
薬師如来とは密教でも決して曼荼羅に描かれる如来ではありません。
正式な密教教義、正統大乗仏教教義からは説明不能の仏です。
その割に日本でこの如来は大変人気がある。
たとえば奈良の薬師寺の本尊が薬師如来です。時に薬師寺は当初より法相宗の
大本山です。法相唯識を教学とする。唯識は瑜伽行派とも言われるように
瞑想・禅定実践の中で、すべてのものは識の作り出す幻に過ぎないというもので
ここに御利益たっぷりの薬師如来なんて仏は最も結びつきにくいものです。
この薬師如来の問題については、仏教は門外漢ながら、川喜多二郎式の
文化人類学手法で迫った本があります。
「薬師如来・謎の古代史」(清田理一郎,彩流社,1997)
日本からインドにまで遡って調べた考証によると、薬師仏、ヤクシ仏とは
もともとはインドで信仰されていた魔族の鬼神信仰、あるいは樹木神信仰
なんだそうです。たぶんに現世利益的な鬼神です。
日本の仏教には輸入された当初から本来の正統仏教教理とは何の関係もない
こういう土俗的信仰が習合してしまったものが入ってきているのが実情です。
さてこの薬師如来、その真言からも鬼神信仰だったことがわかります。
薬師真言にはいくつかあり、医王尊に奉るというものもありますが、一番
ポピュラーな真言医には医薬尊の意味が全くありません。
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
意味は以下の通り。
オーム、欣快なるかな。チャンダリーよ、マータンキー女よ、幸あれ
チャンダリー、マータンキーこれらは鬼の名前です。
これは「神々と仏の世界」(八田幸雄,平河出版社)の薬師考に書いてあります。
ここでももとは樹木神、ヤクシャ=夜叉=羅刹鬼であったルーツ示されていますが。
この本で1箇所アッと思う記述を発見しました。

840西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 16:17:05 ID:kluDU/DA0
この おん ころころ の真言は無能勝のそれと同じと「神々と仏の世界」で
記述されています。
無能勝と聞けばアゴン宗の信者ならば、誰しもアンゴルモアを思い出すはず。
もちろんアゴン宗でお導きの褒美として授与されるアンゴルモア秘密真言
(無能勝真言)はおん ころころ とは違います。
オーン チシュッタ マニ アパラジッタ ジャエンチタニティ スヴァーハー
(オーン、起てよ、かつて他に征服されたることなく、宝珠を抱き、常に勝利を
わがものとする無能勝の大王よ、スヴァーハー)

ん?

841西面する如來(タターガタ)by壊れかけてきた上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 16:51:00 ID:kluDU/DA0
さて、この記述でアゴン宗で授けるアンゴルモア大王真言とは異なるものの
どうやら真言の世界から見ても、無能勝明王と薬師如来の原型に共通する
属性のようなものが見えてきたようにも思います。
さて、ここからはたたみかけるように結論を急ぎましょう。
要するに報身仏として薬師如来も選択肢としたわけですが、それは無能勝の
属性を持ちます。難敵に打ち勝つ属性です。無論その難敵とは自分自身の
煩悩なのだが。
時に薬師如来は阿弥陀が西方極楽浄土に住むのに対して、東方瑠璃光浄土に
住むとされています。東方にいて西面する如来と言える。
東方を司る如来と言えば、密教の曼荼羅では阿?如来が該当します。
阿?如来は降魔の印を掲げます。ここに無能勝との類似性、共通性を見出せる。
結論。西面する如来とは無能勝如来なんじゃー!
薬師の出自は樹木神?鬼神?真言は鬼退治を意味せず、鬼に媚びている?
えーい、ユビは黙っとれ。都合の悪いことは無視じゃー。
薬師から無能勝が導き出せればいいわけよ。
無能勝だからどうしたって?決まってんじゃん。桐山ゲイカがアンゴルモア大王
に比定されたからという事実じゃ。
恐怖の大王に打ち勝つアンゴルモアだぞ?頭が高い。
1999年に何も起こらず、2010年過ぎても地球は壊滅的危機に襲われていない
なんて都合の悪い話は出すんじゃねえ!
無能勝如来はアンゴルモア如来であり、一切萬霊守護金剛如来なんであり、
桐山靖雄如来なんじゃ。わかったか?このタワケが。強引で何が悪い?
オマケを教えてあげよう。ユビよ。おまえ、この前2ちゃんねるで薬師真言の
せんだりとまとうぎの鬼の名前は千座行の法典にもあった請観音経にも散見
されると論じてたな?
とやと うこに もこに ・・・・せんだり もとき・・・・よいう奴。
全部鬼の名前だったって奴な。あれ俺数えたんよ。
鬼が13匹おったんよ。13救いの輪の13はここにも秘密があるのだ。
何?嘘とな?
そうさ。嘘だよ。何かと何かは重複するとして無理やり強引に13匹にしたのだ。
どういう数え方をしたか忘れてしまったワイ!

842西面する如來(タターガタ)by上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 17:28:45 ID:kluDU/DA0
さてまとめに入ります。
京都のアゴン宗本山釈迦山大菩提寺。あそこの総本殿はどちらの方角を
向いているかわかりますか?
そうです。西を向いています。これは寺院とさいては珍しい部類と言えます。
普通は南を向いているか東を向いている。
桐山管長も柏原聖地墓苑の解説で吉兆の墓とは朝日を正面から浴びる東向きと
しています。寺院などにもこれが適用されましょう。
どうして総本殿は西向きなんでしょうか?
私の記憶によると総本殿の向きは当初の計画から変更されたと言ってません
でしたっけ?
今、総本殿に行くと山門をくぐって石段を登っていく。
登りついた正面に総本殿が正面を向いているかと言うと、横を向いている
おかしな配置です。
これには地形的な制約なんかもあったのでしょうね。
山門から石段を登った頂上に総本殿が正面を向いていたら、それは北面する
ことになるが。善光寺の方向を向く、信州上田市別所温泉の北向観音堂みたい。
なかなか南面、東面というわけにはいかない。
それに東面していたら山科の街に面していることになり、清水山に隠れて
見えないとは言え、京都市街に背を向けている理屈になる。御所含めて。
だから単なる地理的制約のものだろうが、アゴン宗の総本殿は西陽のあたる
西向きである。
ホネ付き釈迦如来の真正仏舎利尊は西を向いている。
わが桐山靖雄如来様も信徒に向かって西面されているわけじゃな。
西面する如来。これに何の意味があるとな?
これは極東の地日本にあって、そこより全ての西に向かって目を光らす
という暗合ではあるまいか?
全ての西とは全世界のことです。全世界を救う役目を示唆している。
世界を救う西面する如來(タターガタ)が誕生された。
皆さん。いろかわさんがメシアを称えましょうと言ったのだから、
同じノリで西面する如來を称えましょう。
そしてこの本を買いましょう。印税が入るでな。
最後に一言。なんで如来ではなく、如「來」なんだって?
それはあえてたたタターガタと読ませるのと同じ単なるこだわりじゃよ。
特に意味はない。ゴシックより明朝体の方がいいかな?
昔西村知美がアイドルの頃、青木一郎というアイドルオタクの放送関係者に
ある日報告たと言う。
「青木さん青木さん、今日から知美は自分のことトロリンと呼ぶことにしたんですよ」
「トロリン?いいねえ。可愛いねえ。ピッタシやねえ。・・・で、どうして今日からなの?」
「特に意味はないんですよ」
特に意味はない。なんて説得力のある説明なんだ!
それと同じです。

843上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 17:46:08 ID:kluDU/DA0
>>828 :準シュダオン:2011/01/20(木) 13:36:11 ID:1F7rdgXk0
>上高田三郎君は、前から妄想癖があったわけだw。そんな妄想者は修行に
>?成就するわけがないw。いつの世も、詐欺に、騙す人、騙される人、は
>絶えることがないが、そういう妄想者は、勝手に騙されるね。

準シュダオンさん。はじめまして。
あなたにそこまで言われたら人間失格と言われたも同然で、もう私は死ぬ
しかありません。首を吊って自殺します。後のことは友人のユビキタス君に
まかせます。
そもそも上高田三郎なんてネームは一度きりという意味ですから姿を消します。
宮沢賢治の小説に風の又三郎がありますね。主人公の高田三郎君がある風の強い
日に転校してくる。同級生たちはあれは風の又三郎の申し子に違いあんめいと
噂する。果たして村の小学生たちとは異なる言動は異彩を放っており、やはり
風の強い日に去っていった三郎少年にやはりあれは風の又三郎だったんだろう
という物語ですね。
私も今日一度きりで去りたいと思います。
できればユビキタス君とのコネを隠したまま純粋な桐山信者の立場で
擁護と礼賛を書いて、あなたの評価をお伺いしたかった。
去るにあたってあなたにお願いしたいことがあります。

844上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 18:01:46 ID:kluDU/DA0
>>828 :準シュダオン:2011/01/20(木) 13:36:11 ID:1F7rdgXk0
>上高田三郎君は、前から妄想癖があったわけだw。そんな妄想者は修行に
>成就するわけがないw。いつの世も、詐欺に、騙す人、騙される人、は
>絶えることがないが、そういう妄想者は、勝手に騙されるね。

手厳しい言葉をありがとうございます。この批判を一番喜んでいるのは
ユビキタス君ではないかと思います。
と言うのは昨夜もユビキタス君と相談したのですが、僕がこのスレに来て
いまさら妄想の思い込みで的外れな桐山礼賛をすることに何の意味があろうか?と。
何の意味もありません。ユビキタス君をはじめ他の批判側が書いてきた批判の
業績になんら貢献するものではありませんし、今後の題材にもなりません。
つまり時間の無駄遣い、スレの無駄遣いをした意味のない行為でした。
意味がないことに価値を見出すトロリンの法則はここでは通用しません。
しかし私が成仏できる唯一の道があります。
それじは私が書いた桐山如来礼賛の根拠内容に批判をして反論することです。
最初に批判してくれたあなたに感謝しています。だから単にひどい妄想家という
だけでなく、私が書いた内容に具体的に否定指摘を加えてくだsだいませ。
ユビキタス君もところどころ突っ込んでいましたが、全部否定してしまえるのが
本当なんです。
だからあなたが私の書いた桐山礼賛を具体的に否定してくれたら、今日の
私の書き込みも時間の無駄遣いにもならず、私は成仏できます。
ユビキタス君はもう疲れたと言ってますし。

845上高田三郎 ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 18:10:31 ID:kluDU/DA0
僕が書いた「西面する如來」がもし面白いと思ったら、他の信者、職員の
方が出版して桐山さんを喜ばせてあげなさい。
盗作だと訴えてあげますから。
G田職員とかが、アゴンマガジンあたりに一部借用する分には、僕は面倒なので
いちいち訴えません。
ただネタ元がバレバレだというだけで。
まあ恥ずかしくてこんなお粗末な内容使えないでしょうが。
天道一希さんの脳内V字だのV字型聖地移動なんてのもかなり恥ずかしい
思い込み、こじつけでしたが、あんなので誰かが印税で儲けてるえわけですが。
それでは皆さんさようなら。風は吹いてないが。

846ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 19:29:08 ID:SmEF4Oe2O
>>840
オーン、起てよ、かつて他に征服されたることなく、カルマを打ち砕いて、常に
勝利をわがものとする無能勝の大王よ、スヴァーハー
でなかったかな?
宝珠がどこにどう入ったっけ?

847ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 21:38:02 ID:SmEF4Oe2O
上高田三郎君パンチミスが多過ぎるな。
これで意味が通るんかいな?
最後は疲れからか壊れてるし。

848ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 22:22:35 ID:SmEF4Oe2O
七観音経典集には請観音経の原文、和訳、現代語訳もあり、アゴン宗の聖典勤行の
とやと うこに もこに ちょぼに たんほに・・も出ています。
このおかしな呪文みたいのは鬼の名前であり、現代語訳にいちいち食人鬼とか
戴髑髏鬼とか訳されています。
この鬼の属性的名称にはダブるものもあり、上高田君はそれを差し引いて13匹の
鬼にしてしまったようです。
彼のやりたいことは見通しています。
偶然そうなったのではなく、先に13ありきで、13匹になるように強引に
数えたわけです。
つまり先に桐山如来という結論ありきで、あとは矛盾する話は無視して強引に
進める論法です。
しかしメシア出現のノストラダムス変態解釈だって同じことなんです。

849ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 22:40:33 ID:SmEF4Oe2O
鬼の名前をあげて称えたからと言って鬼退治にはなりません。
障害打破の話には結びつけられません。
薬師真言なんか見るとむしろ鬼神を礼賛して神秘の力を引きだそうみたいな
発想なのでは?
日本の神道で菅原道真の天神様などがわかりやすい例なのだが、道真の怨念が
強いからこれをなだめて、強大な力を善用に転化したいという発想。
荒魂(あらみたま)を和魂(ににぎたま)に転じるというアレ。
でもそれってカルマを打ち砕くだのましてや煩悩に打ち勝つなんて道と
根本的に異なります。
上高田君は薬師真言から無能勝の言葉を見つけて喜んだだけです。
なんで喜んだかと言うと、桐山さんがアンゴルモア大王に無能勝を勝手に
引き合いに出したからです。
だから無能勝はエライんだ、スゴイんだと最初から結論があったのです。
本来ならば無能勝というものが、いかに破格の扱いをされているものかを
他の資料から見つけだして価値を付与するのが根拠ある手順というものでしょう。
それができないから上高田君は壊れたのです。

850ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 22:49:17 ID:SmEF4Oe2O
七倶胝仏母心大准提陀羅尼経も仏教の一般常識に過ぎない菩提分法だの択法覚支だのを
見つけて、これは大発見であるかのように勘違いしたのが上高田三郎君です。
そもそもなんで呪文を唱えているだけで心眼が開けるのか?
所詮平凡な御都合主義経典に過ぎません。

851ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 22:57:19 ID:SmEF4Oe2O
天候の害について七日七夜とか3日後にどうこうの記述にあてはめるのは
もはや何と言おうか・・そもそも雨の降った現実の期日と違うし。
十一面観音を出せずに奇跡の符合なんて話にもできてないし。
如来が東向こうが西向こうがそれがどうかしたか?
昔歌にありましたよね。
ボインが西向きゃヒップは東♪
ボインが東向けばヒップは西になるだけです。
こんな他愛のない話でも筆力と構成力以上に最初から桐山さんにカリスマ性が
あればヨイショ本も信者には売れてしまうのです。

852ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 23:13:19 ID:SmEF4Oe2O
だからもし上高田三郎君がいろかわさん並みの図々しい神経と行動力で、平河から
「西面する如來(タターガタ)」を出版していたら、これは桐山さんとも違った
彼自身の悪業になります。
池田ジミズさんを超えるコバンザメ信仰になります。
最初から信者に支持があるのを見越して桐山さんをヨイショして、計算高く
儲けを企んでいるからです。

853Boo:2011/01/20(木) 23:22:17 ID:OPbKzSME0
上高田三郎さん、出版計画の逸話ありがとうございました。なかなか面白い「読み物」
でした。「飯屋出現」より売れたかもw

>どうして総本殿は西向きなんでしょうか?
私の記憶によると総本殿の向きは当初の計画から変更されたと言ってません
でしたっけ?
今、総本殿に行くと山門をくぐって石段を登っていく。
登りついた正面に総本殿が正面を向いているかと言うと、横を向いている
おかしな配置です。

これは、確か・・・当初山門登って真正面に総本殿の玄関に辿り着く計画でしたが
花山霊廟の上に「京都大仏」が鎮座マシマシテ、その姿が総本殿の陰に隠れてしまう
のが惜しい、と言うので、それならば、総本殿を横向きにして、山門登るにつれ
大仏さんの姿がだんだん見えてくるほうが、お参りするにあたって趣があるから
そうせよ、との御霊示(?)によって、向きを変えたと記憶しています。設計変更は
大変ですよ、と専門家からアドバイスされたが、ゲイカの決断でそのようにした
と、当時自慢げにほざいていた記憶があります。

854ワンピース:2011/01/20(木) 23:22:54 ID:u/dw15d60
『ハレンチ学園』永井豪 週刊少年ジャンプギャグ漫画

鬼のマータンキーの秘密

   集英社の少年ジャンプでトイレット博士 スナミ先生率いるメタクソ団 その合言葉は>>マタンキ<<
   http://mono-gatari.com/mk.htm

855ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 23:23:11 ID:SmEF4Oe2O
しかし輪廻転生瞑想曼荼羅なんて・・・
西面する如來にも及ばない安易な発想の商売なんだよな。
今年の星まつりの法施グッズ。

856ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 23:27:36 ID:SmEF4Oe2O
>>854
天怒りて非道を断つ。
臨兵闘者皆陳列在前!
三年殺し〜!
スナミ先生のマタンキ密法だっちw

857ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 23:32:51 ID:SmEF4Oe2O
>>854
「神々と仏の世界」読み直したら、マータンギ鬼女でした。
とりい先生でなく矢口先生の世界ですねw

>>853
京都大仏はソ連や北朝鮮からミサイルが飛んで来ないように睨みをきかせる
北面にしたのだとでもすれば尚説得力あったかもしれませんw

858ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/20(木) 23:46:09 ID:SmEF4Oe2O
三身即一の応供の如来も横向いてたしね。
設計も大変なんだw

859ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/21(金) 00:27:35 ID:SmEF4Oe2O
>>815:準シュダオン11/01/20(木) 09:49:30 ID:1F7rdgXk0
>プディング(pudding)の味は、食べてみないと解からない。

>プディング(pudding)

これもあれだろな。
西面する如「來」(タターガタ)と同じで、「特に意味はないんですよ」の
トロリンの法則なんだろな。

860天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/21(金) 03:16:37 ID:8PWchsLg0
いちいち突っ込みたくないが、何度も出すのと誰も突っ込まないので言いますか。

プディングは発音や細かな内容の違いは有るが、総じて言えば「プリン」のことです。
ディーゼルを「ヂーゼル」 デミグラスを「ドミグラス」というのと差は無い。

如何にも「自分だけは知っている」と思って言ってないか?

また、例えが「なんだかなあ」

そんなもの「食ってみればわかる」
猪木さんではないが「行けばわかるさ」に近い。
プリン如きを題材に出して、さも自分が「崇高なバイブレーションを得た」と恍惚し
自慢しているだけでないか。

そんな自己満足と抽象的な自慢説明はいいから、もっと阿含宗の納得がいく説明を
してみてよ。

861ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/21(金) 08:19:20 ID:SmEF4Oe2O
メシアブームの頃、キリスト教のミサ曲に使われる「キリエ」を桐山ゲイカのことを
指すのではないかとたったそれだけのことを提唱した人がいましたね。
その人は1枚のチラシ資料の配布と共に例祭の場で発表することを許された。
私も観音経典集にこんな記述を発見しましたと報告したら、要点を1枚のチラシに
レジュメとして作成の上、例祭日の護摩や法話の前あたりに発表の機会が許される
のが関の山でしょう。
いきなり一冊の本になる原稿を提出しても、要点をまとめなさいと言われるだけで
いざ出版とはそう認められないでしょう。
内容もあるが、いろかわさんみたいな若い女性ではないからということです。
坂田芳男さんはと言うと、彼は有名な作家だから俺は文化人と交流があるのだぞ
と自慢したい桐山さんにとっては逆に利用したい存在なわけです。

862ラシン:2011/01/21(金) 11:13:07 ID:x9FuHHv20
>829 :準シュダオン:2011/01/20(木) 13:57:10 ID:1F7rdgXk0
それから批判派は、三供養品の三善根とは、無貪、無瞋、無痴、のことで
あると主張した。しかし、他の経典では、無貪瞋痴の三善根では法向善趣
留まりであり、法向涅槃のためには三三昧を修行せよ、となっており、
批判派の解釈の間違いが明らかになった。


どうすればこうも空っぽのオツムになれるのだ?
批判側の指摘は、桐山さんの三福道などは経典にない、
捏造されたものだと言っている。
國訳一切経の阿含部8にある増一阿含経・三供養品22を読んでないから、
無知をさらして無恥でいられる。
http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky088800uoft#page/213/mode/2up

agama考察室の阿含関連資料掲示HPでも暴かれています。
http://agama.zouri.jp/framepage9.html

原文には「是を阿難、この三善根は窮尽す可からず。涅槃界に至ることを得と謂ふなり」
と書かれているのだから、ど素人の電波でかく乱された知能などお呼びでない。

863ラシン:2011/01/21(金) 11:41:01 ID:x9FuHHv20
>829
>また、四双八輩の須陀?向の解釈について、批判派は聖者に含めた。
しかし、経典ではそうではない。須陀?を漢訳では、預流とか入流と訳すの
であるが、経典では須陀?果からが聖者である。
「四双八輩 是為如来弟子衆」とあるように、「衆」とはSAMGHAの訳であり、
教団のことである。

ー『大パリニッバーナ経/涅槃経』抜粋ー
『尊師の弟子のつどいはよく実践している。尊師の弟子のつどいは真っ直ぐに実践している。
 尊師の弟子のつどいは正しい道理にしたがって実践している。
 尊師の弟子のつどいは和敬して実践している。
 尊師の弟子のつどいは、すなわち、二人ずつの四組と八人の人々とであるが、
 かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の副田である』と。
 かれは聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕のない、斑点のない、よごれていないで、
 自在であって、知者の称讃する、執れのなく、精神統一に導く戒律を身に具現している。
 アーナンダよ。これこそ『法の鏡』という名の法門であって、それを具現したならば、
 立派な弟子は、もしも望むならば、みずから自分の運命をはっきり見究めることができるであろう、
「わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。
 悪いところ・苦しいところに堕することもない。
⇒わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
 わたしはもはや堕することの無い者である。わたしは必ずさとりを究める者である」と。
(浄土真宗やっとかめ通信(東海教区仏教青年連盟)掲示参照)

864ラシン:2011/01/21(金) 12:55:37 ID:x9FuHHv20
>816 :準シュダオン
>経典では須陀?果からが聖者である。

この電波老人の言ならば、準シュダオンとは聖者を目指しているわけだ。
人格を破綻し、>>816 何も阿含宗だけが詐欺なのではない<< と確信的に
放言するお方が、聖者を目指して修業しているらしい。
阿含宗だけが詐欺なのではない? 他の宗教も詐欺だから糾弾される謂れはない、
と言いたいらしい。
道徳観など微塵も感じられない人が、シュダオンという聖者を目指してるそうです。
このお方の”聖”に関する感性は、よほど特殊なのでしょう。
そうでなければジョークなのか、たしかに滑稽でもあるな。

20数年前の元側近の目撃談によれば親娘での面談の際、
桐山さんは「私はこんな宗教家に甘んじてない。いまに大政治家になって見せる。
必ずあなたに不自由はさせないから、私の二号にならないか」と母親の前で口説いたそうです。

その厚顔無恥と傲慢に拍手するのは、準シュダオン老人くらいなものだ。
いやむしろ尊敬のマナコで崇拝するんだろうね。
どう見ても聖者じゃなく性者であり、性なるバイブレーションの類だろう。

865準シュダオン:2011/01/21(金) 14:28:35 ID:1F7rdgXk0
「自分だけは知っている」と思って言っていないか?
との天照さんの疑問だが、
「自分だけが」とは、思っていないし、言ってもいないよ。

聖なるバイブレーションについて、自分が体験したからには、多くの先達も
体験してるに違いない、と、内心では確信してるわけよ。
でも、こういうのは体験すると、あまり人に話したくない心理になるね。
宝物は人に隠しておきたい心理に似てるかなぁ、
何だか、人に話すと、次の成長が止められるような気がしたりしてね。

本当は、御霊示を受ける、とか、シュダオンの自覚が出たとか、何らかの
霊能力がついてから、話したいわけです。でもそれを待つと、死ぬ間際まで
チャンスがないかも知れない。すると、管長の聖なるバイブレーションの
お話は、作り話だという噂がまかり通るね。

そうすれば、私が黙っていたら、罪になるね。現役信者さんには、私の体験を
話していた方が良いと考えたわけです。でも、聖なるバイブレーションに
ついて、管長が話したことだから絶対、絶対、本当だ!と、狂信するのは
止めた方が良いだろうね。反対に転ぶと、批判派みたいに、狂信的に否定に
走るからね。「管長が言うのだから、たぶん、本当だろう」くらいに思って
いたら良いと思うね。

866Boo:2011/01/21(金) 15:18:56 ID:OPbKzSME0
>865 :準シュダオン:2011/01/21(金) 14:28:35 ID:1F7rdgXk0
>「自分だけは知っている」と思って言っていないか?
>との天照さんの疑問だが、
>「自分だけが」とは、思っていないし、言ってもいないよ。
>
>聖なるバイブレーションについて、自分が体験したからには、多くの先達も
>体験してるに違いない、と、内心では確信してるわけよ。
>でも、こういうのは体験すると、あまり人に話したくない心理になるね。
>宝物は人に隠しておきたい心理に似てるかなぁ、
>何だか、人に話すと、次の成長が止められるような気がしたりしてね。

最後の文章・・・これは実際そのとおりですね。準シュダオンさんの成長が
40年前から止まっているようですから。自己分析はよく出来ていらっしゃる
ようでw

867ラシン:2011/01/21(金) 16:10:54 ID:x9FuHHv20

>霊能力がついてから、話したいわけです。でもそれを待つと、死ぬ間際まで
チャンスがないかも知れない。

第六感がサエ始めたと自慢していたけどね。
また何年前だか自己申告していたではないか、オレ様は預流向だと。
その後に準シュダオン宣言、これもマダラボケで覚えていない。
預流向=準シュダオンではないなどと、深山さんにイチャモンをつけていた。
そして話題も掲示板で輪廻していることの自覚すらなく、批判論は無視し否忘却のかなただ。

>すると、管長の聖なるバイブレーションのお話は、作り話だという噂がまかり通るね。

批判側の誰が、嘘つきカンチョーやスパイラル信者のたわ言を信じるか。
桐山さんのはすべて小説です。
それも下品で程度の低い自慢小説に過ぎない。
その信者は、掲示板で自慢話に興じる。

>反対に転ぶと、批判派みたいに、狂信的に否定に
走るからね。「管長が言うのだから、たぶん、本当だろう」くらいに思って
いたら良いと思うね。

批判側が何に対して狂信しているのですか、笑わせないでください。
主観的出来事を自慢げに何度も放言しているのは、狂信ではない?
なら、ありもしない体験話し体験したと思い込むのを錯覚と言う。
学者の説を自己慢心で曲解し偏読し一人悦に入るのが狂信ではないなら、
ただの驕慢という人格破綻者だ。

868ラシン:2011/01/21(金) 17:38:16 ID:x9FuHHv20

>828
>批判派は、当初、仏教は因縁解脱など説かない、と主張した。
それは勉強不足である。私は、岩波仏教辞典の縁起の項を提示した。
そこには、初期仏教時代の縁起について、
「さとりは、滅とか解脱と表現され、縁起の滅した世界とされた」
と、説明されている。
つまり、さとり=滅=解脱、なのであり、縁起の滅=因縁解脱、ということを
理解できよう。縁起=因縁なのであり、滅=解脱ですからね。
縁起の滅した世界とは、因縁解脱のことなのです。

何度も同じ理屈を捏ね回して、仏教無知を垂れ流す。
縁起とは縁りて起こるということです。
原因と結果くらいなことだと批判側から言われ続けている。
涅槃にはもうそのような現象が生じないから縁起は消滅したことになる。
それは因縁を切ってなったのではなく、煩悩を滅したからです。
三毒煩悩を消滅させたから、縁起と言う苦の成り立ちは消えたのです。

>しかし、他の経典では、無貪瞋痴の三善根では法向善趣
留まりであり、法向涅槃のためには三三昧を修行せよ、となっており、
批判派の解釈の間違いが明らかになった。

昨年も深山さんやユビさんに論破されたことも忘れて勝利宣言ですか。
善趣は涅槃と同義だと説明を受けたはずです。
この電波老人は、三善根すら理解できずに二通りの意味があるだって?
先に示したとおり、涅槃界へ到達できるのが三善根です。

ー引用ー
阿含宗と桐山氏について―第五十一章―【マスヲの砂場で宗教ごっこ】
>971 :深山:2010/10/27(水) 12:53:56 ID:YQT/QvnQ0
「仏教の解脱=煩悩を切ること=無貪・無瞋・無癡=涅槃」
これを理解した上で、準シュダオンさんが引用している三聚経について見てみましょう。
この三聚経は、悪趣、善趣、涅槃という三つに分けて、
それぞれに至る内容を強引に数字で分類し、並べた経典です。
三善根は、善趣の方法として記載されているだけで、涅槃の方法とは説かれておらず、
だから、三善根とは天界に至る程度の低いオシエにすぎないというのが
準シュダオンさんの主張です。
>だが、善趣にはもう一つの意味もある。
「A善逝に同じ。仏の別称の一つ。」(佛教大辞典、小学館、368頁)
「ゴータマのことを「幸福な人」と呼ぶこともしばしばである。
漢訳ではこれを「善逝」と訳すことが多いが、「善趣」と訳すこともある。」
(『ゴータマ・ブッダU』484頁)

>善趣とは仏陀や解脱者という意味もあるのです。
善趣に至るというのは、仏陀に至るという意味ですから、涅槃そのものです。
こういう使い方もあることをまず覚えておいてください。
準シュダオンさんのように、善趣というと天界止まりだという解釈は間違いです。
>972 :深山:2010/10/27(水) 12:57:17 ID:YQT/QvnQ0
答えの一つを信者さんたちはすでに桐山さんの講義で読んでいる。
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』の152頁に出てくる出家経です。
在家が至る最高峰はアナゴンです。
それらは、五下分結と呼ばれる、三結と欲貪と瞋恚を切ることです。
ここで再度信者さんたちに気がついてほしいのは、アナゴンになるのには
因縁を切るのではなく、結という煩悩を切ることである点です。
釈尊は煩悩を切ればアナゴンになると説いてるのであって、
因縁を切るとか、徳を積むとか、霊的浄化をするなんてただの一言も説いていない。

869ラシン:2011/01/21(金) 17:45:22 ID:x9FuHHv20

誤:縁起と言う苦の成り立ちは消えたのです。

正:縁起と言う法則で生じる苦の成り立ちも消えたのです。

870ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/21(金) 23:26:11 ID:SmEF4Oe2O
「西面」にこだわったのは個人的な理由がありましたね。
これを思いついた前の年に南アルプス登山をした。
三伏峠から塩見岳を目指す。
樹林帯の急坂を登りようやく三伏峠小屋に到着。今夜はここに泊まる。
塩見岳は頂上部が雲に隠れてしまっている。
夕食を済ますと、夜行で来た寝不足もあり、うつらうつらと居眠りに陥った。
ふと気がつくと窓の方向が明るい。晴れた。周囲が輝いている。
塩見岳を見なけりゃ!
あわてて外に出る。塩見岳の頂上の雲は取り払われている。
目の前のピークである三伏山がその塩見岳の全貌を覆い隠している。
ならばとほんの5分もかけてその三伏山の頂上に立つ。
そこは森林限界の上で360度の大展望。
塩見岳が素晴らしい迫力で今沈まんとする最後の西陽を受けて輝いている。
朝日に輝く峰も素晴らしいが残照の山もよい。
塩見岳から南に連なる南アルプス南部の3000メートル峰たち。
荒川東岳が奥にグンと高く、赤石岳のジャイアント、秘峰聖岳。
時は8月お盆過ぎ。北アルプスのような残雪はどこにもないが、原始的な迫力が伝わる。
腹の底から熱いものがこみあげた。
南アルプスはアルプスではない。しかし世界に誇る大赤石山脈だ。
その日の晩は昨夜夜行でほとんど寝てないにも拘わらず眠れぬほど興奮していた。
これが西面する山を見た原体験なんですね。
だから西面も先にありきなんです。
東方に跪くだの西方に顔を向けだのに過敏に反応したわけです。

871ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/21(金) 23:58:12 ID:SmEF4Oe2O
>>816:準シュダオン
11/01/20(木) 09:59:01 ID:1F7rdgXk0
>宗教を詐欺だと騒ぐのは、滑稽でもあるね。

宗教全般をさして詐欺だなんて言ったことは一度もありません。
健全な良心的な宗教だってあろうし、逆に人心の弱みにつけこみ悪意の金儲けを
企む詐欺宗教もあり、それは個別の判断をせねばなりません。

>宗教は最初から、科学的根拠がないのであるから、科学主義に立てば、
>すべての宗教は詐欺だとも言える。

そんなことも言ったこともない。科学では割り切れない精神の部分をよくフォロー
して欲しいと思う。

>何も阿含宗だけが詐欺なのではない。

アゴン宗は詐欺だと認めるのですね?私は詐欺でない宗教もいくらでもあるだろう
というスタンスに立っているのに。

>キリスト教も、キャンドルサービスといって、ロウソクの炎をイエス・キリスト
>の象徴として、有り難がっているのだよ。護摩木の炎とローソクの炎と、どこ
>が違うのかな?護摩木には煩悩がある?
>ローソクの炎にだって、願いを込めるのだから、煩悩があるでしょ。

その願いの込め方によって煩悩となる人もいると思います。
しかし素朴にキャンドルを捧げて我が身我が家庭の平安を一時瞑目して祈る程度の
ことならば、さしたる問題はないと思います。
私は釈尊ほど厳しくない。
だからアゴン宗の護摩木勧進に応じて数本程度の護摩木を数百円払って書いて
合掌したとて、その一般人のその場限りの祈りは煩悩に溺れることにもならない
と見ています。
しかしあなた方信者は違う。
ご法施輪廻転生瞑想曼荼羅が欲しくて、分納誓約書を出してまで20万円の護摩木
購入と祈願に心奪われる姿は哀れな煩悩です。
解脱はいよいよ遠退いた。
尚キリスト教は解脱なんて求めてないんですよ。
宗教の目的が違うものを同じ土俵で比較してどうする。
愛や救いを説くキリスト教に対して仏教は悟りを説く。
あなたは仏教聖典伝道会の解釈を諦めると見て軽蔑しましたよね?
しかし仏教の悟りとは諦めることです。
諦観することです。四諦の諦も諦めでしょうが。
ただし、投げやり、やけっぱち、やーめたやめた、自殺でもしよとのあきらめではない。
その後も生活努力を続ける諦めです。
諦観、悟ることなんです。
作家の五木寛之が「大河の一滴」で含蓄ある言葉を残している。
覚悟を決める。西洋にない含蓄ある言葉だと。

872ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/22(土) 00:31:06 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんは相変わらずこちらが反論済みのネタを何のひねりも工夫もなく
前と同じように繰り返すのみです。
鸚鵡のようなもので何の知恵もない。
こちらの反レスを読んでないとしか思えない。
昔、職場の上司から叱られませんでしたか?
叱られて尚も改善ができていない。
なかなか仕事の改善ができないのはこちらも同じことで難しいところだ。
しかし何が問題であるのかと注意を受けた事項を覚えているか?
それすら覚えていないのがあなたではないでしょうか?
ガミガミ叱られるのはうるさいなあというだけで注意叱責の内容を全然聞いてない。
これでは何をやってもダメです。
行政側の立ち入り検査、監査などがある。
あちらは指導したいのだからいろいろと指摘事項を指摘して宿題とする。
そして次の立ち入り検査の時に指摘事項がどう改善されたか見る。
改善どころか指摘事項をメモっておらず、同じ誤りを続けているあなたは監査で

アウトですね。
そんなあなたをいつまでも甘やかしてレスをつける気はない。
スレの出入り禁止を強制するのは反対だが、スルーはさせていただく。
スルーされて一番困るのはあなただと思う。
どこでも相手にしてもらえないのをここでも相手にしてもらえない。
あなたの楽しみ、生きがいが奪われるわけです。
相手にしてもらいたかったら工夫をしなさい。
人の書き込みを受け入れなくてもよいから、理解だけしてそれを踏まえた反レスに
しなさい。
スルーと言ったが、あなたの立場なんか全然考えてないが、こちらの考えあって
敢えて反論済みの事項でもそろそろ蒸し返してロムする人たちに理解深化を促そう
という意図がある時はあなたの書き込みにもレスを付けた形にすることはある
かもしれない。
あなたはかまってもらいたかったら工夫しなさい。
そうそう、上高田三郎君だが、彼は首を吊って自殺するのをやめたようだ。
いや、観音経を発見したわけではない(笑)
考えてみればあんなアホのために自殺するのはアホじゃないかと気付いたらしい。
上高田君の過去の思い込みはあなたが読んでも妄想だと評価したわけですよね?
(ちゃんと読んで構図を理解したのだろうか?)
しかしあなたに上高田君の妄想を笑う資格はない。
あなたも夜中のバイブレーションをグルよ、ありがとうなどと何の検証もなしに
その場で書いてしまうことは単なる妄想に過ぎないからです。
上高田君のこじつけがキモイならばあなたもキモイ。

873ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/22(土) 01:06:17 ID:SmEF4Oe2O
ヒントを教えてあげましょう。
>>871で準シュダオンさんの>>816にだけはレスして、残りはスルーした。
なぜか?
キャンドルサービスをめぐる見解の話が新しいネタだからです。
だから私にレスをつけてもらえた。
工夫する際の参考にしてください。
工夫が感じられなきゃスルーしますから。

874ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/22(土) 08:34:01 ID:SmEF4Oe2O
>>871:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/01/21(金) 23:58:12 ID:SmEF4Oe2O
>だからアゴン宗の護摩木勧進に応じて数本程度の護摩木を数百円払って書いて
>合掌したとて、その一般人のその場限りの祈りは煩悩に溺れることにもならない
>と見ています。
>しかしあなた方信者は違う。
>ご法施輪廻転生瞑想曼荼羅が欲しくて、分納誓約書を出してまで20万円の護摩木
>購入と祈願に心奪われる姿は哀れな煩悩です。

信者さんの中で自分は法施グッズ欲しさに2千本も買わない、それこそ数本書いて
家族の無事を祈る年に一度の初詣程度のものとしかしていないと言う人もいるかも
知りませんね。
しかし駄目です。
教団側の方が既に煩悩、欲望を煽るシステムを用意している。教祖も含めて。
こんな護摩導師の焚く護摩にどうして素朴な願いを託せるか?
また霊障解脱、成仏供養の護摩木を書いたらアウトです。
先祖供養の護摩木ですなんてきれいごとのごまかしは通用しない。
アゴン宗の供養護摩木にはちゃんとそれを必ず添えねばならない約束事があって、
その理由はどんなに祈願護摩木を書いても霊障の不成仏霊の先祖がその福を減じて
しまうから、これを除去する為にも供養しなければならないという説明です。
これを実践したら先祖を侮辱したも同然で、ローソクの炎をイエスの象徴と見て
祈りを捧げる話とは全く別になります。
他人に護摩木を勧める時、祈願護摩木しか書かないのをハラハラと不安がり
供養護摩木も書くように勧めねば気が済まないならば、それは悪業であると同時に
煩悩に囚われている。
霊障の話を隠してご先祖様の供養もなさいませんか?喜ばれて祈願も叶いますよ、
なんていかにも健全そうに示したとしたら、それは相手にうしろめたい活動を
悟られたくない為に騙していることになり、これまた不要な悪業であり煩悩です。
キャンドルサービスにこれらのことがありましょうか?
仏教にもお灯明や焼香はあるのだからそれだけでよいではないか?
それをどうしてさらに護摩木なんてものをわざわざ祈願文添えて出す必要があるか?
しかもわざわざゴテゴテと祈願文スタンプまで用意して。

875準シュダオン:2011/01/22(土) 12:46:36 ID:1F7rdgXk0
批判派が、反論済みといっても、くだらなくて反論になっていない。
だから、私は、基本を、何度も何度も、繰り返しているのです。
繰り返しているうちに、批判派が気付く可能性もある、と考えてね。
四双八輩のシュダオン向の聖者問題にしても、気が遠くなるほど、同じネタ
をレスしました。何で批判派は、こんな簡単なことが解からないのか?
と、不思議に思いつつね。

結局は、批判派がアビダルマ倶舎論の四双八輩論を正しい、と洗脳されて
いるからだと、解った。そして、アビダルマ倶舎論を解説している学者先生
に洗脳されていたわけです。経典の四双八輩の定義と倶舎論の定義が同じな
らば問題がなかったのに、違っていますからね。

管長は、応供の如来の意味を、間違えてる、という批判派の意見を目にした
こともあった。応供というのは、供養を受けるにふさわしい、という意味だ
から、管長の「供養に応える如来」との解説はおかしい、というわけです。
そういう批判派の批判は勉強不足なのです。

例えば、阿含経典に、「四双八輩 為世福田 応受人供」と、あります。
「四双八輩は、世の人に福をもたらし、人の供養を受けるにふさわしい」
と、いう意味です。
けれど、何もしない人にまで、無条件に福をもたらすわけではありません。
そこが厳しいところですw。

「為世福田 応受人供」を、
世の人に福をもたらすから供養を受けるにふさわしい、と解釈して良いのです。
管長は、そこまで説明すると、本がぶ厚くなるから、結論部分を解説して
いるのです。「応供の如来は、受けた供養を功徳として返しますよ」とね。

876準シュダオン:2011/01/22(土) 13:30:58 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんのような人は、管長の教えを勝手に勘違い解釈して、
間違えているのです。そのような人は、何処にでもいます。キリスト教でも
過激派は殺人までします。イスラム教でも過激派は自爆テロまでします。
いずれも、イエスの教え、ムハンマドの予言を勝手に解釈して、間違えて
いるのです。批判派の管長の解釈も似たようなものです。

釈迦の時代も、熱心な富豪の信者は、精舎まで寄進したのです。
貧しい信者は、それなりに、です。
今だって同じことです。

それに、この宗教は正しくて、この宗教は間違いだ、なんてのは各自が判断
すれば良いのであって、他人があまりお節介すべきものではない。
同じ料理だって、人によって美味い、不味いと違うのですからね。
まして、味覚障害の人のお勧め料理だったら、どうしましょう?
宗教だって、宗教障害の人の、宗教批判だったら、どうしましょw。
そうではない、という保証は何処にもないのです。

霊感商法でも、壺の値段が1個300円なら、誰も問題にはしないだろう。
だが、壺1個、300万円なら逮捕もされよう。
同じ詐欺でも、程度問題で罪にされる。
阿含宗の場合、供養を進めはするが、強要した話は聞かない。
騙されたとしても、欲に駆られた信者側に非があると思うが、どうか。

877天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/22(土) 13:39:44 ID:xDWqr2ZU0
>>875「応供の如来は、受けた供養を功徳として返しますよ」]

応供の如来は存在しない。第一釈尊が経典で応供の如来の存在を示してはいない。
また、応供の如来が受けた供養をどのように返したというのか。
(少なくとも自分は貰ってはいない)

878ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/22(土) 13:43:02 ID:SmEF4Oe2O
>>875:準シュダオン11/01/22(土) 12:46:36 ID:1F7rdgXk0
>批判派が、反論済みといっても、くだらなくて反論になっていない。

それをわかるように説明せねばならんのです。
批判側が反論の根拠としているこの部分がこういう理由でおかしいと。
そういう議論は前よりも一歩進んだ議論になるが、あなたの場合は一番最初の箇所に
常にリセットされてしまうわけですね。
だからこちらも既に出した同じ反論を出す。
前に進まないのです。
最低限相手の反論を読むこと。それを自分の言葉でも説明できること。
尚且つその反論に対する反論を示すことです。
これは国語なんですよ。国語とは勝手に自分の考えを書くことではない。
相手が書いていることを正確に読み取る力です。
その上に立って自分の考えも示せる。
だから国語のペーパー試験ってあんなんですよ。
自分の意見なんかどうでもよいのですよ。まず相手の文章が正確に把握できるか。
それを試す。

>結局は、批判派がアビダルマ倶舎論の四双八輩論を正しい、と洗脳されて
>いるからだと、解った。そして、アビダルマ倶舎論を解説している学者先生
>に洗脳されていたわけです。経典の四双八輩の定義と倶舎論の定義が同じな
>らば問題がなかったのに、違っていますからね。

これなんか相手の文章を正しく把握していなかった証拠です。
私はアビダルマなんか根拠にしていない。
別のものを根拠にしている。それは何か?既に何度も示しています。引用もしています。
さあ、それは何か答えてみなさいな。
答えられなきゃ所詮こちらの反論を国語としてすら掴んでないことになります。

>「四双八輩は、世の人に福をもたらし、人の供養を受けるにふさわしい」
>と、いう意味です。

>「為世福田 応受人供」を、
>世の人に福をもたらすから供養を受けるにふさわしい、と解釈して良いのです。
>管長は、そこまで説明すると、本がぶ厚くなるから、結論部分を解説して
>いるのです。「応供の如来は、受けた供養を功徳として返しますよ」とね。

これも反論済みです。示してもいいが、どう反論したか答えてみなさい。

879天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/22(土) 14:20:17 ID:xDWqr2ZU0
>>877 いやはや。自分も約束の時間を忘れて催促されたので尻切れ投稿になったが、
ユビさんが>>878で言われていることに尽きます。
>>877には答えなくてもいいから、ユビさんの言われていることには応じて欲しいですね。
準さんは2chで出現している「荒らし」と違って荒らし行為はしないが、人の意見を
無視し持論ばかり行うから問題なのです。

私もユビさんの言われていることに同意ですね。

880準シュダオン:2011/01/22(土) 15:48:51 ID:1F7rdgXk0
反論を読むことと言われても、読むか否かは当方の勝手で、くだらない駄文
を読めと強要する傲慢さを考えてみたまえ。こちらは眼をいたわる都合も
あるからね、駄文読むほど暇じゃないっての。

批判派は、以前、須陀?=須陀?果+須陀?向、なのだと強情を張ったこと
があるね。それと同じことで、間違いを間違いと気付かずに盲信してること
が多いから、始末が悪いのですよ。
経典に於いて、須陀?とは、須陀?=須陀?果のことであり、須陀?とは
須陀?果の、果の省略形のことなのです。
たったのそれだけを、理解させるにも、膨大なレス量を必要としました。
盲信とは、恐ろしいことです。

批判派は、信者時代も、退会後も、何かを盲信してる点では同じです。
ただ信じてる内容が違うだけです。その姿勢は同じですね。
よく解からないことを、解からないと断定することを知らないのですね。
乏しい知識の中で、本当か嘘か、正しいか間違いか、を決めないと落ち
着かないようです。

だから、自分に体験のない、信じがたい事は、嘘だー、となるわけです。
それから、プディングの味は食べてみないと解からない、という意味は、
眼耳鼻舌身意で感じた、色声香味触法は、言葉で正確に言い表すことは、
不可能だ、という意味です。

応供の如来について、「供養を受けるにふさわしい」との解釈も、
「供養に応える」という解釈も、同じことになる、という智恵が欲しいね。
別に如来がガメツイからではなくて、供養に応じて福をもたらす、という
仏の法=自然の法則、をいってるに過ぎませんからね。
種を播いた者に福田の収穫があるわけで、種を播かない者にまで福がある
わけではありません。
だから、応供を「供養に応える」と訳しても同じことになるのです。

881天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/22(土) 15:59:05 ID:xDWqr2ZU0
この人には何を言っても駄目ですな。

882ラシン:2011/01/22(土) 16:30:24 ID:98U1EaJc0
>876
>霊感商法でも、壺の値段が1個300円なら、誰も問題にはしないだろう。
同じ詐欺でも、程度問題で罪にされる。

例えの内容が頭悪すぎです。
商品の原価を考えない例えなど意味を持たない。
厳密に言えば科学的根拠を持たない霊界話しなどで人の宗教心や、
超自然的なものへの畏れなどを利用して300円を騙しても良い訳がない。
仏教と言うなら、刑事事件以前の信仰姿勢の問題ではないの。
この電波老人は、どうしてこうも道徳心に疎いのだ?

>阿含宗の場合、供養を進めはするが、強要した話は聞かない。
騙されたとしても、欲に駆られた信者側に非があると思うが、どうか。

指導したのは誰あろう桐山さんです。
欲を扇動した者は悪くなく、績徳行と誤解して布施をした信者に責任転嫁か。
また、この電波老人の凄いところはアゴン宗の信者修行を何もしていないことだ。
ファミリーに所属すれば布施や会員勧誘など、強要した経験者が多数存在する。
道場で他人のノルマを横取りした信者もいます。
それらを一番強要しているのが、桐山さんです。
実績を上げなければ責任者は桐山さんから罵声を浴びることになる。
あなたのような地方のサボリ末端会員だから、経験もなく知らないだけだろう。
しかし、
それらの商法も、伝統的なものとして社会通念上認められているものは除かれる。
アゴン宗の手法は、その伝統性を利用した間接的霊感商法または霊視商法です。

883ワンピース:2011/01/22(土) 18:59:54 ID:P7UWdMoY0
星祭りに向かって道場にて梵行修行者を集め地区担当の先達から梵行修行に管長のメッセージが言い渡された。

    「1999年に世界が滅んでも向こうの世界に私の座るべき椅子はちゃんと用意されている。
     しかし君達はそれでもいいのか。」

その先達は確か塚○だったけかな。
そして若い女の信者は世界が滅ぶのに結婚なんてとんでもないなんていいだしたのが出たしなw
それを聞いた故O本部長が結婚して赤ちゃんを産んでください、そのパワーが破滅のカルマを切るんだといっていたなw

準シュダみたい籍だけおいた三年寝太郎どころか万年寝太郎じゃカルト狂被害のひどさが判らんだろうなw

884準シュダオン:2011/01/22(土) 19:26:35 ID:1F7rdgXk0
だから、カルト教にするか否かは、信徒の知能次第だということです。
キリスト教にも、イスラムにも、カルト信者はいるし、そうでないのも居る。
管長の教えを、カルト的に捉えるか否かは、信者側の自由なのです。

わたしを、三年寝太郎ととらえるか?万年寝太郎ととらえるか、
それは、自由で、誰にも解からない。
だが、聖なるバイブレーションとは、此の事か!、と私は解った。
未体験の人の、正しい態度は、そんなのインチキだ、脳梗塞の前兆だと、
あるいは、本当だと盲信するのでもなく、「私は、知らない」と、
認識することなのです。

知らないことは、知らないと認識する知恵、それが批判派にないのです。
自分の知らないことはインチキだ、と判断する、それが愚かな態度なのです。
私は、聖なるバイブレーションについて、それを体験するまでは、本当だとも
インチキだとも、断定はしなかった。
本当かも知れないし、インチキかも知れない、だが管長が言うのだから
たぶん、本当なのだろう、というような簡単な判断をしていた。

そして、忘れたころに聖なるバイブレーションの洗礼を受けた。
仏陀の思念を受けたいとの思いで、管長の伝法を受け、それを忘れることが
可能であるか?私の場合は、忘れていたときにそれは、起きた。
それが、ヒントです。

885準シュダオン:2011/01/22(土) 19:43:00 ID:1F7rdgXk0
管長メッセージをどのように捉えるべきか?
それが問題でもありますねw。
単なる僕的にそれを押し頂いてはいけませんね。奴隷ではいけないのです。
信者を、奴隷にしないために、管長は信徒を鍛えてるのです。
それが奴隷的信者になったとしたら、ジョークです。

だから、奴隷的に、管長の教えを信じてはいけない。
信じるのは当たり前だが、独立した信者として、信じなければいけない。
自分の判断力を捨ててまで、信じてはいけないのです。

それと、何事であれ、責任は自分で取ることです。
もし、詐欺師に騙されたら、その責任は自分にあると、自覚することです。
行政や、政治のせいで、あるいは詐欺師のせいで、自分が騙された、と、
責任転嫁してはいけません。

騙されるのは、自分の愚かさのせいだ、と、自覚することによって、
社会の正義は確立されて行くことでしょうよ。
警察や行政に、その責任転嫁をしてはいけませんね。

886深山:2011/01/22(土) 19:43:09 ID:9Pz5AWPc0
>>880 :準シュダオン:2011/01/22(土) 15:48:51 ID:1F7rdgXk0
>批判派は、以前、須陀諸Y=須陀諸Y果+須陀諸Y向、なのだと強情を張ったこと
>があるね。それと同じことで、間違いを間違いと気付かずに盲信してること
>が多いから、始末が悪いのですよ。

隼シュダオンさんの脳が老化して、針の飛んだレコードみたいに
同じ話をただ繰り返しているのは気の毒としか言いようがないと思うが、
上記はあまりに悪質な書き方なので、反論しておきます。
もちろん、隼シュダオンさんは私の文章は読まないのだから、
そのあなたに反論するのではなく、反論の形で読者たちに正しい内容を
説明するものです。
隼シュダオンさんの悪質さは二つある。
一つは、私が自分で間違いを認め、撤回した内容をまるで準シュダオンさんが
正しい主張で論破したかのように思いこんでいる。
どこまでオメデタイ人だ。
二つ目は、私の主張が間違っていたことをもって、隼シュダオン説が
正しいかのように思いこんでいる点です。
私の説が間違っていたからといって、あなたの説が正しいことにはならない。
相変わらず、あなたの四双八輩についての説は支離滅裂です。

887深山:2011/01/22(土) 19:47:32 ID:9Pz5AWPc0
>>880 :準シュダオン:2011/01/22(土) 15:48:51 ID:1F7rdgXk0
>批判派は、以前、須陀諸Y=須陀諸Y果+須陀諸Y向、なのだと強情を張ったこと
>があるね。それと同じことで、間違いを間違いと気付かずに盲信してること
>が多いから、始末が悪いのですよ。

あなたが引用した上記はかつて私が主張した内容であり、間違いです。
私は間違いを認め、修正した。
それは、沙門四果と四双八輩を同じ分類だと思い違いした点です。
強調するが、あなたの説が正しかったのではありません。
あなたは今も、あの当時も完全に間違えている。
まるで隼シュダオンさんが私に一生懸命に正しい説明をして
納得させたかのように思っているようだが、違います。
あなたの書いていることは、当時も今でも間違いです。
事実、あなたは未だに沙門四果と四双八輩を同類に取り扱っている。
両者は分類の仕方が別なのだから、重なる部分があるだけで、別物です。

沙門四果・・・預流(=預流果)、斯陀含(=斯陀含果)、阿那含(=阿那含果)、阿羅漢(=阿羅漢果)
四双八輩・・・預流向、預流果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果

これが正しい分類です。
私は沙門四果の分類の中に、「向」が入っているものと勘違いした。
だが、沙門四果の分類には最初から「向」の分類自体が入っていない。
私は両者を同列に取り扱おうとして間違ったのです。
「両者は別物だ」というのが正解だったが、あなたはそんな指摘は一度もしていない。
私は自分の間違いに自分で気がついたのであって、隼シュダオンさんは関係ない。
これはあなたが擁護派だから言っているのではありません。
あなたは正しい分類の仕方など主張したことはありません。
桐山さんですら言っていない我流の勝手な解釈を並べているだけです。
あなたの解釈は仏教でもアゴン宗でもないから、一番始末に悪いのはあなたです。

888深山:2011/01/22(土) 19:50:16 ID:9Pz5AWPc0
>>880 :準シュダオン:2011/01/22(土) 15:48:51 ID:1F7rdgXk0
>批判派は、以前、須陀諸Y=須陀諸Y果+須陀諸Y向、なのだと強情を張ったこと
>があるね。それと同じことで、間違いを間違いと気付かずに盲信してること
>が多いから、始末が悪いのですよ。

あなたは当時も今でも大きな間違いをしている。
それは「四双八輩=聖者」という釈尊の説を否定している点です。
釈尊は大般涅槃経で「四人と八組の人々」が福田であり聖者である述べている。
それはユビキタスさんはじめ批判側が何度も原文を引用した。
『ブッダ最後の旅』の50ページにあります。
四双八輩が聖者なら「預流向=聖者」です。
釈尊自らがはっきりと決めているのだから、議論の余地がない。
これほど明瞭に釈尊が四双八輩を聖者であると明言しているのに、
あなたは頑迷に「預流向≠聖者」と言い続けている。
私の説が間違っていたからと言って「預流向≠聖者」にはなりません。
あなたがどんなに反論されてもそれを言い続けるのは、隼シュダオンさんは預流向を
自認してしまったから、聖者だということになるからですよね。
自分のご都合で、釈尊がはっきり決めていることまで否定している。
本当にあなたは始末が悪い。

889深山:2011/01/22(土) 19:53:36 ID:9Pz5AWPc0
>>880 :準シュダオン:2011/01/22(土) 15:48:51 ID:1F7rdgXk0
>批判派は、以前、須陀諸Y=須陀諸Y果+須陀諸Y向、なのだと強情を張ったこと
>があるね。それと同じことで、間違いを間違いと気付かずに盲信してること
>が多いから、始末が悪いのですよ。

私は隼シュダオンさんが「アゴン宗預流向」だと認めてあげたではないか。
アゴン宗阿羅漢には愛人までいるのだから、隼シュダオンさんは
アゴン宗預流向なんか通過している。
あなたは白銀バイブまで受けたのだから、もうアゴン宗阿那含ですよ。
アゴン宗では美食、飽食を続けて糖尿病などの生活習慣病になり、
脳梗塞などで脳が老化するとアゴン宗阿那含になれる。
桐山さんもインドで脳障害を起こしてアゴン宗阿那含になった。
隼シュダオンさんも2004年に朝方脳梗塞を起こして、
白銀バイブを無料で受信したのだから、十分にアゴン宗阿那含です。
桐山ゲイカに見習い、愛人を持てばアゴン宗阿羅漢です。
すでに議論の終わった内容を忘れて繰り返し繰り返し書くなど、
桐山ゲイカの法話ともそっくりです。
桐山ゲイカと同じように自己顕示欲が強く、嘘に何の嫌悪もなく、
自惚れだけで生きていられるのだから、あなたは間違いなく「アゴン宗聖者」です。
自信を持ちなさい。
今のまま突き進めば、あなたは桐山さんと同じ境涯に行けます。
批判側はそこだけは避けたいと願っているから、
どうぞ、お一人で行ってらっしゃい!

890準シュダオン:2011/01/22(土) 20:37:10 ID:1F7rdgXk0
ユビキタスさんは、仏を、何で福田というように、田や畑に例えたのか、
理解できますか?または、推測できますか?
田や畑というのは、種を播いて収穫を獲る、という人工的な意味があります。

海の幸、とか、慈雨には、人工的な意味はなく、分け隔てなく恵みを与える
という意味があるでしょう。仏の場合は福田であり、慈雨ではありません。
仏とは、種を播く者に福を与える田畑なのであり、寝ている者にまで福を
与える慈雨なのではありません。それが福田の意味です。

つまり、供養をする者には福があり、供養をしないものには福はないのです。
母が子供を無条件に慈しむように、仏もまた、供養する者にもしないものにも、
分け隔てなく福を与えて欲しいと思うのは、愚かな人情の業というべきでしょう。
可哀そうだが、そうしたくても、そうはならないダンマというものがある。
それが解からないのが、人の哀れさ、というものでしょうか。

891ワンピース:2011/01/22(土) 20:51:04 ID:P7UWdMoY0
インド巡礼中に聖なるバイブレーションを受けた管長様信者様の御一行は
その信者を乗せたバスが崖から転落して負傷者が出たんだったねw
それで管長はここでもツアー会社に怒りを爆発させていたそうで。
信者達は仏様が守っていてくださるのにそんな馬鹿な馬鹿なだっんじゃないかな?
管長は因縁の洗い出しが出たとか言って誤魔化していたんだろうなぁw
つうか仏罰の警告だったんじゃね?w

892ドラゴンボール:2011/01/22(土) 21:42:11 ID:BBtat4sE0
だいたい林郁夫の結婚式でゲイカは個人的に護摩修法して祈念したんだぜ!
その後、林郁夫がどうなったのか、みなさん御存じのはず・・・。
ゲイカの念力法力の護摩は効果がないどころの話ではない
もしかしたら冥府魔道におちいる罠かもよw

893ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/22(土) 21:45:38 ID:SmEF4Oe2O
>>880:準シュダオン11/01/22(土) 15:48:51 ID:1F7rdgXk0
>反論を読むことと言われても、読むか否かは当方の勝手で、くだらない駄文
>を読めと強要する傲慢さを考えてみたまえ。こちらは眼をいたわる都合も
>あるからね、駄文読むほど暇じゃないっての。

はっはっはっ、早くも敗北宣言ですか?
あっさりしてるなあ。もう少し粘りを見せなけりゃ。
あなたがいくら否定してもこういう態度は敗北宣言なんです。
読む読まないはあなたの自由です。
その代わり読まないのならばその話題について書き込みをする権利はない。
読みたくないならば書かなけりゃいいじゃないですか?
どっちかにしなさいよ。
しかしこういう準シュダオンさんみたいな厚顔無恥な態度って、準シュダオンさん
だけに特有なもので、アゴン宗の面汚し、例外であり、あんなのと一緒にするな
とロムする信者さんは思ってないでしょうか?
たしかにその気持ちはわかるが、私はこれが案外にアゴン宗信者の典型なのでは
なかろうかとも考えている。
批判側に立ってから名無し信者含めていろいろと議論や対話をしてきたが
どいつもこいつも・・・なのです。
まず相手を見下す。それも根拠あっての上から目線なのではない。
批判されるのが不愉快だからその嫌悪感から相手の説く内容をよく読みもせず
こんな挫折者の言うことに耳を貸すだけ汚らわしいと、マトモに相手にしてやる
もんかという態度なんです。
ロムする信者さんも自分は敢えて書かないだけで、腹の底でそう思っていませんか?
思っているのなら試しに出て来て反論してきてみなさい。
敬意を表して全力を尽くして倒してみせます。
くれぐれも準シュダオンさんの真似事で、読まずして空意地だけ強い逃げ路線で
お茶を濁して欲しくない。
あなたは準シュダオンさんを超えられますか?それとも同じ穴の・・・

894名無しさん:2011/01/22(土) 22:37:58 ID:q2/m47NQ0
確かに阿含宗の信者というだけで
必ず守られているという思いは
盲信だろうね
昔、阿含宗の信者達が映画会という
布教伝道の梵行のあと、ワゴン車で帰路の
途中、事故で何人か亡くなったんだ
当時は仏に守られてるはずの阿含宗徒達が
しかも、梵行のあとに何故交通事故に
あうのか?理解できなかったけど
少し考えれば簡単に理解できることだ。
仏が阿含宗の信徒だけしか守らないとか
阿含宗信徒だから必ず守られてるなどと
思うことは盲信以外のなにものでもないよ。
そのことについてゲイカは例祭で
運転には気を付けなければいけません
といってたっけかな?!

895ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/22(土) 23:02:24 ID:SmEF4Oe2O
>>894
その事件、事故はたしか自殺した人もいましたよね。
やはり運転手なんでしょうかね。
痛々しい話です。
アゴン宗の話ではないが、昔、観光バスが谷底に転落する事故があった。
当然ながら乗客は死傷者の山となります。運転手は生き残ったようだ。
しかしすぐに首を吊って自殺した。
他人様の命を奪うことをしてしまい、もう自分には生きていく資格がないと
絶望したんでしょうね。
なんともやるせない痛々しい話だ。
そのアゴン宗滋賀地区の例祭に向かう梵行メンバーの運転手もスピード違反は
自業自得だなんて偉そうなことを言いたくないが、それはそれとしても気の毒に
思います。
その運転手はすぐに自殺したのではなく、少し経過してから実行したようです。
余計に悲観に悩む機会があったのでしょうね。
アゴン宗の信仰に励み、真面目に熱心に梵行に励んだのに、大難はこの人を侵し
それを救う力はなかった。
事故死だけでなく自殺でさえも。

896ワンピース:2011/01/22(土) 23:15:30 ID:P7UWdMoY0
>>885
ブハハw準シュダは慈雲の親爺と同じことをいいやがるなw
宗教ビジネスに於いて騙されるほうが悪いby慈雲法師
http://www.youtube.com/watch?v=TUVBNUrEMAY

慈雲が鬼籍に入る頃ここのイタコたちのイントチキが露見するしw
霊視予言も外し信者に予言どうり自殺をしろと問題おこしてたしなぁw

霊感(霊視、天耳通など)の強い友人は幾人か知っているがそこで阿含宗は観てもらったが重く暗い気が充満してるといっているぞ。

>それと、何事であれ、責任は自分で取ることです。
>もし、詐欺師に騙されたら、その責任は自分にあると、自覚することです。
>行政や、政治のせいで、あるいは詐欺師のせいで、自分が騙された、と、
>責任転嫁してはいけません。

いつ責任転嫁したかなw
詐欺師を発見したら詐欺師を放置しないのが世の倫理だろ。
やられたほうが悪いなら警察も裁判所もいらない。
また騙されたほうが悪いと責任転嫁するは詐欺師犯罪者の典型。
無差別殺人者が俺の前に現われたから悪いといっているのと同じ道理などこの世もあの世も通らんな。
桐爺さんと一緒にいずれ堕ちていくことだなw

897名無しさん:2011/01/22(土) 23:22:32 ID:q2/m47NQ0
自殺したんですかぁ。。
不幸なことですね
そういう悲惨な情報は
こちらには全く入ってきませんでした
わたし的には
ゲイカの現在の病気と
内弟子裁判の件だけで
阿含宗も残念ながら終わりだと
思ってます、残念ですが
地に落ちたという感じです。

898ワンピース:2011/01/22(土) 23:32:54 ID:P7UWdMoY0
阪神大震災のあった翌月だったけかなぁ別の霊感の強い友人に阿含宗の未来を透視してもらったが
後継者が無く信者は減り無くなるといっていたなぁ。
近いうちに大きな問題に巻き込まれると言っていたが予言どうり起きたな。
オームの地下鉄サリン事件が。

899名無しさん:2011/01/23(日) 00:03:03 ID:BBtat4sE0
ほんとうにこんな教団無くなりゃいいんですけどね。
いつまでも残るやつがいるんだよねカルトって

900ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/23(日) 00:24:43 ID:SmEF4Oe2O
>>897
私もこの事故は当事者の故人たちが気の毒で気の毒で仕方ないですね。
私は関東なので関西のことは詳しくないが、関東の例祭法話でも桐山さんが
とりあげた事件ですからね。
桐山さんはいやあ、因縁というものは恐ろしいですねという言葉でごまかしていた。
やはりスピード違反はあったようです。私も安全運転を心掛けているが
スピード違反なんてしない時がない。
だから明日は我が身のことだと常々思いますよ。
いつ加害者になるかわからない。その時は何があっても責任をとるために耐えて
生きねばならないのはわかっていても自殺して責任取りたい気持ちよくわかります。
信仰しているから絶対に守られているから何をやっても大丈夫なんてことはない。
それは桐山さんも昔から説いているからスピード違反しても大丈夫なんて言わない。
気の緩み、心の隙かもしれませんね。
しかしこの事故はせいぜいその心の隙程度であって運転手らはそれほど非難
されるような破廉恥な心得違いはないと思う。
破廉恥な心得違いとは飲酒運転とかヤンキー暴走族の箱乗りとかですね。
皆行歴あって熱心な修行実践者たちだ。
少しの心の隙ならば、反省するようなヒヤリ体験だけで終わる信仰の功徳はないものか?
全員横変死という最悪な結果、しかも一人は自殺で終わるなんて全く救いのない話だ。
アゴン宗の信仰、修行に救いなんかないのです。
なぜ?なぜ?と懊悩する運転手は桐山さんの言葉を聴いて尚絶望して自殺したのか?
こんなことがあるわけだから、根拠のない救いなんて説くなと言いたい。

901名無しさん:2011/01/23(日) 02:04:26 ID:q2/m47NQ0

運転手以外皆死んじゃったの??
阿含宗の信者なのに??
そして結局運転手も自殺しちゃった?
阿含宗の信者なのに??

902天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/23(日) 02:27:37 ID:QQ5Wb9VY0
>>901さん。かく言う私も過去は信者でしたからとても理解不能でした。
なぜに仏に守られている信者が横変死したとか、阿含宗の言う「様々な因縁」で
亡くなるのか。
「それは悪因縁を切ってないからだ」とかゲイカが「俺の指導を守らないからだ」
というのは分かりますが、あまりにも不整合で信憑性が無い。言いがかりそのものです。

教祖自身が脳障害の因縁を発動し、それさえも誤魔化している。
自分自身が提議した「因縁の手鏡表」にモロに合致しているのに平気で主張する。
尚且つ有余依涅槃の聖者様が現在に見る有様です。

元々因縁解脱など仏教には無い嘘の教えですから信じる方が間違っているのです。
つまりいくら講じても因縁など切れることもないし、案じる必要は無い。

釈尊の弟子で悲惨な亡くなり方をした方が居たのを阿含宗では説明が付かないが、
元々釈尊が「因縁解脱」など説かないのだから、それであれば変ではない。
逆に阿含宗の教義では不整合に成るのがオチです。

脳障害の因縁を持ち妄想癖のある教祖のデタラメを信じると不幸になります。

903天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/23(日) 02:34:12 ID:QQ5Wb9VY0
>>897さんが書かれておりますが、実は私のような末端信者には耳にはなかなか
阿含宗でのミスというか都合の悪い情報は入って来づらいです。
なので、自分も知らないことが結構あります。(または後になってから知る)

信者も信者で内輪で話はするがそれに対して疑問すら持たない。
個人的には疑問は持つが、数人で会話したり話題が出ても教祖の言い分をなぞり、
それで終わるのが常。

ですからやはり掲示板で良く出る表現ですが、信者は「現実を良く見ないといけない」
というのは本当だと思います。
それこそアゴン教学なんて頭に入れなくていいから、おかしいことはおかしいと気づく
精神を持つほうが重要だと思いますね。

904天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/23(日) 02:45:02 ID:QQ5Wb9VY0
>>894さんが述べられている通りですが、本当に妄信。
かつての自分もそうだったので汗顔しきりです。

考えてみれば「それだけ加護があるならば救われるはず」がそれがない。
そして何か事故などがおきれば「それは因縁が発動したんだ」とか
ゲイカの「俺の言うことを聞かないからだ」とか「信者に過失があったんだ」
という言葉で済まされて終りです。

こんな不合理なことで黙る信者も信者です。
これだったら信仰をしない無宗教の人と「何ら変わりは無い」のです。
そんな意味の無いものをやって楽しいですか?

悪因縁があるぞ。それを切らないと影響を受けるぞ。そういう嘘にほだされて
一生懸命信仰をして怖がっていても、実際に何か事故や事件があってもそれに
対し「お前が悪いんだ」「因縁が悪いんだ」といわれ終わりです。

これで笑ってられますかね?

そもそも修行中に事故に遭い亡くなるとか被害を受けるなら、その修行を
しなかったらそうはならなかったんじゃないか?
そういう事項に対して阿含宗も教祖も本尊も何もしてくれません。
というか、全て嘘とデタラメ・インチキですから「何も有るはずがない」
馬鹿を見るのは信者だけです。

修行修行と借り出されて不幸に成るなら、家でせんべいでも食ってたほうが
マシですね。

905天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/23(日) 02:46:07 ID:QQ5Wb9VY0
>>904 最後の文を訂正。

修行修行と「励んで」不幸に成るなら、家でせんべいでも食ってたほうが
マシですね。

に、訂正です。

906神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/23(日) 04:36:51 ID:YaD7r0520
今年の三が日の全国の神社仏閣の参拝者数の実数が知りたいですね!
主催者発表でなく警察等第三者調べのものを?!!
有名所はあってるようですが、中小所は無視でしょうかね〜?

907早起きポンタ:2011/01/23(日) 06:36:28 ID:q2/m47NQ0
盲信者の言い分は素晴らしいですよ
100人死んだじゃないか!と言えば
1000人死んでないじゃないか!
1000人死ななかったのは阿含宗のおかげだと
何故思えないのか?と言ってくる
◯◯さんは事故で死んじゃったよ!
と言うと
釈迦の弟子アーナンダだって殴り殺されたんだぞ
因縁が切れていてもそういうことも
ありなんだよ、とよくアーナンダの話しを
使ってくる、もうそうなるとなんでもありの
世界です、あきれちゃうんだよね。

908天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/23(日) 08:20:47 ID:3fL7JdNI0
>>907 殴り殺されたのは阿難さんではなくて、目連さんではなかったかな?
それ以外は私も同意です。

909干柿:2011/01/23(日) 08:26:25 ID:BBtat4sE0
>>907
イナバの物置みたいですねw
殴り殺されたのはアーナンダじゃなくて神通第一の目建連尊者でしょ
生あるがぎり死がある、死に方の外見的な問題など釈迦は実は問題にして
いませんよね。心のありかたこそ重要だと・・・

やたら脅して金をまきあげるのはどうしようもない解脱とはほど遠い行為でしょう
さらには最近では輪廻転生瞑想曼荼羅だとかw
怒りをとおりこして笑っちまいます。
瞑想法など何もないもんだから、偽曼荼羅つくってこれおがんで一日三回笑えば
来世しあわせうたがいなし!さあ護摩木をうんと買って御法施もらいましょう
もう、なんの根拠もないデタラメで詐欺商法、でも宗教には根拠のないものばかり
が多いから詐欺とはいわないんだよね。
ただ「釈迦の本当の仏法」なんてことばでこんなことをするのは明らかに詐欺だろ!

910早起きポンタ:2011/01/23(日) 09:56:20 ID:q2/m47NQ0
そのとうり殴り殺されたのはMr.モクレンでした!

911ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/23(日) 10:39:01 ID:SmEF4Oe2O
>>876:準シュダオン11/01/22(土) 13:30:58 ID:1F7rdgXk0
>それに、この宗教は正しくて、この宗教は間違いだ、なんてのは各自が判断
>すれば良いのであって、他人があまりお節介すべきものではない。

そのとおりで各自が判断すればよいと思う。
私やあなたがギャーギャー騒げば白い物が黒くなったり赤い物が青くなったり
するものではない。何色かは各自が判断してください。
ただ私であれあなたであれ、黒だ、白だとその各自の判断の一つに過ぎぬ物を
書いて提唱するのは自由でしょう。
こちらは何の拘束もしていない。批判が不愉快ならば去るのも自由です。
信者を続けるのも自由です。
あなたが批判側に噛みついてくるのは、自分が書くことにより、信者が批判側に
つられて道を誤ることのないようにしてるつもりなんでしょ?
私はそれは逆効果で大いなる勘違いだと思うけど、あなたがそういう信念で
噛みつくのも自由なわけです。
それは同時に私が大半の信者が反感、無視を決め込む中で少数いるであろう
耳を貸す信者に向けて各自の判断を促す情報を提供するのも自由が保証されています。

>霊感商法でも、壺の値段が1個300円なら、誰も問題にはしないだろう。
>だが、壺1個、300万円なら逮捕もされよう。
>同じ詐欺でも、程度問題で罪にされる。

ラシンさんがひどい喩えと言ったが、まさにその通りで比較が極端ですね。
300円じゃ普通の壺も買えんじゃろがw
ところが普通の壺を3000円とするとアゴン宗の壺は3万円から30万円で
売っているわけだ。300万円まではさすがにしない。
そこで詐欺事件で立件できるのが百万単位と仮定するならば、十万単位は立件に
までは届かない、プレミアム商品の延長みたいなもので片付けられる。
しかし3千円しかしない壺を下手な装飾ほどこして3万円や30万円徴収するのは
詐欺ではないかと言うと、立派な詐欺です。

>阿含宗の場合、供養を進めはするが、強要した話は聞かない。

これは重要なことだからレスします。
強要しない代わりに脅迫します。霊的な脅迫です。
解脱供養って霊障の先祖の供養でしょ?
先祖が苦しんでいる。その影響を受けておまえの運命も暗い。
ほおっておくと致命的なことになる。そうなってからでは遅くどうすることもできない。
お金がないのならば強要まではしません。
しかし人質は助かりません。

912神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/23(日) 11:00:40 ID:YaD7r0520
>>907
勉強になりす。詭弁の初歩ですネ!!
「お前、餅10っけ食ったな?」
「100っけ食べてないのだから感謝しなさいよ!!あなたの為だから」
「隣のワンチャン死んだそうだぞ!!」
「あなたが死んでないのは保険も掛けてない私のおかげよ」
「妙にオレの薄給を非難してるな!!?」
「とんでもざいません・・病死より事故死の方が保険が入るかも?!!」
「あなた赤信号ミンナで渡れば怖くないよ・ヨ
常に人より先んじましょう、出世するコツなんだから!」
「危険の間をすり抜ける。そういう人を超人という」
「管長様あ−あなたも超人と言われた男」
「凡人どもが行ってる火渡りとか凍り付いた滝業でもなされたら
超人復活よ〜 そうすると、私の汚名も賛美に変わるのよ!!!
「行け行けマスオ 巨人の☆を目指すのよ!!
「死んでも復活することぐらいあなたならちょちょいのチョイデショ?!!
平成のキリストになるのよ」
「私は処女懐胎のマリアになってあげるからネ〜」

913ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/23(日) 11:18:49 ID:SmEF4Oe2O
>>884:準シュダオン11/01/22(土) 19:26:35 ID:1F7rdgXk0
>だが、聖なるバイブレーションとは、此の事か!、と私は解った。
>未体験の人の、正しい態度は、そんなのインチキだ、脳梗塞の前兆だと、
>あるいは、本当だと盲信するのでもなく、「私は、知らない」と、
>認識することなのです。
>知らないことは、知らないと認識する知恵、それが批判派にないのです。
>自分の知らないことはインチキだ、と判断する、それが愚かな態度なのです。

もちろん知りません。あなたの脳の痺れ感覚が脳梗塞の前兆症状であるか
聖なる外からの思念バイブレーションの受信なのかはどちらも仮説に過ぎず、
当事者でない私は仮説の一部を示すのみで本当のことはわかりません。
ただし私だったらその痺れを体験した当事者であっても尚且つ仮説を立てるスタンス
には変わりありません。
だって脳梗塞かどうかは自分でわからず、病院に行って脳内CTを撮ってもらって
医師の診断をしてもらわねば、主観だけではわかりませんからね。
だって中山忠光の霊障が発現して独鈷の加持を施し、解脱供養まで行った主人
だって中山忠光さんが解脱成仏したのはよいのだが、当の本人はその脳梗塞で
死んだのだから、脳梗塞発作ですらそれを自覚だけでは判断できぬのです。
これはバイブレーションだって同じことです。思念のメッセージは受け取れなかった
とあなたも書いてるし。
とにかく私には他人様のそれはわからない、知らないから仮説の推測以外には
なんとも断定評価のしようがない。
しかしわかることが一つだけある。
それが本当の思念のバイブレーションだったとしても、そんなものは欲しくないと思う。
それはバイブレーションを受けたあなたの言動を見ていればいかにそのバイブレーション
が何もあなたを高めてないかがよくわかる。
私はあなたの書き込みから強い煩悩が見てとれる。
霊障なんてわからないが煩悩なら目に見えるようによくわかる。
実際に会う必要もなく、書き込みだけで十分です。
ふふふ。煩悩というのは誰にでも目に見えるのですよ。本人すら自覚しない
他人のそれでも。
バイブレーション受けてもそのザマならば、私はそんなバイブレーションは要らない。
これは他のアゴン宗信者仲間ですらそう思ってるかもしれませんよ。
準シュダオンさんのそれが桐山思念バイブレーションならば、そんなものは
金貰っても欲しくない

914ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/23(日) 11:46:03 ID:SmEF4Oe2O
>>885:準シュダオン11/01/22(土) 19:43:00 ID:1F7rdgXk0
>単なる僕的にそれを押し頂いてはいけませんね。奴隷ではいけないのです。
>信者を、奴隷にしないために、管長は信徒を鍛えてるのです。
>それが奴隷的信者になったとしたら、ジョークです。
>だから、奴隷的に、管長の教えを信じてはいけない。
>信じるのは当たり前だが、独立した信者として、信じなければいけない。
>自分の判断力を捨ててまで、信じてはいけないのです。

一般論的には全く同感で、こちらが言いたかったことです。
しかしそのあなたが一番宗教奴隷であると私にはよくわかります。
奴隷でないと言うのなら、教祖の愛人問題に批判まではせずとも遺憾の意を表す
くらいしなさい。
管長の教えは教えとして、今後も追求を続けていくにしても、愛人は宜しくないとかね。
オウムの信者がそうでしたね。
サリン事件で麻原が逮捕された時、信者は麻原の罪を悪いものとして認めることを
余儀なくされた。しかし教祖の説いたオウムの教えは素晴らしかったから
麻原教祖は認められないもののその教えだけは追求していきたいと。
私に言わせりゃまだまだ洗脳が抜けきれてないのだが、それでも教祖の否は
認めるところまでは回復してるわけです。
あなたの場合は愛人問題ですら、そんなものはバイブレーションを受けた自分には
関係ないと愛人問題を非難、嫌悪する気持ちさえ示さない。寧ろ擁護している。
立派な奴隷根性だからです。

915ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/23(日) 13:10:47 ID:SmEF4Oe2O
>>890:準シュダオン11/01/22(土) 20:37:10 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさんは、仏を、何で福田というように、田や畑に例えたのか、
>理解できますか?または、推測できますか?

ふふふ。私ユビキタスの名指しをするのがあなたの工夫ですか?
いくら連呼したって回答済みの話にレスするほど甘くないですよ。
しかし今回は他の信者さんのためにもせよ回答済みの話をレスサービスしましょう。

>田や畑というのは、種を播いて収穫を獲る、という人工的な意味があります。

>仏とは、種を播く者に福を与える田畑なのであり、寝ている者にまで福を
>与える慈雨なのではありません。それが福田の意味です。

>つまり、供養をする者には福があり、供養をしないものには福はないのです。

田畑とは耕すものです。耕すのは自分、各自に他ならない。
収穫の福が稲、米ならば、それは種をまいたからだ。
種をまいたのも自分。水をやって耕したのも自分。
だから稲穂が実り米が収穫される。
収穫は自分の成果です。自分が種をまいて育てた。
布施の心を育て、善行を育てた。
だから善因善果、善因楽果の因果の法則により物心両面の福がまわりまわって
自分に返ってきたのです。
出家は一切の生計手段、自活手段を持たず、供養を受けねば生存することもできない
道を選んでいるのです。これを支援して彼らを生き長らえさせることは善行です。
だから出家とは我々が善行を行い善果を得る環境、場に過ぎない。ゆえに田畑なんです。
我々出家はこのように供養を受け取る存在なんだから、これを田畑として福田として
利用、活用しなさい、さすればその善行はめぐりめぐっておまえに福となって
訪れるぞということなんです。
出家如来がプレゼントしてくれたのではない。
彼らはただ受け取っただけだ。田畑として存在しただけだ。
福田が場に過ぎない証拠に後に大乗仏教がこの福田の対象を貧民にまで拡大した。
貧窮する人々を支援して生活を助ける菩薩行です。
この貧民をナント福田と名付けた!
福田が福のプレゼントをしてくれる存在ならば、どうして貧民が福を返してくれようか?
お返しのプレゼントをしてくれる存在ではなく、種をまく人たちが利用活用する
場という認識と用語が釈尊の時代から福田にあったからこそ、大乗はその範囲
を拡大できたのです。
これは何度も回答した話です。
これを踏まえた反論を望みます。

916ワンピース:2011/01/23(日) 14:57:24 ID:oK2qG0TE0
聖なるバイブレーション?

バイブレーションのビビビビビの正体は準シュダオンは気功や導引やったことないんかな?
五蘊のイマジネーションで創りだす自己催眠。
阿含宗ではクンダニーヨガを教えているようで教えてないが体を巡らすプラナなどもそうであり
ここにイメージで創り出された気は対人相手に気を送るとき相手もビビビビビと送られた気を受ける。
相手を信じ受け入れているから起きる。
バイブレーションのビビビビビの正体は準シュダオンの洗脳(自己催眠)された五蘊のイマジネーションが創りだした。
道端に転がっている犬の糞でも信じればそうなるw
しかしそれを否定(拒否・信じれない思い)している思いが強いほどビビビビビの電波など何も感じ受けない。
真に聖なる物とビビビビビと共鳴するならいいが詐欺と妄想の煩悩が詰まった物とビビビビビと共鳴w

917ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/23(日) 21:19:55 ID:SmEF4Oe2O
>>916
準シュダオンさんの場合は未明に寒気と共に痺れの感覚があったようですね。
その時の状況をリアルタイムにザビビ掲示板に書いた記録があります。
まだ眠りブッダというネームの頃ですね。
眠りブッダ、眠り猫ブッダは私にユビキタス様と書いたりするように、他人を
見下したりする癖はなかったが、それ以降トラベラーとネーム変更するや
とたんに態度が悪くなった。
それはさておき、彼はこのバイブレーションの際、それを後になってから
あれは思念によるものだったに違いない、なぜなら今このように自分は向上している
とか根拠を見つけたわけではなく、痺れが起きたその時点でグルに感謝の言葉を
書いています。しかしメッセージなどはなく単に痺れを感じただけです。
そのくせ桐山グルに関連付けるのは、最初からそういう期待と思い込みがあるからです。
初期体験でこの自己洗脳ぶりなんですから、後に仏教の知識が連結するようになった
と勘違いをしたり、自分に都合のよい方向に解釈を整理するなんて当たり前のことです。
時に彼はこのバイブレーションは総本殿の方向から来たと書いた。
しかし本来方角の知覚などわからぬはずだ。
おそらく窓が京都方面にあり(正確に西南である必要はなく、アバウトに西でも
南でもよい)、これは外から入ってきたのに違いないと思い込んだのでしょう。
窓が京都を向いていなくても最初から彼は総本殿に憧憬の念を潜在的に抱いている
のだから、このような変事に際して、そちらの方向から来たなどと思い込める準備は
できているのです。
あるいは脳梗塞などは左右の脳のどちらかの半球がダメージを受けるので、その
方角も偏る。
桐山さんがサヘトマヘトで感じたバイブレーションも右斜め前方です。
脳の右半球がやられた為に右側に衝撃が走ったと考えられる。
右斜め前方に何があるか?
雨が降ると池になる何にもない窪地があった。
後に彼はここを他に聞いた話と結び付けてミラクルの池などとした。
しかしその後サヘトマヘトを訪れた参拝団は桐山さんが説明を受けた管長から
そんなものはないと否定された。
そしてそこから離れた箇所にあるオーラジャルという仏蹟を紹介され、そこには
仏塔が建てられていた。
つまり右斜め前方にミラクルの池などなかった。
単に桐山さんの脳の右半球に異変が起きただけです。

918準シュダオン:2011/01/24(月) 10:22:14 ID:1F7rdgXk0
批判派が、推測であれこれ言っても、みんな外れだよw。
それを妄想病というのだよ。推測病を止めないうちは、見込みがない。
夫婦でも疑い病は始末に負えないのw。
彼(彼女)は、怪しい→もしたかたら浮気してるかも。
さらに妄想たくましくして、→絶対に浮気してる!
てな具合で、自分の推測を絶対視してしまう。
困った病気だwね。批判派のことですよ。

幼少年から、無理に人形や玩具、ポケモングッズを取り上げるのは変でしょ。
あなたはいずれ、オトナになるのですから、そういう玩具は必要ありません、
とか言って、取り上げたら変でしょ。
凡夫の願望も同じことなのですよ。煩悩即菩提と言ってね、煩悩を仏の智恵
に転換する技術が、密教の教えなのです。

だから、批判派が、煩悩を煽られてると思ったときが、少年期を過ぎようか
という修行の時期でね、そこで修行姿勢を変えねばいけなかったのです。
自分に嫌気がさして、退会したらお終いでしたね。
優れた修行者は、皆、そこを通過しているのですからねw。

919準シュダオン:2011/01/24(月) 10:29:47 ID:1F7rdgXk0
国語の力がどうの、というのもおかしな話でね。
国語や算数の学力と、運動能力は質が違うことなら解かるでしょ?
走力を上げる議論をしてるとき、算数の議論をしたらおかしいでしょ。
国語などの学力と、成仏力とは、異質ですよ。
だから、国語がどうのこうの、というのは、仏法のなんたるかを、全く
理解できていない証拠なのです。

解脱出来ない阿難が、解脱したチューダパンダカに国語力を誇ってるような
愚かさですw。

920ラシン:2011/01/24(月) 13:00:12 ID:x9FuHHv20
>>890:準シュダオン11/01/22(土) 20:37:10 ID:1F7rdgXk0
>ユビキタスさんは、仏を、何で福田というように、田や畑に例えたのか、
>理解できますか?または、推測できますか?
>田や畑というのは、種を播いて収穫を獲る、という人工的な意味があります。
>仏とは、種を播く者に福を与える田畑なのであり、寝ている者にまで福を
>与える慈雨なのではありません。それが福田の意味です。
>つまり、供養をする者には福があり、供養をしないものには福はないのです。

あきらかに国語力や言葉による意思疎通がおかしいことに気づいていない。
先ず、読者を誤魔化しているか読解力の問題かは別として、

1、釈尊の三善根を説いたのは増一阿含経・三供養品22の2についてです。
2、上記には福田という解説はない。
3、上記1と2によって得られる結論は、出家者への説教だということです。
4、大パリニッバーナ経/涅槃経での「二人ずつの四組と八人の人々」の
  説法は、一般人や在家者にとってサンガとはどのような存在かを説いています。

つまりこれらを混同しては、真の意味を誤解します。
誤解するように導いたのが、桐山三福道です。
桐山さんは、経典を捏造したのです。
だから信者はこのように混濁してしまう。
三供養品22の2は、三宝において功徳を種う、ようは自灯明、自己修業です。
これは出家者の実践とそれで得られる成果となる功徳を説いたものです。
ゆえに「是を阿難、この三善根は窮尽す可からず。涅槃界に至ることを得と謂ふなり」
と、その道果を示しています。
これを在家信者が、サンガは福田だから、種を撒く(布施)行為は、実を為して
刈り取れるなんて、収穫作業と混同して考えてはいけない。
また仏教で言う出家とは、
ユビさんも述べている通り、一切の生産行為をしないことです。
だからその出家の生活を支える行為は価値があるのです。
また生産行為自体が、そこに期待や良否成否の憂いを生じさせます。
煩悩を消滅することに役に立たないどころか、煩悩を喚起してしまうから禁じた。
煩悩即菩提なんて概念は、そもそも阿含経にない。
またもう一つの基本が、出家者は出家者のために生産された食物も拒否しています。
肉食を特に避けていないのも、乞食による食物を拠り選ばないからです。
拠り好む、より選ぶことも、煩悩の一つとなる。
しかし、出家者のために殺した肉の布施は拒否すると言う点も見逃してはならない。
それを認めると殺生を肯定してしまう矛盾を生じるからです。
それらを鑑みれば、福田とは決して在家の生産収穫行為を意味する場所ではなく、
あくまでも、最高の価値のある行為の意味だと考えねばなりません。
あとはユビさんの説明に従えばおのずと理解できる。
釈尊の教説は、煩悩滅を根幹において理解すれば何も不自然な偏向解釈は必要としない。

921準シュダオン:2011/01/24(月) 13:00:47 ID:1F7rdgXk0
阿含宗の伝法会に出た人なら、管長から、
「凡夫の九識を、仏の五智に転換するのが胎蔵界と金剛界の行法です」
と、教えられたことを覚えていよう。えっ、忘れた?それじゃ、だめです。

長い解説だから、引用はしませんが、仏教辞典で「大日経」を引いて、
確かめて御覧なさい。少しだけ引用しますと、
「・・中期密教の修法の目的が、現世利益から成仏に移る思想・・」
と、ありますね。この、「現世利益から成仏に移る」ということを、管長は
「凡夫の九識を仏の五智に転換」と、教えているわけです。

渋柿の渋が甘味に変化するわけで、渋が無ければ甘味も出来ない、と管長は
法話で言うのは↑上記のことを指しているわけです。だから、現世利益で
煩悩を煽られている、と思うのは、修行課程の一時期でね、それを仏の誓願
に高める修行に移行しなければ、いけないわけですね。
 管長は、「世界平和」と「真の仏法を世に弘める」との仏の誓願に転換し
ているわけです。
ところが、現世利益から仏の誓願に転換する修行をしたことのない人は、
そういうことを想像もできない。だから、何時までたっても、売名行為だ、
虚栄心だ、とか、自分の煩悩からの想像しか出来ないわけです。

釈迦の五百大願、阿弥陀の48願、薬師の十二願、普賢の十願、とか、
仏にも願望があるのですね。

922ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/24(月) 13:17:03 ID:SmEF4Oe2O
>>919:準シュダオン11/01/24(月) 10:29:47 ID:1F7rdgXk0
>国語などの学力と、成仏力とは、異質ですよ。
>だから、国語がどうのこうの、というのは、仏法のなんたるかを、全く
>理解できていない証拠なのです。
>解脱出来ない阿難が、解脱したチューダパンダカに国語力を誇ってるような
>愚かさですw。

チューダパンダカが悟りを開いたのは国語が理解できたからです。
履き物などを磨き掃除する。これを腕の筋肉を使った運動作業としか認識しない
のではなく、そうか!つまりこれは自分の心を日々磨くことなんだなと理解した
のは、国語の世界に他なりません。
国語力がなければこんな悟りはできません。
だから全ては国語に始まるのですよ。
野球とか跳び箱とか運動、スポーツの世界も国語で説明できるのですよ。
上体が突っ込んでいるから、そうならないように軸足に体重を残して1本のラインを
残す心構えでスイングとかね。跳び箱の前方に手を突き、尻をあげ体重を前に
移動させるようにとかね。
その言葉を聞いてすぐにマスターできなくても練習によりコツをつかむ。
その時、指標になるのが言葉による説明指導です。
うまいコーチはこの言葉の提示がうまいのです。
困るのは長嶋語です。
だから、ここのところをぶわーっとやって、だーっとやって。
なんのことだかわからず選手はバッティングをマスターできない。
国語になってないからです。
チューダパンダカが悟りを開いたのは国語を理解したからなんです。

923ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/24(月) 13:36:45 ID:SmEF4Oe2O
>>919:準シュダオン11/01/24(月) 10:29:47 ID:1F7rdgXk0
>国語などの学力と、成仏力とは、異質ですよ。
>だから、国語がどうのこうの、というのは、仏法のなんたるかを、全く
>理解できていない証拠なのです。
>解脱出来ない阿難が、解脱したチューダパンダカに国語力を誇ってるような
>愚かさですw。

アーナンダが解脱できなかったのも国語で解説できる世界です。
釈尊に対する依存の気持ちが強く、自立できていなかった。
それは周囲で見てもわかったので、教典編纂に先駆けて誰かがそれを言葉で諭した。
アーナンダはその言葉を理解した。
理解してそれを乗り越えるように意識努力して間もなく解脱を得た。
全部国語の世界です。
国語が間違っていれば、チューダパンダカは履き物を磨いて、かなり腕の筋肉が
つきましたぜ、とそれを解脱に近づいたと勘違いをします。

924ラシン:2011/01/24(月) 14:16:49 ID:x9FuHHv20
>921 :準シュダオン:2011/01/24(月) 13:00:47 ID:1F7rdgXk0
阿含宗の伝法会に出た人なら、管長から、
「凡夫の九識を、仏の五智に転換するのが胎蔵界と金剛界の行法です」
と、教えられたことを覚えていよう。えっ、忘れた?それじゃ、だめです。

ならば桐山さんはどのようにして転換できると教えたのか?
誰も教えられていません。
本人も出来ぬことをどうやって信者に教示できるのか。
そもそも密教界を見限った桐山さんが密教の域から一歩も出ていない。
看板は阿含経を掲げても、阿含経を実践してもいない。
ただスローガンあるのみです。
妄信者は、ただキャッチコピーだけに釣られて何かがあるんだとうそぶく。
結果、
後世の論師が作った道品法を引っ張り出して釈迦の成仏法と喧伝しただけ。
その実践は何もせず、ひたすら密教の教法をひけらかしているだけです。
何もない法を何かあるとばかりの”つもり信仰”に自惚れる。
法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智なんて何?
グモンジ脳を持った解脱者が、愛人弟子から裁判に訴えられる?
世界を救うと豪語しても、信者一人すら救済できないのは何故だ?
そろそろアゴンの看板をたたむ時です。
桐山さんにお似合いは、大乗密教それも立川流ではないのか。
旧共産主義指導者のスローガンだけ立派で何も達成できないのと”煮”ている。
だからごった煮宗教と言われる。

925準シュダオン:2011/01/24(月) 15:01:42 ID:1F7rdgXk0
阿難が国語の力で解脱した、と考えるのは間違いです。
釈迦に対する依存が障害、と考えるのも間違いです。
釈尊は、自分に依存しても解脱出来ないと、耳にタコが出来るほど説いて
いますから、阿難もそれは解かっておます。

ヒントを言えば、阿難が釈尊の従兄弟、または親類の関係にあったことが、
阿難の解脱が遅れた原因の一つになっているようです。

管長は、よく法話で、「誓願なきは菩薩の魔事なり」とか話したものです。
早く、現世利益の願望を卒業して、誓願へ移りなさい、という指導だったで
しょう。
しかし、批判派のレスを読むに、願望から誓願まで高めて修行した人は、
居ないようです。現世利益祈願留まりの修行レベルで、退会したようですね。
それでも御用学者よりは、元阿含信者の批判派の方が、仏教レベルが高い
かも知れない。

たとえば、ひろさちやさん、などは、小乗仏教の修行法は八正道だけだ、
と著書に書いてます。批判派は、37道品を知っている。それだけで、
もう、ひろさちやさんなどは、もう時代遅れの、過去の学者だと言えますね。
また、八正道には、世俗八正道と聖賢八正道の二つがあることを、末木先生
が本に発表しています。
これからの仏教学者は、そういうことを解説できるようでなくてはいけないですね。

926準シュダオン:2011/01/24(月) 15:10:35 ID:1F7rdgXk0
言語学者が、「言葉は、どうしても正確には伝わらない」と、言いますが、
その意味は解かりますね。
例えば、私が、「高い山に登ると呼吸が苦しい」という。
高い山から、チョモランマやキリマンジャロを想像した人は、そうだ、と
思うし、富士山クラスを想像した人は、そんなに苦しくない、と思う。

そのように、百人が百人、勝手に自分なりに想像してしまう、ということです。

927名無しさん:2011/01/24(月) 15:47:41 ID:hEa6V0po0
今生でこれだけ多くの悪業を積んだ桐山ゲイカ。
やり逃げは絶対許されない。きちんと精算してからあの世に行ってくれ。
さしずめ「色情の因縁」が暴かれた今年の星祭り会場は危険がいっぱいだ。スナイパーによって射殺される可能性もあると思う。

928ワンピース:2011/01/24(月) 17:52:54 ID:Te3nv4YI0
>教典編纂に先駆けて誰かがそれを言葉で諭した。
>アーナンダはその言葉を理解した。

阿難陀は戒と智慧の教えの国語力は優れていて慧解脱していたが依存による囚われで禅定による心解脱が遅れた。
摩訶迦葉が徹夜で指導して阿難陀はどっと疲れが出て眠りについて悟ったていわれてるね。

929名無しさん:2011/01/24(月) 18:08:35 ID:LI9Au5sk0
>>925
ひろさちやさんといえば
自宅のオートロックマンションに
たんす預金1億数千万すべて
空き巣にやられたんだよな
以前ニュースでやってたが宗教評論家
にしてはなんだか随分欲深なセコイこと
してることに驚いたよ。

930ワンピース:2011/01/24(月) 19:07:29 ID:Te3nv4YI0
>>925

>しかし、批判派のレスを読むに、願望から誓願まで高めて修行した人は、
>居ないようです。現世利益祈願留まりの修行レベルで、退会したようですね。

まわりの信者達と会話したことあるけど現世利益祈願留まりの修行レベルはいなかったよ。
ある人はアデプト(超人)になりたい願望から誓願
ある人は因縁解脱でカルマを切って大白身になる願望から誓願
大光明を身に受けて世界を救いたい願望から誓願
  
  (実際にはどれにも本当の仏教の阿羅漢の願望の誓願が無いW)

そしてやらせることは勤行梵行布施で霊眼でしか観えないという仏達と守護神で
そして御利益を憑けて依存と欲を信者に憑ける御利益のために徳と交換条件で悪因縁を切れ
梵行と布施と霊障仏の供養をさせる。
ある人は仏様が守ってくださっているから生命保険を解約して保険代を供養に使うとも言っていた。
しかしそして人々次々と退会していった。
入行とともに悪霊と悪因縁に外道神仏をありがたく頂いてW
しかし今思いおこすと吐き気がする信仰だったな。

931ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/25(火) 00:04:39 ID:SmEF4Oe2O
なんだ。かの星まつりに来たミス日本はアゴン宗の信者だったのか。

932ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/25(火) 08:24:04 ID:SmEF4Oe2O
>>925:準シュダオン11/01/24(月) 15:01:42 ID:1F7rdgXk0
>阿難が国語の力で解脱した、と考えるのは間違いです。

阿難に国語の力が欠けていたとも申しませんし、国語でそれまで理解できていなかった
ものを理解しただけで解脱したなんて申しません。
国語の理解が基本、大前提にあり、ここを間違えると、ボタンの掛け間違いで
解脱など得られないと言いたかったのです。
本を読んでわかったわかっただけで悟りではないが、しかしその国語の前提は
万事不可欠です。だから国語力が解脱に関係ないなんて話があなたの戯言です。
悟りとはぶわーっと来てだーっとこうなるなんて長嶋語を説いているのがあなたです。
だから悟りがわからない。
ちょっと痺れたくらいで何か素晴らしい思念をキャッチしたなどと考えてしまう。
桐山さんも悟りが嫌いで、釈尊が得たものは悟り程度だろうか?悟りとは生理的に
変化するものではなかろうかなどと示しています。
もちろん桐山さん自身何も悟っていないし、健康を害する、老化する以外、
生理的にも何の変化もない。

>管長は、よく法話で、「誓願なきは菩薩の魔事なり」とか話したものです。
>早く、現世利益の願望を卒業して、誓願へ移りなさい、という指導だったで
しょう。

道元禅師が説いた誓願なきは菩薩の魔事なりの本意ではなく、それと関係なく
借用する桐山さんの本意は現世利益の願望を高い誓願に昇華せよなんて話ではない。
目的を持たずに行動するのでなく、具体的な目標を持てというものです。
だからこれをよく護摩木勧進目標に使用される。
また究極の誓願とは因縁解脱なんだが、そもそも因縁解脱自体が護摩木祈願と何ら
変わらぬ現世利益祈願です。商売繁盛を祈るのも現世利益ならば、貧乏の因縁を
切って金持ちになるのも現世利益ですから。

>しかし、批判派のレスを読むに、願望から誓願まで高めて修行した人は、
>居ないようです。現世利益祈願留まりの修行レベルで、退会したようですね。

それはあなたでしょう。
偉そうに説教を垂れるあなたの転換した誓願をお聞きしたい。
あなたは一切衆生を救わんみたいなことを最初から誓願とするのは偽善だと述べた
ことがありますよね。
だから最初は我利の追求でいいんだと。しかしそのうちそれだけではいけないと
悟る転機が訪れると他人事のように。
あなた自身に誓願の転換はされたのですか?

933名無しさん:2011/01/25(火) 09:27:47 ID:hEa6V0po0
もう准シュダオン氏のようなくだらん論議は不要だわ。
桐山さんは間違いなく沢山の悪業を積んできた。今、きちんと精算してもらう時が近づいている。
絶対やり逃げは許されれない。
嘘に塗れたアゴン宗がこのまま続くはずもない。最悪の場合、ロシアの地下鉄事件のようにテロリストによって総本殿が破壊されるかもしれん。
桐山さんも狙われるでしょうね。

934ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/25(火) 10:17:07 ID:SmEF4Oe2O
>>921:準シュダオン11/01/24(月) 13:00:47 ID:1F7rdgXk0
>阿含宗の伝法会に出た人なら、管長から、
>「凡夫の九識を、仏の五智に転換するのが胎蔵界と金剛界の行法です」
>と、教えられたことを覚えていよう。えっ、忘れた?それじゃ、だめです。

伝法会で習いさえすれば五智を得られるわけでもないし、復習会にも熱心に出て
金剛界法や胎蔵法を日夜研鑽、修法すれば煩悩も転じて五智になるなんて指導
していません。それならば真言密教、真言宗で事が足り、アゴンの法など要らなくなります。
桐山さんは金胎含めた密教の法を様式化された力のないものと位置付けています。
また著書の密教入門などでは密教が説く智慧の内容が漠然としていてその目標が
わからない旨批判しています。
桐山さんが形式化された真言密教の法をそれでも四度加行として教えるのは
その最も発達した仏に対する礼儀作法を教える為としています。
ホトケさんと対峙する礼儀の基本を教えておき、型だけ先に教えておき、いざ
力となるアゴンのシチカサンジュウシチドウホンの法はこれは高度で難解で
すぐには実践も不可能だから、さしずめ密教の形式作法から教えて基本としておこう
という狙いです。本当に力のある法はもっと先の高度の秘伝を受けることにより
始まるという先延ばしの手法です。
こんなお作法程度で高い智慧が得られるなんて密教の御都合主義の観念宗に過ぎないと
桐山さんはしており、私もまたそう思う。
密教こそ一番体験に基づかない屁理屈宗教だと思う。
あの伝法で五智など狙いもしないのです。理想を掲げておくだけです。
桐山さんも智慧など得てないで未だに愛欲などの煩悩に溺れる始末です。
あなたもそうでいつその醜い煩悩が智慧に転化するのか?
先延ばしの言い訳屁理屈でしょうが?もうすぐあなたの今生も終わりますよ。私もだが。
それに桐山さんですら否定もする煩悩即菩提とは密教の法でもやっておれば、
煩悩は智慧に変じてくれちゃうのだから、我々は臆することなく煩悩を追求謳歌
しよう、妻以外に愛人も作って愛欲をより高めれば、智慧もでっかくなるぞと
いうものなんですか?
最初のテーマを忘れないでください。

935ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/25(火) 10:35:46 ID:SmEF4Oe2O
>>918:準シュダオン11/01/24(月) 10:22:14 ID:1F7rdgXk0
>幼少年から、無理に人形や玩具、ポケモングッズを取り上げるのは変でしょ。
>あなたはいずれ、オトナになるのですから、そういう玩具は必要ありません、
>とか言って、取り上げたら変でしょ。

ははは、護摩を子どもの玩具になぞらえましたか?
うまいなあ。秀逸な喩えだ。同感ですよ。
桐山さんは俺は一生護摩を焚くなんちゅうて、一生玩具を手放さないことを宣言している。
来月も京都の遊園地で大きな玩具が出て、いつまでも大人になれない子どもたちが
集まりますね。

936ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/25(火) 10:49:50 ID:SmEF4Oe2O
いい加減にこういう一般論、抽象論で話を見えなくする戦略をやめませんか?
我々は桐山さんとアゴン宗に関して具体的現実的な問題を論じている。
あなたのその抽象論が桐山アゴン宗のどこをどう擁護することになるのか
誰にでもわかるように示しなさい。

937ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/25(火) 14:56:29 ID:SmEF4Oe2O
ん?今頃気付いたがレスアンカー貼り忘れてたな。
もう一度。

>>926:準シュダオン11/01/24(月) 15:10:35 ID:1F7rdgXk0
>言語学者が、「言葉は、どうしても正確には伝わらない」と、言いますが、
>その意味は解かりますね。
>例えば、私が、「高い山に登ると呼吸が苦しい」という。
>高い山から、チョモランマやキリマンジャロを想像した人は、そうだ、と
>思うし、富士山クラスを想像した人は、そんなに苦しくない、と思う。

いい加減にこういう一般論、抽象論で話を見えなくする戦略をやめませんか?
我々は桐山さんとアゴン宗に関して具体的現実的な問題を論じている。
あなたのその抽象論が桐山アゴン宗のどこをどう擁護することになるのか
誰にでもわかるように示しなさい。

938ラシン:2011/01/25(火) 15:19:27 ID:x9FuHHv20
>926 :準シュダオン:2011/01/24(月) 15:10:35 ID:1F7rdgXk0
言語学者が、「言葉は、どうしても正確には伝わらない」と、言いますが、
その意味は解かりますね。

しかし、釈尊はすべてことばで教説したのです。
相手の境涯に応じて理解されやすいように、
農夫には農夫が分かる例え、商人には商人が理解しやすい例え、
王侯貴族には同様に、相手が気づきやすいように同じ目線で説いたのです。
それを口承口伝として釈尊の言葉を暗誦し、ついには文字にして残した。
だから仏教徒ならば、最低限その言葉を理解する意味でも、
国語の読解力が必要となる。
それも特別の能力ではなく、一般に言語として使用される文章を素直に
読み解けばよいだけです。
それを補助してくれるのが、学者の口語訳です。
桐山さんのグモンジ脳も必要なければ、霊性の開眼も必要ない。
観念や先入観を除いたそのままの文節を理解する能力だけでこと足りる。

ダンマパダやスッタニパータを読めば、釈尊の思想が分かります。
釈尊が説いたことは、煩悩の克服に異ならない。
その実践とは人格の完成です。
欲望を克服し歪みのない完全なる真円知を目指し、
それは戒律による防護と助けにより解脱するのです。

34師は答えた、
「子のある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。
 実に人間の憂いは執著する元のもののない人は、憂うることがない。」
【ブッダのことば】スッタニパータ中村元訳

939修験者:2011/01/25(火) 19:49:32 ID:ojwK9UdM0
証明仏の証明以上の証明は無いと思います

940ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/25(火) 20:24:31 ID:SmEF4Oe2O
>>939
つまり白いふさふさとしたシッポが生えとる。
シッポを見てくれ。
これが証明なんだと言いたいわけですね。

941Boo:2011/01/25(火) 22:42:25 ID:1ogs1PKA0
>939 :修験者:2011/01/25(火) 19:49:32 ID:ojwK9UdM0
>証明仏の証明以上の証明は無いと思います

そこなんですよね、私も最後まで引っかかっていたのは・・・
中華鍋に現形したり、山に神が映ったり、心霊現象というか、そういうものは
確かにあると思いますが、そこに現形してほしい意識が集中するとそういう心霊
現象は起こりやすいのかもしれない。ファティマ第3の予言などのように、その
心霊からのメッセージを受け取っても夭折したり、必ずしも幸福な人生を送るとは
限らないようです。証明仏はアゴン宗でいうところの「因縁解脱」の証明とは成り
えないようです。

942ワンピース:2011/01/25(火) 22:44:43 ID:Te3nv4YI0
>>939
あのムチャリンダが写ったとかいう写真だったけかな?
管長の姿も写っているとか写真だけど
確かに眼が黒く窪み頬が扱け骸骨の餓鬼のようになった管長に似た心霊写真によくある
災いを起こすという霊障の餓鬼界の不成仏霊みたいなのが写ってるように観えるけどね。

943干柿:2011/01/25(火) 22:53:29 ID:BBtat4sE0
>>939
だから〜そんなもんマヤカシなのよ
いくら護摩の火のなかにホトケが現形しようと本人の姿がでようとも
そんなのは証明にならない、だいたい、これのどこが証明仏なのだ?
ただ形があらわれた不思議だというだけのことでしょ
釈迦は摩訶不思議で人を驚かせ感心させて仏陀だということを証明しましたか?
そうではないでしょう説法して法を説き、納得させ、ついには悟らせ、証明してみせた。
オカルトで、なんかすごいものがありそうにみせかけ、金を巻き上げるような
ことをしているのがゲイカでしょうが、こんなの証明も糞もない
もう事実が出てしまっているんですよ。いつまでもこんな見せかけだけのモンに
とらわれていないで現実を見るべきです。
そういえば、これこそ証明仏だ!なんていいはじめたのはゲイカ本人だろ
どこの密教の大家やら学者や坊さんがそんなこと言いますかいな

944ワンピース:2011/01/25(火) 23:10:35 ID:Te3nv4YI0
>>941
外界の大奇跡などに囚われると天は天魔となるようですね。
           ↓
「これら、帝釈天の眷属と、梵天の眷属に、
カンハの大軍、悪魔の軍勢が、近付いて来た。
比丘衆よ、悪魔が付け入る、愚鈍な迷いを見よ。」
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/taikai3.htm

外界の大奇跡などに囚われないなら天はこちらの経典の示すものになるようですね。
           ↓
「比丘達よ、こうして、五蘊を離れた者は、
帰依の対象として、最上であり、最勝であり、
梵天や帝釈天、諸々の神々が、帰依するだろう。」
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/un57.htm

945早起きポンタ:2011/01/25(火) 23:19:20 ID:Un4Tflrw0
星まつりの炎の中に仏様が現れたからって
そこの教団が正しいなんてのは
おかしいんだよね
あれだけの人が仏様や神様を一心に
念じたらその思いが炎に投影されて
仏や神の姿の形になるってこてだから
多数の思念が集まれば神仏は何処にでも
現れるってことなんだよな
だから神仏が炎に投影されて現れたからって
それを主催してる団体の教えがすべて
正しいなんてのは飛躍しすぎで
ただそこに神仏を一心に念じる心が
集まっただけのことで、べつにそれが証明の
現象とはいえないんだよね
思いが集まれば神仏は何処にでもいると
いうことさ!

946Boo:2011/01/25(火) 23:27:42 ID:1ogs1PKA0
>>943-945

その後意見には同意いたします。

947ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 00:11:36 ID:SmEF4Oe2O
私が一番「おやっ?」と思った写真が、「阿含密教いま」の口絵写真で、柴燈護摩の
炎の中に山伏姿の桐山さんが写っているというヤツね。
「著者と思われる」なんて説明文が添えてあった。
なんか火の色も変わり、桐山さんっぽく見える。
しかしあの写真は桐山さん自身あまり騒がないんだよね。

948天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/26(水) 01:14:56 ID:a.W/jve.0
いやあ、サッカー日本決勝進出めでてえなw

>>947

想像ですが、おそらく合成写真ではないかと。
信者に「スゲー」と思わせるために作ったので、騒がないのかと。
当時にすれば凄い技術なんですが。

949夜ふかしポンタ:2011/01/26(水) 01:29:06 ID:Un4Tflrw0

桐山ゲイカが
その教団が正しいかどうかは
文証、理証、現証、で判断するだとか言って
よく法話してたよね
そして王具の如来が現証であると言って
阿含宗が正しいと力説してたよ、
でも今となっては一番信頼できる証明は
今のゲイカが脳梗塞で倒れ認知症で
ぼけちゃったってことだとおもうんだよね
こんなハッキリした証明はないんじゃないかな
阿含宗の法を実践してもゲイカのいう
因縁解脱は全くできないと身を持ってハッキリ証明
しちゃったんだからね。

950干柿:2011/01/26(水) 01:46:26 ID:BBtat4sE0
いや合成とかいうよりも、実際、修法している本人は生きているわけで
霊になって炎ん中にあらわれるつーのは変なわけで(笑)
なんじゃ?というのが当時あの写真を見ての感想でした。
いくらなんでも本人じゃないんじゃないのどっかの偉い行者じゃない?
と漠然と思っていたものです。
でも、あれって(現形)って寝てみる夢みたいなもので脈絡がないでしょ
どんな意味があってこの仏が現れたのか?なんて理由はない
あとで教団とかは無理やりこじつけて意味持たせたりしてるけど
早起きポンタさんの意見にしたがえば仏教的な範疇というのはあるかも
しれないけど人々の妄念があらわれたものだからこそではと思うのです。

951ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 08:19:42 ID:SmEF4Oe2O
2007年の星まつりにゲスト招待された前年のミス・ユニバースの知花くららさんは
アゴン宗の信者だったようです。
この知花さん、2009年12月28日放送のBS-TBS開局10周年番組である「マヤ暦の真実 2012年12月21日」
という番組の司会者として出演してますね。かのアレサンドロ長老なんかも出てるわけです。
これの再放送が昨年末2010年12月30日と31日の両日TBSであり、これを準シュダオンさんが
見て感想を当スレで報告しています。
さてアゴン宗のオーラの祭典は昨年の11月ですから、このマヤ暦ネタはその1年前から
アゴン宗信者でもある知花さん司会で紹介されたわけです。
アゴン宗とマヤとの接触とイベント交渉はこんなところに端緒があるのかも
知れませんね。
いや、知花さんがアゴン宗に紹介したというわけではなく、教団も興味を持った。
ガダルカナルの番組もBS-TBSだったように記憶している。
局を介した商談はスムーズに進んだのでは。
マヤと日本の宗教団体との合同法要も他教団に前例もあったし。

952ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 08:29:10 ID:SmEF4Oe2O
>>950
キツネが化けたのかもよw

953名無しさん:2011/01/26(水) 09:26:21 ID:GX1wqY7YO
横スレで箸を折るようですが、仏教の阿含宗とマヤとの関係が良く解らないのですが…。それと阿含宗の皆さんは本気で予言や占いや霊や超能力等々を信じているのですか?大人ですよね…。ちょっと足りないのではないかと…。

954準シュダオン:2011/01/26(水) 10:29:49 ID:1F7rdgXk0
昨年末、テレビ朝日で北米先住民のカルーク族の火祭りが紹介されてます。
火を焚いて祈り、祖霊を呼ぶ儀式なのだという。
「初めてテレビ撮影が許可されました」と、レポーターが得意げに話して
ましたが、怪しいもんですw、でもホントかな?

霊や超能力を信じるか?というのは、そういう能力が無い人の発想です。
超能力を持っている人は、どうなるの?
私も一度、念視(霊視)が出来たことがあるけど、経験のない人は、
脳梗塞の前兆、とか、幻覚、と推測するしかないのだよねw。

阿含経典に、「・・得阿那含 種種神通境界・・」と、あって、
阿那含から神通(超能力)が生じると記されているけど、わたしはそれは
事実だと思うね。わたしでさえ、念視(霊視)の体験があるのですからね
ただし、このことは公には話していませんよ、ネットだけに書いてます。
周囲の人に、こういうこと話したら、支障が出るし、頭を疑われるかもでしょw。

955準シュダオン:2011/01/26(水) 10:52:10 ID:1F7rdgXk0
それと、仏教・仏法について、国語力がどうのこうの、と言ってるようでは
ダメですね。国語的に理解するだけでは、ダメなのです。
よく、教育を、知、徳、体、といいますね。知育、徳育、体育です。
これは、それぞれ、質が違いますでしょ。国語的に理解するとは、知的に
理解することです。だが、仏教は、知的に理解するだけではダメです。

徳的にも、体的にも、理解というか、感じないとダメです。体感と言えば、
解かるかも知れないが、ユビキタスさんなどには、そういう体験がない。
だから、国語の力がどうのこうの、など、くだえらんことを問題にするの
です。わたしは、批判派の国語能力などを問題にしたことはない。
それは、本質から外れているのです。
まぁ、全く関係ないとまでは言わんけどね。

956準シュダオン:2011/01/26(水) 11:02:42 ID:1F7rdgXk0
それと、科学的合理的な思考と、宗教的な思考を混同してはいけないね。
前に、火葬場の火も、ごみ焼却の火も、護摩の火も、同じだとレスした
批判派がいたけど、全く科学的な思考ですね。炭素が酸化する現象です
からね、同じ火と言われれば、そのとおりです。
だが、そのような思考では、オリンピックの聖火が、なぜ今も太陽から
取るのか、理解できないでしょう。その批判派に言わせたら、オリンピック
の聖火もゴミ焼却の火から取れば良い、となりましょう。
だが、宗教心のある人は、そうはならない。

そう言えば、その批判派は、ラーメンにお寿司を入れて食べてる、とか
レスしてましたねw、お腹に入れば同じだ、とかおっしゃって。
いやはや、科学的思考にはかないません。

957ラシン:2011/01/26(水) 12:39:24 ID:x9FuHHv20

>霊や超能力を信じるか?というのは、そういう能力が無い人の発想です。

知能退化が顕著になってきたね。
批判側の主張すら読み取れないのは、前頭葉の萎縮があるからだ。
批判側の誰も、世の不思議現象を否定していません。
ただ桐山さんには、それらと同一な特別な能力など無い、
あるなら人を騙す能力くらいだ、と言うことです。
選挙の当落と言う賭け率5割をまんまと外すくらいの大笑いネタに事欠かない。

>阿含経典に、「・・得阿那含 種種神通境界・・」と、あって、

釈尊もその弟子である者たちの中にも神通を得た者、得ていない者がいます。
だからどうしたと言うのだ?
神通力と解脱とは関係ありません。
この電波老人は、自分の電波の正当性を主張したくてこういう餌を撒く。
種を撒くのではなく、独善的な餌撒きに執着して止められないのです。

>わたしでさえ、念視(霊視)の体験があるのですからね
ただし、このことは公には話していませんよ、ネットだけに書いてます。
周囲の人に、こういうこと話したら、支障が出るし、頭を疑われるかもでしょw。

そんなことは簡単に分かる。
桐山さんと同じで、こけおどしやハッタリがバレルからです。
すでにネットに於いてもあなたのオツムは、充分疑われています。

>955 :準シュダオン:2011/01/26(水) 10:52:10 ID:1F7rdgXk0
それと、仏教・仏法について、国語力がどうのこうの、と言ってるようでは
ダメですね。国語的に理解するだけでは、ダメなのです。

へ〜体感までしたのにどうして国語力を踏襲できないのですか?
それも小学生並みの読解力さえ証明できない。

>だが、そのような思考では、オリンピックの聖火が、なぜ今も太陽から
取るのか、理解できないでしょう。

プロメテウスが太陽の持つ火を植物の茎に移し、
地上に持ち帰り人類に伝えたという神話からです。
それを記念して感謝の意を捧げ儀式化されている。
だから今も凹レンズを使って火をおこしているのです。
そのギリシャの神話と仏教を混同しているのが、電波老人です。

石油を使って火をおこす護摩にどれほどの価値がある?
因習に倣うなら普通に着火させればよいだけだ。
しかし、釈尊はそのような因習に囚われるなとと教えている。
理由は解脱に役立たず、逆に煩悩を喚起するからです。
現に、焚き火を拝んで平和になった気でいたらガザの殺戮が起きた。
焚き火を拝んで、自分の先祖霊を汚し陥れて救済した気になっている。
いやはや、
感謝を忘れ祖霊を穢れていると考えることに、まるで違和感を覚えないらしい。

958ラシン:2011/01/26(水) 13:13:10 ID:x9FuHHv20
阿含宗という宗教192から抜粋
410 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2011/01/01(土) 22:05:38 ID:S517eCjJ
『 御 霊 諭 』
                           平成1年5月4日

第○○則○○(無記)
「『×××しないと×××するぞ』とか『付き合え』とかいうようなそんな職場に君は勤めていてはい
けない。今すぐやめなさい。わたくしがもっと君にふさわしい良い仕事を君に紹介してあげる。」

「『釈迦は桐山靖雄を出現させるために現れた』と書いてあるが、
実はわたくしもそう思っていた。自分からは言い出せなかったので、
人に言ってもらうと本当にうれしい。君はなかなか見所がある」
「君が命がけでやるというなら弟子にしてあげる。」
「但し道場では君にだけ会うと君がねたまれるから、
私の修行場所があるからそこで面接する。
打ち合わせをする。私の秘密電話番号を教える。」

(ここに管長の秘密電話番号が書いてある)

「そこに電話すると交換手が出るから、
そうしたら暗号の数字を言ってからどうするかを伝言をしなさい」
「その電話に私の方から君にかけることのできる電話番号を
入れておきなさい。(今夜にでも)」
(「(今夜にでも)」というのは原文のまま)

「又は、私は名古屋の東急ホテルに六日の夜、泊まる。
君も名古屋へ泊まって、夜十一時頃、私の室へ電話をしなさい。
今夜にでも秘密電話にどうするか報告しておきなさい。」

「名古屋で泊まる費用を同封しておく」

(以上)


普通の国語力を持っているなら、上記に掲示した文章の意味くらい分かるはずです。
端的に言えば、桐山さんが職権を濫用して女性信者を誘った文章だと読解できる。
しかし、電波体感者にはこれがご指導と読めるようです。
これを突きつけられて憤りを感じない信者さんなら、その臆病な人間性が証明される。
更に言えば、それは臭いものに蓋式の非常に卑怯な態度です。
都合の悪いことは、見ざる聞かざる言わざるの三サルです。

こんな人から電波を送られても、それはエロ電波じゃないかと疑われる。
男の邪心下心がミエミエのご指導に名を借りたパワハラです。

959ラシン:2011/01/26(水) 14:58:09 ID:x9FuHHv20

桐山さん、値落ちが激しいロールスを購入していたとは、
いかにも功なり名を満足する田舎紳士だね。
多分ファントムだろうか、コーンズの青山店でしょうか。
どうせならベントレーにしたなら、センスも伺えたが無理だね。
維持費がバカ高いし、手作りだからガタがひどくパワーシートは
よく故障します。
ミニバンでも乗っていたら可愛いのにね。

960ワンピース:2011/01/26(水) 17:16:42 ID:Te3nv4YI0
>>953
マヤは2012年の映画で世界的有名になったのを便乗して利用した
パフォーマンスでただの信者獲得が狙いでしょう。
阿含宗の信者は霊の存在は信じているでしょう。
そして霊障の不成仏霊だと洗脳されているからね。
信じてなければ入会してないし信じられなくなったら退会しているでしょう。

また霊魂を釈尊は無いと言っているのではなく認めるなと教えてると思っていますが。
自分を非我と観るのと同じだと思いますよ。

961ラシン:2011/01/26(水) 17:16:54 ID:x9FuHHv20

2chより転載

「戦争と聞いて、この平和な日本でと疑問に思うかもしれませんが、実
 際に好戦的な国が東京にミサイルの照準を合わせております。
 わたくしは『輪廻する葦』(平河出版社)の「原爆は三度落ちる」の項で
「わたくしは、この、日本という国ほど、業のふかい国はないと思うのだ」
(三二三頁)と書きました。
 日本は地球上でただ一つの原爆被爆国です。
 しかも、一度ならず二度も被爆しました。
 一度目は広島、二度目は長崎でしたが、三度目は東京だと直感しています。
 日本を覆う業をこのまま放っておけば、必ずミサイルが東京に打ち込まれるでしょう。」
(『阿含宗報』226号、2頁、2004年)

仏陀の智慧を持つと自称する桐山さんの見事な情報音痴ぶりです。
アメリカによる原爆投下は二種類の実験による蛮行でした。
しかし、
日本だけが被爆国なんて言うのは、桐山さんが全く世界情勢を知らない証拠です。
輪廻する葦が発行された1984年頃ならいざ知らず、
中共政府による東トルキスタンでの核実験は1996年までの間に、
諸説はあるが50回もの回数で行われています。
それらの事実は、すでに阿含宗報を出した時期の8年前のことです。
ですから2004年頃なら聞こえていたはずだろうが、
いやいや桐山さんの超能力なら世界平和、人類救済という悲願を
お持ちなのだから、知らぬわけがないと思うのですが、、、。

そして、それによって75万人もの貴重な人命が奪われているのです。
結果を見ればその数は、広島や長崎をはるかに上回っています。
もちろん、それらの実験には予告さえされていません。
ほぼ地上実験に等しい地下実験でさえ、住民に避難勧告は出されなかった。
東トルキスタンというのは、別名中国領「新疆ウイグル自治区」です。
91年の香港メディアによれば、中国は各国の核廃棄物を何らかの
報酬に基づいて受け取り東トルキスタンの地下に埋めていると報じられた。
また、
98年にインドが核実験した一週間後にパキスタン政府も核実験を
成功させています。
実はパキスタンは、中国政府と共同しその以前に東トルキスタンで
2回も核実験をしていたのです。
東トルキスタン 核実験 とググればこれらの事実が多数ヒットします。
http://www.geocities.jp/saveeastturk/index2.html

超人と自称する桐山さんが聞こえない世界の常識です。
それもチベット密教の法脈を受け継いだと自慢しながら、
北京大学で桐山教育基金まで創設して中共政府にヨイショしている。
チベットの侵略や虐殺、民族浄化も見ざる聞かざる言わざるという厚顔振りです。
これがアゴン宗の解脱を果たしたという聖者サマの実体です。

962ラシン:2011/01/26(水) 18:01:42 ID:x9FuHHv20

>戦争と聞いて、この平和な日本でと疑問に思うかもしれませんが、
実際に好戦的な国が東京にミサイルの照準を合わせております。

第二次天安門事件は1989年です。
その2年後にソ連が崩壊しています。
中国の横暴が、ソ連崩壊によって世に知れ渡った時期です。
ミサイル照準を合わせていたのは中共ですよ、あとは最近の北朝鮮だが、
この桐山さんの輪廻する葦の著作時期は、多分ソ連だとの考えでしょう。
しかし、
実際はソ連ではなく桐山さんが02年に桐山基金を創設した中国です。
21世紀には中国脅威論がすでに続出し、その軍備増強が懸念されていました。
桐山さんは中国好きなのか、かなりの貢献度のあることが分かります。
アゴン宗の社会活動年譜 http://www.agon.org/about/b_01_09.html

04年の宗報を出す頃なら、一般人でも中国の核脅威は理解できていたはずです。
98年6月、当時の江沢民国家主席とクリントン米大統領との会談では、
戦略的核兵器の相互照準解除に合意したあとの記者会見でこう語っていた。
「中米両国が敵ではなく、仲間であることを全世界に示した」と。
これによって中国は日本を除外していると批判論が出たほどで、
すなわち、
中国は日本にとって敵性国家であり、古くから反日教育をしていた事実も知れたのです。
これらの事実を自称ブッダの桐山さんはまるで無頓着で、宗教家としての警鐘もなければ、
中国に平和外交をしたこともなく、ただ金を出しては、名誉を買い漁っていたのです。
それで、どこに世界平和などと謳えるんでしょうね?

963ラシン:2011/01/26(水) 18:09:51 ID:x9FuHHv20

誤:中国は日本にとって敵性国家であり

正:日本は中国にとって敵性国家であり

964ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 20:24:37 ID:SmEF4Oe2O
>>953:名無しさん11/01/26(水) 09:26:21 ID:GX1wqY7YO
>横スレで箸を折るようですが、仏教の阿含宗とマヤとの関係が良く解らないのですが…。それと阿含宗の皆さんは本気で予言や占いや霊や超能力等々を信じているのですか?大人ですよね…。ちょっと足りないのではないかと…。

こういうことだと思います。
@目立つことをしたい。
Aウケを狙いたい。
B金儲けがしたい。
@Aは「夢よ、もう一度」です。
往年日本武道館を借りて、紫袈裟の信者ばかりとはいえ、有名人ダライ・ラマと
合同で法要イベントができた。
あの日の栄光を取り戻したい第2回オーラの祭典です。
一昨年まで海外で焚き火イベントをしていたが、ネタも金も尽きてきた。
こういう時にじっくり腰を据えて弟子の育成・・・なんてできない。
ネタもないし、する気もない。
イベントに味をしめたイベント依存症ですから、何か派手なことをして目立ちたい。
それは信者に対しても世間に対してもウケを狙いたい。
そこでTBSでも取り上げられたマヤ暦、マヤ文明の継承人です。
もちろん仏教とも古代インド思想とも何の関係もない。成仏法もない。
共通点はオカルト志向です。アゴン宗もインチキ出鱈目な占いをさも由緒ありげに
するのだから、占い、予言大歓迎です。
2010年と2012年のズレなんて無視無視。壊滅と存続の違いも無視無視。
世界に名高いマヤ文明であるぞ。この神秘の権威にあやかろう。
信者なんて馬鹿ばかりだし、なんとでもなる。何を示そうがついてくるさ。(自信)

>>954:準シュダオン11/01/26(水) 10:29:49 ID:1F7rdgXk0
>昨年末、テレビ朝日で北米先住民のカルーク族の火祭りが紹介されてます。
>火を焚いて祈り、祖霊を呼ぶ儀式なのだという。
>「初めてテレビ撮影が許可されました」と、レポーターが得意げに話して
>ましたが、怪しいもんですw、でもホントかな?

こんなネタだって今後場合によってはアゴン宗との合同イベントだって企画されない
とは言い切れない。ネームバリューは弱いが、国内のライバル教団でなければ、
どこにでもくっついて、人気にあやかるぞ。
その時は準シュダオンさんも上記のような懐疑心は捨てて賛辞しまくりまっせ。
だって自分を持たない宗教奴隷だから。
そしてもちろん金儲けの商売ですよ。平和を掲げて護摩木代を稼ごう。

965ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 20:42:07 ID:SmEF4Oe2O
>>953:名無しさん11/01/26(水) 09:26:21 ID:GX1wqY7YO
>横スレで箸を折るようですが、仏教の阿含宗とマヤとの関係が良く解らないのですが…。

私はBS-TBSのマヤ暦放送が先だったから、知花さん司会だったこともありアゴン宗が
目をつけたのでは?と推論したが、案外これは逆かもしれない。
と言うのは、そもそもなぜ知花さんが司会者に大抜擢されたのかということです。
もちろん知花さんはTBSの人気番組の「世界不思議発見」の準レギュラーリポーター
なんだそうだが。(もう何年もこの番組見とらんなあ)
しかし私は逆にガダルカナル特番でもコネのついたTBSとアゴン宗との間で事前に
後のアゴン宗イベントも含めて大々的にマヤ・キャンペーンの話が進められていた
のではなかろうか?と今朝あたりから推察もしています。
知花さんが司会者に抜擢された背景に寧ろアゴン宗が絡んでいるかもしれない。
お互いに利益が一致する。
マヤとしてはどこでもいいから協力してその知名度を宣伝したい。金も欲しい。
アゴン宗も有名人にあやかりたい。
テレビ局や広告代理店はあちこち使ってキャンペーンを広げて視聴率を稼ぎたい。
このオーラの祭典に「ワンピース・ライブ」なんてネーミングしたのも広告代理店か
放送関係者の匂いがします。
ちなみに私はワンピースよりビキニが好きです。
知花さん。あなたも28歳とまだまだ若いのだから、そちらの方もよろしく。
夢よ。もう一度。

966ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 21:02:34 ID:SmEF4Oe2O
ん?だが、ちょっと待てよ。
かつて星まつりにゲスト出演したミス・ユニバースって、なんとかリサさんだったような?
くららと改名したか?
それに出身も沖縄ではなく静岡県あたりだったような気が。
いや、いかな俺でもBWHまではチェックしなかったが。
間違っていたらエライこっちゃ。
私も調べ直しますが、皆様も正しい情報わかれば訂正願います。
場合によってはくららさんに全面謝罪しますので。

967ラシン:2011/01/26(水) 21:15:51 ID:98U1EaJc0

ユビさん

だからどうしたの。
知花のファンだからなのか、驚愕事実の検証ですか?
そんな話は世にごまんとあるが、スレには役立ちません。
お願いだから、バカ話しに花を添えないでいただきたい。

968ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 21:47:39 ID:SmEF4Oe2O
>>967
そうではないのです。
私は知花くららさんのことを書いたが(ちなみにこの人、私知らない)
どうやら人違いです。
アゴン宗の星まつりにゲスト出演したのは久米理紗さんでした。
やはり静岡県出身。
2005年、ミス日本グランプリ。
ミス・ユニバース・ジャパンと混同していた!
するとどうなるか?
知花くららさんをアゴン宗と関連付けて論じた私は大変な誤解を彼女に与えたことになる。
よってこの場をお借りして、知花くららさんに関して論じた全てを取り消し
深くお詫び申し上げます。
大変罪なことをした。

969ラシン:2011/01/26(水) 21:51:17 ID:98U1EaJc0
97 :▼2ch書き込みがW田からの至上命令のヤマハシ▼ :2011/01/26(水) 18:22:00 ID:+YU59bg2 (4 回発言)

>>89>>92>>96も早速出てきた24時間勤務の工作員、法務部ヤマハし
阿呆だな、分かりやすくやってあげただけなのにw
本スレはこちら ↓
阿含宗という宗教194
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1295927881/l50

準シュダオンさん

この現行がアゴン宗信者のナマの姿勢です。

ウソや捏造、偽造や他への責任転嫁でのごまかし!

あなたの普段の素行とよく相似していませんか。

品行や日常的生活姿勢をよく表出しているのではないのか。

桐山さんに毒された結果ですよね、アゴン宗の修行成果ですよね。

970ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 22:03:38 ID:SmEF4Oe2O
久米里紗さんと書くのが正しいのかな?
2ちゃんねるでE川さんがゲストのミス日本を歓待してる写真のネタ話。
ミス日本がアゴン宗信者から出た件で高名な芸能関係者も来た件読んだまではよい。
そこから調べた中でうろ覚えの記憶で間違った人を特定してしまいましたね。
となると私が論じたBS-TBSのマヤ暦特番と元ミス・ユニバースの司会者を絡めた
アゴン宗との関係というのは取り消します。
単にアゴン宗とTBSとの間で、マヤ・キャンペーンの話も出たのかもしれないの
推論に訂正します。

971ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 22:11:24 ID:SmEF4Oe2O
知花さんがマヤ暦特番の司会者だったというのを知って、勘違いに輪が加わって
しまったのですね。
皆様、申し訳ございませんでした。

972ラシン:2011/01/26(水) 22:12:33 ID:98U1EaJc0

マヤ歴のTV放送はありましたよ、ユビさん。
私の記憶にもありますけど。
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT1000500

それがどうアゴン宗に結び付いたか、は見えませんけどね。

批判姿勢は、そのような関係筋の探りじゃないですよね。
批判者は探偵じゃない。
それと、桐山さんの下ネタをあまりエグリ過ぎれば、
失笑ネタにはなっても、真の批判の価値を証明して、
桐山詐欺を証憑できるのか疑問ですよ。
笑いネタは、準シュダオン老人で精いっぱいです。

973ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 22:27:13 ID:SmEF4Oe2O
>>972
そのリンクは私も発見しています。
その昨年末の特番の前に一昨年の年末に最初の放送があったようです。
つまりこの時点でアゴン宗との接点はなかったかもしれない。
しかしアレサンドロ長老らがマヤ文明の普及に腐心している事実がある。
それを紹介するテレビ局の事実がある。
また何かイベントネタを求めるアゴン宗がある。
この三者がいずれ関係し合うようになっても不思議ではない可能性を示したかった
わけで探偵ゴッコとも違います。
まあ、でも探偵ゴッコのように見えたのも事実でしょうから、それは肯定もしますが。
それぞれの利益追求がある縁で結びついた。
他教団とも合同法要を営んだ前例もあるアレサンドロ長老のグループの活動が
あったからこそアゴン宗にも縁がついた。

974ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/26(水) 23:11:04 ID:SmEF4Oe2O
>>951:ユビキタス ◆18iA.mwnDU11/01/26(水) 08:19:42 ID:SmEF4Oe2O
>2007年の星まつりにゲスト招待された前年のミス・ユニバースの知花くららさんは
>アゴン宗の信者だったようです。

>さてアゴン宗のオーラの祭典は昨年の11月ですから、このマヤ暦ネタはその1年前から
>アゴン宗信者でもある知花さん司会で紹介されたわけです。

↑これが大間違いですから取り消します。
くららさん、ご勘弁を!

975ラシン:2011/01/26(水) 23:26:42 ID:98U1EaJc0

<東トルキスタンというのは、別名中国領「新疆ウイグル自治区」です。>

実は私が懸念したのは、実際の中国の友人がここの出自だった。
交友期間は、すでに20数年です。
氏の見た目は、モンゴリアンには見えない容姿です。
どう見ても東洋人とかアジア系に見えない美人でした。
宗教や政治の話しは、お互いに極力 控えた付き合いでした。
今現在は帰化しております。
私もそれに多少ながら微力尽力しました。
日本人男性とマジ結婚したのですから、喜ばしい限りです。

だから、氏から中共政府の欺瞞も少しは見聞出来たとの自負はあります。
氏はそのマイナス出自でも、20年前でも日本へ渡航できたわけがある。
それは、
父親が人民軍のお偉いさんだった、古今東西でのある種のスパイです。
特別枠で日本へ来ることができ、だがそこで日本の真実を学び帰化したのです。
そこで氏はウイグル自治区の圧政を訴え始め、私の知り得ることになった。
超能力者の桐山さんなどは、そんな中国の横暴など既知だと思っていました。
だが、とんでも論者だったことが、後でわかりました。
それが>961の2chの記述でした。

04年の宗報を私は知らなかった、すでにその時期は退転していたのだから。
凡人の私ですら、交友関係で知り得る事実があります。
桐山さんの交友範囲ならば、もっと大きな事実掌握が可能でしょう。
だが、
それを日本だけが唯一の被爆国だとかという、その社会見識に?符がついてしまう。
凡人とは違うブッダ様のその思惑には、はたして信者さんが頷けるのか、、、。

私の場合、幸いにして教義の疑義を明らかに照覧し逡巡していた時期に、
批判諸兄の主張を2chで垣間見ることが出来た。
どう考えても、反論レスを出せない自分に忸怩たる思いにも耽った。
その経緯の最中、最強擁護者のユビさんが、言葉は悪いが陥落した。
数多の擁護者の中で唯一、理性あるユビキタスさんが桐山ドクマの
間違いを認めたのです。
それに衝撃を感じて、私も決心がついた、いわゆる腹を決めたのです。
自分自身に正直であれ、過去の実績に耽溺することなかれ、
執着へのサヨナラでした。
だから残念ですが、アゴン宗のグッズは今何一つ持ち合わせがない。
私なりの決別が、アゴングッズすべてを喜捨することだった。

今は批判資料としての天照さんの決死の努力による情報集積に感謝する次第です。
そこで、
その私は案の定、信者さんからは落伍者と言う『レッテル貼り』の指摘範疇です。
脱落者と見限り者の両者線引きをこれからも、毅然と表明したいものと考えます。

976ラシン:2011/01/27(木) 00:34:52 ID:98U1EaJc0

>970ユビキタス
しかしアレサンドロ長老らがマヤ文明の普及に腐心している事実がある。
それを紹介するテレビ局の事実がある。また何かイベントネタを求めるアゴン宗がある。
この三者がいずれ関係し合うようになっても不思議ではない可能性を示したかった
わけで探偵ゴッコとも違います。
>となると私が論じたBS-TBSのマヤ暦特番と元ミス・ユニバースの司会者を絡めた
アゴン宗との関係というのは取り消します。

ユビさん、TBSの過去を知っているなら言わずもがだ。
オームの事件以来、TBSは信頼に足るマスメディアですか?
リベラル派の筑紫さんが残した功績を認め,誇れますかあ?
阪神淡路大震災でのヘリ取材で、
氏が述べたリポートは、温泉街の湯煙のようだとニヤニヤコメントした。
それは、
被災者をあまりに視覚的に冷徹にリポートした結果だけがあります。
こういう背景は、大手電通やマスゴミへの机下のやり取りじゃないの。

宗教的垣根を越えて、戦争を回避するために尽力を惜しまないフォーラムなら、
それは意義を期待できます。
アゴン宗がそこに真剣に取り組むための人材起用なら、双方合意のもとで
履行するのは非難に値しません。
だが、われら企業人の範疇にすら同意できぬかしめ思想から他宗の価値観を
敷衍する理由付けが、どうして必然なのだ。
それは所詮、イベント祭事の金集めに他ならない。
使われるタレントを詮索する問題では無いでしょう。

977ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/27(木) 00:40:13 ID:SmEF4Oe2O
>>955:準シュダオン11/01/26(水) 10:52:10 ID:1F7rdgXk0
>それと、仏教・仏法について、国語力がどうのこうの、と言ってるようでは
>ダメですね。国語的に理解するだけでは、ダメなのです。
>よく、教育を、知、徳、体、といいますね。知育、徳育、体育です。
>これは、それぞれ、質が違いますでしょ。国語的に理解するとは、知的に
>理解することです。だが、仏教は、知的に理解するだけではダメです。

他人の書き込みをもっときちんと読んでレスしてはどうか?
私は国語「だけ」で悟る悟れないとか書いていません。
あなたの言う知育「だけ」が教育だなんて言っていない。
知育だけでなく徳育も体育も必要だが、知育は絶対に必要だと言っているのです。
国語だけでは駄目だが、国語は絶対に必要だと言っているのです。
国語力は全ての生活にも教育にも大前提で、これが軽視されてよい世界なんてない。
知育以外に徳育、体育は必要ですよね。
ならば問う。口先だけではない体育を実践したら、知育たる国語は否定されて
しまうのか?
仏教におけるその具体例を示してみなさい。
言葉の教えだけでは浸透しないものはたしかにあります。
しかし言葉を超えたそのあるものを体得したら言葉の教えは否定されてしまうのですか?
そんなことはなく、たしかに言葉の教えは間違ってなく、しかしその実感に深み、
重みが加わっただけです。
野球や跳び箱の話をしたでしょう。
野球の技術なんて教室で言葉だけで教えても上達せず、体育による実地訓練が
必要です。
でもその実地訓練の結果は教室で言葉だけで示された「上体が突っ込んでいるから
これを矯正せよ」という教えに反してないのです。
上体の突っ込まないコツを体得したからこそ、上体を突っ込むなという教えは
間違っていなかったことを実感するのです。
愛人問題にしても然り。
どんな体操をすると愛人を持つことは善であると釈尊は言いたかったことがわかる
と言うのか?

978ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/27(木) 00:48:23 ID:SmEF4Oe2O
>>976
だから使われるタレントの問題は訂正で一切取り消したって。
それにそれ(使われたタレント)が間違いであれ、なかれ、(アゴン宗の信者であれ、なかれ)
タレントを批判する気はなかったのですよ。
言いたかったのはテレビ局、マスコミが絡んでいるのだろうとそれだけです。
ガダルカナル特番はBSフジかと思いきや、BS-TBSだった。
しかしそのテレビ局を批判しようというものですらない。
アゴン宗はいろいろなものを利用したであろうと述べただけです。
イベントが成功するならば。目立つならば。ウケるならば。金になるならば。

979ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/27(木) 01:04:35 ID:SmEF4Oe2O
>>956:準シュダオン11/01/26(水) 11:02:42 ID:1F7rdgXk0
>前に、火葬場の火も、ごみ焼却の火も、護摩の火も、同じだとレスした
>批判派がいたけど、全く科学的な思考ですね。炭素が酸化する現象です
>からね、同じ火と言われれば、そのとおりです。
>だが、そのような思考では、オリンピックの聖火が、なぜ今も太陽から
>取るのか、理解できないでしょう。その批判派に言わせたら、オリンピック
>の聖火もゴミ焼却の火から取れば良い、となりましょう。
>だが、宗教心のある人は、そうはならない。

オリンピックの聖火について仏教の立場からはっきり申しましょう。
オリンピックの聖火もゴミ焼却場の火もなんら変わりありません。
そもそも聖火なんてものはありません。
聖も俗もない。火は単に火に過ぎぬ。これを空の悟りと言う。
それでも神話ロマンからこれを聖火と呼ぼうとするのはセンチメンタル以外の
何物でもありません。
しかし主催者も参加者もセンチメンタルと割り切ってやっている。
大会期間中あのどでかい聖火を何週間もつけっ放しにすることはやはり炭酸ガスを
増やし環境破壊につながることだとマジで批判するならば、それはその通りですね
と答えるしかありません。
これが聖火に対する回答です。
オリンピックは仏教ではない。

>そう言えば、その批判派は、ラーメンにお寿司を入れて食べてる、とか
>レスしてましたねw、お腹に入れば同じだ、とかおっしゃって。

喩えが悪いかも知れません。寿司もラーメンも食べられるものですからね。
栄養ドリンクに毒キノコを混ぜて食ってると喩えたらいいかな?

980ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/27(木) 01:07:50 ID:SmEF4Oe2O
最後に馬鹿話。
わしゃ知花くららさんよりも久米里紗ちゃんの方がいいなあ。

981名無しさん:2011/01/27(木) 01:45:19 ID:D38eTcio0
そう言えば桐山さんてたしか
以前中国の天安門事件に関して
例祭で、私も中国政府の立場なら
同じようなやり方で民主化を鎮圧したと思うって
言ってたことを思い出したよ、
今、中国が民主化されても経済的に
成功しないみたいな説明だったけど
正直、驚いたね、だって戦車で国民をひき殺したりピストルバンバン撃ったり
してたんだからね、やっぱりそんな中国政府は
許されないと思っていただけに桐山さんの
発言には驚いたよ、
桐山さんは間違いなく中国寄りだね、何でか知らんけど。
この前のオーラの祭典だって本当だったら
もう一度ダライ・ラマとやればよかったのに
ヤマなんかとやったのはきっと中国ベッタリな
桐山さんにダライ・ラマが嫌気をさして
誘いを断ったんじゃないか?
あの時期たしか
ダライ・ラマは日本にいたと思ったけど?
桐山さんもダライ・ラマとお友達だったようだけど
あまりにも中国ベッタリだから嫌われちゃったのかもね。

982ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/27(木) 08:26:36 ID:SmEF4Oe2O
>>956:準シュダオン11/01/26(水) 11:02:42 ID:1F7rdgXk0
>そう言えば、その批判派は、ラーメンにお寿司を入れて食べてる、とか
>レスしてましたねw、お腹に入れば同じだ、とかおっしゃって。

少し気になったので補足する。
私はこれはあなたの皮肉と理解していた。
護摩の火もゴミ焼却場の火も同じと考える科学的合理思考に則るならば
ラーメンに寿司をぶちこんで食おうが、胃に入れば同じことと考えるのが
科学的合理思考ではないかとせいぜい皮肉を言ったものかと認識していた。
ところがあなたの文章はどうも違うようだ。
胃に入れば一緒のことだとしたのが批判側であるかのように書いている。
ところが批判側でそんなことを書いた人はいない。
我々が説きたかったのは本来はごっちゃにするはずがないラーメンに寿司を
ぶちこむ暴挙のみを示したのです。
これは木に竹を接ぐような桐山アゴン宗の不可解な教義と実践を皮肉ったものです。
それだけであり、胃に収まれば一緒なんて書いてない。
だからあなたが皮肉的擁護として、胃に入れば同じと見るのが批判側の大好きな
科学的合理思考と言えるんじゃない?と書いたと思ったから、いや、ラーメンと寿司の
食い合わせなんてヌルイものではなく、もっと食あたりを起こしそうな食っては
ならないものを混ぜたと考えていただきたいと示し直したわけだ。
ところがあなたが胃の中に入れば一緒うんぬんと批判側が説いていたなどと
記憶しているならば、やはり他人の文章をよく読みもせず、読解力、国語力に
問題ありとしなければならない。
いや、知花くららさんの件をよく確認もせずアゴン宗信者と間違えた私も他人の
ことを言えた義理もないが、何事も発言する前によく調べることが必要です。

983準シュダオン:2011/01/27(木) 10:12:27 ID:1F7rdgXk0
ラーメンと寿司とくれば、「ははぁ、ラーメンに寿司を入れて食べるレベル
が、批判派なのだな」と、わたしは解釈するわけですw。
国語的正確な解釈は、関係ないのです。徳的解釈ですよ、相手の心のレベルが
見えるので、そのように解釈して、語句の細かい点は見ないのよ。見なくても
解かるのですw別に皮肉ではないよ。
 だから、経典は、知的解釈ではなくて、徳的解釈ができなくてはいけません。

ユビキタスさんなど、批判派のレベルは、言わば、レシピの議論だけしてて、
料理を味わえた人はいない。料理の匂いさえ、嗅げた人はいない。
それを、知的理解止まり、というのです。知、徳、体、で理解出来ないと
いけない。匂いを嗅げたら、体的な理解です。
しかし、批判派は、レシピの議論はできても、料理の作り方を全く知らない
のです。だから、仏法の匂いさえ知らず、国語的解釈で終わっています。

984準シュダオン:2011/01/27(木) 10:32:31 ID:1F7rdgXk0
批判派が、経典解釈をなぜ間違えるのか、といえば、その目的が管長の間違い
探し、だからです。目的が邪心から出発してるので、間違うのです。
一切事経のユビキタス解釈は、落語より面白くて、笑えるよ。
「十六法成就者は威徳顕照にして、沙門衆も詣でる」と、経にありますね。
この場合の沙門衆は、外道出家に違いない、という妄想だよねw。
これが、落語より面白い発想、笑えるね。
わたしは、気分がすぐれないとき、このユビキタ解釈を思い出して、大笑いしてます。

威徳顕曜と、日輪に例えているのですよ。昼でも星や月は出てるのです。
しかし、太陽の光が強いので、昼は星や月は見えません。それほど十六法成就者は、
威徳が大きいというのです。外道の沙門が詣でるくらいで、威徳が優れてると、
お釈迦さまが言うと思うのですか?w。
それならば、六師外道をも、釈尊は褒め称えてるでしょうが。

そのように、沙門衆とあったら、「ジャイナ教や仏教などの出家者」と、
辞典にあるように、素直に解釈したら良いのです。一切事経の何処を探し
ても、外道の出家、とは書いてありません。妄想解釈ではいけないのですw。

985準シュダオン:2011/01/27(木) 11:08:07 ID:1F7rdgXk0
ラーメンに寿司を入れて食べる、という例えは、なかなか上手い例えだ、と
思ったものよ。なるほど、阿含宗には阿含経もあれば、密教もあれば、観音
信仰もある。ラーメンもあればお寿司もあれば、カツ丼もあるわけだ。
和食の知識がない者が、自分の腹も考えずに、進められるままに料理を食べ
続けたら、食中毒も起こそうや。醤油をワインと間違えて、飲んだらお腹も
壊れましょう。批判派は、そのような食べ方をしたのです。
なるほど、上手い例えですね。

阿含宗の料理を食べるには、食べ物の知識が必要なのです。
志村動物園の、チンパンくんでは、食中毒を起こします。

仏教辞典に、「密教の修法の目的が、現世利益から成仏に移る思想・・」
と、あるように、密教の基本も知らずして、いたずらに前世利益を批難して
るレベルでは、ラーメンに寿司を入れてるレベルです、智恵がない。
それでは退会するしかないでしょう。

986ラシン:2011/01/27(木) 11:23:51 ID:x9FuHHv20
>981 :名無しさん:2011/01/27(木) 01:45:19 ID:D38eTcio0
そう言えば桐山さんてたしか
以前中国の天安門事件に関して
例祭で、私も中国政府の立場なら
同じようなやり方で民主化を鎮圧したと思うって
言ってたことを思い出したよ、

そうですか、桐山さんを宗教家と見たなら絶句します。
仏教はご存知のように、徹頭徹尾、非暴力です。
殺生を禁じているだけではなく、対抗する力やその道具を捨てろとまで
言っていたのが釈尊ですからね。
仏教が他の宗教と決定的に違うところは、この非暴力だと言う点です。
もちろん北伝された大乗仏教は、中国少林寺拳法や日本の僧兵など、
武装化された僧集団がありました。
しかし、阿含経から教えられる釈尊の思想は徹底した非暴力です。

ースッタニパーター
 一切の生物に対して棍棒を内に納め、それらのどれも害することなく、
 盟友に対する心でもって、ためになるものを用いて共感 同情し、
 サイの角のようにたった一人で歩むがよい。

だから桐山さんのように、人民軍を使って学生を制圧した中共政府に
賛同するなどは、仏道を歩む者からは決して考えられない言動です。
中共政府によるチベット弾圧や民族浄化は、すでに広く世に知られている。
4500あった寺院の99%が破壊され、現在残っているものは中国の
発表でも45ほどしかないそうです。
15万人いたいう僧侶も中国の発表では1400人程度となっている。
中共はその後も万単位の大虐殺を繰り返しています。
文化大革命の時には、北京から紅衛兵が送り込まれ「四旧打破」のスローガンの下、
チベットの宗教や文化・伝統・習慣を破壊したのです。
現在でもチベットの監獄・収容所では凄まじい処刑や拷問が行なわれ、
独房監禁やゴム管を使っての囚人のロヘの放尿、血液・体液の強制抽出、
雪の中への裸での放置、中国人看守たちによる強姦等が行なわれている。
ネットに掲載されたチベット女性の開放処刑の写真は、顔が半分吹き飛ばされていた。
また、強制堕胎された胎児は数十万人にも上ると言われています。

桐山さんはそれには目を瞑り、口先だけで世界平和を掲げて焚き火をしています。
これぞ偽善のなにものでもない。
信者さんたちは、世界平和祈願という言葉に酔い自己満足をして金を出している。
詐欺と偽善の片棒を担ぎ、自分たちこそ信仰者の鏡と慢心している。

987ラシン:2011/01/27(木) 12:56:44 ID:x9FuHHv20
>984 :準シュダオン:2011/01/27(木) 10:32:31 ID:1F7rdgXk0
批判派が、経典解釈をなぜ間違えるのか、といえば、その目的が管長の間違い
探し、だからです。目的が邪心から出発してるので、間違うのです。
一切事経のユビキタス解釈は、落語より面白くて、笑えるよ。
「十六法成就者は威徳顕照にして、沙門衆も詣でる」と、経にありますね。
この場合の沙門衆は、外道出家に違いない、という妄想だよねw。
これが、落語より面白い発想、笑えるね。
>外道の沙門が詣でるくらいで、威徳が優れてると、
お釈迦さまが言うと思うのですか?w。

外道の沙門だけではありません。
お経を掲示するなら、もう少し正確にすべきであり、
この電波老人のような姑息な手抜きは、マネをしないほうがよいでしょう。
ユビさんの指摘に間違いはありません、仏教の基本です。

一切事経:http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky038800uoft#page/104/mode/2up
ー抜粋ー
魔訶男、若し優婆塞、是の如き十六法を成就する者は、彼の諸々の大衆悉く其所に詣づるなり。
謂く婆羅門衆、刹利衆、長者衆、沙門衆の諸衆中に於て威徳顕曜せん。
譬えば日輪の初中及び後に光明顕照するが如く、是の如く優婆塞の十六法成就する者も、
初中及び後に威徳顕照せん。
是の如く魔訶男、若し優婆塞十六法を成就する者は、世間に得難し。

口語訳すれば、
マハー・ナーマンよ、もし男性在家者でこのような十六法を成就する者は、
多くの人々がそこに参詣するであろう。
いわゆる、バラモンの人達、王侯貴族の人達、長者の人達、修行者の人達の中に居て、
その威徳は光り輝くであろう。
たとえば、太陽の初めから終わりまでに光明が顕に輝かせるように、
このように在家信者の十六法を成就する者も同様に、初めから終わりまで威徳は光り輝くのです。
このようにマハー・ナーマンよ、もし在家信者の十六法を成就する者は、世間に稀なのです。

そこで仏教の出家者とは、あくまでも在家を教化指導する立場であることが基本です。
戒律を見ても、出家の250戒と在家の5戒という違いがあるように、
仏教の出家者はその時点で、欲から離れ戒律を守る生活をしているから尊敬され聖と見られる。
キリスト教世界のでもMonkという清貧・貞潔・従順を誓った修道士が、
質素に生活するから、みんな尊敬を受けるのと同様です。
ですからこの経で言われる沙門衆とは、バラモンと仏教以外の修行者を指すことが分かります。
またこの経文にも「其所に詣づるなり」と出ています。
参詣いわゆる詣でて「会いま見える」ことの必要性がわかります。
ま見えなければ、その聖者の所作などを参考に出来ませんから当然なのです。
この国訳一切経の一切事経にはきちんと番号が付いていますから、十六法の種別が簡単です。

988名無しさん:2011/01/27(木) 12:57:11 ID:LI9Au5sk0
桐山さんはその昔、非暴力者ガンジーについて
こんなことを例祭で言っていたことを
思い出しました
「非暴力を実践してみせたガンジー、あれは政治家ですね
宗教者ではありません。」
何を言いたかったのか記憶がはっきりしませんが
たぶんガンジーのやった非暴力は政治的にやったことで
あの人は宗教家ではありませんから(行動が?)・・・とか
ガンジーは宗教者というよりも政治家ですね、
などという感じで話してましたね。

もともと桐山さんは戦国武将織田信長を崇拝する
革命好き、勝気で自称瞬間湯沸かし器な男だそうですから
(自分でよく言っていた)
決して非暴力な人ではありませんね
家族や国が攻められたらどうしますか?
私だったら戦いますよと例祭で言ってましたから
そういう意味では宗教的ではないですね。

「一宗を立てるに○○○○人殺してもマバタキひとつしない(動じない)
強い胆力が必要なのである」とかよく言ってました。
星まつりの風林火山もそんな意味合いも含んでいるのでしょうかね。
仏教、密教には不動明王とか○○大神とか顔形の恐い仏様が
たくさんありますから当時、私も恐い聖者でもありなのかな?と
自分を納得させていましたが
やはり聖者はいつでもどんなときでも優しく愛と慈悲に満ちていて
欲しいとおもいます。

989名無しさん:2011/01/27(木) 13:22:27 ID:qwrv8SBQ0
いい指摘ですね。
そうです、聖者に暴力肯定者はいません。
暴力を振る舞う、肯定する聖者もいません。
暴力を認める輩が聖者であるはずがありません。
阿含宗の信者はもっとよく勉強していただきたい。
暴力を肯定する男が、絶対に聖者であるはずがない。
こういった部分的なおかしさを積み上げていくと、桐山氏がいかに
インチキ、デタラメな男かが手に取るように分かります。

990ラシン:2011/01/27(木) 14:03:16 ID:x9FuHHv20
>>984 :準シュダオン
>これが、落語より面白い発想、笑えるね。
>外道の沙門が詣でるくらいで、威徳が優れてると、
お釈迦さまが言うと思うのですか?w。

拙い智慧を棚に上げて他人をあざ笑うのは、この電波老人の慢心をよく表しています。
自惚れだけで、一切事経をまるで読んでいない証拠です。
広く大衆が参詣することを、バラモン・クシャトリア・長者衆・沙門衆と書かれている。
外道の沙門だけではないのです。
いったいどこに目をつけているのでしょうね。

また、徳だなんてゴマカシても、徳以前の国語力が乏しい。
正宗とか言われると中身も検証せず、絶対正しいと思い込む単細脳の権化です。
八法十六法が出家を凌ぐほどのものだとは、どこにも書かれていません。
先述したことがありますが、
これはいわゆる在家者の修業姿勢を教説し、その姿勢の大事さを褒めたものです。
出家の功徳は、沙門果経を読めばよくその要体が分かります。
しかし一切事経の優婆塞十六法で成果が出るなんてどこにもありません。
それなのに仏教出家者も、優婆塞十六法成就者に参詣して教えを乞えだと?
ならば、
「(7)自ら塔寺に詣で諸の沙門を見、(8)亦人に往きて諸の沙門を見るを教え」
との意味はどうなりますか?
優婆塞はサンガに参詣して、そこで仏道修行者と合間見えなさい、と言っている。
つまり出家者に会って法を聞き、見てその所作振舞いを参考にせよ、と言うことです。
そうでなければ、誰から法を聴き学ぶのだ?

故にその出家者が、逆に優婆塞十六法成就者に参詣するなんて解釈は成り立ちません。
唯一、その沙門とは、ユビさんが解説したバラモンと仏教以外の修行者です。
だからあくまでもその在家姿勢は、みなが参考とすべき立派な態度であると褒賞したのです。
四向四果などどこにも謳われていないのがその証拠です。
ただその成就者は自ら安穏し、他人をも安穏とさせる行為だと書かれている。
電波脳など何の益役にもならないばかりか、前頭葉を萎縮させて悪知恵だけが発達するようだ。

991天照 ◆MO30b8Jwoo:2011/01/27(木) 14:31:34 ID:4bs3KqGY0
連絡です。(手短にします)

53章立てました。いつものように52章使い切ってから53章での投稿をお願いいたします。

では、このまま議論をお続け下さい。

992ラシン:2011/01/27(木) 14:55:53 ID:x9FuHHv20
>>984 :準シュダオン
>これが、落語より面白い発想、笑えるね。
>外道の沙門が詣でるくらいで、威徳が優れてると、
お釈迦さまが言うと思うのですか?w。


ー謂く婆羅門衆、刹利衆、長者衆、沙門衆の諸衆中に於て威徳顕曜せん。ー

これは当時のインドカースト社会でも、バラモンや王侯貴族は最上位です。
そして出家者もまた、尊敬に値するとみなされていた時代なのです。
釈尊は、その人々より仏教在家の十六法を成就した者は素晴らしいことだと、
褒め称えているのです。
それほど、在家での信仰姿勢を正しく保つことの難しさが分かります。
批判側も元信者ですから、アゴン宗の教義に即した修業でもやはり難しい。
千座行なども一日でも飛ばせば一からやり直しです。
況してや仏教の在家の五戒を守り続け、教えを学び維持するのは、
誰でも出来るものではないから、釈尊はその修業姿勢を成就した者を賛美したのです。
バラモンや王様や仏教以外の修行僧のなかにおいても、ピカイチだと賞賛したのです。
釈尊はいわば在家者の心得を十六種にして、それは素晴らしい姿勢だと説いたのです。
○○法と聴けば、何でも魔法や超常的な法リキと硬直するのは、苦笑せざるを得ない。

993神人同行 ◆3R1a2NAxr.:2011/01/27(木) 16:00:35 ID:YaD7r0520
準某氏がでてきて、それ以降思うのは、
準氏が関係ない話題や(関係あると思ってるのは本人だけ)
些末な部分にこだわり針小棒大にしてるのを
ユビさんやラシンさん達が大きくすくい取って、
不要な部分を切り捨てわかりやすく切り分けてあげてるのに、
丸ごとじゃないといやだと駄々をこねてる姿がつづいています。
準氏は社会生活におて、諸問題の処理の仕方など経験せず、
丸ごとを丸ごと抱え込んで、
アッチを突っつきコッチを突っつきしてるようなもので、
この人には何事も任せられず、裁いてきたのは周りの方々でしょう??
現実に私の周囲にもいたのですよ。こういう人、
肩書きだけは大層なのを付けてあげるが、
実務は、他の切れ者が裁くというのが!!
こういうのはご多分に漏れず、背後に有力者・ワンマンと言われる連中の親族に多い
準某氏も同じような者でしょう。現役時他者が裁いていたのを。まるで、自分が裁いていたとの
大きな誤解・事実を認識できないままの姿です。
デスカラ、実際は何も出来ず、肩書き振り回すだけ!!
エエ−加減恥じ入りなさい!

994ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/27(木) 23:47:57 ID:SmEF4Oe2O
>>983:準シュダオン11/01/27(木) 10:12:27 ID:1F7rdgXk0
>ラーメンと寿司とくれば、「ははぁ、ラーメンに寿司を入れて食べるレベル
>が、批判派なのだな」と、わたしは解釈するわけですw。

あなたの解釈なんてどうでもよいです。
こういう時はまず相手の説いていることを正確に把握してから、しかしそれは
アゴン宗よりもあなた方批判側に言えることではないか?ってな導き方をする
ものなんですよ。
あなたはわかってなかったようですね。
ラーメンに寿司をぶち込んで食っても胃に入れば同じと批判側が言ったかのように
解釈していた。もちろん我々はそんなこと言ってない。
胃に入れば同じと我々が言ったとするならば、それはどういう意味を表すのか
わかりますか?
ラーメンに寿司をぶち込んで食ってもいいじゃないかということです。
我々はアゴン宗を批判している。ラーメンに寿司をぶちこむような出鱈目な
宗教だとしている。そんなもん食うと消化不良を起こすぞと批判しているのです。
その構図さえわかれば胃に入りさえすればなんて、あなたがアゴン宗擁護の為に
言うのならばわかるが、我々が言ったかのように腐したところに、話がまるで
見えてないことが露呈されたわけだ。
もう頭はかなり末期的症状だ。自分でも時々何を議論しているのかわからなく
なるでしょう。
間違ったら素直に訂正することです。しかしあなはたは桐山さんと同じで絶対に
自分の非を認めず、訂正しようとしない。
まあそんなあなたを冷ややかに観察するのも面白い。

>国語的正確な解釈は、関係ないのです。徳的解釈ですよ、相手の心のレベルが
>見えるので、そのように解釈して、語句の細かい点は見ないのよ。見なくても
>解かるのですw別に皮肉ではないよ。
> だから、経典は、知的解釈ではなくて、徳的解釈ができなくてはいけません。

一般論の能書きはいいからその徳的解釈でも体的解釈でも披露してごらんよ。
桐山擁護となるような仏教解釈を。
ぶわーっだのだーっだのでは意味不明だから駄目ですよ。
知的解釈とどう違ってくるのか具体的に示してごらんよ。

995ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/28(金) 00:22:36 ID:SmEF4Oe2O
>>984:準シュダオン11/01/27(木) 10:32:31 ID:1F7rdgXk0
>威徳顕曜と、日輪に例えているのですよ。昼でも星や月は出てるのです。
>しかし、太陽の光が強いので、昼は星や月は見えません。それほど十六法成就者は、
>威徳が大きいというのです。外道の沙門が詣でるくらいで、威徳が優れてると、
>お釈迦さまが言うと思うのですか?w。
>それならば、六師外道をも、釈尊は褒め称えてるでしょうが。

はい、またしても国語力の無さを露呈してくれてましたね。
ラシンさんが原文を引用してくれているが、ファンが多いからエライんだなんて
意味ではない。桐山さんと同じでウケを狙って目立てばエライという発想しか
思い浮かばないのが笑えるところです。
威徳顕曜ならんとは票を多く集めたから当選したなんて話ではない。
バラモンとかクシャトリアとか金持ち長者とか出家のエライ行者だろうが
彼ら自身が平凡な庶民に過ぎない仏教の在家信者に対して「ユーアーマイサンシャイン、
ユーアーワンダホー、教えを聞かせてくださいな」と参詣してくるわけです。
外道さんですら教えを聞きたい、ユーアーマイサンシャインと乞うことを示して
いるわけだ。
威徳顕曜が在家であっても熱心にやってる奴は決してひけをとらず遜色はないぞ
ということなら同じ仏教の沙門でも含むかもしれない。
しかし仏教の修行に専念する出家修行者がどうして在家の信者に詣でるのか?
何を教えてもらいに乞うのか?
笑う前に答えてごらんよ。

996ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2011/01/28(金) 00:50:44 ID:SmEF4Oe2O
>>985:準シュダオン11/01/27(木) 11:08:07 ID:1F7rdgXk0
>和食の知識がない者が、自分の腹も考えずに、進められるままに料理を食べ
>続けたら、食中毒も起こそうや。醤油をワインと間違えて、飲んだらお腹も
>壊れましょう。批判派は、そのような食べ方をしたのです。
>なるほど、上手い例えですね。
>阿含宗の料理を食べるには、食べ物の知識が必要なのです。
志村動物園の、チンパンくんでは、食中毒を起こします。

喩え話はいいから、アゴン宗の実践メニューの知識と取り組み方の注意事項を
書いてごらん。

>仏教辞典に、「密教の修法の目的が、現世利益から成仏に移る思想・・」
>と、あるように、密教の基本も知らずして、いたずらに前世利益を批難して
>るレベルでは、ラーメンに寿司を入れてるレベルです、智恵がない。

そんな引用では駄目ですね。どの仏教辞典の何を引いたのか、そしてその内容も
省略があり過ぎる。もう少し先まで引用しなさい。
だからどうだ?と言うのだ。
密教がそんなにいいなら阿含経など要らないではないか?
真言宗でよいではないか?

997天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/28(金) 12:05:43 ID:iiJ6SEu20
やはり埋めないで新章に行きましたか。
今度は埋まってからスレを立てることにしましょう。

998天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/28(金) 12:08:42 ID:iiJ6SEu20
勝手な自己解釈でスレ汚しも困ったものですね。
ここは自己解釈スレではないんですがね。

批判でもちゃんと教祖の主張を引用しながら、批判の説明をしているが、
自分の論の主張が先で、後はなおざり。
これで皆が納得しますかね。

仮に擁護しない中立派だとしても芳しくない行為ですね。

999天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/28(金) 12:13:08 ID:iiJ6SEu20
ユビさんやラシンさん、また匿名さん方がちゃんと説明しても聞き入れない。
おめでたい思考回路・脳としかいえない。
これがアゴンの信者か、と外部から見られることが、本当に情けない。
年齢だけ経過して何も人生から学んでない人の典型的な見本です。
しかも悪い見本。荒らし行為はしないけれども、中身は本当に疑うばかり。
論ずる気にもなれませんね。

1000天照 ◆8Sws/yExDc:2011/01/28(金) 12:16:35 ID:iiJ6SEu20
適当に埋めました。以降は五十三章にてお願いします。

また五十一章は過去ログに後で格納します。
したらば内の過去ログはこの掲示板内にある「過去ログ倉庫」をみれば見れます。
「agama考察室」でのメニューでも追って行けますが、手間がかかりますので、
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