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阿含宗と桐山氏について―第四十九章―【進む脳内崩壊老人介護病棟】
- 1 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/04/04(日) 06:21:17 ID:ZjbFQS4Y0
- このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です。
なるべく規制はかけないつもりですが、悪質な悪戯や荒らし行為、卑猥AA、無駄AA、連続コピペ、
広告・宣伝張り、意見にならない投稿、その他閲覧にふさわしくない迷惑行為・投稿はご遠慮ください。
(記事削除の対象となります)
また、その他微妙な判断は管理人である”天照”が行うこととします。
各種リンクを掲載したサイト「agama考察室」
(ここでほとんどのサイトがまとまっているので探しやすい)
http://agama.zouri.jp/index.htm
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http://mg1.jp/u1/agama/
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- 2 :ぽん:2010/04/05(月) 21:25:37
ID:IC1Cz8TI0
- 私、何十年もあごん宗に所属し、退会し、10年以上が過ぎました。もう、教義の事は忘れる事が出来て洗脳からも解き離れています。あごんって、金の取り立ては抜け目がありませんですね。あごんの人達も日蓮宗や創価学会の人達とよく似ています。教義の論戦には非常に熱心です。いずれも、新しい信者獲得こそがボン行と教えられているからです。果たして、因縁解脱できて、自由の身になれ、至福を感じている人はいるの?超能力を発揮できている人はいるの?どんな病気でも治せるはずだよなあ。お金も自由に呼び集められ、大きな家も持てるはずだよなあ。美人の奥さんみの恵まれるはずだよなあ。出来の良い子供に恵まれるはずだよなあ。護摩炊きで下行された心霊写真は嘘とは思わないがあれは何だろうか?今も時々考えている。ゲイカの法話は池田大作と比べて確かに頭が良い。難しい経典をよく理解している。入団前はよく悪い霊が夜、来たものだが、入会してからはそれが出なくなった。退会したら、また、出だした。が、今は守護霊がつき、変な霊に夜、苦しめられる事はなくなった。
- 3 :うサギ:2010/04/06(火)
11:46:20 ID:UtKVqJLA0
- 前スレの998再掲。
準々シュダオンへ。>>989にご返答ください。よろしくお願いします。
念を押しておきますが、>>978 >>983へのご返答もお忘れなく。
ところで、2ちゃんねるの「アゴン宗177」に入れません。
規制が強化されているためです。
いくつかルートを持っていますが全滅でした。
こんなに規制が強いと2ちゃんは過疎化しそうですね。
- 4 :深山:2010/04/06(火) 12:34:30
ID:X5odZPzw0
- >986 :阿含宗信徒一同:2010/04/05(月) 21:02:35
ID:kHWurtHEO
>準シュダオン様、いつも孤軍奮闘、お疲れさまです。掲示版の件は先日みんなで、話題になりましたよ。貴殿の意見、いつも共感してますよ。
あなたは桐山さんへの信仰心すらないのですね。
準シュダオンさんは無料で総本殿から白銀波動を受信し、
かぎりなくシュダオンに近いと主張している。
書いている内容もアゴン宗の教義とは違う。
だが、これをあなたは支持するのだという。
桐山さんと違うことを勝手に世間に向かって主張する信者を支持するというなら、
桐山さんを信じないと言っているのと同じです。
私の時代には、こういうタワケをいう準シュダオンさんのような信者は軽蔑された。
桐山ゲイカが認めてもいない内容を勝手に作るような信者は増長慢として、批判された。
だが、今はそうではなく、勝手に王者の相承を受信したと自惚れる信者を
侮蔑するどころか、共感するらしい。
堕ちたものだ。
- 5 :深山:2010/04/06(火) 12:39:35
ID:X5odZPzw0
- >986 :阿含宗信徒一同:2010/04/05(月) 21:02:35
ID:kHWurtHEO
>準シュダオン様、いつも孤軍奮闘、お疲れさまです。掲示版の件は先日みんなで、話題になりましたよ。貴殿の意見、いつも共感してますよ。
えっ!!たったこれだけでおしまい!!
おいおい、どうしてそんなに薄情なんだ。
脳が崩壊し始めている年寄りがたった一人でがんばって桐山アゴン宗を擁護して
いるというのに、お疲れ様でおしまい??
せめて彼の主張を何か弁護してやるなど、援護射撃くらいしてやりなさいよ。
なんですか、その他人事のような態度は。
批判側にボコボコにやられ、老人介護だとまであざ笑われている。
普通の神経なら恥ずかしくて出てこれないが、幸い彼は羞恥心が足りない分、
慢心で埋め合わせ、記憶力が薄れているから、なんともない。
自分の書いた桐山擁護をウンコだとまで言わざるをえなくなり、
それでも恥知らずのおかげで書いていられる準シュダオンさんの姿に、
信者諸君は涙がでないか。
彼が過去に書いた内容はすべて桐山アゴン宗の擁護ですよ。
それを彼はウンコだと切り捨てた。
桐山擁護をウンコだと言ってしまったら、
アゴン宗がウンコ、桐山ゲイカはウンコだと言ったのと同じです。
彼の姿は自分で出したウンコをこねくりまわす介護老人です。
桐山さんの顔に泥どころか、ウンコを塗っている。
あまりの悲惨な光景に、ついには天照さんが介護病棟まで作ることになった。
他人事のような顔をしていないで、信者なら、誰か助けてやりなさいよ。
桐山さんもエゴイストだとは思っていたが、信者も冷酷な連中が多いですねえ。
- 6 :深山:2010/04/06(火) 12:46:26
ID:X5odZPzw0
- >986 :阿含宗信徒一同:2010/04/05(月) 21:02:35
ID:kHWurtHEO
>準シュダオン様、いつも孤軍奮闘、お疲れさまです。掲示版の件は先日みんなで、話題になりましたよ。貴殿の意見、いつも共感してますよ。
信者さんたちは気がついていないだろうが、読者は
準シュダオンさんの姿はすなわちアゴン宗と桐山さんの姿だと見る。
つまり、批判されているのは準シュダオンさん個人ではなく、
あなた方が尊敬する桐山ゲイカであり、帰依するアゴン宗です。
それが準シュダオンさんの努力によって、桐山さんは路上の犬のウンコみたいになっている。
「準シュダオンさん一人を討ち死にはさせない。私もまたウンコ合戦に
参加して、批判側にウンコを投げつけようではないか」と
どうして議論に参加しようとしないのですか。
本当にあなた方って、桐山さんと同じで、エゴイストですね。
桐山ゲイカは犠牲を伴う愛を説いた。
ならば、あなたも準シュダオンさんのように、羞恥心を捨て、知性を捨て、
無知と恥知らずと慢心を鼻先にぶらさげながら、
批判側にウンコを投げつけてはどうか。
今の準シュダオンさんを擁護できるあなたは十分に羞恥心を解脱しているし、
心底、アゴン宗をオシャカの商法であると信じているのなら、
準シュダオンさんとともにウンコを投げつけるべきです。
桐山ゲイカが、嘘つき、詐欺師、ペテン師と事実を暴露されても、
気にもせずに、焚き火をしながら地球温暖化による地球壊滅に貢献し、
愛人のいるブッダ様の信者をしていられるのだから、あなたならできる。
桐山ゲイカの説く犠牲を伴う愛を実践するためにここに参加し、徳を積みなさい。
- 7 :深山:2010/04/06(火) 12:50:01
ID:X5odZPzw0
- >996 :準シュダオン:2010/04/06(火) 08:48:44 ID:agsP6ENM0
>自分に効果が無いから、効果があると言う他人はホラ吹きか妄想だ!
ついに準シュダオンさんも老人介護病棟に入れましたね。
では、介護を始めましょう。
上記のようなことは批判側は言ったことがないと、反論して、何年になるだろう。
アゴン宗の擁護をするのに個人の体験という、検証の難しい内容は、
アゴン宗の正しさを示す根拠にならないと言っているのです。
しかも、信者の体験談という程度ならよその教団にいくらでもあり、
アゴン宗の独自性の証明にはならない。
アゴン宗の信仰が正しいことを示すのに信者ごときの体験談などいらない。
なぜなら、桐山ゲイカの体験こそがアゴン宗の正当性を示すものだと
ご本人が述べているからです。
その事例が、桐山型の因縁の話の元となった、桐山さんの因縁切りの話です。
祖父が上意討ちした霊障武士が崇り、桐山さんの刑獄の因縁を作り、
桐山さんは何も悪くないのに服役させられたというものです。
だが、信州幕末には上意討ちなどなく、霊障武士の話そのものが嘘です。
しかも、桐山さんは因縁を完全解脱したと宣言した後で、
密教食事件で有罪になったのだから、刑獄の因縁は切れていなかった。
教祖自らがこのザマで何の効果もないのに、因縁が切れるなんて説くのは、
まさに、「ホラ吹きか妄想だ!」
- 8 :深山:2010/04/06(火) 12:54:53
ID:X5odZPzw0
- >997 :準シュダオン:2010/04/06(火) 09:09:51 ID:agsP6ENM0
>釈迦は、「欲求離欲悪」と、説いてるように、これは、
>「悪い欲を離れるという欲を持ちなさい」ということですね。
信者さんたちも、釈尊は悪い欲だけなくすように説いたのであって、
良い欲は否定しなかったという上記のゴマカシを桐山さんから
聞いて、本気で信じているではありませんか。
そこで信者さんたちにお聞きしたい。
良い欲、悪い欲とは具体的にどんな内容をさしているのですか。
桐山さんが名誉を買い集めることは良い欲で、大作さんが名誉を買い集めるのは悪い欲?
アゴン宗では護摩木が自分のお願い事を祈願するのは良いことだとされている。
なぜなら、それが悪い欲なら、仏様がかなえてくれないばかりか、
準シュダオンさんのケースのように、罰すらも与えるらしい。
それでは、どこに自分の判断があるのだ?
善悪の判断すらも仏様にお任せなのがアゴン宗です。
だから、信者さんたちが、準シュダオンさんと違い、正しくアゴン宗の教義を
理解しているのなら、次のように答えるはずです。
「本当の良い悪いは仏陀の智慧で判断する」
つまり、良い悪いも最終的には自分で判断できないと信者さんたちは信じている。
だから、何でも桐山ゲイカの仏陀の智慧に頼り、あるいは御祈願で
仏様の御意志をお伺いする。
善し悪しの判断すらも放棄してしまうのを依存症、もっとわかりやすくいうと
宗教奴隷というのです。
- 9 :深山:2010/04/06(火) 13:02:52
ID:X5odZPzw0
- >997 :準シュダオン:2010/04/06(火) 09:09:51 ID:agsP6ENM0
>釈迦は、「欲求離欲悪」と、説いてるように、これは、
>「悪い欲を離れるという欲を持ちなさい」ということですね。
桐山さんから、「本当の意味での善悪は仏陀の智慧がないと判断できない」などという
絵空事を教え込まされ、本気にしている。
だが、善悪などという高尚な話ではなく、実は、信者さんたちは運よくなりたい、
不幸になりたくないという欲望を煽られているにすぎない。
不幸を避け、好運を得るために仏様に選択してもらうという欲望です。
だから、桐山さんの仏陀の智慧とやらに依存する。
だが、それは仏教ではありません。
仏陀の智慧などという判断を仰がなければならないなら、
当時の在家信者はどうやって信仰したのですか。
遊行している釈尊とはめったに会えなかったのですよ。
釈尊は各人が善悪判断ができるように基準ちゃんと教えてくれた。
その判断の基準とは、次のようなものです。
「煩悩を増大するものが悪、煩悩を減らすものは善」
だから、悪をなさず、善をなし、心を清らかに保つのが仏教のすべてなのです。
こういう基準なら善悪くらい自分で判断できます。
そして、この基準を理解したら、護摩木祈願なんて言われなくても捨てる。
逆に、護摩木祈願だの、仏に祈るだのしている連中は
仏教の初歩であるこの基準すらも理解していないのです。
桐山さんと信者さんたちがそうです。
- 10 :深山:2010/04/06(火)
13:08:44 ID:X5odZPzw0
- >997 :準シュダオン:2010/04/06(火) 09:09:51 ID:agsP6ENM0
>音楽を楽しんでも、風景を楽しんでも、味覚を楽しんでも、かまわないの
>です、執着の欲を起こさない限りね。
たくみなゴマカシだが、まったくの間違いです。
正確には「執着の欲を起こさないために、これらを楽しんではならない」のです。
準シュダオンさんはそれを逆に言っている。
執着さえしなければ何をしてもいいかのような書き方です。
まったく逆で、執着を起こさないためにも、執着を起こすような要因を排除したのです。
だから、音楽、味覚など五感を楽しむようなことは「避けた」のです。
出家は歌舞音曲などは全面的に禁止です。
釈尊が亡くなる直前、アーナンダは女性とどう接すれば良いかと質問している。
信者さんたちは釈尊がなんて答えたと思いますか。
準シュダオンさんの答えが正しいなら、「女性に執着を起こさない限り、
欲望を感じてもかまわない」となる。
だが、釈尊の答えは、
「見るな、話しかける、つつしんでおれ」
です。
準シュダオンさんの答と全然違う。
釈尊の答を簡単に言うなら、執着どころか、女性との接触そのものを否定している。
執着を起こさなければなんでもいいなんて嘘で、
仏教では、執着を起こしそうな要因は全部徹底的に排除するのです。
- 11 :深山:2010/04/06(火)
13:11:14 ID:X5odZPzw0
- >997 :準シュダオン:2010/04/06(火) 09:09:51 ID:agsP6ENM0
>音楽を楽しんでも、風景を楽しんでも、味覚を楽しんでも、かまわないの
>です、執着の欲を起こさない限りね。
欲望や執着を持つかどうかではなく、そもそも欲望や執着を起こすような
対象をすべて積極的に避けたのです。
そんなことは当たり前です。
出家という言葉の意味は、在俗の欲望や執着となる全てを捨てることです。
それらに取り囲まれながらの信仰なら在家信仰です。
自分の欲望や執着の対象である妻子や財産、仕事など
ありとあらゆる物を捨て去り、それらに「近づかない」のが出家です。
そればかりか、釈尊は在家に対してもこれを実践するように説いている。
桐山さんも講義している出家経に出てきます。
五下分結を切るのに、欲貪、瞋恚を切る方法として梵行をあげている。
在家が阿那含になったという説明で
「・・もろもろの梵行を修行し・・・」(『仏陀の真実の教えを説く阿含経』157頁)
と述べているのが、それです。
信者さんたちは梵行とは教団に労力奉仕をして徳を積むことだと思っているし、
桐山さんもそのように説いているが、仏教の梵行にはそんな意味はありません。
- 12 :深山:2010/04/06(火)
13:13:44 ID:X5odZPzw0
- 梵行 ぼんぎょう[s:brahma-cary]
「<梵>(brahman)は節制・禁欲を意味し,<行>(cary)は振舞・行為をさす.
清らかな行い.すなわち出家者が戒律を守って禁欲の生活を送ること.
特にあらゆる性的な行為を慎むこと.」
(『岩波仏教辞典』)
これが仏教のいう梵行です。
信者さんたちは驚きませんか。
桐山さんのいう梵行とは死者成仏などの霊的浄化と、労力や金銭の奉仕による積徳行だという。
だが、上記の記述を見てもわかるように、そんな説明は一つもありません。
清浄とは、欲望、特に性欲を押さえることを指しているのです。
元々、バラモン教で使われていた言葉で、これを仏教でも取り入れた。
梵行が欲望を抑える修行だとみれば、五下分結もきれいに説明がつく。
欲望そのものである欲貪やそこから派生する瞋恚を捨てることが梵行なのだから、
これらの二つの煩悩を捨てれば阿那含になる。
霊的浄化も積徳行もまったく関係ありません。
仏教の正しい梵行による欲望の制御なのに、出家を自称する桐山さんの
したことは何なのですか。
- 13 :準シュダオン:2010/04/06(火)
13:16:57 ID:agsP6ENM0
- うサギさんの質問になら、気が向いたら答えることもあろうが、
あの大量のウン○レスは、読むに値しないから、読んでないのよw。
競争を戦争とに勘違いしたようなレスを、相変わらずしています。
修行をやり過ぎた、という名無しさんが居たけど、どんな修行をしたのかな?
徳川家康だって、「人の一生は、・・・・及ばざるは過ぎたるに勝れり」と、
言ってますよ。何でもやり過ぎはいけないね。
修行読本1のP112〜113に、
「・・我執、我欲を捨てるのである。」と書いてますよ。
「命がけの修行が我利のためであると、我利我利亡者になってしまう」
とも書いてますね。
「そうなると、境界が上がるどころか、堕落する一方である。品性とみに
いやしくなり、キツネやタヌキの動物霊が憑依してしまう」とも書いてます。
怖いですねえw。
「それを救うのが、み捧げ、である。」だ、そうです。
やれやれ、そういうことだったんですね、で、名無しさんの修行のやり過ぎ、
とは、「み捧げ」行のやり過ぎ、ということなんでしょうかね?
この場合の、我欲を捨てよ、という教えは、持つべきではない我利我利の
我欲のことでしょうね。持つべき健全な欲は、当然持ってて良いね。
- 14 :深山:2010/04/06(火)
13:20:33 ID:X5odZPzw0
- >997 :準シュダオン:2010/04/06(火) 09:09:51 ID:agsP6ENM0
>音楽を楽しんでも、風景を楽しんでも、味覚を楽しんでも、かまわないの
>です、執着の欲を起こさない限りね。
愛人のいる仏陀???
梵行とは、在家に許される伴侶との性的な関係すらも慎むことです。
こうやって欲貪をなくすから阿那含になる。
だから、性欲すらも慎まない者は阿那含ですらない。
ましてや愛人のいる阿羅漢などいるはずがない。
出家なら女性に近づくことすらも避けるのです。
比丘は欲望や執着を起こすものはすべて極力避けるのです。
だが、桐山さんは内弟子と称して、色気満点の女性とわざわざつきあいを持ち、
18年にわたり、お手当を出し、ホテルオークラで新婚気分を楽しんだ。
そして、邪魔になったから、W田さんに始末させた。
準シュダオンさんは、執着しなければ欲望はかまわないなどと
きれい事を並べている。
これが成り立つかどうか、信者さんたちは桐山さんの現実を見てください。
現実には桐山さんは性欲という欲望のままに愛人を囲い、
「千景がいないとさびしい」と執着し、しかも邪魔になると、
自分の手を汚さないように、W田さんに捨てさせた。
桐山さんのこの有様は欲望と執着そのまんまです。
- 15 :深山:2010/04/06(火)
13:23:34 ID:X5odZPzw0
- >997 :準シュダオン:2010/04/06(火) 09:09:51 ID:agsP6ENM0
>音楽を楽しんでも、風景を楽しんでも、味覚を楽しんでも、かまわないの
>です、執着の欲を起こさない限りね。
準シュダオンさんが、執着がない欲望はかまわないなどというのは、
なんのことはない、自分の欲望の言い訳に使っているのです。
自分の欲望は仏教では認められた範囲だと言い訳に使っている。
つまり、仏教の説明ではなく、彼の下劣な欲望を仏教を使って自己弁護しているだけです。
これは桐山さんも同じです。
己の薄汚い欲望を仏教を使って壮大な言い訳をしているだけです。
何を信じようが信者さんたちの自由です。
だが、自分の薄汚い欲望を是認するために、仏教を歪めるのはやめたほうがいい。
そんなのは桐山さんと準シュダオンさんだけで十分です。
それは釈尊への侮辱です。
自分の欲望を是認するために、欲望を捨てた釈尊たちを道具に使うことに
もっと信者さんたちは恥を持つべきです。
- 16 :うサギ:2010/04/06(火)
13:53:37 ID:UtKVqJLA0
- >>13
うサギさんの質問になら、気が向いたら答えることもあろうが、
はあ? ただの負け犬のくせに何カッコつけてんの?
本当は、返答できずに困っているので
わざとスルーしていると正直に書いたらどうですか?
本当のことをそのまま書いたほうが楽だと思いませんか?
- 17 :名無しさん:2010/04/06(火)
14:55:32 ID:vlOmT4TQ0
- >>13
>行をやり過ぎた、という名無しさんが居たけど、どんな修行をしたのかな?
準さん、そんなことすら理解できないのですかねえ。
桐山カンチョーが示した課行の全てを言うのですよ。全て。
和讃にもあったでしょ。「至心に礼拝供養」と。
アゴンでは、一生懸命やってこそナンボなの。
護摩木2000本の勧進は当たり前。
毎月の例祭修行も当たり前。
お導き修行も当たり前。
桐山カンチョーの指示通りにやることが、アゴンシューにとって、
一番大事なことなんだな。
分かる?
アゴンには、あんたのような「ほどほど」なんてゆー考え方は本来ありません。
「ほどほど」なんていうのは、準さんの勝手な解釈であり、
アゴン的には誤った指針になるの。
分かる?
まあね、準さんの脳では理解できないと思うから、
私も本当は準さんを真面目に相手してない。
言っちゃ悪いが、あなたのようなボンクラ信者は、
桐山カンチョーの指示すら理解していない。
なんでね、準さんをいじって、桐山氏の欺瞞を明らかにし、
今いる信者に気付いてもらえれば本望だと思っている。
今後もよろしくね、サンドバッグ準さん(はぁと)。
- 18 :うサギ:2010/04/06(火)
15:01:43 ID:UtKVqJLA0
- >>3準々シュダオンへ。>>989にご返答ください。よろしくお願いします。
念を押しておきますが、>>978 >>983へのご返答もお忘れなく。
もしかしたら、質問自体をお忘れかもしれませんね。
それで返答しようにもできないのかもしれません。
よって、質問自体を再掲いたしますので、ご返答よろしくお願いします。
>>978【「辞典に
あろうがなかろうが」「実体験として」
「うざい」というような語を「使ったからと言って、
坊や、というわけにはいかない」と思いますか?
と聞かれたら「はい」と応えますか?】
>>983 >>958子供は、蠅の子がウジ虫だと思っ
ているらしいw。
上記部分の意味がわかりませんので具体的に解説をお願いします。
>>989
>>985うサギさん、理屈っぽい、
逃げますか? >>978 >>983に応えられないんですね?
応えられない自分を「準々シュダオン」ではなく、
ただの負け犬だと思いませんか?
>>985その姿勢では、現世での阿含宗の修行は無理だね。
「現世での阿含宗の
修行」を私が望んでいると
私が書いているレスがあれば示してもらえませんか?
>>985来世でのチャンスを待ちたまえw。
私が「来世でのチャンス」を待ち望
んでいると
書いているレスがあれば示してもらえませんか?
- 19 :準シュダオン:2010/04/06(火)
20:34:08 ID:agsP6ENM0
- 名無しさんの修行、よくわかりましたよw。
だが、管長の言うこと、誤解もしてるよ。
導き行してれば良いわけでもない、護摩木勧進本数、多ければ良いわけでも
ないね。まず、我利の行を無くすことだ、そのためには、み捧げ、供養の
行に徹するべきだね、それは管長が説いていることだ。
あんたの修行には我利が働いている。それで良いのだが、自利否定の利他は
ない。利他行というのも、実は自利とおなじことだ。修行が進めば、その
道理がわかる。あんたには辛抱が足りなかっただけだ。不運だね。
私のような助言者がいたら、あんたの運命も、もう少しマシだったろうに。
結論的には、批判派は、管長の教えを部分的に捉えて、誤解していると、
いうことだね。言い方を変えれば、理解できる能力がない、ともいえる。
私のレスに、共感してる現役信徒が居ることを知って、私は感動したね。
私のレスの、支持者がどの程度居るかは、関心外であったが、讃同者が
いるのは嬉しい。
去る者は追わず、とはいえど、批判派のでたらめな言説によって、現役信者
が退会するとしたら、不幸なことであるね。だから、批判派のでたらめな理屈
に、少しはレスして、過ちは正していきたいと思う。
- 20 :準シュダオン:2010/04/06(火)
20:45:02 ID:agsP6ENM0
- 修行やり過ぎの名無しさんには、悪いが、私のようなボンクラ信者が、
管長にとって、予想外の出来た弟子なのだよ。
その証拠が、王者の相承がきた、ということなのだ。
あんたのような嘘つきには、わたしの真実の話も信じられまい、可哀そうに。
だが、今や、私のレスの対象は、現役信者みなさんになっています。
私は、嘘のレスだけはしていない。
思念の相承は、実在です。それは、管長の妄想ではない。
それを受けると、大量の批判派のレスも、ウン〇レスだと見破れますねんw。
- 21 :うサギ:2010/04/06(火)
20:49:25 ID:UtKVqJLA0
- >>19だから、批判派のでたらめな理屈
に、少しはレスして、過ちは正していきたいと思う。
あなたは、自分のレスには論理的整合性はないと自認している人が
他人のレスを「でたらめ」と評し「過ちを正」すことは可能だと思いますか?
- 22 :うサギ:2010/04/06(火)
20:54:40 ID:UtKVqJLA0
- >>20その証拠が、王者の相承がきた、ということなのだ。
それが生理現象である可能性がゼロではないことを
あなたは否定しませんでしたよね?
否定するチャンスがあったのに「いいえ」と返答しませんでしたね?
- 23 :名無しさん:2010/04/06(火)
20:58:25 ID:fERr2M0A0
- >>19
ロクな梵行も修行もしていないで、よくもまあ、そんな偉そうなことが
言えますねー。
まあ、実際に準さんとやり合うと、あんたの人間性がよく分かる。
深山氏の指摘は正しいね。
ここで書いていることを、あんたは地区で堂々と言えますか?
言えないでしょう。
いやね、あんたのような修行者は、リアルでは誰も相手にしません。
アゴンでは実績があってこそ、初めて発言権も出てくるのです。
アゴンでは全て実績が物をいう。
それと準さん、あんたは死にものぐるいで行をやったことが無いね。
アゴンでは死にものぐるいに行をやった者が評価される。
供養、導き、心解脱行、全てにおいてです。
準さんとの感触で伝わってくるのは、何もやっていない人特有のズルさ。
悔しかったら、あんたも人の何倍も修行してごらん。
必死になってアゴンに捧げてごらん。
必死になってこれっぽちもやらないくせに、
偉そうなことを言っても、サッパリ響かない。
説得力を持たせたいなら、あんたが死にものぐるいの行をやること。
しかし一生懸命になれば、皮肉なことにアゴンのアラが見えてくる。
それと、
>批判派のでたらめな言説によって、現役信者
>が退会するとしたら、不幸なことであるね。だから、批判派のでたらめな理屈
>に、少しはレスして、過ちは正していきたいと思う。
「現役新者のため」というのは嘘だね。
あんたは現役信者のことなど、これっぽちも考えていない。
自己満足のために、ここで妄想を垂れ流しているだけ。
- 24 :無関係な人間です:2010/04/06(火)
22:02:11 ID:Ur7QRUBY0
- すみません、2chに書き込みをしようとしてら、書き込み規制にひっかかりました。
申し訳ありませんが、こちらに書かせて下さい。ご迷惑をおかけします。
ミケ様、御文章を拝読し、深い感銘を受けました。
カルトに騙された、という話題があると、本人に問題があるという発言がされる事が
多いです。しかし、私の勝手な観点ですが、自分も含めてカルトの被害者にはなり得たという
考えを持っています。
およそ生きていて、他人に騙されなかったという人間がいるでしょうか。
騙された事がない、と言い切る人は、無茶苦茶頭がいい人か、よほどの利己主義者で
しょう。
大昔から阿含宗はインチキだと言い切る自分ですが、ほぼ同じ時期に女に騙されて3万円も
損をした経験があります。社会人になってすぐの話ですが、おめでたい事に、
1週間ほど気がつかなかったのです。まあ、さすがに騙されたと気がついた
時は激怒して、その女をボコボコにする衝動にかられた事を記憶しております。
要は、桐山氏には騙されなかったが、その辺のおねえさんにはまんまと騙された
間抜けなのです。カルトに騙されなかった人間でも、その辺の美男次女にはまんまと
騙されたという人間はたくさん知っています。
私だって、勧誘に来たのが男性だったから「インチキ宗教」だと言い切れましたが、
ミケ様のような、聡明で美しい女性だったら、その場で入信したかもしれません。
それに、信仰を持つ事は別に悪い事だと考えていません。
特定の信仰をもつことにより、その方の人生が豊かなものになるのなら、
何も悪い事はないと感じます。
ただ、信じたのがカルトであった事、それに10年とか30年とかの時間を浪費し
た事は、当人にとって、深い心のキズになります。1週間とか三万円とかいう程度では
ないのがつらいです。
思うに、私が勧誘された20数年前は、阿含宗は莫大なお金を投じて宣伝を繰り広げ
ていたのに対して、批判意見は目立ちませんでした。そのため、私は時間と手間を
かけて、仏教や宗教書を調べて、阿含宗の主張を検証する必要がありました。当時でも
既に、被害者の方々が桐山氏を批判する発言を開始していました。しかし、声が小さか
ったと言わざるを得ません。
幸い、今日では、インターネットというものがあります。
やはり、カルトの経験をされた方々が、ご自分の経験を公開することが、カルトの被害を
最低限にするために必要な事だと感じます。「嫌な事があった場合」には、それを
乗り越える事は大切ですが、忘れる事は、逃避する事だと思います。酷な言い方ですが、
被害に会われた方々には、それを公開する責務があると信じます。
その意味でも、皆様のご活躍をお祈りする次第です。
- 25 :無関係な人間です:2010/04/06(火)
22:22:09 ID:Ur7QRUBY0
- 関西地方では有名ですが、お笑いで有名な吉本がやっている、吉本新喜劇というものがあります。
この吉本新喜劇はいわゆるドタバタ喜劇ですが、定番のギャグがあります。
ひ弱な登場人物が、屈強な男性達に囲まれて、袋だたきにされるのですが、ボコボコにされた後に、
彼は這々の体で逃げ出して、離れたところから彼らに向かって一言叫びます。
「今日は、これぐらいで勘弁してやるわ!」
で、会場が爆笑に包まれ、舞台の人間は全員、ずっこける、袋だたきにした男性達は
「お前がいうな!」叫ぶ、というシーンです。なにか、やりとりを拝見し、その光景を思い出しました。
>986
:阿含宗信徒一同:2010/04/05(月) 21:02:35
ID:kHWurtHEO
>準シュダオン様、いつも孤軍奮闘、お疲れさまです。掲示版の件は先日みんなで、話題になりましたよ。貴殿の意見、いつも共感してますよ。
でも、准シュダオン様が孤軍奮闘されているのですから、ほんとうに加勢されるべきだと思いますね。
私が言う事ではないでしょうが。
- 26 :うサギ:2010/04/07(水)
01:40:31 ID:UtKVqJLA0
- >>25
たしかに、孤軍奮闘ぶりを、吉本新喜劇を見るがごとく
おもしろおかしく見物しながら、生暖かく応援しているような感じですねw
つまり、応援はしても、加勢はしませんよってことかいなw
- 27 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/07(水) 08:13:51 ID:SmEF4Oe2O
- >>977:準シュダオン10/04/05(月) 20:04:50
ID:agsP6ENM0
>1、三福道という経典を創作し、云々は、改訂と捉えるべし。
改訂?誰が改訂したと言うのか?桐山さんが改訂したのか?
そんな自分勝手な経典の改訂など許されません。
昔、著名な考古学者が考古遺跡そのものまで捏造を加えて自説を説いていたのが
ばれて、その後姿を現さなくなりましたね。解釈は自由ですが原典や原文をいじる
ことなど許されないのです。
また桐山さんも自分が改訂したなんて言っていない。
一書には三善根とあり、また一書には三福業とあり、アゴン宗では三福道を採用
するというわけのわからないものです。
つまり三福道なんてない。その三福業の方だって、あなたもご存知の通り平等福業だの
思惟福業だのであり、如来の所だの正法だの聖衆だの桐山三分類とは異なる。
- 28 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/07(水) 08:27:47 ID:SmEF4Oe2O
- >>977:準シュダオン10/04/05(月) 20:04:50
ID:agsP6ENM0
>2、真正仏舎利か否かは、誰にもわからない。
> なんで、名無しさんに、偽物だとわかるのかね?
桐山さんが示した数々の嘘がこれを証明しています。
カニンガムは仏舎利など発見していないのにカニンガムの発見だとする。
大菩提寺に祀られていたものをセイロン出身の管長が帰国の際に譲り受けた
というのも嘘。
ブッダガヤにて目に見えない存在から手にしたというのが由来なんだから
こんなどこの馬の骨ともわからぬものが真正仏舎利のはずがない。
桐山さんは考古学の根拠で真正仏舎利と示したのであるが、その根拠が嘘なのです。
> スリランカ大統領が、真正仏舎利というのだから、それでいいじゃんか。
だからジャヤワルデネ大統領は真正仏舎利だなんて一言も述べてないってw
- 29 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/07(水) 08:38:12 ID:SmEF4Oe2O
- >>977:準シュダオン10/04/05(月) 20:04:50
ID:agsP6ENM0
>3、アジャリは、資格の問題ではない。資格があっても力のない者もいる。
> 資格がなくても、その力がある者も居る。要は、自称でいいのだ。
いいえ、資格の問題を語っているのです。
力うんぬんの問題ではない。
阿闍梨というのは真言密教において、きちんと伝法が済まされたしかにそれを
確認したぞという証明資格のことです。
だから桐山さんが伝法も灌頂も受けずに、しかし力だけはなぜかあるのだと
示したいならば、真言宗伝統の阿闍梨という呼称を無断で使うのは遠慮すべき
というよりも使ってはならない。認められない。単にアゴン密法導師でよいではないか?
>だから、批判者の膨大なレスを見ても、私の確信は、微動だにしないねw。
あなたが微動だにしなかったからと言って、それがなんなんですか?
あなたが誰様だと言うのですか?
笑ってあげるからそのまま微動だにせず凝り固まっていてくださいw
- 30 :準シュダオン:2010/04/07(水)
09:25:08 ID:agsP6ENM0
- ユビさんも進歩がないね。真言密教はインドに起こったんだよ。
そんなに資格にこだわるなら、管長は、チベット仏教のチョゲ・ティチン師
から金胎両部の伝法を受けてますよ。立派なアジャリだろうが。批判派は、
あまりに無知であきれたわいw。
ちなみに、わたしも、チョゲ・ティチン師から三昧耶戒など伝授されてるから
正式なチベット仏教修行者の資格を持ってるのだわい。
だから、わたしにも、王者の相承、が起こったのであろうね。
- 31 :準シュダオン:2010/04/07(水)
09:34:42 ID:agsP6ENM0
- ユビさんは私のレスをまともに読んでいないか、理解不足だよ。
最澄が、朝廷に願い出た、入唐の理由は、
「日本の仏教経典は、誤字やら脱字やらが多くて、真意がつかみにくいのが
多い。だから、唐で経の原本を見たい。」
と、言う理由なんですよ。
これから推測出来るのは、これまでも、高僧などによって、経の誤字は訂正され、
脱字は挿入され、そのように手を加えられて、今の経典はあるのです。
だから、一宗を立てたような高僧である管長には、当然、経を改定する資格も
あるのです。
- 32 :準シュダオン:2010/04/07(水)
09:43:10 ID:agsP6ENM0
- 孤軍奮闘なんて、そんな、大げさなものでないよ。
仕事の合間に、テレビ見ながら、暇つぶしに、レスしてんだからさ。
こんな批判派の相手なんぞ、そういう片手間でも十分すぎますね。
しかし、応援のレスは有難かったですね。
あの応援レス一本で、あと十年はレスする元気がでたね。
- 33 :孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE:2010/04/07(水) 10:11:43 ID:XUfb/HH.0
- >>31
本当かと思い検索したら天台の論書に誤字脱字が多い、ということでした。経典じゃなく論書です。
準シュダオンさん捏造しちゃいましたね!
- 34 :準シュダオン:2010/04/07(水)
10:16:01 ID:agsP6ENM0
- 無関係な人の吉本新喜劇の話ですが、
そういう喜劇なら、馬鹿でも可笑しさが理解できようね。
だが、私と批判派のレスを見て、どちらが優勢なのかを判断するには少し智慧
が必要だね。もしも、批判派が優勢に見えていたら、その人には智慧がない、
という証拠です。
智慧ある人が見たら、私のレスは鉄であり、批判派のレスは豆腐であることが
わかるだろう。豆腐では、いくら大量にぶつけたって、鉄には勝てぬ。
砕けて粉々さw。この状態を見抜けてる人には、智慧があるね。
その点、うさぎさん、無関係さん、は惜しかったねw。
- 35 :うサギ:2010/04/07(水)
10:18:46 ID:UtKVqJLA0
- >>32こんな批判派の相手なんぞ、そういう片手間でも十分すぎますね。
あれ? もしかして、池野めだか路線狙ってますか?
吉本新喜劇を地でいってますね。なかなかの芸達者ですね。
しかし本当は、腹が立っていても反論はできくなくて
逃げているのではないですか?
そういう負け犬根性が身についていませんか?
>>32しかし、応援のレスは有難かったですね。
あの応援レス一本で、あと十年はレスする元気がでたね。
よかったですね。では、あと十年は元気にがんばりましょう!!
ここでは準々シュダオンさんしか擁護派の生き残りはいませんから
その意気でどんな批判派のレスでも反論してくださいね。
もちろん私のレスにも、逃げないでレスしてくださいねw
でも、おかしいなあ。「片手間」と書いているわりには
たった1本のレスでそんなに喜ぶんですね。
よっぽどうれしかったんですね。もしかして涙流しました?
- 36 :うサギ:2010/04/07(水)
10:24:57 ID:UtKVqJLA0
- >>34その点、うさぎさん、無関係さん、は惜しかったねw。
あれ? 何が惜しかったんでしょうね?
あなたは私の質問に返答できない。反論もできない。
手も足も出ない。それが事実です。そうでしょ?
あなたは負け犬ですよ?
あなたは、吉本新喜劇の池野めだかさん本人ですか?
んなわけないかw
- 37 :準シュダオン:2010/04/07(水)
10:27:06 ID:agsP6ENM0
- 天台の論書に誤字脱字とね?
本当かい?
わたしゃ、真相は知らない。
本から得た知識ですからね。それによれば、
「天台の経典、いずれにも誤字脱字が多く」というようになっていましたね。
- 38 :準シュダオン:2010/04/07(水)
10:35:42 ID:agsP6ENM0
- うサギさん、智慧ある擁護派は、私一人でも、十分以上だと、見抜いてるから
出てこないのでしょうよ。
あなたは、例えば、深さんみたいな、大量のレスを優勢だと思ってんの?
だとすれば、それが智慧がない証拠だというのです、だから惜しかったのよ。
例えば、深さんのレスには、明らかに、推測と思いこみによるものがある。
推測の上に構築した議論など、読むに値しないだろうよ。
- 39 :うサギ:2010/04/07(水)
11:09:17 ID:UtKVqJLA0
- >>38
ゴミレスはいいから、質問に応えていただけませんかね?
あなたは、何回同じことを書けば文意を理解されるのでしょうか?
>>38うサギさん、智慧ある擁護派は、私一人でも、十分以上だと、見抜いてるから
出てこないのでしょうよ。
これは、あなたの推測ですね。根拠を示してください。
そうでなければゴミレスです。
>>38あなたは、例えば、深さんみたいな、大量のレスを優勢だと思ってんの?
だとすれば、それが智慧がない証拠だというのです、だから惜しかったのよ。
いいえ。思っていません。
これもあなたの推測です。よって、ゴミレスです。
>>38推測の上に構築した議論など、読むに値しないだろうよ。
そのとおりです。まさにあなたの>>38のレスそのものです。
よって、あなたの>>38はゴミレスです。
あなたのレスは笑えますね。今回は三段オチですか?
漫才風にツッコミ入れましょうか?
「それは、おまえやないかい!」
- 40 :準シュダオン:2010/04/07(水)
11:23:10 ID:agsP6ENM0
- たまには私だって推測のレスをするさ。
うサギさんも推測が得意だね。
あなたの質問に答えないのは、何時までも幼稚園の質問に、付き合って
いられない、からですよ。
それを負け犬と思うのは、あなたも深さんに劣らず、思いこみが激しいね。
- 41 :準シュダオン:2010/04/07(水)
11:48:00 ID:agsP6ENM0
- 修行やり過ぎの名無しさんが言うように、私は地区ではこんなに話せないよ。
しかし、相手にされないわけではない。話し相手はいるよ。
けど、思念の相承の話も、していない。
また、名無しさんがいうように、実績と発言権などは関係ないよ。
だいたい、誰が護摩木勧進何本で、導き人数が何人で、なんて、職員以外
は知らないよ。
だから、我が地区は、実績と発言権は関係ないよ。
教学や修行に関する発言は自由ですよ。
実績なければ発言権がない、なんて、名無しさん自体がそういう価値観なの
でしょう?
そういう価値観じゃあ、修行は進まないね。
実績なんて、凡夫に比較できるものじゃないでしょ?
凡夫の価値観で、この人の方が実績高いなんて判断しても、それは我見ですよ。
また、実績が比較できないように、人の悩み苦しみも比較はできないね。
たとえば、ペットに死なれて鬱病になるほど悲しむ人もいれば、飽きてペット
を捨てる人も居る。このように、同じことでも感じ方が違うからね。
- 42 :うサギ:2010/04/07(水)
11:55:19 ID:UtKVqJLA0
- >>40たまには私だって推測のレスをするさ。
でもそれは「読むに値しない」と自分で>>38に書いてますよね?
>>40うサギさんも推測が得意だね。
あれ? 何を根拠にそう書いたのですか?
具体的な私のレスを示してもらえませんか?
>>40あなたの質問に答えないのは、何時までも幼稚園の質問に、付き合って
いられない、からですよ。
「幼稚園の質問」ならばなおさら即答してもらえませんか?
それともあなたが幼稚園児以下なので応えられないのですか?
なぜ、そんな言い訳までして逃げ回るのですか?
それでは「負け犬」根性丸出しではないですか?
- 43 :名無しさん:2010/04/07(水)
12:11:49 ID:79Fmhu0I0
- >>41
「修行やりすぎ」というのは、準さんの言葉を借りた表現なんだね。
分かる?
前に示した護摩木の勧進などは、アゴンで普通に熱心な人なら平均的なレベル。
当たり前としてやっているものばかり。
でも、準さんの頭の中では、「やりすぎ」となっているわけでしょ?
なんでね、準さんの言葉を借りて表現しただけ。
本気でやりすぎているわけではないの。
当たり前のレベルの話しなの。
でね、
>思念の相承の話も、していない。
していないじゃなく、できないのでしょ。
怖いからできない。それがあんたの本心。
あんたも分かっているのさ。本当は。
アゴンは実績が無ければ、あんたのような
「思念の相承を受けた」という話しは、
頭のおかしい荒唐無稽な話しとして退けられる。
これを否定できるなら、じゃあ、宗務局に申告したらろうかね?
できないでしょう。
それとね、
>だから、我が地区は、実績と発言権は関係ないよ。
>教学や修行に関する発言は自由ですよ。
発言というのは、地区の運営や推進に関わること。
準さんには、現場の感覚がゼロ。
だから、いちいち、説明しないと現場のことが理解できない。
いやね、説明しても実際にやっていない人には説明しても理解できないでしょう。
ネットでご託を述べる暇があるなら、準さんの地区を活性化させるために
命をかけて身捧げしたらどうかね。
この実践行こそ、桐山カンチョーがもっとも喜ぶ行だからね。
準シュダオンさんは、言葉が空虚過ぎる。
こうやって絡むと、準さんの人となりがよく伝わってきます。
想像していたよりも、実践が無いね。
今まで何やってたの?
ゲイカ本読んで、空想の世界に浸って喜び、行自体は適当にやっていただけででしょう。
因縁解脱行を一生懸命にやった手応えが全然感じられない。
- 44 :名無しさん:2010/04/07(水)
12:24:32 ID:79Fmhu0I0
- ああ、ただね、準シュダオンさんも一つだけ一生懸命に
やってるのがあるね。
それは、ネットでの自称アゴン擁護活動。
この前出てきた「阿含宗信徒一同」さんなんかは、
ヤジ飛ばしただけで、本人はサッパリ擁護すらしない。
それに比べれば、準さんは大したものだ。
しかしねえ、アゴンを擁護すればするほど、嘘を重ね、
嘘の上にさらに嘘を重ねることになるね。
悪業を積んでいることに気付いていますか〜?
これね、かなりオソロシイことなんですよ、本当は。
阿含経読むと、とてもではないけれども、釈尊の仏教を
卑しめることはできなくなります。
だからね、少々頭の働く人は、本能的に感じてかアゴンの
擁護などしない。もっとも擁護のしようがないんだけどね。
準さんの書き込みを見ていると、アゴンをよく知らなくても、
準さんが嘘つきなことは分かるでしょう。
因縁解脱、悪因縁を潰して運命を変えるなど、邪見なんですよ。本当は。
準さんもはやく気付いた方が、本当は身のためなんだけどね。
- 45 :深山:2010/04/07(水)
12:37:24 ID:RRxusD.60
- >>19 :準シュダオン:2010/04/06(火) 20:34:08
ID:agsP6ENM0
>導き行してれば良いわけでもない、護摩木勧進本数、多ければ良いわけでも
>ないね。まず、我利の行を無くすことだ、そのためには、み捧げ、供養の
>行に徹するべきだね、それは管長が説いていることだ。
また、桐山ゲイカの商売の邪魔が始まった。
準シュダオンさんは自分が護摩木を買わない言い訳として、
まるで桐山さんが少なくても良いと言っているかのような嘘を書き並べている。
多ければ良いと桐山さんは言っています。
み捧げ供養とは、一本でも多い護摩木を仏様に供養することです。
だから、多ければ良いのです。
E川事件で護摩木を減らしたとき、信者をしかりつけた。
護摩木が足りないと言っているのです。
上記は準シュダオンさん自身が護摩木もろくに書かないことの言い訳です。
それは一本でも多くの護摩木を欲しがっている桐山ゲイカの
商売の邪魔をしているのと同じです。
信者さんたちはこんな嘘は信じてはいけませんよ。
護摩木が我利からでたものでもいっこうにかまわない。
なぜなら、その我利を応供のシッポ如来様は焚き火で浄化してくれるからです。
そればかりか、桐山ゲイカは法施などでもっと我欲を煽っている。
つまり我欲などいくら出してもかまわないから、
とにかく護摩木の本数を出すのがアゴン宗の修行です。
準シュダオンさんは桐山ゲイカの商売の邪魔をするのはやめなさい。
- 46 :深山:2010/04/07(水)
12:40:45 ID:RRxusD.60
- >>19 :準シュダオン:2010/04/06(火) 20:34:08
ID:agsP6ENM0
>去る者は追わず、とはいえど、批判派のでたらめな言説によって、現役信者
>が退会するとしたら、不幸なことであるね。だから、批判派のでたらめな理屈
>に、少しはレスして、過ちは正していきたいと思う。
アゴン宗の教義についてデタラメを書いているのは、護摩木の件がそうであるように、
準シュダオンさんのほうです。
批判側はアゴン宗の教義について間違ったことは言っていない。
桐山さんが示した教義をそのまま文章や法話から引用して、
それを確認した上で批判しているのです。
だが、準シュダオンさんはそうではない。
自分がろくに修行もしていない言い訳に適当に教義を歪め、
桐山さんが言ってもいないことを勝手に作り出している。
>>27-29でユビキタスさんが指摘した内容がそのままです。
あなたは三福道を桐山さんが訳したかのような主張をいつもする。
だが、桐山さんは三供養品の中に三善根と三福道の二つの経典があると
主張しているのであって、三福道を自分が訳したなんて主張していない。
アジャリの件(>>29)もあなたの主張は桐山さんの主張とは違う。
つまり、あなたの主張こそが、でたらめな言説です。
こんなデタラメを並べても信者さんたちが信じてくれると思っているなんて、
あなたは信者さんたちを小馬鹿にしているのですね。
- 47 :ラシン:2010/04/07(水)
12:42:34 ID:q4iXIS7Y0
- >30 :準シュダオン:2010/04/07(水) 09:25:08
ID:agsP6ENM0
ユビさんも進歩がないね。真言密教はインドに起こったんだよ。
密教は、仏教というよりもインド土着信仰に近いという解釈が、
現在において一般的ですが、あい変らず無知だね。
>そんなに資格にこだわるなら、管長は、チベット仏教のチョゲ・ティチン師
から金胎両部の伝法を受けてますよ。立派なアジャリだろうが。批判派は、
あまりに無知であきれたわいw。
あのね〜、チベット仏教の法冠や法衣の伝授は僧侶であることが
前提なのだ。
またはチベットで修行僧として行歴を積むかですが、
桐山ニセアジャリ様は、そのどちらの資格も得ていない。
ニセ医者が偽って○○病院の総院長を名乗るような愚行で、
あなたがあまりにも社会常識において無知なのだ。
>ちなみに、わたしも、チョゲ・ティチン師から三昧耶戒など伝授されてるから
正式なチベット仏教修行者の資格を持ってるのだわい。
だから、わたしにも、王者の相承、が起こったのであろうね。
ではそのマントラを掲示したらどうです?
リンポーチェ師から灌頂サービス儀式のことなら、
批判側は体験していますよ。
あなたはその三昧耶戒を信仰にどう生かせたのです?
>31:これから推測出来るのは、これまでも、高僧などによって、経の誤字は訂正され、
脱字は挿入され、そのように手を加えられて、今の経典はあるのです。
だから、一宗を立てたような高僧である管長には、当然、経を改定する資格も
あるのです。
小学生の理屈にも後れを取る理由に、あなたはすでに慢性化している?
あなたのそのマニアックな屁理屈は誰も見習えません。
では聞くが、桐山さんがキチンと原典と見比べて検証したのか?
違いますよね、単に桐山さんの商売上の都合で改ざんしたのだから、
あなたはその桐山商魂を褒め称えてめて、ふんぞり返ればよいだけだ。
あなたにこそ、その資格があるからどうぞ。
- 48 :深山:2010/04/07(水)
12:46:12 ID:RRxusD.60
- >>20 :準シュダオン:2010/04/06(火) 20:45:02
ID:agsP6ENM0
>その証拠が、王者の相承がきた、ということなのだ。
このとおり準シュダオンさんは「桐山ゲイカへの裏切り者」です。
信者さんたちに聞くが、伝法会でもないのに、王者の相承を受け取ったという
準シュダオンさんの主張を認めるのですか。
桐山さんは準シュダオンさんが王者の相承を受けたなどと認めたことがない。
信者さんたちは、こういうことを勝手に世間に対してほざく信者を
自分たちの代表や仲間だと認めるのか。
前スレの986の信者さんは共感していると書いているが、
準シュダオンさんが王者の相承を受けたということも共感しているのですか?
986さんはそこをちゃんと答えるべきです。
他の信者さんたちはどうなのだ?
あなた方はどちらを選ぶのだ?
桐山ゲイカの教えに従うのか、それとも準シュダオンさんの王者の相承に共感するのか。
986さんなど批判側への反発心から、悔し紛れに準シュダオンさんに
共感などと言い出したのだろうが、それをすると、「桐山ゲイカへの裏切り者」
に加担して、あなたもまた桐山ゲイカを裏切ることになりますよ。
- 49 :深山:2010/04/07(水)
12:49:56 ID:RRxusD.60
- >>41 :準シュダオン:2010/04/07(水) 11:48:00
ID:agsP6ENM0
>けど、思念の相承の話も、していない。
信者さんたちは見てください、この準シュダオンさんの二枚舌ぶり。
自分を特定されないここでは王者の相承を偉そうに宣伝するが、
道場に行くと、口を拭って、素知らぬ顔をしているというのです。
二枚舌というよりも、表と裏で顔を使い分けている。
実は驚いたのは、王者の相承を信者の前で話したら、ヤバイことを
準シュダオンさんがまだ自覚していた点です。
私はてっきり、そんな抑制すらも取れてしまって、天下晴れて
王者の相承を自慢しているのかと思っていた。
だが、道場でそんな話をしたら、批判されるのを知っているから、
そこではいっさい口に出さない。
百も承知でここで自慢話をしていたのだ。
まあ、なんとズルイ男。
なんとセコイ奴。
本当に自分が王者の相承を受けたという自信があるなら、
ここではなく、むしろ信者の前でこそ話すべきです。
だが、彼は実は内心そうは思っていない。
私からただの脳梗塞の症状だと指摘されて、思い当たるからです。
準シュダオンさんのこの使い分けぶりを聞けば、彼の目的がはっきりわかる。
自己顕示欲から来た自己主張です。
「ヲレ様はこんなにエライ」と威張ってみせるのが彼の目的です。
道場でこれを宣言したらもちろん排斥されるのを彼は知っているし、
誰も尊敬してくれないし、威張れないから、黙っている。
姿の見えないここで自分のエラサを自慢し、それを信者たちを助けるためだ
などときれい事を並べて、彼の薄汚い自己顕示欲を隠そうとしている。
ここでしか王者の相承を威張れない古狸です。
- 50 :深山:2010/04/07(水)
12:57:18 ID:RRxusD.60
- >>38 :準シュダオン:2010/04/07(水) 10:35:42
ID:agsP6ENM0
>例えば、深さんのレスには、明らかに、推測と思いこみによるものがある。
>推測の上に構築した議論など、読むに値しないだろうよ。
あら!私の文章は読まないと言っていたのに、読んでいるのですね。
書き込みが多いというが、このスレになってから、昨日は私は11個書き、
その後、あなたも11個書いていますよ。
あなたも桐山さんと同じで、本当に自分の現実の姿の見えない人ですね。
「推測と思いこみ」を具体的に何が推測で、何が思いこみなのか
反論できないから、読むに値しないと言い訳をする。
キツネの酸っぱいブドウではなく、古狸の酸っぱいブドウらしい。
あなたの書いたことは思いこみ以外は、推測ですらなく、多くは国語力の不足と嘘です。
私の文章を読んでも反論できず、腹が立つばかりだから、
斜め読みして無視しているのでしょう?
それでいいですよ。
あなたは桐山さんと同じで他人と議論などできない。
桐山さんもあなたも、議論をしているのではなく、都合の悪い反論を無視して、
ただひたすら自分の主張をくり返しているだけです。
それでいて桐山さんは自分では理論家だと思いこんでいるからおかしい。
さすがは王者の相承を受信しだけてあって、こういう点は二人ともそっくりです。
- 51 :準シュダオン:2010/04/07(水)
12:59:00 ID:agsP6ENM0
- 修行やり過ぎ名無しさんのおかげで、私は自分の煩悩をはっきり、自覚でき
たね。昨日の、私の名無しさん宛のレスは、傲慢そのものだねW。
読み直したら、胸糞が悪くなった。わたしが管理人なら削除するよ。
あのレスには、?と慢の煩悩が満載ですね。
よって、私に必要なのは、慚・愧という戒行ですね。
自分の潜在意識の煩悩が、よく自覚できました。
私の昨日の夜のレスは、ウン○レスです。
耐用期間は、ゼロでした。
- 52 :深山:2010/04/07(水)
13:00:41 ID:RRxusD.60
- >>34 :準シュダオン:2010/04/07(水) 10:16:01 ID:agsP6ENM0
>だが、私と批判派のレスを見て、どちらが優勢なのかを判断するには少し智慧
>が必要だね。もしも、批判派が優勢に見えていたら、その人には智慧がない、
>という証拠です。
いえいえ、批判側が優勢だなんて誰も思っていません。
むしろ、準シュダオンさんのウンコによる猛攻撃に、たじたじです。
スレでのバトルで批判側はしばしば破れている。
その戦いとは栗花さん、ヂミズさん、ペテン大作さんに準シュダオンさんです。
彼らには勝てない。
なぜなら、まるっきり理屈が通用しない人たちだからです。
泣く子と地頭には勝てないという言葉通りで、理屈の通じない相手には勝てない。
あなた方はどんなに矛盾を指摘され、間違いを指摘されても、それを省みることも、
恥じることもない。
すでに議論の終わったこと、論破されたこと、間違いを指摘されたことを
何度も何度も、相手がうんざりして黙り込むまで書き続ける。
ペテン大作さんも2ちゃんねるで、過去に反論され、議論の終わった内容を
また蒸し返して、勝利宣言しながら書き込んでいる。
理屈で行うべき議論の場に、あなた方は理屈以外の恥知らずという道具を
持ち出しているから、理屈しか持たない批判側は勝てるはずがない。
その一つがあなたのウンコ攻撃です。
- 53 :深山:2010/04/07(水)
13:06:39 ID:RRxusD.60
- >>34 :準シュダオン:2010/04/07(水) 10:16:01 ID:agsP6ENM0
>だが、私と批判派のレスを見て、どちらが優勢なのかを判断するには少し智慧
>が必要だね。もしも、批判派が優勢に見えていたら、その人には智慧がない、
>という証拠です。
ウンコ攻撃とは、あなたがウンコの話を出したという下品さを指しているだけではなく、
過去の自分の主張のうち、都合の悪い部分をご破算にするなどという
議論の仕方はありえないからです。
それでいて、すでに反論された過去の主張をあなたはそのまま出してくる。
あなたは矛盾を指摘され反論できなくなると、それをウンコだと投げ捨て、
それでいて、あなたがウンコだと称した物をそのままここに何度も何度も出す。
>>27-29までユビキタスさんが反論しているが、もう何年もの間、
何度反論されても、同じ主張をあなたはくり返す。
真正仏舎利を大統領が保証しているという嘘を並べ、
三福道と桐山さんが訳したかのような嘘を並べ、桐山さんは真言宗の
アジャリだと主張しているのに、あなたはこれを自称でいいなどと言う。
せめて証拠を示されたら引っ込めるとか、アゴン宗の教義との違いを
指摘されたら、修正するなら議論も成り立つが、あなたは絶対にしない。
どんなに否定され、根拠を示されても、いっさい無視して、同じ主張をくり返す。
つまり、あなたは食べ物とウンコをぐちゃぐちゃに混ぜた状態で
批判側に投げつけているから、批判側は逃げ出すしかない。
なぜなら、批判側はあなたほどには恥知らずにはなれない。
だから、準シュダオンさんの大勝利です。
議論の基本である自分の発言に責任を持つということがないのだから、
あなたの場合、栗花さんなど他の擁護側と同様に、すでに議論ではなくなっているのです。
- 54 :深山:2010/04/07(水)
13:09:42 ID:RRxusD.60
- >>38 :準シュダオン:2010/04/07(水) 10:35:42 ID:agsP6ENM0
>うサギさん、智慧ある擁護派は、私一人でも、十分以上だと、見抜いてるから
>出てこないのでしょうよ。
これは大きな誤解です。
出てこないのは当然で、あなたほどには恥知らずではないからです。
あなたのたとえを使うなら、食べ物とウンコの区別をしているからです。
あなたは自分の間違いや嘘を指摘されても、何事もなかったかのように
無視して、977のような前に反論された内容を書き続ける。
その図々しく、厚かましい態度は、電車でわずかに空いた場所に
太ったオバサンが強引に座り込み、しかたないので座っていた人が
立ってしまったのに、オバサンは「どうしてこんなに混むんでしょう」と
他人事のように逆に文句を言っている光景に似ている。
準シュダオンさんに共感するという前スレの986さんに、
応援したらどうかと書いたが、そんなことはできないのです。
信者は、準シュダオンさんのウンコ攻撃に敗走する批判側を
ざまあみろと思っているだけで、準シュダオンさんやそのやり方に共感しているわけではない。
ちょうど、栗花さんに信者が共感するのと同じです。
自分の信仰を批判する敵の敵なら、それがゴキでもダニでも良い。
栗花さんや準シュダオンさんの人間性や主張には嫌悪を覚えても、
敵の敵なら、当て馬の代わりになるとばかりに共感するのです。
勝手な教学を並べ立て、王者の相承を自慢して、桐山ゲイカの顔に泥でなく、
ウンコを塗りたくっているあなたに共感できる信者は少数だと私は思いたい。
思いたい、とは、アゴン宗の信者の多くがあなたに共感するほど下劣なら、
元信者としての私の立場がないからです。
- 55 :深山:2010/04/07(水)
13:16:24 ID:RRxusD.60
- >>20 :準シュダオン:2010/04/06(火) 20:45:02
ID:agsP6ENM0
>私は、嘘のレスだけはしていない。
ついこの間、「王者の相承を受けたが、数年沈黙していた」と嘘を書いて、
私から暴露されたのを忘れましたか。
王者の相承を受けたなんて、桐山さんが認めていないのだから、これ自体が嘘です。
前スレの977など、大統領が真正仏舎利だと保証したなんて嘘です。
三福道やアジャリの件も、嘘でないという証明してみろといくら
言われてもあなたは無視して、しばらくするとまた同じ事を書く。
まあ、介護老人だから、あなたの記憶がデタラメなのはしかたない。
阿含経の引用も自分に都合の悪い文章を省略して出したことが何度もありましたね。
ああいうのを嘘というのです。
アゴン宗の教義すら、あなたの書いていることは嘘です。
ただし、その嘘をここに並べてもらうのは助かる。
信者さんたちに正しいアゴン宗の教義をしっかりと学んでもらい、
その上でそれがどうして間違いなのかを指摘することができる。
そういう意味ではあなたはいつも良いたたき台を提供してくれる。
何をどう言われようが出てくる恥知らずな準シュダオンさんでなければ、
このお役は務まりません。
今後も、アゴン宗信者として下品さと恥知らずと無知と思い込みと、
そして天井知らずの慢心を旗にして、批判ネタの提供をよろしくお願いします。
- 56 :準シュダオン:2010/04/07(水)
13:18:18 ID:agsP6ENM0
- 地区活動を活性化させるための修行、なんて考えたことも無かったね。
その点は、名無しさんの指摘のとおりだよ。
地区活動が停滞しようが、私には関係ない、私は自分の因縁が切れたら、
それでいいのだ。という姿勢でしたよ。
だから、梵行も個人的にね、無理はしないけど、確実に少しは身捧げも、
供養もしましたよ。無理をしないことを自覚してたので、
常に、「少しの身捧げ、供養でごめんなさい、仏さま」という姿勢で、
手を合わせていたのです。
て、いっても、管長のサインやら、いくつか頂いてるから、
結構、管長に褒められる梵行を、してたのかも知れないね。
- 57 :深山:2010/04/07(水)
13:19:20 ID:RRxusD.60
- >>20 :準シュダオン:2010/04/06(火) 20:45:02
ID:agsP6ENM0
>私は、嘘のレスだけはしていない。
「ウソの多いこの世の中に、せめて宗教家だけは、命をかけて真実を守り、
真実を世に弘めていこう」(阿含宗ホームページ、「阿含宗創建の意義」)
こうやって並べてみると、嘘つきに限って、嘘をつかないとか、
命をかけて真実を広めるなどと言い出すらしい。
桐山ゲイカの愛弟子の作った教団もオウム真理教などと、真理という言葉が入っている。
だが、彼の師匠と同じで、全部嘘デタラメ。
桐山さんと準シュダオンさんて本当にお似合いの教祖と信者です。
- 58 :うサギ:2010/04/07(水)
15:14:29 ID:UtKVqJLA0
- >>50あら!私の文章は読まないと言っていたのに、読んでいるのですね。
たしかにそうですね。深山さんの文章の評価までしているほど読んでいますね。
準々シュダオンは相変わらず首尾一貫していない。
嘘つきなのか、物忘れが恐ろしく激しいのか。
しょせん、「耐用期間は、ゼロ」の「ウン○レス」製造機なんですね。
これでは、「幼稚園の質問」に応えられないのもしかたないのかなあ。
- 59 :準シュダオン:2010/04/07(水)
15:36:17 ID:agsP6ENM0
- うサギさん、
私の、耐用期間ゼロの場合のレスは、潜在意識がでる状態で、レスしてるん
ですよ。だから、潜在意識の煩悩が出てて、自分の煩悩が自覚できるんですよ。
おわかりね?
- 60 :うサギ:2010/04/07(水)
15:48:12 ID:UtKVqJLA0
- >>59
おわかりね?
申し訳ありませんがわかりません。
もう少し長めになってもかまいませんので
わかりやすく書いていただくとありがたいですね。
でも、無理にはお願いしませんのでお構いなく。
- 61 :名無しさん:2010/04/07(水)
15:57:45 ID:79Fmhu0I0
- >>51
>よって、私に必要なのは、慚・愧という戒行ですね。
慚愧に気付きますたか?
オラ、ビックらこいただー。
準さんが恥じたべー。
んだあ、でもよ準さん、慚愧はもっと恥じ入るだ。
アゴンは偽三宝だ。
アゴンは偽三宝なんだべ。
>>56
>地区活動を活性化させるための修行、なんて考えたことも無かったね。
んだ、準さんは現場を知らないって言うだ。
でも準さんは理解が進んだね。
んで、アゴンは偽仏教というのも理解できるね。
- 62 :準シュダオン:2010/04/07(水)
16:05:54 ID:agsP6ENM0
- >しかしねえ、アゴンを擁護すればするほど、嘘を重ね、
>嘘の上にさらに嘘を重ねることになるね。
>悪業を積んでいることに気付いていますか〜?
>思念の相承の話も、していない。
>していないじゃなく、できないのでしょ。
>怖いからできない。それがあんたの本心。
>あんたも分かっているのさ。本当は。
>アゴンは実績が無ければ、あんたのような
>「思念の相承を受けた」という話しは、
>頭のおかしい荒唐無稽な話しとして退けられる。
>これを否定できるなら、じゃあ、宗務局に申告したらろうかね?
>できないでしょう。
文章の一部引用は誤解の基だから、私はしないのだけど、名無しさんだけは
例外とするね。
思念の相承を、頭がおかしいと、判定するのは、修行の脱落者だけだって、
ことを知りなさいな。地区の私の話相手は、私が話すことは、勿論すべて
本当だと聞きますよ。今までの過去の話から、信用があるからね。
相手の話を嘘だと思うのは、自分も嘘つきだからなのですよ。
名無しさんは、今まで、そのような人たちとしか縁が出来なかったのですね。
それは、あなたも、そのような因縁を持っているからなのですよ。
思念の相承を受けた場合、自分なら得意になって、人に話すだろう、と思う
人は多いだろう。だが、そのような人には思念の相承は、起こらない。
思念の相承を受けた人なら、何で私が地区の仲間に話さないのか、理解でき
るでしょう。そりゃ、必要な場合が生じたら、何時でも話すよ。
まぁ、名無しさん、ていうか、批判派の皆さんには、理解不能でしょうw。
- 63 :名無しさん:2010/04/07(水)
16:09:52 ID:79Fmhu0I0
- >>62
へー、そんなに力説するなら宗務局へ申告してごらんよ。
- 64 :ラシン:2010/04/07(水)
16:59:31 ID:q4iXIS7Y0
- >56
:準シュダオン
>て、いっても、管長のサインやら、いくつか頂いてるから、
結構、管長に褒められる梵行を、してたのかも知れないね。
いいえ、「自分の因縁が切れたらそれでいい」なんてそんな
言い訳じたい心の因縁の現れだからと、戒められます。
あなたには先達も法友もいなかったようですね。
アゴン宗は、最大最高の利他の実践が宗教による
社会奉仕活動だと喧伝している。
そのためには教団をもっと大きくし、世間から認められる
大きな功績を残さないといけない、大イベントこそ命です。
世間の耳目を集めるそのために、人を増やせ!金を集めろ!です。
わかりやすく言えば、大金さえ積めば、ボン行など後回しなのね。
年間1000万円も喜捨すれば、耳鳴りや頭痛くらいはしますよ。
その反動が慢心というクドクをいただけるのです。
教団に金銭的貢献をケチり、自己勝手な信仰で自惚れるような
信者などは、桐山さんが最も忌み嫌う会員です。
- 65 :ラシン:2010/04/07(水)
17:44:41 ID:q4iXIS7Y0
- >63 :名無しさん:2010/04/07(水) 16:09:52 ID:79Fmhu0I0
>>62
へー、そんなに力説するなら宗務局へ申告してごらんよ。
準シュダオンさんのような思念の相承現象を信じている
アゴン信者さんは、まずいないでしょうね。
じつは私は昔、親しい宗務局員に個人的に聞いたことが
あります、「最近目を瞑ると白銀の光が見えてしまう」と、
そうしたらその宗務局員は、そんなことはありえないし、
絶対他言しないように、ゲイカは、信者のそのような話を
とても嫌いますからと言われた。
信者の超常現象話しをゲイカは好ましいと考えていないようです。
また、星祭で撮った観音様に見える横向きの写真も宗務局に
鑑定してもらうため持ち込んだら、断わられました。
理由は今でも分かりません。
- 66 :神も仏も名無しさん:2010/04/07(水)
19:28:25 ID:Vjme/xJI0
- 2ch書き込み規制にひっかかかって向こうで書けないので、
こちらに書き込みします。
2ch 「阿含宗という宗教177」
>>32 :阿含宗ホームページより:2010/04/07(水) 10:04:20
ID:7r4rLk/r
情報ありがとうございます。アゴン宗の Web ページ
http://www.agon.org/news/index.html?refer=/index_j.html
には確かに
>3月23日発行のJapanTimesに星まつりの模様が掲載されました。
と書かれていますが、その実態は掲載PDFファイルの右上に
(Advertisement)
と記されていることから分かる通り、記事ではなく単なる広告です。
> http://ejje.weblio.jp/content/advertisement
>
advertisement
> [N16-A121]ad・ver・tise・ment
/[N16-A173][N16-A174]dv?t??zm?nt, ?dv[N16-A136]???z‐|?dv[N16-A135]?t?s‐, ‐t?z‐/
→発音
> ―【名】
> 1 【U】 広告(すること), 宣伝 (cf. →propaganda).
> 2 【C】
(具体的な個々の)広告; 宣伝 《略 adv.,
advt.》.
アゴン宗の活動が評価されたわけではなく、広告料を払って入稿したものが
広告として掲載されたにすぎないこと、皆様よくよくご確認くださいませ。
- 67 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/07(水) 21:14:48 ID:SmEF4Oe2O
- >>30:準シュダオン10/04/07(水) 09:25:08
ID:agsP6ENM0
>ユビさんも進歩がないね。真言密教はインドに起こったんだよ。
阿闍梨も灌頂も全てインドルーツなんてことは知ってます。
インドだろうが中国だろうが日本だろうが共通普遍なのは師子相伝における用語です。
しかし桐山さんには伝法の師もいないし、そもそもがインドルーツの真言密教において
出家得度した事実がない。偽僧侶が本当の阿闍梨であるはずがない。
桐山さんがその実出家得度した事実もない非僧侶で、真言密教の伝授も正式に
受けておらず、しかしながら書籍などを頼りに密教を学んだにしても、桐山流創意工夫の
修行により、そんじょそこらの阿闍梨さんなんかより遥かに本質に迫る実力をつけた
と言いたいならば、既存の阿闍梨の名称の権威なんか借りないことです。
阿闍梨でないけど阿闍梨を超えた超アジャリとでも名乗りなさい。
>そんなに資格にこだわるなら、管長は、チベット仏教のチョゲ・ティチン師
>から金胎両部の伝法を受けてますよ。立派なアジャリだろうが。批判派は、
>あまりに無知であきれたわいw。
そう、しかし結局俺は阿闍梨なんかじゃないなんて堂々と示すこともできず、
こうして後付けの権威を借りたいのです。
チベットの灌頂についても数えきれないほど説明済みで、こんな金を寄付した代償に
もらった名誉の勲章になど意味はなく、そもそもが密教僧ですらなかったから無効です。
チベットからアゴン宗の桐山アジャリに伝法を受けに来た者がおるか?
アゴン宗の方からブータンのチベット仏教を学ばせに留学させることはあっても。
>ちなみに、わたしも、チョゲ・ティチン師から三昧耶戒など伝授されてるから
>正式なチベット仏教修行者の資格を持ってるのだわい。
>だから、わたしにも、王者の相承、が起こったのであろうね。
それ(関東別院及び総本殿におけるアゴン宗信徒向け儀式)は結縁灌頂か受戒、受明灌頂
みたいなものですが、チベット語も知らない桐山さんに必須であるはずの前行(加行)も
省略されて授けられたのは簡易な受戒だとしても、ここではこれを伝法灌頂と仮に
妥協しておきましょう。灌頂を受けてなんかアジャリに近づいたような気になったとする。
しかしこんな話でごまかしてはならない。
1993年11月以前は阿闍梨でないにも拘わらず、自称阿闍梨と嘘をついていた
事実は消えません。
- 68 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/07(水) 21:45:05 ID:SmEF4Oe2O
- >>31:準シュダオン10/04/07(水) 09:34:42
ID:agsP6ENM0
>ユビさんは私のレスをまともに読んでいないか、理解不足だよ。
>最澄が、朝廷に願い出た、入唐の理由は、
>「日本の仏教経典は、誤字やら脱字やらが多くて、真意がつかみにくいのが
>多い。だから、唐で経の原本を見たい。」
>と、言う理由なんですよ。
>これから推測出来るのは、これまでも、高僧などによって、経の誤字は訂正され、
>脱字は挿入され、そのように手を加えられて、今の経典はあるのです。
>だから、一宗を立てたような高僧である管長には、当然、経を改定する資格も
>あるのです。
しかし桐山さんはこの経典を改訂したなんて認めてないのです。
あくまでも既存の経典を使用していることになっている。
和訳には国訳一切経を重要点には朱線を引くなど読んだと供述しているし、
最澄の時代とも異なり日本にある大正蔵の経典は漢訳経典としては世界標準として
最高レベルにあるのだが、桐山さんはこれにケチをつけて改訂の必要があるなんて
述べてない。もしそうならば、この経典を著書などで世間に公開紹介する時、
「この経典を紹介するにあたり、私は一部改訂を行った」と明かすことが義務ではないか。
しかしそんな義務は果たしていない。
まるで最初から既存の伝統経典にそう書いてあるのだと言わんばかりに示している。
一宗の管長ですか?〜宗なんて誰でも名付けの親として設立できますよ。
高校野球で有名な智辯学園や智辯和歌山の辯天宗なんてのもある。
アゴン宗なんて所詮新宗教の扱いです。
- 69 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/07(水) 22:30:15 ID:SmEF4Oe2O
- >996:準シュダオン10/04/06(火) 08:48:44
ID:agsP6ENM0
>応用力が足りない。それと、残酷だけど、ズバリ、言うよ。
>「覆」というのは、責任転嫁の煩悩だね。
ズバリ言うと、それアンタのことですがなw
>入行して修行しても成果でなかった、その責任を他人のせいにするような根性
>では、うまく行かない。わらわは、そう思うね。
>「成果でなくても、文句は言いません、すべて私の責任です」と、いうような
>心掛けの場合、成果が出るように、思われる。
毎度言っていることだが、一体誰がそんな愚痴を書いているのか?
どちらかと言うと自分の体験と関係ないところで桐山さんとアゴン宗の嘘を批判してます。
修行効果として御利益の有無だけしか指標とできないあなたが低レベルにもあさましいのです。
自分の指標でしか相手を理解できない。だから批判側を誰一人として理解できないのです。
そもそも私なんか信者時代はあなたが言うように何でも自分が至らないからだと
自己責任をかぶり、桐山さんを疑ったことなどほとんどなかった。
今でも自己責任の部分は認めて反省してます。
しかしそれだけでは所詮偏りであり、正しい評価観察になりません。
悪い者は悪いとハッキリ他人に対しても指摘すべきだ。
それができない奴こそ自己洗脳から脱け出せない。
- 70 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/07(水) 23:30:54 ID:SmEF4Oe2O
- >997:準シュダオン10/04/06(火) 09:09:51
ID:agsP6ENM0
>釈迦は、「欲求離欲悪」と、説いてるように、これは、
>「悪い欲を離れるという欲を持ちなさい」ということですね。
>また、意欲は持たないといけないのです。
>また、「小欲知足」というのは、自利・我欲に属するものであって、
>利他の分野では「大欲知足」だと、知れるのです。
>そのあたり、ユビキタスさんは混同しています。
その「悪い欲」を見ていて恥ずかしくなるくらい出しまくっているじゃありませんか?
例えばこんなふうに。
>>13:準シュダオン10/04/06(火) 13:16:57
ID:agsP6ENM0
>徳川家康だって、「人の一生は、・・・・及ばざるは過ぎたるに勝れり」と、
>言ってますよ。何でもやり過ぎはいけないね。
省略されている家康の訓示を一部補うと「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」です。
つまり辛抱努力の道を説いているわけです。若い頃から苦労させられた家康らしく。
急いては事を仕損じる。身の程を弁えて辛抱しながらじっくり取り組め、という
意味で過ぎたるは及ばざるよりもよくないと諌めているが、荷が軽くなる楽な道など
説いていない。
あなたの及ばざるはこういうところを無視省略して単にめんどくさいからやらない
というだけです。
こんな欲望は悪い欲です。
悪い欲って他人を殺すとかそんなのだけではない。
自分を堕落させるものは悪い欲です。
釈尊が弟子に説いた臨終の言葉は怠けるなです。
こんな怠け者に護摩依存なんて与えてはならない。
護摩断ちをして自力努力だけの苦労をさせねば性根が腐ります。
まだまだあなたの悪い欲は垣間見えますよ。
- 71 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/07(水) 23:36:44 ID:SmEF4Oe2O
- >>13:準シュダオン10/04/06(火) 13:16:57
ID:agsP6ENM0
>修行読本1のP112〜113に、
「・・我執、我欲を捨てるのである。」と書いてますよ。
>「命がけの修行が我利のためであると、我利我利亡者になってしまう」
>とも書いてますね。
>「そうなると、境界が上がるどころか、堕落する一方である。品性とみに
>いやしくなり、キツネやタヌキの動物霊が憑依してしまう」とも書いてます。
>怖いですねえw。
これを引用したらあなた不利でしょうが。
あなたの主張は最初は我利、我欲から始めるのが本当であり、利他なんてのは
そのうち変わるというものです。
しかしこれを桐山さんが否定しているのですね。
我利我欲でやってるとキツネやタヌキが憑くぞと。
あなたにはどっちが憑いているのですか?
- 72 :名無しさん:2010/04/08(木)
00:03:21 ID:VT56xnhM0
- >>65
大体、そういう扱いになりますね。
そいや、準さんが思念の相承を申告したら、
一発で「コイツ、準だ!」ってバレるでしょうw
- 73 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/08(木) 00:13:03 ID:SmEF4Oe2O
- >>56:準シュダオン10/04/07(水) 13:18:18
ID:agsP6ENM0
>地区活動を活性化させるための修行、なんて考えたことも無かったね。
>地区活動が停滞しようが、私には関係ない、私は自分の因縁が切れたら、
>それでいいのだ。という姿勢でしたよ。
ほらね?我利が利他に変わるとか都合のいいこと言ってるけど結局はこの通り
利他なんて興味すらない。八法十六法だの所詮この人にとっては
読書の世界だけの話で桐山十六法の実践という現実に際して興味すら湧かない。
その結果どう展開するのかと言うと、
>だから、梵行も個人的にね、無理はしないけど、確実に少しは身捧げも、
>供養もしましたよ。無理をしないことを自覚してたので、
>常に、「少しの身捧げ、供養でごめんなさい、仏さま」という姿勢で、
>手を合わせていたのです。
よし、地区活動の利他にも励もうにもならず、自分のことだけでゴメンネだけです。
謝ればよいというものではない。未だに利他の腰を上げたくなのです。
それから「みささげ」「供養」とは際どく都合のよい表現だなw
たしかにあなたもみささげ供養してると思うよ。次読むとわかる。
>て、いっても、管長のサインやら、いくつか頂いてるから、
>結構、管長に褒められる梵行を、してたのかも知れないね。
それは桐山流梵行とは言わず、単なる購買です。
金払って著書買って施本にばらまいたからサインをもらえたのです。
金払って護摩木を相当数買ったから法施グッズが買えたのです。
単なるあさましさから金で物を買ったに過ぎない。
金さえ出せばよい、金で解決という安直な道です。
桐山梵行は身体を使って奉仕することです。これがちっとも見えてこない。
奉仕梵行でサイン本やグッズは買えません。
ただ与えられるものも一部ある。
星まつりに参拝でなく修行で参加した人に与えられる山伏位階です。
毎年修行なんてあなたに言わせれば「やり過ぎ」なんて求めません。
少なくてかまわないけどまさか一度もしたことがないなんてことはありますまい。
一度修行すると準権先達がもらえます。
さてあなたの位階はいかに?
星まつり修行だって参拝者に気持ちよく参拝してもらうための利他の行です。
やったことあるかな?
それとも利他なんてシュダオンになってから考えるか?
- 74 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/08(木) 08:19:28 ID:SmEF4Oe2O
- >>41:準シュダオン10/04/07(水) 11:48:00
ID:agsP6ENM0
>また、名無しさんがいうように、実績と発言権などは関係ないよ。
>だいたい、誰が護摩木勧進何本で、導き人数が何人で、なんて、職員以外
>は知らないよ。
>だから、我が地区は、実績と発言権は関係ないよ。
>教学や修行に関する発言は自由ですよ。
>実績なければ発言権がない、なんて、名無しさん自体がそういう価値観なの
でしょう?
>そういう価値観じゃあ、修行は進まないね。
>実績なんて、凡夫に比較できるものじゃないでしょ?
名無しさんなどではなく、これはアゴン宗という団体が数字の見える実績でしか
評価しないのです。
護摩木の本数しかり。施本の冊数しかり、星まつり修行の回数しかり。
地区道場にたまに参拝して気のあった人とくっちゃべるには何も支障ありません。
しかしたま〜に参加してみるレジャーのボン行などではなく、曜日班などに所属し
継続的にボン行をしてみるのならば、常に問われるのは実績ノルマです。
あなたはそれが嫌だから道場運営なんかしないのでしょう?
つまりこれはアゴン宗全体の体制の問題です。
地区道場で修行に関して発言してみなさいな。
- 75 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/08(木) 08:43:33 ID:SmEF4Oe2O
- 準シュダオンさんが、元信者に向かってやり過ぎ修行を説く時、これはアゴン宗を
批判していることになるのですね。
やり過ぎはよくないと悟った準シュダオンさんが実践していることは例祭もさぼり
ボン行などもろくにしないことです。
これって極端ではありませんか?
やり過ぎを批判するのではなく、実際には少しでも実践することを忌避し批判する。
少しでも実践した人がいると面白くないから、それはやり過ぎと決めつけて自分を保つ。
やり過ぎでなくコツコツ実践する人も元信者のみならず現役信者にもいる。
準シュダオンさんがやり過ぎ批判をしながら、自分もやり過ぎでないほどほどの
修行を実践するのでなく、そんなものは金を支払う以外少しも見えてこず、結局は
何もせずさぼっているのは、こういう現役信者に対する冒涜であり、教団に対する
反逆です。
熱心な修行を奨励するのは桐山さんその人なのだ。
準シュダオンさんは桐山さんをやり過ぎ修行の元凶の指導者であると批判しているわけです。
- 76 :準シュダオン:2010/04/08(木)
09:17:47 ID:agsP6ENM0
- 修行やり過ぎを戒めてるのは、管長も同じく説いています。
管長は、「のめり込んではいけない」と、戒めています。
のめり込む、というのは、私の言葉でいうと、修行やり過ぎになるのです。
だから、ユビキタスさんの見解は、我見であり、間違いです。
また、私が修行を、何もしないと、誤解するようではいけないねw。
ユビさんは、修行の要諦は何だと思ってるのですか?
護摩木勧進や、身捧げや、道場運営に関わることが、修行だと勘違いしてる
のではありませんか?そういうことを、仕事にしては、いけないのです。
それでは修行になりません。
道元は、
「仏の道を習うには、自己を習いて自己忘れ、
忘れ忘れていく中に、身心脱落成るとしる」
と、詠んでいますね。
つまり、自己を習うのが修行の要諦ですね、そして自己を忘れる、自己を
忘れたら、我を忘れて、我が無くなる。そのための修行ですね。
勿論、私もまだそれを会得している訳ではないよ。
- 77 :準シュダオン:2010/04/08(木)
09:30:08 ID:agsP6ENM0
- 管長のサインを貰うのは、お金を出せば簡単だから、大した修行ではない、
とのユビさんの見解は、笑いたくなるほどの愚かさだねw。
管長が、十分に教団に貢献した、と評価して、サインをくださるのですよ。
それを、ユビさんは、管長の評価基準は間違ってる、というわけだ。
そりゃ、お金がある人には、サインを貰うのは簡単かも知れない。
しかし、お金の無い人には、逆立ちしたって貰えないではないか。
また、お金があったとしても、教団には出したくない人もサインは貰えない。
また、見返り目的に、欲張って大きくお金出しても、そういう人には果報はない。
まぁ、そういうことだね。
- 78 :準シュダオン:2010/04/08(木)
09:38:24 ID:agsP6ENM0
- 護摩木購入して管長のサインを貰う。
施本して、管長のサインを貰う。
それを簡単だとユビさんが笑うわけだが、そりゃ、買った護摩木や本やらを
部屋へ積んどくだけのユビさんみたいな修行者なら、笑いの対象だ。
まぁ、それでも、買わない信者よりは偉いね。
私の場合は、買った護摩木は、他人にも書かせてるし、本は確実に友人や
知人に手渡ししている。ユビさんは、そういう行動をしていないから、
護摩木勧進や施本を、笑うことができるのでしょう。
実際に行動していたら、とても笑うことは出来ないでしょうね。
- 79 :準シュダオン:2010/04/08(木)
09:48:49 ID:agsP6ENM0
- 修行読本1に、我利我利修行してると、キツネやタヌキがつくぞ!
と、書いてありますね。
しかし、私は、始めは我利我利で良い、と主張します。
そりゃ、何時までも我利我利では、困るね。
だが、いずれ、利他に気付くんですよ、そのための修行ですから。
それにいつまでも、気づけない人が、退会していくわけでしょう。
ユビさんもそうだったんでしょ?
- 80 :ラシン:2010/04/08(木)
11:40:49 ID:q4iXIS7Y0
- >76 :準シュダオン:2010/04/08(木) 09:17:47
ID:agsP6ENM0
修行やり過ぎを戒めてるのは、管長も同じく説いています。
管長は、「のめり込んではいけない」と、戒めています。
あなたは桐山さんを長く見ていてもその性格を
把握できていない。
桐山さんは最初に尤もらしい建前を述べて、
次に平然と本音を漏らすのです。
あなたのオツムに分かりやすく言えば、万引きはよくないぞ、
と注意して、万引きして来い!です。
>だから、ユビキタスさんの見解は、我見であり、間違いです。
何度も”我見”という言葉を使うが、仏教的に使用するなら
間違っている。
我見とは我という主体の存続に固執することだから、
あなたの言いたい意味では、不整合だと知りなさい。
>ユビさんは、修行の要諦は何だと思ってるのですか?
護摩木勧進や、身捧げや、道場運営に関わることが、修行だと勘違いしてる
のではありませんか?
アゴンボン行では当然なすべき修行の一環です。
桐山さんの本音は先述したが、金ですよ。
金のない者や出せない者は、労力奉仕をしろというのです。
ようは第一に金!出来なきゃタダ働き!
これが宗教奴隷が負わされるべき義務です。
見返りは、クドク貯金と因縁切りという空手形です。
その桐山さんが自己取引して因縁丸出しの不渡りを4回出した。
普通世間ではその時点で、取引停止です。わかる?
>つまり、自己を習うのが修行の要諦ですね、
桐山さんも言ってないことを引用して意味も理解していない。
自己を習うとは我の本質を見極め永遠に存続する我のないことを
りかいする。
忘れるとは、無我を知りその我に囚われないことです。
あなたは、逆に自分が自分がと我執しその結果、
慢心を捨てきれない、自説に執着する、過誤を懺悔しない、
自分以外を疑う、議論を無視する、自惚れ癖が抜けないなどなど、
もっともらしい引用をしながら、真逆の言行に終始している。
あなたは知恵以前の、知性すら備えていないことになる。
>管長が、十分に教団に貢献した、と評価して、サインをくださるのですよ。
笑わさないで欲しい。
サインを貰って因縁が切れたのか?運命転換されたのか?
教団貢献度とは、金の大小と人集めの多少です。
それによって積徳と因縁切りという目に見えない桐山さんの
裏書保証された大手形が、発行されるのだ。
もちろん支払期日の記載はないから、永久に不渡りです。
>79
:準シュダオン:2010/04/08(木) 09:48:49
ID:agsP6ENM0
修行読本1に、我利我利修行してると、キツネやタヌキがつくぞ!
と、書いてありますね。
それであなたは、どちらなのだ?
利他に気づいて何をした?その成果を自慢してみなさい。
- 81 :準シュダオン:2010/04/08(木)
12:25:35 ID:agsP6ENM0
- 思念の相承で、修行やり過ぎ名無しさん、に、私が不思議に思うのは、
「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
と、いうことですね。
管長だってさ、思念の相承が、起こった信徒は宗務局に届けなさい、などと
は言っていないよ。
それなのに、なんで申告せにゃならんのw?
たぶん、これは、間脳の分野の判断なのだろうけど、なんとなく、
「話すべきではない」と、思うのですね。この場は匿名だから、明かして
しまったが、周囲の人間には、大義名分もなしに、思念の相承のことは話
すべきだとは思われないのだよ。
- 82 :深山:2010/04/08(木)
12:39:36 ID:m8P85aLI0
- >>56 :準シュダオン:2010/04/07(水) 13:18:18 ID:agsP6ENM0
>地区活動を活性化させるための修行、なんて考えたことも無かったね。
はい、当初からあなたがファミリーや地区で活動などしたことも
ない人だとわかりましたよ。
書き込みを読むと、だいたいその信者がどの程度の修行をしている人かわかる。
その典型が準シュダオンさんが、やりすぎはいかん、などと、ボン行をとても否定的に書くことです。
これはボン行をそれなりにして来た人ならありえない書き込みです。
なぜなら、十分なボン行などありえないからです。
どんなに熱心にボン行をしていても、それは足りないと思うのが
修行者としての正しい心構えだと教えられる。
だから、ボン行の現場にいた人なら、準シュダオンさんみたいに
やりすぎはいかん、などという発想は絶対にでてこない。
ボン行などろくにしたこともなく、しないことの言い訳なのがよくわかる。
- 83 :深山:2010/04/08(木)
12:44:36 ID:m8P85aLI0
- >>56 :準シュダオン:2010/04/07(水) 13:18:18 ID:agsP6ENM0
>地区活動を活性化させるための修行、なんて考えたことも無かったね。
準シュダオンさんは護摩木の本数はどうでもいいと書いた。
読んでいる信者さんたちはどう思うか。
活動をしていれば絶対にこんな言葉は出てこない。
修行した信者や元信者なら、この言葉を聞いただけで、
「ああ、準シュダオンさんて隠れアゴン宗だ」とわかってしまう。
地区活動も何もしていないということは、桐山ゲイカの修行の
指示に従っていないのです。
準シュダオンさんが入行した頃、桐山さんは地区やファミリーなどに参加して
活動するように奨励していた。
だが、彼は修行者として参加したこともなさそうですね。
参加していれば、護摩木の本数がどれほど重要視されているか、「肌身」でわかる。
中心になっている人たちが本数でどれだけ頭を悩ませていたことか。
それは他でもない桐山さんが、誓願無きは菩薩の魔事なり、という教訓を出して、
護摩木の本数を増やすように、奨励しているからです。
準シュダオンさんがそれがわからないということは、そういう現場にいたことがない、
つまりいわゆるボン行などろくにしたことがない何よりの証拠です。
- 84 :深山:2010/04/08(木)
12:50:44 ID:m8P85aLI0
- >>56 :準シュダオン:2010/04/07(水) 13:18:18 ID:agsP6ENM0
>地区活動を活性化させるための修行、なんて考えたことも無かったね。
準シュダオンさんみたいにボン行もろくにせず、金も出さず、導きもせず、
ぽつねんと一人で信仰する信者を桐山さんは批判していた。
そんな我流の信者が、王者の相承を受けた、なんて言っても、
熱心にボン行をしている信者であればあるほど、鼻先で笑う。
護摩木本数への彼のコメントを聞けば十分です。
護摩木の本数に何の価値もおかないコメントを書いた瞬間に、
桐山さんの指導を知らない人だとわかってしまう。
アゴン宗ではボン行が重視されるから、これをろくにしないような信者は、
デンパを受信した、チャクラを開発した、御霊示を受けたなど、
どんな能書きを垂れても、相手にされない。
地区を活性化させるための修行を考えたことがないのではなく、
彼は道場では相手にされていないのです。
ここに来て妄想の自慢話を垂れ流しをする以外に何もできない。
これが準シュダオンさんの現実です。
- 85 :深山:2010/04/08(木)
12:54:52 ID:m8P85aLI0
- >>62 :準シュダオン:2010/04/07(水) 16:05:54 ID:agsP6ENM0
>思念の相承を、頭がおかしいと、判定するのは、修行の脱落者だけだって、
>ことを知りなさいな。地区の私の話相手は、私が話すことは、勿論すべて
頭がおかしいなんて誰も言ってませんよ。
この後の「修行のやりすぎ」の件もそうだが、どうして準シュダオンさんて
批判側が言ってもいないことを勝手に捏造するのでしょうね。
しかも、何度注意されても絶対にやめない。
頭がおかしいのではなく、脳梗塞だと言っているのです。
桐山さんもあなたも、生活習慣病から脳梗塞を発症して、
それを白銀バイブだと思いこんだと指摘しているのです。
二人とも症状が脳梗塞そのものです。
桐山さんも美食飽食で脳梗塞になった。
だから、インドに行った時も六十歳くらいですから、長年の美食飽食で
血管がすでにつまり始めていた。
斜め前からガーンと来たとか、ビルが焼け落ちる場面がフラッシュバックしたとか、
ホテルで手が震えたなど、典型的な脳梗塞の症状です。
単なる病気を自惚れの強い二人とも白銀バイブだと思いこんだ。
それなら、病院には白銀バイブを受信した人が山のようにいる。
- 86 :深山:2010/04/08(木)
12:59:40 ID:m8P85aLI0
- >>62 :準シュダオン:2010/04/07(水) 16:05:54 ID:agsP6ENM0
>思念の相承を受けた場合、自分なら得意になって、人に話すだろう、と思う
>人は多いだろう。だが、そのような人には思念の相承は、起こらない。
では、最初からペラペラとここにしゃべりまくったあなたには
王者の相承は起こらなかったことになる。
しゃべるどころか、王者の相承の生中継までした。
前に引用してあげたが、忘れたのなら、何度でも引用してあげますよ。
もうその後からあなたがどれほど得意気にそれを書きまくったことか。
そして今でもこうやって、誰も聞いていなくても、
二言目には、王者の相承を受けたと自慢話をしている。
あなたはまさに得意になって話しているのだ。
白銀バイブの件を「何年間も話さなかった」と前に嘘を書きましたね。
だが、たぶんあれは嘘というよりも、あなたの頭の中では、
謙虚の塊のような自分が何年間も話さなかったという妄想が
出来上がっているのでしょうね。
だが、現実のあなたは自己顕示欲の塊であり、
自惚れを垂れ流しているみっともない老人にすぎない。
- 87 :深山:2010/04/08(木)
13:02:28 ID:m8P85aLI0
- >>62 :準シュダオン:2010/04/07(水) 16:05:54 ID:agsP6ENM0
>思念の相承を受けた人なら、何で私が地区の仲間に話さないのか、理解でき
>るでしょう。そりゃ、必要な場合が生じたら、何時でも話すよ。
はい、よく理解しています。
あなたがものすごい卑怯者だからです。
地区で話したら、批判されることをあなたはよく知っている。
あなたは話していないと言っているが、信者仲間に話したはずです。
だが、冷たい視線が返ってきただけだった。
そればかりか、あなたの準シュダオン教のお説教に周囲はうんざりして、
皆さんいなくなったのでしょう?
だって、前は同じハンドルだが、別人が書いているのだと、わざわざその別人とやらが出てきた。
私には、両方とも自惚れが満載している点で双子のように見えたが、
あの時期、まだ信者さんたちの交流があったのでしょう?
でも、その人たちはいなくなった。
また、私からも、アゴン宗で王者の相承を受信したなんて言ったら、
どんな扱いを受けるか何度も警告された。
それですっかりビビッテ、あなたはいっさい周囲の信者には言わず、
ここでイバリちらすことにした。
なにせ、桐山ゲイカと同じで、理屈や現実では勝てないから、妄想で勝負するしかない。
- 88 :深山:2010/04/08(木)
13:07:05 ID:m8P85aLI0
- >>76 :準シュダオン:2010/04/08(木) 09:17:47 ID:agsP6ENM0
>道元は、
>「仏の道を習うには、自己を習いて自己忘れ、
> 忘れ忘れていく中に、身心脱落成るとしる」
>と、詠んでいますね。
また知ったかぶりのお説教が始まりましたね。
道元の言葉を出すのが自慢で仕方ないでしょう?
どうしてそんなに自惚ればかり強く、自分の姿が見えないのだろう。
あなたの勝手な解釈など意味がなく、道元が何をしたかが重要なのです。
あなたがは、年末年始にNHKで放送された禅宗のテレビ番組を見て、
我が意を得たりとばかりに引用していた。
私はあなたのその書き込みをあざ笑った。
粗食に耐え、夜は畳一畳の二枚の布団にくるまって修行するのが道元の教えです。
それを、桐山さんや準シュダオンさんのように糖尿病になるほど飽食美食をして、
脳梗塞になってもまだやめられない人が引用して、我が意を得たりとお説教する。
どういう人生を歩めば、あなたみたいに恥知らずになれるのだろう。
あなたのその醜い姿には笑うべきか、侮蔑するべきか、いつも迷う。
- 89 :深山:2010/04/08(木)
13:09:54 ID:m8P85aLI0
- >>76 :準シュダオン:2010/04/08(木) 09:17:47 ID:agsP6ENM0
>ユビさんは、修行の要諦は何だと思ってるのですか?
>護摩木勧進や、身捧げや、道場運営に関わることが、修行だと勘違いしてる
>のではありませんか?そういうことを、仕事にしては、いけないのです。
>それでは修行になりません。
批判側は教義の批判はするが、アゴン宗の教義は正しく理解している。
一方、準シュダオンさんは自分に都合の良いように話を歪め、
桐山さんが説いてもいないことを、口から出ませに、嘘を平気で書く。
その典型がこれです。
では、信者さんたちのためにアゴン宗の正しい教義を説明します。
アゴン宗の修行の要諦とは、「徳を積む」ことです。
護摩木勧進や道場運営などはすべてその徳を積む修行ですから、
これらは修行であり、修行の要諦です。
また、桐山さんはボン行は精一杯することを説いている。
だから、これを準シュダオンさんは「やりすぎ」と言い換えているが、
何もしていない彼の自己弁護のためのごまかしです。
やりすぎなど誰もしていない。
桐山さんの指導では精一杯のボン行をしなければならないのです。
適当でいいとか、ほどほどでいいなどという準シュダオンさんの主張は
その人の怠け心の因縁がもの申しているのであって、
その因縁を切るためにも精一杯積徳行をしなさい、というのが桐山さんの指導です。
だから、護摩木勧進も道場運営も精一杯するのがアゴン宗では
正しい修行であり、積徳行としても修行の要諦です。
つまり、準シュダオンさんの上記の説は嘘です。
- 90 :深山:2010/04/08(木)
13:12:13 ID:m8P85aLI0
- >>78 :準シュダオン:2010/04/08(木) 09:38:24 ID:agsP6ENM0
>私の場合は、買った護摩木は、他人にも書かせてるし、本は確実に友人や
>知人に手渡ししている。ユビさんは、そういう行動をしていないから、
他人に書かせた護摩木とは、誰に何本書かせたのですか。
まさか、家族に半強制的に一本書かせ、それも金も取らなかったなんて
いうんじゃないのでしょうね。
友人や知人への施本とは、何冊ですか。
まさかあなたの申し出を断りにくい立場の弱い一人に、半強制的に
一冊だけごり押ししたのを威張って書いているのではないでしょうね。
準シュダオンさんの話は桐山さんと同じで、中身を確認しないと、
適当に話をすり替えているから信用ができない。
- 91 :深山:2010/04/08(木)
13:17:04 ID:m8P85aLI0
- >>79 :準シュダオン:2010/04/08(木) 09:48:49 ID:agsP6ENM0
>修行読本1に、我利我利修行してると、キツネやタヌキがつくぞ!
と、書いてありますね。
>しかし、私は、始めは我利我利で良い、と主張します。
いいえ、ダメです。
何度も書くが、ここはアゴン宗の議論をしているのだから、
あなたの個人的な宗教観はお呼びではない。
桐山さんとあなたの宗教観が違っている場合には、桐山さんのが
優先される。
あなたが個人的に何をどうしようが自由だが、
桐山さんの主張こそがここでの議論の対象です。
桐山さんの主張を否定するような主張をしたければ準シュダオン教として
別スレをたてなさい。
ここに書き込みたいなら、桐山さんの説に則って主張を書いてください。
桐山説と違うと指摘されたら、桐山説に素直に従うが正しい信者です。
わかりますか、居間はオシッコをする所ではありません。
それともオムツをしているからかまわないと主張しますか。
- 92 :深山:2010/04/08(木)
13:21:15 ID:m8P85aLI0
- >>79 :準シュダオン:2010/04/08(木) 09:48:49 ID:agsP6ENM0
>だが、いずれ、利他に気付くんですよ、そのための修行ですから。
桐山さんとあなたが利他に気がついているとは驚きです。
あなた方の言動のどこが利他なのだ?
自分で利他だと宣言すれば利他になるのではありませんよ。
桐山さんに利他がないとは言わない。
あちこちに寄付をしているのは利他と言われればそのとおりです。
しかし、寄付の結果の見返りが目的なのは明らかで、
現実に桐山さんは寄付した先からは名誉などの全部見返りを受け取っている。
これを普通は利他とは言わず、偽善事業、援助交際といいます。
見返りを求めた援助は、仏教では利他とは言いません。
桐山さんのわずかばかりの善業ですら欲望で濁っており、利他などではない。
ましてや、準シュダオンさんの場合、利他どころか、
自分はこんなにエライと自己顕示する場所が他にないから、
信者のためと称して、ここで威張ってみせているだけです。
我利丸出しです。
その証拠に、あなたは桐山さんの主張とは違うことを平気でいう
本当に信者のための利他心から書いているなら、
桐山さんと違うことなど絶対に書けないし、指摘されたら撤回する。
だが、あなたは何度指摘されても、桐山さんとは違うことを書く。
信者のためでも、桐山さんのためでもなく、自分のために書いているからです。
どんなにきれい事を並べてオブラートに包んでも、
あなたも桐山さんも我利こそが動機であり、現実に為していることです。
- 93 :深山:2010/04/08(木)
13:30:11 ID:m8P85aLI0
- >>79 :準シュダオン:2010/04/08(木) 09:48:49 ID:agsP6ENM0
>だが、いずれ、利他に気付くんですよ、そのための修行ですから。
寄付はそれでもまだ喜ぶ人がいるからいいが、他にどんな利他があるのだ?
焚き火を炊いて地球温暖化に貢献するのは利他ではなく、害毒です。
死者たちを霊障のホトケなどと根拠もなしに侮辱するのは利他ではなく冒涜です。
釈尊が護摩を禁止しているのに許しているかのように宣伝するのは悪業です。
釈尊が因縁切りや死者の成仏を説いたかのような嘘をつくのは社会への害悪です。
また多くの信者や元信者を騙し、脅かし、金や時間を奪った罪は大きい。
こんなふうに、桐山さんが半世紀にわたり為して来たことを
天秤にかけるなら、善業はほんのわずかで、しかも濁っており、
一方悪業のほうは「巨万の富」を築いた。
こういう桐山さんが利他の行をしているというなら、
麻原彰晃も福永法源も大作さんもみんな利他行に精進していることになる。
- 94 :深山:2010/04/08(木)
13:35:38 ID:m8P85aLI0
- >>79 :準シュダオン:2010/04/08(木) 09:48:49 ID:agsP6ENM0
>だが、いずれ、利他に気付くんですよ、そのための修行ですから。
信者さんたちもよく考えることです。
桐山さんを手伝っている信者さんたちも利他行などではない。
オカルト宗教、詐欺宗教の手伝いをしているだけでなく、人々に、さも釈尊が
死者の成仏を説いたかのような、護摩を認めたかのような嘘を伝えている。
それに気が付く前は過ちとして許されるだろうが、
すでに信者さんたちはそれが嘘だと批判側から指摘された。
それでも続けるなら、利他どころか、嘘だと百も承知で他人を騙す詐欺です。
人を騙すだけでも十分に悪業なのに、嘘だと百も承知で、しかも「如来」を
使って人々を騙す手伝いをするなら、その悪業はただでは済まないと思いませんか。
信者さんたちのしていることは、「如来を使った宗教詐欺」ですよ。
如来に供養したら、その果報は大きく、心構えの悪い商人ですら、
七度の天界への輪廻と、七度の金持ちとして生まれ変わるという利益を得た。
逆に言うなら、如来を誹謗したら、その果報もまた巨大なものです。
七度の地獄への輪廻と、七度の悲惨な人生が待っていることになる。
よく恐ろしくもなく、「如来を使った宗教詐欺」などやれるものだと
準シュダオンさんの勇気には感心する。
よほど不幸が好きで、苦しみたいのですね。
- 95 :準シュダオン:2010/04/08(木)
13:41:34 ID:agsP6ENM0
- 修行やり過ぎ名無しさんの御蔭で、わたしの潜在意識に、愧慚が欠けている
ことがわかったね。まぁ、アブリをやってたわけではないが、あのレスは
潜在意識が出やすい状態で、レスしたからね。後で自分のレス見てびっくり
だべよw!
阿含宗が偽仏教に見えるのは、短慮だからだべよ!
わたすが、チベット仏教の大アジャリ、チョゲ・ティチン師から、三帰依戒、
三昧耶戒、ミラレバ福徳長寿潅頂伝法の伝授を受けたのは、1993年の
ことだった。調べるとわかると思うが、チベット仏教の教えでは、三帰依戒
を受けるだけで、障害に遭わず、病気にも罹りにくく、長寿を得る福徳が
ある、となっています。
なんとも有難い仏教ですね。「オウム真理教と阿含宗」の本の口絵写真に、
管長がヨーガ・タントラ金剛界の大アジャリになったことが出ています。
チベット密教では、1所作タントラ、2行タントラ、3ヨーガタントラ、
4無上タントラ、の四っつに区分することが一般的らしい。
で、弟子はグルの僕となって、奴隷のように仕えて、やがてグルの慈悲に
よって、解脱を得るようだ。
で、ティロバからミラレバまでのタントラには、一切の修行なしに、グル
の慈悲によって、解脱を得る法があるらしい。
これが、管長が「間脳思考」の本に書いている、「修行法を超えた成仏法」の
ことと、思われる。つまり、王者の相承、のことです。
まぁ、私としては、阿含宗ヨーガタントラ王者の相承派、を立ててみたいね。
修行せずに、時々梵行して、ただひたすら思念の相承が起こるのを待つだけ。
一般信徒からは、怠けもの信者と罵られようが、じっと、余裕を持って、
グルを信じてるだけの宗派だよw。
- 96 :ラシン:2010/04/08(木)
14:21:12 ID:q4iXIS7Y0
- >81 :準シュダオン:2010/04/08(木) 12:25:35
ID:agsP6ENM0
思念の相承で、修行やり過ぎ名無しさん、に、私が不思議に思うのは、
「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
思念の相承を受けたことは悪いことか?
違うだろ、ここではあんなに自信満々で主張していた。
ならば自信を持って申告すればよいのに何をためらう?
>管長だってさ、思念の相承が、起こった信徒は宗務局に届けなさい、などと
は言っていないよ。
桐山さんは、申告してはいけないと述べているのか?
述べてないのだから先ずはトライしてみてはどうか、
ということです。
方法はいくらでもある、あなたに知恵があるならばだが。
それとも、思念の相承を受けたなんて言う信者などいない、
と桐山さんが考えているかと臆したのですか?
>たぶん、これは、間脳の分野の判断なのだろうけど、なんとなく、
「話すべきではない」と、思うのですね。この場は匿名だから、明かして
しまったが、周囲の人間には、大義名分もなしに、思念の相承のことは話
すべきだとは思われないのだよ。
回りくどい言い訳ですね。
あなたが教団や地区道場に話しても、にわかには信じてもらえない。
そう計算しての弁解を間脳判断などと言い繕ってゴマかしている。
大義名分というなら、桐山さんの念力効果の実証になるだろ?
あれだけ桐山超能力という力を擁護していたわりに、
大義名分が見つからないなどは、ないだろうや。
ここで話したのは、あなたの自説の正当性を誇りたい一心からです。
オマエらのような退会者の意見など、オレ様が思念の相承した
間脳の知恵から比べたら、一笑に付すような愚説だと威張りたかった。
だから、ヌケヌケとここで言いたい放題を書いて自慢したのだ。
- 97 :ラシン:2010/04/08(木)
14:56:39 ID:q4iXIS7Y0
- >95
:準シュダオン
桐山さんが認めた間脳思考を先ずは引用掲示したら?
あなたの勝手な植林は、信用に値しない。
ただグルの慈悲を待つだなんて都合の良いウソは言わないことだ。
瑜伽タントラを受ほうすると六座グルヨーガの修行が、
必須となるが、あなた、マジに行っているの?
この行法の徳目は即物観から隔離することです。
三昧耶戒を受持するべきなのに飲酒などは、地獄に落ちるそうだぜ。
ミラレバじゃなくミラレパだろ?
元が黒魔術ありきだからね、あなたもポアなんて言い始めそうだ。
- 98 :無関係な人間です:2010/04/08(木)
19:49:24 ID:pLYX6T..0
- すみません、2chがまだアクセス規制中なので、こちらへ書かせて下さい。いつもごめんなさい。
>>45
>>48
(以上、2chの番号です)
すごいです。詐欺師の説法と分かっていても感激しました。
やはり、単なる山師ではなく、大山師となると、こうでなくてはいけないのでしょう。
私は早川和弘氏や織田隆弘師の御著書(広野隆憲師の御著書はもっと後に読みました)
を読み、インチキの数々を堂々とする桐山氏の態度に怒るより、笑い出したのを覚えて
います。
ところが、当時、阿含宗の信者の方々と話をすると、桐山氏を大聖者と心酔し、
阿含宗の教義こそが最高の真理であると信じきっているのが私でも分かりました。
こちらは、最初こそ論戦に負けてましたが、後半になると負けなくなり、
桐山氏や阿含宗をからかう余裕さえ生じました。「超能力? 超尿力の間違いじゃない
の?」「星祭り? 阿含の火遊びでしょう。」とか言って、信徒の皆様から激怒された
経験もあります。(信徒の皆様、ごめんなさい。)
しかし、同時に、どうしてあんなに純粋に信仰ができるのだろう、という疑問も
ありました。阿含宗や桐山氏をバカにする自分がある一方で、信徒の方々の純粋さには
密かに尊敬の念を感じていたのを覚えています。
ただ、当時は気がつきませんでしたが、このサイトを拝見し、かっての純粋な信仰が
実は壮大な詐欺である事実を知った時に、多くの人の心を傷つけた事実を今頃になって
知り、暗澹たる気持ちを感じます。
だからどうなのだ、と言われると言葉にはつまります。
同じ事を繰り返す事になりますが、
ただ、自分個人は、ミケ様をはじめ皆様の純粋な姿勢には、敬意を表したいと思います。
- 99 :うサギ:2010/04/08(木)
19:57:09 ID:UtKVqJLA0
- さて、準々シュダオンさん、ならび、読者のみなさま。
準々シュダオンさんが回答していない質問は以下のとおりです。
彼は、いつまで、どこまで、逃げ回るつもりなのでしょう。
しょせんこれが、アゴン宗の自称「準々シュダオン」です。
「準々シュダオン」でさえこのざまです。ということは、
キリ山師の程度も知れたモノですね。では、ごらんください。
前スレより
>>978【「辞典に
あろうがなかろうが」「実体験として」
うざい」というような語を「使ったからと言って、
坊や、というわけにはいかない」と思いますか?
と聞かれたら「はい」と応えますか?】
>>983 >>958子供は、蠅の子がウジ虫だと思っ
ているらしいw。
上記部分の意味がわかりませんので具体的に解説をお願いします。
>>989
>>985うサギさん、理屈っぽい、
逃げますか? >>978 >>983に応えられないんですね?
応えられない自分を「準々シュダオン」ではなく、
ただの負け犬だと思いませんか?
>>985その姿勢では、現世での阿含宗の修行は無理だね。
現世での阿含宗の
修行」を私が望んでいると
私が書いているレスがあれば示してもらえませんか?
>>985来世でのチャンスを待ちたまえw。
私が「来世でのチャンス」を待ち望
んでいると
書いているレスがあれば示してもらえませんか?
以下はこのスレより。
>>19だから、批判派のでたらめな理屈
に、少しはレスして、過ちは正していきたいと思う。
あなたは、自分のレスには論理的整合性はないと自認している人が
他人のレスを「でたらめ」と評し「過ちを正」すことは可能だと思いますか?
>>20その証拠が、王者の相承がきた、ということなのだ。
それが生理現象である可能性がゼロではないことを
あなたは否定しませんでしたよね?
否定するチャンスがあったのに「いいえ」と返答しませんでしたね?
>>40あなたの質問に答えないのは、何時までも幼稚園の質問に、付き合って
いられない、からですよ。
「幼稚園の質問」ならばなおさら即答してもらえませんか?
それともあなたが幼稚園児以下なので応えられないのですか?
なぜ、そんな言い訳までして逃げ回るのですか?
それでは「負け犬」根性丸出しではないですか?
- 100 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/08(木) 20:15:07 ID:SmEF4Oe2O
- >>76:準シュダオン10/04/08(木) 09:17:47
ID:agsP6ENM0
>修行やり過ぎを戒めてるのは、管長も同じく説いています。
>管長は、「のめり込んではいけない」と、戒めています。
>のめり込む、というのは、私の言葉でいうと、修行やり過ぎになるのです。
私の聴いた法話は逆ですね。
梵行はでしゃばってやるくらいで宜しいとやり過ぎにも似たことを奨励しています。
やってやり過ぎることはないと言いたいようです。
但したしかにやり過ぎというものはあります。
ではどういうのがやり過ぎなのかということは、これは常に個別に具体例を挙げないと
検証できません。
例えば供養に関しては生活が破産するまでヤルとか。
奉仕梵行についても、例えば一家の専業主婦が亭主や子どもの晩御飯も考えないで
コンビニから弁当でも買って食わせて、自分は道場で運営奉仕ばかりしている
なんてのはやり過ぎですよね。
しかし今日4月8日はご存知花まつり灌仏会だが、各本部道場や地区道場においても
甘茶を注ぐイベントをささやかに開催しているものと思われる。
掲示板に書き込みなどできる暇があるのなら、その時間を道場に足を運んで
単なる参拝でなく、飛び入りの運営奉仕も常に受け付けてくれるから、
全日いる必要はないが、自分の可能な時間帯だけ与えられたお役に奉仕することは
やり過ぎに相当しますか?
>また、私が修行を、何もしないと、誤解するようではいけないねw。
だからそれを証明する為に自分の日頃の具体的な梵行を書いてみればいいのです。
逆に書かねば話にならない。
ちなみに私は自分自身の梵行体験が極貧だったから、他人に対する尺度もかなり
甘いですよw
>ユビさんは、修行の要諦は何だと思ってるのですか?
>護摩木勧進や、身捧げや、道場運営に関わることが、修行だと勘違いしてる
>のではありませんか?そういうことを、仕事にしては、いけないのです。
>それでは修行になりません。
では何が修行であるのかそちらこそ具体的に示さねばならんでしょう。
- 101 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/08(木) 21:00:13 ID:SmEF4Oe2O
- >>77:準シュダオン10/04/08(木) 09:30:08
ID:agsP6ENM0
>管長のサインを貰うのは、お金を出せば簡単だから、大した修行ではない、
>とのユビさんの見解は、笑いたくなるほどの愚かさだねw。
>管長が、十分に教団に貢献した、と評価して、サインをくださるのですよ。
>それを、ユビさんは、管長の評価基準は間違ってる、というわけだ。
いえ、あなたは実際に最低10冊以上の著書を残さずに配布したのだからそれは
大したものですよね。
私はそもそもこの施本の煽りには乗らなかった方です。
そもそもサイン本だのサイン色紙なんて欲しいとも思わないし。
でも数ではなく施本自体はしたことがあります。
あの施本イベントは売り出したばかりの新著の売れ行きを伸ばすキャンペーン
なんですが、私はそれを無視して、相手に合わせて著書を選んでいた。
相手の興味関心特性を考えて最も心の琴線に触れそうと思う著書は何か苦心して
考えて購入してプレゼントするのです。
その中には在庫として余ってしまったのが1〜2冊くらいありました。
要はお導きに結びつけたいわけで新著の売れ行きなど関係ないしサイン色紙も関係ない。
しかしそうは言っても有縁無縁の人に10冊渡したあなたは私よりも上とこの件は
素直に認めます。その新著がその人の運命にどんな影響を与えようかわからないのは
チラシまきの精神と同じですからね。
しかし桐山さんがそれを評価したなんて見るのは間違いです。
なぜなら施本の実績は誰に配ったかではなく、誰に配る予定であれなかれ、書店から
10冊以上購入した領票があればサイン色紙やサイン本を申し込む資格があるのです。
だから本当に10人以上に施本したかどうかなんて桐山さんにはわからない。
わかるならば「ちょっと待て、お前はまだ自宅に残していよう」と透視できて
サイン本を出すのを保留にするはずだ。しかしそんなことはない。
これは護摩木でも同じで、何人に何本書かせたかではなく、その人が何本買ったかです。
特別祈願大護摩木を購入して自分で書けば、はい、千本勧進者の誕生です。
実際に他人に書いてもらうたのが30本ならば勧進数30なのに。
>そりゃ、お金がある人には、サインを貰うのは簡単かも知れない。
>しかし、お金の無い人には、逆立ちしたって貰えないではないか。
いや、千円程度の著書を十冊程度なんて一万円で済み、社会人には無理なく出せます。
- 102 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/08(木) 21:18:48 ID:SmEF4Oe2O
- >>78:準シュダオン10/04/08(木) 09:38:24
ID:agsP6ENM0
>私の場合は、買った護摩木は、他人にも書かせてるし、本は確実に友人や
>知人に手渡ししている。ユビさんは、そういう行動をしていないから、
>護摩木勧進や施本を、笑うことができるのでしょう。
>実際に行動していたら、とても笑うことは出来ないでしょうね。
笑ってなどいない。
今に始まったことでなく昔から施本は大したものだと認めているでしょう。
ただ所詮は購買に過ぎないとしたわけです。
護摩木勧進は私も例外ではなく、自分で書いた分はかなり多いものの他人に書いて
もらった数はあります。
でもなかなか数多く勧進できるものではありません。
千本二千本勧進なんてできません。
しかし千本二千本勧進者と認められて法施グッズもいくつも買えました。
でも実際には数十本程度ならば、こちらの方が本当の実績のはずなんですよね。
それが本人以外見えずに法施グッズをもらえたことが恥ずかしい。
あなたは恥ずかしくもなく管長が認めた栄養だと喜んでいるわけですよね?
ならば法施ももらえたあなたも千本二千本勧進達成者のあなたはその中で他人に
勧進できた比率は相当高いんでしょうな?7割ですか?8割ですか?
あなたは五千円か一万円相当の護摩木も購入しておいたのが余り、何を書こうかと
考えて金運如意とか自分で書いたらしいが。
- 103 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/08(木) 22:24:17 ID:SmEF4Oe2O
- >>79:準シュダオン10/04/08(木) 09:48:49
ID:agsP6ENM0
>しかし、私は、始めは我利我利で良い、と主張します。
>そりゃ、何時までも我利我利では、困るね。
>だが、いずれ、利他に気付くんですよ、そのための修行ですから。
気が付いていないではないですか?
あなたは読書の世界で利他だの描いてみせた。
しかし所詮は現実実践に基盤を持たないものだけに、いざ現実を突き付けられると
利他を忘れてしまった。
名無しさんから地区道場における貢献を示されて考えたこともないと書いた時です。
それが当初考えたこともなかったが、最近は自分の因縁解脱など眼中になく
ひとえに地区道場での他人様のお世話に生き甲斐を感じ、我利我利亡者だった
自分がこんなに利他の精神が育ったのは自分でも吃驚しているとか、その激変を
書いてでもくれれば少しは説得力もあるものの、相変わらず自分自分自分ばかりではないか。
アゴン宗の梵行とはアゴン宗的に利他行なんですよ。
これに目覚めることもなくやり過ぎはいかん、足りなくてもよいなんて忌避して
いる事実はよほど利他が嫌いなんでしょう。
これだから現実実践に足をつけていない人は駄目だ。
- 104 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/08(木) 22:38:43 ID:SmEF4Oe2O
- >>95:準シュダオン10/04/08(木) 13:41:34
ID:agsP6ENM0
>阿含宗が偽仏教に見えるのは、短慮だからだべよ!
>わたすが、チベット仏教の大アジャリ、チョゲ・ティチン師から、三帰依戒、
>三昧耶戒、ミラレバ福徳長寿潅頂伝法の伝授を受けたのは、1993年の
>ことだった。調べるとわかると思うが、チベット仏教の教えでは、三帰依戒
>を受けるだけで、障害に遭わず、病気にも罹りにくく、長寿を得る福徳が
>ある、となっています。
どうして現実を見ないのだろう。
その有難い灌頂を受けた3年後に灌帳受けた大将の桐山さんが脳梗塞の発作を起こし
呂律が回らなくなり、その後何度も入院を繰り返して苦しんだではないか?
これは灌頂に力がなかったからですか?
三昧耶戒を守らなかったからですか?
- 105 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/08(木) 23:08:10 ID:SmEF4Oe2O
- >>95:準シュダオン10/04/08(木) 13:41:34
ID:agsP6ENM0
>阿含宗が偽仏教に見えるのは、短慮だからだべよ!
>わたすが、チベット仏教の大アジャリ、チョゲ・ティチン師から、三帰依戒、
>三昧耶戒、ミラレバ福徳長寿潅頂伝法の伝授を受けたのは、1993年の
>ことだった。調べるとわかると思うが、チベット仏教の教えでは、三帰依戒
>を受けるだけで、障害に遭わず、病気にも罹りにくく、長寿を得る福徳が
>ある、となっています。
桐山さんが10億円を騙し取られたと話したのもこの灌頂を受けてより後のことです。
この人的災難障害に遭わなくて済むことはできなかったのか?
日本人女性の平均寿命も全うできずにガンで亡くなられた副管長は灌頂を受けてなかったのか?
- 106 :準シュダオン:2010/04/09(金)
08:51:54 ID:agsP6ENM0
- ユビキタスさん、何も道場運営ばかりが利他行ではなかんべさw。
よく考えればね、自分の煩悩を減らすことだって、利他行なんだよ!
なぜか?それはね、自分の貪・瞋・痴を減らすだけで、人あたりが良くなる
でしょう。無財の七施も、ごく自然に実践できる、それは利他行です。
護摩木祈願も同じく利他行です。
例えば、「入社試験合格」や「入学試験合格」を祈願したとする。
短慮だと、これは自利・我利の祈願にしか思えないであろう。
しかしだね、よく考えたら、社会に就職浪人や受験浪人があふれたら、
社会が不安定になって、困るでしょ。
だから、入社試験合格も入学試験合格も、社会の安定に繋がっているのです、
つまり、利他行でもあるのです。
批判派はそこに気がついていないね。
だから、護摩木祈願が、煩悩を煽るようにしか見えないのです。
- 107 :準シュダオン:2010/04/09(金)
09:02:58 ID:agsP6ENM0
- 前に、世界の大富豪のウォーレンのこともレスしたね。
彼は、資産の大部分を慈善事業に寄付してしまった。これは利他行です。
こういう精神を持った人であれば、「商売繁盛」の護摩木祈願も利他行に
なります。つまり、自利我利=利他、になってしまいます。
ここに気がついたら、自利の護摩木祈願も利他行ですよ。
- 108 :準シュダオン:2010/04/09(金)
09:31:32 ID:agsP6ENM0
- 「子供は、ウジ虫は蠅の子だと思っているらしい」とレスしたのはね、
ちょうど、うサギさんに、過去のウン○レスに拘るのは、愚かだから止め
なさいな、とレスしてた時だったのよ。
それで、タイミングが合ったのでレスしたのです。
ドラマ「臨場」でのこと。新聞記者の子供が学校で虐めに合っているのです。
背中に「ウジ虫」と書いた紙を貼られて、皆にはやされて、泣いてるのよ。
なんでウジ虫にされたか、というと、父親が新聞記者だからです。
虐めてる側の子供の母親は、その新聞記者に付きまとわれて、迷惑のあまり、
何時も「帰れ!蠅!」と、その記者に言っていたのです。
で、その様子を見ていた、母親の子供は、学校で、新聞記者の子供を虐めて
いるのです。母親が新聞記者に虐められているから、その仕返しをしている
わけです。
新聞記者の子供に、「お前は蠅の子だから、ウジ虫だ」と、言って、紙に
ウジ虫と書いて、子供の背中に貼ったりしていた。
私も、よくわからんけど、ウジ虫は蠅の子とは違うでしょ?
まぁ、そういうことです、あまり拘らないでよ、兎さん。
- 109 :深山:2010/04/09(金)
12:37:48 ID:xNEzJAFk0
- >>81 :準シュダオン:2010/04/08(木) 12:25:35 ID:agsP6ENM0
>「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
はい、必要です。
なぜなら、あなたはアゴン宗信者として世間に公表しているのに、
アゴン宗側はそんなことは認めていないからです。
準シュダオンさんはアゴン宗の信者として、アゴン宗の教義である王者の
相承を受信したと言っている。
つまり、アゴン宗という宗教の範囲で受信したと言っているのです。
だが、桐山さんはそんなことは認めていない。
たとえば、信者ではないヂミズさんがアナゴンになったと宣言しても彼の勝手です。
だが、アゴン宗の信者がアナゴンになったと勝手に宣言することは許されない。
これと同じで、アゴン宗の信者である準シュダオンさんが、
アゴン宗の売り物である王者の相承を受信したと宣言するのは、
店員が商品を店長に断りもなしに持ち出したようなもので、窃盗です。
王者の相承はアゴン宗の商品なのです。
アゴン宗では無料では配布していないのに、これを無料で手に入れたというのだから、
あなたは今のままでは立派な泥棒です。
- 110 :深山:2010/04/09(金)
12:42:26 ID:xNEzJAFk0
- >>81 :準シュダオン:2010/04/08(木) 12:25:35 ID:agsP6ENM0
>「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
あなたはアゴン宗預流向を自称している。
桐山さんが、信者ならアゴン宗預流向だと認めた、ととれる文章をあなたは示した。
だから、あなたが預流向を自称するのは今のところかまいません。
つまり、アゴン宗では預流向は無料なのです。
だが、王者の相承は違います。
伝法会で桐山さんが発射したというデンパを受信したという程度は許されるが、
あなたみたいに桐山さんではなく、総本殿から、勝手な時間に受信したなどというのは
アゴン宗では認めていない。
王者の相承のデンパ受信は無料ではありません。
だが、あなたは受信料すらも払っていない。
あなたのしたことは、衛星放送のスクランブルを勝手に解除して
ただで受信したようなもので、これが社会的にも違法であるように、
アゴン宗においても違法行為です。
一つだけ違法でなくなる道がある。
それが桐山ゲイカに認めてもらうことです。
桐山ゲイカ宛に宗務局に上申書を届け出るか、伝法会などで質問で出してみることです。
桐山ゲイカが霊視して、「準シュダオン君は間違いなく王者の相承のデンパを受信した。
ついにデンパを受信できる信者が現れた」と折り紙をつけてもらって初めて
あなたは世間に宣言してもいいのです。
でも、あなたはものすごくズルイ人だから、そんなことをするつもりはさらさらない。
- 111 :深山:2010/04/09(金)
12:49:54 ID:xNEzJAFk0
- >>81 :準シュダオン:2010/04/08(木) 12:25:35 ID:agsP6ENM0
>「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
あなたは、仮に桐山ゲイカに直接お伺いするチャンスがあっても、
絶対に王者の相承のことは言いませんよね?
そこがあなたのものすごくズルイところであり、だから、古狸なのです。
そんなことをしたらどうなるか、あなたも批判側の書き込みを読んで、
タダでは済まないらしいことを、薄々気がついている。
前にも何回か書いてあげたことだが、もう忘れているだろうから、
もう一度警告してあげましょう。
アゴン宗をまともな組織だと思ったら大間違いで、道理や理屈が一番通じないのがアゴン宗です。
あそこは桐山さんという王様の支配する国であり、
桐山さんの好き嫌い、気分次第ですべてが決定される。
職員はじめ取り巻きは桐山さんの顔色をひたすらうかがっている。
桐山さんの気分を損ねたらどうなるかみんな知っているからです。
一番わかりやすい国でいえば北朝鮮です。
組織がメチャクチャなのも、道理が通用しないのも、元は、すべては
この桐山さんのやり方が原因です。
あそこでは桐山さんが道理であり法律であり裁判官であり、死刑執行人です。
だから、アゴン宗で生きていくには、桐山さんの好き嫌いをしっかりと理解し、
彼の気分を損ねるようなことは絶対にしてはならない。
桐山さんへの反対意見、苦言はもちろん、彼のミスを指摘したら命取りです。
実際、それをした職員は排斥され、因縁をつけられ、意地悪なことをされ、
罪をなすりつけられ、全員いられなくなった。
逆に桐山さんが喜ぶのは一にオベッカ、二にお金、三に人集めです。
これらの桐山さんの本音を実のよく理解し、実践しているのがW田さんとF田さんです。
だから、彼らは生き残り出世した。
- 112 :うサギ:2010/04/09(金)
12:55:04 ID:UtKVqJLA0
- >>108
私も、よくわからんけど、ウジ虫は蠅の子とは違うでしょ?
いいえ。蛆(ウジ虫)は蠅の幼虫です。つまり、「蠅の子」です。
これでやっと、あなたのレスの意味がわかりました。
「w」をつけたのは、イジメの様子をおもしろがっているのではなく
「お前は蠅の子だから、ウジ虫だ」と言っている子供の言葉が
間違っていると思って「w」を付けたのですね。
しかし蠅の子はウジ虫で正解です。
これで準々シュダオンさんが、何をおもしろがっていたのか理解できました。
(参考サイト:蛆
- Wikipedia <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%86>)
一応フォローしておくと、ウジ虫についての知識がないことより
イジメの様子をおもしろがることのほうが恥です。
だから今回準々シュダオンさんは、私の質問に回答することによって
あなたに対する私の誤解を自ら解いたことになります。
このように、私の質問に、どんどん回答してください。
それが、名誉回復の機会になるかもしれませんよ。
- 113 :深山:2010/04/09(金)
12:59:37 ID:xNEzJAFk0
- >>81 :準シュダオン:2010/04/08(木) 12:25:35 ID:agsP6ENM0
>「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
桐山さんはアゴン宗を自分の最大の財産として猛烈な執着を持っている。
これを傷つける者は、たとえ家族であっても絶対に許さない。
桐山さんの執着と、逆に自分と自分の財産を傷つけた者への復讐心はすさまじい。
改訂版の『変身の原理』の後書きに、二十数年前に桐山さんを批判した作家を
取り上げて、その小説をボロクソに罵った。
批判内容に反論したのではなく、小説をあざ笑ったのです。
作家は直木賞を取ったから、桐山さんは恨みだけでなく、嫉妬も含めて罵倒したのです。
二十五年もたっているのに、まだ恨みと嫉妬が忘れられず、復讐したのです。
桐山さんがどれほど執念深い性格か、これをみてもわかる。
アゴン宗という財産に強く執着し、身勝手で復讐心ばかり強烈な桐山さんの
大事な財産に、準シュダオンさんは手をつけてしまった。
あなたは気が付いていないだろうが、ものすごく恐ろしいことをしているのです。
私は、桐山さんの強烈な執着や怒りや恨みや復讐心を生で見たことがあるから、
その彼の財産に手をつけて喜んでいるあなたは本当に勇気があるなあと感心する。
わかりやすいたとえでいうなら、あなたはヤクザの持ち物を勝手に持ち出し、
「もらってきた」と称して、身につけて喜んでいるようなものです。
桐山さんの本当の姿を知らないとはお幸せなことです。
- 114 :深山:2010/04/09(金)
13:03:41 ID:xNEzJAFk0
- >>81 :準シュダオン:2010/04/08(木) 12:25:35 ID:agsP6ENM0
>「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
王者の相承は桐山アゴン宗の大事な大事な商品です。
因縁切り、霊障解脱、超能力開発など、桐山さんはいくつも商品開発をして、
これをウリに人々から金を巻き上げてきた。
王者の相承は、アゴン宗のウリの一つである超能力開発では一番重要な商品です。
なぜなら、桐山さんは超能力なんて持っていないし、開発法も知らない。
だから、具体的な内容は何一つ教えられません。
その矛盾を一気に解決してくれるのが王者の相承です。
王者の相承なら技法なんて教えなくても、「ビビッ」で済んでしまう。
桐山さんの手法ってすべてこの安易なパターンで、それを象徴するのが、
「エイッ」というあの九字です。
気合いをかけると念力で火がつき、死者が成仏し、カルマがぶち切れ、
仏陀の智慧が付き、守護霊が付き、世界が平和になるのだから、便利この上ない。
桐山さんのしていることは全部この子供騙しです。
超能力開発も王者の相承というビビッです。
中身は誰にもわからず、送信も受信もすべて桐山さんの手の内です。
桐山さんが送信したと言えば送信したことになり、
「A信者は受信した」とお墨付きをつければ受信したことになる。
つまり、桐山さんは王者の相承という大事な商品を渡すのに、
信者の勝手など絶対に許さない。
守護霊や守護神がそうであるように、いつでも取り上げられるようにしておく。
超能力開発というアゴン宗の一番のウリの最後の切り札が王者の相承なのです。
桐山さんにとってはものすごく大事な商品なのです。
準シュダオンさんはなんとこの大事な商品に手をつけてしまった。
あなたは気が付いていないようだが、この商品に手を付けて、
七年間も世間に吹聴しまくっているのは、あなたしかいない。
このことを知ったら桐山さんはどう反応するだろうか。
- 115 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/09(金) 13:08:39 ID:SmEF4Oe2O
- アゴン宗利他についてはどうして道場などの運営奉仕梵行でなければならないのか
後でじっくりアゴン宗教義を教えてあげます。
>>108:準シュダオン10/04/09(金) 09:31:32
ID:agsP6ENM0
>私も、よくわからんけど、ウジ虫は蠅の子とは違うでしょ?
知らなかったのなら教えてあげますが蝿の幼虫を蛆と呼ぶわけです。
ですから蛆、ウジ虫が成長して蝿になるわけです。
だから蝿の子はウジ虫です。わかりましたか?
- 116 :深山:2010/04/09(金)
13:12:02 ID:xNEzJAFk0
- >>81 :準シュダオン:2010/04/08(木) 12:25:35 ID:agsP6ENM0
>「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
桐山さんは、王者の相承を準シュダオンさんが無料で受信したと
世間に公表していることに激怒するばかりか、預流向を名乗ったことにも怒ります。
預流向は、桐山さんは認めているのだから、本当は準シュダオンさんのほうが正しい。
だが、アゴン宗は桐山ゲイカの天下であり、彼の好悪で物事が決まるから、
桐山ゲイカの気分を害したら、もはや理屈ではありません。
あなたが「いや、ゲイカはちゃんと信者は預流向だとこのとおり
書いていますよ。批判側ですら認めた」などと言おうものなら、火に油を注ぐことになる。
あなたはこんなふうに書くと、私の脅かしだと思うだろうが、
実例がこのスレでもいくつか出てきた。
その典型が、「このバカ、つまみ出せ」事件です。
普段の桐山さんを知らない人はあれを見て仰天した。
だが、短気ですぐに人を怒鳴りつけるのが桐山さんの普段の姿です。
もう一つが、ガンになって桐山ゲイカに助けを求めた信者の例です。
桐山さんは「アゴン宗をやめなさい」と泣いて助けを求める信者をたたき出した。
そればかりか、あれを機関誌に掲載したのだから、さらし者にしたのです。
桐山さんを信頼して言われたとおり修行をしたが、ガンになり、
困り果てた修行者への指導が、出ていけであり、これをさらし者にしたのです。
2ちゃんねるでミケさんが、桐山さんが「意地悪は嫌いだ」と発言したのを
紹介していたが、桐山さんは意地悪というよりも、底意地の悪い人です。
ガン信者の件をわざわざ機関誌に掲載したのは、桐山さんを怒らせたらどうなるか、
信者たちにミセシメを示したのです。
こういう情けも容赦もない桐山さんが、自分の大事な王者の相承を
勝手に持ち出し、世間に自慢しまくっている準シュダオンさんを見たら、
誉めてくれるだろうか、それとも・・・・。
桐山さんには弁解とか、抗議なんて通用しない。
ガン信者への対応のように、一刀両断するのが彼は格好が良いと思っているのです。
だから、無実の罪を着せられて、名誉をけがされて追い出された職員や先達を
私だけでも何人か知っています。
- 117 :深山:2010/04/09(金)
13:23:06 ID:xNEzJAFk0
- >>81 :準シュダオン:2010/04/08(木) 12:25:35 ID:agsP6ENM0
>「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
前にも警告したことをもう一度書きます。
気をつけたほうがいいですよ。
周囲を見渡してごらんなさい。
あなたほど書いている信者は今たった一人しかいない。
他の信者はたまにしか書かないし、大半は名無しです。
もう一人のペテン大作さんですら、たまにしか来ない。
それには理由があって、私が特定されないように気をつけろと警告したからです。
あなたやペテン大作さんは目が批判側にしか向いておらず、
後ろのアゴン宗を自分の味方だと思っている。
だが、それは桐山さんとアゴン宗を知らないからです。
あなたもペテン大作さんも行歴は長いが、ボン行をしていないから、
アゴン宗と深く関わることがなく、アゴン宗がどういう所か、理解していない。
ただの短気でワガママ親父の桐山さんを勝手に理想化している。
あなた方が気をつけなければならないのは批判側ではなく、あなたが味方だと思っているアゴン宗です。
後ろから石が飛んできたらよけようがない。
そして、ここに身をさらしている信者は、あなた一人です。
- 118 :深山:2010/04/09(金)
13:30:02 ID:xNEzJAFk0
- >>81 :準シュダオン:2010/04/08(木) 12:25:35 ID:agsP6ENM0
>「何で、宗務局に申告する必要があるのですか?」
これまで好き勝手に書いていられたのは、誰もあなたのことを桐山さんに
上申しないからです。
職員は言われた事以外は危ないからしない。
だが、何かのはずみで桐山さんの知るところとなったら、タダでは済まない。
あなたを特定しようと捜索が始まります。
あなたがネットで書いていることを知っている信者がいるはずだから、
宗務局が準シュダオンさんを捜索し始めたら、簡単に見つかってしまいますよ。
書いている内容、推定年齢からあなたの周囲の信者を探し出し、
情報提供を求めれば、そこからあなたを特定できる。
なにせあなたは七年近くも、あなたの個人情報と、なによりも
主張内容にかなり特徴的なことを書き続けている。
いくら、前ハンドルの書き込みはウンコだとあなたが主張しても通用しません。
あなたは意識せずに周囲の信者にあなたの独特の主張を話しているから、
捜索始まれば、周囲の信者は「ああ、あの人だ」と気が付く。
なにせアゴン宗は信者が少ない。
しかもあなたは地方道場ですよね。
宗務局が信者の情報を提供してくれれば、私ですら絞り込むことがでます。
- 119 :準シュダオン:2010/04/09(金)
13:50:31 ID:agsP6ENM0
- いやぁ、ユビキタスさんは博学ですねえ!
蠅の幼虫が蛆虫なんですか!
これで、また一つ利口になった。
ちょうど、過去のウン○レスに拘るな、とレスしてたら、テレビドラマで
ハエとウジ虫やってたからね、よく山中の野生動物などのウンコにハエや
ウジ虫がたかっている姿を連想して、可笑しかったのです。
- 120 :準シュダオン:2010/04/09(金)
13:59:44 ID:agsP6ENM0
- うサギさんにも、ハエとウジ虫の関係を教わったけど、そのように私の一般
的知識が欠けてる面もあるわけです。
子供の虐めを笑ったのではなくて、子供が「ハエの子がウジ虫」と思って
いたことが可笑しかったし、過去のウン○レスとのタイミングでね、
可笑しかったわけよね。
今回は、子供の方が私より利口だったわけだw。
- 121 :準シュダオン:2010/04/09(金)
14:13:01 ID:agsP6ENM0
- 管長が脳梗塞になろうと、副管長が平均寿命より早く亡くなろうと、あまり
判断基準にはならないのですよ、ユビさん。
なぜなら、因縁切りの修行をしていなければ、もっと悪い状態だったろう、
と、判断するからです。
なぜ、そのように判断するのか、不思議ですか?
それは、私の体験を基準にして、判断したからです。
ユビさんの修行体験と、私の修行体験は違う。
一方はインチキと判断したし、一方は本当だと判断した。
それで、いいのではありませんか?
私の体験を、ユビさんに押し付けたりしませんから、
ユビさんの体験も、他人に押し付けないでくれませんか?
- 122 :ラシン:2010/04/09(金)
15:21:47 ID:q4iXIS7Y0
- 仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 (単行本)
桐山 靖雄 (著)
上記著書に関するカスタマーレビュー転載
何方が書いたかは批判側ならすぐわkるでしょう。
39
人中、22人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
阿含経の解説本ではありません, 2008/2/2
By Cre4深
典型的なオカルト仏教書です。
現代語訳は大半が正しいが、解説は仏教解説ではありません。
こんな本を読んで阿含経を学んだと思うのは間違いです。
たとえば、著者の桐山師は因縁解脱が仏教の解脱だという。
だが、桐山師が引用した阿含経のどこにも因縁解脱などありません。
この本では阿含経にはない因縁解脱をあるかのように見せかけている。
そればかりか、桐山師はお釈迦様の説いた煩悩解脱を小解脱と非難している(p.176)。
お釈迦様が説いたのは煩悩解脱であり、因縁解脱などどんな阿含経にもありません。
解脱の意味すら違うのに、これのどこが「仏陀の真実の教え」なのでしょう?
お釈迦様が霊魂を説いたなどと、信じられないような珍説まで飛び出す。(p.252)
仏教では霊魂は無記といい、その存在の有無は議論しないのです。
桐山師によれば梵行とは不成仏霊・霊障のホトケを成仏させることだという。(p.175)
仏教の梵行とは性欲を慎むことで、死者など関係ありません。
死者の成仏を説いた阿含経など存在せず、阿含経には霊障など出てきません。
このように桐山師の阿含経解説のほとんどすべてが原文の阿含経とは似て非なる内容です。
桐山師独自の宗教観を阿含経に書いてあるかのように見せかけ、
自分こそが仏教の解脱者であると宣伝したいようです。
仏教を知らない人たちに大変な誤解を与える本です。
阿含経のお釈迦様の教法を知りたいなら、まず中立的な学者の解説を
読むことをお勧めします。
- 123 :ラシン:2010/04/09(金)
15:55:51 ID:q4iXIS7Y0
- >121 :準シュダオン:2010/04/09(金) 14:13:01
ID:agsP6ENM0
管長が脳梗塞になろうと、副管長が平均寿命より早く亡くなろうと、あまり
判断基準にはならないのですよ、ユビさん。
なぜなら、因縁切りの修行をしていなければ、もっと悪い状態だったろう、
と、判断するからです。
さてこのお方、この弁明が恐ろしく矛盾していることに
気づかない、ようはこれが限界でしょう。
桐山さんはオシャカの成仏リキで因縁を切ったと宣言している。
桐山さんは、解脱供養と冥徳供養を成就し奥さんは三福道の実践により、
それらに多大なる教団貢献をしていたはずです。
そして桐山さんは、そのオシャカのジョウブツホーの体現を誇り、
その辺の伝統仏教や新興宗教とは違うのだ、と喧伝していたのですよ。
それが何だと?
そのどこにでもある新興宗教の信徒が補弁するような、
修行をしていたからこの程度の事故や病気で無事を得た〜だと?
あなたはそんな話しで、お茶を濁すつもりか?
だが、そう言わざるを得ないあなたの事情が教団事情なのだ。
現実に桐山さんは、薬事法違反という刑獄の因縁、脳梗塞という
脳障害の因縁、愛人醜聞という色情の因縁を信者に見せ付けた。
罰金刑をくらい医療にすがり和解金支払というどれもこれも現実の
実態処理で解決したに過ぎない。
これのどこに因縁切り修行の成果が見えるのか?
あなたがそれでも頑迷に信じるのは自由ですよ。
それを「押し付けたりしませんから」などと言えるそのあなたの
厚かましさが、余りにも異常なのだとだけ言っておく。
>>122のレビューを読んで、疑問を持つくらいの信者なら、
まだ普通の人間としての知性が残っていると考えられるからだ。
- 124 :準シュダオン:2010/04/09(金)
18:58:53 ID:agsP6ENM0
- ウジ虫を検索したら、蠅の幼虫、という説明がドバーと、出てきたねw。
人を罵る場合も、言うのだってね、兎さん、ユビさんのお陰で、勉強したよ。
今までは、漠然と、昆虫などの幼虫がウジ虫だと思っていたからねぇ。
ハエの子は違うと思っていたよW。
私の、そのような誤解は、仏教経典の上にも、あるんだろうね。
でも、それは、批判派にもあって、お互い様だと、思うんですよ。
チベツト仏教ではさ、三帰依戒の実践だけで、究極の悟りまで行ける、
と、説いてるみたいですね。障害を避け、病気になりにくく長寿を得る、
というのは、一時のご利益。他の生き物を救済する仏の徳性を得るのが、
究極のご利益、と説いてるみたいです。
私も、まだまだ、勉強途上で、わからない、ことだらけですけどね。
管長の説く、「賢劫の千仏」は、チベット仏教にも、あるようです。
ティロバは、その弟子ナロバに、12年間も仏法を説かず、無視し、虐めた
という。なんでなのかなあ?それは、悟りに必須科目であったからですね。
楽を知るためには、苦を知らねばならぬ、これが私の単純な理解です。
そのために、ティロバはナロバを無視したと思う。師の慈悲、でしょうか。
お釈迦さまは、王者の相承なんて、説いていないかも知れない。
しかし、有余涅槃から、無余涅槃になって、事情が変わったのかも知れない。
無余涅槃になれば、王者の相承が可能になるのかも知れないね。
私はそう思うのだけど、
管長は、王者の相承を受けるためには、浄行・梵行と錬行が必要だと説いて
いますね。心解脱行と、錬行(体を鍛える行)が、必要だという。
そのことについては、後日のレスといたしましょう。
- 125 :準シュダオン:2010/04/09(金)
19:47:00 ID:agsP6ENM0
- チベット密教ではさ、三帰依戒も、仏法僧の三宝に帰依するのとは違うのよね。
それだけではなくて、ラマを仏と見なして、帰依しないといけないね。
阿含宗の場合にあっては、管長を仏と見なくてはいけないわけよ。
チベット仏教を応用すると、そうなるの、わかる?
それと、自分に内在する、自分の仏性にも帰依するわけですね。
まだ、私も勉強中で、詳しくはわからないのだけどね。
いずれ、斯陀含になった自覚が出来たら、管長に、私のオーラの検査をして
頂いて、オーラが出ていたら「阿含宗ヨガタントラ王者の相承派」の立ち上
げを申請して、認めて貰いたいと、思うね。
これは、宗務局に申告しなさい、と言う、修行やり過ぎ名無しさんの意見で、
思いついたことなのよ!有難うね、名無しさんw。もしかしたら、
私が、王者の相承を受けましたと、宗務に申告する日が、本当にあるかも知
れないよ!
梵行もね、塵も積もれば山となる、というようにね、継続が大切ね。
少ない供養でも、継続していたら、いつしか山となるわけよ。
梵行やり過ぎて疲れた、インチキだ、と判断したら、それでお終いよ。
「及ばざるは過ぎたるに勝れり」という、家康の言葉は含蓄があるね。
及ばざる梵行・供養も、積もれば山となる。
過ぎたる梵行供養で、退会したら、お終いさw。そんなの、何でもない。
- 126 :名無しさん:2010/04/09(金)
20:57:57 ID:Gtlkz0SI0
- 準さん、あんたはおもしれー人だな。
擁護役としては完全に役不足だが天然だw
準さんの年代で、アゴンに純潔があると思っている人は珍しい。
私は最初、準さんは本当は大幹部か宗務局のお偉いさんが、
カムフラージュでボケたふりして擁護しているとも勘ぐったが、
違ったね。リアルだね。
にしても、ツッコミ所が満載すぎて、どこから手を付けて
よいやらと。
が、深山さんが昨日と今日、見事な書き込みをしているので、
それを準さんもじっくりと読んでくださいな。
あんたは、本当に危ないところをキャッキャと喜んで歩いている。
>>125
>これは、宗務局に申告しなさい、と言う、修行やり過ぎ名無しさんの意見で、
>思いついたことなのよ!有難うね、名無しさんw。
別に敵に塩を送ったわけじゃないけどね。
でも準さん、あんたスゲーことやるね。
あんたは勇者だよ、勇者。
しかし申告する時は前もって言ってください。
準さんとは永久の別れになると思んでね。
でもね、準さんのために前もって鎮魂歌を捧げます。
オラが三味線を奏でるだ。
- 127 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/09(金) 22:29:00 ID:SmEF4Oe2O
- >>106:準シュダオン10/04/09(金) 08:51:54
ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさん、何も道場運営ばかりが利他行ではなかんべさw。
どうしてアゴン宗道場では「さあ、君たちに利他の徳を積む数々のメニュー揃った
梵行のチャンスを与えてやるぞ」と用意してくれているのにどうしてこれを素直に
実行しようとしないばかりか忌避の姿勢を示すのだろう?
「これをやりなさい」と命じた梵行メニューをこなした上でまだ飽きたらず
自分なりの創意工夫の道を示すならばまだわかるが。
アゴン宗がどうして梵行メニューを「特定化」するのかその理由を吐き気をこらえながら
教えてあげるが、その前に基本的な心構えを。
>>107:準シュダオン10/04/09(金) 09:02:58
ID:agsP6ENM0
>前に、世界の大富豪のウォーレンのこともレスしたね。
>彼は、資産の大部分を慈善事業に寄付してしまった。これは利他行です。
>こういう精神を持った人であれば、「商売繁盛」の護摩木祈願も利他行に
>なります。つまり、自利我利=利他、になってしまいます。
>ここに気がついたら、自利の護摩木祈願も利他行ですよ。
つまり護摩木で祈って商売繁盛で潤ったらその金も慈善事業に寄付してやっから
待っとれよというのがあなたの利他心なんですか?
それはあなたに少しも利他の心が芽生えて育っていない証拠です。
本当に利他心があればそんな遠い将来に期待して後延ばしにするのではなく
今この瞬間に自分がして差し上げることはないだろうか?と考えます。
あなたの言う和顔施、和語施もあるが五体満足ならば当然身体を使う奉仕もある。
体力に自信がない人でもパソコンで書き込みができるだけね体力のある人ならば
座って実践できる護摩木判押しとかチラシ折りとか会報発送梵行などもある。
無理なくできるわけです。
教団に奉仕するということは人様に役立つ利他に他ならない。(そろそろ吐き気)
だから誰にでもできることを自分もまた時間と身体を捧げるのです。
これを渋る奴は利他心のない我利我利亡者の証明です。
- 128 :うサギ:2010/04/10(土)
00:21:18 ID:UtKVqJLA0
- >>124
ウジ虫を検索したら、蠅の幼虫、という説明がドバーと、出てきたねw。
準々シュダオンさんも「検索」するんですね。だったら、「うざい」という言葉が
わからないと書く前に「検索」すればよかったのになぜしなかったんですか?
要するに、あなたの目の前のウェブブラウザの検索欄に「うざい」と入力するか
コピペしてエンターキーを押すだけでよかったのに、なぜわざわざ古い辞典を
持ち出して、それに載っていないなんて書いたのでしょうか?
そんな回りくどいことをした「動機」を教えてもらえませんか?
それからあなたはまだ、>>99に再掲している質問の中の1つにしか応えていない。
たとえれば、負け犬度100%が80%になったようなものです。
>>99の残りの質問にはいつになったら回答されるおつもりですか?
まだまだ逃げ回るつもりですか?
- 129 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 08:21:30 ID:SmEF4Oe2O
- >>106:準シュダオン10/04/09(金) 08:51:54
ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさん、何も道場運営ばかりが利他行ではなかんべさw。
>よく考えればね、自分の煩悩を減らすことだって、利他行なんだよ!
>なぜか?それはね、自分の貪・瞋・痴を減らすだけで、人あたりが良くなる
>でしょう。無財の七施も、ごく自然に実践できる、それは利他行です。
>護摩木祈願も同じく利他行です。
>例えば、「入社試験合格」や「入学試験合格」を祈願したとする。
>短慮だと、これは自利・我利の祈願にしか思えないであろう。
>しかしだね、よく考えたら、社会に就職浪人や受験浪人があふれたら、
>社会が不安定になって、困るでしょ。
>だから、入社試験合格も入学試験合格も、社会の安定に繋がっているのです、
>つまり、利他行でもあるのです。
後半の部分は「我々は幸福になる義務」があると説いた桐山さんの主張と似た
部分も見受けられます。我々が幸福になれないで不幸の因縁のままでいることは
世の中にも迷惑を掛ける。だから不幸を脱して幸福を得ることは権利よりも義務なのだと。
しかしこの主張は決して護摩木祈願などを指していない。
お願いごとがある、祈る、叶うなんてその都度の対処療法的な簡単な構図ではない。
幸福になれず不幸になるには、そういう因縁の条件がある。
だから因縁解脱をしなければ根本解決とはならず不幸は続くのです。
因縁解脱に励むことが我々の義務であると主張するわけです。
そして因縁解脱を成し遂げることは護摩木祈願では得られない。
どうしても別の利他実践により徳を積むことが絶対必要条件なんです。
その利他実践も他を潤すことならなんでもよいというわけではなく、世間福ならぬ
出世間福=梵福を得るようなものでなければならない。
梵福を得る行を梵行と言う。(アゴン宗では)
あなたが金を得てその金を世間に役立ててもそれは世間福にしかならない。
世間福とは世間の因縁の支配下にあるものだから真の幸福=解脱には至らない。
因縁によっては悪く作用することすらある。いくらこちらに善意があろうとも。
しかし善事、ボランティアの実践は福を呼ぶ。しかしそれは輪廻の先の来世に得られる
福であると桐山さんは説く。つまり現世の悪因縁を切ることはその世間福では不可能だ。
世間の因縁を超える、因縁を切るのは出世間福でなければならぬ。
つづく
- 130 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 09:03:35 ID:SmEF4Oe2O
- >>106:準シュダオン10/04/09(金) 08:51:54
ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさん、何も道場運営ばかりが利他行ではなかんべさw。
さてその出世間福とは世間の因縁を超越したホトケの世界の福です。
これを得るにはホトケの事業に関するものでなければならない。
ホトケの事業とは何か?それは「抹殺されたシャカを世に出す」ことです。
仏教がこれだけ広がってはいても、親鸞であれ道元であれどいつもこいつも偽物だ。
阿含経にしか説かれてない七科三十七道品のシャカの成仏法は現在はアゴン宗にしか
生きていない。南伝諸国も戒律しかないし。(桐山説)
だからアゴン宗を世に出す、アゴン宗の布教活動に参加して自らを役立てることが
出世界福=梵福を得る梵行なのです。
尚この世間福、出世間福、梵行という実際に仏教でも使われる用語は、アゴン宗の
それとは全く意味が異なるのですが、ここでは時間の都合上解説を割愛します。
とにかくアゴン宗が世にシャカの成仏法を広める聖なる事業(朝から吐き気を堪える)
に役立つ手足になる、縁の下の力持ちになるのが梵行奉仕実践です。
例えば京都の星まつりがありますね。
あれはアゴン宗が世に法を問いホトケを示す最大行事です。
シャカを世に出す大聖業です。しかしこのイベントもいかに桐山大導師かいたとて
裏方の努力がなければ実現も不可能です。
だから会場整理でも交通整理でもなんでもよいから運営奉仕に参加する。
これで初めて大聖業は成し遂げられる。
桐山大導師と縁の下の力持ちたちの努力によって成し遂げられたのです。
これをホトケは喜ばれる。ホトケが感動する。
ホトケが感動して初めて感応道交が起こるのです。
人間相手だってそうでしょう?この人本当に一生懸命で頭が下がるな。よし、支援
してあげよう。ホトケも同じです。ホトケを感動させて動かす。
そこに初めてホトケからの加被力が生じる。
余裕をかましながらほどほどにだの、まして何もしないで自分は護摩木だけ書いて
ナモナモ祈ってるだけの奴には見向きもしない。
だから世間の他のボランティアではないアゴン宗限定のアゴン宗梵行奉仕実践が
幸福になる義務を果たす為の必須事項なんです。
- 131 :準シュダオン:2010/04/10(土)
09:12:34 ID:agsP6ENM0
- 「うざい」を検索しなかったのはね、この言葉が、将来、日本語として定着
していくのか?あるいは、一時的なギャル言葉の流行にすぎず、消え去って
いく言葉なのか?それがわからないから、辞典で調べたのですよ。
- 132 :準シュダオン:2010/04/10(土)
09:28:34 ID:agsP6ENM0
- ユビキタスさんには智慧が足りないよ。
ウォーレンの例を出したら、応用して考えなさいよ。
日本の企業にも、儲けの一部は、伝統的に社会に還元してきた企業がある
でしょうが。そういう企業は、我利我利企業ではないの。
護摩木祈願が、煩悩の煽りに思えるのは、己の心が我利我利、だからですよ。
常に、儲けの一部を社会に還元している商売人には、他人の護摩木祈願も、
社会に還元している人の、護摩木祈願に見えるのです。
だから、全く煩悩には見えないのです。
また、梵行の手段は、無数にあります。そして、梵行の価値判断を、凡夫が
するのは間違いです。どの梵行が価値が高いとかね、凡夫が判断したとて、
間違うだけです。そういう判断をしてきたから、ユビさんの修行はすすまな
かったのですよ。
- 133 :準シュダオン:2010/04/10(土)
09:38:20 ID:agsP6ENM0
- ユビさんの我見のひどさには、大笑いだね。
護摩木書いてナモナモ祈ってる人にも、果報はありますよ。
星祭りに出仕修行したとて、護摩木書いて祈る人がいなかったら、
護摩が成り立たないでしょうよw。
それとも、自分で書いた護摩木を、自分で焚くのかね?
それでは、我利我利護摩じゃないのよw。
他人が書いた護摩木を、成就するように炊き上げるから、利他行なのです。
そのあたりの考えが、ユビさん、浅いね。
- 134 :準シュダオン:2010/04/10(土)
09:48:29 ID:agsP6ENM0
- せっかく、薬師如来の十二大願の例まで出してるのに、ユビさんは理解でき
ていない。
薬師如来が、衆生の病気を除き、衣食住の心配を除き、必要なものを与えて
くれるのは、衆生の仏道修行が進むためですよ。
それを理解しながら、出世間福、世間福、を考えなさいな。
- 135 :準シュダオン:2010/04/10(土)
10:21:49 ID:agsP6ENM0
- ユビキタスさんは、チベット仏教も、少しは勉強してみなさいな。
わたしも勉強途上ですけどさ、阿含宗と同じようなとこも、ありますよ。
(当然でしょ、仏教だものw)
例えば、修行を供養するのが、一番高い修行(梵行)とされています。
修行を供養するとは、ラマの教えを実践することです。
阿含経でいえば、37道品を実践することです。
この修行供養をする場合は、他に何もする必要がありません。
修行供養が出来ない人は、ラマの下僕となって、いろいろなお世話をする
必要があります。阿含宗のいう、身捧げ行と同じです。
これが、修行供養の次に高い修行(梵行)です。
そして、この身捧げ行も出来ない人は、財供養をする必要があります。
この財供養が、一番低い修行(梵行)と、チベット仏教では、されています。
まぁ、財がない人は、それも出来ないわけですけど。
三帰依戒を受けるだけで、ご利益がある、ともされているようです。
真心を込めて、三宝を礼拝し、導師を礼拝し、自分の仏性をも礼拝する。
それだけでも、修行は進む、とされているみたいです。
- 136 :準シュダオン:2010/04/10(土)
12:03:58 ID:agsP6ENM0
- 修行やり過ぎ名無しさんには、悪いけど、私、深さんのレスは、スルー
してるのよ。彼のレスは、思いこみが激しくて、推測で成り立ってる論だ
からね。過去レスの別ハンドルと今の私が、全くの同一人物と思い込んでさ、
矛盾してる内容があると、ボケタとくるw。
もしかしたら別人かも?と、考える想像力が無いのかしらね?
或いは、双子か三つ子が同一ハンドルでレスしてるかも、とかさw、
そういう推理力が、人には必要だよ。
それを、深さんは、己の勘を絶対視してさ、可笑しいよ。
だから、深さんは、三供養品・三善根の解釈も、何とかの一つ覚えだね。
この経は、三善根が無貪瞋痴だという知識がない人の方が、むしろ正確に
経の内容を理解できますね。
え〜と、名無しさんのいう、私が危ないところを歩いてる、の意味が理解
できないね。私は、入行した頃が一番危ない時期でね、ある挫折もあって
さ、それが、今は仕事の合間にテレビ見ながら、レス出来る身分だよ。
もしかしたら、あの時、入行していなければ、今頃はホームレスしてたか
も知れないのだからね。
まぁ、歴史にたら、ればは、ないのだけどね。
- 137 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 12:07:32 ID:SmEF4Oe2O
- >>132:準シュダオン10/04/10(土) 09:28:34
ID:agsP6ENM0
>ウォーレンの例を出したら、応用して考えなさいよ。
>日本の企業にも、儲けの一部は、伝統的に社会に還元してきた企業がある
>でしょうが。そういう企業は、我利我利企業ではないの。
そうですよ。だからウォーレンの社会還元は価値がある利他です。
しかしここでは利他に対する一般論を語っているのではないのです。
桐山さんが必要だからやれという利他としての梵行を論じているのです。
その梵行は世間の因縁を超えたホトケの世界に貢献するものでなければならず、
そうでないボランティア的な寄付などは来世の福になることはあっても現世の
因縁を切るには至らないと述べているのです。
だからいくらウォーレンが社会還元をしても彼にガンの因縁があったらそれは
社会還元の功徳では切れないとしているのです。
常識で考えても金を還元することと病気とは関係ない。
>また、梵行の手段は、無数にあります。そして、梵行の価値判断を、凡夫が
>するのは間違いです。どの梵行が価値が高いとかね、凡夫が判断したとて、
>間違うだけです。そういう判断をしてきたから、ユビさんの修行はすすまな
>かったのですよ。
だから桐山さんがこれをやれと梵行メニューをいくつも示しているのですよ。
だから弟子ならば我見で判断、独断せずまずそれをすることです。
それをやった上でこういうのも梵行になるとアイデアを提案して自らすればよい。
どうして桐山梵行メニューを嫌い、忌避するのか?実践しないのか?
また桐山メニューの代替となるいくつもある梵行とは、具体的にはどんなものか
実際にあなたが実践したものを具体的に示してみなさい。
- 138 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 12:35:10 ID:SmEF4Oe2O
- >>132:準シュダオン10/04/10(土) 09:28:34
ID:agsP6ENM0
>ウォーレンの例を出したら、応用して考えなさいよ。
>日本の企業にも、儲けの一部は、伝統的に社会に還元してきた企業がある
>でしょうが。そういう企業は、我利我利企業ではないの。
ウォーレンの儲けの一部を社会に還元する話と護摩木に商売繁盛を祈って
これまた社会還元にも繋げる話を混同してはなりません。
ウォーレンの企業は現実に事業を展開して儲けを得たのです。
事業、商売とは社会の何らかのニーズに応えた商品なりサービスなりを正当に
販売することによって得た利益です。
この利益をさらにまた還元した。
つまり先に何らかの社会貢献をしてそれに対する対価を得たのです。
初めに相手に尽くす行為ありきです。
護摩木祈願なんて単に自分が祈るだけではないか?
何?護摩木代を先に支払っている?
だから単に金で買い物をしたに過ぎないと論じているのです。
ウォーレンの事業と比較にもならないのです。
- 139 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 12:50:55 ID:SmEF4Oe2O
- >>133:準シュダオン10/04/10(土) 09:38:20
ID:agsP6ENM0
>護摩木書いてナモナモ祈ってる人にも、果報はありますよ。
一般人ならともかくもアゴン宗で因縁切りを志して入行したからには、いつまでも
自分で書いて祈願するばかりでなく、それもしながら、それを超えた活動を
しなければならないのです。
人に勧めるのもそうですし、その護摩を焚くイベントに身体の方でも役に立つように
貢献する。
>星祭りに出仕修行したとて、護摩木書いて祈る人がいなかったら、
>護摩が成り立たないでしょうよw。
そうです。だから修行者は修行申し込みの際、誓願やら実績を書かされる。
自分が護摩木を書かずに修行だけ参加も認められない。
以前に千鳥ヶ淵墓苑の法要があった時、護摩木や塔婆の売り上げが著しく低かった。
よもや修行で参加している者でも護摩木を書かずに参加している者はなかろうな?
と叱咤が先達から飛びました。
>他人が書いた護摩木を、成就するように炊き上げるから、利他行なのです。
>そのあたりの考えが、ユビさん、浅いね。
だから誰がお焚き上げるのだ?
大導師と共にお焚き上げするということで一体化するためには、お役なんてどこでも
なんでもかまわないが、必ず縁の下の力持ちとして現地修行に参加していなければ
利他などとサービスを提供するサイドの言葉は吐けない。
一般参拝者と変わらぬサービスを受ける立場に過ぎない。
- 140 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 12:53:34 ID:SmEF4Oe2O
- つまり護摩木を書いて祈願を添えるという行為と、護摩をお焚き上げすることに
自ら労力を提供して参加することの「両方」が求められている。
- 141 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 13:14:39 ID:SmEF4Oe2O
- >>134:準シュダオン10/04/10(土) 09:48:29
ID:agsP6ENM0
>せっかく、薬師如来の十二大願の例まで出してるのに、ユビさんは理解でき
ていない。
どうしてここに桐山さんさえ偶像に過ぎぬとその実在を否定している薬師如来なんか
出てくるのか?ここは準シュダオン教スレではなく桐山アゴン宗スレです。
護摩木で祈ったらガンの因縁も切れてガンも治る、かからないと言うのか?
それなら桐山因縁解脱修行なんて不要で都合が悪い。
因縁切りは奉仕梵行も必須の修行によらねば切れぬと説くのです。
>それを理解しながら、出世間福、世間福、を考えなさいな。
ちょうどこの後にあなたがチベット仏教の話を出しているからこれに世間福、
出世間福をあてはめて考えるとよくわかる。
>>135:準シュダオン10/04/10(土) 10:21:49
ID:agsP6ENM0
>例えば、修行を供養するのが、一番高い修行(梵行)とされています。
>修行を供養するとは、ラマの教えを実践することです。
>阿含経でいえば、37道品を実践することです。
>この修行供養をする場合は、他に何もする必要がありません。
>修行供養が出来ない人は、ラマの下僕となって、いろいろなお世話をする
>必要があります。阿含宗のいう、身捧げ行と同じです。
>これが、修行供養の次に高い修行(梵行)です。
>そして、この身捧げ行も出来ない人は、財供養をする必要があります。
>この財供養が、一番低い修行(梵行)と、チベット仏教では、されています。
先に私は世間福、出世間福の用法がアゴン宗と阿含経とは異なると述べましたね。
アゴン宗ではウォーレンのごとき世間のボランティアによって得る来世の福を
世間福として、正法を伝える出家集団に供養して得る功徳を出世間福とした。
しかしこれは違うのです。
出家集団に供養して得るのが世間福なのであり、出世間福とは在家でも自ら戒律を受けて
戒律を実践して煩悩を減らす修行をする人が得る煩悩が減る福を出世間福と言うのです。
だからそのチベット仏教の場合、修行供養、すなわち自分が修行することだけが
出世間福であり、ラマの世話をしたり財供養などは世間福に属します。
これらが全て「梵行」という言葉で分類されているのですか?
あなたの調べたチベット仏教の本では?
出典を示しなさい。
- 142 :うサギ:2010/04/10(土)
13:37:35 ID:UtKVqJLA0
- >>131「うざい」を検索しなかったのはね、この言葉が、将来、日本語として定着
していくのか?あるいは、一時的なギャル言葉の流行にすぎず、消え去って
いく言葉なのか?それがわからないから、辞典で調べたのですよ。
そこで、あなたは何かを得ましたか?
結局は批判派にいろいろ教えてもらうことになった。
もともとはあなたは「うざい、の言葉、知らんわい」だった。
しかも、「最近はやりの、小ギャル言葉」だとあなたは勘違いしていた。
しかし実際は、たしかに新語ではあるけれど、最近の辞書にも載っている
汎化した言葉であり、単なる「ガキの使う語」ではなかった。
そうだとわかった時点であなたは、自分のレスに自分で反論を始めた。
「辞典にあろうがなかろうが、実体験としてあるので、
そういう語を使ったからと言って、坊や、というわけにはいかない」と。
前スレの>>978からの質問をまたまた聞きます。わかりやすく書きかえました。
【「辞典に
あろうがなかろうが」「うざい」というような語を使ったことが
「実体験として」あれば、それらを「使ったからと言って、坊や、というわけにはいかない」
とあなたは思いますか?
】
ちなみに、あなたが思っている以上に広い世代でこの言葉は使用されていますよ。
もう逃げないで応えてくださいね。
- 143 :準シュダオン:2010/04/10(土)
13:56:13 ID:agsP6ENM0
- うサギさんの質問は、理屈っぽくて、わかりにくいよ。
「私に、うざい、という言葉を使った体験があれば、坊やと言わないのか?」
との質問なのですかい?
だとしたら、そりゃ、そうですよ。
うざいという言葉は、私が社会に出て、しばらく経ってから出てきた言葉
ですもん。わたしは使ったことがない。
その言葉使うだけで、「若い人」と思いますよ。
- 144 :準シュダオン:2010/04/10(土)
14:23:31 ID:agsP6ENM0
- チベット仏教の場合は、梵行とか供養とか修行とか、明確な言葉の定義が
未だ無いように思いますね。
1、修行を供養する。
2、1を出来ない人は、ラマの下僕となって仕え、奉仕する。
3、1も2も出来ない人は、財を供養する。
と、そのようになっています。そうすることによって、障害を避け、
病気には罹りにくくなり、解脱が進んで行く、と、説かれています。
世間福、出世間福と区別するのも良いですが、チベット仏教の場合は、
これが同時進行していくみたいです。
三帰依戒を受けるだけで、ご利益がある、とされています。
管長は、ラマでもあります。昭和58年に、ニンマ派から正式な法号と共に
ラマの資格を得ています。チベット仏教において、ラマは三宝と同等です。
だから、その教えに依れば、管長に帰依しただけでも、障害を遠ざけ、
病気には罹りにくくなり、長寿を得る、という利益があることになって、
います。
チベット仏教は有難いですね。
タントラのティロバによれば、解脱はグルに任せておけば良い、と説いて
ますよ、修行などせんでよろしい、とね。
管長は、王者の相承を受けるためには、心解脱行が必要だと説いています。
このチベット仏教レスは、主にネット上に出ているものから採用しましたよ。
- 145 :うサギ:2010/04/10(土)
14:32:20 ID:UtKVqJLA0
- >>143うサギさんの質問は、理屈っぽくて、わかりにくいよ。
わかりにくいですか。そうですか。
あなたが質問を勝手に変えてしまったので、もう一度書きますね。
なぜ質問が長くなるのかというと、あなたの言葉を引用しているからです。
だから、>>142の質問のしかたを短く変えるとこうなります。
【「うざい」というような語を使う人はみな、
「坊や」ということになるんですか?】
これならば応えやすいでしょう。どうですか?
- 146 :準シュダオン:2010/04/10(土)
14:37:37 ID:agsP6ENM0
- ユビキタスさんみたいに、堅苦しく考えてはいけないよ。
じゃあ、例えばさ、全信徒が、例祭の道場運営のお役を申し込んだら、
どうなるの?
星祭りに、全員が出仕修行を申し込んだらどうなるの?
参拝者は、会員外の一般人がチラホラ見えるだけ、だったりして。
ユビさんみたいな、決めつけは間違いです。
護摩木は金で買っただけなので、修行効果は薄いとか、それは素人考えです。
修行も供養も、小さくても継続すれば山になるのです。
この道理を無視する、ユビさんみたいな見解を、邪見、と言って、これは
我見の一つですね。
- 147 :準シュダオン:2010/04/10(土)
14:44:26 ID:agsP6ENM0
- うざいという語を使う人はみな、坊やということになるのか?
とね。
わたしらの年代から見たら、それは私らより、年少者だと判断される
のが普通でしょうね、私の推測だけどね。
- 148 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 15:22:16 ID:SmEF4Oe2O
- >>144:準シュダオン10/04/10(土) 14:23:31
ID:agsP6ENM0
>チベット仏教の場合は、梵行とか供養とか修行とか、明確な言葉の定義が
>未だ無いように思いますね。
ならば梵行という用語がチベット仏教で3段階に分けて共通して使用表記されている
と誤解を与える書き込みはやめてサイト元の表現に忠実に示しなさい。
出家に供養すれば福が得られることなどチベット仏教を出さずとも釈尊もそう説く
のだから当たり前です。
但し解脱とその福は別なんだということです。
解脱は修行供養、すなわち修行実践でしか得られない。
それからネットで見つけたのならば、そのURLをコピペして示すくらい正々堂々と
出さねばなりませんね。
>>146:準シュダオン10/04/10(土) 14:37:37
ID:agsP6ENM0
>じゃあ、例えばさ、全信徒が、例祭の道場運営のお役を申し込んだら、
>どうなるの?
>星祭りに、全員が出仕修行を申し込んだらどうなるの?
>参拝者は、会員外の一般人がチラホラ見えるだけ、だったりして。
これは桐山さんに言いなさい。全信徒参拝ではなく修行者として参加しなさいと
話しました。
例祭などもなるべくある期間継続的に運営奉仕に携わるのが求められるのだが、
いずれにしてもやったことがないでは意味がない。
何度か継続してやったことがある。
しかしこれで終わりでなく今後もやる予定ですでなくてはならない。
ファミリーなどに属すると修行参加をするよう指導されますよ。
>修行も供養も、小さくても継続すれば山になるのです。
また一般論でごまかす。
だからその供養でない小さな修行の方を具体的に示してみなさい。
それをどのくらい継続しているのかも含めて。
そうでなければ評価のしようがない。
繰り返して申し添えておくが、私があなたに求めるささやかなる修行実践の
基準、ハードルなど甘いものです。
あなたの言うようにやり過ぎでない頻度とか内容を常に頭に描いている。
- 149 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 15:27:45 ID:SmEF4Oe2O
- >>147:準シュダオン10/04/10(土) 14:44:26
ID:agsP6ENM0
>うざいという語を使う人はみな、坊やということになるのか?
>とね。
>わたしらの年代から見たら、それは私らより、年少者だと判断される
>のが普通でしょうね、私の推測だけどね。
またごまかしている。
うサギさんに対して坊やと罵ったのはあなたです。
単に自分よりも年少の若い人なんですねと感想を述べたのではない。
なぜならば大のおとなに対して相手に坊やなんて言うのは侮辱に相当するのですよ。
言葉を慎みなさいな。
私は若者言葉も理解して時には使ってもみる高齢者がいれば、その人の頭は柔軟であり
常に新しい情報を得る努力も怠らないことに敬意を表しますよ。
- 150 :うサギ:2010/04/10(土)
15:30:18 ID:UtKVqJLA0
- >>147わたしらの年代から見たら、それは私らより、年少者だと判断される
のが普通でしょうね、私の推測だけどね。
なるほど。しかし、あなたはまた、言葉を入れ替えましたね。
「年少者」ではなく「坊や」です。または、「ガキ」「子供」という
言葉もあなたは用いています。では、質問のしかたを変えましょう。
【「うざい」というような語を使う人はみな、
「坊や」「ガキ」「子供」ということになるんですか?】
つまり、「子供」の対義語として「大人」という言葉を用いれば、
以下のように質問することもできます。
【「うざい」というような語を使う人はみな、
大人ではないということになるんですか?】
あなたが、質問に率直に応えず、意図的にか無意識にか質問の一部を
勝手に変えてしまうので、同じ質問を繰り返すことになっています。
勘弁してください。よろしくお願いします。
- 151 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 15:31:32 ID:SmEF4Oe2O
- >>146:準シュダオン10/04/10(土) 14:37:37
ID:agsP6ENM0
>星祭りに、全員が出仕修行を申し込んだらどうなるの?
>参拝者は、会員外の一般人がチラホラ見えるだけ、だったりして。
これは当たってますけどね。
つまり参拝者なんて言っても圧倒的多数信者に過ぎない。
信者同士でじゃれあっているだけで、世に問いかけなんてことにもなっていないのです。
- 152 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 17:22:39 ID:SmEF4Oe2O
- >>121:準シュダオン10/04/09(金) 14:13:01
ID:agsP6ENM0
>管長が脳梗塞になろうと、副管長が平均寿命より早く亡くなろうと、あまり
>判断基準にはならないのですよ、ユビさん。
>なぜなら、因縁切りの修行をしていなければ、もっと悪い状態だったろう、
>と、判断するからです。
こんな言い訳は通用しません。これがあなたや私のような一般信者、元信者ならば
そんな希望的言い訳も可能かも知らんが因縁切りを提唱して有余依涅槃を果たした
と表明した桐山大将が実はまだ因縁切れてなかった。
それともアゴン宗のウヨエネハンってまだ因縁が切れてないのですか?
桐山さんはグモンジ聡明法を成就し、グモンジ脳の獲得宣言者です。
大天才ならずとも頑健な肉体と脳だけはたとえ修行に入る時期が高齢の遅きに
なっても保証しようと著書の宣伝に書いた人です。
桐山さんは50歳よりも前にグモンジ修行を初めたのではなく50歳よりも前に
グモンジ法を成就したのです。
どうしてこのグモンジ脳が脳梗塞を起こす?
どうして10億円騙し取られることを防ぐことすらできぬ?
信者から搾取した浄財ですぞ。
>なぜ、そのように判断するのか、不思議ですか?
>それは、私の体験を基準にして、判断したからです。
>ユビさんの修行体験と、私の修行体験は違う。
>一方はインチキと判断したし、一方は本当だと判断した。
>それで、いいのではありませんか?
別にあなたがあなたなりの判断を示そうが知ったことではない。あなたにこちらの
判断を強制するつもりなどありません。
しかし私は私の判断を示すのみなんだから、気に入らなかったならば無視していなさい。
しかしそのあなたの体験というのがわからない。
俺は一部の自覚していた因縁が最近は特に致命的な事故も起きてないから
(ちなみに私も何も致命的な事故は退会後も起きてません)俺は因縁が切れたか
薄らいだかのように判断してみたくなったのであり、それに対して桐山大将が
因縁が切れてなかろうが知ったこっちゃないという意味ですか?い
- 153 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 17:37:23 ID:SmEF4Oe2O
- >>146:準シュダオン10/04/10(土) 14:37:37
ID:agsP6ENM0
>じゃあ、例えばさ、全信徒が、例祭の道場運営のお役を申し込んだら、
>どうなるの?
>星祭りに、全員が出仕修行を申し込んだらどうなるの?
>参拝者は、会員外の一般人がチラホラ見えるだけ、だったりして。
あなたに見える心は自分が申し出なくたって誰かがやって成立するんだったら
それでいいじゃんという他人任せの気持ちです。
しかし星まつり現地修行者も参加希望者が減りキャンセルも増え、それに対して
桐山さんが例祭法話の席で激怒したそうですね。
だったら決して飽和でなく不足しているのだから、自分でよければ参加させて
いただきますと申し出るのが利他の心の芽生えた人の行う行動選択のはずではないか?
結局あなたには少しも利他心などない。
星まつり?ああ、金で護摩木で払ったから現地で不足しようが何が知ったこっちゃないよ
という薄情者です。
薄情者なら薄情者でせめて自分に利他心があるなどと自惚れるのはやめてはどうか?
これが行歴20年以上の成果か?
我利で始まり未だに我利しかない。
70歳で入行した人が20年かけて我利が利他に変わらぬまま90歳で臨終を
迎えたとする。この信仰成果のない人生に何の意味がある?
- 154 :深山:2010/04/10(土)
18:28:07 ID:hVOCOYYo0
- >>132 :準シュダオン:2010/04/10(土) 09:28:34
ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんには智慧が足りないよ。
>>133
:準シュダオン:2010/04/10(土) 09:38:20
ID:agsP6ENM0
>ユビさんの我見のひどさには、大笑いだね。
>そのあたりの考えが、ユビさん、浅いね。
>>134 :準シュダオン:2010/04/10(土) 09:48:29
ID:agsP6ENM0
>それを理解しながら、出世間福、世間福、を考えなさいな。
>>135 :準シュダオン:2010/04/10(土) 10:21:49
ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんは、チベット仏教も、少しは勉強してみなさいな。
準シュダオンさんは二言目には、智慧が足りないとか、大笑いなどと人を
小馬鹿にした態度で、それでいてハエとウジの関係すら知らない。
ユビキタスさんの反論は完全無視して、自らは何も根拠を示さず、
「考えなさい」「勉強しなさい」などと偉そうにお説教だけする。
「うざい」という言葉に噛みついて相手を小馬鹿にしたつもりが、
逆にシッポをつかまれて振り回された。
自分の無礼を認めて、撤回すれば簡単なのに、頑迷に一歩も譲らない。
もう春だというのに、まるで準シュダオンさんの所だけは北風が吹いて、
脳味噌が凍り付いているみたいです。
寒いのに、ステテコ姿の老人が鼻水を垂らし、ガタガタ震えながら、
「いやあ、暑い暑い」とウチワで扇いでいるような光景です。
あまりに悲惨すぎるか、狂っているか、あるいは両方かもしれない。
- 155 :深山:2010/04/10(土)
18:32:16 ID:hVOCOYYo0
- >>133 :準シュダオン:2010/04/10(土) 09:38:20
ID:agsP6ENM0
>ユビさんの我見のひどさには、大笑いだね。
信者さんたちに私は元信者として、自分の反省を含めて助言するなら、
間違いはさっさと認めて軌道修正するのが一番近道です。
桐山さんも準シュダオンさんも、ほんの些細なことですら、
絶対に自分の間違いを認めない。
どんな根拠を示され、間違いを指摘されても、どこまでも頑迷に自分の主張を言い続ける。
まるでだだっ子ですよね。
擁護側とか批判側といった立場を抜きにして、自分の間違いを認めないという
その頑迷さにおいてすさまじい人だと思いませんか。
桐山さんも同じなのですよ。
偽ビールの件を桐山さんは未だに認めてはいない。
あれは先祖の作った霊障のカルマのせいであり、十八人の霊障武士のせいであり、
仏が課した十界修行だと言い訳を並べて、宗教教義にしてしまった。
だが、現実は桐山さん本人が為した詐欺です。
先祖も仏も関係なく、彼自身が判断して、途中で止めるチャンスが
二度もあったのに、そこでも自分で判断して続けた。
自分の非を認めないばかりか、これを霊障や仏のせいにして、
自分の犯罪から一生逃げ続けた人です。
嘘をついたことを認めないで次の嘘をつくと、ますます嘘は巨大化して、
ついにはアゴン宗という嘘だらけの宗教ができあがった。
信者さんたちは桐山さんや準シュダオンさんを反面教師として学ぶべきです。
- 156 :深山:2010/04/10(土)
18:36:36 ID:hVOCOYYo0
- >>136 :準シュダオン:2010/04/10(土) 12:03:58
ID:agsP6ENM0
>修行やり過ぎ名無しさんには、悪いけど、私、深さんのレスは、スルー
>してるのよ。彼のレスは、思いこみが激しくて、推測で成り立ってる論だ
準シュダオンさんは、私の文章は読んでいないといいながら、読んでくれているようだし、
スルーすると書いていながら、レスをつけてくれているようで、ありがとうございます。
私もあなたの口から出任せの無責任な書き込みなんかどうでもよく、
ただ信者さんたちへのアゴン宗批判のネタに使わせていただいているだけですので、
お気遣いいただく必要はありません。
相変わらず、私の批判を推測だ、思いこみだと批判するが、
では何がどう推測なのか、なにが思いこみなのかは何も書けない。
批判されても何も反論できないのが悔しいからでしょう?
つきあいが長いので、あなたが桐山さんと同じで、負けず嫌いが高じて、
頑迷で絶対に自分の非を認めない卑怯者だということはよく知っています。
- 157 :深山:2010/04/10(土)
18:40:49 ID:hVOCOYYo0
- >>136 :準シュダオン:2010/04/10(土) 12:03:58
ID:agsP6ENM0
>だから、深さんは、三供養品・三善根の解釈も、何とかの一つ覚えだね。
>この経は、三善根が無貪瞋痴だという知識がない人の方が、むしろ正確に
>経の内容を理解できますね。
私か指摘した内容について具体的に反論してみればいいではないか。
三善根には別な意味があるとあなたは主張した。
前回のあなたの反論は、「他の阿含経では三善根の説明があるのに、
三供養品だけは説明がないから、意味が違う」というものでした。
もっとも前回だけでなく、前にも何度もあなたは同じ事を主張して、
そのたびに私から反論されて、沈黙するしかなくなった。
なぜなら、あなたの主張は自己矛盾している。
もし三供養品の三善根の意味が無貪・無瞋・無癡とは違うなら、
釈尊は逆にここで説明しなければならないのです。
「これまでとは意味の違う三善根を説く」と言うべきなのに、何もない。
説明をしないということは、他の阿含経の三善根と同じ意味なのです。
『岩波仏教辞典』
「無貪、無瞋、無癡の三つを三善根という」
ごらんのように、三善根といったら、無貪・無瞋・無癡以外の意味などありません。
他の意味があるというなら、阿含経や学者の解説から引用してください。
あなたの勝手な解釈はいりませんから、証拠を示してください。
- 158 :深山:2010/04/10(土)
18:44:00 ID:hVOCOYYo0
- >>136 :準シュダオン:2010/04/10(土) 12:03:58
ID:agsP6ENM0
>だから、深さんは、三供養品・三善根の解釈も、何とかの一つ覚えだね。
>この経は、三善根が無貪瞋痴だという知識がない人の方が、むしろ正確に
>経の内容を理解できますね。
もう一つのあなたの主張は、「桐山ゲイカは意味を考えて三福道と訳した」
というものです。
これはアゴン宗の教義から言っても根拠がない。
桐山さんは経典を訳したとは言っていない。
三供養品には、三福道と三善根と訳された二つの経典があると述べているのです。
桐山さんが言ってもいないことをいつまでもここで主張するのは
桐山さんに対しても失礼です。
桐山さんが言ってもいないことを、勝手作りだし、自惚れのタレにつけて、
ここに繰り返し書かれるのは実に「うざい」。
桐山さんが訳したなどと言っていない証拠を再度掲載しておきましょう。
しっかりと読んで勉強しなさい。
- 159 :深山:2010/04/10(土)
18:50:20 ID:hVOCOYYo0
- 「・・『増一阿含経・三供養品 三福道』と同内容で異訳本の
『阿含経・三供養品 三善根』(以下「三善根」)を講義いたします。」
(『社会科学としての阿含仏教』277頁)
ごらんのように、桐山さんは三福道を増一阿含経の三供養品にあるとはっきり明示している。
桐山さんが訳したのではなく、漢訳経典に同じ内容の経典が二つあると述べているのです。
だから、あなたの主張はアゴン宗から見ても嘘であり、根拠がない。
また、桐山さんの上記も嘘です。
教祖も嘘つきなら、信者も嘘つきで、しかも間違いを指摘されても蛙の面に水。
増一阿含経の三供養本には三福道などないことは、下記のところに
『國訳一切経』から三供養品の10個の経典を全部引用して示した。
>>1「agama考察室」→「阿含宗関連資料掲示HP」→「目で見る阿含宗管長桐山氏の嘘とインチキ」
→「阿含経の捏造 1 三供養品に存在しない“三福道”」
私はあなたみたいに口先でペラペラと何かわかったかのように主張しているのではなく、
このように具体的な証拠を示しているのです。
解釈でもなければ、説明でもなく、証拠です。
準シュダオンさんあなたの空っぽなくせに偉そうな態度は「うざい」から、
これが違うというなら、あなたも証拠を示してみなさい。
- 160 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/10(土) 20:14:37 ID:SmEF4Oe2O
- >>135:準シュダオン10/04/10(土) 10:21:49
ID:agsP6ENM0
>例えば、修行を供養するのが、一番高い修行(梵行)とされています。
>修行を供養するとは、ラマの教えを実践することです。
>阿含経でいえば、37道品を実践することです。
>この修行供養をする場合は、他に何もする必要がありません。
>修行供養が出来ない人は、ラマの下僕となって、いろいろなお世話をする
>必要があります。阿含宗のいう、身捧げ行と同じです。
>これが、修行供養の次に高い修行(梵行)です。
>そして、この身捧げ行も出来ない人は、財供養をする必要があります。
>この財供養が、一番低い修行(梵行)と、チベット仏教では、されています。
>>144:準シュダオン10/04/10(土) 14:23:31
ID:agsP6ENM0
>1、修行を供養する。
>2、1を出来ない人は、ラマの下僕となって仕え、奉仕する。
>3、1も2も出来ない人は、財を供養する。
チベット仏教の話とは言え、面白いことに気付きました。
1の修行供養は文句なしとして、2の奉仕供養と3の財供養の間だけ見てもランク分け
がされている。準シュダオンさんは供養や修行の優劣など凡人にわかり得ようか
などと示したが、自分の出した資料(?)にちゃんとランク付けがされていた。
それによると身体奉仕供養よりも財供養の方がランクが低いのです。
どうして準シュダオンさんはわざわざランクが低いと明記されているものを
提示して言い訳にするのか?
身体奉仕ができない人はランクが下がるが財供養をするしかない。
では身体奉仕ができないのかと言うと、アゴン宗の梵行なんて甘いもので下僕
になることもなく、無理なくマイペースに進められます。
パソコンで掲示板に書き込みができる体力があればできるものも多い。
だからやれないことはなく十分にできる。
そちらの方が財供養より上なんだし。
それをやろうとしないのは単にやりたくないからです。
金を払って解決できるものはする以外に身体奉仕なんかしたくない。
その程度の利他心です。
単なるわがままの我利ではないか?
- 161 :神人同行:2010/04/11(日)
08:00:51 ID:vAlaORtA0
- 2チャンでまたお一人 アゴンから離れられました!!
お一人の離脱宣言の後ろに多くの方の離脱が見えるようです。
皆様の活動になにがしかの後押し効果があったのかもしれません。
詳しいことは本人の経過説明まで待ちましょう!
- 162 :準シュダオン:2010/04/11(日)
09:53:19 ID:agsP6ENM0
- ユビさんは、考えが浅いよ。
チベット仏教の、修行のランク付けをしたのは、凡夫ではないよ。
ラマがランク付けをしたのでしょうよ、経典の教えに従ってね。
1、修行供養
2、身供養
3、財供養
4、三帰依戒だけ
と、いうランクになっている。
しかしね、この人は財供養も身供養もせず、三帰依戒で三宝を礼拝してる
だけだから、修行は進まないだろう、と考えるのは誤ちなのです。
ユビキタスさん、などは単純にそう考えるくちだね。
財供養しかしない人が、身供養してる人より修行が進む場合は、おおいに
あり得るのです。なぜかというと、人の因縁が違うからです。
生まれつき徳を持ってる人は、三帰依戒の礼拝だけでも修行は進むのです。
阿含宗でも同じことね。
道場運営しないでも、修行が進む人もいれば、道場運営しても修行が進まぬ
人もいるのです。因が違えば、同じことしても、果が違う道理です。
- 163 :準シュダオン:2010/04/11(日)
10:08:34 ID:agsP6ENM0
- 星祭りの修行者が減ったとはいえ、まだまだ盛大です。
ユビさんは、アゴンマガジン4月号を見ましたか?
星祭り特集記事がありますね。
雨天でさえも、あの盛況ぶりです。
あれで、崩壊寸前、なんて思う人は、それこそ妄想ですね。
私も、ささやかながら、何かの形で参加してるのですから、果報は得てるの
です。累積がありますから、ユビさんがお節介しないでも、仏様が評価して
くださいます。たとえ、護摩木一本でもね。
週刊誌の溝口氏レポートも、結局は線香花火に過ぎなかったね。
彼は、晩節を汚したね。
他の週刊誌は何処も、溝口レポートを無視してるし。
- 164 :準シュダオン:2010/04/11(日)
10:27:56 ID:agsP6ENM0
- 深さんが例によって、沢山レスしてますが、私は読まないよ。
たぶん、多くの屁理屈書いてるのでしょう、私が三供養品のこと書いたから、
その屁理屈反レスでも書いてんでしょう?
三供養品・三善根は、「有三善根 云何為三」と、あります。
これは、「三善根の三とは何を指すのか」という意味ですね。
そして、それは仏法僧において、功徳の種をうえることだ、と説明がある。
ここには、無貪瞋痴の言葉は一つも出ていない、その意味ではないからです。
一方、他の経典の三善根の場合、例えば衆集経の場合は、
「謂三善根 一者不貪 二者不瞋 」と、いうように、三善根とは無貪瞋痴
を指す、と説明しています。他の経典も、私が知る限りは、皆、無貪瞋痴だ
という説明があります。
三供養品・三善根の場合だけが違っているのです。
だから、これについての深さん解釈は誤ちなのです。
死ぬまでに気づいてほしいものです。
管長の説明が、明らかに正しいのです。
現役信者なら、簡単にわかることでしょう。
- 165 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/11(日) 11:02:48 ID:SmEF4Oe2O
- >>162:準シュダオン10/04/11(日) 09:53:19
ID:agsP6ENM0
>ラマがランク付けをしたのでしょうよ、経典の教えに従ってね。
>しかしね、この人は財供養も身供養もせず、三帰依戒で三宝を礼拝してる
>だけだから、修行は進まないだろう、と考えるのは誤ちなのです。
要するに高僧ラマによるランク付けも根拠の経典も無視するわけねw
>財供養しかしない人が、身供養してる人より修行が進む場合は、おおいに
>あり得るのです。なぜかというと、人の因縁が違うからです。
>生まれつき徳を持ってる人は、三帰依戒の礼拝だけでも修行は進むのです。
>阿含宗でも同じことね。
>道場運営しないでも、修行が進む人もいれば、道場運営しても修行が進まぬ
>人もいるのです。因が違えば、同じことしても、果が違う道理です。
わかったわかった。
そんなに道場運営の身体奉仕梵行がしたくなくて護摩木などの金品で済ませたいか?
これだけ露骨に身体奉仕梵行に忌避の姿勢を示した人はいない。
まあはっきりしたからいいよ。
俺はなんとも言わない。
だって管長含む宗務局からますます睨まれるのはそちらだからw
- 166 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/11(日) 11:10:54 ID:SmEF4Oe2O
- >>163:準シュダオン10/04/11(日) 10:08:34
ID:agsP6ENM0
>星祭りの修行者が減ったとはいえ、まだまだ盛大です。
いや、盛大とか衰退とかそういう話ではなくて、盛大だろうが衰退だろうが
変わらず、このイベントに身体奉仕を身捧げしたいと願うのが利他心なんじゃねえの
と思ってさ。
>他の週刊誌は何処も、溝口レポートを無視してるし。
アゴンマガジンはアゴン宗の雑誌だし、他の週刊文春、週刊新潮もアゴン宗が
広告料払って掲載させてもらったアゴン宗が書いた広告記事だから、そんな批判
なんか無視するに決まってるじゃないか?
- 167 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/11(日) 11:28:23 ID:SmEF4Oe2O
- >>164:準シュダオン10/04/11(日) 10:27:56
ID:agsP6ENM0
>三供養品・三善根は、「有三善根 云何為三」と、あります。
>これは、「三善根の三とは何を指すのか」という意味ですね。
>そして、それは仏法僧において、功徳の種をうえることだ、と説明がある。
いや、その場合善根とは何か?功徳の種とは何かの説明もないことになる。
如来の所で、正法において、聖衆において善根を種えるの善根が漠然としてないか?
あらかじめ約束事として定められているのでなければ。
何をすればよいのか迷うじゃないか?
- 168 :うサギ:2010/04/11(日)
13:26:03 ID:UtKVqJLA0
- >>164深さんが例によって、沢山レスしてますが、私は読まないよ。
たぶん、多くの屁理屈書いてるのでしょう、私が三供養品のこと書いたから、
その屁理屈反レスでも書いてんでしょう?
あなたは、「私は読まないよ。」と書いたうえで、「たぶん」「でしょう」と
推測丸出しのレスを書いてますね。もし、深山さんの書いていることと
無関係ならばゴミレスだし、関係あれば、深山さんのレスを
読んでいることになり、「読まないよ」というレスがゴミになる。
つまり、どっちに転んでも、あなたのレスはゴミだ。
このように結局、推測の上に構築したレスはゴミなんですよ。
だから、準々シュダオンさんの>>164のレスもゴミですよね?
- 169 :深山:2010/04/11(日)
18:17:35 ID:Kcv2/JNs0
- >>164 :準シュダオン:2010/04/11(日) 10:27:56
ID:agsP6ENM0
>深さんが例によって、沢山レスしてますが、私は読まないよ。
>たぶん、多くの屁理屈書いてるのでしょう、私が三供養品のこと書いたから、
>その屁理屈反レスでも書いてんでしょう?
読まないといいながら、いつも読んでいただいてありがとう。
ただ、その嘘をつくのはやめたほうがいい。
正直に「悔しいから、読まないふりをしているだけだ」と書いたほうがいい。
読まないとは、反論もしないことです。
私の三福道について書いたことはあなたのような屁理屈や勝手解釈ではなく、証拠です。
私の主張ではなく、経典にあるがまま、仏教辞典にあるがままを引用しただけです。
その結果は、桐山さんのいうような「三福道と書いてある三供養品」など
阿含経には存在ことがわかり、桐山さんの経典捏造だとわかった。
また、三善根には、桐山三幅道のような供養で解脱するなどという意味はなく、
無貪・無瞋・無癡であると経典にも辞典にもはっきりと書いてある。
私はあなたみたいな解釈などせず、証拠を示したのです。
- 170 :深山:2010/04/11(日)
18:22:29 ID:Kcv2/JNs0
- >>164 :準シュダオン:2010/04/11(日) 10:27:56
ID:agsP6ENM0
>三供養品・三善根は、「有三善根 云何為三」と、あります。
>これは、「三善根の三とは何を指すのか」という意味ですね。
>そして、それは仏法僧において、功徳の種をうえることだ、と説明がある。
>ここには、無貪瞋痴の言葉は一つも出ていない、その意味ではないからです。
相変わらず困った国語力ですね。
説明もなしに熟語を用いたら、「普通の意味」「通常使われている意味」になるのです。
だが、あなたの世界では説明もなしに熟語を用いたら、他の意味になるらしい。
それでどうやって熟語などの言葉が通じるのだ?
八正道の中身を釈尊はいちいち説明せずに使っている例などいくらでもある。
最後の旅のスバッダに説いた所でも、八正道を説いているが、
その項目を一つ一つなど説明していません。
八正道と同様に、釈迦仏教では「三善根=無貪・無瞋・無癡」が当たり前なのです。
他の阿含経でそのように説明されていることをあなたも認めている。
他の経典で「三善根=無貪・無瞋・無癡」と説明しているのなら、
三供養品でも同じ意味であると解釈するのは当たり前です。
釈尊が三供養品で説明していないのなら、なおさら、「三善根=無貪・無瞋・無癡」と
解釈するのが当然です。
それとも釈尊はスバッダに八正道の中身を説明しなかったから、別な八正道を
説いたとでも言うのですか。
- 171 :深山:2010/04/11(日)
18:24:22 ID:Kcv2/JNs0
- >>164 :準シュダオン:2010/04/11(日) 10:27:56
ID:agsP6ENM0
>三供養品・三善根の場合だけが違っているのです。
準シュダオンさんがこれを主張して、私が反論するのは、何度目でしょう。
彼はこちらの反論に反論するのではなく、それは完全無視して、
ずっと同じ主張をこうやって繰り返す。
準シュダオンさんの主張を簡単に説明すると、
「他の阿含経にある三善根とは無貪・無瞋・無癡であるが、
三供養品は説明されていないのだから、無貪・無瞋・無癡の意味ではない」
というものです。
信者さんたちは、この主張はアゴン宗の教義においてすら間違っていることに気がつきましたか。
私から説明をされる前に、ちょっといいから、準シュダオンさんの主張の
どこがアゴン宗の教義と違っているのか、考えてみてください。
- 172 :深山:2010/04/11(日)
18:27:20 ID:Kcv2/JNs0
- >>164 :準シュダオン:2010/04/11(日) 10:27:56
ID:agsP6ENM0
>三供養品・三善根の場合だけが違っているのです。
準シュダオンさんの主張がアゴン宗の教義において間違いだというのは、
桐山さんはこんなことは主張していないからです。
桐山さんは三善根に二種類の意味があるなんて言っていない。
そんなことを説明している文章があるなら示してみなさい。
桐山さんは一貫して「三善根=三福道」として、複数の意味があるなどと
法話で説明したことがないし、本に書いたことはありません。
簡単にまとめるなら、
○桐山説・・・三善根=三福道であり、意味は一つである。
○準シュダオン説・・・三善根には二種類の意味がある。
三供養品の三善根が他の阿含経の三善根と違う意味であるなどと主張しているのは、
準シュダオン教であり、アゴン宗の教義でありませんから、
ここではそんな主張は議論の対象にすらならない、と何度準シュダオンさんに
説明しても、彼はいっさい受け付けない。
だが、信者さんたちが桐山さんを信じているのなら、準シュダオンさんのように、
桐山さんが書いてもいないことを勝手に作り出するような不心得なことはしないほうがいい。
桐山さんは三善根に二つの意味があるなんて説いたことはありません。
- 173 :深山:2010/04/11(日)
18:32:54 ID:Kcv2/JNs0
- >>164 :準シュダオン:2010/04/11(日) 10:27:56
ID:agsP6ENM0
>を指す、と説明しています。他の経典も、私が知る限りは、皆、無貪瞋痴だ
>という説明があります。
>三供養品・三善根の場合だけが違っているのです。
準シュダオンさんは何を苦し紛れに、こんな桐山さんすら唱えていない説を唱えたのでしょう。
それが上記の文章によく表れている。
三供養品には三善根の説明はないが、他の経典ではすべて
「三善根=無貪・無瞋・無癡」と説明されてると準シュダオンさんが書いている。
準シュダオンさんは平河出版社の長阿含経にはっきりとそのように書いてあるのを見て、
困ってしまったのです。
釈尊ははっきりと「三善根=無貪・無瞋・無癡」と説明している。
そうすると、三供養品の三善根も無貪・無瞋・無癡になってしまい、
桐山説を否定することになる。
そこで準シュダオンさんは、苦し紛れに、三善根には二種類あるのだという
インチキ説を唱え始めて、その結果、桐山説と矛盾した。
矛盾を認めたくないから、「桐山説と違う」というこちらの指摘を無視し続けているのです。
- 174 :深山:2010/04/11(日)
18:36:13 ID:Kcv2/JNs0
- >>164 :準シュダオン:2010/04/11(日) 10:27:56
ID:agsP6ENM0
>を指す、と説明しています。他の経典も、私が知る限りは、皆、無貪瞋痴だ
>という説明があります。
普通の読解力を持つ信者さんたちはどうですか。
準シュダオンさんは他の阿含経のすべてで釈尊が「三善根=無貪・無瞋・無癡」と
説明していることを認めているのです。
上記の文章で「皆、無貪瞋痴だという説明があります」
つまり、他の阿含経では「三善根=無貪・無瞋・無癡」だと
準シュダオンさんがわざわざ証拠を示してくれているのです。
つまり桐山説が嘘であることを彼が証言してくれたのです。
桐山説を擁護しようとして出した説が、逆に桐山説を否定した。
釈尊が他の経典のすべてで「三善根=無貪・無瞋・無癡」と説いてるのなら、
信者さんたちは、三供養品の三善根とはどういう意味だと思いますか。
「三善根=無貪・無瞋・無癡」ですよね?
そんなことは仏教では当たり前なのです。
- 175 :深山:2010/04/11(日)
18:42:25 ID:Kcv2/JNs0
- 「三善根
無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根。」
(『佛教語大辞典』中村元、480頁)
ごらんのように、三善根には上記の意味以外はありません。
準シュダオンさんのお墨付きもあるように、仏教では、
「三善根=無貪・無瞋・無癡」であることは、
>現役信者なら、簡単にわかることでしょう。
さあ、こうなると、桐山三福道の嘘は明瞭です。
三供養品では三善根、つまり、貪瞋癡という悪玉煩悩を
断ち切れと説いたのです。
どこにも如来に供養したら御利益で解脱するなんて意味は出てきません。
その証拠に供養なんて単語は三供養品には出てきません。
三供養品などという表題がついているから、いかにも本文に
供養の話が出てくるかのように錯覚させられている信者は多い。
今、読んでいる信者さんたちも、三供養品には供養なんて一言も出てこないことに
気がついていましたか。
たぶん、大半の人が指摘されるまで気がつかない。
それくらい桐山さんのゴマカシはうまいのです。
- 176 :深山:2010/04/11(日)
18:44:42 ID:Kcv2/JNs0
- 「三善根
無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根。」
(『佛教語大辞典』中村元、480頁)
桐山さんは三善根とは、本物の如来の元で供養することだと説明した。
だが、経典にはそんな説明は一言もない。
「三善根がある」と釈尊は冒頭でこれから説く内容について限定している。
「無貪・無瞋・無癡を説く」と冒頭に内容を示したのです。
貪瞋癡の三毒煩悩を断ち切ったら解脱したアラハンです。
つまり、三供養品は、煩悩を断ち切り、解脱しろ、というありふれた経典です。
ところが、桐山さんは功徳、福徳などという言葉を見て、
これを御利益だと解釈したのだから、あまりに子供っぽい餓鬼解釈です。
相撲取りに「土俵の下には金でも女でも埋まっているのだ」と言ったら、
夜中に土俵を掘り起こした馬鹿がいたという話を桐山さんは
笑い話にしていたが、桐山さんの三福道の解釈はまさにそのまんまです。
- 177 :深山:2010/04/11(日)
18:48:48 ID:Kcv2/JNs0
- >>164 :準シュダオン:2010/04/11(日) 10:27:56
ID:agsP6ENM0
>三供養品・三善根の場合だけが違っているのです。
準シュダオンさんはもう一つ重要なことを示している。
それは桐山さんはろくに阿含経など読んだことがないという点です。
準シュダオンさんですら、他の経典では「三善根=無貪・無瞋・無癡」と
書いてあることに気がついたのですよ。
信者さんたちはどう思いますか。
脳がこれだけ老化して、一週間前に自分が書いたことも忘れ、
批判側の書き込みは三秒で忘れる準シュダオンさんですら、
阿含経を読んで、「三善根=無貪・無瞋・無癡」と気がついた。
なのに、桐山さんは気がつかなかった。
桐山さんがもし、本当に阿含経を隅から隅まで読んでいたら、
三善根についてこんなバカな間違いをしたはずはない。
桐山さんは阿含経などろくに読んだこともないのがこれを見てもわかる。
三善根の意味なんて、辞典に出ている。
つまり桐山さんは辞典すら引いてみようとしなかった。
信者さんたちは、桐山さんが万巻の本を読破し、経典の隅から隅まで
読んでいるなんていう桐山さんの宣伝を信じているようだが、
こういう点を見れば、まったくの嘘だとよくわかる。
そんな人がこんな初歩的な間違いをするはずがあるまい。
桐山さんの仏教についての知識など付け焼き刃であり、浅薄なものです。
信者さんたちも頭から桐山ゲイカを信じるのではなく、
準シュダオンさんのように阿含経を自分の目で読んでみてください。
普通の国語力があれば(これが準シュダオンさんにはない)、アゴン宗が
釈迦仏教とは似ても似つかないことに、批判側から指摘されなくても気がつきます。
- 178 :準シュダオン:2010/04/11(日)
18:50:16 ID:agsP6ENM0
- ユビキタスさんに言っておくが、信徒時代に、密教のお次第を頂いたで
あろう。
胎蔵界の奥義には「仏界、衆生界、無二平等也」と、ある。
これを、どう読み説くかね?
どう読み説くかまでは、管長は教えてくれない。
自分で、会特するしかない。
私の解釈では、道場運営修行者も、一般参拝信者も、修行の徳においては
平等だということだね。
例えば、ユビキタスさんが、例祭道場運営の修行者として、お役をしていた。
私は、単なる参拝者として、勤行して、管長法話聞いて帰るだけ。
だが、修行の徳としては、どちらも平等なのだよ。
勤行だけして帰る信徒は、運営修行者に、徳を積ませてあげているのです。
そして、
「あんた方のお陰で、本日も勤行ができた、有難う」と、感謝するのです。
また、道場運営修行者は、「参拝だけの人のお世話をさせていただいて、
徳を積む修行をさせて頂いた」と、感謝せねばいけないのです。
これが、相互供養です。
ユビさんは、道場運営修行者も、単なる参拝者も、功徳をつむ点において
平等也、そのことに気が付かなくてはいけません。
今のところ、道場運営者の方が、単なる参拝者より優れた修行だと、
自分の価値判断をしているようです。
しかし、それは間違いなのです。
管長でさえ、「信徒の眼は、仏の眼だ」と、そう思って修行して来た、
と、話しています。
あなたは、管長のその気持ち、それを理解すべきです。
- 179 :準シュダオン:2010/04/11(日)
19:14:28 ID:agsP6ENM0
- うサギさんによれば、どっちに転んでも、私のレスは、ゴミレスかw。
それでもいいよ。
私は、深さんレスは推測だけして読んでいない、です。
あんな大量のレスは、眼に悪い迷惑だけで、読むに値しない。
うサギさんに考えてほしいが、準シュダオンも、準々々々々々シュダオンも、
同じく、シュダオン向なのですよ。
預流向も同じ意味です。
預流向も、準預流向も、準々々々々預流向も、同じだと思いますか?
深山さんは、預流向を聖者だと考えて、自分の意見を撤回しません。
私は、そういう意見を、馬鹿な意見と断定して、相手にしていません。
預流向のうちは、いつ退歩して、振り出しに戻るかわからない、のです。
双六みたいなもので、振り出しに戻るのです。
準シュダオンも、準々々々々シュダオンの、振り出しに戻ることがあるのです。
そんな存在を、聖者と考えるのは、可笑しいでしょう。
だから、学者や倶舎論を鵜呑みにするだけではなくて、自分の頭で考えて
みないといけないね。
その点、ユビさんや、うサギさんは、深さんよりは少しだけ、マシだね。
ほんの少しだけだけだから、驕ってはいけない。
- 180 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/11(日) 21:56:02 ID:SmEF4Oe2O
- >>178:準シュダオン10/04/11(日) 18:50:16
ID:agsP6ENM0
>胎蔵界の奥義には「仏界、衆生界、無二平等也」と、ある。
>これを、どう読み説くかね?
>どう読み説くかまでは、管長は教えてくれない。
>自分で、会特するしかない。
と言うよりも、私も桐山さんでさえも言いたいことは、「努力しない者は努力する者に劣る」
ということです。
例えばいろんなハンデがありますね。健康上のハンデとか。そのような健康面のハンデで身体奉仕ができぬというのならば
それに代わる財供養でも差別はつけないというのはわかります。
しかしそのようなハンデがなく条件が共通ならば、梵行せよとの指導に対して
身体奉仕は疲れるからやらない、めんどくさいからやらないなんて言ったら
単なる怠けではないですか?
怠けて努力しない奴よりも怠けず努力する人を優遇するのはどこの世界でも同じ
であり、寧ろ差別をつけないとかえって不公平なんですよ。
>私の解釈では、道場運営修行者も、一般参拝信者も、修行の徳においては
>平等だということだね。
そういう理屈ですから、ある1日を切り取って、今日の運営修行者、一般参拝者
を差別はしませんが、長い目でみて、何年も何十年も運営修行を続けている人と
何年経っても何十年経っても運営には携わろうとせず、参拝しかしない信者とは
ランク付けをすべきです。
桐山さんは会費だけは辛うじて払う「会員」、例祭などに参拝はするが修行をしない「信者」、
参拝だけでなくちゃんと身体奉仕の修行も継続してやる「弟子」の3パターンに分けて、
諸君は全員弟子になれ、会員や信者ではいかんとはっきり指導しています。
- 181 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/11(日) 22:09:12 ID:SmEF4Oe2O
- >>179:準シュダオン10/04/11(日) 19:14:28
ID:agsP6ENM0
>私は、深さんレスは推測だけして読んでいない、です。
>あんな大量のレスは、眼に悪い迷惑だけで、読むに値しない。
読みたくなかったら読まないのもあなたの自由です。
しかしそれならばレスなどをつける権利はありません。
レスなどしなさんな。
レスを付けたいと思ったらきちんと読むことです。
どちらかにしてください。
これって子どもでもわかる社会のルールですから。
- 182 :うサギ:2010/04/11(日)
22:18:52 ID:UtKVqJLA0
- >>179うサギさんによれば、どっちに転んでも、私のレスは、ゴミレスかw。
それでもいいよ。
私は、深さんレスは推測だけして読んでいない、です。
あんな大量のレスは、眼に悪い迷惑だけで、読むに値しない。
あなたは>>38で、「推測の上に構築した議論など、読むに値しない」と書いている。
このあなたの考えは、今でも正しいと信じていますか?
一方であなたは上記の>>179で、
「私は、深さんレスは推測だけして読んでいない」と書いている。
ということはつまり、>>164のあなたのレスはやはり、
「読むに値しない」という結論になる。要するにゴミです。
しかも上記のように「私のレスは、ゴミレスかw。それでもいいよ。」と
>>164のレスがゴミだということを自分で認めた。
【まとめ】
@準々シュダオンさんは「深さんレスは推測だけして読んでいない」と書いている。
A準々シュダオンさんは「推測の上に構築した議論など、読むに値しない」と書いている。
Bつまり、準々シュダオンさんが深山さんに対して、どんなレスをしようと
それらは「読むに値しない」ゴミである。それを準々シュダオンさんは自認している。
「そんなこと誰が書いたんだ?」という問いかけたくなったら
もう一度最初からよく読んでみてください。
そうです。
これらはすべて、準々シュダオンさん自身が書いていることなのです。
- 183 :うサギ:2010/04/11(日)
22:23:22 ID:UtKVqJLA0
- >>179
預流向も、準預流向も、準々々々々預流向も、同じだと思いますか?
いいえ。
これは、ユビキタスさんが書いていたことをまねて、逆に問いただしたい。
あなたは、優勝も、準優勝も、準々々々々優勝も、同じだと思いますか?
- 184 :うサギ:2010/04/11(日)
22:31:04 ID:UtKVqJLA0
- それから、>>150の質問にきちんと応えてもらえませんか?
何度も同じ質問をしないといけないほど準々シュダオンさんは忘れっぽいのでしょうか?
もしかしたら本気で忘れているかもしれないので、質問を再掲します。
【「うざい」というような語を使
う人はみな、
「坊や」「ガキ」「子供」ということになるんですか?】
【「うざい」というような語を使う人はみな、
大人ではないということになる
んですか?】
- 185 :名無しさん:2010/04/12(月)
01:49:34 ID:HeXCfjkY0
- 2ちゃんに書けないので、こちらで書き込みします。
例のF田さんへの私怨満載の人、又変な事を書いていますね。
W田さんと違って、F田さんと接する機会の多い人って、限られているのに
あれほどしつこく粘着して、身バレしないのかな?
バレて、教団の中で大騒ぎになった方が批判側には良い結果が出そうですが。
- 186 :ミケ:2010/04/12(月)
10:06:58 ID:izfZ3D8o0
- >>178 :準シュダオン:2010/04/11(日) 18:50:16
ID:agsP6ENM0
横レス失礼。
準シュダさんマジですか?
おそらくユビキタスさんには胎蔵界法の次第がすでに処分されて手元にないであろうことをいいことに、
あなたはなんというトンデモ解釈をブッテいるのですか?
>胎蔵界の奥義には「仏界、衆生界、無二平等也」と、ある。
>これを、どう読み説くかね?
>どう読み説くかまでは、管長は教えてくれない。
>自分で、会特するしかない。
これは四度加行のうち、胎蔵界にもっとも特徴的である無分別観からくる平等観です。
金剛界曼荼羅と胎蔵界のそれとくらべると良く分るように、分別しないことが奥義です。
そしてこの無分別観の奥義は、
>私の解釈では、道場運営修行者も、一般参拝信者も、修行の徳においては
>平等だということだね。
というような平等観ではない。胎蔵界の本尊観をするための平等観です。
長い長い前供養法を修し、ついに念誦法の本尊加持までたどり着き、さあこれから入我我入に入ろうという
胎蔵界法のクライマックスの観想です。
衆生の自心と諸仏の境涯は両者とも『本不生不可得』であるが故に、『仏界衆生界無二平等なり』。
結論『仏界衆生界無二平等なるが故に自身即ち本尊 本尊即ち自身なり』。
くりかえしますが、例祭修行をしないあなたと一所懸命している会員との平等観ではありません。
衆生と本尊の境涯の無分別観であり、われわれが持つべき住定観です。
胎蔵界法のこの徹底した慈悲の精神は、次に修する字輪観の結論においてもっとも顕著です。
『即ち想えビルシャナ法界卒都婆の身、一切衆生ないし非情草木もまた法界生卒都婆の身に同じなり』
草木、衆生、法界の無分別観が胎蔵界法の奥義です。
あなたがおっしゃるとおり桐山師がこんな平等観を教えてくれる訳はありません。
権力志向で拝金主義である桐山師が説く無分別観とは、想像して余りあります。
- 187 :準シュダオン:2010/04/12(月)
10:36:13 ID:agsP6ENM0
- うサギさん、
二十歳の人から見たら、十歳の人は子供です。
五十歳の親から見たら、二十歳の子は、子供です。
七十歳の親から見たら、四十歳の子(大人なんだけど)も、子供です。
相対的な、ことでもあるでしょ?
私らの年代からみたら、「うざい」という言葉を使う人は、
若いなぁ(坊や)、と思うのが普通だと思いますよ。
- 188 :準シュダオン:2010/04/12(月)
10:49:15 ID:agsP6ENM0
- 優勝も準優勝も、準々々々々優勝も同じなのか?
良い質問だね。
地方大会で優勝したら、甲子園大会に出場できるね。
地方大会優勝校を、須陀?と喩えられる。
須陀?校は、甲子園大会に出場できる。
須陀?校しか、甲子園大会に出場できない。
地方大会で、どんなにいい試合をしても、準々々優勝校は甲子園に出られない。
(選抜大会を除いての話よ)
それなのに、地方大会準々々々優勝須陀?校も甲子園に出場できると屁理屈
こいてるのが、深さん論よ。
笑わせてくれらぁねw。
- 189 :名無しさん:2010/04/12(月)
11:17:53 ID:aXUfqXpw0
- ペンペンペンペンペン♪
準さん、オラの奏でる鎮魂歌聞こえたかね?
準さんは、三福道を、どうして桐山カンチョーの解釈が正しいと思うのかね?
三善根を、三つの善根と考えているかね?
んで、善根を、善行・功徳・積徳と解釈してんでねえーか?
んだけどね、これが違うんだな。じつは。
中国で経典を翻訳するとき、三毒が無いことを、
三善根という言葉にしたんだな。
んだから、お経に「三善根」とあれば、
「無貪・無瞋・無痴」の意味になるんだな、これが。
これはね、常識レベルの話し。
分かる?
準さんや自称アラカンの桐山カンチョーのようにね、
「三つの善根」と解釈して、「三つの積徳行」なんつー解釈は
できんのですわ。
それでもね、「三つの積徳行」と言い張るなら、
もう、アフォですわ。無知っつーもん。
だからね、三善根を「三つの積徳行」みたいな解釈する頭脳が、
グモンヂ聡明法なんつーものを体得したとは考えられない。
まあ、こうやってね、一つが崩れると、次が崩れているのが
桐山仏教の世界なんだな。
分かる?
準さんも本当は、分かっていると思うんだけどねー。
- 190 :うサギ:2010/04/12(月)
11:32:43 ID:UtKVqJLA0
- >>187二十歳の人から見たら、十歳の人は子供です。
五十歳の親から見たら、二十歳の子は、子供です。
七十歳の親から見たら、四十歳の子(大人なんだけど)も、子供です。
相対的な、ことでもあるでしょ?
たしかに、親子関係に矮小化したら、120才でも相対的に子供扱いできますね。
そうなれば、たとえば、徳川家康でも親からみれば子供です。
しかしそれは、「うざい」という言葉を使おうが使うまいが
それとは関係なく、同じ結論になるのではないですか?
質問をよく読んでください。たとえば親子関係のような
相対的な関係を排除するために、「みな」という言葉を入れています。
さて、どうせまた、読み違える可能性が高いので質問を再掲します。
【「うざい」というような語を使う人はみな、
「坊や」「ガキ」「子供」ということになるんですか?】
【「うざい」というような語を使う人はみな、
大人ではないということになるんですか?】
- 191 :名無しさん:2010/04/12(月)
11:33:04 ID:aXUfqXpw0
- それと、善根はね、心根まで善であるから善根。
心の状態を表す言葉。
これをね、桐山カンチョーのように、善行の意味に解釈するから
ねじ曲げた解釈になってしまう。
- 192 :うサギ:2010/04/12(月)
11:41:46 ID:UtKVqJLA0
- >>188それなのに、地方大会準々々々優勝須陀諸Y校も甲子園に出場できると屁理屈
こいてるのが、深さん論よ。
笑わせてくれらぁねw。
>>179で、「準シュダオンも、準々々々々々シュダオンも、
同じく、シュダオン向なのですよ。」と書いているのは誰ですか?
深山さんのレスを「読んでいない」あなたがなぜ、
深山さんのレスを論評できるのでしょう?
よって、準々シュダオンさん>>188のレスはゴミです。
- 193 :準シュダオン:2010/04/12(月)
11:57:30 ID:agsP6ENM0
- 「善根は、善を樹木の根にたとえたもの」と辞典にもあるでしょ。
勿論、管長だってさ、三供養品・三善根を、
「仏法僧において、三善根(無貪瞋痴)をうえること」
と、解説したこともあり、無貪瞋痴を排除してるのでは、ない。
んだけどさ、どういう修行をすれば、
貪瞋痴を断てるというのかえ?名無しさんよ。
チベット仏教では、八万四千もの煩悩があり、それらはすべて貪瞋痴の三毒
に集約される、と説いてるのですよ。
無貪瞋痴というのは、修行の目的・目標であり、修行法そのものではないよ。
無貪瞋痴というのは、修行の結果得られる、功徳なのですよ。
だから、お釈迦さまは、三宝において「無貪瞋痴=功徳」の種をうえなさい、
と、三供養品・三善根で、説いてるのですよ。
- 194 :ラシン:2010/04/12(月)
12:11:32 ID:q4iXIS7Y0
- >188 :準シュダオン:2010/04/12(月) 10:49:15
ID:agsP6ENM0
>地方大会で、どんなにいい試合をしても、準々々優勝校は甲子園に出られない。
釈尊は、預流を目指す者=預流向も四双八輩という
聖者の流れに入った者、と定義している。
また、「準」とはあくまでも位置づけ、立ち位置です。
そのポジションを優勝、準優勝と比喩説明したとこととは、
区分けすべきです。
あなたの甲子園出場権=聖者の流れ=シュダオン、
との定義じたいが、その意味で比喩になりません。
ただの勝手な線引きであり、ポジションの説明ではない。
理由は、その前提に地方戦ありきです。
釈尊は自己との葛藤は認めるが、他人との戦果で四沙門果を
説いたわけではない。
他校戦という過程で決まるのが、四沙門果四双八輩ではない。
尚且つ「準」という語句の説明と、他校戦を要する大会戦果を
以てポジションと区分けするのは、混濁した間違いです。
- 195 :準シュダオン:2010/04/12(月)
12:19:07 ID:agsP6ENM0
- 無貪瞋痴は、修行の結果得られる、功徳です。
功徳とは、善根を修してその人に備わった徳性をいう、と辞典にあります。
だから、無貪瞋痴=功徳=徳性なのです。
だから、お釈迦さまは、功徳(無貪瞋痴)の種をうえなさいと、説くのです。
んで、じゃあ、無貪瞋痴という功徳を得るための、具体的な修行法は何か?
というと、管長が一書に三福業とあり、と書いているように、
三福業とは、衆集経にあって、施行と平等行と思惟行ですね。
つまり、お釈迦さまが、三供養品・三善根で説いている、功徳の種とは、
施行、平等行、思惟行、などだと解りますね。
施行(布施供養)によって、己の貪りを除いて行くのです。
平等行によって、自己中心の考えを捨て、瞋恚を除いていくのです。
思惟行によって、よくよく因果応報の道理を考え、痴を除いていくのです。
以上が、三善根(無貪瞋痴)という功徳を具えるための、修行例ですね。
- 196 :深山:2010/04/12(月)
12:32:59 ID:jUF23iN.0
- >>179 :準シュダオン:2010/04/11(日) 19:14:28
ID:agsP6ENM0
>深山さんは、預流向を聖者だと考えて、自分の意見を撤回しません。
>私は、そういう意見を、馬鹿な意見と断定して、相手にしていません。
また、私のレスを読まない準シュダオンさんからのレスです。
読まないでもレスを付けられるのだから、やはり超能力ですね。
ただし、恥知らずのほうの超能力です。
私は信者さんたちに桐山批判をしているのであって、あなたのような
記憶もマダラで、自分の発言に責任も持たないような下劣な人間に
相手にしてもらう必要などない。
あなたの仕事は私にネタをふってくれることです。
今度は預流向の議論です。
準シュダオンさんて、過去の議論をほんとうに何も覚えていないのですね。
預流向を聖者だと言ったのは、私ではなく、釈尊です。
何度もそれを批判側から示されても、あなたはいっさい見ようとしない。
信者さんたちはアゴン宗とどう関係しているのかわからないだろうから、
簡単に説明します。
ご存じのように、仏教では解脱への階梯として
預流向、預流、斯陀含向、斯陀含、阿那含向、阿那含、阿羅漢向、阿羅漢と
八つあることになり、これを四向四果、四双八輩といいます。
議論の焦点は、四双八輩の最初の預流向が聖者かどうかという点です。
準シュダオンさんは預流向は聖者ではないと主張している。
だが、仏教では四双八輩全部が聖者、つまり預流向も聖者です。
- 197 :深山:2010/04/12(月)
12:35:40 ID:jUF23iN.0
- 「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
ごらんのように、四向四果(=四双八輩)は「聖者の階位」「聖者の四つの位」と
はっきりと聖者として分類されていますから、預流向も聖者です。
また、釈尊もアーナンダに、四双八輩こそが正しい弟子の集団であり、
彼らは「聖者の流れに踏み行った者」だと説明しています。(『ブッダ最後の旅』50頁)
この経典の解説でも、中村博士は、
「四向四果とは小乗仏教における聖者の四つの位をいう」(220頁)
と説明しています。
ですから、仏教では預流向も聖者なのです。
四双八輩のすべてが聖者であることは経典からも学者の解説からも明らかです。
ここまでは信者さんたちも納得していただけたでしょう。
だが、準シュダオンさんは釈尊の説明も学者の説明も。
>私は、そういう意見を、馬鹿な意見と断定して、相手にしていません。
と言い続けている。
釈尊や学者たちにむかって、馬鹿というのだから、準シュダオンさんて
どこまでオエライ人なのでしょう。
- 198 :深山:2010/04/12(月)
12:38:47 ID:jUF23iN.0
- >>179 :準シュダオン:2010/04/11(日) 19:14:28
ID:agsP6ENM0
>深山さんは、預流向を聖者だと考えて、自分の意見を撤回しません。
>私は、そういう意見を、馬鹿な意見と断定して、相手にしていません。
準シュダオンさんがどうして釈尊や学者の説明を無視して、
預流向は聖者ではないと言い続けるのでしょうか。
もちろん、彼が威張りたいためです。
アゴン宗の擁護に見せかけているだけで、彼の動機はたった一つ
「オレ様はエライ」と威張ることです。
この件もまさにそれだけです。
準シュダオンさんはアゴン宗の預流向だと名乗った。
これ自体はどうやら桐山さんは認めているような文章もあるし、
認めていないとも読める文章もあるから、阿含経講義の下巻が
でないとどちらとも言えないというのが結論です。
もちろん、彼はこういう結論すらもまるで無視している。
しかし、とりあえず彼がアゴン宗の預流向を名乗ることはいいとします。
そこで問題となったのは、預流向は聖者に分類されるのか否かです。
>>197に示したように、仏教では預流向は聖者に分類されています。
だが、準シュダオンさんはこれを「馬鹿な意見」と否定している。
なぜなら、自惚れの強い彼でさえも聖者を名乗るだけの勇気がない。
聖者などと自称したら、俗物丸出しの彼が批判側からからかわれ、
あざ笑われるのは目に見えている。
そこで、必死に、「預流向は聖者には分類されていない」と言い始めた。
つまり、アゴン宗の擁護ではなく、自己弁護のために上記を書いているのです。
- 199 :深山:2010/04/12(月)
12:44:11 ID:jUF23iN.0
- >>179 :準シュダオン:2010/04/11(日) 19:14:28
ID:agsP6ENM0
>深山さんは、預流向を聖者だと考えて、自分の意見を撤回しません。
>私は、そういう意見を、馬鹿な意見と断定して、相手にしていません。
仏教的には預流向は聖者であり、釈尊も学者もそのように分類している。
そもそもアゴン宗は外道ですから、阿羅漢どころか預流向にもなれない。
勝手に名乗っているだけですから、どうでもいい。
だが、どうでも良くないのは準シュダオンさんです。
まだ聖者を名乗るほどには脳味噌がいかれていないから、必死に、預流向は
聖者ではないと主張し、桐山ゲイカもそのように認めていると主張している。
だから、前の議論で、私はそれはどちらでもいいと返答した。
なぜなら、桐山さんが預流向も聖者だというなら、桐山さんは仏教の正しい知識を
持っていることになるが、準シュダオンさんの説が全面的に否定される(準シュダオン無知説)。
桐山さんが預流向は聖者ではないと言うなら、桐山さんの無知です(桐山無知説)。
準シュダオンさんが困るか、桐山さんが仏教の基本も知らない無知だと
顔に泥を塗るか、どちらでも好きなようにすればいい。
彼は前門の虎、後門の狼で、批判側にとっては高見の見物です。
準シュダオンさんがどちらを採用するかを見れば、彼がここに七年間も
書き込みをしている動機がわかります。
アゴン宗の擁護が動機なら、桐山さんの顔に泥を塗るようなことはしないだろうし、
自分が威張りたいのが動機なら、桐山さんを無知だと指摘しても気にもしないでしょう。
- 200 :深山:2010/04/12(月)
12:48:58 ID:jUF23iN.0
- >>179 :準シュダオン:2010/04/11(日) 19:14:28
ID:agsP6ENM0
>深山さんは、預流向を聖者だと考えて、自分の意見を撤回しません。
>私は、そういう意見を、馬鹿な意見と断定して、相手にしていません。
準シュダオンさんは、桐山さんが預流向を聖者ではないと
言っているという、桐山無知説をいまでも採用しています。
これを見てもわかるように、準シュダオンさんは桐山さんを擁護したいのではなく、
桐山さんの顔に泥を塗りたくってでも、自分のエラサだけを主張したいのです。
桐山さんは仏教について無知だと準シュダオンさんは主張している。
しかも、この件はすでに昨年後半、議論が済んでおり、
私から、桐山さんに恥をかかせるか、自分の意見を撤回するかどちらかであり、
批判側はどちらもかまわないと笑われた。
このテーマで議論すれば、前にも後ろにも行けない状態に追い込まれるのだから、
私が彼の立場なら、わざわざ自分から取り上げたりはしない。
でも、彼には批判側の主張は三秒で忘れるという得意技があるから、
わざわざまたこのテーマを取り上げてくれた。
準シュダオンさんによれば、桐山さんは四双八輩が聖者であるという
仏教の常識すらも知らない無知な人らしい。
桐山さんが無知だとくり返し主張してくれるのだから、
「準シュダオンさん、よくやった」と誉めてあげます。
- 201 :深山:2010/04/12(月)
12:53:06 ID:jUF23iN.0
- >>179 :準シュダオン:2010/04/11(日) 19:14:28
ID:agsP6ENM0
>準シュダオンも、準々々々々シュダオンの、振り出しに戻ることがあるのです。
>そんな存在を、聖者と考えるのは、可笑しいでしょう。
相変わらず、聖者を何かの資格のように考える癖から抜けられませんね。
これは信者さんたちも同じような誤解をしているから気をつけたほうがいい。
信者さんたちは、たとえばシュダオンになったら、もう最大でも七回の
輪廻で済むような資格を得て、もう元には戻らないと思っているのではありませんか。
準シュダオンさんも聖者とは絶対に元には戻らないと信じている。
そんなことはなく、元に戻ることがあるのです。
これはシュダオンに限らず、アラハンですら、滑り落ちることがある。
それが自殺した比丘の例です。
コーディカは解脱したにもかかわらず、そこから堕ちた。
これを六回繰り返し、彼はたまりかねて七度目に解脱した時、
その状態を保つために自殺した(『悪魔との対話』中村元、49頁)。
この事例を見れば、信者さんたちは桐山さんから教え込まされた聖者や解脱者の
意味がだいぶん違うことに気がつくはずです。
第一に、アラハンですらもこの世にいる限り、絶対的なものではないこと、
第二に、解脱者が自殺したのだから、解脱とは横変死の因縁を切ることでは
ないということです。
今回は2番目については議論しませんが、自殺した解脱者がいるという事実を
アゴン宗の教義でどう矛盾なく説明するのか、苦しんでみてください(皮肉ではありません)。
- 202 :深山:2010/04/12(月)
13:02:30 ID:jUF23iN.0
- >>179 :準シュダオン:2010/04/11(日) 19:14:28
ID:agsP6ENM0
>準シュダオンも、準々々々々シュダオンの、振り出しに戻ることがあるのです。
>そんな存在を、聖者と考えるのは、可笑しいでしょう。
解脱を資格や、山の頂上に登った状態のように考えるのは間違いで、
生きてある間は、よく滑る滑り台の上にいるようなものです。
常に常に解脱の状態を保つ努力をしないと、たちまち滑り落ちるのです。
解脱した後も、欲望や怒りなど煩悩に囚われないように、一瞬たりとも自分の言動の
監視を怠らず、解脱の状態を保つ努力をするのがアラハンです。
到達した境地ではなく、常に解脱の状態を保つのです。
受験勉強なら大学に合格すれば受験勉強は終わりです。
だが、解脱とは合格した後もその受験勉強をこれまでと変わりなく毎日必死に続けるようなものです。
だから、夏安居の後の集まりで、釈尊は「自分の言動に何か間違いはあったか」と
弟子たちに自分を批判するように呼びかけている。
解脱が資格や不退転のものなら、この呼びかけはおかしい。
解脱とは言動(行為)だから、「自分の言動を見て、解脱が保たれているかどうか、
批判せよ」と弟子に質問したのです。
身口意の行為にいかなる煩悩も現れていないかどうかを尋ねた。
信者さんたちは解脱を目に見えないオーラがぴかぴか光ることだなどと
桐山さんから絵空事を教え込まされて、霊眼がないとわからないと思っている。
だが、解脱したかどうかは素人でもわかるのです。
なぜなら、解脱者とは、資格やオーラではなく、身口意の行為において解脱者だからです。
これは私が言っているのではなく、釈尊が「行為においてバラモンである」と
いう有名な言葉で表現しています。
身体と言葉と心においていかなる煩悩も現れないのが解脱だから、
この基本的なルールを知っていれば、素人でも解脱者かどうかの判断がつきます。
- 203 :深山:2010/04/12(月)
13:07:20 ID:jUF23iN.0
- >>179 :準シュダオン:2010/04/11(日) 19:14:28
ID:agsP6ENM0
>準シュダオンも、準々々々々シュダオンの、振り出しに戻ることがあるのです。
>そんな存在を、聖者と考えるのは、可笑しいでしょう。
解脱者とは、身口意の行為において判断できるのです。
その目で解脱者を自称する桐山さんを見てください。
未だに、食いしん坊を自称しているのだから、食欲すら押さえられない。
名誉を買い集めているのだから、名誉欲も押さえられない。
愛人までいるのだから、性欲も押さえられない。
オバサン一人に「このバカつまみ出せ」と怒りを爆発させ、暴力を働いた。
これだけ煩悩を丸出しにして、どう見ても普通の人よりも煩悩が強烈なのに、
この桐山さんのどこが解脱者なのですか。
五戒すらも彼はほとんど守っていない。
不殺生戒・・・桐山さんのおかげで自殺にした信者もいます。
不偸盗戒・・・他人の本から丸ごと盗むなど朝飯前。
不邪淫戒・・・愛人のいるブッダ様です。
不妄語戒・・・アゴン宗から嘘をぬいたら、何も残らない。
不飲酒戒・・・龍神様に供養すると称して未だに酒を飲んでいる。
在家ですら守ることを求められるこれらの戒律を桐山さんは何一つ守っていない。
これでアラハンなんてありえないのです。
信者さんたちによく理解してほしいのは、準シュダオンさんみたいに
聖者や解脱を一つの資格や不退転の立場であるかのように思うのは間違いで、
「その状態を保つ努力する者」が聖者なのです。
だから、保つ努力をしていない者はそこから墜ちる。
ましてや、桐山さんのように、保つどころか、元々煩悩を減らす努力など大嫌いで、
何一つせず、常に常に欲望と執着と、怒りや恨みのままに生きている者が解脱者であるはずがない。
解脱者や聖者であるかは凡人が「目で見てわかる」のです。
信者さんたちも霊眼など求める前に、肉眼と普通の知性で桐山さんをよく観察してください。
- 204 :名無しさん:2010/04/12(月)
13:19:12 ID:aXUfqXpw0
- >>193
>「善根は、善を樹木の根にたとえたもの」と辞典にもあるでしょ。
>勿論、管長だってさ、三供養品・三善根を、
>「仏法僧において、三善根(無貪瞋痴)をうえること」
>と、解説したこともあり、無貪瞋痴を排除してるのでは、ない。
へー。一応、理解しているね。
それでいいのですよ。
ところで、
>んだけどさ、どういう修行をすれば、
>貪瞋痴を断てるというのかえ?名無しさんよ。
これは簡単です。
文字通り、煩悩を無くすこと。
煩悩を生じさせないこと。
>無貪瞋痴というのは、修行の目的・目標であり、修行法そのものではないよ。
>無貪瞋痴というのは、修行の結果得られる、功徳なのですよ。
全然違う。
大間違い。
あのね、準さんは実践が無いから、
こういう矛盾を平気で書けるの。
現場感覚が無いから、アゴンの実際が分からないの。
アゴンで実践したら、煩悩が無くなるどころか、強くなる。
あんたには、これが一切理解できない。
現場の体験が無いから。
いいかい、曜日班修行でも何でもいいから、
一つの梵行に深く入ってごらん。
お客さんじゃなく、カンチョーを支えるんだ!
とゆーくらいの気概で深く関わること。
理屈抜きに、あんたは先ずこの体験を少なくとも1年はしなさい。
そうすりゃ、ここに書いていることが、実感として分かってくる。
煩悩が減るどころか、増える。
実践ゼロのノータリンがほざく妄想など、
一蹴できるのが、アゴンでの実践さ。
>だから、お釈迦さまは、三宝において「無貪瞋痴=功徳」の種をうえなさい、
>と、三供養品・三善根で、説いてるのですよ。
煩悩を無くす実践のことな、これはな。
心をきよらかにしていくこと。
アゴンのように積徳をして幸運のお金持ちを
目指すのとは180度違う。
- 205 :無関係な人間です:2010/04/12(月) 15:15:28 ID:6AXG8IfM0
- すみません、まだ、2ch で書き込みが規制されているので、こちらに書かせて下さい。毎度、ご迷惑をかけて
すみません。
>>91
個人の感想を入れずに、事実のみを指摘します。
裁判所法第3条第1項の反対解釈により、司法の判断が出来ないと判断される可能性があります。
つまり「法律上の争訟」を裁判所が扱うという事は、「法律上の争いでない」純粋な科学や宗教上の問題には
裁判所は関わらないという立場を取っています。
かって日蓮正宗/創価学会の会員が大石寺に安置されている日蓮大聖人御真筆とされる「板曼荼羅」
が偽物であったという理由で、寄付の返還を請求した事件で、最高裁判所は昭和56年4月7日に
「宗教上の教義に関する」判断という理由で、訴えを認めなかったケースがあります。
確かに、大石寺の板曼荼羅が日蓮大聖人のご真筆でない可能性は指摘されており、科学的な鑑定で
真贋が決められる事物であるのも事実ですが、裁判所はこれを「法律上」の争いとは認めなかった訳
です。
ちなみに、私は創価学会や日蓮正宗には無関係です。念のため。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q135045603
- 206 :ラシン:2010/04/12(月)
18:12:31 ID:q4iXIS7Y0
- >205
:無関係な人間です
貴重な資料に感謝します。
裁判は判例主義に基づくことがほとんどですが、
道義上において仏舎利の真贋を問うことは意義があります。
桐山さんの愛人スキャンダルも道義上の問題ですね。
アゴン宗が霊感商法との判断においてその詐欺性を
暴露立証できれば逆転するでしょう。
だが、教団は社会通念上の慣習の陰に身を潜めています。
新興宗教法人への有効打は、脱税が一番でしょう。
いわゆる裏金などの簿外処理と法人資産の個人付け替えです。
目に見えて怪しいのは巷間噂されている10億円騙し取られ事件か?
事実であれば、会計処理がどうなされたか。
損金勘定したのであれば、その払出根拠は何という課目か?
簿外なら原資そのものが裏金です。
違うなら相手と組んで裏金を作った疑惑が生じます。
つまり創作した案件に報酬を支払う契約をし、不履行を生じさせて
違約金発生とする、これは会計上よくある手法ですが金額上限で?が
つくでしょう。
もうひとつは貸付金扱いで損金処理、これは一定期間を経て
相手が支払不能を証し、債権放棄すれば否認されない。
後は裏で山分けという方法で裏金が作れます。
- 207 :無関係な人間です:2010/04/12(月) 19:53:50 ID:6AXG8IfM0
- >>206
ラシン様、こちらこそ貴重なご教示に深く感謝申し上げます。
阿含宗の被害者の方々のご心境としては、広く教団の実態を知らしめたい、というご希望があると思います。
そのお気持ちは個人的には当然だと感じます。
私は阿含宗の経理の実態については判断ができないのですが、一般論としては宗教法人の中にはずさんな経理のものが
散見できるので、脱税は指弾する方法としては有効だと思います。阿含宗は特に過去に脱税の指摘を受けた事実も
あるので、ラシン様のご指摘は大切な視点だと思います。
あとは、「時効」の問題や、桐山氏の年齢を考えると、時間との競争かな、と感じます。
こんなことを言うのは不謹慎で失礼なのですが、桐山氏は得意の因縁論の中で「家運衰退の因縁」とか「家族相克の因縁」とか
いうものを提唱していたという記憶があります。(間違っていたらお詫びします。)
しかし、最近の桐山氏や阿含宗を見ていると、「家運衰退の因縁」とか「家族相克の因縁」が切れていないような
印象を持っています。私は桐山氏がご健在の頃は「家族を人質に人を脅すような事を言う」と憤りの気持ちがあったのですが、今、
ご本人がこうなると、ご自身の行為が見事に本人に返って来たのだなあ、と感じます。これは私の個人的な印象ですが。
そうすると、この先、沈黙を破って発言するような人物が続くような気がします。
その時は、ラシン様が指摘されたような事が、実際に問題になるかもしれませんね。
追伸
阿含宗以外の宗教で、最近問題になったのは、金光教の京都の大教会で、多額の横領事件が発生し、刑事事件に発展
をした事があります。
また、「キリストこそ我が救い―日本伝道150年の歩み」(日本基督教団日本伝道150年記念行事準備委員会)という本
を読みましたが、当事者自身が教団に多額の使途不明金が頻繁に発生していた事実を告白していたのを読みました。
いずれも残念な事です。
- 208 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/12(月) 20:07:34 ID:SmEF4Oe2O
- >>193:準シュダオン10/04/12(月) 11:57:30
ID:agsP6ENM0
>勿論、管長だってさ、三供養品・三善根を、
>「仏法僧において、三善根(無貪瞋痴)をうえること」
>と、解説したこともあり、無貪瞋痴を排除してるのでは、ない。
嘘です。桐山さんは三善根と書かれた経典があるよとその単語を示しただけで
その三善根とは無貪・無瞋・無癡であると示したことなど一度もない。
ひょっとしたらそんなことすら知らないかも知れない。
示したことがあると言うのならば桐山文証を挙げてみなさい。
ダルマチャクラだろうが社会科学としての阿含仏教だろうがその他の著書であろうが。
あなたはチベット仏教の供養の3段階を示す時に、修行(梵行)と書いて、
あたかもあなたの調べたweb上の資料に梵行という単語が使われているかの
ように誤解させた。しかし(梵行)とはあなたが補ってみたに過ぎない。資料にはせいぜい修行までしか書いてないはずだ。
こういうズルイことを今回もするか?
桐山さんが示したのは三善根という単語のみで他にも三福道と書いてある経典も
あるよと示すと、そそくさと三福道の解説に入る。
その間も前後も一度も三善根に無貪瞋癡の意味があることなど示したことがない。
- 209 :ラシン:2010/04/12(月)
20:56:53 ID:3nF7eNgI0
- >207 :無関係な人間です:2010/04/12(月) 19:53:50
ID:6AXG8IfM0
>しかし、最近の桐山氏や阿含宗を見ていると、「家運衰退の因縁」とか「家族相克の因縁」が切れていないような
印象を持っています。
私は桐山氏がご健在の頃は「家族を人質に人を脅すような事を言う」と憤りの気持ちがあったのですが、
今、ご本人がこうなると、ご自身の行為が見事に本人に返って来たのだなあ、と感じます。
これは私の個人的な印象ですが。
なるほど、その通りの心配が見え隠れする教団事情への皮肉が効いています。
無関係な人間ですさんの最近のご提示に、新たな批判の切り口の
可能性を見出しております。
ご承知のように、準シュダオンさんのようなマニアックな主張だけへの
反論は、批判諸兄がすでに論破し尽くした実績が膨大に存在しています。
いわゆる批判、擁護のマンネリ化です。
また老人介護という負担も担わされている。
だが放置すると釈尊教義の誤解がまかり通る齟齬が生じます。
その意味では
アゴン宗に関係しない、所属しなかった無関係な人間ですさんのような方の
視点は、とても新鮮な批評であり新たな問題提起と感じております。
アゴン信徒でなくても、これだけのアゴン教義を把握し、そして疑問と矛盾を
きちんと呈している。
この現実を信者さんは、どのように受けとめるかを自問すべきですよね。
どうかこれからも無関係視点でのその一般的なご意見を賜りたく存じます。
- 210 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/12(月) 21:18:47 ID:SmEF4Oe2O
- >>195:準シュダオン10/04/12(月) 12:19:07
ID:agsP6ENM0
>んで、じゃあ、無貪瞋痴という功徳を得るための、具体的な修行法は何か?
>というと、管長が一書に三福業とあり、と書いているように、
>三福業とは、衆集経にあって、施行と平等行と思惟行ですね。
>つまり、お釈迦さまが、三供養品・三善根で説いている、功徳の種とは、
>施行、平等行、思惟行、などだと解りますね。
>施行(布施供養)によって、己の貪りを除いて行くのです。
>平等行によって、自己中心の考えを捨て、瞋恚を除いていくのです。
>思惟行によって、よくよく因果応報の道理を考え、痴を除いていくのです。
>以上が、三善根(無貪瞋痴)という功徳を具えるための、修行例ですね。
おいおい?ちょっと待て。あなたはつい先日この三供養品で説く三善根では
無貪瞋癡ではなく、如来の所と正法と聖衆の3つに供養することでなかったか?
一体どちらを主張するのか?その場その場でコロコロ意見を変えるのはやめなさい。
あなたの言う施業、平等業、思惟業の三福業の解釈はそれでよい。
また無貪瞋癡の三善根との関連性もそれでよい。
しかし桐山さんは無貪瞋癡の三善根など説いていない。
説いているのは三福道と同じだという如来正法聖衆の3箇所供養です。
もちろん三福業が施、平等、思惟なんてことも説かない。
三善根の経典と三福業の経典は共通性が読み取れます。
しかし別の経典ですから混同してはならない。
それぞれ別々に三善根と三福業を解説して、しかし両者の説かんとするところには
共通性があるという総合的な示し方でなくてはならない。
三供養品の解説に三供養品ではない別の経典を持ってきてはならない。
桐山さんが示したのはあくまでも三供養品という経典なんですから、その経典の
垣根を超えるならばそのように説明しなければならない。
第一あなたがいかに三善根と三福業の共通性を示そうと、桐山さんはどこ吹く風、
煩悩の話など少しもせずに如来の所!正法!聖衆!です。
三福業経典のどこにこんな話がある?
宜しいですか?
桐山さんは意味の共通性のある2つの経典を示したのではない。
三善根と三福道の部分だけしか違わない三供養品経典を説いたのです。
社会科学としての阿含仏教を読んでごらんなさい。
2つ示された経典にどこにも平等も思惟の福業など出てこない。
- 211 :深山:2010/04/12(月)
22:54:43 ID:jUF23iN.0
- >>193 :準シュダオン:2010/04/12(月) 11:57:30
ID:agsP6ENM0
>無貪瞋痴というのは、修行の目的・目標であり、修行法そのものではないよ。
>無貪瞋痴というのは、修行の結果得られる、功徳なのですよ。
これももう何度反論された内容か・・・いやはや。
「オレ様はこんなすごいことに気がついた」と自慢しているからあきれる。
三善根を修行法だと誰が書いたのですか。
桐山さんが三福道などという修行であるかのような言葉を用いているから、
釈尊もそのように説いたかのようにあなたは錯覚して、釈尊に因縁をつけている。
桐山さんが説いたことも、釈尊が説いたことも、ぐちゃぐちゃに混ぜている。
これがあなたの頭の中なんでしょうね。
三供養品とは、煩悩を断ち切れば解脱という大きな福徳が得られる、と説いただけです。
三善根を修行法だなんて言っていない。
その具体的な修行法とは八聖道のことです。
あなたと違い、アーナンダは三善根と言われて無貪・無瞋・無癡だと理解し、
修行法などわざわざ説かれなくても、八聖道だとわかっているのです。
如来の説いた正法である八聖道を聖衆とともに実践することで
無貪・無瞋・無癡という三善根が得られると説いたのが三供養品です。
- 212 :深山:2010/04/12(月)
23:12:27 ID:jUF23iN.0
- >>195 :準シュダオン:2010/04/12(月) 12:19:07
ID:agsP6ENM0
>んで、じゃあ、無貪瞋痴という功徳を得るための、具体的な修行法は何か?
>というと、管長が一書に三福業とあり、と書いているように、
>三福業とは、衆集経にあって、施行と平等行と思惟行ですね。
>>210でユビキタスさんから何を指摘されたか、意味がわからないのでしょう。
桐山さんはがいつ、三福道が衆集経の三福業だと説明しましたか。
桐山さんの三福道の元ネタは、『人間改造の原理と方法』に出てくる三福業だろうという
種明かしをしたのは、ユビキタスさんです。
桐山さんは三福道を施行と平等行と思惟行だなんて言っていない。
『末世成仏本尊経講義』で三善根を三福道と捏造しているうちに、三福業も三福道になってしまった。
今のあなたと同じでメチャクチャ、デタラメです。
ユビキタスさんが三福業とは『人間改造の原理と方法』に出てくる内容だと
指摘したのをあなたも覚えていて、それをあなた自身が見いだしたかのように思いこみ、
まるで両者が関係しているかのように上記のような勝手な話を作り上げた。
こんな教義はアゴン宗にはありません。
勝手な教義を作るのはやめてもらえませんか。
- 213 :深山:2010/04/12(月)
23:16:42 ID:jUF23iN.0
- >>195 :準シュダオン:2010/04/12(月) 12:19:07
ID:agsP6ENM0
>無貪瞋痴は、修行の結果得られる、功徳です。
>功徳とは、善根を修してその人に備わった徳性をいう、と辞典にあります。
信者さんの皆さんはよくご覧ください。
準シュダオンさんは実に正しいことを書いている。
善根を修して備わった特性である功徳とは無貪・無瞋・無癡だというのです。
すばらしい。
ここ部分の説明は百点です。
この準シュダオンさんの説明によれば、三供養品で釈尊が説いたことは、
三善根を修すると無貪・無瞋・無癡という功徳が得られて
その結果、涅槃に至るというものです。
桐山さんの三福道の説明とまるで違うことに気がつきましたか。
三善根のどこを叩いても、オシャカに供養した功徳で解脱するなんて意味は出てこないのです。
これは準シュダオンさんが他の阿含経や辞書を引いて得られた結論です。
信者さんたちも準シュダオンさんを見習い、他の阿含経や仏教辞典で
三善根の正確な意味を理解しましょう。
記憶がまだらになっている準シュダオンさんですら理解できたのですよ。
普通の知性ある信者さんたちなら理解できないはずはありません。
- 214 :深山:2010/04/12(月)
23:23:57 ID:jUF23iN.0
- >>208 名前:ユビキタス ◆oGqIQwSRtg 投稿日: 2010/04/12(月)
20:07:34 ID:SmEF4Oe2O
>示したことがあると言うのならば桐山文証を挙げてみなさい
>>193の元ネタはたぶんアレだろうが、準シュダオンさんに説明させましょう。
もちろん、衆集経と三供養品をくっつけたみたいな脈絡のない話です。
反論の文章はもう書きましたから、準シュダオンさんが桐山さんの文章を
引用してくれたら貼り付けます。
彼の頭は完全にトンデいる。
脈絡なくいろいろな記憶をくっつけるのを、本人は頭がよくなり、
飛躍的なアイデアが次々と思い浮かんでいると思っているのです。
だが、文章にすると、見てのとおり支離滅裂です。
その支離滅裂さが、今回の衆集経と三供養品のように、だんだんひどくなっている。
さらに困ったことに、支離滅裂だと丁寧に説明されても、準シュダオンさんは
批判側に理解するだけの知性がないからだとあざ笑う。
老人介護は本当に手間がかかる。
- 215 :Boo:2010/04/13(火)
02:00:12 ID:pgtsYaQs0
- 天照さん
考察室の「桐山氏の占いと予言の嘘
1」はなかなか面白い記事ですね。
あのように論理的にカンチョーのいんちき出鱈目振りを提示されたら、たいていの
人は納得すると思います。納得しないのは準馬鹿梵さんくらいではないでしょうか?
改めて考察すると、よくもまんまと人をだましてくれたもんだと開いた口が塞がらないですね。
あんな程度の「占星術」なのに「因縁透視」と称して何万円も払わせるなんて、ホントに
「山師詐欺師ソワカ」ですね。
- 216 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 08:19:29 ID:SmEF4Oe2O
- >>195:準シュダオン10/04/12(月) 12:19:07
ID:agsP6ENM0
>無貪瞋痴は、修行の結果得られる、功徳です。
>功徳とは、善根を修してその人に備わった徳性をいう、と辞典にあります。
たしかに深山さんが言うようにナイスな引用ですね。
功徳の種をうえるこの善根。
善根による功徳とは御利益ではなく「徳性」です。
徳性とは人格に関わるものです。
得られる成果とは立派な人格であり幸運の御利益などではない。
立派な徳性、人格を得る為に行うことも金を捧げることではあり得ないことがわかる。
- 217 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 09:03:46 ID:SmEF4Oe2O
- >>188:準シュダオン10/04/12(月) 10:49:15
ID:agsP6ENM0
>須陀m9校しか、甲子園大会に出場できない。
>地方大会で、どんなにいい試合をしても、準々々優勝校は甲子園に出られない。
>(選抜大会を除いての話よ)
>それなのに、地方大会準々々々優勝須陀m9校も甲子園に出場できると屁理屈
>こいてるのが、深さん論よ。
笑わせてくれらぁねw。
シュダオン果からが聖者であり、そのシュダオン果は甲子園出場校であると仮定
したわけですね。
そんな訳のわからん仮定をするからわからなくなるのです。
それは甲子園出場校以外は球児ではないと言っているようなものです。
一方四双八輩の聖者とは仏道修行者というような意味と思えばよく、野球で言うならば
球児ということです。白球を真剣に追いかける球児は皆美しいという発想です。
予選で負けたのは必ずしも弱いからではない。
勝敗は時の運で甲子園出場校よりも強い予選敗退校がいくらでもある。
一方仏道修行者は他人との競争ゲームではなく、自分との闘いです。
だから時間はかかってもよいが続けてチャレンジする限り負けることはない。
己の煩悩を断とうとするチャレンジャーとしての仏道修行者は皆聖者の流れに
あるという発想です。
聖者に完全無欠、一点の曇りもない聖者を想定する必要はない。
聖者の流れなんです。流れの途中なんです。
到達点のアラハン聖者が大海ならば、まだ川の流れに預かっているわけです。
預流果からを限定して聖者とするならば、預流果すなわちシュダオンはどうして
聖者なのだ?
三結という理解認識の煩悩を克服しただけで、まだ欲貪や瞋恚の煩悩は残って
汚れている。それでも聖者の流れにあるというのは、完璧な解脱者ではなく
野球で言うならば球児を意味するからです。
- 218 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 09:19:34 ID:SmEF4Oe2O
- >>188:準シュダオン10/04/12(月) 10:49:15
ID:agsP6ENM0
>須陀m9校しか、甲子園大会に出場できない。
時にあなたはシュダオンを名乗っていない。つまり自分はまだ聖者でないとしたわけだ。
それはよいが、ならば一修行者とでも名乗ればよいものの、シュダオンという
聖者の名称にあやかっている。
準シュダオンならばナンバー2だ。もうあと一歩でシュダオンだ。
それがおこがましいと指摘されると準々々々々・・・かもしれないなんて言い出した。
そんなに下げるならば一修行者にしちまえばよいものを聖者シュダオンだけは
離さない。また準々々々々シュダオンと名乗るわけでもない。
やはり自分もこのまま行くと聖者入りするんだぞと臭わせている。
自分も聖者の流れに預かることを証明したいからです。
我々の預流向=聖者の流れと同じです。
- 219 :うサギ:2010/04/13(火)
12:37:52 ID:UtKVqJLA0
- >>218
なるほど。そういう話だったんですね。
ちゃんと理解していませんでした。
たしかにそういうことならば、準々シュダオンさんは
「一修行者」と名乗った方が潔いですね。
- 220 :準シュダオン:2010/04/13(火)
13:44:13 ID:agsP6ENM0
- 三供養品・三善根で、ユビキタスさんは勘違いしてます。
「社会科学としての阿含仏教」P354をご覧なさいな。
管長は、如来の所でどんな功徳の種をうえるか、の解説で、
一つは修行であり。もう一つは供養である、と説いています。
そりゃ、私は以前に、仏法僧に功徳の種をうえるとは、供養することだ、
とレスしましたよ。けど、供養だけに限定する意味ではありません。
管長だって、修行と供養と同時進行なのだ、と説いてるでしょう。
だから供養もすれば、平等行や思惟行もすれば良いのです。
勿論、それだけに限定するのではありません。
功徳の種は無数にあるのですから、方便を求めて実践すれば良いのです。
お釈迦さまは、アヌルダの針に糸を通してあげて、身施のお手本を示して
いますね、あれも功徳の種でしょう。
- 221 :準シュダオン:2010/04/13(火)
14:12:13 ID:agsP6ENM0
- 預流果、シュダオンはどうして聖者なのだ?
というユビさんの質問があった。
ユビさんから、こんな単純な質問が出るとは思わなかったねw。
それはね、例えば、お釈迦さまが、次のように説いてますね。
「便成須陀? 得不退転法 必成至道」と。
これは、須陀?になると、仏道から外れることなく、必ず阿羅漢まで達する
ことができる、という意味です。だから、須陀?からが聖者なのです。
ところが、須陀?向の場合は、何時、修行を止めるかわからない存在です。
だから、聖者には含められません。但し、聖なる道を歩んでいる、という
意味で、お釈迦さまは、須陀?向をも聖衆と呼ぶことはあります。
しかし、それは言葉のアヤ、というものです。
高校野球に例える、例えば春に野球部に入り、すぐに飽きて退部し、水泳部
に入った高校生は、高校球児と言えますか?
勿論、甲子園大会の予選試合にさえ出たことがない生徒ですよ。
こういうのは、高校球児とは言い難いでしょう。
須陀?向はそのように、野球部を退部してしまうかも知れないような、
言わば、まだ信心が確立していない、生徒(修行者)なのです。
- 222 :準シュダオン:2010/04/13(火)
14:22:31 ID:agsP6ENM0
- うサギさんも、ユビさんも、「仏陀の真実の教えを説く」本P373をご覧な
さいな。
「わたくしたちは外道凡夫ではありません、もうすでに聖者に向かって、
一生懸命に修行しています、・・これを須陀?向といいます・・」
と、書いてるでしょう。
管長は、前から、わたしたちは須陀?向なのだ、と説いています。
深さんなどは、そのことを理解出来ず、やれ須陀?向を自称するのは、
管長が許さない、とか、チンプンカンプンの論を展開して、笑わせて
くれるw。
早く己の間違いを、認めたら良いものを。
- 223 :うサギ:2010/04/13(火)
14:45:31 ID:UtKVqJLA0
- >>222早く己の間違いを、認めたら良いものを。
「読んでない」人が何をとやかく書いているのでしょうw
ゴミを散らかさないように。
そんなひまがあるんだったら、私の>>190の質問に
ストレートに応えてもらえませんでしょうか?
このように、書いてることもやってることも
「チンプンカンプン」なのはあなたではないですか?
- 224 :無関係な人間です:2010/04/13(火) 19:16:32 ID:hUwrbT6I0
- >>209
ラシン様、重ねてご丁寧なお返事ありがとうございました。
過分のお褒めのお言葉に恐縮します。自分は阿含宗に入信した経験がなく、本来ならここへ書く
資格がない人間ですが、寛大な対応をして下さり、感謝しています。
皆様のご迷惑にならないように、たまに書き込みをさせて戴きますので、ご指導のほど、
よろしくお願いします。
- 225 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 19:26:02 ID:SmEF4Oe2O
- >>222:準シュダオン10/04/13(火) 14:22:31
ID:agsP6ENM0
>うサギさんも、ユビさんも、「仏陀の真実の教えを説く」本P373をご覧な
さいな。
>「わたくしたちは外道凡夫ではありません、もうすでに聖者に向かって、
> 一生懸命に修行しています、・・これを須陀m9向といいます・・」
>と、書いてるでしょう。
>管長は、前から、わたしたちは須陀m9向なのだ、と説いています。
>深さんなどは、そのことを理解出来ず、やれ須陀m9向を自称するのは、
>管長が許さない、とか、チンプンカンプンの論を展開して、笑わせて
>くれるw。
>早く己の間違いを、認めたら良いものを。
いえいえ、こちらこそ大笑いさせてもらいました。
見事にスレタイ通り我が老人介護病棟の上客患者は脳内崩壊が進んでらっしゃる。
あのですね、その外道凡夫ではないという桐山著書引用はこちらが出したものですよ。
議論の流れはこうでした。
あなたは預流向は聖者ではない、まだ凡夫だと主張した。
対して我々はその著書のその箇所から預流向は凡夫ではない、聖者に向かっている
と書いた桐山文を示して反証としたのです。
聖者に向かっているのだからまだ聖者でないと言いますか?
しかしそれならば預流という表現が聖者へ向かう流れに預かることを指している
わけですよ。完璧な聖者を大海とするとそこに向かって流れていく川に例えたわけです。
預流向は聖者に向かっていれば、預流また聖者に向かっている。
聖者の行進と題して完成した聖者が「皆のもの頭が高い」と言って大名行列を
するのではない。
また自宅に帰ったら著書確認するよ。ゴマカシがないか。
- 226 :うサギ:2010/04/13(火)
21:13:03 ID:UtKVqJLA0
- >>225いえいえ、こちらこそ大笑いさせてもらいました。
見事にスレタイ通り我が老人介護病棟の上客患者は脳内崩壊が進んでらっしゃる。
あのですね、その外道凡夫ではないという桐山著書引用はこちらが出したものですよ。
準々シュダオンさんが忘れっぽいのも度が過ぎてますね。
この前の引用と、その議論の流れを含めてすべて忘れているわけですね。
- 227 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 21:37:09 ID:SmEF4Oe2O
- >>221:準シュダオン10/04/13(火) 14:12:13
ID:agsP6ENM0
>「便成須陀m9 得不退転法 必成至道」と。
>これは、須陀m9になると、仏道から外れることなく、必ず阿羅漢まで達する
>ことができる、という意味です。だから、須陀m9からが聖者なのです。
>ところが、須陀m9向の場合は、何時、修行を止めるかわからない存在です。
>だから、聖者には含められません。但し、聖なる道を歩んでいる、という
>意味で、お釈迦さまは、須陀m9向をも聖衆と呼ぶことはあります。
>しかし、それは言葉のアヤ、というものです。
言葉のアヤなどではなく尊い行いをしている人は尊い人なんです。
煩悩を断つ聖業に目覚めて実践を始めた人はたとえ成果がまだまだでも聖者の流れ
と扱われるわけです。
不退転と経典も説くが、深山さんも指摘するように退転するリスクなど常にある。
だから死ぬまでずっと自己監視をするの
です。
もちろん経典の不退転記述を無視するわけではない。
これには私の私見があり例を添えてこの後論じたい。
しかし不退転の決意が固まったからそこで初めて「君たちはもう心配することはない。
もはや聖者へのレールは約束されたようなものだ」なんてエスカレーターが連れて
行ってくれる世界なんか説かない。
エスカレーターが導く聖者世界ではない。
不退転とは不退転の決意ができる条件が揃ったことをいう。
本当に退転しないかは本人の努力次第です。
三結がまだ残っていてもこの三結をなくすべく勉強努力を始めた人は聖なる行いを
する聖者の流れです。
ところで不退転についての私見を示す前に質問する。
あなたはまだシュダオンではないのですよね?つまりまだ聖者の流れに入ってすらいない。
その理由はと言うと、まだ不退転を得ていない。つまりいつ退会するかわからない。
それが準シュダオンさんだというのです。
そこで質問する。どうして入行して20年以上30年ほど経って尚未だに疑惑を
生じて退会の危険性すら残るほど不退転を得られぬほど情けないのか?
それからもう1つ。
実は三結断ってシュダオンになり不退転を得ると言うが、これは桐山教学からすると
おかしい。なぜなら三結煩悩って理解認識の誤謬だからです。
理解認識を改めるには教えを聞いて理解することです。
理解でき、わかれば不退転のシュダオンです。
しかし桐山さんは言う。わかっちゃいるけどやめられない。
- 228 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 22:23:52 ID:SmEF4Oe2O
- >>221:準シュダオン10/04/13(火) 14:12:13
ID:agsP6ENM0
>これは、須陀m9になると、仏道から外れることなく、必ず阿羅漢まで達する
>ことができる、という意味です。だから、須陀m9からが聖者なのです。
一昨日の日曜日私は横須賀市の独立行政法人国立病院機構久里浜アルコール症センター
という所に行きました。
知人がアルコール依存症になってしまい、そこに入院したのでその見舞いです。
日本で唯一のアルコール症専門の病院です。
海に面しているのですが広かったですよ。
http://www.kurihama-alcoholism-center.jp/
http://imepita.jp/20100413/744110
この病院もとは国立療養所だったようです。だから古くて広い。
結核の療養所だったようです。そこで思い出した。
桐山さんが千葉県の上総湊の鳩山病院にて結核の療養入院をしていたと。
しかし同所に鳩山病院など現存せず、結核療養病院があったかどうかも疑わしい。
桐山さんの結核はそれ以上に疑わしいがw
そんな折、この目の前が海(砂浜の海岸も近いです)の病院は鳩山病院のモデル
として格好でした。なんかのつてでここに入っていたことがあるかもしれないと
考えたが、ホームページを見て、結核療養所となったのは戦後で、それまでは
海軍病院だったと知り、その線はなくなりました。
ここでのアルコール依存症を克服する為の禁酒治療は久里浜方式と言われているそうです。
その久里浜方式禁酒と、三結断って不退転を得る話を関連付けてみたい。
- 229 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 22:26:56 ID:SmEF4Oe2O
- イメピタ画像を1枚貼り忘れました。
http://imepita.jp/20100413/751300
海の向こうが房総の鋸山や鹿野山です。
- 230 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 23:02:08 ID:SmEF4Oe2O
- >>221:準シュダオン10/04/13(火) 14:12:13
ID:agsP6ENM0
>「便成須陀m9 得不退転法 必成至道」と。
この病院、3ヶ月の入院コースになっています。
最初の1ヶ月か3週間は内科病棟に入院して検査やら弱った肝臓の治療などをします。
その後病棟ごと移動します。精神病棟ですね。内科もさることながら精神科医の
指導を受けて禁酒と社会復帰のリハビリをする。
朝の体操に始まって、革細工工芸をしたりして15時くらいまではメニューが
忙しいのだそうだ。
広い病院は病棟から外に出る時に許可を得るものの原則散歩自由です。
敷地外に出るのは禁止だが、敷地内だけで十分広い。
私の見舞い患者などは敷地外のコンビニまでランニングしてくるそうだがw
禁酒はもちろんだが敷地内禁煙の為、煙草も吸えないのが患者に不評なようだ。
面白いのは敷地外の外周道路が吸殻だらけだったことwなるほど。
精神病棟に入ると週に一度は強制的に外泊させられるのだそうだ。
全国遠方から来てるので、そういう人は協力施設を借りるのだが、敢えてシャバ世界
に出して誘惑多い中で禁酒ができるか試させるわけです。
飲んで帰院すると呼気検査で一発でバレる。
そんなことを2ヶ月続けて社会復帰する。
私が興味を持ったのは見舞い患者の病状よりも(笑)久里浜方式について。
忌憚なく聞いてみた。断酒は苦しいか?禁断症状とかあるのか?
普通にあると彼は答えた。そんなのは入院前から当たり前だったと。
だから大きな声で叫ぶ患者もいるとか。
もちろん絶対禁断です。見舞いの差し入れも制限され、チェックによって酒類に
限らずとも持ち帰らせられる食べ物などもある。
私の念頭にあったのはニコチン外来の禁煙治療。
あれはニコチンパッチなどを腕に貼り、皮膚からニコチンを吸収させることにより
禁断症状を抑える。またニコチン外来は基本的に無理することなく気軽に明るくが
モットーです。
久里浜方式禁酒の場合はどうなのか?
青柿さんの表現を借りると霊性の感じられる要するにシステマティックなメソッド
があるかないか?
さすがに禁酒は絶対でありアルコールの摂取はあり得ない。
どうやって難局を乗りきるか?
1つ、なるほどと思ったことがある。
それは講義、勉強によるアルコールと身体の知識の徹底吸収です。
- 231 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 23:26:48 ID:SmEF4Oe2O
- >>221:準シュダオン10/04/13(火) 14:12:13
ID:agsP6ENM0
>「便成須陀m9 得不退転法 必成至道」と。
精神病棟に移る前の内科病棟にいる時からアルコールに関するレクチャーは始まる。
私が見舞いに到着した時もその何かの個別指導が別室で終えたばかりだった。
こういうレクチャーを徹底的にやる。
もちろん桐山さんも言う「わかっちゃいるけどやめられない」はこういう依存症
患者にこそ顕著で知識を教育したからといって、はい、やめられましたとは単純に
いかない。幾多の挫折、紆余曲折のあることは目に見えている。
しかしそれでも徹底レクチャーする。
なぜならば命に関わるからだ。
誘惑を断って自分を克服するのは至難の業だ。
しかし本当に命のかかったゆゆしき問題ならば、植木等みたいな無責任では
いられなくなる。危機意識、問題意識がある限り、何度か挫折しようとも
めげることなく克己にチャレンジする。わが命を守るために。
そしてこの自分で自分を克服しようという覚悟にも似た決意、やる気こそが
治療にも不可欠なのです。他人の為に禁酒するのではない。自分の命の為にする。
死んだ気になって。
そこでシュダオンの話に帰りましょう。
三結断ってシュダオンです。
三結の煩悩とは情意面よりも知性で理解できる認識の問題です。
物事を正しく認識し、誤った見解を排除する。それだけです。
それだけでシュダオンです。それだけで不退転です。
そして誤った認識を正すのは言葉を介した教えを聞いて受け入れることです。
特殊な訓練をするのでなく、教えの理解が第一です。
さてシュダオンという境界は実際どれだけ気持ちがよかことか見当もつかぬが
不退転となると、たしかに桐山さんの言う「わかっちゃいるけどやめられない」は
依然として現実に誘惑してくる。それに負けることすらあるでしょう。
しかしアルコールの克服と同じで、いかに苦しいと言えども、本当に問題意識、
解決意識が育っておれば、己に何度でも立ち向かう覚悟はできる。
私が私見と示した三結断ったシュダオンの不退転とはこういうことなんだと思う。
情意面の克服も必須です。しかしその前にやらねばならないのは徹底的に敵(煩悩)
を理解して、これと一生かけて対処してやろうかという覚悟であり、その前提となる
知識、教えではないか?
- 232 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/13(火) 23:35:57 ID:SmEF4Oe2O
- >>221:準シュダオン10/04/13(火) 14:12:13
ID:agsP6ENM0
>「便成須陀m9 得不退転法 必成至道」と。
そして四双八輩、預流向までも含めて聖者の流れと見る見方。
アルコールと身体の関わりの重要性のレクチャーを完全に理解したシュダオン果
以上を社会復帰に向けた治療患者と言うのではない。
まだレクチャーを受けてる最中の受け出したばかりの患者も着実に社会復帰に
向けて動き出しているのだ。
入院患者全てが回復に向かえる者です。
- 233 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/14(水) 00:20:50 ID:SmEF4Oe2O
- >>222:準シュダオン10/04/13(火) 14:22:31
ID:agsP6ENM0
>うサギさんも、ユビさんも、「仏陀の真実の教えを説く」本P373をご覧な
さいな。
>「わたくしたちは外道凡夫ではありません、もうすでに聖者に向かって、
> 一生懸命に修行しています、・・これを須陀m9向といいます・・」
>と、書いてるでしょう。
>管長は、前から、わたしたちは須陀m9向なのだ、と説いています。
やはり思った通り準シュダオンさんのゴマカシがありました。
省略された・・・の部分に準シュダオンさんが示したくない都合の悪い部分がある。
省略せずにそのまま引用する。
「わたくしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命に
修行しています。完全に須陀オンになっていないまでも、須陀オンに近くなっている
人たちもいます。須陀オンにどんどん向かっているのですから――これを須陀オン向
といいます――、みなさんは外道凡夫ではありません。」
ほらね。まだシュダオンになってないシュダオン向も外道や凡夫ではないと
桐山さんが明言している。
一方準シュダオンさんは預流向は聖者でなく凡夫だと主張してたのです。
またウンコが増えましたなw
- 234 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/14(水) 00:53:07 ID:SmEF4Oe2O
- >>220:準シュダオン10/04/13(火) 13:44:13
ID:agsP6ENM0
>三供養品・三善根で、ユビキタスさんは勘違いしてます。
>「社会科学としての阿含仏教」P354をご覧なさいな。
>管長は、如来の所でどんな功徳の種をうえるか、の解説で、
>一つは修行であり。もう一つは供養である、と説いています。
その354ページもきちんと引用しといてあげます。
ただしこの引用は本来あなたがすべきものだ。
相手にさせてしまった恥を知りなさい。ページだけ示せばよいものではない。
「さて生ける如来のもとで種える功徳とは、具体的にどういうものか。これは二つに
分類できます。分類するといっても両者は別々のものではなく、同時に行なうべき
ものです。まず一つは、修行と深い信心です。二つめは供養です。
信心・修行と供養を併せて行なう。それが如来のもとで種えるべき功徳の内容です。
深い信心を持ち、仏さまに供養を捧げるわけです。それがここでいう功徳です。」
この解説を読むと修行と漠然としており、どんな修行なのかわからない。
すなわちあなたの示した三福業の平等慈悲とか、思惟観察などの修行がまるで
見えて来ない。修行にいろいろあれど、修行と聞いて平等とか思惟なんて思い付く
奴はおらず千差万別のはずだ。
だからそれはどういう修行なのか示すべきなんだか示してない。
そんな状態で三福業なんか引き合いに出しても意味がない。
桐山さんが三福業を出さないんだもん。
第一ここで三福業を出すのは意味がない。
三福業は衆集経にはあっても、三供養品にはない。
一方桐山さんは社会科学としての阿含仏教で、二つの瓜二つの三供養品を出した。
片方は三善根であり片方は三福業ならぬ三福道です。
もちろん平等も思惟もその経典(三福道三供養品)にこれっぽっちも書いていない。
またこの三福道三供養品は私(桐山さん)が他の衆集経の三福業を参考に業を道に
替えて創作したものだなんて示してない。
あたかももともとこういう経典があるかのように示している。
それが嘘なんです。
また末世成仏本尊経講義に「一書に三善根とあり一書に三福業とあり、アゴン宗は・・」
と書いてあればこれは誰しも三供養品の異訳本と理解します。
一書(三供養品)には三善根とあり、また一書(衆集経という
別の阿含経)には三福業とあるので、私は衆集経を参考に三供養品の方にいたずら
したなんて誰も思わない。
- 235 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/04/14(水) 07:22:54 ID:.WcISWSw0
- みなさん、しばらくでした。天照です。
自分がしばらく来れなかった間に凄いスピードで進行されてますね。(驚きました)
いいことなのでうれしく思います。
ユビさんの「アルコール施設」での話は凄くいいですね。
実際的な話とまた検証比較には、とてもいい内容です。
誰にも分かり易い解説に頷いてしまいました。素晴らしいです。
Booさん、agama考察室の仰せの箇所、本当にそうですね。
無力だというわけでは有りませんが、いくら掲示板で文字で書いても
理解しようとしない人がいます。また、証拠も出せという人も。
ですが、あのように実際の文章や資料を引用掲載しての説明は本当の証拠も
提示しており、また証拠に則しての解説もできるので、誠に信憑性と検証が
高くなると感じております。
如何にゲイカがデタラメでインチキをしていたか、どのようにゲイカが嘘を
ついていたかもわかります。
考察室というサイトを運営できる喜びと、皆様に見ていただける環境に感謝です。
- 236 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/14(水) 08:52:05 ID:SmEF4Oe2O
- >>221:準シュダオン10/04/13(火) 14:12:13
ID:agsP6ENM0
>「便成須陀m9 得不退転法 必成至道」と。
不退転を得たから仏道修行者という聖者の流れになったのではなく、入門し
解脱を得ることを志した瞬間、聖者の道のりは始まっている。
段階を経てステップアップするごとに境界は高まり、不退転の保証は高まっていく。
仏教は知・情・意どの段階にも煩悩を認め、それぞれの段階の煩悩を解けと教える。
だから教えを理解して物事の道理を悟れば、一つ不動のものが自分に出来上がる。
頭の理解だけでは克服制御しきれない情の面に根付く習慣性のある煩悩にも
チャレンジしていって克服すればますます不動の自分が出来上がる。
そういうことを説いているのではないか?
だからある段階の不退転を得たから聖者、得てないから非聖者という分類もおかしい。
それよりも信者さんは最初「輪廻する葦」を読んで覚えた疑問を思い出してほしい。
三結煩悩の内容です。身見、疑惑、戒取。
いずれも認識を改めるだけの問題で特別特殊なタパスだの呼吸だのごとき訓練修行を
必要としない。教えを聴いて学ぶことが基本です。
それだけでシュダオンになれる。
だから三結煩悩を断った状態というのはいかなものなのか想像をめぐらして
推し量ってほしい。そんなオカルトな境界ではないはずだ。
何十年経っても到達もできないことが異常です。
準シュダオンさんの野球部に入部してもすぐに飽きて水泳部に移る高校生を
球児とは呼べないとしているが、ご自分は20年以上経ってもまだいつやめて
どこへ行くかわからず、仏道修行者としての自分も確立できてないのですと。
- 237 :Sage:2010/04/14(水)
12:05:25 ID:EK76sLS60
- ALCの更新。草、
- 238 :深山:2010/04/14(水)
12:37:33 ID:y8g2rH9I0
- >>222 :準シュダオン:2010/04/13(火) 14:22:31
ID:agsP6ENM0
>管長は、前から、わたしたちは須陀?向なのだ、と説いています。
>深さんなどは、そのことを理解出来ず、やれ須陀?向を自称するのは、
>管長が許さない、とか、チンプンカンプンの論を展開して、笑わせて
>くれるw。
準シュダオンさんて、本当に性格が悪いんですね。
こちらの書き込みを読みもしないで勝手なキメツケをするのはやめませんか。
私は、桐山さんが信者とは預流向だと言った、と認めましたよね。
昨年の10月に、私はそれを認めて、この点の批判を撤回した。
まるで私が認めず、まだ言い続けているようにあなたは書いている。
だが、そのことは、昨年だけでなく、あなたが上記を書いた前日の>>198で、
あなたが預流向を名乗ることを「いいとします」と是認している。
前日に私はあなたがアゴン宗の預流向であると認めているのですよ。
どこの何をあなたは読んでいるのだ?
昨年認め、前日に書かれても忘れてしまうなんて、頭だけでなく、
根性もずいぶん悪いじゃありませんか。
脳が老化していると批判されて気分が悪いなら、こういうひどいレスはつけないほうがいい。
あなたの脳は記憶がまだらなだけでなく、議論内容をごちゃ混ぜにしている。
議論内容はおおよそ次の三つに分かれます。
1.桐山さんは信者は預流向であると認めたかどうか。
2.桐山さんは預流向を聖者と分類したかどうか。
3.釈尊が預流向を聖者として分類したかどうか。
- 239 :深山:2010/04/14(水)
12:39:54 ID:y8g2rH9I0
- 1.桐山さんは信者は預流向であると認めたかどうか。
この件についてはユビキタスさんが引用した>>233の文章です。
「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀諸Yになっていないまでも、須陀諸Yに近くなって
いる人たちもいます。須陀諸Yにどんどん向かっているのですからーーこれを
須陀諸Y向といいますーーみなさんは外道凡夫ではありません。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)
たしかにこの文章からは、桐山さんが、信者とは、預流に向かう預流向なのだと
書いているように読める。
だから、昨年十月にこの文章が出てきた段階で、私はあなたの預流向宣言の正当性を認めたのです。
これ以降、私はあなたの預流向宣言を批判したことがあるか?
ありません。
あなたはそれを無視して、読みもしないで、私が修正していないかのように
非難するのはあまりに性格が悪い。
私はあなたと違い、はっきり証拠を示された内容を無視して、
自分の主張をしつこく書くような愚かで恥知らずな真似はしない。
頼むから、間違いを指摘されても絶対に認めないあなたと一緒にしないでくれ。
私はあなたみたいに頑迷で自惚ればかり強く、自分の間違いを認めない卑怯者ではない。
2ちゃんねるにも書いたが、間違いはさっさと認める、それが一番被害の
少ない方法であることを、桐山さんとあなたが反面教師として教えてくれたからです。
- 240 :深山:2010/04/14(水)
12:43:44 ID:y8g2rH9I0
- 1.桐山さんは信者は預流向であると認めたかどうか。
2.桐山さんは預流向を聖者と分類したかどうか。
上記の二点についての根拠として、あなたは昨年、
>493
:準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08
ID:P9JinFks0
で、桐山さんの記述を示した。
それらはダルマチャクラと『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』です。
解釈はともかく、あなたが文献を示したことは私は今でも評価しています。
これらの資料を引用したとき、私が真っ先にあなたに指摘したことを覚えているか。
「あなたの過去の書き込みを撤回して謝罪したらどうか」と提案した。
あなたは前に「今のアゴン宗では預流は聖者ではなく、賢者だ。
批判側は教学が古い」と批判側をあざ笑ったことがある。
だが、あなたが示した新しい資料では、桐山さんは預流を聖者と分類していた。
あなたは批判側を「古い」とあざ笑ったことも忘れていた。
もちろん、私からこれを指摘されても、撤回するどころか、あなたは完全無視していた。
他人には撤回している内容をしつこく追求するあなたは、自分のミスや無礼は
指摘されても素知らぬ顔です。
本当にあなたって古狸ですね。
- 241 :深山:2010/04/14(水)
12:47:51 ID:y8g2rH9I0
- 2.桐山さんは預流向を聖者と分類したかどうか。
準シュダオンさんが昨年十月に示した文献で、桐山さんが「預流向≠聖者」と
書いている文章はありません。
あなたの勝手な解釈で「預流向≠聖者」だと主張したにすぎない。
あなたが引用したこれらの文章で、一カ所をのぞいて、そもそも預流向なんて
出てこないし、ましてや「預流向≠聖者」などと言っていないのです。
全部あなたの御都合な勝手解釈です。
この時の議論であなたは私に、
「管長がどの本で、須陀諸Y向が聖者であると書いてますか?」(2009/11/23(月))
と質問したから、私はあなたに、
「管長がどの本で、須陀諸Y向が聖者でないと書いてますか?」と質問した。
あなたは桐山さんの文章からの勝手な解釈は並べられるが、
桐山さんが「預流向≠聖者」と書いている文章は示せなかったのです。
その時も指摘したが、桐山さんがどちらを主張しても私はかまわない。
「預流向=聖者」といえば、準シュダオンさんが困り、
「預流向≠聖者」いえば、桐山ゲイカが無知だと言っているのと同じです。
批判側は高見の見物です。
結局、あなたは桐山さんが無知だとして、彼の顔に泥を塗る方を選んだのですね。
そこにあなたがなぜここに書き込んでいるかという目的がよく現れている。
桐山さんの顔に泥を塗ってでも、自分を自慢するのが目的です。
我利の教祖にして我利の信者でお似合いです。
- 242 :準シュダオン:2010/04/14(水)
12:50:46 ID:agsP6ENM0
- 慧苑とは、7世紀の唐の人で、法蔵門下で一番すぐれた華厳学者だそうです。
この人が、「華厳経音義」に、「須陀?・・初獲聖性 入聖行流」と、説い
てます。初獲聖性、ね、わかりやすいでしょう、ユビさん。
須陀?になって、初めて聖性を獲得する、というのです。
だから聖者の仲間入りは、須陀?からなのです。
例えば、海が聖地(涅槃)だとしたら、川を探している段階が、預流向です。
川を見つけて、流れに入った段階が、預流果です。
あとは船に乗ろうが筏にしようが、川の流れに任せていれば、海の聖地に
辿り着きます。だから、須陀?を「入流」とも訳すのです。
因みに、平河本の学者先生方で、預流向を聖者と解説している方は、
一人もおりませんね。
- 243 :深山:2010/04/14(水)
12:54:04 ID:y8g2rH9I0
- 2.桐山さんは預流向を聖者と分類したかどうか。
「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀諸Yになっていないまでも、須陀諸Yに近くなって
いる人たちもいます。須陀諸Yにどんどん向かっているのですからーーこれを
須陀諸Y向といいますーーみなさんは外道凡夫ではありません。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)
桐山さんの上記の文章では「預流向≠聖者」とも「預流向=聖者」ともとれる。
前半の文章では、「聖者に向かって」というのだから、「預流向≠聖者」ととれる。
だが、後半で信者とは外道でも凡夫でもないと書いている。
釈迦仏教では聖者と対をなすのが凡夫です。
つまり、「外道凡夫でない=聖者」なのです。
このことはこれは講義している向経の釈尊の言葉をみれば十分です。
釈尊は解脱の道を歩む者以外を外道と凡夫としている。
解脱の道を歩む四双八輩(預流向から阿羅漢)は聖者です。
だから、桐山さんの後半の文章だけ見ると、「預流向=聖者」ととれる。
つまり、桐山さんはどちらともとれるような奇妙な文章を書いている。
だから、昨年、この件は阿含経講義の下巻が出るまで待ちましょうと
準シュダオンさんに提案したのです・・・もちろん覚えているはずがない。
桐山さんは下巻の等見品の講義でも預流や預流向について言及している。
平河出版社で文章の修正をしているはずだから、
下巻で桐山さんがどう書いているかを比較すれば、おおよその所はわかるから、
この議論はそれまで待ってはどうかの提案したのです。
だが、あなたにとって過去の議論などどうでもよく、四双八輩がなんであるかも
実は興味がなく、関心は「聖者ではない預流向」という自己主張以外なにもないから、
また同じ話を蒸し返してきた。
- 244 :深山:2010/04/14(水)
12:57:33 ID:y8g2rH9I0
- 2.桐山さんは預流向を聖者と分類したかどうか。
私は準シュダオンさんの、桐山ゲイカは「預流向≠聖者」説である、
という主張に賛成なのです。
桐山さんの文章を読んでいると、明らかに四双八輩の中身について理解していない。
だから、>>243の引用文章のようにどちらともとれるような奇妙な文章なのです。
四双八輩についてきちんとした理解をしているのなら、あんな曖昧な文章にはならない。
桐山さんは準シュダオンさんと同じで、勝手な解釈をして、
預流向とは聖者に向かう段階であり、預流果から聖者なのだと思いこんでいる節がある。
なぜなら、あの肩書きが大好きで、しかも出し惜しみの桐山さんが
信者に聖者なんて位階を無料で授けるはずはないからです。
だから、準シュダオンさんが恥をかいたみたいに(本人は記憶も自覚もない)、
預流を賢者などと分類していた。
あれはステップニルバーナと称して、信者に様々な位階を
授けるにあたり、最初から聖者という商品を出したのではもったいないし、
それでは受講料をかせげないから、賢者という前段階の商品を作ったのです。
もちろん、釈迦仏教にはそんな位階はありません。
こういうしみったれた桐山さんが、入行したばかりの信者に
聖者なんて位階を与えるはずがない。
だが、釈尊は宗教を商売にしていた人ではないから、
仏道を歩む者は全員が聖者だと分類した。
それが次の3です。
- 245 :準シュダオン:2010/04/14(水)
13:04:48 ID:agsP6ENM0
- 解脱を志した瞬間から、聖者への道のりは始まっている、というユビさんの
指摘はそのとおりなんだけど、預流向の段階では道を間違えて、また出発地点
に戻る可能性があるのです。また、辞めて外道になる者もいる。その段階が、
預流向です。とても聖者とは呼べません。ただ、聖なる道を歩んでる、とは
言えるでしょう。
三結煩悩を断つのは簡単なはずだ、とユビさんが言ったけど、我見を断つのは
難しいでしょう。自分の間違った考えを正しい、と思いこむのが我見です。
ユビさんもそうでしょう?
道元の詩、
「仏の道を習うには 自己を習いて自己忘れ」と、あります。
自己を習うとは、我見のない本来の自己を習う、という意味でしょう。
自己忘れ、とは、我見に満ちた自己中心の自己を忘れる(無くす)と
いうことでしょう。
- 246 :深山:2010/04/14(水)
13:08:51 ID:y8g2rH9I0
- 3.釈尊が預流向を聖者として分類したかどうか。
批判側は1についてははっきり証拠を示しており、議論の余地はありません。
あなたは何一つこの点については反論材料を示したことはありません。
小縁経について辛島先生の言葉を引用してきたが、恒例の
国語力の欠落からくるメチャクチャ解釈だと反論された。
それでもあなたは反論を無視して、しつこくしつこく同じ事を書き込んでいた。
>>242で書いているのもこの件ですよね。
すでに反論された内容なのに、何の学習もしない。
四双八輩は全部聖者なのだから、学者たちがわざわざ預流向を聖者だなどと
断り書きはしないなんて当たり前です。
「小学生は児童である」と言ったら、一年生が児童なのは当たり前で、
「小学一年生は児童である」などとわざわざ断らない。
>>242について逆に準シュダオンさんに質問するが、
学者が「預流向は聖者ではない」と書いた文章はどこにあるのだ?
あなたはそれを出せたことはないがない。
辛島先生の文章の勝手な解釈を並べているだけです。
四双八輩のうち、預流向だけが聖者でなく、残りが聖者なら、
普通はこれを説明するのが当然です。
だが、そんな説明はありません。
なぜなら、四双八輩が全部聖者であることは仏教の常識だからです。
阿含経にもはっきりと釈尊が四双八輩を聖者と分類し、
仏教辞典や解説書にも書いてある。
四双八輩(四向四果)とは、預流向も含んでいるのです。
- 247 :深山:2010/04/14(水)
13:18:06 ID:y8g2rH9I0
- 3.釈尊が預流向を聖者として分類したかどうか。
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
信者さんたちはこれを見ても、まだ四向四果の一つである預流向は
聖者ではないと思いますか。
四向四果の中に預流向が入っていて、それらは「聖者の階位」
「聖者の四つの位」と書いてある。
だったら、預流向は聖者です。
ところが、約1名の信者は上記をいくら示されても、絶対に折れず、
預流向は聖者ではないと、根拠も示さずに頑迷に言い続けている。
まあ、脳がまだらな老人は放置して、信者さんたちは仏教を正確に理解してください。
釈迦仏教では預流向は聖者です。
預流向が聖者でないとすれば、実は釈迦仏教では矛盾が生じてくるのです。
それを昨年、準シュダオンさんに追求して、成り立たないことを示したが、
もちろん、彼は何にも学習しないし、そんなことは記憶にすらないのは今の
彼を見れば十分でしょう。
しかし、他の信者さんたちのためにも昨年の議論を紹介しましょう。
- 248 :深山:2010/04/14(水)
13:34:39 ID:y8g2rH9I0
- 3.釈尊が預流向を聖者として分類したかどうか。
預流向は聖者でないというなら、凡夫なのか。
それはいくらなんでもおかしいことは誰が考えても明かです。
するとたいていの人は凡夫と聖者の間にいると始まる。
準シュダオンさんもそれをした。
実は同じ事をビダルマ仏教がそれをしたのです。
凡夫と聖者の間を四善根といいます。
三善根と名前が似ていますが、内容はまったく違うし、
三善根は釈尊が説いた内容だが、四善根は後世のアビダルマ仏教が作り出した内容です。
おもしろのが、準シュダオンさんは普段は、批判側はアビダルマ仏教に
汚染されているなどと罵っているくせに、
自説を唱えているうちにアビダルマ仏教とそっくりの説を出したことです。
もちろん、それを指摘されて準シュダオン聖者様は泰然として、
馬耳東風、馬の耳に念仏でしたし、記憶すらしていません。
凡夫と聖者の間の存在を主張すれば、準シュダオンさんの嫌いなアビダルマ仏教になり、
存在を主張しなければ、預流向は凡夫だと認めるしかなくなる。
前門の虎、後門の狼にまたしてもはさまれたのです。
もちろん彼はこんなことを書かれても思い出さないし、何を指摘されたかも
わからないのでしょうね。
お幸せな人だ。
だから、おそらくこのまま議論すれば、また同じことを書きます。
この調子でいくらでも彼は議論できるから、「輪廻するまだら脳」です。
だが、信者さんたちに自覚してほしいのは、釈尊は凡夫と聖者の間の存在なんて認めていない点です。
そんな阿含経は存在しないのです。
釈尊の分類は単純で、凡夫と聖者の二種類です。
桐山さんから、聖者を何か特殊な内容だと信者さんたちは教え込まされていますね。
だが、釈尊はそんなもったいをつけた分類はしない。
なぜなら聖者という位階を販売などしていないからです。
位階を販売する連中に限って、それに特殊な価値をつけて高値で売ろうとする。
仏教の聖とは煩悩をなくすことを指します。
だから、在家でも煩悩を減らそうと努力したら、「聖なる行いをする者」だから聖者です。
預流向でも聖者なのです。
- 249 :準シュダオン:2010/04/14(水)
13:48:55 ID:agsP6ENM0
- 三供養品・三善根においての、功徳の種をうえるの内容は、
修行と供養を同時に行うことである、と管長は説いてます。
だが、貪心を無くすための布施供養であるわけだが、果報を期待するあまり
の布施供養では貪心を増長することになってしまうね。
これは、自戒せねばいけないね。
功徳とは、善根を修することにより、その人に備わった徳性をいう、と辞典に
ありますね。
利益とは、仏の慈悲、あるいは修行の結果として得られる福利、物質的な意味
でも、宗教的な意味でも用いられる、と辞典にあります。
松原泰道師は、自分を益するものを功徳、他を益するのを利益という、と、
何処かの本で解説していた。仏の教えに従って受ける恩恵を利益という、
とも説いていた。現世利益を求める心は、決して卑しいものではない、
とも説いていたね。その心を、他者に振り向けることを忘れなければよい、
とね。
浄土教では、現世利益とは仏の慈悲によるものであって、加持祈?までして
ねだるのは邪道だ、と考えてるようですね。
まぁ、余裕のある人は、そうでしょう。
- 250 :深山:2010/04/14(水)
13:52:29 ID:y8g2rH9I0
- >>246修正
○ 批判側は3についてははっきり証拠を示しており、議論の余地はありません。
× 批判側は1についてははっきり証拠を示しており、議論の余地はありません。
- 251 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/14(水) 23:37:24 ID:SmEF4Oe2O
- >>242:準シュダオン10/04/14(水) 12:50:46
ID:agsP6ENM0
>この人が、「華厳経音義」に、「須陀m9・・初獲聖性 入聖行流」と、説い
>てます。初獲聖性、ね、わかりやすいでしょう、ユビさん。
>須陀m9になって、初めて聖性を獲得する、というのです。
>だから聖者の仲間入りは、須陀m9からなのです。
単にシュダオンと書いてあるのですか?それともきちんとシュダオン果とシュダオン向
と厳密に区別して、シュダオン向はまだだが、シュダオン果から聖性を獲得する
と書いてあるのか?
ご存知の通り四沙門果の分類などいつもいつも向と分けた8種類を示している
わけではない。包含しているわけです。
四沙門果の一番下がシュダオンなんだから初獲聖性、入聖行流と書かれて当然です。
>例えば、海が聖地(涅槃)だとしたら、川を探している段階が、預流向です。
>川を見つけて、流れに入った段階が、預流果です。
いや、預流向、預流果共に川の流れを見つけて既に川の中にいますね。
これから川に入ろうかというのは、これから仏門に入ろうという人になります。
>あとは船に乗ろうが筏にしようが、川の流れに任せていれば、海の聖地に
>辿り着きます。だから、須陀m9を「入流」とも訳すのです。
まるで船でごろ寝しているうちに大海たる涅槃に到着するかのような喩えですね。
いや、自力で泳ぐわけです。大変な努力を要します。
しかしこの川の流れの方向に間違いはないので流れに沿って遠泳すれば涅槃に到達する。
>因みに、平河本の学者先生方で、預流向を聖者と解説している方は、
>一人もおりませんね。
これもきちんと向と果を分類した上で両者を比較して、片方は聖者、片方はそうでない
と区別した文を引用してもらわねば証明になりませんね。
そんな無意味な分類などしないのです。
三結断ってシュダオンはよいが、一結ないしは二結断ってもまだ聖性は獲得しない
と言うのか?
三結だけでもまだまだなのに。
- 252 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/14(水) 23:59:50 ID:SmEF4Oe2O
- >>245:準シュダオン10/04/14(水) 13:04:48
ID:agsP6ENM0
>解脱を志した瞬間から、聖者への道のりは始まっている、というユビさんの
>指摘はそのとおりなんだけど、預流向の段階では道を間違えて、また出発地点
>に戻る可能性があるのです。また、辞めて外道になる者もいる。その段階が、
>預流向です。とても聖者とは呼べません。ただ、聖なる道を歩んでる、とは
>言えるでしょう。
ダイバダッタなどはまだシュダオンの悟りすら開けぬ預流向の分際だったから
教団を離反したと言いたいのですか?
それから不退転を得るとは、これはえらいことです。
アゴン宗で言うならば中途挫折の因縁を切るということになる。
桐山さんは言う。人がホトケになるなんて大それた道は困難である。人間社会で
成功を納めることよりも遥かに難しい。
だから中途挫折の因縁なんて持っていて成就できるはずがない。
これは面白い皮肉なんだが、因縁切りの行を因縁ゆえに行が続かず切れぬということになる。
さてその中途挫折の因縁切りだが、三結断って認識を改めれば切れると桐山さんは
説いているのか?
中途挫折の因縁なんてなかなか切れませんよ。
桐山さんですら切れてないw
理解認識を改めただけでは駄目なんだそうです。
なぜならば「わかっちゃいるけどやめられない」。
>三結煩悩を断つのは簡単なはずだ、とユビさんが言ったけど、我見を断つのは
>難しいでしょう。自分の間違った考えを正しい、と思いこむのが我見です。
あなたを見る限り全く同意です。
しかしそんなあなただって変な意地を捨てて素直にお釈迦様の声に耳を傾ければ
割と簡単に理解して受け入れることができます。
受け入れないのは受け入れたくないわけです。
たしかにこういう欲望を抱えて離さない者は多い。
- 253 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/04/15(木) 06:16:57 ID:uJQn8dko0
- >三結煩悩を断つのは簡単なはずだ、とユビさんが言ったけど、我見を断つのは
>難しいでしょう。自分の間違った考えを正しい、と思いこむのが我見です。
我を無くせ、と高説する割にはその説いている自分自身が我を無くせないのだから
話にならない。深山さんの言うように「説教泥棒」そのものです。
また、間違った教えを説くゲイカを信じ込み、また自説を説くのは我見そのもの。
そして、それを「違う」というものを批難することと自慢することで威厳を保つ
姿勢も周りから見たら、ただ呆れるばかり。
うちの親も「子供のいうことは自分より劣っている」と相手にせず、自分ばかり
が偉いと自惚れ、家族からも嫌われている。そのネット版が「準氏」という次第。
気が付かないか、認めたくないか、なんだろうなあ・・・。
- 254 :準シュダオン:2010/04/15(木)
09:39:44 ID:agsP6ENM0
- 私も、天照さんを我見が強いなぁ、と思うわけだから、お互い様だなぁ。
私は、ウジ虫は蠅の幼虫だとは知らず、昆虫など雑多な虫の幼虫がウジ虫
だと思っていたw。
まぁ、私は、理科の問題は、小学生高学年にはかなわないね。
けれども、智慧において、小学生高学年に劣るとは思えない。
知識と智慧は違うからね。
批判派のレスを読んでいて、似たようなことを感じるね。
批判派は、新皮質脳的理屈は詳しいが、肝心なところが違っている感じね。
批判派は、立派な自動車に乗ってはいるんだけど、エンジンのかけ方を知
らない感じ。
私のは、オンボロ自動車だけど、エンジンがかかった、感じね。
- 255 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/15(木) 09:40:03 ID:SmEF4Oe2O
- >>249:準シュダオン10/04/14(水) 13:48:55
ID:agsP6ENM0
>三供養品・三善根においての、功徳の種をうえるの内容は、
>修行と供養を同時に行うことである、と管長は説いてます。
桐山さんがそう説いているとね。
そう。そのような厳密な表現が大切ですね。
間違っても、増一阿含経三供養品三善根経典の功徳とは供養と修行を説いたもの
であるなどと既成の事実であるかのように書かないことですね。
しかしどう解釈しようが桐山さんの自由と言いたいところだが、ここでは根拠も
何もむちゃくちゃだから何を説こうが説得力がない。
もう功徳とは飯を食うことでもナンパをすることでもなんでも逝っちゃってください。
と言うのはこちらは桐山さんの三供養品解説の中身もさることながら、その外枠の
根拠の示し方の欺瞞を指摘している。
つまり捏造を批判している。
「社会科学としての阿含仏教」に並べ書かれている瓜二つの三供養品です。
三善根と三福道の部分だけが異なるという。
三善根の方はよいが三福道の方は全く根拠がなく、桐山さんの捏造です。
ここに衆集経の三福業を持ってくる意味がない。
三善根の無貪・無瞋・無癡を説きたかったら、三善根経典をそのまま示せばよいし
三福業の施業平等業思惟業が示したかっら三福業経典を示せば済む話です。
経典なんてのはいくつ示してもかまわない。
しかし三供養品三善根経典という一つの経典の解説に、三善根の無貪瞋癡を示したく
ないから、三福道なんてありもしない用語と概念を持ち出すことが間違っている。
経典の原文をそのままに解釈を自由に展開するのならよいが、そうではなく
原文捏造なんだから、この解釈など無効です。議論の余地がない。
>功徳とは、善根を修することにより、その人に備わった徳性をいう、と辞典に
ありますね。
>利益とは、仏の慈悲、あるいは修行の結果として得られる福利、物質的な意味
>でも、宗教的な意味でも用いられる、と辞典にあります。
辞典というのは広く仏教外に普及した用語や仏教でも後世に変容発達した大乗なども
含んで紹介してますから、どれもこれも当てはまるという考えを捨てて、よく分類
して釈尊時代の功徳なり利益なりで探すことです。
- 256 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/15(木) 09:45:53 ID:SmEF4Oe2O
- >>249:準シュダオン10/04/14(水) 13:48:55
ID:agsP6ENM0
>松原泰道師は、自分を益するものを功徳、他を益するのを利益という、と、
>何処かの本で解説していた。仏の教えに従って受ける恩恵を利益という、
>とも説いていた。現世利益を求める心は、決して卑しいものではない、
>とも説いていたね。その心を、他者に振り向けることを忘れなければよい、
>とね。
その松原泰道師だが、先年書店でたまたま彼の著書を手にとって立ち読みしたら
あとがきで昨今の一部のカルト的仏教団体の教義内容を批判していたよ。
アゴン宗とは指摘していないが、教義内容はアゴン宗のそれと同じでした。
まあ何の本か紹介も引用もできないから、このレス自体に根拠も説得力もないが。
- 257 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/15(木) 09:51:49 ID:SmEF4Oe2O
- >>254:準シュダオン10/04/15(木) 09:39:44
ID:agsP6ENM0
>けれども、智慧において、小学生高学年に劣るとは思えない。
>知識と智慧は違うからね。
いいえ、知識よりも智慧の部分で小学生よりも劣ります。
国語力ですね。小学生だってお釈迦様の経典を読んでその真意をつかむことができます。
あなたのような曲解はしません。
ウジ虫に関する常識知識の欠如の件は誰も責め立てなかったでしょ?
しかし知識ではなくそれを運用する国語力、読解力のお粗末さは遠慮なく
批判させてもらっています。
- 258 :準シュダオン:2010/04/15(木)
09:59:00 ID:agsP6ENM0
- 深さんのレスは長すぎて、一行も理解できないほどだが、
8法16法批判レスだけは、眼に入ったよ。
信戒施見聞・・というように、見が入るのが正しい、というのだね。
それはおかしいね。諸沙門に見(まみ)える、という意味での見だね。
そんなのは、法と言えるしろものではないね。
どこかの学者が「見」を8法の一つに数えていたとしても、盲信すべき
ではないね。自分の頭で考えてみよ!
沙門を見ると何で、修行が進むのかね?
「ははぁ、立派な坊主頭ですなあ!」と、感心してたら修行が進むのか?
8法16法は、在家だけの修行法ではないね。
例えば、十上経に七成法というのが説かれていて、それは、
信、戒、施、聞、慚、愧、慧、の七つです。
持、観、法次、方向、についても、同様のことが諸経典に説かれています。
が、「見(まみ)える」という修行法は、疑問だね。
「見(まみ)えて教えを聞きなさい」という意味だから、これで一つの法と
数えるのが自然だね。
- 259 :準シュダオン:2010/04/15(木)
10:12:50 ID:agsP6ENM0
- ユビさん、三福道を捏造というのは、オーバーですよ。
内容まで変えてるわけではないよ。
経の意味は同じなんですから、捏造ではなく、補正です。
三善根だと、無貪瞋痴のことだな、と思いこんで供養しない者も出てくる
可能性がある。それを正すために、三福道の語に改めたのでしょう。
「功徳の種をうえる」というのが、眼目なのです。
「功徳とは、善根を修してその人に備わった徳性」との辞典の解説を引用
したが、それは一部でね。
功徳には、福徳という意味もあることが、辞典にあるね。
福徳とは、幸福と財産のことであるからね。
精神的な意味にだけ使うのは、間違いだと思うね。
- 260 :準シュダオン:2010/04/15(木)
10:26:50 ID:agsP6ENM0
- 私に変な意地など無いと思いますよ。
間違いだと思ったら、すぐ改めますよ。
変な意地を持ってるのは、ユビさんや、深さんではありませんか。
管長は、須陀?からが聖者だ、と説いてる、と私がレスしたら、
深さんは、「須陀?向は凡夫だと書いてるか?」との屁理屈でくるw。
「長寿を得る」ということは、「短命ではない」という意味に同じこと
なのだ。それがわからない、阿法としか言いようがないよw。
阿含経の何処に「仏教とは、因縁切りのことではない」と書いてあるか?
と、いう言い方と同じだろがw。
- 261 :天照#:2010/04/15(木)
10:43:31 ID:Kv1nCdeA0
- 自分の都合のいいように解釈して、我見はどちらのほうだ。
>阿含経の何処に「仏教とは、因縁切りのことではない」と書いてあるか?
書いてはいないが、ではアゴン宗の示すとおりの種々の因縁というのが書かれているか?
それを出してから反論すべきじゃないか。我見大魔王が。
- 262 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/04/15(木) 10:44:46 ID:Kv1nCdeA0
- 261のトリップミスだが、私ですので。
- 263 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/15(木) 11:31:07 ID:SmEF4Oe2O
- >>259:準シュダオン10/04/15(木) 10:12:50
ID:agsP6ENM0
>ユビさん、三福道を捏造というのは、オーバーですよ。
>内容まで変えてるわけではないよ。
>経の意味は同じなんですから、捏造ではなく、補正です。
>三善根だと、無貪瞋痴のことだな、と思いこんで供養しない者も出てくる
>可能性がある。それを正すために、三福道の語に改めたのでしょう。
「功徳の種をうえる」というのが、眼目なのです。
全く逆ですね。
解釈は自由と言っているのですから、堂々と原文を三善根として掲げた上で
三善根は無貪無瞋無癡の意味があるが、まあそう堅いことを言うな。
徳性の功徳なんかよりももっと俗っぽい現世利益の方が面白おかしいからそっちに
しようではないかと書いて納得させればよいのです。
桐山さんは経典のこの部分を補正改ざんしたなんて言ってない。
世の中には昔からこんな瓜二つの経典がどちらも実在し、どちらも同じ意味だよ
として無貪無瞋無癡には一言もなく、供養とシュギョー(内容、目的は語らず)
による御利益の功徳だけを示したのです。
なんて卑怯な男だろうか?
- 264 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/15(木) 11:41:49 ID:SmEF4Oe2O
- >>260:準シュダオン10/04/15(木) 10:26:50
ID:agsP6ENM0
>管長は、須陀m9からが聖者だ、と説いてる、と私がレスしたら、
>深さんは、「須陀m9向は凡夫だと書いてるか?」との屁理屈でくるw。
だからあなたが預流向はまだ聖者ではない凡夫だと発言したのを桐山さんが
いいや、君たちは預流向であり凡夫ではないと否定したんですよ。
>阿含経の何処に「仏教とは、因縁切りのことではない」と書いてあるか?
>と、いう言い方と同じだろがw。
月に兎がいることを証明しようと思ったら、いると主張する方が兎を出すべきです。
それを学者の学術書のどこにも月に兎はいないと書いてないから、月に兎はいる
なんて主張する阿呆がいるか?
- 265 :準シュダオン:2010/04/15(木)
12:38:13 ID:agsP6ENM0
- 辞典に、「初期仏教で、さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し、
縁起の滅した世界とされた」と、書いてあることを、前に紹介した。
阿含仏教は、「縁起の滅」を教えるのです。
縁起の滅=因縁の解脱、です。
こういう単純なことが、理解できない人が、修行から脱落するのです。
また、批判派は信者時代に、過度な果報を期待する布施供養をしてきた、
のではないか?と思われるね。それでは煩悩を増進するだけです。
それは自分で自制しないといけないね。
「チベット仏教」で検索すると、百万件以上ヒットするね。
どれを学んで良いか、わからないくらいね。
アメリカで、昨年、「ミラレバ」という映画がヒットしたらしい。
ミラレバは幼い時、父を失い、叔父に財産を奪われたそうだ。
その後、マルバに師事し、秘儀を授けられ、その力を利用して叔父を滅ぼした
そうだ、で、後悔するんですね。
監督はブータン在住のチベット人なそうで、私も鑑賞したいね。
日本では未公開でしょう。
- 266 :準シュダオン:2010/04/15(木)
14:48:27 ID:agsP6ENM0
- 管長は、「わたしたちは、外道凡夫ではなく、聖者を目指して修行中の
須陀?向である」と、本に書いてるわけです。
外道凡夫ではないけれども、まだ聖者には達していないのです。
いわば、仏道から外れた外道凡夫ではなく、聖なる仏道を歩む、聖道凡夫
だというわけですね。
管長の本を読んだら、それくらいの理解力、応用力が欲しいね。
わたしの、国語力を笑う資格はないよ、ユビさんにw。
- 267 :名無しさん:2010/04/15(木)
15:33:15 ID:Kv1nCdeA0
- >月に兎がいることを証明しようと思ったら、いると主張する方が兎を出すべきです。
それを学者の学術書のどこにも月に兎はいないと書いてないから、月に兎はいる
なんて主張する阿呆がいるか?
いい喩えです。さすがはユビさん。
今、月面を周回しながらその画像を地球に映像を送っている衛星がありますが、
現代はそこまでテクノロジーも発達しています。
しかしながら、その画像に「うさぎが映ってないからといってうさぎはいないとは
限らないのだよ」といっているようなもので、月に酸素も無いのに生物が存在するのは
もしかしたら宇宙人だけかもしれない、という推測しか成り立たず、うさぎという生物は
存在しません。
いまどき月に「うさぎがいる」といっているのは頭のおかしい方か妄想が好きなかた
だけでしょう。
(外部からの投稿 #262より)
- 268 :無関係な人間です:2010/04/15(木) 16:13:09 ID:vqtnMJTY0
- 先日、早川和廣氏の「阿含宗 桐山靖雄の知られざる正体」(1986年4月18日 あっぷる出版)
を読んでいて、知りたいと思う点があったので、ご存知の方がおられましたら、ご教示下さい。
桐山氏は自伝などで自分の父親が商人であったと回顧しています。
しかし、同書には父は「土建業から陸軍の糧秣廠出入りの仕事に転業したというが、流山小学校時代の
父は焼酎工場の労務、廃品回収、焼き芋やをし、氏も納豆売りで、中学校には入学していない」と
あります。(同書 127P)
これは、昭和56年から57年にかけて、阿含宗の元会員が調査した文書が出典で、当時の近所の人
の証言とありますが、信憑性はどのぐらいあるのでしょうか? 伝聞証拠であり、桐山氏自身の証言
とは異なりますが、桐山氏の証言が信用できないケースが散見できるので、無視できないという感じも
あります。
「昭和58年10月18日の「神奈川新聞」には、「”阿含密教” 反省講演会」の広告が載せられた。演題は
「因縁返しは怖くない」。講師は「元観音慈恵会会員多数」。会場は「横浜市開港記念会館」」
(219P)
と掲載されています。その後の動きが掲載されていないので、ご存知の方は教えて下さい。
以上、勝手なお願いですが、よろしくお願いします。
あと、
- 269 :無関係な人間です:2010/04/15(木) 20:41:39 ID:vqtnMJTY0
- 准シュダオン様が、孤軍奮闘されている点については敬意を表します。
しかし、拝見する限り、准シュダオン様の論旨はたいへん混乱しているだけでなく、かなり
独善的な部分が多いという印象を私は受けています。たいへん申し上げにくいのです
が、阿含宗を修行した末路がこんな結果となるのか、という偏見を私は持っています。
あるいは真面目に議論をするというよりも、詭弁の弾幕を張り批判派の人達を疲労困憊させるのが目的で
ある、という間違った感想を持つ人もいるかもしれません。(私もそうなのですが)
これは、私の頭が悪く、かつ、知識が不足しているせいかもしれません。現に、鉄に
豆腐をぶつけたたとえを言われていましたね。
そこで、お願いですが、一連の議論を見ていて、疑問がありましたので、ご返答を
頂戴できれば幸甚です。
准シュダオン様ご自身は、阿含宗の教護の解釈について、桐山氏の
指導には一言一句従うべきである、というお考えであるか、それとも、桐山氏や阿含宗の
指導は参考程度で、あくまでも解釈する権利は自分にあると考えておられるのか、ご返答を頂戴できれば
今後の参考になります。それ以外のお考えをお持ちの場合は、お知らせ下されば幸いです。なお、個人が
特定されるような情報の開示は望んでいませんので、付け加えます。
ご多忙とは存じますが、ご指導を頂戴できれば幸甚です。
- 270 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/15(木) 21:42:41 ID:SmEF4Oe2O
- >>258:準シュダオン10/04/15(木) 09:59:00
ID:agsP6ENM0
>信戒施見聞・・というように、見が入るのが正しい、というのだね。
>それはおかしいね。諸沙門に見(まみ)える、という意味での見だね。
>そんなのは、法と言えるしろものではないね。
>どこかの学者が「見」を8法の一つに数えていたとしても、盲信すべき
>ではないね。自分の頭で考えてみよ!
学者の説がうんぬんではありません。自分で原文を読んで自分の頭で考えてください。
「仏陀の真実の教えを説く」に漢文と和訳書き下し文と、桐山さんがしたためた
と思われる現代語訳があるからこれを読みなさい。
桐山現代語訳も正しく問題はない。
だからその和訳書き下し文と現代語訳を対比しながら、(書き下し文に忠実に
現代語訳を添えているとわかります)読みなさい。
そして試験官はここで問題を出す。
この経典で述べている八法を8つ列挙しなさいと。
小学生でも「見」を入れて「法次法向」を1まとめにします。
もともと分離されてないし。
意味の問題よりも文脈スタイルの問題ですね。
>沙門を見ると何で、修行が進むのかね?
>「ははぁ、立派な坊主頭ですなあ!」と、感心してたら修行が進むのか?
これは桐山さんの指導を馬鹿にしてるのですか?
桐山さんもアゴン宗道場に見(まみ)えることを説いています。
運命とは運べる命だ。運ぶとは軍にしんにょうがつくくらい命がけで対処するものだ。
アゴン宗には大大運気がある。
道場に足を運び、この大大運気を運びなさい。
そうでないと因縁も切れぬのです。
まみえるは目でみることではない。足を運ぶのです。あなたが一番面倒臭がってる。
聞法も梵行も道場に足を運ぶことから始まる。足を運ぶことが重要だと説くのです。
あなたが従わないだけで。
あなたは道場に行っても死に損ないのエロジジイを見て何の法になるのか?と
思ってるわけですね。
釈尊もまた塔寺にまみえて親しく接して出家の説く法を聞けと説いたのです。
- 271 :深山:2010/04/15(木)
22:02:11 ID:DlpNeCZI0
- >>258 :準シュダオン:2010/04/15(木) 09:59:00
ID:agsP6ENM0
>深さんのレスは長すぎて、一行も理解できないほどだが、
>8法16法批判レスだけは、眼に入ったよ。
あなた場合、「四行しか」理解できないことは前にも実例があり、ここでは広く知られています。
だが、四行ではなく、1行まで減ったのですか。
ずいぶん症状が進みましたね。
私もあなたのためには書いていませんので、気にすることはありません。
読んでいる信者さんたちは唐突に八法十六法の話が出てきて、
何のことかよくわからないかもしれません。
脳がまだらになっている年寄りが、思いつきで関係ない話を始めることがあります。
あれだと思って勘弁してあげてください。
年をとると視野が狭くなり、自分の関心事しか頭にないのです。
私が八法十六法について書いたのはこちらではなく、2ちゃんねるの
スレ177の111〜にあります。
まだ読んでいない方はぜひ読んでください。
求聞持脳の桐山さんが八法の数え方を間違ったという爆笑ネタです。
ちょっと驚いたのは、準シュダオンさんは2ちゃんねるを読んでいることです。
私はてっきり読んでいないと思って、あちらで準シュダオンさんを笑い者に
しようかと思っていたが、本人が読んでいるのではやめたほうがよさそうですね。
- 272 :深山:2010/04/15(木)
22:05:10 ID:DlpNeCZI0
- >>258 :準シュダオン:2010/04/15(木) 09:59:00
ID:agsP6ENM0
>どこかの学者が「見」を8法の一つに数えていたとしても、盲信すべき
>ではないね。自分の頭で考えてみよ!
盲信とは、誰の何を盲信したのですか。
私は盲信もしなければ、あなたみたいなまだら模様の頭で考えることもしない。
私は考えたのではなく、経典にある文言をそのまま読んだだけです。
桐山さんのように一知半解でもなければ、あなたみたいな低い国語力でもない。
普通の義務教育を受けた程度の国語力で、経典をあるがままに読んだだけです。
学者たちも同じで、勝手な解釈ではなく、文字通りを読んで番号を付けただけです。
それも、学者や私の訳ではなく、桐山さんの訳をそのまま引用した。
桐山さんが訳したのは学者の説ではなく、経典の現代語訳、つまり、釈尊の言葉です。
釈尊がそのようにおっしゃっているのだから、私ごときがこれに
口をはさむことなど何もありません。
あなたごとき凡夫が聖者の直接の教えに何をよけいな口をだすのだ?
では、2ちゃんねるで引用した桐山和訳による釈尊の十六法の説明を掲載します。
- 273 :深山:2010/04/15(木)
22:07:12 ID:DlpNeCZI0
- 「自分自身が正しい信を持つと共に、
他者にもそれを確立させる。
自分が浄戒を保つと共に、
他者にも浄或を確立させる。
自分が布施を行うと共に、
他者にも布施行を教える。
自分が塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えると共に、
他者にも塔寺への参詣と沙門に見えることを教える。
自分が沙門の説法をひたすら拝聴すると共に、
他者にも説法を拝聴することを教える。
自分が法を受持すると共に、
他者に受持することを教える。
自分が仏法の深義を観察すると共に、
他者に仏法の深義を観察することを教える。
自分が仏法の深義を知って法に近づき法を追求すると共に、
他者に仏法の深義を理解させて、また法に近づき法を追求する修行を行わせる。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経 上』の45頁)
- 274 :深山:2010/04/15(木)
22:09:49 ID:DlpNeCZI0
- >>273は桐山さんの現代語訳で、大筋において正しい訳です。
読めばわかるように、一つの事柄を「自分が」と「他者に」と
二つに分けて説いている文章構成がわかります。
つまり、「自分が」と「他者に」とがペアになっている。
これを十歳以上の人に、十六法とは何かを番号をつけなさいと
言ったら、どのように番号をつけるでしょうか。
桐山さんと準シュダオンさん以外の人は次のように番号をつけるでしょう。
「1.自分自身が正しい信を持つと共に、
2.他者にもそれを確立させる。
3.自分が浄戒を保つと共に、
4.他者にも浄或を確立させる。
5.自分が布施を行うと共に、
6.他者にも布施行を教える。
7.自分が塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えると共に、
8.他者にも塔寺への参詣と沙門に見えることを教える。
9.自分が沙門の説法をひたすら拝聴すると共に、
10.他者にも説法を拝聴することを教える。
11.自分が法を受持すると共に、
12.他者に受持することを教える。
13.自分が仏法の深義を観察すると共に、
14.他者に仏法の深義を観察することを教える。
15.自分が仏法の深義を知って法に近づき法を追求すると共に、
16.他者に仏法の深義を理解させて、また法に近づき法を追求する修行を行わせる。」
- 275 :深山:2010/04/15(木)
22:15:49 ID:DlpNeCZI0
- >>274が普通の人が、文章の構成上から付ける番号です。
個々の仏教的意味がわからなくても、「自分が」と「他者に」がペアになっており、
それぞれ八つずつ、合計十六項目説いていることは、普通の国語力でも十分に判断できる。
ところが、準シュダオンさんと桐山さんは違うという。
彼らの付け方は次のようなものです。
桐山・準シュダオン説
「1,自分自身が正しい信を持つと共に、
2.他者にもそれを確立させる。
3.自分が浄戒を保つと共に、
4.他者にも浄或を確立させる。
5.自分が布施を行うと共に、
6.他者にも布施行を教える。
7.自分が塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えると共に、
8.他者にも塔寺への参詣と沙門に見えることを教える。
7.自分が沙門の説法をひたすら拝聴すると共に、
8.他者にも説法を拝聴することを教える。
9.自分が法を受持すると共に、
10.他者に受持することを教える。
11.自分が仏法の深義を観察すると共に、
12.他者に仏法の深義を観察することを教える。
13.自分が仏法の深義を知って法に近づき、14.法を追求すると共に、
15.他者に仏法の深義を理解させて、16.また法に近づき法を追求する修行を行わせる。」
- 276 :ラシン:2010/04/15(木)
22:22:31 ID:u1Ac/QJE0
- >269 :無関係な人間です:2010/04/15(木) 20:41:39
ID:vqtnMJTY0
准シュダオン様が、孤軍奮闘されている点については敬意を表します。
はい、私もその意味では、準シュダオンさんはここでマイノリティという
立場でしょうから、そのご理解には充分値するとの思いです。
>しかし、拝見する限り、准シュダオン様の論旨はたいへん混乱しているだけでなく、かなり
独善的な部分が多いという印象を私は受けています。たいへん申し上げにくいのです
が、阿含宗を修行した末路がこんな結果となるのか、という偏見を私は持っています。
あなたのご感想が、客観性に基づいていると私や批判側が指示しても、
それをジャッジするのは、ここを見る読者さんに委ねたいですね。
>あるいは真面目に議論をするというよりも、詭弁の弾幕を張り批判派の人達を
疲労困憊させるのが目的である、という間違った感想を持つ人もいるかもしれません。
(私もそうなのですが)
私の私見は少し違います。
深山さんのご指摘にある、準シュダオンさんの個人的”見栄”を達成すべく、
アゴン宗を拠り所にしているという結論を感じざるを得ない所業と、
受け止めています。依処=利用 という不快感です。
ということで、以下の無関係な人間ですさんの準シュダオンさんへのご質問は、
上記私の推測を吟味していただければ、結果は明らかではないでしょうか?
もちろん、準シュダオンさんのご回答を無視は出来ませんが、、、。
アゴン宗会員、元会員以外であるあなたの感想は、無垢なる疑問であり、
それに応えるべき器量や責任を当事者たる方々が、どのように受止めるか?
単なる興味などを超える布教信仰者たる責務への、真摯な追求と覚えます。
- 277 :深山:2010/04/15(木)
22:24:45 ID:DlpNeCZI0
- >>258 :準シュダオン:2010/04/15(木) 09:59:00
ID:agsP6ENM0
>「見(まみ)えて教えを聞きなさい」という意味だから、これで一つの法と
>数えるのが自然だね。
信者さんたちは比較してみていかがですか。
>>273の文章は釈尊の八法十六法の説明文です。
それらに十六までの番号を付けるのに、>>274と>>275の
どちらが正しいと思いますか。
どう見ても、桐山・準シュダオン説の番号の付け方ほうが不自然です。
「自分が」と「他者に」が一組になっていることは明らかであり、
それを数えると8ないし16になる。
釈尊は「見」「聞」を別々のものとして説いている。
「見」「聞」を一緒にすることの根拠もないし、法次法向をバラバラなものと
解釈しなければならない理由もありません。
これは経典解釈以前の国語力の問題です。
そして、この経典が講義された三十年近くも前にも、信者から
>>275の数え方がおかしくないかと批判が出た。
信者だからといって全員が狂っているわけではない。
信者さんたちは、準シュダオンさんのように「桐山ゲイカは絶対に正しい」と
支持するのは自由だ。
だが、それをすればするほど、自分の知性と常識を麻痺させることになります。
知性と常識がすでに麻痺している準シュダオンさんはいいとして、
信者さんたちは普通の国語力すらも捨てるつもりですか。
- 278 :深山:2010/04/15(木)
22:28:37 ID:DlpNeCZI0
- >>266 :準シュダオン:2010/04/15(木) 14:48:27
ID:agsP6ENM0
>管長は、「わたしたちは、外道凡夫ではなく、聖者を目指して修行中の
>須陀諸Y向である」と、本に書いてるわけです。
また、二つの内容をごちゃ混ぜにしてごまかす。
どうしてあなたそんなふうに狸みたいにズルイのだ?
桐山さんは信者が預流向であると書いているととれる。
だが、預流向は聖者であるか、ないかは、どちらともとれる文章しか
書いていないのです。
上記のように適当に文章を直さずに、桐山さんの原文を読んでみなさい。
「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀諸Yになっていないまでも、須陀諸Yに近くなって
いる人たちもいます。須陀諸Yにどんどん向かっているのですからーーこれを
須陀諸Y向といいますーーみなさんは外道凡夫ではありません。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)
「聖者に向かって」というのだから、信者は聖者ではないと取れる。
だが桐山さんは同時に、外道凡夫でないとも言っている。
外道凡夫でないのは聖者だけなのです。
これらの文章自体が矛盾しているのです。
聖者に向かうのは凡夫だけです。
信者が外道凡夫でないといったら、信者は聖者なのです。
- 279 :深山:2010/04/15(木)
22:35:04 ID:DlpNeCZI0
- >>266 :準シュダオン:2010/04/15(木) 14:48:27
ID:agsP6ENM0
>管長は、「わたしたちは、外道凡夫ではなく、聖者を目指して修行中の
>須陀諸Y向である」と、本に書いてるわけです。
準シュダオンさんは過去の議論をまったく記憶しないで、同じ事をくどくどくり返す。
しかたがない。
昨年と同じ質問をあなたにしましょう。
「預流向が聖者でないなら、凡夫なのか」
預流向とは聖者なのか凡夫なのか、どちらですか。
あなたは凡夫としか答えようがない。
だが、釈尊は預流向を含めた四双八輩は全部聖者としており、これ以外を凡夫としている。
さあ、矛盾なく説明してみなさい。
と、質問しても、準シュダオンさんは屁理屈を並べるか無視するかどちらかでしょう。
だから、信者さんたちもこの点をよく考えてほしい。
桐山さんの>>278に引用した文章は矛盾しているのです。
その理由は、桐山さん自身が、四双八輩の中身を理解していないからです。
桐山さんは準シュダオンさんの説のとおり、預流向を聖者とはみなしていないでしょう。
だが、>>197などに何度も示したように、預流向を含めた四双八輩は
全部が聖者であり、これは仏教の常識です。
いかに桐山さんが仏教や阿含経について無知か、こういう一件をみただけでもわかるのです。
- 280 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/15(木) 22:57:20 ID:SmEF4Oe2O
- >>265:準シュダオン10/04/15(木) 12:38:13
ID:agsP6ENM0
>縁起の滅=因縁の解脱、です。
>こういう単純なことが、理解できない人が、修行から脱落するのです。
またその説ですか?そんな一部の下手なアビダルマな表現を誤解しなければ
因縁解脱なんて用語としても成立しないものをどうしてわざわざ説くのか?
因縁解脱で通るのならば、既にそういう用語と概念が普及しているはずなのに
どうして普及しないのか?また桐山さんはどうしてわざわざ普及しない用語を
使うのか?わかりやすい用語ならば運命転換が桐山概念にストレートで格好なのに。
あなたは「単純なこと」と相変わらず我々を罵ることを抑えられないが、
その罵りは世間の仏教学者から内外の仏教僧に対して発した侮辱と言える。
あなたですら単純だとわかることを仏教学者も仏教僧もわからず間違っている
と言うのだから。
素人である我々がわかるはずがない。
しかしあなたのその傲りはそのまま桐山さんをも侮辱している。
桐山さんは自分を大天才としているが、その大天才の最大の理由がアゴン経から
シャカの成仏法を発見したことだという。世界で唯一の発見者が自分なんだと言う。
それなのに、準シュダオンさんは、この桐山さんの発見を「単純なこと」とした。
桐山さんもさぞ悔しいことでしょう。
俺の頭は準シュダオン並みか?
桐山さんに対する最大級の侮辱です。
>また、批判派は信者時代に、過度な果報を期待する布施供養をしてきた、
>のではないか?と思われるね。それでは煩悩を増進するだけです。
過度な供養などしたことがありません。
解脱供養を申し込んだらちゃんと該当のホトケに戒名をつけて下ろしてきました。
つまり絶対に供養しなければならない霊障の先祖がまだいたようです。
過度な供養、不要な供養なら戒名が下りてくるはずもなく、該当なし、供養ばかり
してないで別の修行に励めということになるが、戒名が下りてくるのは必要なんだから
やれということです。これは冥徳解脱供養も同じです。
過度で必要ないなら戒名も下りぬ。解脱供養なら供養料が返金されるはずです。
そんなことは一度もなかった。
つまり桐山さんの指導に従ったわけです。
これで過度の供養と言うならば、それは桐山さんが過度の無理強いをさせている
わけで、責任は桐山さんにある。
ここでも準シュダオンさんは桐山さんを批判している。
- 281 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/15(木) 23:35:04 ID:SmEF4Oe2O
- >>266:準シュダオン10/04/15(木) 14:48:27
ID:agsP6ENM0
>外道凡夫ではないけれども、まだ聖者には達していないのです。
>いわば、仏道から外れた外道凡夫ではなく、聖なる仏道を歩む、聖道凡夫
>だというわけですね。
この場合、外道凡夫でないとは、外道である凡夫という意味ではなく、外道でもないし
凡夫でもないと言っているわけです。
そうです。釈尊の五根法を実践する者は外道でもなければ凡夫でもないとして
外道は外道、凡夫は凡夫と分けています。
そうでないと外道(仏教以外の他の宗教の信者)と外道にも属さない平凡な庶民
をいっしょくたにすることになる。
俺は仰せの通り凡夫だが、外道などと特定の宗教信者などと言いがかりをつける
のはやめてくれという人が何人もいるだろう。
つまり外道と凡夫はそれぞれに別です。
だからおまえは凡夫でないと言われたのは、外道であることないことと関係ない。
凡夫でなければ非凡な聖者みたいな人ということになる。
だから聖道凡夫なんて詭弁は通用しない。
凡夫でないならば非凡としか言いようがないからです。
それにまだ煩悩をいくつも残したシュダオン果さえも非凡なる聖者とするならば
やはり非凡と認定された預流向はそれほど大差をつける必要がない。
アビダルマの四善根みたいに中間的存在を想定するのも空しく無意味です。
>管長の本を読んだら、それくらいの理解力、応用力が欲しいね。
>わたしの、国語力を笑う資格はないよ、ユビさんにw。
その程度の反論くらい想定内だから上記を書いたわけです。
- 282 :準シュダオン:2010/04/16(金)
09:22:46 ID:agsP6ENM0
- 本のP373で、
「(わたしたちは)、もうすでに聖者に向かって、一生懸命に修行して
います。・・・これを須陀?向といいます・・・」
と、管長は書いてるわけです。
ね、須陀?向が聖者だったら、「聖者に向かって修行している」という
言い方は変でしょW。
管長は、須陀?からが聖者の仲間入りだとしているのです。
それを頑迷に、何時までも、拒否し続けているのが、ユビさんなどの批判派
です。
- 283 :準シュダオン:2010/04/16(金)
09:37:23 ID:agsP6ENM0
- 諸法は、因縁に依りて生じるのです。
煩悩も因縁に依りて生じるのです。
輪廻も因縁に依りて生じるのです。
悪趣も因縁に依りて生じるのです。
だから、煩悩・輪廻・悪趣の、それぞれの因縁を解脱すれば、
煩悩も輪廻も悪趣も滅する理屈です。
だから、因縁解脱、なのでしょう。
- 284 :準シュダオン:2010/04/16(金)
10:40:35 ID:agsP6ENM0
- 8法16法についてだけは、深山さんのレスも目についたです。
学者がどのような数え方をしたとしても、自分の頭で考えてみなさい、と
いうことです。
見(まみ)える、なんてのは、修行法として数えるに値しないですよ。
「見(まみ)えて、教えを聴聞する」で、一つと数えたら良いのです。
信戒施聞持観法次方向の8法は、他の経典でも、修行法として比丘に
説かれています。だが、見(まみ)える、という修行法は見えません。
あるのは、正見(正しい見解)ですね。
七成法として、信戒施聞慚愧慧、が説かれてますし、
七正法として、信聞持・・とかがありますし、
六察行その他に、法を観察せよ、の観も説かれています。
法次法向についても、法を受持し上の法を追求せよ、と説かれています。
法次法向は、学習に喩えたら復習と予習でしょうから、二つに分けた方が
理解しやすいですね。
ということで、信戒施聞持観法次方向の8法については他の経典でも見ら
れますが、見(まみ)える、という修行法は見えませんね。
つまり、これを法の一つに数えるには不適当ですね。
この8法を他人に説いたら、単純に16法でしょう、考えるまでもないよw。
- 285 :準シュダオン:2010/04/16(金)
10:47:41 ID:agsP6ENM0
- お釈迦さまに心酔した、あるお弟子さんが、いつもお釈迦さまだけを見て
いた逸話がございますね。お釈迦さまの常住座臥を、いつも見ていた。
そしたら、お釈迦さまが、
「そんなに私をジロジロ見て居たって、修行にならない。森にでも行って
瞑想しなさい」とか、たしなめたそうな。
だから、見(まみ)える、は修行法に、数えない方が良いと思うね。
- 286 :準シュダオン:2010/04/16(金)
12:35:19 ID:agsP6ENM0
- 因縁解脱を、単純な教えだと言っても、管長を侮辱したことにはなりません。
ニュートンは、林檎が落ちるのを見て、引力を発見したね。
「地球に引力があるから、物が落ちる、単純なことだ」と言えば、
ニュートンを侮辱したことになりますか?
なりませんね。
単純なことでも、最初に発見するのは、難しいことです。
コロンブスの卵です。
何事も、最初が難しいし、最初に為すのは偉大です。
赤いトマトを最初に食べる人は、「こんな赤く毒々しいものを食べれば、
死ぬであろう」、と言われたそうだ。最初に食べた人は偉大だ。
アメリカで最初に汽車に乗る人は、「この乗り物は止まることができない、
乗ったら地獄行きだ」と言われたそうだ。最初に乗った人は偉大だ。
因縁解脱は、ダルマチャクラ69号の等見品、五難得の物を超越する、
五根法で、レスしましたよ。あれが文証でしょう。
要は、読みとれるかどうか、の問題だと思いますね。
未だ、伝統仏教の因縁論、解脱論が優勢みたいですけどね。
自分に実感・体験があれば、そういうものに、動揺しなくなります。
- 287 :うサギ:2010/04/16(金)
15:50:02 ID:UtKVqJLA0
- >>286ニュートンは、林檎が落ちるのを見て、引力を発見したね。
それが、伝記によくありがちな、作り話であることは有名ですよ。
wiki「アイザック・ニュートン」より引用(http://bit.ly/5GcHrO)
「リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついた、
という有名な伝記があるが、これはニュートンの家の窓から
リンゴの木が見えることから作られた話である。
しかしこれは以後のニュートンを知る人が、
彼が如何に日常に起きることに関心を持ち、
そこから理論への着想を得ていたかという彼の賢さを
表すものとして作られたのだと言われている。」
その程度の認識でニュートンを例に出すのは
あなたには、その程度の認識しかないという証左になってしまいますよ。
これからは、よく調べてから例を出した方がいいですね。
- 288 :ラシン:2010/04/16(金)
18:04:08 ID:q4iXIS7Y0
- >286
:準シュダオン
「地球に引力があるから、物が落ちる、単純なことだ」と言えば、
ニュートンを侮辱したことになりますか?
なるな、あなたの解釈は重力を意味している。
しかしニュートンの万有引力とは、惑星運動と地球上での
落下現象は同じ法則である、という発見です。
観念的な比喩はやめたらどうか。
そのクセが、「見(まみ)える、なんてのは、修行法として
数えるに値しないですよ。」などとマニアックな解釈で、
深山さんに難癖をつけている。
8法16法は修行法ではなく修行実践の心得のようなもの、
と解釈すべきで、八正道こそが修行すべき内容であり聖法です。
またあなたの超マニアックな「煩悩も因縁に依りて生じるのです。」
ならば、たとえば飲酒という煩悩の因縁は何だ?
あなたの爺様が酒好きだったから、それが祟って因縁となったのか?
それでその因縁祟りをどう消滅するのだ?
またそのあなたの爺様の酒好き因縁の因縁は、何だった?
このように答えが永遠にスパイラル現象となるような内容など、
釈尊は説いていない。
酒を欲求し気分が高揚する現象に耽溺することを煩悩という。
その欲求を断ち切れば、飲酒という煩悩が消えて同時に他への
欲求の無意味を知る知恵が生じるのだ。
知恵とはそういうものです。
あなたが自惚れるような特別なものではない。
うサギさんから、今回もあなたの軽薄を指摘されたように、
準シュダオンさんは常に物事を軽んじ、独酌で自己酩酊している。
最初に発見した桐山さんを褒めたいのだろうが、
因縁切りなど桐山さんのオリジナルではないことは、
深山さんが、すでに何度も証明している。
あなたのその他人をウンザリさせる才能は、何と言う因縁ですか?
- 289 :名無しさん:2010/04/16(金)
19:22:03 ID:8PQJw9WE0
- >>269
無関係な人間ですさんの
>阿含宗を修行した末路がこんな結果となるのか、という偏見を私は持っています。
は、偏見ではなく、正しい見解でしょう。
アゴンの教えは、準シュダオン氏のように
妄想や想像で教義を補ったり、白を黒とする、
詭弁を弄するとか、こういった方法でしか信じられない代物です。
表現を変えれば、この教団が説く「脳障害の因縁」を強化しなければ
教義を保てなくなっています。
因縁解脱を提唱する教団としては、因縁を強化することになり、
情けない現実となっています。
しかし教祖自らが「脳障害の因縁」の持ち主だったので、
この結果は必然だったという皮相的な見方もできます。
- 290 :無関係な人間です:2010/04/16(金) 19:42:32 ID:FnjDorSQ0
- >>276
ラシン様、重ねてのお返事、ありがとうございました。
後で考えたら、自分も論旨が混乱していたと反省をしました。
自分も20年以上前、阿含宗の方々と論争をよくしました。その時、感じたのは、
阿含宗の人達は油断の出来ない相手だという事でした。普段はいい人達なのですが、
伝道になると、流暢な弁舌で説得をしようとします。でも、よく聞くと、論理の逸脱
や独善的な主張があちらこちらに見えます。それを突っ込むと、さらに別の論理で責
めて来るので、悪く言えば、狡猾で我が侭な詭弁家(ごめんなさい)でした。
まあ、これは、偶然、自分が会った人達がそういうタイプだっただけだと考えて
もいいのかもしれませんが。
しかし、20年以上経て、准シュダオン様に会うと、やはり同じように独善的で
粗雑な論理の、もとい、個性的で感性的な主張をされるので、同じだなあ、と感じ
ました。
でも、昔の阿含宗の活動者の方々はもう少し誠実な対応をされたように思います。
それとも、最近の阿含宗はまともに弁護できないほど悲惨な状態なのかしら?
まあ、自分もこのサイトを見て、実態を知り、驚く事が多いので、偉そうな
事は言えませんが。
しかし、当時、阿含の星祭りの写真の「龍神様」の写真をめぐって、
「これこそ、龍神様が顕現されたものだ!」という彼らに対して、私が
「こんなものは偶然だ! 気のせいだ!」
言い張り、本気で激怒して徹夜で論争をしたのは、今思うと、
私もアホで物好きだったのだと思います。
とりとめもない文章になってしまいました。失礼をお許し下さい。
- 291 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/16(金) 20:40:47 ID:SmEF4Oe2O
- >>284:準シュダオン10/04/16(金) 10:40:35
ID:agsP6ENM0
>学者がどのような数え方をしたとしても、自分の頭で考えてみなさい、と
>いうことです。
他人の書き込み内容を読んだ上でそれに則ったレスをするか、それができなければ
レスそのものをやめてはどうかと忠告しているのが全く無視ですか?
皆さん、これがアゴン宗信者の哀れな使用後です。
深山さんにしても私にしても誰もこの八法十六法について学者の分類など示した
ことがない。何を根拠に見を入れるのかと言うと、経典の表現そのものです。
あるいはその原文に忠実に訳した桐山さんの現代語訳です。
八法あるぞ、十六あるぞと示したあの示し方は、誰が読んでも見を独立させねば
ならない。
それに対して難癖つけるのは、この経典の作者、すなわちお釈迦様に対して
どうして見える程度が修行なんだ?この禿が、と罵ったも同然です。
すなわち学者など関係なくストレートに釈尊に唾を吐いた。
あるいは著書に自らの現代語訳を載せた桐山さんに対して、おまえも下手くそな
現代語訳なんか載せるんじゃねえ!この脳障害と罵ったも同然です。
学者なんか出ても来ない。
- 292 :深山:2010/04/16(金)
20:49:43 ID:nQOUXFBU0
- >>282 :準シュダオン:2010/04/16(金) 09:22:46
ID:agsP6ENM0
>ね、須陀諸Y向が聖者だったら、「聖者に向かって修行している」という
>言い方は変でしょW。
本日も頑迷で自惚れしかない老人の介護を始めます。
桐山さんの「聖者に向かって」という文章の解釈に反対などしていない。
あなたと同じ意見なのです。
そのとおりで、聖者に向かってというのだから、信者は聖者ではないととれる。
批判側が指摘しているのは「外道凡夫ではない」という一文です。
「外道凡夫ではない者=聖者」なのです。
桐山さんは一つの文章の中に矛盾した内容を書いている。
あなたの主張を受け入れながらも、桐山さんはそれとは正反対のことも
同時に書いており、矛盾していると指摘しているのです。
変なのは言い方ではなく、何度説明されても理解せず、自分の無理解を
棚に上げて、他人をあざ笑う準シュダオンさんのほうです。
- 293 :深山:2010/04/16(金)
20:53:45 ID:nQOUXFBU0
- >>282 :準シュダオン:2010/04/16(金) 09:22:46
ID:agsP6ENM0
>ね、須陀諸Y向が聖者だったら、「聖者に向かって修行している」という
>言い方は変でしょW。
桐山さんは、信者なら聖者だ、なんて絶対に認めないでしょう。
聖者とは重要な商品だから、タダでなど誰が渡すものか。
昨今入ったばかりで、金も労力も提供しておらず、
いつ裏切るかわからんような連中に聖者などと付けるわけがない。
だから、準シュダオンさんの意見に賛成なのです。
ここまででやめておけばいいものを、桐山さんは調子に乗って、
信者は外道凡夫ではないと書いてしまった。
無知だからです。
仏教の聖者と凡夫の違いを理解していれば、こんな使い方はできない。
なぜなら、仏教では外道や凡夫でないと言ったら、聖者になってしまう。
桐山さんと違い、釈尊は肩書きの販売はしないから、
教法を実践する者なら、昨日帰依した者でも聖者と分類した。
釈尊のいう聖者とは肩書きではなく、「聖なる道を実践する者」という意味です。
桐山さんも準シュダオンさんも、また信者さんたちの多くも、
聖者をエラクなった人の肩書きなのだと思っている。
だから、準シュダオンさんは、昨日帰依したばかりの預流向が聖者なわけがない、
煩悩だらけの者がどうして聖者なのだw、などと無知を披露している。
あなたのその発言一つを見ただけでも、仏教を理解していないのがわかる。
煩悩だらけでも、その煩悩を減らそうという聖なる道を歩み始めた者は
「聖なる道を実践する者」だから聖者なのです。
- 294 :深山:2010/04/16(金)
20:56:53 ID:nQOUXFBU0
- >>282 :準シュダオン:2010/04/16(金) 09:22:46
ID:agsP6ENM0
>ね、須陀諸Y向が聖者だったら、「聖者に向かって修行している」という
>言い方は変でしょW。
釈尊は「行為においてバラモンである」という有名な言葉を残しています。
これは釈尊の姿勢をよく表している。
釈尊は、バラモンという肩書きでバラモンなのではなく、
行為がバラモンにふさわしいなら、その人はバラモンなのだと述べている。
バラモンを聖者と置き換えれば、そのまま成り立ちます。
釈尊は「行為において聖者である」と主張したのであって、
聖者という肩書きをもらったから聖者だとは言っていない。
だから、「聖なる道を実践する者」は行為において聖者だから聖者なのです。
ここで信者さんたちに気を付けてほしいのは、
聖者という肩書きは釈尊が審判して授けるのではなく、
誰が見てもわかる客観的な基準がある点です。
桐山さんの言っている聖者とはこの点が決定的に違う。
桐山さんのいう聖者は桐山さんにしか判断できない。
だからこそ、準シュダオンさんみたいなアゴン宗とは違う勝手な主張ができる。
だが、釈尊の示した聖者の基準は、オーラが何色かなどという訳のわからない基準ではなく、
煩悩を断ちきるという道を歩み始めた者を聖者としています。
これなら、釈尊がいなくても、霊能力などなくても、誰でも判断できます。
- 295 :深山:2010/04/16(金)
21:06:39 ID:nQOUXFBU0
- >>282 :準シュダオン:2010/04/16(金) 09:22:46
ID:agsP6ENM0
>ね、須陀諸Y向が聖者だったら、「聖者に向かって修行している」という
>言い方は変でしょW。
釈尊が残したモノサシ、基準から見たら、アゴン宗は明瞭な外道であり凡夫です。
なぜなら、アゴン宗では煩悩をなくすことを一応説いてはいるが、
実際には護摩、占いなどの外道の行いをして、冥徳解脱、好運会などと欲望という
煩悩を積極的に煽ることを一番のウリにしている。
これは煩悩を切ることを聖なる道と説いた釈尊の教法からみたら正反対です。
釈尊が禁止した護摩や占いを最大の売り物として、釈尊が否定した死者成仏を
説くアゴン宗がどうして「聖なる道を実践する者」になるのだ?
釈尊がこれらを禁止し否定したのは、外道の行為だからというだけではなく、
煩悩を増大させて、解脱とは正反対の方向に向かうからです。
世間の信仰を持たない人たちはただの凡夫だが、
アゴン宗は凡夫で、しかも外道ですから、聖者などいるはずがない。
これは元信者として教団内を見てきた私が証言します。
- 296 :深山:2010/04/16(金)
21:07:39 ID:nQOUXFBU0
- >>282 :準シュダオン:2010/04/16(金) 09:22:46
ID:agsP6ENM0
>ね、須陀諸Y向が聖者だったら、「聖者に向かって修行している」という
>言い方は変でしょW。
「預流向が聖者でないなら、凡夫なのか」
準シュダオンさんは1行しか読めないようだから、質問を1行にまとめました。
答えてみなさい。
- 297 :深山:2010/04/16(金)
21:09:57 ID:nQOUXFBU0
- >>258 :準シュダオン:2010/04/15(木) 09:59:00
ID:agsP6ENM0
>どこかの学者が「見」を8法の一つに数えていたとしても、盲信すべき
>ではないね。自分の頭で考えてみよ!
>>284 :準シュダオン:2010/04/16(金) 10:40:35
ID:agsP6ENM0
>学者がどのような数え方をしたとしても、自分の頭で考えてみなさい、と
>いうことです。
>見(まみ)える、なんてのは、修行法として数えるに値しないですよ。
普通の人は反論を無視して、同じ事を二日続けては書かない。
だが、あなたは上記のようについに二日続けて書くようになった。
ずいぶん症状が進みましたね。
去年あなたが反論を無視して、三日後にそっくり同じ主張を書いているのを見て、
自分が三日前に書いたことすら忘れているのだ、と私は驚いた。
だが、今はもう三日ではなく、一日なってしまった。
脳梗塞による記憶障害がかなり進んでいる。
自分が書いたことも一日たつと忘れてしまうのだから、
批判側の主張が準シュダオンさんの耳を素通りするのは当然ですね。
- 298 :深山:2010/04/16(金)
21:12:59 ID:nQOUXFBU0
- >>284 :準シュダオン:2010/04/16(金) 10:40:35
ID:agsP6ENM0
>見(まみ)える、なんてのは、修行法として数えるに値しないですよ。
「見える」を八法十六法に数えているのは学者ではなく、釈尊です。
あなたごとき凡人が、如来に向かって何をほざいているだ?
どうしてそんなに身の程知らずなのだろう。
聖衆に「見える」ことを釈尊は説いたのだ。
それを数えるに値しないというなら、仏教を信じなければいい。
なにも無理して釈尊の言葉を信じる必要はない。
釈尊は漏尽解脱が解脱だというのに、桐山さんとあなたは
因縁解脱が解脱だという。
そんなに釈尊の言葉が信じられないなら、仏教なんか信仰しなければいいではないか。
信者さんたちもそうです。
そんなに釈尊の教法が気に入らず、禁止すらもすべて無視して、
好き放題にしたいなら、仏教など信仰しなければいい。
何のために準シュダオンさんみたいに釈尊本人の分類に「修行法として数えるに値しない」
などと罵りの言葉を並べながら、拝んでいるのでしょう。
歪んだ信仰ですね。
- 299 :深山:2010/04/16(金)
21:15:46 ID:nQOUXFBU0
- >>284 :準シュダオン:2010/04/16(金) 10:40:35
ID:agsP6ENM0
>信戒施聞持観法次方向の8法は、他の経典でも、修行法として比丘に
>説かれています。だが、見(まみ)える、という修行法は見えません。
あなたの解説はいらないから、その経典を示してください。
さも何かあるかのような思わせぶりなふりをするのではなく、
具体的に経典の書いてある本の題名と何頁に書いてあるか番号を示してください。
毎度要求されないと出さないのは、またインチキをしているからでしょう?
あなたはゴマカシをこれまでも何度もしてきた。
あなたの説が経典や学者の説などに根拠があるかのように臭わせ、その一部を引用してみせる。
だが、それらの元を調べてみると、その前後では違うことが説かれているのに、
あなたはその部分をわざと引用しなかった。
この間、ひろさちやさんの文章を引用した時もそうでしたね。
都合の悪い一文をカットして、その前後を引用してみせた。
その一文があるとあなたの主張が成り立たなくなるから、
そんな本は誰も持っていないだろうとばかりに、カットして引用してみせた。
私がその部分を指摘して、あなたの恒例のゴマカシを暴露した。
ああいう汚い真似を懲りもせず毎度毎度よくするものだと感心させられる。
しかも、さらに驚くことに、しばらくたつと自分がゴマカシて批判されたことを
忘れて、また同じネタを出してくることです。
準シュダオンさんてこういう点は常習犯で、病的ですね。
- 300 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/16(金) 21:17:20 ID:SmEF4Oe2O
- >>284:準シュダオン10/04/16(金) 10:40:35
ID:agsP6ENM0
>見(まみ)える、なんてのは、修行法として数えるに値しないですよ。
>「見(まみ)えて、教えを聴聞する」で、一つと数えたら良いのです。
>信戒施聞持観法次方向の8法は、他の経典でも、修行法として比丘に
>説かれています。だが、見(まみ)える、という修行法は見えません。
ラシンさんも指摘しているようにこの在家に対する心構え、教えを説いた八法、
十六法とは特別な修行法などではない。
だから八や十六という数字にもこだわる必要がない。
あなたが示したように他の分類などいくらでもある。
切り口が微妙に違うだけでどれも正しく矛盾しない。
ちなみに八正道の正見とまみえるの見を同列に語ろうというのは見にwatchの意味
しか読み取れない語彙力欠如ではあるが。
一連の心構えと捉えればよい。
信じて戒律を守って布施をして塔寺に参詣して出家に見えて法を聞いてよくこれを持して
観察して法に近づき法に向かうように自らの生活でこれを実践しなさい。他人にも
それをやらせなさいという教えです。
アゴン宗が説いているようなおかしな特殊修行メニューではない。
だから見と聞と持と観をひとまとめにしてもよいし、法次と法向を敢えて分ける
(厳密な区別を説明することは困難不能だが)のを認めるならば九法十八法でも
よい。
そのくらいどうでもよい数分類に過ぎない。要は数ではなく教えの内容です。
しかし釈尊はこれを五法十法や九法十八法でなく八法十六法として示したのだから
釈尊が分類した八と十六はそのまま受け入れるべきです。
その八と十六をもっと細分化して考えたり、逆に要約して考えるのも自由だが
文章を読み取る時は、原文に忠実に把握することです。
釈尊はわかりやすく八と十六を示しているのだから。
だからこれは文章読解の国語力の問題なのです。
その国語力が桐山さんにないことを批判のネタとしているのです。
あるいは信徒に指摘されても修正しよう
としないつまらぬ意地の問題なのかも知れぬが。
十六茶という商品がありますね。ちゃんと缶やペットボトルに成分が表示されている。
あなたはこれに対して「水」という成分が抜けているではないかと言って、
表示成分を一つ減らすかまとめるかしろと要求しているようなものです。
とりあえずメーカーの表示を理解しろ。十七茶にせよとはその後でよい。
- 301 :深山:2010/04/16(金)
21:20:59 ID:nQOUXFBU0
- >>258 :準シュダオン:2010/04/15(木) 09:59:00
ID:agsP6ENM0
>沙門を見ると何で、修行が進むのかね?
>「ははぁ、立派な坊主頭ですなあ!」と、感心してたら修行が進むのか?
沙門を見る?坊主頭を見る?・・・あなたは「沙門に見える」を
「沙門を見る」という意味に取っているようだ。
だから、沙門の坊主頭をミルという話をしているのですね。
ミルとマミエルの区別がつかないとは、さすがは低評のある準シュダオンさんの国語力だ。
今、あなた以外の読者は大爆笑していますよ。
一知半解、早とちり、斜め読みしてこんな程度の読み違いをしているヤカラが、
「自分の頭で考えてみよ!」(>>258 )
「自分の頭で考えてみなさい」(>>285)
などと威張ってお説教を垂れてみせる。
ほら、読者は2度目の大失笑、大爆笑です。
悔し紛れに、2ちゃんねるの書き込みになんとか因縁を付けようとして、
逆に自分から転んでみせるなんて、もう準シュダオンさんて、笑いの取り方がうまい!
私は羞恥心が邪魔して、そこまで自虐ネタはやれないのです。
で、こうやって私から何をからかわれているのかもわからないでしょう?
読者は3度目の大爆笑です。
無知をさらけ出して、しかも威張ってみせるなんて、準シュダオンさんの
笑いの取り方って、「アホの坂田」を彷彿とさせ、やはり関西風ですね。
準シュダオンさんにはかなわないなあ。
- 302 :深山:2010/04/16(金)
21:28:39 ID:nQOUXFBU0
- >>258 :準シュダオン:2010/04/15(木) 09:59:00
ID:agsP6ENM0
>沙門を見ると何で、修行が進むのかね?
>「ははぁ、立派な坊主頭ですなあ!」と、感心してたら修行が進むのか?
>>285 :準シュダオン:2010/04/16(金) 10:47:41
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまに心酔した、あるお弟子さんが、いつもお釈迦さまだけを見て
>いた逸話がございますね。お釈迦さまの常住座臥を、いつも見ていた。
信者さんたちはいくらなんでも準シュダオンさんみたいに
ミルとマミエルの違いくらいわかりますよね。
この場合のマミエルはミルことではなく、尊敬する相手に失礼にならないように
礼儀を尽くして訪問し、会っていただくという謙譲語です。
坊主頭をミルことではありません。
比丘は尊敬されるべき相手だから、ミルではなく、マミエルのです。
今回も準シュダオンさんとはアゴン宗議論ではなく、国語の読解力の問題でしたね。
- 303 :深山:2010/04/16(金)
21:32:11 ID:OlGOj9nY0
- 準シュダオンさんのあまりの国語力のすごさに筆がすべりました。
>>302修正
○ 信者さんたちはいくらなんでも準シュダオンさんと違い、
ミルとマミエルの違いくらいわかりますよね。
× 信者さんたちはいくらなんでも準シュダオンさんみたいに
ミルとマミエルの違いくらいわかりますよね。
- 304 :深山:2010/04/16(金)
21:36:28 ID:nQOUXFBU0
- >>285 :準シュダオン:2010/04/16(金) 10:47:41
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまに心酔した、あるお弟子さんが、いつもお釈迦さまだけを見て
>いた逸話がございますね。お釈迦さまの常住座臥を、いつも見ていた。
ミルこともまたとても重要な修行です。
準シュダオンさんは修行ではないなどと言っているのは
仏教を知らず、実践しようとしたこともないから、無知なのです。
信者さんたちは見ることも修行だと学んでください。
なぜなら、比丘とは身口意の三業(行為)において、いかなる煩悩を出さないように
常に心がけている存在だからです。
だから、準シュダオンさんみたいに坊主頭をミルのではなく、彼らの所作すべてをミルのです。
比丘の説法は、身口意において煩悩を減らすことを説く。
聞いた者は、たしかに比丘の所作にはいかなる煩悩も出ていないことを見て、
比丘の説法と行いが一致していることを確認する。
説法だけでなく、具体的にどうするのか比丘を見本にするのです。
比丘の所作をミル者もまた比丘を模範にして見習い、身口意において煩悩を
出さないようにする。
だから、ミルことはとても大切な修行です。
逆に、オバサン一人に激昴して「この馬鹿つまみ出せ」と声を荒げる行為や、
女色に迷い「千景がいないとさびしい」などとほざく行為をミルなら、
こんなヤカラは比丘でも何でもないとわかる。
本物の清浄の比丘か、口先だけの偽者かミルことで見分けるのです。
ミルという行為が仏道修行においてどれほど重要か、おわかりでしょう。
あれだけ醜態をさらしている桐山さんを解脱者や聖者だと信じるのは、
信者さんたちはミルという修行が足りないからです。
- 305 :深山:2010/04/16(金)
21:42:10 ID:nQOUXFBU0
- >>285 :準シュダオン:2010/04/16(金) 10:47:41
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまに心酔した、あるお弟子さんが、いつもお釈迦さまだけを見て
>いた逸話がございますね。お釈迦さまの常住座臥を、いつも見ていた。
比丘にマミエルことは十六法だからこそ、大きな意味を持つようになる。
マミエルことの重要性に、準シュダオンさんは気が付いていないようたが、
信者さんたちはよく自覚してほしい。
自分が比丘の説法を聞くために行くだけでなく、他人をも
「一緒に精舎にいってお釈迦様の説法を拝聴しましょう」と
精舎を訪問して比丘に会うことを誘いなさいと説いているのです。
他人を比丘にマミエルことを奨励しているのです。
「坊主頭をミルために精舎に行きましょう」なんていうのは準シュダオンさんだけです。
他人にも、清浄の比丘とはどのようなものか、見に行きましょうと誘うのです。
世間の人の中には、桐山さんのように欲望に汚れ、護摩を焚き、気に入らない相手を怒鳴りつけ、
あるが上にも勲章を欲しがり、愛人のいる詐欺師を解脱者だと思いこんでいる人もいるでしょう。
本物の解脱者とはどのようなものかを、見せてあげるのです。
だから、信者さんたちもまず本物の比丘にまみえることです。
- 306 :深山:2010/04/16(金)
21:53:55 ID:nQOUXFBU0
- >>285 :準シュダオン:2010/04/16(金) 10:47:41
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまに心酔した、あるお弟子さんが、いつもお釈迦さまだけを見て
>いた逸話がございますね。お釈迦さまの常住座臥を、いつも見ていた。
信者さんたちにもぜひ本物の比丘にまみえてほしい。
本物の比丘をじっと観察してほしい。
と言っても、どこかの教団に行く必要はありません。
阿含経を一冊買い、そこにいる清浄の比丘にまみえてください。
彼らこそが本物の清浄の比丘です。
解脱供養一回分で、日本で出版されている主な現代語訳の阿含経が手にはいります。
清浄の比丘にまみえて、彼らの話を直接聞いてください。
何を信じればいいのか、どのような戒を守ればいいのか、
どのような修行をすればいいのか、懇切丁寧に、くり返し説明してくれている。
桐山さんが言うような、仏陀の智慧がないと理解できないなんてことはなく、
中学生程度の国語力があれば十分に理解できる内容です。
二千五百年前の無学な人たちも理解したのですから、今の日本人に理解できないはずはない。
因縁解脱、霊障解脱、死者成仏、超能力開発、運命改造、先祖供養など皆無です。
また、供養などの積徳行による解脱なんてのもありません。
これらはすべて外道凡夫の教えで、釈尊の説く解脱の道にはお金はかからない。
わかりにくいことがあれば、ここに質問してくれれば、
経典のどこにその答えが書いてあるかなど、できるだけ説明します。
信者さんたちは清浄の比丘にまみえたことがない。
早く清浄の比丘にまみえてください。
- 307 :ラシン:2010/04/16(金)
21:57:49 ID:0PfL1bzo0
- >290
:無関係な人間です
>自分も20年以上前、阿含宗の方々と論争をよくしました。その時、感じたのは、
阿含宗の人達は油断の出来ない相手だという事でした。普段はいい人達なのですが、
伝道になると、流暢な弁舌で説得をしようとします。
私も高校時代、S価学会の友人に引かれ支部会などへ行きました。
しかし絶対反論の強舌を崩さず折伏されなかった。
ところが、
それが社会に出てからの青年期に、桐山アゴンにコロリと敗北したのです。
私の場合の入信の動機理由は、桐山さんの大乗仏教批判でした。
世の常識を覆す新たな視点の仏教仏説を阿含経に基づき、それをとっ突かれて、
既知であった曖昧な仏教観をアゴン宗だけが看破し、真の仏説を解き明かした!
という、桐山さんの反骨精神に、我が意を得たりと同調したことです。
世間が信じてやまなかった仏教のその過誤をアゴン宗だけが見抜いた!
という満足感や優越感に今は恥ずかしいですが、当時は支配されたのです。
信心してそれが、やがて差別意識を助長し、慢心という信仰者に変るには、
そう時間を要することはありませんでしたね。
あとは無関係な人間ですさんのご指摘通り、人格崩壊の道を辿ったことです。
一般常識を信仰心が上回る、という増長慢です。
そこで、
個々批判側の緒論は、長きに渡った批判諸兄の論証を管理者の天照さんが、
努力して網羅し、纏め上げているのが本掲示板です。
しかしその批判諸兄の主義主張は、決して同一一類の結集ではなく、
スレに基づく桐山アゴン考察という検証の場であることは、ご承知の通りです。
宗教詐欺という人生の蹉跌に陥り、無駄な金・労力を浪費されないための
情報の場として機能できるボードの役目に、私も微力ながらその一助となる
思いしかありません。
どうかこれからもまた、多少に係らずご意見ご感想を気ままに発信してください。
- 308 :サライ:2010/04/16(金)
23:38:47 ID:kHWurtHEO
- 桐山師も確かに私度僧ですが、行基僧侶も、天台宗から、破門されて、度ちょうを剥奪された、親鸞聖人も私度僧ですよ。
- 309 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/16(金) 23:54:18 ID:SmEF4Oe2O
- >>285:準シュダオン10/04/16(金) 10:47:41
ID:agsP6ENM0
>だから、見(まみ)える、は修行法に、数えない方が良いと思うね。
>>305:深山10/04/16(金) 21:42:10
ID:nQOUXFBU0
>比丘にマミエルことは十六法だからこそ、大きな意味を持つようになる。
>自分が比丘の説法を聞くために行くだけでなく、他人をも
>「一緒に精舎にいってお釈迦様の説法を拝聴しましょう」と
>精舎を訪問して比丘に会うことを誘いなさいと説いているのです。
深山さんは本当の比丘にまみえる意義を説いているが、人に道場にまみえることを
促す重要性はアゴン宗でも説いているわけです。桐山さんが奨励している。
施本もよい。しかしそれで終わってはならない。
アゴン宗道場にお連れする。例祭などにお連れして護摩を拝ませる。
法話を聞かせて、ゆくゆくはお導きに繋げる。
星まつりなどもお連れ参拝は修行とみなされる。
それほど「まみえる」ことを他人に勧めることは大変な大梵行である。
もちろん前提として自分もまみえなければならない。
自分は例祭参拝をさぼり他人に勝手に行ったらはない。
このように準シュダオンさんは、やれ十六法だの利他だのと能書きを述べても
所詮読書世界だけの能書きは現実実践の応用がちっともきかぬのです。
だから「まみえる」は修行法に加えない方がよいなんて平気で言える。
- 310 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/17(土) 00:04:34 ID:SmEF4Oe2O
- >>286:準シュダオン10/04/16(金) 12:35:19
ID:agsP6ENM0
>因縁解脱を、単純な教えだと言っても、管長を侮辱したことにはなりません。
>ニュートンは、林檎が落ちるのを見て、引力を発見したね。
>単純なことでも、最初に発見するのは、難しいことです。
>コロンブスの卵です。
>何事も、最初が難しいし、最初に為すのは偉大です。
これ少し問題が違うのですよ。
桐山さんが発見の創始者で後からこれに追随する準シュダオンさんなどは
桐山さんの切り開いた道をなぞるだけでよいのだから侮辱に相当しないなんて
話と少し違う。
準シュダオンさんが出したのは一部のアビダルマの説の縁起を滅した世界という
ややこしい表現を誤解に読み替えて桐山因縁解脱と同じとした。(実は同じですらない)
そしてこの縁起の滅は桐山さんですら説かないのです。
つまり準シュダオンさんは創始者から教えてもらった桐山説を楯にしたのではなく
桐山さんが説きもしない準さん独自の我見を根拠にした。
つまりこれは、桐山さん、あんたの発見した因縁解脱なんてあんたの説を借りなくても
この俺様が発見した縁起の滅だけで簡単に説明がついてしまうんだよと
桐山さんの立場をなくしたことになる。
- 311 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/17(土) 00:11:25 ID:SmEF4Oe2O
- >>286:準シュダオン10/04/16(金) 12:35:19
ID:agsP6ENM0
>因縁解脱は、ダルマチャクラ69号の等見品、五難得の物を超越する、
>五根法で、レスしましたよ。あれが文証でしょう。
また記憶から消えましたか?
これも反論済みですね。
反論済みだからここでは敢えて蒸し返さない。
私はその五難得の物とはどういう物で、それから超越するとはどういうことか
知っている。
それを説明した。
だからあなたがギャラリーの支持を得たかったら、あなたの方からその五難得の
物とは何か、一つでもよいから示しなさい。
それからその難得物であったものが超越してしまうとは具体的に何がどうなる
ことか示してみなさい。
そしてそれが桐山さんのいう因縁解脱という不幸な運命の星をなくして幸福な
人生に変えてしまう話になるか論証してみせてください。
- 312 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/17(土) 00:22:38 ID:SmEF4Oe2O
- >>308:サライ10/04/16(金) 23:38:47
ID:kHWurtHEO
>桐山師も確かに私度僧ですが、行基僧侶も、天台宗から、破門されて、度ちょうを剥奪された、親鸞聖人も私度僧ですよ。
それは桐山さんの私度僧の言い訳擁護の材料にすらなりません。
あなたの出した他の私度僧の例はいずれも一度は正式に出家得度した僧侶が
破門されて僧籍を剥奪された例です。
一方桐山さんは最初から出家得度受戒した事実がないから最初から度牒も持たぬのです。
空海も最初私度僧でしたが、入唐直前に東大寺で正式に得度受戒してるのですよ。
遅れてでも。
桐山さんは一度も得度受戒したことがなく、未だに偽僧侶です。
前に漫画のブラックジャックの話を出した人がいた。
ブラックジャックも無免許医だが名医だと。
私は答えた。ブラックジャックの医師免許も医師会から剥奪されたのであり
彼はちゃん医大を出て免許も取得して医局で研修していた時代もあるのです。
一方桐山さんにはこれに相当するものがない。
小学校の頃カエルの解剖くらいはやったことがあるから俺は手術もできる名外科医
だと嘯いているだけです。
- 313 :準シュダオン:2010/04/17(土)
09:01:31 ID:agsP6ENM0
- 「長寿を得る」の一言で、普通の人は、短命でないことだ、とわかる。
ところが、ユビさんや深さんの愚か者は、短命でない、とは言っていない、
と愚かな理屈を言う。
「財宝を得る」の一言で、貧乏ではないということを、表している。
だが、ユビさんや深さんみたいな愚か者は、貧乏ではない、とは言っていな
い、とバカな理屈を言う。
管長が、「須陀?からが聖者です」と、書いていれば、
普通の人は、須陀?向は聖者に含まれない、とわかる。
しかし、ユビさんや深さんは、「須陀?向は聖者でないと書いてるか?」
と、くる。
あきれて、話にならないわw。
- 314 :深山:2010/04/17(土)
09:19:17 ID:KzdEWhgI0
- >>308:サライ10/04/16(金) 23:38:47
ID:kHWurtHEO
>桐山師も確かに私度僧ですが、行基僧侶も、天台宗から、破門されて、度ちょうを剥奪された、親鸞聖人も私度僧ですよ。
ユビキタスさんのレスに追加です。
桐山さんの場合、僧侶の資格がないことが一番の問題ではなく、
「嘘をついている」点が最大の問題なのです。
たぶんあなたの紹介した人たちは資格について嘘はついていませんよね。
本人が、得度を受けていないことを正直に告白しているのであれば、
一般人は必ずしも問題にしない。
桐山さんは得度していないことを一度も認めたことがない。
つまり、今でも得度したかのように嘘をつき通しているのです。
彼の嘘は得度だけではありません。
阿闍梨を詐称し、大僧正を詐称した。
僧侶の資格だけではなく、こんなふうに桐山さんが次々と嘘をついている点を問題にしているのです。
在家の信者ですら、五戒として嘘をつくことを諫められているのに、
出家の桐山さんが資格についてこれだけ嘘をつきまくっているのですよ。
さすがに、偽僧侶、偽阿闍梨、偽大僧正という嘘つき三冠王は、
日本仏教上も稀なんじゃありませんか。
- 315 :深山:2010/04/17(土)
09:23:20 ID:KzdEWhgI0
- >>308:サライ10/04/16(金) 23:38:47
ID:kHWurtHEO
>桐山師も確かに私度僧ですが、行基僧侶も、天台宗から、破門されて、度ちょうを剥奪された、親鸞聖人も私度僧ですよ。
桐山さんが僧侶の資格など、あらゆる他人が認定する資格などに価値を置かず、
実力一本槍というなら、それはそれで格好がよい。
だが、彼は肩書きを一般人よりもはるかに欲しがっている。
阿闍梨や大僧正を詐称したのもこの名誉欲が背後霊です。
彼にとって学歴や阿闍梨など、世間の人が評価するような資格や肩書きが
欲しくて欲しくてしかたない。
だったら、世間のルールを守り、努力して手に入れるべきです。
だが、その努力をするものいやなのです。
自惚ればかり強く、公立の中学を受験すらできないような成績だったのに、
「・・いまさら東大を志すというわけにもゆかない。」(現世成仏、39頁)
などと自己評価が異常に高い。
自己評価と現実とのギャップを埋める手段こそが「嘘」です。
桐山さんの人生の隅々まで嘘で埋め尽くされているのはこれが理由です。
エラクなりたい、人の上に立ち、高く評価されたいという欲望ばかりが強烈で、
自分の客観的な実力を何もしらない。
資格に価値を置かないのではなく、人並み以上に価値を置いているが、
実力が伴わないので、嘘をつくことで実力とのギャップを埋めた結果が、
偽僧侶、偽阿闍梨、偽大僧正という世にも珍しい「嘘坊主」です。
- 316 :準シュダオン:2010/04/17(土)
09:25:43 ID:agsP6ENM0
- 前に、外道凡夫に対して、聖道凡夫とレスしたところ、
ユビさんが、イチャモンつけた。
説明するよ。
ネットで検索して見つけた中に、アビダルマ論師達が、仏道修行者を、次の
様に分類した、とあった。
1、資糧位・・・・・修行を始めたばかりのヨチヨチ歩きの凡夫
2、加行位・・・・・ごく基本をアチコチ覚えた修行者の凡夫
3、見道位・・・・・基本的事項を覚えた聖者(ここから須陀?向)
4、修道位・・・・・聖者修行者(斯陀含や阿那含か?)
5、無学位・・・・・阿羅漢
ね、凡夫と言っても、外道の凡夫もあれば、仏道修行者の凡夫もある。
で、わたしは、資糧位と加行位を聖道凡夫とレスしたわけだよ。
お釈迦さまによれば、資糧位も加行位も、須陀?向と呼んでると思うね。
お釈迦さまは。初心者の修行者は、須陀?向に含めないような話はして
いないからね。このあたりも、深さんの推測とは違うね。
- 317 :深山:2010/04/17(土)
09:28:48 ID:KzdEWhgI0
- >>308:サライ10/04/16(金) 23:38:47
ID:kHWurtHEO
>桐山師も確かに私度僧ですが、行基僧侶も、天台宗から、破門されて、度ちょうを剥奪された、親鸞聖人も私度僧ですよ。
桐山さんが肩書きを詐称して平然としているもう一つの理由は、他人への侮蔑心です。
自己評価の高さ、自惚れが表なら、その裏は他人への侮蔑心です。
これは準シュダオンさんを見ていてもわかる。
>>313でも、何度説明されてもまったくこちらの意見を理解するらできない程度の知性なのに、
自分は智慧に優れていると自惚れ、その裏返しとして、他人への侮蔑心が、
「W」を毎度連発していることに現れている。
その自惚れと侮蔑心が彼の知性をもっと阻害しているのだが、
脳が老化していることもあって、それがわからない。
桐山さんも自分くらい頭の良い者はいないと自惚れているから、
他人が馬鹿に見えてしかたない。
まあ、たしかに桐山さんの嘘にまんまとひっかかった馬鹿が何十万人と
いたことは事実だから、馬鹿にされてもしかない。
前科をばらされても、それを逆手に霊障教学を作り、逆に教団を大きくした。
こういう嘘による一発逆転で成功してきたから、自分の以外の連中など頭が
ものすごく悪く、自分の手の内など絶対にわからないと思っている。
他人にすぐに気づかれると思っていたら、嘘はつきません。
他人を頭の悪い馬鹿ばかりと侮蔑しているから、小手先の嘘で騙そうとする。
嘘がばれてもまた次の嘘で騙せるほど信者も世間も馬鹿だと侮蔑しているのです。
- 318 :深山:2010/04/17(土)
09:31:06 ID:KzdEWhgI0
- >>308:サライ10/04/16(金) 23:38:47
ID:kHWurtHEO
>桐山師も確かに私度僧ですが、行基僧侶も、天台宗から、破門されて、度ちょうを剥奪された、親鸞聖人も私度僧ですよ。
このように、桐山さんの偽僧侶などは、単純に資格がないという問題だけでなく、
桐山さんがどんな人間なのか、その人間性を如実に現わしている実例なのです。
それをあなたみたいに、資格だけで見てしまうと、何も見えなくなる。
アゴン宗そのものが嘘だらけでできており、偽僧侶などはその部品にすぎません。
つまり、僧侶の資格が典型であるように、ことごとく嘘でできているのがアゴン宗です。
あなたが引用した僧侶たちは嘘はついていませんよね。
仏教史を知らないから間違いはあるが、それは嘘ではなく、
当時としてはやむを得ない無知です。
だが、護摩が禁止されていることを知っている現代で護摩を焚き、
準胝観音なんて空想上の仏だと百も承知で真言行と称して信者に教えている。
知らずに教義を作ったのは無知だが、百も承知でしているのは犯罪です。
伝統仏教の宗祖たちを擁護するつもりはないが、彼らと桐山さんを同等に
取り扱ったら、彼らにかなり失礼なことだと思います。
- 319 :準シュダオン:2010/04/17(土)
09:55:12 ID:agsP6ENM0
- 等見品をどう読むかに、因縁解脱を理解できるか否かのカギがあるね。
等見品に、五難得の物が説かれています。
仏教伝道協会発行の「仏教聖典」では、この五難得の物を、次のように
説いています。
「・・老いないこと、病まないこと、死なないこと、滅びないこと、
尽きないこと、世の人々はこのことに、悩み苦しむのであるが、仏の
教えを受けた人は、避けがたいことを避けがたいと知るから、この
ような愚かな悩みを抱くことがない」(少し省略しました)
と、そのように訳しています。
だが、ダルマチャクラ68号における管長の解説は、上記と違います。
五根法の修行で、この避けがたい五難得の物を、超越出来るから、五根法
を修行せよ、と説くのです。管長は、普通の学者では、「仏教聖典」に
あるような解釈しかできないでしょう、と説いています。
(ダルマチャクラ67、68、69、参照ください)
- 320 :深山:2010/04/17(土)
10:16:28 ID:KzdEWhgI0
- >>313 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/17(土) 09:01:31
ID:agsP6ENM0
>管長が、「須陀諸Yからが聖者です」と、書いていれば、
本当にあなたって他人の文章を読まないというよりも、理解できないのですね。
桐山さんが「預流向≠聖者」と主張しているかどうかわからない、
というのが批判側の結論というよりも、桐山さんの本からの結論です。
そしてどちらでもかまわないと何度も書いたとおりです。
なぜなら、桐山さんが「預流向≠聖者」と主張しているのなら、
桐山さんが無知をさらけ出しただけです。
「預流向=聖者」は、釈尊自ら四双八輩は聖者であると述べており、仏教辞典でも
はっきりと示されているくらい自明なことなのに、
桐山さん一人が「預流向≠聖者」を主張するなら、無知であり、
アゴン宗がシャカ仏教とは関係のない外道であることの証拠が一つ増えるだけです。
私もそれを主張したいが、>>239にある桐山さんの文章では、
「預流向=聖者」だ言っているようにも解釈できるから、保留しているだけです。
あなたと違い、桐山さんに罪をなすりつけるのは私の趣味に合わない。
だが、あなたは何が何でも桐山さんは無知だと言いたいらしいから、
その点では、あなたと批判側は意見が一致しているのです。
- 321 :深山:2010/04/17(土)
10:26:27 ID:KzdEWhgI0
- >>316 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/17(土) 09:25:43
ID:agsP6ENM0
>ネットで検索して見つけた中に、アビダルマ論師達が、仏道修行者を、次の
>様に分類した、とあった。
準シュダオンさんて本当に恥知らずですね。
あなたは昨年頃まで、樹意さんなどがさかんにアビダルマの教義を出すと、
小馬鹿にした調子で、「アビダルマ仏教だ」と侮蔑していた。
そのあなたがぬけぬけとよくまあ、アビダルマを出せますね。
>433
:準シュダオン:2009/10/23(金) 13:42:08
ID:P9JinFks0
>仏教辞典の凡夫と預流向の説明は、アビダルマ論師の説であって、管長は
>それを採用していませんw。アビダルマ論師は須陀諸Yを八十八煩悩を断った
>聖者と定義しています。それも釈迦の説とは違います。
>辞典に書いてあるからといってすべて鵜呑みにするのは、愚か者ですw。
433はあなたが昨年十月に書いた内容です。
ここでは、凡夫や預流向について、「アビダルマ論師の説」であり、
「釈迦の説とは違う」と書いている。
ところが、半年たつと、その同じ内容についてアビダルマ論師たちが
言っていることをそのまま引用している。
半年前のあなたは、アビダルマ論を否定し、今はそれを使う。
半年前に批判側に投げた「愚か者ですw」という唾が、があなたの顔にそのまま堕ちてきた。
その場しのぎに口から出任せを書く人だとは知っているが、
その恥知らずぶりが、いかにも桐山さんの信者らしい。
いったいどういう育てられ方をしたら、そんなに図々しく、厚かましくなれるのだろう。
- 322 :深山:2010/04/17(土)
10:31:31 ID:KzdEWhgI0
- >>316 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/17(土) 09:25:43
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまによれば、資糧位も加行位も、須陀諸Y向と呼んでると思うね。
ほら、この年寄りはまたこうやってゴマカス。
どうしてあなたってこうも狸みたいにズルイのだ?
資糧位も加行位もアビダルマだと書いていながら、まるで釈尊が
それを認めたかのような書き方です。
釈尊はこんなことはいっさい説いていない。
あなたが書いたとおりで、後世の仏教徒であるアビダルマで作られた概念です。
つまり、「それも釈迦の説とは違います(433)」。
資糧位も加行位なんて持ち出さなくても、前に、アビダルマ仏教では
四善根という、凡夫と聖者の間の存在を作り出したと紹介した。
あなたが持ち出したのもその延長です。
教団が発展し、階層ができて、釈尊のように凡夫と聖者という簡単な
分け方では不便になったから、こういう煩雑、複雑な位階を創設した。
だが、釈尊はこんなことはいっさい説いていません。
釈尊が説いたのは凡夫と聖者だけです。
釈迦仏教には仏道修行をする凡夫など存在しません。
あるというなら、アビダルマではなく、阿含経の根拠を示しなさい。
- 323 :深山:2010/04/17(土)
10:37:42 ID:KzdEWhgI0
- >>316 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/17(土) 09:25:43
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは。初心者の修行者は、須陀諸Y向に含めないような話はして
>いないからね。このあたりも、深さんの推測とは違うね。
私がいつこんな話をしましたか。
他人の文章をろくに読まないなら、こういう勝手なことを書くのはやめなさい。
どうしてあなたってこうも無礼な人間なのだ。
相手が書いてもいないことを勝手に捏造するのが失礼だという気持ちすらないのか。
あなたって、脳味噌も性格もどうしようもない人ですね。
「初心の修行者は須陀諸Y向に含めない」なんて私は書いたことはない。
まったく逆で、釈尊の説く教法に信仰を持ち、実践をしたら、その人は少なくとも
預流向以上であり、聖者です。
在家も出家も関係ありません。
なぜなら、釈尊のいう聖者とは資格ではなく、「煩悩を断ちきる聖なる道を歩む者」を
指すから、その道を歩んでいれば、全員が聖者です。
一つ提案だが、準シュダオンというハンドルをやめて、「慢心古狸」「自惚れ銀狐の子分」
「その場しのぎ」「口から出任せ」という実態に沿ったハンドルにしてはどうか。
- 324 :準シュダオン:2010/04/17(土)
11:25:14 ID:agsP6ENM0
- 阿含宗は、仏教革命を起こしてるのですよ、ユビさん。
だから、既成仏教・伝統仏教の立場からいうと、阿含宗は仏教ではないのです。
因縁解脱の言葉も、真言宗系のお寺さんには、使用するところも、ポツリ、
ポツリ、出ているようですが、まだ、馴染は薄いようです。
因縁解脱と仏教と関わりはない、というのがまだ主流なようですね。
さて、五難得の物とは、
1、喪う因縁のものを、喪なわないと望むこと。
2、尽きる因縁のものを、尽きないように望むこと。
3、老いる因縁のものを、老いないように望むこと。
4、病気する因縁のものを、病気しないように望むこと。
5、死ぬ因縁のものを、死なないように望むこと。
です。
このことを、「仏教聖典」では、避けられないことなので、避けられないと
知って、悩むな、と解釈しています。普通の学者さん方は、そのように解釈
するであろうことは、管長も予想していますね。
しかし、釈迦の言わんとするのは、そうではありません。
釈迦は、「方便除前五事修後五根」と、説いてます。
前五事=五難得乃物、ですから、方便除前五事修後五根とは、
「喪尽老病死を、除くことができる五根法を修行せよ!」と、言う意味に
なります。
- 325 :準シュダオン:2010/04/17(土)
11:45:47 ID:agsP6ENM0
- 釈迦は、「五根法を修行しても五難得の物は避けられない」とは、説いて
おりません。五根法で五難得るの物を避けられる、と説いてます。
最終的には、解脱して「不復受胎」、と、説いてます。
阿羅漢までいけば、解脱して不復受胎なのでしょうが、その途中は、
シュダオン→シダゴン→アナゴンの順に、次第に安穏さが増してゆき、
最後は無上安穏になるのですね。
阿那含まで、ずーと苦しくて、阿羅漢でいきなり、パーと無上安穏に
なるとは思われません。シュダオンで不堕悪趣、というように、次第に
悪因縁が切れる毎に、安穏さが増していくのです。だから、運命が変わる
といえるのです。ここが、既成仏教と違う、阿含宗の眼目でしょう。
ここが無かったら、阿含宗の存在価値は無きに等しいです。
- 326 :準シュダオン:2010/04/17(土)
13:40:36 ID:agsP6ENM0
- ニュートンについての、うサギさんのレスを今読んだ。
的外れなレスだね。ニュートンが、林檎が落ちるのを見て引力を発見したか、
木の葉っぱが落ちるのを見て発見したのか、そんなことはどうでもいいの!
要点は、単純な真理も、最初に発見するのは難しいこと。そのためのレス。
引力をどうやって発見したのか、真実を知っているのは、ニュートンだけさw。
- 327 :準シュダオン:2010/04/17(土)
13:47:59 ID:agsP6ENM0
- 無関係な人間様のレスを、今読んだ。
竜神様の写真を偶然だと、論争をしたことがあるとか。
自分でアホだった、というように、本当にアホなことです。
わたしは、今まで、写真でそのような論争はしたことないね。
感性が違うので、論争しても無駄なのです。アホらしいw。
- 328 :準シュダオン:2010/04/17(土)
14:14:08 ID:agsP6ENM0
- 深山さんの「外道凡夫でない者=聖者なのです」とのレスが目に入った。
馬鹿も休み休み言いなさいな。若年なのにもうボケてるらしい。
若年認知症人の介護をしますw。
「凡夫というのは、仏教の道理を理解していない者、聖人の対」と、辞典に
あります。仏教の道理を理解している者が聖者、ということになります。
で、どこからが、仏教の道理を理解した聖者になるのかが、問題になります。
で、外道凡夫でないからといって、仏道の道理を理解していることにはなら
ないのです。だから、外道凡夫でなければ聖者だ、というわけにはいかない。
だから、いわば、須陀?向とは、聖道を歩んでる凡夫と言えるのです。
外道の凡夫もいれば、仏道の凡夫もいれば、無宗教の凡夫もいるのです。
結論、「外道凡夫でない者=聖者」は、間違いです。
- 329 :準シュダオン:2010/04/17(土)
14:24:12 ID:agsP6ENM0
- だから正しくは、「外道凡夫・仏道凡夫・無宗教凡夫でない者=聖者」と、
すべきでしょう。
須陀?向とは、仏道を歩んでる凡夫、と解釈すべきですね。
- 330 :うサギ:2010/04/17(土)
14:57:23 ID:UtKVqJLA0
- >>326引力をどうやって発見したのか、真実を知っているのは、ニュートンだけさw。
あれえ? 準々シュダオンさんは、>>286で、
「ニュートンは、林檎が落ちるのを見て、引力を発見したね。」と
書いていますよね?
それなのに、「引力をどうやって発見したのか、真実を知っているのは、
ニュートンだけ」なんですか?
じゃあ、なぜあなたがそれを知っているのでしょう?
矛盾していて、意味がわかりません。説明してもらえませんか?
- 331 :名無しさん:2010/04/17(土)
16:32:51 ID:mSdkmSyU0
- 準さん、完全に燃料と化していますね。
大炎上の悪寒w
- 332 :準シュダオン:2010/04/17(土)
16:48:12 ID:agsP6ENM0
- 引力を発見したのはニュートンでしょう?
どのようにして発見したのか真実を知ってるのはニュートンだけでしょう?
なぜなら、ニュートンが、これこれこのようにして発見した、と言っても、
それが本当なのか、嘘なのか、知ってるのはニュートンだけだということ
です。
だから、批判派が管長の言を。嘘だ本当だと騒いでも、真実は管長のみ、
知っているのです。うサギさんみたいのは、あくまで推測にすぎないの。
- 333 :準シュダオン:2010/04/17(土)
17:01:18 ID:agsP6ENM0
- ここは、管長の教法を論じる場ですから、管長の四向四果解説を、もう一度。
ダルマチャクラ69号のP8の7行目に、
「斯陀含向は、斯陀含に向かっているものの、まだ須陀?の範疇です」と、
ありますね。斯陀含という語がついていても斯陀含向は、須陀?の仲間です。
このことから、
「須陀?向は、須陀?に向かっているものの、まだ凡夫の範疇です」と、
いうことが、わかるでしょう。
須陀?という語がついていても、須陀?向は凡夫の仲間なのです。
簡単な応用問題なのですね。
- 334 :うサギ:2010/04/17(土)
17:37:46 ID:UtKVqJLA0
- >>332うサギさんみたいのは、あくまで推測にすぎないの。
>>286で、「ニュートンは、林檎が落ちるのを見て、引力を発見したね。」と
書いたのは準々シュダオンさん本人ですよね?
ならば、準々シュダオンさんが、
「ニュートンは、林檎が落ちるのを見て、引力を発見した」と書いた根拠は何ですか?
つまり、準々シュダオンさんによれば、
「どのようにして発見したのか真実を知ってるのはニュートンだけ」なのに
準々シュダオンさんは>>286で、「ニュートンは、林檎が落ちるのを見て、
引力を発見した」と断定しましたね? その根拠を聞いているのです。
もし、根拠がなければ、あなたの推測ですよね?
このように、「あくまで推測にすぎない」ことを書いているのは
実は、準々シュダオンさん自身ですよね?
ちなみに、推測で私がレスしている箇所があれば指摘してもらえませんか?
よろしくお願いします。
- 335 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/17(土) 21:14:16 ID:SmEF4Oe2O
- >>313:準シュダオン10/04/17(土) 09:01:31
ID:agsP6ENM0
>「長寿を得る」の一言で、普通の人は、短命でないことだ、とわかる。
>「財宝を得る」の一言で、貧乏ではないということを、表している。
まず一つ確認しておきたいのだが、この長寿や財宝の話はあくまでも喩えですよね?
四向四果、シュダオンの話をしている時に唐突にもこの話を出してきたので。
もちろんこちらはそのような長寿の徳や財宝の徳が得られると説いた経典を知っている。
比丘に供養した在家が来世に得る福の話です。
あなたは来世に限ったことではないと主張するかもしれないが、普通は現世の善業
に対する来世の果報の話です。来世は天に生まれる生天の話です。
というのはあなたが読んでる遊行経などにも書いてあるかと思うのだが、長寿や
財宝だけでなく優れた容姿なども入っている。
しかし容姿なんてものは普通生まれつきのものだから、これは来世に優れた容姿を
持って生まれてくると見た方がよい。
しかし私だって決して果報は来世に限ったことでなく、現世のうちに現れてもよい
果報もあるかと思う。しかし現世に果報があったとて、それが定められていた
運命を転換したのかと言うと、その発想すら首を傾げたくなる。
財産も寿命も運命などと見る必要もないからです。
例えば寿命だが、近代から現代にかけて平均寿命が先進国を中心に延びたのは
医学の発達と栄養の改善と、原因がはっきりしている。
因縁解脱の行をしたわけでもないし、悪いカルマを断ちきったからでもない。
だから普通に善因善果と解釈すればよい。
しかしこんな話に持って来ているが、そもそもこの在家の供養による福の話は
シュダオンの話と関係はない。シュダオンになると長寿になり財産が増えるなんて
誰も説いていない。視点が全く異なるのです。
だからシュダオンの話をしている時にこんな長寿や財宝の話なんか持って来ても
意味がないのだが、シュダオンの話と関係なく喩えとして出したのならば
それはよしとするので、そこのところを確認した次第。
- 336 :深山:2010/04/17(土)
22:00:22 ID:.RjHvDdg0
- >>316 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/17(土) 09:25:43
ID:agsP6ENM0
>ね、凡夫と言っても、外道の凡夫もあれば、仏道修行者の凡夫もある。
ありません。
あなたが引用したアビダルマ仏教においても、
四双八輩は聖者であり、預流向も聖者です。
前に、ユビキタスさんが引用した辞典の文章を転記しましょう。
岩波仏教辞典より「凡夫」の項の解説より抜粋
「とくに修行論では聖者(arya)の階位(見道、四向四果の預流向)に到達する前、
三賢と四善根の階梯にある修行者を意味する。
」
アビダルマ仏教では、預流向に到達する前に修行者に三賢や四善根という段階を設け、
これを凡夫としただけで、預流向が聖者であることはそのままです。
釈尊が四双八輩が聖者だと分類しているのだから、アビダルマ仏教でも
これに逆らうことができないから、預流向という聖者に
到達する前段階を作っただけで、あなたの説とは違う。
釈迦仏教・・・「預流向=聖者」
アビダルマ仏教・・・「預流向=聖者、四善根=凡夫、三賢=凡夫」
準シュダオン説・・・「預流向≠聖者」
と、あなたの説だけが違います。
- 337 :深山:2010/04/17(土)
22:04:19 ID:.RjHvDdg0
- >>328 :準シュダオン:2010/04/17(土) 14:14:08
ID:agsP6ENM0
>「凡夫というのは、仏教の道理を理解していない者、聖人の対」と、辞典に
>あります。仏教の道理を理解している者が聖者、ということになります。
自分で引用しているなら「聖人の対」という言葉が見えませんか。
聖者(聖人)と凡夫は対を為すのです。
聖者
「仏教では,主に凡夫(ぼんぶ)(pthag-jana,異生(いしょう))との対立概念として用いられる.」
(岩波仏教辞典)
両者は対をなし、対立する概念だというのです。
対を為すということは、これらの二つの概念の他にはないのです。
仏教では凡夫以外は聖者、聖者以外は凡夫です。
釈尊は人間を凡夫と聖者に分けてみせた。
ここまでは準シュダオンさんもいいでしょう。
問題はその後です。
釈尊のいう聖者とは四双八輩(四向四果)です。
これがあなただけは頑迷にそうではないと言い続けている。
準シュダオンさんのような間違いは、彼だけではなく、アゴン宗ではよくみかける。
なぜなら、桐山さんがそんなふうに説明しているからです。
桐山さんは応供を「供養に応える」などと、漢文の知識があるつもりで、
トンチンカンな読み方をしたように、仏教用語をそのまま調べて理解するのではなく、
漢字の字面から勝手を連想することが得意です。
四向四果の話も同様で、意味を理解していないのです。
信者さんたちはまず辞書の正しい解説を読んでください。
- 338 :深山:2010/04/17(土)
22:07:48 ID:.RjHvDdg0
- 四向四果(四双八輩)
「原始仏教や部派仏教における修行の階位で,預流向(よるこう)・預流果,
一来向(いちらいこう)・一来果,不還向(ふげんこう)・不還果,
阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと.
<向>は特定の果に向かう段階,<果>は到達した境地を示す.
向と果の対(双)が四種(四双)あるため,総計で八種の段階にある人という意味で,
<四双八輩(しそうはっぱい)>ともいう.
<預流>とは聖者の流れ,すなわち見道位に入ることで,
最大7回欲界の人(にん)と天の間を生れかわれば悟りを開く位.
<一来>とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位.
<不還>は欲界には再び還らず色界(しきかい)に上って悟りに至る位.
<阿羅漢>は今生の終りに悟り(涅槃(ねはん))に至り再び三界には生れない位をいう.
この位に到達した者を<無学>といい,これ以前の聖者(七輩)を<有学(うがく)>という.」
(岩波仏教辞典)
これが四双八輩の説明です。
わざわざわかりきったような説明を引用したのは、
預流向と預流果とはどういう位置づけなのかを示すためです。
上記の説明で、預流と預流果を区別していることに気が付いてください。
桐山さんは預流を預流果からだと思っている。
準シュダオンさんが桐山さんの文章を>>333で引用しているように、
預流向を預流ではないとみなしている。
準シュダオンさんはよほど桐山さんの間違いを世間に披露したいらしいから、
彼の努力に報いて、桐山さんの分類から見てみましょう。
- 339 :深山:2010/04/17(土)
22:10:53 ID:.RjHvDdg0
- >>333 :準シュダオン:2010/04/17(土) 17:01:18
ID:agsP6ENM0
>「斯陀含向は、斯陀含に向かっているものの、まだ須陀諸Yの範疇です」と、
>ありますね。斯陀含という語がついていても斯陀含向は、須陀諸Yの仲間です。
桐山説(準シュダオン説)の分類
0.預流向
1.預流=預流果+斯陀含向
2.斯陀含=斯陀含果+阿那含向
3.阿那含=斯陀含果+阿羅漢向
4.阿羅漢=阿羅漢果
これでは四向四果ではなく、「一向三向三果一果」で、四段階ではなく、
五段階の修行過程になってしまう。
>>338の岩波仏教辞典の説明にもあるように「預流=聖者」です。
だが、桐山説の分類でいくと、「預流=預流果+斯陀含果」だから、
預流が聖者だとは、預流果と斯陀含果が聖者という説明でしかない。
預流から阿羅漢まで聖者であると言うなら、預流向がはみ出て、
聖者に分類されていないことになる。
準シュダオンさんなどは、だから預流向は聖者ではないといいたいのだろうが、
それは根拠と結論を逆にしている本末転倒な説です。
- 340 :深山:2010/04/17(土)
22:14:29 ID:.RjHvDdg0
- 「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
ごらんのように、預流向を含めた四双八輩(四向四果)は全部が聖者です。
準シュダオンさん以外は預流向を凡夫などと断言している人はいません。
>>338の岩波仏教辞典の説明の最後にも「これ以前の聖者(七輩)を・・・」とある。
阿羅漢果よりも前の七つの段階を七輩と表現し、それらを聖者であると書いています。
預流向から阿羅漢向までの七つの階梯が聖者だと言っているのです。
これを見てもわかるように、
●大前提「四双八輩=聖者」
なのだから、「預流向=聖者」です。
勝手な解釈をするのではなく、この大前提に合わない説は間違いなのです。
>>339の桐山説の分類では預流向が聖者からはみ出てしまい矛盾する。
信者さんたちは矛盾しない分類の仕方を考えてみてください。
- 341 :深山:2010/04/17(土)
22:19:02 ID:.RjHvDdg0
- 「向と果の対(双)が四種(四双)あるため」(岩波仏教辞典、>>338)
向と果は対になっているのです。
だったら、そのまま並べればいいではないか。
1.預流=預流向+預流果
2.斯陀含=斯陀含向+斯陀含果
3.阿那含=阿那含向+斯陀含果
4.阿羅漢=阿羅漢向+阿羅漢果
これなら、何の矛盾もありません。
四つの向と果が対になり、しかも、四つともに聖者ですから、
四つの向と果も全部聖者であり、大前提と矛盾しません。
準シュダオン説のように預流向が聖者から外れているなら、岩波仏教辞典の
「<預流>とは聖者の流れ」は「<預流果>とは聖者の流れ」と書いてあるはずです。
だが、預流向だけを聖者から除外していない。
信者さんたちは>>339の桐山説の煩雑さに比べて、この分類は単純で
わかりやすく、矛盾のない説明だと思いませんか。
- 342 :深山:2010/04/17(土)
22:24:01 ID:.RjHvDdg0
- >>333 :準シュダオン:2010/04/17(土) 17:01:18
ID:agsP6ENM0
>「斯陀含向は、斯陀含に向かっているものの、まだ須陀諸Yの範疇です」と、
信者さんたちは上記の桐山さんの説明が文字面に囚われた軽薄な解釈に
すぎないことに気が付きましたか。
仏教の正しい分類では斯陀含向は斯陀含なのです。
桐山さんの分類からいくと、預流向は預流ではないのだから、
預流、斯陀含、阿那含、阿羅漢という階梯からはみ出てしまう。
預流でないなら、預流向とは何なのですか?
信者さんたちは答えられませんよね。
預流向がはみ出ているのだから、聖者ではなくなり、
●大前提「四双八輩=聖者」
と矛盾してしまう。
苦し紛れに、準シュダオンさんのように、預流向を凡夫に分類して、
いよいよ矛盾のドツボにはまりこむ。
だが、彼がアビダルマ仏教を去年はあざ笑って拒絶したのに、恥知らずにも、
今年は持ち出したアビダルマ仏教でも(>>321)、預流向は聖者であり、凡夫ではありません。
- 343 :深山:2010/04/17(土)
22:26:05 ID:.RjHvDdg0
- >>333 :準シュダオン:2010/04/17(土) 17:01:18
ID:agsP6ENM0
>「斯陀含向は、斯陀含に向かっているものの、まだ須陀諸Yの範疇です」と、
準シュダオンさん以外の信者さんたちは、桐山説のままでは
マズイことにお気づきでしょう。
阿含経を本当に読んだのなら、また辞書や学者の解説を本当に読んでいれば、
桐山説のような分類は成り立たないことにすぐに気が付くはずです。
つまり、桐山さんは阿含経も辞書も学者の解説も丁寧には読んだことがないのです。
そして、準シュダオンさんみたいに自分は頭が良いと自惚れているが、
実はあまり知性が高くないから、矛盾だらけの解説をした。
批判側は桐山さんの肩を持ち、「桐山さんの文章は、預流向が聖者だとも
聖者でないともどちらとも取れる。次回の本をまとう」と曖昧にしてあげているのに、
準シュダオンさんはなんとか桐山さんが仏教について無知であることを証明したいようです。
準シュダオンさんが投げたつけた批判側へのあざ笑いが、桐山さんの顔面を
直撃していることに、何度説明してあげてもわからないのだから、
準シュダオンさんて本当にお幸せな人です。
- 344 :深山:2010/04/17(土)
22:30:30 ID:.RjHvDdg0
- >>328 :準シュダオン:2010/04/17(土) 14:14:08
ID:agsP6ENM0
>馬鹿も休み休み言いなさいな。若年なのにもうボケてるらしい。
>若年認知症人の介護をしますw。
いいえ、このスレのタイトルをごらんなさい。
【進む脳内崩壊老人介護病棟】
つまり、準シュダオンさんを介護する老人病等であって、私ではありません。
介護するほうと、されるほうの区別もつかないとは、ずいぶん症状が進みましたね。
夕飯を食べたことは覚えていますか。
- 345 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/17(土) 23:32:54 ID:SmEF4Oe2O
- 五難得の物を除く五根法を説いた等見品についてはよくぞ丁寧に引用解説して
くれました。しかも仏教聖典など他の文献の解釈まで示してくれて。
準シュダオンさんにしては珍しいことなんですが、これは素直に讃えたいですね。
そう来ないとキャッチボールにならない。
返レスのキャッチボールはまた明日にしたいと思います。
あるところからあやふやにごまかしてますのでじわじわと突っ込みます。
- 346 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/18(日) 10:30:19 ID:SmEF4Oe2O
- >>324:準シュダオン10/04/17(土) 11:25:14
ID:agsP6ENM0
>さて、五難得の物とは、
>1、喪う因縁のものを、喪なわないと望むこと。
>2、尽きる因縁のものを、尽きないように望むこと。
>3、老いる因縁のものを、老いないように望むこと。
>4、病気する因縁のものを、病気しないように望むこと。
>5、死ぬ因縁のものを、死なないように望むこと。
> です。
>釈迦は、「方便除前五事修後五根」と、説いてます。
>前五事=五難得乃物、ですから、方便除前五事修後五根とは、
>「喪尽老病死を、除くことができる五根法を修行せよ!」と、言うことに
>なります。
あなたの根本的な間違いを指摘します。結局言葉だけで判断して具体的な想像を
しないからこんな間違いをするのだろうが。
五難得の物とはズバリ四苦八苦からチョイスしたものとわかる。四苦八苦そのものです。
代表的なのが死苦です。人間として生まれてきたからにはどんなに長く生きようとも
必ず死ななくてはならない。そんなんいやじゃ、死にとうないなんて言っても駄目です。
必ず死ぬことに対して死にたくないなんて考えるのは不当な欲望であり煩悩です。
そう、五難得の物とは叶えるはずのないものを叶えるように願う不当な欲望であり
煩悩のことを言うのです。
この不当な欲望、煩悩を五根法により「取り除く」のです。
叶えるのではない。除くのです。
皆さん、お気付きになったでしょう?
準シュダオンさんは死なねばならないという苦しい運命そのものを除くのだと
解釈した。
違うのです。死なねばならない運命を除くのではなく、死なないように願う煩悩を
除くのです。
しかし将来的には死ななくても済む方法がたった一つだけある。
- 347 :準シュダオン:2010/04/18(日)
10:48:08 ID:agsP6ENM0
- 老人介護病棟の介護員が、若年性アルツハイマーとは恐れいったw。
平河本「現代語訳阿含経典」2巻p283に、四向四果の説明があるよ。
須陀?については、次のように書いてあるよ。
「得須陀?とは、須陀?果、預流果ともいい、三界の見惑を断じ尽くして、
悟りへ向かう流れに入った聖者のことである。向須陀?とは須陀?向、
預流向ともいい、見惑を断じつつ、須陀?果に向かって進みつつあるもの
をいう」
これで、向須陀?を聖者だと読みとる人は、深さん同様、脳足りんだねw。
斯陀含についても解説してあるけど、引用は省略するね。
結論を言うと、管長がダルマチャクラ69号に書いてるように、
「斯陀含向は、斯陀含に向かっているものの、まだ須陀?の範疇です」
そう考えて、間違いはないね。
- 348 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/18(日) 10:56:16 ID:SmEF4Oe2O
- >>325:準シュダオン10/04/17(土) 11:45:47
ID:agsP6ENM0
>釈迦は、「五根法を修行しても五難得の物は避けられない」とは、説いて
>おりません。五根法で五難得るの物を避けられる、と説いてます。
>最終的には、解脱して「不復受胎」、と、説いてます。
輪廻がなくなりもう生まれて来なければ、老いることもありませんし、死ぬことも
ありませんし、さまざまな欲求に駆られることはありません。
ただしそこに到達する為には一度老いなどを経て死なねばなりません。
釈尊もその例外ではなかったことは言うまでもない。
死んで後、もう二度と母胎に宿ることはない。だから四苦八苦そのものがない。
四苦八苦そのものをなくすということはこれしかないのです。
生きている間はそれをどれだけ苦として増幅して感じるかはさておき四苦八苦は
なくなりません。また四苦八苦を乗り越える為には四苦八苦の生涯を通過しなければ
なりません。
>阿羅漢までいけば、解脱して不復受胎なのでしょうが、その途中は、
>シュダオン→シダゴン→アナゴンの順に、次第に安穏さが増してゆき、
>最後は無上安穏になるのですね。
>阿那含まで、ずーと苦しくて、阿羅漢でいきなり、パーと無上安穏に
>なるとは思われません。シュダオンで不堕悪趣、というように、次第に
>悪因縁が切れる毎に、安穏さが増していくのです。だから、運命が変わる
>といえるのです。ここが、既成仏教と違う、阿含宗の眼目でしょう。
これがあなたの漠然曖昧たる妄想です。
アラハンを得てから死ぬまでの間に四沙門果を経ていく中で四苦八苦が緩和される
かのような書きぶりです。そうでなければつまらないだろ!と不当な欲望と煩悩を
垂れ流しにしながら。
ならば具体的にどう緩和されるのか示してみなさい。
死なねばならない苦しみはどう緩和されるのか?
死ぬ時期、寿命が延びるのか?いやいやたかだか十年二十年何十年延びたって
同じではないか?
そんなのあっという間でいざ死を前にして死にとうない死にとうないとワガママを
言うことに変わりはない。
結局緩和なんてないのです。
四沙門果を経る過程において四苦八苦は緩和を見せて、病気がなくなったり
欲求は叶ったりするなんてことはない。
それがあると言うのならそう説いた経典を示してみなさい。
全てはあなたの寝言に過ぎぬ。
- 349 :準シュダオン:2010/04/18(日)
11:21:43 ID:agsP6ENM0
- 「仏陀の真実の教えを説く」本のP198に出家経が出ています。
比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、たちが、それぞれ、阿羅漢や、得阿那含や
得斯陀含や、得須陀?になったお話です。
この中に、須陀?向を得た、というお話はありません。
なぜでしょうか?
それは、修行者のスタート地点が、須陀?向だからです。
四沙門果を得ていない修行者は、すべて須陀?向です。
そりゃ、須陀?に近い須陀?向もいれば、須陀?にはるかに遠い須陀?向も
いるでしょう。準シュダオンもいれば、準々々々々々シュダオンもいます。
高校球児の場合なら、甲子園優勝校の球児も、地方予選で負けた、準々々々
準々優勝校の球児も尊さは同じでしょう。しかし、仏道修行者は、悟りの流れ
に入った須陀?果を得た者から、聖者としていますね。
唐代屈指の学者、慧苑も、須陀?を「初獲聖性」としています。
須陀?向はまだ、聖性を獲得していないのです、つまり凡夫の範疇です。
- 350 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/18(日) 11:28:18 ID:SmEF4Oe2O
- >>324:準シュダオン10/04/17(土) 11:25:14
ID:agsP6ENM0
>阿含宗は、仏教革命を起こしてるのですよ、ユビさん。
>だから、既成仏教・伝統仏教の立場からいうと、阿含宗は仏教ではないのです。
>因縁解脱の言葉も、真言宗系のお寺さんには、使用するところも、ポツリ、
>ポツリ、出ているようですが、まだ、馴染は薄いようです。
>因縁解脱と仏教と関わりはない、というのがまだ主流なようですね。
革命と呼ぼうが反逆と呼ぼうが離反と呼ぼうが、正統仏教に因縁解脱なんて
用語も概念も使われていないことがよくわかったでしょう?
そういう立場にあるということを常に念頭に置くことだね。
仏教として認められていない。
学者の説がアゴン宗を裏付けているなどと錯覚しないのです。
桐山さんは仏教界に反逆して因縁解脱なんて用語と概念を持ち出さないと説明できない。
- 351 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/18(日) 11:46:31 ID:SmEF4Oe2O
- >>325:準シュダオン10/04/17(土) 11:45:47
ID:agsP6ENM0
>ここが無かったら、阿含宗の存在価値は無きに等しいです。
ではアゴン宗は存在価値はありませんね。
なぜなら理念、スローガン、夢想、妄想だけで、因縁解脱の運命改善なんて
果たしていない。管長も副管長も。
- 352 :準シュダオン:2010/04/18(日)
12:20:46 ID:agsP6ENM0
- 深さんは、「仏教の正しい分類では斯陀含向は斯陀含なのです」と書いた。
これは、基本的なところで間違えていますね。
斯陀含というのは、得斯陀含と斯陀含果のことで、斯陀含向は含まない、
と解するべきなのです。
深さんの説だと、「阿那含向は阿那含なのです」に、なってしまう。
そうではなく、阿那含向は斯陀含の範疇にすべきなのです。
なぜなら、五下分結を断って阿那含果、得阿那含です。
阿羅漢向は、まだ五下分桔を断ってはいない存在です。
そういう修行の進み具合を無視して、五下分結を断った者も、
断たない者も、阿那含の名で一緒にしたのでは、それこそゴッタ煮で、
四向四果を定めたお釈迦さまが泣くでしょう。
- 353 :準シュダオン:2010/04/18(日)
12:23:19 ID:agsP6ENM0
- 352の阿羅漢向は、阿那含向の誤りです。
- 354 :準シュダオン:2010/04/18(日)
12:38:57 ID:agsP6ENM0
- 平河本2巻P283を補足引用しますが、語注69で、
「須陀?は、・・・・(サンスクリットなので省きます)・
流れに入ったもの、廻心したものに相当する音写。
預流、入流などと漢訳する。」
と、あります。
深さん、あんたの説が変なこと、おわかりか?
須陀?は、流れに入った者のことなので、須陀?向は含まないのです。
だから、「須陀?=須陀?果+須陀?向」は、成り立たないよ。
管長と、平河本の学者先生方の、四向四果説が同じであることがわかり
ますね。
- 355 :うサギ:2010/04/18(日)
13:34:25 ID:UtKVqJLA0
- 準々シュダオンさんって、やっぱり負け犬ですね。
不利になると逃げ回りますね。
>>334は読みましたか。
早く応えましょうね、負け犬。
- 356 :準シュダオン:2010/04/18(日)
14:12:52 ID:agsP6ENM0
- 「阿羅漢は仏の別称である」ということが、岩波仏教辞典にありますね。
つまり、阿羅漢に阿羅漢向を含めては間違いなのです。
だから、阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向、とするのは間違いです。
阿羅漢は仏の別称なのだから、阿羅漢=阿羅漢果と得阿羅漢なのであって、
阿羅漢向は含まれません。阿羅漢向は阿那含の範疇です。
最初と最後が肝心ね。
須陀?と須陀?向も明確に区別しないと、いけません。
須陀?は、預流果、須陀?果 得須陀?、のことであって、三結を断ち、
成仏の流れに入った聖者です(聖者の流れに入ったとの説明もある)。
須陀?向は、聖者の流れを探している、凡夫の範疇です。
但し、釈迦は、自分のすべての弟子に、聖を冠して、聖弟子衆と呼ぶこと
が、ままあります。四双八輩のことも聖弟子衆、福田と呼んでいます。
この場合の須陀?向は、「聖なる仏道を歩んでいる者」の略称と考えるべき
です、その意味の聖者であって、凡夫に対する聖者とは違いますね。
もしも、お釈迦さまが、四向四果以外にも、自分の信者が居ると説いてる
経典があれば、何時でも私の意見を撤回しますよ。
四向四果が聖者の弟子であって、それ以外に凡夫弟子衆も居る、とかね。
- 357 :準シュダオン:2010/04/18(日)
14:34:37 ID:agsP6ENM0
- 五難得の物とは、四苦八苦のことと考えて良いと思うね。
しかし、持つべきでない欲望を断つだけで、四苦八苦が無くなるとは
思えないね。
例えば、怨憎会苦の場合、憎らしい人に会う度に、ビンタされてたとする。
この場合、ビンタされるのは自分の不徳のせいだから、ビンタされたくな
いとの欲は無くすべきなんだ、と考えるのかい、ユビさんは。
この場合は、ビンタされる因縁を切らないと、苦は無くならない。
五根法を修行していくと、煩悩が薄れ、智慧が増し、ビンタされる理由
も見えてきて、それを避ける術も見えてくる。
四苦八苦も次第に、厳しいものから、薄れてくるのでしょう。
須陀?向 → 三悪趣を含む苦しい人生
須陀?果 → 不堕悪趣で、最悪の苦しさは逃れた。
斯陀含 → 安穏さが出てくる。
阿那含 → 安穏さが増す。
阿羅漢 → 無上安穏涅槃
という具合になるのではありませんか。
- 358 :準シュダオン:2010/04/18(日)
14:51:26 ID:agsP6ENM0
- ニュートンは、林檎が落ちるのを見て引力を発見した、とは、
広く流布されてることです。
それが事実なのか、後世の作り話なのか、そんなことは問題ではない。
わかってしまえば単純な真理も、発見されるまでは、難しいことです。
林檎は、それを知らせるための象徴であって、実際は違ってても良い。
アルキメデスが風呂に入り、風呂から溢れるお湯を見て、難問を解決した
というのも、事実はどうでもよい。風呂から溢れるお湯が、難問解決の
象徴だと、いうことです。問題の答えが、わかりやすいからね。
負け犬というのは、あんたのことだよ、負け兎さん。
- 359 :準シュダオン:2010/04/18(日)
15:59:11 ID:agsP6ENM0
- 阿羅漢とは仏の別称であるから、阿羅漢向は阿羅漢に含められないことは、
ウサギさんにはわかるだろう。阿羅漢向は仏とは違うからね。
すると、阿那含向は、阿那含ではなくて、斯陀含の範疇であることがわかる。
同様に、斯陀含向は、斯陀含ではなくて、須陀?の範疇であることがわかる。
管長がダルマチャクラに書いてるとおりだね。
同様に、須陀?向は、須陀?ではなくて、凡夫の範疇と考えねばいけないね。
お釈迦さまは、凡夫の修行者が須陀?向を得ることなど、説いてはいない。
だから、凡夫の修行者=須陀?向、と考えるしかないね。
- 360 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/18(日) 17:43:27 ID:SmEF4Oe2O
- >>357:準シュダオン10/04/18(日) 14:34:37
ID:agsP6ENM0
>五難得の物とは、四苦八苦のことと考えて良いと思うね。
>しかし、持つべきでない欲望を断つだけで、四苦八苦が無くなるとは
>思えないね。
だから四苦八苦そのものはなくならないのですよ。
生老病死その他なくならない。
欲望を断っても老いるし病気もするし死ぬ。
これを変えることなどできないのです。
>例えば、怨憎会苦の場合、憎らしい人に会う度に、ビンタされてたとする。
>この場合、ビンタされるのは自分の不徳のせいだから、ビンタされたくな
>いとの欲は無くすべきなんだ、と考えるのかい、ユビさんは。
>この場合は、ビンタされる因縁を切らないと、苦は無くならない。
>五根法を修行していくと、煩悩が薄れ、智慧が増し、ビンタされる理由
>も見えてきて、それを避ける術も見えてくる。
>四苦八苦も次第に、厳しいものから、薄れてくるのでしょう。
ビンタされるのが本当に自分の不徳かどうかわからないが、人から不当に怨まれたり
するのが世の常です。
モッガラーナをご覧なさい。あれだけ神通力ある聖者がどうしてあれだけ迫害を
受けたのだ?
で、モッガラーナが選択した道は自分が不当に危害を受けても自分は相手に攻撃
しないことです。それによって相手の攻撃を避けられたかと言うと避けられない。
殺されるも同然に死んでしまったのです。
これでも回避の道を説くのを求めるのか?
何?それじゃたまらん?どうぞ勝手にふてくされて自殺でもしなさい。
自殺しても死からは回避できないし。(当たり前だ)
- 361 :うサギ:2010/04/18(日)
17:49:56 ID:UtKVqJLA0
- >>358ニュートンは、林檎が落ちるのを見て引力を発見した、とは、
広く流布されてることです。
それが事実なのか、後世の作り話なのか、そんなことは問題ではない。
あなたがいくら言い訳しても、ゴミレスです。
>>286であなたは、
「ニュートンは、林檎が落ちるのを見て、引力を発見したね。」と断定した。
たしかにそれは「広く流布されてることです」が事実ではありません。
私がそう主張する根拠は、以下の通りです。
wiki「アイザック・ニュートン」より引用(http://bit.ly/5GcHrO)
「リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついた、
という有名な伝記があるが、これはニュートンの家の窓から
リンゴの木が見えることから作られた話である。
しかしこれは以後のニュートンを知る人が、
彼が如何に日常に起きることに関心を持ち、
そこから理論への着想を得ていたかという彼の賢さを
表すものとして作られたのだと言われている。」
つまり、作り話だということが事実です。
そしてあなたは、その作り話を根拠にして
>>286の主張を書いた。
たとえ「広く流布されてること」であったとしても
作り話であるという事実には変わりはない。
よって、あなたの>>286の主張はゴミです。
しかもさらにあなたは、事実誤認をしていることに気づいているのか?
引力を発見したのはニュートンではありません。
引力自体はすでに発見されていた。
ニュートンが発見したのは「万有引力」です。
そういう意味でもあなたの書いた、
「ニュートンは、林檎が落ちるのを見て、引力を発見した」
という文章は事実に反しています。
つまりいずれにしてもあなたは、事実と反することを書いているのです。
よって、ゴミレスです。
ところで、>>150の質問に、きちんと応えてください。
何度もはぐらかすのはやめましょう。
と、言われても、何のことだかわからないでしょう?
>>184を読んでください。
あなたは、質問に応えない。よって、負け犬です。
あるいは、健忘症です。
どっちですか?
- 362 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/18(日) 18:00:27 ID:SmEF4Oe2O
- >>357:準シュダオン10/04/18(日) 14:34:37
ID:agsP6ENM0
>五根法を修行していくと、煩悩が薄れ、智慧が増し、ビンタされる理由
>も見えてきて、それを避ける術も見えてくる。
四苦八苦も次第に、厳しいものから、薄れてくるのでしょう。
>須陀m9向 → 三悪趣を含む苦しい人生
>須陀m9果 → 不堕悪趣で、最悪の苦しさは逃れた。
>斯陀含 → 安穏さが出てくる。
>阿那含 → 安穏さが増す。
>阿羅漢 → 無上安穏涅槃
>という具合になるのではありませんか。
では五根法も修めたはずのモッガラーナは殺されると最悪の運命から逃れること
すらできなかったことになる。あなたに言わせれば悪趣にも相当する運命です。
モッガラーナは最低のシュダオンでも得る不堕悪趣すら実現できず悪趣に堕ちたのか?
悪趣が悲惨な運命などではないからです。
だから四段階に分類するならば、釈尊が説いた五難の物がどう叶えられるのか
書いてみなさい。
- 363 :深山:2010/04/18(日)
22:01:52 ID:13EJb2co0
- >>347 :準シュダオン:2010/04/18(日) 10:48:08
ID:agsP6ENM0
>「得須陀諸Yとは、須陀諸Y果、預流果ともいい、三界の見惑を断じ尽くして、
> 悟りへ向かう流れに入った聖者のことである。向須陀諸Yとは須陀諸Y向、
> 預流向ともいい、見惑を断じつつ、須陀諸Y果に向かって進みつつあるもの
> をいう」
それで、どこに須陀諸Y向が聖者でないと書いているのですか。
相変わらず、書いていないことを読めるのですね。
須陀諸Y果という状態に向かって進みつつあるものとあるだけで、
それを聖者とは言わないとはどこにもない。
ましてや、あなたみたいに須陀諸Y向を凡夫だとは書いていない。
「聖者のことである」と須陀諸Y果を書いているからといって、
須陀諸Y向が聖者でないことの根拠にはなりません。
「卒業生は学生である」と書いてあったら、在校生は学生ではないことになるのか。
ここでは学者の説を引用しながら、どうして辞書の説明を無視するのですか。
あなたは学者たちが大前提としていることを無視している。
あなたのために何度でも貼り付けてあげましょう。
- 364 :深山:2010/04/18(日)
22:09:56 ID:13EJb2co0
- @「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
A四向四果・・・預流向(よるこう)・預流果,一来向(いちらいこう)・一来果,
不還向(ふげんこう)・不還果,阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと
(岩波仏教辞典)
上記@とAからでてくる結論は、
「預流向・預流果,一来向・一来果,不還向・不還果,阿羅漢向・阿羅漢果
=聖者」
であり、したがって、
「預流向=聖者」
です。
文字で書いてあるのだから、あなたにも読めますよね?
どうしてあなたはこの明瞭な結論をいつも無視するのですか。
あなたと違い、学者たちはこれを前提として話をしているのです。
学者なら「四向四果=聖者」の前提とするから、「預流向≠聖者」なんて
矛盾したことを書くはずがない。
だから、あなたが引用した学者の説明にも、預流果が聖者だという
当たり前のことが書いてあるだけで、預流向を凡夫だとは書いていない。
自分の都合のいいような勝手な解釈を加えずに、書いてある文章だけを読んだら
どうですか・・・無駄な助言なのは知っているが。
- 365 :深山:2010/04/18(日)
22:15:54 ID:13EJb2co0
- >>354 :準シュダオン:2010/04/18(日) 12:38:57
ID:agsP6ENM0
>深さん、あんたの説が変なこと、おわかりか?
>須陀諸Yは、流れに入った者のことなので、須陀諸Y向は含まないのです。
>だから、「須陀諸Y=須陀諸Y果+須陀諸Y向」は、成り立たないよ。
いいえ、わかりません。
あなたの説に何の根拠もないことだけがわかります。
あなたが引用した文章から、どのように読みとれば、
須陀諸Yの中には須陀諸Y向が入らない、という結論が出てくるのですか。
あなたが引用したのは須陀諸Yの説明です。
どこに、「須陀諸Yとは須陀諸Y果と斯陀含向である」とあるのですか。
書いていないのに、書いてあるかのように言うのはやめなさい。
>>349でも学者は預流向を凡人だとか、聖者でないとは書いていないのに、
あなたは書いているかのような結論を出した。
今までどれほどあなたはこれをくり返し来たことか。
私はあなたの妄想脳は持っていないから、書かれていない内容は読めません。
- 366 :深山:2010/04/18(日)
22:24:16 ID:13EJb2co0
- >>347 :準シュダオン:2010/04/18(日) 10:48:08
ID:agsP6ENM0
>これで、向須陀諸Yを聖者だと読みとる人は、深さん同様、脳足りんだねw。
>>354 :準シュダオン:2010/04/18(日) 12:38:57
ID:agsP6ENM0
>深さん、あんたの説が変なこと、おわかりか?
あなたの場合は「脳足りん」というよりも、他人への侮蔑心だけ強く、
国語力が低い分を空想で補って書いてもいない内容を読みとるという妄想脳です。
あなたが引用した解説のどこに、「預流向≠聖者」と書いてあるのだ?
毎度毎度、文章に書いてもいない内容をよくそうやって読みとれるものだと、
あなたの脳のスゴサに私は感心しきりです。
>>364に引用したように、四双八輩すべてが聖者なのだから、
預流向は聖者に決まっている。
あなたが引用した文章はこの点で何も変わったことは述べていないし、
私の書いた内容と何も矛盾しない。
どこにも、「預流向≠聖者」などと書いていないし、そのように読める文章もない。
だが、「預流向≠聖者」と書いてあるようにあなたの妄想脳では見えるのですね??
あなたの妄想脳はわざわざ実例を示してもらわなくても、
最近来た読者でもよく知っていますよ。
- 367 :深山:2010/04/18(日)
22:26:50 ID:13EJb2co0
- >>349 :準シュダオン:2010/04/18(日) 11:21:43
ID:agsP6ENM0
>比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、たちが、それぞれ、阿羅漢や、得阿那含や
>得斯陀含や、得須陀諸Yになったお話です。
>この中に、須陀諸Y向を得た、というお話はありません。
>なぜでしょうか?
なぜでしょう、という質問に先に答えるなら、あなたの読解力があまりに低く、
しかも自惚ればかり強いからです。
逆にあなたに聞くが、この経典のどこに須陀諸Y果、斯陀含向、斯陀含果、
阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果が得られたとあるのだ?
経典にあるのは須陀諸Y、斯陀含、阿那含、阿羅漢であって、
それらの「向」「果」は全部出てこないのです。
それらが出てこないのに、何を言いたくて、須陀諸Y向だけをとりあげて、
それがないと指摘するのですか。
「向」「果」が出てこないと、どうして須陀諸Y向だけが聖者から外れるのだ?
根拠と主張の間に脈絡がない、ことにあなたは気が付かないのでしょう?
- 368 :深山:2010/04/18(日)
22:32:12 ID:13EJb2co0
- >>349 :準シュダオン:2010/04/18(日) 11:21:43
ID:agsP6ENM0
>比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、たちが、それぞれ、阿羅漢や、得阿那含や
>得斯陀含や、得須陀諸Yになったお話です。
>この中に、須陀諸Y向を得た、というお話はありません。
>なぜでしょうか?
あなたが脈絡のない飛躍した結論を出したのは、
須陀諸Y向を最初から須陀諸Yでないという前提でいるからです。
つまり、自分の主張を使って自分の主張を証明しているのです。
あなたの主張にはこれが非常に多い。
客観的な証拠を示して主張するべきなのに、その証拠にあらかじめ、
自分の結論があるかのように見せかけるのです。
というよりも、あなたの場合、その両者の区別がつかないのでしょう。
中学などで習う数学の証明は、仮定や定理などを使い、結論を証明するものです。
ところが、準シュダオンさんは結論を使って結論を証明している。
いや、そればかりか、まったく根拠を示していない内容まで、
まるで示したかのように書く。
それが次です。
- 369 :深山:2010/04/18(日)
22:37:04 ID:13EJb2co0
- >>349 :準シュダオン:2010/04/18(日) 11:21:43
ID:agsP6ENM0
>に入った須陀諸Y果を得た者から、聖者としていますね。
あなたは経典に「向」が出て来ないことを理由に、
「須陀諸Y向≠聖者」という結論を出した。
あなたが出した出家経のどこに須陀諸Y向が聖者であるかないかという
議論が行われているのだ?
須陀諸Y向も出てこなければ、どれが聖者であるかという話も出てこない。
釈尊は十結のそれぞれを断ち切ることで、四向四果を得たと述べているだけです。
それなのに、どこから、どの文言から、「須陀諸Y果を得た者から、聖者としています」
という結論が出てくるのだ?
こういうインチキをするのもあなたは初めてではなく、
年中こうやって、さっとすり替えてごまかす。
あなたのそういう手口だけは、桐山ゲイカをよく学んでいる。
桐山さんも、木に竹を接ぐように、阿含経のまっとうな講義をしていたかと
思うと、わずか数行で、霊障や悪因縁の話に飛躍させる。
まるで、阿含経に霊障や悪因縁が書いてあったかのように錯覚させるのです。
準シュダオンさんもこれをよく学んでいる。
信者さんたちも出家経を読んでみてください。
須陀諸Y向も須陀諸Y果も出てこないし、聖者についての議論もない。
ところが、準シュダオンさんは、須陀諸Y向が聖者ではないという結論が得たとして
大喜びして、私をあざ笑う。
あなた頭大丈夫ですか・・・あ、そうか、大丈夫じゃないから、
おれは老人介護をしてるんだった。
- 370 :深山:2010/04/18(日)
22:40:29 ID:13EJb2co0
- >>356 :準シュダオン:2010/04/18(日) 14:12:52
ID:agsP6ENM0
>「阿羅漢は仏の別称である」ということが、岩波仏教辞典にありますね。
それがどうかしましたか。
阿羅漢は仏の別称に決まっている。
その阿羅漢の中身は、阿羅漢果と阿羅漢向を含めたほうが
筋が通ると言っただけです。
なぜなら、桐山説では筋が通らなくなる。
彼の説では「阿羅漢=阿羅漢果」であり、一見、筋が通っているかのように
見えるが、預流向は預流ではなくなり、宙に浮いた存在になってしまう。
だが、預流向とは、あなたの主張と違い、四向四果の一つであり、聖者なのです。
四向四果=「預流、斯陀含、阿那含、阿羅漢」(@)
=「預流向、預流果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果」(A)
@=Aです。
これらをどう分類するのですか。
桐山説では預流向だけが@には分類されず、はみ出してしまう。
桐山説が正しいなら、預流向は預流、斯陀含、阿那含、阿羅漢のいずれでもないのだから、@は
「預流向、預流、斯陀含、阿那含、阿羅漢」
と五つに分けて書くべきです。
だが、現実には「預流、斯陀含、阿那含、阿羅漢」です。
つまり、預流向はどうみても、預流の中に入っている以外に居場所がない。
「預流=預流向+預流果」
となり、以下同様です。
桐山説でこの矛盾を説明してみなさい。
私はあなたと違い、自分の説明を絶対に引っ込めないなんて頑固者ではない。
桐山説でも、麻原説でも、それが筋が通るなら受け入れます。
- 371 :深山:2010/04/18(日)
22:42:47 ID:13EJb2co0
- 「四向四果・・・預流向(よるこう)・預流果,一来向(いちらいこう)・一来果,
不還向(ふげんこう)・不還果,阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと」
(岩波仏教辞典)
信者さんたちはもう一度、上記の記述を見てください。
読み方を省略すると、
「預流向・預流果,一来向・一来果,不還向・不還果,阿羅漢向・阿羅漢果」
四向四果の全てが同等に書かれているのではなく、
「・」のついている二つずつ、四組に分けられているのがわかります。
もう少しわかりやすく表記するなら、
「預流向・預流果」,「一来向・一来果」,「不還向・不還果」,「阿羅漢向・阿羅漢果」
つまり、私が>>341で分けたのと同じです。
桐山説(>>339)なら、上記のような記述ではなく、
「預流向、預流果・一来向、一来果・不還向、不還果・阿羅漢向、阿羅漢果」
このような記述するはずです。
だが、現実に預流向や阿羅漢果だけを単独とするような表記ではありません。
こういう辞書の表記を見ても、桐山説(>>339)など成り立たないのがわかります。
- 372 :深山:2010/04/18(日)
22:47:28 ID:13EJb2co0
- @「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
A四向四果・・・預流向(よるこう)・預流果,一来向(いちらいこう)・一来果,
不還向(ふげんこう)・不還果,阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果のこと
(岩波仏教辞典)
信者さんたちは上記の表記から、まさか「預流向≠聖者」とは信じていないでしょう。
辞典や解説書にも明瞭に書いてあるのだから、
また、これまでの議論で、「預流向≠聖者」と主張した愚か者が笑い者にされる
サンプルを見てきたから、通用しないことがわかったでしょう。
四向四果の分類は後世のアビダルマ仏教が整理統合したものですから、
これを事細かく議論すれば、アビダルマと同じ道を歩むことになる。
彼らは準シュダオンさんよりも脳が正常だから、預流向を凡夫にするなんて
お笑いは選択しなかった。
その代わり、聖者の凡夫の間にさらに位階を設けてこれを四善根とした。
くり返しますが、釈尊はこんなことは説いていません。
釈尊は凡夫と聖者しか説いていないのです。
- 373 :深山:2010/04/18(日)
22:51:57 ID:13EJb2co0
- 「四向四果・・・聖者の四つの位」
信者さんたちにもう一つ認識を変えてほしいのが、聖者という概念です。
信者さんたちは世間一般の概念と、桐山さんから与えられた聖者のイメージから、
途方もなく高度な境涯にいる人なのだと思いこんでいませんでしたか。
だが、釈尊は自分の教法を理解し、それを少しでも実践する者を聖者と分類したのです。
聖者とは位階ではありません。
また四向四果も、桐山さんが解説したような内容とはまったく違います。
積徳行も先祖供養も練脳塾もステップニルバーナもありません。
出家経の現代語訳だけ読んでみれば、それらは明瞭で、
十結という煩悩を自分の努力で減らし切ることがすべてです。
出家経に出てくる梵行は桐山さんのいうような、積徳行や先祖供養などではありません。
これは狭義は性欲などの欲望を慎むことであり(つまり煩悩を切ること)、
広義は八正道そのものです(つまり煩悩を切ること)。
また、三結の多くはまず知性による理解であり、
欲貪や瞋恚を減らすことに比べれば、それほど難しくない。
だが、信者さんたちはまさにその三結にひたすらしがみついている。
霊魂の存在を前提として(身見)、霊障解脱や柴燈護摩をする(戒取)。
しかも、釈尊の解脱を小解脱だと罵る(疑惑)。
三結を切ることが案外難しいとは桐山さんの弁だが、元信者として、
また未だにアゴン宗を信じている信者さんたちを見ると、
この桐山さんの意見だけは正しいように思えます。
- 374 :準シュダオン:2010/04/19(月)
08:49:30 ID:agsP6ENM0
- ユビさんか、うサギさんか、阿羅漢向は仏ではないことに気が付きませんか?
深山さんのタワケ論では、阿羅漢向も仏だとよ!
良い笑い物だよw。何時までも、見苦しいよ。
阿羅漢向とは、阿那含の修行者の別称なのだ!よって、仏ではない。
阿羅漢向とは、五下結を断じて、五上結を断つ修行に入ったものだ、
よって、それは阿那含の範疇なのだ。
深さんみたいなのは、名前に幻惑されて、その内容を理解していないから
間違うのだ。批判派の中の誰かが、深さんに教えてやった方がいいねW。
- 375 :準シュダオン:2010/04/19(月)
09:07:37 ID:agsP6ENM0
- 管長の「わたしたちは、外道凡夫ではありません」との言葉は、
お釈迦さまの「五根法を修行しない者は、外道凡夫であるぞよ!」との
向経の言葉を受けてのものです。
「わたしたちは、五根法を修行しているから、外道凡夫ではない」という
意味ですね。しかし、外道凡夫でないからといって、皆聖者という意味では
ありません。深さんみたいな智慧なしには、それが理解できないのです。
阿含経を読むかぎり、仏道修行をはじめた凡夫の別称が須陀?向である、
としか思えないね。それが後世に、須陀?向を聖者と位置付けたアビダルマ
論師が、辻褄があうように、ここまでが凡夫の修行者で、見道位の須陀?向
からが聖者と位置つけたのだね。
だが、お釈迦さまは、そんな位置付けなどはしていないよ。
釈迦の教団では、四沙門果を得ていない修行者は、すべて須陀?向なのだね。
- 376 :準シュダオン:2010/04/19(月)
09:42:37 ID:agsP6ENM0
- 現代の仏教学者の四向四果についての定説は、以下のとおりですね。
5、阿羅漢=仏・阿羅漢果・得阿羅漢・仏の十号(阿羅漢向は含まない)
4、阿那含=阿羅漢向・得阿那含・阿那含果・不還果
3、斯陀含=阿那含向・得斯陀含・斯陀含果・一来果
2、須陀?=斯陀含向・得須陀?・須陀?果・預流果
1、凡夫 =須陀?向・預流向・入流向
と、いう具合になりますね。修行者レベル毎に、五階建てのビルに住み
分けていて、向とは上の階への階段を昇りつつある者、と考えたらわか
りやすいでしょう。
凡夫と須陀?向との違いは、信者になっただけでは凡夫で、修行を開始
した段階が須陀?向だということでしょう。
- 377 :名無しさん:2010/04/19(月)
13:01:42 ID:Qm6YUE/E0
- 燃料準さん、仏教は因縁解脱を説くといつも書いていますが、
んじゃあね、その因縁解脱を桐山カンチョーはできていますか〜。
桐山カンチョーをよーく見て、因縁解脱ができていると思いますか?
昨年は女性とのスキャンダルが週刊誌に掲載されて、
どーみてもその女性信者とラブラブな関係ですねー。
これが発覚した上、裁判沙汰になったので、色情の因縁ですねー。
桐山カンチョーのご自慢のグモンジ脳はあぼーん脳で
脳障害の因縁ありですねー。
教団は年々衰退しているというので、家運衰退の因縁ですねー。
家族とも疎遠だというので、肉親血縁相剋の因縁か、家運衰退の因縁ですねー。
刑獄の因縁もありますねー。
そういやアニメの話しはどうなりました?
え、あれは立ち消えた?だったら中途挫折の因縁ですねー。
ごらんの通り、
色情の因縁
脳障害の因縁
家運衰退の因縁
刑獄の因縁
中途挫折の因縁
まだ、こんなに因縁が残っている!
- 378 :名無しさん:2010/04/19(月)
13:05:01 ID:Qm6YUE/E0
んで、桐山カンチョーは、
「おしゃべりの因縁」があるとか言ってたねー。
なんでね、あとこういう因縁もありますねー。
大嘘付きの因縁
欲望権化の因縁
見栄っ張りの因縁
食いしん坊の因縁
自己過信の因縁
無責任の因縁
間違いを認めない因縁
年代を覚えられない因縁
好き嫌いが激しい因縁
算数ができない因縁
正しく読解ができない因縁
目先の損得勘定しかできない因縁
信者を馬鹿にする因縁
言い訳がましい因縁
臆病の因縁
これじゃあ、まだまだブッダにほど遠いですね〜。
え?なんだって?すでにブッダ宣言してるって?
ちょっとアンタ、冗談はよしなさいって。
これだけ見事に因縁があるんだから、
アゴン教学にてらしてみてもブッダでありえませんって。
こんなに因縁があってブッダ宣言なんて、
んなもん、デタラメだべよ。
- 379 :うサギ:2010/04/19(月)
13:18:23 ID:UtKVqJLA0
- >>374良い笑い物だよw。何時までも、見苦しいよ。
そりゃ、準々シュダオンさん、あんただよ。
深山さんのレスを「読んでない」と宣言したあなたのレスは
まるで、宇宙人を見ていないのに宇宙人を論じているようなものだ。
つまり、読んでもしかたがない。読む価値がない。ゴミです。
たとえ、斜め読みぐらいしているとしても
精読していないのならば、深山さんの文意を理解していない。
そんな人のレスを信用する価値があるのだろうか。あるはずがない。
よって、準々シュダオンさんのレスはゴミレスです。
- 380 :ラシン:2010/04/19(月)
15:04:52 ID:q4iXIS7Y0
- >準シュダオン
>阿含経を読むかぎり、仏道修行をはじめた凡夫の別称が須陀?向である、
としか思えないね。
>修行者レベル毎に、五階建てのビルに住み分けていて、
向とは上の階への階段を昇りつつある者
まだ自説に固執してガチガチオツムから慢心を
垂れ流しているのか。
そろそろ、そのオツムにもオムツが必要なようだ。
そんな記述が阿含経にあるなら、引用くらいすべきだ。
預流果にしたって、三結を断じただけなのに聖者です。
身見を理知的に理解したら、あとの二結は自動的に断てる。
釈尊は成果主義でその都度、卒業証書を発行している、
と勘違いしているのか? 大いに笑える誤解という建築振りだ。
あなたの「入流向」なんて造語は、国語の意味をなさない。
以前にも指摘したが、預流=預流向・預流果で一セットです、
ほかもそのようにセットされているから、四向四果なのだ。
階段を一段でも昇り始めたらつまりは、仏道に入道したのだ。
だからそれは、聖者の仲間入りです。
正しい仏の道に気づいてその道を進み始めた=預流向です。
気づかず関心も持たず生活している者は、凡夫です。
あなたのように無理に解釈を捻じ曲げた道を行く者は、外道です。
簡単だろ?
- 381 :深山:2010/04/19(月)
23:15:09 ID:z.aRTZcs0
- >>376 :準シュダオン:2010/04/19(月) 09:42:37
ID:agsP6ENM0
>現代の仏教学者の四向四果についての定説は、以下のとおりですね。
>1、凡夫 =須陀諸Y向・預流向・入流向
どうぞ、根拠を示してください。
あなたの説がどの阿含経のあるのか、また学者がどこで書いているのか、示してください。
そんなものありはしない。
預流向を凡夫だなんて分類をした学者がいたら、大爆笑です。
あなたは辞典に書いてある明瞭で、明かな事実すらも無視する。
「四向四果=聖者」
したがって、「預流向=聖者」です。
これを無視したような説は、どんな屁理屈を並べようが、論外です。
反論できないから、辞典の説明すらも無視しているあなたこそ、
>良い笑い物だよw。何時までも、見苦しいよ。(>>374)
- 382 :深山:2010/04/19(月)
23:21:41 ID:z.aRTZcs0
- >>374 :準シュダオン:2010/04/19(月) 08:49:30
ID:agsP6ENM0
>ユビさんか、うサギさんか、阿羅漢向は仏ではないことに気が付きませんか?
>深山さんのタワケ論では、阿羅漢向も仏だとよ!
>良い笑い物だよw。何時までも、見苦しいよ。
阿含経では阿羅漢向も阿羅漢です。
あなたがこれが理解できないのは、仏教史を知らないからです。
釈尊はガチガチの狭義など説かなかったのです。
阿羅漢についてもっとも典型的な事例が五人の最初の比丘です。
釈尊と五人の弟子は交代で托鉢して、それを食べながら、釈尊の説法を聞き、
それで阿羅漢になったのです。
瞑想によって、とか、神通力を体得したなんてどこにもない。
「そしてこのきまり言葉が述べられたときに、集うた五人の修行僧は執着なく、
もろもろの煩悩から心解脱した。
そこでその時、世に六人の尊敬さるべき人がいることになった。」
(『ゴータマブッダ』中村元、旧版259頁)
ごらんのように説法を聞いただけで、五人の比丘たちは阿羅漢なったのです。
五人の比丘はサーリプッタのような頭の良い人でもなければ、
後に十大弟子に選ばれるほどの能力に優れた人でもなかった。
説いた内容は八聖道と中道です。
桐山説では四神足で神通力を獲得して阿羅漢になるはずだが、
実際に釈尊が説いたのは八聖道と中道です。
釈尊のこれらの説法を聞いただけで、五人の阿羅漢が誕生した。
- 383 :深山:2010/04/19(月)
23:29:01 ID:z.aRTZcs0
- >>374 :準シュダオン:2010/04/19(月) 08:49:30
ID:agsP6ENM0
>深山さんのタワケ論では、阿羅漢向も仏だとよ!
準シュダオンさん以外の信者さんたちは五人の阿羅漢の話を読んで、
阿羅漢のイメージがだいぶん違うことに気がつきませんか。
神通力で因縁を切るなんて話は論外としても、漏尽解脱するにしても、
釈尊からの説法だけで阿羅漢になってしまったなんて、驚きませんか。
だが、これは次のように考えれば理解できます。
説法だけで到達できるのは須陀諸Yまでです。
だが、彼らは元々出家で彼らなりに修行をしていたから、
どこかのインチキ教祖と違い、物欲や性欲、食欲といった欲貪くらいは
押さえることはしていたでしょう。
だから、三結を断じてしまうと、五下分結を切るのはあっという間です。
だが、説法を聞きながら五上分結を切れるとは思えない。
つまり、この五比丘は説法を聞いて阿羅漢になったといっても、
十結を全部切ったとは考えられないのです。
彼らは説法だけで五下分結は短期間に切って阿那含果を得て、次の阿羅漢向に入った。
これを釈尊は阿羅漢と認めたから、六人の尊敬さるべき人(阿羅漢のこと)が誕生したのです。
- 384 :深山:2010/04/19(月)
23:37:52 ID:z.aRTZcs0
- >>374 :準シュダオン:2010/04/19(月) 08:49:30
ID:agsP6ENM0
>深山さんのタワケ論では、阿羅漢向も仏だとよ!
阿羅漢と一口に言っても、実はいろいろな阿羅漢がいたことが経典に残されています。
その一つが、準シュダオンさんが読んだばかりの知識を披露したくて出した、
心解脱、慧解脱、倶解脱などの分類です。
心解脱はアゴン宗でも使いますが、まったく意味が違いますので、注意してください。
これらの解脱を得た比丘はすべて阿羅漢です。
そして、五比丘の解脱は心解脱です。
十結すべてを切った者だけを阿羅漢と呼ぶなら、なんでこんな分類が必要なのですか。
- 385 :深山:2010/04/19(月)
23:47:16 ID:z.aRTZcs0
- >>374 :準シュダオン:2010/04/19(月) 08:49:30
ID:agsP6ENM0
>深山さんのタワケ論では、阿羅漢向も仏だとよ!
釈尊時代の初期の仏教では阿羅漢になる時間は短く、
後になればなるほど、阿羅漢になるのに時間がかかるようなる。
アビダルマ仏教では準シュダオンさんが引用したように、
預流向になるまでですら、いくつも階級を作り出した。
だが、同じく準シュダオンさんが引用したアンバパーリーのケースのように、
釈尊の説法を聞いて、その場で須陀諸Yまで行った例は経典にいくらでもあります。
アビダルマ仏教になると、そうは簡単に問屋が卸してくれなくなった。
四向四果はその一つです。
釈尊もこれに相当することは説いただろうが、八種類にきれいに
分けて、それぞれに明瞭な資格を設けるような分類をしたとは
学者すらも信じていない。
「このような階位はもちろん、ブッダよりはかなり後代になって確立したもの
にはちがいないが、いまその名称を挙げてみると次のとおりである。」
(『仏教入門』高崎直道、198頁)
これが学者たちの意見です。
ところが、こういう仏教の時間的な経緯を知らず、
アビダルマ仏教で厳密な分類を文字通り信じた介護老人がいた。
阿羅漢を阿羅漢果に限定したものだから、玉突きよろしく須陀諸Y向が
四向四果から外れ、ついには凡夫になってしまうという爆笑状態になった。
- 386 :深山:2010/04/19(月)
23:53:03 ID:z.aRTZcs0
- >>374 :準シュダオン:2010/04/19(月) 08:49:30
ID:agsP6ENM0
>深山さんのタワケ論では、阿羅漢向も仏だとよ!
阿羅漢に限らず、仏教には釈尊が用いた言葉と、アビダルマ仏教とでは
かなり違うことは珍しくありません。
信者さんたちは桐山さんから、七科三十七道品こそが釈尊が説いた成仏ホーだと
教えられている。
だが、一方で、釈尊は八聖道こそが仏道であり、これ以外にはないとも述べている。
三十七道品の一つにすぎない八聖道がこれ以外ない、と言われて、
信者さんたちは説明できますか。
理由はとても簡単で、三十七道品とはアビダルマ仏教の分類であって、
釈尊がそんな分類をしたのではないからです。
しかも、分類といっても、ただ釈尊が並べた言葉をそのまま並べて、
三十七道品という名前をつけただけのズサンなやり方です。
だから、八正道以外の修行法は、八正道の中に全部入ってしまう。
釈尊は体系的に七つを並べたのではなく、一人の人間を、
「鈴木さん、太郎さん、男性、大二郎さんの息子、花子さんの夫、一郎君の父親、会社員」
と言っているようなもので、切り口や強調している点が違うだけで、
同じ事を言っているにすぎません。
だが、頭が良いと自惚れる慢心大将の桐山さんも、その慢心子分の準シュダオンさんも
釈迦仏教とアビダルマ仏教が混ざっていることがわからない。
- 387 :深山:2010/04/19(月)
23:57:15 ID:z.aRTZcs0
- >>374 :準シュダオン:2010/04/19(月) 08:49:30
ID:agsP6ENM0
>深山さんのタワケ論では、阿羅漢向も仏だとよ!
阿羅漢などの意味が釈尊時代とアビダルマ仏教で違うのにはいくつか理由があります。
その一番大きな理由は目的の違いです。
釈尊の目的は目の前にいる人を「解脱させること」です。
アビダルマ仏教の分類の目的は、知性で「理解すること」です。
釈尊は言葉による厳密な定義など気にすることなく、相手に応じて、説法をした。
いわゆる対機説法です。
だから、五比丘は阿羅漢果を得たとは思えないのに、阿羅漢です。
一方、アビダルマ仏教は、それを体系的に理論的に完璧なものにしようとしたから、
わかりやすくなった部分と、逆に、煩雑になった部分と、
さらには釈尊が説いてもいない内容まで作り上げてしまった。
その一例が、凡夫と聖者の間にあるという四善根などという位階です。
だから、あの段階の五比丘をアビダルマ仏教で厳密に検証するなら、阿羅漢ではなくなってしまう。
実際、阿羅漢であることを疑問視する学者もいます。
だが、釈迦仏教では阿羅漢です。
- 388 :深山:2010/04/20(火)
00:00:19 ID:z.aRTZcs0
- >>374 :準シュダオン:2010/04/19(月) 08:49:30
ID:agsP6ENM0
>深山さんのタワケ論では、阿羅漢向も仏だとよ!
こういう矛盾をたくさんはらんだまま、仏教は二千五百年間たってしまった。
アビダルマ仏教が大乗仏教のように異質な仏教なら
釈迦仏教と分離もできたでしょうが、アビダルマ仏教とは、
「釈迦仏教を説明した仏教」だから、完全には分離できない。
阿含経すらも彼らのフィルターがかかっているから、
阿含経にある言葉(単語)どおりに釈尊が説いたというのは間違いです。
たとえば、三十七道品という言葉は増一阿含経などに十回くらい
出てくるが、学者たちはこれはアビダルマ仏教で作られた言葉であるとしています。
分離できる部分もあるが、もはや分離できない部分もあり、これが混乱に拍車をかける。
学者たちは理屈理論を元にして仏教を説明しなければならないから、
アビダルマ仏教は重宝なのです。
だから、原始仏教の説明として、アビダルマ仏教で作られた概念を
まるで、釈尊が説いたかのように書いている本すらあります。
そこにもってきて、桐山さんや準シュダオンさんのように、中途半端な知識を
振り回して、さも何かわかったかのように説明を始めるから、いよいよ、大混乱です。
- 389 :深山:2010/04/20(火)
00:03:58 ID:z.aRTZcs0
- >>374 :準シュダオン:2010/04/19(月) 08:49:30
ID:agsP6ENM0
>深山さんのタワケ論では、阿羅漢向も仏だとよ!
信者さんたちに特に気がついてほしいのは、桐山さんも準シュダオンさんも、
阿含経やアビダルマから何かを学ぼうとするのではなく、
先に自分なりの結論があり、それに強引に合わせてこれらをツギハギしている点です。
信者さんたちはアビダルマ仏教ではなく、釈迦仏教を知りたいのですよね。
だったら、釈尊の言葉との矛盾が最小限の説を選ぶべきです。
釈尊は凡夫と聖者との二つにしか分けなかった。
そして、四向四果はすべて聖者です。
釈尊は四向四果のような厳密な分類はしなかった。
彼が述べたのは須陀諸Y、斯陀含、阿那含、阿羅漢というおおまか名前だけです。
「向」「果」まで徹底したのはアビダルマ仏教です。
釈尊は、五比丘の例のように、阿羅漢果と阿羅漢向などという区別はしなかった。
だから、二つとも阿羅漢です。
- 390 :深山:2010/04/20(火)
00:09:58 ID:z.aRTZcs0
- >>375 :準シュダオン:2010/04/19(月) 09:07:37
ID:agsP6ENM0
>管長の「わたしたちは、外道凡夫ではありません」との言葉は、
>お釈迦さまの「五根法を修行しない者は、外道凡夫であるぞよ!」との
>向経の言葉を受けてのものです。
>「わたしたちは、五根法を修行しているから、外道凡夫ではない」という
>意味ですね。しかし、外道凡夫でないからといって、皆聖者という意味では
>ありません。深さんみたいな智慧なしには、それが理解できないのです。
逃げ切れなくなって、桐山さんを巻き添えにしようとしても無駄です。
預流向を凡夫だと断言してしまったのは、世界広しといえども、準シュダオンさんしかいない。
桐山さんですら、断定はしていない。
断定してくれたら、うれしいのだが、断定はしていない。
なぜなら、アゴン宗信者は外道凡夫ではないと書いているのです。
桐山さんが書いている「皆さん」とはアゴン宗の信者全体です。
私は生でこの講義を聞き、ビデオでくり返し復習したから、覚えている。
桐山さんがこの場面でいっている「皆さん」はまちがいなく、
会場にいた信者全員です。
- 391 :深山:2010/04/20(火)
00:13:38 ID:z.aRTZcs0
- 「「わたくしたちは外道凡夫ではありません。」
「みなさんは外道凡夫ではありません。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)
上記の文章の「わたくしたち」「みなさん」は明らかに
桐山さんとアゴン宗徒のことです。
次の頁でも
「わたくしたち阿含宗徒は・・・」
と、「わたくしたち」は桐山さんと信者一同のことを指しているのだから、
「桐山ゲイカとアゴン宗信者≠外道」
「桐山ゲイカとアゴン宗信者≠凡夫」
とはっきり言っているのです。
釈尊は、凡夫と聖者にしか区別しなかったから、凡夫でないなら、聖者です。
また、この釈尊の分類について桐山さんは異議を唱えていない。
だから、
「桐山ゲイカとアゴン宗信者=聖者(≠凡夫)」
となります。
準シュダオンさんは、アゴン宗預流向、アゴン宗聖者なのです。
宗教詐欺師がアゴン宗阿羅漢のアゴン宗聖者なのですから、
準シュダオンさんはアゴン宗預流向のアゴン宗聖者にふさわしい。
オメデタイことなので、すでに何度もお祝いを申し上げました。
- 392 :深山:2010/04/20(火)
00:21:37 ID:z.aRTZcs0
- 「その最大の蔑称、軽蔑の言葉をもって、お釈迦さまは一切衆生を叱咤激励されています。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』374頁)
桐山さんの説明では、外道と凡夫というのは、仏教徒にとっての
最大の蔑称なのだそうだ。
だが、準シュダオンさんによれば、
「アゴン宗徒=預流向」で、しかも、「預流向=凡夫」らしい。
準シュダオンさんによれば、預流向が最大の蔑称である凡夫なのだそうだ。
つまり、準シュダオンさんは信者さんたちに、
おまえたちは凡夫だと最大の蔑称と軽蔑を投げつけているのです。
信者さんたちは批判側から外道だの凡夫だのと言われても
気にもしないだろうが、準シュダオンさんという信者から
「その最大の蔑称、軽蔑の言葉をもって」罵られた気分はいかがですか。
仲間同士で罵りあいをするのも、準シュダオンさんが投げた汚物がそのまま
信者さんたちを直撃するのも、いかにも詐欺宗教のアゴン宗らしい結末です。
- 393 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/20(火) 08:36:54 ID:SmEF4Oe2O
- 大パリニッバーナ経
〈尊師の弟子のつどいはよく実践している。尊師の弟子のつどいは真っ直ぐに実践している。
尊師の弟子のつどいは正しい道理にしたがって実践している。尊師の弟子のつどいは
和敬して実践して実践している。尊師の弟子のつどいとは、すなわち、二人ずつの四組と
八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、
合掌すべきであり、世間の最上の福田である〉と。かれは、聖者の愛する、切れ切れでは
なくて、瑕の無い、斑点のない、よごれていないで、自在であって、知者の称賛する、
汚れの無い、精神統一をあらわし出すような戒律を、身に具現している。
岩波文庫「ブッダ最後の旅」中村元訳
50〜51頁
- 394 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/20(火) 09:09:47 ID:SmEF4Oe2O
- >>375:準シュダオン10/04/19(月) 09:07:37
ID:agsP6ENM0
>阿含経を読むかぎり、仏道修行をはじめた凡夫の別称が須陀m9向である、
>としか思えないね。それが後世に、須陀m9向を聖者と位置付けたアビダルマ
>論師が、辻褄があうように、ここまでが凡夫の修行者で、見道位の須陀m9向
>からが聖者と位置つけたのだね。
>だが、お釈迦さまは、そんな位置付けなどはしていないよ。
>釈迦の教団では、四沙門果を得ていない修行者は、すべて須陀m9向なのだね。
違います。>>393に示した経典は前にも示したことありますが、阿含経の長部経典である
大ニッバーナ経ですが、後世のアビダルマ論でない経典に釈尊の言葉として四双八輩が
世間から合掌されて敬われるべき聖者だと示されている。
「聖者の愛する」は「戒律」にかかります。(国語のお時間)
つまり聖者の愛する戒律を具有している四双八輩という四組八人(七人ではない)は
聖者なのです。
これわかりやすいですよね。成果をあげたオーラを発したから聖者なのではない。
戒律を実践しているから聖者なのです。
ましてや合掌までされて敬われるのは聖者である証拠ではないか?
それも預流向を除かない8人がです。
だから仏教辞典にも四双八輩が聖者と書かれるのはアビダルマ論や学者の勝手な詮索では
なくて経典に基づいているのです。
長部経典で沙門果経というお経がある。
これは阿闍世王に対して釈尊が仏教の果報を説いた経典ですが、段階を追って説いていき
最終的には煩悩解脱の果報を説くのだが、最初に説いて理解させたのが、王家に仕えて
王よりも早く起きて王よりも遅く寝るシュードラ(奴隷)が出家したらどうなるかと言うと、
立場が逆転して敬われ、養われる立場になる果報を説明している。
それは出家してシュダオン果以上の成果をあげたからではなく、出家して戒律を守る
仲間入りをしただけでそうなるのです。
出家したばかりのぺーぺーの新米でも聖者の流れに預かるものです。
- 395 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/20(火) 09:24:08 ID:SmEF4Oe2O
- >>375:準シュダオン10/04/19(月) 09:07:37
ID:agsP6ENM0
>阿含経を読むかぎり、仏道修行をはじめた凡夫の別称が須陀m9向である、
>としか思えないね。それが後世に、須陀m9向を聖者と位置付けたアビダルマ
>論師が、辻褄があうように、ここまでが凡夫の修行者で、見道位の須陀m9向
>からが聖者と位置つけたのだね。
>だが、お釈迦さまは、そんな位置付けなどはしていないよ。
>釈迦の教団では、四沙門果を得ていない修行者は、すべて須陀m9向なのだね。
準シュダオンさんが向と果の字面だけでいろいろと考えて区別、差別する気持ちは
わかります。しかしこれはあなたの説いた準シュダオン教ではなく、釈尊の説いた
仏教なのですから、我見は捨てて釈尊の言葉に耳を傾けてはどうか?
聖者という言葉を勝手に超人扱いにするのではなくてもっと広く考えてはどうか?
仏教を信じる信じないはあなたの自由です。つまらないと思ったら捨てるのも自由です。
しかし正しく理解だけはしておいた方がよい。
特にこのネタで批判側を無知であるかのように罵るならば、それは釈尊その人を
罵ったことになると心得るべきです。
「やい、おシャカさんよ。おまえは馬鹿か?向と果の区別もつかずにどちらも聖者
なんてたわけたことを抜かすか?この無知野郎!」と。
まあ罰なんか当たらないからあなたの勝手だが、そういう構図になるので承知して
おきなさい。
- 396 :準シュダオン:2010/04/20(火)
09:39:06 ID:agsP6ENM0
- では、ユビさんも、阿羅漢向=十結煩悩を断った仏、だと言うのですか?
それは恥ずかしいよ。元阿含信徒というには、恥ずかしい。
否、四向四果という、阿含教学の基本が理解できていないから、退会する
運命だったのであろうか?
阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向、と平気で書くとは!無知ほど強いものはないねw
ユビさんも肯定するのかい↑?
会社だってさ、課長と言えば、課長職を得た者を指すでしょう。
課長補は、普通、課長とは違う。
課長≠得課長+課長補でしょう。課長補は、課長に含まれない。
5階→阿羅漢
4階→阿那含
3階→斯陀含
2階→須陀?
1階→凡夫
と、いうように、5階建ての建物に住み分けていた、と考えたら理解しやすい
でしょう。4階から5階へ昇る階段の踊り場に居るのが、阿羅漢向というわけ
だよ。四双というように、対になってはいるが、ナナメの対なのであって、
水平の対ではないのだね、境界がちがうのだからさ。
まだ解らないのかな?
- 397 :準シュダオン:2010/04/20(火)
09:49:49 ID:agsP6ENM0
- 前レスで、4階から5階へ昇る階段の踊り場に居るのが阿羅漢向です。
5階へ昇りつつあるとはいえど、階段の踊り場は、まだ4階の範疇で
あって、5階ではない。
阿羅漢向もそれと同じことです。
五下分結煩悩を断ち、5上分結煩悩を断ちつつあるのが阿羅漢向です。
阿羅漢(仏)とは十結煩悩をすべて断った存在です。
だから阿羅漢(仏)≠阿羅漢向、なのです。
深さん、ユビさんなどは四向四果の名前だけで考えてるから、間違うのです。
内容を理解出来たら間違わないよ。
- 398 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/20(火) 10:35:48 ID:SmEF4Oe2O
- >>396:準シュダオン10/04/20(火) 09:39:06
ID:agsP6ENM0
>では、ユビさんも、阿羅漢向=十結煩悩を断った仏、だと言うのですか?
ちょっと待て。話をすり替えるな。
誰が十結断ちきり終えた阿羅漢果と八結までは断った阿羅漢向を同じ仏だとした?
聖者の話をしてるのです。
阿羅漢向も阿羅漢果もまだ三結しか断ててないシュダオンも一結も断ててはいない
ながらも断つように修行を初めて戒律を守る衆はランクこそ違えど等しく聖者で
あると話しているのです。
阿羅漢の場合、向は目標に向かい精進し、果はそれを果たしたわけで、そのいずれも
聖者なのです。
- 399 :準シュダオン:2010/04/20(火)
10:47:38 ID:agsP6ENM0
- あら、ではウサギさんも、阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向、と考えてるわけ?
そりゃ、恥ずかしいよ、元阿含信徒とは言わんでくれ。
出来の悪かった元阿含信徒と、自称してくれよう。
5階→阿羅漢
4階→阿那含
に住み分けてたとしてさ、4階から5階へ昇る階段に居るのが、阿羅漢向
なわけよ。階段昇りつつある阿羅漢向だけど、五階に着くまでは、
まだ阿那含の範疇であることが、理解できるでしょう?
それが、管長がダルマチャクラで説明してることさ。
「斯陀含向は、斯陀含に向かってはいるものの、まだ須陀?の範疇です」とね。
階段の踊り場を考えたら、その「向」の意味が解るでしょう。
- 400 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/20(火) 11:06:56 ID:SmEF4Oe2O
- だから桐山さんの好きなサンプクドーの聖衆を考えればよいのですよ。
星まつりの記録映画がありますよね。映像ヤマトが製作した。
星まつりの終盤、夕刻ころ、修行者たちが修法地に帰ってくる。
それぞれ護摩の炎の見えない山内やあるいはお山の外の国道やら駅前やらに
配置され寒空の下早朝から一日修行に励んできた修行者が帰ってきた。
それを管長が合掌で出迎える。副管長のいた時もあった。
その風景が美化されて記録映画に流される。
この相互供養の風景こそアゴンの聖衆の証だと言わんばかりに字幕に聖衆と出る。
あれを理解すればよいのです。釈尊の戒律とは全く異なりますが。
努力する姿です。
彼ら現地修行者が皆三結断ったシュダオンであるはずもない。
アゴン宗的にも。
しかしまだ入行したばかりのぺーぺーの行者もアゴンの聖衆として認められる。
もっとも準シュダオンさんみたいに、何十年経っても現地に参拝することはあっても
修行参加なんて疲れることをするのは損だとして、一度も結界の土を踏んだことも
ない人はたしかに自らを聖衆なんて名乗るのもおこがましいでしょうが。
- 401 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/20(火) 12:25:31 ID:SmEF4Oe2O
- なんだ?>>393-394に対する反論不能か?
- 402 :ラシン:2010/04/20(火)
12:49:24 ID:q4iXIS7Y0
- >課長≠得課長+課長補でしょう。課長補は、課長に含まれない。
屁理屈を言っても、阿羅漢=阿羅漢向・阿羅漢果なのです。
あなたの役職という階級を例えにしても意味をなさない。
あなた流で通るなら、新米課長もベテラン課長も課長です。
だからあなたのオツムで、比喩は控えたほうがよいでしょう。
また、
批判側が何度も示したし、今回もユビさんが示している。
「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々とであるが、」
とのこの経文は四双八輩を指している。
その八人の彼等は「敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、
合掌すべきであり、世間の最上の福田である」と、
釈尊は認めているから聖者です
だからあなたのチンケなセケン尺度で測る愚行はやめたらよい。
>阿羅漢向=十結煩悩を断った仏、だと言うのですか?
いいえ、正確に区分すればすでに不還果を証得した聖者にして、
五上分結を断ちつつある段階です。
だが、それがどうしたの?
いずれ諸々の汚れが消滅し、解脱を得るのだからそれは、
ただの過程に過ぎない。
あなたは、「阿羅漢=仏・阿羅漢果」と解釈している。
ではどうして”果”などつける必要があるのか、分かる果?
十結を断じたのが阿羅漢なら、わざわざ”果”などいらないだろ?
釈尊は阿羅漢果などとは述べていない。
理由は、阿羅漢を阿羅漢向と阿羅漢果に区分けするために、
後世の論師が逆に総称としたからです。
そしてこれ等の解釈は、深山さんが指摘しているように後世の論師が、
論理立て体系化するために詳細区分して解釈論とした学説なのです。
しかし釈尊は拘っていない、向も果ととも語句分けしていない。
釈尊は、諸々の迷いを結びつける束縛から解放されるよう指導教示した。
ですから、向かいつつある者と果報を得た者を二対(双)として、
全部で八種(輩)八人が存在するそれ等を聖者の仲間だと言っているに
過ぎないのです。
- 403 :準シュダオン:2010/04/20(火)
13:34:36 ID:agsP6ENM0
- 四双八輩を福田や聖衆と訳してたからと言って、短絡的にすべて聖者と
考えるのは、阿含仏教としては、間違いですよ。
中村元先生の、仏陀最後の旅を出すまでもなく、漢文の「遊行経」でも
お釈迦さまが、四双八輩を福田と呼び聖衆と呼んでるところがあります。
そんなことは解った上で、レスしてるのです。
外道凡夫に比べたら、在家の5戒を守るだけでも、須陀?に近いのだから、
聖者だ、というような、ユビさんの考え方があったとてよろしい。
だが、管長は「仏陀の真実の教え」本P311にて、「四沙門果は阿含教学
の基本です」と、書いてます。深さんや、ユビさんは、その基本を覚えずに、
退会してることが解るね。勿論、管長の四向四果説のことだけどね、それを
理解せずに退会してたわけだ。そうでなければ、わたしが須陀?向を自称し
たとて、驚くはずがないよ。
- 404 :準シュダオン:2010/04/20(火)
14:03:36 ID:agsP6ENM0
- 出家経には、比丘や比丘尼や優婆塞や優婆夷たちが、それぞれ阿羅漢や阿那含
や斯陀含や須陀?を得たお話が出てきます。
では、なんで須陀?向を得た話が出てこないのですか?
出家経だけではありません、どの経にも、須陀?向を得たというお話は出て
来ません。
当たり前ですね、修行者の最初の段階が須陀?向だからでしょう。
つまり、2階建の建物に、
2階→須陀?
1階→凡夫
と、住み分けていた場合、阿含経では、2階への階段を昇り始めた凡夫を、
須陀?向と呼んでるわけですよ。そしたらやがて、アビダルマ論師達が、
階段の踊り場まで昇ってきた修行者を須陀?向の聖者とし、それ以下の
階段にいる修行者を凡夫と定義しよう、などと言い出したのです。
ちょうど、深さんやユビさんのような理屈屋のアビダルマ論師達が、釈迦の
説いてないことまで、勝手に定義しはじめたのですね。
だから、須陀?=須陀?果+須陀?向、にはならないのです。
須陀?とは、三結煩悩を断った存在です。
だから、得須陀?とは、須陀?(三結煩悩を断った存在)を得たという意味
です。
須陀?向とは、須陀?に向かってはいるが、須陀?を得ていないのです。
だから、須陀?=得須陀?・須陀?果ですけども、
須陀?≠須陀?向、なわけです。
- 405 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/20(火) 14:24:20 ID:SmEF4Oe2O
- >>403:準シュダオン10/04/20(火) 13:34:36
ID:agsP6ENM0
>四双八輩を福田や聖衆と訳してたからと言って、短絡的にすべて聖者と
>考えるのは、阿含仏教としては、間違いですよ。
訳に問題があるのではなく原文がそう書いてあるのですから仕方ないのです。
原文がそう書いてあるということは釈尊が実際にそう語ったのですから仕方ないのです。
それを読んでも短絡だの間違いだのと信じないならば、最初から仏教を信じなければ
よいのです。
お釈迦様がこう語った。・・・迂闊に信じるな。
だったら阿含経なんか出すな。
- 406 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/20(火) 14:49:04 ID:SmEF4Oe2O
- >>404:準シュダオン10/04/20(火) 14:03:36
ID:agsP6ENM0
>では、なんで須陀m9向を得た話が出てこないのですか?
>出家経だけではありません、どの経にも、須陀m9向を得たというお話は出て
>来ません。
>当たり前ですね、修行者の最初の段階が須陀m9向だからでしょう。
>つまり、2階建の建物に、
>2階→須陀m9
>1階→凡夫
>と、住み分けていた場合、阿含経では、2階への階段を昇り始めた凡夫を、
>須陀m9向と呼んでるわけですよ。そしたらやがて、アビダルマ論師達が、
>階段の踊り場まで昇ってきた修行者を須陀m9向の聖者とし、それ以下の
>階段にいる修行者を凡夫と定義しよう、などと言い出したのです。
いや、釈尊は踊り場まで到達せずとも階段を昇り始めたらもう既に預流向として
聖者の道を歩み出しているとしたのです。
たしかに1階の広間は凡夫でしょう。
それはそこで寝たり食ったりして階段を昇ろうとしないからです。あなたみたいに。
しかし引力に逆らって階段を昇りはじめあら聖者の道の始まりです。
2階がシュダオン果などとしたらそこまで階段を昇る努力は尊いからです。
アビダルマはたしかに踊り場みたいな変な小理屈を考えたが、本来は階段の一歩、
一段を踏み出したところで聖者街道預流向のスタートです。
だから得ることではない。
まだ成果を得なくても聖者の流れです。
預流向と預流果の内容が異なることなんて当たり前です。
誰も全く同一だなんて言っていない。
ただ聖者の流れという点で共通なんです。
- 407 :ラシン:2010/04/20(火)
15:55:12 ID:q4iXIS7Y0
- >403
404:準シュダオン
浅はかな人間や愚かな行為とは準シュダオンさんが、
見本を示してくれる。
信者さんにとっても、よく分かりやすく親切だ。
理由は身を挺して愚考サンプルとしているからです。
頑固爺さんに分かりやすく言えば、阿羅漢=阿羅漢向・阿羅漢果は、
アビダルマ論師による逆説倒置法とでも言おうかな。
釈尊の「すなわち、二人ずつの四組と八人の人々とであるが、」との
経文を理論立てして法数区分をしたのです。
二人ずつなのだから阿羅漢向・阿羅漢果で正解です。
だからアビダルマ論説では、阿羅漢向も阿羅漢で正解です。
課長職としての仕事の完成度は、新米課長よりベテラン課長のほうが、
課長たる資格に値するが、新米課長も”課長”という区分けですよ。
警察学校に入校したら卒業しなくても、身分は見習いでも警察官です。
仏道修行を始めた者は預流向であり、聖者の仲間入りです。
預流向が凡夫だというなら、経典を示しなさいと言われても出来ない。
当り前です、釈尊は、預流向が凡夫などと示していない。
それでも準シュダオンさんが頑迷に屁理屈をつけたい理由は簡単だ。
自分の浅はかな解釈を認めたくないからです。
預流向も聖者の仲間と知らずに準シュダオンを預流向と考えた。
自分の面子を守るために、桐山さんのアラを探して仏教無知を指摘した。
終いには釈尊まで愚弄して、自分の面の皮を保護する鉄面皮まで被っている。
>では、なんで須陀?向を得た話が出てこないのですか?
これがこのお方の知能の限界です。
仏教を知らないからだ。
釈尊は相手を解脱に導くための道を示し、それを聖道としたのです。
プロセスが目的ではないからだ。
預流向なら預流果は自ずと理解でき果たせます。
スリランカ上座部はそれまでを刹那だとまで教説している。
果徳を得たから釈尊はその行くべき境涯を示したのです。
あなた流で言えば、預流向修行者が亡くなったらどうか?
答えは三悪趣に堕ちない、です。凡夫ではないからだ。
それは釈尊が保証している。
ナーディカ村の解説は、偶々、マーリという疫病で人々が亡くなった。
それゆえに、死者各々の行く末を示したに過ぎない。
現実は修行の実践により、在家でもアナゴンまで進む。
出家者はアナゴンを得たらアラハンを得るのです。
前の成果が次の果を得る原因となるからです。
釈尊は預流向とは言わないが、預流への修行者も聖者の仲間とした。
凡夫と四沙門果の間の人々をも数に入れて凡夫と聖者を分けたのです。
これを前提にアビダルマ論師は、「二人ずつの四組と八人」という釈尊の
言葉を根拠に、四向四果という解釈を作り上げた。
あなたの屁理屈など入り込む隙間は、無い。
- 408 :深山:2010/04/20(火)
22:01:16 ID:yApiJEu60
- >>396 :準シュダオン:2010/04/20(火) 09:39:06
ID:agsP6ENM0
>でしょう。4階から5階へ昇る階段の踊り場に居るのが、阿羅漢向というわけ
あなたのこのたとえは別に間違ってはいません。
だが、解釈が間違っている。
正しくは次のようになっている。
5階→阿羅漢(阿羅漢果)
4→5階 →阿羅漢(阿羅漢向)
4階→阿那含(阿那含果)
3→4階 →阿那含(阿那含向)
3階→斯陀含(斯陀含果)
2→3階 →斯陀含(斯陀含向)
2階→須陀諸Y(須陀諸Y果)
1→2階 →須陀諸Y(須陀諸Y向)
1階→凡夫
凡夫とは一階の平面にいる人たちのことです。
しかし、そこからたった一歩でも解脱への階段をあがり始めたら聖者です。
凡夫・・・階段を上ろうとしない者
聖者・・・階段を上る者
と理解すれば、あなたのたとえはとてもわかりやすい。
須陀諸Y向は階段を上っているのですよ。
だったら、聖者です。
- 409 :深山:2010/04/20(火)
22:03:45 ID:yApiJEu60
- >>396 :準シュダオン:2010/04/20(火) 09:39:06
ID:agsP6ENM0
>阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向、と平気で書くとは!無知ほど強いものはないねw
無知は準シュダオンさんのほうです。
>>316ではアビダルマ論を出しているが、実はアビダルマ仏教の
解説書すら読まないで書いているでしょう?
上記をあざ笑うあなたの無知こそあざ笑われるのがわからないとは幸せな人だ。
自惚れでできたあなた脳味噌で考えて出した結論ですよね。
桐山さんと同じで、ろくに学者の解説も読みもしないで、
自分勝手な解釈を、自惚れだけで味付けしてここに出している。
いつもあなたは「自分の頭で考えてみよ!」(>>258 )
「自分の頭で考えてみなさい」(>>285)などとお説教するが、あなたみたいな人のために
「バカの考え休むに似たり」という諺がある。
これよりもあなた場合、「小人閑居して不善をなす」がほうが適切です。
私は自分で考えたのではありません。
学者の解説本に書いてあるから、そのまま書いてるだけです。
- 410 :うサギ:2010/04/20(火)
22:11:15 ID:9sYmIUls0
- >>399あら、ではウサギさんも、阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向、と考えてるわけ?
そりゃ、恥ずかしいよ、元阿含信徒とは言わんでくれ。
出来の悪かった元阿含信徒と、自称してくれよう。
意味不明です。
私のレスからなぜこんな話に飛ぶのか本当に理解不能です。
筋道立てて説明してください。準々シュダオンさん。
- 411 :深山:2010/04/20(火)
22:16:21 ID:yApiJEu60
- 「なお、聖位(見道以後)には、預流・一来・不還・阿羅漢という呼び名がある。
それぞれ、向(それに向かう段階)と果(それの実現した段階)とを分ける」
(『インド仏教の歴史』竹村牧男、117頁)
これはアビダルマ仏教の説明です。
前に書いたように、預流などを「向」「果」に分けたのは後世の
アビダルマ仏教であって、釈尊ではない。
元々、釈尊は「向」だの「果」だのと細かい分類はしていません。
(釈尊は預流・一来・不還・阿羅漢すらも、出家経にあるような
厳密な分け方はしていません。)
預流向や預流果が最初からあって四向四果ができたのではなく、
最初は預流しかなく、それを後のアビダルマ仏教が二つに分けて考えたのです。
小学生を低学年と高学年に分けたのと同じです。
準シュダオンさんの理屈では、二つに分けたら、低学年は小学生ではなくなるらしい。
上記の本は題名を見てもわかるように、シャカ仏教から大乗仏教までのインド仏教の
あらましを解説した一般向けのわかりやすい解説本です。
あなたもせめてこのくらの本を読んでから講釈を並べたらどうか。
- 412 :深山:2010/04/20(火)
22:19:08 ID:yApiJEu60
- 「なお、聖位(見道以後)には、預流・一来・不還・阿羅漢という呼び名がある。
それぞれ、向(それに向かう段階)と果(それの実現した段階)とを分ける」
(『インド仏教の歴史』竹村牧男、117頁)
この本の118頁には上記の解説の具体的な図があります。
そのまま引用できないが、「聖」の下に預流・一来・不還・阿羅漢の四つが並び、
それぞれがさらに「向」「果」とに分かれている。
預流の下に線がひっぱってあって、途中から二つに分かれて、「向」と「果」と
書いてあるのです。
同様に、阿羅漢の下にも線が引いてあり、途中から二つに分かれ、「向」と「果」が
書いてある。
学者たちは明瞭に、預流とは預流向と預流果から成り立つと図にも示しているのです。
つまり、私が>>341で書いた、そのままです。
1.預流=預流向+預流果
2.斯陀含=斯陀含向+斯陀含果
3.阿那含=阿那含向+斯陀含果
4.阿羅漢=阿羅漢向+阿羅漢果
したがって、次のような桐山説、準シュダオン説は無知から来る嘘です。
0.預流向
1.預流=預流果+斯陀含向
2.斯陀含=斯陀含果+阿那含向
3.阿那含=斯陀含果+阿羅漢向
4.阿羅漢=阿羅漢果
- 413 :深山:2010/04/20(火)
22:24:48 ID:yApiJEu60
- >>396 :準シュダオン:2010/04/20(火) 09:39:06
ID:agsP6ENM0
>阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向、と平気で書くとは!無知ほど強いものはないねw
私は具体的に学者が書いている文章と図で、「預流=預流向+預流果」
「阿羅漢=阿羅漢向+阿羅漢果」が学者の解説書にも書いてあることを示しました。
準シュダオンさんは反論したければ、まずこの本を読んで、
この学者の説の間違いを、証拠を示して指摘してみることです。
また、桐山説のような解釈をしている学者がいるなら、それを出したみることです。
私の説を小馬鹿にして罵りをさんざん並べているが、私は根拠を示した。
一方、あなたは自説の証拠として引用した文章にはあなたの主張はまったく載っていなかった。
書いてもいない文章はあなた以外の人には読めない。
あなたがこれまでに示したのは、証拠や根拠ではなく、無知と自惚れと罵声だけです。
- 414 :深山:2010/04/20(火)
22:28:14 ID:yApiJEu60
- >>399 :準シュダオン:2010/04/20(火) 10:47:38
ID:agsP6ENM0
>それが、管長がダルマチャクラで説明してることさ。
>「斯陀含向は、斯陀含に向かってはいるものの、まだ須陀諸Yの範疇です」とね。
>階段の踊り場を考えたら、その「向」の意味が解るでしょう。
こういうことを書くから、あなたは頭が老人だと言われるのです。
あなたが証明しなければならないのは上記の桐山説なのですよ。
それなのに、桐山説をまるで証拠のようにもってきて何の役に立つのだ?
私から>>368で、中学の数学の証明の話を出されても、聞く耳など
持たないのだろうが、指摘したとおりのことをしている。
結論を使って結論は証明できないのです。
準シュダオンさんは数学の成績が悪かったでしょう?
あなたは、泥棒と疑われている被告の証言を使って被告は無実だと
主張しているようなものです。
それで裁判官が納得すると思うか。
そのトンチンカンぶりが、どうしてわからないのでしょうね。
- 415 :深山:2010/04/20(火)
22:31:32 ID:yApiJEu60
- >>403 :準シュダオン:2010/04/20(火) 13:34:36
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまが、四双八輩を福田と呼び聖衆と呼んでるところがあります。
>そんなことは解った上で、レスしてるのです。
釈尊が四双八輩を聖者だと呼ぶことを
わかった上でレスしているというのだから、釈尊の言葉を否定したいらしい。
如来の言葉を文字通りに受け取らず、これを否定するとはすごい度胸だと、
興味津々で期待して読んだのだが、どこにそれがあるのだ?
まさか次のレスがそれではないでしょうね。
- 416 :深山:2010/04/20(火)
22:34:41 ID:yApiJEu60
- >>404 :準シュダオン:2010/04/20(火) 14:03:36
ID:agsP6ENM0
>では、なんで須陀?向を得た話が出てこないのですか?
うわあ、また始まった!
輪廻する老人脳に輪廻する老人介護!
他人にこうやって質問するのなら、反論くらい読んだらどうだ。
いったい何度同じ説明をさせれば気が済むのだ?
同じ事を二日前に言ったばかりです。
>>349 :準シュダオン:2010/04/18(日) 11:21:43
ID:agsP6ENM0
>「仏陀の真実の教えを説く」本のP198に出家経が出ています。
>比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、たちが、それぞれ、阿羅漢や、得阿那含や
>得斯陀含や、得須陀諸Yになったお話です。
>この中に、須陀諸Y向を得た、というお話はありません。
>なぜでしょうか?
日曜日に>>349であなたは>>404と同じ質問をして、私はその直後の>>369で説明した。
たった二日前しかたっていないのに、もう忘れたのですね。
読者の皆さんごらんください。
私が老人介護と馬鹿にして言っているのではなく、事実である証拠です。
準シュダオンさんは私の反論を忘れたのではなく、自分が質問したことを忘れているのです。
信者さんたちは反論に納得しなくても、上記のように、まったく同じ主張を繰り返しますか。
こちらの反論に反論する形でやりますよね。
だが、準シュダオンさんの主張と質問は、まったく同じです。
つまり、彼は自分が書いたことを二日後にはきれいに忘れて、またこうやって出したのです。
頼むから自分が食った夕飯くらい記憶してよ。
- 417 :深山:2010/04/20(火)
22:38:34 ID:yApiJEu60
- >>404 :準シュダオン:2010/04/20(火) 14:03:36
ID:agsP6ENM0
>では、なんで須陀?向を得た話が出てこないのですか?
あなたに逆に質問するが、出家経のどこに須陀諸Y果が出てくるのだ?
出家経には須陀諸Yに限らず、どこに「○○向」も「○○果」も出てこない。
なのに、どうして須陀諸Y向だけをあなたは問題にするのだ?
出家経に「○○向」も「○○果」が出てこないのは当たり前です。
>>369でも、出家経のどこにも須陀諸Y向も須陀諸Y果も出てこないと指摘したのです。
釈尊は出家経の中では「○○向」も「○○果」も用いていない。
釈尊の時代には預流向や預流果なんてなかったのです。
釈尊の時代には預流しかなかった。
後のアビダルマ仏教が、預流を預流向と預流果に分けたのです。
批判側の説明を読みたくなくても、引用した学者の説明くらい読みなさい。
「以下、四向四果とよばれる八種の階位に属する者をいう。
このような階位はもちろん、ブッダよりはかなり後代になって確立したもの
にはちがいないが、いまその名称を挙げてみると次のとおりである。」
(『仏教入門』高崎直道、198頁)
- 418 :深山:2010/04/20(火)
22:41:58 ID:yApiJEu60
- >>404 :準シュダオン:2010/04/20(火) 14:03:36
ID:agsP6ENM0
>では、なんで須陀?向を得た話が出てこないのですか?
阿含経の釈尊は四双八輩や四向四果という言葉を用いたように書いてある。
だが、実際の釈尊がこういう言葉を使ったはずはないのです。
なぜなら、果と向の八つに分類したのは釈尊ではなく、
百年以上も後のアビダルマ仏教徒だからです。
彼らこそが阿含経を護持して編纂していった人たちだから、
釈尊に四双八輩、四向四果という言葉を言わせている。
それはちょうど三十七道品と同じなのです。
釈尊は「念処・・覚道」と七つを並べたかもしれないが、
三十七道品などという言葉を使ったはずはないのです。
だが、阿含経の釈尊は三十七道品という言葉を十回くらいは使ったことになっている。
これなど、アビダルマ仏教の人たちがわかりやすくするために、言葉を置き換えたのです。
それらは桐山さんの三福道のような捏造でない。
「徳川家康がライスを食べた」と言っているようなものです。
徳川家康はライスではなく米を食べた。
だが、意味としては間違いではありません。
- 419 :深山:2010/04/20(火)
22:46:22 ID:yApiJEu60
- >>403 :準シュダオン:2010/04/20(火) 13:34:36
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまが、四双八輩を福田と呼び聖衆と呼んでるところがあります。
>そんなことは解った上で、レスしてるのです。
わかった上でレスとしているという主張の根拠がすでに二日前に私が説明していた。
簡単に言えば、出家経には「向」「果」も出てこない。
出て来ないのに、出てこないと指摘しても何の意味もない。
意味があるというなら、須陀諸Y果が出てこない理由を説明してみなさい。
須陀諸Yは出てくるが須陀諸Y果は出てこない。
さあ、どうぞ、そのご立派な考える脳味噌で説明してください。
釈尊はあなたが認めているように、「四双八輩=聖者」と述べている。
それは今回、ユビキタスさんが>>393に引用してくれたし、昨年も彼が引用した。
>178 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 08:42:55
ID:SmEF4Oe2O
だから、議論は半年前にすべて終わっているのです。
釈尊がこれほどはっきりと「四双八輩=聖者」と断定しているのに、これでも
まだ「預流向≠聖者」を言い続けるのですか・・・言い続けるのは知っています。
あなたは絶対に自分の間違いを認めない人ですものね。
そこが桐山さんの真の弟子たるゆえんです。
- 420 :準シュダオン:2010/04/21(水)
08:54:22 ID:agsP6ENM0
- わたしは、アビダルマ論の四向四果を話してるのではない。
阿含仏教の四向四果を話してるのだよ、深さん、出家経には、向や果は、
出ていないが、それが無いからではない、遊行経などには出ているね。
出家経に、「向」が出ていないのは、向は四沙門果ではないからです。
向は、果に対する語です。昼に対して夜があるごとくです。
須陀?なり、斯陀含を得たのが「果」です。須陀?未満、斯陀含未満という
意味が、「向」なのです。
だから、管長がダルマチャクラ69号P8に書いてるように、
「斯陀含向は、斯陀含に向かってはいるものの、まだ須陀?の範疇です」
と、いうことに、阿含仏教では、そうなるのです。
それを倶舎論では、斯陀含向は修惑の前三品を断じた者とし、斯陀含果は
修惑の前六品を断じた位としたのです(岩波仏教辞典・一来の項にあります)。
そういうアビダルマ論を採用したのでは、間違ってしまいます。
深さんが、斯陀含=斯陀含果+斯陀含向、だと間違えたのも、アビダルマ論
と阿含仏教を混同しているからですね。
- 421 :準シュダオン:2010/04/21(水)
09:13:52 ID:agsP6ENM0
- 深さんが引用している学者の四向四果説は、アビダルマ論のものです。
だから、当然、阿含仏教で説いてる内容と違います。
それにも気づけないのでしたら、レベルが低過ぎて、お話になりません。
お釈迦さまは、向や果を説いていない、と深さんは書いた。
冗談でしょ、遊行経にちゃんと出ています。
その遊行経が嘘だと言うのなら、四双八輩を聖者扱いしてるのも遊行経ですよ。
福田とは、最初は釈迦のことでした。それがやがて高僧を含むように変化して
行ったのです。やがては袈裟まで福田になり、大乗では病人や貧者が福田に
なったのです。
須陀?向が聖者に含められるのは、他の阿羅漢や阿那含と一緒に一まとめ
にされた場合だけですね。単独でも聖者なのだと、混同してはいけないね。
阿羅漢向は、仏ではないように、
須陀?向は、聖者ではありません。
お釈迦さまが、四双八輩を聖者と呼んだからといって、須陀?向まで本当の
聖者と思うようではいけませんね。
- 422 :準シュダオン:2010/04/21(水)
09:38:35 ID:agsP6ENM0
- 「人間改造の原理と方法」P181に、聖者を八っつに分けてますが、
預 流
預流果
一 来
一来果
というように、預流の場合は、預 流というように、一字分空けてますから、
預流向や預流道から、向や道が落ちた印刷ミスでないことがわかりますね。
管長は、慎重に預流向を聖者から外したのです。
凡夫が修行して、預流向という位を獲るのであれば、それを説いた経典が
あるはずです。それが出てきたら、わたしの意見は簡単に撤回するよ。
- 423 :準シュダオン:2010/04/21(水)
09:55:39 ID:agsP6ENM0
- 三結断じて得須陀?、とか、他の沙門果を説いてる経典は沢山あるのに、
これこれで、須陀?向を得た、というような経典は見当たりません。
だから、仏道修行を始めた凡夫のことを、須陀?向と呼ぶのだと考えるしか
ないでしょう。それがアビダルマ論などの屁理屈を読むと混同してしまう。
うサギさんも、阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向と考えてるわけ?
と、レスしたのは「うサギさんも、深さん同様に、アビダルマ説の四向四果
を信じてるわけ?」と、同じ意味ですよ。
アビダルマ説を採用してる学者さんと、管長の阿含仏教の四向四果説が、
違ってるのは当たり前ですからね。
結局は、阿含経典読んで、自分の頭で考えて、管長とアビダルマ説の
どちらが正しいか、判断するしかないだろうね。
- 424 :うサギ:2010/04/21(水)
11:47:16 ID:9sYmIUls0
- >>423うサギさんも、阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向と考えてるわけ?
あなたが上記のように思う根拠は何ですか?
上記の「阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向」という記述をどこで見たのですか?
まさか、深山さんのレスから引用しているわけがありませんよね?
あなたは、深山さんのレスを「読んでいない」と宣言している。
それはまるで、深山さんの発言中に、一方的に椅子を蹴って議場を出たようなものだ。
そんな大見栄をきったあなたが、今更、深山さんのレスを読んでいるなんて
まさかそんなことがあるはずがない。そうでしょう?
それで、>>410のように書いたのです。
深山さんのレスを「読んでいる」のでしょうか?
と聞かれたら、準々シュダオンさんは「はい」と答えますか?
答えが「はい」ならば大笑いです。
- 425 :深山:2010/04/21(水)
12:37:48 ID:Sj.h.Tao0
- >>420 :準シュダオン:2010/04/21(水) 08:54:22
ID:agsP6ENM0
>わたしは、アビダルマ論の四向四果を話してるのではない。
また記憶障害が始まりましたね。
あなたは四日前にアビダルマ論を引用した。
>>316 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/17(土) 09:25:43
ID:agsP6ENM0
>ネットで検索して見つけた中に、アビダルマ論師達が、仏道修行者を、次の
>様に分類した、とあった。
アビダルマを元にして、仏道修行者の凡夫もあるいう自説の根拠にした。
その舌の根も乾かぬうちに、今度は、アビダルマではないと言い出す。
まあ、あなたの話は自らウンコだと表現したくらいだから、
何の一貫性も責任もないのは知っているが、たった四日でまた忘れてしまったらしい。
記憶力が衰えていることは大した問題ではない。
あなたの問題は羞恥心が人並みにないことです。
- 426 :深山:2010/04/21(水)
12:42:40 ID:Sj.h.Tao0
- >>420 :準シュダオン:2010/04/21(水) 08:54:22
ID:agsP6ENM0
>出家経に、「向」が出ていないのは、向は四沙門果ではないからです。
何度でも同じ反論をしてあげます。
出家経には「向」だけでなく「果」も出てこない。
出家経の釈尊は預流から阿羅漢を説いているだけで、それらを「向」「果」として
説いていない。
出てこないのに、どうしてあなたは「向」「果」について議論するのだ?
釈尊は説いておらず、言葉としてもないのに、なぜ勝手な解釈をするのだ?
書いていないことを読むのはやめなさい。
文字通りに読めばいいだけです。
夕飯を食べたのに、食べていないというのと同じで、そういうのを妄想というのです。
- 427 :深山:2010/04/21(水)
12:49:46 ID:Sj.h.Tao0
- >>420 :準シュダオン:2010/04/21(水) 08:54:22
ID:agsP6ENM0
>深さんが、斯陀含=斯陀含果+斯陀含向、だと間違えたのも、アビダルマ論
>と阿含仏教を混同しているからですね。
根拠も示さずに、いい加減な空想を書くのはやめなさい。
本当にみっともない。
釈尊がいつ、須陀諸Y向は須陀諸Yでないと述べていますか。
ユビキタスさんの引用した遊行経で、釈尊ははっきりと四双八輩は聖者であると述べている。
これはあなたも認めた。
四双八輩とは何ですか。
須陀諸Y向から阿羅漢果までの八つです。
釈迦仏教でも須陀諸Y向は聖者です。
そして、斯陀含=斯陀含果+阿那含向、などと主張しているのは、
桐山さんとあなたのような信者だけで、そんなことは阿含経にもなければ、
学者たちもいっさい認めていない。
そんな説があるというなら、出してみさない。
私は>>411で学者の根拠を示した。
くどくどと妄想の自説を並べるのではなく、ズバリ書いてある阿含経か、
学者の説を示してみさない。
- 428 :深山:2010/04/21(水)
12:55:04 ID:Sj.h.Tao0
- >>420 :準シュダオン:2010/04/21(水) 08:54:22
ID:agsP6ENM0
>だから、管長がダルマチャクラ69号P8に書いてるように、
「だから」、>>414で書いたように、桐山説を証明するのに、
桐山さんの解説を引用してどうするの?
泥棒の証言は彼が無実であることの根拠にはならない。
桐山説を証明したければ、阿含経や学者の説を引用するしかないのです。
私の文章をきちんと読むか、無視するか、どちらか一つにしてはどうですか。
ろくに読みもせず、理解もせず、すでに反論され、否定された内容を、
他人をあざ笑いながら、くり返し書く。
自分では自慢で仕方ないのだろうが、目を覆いたくなる姿です。
誰しも年はとるし脳も老化するだろうが、あなたみたいにはなりたくない。
- 429 :深山:2010/04/21(水)
13:01:35 ID:Sj.h.Tao0
- >>421 :準シュダオン:2010/04/21(水) 09:13:52
ID:agsP6ENM0
>深さんが引用している学者の四向四果説は、アビダルマ論のものです。
>だから、当然、阿含仏教で説いてる内容と違います。
桐山説や準シュダオン説は釈迦仏教でもなければ、アビダルマでもない。
無知と慢心から来たただのオカルト説です。
信者さんたちにその違いを示すために簡単に並べてみましょう。
実は、準シュダオンさんは今回新たなゴマカシを始めたので、
その前に、これまでの主張の違いをはっきりと示す必要があるのです。
議論の焦点は四向四果の分類と(>>412)、預流向は聖者かどうか、という2点です。
1.四向四果の分類
釈迦仏教・アビダルマ仏教・・・・「預流=預流向+預流果、斯陀含=斯陀含向+斯陀含果」
桐山説・準シュダオン説・・・「斯陀含=斯陀含果+阿那含向」(>>412)
2.預流向は聖者かどうか
釈迦仏教・アビダルマ仏教・・・・「預流向=聖者」
準シュダオン説・・・「預流向≠聖者」
桐山説・・・「預流向が聖者とも聖者でないともはっきりしない」
この二点ついて釈迦仏教とアビダルマ仏教では、決定的な違いなどありません。
だが、1はでは桐山説は明瞭に違います。
2については桐山さんの説明はあいまいでどちらとも取れますから、
阿含経講義の下巻が出るのを待つしかありません。
いずれにしろ、準シュダオン説など釈迦仏教やアビダルマからみて、
まるっきり論外のオカルトだというのがよくわかります。
- 430 :深山:2010/04/21(水)
13:07:47 ID:Sj.h.Tao0
- >>421 :準シュダオン:2010/04/21(水) 09:13:52
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、向や果を説いていない、と深さんは書いた。
私の文章を読まないというなら、読むな。
どうしてそうやってこちらの言ってもいないことを勝手に作るのだ?
反論したければ、私の文章はそのまま引用して示しなさい。
阿含経には須陀諸Y果などの単語が出てきます。
それは昨年、私自身が阿含経の中から引用したのです。
その私が、釈尊が向や果を説いていない、などと書くはずがない。
釈尊はそこまで細かな分類はしていないと書いたのです。
そのことは私が言っているのではなく、多くの学者たちが述べていることを
>>417で引用したとおりです。
須陀諸Y果という単語が阿含経に出てくるからといって、
これを釈尊その人がこういう単語を用いたというのは間違いだと指摘したのです。
その事例として、あなたの好きな三十七道品を出した。
釈尊が三十七道品などという言葉を使ったはずはないのです。
同様に、釈尊は四双八輩に相当する概念は説いたが、四双八輩という
単語は用いなかったはずです。
これらは後のアビダルマ仏教の人たちが経典を編纂する過程で、
わかりやすくするために置き換えた言葉です。
>>418で米をライスと言っても間違いではないのと同じだとたとえで説明したが、
当然、あなたには理解できないのでしょうね。
こうやって再度説明されても、何のことかわからないのでしょう?
あなたがこういうちょっと煩雑な内容になるとまるで理解できなくなるのは、
ここに登場した最初からです。
- 431 :深山:2010/04/21(水)
13:13:44 ID:Sj.h.Tao0
- >>421 :準シュダオン:2010/04/21(水) 09:13:52
ID:agsP6ENM0
>須陀諸Y向が聖者に含められるのは、他の阿羅漢や阿那含と一緒に一まとめ
>にされた場合だけですね。単独でも聖者なのだと、混同してはいけないね。
読者の皆さん、よく上記の文章を読んでください。
これまで準シュダオンさんはいかなる意味でも「須陀諸Y向=聖者」と
認めたことはありません。
>>429に書いたとおりです。
ところが、ここに来て、まとめて表記する場合だけは「須陀諸Y向=聖者」が
成り立つと言い出した。
これまでこんなことを書いたことは一度もない。
どうして突然こんなことを言い出したのだと思いますか。
釈尊本人が四双八輩が聖者なんだと言っているのだから、
これを認めないわけにはいかなくなったのです。
だが、それを認めてしまったら、準シュダオン説「須陀諸Y向≠聖者」が崩れてしまう。
そこで、なんとか両者を両立するかのように悪知恵を絞ったのが上記です。
四双八輩とまとめていう時は「須陀諸Y向=聖者」だが、
個々にいう時は「須陀諸Y向≠聖者」だというのです?!
古狸が呪文を唱えて、なんとかごまかそうとしているのです。
爆笑ですが、老人がない知恵を絞って、なんとかごまかそうと必死なのです。
皆さん、お慈悲で「準シュダオンさんのごまかしなんか、全然、
気がつかねえなあ」と、騙されたふりをしてあげましょう。
みじめな男だ。
- 432 :深山:2010/04/21(水)
13:17:43 ID:Sj.h.Tao0
- >>421 :準シュダオン:2010/04/21(水) 09:13:52
ID:agsP6ENM0
>須陀諸Y向が聖者に含められるのは、他の阿羅漢や阿那含と一緒に一まとめ
>にされた場合だけですね。単独でも聖者なのだと、混同してはいけないね。
あなたはまとめて説くときには四双八輩は全部聖者であると認めた。
つまり、準シュダオン説は本日をもって、次のように変更になる。
「預流向・・・単独では凡夫」
「預流向・・・四双八輩とまとめた時は聖者」
そこでお聞きしたい。
まとめて説くといっても、四双八輩の中身は預流向から阿羅漢果です。
四双八輩という単独の位階が存在するのではなく、
それらは四つの位階から成り立っている。
四つの位階こそが四双八輩です。
ひとまとめでは聖者の者が、個々になるとどうして聖者でなくなるのだ?
一階以外のフロア以外の階段はすべて階段だが、
一階から二階への階段だけは階段ではない??
箱に入っている八つの宝石はすべてダイヤモンドだが、
最初の一つだけはガラスである??
大学生は4学年とも大学生であるが、
単独に一年生だけを取り出した場合には大学生でない??
あなたの言っていることはこれと同じです。
あなたの妄想脳とウンコでは成り立つだろうが、世間では通用しない。
- 433 :深山:2010/04/21(水)
13:29:50 ID:Sj.h.Tao0
- >>422 :準シュダオン:2010/04/21(水) 09:38:35
ID:agsP6ENM0
>「人間改造の原理と方法」P181に、聖者を八っつに分けてますが、
この件は以前、樹意さんが引用して、みんなで爆笑したのです。
わざわざ桐山さんの恥をもう一度さらしたいらしい。
あなたがたびたび引用する、ダルマチャクラ69号P8に基づいて、
私は桐山説を次のように表現した。
桐山説・準シュダオン説・・・「斯陀含=斯陀含果+阿那含向」(>>429)
だが、この本では、斯陀含と斯陀含果は別なものとして書かれている。
あなたは預流向を聖者から外していると書いているが、
それを言うなら、斯陀含向、阿那含向、阿羅漢向もないから、
これらは聖者ではないということらしい。
さあ、どうあなたは矛盾なく説明するのだ?
桐山さんは機関誌では、斯陀含に斯陀含果が含まれると述べ、
本では、斯陀含と斯陀含果を別なものとして書いている。
しかも、「向」を全部外してしまっている。
桐山さんの無知からきたこれらの記述をわざわざ出してくれるのは
有り難いが、それであなたの古狸の智慧でどうやって
これらの矛盾だらけの内容を説明するつもりだ。
こんなもの出したら、批判側からあざ笑われるという予想すらできないほど
あなたの脳の視野は狭い。
- 434 :深山:2010/04/21(水)
13:33:42 ID:Sj.h.Tao0
- >>423 :準シュダオン:2010/04/21(水) 09:55:39
ID:agsP6ENM0
>アビダルマ説を採用してる学者さんと、管長の阿含仏教の四向四果説が、
>違ってるのは当たり前ですからね。
違います。
どこを読んでいるのだ?
あなたが引用した>「人間改造の原理と方法」の表題を見なさい。
「見道と修道」(180頁)
見道と修道とはアビダルマ仏教が作った概念と分類です。
釈尊はこんな分類はしていない。
桐山さんのここでの説明の大半はアビダルマ仏教です。
批判側に投げたつもりの石が桐山さんにぶち当たった。
と、言われても意味がかわらないか、いやはや。
- 435 :深山:2010/04/21(水)
13:38:02 ID:Sj.h.Tao0
- >>423 :準シュダオン:2010/04/21(水) 09:55:39
ID:agsP6ENM0
>アビダルマ説を採用してる学者さんと、管長の阿含仏教の四向四果説が、
>違ってるのは当たり前ですからね。
あなたは簡単にアビダルマと釈迦仏教を区別しているが、
あなたが釈迦仏教もアビダルマ仏教も解説書すら読んだことがないからです。
両者は完全に分離することは不可能なのです。
聖者と凡夫でいうなら、四善根や三賢などはアビダルマのオリジナルだから、
これを排除することができるが、四向四果は概念を釈尊が説いているから、
そうはいきません。
それは釈迦仏教と大乗仏教とを区別するのとは訳が違う。
なぜなら、今日の釈迦仏教とはアビダルマ仏教というフィルターを
通してみているからです。
阿含経とは、アビダルマ仏教の人たちが編纂したのですよ。
だから、生の釈迦仏教など存在しない。
アビダルマ仏教というフィルターから見える釈迦仏教を、いかにして
そのフィルターについている色を取り除くかというのが学者たちの仕事なのです。
あなたはそういうことを知らないから、両者が区別がつくと思っている。
学者たちの結論は、四双八輩は厳密に分類したのはアビダルマ仏教であって、
釈尊はそこまで厳密な体系付けはしなかったというものです。
四向四果の議論を始めたとたん、アビダルマ仏教に片足を突っ込んでいるのです。
- 436 :うサギ:2010/04/21(水)
19:04:53 ID:9sYmIUls0
- >>423うサギさんも、阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向と考えてるわけ?
仮にもし、ある人のレスを読んだり読まなかったりすれば、
その人が一貫して主張していることを理解していたり
していなかったりするわけです。
そんな状態で書かれたレスは信頼するに値するでしょうか?
少なくとも私は、そういう状態で、その人に向けてレスを書くのは躊躇します。
なぜなら、その人が書いていないことを批判してみたり
文意を読み違えたりするかもしれないからです。
だから、その人の文章を読み返して、文意を十分に理解して、
それからやっとレスします。そうしないと逆に自分が恥をかきますから。
ところで、準々シュダオンには思い当たることが最近ありませんでしたか?
たとえば、だれかのレスを「読まない」と宣言しませんでしたか?
それなのに、その人に向かって、レスを書いていませんか?
そのおかげで、相手や自分が以前書いていることを
「忘れている」「覚えていない」「繰り返している」などと
指摘されたことがこれまでにありませんか?
かつて、そういうことがあったとしたら
それはだれのせいでしょうか?
- 437 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/21(水) 21:33:23 ID:SmEF4Oe2O
- 御近所「準シュダオン君。大学入学おめでとう。これで君も晴れて大学生だね」
準酒墮「いいえ。まだ高校生です」
御近所「え?だって高校はもう卒業して、大学にも合格して、入学手続きもして
入学式にも出て学生証まで持っているではないか?」
準酒墮「はい、でもまだ入学しただけでこの先いつまでついていけるかどうかも
わからず、中退するかもしれません。中退したら私の最終学歴は高卒になります。
だからそれがはっきりしない今はまだ高校生なんです」
御近所「高校は卒業したのだからもう高校生のはずないだろ?先月までは高校生
だったかも知らんが」
準酒墮「先月までは中学生でした。卒業式に卒業証書をもらって初めて高校生が
証明されたのです。だから大学の卒業証書をもらうまでは大学生ではなく高校生
なのです」
桐山師「ここにいる者は全員アゴンの聖衆だ!」
準酒墮「ゲイカ、それでは私もアゴンの聖衆なのですね」
桐山師「おめえは違うよ」
準酒墮「え?でも私は今この場にいましたよ。ここにいる者全員聖衆と仰った
のだから、私も聖衆のはずでしょ?」
桐山師「全体に向けて言うセリフと個別に言うセリフは違うのだよ。これを二枚舌と言う」
- 438 :ラシン:2010/04/21(水)
21:48:31 ID:0FbHmZCg0
- >421
:準シュダオン
>お釈迦さまは、向や果を説いていない、と深さんは書いた。
冗談でしょ、遊行経にちゃんと出ています。
本当ですか? 遊行経がないので、どうか引用掲示してください。
私の釈尊の四沙門果解釈は、「二人ずつの四組と八人」とのものです。
四双八輩、四向四果という区分は、何度も言うが後世の論説でしょう?
預流果から阿羅漢果という語句を釈尊は明解に説いたのですか?
- 439 :無関係な人間です:2010/04/21(水) 22:56:45 ID:vJNYwqUg0
- 小学生の頃、新聞を読んでいたらイギリスに「地球は平らだ。」と信じる人達の
協会が存在する、との記事が掲載されていました。「地球が球体のはずはない、平に
決まっている。」と20世紀にもなって、先進国で、しかも年配の人達が堂々と主張
をしているという、あまりのアホな話に感激をした事を今でも覚えています。
あの人達も相当な年配だったし、最近、動静を聞かない事を思うと、既に皆様、亡くな
られた可能性があります。もし、そうなら、実に惜しむべき事だと思います。
最近、そのような感激を忘れていましたが、久しぶりに准シュダオン様の奮闘を拝見
し、同じような感激を覚えました。
私個人の頭の中では、桐山氏が大聖人で、阿含宗が正当仏教であると主張するのは、
地球が平らだ、と主張する事と同じほど○○な話です。しかし、この21世紀になって
先進国で、しかも年配の方が堂々とそれを主張するのは、ものすごい事だと思います。
准シュダオン様の場合、傍目から見たら、どんなに論破されても、それを認めないで
あの手この手でご自分の主張を弁護されます。
例えて言えば、天才棋士を自称する方が将棋で、連続して王手を50回ぐらい
かけられても、その度にズルをして、将棋を続けるような逞しさを感じます。
私は、残念ながら、准シュダオン様の発言はとんでもない内容の羅列だと思いますが、
それにも関わらず、准シュダオン様の益々のご長寿を祈らずにはいられません。
今後のご活躍をお祈りします。
- 440 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/21(水) 23:11:51 ID:SmEF4Oe2O
- >>420:準シュダオン10/04/21(水) 08:54:22
ID:agsP6ENM0
>阿含仏教の四向四果を話してるのだよ、深さん、出家経には、向や果は、
>出ていないが、それが無いからではない、遊行経などには出ているね。
>出家経に、「向」が出ていないのは、向は四沙門果ではないからです。
そうではなく、語り口が違うだけです。
四沙門果を説くにあたり、それを向と果に分けて四向四果に分類して説く必要性は
必ずしもない。だから向も出てこない代わりに果も出てこない。
到達目標、通過点の果だけ示しておくのも手です。
しかし向なく果が得られるはずがないのも事実です。向とは努力ですからね。
しかしだからと言って向は果に到達もせぬのだから聖者であるはずもないという
のは別の議論です。
そしてあなたには残念なことだが、釈尊は漢訳の遊行経の兄弟であるパーリ経典の
大パリニッバーナ経で四向四果、四双八輩たる2人ずつ4組の8人までわざわざ
出してこれを聖者とした。
もちろん釈尊は向とか果とか明確には分類しなかったろうが、しかし4組8人
のことをこのようにして述べたから今日の四双八輩の命名があるのだろう。
だから中村訳でも四双八輩に(括弧)がついているのは補足説明なんでしょう。
しかし補足説明の元となる向かう修行者の位置付けのコメントはあったわけです。
そのコメントで向かう修行者も聖者の仲間なんだと言ってしまったのだから
この動かしがたい事実はどうにもなりません。御愁傷様。
出家経に向に対するがコメントが出てこないのは、等見品には五根法が出てくるが
四念処や七覚支が出てこないことと同じです。
- 441 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/21(水) 23:26:39 ID:SmEF4Oe2O
- >>421:準シュダオン10/04/21(水) 09:13:52
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、向や果を説いていない、と深さんは書いた。
>冗談でしょ、遊行経にちゃんと出ています。
ラシンさんも催促してるようにその遊行経を引用してみてはどうですか?
四向四果たる四双八輩についてのコメントが大パリニッバーナ経にもあるのだから
兄弟の遊行経にも何らか同じことが書いてあるだろうことは推して知るべしです。
しかし表現が問題ですよね。本当に向とか果とか書いて比較でもしてますか?
たから正確な引用が常に必要なのです。
正確な引用を読んで語り口を知る。
その語り口は出家経で説かれた四沙門果の語り口と同列に比較論じて妥当なものか
皆の前で検証の叩き台に乗せるのです。
- 442 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/21(水) 23:54:59 ID:SmEF4Oe2O
- >>422:準シュダオン10/04/21(水) 09:38:35
ID:agsP6ENM0
>「人間改造の原理と方法」P181に、聖者を八っつに分けてますが、
>預 流
>預流果
>一 来
>一来果
>というように、預流の場合は、預 流というように、一字分空けてますから、
>預流向や預流道から、向やが落ちた印刷ミスでないことがわかりますね。
>管長は、慎重に預流向を聖者から外したのです。
印刷ミスではなく桐山さんが敢えてはずしたとわかります。
しかしどんな考えがあろうと慎重なんて言えませんよ。
この「人間改造の原理と方法」の表は元ネタがあるのですね。
それを樹意さんが指摘してくれた。
水野浩元の「仏教要語の基礎知識」という本にこの表と同じ表が出ている。
つまり桐山さんはこの表からそのまま引用した。
引用はよいです。但し引用元をきちんと示すことです。常識のマナーです。
しかし桐山さんは引用元を示していない。
示せば、このように高名な仏教学者もこう示していると証明できて権威付けにすら
なって自分の説をより説得力のあるものとして補強できるはずなのに。
それをしないのは引用元を一部勝手に改変したからです。
それが引用元には預流道と書いてあるところを預 流としてしまったところですね。
こういうやり方はいただけない。引用元を示して改変したわけではないのだから
問題ないなんて言いなさんな。
こんなせこいことするなら他人の著書から表を盗用しなさんなと言いたい。
引用は引用元を示して、少しも違わずに引用して、そこから、この預流道は
おかしいと堂々論陣を張るべきだ。
- 443 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/22(木) 00:01:48 ID:SmEF4Oe2O
- ×水野浩元
↓
○水野弘元
- 444 :深山:2010/04/22(木)
00:09:35 ID:H6BDKBCQ0
- >>438 :ラシン:2010/04/21(水) 21:48:31
ID:0FbHmZCg0
>本当ですか? 遊行経がないので、どうか引用掲示してください。
>>441 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/21(水) 23:26:39
ID:SmEF4Oe2O
>ラシンさんも催促してるようにその遊行経を引用してみてはどうですか?
去年8月に彼が引用した下記のことでしょう。
>343
:準シュダオン:2009/08/23(日) 09:37:32
ID:ybulEK.c0
>たとえば平河本の阿含経・遊行経には、お釈迦さまが四双八輩を説いてます。
>「向須陀諸Y、得須陀諸Y」というように説いてます。
>誰が読んでも、向須陀諸Y=陀諸Yに向かって修行中の修行者
> 得須陀諸Y=須陀諸Y果を得た修行者
ユビキタスさんが引用したのと同じ部分の漢訳です。
準シュダオンさん自分に都合良いように読んでいるだけです。
阿含経で釈尊はいくらでも「○○向」「○○果」と述べています。
そんなことを言っているのではないといくら説明しても彼には理解できない。
- 445 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/22(木) 00:15:19 ID:SmEF4Oe2O
- >>422:準シュダオン10/04/21(水) 09:38:35
ID:agsP6ENM0
>「人間改造の原理と方法」P181に、聖者を八っつに分けてますが、
>預 流
>預流果
>一 来
>一来果
樹意さんの指摘はそればかりではありません。
あなたは桐山本を省略して引用しているがその「預 流」の下に何と書いてある?
(須陀オンともよぶ)とある。
「預 流」の左に何と書いてあるか?「預流果」と書いてある。
おかしいと思わないか?どうして預流果の下に(須陀オンともよぶ)と書いてないのだ?
そして桐山さんが「預 流」と書き換えた部分はもともと阿羅漢道と同じように預流道と書いてあった
ということだ。
つまり預流道(須陀オンともよぶ)と書いてあったことになる。
この事実をどう見るね?
桐山さんは改変するのならどうして預流果=須陀オンとしなかったのか?
たぶんこの当時四向四果の分類すら知らなかったからだと思うが。
- 446 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/22(木) 00:26:32 ID:SmEF4Oe2O
- >>422:準シュダオン10/04/21(水) 09:38:35
ID:agsP6ENM0
>凡夫が修行して、預流向という位を獲るのであれば、それを説いた経典が
>あるはずです。それが出てきたら、わたしの意見は簡単に撤回するよ。
それなら要求するが修行して斯陀含果ならぬ斯陀含向の位を得たとか、阿那含果
ならぬ阿那含向の位を得たとか、阿羅漢果ならぬ阿羅漢向の位を得たと書いた
アビダルマ論書ではなく阿含経を示してください。
それがありながら預流向を得ただけないと言うならばまだ説得力あるが。
なおくれぐれも果ではなく向を得たです。
斯陀含向、阿那含向、阿羅漢向はもはや預流果を過ぎた聖者のはずなんですけどね。
- 447 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/22(木) 08:31:57 ID:SmEF4Oe2O
- >>422:準シュダオン10/04/21(水) 09:38:35
ID:agsP6ENM0
>「人間改造の原理と方法」P181に、聖者を八っつに分けてますが、
>預 流
>預流果
>一 来
>一来果
>というように、預流の場合は、預 流というように、一字分空けてますから、
>預流向や預流道から、向やが落ちた印刷ミスでないことがわかりますね。
>管長は、慎重に預流向を聖者から外したのです。
預流向、預流道だけでなく一来向、一来道も一来としか書かれていない、
不還向、不還道も不還としか書かれていない。
道が使われているのひ阿羅漢道だけですね。
向、道なんてまだ果も得ていないものを排して、預流、一来、不還だけにした
と言うのならばまだわかる。
しかし依然として預流果、一来果、不還果は別に併記されて生きている。
すると果のつかない預流、一来、不還とは何なのだ?
結局、向や道を単語からはずしてしまおうが、果のついた単語とは別に対比する
ことは、預流向、一来向、不還向に他ならない。意味は変わりない。
そして(須陀オンともよぶ)(斯陀含ともよぶ)(阿那含ともよぶ)は預流果、
一来果、不還果にかかるのではなく、果のつかない向を含蓄した預流や一来や不還
にかかる。それが桐山さんが「人間改造の原理と方法」の181頁に示した表です。
つまりシュダオンかまだ果を得ないうちから始まり、シダゴンはまだ果を得ない
うちから始まり、アナゴンはまだ果を得ないうちから始まると分類したことになる。
これは準シュダオンさんが示した預流果を得ていない預流向はまだ凡夫、斯陀含果を
得ていない斯陀含向はまだ須陀オン、阿那含果を得ていない阿那含向はまだ斯陀含
という主張はこの著書によって否定された。
小学校課程を修了していない者は未就学児、中学校課程を修了していない者は
まだ小学生、高校を卒業していない者はまだ中学生というアホな理屈は崩壊して、
小学生は小学生、中学生は中学生、高校生は高校生というノーマルな分類に戻った。
- 448 :準シュダオン:2010/04/22(木)
09:32:15 ID:agsP6ENM0
- ユビさんは、「すると果のつかない預流、一来、不還とは何なのだ?」
と、書いてる。
簡単だよ、そんなの、何で思いつけないのか、わたしゃ、不思議で仕方無い。
預流とは一来向のこと、一来とは不還向のこと、不還とは阿羅漢向のこと、
と解したら、簡単に説明できるでしょう。一来向とは預流の範疇だという
理解ができてたら、簡単に思いつけます。阿羅漢道が出てるから、阿羅漢向
は不用だと言えそうだが、阿羅漢道とは六結煩悩を断った不還のことで、
阿羅漢向とは8結煩悩を断った不還のこと、とか区別したら良いでしょう。
- 449 :準シュダオン:2010/04/22(木)
09:41:42 ID:agsP6ENM0
- 管長は、聖者を書く順序を少し手抜きしたようです。
預流果
預 流(一来向)
一来果
一 来(不還向)
と、いうような順序で書けば、ユビさんクラスにも理解されたでしょうにね。
- 450 :準シュダオン:2010/04/22(木)
10:14:10 ID:agsP6ENM0
- ユビさんは、斯陀含向を得たとか、阿那含向を得たとか、阿羅漢向を得た
とか経典にあるか?と書いた。
わたしが知るかぎり、そういう経典はなかった。
なぜか?それは、須陀?向も斯陀含向も阿那含向も阿羅漢向も、修行して
得る沙門果ではないからです。
ここを理解できないといけない。
須陀?果や斯陀含果は、修行して得る果報です。
須陀?向や斯陀含向は、修行して得る果報ではありません。
須陀?向や斯陀含向は、修行している状態・境界を言うのです。
須陀?向とは、須陀?(=須陀?果)を得ようと修行している状態・境界で、
まだ須陀?になっていない状態です、いわば凡夫の範疇なのです。
斯陀含向とは、三結を断じ終え、更に貪瞋痴を薄めようと修行している須陀?
のことです。
だから、出家経などにも四沙門果は書いてあっても、○○○向は出ていない
のです。ここを理解できないと、アビダルマ論に翻弄されてしまいますね。
- 451 :深山:2010/04/22(木)
12:35:37 ID:CYUdi1A60
- >>449 :準シュダオン:2010/04/22(木) 09:41:42 ID:agsP6ENM0
>管長は、聖者を書く順序を少し手抜きしたようです。
桐山さんの嘘とデタラメさを裏付ける資料をわざわざ出してくれてありがとう。
桐山ゲイカはこの記述を間違いだと修正したことはありません。
こういう表を示したのはこれ一つだからです。
だから、今でもあなたが引用した下記の表は生きている。
預 流
預流果
一 来
一来果
不還
不還果
阿羅漢道
阿羅漢果
(『人間改造の原理と方法』183頁)
預流については「預流」と「預流果」しかない。
では、預流向(預流道)はどこに分類するのだ?
当然、上記の預流が預流向です。
そうでなければ、その後の一来や不還の説明が成り立たない。
上記の一来とは一来向そのもの、不還とは不還向そのものでなければ意味をなさない。
しかも、桐山さんは次のように書いている。
「この預流(初果)というのは、四諦の真理を完全に理解会得した境地で、
ここから「聖者」の列に入るのである。」(『人間改造の原理と方法』182頁)
つまり、預流を聖者だと桐山さんは言っている。
上記の預流は預流向だから、桐山さんもここで
「預流向=聖者」
だと書いているのです。
準シュダオンさんの「預流向≠聖者」説を桐山さんは否定している。
- 452 :準シュダオン:2010/04/22(木)
12:38:55 ID:agsP6ENM0
- 岩波仏教辞典の「一来」の項に、
「倶舎論では、一来向とは修惑の前三品または前四品を断じた者」と、
ありますね。
これを真に受けたのでは、一来=一来向+一来果、と考えるのも無理はない。
しかし、これは間違いです。阿含経典では、一来向とは一来を目指して修行し
ている預流の別称なのです。
だから、預流向とは修行している凡夫の別称、斯陀含向とは修行している
預流の別称、阿那含向とは修行している斯陀含の別称、阿羅漢向とは修行
している阿那含の別称なのです。だから、二重に、ダブルだけなので、
出家経には、阿羅漢向など、○○向が登場しないのです。○○向が居ない
わけではありません。
倶舎論の四向四果説は、阿含経典の四向四果ではありません。
- 453 :深山:2010/04/22(木)
12:40:03 ID:CYUdi1A60
- >>449 :準シュダオン:2010/04/22(木) 09:41:42 ID:agsP6ENM0
>管長は、聖者を書く順序を少し手抜きしたようです。
読んでいる信者さんたちは混乱しませんか。
桐山さんの書いてることが、一貫していない。
「斯陀含向は、斯陀含に向かってはいるものの、まだ須陀諸Yの範疇です」
(『ダルマチャクラ』69号、P8)
この記述だと、
「須陀諸Y=須陀諸Y果+斯陀含向」
ととれるが、『人間改造の原理と方法』だと、
「須陀諸Y=須陀諸Y向」
になってしまう。
桐山さんの書き方には一貫性がない。
これにはちゃんとした理由があるのです。
念のためにいうと、釈尊当時から今の仏教学にいたるまで、
「須陀諸Y=須陀諸Y向+須陀諸Y果」です。
- 454 :深山:2010/04/22(木)
12:46:14 ID:CYUdi1A60
- >>449 :準シュダオン:2010/04/22(木) 09:41:42 ID:agsP6ENM0
>管長は、聖者を書く順序を少し手抜きしたようです。
『人間改造の原理と方法』を出したのは1977年でアゴン宗を立宗するのに
桐山さんは少し阿含経関係の本を読んだ。
四向四果の図は、その一つである『原始仏教』(水野弘元)からの引用です。
桐山さんは引用文献にも書いているから、これを参照にするのはかまわない。
だが、水野博士の記述を理解できなかったのです。
理解できないなら、そのまま転載すればいいのに、桐山さんは
自分はとても頭が良いと思っているから、我流のその場しのぎの解釈を加えて、
書いたのが『人間改造の原理と方法』の183頁の表です。
信者さんたちは一連の議論を読んで、四向四果の分類がどうやら、
>>412にある「預流=預流向+預流果」といった単純な構造を
なしていることを理解したでしょう。
だが、桐山さんは、ちょうど今の準シュダオンさんのように、
学者の説をそのまま理解するか、理解できないなら自分を反省するのではなく、
逆にオレは頭が良いという慢心から、我流の解釈を加えた。
しかも、その場しのぎだから、五年ほど後に、阿含経講義を始めた時には、
『人間改造の原理と方法』の我流解釈の表のことなどすっかり忘れてしまい、
その場しのぎに「預流=預流果+斯陀含向」(>>412)などという奇妙な説を出してきたのです。
- 455 :深山:2010/04/22(木)
12:50:36 ID:CYUdi1A60
- >>449 :準シュダオン:2010/04/22(木) 09:41:42 ID:agsP6ENM0
>管長は、聖者を書く順序を少し手抜きしたようです。
準シュダオンさんが桐山説を絶対視して、主張しているうちに、
桐山さんその人の文章が彼の主張を否定した。
桐山さんを擁護したつもりが、桐山さんから足払いをかけられたのです。
これはアゴン宗では珍しいことではありません。
桐山さんのこういう解説に一貫性がないことは、アゴン宗の教義を学ぼうとするなら、
たいていの人は気がつく。
前に言っていたことと違うのは珍しくない。
前に言ったことが間違っているのなら、素直に認めて、修正した上で
新しいことを言えばいいのに、準シュダオンさんと同じで、絶対に自分の間違いなど認めない。
そして、屁理屈や嘘を並べて、いかにも一貫性があるかのように別な説明を始める。
屁理屈に屁理屈を、嘘の上に嘘を重ねるから、教義は矛盾だらけになり、
ついには法務部の職員すらも説明できないような内容になりはてる。
だから、桐山さんの作り出した教義を説明する立場になった者はたまらない。
桐山説を信じて、それを説き続けると大恥をかく。
教義に興味がなく、御利益一辺倒の信者や、桐山ゲイカ万歳の信者は
こういう矛盾など気にもしない。
だが、信者さんたちに少しの知性があるなら、この四向四果がそうであるように、
桐山さんの話は一貫性に欠け、矛盾だらけであることに気がつかないはずはない。
批判を読めば、「そう言われてみると」と思い当たることが一つや二つ、必ずはあるはずです。
- 456 :準シュダオン:2010/04/22(木)
12:53:51 ID:agsP6ENM0
- 深さんもくどいね、わたしの本日分のレスを読んだら、管長が預流向を聖者
から省いた理由がわかろう、というものを。
阿含経典での、預流向は、修行している凡夫の別称なのです。
仏道を歩んでる凡夫に敬意を表して預流向と呼ぶのです。
それに屁理屈をつけて、預流向を聖者にしたのがアビダルマ論師です。
釈迦は四双八輩を聖衆と呼んでますが、他の経典を読むと、預流向は
本当の聖者からは除かれることが解るのです。
- 457 :深山:2010/04/22(木)
12:56:41 ID:CYUdi1A60
- >448 :準シュダオン:2010/04/22(木) 09:32:15 ID:agsP6ENM0
>預流とは一来向のこと、一来とは不還向のこと、不還とは阿羅漢向のこと、
>と解したら、簡単に説明できるでしょう。一来向とは預流の範疇だという
>>452 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/22(木) 12:38:55
ID:agsP6ENM0
>しかし、これは間違いです。阿含経典では、一来向とは一来を目指して修行し
>ている預流の別称なのです。
桐山ゲイカに向かって間違いだと指摘するとはなかなか勇気がある。
『人間改造の原理と方法』では、「預流=預流向=聖者」と書いている。
>>451に引用したように、桐山説では預流果の後には「一来 一来果」しかない。
預流果は一来向ではないのだから、「一来=一来向」ということになり、
預流など関係ありません。
あなたが出した証拠であり、桐山ゲイカの記述ですよ。
これをどうしてあなたは無視するのだ?
都合が悪くなると、桐山ゲイカの記述すらも無視か?
『人間改造の原理と方法』も『ダルマチャクラ』も両方とも桐山さんの記述です。
そして両者は説明不足などではなく、明らかに矛盾している。
批判側と戦っているつもりで、桐山さんその人から足払いかけられた気分はいかがなものか。
前も注意してあげたでしょう。
あなたは批判側が敵だと思っている。
だが、本当の敵は、あなたの後ろにいる連中であり、総大将が桐山ゲイカです。
こうやって桐山さんを擁護したつもりが、矛盾した教義を言い出されて
困ったことは私も信者時代に経験した。
- 458 :深山:2010/04/22(木)
13:02:30 ID:CYUdi1A60
- >>456 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/22(木) 12:53:51
ID:agsP6ENM0
>深さんもくどいね、わたしの本日分のレスを読んだら、管長が預流向を聖者
>から省いた理由がわかろう、というものを。
他人に「俺の話を聞け」と叫ぶ年寄りに限って、他人のいうことを理解できない。
あなたは桐山さんの本のどこを読んでいるのだ?
>>451に引用してあげたのが読めないのですか?
「この預流(初果)というのは、四諦の真理を完全に理解会得した境地で、
ここから「聖者」の列に入るのである。」(『人間改造の原理と方法』182頁)
桐山さんは「預流=聖者」だとはっきりと書いている。
しかも、桐山さんの分類には預流と預流果しかないのだから、預流向は預流に入ることになる。
だったら、「預流向=聖者」だと桐山さんは書いているのです。
あなたの勝手な解釈ではなく、桐山さんの説をそのまま持ってきなさい。
- 459 :深山:2010/04/22(木)
13:06:04 ID:CYUdi1A60
- >>456 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/22(木) 12:53:51
ID:agsP6ENM0
あなたは今『ダルマチャクラ』の記述を唯一のよりどころとしている。
だが、それが簡単に崩れてしまうかもしれないことに気がついていないようですね。
私がどうして阿含経講義の下巻の発行を待ったらどうかと提案しているか
あなたは理解していない。
平河出版社の編集者たちがここの議論を読んでいるからです。
彼らが上巻で仙尼経から異陰を消したのがなによりの証拠です。
私は平河出版社の人たちも、『アゴンマガジン』を作っている連中と同じで、
嘘とわかっていても平気で出版するような連中かと誤解していた。
だが、あなたも『ダルマチャクラ』を持っているのなら、比較してみればわかるように、
上巻はかなり詳細な修正を加えて出版したのです。
それでも子母澤さんのサルの件のように、桐山さんの嘘を取り除けなかった。
桐山さんの中途半端な知識、オカルト解釈、そして山のような嘘を
取り除いたら、本そのものが消えてしまう。
ましてや、因縁解脱という嘘を取り除いてしまったら、教団として成り立たない。
三供養品に三福道がないことも知って、下巻の出版が延期された。
異陰と違い、致命傷です。
あなたが引用した『ダルマチャクラ』の記述は下巻で出てくる予定です。
ここでの議論を読めば、桐山さんの四向四果の説明がデタラメなのがわかる。
編集者たちの頭痛の種がまた一つ増えたのです。
だから、私はこの議論は下巻が出てからにしてはどうかとあなたに提案しているのです。
- 460 :深山:2010/04/22(木)
13:14:31 ID:CYUdi1A60
- >448 :準シュダオン:2010/04/22(木) 09:32:15 ID:agsP6ENM0
>預流とは一来向のこと、一来とは不還向のこと、不還とは阿羅漢向のこと、
>と解したら、簡単に説明できるでしょう。一来向とは預流の範疇だという
>>452 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/22(木) 12:38:55
ID:agsP6ENM0
>しかし、これは間違いです。阿含経典では、一来向とは一来を目指して修行し
>ている預流の別称なのです。
だから、そのように書いてある阿含経がどこにあるのだ?
読者は私の説もあなたの説も信用していない。
どちらの説が信用できるかは、阿含経、学者の本など客観的な根拠を示せたほうです。
出家経に預流と書いてあると、あなたは勝手に「預流=預流果+斯陀含果」と解釈している。
だが、経典にはそのような記述はいっさいありません。
預流の内容とは、当時も、またその後、阿含経をまとめたアビダルマ仏教でも、
また、今日学者たちも、
「預流=預流向+預流果」
です。
なぜなら、預流などの四つ階梯を分類したのが「向」「果」だからです。
その文献として『インド仏教の歴史』という本まで私は示した。
あなたと違い、解釈ではなく、学者がそのように書いていることを示したのです。
あなたのその説をくどくどとくり返せばくり返すほど、
実は証拠は何もなく、あなたの勝手な解釈にすぎないことがわかる。
なにせ、桐山さんにすらあなたの説は裏切られ、見捨てられてしまった。
ああ、なんと気の毒な準シュダオンさん!
まるで春先の冷たい雨にうたれる濡れ鼠、いや、濡れ狸のようなですね。
もう、涙なくしては笑えない。
- 461 :深山:2010/04/22(木)
13:16:56 ID:CYUdi1A60
- >>450 :準シュダオン:2010/04/22(木) 10:14:10 ID:agsP6ENM0
>ユビさんは、斯陀含向を得たとか、阿那含向を得たとか、阿羅漢向を得た
>とか経典にあるか?と書いた。
>わたしが知るかぎり、そういう経典はなかった。
あなたが知らないからない、などというのは傲慢です。
あまりにしつこいから、事例を出してあげましょう。
あなたの好きな平河出版社の阿含経です。
「ところで私は今、仏の弟子であり、悟りの第一段階である須陀諸Yの道に達し、
他の境遇に堕落することなく、七たび生死の世界へ往復したのち、
必ず須陀諸Yとしての結果を成就します。」
(『現代語阿含経 3』147頁)
これは釈尊の前で帝釈が宣言した内容です。
須陀諸Y道とは須陀諸Y向のことであることは、その後の記述をみてもわかる。
帝釈は、自分は須陀諸Y向に到達したと宣言し、しかも須陀諸Y果は、
七回輪廻する間に到達しますというのだから、まだ得ていない。
学者は預流向を「悟りの第一段階」と和訳している。
悟りの第一段階を凡夫とはいいません。
- 462 :深山:2010/04/22(木)
13:26:17 ID:CYUdi1A60
- >>450 :準シュダオン:2010/04/22(木) 10:14:10 ID:agsP6ENM0
>わたしが知るかぎり、そういう経典はなかった。
桐山さんの真似をして、いかにも阿含経を読破したかのような書き方ですね。
だが、あなたが読んでいるのは平河本の長阿含経でしょう?
それは長さからいって、阿含経全体の一割程度です。
しかも、私が>>461に引用したのはあなたが読んでいる阿含経です。
書いてあるのに、あなたは読めなかった。
桐山さんと同じで、書いてある文章をあるがままに理解するのではなく、
自分の勝手な解釈をごり押ししながら読んでいるからです。
桐山さんもあなたも国語の成績がよかったとはとても思えない。
あなたはいくら説明されても「向」を位階のように
解釈するしか能がないようだが、そういう意味ではありません。
須陀諸Y向や斯陀含向は得るものではなく、進むものです。
須陀諸Y向とは須陀諸Y果を得るまで修行過程を指す言葉です。
学校のたとえのように、小学生は一年生を得るのではなく、
卒業を目指して進んでいるのです。
進んでいる過程を「向」と表現した。
だから、上記でも須陀諸Y向のことを須陀諸Y道と表現し、
漢訳経典ではよくこの表現が使われます。
須陀諸Y道を得る、須陀諸Y道を成じる、つまり、須陀諸Y道を修行するという記述は
他にもいくつかあります。
これは学校のたとえでいうなら、小学校で学ぶ、という意味です。
あなたが知らないだけです。
手元にある阿含経すらろくに知らないなら、我流の解釈を並べるのはやめなさい。
- 463 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/22(木) 13:26:50 ID:SmEF4Oe2O
- >>448:準シュダオン10/04/22(木) 09:32:15
ID:agsP6ENM0
>預流とは一来向のこと、一来とは不還向のこと、不還とは阿羅漢向のこと、
>と解したら、簡単に説明できるでしょう。一来向とは預流の範疇だという
>理解ができてたら、簡単に思いつけます。
するってえと、準先生。それを学校の就学課程に喩えて表にすると↓こんなふうに
なるんですかい?
小学校課程就学者(未就学児、または幼稚園児ともよぶ)
小学校卒業者
中学生課程就学者(小学校ともよぶ)
中学生卒業者
高等学校課程就学者(中学生ともよぶ)
高等学校卒業者
大学就学者(高校生ともよぶ)
大学卒業者
- 464 :ラシン:2010/04/22(木)
16:07:53 ID:q4iXIS7Y0
- >461
:深山「ところで私は今、仏の弟子であり、悟りの第一段階である
須陀諸Yの道に達し、他の境遇に堕落することなく、、」
>463 :ユビキタス
大学就学者(高校生ともよぶ)
お二人から完全論破されましたね。
沈没しても準シュダオンさんは多分、ブクブク言うでしょうが。
仏教の基本釈尊の教えの根幹は、解脱せよ!です。
あなたはそれさえ理解できずにいるから、珍道中を続けている。
解脱を最終と考えたら、阿羅漢以外はすべて修行過程にすぎない。
釈尊は、修行はアナゴンまででも良いぞ、とは言っていない。
臨終に際しての釈尊の言葉は「もろもろの事象は過ぎ去るものである。
怠ることなく修行を完成なさい」です。
修行の完成とは何だ? 漏尽解脱することです。
あなたは、預流果が修行の一完成だと考えているらしい。
だから完成なき預流向を凡夫だなんて、見間違うのだ。
だから、いちいち棲み分けをさせてしまうのです。
深山さんの指摘では「悟りの第一段階」と読み取っている。
第一段階とは何だ? ある流れの第一過程に過ぎない。
それでも聖者なのですよ。
小学一年生から学んで一年生を終えたら二年生となる。
あなたの言い分なら、二年生を終了していない二年生は、
一年修了生なのだとなるが、ここで笑いを取りたかった?
わかりやすくユビさんが示した図式で、普通の人なら大笑いするだろう、
あなた以外はね、、、。
釈尊は解脱を目指す「二人ずつの四組と八人の人々」は聖者の仲間とした。
四向四果で分類すれば、預流向から阿羅漢果までを聖者としたのです。
だから批判側の分類は、四向四果と整合する。
だがあなたの>>376にある説は「二人ずつ」との釈尊の定義には収まらない。
あなたの間違った我流解釈だからです。
- 465 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/23(金) 09:08:40 ID:SmEF4Oe2O
- 小学校課程就学者(未就学児、または幼稚園児ともよぶ)
小学校卒業者
中学校課程就学者(小学生ともよぶ)
中学校卒業者
高等学校課程就学者(中学生ともよぶ)
高等学校卒業者
大学就学者(高校生ともよぶ)
大学卒業者
一部表を直しておきました。
さて準シュダオンさんは5階建ての建物の2階に到達しない者はまだ1階の凡夫
に決まっているとしているが、実はこんな
きまりなどない。
階段は1階でも2階でもないに決まっているが、しかしこの階段を上の階は下の階か
どちらかに従属させようという話になったら、そのルールはその都度関係者の間で
取り決めをすればよいのであり、固定されていない。
それを階段はまだ2階まで到達していないのだから1階の凡夫に決まっているのだと
たったそれだけの視点で決め付けており、他の考え方は成立しないなどと考える
凝り固まっている。
階段は1階の平面凡夫をもはや過ぎているという逆からの発想も成立するのに
考えにも及ばない。
その例として上記の学校の就学課程を出した。
高校に通って高校課程の学科を学ぶ生徒が完全に高校課程を修了してないから
中学生だなんてナンセンスなお笑いです。
そりゃ各課程の修了(卒業)時点と入学仕立ての時点とは、学力面において段違いの
差があります。しかしそれを学んでいくのが各課程の学童、生徒、学生です。
中学生は中学生であり高校生は高校生です。
そりゃ高校でも大学でも中退すればそれまでだが、中退しないうちは等しく
高校生なり大学生なのです。
すなわち卒業証書を手にしなくてもそれぞれ小学向、中学向、高校向、大学向
であり、それは小学生、中学生、高校生、大学生なのです。
そういう考え方なんですね。向とか道とかは。果、卒業なんて中間での通過目標に
過ぎない。
向を予備校と勘違いしてしまってはならない。
字面だけで我流に判断するのでなく、それぞれ釈尊、仏教者の言わんとしていることに
謙虚に耳を傾けるべきです。
頂上ではなく途中行程も認める聖者の内容についても偏見を持たぬことです。
ましてや自分の狭い考えを理解できぬ者は愚か者などと相手を罵ることは、そちらの方が
愚か者です。
- 466 :準シュダオン:2010/04/23(金)
11:22:00 ID:agsP6ENM0
- ユビさんの学校の例は、四向四果の喩えになってはいないよ。
人間改造の原理と方法、本のP181と、輪廻する葦、本のP258を、
比較検討してご覧なさい。そうすれば、経典の四向四果とアビダルマの四
向四果の違いがわかろうよ。
阿含経典の四向四果と、アビダルマの四向四果は、違いがわかってしまえば
単純だが、違いがわかるまでは、微妙な違いです。
アビダルマの四向四果説では、八沙門果になってしまうよ。
八沙門果ではなくて、なぜ四沙門果なのかを理解できないといけない。
それは、阿羅漢向は阿那含に含まれ、阿那含向は斯陀含に含まれ、斯陀含向
は須陀?に含まれるから、四沙門果なのです。
阿羅漢、阿那含、斯陀含、須陀?、の四っつに含まれてしまいます。
須陀?向は、須陀?未満なので、四沙門果には含まれません。
「未満」と「以下」の違いは、解りますよね。
須陀?向は、須陀?以下ではなくて、須陀?未満なので、須陀?に含まれ
ないのです。
- 467 :ラシン:2010/04/23(金)
11:55:18 ID:q4iXIS7Y0
- >466
:準シュダオン
>「未満」と「以下」の違いは、解りますよね。
須陀?向は、須陀?以下ではなくて、須陀?未満なので、須陀?に含まれ
ないのです。
このお方は自説の矛盾、仏説との整合性を無視し、
我流の中で溺れている。
過去>>376で示した準シュダオンさんの珍説です。
5、阿羅漢=仏・阿羅漢果・得阿羅漢・仏の十号(阿羅漢向は含まない)
4、阿那含=阿羅漢向・得阿那含・阿那含果・不還果
3、斯陀含=阿那含向・得斯陀含・斯陀含果・一来果
2、須陀?=斯陀含向・得須陀?・須陀?果・預流果
1、凡夫 =須陀?向・預流向・入流向
これは釈尊が示した聖者の定義「二人ずつの四組と八人の人々」に、
まるで整合していない。
図式どおりなら「一人とあとの二人ずつの、2組と3組の八人の人々」と、
なってしまうお間抜け解釈振りです。
組数は5つでその内訳は、一人ずつが2組、二人ずつが3組という矛盾。
そして4組7人で、聖者の仲間となってしまう。
意地だけ張ってその笑える失態を糊塗している。
- 468 :準シュダオン:2010/04/23(金)
12:05:17 ID:agsP6ENM0
- 深さんが提示した平河本第3巻のP147ですが、
「悟りの第一段階である須陀?の道に達し」という学者さん訳ですが、
漢文にはただ、「得須陀?道」と、あるだけで「悟り」なんて語はありません。
わたしの経典解釈では、在家の場合は、三宝に帰依して五戒を受けたら、
それだけで、「得須陀?向」です。
この経典は、
今まで仏の信者でなかった帝釈天が、仏の信者になっただけのお話で、
別に、須陀?向が聖者であると、記しているわけではありません。
でもよく「得須陀?道」という語を見つけたものです。
- 469 :深山:2010/04/23(金)
12:37:51 ID:xd3cIraY0
- >>466 :準シュダオン:2010/04/23(金) 11:22:00
ID:agsP6ENM0
>ユビさんの学校の例は、四向四果の喩えになってはいないよ。
往生際の悪い年寄りだ。
阿含経でも、学者の説でも、「預流向≠聖者」などというのは存在しない。
桐山さんも「預流向≠聖者」とは断定していない。
「預流向≠聖者」は準シュダオンさん一人です。
四双八輩が聖者であるとあなたは認めた。
四双八輩が聖者なのに、預流向だけは聖者ではない?
こんな矛盾した説明で誰が納得する?
それとも、四双八輩が聖者だと認めたことを撤回するか。
四双八輩が聖者だが、そこに含まれる預流向だけは聖者ではないという
あなたの主張の根拠を示してみなさい。
根拠とはあなたの意味不明の解釈ではなく、阿含経や学者の説です。
批判側はあなたみたいに個人的な解釈を主張しているのではなく、
経典の釈尊の言葉のまま、学者たちの説明のままを示しているにすぎない。
あなたも「なってはいないよ」などというただの否定語を並べていないで、
経典の根拠や学者の説を示してみなさい。
それが示せないなら、準シュダオン教という根拠のないタワゴトにすぎない。
それはここではなく、よそに言って吠えていなさい。
- 470 :準シュダオン:2010/04/23(金)
12:38:34 ID:agsP6ENM0
- 深さんが示した平河本第3巻のP147だが、
一番肝心な点が、おかしいよ。
「得須陀?道」と話してるのは、釈迦ではなくて帝釈ですよ。
だからこれは釈尊の教えではありません。
ついでに、深さんは平河本第3巻のP142の中ほどをお読みなさいな。
釈迦が帝釈に次のように説いてます。
「帝釈よ、欲求もやはり自らを害い、他人を害い、また両者ともに害う
場合、このような欲求は捨てるのだ」
とね。
ね、何でもかんでも、欲求を捨てれば良い、というものではない、ことが解
るでしょう。自分を害し、人を害する悪い欲を捨てよ、と説いてます。
- 471 :深山:2010/04/23(金)
12:45:59 ID:xd3cIraY0
- >>466 :準シュダオン:2010/04/23(金) 11:22:00
ID:agsP6ENM0
>ユビさんの学校の例は、四向四果の喩えになってはいないよ。
ユビキタスさんのたとえは実にわかりやすい。
私も真似して、桐山説と準シュダオン説を表にしてみます。
小学生・・・小卒+中学1〜3年生
中学生・・・中卒+高校1〜3年生
高校生・・・高卒+大学1〜4年生
大学生・・・大卒
ん?あれ、小学生1〜6年生はどこに行った?
小学生1〜6年生は世間では小学生です。
この表を見ても桐山説こそおかしい。
これが四向四果のたとえになっていないというなら、
あなたの出した階段のたとえでもいい。
1階・・・凡夫
1〜2の階段・・・預流向(聖者)
2階・・・預流果(聖者)
2〜3の階段・・・斯陀含向(聖者)
一階の平面をどのように移動しようが、どんなに広い場所を持とうが、
それは凡夫にすぎない。
だが、狭い階段であっても、たった一段でも、上に上がり始めたら、
それは解脱への第一段階であり、そこを上る人を聖者という。
なるほど、準シュダオンさんのたとえもわかりやすい。
- 472 :深山:2010/04/23(金)
12:51:46 ID:xd3cIraY0
- >>466 :準シュダオン:2010/04/23(金) 11:22:00
ID:agsP6ENM0
>須陀?向は、須陀?未満なので、四沙門果には含まれません。
いいえ、含まれます。
あなたは四向四果、四双八輩と四沙門果を区別したつもりだろうが、
これらは表現が違うだけで、中身は同じです。
四沙門果とは、須陀オン、斯陀含、阿那含、阿羅漢を指す。
それらは「向」「果」に分けて表現したのが四双八輩で、内容は同じです。
だから、「須陀オン=須陀オン向+須陀オン果」です。
須陀オン向は「須陀オン未満」ではなく、「須陀オン果未満」です。
須陀オン向は須陀オン果は得ていない。
だが、須陀オンの範疇です。
小学生一年生(須陀オン向)は小学校卒業の資格(須陀オン果)は持たなくても、小学生(須陀オン)です。
二階への階段を一歩でも上り始めたら(須陀オン向)、一階(凡夫)ではなく、聖者なのです。
- 473 :深山:2010/04/23(金)
13:12:57 ID:xd3cIraY0
- >>468 :準シュダオン:2010/04/23(金) 12:05:17
ID:agsP6ENM0
>漢文にはただ、「得須陀?道」と、あるだけで「悟り」なんて語はありません。
あなたって本当にご都合主義者ですね。
平河本を引用しては、学者がこういっていると自説の根拠にしながら、
その同じ本で、自分に都合の悪いことが出てくるとこれを拒絶する。
漢文を文字通り書き下しにするなら、学者はいらない。
そんな程度なら素人の私でもできる。
現代語訳とは、現代人にも意味がわかるように「翻訳」することです。
学者が他の阿含経や、これまで積み重ねられてきた様々な阿含経の研究から、
ここの文章はこのように訳するのが正しいと判断したのです。
しかもこの本は平河出版社から出ている。
他にもこういう経典はあるが、平河から出ており、
あなたがたびたび引用したから、それを選んであげたのです。
平河から出ている阿含経ですよ。
なかばアゴン宗が認めたのと同じではないか。
専門の仏教学者が研究の末に翻訳し、しかも平河出版から出ているのに、
ド素人のあなたごときが何を言うのだ?
- 475 :深山:2010/04/23(金)
13:21:43 ID:xd3cIraY0
- >>468 :準シュダオン:2010/04/23(金) 12:05:17
ID:agsP6ENM0
>漢文にはただ、「得須陀?道」と、あるだけで「悟り」なんて語はありません。
「悟り」とないから、だから何なのですか。
あなたは、須陀オン向に達したという表記など見たこともないなどと、
いかにも須陀オン向などないかのような主張をたびたび書いた。
だから、あなたの主張に根拠がなく、阿含経には須陀オン向や斯陀含向を
成じたという言葉などいくらであることを、あなたが確認しやすい事例を示しただけです。
あなたは自分が何を主張したのか忘れていますよね。
そして、否定された悔しさから、その場しのぎに相手の言葉に因縁をつけていく。
ごまかそうとしても無駄です。
あなたは○○向に到達したなど阿含経にはないと主張した。
根拠がないのです。
阿含経にはちゃんとそれらはある。
まずそれを認めたらどうだ。
- 476 :神人同行:2010/04/23(金)
13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
- 以前のように夜更かししてまで、
アゴンスレを見ることはなくなりましたネ。
新人は出現しないし、新しい話題もなく同じ問答の繰り返しに見えますし
準某のスレでもないのに、彼をどうしたいのかが
読めません
と言うと彼の背後の信者会員やロム者や新規に読み出す人をを意識してると
おっしゃるでしょうが、そうとも見えません!!
マンエリ化しすぎてます。
最後に釈迦仏教の教義と桐山教の教義モドキおよび
準某の思いこみを羅列して準某の介護は切り上げませんか?
ハッキリ言って介護には見てるだけで疲れました。
- 477 :深山:2010/04/23(金)
13:28:11 ID:xd3cIraY0
- >>468 :準シュダオン:2010/04/23(金) 12:05:17
ID:agsP6ENM0
>わたしの経典解釈では、在家の場合は、三宝に帰依して五戒を受けたら、
だから、あなたの経典解釈なんていらないのだ。
何度云われたらわかる?
あなたは学者でもなければ、アゴン宗の教祖でもなく、一信者にすぎない。
批判側は経典解釈などせず、学者の現代語訳、解釈、説明をそのまま持ってきただけです。
何をあなたごときド素人が口を出すのだ?
釈尊自ら、四双八輩とは聖者であると述べ、四双八輩に預流向が
含まれることにはあなたすらも認めている。
釈尊も断定し、学者たちもそのように解釈し、和訳しているのに、
誰に向かって何の文句をつけているだ?
さらには、須陀オン向に到達したと宣言し、釈尊はそれを認めている事例を示した。
批判側は解釈などしていない。
あなたもその低い知性で解釈するのはやめて、阿含経にある釈尊の言葉のまま、
学者たちの解釈のままを受け入れたらどうか。
- 478 :深山:2010/04/23(金)
13:31:54 ID:xd3cIraY0
- >>470 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/23(金) 12:38:34
ID:agsP6ENM0
>「得須陀諸Y道」と話してるのは、釈迦ではなくて帝釈ですよ。
>だからこれは釈尊の教えではありません。
恥知らずのあなたならきっとこういう屁理屈をつけてくるだろうと思ったから、
>>461で「釈尊の前で」と書いたのです。
帝釈の説が違うというなら、釈尊が否定したはずです。
目の前で間違ったことを言われて、あの釈尊がそのまま黙っていると思うか。
阿含経には釈尊の言葉だけでなく、弟子たちの言葉がいくつも出てくる。
あなたが前に出した100科550道品は釈尊ではなく、サーリプッタの解説です。
だが、これを釈尊は認めているのだから、釈尊の教法です。
同様に、帝釈の言葉を釈尊は認めたのだから、仏教の正しい教法です。
あなたは知らないだろうが、目の前で言われて、釈尊が何も言わない時は
同意を意味するのです。
だから、供養の申し出があっても、「喜んで行く」なんて答えたことはない。
あなたの引用したアンバパーリーの供養を見てごらんなさい。
釈尊は申し出に何も答えていない。
それが同意を意味するのです。
帝釈が預流向に至っていないのに、預流向になったと宣言したなら、
どうして釈尊がそれを黙っているはずがある?
はっきりと「おまえは預流向ではない」と否定したはすです。
だが、釈尊は彼の発言になにも言っていないのは、同意したからです。
そんなことは当たり前で、仏教に帰依して、釈尊の示す教法を
ほんの少しでも実行し始めたら、階段を上り始めたのだから、彼は預流向です。
釈尊に保証してもらう必要すらない。
- 479 :深山:2010/04/23(金)
13:36:44 ID:xd3cIraY0
- >>470 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/04/23(金) 12:38:34
ID:agsP6ENM0
「帝釈よ、欲求もやはり自らを害い、他人を害い、また両者ともに害う
場合、このような欲求は捨てるのだ」
また思いつきの勝手な解釈が始まりましたね。
「このような欲求」のみを捨てるとどこにあるのだ?
釈尊は特に捨てなければならない欲求を示したのです。
釈尊が積極的に肯定した欲求とは解脱しようとする欲求のみです。
他の欲求は「必要最小限」です。
あなたはまるで、私が、すべての欲求を否定したかのような
書き方をいつもするが、そんなことを言ったことは一度もない。
そんなのは極端であり、中道を説く仏教に反する考えです。
毎度毎度、勝手に私の主張を捏造するのはやめてください。
欲求を最小限にしなさいと釈尊は説いているのです。
ましてや欲求を護摩木で煽るなど論外だと批判しているのです。
欲求を祈願しろなどと阿含経のどこにある?
釈尊は欲求を否定しているにもかかわらず、あなたには肯定している
ように見えるのですね。
あなたも桐山さんも餓鬼である証拠です。
- 480 :準シュダオン:2010/04/23(金)
13:50:01 ID:agsP6ENM0
- ユビさんの学校の喩えは、内容がおかしいの。
でも、学校という着眼点は良いから、四向四果を学生で説明してみよう。
経典の四向四果の説明だよ、アビダルマ論ではない。
阿羅漢→大学生 阿那含→高校生 斯陀含→中学生 須陀?→小学生
だとして、説明して見る。釈迦は、これを正式な四果の学生とした。
そして、大学生を目指して勉強している高校生を大学生向と名付けたのです。
高校生を目指して勉強している中学生を、高校生向と名付けたのです。
中学生を目指して勉強している小学生を、中学生向と名付けたのです。
小学生を目指して勉強している幼児を小学生向と名付けたのです。
なぜ向という語を付けたかというと、果に対する語として必要だからです。
大学生のことを大学生果ともいいます。これは、大学生に到達していない
大学生向(高校生)と区別するために必要だったのです。
ところが、アビダルマ論師たちが、勝手に大学生向の内容を変えて、短大生
を大学生向にしてしまったのです。
アビダルマ論師は、高校と中学校の間に各種専門学校を作り、専門学校生を
高校生向としてしまったのです。
小学校と中学校の間には塾をつくり、熟生を中学生向、としたのです。
釈迦は、幼児を小学生向と呼んだのに、アビダルマ論師は、
幼稚園児のみを小学生向と呼ぶように変えたのです。
だから後に混乱して、小学生=幼稚園児+小学生果、と勘違いし、
中学生=熟生+中学生果、と勘違いし、
高校生=専門学校生+高校生果、と勘違いし、
大学生=短大生+大学生果、と勘違いするように
なったのです。
- 481 :うサギ:2010/04/23(金)
13:56:17 ID:9sYmIUls0
- >>470「得須陀諸Y道」と話してるのは、釈迦ではなくて帝釈ですよ。
こら、反レスする前には、相手のレスをちゃんと読め。
深山さんが>>461で、すでにそう書いているのを読みましたか?
準々シュダオンさんに提案だが、新しいレスはすべて
音読したらどうですか。そうすれば読み抜けはある程度防げますよ?
- 482 :準シュダオン:2010/04/23(金)
14:13:20 ID:agsP6ENM0
- では、深さんには次に、「得須陀?向」というのも出してもらいましょうか。
「得須陀?道」が、たった一個だけでは心細いよ。
悟りの第一段階という、大切な部分なら、経典にもっと沢山登場して、
不思議はないと思うがね。「三結断じて得須陀?」は、数えきれない
くらい、登場してますよ。
「○○断じて得須陀?向」とか、あるいは「貪瞋痴減じて得須陀?向」とか
皆無と言えるほど経典に見えないのはどうしてだろ。
その理由は、仏道の出発点が須陀?向だから、と考えるしかないのでは、ね。
- 483 :準シュダオン:2010/04/23(金)
14:25:55 ID:agsP6ENM0
- 須陀?向は須陀?果未満なのであって、須陀?には含まれるだと!!!。
深さん、また変なこと言いだした、大笑いだ。
出家経を見なさい。
「三結尽 得須陀?不堕悪趣」とありますね。では、ここには須陀?とある
から、ここには須陀?向も含まれる、というわけ?
だったら、須陀?向も「三結尽 不堕悪趣」なわけ?
深さんの理屈では、須陀?果も須陀?向も違いがなくなってしまうね。
須陀?=須陀?果なのであって、須陀?≠須陀?向なのです。
須陀?向は、須陀?未満なのです。それが解らないから、延々とおかしな
理屈をこねるのです。
- 484 :準シュダオン:2010/04/23(金)
14:30:14 ID:agsP6ENM0
- うサギさん、深さんのウン〇レス、読む価値無し、それでもアチコチ読んでる
のだからさ、わたしの苦痛わからないだろうなぁ、少しの読み落としくらい、
当たり前だあ!!
- 485 :準シュダオン:2010/04/23(金)
15:31:32 ID:agsP6ENM0
- お釈迦さまは、四双八輩を十結煩悩に関連付けて定めているのだから、
深さんは、それを覚えないといけないね。
管長も四沙門果を、阿含教学の基本だと言ってるわけでね。
その基本も理解せずに、桐山管長を批判したって、ほんに臍が茶沸かすでぃ。
阿羅漢とは、十結煩悩を断った仏の別称だよ。阿羅漢果も同じ意味ね。
だが、阿羅漢向とは、五下分結は断ち終えたけど、五上分結のいくつかは
断てていないわけだ。つまり、阿那含の修行者を阿羅漢向と呼ぶわけね。
深さんは、そのことが理解できていないよ。
そのことを理解したら、阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向、などとの馬鹿馬鹿しい
間違いはしなくなるよ。
四双八輩と、十結煩悩との関係を理解することだね。
それと、なぜ八沙門果ではなくて、四沙門果なのか?
それを理解することだね。
経典に四沙門果の説明があるね、須陀?果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果です。
出家経にも向経にも、「得須陀?」とあり、「得須陀?果」とはなっていません。
でも、得須陀?=得須陀?果、であることがわかりますよね。
また、得須陀?≠得須陀?向なことも、わかりますよね、普通の人には。
- 486 :ラシン:2010/04/23(金)
16:41:29 ID:q4iXIS7Y0
準シュダオンさんのオツムでも分かる簡単な
喩えをしてみましょう。
川辺にあなたがいる陸地の所は、凡夫の陸地という場所だ。
川に入りその川辺から離れたら、陸地や川辺とは言わないだろ?
これが預流向です。
流れに乗って泳いで行けば、やがて行き先にたどり着く。
あなたの主張は、川中も陸地だと言うに等しい。
陸地である川辺から川を見たらただの凡夫じゃなく預流向だ?
川中でも、ただそこに留まっている分けではありません。
川に浮かんで泳いでいる最中です。
なぜなら釈尊がそのように説いている。
『尊師の弟子のつどいはよく実践している。尊師の弟子のつどいは
真っ直ぐに実践している。
尊師の弟子のつどいは正しい道理にしたがって実践している。
尊師の弟子のつどいは和敬して実践している。尊師の弟子のつどいは、
すなわち、二人ずつの四組と八人の人々とであるが、かれらを敬うべく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の副田である』
(大パリニッバーナ経/涅槃経)
- 487 :ラシン:2010/04/23(金)
16:42:09 ID:q4iXIS7Y0
- >483 :準シュダオン:2010/04/23(金) 14:25:55
ID:agsP6ENM0
須陀?向は須陀?果未満なのであって、須陀?には含まれるだと!!!。
深さん、また変なこと言いだした、大笑いだ。
出家経を見なさい。
「三結尽 得須陀?不堕悪趣」とありますね。では、ここには須陀?とある
から、ここには須陀?向も含まれる、というわけ?
だったら、須陀?向も「三結尽 不堕悪趣」なわけ?
深さんの理屈では、須陀?果も須陀?向も違いがなくなってしまうね。
面白い人ですね、そんな屁理屈を批判側の誰が言った?
その「三結尽 得須陀?不堕悪趣」とは、三結を尽くし須陀?を
得たら悪趣には堕ちない、との意味でしょう?
三結尽=須陀?果(預流果)という釈尊の定義どおりです。
ここで預流向のことには触れていないからとて、何か問題があるのか?
釈尊は、涅槃経の『法の鏡』で預流向から阿羅漢果までを聖者と
認め、不堕悪趣だと説いています。
つまり、
この三結尽=須陀?果が、不堕悪趣の条件だと勝手に決め込んだ
いつものあなたの凡ミスです。
いかにも勝ち誇ったような理屈を並べても、
結果はただのあなたの国語力の問題で終わった。
鏡に映ったあなた自身を見て大笑いしたか?
違うと言うなら”三結尽=須陀?果”からでないと不堕悪趣とは
ならない、という経典を示したら〜。
- 488 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/23(金) 21:09:59 ID:SmEF4Oe2O
- >>480:準シュダオン10/04/23(金) 13:50:01
ID:agsP6ENM0
>ユビさんの学校の喩えは、内容がおかしいの。
当たり前です。あなたの書いている分類を学校の生徒にあてはめるとそんなおかしな
構図になるのですよ。自分の書いた構図が理解できてないですね。
それを解説してあげます。
>阿羅漢→大学生 阿那含→高校生 斯陀含→中学生 須陀m9→小学生
>だとして、説明して見る。釈迦は、これを正式な四果の学生とした。
>そして、大学生を目指して勉強している高校生を大学生向と名付けたのです。
>高校生を目指して勉強している中学生を、高校生向と名付けたのです。
>中学生を目指して勉強している小学生を、中学生向と名付けたのです。
>小学生を目指して勉強している幼児を小学生向と名付けたのです。
まずこれだと向はよいとして果はそれぞれの学校に入学することになりませんか?
小学校果とはピッカピカのランドセルを背負って通学すれば小学生の本分を果たした
と言えるでしょうか?
違いますよね。
かな文字から漢字まで学び、加減乗除や分数の概念まで理解して、
実験を経て電気のしくみを習い、郷土の歴史から日本国憲法も習い、ハーモニカや
立て笛を吹けるようになり、鉄棒で逆上がりができるようになる、などなどです。
加減乗除だの文字だのこれらは生活に必要なことですから。ピッカピカの1年生も
よいが御入学しただけでは駄目です。
そしてこの小学校果を得る為に小学校で学ぶ小学校向は小学生と呼び、幼稚園児
などとは言いません。
大学果もそうですよね。高校時代に勉強して(大学向)して大学に合格すれば
それが大学果かと言うと、それは違う。
医大を出て医師になろうとする人には医学部を卒業して国家試験に合格しなければならぬ。
大学に合格することが果ではない。つまり入学して医大生として学科を学び
(あなたの言う)大学向は続くことになる。
しかし大学向は大学未満ではない。ましてや高校生ではない。
さてあなたが示した預流果の条件もまた決してピッカピカのランドセルを背負って
入学式に行くことではないはずだ。逆上がりはできなくても
加減乗除ぐらいは
できないと。
そしてそれは小学校に通って学んで初めてマスターするものです。
つまり小学生であり、かつ小学校果に向かう小学校向なのです。
これでも小学生以上を聖者、小学生未満の幼稚園児を凡夫と見なすか?
- 489 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/23(金) 21:41:59 ID:SmEF4Oe2O
- >>484:準シュダオン10/04/23(金) 14:30:14
ID:agsP6ENM0
>うサギさん、深さんのウン〇レス、読む価値無し、それでもアチコチ読んでる
>のだからさ、わたしの苦痛わからないだろうなぁ、少しの読み落としくらい、
>当たり前だあ!!
読む価値がないとあなたが判断したら読まなければよいのです。
そしてそういう時は絶対にレスなどしてはならない。
中途半端でレスすることが一番無礼なんです。
苦痛を堪えてでも相手の書き込み内容をよく読み、理解した上でそれを踏まえて
根拠を添えて反論する姿勢を示すならば、それがどんなに間違ったことであろうとも
こちらも敬意を表します。
しかしこのような態度ではあなた自身がウ○コそのものなんですね。
そんなに人から軽蔑されたいですか?
- 490 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/23(金) 22:20:33 ID:SmEF4Oe2O
- >>480:準シュダオン10/04/23(金) 13:50:01
ID:agsP6ENM0
>大学生のことを大学生果ともいいます。これは、大学生に到達していない
>大学生向(高校生)と区別するために必要だったのです。
やはり大学で何をするか?勉強するという視点に欠けているな。
入りゃそれでいいのか?
預流果ならば三結を断じる学習をしなければなりません。
阿羅漢果ならば五上分結を断じる修行をする。その為の小学校なり大学です。
三結断じる果は入学しただけで得られるなんてあなたも述べてなかった。
仏門に入門仕立てのぺーぺーの新米はまだ預流果を得てない預流向とあなたは言った。
だから大学は大学の勉強をするところであり、ここに通って勉学に励む者を
単位をまだ取らない時期であっても大学生と呼びます。
小学校もしかり。小学校の勉強をするところであり、まだかけ算の問題を間違える
ことが多くともこの過渡期を含めて小学生と呼びます。
あなたのいう四果の学生です。
小学生が小学校果に向かう小学校向なのです。
大学生が大学果に向かう大学向なのです。
それがあなたにはわからない。
小学生なわけないだろ?だの大学生のわけないだろ?と無知を示す。
- 491 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/23(金) 22:50:57 ID:SmEF4Oe2O
- >>483:準シュダオン10/04/23(金) 14:25:55
ID:agsP6ENM0
>須陀m9向は須陀m9果未満なのであって、須陀m9には含まれるだと!!!。
>深さん、また変なこと言いだした、大笑いだ。
>出家経を見なさい。
>「三結尽 得須陀m9不堕悪趣」とありますね。では、ここには須陀m9とある
>から、ここには須陀m9向も含まれる、というわけ?
>だったら、須陀m9向も「三結尽 不堕悪趣」なわけ?
不堕悪趣を得る須陀オン果を得る為に須陀オン道を得て須陀オン果に向かうことは
尊いことだと呼べばよい。
向なくして果は得られない。向とは実践努力のことです。
指をくわえてああなったらいいなあとぼんやり願うことではない。
だからまだ結果におぼつかなくても、不断に努力するならば必ず不堕悪趣の成果を
得ることができる。実践もせずに能書きばかり垂れてる奴とは雲泥の差です。
だから俺たちシュダオン族(私の仮の造語です)は結果のいかんを問わず尊いのだ
という意欲があなたには理解できないか?
もちろん結果を得たシュダオン果の方が上であるのは当たり前です。違いはあります。
しかし向だって尊いことは尊い。
向が必須の努力の道だからです。
努力なきところに果報なし。
- 492 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/24(土) 00:24:03 ID:SmEF4Oe2O
- >>482:準シュダオン10/04/23(金) 14:13:20
ID:agsP6ENM0
>「○○断じて得須陀m9向」とか、あるいは「貪瞋痴減じて得須陀m9向」とか
>皆無と言えるほど経典に見えないのはどうしてだろ。
>その理由は、仏道の出発点が須陀m9向だから、と考えるしかないのでは、ね。
なんかむしろ可愛いですね。
あなたは「○○という煩悩を断ったのだから、○○向を得た」なんて日本語が
通用しないことを知っての上で、そういう経典を引用してみよなんて、話をうんと
狭めて相手をごまかしている。
向を目標到達点であるかのようにして、それをこちらに出してみろと限定して迫る。
ところが目標到達点などではないことはこちらの方が示しているのです。
それでも「向を得る」「道を得る」という日本語は成り立つ。
預流向ならば単にそれまで仏門をくぐらなかった者が仏門に入り仏道を志すように
なったという意味が、道を得る、向を得るです。
その他の中間点の向もまた預流果得て尚一来向得るなんて言葉でも出てきたら
これは次なる道のステップを得た、つまり次のステップに進んだという意味で
日本語はなお成立する。
しかしそんなものを出されちゃたまらんと準シュダオンさんも実は気がついている。
だから敢えて条件を狭めて相手に無理難題を課す。
自分の誤解を相手に擦り付けるズルさです。
単なる出発点だけではなく途中行程全て含むのが向です。
ないのは結果だけです。
結果を得るまではずっと向です。
人生とは向です。修行とは向です。
だから尊い。出発点とその行程は尊い。
どうしてそういう考えができぬのか?
できないのではなく、そういう考えを認めると批判側を認め、自らの浅い考えを
認めることになるから、負けたくない意地でごまかし続けるのがよく見える。
- 493 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/24(土) 00:35:28 ID:SmEF4Oe2O
- >>485:準シュダオン10/04/23(金) 15:31:32
ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、四双八輩を十結煩悩に関連付けて定めているのだから、
>深さんは、それを覚えないといけないね。
>阿羅漢とは、十結煩悩を断った仏の別称だよ。阿羅漢果も同じ意味ね。
>だが、阿羅漢向とは、五下分結は断ち終えたけど、五上分結のいくつかは
>断てていないわけだ。つまり、阿那含の修行者を阿羅漢向と呼ぶわけね。
これもこちらが説いてもいないことを説いたかのように示すことによって
相手を陥れようというセコイごまかしです。
誰も阿羅漢果と阿羅漢向が同一だなんて述べてもいないのです。
明らかに違うのだが、しかし努力と努力の成果の因果関係から同じ仲間の用語で
分類されていると言っているのです。
阿羅漢向、阿羅漢道とは阿羅漢果に向けて努力する道です。
あるいは阿羅漢道をひたむきに修めた結果阿羅漢果を得る。
たからこの阿羅漢の道は尊いと言っているだけです。
それとも尊くないとか言うか?
- 494 :準シュダオン:2010/04/24(土)
08:55:31 ID:agsP6ENM0
- ユビさんが、誰も阿羅漢果と阿羅漢向が同一だなんて述べていない、とレス
してますが、深さんが前に「阿羅漢=阿羅漢果+阿羅漢向」だ、とレスして
ます。これは、阿羅漢果も阿羅漢向も同じ阿羅漢で、同一だ、と言うような
ものでしょう。
だが、経典を読むと、阿羅漢とは阿羅漢果から果を略したものだと解ります。
出家経を見てください。「三結尽 得須陀?」と、あります。三結尽きて
得須陀?です。得須陀?果とはなっておりません。それなのに三結尽きて
と、なっています。つまり、経典の須陀?には須陀?向は含まれていない
ことがわかります。深さんやユビさんは、四双八輩という先入観で、経典
を誤読しているのです。
- 495 :準シュダオン:2010/04/24(土)
09:29:40 ID:agsP6ENM0
- 出家経の須陀?には須陀?向が含まれていませんし、
「断五下分結 得阿那含」とありますから、阿那含とは阿那含向は含まず、
五下分結を断じた阿那含果のことであると、解りますね。
同様に、阿羅漢とは阿羅漢果のことでしょう。
さて、深さん堤示の平河本第3巻P147に対する疑問点です。
丘山新先生は、四双八輩について、深さんに近いような考え方みたいです。
だから、P147の訳も、おかしいですね。
どこが変か、というと、「得須陀?道」を、「悟りの第一段階である須陀?の
道に達し」と訳してます。その後で、「私が悟りの第二段階である斯陀含を
完成するで・云々・」と訳されてます。
では、その途中の、「極七往返 必成道果」は第何段階の悟りですか?
帝釈は、仏と話してるだけで須陀?道という第一段階の悟りを得て、
次は七たび生死を往来するうちに須陀?果を得る、といいます。
須陀?果の方が、須陀?道よりも遥かに難しい悟りだとわかります。
なにしろ七度も生死を往来したのち、と言ってるくらいですから。
それなのに、須陀?果を悟りの何段階とも言っていません。
この部分は、須陀?果を悟りの第一段階とすべきなのです。そのように
訳すべきだと思います。たぶん、丘山先生は、須陀?道は聖者という先入感
があり、須陀?道を悟りの第一段階に数えたのでしょう。
だが、そのように考えると、辻褄が合わないことが出てきますね。
- 496 :準シュダオン:2010/04/24(土)
10:05:22 ID:agsP6ENM0
- ユビさんのように、小学生を1年生とか6年生とかに分けてはいけません。
小学生全体を須陀?果と考えないと、四双八輩を間違えます。
理解できるまでは、微妙な問題です。
そういえば、過去、私は斯陀含を理解できなかった。三結断じて貪瞋が薄れて
斯陀含です、しかも経典には、貪瞋痴の三毒薄れて斯陀含とあります。
この貪瞋薄れて斯陀含なら、薄れてないのは斯陀含向です。
この薄れて斯陀含、がわからなかった。黙って、三結断じて須陀?、五結断じ
て斯陀含、七結断じて阿那含、十結断じて阿羅漢、なら解りやすいのに。
と、そう思ったことでした。
学校の例で言えば、小学生=須陀?果、は、幼児=須陀?向を卒業したと
いう意味です。中学生=斯陀含果は、小学生=斯陀含向を卒業した、という
意味です。高校生=阿那含果は、中学生=阿那含向を卒業した、という意味
です。大学生=阿羅漢果は、高校生=阿羅漢向を卒業した、という意味です。
この、小学生、中学生、高校生、大学生が、釈迦の正式な聖学生なのです。
小学生になると大学まで無試験で、エスカレータ式に行けるのです。
幼児のうちは、仮契約なので須陀?向と呼びます。
しかしお釈迦さまは、仮契約の幼児を含めて聖学生と呼ぶことがあるのです。
- 497 :準シュダオン:2010/04/24(土)
12:02:32 ID:agsP6ENM0
- 丘山新先生のように、須陀?向を第一段階の悟りとすると、辻褄が合わな
くなるとレスしましたが、次のようなことです。
須陀?向が第一の悟り(聖者でもいい)としますと、
須陀?果と斯陀含向が第二の悟り(聖者)になりますね。そして、
斯陀含果と阿那含向が第三の悟り(聖者)になります。そして、
阿那含果と阿羅漢向が第四の悟り(聖者)になります。あら、そしたら、
阿羅漢果と仏のグループは、第五の悟り(聖者)集団になりますね。
すると、五沙門果ということになってしまいます。
だから、須陀?道は、悟り(聖者)グループから外すべきだと言うのです。
管長のような捉え方が正しいのです。
- 498 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/24(土) 12:59:22 ID:SmEF4Oe2O
- >>496:準シュダオン10/04/24(土) 10:05:22
ID:agsP6ENM0
>ユビさんのように、小学生を1年生とか6年生とかに分けてはいけません。
>小学生全体を須陀m9果と考えないと、四双八輩を間違えます。
>学校の例で言えば、小学生=須陀m9果、は、幼児=須陀m9向を卒業したと
>いう意味です。中学生=斯陀含果は、小学生=斯陀含向を卒業した、という
>意味です。高校生=阿那含果は、中学生=阿那含向を卒業した、という意味
>です。大学生=阿羅漢果は、高校生=阿羅漢向を卒業した、という意味です。
>この、小学生、中学生、高校生、大学生が、釈迦の正式な聖学生なのです。
>小学生になると大学まで無試験で、エスカレータ式に行けるのです。
この時間ここだけにレスしときます。
まず小学生から大学生までが四果聖学生という前提はその通りに設定しましょう。
幼稚園児は凡夫なわけです。
しかし小学校の中身を時間で分断してはならないなんて無理は通用しません。
入学仕立てのピッカピカの1年生はその時点で大天才児でもなければ、小学生果
に相当する小学校の教科内容を習得できているはずがありません。
つまり小学生果未満ということになる。向かう途中ということになる。
しかしながら幼稚園児ではない小学生であることには変わらない。
だから小学生という四果聖学生でありながら小学生向(預流向に相当)という
構図が出来上がり、あなたの預流向は凡夫という主張は自ら矛盾を呈した。
エスカレーターという言葉は抵抗あるが、しかし小学校に入学したから大学までの
エスカレーターに乗ったと言うのならば、それこそが預流向含めた四双八輩の全体
が聖者集団という考えがあなたにも理解されよう。
小学校入学って、仏教で言うならば、在家信者であれ出家であれ仏門に入りたての
ぺーぺーの新米のことですよね。
これをあなたはまだ三結断じたわけではないのだから、預流向の凡夫だとした。
仏門に入門してもすぐに三結断じたシュダオン果にはならないのだから。
だからシュダオン果未満のシュダオン向を凡夫とするならば、小学校入りたての
ぺーぺーの1年生はエスカレーターに乗ってすらまだ幼稚園児相当、ってか
エスカレーターに乗ってない園児ということになるではないか?
- 499 :深山:2010/04/24(土)
18:44:29 ID:Mgmf9ReM0
- >>476 :神人同行:2010/04/23(金) 13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
>と言うと彼の背後の信者会員やロム者や新規に読み出す人をを意識してると
>おっしゃるでしょうが、そうとも見えません!!
おっしゃりたい意味はよくわかりますし、毎日の準シュダオンさんの
汚物処理に介護士である私もウンザリしています。
だが、それでも続けているのにはいくつか理由があります。
その一つは、私自身がアゴン宗で知性や心に少々問題のある人たちを
お世話したことがあるからです。
コピー一枚取るのに、できるようになるまで十分近くかかり、
失敗したコピーの山ができました。
他の人たちは面倒だから、もちろん頼みません。
でも、時間と労力がかかっても教えたら、できるようになりました。
我々もまたもっと優秀な人たちから見たら、物わかりが遅く、何度教えても
わからないバカに見えるのではありませんか。
だから、私は準シュダオンさんのように習得能力が低い人を見ても、
何度でも説明し直すことがそれほど苦痛ではありません。
- 500 :深山:2010/04/24(土)
18:47:50 ID:Mgmf9ReM0
- >>476 :神人同行:2010/04/23(金) 13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
神人同行さんはアゴン宗に騙された人ではないが、私は騙された。
世間の多くの人は騙されないのだから、明らかにその点で私は劣っている。
また、それとなくインチキ宗教だと教えられても、「ゲイカは違う」と
信じていた時期があることも認めるしかない。
神人同行さんは桐山さんの馬脚を見ているから、内心、「知性に問題の
ある準シュダオンさんのような人がこのくだらない宗教を信じ込んでいるのは
わかるが、元信者たちは普通の知性を持っているようにみえるのに、
なんでこんなことを信じていたのだろう」と思っているでしょうね。
解脱の定義すらも間違っているというお笑いアゴン宗を
私は真の仏教だと信じていた時期があることは事実なのです。
これを本当の釈迦の教えだとして他人を信仰に引きずりこんだこともあるし、
ファミリーというアゴン宗のグループの中では、桐山ゲイカを
信じるように、またお金を出すように勧めました。
だから、準シュダオンさんのように、物わかりが悪く、理解力が低く、
>>494のように私が言ってもいないことを勝手な解釈を加えて作り上げ、
それでいて、自分くらいエライ奴はないと自惚れ、批判側を劣った連中だと
侮蔑心をもってあざ笑うような歪んだ性格であっても、
その彼の知性の低さや性格の悪さを一刀両断で斬り捨てるのはできないのです。
- 501 :深山:2010/04/24(土)
18:52:45 ID:Mgmf9ReM0
- >>476 :神人同行:2010/04/23(金) 13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
前に、準シュダオンさんが同じ話をくどくどとくり返すばかりで、あまりに
うっとうしいので、立ち入り禁止にしようかという案もありました。
しかし、私がそれに反対した理由の一つは、自分が元信者であり、
似たような桐山教の底の浅い教義を信じていた時期があるのは事実だからです。
たしかに、準シュダオンさんの理解力は十歳の子供以下であり、
記憶力にいたっては自分が書いたことも数日で忘れるほどなのに、
それでいて自分は智慧があるという自惚れや、他人への侮蔑心だけは
百年も生きる古狸のようで、まことに醜悪この上ないのだが、
そのすべてをあざ笑おうとすると、私の胸に張り付いている「アゴン宗元信者」
という値札が邪魔するのです。
- 502 :深山:2010/04/24(土)
18:56:29 ID:Mgmf9ReM0
- >>476 :神人同行:2010/04/23(金) 13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
準シュダオンさんはちょっと気の毒な立場にあることも理解してほしい。
おそらく準シュダオンさんは仕事をクビになったか、
いよいよ閑職に追いやられたかのどちらでしょう。
ここしばらく、彼が朝から午後までかなり長い時間にわたり
書き込んでいることに気がいていますか。
時間に直せば6〜8時間以上です。
彼の書く速度や、食事時間を考えれば、日中のほぼ丸一日を書くことに費やしている。
平日と土日の差があまりない。
つまり、今の彼は毎日が日曜日なのです。
彼の場合、批判側と違い、屁理屈を考える時間が必要なのです。
批判側はただ経典や学者の本に書いてあるとおりを書くだけで、
自分で考える必要すらないから、言ってみれば、書き写しているようなものです。
経典や本に書いてあるとおりだから、記憶する必要すらない。
だが、彼の場合は、矛盾だらけの桐山教にその場しのぎに
屁理屈をつけるのだから、なかなか骨が折れる。
信者時代、私もそれをしたことがあるから、苦労のほどがしのばれます。
彼がしばしば批判側に「自分の頭で考えろ」とお説教しますよね。
あれは彼なりに必死に屁理屈を考えて書いているからです。
だが、元々凡庸な知性の上に、脳梗塞で記憶力もなくなっているから、
すでに反論された内容や、前に自分が書いたことや桐山さんの説と
矛盾するようなことを次々と出してくる。
だから、彼は今、ここのスレが生活の大半なはずです。
- 503 :深山:2010/04/24(土)
19:01:06 ID:Mgmf9ReM0
- >>476 :神人同行:2010/04/23(金) 13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
準シュダオンさんはクビにならなくても、仕事そのものを与えてもらえないのでしょう。
それは彼の議論の仕方をみれば明かです。
仕事もろくにできないくせに威張りたがるばかりで、しかも、ミスをしても
絶対に認めず、責任もとらないばかりか、他人事のようにお説教を始める。
こんな人と仕事などやってられない。
彼は前に職場で推薦されて、今の立場になったと書いていたが、
それはもう全員が賛成したに違いない。
仕事に関係のない名誉職にでも追いやったのでしょう。
彼の能の老化はかなりのスピードで進んでいて、
昨年、同じ主張を一週間おかずに書き込んだのを見て、私は絶句した。
まるで、夕飯が終わった後、一時間もたたないうちに「夕飯はまだ?」と
言われたような気分でした。
だが、今年はその状態はもっとひどくなっていて、ついこの間も日曜日に書いて、
それにこちらが反論しているにもかかわらず、無視して、また
同じ内容を火曜日に書いた。
つまり、二日で自分が書いたことすらも記憶が完全に脱落したのです。
これでは仕事にならない。
だから、仕事など日常の世界から、彼は干されているはずです。
- 504 :深山:2010/04/24(土)
19:07:27 ID:Mgmf9ReM0
- >>476 :神人同行:2010/04/23(金) 13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
アゴン宗に行けばいいのだろうが、それもできない。
なにせ、彼の理屈などアゴン宗では通用しないし、誰も相手にしない。
そのことは彼自身が体験しているから、道場には行かないのです。
彼の主張はアゴン宗の教義とも違うし、宗務局はこういう勝手なことを
語る信者をとても嫌い、排除する。
分派活動とみなされるからです。
うっかりネット上で書き込んでいるとわかったら、処罰される。
つまり、今の彼は仕事もなく、アゴン宗に行くこともできず、
書き込みの様子から見て、威張ること以外には趣味もない。
ここしか世界がなくなってしまったのです。
神人同行さんは、夜更かししないとここを見ないということは、
現実世界での生活があるからです。
だが、準シュダオンさんにはそれがない。
彼の生き甲斐はここしかないのです。
彼は他人との接触がかなり難しくなっているはずです。
一緒に何かしようとしても、記憶力が劣り、威張りたがりで、
いっさい他人の意見を聞かず、非妥協的で、自分の主張を押し通し、
しかも責任感がないとすれば、趣味の集まりですら、誰も相手しなくなります。
こういう点、ここにさえ来れば、しっかりと相手してくれる。
世間では誰も彼を相手にしなくても、ここでは疎んじられても、相手してくれる。
彼の好きな「威張る」「お説教を垂れる」「あざ笑う」「責任逃れ」ができる。
どんなに馬鹿恥をかこうが、元々羞恥心が少ない人だったし、
すぐに忘れてしまうから、気にもならない。
つまり、我々は老人介護だけでなく、身よりのない孤独な老人の話し相手になっているのです。
- 505 :深山:2010/04/24(土)
19:10:48 ID:Mgmf9ReM0
- >>476 :神人同行:2010/04/23(金) 13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
神人同行さんが一つ気が付いていないのは、準シュダオンさんの進歩です。
進歩しているのですよ。
四向四果の議論は昨年後半にもありました。
そのときもラシンさんが>>486で引用した釈尊の言葉をユビキタスさんが引用した。
議論はそれで、勝負あり、です。
誰が見ても、釈尊が四双八輩を聖者だと言っているのだから、
四双八輩の一つである預流向が聖者であることはわかりきったことです。
ユビキタスさんの引用がトドメの一撃で、普通なら議論は終わる。
だが、この時も、そして今年に入ってからの準シュダオンさんも
これすらも認めなかったのです。
四月上旬くらいまで、彼はこれを完全無視していた。
釈尊のその人の言葉を引用されても、ずっと無視していた。
だが、つい最近、これを認めたことを知っていますか。
四双八輩とまとめて表記した時には、聖者なのだと認めたのです。
もちろん、個々の表記である預流向は聖者ではないという
いつもの訳のわからない屁理屈が付いている。
だが、ここで着目しなければならないのは、昨年ユビキタスさんから指摘されて以来、
ずっと無視し続けていたのに、初めて、彼は四双八輩とは聖者だと認めたのです。
進歩であり、前に進んだのです。
私は、コピーでいくら横向きに置くやり方を教えても、縦に置いてしまう人が、
ついに横向きに置くことを覚えてくれたような驚きと喜びを感じました。
彼の進歩はこれだけではない。
- 506 :深山:2010/04/24(土)
19:15:41 ID:Mgmf9ReM0
- >>495 :準シュダオン:2010/04/24(土) 09:29:40
ID:agsP6ENM0
>丘山新先生は、四双八輩について、深さんに近いような考え方みたいです。
>>497 :準シュダオン:2010/04/24(土) 12:02:32
ID:agsP6ENM0
>丘山新先生のように、須陀諸Y向を第一段階の悟りとすると、辻褄が合わな
>くなるとレスしましたが、次のようなことです。
神人同行さん、これを見てください。
準シュダオンさんは学者の説がようやく自分の説とは違うことに気が付いてくれたのです!!
神人同行さんには当たり前すぎで、別に驚きもしないだろうが、
だが、昨年来の彼の主張を知っていたら、これは驚くことです。
平河出版社というアゴン宗系の出版社から出た阿含経本を準シュダオンさんは
持っており、これを彼はこれまではひたすら自説の根拠として示してきた。
昨年も、この中で解説している辛島先生の説明を引用してきて、
例によって勝手な解釈を加えて、桐山説を学者も認めているかのように主張してきた。
もちろん、何の根拠もありませんから、その場で反論したが、
いつものように、彼にはノレンに腕押し。
いくら丁寧に説明して、そんなことは言っていないと根拠を
示しても、彼にはカエルの面に水で、何の効果もなかった。
だが、彼は今回学者たちが桐山説とは違うと認めたのです。
もちろん、その後で、学者の説が間違っていると言い出したのは
相変わらずだが、そちらのほう見ないで、準シュダオンさんが桐山説と
学者の説が違うことにようやく気が付いた点を評価してほしいのです。
小学一年生が四則演算ができるようなったら誉めますよね。
それと同じで、よくやったと誉めてあげてほしい。
- 507 :深山:2010/04/24(土)
19:19:13 ID:Mgmf9ReM0
- >>497 :準シュダオン:2010/04/24(土) 12:02:32
ID:agsP6ENM0
>すると、五沙門果ということになってしまいます。
神人同行さん、これを見てください。
桐山説でいくと五沙門果になってしまうと言っているのです。
本人がどういうつもりで言っているかは問わないことにして、
桐山説が阿含経とは別なものだと言っているのです。
本人はまだ気が付いていないし、絶対に認めないし、
それでいいのだが、桐山説と阿含経との間にギャップがあると
認めたことは彼にとっては進歩なのです。
アゴン宗は仏教ですらないのだから、そんなことは当たり前なのだが、
その当たり前のことがなかなかわからない。
このことはただ彼が進歩したというだけに留まらない。
こういうことが彼のここでの存在価値であり、功績なのです。
- 508 :深山:2010/04/24(土)
19:25:20 ID:Mgmf9ReM0
- >>476 :神人同行:2010/04/23(金) 13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
彼の功績はアゴン宗の四向四果が阿含経のそれとは違うと信者が認めてしまった点です。
信者を代表して、四向四果について議論して、屁理屈に屁理屈を重ねて、
信者仲間からは「共感」すらも得たのに、その結果、桐山説を五沙門果だと
結論づけるしかなかった。
桐山さんが、自分の四沙門果の解釈こそが学者も認めるご立派な阿含経の
解釈だと威張っている隣で、信者が、「いや、違う。桐山ゲイカの説は
阿含経と違い、五沙門果である」と結論を出してしまった。
準シュダオンさんの知性に合わせて議論しているから、
アゴン宗の読者は議論を読めばたいてい理解します。
一番低い知性に合わせれば、当然、それ以上の人たちは理解するのです。
今の彼よりも低い知性の信者は少数たから、準シュダオンさんの知性に
合わせて何度でも議論することは重要です。
最低ラインの知性の彼が考えて出した結論ですら、アゴン宗は阿含経とは違うというものです。
釈尊が説いたのは四沙門果ですから、五沙門果と言ってしまったら、
アゴン宗はオカルトだと言っているのと同じです。
彼は恥知らずだから、それと気が付いていないが、桐山さんの顔に泥を塗っているのです。
批判側が準シュダオンさんをとても重宝して、彼の老人介護を
厭わない理由がこれを見ただけでもわかりますよね。
- 509 :深山:2010/04/24(土)
19:30:56 ID:Mgmf9ReM0
- >>476 :神人同行:2010/04/23(金) 13:26:00 ID:Ew2J5Dqs0
批判側が桐山さんを批判するよりも、身内の信者からの批判のほうが何倍も力がある。
批判を読んでやめた信者数よりも、E川事件を見てやめた信者数のほうがはるかに
多いだろうというのと同じです。
しかも、準シュダオンさんの脳梗塞による知能の障害は年ごとにひどくなっている。
準シュダオンさんが、普通の知性と礼儀と常識をわきまえた人なら
こちらはかえって議論がしにくい。
知性も常識も礼儀もないのがアゴン宗の信者だと世間に、彼は
身をもって教えてくれているのです。
これだけ桐山さんの足を引っ張り、顔に泥をぬりまくる人を、
批判側がどうして厭う必要がありましょうか。
どうぞ、神人同行さんも温かい目で準シュダオンさんの狂態を楽しんでください。
アゴン宗とはこのように知性が低く、常識もなく、恥知らずで、
慢心ばかり強い教団だと、行くまでもなく、如実に知ることのできる機会です。
- 510 :神人同行:2010/04/24(土)
19:34:44 ID:Ew2J5Dqs0
- 深山さん分かりました。
あなた方批判側の方達が
自己の半生の総括の上に今があり大切にしていることは。
ただし、私はだまされたからとて、愚かとも思いません
私も関係ない人さんみたいに京都にいたら、
彼ほど強く拒否できたかどうか疑問です
おそらくミナサンの先輩として動いていたと思います。
思い立ったが吉日の性格でありセッカチですから。
深山さんをはじめとして批判諸氏は論理的かつ的確にレスされており。
ツボを押さえておられますので、わかりやすいし、
何度も繰り返されますので、頭に残ります。
しかし、慣れていると言っても人間一様ではありませんから、
毎日が勉強のようですネ。
ソウデスネ、人の生き方に注文するのは傲慢でしたネ。申し訳ありません。
前言レスは撤回して謝罪いたします。天照さん私のレスは残しておいてください。
そうしないと深山さんのレスが意味をなさないかもしれませんし、
私にとっての苦草といたしますから。
- 511 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/04/24(土) 21:10:39 ID:PnLeCWl.0
- 今休憩でこちらを見ました。深山さんの気持ちが詳しくわかり、私も頷くことばかりでした。
本当に頭が下がります。
また、神人さんのレスも重要です。消しませんのでご安心を。
実は神人さんのように書いてくださるのも私はアリだと思うんですね。
別所でも書きましたが、私もうんざりはしていたし、実際深山さんもご苦労なされていた。
ユビさんも他の方も皆同じなのではないかと推察します。
つまり、誰かが「言いたかった&感じていた気持ち」を神人さんが述べてくださったわけです。
実際、私なんかは過去にもっと酷い提案をしていましたしね(汗)
しかも、準さんとの議論はかなり前から存在するもので、それを考えると気が遠くなります。
深山さんが”さらり”といわれてますが、本当に計り知れない大きなものがあります。
まあ、たまにお口直しで別な話題を振ればよかったかも、と遅まきながら思ったりもしました。
今後も準さんとの論議は続くでしょうが、掲示板の運営としても私も何か考えることをしないと
いけないかなあ、と勉強させられました。感謝!
- 512 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/04/24(土) 22:56:57 ID:PnLeCWl.0
- agama考察室のめにゅーを変更。阿含宗関連資料掲示HPの中の一番上にあります、
「目で見る阿含宗管長桐山氏の嘘とインチキ」の下に白い枠で項目をプラス。
いままで「目で見る阿含宗管長桐山氏の嘘とインチキ」の中に入らないと項目が
分からなかったのがこれで1目で分かります。
どれも素晴らしい内容ですので、見たことが無い方はぜひどうぞ。
また、初期に閲覧された方は初期より項目が増えてますし中身も可変されています。
どうぞ、ご覧ください。
http://agama.zouri.jp/agon01.html
- 513 :準シュダオン:2010/04/25(日)
10:02:58 ID:agsP6ENM0
- 丘山新先生や、深さんのように、須陀?道を悟りの第一段階に数えると、
五沙門果になってしまうと、昨日レスした。
それが何で桐山説になるのw?管長は須陀?道を悟り・聖者扱いしてい
ないよ。
須陀?道を悟りの第一段階に数えると、正確には八沙門果になってしまうね。
そうでしょ、斯陀含道も阿那含道も阿羅漢道も、悟りに数えねば、不公平で
しょう。
だから、須陀?道を、「悟り・聖者」に数えてはいけないのです。
この場合↑須陀?道=須陀?向、としてレスしてますよ。
須陀?道には、在家の場合、三宝に帰依して五戒を受けた新米の信者も
含まれる、と解して良いと思われます。そこが須陀?果への出発点になる
でしょうからね。
- 514 :準シュダオン:2010/04/25(日)
10:22:39 ID:agsP6ENM0
- 深さんは、四向四果について、平河本第3巻P147、の良い資料を堤示して
くれました。阿羅漢道を悟りの第一段階とする考え方です。この考えで行くと、
八沙門果説になってしまうので、間違いに気付きやすいでしょう。
でも漢文には「悟り」という語はありませんから、丘山先生の判断で、悟りと
いう訳を入れたのでしょうね。
帝釈天の「極七往返 必成道果」という言葉も、トボケてて面白いね。
七たび生死を往来するうちには、須陀?果を得ます、ということですね。
在家でさえも、現世で須陀?果や阿那含果を得た者が沢山居るというのに、
帝釈は、七回も生死を往来しないといけないの?
お釈迦さまがそのまま、聞き流してるとは、帝釈は出来が悪い信者なのかな?
ユビさんが居たら、帝釈を叱りつけたであろうね、「のんびり過ぎ!」と。
- 515 :準シュダオン:2010/04/25(日)
14:01:14 ID:agsP6ENM0
- 幼児は凡夫ながら、釈迦を信じて五戒を受け、須陀?向になったのです。
但し、小学校・須陀?果に入学する場合だけ、三教科の入学試験があります。
それに不合格の幼児は、何時までも小学校に入れません。諦めて受験し
なくなる幼児も出てきます。
三教科(三結)に合格した幼児は小学生・須陀?果になります。小学生に
なると、中学生・斯陀含果の準備勉強も始まるので、斯陀含向(小学生の別称)
とも呼ばれます。中学生・斯陀含果になると、高校生・阿那含果の準備勉強も
始まるので阿那含向(中学生の別称)とも呼ばれます。高校生・阿那含果は、
大学生・阿羅漢果の準備勉強が始まるので、阿羅漢向(高校生の別称)とも
呼ばれます。大学生・阿羅漢果は仏です、もう教師に頼らず、自力勉強です。
この四果聖学生(小学生・中学生・高校生・大学生)が、四沙門果です。
この四果聖学生が、釈迦校の本当の聖学生なのですが、お釈迦さまは、
自分を信じた幼児を含めて、四双八輩、是我が聖学生、と呼んだりします。
だから、幼児も正式な学生なのだ、と考えるアビダルマ論師がいました。
で、アビダルマ論師は、幼児・凡夫=須陀?向を、
幼児=凡夫、と園児=須陀?向、とに分類し、幼稚園試験に合格した
園児から須陀?向として、四果聖学生としたのです。
管長は、この四沙門果を阿含教学の基本だ、と本に書いてますが、正しく
理解するのは、難しいようです。微妙なところがあります。
阿含経典の四向四果と、倶舎論の四向四果では違いますからね。
これで、ユビさんに、納得していただけたでしょうね。
- 516 :深山:2010/04/25(日)
18:39:10 ID:wDbYOWd.0
- >>513 :準シュダオン:2010/04/25(日) 10:02:58
ID:agsP6ENM0
>それが何で桐山説になるのw?管長は須陀諸Y道を悟り・聖者扱いしてい
>ないよ。
どこの何を読んで、上記のようなレスをつけているのですか。
反論する時には、該当する相手の文章を引用しなさい、と何度も言われましたよね、
丘山先生の説を誰が桐山説だと書きましたか。
これが第一に意味不明のあなたの文章です。
私は、準シュダオンさんはこれまで学者の説を自説の根拠にしてきたが、
今回、初めて違うと気が付いたのは進歩だ、と指摘したのです。
だが、こうやって説明されても、何のことかわからないのでしょう?
第二に、桐山さんは預流向を聖者であるとも、聖者でないとも断定していない。
この件はすでに議論は出尽くしている。
桐山さんはその両方に取れる文章を書いていると何度も反論したとおりです。
あなたはどうしてその反論を無視して、そうやってクドクドと
同じことを書き続けるのだ?
桐山さんの信者は「外道凡夫ではない」というなら、
仏教では凡夫でない者は聖者だから、信者は聖者ということになる。
このように説明されても、意味を理解するだけの知性が残っていないのでしょうね。
議論は前から次の2点です。
1.預流は聖者かどうか
2.預流向は預流に入るのか
- 517 :深山:2010/04/25(日)
18:41:30 ID:wDbYOWd.0
- 1.預流は聖者かどうか
>>513 :準シュダオン:2010/04/25(日) 10:02:58
ID:agsP6ENM0
>須陀諸Y道を悟りの第一段階に数えると、正確には八沙門果になってしまうね。
上記を我々に言わずに、釈尊やアビダルマ仏教や仏教学者に言えばいい。
だれ一人、そんなアホウな説は唱えていない。
たった一人、準シュダオンさんだけが「預流≠聖者」と唱えている。
あなたも桐山さんも、阿含経からそのまま学ぶのではなく、
ひたすら自分の勝手な解釈を押し付けるだけです。
釈尊は四双八輩を聖者だと分類しているから、預流向は聖者です。
これだけで話は終わりなのだ。
あなたの勝手な解釈など必要ない。
なぜなら、四双八輩も、それらを聖者と分類するのも教祖である釈尊に
決定権があるのであって、桐山さんやあなたにあるではない。
釈尊の説明が気に入らなければ、信じなければいいだけです。
- 518 :深山:2010/04/25(日)
18:45:09 ID:wDbYOWd.0
- >>517-518
修正
○ 1.預流向は聖者かどうか
× 1.預流は聖者かどうか
- 519 :深山:2010/04/25(日)
18:47:58 ID:wDbYOWd.0
- 1.預流向は聖者かどうか
ここは準シュダオンさんの考えなど議論の対象ではない。
桐山さんの考えのみが対象です。
桐山さんは「預流向≠聖者」とは断定していない。
これがアゴン宗の今の教学です。
これまでの桐山さんの文章からは、桐山説が「預流向≠聖者」なのか
「預流向=聖者」なのか、決定できない。
あなたが引用した『ダルマチャクラ』の記述は両方の意味にとれる。
あなたが引用した『人間改造の原理と方法』では
預流の中に預流向を含めて、聖者だと言っている。
桐山さんが預流向について書いているのはこれだけで、預流向を聖者であるとも、ないとも、どちらとも断定していないというのがここの結論です。
これを覆したいなら、あなたの解説ではなく、桐山さんの文章を出しなさい。
そんな文章があるとは思えないから、阿含経講義の下巻を待ったら
どうかと提案しているのです。
それをまだ「預流向≠聖者」を唱えるなら、それは準シュダオン説にすぎない。
ここはあなたの個人的な説を議論する場ではありません。
- 520 :深山:2010/04/25(日)
18:53:22 ID:wDbYOWd.0
- 2.預流向は預流に入るのか
>>514 :準シュダオン:2010/04/25(日)
10:22:39
ID:agsP6ENM0
>八沙門果説になってしまうので、間違いに気付きやすいでしょう。
あなたの説では八沙門果説になるのだから、あなたの説が間違っているのです。
釈尊の説明も、アビダルマも、学者の説も四沙門果できれいに説明がつく。
間違いに気づくべきは桐山さんとあなたです。
アゴン宗以外、誰もそんな変な考えは持っていない。
「預流=預流向+預流果」という考えで阿含経もアビダルマ仏教もなりたって
おり、学者の解説もそのようにはっきりと書いてあることを私は示した。
「預流=預流果+一来向」なんてアホウな説は桐山さんとあなただけです。
この考えを進めると八沙門果説になるらしいから、間違いです。
- 521 :深山:2010/04/25(日)
18:57:10 ID:wDbYOWd.0
- 2.預流向は預流に入るのか
「預流=預流向+預流果」だから預流の中に預流果が含まれている。
「小学生は小学校の過程を履修しおえて・・」と言っているのと同じです。
卒業式を終えた六年生も小学生であり、在校生も小学生です。
「小学生=在校生+卒業資格者」です。
卒業式を終えた6年生(預流果を得た)も小学生(預流)であり、
入って間もない一年生(預流向)も小学生(預流)です。
あなたは卒業資格のある者だけが小学生だと言っている。
だが、両方とも小学生です。
卒業資格があろうがなかろうが、小学校で資格を目指して学ぶ生徒は小学生です。
あなたの「預流果を得ていない預流向を預流というのはおかしい」という指摘は、
「卒業資格のない者も、ある者も小学生とはおかしい」と言っているのと同じです。
おかしいのはあなたの頭であって、両方とも小学生なのです。
預流果(小学校卒)の資格のない預流向(在校生)も預流(小学生)です。
ましてや、中学に入学した生徒(斯陀含向)を小学生(預流)だなんて、寝言です。
- 522 :深山:2010/04/25(日)
19:02:12 ID:wDbYOWd.0
- 2.預流向は預流に入るのか
小学校から大学まで、四つの資格しかないから、四果です。
これがどうして八果などと、八つの資格になるのだ?
四双八輩の中身を理解していないというか、理解して受け入れたら、桐山説を
否定することになるから、理解したくないからでしょう。
全部何かの資格だと思いこんでいる、
小学一年生から六年生までは小卒という資格を得るために学んでいる生徒です。
一年生から六年生まで学ぶことを預流向、
それによって得られる資格を預流果と言っているにすぎない。
預流向という言葉がわかりにくいなら、預流道でもかまわない。
あなたが預流果という資格にばかりこだわるのは、
桐山さんから資格だと教え込まされているからです。
あなたも桐山さんも名誉欲が強くて、肩書きにしか興味がない。
だから、八果になってしまうなどと解釈している。
解釈が名誉餓鬼丸出しです。
だが、小学生とは、卒業証書が重要なのではなく、
一年から六年まで何を学んだかが重要なのです。
預流果は結果を指しているだけで、実際の修行とは預流向です。
だから、シュダオン道という言葉に訳されている。
- 523 :深山:2010/04/25(日)
19:04:10 ID:wDbYOWd.0
- 2.預流向は預流に入るのか
>>515 :準シュダオン:2010/04/25(日)
14:01:14
ID:agsP6ENM0
>管長は、この四沙門果を阿含教学の基本だ、と本に書いてますが、正しく
>理解するのは、難しいようです。微妙なところがあります。
これがあなたの厚かましいところです。
正しく理解するのが難しいなどと桐山さんは言っていない、
桐山説はあなたが根拠を示したように、簡潔明瞭です。
「斯陀含向は、斯陀含に向かってはいるものの、まだ須陀諸Yの範疇です」
(『ダルマチャクラ』69号、P8)
ここでの桐山説は「預流=預流果+斯陀含向」です。
だが、これもまた阿含経講義本の下巻に載る予定だから、変わる可能性がある。
また、あなたが引用した『人間改造の原理と方法』では、
預流向などの「向」は阿羅漢でしか出てこない。
それでいくと、預流の中に預流向が入っていることになり、
上記の『ダルマチャクラ』の説明と矛盾する。
- 524 :深山:2010/04/25(日)
19:11:59 ID:wDbYOWd.0
- 1.預流向は聖者かどうか
2.預流向は預流に入るのか
信者さんたちは、準シュダオンさんの頭が支離滅裂なだけでなく、
桐山さんが書いている内容も矛盾だらけであることに気が付いてください。
1の聖者の件と同様に、桐山さんは2についても、
本や機関誌によって矛盾するような違うことを書いている。
四向四果というそれほど難しくもない内容について、桐山さんの説明は本に
よっても違うばかりか、同じ文章の中ですら矛盾したことを平気で書いている。
信者さんたちはどうしてだと思いますか。
理由はとても簡単です。
桐山さんが四向四果について正しく理解しておらず、
準シュダオンさんと同様に、その場しのぎの思いつきで話をしているからです。
自己矛盾するから、屁理屈に屁理屈を重ねるから準シュダオンさんのような説明になり、
「納得していただけたでしょうね」などと、自己満足にふけるしかなくなる。
信者さんたちは彼の説明を聞いても、何がなんだかさっぱりわかりませんよね。
釈尊が当時の無学な民衆にそんな小難しいことを説いたと思いますか。
釈尊は難しいことなど説いていません。
ユビキタスさんの学校のたとえなら、簡単にわかる。
信者さんたちは2点の議論で、批判側の主張に反論できないまでも、
今ひとつ納得できない点があったはずです。
- 525 :深山:2010/04/25(日)
19:15:19 ID:wDbYOWd.0
- 1.預流向は聖者かどうか
→「預流向が聖者というのはおかしくないか」
2.預流向は預流に入るのか
→「阿羅漢に阿羅漢向が入るのはおかしくないか」
桐山さんからオカルト仏教を植え付けられた人なら、たいてい上記のような疑問を持つはずです。
だが、預流向が聖者であることは、>>486にラシンさんが引用しているように、
釈尊本人がはっきりとそのように述べている。
だから、おかしいのはアゴン宗であり、信者さんたちのほうなのです。
釈尊は聖者に第三者が理解できないような特別な意味などもたせていません。
仏道を修行する者は在家でも聖者で、しない者が凡夫です。
2番目の阿羅漢に阿羅漢向が含まれるのがおかしいというのは、>>552でも説明したが、
桐山さんから阿羅漢を、医者や弁護士のような肩書きや勲章みたいに教えられたからです。
だから、信者さんたちはいったん解脱したら、絶対に元には戻らないと信じていましたよね。
だが、いくらでもすべり落ちるのです。
桐山さんは名誉が欲しくて欲しくて、○○大王などと次々と
ブリキの勲章を自分に付け続けた。
そっくり同じなのが準シュダオンさんです。
だから、彼らは阿羅漢もまた資格や肩書きみたいなものだと思いこんでいる。
- 526 :深山:2010/04/25(日)
19:20:33 ID:wDbYOWd.0
- →「預流向が聖者というのはおかしくないか」
→「阿羅漢に阿羅漢向が入るのはおかしくないか」
阿羅漢とは、煩悩に囚われない状態を維持し続けている人にすぎない。
生きているのだから、肉体も環境も常に煩悩を引き起こす。
だから、釈尊にも亡くなる直前まで悪魔(煩悩)がまとわりついていた。
彼らは四六時中、これらの煩悩と戦い、一瞬たりとも負けることのない存在です。
解脱者とは、煩悩に勝利しただけでなく、常に勝利し続けることを求められるのです。
つまり、預流から阿羅漢までの聖者とは、煩悩にどの程度勝っているか
どうかという程度の差でしかありません。
当然、出家も在家も関係ない。
修行方法も同じです。
煩悩こそが輪廻という苦の素だと理解して、これと戦い始めた者を聖者といい、
その戦いでどの程度勝利を収めることができるか、という程度を表すのが、四向四果です。
学校のたとえで、一つ四向四果と合わないのは、大学で学び、卒業の資格をとれば、
さらに同じ勉強を続ける人はいないが、四向四果の大学では、卒業の資格を取った後も、
生きている間は、学び続けなければならない点です。
阿羅漢果を得た後でも、阿羅漢果を得るまでと同じように煩悩と戦うのだから、阿羅漢向です。
つまり、解脱して阿羅漢果を得て解脱した人も、その瞬間から、
また阿羅漢向の修行を続けるのです。
正確には、預流向から阿羅漢向までの十結全部の煩悩と死ぬまで戦い続けるのです。
- 527 :深山:2010/04/25(日)
19:27:00 ID:wDbYOWd.0
- →「預流向が聖者というのはおかしくないか」
→「阿羅漢に阿羅漢向が入るのはおかしくないか」
阿羅漢になったから、あとは何をしてもいいというようなことは絶対にない。
阿羅漢が「食いしん坊」だとか、「千景がいないとさびしい」などと
絶対にいうはずがないのです。
阿羅漢とは、十結すべての煩悩と一瞬たりとも気を抜かずに戦い続け、
常に勝利している人のことを指しているのです。
阿羅漢とは、常に預流であり、斯陀含であり、阿那含ですから、食欲、
名誉欲、性欲などという初歩的な煩悩にすら囚われている者が
有余依涅槃の聖者であるはずがない。
あまりにも馬鹿馬鹿しい。
桐山さんのような欲望や執着が人一倍強い人を阿羅漢であるなどと思っている信者さんは、
そもそも阿羅漢とは何かを知らないのです。
阿含経の阿羅漢の姿を見たら、桐山さんを阿羅漢だなどと言うことの
愚かさ、恥ずかしさ、そして釈尊への無礼に気が付くはずです。
桐山さんのオカルト阿羅漢を頭から信じてしまうのではなく、
本物の阿羅漢が説いた経典を読んで、阿羅漢とはどのような存在なのか、
準シュダオンさん以外の信者さん達は学んでください。
- 528 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/26(月) 08:35:45 ID:SmEF4Oe2O
- >>515:準シュダオン10/04/25(日) 14:01:14
ID:agsP6ENM0
>但し、小学校・須陀m9果に入学する場合だけ、三教科の入学試験があります。
>それに不合格の幼児は、何時までも小学校に入れません。諦めて受験し
>なくなる幼児も出てきます。
>三教科(三結)に合格した幼児は小学生・須陀m9果になります。小学生に
>なると、中学生・斯陀含果の準備勉強も始まるので、斯陀含向(小学生の別称)
意地を張りたい為に現実の学校教育を無視するような発言は見苦しいだけだから
やめなさい。
たしかに一部の名門私立とか国立の小学校には選抜試験があります。
しかしそんなのはほんの一部であり、圧倒的大多数の市町村立小学校は無試験で
入学できます。基準の年齢が来れば。義務教育だから私立小学校を落ちても
平凡な公立小学校に入らねばなりません。
つまり誰でも小学生
向→果を得る。能力により多少個人差があるというだけです。
またあなたのいう三
教科だか知らんが、その選抜試験は小学生果たる三結の内容
には相当しません。なぜならば小学生果とは小学校に入学してから習う教科の
習熟度であるのに対して、小学校受験の科目にはまだ習ってもいない小学校の科目
などは試されません。
幼稚園までに習得した技能から適正が試されるわけです。
つまり幼稚園児までを凡夫とするならば凡夫果の度合いを試すのです。
だから私立や国立の小学校に入学したことは小学生果に相当しません。
入学したことにより初めて凡夫果を超えて四聖学生の第一関門たる小学向の世界に
参入したのです。
高校受験もそうですね。あれは中学校で学んだ内容の習熟度テストに過ぎません。
高校の科目はこれから習うもっと高度のものです。
大学などよりわかりやすい。
医大に合格したからと言ってそれが何ですか?
たかだか高校で習う数学や物理などの科目が優れているだけで、まだ解剖学だの
外科学だの習ってもいない。これで医学部果なんて言えるのか?
その段階では高卒と変わらない。
預流果を幼稚園に下げても同じです。
幼稚園に入るまでの凡夫乳児は入園時は卒園時よりはるかに未熟で、凡夫乳児と
変わりません。乳児に三教科試しますか?
- 529 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/04/26(月) 08:49:45 ID:SmEF4Oe2O
- >>514:準シュダオン10/04/25(日) 10:22:39
ID:agsP6ENM0
>帝釈天の「極七往返 必成道果」という言葉も、トボケてて面白いね。
>七たび生死を往来するうちには、須陀m9果を得ます、ということですね。
これは本当に丘山先生がそう訳しているのですか?
この文脈での道果を得るとは阿羅漢果を最終とする四沙門果、四向四果全体を
指すのでしょう。
つまり7度生死を繰り返すうちに究極の阿羅漢果の悟りまで得るぞということです。
それが見えた今生はシュダオン果の悟りを得たわけです。
それにしても道果を得ると道と果がセットになっている事実に注目してください。
道あればこそそれに向かい果を得られるのです。
向かうとはこうなったらいいなあと祈ったり願ったりすることではなく、もはや
修行実践に乗り出している。
これは大変奇特なことなんです。
凡夫は修行などせず欲望と煩悩を追いかけている。
- 530 :準シュダオン:2010/04/26(月)
09:29:03 ID:agsP6ENM0
- 「七たび生死の世界へ往来したのち、必ずや須陀?としての結果を成就
いたします。」丘山先生は、「極七往返必成道果」をそのように訳して
おります。これは須陀?が七たび生死を往来して阿羅漢を獲ることからの
模倣でしょうね。もし、「必成道果」を阿羅漢のことだとしたら、須陀?道
とは須陀?果のことになりますね。
さて、四沙門果を理解するにあたり、ユビさんは学校という良い例えを提供
してくれました。これなら深さんの思い違い、間違いに気づきやすいでしょう。
平河本第2巻P283の語注69に、
「得須陀?とは、須陀?果、預流果ともいい、・・・流れに入った聖者の
ことである」と解説しています。
須陀?に須陀?向は含まれないことに注目してください。ここを深さんは
間違えています。
- 531 :Boo:2010/04/26(月)
09:50:30 ID:.7UwrWaw0
- 深山さんのお話で「四向四果」が「学校」に喩えるより、相撲の番付に近いような
感覚を感じました。
たとえ「三役」に入っても降格もあるわけです。横綱になったら降格はありませんが
負け越したら「引退」しなくてはならない。横綱である限り、「負け」は許されない。
阿羅漢とかその他の聖者って案外そんな存在かもしれませんね。
シュダオン向は相撲部屋に入門したての人で、まだ、感覚は一般人でしょう。しかし、
相撲部屋に入門した瞬間に、近所の人や、身内の人から見られる視線は変わります。
入門した瞬間から、明らかに一般人とは違うわけです。
- 532 :準シュダオン:2010/04/26(月)
09:51:06 ID:agsP6ENM0
- さて、須陀?→小学生に例えると、小学生は皆、須陀?果ということです。
須陀?向とは、幼稚園児のことで、小学生に成っていないのです。
これを、深さんは、須陀?向とは小学校に入学したと、勘違いしています。
また、小学1年生から小学6年生まで、すべて斯陀含向と呼ぶのです。
斯陀含果に近い斯陀含向(6年生)もあれば、斯陀含果に遠い斯陀含向(1年
生)も居るのです。
しかし、倶舎論に惑わされてる人も居るようです。
倶舎論では、修惑の六種を断じた者を斯陀含果とし、修惑の三種を断じた
ものを斯陀含向としています。
これでは、小学3年生過程を終了した小学4年生以上が斯陀含向だと、勘違い
する人も出て来るでしょうね。深さんもその一人です。
小学生→須陀?に例えると、
×小学3年生までが須陀?果で、4年生以上が斯陀含向とする考え。
○小学生1年生から6年生まですべて須陀?果であり、同時に斯陀含向である。
- 533 :準シュダオン:2010/04/26(月)
10:07:27 ID:agsP6ENM0
- 基本を間違えてると、ボタンの掛け違いのようなもので、どんなに知識を
集めても、間違えます。
深さんは、四沙門果の理解、基本を間違えてます。
例えば、平河本3巻に増一経があります、P78に四沙門果が出ています。
お釈迦さまは、
1須陀?果、2斯陀含果、3阿那含果、4阿羅漢果、の四っつを四沙門果だ
としています。これが正規の聖者です。ここには須陀?向は含まれておりま
せん。お釈迦さまは、須陀?向を四沙門果に含めておりません。ということ
は、須陀?向を悟りの第一段階だとするのは間違いですね。
須陀?向を悟りの第一段階・聖者に数えると、上記の四沙門果に須陀?向を
加えて、五沙門果になってしまいます。
深さんは、先ず、このことを理解しましょう。
- 534 :深山:2010/04/26(月)
12:29:25 ID:bSFQoceA0
- >>530 :準シュダオン:2010/04/26(月) 09:29:03
ID:agsP6ENM0
>平河本第2巻P283の語注69に、
>「得須陀?とは、須陀?果、預流果ともいい、・・・流れに入った聖者の
>ことである」と解説しています。
準シュダオンさんはこの話を初めて書いたと思っているのでしょう?
過去の議論をまったく記憶しないのですね。
老人介護と言われて不愉快なら、反論された内容くらい、それを踏まえて書いたらどうか。
あなたは私の反論どころか、自分が上記を過去に主張したこともまったく
記憶になく、平河本を開いているうちにたまたま今回初めて見つけたかのように
錯覚して、意気揚々として書いたのでしょう?
あなたは一週間ほど前に>>347で書いて、私は>>363ですでに反論したのです。
>>347
:準シュダオン:2010/04/18(日) 10:48:08
ID:agsP6ENM0
>老人介護病棟の介護員が、若年性アルツハイマーとは恐れいったw。
>平河本「現代語訳阿含経典」2巻p283に、四向四果の説明があるよ。
>須陀?については、次のように書いてあるよ。
ほら、そっくり同じ事を書いている。
私が反論した内容など当然覚えていないから書いたのだろうし、
一週間で自分が書いたことも忘れたらしい。
私がアルツハイマーか、あなたがアルツハイマーか、
一週間後にあなたが見事に証明してくれましたね。
- 535 :深山:2010/04/26(月)
12:35:37 ID:bSFQoceA0
- >>530 :準シュダオン:2010/04/26(月) 09:29:03
ID:agsP6ENM0
>平河本第2巻P283の語注69に、
>「得須陀?とは、須陀?果、預流果ともいい、・・・流れに入った聖者の
>ことである」と解説しています。
あなたが>>347で引用した原文は次のようなものらしい。
「得須陀?とは、須陀?果、預流果ともいい、三界の見惑を断じ尽くして、
悟りへ向かう流れに入った聖者のことである。向須陀?とは須陀?向、
預流向ともいい、見惑を断じつつ、須陀?果に向かって進みつつあるもの
をいう」(>>347)
この説明のどこがあなたの説「須陀オン向≠聖者」を支持しているのだ?
>>363でも反論したが、どこに、須陀オン向は聖者ではない、とあるのだ?
あなたと違い、学者たちは、四双八輩は聖者であることを前提として書いている。
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
彼らはこれを踏まえて書いているのです。
書いていない文章を勝手に空想で作り出すのはやめてもらえませんか。
あなたを見ていると、「彼女が微笑んだから、オレに気があるに違いない」と
自惚れる馬鹿男を連想する。
国語の読解とは、
「書いてあるとおりに読む」
「書いていないことを勝手に推測しない」
のが大原則ですから、守ってください。
- 536 :深山:2010/04/26(月)
12:41:12 ID:bSFQoceA0
- >>533 :準シュダオン:2010/04/26(月) 10:07:27
ID:agsP6ENM0
>1須陀?果、2斯陀含果、3阿那含果、4阿羅漢果、の四っつを四沙門果だ
>としています。これが正規の聖者です。ここには須陀?向は含まれておりま
あなたの読解力は、どうすればいいんでしょうねえ・・・・。
読者にわかりやすいように、原文を示しましょう。
和訳「四つ証得するべきことがらとは、四つの沙門の果報。須陀オンの果、
斯陀含の果、阿那含の果、阿羅漢の果。」
原文「云何四證法。謂四沙門果。須陀オン果。斯陀含果。阿那含果。阿羅漢果。」
(『現代語訳阿含経典 3』平河出版社、78頁)
釈尊は果について説明しているのです。
学校のたとえでいうなら、釈尊は「四つの取得するべき資格とは、
小卒、中卒、高卒、大卒である」と説明しているだけです。
釈尊はいずれも果について説明しているだけで、向については一言も説明していない。
説明していないのだから、含まれていないのは当たり前です。
須陀オン向だけでなく、斯陀含向、阿那含向、阿羅漢向もない。
では、後の三つも聖者には含まれないのか?
書いていないから含まれないなどという勝手な解釈が成り立つなら、
後の三つも書いていないのだから、聖者に含まれないことになる。
この反論内容を、私はすでに少なくとも三度は書いている。
- 537 :深山:2010/04/26(月)
12:49:44 ID:bSFQoceA0
- >>533 :準シュダオン:2010/04/26(月) 10:07:27
ID:agsP6ENM0
>須陀?向を悟りの第一段階・聖者に数えると、上記の四沙門果に須陀?向を
>加えて、五沙門果になってしまいます。
なりません。
あなたが引用した文章のどこに「○○向」があるのだ?
釈尊が説明したのは、四つの果についてであって、
「向」については何も説明していない。
卒業資格についてのみ説明したのであって、
それを得る過程など何も説明していない。
小卒、中卒、高卒、大卒の説明から、どうして、「小学生とは学生ではない」
というあなたの結論が出てくるのだ?
説明していないのに、どうしてあなたはここで「向」の話をするのだ?
そういうのを勝手な解釈というのです。
出家経の解釈でも私から同じ事を言われましたね。
書いていない文章を読みなさんな。
釈尊が説明もしていない内容を勝手に付け加えるのはやめなさい。
彼女があなたに会った時「おはようございます」と、にこやかに微笑んだとしても、
それはあなたに気があるからではない。
- 538 :深山:2010/04/26(月)
12:57:17 ID:bSFQoceA0
- >>532 :準シュダオン:2010/04/26(月) 09:51:06
ID:agsP6ENM0
>基本を間違えてると、ボタンの掛け違いのようなもので、どんなに知識を
>集めても、間違えます。
ボダンの掛け違いとは桐山さんとあなたのことです。
私が倶舎論に惑わされている?
私は倶舎論など持ち出したことは一度もない。
もしかして準シュダオンさんは倶舎論がアビダルマと名前がついているから、
アビダルマ仏教だと思っているのですか。
桐山さんもあなたもそうだが、知識が全部中途半端で、しかも、それを
自覚するのではなく、まるで自分はすべてを知っているかのような書き方をする。
私は倶舎論など持ち出していない。
批判側が持ち出したのは、釈尊の言葉そのものと、学者たちが判断した内容であり、
今の正当な仏教の解釈です。
あなたこそ、基本を理解しなさい。
●基本1「四双八輩=聖者」
●基本2「四双八輩=預流向、預流果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果」
この簡単明瞭な基本を理解しなさい。
この二つの基本からわかることは、
「預流向=聖者」
です。
あなたの勝手な解釈は無用です。
- 539 :深山:2010/04/26(月)
13:10:01 ID:bSFQoceA0
- >>531 :Boo:2010/04/26(月) 09:50:30
ID:.7UwrWaw0
>深山さんのお話で「四向四果」が「学校」に喩えるより、相撲の番付に近いような
>感覚を感じました。
そのたとえは適切だと思います。
それも横綱よりももっと厳しい。
横綱は何敗かしても、他の力士よりも成績さえよければ良い。
だが、阿羅漢は常に十五勝を求められ、一度でも負けたら、横綱から落ちることになります。
しかも、横綱は一日一度勝負すればいいだけだが、
阿羅漢は二十四時間、一瞬たりとも気をぬくことなく、戦い続ける。
だから、阿羅漢が、食いしん坊だとか、若い女性とホテルに
長期滞在するなんてありえない。
まるで、横綱が小学生に投げ飛ばされたような光景です。
つまり、そいつは横綱どころか、力士ですらありません。
- 540 :準シュダオン:2010/04/26(月)
13:34:00 ID:agsP6ENM0
- わたしが同じことを書くのは、深さんの反論が、的外れで反論になっていない
からです。平河本第二巻のP283の語註69を、前にレスしたことも覚えて
ますよ。でも深さんが理解していないから、何度も同じことを書くのです。
「何処に須陀?向が聖者でない、と書いてあるか?」が、反論ですかw?
それは、書いてなくても理解できなくてはいけません。長寿を得た、といえば
それだけで、短命でないことを表してるのです。私は健康です、と言えば、
病気でないことを表してるのです。深さんは、そこに気がついていない。
お釈迦さまが、自分を害する欲求や他人を害する欲求は捨てなさい、と、
言った場合、素直にそれに従えば良いのです。
ところが、深さんは、「自分や他人を害する欲求だけ」とは言っていない、
と解釈し、持つべき健全な欲求まで捨てかねない、愚か者です。
釈迦が多くの場で、欲望を捨てよという場合、害する欲望という意味で言っ
てると解釈して間違いありません。「害する」を省略しているのです。
- 541 :準シュダオン:2010/04/26(月)
13:59:38 ID:agsP6ENM0
- 「得須陀?とは、須陀?果、預流果ともいい、」と、平河2巻のP283に
学者先生が書いてますね。得須陀?の中に、須陀?向は含まれないのです。
「何処に須陀?向は含まれない、と書いてるか?」と、レベルの低い質問
があれば、「健康だ」というだけで、「病気でない」ことも表している、
と、答えるしかない。
さて、「得須陀?とは、須陀?果、預流果ともいい、」という学者先生の
言葉を深さんは、理解できたであろうか?
須陀?=須陀?果なのであって、須陀?≠須陀?向なのだということを。
深さんは前に、須陀?向は須陀?果未満ではあるが、須陀?=須陀?向で
ある、という間違った解釈のレスをしていた。
須陀?向は、須陀?未満なのです。須堕?に到達していないという意味が
「向」なのです。だから、須陀?向は、須陀?未満なのです。
経典で確かめてご覧なさい。「三結尽 得須陀?」とあるでしょう。
三結尽きて、得須陀?ですから、この須陀?には須陀?向は含まれない
ことがわかるでしょう。
阿那含も同じことです。経典に「断五下分結 得阿那含」とあります。
阿那含向は、阿那含未満だと言うことを理解しましょう。
断五下分結して得阿那含です、阿那含果とはなっていません。
だから、阿那含に阿那含向は含まれないのです。
「阿那含向は含まれないと書いてあるか?」と、レベルの低い質問をされ
ても困りますねw。
- 542 :ラシン:2010/04/26(月)
15:31:11 ID:q4iXIS7Y0
- >541 :準シュダオン:2010/04/26(月) 13:59:38
ID:agsP6ENM0
「得須陀?とは、須陀?果、預流果ともいい、」と、平河2巻のP283に
学者先生が書いてますね。得須陀?の中に、須陀?向は含まれないのです。
私は>>487でもあなたの勝手な推察を否定したが見てないでしょう。
おそらくラシンなど相手せず、読むに値しないとの偏狭心からでしょう。
だが、私もあなたの珍説を例に読者に訴えるだけですから、
あなたのマニアックさを大いに活用させていただく所存です。
尚且つ>>363でも深山さんから、あなたの屁理屈のおかしさを
指摘されている。
今回も深山さんから「小卒、中卒、高卒、大卒」の資格という、
具体例まで示されても、理解したくないので相手をあざ笑うだけ?
次の釈尊の引用で言えば、あなたは、各”向”は無い!というに
等しい意見となる。
釈尊の表現を素直に読み取れば、あなたがただの屁理屈者だと分かる。
ー引用ー
アーナンダよ。修行僧サールハは諸々の汚れが消滅したが故に、
すでに現世において汚れの無い『心の解脱』『智慧による解脱』を
みずから知り、体得し、具現していた。
したがって、この比丘は今さとりの世界におり、再び迷いの生存を
受けることはない。
アーナンダよ。尼僧ナンダーは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を
滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。
この比丘尼はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
アーナンダよ。在俗信者のスダッタは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、
欲情と怒りと迷いという三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、『一度だけ
戻ってくる者』となった。この信者はもう一度だけこの世に生を受け、
苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入るであろう。
アーナンダよ。在俗信女のスジャータは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、
『聖者の流れに踏み入った人』となった。
この女信者は、もはや悪しき世界に堕ちることはなく、必ず正しいさとりを
得ることが確定している。
(ナーディカ村にて 大パリニッバーナ経/涅槃経)
ここでの釈尊の説明は、阿羅漢果から預流果までのものです。
どこにも”向”の解説はしていない。
していないからと言って、それは単に省かれただけに過ぎない。
次の「法門の鏡」の説明では、「二人ずつの四組と八人の人々」として、
明解に聖者である旨を定義している。
簡単に言えば上記の説明を「法門の鏡」で補完し裏付けているのです。
そして各四果を得たら、最後は夫々の条件において必ず正しい悟りを
得ると説かれている。
あなたはすでに、全体としてはという条件付で「四双八輩」を認めた。
ならばその区分を「二人ずつの四組と八人の人々」との釈尊の説明を
条件として、「四向四果」を矛盾無く整理してみなさい。
- 543 :準シュダオン:2010/04/26(月)
15:51:26 ID:agsP6ENM0
- 四双八輩は聖者だと言っても、本当の聖者は四沙門果入りした者のことです。
だから、わざわざ、釈迦は四沙門果を説いてるのです。
須陀?向を聖者というのは、外道や仏道に入っていない凡夫に対して聖者と
言ってるだけで、煩悩を断じた本当の聖者という意味ではありません。
須陀?向が悟りの第一段階・聖者なのであるならば、もう少し経典に出て
来るはずです。「三結薄れて得須陀?向}とか、「一結断じて得須陀?向」
とか、そういう経があって当たり前でしょう。なのに、さっぱり、見当たり
ません。かろうじて、深さんが提示した帝釈の「得須陀?道」が、一つでは
ないですか。しかもその後に「極七往返 必成道果」という語もあります。
もしかしたら、得須陀?果というべきところを、得須陀道と、一字果間違え
た経なのではないか、なんてさえ思えるね。
- 544 :ラシン:2010/04/26(月)
15:52:08 ID:q4iXIS7Y0
- >541 :準シュダオン
>「阿那含向は含まれないと書いてあるか?」と、レベルの低い質問をされ
ても困りますねw。
矛盾無く整理してみなさいといわれてもすでに、
あなたのは矛盾した区分でしたよね。
ー準シュダオン考ー
1預流 :預流果・一来向
2一来 :一来果・不還向
3不還 :不還果・阿羅漢向
4阿羅漢:阿羅漢果
これは、「四向四果」ではなく「三向四果」の七人です。
結果、釈尊の「二人ずつの四組と八人の人々」を満足できない。
たとえ凡夫を預流向にくわえても、「一人ずつ二組と、
二人ずつの三組」という結果に終わるのだから明らかな矛盾です。
- 545 :準シュダオン:2010/04/26(月)
16:05:14 ID:agsP6ENM0
- ラシンさんのいうとおり、読む価値ないと思ってあなたのレスはパスしてたが、
今回だけ見てしまった。あんたこそ、深さんのレス見て、忘れたのかい?
深さんは、前に、須陀?=須陀?向+須陀?果、だとレスしたのだよ。
つまり、須陀?とは、須陀?向と須陀?果のことだ、とレスしたのだ。
わたしの出家経などのレスは、そうではない、という意味のれすなのだ。
それから、小学校、中学校、高校、大学、の例えは、四双八輩の内容を
説明するために用いただけだよ。それを勝手に小卒とか。中卒みたいな
学歴を付けて、卑しいレスにしてるのは、深さんや、ラシンさんなのだ。
ほんに卑しい性格は、レスまで卑しくなるね。
わたしの、前のレスに、小卒、とか中卒とか、学歴についてのレスが、一つ
でもあったら示してみいや!
- 546 :ラシン:2010/04/26(月)
16:19:25 ID:q4iXIS7Y0
- >543 :準シュダオン:2010/04/26(月) 15:51:26
ID:agsP6ENM0
四双八輩は聖者だと言っても、本当の聖者は四沙門果入りした者のことです。
だから、わざわざ、釈迦は四沙門果を説いてるのです。
須陀?向を聖者というのは、外道や仏道に入っていない凡夫に対して聖者と
言ってるだけで、煩悩を断じた本当の聖者という意味ではありません。
ほんとにおかしなお方で、弁明も苦しい。
仮の聖者としたのなら、その阿含経を見せなさい。
四果しか価値が無いなら、どうして四向が数に入るのでしょう?
また「煩悩を断じた本当の聖者という意味ではありません。」との
小賢しい理屈が通るなら、一結や二結を断じた預流向も煩悩断だから、
聖者になることになる。
預流に向かって歩き出した凡夫は、外道や仏道に入っていない?
その理屈なら、出家を願って許された者は仏道者じゃないのか?
ほえっ、驚愕!
それともその出家したての者とは、預流果をすでに得た聖者なのか?
どっちだ?
矛盾がさらに矛盾を招いた。
言ってることすべて、整合性が取れていません。
- 547 :ラシン:2010/04/26(月)
16:37:20 ID:q4iXIS7Y0
- >わたしの、前のレスに、小卒、とか中卒とか、学歴についてのレスが、一つ
でもあったら示してみいや!
示してみいや!と言われても、あなたが小学や中学生を例えにした。
その間違った意味解釈を深山さんが小卒、中卒との例えに使った。
誰も、このような明解な具体例を示したのが、
準シュダオンさんだと、ただの一度もほめた過去はありません。
それよりも私の>>542の、「四向四果」を矛盾無く整理してみなさい、
は出来ないでしょう?
>深さんは、前に、須陀?=須陀?向+須陀?果、だとレスしたのだよ。
釈尊の説いたことであり、それが学説となっている。
批判側みなは、その認識内です。
あなたの愚行の結果は>>544の「三向四果」の七人の人々が限界です。
- 548 :準シュダオン:2010/04/26(月)
16:45:26 ID:agsP6ENM0
- 四双八輩の中の、四沙門果を私は示しただけに過ぎない。
四沙門果には、須陀?果以上の七つが該当することをレスしたに過ぎない。
四双八輩には、須陀?向も含まれる。
しかし、四沙門果には須陀?向は含まれない。
そのことを、示したに過ぎません。
また、経典の得須陀?には須陀?向が含まれていない、ことを示したまで。
四沙門果には、須陀?果、斯陀含向、斯陀含果、阿那含向、阿那含果、
阿羅漢向、阿羅漢果、の七つを含みます。しかし、七つの階梯ではない。
ここが微妙ですね。うっかりすると、七つの階梯と勘違いします。
そうすると、間違う。
斯陀含向とは須陀?果の別名です。阿那含向とは斯陀含果の別名です。
阿羅漢向とは阿那含果の別名です。須陀?向とは、(註)聖道凡夫の別名です。
(お釈迦さまは、仏道を修行しない者を外道凡夫と表現されています。
ならば、仏道を修行する凡夫は、聖道凡夫と言えましょう)
阿羅漢に至る階梯としては、四っつ示されていますね。四沙門果です。
なぜ八沙門果ではないのか?それは、阿羅漢向は阿那含果の別名、という
ようになっているからです。
- 549 :準シュダオン:2010/04/26(月)
16:54:12 ID:agsP6ENM0
- 「須陀?=須陀?向+須陀?果」が、学説となっていると?
ならば盲信せずに、自分の眼で確かめたらよかろう。
やさしい経典くらい、読めるでしょう。
出家経に「三結尽 得須陀?」とあります。さぁ、この須陀?に須陀?向は
含まれますか?
- 550 :ラシン:2010/04/26(月)
18:12:08 ID:q4iXIS7Y0
- >548 :準シュダオン:2010/04/26(月) 16:45:26
ID:agsP6ENM0
四双八輩の中の、四沙門果を私は示しただけに過ぎない。
四沙門果には、須陀?果以上の七つが該当することをレスしたに過ぎない。
四双八輩には、須陀?向も含まれる。
しかし、四沙門果には須陀?向は含まれない。
そのことを、示したに過ぎません。
根拠も示さず堂々としたもので、さすが〜準シュダオン教だ。
あなたは私の>>544を読んだのでしょう?
ー準シュダオン考ー
1預流 :預流果・一来向
2一来 :一来果・不還向
3不還 :不還果・阿羅漢向
4阿羅漢:阿羅漢果
これにあなたの凡夫説(=預流向)をくわえても自己矛盾を
起しているのです。
釈尊の「二人ずつの四組と八人の人々」との条件を満足できないからです。
批判側が示す学説は、以下の通りです。
1預流
:預流向・預流果
2一来 :一来向・一来果
3不還
:不還向・不還果
4阿羅漢:阿羅漢向・阿羅漢果
これなら「二人ずつの四組と八人の人々」との条件を満足する。
>出家経に「三結尽 得須陀?」とあります。さぁ、この須陀?に須陀?向は
含まれますか?
あなたは質問には質問で返す癖があるようだ。
その質問に回答が含まれてこそ、はじめて一人前です。
私は>>487でのたった三日前に、すでに回答済です。
もう一度言いましょう、三結を尽して須陀?を得たなら預流果を意味する。
ついでにもう一丁、応用編、一結を尽して須陀?を(目指す)得たなら、
預流向を意味する。
さらにもう一丁、須陀?を目指した無結の仏道者でも、預流向を意味する。
この意味が分かりますか?
1の預流=預流向・預流果 となんら矛盾しない。
あなたの言いたいことの意味は「六年間学び終えたのが小学卒業生だから、
小学一年生は、小学生とは言わないのだよエヘン」との自家中毒を起している。
- 551 :ラシン:2010/04/26(月)
20:33:01 ID:0FbHmZCg0
- >548
:準シュダオン
>阿羅漢に至る階梯としては、四っつ示されていますね。四沙門果です。
なぜ八沙門果ではないのか?それは、阿羅漢向は阿那含果の別名、という
ようになっているからです。
ワはははのハ、あなたが稚拙な弁明という擬似塀を建てて久しい。
それも、デタラメと言う計算。
あなたの上記、”向”は”果”の別名なら、預流果=一来向×各3です。
あなたの言うとおりの別名との解釈で図式してみれば、
預流果=一来向で二果、一来果=不還向で二果、それと不還果=阿羅漢向で
二果の合計は、六果で、あと最後の+阿羅漢果で、総合計七果です。
あなたが勝手に推量しても、八沙門果じゃなく七沙門果だろ?
私が>>547で指摘した「あなたの愚行の結果は>>544の「三向四果」の七人の
人々が限界です。」の通りとなり、反論の芽が萎んだようで、いかにも老人らしい。(失礼
>>548 :準シュダオン:2010/04/26(月) 16:45:26
ID:agsP6ENM0
四双八輩の中の、四沙門果を私は示しただけに過ぎない。
四沙門果には、須陀?果以上の七つが該当することをレスしたに過ぎない。
四双八輩には、須陀?向も含まれる。
しかし、四沙門果には須陀?向は含まれない。
普通の解釈では、四双八輩=四向四果なのです。
だがあなたは、四双八輩=三向四果、と威張っている。
週休二日週労五日=休日二日労働四日、と言い張る?
どうして都合で公式が変るのか?
どうかその根拠を客観的に示してください。
- 552 :深山:2010/04/26(月)
22:08:30 ID:VZ5ofIsA0
- >>540 :準シュダオン:2010/04/26(月) 13:34:00
ID:agsP6ENM0
>わたしが同じことを書くのは、深さんの反論が、的外れで反論になっていない
>からです。平河本第二巻のP283の語註69を、前にレスしたことも覚えて
またこういう見え透いた嘘を平気で書く。
これがあなたの人生の縮図です。
あなたはこういう小手先のゴマカシをするから、仕事でも人間関係でもうまくいかなかったのです。
こういうゴマカシで他人を騙せると、自分の悪知恵を誇り、他人を侮っている点が
桐山さんそっくりです。
あなたが本当に記憶していたら、同じ事など出さない。
私の理解力が不足しているからと、別な説明をしたはずです。
あるいは、私の反論に直接反論を書いたはずです。
だが、そんなことはなく、まったく同じ内容を書いてきた。
しかも、こういうことが初めてともかく、あなたは毎回そうです。
私から指摘され、番号まで示されて、初めてわずか一週間書いたことを思い出した。
あなたは自分の腹の中など他人はわかるまいと他人を小馬鹿にして嘘をつく。
あなたは条件反射のようにこれをしてしまうのでしょう?
この悪癖はその年ではもう治らないでしょうね。
- 553 :深山:2010/04/26(月)
22:11:37 ID:VZ5ofIsA0
- >>540 :準シュダオン:2010/04/26(月) 13:34:00
ID:agsP6ENM0
>ますよ。でも深さんが理解していないから、何度も同じことを書くのです。
私が理解していないとは、あなたの説を受け入れないことですよね。
あなたの説が間違っていることなどよく理解している。
桐山さんとあなたが、何を読み違えて、斯陀含向が預流だ
などというアホウを言い出したのかもよく理解している。
桐山さんが同じ文章で、前半は預流向は聖者ではないと書き、
後半では聖者だという矛盾したことを書いている理由も
あなた以上に私はよく理解しています。
すべては桐山さんと準シュダオンさんの無知と無恥と慢心から来ている。
その中でもシュダオンさんの最大の慢心は、
あなたの解釈をここで議論していると勘違いしている点です。
これをいくら指摘されもて、あなたは理解できないし、したくもない。
なぜなら、ここに書くこと以外に仕事もないし、
まともに相手をしてくれる人もいないからです。
威張りきった態度で、一日中ここに書き込むしかすることがない。
ごらんのように、私は準シュダオンのことをとてもよく理解している一人です。
- 554 :深山:2010/04/26(月)
22:13:21 ID:VZ5ofIsA0
- >>540 :準シュダオン:2010/04/26(月) 13:34:00
ID:agsP6ENM0
神人同行さんでなくても、読者はウンザリしている。
議論は出尽くし、空転しているからです。
神人同行さんにはこちらの考えを説明したが、基本的には
私も彼の意見に賛成です。
あなたは記憶がないから、いつも新鮮だろうが、読者は普通の記憶を
持っているから、同じ話の繰り返しにウンザリしている。
「無駄だから、深山ももうやめろよ」という声が私にも聞こえる。
神人同行さんの書き込みは、いってみればその代表です。
だが、あなたは自分のことを書かれたとすら思っていないのでしょう?
だから、恥知らずという点であなたはいつも勝利する。
私のほうからこの件ではレスをつけなくなるから、あなたは勝利する。
- 555 :深山:2010/04/26(月)
22:17:05 ID:VZ5ofIsA0
- >>540 :準シュダオン:2010/04/26(月) 13:34:00
ID:agsP6ENM0
今まで私と議論して、勝利した擁護側は何人かいる。
栗花さん、ヂミズさん、ペテン大作さんです。
彼らの共通点は、議論にならない点です。
栗花さんは論外としても、ヂミズさん、ペテン大作さんは
ひたすら過去の議論や反論を無視して、相手が辟易するまで自説を繰り返す。
今のあなたと同じです。
だから、あなた方の共通点は、議論ではなく、自説の押し売りだという点です。
反論を完全に無視するのは共通の特徴です。
もう一つの特徴は、読者がウンザリして苦情を出しても気にしない。
だが、私は読者あってのナンボだから、議論をやめるのはいつも私のほうです。
そして私が彼に対してどう対処したかは、あなたも覚えているでしょう。
- 556 :深山:2010/04/26(月)
22:23:52 ID:VZ5ofIsA0
- >>540 :準シュダオン:2010/04/26(月) 13:34:00
ID:agsP6ENM0
栗花さん、ヂミズさん、ペテン大作さんにどう対処したか、覚えていますか。
無視です。
何をどう書かれようが、完全無視して、彼らが立ち去るのを待つ。
栗花さんは無視も通用しないほど病んだ人です。
だが、その彼も、2ちゃんねるのアクセス禁止処置で、今のところこれない。
ヂミズさんとペテン大作さんはたまに来ているようだが、ハンドルすら消している。
前のハンドルで書いたら、無視されるのを知っているからです。
私など、古くからいる批判側は、彼らの書き込みだとわかるとレスをつけない。
個人的には、無視はよくないと思うし、ペテン大作さんが私からのレスを
期待しているのがわかるし、知らない相手ではないからと、
まともなことを書いたときレスをつけると、すさまじい状態になる。
そうなれば他の人や読者に迷惑なるから、恐ろしくて手が出せない。
準シュダオンさんとペテン大作さんとは似ているところがいくつかあり、
国語力が低く、文章を四〜十行以上の文章をまとめたり、記憶することができない。
袋小路みたいな所に入り込んで、そこで事細かな屁理屈を構築して、
「ここに来て勝負しろ」と始まる。
だから、今のあなたに>>538に基本を示してもまったく通用しない。
基本などは、そこから先の議論を始めたとたん、あなたの頭から落ちてしまう。
自分の狭い範囲での屁理屈しか見えないから、いつまででも続けられる。
読者はウンザリし、苦情が出始めても、あなたはその苦情すら見えない。
こうなると、私が議論を下りるしか選択の余地がない。
- 557 :深山:2010/04/26(月)
22:28:35 ID:VZ5ofIsA0
- >>540 :準シュダオン:2010/04/26(月) 13:34:00
ID:agsP6ENM0
ここまでが前置きで、ここからが本文です。
まず、
「1.預流向は聖者か」
「2.預流向は預流か」
という議論について、私はレスをつけるのをやめます。
なぜなら、議論はすでに終わっている、というか、去年すでに終わっていた。
批判側は、阿含経、仏教辞典、学者の解説本から根拠を示し、
「1.預流向は聖者である」
「2.預流向は預流である」
ということを示した。
あなたは阿含経からも辞典からも学者の解説からもどれも根拠を明瞭に
示すことができず、あるのはあなたの低い国語力による勝手な解釈だけです。
これほどはっきり結論が出ていることを信者さんが読んでも、
まだ斯陀含向が預流であるなどいう桐山説を信じるなら、準シュダオンさんと
同じで、手のつけられない愚か者で、我々の手の及ぶところではない。
後は、好きなだけ吠えていてください。
- 558 :深山:2010/04/26(月)
22:30:37 ID:VZ5ofIsA0
- >>540 :準シュダオン:2010/04/26(月) 13:34:00
ID:agsP6ENM0
さらに、準シュダオンさんに提案したい。
あなたがペテン大作さんなどと違う点は、彼ほどの強烈な憎悪や復讐心がない点です。
そこは私は評価したいと思うから、提案です。
「1.預流向は聖者か」「2.預流向は預流か」という議論は
いったん終わりにしませんか。
神人同行さんの書き込みが代表しているように読者はウンザリしているのです。
あなたは、信者を対象として書いていると前に書いていた。
本当にそうなら、信者をウンザリさせるのは適切ではない。
桐山さんの阿含経講義の下巻が発行されるなど、何か新しい展開があれば、
この議論を再開するのもいいだろうが、それまではいったん終わりにするというのが私の提案です。
- 559 :深山:2010/04/26(月)
22:33:47 ID:VZ5ofIsA0
- >>540 :準シュダオン:2010/04/26(月) 13:34:00
ID:agsP6ENM0
準シュダオンさんにこの提案をするのは、あなたにとっても利益があるからです。
あなたの世界はここしかない。
今、ここで誰からも相手されなくなったら、あなたにとって大きな痛手です。
仕事もなく、道場に行ってもここでの議論を話すこともできず、
しゃべる相手もなく、唯一、脳味噌を使うのはパソコンの前なのに、
何を書いても、誰もレスをつけず、独り言をずっと書き続けるなんて、
あまりに孤独で、あまりに苦痛ですよ。
それよりも、神人同行さんの意見を読者の代表意見として受け入れ、
この件はここで打ち切り、別な話題で議論してはどうか。
それなら、批判側の誰かがレスをつけるだろうし、私も必要あれば参加します。
- 560 :準シュダオン:2010/04/27(火)
08:54:50 ID:agsP6ENM0
- 若い、うサギさんなどは、深さんやラシンさんの四向四果についての間違い
に気付くでしょう?
「須陀?=須陀?向+須陀?果」なのだ、と臆面もなく言う。学説だ、とまで
言った。阿羅漢向とは阿羅漢に到達していないことを言うのです。
こんな阿含教学の基本さえ理解せずに、批判してるんだから、噴飯ものです。
相撲で例えれば、横綱=貴乃花=横綱果、なのです。
大関の琴欧州は、横綱に向かいつつあるので、横綱向とも呼びます。
しかし、横綱向の琴欧州は、まだ大関の範疇なのです。
大関=横綱向・琴欧州+大関果・バルト、なのです。
横綱≠横綱向・琴欧州、なのです。
阿羅漢≠阿羅漢向、なのです。阿羅漢向には、阿羅漢という言葉が含まれて
いるので、阿羅漢の世界にいくらか入っている、と考えるのは間違いなのです。
- 561 :準シュダオン:2010/04/27(火)
09:08:21 ID:agsP6ENM0
- 「得須陀?とは、須陀?果、預流果ともいい、」と、学者先生は説明して
います。そしたら深さんは「何処に須陀?向は含まれないと書いてあるか?」
と、きた。ならば、仏教辞典を見なさい。
仏教辞典で「預流」を引くと「原始仏教では三結を断じた者が得る位であった」
と、説明があります。
預流には、預流向は含まれないことが解るであろう、これが学説なのです。
「預流=預流向+預流果」なのだ、これが学説だ、などと惚けたことを言うん
じゃないよ、それは批判派の珍説なのだ。
全く、仏教学者先生も迷惑な話だろうてw。
- 562 :準シュダオン:2010/04/27(火)
09:22:44 ID:agsP6ENM0
- 平河本と仏教辞典の結論をまとめると、
「得須陀?とは須陀?果、預流果ともいい、三結を断じた者が得る位である」
と、いうことになります。
これでも、得須陀?には、得須陀?道は含まれないことを理解できませんか?
同じく仏教辞典に、「阿羅漢は、原始仏教では修行者の最高位をいいます。
仏の別称」と、ありますから、阿羅漢に阿羅漢向は含まれないことが解ります。
そこを批判派は勘違いしてるのです。
阿羅漢向は阿羅漢未満、なのです。
そこを、よくよ〜く理解できてから、批判したまえよ、まったく。
あります。
- 563 :無関係な人間です:2010/04/27(火) 10:47:20 ID:oyugaFiI0
- すみません、またまた、2chで書き込み規制をされたので、こちらへ書かせて戴きます。
ご迷惑をおかけします。
それに、最近、援護派の程度の低いカキコが散見されるのも、シノギを守る使命を
受けたその筋の方々の行動かもしれません。以前、「阿含の闇は深いから深入りしない
ほうがいい」という趣旨のカキコがありましたが、あれは事情を知っている人の書き込み
かも。
(なお、付け加えますが、だからと言って桐山氏が被害者だとは針の先ほども考えて
はいません。)
私は、昔から桐山氏は「詐欺師みたいな人物」、阿含宗は「インチキくさい宗教」
(昔はカルト、という言葉は普及していなかった)と思っていました。しかし、阿含宗の
信徒の方々には好感を持っていました。尊敬できる人も多かったし、彼らの言動から
学んだ点も正直いくつもあります。真面目で、信頼の出来る人ばかりだったという感想
を持っていました。
(もっとも、准シュダオン様の言動を見て、自分の信念に動揺をきたしておりますが。)
しかし、20数年を経て、この結末はないだろう、と思ってしまいます。
崇高な理念と真面目な動機で信仰をした彼らの善意が、こんなくだらない話になるのは
外で見ていても胸が悪くなります。
と、同時に悲しくなります。大昔のギャグですが、責任者、出て来い! と言いたいですね。
- 564 :ラシン:2010/04/27(火)
11:27:38 ID:q4iXIS7Y0
- >560 :準シュダオン:2010/04/27(火) 08:54:50
ID:agsP6ENM0
若い、うサギさんなどは、深さんやラシンさんの四向四果についての間違い
に気付くでしょう?「須陀?=須陀?向+須陀?果」なのだ、と臆面もなく言う。
ですからそうまで言い切るなら、私が>>542で問うている
↓
あなたはすでに、全体としてはという条件付で「四双八輩」を認めた。
ならばその区分を「二人ずつの四組と八人の人々」との釈尊の説明を
条件として、「四向四果」を矛盾無く整理してみなさい。
- 565 :ラシン:2010/04/27(火)
16:16:02 ID:q4iXIS7Y0
- >563 :無関係な人間です:2010/04/27(火) 10:47:20
ID:oyugaFiI0
>だからと言って桐山氏が被害者だとは針の先ほども考えてはいません。
深山さんが転載された証言を基調に、私見で考えてみます。
すでに前述した内容ですが、アゴンの経理ほど疑念が大きく
存在する暗部に、はたして食い込めるか?
先ず教団の浄財の集金法ですが、ほとんどが現金扱いです。
これは、売上げ金の足跡が残らないことになる。
このメリットは、二重帳簿を簡便に操作できることです。
俗に言う飛バシで、受領伝票を自在に撥ねることが可能です。
このあたりの桐山自在力は、アゴンの法とも言えるのかな。
ざっくり言えば、十億円の集金も半分に減額できます。
その半分の五億円は裏金です、信者側の無申告が恒例ゆえに可能なのです。
もうひとつ、
騙し取られたという十億円ですが、実体は不明ですね。
話しが事実として仮に被害金額が十億円なら、何故訴訟しないのか?
との疑問が残りますが、それは後述します。
先ず疑われるのが、共同謀議です。
相手の会社が何らかの名目で、十億円を預り金とする。
多分、報酬という受領ではないと考えられる。
理由は、もし報酬ならそれは実体案件の契約ごとが必要とされ、
相手方へは税法上の規制がかかり、払う教団側も消費税負担が発生します。
しかし預り金であれば、仮に教団道場の土地建物の用地買収資金としてでも
預ることが出来ます。
あくまでも準備預り金ですから、税務義務はまだ発生しません。
実体は架空でも会計上は、前渡金や保証供託または仮払金として、
教団の資産の部に反映されます。
預った会社は、用地買収手許金としてまたは仮受金として負債の部に
帳簿上反映される。
さてその会社が偽装倒産した場合(偽装とは潰れるべき会社)には、
当然その預けた金は、返還義務の対象となります。
金銭消費貸借は、いわゆる借金貸金で双方に期限の利益が生じます。
だが預り金は、返還請求された場合には即、返さねばならない義務がある。
銀行預金がそうですね。
預金の出し入れの自由は名目上、預け金だからです。
しかしその会社が、すでにどの名目においてもすでに預り金を使途されて
いたなら、事実上は返還不能と言う現実に突き当たる。
そこでの倒産劇は、元々が破産に近い会社だから借金は既成事実で、
その会社整理は、いわば完了しており、実際の被害者は教団のみです。
また他にたとえ債権者がいても、プロの筆頭債権者により省かれます。
総会屋が取り仕切る格好の面目躍如の場が、民間非上場企業の倒産劇です
そこである期間を置いて、加害側から和解案が為される。
それは民民であれば問題なく、双方の合意で決定されます。
おおまかに負債の二割戻しで和解されれば、教団は八億円の損金勘定を
拠出できることになります。
これはあくまでも表面帳簿上です。
一定期間を経て、教団から債権放棄の通知を出せば税務上は問題ない。
一定の手続きの上なら税務署から否認されることはありません。
消えたとされた八億円を折半すれば、双方、裏金を堂々と手中にできます。
現実に考えれば、教団側が法的に債権行使の訴訟を起すのが普通です。
だが教団側が何もしていないということは、双方の利害得失を共有したと、
推測できるものです。
教団に弱味がある分、お互いが同じ穴の狢で握手したと推測できる。
またもうひとつの推測は、単純に教団の弱味を脅迫され、それを事件に
すれば見られたくない暗部が流出するために、金を払ったかもしれない。
しかし単に教団内資金を使えば、使途不明金となって税務監査上危険だから、
あるシナリオを書かねばならない必要性に迫られます。
恐喝された金を払うにも税務上は、経費の上限枠を超えて贈与になるからです。
その税務問題を放置したら、事件が意に反して明るみに出てしまいます。
だからそれには支払名目が必要となり、シナリオを書くことになるのです。
その考えられるシナリオの一つが、上記和解という方法です。
これはあくまでも概略で、そこまでの合議合意をするための書簡通達や、
時間的経緯の詳細は、専門的になるので省きます。
だが世間常識で考えて、教団が被害を蒙ったのなら放置そのものが、
あまりにも不自然で異常です。
桐山教団は、あくまでも金と無償労力の上に成り立っている。
教団の財務経理には、絶対触れられたくない深い暗部が存在するはずです。
ある種の内部告発で宗教法人の会計監査が入れば、必ずボロが出ます。
- 566 :準シュダオン:2010/04/27(火)
16:39:33 ID:agsP6ENM0
- 「須陀?=須陀?向+須陀?果」ではない、と私は笑ったが、笑ったのは
間違いであったね。解るまでは微妙な問題だから、そのように勘違いしてる
人は多いのかも知れない。須陀?という同じ語が須陀?向にも須陀?果にも
付いてるしね。しかし、定義を考えるとそうではない。
今度は、平河本2巻の闍尼沙経を取り上げよう。P74、P75、P76、
P78、などに、四沙門果が多く説かれてます。
やはり、「三結尽 得須陀? 不堕悪趣」となっています。
得須陀?には、得須陀?道は含まれていないことが、解りますね。
ここでも、須陀?向は須陀?未満であることが、解ります。
理解するまでは、微妙です。
相撲が解りやすいね。
小結→須陀?
関脇→斯陀含
大関→阿那含
横綱→阿羅漢、としましょう。横綱=貴乃花=横綱果です。
琴欧州は、横綱に向かっているので横綱向とも呼ばれますが、まだ大関の
範疇です。関脇・稀勢の里は、大関に向かっているので、大関向とも呼ばれ
ますが、まだ関脇の範疇です。小結・琴奨菊は関脇に向かっているので、
関脇向とも呼ばれますが、まだ小結の範疇です。
前頭の高見盛は、小結に向かってますので、小結向と呼ばれますが、まだ
前頭の範疇です、小結までは遠いね。
そして、お釈迦さまは、小結向、小結果、関脇向、関脇果、大関向、大関果、
横綱向、横綱果、この四双八輩、これ役付力士に候、とおっしゃたのです。
でも詳しく見ると、小結向は前頭の範疇で、小結の世界には入っていないし、
役付力士ではないのです。
- 567 :ラシン:2010/04/27(火)
17:26:27 ID:q4iXIS7Y0
- >566
:準シュダオン
>やはり、「三結尽 得須陀? 不堕悪趣」となっています。
意味を考えてください、「三結を断じ尽して須陀?を得たら
悪趣には堕ちない」との意味です。
須陀?果の条件は三結尽ですから、このお経は須陀?向の
説明ではなく、須陀?果だけの説明文です。
須陀?向については説明されていない、と何度も指摘した。
説明されていないことについて、否定も肯定もないでしょう。
>理解するまでは、微妙です。相撲が解りやすいね。
小結→須陀? 関脇→斯陀含
大関→阿那含 横綱→阿羅漢、としましょう。
仮定が、間違いです!
勝手なポジションから始めるのは、相撲認識がない証拠ですな。
相撲道ですからね、日本人なら理解できるはずですよね。
相撲界入門の新弟子は、序ノ口でもすでに「向」という道果に
向かっている「お相撲さん」です。
新弟子検査に受かって入門した新弟子は、準シュダオン流に何と言うの?
世間では普通、「お相撲さん」ですよ、違いまっか?
大学の相撲クラブの者は、単に相撲部員です。
この線引きが、凡夫と聖者とを区分けすると考えることが出来ます。
準シュダオンさん、世間の常識という視点くらい持ってるだろ?
- 568 :ラシン:2010/04/27(火)
17:56:04 ID:q4iXIS7Y0
しょせん相撲道には、四双八輩と同じ分類はありません。
相撲界に入門し、相撲道を邁進する者は「お相撲さん」です。
仏道に入ったら預流向という「聖者さん」です。
さてそこで、準シュダオンさんへ
あなたはすでに、全体としてはという条件付で「四双八輩」を認めた。
ならばその区分を「二人ずつの四組と八人の人々」との釈尊の説明を
条件として、「四向四果」を矛盾無く整理分類してみてください。
あなたの認識は、凡夫から阿羅漢果までですよね?
矛盾なく示してください、あなたの言質を裏付けて尚、
釈尊の「二人ずつの四組と八人の人々」に整合できるのか?
- 569 :ラシン:2010/04/27(火)
18:00:37 ID:q4iXIS7Y0
× 仏道に入ったら預流向という「聖者さん」です。
○ 仏道に入ったら先ず預流向という「聖者さん」です。
- 570 :無関係な人間です:2010/04/27(火) 19:27:13 ID:oyugaFiI0
- コメント、ありがとうございました。
精密な経理の知識を駆使されており、勉強になりました。感謝いたします。
億単位のお金の不正流用となると、ご指摘のような大々的な仕掛けが必要だと思います。
少なくとも、少数の職員だけでは実行は不可能で、上層部の関与が必要でしょう。
そして桐山氏が騙されたという認識がある事は、桐山氏との共同謀議の存在をうかがわせるものです。
ただ、そこで、桐山氏の想定と違う事態が発生したから「騙された」という事になったのでしょう。
でも、騙されたご本人が沈黙を守るというのが、俗人の理解できない部分です。
その原因が何かは、想像するしかないです。が、これだけの巨額のお金が不正流用されているのです。
何かの拍子で、あれよあれよと問題化する可能性は秘めているとも思います。
- 571 :ラシン:2010/04/28(水)
11:14:29 ID:q4iXIS7Y0
- >570
:無関係な人間です
>億単位のお金の不正流用となると、ご指摘のような大々的な仕掛けが必要だと思います。
少なくとも、少数の職員だけでは実行は不可能で、上層部の関与が必要でしょう。
2chでのミケさんの違った視点での指摘は、中々興味深いですね。
W田さんをファムファタル的相関関係、と捉えたようですが、
私はむしろマノンレスコー的な運命性や魔性性ではない、
アゲマン的であり、かなり計算高く賢い女性のように思えます。
近年では、三越事件の女帝こと竹久みち氏とのような関係か?
岡田さんの横暴と野望は、役員が要請したある有名な児玉機関の
関係する総会屋につぶされましたが、、、。
いずれにしろ私が>>565で私見ながら推量した教団の
財務経理の深い暗部に関わる中心的な存在としてW田さんは、
絶対見逃せない存在でしょう。
桐山さんが財務など分かる立場になく、ただ手を出すだけで、
それをW田さんは上手に叶えてあげ、事後処理をしている。
彼女としては、桐山さん自身が著書で挙げた「越王勾践」と、
側近である「范蠡」との男同士ではあるが忠実な主従関係を
内心描いているかもしれません。
曰く、「飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる」
ある種桐山さんの性格を読んで、「文種」の轍は踏まないよう、
自己の蓄財と教団暗部の保全を担う役目を自らに課している、
と推察するものです。
また色川さんの裁判はいまだ係争中らしいですね。
裁判事案はあくまでも信者の地位復権と名誉起伏に関する
損害賠償請求という建前に見えます。
何れは、溝口氏の影があれば和解という方向へ行くでしょう。
彼女自身の知力ではなく知恵をつける第三者は必ずいます。
私なら少々高い和解金でも提示して早急に終焉させますね。
長引くことは決して教団運営に関し、プラスには働きません。
- 572 :ラシン:2010/04/28(水)
11:18:33 ID:q4iXIS7Y0
× 地位復権と名誉起伏に関する
○ 地位復権と名誉回復に関する
- 573 :準シュダオン:2010/04/28(水)
13:10:10 ID:agsP6ENM0
- 管長は、四双八輩=四向四果、は阿含教学の基本だと述べています。
深さんや、ラシンさんは、その基本を誤解したまま、議論してるのです。
経典の四双八輩では、須陀?というだけで、須陀?果のことを示しており、
須陀?向は含めていないのです。
「阿那含=不還」です。つまり、「五下結断じて得不還」になれば、もう
この世に還って来ないという意味です。経典では、不還というだけで不還果
のことを示しているのです。不還向はまだ不還・不還果に到達していない、
という意味なのです。
だから、不還=不還向+不還果、と考えるのは間違いなのです。
「不還向は、不還未満であり不還果未満なのです」
いくら説明聞いても、自分で解らないと、意味がありません。
算数だって、説明聞いても、自分で理解できないうちは納得できませんね。
「あっ、そうか!そういうことなのか。」と、理解できないといけません。
経典の四向四果と、倶舎論の四向四果説は違います。
どこが違うのか?自分でアレコレ考えて、「あっ、そうか!」と、思える
まで自分で研究することですね。わたしは既に、経典と倶舎論の四向四果の
違いをレスしています。わたしに、反レスすることは、まだ四向四果を理解
していない証拠なのです。
- 574 :ラシン:2010/04/28(水)
14:19:29 ID:q4iXIS7Y0
- >573 :準シュダオン:2010/04/28(水) 13:10:10
ID:agsP6ENM0
管長は、四双八輩=四向四果、は阿含教学の基本だと述べています。
おかしいね、あなたの矛盾した同意です。
>>548の準シュダオンさんは下記のごとくに述べていますよ。
↓
>548 四双八輩には、須陀?向も含まれる。
しかし、四沙門果には須陀?向は含まれない。
これでは桐山さんの四双八輩=四向四果を否定したものとなる。
>548なら四双八輩≠四向四果で、矛盾を呈しています。
だから何度も要請しています、あなたの言うその四向四果を
分類して示してくださいと、
出来ないのでしょう?
ならあなたの理屈は、ただの詭弁だったわけです。
相撲道に関しても聖者の区分けが理解できたはずです。
あなたの解釈で相撲界に入門した者を「お相撲さん」以外
何と呼ぶのかも答えられない。
あなたの主張は退けられた。
また、あなたの
五下結断じて得不還=不還果、ここまでの解釈は正解です。
だが、あなたは不還が不還果を意味するだけの専売特許だと、
解釈する間違いに気づいていません。
不還とは、不還向と不還果を”総称”しているのです。
あなたの言うとおり、不還が不還果の専売特許ならどうして
わざわざ「五下結断じて」との条件をつけるのか疑問を持たないか?
得不還不堕悪趣とか得須陀?不堕悪趣で、果を証明できるのに
おかしいと感じませんか?
それは向と果を条件下で区分けしているからです。
凡夫が須陀?向なら、後の区分けは須陀?ではなく須陀?果という
分類表現で、四向四果は済むはずではありませんか?
@預流・A一来・B不還・C阿羅漢とわざわざ言わず、
各々四向四果だけで、
分類表現するだけでよいはずでしょう。
ところが釈尊は、聖者の仲間を「二人ずつの四組と八人の人々」と、
説明したのです。
二人ずつの四組だから、@預流向・預流果、A一来向・一来果、
B不還向・不還果、C阿羅漢向・阿羅漢果 の合計八人の人々となる。
これは充分条件を満たしています。
だから預流向も預流の分類ですから、預流果の説明のときは、
三結尽という条件をつけて分かるように解説しているのです。
- 575 :ラシン:2010/04/28(水)
14:33:34 ID:q4iXIS7Y0
- >573準シュダオン
わたしは既に、経典と倶舎論の四向四果の
違いをレスしています。わたしに、反レスすることは、まだ四向四果を理解
していない証拠なのです。
あなたは無責任に公職を担っている人ではないでしょう?
ならば、経典にある釈尊の「二人ずつの四組と八人の人々」
との条件で、
1預流
:預流向・預流果
2一来 :一来向・一来果
3不還
:不還向・不還果
4阿羅漢:阿羅漢向・阿羅漢果
と、批判側は、四向四果を整理分類しています。
あなたの分類表現を上記経典の条件下で、四向四果を示してください。
出来ますか?
- 576 :無関係な人間です:2010/04/28(水) 18:54:36 ID:EJLXmAm20
- >>571
昨日、広野隆憲先生の「阿含宗の研究 桐山密教の内実」を読み終わりました。
このサイトを見たおかげで、著者の主張が如実に分かるようになりました。
それで感じたのが、阿含宗や桐山氏に協力した人達、あるいは桐山氏や阿含宗の
主張が問題のある事を知りながらも沈黙を守った人達の責任の大きさです。
広野先生のご指摘では、桐山氏は一見カリスマ性があり、初対面の人間が騙される
のが当然という魅力あふれる人物のようです。しかるに、理由はどうであれ、桐山氏の
言動にお墨付きを与えた人物も多く、それが桐山氏へ帰依する人を増やしたようです。
また、泣き寝入りをした被害者が多く、それが新たな被害者を拡大した背景もあるよう
です。
主犯は桐山氏ですが、共犯、幇助をした人物は限りなく多いと言えるでしょう。
あと、お金については、地方道場の建築基金の流用など、相当に荒っぽい方法を
しているようですね。監督官庁の調査が入らないのが不思議です。ただ、大学時代よ
り京都で生活をしている人間としては、両者の不適切な関係を疑ってしまいます。
証拠もないのに失礼な事は言えませんが、京都という街は、そういう事が起こっても
不思議でないという印象を持っています。
- 577 :名無しさん:2010/04/28(水)
20:24:02 ID:blb37rXI0
- 一時が万事。
教義がこれだけ滅茶苦茶で、
その場しのぎで補って構築されたことは明らか。
このやり方は、教義だけではなく、
金銭面でも同じと考えるのが自然。
相当ずさんなやり方や、教義と同様の嘘を付いてのやり取りも
行われていたのではなかろうか。
教義と同じように、びっくりする事実が出てきてもおかしくない。
- 578 :準シュダオン:2010/04/29(木)
08:57:03 ID:agsP6ENM0
- 何度、言っても、ラシンさんも、勘違いしてるね。
四双八輩にも、四向四果にも、須陀?向は含まれます。
しかし、四沙門果には須陀?向は、含まれないのです。
四沙門果≠四双八輩=四向四果、なのです。
四沙門果には、七輩しか含まれないのです。なぜなら、
斯陀含向とは須陀?果以上〜斯陀含(果)未満なので、四沙門果に含みます。
同じく、阿那含向も斯陀含以上の存在なので、四沙門果に含まれます。
同じく、阿羅漢向も阿那含以上の存在なので、四沙門果に含まれます。
しかし、須陀?向は、須陀?未満であり須陀?果未満なので、四沙門果には
含まれないのです。だから、四沙門果には七輩しか含まれないのです。
解ってしまえば、「あっ、そうか!そういうことか。」と、単純なことです。
解らないうちは、微妙な違いと、言えそうです。
- 579 :準シュダオン:2010/04/29(木)
09:19:13 ID:agsP6ENM0
- 四双八輩を相撲に例えたのは、四双八輩の仕組みを理解するためです。
小結→須陀? 関脇→斯陀含 大関→阿那含 横綱→阿羅漢、に例えたら
理解しやすいでしょう。琴奨菊は小結果ですが、雅山は前頭です。
しかし、雅山は小結に向かっているので、小結向と呼びます。
小結向には、小結という語が使われていますが、小結ではなく前頭です。
須陀?向もそれと同じことなのです。
小結、関脇、大関、横綱と、四役ですので、これを四役果と呼びましょう。
そして、この四役を、向小結、小結果、関脇向、関脇果、大関向、大関果、
横綱向、横綱果、の四双八輩に区分します。八輩に区分したとて、役は四っつ
なのです。八役あると、勘違いしてはいけません。
また、大関や横綱というだけで、大関果と横綱果を表しています。
阿那含や阿羅漢についても、同じことです。
須陀?向とは、須陀?に未到達、須陀?をまだ獲得していないことを意味
しています。須陀?果の「果」は須陀?を獲得したという意味です。
- 580 :準シュダオン:2010/04/29(木)
09:34:07 ID:agsP6ENM0
- ラシンさん、の四向四果の整理の仕方は、間違いです。
経典を読むと、預流に預流向は含まれないのです。
仏教辞典にも、「預流とは原始仏教では三結を断じた者が得る位」と、説明
しているように、預流に預流向は含まれません。
1預流=預流向+預流果 2一来=一来向+一来果
3不還=不還向+不還果 4阿羅漢=阿羅漢向+阿羅漢果
というような整理の仕方が、経典に説かれていますか?
誰か、仏教学者さんの整理の仕方ではありませんか?
- 581 :ラシン:2010/04/29(木)
11:25:05 ID:Mx41lDIM0
- >578
:準シュダオン
四沙門果≠四双八輩=四向四果、なのです。
四沙門果とは、直裁に解釈し表現すれば、
預流果・一来果・不還果・阿羅漢果の四つです。
残念だが、準シュダオンさんの思考は、ここで停止している。
四沙門果とは、修行者が得るべき四つの果です。
さらに言えば阿羅漢果(解脱)を得るための修行果であり、
一つ一つが突出して得られるものではなく、一つ一つ段階を
経て行く中で達する各一果と知らねばなりません。
五階建ての建物があると考えて、その柱と壁は戒律という
保護で守られている。
凡夫がその建物を信じ入館したいと考え、上を目指して階段を
昇り始めたら、その者はすでに「預流向」です。
下を見れば地上(凡夫界)から離れ、煩悩という風雨から、
戒律という柱と壁によって自分が守られていることに気づくのです。
ゆえに風にあおられ落下することはありません。
そこは仏の館であり聖者の建物だからです。
さて二階に辿りついたそこは「預流果」というフロアーです。
この例でわかるとおり、四沙門果とは単なる四果ではなく、
その四果を得るための修道(階段を昇る)を含んでいることが、
分かるはずです。
なぜなら仏道とは絵に描いた餅ではなく、実践修道していくことだからです。
四沙門果=預流果・一来果・不還果・阿羅漢果
と字面だけで解釈して預流向は含まれていないとの主張は、
上記字面を見れば、一来向・不還向・阿羅漢向も見当たらない。
>579 四双八輩を相撲に例えたのは、四双八輩の仕組みを理解するためです。
相撲の番付は例えになりません。
横綱は一つしかないランクですよ、大関もしかりで勝手に大関向や
横綱向を造語してはいけないし、該当させるには無理があります。
私の相撲例は、聖者と凡夫の境界線を新弟子(預流向)でも、
お相撲さん(聖者の仲間)と解釈できるでしょう、と言うものです。
>580 仏教辞典にも、「預流とは原始仏教では三結を断じた者が得る位」と、説明
しているように、預流に預流向は含まれません。
三結を断じた者が得る位=預流果 ですよね。
前述した条件下で語句を解説しているだけです。
だからその辞典解説には、預流向も預流果という文字表現は無いでしょう?
預流とは、預流向と預流果の総称だからです。
>1預流=預流向+預流果 2一来=一来向+一来果
3不還=不還向+不還果 4阿羅漢=阿羅漢向+阿羅漢果
というような整理の仕方が、経典に説かれていますか?
経典にある釈尊の「二人ずつの四組と八人の人々」との表現を
学者が、文字通り分類し解説されていますよ。
四沙門果をネット検索しても、学説やその著書は多数ヒットします。
そのレビューだけでも分かりますし、キャプションを読んでもこの通りです。
- 582 :準シュダオン:2010/04/29(木)
11:28:49 ID:agsP6ENM0
- 四双八輩=四向四果とは、
1須陀?向と須陀?果 2斯陀含向と斯陀含果
3阿那含向と阿那含果 4阿羅漢向と阿羅漢果
なのです。ね、四双とは、向と果のこの四っつの対をいうのです。
ラシンさんなど、批判派の整理の仕方は、これに須陀?とか斯陀含の
言葉を勝手に入れるから、勘違いするのでしょう。
向とは未満を表しています。須陀?向とは須陀?未満のことです。
須陀?果とは、須陀?に到達した、須陀?以上を表しています。
だから、「須陀?=須陀?向と須陀?果」と考えるのは間違いなのです。
そのような考え方は、アビダルマ論師の誤った考え方です。
- 583 :ラシン:2010/04/29(木)
12:18:18 ID:Mx41lDIM0
- >582 :準シュダオン:2010/04/29(木) 11:28:49
ID:agsP6ENM0
四双八輩=四向四果とは、
1須陀?向と須陀?果 2斯陀含向と斯陀含果
3阿那含向と阿那含果 4阿羅漢向と阿羅漢果
なのです。ね、四双とは、向と果のこの四っつの対をいうのです。
そうです、経典にある釈尊の「二人ずつの四組と八人の人々」との表現を
学者が法数分類したのです。
二人ずつの四組と言う条件で、他に分類できないでしょう?
>ラシンさんなど、批判派の整理の仕方は、これに四向四果とか斯陀含の
言葉を勝手に入れるから、勘違いするのでしょう。
このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を
滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷いという三つの心の毒がしだいに
弱くなっているので、『一度だけ戻ってくる者』となった。
これらの信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くして
さとりの世界に入るであろう。
これが、釈尊の説く多くの表現法です。
須陀?・斯陀含・阿那含・阿羅漢はあくまで総称ですと述べています。
小学生とは、小学一年生から六年生までの総称と同じ表現なのです。
>向とは未満を表しています。須陀?向とは須陀?未満のことです。
いいえ、あなたは上記582で「四っつの対をいうのです」と言うなら、
須陀?向とは須陀?未満ではなく、須陀?向とは須陀?「果」未満となります。
経典で「向」の対は「果」と理解するのが理に適っていますね。
>須陀?果とは、須陀?に到達した、須陀?以上を表しています。
その理屈なら「須陀?」という語句は不要でしょう?
あなたの説なら、須陀?果=斯陀含向ではないのかな。
あなた流の分類結果は
1 須陀?果=斯陀含向
2 斯陀含果=阿那含向
3 阿那含果=阿羅漢向
4 阿羅漢果= ?
という矛盾した結果に終わり、四双八輩=四向四果の図式にすらならない。
四対ならぬ、四果三向という惨めな結末です。
あなたの「ね、四双とは、向と果のこの四っつの対をいうのです。」が、
いかに辻褄が合わないことを堂々と主張しているか、分かるでしょう。
- 584 :ラシン:2010/04/29(木)
15:53:06 ID:Mx41lDIM0
2chで再びミケさん情報を読みました。
多分女性の方でしょうか、見方が女性ならではの視点で、
なるほどと得心しました。
特に最近まで信者さんだったから、生の桐山情報を伺えた。
W田さんの人身掌握も中々のもので、別な一面を見た思いです。
というか、私も総本部へ行った時の印象と又聞きですからその意味では、
W田さんをよく知りません。
女性はいつまでも女性部分を捨てないでしょうから、女の部分は隠していた。
桐山さんは昔、腕の良いオーガナイザーがいれば教団は発展する、
と言っていましたが、強ち大作氏を羨んだだけではなく身内に発した
言葉だったかもしれない。
全国に億ションとは凄いが、桐山さん承知の蓄財でしょうか。
ミケさんの母上のご事情には、大変な思いでミケさん自身も辛かったでしょう。
ミケさんの「人間は本当においつめられたとき、泣き喚くことができない。
そんなことをしたら本当につぶれてしまうからです。」の言葉はあまりにも重い。
そう見れば、たち夫人の高級ブランド買い漁りもある種その裏返し行為だった?
信者の浄財も、けっきょく桐山さんの悪業ゆえに身内にばら撒かれ、
散在されたようです。
そしてそれが尚今も新たな護摩道場建立基金で売上げをあげている。
なんとも暗澹たる思いです。
- 585 :無関係な人間です:2010/04/29(木) 18:40:26 ID:QXOZi0.60
- >>584
地獄への道は善意で敷き詰められている、という言葉を思い出しました。
ところで、阿含宗については、脅迫教学、完璧な収奪システム、誇大妄想的な言動
が巨大な宗教詐欺の背景にあるというのは外部の人間である私でも理解できました。
が、それでも何故、あんなに多くの人が、あんなに長く騙されるのか、という疑問は残っ
ていました。
素人である私の受けた印象は、桐山氏の特異なカリスマ性がその答かと考えています。
彼の言動は杜撰で、一貫性が全然ない。一貫しているのは、他人を踏みにじり、自分の
利己的な満足を得るという姿勢ぐらいのものです。でも、沢山の信徒が今でも信じている。
ヒトラーの側近だったレーダー提督という人物が、「自他共に許す懐疑論者が
ヒトラーにひざまずくのをこの目で何度も見た。」と証言をしていますが、桐山氏に
もそういう魔力があったのではないか? それが原因の大きな部分ではないのか?
広野先生の著書に、彼の人間的な吸引力、説得力の凄まじさなどの説明を見ると
そういう結論になりそうです。
しかし自分は桐山氏とはほとんど会った事がないので、自信はありません。ご存知の方の
ご指摘、ご指導をお願いします。
- 586 :ラシン:2010/04/29(木)
20:15:09 ID:Mx41lDIM0
- >585
:無関係な人間です
>地獄への道は善意で敷き詰められている、という言葉を思い出しました。
あはは、仰るとおりウンチクある表現。
社会一般、今は過去より政治の世界でも同様ですな。
正とか真の冠は宗教、民主とか共和などは政治に現われ、
思わず苦笑せざるを得ない標語の羅列で、「おれ等は正しい!」との独善の一語。
はたして人は、それに膝を叩くか?
>しかし自分は桐山氏とはほとんど会った事がないので、自信はありません。ご存知の方の
あなたの部外者ながらの適格な判断力には、敬意を表します。
ただ、
ヒトラーの歴史的な予知能力に、桐山さんはまったく匹敵しないでしょうね。
それは桐山さん自身が、己の無惨な状況をすでに自己披露していますからね。
因縁切り論の崩壊です。
信者さんには、見えていて見えない状況ですが。
そこで、
いくらそのカリスマ性を訴えても、元信者の視点では桐山さんの主張は、
すべて自己申告の客観的検証に堪えない無知蒙昧な理屈にすぎません。
そして私は、
もはやそのヒトラー予知の伝聞は、ほぼ伝説に近い話しだとの認識です。
ヒトラー的カリスマの確立は既成事実となっている。
ですから、
桐山さんのカリスマ性は、ほとんどがインチキで創られたものと思考すれば、
ヒトラーとの比較対象の可否は、あまり意味がないと受止める次第です。
桐山さんがもし歴史に名を残したいなら、ヒトラーや毛沢東、スターリン級の
殺人者になるしか、その手立てでは無理でしょうね。
それ以外は、ただの宗教詐欺師という諡名が符号しますよ。
戒名 くだらく院
宗教詐欺師法螺 大居士 !
んっ? 「フ」と「ク」を間違えた?
- 587 :準シュダオン:2010/04/30(金)
08:56:10 ID:agsP6ENM0
- ラシンさんが、批判派で最初に、経典の四双八輩を理解する可能性があり
ますね。倶舎論をそのまま説明している学者さんの整理の仕方は、経典の
四双八輩とは違います。
四双八輩を、
1須陀? 須陀?向:須陀?果 2斯陀含 斯陀含向:斯陀含果
と、言うように整理したのでは、間違います。
1須陀?向:須陀?果 2斯陀含向:斯陀含果
と、言うように整理しないといけません。須陀?とか斯陀含を入れては
いけません。
経典を見てください。お釈迦さまは、「須陀?向、須陀?果、斯陀含向、
斯陀含果、阿那含向、阿那含果、阿羅漢向、阿羅漢果、四双八輩 是為
如来弟子衆」と、アチコチの経典で説かれています。「 」内に、須陀?
という語がありますか?須陀?向と須陀?果でしょう。だから勝手に、
須陀?を四双八輩に加えては間違うのです。
算数で考えてください。須陀?=須陀?果です。
もしも、須陀?向=須陀?だと仮定したら、須陀?向=須陀?果になって
しまいます。だから、須陀?向≠須陀?なのです。須陀?向は須陀?未満
なのです。
- 588 :準シュダオン:2010/04/30(金)
09:04:40 ID:agsP6ENM0
- 経典には、「成就須陀?」とか、「成須陀?」とか「得須陀?」とかの
表現があります。いずれも、須陀?果のことです。
須陀?という語だけで、三結を断じた者の得る位を表しているのです。
「向」と言う語が付くと、それ未満を表しているのです。
こういう基本的な内容を理解出来ない人達が、管長の話を訊いても、
そりゃあ、誤解して受け取ってるに決まってます。
- 589 :準シュダオン:2010/04/30(金)
09:19:24 ID:agsP6ENM0
- アビダルマ論師が、須陀?向を見惑のいくつかを断じた位にしたのです。
アビダルマ論師が、須陀?を見惑の八十八煩悩のすべて断じた位にしたのです。
アビダルマ論師が、斯陀含向を修惑の三種を断じた位にしたのです。
アビダルマ論師が、斯陀含を修惑の六種を断じた位にしたのです。
ところが、阿含経典には上記のような定義はありません。
アビダルマ論師の四双八輩の定義は、経典の定義とは違っています。
批判派の考え方は、アビダルマ論師の定義と同じになっていますね。
だから、間違いです。
- 590 :ラシン:2010/04/30(金)
11:36:57 ID:q4iXIS7Y0
- >587 :準シュダオン:2010/04/30(金) 08:56:10
ID:agsP6ENM0
ラシンさんが、批判派で最初に、経典の四双八輩を理解する可能性があり
ますね。倶舎論をそのまま説明している学者さんの整理の仕方は、経典の
四双八輩とは違います。
私は、すでに↑の四向四果ついては異論がない旨、>583で述べています。
>582
:準シュダオン:2010/04/29(木) 11:28:49
ID:agsP6ENM0
四双八輩=四向四果とは、
1須陀?向と須陀?果 2斯陀含向と斯陀含果
3阿那含向と阿那含果 4阿羅漢向と阿羅漢果
なのです。ね、四双とは、向と果のこの四っつの対をいうのです。
----------------------------------------------------------------------------
>583:ラシン そうです、経典にある釈尊の「二人ずつの四組と八人の人々」との表現を
学者が法数分類したのです。
しかし準シュダオンさんは、>>582で「須陀?果とは、須陀?に到達した、須陀?以上を
表しています。」とも主張している。
それでいて同じ>>582では、「四双とは、向と果のこの四っつの対をいうのです」とも言う。
あなたのその分類を再度、図式にしてみましょう。
1須陀?=須陀?果=斯陀含向
2斯陀含=斯陀含果=阿那含向
3阿那含=阿那含果=阿羅漢向
4阿羅漢=阿羅漢果= ?
変でしょう?あなたの「四双とは、向と果のこの四っつの対をいうのです」すら、
満足で出来ていません、矛盾した結果しか生じない。
真理は矛盾しませんから真理なのです。
私を含め批判側は一切、アビダルマ論師の定義やその倶舎論を元に
主張していません。
経典にある釈尊の「二人ずつの四組と八人の人々」を条件として、
区分け分類しているに過ぎません。
また、
分かりやすく言えば、須陀?向と須陀?果を総称して須陀?としている。
だから経典で須陀?果を述べている時は、必ずその得果の「三結尽」の
条件を前提にしています。
以下、同様なのです。
さて結論です、岩波仏教辞典の「四向四果」の頁をよく読んでください。
阿羅漢を無学として「これ以前の聖者(七輩)を有学という」とあります。
七輩とは、無学の「阿羅漢果」を除いた残りの四向三果だと分かりますよね。
つまり、「須陀?向」も聖者だ!と認められていることになります。
これが学者の認める説で、私も明解に根拠を示したよ。
しかし桐山さんは、須陀?向の聖者を曖昧にしている。
深山さんの言うとおり、今後の阿含経講義下巻が発行されるまで、
あとは待ったらいかがですか。
私もこれを最後に今回の議論は終わらせていただきます。
- 591 :Boo:2010/04/30(金)
13:00:48 ID:DXlq9owoO
- 深山さん、遅レスですがコメント有難うございます。
そもそも『煩悩』とは何かというと、平らたく説明すると(怒)とか(愚痴)とか(貪)のことですね。これが『断たれる』とはどういうことか?それは現在の精神状態で特に努力しなくてもこれらの感情が沸いて来ないということではないでしょうか?そう考えると、『貴様!』などと我を失うのは、これらの煩悩を人前では見せなかった、というだけで煩悩が『断たれた』という状態ではないことは明白ですね。
ラシンさんのレスで四双八輩の議論は誰が読んでも理解できると思います。
これを理解出来ないのは。桐山理論の矛盾点で批判に反論しようとするからでしょう。
桐山さんは時々おかしな部分を露呈します。
伝法会かなにかで『堅固合掌』と『普賢合掌』か何かの違いが質問で出されたときに明確に回答出来無かったことがあります。
一時が万事、しっかりとした教学はなにも無いのでしょう。
パスカルだとかニーチェだとかのちょっとした有名フレーズを拝借して、いかにも仏教の哲学的アプローチな格好をつけるのが実に上手い。種を明かすと笑っちゃうような内容なのにね。
- 592 :ラシン:2010/04/30(金)
14:54:02 ID:q4iXIS7Y0
- 2chが規制中なのでこちらに掲示します。
>342
:深山
>総本殿敷地とは、元々、競売にかけられていたのを桐山さんが落札したもので、
これで、納得出来ました。
巷間囁かられていた総会屋との関係を裏付けるものですね。
私の認識で判断すれば30数年前の競売事情とは、
落札者を保護する民事執行法はありません。
俗に言う競売妨害や落札を目的にした土地建物の転貸や、
短期賃借権をたてにした担保権実行妨害などが、往々に
まかり通っていた時代です。
ですから競売物件を素人が扱うことなど、困難と危険の極みでした。
二十数年前ですが、八王子で不動産業者が競落した土地建物を
前所有権者の家族が居座り、業者が家族を惨殺するという事件が、
起きていました。
理由は、落札業者が一刻も早く名義換えして転売しないと、
その競落資金を返済不能に陥るか、他者売却人へ引き渡せず、
契約不履行を招いたための不幸な事件となったようです。
それくらい玄人でも、競売物件を扱うには危険とリスクを生じる、
との認識に基づいた判断は可能です。
- 593 :ラシン:2010/04/30(金)
14:54:36 ID:q4iXIS7Y0
- >342
:深山
>総本殿敷地とは、元々、競売にかけられていたのを桐山さんが落札したもので、
競売とは民事事案でも、そこにいたる複数異常の金銭的貸借と、
利権が絡みなおかつ表面に出ない第三者が複雑に存在するからです。
それを教団は、堂々と落札した。
よほどの経験者と力ある整理屋の協力がいないと危険なのです。
昔の総会屋は、専門の経済知識と力を鼓舞できるブレーンに
恵まれていましたから、教団が頼るには充分な相手です。
また上記深山さんの推測は、世間で発展した新興宗教には、
当然過ぎるつき物という実体が浮かび上がります。
教団が発展し、また繁栄し得る条件には興行というイベントは、
欠かせません。
そこには必ず地元利権や既得権が存在します。
それを上手に問題を起さずに成し遂げるには、それ相応のお礼金が、
必要とされます。
しかし地元対策費などは経理上計上できませんから、
否応なく裏金を捻出し使用せざるを得ません。
現在においてすら法人格の法人税における交際費の定額控除限度額は、
引き上げられて600万円以内です。
これを超えた会計上の支払はすべて贈与に該当し、約五割の課税が
なされます。
宗教法人といえど寄付収入以外の収支は厳しく規制されています。
>345
:深山
>1990年前後に会計の見直しをして、その結果取り入れた制度が、なんと伝票制度です。
深山さん指摘の時代に逆行した伝票制度などは、
私が予測した教団の浄財のほとんどが現金扱い説を裏づけるものです。
伝票飛ばしをすれば、二重帳簿を簡便に使い分けできます。
これは、売上げ金の足跡が残らないことから、ざっくり言えば十億円の
売上げも半分に減額できる可能性があります。
つまり、その半分の五億円は裏金で簿外処理したということになります。
簡単に言えば護摩木の在庫管理も、二重処理で証拠を隠蔽できます。
これの行為は、一般職員以外の限られた幹部しか操作できないでしょう。
深山さんの指摘も、それを裏付ける可能性を示唆した私の判断も、
すべて推測の域を出ませんが、過去からの教団の行状を考えればこれらは、
裏金なくしてなし得ないその必要性を認識せざるを得ません。
- 594 :準シュダオン:2010/04/30(金)
16:16:54 ID:agsP6ENM0
- では私もあと少しで、四双八輩のレスをお終いにしましょう。ただ、こういう
基本を理解しないで、桐山教法を批判したとて、私からみたら的外れですから
ね。だから、アビダルマ論師の四双八輩ではなく、経典の四双八輩くらいは
理解してから批判したらろかろうに、と思うのですよ。
須陀?向を聖者扱いする、学者の説は、アビダルマ論師の説なのです。
経典の定義では、須陀?には須陀?向は含まれないのです。
須陀?に須陀?向を含む考え方自体が、倶舎論説になってしまっているのです。
経典の須陀?向は、外道凡夫に対して聖衆というだけの話で、悟りの第一段階
を得た訳でもないし、いくらか煩悩を断じた存在でもありません。
経典では、成就須陀?というだけで、三結を断じた聖者です。
成就須陀?果と言う必要がなくて、須陀?というだけで、三結を断じた聖者なの
です。当然、この須陀?には須陀?向は含みません。
- 595 :準シュダオン:2010/04/30(金)
16:46:41 ID:agsP6ENM0
- わたしが分類した四っつの聖者には、須陀?向が含まれてません。
須陀?向は、第一段階の悟りを得た聖者では、ないからです。だから、
1須陀?=須陀?果=斯陀含向
2斯陀含=斯陀含果=阿那含向
3阿那含=阿那含果=阿羅漢向
4阿羅漢=阿羅漢果
と、いうのが聖者の区分になります。これの何処が変ですか?
たぶんラシンさんは、これでは七輩なので、四双八輩ではない、と言いたい
のでしょう。わたしが分類したのは、四つの聖者を、四双八輩の用語を使って
表しただけです。四双八輩を示したのではありません。
四双八輩を表すには、向と果の対を表すのですから、向や果が付かないもの
は入れてはいけないのです、須陀?とか斯陀含とかね。
「須陀?向:須陀?果」で一双です。これに、1須陀?とか、入れる必要は
ありませんし、入れたら間違いです。
須陀?向とは須陀?未満だと言う意味なのですから、須陀?を入れたら間違
いなのです。
わたしは、うっかり、「須陀?果は須陀?以上」とレスしましたが、これは
間違いで、「須陀?果は須陀?相当です」と表現すべきでした。
だから、須陀?=須陀?果です。この「須陀?=須陀?果」が上に向かって
修行してるのを斯陀含向と呼ぶのです。
だから、須陀?=須陀?果=斯陀含向、になるのです。
- 596 :無関係な人間です:2010/04/30(金) 19:36:23 ID:gcVnQWXA0
- すみません、2chで書き込み規制に会いました。こちらへ書かせて下さい。
深山様、精緻な書き込みに感謝と敬意を表します。
事実関係の部分では、異論はありません。賛同いたします。
自分の感想では、阿含宗はもう既に闇の勢力に骨の髄までしゃぶられている状態だと
評価できるかと感じます。関西ヤクザが言う「カタにはまる」という状態ですね。
桐山氏やWさんが健在の間はこの状態が続くでしょうが、この先はどうなるか不明です。
ただ、宗教の法人格は売買の対象になっているぐらいですから、貴重な道具として利用され続けるでしょう。
しかし,まだしゃぶられていないか、もうしゃぶられている、かは個人の感想の差という部分だと思います。
阿含宗の中枢部に闇の勢力が深く浸食しているという点では同じ感想を持っています。
>>341:深山 ?Y0jS4ug6fQ :2010/04/30(金) 12:43:56 ID:9zdUcv2A
(2chの番号です。)
>>暴力団を取り締まる法律ができたとき、桐山さんが、
>>「彼らをただ排除するのではなく、彼らの生活も考えてあげなければならない」
桐山氏がこのような発言をされているのを初めて知りました。ご教示に深く感謝します。
ところで、これと類似の発言を「闇社会の守護神」と言われた田中森一 元弁護士が
言っています。しかし、これは田中氏の独自の発言ではなく、京都と滋賀のヤクザの
大親分であるT氏の主張を敷衍したもののようです。T氏は自分の主張を広げるために
本を出版しているぐらいです。T氏はなかなかの論客なので、その影響を受けた人も
多いようです。田中氏はT氏と親交があった事を自分から明かしています。
桐山氏の発言が彼の独自の感想であるか、誰かの影響を受けたものであるか、
私は判断する材料を持っていないので、これ以上の議論を差し控えさせていただきます。
最後になりましたが、益々のご活躍をお祈り申し上げます。
- 597 :準シュダオン:2010/05/01(土)
09:05:08 ID:agsP6ENM0
- 解ってしまえば、「あっ、そうか!そういうことか」と、なります。
解るまでは、微妙な勘違いかも知れないね。
学者さんの四双八輩の分類、
「阿羅漢 阿羅漢向:阿羅漢果」を変だと思わないのですか?
阿羅漢向は阿羅漢未満なんですよ、それが何で阿羅漢に分類されてるのですか?
この分類は、倶舎論の分類で、間違いです。
経典では、阿羅漢と言うだけで仏を表します。阿羅漢=阿羅漢果です。
阿羅漢向<阿羅漢=阿羅漢果です。阿羅漢向≠阿羅漢です。
四双とは、向と果の四つの対を言うのですから、向と果の付かない阿羅漢
を入れる必要はないし、入れたら間違いです。
- 598 :名無しさん:2010/05/01(土)
09:39:45 ID:2OtsJpCg0
- 皆さん、老人介護は大変ですね。
最近はわがままな老人も多いし、毎日同じ事ばかりグタグタ言ってるのもいるし。
五月の連休に入りましたので少しは骨休みでもして下さいな。
- 599 :うサギ:2010/05/01(土)
09:59:55 ID:kWNoVJ/g0
- 準々シュダオンさんは、所詮、今回の件については、
「Now
Loading....」の画面が出たまんま止まっているゲーム機です。
読み込むまで、待機中。長いなあ。
- 600 :Boo:2010/05/01(土)
10:34:35 ID:.7UwrWaw0
- 最近2ch見ている暇がないのですが・・・
いわゆる「暴力団新法」が施行されたときですね。
あの時は日本の暴力団の力が弱くなったため、中国人や東南アジアのマフィア
のような勢力が新宿で暴れたことがありました。それを見て石原都知事
などは随分警戒した発言をしていました。
そんな現象が起きたので、ゲイカの読みはこういうことだったのか、さすがだな〜
なんて感心したものです。裏事情は結局これらの人種と付き合いがあったから
なんでしょう。洗脳とは恐ろしいものですね。なんの疑惑も感じないんですから。
- 601 :無関係な人間です:2010/05/01(土) 18:28:30 ID:iR80yYqk0
- すみません、2chで書き込み規制があるので、ここに書かせていただきます。
>>362
:神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 16:50:00 ID:1MlySJ3Q
だましている意識がないから、余計に質が悪いんだよ。
騙している意識のない人も多いでしょうが、騙している意識のある人が少なくとも一人いると
思います。
>>364 :神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 17:51:52
ID:mtDPkW65
守護神さまをいただいたのに、ガンで死んだ関西総本部の女性職員もいますよ。
今から2、3年前の話ですが。
「ガンの因縁」理論の破綻の実例ですね。
しかし、ご本人やご遺族のご心痛を思うと、軽々しく言及するのを躊躇します。
私はその方とは全く面識はありませんが、心からのご冥福をお祈りします。
- 602 :深山:2010/05/01(土)
19:26:11 ID:2VMnqNw60
- >>593 :ラシン:2010/04/30(金) 14:54:36
ID:q4iXIS7Y0
>よほどの経験者と力ある整理屋の協力がいないと危険なのです。
総本殿敷地は昭和50年頃に購入した約一万坪ほどが最初です。
奇跡話があり、大日如来の文字が掘られた石が
敷地の中に突然出現したというのです。
前日までなかったのに突然現れたとして、奇跡だと騒ぎ立てていた。
桐山さんを信じていた時代ですら、私は??で、誰かが捨てていったのだろうと思いました。
しかし、念力の護摩や竜神現形のインチキがわかった今から見ると、
犯人は桐山さん本人でしょう。
次の日にみんなで現場を見に行くのを知っていて、夜でもこっそりと
石を置いておいたのでしょう。
こうやって振り返ってみると、桐山さんて、本当にただの詐欺師です。
ヤクザと関わりができたと言われる競売の件は、
この最初の一万坪の後の話で、週刊誌には次のように報じられています。
- 603 :深山:2010/05/01(土)
19:27:58 ID:2VMnqNw60
- 「問題の土地は京都の、阿含宗総本山に隣接する十四万八千五百平方メートル。
地番でいえば、京都山科区北花山大峰町七十七番地、大峰山中の土地である。
55年四月、桐山氏は競売に付されていたこの土地を七億二千万円で落札したものだ。
阿含宗は五万平方メートルの総本山境内内に納骨堂や高さ7.5メートルの大仏を建立、
さらにこの隣接地を買収して、総本山を拡張する予定だった。」
(『週間ポスト』1982年4月2日号、203頁)
この記事を書いたのはE川事件と同じ溝口さんです。
最初の五万平方メートルに、これの三倍もの敷地を追加できるとして、
競売にかけられた土地を落札したのです。
これが現在の星まつりの修法地でしょう。
その後の経過は次のようなものです。
- 604 :深山:2010/05/01(土)
19:29:59 ID:2VMnqNw60
- 「この土地は、もともと京都・慈尊院という真言宗のお寺が、大霊園にする予定で名古屋
のハワイ観光や、東京のシントク電気などに資本を仰いだのだが、工事に着手できずに、
詐欺容疑で逮捕されてしまった。その間、建設を担当していた大林租によって競売に付さ
れていた。それを桐山が落札したのである。「地元のヤタザが落札させまいと防いだらし
いのですが、桐山は落札してしまった。しかし、その後も彼と仲良く付き合っていまし
たから、なんらかの手打ちがあったんではないでしょうか.星まつりでは彼らは来賓扱い
です。
京都でヤクザ連中を押えたのは京都の黒幕といわれる山段芳春という人物です。京都信
用金庫の影の理事長といわれています」
当時を知る関西の元幹部は解説する。
だが、慈尊院側では競売は無効として、京都地裁に特別抗告の訴えを起こし、裁判で争
われることになったのだが、なぜかその後、慈尊院側で訴えを取り下げてしまった。
その陰に、ヤタザの存在が見え隠れするのが桐山・阿含宗のもう一つの特徴である。」
(「桐山・阿含宗 疑惑の土地、教典、人脈」、『宝石』、1991年5月号、209〜210頁)
- 605 :深山:2010/05/01(土)
19:32:21 ID:2VMnqNw60
- その後、星まつりなどに地元のヤクザが車を連ねて来賓として
現れていることを見れば、土地購入がヤクザとのつき合いのきっかけに
なったという推測は当たっているように見えます。
星まつりほどのイベントに露店が一軒も出ないという奇妙な光景も、
シマを仕切っている人たちが監督している何よりの証拠です。
信者さんたちは今、護摩が焚ける道場建立を目指してお金を出している。
たしかに、釈尊の時代にも信者が精舎を供養した。
だが、今のアゴン宗と決定的に違う点がいくつもあります。
それは釈尊は信者に精舎を求めたことは一度もないという点です。
スダッタ長者などが精舎を供養しますというから、受け取っただけです。
だが、桐山さんは違う。
信者さんたちに、護摩の焚ける道場という目標を設定し、
これを供養しろと呼びかけている。
こういうことは釈迦仏教ではありえないのです。
信者さんたちも釈迦仏教の基本中の基本を覚えておいたほうがいい。
- 606 :深山:2010/05/01(土)
19:35:04 ID:2VMnqNw60
- 「与えられない物は受け取らない」
これが釈迦仏教の基本の一つです。
釈尊や比丘たちのほうから、信者にこれをくれ、
あれをよこせと請求することはない、という意味です。
托鉢ですら、黙って鉢を持って立っているだけで、
飯をくれとも言わないし、また飯を供養してもお礼も言わない。
これが阿含経における釈迦仏教の大原則なのです。
桐山さんは法話で必ず、あれを供養しろ、これを出せと信者たちに言う。
自慢話と同様に、人と金の請求を法話でしないことはほとんどない。
だが、釈尊はいっさい請求などしません。
というよりも、上記の大原則があるから、してはならないのです。
桐山さんから供養を年中せがまれているから、
信者さんたちは別に不思議にも思わなくなったのだろうが、
阿含経に基づく仏教教団の出家が、在家に何かを請求するなどありえないのです。
- 607 :深山:2010/05/01(土)
19:40:33 ID:2VMnqNw60
- 「与えられない物は受け取らない」
違いはこれだけではありません。
釈尊に精舎を供養しても何にも返してくれません。
善業に対する善果はもちろんあるでしょうが、
それは釈尊が信者に与える物ではなく、この世界の法則にすぎない。
だが、信者さんたちは金を出すと、ホトケから功徳という見返りが得られると思っていますよね。
アゴン宗のシッポの生えたオシャカは、信者さんたちが人や金を
差し出すと、見返りに功徳をくれるらしい。
だが、釈尊はそんなことは説いてもいないし、実際にそんな場面は一つもありません。
三福道など全部桐山さんの作り話です。
信者さんたちは供養に功徳の他に法施までもらう。
法施欲しさに供養する信者もたくさんいる。
品物で釣り、品物に釣られるその姿こそ餓鬼の世界です。
私も信者時代、釣られた人間だからだからこそ言うが、信者さんたちの
していることは供養でもなんでもなく、小餓鬼が大餓鬼から欲で釣られて、
騙されているにすぎない。
総本殿が出来て、それで何か前に進みましたか。
求聞持脳を獲得した信者が一人でも出ましたか。
なんにもない。
次から次とノルマを示され、夜店のガラクタのエサで釣られ、
桐山さんと一族の宗教貴族の生活と、愛人やW田さんの
ハンドバッグを買う金を出しているだけです。
自分の餓鬼の心に気が付かないから、騙されていることにも気が付かず、
生きながら餓鬼の世界を輪廻しているのです。
- 608 :準シュダオン:2010/05/02(日)
09:16:42 ID:agsP6ENM0
- 一日せいぜい、10分かそこらの書き込みだから骨休みする必要もないね。
同じこと書くのは仕方ない。批判派の中にも、正しい四双八輩を理解できる
可能性がある、と思ったからね。同じことレスしますよ。
丘山新先生みたいな博学の方でも、倶舎論を信じてしまうと、経典を間違って
訳してしまう。批判派が間違えるのも無理もない。
須陀?向が聖者だと仮定すれば、修行者の最初の目標になる訳で、得須陀?向と
いう語が、もっと経典に出ているはずだろう。それが皆無といえるほど、ない。
帝釈が「得須陀?道」と話し、丘山先生が是を悟りの第一段階と訳してましたが、
わたしには、帝釈は本当の信者になった、程度にしか読めないね。悟りという
語は経典にないしね。
四双八輩とは、向と果の対が四つ有り、八つの輩(ともがら)があるということ。
阿羅漢未満と阿羅漢相当の対、それが阿羅漢向:阿羅漢果、ということ。
阿那含未満と阿那含相当の対、それが阿那含向:阿那含果、ということ。
斯陀含未満と斯陀含相当の対、それが斯陀含向:斯陀含果、ということ。
須陀?未満と須陀?相当の対、それが須陀?向:須陀?果、ということです。
この阿含教学の、基礎基本を理解していない、批判派のレスは、的外れなのです。
- 609 :Boo:2010/05/02(日)
09:37:48 ID:.7UwrWaw0
- 頭の固いジジイのレスが的外れなのです。
- 610 :ラシン:2010/05/02(日)
11:16:29 ID:uLxL0pFo0
- Booさんの指摘にある「暴力団新法」が、広域やくざのチカラを
削いだのは事実でしょう。
反面、暴力団はマフィア化し、警察の情報取得は困難になった。
この時期、新宿歌舞伎町の利権地図は一時大陸のチャイナマフィアに
塗り替えられたし、六本木はイラン人が横行し常時警備車が常駐された
くらい、歓楽街としては窮屈になりました。
596無関係な人間ですさんの宗教法人への感慨は、97年施行の
「利益供与要求罪」により一般企業へ食い付いていた総会屋の勢力は、
弱体化し、逆にその法律を隠蔽しやすい宗教法人との繋がりがある総会屋は、
生き延びる結果をもたらした。
西武鉄道の総会屋への利益供与などは、記憶に新しいと思います。
深山さんの大日如来の文字が掘られた石の奇跡は著書にもあり、
当時は丸かじり信じていましたが、推測すれば桐山犯人説で説明がつく。
>603
:深山:2010/05/01(土) 19:27:58
ID:2VMnqNw60
「問題の土地は京都の、阿含宗総本山に隣接する十四万八千五百平方メートル。
>桐山氏は競売に付されていたこの土地を七億二千万円で落札したものだ。
それにしても驚きは、148000uといえば約45000坪で、150反です。
反単価で計算すれば、一反480万円です、一ケタ違うんじゃないか?
購入価格を坪単価でみれば、一坪当り1万6千円ですよ!
山林が、坪単価単位で売買されることは無く、あれば原野商法です。
都民の感覚で、都内の土地が坪当たり80万円という目で見れば、
千葉山林の将来の別荘地が坪2万円、といえば安く感じるのと同じです。
現在千葉あたりの雑木林が、一反15万円〜20万円です。
実態は現況でも30分の一以下の売価ですよ。
もちろん古都京都花山の地価の価値は違います。
しかし現在、宅地でも山科区北花山大峰町あたりで、坪5万6千円です。
それも30年前なのだから、あまりにも価格がおかしい。
それも慈尊院という真言宗のお寺が、大霊園にする予定で着工予定に
あったということは、大規模開発計画が許可され計画図面が用意されていた、
と考えられ山林価格以外の樹木の伐採権などは、発生していないのでしょうから、
見えない土地値プラスアルファは、無いと見るべきです。
何故なら受注業者のゼネコンが競売にかけたのですから、
何らかの具体的な業務が発生していたと見るべきです。
これは大林組が、七億円相当の債権を有していたことではありません。
一番抵当者は、担保権の実行はしませんので後順位が大林組だった。
競売最低値は、かなり低かったのでしょう。
隣地は倍額でも買え、という諺を参考にすれば3億円以下、それでも高い。
この深山さんの情報は、あまりにも驚愕するもので、
たしかに地元既得権者との裏取引が暗示されるものです。
第一抵当権者が誰であったのかが分かれば、もう少し真相に近づけますが、
今となっては難しいでしょう。
- 611 :ラシン:2010/05/02(日)
12:31:56 ID:uLxL0pFo0
- >604
:深山
>京都でヤクザ連中を押えたのは京都の黒幕といわれる山段芳春という人物です。京都信
用金庫の影の理事長といわれています
山段氏にまつわる疑惑はいろいろとあります。
先ず宗教者がそのような怪しい人間と関係を持つという倫理観です。
桐山さんにしてみれば、自信のある特意な範疇だったのでしょう。
そてこの”京都信用金庫の影の理事長”という部分です。
前述で私は、「第一抵当権者が誰であったのかが分かれば、」と仮定しました。
その第一抵当権者が、京都信用金庫だったらどうであろう?
または、教団の落札資金を融資したのが京都信用金庫であったら?
慈尊院側の競売無効の特別抗告は、当時の民事訴訟法に則った唯一の、
執行停止の方法で、民事裁判は場合により長期化する危惧が生じます。
ところが特別抗告が取り下げられたということは、和解以外の何ものでも
ありません。
両者を調整し和解できる地元裏権力者の存在。
その和解金や仲介報酬、インフラ工事や土木工事の利権。
まさに疑惑と裏の世界で成り立った「星まつりのご聖地」。
それらを大日如来の文字が掘られた石の存在という奇跡話で、
すべての疑惑を払拭し、信者の目を背けることに成功した。
深山さんの情報は、たしかに競売取得という特殊な土地購入を
当時の競売事情の危険を乗り越えて、教団がなしえた奇跡に見えないことはない。
- 612 :無関係な人間です:2010/05/02(日) 21:06:56 ID:2ebqVHy60
- >>611
私が京都に来た時の少し後には、京都の土地も地上げの攻撃対象になり、怪しげな不動産業者が
暗躍していました。そういう人間の後ろには、必ず暴力団関係者がいました。
なお、私も京都に住んで20年以上になりますが、阿含宗総本山のある地域はきわめて
不便な土地であり、京都の人間が好き好んで購入するような土地ではないです。墓地ぐらい
しか用途がないでしょう。
高い買い物だと感じます。
- 613 :名無しさん:2010/05/03(月)
11:29:56 ID:c50URS6s0
- 桐山は本当に薄汚い奴だな。
昼間は淑女、夜は娼婦ではないが、
表は聖者、裏は犯罪者というのがピッタリだ。
- 614 :ラシン:2010/05/03(月)
15:59:52 ID:r7/zaFuM0
どなたかが2CHに転載してくれたようです。
410 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2010/05/02(日) 22:32:16
ID:U7kMFEFF
>>392
>ある種の内部告発で宗教法人の会計監査が入れば、必ずボロが出ます。
>>398
>億単位のお金の不正流用となると、ご指摘のような大々的な仕掛けが必要だと思います。
>少なくとも、少数の職員だけでは実行は不可能で、上層部の関与が必要でしょう。
宗教法人の役員報酬は、収益事業と非収益事業とを通算した総額の収入比率で、
広い意味で宗教活動に含む場合でも、私文書さんの指摘通り源泉税や住民税は、
納税しなければなりません。
また、役員報酬額として一旦支出された金額の一部が、「裏ガネ」として個人口座に
プールされている例は割と多く、税調の対象になりやすいことは自覚していると思います。
ようは法外な報酬を計上して納税して裏金を作るのと、帳簿操作で損金勘定に
繰り入れて作るのと、どちらが金銭負担が少ないかは、ケースバイケースでしょう。
>そんな危険なこと、人を信用してない桐山がするとは思えないのですが。
財務経理に関しては当然、桐山さんが直に指示などできないと思います。
それはw田さんの指示によってその道のプロが行うでしょうし、
幹部は一部の分担処理を担うのみで、全体像は把握できないでしょう。
むしろ幹部は隠蔽操作の自覚すらないかもしれません。
あくまでもよくある組織上の内部秘密の管理を分担させる。
w田さんがあとは会計士に仕訳をさせて会計報告の瑕疵がないように
要請する通常の決算業務であれば問題ありません。
また収益事業の売上げをお布施などと称して無税の非収益事業に付け替えるなどは、
意外と一般的な悪習という慣例もあります。
ロスの教団土地購入を個人に付け替えた。
マネーロンなのか単なる名義変えなのかも、それらの会計処理と不動産処理は、
w田さんの指示であっても氏の知恵ではない、外部専門家によるものでないと
為し得ない操作です。
- 615 :ラシン:2010/05/04(火)
12:02:28 ID:oXTjl0UY0
- >612 :無関係な人間です:2010/05/02(日) 21:06:56
ID:2ebqVHy60
私が京都に来た時の少し後には、京都の土地も地上げの攻撃対象になり、怪しげな不動産業者が
暗躍していました。
地上げ屋と暴力団は、ワンセットでしたね。
マッチポンプで吊上げという出来レースで、依頼者が食われるパターン。
>京都の人間が好き好んで購入するような土地ではないです。墓地ぐらい
しか用途がないでしょう。 高い買い物だと感じます。
無関係な人間ですさんは、京都にお住まいでしたか?
四条河原町に閻魔ビルという名のファッションビルが記憶にあります。
私は、京都が好きで星祭り以外にもよく遊びに行きました。
祇園は、花見小路より宮川町や、ネネさんの石塀通りの風情が好きですね。
さて「墓地ぐらいしか用途がない」とありますが、仰るとおりであの山付近は、
ほとんど山林というか何もないですね。
アクセス道は、東海道線の高架をくぐる手前に住宅街があり、
名神高速までの山科は、街道沿いは案外賑わっていますね。
逆に東山から蹴上を抜けて大峰町へのアクセス付近には、
ほとんど整備された住宅地はありませんでした。
昔、近くには東急ホテルがあったと思います。
本山の購入金額は、大いに疑問が残るところです。
道理を説くのが仏教なのに、無理を通して道理を引っ込めた教団の聖地。
なんとも皮肉を感じます。
- 616 :無関係な人間です:2010/05/04(火) 14:47:23 ID:X3rn0eKE0
- >>615
まだまだ、京都には慣れません。生え抜きの京都人とは違いはあります。
サイトでこんな事を書くと、お叱りを受けるかもしれないので、先ずはお詫びをしておきます。
山科区自体が、昔は東山区と同じ行政区域であり、最近になって開けて来たので独立して「山科区」に
なりました。山科区でも東海道のあとにある山科北部、つまり阿含宗の総本山のある近くは、実は昔は
刑場の後でした。国道1号線を走っていると、「南無阿弥陀仏」とか石碑がたったりしているので、地元
の出身者に聞くと、刑死者の供養塔だそうです。そういう供養塔が散見されます。町名にも「血荒町」とい
うものがあり、何故、改名しないのか、と思う位です。
だから、生え抜きの京都人で縁起をかつぐ人は、あのあたりは好きではないみたいです。
ご指摘のように、阿含宗の総本山の近くに住む人がいないのは、交通の便が悪いのが理由ですが、
それ以外に、言いにくい事情があるようです。
「不成仏霊」がうろうろする地域に総本山を作るのは、よほど自分の霊力に自信があるか、そんなものに
無頓着かのどちらかでしょう。
なお、私は、そのような場所に住むという理由で、その地域の人達を差別したり、批判する事には
強く反対しております。私の友人にも、その当たりに住んでいる人がいますが、立派な人で尊敬をして
います。あくまでも、土地の価格が高すぎる、という考えの一資料として出したまでです。念のため。
- 617 :無関係な人間です:2010/05/04(火) 14:48:49 ID:X3rn0eKE0
- >>616
「血荒町」ではなく、「血洗町」でした。お詫びして訂正します。
- 618 :準シュダオン:2010/05/04(火)
15:43:58 ID:agsP6ENM0
- 誤りを改めるに何の憚ることあらん。経典の四双四果を理解してない、
批判派の皆さん、今からでも遅くはありません。正しい経典の四双四果を
理解してから批判しましょう。
帝釈天、次のように曰く、
「得須陀?道 不堕餘趣 極七往返 必成道果」
自歓喜経には、次のようなのがあります。
「得須陀? 極七往返 必成道果 不堕悪趣」
上記の二つ、似てますねえ!
闍尼沙経の仏の言葉に、次のようにあります。
「得須陀? 不堕悪趣 極七往返 必尽苦際」
須陀?を得れば、生死を七回往来するうちに、涅槃を得て苦をすべてなくす、
という意味でしょう。
自分の頭で考えれば、倶舎論の変なところも、解ると思いますね。
自分で自分にマインドコントロールをかけてはいけませんね。
須陀?向を、悟りの第一段階の聖者だと仮定するのならば、
問1、どうすれば、須陀?向に成れるのですか?
問2、なんで経典に皆無とも言えるほど、得須陀?向が出てないのですか?
と、問うてみましょう。
問1の答えは、三結を断とうと努力するものは皆、須陀?向です。
問2の答えは、須陀?向は本当の聖者ではないし、悟りの第一段階でもない
から、得須陀?向、などとは経典に出てないのです。
と、いうことになるでしょう。
- 619 :ラシン:2010/05/04(火)
16:18:54 ID:oXTjl0UY0
- >616
:無関係な人間です
>ご指摘のように、阿含宗の総本山の近くに住む人がいないのは、交通の便が悪いのが理由ですが、
それ以外に、言いにくい事情があるようです。
なるほど、初めて知りました。
いわくつきの場所だったとは、一般信者さんは中々知りえない。
仰るように、地域的差別で忌み嫌うのはよくありませんね。
古都は戦場になった土地が多く、鎌倉なども供養塔があります。
そうであれば、ここは昔は刑場があって「不成仏霊」が多いので、
あえて京都北花山を覆いつくすこの地を選んで土地を浄化し、
我が教団が標榜する不成仏霊のカルマを取り払う証として、
この地をご聖地とした、とか何とかもっともらしい創造を交えた曰く因縁を
いかな桐山さんとて、、、
言えなかった様ですね。
私など大日石の奇跡話し以外、刑場のいきさつは聞いたことがありません。
- 620 :色川千影愛人に戻せ訴訟被告桐山靖雄:2010/05/04(火) 17:17:47
ID:Qo7jl63I0
- >>618
堂々巡りの教学以外には絶対にコメントしない阿含宗の工作員さん、今日もごくろうさまです。
別院のG田さん、でなければはプロの雇われライターさんですね?
末端の信者では絶対にできない、見事な手腕を発揮されていますね。
深山さんを始めとするメンバーを堂々巡りの教学論争に引き込んで、したらばをだれも読む気のしないつまらないスレにすることに成功した点では貴方の勝ちです。
違うというのなら、次から次へと会員女性に手を出す管長の病気について私と議論しましょう。
- 621 :ラシン:2010/05/04(火)
21:27:17 ID:oXTjl0UY0
- 2CH >430 :私文書為造
私文書さんのご指摘は、推測の域でも大いなる可能性です。
私なりの稚拙な知識で、その疑惑はあり得ると考えた次第です。
ただ桐山さんは、不可能可能を問わずに、頂戴!と手を出す。
それを上手にかなえる役目を担っているのが、w田さんを筆頭にした
上層部の存在でしょうか。
こういう個人的意志が強く働く教団は、内部からの脱税の上申書一発で、
あんがいもろくも崩壊するのが、新新途上宗教教団の宿命?です。
政治的多くの票田がない教団は、あっさり潰れる危険性があるでしょう。
その意味でアゴン宗が残れる可能性は、どうでしょうね?
- 622 :米国の告発、W田を斬る:2010/05/05(水) 09:15:38 ID:XWqHuaK20
- >>346 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2010/04/30(金) 13:11:13
ID:9zdUcv2A
2chねるより。どなたか2chに転送をお願いいたします。
>たとえばニューヨークでの駐車場の売買の話などです。
W田さんが個人的な力でこれがやれたとは思えない。
誰か指南役がいたはずです。
真実1、
指南役はニューヨークの阿含宗土地を管理していた元阿含宗弁護士です。
阿含宗が購入した土地を、和田さんは自分名義にするためには、どうしたら良いのか
お願いしたのでしょう。
管長猊下は関西総本部で、8月に売買契約書にTsutsumi
masuo とニューヨークから
土地売買に関する事と、ニューヨークで11月に行われる護摩法要の打ち合わせに行った
多数のスタッフの前でサインを致しました。
その後11月、ニューヨーク入りした和田さんは11月4日に阿含宗弁護士とその土地に関して
数名だけで密かに何かが行われました。
その日は管長猊下から直接土地購入を依頼され、土地購入に関わっていた阿含宗スタッフ抜き
であり、私の感とでも言いましょうか何かが変という思いを持ちました。
>彼女個人の隠し資産なら、海外滞在経験もなく、英語が得意とも思えない彼女が、
海外で売買をするだろうか。
真実2、
日本側で土地購入に関して関わっていたのはA部理事一人です。英語が得意な彼女が
W田さんとニューヨーク関係者との仲介者でした。
なのに11月4日はA理事の通訳ではなく、まるで土地に関わっていないK斐職員でした。
その日を境にK斐職員は何だかこそこそと何かをやっていました。
彼女はセンターのスタッフが返ってから、夜遅くセンターにやって来てW田さんとやりとりを
していたもようです。その後色々あってW田さんの不正金疑惑が騒がれ始め、あせっていた
K斐職員からセンターの自分の書類を隠してほしい事、使用していたコンピューターの内容を全て、
消去してほしい事をスタッフの一人は頼まれました。
その中にK斐職員が訳してW田さんに宛てた巧妙な手口での名義変更に関する文書を発見しました。
私の感の的中は11月4日はW田さんへの名義変更だったのです。WADA
NAOKOのサイン
へと変わり晴れて個人所有となったのです。
現にロスの阿含宗弁護士はW田さん個人の土地であると言及しました。
- 623 :無関係な人間です:2010/05/05(水) 10:22:31 ID:sQVh8cR20
- >>619
山科の刑場については、以下のサイトが参考になります。
http://www.geocities.jp/i_love_yamashina/hakken.htm#hakken19
刑場の供養碑の部分です。この石碑は、元は、阿含宗総本山の近くである九条山に
あったそうですが、現在は日ノ岡に移設されています。
なお、刑場跡の供養の石碑はこれだけでなく、他にもあります。
京都は古い町なので、刑場跡がいくつかありますが、この地域が最大の処刑場だった
ようです。ここで1万5千人が処刑されたとありますが、これはかなり少なめの
数字だと思います。ちなみに、阿含宗総本山の近くにある某老人専門の施設は京都
では「姨捨山」という隠語で知られ、一時問題になった悪名高い施設です。
- 624 :無関係な人間です:2010/05/05(水) 10:31:43 ID:sQVh8cR20
- >>622
すごい内容ですね。驚きました。
素朴な疑問ですが、指南をした弁護士が阿含宗の顧問弁護士だったとしたら、Wさんに購入した土地の名義変更をするのは、
普通、依頼者の不利益になる行為です。
発覚した場合、この弁護士は民事、刑事での訴追の他、法曹資格剥奪の危険性もあります。それなのに、それを
普通にした、という事は何か理由があるはずです。
この弁護士が間抜けであった、とか、誰かが高額の裏金で弁護士を買収した、という説明も可能かもしれません。
しかし、弁護士の立場で考えると、誰かが、この弁護士に民事、刑事、行政(法曹資格)についての免責の意思表示をした、と考える
ほうが説明をしやすいでしょう。実際、発覚後も誰も訴追もされていないようです。そして、その免責の意思表示が出来る人間は
Wさんではないです。もっと上の立場にいる人のはずです。
- 625 :米国の告発、W田を斬る:2010/05/05(水) 13:50:27 ID:a.vlE0sI0
- 米国の元阿含宗弁護士は指南というより、W田さんから個人所有にはどのようにしたらよいのか
頼まれたのでしょう。この弁護士は不動産専門の弁護士です。
下記米国のどなたかが調べたものです。
米国現地宗教法人Agon
Shu USA は2000年にニューヨークに土地(駐車場)を2,975,000ドルで
購入しました。この購入費は現地のものではなく日本(阿含宗関西総本部)からの送金です。
そして三つの会社を新たに作りました。
Agon
Shu USAのニューヨーク支部、Agon Shu Buddhist Group, LLC、 Agon Shu NewYork,
INCで、後者二つは幽霊会社で宗教法人としても登録されていません
Agon Shu Buddhist Group,
LLCの業務は駐車場から入るお金(毎月6,000)の管理だけです。
ここでLLCという会社の形態はコーポレーションと違い責任能力が無くいつでも潰せる会社です。
定款によるとAgon Shu Buddhist
Group, LLC とAgon Shu
Newyork,INCはニューヨークのロバート,カンター弁護士事務所の住所を借り、不動産の管理、開発等の為に設立されました
Agon Shu
Buddhist Group, LLCは、Agon Shu New York, INCによって管理されており、Agon Shu New York,
INCは阿含宗財務局長である和田尚子のみが株を所有し、一人だけのオフィサー、ディレクターであるとなっています。
(sole shareholders,
sole director and sole officer of Agon Shu New York, INC )
そして2002年5月?頃、住所を元Agon Shu USA があったサンタモニカの 瞑想センターに移しました。
Agon Shu
Buddhist Group,
LLCの住所はカリフォルニアの元阿含宗竹内弁護士(電話 310−540−2000)の事務所に移しました。(*ニューヨーク弁護士が不審に思っていたのは、州の法律も違うニューヨークの土地を、何故カリフォルニアに移すのか)
現在カリフォルニアのAgon Shu USAは閉鎖されましたが、ニューヨークの三つの会社は閉鎖されていません。
幽霊会社はまだ残っており弁護士により財産は管理されています。
Agon Shu USAは土地を買ったすぐ後に$10でAgon Shu
Buddhist Group, LLCに譲渡しました。そしてAgon Shu Buddhist Group,
LLCは2005年10月28日に450万ドルで売却しました。
これはマネーロンダリングより横領と考えるほうが自然だと思います。
- 626 :米国の告発、W田を斬る:2010/05/05(水) 14:10:25 ID:a.vlE0sI0
- 現にロスの阿含宗弁護士はW田さん個人の土地であると言及しました。
言及したのはT内弁護士ではありません。日本語が堪能な阿含宗の新しい米国人の弁護士です。
後にこの弁護士が450万ドルで売却した金額を管理しておりました。
- 627 :名無しさん:2010/05/05(水)
15:11:23 ID:Qo7jl63I0
- 624 名前:無関係な人間です 投稿日: 2010/05/05(水) 10:31:43 ID:sQVh8cR20
>>622
すごい内容ですね。驚きました。
素朴な疑問ですが、指南をした弁護士が阿含宗の顧問弁護士だったとしたら、Wさんに購入した土地の名義変更をするのは、
普通、依頼者の不利益になる行為です。
発覚した場合、この弁護士は民事、刑事での訴追の他、法曹資格剥奪の危険性もあります。それなのに、それを
普通にした、という事は何か理由があるはずです。
この弁護士が間抜けであった、とか、誰かが高額の裏金で弁護士を買収した、という説明も可能かもしれません。
しかし、弁護士の立場で考えると、誰かが、この弁護士に民事、刑事、行政(法曹資格)についての免責の意思表示をした、と考える
ほうが説明をしやすいでしょう。実際、発覚後も誰も訴追もされていないようです。そして、その免責の意思表示が出来る人間は
Wさんではないです。もっと上の立場にいる人のはずです。
- 628 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/06(木) 08:14:17 ID:SmEF4Oe2O
- >>616:無関係な人間です10/05/04(火) 14:47:23
ID:X3rn0eKE0
>山科区でも東海道のあとにある山科北部、つまり阿含宗の総本山のある近くは、実は昔は
>刑場の後でした。国道1号線を走っていると、「南無阿弥陀仏」とか石碑がたったりしているので、地元
>の出身者に聞くと、刑死者の供養塔だそうです。そういう供養塔が散見されます。町名にも「血荒町」とい
>うものがあり、何故、改名しないのか、と思う位です。
>623:無関係な人間です10/05/05(水)
10:22:31
ID:sQVh8cR20
>刑場の供養碑の部分です。この石碑は、元は、阿含宗総本山の近くである九条山に
>あったそうですが、現在は日ノ岡に移設されています。
>なお、刑場跡の供養の石碑はこれだけでなく、他にもあります。
>京都は古い町なので、刑場跡がいくつかありますが、この地域が最大の処刑場だった
>ようです。ここで1万5千人が処刑されたとありますが、これはかなり少なめの
>数字だと思います。ちなみに、阿含宗総本山の近くにある某老人専門の施設は京都
>では「姨捨山」という隠語で知られ、一時問題になった悪名高い施設です。
タクシーの運ちゃんにあそこの目の前は焼き場(火葬場)のあったとこやでと
聞いたことがあります。それでも当時星まつりなどに奉仕修行や参拝で参加すると
清々しさを感じたものです。無論、「霊気」なんてわけのわからないものなど
感じていません。
要するに気分の問題です。
2ちゃんねるにこの問題にからめて東山トンネル、花山トンネルの心霊スポット
について情報資料が貼られてますね。
本当に「出る」のかどうか知りません。
多くは処刑場があったというだけで気味悪く忌避して噂話が発展するのではないか
と見ています。
またラシンさんが書いているように、桐山さんからこの土地の因縁など聞いていません。
昭和53年に花山で護摩を焚いた時、邪悪な目をしたものを火竜が追い払った
ように説明してますが、この土地は遊園地造成をめぐって利権の欲望があったとの
説明はあっても処刑場の説明などない。
無論北花山大峰そのものではないなどと言い訳するでしょうね。
しかしそれならある曰く付きの土地の近隣の地域を暗くするからこれを浄霊しなければ
ならないなんて、くだらない活動を普段からしなさんなと言いたい。
- 629 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/06(木) 08:28:21 ID:SmEF4Oe2O
- >>623:無関係な人間です10/05/05(水) 10:22:31
ID:sQVh8cR20
>刑場の供養碑の部分です。この石碑は、元は、阿含宗総本山の近くである九条山に
>あったそうですが、現在は日ノ岡に移設されています。
>なお、刑場跡の供養の石碑はこれだけでなく、他にもあります。
>京都は古い町なので、刑場跡がいくつかありますが、この地域が最大の処刑場だった
>ようです。ここで1万5千人が処刑されたとありますが、これはかなり少なめの
東京でも小塚原の処刑場があった場所を浄霊供養して、地域や国土を暗くする
霊障を払うなどと活動をしている。
ならば京都最大のこの処刑場跡の供養でも率先してしてみなさい。
花山のすぐ近くなんで言い出すこともしないでしょう。
長年星まつりをやったからいつの間にか霊障は解けたなんて話はありません。
誰が処刑場の護摩木供養をしたのか?
どうして未だに心霊スポットの話なんか出るのか?
昔は曰く付きの土地だったのがアゴン宗があそこに総本山を建て毎年護摩を焚いて
すっかり明るくなったという話でも出したらどうか?
ともあれ花山付近の過去のことをあれこれ言われたくなかったら、他所の土地の
過去の曰く付きの因縁にも押し掛けて、おかしな侮辱をしに行くのはやめなさい。
- 630 :米国の告発、W田を斬る:2010/05/06(木) 10:06:34 ID:a.vlE0sI0
- 622
誤、その後11月、ニューヨーク入りした和田さんは11月4日に阿含宗弁護士
正 、11月4日ではなく11月6日でした。
- 631 :米国の告発、W田を斬る:2010/05/06(木) 10:15:07 ID:a.vlE0sI0
- 土地の続き
米国は訴訟の国です。
8月の土地売買契約後は、もし米国で何かが起きた時のためにも、訴訟から阿含宗の土地を守ら
なければなりません。ニューヨーク弁護士は「この国でもし阿含宗に何かがあった場合に、
阿含宗全ての財産を目当てとして訴訟してくる可能性があるので、それを防ぐ為にも、
ニューヨークの土地所有を日本から切り離して、阿含宗ニューヨーク広報センターの住所にして
独立したほうが良い」とのアドバイスでした。
ですから弁護士はW田さんに指南と言うより、阿含宗の土地を守る方法を検討していました。
その事をA部理事を道してW田さんにお伝えしたところ、するとW田さんはA部理事に
「土地はニューヨークの人たちのものになってしまうの?」と言われたとA部理事は私に
尋ねてきました。
土地関係スタッフは「唖然とし、W田さんは一体何を言っているのだろう?ここはアメリカであり、
阿含宗の土地を守ろうとしているのに、W田さんの言っている事はどう言う意味なのか?」
と全員不思議に思っていました。
そして、それ以来W田さんからこの件に関しては何も言ってきませんでした。
しかし、11月2日にニューヨークにやって来る迄の間に、密かにK斐職員を道じて
ニューヨーク弁護士に名義変更に関して相談されていたのではと思われます。と言いますのも
11月4日のニューヨーク護摩法要が終わり、11月6日には正式に名義変更の書類が用意されて
書類にNAOKO
WADAのサインがされていたからです。
弁護士が考えた方法はW田さんに宛ての、K斐職員が訳した報告書から発見しました。
その方法とは三つの会社設立です。米国の誰かが調べ上げて詳しく過去スレにも何度も載せてます。
内容
会社1.Agon
Shu USA のニューヨーク支部
会社2.Agon Shu Buddhist Group, LLC
会社3.Agon Shu New
York, INC
このうち、会社2と会社3は宗教法人としては登録されない幽霊会社である。
会社2は会社3によって管理されている。
会社3は阿含宗財務局長のW田尚子のみが株を所有し、運営管理も彼女一人となっている。
- 632 :米国の告発、W田を斬る:2010/05/06(木) 10:28:57 ID:a.vlE0sI0
- 教団は2000年11月6日にニューヨークで以下の3つの会社を作った。
会社1.Agon Shu USA のニューヨーク支部
会社2.Agon Shu Buddhist Group, LLC
会社3.Agon Shu New York, INC
このうち、会社2と会社3は宗教法人としては登録されない幽霊会社である。
会社2は会社3によって管理されている。
会社3は阿含宗財務局長の和田尚子のみが株を所有し、運営管理も彼女一人となっている。
会社1は2000年にニューヨークの土地(駐車場)を2,975,000ドルで買い、直後に
会社2に10ドルで売り渡し、
会社2は2005年10月28日に450万ドルで売却した。
ニューヨークには今も当時も教団には支部すらありません。
教団施設の駐車場が必要で購入したというのは今も当時も成り立たない。
約300万ドル(約3億6千万円)ですから、教団の台所事情から見て、駐車場を確保するのに
これだけの金をかけるとは考えられない。教団にとって護摩木の収入は基本給のようなもので、
3千万本と称しているが、実際は1千万本、つまり10億円くらいでしょう。
こういう収入規模から考えて、支部もないニューヨークに、
教団のために3億6千万円で駐車場を
買うなどありえない。
教団用の駐車場なら教団がそのまま買えばいいのに、わざわざ会社を三つも作っている。
会社2は駐車場から入る料金を管理するというのだから、駐車場の経営をしていたのだ。
桐山靖雄管長はこれまで光和食品、平河出版社などいくつか会社を作ったが、これらは自分の
宗教ビジネスの
、補助の部分を独立させただけで、駐車場経営のように宗教とは脈絡のない
金儲けはしたことがない。
少なくとも、これまで桐山管長が表でしてきたこととは違う。
では、誰が何のために、という疑惑が起きる。
そのヒントが会社3の経営者です。
会社3は会社2の親会社らしいから、事実上、両者は同じ会社と見ていいでしょう。
この二つの会社の経営者、責任者は誰?
和田尚子のみが株を所有し、彼女のみがオフィサー、ディレクター、つまり社長からお茶くみまで
全部彼女一人だというのですから、和田尚子個人の会社だと言ってもいい。
これだけなら、教団の都合で財務局長の彼女が名義人になったともとれる。
だが、前述のように、教団は3億6千万円の駐車場を買う余裕も必要もないし、教団のためだと
いうなら、わざわざ会社を作る必要もないはずです。
海外での活動資金にするなら、教団の正式の会社が保持すればいい。
これほどの巨額のお金をなんのために海外に幽霊会社を作って蓄財する必要があるのか。
目をお金の流れに向けてみましょう。
教団のお金はいったん教団の会社1で駐車場を買う形で使われた。
駐車場に“換金”された直後、10ドルで和田尚子の個人的な会社2に売却された。
教団のお金3億6千万円が1200円で会社2に“売られた”。
しかも、ある特定の個人(和田尚子)の管理下に移された。
つまり、教団外の会社2に金を持ち出し、たった一人(和田尚子)の管理下に置くことが
目的ように見える。
2005年10月28日、駐車場は4,500,000ドル(約5億4千万円)で売却され、
約1億8千万円の巨額な利益を得たことになる。
5億4千万円が今どこにあるか。
会社2は弁護士の机の引き出しの中に生きているらしいから、今でもこの金は会社2、
つまりある特定の個人(和田尚子)の管理下にあることになる。
会社2はAgon
shuの名前が入った会社だから、お金は教団の所有物のようにも見えるし、
しかし、教団の大幹部一人が管理する会社だから、私物のようにも見える。
ずいぶんと微妙な話になってきた。気のせいか、まるで万一ばれても大丈夫なように
、5億4千万円の札束を教団と個人の境界線の上にまたがって置いてあるように見えませんか。
教団にいる間にばれても、教団の財産だと言い訳できる。
教団から去ったら、会社2の経営者はW田尚子一人ですから、好きなようにできる。
調べようもない。 管理している弁護士の口に札束を突っ込み、守秘義務を建前にすればいい。
5億4千万円はまるで手品のようにドロンパッと消える。
思わず「うまいなあ」と感心してしまった。素人の手口とは思えない。
- 633 :無関係な人間です:2010/05/06(木) 10:58:15 ID:rUYAizbs0
- すみません、また、2chに書き込み規制がされたので、こちらへ書かせて下さい。
>>448
そういう由来があったとは知りませんでした。
折角書いて下さったのに申し訳ありませんが、鳥野辺は現在の東山区の五条、清水寺のある周辺で
東山トンネルも北花山からは南の方向になり、阿含宗総本山とは距離があります。地元にいないと
分かりにくいので、誤解されるのも当然だと思いますから、気にしないで下さい。
あと、阿含宗や桐山さんを弁護する意図はなく、周辺に住む方々への誤解を避けるために書きますが
昭和のはじめに国道1号線の拡張工事をした際におびただしい人骨が出るなど、近所が刑場跡である事は確実
ですが、古来から現在まで仏教の諸宗派により定期的に供養がなされ、現在では、刑場跡もハイキング
コースになるなど、それほど悪い雰囲気はないと思います。
また、京都に住んで20年以上なります。雑誌などでは確かに心霊スポットと紹介されますが、私は
その噂は聞いた事がありません。仕事で現場はよく通りますが、幽霊などは、その場所では見た事は
ありません。(他の場所では見聞した経験はありますが。「」)
- 634 :無関係な人間です:2010/05/06(木) 11:48:58 ID:rUYAizbs0
- >>632
またまた、すごい内容ですね。仰天をしています。
で、またまた素朴な疑問ですが、税金はどうしたのでしょうか?
土地の転がしは信託とか業務上の占有とかで逃げられても、現金に変えたら譲渡益が発生する
はずです。1200円あるいは3億6千万円が5億4千万円に化けたのです。米国の法律は分かりませんが
普通なら差額の納税の義務が発生すると思います。もちろん、宗教法人の関連企業ですから、納税は
されていると思いますが、万一、納税がされていない場合は大変な事になりますから。
- 635 :ラシン:2010/05/06(木)
12:22:45 ID:q4iXIS7Y0
米国の告発、W田を斬るさんの情報をまとめてみます。
1)イAgon Shu USA ロAgon Shu Buddhist
Group, LLC ハAgon Shu NewYork,
INC
2)イ:ニューヨーク土地購入者(所有権者) 購入原資は日本アゴン宗 代表者不明
3)ロ:土地賃貸管理(収益法人) 代表者不明
4)ハ:ロの会社を管理する会社(W田氏個人会社) 代表者:W田氏
5)イ:ニューヨーク土地をロの会社に10$で売買 結果イ会社は約300万$の赤字計上
6)ロ:イより購入後450万$で他に転売 結果ロ会社は約450万$の譲渡益取得
7)ハ:ロの会社を管理中=実質運営者
-----------------------------------------------------------------------------------
これをもとにこの土地売買の経緯の事実のみを可能な限り辿ってみます。
>>622の「ロスの阿含宗弁護士はW田さん個人の土地であると言及しました」
との根拠もどこにあるのか?何故、弁護士がW田氏個人の土地と言及したのか?
そこで、
この弁護士の言質を根拠に逆から推定してみますと、
6)7)の商行為により、ハの会社はロの会社の所有者(ロの株主)ではないか、
と4)によっても推定でき、ハはロの会社の親会社の可能性があります。
いわく実質上のオーナーが、ハの会社ではないか?
6)の商行為では、不動産でいうところの、真の所有者は誰かとの推察です。
ロの会社は、土地をほとんどタダ同然で仕入れて転売し売却で得た、
450万$相当の譲渡益を手にしています。
ただし利益が出た場合、州により相違がありますが源泉徴収税や連邦税が、
30%以上かかるようです。
さらに通常では、ロには譲渡所得や増加益清算説が発生します。
このあたりの節税や免税をどうしたのかは、現情報では分かりませんし、
仮にここまでの経費をかけても転売したロ会社の真意も不明です。
以上をまとめて推量すれば、今はW田さんが土地を所有しているのではなく、
土地転売をしたロの会社の実質オーナー(ハのW田氏の個人会社が占有)ではないか、
との推定が成り立ちます。
つまりW田氏が、W田氏の個人会社を通してロの会社資産すべてを統治配下している、
と推量できるものですが、新たに別な資料があればこの推定も変化します。
- 636 :ラシン:2010/05/06(木)
14:03:45 ID:q4iXIS7Y0
さてもう一考してみます。
ロの会社Agon Shu Buddhist Group,
LLCの代表は、誰かというものです。
>>453私の米国の告発、W田を斬るさんの「会社2の経営者はW田尚子一人ですから」
がそうならば、私が、W田を斬るさんの情報を見落としたのかもしれない?
情報では、ロの会社は駐車場管理会社という名目のようですから、
収益事業会社と推定できます。
イの宗教法人Agon
Shu USA のような免税特権は無いと考えられます。
ゆえに前述>>457での納税義務が、ロの会社に発生する可能性を示しました。
>>453での指摘とおり「会社2はAgon
shuの名前が入った会社だから、
お金は教団の所有物のようにも見えるし、
しかし、教団の大幹部一人が
管理する会社だから、私物のようにも見える。」とはうまく偽装していることになります。
私の>>457で指摘した「ハのW田氏の個人会社がロの会社を統治」という図式にも合致します。
そこで問題は、閉鎖されたイAgon
Shu
USAへの為替送金と言う事実です。
日本からの宗教布教資金が、米国で収益事業企業に実質名変と言う手段で付け替えられ、
資産を形成していることですから、ロの会社の株主は誰か?が問題となります。
株主がハのW田氏個人会社なら、この経緯は特別背任行為または横領に該当する疑惑が、
生じると推量いたします。
- 637 :無関係な人間です:2010/05/06(木) 14:44:27 ID:rUYAizbs0
- >>636
法人格の濫用というヤツですね。法律的には疑問の残る取引ですが、それ以上に阿含宗サイドから
見たら、不適当な行為です。もし、内部統制が整備された組織なら、このような取引がなされるに
あたり、どこかでストップがかかるはずです。
もう一つ、Wさんは管長ではなく、あくまでも阿含宗に雇用されている人間であり、また理事で
すから、他の理事からの監督も受けます。普通の組織なら、こんな怪しげな取引をし、それが表面に出た
ら、管長か理事から追求を受けて担当者は解任か左遷です。もちろん、資産の名義か会社の株式の名義も
変更させられるでしょう。それが、お咎めなしで、堂々といます。
二つの解釈が出来ます。桐山氏が知らない間に全部事が運んだという説明、あるいは桐山氏の了承の
下で事が運んだという説明。桐山氏が軟禁状態にあるなら前者という説明も可能ですが、実質的な決定権
が桐山氏に以前存在するのなら、後者でしょうか。
- 638 :名無しさん:2010/05/06(木)
22:29:46 ID:BBtat4sE0
- 阿含宗の理事って名前だけっていう感じですよ
阿含桐山杯ってありますよね囲碁の、あれって理事達の承諾もえず勝手に
管長がきめちまったようです。あれって管長個人がスポンサーじゃなくて
阿含宗自体も関わっているんでしょ、当然賞金とかは阿含宗から出ているはず。
財務とかは昔からw田さんと故、副管長がしきっていたようです。
副管長が亡くなってやりたい放題、管長など財務の細部に関してはまるで
わかってないようですし
- 639 :神人同行:2010/05/07(金)
09:28:11 ID:Ew2J5Dqs0
- 思うのですが、護摩木の過大発表や星祭り等の参拝者数過剰表明も
宗教法人の非課税措置が撤廃されれば一転して「エ?ッこんな数
?」と言うことになり、実際より少ない発表になるでしょう。
それでも過大発表を繰り返すなら、本当に数字や財務を知らないと言うことになりますよネ
- 640 :Boo:2010/05/07(金)
10:25:34 ID:.7UwrWaw0
- >>639
神さん。面白い視点ですね。公共工事の元請けで競争入札に
参加する企業は、赤字決算を出すと参加資格がなくなるので、あたかも
利益が上がっているかのような「粉飾決算」をして、無理してでも
税金を払います。会社組織って大変ですよね〜。
それに比べて、宗教団体はぬるいですねwww。
- 641 :ラシン:2010/05/07(金)
10:36:30 ID:.UitUx820
- >638
:名無しさん
>あれって管長個人がスポンサーじゃなくて
阿含宗自体も関わっているんでしょ、当然賞金とかは阿含宗から出ているはず。
いいご指摘です、布教活動のみに支出されるものが経費として、
認められるわけですから、囲碁大会の賞金は交際費の部類です。
限度を超えれば贈与税の対象です。
マルサが徹底して照査すれば、ほころびは出てくるでしょう。
>あれって理事達の承諾もえず勝手に
管長がきめちまったようです。
役員会により決定され役員議事録を補完する義務があります。
しかし現実は、役員の三文判で済みますから後書き、後日製作という
悪弊による独断がまかり通るのがオーナー法人の慣例でしょう。
>639
:神人同行:2010/05/07(金) 09:28:11
ID:Ew2J5Dqs0
思うのですが、護摩木の過大発表や星祭り等の参拝者数過剰表明も
宗教法人の非課税措置が撤廃されれば一転して「エ?ッこんな数
?」と言うことになり、
これなどは粉飾決算ということになります。
護摩木の水増し売上げが会計上どのように反映されているか?
税調が入ってその相対数が合わなければ、逆に虚偽報告になり
裏金を疑われる結果を招く可能性が大きいでしょう。
都府県の監査がいかに甘いかで、これらの矛盾が表に出てきません。
- 642 :無関係な人間です:2010/05/07(金) 11:20:36 ID:2y66UGG20
- >>636
別にWさんの弁護する意図はないですが、彼女の立場になればそのような行為をする
のは理解は出来ます。現在でこそ、幹部として教団のお金を一手に握り、好き放題でき
ますが、もし、桐山さんに何かあったら、どう変わるか予測不可能でしょう。スターリン
時代に好き放題をしたソビエト秘密警察の長官、ベリアですらスターリンの死後、すぐに
失脚し、処刑されています。まあ、処刑はされないでしょうが、桐山さんの悪事を全部
彼女におっかぶせて、裸で放り出される危険性すら少しは存在すると感じます。
そこで、海外に自分が自由に使えるお金が欲しい、と考えるのは当然でしょう。
この件については、深山様等のご意見が必要でしょうが、私個人はWさんは自分が
不正蓄財をしている、という認識はあると思います。老後の事を考えるのは、彼女も
同じです。そして、何か歯車が狂ったら、資産の大半が没収される危険性があるのも
分かっていると感じます。
自分の身内に法律の資格を持っている人間がいますが、彼の説明ではいくら裁判で
勝っても民事執行ができないと意味がないようです。国内の資産については、まだ
民事保全法や民事執行法で対応が出来る余地はあるけど、海外の資産に執行をかける
のは、ものすごく大変らしいです。仮にWさんが国内で把握している資産の全てを
押さえられても、海外にまとまったお金があったら、どうでしょうか? その執行を
かけるのは大変だと思うし、Wさんの立場では、資産隠しをするのも簡単だと思います。
5億を越えるお金があったら、今までと同じ、贅沢な暮らしは可能です。
ただ、これはあくまでも想像なので、ラシン様などのご意見を期待するものです。
- 643 :ラシン:2010/05/07(金)
13:32:27 ID:q4iXIS7Y0
- >642
:無関係な人間です
>別にWさんの弁護する意図はないですが、彼女の立場になればそのような行為をする
のは理解は出来ます。現在でこそ、幹部として教団のお金を一手に握り、好き放題でき
ますが、
これは推察の域を出ませんが、おそらくほとんどが桐山さんの指示によると、
考えられます。
桐山さんの年齢から考えて、詳細なチェックは不可能でしょう。
グランドデザインは桐山さんが立てて、実行はW田さんを筆頭とした
各個別の専門チームによることが不可避だと思います。
W田さんがその過程で余禄を掴んだのかは、憶測の域を出ません。
しかし心底には、以前も>>571で述べたとおり
<桐山さん自身が著書で挙げた「越王勾践」と、側近である「范蠡」との
男同士ではあるが忠実な主従関係を内心描いているかもしれません。
曰く、「飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる」
ある種桐山さんの性格を読んで、「文種」の轍は踏まないよう、
自己の蓄財と教団暗部の保全を担う役目を自らに課している、
と推察するものです。>
>もし、桐山さんに何かあったら、どう変わるか予測不可能でしょう。
まず考えられるのは世襲という事態が起こるか?です。
宗教法人として設立された宗教団体の財産は、その代表者個人のものではない、
との観点で申し上げれば、それは多くの信者から寄せられた浄財の蓄積によって、
教団が成り立っています。
その代表者は、大くの信者さんから認められてはじめて教団維持の安定を
図ることが出来ます。
さてそのような桐山さんの子供でその条件を満たす後継者がいるか?
いませんね。
となれば桐山一族は世襲を受けつつも、表の顔を他者に求めるしかない。
しかし桐山さんほどのカリスマ性を発揮できる表の顔の後継者はどうでしょう?
となれば教団分裂の可能性すら湧出してくるでしょう。
- 644 :ラシン:2010/05/07(金)
13:33:10 ID:q4iXIS7Y0
- >彼の説明ではいくら裁判で勝っても民事執行ができないと意味がないようです。
国内の資産については、まだ民事保全法や民事執行法で対応が出来る余地はあるけど、
海外の資産に執行をかけるのは、ものすごく大変らしいです。
誰が行うかでその懸念は方向性を二分します。
理事信者側からの上申または提訴の場合が仮にあるとしたら、
ご指摘の通りかと存じます。
しかし、内部告発により国税が動いた場合は海外資産凍結の可能性が、
出てきました。
スイスP/B以外なら、9,11同時多発テロ以来テロ組織の資金が、
タックスヘイブンを通じてマネーロンダリングされていたことや、
P/Bの秘匿口座にプールされていたことなどが判明したからです。
そこでこれを機に、米国主導においてそのプール資金を断つ目的で、
口座所有者や資金操作の解明と口座凍結の促進のため、各国の金融、
税務当局は連携して情報交換することが、合意されています。
- 645 :無関係な人間です:2010/05/07(金) 16:40:55 ID:2y66UGG20
- >>644
懇切丁寧なご指導に深く感謝申し上げます。
そうすると、誰かこのサイトを見た人が米国の関係機関に英文でメールを1本送るだけで、
(あるいは在日米国大使館なら日本語でも可能かも)、大騒ぎが始まる可能性がある訳ですね。
でも阿含宗やWさんの関係者もこのサイトを愛読されていると聞きますから、おそらくは
すでに、アタフタと対応をされていると推察できます。
今頃、肝心のお金はよそのへ行っているかもしれません。
- 646 :Boo:2010/05/07(金)
22:03:29 ID:.7UwrWaw0
- >でも阿含宗やWさんの関係者もこのサイトを愛読されていると聞きますから、おそらくは
>すでに、アタフタと対応をされていると推察できます。
W田女史が慌てふためく姿は圧巻ですねwww
「因縁切る」どころか餓鬼界の住人ですね。やれやれ。
- 647 :干柿:2010/05/07(金)
22:34:30 ID:BBtat4sE0
- 本当にこの問題だけはなんとか公にしてほしいものです。
信者さんたち、あなたの浄財はこんなことに使われてしまっているのですよ!
と・・・
職員の人達も必死なのでしょう、おまんまの食い上げになっちまうから
理想を求めて入った阿含宗が実はデタラメもいいとことろのエセ宗教だった!
気がついたときにはもう遅い。いまさら転職は難しいし
という人も多いと思います。
もう毒を食らわば皿までもという心境だと思いますね。
- 648 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/07(金) 22:35:13 ID:SmEF4Oe2O
- w田さんの対処・反応よりも興味深いのは桐山さんの対処・反応だね。
w田さんが当局にあげられた時、本人がしおらしく「全てわたくし個人のした
ことであり、私一人が悪いんです」と全ての罪を被ってくれ、教団からも名目上は
身を引くのならば、教団としてはw田を切り捨てるだけで済みます。
それでも疑問符は残るはずですけどね。
桐山管長の目は節穴だったのか?と。
しかしw田さんがしおらしく責任を被るタマでなかったらどうする?
今度は桐山さんが管長の絶対権限でw田さんを斬るしかない。
しかしそんな当たり前のことが彼にできるか?
w田さんは敵に回すといかな桐山さんでも脅威です。
- 649 :名無しさん:2010/05/08(土)
00:52:50 ID:BBtat4sE0
- ていうかほとんどボケて同じ話を何回も(一回の法話で)くりかえすような
桐山さんに善悪とかの区別もつかないんじゃないかと・・・
よくわからないじゃないの?
w田を敵に回すもなにも今やw田のあやつり人形だという噂だがw
- 650 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/08(土) 07:29:15 ID:DaWNjAwA0
- agama考察室を更新しましたのでお知らせいたします。
メニューにあります「目で見る桐山阿含宗の嘘とオカルト」の中の
”剽窃・盗作・パクリ 1”というのが有ります。こちらが今回更新された内容です。
過去の2chのログの中にも出てきますが、桐山氏は密教占星術という物(占い)を
用いて教団の中に取り入れていますが、その出先が都内の書店のものから使っている
というのがありましたが、それの現物画像を示しての展示になっています。
今回もいつも同様、桐山氏のやっていることの様々な検証・考察の一助となれば幸いです。
http://agama.zouri.jp/index.htm
- 651 :神人同行:2010/05/08(土)
09:15:55 ID:Ew2J5Dqs0
- >>650拝見しましたよ。
このころに知っていれば、
「この嘘牛付き占い師−」って石投げてましたネ!!
二度と浮き世に浮かび上がれないようにしたかった。
その方が世の為人のためでしたね。
あのノストラダムスやその紹介者のように
風狂の徒が出回るのは退廃した時代・末世のならいとしても
細木数子も今沈んでますが、江原某も沈んでますね。
こういう輩は永遠に沈めておいた方がヨイ!!
- 652 :準シュダオン:2010/05/08(土)
12:01:12 ID:agsP6ENM0
- 「色川千影愛人に戻せ訴訟」さんのレス、今、目にしました。
愛人ではなく、「信者に戻せ」訴訟ですよ。そのように、推測に基づく捏造が
あるので、わたしは教学以外のレスには関心が湧かんのです。
四双八輩の堂々めぐり論、とは言え、要は須陀?向を聖者扱いするのか否か、
の問題です。平河本にしても、丘山新氏は須陀?向を悟りの第一段階として
いますし、末木文美士氏は平河本2巻の典尊経の解説で、三結を断じた須陀?
を悟りの第一段階にしています(同本P250の須陀?は、三結を断じた須陀
?果のこと)。
丘山氏も末木氏も共に岩波仏教辞典の執筆者ですが、このように見解が相違し
ている場合があります。どちらの見解が妥当なのか?それは各自、経典に当
たって調べるしか方法はないでしょう。学者の言うことを鵜呑みにしている
だけでは能がありません。
凡や俗というのは、聖に対する反対語ですね。優婆塞のことを在俗信者とも
訳しますが、須陀?果を得た在俗信者はやっぱり聖者と呼ぶべきでしょうね。
須陀?に達した者を須陀?果と呼びます(須陀?果に達するのではない)。
須陀?に達しない者=須陀?未満を須陀?向と呼ぶのです。
それを混同してるから誤まるのです。
- 653 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/08(土) 12:20:39 ID:SmEF4Oe2O
- 色川問題に話が移るのかと思いきや、まだ四沙門果の話をしてるのか?
この変態爺がw
- 654 :孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE:2010/05/08(土) 12:37:33 ID:JkeHG0mo0
- 四沙門果を得るために釈尊の瞑想法があるというのに、それを否定して「チャクラにプラナをめぐらすほうがいい」とか主張したりして
そんなのだったら「温泉に入るのが安那般那である」とか何とでも言えるわけで、そんな中で須陀?向が聖者か否かなんて無意味だと思う。
- 655 :名無しさん:2010/05/08(土)
12:42:06 ID:.7UwrWaw0
- >>652 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/05/08(土) 12:01:12
ID:agsP6ENM0
「色川千影愛人に戻せ訴訟」さんのレス、今、目にしました。
愛人ではなく、「信者に戻せ」訴訟ですよ。そのように、推測に基づく捏造が
あるので、わたしは教学以外のレスには関心が湧かんのです。
信者が千数百万円の慰謝料要求したり(訴状による確認)、億ションに住むことをを要求したり
(これは週刊誌の取材だわな)するんですか?
大体、教団側が平河町のマンションから出て行くように伝えたようだが、そんな
ところに住んでいること自体があきれ返るようなことです。
準シュダオンさんは、色川さんが平河町のマンションに住んでいた事実に対して
単なる「住宅手当」の一環だと思っているのですか?
かつて、地方道場で職員は道場に住み込んで業務していた人までいるのですよ?
- 656 :無関係な人間です:2010/05/08(土) 17:53:36 ID:7nEqRXHM0
- >>650
力作を拝見し、感心しました。さすがだと思います。
感想ですが、身内にこんな人がいたら恥ずかしいでしょうし、こんな人を聖者とあがめていたなら
情けないでしょう。しかし、恥知らずな行為を堂々とする態度と間の抜けた思考には、思わず
笑ってしまいました。ほんとうに面白い人ですね。
こんな事を書くと、多くの方々からお叱りを受けるのは承知ですが、第三者の一つの意見だと
お許し下さい。
- 657 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/08(土) 18:37:46 ID:bc5XkdrM0
- >>650
考察室のことを私も少々。(アド貼りで感想も無いのは、あんまりなので)
2chの過去ログを編纂している自分ですが、そこで見たゲイカの所業は文字ゆえに
あまり深く感じない方もいるようです。(特に信者サイド)
単なるやっかみか話題の捏造で言いがかりじゃないか。そう私も過去に思ったものでした。
しかし、こうやってその該当の書物の画像があると、その真実味は深くなります。
あのPの仏舎利や履歴書などなど数々の検証物は、非常に有益な、また誰もが閲覧できる
いいPの数々だと強く思います。
2chやしたらばで展開されているアゴン宗のさまざまな疑惑や不正などを世に示し、
真実が明らかになる日が来るのを待ち望む自分でした。
- 658 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/08(土) 18:39:22 ID:bc5XkdrM0
- >>657 ありゃりゃ。重複語が多いですね。申し訳ありません・・・。
- 659 :名無しさん:2010/05/08(土)
18:59:32 ID:Qo7jl63I0
- >要は須陀?向を聖者扱いするのか否か、の問題です。
>要は須陀?向を聖者扱いするのか否か、の問題です。
>要は須陀?向を聖者扱いするのか否か、の問題です。
>要は須陀?向を聖者扱いするのか否か、の問題です。
んであなたは何しに来てるの、自称脳梗塞のボケ老人さん。
- 660 :サライ:2010/05/08(土)
20:26:13 ID:kHWurtHEO
- 明日はALC試験です。2月まで護摩木を5万円勧進された方が参集資格があります。2月以降の購入は認めませんと、強気でしたが、最近5月連休に入ってから、昨年分のゴマキ持ち出しOKです、と送ってきました。ただし、9月まで、入金しない方はALC資格は取り消します、とずいぶん高飛車でしたね。なんか、勘違いしてませんかね、職員さん。あえて、苦言させていだきす。
だって、今から、去年分持ち出しした人も、と来年2月までまた、5万円購入してください、と条件つきなんですよ。
- 661 :干柿:2010/05/08(土)
21:03:34 ID:BBtat4sE0
- まだ、そんなことやって金あつめしてんですか阿含宗は?
E川さんやw田さんの件について釈明しないと信者の不信感はつのるばかりで
教団はガタガタになると思うんですけれどねぇ〜
もっとも今の阿含宗にお金出してでもALCの資格を取りたいという人は
そんな問題など目にも耳にもはいらない人達なんでしょうけれども
- 662 :Boo:2010/05/08(土)
22:09:12 ID:.7UwrWaw0
- >>655
は私のレスです。
天照さん。密教占星術の暴露記事は面白かった。結局密教占星術シリーズは
グモンジ脳の妄想だったようですね。そんなものに踊らされて、若き日の
私はなんて愚かだったのだろう・・・
しかし、言い訳するわけではないが・・・嘗ての私と今のわたしでは情報量
が違うのです。インターネットのお陰です。
桐山香具師はやっぱりバナナの叩き売りでしたね。
- 663 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/08(土) 22:26:04 ID:bc5XkdrM0
- >>662 Booさん、本当に今回の考察室のPは私もとてもためになりました。
まして占いを研究するものとしては、衝撃的でもありますね。
そして、今までは2chやザビビの「文字掲示板」が頑張ってきましたが、
これからは考察室のような「画像付き検証サイト」はもっと威力を増す、
と考えています。インターネットは本当にありがたい世界&システムです。
みなさん、agama@chs-1の干柿さんの記事も面白いです。
思わずその本見てみたくなったなあ・・・。
干柿さん、無許可で転載しますが、お許しを。
728
名前:干柿 投稿日: 2010/05/08(土) 20:52:24
ID:lkFlk2ZA0
面白く拝見させていただきましたw
たしか斎藤氏の九星日盤鑑定法は今、東洋書院から復刻だかなんだか知らないけれど
だいぶ詳しいのがでていますよ。
角山素天さんの「気学九星(秘伝)杭打ち開運法」というのもw
ちょうど好運会の杭打ち秘法だとか伝授していたころ、ちょうど本屋に
並んでいました(爆、
なぜか好運会の杭打ち秘法は中止になりましたよね
まあボロがボロボロと出てくるわ出てくるわ・・・
ゲイカは八白で最晩年運で晩年になればなるほど凄い運気になるんじゃなかったっけ?
本当、本当。もうゲイカもどんどん暴露や自爆露呈が拡大してきているなあ、と
思いますね。あんなやつの言葉を真に受けた過去が情けない情けない。
- 664 :うサギ:2010/05/09(日)
14:28:41 ID:CTmMyYaw0
- 準々シュダオンさんは
「Now Loading....」の画面が出たまんまのゲーム機です。
と、以前書いてから、いまだに「Now
Loading....」なんですね。
- 665 :名無しさん:2010/05/10(月)
11:22:29 ID:Yosfgnto0
- 準シュダオンさんみたいに現実を観ず妄想論理の世界で一人遊び惚け悦に入る大馬鹿者はこのスレには不要です。
さっさと逝っちゃって下さい。
- 666 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/10(月) 13:28:08 ID:Kv1nCdeA0
- >>660 在籍している信者さんはこれを見てよく考えられたほうがいいですね。
サライさんの言われていることは紛れもない事実で、アゴンでの資格は「金で
買っている」という現れです。如何に綺麗ごとを思っても所詮そういうシステ
ムです。そういう縛りでなおかつ活動してもボランティアです。
アゴンに5万以上払って、試験を受け資格をとって馬車馬のように働かされる。
それであなたは楽しいのか?ということです。
また、試験に落ちたらそれで終わり。来年まで登録できない人が知り合いにも
いました。無料ならまだしも、お金だけではなく道場運営にもかかわっている人
でなければOKも出ないというのも付け加えておきます。
修行だ、徳積みだと信者を操作している現実に気がついてください。
- 667 :サライ:2010/05/11(火)
00:11:34 ID:kHWurtHEO
- >>661干柿様、コメントありがとうございます。売り上げアップに必死なんでしょうが、露骨にやられてもねーということです。あとE川問題はもう下火?みたいですから、ここは、W田氏の件で、米国の告発様と溝口氏のタイアップなど、期待したいと思っております。
- 668 :サライ:2010/05/11(火)
00:37:43 ID:kHWurtHEO
- >>666
天照様、コメントありがとうございます。細々とですが、サイト愛読させていただいております。無関係様や、米国の告発様の記事など、参考になります。天照様のお知り合いにも占い"資格"の件で苦労されたかたがいたようですね。(笑)まっ、世間一般でも、占いの授業料はべらぼうに高いみたいではありますがね。(
アゴンは、資格更新料は毎年、ゴマキ代でお支払い下さいということでしょう)
- 669 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/11(火) 06:20:30 ID:qNggxo8I0
- >>668 サライさん、こちらからもありがとうございます。
当時、私が護摩木のことはわかっているだろう、と思われたのか誰も自分の道場で
護摩木5万以上の勧進が必要、というのを語りませんでした。ですので、金額の
縛りは今回知った次第です。
確かにお金よりもその他の縛りが多く、ALCになるのも&なってからも大変だ。
というのは感じてました。しかし、教団に沿う思考の最中ですから、ALCの資格を
取って悩んでいる方の相談窓口になれたらいいだろうなあ、とは思っていました。
しかしながら、かなり縛りが多くそこも疑問の種ではありました。
「何かおかしくね?」と。
2chをきっかけとしてアゴンの如何に矛盾や欺瞞に満ちた世界がとんでもないかが
日々ひしひしと感じている毎日です。どうぞ、サライさんも今後ともいろんな意見を
投稿し、話題にも参加してください。(もちろんROMもOKです)
ありがとうございました。
- 670 :準シュダオン:2010/05/11(火)
10:20:09 ID:agsP6ENM0
- うサギさんは、何時か解脱したいと思うのかい?
だったらさ、先ず三結を断って須陀?に成ることを目標にしないとダメね。
倶舎論に言うような、須陀?向を聖者と考えてるようでは、出だしから間違
えてるよ。出だしから間違えてる批判派のレスなんて、真面目にに読む気は
しないよ、全く。
忘れっぽいお粗末な私の脳が、四双八輩を正しく理解し、
立派な脳を持つ批判派が間違えてるなんて!どういうことかいなw。
しかし、忘れるのも悪くはない、一度見たテレビドラマの再放送番組
でも楽しめるよ、あらかた筋を忘れてるからさw。
- 671 :無関係な人間です:2010/05/11(火) 17:49:52 ID:x350C93I0
- すみません、2chでまた、書き込み規制にかかりました。こちらへ書かせて下さい。申し訳ありません。
この問題が契機で、法律の本を借りて来て読んでいます。米国の問題では、刑法各論
や刑事訴訟法を、法律に詳しい身内の助けを借りて勉強をしております。幸い、友人に
弁護士もおり、教えてもらう事が多いです。しかし、それで一つ考えさせられる事も
ありました。
それまでは、私は、裁判では真実が勝つ、と信じていました。しかし、現実の裁判で
は、真実を明らかにし、正義が勝つ、という事はあまり期待できない、という感想を
持つに至りました。
例えば、今回の米国の告発でも、米国在住の阿含宗信徒が真実を告発し、司直の手を
下そうと運動をされましたが、遂に阿含宗にも桐山さんにもwさんにも法の手を下る事
はありませんでした。客観的には背任あるいは横領罪が成立すると思われますが、被害者
があくまでも宗教法人阿含宗であるため、阿含宗あるいは阿含宗の理事者が動かない
限りは他の人間は手が出しにくい仕組みになっています。監督官庁の動きを期待する声
もあるでしょうが、オウム真理教ですらサリンを撒いてからでないと役所は動かなかった
事を見ると、期待は出来ないでしょう。
E川さんの裁判でも、何も報告がない事を見ると、どうもうまく運んでいないようです。まあ、この問題を論じるスレではないので、この当たりで止めますが。
では、泣き寝入りをするしかないのでしょうか。
私は、言論こそが正義と真実を実現する最大の手段だと感じます。
少し前に読んだ本で感銘を受けたものがあります。
権力のスパイであると指弾されて汚名の中で死んだある人物がいます。
葬儀の席上、彼がスパイであったとは信じられなかったその人物の友人が真相を
知りたいと、当時の関係者を次々訪問し、海外の機密資料などで公開されたものを読み、
事実関係をコツコツを積み上げて行きました。そして、最終的には彼がスパイでなく、
別の人物がスパイであった事を立証したのです。それを出版し、広く自分の考えの
是非を問いました。また、その人物をスパイと呼んでいた評論家と公開の場で
討論し、スパイ説を完全に論破しました。これ以後、その人物が歴史書などで
スパイ扱いされる事はなくなりました。
そういう地道で正確な言論こそが、裁判よりもはるかに正義と真実を実現する
近道だと思います。現実に、米国の告発は、大きな影響を与えています。
インターネットは、「悪」を助長する効果もありますが、「悪」を抑止する
手段にもなり得ます。関係者各位の告発、告白を期待するものです。
- 672 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/12(水) 08:24:01 ID:SmEF4Oe2O
- >>670:準シュダオン10/05/11(火) 10:20:09
ID:agsP6ENM0
>うサギさんは、何時か解脱したいと思うのかい?
>だったらさ、先ず三結を断って須陀m9に成ることを目標にしないとダメね。
誰からも相手にしてくれなくなったからと言って、うサギさんにとんちんかんな
レスを送るのはみっともないからやめなさい。
私も最近書いてないが、うサギさんも5月1日の>>599で、準シュダオンさんは
同じことの繰り返しでどうしようもない様に呆れているだけで、四向四果の内容論に
コメントしたことなどない。
準シュダオン教の四向四果論に反論してきたのは、深山さんとラシンさんと私だけで、
うサギさんのあなたに対する質問はまた別角度からのものです。
相手が何を書いているのかよく読んだ上で会話のキャッチボールをするように
してはどうか?今のあなたは目の前にある石ころを無造作にとんでもない方向に
投げているだけで、相手に当たりもしない。
各々の書き込みには番号がついているのだから、その番号を指定して、書き込み内容を
把握した上でレスを送るキャッチボールの習慣を身に付けてはどうか?
- 673 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/12(水) 08:27:27 ID:SmEF4Oe2O
- >>670:準シュダオン10/05/11(火) 10:20:09
ID:agsP6ENM0
>うサギさんは、何時か解脱したいと思うのかい?
>だったらさ、先ず三結を断って須陀m9に成ることを目標にしないとダメね。
どうしてうサギさんが解脱など求めていると決めつけるのか?
相手が書いてもいないことを自分勝手に設定しても意味ありません。
- 674 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/12(水) 09:02:12 ID:SmEF4Oe2O
- >>652:準シュダオン10/05/08(土) 12:01:12
ID:agsP6ENM0
>「色川千影愛人に戻せ訴訟」さんのレス、今、目にしました。
>愛人ではなく、「信者に戻せ」訴訟ですよ。そのように、推測に基づく捏造が
>あるので、わたしは教学以外のレスには関心が湧かんのです。
その教学とは準シュダオン教学であり、桐山教学ではありません。
四向四果の聖者論については桐山教学ですら、どちらにでも取れるようにはっきりしない。
桐山さんは、あなた方はまだシュダオンになっていないけれども(シュダオン向)
もはや凡夫ではないと言っている。聖者と言っていないだけで、しかし凡夫ではない。
それにシュダオン聖者だって完璧な聖者ではなく、まだ煩悩を残した未完成品です。
だから「仏陀の真実の教えを説く」の下巻にその解説もあるかもしれないから
それまで待ってはどうかと深山さんが提案したのです。
準シュダオン教がどんな解釈をしようと勝手だが、あまりに自説にこだわり、
相手を卑下するような発言をしていると、それははからずも桐山さんをも卑下する
結果にだってなり得るのですから。
勝手な教学論でしか語れないのは、あなたが現実問題に答えられないからです。
色川裁判問題はたしかに愛人に戻せとはあからさまに示されてはいないが
元通り会員に戻せという訴えです。
どうして会員に戻ることごときが裁判になるのか?
しかも他ならぬ桐山さんの内弟子だった人です。
「わが弟子千景」と桐山さんが肉筆で書いて目をかけたのだから。
その元内弟子が裁判で争わなければならないとはどういうことか?
全ての責任者はw田さんではなく桐山さんのはずです。
どうして智慧のあるはずの桐山さんがこの問題をうまく解決できないのか?
現実における問題処理能力なんてないも同然ではないか?
こういう「現実」に目を背けて、嵐のないサロンの世界で「教学」など語った気に
なっても意味がありません。
そんなことは誰にでもできる。
現実の問題処理こそが問われるのです。
- 675 :準シュダオン:2010/05/12(水)
09:39:34 ID:agsP6ENM0
- 智慧のあるお釈迦さまでさえ、題婆達多に執拗に攻撃された。
智慧があっても、問題は起こるのです、色川さんもその一つに過ぎない。
阿含経に説かれてる阿羅漢を目指すなら、四双八輩の理解が不可欠です。
悟りの第一段階を、須陀?向にするか、須陀?(果)にするかは、大事な
問題です。是を間違えてるようでは、管長の教えを誤解するだけです。
最初の修行の目標を、須陀?向を得ることにするのか、それとも須陀?(果)
を得ることにするのかで、修行内容が違ってきます。
経典には、須陀?向を得る方法は説かれていません。
経典には、須陀?(果)を得る方法が説かれています、三結を断つことです。
須陀?向を得る方法が説かれていないのは当たり前です。
須陀?を得ようとする者は、皆、須陀?向なのですから、須陀?向を得る方法
など説く必要もない。
だが、アビダルマ論で須陀?向の内容が変えられたのです、本物の聖者並み
にされてしまったのです。
釈迦の説く四双八輩では、須陀?向は外道凡夫に対しての聖衆と言うほどの
意味しかありません。仏道を理解した聖者という意味ではありません。経典
を読めばそのことが解ります。
批判派はそれを理解出来ずに、逆に私を嘲笑っているw。
ホントに、無知や勘違いほど強いものはありませんね。
- 676 :色川千景アゴンの浄財1680万円よこせ訴訟被告桐山靖雄:2010/05/12(水) 09:59:03
ID:ZXNFvIU.O
- 四沙門果は釈迦の悟り
輪廻転生は管長の悟り
との桐山靖雄管長誤呆話です。
釈迦の経典を越えた管長の教えに帰依して釈迦の教えなど無視しましょwww
- 677 :名無しさん:2010/05/12(水)
15:55:05 ID:hL0XsZA.0
- 現世成仏という本が出ていた気がします
が
輪廻転生に考えが変わったのですね。
- 678 :準シュダオン:2010/05/12(水)
16:45:31 ID:agsP6ENM0
- 輪廻転生瞑想法の本が出ないのは、釈迦の悟りと違うからなのかな?
大乗仏教の悟りは、「煩悩即菩提」の対句として「生死即涅槃」と説きます
からね。大乗では煩悩が悟りであり、輪廻が涅槃である、と説くのですから、
単純に考えたのでは混乱してしまいます。
ですから、阿含仏教と大乗との融合を考えてる管長の仏教が、批判派に簡単
に理解出来るはずはないでしょう。
経典の四双八輩と倶舎論の四双八輩の区別さえ、ろくに理解できていません
しね。
- 679 :名無しさん:2010/05/12(水)
16:56:54 ID:Yosfgnto0
- >>676
>輪廻転生は管長の悟り
管長はブラヴァツキーの神智学を愛読しているとのことだったが
あの話、その後音沙汰がありませんね。
はてさて、宗務局は弱ってしまってダンマリを決め込んでいるのか?
- 680 :名無しさん:2010/05/12(水)
18:02:55 ID:Yosfgnto0
- >>678
>阿含仏教と大乗との融合を考えてる管長の仏教が
あなたは管長の言葉をしっかり聞いていますか?
管長は大乗仏教との融合など考えてません、逆に批判してきました。
今は神智学の勉強をしていてとても楽しいそうです。
大乗仏教ではなく神智学との融合を考えているかもしれませんねw。
- 681 :色川千景平河町の億ションに住ませろ訴訟被告桐山靖雄:2010/05/12(水) 18:25:02
ID:9MpwWlIQ0
- >輪廻転生瞑想法の本が出ないのは、釈迦の悟りと違うからなのかな?
輪廻転生瞑想法によって、来世に大金持ちで美男美女に生まれ変わる事を目指す事が管長の最終的な悟りです。
管長自身が何度も、ろれつが回らず人がどんどん来なくなってる例祭法話で説明していますね。
初めて明らかにする究極の奥義だそうです。
謹んで素直に信じなさいWWWWW
- 682 :名無しさん:2010/05/12(水)
19:32:47 ID:2yCkCLnc0
- >>678
>>681
>初めて明らかにする究極の奥義だそうです。
信者にとって管長様のお言葉はブッダのお言葉そのものであり絶対です。
準シュダオンさんは正座し謹んで御受けしなさい。
あなたの今までの脳内でっち上げ妄想は管長を愚老してますよ。
管長に懺悔し悔い改めるべきです。
- 683 :ミケ:2010/05/12(水)
19:37:52 ID:rpTO3bKA0
- >>678 :準シュダオン:2010/05/12(水) 16:45:31
ID:agsP6ENM0
>輪廻転生瞑想法の本が出ないのは、釈迦の悟りと違うからなのかな?
その通りです。
桐山氏の悟りは美男美女金持ち英雄です。
何回も何回も法話でくりかえし話していたではありませんか。
『私は来世そう生まれかわりたいですね〜
みなさんはどうですか?そう思いませんか?』
しつこく会員に強要していたではありませんか。
シシャモンカなどシシャモの価値さえありません。
あなたのコテハン自体がすでに越法です。
準ノブナガ、準ハンサム、準リッチマンでなければいけません。
あなたが師の過去の著書をネタ元にゴタクを並べるのも戯論(ケロン)です。
師が反故にしたものを弟子が論じてはいけません。
師はそれはたんなる釈迦の悟りであって私の悟りは違うと断言しているのです。
師は弟子に護摩の祈祷師になれと命じています。
あなたは師が放擲した仏教ではなく、精進せよと命じた密教を極めなければいけません。
別院の教学スペシャリストは道場でそのように教えています。
密教に非常に広範な知識を持つ彼は、所作のさまざまな意義を教えながら、
『密教は修行者を選ぶ、あなたがたこそ真のアゴンン宗の修行者です』と諭しています。
あなたはアゴン宗の外道です。
- 684 :ミケ:2010/05/12(水)
19:39:14 ID:rpTO3bKA0
ところであなたは色川千景愛人に戻せ訴訟被告桐山靖雄さんが指摘するように、
G田さんと複数の職員の方々なのですか?
あなたのレスをずっと読み直して見ましたが、たしかに脳梗塞の老人があなたのように人を煙にまくような言説をきるものかと
疑問に思いました。
工作員は人物設定の履歴を事細かに具体的に決めて、厳しいイメージトレーニングを受けてから潜入するそうです。
もしそうだとしたら老人、脳梗塞、糖尿病という設定のイメージトレーニングが全然出来ていませんね。
いずれにせよ真面目なひとたちの貴重な時間と労力を搾取するのは恥ずべき行いです。
あなたにいいように韜晦されている純粋なひとたちを見るに偲びません。
まるで桐山氏が『若者たちよ』と呼びかけて若者を騙ったように、あなたはここを冒涜しています。
- 685 :無関係な人間です:2010/05/12(水) 19:59:59 ID:cfYL4/TM0
- 直接、関係のない話なので、半分、冗談だと思って読んで下さい。(ほんとうに、
変な事ばかり書いて、すみません。)
大正時代から昭和の文学者と言われる人には、人間的には問題のある人も多かった
ようです。
夏目漱石は DVで有名だし、森鴎外も脚気論争では脚気菌説を頑固に主張し沢山の
兵士が病死。直木三十五は早稲田大学中退なのに卒業写真に紛れ込み「卒業」と自称
したのは有名だし、芥川龍之介は他人の奥さんにばかり手を出していた。その他、
自己愛が極端に強い、金に汚い、女にだらしない、ウソの常連、兵役逃れ、名誉欲の塊
云々という人は枚挙にいとまがないです。
文士として成功した人ですらこうなのですから、無名のうちに終わった人達になると
想像を絶するものがあったと推測できます。
また、当時は文士志望の若者が各地から上京しており、そういう連中は飯がくえない
ので、相当だらしない生活をしていたそうです。今東光の説明では、当時の文壇の
大御所 菊池寛が外出すると、そういう売れない文士志望の連中が飯でもごちそうして
もらおうと、ゾロゾロついて来たそうです。もっとも「そういう連中で後年偉くなった
人間はいない」とも言います。
その今東光も「ニセ学生」として、東大まで行っています。
と、ここまで書いて感じるのは、桐山氏の特徴。彼が文芸首都に在籍した点はどう
やら事実らしいので、周囲には文学志望の人間が多数いたと推測できます。しかし、
文学志望と言えば聞こえはいいですが、そういう人間的に欠点の多い人に囲まれて
青春期を過ごしたと推測できます。
だから桐山氏は詐欺師になったのだ! というのは論理の飛躍があるのは自分でも
承知しているのですが、無関係でもないような気がします。
どう考えたらいいのでしょうか?
- 686 :ミケ:2010/05/12(水)
20:10:17 ID:rpTO3bKA0
- 申し訳ありません、どなたか2Chに転載おねがいします。
>>483 :深山
◆Y0jS4ug6fQ :2010/05/08(土) 18:55:47 ID:qSOa2cC6
> シリーズ10回目
スレ136 311-320
について勘違いしていました。
S木参事がS崎を擁護したのはW田さんの命令ではなく、W田おろしグループの仲間としてS崎の犯罪をかばったということですね。
>>311〜320
>2002年4月21日 阿含宗カリフォルニア支部、ガーディナ道場にて
>阿含宗幹部と信者間でのミーティングの録音
>(*尚、テープはミーティグ開始前に録音する事を承諾の上、録音してあります)。
>*ミィーティングにはなぜか幹部はS崎職員を出席させずに行なわれた。
>幾つかのテープの一つ、その中からの一部を抜粋。
H信者:今回3人方(S木参事、I江部長、 A宅職員)が訪問された目的はどういう事です
か?
S参事:
色々と昨年からゴタゴタと申しますか、不統一な事がありましたので。
昨日ご指摘がありましたように、系統的にきっちりとして。
H信者:
系統的にしっかりとした、というのは例えば、どういう事ですか?
S参事: 昨日申しましたように、職員の宗務規定をもうけまして、
色々と本来の仕事をして頂く。
H信者:職員の宗務規定をきちんとする?
* 省略: S木参事による宗務規定の話なので省略。
- 687 :ミケ:2010/05/12(水)
20:12:27 ID:rpTO3bKA0
- T信者:職員の方がお休みをとるのは別に構わない事ですが、仕事はきちんとして
頂けるという事でしょうか?
S参事:もちろん、宗務規定ですから。それに違反した場合は罰則が適用されます。
T信者:今現在まで、経理の方がすごく問題があるんですね。
S参事:なんの?
T信者:経理、ここの(カリフォルニア支部)経理。
S参亊:どういう問題ですか?
T信者:支払ったチェックが全然おりないんです。
S参事:何がおりないって?
T信者:チェック。小切手。
S参事: その問題は少し複雑な事がありまして、経理の責任ではないです。
(*経理をしている島崎を擁護)
T信者:
昨年からずーっとなんです。
S参事:
それは経理の責任ではないです。こちらの方もサイナー(小切手、チェックにサ インをする人)の件の、色々な手続きが非常に交差しましたので。
きっちりとそれは解決しました。
T信者: 何年もずーっと、そうだったんですけど。
S参事:
もうこれからありません。
H信者:もうこれからはないですね?
- 688 :ミケ:2010/05/12(水)
20:14:43 ID:rpTO3bKA0
- 313 :米国の告発、W田を斬る:2008/01/21(月) 05:53:17
ID:7GI7yJk0
H信者:もうきっちりしたんですね? もうこれからはないですね?
S参事: そういう事です。
H信者: 今までそういう事を何回も言われてきて、トラブル(問題)があって。
S参事: それは内部の問題です。
T信者: どういう問題だったんですか?
S参事: それはどういう事かと言うと、内部的にうまくいっていなかった。
T信者; ふー(笑う)
S参事: コミュニケーションですね。
T信者; そんな事ないと思いますけど。
S参事: えっ?(驚く)
T信者: 支払ったチェックは遅くても1週間で、、
S参事:
基本的な考え方はコミュケーションから発生している。
ようするにコミュニケーションです。(島崎を擁護する)
T信者:
コミュニケーションの問題と言う事ですか?
S参事: そうです。
- 689 :ミケ:2010/05/12(水)
20:16:12 ID:rpTO3bKA0
- 314 :米国の告発、W田を斬る:2008/01/21(月) 06:11:12 ID:7GI7yJk0
T信者: 誰と誰の?
S参事: 職員間のです。総合職員間です。(*本部から派遣された二人の職員と
経理のS崎職 員間の事)
個人的な話はできません。名誉毀損になります。(*経理担当のS崎職員の不審を指摘しようとすると、S崎の個人攻撃とみなし、あなた達信者を名誉毀損で訴訟すると脅す。)
T信者: 個人的ではなくて。
S参事: 全てがそうです。コミュニケーションです。それでわかると思います。
T信者: わかりません。
S参事: わかりませんと、そう言う事を言うと!(怒る)
T信者:
だけどどこかに迷惑が!
S参事: 意見の交換にならないでしょうが!私は答えている訳ですから!(怒る)
コミュニケーションってどういう意味か、わからないんですか!
T信者:わかりますけれども、、
コミュニケーションの問題で、1回2回ではなく、何年も前から、、
S参事: だから、あったから、それを直そうとして来ているわけです。
T信者: わかりました。今は、それは保留しておきます。
- 690 :ミケ:2010/05/12(水)
20:17:34 ID:rpTO3bKA0
- 315 :米国の告発、W田を斬る:2008/01/21(月) 06:18:50 ID:7GI7yJk0
H信者:
それから昨日のミーティングの後、ドイツ軍の話がありましたよね?
第2次世界大戦のドイツ。
S参事:はいはい。
H信者:反省について。反省があったから何かが生まれる。
昨日言われた事は(幹部が)、過去の事は水に流して、それで将来に向かって
頑張って行こう、という事だったんですけど、過去の清算(S崎の経理の不審、
及び不審な出来事)というものをしないと、将来というのはやって行けない訳です。
私はそう思います。
S参事:清算とはどういう事ですか?
H信者:過去の、
S参事:清算とはどういう事ですか!(怒る)
H信者:清算と、、
T信者:原因を正してと、いう事ですよね。
(*支部の不審な経理、仏舎利基金不明、及び数なる不審な出来事の原因)
H信者:うん。
S参事:だから、原因を正して?
H信者:膿みを出して。
S参事:どういう原因があったか、ご指摘願いたい!
- 691 :ミケ:2010/05/12(水)
20:18:46 ID:rpTO3bKA0
- 317 :米国の告発、W田を斬る:2008/01/21(月) 06:35:03 ID:7GI7yJk0
315の続き
H信者:これまで、、
S参事:個人攻撃はやめて下さいね!(怒る)
(*経理の島崎を擁護して信者が問いたい不審な出来事の会話ができない)
T信者:いやいや。個人攻撃をしないと、過去の事が間違いかどうか、、
S参事:個人攻撃の場ではないんですよ!(怒る)(島崎を擁護)
H信者:いや、、
S信者:全体的に来ている訳ですから、個人攻撃されますと、名誉毀損になります!
(*経理の島崎の話になると個人攻撃と見なし、名誉毀損で訴訟すると信者に
脅しをかける)
TK信者:あの、、
S参事: それはやめて下さい。私ら、法人(阿含宗)として参っている以上は
個人の事に(島崎職員)については、名誉的な事については、
いっさい関与しません!
(*信者側がS崎職員の不審な事について聞きたくても取り合わず話にならない。)
TK信者:組織として考えて、個人のプライベートを指摘している訳ではなくて、
組織の歯車として考えた場合に、どうしても個人攻撃と、とられて
しまいますけれど実際にそこを改善しないと、組織というのは活性化していかない、
という気がします。
- 692 :ミケ:2010/05/12(水)
20:20:26 ID:rpTO3bKA0
318 :米国の告発、W田を斬る:2008/01/21(月) 06:41:32
ID:7GI7yJk0
S参事:具体的にはどういう事ですか?
H信者:具体的には、S崎さんとA宅さん(から)、I江部長はよく連絡
(カリフォルニア支部の出来事)を聞いているはずなんですけど、
非常に、私の経験(島崎と本部に利用された道場車のリースの件)なんですけど、(S崎職員とA宅職員の)嘘がおおいんです。
この後は、H信者がS崎職員と本部から道場車のリース名義を利用された会話
について。省略。
- 693 :ミケ:2010/05/12(水)
20:30:32 ID:rpTO3bKA0
- 添付資料
>* S崎は『私はW田局長の指示で毎月の家賃15000ドルは(200万円)は
>信者には内緒で、信者の仏舎利基金で支払っている。』又
>『信者が騒いだらW田局長が日本から送金してくれる事になっている。』と他言。
>(実際は家賃ではなく、S崎の使い込みであったことが、裁判で判明!)
>証拠書類はhttp://www.wadaokiru.com/home/page7.html
- 694 :ミケ:2010/05/12(水)
20:37:14 ID:rpTO3bKA0
- 添付資料
>*裁判官の指示で米国での訴訟状を法廷専門翻訳会社から
>日本の裁判所を通じて管長、桐山靖雄、W田N子、宗教法人阿含宗に送る事になり、
>慌てた阿含宗弁護士は法廷専門翻訳会社に脅しの手紙を送りつける。
>脅しの手紙を受け取った翻訳会社は憤慨して、阿含宗弁護士に
>『今迄、私達の会社は尊敬こそされ、脅しをされたのは初めての事。』
>と書いた手紙を送りつけました。
>この阿含宗弁護士の脅しの手紙も機関及び刑事さんにお渡ししてあります。
>また、弁護士を統括するカリフォルニア州の法的部署にも通報されています。
>法廷専門翻訳会社が阿含宗弁護士に送った手紙の原文は
>http://wadaokiru.com/home/page1.html をクッリクして下さい。
- 695 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/12(水) 21:14:58 ID:SmEF4Oe2O
- >>675:準シュダオン10/05/12(水) 09:39:34
ID:agsP6ENM0
>智慧のあるお釈迦さまでさえ、題婆達多に執拗に攻撃された。
>智慧があっても、問題は起こるのです、色川さんもその一つに過ぎない。
また関係ないダイバダッタなど出して一般論でごまかそうとしている。
釈尊の戒律をヌルイとしてもっと厳しい戒律を提唱して受け入れられず、教団を
自ら離れ反逆したというダイバダッタに対して釈尊がどういう態度を示したか
とか、そういう具体的な比較の話で論じねば意味ありませんよ。
あなたの一番苦手とする具体的現実の考察です。これができないあなたなど
いくら本を読んでも読書能力も皆無に等しい。
シシャモンカどころの話ではない。
たしかに釈尊と言えど大神通力でなんぴとたりとも教化せしむるなんてことは
できません。言葉で教えを説いて本人がそれを理解実行して初めて教えは効力を
発するわけですからね。聞き分けのない奴はそいつの責任であり、これを「縁無き衆生」
と言う。あくまでも態度の問題ですね。
然るに桐山さんは釈尊のような現実的な地に足の着いた教化の道などではなく
昔からお伽噺を説いている。
それが密教の愛敬法による人心掌握です。
密教の愛敬法が作り出したその人の人間的魅力は攻撃せんと向かってきた相手をして
敵意を忘れさせ、軽やかな音楽に乗るかのようにその人を従わせしむ。
釈尊も説かぬなかなか素敵なお伽噺じゃのう。
この能力は密教(現在ではアゴンブッキョー)の五大超能力とも六大超能力とも
表現され、今でも生きています。
「自分を変え、他人を動かし、自分のイデアのままに環境を作り出す力」です。
それが現実はどうだ?自分の部下であるはずの年増女や中年になった小娘一人
どうすることもできない。
またこんなお伽噺なんか出さなくても桐山さんはやるべきことをやらねばならない。
やるべきこととは管長として教団の最高権威として君臨する者として果たすべき
責任の指導です。
どうして元内弟子に直接対話を試みることができない。
色川さんを迎えるにしても排除するにしてもだ。
相手が聞き分けのある耳の持ち主であるかという問題を抜いても、桐山さんとして
起こさねばならない行動アクションがあるはずだ。
これが無いのはどういうことだ?
現実に相手を動かせないのではなく、現実に自分を動かせないのです。
- 696 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/12(水) 22:34:00 ID:SmEF4Oe2O
- >>678:準シュダオン10/05/12(水) 16:45:31
ID:agsP6ENM0
>輪廻転生瞑想法の本が出ないのは、釈迦の悟りと違うからなのかな?
>大乗仏教の悟りは、「煩悩即菩提」の対句として「生死即涅槃」と説きます
>からね。大乗では煩悩が悟りであり、輪廻が涅槃である、と説くのですから、
>単純に考えたのでは混乱してしまいます。
>ですから、阿含仏教と大乗との融合を考えてる管長の仏教が、批判派に簡単
>に理解出来るはずはないでしょう。
理解出来ていないのはあなたの方です。
桐山さんはこんな切り口で大乗仏教と妥協などしていない。
最も譲れない部分が来世成仏という逃げ道であり最も軽蔑していた。
念仏往生を邪教とまで表現してましたよ。
私が観音慈恵会時代に直に聴いた法話でこんなのがある。
空海はたった一つ間違ったことがある。それは即身成仏を提唱したことだ。
即身成仏という表現がおかしい。あれはただの成仏とすべきだ。
なぜならば仏教で成仏と言ったら即身成仏しかなく、来世成仏なんてのはもともと
ないのだと。そこまで言い切る信念があった。
しかし阿含経なんか出して四沙門果なんか出したから、釈尊にその即身成仏しかない
という信念ごと足元からすくわれた形です。
軌道修正ってか一部教学訂正をせねばならなかった。いつのまにか知らないうちに。
しかし桐山さんの言う成仏とは釈尊の説く煩悩解脱ではなく因縁解脱です。
因縁解脱とは横変死とか刑獄とか忌まわしい運命からの脱却ですよね。
これは現世のうちに切らねば意味がない。
来世に因縁切りは持ち越して現世は悪因縁のままに殺されるがよき候。
いや、殺される立場ではなく自分の方が殺す運命だったらどうするのだ?
殺す時には相手を殺すがよき候。
どっかの桐山本で読んだ話でしょ?
そうです。「幸福への原理」からアゴン宗まで開いた「霊障を解く」に至るまで
共通している現世成仏しか意味はないという信念はどっこい生きている。
霊障を解くでは来世に仏道を成ぜんと書いてある法華経方便品を批判した。
四沙門果を紹介した「輪廻する葦」の後に出した本ですら、そのタイトルは
「現世成仏」です。こだわりの証明ですね。
それが最近はどうだ?輪廻転生瞑想とは現世の因縁切りを諦めて来世に美男美女と
英雄の名声と大富豪を得るというものです。
どうだ?素敵だろ?と示され、干柿さんもミケさんも逆にしらけた。
- 697 :サライ:2010/05/12(水)
23:10:36 ID:kHWurtHEO
- >>679
そういえば、神智学のシユタイナーの事も「来月から講義します」と言ったきり、5年間そのままですね。たぶん、忘れてしまうわけですから、職員さんは、「法話ディレクター」を設置されて、年間法話スケジュールを仕切る必要があるのでは。今さらですが。
- 698 :サライ:2010/05/12(水)
23:25:55 ID:kHWurtHEO
- >>681
そう、阿羅漢の聖者は入涅槃して、輪廻の鎖を断ち切っているのに、なんでわざわさ゛生まれ変わってこなくちゃいけないのか?この世に未練ができたのか
- 699 :名無しさん:2010/05/12(水)
23:39:16 ID:GaOsPNdk0
- 教学は完全に終わっている。
英雄美男美女に輪廻転生するのが桐爺の悟りと。
根本仏教名乗っていながら英雄美男美女に輪廻転生。
アフォですか。
「輪廻転生は神界の法の教え」と屁理屈を言う輩も出てきそうだが、
英雄美男美女に生まれ変わると行っている以上、神界もヘッタくれもないわい。
桐爺が自ら爆破スイッチを押した。木っ端微塵。
それよりも、金の行方や流れが気になる。
ラシンさん、無関係さんの解説は新鮮だった。
米国さん、ミケさんらの台頭にも期待。
- 700 :深山:2010/05/12(水)
23:47:06 ID:HQyyLM4M0
- >>685 :無関係な人間です:2010/05/12(水) 19:59:59
ID:cfYL4/TM0
> だから桐山氏は詐欺師になったのだ! というのは論理の飛躍があるのは自分でも
>承知しているのですが、無関係でもないような気がします。
桐山さんの詐欺行為が、若い頃の文学仲間からの影響なら、
小説家は全員が詐欺師になるのではありませんか。
無関係さんが例に出した有名人たちは人格に問題があったのは事実でしょう。
だが、彼らに人格者を求めるのは、過剰要求というもので、
作家は小説でナンボ、絵描きは絵でナンボであって、人格が破綻していても
それで作品の質が落ちることはありません。
事実、彼らはそれぞれの分野で大きな業績を上げた。
だが、桐山さんはまったく違います。
彼が業績を上げたのは、カルト宗教、詐欺宗教の世界で、霊感商法の
ビジネスモデルを確立し、オウムや法の華の模範となったことであって、
彼が名乗る宗教家としての業績ではありません。
信者たちは桐山ゲイカが日本に阿含経を蘇らせた、などと言うが、
もちろん、何の根拠も実証もない。
阿含経が釈迦直説だと最初に大々的に広めたのは友松師であり、
新興宗教でこれを取り入れたのは立正佼成会です。
桐山さんにはこんな肝心な点すらオリジナルや業績はありません。
しかも、聖者や仏陀を自称しているのですから、小説家や芸術家と違い、
高い人格完成を求められます。
だが、現実の彼は名誉欲などの欲望は人の何倍もあり、
生活習慣病になってもまだ美食がやめられないほど食欲があり、
89歳にして、愛人に訴えられるほど色沙汰もお盛んらしい。
短気で、自己愛と自己憐憫と自己評価の高さだけは誰にも負けない。
俗人の中での人格者ですらなく、むしろ、ワガママでエゴイストです。
こういう桐山さんの性格が、若い頃に交わった文学仲間の影響というのは飛躍です。
桐山さんの嘘つきぶり、誇大妄想ぶりはこの青年期に形成されたものではなく、
すでに小学生時代に現れており、証言が残っています。
- 701 :深山:2010/05/12(水)
23:53:38 ID:HQyyLM4M0
- 「小学校五、六年の時の担任の奥主謹二先生という方で、卒業の時、父を呼んで次のように
言われたそうである。
「この子はよく注意して育ててください。非常に偉い人になるか、さもなければ、
大変な悪人なるか、いずれにしても中途半端な人間にはならない子ですから、
くれぐれも気を付けてください。」」(『現世成仏』21頁)
桐山さんはこれを自分は「非常に偉い人」になったと自慢したつもりで書いたらしいが、
現実は、先生の心配どおりに「大変な悪人」になった。
先生がわざわざ親を呼びつけてこれを注意したということは、
偉い人か悪人かどちらになるかわからない、という意味ではなく、
「悪い人になる危険性が高いから気を付けなさい」という意味です。
桐山さんは天井知らずの煙だから、晩年になってもまだ先生が警告したのだとは
受け取れず、自慢話として書いている。
桐山さんのこういう面を見ても知性の程度を疑わせる。
この先生が皮肉やイヤミを言うような人でないことは桐山さん本人が書いています。
つまり、先生が心底心配になるほど、堤少年の素行は悪かった。
先生が堤少年の何を見てギョッとしたかは、今日までの桐山さんを見れば十分です。
一言で言えば、大嘘つきです。
桐山さんの人生は、偽ビールなど、一貫しているのは嘘で人を騙している点です。
大人になってからそうなったのではなく、小学生の時にすでにそうだったのです。
嘘の度合いや内容が、子供の嘘とは思えないほどひどいものだったのでしょう。
嘘の上に嘘を重ねて、ばれても全然気にもせずに次の嘘をつく。
その堂々した嘘つきぶりに先生は彼の将来を案じたのでしょう。
そして、結果を見ればわかるように、先生の心配は当たってしまった。
- 702 :深山:2010/05/13(木)
00:04:52 ID:HQyyLM4M0
- 「この子はよく注意して育ててください。非常に偉い人になるか、さもなければ、
大変な悪人なるか、いずれにしても中途半端な人間にはならない子ですから、
くれぐれも気を付けてください。」」(『現世成仏』21頁)
桐山さんが小学生時代にすでに先生も認めるほどの「大変な悪人」の
予備軍だったのは何が原因かは、桐山さんの本を読んでもはっきりしません。
ただ大人になった桐山さんを分析するなら、2ちゃんねるの480さんが
指摘しているように、自己愛性人格障害者でしょう。
だいぶん前にも指摘した人がいたが、桐山さんにあてはまるというよりも、
ウィキペディアの説明などは桐山さんを説明したような内容です。
犯罪をなし、ろくに小説も書けないあるがままの自分を認めることができず、
自惚れが極端に強く、超能力者、聖者、大王、メシア、ブッダなどと、
常に偉大に自分を妄想で作り上げ、常に周囲からの賞賛を求める。
自己愛性人格障害から原因も推測がつき、親、特に母親による過剰な期待、過保護でしょう。
武士の子孫であり長男であることから、母親は武士ではない夫ではなく、
我が子を誉めたたえ、過剰な期待をして、エラクなれと言い続けた。
だが、現実の桐山さんにはそんな能力はないから、嘘をつき、妄想の中で
偉大な自分を作り上げて来たのでしょう。
- 703 :深山:2010/05/13(木)
00:08:48 ID:HQyyLM4M0
- 「自尊心を保つため、虚栄感から安易に嘘をつく。
本人には嘘をついているという意識はない場合が多い。」(ウィキペディア)
この自己愛性人格障害者の記述は桐山さんの人生そのものです。
前に、桐山さんは嘘をついているという自覚があるのかないかという
議論になったことがありますが、自覚がないというのが私の今の意見です。
幼児期にこのように育てられれば、脳そのものがこのように成長して固まっているはずです。
五歳くらいまでの子供は嘘と現実の区別が大人のように明瞭ではありません。
桐山さんを見ていると、嘘に関しては五歳の子供の脳がそのまま停止してしまったかのようです。
あまりに嘘が多すぎるというよりも、彼が独自に作り出した部分のほぼ全部が嘘です。
普通の人は嘘を減らそうとするから、事実に少しの嘘が混じる程度だが、
桐山さんの場合、逆転していて、ラベルや表題ばかりで、中身はほぼ全部嘘です。
この嘘の多さがちょっと普通ではない。
成長期の問題から自己愛性人格障害者となったとみれば、彼の巨万の嘘の説明もつきます。
- 704 :深山:2010/05/13(木)
00:17:35 ID:HQyyLM4M0
- 「自尊心を保つため、虚栄感から安易に嘘をつく。
本人には嘘をついているという意識はない場合が多い。」(ウィキペディア)
そこで、青年期の文学志望の人たちとの交わりについてですが、
桐山さんが小説家を自称したのも、嘘が通用して、簡単に自分の虚栄心が満足できたからでしょう。
小説家を目指す文学青年といえば見た目には格好いい。
桐山さんと文学仲間だった俳優の故・金子信雄氏は桐山さんの小説を見たことがないと述べています。
桐山さんの自伝では、まるで夢中になって小説ばかり書いていたかのような記述です。
だが、現実は小説なんて書いていなかった。
これは桐山さんの小説家志望の本音と実態をよく表している。
桐山さんはちょっと小説まがいのことを書くと、もう芥川賞が目の前にあるかのように
錯覚していた。
自分が何か書けばたちまち芥川賞くらい簡単さという今日に至るまでの
妄想の世界に彼はどっぷりとつかっていられた。
周りにいた文学仲間はその妄想を助けてくれる存在にすぎません。
実際、彼の発表した小説は本が2冊、また機関誌に一つ載っていますが、
どれも自分の欲望と知識の羅列で、おおよそおもしろい内容ではなく、
あの程度の作家なら掃いて捨てるほどいる。
結局、若い頃はろくに小説など書いておらず、小説家志望の
文学青年という格好良い虚構を本人が一番信じて、実際は遊びほうけていたのでしょう。
犯罪者となった後、小説家よりももっと彼の自己愛性人格障害から来る嘘つき
の性格にぴったりの職業を見いだし、そして大成功をおさめた。
要するに、私や元信者は、成長期に脳に障害が生じた人格障害者という
脳に障害のある病人の妄想に見事にひっかかったのです。
わかりやすく言えば、病院で「おれは神様だ」と言っている人の
言葉をそのまま信じてしまったのと同じです。
- 705 :米国の告発、W田を斬る:2010/05/13(木) 00:28:31 ID:a.vlE0sI0
- >>693
>(実際は家賃ではなく、S崎の使い込みであったことが、裁判で判明!
真実
使用していないオーシャンアベニューの物件に毎月200万円の家賃が3年半程?支払われ
ていました。と同時にS崎職員の不正も別に行われていました。
>法廷専門翻訳会社が阿含宗弁護士に送った手紙の原文は
>http://wadaokiru.com/home/page1.html をクッリクして下さい
真実
原文は英語ですので、上記は違います。
- 706 :米国の告発、W田を斬る:2010/05/13(木) 01:03:13 ID:a.vlE0sI0
- >>485 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2010/05/08(土) 19:10:06
ID:qSOa2cC6
>479 :ミケ :2010/05/08(土) 09:50:31 ID:oNlRjhW0
>駐車場の件などW田さん個人の不正蓄財であるように見えます。
>ただ、私はアゴン宗の活動資金の裏金ではないかという意見です。
真実
完全なるW田さんの不正蓄財です。
A部理事はW田さんの不正蓄財は知りません。単にニューヨーク物件購入に関してW田さんと
ニューヨーク側のお互いのお知らせの取り次ぎをしていただけです。
大勢の人が関わっていたのは物件探しに関してです。
8月に管長猊下が契約サインをして終わりです。。
問題はその後です。物件をW田さん名義に密かに変えたニューヨークでの11月6日の出来事です。
物件を探した建築家がいらしたかもしれませんが、不動産専門弁護士とK斐職員とW田さんだけと
思われます。その他の物件探しに関わった方々は、まったく何が起きているのか疑いも
知ませんでした。何かがおかしいと思ったのは単なる私、個人の感です。
- 707 :米国の告発、W田を斬る:2010/05/13(木) 01:46:56 ID:a.vlE0sI0
- 485 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2010/05/08(土) 19:10:06 ID:qSOa2cC6
>479 :ミケ
:2010/05/08(土) 09:50:31 ID:oNlRjhW0
>K斐職員の参加も奇妙で、いくら彼女が英語ができて、W田さんの手下とはいえ、
>不正をするのには仲間は少ないほうがいいのに、どうしてここで
>彼女まで加えてしまったのかという点です。
>この職員の性格や事務能力を考えるなら、私がW田さんの立場で横領するなら、
>彼女は加えません。
とんでもない!人は見かけで判断はできませ。K斐職員はかなりのしたたかもので、
仲間を落し陥れる才能は格別であり、その他あるところでの知能が発達しています。
S崎を経理に引っ張ってきたのも彼女。米国がめちゃくちゃになったのもK斐職員が始まり
といっても加減ではありません。
私はこんな人が阿含宗の大切な事に関わっていると、その内米国は大変な事になってしまうと
本当の彼女を知っている人は皆、同じおもいを持ちました。
ちなみにW田さんの裏に関わっていたk斐職員のお給料は月100万円でした。
- 708 :名無しさん:2010/05/13(木)
07:22:41 ID:JLYCBNSc0
- 深山さんの「自己愛性人格障害」解説は秀逸。
我々は、精神病疾患者を教祖を崇めていたとはorz
米国さんの書き込みで職員の句雨量100万円。
これじゃあ犯罪に加担していると分かっても草々辞められませんな。
- 709 :名無しさん:2010/05/13(木)
07:23:33 ID:JLYCBNSc0
- ↑誤字だらけで失礼
- 710 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 10:48:36 ID:bhWSU7wY0
- 深山様、ご丁寧なお返事を頂戴し、深く感謝申し上げます。丁寧な論証をして下さり、いつも頭が下がります。
ご多忙の中、よくまとめて下さり、貴重なお時間を取らせた点は申し訳なく感じます。
自分も最近、暇を見ては図書館に通い、桐山氏の発言、特に戦前や戦中などの回顧の真偽を調べているのですが、これがなかなか
難しいです。
例えば、桐山氏が千葉の鳩山病院に入院していた事実の真偽を巡って論争がありました。当時の記録が残っていないとの事です。
自分は、当時の電話帳を調べたら判明するのではないかと思い、電話帳を調べようとしましたが、当時の電話帳はほとんど現存しな
いみたいで挫折しました。あるいは千葉県の方なら調査が可能かもしれませんが。
阿含宗とは全く関わりのなかった自分としては、実際に信徒の経験をされた方々から教えてもらう事ばかりなので、
深山様初め、多くの方々には感謝申し上げます。
基本的にはおっしゃられる事には大賛成です。その上で、いくつか感想を申し上げます。
- 711 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 10:49:12 ID:bhWSU7wY0
- >>704
>>桐山さんと文学仲間だった俳優の故・金子信雄氏は桐山さんの小説を見たことがないと述べています。
この点について、金子氏は「堤(桐山氏)はしきりに私小説みたいなものを書いていたみたいだっ
た。」
とも証言をしています。ですから、小説らしいものを書いていたのは事実だと感じます。
金子氏はしかし「小説を見た事がない」とも述べています。同人でありながら、見た
事がないというのは、金子氏が桐山氏の名誉のために婉曲的な表現をしたもので、要するに
「才能がなかった」という事かと理解しています。桐山氏や金子氏が在籍した文芸首都は有名な
作家を多数輩出した名門の文芸雑誌です。掲載に当たっては一定の水準が要求されます。掲載され
たら、金子氏も読んだはずです。しかるに「見た事がない」というのは、何回書いても主宰者
から掲載の許可が降りなかったと理解するのが妥当かと考えます。
しかし、金子氏を初め、当時の関係者の大半が故人となった現在、それを確認するのは困難
だとも理解しています。
- 712 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 10:52:09 ID:bhWSU7wY0
- >>702
>>自己愛性人格障害から原因も推測がつき、親、特に母親による過剰な期待、過保護でしょう。
桐山氏の犯罪を説明する上で、「自己愛性人格障害」は深山様が指摘されるように必要条件だと想います。しかし、十分条件ではないとも思います。単なる「自己愛性人格障害」なら、そもそも
あれだけ沢山の人間が騙せるのか、という疑問があります。週刊ポストでも、密教学者が匿名で
桐山氏が謙虚だと言っています。これは、必要とあらば、演技ができる事を示しています。ここに
登場される元信者の方々も、知的にも人格的にも平均よりも上の方ばかりだと思います。簡単に
騙せる人間ではないと思います。さらに「自己愛性人格障害」と言われる方は多数いますが、○○○として桐山氏ほど成功した人はいません。
私は、桐山氏が「自己愛性人格障害」という点には大いに賛同しますが、その後の環境も彼の
ゆがんだ人格形成に影響を与えたのではないかとも理解をしています。つまり天性の嘘つきで
あったが、青年時代の環境が、その嘘つきにみがきをかけた、という理解をしております。
ただ、基本的には、深山様のご意見に賛同する点は重ねて申し上げます。
- 713 :準シュダオン:2010/05/13(木)
11:12:51 ID:agsP6ENM0
- 何で煩悩解脱をするのかといえば、管長いうところの因縁解脱するためです。
因縁解脱できないのであれば、煩悩解脱したとて意味はない。
釈迦の仏教が廃れて、何で大乗が発展したかを考えてみる必要がある。
阿那含になれば、神通が生じる。しかしなぜか、釈迦は神通を使って衆生の
病気を治したり、吉凶を招いたり遠ざけたり、そのような術を禁じたようだ。
そこで、後世の天才達が密教を創り、神通を使って衆生の期待に応えようと
もした。で、そのような仏教が発展してきた。
阿含経に、「得須陀? 不堕悪趣 極七往返 必尽苦際」とあります。
「須陀?を得て悪趣に堕せず、あと七度生死を往来するうちに苦のすべてを
無くす」という意味ですね。
煩悩を無くす目的は、この苦を無くすためです。批判派はそれをわからない。
ユビキタスさんは未だ、経典の四双八輩と、倶舎論の四双八輩の違いに
気付かないのかな?須陀?向を聖者とするか否か、別に次の管長の本を待つ
必要はない。ダルマチャクラや既刊の本で解らないようでは、次の本でも
解るわけがないw。
正しい知識を得るのに、遅すぎるということもないだろう。
「輪廻する葦」本のP258の表が、阿含経典の四沙門果の定義です。
須陀?向を聖者とする学者の説は、倶舎論の四双八輩論です。
倶舎論では、見惑や修惑を持ち出して、須陀?向もある程度の見惑を
断じた聖者と定義したのです。
見惑=理知上の迷い・煩悩、であり、修惑=情意上の迷い・煩悩、ですね。
だが、経典の四沙門果では、そのようなことを説いていないね。
批判派は、倶舎論の四双八輩説で、管長・経典説の四双八輩を批判していた
のです。
- 714 :名無しさん:2010/05/13(木)
11:29:55 ID:Yosfgnto0
- >>713
工作員さん、今日もご苦労様。
もうあんたの四沙門果の話は結構です。いつもの堂々巡りの話はもう聞き飽きたよ。
ところで管長の女性問題や例祭での発言に興味はないのかい?
ないならもうここに出てくるなよ。
- 715 :色川千景内弟子にブランドを買うお手当をよこせ訴訟被告桐山靖雄:2010/05/13(木)
12:00:21 ID:ZXNFvIU.O
- 準シュダオン・アゴン宗ネット担当職員さん
もう秋田
私も二十年以上アゴンにいたけど、あなたのような一般会員は存在しない。
したらばの人間も何で気がつかないのかな?
たぶんみんな職員の実像にあまり触れたこと無いんだね。
まともな職員は本当に悩んで、むしろ会員の人格ある人に相談してたな。
- 716 :深山:2010/05/13(木)
12:36:39 ID:xIm0Hq0I0
- >>711 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 10:49:12
ID:bhWSU7wY0
>とも証言をしています。ですから、小説らしいものを書いていたのは事実だと感じます。
桐山さんがまるっきり小説を書いていないということはなかったでしょう。
桐山さんが自伝で言っているような、小説家になることが目標で文学に
夢中になっている文学青年という姿は嘘だという意味です。
小説家を目指すなら、ひたすら書きまくったはずです。
だが、金子氏の証言はこれを否定しています。
「桐山さんは私小説のようなものを書いていたようだが、自分は見たことがない」
という金子氏の言い方は、別な解釈も可能だということです。
桐山さんの部屋の中を調べたわけではないから、小説は書いていなかったとはいえません。
金子氏はただ事実を並べることで、見たことがないという言葉の中に、
暗に「小説なんて本当に書いていたのか」という皮肉をこめたように聞こえます。
もし、同人誌に投稿だけでもしていたら、はたして「見たことがない」などと
否定的に言うでしょうか。
狭い付き合いなのだから、投稿したことくらい伝わるはずです。
だが、金子氏の証言は「見たことがない」です。
- 717 :名無しさん:2010/05/13(木)
12:46:29 ID:JLYCBNSc0
- ウィキの自己愛性人格障害は桐山本人そのものとしか思えない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%84%9B%E6%80%A7%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E9%9A%9C%E5%AE%B3
(以下引用)
自分について素晴らしい理想的な自己像(誇大的自己)を抱き、
自分は他人より優れた能力を持っているとか、自分は特別だと思い込んでいる。
うぬぼれが強い。
自分に向けられた非難や批判に対し、怒りや憎しみを持つか、
屈辱感や落胆を経験する。これらの感情は必ずしも表面にあらわれず、
内心そのように感じているということがしばしば。
自分に言い聞かせて自分を慰めることができない。
誰か他の人に慰め、認めてもらわないと、自分を維持できない。
否定をされるとそれを受け入れられずに現実逃避し、
嘘や詭弁で逃げようとする。
そのため失敗について本当に反省したり、
そのときのつらさや痛みを認識する能力に欠けている。
失敗(あるいは批判)から新しく何かを学ぶことができない。
しかし、能力のある自己愛者は、ほめられ認めてもらうために、
自分を駆り立て休むことなく努力し、誇大自己を満足させようとする。
これは、本人にとっては残酷な作業であるが、社会的には成功する。
能力がない自己愛者は、より退行した形で他者からの是認を求めようとする。
誇大的な自己像を思い描き、その空想的な思い込みの世界に浸っている。
他者と関係を持つにしても、それは自分の自尊心を支えるために人を利用しているにすぎない。
本当の意味で他者に共感したり、思いやりを持ったり、感謝したりすることができない
(もっとも言語的表現力がしばしばあるので、うわべだけの思いやりを示すことに長けている)。
表面的な適応はさておき、他者との現実的な信頼関係を持つことができない。
病的自己愛…非現実的。依存はみられない。無遠慮で冷たい。
- 718 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/13(木) 12:50:33 ID:SmEF4Oe2O
- >>713:準シュダオン10/05/13(木) 11:12:51
ID:agsP6ENM0
>何で煩悩解脱をするのかといえば、管長いうところの因縁解脱するためです。
>因縁解脱できないのであれば、煩悩解脱したとて意味はない。
そうです。本当の仏教でなく、桐山アゴン宗の教学ではそうです。
煩悩解脱は小解脱に過ぎず、それより上部に大解脱たる因縁解脱を求める。
因縁解脱とは殺されたり殺したりガンになったり離婚したり家族で争い合ったり
物事中途で挫折したりする不幸な運命から脱することです。
だからこれはこの現世のうちに果たさないと意味がない。
殺されては意味がないし、殺しても手遅れだ。ガンになったら痛くて苦しいし。
ところが桐山さんはこの現世に達成すべき因縁解脱の現世成仏を諦めて、
輪廻転生瞑想法の普及を懸案しているそうだ。
私のような元信者ではなく現役信者がそう報告している。
おっと、あんたも一応現役信者だったか?w
この輪廻転生瞑想法は聞くところによると現世の因縁解脱を果たしたものが
余技として得るものではなく、現世成仏が間に合わないものにも垂れた福音サービス
なんだそうだ。
現世で悪因縁切れなくても来世に持ち越す。
殺される時には殺されるがよき候。殺す時には殺すがよき候。
そんかわり来世に期待してちょ。
信者が桐山さんに質問したそうだ。準シュダオンさんも大好きな四沙門果の話は
どうなるのですか?と。桐山さんは答えた。
四沙門果はシャカの悟りであり、私の悟りは輪廻転生瞑想法なのである。
つまりシャカなんかもう古い、これからは輪廻転生を追い求めるんだと表明したわけです。
自分の描く理想の来世が得られるのだ、ウッシッシ。来々世もその後も続ければ
永遠に快楽人生だ。これが桐山さんの悟りです。
涅槃?馬鹿じゃねーの?こんな楽しい人生にピリオドを打ってどうする?
来世はいいぞ。美男美女になれる。金持ちになれる。英雄になって名声が得られる。
ちなみに阪神大震災の時、桐山さんは次のように言いましたよね?
何がおん身を守るか?金か?名声か?
そんなものは危機に瀕して何の救いにもならない。
ところが桐山さんは来世に金と名声と美男美女の快楽を求めたのです。
私はね、成仏の内容はともかく現世に結果を求める桐山さんの態度に潔さを
認めていたのですよ。
それが来世に逃げてしまった。
現世は殺しても殺されてもテーマをぼやかした。
- 719 :深山:2010/05/13(木)
12:51:22 ID:xIm0Hq0I0
- >>711 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 10:49:12
ID:bhWSU7wY0
>とも証言をしています。ですから、小説らしいものを書いていたのは事実だと感じます。
桐山さんがろくに小説など書いていなかったという私の主張を覆すのは簡単です。
文芸春秋社の『話』に掲載されたという桐山さんの短編小説があれば覆せます。
桐山さんは、自分の小説を芥川候補などとほめられたと書いているが、
そうでなくても、法螺の大好きな彼の話は信用ができない。
だが、一流出版社の雑誌に掲載されたというなら、客観的な証拠です。
『現世成仏』44頁あたりの桐山さんの書き方だと、巻頭読み切りに掲載され、
その後も原稿を買ってもらったかのような書き方です。
もしそうなら、金子氏の証言は奇妙です。
出版社の雑誌に載ったのだから、読まないはずはない。
桐山さんは原稿を買い上げてくれた編集者の名前まで出しているが、
桐山さんは普通の人ならつかないような嘘も平気でいう人で、
さんざん騙されましたから、私はこの話すらも現物を見せてもらうまでは信用しません。
ぜひ、信者さんたちにその小説を探してほしいものです。
- 720 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/13(木) 13:06:03 ID:Kv1nCdeA0
- 今日はたまたま時間が?取れたので、出先で投稿。
私も深山さんの意見に同意ですね。どれほど桐山氏の山師節に騙されてきたか。
なので、証拠や現物が出てこない限り、信じる気になれません。
未だに私と薄い縁状態になった法友も、勝手に教祖の過去の発言をつむいだ思考で
信者を続けています。私はもうそういう妄想だらけの勝手解釈は捨てました。
黙って従えば死ぬまで騙されたままです。
ユビさんの記事でもそうですが、過去に現世成仏を目指していたかと思えば、
つい最近までは輪廻転生に鞍替えをしている。こういう状態を見ても信者は
勝手な解釈をして教祖の思考に沿おうとする有様です。普通の精神・神経が
あれば過去の発言と現在の発言が食い違うことぐらい判断できます。それが
できないということは、もう終わっている、という感慨を受けます。
総じて言えば教祖は生まれ持っての「法螺吹き」ですから、証拠や現物など
の検証ができない限り信じるのはやめたほうがいいということです。
- 721 :深山:2010/05/13(木)
13:06:48 ID:xIm0Hq0I0
- >>712 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 10:52:09 ID:bhWSU7wY0
>ゆがんだ人格形成に影響を与えたのではないかとも理解をしています。つまり天性の嘘つきで
>あったが、青年時代の環境が、その嘘つきにみがきをかけた、という理解をしております。
基本的に賛成です。
自己愛性人格障害者とは、あくまでも今の心理学で分類したら、
一番近いものであり、桐山さんは成長期に脳を患った病人なのだという意味です。
彼は自分を普通の人とは違う脳を持っていると自慢しているが、
欠陥を持った不完全な脳だという意味ではそのとおりです。
自己愛性人格障害者とは、桐山さんが普通の人ではあり得ないほどの嘘を
つきまくり、なぜ人を騙すのか、という疑問への一つの回答です。
ご指摘のように、自己愛性人格障害者が全員がそれぞれの分野で詐欺師になるわけではありません。
ただ、小説家や芸術家などには自己愛性人格障害者はそれほど珍しくはありません。
某直木賞作家の自伝内容にはかなりの虚構があると遺族が証言している例もあります。
桐山さんとの違いは、彼らは小説や芸術という現実世界での成果を出したから、
頭の中がどれほど妄想でできていようが、日常で嘘をつこうが、
金を借りまくって踏み倒そうが、自己顕示欲が人一倍強かろうが、
周囲が迷惑する程度で社会的な影響がなかった点です。
彼らが社会に影響したのは小説や絵画であって、その背景となった彼らの
妄想や自己顕示欲ではありません。
この点、桐山さんは彼らとは逆です。
宗教的な成果はないのに、霊感商法をするカルト宗教の
ビジネスモデルを作り、人を騙したという成果のみです。
- 722 :深山:2010/05/13(木)
13:15:05 ID:xIm0Hq0I0
- >>712 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 10:52:09 ID:bhWSU7wY0
>ゆがんだ人格形成に影響を与えたのではないかとも理解をしています。つまり天性の嘘つきで
・頭の中
芸術家 → 自己顕示欲とオレは偉いという妄想
桐山さん → 自己顕示欲とオレは偉いという妄想(同じ)
・現実への働きかけ
芸術家 → 妄想から作り出したものであれ、小説や絵画という実物
桐山さん → 妄想のままの宗教世界で人を騙した
自己愛性人格障害者の芸術家と桐山さんを比較するなら、上のようになります。
自己愛性人格障害者の芸術家が、嘘だらけの人物であろうが、
あるいはゴッホのように本当の精神病の人もいても、
その病気とは関係なしに成果を出している。
自己愛性人格障害や精神病が芸術にまで昇華され、人類に害よりも大きな利益をもたらしている。
だが、桐山さんは宗教において何の成果も出していない。
総本殿、護摩、勲章、マスコミなどを使い、一見、彼の作り出した宗教が
正当なものと評価されているかのように錯覚させているだけで、宗教そのものはまったくダメです。
自己愛性人格障害の欠点をそのまま出して、人を騙しただけです。
芸術家の絵や小説に相当するものすらも虚構だから、
結果的に人を騙し、被害を与えただけです。
- 723 :深山:2010/05/13(木)
13:23:17 ID:xIm0Hq0I0
- >>712 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 10:52:09 ID:bhWSU7wY0
>つまり天性の嘘つきで
上記に賛成です。
桐山さんは環境によってああなったのではなく、「天性の嘘つき」です。
自己愛性人格障害者であれ、育った環境がどうあれ、彼があのように
なった要因の一つに天性を抜きにしては語れません。
私は輪廻を信じていますから、桐山さんは前世からあのように人を騙すことに
磨きをかけてきたと見ています。
要するに、生まれつきの詐欺の天才です。
モーツアルトが音楽の天才であったことは誰もが認めます。
英才教育を受け、小さい頃から演奏活動をしていたという環境を抜きにしても、
彼が生まれつきの才能があったことは事実です。
それと同様に、桐山さんも母親がどのように教育したのであれ、青年期に
どのような環境にいたのであれ、生まれつきの嘘つきという天性を持っていた点が重要です。
天性こそが「種」であり、母親も文学仲間たちも「環境」にすぎず、
どのような環境であれ、嘘つきという種があったから、そのまま育ったのです。
種と環境という両者のからみあいが天才的な宗教詐欺師を生み出したとみるべきでしょう。
- 724 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/13(木) 13:23:56 ID:SmEF4Oe2O
- >>713:準シュダオン10/05/13(木) 11:12:51
ID:agsP6ENM0
>因縁解脱できないのであれば、煩悩解脱したとて意味はない。
こうして準シュダオンさんによって表現された桐山正統教学を観察すると
いかにレベルの低い思想なのかがよくわかる。
自分の運命が好転しないのならば、煩悩なんか断っても意味がないと言う。
人を殺したいという害意もまた煩悩です。怒り、怨み。
しかし怒りや怨みや人を殺したい害意などをなくしても自分が殺されては意味がない
と言う。
私は不幸災害などは避けられない運命だとしても自分の中から醜い怒りや怨みなどの
重荷がなくなったら、それは大変な成果だと思いますよ。
ところが準シュダオンさんにはそれは意味がないと。
- 725 :深山:2010/05/13(木)
13:32:00 ID:xIm0Hq0I0
- >>710 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 10:48:36
ID:bhWSU7wY0
> 例えば、桐山氏が千葉の鳩山病院に入院していた事実の真偽を巡って論争がありました。当時の記録が残っていないとの事です。
そのとおりで、厳密には推測の域を出ません。
桐山さんの身内からの告発でもないかぎり、無理でしょう。
ただ、手法としては桐山さんの記述を丁寧に検証して、
矛盾や現実と違う点を指摘することで、彼の嘘を類推することができます。
事実、彼の記述は本で書いた内容ですら、違うことは珍しくありません。
結核の件も、私は嘘だと思っています。
前に桐山さんの結核についての記述を並べたことがありますが、若い頃に
病気と挫折を本当に味わっていたら、書くたびに何年もずれるのはおかしい。
おまけに三年で死ぬはずの結核重症患者が、登山をしてタバコを吸い、
わずか一年ほどの療養で回復して、体力検定でトップの3人に選ばれ、
空襲の時は歩いて流山まで帰ったなどありえない。
兵役を逃れるために父親と組んで、結核であったかのように
嘘を作り出し、それを今でも利用しているというのが私の推測です。
彼が兵役逃れをしたこと自体を責めるつもりはありません。
誰でも死にたくない。
だが、桐山さんは今でも、国のために命を捧げた人たちを霊障のホトケと罵り、
彼らの供養というきれい事を並べながら、実際は己の名誉欲を満たすために
彼らを踏み台にする桐山さんの姿は、死肉をあさる餓鬼のようで、
そのあさましさに強い嫌悪を覚えます。
だから、これを読んでいる信者さんたちにも一刻も早く、アゴン宗のしていることは
死者への供養などではなく、ただの冒涜だと気がつき、その薄汚い行為から
手を引いとほしいと思っています。
- 726 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 14:55:55 ID:bhWSU7wY0
- 本当に丁寧なご返答に感謝します。また、阿含宗と桐山さんの被害を防止したい、との堅い決意も伺えて
頭が下がります。
金子信雄氏が桐山氏と知り合った時期というのが、昭和17、8年との事です。(金子信雄氏の証言)。
桐山氏の弁護をする意図は全くないですが、桐山氏が「文学修行」をしていた時代はもっと前からですから
金子氏の証言だけで桐山氏の証言を崩せないとは感じます。ただ、だからと言って桐山氏の証言が信用できる
と言っている訳ではないのです。私自身、桐山氏の発言にウソが多いのは了解していますし、彼の発言に矛盾
もあるのは理解しています。しかし、桐山氏が「文学修行」をしようとした件については、当時の時代背景を
調べてもこれを否定するだけの材料がないのも、残念ながら事実だと感じています。(桐山氏が自称文学志望の
青年であったという事だけで、深い意味がないのも事実ですが。)
次に、桐山氏の徴兵逃れについては、自分も調べていますが、深山様と同様の心証を持っています。
微妙なところですが、昭和17、8になると紙の配給制限と徴兵で、文芸活動はかなり厳しかった時代です。
昭和20年になると、本土決戦のために「根こそぎ動員」が開始され、民間防衛組織も組織され、健康な男性が
遊んでいるなど考えられない時代になっていました。映画で有名になった硫黄島でも、30歳から40歳代の男性
が兵士として送られています。20歳代の桐山氏が動員されなかったのは理解に苦しむところです。
あと、いったいこの人は、何をして生計を立てていたのか、疑問が残ります。
で、当時の徴兵逃れの唯一最大の手段が病気になることでした。あとは軍属として満州へ志願する事
ですが、これは相当のコネがないと無理だったようです。
桐山さんが、自分を結核だと称したのは、自伝でも書いています。
しかし、結核のはずの桐山氏が普通に東京の町の中で生活をしております。
私の祖母から聞いた話ですが、祖母の友人が結核と診断されたら、家族から家を追い出され、裏山の小屋に
寝かされ、伝染を恐れてだれも看護をせず、ろくに食べ物も与えられなかったと聞きます。憤慨した祖母は
友人が死ぬまで看護をし、友人の死後、家族が祖母に謝罪した、といいます。それほど、結核患者は嫌われた存在でした。
しかるに、桐山氏は他人の家に下宿を許され、友人とも交流しています。これは、桐山氏が結核であったと徴兵逃れで
自称したと理解するしかないと思います。
自分は徴兵逃れをしながら、国家のために亡くなられた英霊の方々を不成仏霊とののしる桐山さんの恥知らずな姿勢への感想には
深山様と全く同じ意見です。
最後になりますが、深山様のご卓見にはいつも感服をしております。今後の益々のご活躍をお祈りします。
- 727 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/13(木) 18:28:50 ID:SmEF4Oe2O
- >>713:準シュダオン10/05/13(木) 11:12:51
ID:agsP6ENM0
>釈迦の仏教が廃れて、何で大乗が発展したかを考えてみる必要がある。
>阿那含になれば、神通が生じる。しかしなぜか、釈迦は神通を使って衆生の
>病気を治したり、吉凶を招いたり遠ざけたり、そのような術を禁じたようだ。
>そこで、後世の天才達が密教を創り、神通を使って衆生の期待に応えようと
>もした。で、そのような仏教が発展してきた。
残念ながら桐山さんはこんな説明をしていない。
逆であり密教が形式のみで力を失っているで、アゴン経を読んだらそこに成仏法の
原点があり、これをくちょくちょと何やらシュギョーしたら成仏力が生じたのだと言う。
それからアゴン宗における因縁切りで業病が治るのは他人の神通力を受けるから
ではない。そんなことなら病気になったら桐山神通外来で診てもらえばよい。
保険も効かぬし、病気も治らぬが。
桐山院長は診察室に顔も出さないし。
往年の若かりし頃なら若いねーちゃんを診察して「10月後には陣痛を味わせてやるぞ」
とかできそうだが。
桐山教学ではガンなどの病気の因縁が切れるから病気が治るのであり、神通力で
治してしまったら因縁解脱の出番がなくなるではないか?
また病気が治る不思議を何でも釈尊も得て示したこともあるという神通力と混同
しないことです。神通力を示すことを弟子に禁じたのはその通りです。
しかし神通力を得たのもその通りです。
しかしアナゴンどころか最高のアラハンの高弟でも神通力を得てない者もいる
のだから、実は神通力などどうでもよい指標になる。
そして一番肝心な質問をする。
釈尊の示した神通力とは何か?阿含経から示してみなさい。
数多くの阿含経で釈尊の神通力を記述しているから。
その中に病気治しなどあるか?
釈尊でも弟子でも神通力で病気を治したなんてことが書いてある阿含経を出して
みなさい。
釈尊の神通力と桐山宣伝用看板だけ超能力は異なる。
ともあれ病気治し(?)の神通力も禁じるケチな釈尊に愛想をつかし、作ったのが
密教だというあなたの論は、桐山さんも憤慨すべき阿含経、阿含仏教の否定であり
冒涜になるんですよね。
わかってるか?
- 728 :ミケ:2010/05/13(木)
23:54:18 ID:ST22jJdg0
- 米国の告発、W田を斬るさん、
>>705>>706>>707の貴重な情報ありがとうございます。
何回も読み直しましたが、わたしの理解が及ばなくてすみません。
他にもまちがいがあったら是非教えてください。
今回のあなたからの衝撃的な新情報と、
深山さんがリストアップしてくれた過去ログと併せて、
アメリカの元法友たちに起きた信じがたい出来事を、
リアルにわが身に置き換えて考えることができました。
情報を頭ではなく3Dで体験できたという感じです。
2Chでは実際に家族や法友を説得するという方も出てきました。
みんなにとって真剣に考え直す大きな契機になっていると思います。
ラシンさんの専門用語を使った分析にもただただ感嘆です。
無関係な人間ですさんの弁護士の免責の視点にはびっくりしました。
>>ちなみにW田さんの裏に関わっていたk斐職員のお給料は月100万円でした。
!!!・・・むむむ
真面目に働いている職員は、ほんとそれで生きていけるの?
というくらいのお給料額だそうですね。
たしか5万とか7万とかの薄給なので、
不足分を親が仕送りしている話を聞いたことがあります。
- 729 :準シュダオン:2010/05/14(金)
09:10:55 ID:agsP6ENM0
- 三結断じて不堕悪趣、という。この不堕悪趣が肝心なのです。
三結断じても、悪趣に堕ちて不幸や災難に苦しむというのなら、三結煩悩な
ど断っても意味はないね。
ユビキタスさんは、なんで煩悩を断つのか考えてみなさい。
煩悩は苦の素だから、その素を断ちなさい、と釈迦は説くのです。
一から十まで管長の説くところだけ信じていたのでは進歩はない。
ユビキタスさんみたいな元信者のレスを読むと、あまりに管長を絶対視して
いて、愚か者というしかない。狂信的だね。しかも勝手な狂信です。
それじゃあ、うまくいくわけがない。
- 730 :色川千景管長とゴルフに行かせろ訴訟被告桐山靖雄:2010/05/14(金) 09:33:24
ID:ZXNFvIU.O
- 準シュダオン・アゴン宗ネット担当職員さん
私も三結断じないでホテルで女性会員の三穴を弄んでいた管長を絶対視するべきではないと考えます。
初めて意見の一致を見ましたね。
- 731 :ミケ:2010/05/14(金)
09:42:07 ID:F0rExvy.0
- >>713
:準シュダオン・・・コテハン越法
>何で煩悩解脱をするのかといえば、管長いうところの因縁解脱するためです。
何で煩悩解脱をしないのかといえば、管長いうところの美男美女金持ち英雄転生願望のためです。
>因縁解脱できないのであれば、煩悩解脱したとて意味はない。
転生願望できないのであれば、アゴン宗にいたとて意味はない。
>煩悩を無くす目的は、この苦を無くすためです。批判派はそれをわからない。
煩悩を煽る目的は、この苦を無くせないゴマカシです。工作員はそれをわからないフリをしている。
(((ケロン ケロン ケロン)))
コテハン越法さん、
あなたは勘違いをしています。
自惚れを捨ててもっと虚心に自分を見つめてください。
自分が何をしているか自覚がたりませんね。
あなたがやっている教学の破綻のごまかしは、
あなたが破綻を認めているということの証明です。
ごまかすことができるというのは、
何をごまかしたらいいか知っているということです。
あまりにバレバレで無能でおもしろくありません。
作戦変更をお勧めします。
ユビキタスさんの相手としてもっと不足のないキャラを考えてください。
(((((ケロン ケロン ケロン))))
- 732 :準シュダオン:2010/05/14(金)
09:58:32 ID:agsP6ENM0
- 四双八輩については、わたしも延々と同じことをレスしてきた。
読む方よりも、レスする方が大変なのよ、同じことをさw。
でも、そのかいあって、批判派にも倶舎論からの洗脳が解けはじめた人が
居るという手ごたえを感じるね。
解ってしまうと、「あっ、そうか!そうだったのか。」ということになり
ますからね。
経典では三結断じたら須陀?です。そして須陀?を目指すものは皆、須陀?向
です。なので須陀?向は聖者ではない。
経典では、斯陀含を目指して修行している須陀?を斯陀含向と呼びます。
だから、斯陀含向は須陀?の範疇なのです。
ところが、倶舎論では、須陀?を八十八の見惑(煩悩)を断った聖者と
したのです。須陀?向を、見道を歩みつつ見惑(煩悩)を断ちつつある聖者
としたのです。
斯陀含を、六種の修惑(煩悩)を断った聖者とし、斯陀含向を三種の修惑を
断った聖者だと定義したのです。
これでは斯陀含向は須陀?と違う存在になってしまいます。経典の定義とは
全く違ってしまってます。
このように批判派は、倶舎論の物差しで管長の四双八輩説を測ってましたか
ら、間違うのは当たり前です。
しかし、四双八輩、一つの誤解・洗脳を解くだけでも、膨大なレスを必要と
します。
これじゃあ、因縁解脱の概念を解らせるのは、無理でしょうねえw。
- 733 :ミケ:2010/05/14(金)
10:13:59 ID:F0rExvy.0
- >>729
:準シュダオン・・・コテハン越法
>三結断じて不堕悪趣、という。この不堕悪趣が肝心なのです。
>三結断じても、悪趣に堕ちて不幸や災難に苦しむというのなら、三結煩悩な
>ど断っても意味はないね。
そうです。この不堕悪趣が反故にされたことが肝心なのです。
三穴断ずることができず愛人訴訟に苦しむと言うなら、三穴煩悩など
断てるわきゃないね。不堕三悪趣は(((ホゴ ホゴ ホゴ)))
- 734 :ミケ:2010/05/14(金)
10:30:57 ID:F0rExvy.0
- >>732
コテハン越法よ
あなたが言葉によって汚しているのは
批判派ではなく自らの魂である
言葉を愛している人間なら
人をたばかる道具にできない
言葉の神様から見放されたくないから
言魂を畏れるから
あなたの薄汚れた魂からつむぎだされる
言葉のひとつひとつのためにわたしは泣く
あなたに使われる言葉がかわいそうだ
- 735 :無関係な人間です:2010/05/14(金) 11:21:45 ID:zWaD4k.60
- >>728
真面目に働いている職員が7、8万の月給で酷使され、悪事の手伝いをする職員は100万の月給を
もらい、幹部は資産を不正蓄財をし、親玉は王侯貴族の生活。分かりやすい構図ですね。
これでは、いくら准シュダオン様が奮闘しても、第三者から見たら、インチキ宗教という印象しか
ないです。
- 736 :色川千景マツケンサンバを特等席で見せろ訴訟被告桐山靖雄:2010/05/14(金) 11:40:39
ID:ZXNFvIU.O
- 最近の例祭の管長といえば、痴呆老人が老人の戯言を延々と繰り返しているだけ。
坊さんが出てきて、霊障だらけの家にすぐに帰らないで清らかな場所で法話を聞きましょうとか言ってるけど、会員はさっさと帰って本堂はガラガラ。
修行者もいなくなってる。
準シュダオン・アゴン宗ネット担当職員さんも必死にならざるおえませんね。
- 737 :深山:2010/05/14(金)
12:37:39 ID:Llada7t60
- >>726 :無関係な人間です:2010/05/13(木) 14:55:55
ID:bhWSU7wY0
> あと、いったいこの人は、何をして生計を立てていたのか、疑問が残ります。
親の金で遊んでいたのです。
それも終戦までですから、16歳から24歳くらいまで文学青年きどりで遊んでいた。
中学に入った後で家の経済事情が悪くなり、一時働いていた。
だが、父親が軍に出入りする御用商人だったので、日華事変など
戦争が始まり、商売がうまくいくようになり、働かなくてもよくなったのです。
「そうこうするうちに、支那事変が起きて、戦争が間近になり、
父の軍の仕事も順調にゆきはじめた。
そこで、わたくしも、特に働かなくてもよくなった。」(『現世成仏』39頁)
支那事変とは昭和12年(16歳)頃から始まった日中戦争を指します。
一年生(13歳)の秋にはまだ剣道をしていたとあるから、学費の滞納は二年生からでしょう。
つまり中学二年生の14歳には中退したとして、流山に帰って15歳で
出版社で働いくなど苦労した桐山さんだったが、
その翌年は日中戦争が始まり、父親の収入が増えて、働かなくても
よくなっていたのです。
つまり、桐山さんが苦労したというのは、実質的には二年ほどです。
しかも、当時としてはそんなことは普通だった。
16歳になって、働く必要もないのだから、普通なら、
中学に再入学するなど、進学を目指すべきでしょう。
だが、実際、仕事は辞めてしまい、学校にも行かず、図書館に通っていたという。
- 738 :深山:2010/05/14(金)
12:46:09 ID:Llada7t60
- 「そのような次第で、学校に行くよりも、図書館に行って、終日、
開館から閉館まで、片っ端から本を読んだ。」(『現世成仏』40頁)
桐山さんの今日の嘘つきぶりを見ても、上記の言葉を
そのまま鵜呑みにするのは無理で、要するに遊んでいた。
桐山さんは、若い頃とても運が悪かったと書いているが、
こういう彼のどこが運が悪いのでしょう。
その当時、中学にすら行けず、働いていた人たちが大半だった。
むしろ、働かなくても良いのだから、とても恵まれた環境にいたのです。
若い頃不運だったかのように言うのは、いかにも自己愛の強い桐山さんらしい作り話です。
中学中退なのだから、再度入学して、進学を目指すべきでしょう。
チャンスがあったのに、現実の彼は「図書館通いの文学青年きどり」だった。
桐山さんが学校に戻らなかった理由は小説家を目指したからなどではありません。
学校の成績が悪かったからです。
- 739 :深山:2010/05/14(金)
12:49:20 ID:Llada7t60
- 「・・いまさら東大を志すというわけにもゆかない。」(『現世成仏』39頁)
まるでものすごい秀才だったかのように書いているが、
元々彼は学校の成績はよくなかったはずです。
家の経済事情で、私立の「レベルが低い」(『現世成仏』26頁)中学に、
仕方なしに入ったような書き方だが、辻褄が合わない。
家の経済事情が悪くなったのは早くみても中学二年生からです。
だから、彼は一年生の時は剣道をしていられたのだから、
中学入学当時は家の経済状態は悪くはなかったはずです。
だが、彼は公立中学を受験しなかった。
成績が悪すぎて、合格できる可能性がないから、受験せず、
それを後で家の経済事情のせいにしたとみれば辻褄が合います。
- 740 :深山:2010/05/14(金)
12:56:24 ID:Llada7t60
- 「しかし、やる気になれば、一年くらいで大学を卒業できる程度の実力は
持ってみせるといった自信はずうっともちつづけた。」(『現世成仏』40頁)
この思い上がりぶりをみてください。
自己愛性人格障害者の典型的な症状です。
桐山さんは東大どころか、私立の「レベルが低い」中学程度の学力しかなかった。
それは今日、桐山さんが分数や比の概念すら理解していないのをみれば十分です。
文章力はあり、一見、様々な本を読んでよく理解しているように見えるが、
その解釈は一知半解で、ちょうど準シュダオンさんがそうであるように、
自分に都合の良い解釈をして、さも何か理解したかのように錯覚しているだけです。
だから、仏教を半世紀も仕事にしながら、解脱とは何か、という一番の基本すら理解していない。
普通の人は、できるだけ自分の偏見や独断を排して、文章の意味を
そのまま理解しようとする。
桐山さんは先に自分の考えがあり、それに合わせて阿含経から文言を切り張りする。
だから、解脱、梵行、因縁など、仏教の意味とは全然違う意味に用いている。
これを断定的に、文献などを示しながら論述するから、一見、高い知性と
深い見識で解釈したかのように錯覚させられ、信者たちは信じてしまう。
- 741 :深山:2010/05/14(金)
13:00:09 ID:Llada7t60
- 「・・いまさら東大を志すというわけにもゆかない。」(『現世成仏』39頁)
「しかし、やる気になれば、一年くらいで大学を卒業できる程度の実力は
持ってみせるといった自信はずうっともちつづけた。」(『現世成仏』40頁)
桐山さんは、阿含経や煩雑なアビダルマ仏教、学者たちの解説も引用して、
仏教についてものすごく深い知識があるかのように錯覚させるのです。
桐山さんはただの錯覚させるのがうまいのです。
実際は、高い知性ではなく、文章をそのまま読むこともできない程度の知性であり、
そのまま理解できないから、自分で理解できる他の意味に全部置き換えてしまう。
だから、アビダルマの解釈などを学者の解説と比較して丁寧に読むと
桐山さんの理解が浅薄なのがすぐにわかる。
今、準シュダオンさんがからんでいる四向四果についても、
桐山さんの引用を見ると、デタラメもいいところです。
準シュダオンさんと同じで四向四果を理解せず、文字面だけを見て、
その場しのぎに勝手な解釈をするから、一連の文章の中ですら矛盾したことを書いている。
二人とも、阿含経の文言や学者の説明すら理解するだけの知性がないのです。
- 742 :深山:2010/05/14(金)
13:09:35 ID:Llada7t60
- 「・・いまさら東大を志すというわけにもゆかない。」(『現世成仏』39頁)
「しかし、やる気になれば、一年くらいで大学を卒業できる程度の実力は
持ってみせるといった自信はずうっともちつづけた。」(『現世成仏』40頁)
学者の説明はともかく、阿含経の文言は現代語訳ならそれほど難しい内容ではありません。
釈尊は当時の無学な人たちにもわかりやすく説いたのだから、
小難しい内容であるはずがない。
だが、桐山さんみたいに最初から自分はわかっているという色眼鏡で
見てしまったら、どんなに簡単な文章でも意味がわからない。
だから、未だに、解脱を因縁解脱などというオカルト仏教用語で表現し、
釈尊の漏尽解脱を小解脱などと罵っている。
準シュダオンさんも桐山さんの付和雷同で、釈尊の解脱を小馬鹿にする(>>713)。
桐山さんは本をたくさん書き、アビダルマ仏教の煩雑な言葉を並べるから、
一見桐山さんは普通の人よりも知性が高いかのように見えるが、
実は、むしろ逆で、学校の成績という意味での知性はかなり低い。
桐山さんは、公立中学を受験できる学力すらなかった。
本をいっぱい書き、それらしいことを何時間もしゃべるし、仏陀の智慧だの、
求聞持脳などと言っているから、まさか桐山さんの頭がそれほど悪いとは誰も思わない。
だから、桐山さんがトンチンカンな無知な話をしても、信者は逆に、
何か高度な知性ではそのように見えるのだろうと判断します。
実際、私は信者時代にそう解釈したことがあります。(爆笑)
桐山さんは頭は良くないという私の指摘に、信者の多くは、
「そこまで悪口を言うか」と反発するはずです。
そのくらい皆さん、桐山さんの知性の高さを信じている。
(余談ですが、準シュダオンさんは桐山さんほど学校の成績はひどくなく、
公立高校に合格するくらいの学力はあったはずです。)
- 743 :深山:2010/05/14(金)
13:12:30 ID:Llada7t60
- > あと、いったいこの人は、何をして生計を立てていたのか、疑問が残ります。
話を元に戻すと、16歳で親の金で生活できる桐山さんが勉学に戻ろうと
しなかったのは、学校の成績が悪かったから、戻る気になれなかったのです。
だが、彼にはいくつかの特技があった。
文章力と、嘘でもなんでも並べて、周囲を説得するような弁舌力、抜群の体力、
容姿のよさ、そして、猛烈な自惚れと自己評価の高さです。
こういう状態の彼を手っ取り早く満たしてくれるのは、小説家です。
親からたんまりと小遣いをもらって、遊んでいられた。
そこで、彼は文学青年きどりで、同じような人たちが集まる図書館を足がかりに、
首都文藝に加わり、女優見たさに大学まで潜り込んだ。
こういう桐山さんの動機と背景、そして桐山さんが物事に取り組む時の
姿勢を信者として見てきて、とても桐山さんが必死に小説を書いていたのとは思えないのです。
彼の場合、まず先に妄想がある。
偉大な自分、完成された自分、賞賛を浴びる自分という妄想があり、
あとはいかにそれを手っ取り早く、適当にごまかし、嘘をついてでも
それらしく見せるかということに猛烈に努力する。
- 744 :深山:2010/05/14(金)
13:22:08 ID:Llada7t60
- > あと、いったいこの人は、何をして生計を立てていたのか、疑問が残ります。
桐山さんのやり方は、普通の人のように正面から正当にぶつかるのではなく、
妄想という「身体」に合わせて、現実という「洋服」をツギハギする。
桐山さんの仏教解釈がそうであるように、全部このパターンです。
だから、小説家という妄想に合わせて、現実をツギハギしたはすです。
何も書いていないとは言いません。
だが、今のアゴン宗がそうであるように、たしかにそこに一見、
仏教らしい教団があるが、中身は全部偽物、デタラメ、つまり桐山さんの妄想にすぎません。
それと同じで、小説は少しは書いていたのだろうが、
小説家になるために、死にものぐるいで図書館で本を読み、
文学仲間と研鑽していたなんて、それ自体が桐山さんの妄想にすぎない。
実態は小説家きどりのただの遊び人です。
運が悪いどころか、実家は遊んでいられるほど豊かで、しかも運良く、
商売が御用商人だから、うまく軍に取り入り、兵役を逃れることができた。
桐山さんの若い頃はとても運が良く、当時の人たちから見たら、
恵まれた環境にいたのです。
- 745 :深山:2010/05/14(金)
13:27:09 ID:Llada7t60
- > あと、いったいこの人は、何をして生計を立てていたのか、疑問が残ります。
私がとても嫌悪するのは、桐山さんが文学者きどりの遊び人だったからではありません。
彼の当時の勝手気ままな生活は、軍の御用商人だった父親の収入で成り立っていた。
御用商人という商売を批判するつもりはないが、多くの人が死ぬのを手伝う商売です。
桐山さんはそこから得られた金で遊びほうけていた。
しかし、ここまではまだ俗人としては許される範囲でしょう。
問題はその後です。
自らは兵役逃れをして、他人が流した血で得た金で遊んでいたのに、
今度は、その彼らを霊障のホトケと罵り、自らの名誉欲のために彼らをまたもてあそぶ。
二度に渡り、国に命を捧げた人たちを裏切り、自分の売名行為のために利用している。
下劣、愚劣という言葉では足りないくらいの嫌悪を覚えます。
- 746 :無関係な人間です:2010/05/14(金) 14:06:18 ID:zWaD4k.60
- いつも丁寧な論証書いて下さり、ありがとうございます。
自分もあの後、少し考えた事がありますので、書かせていただきます。
桐山氏の奥さんは、桐山氏と結婚と同時に実家から絶縁をされ、終生許してもらえ
なかったとあります。
最初、自分は、
1 いわゆるできちゃった結婚である事から世間体を考えた。
2 当時は封建的な気風が強かった事(奥さんの実家は東北地方の旧家)から家柄の違
いがあった。
3 二人の社会的な地位の違い(学歴、収入、地位が奥さんのほうが遥かに高い)
が絶縁の背景にあるのではないかと考えていました。
しかし、考えるとおかしい点があります。
- 747 :無関係な人間です:2010/05/14(金) 14:06:40 ID:zWaD4k.60
- 1については、当時は混乱した時勢であり、似たような女性は沢山いたようです。
世間体があっても、さっさと祝言をあげさせたらいいだけの事で、これが絶縁の理由
につながるだろうか、と思います。妊娠していた事実は、むしろ、「世間体を考える
ならば」結婚を促進する方向で作用したはずです。
2つにいては、女性が高等教育を受け、独立した仕事に就くのを嫌う人が多い中、
あえて東京へ遊学を許し、歯科医師になるのを許した夫人の実家は当時としては
封建的な考えは薄かったのではないか、という推測も可能です。
3に対しては、当時は戦争で多数の男性が戦死しており、女性が余っている
状態でした。お互いの立場が違っても、結婚を認める風潮があったとあったと聞きます。
- 748 :無関係な人間です:2010/05/14(金) 14:06:59 ID:zWaD4k.60
- また、百万譲ってこれらが背景にあるとしても、後年の桐山氏は宗教団体の管長など、
実際はともかく、世間的には大成功を納めています。また、夫人も病院の理事長をする
など、社会的には尊敬される立場につきます。にも関わらず、終生許してもらえなかった
ようです。もし、社会的な立場の差が理由なら、この時点で復縁を許したはずです。
となると、次の推測は以下の通りです。
- 749 :無関係な人間です:2010/05/14(金) 14:07:23 ID:zWaD4k.60
- 夫人の実家が桐山氏と夫人の結婚を認めなかったのは、桐山氏の人格が信用できない
と実家のご両親が考えたのでしょう。彼の虚言癖や不誠実な態度を見て、失望をした
のではないか。さらには、当時、既に桐山さんは詐欺に手を染めており、夫人の実家が
それを察知したという推測も可能です。つまり、奥様のご実家は真面目な家柄なので、
犯罪者を娘の婿に迎える訳にはいかなかったのではないか。
当時は法律を守って餓死した裁判官がいたぐらいで、少しは悪い事をしないと生きれ
い時代でした。
しかし、桐山さんの所行は、その時代の基準でも、許しがたいものであったのではな
かったのではないか。
以上は、推論が占める部分が大半ですが、現時点ではこんな心証を持っています。
論理の飛躍などがあるのは前回同様ですが、皆様のご批判を受けてみるのも勉強かと
思い、投稿をしました。
- 750 :無関係な人間です:2010/05/14(金) 14:09:10 ID:zWaD4k.60
- なお、私の友人にも離婚経験のある女性歯科医師がいます。
「若い頃は勢いだけで結婚するので、相手の人間性が見破れなかった。」と述懐し
ていました。最初はその気がなくても、口のうまい男性に散々追従を言われ、お世辞
を並べられると、つい、フラフラとなってしまったそうです。
しかし、あるていど年齢がいくと、相手の本性が分かり、今では、口だけだった
ろくでもない旦那とは別れ、口べただが誠実な男性と再婚をしています。
- 751 :無関係な人間です:2010/05/14(金) 16:45:18 ID:zWaD4k.60
- >>742
>>そのくらい皆さん、桐山さんの知性の高さを信じている。
確かに、私も昔、桐山さんの本を読んで「この人、頭がおかしいのではないかしら?」と思った事
はよくあっても、「頭が悪い」とは考えた事はありませんでした。と、言うよりも、ここまで阿含宗と桐山氏
の程度が低くて、「悪」だとは想像できませんでした。当時から批判的言動をしていた私でしたが、今に
して思うと、まだまだだったと認めざるをえません。
まあ、頭が悪くても詐欺が出来るという実例でしょうか。
このあたりは、やはり実際に被害に遭遇した人間でないと分からない事でしょう。
しかし、そんな頭の悪い人間に騙されたと分かったら、気分が悪いでしょうね。深山様が激怒する
お気持ちがなんとなくわかります。
- 752 :名無しさん:2010/05/14(金)
17:09:09 ID:TR16ptNQ0
- 桐山さんは、口が巧く、その場を誤魔化すのも上手です。
見た目も良いし、それなりの雰囲気もあったので、
これでコロっと騙されてしまったと考えています。
何度も「おかしい」と思いながらも「いや真実がある」と勘違いし続けたのは
桐山さんの「それらしい雰囲気」があったと思っています。
- 753 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/15(土) 08:36:21 ID:SmEF4Oe2O
- >>729:準シュダオン10/05/14(金) 09:10:55
ID:agsP6ENM0
>三結断じて不堕悪趣、という。この不堕悪趣が肝心なのです。
>三結断じても、悪趣に堕ちて不幸や災難に苦しむというのなら、三結煩悩な
>ど断っても意味はないね。
>ユビキタスさんは、なんで煩悩を断つのか考えてみなさい。
これもさんざん反論し尽くした話ですので、よくロムしてた人には私がどう反論
するかおわかりでしょう。
不堕悪趣と言うが、その悪趣とは、桐山因縁の説くような苦境を指すのか?
中には悪趣のような悪い境涯の行動もありましょう。
人を殺したりする地獄の境涯です。
しかし事故死などするのは、いかに死は悲惨だからと言って悪趣に堕ちたなどとは
言わない。
そもそもどんな死に方をしようが死は四苦八苦とされる。
四苦八苦の解決法とは、では死そのものがなくなるわけではない。
生まれてこなくなるまでは死は必ずつきまとう。釈尊もまた死んだ。
死だけではなく老も病気も別離も煩わしい人間関係も願いはいつも叶うとは限らない
ことも全て共通です。
事故死した人はどんな煩悩があったから事故死の運命があったのか?
どういう煩悩を克服すれば事故死しなくなるのか書いてみなさい。
先日駅のホームで度胸試しと言って線路を渡って轢死した女子高生がいましたね。
ああいう愚かな行動は本人の責任でよくわかる。
しかし普通に歩行者天国を歩いていた平凡な市民が通り魔に無差別に刺されて
殺された時、被害者にはどんな改めねばならぬ煩悩があったのか?
煩悩持ってた被害者が悪いんでしょ?
アウシュビッツもそうですね。桐山さんは被害者を地獄に堕ちたと話した。
地獄に堕ちるだけの悪趣の煩悩を持っていたからです。
悪いのはナチスではない。被害者だ。
ナチスは悪趣の煩悩を持った彼らを処刑したまでで、ある面理に適ったことをしたわけだ。
オウムのポアの理屈と同じにね。
さあ、アウシュビッツ犠牲者の煩悩を指摘してにみなさい。危険思想者さん。
- 754 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/15(土) 08:45:01 ID:SmEF4Oe2O
- >>729:準シュダオン10/05/14(金) 09:10:55
ID:agsP6ENM0
>一から十まで管長の説くところだけ信じていたのでは進歩はない。
>ユビキタスさんみたいな元信者のレスを読むと、あまりに管長を絶対視して
>いて、愚か者というしかない。狂信的だね。しかも勝手な狂信です。
つまり桐山さんの言っていることは一から十まで正しいのではなく、必ず間違っている
部分があるから鵜呑みに信じるなと主張するわけですね。
なるほど、それなら桐山主張のどこが間違っているのか書きなさい。
桐山さんはボン行などこれをしなさいと指導している。
それを実行しないのは桐山さんの指導が間違っていると判断したからですね。
- 755 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/16(日) 00:14:24 ID:bqB37JKs0
- 騙されるほうが悪い。悪い運命を受けるような煩悩を持つお前が悪いのだ、と
言われているようですね。これでは、騙すほうが悪いのではないというトンデモ論ですね。
トンデモ宗教だから、仕方ないのか??? というか、ゲイカでもそこまで言わないぞ。
だから、教祖のことを鵜呑みして講じるやつが悪い(愚か)というのだろうか。
普通の思考から考えれば、そういうトンデモ論や勝手な言い方をするほうがおかしいのだが。
- 756 :名無しさん:2010/05/16(日)
21:15:15 ID:KgWHHKuA0
- 準シュダオンさんの頭の中はどうなってるんでしょうか? 完全に狂っているとしか言えないわ。
自分でそれが分らないのかな? 分っているが仕事柄そう言ってるのか?
とにかく、あの方は自分に都合が悪い質問は一切無視の姿勢ですから、楽なもんです。
ま〜工作員なんだから当然なんでしょうがね。
- 757 :伊藤:2010/05/17(月)
02:31:31 ID:DGedRcgs0
- しかしなんなんですかね、ここの信者さん達は。
どれだけアゴンの占いを信じているの。
上司とか身近な人の生年月日とか根掘り葉掘り聞かれます。
やれ、シロクだのロッパクだの。
テレビを見て「あぁ、この人はケイゴクの因縁だ」だの。
聞くたびに「はぁ・・・」ってなります。
- 758 :深山:2010/05/17(月)
12:34:58 ID:cpPFRJaQ0
- >>757 :伊藤:2010/05/17(月) 02:31:31
ID:DGedRcgs0
>どれだけアゴンの占いを信じているの。
頭の中の方程式が因縁や霊障でできているのです。
桐山さんから教えられた九星占いや運命や不成仏霊こそがこの世界を
支配する絶対法則だと信じている。
だから、世の中を見るのに、全部、「桐山法則」で判断します。
大地震や戦争が死者の崇りで起きていると信じているのです。
だから、柴燈護摩という焚き火で崇りを鎮めて、2000年頃、インドとパキスタンの
核戦争をアゴン宗が防いだと信じている。
焚き火の行事で交通事故も減らし、中絶の件数を減らしたと機関誌に鼻高々と書いている。
知性を疑うような根拠のないことが教団の中では素晴らしい成果として報告されます。
まるで平安時代の貴族そのものです。
当時の貴族は暇をもてあまし、死者やバケモノの崇りを恐れ、陰陽師などの占い師に
朝から晩までのいっさいの行動を決めてもらった。
こういう時代錯誤で、お化け屋敷を恐れる子供みたいな信仰を、あろうことか、
釈尊の説いた仏教だと信じ込んでいるのです。
- 759 :深山:2010/05/17(月)
12:41:36 ID:cpPFRJaQ0
- >>757 :伊藤:2010/05/17(月) 02:31:31
ID:DGedRcgs0
>上司とか身近な人の生年月日とか根掘り葉掘り聞かれます。
積極的に誕生日を聞いたり、刑獄の因縁などと人前で言うのには
おおよそ二つの理由があります。
一つは、前述のように自分が世界を支配する絶対法則を知っているという自惚れです。
二つ目は、その話をきっかけに布教できないかと期待しているのです。
職場には宗教と政治は持ち込まないという原則を守れないのでしょう。
一つ目の自惚れは、アゴン宗の信者に限らず、新興宗教にはよく見られることで
自分たちこそは宇宙を支配する本当の神様を信じていると思い、
他の「無知な民」のために、慈悲の心で教えてあげているという自惚れです。
自惚れという病気が進むと、自分たちを神仏からの「選ばれし者」であるという慢心を持つようになる。
アゴン宗も同様で、宇宙を支配する法則が九星や霊障のカルマであり、
これを制御できるオシャカの成仏ホーを体得しているのは桐山ゲイカお一人だから、
アゴン宗では桐山ゲイカこそが絶対神です。
しかも、桐山ゲイカの背後にはオシャカがいて、桐山ゲイカの
していることを「よっしゃ、よっしゃ」と誉めていると思っている。
アゴン宗こそがオシャカが全面支持している唯一の教団なのです。
だから、ここに帰依している信者はまさに桐山ゲイカに「選ばれし者」、
オシャカに「選ばれし者」だという自惚れを持つ。
これは信者が勝手に持つのではなく、桐山さん本人もそう自惚れているし、
信者にもそれを誇りとして積極的に持つように推奨しています。
私も信者時代、釈尊を現代に蘇らせる手伝いをしていると誇りにしていた時期がありました。
今から見れば、無知から来るバカ丸出しの自惚れです。
- 760 :深山:2010/05/17(月)
12:48:48 ID:cpPFRJaQ0
- >>757 :伊藤:2010/05/17(月) 02:31:31
ID:DGedRcgs0
>やれ、シロクだのロッパクだの。
九星の話も、霊障の話も、ここでの批判でわかるように、何の現実的な根拠もない、
ゴミみたいな話です。
九星自体は中国で作られたもので、1から9までの数字を9つのマスに並べると、
どこの3つを足しても15になるという魔法陣を不思議なこととして
これを暦や占いに入れたのが始まりです。
いかにも暦に最初からあったかのように桐山さんは書いているが嘘です。
暦は十干十二支を基本としているから、当然、10と12と、9では数字が合わない。
九星は暦に後で寄生したものだから、端数がでます。
これが占い師たちととっては格好の秘伝の材料になっています。
桐山さんも365日が9で割り切れないという簡単なことがわからず、
「隠遁と陽遁は・・・」などと本に書いているが、実は桐山さんが算数が
できないというたったそれだけのことです。
だが、こういう専門用語を使い、秘伝の暦があるなどと書かれると、
信者は桐山さんが高度の運命学を体得したなんて本気で信じる。
桐山さんが占いなど当てたことはほとんどないことは、
>>1「agama考察室」→「阿含宗関連資料掲示HP」→「目で見る阿含宗管長桐山氏の嘘とインチキ」
の中の、「桐山氏の占いと予言の嘘
1 週刊誌連載で議員の当落を外した」
など典型的な事例です。
最近では、宮崎県知事の選挙でも現知事が落選すると予言したそうです。
運命学がどうのこうのと偉そうに言うが、二者択一の簡単な占いすら外している。
- 761 :深山:2010/05/17(月)
12:51:21 ID:cpPFRJaQ0
- >>757 :伊藤:2010/05/17(月) 02:31:31
ID:DGedRcgs0
>どれだけアゴンの占いを信じているの。
伊藤さんの職場の信者は九星を密教占星術と言うはずです。
密教という限りは、インドや日本の密教に九星占いがあることになる。
どこにあるのか、どんな文献があるか、聞いてみるといい。
もちろん、ありません。
九星は中国で作られ、桐山さんが用いている九星占いは明治や大正以降にまとめられたものです。
また、桐山さんが九星占いのを採用したのは、立正佼成会の庭野さんが
手相と九星占いで布教で大きな成果をあげたから、これをマネしたのです。
通常、密教占星術とは宿曜経にある占いのことで、インドから輸入されたという説が有力ですから、
中国の四柱推命や九星占いとは系統が別です。
九星は中国で生まれて、密教とはまったく関係がない。
こんなものを密教占星術などと名乗ること自体が奇妙な話です。
- 762 :深山:2010/05/17(月)
12:56:21 ID:cpPFRJaQ0
- >>757 :伊藤:2010/05/17(月) 02:31:31
ID:DGedRcgs0
>どれだけアゴンの占いを信じているの。
桐山さんが九星を密教占星術と名乗ったのは商売上の立派な理由があります。
密教占星術というと、何かとても奥がありそうで、格好がよく、人目を引くからです。
桐山さんはこういうキャッチコピー的な才能はすばらしい。
九星占いと密教占星術のように、実際には何の脈絡がなくても、
ゴロがよく、何かすごい秘伝がありそうな印象を受けませんか。
九星占いというありふれた占いに密教占星術という名前を付けたところが
桐山さんの才能なのです。
ちょっとした言葉や文言を持ってきて、それを売り物にする才能は素晴らしい。
名前で人目をひき、何かあるかのように人を集めるが、実は中身が何もないから、
庭野さんを真似た九星術を入れただけです。
桐山さんのやり方は全部このパターンで、表題やタイトルは、密教、念力、
超能力、超人、シャカの成仏ホー、解脱、人類救済などと燦然と輝くが、
中身は何もないから、そのへんに落ちていたゴミみたいな内容で素人を騙す。
未だに騙されているのが伊藤さんの職場にいる同僚です。
- 763 :深山:2010/05/17(月)
13:02:48 ID:cpPFRJaQ0
- >>757 :伊藤:2010/05/17(月) 02:31:31
ID:DGedRcgs0
>どれだけアゴンの占いを信じているの。
その同僚が九星など宗教の話をする二つ目の理由が職場での布教です。
新興宗教はどこでも勧誘を最大の修行として誉める。
信者とは即、お金や労力ですから、教団が一番欲しがるものです。
だから、新興宗教では勧誘はものすごい得点として評価される。
新興宗教のうまいところは、客に客を集めさせる。
普通の商売なら、金を出すのは客ですから、店側がサービスします。
だが、新興宗教では、客が金を出しながら、店にサービスをするのです。
うまいですよね。
アゴン宗の場合、たとえば護摩木という商品がありますが、
これを作るのは信者たちに修行としてさせる。
買うのも信者です・・・いや、買わせていただくのです。
ほとんどゴミ同然の木ぎれを海外から輸入して、それを信者たちに
ただで加工生産させて、しかも、信者たちに買わせる。
原価一円もしないものを百円で売るのですよ!
企業活動で一番頭が痛いのは人件費です。
それがアゴン宗では客がただで仕事をしてくれる。
さらにおいしいことに、これは供養ですから、税金がかからない。
宗教団体への優遇税制は明らかにおかしいのに、政治家は票田だから誰も文句はいわない。
- 764 :深山:2010/05/17(月)
13:08:17 ID:cpPFRJaQ0
- >>757 :伊藤:2010/05/17(月) 02:31:31
ID:DGedRcgs0
>どれだけアゴンの占いを信じているの。
信者たちは自分がアゴン宗という宗教企業のタダ働きの労働者兼客だなんて気がつきません。
そこは桐山さんはものすごくうまい。
私は木ぎれを買うとか、客を集めるとか、実態をそのまま表現しています。
しかし、桐山さんはキャッチコピーの才能がありますから、
はっきりとは言わずに、これらを供養、徳を積む、聖業、修行、梵行といい、
信者の獲得を「お導き」などときれいな言葉で表現しています。
こんなふうに仏教用語やきれい事で表現されると、
信者には実態が見えなくなり、仏道修行であるかのように錯覚します。
実態はタダ働きの労働力であり、商品を買う客にすぎない。
客自らが営業してくれる実例が、伊藤さんの職場の信者です。
この信者は九星や悪因縁の話をして誰か反応しないか、「釣り」をしているのです。
だから、伊藤さんが「密教占星術のどこに九星があるのよ」と批判的な
質問をしても、その信者は大喜びです。
「私ではわかりませんから、詳しい者が道場にいますので、来ませんか」と始まる。
道場には、ALCという相談係がいて、伊藤さんへの全面的な勧誘が始まります。
人にもよるが、基本はアメとムチです。
悪因縁や霊障で脅かし、教団での御利益で釣る。
「中途挫折の因縁を持っていると、あなたに才能があっても出世できませんよ」とか、
「子供が横変死の因縁をもっていたらどうしますか」などと言いたい放題のことを言う。
彼らの主張はすべて見えない世界の話で根拠がないのだが、それを巧みに現実と
くっつけて、いかにも事実であるかのようにみせかける。
- 765 :深山:2010/05/17(月)
13:15:51 ID:cpPFRJaQ0
- >>757 :伊藤:2010/05/17(月) 02:31:31
ID:DGedRcgs0
>どれだけアゴンの占いを信じているの。
私がこんなふうにアゴン宗の勧誘とは、脅かしと御利益だというと
読んでいる信者たちは怒るだろうが、事実だから、反論もできません。
伊藤さんがどうしても勧誘に応じないとなると、次にランクを下げて、
朔日護摩講に入りませんかとか、さらにランクを下げで、護摩木を書きませんかとなる。
こんなふうに書くと、コワモテが出て来そうだが、そんなことはありません。
本人たちは、伊藤さんを教団に引きずり込む(導き)こそが、伊藤さんにとっても
最高に良いことであり、ついでに自分たちにも徳という御利益があると信じているから、
誠心誠意、心からあなたの幸せを願っている。
だから、始末に悪いのです。
本人たちは霊的な脅かしをする霊感商法にすぎないことに気が付いていない。
本気で、先祖供養や死者成仏をしており、これでみんな幸せになると信じ込んでいるのです。
いかにも善良でマジメそうな人から、物腰柔らかく、懇切丁寧に人生について語り、
運命について警告されたら、ついその気になってしまう人も出てきます。
伊藤さんは誘われても教団になど行くつもりないだろうが、実際、行かないほうがいい。
ついでに、虫除けならぬ、アゴン宗除けを一つお知らせします。
- 766 :深山:2010/05/17(月)
13:19:00 ID:cpPFRJaQ0
- >>757 :伊藤:2010/05/17(月) 02:31:31
ID:DGedRcgs0
>どれだけアゴンの占いを信じているの。
「私はネットでアゴン宗批判を読んだけど、なかなかおもしろい教団だね。
阿含経では占いは禁止されているのに、アゴン宗は占いをしている。
阿含経では護摩は禁止されているのに、アゴン宗は護摩を焚いている。
本尊は偽仏舎利で、阿含経は桐山さんの捏造で、桐山さんは坊主の資格もないんだって?
よくわからんが、因縁解脱なんて阿含経どころか、仏教には存在しないんだって?」
こんなふうに言ってあげれば、職場の信者は「伊藤さんはアゴン宗への悪口に
汚染されてしまい、仏道と縁のない気の毒な人である」とは哀れみの心を持ち、
二度と勧誘はしないでしょう。
もし、占いの話をしたら、「阿含経のどこに九星占いがあるんだね?
あのお釈迦さんが占いをしたって、キミ、本気で信じているのか」と
あきれ顔で言ってあげれば、少なくとも伊藤さんの前ではアゴン宗の話はしなくなるでしょう。
- 768 :無関係な人間です:2010/05/17(月) 15:45:53 ID:Y9coskJM0
- すみませんが、ALCという資格が阿含宗にあるようですが、どういうものか、
どなたか教えていただけないでしょうか? 阿含宗体験がないので、わからない
のです。
- 769 :名無しさん:2010/05/17(月)
20:30:07 ID:ZxbG3fpM0
- A(アゴン アストロジー)
L(ライフ)
C(コンサルタント)
各地の道場で年に一度、密教占星術の試験が行われます。
この試験に合格するとALCという資格が与えられ、密教占星術を使って会員指導を行う事ができます。
きわめて簡単な試験で中身の無い占い師が粗製乱造されます。
ALCは、資格を取った途端に、仏の加護で占いに何がしかの力が加わると信じているため非常にたちの悪い占い師と言う事ができます。
いい加減な占断で困った人に対応する上、個人情報が守られ無いためトラブルが絶えません。
特に別院のU主任を始めとするババアグループは個人のプライバシーを話の種に喋り捲っているので要注意です。
- 770 :無関係な人間です:2010/05/17(月) 21:08:10 ID:Y9coskJM0
- ご丁寧にありがとうございます。よくわかりました。
それにしても、すごい話ばかりですね。
相談するより、一人で悩んでいたほうが安全でしょう。
- 771 :伊藤:2010/05/18(火)
03:18:29 ID:DGedRcgs0
- 深山さんへ
説明不足ですいませんでした。
職場の信者の話ではなく交際してる相手及び相手方の家族の話です。
…どっぷり染まった信者一家です。
何度か道場と言われる場所へ連れられて行ったことがあります。
根本仏教を語ってる割に明王像があることに違和感を感じました。
明王像等の偶像崇拝は大乗仏教と聞いていたのですが…(そうですよね?)
ALCについても数回受けさせられました。
入会は強制しないと何度も会話中に言うものの「今すぐ入るべきです」とも何度も言う。
なんだこの矛盾してる人は…と。
と言うか信仰するのに入会金4,5万で月謝?2000〜4000円。
参考までに教えて頂きたいのですが、よく2ちゃんやしたらばをROMっていると
・お釈迦様は占いを禁止していた
・お釈迦様はゴマキを禁止していた
・お釈迦様は信仰を捨てなさいと説いた
とあるのですが、これはどこに書いてあることなのでしょうか?
きっかけはどうあれ、アゴン宗を通じて根本仏教徒言う存在を知り少し興味が出てた今日この頃です。
(変な日本語ですいません、国語能力が低いので…涙)
- 772 :名無しさん:2010/05/18(火)
13:17:41 ID:yuFj.5s20
- 準さんの無限ループ議論は、ようやく終わったようですね。
準さんは、所属の道場へ行って最新の情報を入手し、
それを議論の題材にすればよいでしょう。
- 773 :Boo:2010/05/18(火)
13:56:38 ID:.7UwrWaw0
- 「龍馬伝」を見ていると、藩論の定まらない信州の某藩のモデルは土佐藩かな?
なんて思いました。ゲイカなら妄想膨らませかねん、と思いませんか?
- 774 :名無しさん:2010/05/19(水)
14:13:21 ID:q4iXIS7Y0
2ch
>信者さんたちも世界平和などと抽象的な概念に酔っていないで、
まず騒ぐ子供を叩きたくなるという怒りと害心に満ちた桐山さんの心を見てほしい。
平和に対して問われたマザーテレサの返答はシンプルそのものです。
「家に帰って家族を大切にしてください。」
初来日のマザーテレサのことば
「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を
優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。」
マザーはN平和賞の賞金をすべて貧困者のために使い、
夜の晩餐会を断わり、その経費を貧しい人々に使うよう懇請した。
- 775 :無関係な人間です:2010/05/19(水) 15:40:03 ID:W5Pdbc720
- 2chへの書き込みです。失礼をお許し下さい。
>>585
:創価雑記肘枕抄:2010/05/19(水) 15:01:52 ID:5RKXQdL7
>深山お前さんも そんなもんだわな。
>人のあら探しを10年間、ご立派。
深山氏に指名で返答を求めながら、丁寧な返事をもらうと、深山氏を揶揄する文章を掲載するのは
下品で、見苦しい言動です。たいへん失礼だと感じます。
- 776 :神人同行:2010/05/19(水)
17:33:12 ID:Ew2J5Dqs0
- しかし、アゴンの信者会員というか関係者という人たちは
素直というか愚直と言うか オレオレ詐欺であろうと全く疑わない質の人達らしい。
警察や銀行員がおかしいから本人確認してみたら?と忠告しても余計なお世話と聞く耳持たず
振り込むらしい?!!それで痛い目にあって、
ヤット気がつき、それで忠告や今後のことを示唆した人達を逆恨みするらしい。
元信者のみなさまの果てなき戦いのような活動には驚嘆しますよ。
チョット泥水の中をかき回すとでるわでるわ底の汚泥が浮かび上がってくる。
まだまだ、清流にはほど遠い!!
- 777 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/20(木) 13:12:01 ID:Kv1nCdeA0
- >>775 >>776
元信者として思い返すと情けない限りの行為です。
「ほら、あんたの所属していた教団の信者はああいうのが多いな」と言われていなくても
彼らのような姿を見るにつけ、本当に恥ずかしく感じることが多いです。
確かに中にはアゴンの欺瞞に気がつかないで、自分の教団や教義を貶された、と感じて
反発する人もいるでしょうが、ロクに確認もしないで、しかも内容を調べもしないで食って
かかる姿はあまりにも哀れです。もしも、間違っているなら間違っているでもかまわないから
ちゃんと意見を述べるとかすればいいのに、人を小馬鹿にした表現で煽る。
宗教云々よりも人間性はどうなのか?と思ってしまいます。
アゴンではやれ霊性だの、本当の仏教を講じている、などといっていますが、信者の姿勢や
発言などはあまりいいものが少ないようにも見受けられます。
いまさらどちらも持ち合わせてないのはわかりますが、でも殊更信仰を深めたら人格的にも
もう少々「間違った教義を信じても人間としてはまだマシだな」という感慨を受ける
ような態度や印象というものを出すべきではないか、と思う次第です。
なお、このことは自分の過去を振り返ってみてもいえることなので、あしからず。
- 778 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/20(木) 13:15:43 ID:Kv1nCdeA0
- おっと、書き忘れたw
まだ先ではありますが、もう投稿数も700を超えましたので、次の章のサブタイトルを
募集いたします。皆様のいいアイディアをお寄せ下さい。
- 779 :深山:2010/05/20(木)
13:34:06 ID:DOMk4S920
- >>771 :伊藤:2010/05/18(火) 03:18:29
ID:DGedRcgs0
これは失礼しました。
しばらくぶりだったので、別な人かと勘違いしてしまいました。
ご質問の阿含経については、質問されれば出すと約束していながら、
すっかり遅れてしまい申し訳ありません。
ご存じのように、2ちゃんねるがにぎわっていて、こちらまで手が回りません。
もう少しお待ちください。
- 781 :伊藤:2010/05/21(金)
01:17:20 ID:DGedRcgs0
- 深山さんへ
ご無沙汰しておりますm(_
_)m
とは言ってもずっと2ちゃん、したらば共にROMっていました。
今もROMってますので2ちゃんの方のことも理解してますので
時間に余裕が出来たらで問題ないです(^_^
過去ログを読み漁ればいい話なんですけど…
量が半端ないですからね、時間が…(T_T
- 782 :ヘルプ:2010/05/21(金)
03:02:47 ID:CL2vguos0
- >>771
ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。
そなたは死の領域(死王が支配する世界=悲苦にさいなまれる煩悩の世界)の彼岸にいたる(超克する)であろう。ピンギヤよ。
(スッタニパータ 1146、中村元訳『ブッダのことば』岩波書店)
- 783 :準シュダオン:2010/05/21(金)
08:52:16 ID:agsP6ENM0
- 2チャンで深山くんが、私を老人脳と称してる部分だけ目についたw。
あとの部分は読むに値しないので、読まない。
わたしが老人脳なら、深山くんのは痴呆脳というしかない。
輪廻する葦、P258に四沙門果の定義を表にしたのがあるけど、理解でき
るかな?それともまだ、理解不能であろうか?
この表は、阿含経典の四沙門果の定義であって、倶舎論の定義ではない。
この四沙門果を得ようと修行している者を、その境地毎に区分したのが、
四双八輩なのである。
当然、上記の表には、須陀?向は含まれていない。
須陀?向とは、須陀?未満なのであるからね。
深山くんは、須陀?向は須陀?に含まれる、と前に言ってたが、
それが間違いであることに、まだ気づけないのかな?
批判派の皆さんも、誰ひとり、そのことに気づけないのかな?
管長は、四沙門果は阿含教学の基本だと、説いてます。
わたしもそう思う。だからそれさえ間違えてる深山くんが、何をレスしよう
が、まともに読む気がしないのよ。
経典の四双八輩の定義と、倶舎論の定義との違いに気がついてご覧。
そしたら相手してあげるかもw。
- 784 :準シュダオン:2010/05/21(金)
09:21:19 ID:agsP6ENM0
- 最澄が比叡山にて「我がたつ杣に冥加あらせたまえ」と、仏の加護を読んだ
ことは前にもレスした。岩波仏教辞典をお持ちの方は、「我が立つ杣」で引けば、
詳しい解説がありますよ。
また、同辞典で「冥加」を引くと、「目に見えない神仏の加護」とか説明があり、
神仏に冥加を乞い、また冥加を感謝して寺社へ納める金銭を冥加金という、
と、あります。
「人は必ず陰徳を修すべし、必ず冥加顕益有るなり」との道元の教えも記されて
います。
仏の加護を願うのは、決して変なことでも、卑しいことでもない、という意味で
最澄の詩、道元の教えを引用してみた。
だが、批判派の皆さんの信者時代には、その度が過ぎていた感じがしますね。
仏の加護を乞うにしても、貪りになってはいけないでしょう、難しいですけどね。
- 785 :Boo:2010/05/21(金)
10:09:51 ID:.7UwrWaw0
- >仏の加護を願うのは、決して変なことでも、卑しいことでもない、という意味で
>最澄の詩、道元の教えを引用してみた。
>だが、批判派の皆さんの信者時代には、その度が過ぎていた感じがしますね。
>仏の加護を乞うにしても、貪りになってはいけないでしょう、難しいですけどね。
そうですね。準シュダオン先生は例祭奉仕もせず、ゴマ木も買わず、星祭りなど
参拝もろくにしないような態度で、ご利益だけを求めているわけです。ちゃんと
やることがいかに難しいかは理解できたようですね。
- 786 :伊藤:2010/05/21(金)
11:27:04 ID:rnMRz0f.O
- >>782
ヘルプさん、ありがとうございます。
今度時間があるときに図書館へ行って本見てきますm(__)m
- 787 :色川千景管長に別の女を疑いALC相談被告桐山靖雄:2010/05/21(金) 14:30:14
ID:ZXNFvIU.O
- >>783
準シュダオン阿含宗宗務局職員さん
四沙門果は釈迦の悟り
輪廻転生は管長の悟り
と管長自ら例祭法話で断言しています。
管長は釈迦を越えた偉大な宗教家を自認し、釈迦の四沙門果を完全否定したのです。
昨年の夏季伝法会管長講義において、いま初めて真実を明かすと、管長ゲイカ究極奥義輪廻転生瞑想法が伝授されました。
管長ゲイカ究極奥義、輪廻転生瞑想法による成仏法は1日三回笑う事で、大金持ちの美男美女に生まれ変わるというものでした。
この釈迦さえも到達できなかった古今未曾有の講義が理解できず、2日で一万払った会員の中には不満を漏らす者がいたのは残念です。
準シュダオンさんも、1日三回と言わず、一日中笑って来世に期待しなさい。
- 788 :名無しさん:2010/05/21(金)
15:14:25 ID:79jg5Hh.0
- 輪廻転生瞑想法とは、
@1日三回笑う
A英雄や大金持ちの美男美女に生まれ変わる
B釈迦さえも到達できなかった古今未曾有の法
といったものだったのか。orz....
情けない。のび太の妄想以下だ。
- 789 :干柿:2010/05/21(金)
22:39:29 ID:BBtat4sE0
- アニマル浜口がやっていたよなw
わはっは、わはっは、って
- 790 :ミケ:2010/05/21(金)
22:51:05 ID:HNVhWQsY0
- わはっは、わはっは、わはっは。
正確にいうと
「一日三回笑うこと」・・・・中伝
「それを実行すること」・・・奥伝
です。
この方式でいきますと全ての奥伝が要らなくなります。
確かに究極の奥義といえます。
- 791 :名無しさん:2010/05/21(金)
23:08:56 ID:HeXCfjkY0
- じゃ、アニマル浜口は来世に大金持ちの美男美女に生まれ変わるのか
- 792 :うサギ:2010/05/21(金)
23:29:44 ID:CTmMyYaw0
- 672 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/05 /12(水) 08:24:01 ID:SmEF4Oe2O
>>670:準シュダオン10/05/11(火) 10:20:09 ID:agsP6ENM0
>
うサギさんは、何時か解脱したいと思うのかい?
>だったらさ、先ず三結を断って須陀m9に成ることを目標にしないとダメね。
誰からも相手にしてくれなくなったからと言って、うサギさんにとんちんかんな
レスを送るのはみっともないからやめなさい。
私も最近書いてないが、うサギさんも5月1日の>>599で、準シュダオンさんは
同じことの繰り返しでどうしようもない様に呆れているだけで、四向四果の内容論に
コメントしたことなどない。
以上、引用。私のことが話題になっているとは・・・。
準々シュダオンさんは、自分の間違いに気づくまで時間がかかり、
このまま延々と同じ話を繰り返すのだろうということで
彼のローディングが終了するころまで、つまり、話題が変わるころまで、
ちょっと席を外していました。
んで、ひさしぶりに戻ってみると、
>
うサギさんは、何時か解脱したいと思うのかい?
だそうです。では、反対にお聞きしますが、
私が、「解脱したい」「解脱を目指している」「解脱を望んでいる」
という内容の書き込みをしているところが過去にあったのでしょうか?
準々シュダオンさん、わかってますか? あなたに聞いているのです。
あなたは私の質問をはぐらかしてきましたね?
今回もはぐらかしますか?
- 793 :名無しさん:2010/05/22(土)
00:26:38 ID:79jg5Hh.0
- > 「一日三回笑うこと」・・・・中伝
>
「それを実行すること」・・・奥伝
撃沈…。ここまで地に落ちていたとは。。。
これが今の根本仏教アゴンシューとはねえ。
完全にぶっ壊れていますな。ため息。
- 794 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/22(土) 05:16:40 ID:Z62x3LVE0
- >>791 >>793
全く私も同感で情けなく思っています。>>791ではアゴン宗的にはそういう理屈に
なるんでしょうね。全くゲイカの脳障害人の発言だというのがわかります。
なにが、「自分には脳障害の因縁は無い」ですかね。
よく2chで「阿呆宗」という揶揄を使われますが、なるほどと最近は思う。
もうアゴンは消滅してもいいですな。個人的な感想ですがね・・・。
- 795 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/22(土) 05:47:42 ID:Z62x3LVE0
- 2chの無関係さんの記事がすばらしいので転載します。
>624 :無関係な人間です:2010/05/21(金) 11:03:32
ID:Tv/b0aul
内村鑑三が「信じる事は、何事も自由です。」と言っていましたが、阿含宗を信じる人の自由も基本的に
尊重されるべきだとは思います。心情的には、自分の信じる宗教が攻撃されて、不愉快になるのは理解でき
ます。
しかし、阿含宗の会員諸氏は、最盛期には、他の宗教や他の仏教団体をクソミソに攻撃していたのを
私は記憶しております。これは、活動者個人の心情ではなく、阿含宗や桐山氏の指導の基に行われた
と私は認識をしております。だとすれば、自分たちへの攻撃を批判する前に、過去のご自分達の言動を
反省する事から始めたほうがいいかと存じます。
さらに、過去、在会した経験のある方々から、阿含宗や桐山さんへ、言動の矛盾や教義の変転の
疑問も出されています。私のような外部の人間は別ですが、会員の経験のある方々には、彼らは説明する
道義的な義務はあると思います。
また、阿含宗への批判の中には、暴力団との癒着、不明朗な会計、愛人問題、詐欺的な手法による伝道
が指摘されています。これらは、外部の人間からも批判を受けるべき問題だと思います。
私のような外部の人間はともかく、在会経験のある皆様は、少なくとも真摯な問いかけをしているのです
から、阿含宗を信じる方々も、それなりの紳士的なご対応を期待したいです。
本当にそうだと思います。私はゲイカは自業自得・因果応報を受け取るべき状態だと感じています。
- 796 :無関係な人間です:2010/05/22(土) 22:23:47 ID:uxq1pjE20
- >>795
過分のお褒めのお言葉、ありがとうございました。
あと、>>791は爆笑しました。
今、過去の投稿を見ていますが、あまりの量の多さに圧倒されています。この調子だと、
今年中には全部は見れないでしょう。
しかし、痛感するのは、いかに沢山の人間が桐山さんに人生を翻弄されたという事です。
ある意味、死ぬまで桐山さんの正体に気がつかないのは、幸福かもしれません。(もっとも、
死んでから気がつくよりはマシ、という論法もあり得ますが。)
しかも、最近の投稿を信じるなら、桐山さんの奥義は「1日三回笑う」という程度の話になるのですから、もう、よほど
の人でない限りは、騙された事に気がつくでしょう。何十年も修行をしていて、それが
壮大な虚偽だと知ったら、正気ではいられないでしょう。
関わった人の事を思うと、酷い話だと感じます。澤田知加子の「会いたい」という曲に、
「怒りたいのか、泣きたいのか、分からずに、歩いている」というフレーズがありますが、
多分、そんな心境になるのではないかと思います。
89歳の桐山さんには、もはや多くを期待できないのは事実です。
また、組織の解体や、桐山氏の処罰についても、部外者である私は言及する資格がありません。
おそらく、まもなく、死後の世界で、神仏がそれに応じた裁きをする事でしょうが。
ただ、桐山さんを信じて、真面目に修行をしてきた人達に対しては、阿含宗を信じる人達も、
部外者の人間も、それなりの真剣で紳士的な対応をしてほしい、と願わずにはいられません。
とりとめもない事を書いた事をお許し下さい。
- 797 :干柿:2010/05/23(日)
07:42:06 ID:BBtat4sE0
- >>796
無関係さん、2chみたんですが廣野隆憲さんに会ったことがあるって
本当ですか?
いつのことなのでしょうか?天照さんがコンタクトとりたがっていましたけれど
彼の本の出版元ではもう関係がないみたいだし、歳も高齢で今、生きておられる
のかも不明なんじゃないかとみんなで推測していたのですが
いやあ廣野さんにあったことがあるほどなら無関係じゃないですよw
人違い、勘違いだったら、すみません
- 798 :色川千景巨大リボンで別院の目立つ所に立たせろ訴訟被告桐山靖雄:2010/05/23(日)
09:09:34 ID:ZXNFvIU.O
- >>783
>管長は四沙門果は阿含教学の基本だと説いています。
準シュダオン阿含宗宗務局職員さん
管長が二十年も前に本に書いた事を絶対視するのは間違いです。
あなたは管長の本当の素晴らしさを理解していない。
かつて管長は、世界でただ一人の最終解脱者ウヨ涅槃の聖者であり、世界を救うメシアである事を自ら宣言しました。
そして昨年、管長は釈迦の悟りと管長の悟りが全く違う事を堂々と断言したのです。
今の管長は、ブラバッキー流輪廻転生瞑想法という、釈迦を遥かに凌駕する高度の悟りを得ています。
四双八輩だろうが思想オッパイだろうがそんな事は問題ではない。
管長の弟子であるあなたのやるべき事は、ただ1つ。
田原のトシちゃんのようにひたすら一日中笑い続ける事です。
- 799 :名無しさん:2010/05/23(日)
12:07:29 ID:st4LMCW60
- >>798
>田原のトシちゃんのようにひたすら一日中笑い続ける事です。
ギャハハハハーーーーー
ギャハハハハーーーーー
ギャハハハハーーーーー
これが管長の究極の修行法か?! 単純明快でボケボケホレホレで往生間違いなしですわ。
これで私も輪廻転生しパワーアップして美男美女の大金持ちで聡明な人間に生まれ変わることが約束されました。
めでたし、めでたし?!?! オイオイ ほんまかいな?????
- 800 :無関係な人間です:2010/05/23(日) 15:50:11 ID:io8QqDSA0
- >>797
お返事遅れてすみません。もう、20年ほど前に、廣野先生からお電話を頂戴し、お話をしました。
詳細とかいきさつについては、伏せておきます。すみません。
桐山氏に不利な事実を私が知っていたので、その件でした。残念ながら、守秘義務の関係で
お話ができなかったのです。しかし、終始、紳士的な態度でお話をして下さり、感服しました。
電話で1回話しただけですが、立派な、信頼の出来る方だという印象があります。
最近はどうされているか知りませんが、先生は四谷霊廟、真成院で得度されているはずですから、
そちらなら連絡がとれるかもしれません。織田隆弘師は亡くなられましたが、立派な後継者の方が
おられるはずです。
- 801 :深山:2010/05/23(日)
18:25:59 ID:Y5JnLwWo0
- >>771 :伊藤:2010/05/18(火) 03:18:29 ID:DGedRcgs0
・お釈迦様は占いを禁止していた
・お釈迦様はゴマキを禁止していた
上記二点は、仏教的には同じ内容で、呪術の禁止に相当します。
だから、仏教が加持祈祷をするのはおかしいのです。
真言宗や法華系での加持祈祷など、本来の仏教からはありえないことです。
これから引用するのは、できるだけ現代語訳の阿含経であり、
しかも、学者たちが検証し、出版され、入手可能なものに限定してあります。
下記は岩波文庫から出ていて、値段も安く、簡単に手に入る阿含経ですので、
読んでみてください。
アゴン宗の信者はこんな一般的な阿含経すら案外持っていないものです。
ブッダのことば
ブッダの真理のことば・感興のことば
ブッダ最後の旅
尼僧の告白
仏弟子の告白
ブッダ神々との対話
ブッダ悪魔との対話(絶版で入手困難)
- 802 :深山:2010/05/23(日)
18:27:20 ID:Y5JnLwWo0
- バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな。
それは単に外側に関することであるからである。
外的なことによって清浄が得られると考える人は、
実はそれによって浄らかさを得ることができない、
と真理に熟達した人々は語る。
バラモンよ。わたしは〔外的に〕木片を焼くことをやめて、
内面的にのみ光輝を燃焼させる。
永遠の火をともし、常に心を静かに統一していて、
敬わるべき人として、わたくしは清浄行を実践する。
バラモンよ。そなたの慢心は重荷である。
怒りは煙であり、虚言は灰である。
舌は木杓であり、心臓は〔供犠のための〕光炎の場所である。
(「ブッダ悪魔との対話」中村元、p.147)
- 803 :深山:2010/05/23(日)
18:31:02 ID:Y5JnLwWo0
- 「バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな。」
昔、この一行を見た時、ショックでした。
なぜなら、アゴン宗では護摩によって浄らかになると考えていたからです。
自分の愚かさを見透かされたようなショックでした。
二千五百年前の釈尊がバラモンにではなく、またただの本の文言ではなく、
アゴン宗に向かって直接言っているような言葉です。
これはアゴン宗徒への釈尊からの叱咤です。
私はぜひ信者さんたちに、私と同じショックを受けてほしいと思い、
しばしばこの経典を引用しています。
後半の言葉も、まるで桐山さんのことを言っているかのような内容です。
「慢心は重荷」、桐山さんは慢心のカタマリのような男です。
「怒りは煙」、桐山さんはすぐにカッとなって、周囲に怒鳴りつけるのは珍しくない。
「虚言は灰」、桐山さんが作り出したアゴン宗は徹頭徹尾、嘘でできています。
釈尊はバラモンの心を見抜いてこのようにいさめたのだろうが、
笑えるくらい、あまりに桐山さんにそっくりです。
- 804 :深山:2010/05/23(日)
18:38:21 ID:Y5JnLwWo0
- 『尼僧の告白』中村元、35頁
「143.愚者ものどもよ。そなたらは星宿を崇拝し、森の中で火神に仕え、
如実にありのままに知ることもなく、[それを]『清浄だ』と思った。」
あまりにアゴン宗の姿そのままの言葉です。
アゴン宗では、二月の柴燈護摩では六十星宿をお祭りして、
花山という山の上で火天という火の神を招いて護摩を焚きます。
そして、彼らは柴燈護摩で霊的に浄化して、清浄にするのだと称しています。
こういう経典を見るたびに思うのは、二千五百年前も今も、
当たり前のことだが、人間は何も変わっていないという点です。
釈尊の時代も今も、焚き火を拝み、星を拝み、それで清浄になったと
思いこむ愚者たちがいたということです。
元愚者としては、苦笑いするところです。
この経典で一番ギョッとしたのは、「如実にありのままに知ることもなく」です。
一つには、桐山さんの正体を知ることもなく、拝んでいた自分の愚者の姿であり、
もう一つは、阿含経を護持すると称しながら、実は阿含経に説かれたことを
何も理解せずに、あろうことか、外道の教えを阿含経に説かれた釈尊の
教えただと信じていた自分の愚者の姿です。
- 805 :深山:2010/05/23(日)
18:39:56 ID:Y5JnLwWo0
- 「原始仏典1」春秋社、12頁
〔大きな戒(避けるべき邪悪な生活手段)〕
[9]二一、「『あるいはまた、尊敬すべき沙門であり婆羅門であり、信によって与えられた食を食べている人たちの
なかには、四肢の相による占い、前兆による占い、自然現象の異変による占い、夢判断、人相の占い、ネズミの噛み
あとによる占い、火の護摩、杓子を用いる護摩、籾殻の護摩、糠の護摩、米の護摩、酢の護摩、胡麻油の護摩、口の
護摩、血の護摩、四肢を見て呪文を唱える運勢判断、土地を見て呪文を唱える地相判断、耕作地を見て呪文を唱える
地相判断、墓地の呪文、悪霊払いの呪文、土地の呪文、毒蛇に噛まれたときの呪文、毒を消す呪文、蠍に刺されたと
きの呪文、ネズミに噛まれたときの呪文、鳥の鳴き声による運勢判断、烏の鳴き声による運勢判断、寿命の予言、矢
に当たらない呪文、鳥獣の鳴き声による運勢判断という、このような無益な呪術によってよこしまな生活を営んでい
る人たちもいる。沙門のゴータマはこのような無益な呪術から離れている』と、比丘たちよ、凡夫が如来を賞賛して
語るとき、このように語るであろう。
- 806 :深山:2010/05/23(日)
18:44:02 ID:Y5JnLwWo0
- >〔大きな戒(避けるべき邪悪な生活手段)〕
具体的に護摩や占いや予言の名前まであけで禁止しています。
よく信者が「アゴン宗の護摩はバラモンの護摩ではなく、
解脱の護摩だからかまわない」などという屁理屈をいいますが、
こういう経典をみれば、そんな屁理屈が成り立たないことは明かです。
護摩は呪術の一つとして全面禁止です。
全部、アゴン宗の破っている禁止事項です。
「大きな戒」とあるのを見てもわかるように、これらの禁止は戒律の一つです。
出家はこれらを戒律として守ることを求められ、違反すれば処罰されます。
だから、「邪悪な生活手段」とあります。
護摩、占い、予言をして金品を得ることを釈尊は「邪悪な生活手段」と批判している。
まさに桐山さんのしていることです。
つまり、アゴン宗と桐山さんは仏道修行と称して「邪悪な生活手段」をしており、
信者はその「邪悪な生活手段」の手伝いをしているのです。
- 807 :深山:2010/05/23(日)
18:45:35 ID:Y5JnLwWo0
- 「原始仏典1」春秋社、457ページ
二九、「また、修行者・バラモンたちのなかには信者からの布施を受けながら、次のような似非科学、間違った生活
手段、すなわち願をかけること、お祈りをすること、土の家で呪文を唱えること、鬼霊の呪術、精力を増すこと、精
力を減らすこと、地相を占うこと、土地を清めること、口を清めること、身体を清めること、犠牲をささげること、
嘔吐剤の使用、下剤の使用、清めのための嘔吐、清めのための下痢、頭痛治療(頭を清めること)、耳にオイルを注ぐ
こと、目を洗うこと、鼻の治療、点眼剤を使うこと、目に軟膏を塗ること、眼科医となること、外科医となること、
小児科医となること、〔木の〕根と薬を与えること(調剤)、薬の効力を消すこと(解毒)によって生活するものもあ
る。しかしかれは、それらの似非科学から離れている。これがかれの戒律の一つである。
- 808 :深山:2010/05/23(日)
18:53:17 ID:Y5JnLwWo0
- >土地を清めること
アゴン宗では土地浄霊や屋敷浄霊をします。
これは信者も参加して、金を稼ぐための行事です。
だが、この経典では、「土地を清めること」は禁止されています。
阿含経ではっきりと禁止されたことをアゴン宗はしているのです。
また、この経典でわかるように医薬を取り扱うことも出家は禁止です。
桐山さんは健康食を売っている。
いくら関係ないなどと言っても無駄で、その証拠に
アゴン宗と光和は表裏一体で商売をしています。
1987年に桐山さんが密教食事件で罰金刑の有罪になったのを見れば、
直接関係しているのは明かです。
釈迦仏教では、出家はいかなる商売、取り引き、世俗的な職業にも関与してはならない。
一番それが苦手な桐山さんがよくまあ阿含経を持ち出したものだと、その無鉄砲ぶりに関心する。
- 809 :深山:2010/05/23(日)
18:54:45 ID:Y5JnLwWo0
- 「原始仏典1」春秋社、451ページ
一六、「また、修行者・バラモンたちのなかには信者からの布施を受けながら、次のような賭博遊戯、すなわち八目
碁、十目碁、無目碁、石蹴り、駒抜き、サイコロ投げ、棒撃ち、手形当て、球遊び、草笛、鍬遊び、ブランコ遊び、
〔ヤシの葉で作った〕風車遊び、物差遊び、車遊び、弓遊び、文字当て、考え当て、身体障害者のまね遊びのような賭
博遊戯に専心しているものがある。しかしかれはそれらのどの賭博遊戯からも離れている。これがかれの戒律の一つである」
- 810 :深山:2010/05/23(日)
18:59:28 ID:Y5JnLwWo0
- >賭博遊戯、すなわち八目碁、十目碁、無目碁、
伊藤さんの質問からは少し外れますが、オマケです。
桐山さんは囲碁が好きで、囲碁の名誉段を持ち、桐山杯として金を出しています。
だが、上記のように、仏教では、歌舞音曲を含めて、出家はいっさいの賭博遊技も禁止です。
はっきりと戒律だとあるのに、基本的な戒律を教団として堂々と破っているのです。
信者に、桐山さんが戒律を守っていないことを指摘しても、
軽くみるばかりか、戒律を小馬鹿にします。
桐山さんがそうだからです。
桐山さんは戒律を守るなんて金輪際いやだと思っている。
だから、南方の上座部仏教を戒律仏教と侮蔑的に言います。
だが、戒律を無視したら、それはもはや仏教ではありません。
法律を守らない警官や弁護士のようなものです。
日本仏教がこの戒律において一番デタラメです。
桐山さんはさらにその上を行くデタラメさなのに、なんと釈迦仏教を名乗っている。
釈迦仏教では戒律は基礎であり土台です。
出家と在家の違いは、在家のほうが戒律がゆるいことと、処罰されないという点が
違うだけで、基本は同じです。
出家は戒律を守る模範を示さなければならないし、破れば処罰されます。
だが、桐山さんは愛人がいるなど、世俗の道徳すらも守れない人です。
アゴン宗の教義を見ればわかるように、欲望の拡大です。
だが、仏教とは戒律など欲望の抑制です。
仏教くらい桐山さんに合わない宗教はありません。
- 811 :深山:2010/05/23(日)
19:03:55 ID:Y5JnLwWo0
- ・お釈迦様は信仰を捨てなさいと説いた
「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。[おのが]信仰を捨てよ。
梵天よ。人々を害するであろうかと思って、わたくしはいみじくも絶妙なる真理を
人々に説かなかったのだ」
(『ゴータマ・ブッダT』449頁)
「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、
そのように汝もまた信仰を捨て去れ。」
(『ブッダのことば』中村元、241頁)
前者は、釈尊が解脱した後、布教する決心をかためた時の言葉です。
「おのが信仰を捨てよ」というのは、それまでの信仰を捨てろという意味でしょう。
また、後者の>>782さんが引用した経典も同様の意味と考えられます。
これは当たり前のことで、従来の宗教を否定して出てきたのが釈尊なのだから、
そのままでも良いなどと言うはずがない。
実際に、たとえば、ガヤーの有力な宗教家だった三人のカッサパは、
護摩など、それまでの信仰をすべて捨てて帰依しています。
一方で、信仰を説く経典もあります。
- 812 :深山:2010/05/23(日)
19:06:45 ID:Y5JnLwWo0
- 「この世では信仰が人間の最上の富である。」
「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。」
(『ブッダのことば』中村元、44頁)
「わたくしに対する疑惑をなくせよ。バラモンよ。わたくしを信ぜよ。
もろもろの<さとりを聞いた人に、しばしば見えることは、いともむずかしい」
(『ブッダのことば』中村元、124頁)
「そうすればかれは十方に光り輝くであろう。
欲望を捨てて瞑想している諸々の賢者の名声を聞いたならば、
わが教えを聞く者はますます恥を知り、信仰を起こすべきである。」
(『ブッダのことば』中村元、154頁)
信仰を否定した経典と一見、矛盾しているようですが、理由は簡単で、
信仰の否定とは、旧来の信仰を捨てろと言っているのであり、
信仰の肯定とは、釈尊の説いた教法を信じろという意味です。
つまり、信仰の肯定や否定といっても、信仰が何をさしているかによって、
釈尊は肯定も否定も両方ともしています。
釈尊の教法を実践するとは、彼の教法を信じるからこそ実践するのですから、
その意味では信仰は必要です。
にもかかわらず、初期にはあまり信仰が強調されなかった理由は
仏教の中身が原因です。
- 813 :深山:2010/05/23(日)
19:17:56 ID:Y5JnLwWo0
- ・お釈迦様は信仰を捨てなさいと説いた
今の仏教教団にいくと、アゴン宗が典型で、本尊を祭り、経典を歌のように唱え、
意味不明の儀式や行事が延々と続くから、あれが仏教であるかのように
思われていますが、釈尊の説いた仏教にはこれらは皆無です。
アゴン宗を含めた今の仏教系のあり方は当時のバラモン教そのままです。
神仏を信じて捧げ物をすれば御利益が得られるという「信仰の宗教」です。
釈尊はこういう信仰を批判し、否定した。
本尊もなく、真言を唱えることもなく、加持祈祷や、祈りのパフォーマンスも、
供養に対する見返りも、御利益も説かない。
釈尊が説いたのは、どこかにいる仏や神を信仰することではなく、
教法を自らが理解し、自らが実践することです。
釈尊の説いた仏教は、宗教というよりも、学校の勉強に近い。
学校の勉強には本尊も、先生への供養も、信仰も、神通力もいりません。
本人が学び、理解し、体得していく。
この意味では、釈尊は信仰は説いていないし、むしろアゴン宗のような信仰を捨てろと説いたのです。
こういうつまらない信仰を持つことを戒取といい、捨てるべき煩悩の一つであると説いています。
- 814 :深山:2010/05/23(日)
19:26:14 ID:Y5JnLwWo0
- ・お釈迦様は信仰を捨てなさいと説いた
信者の多くは、自分たちこそ釈尊の説いた知性的な信仰をしていると思いこんでいます。
その裏返しに、他の教団は理屈理論がなく、ただ信じているだけだと侮蔑している。
信者たちは、アゴン宗こそ経典など文献的な証拠も(文証)、理屈理論も(理証)、
現実的な効果や客観的な証拠も(現証)も完ぺきにそろっていると自惚れています。
桐山さんは修行者座右宝鑑という信者のための教科書本でそれを述べています。
前に私は、それらすべてが成り立たないことを批判しました。
しかし、一般の信者はそれらを検証してみようともせず、
桐山ゲイカがおっしゃっているのだから正しいと信じているだけです。
アゴン宗のねじれた部分は、本人たちはものすごく知性的な宗教だと思っているが、
実際は、理屈理論がメチャクチャで、桐山信仰だけで成り立っている教団だという点です。
旗印だけは仏陀の智慧などと知性を説きながら、実際には焚き火を焚いて、
呪文を唱え、太鼓を叩いて祈願するという原始宗教そのままです。
だから、信者の信じているアゴン宗の姿と現実との間に大きな落差があり、
その落差を、教祖と信者の妄想と自惚れで埋め合わせているのです。
この意味では、アゴン宗まさに釈尊が「信仰を捨てろ」と指示した宗教の一つです。
- 815 :伊藤:2010/05/24(月)
02:34:09 ID:wqplEKf.0
- 深山さん、ヘルプさん
参考になる本や文献ありがとうございます。
図書館へ行き岩波書店「ブッダのことば」と
大蔵出版「長阿含教T」を借りてきました。
あと深山さんが教えてくれた本も後日借りてきて勉強します。
このページは保存ですね、本当にありがとうございます。
しばらくまたROMりながら勉強してきます。
また疑問が沸いてきたら助けて貰えたら嬉しいですm(_
_)m
- 816 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/24(月) 08:45:29 ID:SmEF4Oe2O
- 無関係さんが少し以前に問題提起したものに、桐山さんの文学修行と、遊んで
暮らしていたのか?という問題がある。
これを考察するに、桐山さんの若かりし頃の図書館通いの供述がある。
朝から1日公共の図書館に通いつめ、読書、勉強をしていたという。
それも独身の頃ではない子どもがいる頃です。
奥さんに幾ばくかの小銭をもらい、電車で上野の図書館に行く。(どこからか?
横浜?本所?千葉県?)
昼食をとる他は帰りに娘にキャラメルを買って帰ったという。
百円亭主の始まりとか自分で書いている。
子どももいるのに働かずに奥さんの小遣いだけで図書館通いとは気楽な身分だ。
桐山さんは天命殺は魔の時期で何をやってもうまくいかないから、事業などに
手を出さず、じっとおとなしくしているのが賢明で、この時期に読書勉強をして
実力を蓄えるべきだとしている。
しかし実際にはいくら凶運の時期だからといって働かずにブラブラできる恵まれた
人など稀である。住む家の家賃さえも支払えないのだ。
やはり歯科医である奥さんがいないとこんなことはできない。
また桐山さんは偽ビールで逮捕され、その後間もなく観音慈恵会を横浜・生麦に
起こしているが、この時奥さんからは一切金銭の支援はしないことを言い渡されているが
どうなのか?
また一道場主になったのなら、道場を弟子のT氏に預けて図書館通いもおかしい。
観音慈恵会を開く前の図書館通いの時期もろくに働きもせずに、子どもまでいながら
奥さんの収入に依存していたわけだ。
こうなってくると、彼の事業なんてのも生活のためでなく、単なる道楽の一環と
見ることができるばかりか、たち夫人を妻として選んだのすら、自分が働かずに
遊ぶこともできる歯科医の収入目当てだったという推察も可能です。
- 817 :準シュダオン:2010/05/24(月)
11:38:27 ID:agsP6ENM0
- 「仏陀の真実の教えを説く」本のP311に、四沙門果は阿含教学の基本
なので、暗記してしまうように、というようなことが書いてあります。
須陀?→斯陀含→阿那含→阿羅漢、というような順で、成仏するわけです。
それが、須陀?を目指している須陀?向は聖者だ、との倶舎論を説明して
いる学者の説を丸呑みしている批判派の考えでは、須陀?にも成れっこな
いね。こういう基本を理解出来ずに、応用編の議論をしてたって、読むに
値しないよ。足し算も解らないものが掛け算の議論をしてるようなものだよ。
在家の五戒の一つに、「酒を飲むべからず」があるね。これを考えてみよう。
イスラム教も酒を禁じているね。盲目的に戒を守るより、「なんでだろ?」
と、考えて見るのも必要だね。
お釈迦さまは、善生経で、酒の害を六つ説いてますね。
酒を飲む一つの害は、財が減る、と説いてます。なるほど、確かに酒代は
かかりますね。
二つ目の害に、病気になりやすい、と説いてます。
飲み過ぎなければいいんでないの?酒は百薬の長とも言いますよ、と不平を
言いたくなりますねw。
三つ目は、いさかいが生じやすい、です。
確かに、酒癖の悪い人はそうでしょう。
四つ目に、悪い評判が流れる、です。
日本では、酒を飲んだだけで、悪い評判が流れることはないようですが・・。
五つめの害が、怒りの感情が起こりやすい、です。
六つ目の害が、智慧を日々損なう、です。
酒浸りならそうでしょうけど、適量でもそうなのですか?と訊きたくなります。
と、まぁ、だから酒を飲むな、というのです。
中村元先生は、当初、在家は三戒であって、禁酒の戒は無く、後に五戒に
なって禁酒が加えられた、とか書いてますね。
- 818 :名無しさん:2010/05/24(月)
12:16:47 ID:BH/Hmc5.0
- >>817
準シュダオンさん、スレの空気を読めよ。
もう一度>>798を読みなさい。
工作員としてではなく修行者として管長のサトリにコメントしてみろよ。
- 819 :深山:2010/05/24(月)
12:37:08 ID:ATaO0Tsc0
- >>815 :伊藤:2010/05/24(月) 02:34:09
ID:wqplEKf.0
参考までに、いくつか阿含経の現代語訳で、解説本以外をご紹介します。
いずれも、阿含経のいくつかだけを選びだしたのではなく、
ある程度系統立てて訳した本のシリーズです。
日本では阿含経の完全現代語訳本がありません。
阿含経といっても、中国経由(漢訳)と、南伝経由の二系統があります。
漢訳 → 長阿含経、中阿含経、雑阿含経、増一阿含経
南伝 → 長部、中部、相応部、増支部、小部
この両者は名前を見てもわかるように大筋で対応していますが、完璧ではありません。
これらはそれぞれ和訳がされていて、
漢訳 → 『國訳一切経 阿含部』、大東出版社、9巻
南伝 → 『南伝大蔵経』65巻
がありますが、いずれも時代が古く、漢文書き下し、または漢文書き下し調で、
おおよそ読みやすいものではありません。
両者ともに一巻が1万円くらいでしょうから、気楽に買える値段ではありません。
そこでこれを部分的に現代語訳にしていくつかの出版社が発行しています。
しかし、所詮、仏教経典であり、阿含経なんて今でもマイナーですから、
売れるはずもなく、値段も高く、絶版が多いのが現状です。
その中で、値段も安く、入手可能なのが、>>801で紹介した中村博士の訳した阿含経です。
これすらも絶版が出ているのですから、日本人の関心の薄さをよく示しています。
- 820 :深山:2010/05/24(月)
12:44:02 ID:ATaO0Tsc0
- 『原始仏典』春秋社、7巻
南伝の長部、中部の全訳で、学者たちが手分けしたという点で優れた本です。
『パーリ仏典』片山一良、大蔵出版
南伝の現代語訳で、片山氏一人の力作で、現在も続いているようです。
ただ、残念なのは、現在のところ、『原始仏典』と同じ長部、中部であるため、
内容が完全に重複しています。
今後、相応部、増支部へと発展してほしいものです。
『新国訳大蔵経 阿含部』大蔵出版、
伊藤さんが借りた本で、漢訳の長阿含経と雑阿含経の和訳があります。
ただ、ここは阿含経だけの和訳ではないので、阿含部はたった5巻と
いう寂しい状態で、今後に期待されます。
『現代語訳「阿含経典」』、平河出版社、6巻
アゴン宗系列の出版社から出た漢訳の長阿含経の現代語訳です。
これ自体は力作です。
ただ、残念なのは、最後の6巻が出たのが2005年で、それっきりですから、
どうやら長阿含経だけで終わりらしいことです。
長阿含経なら『新国訳大蔵経 阿含部』にありますから、内容的には重複しています。
長阿含経は漢訳阿含経全体からみたら、一割程度の量ですから、ほんのわずかです。
私は桐山さんが当然、阿含経の現代語訳という事業を展開するだろうと期待していました。
阿含経を旗印にしたのなら、それをするのは当然です。
阿含経の現代語訳を出版するのは、金がかかるわりには
売れるはずもないから、利益を追求するだけの出版社には難しい。
アゴン宗を標傍し、しかも出版社を持っているのだから、
利益を度外視してでも、するべきです。
- 821 :深山:2010/05/24(月)
12:48:27 ID:ATaO0Tsc0
- こういう点、桐山さんが模範にした立正佼成会の庭野さんはなかなかすごい。
出版社を持ち、そこから仏教関係の優れた本をたくさん出しています。
今も、仏教史についての大冊の修正版を出す予定のようです。
平河出版社は優れた本は出しているが、阿含経についてはこれだけです。
アゴン宗が全面的に資金援助をして、信者からも金を募り、
なんなら世間にも、阿含経を現代語にする一大事業をしようと、
呼びかけたのなら、立派なことです。
むかし、大蔵経を印刷するのに民衆から寄付を集めたという話があります。
しかし、そこまでしなくても、愛人に出すお手当や桐山さんの名誉買いや、
遊興費や、一族の貴族生活で浪費した金を投じれば、簡単にできた。
アメリカで購入した駐車場の資金だけでも、十分にまかなえたはずです。
- 822 :深山:2010/05/24(月)
12:57:34 ID:ATaO0Tsc0
- 現代語訳の事業を興せば学者たちにとってもかなりありがたい。
仏教学者なんて職業で飯が食える人はほんのわずかですから、
和訳のような収入に結びつく仕事があれば、下請けの若手の研究者など
どれほど助かるかしれません。
学者たちを育てることにもなったのです。
漢訳阿含経の現代語訳の完全本を作ったら、日本仏教史上の偉業です。
だが、桐山さんて、やはり桐山さんです。
この人は「人間が中途半端」。
数年前には、「余生を映画作りと演劇に全力を傾ける」と週刊誌で対談していた。
何一つアゴン宗で宣伝したことは実現できていないのに、映画と演劇をするのだという。
信者たちは映画と演劇という別なことを桐山ゲイカが始めるのだと思っているようだが、
実は、アゴン宗自体が桐山さんの作り出した映画であり、演劇にすぎない。
だから、丁寧に検証すると、全部、嘘ででてきているのです。
桐山さんにとって阿含経なんて映画の小道具にすぎないから、
「釈迦直説の阿含経」というキャッチコピーがほしいだけで、中身などどうでもいい。
だから、阿含経講義の本すらも、阿含経にない因縁解脱の解説をしていられるのです。
- 823 :深山:2010/05/24(月)
13:02:32 ID:ATaO0Tsc0
- アゴン宗を立宗したのなら、阿含経の現代語訳に余生をかけると宣言するべきでしょう。
だが、桐山さんの目的はエラクなることだから、阿含経などその道具にすぎず、
中身などどうでもいい。
むしろ、煩悩を切れなんて、桐山さんの一番嫌いなことが書いてある。
こんな経典をわざわざ金をかけて訳したいとは思わないのでしょう。
また、「阿含経はおまえらが読んでもわからない。ヲレ様にしか本当の意味は
わからない」というのが、桐山さんの主張です。
わかりやすい現代語にしてしまったら、そんなことは嘘だとばれてしまう。
現代語訳をしても、桐山さんには何の利益にもならないのです。
だから、たぶん伊藤さんの彼女もろくに阿含経など読んでいない。
桐山本の阿含経講義すらも、本文よりも桐山さんの解説しか読んでいないはずです。
「アゴン宗徒の阿含経知らず」は、単なる皮肉ではなく、現実です。
もっとも、準シュダオンさんのような勝手な解釈ばかりして、>>817のように
「ヲレ様はこんなに阿含経を読んでいるんだぞ、どんなもんだい。エヘン」と
自慢のネタにして慢心を増長させるだけなら、読まない方がまだいいかもしれません。
- 824 :ラシン:2010/05/24(月)
13:17:35 ID:q4iXIS7Y0
- >817
:準シュダオン
>それが、須陀?を目指している須陀?向は聖者だ、との倶舎論を説明して
いる学者の説を丸呑みしている批判派の考えでは、
批判側の誰が、いつどのように倶舎論に基づいているのだ?
何度も釈尊が示した聖者の定義「二人ずつの四組と八人の人々」
を基本としていることをあなたは何故、無視するのだ?
あなたのは↓は、
1須陀?=須陀?果=斯陀含向
2斯陀含=斯陀含果=阿那含向
3阿那含=阿那含果=阿羅漢向
4阿羅漢=阿羅漢果
との7対にしかならない。
これでは釈尊が示した聖者の定義「二人ずつの四組と八人の人々」に、
まるで整合していないことになると何度も言及した。
あなたは>>587でも、「四双とは、向と果のこの四っつの対をいうのです」
と述べているのだから、答えは8対であなたが自己矛盾したことになる。
>足し算も解らないものが掛け算の議論をしてるようなものだよ<
とは、あなたのことで足し算も使えないのか?
ならば掛け算なら「四双とは、向と果のこの四っつの対をいうのです」
とは、4×2=8です。
しかも、
このあなたも認めた結果をあなたは>>595で「わたしが分類したのは、
四つの聖者を、四双八輩の用語を使って表しただけです。四双八輩を
示したのではありません。」???
とまで、中身の言葉を吟味しない苦しい弁明をした。
逆に言えばあなたの解釈では「四双八輩」を解説できなかった分けだ。
表すも示すも、さほど変わらん”表示”じゃないか?
ですから、以上で終了したのです。
以後あなたは新たな弁明もなく、コピペを繰返すオームに成り下がっている。
- 825 :準シュダオン:2010/05/24(月)
16:08:27 ID:agsP6ENM0
- ラシンさん、いいとこ突いてきたよ、あなたはもう少しで、経典の四双八輩
を理解できるかも知れない。落ち着いて、冷静に考えてご覧なさい。
わたしは、
1須陀?=須陀?果=斯陀含向 2斯陀含=斯陀含果=阿那含向
3阿那含=阿那含果=阿羅漢向 4阿羅漢=阿羅漢果
と、レスしましたね。ここでラシンさんは、わたしが四双八輩を示したと、
勘違い!してるのです。八輩でなくて七つしかないではないか!とね。
わたしのは、苦しい弁明でも、詭弁でもありません。
いいですか!!わたしが示したのは、四沙門果を四双八輩の用語を使って、
八輩を境界毎に分類しただけです、経典の定義に従ってね、だから須陀?向
を除いた七輩しかないのです。輪廻する葦の本、P258をご覧なさい。
そこにも七輩しかありませんよ。管長は須陀?向を忘れて入れないのでは
ありません。四沙門果を経典の定義に沿って表にしたのです。
経典の定義では、須陀?向は須陀?未満なのです。
それなのに、ラシンさんなども、須陀?向:須陀?果という対を、勝手に
須陀?の対だと勘違いしてるのです。
いいですか!須陀?向:須陀?果という対は、須陀?の対ではありません!
須陀?向:須陀?果という対は、須陀?未満:須陀?相当、という対なので
す。
阿羅漢向:阿羅漢果という対は、仏未満と仏相当の対です、阿羅漢という語が
付いていても阿羅漢向は仏未満なのです。
同じように、須陀?という語が付いていても須陀?向は須陀?ではないのです。
議員立候補者は、当選するまで議員ではありません。
それと同様、須陀?向というのは須陀?候補者、にすぎないのです。
出家すれば在家・在俗を離れるわけですから、そういう意味では出家
した日から聖者ということも出来るでしょう。須陀?向を聖者と呼ぶ
のはそういう意味であって、仏道を体得した聖者という意味ではあり
ませんね。
- 826 :ラシン:2010/05/24(月)
17:23:12 ID:q4iXIS7Y0
>議員立候補者は、当選するまで議員ではありません。
それと同様、須陀?向というのは須陀?候補者、にすぎないのです。
出家すれば在家・在俗を離れるわけですから、そういう意味では出家
した日から聖者ということも出来るでしょう。須陀?向を聖者と呼ぶ
のはそういう意味であって、仏道を体得した聖者という意味ではあり
ませんね。
そうですよねたしかに、準シュダオンさんのほうが歩み寄って来たようだ。
あなたの「仏道を体得した聖者という意味ではありませんね。」は、
仏道すべて体得した聖者である阿羅漢果以外の他はそうでしょう?正解です。
一結もしくは二結を断じた須陀?向も阿羅漢向も、仏道すべて体得した聖者ではない。
ですから「出家した日から聖者ということも出来るでしょう。」をもう少し、
視野を広げて理解すれば、一結も断じていなくても須陀?を目指した時から、
聖者の仲間入りなのです。
だが準シュダオンさんの条件は、すべてではなく一定の果を為した者に限ると、
言いたいのでしょうが、釈尊の定義は違います。
それを釈尊は明解に提示しているのですよ、例示すれば長いのでまとめると、
「『法の鏡』という名の法門の実践者」=「二人ずつの四組と八人の人々」
とは何かをアーナンダに以下のように説いている、
「もしも望むならば、みずから自分の運命をはっきり見究めることができるであろう、
「『わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。
悪いところ・苦しいところに堕することもない。
わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
わたしはもはや堕することの無い者である。わたしは必ずさとりを究める者である』と。」
よって桐山さんの輪廻する葦の本、P258の表記は、阿含経知らずの阿含経標榜者、
との批判がなされるのです。
- 827 :ラシン:2010/05/24(月)
17:51:09 ID:q4iXIS7Y0
釈尊は、
「『法の鏡』という名の法門の実践者」=「二人ずつの四組と八人の人々」=聖者
と明解に定義しています。
だから準シュダオンさんの桐山本に「七輩しかありませんよ」とは、
上記釈尊の定義から見て、一人足りないという不足教義です。
しかし、それも安心してよいらしい。
何たってその張本人の桐山さんが心変わりしたらしい。
>>787さんの情報によれば桐山さんは、
自分の因縁切りという教義を捨てて、輪廻転生瞑想法に変節した?
1日三回笑う事で、大金持ちの美男美女に生まれ変わるという中伝と、
それを実行する奥伝が開陳されたのだから、四双八輩の間違いなど桐山さんは、
すでに記憶の外でしょうね。
つまり準シュダオンさんは、置いてきぼりをくったのです。
置き去りにされたくないなら、輪廻転生瞑想法の実践に励むべきだね。
- 828 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/24(月) 21:58:51 ID:SmEF4Oe2O
- >>817:準シュダオン10/05/24(月) 11:38:27
ID:agsP6ENM0
>在家の五戒の一つに、「酒を飲むべからず」があるね。これを考えてみよう。
要は釈尊自ら定めた五戒を必ずしも守らなくてもよいと侮辱したいわけねw
- 829 :Boo:2010/05/25(火)
03:17:03 ID:.7UwrWaw0
- >「『法の鏡』という名の法門の実践者」=「二人ずつの四組と八人の人々」
> とは何かをアーナンダに以下のように説いている、
>「もしも望むならば、みずから自分の運命をはっきり見究めることができるであろう、
>
>「『わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。
> 悪いところ・苦しいところに堕することもない。
> わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
> わたしはもはや堕することの無い者である。わたしは必ずさとりを究める者である』と。」
え〜ええええええ?
このレスの意味は、つ・つまり「二人ずつの四組と八人の人々」(=四双八輩)は全てニルバーナに向かう
聖者ではないですか?
準シュダオン先生!!あなたはネットで、われわれ凡夫に嘘をおしえたのですかっ?
でも大丈夫。先生以外はみんな正しい沙門四果を理解していますから。先生のレスで先生が不妄語戒の
地獄に落ちることはありませんよ・・・多分。(念のため)
- 830 :準シュダオン:2010/05/25(火)
08:56:24 ID:agsP6ENM0
- 正しいことを理解するのに、遅すぎるということはない。
四双八輩が皆聖者ならば、何で「八沙門果」が無いのだろう?
という疑問を持たねばならない。
解脱への八段階になるであろうし、悟りを八段階に区分すべきである。
だが、そうなってはいない、四沙門果である。
阿含仏教での、聖者は四沙門果であるね。須陀?、斯陀含、阿那含、阿羅漢
の四種です。
で、阿羅漢向は阿羅漢未満なので、阿那含の仲間です。
須陀?向は須陀?未満なので、四沙門果には含まれないのです。
法の鏡とか、一部の記述で全体的な体系を見誤ってはいけません。
四沙門果は多くの経典に出ています。
須陀?向が最初の聖者であるならば、須陀?向を得るための教えが説かれて
いなくてはならないでしょう。だが、そういう経典は見当たりません。
三結を断じて須陀?(果)を得る経典は沢山ありますが、
○○を断じて須陀?向を得る、というような経典はありません。
須陀?向は、本当の意味の聖者ではないので、そういう経典はないのです。
これは阿含教学の基本です。輪廻する葦本のP248には、「五下分結が
わからないと、釈尊の説く仏教はわかりません」と、あります。
つまり、四双八輩は仏教の基本だと管長も説いています。
この基本を解らずして、阿含宗のイベントやら、枝葉末節の部分で批判して
も的外れです。
先ず、修行者は、何を目指して修行するのか?
須陀?向を目指すのか、須陀?を目指すのか、ここを理解するのが決定的に
大事です。ラシンさんは、まだ勘違いしています。
- 831 :準シュダオン:2010/05/25(火)
09:43:50 ID:agsP6ENM0
- 「法の鏡」にしても、訳者によってニューアンスが違うので注意が必要ね。
遊行経に、「今当為汝説於法鏡 使聖弟子知所生処 三悪道尽 得須陀?
不過七生 必尽苦際」と、法鏡が説かれていますね。ここでも「得須陀?」
が鍵になっています。
「四双八輩 是謂如来賢聖之衆 甚可恭世之福田」というようにありますか
ら、須陀?向も聖者だと読み取ることもできます。しかし、法の鏡の最後に
説くところは、
「阿難 是為法鏡 使聖弟子知所生処 三悪道尽 得須陀? 不過七生
必尽苦際」と、なっていて、やはり「得須陀?」がキーワードですね。
つまり、須陀?果を得れば不過七生のうちに、必ず涅槃を得る、と説いて
いるのです、これが法の鏡の内容です。
須陀?向のことなど何も説いてはいません。「得須陀?」が肝心なのです。
須陀?向は、本当の意味の聖者ではない、ことを解ってください。
出家者は、出家したその日から、在家・在俗を離れたという意味では聖者
とも言えましょう。須陀?向も、その程度の意味での聖者、なのであって、
他の経典に出て居るような、本当の意味での聖者ではありません。
- 832 :Boo:2010/05/25(火)
11:23:20 ID:.7UwrWaw0
- ↑と、準シュダオン先生は誤解しています。
- 833 :ラシン:2010/05/25(火)
11:58:26 ID:q4iXIS7Y0
- >831
:準シュダオン
>「四双八輩 是謂如来賢聖之衆 甚可恭世之福田」というようにありますか
ら、須陀?向も聖者だと読み取ることもできます。しかし、法の鏡の最後に
説くところは、
「阿難 是為法鏡 使聖弟子知所生処 三悪道尽 得須陀? 不過七生
必尽苦際」と、なっていて、やはり「得須陀?」がキーワードですね。
準シュダオンさんはすでに答えを表記していますね。
ただ気づかないだけですから、四双八輩論はこれを本当に最後にしましょう。
多分読者は、マジうんざりしてるでしょうから。
簡単なことですから、素直に一考してください。
得須陀?とは、須陀?向と須陀?果の総称です、ゆえにそれら二つを得るなら、
「『わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。
悪いところ・苦しいところに堕することもない。
わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
わたしはもはや堕することの無い者である。わたしは必ずさとりを究める者である』と。」
と述べているように釈尊は矛盾せず「二人ずつの四組と八人の人々」を言い表しています。
つまり果という成果のみならず、向にこそ価値がある、それも最初の向にです。
これなくして仏道に入れないから、仏の道に気づいた最初の須陀?向に
釈尊はその価値を認めたのです。
単純に言えば『法の鏡』とは釈尊の示した戒と律の実践者であり、
それを具現して道を目指す者は、ゆえに尊く聖者の仲間です、ということになるのです。
- 834 :色川千景入堂太鼓の前で立つ私に注目して訴訟被告桐山靖雄:2010/05/25(火) 12:05:14
ID:ZXNFvIU.O
- 準シュダオン阿含宗関東別院宗務局職員G田さん
管長の指導のとおりひたすら笑ってるかな。
あなたをG田職員と特定したのは、解脱供養、冥徳供養体験談の創作と同じ手法が見られるからです。
会員から簡単な体験談の要旨を聞いて、それを元にありもしない立派な体験談があなたの手によって作られ発表される。
したらばのあなたの書き込みも同じ。管長の本の一行を切り取り、巧みな話術を加えてごまかす。
例祭も出ない、梵行もしない、金も使わないというキャラクターはどう考えても逃げ道を作るための創作だ。
そんな奴が毎日ネットに張り付いて、アゴン宗の擁護をするはずない。金まみれ女まみれ犯罪まみれのアゴン宗管長から話題をそらせて堂々巡りの教学論争に引き込むための職業2ちゃんねらーでしょ。ここにカキコしてる元会員もパソコンのプロを使って全員人物を特定してるでしょうね。
あなたが絶対にレスを返さないあの相手は、触れたら危ない地雷と解ってるから。
以前私のレスに数日カキコできず、「今日見ました」と言い訳してましたね。これからも今のキャラクターで押し通すと判断したわけですね。
- 835 :ラシン:2010/05/25(火)
12:06:02 ID:q4iXIS7Y0
訂正とお詫び
× ゆえにそれら二つを得るなら
○ ゆえにそれら二つのうちいずれかを得るなら
- 836 :名無しさん:2010/05/26(水)
08:56:05 ID:F4yOknj60
- 準シュダオン阿含宗工作員さん、おはようございます。
あなたは管長の女性問題や法話の話題(輪廻転生瞑想法など)を振られても完全無視の姿勢で
ただひたすら思想オッパイや使者モモンガの話に固執してますが
もうその話は期限切れで腐りかけてますからもっと新鮮な話題に変更してくださいな。
それともしゃぶり続けてこのスレを腐らせるのが目的ですか?
- 837 :準シュダオン:2010/05/26(水)
11:57:25 ID:agsP6ENM0
- ラシンさんは、「得須陀?とは、須陀?向と須陀?果の総称です」と、書いて
ますが、勘違いされてます。ここは肝心なところです。これは仏道の基本で、
スタート地点です。ここで躓いていたら、仏道の修行は、おぼつきません。
ここで勘違いしてるので、三供養品三善根でも、因縁解脱でも、管長の説く
ことも、経典にあることも、誤解釈しているのです。
得須陀?とは須陀?果のことです。なぜなら、「三悪道尽 得須陀?」と
あるからです。三悪道尽とは、不堕悪趣のことです。
普通は、「三結尽 得須陀? 不堕悪趣」と書かれていることが多いのですが、
法の鏡の経では、三結尽(断三結も同じ)が省略されているのです。
そのことは、三悪道尽、という語があることから解るのです。
だから、得須陀?とは須陀?果のことであって、須陀?向は含まないのです。
同じように、「五下分結尽 得阿那含」の場合も、得阿那含とは阿那含果の
ことであって、阿那含向は含まないのです。ここを理解することは重要です。
「三結尽 得須陀? 不堕悪趣」の得須陀?に、須陀?向も含まれるとした
ら、須陀?向=須陀?果ということになってしまいます。
そういうことに気付かないのですか?
マジうんざり、と言いますが、こういう基本的なところを間違えてては、
マジ、他の議論もレベルが知れてしまうのですね、興味が無くなってしまうね。
- 838 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/26(水) 12:27:28 ID:SmEF4Oe2O
- >>837
あなたの興味なんてこちらでは知ったことではありません。
それに「他の議論」はそのテーマによりそれぞれ精度とか信用度とかお互いに異なり
その都度の検証を必要としますから、あなたのように他の議論も信用ならんなんて
逃げの口上は通用しません。
- 839 :色川千景女帝和田局長から管長を取り戻すぞ訴訟被告桐山靖雄:2010/05/26(水) 13:58:23
ID:ZXNFvIU.O
- 準シュダオン阿含宗務局職員G田さん
輪廻転生瞑想法や水晶龍神瞑想法等の構想を立てた高橋職員が、星祭りひと月前というきわどい時期に退職しましたね。
巫女舞グループを統率し、和田局長に次ぐ人物と評する話も聞いています。
準シュダオンさんも高橋元職員を見習って早く阿含宗を退職しなさい。
管長の実像が、金集め人集めのノルマだけ会員に突き付けるゴロツキの詐欺師であることはあなたのほうが良くご存知でしょう。
準シュダオン職員さんがネットでやってる事は釈迦を利用し釈迦を愚弄してる事ですよ。
あなたが詭弁を弄して擁護論を書けば書くほど、阿含のいかがわしさが自覚されてくるはずです。阿含宗に真実が無いからですよ。
準シュダオン職員さんの未来は、阿含宗を退職し一人清らかな道を歩み始めるか、宗教詐欺師管長の道連れとなって地獄に堕ちるか二つに一つである。
友よ、まずあなたが阿含宗を退職しる、聖者になれ!
- 840 :準シュダオン:2010/05/26(水)
17:04:47 ID:agsP6ENM0
- ラシンさんは、「得須陀?とは、須陀?向と須陀?果の総称です」と書いた。
漢文を読まないから、そんな恥ずかしいことを堂々と書けるのでしょう。
法の鏡のとこね、漢文を紹介すると、
「向須陀? 得須陀? 向斯陀含 得斯陀含 向阿那含 得阿那含
向阿羅漢 得阿羅漢 四双八輩 是謂如来賢聖之衆 」
と、あるのです。
これでも「得須陀?」には、向須陀?が含まれてると思いますか?
得須陀?とは須陀?果のことだと解るでしょう?
ここを解らないようでは、いくら議論しても無駄ですねw。
- 841 :名無しさん:2010/05/26(水)
18:02:13 ID:q4iXIS7Y0
最後のところ、「、、、、四双八輩 是謂如来賢聖之衆」 よめるよネ。
自分で書いたんじゃからの。
- 842 :ラシン:2010/05/26(水)
18:08:54 ID:q4iXIS7Y0
↑841は、ラシンでごわす。
あなたの表示したお経でも、四双八輩=如来賢聖之衆 なんじゃからね。
だからもうやめましょうよ、準シュダオンさん!
- 843 :Boo:2010/05/26(水)
18:32:06 ID:.7UwrWaw0
- >「向須陀? 得須陀? 向斯陀含 得斯陀含 向阿那含 得阿那含
> 向阿羅漢 得阿羅漢 四双八輩 是謂如来賢聖之衆 」
準シュダオンさんの気持ちもわかる。わかるが、そんなにこだわる問題ではないことが
理解できなければ、準シュダオンさんも悟りなんて得られませんよ。
アラカンというのは「阿羅漢果」のことで、阿羅漢向はアナゴンですね。
すると、シュダオン向はシュダオン果未満となる、との解釈は成り立つと思う。
しかしね、そんなに厳密にこだわることないの。どの道アゴン宗のやっていることは
は外道凡夫なんだから。
- 844 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/26(水) 20:43:24 ID:SmEF4Oe2O
- >>840:準シュダオン10/05/26(水) 17:04:47
ID:agsP6ENM0
>「向須陀m9 得須陀m9 向斯陀含 得斯陀含 向阿那含 得阿那含
> 向阿羅漢 得阿羅漢 四双八輩 是謂如来賢聖之衆 」
>と、あるのです。
「向+得+向+得+向+得+向+得」=四双八輩=是れ如来の賢聖の衆を謂う。
漢文読んでも歴然としとる。
>>843:Boo10/05/26(水) 18:32:06
ID:.7UwrWaw0
>準シュダオンさんの気持ちもわかる。わかるが、そんなにこだわる問題ではないことが
>すると、シュダオン向はシュダオン果未満となる、との解釈は成り立つと思う。
気持ちはわかっても気持ちだけでは駄目できちんと議論するとよくわかる。
小学生果(小学校卒業証書授与)の瞬間までは、小学校5年生であろうとも
これを未小学生の幼稚園児だと準シュダオンさんは示したわけだからね。
学校にたとえるとこの四双八輩の考えはよくわかるよ。
学業に勤しむ学生は等しく、それなりに尊い聖学生であると説いたわけさ。
@chsスレで書いたけどマナーのなってない親子を教化できたか否かの成果
よりも、注意を促す行動を起こしたか否かが問われるのです。
- 845 :深山:2010/05/26(水)
22:50:19 ID:l4ZnzNE.0
- >>843 :Boo:2010/05/26(水) 18:32:06
ID:.7UwrWaw0
>アラカンというのは「阿羅漢果」のことで、阿羅漢向はアナゴンですね。
Booさんに失礼を承知で言うなら、他人の間違いを見て、
ようやく自分の間違いに気がつきました。
準シュダオンさんの主張で一つ正しいのは、沙門四果と
四向四果(=四双八輩)を同じに取り扱うのは間違いだ、という指摘です。
私の分類も、桐山さんの分類もこの両者を一緒にしていたという点で間違いです。
実は準シュダオンさんも、別物だと言いながら、ごちゃ混ぜにしている。
というよりも、全員が両者を一緒にして、なんとか統一的に説明しようとしていた。
両者は分類の仕方が違うのだから、一緒にしたら矛盾します。
沙門四果・・・シュダオン、シダゴン、アナゴン、アラハン
四向四果(四双八輩)・・・シュダオン向、シュダオン果、シダゴン向、シダゴン果、
アナゴン向、アナゴン果、アラハン向、アラハン果
両者をよく見てください。
二つは共通した部分はあるが、別な分類です。
説明する時に分類の違う両者を一緒にしてはいけないのです。
ところが、全員が一緒に説明しようとした。
違う分類を一緒にしようとしても無理なのは当たり前です。
- 846 :深山:2010/05/26(水)
22:55:36 ID:l4ZnzNE.0
- >>843 :Boo:2010/05/26(水) 18:32:06
ID:.7UwrWaw0
>アラカンというのは「阿羅漢果」のことで、阿羅漢向はアナゴンですね。
桐山さんは「シダゴン向はシュダオンである」と分類し、
Booさんも「アラハン向はアナゴンである」と分類しています。
だが、これも二つの分類をごちゃ混ぜにしているのです。
シダゴン向やアラハン向は四双八輩の分類ですから、
沙門四果の分類であるシダゴンやアラハンを持ち出すのは間違いです。
だから、正確に言うなら、
「シダゴン向はシダゴン向である」
「アラハン向はアラハン向である」
となります。
つまり、「シダゴン向とはシダゴンかシュダオンか?」という
質問自体が間違っているのです。
シダゴン向とはシダゴンでもシュダオンでもなく、シダゴン向です。
シダゴン向と分類したのだから、他に名前はありません。
四双八輩の分類を、分類の違う沙門四果にあてはめようとするのが間違いなのです。
- 847 :深山:2010/05/26(水)
23:03:55 ID:l4ZnzNE.0
- 沙門四果と四双八輩の二つの分類の共通点は次の部分だけです。
シュダオン=シュダオン果
シダゴン=シダゴン果
アナゴン=アナゴン果
アラハン=アラハン果
つまり、沙門四果の分類には「向」は元々ないのだから、
「向」を沙門四果で解釈しようとするのが間違いなのです。
だから、私の分類「シュダオン=シュダオン向+シュダオン果」も間違いです。
まさに両者の分類をいっしょにしている。
ですから、私のこの分類は撤回します。
桐山さんの「シダゴン向はシュダオン」という分類ももちろん間違いです。
シュダオンは沙門四果の分類であり、沙門四果にはシダゴン向という分類はありません。
「シュダオン=シュダオン果+シダゴン向」という準シュダオン分類も
間違いなのは、シュダオン向がはみ出てしまうことをみれば十分です。
二つの分類を一緒にしているうちは全員の説に矛盾が生じてしまう。
だが、両者を別な分類とみなせば矛盾がなくなります。
- 848 :深山:2010/05/26(水)
23:14:13 ID:l4ZnzNE.0
- 聖者第一組・・・シュダオン向 + シュダオン果
聖者第二組・・・シダゴン向 + シダゴン果
聖者第三組・・・アナゴン向 + アナゴン果
聖者第四組・・・アラハン向 + アラハン果
こんなふうに聖者を四組に分けたのが四双八輩(四向四果)という分類です。
シュダオン向が聖者であることは言うまでもありません。
この点は準シュダオンさんがいくら吠えても議論の余地がない。
学校のたとえを前に出しましたが、沙門四果は小卒、中卒、高卒、大卒
という卒業資格のみを取り上げています。
これに対して、四双八輩は学ぶ段階、つまり学生を含めた分類をしたのです。
学生の分類を卒業資格の分類にあてはめようとするから矛盾が生じた。
準シュダオンさんにはまた一つ感謝しなければならないことが増えました。
彼は自説を主張するために理解せずに出した言葉であり、彼の主張そのものは
完全に間違っているが、両者は別だという言葉だけは正しかった。
桐山ゲイカが阿含経を指さしながら、自らは正反対の方向に行ったのを彷彿とさせます。
準シュダオンさん、ありがとう!
- 849 :Boo:2010/05/26(水)
23:50:27 ID:.7UwrWaw0
- 準シュダオンさん、よかったね。批判派に初めて感謝されたんじゃない?
- 850 :Boo:2010/05/27(木)
00:03:55 ID:.7UwrWaw0
- ユビキタスさん、深山さん。レスありがとうございます。
学校の喩えが良くわかりますね。つまり、中卒資格でそれよりも上の学歴を目指さない
学生は中卒というだけですが、高校生は高卒を目指す学生ですが高校卒業までは最終学歴
中卒ですね。しかし、高校に通わない中卒生と高校に通う中卒生とはやはり違う分類となる。
まえに理解したんですが、準シュダオンさんがあんまりこだわるからごちゃごちゃになった。
- 851 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/27(木) 00:15:34 ID:SmEF4Oe2O
- で、四沙門果論であろうが、四双八輩論であろうが、実は桐山アゴン宗においては
もはや議論する価値もないのです。
それはBooさんの言うように桐山教がインチキの塊なんだから意味がないというのも
もっともなんだが、インチキと認めなくても、あちらの方で仏教の四沙門果の悟りを
うちではお役御免と切り捨てたからです。
これは輪廻転生瞑想法を説いたからです。
桐山さんがブラバッキーに傾倒して、自分の思うがままの来世を創造できると説いた時
当然ながら信者のサイドから疑問が湧き、質問が寄せられた。
その質問が、これまで説いてきた究極は生まれ変わらなくなる涅槃を含む
四沙門果の教えはどうなるのだ?どう関連付けて考えればよいのか?と批判など
なく純粋に回答を求めたのです。
その時の桐山回答が「四沙門果はシャカの悟りであり、私の悟りは輪廻転生瞑想法
なのである」というものなんだそうです。
このニュアンスは決して我々はシャカに及ばないから、せめて輪廻の先の手配を
する前段階(?)の法を考案したというものでは決してない。
それならばこんな言い方をしない。
桐山さんはこの輪廻転生瞑想法を創作することによって、シャカもなし得なかった
ことを自分は行い、自分はシャカを超えたと言いたいようです。
つまりシャカの悟り=四沙門果の否定です。
涅槃?生まれ変わらなくなる?
馬っ鹿じゃないの?そんなネガティブな目標よりももっと楽しいポジティブな目標
を持とうよ。だって来世なんて自由に創造できるんだから。
面白おかしゅう暮らせる来世や来々世が待っているのですよ。
どうしてこんな楽しい輪廻を止める必要がある?
これが桐山さんの悟りというか、本音の願望だったんですよ。
仏教なんてつまらない。
永遠の楽しい輪廻を説いたのです。
美男美女に生まれ英雄にもなりもてはやされ金も自由になり・・・
これで輪廻を止める理由がない。
その享楽的な楽しみも含めてこれを苦としたシャカの悟りなんか捨てたというよりも
未だに理解できてなかったのです。
ですから輪廻転生瞑想法の問題に触れずに四沙門果など語ること自体今では
全く意味がない。
- 852 :Boo:2010/05/27(木)
00:37:14 ID:.7UwrWaw0
- >>851
ああ、そうだ。そうだ。
準シュダオンさんは「四沙門果」なんてもう関係無いんじゃないですか?
輪廻転生を面白おかしく繰り返す「桐山悟り」を修行に取り入れているんでしょ?
- 853 :ラシン:2010/05/27(木)
06:50:12 ID:MPjxGTk.0
たしかに深山さんご指摘の通り釈尊は臨機応変、応病与楽という説法で、
そのつど相手に必要な時方をしていましたから厳密な法体系性はありません。
パーリ聖典の大パリニッバーナ経においても、ナーディカ村でアーナンダに説く
四沙門果と四双八輩は、それぞれ分けた文章になっている。
また、四沙門果や四双八輩の直截な単語としての言葉は見当たらない。
ただ訳者が、注釈の意味で括弧付けで加えているに過ぎません。
ただ学説の解釈においては、釈尊の論理において結(果)のみはありえない、
ということになります。
結果を招くには、そこへの発露と過程が必ず存在する。
それがナーディカ村の別文での「二人ずつの四組と八人の人々」の説明でしょう。
だから深山さんの言うとおり、四沙門果や四双八輩(四向四果)を別枠で解説した、
といいう解釈が成り立つが、同時にイコールともなる不即不離、表裏一体の論理です。
釈尊は四つの果実を説いたが、同時にそこへの各過程の価値も説いていた。
しかし論点は、四双八輩が聖者か否かですから、結論は端から見えていた。
まして、批判諸兄が指摘し私も>>827で述べたように、桐山教義は変節し過去の教義は、
準シュダオンさんの言葉を借りるなら「ウンコ」となったのだから、いまさら何を言っても、
外道を公言した桐山教義などを擁護し、いくら斟酌してもダメポということだね。
だからもうやめましょうということじゃからね、じゃんじゃん。
- 854 :Boo:2010/05/27(木)
12:08:45 ID:DXlq9owoO
- さて、四双八輩の議論は、まー365歩譲って、準シュダオン説が正しいとしましょう。そこで準シュダオンさんは輪廻転生瞑想法の実践で、美男美女で大金持ち、あるいわイチロー並の運動能力で大リーグの記録を更新するなど、そんな人生に生まれ変わる事を目標とする外道の教学を支持するのでしょうか?
- 855 :山田奈緒子:2010/05/27(木)
15:58:10 ID:ZXNFvIU.O
- 準シュダオン
お前の悪事はすべてまるっとお見通しだ!
トリック・霊能者バトルロイヤル上映中
よろしくね!
- 856 :Boo:2010/05/27(木)
17:24:11 ID:.7UwrWaw0
- 準シュダオンさんは、外道の教えである「輪廻転生瞑想法」と釈尊の教えである
「四双八輩」および「四沙門果」という一定の修行段階により最終的にニルバーナ
という輪廻転生の終焉した状態を最善とする教えと、どちらを支持するんですか?
それとも都合の悪い展開だとだんまりですか?
- 857 :準シュダオン:2010/05/28(金)
09:47:35 ID:agsP6ENM0
- わたしの主張も、いくらかは、理解されたようですねw。
拘り続けた甲斐があった、ようです。四沙門果、四双八輩は阿含教学の基本、
T丁目1番地ですからね。最初の修行目標を、須陀?向にするか、須陀?果に
するかは大きな問題になってきますよ。
須陀?果を目標にすると、三結を断じれば須陀?果だということが書いてあり
ますから、色々手だてが考えられます。
しかし、須陀?向を目標にすると、雲を掴むような話で、○○をすれば、
須陀?向に成れる、というような教えはないのです。
須陀?果を得ようと修行する者は、皆、須陀?向なわけです。
で、「四双八輩 是謂如来賢聖之衆」と、ありますけどね、一応全部が聖者
として説かれてはいます。しかし、他の経にも聖者が説かれていますけれど、
ある程度の悟りを得た聖者と、須陀?向聖者とは違うことがわかります。
例えば、在家信者の第一日目でも、五戒を守るという点では聖者です。
外道と比較すれば、仏道在家信者の第一日目から、仏道信者は聖者です。
で、管長は、こういうのは本当の聖者ではない、というわけです。
- 858 :名無しさん:2010/05/28(金)
10:02:07 ID:YFqsstWI0
- ≫で、管長は、こういうのは本当の聖者ではない、というわけです。
そうだね、輪廻転生瞑想法の実践が必要だね!(ププ)
- 859 :準シュダオン:2010/05/28(金)
10:11:10 ID:agsP6ENM0
- 「凡や俗」と「聖」は反対語です。仏教辞典にも、聖や凡夫や聖者の定義が
解説されております。須陀?というのは音写の漢語です。訳語では「入流」
とか「預流」と訳されています。流れに入った者、とか、流れを保つ者、とか
の意味ですね。何の流れかというと、聖者の流れ、悟りの流れ、という意味
ですね。
で、経典を読むにつれて、須陀?果からを聖者にするのが妥当だ、ということ
が解って来るのです。しかし、この議論はしばらく、止めておきましょう。
またも、延々とが予想されますからね。
輪廻転生瞑想法は、本が出てないのでコメントしようがありませんね。
誰だって、輪廻転生が避けられないのであれば、良い環境に生まれ付きたい
でしょうよ。
法の鏡では、「三悪道尽 得須陀? 不過七生 必尽苦際」と、説かれて
います。「三悪道尽きて須陀?の境地を得、七回の生まれ変わりのうちに、
必ずすべての苦を無くす(得涅槃)、」という意味でしょう。
管長の言葉で言えば、
「三悪道の因縁尽きて須陀?の境地を得、七回の生まれ変わりのうちに、
必ずすべての苦の因縁を切る(得涅槃)」ということになりますね。
- 860 :準シュダオン:2010/05/28(金)
10:36:14 ID:agsP6ENM0
- 林真理子の「下流の宴」本の登場人物の言葉に、
「私ら貧乏人なんて、もともと品がないんだからさ、それなのにお金追っかけ
まわして、もっと下品になることはないさ」
と、あります。
NHKのテレビ連続小説、「ゲゲゲの女房」は面白いね。テレビでの、
水木しげるの言葉がよかった。「貧乏してても、気持ちまで貧乏になって
はいけん!」と、女房に言うのです。売れない漫画家時代、たまにお金が
入ると妻は節約しようとし、水木しげるは使おうとする。
そのときの、しげるの言葉です。
「あまりしみったれてはいけん、気持ちまで貧乏になってはいけん!」
と、いうのです。
売れない漫画家時代は、赤ん坊に飲ませる粉ミルク代も無かったという。
このような、水木しげるが、何とかヒット漫画を書いて、お金を稼ぎたい、
と思うのは健全な欲望なのであって、否定されるべきではない。
農民は良い農作物を作って、消費者に喜ばれ、お金を稼ぐ。
漁民は良い魚を獲って消費者に喜ばれてお金を稼ぐ。
漫画家は良い漫画を書いて読者に喜ばれ、お金を稼ぐ。
これは健全な欲望なのであって、このような欲望まで仏道が否定するという
のならば、仏道なんて単なる亡国論に過ぎない。
勿論、仏道は、在家に対し、こういう欲望まで否定しているのではないね。
害を与える悪い欲望を否定しているのですね。
- 861 :Boo:2010/05/28(金)
11:34:35 ID:.7UwrWaw0
- >859 :準シュダオン:2010/05/28(金) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
----------------------<中略>------------------------------
>で、経典を読むにつれて、須陀?果からを聖者にするのが妥当だ、ということ
>が解って来るのです。しかし、この議論はしばらく、止めておきましょう。
>またも、延々とが予想されますからね。
>輪廻転生瞑想法は、本が出てないのでコメントしようがありませんね。
>誰だって、輪廻転生が避けられないのであれば、良い環境に生まれ付きたい
>でしょうよ。
ふむふむ?
準シュダオンさんは「輪廻転生瞑想法」のゴホウワ聞いていないの?
- 862 :無関係な人間です:2010/05/28(金) 16:00:13 ID:boSpXzEA0
- さあ、やるぞかならず勝つ第K巻 十分間法話集 桐山靖雄
「幸せな人生を願っているあなたに贈る成功への秘訣! 努力が運を生み、努力が運をよくする。
成功するただ一つの道は、絶対に諦めないこと。
自分自身を信じて歯を食いしばって頑張れば、あなたは人生の成功者になれる。」
という内容だそうです。
それ自体には文句はありません。しかし、私の記憶では、桐山さんは、「いくら努力しても、運が悪ければ
成功をしない。」というのが殺し文句だったはずです。そして、運命を良くするには、焚き火をしたり、
「迷っている先祖が成仏しますように」と祈る必要があったはずです。で、学生時代の私が、その考えに
疑問を呈したら、阿含宗の活動家の諸君から「知性に欠ける」「人間性に問題がある」「これだけ説明
をしても分からないのは、柔軟性がないか、頭が悪いからだ」と散々非難されたのを覚えています。
これは、私の記憶が間違っているのか、桐山さんが無節操だというのか、とちらなんでしょう?
だいたい、桐山さんが、それほど頑張ってきたのかしら? 詐欺の道で精進を重ねた、と言われたら
反論のしようがないけど。
- 863 :Boo:2010/05/28(金)
17:10:35 ID:.7UwrWaw0
- 桐山さんは、論理を使い分けて来ました、その場その場で。
無関係な人間ですさんは不愉快な思いをしたことでしょう。わたしもかつての
活動家として不愉快な思いをさせたことに対しては謝罪したいと思います。
「すみませんでした」
これからも、桐山アゴン宗の詐欺を深く議論したいと思いますので、よろしくお願いします。
- 864 :無関係な人間です:2010/05/28(金) 18:11:39 ID:boSpXzEA0
- いえいえ、Booさんには何も恨みもありませんし、そんな意図で言ったのでもありません。
こちらも「阿含宗をインチキ宗教に例えるのは、インチキ宗教に失礼なのでしないが」とか
「そんな宗教をしていたら、自主性がなくなる」とか、阿含宗の事をぼろくそに言っていました。
「阿含の火遊び」「超尿力」「偶然の産物」(龍神が写った写真を評して)については以前申し上げた通りです。
今考えると、阿含宗や桐山氏にはともかく、信徒の方々の感情を逆撫でしたと深く反省しています。
「こちらこそ、すみませんでした。」
これからも、ご指導、御鞭撻のほど、お願いいたします。
- 865 :名無しさん:2010/05/28(金)
18:12:58 ID:Yosfgnto0
- YouTubeで桐山さんの顔を見たがずいぶん衰えたな。
もう8年以上生で見てないから当然なんだか、ただの爺さんにしか見えなかった。
アゴン宗に戻ることは二度とないが
こんなボケ爺さんに何十年も騙されていたのかと思うとあらためて愕然とするよ。
でも、皆さんのお陰で目が醒め今は普通に生きられることが嬉しいね。
- 866 :色川千景銀座阿含ビルで何があったのかな訴訟被告桐山靖雄:2010/05/28(金) 18:29:48
ID:Qo7jl63I0
- >疑問を呈したら、阿含宗の活動家の諸君から「知性に欠ける」「人間性に問題がある」「これだけ説明
>をしても分からないのは、柔軟性がないか、頭が悪いからだ」と散々非難されたのを覚えています。
> これは、私の記憶が間違っているのか、桐山さんが無節操だというのか、とちらなんでしょう?
もと会員の一人として非常に申し訳ないと同時に、何がしかの慢心があった過去の自分を恥かしく思います。
無関心な人間ですさんが不愉快にさせた言葉は、そのまま阿含宗信者の姿そのものです。
阿含宗信者は、自分達だけ絶対の真理、自分達だけ世界平和を実現させる、自分達だけは他の新興宗教と違うと思い込んだカルト信者そのものですよね。
そこで、私が思い出すのは創価学会です。
今になって考えて見ると、阿含宗と創価学会の会員は全く同じカルトの家畜です。
創価では「人間革命」「人間主義」「絶対的幸福」「幸福製造機」「邪宗撲滅」等と中身の無い単純なスローガンで一千万人の会員を動かして着ました。
同じく阿含は「密教」「超能力」「求聞持聡明法」「守護霊」「成仏法」等と中身の無いキャッチこピ−を次々に繰り出して、会員から金をむしりとって着ました。
人間の欲望、功名心、弱さ、一つのデマで動かされる愚かさ等を巧みに利用して、大量の人間ハクチ状態にして集団行動させて来た点で、二つの教団はそっくり同じに見えるのです。
- 867 :ミケ:2010/05/28(金)
19:05:35 ID:Qo7jl63I0
- >>859 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/05/28(金) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>輪廻転生瞑想法は、本が出てないのでコメントしようがありませんね。
>誰だって、輪廻転生が避けられないのであれば、良い環境に生まれ付きたい
>でしょうよ。
コテハン越法さん、
あなたがどんなに待ちわびても、きっと本は永遠に出ないでしょう。
去年の5月ころから「もう執筆は終わりましたから来月の例祭には出ます」と予告して一年が経過、
今では「輪廻転生瞑想法」そのものが立ち消え、「思念の瞑想法」なるものが新登場しています。
去年「輪廻瞑想法」を考案したT職員は神官の資格があり、「もう供養ではだめだ」ということで瞑想路線を打ち出したそうです。
つまり従来の阿含宗の「先祖供養の総本山」という看板を降ろした訳ですが、
W田さんを継ぐNO.2と目され桐山氏の重要なシンクタンクだった彼女は、今年の星祭直前に辞職しました。
おそらく自分のしたことを客観視できたからではないでしょうか。
コテハン越法さん、
あなたがいうように輪廻転生が避けられないとして良い環境を望むなら、なぜそれが金持ち美男美女英雄なのでしょうか?
そこには心の豊かさという視点が完全に欠落しています。
「巨万の富も権勢も悪因一つあるならばすべて苦の種泣きの種」という聖典の和讃のあれは何?
悪因一つにあるならばすべてオジャンになると教えられたからこそ会員は捧げ尽くしてきたというのに、
シシャモンカもホゴ、先祖供養も和讃もホゴ、全部ホゴ、神道の輪廻転生に路線変更し、迷走を瞑想している。
これからはことば遊びの瞑想がいくらでも出てくるでしょう、ちょうどあなたの百六十心の戯論の垢のように。
ファッショの本質とは言葉を両義的に使い分けることだそうですが、ご存知でしたか。
言葉から一切の厳正さを剥奪して、いかようにも使い分けるのがファッショの核心だそうです。
- 868 :無関係な人間です:2010/05/28(金) 19:20:08 ID:boSpXzEA0
- 色川千景銀座阿含ビルで何があったのかな訴訟被告桐山靖雄さま、いつも素晴らしい投稿と楽しい
お名前を拝見し、感心しております。私も、当時、慢心しており、皆様方を侮辱した事を申し訳なく
感じております。(除 阿含宗ならびに桐山さん)
最近、阿含宗関係の過去ログを拝見していますが、勉強になります。それは、阿含宗という問題に
限らず、人間とか宗教のあり方にも関連し、いくつもの問題提起をしていると感じるからです。
阿含宗というエリアではなく、他のエリア、宗教という問題だけでなく、政治や経済、生活でも起こりうる
事態だと感じます。
「人間革命」も昔、本屋で立ち読みをしましたが、本当にああいうカルトは看板は似ていても、中味は似ていますね。
若い頃は宗教とか思想には無関心でしたが、阿含宗の皆様からお叱り(?)を受けてから、真面目に勉強をし、
皮肉な事に阿含宗のインチキぶりを理解すると共に、人生とか宗教、哲学の本を読むようになりました。
しかし、このサイトで書かれている事の多くは、実際に生じた事であり、生きた教材だと思います。
当時は知らなかった事の真相を知るにつれ、驚く事ばかりです。その次に、考える事ばかりです。
あまりにも多くの人達が、桐山さんに人生を翻弄された事実には、愕然とします。
しかし、慢心とか、思い上がりは、阿含宗の信徒の方々だけでなく、自分にも起こりうる事だと自省の材料だと自戒
しております。自分も過去を考えると、反省する点が多々あります。
では、これからも、よろしくお願いします。益々のご活躍をお祈り申し上げます。
- 869 :名無しさん:2010/05/28(金)
21:45:15 ID:Du0AciOo0
- アゴンには、仏教本来の「煩悩を断つ」という教えが希薄です。
この代わりに、「因縁解脱」「成功」といった教えを持ってきてすり替えています。
煩悩を無くしたら、お導きという教団への勧誘や、財施という教団献金活動が
鈍るので、煩悩を断つ教えを全面に出せないのです。
しかし、この間違った教えのため実害が出ています。
信者は、お導きや供養の多さ献金の額を重視するようになり、
煩悩丸出しでも気にしなくなります。
このため、一生懸命な人ほど、人格が劣っていくことも出てきます。
教祖の誤った宗教指導は、多くの人を邪見に導いてしまう。
教祖の歪んだ人間性は、大勢を不幸にしてしまう。
カルト宗教は、人を不幸にしてしまうものです。
- 870 :深山:2010/05/28(金)
22:00:02 ID:l4ZnzNE.0
- >>857 :準シュダオン:2010/05/28(金) 09:47:35
ID:agsP6ENM0
>わたしの主張も、いくらかは、理解されたようですねw。
あなたの主張は最初から批判側は完全に理解している。
その上であなたが間違いだと指摘しているのです。
私はあなたの主張を理解しているから、正しいなどと書いたことはありません。
あなたの、「沙門四果と四双八輩は違う」という文章だけが正しいと書いたのです。
だが、あなたのこの文章の解釈と主張はまったく間違っている。
私はあなたの上記の言葉をヒントにしてようやく理解したから、
そこにお礼を述べただけです。
桐山さんと違い、他人の本を丸ごと金をとって講義して奥伝などと
いうほどの盗人ではないから、自分が理解する過程で、準シュダオンさんの
一言がとても役だったと感謝しているだけです。
くり返すが、あなたの前述の文章に対する解釈はまったく間違っている。
- 871 :深山:2010/05/28(金)
22:06:24 ID:l4ZnzNE.0
- >>857 :準シュダオン:2010/05/28(金) 09:47:35
ID:agsP6ENM0
>ある程度の悟りを得た聖者と、須陀諸Y向聖者とは違うことがわかります。
>例えば、在家信者の第一日目でも、五戒を守るという点では聖者です。
>外道と比較すれば、仏道在家信者の第一日目から、仏道信者は聖者です。
読者の皆さんよく上記を読んでください。
準シュダオンさんは前は、預流向は聖者ではないと完全否定していた。
昨日帰依したばかりの俗人が聖者なわけがないとあざけり笑っていた。
その人が、見方によっては聖者である、という立場を取るようになりました。
ほんとうに準シュダオンさんて古狸です。
彼はこういうゴマカシをこれまでも何回もしてきた。
この人はしばらくたつと「え?ワシは前からそう書いていたよ」などと
とぼけるようになるでしょう。
一週間もたつと自分が書いたことを忘れて、「四双八輩は聖者なんだから、
預流向も聖者に決まっている。批判側は何て無知なんだww」なんて書くでしょう。
上記の記述も、なんとかこれまでの自分の主張をすり替えてしまおうと、
ゴチャゴチャと書き並べてごまかそうと必死です。
彼は人生においてこういうことをくり返したから、信用をなくし、仕事でも、
アゴン宗でも人間関係が壊れた。
彼のものすごく小狡いところであり、桐山さんと同じ卑怯者なのだが、
しかし、皆さん、彼の進歩と見て、騙されたふりをしてあげましょう。
なにはどうあれ、預流向を聖者だと事実上認めたのです。
- 872 :深山:2010/05/28(金)
22:15:27 ID:l4ZnzNE.0
- >>857 :準シュダオン:2010/05/28(金) 09:47:35
ID:agsP6ENM0
>外道と比較すれば、仏道在家信者の第一日目から、仏道信者は聖者です。
なによりオメデタイのは、アゴン宗では信者とはアゴン宗預流向で、
しかも、預流向は仏教では聖者なのだから、アゴン宗の信者とは聖者です。
つまり、準シュダオンさんも聖者様です!!
おめレとうございますタ!!(花吹雪+鳴り物+2ちゃんのネコの踊り)
これ!批判側の者、ここにおられる準シュダオン様は、誰あろう、聖者様であらせられるぞ。
頭か高い。
まことに畏れ多いことであるから、この件で準シュダオンさんに
レスをつけるのはやめましょう。
ラシンさんもこの件については終了を宣言しましたから、ちょうどよい。
では、準シュダオン聖者様、あなたの人生のいつもの結末と同じように、
独りで好きなだけ吠えていてください。
- 873 :干柿:2010/05/28(金)
22:21:48 ID:BBtat4sE0
- >>867
ミケさん、思念の瞑想は昔ありましたよ。
あまりにも何もなかったもんだからやめたのでは?w
たしか伝法会の合同講義でとつぜん思念の瞑想をします、なんて始まった
こともあり、法の伝授ということでそれまで伝法会の合同講義は伝法会参加
したものであれば無料で出られたものがそれから合同講義だけでもお金を
取るようになったんです。で、瞑想の方はゲイカは結局なにもノウハウなど
もっておらずヨガも素人だし人に教えることなどできず。嫌になったかどうか
しりませんが投げてしまったんですよ。あれほど瞑想の重要性を説きながらなかった
ことのように、で、教えるのは御呪いみたいな祈祷を秘伝の法だとかいって
投げ売りをはじめたわけ
求聞持法もできない不可能だとゲイカ自身認めてしまったようです。(桐止さんの談)
なにもないとは信者に言えないもんだから錬脳塾とやらをはじめて
なんらかすごそうな修行をやらせるみたいなw
まあインチキ、それこそバナナのたたき売りをやっているわけです。
昔やったことの切り売りを最近はじめたみたいですね。
密教占星術と同じパターンですよ、昔、秘伝と称して講義したのを
ン十年たってから、極秘伝とかいって同じものを講義するような
まあ、こんなもんです。これ以上何もありませんアゴンには
- 874 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/28(金) 23:11:45 ID:SmEF4Oe2O
- >>859:準シュダオン10/05/28(金) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>「凡や俗」と「聖」は反対語です。仏教辞典にも、聖や凡夫や聖者の定義が
それを出すならば、桐山さんの文証も忘れてはなりませんね。
「仏陀の真実の教えを説く」に出てくる話で、「あなた方はまだシュダオンに
なってないが、(成仏法の修行をしているのだから)外道でも
凡夫でもない」発言です。
凡夫でないということと聖者はイコールでないなどと言いますか?
ならば凡の反対語は聖なんて自ら書きなさんな。
凡夫と言うが、外道の本来の意味も含めて(仏道以外の信仰)、地獄に堕ちるだの
悪趣だのとしていないのですよ。
平凡な庶民という意味でしかない。それほど酷い扱いではない。
しかしシュダオンにまだなってもいないあなた方も凡夫ではない、平凡な庶民ではない、
非凡な存在なんだと認めたわけです。桐山さんが。
なんでまだ三結も絶ててない未熟者が非凡な御方じゃと言われねばならんのだ?
讃えるならば、せめて三結断ったシュダオン果からを非凡じゃ、凡夫じゃねえ!
と言うべきではないですか?
それでも凡夫にあらずと言った釈尊や桐山さんの真意を説明してみなさい。
>が解って来るのです。しかし、この議論はしばらく、止めておきましょう。
そう、止めておいた方がいいですね。あなたが屁理屈を書くたびに桐山さんからも
邪魔が入る。
- 875 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/28(金) 23:45:03 ID:SmEF4Oe2O
- >>859:準シュダオン10/05/28(金) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>輪廻転生瞑想法は、本が出てないのでコメントしようがありませんね。
著書などまだ出てなくたって、桐山さんは例祭の法話でさんざん話したそうでは
ないですか?そこから判断してあなたの考えを書けばよい。
ちゃんと法話を聞いたのですか?
ネットワーク例祭にライヴで聴聞する必要は必ずしもありませんよ。
法話ビデオがその後道場で常に放映されるのだから、大嫌いなボン行などしないで
それを見ればよいだけです。
やり過ぎでないサボリがちな信者でさえやってる最低限のことです。
それもやっておらず知らないのならアゴン宗のことに口を出さないことです。
輪廻転生瞑想法だけでなく全てのアゴン宗教学にです。
なぜならあなたの出している四沙門果の問題と密接な関係もあるのです。
だから真面目な信者は輪廻転生瞑想法の内容の一端を聴いて、あれ?と思い、
今までの四沙門果の教えと矛盾しますが、どうなんでしょうか?と質問したのです。
その回答が輪廻転生瞑想法はシャカの悟りである四沙門果の悟りとは違う私の悟り
であり、これからは輪廻転生瞑想法なんだと示したのです。
そういう時にこういう経緯も知らずにもはやアゴン宗では古い四沙門果の話を
出すあなたは空気の嫁ない人です。
あなたは私が桐山さんの古い著書から引用すると、そんな話は古いと年代の新しい
著書を出したことありますよね。
ならば常に新しい情報を入手するのが、アゴン宗教学について公の場で語る人の
なすべき義務です。
それができない、できてない、やる気がないならば、輪廻転生瞑想法のみならず
一切のアゴン宗の話を論じるのを止めて、道場に行って勉強し直すべきです。
- 876 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/29(土) 00:20:43 ID:SmEF4Oe2O
- >>859:準シュダオン10/05/28(金) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>誰だって、輪廻転生が避けられないのであれば、良い環境に生まれ付きたい
>でしょうよ。
いや、そんな切羽詰まった話ではない。
あなたの言いたいことはわかります。
生まれ変わらなくなる涅槃を求めたもののそう甘くない。
もう少し輪廻を繰り返す中で、修行を進めて段階的にこれを果たす。
その時にはどうせ生まれ変わるならば、いや、どうしても生まれ変わらねばならない
ならば、せめて五体満足で生まれたいものだと願うでしょうね。
それは自然な欲求だと思います。
しかし桐山さんの描いている輪廻転生妄想法って、そんなささやかなものですか?
美男美女?英雄?大金持ち?
何それ?それが解脱の修行に何の必要があるのか?
かえってそんな妄想は邪魔です。
来世は美男美女で英雄で大金持ち、そのまた来世も輪廻転生瞑想により
美男美女、英雄、大金持ち。
苦しくない恵まれた人生です。
これじゃ涅槃なんか求める気もなくなる。
永久に面白おかしい人生なんだから解脱する必要がない。
桐山さんはそっちの方が面白いと仏教を切り捨てたのです。
- 877 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/29(土) 00:45:55 ID:SmEF4Oe2O
- >>860:準シュダオン10/05/28(金) 10:36:14
ID:agsP6ENM0
>「あまりしみったれてはいけん、気持ちまで貧乏になってはいけん!」
>と、いうのです。
>売れない漫画家時代は、赤ん坊に飲ませる粉ミルク代も無かったという。
>このような、水木しげるが、何とかヒット漫画を書いて、お金を稼ぎたい、
>と思うのは健全な欲望なのであって、否定されるべきではない。
>農民は良い農作物を作って、消費者に喜ばれ、お金を稼ぐ。
>漁民は良い魚を獲って消費者に喜ばれてお金を稼ぐ。
>漫画家は良い漫画を書いて読者に喜ばれ、お金を稼ぐ。
>これは健全な欲望なのであって、このような欲望まで仏道が否定するという
のならば、仏道なんて単なる亡国論に過ぎない。
こんな話を持ってくることがピントはずれなんです。
私は朝ドラを見てないが、水木しげるの漫画やエピソードなら昔よく読んだものです。
氏はコーヒー通のようで、その少し収入が入った頃から貯蓄するよりも一杯の
美味しいコーヒーに金を投じる贅沢をしたことでしょう。
人生の充実という意味では安月給の私でもかなり余暇に投資する。
しかし水木しげるであれ、農業従事者であれ地に足のついた現実努力で財をなして
その結果豪邸でも手にしているではないか?
これと都合のよい輪廻転生瞑想法と一緒に考えないことです。
釈尊も庶民に対して勤勉努力の道を説くのです。
怠けてないで赤ん坊のミルクを稼げと説くわけです。
一方桐山さんは・・・美男美女?何それ?
桐山さんは「守護神を持て」でも書いてましたね。
平凡なぱっとしない田舎娘が守護神をゲットして、美女に変身して玉の輿・・・
こんなくだらない話の弁護にその話は使う場所が違いますよ。
- 878 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/29(土) 08:31:59 ID:SmEF4Oe2O
- >>867:ミケ10/05/28(金) 19:05:35
ID:Qo7jl63I0
>去年「輪廻瞑想法」を考案したT職員は神官の資格があり、「もう供養ではだめだ」ということで瞑想路線を打ち出したそうです。
>つまり従来の阿含宗の「先祖供養の総本山」という看板を降ろした訳ですが、
>W田さんを継ぐNO.2と目され桐山氏の重要なシンクタンクだった彼女は、今年の星祭直前に辞職しました。
>おそらく自分のしたことを客観視できたからではないでしょうか。
これを大問題視したい。
辞めたことに対してではなく、それ以前にTさんが輪廻転生瞑想法を発案して
桐山さんに進言し、のせた責任です。
アゴン宗という企業、商社が商品開発部、企画部というのがあり、自由な権限を
持って独自に新商品を開発して、最後に桐山社長の決裁をもらって普及をはかる
というのならば、これもよい。
しかしその際は輪廻転生瞑想法という商品を指導するのは開発部か開発部の指導に
よって教育訓練された特別普及員たちのはずです。
桐山社長はでんと座っておればよい。銀行マンの接待だけ忘れないでいるだけでよい。
しかしアゴン宗は違いますよね?
他のこと(財務など)はともかく法に関すること、教学に関することは
管長である桐山さんだけがどうこうできるものです。
発案するのも指導するのも桐山さんと桐山さんから直接法の手ほどきを受けた
法務局職員です。(実際にはF田さん含めてそんな職員はいないが)
なぜならシャカの成仏法を発見、体得したのは桐山ゲイカただ一人であり、
この法に口出しできる人などいないはずだ。
しかし現実は供養路線では駄目だなんて発言するのは、桐山教学も桐山さんの力も
信じていない証拠です。
w田さんもそうだが、桐山さんのインチキを見限っている。
それでいながら桐山さんを立てて霊感商法をやらせようとしている。
「ゲイカ、今度は輪廻転生瞑想法なんてどうです?瞑想によって来世を素敵なもの
にしようという新しい企画です。これを打ち出して信者離れを食い止めましょう。
なあに。信者なんてものはあさましいから食い付きますよ」
なんてやったとしたら悪の確信犯です。
新たに適当無責任な霊感商法を立案し普及しようとしたことは、T元職員は
死後地獄に堕ちますよ。はっきり言って。
- 879 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/29(土) 08:52:15 ID:SmEF4Oe2O
- >>867:ミケ10/05/28(金) 19:05:35
ID:Qo7jl63I0
>去年「輪廻瞑想法」を考案したT職員は神官の資格があり、「もう供養ではだめだ」ということで瞑想路線を打ち出したそうです。
>つまり従来の阿含宗の「先祖供養の総本山」という看板を降ろした訳ですが、
>W田さんを継ぐNO.2と目され桐山氏の重要なシンクタンクだった彼女は、今年の星祭直前に辞職しました。
>おそらく自分のしたことを客観視できたからではないでしょうか。
ただし桐山さんのインチキ供養を見限り別の瞑想に替えようという働きかけに
対して、そこに幾ばくかの善意が見て取れるならば、T元職員の地獄行きという
私の突き放しも幾分軽減されます。
それはこういうことです。
「ゲイカ、私はあんたのしもしない指導とは別に神官の資格もとりましたし
そちらの方でも修行しました。その他の独自の研究や修行も進めています。
今回提案申し上げる輪廻転生瞑想というのは、実はこれ真面目なものなんです。
これはブラバッキーの思想に基づくものなんです。
もちろん私は瞑想をやったからって来世にどうなるか確証などはございません。
しかしこれはあくまでも思想なんですから、その思想を信じて行動することは
自由です。ひとつこういう路線を打ち立ててみてはどうでしょうか?
少なくとも霊視もインチキなあんたの供養路線という阿漕な霊感商法よりは
健全なものではないかと思います。
え?瞑想法の内容ですか?難しいものではございません。
常に心に豊かな笑いをとか、誰にでも実践できるものです。ええ、ゲイカでも
今この瞬間からできることでございます。だから指導はゲイカが最適でございましょう」
と、そこまであからさまに言わないまでも、そういう意図魂胆があれば、私は
これにそれほど悪意を感じない。
しかし桐山さんが面白いと取り上げてくれたはいいが、やれ美男美女だの英雄だの
大金持ちだの桐山さんのあさましい欲望の反映に過ぎず、ブラバッキーの路線とも
異なる(のかどうか知りませんが)現実を見て、さすがのTさんも「駄目だこりゃ」
と幻滅を感じ見限って退職したと言うのならば、その善意らしきものもあった
ことは認めます。
ミケさん。この辺はどうなんでしょうか?
- 880 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/29(土) 12:56:44 ID:SmEF4Oe2O
- >>867:ミケ10/05/28(金) 19:05:35
ID:Qo7jl63I0
>今では「輪廻転生瞑想法」そのものが立ち消え、「思念の瞑想法」なるものが新登場しています。
これについても質問したいのですが、これは1997年に集中的にやった思念による
王者の相承ゴッコですか?
桐山さんが発信道場から「これから諸君に思念を送ります」と言って約1分間
何かを送っているかのようなふりをする。
受け取る信者の側も実際には何も感じられなくても何かが送られてきているはずだと
基本の丹田呼吸でもしながらその気になる。
繰り返しているうちに将来はこれを受け止めることができ、何かプラスになって
いるのだろうという思い込みです。
他愛のない話で言葉も技術も不要で、時間潰しにはもってこいです。
結果がすぐに出ることなど期待しなくていいからです。
これは輪廻転生瞑想法もそうで、結果は来世になるまで待たねばならないので
現世では単に期待を持たせるだけでよい。
因縁解脱、ガンの因縁を切るなんて話になると現世のうちに「因縁が切れずに
ガンになっちゃった!」なんてヤバイ話に遭遇する危険性大ですからね。
- 881 :色川千景マーシャルアーツバレエで真ん中で踊ります訴訟被告桐山靖雄:2010/05/29(土)
18:38:01 ID:Qo7jl63I0
- 話に出てきた錬成道場だが、本来は管長自ら求聞持法や七科三十七道品等の高度な修行法を伝授して飛びぬけた天才を輩出するはずだった。
ところが、修行のカリキュラムを編成しているのは北海道本部の津田職員。
これも問題ではないのかな。
初級コースはは、太極拳や歩き方やらプールでの運動などの健康法と最期にほんの短時間の滝行。
火の行水の行と称して、幾つかの段階を経て最終的に習得できるのは、大日修験護摩としょうする管長秘伝の護摩法とか。
つまるところ、インスタントに護摩の祈祷師を作成するに過ぎない。
人を超能力者に変身させるはずの成仏法やグモンジ法の片鱗はどこにも見られません。
いつか成仏法や求聞持法を教えてくれるだろうと何十年もやってきて最期に出てきたのがとっくに許し状を貰ってる護摩法。
そして、いつか頂けると信じて待ち続けた守護神は、ホームセンター数千円で売ってるような社一つ。
全てに中身が無い、何も無い!
- 882 :Boo:2010/05/29(土)
20:41:50 ID:.7UwrWaw0
- >881 名前:色川千景マーシャルアーツバレエで真ん中で踊ります訴訟被告桐山靖雄 投稿日: 2010/05/29(土) 18:38:01
ID:Qo7jl63I0
>話に出てきた錬成道場だが、本来は管長自ら求聞持法や七科三十七道品等の高度な修行法を伝授して飛びぬけた天才を輩出するはずだった。
>ところが、修行のカリキュラムを編成しているのは北海道本部の津田職員。
これってソースは信用できるのですか?
本当ならば衝撃事実ですね。
- 883 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/29(土) 21:14:41 ID:SmEF4Oe2O
- >>881:色川千景マーシャルアーツバレエで真ん中で踊ります訴訟被告桐山靖雄10/05/29(土)
18:38:01
ID:Qo7jl63I0
>ところが、修行のカリキュラムを編成しているのは北海道本部の津田職員。
はい、これでT田職員も地獄逝き決定ですね。お気の毒に。
こんなものを提案する奴がいるか?
こんなことまでして点数稼ぎしたくない。
私が押し付けられたら職務ごと退職します。
しかし桐山さんも企画力ゼロ、アイデア貧困皆無ですね。
こういうことをするなら信者を騙さないで正直に話したらどうか?
今回錬成道場で伝法する基礎メニューは実は私の発案ではない。
私は知識も経験もないから思いつきもしない。
そこで某本部道場の職員に作らせてみた。
彼なりに勉強して、たぶん少しは何らかの効果もあるだろうと想像して作った。
よかったら試しに受けてみなさい。もちろん有料かつ資格を要するが。
輪廻転生瞑想法もそうです。
この度某職員より輪廻転生瞑想法なるもの発案があり、私もなんか面白そうだから
これを採用してみたいと思う。
具体的なメニューはこれから検討してみようと思う。
何しろ俺の着想でもないのだし。
このように正直に示すべきです。
え?そんな馬鹿正直示したら商売にならん?
そうです。人を騙す商売です。
- 884 :深山:2010/05/29(土)
21:55:17 ID:BZTgfXBc0
- >>867:ミケ10/05/28(金) 19:05:35
ID:Qo7jl63I0
>去年「輪廻瞑想法」を考案したT職員は神官の資格があり、「もう供養ではだめだ」ということで瞑想路線を打ち出したそうです。
すごい情報ですね。
これは批判側よりも、信者さんたちに価値のある情報です。
輪廻転生瞑想の是非はさておき、桐山ゲイカはこの瞑想法によって、
釈尊を越えたと宣言した。
釈尊を越えたというのだから、仏教を越えたというのです。
それほど素晴らしい内容が、実は桐山さんが編み出したものではなく、
商品開発部の職員のアイデアだった。
桐山さんは修行につぐ修行のはてに輪廻転生瞑想法という究極の修行法に到達したはずです。
ところが、それは職員というただの俗人で、解脱もしておらず、
仏陀の智慧も持たない凡人の思いつきの案だった。
修行のはてに得られた悟りであるはずの修行法が、実はただの俗人の思いつきです。
信者さんたちはこれを聞いて、いくらなんでもおかしいと思わないか。
- 885 :干柿:2010/05/29(土)
21:58:09 ID:BBtat4sE0
- そういえばサイバネステック求聞持堂でしたっけ?
錬成道場以前にハイテクを駆使して、そこに入れば、ただの人でも
天才に仕上げてしまうみたいな、そんなこと言ってましたよね。
で、自分じゃ実はなにも出来ないもんだから、これの責任者に桐止さんが
させられて色々と努力していたようです。瞑想センターの陰と陽の瞑想室
なんてのは当時、雑誌のムーなどにα波発生装置とかの広告をだしていた
橋本教授だったか、その人の協力を得て電線を張り巡らせて電磁波を発生
させたりして作っていたようで、結局、求聞持法だけは前衛科学的
なもんではどうにもならないので、ゲイカの知恵をだしてもらうように迫ると
一言「出来ない」で終わりだったそうです。・・・
これ以来、アゴンから事実上、求聞持法は消えたのです(といっても最初からないようなもんですが)
でも、信者にはそうは言わず、なるべく出さない様にはしながらも、ときどき
ちらりと眼の前のニンジンみたいにだしてきてあおったりするのです。
ほんとうに姑息で汚いやりかたですねw
- 886 :深山:2010/05/29(土)
21:59:50 ID:BZTgfXBc0
- >>867:ミケ10/05/28(金) 19:05:35
ID:Qo7jl63I0
>去年「輪廻瞑想法」を考案したT職員は神官の資格があり、「もう供養ではだめだ」ということで瞑想路線を打ち出したそうです。
私はこの話を聞いてもさして驚きません。
というのは、桐山さんの修行法なんてみんなこんな程度の、
どこかのゴミ捨て場から拾ってきたような代物だからです。
因縁解脱は2ちゃんねるで説明したように立正佼成会からのパクリです。
霊障の話は、真光系の教団との共同講演会で仕入れてきたネタです。
火の呼吸は、バジアンさんから仕入れたネタで、桐山さんは
すでにクンダリニニーを覚醒していたという逆ネタです。
最高裁の裁判官を自称する人が、六法全書を初めて見たと言っているようなものです。
後の、仏陀の法の受け入れの秘儀で、アジナチャクラに触れるのも
バジアンさんからのパクリです。
密教食は藤本さんから提案されて商品化すると、まるで自分が
修行過程で体得したかのように大宣伝するばかりで、藤本さんのフの字も出てこない。
十三人救いの輪運動も婿殿局長の提案で、十三は百万人の教団にするためには
信者一人が何人導けばよいかという算数から出てきた数字です。
脳梗塞になって、寝る前に水を飲むように医者から言われると、
これを健康法として信者に浄水器を売った。
これらを並べてみればわかるように、桐山教の大半は
その場しのぎの他人のアイデアの寄せ集めにすぎません。
だから、輪廻転生瞑想法が職員の発案による「新商品」だというのは
桐山さんにしては珍しいことではありません。
- 887 :深山:2010/05/29(土)
22:09:43 ID:BZTgfXBc0
- >>867:ミケ10/05/28(金) 19:05:35
ID:Qo7jl63I0
>去年「輪廻瞑想法」を考案したT職員は神官の資格があり、「もう供養ではだめだ」ということで瞑想路線を打ち出したそうです。
職員や信者からのアイデアをそのまま使った事例としては
E川さんが書いた『メシア出現』があります。
「内弟子」だったE川さんから、桐山さんが地球救済のメシアであるという
文章を提出され、メシアという言葉にすっかり酔いしれた桐山さんは
これは使えるとピンと来たのでしょう。
平河出版社に命じて作られたのかあの本です。
桐山さんはその二年ほど前の1988年の『一九九九年地球壊滅』で、
アメリカに現れたメシアを自分が補佐するという形の小説を書いた。
1985年には「ヨハネの後に来るお方」、つまりメシア(=キリスト)は
自分だと本に書いたくらいの桐山さんだから、気分はすっかりメシアだったのでしょう。
それを内弟子はすかさず、メシアでヨイショした。
地球壊滅と、因縁診断による横変死八割と脅かされていた信者たちは、
恐怖心からメシア連呼を始めた。
一見、何かの宗教運動のように見えながら、こうやって元をたどると、
信者さんたちが忘れようとしている桐山ゲイカの元愛人が始めたヨイショ運動です。
修行だと思っていたことは愛人の発案であり、供養だと思って
出した金は愛人に使われていた。
つまり、信者さんも私も桐山さんとE川さんの手の上で転がされていたのです。
- 888 :深山:2010/05/29(土)
22:16:28 ID:BZTgfXBc0
- >>867:ミケ10/05/28(金) 19:05:35
ID:Qo7jl63I0
>去年「輪廻瞑想法」を考案したT職員は神官の資格があり、「もう供養ではだめだ」ということで瞑想路線を打ち出したそうです。
桐山さんはこんなふうに、何か本のネタはないかといつも捜している。
その前の『守護霊の系譜』(1986年)は、中山忠光卿の霊障のバカ話、
『守護仏の奇跡』(1987年)はハワイ在住の信者の体験談、
それらを中心に、仏舎利や小田師を騙して伝法を受けた話などで
色づけして、宗教小説を膨らませたにすぎない。
桐山さんはいつもこうやって何かネタを捜しては本に書き上げ、
やれ伝法だ、やれ新しい教義を教えるなどと宣伝して信者を釣る。
T職員からの輪廻転生瞑想は、桐山さんにとって久しぶりの新ネタだった。
だが、桐山さんの講義を聞いた者たちからすらも、従来の教えとは
百八十度も違う内容に批判が入ったのと、桐山さん自身にもはや
矛盾をゴマカシながら書く能力が失われているからでしょう。
従来の教義との整合性をとるのはかなり難しい。
しかも、阿含経講義の下巻を出さなければならないのに、
これを否定するような内容の本を同時に出版することになります。
だが、桐山さんは本の原稿を書いてしまったように、矛盾とは感じていない。
なぜなら、彼の目的と本音は、仏道修行などではなく、釣れそうなネタで
その場しのぎに本を書き、人と金集めをすることだからです。
- 889 :深山:2010/05/29(土)
22:22:59 ID:BZTgfXBc0
- >>867:ミケ10/05/28(金) 19:05:35
ID:Qo7jl63I0
>去年「輪廻瞑想法」を考案したT職員は神官の資格があり、「もう供養ではだめだ」ということで瞑想路線を打ち出したそうです。
ユビキタスさんも指摘している『守護神を持て』での、さえない女性が
守護神をもらったら急に美人になったという話にいたっては、失笑です。
テレビの露骨なCMでさえも、ここまでひどくはない。
あれを読んだ時、あれほど口がうまく人を騙すのが上手な桐山さんも
ここまで落ちてしまったかと、客の前で手品に失敗した往年の手品師を見るような
一抹の寂しさを感じました。(笑)
だから、輪廻転生瞑想法の本を出したら、信者でさえも批判できるような内容でしょう。
ついに仏教を否定して、化けの皮がはがれて外道の姿で出てきたと、
あざ笑ってやろうと待っていたのに、出版されないのは本当に残念です。
だが、実はそんな桐山さんの渾身の一作も、彼のオリジナルではなく、
凡夫の職員のアイデアだったというのです。
信者さんたちはそこにショックを受けてほしい。
寝る前に水を飲めという健康法と違い、アゴン宗の信仰に深く関わる部分であり、
釈迦を超えたとまで宣言した内容が、なんと職員の発案だったのですよ。
輪廻転生瞑想法とは、信者に売るための商品の名前だと気が付きませんか。
光和から出ていた「冥徳饅頭」と同じレベルです。
- 890 :深山:2010/05/29(土)
22:27:45 ID:BZTgfXBc0
- >>867:ミケ10/05/28(金) 19:05:35
ID:Qo7jl63I0
>去年「輪廻瞑想法」を考案したT職員は神官の資格があり、「もう供養ではだめだ」ということで瞑想路線を打ち出したそうです。
ミケさんにお願いしたのは、ぜひ、わかる範囲で、もう少し、
輪廻転生瞑想法とT職員の顛末を詳しく記述してもらえませんか。
信者さんたちに、桐山さんのいう法とはこんな程度のものなのだ、ということを知ってほしいからです。
信者さんたちの多くは、桐山さんは奥伝、秘伝をたくさん持っていて、
それを長年の修行の過程で手に入れ、体得して来たと信じている。
だが、そんな物は一つもなく、昔なら神田の古本屋街など、その場その場で
どこからか拾ってきた他人のアイデアや、ひどい場合には他人の本を丸写しにして、
いかにも修行法であるかのように宣伝して、信者を釣って、人と金を集めるのが
桐山さんの手法だと気が付いてほしいからです。
- 891 :無関係な人間です:2010/05/29(土) 22:33:42 ID:crPxvmKo0
- なんか、すさまじい話ですね。深山さん初め皆様の文章を読みながら唖然としております。
こんな話がこの現在に、日本にあったのだと。
>>881
そう言えば、学生時代に「マーシャルアーツバレエ」という言葉を阿含宗の方から聞いた記憶があります。
宗教と踊りが結びつかなかったので、その人が偶然、個人的な趣味で「マーシャルアーツバレエ」
をしているのだと思い込んでいました。
生まれ変わったら、「美男美女金持ち英雄」になるのはいいです。でも、私は生まれ変わっても
「美男美女金持ち英雄」でなくてもいいから、阿含宗や桐山さんとは無縁な人生をやはり
送りたいと願います。
- 892 :名無しさん:2010/05/29(土)
23:16:58 ID:Yosfgnto0
- 今回の件でもアゴン宗がゴキブリ宗教であることが白日の下にさらされてしまいましたね。
ホントこんなのは間違いなく糞宗教だわ。
信者さん、可愛そうに汚物まみれなのに自分の姿が分からんのだよ。
しょ〜もないな 自分で気付くしかないしね、ホント弱ったもんだ。
- 893 :Boo:2010/05/30(日)
00:00:44 ID:.7UwrWaw0
- >892 :名無しさん:2010/05/29(土) 23:16:58
ID:Yosfgnto0
今回の件でもアゴン宗がゴキブリ宗教であることが白日の下にさらされてしまいましたね。
ホントこんなのは間違いなく糞宗教だわ。
信者さん、可愛そうに汚物まみれなのに自分の姿が分からんのだよ。
しょ〜もないな 自分で気付くしかないしね、ホント弱ったもんだ。
これはちょっと言い過ぎではないですか?
教団は汚物ですが、信者さんは被害者でもあるわけですから。
- 894 :名無しさん:2010/05/30(日)
00:10:10 ID:Mklgu.uA0
- 守護神を持てを書いたのはE川さんです。
- 895 :名無しさん:2010/05/30(日)
01:45:30 ID:BBtat4sE0
- >>892
そんなこと言っても大半の信者は裏情報なんか知らないし
自分から阿含宗以外のまっとうな仏教を勉強してみようとかしないし
管長ゲイカのおっしゃるとおりにすれば間違いない
と信じ込んでいるわけであって
阿含宗に限らず信者って、そんなもんじゃないの、基本的には
>>894
違うでしょ!
そのころはすでに出入り禁止となっていた身のはずです。
- 896 :ミケ:2010/05/30(日)
08:46:21 ID:woLm0HAY0
- >>860 :準シュダオン:2010/05/28(金) 10:36:14
ID:agsP6ENM0
>林真理子の「下流の宴」本の登場人物の言葉に、
>「私ら貧乏人なんて、もともと品がないんだからさ、それなのにお金追っかけ
>まわして、もっと下品になることはないさ」
>と、あります。
コテハン越法さん、
あなたのこういう言葉の使い分けの両義性を薄汚れているというのです。
会員に対して同じ言葉を言ってみてください。
石を投げられても文句はいえません。
いつ会員がお金を追っかけまわしたのですか。
どうしてそんなそらとぼけたたわ言をほざくことがお出来なのですか?
あなたの言葉はレトリックだけだ。
そうして白を黒と平然と言い換える。
いつもお金に追っかけまわされているのが会員なのですよ。
アゴン宗の搾取に追い立てられている会員に「貧乏人の品性」について口舌を垂れることができる
あなたの品性について再考をお勧めします。
- 897 :ミケ:2010/05/30(日)
09:08:50 ID:woLm0HAY0
- >>873 :干柿:2010/05/28(金) 22:21:48
ID:BBtat4sE0
>たしか伝法会の合同講義でとつぜん思念の瞑想をします、なんて始まった
>こともあり、法の伝授ということでそれまで伝法会の合同講義は伝法会参加
>したものであれば無料で出られたものがそれから合同講義だけでもお金を
>取るようになったんです。
今回の思念の瞑想もそのようなものだったらしいですね。
例祭の参拝者へ全員に5分間ほど思念を送るという瞑想ごっこですね。
>求聞持法もできない不可能だとゲイカ自身認めてしまったようです。(桐止さんの談)
桐止めさんはそのことがアゴン宗を辞める大きな理由の一つだと書かれていましたね。
会員諸氏はこのままお護摩の祈祷師で終る修行に、なぜ違和感を覚えないのでしょうか?
桐山氏の捏造したネタで頭をいっぱいにして人生を終ってしまうのでしょうか?
コテハン越法さんと同じように・・・
最近の干し柿さんが吹っきれたように明るくて、蔭ながらとてもうれしくおもいます。
- 898 :ミケ:2010/05/30(日)
09:17:17 ID:woLm0HAY0
- >>879 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/05/29(土) 08:52:15
ID:SmEF4Oe2O
このレスは非常に核心をついています。
わたしに退会を決意させてくれた大切なことなので考えをまとめて
ユビキタスさんにきちんとレスポンスいたします。
- 899 :ミケ:2010/05/30(日)
09:24:27 ID:woLm0HAY0
- >>890 :深山:2010/05/29(土) 22:27:45
ID:BZTgfXBc0
出来る限りやって見ます。
これはユビキタスさんへのレスポンスと重なる内容ですが、わたしにとって非常に大切な問題です。
かなり仏教から逸脱するので書かないでいましたが、本当はこれこそが桐山氏の真実だとおもっています。
- 900 :色川千景花束を渡すのは私だけ訴訟被告桐山靖雄:2010/05/30(日) 09:44:34
ID:COucC5cc0
- >>882
20年以上前から内陣に入っていた先達から聞きました。
若いアゴン宗僧侶が、悩んで相談に来るような方で様々な人脈を持っています。
おそらく間違いではないでしょう。
少なくとも一職員が編成した程度の貧相な内容でした。
ビデオでの太極拳、ウォーキング、錬成道場横のネットに上り下り、簡単な暗算を繰り返す、ホテルでのプール運動等。
最後にお滝場でお滝を浴びて九字を切って終了。
求聞持法や成仏法で天才や超能力者を養成するには程遠い健康教育です。
- 901 :準シュダオン:2010/05/30(日)
10:11:10 ID:agsP6ENM0
- ミケってのも馬鹿野郎さんだねw。
わたしが何時、会員はお金を追いかけまわしてる、とレスしたかね?
「下流の宴」本のP124に、貧乏人は云々のこと、書いてあるよ。
現代の格差社会を鋭く突いた、林真理子氏の力作だよ。
フリーター等から抜け出すことの難しさと、それについての年代間の
思考格差をうまく描いておりますよ。
また、下流の宴の主題を、吹き飛ばすような、対象的な夫婦を描いてるのが
「ゲゲゲの女房」ですね。作者の武良布枝さんは、自分の人生を振り返って、
幸せだ、と書いている。林真理子さんは、今の格差時代、家庭環境、結婚、
就職など、幸福度は入口でほぼ決まるのではないか?と、小説を通して書いて
いる。しかし、武良さんは違う。武良さんの結婚の入口は、売れない貧しい
漫画家とのスタートです。
赤ん坊の粉ミルク代も無く、電気料金も払えずに電気を止められ、ローソク
の明かりで夫は漫画を描いたこともあったと、書いてます。
水木氏は赤紙で兵隊に召集され、出征するときには親戚などから沢山もの、
お守りを頂いたそうである。しかし、九州からパラオ諸島に向かう船の上
から、すべてお守りを捨てたという。だから自分は助かった、などと水木氏
はうそぶいています。水木氏の部隊は全滅していますからね。
だが、水木氏は神仏を否定しているのではない。
それでも、お守りを捨てたという、奥の深さを考えて見るのも面白いでしょう。
- 902 :名無しさん:2010/05/30(日)
10:12:48 ID:9GESxCzY0
- 次のスレタイを考えてみました。
「無間地獄への片道切符」
「欺師と妄想の果てに」
「崩れゆく虚構と妄想」
「銀狐の終章」
「三途の川へ集団ダイブ」
「シッポ如来と銀狐」
「地獄へと行進する集団」
「馬脚を露わす悪魔」
- 903 :名無しさん:2010/05/30(日)
10:34:12 ID:9GESxCzY0
- もういっちょ
「増える批判・減る擁護」
「釈迦超えた桐山(笑)」
「マスヲの砂場で宗教ごっこ」
「自己愛性人格障害の王様」
「信者のエサ作りも大変だあ」
- 904 :ミケ:2010/05/30(日)
12:02:06 ID:8HR0RuwI0
- >901 :準シュダオン:2010/05/30(日) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>ミケってのも馬鹿野郎さんだねw。
>わたしが何時、会員はお金を追いかけまわしてる、とレスしたかね?
ん?やっとレスしてくれましたね、コテハン越法さん。
あなたは人を韜晦する文を書くことに長けている輩の常にたがわず、
人の文章を読解する能力が相変わらずありませんね。
あなたのレトリックについてわたしはレスしました。
林真理子の著作の詳細などどうでもいい。
あなたがこのスレッドに引用した貧乏人の品性、
その文脈においてあなたがやっている常套手段についていっているのです。
わたしがあなたの薄汚いレスの文脈を読み取ったからといって、
林真理子の著作の素晴らしさをとうとうとレスポンスするのはおかしいです。
あなたに引用される林真理子がお気の毒です。
ところでコテハン越法さん、
あなたにはわたしのレスが見えないのだとおもっていたのですが、
こうしてレスしてくれたところを見るとちゃんと見えていたのですね。
良かった良かった
以前あなたがユビキタスさんを愚弄した胎蔵界法の無分別観のトンデモについて、
あなたのお馬鹿さんぶりを問い質したわたしのレスに是非レスポンスをお願いします。
このスレであなたにお目にかかるまで、あんなタワケをいう会員をわたしは寡聞にして存じ上げませんでした。
コテハン越法さんによる無分別観越法の解説を、楽しみにお待ち申し上げます。
桐山氏はゴマの祈祷師になれといっているのだから不動ゴマについても大いに啓蒙してください。
- 905 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/30(日) 12:44:27 ID:SmEF4Oe2O
- では私もサブタイトル候補をば一つ。
【アジャリ様に三笑】
三礼ではなく三笑なのは1日に3回笑うと来は明るいという輪廻転生瞑想法の
中伝及び奥伝ですね。
しかし作り笑いはいかん。
どこかのアジャリ様は馬鹿馬鹿し過ぎて腹の底から笑えますぜ。
- 906 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/30(日) 17:26:00 ID:SmEF4Oe2O
- >>862:無関係な人間です10/05/28(金) 16:00:13
ID:boSpXzEA0
>成功するただ一つの道は、絶対に諦めないこと。
>自分自身を信じて歯を食いしばって頑張れば、あなたは人生の成功者になれる。」
>という内容だそうです。
>それ自体には文句はありません。しかし、私の記憶ででは、桐山さんは、「いくら努力しても、運が悪ければ
>成功をしない。」というのが殺し文句だったはずです。
その通りです。これはよい視点です。
朔日護摩の法話で桐山さんが雑誌などから紹介している成功体験談、人生訓自体は
間違っていません。しかし普段から説いている因縁教学から見ると、これは矛盾する
話なんです。
あの話に出てくる成功者というのは、例えば中途挫折の因縁とかが無かった
恵まれたケースということができる。
また中途挫折などの因縁があったとするならば「因縁解脱」の特殊な「成仏法」
などなくても普通人の努力で断ち切れたことになる。
だからあの法話はアゴン宗的には意味がないはずなんです。
桐山さんは「変身の原理」などで偉そうに説教を垂れる高僧を批判してました。
そんなことを言う暇があったら行方不明になった子どもを探し出してくださいよ。
人、我を低級な拝み屋、祈祷坊主と呼ぼうとも、我は祈る。誇りを持って。
なんてカッコいいことを書いていた。
もちろん著書に紹介した作り話その他以外に行方不明者を探し出す法力なんかありません。
あるのなら、北朝鮮の拉致被害者出してみろや。
結局苦しい時こそ心の安定は重要なんだから、それを説く説教は気休めではない。
説教を否定した桐山さんが間違っていたのです。
尚も桐山さんのいい加減なところは、自分が少し有名に偉くなると、今度は逆に
自分が高僧の如く偉そうに説教を始める。
それが自分の示した教義とも矛盾してさえも、それすら気付かずにマトモな話を
して、立派な人に見られたいという虚栄心の現れです。
この虚栄心は朔日護摩の法話だけでなく、「現世成仏」で「まだ早すぎる」と
しながらも、自分の半生、自叙伝を書いたのもそうだし、総本山建築の際に、妻の闘病祈願を言い訳に
自分の銅像まで建てさせたのもそうです。
- 907 :名無しさん:2010/05/30(日)
18:02:56 ID:9GESxCzY0
- さらにもういっちょ
「俺は一生ヒト騙す」
「煩悩まみれのブッダ様」
「ホラ吹き一代男」
「来世は英雄金持ちか(笑)」
- 908 :無関係な人間です:2010/05/30(日) 19:03:41 ID:kK7wVrys0
- >>906 コメント、ありがとうございました。
当時の阿含宗活動家の皆様は本気で桐山さんの事を尊敬していたと感じていました。桐山さんの唱導する
「因縁切り」理論も真剣に信じていたと思います。こちらは、だから阿含宗はともかく桐山さんの悪口は控えましたし、まさか
桐山さんが売り物の「因縁切り」理論をこんなに軽く扱うとは予想すらしていませんでした。
しかし、これでは阿含宗の会員諸氏は、二階にあげられてはしごを外されたようなものではないかと
感じます。私は桐山さんがインチキだし、因縁切りもインチキだと攻撃をしていた人物ですが、
こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
と、言うよりも、会員の方々にものすごく失礼な話だと思います。
それに、これって、自分の過去の言動と無茶苦茶に矛盾するのですから、よほど頭の悪い人でない限り、
おかしいと気がつくのではないかしら? すると、退会者や転向者が増加する可能性があり、
自分で自分のクビをしめる行為のような気がします。それとも、会員は洗脳されていて、頭が悪い人物が大半で
深山さんが言うところの「宗教家畜」で、もう、自分の言う事を疑わないという絶対の自信でもあるのかしら?
私は、さすがに、そんな事はないとは信じたいのですが。
- 909 :深山:2010/05/30(日)
21:18:30 ID:Gri3U17U0
- >901 :準シュダオン:2010/05/30(日) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>ミケってのも馬鹿野郎さんだねw。
さすがはアゴン宗の聖者様だけあって、口の汚いこと、すばらしい模範を示した。
それって、準シュダオンさんの親に習ったのですか、それとも桐山ゲイカ直々の指導ですか。
どうやら、自分を批判する相手には敬称もつけず、馬鹿野郎などと罵るように
親と桐山ゲイカからシツケられたらしい。
その口の汚さからいくと、準シュダオンさんはアゴン宗預流向どころか、
アゴン宗シダゴンの資格は十分にあります。
なにせ、アゴン宗アラハンの桐山ゲイカの罵倒ぶりは有名です。
アゴン宗アラハンは「この馬鹿つまみ出せ!」で、
アゴン宗預流向様は「馬鹿野郎さんだねw」。
品性の下劣なこと、実によくお似合いの師と弟子です。
- 910 :深山:2010/05/30(日)
21:26:52 ID:Gri3U17U0
- >901 :準シュダオン:2010/05/30(日) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>ミケってのも馬鹿野郎さんだねw。
準シュダオンさんは口の汚さでは低評がありましたね。
みんなから何度も何度も注意され、屁理屈を言いながらも、一時はおさまるのだが、
しょせん付け焼き刃だから、こうやってすぐにアゴン宗聖者様の本性を暴露する。
あなたがこうやって相手を罵ったり、露骨な上から目線で書くときは、
痛いところを突かれて、反論に詰まった時です。
ユビキタスさんへのひどい罵りぶりを私が引用してあげたこともある。
当然、忘れているだろうから、また引用してあげましょう。
スレが汚れるのはご勘弁願って、準シュダオンさんの前世「如来の子孫」の発言を並べてみましょう。
きっと、どこかの卑怯者の聖者様は「如来の子孫がワシだとも、
ワシでないとも書いていないw」などと、姑息な屁理屈をまた並べるでしょう。
- 911 :深山:2010/05/30(日)
21:28:30 ID:Gri3U17U0
- [379]如来の子孫 08/02/27 10:23 lPSJb/jtbq
本当にダメ元馬鹿信者くんはレベルが低いよ。
[394]如来の子孫
08/02/28 10:48 lPSJb/jtbq
何を言うか!この駄目元馬鹿信者!
[422]如来の子孫 08/03/01 13:55
lPSJb/jtbq
ないだろうね?駄目元信者くんは。
なにしろ単細胞だからね、きみは。
[430]如来の子孫 08/03/01 16:02
lPSJb/jtbq
馬鹿につける薬は管長如来にもないからなあ。
大笑いだ。
この大バカ元信者くんに座布団4枚だー、(歌丸調)
ほんと、馬鹿だなあ、護摩木を買って、他人にも勧進し、間に合わな
い時は、自身で負担しても違反にはならないだろう。
[436]如来の子孫
08/03/01 16:47
lPSJb/jtbq
護摩木勧進も施本も、自分がしてないから他人もしてないだろう、
とか、邪推してはいけないよ、アホバカ元信者くん。
[443]如来の子孫
08/03/01 18:48
lPSJb/jtbq
管長如来からお金をもらって喜んでるようでは、ろくな修行者では
ないよ、トイレ掃除くん。
[465]如来の子孫
08/03/02 19:00
g0PI9DrfTl
ダメバカモン元信者くんにはつける薬がない。
桐山如来にも救えんでしたか。
ひねくれすぎているからなあ。
今までの修行・梵行は、私利私欲のものであったことがよくわかる。
アホだ。
[466]如来の子孫
08/03/02 19:12
g0PI9DrfTl
アホバカ元信者は、自分がろくな修行もせずに、桐山管長如来に
悪態ばかりついている。お笑いだ。
もう少し、修行なり、梵行してから文句言え。
[470]如来の子孫
08/03/02 20:14 g0PI9DrfTl
ダメアホ元信者くんは、昨日の「ネットでの中傷書き込み」無罪、
[482]如来の子孫
08/03/03 14:00
g0PI9DrfTl
師の指導をさぼって一回も修行しない、とか、勝手にダメ元信者くん
は話を創作していく。一回もしないなんて、どこに書いてる?アホ。
おまえはひねくれ過ぎてる。
- 912 :深山:2010/05/30(日)
21:36:50 ID:Gri3U17U0
- >901 :準シュダオン:2010/05/30(日) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>ミケってのも馬鹿野郎さんだねw。
わずか五日の間にこれだけの罵りを並べたのが、我らがアゴン宗聖者様の準シュダオンさんです。
この時も、アホやバカを連発していますね。
今回、あなたは胎蔵界をわかったかのような調子でユビキタスさんに
お説教したつもりで馬脚を現し、ミケさんから簡単に足払いをかけられた。
見事にスッテンころりん。
あまりに見事な足払いなので、「けっこうなお手前です」と拍手しようかと思ったが、
準シュダオンさんは気分が悪いだろうと遠慮した。
準シュダオンさんは、まさかミケさんがそこまで行法に詳しいと思わなかったのでしょう?
あなたの知識は桐山さんと同じで、ほとんど中途半端です。
いや、中途半端でもかまわない。
素人なのだから、そんなことはお互い様です。
だが、あなたと桐山さんは知識が中途半端なのに、まるですべてを
知り尽くしたかのように威張り、ハッタリを言う。
自分よりも知識のある相手に礼儀を尽くして、素直に受け入れるのではなく、
俺くらいエライ奴はいないと常に威張りちらす。
そこがあなたと桐山さんが普通の人とは著しく違う点です。
だから、前回、ミケさんに足払いをかけられた時、
あなたがどういう反応を示すか、楽しみにしていた。
- 913 :深山:2010/05/30(日)
21:41:19 ID:Gri3U17U0
- >901 :準シュダオン:2010/05/30(日) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>ミケってのも馬鹿野郎さんだねw。
あなたの反応は予想どおり、都合の悪いことは素知らぬ顔をして無視。
これがあなたと桐山さんが姑息で卑怯な人間であるなによりの証拠です。
わかりやすく言うと「男」ではない。
私は批判を抜きにして、桐山さんも男として軽蔑している。
オバサン一人に何か言われたくらいで、激昴して、キサマを連発した。
何という狭量で情けない男!
失敗した時、ドジを踏んだ時、ああいう時の反応こそがその人の人間性を露骨に示す。
ところが、あなたも桐山さんもそもそも自分の失敗を絶対に認めない。
中途挫折の因縁を切るなんて、絵空事に話をすり替えてごまかそうとする。
失敗を失敗として捨ててしまったら、何の進歩もない。
失敗から学んでこそ人間は成長する。
自分が痛い思いをするから他人の痛さが理解できるのです。
金持ちの美男に生まれ、なす事すべて成功するなんて人生を歩んだら、
人間としてなんの成長があるのだ?
あなたや桐山さんなら、ますます欲望、慢心、侮蔑心などの煩悩ばかり増大させ、
輪廻の素を増やすだけでなく、悪業を為して、周囲に大迷惑な存在になるでしょう。
- 914 :深山:2010/05/30(日)
21:49:04 ID:Gri3U17U0
- >901 :準シュダオン:2010/05/30(日) 10:11:10
ID:agsP6ENM0
>ミケってのも馬鹿野郎さんだねw。
ミケさんから間違いを指摘され、しかも相手が知識を持っているのなら、
どうして礼を尽くして教えてくれと頼まないのだ?
礼を尽くして教えを請うどころか、逆恨みして、敬称すらつけず、馬鹿野郎と罵る。
こういうあなたの反応を見れば、これまでの人生でもずっと
こういう選択をしてきたのがわかる。
桐山さんがそうであるように、それで人生がうまくいくはずがない。
あなたが仕事でうまくいかなった理由など教えてもらわなくてもわかる。
仕事だけでなく、アゴン宗での人間関係も破綻していますよね。
それから、ミケさんは女性だから野郎ではありません。
だから、ミケさんはあなたの罵倒は受け取りようがない。
従って、釈尊も示したように、あなたの罵りは持ち主であるあなたの所に戻った。
あなたは男性なのだから、馬鹿野郎という罵りにあてはまる。
準シュダオンさんは鏡に向かって罵り、天に向かって唾を吐くのが大好きらしい。
- 915 :色川千景お嫁に行かずに管長の愛人になります訴訟被告桐山靖雄:2010/05/30(日) 22:45:57
ID:i0Zr6Pvw0
- 準シュダオン宗務局ネット担当職員さん
ゴロツキの詐欺師である管長の手下となって働くあなたも信仰心のかけらも無いただのゴロツキでしたね。
中身の無い宗教詐欺阿含宗を擁護しようとすればするほど、都合の悪い事は全て無視して嘘やごまかしの上塗りを繰り返すしかない。
ネットで擁護論を書けば書くほど、あなた自身の中で矛盾が広がっていくはず。
家畜だと思っていた元会員に追い詰められたあなたの心中をお察ししますWWWW
まともな職員がどんどん退職していきました。
あなたは最後まで残るかもしれませんね。
- 916 :名無しさん:2010/05/30(日)
22:54:03 ID:9GESxCzY0
- >>915
>
まともな職員がどんどん退職していきました。
これは最近のことでしょうか。
もし最近のことなら、とてもよいことです。
本当によいことです。
- 917 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/30(日) 23:07:16 ID:SmEF4Oe2O
- >>908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
> と、言うよりも、会員の方々にものすごく失礼な話だと思います。
>それに、これって、自分の過去の言動と無茶苦茶に矛盾するのですから、よほど頭の悪い人でない限り、
>おかしいと気がつくのではないかしら?
自分自身が自己洗脳をしてきた前科があるのですが、その経験から言うと、
何事も深く考えずに、受け入れることを前提に考える。
今の準シュダオンさんと同じで、自分というものがない。
この朔日護摩法話にもカラクリがありまして、成功者のセリフとして、等しく
自分の運を信じてきた。それで最後まで諦めず努力してきた。
あなた方(信者)はどうか?運は毎月の護摩で十分に頂いている。あとは自分の
努力次第ではないか?と。
こんな程度の話で納得してきた。納得させてきた。
しかしおかしいのです。自分の運を信じてきてそれに感謝もする成功者って
やっぱり悪い因縁(悪運)がなかった恵まれた人であり、悪因縁を持つ人には
参考にもならない話ではないか?
自分は昔から運が悪く、何をやってもうまくいかぬ人がそれでも辛抱努力して
成功を勝ち得たという話ならば、悪運、悪因縁自体の否定になる。
だってアゴン宗にしか現存しないという特別な因縁切りの法を修したわけでも
ない人が悪運をも克服して成功者になっているのだから。
私は中学の時、桐山本に出会ってしまい魅了させられたのだが、中途挫折の因縁の
話を読んで「これは自分だ!この中途挫折の因縁を切らぬ限り明るい未来はない」
と自分を限定してしまったのですね。
ところが退会完全決意の前夜に2ちゃんねるで、この矛盾を書き殴って、自分自身の
中途挫折の因縁との訣別としたのです。
中途挫折の因縁なんてものはない!
呪縛されることなかれ。(反省)
- 918 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/05/30(日) 23:23:01 ID:SmEF4Oe2O
- 要は人を悪因縁で脅迫する霊感商法の商売人が、実は自分自身の虚栄心も極端に強く、
この虚栄心の追求の
為には、霊感商法のプロとして矛盾を晒してはならないという
鉄則まで忘れさせたわけです。
- 919 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/30(日) 23:35:50 ID:GgkqC0x.0
- >>908 無関係さんの意見に感じたものですので、長いですが拙な自分ですがレスを
書かせていただきます。
>当時の阿含宗活動家の皆様は本気で桐山さんの事を尊敬していたと感じていました。桐山さんの唱導する
「因縁切り」理論も真剣に信じていたと思います。
そうです。これはその人によって度合いや期間が違いますが、およそ信者であればこの事はそのとおりで、
今、目が覚めた私たちは、ちっとも信じていませんね。ですが、昔はかなり信じていたのですから汗顔やら
蒼白になるのは否めない事実であります。
>こちらは、だから阿含宗はともかく桐山さんの悪口は控えましたし、まさか
桐山さんが売り物の「因縁切り」理論をこんなに軽く扱うとは予想すらしていませんでした。
そうです。言うことがコロコロ変わったり、仕舞いには自分の興味のあることだけを発すボケ老人に
成り果ててしまいました。これにまだ気がつかない信者は結構多いようです。
>しかし、これでは阿含宗の会員諸氏は、二階にあげられてはしごを外されたようなものではないかと
感じます。
見事な表現ですね。そのとおりだと思います。
>私は桐山さんがインチキだし、因縁切りもインチキだと攻撃をしていた人物ですが、
こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
と、言うよりも、会員の方々にものすごく失礼な話だと思います。
冷静に考えるとそうなのですが、信者はここを変に自分を納得させようとします。
ゲイカは自分ほどの天才は居らず、お前ら信者は「馬鹿だ」とみなして貶すのですから、普通なら
教祖であっても「愚弄したな!」となるものですが、そうならないので狂っているのか?と思われても
しかたない状況がこの教団・・・いや、宗教の恐ろしいところでしょう。
>それに、これって、自分の過去の言動と無茶苦茶に矛盾するのですから、よほど頭の悪い人でない限り、
おかしいと気がつくのではないかしら? すると、退会者や転向者が増加する可能性があり、
自分で自分のクビをしめる行為のような気がします。それとも、会員は洗脳されていて、頭が悪い人物が大半で
深山さんが言うところの「宗教家畜」で、もう、自分の言う事を疑わないという絶対の自信でもあるのかしら?
私は、さすがに、そんな事はないとは信じたいのですが。
これは人によりけり、でしょうね。私のように多少時間がかかる場合の人もあれば、未だに絶対的に桐山氏を
信じて疑わない人もいます。ですから、そういう「救いようの無い人」というのがいるのも現実ですね。
頑なに信じて「死ぬまでアゴン」という人は結構いると思いますが、物事の真偽を確かめれば答えは出る、
つまり、桐山氏の言う事・やることはでたらめがほとんどで、行うに値しない、というのを知り、自分と
言うものを大事にすればいいのに・・・と、切に思います。
また、宗教家畜というのを私も過去に擁護時代には凄く嫌な言葉であり、私と仲たがいした法友(信者)も
この言葉を「かなりの侮辱だ」といってました。
しかし、今こうやって批判側になれば、アゴンの信者のさまはまさに「家畜状態」であることは一目瞭然であり、
それに気がつかないで我々に牙をむくのはまさに調教済みの「家畜」に他ならない、と思っています。
または牙をむかない人は飼いならされた羊か飼い主に絶対服従のペット、とでも言えるでしょう。
ですから、早く一人でも桐山氏の牧場からペットや家畜ではない「人間」を救うことができたならどんなに
いいだろうと、日々思う次第です。
- 920 :準シュダオン:2010/05/31(月)
08:46:01 ID:agsP6ENM0
- 深山さんも、思った以上に馬鹿野郎さんだねw。
ミケ猫野郎君は、私が、「会員はお金を追いかけまわしている」と、言ってる
と、レスしたのだよ。そんな嘘つき野郎に教えを乞え、というのかえ?
馬鹿馬鹿しくて、話にならん。
煩悩を断つというのは、内面の問題なのよ。火を焚くとか、沐浴するとか、
瞑想するとか、歩くとか、そんな外見のことなど本当はどうでも良いのよ。
そんな見かけのことは、問題ではないの。
ミケさんみたいな嘘つきは、どんな修行をしても、無駄だってことよ。
在家の五戒にも、嘘吐くなかれ、とあるでしょう。
- 921 :準シュダオン:2010/05/31(月)
09:03:49 ID:agsP6ENM0
- 遅いながらも、深山さんにも、四双八輩についての理解が、少し進歩したね。
阿含仏教では、須陀?果を得るのが一番重要でしょう。須陀?にさえ成れば、
阿羅漢行きのエスカレーターに乗ったようなものですからね。
須陀?果は斯陀含果未満であることは理解出来ますよね。
斯陀含向も斯陀含果未満であることは理解できますよね。
では、須陀?果は斯陀含向未満ですか?
阿含経典の定義では、須陀?果は必ずしも斯陀含向未満ではありません。
斯陀含向とは、斯陀含果を目指している須陀?果の別称なのです。
だからわたしは、前に、須陀?果=斯陀含向、とレスしたのです。
深山さんは、何やら、斯陀含向は須陀?果以上のようにレスしていたが、
必ずしもそうとは言えないね。斯陀含向とは、四沙門果で言うと須陀?果
のことですからね。
- 922 :ミケ:2010/05/31(月)
09:27:01 ID:8gP8ulv20
- >>890 :深山:2010/05/29(土) 22:27:45
ID:BZTgfXBc0
>ぜひ、わかる範囲で、もう少し、輪廻転生瞑想法とT職員の顛末を詳しく記述してもらえませんか。
>信者さんたちに、桐山さんのいう法とはこんな程度のものなのだ、ということを知ってほしいからです。
まずT元職員について書きます。
彼女は雅楽担当の職員であり神官の資格を持っているというだけでなく、
独特の雰囲気と視点を持った個性的な人で、W田さんのお気に入りだったそうです。
アゴン宗の未来を考えたとき、供養ではだめだろうという見通しを持っていたようです。
供養路線では人を、特に若者を惹きつけることができない。
>>878 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/05/29(土) 08:31:59
ID:SmEF4Oe2O
>しかし現実は供養路線では駄目だなんて発言するのは、桐山教学も桐山さんの力も
>信じていない証拠です。
そうなのです。
桐山氏の側近の職員ほど、解脱供養の意味もないことを良く知っているので申し込んだりしないそうです。
例えば例祭法話ではいつも桐山氏の傍らに控えて、あれこれ面倒を見ていたA原氏ですが、会費2千円しか払わなかった。
供養はおろかゴマキも買わないお方だったそうです。
彼は桐山氏の傍らに立つ陶酔感のために2千円を払う以外は、ビタ一文無駄金を使わなかったそうです。
実に賢明なお方です。
またS田職員はW田さんに関西総本部まで呼ばれて「教育」を受けて以来、
「霊障なるものは存在しない」という説明を一部の人にしていると伝聞しました。
解脱供養の効き目がないことをごまかすためか、
霊感商法を徐々に瞑想路線に切り替えるためのマーケテイング・アドバイサーの助言があったからか、
そういう発言をしていたことを告発していたスレッドがありました。
さてT元職員にもどります。
彼女は若者を惹きつける新路線として流行のジェム・ストーンに注目しました。
ときはイスラエルのおゴマの前夜です。」
- 923 :準シュダオン:2010/05/31(月)
09:31:14 ID:agsP6ENM0
- 宗教家畜という語は深山さんが作ったのかね?なかなか旨い命名だねw。
だから私は、家畜にならずに、なまけ信者になりなさい、というのですよ。
なまけ信者が、良いのです。
しかし、なまけ信者を誤解してるだろうから、ヒントを書きます。
ゲゲゲの女房を読むと、水木しげる氏の名が売れて、やがて色紙などを
頼まれると、「なまけ者になりなさい!」とか「がんばるなかれ!」と、
書くようになったと言う。だが、これを文字どおりに受け取ってはいけない。
奥さんは、あんなに頑張って、努力して漫画を描いて来た夫が、なんで
「なまけ者になりなさい!」とかの言葉を書くのか、夫に訊いたそうです。
そうしたら、水木氏の答えは、
「オレは、なまけ者になれるように、努力すべきときにうんと努力しておけ、
という意味で言ってるんだ」
と、なっています。(ゲゲゲの女房、P198)
わたしのいう「なまけ信者」にしても、それと似た部分はあります。
年がら年中、なまけて、という意味ではありません。
まぁ、言葉ではその加減を言うのは難しいですね。
- 924 :ミケ:2010/05/31(月)
10:22:53 ID:8gP8ulv20
- T元職員が着目したジェム・ストーンについて説明します。
クリスタルや貴石を総称してジェム・ストーンといいます。
古代の人々はジェム・ストーンの持つパワーを治療に使っていました。
石は本来装飾品としてではなく、パワーを受けるために身につけるものでした。
それらは患部を治療するだけでなく、魔よけや儀式にも使われていました。
古代エジプトやインドではジェム・ストーンのエネルギーを取り入れることによって、
健康と幸福を招きよせることができると信じられていたのです。
ヨーガではチャクラ覚醒が重要視されていますが、
石の持つ波動がチャクラの波動に同調しチャクラを活性化させる、
9つのチャクラの波動にとってジェム・ストーンの波動はアンテナのような働きをする、
と考えられていました。
T元職員は若者のブームになっているジェム・ストーンをアゴン宗に取り入れることを考え、
まずイスラエルのおゴマにローズ・クウオーツを携帯して、かの地に埋め世界平和を祈ったそうです。
ローズ・クウオーツは愛と美と調和を象徴するピンクの水晶で、母性的なパワーを持ち心の傷を癒しストレスを緩和します。
そして愛情と友情の力を強め、ハートのチャクラを開きます。
T元職員が世界平和を祈ってこの石をイスラウェルに埋めた後、
アゴン宗では新路線の皮切りとして「水晶龍神瞑想法」なるものが伝法されました。
会員がこの伝法を受けるためには、イスラエルのゴマ木勧進2000本でグッズを仕入れなければならない仕掛けでした。
グッズとは、クズ水晶を貼りあわせた球体を彫り物の龍が囲む、「水晶龍神」と名づけられた代物です。
水晶を凝視していると龍神がいるのが見えてくる、それはアナコンダ型かボア型かいずれかの形で、
とにかく見えることになっているので、会員名は毎日凝視する。
観想としては「晴天に生じた一点の黒雲がにわかに天をおおい金色の龍が飛翔し、
ハイ然として驟雨が降り自身と周囲のすべての穢れを洗い尽くす」というものです。
(こんなんだったらシャワーで代用できるじゃん)とおもったのは私だけだっただろうか?
- 925 :ミケ:2010/05/31(月)
11:05:01 ID:8gP8ulv20
- 次に今回の焦点である「輪廻転生瞑想法」の経緯について書きます。
T元職員は神官ですから彼女が意図するものはユビキタスさんが列挙する中に少しずつあったと思います。
>「ゲイカ、今度は輪廻転生瞑想法なんてどうです?瞑想によって来世を素敵なもの
>にしようという新しい企画です。これを打ち出して信者離れを食い止めましょう。
>なあに。信者なんてものはあさましいから食い付きますよ」
>なんてやったとしたら悪の確信犯です。
あるいは
>「ゲイカ、私はあんたのしもしない指導とは別に神官の資格もとりましたし
>そちらの方でも修行しました。その他の独自の研究や修行も進めています。
>今回提案申し上げる輪廻転生瞑想というのは、実はこれ真面目なものなんです。
>これはブラバッキーの思想に基づくものなんです。
>もちろん私は瞑想をやったからって来世にどうなるか確証などはございません。
>しかしこれはあくまでも思想なんですから、その思想を信じて行動することは
>自由です。ひとつこういう路線を打ち立ててみてはどうでしょうか?
>少なくとも霊視もインチキなあんたの供養路線という阿漕な霊感商法よりは
>健全なものではないかと思います。
>え?瞑想法の内容ですか?難しいものではございません。
>常に心に豊かな笑いをとか、誰にでも実践できるものです。ええ、ゲイカでも
>今この瞬間からできることでございます。だから指導はゲイカが最適でございましょう」
しかし一番重要な点は無関係な人間ですさんが抱いた不審の中にあります。
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
>と、言うよりも、会員の方々にものすごく失礼な話だと思います。
>それに、これって、自分の過去の言動と無茶苦茶に矛盾するのですから、よほど頭の悪い人でない限り、
>おかしいと気がつくのではないかしら? すると、退会者や転向者が増加する可能性があり、
>自分で自分のクビをしめる行為のような気がします。
その通りです。
当時、桐山氏がシシャモンカの否定によって自爆スイッチを押したという見解が2チャンやシタラバを席捲しました。
なぜ彼はあえてこんな地雷を踏んだのでしょうか?
深山さんが指摘するようにいくらT元職員考案の新ネタが魅力的だったとしてもあまりにも整合性がなく、もう挽回のしようがない。
なぜそんな危険をあえて桐山氏はおかしたのか。
>桐山さんはいつもこうやって何かネタを捜しては本に書き上げ、
>やれ伝法だ、やれ新しい教義を教えるなどと宣伝して信者を釣る。
>T職員からの輪廻転生瞑想は、桐山さんにとって久しぶりの新ネタだった。
>だが、桐山さんの講義を聞いた者たちからすらも、従来の教えとは
>百八十度も違う内容に批判が入ったのと、桐山さん自身にもはや
>矛盾をゴマカシながら書く能力が失われているからでしょう。
>従来の教義との整合性をとるのはかなり難しい。
桐山氏には整合性をかなぐり捨てる切実な動機があった。
彼のその動機こそがわたしに退会を決意させ、長い長いカルト信仰の弊害から開放させてくれたのです。
桐山氏は自分が地獄に堕ちないために輪廻転生するといい始めた。
これが彼の真の動機です。
この動機を理解するためには、桐山氏の実態を考察しなければならない。
次に彼の実態の考察を書きます。
- 926 :準シュダオン:2010/05/31(月)
11:52:29 ID:agsP6ENM0
- 「ゲゲゲの女房」は、わたしにとって勉強になるね。考えさせてくれる。
妖怪は実在するのであろうか?水木氏は妖怪の存在を信じて居るようです。
何やら、○○の因縁と妖怪は、証明出来ない点が、似ているのかも知れない。
水木氏は、戦争に出る前は手相でいう生命線が長かったので、「俺は死なない
な」と思っていたそうだが、パラオに向かう船の中で手相を見たら、生命線が
切れていたそうです。
それで、「俺は戦争で死ぬかもしれん」と思って、親戚から貰った、山のよう
なお守りを、すべて海に捨てたそうです(ゲゲゲの女房P82)。
少しでもお守りを手元に残すと、神様を差別することになるので、きれいさっ
ぱり海に流すしかない、「そのお陰で生き残った」と、水木氏は言う。
水木氏の信念は、そういう体験に裏ずけられていますね。
わたしは、因縁の洗い出し現象、思念の相承、らしきものの体験をしている。
信じない者には、脳梗塞の前兆、にしか思えないであろうねw。
しかし、因縁の洗い出し現象らしきを体験した以上、わたしは
「三結尽 得須陀? 不堕悪趣 極七往返 必尽苦際」という経典を、
三結断じて三悪趣の因縁を切った、後七回死生を往返するうちには、必ず
すべての苦の因縁を切るであろう(得涅槃)、と、解釈しますね。
管長の解説も、上記と同じですからね。
- 927 :ミケ:2010/05/31(月)
12:33:19 ID:8gP8ulv20
- 桐山氏の実態は何だったのでしょうか?
2チャンやシタラバでは彼は天才的宗教詐欺(ショボイ宗教詐欺という異見あり)、
中小企業のオヤジ、自己愛性性格障害者、欲望亢進型妄想性癖者etc.
などなどが共通認識になっています。
過去ログを開く人は彼の見聞に関するレスの多さ、そのあまりの浅ましさに絶句するでしょう。
10年間の長きにわたり退会者のみなさんがこつこつと書き込んでくれた成果は実に甚大です。
このようにパクリの集大成で神聖さのかけらもない桐山氏に
なぜ我々は『法力無非』という幻想を抱き続けることができたのでしょうか?
従来桐山氏の持論は、宗教というものは奇跡を起こす力がなければならない、
人智を超える力がないものは宗教の名に値しない、というものです。
こういうハッタリをかまして実際に超常現象を起こしてきたように錯覚させることに彼は成功したきた。
コテハン越法さんにせよ信者さんにせよ、
どんなに深山さんに懇切丁寧に『因縁解脱』のいかがわしさを論証されても最後の砦があった。
桐山氏が『法力無比』の大僧正であり、証左として奇跡と霊験あらたかな体験談の数々が。
もしコテハン越法さんが、色川千景愛人に戻せ訴訟被告桐山靖雄さんのレスの指摘のように体験談のライターなら
ユビキタスさんをひねり潰したい不遜な元馬鹿信者の坊やだと怒り狂うのもうなずるし、
あなたの自慢の文章を薄汚れていると形容するわたしを嘘つきの馬鹿野郎よばわりするのもむべなるかなです。
ロムっている会員諸氏の中にも桐山氏の『法力』を如実に体験した人は沢山いるでしょうし、わたしもそうでした。
家族の危篤が3回速やかに回復し医者が「あり得ない奇跡だ」と驚いたり、
「あれは誤診だったかも」と看護婦にもらしたりしました。
なぜ宗教詐欺師にしてパクリの天才、偽アジャリの桐山氏にそのような奇瑞をおこす力があると
我々は信じこまされていたのでしょうか。
- 928 :名無しさん:2010/05/31(月)
12:51:21 ID:Yosfgnto0
- >>926
準シュダオンよ、うるさいな引っ込め!
お前さんのつまらん話など聞きたくない。
今はミケさんの話の方が重要なの。
邪魔しても無駄。
- 929 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/05/31(月) 14:35:48 ID:Kv1nCdeA0
- 次期のサブタイトルいいのが上がって、次期以降にも使えそうなものばかりで私も喜んでいます。
発表は次期スレ立てた際に使用しますので、そちらを以って発表に替えさせていただきます。
素晴らしい候補に応募、ありがとうございました。
>>928 ははは。でも、名無しさんをはじめ、皆様もミケさんの投稿には感じるものがあると思いますね。
ミケさんの考察論、いいですね。続きを私も楽しみにしております。
- 930 :ミケ:2010/05/31(月)
15:17:09 ID:8gP8ulv20
- 今日は奇しくも桐山氏の共同謀議者タチ殿の祥月命日です。
彼女がお山と関西総本部を彷徨っているのが霊眼のあるものには見えるそうです。
菩薩どころか中有界に迷っているのです。
アゴン宗の教団の発展と維持は、彼女の細やかな配慮に負うところが大きかったといいます。
タチ殿にはその自負があり、夫には態度が悪くても会員諸氏には非常に気配りして評判が良かった。
例えば彼女は、カリフォルニア支部の会員が伝法会に来るとお小遣い3万円をあげていた。
会員はまるまる渡航費を出してもらった訳でもないのに、これでググッツと来ます。
内陣の女性修行者たちをねぎらうために、毛氈を本堂に敷いてお茶会を開く。
タチ殿に茶菓子と談話でもてなされた女性修行者たちは、意欲も新たに梵行という名の人件費節減、
および供養・ゴマ木の集金に精進する。
この他にも護山会の会員を一族の「食堂」であるホテルオークラの会食に招き高級感で詐欺を取り繕うセンスがあった。
こういうセンスにおいてE川さんは自分本位過ぎたし、W田さんは強奪の犯罪性をあからさまにし過ぎています。
カルト宗教を立ち上げた桐山氏にとってタチ殿はまさに割れ鍋に綴じ蓋でした。
「仏様に戴いたものは決してなくならない。アゴン宗は末に行くほど大大運気です」と誇らしげに法話したタチ殿の夫でしたが、
年々例祭はガラ空き、愛人スキャンダルで大大打撃をこうむり星祭のゴマ木が激減、修行者のキャンセル続出でブチ切れ、
新ネタは出せば叩かれ本は出せない、いまや見る影もない老残をさらしています。
法力がないことを如実に知っていたタチ殿でさえ予想もできない顛末だったでしょう。
- 931 :ミケ:2010/05/31(月)
15:41:42 ID:8gP8ulv20
- 釈迦の悟りを真っ向から否定する輪廻転生が自分の悟りと放言し、パクリの集大成をオジャンにした桐山氏の真の動機について書きます。
深山さんは根拠のないものは信じないといわれました。
ここに差し障りがあって根拠を書くことは出来ませんが、けっして荒唐無稽なものではありません。
退会の前後一年間かけて考察したことであり、深山さんには知っている出来る限りのことを書くと約束したので書きます。
そして自分が救われた真の理由を書くことで、きっと誰かが救われると信じて書きます。
桐山氏はいま『オウ病』にかかっているのです。
オウ病とはアゴン宗では『霊障によってかかるため医薬では治らない業病』のことです。
コテハン越法さん、これ見えてますか?
もはや『法力無比』どころの話ではなくなっているのです。
桐山氏はすでに肉体が地獄に堕ちています。
彼の脳梗塞も糖尿病もオウ病によるものなので、病状は凄まじい様相を呈しています。
骨はスカスカで背骨は折れ曲がり、毛細血管はボロボロで心臓と肺が機能不全、常に荒い呼吸をして胸が波打ち、
起居にも人の手を借りている。まさに地獄の責め苦です。
だから彼はこれ以上の地獄に堕ちないために、自分が本当だと思っていることを言い始めるしかなかった。
すなわち輪廻転生するのが宇宙の意思であり摂理であると、彼が密かに本当だとおもっていることを。
ブラバッキーに熱中し、シシャモンカを否定し、金持ち英雄美男美女に転生すると言い出したのは、
『霊障』を商売にして業病にかかって獄の責め苦を受けている老人の本音だったからです。
これが彼の真の動機です。
去年の冥徳際では、お山に浮遊する無数の白いお御霊たちが写真に撮られて、
中にひときわ大きな白い霊を指して「あれが私を守護する零体だ」と桐山氏は話していました。
商売にされていじくられて行き場を失った無数の浮遊霊の中にタチ殿がいるのかも知れません。
本当のことを言い始めたとしても桐山氏のしたことは許される訳ではありません。
名無しさんが2チャンに書いていた言葉が忘れられません。
「これは本当にひどいことなんだよ」
- 932 :ミケ:2010/05/31(月)
15:58:53 ID:8gP8ulv20
- なぜ我々が桐山氏を『法力無比』だと錯覚させられていたかについては
情報と考察をまとめてからレスします。
カルトとの戦いには勝者も敗者もないとおもっています。
ただただカルトから生還できるか、できないで終るか。
わたしは魂の治癒力と復元力の無限の可能性を信じています。
一人でもサバイバーが還ってくるために書きます。
六甲さんもナナシーさんもペテン大作戦さんもサバイバーの仲間だと信じています。
2チャンはエネルギーの坩堝で、限りない可能性を秘めていてとても好きです。
シタラバと両輪となってサバイバルの原動力になると確信しています。
- 933 :ミケ:2010/05/31(月)
18:33:04 ID:jkWZbIWs0
コテハン越法さん、
わたしが嘘つき野郎の馬鹿野郎なら、
どうしてわたしのレスを無視しないのですか?
コテハン越法さんは複数いますね。
その中に確実にホゲホゲさんがいます。
彼とはよくメールのやり取りをしたし、書き物ももらったので分ります。
あなた方がわたしを嘘つき馬鹿野郎よばわりするなら、
なぜそんなやつをほっておいてくれないんですか?
どうしてわたしの友人を職員や会員や弁護士をつかって脅迫しストーカーし追い詰めるのですか?
ホゲホゲさんはわたしの友人に私人として会うことを約束していながら談話を盗聴器で録音し上奏しましたが、
なぜ嘘つきの馬鹿だというわたしの友人を執念深くつけまわすのですか?
友人は神経がかなり参ってしまって転居し、わたしはもう合わせる顔も連絡の取りようもありません。
深山さんに今は書けない根拠の一部は、図らずもコテハン越法さんがたの陰湿な遣り方が証明しています。
コテハン越法さんがたに伺いたいのですが、嘘つきの馬鹿のわたしがレスをつけると
弁護士が友人に連絡してくるような教団の一体どこに「絶対の真実」などというものがあるのか
どうか答えてくださいませんか。
- 934 :無関係な人間です:2010/05/31(月) 21:26:09 ID:4.fu6iy60
- >>931
これが事実なら、桐山さんは、長寿というよりも、「死ねない」状態である、という理解のほうが
正確かもしれません。この先、彼には筆舌に尽くしがたい地獄のような日々が待っているのでしょう。
周囲の人間は、「人寄せパンダ」としての桐山さんの貴重さを理解していますから、1日でも長生きを
させようとするでしょうし、どんなに苦しもうと、延命治療を止める事もないでしょう。
司直の手から逃れるために宗教詐欺の世界を選んだつもりでしょうが、やはりツケは自分に返って
来たのですね。合掌。
- 935 :干柿:2010/05/31(月)
22:47:57 ID:BBtat4sE0
- 桐山氏が亡くなったら、遺体をそのままの状態で保存して(今はそんな技術
あるそうですね。人体の不思議展ってあったじゃないですか解剖遺体をまんま
その状態でリアルに保存しておくやつプランテーションとかいうの)
即身仏として内陣に安置して拝ませる、普段は扉の中で見えないようにして
年に何回か御開帳をすんのw。そんなことをして「桐山ゲイカは生命活動は止まっても
法は生きておられるのです。」とかわけのわからない屁理屈ならべて
なんとか信者をくいとめるつーのを想像したことがありますw
W田さんだったら実際やりかねないかもしれませんよw
- 936 :名無しさん:2010/05/31(月)
23:36:53 ID:Yosfgnto0
- こりゃ桐山さん魔界転生決定ですね。
では私もサブタイトルを
【魔界転生の秘話】
- 937 :Boo:2010/06/01(火)
00:40:01 ID:DXlq9owoO
- では私も
密教ーグモンジ法の秘密(は無かった)
阿含密教ーかつて(は騙された)
- 938 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/06/01(火) 00:50:02 ID:SmEF4Oe2O
- >>920:準シュダオン10/05/31(月) 08:46:01
ID:agsP6ENM0
>ミケ猫野郎君は、私が、「会員はお金を追いかけまわしている」と、言ってる
>と、レスしたのだよ。そんな嘘つき野郎に教えを乞え、というのかえ?
しかしだね、アゴン宗の桐山管長はあなだが不勉強にして知らなくても、美男美女
の英雄大金持ちになることを志す道を説いたのだよ。
これに従う会員は金を追い求めるも同然なんだよ。
ましてや会員ってか、元職員の発案らしいし。
あなたは断乎として金(持ち)を求める輪廻転生瞑想法なんて煩悩丸出しの道には
反対なんですよね?
しかしまんざら反対でもない証拠に、言い訳としてゲゲゲの女房の話が出てきたのは
金を追い求めることを肯定する言い訳ではありませんか?
ただゲゲゲの女房の描く水木世界の金稼ぎ願望と桐山過剰強欲とは比較にならん
と言うだけで。
- 939 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/06/01(火) 01:01:25 ID:SmEF4Oe2O
- >>920:準シュダオン10/05/31(月) 08:46:01
ID:agsP6ENM0
>煩悩を断つというのは、内面の問題なのよ。火を焚くとか、沐浴するとか、
>瞑想するとか、歩くとか、そんな外見のことなど本当はどうでも良いのよ。
大賛成です。
しかし桐山さんは外面に属する護摩焚きとか滝行浴とか瞑想ゴッコはかり説いたり
やったりして、内面の煩悩に迫れずかえって増大させているのです。
面白いですね。自分の発言の内容すらも自覚できず、相手を嘘つきだと罵り
怒ったからには、もはや桐山さんのことなんかどうでもよくなった。
- 940 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/06/01(火) 01:21:45 ID:SmEF4Oe2O
- >>923:準シュダオン10/05/31(月) 09:31:14
ID:agsP6ENM0
>ゲゲゲの女房を読むと、水木しげる氏の名が売れて、やがて色紙などを
>頼まれると、「なまけ者になりなさい!」とか「がんばるなかれ!」と、
>書くようになったと言う。だが、これを文字どおりに受け取ってはいけない。
アゴン宗の話とは全然関係ありませんね。
桐山さんは怠け者になれとも頑張るなとも説いてないし、その逆です。
お釈迦様も同じです。
怠けてもいいのだと言うのは準シュダオン教の勝手な教義であり、アゴン宗とは
関係ない。
で、その準シュダオン教の「怠けのススメ」はゲゲゲの女房とも異なるようですね。
>「オレは、なまけ者になれるように、努力すべきときにうんと努力しておけ、
> という意味で言ってるんだ」
>と、なっています。(ゲゲゲの女房、P198)
ほら、もう違う(笑)
準シュダオンさんがかつては水木さんのごとくかなりの努力をした具体的経験の上から
ほどほどがよいのだと、その具体的基準の一例でも示してみるのならこれもわかる。
しかしそんなものが昔から全然見えて来ないのです。
アゴン宗における修行の努力経験ですよ。
ボン行などさんざんした上でやり過ぎもよくないというのはわかる。
しかし皆無では話にならんよね?
つまり最初から怠けていた。
水木さんならば生まれてから一度も漫画の原稿も書かずに、仕事もせずに
朝は寝床でグーグーグー。腹の鳴き声も兼ねてるw
ゲゲゲの怠けのススメはこんなんじゃないでしょう?
人が(そこまでやったのなら今少しくらい怠けたってかまわないと)納得するような
努力の体験書いてみなよ。
- 941 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/06/01(火) 01:41:23 ID:SmEF4Oe2O
- >>926:準シュダオン10/05/31(月) 11:52:29
ID:agsP6ENM0
>わたしは、因縁の洗い出し現象、思念の相承、らしきものの体験をしている。
>信じない者には、脳梗塞の前兆、にしか思えないであろうねw。
思念は前に読んだよ。因縁の洗い出しを書いてごらんよ。
ちゃんと法則があるんだから。
期間にしても。一過性の現象に過ぎず、本当の病気みたいには診断されない。
洗い出しが終わると因縁が切れた分好転してる。
あなたの主観でかまわないから何が起きてどうなって、これは何の因縁の洗い出し
と判断したか書いてみなさい。そうでなけりゃ、なーーーーーーーーーーんの
説得力もないんだからw
>しかし、因縁の洗い出し現象らしきを体験した以上、わたしは
>「三結尽 得須陀m9 不堕悪趣 極七往返 必尽苦際」
これについては理論的に説明してみなさい。
三結煩悩の内容わかりますよね?身見、疑惑、戒取。
この内容に沿って、その三結を切ると、どうして洗い出しの現象が起きるのか?
ってか、ある洗い出しが起きる時、どうしてそれが身見、疑惑、戒取を克服した
証拠と判断できるのか?
こちらは具体例及び理論的補助もね。
まさか桐山さんみたいに適当な空想?
- 942 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/06/01(火) 08:43:57 ID:SmEF4Oe2O
- >>926:準シュダオン10/05/31(月) 11:52:29
ID:agsP6ENM0
>しかし、因縁の洗い出し現象らしきを体験した以上、わたしは
>「三結尽 得須陀m9 不堕悪趣 極七往返 必尽苦際」
あなたは自分の因縁など透視してもらわなくてもわかると言う。
そりゃ長年生きてきて自分の人生を振り返ってみて、その済んでしまった運命軌道から
こんな因縁があったのだろうと、一部、ある程度を推定はできるでしょう。
そんなのは誰でもそうです。離婚歴あれば夫婦縁破れる因縁があったことになる。
しかしそんな人でもまだ起きていない運命は予測がつかない。
これには年齢なんか関係ない。
例えば準シュダオンさんに横変死の因縁があるか?
これは本人とてわからないでしょう。
準シュダオンさんの年齢を若く見積もって仮に60代としましょう。
しかし60代まで横変死することなく無事でこれたからといってもう横変死する
心配などないなんてことはない。
交通事故死などいつ遭遇してもおかしくない。高齢者を避けて通ることはない。
そしてどんな因縁のどんな洗い出し現象と思われることがあったか知らんが
それがあるとどうして不慮の事故死が避けられる理由根拠になるのか?
実は一つもわからない。
人柄、人格と運命は関係ない。巷には「いい人って早死にするって本当ねえ」
なんて言葉すらあるし。
それを言うなら準シュダオンさんも桐山さんも人柄の悪い分長命の証拠なのかも
知らんが(笑)
また横変死の因縁は桐山さんによるとこれは悪趣の因縁です。
あくまでも桐山アゴン宗における悪趣ですよ。
仏教では事故死したって殺されたって悪趣に堕ちたなんて言わない。
殺したら悪趣に堕ちますが。
- 943 :色川千景U主任とS田職員とのゲテモノトリオは解散:2010/06/01(火) 10:12:27
ID:cXY1hbrw0
- >>916
- 944 :深山:2010/06/01(火)
12:33:48 ID:K/xrVlx.0
- >>908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
無関係さんの指摘は桐山さんと信者の両方ともにおかしいのではないかという指摘です。
両者ともに実はそれほどおかしいことではありません。
まず桐山さんに関していうなら、ご指摘のように、輪廻からの脱出を
説いていたにもかかわらず、ここに来て、これを頭から否定するような
輪廻転生瞑想なんて説いたら、矛盾することは素人でもわかります。
だが、それを言うなら、アゴン宗の教義なんてすべてが矛盾だらけです。
阿含経を依経とする根本仏教だと名乗りながら、釈尊が禁止した護摩や占いをして、
釈尊が否定した死者成仏を一番のウリにしているのです。
大乗経典は偽経典だと激しく非難しながら、相変わらず、その偽経典を
勤行に使い、偽経典の解釈本まで出した。
大乗仏教の仏は空想の仏だと非難しながら、アゴン宗の護摩には
大日如来、不動明王が姿を現し、大黒天、愛染明王、阿弥陀仏など
空想の仏の仏像を信者たちに金を出させて拝ませている。
まともに聞いたら矛盾というよりも、支離滅裂に見えます。
だが、桐山さんから見たら矛盾もないし、支離滅裂ではありません。
彼の目的をまず理解してあげることです。
- 945 :深山:2010/06/01(火)
12:37:47 ID:K/xrVlx.0
- >908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
桐山さんの目的が解脱であるとみなすから矛盾しているように見えるのです。
桐山さんの目的は一言で言えば、「エラクなること」です。
エラクなるとは、社会的な成功をして、地位や名誉、金銭を得ることを指します。
世俗的な成功者です。
桐山さんがほしいのは解脱ではなく、エラクなることなのです。
この桐山さんの目的さえ理解してあげれば、彼の宗教には何の矛盾もないことに気がつきます。
たとえば、ある人がある時は東芝のテレビを最高に素晴らしいと宣伝して売り、
ある時はソニーのテレビを究極のテレビだとして宣伝して売っても、矛盾はしません。
なぜなら、その人は素晴らしいテレビを人々に使ってもらうことが目的ではなく、
テレビを売って金儲けすることが目的だからです。
目的さえ理解すれば、桐山さんの頭の中では何の矛盾もないことがわかります。
- 946 :深山:2010/06/01(火)
12:44:18 ID:K/xrVlx.0
- >908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
宗教家になって桐山さんがなりたいと思った理想と目標が大作さんです。
今から三十年ほど前のアゴン宗立宗前後に、週刊誌で大作さんを
「悲境に沈む」と罵った。
大作さんに喧嘩を売ったのです。
ちっこい犬がでかい犬にキャンキャンと吠えた。
桐山さんは大作さんを非難する時は、それはもうすごかった。
何度か聞かされたが、そこまで言うかというほど異様な雰囲気でした。
あれは猛烈な嫉妬です。
解脱を目指し、自分がそこを進んでいるのなら、ただの俗物にすぎない大作さん
なんかどうでもいいはずです。
1990年代にも大作さんを罵っていたが、桐山さんは
因縁の完全解脱を宣言していた後です。
人間が猿山の大ボスがたくさんの権力とメスを従えても、
うらやましいとは思わないように、解脱者が世俗の人間に嫉妬するなどありえない。
大作さんの特徴は、宗教家ではなく、宗教屋として金と権力を得たことです。
これを嫉妬して口を極めて罵るということは、桐山さんも彼の持つ金と権力がほしいからです。
桐山さんの目標が大作さんであったとわかれば、教義か矛盾していようが、
因縁切りが輪廻転生になろうが、何の不思議もありません。
元々、そんな話は桐山さんはどうでもよく、その場しのぎの金集め、人集めの道具にすぎない。
もっとも、目的がそうであっても、普通の人なら話に一貫性を持たせる。
だが、桐山さんは普通の人とは違った特異な性格をもっているのです。
それは虚言癖です。
- 947 :深山:2010/06/01(火)
12:49:49 ID:K/xrVlx.0
- >908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
桐山さんが作り出したアゴン宗を見てもわかるように、彼は嘘がなんともない。
普通の人は嘘をついても必要最小限で、また嘘がばれることを恥じる。
だが、この点は桐山さんはまるっきり違います。
桐山さんの一大特徴は「必要のない嘘までつく」です。
その証拠はたくさんあって、agama考察室にある履歴書の学歴詐称の件がその典型です。
履歴書は僧侶の資格や受講のためですから、学歴など必要がなかったのです。
『阿含宗の研究』に出てくる、桐山さんがムショから出てきた時の弁舌も見てください。
修行先で、法器だと誉められたとか、必要のない嘘をさんざん並べている。
本当に服役したことを恥じているのなら、こんな嘘の自慢話を文章にしますか。
桐山さんの小学校時代の先生が心配したように、桐山さんは子供の頃から、
「必要のない嘘までつく」少年だった。
桐山さんは普通の人と違い、嘘をつくことにためらいがなく、積極的に嘘をつき、
嘘がばれてもまったく気にせず、また次の嘘をつくような性格なのです。
桐山さんのいう解脱と輪廻転生では矛盾するが、元々どちらも嘘なのだから、
彼にとっては何の矛盾もありません。
- 948 :深山:2010/06/01(火)
12:54:27 ID:K/xrVlx.0
- >908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
彼は自分がものすごく頭が良いから、他人など簡単に騙せると自惚れている。
たとえば、解脱供養で同じ死者を成仏させてしまい、霊視のインチキがばれても、
「霊障は風邪のように感染する」と新しい本に書いてごまかした。
こういうゴマカシで他人を騙してきたし、それが通用して来たから、
桐山さんは普通の人をみんなバカばっかりと思っているのです。
現実に通用してきたし、今でも通用しています。
大人が小さい子供をからかって、小手先のゴマカシで騙すことがあります。
桐山さんの感覚はあれと同じでしょう。
信者など彼の知性に比べたらサルみたいなもので、簡単に騙せると思っているのです。
サルのために理屈を通そうとする人間がいないのと同じです。
桐山さんがどんなに矛盾したことを言っても、信者にはわからないと思っている。
あるいは、その矛盾を見事な弁舌(詭弁)で説明してみせる智慧があると
彼は自惚れている。
その場しのぎの滅茶苦茶な説明を平気でするのは信者や一般の人たちの知性を
なめきっているからです。
彼は自分の作り出したアゴン宗は理屈理論の上でも完ぺきだと言っていた。
あの矛盾だらけのアゴン宗が完ぺきだというのですよ。
いかに他人をなめきっているか、これだけでもわかります。
- 949 :深山:2010/06/01(火)
12:58:52 ID:K/xrVlx.0
- >908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
次に信者です。
彼らもまるっきり知性が麻痺しているわけではないから、様々な矛盾に気がつく人たちもいます。
しかし、ここで一つ重要な点は、普通の信仰とは理屈ではない点です。
釈尊の説いた仏教は知性による徹底した考察から成り立っているが、むしろ例外です。
アゴン宗を含めた世間の信仰の大半は感情であり、それらはもっぱら欲望と執着や依存でできています。
欲望と執着には理屈理論はなかなか通じません。
新興宗教といえば必ず語られるのが奇蹟です。
信者の求めているのは解脱などという高いものではなく、
病気などの日常の不幸の回避と、好運などの棚ボタです。
物事がうまく行くと、教祖様のお力と感謝して、奇蹟の体験として語られる。
よく考えてみれば、奇蹟の体験はどこの新興宗教にもあるのだから、
桐山さんやアゴン宗だけの法力だというのはおかしい。
また病気治しでも家庭円満も、これらは御利益信仰、つまり欲望にすぎません。
欲望を減らすように説いたはずの釈尊に、欲望をお願いするとか、
欲望をかなえてもらったというのはずいぶん奇妙な話です。
アゴン宗の場合、今はまだ起きていない不幸まで付けてくれる。
これが悪因縁や霊障のホトケです。
人生には様々な困難や不幸が転がっていることは誰しも同じだから、
これらへの恐怖と、避けたいという欲望を桐山さんからたくみに煽られるのです。
- 950 :深山:2010/06/01(火)
13:04:51 ID:K/xrVlx.0
- >908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
不幸を避けたいという恐怖心と、好運を得たいという欲望を
たくみに操られていることに信者の多くは気がついていません。
私は長年気がつかなかった。
現役の信者はもちろん、元信者でさえも自覚のない人がいます。
不幸を避け、好運を得る方法とは、桐山さんの法力に依存することです。
不幸の原因となる悪因縁や霊障のホトケをなんとかできるのは桐山さん一人です。
つまり、彼は信者の人生ばかりか、命や死後の世界まで握っているのです。
この世とあの世を全部桐山さんに支配されている。
言ってみれば、自分の体内に爆弾を仕掛けられ、
それを除去できる医者は桐山さん一人だと言われたようなものです。
教団は信者を露骨に脅迫することはなく、非常に巧みです。
だから、自分が恐怖で支配されていることを自覚している信者を見たことがない。
私自身がそれに気がつくのにずいぶんと時間がかかりました。
桐山さんに従っていれば、爆弾は爆発せず、そればかりか、
様々な御利益を得ることできるとなれば、選択の余地はありません。
宗教保険です。
欲望も恐怖も感情であって、理屈ではありません。
法力に依存しているのだから、愛人がいようが、ヨレヨレだろうが、
解脱が輪廻の話になっても、そんなことはどうでよく、
桐山さんに法力があればいい、というのが信者の感覚です。
- 951 :深山:2010/06/01(火)
13:12:37 ID:K/xrVlx.0
- >908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
信者としてもう一つのパターンがここにいる準シュダオンさんと
2ちゃんねるに出ているヂミズ(NeverReturner)さんです。
ヂミズさんは信者ではありませんが、アゴン宗を擁護している理由が二人とも同じなのです。
二人とも実力よりも自己評価が高く、自惚れが強く、ミスをしても他人のせいにして、
逆にお説教を始めるような人たちだから、人生がうまくいかなかった。
自分への反省心もないから、現実世界では自分の実力を正当に
評価されていないという欲求不満がある。
そこで、アゴン宗という妄想の世界に入ることで、桐山さんの真似をして、
聖者ゴッコをして、この欲求を満たしているのです。
準シュダオンさんは預流向だと自惚れ、ヂミズさんにいたっては
アナゴンというアラハンの一つ手前の聖者まで到達としたと自惚れている。
この自惚れの足場、土台になっているのが桐山アゴン宗です。
こういう彼らにどんなに桐山アゴン宗のインチキや嘘を示しても無駄です。
桐山アゴン宗を否定したら、彼らがようやく得られた自己満足をまた失う。
だから、どんな屁理屈をつけてでも、アゴン宗にしがみつく。
アゴン宗を土台として、桐山さんを踏み台にして自己満足を得ているのだから、
彼らのような自惚れの強い人が、これを壊すようなことはするはずがない。
むしろ、土台を固めようと必死に擁護しているのです。
- 952 :深山:2010/06/01(火)
13:21:32 ID:K/xrVlx.0
- >908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
アゴン宗がヂミズさんや準シュダオンさんにとって、自分がエラクなる踏み台にすぎないから、
桐山さんが認めていなくても、勝手にデンパを受信したと自惚れ、
信者のためと称してお説教を始める。
二人とも他人を小馬鹿にしきった態度で、何度注意されても、
相手をバカ呼ばわりするのがやめられない。
二人とも元々の彼らの欲望だということの他に、準シュダオンさんの場合、
老化によって理性のブレーキが効かなくなり、露骨に出すようになったからです。
自分が他人よりも一段上であるという自己満足を得るために
彼はアゴン宗に留まっている。
しかし、道場に行っても平の会員として取り扱われ、金ばかり取られ、
自惚れを満足をさせることができないから、行かない。
ここでくだを巻いている分には、批判側相手にアゴン宗の代表であるかのように、
他の信者のためであるかのように威張りながら、お説教を垂れることができる。
こここそが、彼の自惚れという欲望をいたく満足させてくれる場なのです。
アゴン宗の先達でしかるべき地位を築くと、準シュダオンさんと似たような欲で
アゴン宗に留まる人も珍しくありません。
現実世界ではただの凡人でも、アゴン宗という妄想の世界では大先達として尊重され、
死者を救い、世界を救っているという自惚れを持つことができる。
自己満足という麻薬の快楽が大きいから、桐山さんの話の矛盾など問題になりません。
- 953 :深山:2010/06/01(火)
13:29:56 ID:K/xrVlx.0
- >908:無関係な人間です10/05/30(日) 19:03:41
ID:kK7wVrys0
>こうもあっさりと桐山さんが自分の過去の言動と矛盾する発言をするのは、全然釈然としません。
以上のように、教祖も信者も、欲望、恐怖、執着など煩悩そのものでアゴン宗はできているのです。
桐山さんは煩悩を増大させるのが目的であり、信者にこれを仏道修行であるかのように
説くことで、釈尊に御利益を願うという矛盾した行為に罪悪感をなくさせる。
悪因縁、霊障のホトケ、地球壊滅といった恐怖とそれに対する保険、
超能力や好運を得たいという欲望、自惚れを満足させたいという欲望など、
アゴン宗の中は煩悩が激しく共鳴し渦巻いている。
煩悩ですから、理屈は通じません。
因縁切りによる解脱と、輪廻転生瞑想法が正反対の内容でも、それは理屈の上で
の話であり、教祖も信者も煩悩を満たすことが目的なのだから、そんな理屈など実はどうでもいい。
アゴン宗と自分の過去の信仰を見た時、釈尊が煩悩に立ち向かうのに理屈を
説いた点が非常に興味深い。
彼は煩悩を減らすのに、縁起をはじめとして様々な理屈を説き、
自分の煩悩を観察してあてはめ、それらを一つ一つ考察することを教えました。
知恵の宗教と言われるだけあって、知性をもって煩悩に立ち向かう武器とした。
桐山さんは正反対に、口先では智慧を連呼しながら、実際には煩悩を煽り、
信者にない煩悩は付けて、桐山さんと教団に依存し執着するようにし向けている。
釈尊の説いた教法こそが桐山アゴン宗にとって「猛毒」であるのが笑えます。
- 954 :無関係な人間です:2010/06/01(火) 14:01:56 ID:hYsWHHSo0
- 丁寧なお返事を頂戴し、深く感謝しています。いつも具体的に、懇切な文章を書いて下さり敬服して
おります。
マクロの視点、桐山さんの過去の言動からの考察という立場なら、全く同感です。
しかし、ミクロの視点、私が現実に接した阿含宗の活動家や桐山さんの当時の言動からの考察では
やはり釈然としていません。これは自分の当時の体験から生じるものであるのは認めますが。
当時の彼らが阿含宗や桐山さんの偉大さを夢中で語っているのを9割はバカにしながらも、
1割は内心「すごい」と感じていたのです。また、こちらも岩波文庫の中村元博士の本等を根拠に
桐山さんの主張が根拠のない事を口から泡を飛ばして主張していたのです。ところが、30年経ったら
桐山さんが、当時言った事をひっくり返す内容の発言をした訳です。騙されていた阿含宗の会員の中に
は唖然とした人もいたでしょうが、親玉の桐山さんの態度の豹変には、桐山さんの教学はインチキだと
主張していたこちらも唖然です。桐山さんはいい加減な人物だとは思っていましたが、ここまでいい加減
だとは夢想だにしていなかったのです。もう、すごい、というしか表現はありません。
これは何回も言った事なので、食傷気味でしょうが、しかし、こんなくだらない男の口車に騙された人達が
気の毒だと、つくづく思います。
- 955 :無関係な人間です:2010/06/01(火) 14:14:41 ID:hYsWHHSo0
- それと、今頃になって思い出した事ですが、学生の当時、阿含宗の皆様と論争をしていると、よく、学者が
こういった、という主張をしていました。で、こちらも学者の本や岩波文庫の本を読んで次回会った時に
反論をすると、「学者はあくまでも理論だけを追求する立場であり、限界があるのだ。最終的には法力や
霊力で解釈しないといけないのである。学者の本はあくまでも研究所であり、実践という立場では宗教家
の解釈こそ優先しなければならない。」と言われた事がありました。
理屈が通らないと、「法力」に逃げ込まれるのですから、論争にならない、と感じた記憶があります。
で、桐山さんに「法力」があるか、どうかについては、理屈で解決する問題ではなくて、実際に桐山さん
の言う通りに修行するしか証明のしようがない訳です。
- 956 :無関係な人間です:2010/06/01(火) 14:25:51 ID:hYsWHHSo0
- で、桐山さんに「法力」があるか、という問題については、いくら阿含宗の信徒の説明を聞いても
疑問的でした。私は桐山氏の言う事にはウソが多いし、阿含宗の教学にもウソが多いと考えていました。
そのうち大学も卒業し、阿含宗の諸君とも縁が切れ、就職して忙しくなったので、関心を失ったり
また、桐山さんの裏面を偶然しったので、阿含宗とは本当に永年関心を失っていたのです。
で、20年を経て、週刊誌の記事が契機で当時、答えが出ていなかった問題である桐山さんの「法力」の
事を思い出し、サイトを拝見した次第だったのです。まあ、そうすると、予想を越える決末で、声も出ない
状態になったのです。
まさか、桐山さんの言う事が全部ウソで、阿含宗の教学も全部ウソだとまでは考えていなかったのは
認めざるを得ません。でも、当時を思い出し、やはり釈然としない部分が残っているのも事実なのです。
ともあれ、いつも誠実なご対応をして下さり、あらためて感謝を申し上げます。
- 957 :無関係な人間です:2010/06/01(火) 15:14:05 ID:hYsWHHSo0
- ミケさんが言われていた通り、桐山さんの言う事を信用させるキーワードが「法力」だったと思います。
桐山さんの粗雑な教学をカバーするためには「法力」でごまかすのが一番だったのではないでしょうか。
私が学生時代は、この言葉を出されたら、論破するのはほぼ不可能でした。
当時、広野先生の本は出ていませんでしたし、まさか宗教家が手品みたいな事をするとは思いませんから、
トリックに騙される人が続出しても不思議ではなかったと思います。そして、桐山さんや阿含宗の外見に
騙されて阿含宗に足を踏み入れたら、深山さんの言われるような詐欺と脅迫の世界が待っているのですが、
それも外部の人間には分からない事です。
言い方は悪いが、「法力」という預金の残高がゼロなのに、手形や小切手をじゃんじゃん乱発したのが
桐山さんです。受け取る方は、まさか残高がゼロとは思わないで、ありがたく受け取っていたのですね。
で、不渡りが続出しても、言い逃れを乱発して居直っているのです。これでは怒らないほうが不思議です。
しかし、20年、30年を経て、そういう事情が分かったのです。
長い時間がかかり過ぎた、と感じます。
- 958 :ラシン:2010/06/01(火)
17:08:12 ID:q4iXIS7Y0
- >957
:無関係な人間です
>言い方は悪いが、「法力」という預金の残高がゼロなのに、手形や小切手をじゃんじゃん乱発したのが
桐山さんです。受け取る方は、まさか残高がゼロとは思わないで、ありがたく受け取っていたのですね。
で、不渡りが続出しても、言い逃れを乱発して居直っているのです。
そのご指摘とおり、桐山さんは空手形を乱発してきた。
それも決済期日なしの手形だから始末が悪い。
また他へ持って行きようのない、アゴン宗のみでしか割引けない。
ただし割引いてもらっても、新たな空手形が発行されるだけです。
ようは、
決済見込みのない状態で振り出す約定のようなものですから、
桐山教義も法も、常に自転車操業状態です。
走るのをやめると倒れるから常に新商品という空手形を発行し続ける。
決済できないというのは、元々が決済資金が皆無だから常にジャンプを
余儀なくされる。
商行為で手形ジャンプ(決済期日延期)すれば、普通は発行した企業の
信用は損なわれます、これ常識です。
しかし宗教の場合でそれが通じないのは、深山さんの説明にもあるように、
桐山さんは人間の欲と弱さを上手に突いている。
しかも、労力、モノ、金をつぎ込んだら、その元手は何とか戴きたい。
取り戻したい気持ちと期待感を捨て切れないのが、人間の弱さでしょう。
だから、
桐山さんのウソをそのまま自分自身に当てて、自身を無意識に騙している。
無関係な人間ですさんの釈然としない気持ちも、新興宗教ゆえの理由です。
既成仏教信者なら、まさかここまでは騙されない。
私もそうでしたが、信者のほとんどが仏教無知ゆえの理由でそのまさかで
騙された、という笑えない事実があります。
しかもその日本の既成仏教はニセモノで、唯一ホントのおシャカの教えが、
アゴン宗の教義なのだ、という優越性を標榜していることです。
今まで仏教無知だった者が、アゴン宗信徒になって忽然と優越感に浸れた。
日本中のほとんど誰も知らない真実を我々アゴン宗信者だけが知っている、
という秘密のあっこちゃんという自負心と優越性という満足感です。
アゴン宗信者さんたちが、慢心や増上慢を植えつけられる一つの理由です。
人間多くは、優越感を与えてくれる「師」を否定するのは難しいでしょう。
- 959 :ラシン:2010/06/01(火)
17:47:41 ID:q4iXIS7Y0
- >956
:無関係な人間です
>でも、当時を思い出し、やはり釈然としない部分が残っているのも事実なのです。
もう一つの理由は、藁へもすがる弱者の存在です。
病気で苦しむ人、夫婦や子供の悩みなどなど。
それらで困窮している人をハット気づかす役目が桐山因縁切りです。
誰しもこの世に生まれてきた以上は、自身に瑕疵が生じます。
つい先日の安岡力也氏のギランバレー症候群の闘病告白を見ても、
どうして自分なの?との思いが生じ、それを実はこうこう○○の因縁が
あなたにあり、それを断ち切れば病は改善するのですよ、などと言われる。
その理由の一つが良いご縁をいただける運命の改善、良い医者や病院に
縁が出来、結果病気が好転したり治癒につながるのだ?などと言われると、
困っている人ほど藁へもすがる思いで信仰という美辞麗句の世界に期待します。
たとえば病気が改善されると、それは医者の成果だけではなくアゴン宗に入信した
そのおかげと修行で、良い医者に縁が出来たのだと考えるようになるし、
先達はそのように指導もします。
ではお金持ちで先進医療を受けられて病気が完治した人はどうなのだ?
答えは簡単で、そういう幸運の人は前世に撒き置いた種があるからで、
そのためにもあなたも今世に、アゴン宗で布施をし徳を積みましょうね、
となるのです。
しかし修行しても尚、
病気が改善されない、夫婦仲がうまくいかない、子供の躾で悩む親御さん。
こういう人たちには、深山さんが挙げた例のようにむごい仕打ちが待っています。
修行が足りないから、その心根が悪い、解脱供養を怠っている足りないなど、
すべてその理由は自分や身内、はたまた先祖にまで向けられてしまいます。
こうして上手くいけば桐山ゲイカの法リキ、ダメなら自虐感を強いられ、
その欺瞞を疑う知性まで吹き飛ばされて、まさに首輪と縄を繋げられた犬のように、
逃げることも出来ない状況を作り出されてしまう。
ゆえに師や師の教えに反する行為など修行の妨げと考えて、
疑いや検証という試みを、宗教的美辞と宗教的脅迫によってスッポリと、
抜き取られて、否、自ら抜き取ってしまうのです。
- 960 :無関係な人間です:2010/06/01(火) 17:56:28 ID:hYsWHHSo0
- >>958
分かります。当時、阿含宗の活動家の皆様の態度はモロに上から目線でしたね。”お前はバカで、貧乏で、人間的にも駄目なヤツだから、お情けをかけて
救ってやるのだから、ありがたく受けろ” という哀れみの視線がありありと見えました。まあ、バカで、人間的にも駄目なのは今でも本当なんですが(笑)
こういう態度で出られると気分が無茶苦茶悪くて、「おのれ、見ておれ」、と阿含宗を論破してやろうと真面目に研究しました。
議論も最初は負けてばかりでしたが、段々と立場が強くなり、最後のほうは、彼らをからかう余裕も出来てきました。
ほんと、彼らの優越感というのは、当時は理解不能でしたが、ラシンさんや深山さんの説明を受けると納得です。
あと、ラシンさんの手形の説明もほんと、納得です。阿含宗専用の統一手形用紙を使用しているのでしょう。
すると、阿含宗を伝道した人は、阿含宗の手形を裏書譲渡したようなものですね。
でも阿含宗の手形を誰かに裏書譲渡した信徒の皆様は、手形が落ちずに、それでいて遡求だけはされる気の毒な立場のような。
これは言い過ぎかな?
- 961 :色川千景U:2010/06/01(火)
21:10:34 ID:JcmcIO060
- 916 :名無しさん:2010/05/30(日) 22:54:03 ID:9GESxCzY0
>>915
>
まともな職員がどんどん退職していきました。
これは最近のことでしょうか。
もし最近のことなら、とてもよいことです。
本当によいことです。
- 962 :色川千景ゲテモノトリオは解散しました訴訟被告桐山靖雄:2010/06/01(火) 22:00:24
ID:oPfB.LZQ0
- 馴れない携帯で入力ミスを繰り返してすみません。
職員の入れ替わりは昔から激しかったようです。
名前を覚える前にやめていった職員が少なからずいました。
つまるところ、職員の仕事は金と人を集めろというノルマだけしかありません。
金のためではなく、理想を求めて入った人なら悩み苦しむはずです。
十数年前に、「金を集めるか人を集めるかだ」という管長の法話
このときの例祭法話ビデオは道場に配布されませんでした。
職員は、繰り返し聞かされていた話でしょうが、何をトチ狂ったのか会員の前で力説してしまった。
今もいるゴロツキ職員の事を書きたいのですが、傷つける人もいるかもしれないのであまり書けません。
自分で一人も導けないのに、会員のお導きを横取りして成績を上げていた職員がいます。
管長ゲイカを見習ってか、次々と女性会員と付き合っていた某職員は、年配女性には清らかな人物に見えたようです。
他に仕事がないから職員をやってるとしか思えない職員もいますね。
管長の実像とアゴン宗の内情を見てしまった時にどのような行動をするか、それがその職員の人格でしょう。
準シュダオン職員は最後までへばりつくのかな?
- 963 :ミケ:2010/06/02(水)
00:05:05 ID:8oqGAL8Q0
- >>920 :準シュダオン:2010/05/31(月) 08:46:01
ID:agsP6ENM0
>深山さんも、思った以上に馬鹿野郎さんだねw。
>ミケ猫野郎君は、私が、「会員はお金を追いかけまわしている」と、言ってる
>と、レスしたのだよ
ちがいますよ。
ミケ猫野郎君は、あなたが「会員はお金を追いかけまわさないように」と、文脈で言ってる
と、レスしたのだよ。
ユビキタスさんがフォローしてくれているようなのでカキコしますが、
コテハンさんが鬼の首をとったように喜んでいるのがOOまるだしなんです・・
コテハン越法さんのレスは、教団が金欠病の会員にたいして
釈迦が貧乏人から托鉢した故事を引き合いにさらなる搾取をしてきた伝統、
会員は定期も保険も解約してアゴン宗に貢ぐべきだとする風潮、
アゴン宗の会員であるにもかかわらず貯金残高があるのは外道、
ゼロにしなければいけないという掟、などなどの暗黙の文脈にそって読解しました。
会員に対して同じ言葉を言ってみてください。
石を投げられても文句はいえません。
いつ会員がお金を追っかけまわしたのですか?
- 964 :名無しさん:2010/06/02(水)
09:32:09 ID:Yosfgnto0
- ここでサブタイトルを一つ
【桐山空手形乱発の末路】
- 965 :名無しさん:2010/06/02(水)
09:48:21 ID:Yosfgnto0
- さらにもう一つ
【英霊たちの逆襲 <ゲイカの身に何が?>】
- 966 :名無しさん:2010/06/02(水)
09:57:16 ID:Yosfgnto0
- ちょっと修正してもう二つ
【猊下の身に今何が?
<英霊たちの逆襲>】
単純明快に
【英霊たちの逆襲が始まった!】
- 967 :ラシン:2010/06/02(水)
10:48:57 ID:q4iXIS7Y0
- >960
:無関係な人間です
>すると、阿含宗を伝道した人は、阿含宗の手形を裏書譲渡したようなものですね。
おっしゃるとおりです、その意味では私も第一裏書人を何枚か書いて、
次の第三者に譲渡しているという導きの行を犯しています。
しかし表書きの手形発行人には、決済するチカラがない確信犯的空手形だった。
他人様への例えは憚りますが、
身内それも年寄りの両親にも当然に譲渡しました。
私の両親も世間並みの昔かたぎで、爪の垢に火をともすように貯めたお金も、
冥徳供養の浄財にほとんどが消えました。
以前にも記述しましたが、母親は老いて胃がんの宣告を受けた。
本人は、因縁診断には指導されていなかったので愕然としたようだった。
当時は慰める言葉もなく、指導に無いのだから手術すれば大丈夫だ、
との前向きな考えで手術に臨みました。
結果は高齢手術のため、体力も損なわれて数年寝たきりで最期は、
肺炎で亡くなった。
しかし母の因縁指導は、循環器系障害の因縁と手足を失う肉体障害の
因縁だった。
元々が心臓が弱かったのが、入信する前にカテーテル手術で
改善されていたのですが、、、。
桐山さんの天気予報にも劣るいや、その転機予報は当たらず、
両親には効果が無かった。
そこで、自分が裏書譲渡した空手形の回収は何とも忸怩たる思いと、
罪悪感に苛まれた。
今でも未回収のものがあることが、どうしても心の隅に貼りついていて、
心底悔やまれます。
桐山さんの過誤に気づいていない信者さんはまだしも、
ネット情報で事実を知りつついまだ空手形発行に手を貸して、
それを利他ともの修行と考えているなら、
それは搾取と欺瞞の加担に過ぎない。
ましてや今度は教義一変して来世の輪廻を都合よく願う迷走法。
それに耽溺する師の現実を見るべきではないだろうか。
- 968 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/06/02(水) 11:48:06 ID:SmEF4Oe2O
- >>922:ミケ10/05/31(月) 09:27:01
ID:8gP8ulv20
>まずT元職員について書きます。
>アゴン宗の未来を考えたとき、供養ではだめだろうという見通しを持っていたようです。
>供養路線では人を、特に若者を惹きつけることができない。
>>924:ミケ10/05/31(月) 10:22:53
ID:8gP8ulv20
>T元職員が着目したジェム・ストーンについて説明します。
>T元職員は若者のブームになっているジェム・ストーンをアゴン宗に取り入れることを考え、
ミケさんの考察も自由に続けてもらいたいのですが、ここらで2点ほど感想を。
まずはT元職員について。
いかに真面目に勉強したものとは言え、ストーンパワーなどのヒーリング産業を
補助的に取り入れるのならまだしも、解脱供養に代わる路線にしようとしたとは
アゴン宗自体が宗教と言うよりも所詮若者受けまで狙った商売に過ぎないことの
証明と言えましょう。
補助的活用ならばまだいいです。
アゴン宗でも座右宝鑑に身につけるべき宝石なんて項目があるのだから
こういう路線もあり。
また護摩木の勧進実績の見返り法施というのも、あくまでも建前はオマケであり
法施目的の勧進ではないというものだから、どうせオマケを出すならばこんなの
ウケると思いますよ(いや、あれはウケんと思うが)と進言するのもアリだろう。
しかし解脱供養路線では駄目だと否定して若者向けだかにこんなグッズ瞑想に
変えねばならないなんて発言が平気で飛び交うことは桐山さんのインチキを認めた
も同然です。解脱供養を申し込みもしないA原職員の例をとっても。
Tさんにしても職員の立場になってしまうと、こういう現実を信者に隠して
騙していることには変わりない。
つまり宗教、信仰としての誠意がなんら感じられない。
若者ウケするヒーリング瞑想路線という商売を展開しようとしただけです。
- 969 :準シュダオン:2010/06/02(水)
12:40:45 ID:agsP6ENM0
- 病気になったら医者に行くことだね。それでも難病も多く、原因や治療法が
解らないものがあるのだから、宗教にすがる場合があっても仕方ないね。
宗教で治らない場合があるのは、当たり前のことですね。
宗教で治った、という方が、常識的にはオカシイのです。
ゲゲゲの女房の夫、水木しげる氏の体験は勉強になりますよ。
水木氏は子供の頃、ガキ大将であって、体が丈夫であった。
近隣村の対抗戦の、陸上選手と水泳選手でもあったので、体力はありました。
その中学生の頃、絵の取材旅行をした体験を書いている。これが興味深い。
片道15キロもある所を、徒歩で往復したのです。汽車賃でまんじゅうを、
買って食べてしまったから、歩きだそうです。
次に、その体験談をレスしてみましょう。
- 970 :深山:2010/06/02(水)
12:42:32 ID:BBXV/Ivs0
- >>924 :ミケ:2010/05/31(月) 10:22:53 ID:8gP8ulv20
>水晶を凝視していると龍神がいるのが見えてくる、それはアナコンダ型かボア型かいずれかの形で、
T元職員の件をありがとうございます。
アゴン宗の集金活動のために、商品開発に才能を発揮したので、
W田さんに気に入られていたのでしょう。
ただ、気の毒なのは、ユビキタスさんも指摘しているように、
桐山さんやW田さんに気に入られて活躍すれば、多くの場合、悪業を積むことになる点です。
私が気になるのが、Tさんが悪業をどの程度積んだかどうかではなく、
そのことに気がついているかどうかです。
Tさんは自分ではオシャカも認めるものすごい聖業を為したと思っていた。
だが、現実は宗教詐欺で他人を騙すのを手伝っただけです。
釈尊は過去の悪業を消す方法なんて説いていないが、悪業をすぐにやめて、
これからは繰り返さないようにすることを説いています。
そのためにも自分が何を為したかを自覚することは必要です。
でないと、また同じ間違いを繰り返すからです。
はたしてTさんがそこまで自覚しているかどうか。
- 971 :深山:2010/06/02(水)
12:45:36 ID:BBXV/Ivs0
- >>924 :ミケ:2010/05/31(月) 10:22:53 ID:8gP8ulv20
>水晶を凝視していると龍神がいるのが見えてくる、それはアナコンダ型かボア型かいずれかの形で、
Tさんの件を聞いても、アゴン宗は昔と同じパターンの安っぽい商売ですね。
新しい行法の伝法で釣り、そのために護摩木をノルマにして、法施を買わせる。
何か新しいことを教えるかのように言うが、実際はワンパターンのくだらない内容。
「天然の水晶玉」の裏側にはこんな話があったのですね。
あの当時のパンフレットの説明には、次のようにあります。
「・・神秘的な力が授かり、予知力が備わり運が開けます。」
まるで三流週刊誌に載っている霊感グッズの安っぽい宣伝です。
その上、のぞき込むと龍神の姿が見える!
その馬鹿げた宣伝もさることながら、信者がその言葉を信じて、
なんとか龍神を見ようと一生懸命にのぞき込む姿には言葉がありません。
- 972 :深山:2010/06/02(水)
12:51:08 ID:BBXV/Ivs0
- >>924 :ミケ:2010/05/31(月) 10:22:53 ID:8gP8ulv20
>T元職員が世界平和を祈ってこの石をイスラウェルに埋めた後、
なるほど、その石のパワーでイスラエルでは戦争が始まったのですね・・・
とTさんに皮肉を言いたくなりました。
Tさんがどういう理由でやめたのかはわからないが、つまらない石ころ遊びを
していないで、少しでも自分が為したことを振り返ってほしいものです。
たぶんTさんが「石ころ遊び」という表現を読んだら怒るでしょうね。
でも、その石でチャクラを覚醒させて、それで何をしたのだ?
ただ悪業を積んだだけです。
信者さんの中にもパワーストーンなど神秘的なことが大好きな人がいる。
個人の趣味だから、神秘力を得ようとするのはかまわないが、
そのために詐欺宗教に片足をつっこんでいるようでは、
なんのための神秘力なのかわかりません。
焚き火をしようが、石ころを埋めようが、イスラエルは戦争をして、一般市民を虐殺した。
アゴン宗はこの虐殺をした為政者たちに金を渡した。
この事実だけを自覚するべきです。
- 973 :深山:2010/06/02(水)
12:54:01 ID:BBXV/Ivs0
- >>931 :ミケ:2010/05/31(月) 15:41:42 ID:8gP8ulv20
>骨はスカスカで背骨は折れ曲がり、毛細血管はボロボロで心臓と肺が機能不全、常に荒い呼吸をして胸が波打ち、
>起居にも人の手を借りている。まさに地獄の責め苦です。
黄病(と書くのを私文書さんが指摘してくれました)かどうかはともかく、
これは単純に生活習慣病でいいのではありませんか。
原因は桐山さん本人の長年の、主に食習慣です。
原因と結果はあまりに明瞭で、ほとんど議論の余地がないばかりか、
桐山さんの美食・飽食は本人も認めています。
『求聞持聡明法秘伝』76頁、1989年
「以来、かれの胃腸は快調そのものである。人の二倍はたっぷり食べる。
或る弟子の一人が、「先生と食事を御一緒してびっくりした。こっちが気持悪
くなるほどよく食べる」と人に語ったと聞いて、かれはそれ以来、食卓を共に
する弟子たちに、テレ隠しに時々こういうことを言うようになった。
「私は、人の三倍食べて五倍はたらくんだ。君たちも見習い給え。但し、その
反対はダメだよ。破産するから」
他人が見ていて気持ち悪くなるほどよく食べる、というのです。
桐山さんの食べ方を見てこれを言ったというのだから、相当なものです。
桐山さんを批判する人ではなく、弟子だというのだから、
非難しようとして言ったのではないだけに真実味があります。
しかも、桐山さん本人が書いた文章です。
普通の人よりも多めに食べるくらいで、こんな言い方はしません。
ガツガツと貪り食うような異常な食欲を示すということでしょう。
相手の食べ方を見て気持ち悪いとは、二倍程度では言いません。
普通の人の二〜三倍の食事をとり続けたらどうなるかは試してみるまでなく、
それが今の桐山さんです。
このように原因と結果はあまりにはっきりしています。
- 974 :深山:2010/06/02(水)
12:56:01 ID:BBXV/Ivs0
- >>931 :ミケ:2010/05/31(月) 15:41:42 ID:8gP8ulv20
>骨はスカスカで背骨は折れ曲がり、毛細血管はボロボロで心臓と肺が機能不全、常に荒い呼吸をして胸が波打ち、
>起居にも人の手を借りている。まさに地獄の責め苦です。
別院で桐山さんの美食家ぶりの噂を聞いたことはありませんか。
私はいくつか別院のオバチャン行者から聞きました。
ホテルオークラのレストランが彼のお気に入りの食堂だという。
ある小金持ちの信者も食べ歩きが好きで都内の有名なレストランに行くと、
何度か桐山ゲイカを目撃したと言っていた。
桐山ゲイカが高級レストラン通い?と、最初は耳を疑いました。
古くは玄米菜食であると本にまで書いたのだから、実行していると思っていた。
その後、路線を変えたとはいえ、あれだけ信者に栄養講義をしている人が
高級レストランで美食??
だが、目撃者が複数であり、嘘をついているとも思えない。
別院の食事班で料理の上手な信者を、桐山さんは自分のお抱え料理人にしようとした。
本人は家庭があるからと断った。
ゲイカの申し出を断ったことで、彼女はアゴン宗にいられなくなった。
桐山さんらしいひどい仕打ちであると同時に、
自分の料理人になれという一点を見ても、彼がいかに美食家かよくわかる。
だから、桐山さんが脳梗塞で倒れたとき、驚きながらも、
それまでの疑問が一気に解決した気がしました。
「美食飽食 → 生活習慣病(成人病) → 糖尿病 → 脳梗塞」
きれいに説明がついた。
- 975 :深山:2010/06/02(水)
12:57:00 ID:BBXV/Ivs0
- 「そして動脈硬化を起こした血管は内腔が小さくなってしまう。糖尿病患者
さんの血液は、それでなくてもかたまりやすい性質、凝固しやすい性質を
持っているので、細くなった血管ではすぐに詰まってしまうのです。
これが脳の血管に起こった場合には、脳梗塞、脳軟化症と申しまして、
脳の左側で起きると、いわゆる中風、体の右側が半身不随になってしまいま
す。このようなはっきりした形の半身不随、脳梗塞という形によって起こる
場合以外に、血液が凝固しやすいため、糖尿病患者の場合には梗塞がたく
さんできる場合があります。多発性の小梗塞というのが糖尿病患者の脳梗塞
の一つの特徴でもあります。」
(「糖尿病の恐ろしさ」青地脩、『阿含宗報』64号、1991年)
「一度発症すると、回復が悪いことも糖尿病の特徴です。歯周病や脈拍の異常、
白内障、膀胱炎、胆のう炎、肺炎、気管支炎、こむらがえりや筋萎縮、
インポテンツ、下痢や便秘などその症状は全身に及んでいきます。」
(http://fhtyay.net/union/26.html)
- 976 :深山:2010/06/02(水)
12:59:56 ID:BBXV/Ivs0
- 「これが脳の血管に起こった場合には、脳梗塞、脳軟化症と申しまして、」
>>975の前半は『阿含宗報』に載った糖尿病についての医師の解説です。
まるで桐山さんを予言したかのように見えます。
青地医師の文章にもあるように、糖尿病と脳梗塞や心筋梗塞は深い関係があります。
青地医師の記事は、彼を含めた二人の医師が6回にわたり『阿含宗報』に
連載した記事の一つです。
6回のうち、青地医師による4回分の連載は全部、糖尿病についてです。
いくら国民病とはいえ、なんで突然、ここで糖尿病について連載するのですか。
命に関わるというなら、桐山夫人もガンになったのだから、
ガンについての連載のほうが信者には興味があったはずです。
この後、1993〜1995年にアゴン宗は社会活動と称して糖尿病財団に寄付をしていた。
だが、桐山さんからこの件についての信者への説明はありません。
なんで突然、糖尿病財団に寄付なの?
彼自身が糖尿病だったとみれば、説明がつきます。
桐山さんは自分の病気治療を健康法として信者に売るのが得意だからです。
そして、桐山さんが1996年に起こしたのはまさに「多発性の小梗塞」です。
1980年後半、突然、サプリメントについて路線変更をして、
1991〜1995年にかけて桐山さんは糖尿病に深く関心を持ち、
1996年には多発性の小梗塞をおこした。
つまり、1980年代後半には糖尿病の診断を受けていたとみれば、
きれいに説明がつきます。
しかも、桐山さんの小梗塞は当時始まったことではなく、その16年も前から起きていた。
- 977 :深山:2010/06/02(水)
13:02:33 ID:BBXV/Ivs0
- 「師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、
がぁんと、頭から頬にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。」
(「一九九九年カルマと霊障からの脱出」199頁)
「定にはいると、すぐに手が激しく動いた。」
(『一九九九年カルマと霊障からの脱出』205頁)
1980年にインドで白銀バイブを受けた時の桐山さんの描写です。
白銀バイブだなんて思うから神秘的だが、これはなんらかの脳梗塞が
起きたとみれば現実的な説明がつきます。
症状がしばらくして消えたこともみてもわかるように、脳梗塞の初期症状と
される「一過性脳虚血性発作(TIA)」でしょう。
桐山さんは手が動いたのを自動書記だなんてアホウなことを言っている。
自動書記などでなかったことは、桐山さんの直筆の文章を見れば十分で、
桐山さんの字体で、桐山さんの文体で書いてある。
自動書記ではなく、脳梗塞で手がふるえたのです。
だが、字体はきれいで、震えた様子はありません。
手が震えたのは右手ではなく、左手なはずです。
なぜなら、右ななめ前方からガーンと来たということは、右側の脳に異変が起き、
身体の左側に運動機能の障害が現れるからです。
だから、自動書記と称する文章の文字は正常なのです。
この時、桐山さんは59歳ですから、それまでの長年の食生活が原因で、
血液はドロドロになり、血管が詰まり始めていた。
きついインド旅行で体力を消耗し、汗をかいて血液の濃度が高くなり、
脳梗塞の初期症状を起こしたとみれば説明がつきます。
- 978 :深山:2010/06/02(水)
13:04:59 ID:BBXV/Ivs0
- 「師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、
がぁんと、頭から頬にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。」
男性の場合、右側の脳が脳梗塞を起こすことが多いと言われています。
これも桐山さんの「右ななめ前方」という描写と一致している。
しかも、脳梗塞の共通した症状として、昔のことをしっかりと思い出す。
脳梗塞で倒れた栗本慎一郎さんや小渕恵三さんがこれらの症状を示しています。
記憶に関係した海馬が理由だろうと言われています。
桐山さんは次のような光景を見た。
「空が真っ赤に燃えていた。その空の下で、何十階と思われる高層のビルが、
重なって陽炎のように揺れた。」(『守護神を持て』168頁)
これは1975年に公開されていた「タワーリング・インフェルノ」の描写そのままです。
映画好きの桐山さんはこの映画を観て、強い印象と恐怖を感じた。
五年前の記憶が脳梗塞が原因でインドで蘇ったのです。
- 979 :深山:2010/06/02(水)
13:09:55 ID:BBXV/Ivs0
- 「わたくしも先年、血糖が高くなり、このまま放っておけば糖尿病になりますよ、
と医者から忠告されて、さっそく有酸素運動を開始しました。」
(『阿含宗報』211号、4頁、2003年)
血糖値が高いと言っているだけではなく、糖尿病になったとは言っていません。
しかし、桐山さんの食生活から見ても、また脳梗塞になったという
結果から見ても、ほぼ間違いなく糖尿病でしょう。
だが、桐山さんはこれでも懲りずに、まだ大食がやめられない。
「食いしん坊だから大食いするけれども、食べた食物が
脂肪になったときにその脂肪を燃やしてしまうようにしているのです。」
(ダルマチャクラ、175号、2004年、31頁)
つまり、今でも桐山さんは食欲に任せて「気持悪くなるほどよく食べる」人なのです。
老人が食習慣を変えられないこともよく指摘されることで、桐山さんも例外ではありません。
「食欲の抑えられない仏陀」「大食いする解脱者」「気持ち悪くなるほど食べる聖者」
などというのは、仏教には存在しません。
仏教ではそういう人を凡夫というのです。
- 980 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/06/02(水) 13:11:16 ID:SmEF4Oe2O
- >>931:ミケ10/05/31(月) 15:41:42
ID:8gP8ulv20
>桐山氏はいま『オウ病』にかかっているのです。
>オウ病とはアゴン宗では『霊障によってかかるため医薬では治らない業病』のことです。
>桐山氏はすでに肉体が地獄に堕ちています。
>彼の脳梗塞も糖尿病もオウ病によるものなので、病状は凄まじい様相を呈しています。
>骨はスカスカで背骨は折れ曲がり、毛細血管はボロボロで心臓と肺が機能不全、常に荒い呼吸をして胸が波打ち、
>起居にも人の手を借りている。まさに地獄の責め苦です。
まず私は霊障が原因というオウ病なのかどうかわかりません。
しかし業病というのには頷けます。
業病とは運命の病気、神仏の祟りではなく、自業自得の業ですね。
つまり生活習慣病のことです。
それから桐山さんはたしかに往年の若さは失われ、自由がきかずさぞ苦痛と苦悩
もあろうかと思います。
しかし老化っていうのは、これが当たり前であり、これに文句を唱えるのは
理不尽というものです。
桐山さんがこれを地獄の責め苦なんて思っていたら、それは見当違いです。
地獄の何たるかをわかっていません。
地獄はこんな甘いものではない。
桐山さんの死後、これから逝く先が地獄なんだから、こんなものではない責め苦が
待っているのだから覚悟しておいた方がよい。
寧ろ完全な認知症にもなっていないだけ恵まれている。感謝すべきです。
しかしともあれ桐山さんの関心は現世では自由がきかなくなった恨みを来世や
死後の世界に託した。
それが守護神を持ての阿鼻野街道を歩かなくてよい道だの冥徳墳墓であり
今回の美男美女、英雄、大金持ちの夢よ、もう一度、あるいは今度こそ、という
妄想願望です。
信者はこの桐山さんの唯一の関心につきあわされているのです。
因縁解脱はどうなった?
- 981 :深山:2010/06/02(水)
13:12:03 ID:BBXV/Ivs0
- >>931 :ミケ:2010/05/31(月) 15:41:42 ID:8gP8ulv20
>骨はスカスカで背骨は折れ曲がり、毛細血管はボロボロで心臓と肺が機能不全、常に荒い呼吸をして胸が波打ち、
>起居にも人の手を借りている。まさに地獄の責め苦です。
桐山さんが輪廻転生瞑想法を出したのは、こういう身体だけが原因ではなく、
彼がただの俗人だからです。
輪廻転生瞑想法は桐山さんの「本音」というミケさんの指摘には賛成です。
彼は解脱などしたくない。
この件でいつも思い出すのが、桐山さんのニルヴァーナの解説です。
仏教で解脱は「火を消す」というたとえをするが、
桐山さんはこのたとえを奇妙だと、本でも手厳しく批判して、
「ニルヴァーナとはそんな空漠なものではないのである」
(『末世成仏本尊経講義』52頁)
と書いています。
当時、桐山ゲイカを信じていた私だが、この説明には「??」だった。
桐山さんは「火を消す」を後世の人たちがたとえたと思いこんでいるようだが、
釈尊が象頭山で行った有名な説法です。
その釈尊のたとえを「まことに奇妙な話」と否定してどうするの?
桐山ゲイカはそんなことも知らないのだろうかと、頭の隅で疑問に思いました。
- 982 :準シュダオン:2010/06/02(水)
13:13:29 ID:agsP6ENM0
- 次の『 』の部分が、水木氏の体験談です。のんのんばぁとオレ)から。
『・・行きはまだよかったが、帰りは困った。日が暮れる、腹は減る、道ばた
の家には灯がついて夕食準備の音がする。そのうちに、ふだんから足には絶大
の自信を持つオレなのだが、歩くのが急に大儀になってきた。とおもううちに
冷汗が出て、胸がドキドキしだした。どこかで横になろうと道をわきにそれ、
あぜ道に稲がほしてあるところで寝ころんだ。しかし、苦痛はとまらない。
横にある稲の穂を口にいれて、モミガラをとって食った。いまの都会の人は知
らないだろうが、生米は口に入れてよくかめば食えるし、そんなにまずいこと
もない。そうしているうちにだんだん元気が出てきて歩けるようになったが、
一時はどうなることかとおもった。
これは空腹も空腹だったが、もともと体力はあったし、ほかにも原因がある
ような気がした。おとなになって、柳田国男の「妖怪談義」を読むと、
「ひだる神のこと」という一文があって、おなじようなことが書いてある。
旅の途中で死んだ人の悪霊が、ダルというものになって、これが道行く人に
とりつくのだという。そういうときには霊をなぐさめる意味で食物を一口食え
ばいい。むかしの人はそのためにフトコロに干飯を持って歩いたそうだ。』
と、いうようなことを書いています。
あんな奇妙な苦痛を、むかしの人が妖怪のせいだと考えても無理はない、
とも書いています。
わたしは、水木氏の体験は、生き倒れになった人の霊がとりついたのだと思う。
唯物論者からみたら笑い話ですけどね。
ですからわたしは、管長が、餓死者などの霊を成仏させようとして、成仏供養の
護摩を焚く指導をしていることは、しごく当然だとおもうわけです。
- 983 :深山:2010/06/02(水)
13:16:21 ID:BBXV/Ivs0
- 「ニルヴァーナとはそんな空漠なものではないのである」
もう一つおかしいのは、桐山さんはこの「火」の意味を理解していない点です。
桐山さんはニルヴァーナを火を消した後の真っ暗で何もなくなって
しまう状態だと思っている。
そうではなく、ニルヴァーナとは火を消すことそのものを指しているのです。
火とは煩悩のことです。
煩悩が消滅した状態がニルヴァーナだから、これを「火を消す」とたとえたのです。
釈尊は火を消すことをニルヴァーナと言っているのに、
桐山さんは火を消した後のことをニルヴァーナだと勘違いしている。
つまり、桐山さんは解脱(ニルヴァーナ)の意味をまるっきり理解しておらず、
釈尊が煩悩を火にたとえて、これを消すことを説いた有名な経典すら知らないのです。
この本では桐山さんは、ニルヴァーナを理解していないと他人を批判している。
だが、理解していないのは桐山さんのほうです。
事実、この本では、解脱を「人間の持つ業からの脱出」(55頁)であると書いている。
まったくの嘘です。
ニルヴァーナがなんであるか意味を理解していない人が
解脱したと宣言して、あんな有名な経典すら読んだこともないのに
阿含経講義の本を書いているのだから、爆笑です。
火が消えて真っ暗なるなんて、誰でもいやですよね。(笑)
桐山さんの解脱の理解とはこんな程度なのです。
- 984 :深山:2010/06/02(水)
13:19:27 ID:BBXV/Ivs0
- 「ニルヴァーナとはそんな空漠なものではないのである」
桐山さんは身体が衰え、死が目の前に迫ると、ますます命が惜しくなった。
昔から桐山さんは言葉の端々に命が惜しいと言っているのを知っていますか。
昔の機関誌に「命を惜しむ」と題して、自分は本当の仏教を興すのだから、
命を大事にしたいなどと綺麗事を並べているが、あれは命への強烈な執着です。
また、「自分は120歳まで生きる」と宣言した。
バジアンさんに「長生きを覚悟しなければならない」と言われて喜んでいた。
自分が作り出したアゴン宗に彼は猛烈な未練と執着を持っている。
死ねば全部それらを置いて去らなければならない。
桐山さんが苦しんでいるのはアゴン宗を捨てて去る時間が刻一刻と
迫りつつあるのを自覚せざるを得なくなったことです。
それを救ったのが輪廻転生瞑想法という妄想です。
桐山さんにとっては地獄に仏のありがたいアイデアだったのでしょう。
シャカを超えたなどと発言したのも、彼の止みがたい欲望と執着を
満足させてくれる方法だからです。
そして、桐山さんはいつものように自分の「病」を信者に法として伝えた。
- 985 :深山:2010/06/02(水)
13:22:44 ID:BBXV/Ivs0
- >>931 :ミケ:2010/05/31(月) 15:41:42 ID:8gP8ulv20
>骨はスカスカで背骨は折れ曲がり、毛細血管はボロボロで心臓と肺が機能不全、常に荒い呼吸をして胸が波打ち、
>起居にも人の手を借りている。まさに地獄の責め苦です。
桐山さんの状態はそれほど悪くはないでしょう。
88歳で海外に出かけている。
老人は見た目よりも苦痛は少ないと言われています。
逆が子供で、神経系が新しいから、大人よりも苦痛が大きい。
桐山さんがヨレヨレで苦痛にあえいでいるように見えても、
彼自身は案外、それほど苦痛は感じていないかもしれません。
桐山さんが結核だったなんて私は信じておらず、戦争にも行かず、
重労働もしたことがなく、身体を痛めつけたことがないから、本来、
ものすごく丈夫で、長生きする人です。
しかし、飽食が原因で内側から身体を壊してしまった。
たしかに衰えてきてはいるが、しかし、それは通常の老化から見ても、
それほど極端ではないのではありませんか。
身体が衰えれば、様々な苦痛を伴うのは世間の老人も同じです。
医療が発達して、特に脳梗塞には良い薬ができているし、
W田さんは桐山さんをとても大事にしているはずです。
私の希望的予言ですが、桐山さんはヨレヨレ長生きだと思う。
ペットの中でもハムスターなど小型の動物は簡単に死ぬが、
大型の犬など病気で苦しみながらもなかなか死ねないことがあります。
あれと同じで、桐山さんは元々が頑健な人ですから、
苦痛を感じながらも、なかなか死ねないでしょう。
この意味では、バジアンさんの「長生きを覚悟しなければならない」という
予言は当たるのではないかと思います。
- 986 :深山:2010/06/02(水)
13:28:38 ID:BBXV/Ivs0
- >>922 :ミケ:2010/05/31(月) 09:27:01 ID:8gP8ulv20
>例えば例祭法話ではいつも桐山氏の傍らに控えて、あれこれ面倒を見ていたA原氏ですが、会費2千円しか払わなかった。
今回の内容で一番驚いたのはこれでしょう。
彼が金がないのは聞いていたが、内陣であれだけ威張っている人が会費だけ???
内陣の人の話を聞くと、あそこもタダでいさせてくれるわけではなく、
いろいろとノルマが来たようです。
逆にノルマが果たせない人は内陣にはいられないと聞きました。
ましてや彼は別院の内陣の在家トップですよね。
それも、最高に威張っているトップです。
すぐに彼も怒鳴り、威張り、噛みつくものだから、アリゲーターというあだ名がついていた。
修行者が宗務局から許可をもらっても、「おれはそんなことは聞いていない」の
一言で却下です。
いったいこの人、ナニサマなのだろうとみんな驚いていた。
でも、銀座ビルの時は相談係として名前が出ていましたよね。
その彼が会費しか納めていない!!??
- 987 :深山:2010/06/02(水)
13:30:46 ID:BBXV/Ivs0
- >>922 :ミケ:2010/05/31(月) 09:27:01 ID:8gP8ulv20
>例えば例祭法話ではいつも桐山氏の傍らに控えて、あれこれ面倒を見ていたA原氏ですが、会費2千円しか払わなかった。
彼は山伏の行満大先達として位階のトップにいる人です。
アゴン宗全体でも行満大先達はわずか十人ほどです。
山伏の位階は柴燈護摩で山伏修行することが最低の条件です。
その柴燈護摩で仏様に供養される護摩木を一本も供養せずに行満大先達?!
彼は今でも経頭として柴燈護摩に参加しているのでしょう。
張りがあって良い声です。
しかし、あの素晴らしい声は護摩木0本!!??
笑っていいのか、泡吹いて倒れるべきか迷うような話ですね。
- 988 :深山:2010/06/02(水)
13:34:38 ID:BBXV/Ivs0
- >>922 :ミケ:2010/05/31(月) 09:27:01 ID:8gP8ulv20
>例えば例祭法話ではいつも桐山氏の傍らに控えて、あれこれ面倒を見ていたA原氏ですが、会費2千円しか払わなかった。
ご存じない信者さんのためにご紹介すると、A原さんは、
観音慈恵会時代の青年活動部として活動して生き残りです。
F田さんもその一人で一番の出世頭でしょう。
おそらく桐山さんの超能力開発に惹かれて入信した人です。
法務部が本格的にできるまでは内陣を完全に取り仕切っていた。
別院の内陣が整理整頓されているのは、彼のおかげだという。
経頭の声も良いし、行法の作法も実に美しい。
つまり、アゴン宗の大先達の名にふさわしい行歴を持つ人です。
その彼が会費だけで何の供養もしていないという。
これだけ長年徳を積んできたら、アゴン宗の福徳宝生の功徳で
お金に困るはずはないし、長年のゲイカの指導に基づき、超能力も獲得して
いるだろうから、お金くらいが手に入らないはずはない。
だが、信者さんたちは現実の大先達様の姿を見てください。
会費以外は払っていないというのですよ。
これが長年アゴン宗で活動し、桐山ゲイカとも旧知であり、
今でもトップに君臨する先達様の結論なのです。
読んでいる信者さんたちも、この大先達様に見習い、会費だけにしてはどうでしょうか。
これは皮肉ではなく、本気でそのように勧めたい。
- 989 :名無しさん:2010/06/02(水)
13:43:54 ID:95hjbBCk0
- 先達衆の多くはアゴンがインチキってことは百も承知なのでは。
ネットで言われている情報は知っていて当然。
先達やっていれば様々な方面から情報も入ってくる。
だが密教が好きで先達だで居心地がよいから残っているのでは。
インチキ宗教にカネは出したくないのが本音。
でも趣味の密教楽しめて居心地もいいから残っている。
おそらくそんなところではなかろうか。
- 990 :無関係な人間です:2010/06/02(水) 14:31:51 ID:6jS9eufk0
- >>984
>また、「自分は120歳まで生きる」と宣言した
北朝鮮の金日成も「120歳まで生きる」と熱望しておりました。
>>967
ラシンさん、拝見していて胸が詰まりました。さぞや残念だと思います。
ただ、ラシンさんの親を思う優しい心だけは、きっとお母様には伝わったと信じています。
- 991 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/06/02(水) 17:46:48 ID:z7fe9/Ow0
- 皆様、熱い投稿ありがとうございます。今の私の投稿を入れて10個で49章終わるので、
次章を立てました。いつものように1000ログ使い切りましたら次章をお使いください。
- 992 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/06/02(水) 17:52:23 ID:SmEF4Oe2O
- >>991
天照さん。次スレありがとうございます。
そうですね。桐山さんがいかに輪廻転生瞑想法だの1日3回笑おうとも、彼の死後は
無間地獄で間違いないですね。
桐山さん。少しは仏教を信じたらどうですか?
- 993 :準シュダオン:2010/06/02(水)
18:42:24 ID:agsP6ENM0
- あれぇ、ユビキタスさんのレスに、わたしの年齢を60代と推測したのが
あったぜいw。この人もおバカさんだねえw。
わたしは前に、おおよその自分の年齢をレスしたことがあるね。
そのことで、ユビキタスくんともレスを交わしたことがあった。
それを忘れていたとしたら、ユビキタスさんの脳ミソも、痴呆になってるね。
わざと間違えたのなら性格が腐ってるし、いずれにしても、確かなのは、
そういう人は、欠陥人間であるということ、ですね。
今後も、あなたのレスは、そのうちのどちらか、という目でみるしかないよ。
これを、仏道では自業自得、というのですw。
- 994 :ユビキタス
◆oGqIQwSRtg:2010/06/02(水) 19:35:34 ID:SmEF4Oe2O
- >>993
「推測」ではなく「仮定」だよ。
「仮に60代とすると」と書いたでしょう?
それにあなたの過去の供述は、一つには「まだ定年ではない」というものだ。
それにしては暇そうだが。
60定年か65定年かは知らないが、その供述は最近ではなく数年前だからね。
それからもう一つの供述はあなたは戦後生まれと書いていた。
終戦してから生まれたとか。
あなたが1950年までの生まれならば60代になるだろう?
もっと下かい?それとも上かい?
- 995 :ミケ:2010/06/02(水)
21:55:20 ID:u3pkPA4w0
- >>969 :準シュダオン:2010/06/02(水) 12:40:45
ID:agsP6ENM0
>病気になったら医者に行くことだね。それでも難病も多く、原因や治療法が
>解らないものがあるのだから、宗教にすがる場合があっても仕方ないね。
>宗教で治らない場合があるのは、当たり前のことですね。
>宗教で治った、という方が、常識的にはオカシイのです。
これは>>967ラシンさんへのレスポンスですよね?
レスの流れからそのようにしか受けとれない。
いままでのあなたのレスの中で一番ショックです。
こういうレスを書けるあなたの神経が分からない。
あなたはひどすぎる。
本当にコテハンの変更をしなよ。
サバナビッチ!!
- 996 :916:2010/06/02(水)
21:57:51 ID:Nw4J6hTI0
- >>962
レスありがとうございます。
理想にあふれて入局した人ほど、現実の異様さに愕然として悩むことでしょう。
出世している職員ほど、俗人と変わらなかったと思います。
職員の中には高学歴で頭脳も優秀な人もいましたが、
今はどうしているのだろうか?と時々思い返すときがあります。
ヤクザな団体職員になってしまえば、転職が容易ではありません。
まして現在のような時代です。
生活のために残っている職員もいると思います。
正義のために志を貫き退職する職員がいれば、その勇気を称えたいです。
- 997 :名無しさん:2010/06/02(水)
22:03:21 ID:Nw4J6hTI0
- >>992
次スレお疲れさまです。
最も強烈なサブタイが採用されたようでして(笑)
桐山さんは罪を詫びればまだ救われると思うのですが、
まあ、この人は絶対に謝罪などしませんからね。
- 998 :色川千景婚活でちょっと浮気しました訴訟被告桐山靖雄:2010/06/02(水) 22:54:58
ID:XR1Sg0RQ0
- >>969 :準シュダオン:2010/06/02(水) 12:40:45
ID:agsP6ENM0
>病気になったら医者に行くことだね。それでも難病も多く、原因や治療法が
>解らないものがあるのだから、宗教にすがる場合があっても仕方ないね。
>宗教で治らない場合があるのは、当たり前のことですね。
>宗教で治った、という方が、常識的にはオカシイのです
準シュダオン阿含宗関東別院ネット担当職員さん
あなたは異常としか言えない言動をしている事に気がついてもいないのでしょうね。
たとえ、そう思ったとしても、口に出さないならまだ正常です。
あなたは何の躊躇もなく平然と書いて見せた。
以前読んだカルトの本に、信者は次第に教組と相似形になっていくと書いてありました。
あなたも長年の信仰で桐山管長に一体化していったのでしょう。
人に対する思いやりの欠片もない宗教詐欺師管長の弟子であり職員として恥ずかしくない人物です。
会員などは、命令で思い通りに動かせる存在でしかないのでしょうね。
- 999 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/06/03(木) 10:32:36 ID:Kv1nCdeA0
- 後ラスト2つなので、埋めてしまいますか。
まず、次章サブタイトルに沢山の候補応募ありがとうございました。
前にも書きましたが、結構いいのがありますので51章以降も候補を募っていいのが
ない場合には使えるほどの素晴らしいものがあり、選考に迷いましたが今のアゴンの
状況などを考えて今回50章は今回のタイトルに決定しました。
応募いただきました皆様に深く感謝申し上げます。
2chは2chの。したらばにはしたらばの趣があるいい投稿内容が続いております。
ぜひ、この流れのまま考察と議論を進めていけたら、と嬉しく思っています。
- 1000 :天照
◆MO30b8Jwoo:2010/06/03(木) 10:44:10 ID:Kv1nCdeA0
- 次章50章も49章の流れに続き、色々展開されてゆくとは思いますが、49章を振りかえって私見を。
49章では「どうして信者さんはかのように桐山氏の詐欺に騙されたか」を核に信者がなぜに
詐欺宗教にはまり、様々な行動をしたか、またその状況や思考などは如何に、という内容が出され、
私も以前からその点について書きたいとは思っていましたが、元信者のみなさんの意見にほぼ同意なので
私はあまり書くことが無かったわけですが、その信者時代を思い返してみて懐かしくも複雑な心境に
なりました。まして、丁度信者時代は巷で言う「青春時代」と自分の場合は結婚間もない頃でして、
自分の人生の中にも深くアゴンというものが関わっていた時代でした。
貧乏ながらもつつましやかに、そうかと思えば仕事とアゴンの苦しみで悩んだ時期でもありました。
いつかは出世して、本当の仏教を広めたい・・・そう思っていた時期でしたね。
それから、はや20数年、現在は詐欺宗教の暴露に回るとは夢にも思いませんでした。
腐りきった政治に今うんざりしている日本国ですが、それと同じように腐りきったアゴンに対して
今後もアゴンの不正追及と暴露宣布に尽力してゆきたい。そう考えている毎日です。
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