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阿含宗と桐山氏について ー第四十八章―【進む内部崩壊2010年】
1天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/17(水) 09:17:39 ID:HhZSCo4g0
このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です。
なるべく規制はかけないつもりですが、悪質な悪戯や荒らし行為、卑猥AA、無駄AA、連続コピペ、
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2ラシン:2010/02/17(水) 17:44:08 ID:XYs6itx.0
天照さんスレ立、ありがとうございます。

昔、法華行者さんと議論したが、桐山亡者さんと似ていました。
彼等は、正直捨方便で釈迦を久遠実成の御輿に乗せて、
日蓮さん個人崇拝となっている。
アゴン信者さんも、釈迦を道徳の師と低く見て桐山念力に
その力を見出す信仰ベクトルと化しています。
しかも中身がゼロの教義を信じるているのですから、
ただ熱に浮れたスカラー信仰です。
法華経に見る壮大なる戯曲性、吹聴大ボラ、どれを見ても
桐山さんの創作のヒントになっているようです。
準シュダオンさんのように、各宗教のエキスを抽出して、
これぞ仏教統合の理念!なんて理解する人は珍しい。
何度も言いますが、物真似宗教のごった煮を煮すぎて
冷え上がってしまっている。
その残滓が輪廻瞑想で、死んでも命があるように願うこと?

3天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/17(水) 17:50:35 ID:fbiaY6EE0
47章より、ラシンさんへ

そうなんです。実は弟の遺品の中に管長の本があって、それを含めると同じ本が4冊もあることになり、
さすがにそんなに要らないので売りに行ったら「値段が付きません」といわれましたね。
で、それを処分してくれ、といったら、すかさずそれを安価で売る。いい商法です。
それが悔しいので「処分してくれ」とは言わないで持ってます。
「貧乏で 本の在庫が 残ってる 」〜状態ですw

確かに批判検証の確認や引用のために本はあったほうが良いですが、自分も嫌いになったら
所持しない傾向があるので、集めた宗報も大事な資料も燃やしてしまいました。
せめてPCに保存してから燃やせばよかったと後悔しています。

4天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/17(水) 18:08:19 ID:fbiaY6EE0
>>2 それは貴重な経験ですね。自分も学会さんとの会話もありましたがアゴンを出さないで
いたので、少量で穏便に済みました。なので、私は深い話はしませんでした。

ラシンさんが言われるとおりで、その父のいとこさんは別ですが、教団側とか狂信している
信者は「日蓮万歳」なんですよね。
そりゃあ、情報が得られにくい日蓮さん在世の時代とか、近年までの時代なら「仕方ないな」
と思えますが、今の情報社会の世の中で「南無妙法蓮華経」を唱えないと、または信じないと
救われない・地獄に落ちる・成仏できない、というのは、もはやナンセンスです。
「法華経を信じないと日本は滅びる」と会の本に書いてあったのですが、呆れましたね。
お前らはいつの時代の信仰だ?と、漫才のように独り突っ込んだものです。

というか、信じなければ滅びるのなら、もうとっくに滅びているんですけどw

スマ氏が日本の仏教を「祖師信仰」というのは本当にそうだなあ、と思います。
仏教を信じているつもりが、いつしか仏教ではなくて開祖を信仰しているんです。
空海、最澄、親鸞、法然、日蓮、道元、その他きりが無いですが、宗祖(祖師)を信じている。
釈迦そっちのけなんですよね。

仏教の開祖は誰なんだよ。ましてその仏教開祖の言うことを聞かないで勝手なことをやっている。
宗祖がメインで釈尊は脇持扱い?じゃないか、と本当に思う。
浄土なんて特にお釈迦様より阿弥陀様が偉くなっている(笑)話にならないです。

アゴンにいたから良く分かりますが、アゴンもそのとおりで釈迦を拝んでいるのか大日如来なのか、ジュンテイ
如来なのか、全くぐちゃぐちゃです。ごった煮とラシンさんが表現されていますが、それこそがまさにアゴン。
教祖の頭の中も心の中も「ごった煮」だから、教義も発言もごった煮になるのでしょう。

料理のごった煮は良くても、宗教のごった煮はなんら良いものは無いですね。

5天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 06:33:26 ID:.mW21HlI0
2chを先ほど見たら、真っ当な意見が出てきたねえ。
こういう意見が毎度進むと、非常に望ましいんだが。

>532 :神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 20:01:56 ID:F+h/h86z
アゴンには神仏はいなかった。
元々何も存在していなかったのです。
存在していたのは、教祖のハッタリと妄想によって信者の心の中に作られた観念的な神・仏です。
けれそも、教祖のハッタリであったが、信者の中に生まれた清らかな心は、
本物の神を呼び、それぞれの内在神となった。
この内在神が、篤信の信者に奇蹟的なことを引き起こしているのです。

つまりアゴンで起きている奇跡は、信者らの内在神が生みだしたものなのです。
アゴンは真面目な信者らが作り、支えているものなのです。

なるほど。定かではないが、可能性はあるでしょう。
そのあたりの検証ができれば、これはかなりの理論にはなりますね。

>教祖は、嘘と窃盗によって、偽の仏教を作り、偽の教学を作り、偽物を本物と打ち出したに過ぎません。
教祖は嘘と窃盗の常習犯で、清らかならざる存在です。
こんな不浄な教祖であるなら、清らかな神仏と縁ができるはずがありません。
邪霊を呼ぶだけです。
アゴンを清らかにしているのは信者なのです。
この構図を職員も含めた信者は見抜くべきです。
自覚すべきです。


これは半分ですね。半分しか納得できない。
なぜなら、信者も悪い部分を持つ者がいるからです。
たしかに、信者の大半は教団(ゲイカ)の言うことを真に受けたり、そのまま信じるのはあります。
しかし、心によこしまなものや良くないものを持つ人は悲しいかな現実に存在します。
いわゆる「信仰をアイテムか自分の都合のいいものにしか利用しようと思わない」という信者もいるからです。
揚げ足取りではないが、そういう信者もいることは言っておきたい。
ただ、多くの信者は純粋だったり、素直な人が多いだろうというのは私も思う。
そういう人たちの集まりであれば、昔のような触れ合いの多く、賑わい・活気のある教団には成れるかもしれない。

6天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 06:40:25 ID:.mW21HlI0
>教祖の悪業・欺瞞に気付いた職員・先達・一般信者らは大変な迷惑を被っています。
頭を抱え込んで悩んでいる職員・先達も少なからずいます。
活路を見出そうと必死にもなっています。 しかし現在のままでは打開策は見あたりません。
打開策は、教祖を教団から追放することです。 そして、教学を作り直すことです。
もうこれしかありません。

そうですね。例えばアゴンが会社なら、総会などで社長を解任するがごとく、ゲイカを解任・追放
することができる。そういうようなことでもない限りは、ゲイカが死ぬか、病気で立てなくなって
権力が無くなった状態しか無いでしょうね。

ただ、それでも安心してはいけないのが、ゲイカだけ排除しても駄目だということです。
まだまだ内部にはゲイカと同じような性質の人間がいる、ということです。
かならず、二番煎じというかコピー人間というか、ゲイカトと同類の人がいる。
そういう人を排除しない限りは、ゲイカがいなくなった時点で「やった!」と歓喜できるが、
それだけで事は収まらない。そこまで腐っているのだというのを自覚せねば改革はできない。
まあ、まずは腐った教祖をどうにかしないといけませんけどね。

7天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 06:48:08 ID:9a/VihWU0
>533 :神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 20:07:02 ID:F+h/h86z
職員の中にも、教祖を引退させて、教学を作り直す改革を望んでいる者もいるはずです。
けれども、職員自らが動いて改革を進めることは難しいでしょう。

そこで提案です。
先達を含めた信者らが、宗務局へ改革の投書を数多く出すことです。
アゴン改革の投書を、宗務局へどんどん提出することです。
改革の声が多くなれば、無視できなくなります。
そうすれば、職員も動きやすくなります。

今のままでは、どのみちアゴンは廃れるか潰れます。
掲示板に書いてあることは、ますます広まっていきます。
なぜなら真実だからです。
嘘を付いていたのは教祖だったのです。
嘘だらけの教団は長く続きません。
いつか潰れます。
しかし、同じ潰れるなら改革をしてはどうでしょうか。

教祖の引退と教学の見直しです。

アゴンの奇蹟は、信者の内在神が生みだしていたわけです。
信者が神仏を呼び寄せていたのです。
信者がこの教団の中心であって、本当に支えている尊い存在なのです。


実際的な話としては、可能性もあるかもしれない話ですね。
ただ、あれほどのファシズム教団ですから、そう上手く行くかどうか。
また、その動きをどうやって引きおこすか?です。
洗脳の度合いも高い信者もいますから、簡単には行きませんよ。
だが、そうやって行動をしたらいいかも、という意見には賛成です。
普通であれば、何もやらないで見守るしかない状態がベターですから、
何らかの行動をするのは良かろうと思いますが、これだけでなく二重三重の
攻撃や策が必要でしょう。勿論たくさん策があれば越したことは無い。
そして、実際に行動するべきです。
そういう行動を本気で起こすなら、私もできる範囲でお手伝いしたいと思いますよ。

8天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 06:59:23 ID:9a/VihWU0
ここからが自分も改革を考えていた輩ですから、意見したいと思いますが、どのように改革するのか?です。
ただ、悪いものを排除して、教学を変えればいい、という単純なものではない。
私も「NEOアゴン宗」見たいな物を考えて居たが、実際は運営自体がやばくなります。

まず、教祖も不正な輩も排除したとします。悪い信者もいないとします。
ですが、その後「教義を変更します」とやってそれをどこまでどのように変えるか?
まず、根本的な教義に変えたとすれば、護摩も占いも祈願も勤行も無くなります。
会費の問題も有りますし、システムや資金面での工面はどうやって行うのでしょうか?
喜捨だけだといづれ電気代も水道代も払えないで道場は閉鎖になります。
勿論税金も払えないので、建物や土地もやばくなります。
そうなれば、今までどおり、護摩も、祈願も供養も続けないといけない。
教義だけ変えて行動は昔のままであれば、なんら以前のアゴンとさほど変わらないというか
問題が生じて内部崩壊を起こします。
そうなれば、教祖を変えて、教義をちょこっといじっただけ、になります。
これでアゴンの改革になるのかどうか?が問題であるといえます。

まさか、今までのアゴンの姿勢だけを講じたくての改革と叫んでいるわけではないでしょうね?

9天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 07:09:19 ID:9a/VihWU0
解脱供養も無くなる訳ですから、収入面で大きな打撃となる。
とにかく、金が絡むわけですから、大きなスポンサーが付かない限り運営も維持もできない。
そうなるとオウムのように信者が働いて収入を得て、教団を維持するとか悪いことをして
収入を得ないと無理、ということになる。

また、釈尊は支援があったからこそ、無一文で尚且つ集団生活ができた。
これが、最初から自立方式であれば、いくら釈尊であれども食物も住居も必要だから
どうにかしないといけなくなってくるでしょう。
釈尊は特別なお方でしたから、どこからか救いの手が出るでしょうが、アゴン信者だけの
有志だけでは集会所が関の山です。皆今ある道場も捨てて、本山も捨ててやれるだろうか?
全てを捨てて一からやる覚悟が無ければ、無理ですね。

今までの施設や全てのものが揃った上でやれるというのは、無理だと考えないといけない。
また、それについてくる信者もどれだけいるか、です。
だから、解散という状態にほぼ近い。それは考慮しておかねば無理でしょう。

10天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 07:23:30 ID:iy7I00mI0
あと、修行内容もシビアです。
因縁解脱も捨てる。霊障も捨てる。釈尊の教えに戻る、忠実に守る気持ちがあるのか?です。
それが無くて以前の教学に多少のアレンジか可変だけでは、オカルト・詐欺宗教は消えてません。
それなら、ゲイカがいてもいなくても変わらない。改革にはならないのです。

そして、釈尊の教法に完全に変えたなら、以前の信者は付いてくるかは疑問です。
拝むこと、ゲイカの妄想に慣らされた人たちが大半です。それを捨てないと新しい教義に
入り込めないはずです。
なぜなら、今まで掛けた解脱も全部パー。勤行もパー。教学内容も通用しない。
護摩も占いも祈願も供養も全て無しになる。そういう無味な教団に今までのように会費を払って
梵行をしてくれると考えているなら、甘いです。多くの信者は「寄ってきません」
なぜなら、依存できるものが「皆無」になるからです。

今まで(現在の)のアゴンは「依存をさせること」で成り立っています。
または、恐怖を植えつけるとか不安をあおることや、供養をすることで安心させる教団です。
それがいきなりリセットのように「無し」になったら、信者はどうなります?
急に今この瞬間から、「お前は真の仏教を講じるのです」といわれ、桐山アゴンを捨てさせる
信者のことまで考えてないでしょう?
たしかに、さっさと切り替える人もいるかもしれない。
しかし、自分で自宅でもどこでも釈尊の教法をできるとわかったら、何で会費を払います?
なんで、道場に来て梵行をします?ほとんどの人が道場に来なくなり、去りますよ。
運営ができなくなるのは必死です。いくら気持ちの有る人が喜捨しても小さな集まりで
何十人か集まる程度です。アゴンは解体した状態と同様になります。
それが嫌なら、昔からの詐欺商法をやるしかない。この矛盾にどうするか?ですね。

11天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 07:30:50 ID:5Ld8qPx60
ですから、アゴンの解体・撲滅は取り組みやすいかもしれないが、改革で再構築は
かなり至難の業です。逆にやれたらそれは教祖のなるだけの器があります。
邪魔が入ったり、妨害・障害は必死です。
また、今思い出したが、アゴンは893や右翼とつながりもあります。
それの問題も出てくる。どうやって解決するのか?です。
「ゲイカがいなくなったから、新しい教団では関与しない」なんて相手側に通用しないですよ。
彼らの攻撃も考えないといけない。

意外と並べただけで改革は「とんでもなく難しい」というのが分かるでしょう?
ですから、私は改革を「捨てたのです」
むしろ、新しく団体を立てたほうが良いですね。そのほうが楽です。
ただ、それも小さな集まりだけで終わる可能性がある。
でも、わざわざ火の中へ飛び込む苦労は要らない。
私はそのほうをお勧めしますね。

12ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/18(木) 08:38:41 ID:SmEF4Oe2O
天照さんの言うように教義の見直し、改革とは、因縁解脱や霊障解脱、解脱供養、
護摩や占いなど一切を否定廃止することです。
桐山教祖は引退ではなく追放、排除です。
今までやってきたは悉く間違っていたのだと、その悪を認識させることです。
だからこの解体は土台の基礎工事部から根こそぎ崩すのです。
これは解散も同然の作業です。
しかしそのような改革でなければやる意味がないのです。
職員が立ち上がって改革案を出して、いったい誰が何をするのか?
今やってる土台、前提が間違った悪なんだから、この延長線上に何か作っても
それは同じことです。
嘘と煩悩の上にもっともらしい飾りをつける作業にしかならない。
どうしてアゴン宗などという団体に拘り、群れたがるのか?教団を存続するのか?
解散して各々新たに共鳴できるもの同士で何かを始めればよい。
信者会員なんてものは給与をもらって家族生活を支える社員ではない。
あの発案者が改革の立ち上がりを思い付いたのならば、運動を起こそうではなく、
まず自分が掲示板に具体的な改革案を提示してみることです。
職員など集めなくても何の為の公共掲示板かと言いたい。
社会資源は活用すべきです。

13準シュダオン:2010/02/18(木) 10:40:52 ID:P9JinFks0
仏教から因縁解脱を廃止したら、わたしは仏教に価値を認めないよw。

14ラシン:2010/02/18(木) 11:16:16 ID:XYs6itx.0
>13 :準シュダオン:2010/02/18(木) 10:40:52 ID:P9JinFks0
仏教から因縁解脱を廃止したら、わたしは仏教に価値を認めないよw。

曖昧に造語された言葉の固定観念だけに価値を見出して
それを語っても、はじめからあなたは仏教徒ではなく、
ただの外道信者です。
外道に仏教の価値など理解できるはずも無い。
また
因縁をどうすれば解脱できるのか、説明不可能でしょう。
例えば、ガンになる因縁=運命 を消滅する方法は何だ?
七科三七道品だと言うわけ?
道品法も八正道であり、それらは煩悩滅の道ですよ。
どこにも因縁消滅など出て来ません。
因縁とは万象事物の成立する因縁生起という真理です。
それを消滅させて世の中すべてを消すわけでっか?

15ラシン:2010/02/18(木) 11:43:03 ID:XYs6itx.0

改革は無理ですね。
すべての教義と宗教活動を停止しないと、
アゴン宗の詐欺性は残存しますから。
さて、
そこですべてを抹消し活動を停止した後に
残るものは何か?
教団の資産と負債です。
改革して尚、教団運営を図るなら、経営的には成立しない。
理由は、極端に収益が減少するからです。
その行き先はいわば教団の倒産です。
とどのつまりが阿含経を依所とした教団の先行きは、
釈尊の教団のあり様しかなく、生涯無一物に徹したら、
教団は潰れて担保権の実行を余儀なくされ教団施設の
消滅が待っているだけです。
だからそれを食い止めるには桐山さんは、以前にも況して
詐欺行為に励まねばなりません。
つまり改革しての存亡を考えることじたい無理です。

16天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 11:46:30 ID:kV4y7.TU0
私は大きな顔をして、改革案を述べた名無しさんへ、単に文句をつけているのでは無いのです。
@chsから私の動向を見ている方はお分かりですが、私はアゴンを立て直したいと思ってた。
まず、ゲイカの価値を知らない、というバリバリの擁護から動いてた。
次にゲイカの欺瞞が分かってきたときに、今度は変化を生じた。
つまり、この2chの名無しさんのように「悪いものを排除し、信者は悪くない」という
変化です。そして、最後になって変化したのは「ゲイカの排除だけでは無理。全てを変えねばならん」
となった。だが、実際的にそれをやるとなると先ほどまで述べたことが懸念されるわけで、
ああ、これではアゴンをどうこうするよりも、新しく同志で集まった方が早い、となるわけです。
つまり、自分も思考の範囲だが、経緯を経て名無しさんの意見に意見しているのです。
恨みややっかみで意見しているのでは無いのです。

この名無しさんは現信者かどうかは分かりませんが、本気で考えているのなら、新たな団体を
作ったほうがいい。もしも、アゴンにこだわるのなら私はタッチしません。
アゴン壊滅なら手伝いますがw アゴンを変えようとするのなら、無理なので関与しません。

私も本気で変えようとした。だが、実際問題の絡みが多く、しかも悪劣なものが多い。
前の意見で書くのを忘れたが、借金はどうします? ゲイカは結構借金してますよ。
その膨大な借金を払わず、理想だけで改革ができますか? そこからお金を調達するのですか?
ゲイカと相変わらず詐欺で金を稼ぐのなら、貴方もゲイカと同じです。
変革も何もしてないことになります。ただ、教祖が変わっただけの結果です。
アゴンの教義も体質も、全て変えるのでなければ意味は無い。
まあ、信者には依存が好きな人が多いから、今のゲイカのようにおかしげな発言をしないで、
信者に優しい教祖なら人気も復興もできるだろうが、ゲイカの築いた詐欺商法を継続するなら。
私達からの批判攻撃は相変わらず止まらないし、何も変わらない。
ただ、アゴン宗の壊滅が遅くなるというだけ。
改革をマジにするんで有れば、改革よりも壊滅。そして、新たな団体に真面目に信仰する気のある
人を導いてやればいい。そのほうが成功率は高いでしょう。
今の私の見解はそのように考えていますね。

17天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 11:49:26 ID:kV4y7.TU0
そこからじゃないな、「どこから」ですね。訂正いたします。

おっと、ラシンさんも同じ意見ですね。ラシンさんの説明のほうが分かりやすい。
やっぱ、私の国語力は低いなあ・・・。

18準シュダオン:2010/02/18(木) 12:03:32 ID:P9JinFks0
管長は、ダルマチャクラ69号に「等見品」の解説をしてます。預流向は
聖者か否かの説明のために、その解説を取り上げたのだけどね。ちょうど、
その経に、因縁解脱のことも説いていましたね。
「五難得乃物を除く五根法を修行せよ!」とね。
五難得乃物とは因縁因果のことです。
「因縁解脱」を、「苦の因縁因果を除く」と表現しても同じです。

要するに、理解度の問題です。

19準シュダオン:2010/02/18(木) 12:12:57 ID:P9JinFks0
「三結断じて悪趣に堕せず」と、経にあります。
阿含宗的にいえば、悪趣の因縁を切ったから、悪趣に堕ちないのです。
つまり、悪趣の因縁解脱、なのです。
批判派は、反対のために理屈をこねくり回して、真実を見失っていますw。

悪趣とは、地獄、餓鬼、畜生の他に、苦厄病老死を含みます。
人生は苦とは言え、健康で長寿を全うする者もあれば、病気で住宅ローンが
破たんしてホームレスになる人も居る。
悪趣をどう捉えるか、によっても阿含経に対する考えが違ってきますね。

20準シュダオン:2010/02/18(木) 12:30:46 ID:P9JinFks0
阿含宗信徒は、十数年前に、チベット仏教のタントラ・ミラレバ式トップ
ゲルマの潅頂を受けています。

チベット仏教には「王者(思念)の相承」という法があり、管長はすでに
それを伝授しています。修行法を超えた成仏法だと、管長は説いています。
不完全ながら、私はそれを受けた。
なぜ不完全かというと、思念の流れが入って来なかったからです。
しかし、十分以上に、間脳は揺り動かされたと思う。
体験のない人は、脳梗塞の前兆だ、というのもわかりますけどw。

タントラとは、密教の教えですね。
王者(思念)の相承、伝授とは何だろう?
私は今のところ、ティロバ、ナロバ、ミラレバの「法」だと思いたいね。

21ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/18(木) 12:50:25 ID:SmEF4Oe2O
>>19:準シュダオン10/02/18(木) 12:12:57 ID:P9JinFks0
>悪趣とは、地獄、餓鬼、畜生の他に、苦厄病老死を含みます。
>人生は苦とは言え、健康で長寿を全うする者もあれば、病気で住宅ローンが
>破たんしてホームレスになる人も居る。

いいえ、それを言うなら、健康で長寿を全うすことも含めて、人生を苦とみなす
のが仏教の基本なんです。
だからこの人間世界にもはや生まれて来ない為にも執着などの煩悩から離れることを
説くのです。
決して病気や貧困の苦境だけがなくなり安楽な人生はそのままになんて説きません。
そういうのを願うのを御利益信仰といい、解脱とは全く違います。

22ラシン:2010/02/18(木) 13:08:22 ID:XYs6itx.0
>18 :準シュダオン
>「五難得乃物を除く五根法を修行せよ!」とね。
五難得乃物とは因縁因果のことです。

五難とは何ですか? 
勝手な解釈ですね、因縁因果なわけがない。
理解度などと逃げていないで桐山さんが因縁因果、
と解説した文章を示しなさい。
もちろん学説の論拠も併記してください。

>19 :準シュダオン:2010/02/18(木) 12:12:57 ID:P9JinFks0
「三結断じて悪趣に堕せず」と、経にあります。
阿含宗的にいえば、悪趣の因縁を切ったから、悪趣に堕ちないのです。

三結をどこの誰が因縁などと定義したのか?
三結とは、身見・疑惑・戒取のことですよ。
だから経にも次のような定番句がある「もし、比丘ありて五根を修せば、
即ちシュダオンを成じ、不退転の法を得て、必ず道を成じ、、、」
シュダオンとは、身見・疑惑・戒取の三結を断じて得る境涯です。
五根法を修してシュダオンになるという説明に過ぎない。
それがどうして因縁を切ることになるのか。
あなたの理解度は、常軌を逸している。

23ラシン:2010/02/18(木) 13:32:35 ID:XYs6itx.0
>20 :準シュダオン:2010/02/18(木) 12:30:46 ID:P9JinFks0
阿含宗信徒は、十数年前に、チベット仏教のタントラ・ミラレバ式トップ
ゲルマの潅頂を受けています。

密教の儀式がどうしただと?
桐山さんがいつチベットの伝法を受けたのですか。
それで単なる閼伽の水を受けてどんな電波があるのか。
あなたは間脳を揺らされ、その後遺症でオカルトを
発するようになった?
冷水で頭を冷やしたほうが効果的です。

>タントラとは、密教の教えですね。
王者(思念)の相承、伝授とは何だろう?
私は今のところ、ティロバ、ナロバ、ミラレバの「法」だと思いたいね。

釈尊はタントラを取り入れたのか?違いますよね。
仏教が、仏教以前のインド古来からの宗教性に変遷したのが、
単純に言えば後期大乗密教で、釈尊以前の教えに戻った。
あなたは本当に、ごった煮が好物のようだ。

24準シュダオン:2010/02/18(木) 20:14:46 ID:P9JinFks0
仏教には、顕教と密教があるね。
顕教は教え、密教は実技とも言える。
百科辞典に書けるのは知識であり、智慧は書けない。
例えば、水泳や自転車乗りの方法は、いくら本に書けても、それを読んだ
だけでは、泳ぐことも自転車乗りも出来ない。

この場合、泳ぐ実技と自転車乗りの実技が智慧であり、解説書は知識で
ある。知識は言葉にできるが、智慧は言葉に出来ない。
法というのは、智慧である。だから、言葉で表現はできない。

無学な親と、高学歴な子供を考えてみる。子供は教師について大量な知識を
得ることができる。親以上の大量な知識をね。
だが、それらの知識は、親の生きる智慧を超えることはできないであろう。
ここを理解できないと、私がいう知識と智慧の違いは理解できないだろう。

ユビキタスさんなどは、知識はあっても、智慧を理解していない。
智慧は書物に記すこと不能だ。だから、釈迦の智慧も書物に記すことは
不可能だろう。書けるのは知識だけだ。

だから、法然は知識を捨てよ!と、いう。まぁ、法然がいう知識とは、
人から聞いたり本で読んだ、借り物の知識という意味でしょうけどね。
自分で体験した知識を捨てよ、なんて言うはずがない。

まぁ、本日はこれまでにしよう。

25天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 20:38:47 ID:VCVL0RNo0
重ね重ね呆れるが、その智慧とやらを持っている・知っているかのようだが、その欠片さえ
示せないことに誰もが準氏の主張されている信憑性・正当性が無いと感じざるを得ない。
誰それが智慧を理解してないという問題ではなく、桐山氏や自分達だけが智慧を理解している、
という「自惚れ」か「錯覚・妄想」でしかないのに気が付いていないのに呆れる次第。

では、その自慢なさる「智慧」とやらを出してみなさい、といっても理屈を述べるだけで何ら
示すことができない。また、教祖は智慧の獲得者・体得者なのに愛人問題や教義の破綻、発言の
一貫性の無さなど多くの失態は智慧を持つ人の行いでは無い。
ましてや自分の性格の改善を果たしてないのに、人にものを言う傲慢さは悪劣極まりない。
いわゆる「このバカつまみ出せ」である。おばちゃん信者一人に大人の態度も示せない愚教祖
である。また、各道場での裏話もよほど知らないらしい。だから未だに教祖を聖者と思うし、
智慧の体得者、と崇めるのである。

桐山氏に智慧があって行動がちゃんとしてたら、信者も解脱を果たし見事な指導を果たしている。
智慧どころか、社会常識さえ無いのがアゴンの教祖である。
錬脳塾でも30年前の指導と変わらない内容。伝法も昔からの範囲も出ない。
信者の指導もいつも途中どまり。グモンジスクールも途中でストップ。
仏陀の法も第二期以上は行われていない。因縁解脱した信者はまだ一人もいない。
ちょっと述べただけでこれだけ未完成で放り投げている行動を述べることができる。
智慧のもつ聖者というのは実にいい加減で思いつきなのですねえ。

26天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/18(木) 20:57:55 ID:VCVL0RNo0
いい加減で思いつき、というのは表面的な言い方や見え方であって、実際は、ブームだけを
追う傾向がある、または妄想家というだけです。
さも、理論や理屈で凄いことを述べているかのような発言をするが、専門家や批判側の詳しく
調べた方々のように検証すれば、その理論や理屈に整合性が欠ける事が分かる。
もう、アゴン宗は教義も中身も破綻しているのです。

そういう教義や内容を後生を大事にして、やれ「秘法だ」とか「成仏法だ」とか「智慧」だの
講釈を抜かしても、それを示すことさえできないではないか。
「自分がそう思う」という域を出ないではないか。これでは、何も知らない人は別として、元信者
や検証をした人には「何なのそれ?」という風に幻覚を見ている異常者にしか映らない。
水道水を「奇跡の水」と信じて疑わない人と、「ああ、水道水ですね」と判断できる人間の差のようで、
前者が奇特な「信者」であって、後者が「冷静な人間」ということです。そういうようなものです。

で、アゴンはただの水道水を「値段や価値があるものと思い込ませ売っている」と同じようなもので、
成分分析したり、把握できれば「ただの水道水」ということが分かり、何も騒ぐことはない。
尊むこともない。
御宝塔にも「何もなかった」修法物にも「何もなかった」教祖の行動は「おかしげなものばかり」
ナイナイ尽くしをありがたく拝んで、ただの老人を聖者と思い、教団や集団には「智慧がある」と
思っているおめでたい気持ちは分かるが、現実逃避もいい加減にしたらよろしいかと思うが。

27ラシン:2010/02/18(木) 22:10:00 ID:JpYK5fDE0
>24 :準シュダオン:2010/02/18(木) 20:14:46 ID:P9JinFks0
仏教には、顕教と密教があるね。
顕教は教え、密教は実技とも言える。

単に密教に思想的優越性を与えた区分けなのに、
桐山さんから長年刷り込まれただけの無知です。
無知とは、知恵が無いことですよ。
自爆していることも自覚できないでいるのは、
知識から知恵を抽出できなかった分けですね。

>例えば、水泳や自転車乗りの方法は、いくら本に書けても、
それを読んだだけでは、泳ぐことも自転車乗りも出来ない。

まさにあなたが、その範疇で溺れているのです。
桐山用語を電波受信して、その実、何も行動しない。
あたまデッカチだけで、慢心の煩悩ひとつ制御できない。
つまり自転車ひとつ漕がないで、他人を上位目線で説教し、
偉そうに自転車に乗ったのはオレ様、と思い上がっているだけで、
現実は手抜き信者の苦しい言い訳の部類です。

>無学な親と、高学歴な子供を考えてみる。
>それらの知識は、親の生きる智慧を超えることはできないであろう。
ここを理解できないと、私がいう知識と智慧の違いは理解できないだろう。

だからそれは、批判側の知識自慢と恣意的に受け取るあなたの、
卑怯な言い訳にすぎない。
根拠を示して指摘判断するのと、根拠無く独断する違いを
あなたは、詭弁を弄して自己弁護しているだけです。
では、
あなたの言う親の知恵を形成した根幹は、親の日々の経験による
知識の集積から為し得たものではないのか。
だから、
あなたの知恵知識の区分けは空疎に尽きる、いわく余りに軽すぎる。
軽薄で経験なく、さも知っているがごとき生悟りを自慢している。

>釈迦の智慧も書物に記すことは不可能だろう。書けるのは知識だけだ。

当然ですよ、知恵は法の実践によって獲得するものですからね。
梵行実践の経験によって得た知識が、知恵に昇華し清浄を得る。
だから釈尊は、不放逸を説いて戒めているのです。
ほうら、あなたの吟味の空疎、軽薄性があらわに出た。
理由は経験知を知らぬあなたの、あたまデッカチという
机上の空論だった。

>自分で体験した知識を捨てよ、なんて言うはずがない。

そうです、貴重な実践の経験による知識から生じる知恵です。
それを書いていて気づかないのは、あなたが体験した以外の
ウソハッタリをさらけ出したからだ。
結局、私の上記指摘に一番の適合者が、あなたです。
自分で馬脚をあらわしても気づかぬあなたの知恵って、
いったい何なのだ?

28ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/18(木) 22:38:00 ID:SmEF4Oe2O
>>18:準シュダオン10/02/18(木) 12:03:32 ID:P9JinFks0
>管長は、ダルマチャクラ69号に「等見品」の解説をしてます。預流向は
>聖者か否かの説明のために、その解説を取り上げたのだけどね。ちょうど、
>その経に、因縁解脱のことも説いていましたね。
>「五難得乃物を除く五根法を修行せよ!」とね。
>五難得乃物とは因縁因果のことです。
>「因縁解脱」を、「苦の因縁因果を除く」と表現しても同じです。

爺さん爺さん。(それとも婆さんですか?)そのネタ既に反論済みですがな。
お忘れになりましたか?
もっともこちらも五難得って何だったっけな?と正確には思い出せなかったが、
大体思い出せます。
これは絶対に獲得不能のものを得られるように追い求めることです。
死ななくなる、病気しなくなる、老いなくなる、愛する人や物は別離することなく
永遠に我が物となることを願う。
つまり四苦八苦を回避したいという欲望です。
そんなもの回避などできるわけがない。
四苦八苦なんて因縁因果の道理で当たり前だからです。
因縁因果の法則に反することなど叶うわけがない。
つまり因縁解脱を否定したのですよ。
因縁解脱を求めるなんて不当な欲望であり煩悩に他ならない。
四苦八苦をチョイスまとめてこれの回避の道を得ることを五難得のものとした。
この煩悩を五根法で取り除く。
宜しいか?五難得乃物を除く五根法とあるでしょ?
「除く」難得なる物を得せしめる、難得を易得とする、難得なるものを獲得できる
ようにするではない。
難得なるものを得られるように追い求める煩悩を取り除くのです。
因縁解脱を求めることを煩悩としたのです。
つまり因縁解脱の否定であり全く逆の主張です。

29ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/18(木) 23:18:59 ID:SmEF4Oe2O
>>20:準シュダオン10/02/18(木) 12:30:46 ID:P9JinFks0
>阿含宗信徒は、十数年前に、チベット仏教のタントラ・ミラレバ式トップ
>ゲルマの潅頂を受けています。
>チベット仏教には「王者(思念)の相承」という法があり、管長はすでに
>それを伝授しています。修行法を超えた成仏法だと、管長は説いています。

桐山さんはチベット仏教のサキャ派のチョゲ・ティチン・リンポーチェから
金胎両部の灌頂の儀式を受けてますが、リンポーチェから思念の相承を受けたなんて
言ってませんし、霊的な伝授があったなんて言ってない。
この学匠から受けたその形式儀式に意義があると話してました。
中身を重視してないようです。
またニンマ派のミンリン・ティチン・リンポーチェからも秘経は授かり、これを
研究して召霊法やネーンの秘法を作ったとは言ったが、思念の相承を受けたなんて
言ってない。どうして既にジョウブツホウの悟りと力を得ていた桐山さんに
チベットの僧侶ごときが悟りを思念で伝えようか?
思念による王者の相承は書物で知ったのです。
言葉による相承、曼荼羅などの象徴による相承、思念による相承の3つがある
ことを知識として知っただけです。
これを紹介しただけですが、強いて言うなら桐山さんはサヘトマヘトでブッダから
仏勅を得たのが思念による相承としている。
オシャカサマ直伝ですね。チベットなんか関係ない。
この仏勅思念相承だが、たしかに修行法を超えたものと位置付けているが、
修行法が要らないなんて言ってない。
桐山さんは特殊なタパス(練行)で間脳の視床下部を既に開いていたから
これを受けられたのだという。
つまり厳しい修行法の実践練磨が必須なのです。
またボン行実践により徳を積んでおくことも必須だと話した。
つまりあなたの修行しなくてよい言い訳にはなり得ないから御愁傷様w

30ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/18(木) 23:46:20 ID:SmEF4Oe2O
>>24:準シュダオン10/02/18(木) 20:14:46 ID:P9JinFks0
>仏教には、顕教と密教があるね。
>顕教は教え、密教は実技とも言える。

だから顕密の差別なんて釈尊は説いてないのですよ。
後世にすっかり釈尊の仏教から逸脱してしまった密教が考えた屁理屈です。
釈尊は言説できぬ秘密の教えなんて説いてない。
臨終の際まで弟子に何か質問はないかと訊ね、常に言葉で答えたのです。
私は全てを説き尽くした。教師の握り拳はないと断言したのです。
教師の握り拳とは一部のものにしか伝えない秘伝のことですが、体得した者にしか
わかり得ない内密の教えも同じです。
それらはちゃんと頭では理解できる教えです。
行動面が伴わぬ嫌いがまだある状態であっても頭ではちゃんと理解できている。
そのように教えを説いている。だから、

>百科辞典に書けるのは知識であり、智慧は書けない。
>例えば、水泳や自転車乗りの方法は、いくら本に書けても、それを読んだ
>だけでは、泳ぐことも自転車乗りも出来ない。
>この場合、泳ぐ実技と自転車乗りの実技が智慧であり、解説書は知識で
>ある。知識は言葉にできるが、智慧は言葉に出来ない。

泳ぎの何たるかは言葉の解説でも理解できます。
実際に水に浮いて苦しくなく移動できなくても。
しかし水泳とは山に登ることでも女を抱くことでもない。
しかるに桐山さんは水泳をセックスと説いているような無知であり、それは体得した
ものにしかわからないとでも言うのかな?

31ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/19(金) 00:06:25 ID:SmEF4Oe2O
>>13:準シュダオン10/02/18(木) 10:40:52 ID:P9JinFks0
>仏教から因縁解脱を廃止したら、わたしは仏教に価値を認めないよw。

価値観というものは個人の自由だからどうぞ釈尊の仏教の価値を否定して離れればよい。
あなたの内的世界では常にあなたが主役、主体なんですから。
しかし世の中、社会というものはあなた中心に回ってないから、それの区別さえ
しっかりしていればあなたの自由にケチなどつけません。

32Boo:2010/02/19(金) 10:32:46 ID:DXlq9owoO
皆さん。ジジイにそんな長文レスしても、無駄です。

あのジジイは、ある意味で最強。仮に、国母の立場になったら、声明文出すだけで、記者会見の場にもでてこないような図抜けた神経の持ち主です。

批判派がかつて、出会ったことのないタイプですね。

33ラシン:2010/02/19(金) 13:02:15 ID:XYs6itx.0
>32 :Boo:2010/02/19(金) 10:32:46 ID:DXlq9owoO
皆さん。ジジイにそんな長文レスしても、無駄です。

たしかにカエルの面に小便のような掲示姿勢ですね。
だが逆に見れば、ダルマさん状態です。
批判派の指摘に手も足も出ない。
だから毎度同じことを繰り返し、しっぺ返しされても
快感を味わう、Mのごとき醜態を晒しています。
まあ、桐山さんを出汁に使って上位目線を保持したい、
というご高齢のサガ丸出し状態。
桐山さんの宗教に名を借りた”キレイな恐喝”に憧れている。
ウソインチキも騙されたほうが悪いという倫理観は、
中韓の商法に似ています。
中韓の根底には、ウソは悪いことではないという儒教精神がある。
仏教とは対極に位置しますから、桐山外道の信仰者らしい素振りです。

34ラシン:2010/02/19(金) 18:22:21 ID:XYs6itx.0

盛んに知恵にこだわる準シュダオンさんの意識は、
桐山さんから刷り込まれた霊性の開眼でしょうね。
視床下部の下に位置する第三の目の開眼が根底にある。
現代人の脳は、大脳の数%しか使われていないなどなど。
知識の量ではなく知恵の発露だ、と言うのが桐山流です。
だから準シュダオンさんは知識を小バカにして、
電波受信した知恵を自慢しまくりたい。
仏教の知恵は、あくまでも真理に即した正しい判断力、
正しい認識力という能力のことです。
釈尊の教えを知識としてその反映と実践によって生じるのが、
仏教の知恵です。
尾てい骨を強打し、プラーナが開通して生じるものなど
ではありません。
準シュダオンさんが、間脳を揺すられて得た知恵とは、
経典の自己解釈、都合のよい部分例示、根拠不提示の
強弁やその自慢による自己陶酔というワル知恵でしょう。
だから常に知恵、チエ、チェッ、と舌打ちとなる。
批判側は、コップ一杯に注がれた知識満杯で新しい知識も
入らず知恵も生じない、コップの水を捨てなさい、えいっ!
と言いたいのが、準シュダオンさんなのだ。

35天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/19(金) 18:28:14 ID:qQHzaFMo0
ふむ、中韓の商法はまずいものがありますね。全ての中韓の方や商売の方がそうでは無いのだろうけど、
かなりモラルの低下が多くて、「何でもありかよ」と思うことはしばしばでしたしね。
コピーも平気。パクリも平気。仕舞いには有名芸能人などの名前も勝手に日本に断り無く自国で登録し、
「使って良いんだ」てなこともやっている。(ブランド品も何かあったよね?)
もう、とにかく常識も良識も無い、めちゃくちゃですねえ。

まさにそれを地で行く「聖者さん」もしかしたら、そういう儒教精神なのかしらん?と思ったり。
日本人離れしているしね、思考が。いやはやグローバルなのかもしれない。

36天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/19(金) 18:36:00 ID:qQHzaFMo0
>だから準シュダオンさんは知識を小バカにして、電波受信した知恵を自慢しまくりたい。

仮に百歩譲って、自慢してもいいのですよ。ただ、自慢だけで中身が無いしトンデモ論だから
誰も信じないし、沿うものはいない。
自慢の裏に公に証明できる何物も無いのに威張っているだけだから、まるで子供が空き缶か石ころ
を所持して「僕の宝物自慢」をしているレベルと変わらないわけだ。
だからみんな「呆れるのですよ」 本当に「これは凄い」と示せるものが何もない。
教祖からそういう始末ですから、弟子もそうなるのでしょう。
まして、教祖はその「宝物」を見せないわけです。で、「僕は凄いんだよ〜ん」ですから
「死ぬまでほざいていなさい」と去る人が増発しているわけです。それが今のアゴンです。

だから、そういう「似たもの同士」が集まる集団では、お互いが錯乱しているか、間違いに
気が付かないで浸っているか、でしょうね。(職員は別として)
おめでたい・・・実におめでたい集団だなあ、といわざるを得ない。

37天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/19(金) 18:43:43 ID:qQHzaFMo0
>準シュダオンさんが、間脳を揺すられて得た知恵とは、
経典の自己解釈、都合のよい部分例示、根拠不提示の
強弁やその自慢による自己陶酔というワル知恵でしょう。
だから常に知恵、チエ、チェッ、と舌打ちとなる。

ナイスな表現! まさに「舌打ち智慧」ですね。
それとも、気が付いているか、と悔しく舌打ちをしているかw

私が「2chで展開したら、共感者も出るかもしれませんね」と提言したことがあったが、
未だに誰も聖者さんを指示した方はいませんねえ〜。
これは予想外でした! 私は少なくとも一人か二人ぐらいは絶賛する味方が出る、と
思ってたのですが、今の状態では皆無ですね。

まあ、今後そういう方も出るかもしれませんから分かりませんが、もし長年やっても
同意者がいない、ということは、もう聖者さんの言うことは擁護派にさえ認めてもらえない。
つまり、犬も食わない論理だ、ということですね。
今後の聖者さんの展開に期待します<マテ

38天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/19(金) 19:10:49 ID:qQHzaFMo0
指示じゃない、支持だ・・・。

予談だが、弟の葬儀に関しお坊さんが結構家に来て法要をする際に「説教」をするが、
まあ浄土さんだし、喧嘩売っても仕方ないから言わないけれど、こういうのがあった。

阿弥陀様は皆様の心の中にいますよ、という。
また、違う坊さんは昔だがこう言われた。
「浄土に行けば仏様(阿弥陀様)はいますよ」という。

オカルトはもういいですよ。今目の前に出してください、といいたいね。
密教だって観念宗だ。無いものをあるが如く「観想」で補うでしょう?
もう、空想ごっごはたくさんですわ。

アーガマにそういう記述など無く、そんな観想や観念で物事を行わない釈尊がいる。
いつまで妄想に浸っているのだ?人類よ
観想や観念が好きな人がはまるんだろうな。(自分もそうだったけど)
いい加減現実を見ようよ。

39ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/19(金) 21:11:53 ID:SmEF4Oe2O
>>32:Boo10/02/19(金) 10:32:46 ID:DXlq9owoO
>皆さん。ジジイにそんな長文レスしても、無駄です。

まあジジイにレスするように見えて実はそんな人などどうなろうが知ったことでは
ないと思っている。
説得するんだ。理解してもらうんだなんて考えてもいない。
永遠に楯突いていなさいと冷笑している。
それでも内容にレスをつけるのは読者の為ですね。
卑怯なジジイがダルマチャクラの69号にあるよとだけ示して内容を示さない
五難得の話にもレスをつけて議論に決着をつけるのは読者様の為であります。
ジジイはこちらの叩き台、サンドバックみたいなものですね。
読者様はサンドバックを叩く音を聴いて、こちらのパンチ力を知ってほしい。
いや、プロボクサーみたいなパンチ力なんかなく素人のへなへなパンチですよ。
しかし相手が弱すぎる。ジジイも弱いがアゴン宗が弱すぎる。

40Boo:2010/02/19(金) 21:44:29 ID:iVNJKjNQ0
>ジジイも弱いがアゴン宗が弱すぎる。

ははは。そのよわすけが、聖者様だったり、聖者の一歩手前だったり自己申告するんだから
もはやお笑いの世界ですね。

そういえば「確定申告」の時期ですね。ジジイは税務署行く必要ないが、ジジイの
親分は確定申告するんだろうな。信者から集めた金を自分の収入として・・・なんかむかつく。

チカGさんは慰謝料入ったら当然申告するんでしょうが、あれって一時所得になるのかな?
慰謝料も当然信者から集めた金ですが・・・つくずく腐った連中ですね。よわすけの癖に。

41名無し:2010/02/20(土) 01:25:31 ID:HeXCfjkY0
>>37
いや、擁護側でさえ準さんを「批判側の自演」と言う人が何人も
出てきましたよ。よっぽど、認めたくない存在なんでしょうねw

42天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/20(土) 06:32:03 ID:2.gFXy1s0
>>41 批判側としては迷惑な話ですね。で、擁護側も迷惑な人認定で、結局はどちらからも
嫌われているという現実があるw

それはなぜか? 準氏は批判などしてないから当然「批判側」ではない。
といって、擁護のほうからもゲイカや教団から逸脱した理論を展開しているから、「擁護」でもない。
結局は準氏個人の思い込みや勝手な解釈だからそういう結果になるわけで、どこへ行っても通用しない、
という結果が垣間見れたわけですね。

パンチドランカーは打たれた瞬間は痛いが、すぐに痛さを忘れるものらしい?
下手をすれば痛いのが快感なのか???
とにかく並みの精神ではないことは確かだ。
私も、かのように強かったらどんなにいいかと思う時がありますね。

43準シュダオン:2010/02/20(土) 09:47:05 ID:P9JinFks0
批判側の自演?いい線いってるよw。
いいかね、たとえ百科事典を丸暗記しても、仏教経典を丸暗記できても、
それだけではスキーは滑れないし、スケートもできないし水泳はできないの。
理屈だけではスキーやスケートや水泳の技能は身に付かないのよ。

知識を得ても智慧は得られない、というのはそのことよ。
書物には、知識は書けても智慧は書かれ得ないわけよ。
ティロバが大事にしてた自慢の書物に、乞食婆さんが唾をかけてティロバを
怒らせた。だが、それを機会にティロバは知識の限界を悟ったわけだ。
そして乞食婆さんに弟子入りして大悟したわけだ。

で、知識で頭でっかちの批判派の皆さんは、この無知な準ジイさんに教えを
乞う気持ちがなければ、何をしても徒労におわるだろうよw。

44Boo:2010/02/20(土) 10:08:41 ID:DXlq9owoO
何が言いたいかさっぱりわからん。

知識のある頭でっかちは、バカに教えをこわなきゃならん???

45名無しさん:2010/02/20(土) 10:45:02 ID:szvcKR.U0
岩手県って変なのがあるからなあ。
日本三大奇祭の一つ「黒石寺蘇民祭」。
http://images.google.com/images?um=1&hl=ja&lr=lang_ja&gbv=1&tbs=isch%3A1&sa=1&q=%E9%BB%92%E7%9F%B3%E5%AF%BA%E8%98%87%E6%B0%91%E7%A5%AD&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

46ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/20(土) 13:08:00 ID:SmEF4Oe2O
>>43:準シュダオン
10/02/20(土) 09:47:05 ID:P9JinFks0
>いいかね、たとえ百科事典を丸暗記しても、仏教経典を丸暗記できても、
>それだけではスキーは滑れないし、スケートもできないし水泳はできないの。
>理屈だけではスキーやスケートや水泳の技能は身に付かないのよ

サンドバックさん、こんにちは。
本日も当ボクシングの公開処刑スパーリングにようこそ。
あなたの書いていることは当たり前の一般論ですが、その一般論では我々の批判に
反論してアゴン宗を擁護する材料にならないことを論証します。
あなたのいう通りピアノの教則本だけでピアノは弾けませんし、スキーの教科書
だけでスキーは滑れるものではありません。
実技レッスン訓練を必要とします。
だから仏教にも教団というものがあり、僧院があり、修行僧の集団があり、師僧が
いて先輩僧がいる。その環境でグループで修行生活ができるのです。
残念なことにインドにおいてはヒンズー教の台頭と、イスラム教の侵攻により
仏教は廃れてしまった。
しかしスリランカ、ミャンマー、タイなどの南伝上座仏教の国に連綿と受け継がれた
ものがある。ヴィパッサナー瞑想の技法なんてのもそうです。
タイの寺院でも座る瞑想だけでなく歩く瞑想も行われています。
インドには前世紀にミャンマーのゴエンカ氏によってヴィパッサナーも逆輸入
された次第です。日本にも輸入されてます。
もちろんこれらの瞑想などが釈尊在世当時のままということも考えにくく、何らか
変容もありましょう。しかし昔から変わらない、昔と近いものが継承実践されて
いるわけであります。これによって文字媒体の経典だけでは汲みすることの難しい
ものも実践できるわけです。コツなんかもつかめるわけです。
水泳もピアノもスキーも跳び箱も自転車もマスターできる。
マスターしてわかることは教科書の示す通りであり、言葉で説明しきれないものを
実技で補えただけで結果も目的も同じことがわかります。
しかるに桐山教法の場合はどうか?

47ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/20(土) 13:40:17 ID:SmEF4Oe2O
>>43:準シュダオン
10/02/20(土) 09:47:05 ID:P9JinFks0
>いいかね、たとえ百科事典を丸暗記しても、仏教経典を丸暗記できても、
>それだけではスキーは滑れないし、スケートもできないし水泳はできないの。
>理屈だけではスキーやスケートや水泳の技能は身に付かないのよ

桐山教法の場合は我々が文字媒体として残っている経典を読んで得る頭の知識と
桐山さんが著書や法話で示してその展望を俯瞰するに内容が全く異なるのです。
上座仏教の実践現場ではこんなことはない。煩悩を減らしなくしていく修行である
ことが経典から読み取れ、また実際にどれだけ煩悩から離れたかという個々の
修行僧の成果はさておき、戒律なども厳しく煩悩をなくす努力をしていることが
わかり矛盾しない。
しかし桐山さんは煩悩解脱の表の教義的には認めるが、それは小解脱に過ぎず
本当の解脱は因縁解脱という現世生きている間における運命の転換だと示す。
ところがこんなことは文字媒体の経典のどこにも書いていない。
では実技実践をすれば経典にも書いてない運命転換を体感実現できると言うのか?
しかし成仏法を完全にマスターした僧侶を現代において誰それと指定するのも
疑わしい嫌いがあるので、経典記述のモッガラーナが他殺された事実を以て
最高のアラハンがおかしいではないか?と指摘している。
釈尊の経典の説く煩悩解脱ならば何の矛盾もないが、桐山因縁解脱からは明らかに
矛盾です。南伝上座仏教の実践者を通しても横変死の運命を回避するなんて
説かれても教えられてもいないことを体感などするわけもない。
第一考えてもご覧なさい。
どうして体験実践した後と前でその修行目的自体が変わってしまうのか?
現世の悪い運命が転換できるぞと言葉で目標目的だけ示すのは簡単ではありませんか?
それは桐山さんも言葉で示しているのだから。
運命転換の技術技法コツみたいのは言葉だけで伝えられないかもしれない。
しかし目標目的だけでも言葉で示すべきではないか?
桐山さんが言葉で示して啓蒙していることがどうして釈尊にできぬのか?やらないのか?

48ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/20(土) 14:01:14 ID:SmEF4Oe2O
>>43:準シュダオン
10/02/20(土) 09:47:05 ID:P9JinFks0
>いいかね、たとえ百科事典を丸暗記しても、仏教経典を丸暗記できても、
>それだけではスキーは滑れないし、スケートもできないし水泳はできないの。
>理屈だけではスキーやスケートや水泳の技能は身に付かないのよ

桐山さんも口を酸っぱくして説く因縁解脱の運命転換の目的は桐山さんも言葉で
説いて頭で理解させている。その上での言葉を超えた実践技術への挑戦です。
ならば釈尊もまた修行の目的を言葉で示して頭で理解させて実践に取り組ませるはずです。
しかしそれがどうして誰でもできる目的の説明をしないのか?
殺される、事故死する、ガンで苦しむ、物事が中途で挫折し目標を全うできない、
これって地獄みたいな嫌なことだよねえ。こういう状態を悪趣に堕ちたと言うんだよ。
だからこんな現世は真っ平御免だ。かと言ってオサラバするのも負け組だ。
だったらこの悪い運命の条件を特殊な技術で潰してしまい、不幸不運を回避して
幸福な人生を歩もうぜ、ベイベ。
どうしてこんな簡単な目的すら示せぬ?
釈尊は私は全てを説き尽くしたと述べている。
説き尽くしてないことになるではないか?難しい技術技法ならともかく目的目標すらも。
逆に五難得の話でわかるようにそんな都合のよい人生を望む煩悩を否定して
これを取り除く道を明示している。
桐山さんは我々は死者の霊魂と密接な関係があり、霊魂を救うことが自分たちを
救う急務であり、シャカはそれを説いたのだとしている。
しかし釈尊は霊魂のことなど語るな考えるな、そんなものは修行の何の役にも
立たぬと明言している。
この矛盾をどう説明する。
表で説いた教えがいざ実践すると全く裏、正反対になるカラクリなのか?
わけがわからん。
これで釈尊が教師に握り拳はないと断言したならば、それは握りっ屁をすかして
聴衆をコケにしたことになる。

49ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/20(土) 14:22:15 ID:SmEF4Oe2O
>>43:準シュダオン
10/02/20(土) 09:47:05 ID:P9JinFks0
>いいかね、たとえ百科事典を丸暗記しても、仏教経典を丸暗記できても、
>それだけではスキーは滑れないし、スケートもできないし水泳はできないの。
>理屈だけではスキーやスケートや水泳の技能は身に付かないのよ

スキーとはその実技、コツを言葉だけでマスターさせることはできないが、
板を履いて、雪の上をバランスよくスイスイ滑る技術だという説明だけは簡単に
できますよね。
ところがこういう解説に関して桐山解説は釈尊の解説と違う。
スキーでなくサーフィンの例にしますか?
釈「サーファーとはサーフィンをする人だ。サーフィンとは海上にてサーフボード
という板に乗ってバランスよく波に乗って立位を保つスポーツだ」
桐「サーファーとは波打ち際でギャルをナンパする人種である」
この食い違い、矛盾をどう説明する。
それは実践体験により初めてわかるのか?
ま、この例に関しては因果関係でわかりそうな面もあるが(笑)

50ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/20(土) 14:58:22 ID:SmEF4Oe2O
釈爺「煩悩をなくすこと。これが解脱だ。私は全てを説き尽くした」
準爺「煩悩をなくすと悪趣から離れる。すなわち現世において災害病気などの
不幸な運命に陥る因縁から離れるのだ。これが因縁解脱であり、運命好転の道であり、
煩悩解脱と少しも矛盾しない」
釈爺「おい、ちょっと待て。私は現世の災害病気などの不幸な境涯、運命を悪趣
などと言った覚えはなく、ましてその災害病気の不幸を回避して現世の運命を好転する
道なんか説いていない」>準爺
桐爺「おい、ちょっと待て。俺は煩悩解脱は小解脱であり、煩悩をなくしたくらいで
運命を転換できるなんて説いていない。小解脱たる煩悩解脱の上位に大解脱たる因縁解脱を説いたのだ」>準爺
釈爺「おい、ちょっと待て。私が説いたのは一貫して煩悩解脱であり、煩悩解脱を
小解脱なんてしていない。煩悩解脱こそ大解脱なのだ。煩悩解脱が小解脱だなんて
私がどこで説いている?根拠の私の言葉を指摘してみせよ。説いてもいないことを
語るのはよせ。ちなみに私は全てを説き尽くした」>桐爺

51ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/20(土) 15:41:27 ID:SmEF4Oe2O
釈「サーファーとはサーフィンをする人だ。サーフィンとは海上にてサーフボード
という板に乗ってバランスよく波に乗って立位を保つスポーツだ」

桐「サーファーとは波打ち際でギャルをナンパする人種である」

準「上記の食い違いの問題に対してサーフィンを実際にやってその技術を獲得した
人以外は、なんぴとたりともコメントする資格がない」

52ラシン:2010/02/20(土) 21:54:45 ID:JpYK5fDE0
>43 :準シュダオン:2010/02/20(土) 09:47:05 ID:P9JinFks0
批判側の自演?いい線いってるよw。
いいかね、たとえ百科事典を丸暗記しても、仏教経典を丸暗記できても、
それだけではスキーは滑れないし、スケートもできないし水泳はできないの。

準シュダオンさんの意気揚々した得意満面の姿が見えるようだ。
だが、
知識の丸暗記などと、批判側の誰が言いましたか?
勝手に自分で命題を掲げた問題に自答し、自惚れている。
それって、前頭葉の進化の賜物ですか?
例えば法律家は、六法全書を丸暗記しているのか? 違いますよね。
ある事案に対しては、これそれの民法または刑法何条の適用かと、
推察してその詳細を法律書や判例にその根拠を求め、結論を導くための
スベとします。
その判断力や分析力は、当該法律家の能力如何によることになる。
その能力とは、経験知の蓄積という知識に基づくものだ。
あなたの勘違いは、知識とは能力の範疇であることを知らないことだ。
知識の実践が知恵を生むのです。
スクーバの例ですが、
深く潜水するためのスキルは、知識でありその知識なくしては、
ダイバーは潜水病などの障害を蒙ります。
深度20mから浮上するための肺呼吸の操作とか、
素潜りの際のハイパーベンチレーションの危険を知るのも、
ひとつのスキルであり、それは知識なのです。
その知識に基づいた経験知によった知恵が、ダイバーの危険を
回避できてファンダイビングを可能とするのです。

>ティロバが大事にしてた自慢の書物に、乞食婆さんが唾をかけてティロバを
怒らせた。だが、それを機会にティロバは知識の限界を悟ったわけだ。

あなたの例示そのまんまで言えば、自慢の書物に固執したことが、
煩悩であったと、気づくキッカケでしょう。
唾をかけられ汚されてはじめて執着していた煩悩に気づいたのです。
しかし、
批判側が、あなたの自説に唾を何度もかけても、どうしてあなたは、
ティロバにならないのだ?

>知識で頭でっかちの批判派の皆さんは、この無知な準ジイさんに教えを
乞う気持ちがなければ、何をしても徒労におわるだろうよw。

>>34の私が指摘した
「批判側は、コップ一杯に注がれた知識満杯で 新しい知識も入らず
 知恵も生じない、コップの水を捨てなさい、えいっ!
 と言いたいのが、準シュダオンさんなのだ。」
の通りに、今またあなた自身をいみじくも曝け出したわけです。
私にあなたほどの知恵が無くても、このようにあなたの慢心は、
簡単に事前に予測が出来ると言うわけです。
ですから、
あなたなどに教えなど請う必要は、微塵もありません。

53天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/20(土) 22:58:02 ID:GaXwj6OE0
612 :神も仏も名無しさん:2010/02/20(土) 14:28:44 ID:8J0YqU6Y
今日明日は例祭ってのですね。
一体何が行われてるんでしょう。

決まっているでしょう。土曜は聞きたくも無い体験談の後の愚話で、日曜は
今年の大焚き火の嘘報告と駄話以外有りません。

54ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/21(日) 01:55:10 ID:SmEF4Oe2O
ようやく見つけた外道照身霊波光線、ダイヤモンド・アイのようつべ動画。

http://youtube.com/watch?v=11zBNAG8hFQ&hl

我こそはアラビア王の精、ダイヤモンド・アイ。
この世の平和を乱す悪霊を神に代わって成敗する。
桐山靖雄、汝の前世の正体を暴いてやる。
外道照身 霊波光線!
汝の正体見たり。前世魔人、銀狐ノストラダマス。
ううっ!ばれたか〜

しかしこの動画は惜しい。
「ううっ!ば〜れ〜た〜か〜」のシーンがない。
しかしヒーローもかっこ悪い。
こんな奴クラスにいたらいじめられるぞ。(←いるか!)

55ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/21(日) 08:20:12 ID:SmEF4Oe2O
最後の悪玉の頭領「ばれたか」と言ってるな。
これがダイヤモンド・アイの最初なんだろか?
これが定番となり「ま〜たま〜たば〜れ〜た〜か〜」とかエスカレートしていく。

「〇〇さんのお宅ですか?」
「はい?」
「こちらアゴン宗宗務局です。あんた準シュダオンさんでしょ?」
「ううっ!ば〜れ〜た〜か〜」

56天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/21(日) 08:32:19 ID:/X.vocCo0
>>55 ぜひ、それがリアルで起きて欲しいw

57深山:2010/02/21(日) 10:45:35 ID:RJHuVFcU0
「ううっ!ば〜れ〜た〜か〜」ver.2

職「〇〇さんのお宅ですか?」
準「はい?」
職「こちらアゴン宗宗務局です。あんた準シュダオンさんでしょ?」
準「ううっ・・ち、違う!俺は準預流だ!!
職「・・・(絶句)・・」
準「どんなもんだい、これが智慧ってもんなのw。
いいかね、批判側君、君たちには智慧がないんだよ!」

58準シュダオン:2010/02/21(日) 11:01:30 ID:P9JinFks0
お釈迦さまが、すべてを説き尽くしたとしても、それがすべて記録された
かどうかは不明でしょう?単純な真理ですよw。
スキーならば、雪の上を転ばずスイスイ滑ること、と説明出来て、あとは
技能の訓練に入れば良い。理屈の本をいくら読んでも滑れはしない。

さて、仏・法・僧の、「法」を言葉で説明できるのであろうか?
法には、理論と技能の面があるとは思うが、何らかの体験がないと、信じる
ことさえ難しいと思う。で、「法」の技能面を簡単に体験させる方法がある
のであろうか?ないと思う。あればその方法を説いてるはずだ。

59Boo:2010/02/21(日) 11:55:48 ID:iVNJKjNQ0
>さて、仏・法・僧の、「法」を言葉で説明できるのであろうか?
法には、理論と技能の面があるとは思うが、何らかの体験がないと、信じる
ことさえ難しいと思う。で、「法」の技能面を簡単に体験させる方法がある
のであろうか?ないと思う。あればその方法を説いてるはずだ。

なんのこっちゃ?あんたね、結局「法」は体験がないと信じれないし、体験させる
方法も無いんじゃ、信じることは永久にありえない、といっているんでねーの?

60ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/21(日) 14:22:34 ID:SmEF4Oe2O
>>58:準シュダオン10/02/21(日) 11:01:30 ID:P9JinFks0
>お釈迦さまが、すべてを説き尽くしたとしても、それがすべて記録された
>かどうかは不明でしょう?単純な真理ですよw。

いくつかの点から反論ができます。
まずアーガマ経典の編纂は個人の手によって行われたのではなく、弟子たちが
召集されて会議が行われて「あの時はこうでした」と作られたわけです。
だからお釈迦様はあの時くしゃみをされたとか、そういうどうでもよい話は
カットされても、大切な説法は悉く拾われる。だから阿含経には同じような話が
いくつもあるのです。その時その時に時、処、人により手を変え品を変えて
法を説くが、説くことは煩悩を減らしなくすことだけだからです。
だからしつこくもひつこくも読めば読むほど、わかった、わかったと読み取れる。
だから大切な教えがこぼれるはずがない。全て記録がされる。
また召集に漏れた長老がいるかも知らん。
「おい、準爺が来てないぞ」
「疲れたと言ってひきこもっています」
しかし準爺にだけ伝えた教えなどないのです。いや、準爺だけに教えを垂れても、
それは他の人に説いた教えとその基本内容は変わらないのです。
それが教師に握り拳はないということなのです。
準爺だけに他の長老たちに説いたのとは全く異なる因縁解脱の秘伝を教える
ということを教師の握り拳というのです。握り拳はないと断言した釈尊は実は
嘘をついていたんじゃよと申されますか?
また百歩も千歩も譲って準爺だけが密かに隠していた教えとか、長老たちが
うっかり書き留めるのを忘れたものがあったとする。
しかしその教えって、それを示すことによって既に記録に留められている教えと
背反して否定されてしまうものだろうか?
一部の秘密の教えと普及されている多くの教えとの整合性です。
桐山さんの教えだと記録が現存している釈尊の教えとの整合性がとれない問題を
指摘しているのです。
それから桐山さんはあくまでも現存する阿含経記録の中に成仏法を発見したと
言っているのです。
記録されなかった部分を霊感で補ったとかシャカからデンパを受けたなんて
言っていない。文字経典の中にそれを見つけたとしている。
国訳一切経とはっきり示している。昔読んで赤線を引いたところがやはり重要
だったとしている。
だからあなたの仮説は成り立たない。

61天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/21(日) 14:57:57 ID:FfvhoTqg0
準氏の推測はもっとものように思えるが、あくまで「思えるだけ」の域をでない。

釈尊の最後の言葉「自灯明」が、準氏のとおりだと嘘になります。
自らと法と教えを拠所として、怠らず修行をしなさいといった言葉さえ嘘になるが、
釈尊などどうでも良い、準氏さながらの意見だ。

また、弟子達は釈尊の教えを残しておこう、と集って記録したのです。
それがアーガマなのに、それの記録漏れだの欠落だの言ったら後世の人間はいくら
仏教を学んでも解脱もできないし、自己満足の境地を脱出できないではないか。
大乗のお経も全てのお経も「無駄」ということになる。
如何にとんでもない理論か、というのがすぐに分かる。
ユビさんも言っているようにゲイカも成仏への方法を見つけた、というのは
幻だということになる。貴方はゲイカさえ否定しているのに気が付かないのか?
どこまで頭がおかしいのか、と神経を疑う。

また、体験させる方法が無いのに貴方はなぜ体験できたのか?
自分をも否定して、ご苦労様なこった。

62ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/21(日) 15:03:42 ID:SmEF4Oe2O
>>58:準シュダオン10/02/21(日) 11:01:30 ID:P9JinFks0
>スキーならば、雪の上を転ばずスイスイ滑ること、と説明出来て、あとは
>技能の訓練に入れば良い。理屈の本をいくら読んでも滑れはしない。

これを読んでがっくりしました。
昨日のスパーリングは何だったのか?
ああ、俺の表現力が足りなかったのかなと思わず反省も必要なのかなと思ってしまった。
単にあなたの読解力がないか読んでないだけならよいのだが。
おっと、レスをつけるのは準爺その人ではなかったはずだな。気を取り直していこう。
だからスキーの技術の話ではなく、スキーの定義の話が釈尊と桐山さんで異なる
のはどういうことか?と訊ねているわけです。
あなたの言っている技術が言葉だけで伝えられないというのはよくわかります。
これは長嶋茂雄さんのバッティング指導がよい例でしょう。
バッティングのコツを長嶋さんは「来た球をね、こう、ぶわあーっとね」
ぶわあーっで球が打てるなら誰も苦労せん。
しかしそんな技術論の話すら私はしてないのです。
私がしてるのは定義論です。
バッティングの定義とは何か?ピッチャーの投げた球をバッターがバットで球に
当てて前に跳ばす。フライやライナーが野手に捕球されたらアウト。ゴロを野手が
捕って、バッターランナーが一塁に到達する前に一塁に転送されたらアウト、
打球が野手の間を抜いて塁に早く達したらヒット、外野フェンスを越えて
ノーバウンドでスタンドにぶちこんだらホームランという定義論です。
ルールの話です。
実際にはぶわあーっもくそもなくバットがボールにかすりもしない野球オンチでも
野球観戦はできます。そのルールの話を してるのです。
釈尊はバットがボールに当たりフェアグランドに転がったら一塁に走れと説いている
のに、どうして桐山さんは三塁に進めと示すのか?バットでキャッチャーの頭を
撲殺しろと示すのか訊ねているわけです。
それは長嶋名人のようにぶわあーっと球を叩いてヒットできるようになれば
三塁に走るのが正しいとわかる話なのか?と訊ねているわけです。
その技術は難しくとも、運命転換の因縁解脱なんて釈尊でも言葉で簡単に解説
できる話なのにどうしてそれをしないのか?と訊ねているわけです。

63Boo:2010/02/21(日) 17:26:17 ID:iVNJKjNQ0
ユビさんユビさん。ジジイの理解力をこえてまんがな・・・

65深山:2010/02/21(日) 18:38:17 ID:WEeGp7Uo0
失礼
投稿先を間違えました。
天照さん、すみませんが、64を削除してください。

66天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/21(日) 18:42:39 ID:FfvhoTqg0
あらら、2chでアク禁でこちらに、と思ってしまいました。
いい内容なので消したくは無いのですが、深山さん本人の依頼なので消します。
2chへ行って投稿を見ますね。

というわけで64は削除します。

67天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/21(日) 22:04:05 ID:FfvhoTqg0
2chは今結構賑わってますね。では、こっちはこっちでまったりとw

無関係さんへ

本日、教えていただいた本を立ち読みしてきました。お金が無いもので買えなかった為
立ち読み&ざっと読み流しでしたので、簡単に感想を。

面白い本ですね。お金があったら購入しているでしょう。
ブックオフあたりで安く売ってたら、将来購入したいと思っています。
なぜ田中角栄は上げられたのに、中曽根さんは上げられなかったか、とか
ホリエモン云々など、盛りだくさんな内容ですから、良かったですね。

そして、桐山氏該当のところを見ましたが、この掲示板で教えてくださった通りですね。
もっと詳しい内容が欲しかった感がありますが、私も知らなかった事実ですのであれは
今後のゲイカを突っつくいい材料になると思ったりしました。
あのあたりを信者で詳しく知っている人いないかなあ〜?

そういうわけで、久々に本屋を行脚して楽しく過ごせました。
いい本の紹介感謝申し上げます。ありがとうございました。

68ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/21(日) 23:09:12 ID:SmEF4Oe2O
京都に蠢く懲りない面々
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html?a=4062568179

↑桐山さんと京都の 闇の実力者である山段芳春氏との関係や指定暴力団の会津小鉄会の
4代目会長の高山登久太郎氏との関係などは上記に詳しいです。
以前2ちゃんねるで紹介され私も立ち読みしました。
2ちゃんねるの過去スレでも星まつりの不思議について語られています。
星まつり当日には黒塗りのベンツが18台も連なって北花山の総本山にやってくる
屈強な体格のお客様が来賓で来られます。
彼らは星まつり会場など目もくれもせず総本殿に案内されます。
そこで紙袋を渡され手にして帰って行きます。
以上は現地修行者が目撃した情報です。
ミカジメ料を手にして帰るわけです。地元の土建業界を牛耳る某893屋さんです。
総本山の敷地を購入し工事が無事進んだのも人足の調達はじめ893屋さんの
おかげです。星まつりのようなあれだけのイベントに屋台の一つも参入しないのも
彼らがそちらの世界を仕切っているからとか。
黒塗りのベンツですが、その修行者がナンバーを控え、後日その某893屋さん
の事務所の駐車場にあったとか。

69天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/22(月) 00:58:17 ID:gr2XqDXI0
なるほど、2chの記事で見かけたことがありましたが、本の詳細は知りませんでした。
ユビさん、感謝です。文庫ならブックオフにあるかと思います。調べてきます。

しかし、みかじめ料を払っているのか・・・。
それも、信者からの金なんだよな。
まあ、衰退すればそのうちそういう金も払えなくなるだろう。
そうなったら、どうなるか見ものなんだが。
ゲイカが亡くなってからじゃないと、見れないかもね。

70天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/22(月) 01:00:48 ID:gr2XqDXI0
む?みかじめじゃないか・・・上納金?お布施?
なはは。僧侶が893に布施は無いかw

7164:2010/02/22(月) 07:29:21 ID:AKgopgtY0
2ちゃんの方にも書かせて頂きましたが、こちらにも失礼します。

以前ここで相談させてもらった者ですが彼女に質問してきました。
「阿含宗の何がいいの?」と尋ねたら
「教義が論理付いてしっかりしているところ」と答え
「どうしてそんなに熱心に阿含宗をするの?」と尋ねたら
「身体を使って仕事をしてきた…自分は汚れている、これ(阿含宗)をしないと生きていけない。
することで沢山守ってもらっているのにやめてしまったら…怖い。
(阿含宗を)していることで家族が良くやってる。」などと言っていました。
阿含宗の教義については矛盾があるのをココのスレを読んでわかったので
「お釈迦様って護摩木を焚くの禁止してるらしいよ」って話を伝えたら耳を塞いで
「聞きたくない」と物凄い剣幕で不機嫌になりました。

ココのスレへ誘導することは失敗しました。
「宗教をしないと一緒になってくれないの?」と尋ねたら
「(阿含宗は)何よりも優先すべきことだから…」と。
私はどうしたらこの強烈なマインドコントロールを解くことが出来るんでしょうか?
どなたか助けてください。

72天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/22(月) 08:12:01 ID:uD/uZQEY0
64さん、どうも〜。管理人の天照です。
2chにも、こちらにも投稿され、意見を募るのはよろしいことだと思います。
ぜひ、皆さんの意見を参考にされ、いい方向性を見つけて講じてください。

ううむ、記事を拝見しましたが、かなりきつそうですね。
スレの誘導や、アゴンのどこが間違っているかを気づかせる話題も中々出しづらい状況ですね。
私が感じた・思うことですが、かなり様子を見ながら時間を掛ける必要がありそうですね。
本当は一番簡単なのは「離れること」ですが、それも色々と思うところがあるでしょう。
お付き合いされた時間や今までのことを急にバッサリ、ということは大変ですからね。
ましてや相手にわからせる、というのは大変な作業だと思います。

私も大したことができないかもしれませんが、一緒になって考えさせていただきたいと思います。

73ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/22(月) 08:36:39 ID:SmEF4Oe2O
>>72
まずネーム欄に64と入れてますが、これはどういう意味でしょうか?
このスレの64には当初深山さんが2ちゃんねるにてレスすべき内容を間違って
こちらに投稿してしまったのを本人が気付き、深山さんに削除を願い出て削除
してもらったものです。ですからこの空き番号を使うのは誤解を招き賢明でない
と思いますがいかがでしょうか。
それとも前スレの64とか2ちゃんねるの64とか意味があるのでしょうか?
さてご相談内容ですが、批判内容を耳を塞いで聞こうともしない人を説得するのは
たしかに難しい話です。いや、どんな人でも考えを改めさせることは至難の技ですが。
しかし論理立てがしっかりしているところに惹かれながら、こちらの批判内容も
また論理なのですが、論理を聞こうとしないことは矛盾がありますね。
そこのところは遠慮なく指摘してやった方がいいですね。
あなたは自分では論理立てて思考して理解した理性派、知性派と勘違いしてる
ようだが、実はただ感情で以てしがみついているに過ぎない自己洗脳信者の典型
であることを認識すべきだと。
単に謂われのない悪口ならともかく、論理を以て示されている批判があれば
受け入れる必要はないから、読むだけでも読んではどうか?最終選択、決断権は
常にその人にしかないのだから、それでも続けるのは自由であることは保証しておいて。
しかし論理批判を確かめることすら拒否するくらいなら、実は論理なんてかざす
ことも許されない感情的人間に過ぎないことを自覚しなさいとだけ諭して、後は
「突き放す」くらいが当面いいのではないかと思います。

74ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/22(月) 08:40:42 ID:SmEF4Oe2O
>>72
ああ、すみません。
2ちゃんねるにも全く同じ書き込みをされてますね。
つまり2ちゃんねるの64さんですね。失礼しました。

75天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/22(月) 08:48:37 ID:6LWCwNhE0
ふむ、そうでしたね。私は2chで64さんの存在を知っているから特に言いませんでしたが、
できるなら番号のHNは避けて何か名称を名乗ったほうがいいですね。
たまたま、この48章では深山さんが「削除してください」と言われた記事Noであることもあるし、
知らない方が見たら「何だ?64というのは、ただの番号?」と思うかもしれません。
私はコテハン推奨ですから、できるだけコテハン使ってもらえるほうが望ましい派ですが、まあ、
強要はできないので名無しも容認していますが、できれば何らかのHNがあるとうれしいですね。

さて、ユビさんのいわれることにも最終的にはなるのでしょうが、私はその最終に至る前に色々
講じてはいかがか?というのを思ったりします。
厳しさも愛、というか優しさなのかもしれないが、私は有る程度出してから言うことを聞かない
頑迷さにはユビさんの言うとおり距離を置かないと駄目だろうなあ、とは思います。

なぜなら、距離をいきなり置く方法で「気づきやすい方」と「気づかない〜離れていった」と思う
人がいるからです。もちろん、「言っても分からないやつは離縁だ」とやれるのなら最初から
突き放す方法も必要でしょう。しかし、私は「甘い」といわれるかもしれませんが、できるなら
何らかの講じを持って、それから最終的に、と考えています。
次にその中身を述べたいと思います。

76天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/22(月) 09:57:58 ID:6LWCwNhE0
2chでいい案が出ておりますね。私も2chでの皆様の意見に近い案です。
相手に批判意見を叩きつける・物申すのはよほどの間柄か、相手がまだある程度
アゴンに批判意見も持っている頭の持ち主で無いと危険です。
64さんの彼女さんはかなり閉鎖的になっていますから、刺激は危険です。

で、実際的な案ですが、薄皮を剥がすような対応が必須かと思います。
「そんな面倒くさいことなんかできないよ」というのでしたら、
これはユビさんの言われた方法がいいでしょう。

人間というのは否定されれば気分はよくありません。
ですから、私文書さんの言われるように、相手の懐に入って質問する手が有効ですね。
ただ、欠点はこちらがしっかりして無いと相手の言い分や理屈に巻き込まれる恐れが
有るということです。

ただ、64さんはこうやって掲示板で確認ができますから、相手の言うことを鵜呑み
にしないで、いつでも相談に来ることが肝要です。
また、彼女にはあくまで答えがわかっても知らない振りをして「質問」という態度を
取る事です。
アゴン宗および教祖、教学はほとんど破綻しています。
中には正しいものもありますが、大半がデタラメで内容も矛盾しているものが多く、
本当の仏教ではありません。ですから、64さんも本当の仏教を学んで置く必要も
あります。もちろん、学びながら進んで行ってもいいです。
絶対必要なのは、アゴンの言い分を真に受けたり、信じ込まないことです。
必ず確認しながら覚え、進めることです。それが64さんにも彼女さんにも有益な
事です。

そして、必ずアゴンは偽仏教ですからボロがでます。そこから徐々に「おかしくないか」
という気持ちから派生して、アゴンの刷り込みを解く作業をするわけです。
そうしたほうが遠回りのようで確実な道です。時間も労力も掛かりますが、彼女を本気で
愛しているのならできますよね?
つまり、相手を否定するのではなく、認めつつも「どうも変じゃない?」と投げかける。
そして、何が本当の仏教であり、しかもアゴンでそれを講じているのか、を認識させる
ようにすれば、説教も反論も感情を逆なでさせることも要らずに行えます。

ただ哀しいかな、そうやっても分からない人もいます。
その場合はある程度やり尽くしてから考えることにしましょう。
最初から悲観も諦めもするのなら、彼女さんからとっくに別れて別な人を見つければいい。
そうしたくない、またできるなら彼女さんに真実を理解してもらいたいわけでしょう?
64さんの愛情と努力・行動の如何に掛かっています。どうぞご高察ください。

77無関係な人間です:2010/02/22(月) 11:23:29 ID:N2cx.ldA0
>>67

 天照様、ご丁寧なコメント、ありがとうございました。また、お返事が遅れて
申し訳ありません。普段のご活躍には心から敬意を表します。

 あの本は図書館で借りました。それと、以前、阿含宗が同仁病院を買収する経過
を書いた本もどこかで読んだ記憶があるのですが、それを探している最中です。

 なお、これはここに書かれている方々には直接、関係がない話ですが、
「I LOVE 過激派」(早見慶子 著、泰流社、http://hayamikeiko.com/index-2.html)
という本を読んでいたら、阿含宗の事が書かれていました。
 著者は過激派の元活動者ですが、阿含宗を経て、過激派に参加し、その後、脱退
するまでの経験を書いております。阿含宗時代の事はさらりと流している程度なので、
ここの皆様には物足りないと思います。
 ちなみに、過激派脱退後のオウム体験を記した「カルト漂流記」という本も
同じ著者が出しております。

 先日、仕事の関係である方と自動車で遠出をしました。その方はいろんな宗教団体に
立場上出入りする方なので、自然と話題が宗教の事になりました。たまたま、話題が
阿含宗におよび、自分の学生時代の同級生が阿含宗の幹部であると話したら、 
 「ふん、あんな程度の低い宗教に騙されて。かわいそうに。」
と即座に鼻で笑うような返事。彼の態度を見ると、宗教の業界(?)の人達の中
では、阿含宗というのは、どうやら、その程度の評価みたいです。昔から批判的な
自分ですが、彼の反応にはちょっと驚きました。

 とりとめもない感想を書いて、申し訳ありません。

 益々のご活躍を心からお祈りします。

78天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/22(月) 12:28:42 ID:6LWCwNhE0
>>77 無関係さん、またも情報ありがとうございます。
ぜひ、その「I LOVE 過激派」探してみます。
また、時間が掛かってもかまいませんので「同仁病院」の記事もわかりましたら
教えてくださいね。

車の中でのお方との会話、いやはや情けないですね。
如何にアゴンにダメっぷりがあるか、分かりますね。
おお、そういえばうちの道場が入っているビルの持ち主さんは
アゴンをことごとく嫌ってたなあ。その感じに似ている。
花屋さんとか業者には受けがいいんですけどね・・・。

79天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/22(月) 12:28:55 ID:6LWCwNhE0
本日更新「agama考察室」
今回は、本邦初公開の「独鈷の御霊分解」です。
ご宝塔分解はあれども、さすがに独鈷分解というのは例を見ないので貴重。
ぜひ、ご覧ください。

http://agama.zouri.jp/index.htm

80ラシン:2010/02/22(月) 13:26:23 ID:XYs6itx.0
>58 :準シュダオン:2010/02/21(日) 11:01:30 ID:P9JinFks0
お釈迦さまが、すべてを説き尽くしたとしても、それがすべて記録された
かどうかは不明でしょう?単純な真理ですよw。

だから何を言いたい?
記録されなかった法を桐山さんが拾い上げた、と言いたいようだ。
仮に百歩譲ってそうなら、どうして桐山教義の矛盾が多数あるのか。
阿含経に禁止された護摩を焚き、禁止された占いで人集めと金集め、
説いてもいない因縁解脱と死者成仏で人々を騙しているこれらは、
阿含経に矛盾なく整合しているのか?
真理ならすべてに合致し整合性が存在します。
矛盾をかかえた真理など、あろうはずもない。

>スキーならば、雪の上を転ばずスイスイ滑ること、と説明出来て、
あとは技能の訓練に入れば良い。理屈の本をいくら読んでも滑れはしない。

例えを矮小化し混同しているのが、常なるあなたの性癖か?
あなたはスキーを滑った経験もないように見える。
たしかに、スキーの場合でもまず滑らせますよ、転んで感覚を養うのだ。
理屈や知識だけではないと、あなたの想像域で偉そうに語るのは、
やめてください。
スキーの運動感性は、実践で慣れ養われて体が覚えるのは事実です。
釈尊の弟子が、始めに経験することも戒律の実践から始まる。
しかし、
スキーでも、曲がり方た止まり方の研鑽向上に知識というスキルを
学んで、ボーゲンやクリスチャニアという技術を可能にしてついには、
モーグルなどの高度なレースを可能とするのです。
出家者が、日々の修行生活に戒律が何故必要かと知ることは、
戒律の実践で学び知識が蓄積され、それが知恵へと発展させる
ために必要だからです。
スキーの経験に疎く、戒律も守らずに酒に依存しているあなたに、
知識のいったい何が分かると言うのですか。

>で、「法」の技能面を簡単に体験させる方法がある
のであろうか?ないと思う。あればその方法を説いてるはずだ。

法の技能とは何を言いたいのか。
間脳を揺らし、火の呼吸をして脳圧を高めることか?
それともスキーのスキル同様、法のスキルを信じて、
それによって因縁から解脱するオカルトを信じている?
あなたは、知識を小バカにし知識を生かすことを忘れている。
煩悩滅の肝要は、知識で覚え知性で学びます。
物事を知り判断する能力が知識と知性です。
そして生じた知恵が、煩悩滅そのものを果たす。
知恵が煩悩を消滅させるのだから最高の能力です。
あんたは、その仏教の最高能力をいとも簡単に振り回し、
酒に依存しながら吹聴するような知恵って何なのか?

81天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/22(月) 19:20:45 ID:6LWCwNhE0
ユビさん情報の「京都の蠢く〜」をブックオフにて発見。
読んでみましたが、あれは結構前の本なのですね。松沢さんが辞めた時期あたりの
もので終わってますね。また、2chでも言われていることですが、あの本からでたの
かな?同じ内容のが載ってましたね。

とりあえず、まとめ買いのときに買うことにしました。
後、無関係さんの「I IOVE」のほうは普通の本屋は在庫切れで見ること叶わず。
時間を掛けて探すことにしますw

82Boo:2010/02/23(火) 10:13:43 ID:DXlq9owoO
64さんへのレスですが、私の自己分析を述べます。

私がアゴン宗に入信したきっかけは『密教占星術1』で、人には誰も『運命の星』があり、これから逃れることは出来ない。唯一、仏教の因縁解脱だけが運命の星から逃れる術である。との運命論を信じたことから、はじまりました。

そして、アゴン宗の信仰に見切りをつけたのは、その、120%的中する『密教占星術』が存在せず、運命の傾向、というか、性格と人生の傾向を模索するのが所謂『占星術』と言うものであることを知ったからと思っている。

64さんの彼女が何をキッカケに信仰を始めたか、その理由が根拠を失ったときに彼女は洗脳から醒めるように私は思う。

掲示板には殆ど全て、アゴン宗の理論に対して反論が述べられてあります。私が思うに、胡麻の火炎にゲギョウする神仏の写真の説明だけは反論説明の根拠が薄いと思う。

ワタシ的には、今の考えを述べるならば、素人がそこらへんを撮影しても、時々霊写真が写りますから胡麻の中に神仏が写ることもさもありなん。よい例は中華鍋の火炎にゲギョウがあったこと。割合にそんな現象は日常的に起きているかもしれないな、と、現在は考えている。

83ラシン:2010/02/23(火) 10:37:32 ID:XYs6itx.0
>79 :天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/22(月) 12:28:55 ID:6LWCwNhE0
本日更新「agama考察室」
今回は、本邦初公開の「独鈷の御霊分解」です。

天照さん分解資料をありがとうございます。
もう少し呪詛的なシンボルのようなものが、
あるのかと期待しましたが、ハズレでした。
今更ながら期待もおかしな話しですが。
信者時代に法華行者さんの加持を経験しましたが、
半木などを打ち鳴らしながら、被験者の体をお札などで
撫ぜたり、その際の真言や読経も力がありました。
その坊さんは百日の断食荒行を二回成就したそうで、
お山の認定書や満願成就してお堂の祠から出て来た写真も
飾ってありましたから、少なくとも桐山さんの自己申告より、
行と言う意味では真実味はあるでしょうね。
比べてアゴン宗のは、観念的ですね。
陰陽道の悪魔退散的な除霊を思わせ、念力注入もいかにも
桐山さんの稚拙なチョー能力的願望の顕れのようです。
今思えばくだらない呪術の類にお金まで払って伝法を
受けたのですから、その分の金と労力を別な篤志に
当てたほうが、よほど役に立ったと思います。
当時はそれで他人の苦しみを癒してあげることができると、
真剣に信じていたのでした。
さしずめ準シュダオンさんなら、自己の慢心を満たす
格好の道具だと考えているでしょうか。

84準シュダオン:2010/02/23(火) 11:03:58 ID:P9JinFks0
先ず、運命の星(因縁)が、あるのかないのか?
その体験がないと、因縁解脱、なんてのは盲信に近いね。
私の入行前の友人に、K・T君という友人が居てね、彼の特殊能力が、
数日後に出会う人の容姿を当てる、ということであった。
なんでだか、ありありとその人物像が眼に浮かぶのだという。
わたしは、脳の病気だ!錯覚だ、といって、一笑に付していた。
もしそれが本当なら、何日後にだれと会うとか、人は運命を持つことになる。

ところが、入行の前年、わたしにも特殊な体験が起きた。
人は運命を持つ、としか思えない体験が起きた。
それまでK・T君を笑っていたが、とんでもないことであった。
で、管長の「運命の星」説を信じないわけには行かなくなった。

で、自分の悪い運命の星をつぶすことが、一番大事なことになる。
つまり、因縁解脱です。
そして、本当の仏教がどんなものであれ、因縁解脱を説かない教えは、
私にとって、価値はない、と言えますね。

85天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 11:15:40 ID:tihx5wV60
>>83 ラシンさん、私も「どうなっているかな」と期待しながら分解を試みましたが、
すごいがっかりしました。やはり、悪い予想をしてましたがその通りかと。

2chでも色々話題が出ますが、アゴンの法が邪であっても何らかの効験はあるものです。
それが皆目無いというのは、まさに観念の世界に生きているか、ということです。

昨日テレ東京でスピリ関連ということで、日本各地の神社などを紹介してましたが、
神社であっても効験のあるところはヤバイんです。
神のエリアに人間が穢しをしたら、神罰が下ります。はんぱなく。
ところが、アゴンは元々何もないですから、分解しようが何の罰も無い。
空気を売っているか、月の土地でも売っているかのような商法がアゴンです。

アゴンに本当に邪でもいいから法があったら、私は直ちに罰が下り普通の生活さえ送れません。
偽者であったから、まあ無事で済んでいるんですけどね。ああ皮肉だな、と。

86ラシン:2010/02/23(火) 11:15:56 ID:XYs6itx.0
>82 :Boo
>掲示板には殆ど全て、アゴン宗の理論に対して反論が述べられてあります。
私が思うに、胡麻の火炎にゲギョウする神仏の写真の説明だけは反論説明の
根拠が薄いと思う。

星祭にてさえ、私が写した写真にも数点ありました。
しかし、それは如来や菩薩の姿形に詳しいほど顕著に見える
錯視や錯覚知の部類でしょうか。
一般的には、雲の形やしみの形が観念的記憶に照準が合致する
既知知覚の範疇で、パレイドリア現象とかフレゴリ錯覚と
考えられているようです。
平河町から三田別院の引越し整理のとき、倉庫から例祭などで
使用残りのロウソクがゴロゴロ出て来たが、みな如来像や菩薩の
形をなしていた、と旧い信者さんから聞いたことがあります。
まあ、ある種のプラシーボ効果とも言えなくはないでしょう。

87天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 11:24:02 ID:tihx5wV60
>>84
>そして、本当の仏教がどんなものであれ、因縁解脱を説かない教えは、
私にとって、価値はない、と言えますね。

そもそも、仏教に「因縁解脱」の考えが無いので、「因縁解脱教」を模索するしかない。
仏教自体から離れてください。因縁解脱は「仏教じゃない」ので。

「因縁解脱教」に意義や価値を見出すのは、それは構いません。
ですが、仏教に「因縁解脱」の価値を見出すのは、徒労に終わります。
元々そういうのが無いのですから。

そもそもゲイカが、仏教に因縁解脱する方法がある、とやったのがそもそもの間違い。
無いものを「ある」とやったら、死ぬまでそれを主張しなければならなくなる。
たとえそれが「妄想」や「思い込み・勘違い」であったとしても、非を認めないのですから
どこまでも整合性の無い主張を通さねばならなくなる。それが今のアゴンです。
そして、それに気が付いてきた人が増えてきたから、衰退してきたのです。
偽ものはいつか滅びるのです。ゲイカも言ってましたでしょう?「これからは本物の時代だ」と数年前から。
「偽ものは滅びてゆく」と、自分で未来を予知してるんだから、笑いますw

88天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 11:36:46 ID:tihx5wV60
>>86 そうです。普通の道場でも激しくろうそくが溶けて何かの形になった、などとは
結構あります。そして、それを信者が家に持って帰って祀っても何もないのです。

私もどちらかといえば「現形好きー」な方ですが、批判意見に目覚めてからは厳しいです。
それこそアゴンに求めるのは「信憑性」です。
現形しようが、しまいが要は結果を出せるかどうか、です。

その現形した写真でもろうそくでも何でもいいです。それで、誰にでも奇跡を起こせるのなら
悪魔の法でもいいんじゃないかと。それさえも示せないのが「アゴン」です。
だから、炎が形になった。ろうそくが形になった。よろしいのです。
ただ、その後が無い。そんなもの「おもちゃ」にしかならない。

私がHPにあげた現形の写真だって、相当ですよ。
お不動様だって、大日如来だって、いい塩梅に形になっている。
ところが、それ以上の域をでないわけです。ただ「形になっているだけ」です。
または我々が「そう見えるだけ」でしかない。

>>83でラシンさんが言われてますように、他教団で現形が無い教団でも奇跡や救済力のある
ところもあるようだ。そこにまで至らないアゴンは一体どうなっているのか?となる。
中身が無い観念教団だから、何も起こせない。人々に偶然起きる偶発ラッキーをアゴンの
力だと錯覚させているだけです。

89ラシン:2010/02/23(火) 11:50:54 ID:XYs6itx.0
>84 :準シュダオン:2010/02/23(火) 11:03:58 ID:P9JinFks0
先ず、運命の星(因縁)が、あるのかないのか?
その体験がないと、因縁解脱、なんてのは盲信に近いね。

師である桐山さんが唱えているのだから、信者なら素直に
盲信すればよいだけで、自身の経験などを自慢する必要は無い。
但し、批判側はそんな仏説などありませんよと指摘している。

>で、管長の「運命の星」説を信じないわけには行かなくなった。
で、自分の悪い運命の星をつぶすことが、一番大事なことになる。
つまり、因縁解脱です。

客観的に見てまずあなたが、つぶさねばならないのは、
あなたの傲慢、慢心、尊大な心です。
方法の主旨は、
身の丈にあった意見の開陳に徹し、ハッタリを止めればよい。
自己正当化のための経典引用も公平に例示する、都合解釈を
控えて、独善か否かを真摯に自己検証する。
とても簡単なことですよ、普通の知性があればね。

>そして、本当の仏教がどんなものであれ、因縁解脱を説かない教えは、
私にとって、価値はない、と言えますね。

分かっていてどうして仏教にこだわるのか?
桐山さんの言質だけでは不足のようで、あなたは仏説に無い記述を
恣意的に読み違えて仏教にブラ下がり、釈尊を愚弄しているのです。
仏教は因縁解脱を説いていないのですから、無価値と判断したなら
潔く仏教など語らず、桐山外道に邁進してください。

90天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 11:52:01 ID:tihx5wV60
ですから>>82のBooさんの
>82 :Boo
>掲示板には殆ど全て、アゴン宗の理論に対して反論が述べられてあります。
私が思うに、胡麻の火炎にゲギョウする神仏の写真の説明だけは反論説明の
根拠が薄いと思う。

には賛成です。私もHPの現形の写真は「批判をなるべくしない姿勢」で挑んでいるのがそれです。
それは天照が「現形好き」だからじゃねえか?ではなくて、あの現形は現形として認めているからです。

例えば、自分らが護摩を焚いてもあのように「現形」できるかどうか?
それが、仮の話ですがゲイカなら「できる」わけです。
それをひとつの「能力」と私個人は認めてあげますが、それ以上のものは無い。
なぜなら、奇跡も功徳もへったくれも無いからです。何にも無い。
だから、最初から現形などしなくても「同じ」に等しいのです。
ただ、ゲイカが炎の魔術師、もとい造形師、というだけです。

現形などしなくてもいいから、奇跡を必ず起こすものを出せばいいのです。
「うーむ」と念じて、答えをピタリと出すのが力のある証拠じゃないのかと。
いくら神仏の形を作ろうが、出そうが、肝心の答えを出せないのだから、茶番な造形しか
できないのだといわざるを得ないし、また、何でも否定する人間のように現形までは否定し、
反論説明にはお及びが足らないと思いますね。

91天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 11:55:25 ID:tihx5wV60
しまった、脱字が・・・

また、何でも否定する人間のように現形までは否定し、
反論説明にはお及びが足らないと思いますね。



また、何でも否定する人間のように現形までは否定しませんが、
反論説明にはお及びが足らないと思いますね。

に訂正します。

92ラシン:2010/02/23(火) 12:37:00 ID:XYs6itx.0

現形についてさらに熟考すれば、キリスト教徒が、
天国を思い描いて空を見たら雲の形にマリア象を
見るようなものです。
普通なら自然現象が、偶発的にマリア象を形成した
のであって、思い描いて雲が形を変えたとは思わない。
火炎であっても拡散火炎や乱流火炎などの化学反応で、
その炎の形を真断なく変えます。
その刹那を写真が捕らえたのであり、それがパレイドリア現象
とかフレゴリ錯覚の範疇と考えられるものです。
神仏が桐山さんの祈祷に感応した現形なら、どうしてコンマ何秒
という一瞬なのか?
ずいぶん勿体をつけた神仏さんですね。
もし感応し、意思を持って顕れるならせめて数秒くらい留まれよ、
と言いたいが、偶然の化学反応の産物なのだから一瞬で終わりです。
炎が自由な化学現象という証拠は、架空の存在のドラゴンがなぜ、
その架空の形を成すのか?
インド特有のナーガといわれるコブラや象がどうして現形しないのか?
観念的思考で見ればみなそれらしく見えるだけでしょうね。
桐山さんの念が、具象化して炎になったわけではないでしょう。

93ラシン:2010/02/23(火) 13:24:11 ID:XYs6itx.0
>84 :準シュダオン:2010/02/23(火) 11:03:58 ID:P9JinFks0
先ず、運命の星(因縁)が、あるのかないのか?

さかんに運命の星なんて目に見ないものにこだわるね。
桐山説では運命は変えられるとの理由に、運という
字を解釈して述べていました。
シンニュウ偏はモノを動かす意、軍はいくさ戦いであり、
運命と戦って勝ち取るべき可能な星、なんて述べていた。
では、その運命の悪運や良運をどう区分けするのか?
良縁や悪縁をどのように取捨選択するのか?
それとも好悪まとめて転換するなら、悪い星は良くなるが、
良い星は悪くなって、ゴロンと一回りすることなのか?
桐山さんは、自動洗濯機ならぬ選択機をお持ちらしい。
オセーテください準シュダオンさん、桐山さんの選択機は、
どこ製なのか、電源は100Vでよいのか?乾燥機つきか?
その因縁選択機は、どこに置いてあるの?

94ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/23(火) 14:10:10 ID:SmEF4Oe2O
KIRIBAKOの 正体見たり KARABAKOや

うん、これは外道照身人力開封だな。
アゴン宗と同じで中身がなく箱だけですね。

95Boo:2010/02/23(火) 14:31:03 ID:DXlq9owoO
近い未来の出来事を予感するのと『運命』を混同してはいけない。

何度も述べるが『卜』の占いと『命』の占星術の混同なのです。

『卜』の占いで出て来る事象は現在の傾向から『出やすい目』に過ぎません。競馬で一番人気が10レース以上来ていない場合次に一番人気が来る確率は格段に高くなる。

私が言いたいことが解りますか?ふっと友人の顔を思い浮かべたら次の日に偶然会う等は割と誰でも経験していますよ。それは現在の事象の中に近未来の事象が反映されている場合があるからです。

明日の天気は予報出来ますが、10年後の明日の天気は現在の天気図から予想出来ません。

明日の天気を予報するのが『卜』の占いで、10年後の明日の天気を予想するのが『命』の占星術です。統計的に天皇誕生日に晴れる確率はこれこれだ、という例えが『命』の占星術に当て嵌まります。『命』の占星術はあくまで統計的な傾向として議論すべきで、運命論的にアプローチするならば『運命の傾向』と捉えるべきものです。それを我が、きり山師は120%決定している絶対運命の存在(そもそもそんな占星術は無い)とそこからの救済(元々救済など必要無い)で人々を洗脳しつづけるのである。

96無関係な人間です:2010/02/23(火) 16:10:01 ID:q90Ylqmg0
>>77

 天照様、遅れました。すみませんです。見つけました。

「黒幕といわれた男」ー山段芳春の素顔ー(安川良子 著、洛風書房、平成16年4月15日、初版)の71ページに山段氏と阿含宗、桐山氏、和田尚子事務局長との関わりが書
かれております。

 山段氏は京都政界の黒幕と恐れられた存在だが、実際には「世間で憶測するほどに
蓄財したわけでなく、50年にわたって社会的弱者に目を向け、京都のために時には
火中の栗を拾うような仕事をした」実像が知られていない事を痛感した山段氏の秘書
だった著者が書いた本です。秘密を守る必要がある部分は、「書けない」と正直に
言っている点は好意が持てます。欠点はあるが、結構、面白い本でした。

 (なお、この本の内容を紹介するにあたりましては、私の個人的な感想を省き、
書かれている部分のポイントのみを紹介する形をとらさせていただきます。)

 山段氏と桐山氏が知り合いになったのは、京都、高台寺のお茶屋「土井」の女将の
紹介である。その後、山段氏と桐山氏とは蜜月の関係となり、互いに信頼をするように
なった。

 東山の「星まつり」の用地の取得を桐山氏に勧めたのは山段氏である。

 京都市、東山区の神宮道の道場の購入についても山段氏が関係している。あの土地は
元々、京都信用金庫の不良債権化していたものであったが、山段氏は京都信用金庫とは
当時、関わりがあった。山段氏が桐山氏にお願いをして購入してもらった。

 京都市、上京区の愛寿会同仁病院の購入についても山段氏が関係している。
あの病院は元々、京都信用金庫の融資先であったが、経営状態が悪化していた。が、
入院患者の居る病院だったので、手荒なまねができず、京都信用金庫も対応に苦慮していた。
 そこで、山段氏が桐山氏に病院経営をお願いしたのである。歯科医師だった桐山氏の
奥様を最高責任者として再建に着手した。

 数年後、病院の経営方針をめぐって桐山氏と山段氏は対立し、両者の関係は疎遠になった。

 以上、ご参考になれば幸甚です。

97ラシン:2010/02/23(火) 18:28:09 ID:XYs6itx.0
>96 :無関係な人間です

試験を挟まない冷静なる情報に感謝します。

さんだん氏ですね、私が記憶にあるのは、
キョートファイナンス事件に関連した目黒にある
雅叙園観光や同じ目黒駅近くのホテル三叙園の上野社長
失踪事件に絡む許詠中事件ですが、なんだかすごい人と
桐山さんは懇意にしていたのですね。
ホテル三叙園の失踪事件は、たしか未だに未解決です。
おおよそ宗教には似合わない人的交流があったとは驚きです。

98Boo:2010/02/23(火) 19:07:56 ID:iVNJKjNQ0
>京都市、上京区の愛寿会同仁病院の購入についても山段氏が関係している。
>あの病院は元々、京都信用金庫の融資先であったが、経営状態が悪化していた。が、
>入院患者の居る病院だったので、手荒なまねができず、京都信用金庫も対応に苦慮していた。
> そこで、山段氏が桐山氏に病院経営をお願いしたのである。歯科医師だった桐山氏の
>奥様を最高責任者として再建に着手した。
>
> 数年後、病院の経営方針をめぐって桐山氏と山段氏は対立し、両者の関係は疎遠になった。

なるほど、ちょっと微妙でデリケートな問題を含んだ物件だったから、ゲイカは
おばちゃんに切れたのかもしれませんね。さすがわ聖者さまともなれば違いますね。

99天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 20:17:44 ID:tihx5wV60
>>96 無関係さん、すばやい情報提供、恐縮であります。
拝見してかなり勉強になりました。本当に頭が下がります。
今回いただきました情報を元に、この本も探してみます。
深く感謝申し上げます。

また、Booさんと同じ感を私も抱きましたね。
このようにデリケートな問題があれば、おばちゃんが言われたことはまさにゲイカの
プライドを傷つけたわけですから、異常に怒ったのも分かります。

ですが、ゲイカという人は常々困った方です。いろんな人間と縁をつなぐのはあっても
長続きしたためしがない。せいぜいあるのは893とか右派絡みぐらいなのでしょうか。
ダライラマ法王も、キリスト関係も、ブルーノ氏も、昔のイスラムのある権威者も、
モンゴルの権威者も今では見ないですし、なんだか行き当たりばったり、な事ばかりです。

100天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 20:27:47 ID:tihx5wV60
>>95 見事な意見に同意。言葉がありません。
アゴンはここのところを上手くすり替えている手法を使っているのだと思います。

また、運命自体を変えることのできることを出せもして無いのだから、アゴンの
擁護や主張を繰り返しても空に消えるだけです。

101ラシン:2010/02/23(火) 20:32:33 ID:JpYK5fDE0
>98 :Boo
>なるほど、ちょっと微妙でデリケートな問題を含んだ物件だったから、ゲイカは
おばちゃんに切れたのかもしれませんね。さすがわ聖者さまともなれば違いますね。

キョートファイナンスや許詠中事件は、バブル企業の敗戦処理に
纏わる事件と認識しています。
しかしその社主が、さんだん氏とは今回の無関係な人間さん情報で
確認できました。
氏はウイキPにも情報がありますが、バブルの残滓たる氏の地元力に、
不動産取得や企業買収にその理由は別としても関係を持つことじたい、
宗教家としての道を外していると思わざるを得ない活躍ぶりが、
桐山さんの所業でしょう(文章長くてすいません)。
脛に傷を持つゲイカならではの、あの切れ方だったのですね、納得。
凡人は痛いところを疲れると理性を失うのは、よく理解できます。
桐山セイジャ様も、ただの凡人の感性を逸していなかった訳ですね。

102伊藤:2010/02/23(火) 20:45:07 ID:MSMW.iOk0
2ちゃんに書き込んだコピペですが失礼します。

64と名乗っていたものです。
固定HNにしてはどうか?と言うアドバイスを頂いたので
今後、伊藤と名乗らせて頂きますので宜しくお願いします。

皆様、本当に色々な助言ありがとうございます。
自分や彼女の発言、環境など事細かく伝えて相談したいのですが
不特定多数の方が見ることが出来る掲示板でそれは危険だと思うので
控えさせて頂きます。
本当に親身になってお答えして頂いているのに自分勝手ですいません。
ただ阿含宗内部の方も見ていると思いますし
人物特定されてしまうと色々と困ることが多いので
どうかご理解お願いします。

「詳細がわからなければ相談にのれない」と言われたら
おっしゃる通りですので、もしアレでしたら捨てメールアドレスを準備して
ここに貼ることも考えています。

またPCからの書き込みができず携帯からの書き込みですので
あまり長文が入力できないことと即レスが出来ないことについても
申し訳ありません。
(agamaザBBSはPCの方からでも書き込めるようです)


皆さんの助言が私を勇気づけています。
心の負担を軽くしてくれています。
皆さんがいてくれて一人で抱え込まず相談できることに
本当に感謝しています。

皆さんの助言を元に焦らず時間をかけて行動していきたいと思います。

ここのスレとagamaザBBSは常にROMっています。
自分や彼女及び彼女の家族に動きがあればまた報告します。

…なんか変な文章ですいません。

103天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 21:09:36 ID:tihx5wV60
>>102 伊藤さんへ
投稿いただき、ありがとうございます。拝見しましたが、ごもっともだと思います。
詳しい相談とかはメールのほうがいいですね。
私の方からもメルアド記しますので、もし気が向いたらメールください。
「agama@live.jp」が、代表メルアドです。

伊藤さんは携帯派のようですね。もしよろしかったら携帯専用のPを作りましょうか?
ここは携帯もPCも両方OKなので、要らないかと思ってましたが、もしあったほうが
便利でしたら、用意したいとも思っています。

また、伊藤さんのようにとか、別な方でも実際信者であって悩んでいる、という方の
ために私はお役に立ちたい存在であれと私は考えております。
ご意見や相談などありましたら、遠慮なく投稿してください。

伊藤さんが周りの方がいい方向に進めますように。

104天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 21:47:33 ID:tihx5wV60
>>103 しまった誤字だ。伊藤さんが周りの方、ではなく「伊藤さんと周りの方が」に訂正です。

あと、103で言ってた「携帯用BBS」早速作りました。
需要があるかどうかはわかりませんが、とりあえず作成。

http://mg1.jp/e/module/e_d/bbs/mailbbs.php?cid=NWpDM3lvUUFzQg==

こちらがアドです。また、http://mg1.jp/u1/agama/ のTOP画面に行くと画面の左隅上に
「掲示板」と書かれていますから分かると思います。
こちらのしたらば同様、ご愛顧頂ければと思います。
また、あってはいけないことですが、したらば落ちたとかメンテで動かないときなども利用できる
ので、まあ、まったりとやってゆこうと思いますw

105ラシン:2010/02/23(火) 22:40:47 ID:JpYK5fDE0

天照さんって、
本当にフットワークがいいですね。
考察室は、客観的批判にも耐えうる資料館に発展するでしょう。
あなたの熱意が、いつも真摯に感じられて素晴らしい。
多分過去アゴン宗においても、よき先達としてご活躍された
ことでしょう。
しかしながら、
それが逆に残念なのが、人の純粋性、無償なる善意を
利用した教団の悪意、教団の経済的生産による宗教欺瞞、
これらを目的にした扇動に利用され、過誤を作ってしまった。
批判側が共通共存する拭いきれない過ちです。

>>102 :伊藤さんにも出来れば、退会した元信者である批判側の
この忸怩たるこの後悔の念を察して戴きたく思います。
伊藤さんと似た経験者は、批判側にも多く存在しますよ。
相談は匿名で充分に対応できますから、それ以上の詳細は不要です。
深山さんが常々表明しているように、批判側が退会を促す意図は、
全く持ってありません。
あくまでも個人の判断、個人の責任での行動を見守るだけで、
その吟味判別の情報を出来るだけ第三者的な根拠を以って、
正確に客観的に発信し、それを掲示存続しているだけです。
そこで、
助言を超えるのは、双方の相互理解とその意志力だと思います。
その可能不可能は、あなた次第なのです。
諦めるのも方法の一つなら、諦めないのも一方法でしょう?
どちらを選ぶかは、あなたが取得した情報如何によるでしょう。
あなたが欲すれば得ることが出来るここが、その意味では情報の
宝庫です、とだけはお伝えいたします。

106深山:2010/02/23(火) 23:12:24 ID:ojhkv0Hs0
>>102 :伊藤:2010/02/23(火) 20:45:07 ID:MSMW.iOk0
>おっしゃる通りですので、もしアレでしたら捨てメールアドレスを準備して
>ここに貼ることも考えています。

アゴン宗の信者が見ているという点はそのとおりで、用心してください。
アゴン宗はそんなに大きな教団ではありませんから、ちょっとした情報から
特定されてしまいます。
メールでのやり取りについてはくれぐれも気を付けてください。
そこで、一つの案です。
本来なら天照さんの同意をとるべきことですが、
天照さんのみがメールアドレスをここに公開するだけで、他の人はしないという方法です。
天照さんは私や何人かの批判側のメールアドレスを知っています。
そこで、伊藤さんはメールアドレスをここに公開せず、天照さんにのみメールを送り、
天照さんを窓口にする方法です。
あえてこれを提案するのは、悪質な嫌がらせが入る恐れがあるからです。
たとえば、伊藤さんのふりをして誰かがメールを送り、嫌がらせをする可能性です。
批判側は伊藤さん本人だと誤解して、個人的なことを書いてしまい、
伊藤さんだけでなく、批判側にも被害が及ぶ恐れがあるからです。

107深山:2010/02/23(火) 23:16:08 ID:ojhkv0Hs0
>>102 :伊藤:2010/02/23(火) 20:45:07 ID:MSMW.iOk0
>おっしゃる通りですので、もしアレでしたら捨てメールアドレスを準備して
>ここに貼ることも考えています。

一番簡単な方法は、伊藤さんが挨拶程度のメールを天照さんに先に送り、
その同じ内容を後で伊藤さんの名前でここに貼り付けるのです。
もちろん、伊藤さんの偽者もそれができますが、
本物の伊藤さんが気が付き、ここに警告を出すことができます。
また、天照さんは管理者として、IPを知ることができますから、
伊藤さんが同じ所から書き込んでいるかどうか確認もできます。
なお、申しあげるまでもないと思いますが、メールでのやり取りでも、
伊藤さんの個人情報は絶対に書かないでください。
彼女についての情報も相談に必要な最小限で十分です。
ここでの議論も、メールでのやり取りも、程度の差こそあれ、
見られていると思った方がいいのです。

108深山:2010/02/23(火) 23:22:57 ID:ojhkv0Hs0
>>103 :天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/23(火) 21:09:36 ID:tihx5wV60
>詳しい相談とかはメールのほうがいいですね。

天照さんの同意もとらずに、勝手な提案をしましたが、
メールのやり取りについては用心深くするべきだと思っているからです。
そこで、さらに天照さんに一つお願いがあります。
それは、新規に天照さんにメールを送る「批判側」をチェックしてほしいという点です。
たとえばすでにメールを送った私や名無しさんは、
提供した情報から批判側であり、ここに出てくる本人であることは明瞭です。
そこで、これから新規に登録したいという人をチェックしてほしいのです。
たとえば、ユビキタスさんが新規にメールを天照さんに登録したとします。
本人を確認するのは同様の方法で、ユビキタスさんが天照さんへの最初の挨拶のメールを
送った後で、同じ文章をここに貼り付けてもらいます。
ユビキタスさんの場合トリップがあるので、メールを送ったのが本人であることが確実に確認できます。
また、批判側の皆さんで伊藤さんにメールで助言したいという方は、
天照さんを通すようにして、同様の本人確認をしてください。
言うまでもなく、メールアドレスはホットメールなどの捨てメアドを使います。
これによって、メアドをネットに公開するのは天照さんだけで済み、
伊藤さんも他の批判側も捨てメアドですら公開する必要はありません。
ここまで用心深くするのは、元信者はアゴン宗で十分に不愉快な思いをしたのだから、
これ以上、あらざる混乱で不愉快な思いをしないためです。
用心深く行きましょう。

109ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/23(火) 23:50:47 ID:SmEF4Oe2O
>たとえば、ユビキタスさんが新規にメールを天照さんに登録したとします。
>本人を確認するのは同様の方法で、ユビキタスさんが天照さんへの最初の挨拶のメールを
>送った後で、同じ文章をここに貼り付けてもらいます。
>ユビキタスさんの場合トリップがあるので、メールを送ったのが本人であることが確実に確認できます。

それ高校野球スレで実際にやったことあるなあ。
スレで前橋に群馬県の決勝を見に行くと書いたら、ぜひとも大会のパンフレットを
一部買ってきてほしいと懇願されるので、無料サービスでお送りしようと思い、
捨てアドを示してくださいとお願いした。
そこにメールを入れる際、いつものスレに「あっぴょぴょぴょぴょ〜ん」と
いつものハンドルといつものトリップ付きですぐに書くから、それが本当の私で
あることの証明だから確認してくれと書いて送信し、すぐ直後ににスレに
「あっぴょぴょぴょぴょ〜ん」と書き、それからやり取りが始まりました。
今日久々に彼からメールが届いたな。
来月は甲子園じゃ。

110ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/24(水) 00:12:21 ID:SmEF4Oe2O
あっぴょぴょぴょぴょ〜ん


ちなみに誰にもメールを送っとらんw

111天照 ◆WBRXcNtpf.:2010/02/24(水) 05:58:09 ID:P/MjNtC.0
ラシンさん、恐れ入ります。
私は一応携帯は持っていますが、パケット料が掛かるのとき金銭的に余裕が無いためどうしてもPCオンリーになっています。
ですが、実際には携帯での投稿や閲覧もあるのを見ていますから、携帯専用のも作りたいなあ、とは思っていました。
しかし、したらばはどちらにも対応しているのがあるので、後手になっていました。
もしかしたら不要かもしれませんが、無料なので早速作らせていただきました。
また、ラシンさんの言われたことは伊藤さん、本当にそのとおりです。
ぜひ、今後のために活用をされてください。

深山さん、ご意見(進言)感謝いたします。
私も伊藤さんが捨てアドにて意見をいただく姿勢に同意するものの、考慮が足りませんでした。
まずは私のアドにいただければ危険回避、とは思いましたが浅いですね。
ぜひ、深山さんの意見に沿って行いたいと思います。ありがとうございます。

ユビさんにそのようなことがあったんですね。
ほのぼのとする光景が浮かんできそうな感じです。

伊藤さんも「なりすまし」を防ぐために、トリップを使われるといいですよ。
今後2chのような管理のできない板では、伊藤さんになりすまして何かをやる人も出ないとも限らない。
やり方は名前の欄にまず大文字で名前を入力します。
次に小文字にして#と自分の決めた適当な数字を入れます。例を示しましょう。

今回の私のHNの後の数字は「天照#12345678」と入れてあります。
そうすると今表示されている何だか訳の分からない文字の羅列が出ています。
これがトリップです。これを12345678じゃ無く、伊藤さんの個人的につけた数字を使うと伊藤さん専用の(認識の)
ものが出来上がります。それを使うと伊藤さんの認識がしやすくなります。
私も伊藤さんを認識するためにそれを使ってゆきたいと思いますし、また深山さんの言われたことは重要なので、
ぜひ、それに沿って展開をしてゆきましょう、ということです。

112ユビキタス ◆KhE57h7fkw:2010/02/24(水) 08:04:28 ID:SmEF4Oe2O
トリップは半角#記号の後ろは数字でなくても文字でもOKですね。
私はローマ字である言葉を入れています。
他の人には絶対に思い浮かばない言葉です。
だからパスワードみたいなものです。
ちなみに今回#の後ろにあっぴょぴょぴょぴょ〜んを入れてみました。

113天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/02/24(水) 08:33:23 ID:OJ/gocAw0
>>112 ユビさん、補足ありがとうございます。
自分の知り合いも数字しか入れてないので、数字だけ可だと思っていました。
文字はいいですねえ。今度は文字でやってみようw

114ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/24(水) 08:57:04 ID:SmEF4Oe2O
>>102:伊藤10/02/23(火) 20:45:07 ID:MSMW.iOk0
>自分や彼女の発言、環境など事細かく伝えて相談したいのですが
>不特定多数の方が見ることが出来る掲示板でそれは危険だと思うので
>控えさせて頂きます。

そうですね。それは控えられた方がよいですが、危険なだけが理由ではありません。
彼女のプライバシー情報もありましょうし。
2ちゃんねるでミケさんも書いてましたが、彼女の供述にアゴン宗の脅し教義
では理解しがたいものがあるのです。それらについて詮索する気もないですが、
アゴン宗の脅し教義以前の問題があるのかもしれないし、それは個人機密情報に
相当します。
またそういう問題について我々は無責任なレスをすることはできません。
スレ違いだからここではできないということではなく、素人だからその能力にない
ということです。ですからもし複合した悩みがあれば、それは専門カウンセリング
のような機関なり人なりスレなりにご相談されることもお勧めします。
ここで私どもができることはアゴン宗の嘘、インチキを教えてあげることぐらいです。
しかし彼女の問題がどうあれアゴン宗が世間一般よりも個人を苛めるだけの
脅迫の侮辱をしている事実には変わりありません。
伊藤さんや私どもの方が平凡な市民としてよっぽど良識と寛容と優しさの意識を
以て生活していますし、対処もできます。
脅迫あるところに癒しなどありません。
ですからその違いを認識してもらうことですね。
実は釈尊の本当の仏教もまた実はずっと寛容であり優しいのです。
と言うのは仏教は過去を問わないのです。
常に今この瞬間から清らかな心で清らかな行いをすればその人は王者なのです。
過去の業報、業障(アゴン宗でいう悪因縁)とか説かない。
過去の清算など必要としないのです。
どんな過去があれ、今を正しく生きておればよい。
こういうところをあなたを通じてその優しさが伝えられたらよいですね。

115ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/24(水) 11:02:31 ID:SmEF4Oe2O
>>84:準シュダオン10/02/23(火) 11:03:58 ID:P9JinFks0
>先ず、運命の星(因縁)が、あるのかないのか?
>その体験がないと、因縁解脱、なんてのは盲信に近いね。

運命の星があるということと、その運命の星が潰せるという話は別です。
通常占いで運命の星を示す場合、その星ごと変えられるなんて言わない。
その星の制限内でこのように行動することが賢明だとか示すだけです。
桐山さんは密教・超能力のカリキュラムの宣伝文に「念力による遺伝子機構DNAの
変換(因縁解脱)なんて書いていた。後に霊障を説くようになってからはそんな
馬鹿な話はないと否定したわけだが、その位テキトーなことを書いている。
運命の星があるものだとして、だからそれは潰すのが当然だなんて論にはならない。
人は運命論を信じて運命の枠内で行動することを選択するか、運命なんて信じないで
何でも追い求めるか、運命があろうがなかろうが関係なく目の前のことに努力して
励むかのどれかです。仏教ではこの3番目の立場をとる。
釈尊の時代にもよく当たる占い師がおったわけですよ。
しかし運命なんて眼中にない。
桐山さんは朔日護摩の法話で、雑誌などから各界の成功者の話を紹介している。
苦境、不遇にあっても努力によって人生を切り開いた話です。
質問しますが、あの紹介された話の人って、シャカの成仏法で因縁解脱を果たした
のですか?
そうでなければ、いくら当初は苦境・不遇でも生まれた時から成功する運命だった、
その枠内の話に過ぎないではありませんか?

116ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/24(水) 11:28:04 ID:SmEF4Oe2O
>>84:準シュダオン10/02/23(火) 11:03:58 ID:P9JinFks0
>もしそれが本当なら、何日後にだれと会うとか、人は運命を持つことになる。

生まれた時から決まっていたわけですか?
医師などが余命1ヶ月と診断した時、それは生まれた時からいついつに死ぬと
決まっていたと言いますか?交通事故で「手遅れです」と診断する場合、生まれた
時から手遅れと言いますか?
釈尊があるバラモンにこの者は1週間後に腹を膨らませて死ぬと予言した話を
あなたは紹介しましたが、これも生まれた時からの運命を透視したと見るのですか?

>ところが、入行の前年、わたしにも特殊な体験が起きた。
>人は運命を持つ、としか思えない体験が起きた。
>それまでK・T君を笑っていたが、とんでもないことであった。
>で、管長の「運命の星」説を信じないわけには行かなくなった。

で、それってアゴン宗と関係ない人や体験の話なんでしょ?
それでいてアゴン宗の天命殺霊視は見事にはずれていたと書いてましたね。
桐山さんでなくても一般論的に運命を説く人はいますよ。
占いを外す桐山さんはこの他人の一般論を借りたに過ぎない。
で、運命を変える、因縁解脱ができたかは別の指標が必要ですが、こちらも見事に
悪い因縁丸出しではありませんか?切れてない。

>そして、本当の仏教がどんなものであれ、因縁解脱を説かない教えは、
>私にとって、価値はない、と言えますね。

本当の仏教は違うのではないかと思うわけですね。
その通りです。違います。だからあなた向きでない。
あなたにとって価値はない。
だから仏教などに心を寄せるのはやめて桐山外道を信じていなさい。

117ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/24(水) 11:56:16 ID:SmEF4Oe2O
独鈷のお守り桐箱、大きさの比較に煙草箱を添えてましたが、開けてみて中が空
となると、煙草ケースとしてちょうどいいですね。
マルボロも開封して数本取り出して桐箱に納めた図なんかあると面白かった
かもしれないw

118天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/02/24(水) 12:50:24 ID:vxccIuRg0
あのマルボロは昔コンビニで働いていたときに何かでもらったやつだったかな?
私は煙草を吸わないし、家族で当時吸ってたのも知り合いもマルボロではなかったので
贈呈することもできず、フリマで売っても売れなくて未だに残っている次第w
もう、5年くらい経つから劣化して誰かにあげてもおいしくないといわれるでしょう。
あとはゴミ箱行きか、画像取るときの大きさ比較物体にしかならないw

119準シュダオン:2010/02/24(水) 14:47:04 ID:P9JinFks0
批判派は、桐山説を否定するための論理だから、本質を間違えるのです。
議論の目的が、桐山論否定になっているから、屁理屈になってしまうw。
邪心を捨てて、阿含経を読めば、因縁解脱の意味がすぐに理解できようが、
桐山論否定という前提(邪心)があるから、真実が見えなくなってるのです。

解脱とは、煩悩からの解脱の意味と、輪廻からの解脱の意味とがある。
輪廻とは、苦しい人生の繰り返しのことだね。
で、釈迦は、輪廻のことを、1無明2行3識・・・・11生12老死、と
いうように、12因縁として説いています。

輪廻=12因縁です。輪廻からの解脱とは、12因縁からの解脱のことです。
だから因縁解脱というのです。成仏、涅槃、解脱、悟り、それらのことを
管長は、因縁解脱と説明しているのです。まったくわかりやすいでしょう。

「本当の仏教は」なんて、批判派は、もっともらしく言ってるけど、
本当の仏教なんてのはお釈迦さまにしかわからないだろう。
わたしの阿含経解釈は、因縁解脱がその内容ですね。

120準シュダオン:2010/02/24(水) 14:59:35 ID:P9JinFks0
阿含経の教えを要約すれば、「煩悩を断つ毎に苦しい生存から安楽な生存に
運命を変えることができる教え」と、言うことができる。
つまり、
凡夫   →三悪趣を含む苦しい生存
シュダオン→三悪趣以外のやや苦しい生存
シダゴン →やや安穏な生存
アナゴン →安穏な生存
阿羅漢  →無上安穏涅槃
と、いうように推測することができる。
つまり、人の運命を変える教えです。

癌の因縁、○○の因縁、というように、個別的な運命の星(因縁)だけに
拘って考えるから、変になっているのですよ。

121天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/02/24(水) 17:17:41 ID:GA.0B6so0
>>120 
>阿含経の教えを要約すれば、「煩悩を断つ毎に苦しい生存から安楽な生存に
運命を変えることができる教え」と、言うことができる。

いや、要約でなくて実際にそれを書かれている箇所を示してください。
要約は妄想で捻じ曲げられていて、信憑性に欠けるからです。
諸兄さま方がいつも言われている「根拠の文章の引用もしないで主張ばかりする」
貴方ですから、意見は一応認めますからその根拠の箇所を示すものをあげてください。
完全に信じるのはそれからです。

自分の位置をどうしても保ちたくて仏教と自分、およびゲイカの主張を出すか?
仕舞いにはゲイカでさえ言わない理屈まで出す貴方に、信憑性は持てない。
まずは、信憑性の持てるようなものを提示することからですね。

122ラシン:2010/02/24(水) 18:01:24 ID:XYs6itx.0
>119 :準シュダオン:2010/02/24(水) 14:47:04 ID:P9JinFks0
批判派は、桐山説を否定するための論理だから、本質を間違えるのです。
議論の目的が、桐山論否定になっているから、屁理屈になってしまうw。

薄笑いをして得意げに矛盾を述べるあなた自身が、
見えるか?
桐山説の根拠を阿含経に照らしたらウソインチキが、
バレたのです。
インチキが露呈されたから、教義批判しているのですよ。
あなたが、その露呈されたウソを肯定しろと無理難題を
言う前に、桐山説が阿含経に基づいていると証明すべきだが、
出来ないでいる。
スキーを滑れない者からスキーが下手だ、と言われるような
可笑しさは、あなた流のジョークのつもりか。

>で、釈迦は、輪廻のことを、1無明2行3識・・・・11生12老死、と
いうように、12因縁として説いています。

無明〜老死の一期を以て、生死をさまよい流転するから、
輪廻だと言いたいわけね。
道理を理解できない無明から行が生じ、行から識が生じ、、。
このように、連綿と繋がって老死がある。
つまり、苦の発生のメカニズムを十二の因果関係として、
具体的に示したものが十二因縁なのです。

123ラシン:2010/02/24(水) 18:02:22 ID:XYs6itx.0
>119 :準シュダオン
>輪廻=12因縁です。輪廻からの解脱とは、12因縁からの解脱のことです。
だから因縁解脱というのです。

珍説を堂々と述べる度胸だけが、あなたの自慢らしい。
字面に惑わされてのトンデモ発言となったが、
いつ桐山さんが述べたのか?
理屈に詰まって言葉の継ぎ接ぎをしても、
漫談にすらなりません。
十二支縁起とは、人間の苦の根本原因と生起する過程を
順に述べたもので、いわば理論なのにそれから解脱して
どうするの? 言葉合わせをした幼稚さにきづかない。

>本当の仏教なんてのはお釈迦さまにしかわからないだろう。
わたしの阿含経解釈は、因縁解脱がその内容ですね。

あなたの自説などここでは論外だ、と何回指摘された?
今回も忘れて、また自惚れという煩悩を垂れ流すことは、
どうか止めてください。

>120 :準シュダオン:2010/02/24(水) 14:59:35 ID:P9JinFks0
阿含経の教えを要約すれば、「煩悩を断つ毎に苦しい生存から安楽な生存に
運命を変えることができる教え」と、言うことができる。

安楽な生存って具体的に何?
因縁は何処に忘れたの?
ここは桐山さんの根拠も示さず、勝手な解釈をするところではない。
だがあなたの繰り返しの言行も”輪廻する足”だけは衰えないようです。

124ガンダルヴァ:2010/02/24(水) 20:08:10 ID:4dAA9dZ60
>>119
> 輪廻=12因縁です。

いいえ、それは違いますね。
もっとも後世のアビダルマでは、三世両重量の因果説といって過去世・現世・来世を組み込む思想も出てきましたが、三世両重量の因果説はアビダルマの思想になります。

それに十二因縁は縁起支のことです。
ラシンさんが説明されていますが、これが通常の解釈になります。

縁起支とは、簡単にいうと縁起を成り立たせる要素をいいます。
十二因縁は代表的な縁起支であって、縁起支には、三支、五支など他に簡単なものもあります。

それと、
>>120
> 阿含経の教えを要約すれば、「煩悩を断つ毎に苦しい生存から安楽な生存に
> 運命を変えることができる教え」と、言うことができる。

手短にいえば、

運命自体を変える。運命を変えて安心立命を得る。 → 桐山説

運命は変わらない。人生上で遭遇する出来事の受け止め方を変える → 釈尊

つまり、桐山説と釈尊の教えとでは、
現象を変える、受け止め方を変える、といった根本的な違いがあるわけです。

桐山説は、釈尊の教説とは違う異質な思想ですね。
まさに似て非なるものです。

お分かりいただけますかな。

125ガンダルヴァ:2010/02/24(水) 20:15:15 ID:4dAA9dZ60
久しぶりになりますが、天照さんのHPはしばらくの間に
ボリュームが多くなりましたね。
重要な資料もあり、充実しています。
ますます内容の濃いHPになりそうで期待が持てます。

私からも少し情報はありますが、スキャナーで読み込んでいませんので
情報だけを紹介させていただきます。
過去ログにあるかもしれませんが、
小野清秀著 「加持祈祷秘密大全」
大文館2000円、初版は昭和10年
には、

千座行の満願真言
92ページに掲載
千手観音を本尊として唱える、七生前の宿命智と善神守護、開運、息災の真言のようです。

家門の護符(初護摩時に頂戴できた護符)
446ページに掲載
開運盛業の神符として2枚作成し、1枚を門戸、もう1枚は御守にするとあります。

が載っています。

126天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/02/24(水) 20:50:58 ID:5oJsHdTo0
ガンダルヴァさん、お久しぶりです。投稿もありがとうございます。
HPのほうも皆様のおかげで、徐々に充実して来まして感謝この上ございません。

千座行の満願真言、今のと違うんでしょうか?
私が法友から聞いたのは「ある真言」で凄く簡単だったので、カクッときたのですが
その92Pの真言には興味がありますね。

家門の護符は、後日UPしようと思ってました。(アゴンのやつですけどね)
丁度、玄関用と家の中に貼るのと持ってます。(どっちも同じ呪文なんですけどね)
あと、杭打ちの後からでた財運強化のやつもUPしようと思っています。
見ると呆れることこの上ないですw

127ラシン:2010/02/24(水) 22:20:33 ID:JpYK5fDE0
>125 :ガンダルヴァ:2010/02/24(水) 20:15:15 ID:4dAA9dZ60
久しぶりになりますが、天照さんのHPはしばらくの間に
ボリュームが多くなりましたね。

そうです、天照さんの真摯な努力が結実しています。
ガンダルヴァさんの情報や正鵠を得たご指摘を期待している
一人です。
どうか時間の許すかぎりにおいて、今後もご指導並びに
掲示参板をお願いしたい。

128ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/24(水) 23:14:18 ID:SmEF4Oe2O
>>119:準シュダオン10/02/24(水) 14:47:04 ID:P9JinFks0
>議論の目的が、桐山論否定になっているから、屁理屈になってしまうw。

それ逆じゃないですかw
桐山さんを無理に肯定しようとするから屁理屈にもならないすり替え、ごまかしをする。

>解脱とは、煩悩からの解脱の意味と、輪廻からの解脱の意味とがある。
>輪廻とは、苦しい人生の繰り返しのことだね。

何でそういう都合のいいすり替えをするのですか?
輪廻とは文字通り死んでまた生まれ変わりまた死んで生まれ変わる生まれ変わる、
これを繰り返しぐるぐると回り続けることです。
解脱、涅槃に入るとこれがなくなる。次に生まれて来なくなる。

>輪廻=12因縁です。輪廻からの解脱とは、12因縁からの解脱のことです。
>だから因縁解脱というのです。成仏、涅槃、解脱、悟り、それらのことを
>管長は、因縁解脱と説明しているのです。まったくわかりやすいでしょう。

デタラメを書くのはやめなさい。十二縁起は輪廻ではなく生成と消滅の真理です。
無明の煩悩があって愛着、執着の煩悩が育てて生存という苦が生まれるのです。
生まれたからには老病死はじめ諸々の苦がある。
これらの苦をなくしたかったら生存そのものをなくすしかない。
煩悩解脱したらそれが成し遂げられるのです。
すなわち生まれて来なくなる。

129ガンダルヴァ:2010/02/24(水) 23:20:33 ID:4dAA9dZ60
>>126
本当にご無沙汰していました。
それにしてもHPは盛りだくさんになってきたと思います。

> 千座行の満願真言、今のと違うんでしょうか?

今のと違うといいますと解脱宝生行になってからの真言でしょうか?
解脱宝生行になってしばらくして満願真言は無くなった記憶もありますが、
近年、復活したのでしょうか。

> その92Pの真言には興味がありますね。
ナムニケンダ〜という真言ですが、
小野氏の著書を近いうちにスキャナーで読み込もうと思います。


>>127
いえいえ、ご指導とは滅相もありませんが、
お役に立てれば幸いです。

以前にも書かせていただきましたが、誰かが誤りを指摘しなければ、
そのままになって闇へと消えていきます。
ですので、むしろ、ここでこうして桐山アゴンの誤りを指摘し続けて
こられている方々にこそ敬意を表したいと思っています。


>>124
自己レスですが、三世両重量の因果説でなく、三世両重の因果説
でした。

130ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/24(水) 23:33:09 ID:SmEF4Oe2O
>>120:準シュダオン10/02/24(水) 14:59:35 ID:P9JinFks0
>阿含経の教えを要約すれば、「煩悩を断つ毎に苦しい生存から安楽な生存に
>運命を変えることができる教え」と、言うことができる。

それは要約ではなくて捏造です。
あなたは仏教の基本を知らない。
仏教の基本は一切皆苦です。
四法印にあるでしょ?諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静。
苦しい生存とか安楽な生存とか分けないのですよ。
生存そのものが苦なんです。
あなたが安楽だ安楽だと楽しんでいる最中にも「それは苦なんだよ」と教えるのが
仏教なんです。
だから苦も煩悩も本人は自覚すらしてないものもあるのですよ。
桐山さんは苦集滅道を説くのに「お前、苦しいだろう?」「はい、苦しいです」
としているが、それ 微妙に違うのですよ。
「お前、苦しいだろう?」「いや、楽しいよ」「いや、それが苦なんだよ」と
説くのが仏教です。
一切皆苦。だから涅槃に入ると生存そのものがなくなるわけです。
もう生まれて来ない。
安楽な生存なんてものはない。それはそれ自体が苦しみであり、安楽を求めて
貪ることが苦しみなんです。

131ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/24(水) 23:51:10 ID:SmEF4Oe2O
>>120:準シュダオン10/02/24(水) 14:59:35 ID:P9JinFks0
>凡夫   →三悪趣を含む苦しい生存
>シュダオン→三悪趣以外のやや苦しい生存
>シダゴン →やや安穏な生存
>アナゴン →安穏な生存
>阿羅漢  →無上安穏涅槃
>と、いうように推測することができる。
>つまり、人の運命を変える教えです。

だから勝手に四沙門果を捏造するなっつーの。

凡夫とは時に三悪趣にも堕ちる危険性も 含めて、死んで生まれ、また死んで生まれて
この輪廻の苦しみを無限に繰り返す。
シュダオンは人間と天を最大7たび繰り返す。
これって興味深いですよね。
人間→天→天→天でなく、人間→天→人間→天なんです。
何で逆戻りがあるの?と言うよりも、悪趣に堕ちないことが第一でしょう。
悪い境遇ではなく悪い人間にならないと いうことです。
だからあなたの安楽苦痛の尺度で言うと、それなりに苦痛はあるんじゃないかな?
シダゴンは一回だけ生まれ変わりもう生まれて来ない。
アナゴンはもうこの人間世界には還って来ない。だから不還なんです。
不還がどうして安楽な生存なのだ?
阿羅漢は天にすらも生じない。
完全に生存の消滅です。
あなた輪廻とか生まれ変わりって信じてないんじゃないの?
まああなたみたいな享楽的御利益信者の方がよく理解できるよ。
輪廻のなくなる涅槃を目指すなんて言うのがおるけど、本当にわかってるの?
と首を傾げることがある。哲学的な人だねえと。
だから生まれ変わっても安楽でありたい なんて輪廻転生妄想なんて煩悩を売りに
する方が俗人の煩悩をよく説明してくれている。

132ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/24(水) 23:57:20 ID:SmEF4Oe2O
>>120:準シュダオン10/02/24(水) 14:59:35 ID:P9JinFks0
>癌の因縁、○○の因縁、というように、個別的な運命の星(因縁)だけに
>拘って考えるから、変になっているのですよ。

またごまかそうとする。
癌の因縁などに拘ったのは我々ではない。
他の教祖でもない。
桐山さんが拘ったのです。
桐山さんが切らねばならないと言っているのは因縁の中でも悪因縁です。
良い因縁、良い運命の星もある。これを徳と呼ぶ。これ全て桐山説ね。
徳は減じないように大切に育て、悪い因縁だけ切る。
悪い因縁とは癌の因縁とか、具体的な運命の星です。
桐山さんは常に具体的なことを説いている。
あなたに質問するが具体的でない運命ってあるのか?

133ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/25(木) 00:44:34 ID:SmEF4Oe2O
>>119:準シュダオン10/02/24(水) 14:47:04 ID:P9JinFks0
>「本当の仏教は」なんて、批判派は、もっともらしく言ってるけど、
>本当の仏教なんてのはお釈迦さまにしかわからないだろう。
>わたしの阿含経解釈は、因縁解脱がその内容ですね。

それはお釈迦様自身が否定しています。
誰にでもわかる教えを手を変え品を変えひつこくも説き続けた。
そして質問はないか?と最後まで確認を続けた。
ここまで説いたからこそ「私は全てを説き尽くした」と断言できるのです。
釈尊が悟りを開いてこれを説くのはやめにしようかと躊躇したのは、難しく
釈尊にしかわからないからではない。
人は煩悩を抱え欲望原理で動く動物たから、欲望や煩悩を捨てよなんて耳に心地よく
ない教えなど受け入れないだろうと思ったからです。
案の定、大乗だの密教だのと道を外れたのは欲望を克服てきなかったからとも言える。
しかし理解するのは簡単です。
ですから初期仏教に対しての学者の解釈は皆共通です。
共通の解釈になるように釈尊は説いた。
これを変な解釈ってか、読みもしないで捏造したのは桐山さんです。
大体準シュダオンさんの態度は根本的に間違っており、桐山ゲイカに対して
甚だ不遜な発言をしていることに気がつかない。
宜しいですか?桐山さんは桐山靖雄の何が天才かって、アゴン経から成仏法を
発見したことにあると言うのだ。
つまり学者などはその本質をまだわかってない。
南伝の上座仏教でさえもあれは戒律しか実践しておらず成仏法を知らないと
侮辱している。
つまり世界で唯一この俺様だけが、歴史に埋もれていたシャカの成仏法をアゴン経から
発見したことが桐山靖雄の大天才たる所以だと自画自賛している。
桐山さんのカンノーでなければ理解できないのがアゴン経なんです。
学者でもわからん。
それを準シュダオンごとき末端会員でもわかるなんて書くことは桐山天才頭脳は
準シュダオンレベルと言ったも同然で、これは桐山さんに恥をかかせたことになる。

134天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/02/25(木) 07:35:17 ID:sqjRig4I0
>>129 ガンダルヴァさん、失礼をいたしました。良く追ってみたら、宝生行に変わって
しばらくまでは真言も赤房も下付していたようでしたが、数年前から行っていませんね。
訂正し、お詫びいたします。
ですから、法友が受けたのは平成に入って間もないころだと思われます。
データはお手数をおかけしますが、時間が取れたときでかまいませんのでよろしくお願い
いたします。
HPも更新の連続してもいいのですが、ネタが切れてしまうのも何なのでゆっくりやっていますw

135ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/25(木) 08:24:28 ID:SmEF4Oe2O
千座行満願時に赤房と共に授かる秘密真言、ここぞという時に(回数忘れましたが)
唱え続ければ、よいことも悪いことも必ず叶うとか宣伝してたやつですね。
悪いことでも叶う、そこが法の恐ろしいところだとか。
しかしここまで満願を迎えた者ならば悪因縁も浄化されているので、悪用される
心配はないとか。
お笑いですね。それでいながら千座行満願者なんていくらでも
いるのに、因縁が切れたなんて認められた信者はいない。
だいたい絶対願望成就の秘密真言なんて餌を置いておくなんてどこが仏教なんだか。

136Boo:2010/02/25(木) 21:10:23 ID:iVNJKjNQ0
何で逆戻りがあるの?と言うよりも、悪趣に堕ちないことが第一でしょう。
悪い境遇ではなく悪い人間にならないと いうことです。
>だからあなたの安楽苦痛の尺度で言うと、それなりに苦痛はあるんじゃないかな?
>シダゴンは一回だけ生まれ変わりもう生まれて来ない。
>アナゴンはもうこの人間世界には還って来ない。だから不還なんです。
>不還がどうして安楽な生存なのだ?


いや〜。この解釈が本当なら桐山さんって聖者ではないことになりません?
大変な発見ですね。たといホームレスや身分の低い職業の人(厳密には
身分の低い職業など無いかも知れませんが)でも「ヨルの聖者」は、いるかもしれないって
事になりますよね。

137天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/02/26(金) 10:23:58 ID:bA2feGTo0
>>136 いるかどうかは分からないが、いないともいえない。だけど果たしているだろうか?
とは思いますね。

今、個人的に模索していますが、忠実に釈尊の取られたスタイルを行うには出家しかない。
そうなるとホームレスになるしかないですね。
固定の場所に住居を設けて住むだけでも税金を払わないといけない。
飯は何とかできても、し尿処理の問題もある。
まさか、畑や山の中に住居を、というわけには行かない。それでさえも勝手に住むわけには
いかない。山や土地を所有すれば必ずしがらみが出てくる。
そうなると、ホームレスしかなくなってくる。食べものの問題もまた病気になった場合も
天気の問題も出てくる。ホームレスにも限度があります。

また、聖者を目指してホームレスになっている・選んでいるという人は果たしているのか?
それも皆目分からない。ただ、釈尊の行われたようにマジにやるならホームレスしか
方法は無いと思われます。

138準シュダオン:2010/02/26(金) 10:30:30 ID:P9JinFks0
お釈迦さまが、阿含経に、はっきりと説いてるのは、
1、凡夫  →三悪趣を含む苦しい生存の輪廻
2、預流  →三悪趣を逃れたやや苦しい生存
3、シダゴン→
4、アナゴン→
5、アラカン→無上安穏涅槃
と、いうことでしょう。まぁ、探せばシダゴンとアナゴンの苦・安穏に、
ついても説いてるのかも知れないが、私は見つけていない。
 言えることは、煩悩を断つ毎に、無上安穏涅槃に近づいて行くということ
です。修行が進むにつれて、苦が軽減されて、安穏度が増していくというこ
とは理解されますね。

管長は、苦を、苦=○○の因縁=悪い運命の星、というように、具体的に
説明しているだけでしょう。お釈迦さまは、三悪趣というように、大きな
分類で説いており、管長は細かく分析してみたのです。

阿羅漢の無上安穏涅槃という状態は、存在してるのか?非存在か?
これについて、釈迦は阿難に、「存在しているとも言えないし、存在していな
いとも言えない。修行が進めば理解できる。」と、説いていますね。

アナゴンまでは、煩悩を持って生存している存在でしょう。

139ラシン:2010/02/26(金) 13:15:47 ID:XYs6itx.0
>138 :準シュダオン:2010/02/26(金) 10:30:30 ID:P9JinFks0
お釈迦さまが、阿含経に、はっきりと説いてるのは、
1、凡夫  →三悪趣を含む苦しい生存の輪廻

脳が沸騰して煮込み豆腐になった?
凡夫とは聖者の対語で、六道に輪廻する存在です。
あなたの言い回しは、自説を補完するための敷設にすぎない。
だから回りくどく曖昧なのです。

>煩悩を断つ毎に、無上安穏涅槃に近づいて行くということです。
修行が進むにつれて、苦が軽減されて、安穏度が増していくという
ことは理解されますね。

何をおっしゃいますか、あなたの解釈では階梯が進むごとに、
苦のさまざま因縁が薄れ、或いはなくなり生活が楽になる、
と隠された欲望が、敷設した前置きでミエミエです。
釈尊も聖者でありながら娑婆の制約を受けていたのです。
いわゆる苦界に存在していたのだから有余涅槃者であろうが、
苦しみは存在していた。
叩かれれば血も出るし、腐った食べ物で食中りもし、老いてその
身体も苦痛にさいなまれていた。
だが欲望と執着は消滅し、心は解放されて自由なる境地で恐れも無い。
遊行生活も不自由なく、その向上などにも囚われない。
それが出家者の生活であり、だから聖者なのです。

>管長は、苦を、苦=○○の因縁=悪い運命の星、というように、具体的に
説明しているだけでしょう。お釈迦さまは、三悪趣というように、大きな
分類で説いており、

あなたは理解度が足りないのか、脳の中身が足りないのか?
三悪趣とは悪業の報いで趣く地獄・餓鬼・畜生の三種の境涯です。
ガンの因縁とは、どんな具体的な悪業の報いですか?
夫婦縁障害の因縁とは、どんな具体的な悪業の報いですか?
それもこれも生活苦ですが、悪趣は死んでなお輪廻する生存の境涯で、
両者の解釈は明らかに別なるモノです。
桐山さんは、仏教以外のオカルト説を持ち込んだのが○○因縁です。
煩悩の数とそれとを比較してごらん、どちらが多いのだ?
はなから同種同列に置いて扱うものではないと知りなさい。
あなたは、議論が出来ない人間だと自覚するだろう?
ユビキタスさんの解説指摘にも反論さえ覚束ず、ただ無視しして
自前の解釈を根拠無く撒き散らしている。

140ラシン:2010/02/26(金) 13:58:11 ID:XYs6itx.0
>阿羅漢の無上安穏涅槃という状態は、存在してるのか?非存在か?

そんなことをこだわってどうするのか?
涅槃は体得しないとわからないから汝体得せよ、
と桐山さんは解説していた。
しかし戒律を守って生活している出家者の一挙手一投足に、
在家ならず一般の人さえその清らかな人となりを感じた。
娑婆という苦界においてさえ、心身は清らかで心は満たされ、
恐れから遠く離れている。
それが聖者の教団です。
準シュダオンさんの「苦が軽減されて、安穏度が増していく」
とは何を言いたいのですか?
涅槃を得たら煩悩そのものが無く囚われないから恐怖も無い、
それが安穏です。
しかし阿羅漢を得ても苦界は無余涅槃ではないから、
はやく自分自身すべての消滅を願うゴーディカのような阿羅漢者もいた。
また病苦に冒され煩悩が戻されないよう自殺を願ったヴァッカリの
ような阿羅漢者もいたのです。
準シュダオンさんが想像するような、安穏が増すなんて願わないのが、
出家者の修行で、涅槃をひたすら目指し煩悩消滅に心を傾ける。
苦界においてその苦しみに囚われないように常に注意観察している。
○○の因縁を切って生活向上を目指すのとは、まるで意味が違います。

141天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/02/26(金) 16:26:00 ID:1OBFyOh60
2chでのライターさんについて、色川さんへの提言をなされている深山さんはいいね。
さすがは御大。
出版社も従来のやり方と変えてやれば、経費も掛からずに本も出せるのにね。
何か裏がありそうだという意見に自分も賛成ですね。

確かにアゴンを叩くには今から実行するのが有効だが、なんか胡散〜ですねえ。
いっそのこと色川さんにコンタクトとって、愛人暴露本も結構いけますぞw ライターさん?

142ラシン:2010/02/26(金) 18:02:34 ID:XYs6itx.0
>忠実に釈尊の取られたスタイルを行うには出家しかない。
そうなるとホームレスになるしかないですね。

日本の風土において難しそうですね。
樹下石上というコンディションも確保が難しい。
先ず都会では無理ではないでしょうか。
乞食ひとつとっても、都会ではその布施は金品になりやすい。
お金などをお布施として受け取ることじたい破戒です。
乞食で出来た食事を受け取ることは、都会では難しいです。
また、食材を貰い自ら食事を作ることも、味付けしたり煮炊きは
煩悩を喚起させる元となるからダメですね。
日本中何処も公共地や私有地ですから、無断使用の違法行為は
破戒になります。
奇特な方が小屋などを寄進してくれても、その維持管理も
修行者は携わってはいけない。
厳格に戒律を守る世界に入れば、そのハードルは高そうです。
しかし、たったこれだけ見ても桐山さんのアゴン宗教団は、
戒律に照らすとずいぶん違反をしています。
信者に金品で喜捨させて、受領して自ら精舎を荘厳し、
宝塔や法施を製作して信者に譲り渡す。
信者にチラシ配りや護摩木勧進という営業を押し付ける。
不動産取得やサプリ販売や著書販売という在家の仕事範疇に
手を染めて、これぞ阿含経に依処した宗教だと?
執着を抑え欲望を制御するはずの指導者が、教団資産の保持に
躍起となって、その為に食事を普通人の三倍も食べて体力を養う?
愛人を囲うために信者の浄財を使って、病気克服の源とした?

釈尊の戒律を見ていくと、野宿が可能な暖かい農村が
最適かもしれませんね。
少しの土地を地域の人の理解を得て使わせていただく。
乞食も土地の人の残り物をいただけるよう理解を得る。
小川があればそれを利用し身の清めのたしとする。
修行生活に必要最低限の持ち物だけで暮らす。
考えると、当時の釈尊の教団も困難を極めていたでしょう。

143ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/26(金) 21:21:44 ID:SmEF4Oe2O
>>138:準シュダオン10/02/26(金) 10:30:30 ID:P9JinFks0
>阿羅漢の無上安穏涅槃という状態は、存在してるのか?非存在か?
>これについて、釈迦は阿難に、「存在しているとも言えないし、存在していな
>いとも言えない。修行が進めば理解できる。」と、説いていますね。
>アナゴンまでは、煩悩を持って生存している存在でしょう。

また話をすり替えてますね。お答えしましょう。
凡夫はもとより、シュダオン、シダゴン、アナゴンからアラハンに至るまで
これは「生存」のうちにしか獲得できぬものであり、死後には獲得できません。
また「生存」している最中から既に立派なシュダオン、シダゴン、アナゴン、
アラハンです。
それらそれぞれの境界にて寿命尽きて死を迎えた時に、死後の状態はどうなのか
という分類指標を示したわけです。
四沙門果の分類はそれぞれ生存の現世のうちにどれだけ煩悩を減らせたかなくせたか
の指標こそが本来の分類なわけです。死後の状態は結果に過ぎない。
私があなたに対して否定したのは、その現世の生存のうちの苦と安楽の差別ですが、
災害病気など外側の現象面における苦痛を伴う状態そのものがなくなってしまう
とか、そのような不幸に見える運命のない状態を安楽と捉えて、これを現世にて
得ることができると捉えたことであり、それは間違いなんです。
そう言うと、アラハンに無上安穏涅槃とあるじゃないかと反論されましょうが、
この安穏とは自分を取り巻く環境、条件が安楽になることではない。
煩悩がなくなるから心が平安になることを言う。
不当な欲望などがなくなっているから、心は常に穏やかです。
怪我したらどうしようとか、病気したらどうしようとか、金に困らなくて済む
運命の保証を得ようとかの恐怖も含む煩悩を克服し、四苦八苦の人生なんて
当たり前のことだからと囚われずあるがままに受け入れるから、心は余計に乱されず
一の矢は受けても二の矢は受けない。これが安穏なのです。
だからあなたの尺度から見るとシュダオンどころかアラハンですら「苦痛」はある。
モッガラーナだって異教徒に石をぶつけられるのは「苦痛」であり、釈尊だって
食あたりで下痢になるのは普通に苦痛だから耐えたのです。
耐えることに凡人と変わりない。つまり運命軌道など変えてない。
ただ苦痛はあれども必要以上の不健全な苦悩、苦悶の煩悩には至らないわけです。

144無関係な人間です:2010/02/26(金) 22:21:08 ID:skgnZdsU0
>>141
2chに書けなかったので、申し訳ありませんが、こちらに書かせていただきます。

 >>88(2chです)
 ジャーナリストの山田様の御文章を拝見し、少し感じた点がありましたので、
書かさせて戴きます。個人的な感想ですので、ライターのやまだ様以外はスルーしてください。

 以前、「Nの肖像」という本を読みました。統一教会に在籍をした経験のある
大学教授が、統一教会時代の事を回顧した記録です。
 その中で、私が印象に残ったのは、カルト批判のあり方でした。具体的な事を
書くと、統一教会に対しては、キリスト教の牧師や共産党などが批判の先鋒に立って
います。しかし、著者によれば、彼らの統一教会への批判はしばしば誇張されており、
脱会活動も社会通念から見て非常識な方法がとられる事もあり、それが逆にマインドコン
トロールの強化につながっているといいます。 
 つまり、ジャーナリスト、あるいはキリスト教の牧師や共産党の人達の主張の中で、
事実と違う部分や誇張したくだりがあると、それを逆手に取り統一教会側が逆宣伝に
使用すると言います。確かに、自分が見聞した事と異なる内容が文章に書かれていれば
読んだ人は書き手への信用を失い、ひいては文章の主張全体を否定するようになるで
しょう。また、カルト批判をする人達の中にはが、まれに統一教会の人達に対して、
暴力をふるう事もあるようです。これが、脱カルト運動への信用を毀損している
ようです。
 今回、山田様が、「阿含宗批判」の記事を執筆されるのは、理解はできます。
しかし、最初から「批判」の立場で書く記事は、おそらく直ぐに忘れ去られる
ような内容になるか、場合によっては批判派の立場を弱める危険性もあると
思います。雑誌に新興宗教の悪口を書くのを最初から目的にするのは、
言論活動というより、商業主義的な営利行為と誤解されると感じます。
 ただ、お断りをしておきますが、私個人は阿含宗にも統一教会にも全く否定的です。
もちろん、無関係です。また、カルトの被害者が、ご自分の経験を糧にして、
カルト批判をするのは実に偉いし、尊い事だと感じております。
 サイトという場所では、基本的に自由な発言が保証されるべきだと信じています。
 しかし、ジャーナリストという立場で要求されるのは、等身大の阿含宗を描く事だと
思います。その中には、愛人問題や教義のすり替えもあるだろうし、逆に阿含宗に
生き甲斐を見いだした人の声もあると思います。等身大の阿含宗を描いた結果、
批判になるのは構わないし、おそらくは等身大の阿含宗は強く批判に値する存在だとも
個人的には考えております。
 つまり、外部の人間が紙の媒体で論じる場合は、両方の立場の主張を拾った上で、
取材は白紙から始めるべきであると考えています。また、客観的な根拠も要求されます。
 それでこそ、記事に説得力がうまれると思います。
 あと、サイトで批判の材料を募集する事は、記事の信用性を落とす可能性も
あると思います。
 文章を書いてお金をもらうという事は、私のような無責任な立場とは違いが生じる
のが当然であると思います。その点を考慮に入れて取材をされる事が必要かと
感じます。

 せっかく、勇気を出して投稿されたのに、水を差す内容を書いた事をお詫びします。
阿含宗を記事に取り上げる事は、ここに書かれている皆様が心から望む事だと思います。
 だからこそ、すばらしい内容にしてほしいと思うのです。
 批判はしましたが、個人的には心から応援をしております。山田様は有能で
情熱のある方だから、きっと素晴らしい記事が出来ると確信をしております。
頑張って下さい。

145天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/02/26(金) 22:43:05 ID:JAlRklPk0
無関係さん、2chアク禁でしたか?
うちは全然問題が無い投稿ですので、大丈夫です。
素晴らしいご意見、本当にありがとうございます。

146準シュダオン:2010/02/27(土) 10:09:43 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんは、仏教の基本なんて言いながら、仏教の目的も知らない。
だから混乱してるのです。自分の仏教知識を統合できていない。
だから系統立ての思考ができず、混乱している。管長の教えも、断片的にし
か理解できていない。

仏教の目的は、羅摩経にも説かれているように、
四苦八苦の解消=苦厄病老死からの超越=成仏すること=阿羅漢果を得る=
無上安穏涅槃を得る=解脱する=悟りを得る=アノクタラサンミャクサンボダイ
などと表現されています。
 管長はこれを、(苦厄病老死の因縁)因縁解脱、と表現するのです。
批判派の皆さんは、○○の因縁に拘りすぎてるのです。癌の因縁とか、
○○の因縁解脱は、最終的な因縁解脱の途中経過にすぎないのよ。

また、12因縁というのは、輪廻のことです。12因縁の繰り返しが輪廻
です。だから12因縁のことを、三世(前生・現世・来世)両重の因果と
も言うのです。だから、12因縁解脱と表現しても同じでしょう。
以上が、仏教の目的であるが、

その手段は、
煩悩を断つ、理法を修める、智慧を修める、三宝に功徳の種をうえる、
37道品を習修する、8法16法を実践する、
と、いうようなことですね。

これらのことさえ理解できてたら、迷うことはないでしょう。
解脱供養とか、護摩にご利益を願う、など単なる助行にすぎません。
最終目的を忘れているから、そういう目先のことに捉われて、邪教などと
誤解してしまうのですw。

147ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/27(土) 12:59:39 ID:SmEF4Oe2O
>>146:準シュダオン10/02/27(土) 10:09:43 ID:agsP6ENM0
>仏教の目的は、羅摩経にも説かれているように、
>四苦八苦の解消=苦厄病老死からの超越=成仏すること=阿羅漢果を得る=

> 管長はこれを、(苦厄病老死の因縁)因縁解脱、と表現するのです。

では質問します。
四苦八苦の解消=苦厄病老死からの超越とは具体的にどうなることなんですか?
超越なんて言われても具体的にどう超越するのか?
長い長い輪廻転生の中ではなく、今現在の現世における運命軌道の話です。
なぜなら桐山さんは現世成仏、現世における因縁解脱を説き、運命転換をするのだ
と説いている。
四苦八苦を一つ一つ具体的にどう解消するのか書いてみなさいよ。
生苦の解消とは何か?
老苦の解消とは、この現世で老化することがなく不老長寿を得ることか?
病苦の解消とはこの現世で病気しなくなり全き健康を得ることか?
死苦の解消とはついに死ななくなり、永遠の生命を得ることか?
愛別離苦の解消とはいつまでも永遠に愛する人や物をわがものとできるのか?
怨憎会苦の解消とは嫌なものは全て自分から離れることなのか?
求不得苦の解消とは求めたものは全部叶うことか?
五蘊盛苦の解消とはどうなることか?
なんでこんな質問をするかと言うと、例えばアゴン宗でガンの因縁を切るとは
ガンにかからなくなることであり、不治のガンで死を宣告されても希望を失わずに
明るく余生を生きるということではない。
横変死の因縁を切るとは自殺、他殺、事故死などすることは絶対にないことであり、
事故死などを恐れない気持ちを得るだけということにはならない。
さあ、四苦八苦の超越とやらを具体的に解説してください。
超越だけじゃわからんぞ。
私が書いた例でないならば、どういう苦しみの超越をするのか具体的に書いてみなさい。

148ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/27(土) 13:17:58 ID:SmEF4Oe2O
>>146:準シュダオン10/02/27(土) 10:09:43 ID:agsP6ENM0
>批判派の皆さんは、○○の因縁に拘りすぎてるのです。癌の因縁とか、
>○○の因縁解脱は、最終的な因縁解脱の途中経過にすぎないのよ。

その通りです。桐山ブッキョーにおいても究極は輪廻がなくなり二度と生まれて来なくなる
涅槃です。だからその究極の輪廻脱出の点だけは共通です。
しかしそこまで至る過程の、現世における災害病気不幸などの運命を回避できる
なんてことが、経典にはどこにも説いていない。
涅槃に至る過程にそういうものがあるのならば、できるできない、方法論はさておいても
これを言葉で示すなんて簡単なことで、説くべきなのに。
我々はこの問題を指摘して批判しているのです。
何も輪廻のなくなる究極目標を桐山さんも示していることなど批判したことがない。
こちらの批判の構図をよく理解してください。
あなたもガンでも横変死でも家運衰退でも何でもいいが具体的な現世の厭な運命が
回避できることを説いた根拠がなくて困っているから、こんな究極の輪廻の問題
にしかすり替えられないのですよね。
あなたの苦悩とこちらの批判は共通です。

149ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/27(土) 13:29:27 ID:SmEF4Oe2O
>>146:準シュダオン10/02/27(土) 10:09:43 ID:agsP6ENM0
>また、12因縁というのは、輪廻のことです。12因縁の繰り返しが輪廻
>です。だから12因縁のことを、三世(前生・現世・来世)両重の因果と
>も言うのです。だから、12因縁解脱と表現しても同じでしょう。

だから三世輪廻から脱出する究極の話ではなくて、あくまでも現世における
問題解決としての因縁解脱の話に特化してるのです。
十二因縁の方程式に基づいてガンになる星を持っていた人がガンにならなくなる
話を論証してみなさい。
無明に始まる煩悩があるから生存がありあらゆる苦が生まれる。
ならば無明に始まる煩悩をなくしてしまえば、生存はそのまま現れガンだけ
どうしてなくなるのか?
また現世に煩悩をなくしたから来世には悪くならないならわかるが、どうして
現世のうちからガンの星が潰れるの?

150ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/27(土) 18:35:27 ID:SmEF4Oe2O
>>146:準シュダオン10/02/27(土) 10:09:43 ID:agsP6ENM0
>解脱供養とか、護摩にご利益を願う、など単なる助行にすぎません。
>最終目的を忘れているから、そういう目先のことに捉われて、邪教などと誤解してしまうのですw。

助行だろうが何であろうが、最終目的を忘れない限り、護摩祈願や先祖の面汚し
までして行う責任転嫁なんかに手を染めるはずがない。
なぜならこういうものは逆に煩悩を助長し、いよいよ依存の煩悩から離れられなくなり、
最終目的の妨げになるから堅く禁じているのです。
遊びならまだしも、お主ら10万円まで何回も払い続けて、重症で、解脱はいよいよ
遠ざかるばかりなり。

151ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/27(土) 19:39:19 ID:SmEF4Oe2O
>解脱供養とか、護摩にご利益を願う、など単なる助行にすぎません。
>最終目的を忘れているから、そういう目先のことに捉られて、邪教などと誤解してしまうのですw。

解脱供養とは自分のよくない運命は先祖の霊障による強制的無意識の行う選択
と被選択作用の操り人形になっているから、これを他人である導師が祈って解消
するという助行です。この助行なしには正行(ところで正行は何ですか?)は
進められない、修行どころではない、とするわけです。
三世輪廻から離れるにしても煩悩解脱は必須です。煩悩解脱なくして輪廻解脱はない。
ところが護摩祈願にしても解脱供養にしても自分の煩悩から目を逸らすどころか
普通人の持たない余計な煩悩まで持つ。
自分の行動は先祖のせい?
仏教では絶対にこんなことは説かない。
全て自己責任なんです。自分の煩悩は自分で責任を持つものであり、それを解消
するのも自分にしかできない。
ところが解脱供養の対象の霊障から成る強制的無意識とは「自分の中の赤の他人」
なんだそうです。
しかし釈尊は自己観察して自分で認識自覚できる煩悩しか解かない。
こんな赤の他人なんて話を相手にしていたら責任転嫁の無責任男(女)が育つ。
ましてその解消も他人(ゲイカの法力)まかせだ。
どうしてこんな奴が煩悩を克服して輪廻を離れることができる?

152ラシン:2010/02/27(土) 20:50:45 ID:MrrK9e4.0
>146 :準シュダオン:2010/02/27(土) 10:09:43 ID:agsP6ENM0
>仏教の目的は、、、、、、、、、悟りを得る=アノクタラサンミャク
サンボダイなどと表現されています。

まあ、途中の解釈の怪しさは別として涅槃を得ることが、
釈尊の要諦ですが、「管長はこれを、(苦厄病老死の因縁)因縁解脱、
と表現するのです。」と断定する根拠はどうして示すことができない?
正解を前提に示しておきながら何故、次の桐山説を根拠無く繋げるのか。
あなたの言説は、ピカソの絵を目の前に置きながら幼稚園児の描いた絵を
ピカソの絵画だと言うに等しい無理がある。

>批判派の皆さんは、○○の因縁に拘りすぎてるのです。

相変わらず卑怯で姑息な逃亡者ですね。
桐山説の根幹が○○の因縁だから、その個々の矛盾を指摘したら、
批判側が拘りすぎてる、だと?
サボり癖会員ごときが桐山さんを愚弄するのは、不敬の極みじゃないか。
アゴン宗信者さんは、決してあなたを老人ボケだからと許しませんね。

>また、12因縁というのは、輪廻のことです。12因縁の繰り返しが輪廻
です。

ユビキタスさんも私も12因縁を仏教事典に基づき、すでに示している。
しかしまだ自説にこだわり、これぞ因縁解釈の大発見と自惚れているその
あなたの姿には、信者さんさえ うんざりでしょう。
理由は桐山さんでさえそんな飛躍した暴論は、さすがに言っていない。
どうしてか分かりますか?
そんな暴論など仏教無知を晒すから、因縁切り論の根拠としないのです。
師である桐山さんですら知識の「無恥」には神経を尖らしている。
他の無恥は別ですよ。
それをあなたは、自前の強弁のために「無知」を桐山さんにお被せた?

>その手段は、
煩悩を断つ、理法を修める、智慧を修める、三宝に功徳の種をうえる、
37道品を習修する、8法16法を実践する

あなたのその珍説である12因縁解脱が、上記の手段だと?
その12因縁解脱の手段が、煩悩を断つだと?
では、桐山説の煩悩解脱は小解脱で因縁解脱こそ大解脱だとの
根拠は失われた分けだ。
因縁解脱するための手段を、論に窮して煩悩解脱に根拠を置かねば
ならない準シュダオンさんの都合が、つい出てしまったわけだ。

>これらのことさえ理解できてたら、迷うことはないでしょう。
解脱供養とか、護摩にご利益を願う、など単なる助行にすぎません。
最終目的を忘れているから、そういう目先のことに捉われて、邪教などと
誤解してしまうのですw。

あなたのエルサレムの護摩法要に酔いしれていた過去はあるが、
まさか朝酒で、目先スルメで酔っていないですよね?
剣先スルメは旨いけど。
桐山さん最大の宗教イベントを「単なる助行」と、
あなたは、切り捨てた。
信者さんの火の祭り修行をあなたは侮蔑し、その師匠の本気度までを
簡単に笑い飛ばした準シュダオンさんて、す〜ん凄く偉いのですね?
では、あなたが価値を見出してそれが無くば仏教にあらずと言う
運命転換=良い生活、死んでも命がある未来 は最終目的では無い?
そうかあ〜、「いい日旅立ち」は自己修正したのね、感心、感心。
これからは、あなたの慢心度が徐々に減ることを観ていますね。

153Boo:2010/02/27(土) 21:16:37 ID:iVNJKjNQ0
>桐山さん最大の宗教イベントを「単なる助行」と、
>あなたは、切り捨てた。
>信者さんの火の祭り修行をあなたは侮蔑し、その師匠の本気度までを
>簡単に笑い飛ばした準シュダオンさんて、す〜ん凄く偉いのですね?

ああ、きっとキャンセルする修行者って準シュダオンさんのことね。
ゲイカが起こっていた人ね。

154ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/27(土) 21:51:49 ID:SmEF4Oe2O
>>153:Boo10/02/27(土) 21:16:37 ID:iVNJKjNQ0
>ああ、きっとキャンセルする修行者って準シュダオンさんのことね。
>ゲイカが起こっていた人ね。

これは違います。
準シュダオンさんは申し込んでおきながらキャンセルをする人ではなく
そんな面倒なシュギョーは最初から申し込まない人です。
だからキャンセルしてゲイカに怒られる人ではありません。
有言実行を理想とする桐山さんにとっては最も侮蔑すべき不言不実行の人です。

155ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/02/27(土) 21:58:58 ID:SmEF4Oe2O
>>146:準シュダオン10/02/27(土) 10:09:43 ID:agsP6ENM0
>批判派の皆さんは、○○の因縁に拘りすぎてるのです。

この言葉が何度も出てくることは準シュダオン様を以てしても、桐山流○○の因縁
の解脱の根拠を仏教に見出だすことは甚だ困難で匙を投げたわけです。

156Boo:2010/02/27(土) 22:30:39 ID:iVNJKjNQ0
>準シュダオンさんは申し込んでおきながらキャンセルをする人ではなく
>そんな面倒なシュギョーは最初から申し込まない人です。
>だからキャンセルしてゲイカに怒られる人ではありません。
>有言実行を理想とする桐山さんにとっては最も侮蔑すべき不言不実行の人です。

え〜??  そ、そうなんですか〜・・・
それじゃあ、「釈尊の弟子」どころか「ゲイカの弟子」の資格も無いじゃないですか?
その「腐れ外道」がアゴン宗の擁護をし、釈迦仏教を語るなんて・・・
まるで「パルパティン議長」時代の「ダース・シィディアス(ダース・ベイダーの師匠で暗黒卿)」
そのものじゃないですか?
準シュダオンさんに独鈷の火事をしたら、霊障発現するんじゃね?

157ラシン:2010/02/28(日) 00:04:37 ID:bbC7Pl/U0
>156 :Boo
>え〜??  そ、そうなんですか〜・・・

そうなんです、個人攻撃はしたくありませんが、
準シュダオンさんに関しては信者迷惑もあって、
双方の公平な批判応酬のやり取りに支障があります。

常に自己勝手の意見と過去の主張には責任を取らない。
勝手な時効期限判断で、ゾンビ意見行動という反復行為。
レスアンカーを避けて、オーム返しと言葉合せが大特異。
それを理論だと信じて、自惚れだけはしっかり表示する。
飼い犬が、飼い主の目を見れずに吠えることだけは、
忘れずしっかりする。
実は、躾が出来ていない犬の行動と似ている。
だから時々、尻尾を振り振りも飼い主の手を噛んでしまう。
原因は多分、間脳を揺さぶりすぎた影響で旧大脳皮質や
古質の獣性が、無意識に露出される。
それでもエサを前に、犬種の優位をベロ出しヨダレ垂らして、
自慢気に「ウンメ〜」と吠える。

158天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/02/28(日) 00:51:54 ID:MAKLg7eY0
>>157 そうなんです。いつもその点に於いてはラシンさん、ユビさんには恐縮と感謝なんです。
はたから見るとやはり「個人攻撃」には見えるんですが、でも単なるヤジ合戦ではなくて、間違っている
主張を釈尊の言われた正しい言葉や内容などを出して、「どこそこは違う」という風に言われているので
「個人攻撃」のように見えても違うんですよね。

また、そういったことを懸念して「無視」や「放置」という方法も無くは無い。
ただ、それをするにあたって間違った教えや主張を認知してしまう人もでることが予想されます。
そうなると、トンデモ論や間違った解釈が遍満される恐れもある。
特にそういった反論意見を出す場合には、ちゃんとした正しい知識を持ってなければ中々できない。
特にラシンさんとユビさんには、そのことで非常に活躍とお世話になっております。
深山さんはさすがに何度も過去に述べたので相手にされてないようですが。
普通はそういう風になってしまうものです。(頑迷さに呆れて)
ですから、普通なら無視や放置の方向へ流れるんですが、いつも反論意見を出してくださるお二人には
頭が下がる想いです。

159準シュダオン:2010/03/01(月) 09:24:02 ID:agsP6ENM0
「自分の中の赤の他人」ということは、現代の精神医学で肯定されています
ね。釈迦がそういうことを説かなかったのは、釈迦の時代には精神分析が
進んでおらず、かえって混乱するからでしょう。釈迦が現代に生まれたら、
桐山管長と同じこと説いたと思いますね。たら、れば、の話です。

○○の因縁は、科学ではなくて宗教の分野ですから、証明はできないで
しょう。あくまでも、信じるか信じないか、の問題です。
私の若い時の友人にK君がいた。K君は、「初めて出会う人の容姿を、数日
前に見ることが、度々ある」と、ふざけたことを大真面目に言う奴だった。
わたしは、それは脳の病気だ、思い違いだ、あり得ない、と一笑に付してた。

だが、それから何年も経って、「人は運命を持つ」としか思えない体験が私
にも起きた。その翌年に私は入行した。K君を笑ったことを悪いと思った。
しょせん、人は自分に起きたことを中心にしか考えられない生き物なのでは
なかろうかw。

160準シュダオン:2010/03/01(月) 09:47:14 ID:agsP6ENM0
自分の体験から言うと、人は未来に出会う人が決まっている、ということに
なる。出会うのが人なら良いが、事故などの災難に出会うのではたまったも
のではない。何とか災難(○○の因縁)を消す方法はないものか、と考える
のが自然であろう。運命論者以外には、お笑いの世界かも知れんね。

で、釈迦は、「三結断じて不堕悪趣」と説き、悪趣の因縁を切れることを
教えています。釈迦は、悪趣(悪い運命の星)というように漠然としか説い
ていませんが、悪趣の具体的な内容を考えるのは後世の人の役目でしょう。

わたしは、わたしの「○○の因縁」を長らく自覚していたのであるが、
それが「切れたか薄れた」と、今、実感している。
まぁ、他にも「○○の因縁」を実感してるので困ったものではあるが。
と、いう訳で、わたしは管長理論を正しいと思う、が、宗教なので科学的
に証明することはできないし、否定もできない。

矛盾について。
何でも突き破る矛は、あり得ない。一番強い材質で矛を作っても、それと
同じ材質で作った盾は破れないであろうから。
だが、どんな矛でもはね返す盾は可能です。
引き分けの場合は、盾の役目を果たしたわけだからね。

だから、「矛盾」という言葉も、半分はあり得て、半分はあり得ない、と
いうことになるね。

161準シュダオン:2010/03/01(月) 10:08:33 ID:agsP6ENM0
護摩に祈願するのは、普通の人が持たない煩悩まで持つ危険がある、
というユビキタスさんの指摘は、そのとおりでしょう。
管長もその危険性を肯定しています。
だから、「祈願」が「欲貪」にならないように、気をつけねばなりません。

凡夫の祈願が、やがて、阿弥陀の48願と同じになれば、理想でしょう?

162Boo:2010/03/01(月) 11:14:01 ID:iVNJKjNQ0
同じことを何度も何度も・・・

そんなに「運命」があり桐山理論を擁護するなら、今回のサイトウ護摩の修行
はどこで何をしていたか。また祈願ゴマキを何本買ったか言ってごらん。
それで、どれだけ因縁が切れて、あらかじめ決まっていたどの運命がどれだけ薄らいだか、
述べてみてください。

163ラシン:2010/03/01(月) 11:32:12 ID:XYs6itx.0
>159 :準シュダオン:2010/03/01(月) 09:24:02 ID:agsP6ENM0
「自分の中の赤の他人」ということは、現代の精神医学で肯定されていますね。

解離性同一性障害やMPDの類似性症候を言いたいらしい。
それについて桐山見解は、何と言っているのですか?
あなたの前置きは、常に意味無く用もなさずゴルフのスコアーを
希望的予想で勝手に計算している。

>○○の因縁は、科学ではなくて宗教の分野ですから、証明はできないで
しょう。

○○因縁説は仏教ではなくカルト宗教だから、仏教には無い。
無いものをどうやって証明するのですか?
友人のK君の予知もあなたが経験した運命の根拠も、
客観的検証は不可能で、あなたが信じるのは勝手だが、
その個人の経験を以て仏教に無い定義を植林しないでください。
釈尊は、そんなものは一顧だにしていない。

>人は自分に起きたことを中心にしか考えられない生き物なのでは
なかろうかw。

勝手な個人的感想に浸って、ほかも同じだと自惚れて他人に
押し付けないようにしたらどうか。
他人を慮ることと独善を強要する違いくらい大人なら区別すべきです。

>160 何とか災難(○○の因縁)を消す方法はないものか、と考える
のが自然であろう。

仏教を知らない凡人はそうですね、ひたすら自己や病苦に恐れていた。
だが釈尊は、そんなことに囚われる恐怖から解放される道を
示したのが、仏道という教えです。
苦界で生きれば、そのような災難を回避したいという煩悩が生じる。
だから、煩悩そのものを無くしなさいと教えている。
釈尊は、災難に会う恐怖から解放されるために煩悩の滅を説いた。
災難に会う因縁を切るなんて説いていないし、それは不可能だからです。
大目連も外道に撲殺され、それを防げなかった。
また、
釈迦族滅亡という運命を阻止したかったなら、どうして釈尊は運命回避の
ための方法論を説かなかったのか?運命など生きて回避できないからです。
ゆえに釈尊は、同じ運命の反復を繰り返すことのない涅槃の獲得、
二度とそのような生を受けることのない道を説いたのです。

>で、釈迦は、「三結断じて不堕悪趣」と説き、悪趣の因縁を切れることを
教えています。

何度示されても批判側の指摘を無視し、それでいて批判側は間違っている、
とどうして言えるのか? 読んでいても理解できないかそれともただ、
自己解釈を根拠無く唱題のごとく垂れ流すのが、あなたの稚拙な流儀か?
三結断じて不堕悪趣とは、三結を滅すると悪趣に堕ちませんよとの意味です。
身見・疑惑・戒取の三つの束縛から解放されたら預流果を得て聖者の流れに入り、
悪趣には堕ちないとの教えで、どこにも桐山説の因縁切りなど出てきません。

>釈迦は、悪趣(悪い運命の星)というように漠然としか説い
ていませんが、悪趣の具体的な内容を考えるのは後世の人の役目でしょう。

漠然も何も悪趣を悪い運命の星、と経典の何処に書かれているのか?
あなたは捏造癖を止めることが出来ないらしいが、
それって不妄語戒の破戒をしていることに気づきませんか。
悪趣とは、悪業の結果死後におもむく苦悩の世界ですよ。
後世もなにも経典に存在することで、それは証明となっている。
釈尊が説いた以上の何を勝手に付加する必要があるのか。

>だから、「矛盾」という言葉も、半分はあり得て、半分はあり得ない、と
いうことになるね。

論理の辻褄が合わないこと、物事の筋道や道理が合わないことです。
あなた自身のヘ理屈を補完したくて、盾や矛の材質論など的外れだ。
作る経緯ではなく「この盾はどんな矛も防ぐと述べながら、この矛は
どんな盾でも打ち破る」という自家撞着に陥ることです。
あなたの場合、矛盾以前の捏造と無いものも見えるというホラ話の類。
次に桐山説擁護が、逆に桐山説否定の暴論を吐いたのが矛盾です。
例で言えば護摩の意義に詰まって活路を見出した結果、護摩など助行の
一つに過ぎないと言って桐山さんの大イベントを愚弄したことなど、
あなたの最たる矛盾言動です。
矛盾を知りたくばあなた自身を鏡に映すことです。
ほうら、鏡に矛盾と字が浮かんできたでしょう?
あなたならそのデンパに同調できるはずだが、、、。

164ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/01(月) 12:54:03 ID:SmEF4Oe2O
>>159:準シュダオン10/03/01(月) 09:24:02 ID:agsP6ENM0
>「自分の中の赤の他人」ということは、現代の精神医学で肯定されています
>ね。釈迦がそういうことを説かなかったのは、釈迦の時代には精神分析が
>進んでおらず、かえって混乱するからでしょう。釈迦が現代に生まれたら、
>桐山管長と同じこと説いたと思いますね。たら、れば、の話です。

あなたの説は桐山さんが唯一シャカのアゴン経から因縁解脱の成仏法を発見した
ということと矛盾し、またしても桐山さんを侮辱したことに等しい。
釈尊が無意識の意識だの説かないとか、自分の中の赤の他人の存在に未熟にして
気がつかなかったから、それは後世の人間が補うべきであるという話では桐山成仏法は
成り立たないのです。
自分の中の赤の他人などおらず常に自分は自分しかいないという立場だったら
自分を統御するのに教えによる修養訓練さえあればよいからです。
ところが桐山さんは単なる「オシエ」では人は自分を変えられず、「わかっちゃ
いるけどやめられない」からであり、それは自分の中に表面意識では制御できない
無意識の意識に潜む衝動があるからだとしている。
この衝動こそが因縁の正体だと桐山さんは言うのだから、釈尊がこれを発見できて
いなかったら因縁解脱の成仏法など創造できていなかったことになってしまう。
ところが桐山さんはちゃんと釈尊の仏教の中に「自分の中の赤の他人」を見出だして
いるのです。「人間改造の原理と方法」を読んで桐山教学を勉強してから擁護をして、
桐山さんの足を引っ張るのはやめなさい。
「随眠という名の無意識層」という章があるでしょう。もう一度読み直しなさい。
アビダルマの倶舎論を引用して、煩悩の眠った状態を随眠、表面に現れた状態を
纏としている。この随眠を無意識の意識に潜む煩悩であり、因縁の正体としたのです。
私に反論したくばこのくらいの桐山教学ぐらい出しなさい。
もちろんそれを出してきてもこちらは反論できる。

165ラシン:2010/03/01(月) 13:04:39 ID:XYs6itx.0
>161 :準シュダオン:2010/03/01(月) 10:08:33 ID:agsP6ENM0
護摩に祈願するのは、普通の人が持たない煩悩まで持つ危険がある、
というユビキタスさんの指摘は、そのとおりでしょう。
管長もその危険性を肯定しています。
だから、「祈願」が「欲貪」にならないように、気をつけねばなりません。

やっと批判側の指摘に追いついたような感はあるが、
護摩こそ煩悩の現われだとは、認めたくないのでしょう。
だから「祈願が欲貪にならないよう」なんて分かった風に言っても無駄です。
祈願も煩悩そのマンマなのだとは、理解したくないのがミエミエです。
護摩の祈願で何をか適えらると考えての祈りが、煩悩です。
すると、世界平和を祈ることが悪いのか、と言いたいでしょう。
そう、悪い、祈りと言う耳に心地の良い美辞麗句で慢心しているからだ。
平和とは争いの無い状態だから、その争いは他者区別不平等意識や
独善などの煩悩から生じる。
各々のその差別意識や独善という慢心の煩悩を皆が捨てれば、
余計な争いは生じないのに、自己の煩悩そっちのけで平和祈願などと、
具体的解決を放り投げて、形の無い祈りに寄りかかっては得心する。
周りがそのように煩悩を少なくとも制御できれば、争いは生じにくい。
その釈尊の思想が、一区域からさらに拡大していけばその範囲での
争いは生じなくなる。
だから釈尊は、一箇所に留まらず各地を出来るだけ遊説して回ったのです。
祈願などというデンパを発信し、勝手にその願いが何処に届くのですか?
届かなかったから、エルサレム護摩のあとにパレスチナガザ地区で、
大量虐殺が発生したのでしょう?
釈尊は、釈迦族滅亡を目前として祈願したのか? していない。
その以前から滅亡という運命なら、その転換論をどうして説かなかった?
釈尊が行ったことは、コーサラ国大軍を待ってヴィドゥーダバ王に、
その復讐の無意味さを諌め説いただけです。
しかし釈迦族の過去に為した業により宿縁の止め難いことを知り、
四度目は、諦めたのです。
釈尊が運命を転換できると説いたなら、釈迦族の滅亡は食い止められたはずが、
釈尊は説いていない。
運命転換など不可能だと、釈尊は知っていたからです。
無いものネダリをして奇説に浸るのは、もう止めたらどうか。

166ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/01(月) 13:49:38 ID:SmEF4Oe2O
なんか投稿が受け付けられんな。

167ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/01(月) 13:51:19 ID:SmEF4Oe2O
>>159:準シュダオン10/03/01(月) 09:24:02 ID:agsP6ENM0
>「自分の中の赤の他人」ということは、現代の精神医学で肯定されています
>ね。釈迦がそういうことを説かなかったのは、釈迦の時代には精神分析が
>進んでおらず、かえって混乱するからでしょう。釈迦が現代に生まれたら、
>桐山管長と同じこと説いたと思いますね。たら、れば、の話です。

桐山さんは随眠を無意識の意識に潜む煩悩として、纏とはそれが表面に現れたもの
として自らの無意識理論の裏付けをしていた。
たしかに随眠(桐山さんは「ずいみん」とルビをふってますが、正しくは「ずいめん」
と読みます)日常眠っているかに見える状態です。
氷山の海に潜っている部分と言えます。
しかしこれは桐山さんの言うような、自分の中の赤の他人ではありません。
そんな「此処は何処?私は誰?わ、わたしっ、わからない!」なんて赤いシリーズの
能瀬慶子(知ってるかな?)みたいな臭い芝居のオカルト話ではありません。
これは自分でいついかなる時でも自覚もできぬ煩悩ではない。
例えばあなたが仏教書かなんかを読んでなんか自分が高尚な存在になった気分に
浸っている。今のあなたは煩悩などなく心は聖者のごとく平静で平安です。
そこに私が現れる。「ゴルァ!このボケジジイ!氏ね!氏ね!氏ね死ね詩ね市ね氏んじまえ」
あなたはとたんに「ボケとは何だ!氏ねとは何だ!このヤロー!」と怒りに目覚める。
これが纏です。それまであなたの怒りの煩悩は眠っていたのであり、これを随眠と
言うのです。つまりこんな怒りの煩悩くらい誰でも常に自分で自覚ができる。
自分には制御不能な赤の他人などではない。
まぎれもない自分自身であり、それは常日頃から怠らない自己観察、省察により
自覚もできるし、あくまでも自分自身で制御する対象なんです。
つまり自分の中の赤の他人なんて説いていない。
そんなものに逃げ道を求めているのは桐山さんだけです。
精神医学だってラシンさんも書いているように統合失調を起こすような特殊な
事例でしか問題にされない。
ところが桐山さんは万人に赤の他人の操り人形になっているかのように説く。
そんな治療の必要な重大な問題性は精神医学でさえ説いていない。
繰り返します。桐山さんの現実逃避、責任転嫁です。

168天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/01(月) 14:09:17 ID:xfGP9BhU0
随分、ライブドア重いね。@chs−1も重くてたまらん。
「のせけいこ」には参ったw ここでは真面目にやりたいので、詳細を知りたい人は
@chs−1にどうぞw

しかし、記憶力が段々落ちてマジに「私は誰」となりそうで怖い。

169ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/01(月) 14:27:13 ID:SmEF4Oe2O
>>160:準シュダオン10/03/01(月) 09:47:14 ID:agsP6ENM0
>出会うのが人なら良いが、事故などの災難に出会うのではたまったも
>のではない。何とか災難(○○の因縁)を消す方法はないものか、と考える
>のが自然であろう。運命論者以外には、お笑いの世界かも知れんね。
>で、釈迦は、「三結断じて不堕悪趣」と説き、悪趣の因縁を切れることを
>教えています。釈迦は、悪趣(悪い運命の星)というように漠然としか説い
>ていませんが、悪趣の具体的な内容を考えるのは後世の人の役目でしょう。

毎度毎度あなたがずるいところはいつの間にか悪趣の意味までも拡大することです。
事故災難などに遭うことを悪趣に堕ちるなどとどこに説いているのか?
質問する。三結、すなわち有身見、疑惑、戒禁取の煩悩を断つことによりどうして
災難事故に遭わないように運命が転換されるのか?
これに対して釈尊の教えは納得がいく。
三結断って間違った認識を改めるから間違った悪趣の道に進まなくなるという
単純な理屈です。運命なんか関係ない。
災難なんてたしかに誰でも不快で厭なものです。
しかしだからと言って安易に救いの道なんか説けるものではない。
説くのは凡夫の人情話にしか過ぎない。
宜しいか?仏教とは西洋の救いの宗教と根本的に異なり、「悟り」を説く道なのです。
どうにもならないことをどうにかなるように無責任な慰めを説くのでなく
どうにもならないものはどうにもならぬと悟れと説くのです。
事故災難なんて当たり前のことであることを悟り、そんなものに怯えるのではなく
事故災難がいつ来ようと変わらず精一杯に正しく生きる道を説くのです。
それから釈尊は京都人どすか?
市田ひろみが星まつり番組にゲスト出演して話してましたね。
京都人は皆まであからさまにしゃべらない。半分だけ話して後の半分は察して
おくれやすと、自分(市田)は外れとんのやと例外にして、京都人の特性を語った。
しかし釈尊はこんな煮え切らない説き方をせず、かんでふくめるように相手に
何度も何度も手を変え品を変え同じことを説き続けたのです。
質問まで促して理解を助長させたのです。
ここまでしたから「私は全てを説き尽くした。教師に握り拳はない」と断言できたのです。
皆まで言わず後は察しておくれますなんて説き方と真っ向から反するのです。

170ラシン:2010/03/01(月) 17:36:01 ID:XYs6itx.0
>160 :準シュダオン
>わたしは、わたしの「○○の因縁」を長らく自覚していたのであるが、
それが「切れたか薄れた」と、今、実感している。

この一文を逃したのでお聞きする、当然無視を決め込むでしょうが。
長らく自覚していた因縁を、切れたのか薄れたのかの判別すらつかない?
長らく○○の因縁を自覚したと息巻いていても、この曖昧さはなんですか?
自己申告で誰もその真偽を把握できないのだから、堂々と切れた宣言を
何故しないのか? あまりの現実離れの嘘に良心が咎め、声が上ずった?

>と、いう訳で、わたしは管長理論を正しいと思う、

自分で書いてみていきなり断定をするおかしさに気づかない?
実は桐山理論などあなた自身、明確に身につけていないのでしょう?
あなたが「正しいと思う」なんて個人的主観を述べたところで、
ここは考察の場ですから、そんな私見など意味が無いのです。
しかし桐山説を論拠として述べると、批判側からその不正確さを指され、
阿含経にその論拠を求められて、あなたはダルマ状態なのだ。

>が、宗教なので科学的に証明することはできないし、否定もできない。

違うでしょ? 
桐山さんが必死で科学者の言説を継ぎ接ぎした苦労をいとも簡単に、
あなたの個人的経験の検証不能と同列にして良いのか?
あなたは証明できずと一歩譲る偽装をして、否定を封じ込めようと
躍起になっているだけですよね。
オカルトだから科学的証明だの精神科学だのと、根拠を探すのです。
宗教を科学するなんて桐山さんの詭弁は、不思議を科学すると同様に、
仏教に神秘を持ち込むカルト宗教だから、そう言わざるを得ないのです。
仏教を科学的に証明する必要性は、その経典の真贋のみです。
あとは経典に記述されている仏説を解釈する普通の国語力だけで、
ことが足ります。

171ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/01(月) 18:31:20 ID:SmEF4Oe2O
>>161:準シュダオン10/03/01(月) 10:08:33 ID:agsP6ENM0
>護摩に祈願するのは、普通の人が持たない煩悩まで持つ危険がある、
>というユビキタスさんの指摘は、そのとおりでしょう。
>管長もその危険性を肯定しています。
>だから、「祈願」が「欲貪」にならないように、気をつけねばなりません。
>凡夫の祈願が、やがて、阿弥陀の48願と同じになれば、理想でしょう?

一見謙虚そうに見えるが、そんなに甘くないのですよ。
あなたは欲張り過ぎてはいけないので自戒せねばならぬ、その自戒のもとに高邁な
誓願のもとに行うならば、これをよしとするのでしょうね。
違うのですよ。焚き火なんかに祈ることで願い事を叶えようとすること自体
傲慢であさましいことを悟らねばならないのですよ。
我々在家は生活をしていく為に、家族を養う為に金を稼いで、少しでも不自由でない
豊かな生活を志しますよね。
その為に時には面倒臭い仕事でも我慢して努力を続ける。
そのこと自体を煩悩だの貪りだのと言ったことはない。
それは現実努力だからよいのです。釈尊も奨励する勤勉努力、精励の道です。
しかしそういう努力でなく、焚き火に祈って何かを叶える???
そんなムシのよい話などにうつつを抜かすなと戒めているのです。
この変な依存が向上を妨げるのです。解脱を目指すなら尚更です。
そりゃあさましいだけで犯罪性まではありませんよ。
しかあさましい煩悩であることに変わりはありません。
私も信者時代はミーハーな面もあったから星まつりの山伏姿の桐山さんをかっこいい
と思った。しかし点火の直前の願文の最後のクライマックス、「各々丹精を抜きんじて
ご祈願候え!」に白けの意識があった。
祈願することのどこが尊いのか?なんかみっともない。
「祈りは人を清めます!祈りは人を高めます!」と桐山さんはオーラの祭典で
目をうるうるさせて吠えた。しかしその内容は疑問だった。
祈りが人を高める???
それは自分の祈りを超えた世界人類の平和という高邁な祈りをも指すのでしょう。
他人の為に祈る。
しかしこれも傲慢に過ぎないのです。
他人の為、社会の為に役立ちたい、尽力したいと思ったら現実的アプローチで
努力せよ。
焚き火で人を動かし、社会を動かす?
自惚れるな。甘ったれるな。

172Boo:2010/03/01(月) 22:48:37 ID:iVNJKjNQ0
>それは自分の祈りを超えた世界人類の平和という高邁な祈りをも指すのでしょう。
>他人の為に祈る。
>しかしこれも傲慢に過ぎないのです。

これはジジイには理解できないでしょう。
ユビキタスさんの文脈からは「傲慢」ではなく「横着」という方が正しい表現です。
ジジイはその「横着」すらやらない。それで「因縁が薄らいだ」といっている。

もはや単なる「ジジイ」ではなく「モウロクジジイ」というほか無い・・・

173名無しさん:2010/03/02(火) 08:49:28 ID:dS51a3Uk0
2ちゃんねるが昨日の昼ごろからアクセスしにくい状態が続いています。
韓国からの大規模なサイバー攻撃が原因らしいが、何故なの?
キム・ヨナも金メダル取ったし、日本になんの恨みがあるのかな? 韓国併合100周年の恨みなの?
中国からのサイバー攻撃はよく聞くけどね。
こんな時はここしたらばもあるのに、敷居が高くて来れないのでしょうか。

174準シュダオン:2010/03/02(火) 09:43:42 ID:agsP6ENM0
桐山管長が阿含経に成仏法を発見した。
それと、「自分の中の赤の他人」を説くと、何で矛盾するのか?
少しも矛盾しないよ。釈迦が精神分析まで説いてないから、管長が詳しく
説いてるだけに過ぎない。それが何で矛盾なのよ?

教えだけではどうにもなり難い、ことは、誰でも身に覚えがあろう。
釈迦がどう説いてるかに関係なく、教えだけでは限界があろう。
教えだけで簡単に煩悩を断てたら、誰も苦労しないよw。

それに、釈迦だとて生命現象をすべて説明できるとは思えない。
管長だとてしかりだろう。釈迦が霊障を説いてないからといって、
霊障を否定していることにはならないね。
管長は、ご自身の体験から「根本仏教だけやってれば良いという
ものではない」と、いっています。
だから、釈迦仏教だけを実践してるのではありません。

管長自身、命を助けられたのは、阿含経ではなくて、真言密教の
准テイ観音経だったなわけです。そこを考えてみなければいけませんね。

175ラシン:2010/03/02(火) 11:30:33 ID:XYs6itx.0
>174 :準シュダオン:2010/03/02(火) 09:43:42 ID:agsP6ENM0
桐山管長が阿含経に成仏法を発見した。

桐山さんの自己申告を今も信じている分けだ。
阿毘達磨倶舎論においてもすでに三七道品法が、
取り上げられているし、浄土教などにも念仏対比として、
以前より知られるところです。
空海は、「道品法これ宝法なり」と桐山さんの解説にもある。
上座部仏教は、過去より綿々と三七道品の修養に励んでいます。
桐山さんの小説話しにどんな意義がある?

>それと、「自分の中の赤の他人」を説くと、何で矛盾するのか?
少しも矛盾しないよ。釈迦が精神分析まで説いてないから、管長が詳しく
説いてるだけに過ぎない。

釈尊は弟子に森の木の葉の量に対して、学ぶべく修行を師の手のひらに
握られた葉を見せ、学ぶべき量を示して師に握り拳がないことを
説明した。
ユビキタスさんが何度も教示している。
すべて解き明かした、と述べている釈尊をどうして疑うのか?
釈迦が精神分析的な理屈を説かなかったのは、必要ないからだ。
またあなたの無知が桐山説擁護を否定したから、矛盾だと私が
指摘したのであって、ユビキタスさんは桐山さんの随眠や纏を
因縁の正体とした間違いを阿毘達磨倶舎論に沿って反証したのですよ。

>教えだけではどうにもなり難い、ことは、誰でも身に覚えがあろう。
釈迦がどう説いてるかに関係なく、教えだけでは限界があろう。

何を寝言を言っているのか?
教法の実践をしていないのがアゴン宗です。
まず戒律の実践もせずに教えの限界とは無いだろう?
分かっちゃいるけど止められないとウソぶいて言い分けする前に、
節食という煩悩一つ制御できずに、生活習慣病で脳梗塞を煩った
桐山さんが良い例ではないか。
準シュダオンなんて自惚れながら在家の五戒の不飲酒戒を、
あなたは実践したのか? 行いもしないで限界とは何だ?

>それに、釈迦だとて生命現象をすべて説明できるとは思えない。
管長だとてしかりだろう。釈迦が霊障を説いてないからといって、
霊障を否定していることにはならないね。

生命現象がなんの役に立つと言うのだ?
霊障なんて言うオカルトを言うから、生命現象などと自然科学や
生物学を持ち出さざるを得ない。
それこそ的をはずした理屈に終始していることにさえ気づかない。
その生物学でさえ、今や唯物論または機械論に立脚されているのです。
好戦経の肉塊を釈尊は霊障を及ぼすと源だ言ったのか?
言ってませんよね、あなたの屁理屈は成り立たない。

>管長は、ご自身の体験から「根本仏教だけやってれば良いという
ものではない」と、いっています。
だから、釈迦仏教だけを実践してるのではありません。

アゴン宗HPでも立宗の要旨が確認できるから見たらどうか?
「全く不明の偽りの経典(大乗仏教経典)を、シャカの説いた経典である
として宗派をつくり教団を立てて、布教するのは正しくないことである、
と、桐山管長は考えたのです。」
アゴン宗は根本仏教と明解に断言している。
あなたの言なら、桐山さんは自語相違という矛盾に陥っていることになるが、
それでいいいのか? 矛盾とは斯様に論理の辻褄が合わないことです。

>だから、釈迦仏教だけを実践してるのではありません。

大乗ごった煮指摘をくつがえすだけの何の反論にもならない。
釈迦仏教以外の仏教って何だ?

>管長自身、命を助けられたのは、阿含経ではなくて、真言密教の
准テイ観音経だったなわけです。

桐山小説の愛読者だからといってそれが何の根拠を示すのか?
本当に自殺を考えて止めたのかどうかさえも不明。
それが理趣経だったら男女混合を奨励するのか?
桐山さんの与太話には、後作という疑惑が常につきまとうことを
知るべきだ。

176ラシン:2010/03/02(火) 12:12:05 ID:XYs6itx.0
誤:好戦経の肉塊を釈尊は霊障を及ぼすと源だ言ったのか?
正:好戦経の肉塊を釈尊は霊障を及ぼす源だと言ったのか?

しかし準シュダオンさんの掲示はレスアンカーなしで、
極論すれば、つぶやきレスに等しい。
知恵あると自分を自惚れる方の議論にしては、
常に一人よがりの咆哮に終始しています。
もしユビキタスさんに反論するなら、その文章を掲示すべきだが、
明解に相手への対論を避けて、勝手に創作しては自答している。
非常に卑怯な手法にしか見えません。
だからその怪しげな自己解釈振りに2chでも、信者さんからも
共感を得ていない。
精神分析は、どうやら準シュダオンさんにこそ有効のようです。

177準シュダオン:2010/03/02(火) 13:56:42 ID:agsP6ENM0
ではユビキタスさんに訊くが、悪趣とは事故や災難は含まない、
と、釈迦がどこかで説いていますか?

辞典では、「悪趣とは、苦しい生存の在り方」と、説明しています。
事故や災難に遭って、以後、苦しい生存の在り方を強いられた場合、
それは悪趣ではない、と、釈迦が説いていますか?

まぁ、事故や災難というもんは、完全なる偶然だ、と考えるのも自由
でしょうけど、必然(因縁)と考えても良いわけです。
自分の考えを表明するのは良いにしても、それを人に押し付けるのは傲慢だよね。

178準シュダオン:2010/03/02(火) 14:11:34 ID:agsP6ENM0
随眠を「ずいめん」と、振り仮名したら、日本語的には間違いですねw。
仏教用語には、そのような常識はずれの漢字の読み方が多いですね。
なんででしょう?

音写した場合は別として、その昔、方言の酷い、発音の変な高僧が
漢字を読んで、変な振り仮名になったのかも知れません。

179うサギ:2010/03/02(火) 15:59:28 ID:UtKVqJLA0
>>173

まだ復旧しませんね。

裏読みすると、韓国人を一度に大動員できる宗教団体が
日本にもありますよね。
2ちゃんねるで専用スレがたくさん立っている宗教団体。
あそこのしわざかもしれません。
単なる憶測ですが、可能性はあります。

「2ちゃんねるアクセス不能 韓国から大規模サイバー攻撃?」
http://www.j-cast.com/2010/03/01061197.html

180ラシン:2010/03/02(火) 16:23:22 ID:XYs6itx.0
>177 :準シュダオン:2010/03/02(火) 13:56:42 ID:agsP6ENM0
ではユビキタスさんに訊くが、悪趣とは事故や災難は含まない、
と、釈迦がどこかで説いていますか?

ユビキタスさんへの質問だが、ここは横レスしますよ。
逆に、悪趣とは事故や災難を含むという経典はあるか?
あるはずもない、釈尊はこの世での吉凶損得にはこだわらず、
むしろ否定しその教えは、直裁に言えば煩悩を滅し尽くして
死ぬ意義を説いたものです。
釈尊の思想の全体像を知らないゆえの無知から来る愚問です。

>辞典では、「悪趣とは、苦しい生存の在り方」と、説明しています。
事故や災難に遭って、以後、苦しい生存の在り方を強いられた場合、
それは悪趣ではない、と、釈迦が説いていますか?

またまた引用を都合よく端折っているのは、あなたの性格の問題ですか?
悪趣とは、現世の悪業により趣く来世の生存のあり様だと既に掲示している。
大パリニッバーナ経にあるように、マーリという疫病で死んだ
ナーディカ村民の死後の行く末について記述によって死後の境涯を指している。
その内容は、沙門四果の果実により、死後に悪趣に堕ちていないとの
釈尊の説明で明らかです。
ゆえに釈尊は、現世での災難や事故の類など一顧だにしていない。
また、「南伝 相応部経典 42−6」に見ても、
湖に沈んだ石を浮かぶよう祈祷しても浮かばぬ例えを示して後
「それと、同じことである。あらゆる邪悪の業をつんできたものが、
いかに祈祷し合掌したからとて、死後、天界におもむく道理はない。
その人は、身壊れ、命終わりて後は、悪趣地獄に生まれるのほかはないのである。」
と、釈尊は明解に死後に生まれる悪い境涯を悪趣だと言い得ている。

>まぁ、事故や災難というもんは、完全なる偶然だ、と考えるのも自由
でしょうけど、必然(因縁)と考えても良いわけです。
自分の考えを表明するのは良いにしても、それを人に押し付けるのは傲慢だよね。

根拠の無い主観に溺れているのは、あなたの方です。
批判側は、上記に示したように常に釈尊の思想を俯瞰して理解し、
論拠として示している。
あなたのデンパ話しと一緒にするのは、甚だ失礼ではないのか。
傲慢と言われたくないなら、桐山因縁説を阿含経で示してみなさい。
過去一度として出来たためしも無いくせに、批判側を傲慢呼ばわりする、
そのあなたの傲慢さに気づくべきではないのか。

181ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/02(火) 21:30:50 ID:SmEF4Oe2O
>>174:準シュダオン10/03/02(火) 09:43:42 ID:agsP6ENM0
>桐山管長が阿含経に成仏法を発見した。
>それと、「自分の中の赤の他人」を説くと、何で矛盾するのか?
>少しも矛盾しないよ。釈迦が精神分析まで説いてないから、管長が詳しく
>説いてるだけに過ぎない。それが何で矛盾なのよ?

つまりですね、釈尊が精神分析の知識も乏しく無意識の意識も掌握していなかった。
だから表面意識に働きかけることしか知らない釈尊の教えは常に「わかっちゃいるけど
やめられない」という自分の中の赤の他人の仕業の対処法を知らない。
つまり成仏法としては不完全であり因縁を切れない。
そこに近代心理学や現代心理学のデタラメ知識を持った桐山さんが登場して
釈尊のなし得なかった無意識の意識の制御技術を補って、因縁の切れる成仏法を
完成させた。釈尊の成仏法に欠けている視点を桐山さんが補って、力のない釈尊の
成仏法に成仏力をプラスした。これによって教えの限界を破ったのである。
・・・と、あなたの論だと、こうなってしまうのです。
桐山さんはこんなことを言ってない。あくまでもシャカのアゴン経に形式化、
様式化された密教の源流の技術を発見したと言っている。
アゴン経に到達しなかったら、アゴン経に成仏法がなかったら、桐山さんは
仏教を捨てようかとまで言ったのです。
アゴン経に教えの限界を打ち破る技術を発見したのです。
それは無意識の意識の中に潜む随煩悩の衝動であり、これを解放解消する道です。
この時にあなたが釈迦は精神分析の知識が乏しく無意識を知らないなんて足を
引っ張ってどうする?それは桐山シャカ成仏法の否定です。
よろしいか?正しい信者の反応はこうです。
へえ〜、釈尊は無意識の意識を把握して、無意識に潜む衝動を随煩悩として捉え
これを言葉による説教だけではなくチャクラを活用してまでこれに迫る技術を
説いていたんだ、それがアゴン経に書かれているんだ。すごいなあ。どこに書かれているのだろう?
僕らが目にしてわかるものだろうか?カンチョーゲイカの指導を待とう。

182うサギ:2010/03/02(火) 21:33:55 ID:UtKVqJLA0
>>179つづき

アゴンには直接関係しませんが、
2ちゃんのアゴンスレに入れないので報告。

2ちゃんねるは、「心と身体」の宗教周りのスレは復旧していません。
しかし、その他のスレは復旧しています。

私の推測は当たっているかもしれません。
やったとしたら草加でしょう。
藤一の可能性もあります。
どちらにしても朝鮮系です。

183天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/02(火) 22:03:45 ID:8yVcICNk0
「したらば」のコメント(転載)

いつもしたらば掲示板をご利用いただきまして、ありがとうございます。

下記の時間帯において、
某国に割り振られたIPアドレス群から大量アクセスを受けたことで、
一時的ではあるものの数回に渡り掲示板への接続が困難な状態が発生しておりました。

発生時間帯:
・2010/03/01(月) 13:00頃〜14:00頃
・2010/03/01(月) 19:15頃〜19:45頃
・2010/03/01(月) 21:00頃〜21:30頃

現在、掲示板の利用に関しては復旧しております。
尚、この障害によるデータの破損や消失等は起こっておりません。

また、下記の時間帯において、
掲示板への投稿完了までに時間がかかる状態が発生しておりました。

発生時間:2010/03/01(月) 22:30頃
復旧時間:2010/03/02(火) 13:00頃

現在、掲示板の機能に一部制限を設ける事で問題の解決をしております。
尚、この障害によるデータの破損や消失等は起こっておりません。

度重なるご迷惑をお掛け致しておりますが、
安定したサービス提供が行えるよう全力を尽くしております。

今後ともlivedoorしたらば掲示板を宜しくお願い申し上げます。

___________________


昨日の投稿しづらかったのは2chだけじゃないんだねえw
まったく迷惑な話だね。

184天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/02(火) 22:28:31 ID:8yVcICNk0
しかし、ロクな事をしないやつもいるもんだね。最近はTVもくだらないのばかりで、SPはいらないから
まともな番組をやってくれ、といいたい。SPよりも普通の番組のほうが絶対にオモロイと思うが。

さて、ボヤキはこの辺にしておいて、本題へ。

準さんの言われる意見は自分も考えたことがありますね。気持ちとして分からなくは無い。
むしろ、擁護信者はそういう風に考える場合もあると思うね。
しかしながら、その証明を出せないのがアゴンです。ゲイカも数年前からさっぱりそういう探求というか、
打ち出すものが無くなって、昔の本での講釈のほうがまだ力強かったりする。
また、信者に対しての対話が無い。やはり一方的なゲイカからの言い分だけでは不信感も拭えない。
反論などを受けないためにはゲイカからの一辺化というのを敷くのは有効なのは分かるが、それでは
「俺の意見を聞け」だけの傲慢でファシズム以外の何ものでも無い。
これでは信者が呆れて去るのも当然だろう。

結局準さんが言われることもゲイカが訂正もするわけでも無いから、信者の思い込みの一人歩きでしか
ない。統制さえ取れてないのではないか?と思うことさえある。
だから、修行のキャンセルなども勃発するのだと思う。

ましてや、松沢さんが辞めたときも色々言ってたが、色川さんの場合は全く言わない。
自分に不利なものは「黙すのが得策」なわけだろう。またはゲイカ自体が言いたくてもかなり裏で
圧力をかけられているか。絶対に発言したら不利になるのは誰かというのを分かっているだろうが、
激昂する性格なゲイカだから普通なら何かあってもいいものだ。
もうそれだけ差しさわりの無い行動しかできなくなってきているんですな。

185天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/02(火) 22:42:13 ID:8yVcICNk0
昔は信者が勝手なことや発言をしたら「戒められた」ものです。下手をすれば破門です。
ましてや、準さんの言うような個人的な思考さえも禁じられたものです。
ゲイカは自分の言ったこと以外は受け付けないほど、強くキツイ性格です。
まあ、怒られることも破門になることもここでは無いから、発言できるんですけどね。
だから、誰かが道場で「掲示板で準さんが書かれたこと」をゲイカに聞いてみればいいんですよ。
なんとゲイカが発言されるか。(まあ、回答が無いことが予想されますが)

例えばどんな準さんがいいアイディアを仮に出したとしても、ゲイカが否定したら終わりです。
一番の決済はゲイカなのです。

また、信者の一生懸命な?擁護意見や見解もゲイカは放置の状態です。
これでは、信者の懸命な意見も「一人歩き」で何の効も奏さない。
段々こういうのが講じると、教団自体に分離が生じてくる。今のアゴンがそれです。
例祭などや何かのイベントをやっても人が集まらない。
納札の箱の中には「ご宝塔」が入っているのが多くなって来ているのは修行をしている信者であれば
良く分かることです。

現実を見て判断ができなくなってきている。火が消えた状態になってきている現状に気が付かない
のはよほど疎いか修行をして無い信者としかいえない。
妄想に浸って自己満足しているうちに、気が付いたらもっとアゴンが悪くなってから、ということ
でもならないと分からないのでしょうね。

186天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/02(火) 23:04:31 ID:8yVcICNk0
話を戻そう。こういうのがある。
「釈迦はある意味失敗した点がある。それは社会運動までに仏教を広げれなかったことだ」という内容のことを
ゲイカは過去言われていたが、確かに昔は「そうだ」と思ったものだ。

しかし、実際にゲイカがどれだけ社会運動に発展することができたであろうか?
やったことはただ外国で「焚き火」をしたことだけだ。そして、その先の諸外国のお偉さん方がアゴン宗に
賛同や帰依したであろうか?答えは皆無です。結局は外国で焚き火のイベントを行ったというだけです。
アピールと自己満足の行事を行っただけです。

偉そうなことや理想を言ってもこの程度という現実を見ないで「イスラエルで護摩を焚いた」という側面を
驚嘆し優越に浸っているのが信者の現実です。
一番のまずい点はイスラエルの護摩の後に戦争があったことです。
当時信者だった自分は「まずい」と思った。急所の突っつきになるからです。
で、私は答えも考えた。あれは「奉祝の護摩だ」と。浄化も成仏も別なんだと。
ところが「そんなチンケな祝いだけの火を焚きに行ったのか」といわれかねない。
つまり、いづれにしてもアゴンの行動を正当化させるものは無いんです。
今まではシベリアにしてもアウシュビッツにしても戦争が起きない場所だから良かったが、イスラエルは
そうはいかなかった。裏目に出た結果です。

信者にしては「ああ、この法要でイスラエルも変わるかもしれない」と思ったのが、丸つぶれです。
たしかに、その思考は「天照の個人的な考えでしょう?ゲイカがそういう風に言いましたか?」といわれる
だろうが、それはそうだが、ではあの法要はただのイスラエルへのお祝いのためだけにやったのか?と
いえば、随分アゴンも贅沢というか無駄な金を使ったものだと私は言いたい。
何のためにわざわざイスラエルに行ったのか?ゴマを擂りに行ったのか?
こうやってゴマを他教団・宗旨に擂る為に行ったのか?キリスト教やイスラム教に媚びることが仏教のやる
ことなのか。アゴンのやることか。仏陀のやることなのかといいたい。

釈尊に物を言う前に問題あるだろうが、と私は思うのだが・・・。

187天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/02(火) 23:20:17 ID:8yVcICNk0
イスラエルのこともそうだが、他の過去の活動を見ても分かるはずが分からない。現実を見ないからです。

ダライラマ法王が日本に来ているのに、何で逢わないの?
ローマカソリックとのコンタクトが皆無なのは、なぜ?
モンゴルとの行き来があの法要だけというのは、なぜ?
中山大学の講義もあれっきり。どうなったのですかね?
アメリカで色々活動したのに、全く動きが無いのと何で向こうの支部は閉鎖なのか?
台湾も全然あれっきりですよね。もうあちらは飽きたんですか?
パリも観光だけみたいなものでしたね。支部云々はどうなっているんですかね?

環太平洋云々もそれっきりですよね?
ゲイカ自身が言われているが「自分はやりっぱなしの癖がある」そのまんまです。
思いついてやるのはいいが、後は放置なんですな。
これで世界平和も融合も和合も統一もあったもんじゃない。
何が、中途挫折の因縁を解脱した、なんでしょうか。

結局、やったことはただの「イベントだけ」です。金にものを言わせて各地でイベントを行っただけ。
本当の仏教を宣布拡大した行為など、成就さえして無いのです。
これで釈尊が「社会運動にできなかった」などというものです。
自分が釈尊の何百分の1しかできて無いくせに、態度だけはでかいものです。

で、信者も世界でイベントが開ければそれが「偉業だ」と思い込む。
ユビさんが以前他のかたが(池口さんとか)やられたことを述べてましたが、アゴンだけが特殊で
しかも偉業を成したような感じに思っているんですね。
(私も後でそれを知って赤っ恥かきましたよ)

知らぬは信者だけで、本当に情け無い。というか、知ってたら反論ができなくなる。
そういうものです。知らぬが仏、じゃなく、知らぬは信者、ですよ、全く。

表向きの動きの詳細やアゴン宗にまつわる現実というのを良く見て見ることです。
まして、修行に参加している信者さんはアゴンの変な面を見聞きしている人もいます。
ぜひ、批判側の意見と照らし合わせて、どちらが真実かを検証するべきですね。

188ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/02(火) 23:29:01 ID:SmEF4Oe2O
>>174:準シュダオン10/03/02(火) 09:43:42 ID:agsP6ENM0
>教えだけではどうにもなり難い、ことは、誰でも身に覚えがあろう。
>釈迦がどう説いてるかに関係なく、教えだけでは限界があろう。
>教えだけで簡単に煩悩を断てたら、誰も苦労しないよw。

だから皆苦労して煩悩を断っているのです。
釈尊もまことに禦し難きは自分だとしている。
しかしそこを頑張って克服して自分に打ち勝つのです。
桐山さんも白楽天の詩を引用して説明している。
まず法句経の有名な句を示す。
諸々の悪を作す莫れ。
諸々の善を奉り行え。
自ら其の意を浄めよ。
是れ諸仏の教えなり。
悪いことするな、善いことをせよ。心を清らかに保て。これが仏教なんだという真理です。
これに対してこれは五歳の童も知ることなれども八十の翁の行う難きことなりと結ぶ。
これも真理であり、間違いない。頭でわかっていても実行は難しい。
しかしそこからが違う。釈尊の道は難しいと十分承知しつつもそれを実行せよと
説くのみなのに対して、桐山さんは「わかっちゃいるけどやめられない、わかっちゃ
いるけど実行できないのは自分の中の赤の他人がいて邪魔しているからだ、先祖の
強迫が影響してる、まずはこの解放が先決だなどと逃避する。
こんな逃避、言い訳を釈尊は認めていない。
勝手に誰でも他力が必要なことを説くな。釈尊の道はあくまでも自力です。
おまえの心の弱さを万人に共有させるな。ましてや釈尊なんか出すな。
おまえの一般論は一般論になり得ない。

189ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/02(火) 23:57:43 ID:SmEF4Oe2O
>>174:準シュダオン10/03/02(火) 09:43:42 ID:agsP6ENM0
>管長は、ご自身の体験から「根本仏教だけやってれば良いという
>ものではない」と、いっています。

いつこんなことを言った?引用を示してみなさい。
桐山さんはたしかに完全仏教を示した。それはこの俺様がアゴン経を武器に中央に君臨し、
他の大乗仏教、チベット仏教などをも取り入れ認めた仏教の王者なんだと
思い込みたいのです。さんざん他宗を否定、批判、悪口も忘れないくせに。
桐山さんが密教などを手始めに教えるのは、いきなり仏教の基本を知らない人に
いきなり三十七道品など実行できないからまず作法から入るのが教えやすいから
なんだそうです。だから密教作法など入門の前提であり、究極はアゴン経の
成仏法の修行です。

>だから、釈迦仏教だけを実践してるのではありません。
>管長自身、命を助けられたのは、阿含経ではなくて、真言密教の
>准テイ観音経だったなわけです。そこを考えてみなければいけませんね。

なんかまるでアゴン経でようやく見つけた成仏法では足りなくて他の念仏にも
頼らねばならないかのような書き込みです。
桐山さんが準胝観音経に救われたのは自殺を思いとどまったということです。
しかし横変死の因縁を切って救われたなんて言ってない。
最初から横変死の因縁がないのだから自殺したくてもできないと悟ったそうだ。
準胝観音経は信仰の契機になったのです。そのくせこの後偽ビールなど数々の前科を
作るのは準胝観音経の信仰なんて何の歯止めにもなりませんでしたと言ったも同然だがw
ともあれこの観音信仰を契機に法華経→密教と進み、満足できず最後にたどり着いた
のがアゴン経だというのです。
アゴン経にこそ成仏法があり、いや、アゴン経にしか成仏法はなく、これまでの
遍歴はその為の導入に過ぎなかったのです。
つまりアゴン経でようやく初めて救われたのです。
このようにアゴン経至上主義の前提で解脱への遍歴を説いているのだから
人の書いた作り話は正しく理解した上で言葉を選んで慎みなさい。

190ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 00:29:20 ID:SmEF4Oe2O
>>177:準シュダオン10/03/02(火) 13:56:42 ID:agsP6ENM0
>ではユビキタスさんに訊くが、悪趣とは事故や災難は含まない、
>と、釈迦がどこかで説いていますか?

悪趣と言う場合、地獄、餓鬼、畜生を三悪趣といい、悪いことを為した者に対して
死んでから後、悪趣に堕ちると説きます。悪業が報いとなって実を結ぶには
機を熟するのに時間を要するとしている。すぐには現れない。よって来世に
業の報いを受ける。悪趣に堕ちる。こういう説き方をします。
これにおかしな拡大解釈は不要です。
来世に堕ちる地獄の話をしているのにこれを勝手に現世の問題などにしてはならない。
現世的状況をも悪趣にも含めるようになるのは後世のことであり釈尊の説でない。
それも貧乏とか被害者的状況を言わない。殺し合いをするとか自分も醜い煩悩に
従って加虐する立場にある時を悪趣に堕ちたと言う。
しかし釈尊が現世の状態も指すのだよと示しているのならば、然るべき説明が
あるはずです。それ悪趣に二種あり。一つは来世に堕ちる世界なり。一つは現世
の苦しい境涯なりと。どうしてそれがないのか?
単に殺されたりするのが悲惨で苦しいからそれが悪趣と言うのならば、異教徒に
石をぶつけられさんざん痛い辛い苦しい思いをして、それが致命傷になって
横変死したモッガラーナをどうして悪趣に堕ちたと言わないのか?
彼が未熟な修行者ならばともかく、彼は最高のアラハンなのです。
どうしてアラハンが悪趣の苦しみを味わうのだ?
サンガの手助けもできなくなり、モッガラーナの死に釈尊までが心に穴が空いた
ようだと悲しまれた。普通に不幸な話です。
しかしそれでもアラハンと言われるのは、殺されるという悲惨な不幸でさえも
悪趣とは関係ないからです。
逆に殺した方は悪趣に堕ちます。

191ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 01:13:48 ID:SmEF4Oe2O
>>177:準シュダオン10/03/02(火) 13:56:42 ID:agsP6ENM0
>>辞典では、「悪趣とは、苦しい生存の在り方」と、説明しています。

一番肝心なところを省略しないで正しく引用しなさい。
岩波仏教辞典を示す。
「悪業を積んだ報いとして趣かねばならない苦しい生存のあり方をいう。」
どうして悪業の報いを省略したのですか?
悪業の報いは受けるより他ないのですよ。
それとも麻原など死後地獄に堕ちて苦しむことを考えると忍びない。助けてやれ、
赦免してやれと主張しますか?釈尊も好戦経で目連が見た肉団、戦争を起こして
利益を享受した人の行く末なんだが、「我もまたこれを見る」と言っただけで
救わねばならないなんて言ってない。
霊障を解けなんて言ってない。悪趣に堕ちる奴はそいつの責任です。
堕ちて報いを受ければよいのです。
あなたのいうような悲惨な運命に遭う人を桐山さんも悪趣呼ばわりしましたよ。
アウシュビッツの犠牲者を地獄に堕ちたと罵った。
気持ちはわかりますよ。まるで地獄に堕ちて鬼どもの責め苦を受けるがごとき
生き地獄だったのでしょうねと哀れむ。
しかし宗教者として地獄に堕ちたはない。
洋の東西を問わず地獄というところは悪いことをした奴が行くところです。
アウシュビッツの犠牲者が何を悪いことをした?
悪いことをして地獄に堕ちるべきは毒殺の処刑者、加虐者であるナチスではないか?
しかし桐山さんは犠牲者を地獄に堕ちたと発言したことは彼らは地獄に堕ちるような
報いを受けて当然の者と宣告したことに等しいのです。
この通り悪趣には必ず悪業の報いという絶対必要条件があるのです。
悪業の報いをなぜ避ける?なぜ救う?
それは麻原を逃がすような話だ。
悪業の報いを受けて死後に悪趣に生じることのないように悪業を積むのをやめなさい
悪いことをするのを、今この瞬間からやめなさいというのが釈尊の教えです。
これでも災難事故は悪業の報いたる悪趣だと抜かすか?

192ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 01:46:51 ID:SmEF4Oe2O
>>177:準シュダオン10/03/02(火) 13:56:42 ID:agsP6ENM0
>まぁ、事故や災難というもんは、完全なる偶然だ、と考えるのも自由
>でしょうけど、必然(因縁)と考えても良いわけです。

岩波仏教辞典にもあるが悪趣とは人間や天さえも含む例もありますね。
あなたが前に出した病厄老死の悪趣云々の経典もそうです。
岩波仏教辞典を引用する。
「ふつう地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の〈六趣〉(六道)のうち、阿修羅を
除いた〈五趣〉(五道)中の地獄・餓鬼・畜生の三つ、あるいは阿修羅を含めた
四つを、それぞれ〈三悪趣〉(三途とも)・〈四悪趣〉というが、無漏の浄土に対して、
輪廻転生すること自体を煩悩に汚された苦の世界(穢土)と見て、人や天も含めて
悪趣と呼ぶこともある。」

少しは吃驚してください。人どころか天も悪趣なんです。
天とは神の住む恵まれた世界です。
これまでも含めて所詮は煩悩から離れていない汚れた輪廻世界として悪趣として
いるのです。
どうしてあなたのように災害事故病気などの境涯のみを悪趣に限定するのだ?
四苦八苦のある世界自体が悪趣とする。
四苦八苦って何?老病死とは偶然ではなく必然です。
そして老病死の苦を超越するとは何か?
次に生まれてこなくなることです。
生まれてきたら必ず老病死の苦はつきまとい、なくすことは 不能です。
他の愛別離苦などの苦も必ずつきまといこれがなくなることはない。
死苦に対して死ななくなる解決法があります。
それは死ぬ以前に生まれてこなくなることです。
今残念なことに生命を受けてしまっているから苦がつきまとうことは覚悟しなさい。
生まれてこなくなる以外に死苦を超越するとしたら、死を恐れない、気に留めない
ことですね。
ほら?心の問題以外に外界が変わる道など自分が生まれてこなくなる選択肢
以外にはない。
つまり生存はそのみに災害事故の苦しみだけなくそうなんて できません。
災害事故のない安穏な環境を得ることを悪趣に堕ちないとは言わない。
そんな生存だけはちゃっかり離さないムシのよい話はない。
おまえもとっとと氏ね。
まあ今氏んでも悪趣から離れることはないけど。

193ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 01:51:06 ID:SmEF4Oe2O
つまり生存はそのみに災害事故の苦しみだけなくそうなんてできません。

つまり生存はそのままに災害事故の苦しみだけなくそうなんてできません。

194天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/03(水) 07:08:51 ID:4TDlm/eg0
>>192 最後から2行目は良くないなあ。せっかくの名文が台無し。
これさえなければ、パーフェクト。

195ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 08:30:47 ID:SmEF4Oe2O
>>178:準シュダオン10/03/02(火) 14:11:34 ID:agsP6ENM0
>随眠を「ずいめん」と、振り仮名したら、日本語的には間違いですねw。

随眠をずいみんと読もうがこれを絶対に間違いだなんて言う気はありません。
だからこれまでにも ずいめんを出すことがあっても、殊更にこれを取り上げて
批判ネタに使ったことがない。
読み方はならわしみたいなものでしょう。
折角の機会だから随眠(ずいめん)も岩波仏教辞典でひいてみるとよい。
これは心の内面にある悪に向かうもので煩悩そのものを指します。
後の唯識思想で煩悩はアーラヤ識に内在するとするが、これとても記憶の貯蔵庫と
同じで、いつでも表面に出てくるし、意識を向ければいつでも観察できます。
つまり自分の中の赤の他人ではない。

196準シュダオン:2010/03/03(水) 09:38:52 ID:agsP6ENM0
「自分の中の赤の他人」は、喩えだから、深刻に考えることはないw。
天も人間も悪趣に含まれることを、ようやく理解してくれましたかw。
で、人間は等しく悪趣だ!人は同じく苦しい生存の在り方だ!
と、唱えてみても、程度に相当の格差がある。
人間の中でも格差社会でしょう。その差は何か?が、テーマなのです。
で、○○の因縁が出てくるのです。

悪趣とは、来世に趣くところ、とだけ考えていては笑い話です。
現世とは、前世においての来世なのです。
つまり、ユビキタスさんは、前生においてはユビキタという名前でしたが、
ユビキタさん時代に為した悪業により、悪趣に堕ちて、現在はユビキタス
さんとして生存しているわけです。おわかりか?

自力自力、といってもね、確かに立って歩くのは自力です。
しかし、立って歩くにも、引力という他力を利用して、立って歩けるのです。
他力(引力)の助けなしに、歩くことはできません。
仏教における他力とは、そういう意味でしょう。
他力なしに自力なく、自力なしに他力なしです。

197準シュダオン:2010/03/03(水) 09:48:49 ID:agsP6ENM0
「根本仏教だけやってれば良いという訳でもない。根本仏教から流れ出た
大乗仏教を無視するわけにはいかない。それらを包含しなければいけない」
との管長の話は、伝法会での合同講義です。

だから、そういう考えから、根本仏教と大乗仏教の融合という理念が生じる
わけでしょうよ。

198ラシン:2010/03/03(水) 12:11:04 ID:XYs6itx.0
>196 :準シュダオン:2010/03/03(水) 09:38:52 ID:agsP6ENM0
「自分の中の赤の他人」は、喩えだから、深刻に考えることはないw。
天も人間も悪趣に含まれることを、ようやく理解してくれましたかw。

後弁と自覚して苦しい照れ笑いをしながら、知ったかぶりを示した?
あなたは、ユビキタスさんの岩波仏教辞典の引用でヒントを得て、
尤もらしく言葉尻をあわせたつもりでも、過去に語っていない。
人や天も含むとはあくまでも一説です、>>192をよく読みなさい。
釈尊は、死後の苦しい生存の境涯を悪趣としている。

>人間の中でも格差社会でしょう。その差は何か?が、テーマなのです。
で、○○の因縁が出てくるのです。
>悪趣とは、来世に趣くところ、とだけ考えていては笑い話です。
現世とは、前世においての来世なのです。

たとえば、
アフリカなどの飢餓難民と日本での飢餓の無い人々の違いを
前世の○○因縁による今世のあり様と言いたいのだろうが、
前世に戻ってやり直しが出来るのか? 出来ないから釈尊は、
あくまでも現世を基点として、今行わねばならぬことの果報を
四沙門果とし、行ってはいけないことの報いを死後に趣く
悪趣の境涯、と区別して説いたのです。
経典まで示しても、あなたは自説に溺れて視点を見失っている。
そんな屁理屈など説得力に欠け、藁をもすがる苦し紛れの咆哮だ。

>他力(引力)の助けなしに、歩くことはできません。
仏教における他力とは、そういう意味でしょう。

在家からの布施無しで修行を続けることは出来ないから、
これも他力だと言うがごときの無知で幼稚な解釈です。
自分自身での自己観察に徹し、自己の煩悩は自分で気をつけ、
自分で制御し戒めて滅しなければ、誰が代行出来るのか?
他力と言うデンパが飛んで来て煩悩をパッと消してくれるか?
おめでたい人だ。

>197 :準シュダオン:2010/03/03(水) 09:48:49 ID:agsP6ENM0
「根本仏教だけやってれば良いという訳でもない。根本仏教から流れ出た
大乗仏教を無視するわけにはいかない。それらを包含しなければいけない」
との管長の話は、伝法会での合同講義です。

初耳だが、いつの伝法会ですか?
大乗経をニセモノ扱いしながら、そのニセモノも一緒に煮込むと、
ジョーブツ法というごった煮鍋が完成した?
桐山さんの矛盾を曝け出すとは、いかにも崩壊信者らしい。

>だから、そういう考えから、根本仏教と大乗仏教の融合という理念が生じる
わけでしょうよ。

ニセモノ教義とニセモノ経の融合は、多分、矛盾と言う核分裂を
起しているだろうね。
あなたが焦るあまり、崩壊の序章を煽るという愚考を犯した。
悪事を働いている者ほど、美辞麗句という装飾を身につけたがる。
追随者はその装飾に見惚れて、共犯という罪から目を逸らす。
桐山さんから免罪符は発行されません、醗酵し腐敗した教義だから
腐敗宗だ。
あなたの主張には、その腐敗臭が常に漂っている。

199ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 13:21:32 ID:SmEF4Oe2O
>>194:天照 ◆MO30b8Jwoo10/03/03(水) 07:08:51 ID:4TDlm/eg0
>最後から2行目は良くないなあ。せっかくの名文が台無し。

そうですね。とっとと氏ねは良くない罵りですね。
これは取り消しましょう。
要はこう言いたかったのです。
老病死苦から愛別離苦などの四苦八苦の解決法の問題です。
四苦八苦を超越するには二通りあります。
一つは囚われない、気にしないです。
つまり偶然だろうが必然だろうが、四苦八苦そのものが生きている限り消滅する
ことはあり得ない。
ならばこれをあるがままに受け入れる。
痛い注射を受けるのと同じです。注射は痛いから受けたくない、でも病気は治したい
なんてムシがよすぎる。で、覚悟をきめて注射を受ける。もちろんチクリと痛い。
つまり自分の心の持ちようだけを変える。
そんなんじゃ満足でないならば死ねばよい。生きている間四苦八苦は避けられない。
だから死ぬ。ただ死ぬだけでは駄目だ。また輪廻して苦しみは続くのだから。
だから生まれてこなくなるようにすればよいのです。
四苦八苦の超越と言ったらこの2通りしかない。
そこで準様にあなた様がお亡くなりになるのも一つの手でございますことよと
示したわけです。

200ラシン:2010/03/03(水) 15:01:27 ID:XYs6itx.0
>199 :ユビキタス
>そこで準様にあなた様がお亡くなりになるのも一つの手でございますことよと
示したわけです。

そう理解しておりましたが、準シュダオン様におかれましては、
煩悩滅を果たさずの終焉は、来世に繋がる輪廻の小枠内(怖くない)。
その来世での吉凶損得にも、多分こだわり続けて、>>196「悪趣とは、
来世に趣くところ、とだけ考えていては笑い話です。現世とは、
前世においての来世なのです。」 なんて結局は、来世だと言う
前世から見る来世=現世 という堂々巡りの主張を披瀝しました。
これは、自分で蹴ったボールが、自分に当たったとの笑い話し。
自分で滑って転んでご苦労さんと、労らうしかありません。

201天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/03(水) 15:03:40 ID:FTFV9dnM0
>>199 了解です。そういうことだったのですね。

しかし、いつも思うことですが、釈尊仏教をやりたいのか、それとも後世の改ざん仏教をやりたいのか、
といえばどうもアゴン宗の信者は「後者選び」であり、尚且つ後者が釈尊の教法だという風に認識していることですね。
かつての私もそうでしたが、調べることもせずに勝手な解釈やゲイカを信じているから、と言う理由だけでアゴンの信仰
というものを進めていますね。元々オカルト好きとか自分の都合や思考に沿うものだけを選ぶ人は論外ですが、アゴンの
やっていることや内容が本当の仏教ではない、効果が無いと分かれば普通ならやる気にならないものですがね。

個人的な志向(好み)や偏見というものをいったん捨てて、釈尊仏教というものと比較してみる、という単純な行動が
どうしてできないのか、本当に分からない。私も頭のいいほうではないが、この私にも違いは分かった。
アゴンの頑迷な信者というのは、本当にこうも終わっているのか、と嘆かざるを得ない次第です。

確かに自分の信じてきたものが間違ってるがゆえにそれを認めるというのは自分の立場や過去が無駄になる。
ゆえに認めたくない・信じたくないというのは分からなくは無い。
だが、いくらやっても効果が無いものへ執着してどうするのか?というのが判断できないのですね。
やれ、因縁が薄らいだとか、奇跡があったとか、運命を垣間見たとか、そんな個人的見解など通らない。
実際に自分を含め自分以外でそういう人がどれだけいて証明できるか、を実際にやった人はいないというのを
やってないしわかっていない。体験談やいい話ばかり聞いて優越に浸るのは誰でもできる。
そんなぬるま湯世界など、現実逃避です。私は信者の中で若くして亡くならねばならない人を多く見ている。
危機や限界に接したことの無い人だけがほざける世界にいたいのでしょう。
自分の信仰が通用しない無力さに実際出会わないと、目が覚めないようですね。

202天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/03(水) 15:26:57 ID:FTFV9dnM0
信者は鵜呑みにしすぎなんです。人を信じることはよろしいことなはずですが、悪や間違ったものまで
信じることは「よろしくない」なぜなら間違った方向に行くからです。

どうせ信じるのなら、なぜ仏教の開祖「釈尊の教法」に従わないのか?です。

お釈迦様は「因縁解脱」など説いていません。アーガマに成仏する方法が書かれてあるのなら、なぜに
それを示す箇所が無いのでしょうか?
また、、お釈迦様はお経や真言などを唱えれば、因縁解脱できると言ったり示されたのでしょうか?
アーガマのどこにそういう表記や記述があるのでしょうか?

もしも、それが釈尊在世のころから有るのでしたら、第一結集の際にそういう記述があるはずです。
また、十大弟子をはじめ釈尊の弟子達みんながお経や真言を唱えているはずです。
そして、そういうものが伝播されているはずですし、弟子で不幸な亡くなり方をした弟子は皆無な
はずです。因縁解脱できているのですからね。

そんな話は聞いたことが無い。釈尊が呪文や何かを唱えて魔法のように何でも叶えた・成就した、と
いうのは聞きません。なのに、実際アゴンの信仰でやることといえばアゴンの聖典勤行でしょう?
あとは、梵行という名の「奉仕活動」と「解脱供養」とかですよね。
釈尊が言わない・やらない内容のものばかりです。
で、論議すれば「アゴンのほうが正しい」と主張する。まるで逆吊の世界じゃないですか。
本当に馬鹿げた話です。

203ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 19:10:32 ID:SmEF4Oe2O
>>196:準シュダオン10/03/03(水) 09:38:52 ID:agsP6ENM0
>「自分の中の赤の他人」は、喩えだから、深刻に考えることはないw。

おいおいおい?実はこの部分が桐山教学の一番大切なところだぜ。
桐山さんは密教占星術1の選択の原理でこのわかっちゃいるけどやめられない
人間の持つ矛盾性を、ショーペンハウエルの「知性は意志の行う決断と無関係である」
を「知性は行動と無関係である」と読み直し力説している。
この矛盾性について理解のない人を心の底から憎むと書いている。
「チャンネルをまわせ」ではソンディの家族的無意識の衝動を出し、
「人間改造の原理と方法」では自分の中の赤の他人とはっきり説いた。
変身の原理では、新皮質による押し付けに「説教はやめてくれ」とリングに乱入
する古皮質・旧皮質軍団の夢で喩えている。
つまり自分の中に理性的自我と相容れない矛盾した自分がおり、これをどう
コントロールするかが古くからの一貫したテーマを大真面目に追っていることを
あなたの読書力は読み取れないか?
このテーマが肝心要なんです。
まあこんなテーマを逃避に使うほど毒されてない方がよいのだが。

204天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/03(水) 19:25:37 ID:FTFV9dnM0
 agama考察室更新情報

当スレの>>96に「無関係な人間です」さんが教えてくださった
「黒幕といわれた男」ー山段芳春の素顔ーという本の画像をUP。

そこには「京都政界の黒幕と恐れられた存在」である山段氏と桐山氏との関係が
記されている。ぜひ、ご覧ください。

また、資料を提供いただきました「と有る方」さん、感謝申し上げます。

メニューに入ると、3月3日更新と書かれたのが1つしかないので分かります。

http://agama.zouri.jp/index.htm

205ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 20:52:00 ID:SmEF4Oe2O
>>196:準シュダオン10/03/03(水) 09:38:52 ID:agsP6ENM0
>天も人間も悪趣に含まれることを、ようやく理解してくれましたかw。

と笑っているが、人間はともかく天までも悪趣の分類にすることもあるニュアンスを
あなたこそ全然掴んでいない。
よろしいですか?天上界とは人間界よりも高い境涯なのです。
日本人にわかるように言葉を代えるならば神の世界です。
あなたが憂いている災害病気貧乏などと正反対の豊かな恵まれた世界のことなんです。
そして釈尊もまた在家に対して生天に生まれることを説くほど、善業を為した報いで
このようなよい境涯に生まれ変わるのです。
桐山流に表現するならば徳を積んで福を得た。この福の世界が天上界と言える。
桐山さんは良い因縁を徳としてこれを育てることを説いた。福の種だからです。
切るのは悪い因縁ですね。不幸不運の種だから。
善業の甲斐あって幸福な天上界に生まれた。
釈尊も天上世界の御利益を描いてますね。あなたも引用したことがある。
この天上界まで所詮は六道輪廻の煩悩に汚れた悪趣世界だからとその離脱を説くのです。
すると考えてもみなさい。災難不幸どころか幸運な恵まれた世界までも悪趣と
いうことは、悪趣とは災難不幸で苦しむことを指さない。
災難不幸の運命を好転することが不堕悪趣ではないのです。

>で、人間は等しく悪趣だ!人は同じく苦しい生存の在り方だ!
>と、唱えてみても、程度に相当の格差がある。
>人間の中でも格差社会でしょう。その差は何か?が、テーマなのです。
>で、○○の因縁が出てくるのです。

だからあなたのこの論の畳み方はおかしいのです。
人間の中の格差よりも1クラス高いランクの幸運な環境でも悪趣扱いなんです。

206ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 21:31:02 ID:SmEF4Oe2O
>>196:準シュダオン10/03/03(水) 09:38:52 ID:agsP6ENM0
>悪趣とは、来世に趣くところ、とだけ考えていては笑い話です。
>現世とは、前世においての来世なのです。
>ユビキタさん時代に為した悪業により、悪趣に堕ちて、現在はユビキタス
>さんとして生存しているわけです。おわかりか?

だからどこに悪の問題があるかと言うと、自分の為した悪業です。
悪業には必ず報いが訪れるから断つべきは悪業、悪い行いです。
今これから悪いことをしないことなんです。
昔してしまった悪業は取り返しがつきません。
天に向かって吐いた唾は自分に返ってきます。天に吸収されたり消滅したり
しません。ならばこれは甘んじて受けるより他ない。
釈尊は過去に囚われるな、くよくよするなと説いている。
これは過去の悪業の報いの回避清算を説く桐山因縁解脱教と正反対でないか?
未来を追い求めることも説かず、今この瞬間を精一杯に生きることを説く。
報いなんてのは仕方ないのです。受けなさい。
だって過去のことなんだから。過去は変えられない。終ったものは仕方ない。
前に深山さんが目連が異教徒に殺されたことについて書かれた阿含経がありましたね。
異教徒にしつこく狙われるのは自分が前世になした悪業の報いなんだから
これから逃れることはできないと目連は観念した。ちなみに目連って最高のアラハンです。
アラハンを以てしても前世の悪業の報いは避けられないとはっきり阿含経が表明
してるんです。つまり因縁解脱の完全否定です。
これって目連の問題発言でありませんか?
釈尊の仏教が因縁解脱教だったらどうしてこんな発言を経典に残したのですか?
カットしなかったのですか?
それからあなたは麻原は来世に悪趣に堕ちることは目に見えてわかるのだから
現世に悪趣に堕ちたとも言える。あなたの理屈では。
ああ、境遇は牢屋に入れられる憂き目も見てますね。
可哀想ですね。助けてあげましょうよ。
現世では釈放してあげて来世も安穏な人生を送れるように因縁解脱を教えて
あげましょうよ。松本智津夫のために。
因縁解脱ってそういうスローガンなんですよ。
過去の悪業も清算できて報いを受けなくて済むぞ。わーいわーい。

207ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 23:11:12 ID:SmEF4Oe2O
>>196:準シュダオン10/03/03(水) 09:38:52 ID:agsP6ENM0
>自力自力、といってもね、確かに立って歩くのは自力です。
>しかし、立って歩くにも、引力という他力を利用して、立って歩けるのです。
>他力(引力)の助けなしに、歩くことはできません。
>仏教における他力とは、そういう意味でしょう。
>他力なしに自力なく、自力なしに他力なしです。

「春日も減税ですぞ」並みの意味不明さですね。
そんな下手な屁理屈書いても通用しません。
桐山さんは「如来の加持力身に受けて」と、如来からの加被力を必要としています。
如来とは死んだはずだよお富さんならぬおシャカさんでブッタ(あれ?)の
ホネから放たれる紫色した金色のバイブレーションです。
このホネホネバイブレーションが成仏力を与えてくれるのです。
金や人質大好きでよし、おまえに因縁切りの貯金にも使える徳を褒美にプレゼント
してやろうというわけです。
あー、しかしさぼっとったらあかんで。自力で努力する奴にだけこっちも他力
サービス後押ししてやるからね。
こんな桐山興行の世界の話でなく、釈尊の仏教では言葉で教えを示して道しるべとする
教師を演じるだけで、人は各自の努力で自力でこの教えを実行するしかありません。
教えを実行するには息をしなければなりません。空気がなければなりません。
だから空気という自然界の他力をも活用することはあっても死んだオシャカは
何もしてくれません。経典に教えが残っているだけです。
そもそも生きている時から言葉で教えを説く以外は何もしてくれませんでした。
あなたのくだらねー相対性原理は、あなたの周りに酸素があって引力がある
くらいしか貢献されてません。

208ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/03(水) 23:22:56 ID:SmEF4Oe2O
>>197:準シュダオン10/03/03(水) 09:48:49 ID:agsP6ENM0
>「根本仏教だけやってれば良いという訳でもない。根本仏教から流れ出た
>大乗仏教を無視するわけにはいかない。それらを包含しなければいけない」
>との管長の話は、伝法会での合同講義です。

そうなんですか?
ではそういう発言があったという前提で質問しますが、
どうして桐山さんは根本仏教だけでは駄目で大乗仏教もやらないといけないと
言ったのか、その理由、趣旨を説明してください。
私は説明済みです。
手始めに仏教の基本をマスターするには密教などの様式が都合がよいとか。
しかし成仏法のエッセンスはアゴン経なのです。
大乗や密教には成仏力がない。
密教には辛うじて型だけある。
型に本当の力を加えるのがアゴン経だという。
あなたの説って、なんだかその成仏法、成仏力自体がアゴンだけでは不足だとか
言いたげに聞こえるんだよね。
これまでの文脈の中で。
型があると便利だからまず型をマスターするために大乗も密教も必要だと
言うのなら賛成です。
いや、賛成とは桐山的に間違ってないことを認めるというだけの意味。
あなた最近阿含経なんかより禅や念仏のお話の方が面白いと思ってるでしょ?
いや、あくまでも暇潰しの読書の世界で。

209Boo:2010/03/04(木) 00:59:20 ID:DXlq9owoO
ユビキタスさん面白過ぎ。

ちょっと横レスなんですが、前世の行いにより現世の不幸があるのならば、アウシュビッツのユダヤ人は前世の自分を反省しなくてはいけなくなりますね。

占星術の立場から解釈すると、自己選択による運命要素は占星術に暗示があるが、事件や事故など他発的な被選択には自己の命式に暗示されないという内容の説があります。ここのところは私の勘違いがあるといけないので、後日、抜粋しようと思っています。

210天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/04(木) 07:55:18 ID:byTjiZzo0
ユビ管長の説法は素晴らしいですね。普通の人なら、もうここで何か気づくものですけどね。
またあの方は、きっと懲りずに持論を展開してくるのでしょう。

Booさんも言われてますが、自分も少々思うところがあります。
現世で環境の良くない人や困窮する人というのは、やはり過去世に於いて悪業の強い(多い)
方ではないか、と言うことです。
しかしながら、釈尊はそれをはっきり言ってたかな?と思ったり。
そういう一方で因果論としては、結果は「熟せば出る」といわれている。
なので、間違った考えなのかもしれないが、現世で泣きを見る人はやはり過去世の行いが悪い、
と思ってしまう。

ただ、過去世の悪業、つまり因果の報いを受けているのだから当然だ、というのはあまりにも
冷徹で酷すぎる。釈尊が貧者や弱者に施しをせよ、ということも言われていたと思うが、それで
あればやはり、悪業を積んだものは当然の報いを受けるのが筋だが、助けてあげることも生者
にとっては善行を積む対象であるのかと思ったりもします。

この世に富貴や卑賤のような格差があるのは出来れば無いほうがいいのでしょうが、自然的な
状態や輪廻のことを考えてみれば、当然のことであり、また自然の流れなのでしょう。
だから、散々悪業を積んでおきながら、それをまじないの類で帳消しにされたら真理も法則も無い。
絶対にそれはありえないんだ、と釈尊は言われていると思う。
だから、この世に生まれてきて人間が「OOの因縁」と名称をいくらつけようが、それを変えたり
するということではなくて、悪業を果たしつくすのと釈尊が言われるとおり、煩悩を滅する根本的な
涅槃へ入る解脱を得ないと駄目なんでしょう。
いくら真言を唱えお経を読み、アゴン宗という教団に奉仕しても悪業など消せない。
それを理解せねばならないでしょうね。

211ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 08:18:02 ID:SmEF4Oe2O
>>197:準シュダオン10/03/03(水) 09:48:49 ID:agsP6ENM0
>「根本仏教だけやってれば良いという訳でもない。根本仏教から流れ出た
>大乗仏教を無視するわけにはいかない。それらを包含しなければいけない」
>との管長の話は、伝法会での合同講義です。

>>208:ユビキタス ◆oGqIQwSRtg10/03/03(水) 23:22:56 ID:SmEF4Oe2O
>どうして桐山さんは根本仏教だけでは駄目で大乗仏教もやらないといけないと
言ったのか、その理由、趣旨を説明してください。
>私は説明済みです。
>手始めに仏教の基本をマスターするには密教などの様式が都合がよいとか。
>しかし成仏法のエッセンスはアゴン経なのです。

>>208の私の発言を裏付ける桐山法話の動画を見つけました。↓の中にあります。

http://youtube.com/watch?v=y9H5hosprtA&hl

これは昨日208を書いた後に2ちゃんねるに貼られた阿含宗の初めての方用紹介宣伝
動画を私も初めて発見したものです。
やはり根本仏教には形式がなく、最後に現れた仏教としての密教は形式が最も
整備されているからこれを実践するというものです。
しかし形式は所詮形式に過ぎませんから形式だけでは力は身につきません。
本質はアゴン経にあるから密教の形式をとっかかりにおいおい本質を教えていく
というものです。
この動画の法話がいつのものか知りませんが、私は聴いてないはずです。
しかし昔から同じことは聴いているから正しい桐山教学をぽんと示せるわけです。
あまり嬉しくない話ですがw

212天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/04(木) 08:31:33 ID:byTjiZzo0
今みましたが、何も知らない人を騙すには格好の動画ですね。
批判板を見ている我らにはちゃんちゃらおかしい。
あの画像は新しいですよ。最近作られたものじゃないでしょうか。
突っ込みどころ満載ですねw

213ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 08:46:02 ID:SmEF4Oe2O
>>209:Boo10/03/04(木) 00:59:20 ID:DXlq9owoO
>ちょっと横レスなんですが、前世の行いにより現世の不幸があるのならば、アウシュビッツのユダヤ人は前世の自分を反省しなくてはいけなくなりますね。

ところが釈尊は過去について思い煩うな。くよくよするなという立場なんですね。
悪業の報いを来世に受けるという業報思想は釈尊以前からインドにあったもので
釈尊もまたこれを否定せず肯定しております。
しかしこれを説く時、たった今現世において悪いことをするななんですよね。
過去、前世においてなした悪業の報いで受ける苦しみについては積極的に語らない。
この世に泣きを見る人は過去世に人を泣かしたる。罪の報いと思い知れ
なんてことをあまり言わない。
言って懺悔させたところでその報いが解消するわけではないからです。
そんなことにくよくよするくらいなら今を清く正しくのびのびと生きることに
精を出した方がよい。
桐山因縁解脱たる業報の解消転換が釈尊の仏教の骨子ならばもっとそんな話、
エピソードがいっぱいあって然るべきです。
「お釈迦様。どうして私は貧乏だけに飽きたらず災難続きの運命なんでしょうか?」
「それは前世におまえのなした悪業の報いだ。しかし心配するな。ここに我が開発
した業報消滅転換ほうがある。これを実践すればおまえは来世を待たず、現世の
うちにいろいろな嫌な問題は解決されて運命は好転する。さあわが道に入門せよ」
どうしてこんな話が見当たらないのか?
そんなことを説いてないからです。
アウシュビッツの犠牲者もその前世はなんらか悪業を為していたのかも知れない。
しかし不問です。
それよりも殺された現世において彼らは悪業を為さなかった。
悪業を為したのはナチスの方です。
だから殺すよりは殺される方を選ぶのが仏教の精神です。

214ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 08:56:43 ID:SmEF4Oe2O
>>202
桐山さんは阿含経を奉持して釈迦信仰を説いてますね。
これが間違い。
阿含経では釈尊への信仰を否定しています。
釈尊の説いた道の実践を奨励しているのです。
教えの信仰と実践です。
仏舎利を納めた塔はその尊い教えを思い出す為のシンボルであり、力を授けて
くれる本尊ではない。
阿含経に本尊なんて考え方はない。
主体は常に自分自身で客体はない。
それにしても阿含経は釈迦直説と解説する時の映像で
桐山さんが釈尊が阿含経で禁止した護摩を焚いている映像(パラオでしょう)を
見た時には笑ったw

215準シュダオン:2010/03/04(木) 09:14:23 ID:agsP6ENM0
煩悩に依って悪業を為して悪趣に生まれる。
善業を為せば善いところに生まれる。
この道理を、「業報応因縁」と、釈迦は説いています。
それを見る力を、天眼智、という智慧としています。
凡夫には天眼智がないから、業報を盲信するか、盲不信するしかない。

で、現世で加害者と被害者に分かれても、前々生ではその立場が逆転して
いることがままあろうね。だから、現世だけでしか判断できないのが
凡夫の限界であろうね。
仏道修行で三結を断ずれば不堕悪趣というように、煩悩を断つ毎に良い
運命を持つことになります。だから、仏道は「悪い運命の星(因縁)」を
切ることができる、ということになりますね。

216準シュダオン:2010/03/04(木) 09:19:54 ID:agsP6ENM0
根本仏教だけでは足りない理由は簡単です。
たとえば、例を一つだけ挙げるけど、
阿含経には「王者(思念)の相承」なんて説いてない。
ところが、チベット大乗仏教には「王者の相承」を説いてます。
そして、体験した者は、王者の相承が事実であることを知っています。

だから根本仏教は勿論、大乗仏教も無視できないのですよ。

217ミケ:2010/03/04(木) 09:52:26 ID:6TOIjO5o0
>この動画の法話がいつのものか知りませんが、私は聴いてないはずです。

>あの画像は新しいですよ。最近作られたものじゃないでしょうか

いま見ましたが、あれは法話ではなくイスラエル柴燈護摩の特番のカットです。
市川森一さんがキリ山師に『密着取材』して、アゴン宗管長の『日常の素顔』を
視聴者に紹介する趣旨で番組冒頭に盛り込まれていました。
あの「はい、はい」と相槌をうっている声の主は市川氏です。
『素顔』のはずなのになぜかホテルオークラではなく、こじんまりした書斎で
蕎麦と魚の煮付け(特大の開き状のもの)の昼食を食べながら、キリ山師が「わたしはそばっ食いで毎日食べています」とか言ってました。
市川氏も「管長さんは健啖家ですね。わたしが見てきた経験では、役者も生き残る大物は例外なく大食いです。
どうも少食の人はだめですね〜」と持論をブッテいました。」
この密着取材による「等身大」の好々爺ぶりが受けて視聴者に大好評で、特別番組の続編を製作して放映すると、
具体的な放映日までお知らせがありましたが、アゴン宗の親イスラエル寄りのメッセージが世間一般に物議をかもしているせいで
沙汰やみになりました。(確かそういう理由でした)

218ミケ:2010/03/04(木) 10:33:05 ID:6TOIjO5o0
「諸君、とうとうここまでやってきたね。感慨無量だね。
キリストが処刑される日に吹いたであろう同じ風に吹かれながら、明日はお護摩を焚こうじゃないか」
前日、キリ山師は修行者に囲まれてすわりながら、両掌で包んだ杖に長いおとがいをのせてシミジミ賜りました。
修行者一同感激に打ち震え、ここに至るまでの道程の各人の長さを思い巡らしている様子でした。
そのときにも市川氏は背後に密着していましたが、氏の分かりやすい大きな造作の顔には昂揚感絶頂と書いてありました。
キリ山師の天性の口舌は、文筆業のプロである市川氏をも心酔させる魅力をもっていたのです。
天照さんが載せてくれた本を見て、総本山の土地購入のいきさつを知りました。
「仏のお手配による奇跡」のように粉飾していたネタが分かりました。
ひとつが分かって見れば、みんな同じ手口だということですね仏舎利も何もかも。

219天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/04(木) 11:37:37 ID:JJ3DXCV60
ミケさん、情報と感想ありがとうございます。
そうですか。あの画像はイスラエル特番カットの編集ものでしたか。
イスラエルの時期ですから2年前なので、比較的新しいですね。
ですが、ダライラマやローマ法王などの画像も出しているし、仏舎利も宣伝している。
まあ、アゴン側からしたら打ち出す要素なんだけれども、その真実を分かったらあんな
映像も茶番にしか映らない。
何も事情を知らない信者や一般人を騙すのには最適な内容のVTRですねえ。

あと、無関係さんが教えてくださった「黒幕〜」は手に入れれないので惜しかったのですが、
「と有る方」さんのおかげでHPに掲載することで誰もが確認・閲覧できることができて
私もうれしく、また感謝をしております。
アゴンの欺瞞を晴らすのに最適な資料であると私も感じております。

220天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/04(木) 11:42:14 ID:JJ3DXCV60
ユビさんの説明は本当に分かり易い。勉強になります。
編集して本にしたいほどです。

画像を見て自分が一番笑った、というかガクッと来るのが、現在のゲイカの秘密九字切っているところ。
ボヘーっとしててヨレヨレじゃん・・・もう、いい加減引退してよw
まあ、そのうち深田さんがやるんだろうけど。

221名無しさん:2010/03/04(木) 11:52:06 ID:G.PDOCeU0
晃c天は帰天の状態であって解脱の状態でないのは婆羅婆経に説かれているね。
世の終末=世界の終末はカルト思想となる。 カトリックでは世の終末=己の死と教える。
この世が滅びようが継続しようが、そんなことに囚われる必要もない。
_________________________________________________

この世の終わりと始まり(婆羅婆経第三)
・・・・・・・・・・・世尊は比丘に告げていわれた。「婆私托、ある時この世はことごとく敗壊する。
この世が終わるとき衆生があれば晃c天に生じる。彼らはその中で美しい身体と心が生じ、
『喜び』を食べて生きている。自分自身が光っており、虚空に昇って久遠に住んでいる。
ある時、この大地に水を満たし、その大水を風によって撹拌し、大地は細かくなって和合する。
これによって『地味』というものが生じ、物質の味と香りが生じる。ちょうど練乳のような物で、味は蜜丸のようである。
婆私托、時が経って、この世がまた復活する時、晃c天に生じた衆生の寿命が尽き、
福が尽き、命が終わってこの地上に生れ、人間となる。美しい身体と五官と心を備え、
喜びを食べて自分自身に光明があり、虚空に昇って住んでいる。
その時の世は、太陽も月も星もなく、従って昼夜はなく一ヶ月とか一年という年月もなかった。
また、その時は父もなく母もなく大家や奴婢もなく、ただ等しい衆生であった。
そこに食を貪る慎ましくない一衆生がありこのように考えた。
『地味とはどんなものか、指で少しなめてみよう』と。彼は地味を取ってなめた。
このようにして衆生は地味の味を知り、食べるようになった。
次に衆生は『指で少しずつ食べるのは疲れるので、手ですくって食べよう』と考え、手ですくって地味を食べるようになった。
このようにして、地味を食べた衆生は身体が厚く、重く、堅くなっっていった。
彼らの元の清浄な身体は消え、自然に闇の部分が出来た。
婆私托、世間の法則はこのようにして自然に出来るものである。
この闇の部分が生ずれば必ず、太陽と月が生じ、星々も出来る。
またこれらが出来れば昼夜が出来、昼夜が出来れば一ヶ月とか一年とかの年月が出来る。
このようにして彼らは地味を食べて久遠に生きていた。
しかし、地味を沢山食べた者は身体が醜くなり、地味を少ししか食べなかった者は美しかった。
そこで彼らは身体に勝劣のあることを知った。
勝劣が生じたので、衆生同志は軽慢を起こしていった『私は美しく、君は醜い』と。
このように衆生の間に軽慢が生じたため、地味は消えてなくなってしまった。
衆生は集まって悲しみ泣きながらいった。『どうしたのだ地味、どうしたのだ地味』と。
ちょうど、美味しい物が口の中で消えてしまったようであった。彼らは何故かということを考えない。
本当の原因を知らない。この梵志の説もこのようである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・婆私托、刹利族の人は『七覚法(七覚分)』を修行し、善く思い、善く観ずれば、彼は真実を知り、
真実を見、欲漏、有漏、無明漏心解脱し、解脱を知り、生はすでに尽き、梵行は成就し、
再び有(世に生まれる性質)を受けないことを知る。このように如実を知ることが出来る。
梵志族、卑舎族も同様である。このように三種族を分別する
_________________________________________________

王者の相承ってそもそも何なんだ?
シャンバラのカルキの刻印を受けることか?
チベットのカーラチャクラにはシャンバラに転生する法があるとか、
オカルト話によると前回のアセンションで地底に逃げた民族がシャンバラ人で
アセンションから取り残された地上の人が今の人類でシャンバラからは円盤が飛んで来てるとか話もあるがw

222名無しさん:2010/03/04(木) 11:53:16 ID:G.PDOCeU0
世の終末と世の復活による衆生の天と地の往来(輪廻)。
晃c天はアセンションによるライトボディの話によく似てますな。

223ラシン:2010/03/04(木) 12:15:21 ID:XYs6itx.0
>215 :準シュダオン:2010/03/04(木) 09:14:23 ID:agsP6ENM0
>凡夫には天眼智がないから、業報を盲信するか、盲不信するしかない。

釈尊は、人の死後の転生の状態を知る天眼智という能力で、
悪趣を説いたのだ。
仏教徒ならその師の教えに従い悪趣に堕ちぬよう励むのです。
それがどうして盲信となるのか? 

>現世だけでしか判断できないのが凡夫の限界であろうね。

そうですよ、あなたのように勝手にデンパを受信したと慢心して、
道に外れないように釈尊の残した戒律実践と法に学ぶわけです。

>仏道修行で三結を断ずれば不堕悪趣というように、煩悩を断つ毎に良い
運命を持つことになります。

あなたは何様のつもりで自弁を放言するのか?
その阿含経典を例示してみたらどうか?
よくよく欲のツパッタおねだり教に所属しているようだ。
あなたは金持ちになりたくてもその才覚がなく努力も嫌で、
ヨダレを垂らした犬のように尻尾を振れば財産運が転がり込む、
と信じたいだけでウンメ〜話しに執着しているのね。

>仏道は「悪い運命の星(因縁)」を
切ることができる、ということになりますね。

ぶっ壊れたレコードのごとく毎度同じ題目の繰り返しか?
レコード針が飛んだのではなく、あなたのオツムが
ぶっ飛んでいるようだ。

>216 阿含経には「王者(思念)の相承」なんて説いてない。
ところが、チベット大乗仏教には「王者の相承」を説いてます。
そして、体験した者は、王者の相承が事実であることを知っています。
だから根本仏教は勿論、大乗仏教も無視できないのですよ。

体験したなら詳説してみなさい。
王者の相承とは何ですか、それの具体的な効果は何か?
その必要性と意義を解説してください。

アゴン宗に長く身を置けば、準シュダオンさんのように
脳が壊れて色弱で見境が出来なくなるようですね。
天然ダイヤとジルコニアを合成すると言うに等しい愚行です。
桐山さんの言う根本仏教など、ダリの絵の額縁だけを購入した
ようなもので、中身も桐山さんが模写した絵でダリの絵ではない。
それを何枚も偽造して平和というワッペンを貼って売っている。
まあ、偽造は昔取った杵柄で罪の意識はないようですから、、、
だから知っているものからこの絵は誰だと疑われてダリだと答える?
真の聖者なら去華就実であるべきが、虚言と美辞麗句に装飾した衣装を
身に纏ってニセアジャリ振りを自慢している。
そんなセイジャ様から、どんなデンパを受信したのだろう。

224ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 13:04:28 ID:SmEF4Oe2O
>>216:準シュダオン10/03/04(木) 09:19:54 ID:agsP6ENM0
>根本仏教だけでは足りない理由は簡単です。
>たとえば、例を一つだけ挙げるけど、
>阿含経には「王者(思念)の相承」なんて説いてない。
>ところが、チベット大乗仏教には「王者の相承」を説いてます。
>そして、体験した者は、王者の相承が事実であることを知っています。

>だから根本仏教は勿論、大乗仏教も無視できないのですよ。

こちらから先に行きますか。
だからその回答はあなたの考えなのか?桐山さんの発言内容なのか?
私が質問したのは桐山さんの発言内容です。
あなたによると、ある年の伝法会の合同講義で桐山さんは根本仏教だけでは駄目で
大乗仏教も包含していなければならない旨を話したのだと言う。
しかしいきなり何の脈絡もなしに唐突にこんな話をしたのか?
桐山さんなりの趣旨、理由というものがある。
それを前後の法話とか質疑応答とかの脈絡の中で聴いた事項を書いてくださいとした。
ただこういう作業は読解力のないあなたは講話の聞き方も疑問だから期待するのが
間違っていたかもしれないが。
あなたの推理、推測とか考えなどに用はない。
桐山さんから聴いた通りの趣旨を再現できますか?

225ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 13:07:29 ID:SmEF4Oe2O
>>215についてはまた晩にでもゆっくりとレスつけますね。

226ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 13:09:34 ID:SmEF4Oe2O
>>216についてもその思念による王者の相承についてレスの続きがあったな。
それも後で。

227準シュダオン:2010/03/04(木) 13:54:45 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんは、思考が固くて、柔軟性に欠けてるんじゃないの?
例えば、私が、管長は準胝観音経に命を救われた、とレスすれば、
「管長には横変死の因縁がないのだから、信仰のきっかけにすぎない」と言う。

あのねぇw、横変死の因縁が無いにしても、肉体障害の因縁はあるわけ
でしょう?脳梗塞だとて、肉体障害の一つなんですから。
だったらね、管長は自殺しようとして首を吊った、横変死の因縁が無いので、
命は助かったが、半身不随の障害が残った、とする。そしたらとても今みたい
に一宗を立てることなどできなかったでしょうよ。
だからほぼ、準胝観音経に命を助けられたと言って、いいのじゃない?
管長だってそう思っているんですからさ。

だから、真言密教(大乗仏教)の准胝観音を捨てるわけには行かないでしょう。
「根本仏教だけやってれば良いという訳でもない」というフレーズは、
合同講義の際に、完全仏教の説明の合間に出た言葉なのです。

228準シュダオン:2010/03/04(木) 14:23:35 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんは、管長の言葉だけを問題にしてるから、「法」を感じる
ことができなかった、と思いますね。自分の経験を基にして考えないと、
盲信するか、盲不信するしかないのです。
○○の因縁(運命の星)は、あるのか?否か?
これを、議論で決着をつけることはできないでしょう。
自分の体験を基にして、信じるか信じないか、です。

私は、若い時の友人のK君が、「初対面の人と出会う数日前に、その容貌を
見ることがある」という話を大笑いした。それは何かの勘違いか、ホラ話だ
とね。もし、その話が本当なら人は運命を持つことになる。私は唯物論者の
無神論者であったから、その手の話を信じるわけがなかった。

ところが、それから何年かして、私は、「これこれの人に会う運命を」
その出会う事前に、何者かに知らされた体験を持ちます。何者が教えて
くれたのかはわからない。守護霊か?神仏か?悪魔(キリスト教では、
予知の作用は悪魔の仕業、とか)か?
 また、私が知りたいと思ったわけで知ったのでもないから、エスパーの
類でもない。

と、いうわけで、私は、○○の因縁を信じるわけです。
お釈迦さまも、否定はしないでしょう、
「彼の者は7日後に腹が膨れて死ぬ」などと予言なされたこともありますし。
運命の星(因縁)をも、否定はなさらないでしょう。

229ラシン:2010/03/04(木) 16:28:00 ID:XYs6itx.0
>227 :準シュダオン:2010/03/04(木) 13:54:45 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんは、思考が固くて、柔軟性に欠けてるんじゃないの?

フニャ劣等論には、かまわずバリバリと反論するとしよう。

>横変死の因縁が無いにしても、肉体障害の因縁はあるわけ
でしょう?脳梗塞だとて、肉体障害の一つなんですから。

桐山さんは、刑獄、ガンの因縁以外の他の因縁を持つと、
いつ述べていた?
脳障害と肉体障害の因縁は別です。
桐山さんは脳障害の因縁を自覚すら出来ずに大食いして、
生活習慣病から脳梗塞を患い自分の因縁無知を
さらけ出した。
この準シュダオンさんは、自説に耽りホラを堂々と言う
性癖の持ち主?

>だからほぼ、準胝観音経に命を助けられたと言って、いいのじゃない?
管長だってそう思っているんですからさ。

へっ、命を助けられたと言いながらそのくせ桐山さんは、
大乗仏教は、後世創作されたニセで成仏法がない無価値なもの、
と批判するのは、恩義知らずのどこかの国に似ている?
恩を仇なす逆恩のセイジャ様だ、と言うに等しい。
言えば言うほど師を罵倒する結果にも無頓着者?

>228 :準シュダオン:2010/03/04(木) 14:23:35 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんは、管長の言葉だけを問題にしてるから、「法」を感じる
ことができなかった、と思いますね。

法の実践こそ釈尊が説いた肝要な教えなのに、
法を感じるという快感主義者か? やはり外道だ。

>と、いうわけで、私は、○○の因縁を信じるわけです。
お釈迦さまも、否定はしないでしょう、
「彼の者は7日後に腹が膨れて死ぬ」などと予言なされたこともありますし。
運命の星(因縁)をも、否定はなさらないでしょう。

個人経験の自己申告をもとに、予知と運命の区別もつかない
口舌の徒か? これも虚言癖の現われか?
釈尊は三明六通の持ち主だったから予め知る能力を発揮した。
運命とは人の定められている吉凶のめぐり合わせを言います。
釈尊は因縁生起に基づいて言及したのです。
また、釈尊にその運命転換能力が存在したなら、
何故に釈迦族の破滅の運命を転換させなかったのか?
言えないからダンマリハカセとなるしかない。
言葉尻のみの解釈ハカセ? 単なる○○尻好きなのか?
酔払いの白日夢に似たタワケしか根拠に出来ない壊れた
蓄音機の因縁を このお方は、どう切るのだろう?
答えA:電源をOFFにする? 
答えB:チャンネルを回し間脳を揺さぶる?
お後がよろしいようで、、。

230ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 21:19:26 ID:rL2sZn620
>>216 :準シュダオン:2010/03/04(木) 09:19:54 ID:agsP6ENM0
>たとえば、例を一つだけ挙げるけど、
>阿含経には「王者(思念)の相承」なんて説いてない。
>ところが、チベット大乗仏教には「王者の相承」を説いてます。
>そして、体験した者は、王者の相承が事実であることを知っています。
>だから根本仏教は勿論、大乗仏教も無視できないのですよ。

このチベットの思念による王者の相承について、これが桐山発言であれ
あなたの推測であれ、根本仏教たる阿含経を第一の骨子とするアゴン宗が
これを取り入れてもよい理由にはなりません。
まず一般論から私の考えを述べるが、根本仏教を奉じると自称する仏教教団が
根本仏教だけでなく、大乗仏教を一部取り入れても全然構わないと思います。
共通するもの、よいもの、矛盾しないものは融合させてもかまわない。
ところが阿含経の根本精神に反する、矛盾するものをチャンポンにしてはならない。
たとえば護摩とか占い、祈祷などです。依存を否定し自立を説いた阿含経に反するからです。
そうでない慈悲の精神、利他の実践、六波羅蜜などは一緒にやってもよいと思う。
さて思念による王者の相承ですが、これは阿含経の根本精神に反するものと言えます。
釈尊は人は他人を浄められないと述べています。浄めとは解脱のことですよ。
解脱浄化は自分自身でやるしかないと述べているのです。もちろん師匠による
指導の手助けというものはある。しかしそれは教えとして言葉で説き、弟子は
これを理解して後は自分で実践努力するのであり、この実践努力に師匠の力添え
なんてものはない。しかるに言葉による王者の相承はよいが、師匠なり聖なる存在
からの言葉を超えた直接的なアプローチで悟りそのものがその人のものに
なってしまうのが思念による王者の相承ならば、釈尊はこれを阿含経で否定して
いるのです。これは矛盾ですよね。阿含経が否定してることをやるのは阿含経そのもの
の否定に他ならない。
また阿含経にはそんな力はないが、チベット密教は進化したから阿含経の成仏法よりも
上なんだなんてことは桐山さんも認めていない。

231ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 21:36:30 ID:rL2sZn620
>>215 :準シュダオン:2010/03/04(木) 09:14:23 ID:agsP6ENM0
>で、現世で加害者と被害者に分かれても、前々生ではその立場が逆転して
>いることがままあろうね。だから、現世だけでしか判断できないのが
>凡夫の限界であろうね。

で、何が言いたいのか?アウシュビッツの犠牲者はあのような報いを受ける
のも当然の悪業を為したのだと言いたいのか?
まあそういうふうに侮辱するのもあなたの思想の自由です。
しかしもしそうならば釈尊は報いは受けるより他ないとしているわけですよ。
善因楽果、悪因苦果は釈尊も認めるところです。
しかし善業が悪業を相殺してくれるなんてことは説かない。
善いことをすれば善い報いが得られ、悪いことをすれば悪い報いがある。
別々にある。公平にある。それだえです。それは避けられないと説くのです。

>仏道修行で三結を断ずれば不堕悪趣というように、煩悩を断つ毎に良い
>運命を持つことになります。だから、仏道は「悪い運命の星(因縁)」を
>切ることができる、ということになりますね。

どうしてこういう結論になるのか?業報思想を運命のように考えるのも
あなたの自由です。しかし業報により悪い報い、悪い運命に苛まれるのは
たまったもんじゃない。そんなもんあたしゃ嫌いだ。皆そう思ってるに違いない。
シャカだってそう思うに決まってる。(決めつけ)
だから因縁解脱の運命転換はあるのだ。これは論理もへったくれもない
ただのあなたのわがままな希望、感情に過ぎません。何の説得力もない。
あたしゃ死ぬのは嫌だ。老いて力が衰えるなんて嫌だ。皆そう思ってるに決まってる。
シャカもそう思ったに違いない。だからシャカは不老不死の術を編み出した
と言ってるのと変わりない。
悪趣に堕ちないとは現世で悪いことをしないから来世には悪いところには趣かなくて
済むよという教えです。

232ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 21:57:39 ID:rL2sZn620
>>227 :準シュダオン:2010/03/04(木) 13:54:45 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんは、思考が固くて、柔軟性に欠けてるんじゃないの?

コチコチに凝り固まってほぐしようのない柔軟性のない思考の持ち主はあなたです。
少しでも柔軟性のある頭の持ち主は、この話とあの話とか、双方矛盾はないかとか
そういう広い検証をするのです。次のあなたの書き込みは桐山因縁解脱の約束も考慮
してない石頭の所産です。

>あのねぇw、横変死の因縁が無いにしても、肉体障害の因縁はあるわけ
>でしょう?脳梗塞だとて、肉体障害の一つなんですから。
>だったらね、管長は自殺しようとして首を吊った、横変死の因縁が無いので、
>命は助かったが、半身不随の障害が残った、とする。そしたらとても今みたい
>に一宗を立てることなどできなかったでしょうよ。
>だからほぼ、準胝観音経に命を助けられたと言って、いいのじゃない?
>管長だってそう思っているんですからさ。

桐山さんは倉庫の中で準胝観音経を見つけただけで肉体障害の因縁を切って
回避したと言うのか?
その真言を何回唱えたのか?その日の明け方に。千座行はやったのか?
18人の武士の怨念、霊障はいつ成仏させたのだ?
ただその時は経巻を発見して、何か自分を救おうという大いなる力を感じて
思い直したのだ。これを改心、回心という。回心とは出発点に過ぎません。
肉体障害の因縁であれどんな些細な因縁であれ、因縁を切るというのは
結果、到達点です。終着点です。それは回心に始まる出発点から始まって
紆余曲折の修行を経て、初めて到達できるものなのです。肉体障害の因縁が
あるならそれは簡単に切れるものではない。経巻を見つけて切れるものではない。
そして紆余曲折の修行を桐山さんは「解脱への遍歴」として、法華経→密教→
阿含経という修行法を苦しんで模索するのです。そうして得た結果が「因縁が切れた」
という因縁解脱なんです。
出発点と終着点を混同して区別できないあなたこそ、柔軟な思考をめぐらす勇気もなく
一点しか見つめられない石頭です。

>「根本仏教だけやってれば良いという訳でもない」というフレーズは、
>合同講義の際に、完全仏教の説明の合間に出た言葉なのです。

つまり合間にそんな話も出たなということを記憶してるだけで、趣旨説明までは
理解できていないということですね。
桐山さんの説明が下手なのか、あなたの頭がお粗末なのかのどちらかでしょう。

233ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 22:22:42 ID:rL2sZn620
>>227 :準シュダオン:2010/03/04(木) 13:54:45 ID:agsP6ENM0
>だったらね、管長は自殺しようとして首を吊った、横変死の因縁が無いので、
>命は助かったが、半身不随の障害が残った、とする。そしたらとても今みたい
>に一宗を立てることなどできなかったでしょうよ。
>だからほぼ、準胝観音経に命を助けられたと言って、いいのじゃない?

つまり準胝観音経と出逢ってちょちょいと真言唱えて朝日に手を合わせただけで
肉体障害の因縁は回避できたわけね。
なあんだ?アゴン経なんか必要ないじゃないか?
密教門に入ったことにしてアジャリと自称しなくても因縁が切れていたのでは
ないか?ははははは。
それからこの自殺話も矛盾があるのだよ。桐山さんは3回自殺を試みて3回とも
果たせなかったと告白しています。その3回をいずれも具体的に示しています。
一つは千葉県の上総湊の鳩山病院という結核病院(現存せず。あったかも不明)
で結核に悲観して真冬に病院を抜け出してボートで沖に漕ぎ出し海に身投げを
図ったが泳げるので、遂に果たせなかったという話です。
次に、これは「密教占星術1」に書いてあるが、毒薬を服用して死のうと準備
していたら、どういう経緯か他の人間の口に入りそうになるのを未然に必死に
食い止め、この時に諦めに似た悟りのようなものを得たという。自分には自殺という
自分で自分の命を奪うという唯一残された自由さえも実は自由でなかった。
自分には横変死できる運命もないのだ。こう思った時肩の力が抜けて軽くなった
という。
それから商売に行き詰まり多額の負債も抱え、持病の結核も再発しそうな気配
だったので面倒だから死のうとしたら件の準胝観音経を見つけたという下りです。
問題はこの3つの順番です。作り話であれなんであれ。最初の結核の時の自殺未遂。
これは一番最初の自殺未遂として作り話としても問題はない。
問題は服毒自殺と観音経事件です。これはどちらが先でも後でも矛盾は免れない。
まあ服毒未遂が先と見るのがまだ自然だが、とすると俺は自殺できない運命なんだ
という悟りとやらは、時間が経つと忘れるらしい。
観音経事件の後に服毒未遂があったら尚更矛盾です。命を救った準胝観音経なんて
その後も大して役に立たなかったことになる。
このように桐山さんには複数の話があるのだから、観音経事件単一だけで
感激する単純な頭を卒業して、関連した別の話との整合性とか検証する作業
こそが柔軟な頭の持ち主のすることです。

234ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/04(木) 22:43:37 ID:rL2sZn620
>>228 :準シュダオン:2010/03/04(木) 14:23:35 ID:agsP6ENM0
>ところが、それから何年かして、私は、「これこれの人に会う運命を」
>その出会う事前に、何者かに知らされた体験を持ちます。何者が教えて
>くれたのかはわからない。守護霊か?神仏か?悪魔(キリスト教では、
>予知の作用は悪魔の仕業、とか)か?
> また、私が知りたいと思ったわけで知ったのでもないから、エスパーの
>類でもない。
>と、いうわけで、私は、○○の因縁を信じるわけです。

なんだ?占い師みたいな人間ではなかったのね。
まあ聖霊でもなんでもよろしい。
しかしあなたも単純な頭の持ち主ですね。とても唯物論者だったとは思えない。
その予知予言ってたった1回のことでしょ?
1回当たっただけでしょ?
それだけでよく人は運命があるのだなんて信じられますね。
占いにしても何にしてもたまたま1回当たっただけで他の全部も当たるなんて
認めませんよ。唯物論者ならずとも。
それだったら1回競馬で当てたら、実はこのレースは最初から運命で結果が
決まっていたのだと言い出す馬鹿みたいなものです。
その聖霊サマだろうがなっであろうが、もっとたくさんのご託宣をあなたに与える。
10ぐらいのメッセージをあなたは受ける。それは長い人生におけるあなたの
運命軌道に関する予言で、常識的推測では思いもつかないような特殊な運命選択を
長いスパンにわたって示してみせた。
それから数十年経った今振り返るに、聖霊サマの言っていたことは悉く当たっていた!
これはもう自分にはそのような運命軌道のレールが敷かれていたと信じる他ない!
というならば、その気持ちもよく理解できる。
たった1回の一致だけで人生全部を判断するか?
占い師だって当たることもあればはずすこともあるのです。
指標となるのは「的中率」です。的中率を算出するには多くのサンプルを
持たねば判断の材料となりません。ホントにおめでたい頭なんですねW

>「彼の者は7日後に腹が膨れて死ぬ」などと予言なされたこともありますし。
>運命の星(因縁)をも、否定はなさらないでしょう。

1週間前だったら医者だって予言して的中させられるよW
釈尊の透視は医学的観察根拠とばかりでもなく霊感もあるのだとしても
1週間後の透視で、生まれた時から定まっていた運命なんて言わないさ。

235準シュダオン:2010/03/05(金) 10:32:44 ID:agsP6ENM0
たったT回、当たっただけというけどねえw。私は今でもその3名の名前を、
フルネームで覚えてますよ。K・Rさん、Y・Yさん、N・Tさん、だ。
特に付き合いがあったわけでもなく、あれから3人がどうなったのかも全く
知らないし、一度も会っていない。かなり忘れっぽくなっているのに、3人
の名前は今でも覚えている。なんで3人に、そんなに衝撃を受けたのか?

入行の前年の出来事であった。私は何十人かの名簿の一覧表を見ながら仕事
をしていた。何の名簿にしよか、実際の名簿を書くと支障がでる、から、
社員名簿、顧客名簿、町内会名簿、のいずれかということにしておく。
で、ペンを持って座って仕事してたんだが、一瞬、めまいがしたのだ。
立ちくらみ、みたいな感じだった。2秒か3秒程度であろう。
座ったままで立ちくらみ、というのも変な表現だが、そんな感じでした。

「今のめまいは何だろう?」と思いながら、名簿を見ると、KRさん、YYさん、
NTさん、の3名に、ペンではっきりチェックマークが入っていたのだ。
「あれぇ、何でこんなチェックが入ったのだ?」めまいがしたとき、無意識に
印が入ったわけだが、名前の頭に、チェックマークが入っていた。
ただ、それだけのことであったが、何となく3人の名前は記憶していた。

ところがその翌日のことだ。その3人が我が家を訪ねてきたらどう思うか?
あるいはその3人からだけ、電話がかかって来たとしたらどう思うか?
そのような、共通の出来事があったのである。
これは、何者かが、わたしに、「人は運命を持つのだよ」と、教えてくれた
のだ、と考えたね。

それ以前も、それ以後も、そのようなめまいを、覚えたことはない。
ところで、私は算数が苦手なんだが、何十人かの名簿に、任意(偶然)に、
3人に印して、翌日、その3人が訪ねてくるような確率は、どのように
計算すればいいのでしょ?
その3人とは、問題もないし、特に親しい関係でもないのよ。

236Boo:2010/03/05(金) 11:28:42 ID:iVNJKjNQ0
だ〜か〜ら〜・・・

そんなくらいのことで、人生すべて運命に支配されていると思うわけ?

ユビさんのレスにもありますが、競馬の着順は、人類が「競馬」というスポーツだか
賭け事だか知らんが、その文化をはじめたときに、2010年の皐月賞は馬番で5が来る、
とか決まっているんですか?違うでしょ?

あるカルマか何か知らんが、何かの変数(架空で仮の数値です)が偏ったときに
限りなくその三人が準シュダオンさんに電話をかけてくる確率が上昇して、それを
準シュダオンさんが無意識に感じたわけでしょう?例えはあまり適切ではないが。

先にもレスしましたが、競馬の一番人気が10レース連続で着ていないときには
次のレースで、一番人気が来る確率が上昇し、素人でも「次は一番人気が来る様な
気がする」と思うでしょ。それで一番人気が来たら、競馬の10レースの結果は
あらかじめ決まっていた、なんてことにはなりません、絶対に。

237準シュダオン:2010/03/05(金) 11:32:42 ID:agsP6ENM0
占い師との体験も、以前にレスしたことがあったかね?
先ほどの、めまいの体験の他に、確かに、ある占い師からも、驚くような
占断をされたことがある。テレビの占いの場合は、やらせもあるであろうが、
私と占い師の場合は、当然やらせではない。
そういう体験から、わたしは、○○の因縁は、あると信じているのです。

ユビキタスさんは、自力を強調しますが、私は、他力の存在も信じますよ。
わたしの、先ほどの「めまい」の事件などは、他力のしわざでしょう?
また、思念の相承の場合も、他力ですね。
管長は、右ななめ前方から、叩きつけられるろうな、白銀に輝くバイブレーション
の衝撃を受けた、そうです。

わたしは、やや左前方から、柔らかめの波動、を脳に受けた。
左前方は、北花山の方向ですね。
その衝撃は、言葉で、形容し難いね。
これも他力ですよ。
だから私は、たとえ、阿含経で他力を説かなかったとしても、体験上、
他力を信じるのです。
体験のない方は、脳梗塞の前兆だ!と、思うのも無理はありませんw。

238Boo:2010/03/05(金) 12:08:01 ID:iVNJKjNQ0
>わたしは、やや左前方から、柔らかめの波動、を脳に受けた。
>左前方は、北花山の方向ですね。

そっちのほうの窓開けっ放しにしてなかった?
わたしもあるよ、そのくらい。
普通は「風の動きを感じる」とか表現するんだけどね、そういう場合。

239Boo:2010/03/05(金) 12:14:39 ID:iVNJKjNQ0
あ、もしかして、家の上に高圧線走っていない?

頭の中で「・・・ブーゥーン・・・」とか低いうなりみたいなもの感じたりしなかった?

240ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/05(金) 12:57:47 ID:SmEF4Oe2O
>>235
なんだ?単なるムシの知らせかよ?
しかも翌日の訪問者!
なんでこれがウンメーなんじゃ〜?
例によって後でね。

241ラシン:2010/03/05(金) 13:13:19 ID:XYs6itx.0
>235>237

1 :天照 ◆/JjgMOm0wo:2010/02/17(水) 09:17:39 ID:HhZSCo4g0
このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です。

考察とは物事を明らかにするために十分に考えること。
検証とは真偽を確かめることです。
以上を為すには、客観的根拠や資料を必要とする。
それには、自己申告の主観や推理推測を排すことが必須条件だ。
個人的経験の類や、まして自画自賛という自慢もおよびでない。
公人という大人なら、他人から注意されるまでもない常識だ。

242準シュダオン:2010/03/05(金) 13:59:01 ID:agsP6ENM0
自力と他力についての考え方。
ユビキタスさんの考え方では、不備ですね。
自力によって、他力も生じる、と考えるべきです。

お釈迦さまは、ヒナ鳥と親鳥の関係で説いてますね。
37道品を修行する者には、ちょうど、卵からかえるヒナ鳥が、中から殻
を突くのに、親鳥がそれに合わせて殻を突いてくれるような力が生じて、
解脱ができるのだ、とね。

つまり、37道品の修行者はヒナ鳥です。それに親鳥の働きが加わるの
です。親鳥の働きが、すなわち、他力です。
37道品における親鳥(他力)の働きを説明するのは困難でしょう。
未熟なわたしに、うまい言葉のあろうはずもない。
が、37道品修行には、他力も生じると理解すべきです。

自力、自力と思うから、かえって修行が進まない場合もあるでしょう。

243ラシン:2010/03/05(金) 15:33:27 ID:XYs6itx.0
>242 :準シュダオン
>お釈迦さまは、ヒナ鳥と親鳥の関係で説いてますね。
37道品を修行する者には、ちょうど、卵からかえるヒナ鳥が、中から殻
を突くのに、親鳥がそれに合わせて殻を突いてくれるような力が生じて、
解脱ができるのだ、とね。

そんな教えが、どの阿含経にあるのかね?
もとは禅の「?啄同時」じゃないのか?
それなら意味は、機を得て両者相応じる得難い好機となる
との機縁を説いたものだ。
それが浄土教の「卒啄同時」という例えでは、
卵の中からヒナが殻を破って生まれ出ようとする瞬間、
内側からヒナが殻をつつくのが「卒」で、外から親鳥が
つつくのを「啄」といい、内側からヒナが殻をつつくのと同時に、
外から親鳥がまた殻をつついてくれることを以て「自他両力の不二」
という考えとなっている。
禅では機縁であり、浄土教では自他両力の不二という考えで、
両者は同音異議となる。
あなたは、それを勝手に”37道品を修行する者に”と勝手に
つなぎ合わせて、さも阿含経にあるように匂わせた。
そして”37道品修行には、他力も生じると理解すべきです。”
なんて偉そうに自分が創作した珍説を押し付ける。
あい変らず卑怯な手段を平気で使う人間ですね。

244ラシン:2010/03/05(金) 15:49:04 ID:XYs6itx.0

ーブッダ最後の旅『大パリニッバーナ経/涅槃経』よりー
「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、
『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。
しかしそのように見なしてはならない。
お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、
わたしの死後にお前たちの師となるのである 。」
「アーナンダよ、修行僧らはわたしに何を待望するのであるか? 
わたくしは内外の区別なしに(ことごとく)法を説いた。
完き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は、
存在しない。

ーサンユッタニカーヤ 紅蓮華ー
神いわく わたしはそなたに依存していきているのではない。
また そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない。
修行僧よ、人は何によってよきところに行き得るのかということを、
そなた自身が知るべきである。

245深山:2010/03/05(金) 22:50:38 ID:YsyX9DwA0
>>237 :準シュダオン:2010/03/05(金) 11:32:42 ID:agsP6ENM0
>体験のない方は、脳梗塞の前兆だ!と、思うのも無理はありませんw。

私が指摘したのは、前兆ではなく、脳梗塞そのものです。
あなたのような体験は脳梗塞になった人たちの間ではよく見られる。
脳梗塞というと、桐山さんみたいにいきなり言語や身体機能に障害が起きること
だけだと思っているのでしょう。
だが、小さな脳梗塞は老人ならたいていおきている。
特に酒を長年飲み続けている人は、断層撮影すると、素人が見ても
わかるくらい脳に隙間ができてしまう。
これは脳細胞が徐々に崩壊していった跡です。
準シュダオンさんも糖尿病になり、血管が詰まりやすいはずで、
だから脳梗塞になるのです。
しかも、懲りずにまだ酒を飲んでいる。

246深山:2010/03/05(金) 22:53:24 ID:YsyX9DwA0
>>237 :準シュダオン:2010/03/05(金) 11:32:42 ID:agsP6ENM0
>わたしは、やや左前方から、柔らかめの波動、を脳に受けた。

斜め前方から来るのも脳梗塞の特徴です。
脳は左右対称だから、両方一緒に脳梗塞を起こすのはまれで、たいていどこか一箇所が崩壊する。
つまり、左右のどちらかです。
だから、運動機能をやられると身体の片方に障害が残る。
桐山さんの場合、白銀バイブで右手が震えたのだから、左側の脳に障害が起きたのでしょう。
あの時の桐山さんもあなたも幸い大きな破壊が起きていないが、
多発性脳梗塞といって、小さな脳梗塞が少しずつ起きるのです。
だから、強く頭痛がするとか、一瞬気が遠くなるとか、あなたのように
斜め前方から何か来たように感じる。
前にも書いたが、早く医者の治療を受けることです。
今は脳梗塞も良い治療薬ができている。
これはあなたのために言っているのではなく、重症化した後で入院すれば、
その分、治療費は高額になる。
保険で治療すれば負担するのは我々だからです。
聖者ゴッコをするのはあなたの自由だが、他人の迷惑も考えたほうがいい。
と言っても、あなたは笑い飛ばすだけでしょうね。
視野が狭くなるから、他人への迷惑が気にならなくなるのも脳梗塞で
脳が老化した特徴の一つです。
脳梗塞を患う前のあなたの書き込みを読んでごらんなさい。
多少とも他人への礼儀や気づかいを見せていた。
だが、脳梗塞後のあなたは他人を小馬鹿にしきった態度と、自惚れを
垂れ流しにする傍若無人な老人に変身した。
我々はまだいいが、現実世界であなたの周囲にいる人たちは本当に迷惑でしょうね。

247ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 03:21:10 ID:SmEF4Oe2O
>>242:準シュダオン10/03/05(金) 13:59:01 ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、ヒナ鳥と親鳥の関係で説いてますね。
>37道品を修行する者には、ちょうど、卵からかえるヒナ鳥が、中から殻
>を突くのに、親鳥がそれに合わせて殻を突いてくれるような力が生じて、
>解脱ができるのだ、とね。
>つまり、37道品の修行者はヒナ鳥です。それに親鳥の働きが加わるの
>です。親鳥の働きが、すなわち、他力です。

雑阿含経応説経の伏鶏の譬えだろ?
違うよ。これは他力の話ではない。
明日(今日か?)また説明してやるよ。
しかし面白い桐山文を発見した。
誤解してるのは準シュダオンだけかと思ったがナント桐山さんも読み違えている。
そこに俺も気がつかなかった。
寧ろ俺の方がずっと正しい理解をしていた。
修行者をヒナ鶏に譬えてはいけないんだよ。
修行者は母鶏に譬えるんだよ。
ではオヤスミ。
どうもありがとう。また桐山批判のネタが増えた。
皆さん。輪廻する葦を読んで該当箇所を見つけてみましょう。

248ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 03:37:12 ID:SmEF4Oe2O
>>242:準シュダオン10/03/05(金) 13:59:01 ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、ヒナ鳥と親鳥の関係で説いてますね。
>37道品を修行する者には、ちょうど、卵からかえるヒナ鳥が、中から殻
>を突くのに、親鳥がそれに合わせて殻を突いてくれるような力が生じて、
>解脱ができるのだ、とね。
>つまり、37道品の修行者はヒナ鳥です。それに親鳥の働きが加わるの
>です。親鳥の働きが、すなわち、他力です。

「社会科学としての阿含仏教」や「仏陀の真実の教えを説く」の応説経ですね。
それから準シュダオンさんに細かいところを指摘しておこう。
母鶏が卵を嘴で割ってあげるとは桐山さんも書いてないんだよ。
暖めたり風を送ったりしてヒナのかえる準備をしてるのさ。
そうするとヒナが自分で殻を破って出てくる。
そこは桐山さんも阿含経の表現に忠実に書いているわけさ。
とにかくこれは他力の話に絶対になり得ない。

249ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 10:40:57 ID:SmEF4Oe2O
>>242:準シュダオン10/03/05(金) 13:59:01 ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、ヒナ鳥と親鳥の関係で説いてますね。
>37道品を修行する者には、ちょうど、卵からかえるヒナ鳥が、中から殻
>を突くのに、親鳥がそれに合わせて殻を突いてくれるような力が生じて、
>解脱ができるのだ、とね。
>つまり、37道品の修行者はヒナ鳥です。それに親鳥の働きが加わるの
>です。親鳥の働きが、すなわち、他力です。

さて番号の古いところから気楽にのんびりとレスしようかと思いましたが
昨夜予告を示しましたので、こちらを先にいきましょう。
準シュダオンさんが示している阿含経とは我々には最も馴染みが深い雑阿含経の
応説経です。念処正勤如意足根力覚道を修行しないといくら釈尊を頼っても
漏尽解脱しないよと説くあの経典です。
この毎日読みあげていた経典はご存知の通り<精要>とあり、少し冗長にわたる
部分をカットして要約しています。
その要約部分が「伏鶏の譬え」です。
しかしこの経典を当初紹介した著書では省略せずにちゃんと解説しています。
「輪廻する葦」、「社会科学としての阿含仏教」、「仏陀の真実の教えを説く」などです。
「末世成仏本尊経講義」のは素っ気なく詳しくない。
「社会科学」と「仏陀の真実」は同じ内容ですね。
だから鶏の卵の話と聞いてすぐその内容とともに思い出したのですが、
準シュダオンさんは相変わらずズルイなあと思いました。
なんでちゃんと応説経と示さないのかなと。
示せばこれは他力を示すどころかそれを完全に否定して自力の努力、不断の努力の
必要性を説いた経典とわかるのに、と。
しかし伏鶏の譬えは自宅に帰って再度その表現を念入りに調べ直してから反レス
しようと思ってました。
で調べたら、これは準シュダオンさんの我々には理解しがたい読解力の拙さもあるが
桐山さんにも解説の拙さの責任があるなと、今回「輪廻する葦」を読んで初めて
気がつきました。
桐山さんが自力のみではだめだなんて書いているのです。
そのへんも含めてまず経典の伏鶏の譬えを解説していきましょう。

250ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 10:50:29 ID:SmEF4Oe2O
訂正
×:要約された部分が「伏鶏の譬え」です。

○:カットされた部分が「伏鶏の譬え」です。

251ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 11:40:41 ID:SmEF4Oe2O
>>242:準シュダオン10/03/05(金) 13:59:01 ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、ヒナ鳥と親鳥の関係で説いてますね。
>37道品を修行する者には、ちょうど、卵からかえるヒナ鳥が、中から殻
>を突くのに、親鳥がそれに合わせて殻を突いてくれるような力が生じて、
>解脱ができるのだ、とね。
>つまり、37道品の修行者はヒナ鳥です。それに親鳥の働きが加わるの
>です。親鳥の働きが、すなわち、他力です。

伏鶏の譬えとはこうです。
親の鶏が卵を産むが、その卵の数が多い。
すると中にはいくら卵の中のヒナが嘴や爪で殻を破って出てこようと欲しても
孵化できないのがいる。なぜか?母鶏が暖めたり風を送ったり十分に調節する
努力を怠っているからである。
同じようにいくら漏尽解脱を願い欲してもできない比丘たちがいる。なぜか?
念処正勤如意足根力覚道を修行しないからである。
さてヒナが自分で出てこようと欲さなくても、結局は殻を破って出てきてしまう
ものがある。なぜか?母鶏が十分に暖めたり風を送ったり調節して、ヒナが殻を
破ってでてくる環境、条件を整えたからである。
同じように殊更に漏尽解脱を願わなくても結局は漏尽解脱してしまう比丘たちがいる。
なぜか?彼らは念処正勤如意足根力覚道を修行したからである。

これが伏鶏の譬えです。
これを読んで準シュダオンさんは、修行者をヒナに譬えて親鳥の援助、すなわち
他力が必要なことを説いたのだと解釈してしまった。
皆さん。どう思いますか?
これは全く逆です。
この経典の前後の文脈を考えていない。

252ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 12:09:35 ID:SmEF4Oe2O
>>242:準シュダオン10/03/05(金) 13:59:01 ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、ヒナ鳥と親鳥の関係で説いてますね。
>37道品を修行する者には、ちょうど、卵からかえるヒナ鳥が、中から殻
>を突くのに、親鳥がそれに合わせて殻を突いてくれるような力が生じて、
>解脱ができるのだ、とね。
>つまり、37道品の修行者はヒナ鳥です。それに親鳥の働きが加わるの
>です。親鳥の働きが、すなわち、他力です。

この経典はまず比丘たちが釈尊に対して自分たちの漏尽解脱をなんとかしてくれる
ように願っても、おまえたちは漏尽解脱できないよとはっきり説いている。
なぜならば念処正勤如意足根力覚道を修行してないからである。
漏尽解脱したくば自分でこれらの修行をするしかなく、釈尊は何ら力を貸して
くれないと断言しているのです。
ところがアゴン宗は違いますよね?
桐山さんはあのプロモーション動画での話にあったように釈尊その人への信仰を
説いている。しかし釈尊はもう亡くなっていないからその遺骨を祀ってその代用
としている。それもただの代用ではない。その遺骨に釈尊の魂だか成仏法が宿り
生きたシャカとして力を発するから、これを礼拝供養するのだという。
するとこの如来は供養者に功徳を授けてくださる。因縁解脱に必要な徳を授けて
くださるとしている。
ところがそれを釈尊は否定していたのです。我(釈尊)に頼っても駄目だよと。
それでもアゴン宗が御利益の釈尊を示した根拠は応説経ではなく三供養品です。
(実は三供養品も全く根拠がないのであるが)
とにかく釈尊が力を貸すことを応説経は完全否定しているのです。
それなのにどうして他力を今更説く?
もう1つの鍵は伏鶏の譬えと同じく出てくる「大船の譬え」です。
藤綴漸断です。

253準シュダオン:2010/03/06(土) 12:47:34 ID:agsP6ENM0
まぁ、伏鶏の喩えをどう解釈しようと自由ですが、親鶏が暖めるにしろ、
風を送るにしろ、ヒナ鳥から見たら、それは他力でしょう。
だから、37道品の修行者には、諸天善神としか表現のしようがない他力の
加護が生じる、ということでしょう。

自力、自力、というけれど、他力があるから自力という表現もあるわけで、
他力が無かったら自力という表現もないし、自力という実態も消えてしまい
ますよ。また、完全な他力もあり得ませんね。「ナムアミダブツ」の他力
念仏往生にしても、念仏を唱えるのは自力ですからね。
完全な他力なら、なんにもしなくて良いことになります。

254準シュダオン:2010/03/06(土) 13:08:45 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんは、業による報いは変えられない、と、いつだったか、
レスしてたように思う(私の勘違いだったら失礼)。

業の報いは必ずあり、変えられない。→正解ですね。
業の報いは、変えられる。     →これも正解ですね。

両方正解なのは矛盾してるようですが、そうではないね。この場合、矛盾が
成立します。
次の例を考えると、すぐに理解出来ましょう。

酷い悪業を為した男に死相が生じて、寿命があと半年で尽きる運命だった。
この場合の「半年の寿命」が「報い」だったとする。
ところが、この男が人を助けて、死相が消え、十年生き延びてから死んだ。
悪業を為していなければ、二十年延命できるところを、十年しか延命しな
かった、とする。

以上の例を考えると、悪業の報いの半年の寿命が、十年延びたのだから、
報いを変えた、と言っても正解だし、人を助けた善業の報いは、二十年の
延命なのに、十年しか延びなかったのだから、悪業の報いは生じたのだ、
とも言えます。
 つまり、「報」は変えられない、とも言えるし、変えられる、とも言え
ますね。

255ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 13:38:47 ID:SmEF4Oe2O
>>242:準シュダオン10/03/05(金) 13:59:01 ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、ヒナ鳥と親鳥の関係で説いてますね。
>37道品を修行する者には、ちょうど、卵からかえるヒナ鳥が、中から殻
>を突くのに、親鳥がそれに合わせて殻を突いてくれるような力が生じて、
>解脱ができるのだ、とね。
>つまり、37道品の修行者はヒナ鳥です。それに親鳥の働きが加わるの
>です。親鳥の働きが、すなわち、他力です。

大船の譬えとは海岸や河岸などに大きな船が太い藤蔓でしっかり繋留されている。
ちょっとやそっとでは流されやしない。
しかしそんな大船でも度々の台風とかにより徐々に藤蔓はほぐれやがて船は流される。
このようにいかに煩悩が頑強に根を張っていても、念処正勤如意足根力覚道を
不断に継続努力して修行することにより漏尽解脱をするのであると説いたわけです。
この大船の譬えと伏鶏の譬えの2つで自力による不断の努力により漏尽解脱を得るのです。
他力を否定して自力の努力の道しか解脱はないというのがこの経典の趣旨です。
もちろんその自力の努力とは念処正勤如意足根力覚道の実践です。
自分が実践する修行を他力とは言わない。
つまり視点が違う。ヒナを修行者と見て親鳥に助けてもらう構図を考えるのでなく
親鳥の立場で、あるいは鶏という種全体の話で、孵化という一大事を果たそうと
するならば、暖めたり風を通すなどの努力を怠ってはならない、放っておいて
孵化するものではないことを力説したと見るべきなんです。
ところが桐山さんもおかしな表現をしている。

256ラシン:2010/03/06(土) 14:14:50 ID:dGBSFYaM0
>253 :準シュダオン:2010/03/06(土) 12:47:34 ID:agsP6ENM0
まぁ、伏鶏の喩えをどう解釈しようと自由ですが、親鶏が暖めるにしろ、
風を送るにしろ、

ユビキタスさんが、応説経を教えてくれたので
思い出したが、あなたの他力解釈は違うでしょう。
釈尊が自己を島とせよと説いて、
まるで違う他力を説くなどありえない。
自由解釈など僭越の極みです。
この準シュダオンさんがもし、応説経の伏鶏の喩えを
用いたなら、どうしてそれを示さないのか。
あなたの説は、どう見ても浄土教の他力本願に同じです。
桐山さんの著書などは既に捨てて無いので「輪廻する葦」や
「社会科学としての阿含仏教」などで確認しようも無い。
ここはユビキタスさんの解説を待ちますが、準シュダオンさんて
どうしてこれほどズルイのだろう。

257天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/06(土) 14:51:21 ID:Xu.BKeDU0
>>254 横槍を入れようとしないでいたが、あまりにも酷いので入れるよ。

その話は清水の次郎長親分の話でしょう?(内容を若干変えてあるが似ているしね)
まあ、その譬えを実際に出してみなさい、というのは刻だからその辺で妥協しますよ。
でもね、心情的に分かるがそれを実際示せないでしょう?

悪業を積んだ人が人を助けて運命や寿命が変わるのなら、では本当に人助けをすれば
寿命が延びたり運命が変わるのか?ですよ。それを証明できなければ、個人的な思惑
だけにしかならんのですよ。

まず、実際にその寿命が短いというものをどのように示すのか。
何で示すのか、です。準さんの言うとおり、まさか「顔相」で決める、というわけではあるまいね?
寿命が短いというのを証明してもらわないといけないですねえ。

次に実際その人助けとやらをどこまでできるか、ですよ。
どのように本当にやれるか、です。
私はある方と人生・運命を変えるためにはどうすればいいか、というのを話あったが、そこでは
意外と人助けなんてほざくが、中々そういうのにばっちり遭遇や行うことは難しいというのに
気づいた。善行も小さなものはできるが大きな功徳を積む「人助け」なんて早々無いです。

で、実際にもしもその人助けがやれた、とします。じゃあ、準さんが言う寿命が延びるというのを
保障できるのか?また、それをどうやって示せるのか、ですよ。
こんなのは個人的な見解や妄想でしかラベルを貼れないではないか。
まして、それらを仮に運命のとおりに当事者が早死にしたら、人助けは何の効果も無かったという
肯定になってしまったら、「あらら、失敗ですね」で済ませるのか?
運命や寿命が延びるなどという講釈は根拠が無いのだから、いい加減にしてはと思うが。

258天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/06(土) 15:00:25 ID:Xu.BKeDU0
> つまり、「報」は変えられない、とも言えるし、変えられる、とも言えますね。

こんな「こちらから見たら正解」「こっちから見たら不正解」
もしくは「物事というのは見方を変えれば如何様にでもなる。だから、すべてOK」
というのは、ただの八方美人の表現だけではないか。

貴方個人が「因縁が切れるもよし。切れないもよし」というのと同じことになる。
そんな適当なことなど釈尊は言ってませんがな。
そんなのはあなたの「なんでもござれ」の言い方・考え方でしょう。
あまり否定されたから今度は「皆のそれぞれの考えは正しい」という懐柔論に変えても無駄ですよ。

釈尊もゲイカも言って無いことを言うのがあなたの「私見」なのです。
釈尊がいけないといわれている「我見」そのものでしょう。
それでシュダオンに準ずる、とはHNだけは壮大ですなあ。
というか、基本的なその状態では「準じている」というにはお粗末ではないか、と。

仏教解釈もいい加減。ゲイカ(教祖)の説かない事まで平気で言う。
妄想にも程があるというものです。

259ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 15:21:40 ID:SmEF4Oe2O
>>242:準シュダオン10/03/05(金) 13:59:01 ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまは、ヒナ鳥と親鳥の関係で説いてますね。
>37道品を修行する者には、ちょうど、卵からかえるヒナ鳥が、中から殻
>を突くのに、親鳥がそれに合わせて殻を突いてくれるような力が生じて、
>解脱ができるのだ、とね。
>つまり、37道品の修行者はヒナ鳥です。それに親鳥の働きが加わるの
>です。親鳥の働きが、すなわち、他力です。

「輪廻する葦」(初版235頁)

ヒナは、自分の力だけではどう努力しても、カラを破って生まれ出ることができない。
やはり、母鶏の手助けがなくてはならないのである。
それとおなじことで、修行者がいくら成仏を願って一心に努力しても、自力だけでは
不可能なのである。卵の中のヒナが母鶏のねんごろな手助けが必要なように、
如来の成仏なくしては達成できないのである、というものです。

これは応説経の解説としては表現が下手ですね。
やはり桐山さんをヒナを修行者主体にしてしまっているから、こんな下手な表現になる。
母鶏の手助けを成仏法に見立てて、成仏法の助けなくして解脱の成就なし
と言いたいのだが、修行者は自力だけでは不可能という表現が下手糞だ。
成仏法を実践努力するのは自分自身です。
だから結局は自力です。
武器なしに戦争はできないとか、戦略なしに戦争はできないということと同じ
なんですから。
武器様という他力がないと戦争できない、戦略戦術様という他力にお助け願わない
と自力では戦えないと言うような表現なんです。
成仏法を擬人化するのか?
成仏法様のお力が加わらないと自力ではできないのである。
念処さま、正勤さま、如意足さま、根さま、力さま、覚さま、道さまという他力が
我に力を与えてくれないと自力では無理だと言いたいのか?
いくらなんでも桐山さんでもそんなことは言わない。
如来の説いた尊い成仏法でもそれを使いこなすのは自分自身の実践努力です。
この下手な桐山さんの表現も悪いが、これを他力と読んだ準シュダオンさんも
お粗末な解釈です。
彼はいつも具体的な話ができないから字面しかからしかわからないのです。
だから親鳥という他力なくしてヒナの自力のみでは駄目なんだと、成仏法を
他力扱いにしてしまう。
中身を確認すれば他力などではなく自力は自力でも、選ぶ戦略戦術武器の話と
理解できない。

260天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/06(土) 15:32:49 ID:Xu.BKeDU0
ゲイカへの擁護ではないが、そこは私も含め信者が騙されている部分でしょう。
結局、アゴン宗というのは本尊やら成仏法やらに依存させて、お前らの力も必要だが
本尊の加被力・成仏力が無いと成仏できないのだ、といわれているので真に受けるし、
またゲイカも言っていることは方便ですから、筋違いなのはあります。
それをユビさんの言っているとおりにゲイカが説いたら説得力がなくなる。
本尊の加被力・成仏力など不要、ということになってしまう。だから下手くそだろうが
嘘だろうがつくのは詐欺師としては当たり前なのでしょう。

正論はユビさんの解説のとおりと私は思いますが、そこだけ思ったので書きました。

261Boo:2010/03/06(土) 15:36:10 ID:iVNJKjNQ0
>この経典はまず比丘たちが釈尊に対して自分たちの漏尽解脱をなんとかしてくれる
ように願っても、おまえたちは漏尽解脱できないよとはっきり説いている。
なぜならば念処正勤如意足根力覚道を修行してないからである。
漏尽解脱したくば自分でこれらの修行をするしかなく、釈尊は何ら力を貸して
くれないと断言しているのです。
ところがアゴン宗は違いますよね?
桐山さんはあのプロモーション動画での話にあったように釈尊その人への信仰を
説いている。しかし釈尊はもう亡くなっていないからその遺骨を祀ってその代用
としている。それもただの代用ではない。その遺骨に釈尊の魂だか成仏法が宿り
生きたシャカとして力を発するから、これを礼拝供養するのだという。
するとこの如来は供養者に功徳を授けてくださる。因縁解脱に必要な徳を授けて
くださるとしている。
ところがそれを釈尊は否定していたのです。我(釈尊)に頼っても駄目だよと。
それでもアゴン宗が御利益の釈尊を示した根拠は応説経ではなく三供養品です。
(実は三供養品も全く根拠がないのであるが)
とにかく釈尊が力を貸すことを応説経は完全否定しているのです。
それなのにどうして他力を今更説く?


これこれ!

まさに「やま師」のからくりですね。

七課三十七道品に「上根の成仏法」
三供養品に「下根の成仏法」

と名づけて、この方法でなければ凡夫が成仏することはできない、とし、いつだったかの
教学試験にも出しました。先達と言われた人たちが、「八法十六法」などを回答して
ずいぶん間違えていました。ちなみに私は正解でしたが・・・

この「上根の成仏法」「下根の成仏法」などは釈尊が言われたのでしょうか?
あるいは、倶舎論あたりにある用語なのでしょうか?

仏教のど素人に「上根」だの「下根」だの言われたら、あたかも釈尊がそのように
分類したかのように感じるが、実は山師の造語ではないのか?釈尊が「上根」「下根」
など言ったのでしょうか?

>もう1つの鍵は伏鶏の譬えと同じく出てくる「大船の譬え」です。
藤綴漸断です。

↑この経典で七課三十七道品をやらなければ絶対に成仏できない、と断言しながら
その舌の根も乾かぬうちに、「自分に供養すれば涅槃に至る」などと釈尊が言う筈がない。
なんとインチキな教学であることか。それを教学試験にまで出すとは、明らかに
確信犯ですね、山師は。

262ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 16:22:18 ID:SmEF4Oe2O
>>253:準シュダオン10/03/06(土) 12:47:34 ID:agsP6ENM0
>だから、37道品の修行者には、諸天善神としか表現のしようがない他力の
>加護が生じる、ということでしょう。

これはひどい!
経典も桐山さんでさえもこんなことは述べていない。
桐山さんでさえ親鳥は37道品の成仏法、修行法そのものとしたのです。
修行法は誰か他の人が修行してくれるものではなく自分が努力して行うものです。
ゆえに自力なんです。
もちろん我流にエイヤー、コラサーと無駄なシュギョーをするのでなく
きちんとした教えに基づいた修行法です。
すなわち使いこなす武器の話であり、立てる戦略の話であり、駆使する戦術の話です。
武器、戦略、戦術は他力ではない。
準シュダオンさん。とっとと氏ねなんてひどいことは言わない。
一度お亡くなりになってもう一度人生をやり直して、幼稚園、小学校から
国語を勉強し直してはいかがですか?
37道品の修行法そのものの実践者に加わる諸天全神の加護なんてどこにも
書かれてないし、桐山さんですら示唆していない。

263ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 16:59:42 ID:SmEF4Oe2O
>>261
残る準シュダオンさんへのレスは後回しにしてますが、この応説経と三供養品の
桐山提示の構図はこうです。
まず応説経で、37道品を自分で修行しない限り成仏はできず、いくら釈尊を
頼りにしても仕方がないという立場を示した。
次にこれに全く反するような三供養品を出した。
本当は三供養品の三善根経典も応説経と同じことを説いているわけで、
無貪・無瞋・無癡の三善根を実践して貪瞋癡の煩悩をなくすから涅槃に至ると
説いているのを善根を福に捏造して、如来などに供養する見返り功徳で涅槃界に
往けるなどとしたわけだが。
ともあれこの捏造をするにあたってもこの他力は応説経の自力と矛盾するではないか?
と自ら疑問を示してみせた。
そしてこれは後世の大乗が混入したものではないか?と一時は疑っていたことにした。
ところが1979年にアゴン宗限定で現れたあの猫背、横向き、シッポの生えた
三身即一の応供の如来の出現で、そうだ!あの三供養品に説かれた如来とは
2500年前の釈尊その人ではなく、未来に出現するシャカも乗り移ったこの
バケモン如来のことを予言していた予言経典だったのだ!とした。
末世にあって機根の優れぬ者でも実践できる下根の成仏法としたわけです。
なかなかこの辺の細工が巧妙ですね。
だから桐山教学でさえも、応説経は自力、捏造三供養品は他力という構図なんです。
それすらわからずに応説経の伏鶏の譬えさえも念仏と変わらぬ他力と解釈した
準シュダオンさんがあまりにもお粗末な国語力なんです。
悪いことは言わない。
もう一度小学校から国語を勉強し直してくれ。

264ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 17:17:54 ID:SmEF4Oe2O
森田健作「おれは男だ!青春なんだ!青春とは常に自分を信じて自力でチャレンジ
することなんだ!だから自力で解脱するぞ!」

応説経釈尊「その意気やよし。しかし青春の情熱は正しい修行法を選択することが
賢い道と知りなさいね」

準シュダオン「わかりました!その正しい修行法さんとやらの他力に頼れですね」

265準シュダオン:2010/03/06(土) 20:03:02 ID:agsP6ENM0
○○の因縁はあるのか否か?それをどう思うか?
と、言う問題につきると思うのだが、天照さんも、自身の体験ではあやふや
なようです。

私は、何年も封印していたが、入行の前年の体験、「めまい事件」を、レス
してしまった。立ちくらみの経験がない人には、ホラ話にしか思えないで
あろう。また、正確に言うと、立ちくらみとも違う、眠気が差して船をこぐ
状態を、理解できようか?そのような、意識があっても、無意識に任意に
名簿にチェックマークをさせられた状態、それが、わたしの運命論者に至る
出来事だったのです。占い師に驚くべき占断をされた、こともあるがね。

何者かが、めまい状態の、居眠り状態の、私の手を取って、該当者の名前に、
チェックマークを入れさせたのです。それまでの私の、無神論者の行動を、
戒めてくれたのでしょう。あんたが、明日会う人は決まっているのだ!
と、いうように、何者かが、わたしに教えてくれたのです。
だから、私は、釈迦が運命論を否定していたとしたら、釈迦を信じないね。

266ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 20:11:13 ID:SmEF4Oe2O
>>235:準シュダオン10/03/05(金) 10:32:44 ID:agsP6ENM0
>たったT回、当たっただけというけどねえw。私は今でもその3名の名前を、
>フルネームで覚えてますよ。K・Rさん、Y・Yさん、N・>Tさん、だ。

いや、3人が100人でも運命の話には断定できるはずがないんですよ。
だって僅か翌日のシラセでしょ?
これが生まれた時から決まっていた運命とどうして言えるのか?
それよりも運命軌道が決まっていることを証明したかったら、もっと長いスパンで
複数の人生上のターニングポイントを示さないと説得力がない。

>入行の前年の出来事であった。私は何十人かの名簿の一覧表を見ながら仕事
>をしていた。何の名簿にしよか、実際の名簿を書くと支障がでる、から、
>社員名簿、顧客名簿、町内会名簿、のいずれかということにしておく。
>で、ペンを持って座って仕事してたんだが、一瞬、めまいがしたのだ。
>立ちくらみ、みたいな感じだった。2秒か3秒程度であろう。
>座ったままで立ちくらみ、というのも変な表現だが、そんな感じでした。

こういう不思議な体験を「ムシの知らせ」といいます。
しかし何が知らせてくれたのかわからぬが、翌日の予定の察知なんて、生まれた
時から決まっていた運命なのではなく、たまたま前日に件の3人が、あまり行きたくない
けど準さん宅に行って用を果たそうかと相談して決めたのを、霊感ヤマカン第六感
の優れたあなたが察知できただけであり、それより以前には確定していなかった
話かもしれないじゃありませんか?
普通はそう考えます。
そもそもその3人との訪問出会いがその後のあなたの人生にどんな重要な意味を
もたらしたのですか?

267準シュダオン:2010/03/06(土) 20:34:33 ID:agsP6ENM0
まぁ、困難であるが、ユビキタスさんの、煩悩と災害の因果関係について
述べてみようかw。

怒るという煩悩が、人災を招くことは容易に想像できますね。たとえば、
ユビキタスさんが、Aくんに怒ったとする、A君は友達のB君に、ユビキタス
さんの悪口を言う。Bくんは、C君へ、というように、次々にユビキタスくん
の悪口を言ったとする。ユビさんには人災が起きよう、予想できますね?

さて、ユビキタスさんが、車検の時期になって、自家用車を工場に預けた。
「あの野郎、生意気だから、整備に手抜きしてやれ!」と、いうことで、
整備工は、手抜きにならない程度に、自動車の整備をした。

だが、ユビキタスさんは、その車で自動車事故を起こしてしまったとする。
さぁ、この事故は人災か、天災か?

いい加減な車の整備、人災と天災の中間の事故です。
さぁ、人災と天災の区別がつかない状態があります。それは、煩悩と関係が
あるのかないのか?

磁石は鉄を引きつけます。
磁石が煩悩で、鉄は災害だと私は考えます。
磁力が無くなれば、鉄は来ない。煩悩が無くなれば、災害もこない。

それが私の考えです。
阿含宗准シュダオン派の考えですw。
煩悩を断つと、災害も断てるのです。

268天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/06(土) 20:34:42 ID:Xu.BKeDU0
準さん。私は貴方の味方をするつもりではないが、時には肯定しているのをご存知か。
それは今は批判側になった私だが、擁護から入った経緯があるから気持ちはわかる部分があるんで
認める部分は認めるんですよ。ただ、哀しいかな。それを個人の思う気持ちだけの範囲を出ないから
否定もせざるを得ないんですよ。では、抑えていた部分を出しましょうか。

>>235の準さんの体験はそれは確かに奇妙な偶然ですね。
だけどその経験が運命だというには少々性急ではないか、と。
後占い師の話もありますが、当てられたからそれが運命?
ご苦労さんな話だ、で終わる説明ですね。

よく当たる占い師ならそんなことなんでもない。以前のTVの京極さんでしたか。
あの方ほどの人は全国には居ると聞きます。それで運命を感じるには単純すぎます。
では、その運命とやらを当てれれば運命があり、当てれなければ運命など無い、と
言えますかね。もしかして、当てても当てなくても運命は有る、と得意の懐柔で
言いますかね?
占いで出した運命でもよろしい。では、それを変えたという事実は出せるのですか?
ゲイカは自分が出した因縁解脱修行宝鑑での因縁の項目さえ当てれないんですよ。
準さんはどの因縁を変えたというものを出せるのか、それを出して見せれば信じますよ。
自分で「切れた、もしくは薄れた」という想像だけでものを言っている。
ゲイカにはっきり何々の因縁が切れた、という証明でも持ってきてみてはいかがか。

また、めまいがしてチェックが付いた3人の方が次の日に訪れたのが運命?
笑わせちゃいけません。私だってそれ以上の経験をしているし、運命を感じることは有る。
だが、運命かどうかは分からないから語らないだけで、私はもとより他の方にもそういう
経験をしている人など世界中に居ますよ。

だけどそれは運命を感じた、と言うだけで変えても切っても居ない。
悪い運命で生死に関わるわけではないからです。
もしも、悪い運命、例えば準さんが一ヵ月後に殺人で殺されるとしたなら、それを回避でき
無ければアゴンの因縁解脱など無力も無力、何の意味も成さないということです。
そんな究極的な運目を変えたのならいざ知らず、運命を信じるかどうかはそんなのは誰でも
「運命、あるんじゃない?」という任地の類の程度でしかないでは無いか。
我々はそんな「認知」の話をしているのではない。本当に運命があって尚且つ変えることができる
と主張するアゴン(ゲイカ)のことが本当かどうか、しかもゲイカは釈尊がそういう風に説いた
というから、それは嘘だ、といっているのです。
あなた個人が運命を信じ、因縁解脱教を信じようとそんなのは関係無い。
あなたの信じる説と仏教とを結び付けようとしても無駄です。
私に「自身の体験ではあやふやなようです」と上から目線で言うよりも、あなたこそ仏教との
整合性を出せずに、自分の持論の範疇を出ない説明のほうがあやふやです。

269ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 20:39:40 ID:SmEF4Oe2O
>>235:準シュダオン10/03/05(金) 10:32:44 ID:agsP6ENM0
>入行の前年の出来事であった。私は何十人かの名簿の一覧表を見ながら仕事
>をしていた。何の名簿にしよか、実際の名簿を書くと支障がでる、から、
>社員名簿、顧客名簿、町内会名簿、のいずれかということにしておく。
>で、ペンを持って座って仕事してたんだが、一瞬、めまいがしたのだ。
>立ちくらみ、みたいな感じだった。2秒か3秒程度であろう。
>座ったままで立ちくらみ、というのも変な表現だが、そんな感じでした。

私自身にはムシの知らせみたいな体験はないが、私の周辺にはありましたね。
もう10年以上前になりますが、私は仕事で板橋まで届け物に行った。
ちょうどお昼どきにかかる時間帯です。
私は駅の立ち食いそばで昼食時間を短縮し、浮いた時間を途中下車の池袋で降りて
行きつけのお風呂屋さんに寄り、電話予約の上、オキニの姫を指名した。
すると姫曰く「今日なんか来てくれる気がしてたの」
またこれは10年近く前になるのだが、当時時々利用していたマッサージ店
(スケベサービスの一切ない健全な店)のオキニのマッサージ嬢を電話予約で
指名したら、「今日来てくれる予感がした」と言ってくれた。
まあこれも固定客確保のリップサービスの線もあるが、これも生まれた時から
決まっていた運命とあなたは見るか?
それにしても何を言わせるんだ?コノヤロウ。

270天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/06(土) 20:43:59 ID:Xu.BKeDU0
第一、めまいでの中での「偶然性」。そして、占い師での事項を当てた事実。
それだけで運命を信じ、因縁解脱とを結びつけるのはあなたのような思考の方だけです。

確かに私も過去は準さんのように「信じてはいた」
だが、整合性の無さと根拠が無いために検証したら「無」だったために信じないことにした。

運命があるか無いか、は個人の判断でいいと思うが、因縁解脱などそれはありえない。
ましてや仏教には無いのです。あるのなら出してみて欲しいものです。
また、それを果たした人を見たことが無い。
ゲイカを例にしても48・9歳の天命殺の時期にガンになって死ぬ運命だと言っているが、
それだって確証が無いのだ。例えばその時期に胃カメラやレントゲンでもいい。医師の所見が
あって、それを出して「本当にガンだった」というのを見せられるか?
あれはゲイカの妄想発言だったといえなくは無いのです。
それは証拠が無いからです。口では何とでも言える。それを真に受けてどうする。
ゲイカの発言には証拠が無いものが多すぎる。危なくて信用できないのです。

準さんはゲイカとは違うようだから、運命とやらの証拠も出せるでしょうし、まだご健在だから
今後あなたの人生を以ってあなたの主張する因縁解脱でも聖者のバイブでも証明できるでしょう。
ぜひ、それを見せていただければ、批判側はたちまち首を垂れるでしょう。
さあ、やって見せてくださいな。

271準シュダオン:2010/03/06(土) 20:56:25 ID:agsP6ENM0
まぁ、天照さんの気持もわからぬではないが、
わたしもねぇ、思念の相承の体験は、他言は、何年間も封印していたのです。
どうせ、批判派には否定されることがわかり切っていましたからねぇ。
だが、退会しようかと、現信者さんが、迷っていたとしたら、私のように
聖なるバイブレーションの体験をレスして、管長の正しいことを主張する
弟子がいても良いであろう、そう思って、わたしは思念の相承の事実を、
ネット上に知らしめた。法友には、まだ話してないのだよw。


釈迦が肯定しようが、しまいが、他力は、存在する。
それが、わたしの人生体験上の結論です。
私は、自分の体験から、釈迦を信じたり、不信だったりするのです。
盲信はしない。
ユビキタスさんは、神秘体験が無いようにおもえます。
むしろ、唯物論者の無神論者で生きた方が、良いと思います。
そのほうが、何者かの作用が起きると思いますねぇ。

272天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/06(土) 21:04:30 ID:Xu.BKeDU0
重ねて申し上げますが、私は準さんの体験を完全否定するつもりは無いです。
やはりめまいがしたその中で3人の人を偶然翌日当てたというのは、率直に凄いとは思います。
「天照、じゃあお前やってみろ」といわれたとしても、できないですよ。

でも、そういうことよりも大事なのは、私が思うには運命があるかどうかも大事かもしれないが、
それは個人の考えの範疇でしかいえないと思うんですよ。
で、肝心なのは因縁解脱できるかどうか、なのですね。これはできるかどうかというのは少なくとも
仏教には無い、という事実です。仏教以外の個人の思考だったり、別な宗教の産物というならそれは
理解してもいいです。少なくとも仏教では無い思考と示唆なのでそれだけは譲れないですね。
だから、仏教とは分けて考えるか別物として考えないといけないと思います。
また、準さんの説明では説得力に欠けるので、やはり仏教徒の整合性での主張は無理があると思います。
個人的見解の範疇なら私も有る程度理解はする気持ちはあります。

273ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 21:14:04 ID:SmEF4Oe2O
>>237:準シュダオン10/03/05(金) 11:32:42 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんは、自力を強調しますが、私は、他力の存在も信じますよ。
>わたしの、先ほどの「めまい」の事件などは、他力のしわざでしょう?
>また、思念の相承の場合も、他力ですね。

どうしてそう限定しなければならないのでしょうか?
あなたが本来持っていた潜在的な霊感や超能力かもしれないではありませんか?
3人の訪問を間際になって察知する能力です。
桐山さんはチャクラを開発して眠れるニューロンを覚まして超能力の獲得を説く。
つまり桐山超能力とは他力ではなく自力、自己開発なんです。
気まぐれにあなたの潜在能力が頭をもたげたのかもしれない。
訓練によりもっと開発できるかも知れないし、桐山さんはそれを説くのです。
ほら?あなたの頭はこんな簡単な発想もできぬほど堅く凝り固まっている。

274天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/06(土) 21:16:38 ID:Xu.BKeDU0
仏教徒じゃないね。「仏教と」ですね。

後、占いが抜けてたので占いのほうも。

準さんが占いの凄さというか占いでのことで運命というものを感じた、というのも私は
肯定します。そういう風な気持ちになるものです。
ALCでも凄い人はバシバシ当てますし、やはり占いで卓越した方というのは居ますし、
その個人しか知らない内容を当てたり、またことごとく当てたらそれは信じる気にもなる
でしょう。

ですが、それだからといって運命を・・・というのは分からないのです。
ユビさんの出した>>269の話だって「運命」になってしまうではないですかw

まあ、先ほども言いましたが「運命」云々はいいんですよ。
大事なのは「運命を変えれるかどうか」なのです。
では準さんはその3人の方との運命は何だったのですか?
ただ、翌日用事か何かであっただけで、交際も無いんでしょう。
それで運命とは、ちと薄くないですかね?

次に占いで色々感じるものがあったそうですが、ではその占い師に何か運命を示唆
されてそれを解脱でもしたんでしょうか?
また、準さんはゲイカから因縁の項目を教えてもらってますか?
それは克服(解脱)できたんでしょうか?
そういうのもあるわけですから、単純に3人の方との出来事や占いを否定はしませんが、
これが殊更因縁解脱、という話になれば話は変わる、ということなのです。
ですから、3人の話も占いもそれはそれ。因縁解脱や仏教との整合性は違うんですよ、と
言うことですね。

275ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 21:23:25 ID:SmEF4Oe2O
>>242:準シュダオン10/03/05(金) 13:59:01 ID:agsP6ENM0
>が、37道品修行には、他力も生じると理解すべきです。

だからそんな話は桐山さんも認めていない。
下根の成仏法としての如来供養は他力のようなものだが、上根の成仏法としての
37道品とはあくまでもチャクラ開発も含めた自己の能力開発なんですよ。

276天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/06(土) 22:06:57 ID:Xu.BKeDU0
むう?誰も書き込まないな。では、私が。

準さん、まずあなたの講釈はいいから、アゴン宗での基礎的な教学を勉強されたらどうですか?
かなり、トンデモ論ですよ。自分の考えはいいからまず、アゴン宗の人間ならアゴン教学を出さないと
それはあなたの勝手な解釈や講釈、私見となってしまう。それでは話になりません。
ですから、「37道品修行には、他力も生じると理解すべきです」というようなゲイカも言わない
文章が出てくるのです。

次に、ゲイカの言っていることが本当かどうかを確かめられたほうがいい。
釈尊は37道品を講じる上でチャクラ開発やら超能力開発も述べては居ません。
もし、必須なら経典に書かれているはずです。
ゲイカの言われた言葉や文章だけを見てもそこからは真実は見えてきません。
自分の勝手な解釈や理論を言うのは簡単です。というか、逃げているだけです。
自分の教団の正当性を出したい・述べるのならまず先にアゴン教学やゲイカの発言を
ちゃんと知っているなら出すべきです。そして、その上で主張をするべきです。
また、ゲイカは「ほら吹き」ですからちゃんと調べないと騙されているのに気が付きません。
有名な三福道にしても、その他多くのものが嘘です。
だから、他力などという思考も出てくるのです。まずは自身の癖をやめ、教団の内容が本当で
あるかも確かめると批判側がでまかせやデタラメを言っているのでは無いのが分かります。

277ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 22:10:35 ID:SmEF4Oe2O
>>254:準シュダオン10/03/06(土) 13:08:45 ID:agsP6ENM0
>酷い悪業を為した男に死相が生じて、寿命があと半年で尽きる運命だった。
>この場合の「半年の寿命」が「報い」だったとする。
>ところが、この男が人を助けて、死相が消え、十年生き延びてから死んだ。
>悪業を為していなければ、二十年延命できるところを、十年しか延命しな
>かった、とする。

>以上の例を考えると、悪業の報いの半年の寿命が、十年延びたのだから、
>報いを変えた、と言っても正解だし、人を助けた善業の報いは、二十年の
>延命なのに、十年しか延びなかったのだから、悪業の報いは生じたのだ、
>とも言えます。

これは天照さんが指摘するように、説法六十心2にもあった清水次郎長の話ですね。
しかしこの話自体に確たる根拠がないのです。
清水次郎長の寿命とか、いくら占い師がどう占おうがその実根拠も信用性もない。
桐山さんも書いているじゃありませんか?
人情を働かせて人を救うという善業をなして寿命を延ばしたという次郎長が
その後の斬り合いでは負けなくなったのも困った話だと。
つまり人を斬るという悪業をまたやらかしているのです。
悪業を犯しながらどうして寿命が再度縮まらないのか?
このような矛盾が指摘でき、都合のよい作り話と言える。
だから私が書いたように善業は善業として良い報いがあり、悪業は悪業として
悪い報いがあるのは別々のことであり、善業が悪業を打ち消し相殺清算するなんて
話はないのです。

278ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 22:29:32 ID:SmEF4Oe2O
>>267:準シュダオン10/03/06(土) 20:34:33 ID:agsP6ENM0
>まぁ、困難であるが、ユビキタスさんの、煩悩と災害の因果関係について
>述べてみようかw。
>怒るという煩悩が、人災を招くことは容易に想像できますね。たとえば、
>ユビキタスさんが、Aくんに怒ったとする、A君は友達のB君に、ユビキタス
>さんの悪口を言う。Bくんは、C君へ、というように、次々にユビキタスくん
>の悪口を言ったとする。ユビさんには人災が起きよう、予想できますね?

具体的な喩え話ですが、いつもいつもそのような現実展開に矛盾のない例で
進行すると思うか?
私がその煩悩ゆえに周囲に悪評を広め、その結果私は恨まれ、人災に遭う結果の
想定も可能性の一つとしてできます。
しかしその自動車整備士がいかに私に
不快感を持っていたとて公私混同だけは絶対にしない人だったらどうするのか?
私の人災は起こらない。必然の運命などにはなり得ないのです。
極めて特異な例を全てに共通する必然の汎用例とするあなたの魂胆に無理があります。

279ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 22:51:54 ID:SmEF4Oe2O
>>267:準シュダオン10/03/06(土) 20:34:33 ID:agsP6ENM0
>煩悩を断つと、災害も断てるのです。

つまりごくほんの一部の特殊例の人災だけではありませんか?
裏山が崩れたり、津波に襲われる天災をどう解釈するのか?
人災でも無差別通り魔殺人とか、煩悩ならぬ善意に満ちた正義感から痴漢を
たしなめただけで、逆恨みをされて殺される例はどうなのか?
つまり煩悩と災害は関係ない。

280ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/06(土) 23:01:00 ID:SmEF4Oe2O
>>271:準シュダオン10/03/06(土) 20:56:25 ID:agsP6ENM0
>だが、退会しようかと、現信者さんが、迷っていたとしたら、私のように
>聖なるバイブレーションの体験をレスして、管長の正しいことを主張する
>弟子がいても良いであろう、そう思って、わたしは思念の相承の事実を、
>ネット上に知らしめた。法友には、まだ話してないのだよw。

いや、あなたは寧ろ書き込まない方が迷った信者の退会歯止めに役立ち、あなたが
あまりに恥ずかしい書き込みをすることがかえって逆効果で退会を促進することに
なると思うのですが。

>釈迦が肯定しようが、しまいが、他力は、存在する。
>それが、わたしの人生体験上の結論です。

だこらあなた個人の信条はそれでよいのです。自由です。
釈尊が肯定しようがしまいがなんて破れかぶれではなく、釈尊は桐山さんの主張を
肯定してもらわねば、アゴン宗としては困るわけですから。
こちらは常に客観的立場から客観事実を論じている。

281深山:2010/03/06(土) 23:26:59 ID:NqG554ZI0
>>271 :準シュダオン:2010/03/06(土) 20:56:25 ID:agsP6ENM0
>わたしもねぇ、思念の相承の体験は、他言は、何年間も封印していたのです。
>どうせ、批判派には否定されることがわかり切っていましたからねぇ。

何年間も封印していた??
準シュダオンさんて桐山さんと同じで本当に嘘つきですね。
脳梗塞の生中継までして、その後も体験をずっと自慢しまくったくせに、
「何年間も封印していた」なんてよく書くものだ。
前もこういう嘘を並べて、私からあなたの過去の書き込みを引用されたこと
なんてまるで覚えてもいないのでしょう。
恥知らずとは本当に便利なものです。
あなたは信者さんたちが迷ってはいけないから自慢話をするのだそうだ。
では、私も、あなたのタワゴトを読んだ信者さんたちが本気にすると
いけないから、あなたがどれほどの嘘つきかを示してあげましょう。
あなたが「眠りブッダ」というハンドルを使っていた頃です。

282深山:2010/03/06(土) 23:29:35 ID:NqG554ZI0
[4065]眠りブッダ 04/10/21 8:33 yI4JYEpi.Wz
「聖なるバイブレーション」が単なる言葉だけでなくて、私も目ざめて受ける
ことができて、阿含の教法が正に正法であることを如実に知ったこと。正にニルバー
ナへの道であることを知ったこと。一気に目覚めて謎がとけて、まだ寝ぼけた
状態。「起きたブッダ」で登場してよいか天上界と相談中。いわば、東京護摩は

[4069]眠りブッダ 04/10/21 10:25 yI4JYEpi.Wz
「脳と心の革命瞑想」を実習して、私は「聖なるバイブレーション」を感じる
ことが出来るようになりました。ただ、私は飽きると、禅に行ったりアチコチ放浪

[5160]眠り猫ブッダ 04/11/26 17:23 YF5kaOpi.Wz
そして、三〜四年も実行したでしょうか。次にラジニーシのダイナミック瞑
想に関心を持ち、パール瞑想は止めてしまいました。効果があまり自覚でき
なかったからです。ところが突然、記憶の層が掻きまわされるような、体験
をしました。台風直撃の備えに力仕事をして、咽喉が渇いてビールを飲まざる
を得ない状況になり、台風は来る、地震、その他の要因で、三〜四日は平常心
ではありませんでした。その間、一日だけ、「これが聖なるバイブレーション
か?」と、思われる出来事もありました。

[5184]眠り猫ブッダ 04/11/27 11:38 YF5kaOpi.Wz
いずれ、私は自分の記憶の層の管理が、先月から変わったと感じます。
記憶の層が掻き回された感じの時、時間は3分か、5分くらいでしょうか?
過去十年位に出会った人の顔が、アルバムをめくるように、次々と現われ、
忘れていた人も次々と現われました。また、読んだ本の内容なども、次々と
想起され、芋蔓式に現われるのです。自分の意思とは関わり無く、です。

5226]眠り猫ブッダ 04/11/28 15:24 k2bi9ypi.Wz
ところが、なにやら先月、パール瞑想の効果らしいものを体験しました。

283深山:2010/03/06(土) 23:33:53 ID:NqG554ZI0
>>271 :準シュダオン:2010/03/06(土) 20:56:25 ID:agsP6ENM0
>わたしもねぇ、思念の相承の体験は、他言は、何年間も封印していたのです。

>>282のように、何年間も封印していたどころか、あなたは脳梗塞の症状が
出た一ヶ月後にはそれを思念の相承だと称して、自慢しまくっていたのです。
酒飲んで脳梗塞になったことが思念の相承とは、実によく桐山さんを真似ている。
今回の嘘もそうだが、まるで謙虚な人間であるかのような書き方をしながら、
自分を巨大化してひたすら自慢するところなど、桐山ゲイカからの思念の相承を
しっかりと受信していることを私は認めてあげますよ。
信者のために書いているなんて、自慢話をするのに言い訳の屁理屈をつけるところなど、
自慢話が五度の飯と同じくらい好きな桐山ゲイカの癖をよく体得している。
え?自慢なんかしていない?
記憶力も恥も解脱したらしいから、あなたが如来の子孫を名乗っていた頃の
自慢をまた並べてあげましょう。
読んでいる信者さんたちのために、あなたがどんなに低劣で自惚ればかり強く、
桐山アゴン宗の擁護にみせかけているだけで、実は桐山ゲイカすらも
あなたの自慢話の踏み台にすぎないことを示してあげましょう。

284深山:2010/03/06(土) 23:34:59 ID:NqG554ZI0
[840]如来の子孫 08/03/20 20:28 Bj.cdF2kp6
私自身、もしかしたらシュダオンの入り口に入ったのかな?
[1009]如来の子孫 08/03/31 10:29 LGksRgotLI
こりゃ、私もシュダオンに成ってるのかなぁ、と思います、ま、
こりゃ、ジョークですが。
[4]如来の子孫 08/04/01 20:52 9hWjqriglk
私は、霊界のシュダオン界の力を得て、応えてあげよう。
[52]如来の子孫 08/04/04 19:23 9hWjqriglk
私には、シュダオン界のテレパシーを、受けてる感じがあるので
[885]如来の子孫 08/06/03 16:48 XgL5H.msHL
限りなくシュダオンに近づけてる自覚があるのですよ。
[467]如来の子孫 08/06/13 16:30 oNmU9AvgdV
私が書いたのは、限りなくシュダオンに近づいた気がする、だよ。
[470]如来の子孫 08/06/13 19:33 oNmU9AvgdV
私はシュダオンに近い、と思う。
[510]如来の子孫 08/06/14 20:33 oNmU9AvgdV
シュダオンに限りなく近い感じがする、と述べたのね。
大違いでしょ、フフ。たぶん、私の口の悪い因縁が切れたら、
シュダオンだと思う、フフフ。
[202]如来の子孫 08/06/29 17:10 Bj.cdF2kI0
自分でいうのは可笑しいですが、私はシュダオンに近づいてる自覚
があるんですよ。
[277]如来の子孫 08/07/01 13:19 LGksRgot8d
だから、私は修行をサボるわけです。それでもシュダオンに近づい
てる自覚があるのですね、エヘエヘ。
今ではマジにシュダオンに近いと自覚してるのです。
[572]如来の子孫 08/07/09 16:52 LGksRgot8d
私はシュダオンに近いと思うから、シュダオン並みの理解が
出来た、と思う。
[763]如来の子孫 08/07/16 14:24 9hWjqrigkD
だが、シュダオンに近づいた、という自覚はあるね。

285深山:2010/03/06(土) 23:36:09 ID:NqG554ZI0
[799]如来の子孫 08/07/17 13:31 9hWjqrigkD
私は最小限の参加です。さぼり過ぎると、霊界から叱られる感じが、
するんですね、フフ、だからシュダオンに近いのかな?なんて思う。
[872]如来の子孫 08/07/21 10:50 18TZXoMZvv
私の場合は、或いは、シュダオンの相承を受けたかも、知れないね。
[1005]如来の子孫 08/07/26 10:54 18TZXoMZvv
私は、なんか、シュダオンに近い知恵が湧くような、気がするんだ
よね。
[1019]如来の子孫 08/07/26 13:48 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いかな、なんて、おこがま
しいことまでレスしたのですよ。
[29]如来の子孫 08/07/28 11:53 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いのか?とも考えたのよね、フ。
[150]如来の子孫 08/08/01 16:35 hTuSt843kK
私のいう桐山教法では、私はシュダオンに近いという自覚・確信が
あるのですよ。
[170]如来の子孫 08/08/02 09:47 hTuSt843kK
私としては、まぁ、シュダオンまでは行かないが、
及第点をあげようか、と自己採点しましたよ、フフ。
[196]如来の子孫 08/08/02 16:57 hTuSt843kK
自分では、やれやれ、やっとシュダオン近くに来れたか!
と自己満足してんですよ、生活も楽になってさ。
[607]如来の子孫 08/08/12 13:49 Fen4TGEF1J
もしかしたら、これがシュダオン・預流、ということで、解脱の流れ
に入ったことなのかなぁ、とも考えた。
[608]如来の子孫 08/10/27 11:24 PL3a0oHZ4G
涅槃に流れる川があって、その川の中に浮かんだ心境なんですよ、だから預流かな。
[618]如来の子孫 08/08/12 16:57 Fen4TGEF1J
でね、確かに私はシュダオンに近いかも知れない、と思うのよ。
[708]如来の子孫 08/08/15 13:23 Fen4TGEF1J
賢者のシュダオンには、かなり近づいた感じがする、と今でも思って
いるし、そのことを書いたつもりね。
[275]如来の子孫 08/09/11 17:40 XgL5H.msHL
だから、私は、もしかしたらシュダオン(賢者)に限りなく近い
かも知れない、と書いた。

286深山:2010/03/06(土) 23:47:39 ID:NqG554ZI0
>>261 :Boo:2010/03/06(土) 15:36:10 ID:iVNJKjNQ0
>この「上根の成仏法」「下根の成仏法」などは釈尊が言われたのでしょうか?

もちろん、釈尊の教法に上根や下根なんて差別的な言葉はありません。
あれは桐山さんの造語です。
釈尊は能力に応じた修行法など説いていません。
知的障害者と思われるチューラパンタカも、彼の兄も同じ修行をして
二人とも解脱したのです。
知性など関係ないのがよくわかる。
なせなら、煩悩を捨てるのに、能力があるとかないとか、
知性が優れているか劣っているかなんて関係ないからです。
出家と在家の違いすらもありません。
両者は程度の差と、戒律に違反したら罰があるかないかくらいの違いです。
だから、在家でもアナゴンまで行けた。
在家のままで欲望や怒りを慎み(本当の梵行)、自分の煩悩を減らしたから
アナゴンまで行けたのです。
その方法には出家も在家も違いはありません。
桐山さんは多数の在家信者に供養と称して人と金を出させるために、
下根の成仏法を作っただけです。
その証拠に、下根の成仏法だという三福道など存在せず、
同じ内容だという三善根は、貪瞋癡をなくすという修行で、
桐山さんのいう上根の成仏法です。
釈尊は出家にも在家にも基本は同じ事を説いたのです。

287天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/07(日) 08:02:32 ID:XqJhQYv20
★更新情報

朝日新聞社発行の「AERA」の記事の画像をUP。
桐山氏の関わりを示した記事です。
いつものメニューPに「3月7日UP!」と一箇所だけあるので分かると思います。
「と有る方」さん、資料提供ありがとうございました。

http://agama.zouri.jp/index.htm

288天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/07(日) 10:16:09 ID:ntzTWJso0
今日はまだいらしてませんねw 

個人的な体験を否定されれば誰しも気分は良くないでしょう。
私もそういう経緯がありますから。

でも、大事なのはやはり経験だけでなくその経験を活かせているか。またその経験が
実際に役にたたねば意味が無いと思います。
自分も個人的に準さんのように少しではありますが経験はあります。
しかし、それがずっと続くとか特殊な能力であってそれを活かして今でも続けて
いるとか使っているのならまだしもひと時というか一過性で終わっています。
そうなると、その経験は個人的には「大事なもの」であっても客観的に見れば
「大したことではない」のと「いつでも発揮・使用できなければただの偶然」で終わりなんです。
そのことを認識できなければ、歌手や選手のように「あの時は良かった」などという栄光をいつまでも
追っている人となんら変わりは無いという現実です。やはり現実を見ないといけない。
アゴン信者は特に妄想・夢想の気が多いので、尚更注意が必要です。
(過去の自分も含めての意見でした)

289ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/07(日) 10:21:13 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんのムシの知らせ体験は誰も否定してないのです。
その時限りとは言え、大した霊感と評価しています。
しかしその内容が生まれた時から運命という結論にならないのです。
前日に確定した運命なのかもしれませんよ。
釈尊がバラモンに指摘したのも1週間前に確定した運命かもしれない。
つまりそれ以前は確定しておらなかったのです。

290天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/07(日) 10:51:58 ID:ntzTWJso0
私がなぜ運命の点について「個人の見解に任せる」といっているかというと、水掛論になるからです。
運命が無い、といえば因縁解脱もくそも無くなるから、こっちにすれば都合はいいのだが、実際人生を
生きていると「これは運命なのか?」と思わざる経験をする人もいる。
全てを否定できかねるから、全否定はしたく無いんです。

で、今度は肯定してもその根拠たるを出せない。実際的に「これは運命だろう」というものがあっても
じゃあ、それをどのように証明し論理付けるか。そこは結構難しい。
だが、今度は運命を「ある」としてもそれが変えられるかどうか、という問題が出てくる。
これに対しても「運命は変えられる」というひとと「変えられない」という人が出てくる。
これもまた個人の見解にゆだねるしかないと思う。

自分も実際的に変えられたという人を見ないし、変える方法というのが確立しているわけでもない。
ただ、アゴン宗での「変えられる」という説を信じたからこそ(期待したからこそ)信者になったわけで
私も最初から信じなければアゴンの信仰など眼もくれなかったでしょう。
で、実際やってみたが変えられなかったわけで、これならやっても無駄だという結論です。
もしかしたら他にも世の中には「変えられる方法」というのがあるのかも知れないが、私はもう
変えるということには期待しないし、望まないことにしました。

291天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/07(日) 11:01:58 ID:ntzTWJso0
それはやはり批判側の私に教えてくれた本当の釈尊の言葉を知ったからでしょうね。
釈尊が「因縁解脱」や「運命を変えることができる」というのを示唆しているのなら
死ぬまでやるでしょうね。でも、それが全く無いのを確認したらやりようがない、と
悟りましたよ。

釈尊は運命を変えるとか過去の罪障を生前のうちの善行で相殺するとか緩和するという
ようなことは示唆していません。問題は違うところに有るぞ、といわれている。
だから、運命を変えるとか悪因縁解脱等というわけが無いのです。
そして、アゴン宗に見られるような、教団や本尊に奉仕する(貢ぐ)という行為など
釈尊が推奨することは無いのです。

釈尊は無駄なことが嫌いで省くお方です。必要であるならば占いも護摩も取り入れている
のです。それが無いということは「本題」は我らがアゴンで知ったことではなく別である、
ということです。印を組み真言を唱えお経を読む。アゴンでの梵行を行う事が修行ではなく
やらなければいけないことをアゴンの信者は知らないのです。
なぜ知らないのか?それはゲイカの言うことだけを鵜呑みにして釈尊の教法を知らないからです。
本当の釈尊の教法を知ったらゲイカの言うことはでたらめだというのが分かります。
ゲイカの言われる「アゴン宗こそ本当の釈尊の教法を実践している」と言っているがそれが本当に
正しく合っているのかを確かめて無いくせに信じることだけは一人前で妄信まっしぐらなのが
アゴンの信者なのです。

292名無しさん:2010/03/07(日) 11:13:26 ID:ntzTWJso0
誤字訂正 批判側の私に=X 批判側が私に=○

まして、本当の釈尊の教法を、という観点で言ったらアゴン宗だけでなく他の仏教教団も
正しい教法を講じてないことが分かります。ゲイカが昔良く他の仏教教団を批判したことは
有る部分では間違いは無かったのです。
しかし、ゲイカは他教団を批判しておきながら自分のやっていることはデタラメですから
本末転倒な訳です。アゴン宗こそ本当の釈尊の教法を講じている教団なら占いも護摩も
捨てなければいけない。そして、成仏法の示唆(実践)を講じさせ、信者たちが次々と
悟りを得て解脱して行っているものなのです。

ところがそういうことも無く、信者に従来の信仰と変わらない行動をさせ、信者から金を
巻き上げ、それだけでなく労力まで奉仕させる。本当の仏教ではなく偽の仏教をやらせて
搾取することしか考えてないのだから話になりません。
運命とかそういうのはよろしいから、それよりも大事な信仰の核を検証せねばまずいのでは?
私はそう思います。自分の所属している教団が何をやっているか見えないのならもう
この掲示板での会話は不毛と言うことにもなりかねない。
持論の前にやることは沢山有ると思います。

293うサギ:2010/03/07(日) 12:32:39 ID:UtKVqJLA0
>>254酷い悪業を為した男に死相が生じて、寿命があと半年で尽きる運命だった。
この場合の「半年の寿命」が「報い」だったとする。
ところが、この男が人を助けて、死相が消え、十年生き延びてから死んだ。
悪業を為していなければ、二十年延命できるところを、十年しか延命しな
かった、とする。

人を助けたところで条件が変わって、あと半年→あと十年になった。
「悪業を為していなければ、二十年延命できる」という前提は
人を助けようが助けまいが変わっていない。

つまり、条件が変われば結果も変わるだけで何の矛盾もない。
たとえば理科の実験でも、条件を変えれば結果も変わる。

どこに「矛盾」があるんですか?
何と何が「矛盾」しているんですか?

準々シュダオンさん。

294Boo:2010/03/07(日) 16:09:07 ID:DXlq9owoO
つまり、アゴン宗の『因縁解脱行』や『ブッシャリ宝珠尊解脱宝生行』などしなくても、『運命』は転換する、という例がある、と言いたい訳ですね。準さんは。

295ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/07(日) 18:40:07 ID:SmEF4Oe2O
人命救助隊とかお医者さんなんて、運命を転換してることになるんだよねw

296天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/07(日) 19:57:43 ID:zG8dYNWU0
ユビさん、いい見地w

脳外科のゴッドハンドといわれている、福島Drはすでに1000人以上の重症な
脳腫瘍などの手術を行い、奇跡的な達成率を果たしている。
こうなると120歳まで生きても不思議では無いし、福島氏の悪業も消えて涅槃へ
入れるんじゃないの?

297準シュダオン:2010/03/07(日) 20:42:03 ID:agsP6ENM0
だから、宗教は主観なのです。科学は客観世界です。
空海様の、「真如は外にあらず」という言葉は、そういう意味でしょう。
わたしの3人の名簿の事件も、そういうことです。
わたしのその体験を、正確に他人に伝えることは不可能です。
立ちくらみを知らない人もいようし、無意識といっても、完全な無意識ではない、
眠くなった人が、船をこぐ状態、に、なったような状態で、チョン、チョン、
チョン、と、3人の名前の頭にチェックを入れられた状態。
もちろん、チョン、なんて音もしないよW。

これは何者かに、運命はあるよ、と教えられた感じがした、
のもわたしの主観の問題でね、証明はできない。別にわたしの体験を、
批判派に肯定などしてほしいとも思わんよ。
批判派にそのような柔軟性の考えがあるとも思えんしね。それで普通だ。
わたしだって、自分にそのような体験が起きるまでは、そのような予知話を
いう人を、脳の病気だ、と言っていたのだからねw。

だから、そういう体験をすると、他力があると、思わざるを得なくなるのね。
たとえ、釈迦が他力を否定していたとしても、私は体験上、他力はあると
思うね。体験がない人は、釈迦を盲信するしかないでしょう。

管長のいう「思念の相承」は、他力が9割、自力が1割、といったところ
だろうね。面倒な修行が苦手な人は、仏・法・僧・に功徳の種をうえて、
ただ、聖なるバイブレーションを待てばいいさ。それを受ければ、一挙に
仏法の何たるかが、わかると思うね。議論・理屈なんてのは薄っぺらなこと
しか表現できないからね。

まぁ、退会を考えてる現信者さんは、わたしの漫談を聞いて、もしかしたら
本当かも、と考えて、もう少し粘ってみることだね。

298天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/07(日) 21:03:47 ID:zG8dYNWU0
>体験がない人は、釈迦を盲信するしかないでしょう。

釈迦を妄信?じゃあ、あなたは釈迦の教法はどうでもいいというのか?
本音が出たというか、それでは成仏法もクソも無いではないか。
成仏法は釈迦が説いたのではないのか。妄想も我見もいい加減にしなさい。

>仏法の何たるかが、わかると思うね。議論・理屈なんてのは薄っぺらなこと
しか表現できないからね。

分かったつもりでいるのか、おめでたい人だ。わかって無いのはあなたのほうだ。
バイブレーションなど釈尊は言って無いし、やってもいない。
また、成仏法は「法」であろうが。自分の発言していることが自分で分かっているのか?

現在のあなたのほうが脳の病気ですぞ。

299ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/07(日) 23:38:18 ID:SmEF4Oe2O
>>297
まだ理解してないようですね。
あなたの不思議体験を信じないなんて表明している人は1人もいないのですよ。
私は信じてます。たしかに翌日に起こることを前日に予知した体験として信じます。
たちくらみ体験は主観だったかもしれないが選んだ3人が翌日に訪問した事実は
客観です。
しかしそれは少なくとも前日には起こるべきこととして確定していたことだとしても
それより遡って以前、生まれた時から決まっていた運命と見るのは無理があり、
誰もそんな見方はしない。
桐山因縁とは生まれた時に確定している運命だからね。
1週間前に新たに追加された運命を桐山さんは○○の因縁とは呼ばない。
また他力についても他力そのものが絶対にないなんて話をしていない。
釈尊は煩悩を断つという解脱は自分で行うより他なく、他力による解脱なんてない
としたわけだ。
あなたのちょんちょん体験があなた以外の目に見えない他の存在からアプローチ
された他力体験と仮定してもかまわない。
だからその他力で何が得られたのか?何がどう変わったのか?
あなたが唯物論者の考えから脱皮できた以外に、あなたの人生がどう変わったのか?
他力という不思議な力があるという証明だけではダメなんですよ。
解脱と他力の関係が論点なんですから。
それから思念の相承ですが比率の数字より修行してなくても思念を受けて解脱できる
なんてことは桐山さんは絶対に認めてないのです。
練行も奉仕ボン行も熱心にやった者が最終仕上げに受けて飛躍できるのが
桐山思念相承です。
準シュダオン教には用がないと言ったでしょ?

300ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/07(日) 23:48:49 ID:SmEF4Oe2O
3人の予知体験は信じるとも書いたが、信じないのではなく、もっと現実的な
別の面でも考えることはできる。
こうして議論していてもわかるように、準シュダオンさんは相手の話、他人の話を
聞かない。聞いてもすぐに忘れる。
だから3人の訪問も実はあなたは何らか聞いていたのかもしれない。
しかし最初からそんな特に仲のよくもない奴らのことなんて興味がないし
他人の報告ですらきちんと聞いてない。
だから頭に入らないうちに忘れてしまった。
しかし人間の脳は本来精巧なものだからあなたの脳は3人の名前を記憶している。
そこであなたは何か思い出さねばならないことがあったけど表面意識で思い出せ
ないでいる。あなたの潜在記憶は私を思い出してくれ、思い出してくれと沸々と
している。そこで名簿を前にしてあなたはめまいがし、遠退くような意識の中で
その3人の名前を名簿から拾って印をつけた。
つまりこのようにあなたの潜在記憶がやってみせた芸当だったのかもしれない。

301天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 05:50:30 ID:zG8dYNWU0
あまり馬鹿げたことを言うと、マジにアク禁にしたくなってきますね。
どこまで馬鹿にすれば気が済むのか。または、本気で妄想しているのか。
3人の方の翌日訪問はそれはよござんした。でも、それの何が運命なの?
逢うのが運命か?で、その運命はもうその翌日逢っただけで終わってるんでしょう?
街で偶然逢った人にもそんなのは言えるでしょうが。

占いだって当たったから何なの?何か変えれたんですかね?しかもそれはゲイカの指導じゃないでしょう。
運命を感じた。だからOOの因縁はあるんだ。単純直結すぎないか?
寝言も想像も程度があろう。深山さんの情報から見ると本当にあなたは悪くなっている。
それで因縁解脱やら聖者に準するなど、あなたの希望的観測や想像でしかない。
裸の王様が「私は心のきれいな人にしか見えない服を着ているんだ」といって自慢している
王様と変わらないのに気づかない自己満悦の馬鹿な王様そのものですな。

302天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 06:05:23 ID:zG8dYNWU0
新しい信者さんは知らないと思うから書いておきますか。実はユビさんの>>299で言われている、
「桐山因縁とは生まれた時に確定している運命だからね。
1週間前に新たに追加された運命を桐山さんは○○の因縁とは呼ばない」
というのは半分当たっています。
つまり、基本的には「桐山因縁とは生まれた時に確定している運命」というのは本当です。

ただ、アゴンの恐ろしいところは(というより、嫌な面ですが)この基本さえ守ってない、と
言うことです。
答えを先に言いましょう。つまり、新しくできた因縁もOOの因縁、とみなすのです。

その証拠はまず、信者で何人も導いた優秀な方がいます。その方が古い時期にゲイカに因縁を
見てもらっています。しかし、その人は慈恵会時代だけでなく、アゴン宗になってもお導きを
やっていますから、因縁透視の条件を満たしている方がいます。そして、その条件を無駄にしたく
無いので再度申請をしたのです。すると因縁の項目(種類)が変わっているのです。

どういうことか?つまり、行をやっているので過去にあった因縁が切れたり薄らいだりしている、
というのと生きている間に悪業を積んで新たに新しい因縁が増えた、などというものなのだそうです。
だから、信者でも死ぬまでの間因縁の増減があるので、そのたび何年かごとにゲイカに因縁を見てもらえば
項目が変わったりするというのは、実際あると聞いています。

確かに通理的には「そうかもしれない」という説明だし、分からなくも無いが、じゃあ、その増減した
因縁を完全解脱できる人は果たしているのか?というと、実は全国で数は少ないですがいるそうです。
それが以前私が言った関東別院の「Mさん」と言う方です。この方は全国でも名前をしている人の間では
有名な方です。管長に「悪い因縁なし」と下付された方です。
しかし、この方でさえ「シュダオン認定」はされていない。しかも、公に「このMさんは因縁を解脱した」
とゲイカは一言も言わないんです。いや、正確に言えば「いえないんです」

303天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 06:12:59 ID:zG8dYNWU0
なぜ言えないのか? それは簡単です。もしもゲイカが公認した後にその信者がガンやら不幸な亡くなり方をしたら
面目丸つぶれだからです。だから「言えない」し「言わない」のです。
それを方便で「言うとその人のためにならないから」とか理由をつけて嘘をついているんです。
自分が不利になることは絶対に避けているのがゲイカなのです。
だからいつまで経ってもゲイカ以外は因縁解脱認定などするはずが無いのです。
まして、因縁解脱した人が脳梗塞や糖尿病になって現在のようにヨレヨレになって、しかも愛人問題などを
おこして、しかも、HPに見られるような失態の数々などするものか。
いづれ、廣野本をUPする予定だが、まあ見ると呆れること沢山です。
これでよくも聖者やら超人やら仏陀を公言できるものだ、と思いますね。

自己申告なら何とでも如何様にもいえますからね。中身が無くても。
準さんはまさに教祖のコピーそのもの。いや同類ですね。
あまり、仏教から外れたことをほざくと、スレ違い認定で投稿を遠慮してもらいますよ。

304ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/08(月) 08:17:39 ID:SmEF4Oe2O
寿命と因縁の話を出すならば、人類であれ特定地域であれ、平均寿命の変化の話を
出さねばならない。
平均寿命が延びたのははっきりとした理由があります。
栄養の普及と、医学の進歩です。
これにはシャカの成仏法など関係ありません。
因縁解脱など関係なく改善されるのです。

305ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/08(月) 08:31:57 ID:SmEF4Oe2O
ちなみに寿命が延びるという話は主観の問題ではない。

306ラシン:2010/03/08(月) 11:28:28 ID:XYs6itx.0
>297 :準シュダオン:2010/03/07(日) 20:42:03 ID:agsP6ENM0
だから、宗教は主観なのです。科学は客観世界です。
空海様の、「真如は外にあらず」という言葉は、そういう意味でしょう。

桐山さんはその宗教を継ぎ接ぎの科学的論拠に求めていた。
あなたもそれをあやふやではあるが、その姿勢を見せた。
今更、空海さんんを持ち出して何の意味があるのか?
都合でコロコロと主張を変えるのが、あなたの姑息さを
物語っている。
宗教は主観と考えるのは自由だが、仏教は宗教か?
大乗仏教なら宗教といえるが、阿含経にみる釈尊の教えは、
従来型の宗教ではないね。
また、あなたの他力強調は浄土真宗と変わらない。
唱名の代わりに三七道品法の鉢巻を巻いたら、
修行したつもりでいる。

>わたしのその体験を、正確に他人に伝えることは不可能です。

自覚してながらもしつこく個人体験を吹聴するのは、
あなたが自慢したいからだろう?
ほかとは違って自分は凄いのだ、と見せ付けたい幼児性?
他者が検証できない個人の経験話しなど何の客観的根拠と
なり得ないくらい、そろそろ認識すべきだ。
予知やひらめき、ムシの知らせなどここの誰も否定していない。
しかしそれらの現象を運命や○○因縁へ根拠無く結びつける
ような愚行は、普通の知性があればしません。

>体験がない人は、釈迦を盲信するしかないでしょう。

あなたは三七道品法を信じながら、自己の体験主義に溺れ、
釈尊が説いてもいない他力や運命や○○因縁を信じている。
あなたの信仰姿勢は、あくまでもあなた個人が基点に見える。
その為に時には師である桐山さんにも違背し、釈尊を平気で
侮蔑するという結果を招いてなお厚顔無恥を発揮する。
アゴン宗に長く在籍すると、人格崩壊を招くという見本の
役目を任じているようだ。

>管長のいう「思念の相承」は、他力が9割、自力が1割、といったところ
だろうね。面倒な修行が苦手な人は、仏・法・僧・に功徳の種をうえて、
ただ、聖なるバイブレーションを待てばいいさ。

やっと本音を洩らしたわけです。
そう、あなたは放逸で戒律が嫌いで修行も自己流で、
そのくせご利益だけは人の何倍も欲しがる。
酒の酔いに任せてブッチャケあなたの醜い本音を露呈した。
アゴンボン行や勧進もサボるあなたが、功徳の種を植えただと?
ホラ話しでも、もう少し信者さんの共感を得るような姿勢を見せたら?

307Boo:2010/03/08(月) 12:35:29 ID:iVNJKjNQ0
天照さんのご意見、お見事ですね。因縁解脱者のいない理由。生まれたときから
決まっているはずの因縁が再度因縁診断すると違う因縁の指摘がなされること。

よくこんなインチキに長期間騙されていたものです。私としたことが・・・

最近アップされたAERAの記事。あれもすべて検証したわけではないので、
100%きり山師「悪」と判断するのも早計な気がしますが、私の感情的には
ほとんど確信しています。笑っちゃいますね。荒行する理由が株の上がり下がりを
見れるようになることだ、という修行者を馬鹿にしておきながら、その連中から
「御霊示」をうけていたんとちゃうの?

308天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 14:04:50 ID:zG8dYNWU0
Booさん恐れ入ります。まずAERAのほうから言いましょうか。
私もあの資料を提供していただいて、自分も初めてみたわけですがすっと浮かんで
来たものがあります。それは「廣野本」です。廣野本にはああいう感じの記述が多いんです。

確かにBooさんの言われたとおりでコメントの仕様が無いのでHPの解説が無になっています。
ですから、私もあれは参考資料という風に抑えています。ですが、デタラメであそこまで記者も
書かないだろうと思うので、信じていますけどね。

あと、因縁のことですが、もう皆さんはお分かりのとおり以前の体制は「3人導けば無料で診断」
という規定でしたね。私は入行して半年もたたないうちに6人導きました。
なので、自分の因縁のほかにもう一人分見てもらえるほど規定を満たしたんです。
しかし、ずるい連中がいましてね。順飛ばしをされたんです。なので、診てもらえるのを後回しに
されて、しかもゲイカはルーズでしょう?だから、ようやく診てもらえるようになったのは平成に入ってから
なんですよ。で、そのときには導いた人が辞めたり会費を滞納したりなどで規定から外れてしまい、自力で
再度診てもらえたのが大分後になってあのHPに掲載したのがそれなんです。
ですから、私自身は2度2度診てもらってはいませんが、別院で見てもらった方の話が飛び込んできた。
もう地方道場にまでその情報は流れてますし、実際Mさんに会って直に話を聞いてますからね。
で、しかも、そのMさんにかわいがってもらっている人が私の東京の法友というわけですから
又聞きでぼけた情報じゃない、というのがあります。その東京の法友が直にMさんと仲がいいんですから。
また、その因縁診断の話もMさん本人から聞いているんですから。
以前の月曜班でチーフだった方、といえばすぐに分かりますよ、本当の信者なら。
(もう、答えを言っているようなものですけど)
その方が最初因縁を診てもらったら、数は確かに少なかったが因縁はあったんですって。
ところが時間を置いて再度何かで見てもらったら悪い因縁の項目は無くて「良妻賢母である」と書かれていた
ということで、これアゴン的には因縁解脱者といってもいいぐらいです。
ここまでいっても「君はシュダオンだ」と絶対に言わないわけです。
シュダオンといわなくてもいい。因縁解脱おめでとう、などと微塵にも言わないのですよ。
理由は>>303にあるとおりです。
私もそのMさん目指して頑張ろう!と思ったものですが、インチキですからね。
その悪因縁が無い、なんてどこまで本当かわからないですよ。
桐山教は今すぐに辞めるべきです。デタラメ・インチキですから。

309天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 14:14:17 ID:zG8dYNWU0
また、そのMさんが悪因縁が無いとされたのは、ゲイカとそのMさんの旦那さんが懇意だからです。
そのMさんの夫婦はかなりアゴンにお金を費やしている。また実際の行動も素晴らしく教団に欠かせない
人物だからです。旦那さんは別院で唯一ゲイカのそばに会える・行ける人物ですから。
その奥さんでしかも積極的に金も労力も費やしているとしたら、「君には悪因縁は無い」と言われる
サービスぐらいはするでしょうよ。なあに口で言うか文章で書けば喜ばれる行為だからゲイカにすれば
痛くも痒くも無いサービスだ。

また、そのMさんたちはもう全部解脱を済ましており、もう成仏して無い仏はいませんよ、というまで
徹底しており、それでも毎年一回夫婦揃って解脱を出すのだそうです。
当然、「霊障の仏はいません」と返金されることは多々あり、Mさん夫婦も喜んでいる。
そこまで完璧にやり遂げている人ですからねえ。それでも聖者認定は無いんですよ。
ゲイカとマブな関係で懇意者であっても、絶対に「完全解脱した」と宣言しない。
全く体の芯まで詐欺師ですわ、元うちの教祖は。

310天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 14:26:59 ID:zG8dYNWU0
また、これは又聞きなので抑えていたがいいましょう。
Mさん以外にも「悪い因縁は無い」と言う人が全国で数人いるそうです。
でも、当然「因縁解脱を果たした」とゲイカから一切言われて無いんですよ。
いい因縁まで消さないと認定しないんじゃないか、と昔は私も思ったほどですね。
本当に馬鹿げた教祖と教団です。

で、やはり皆一様に言われるのが、「因縁の項目が変わる」ということです。
教団の発行物の質疑応答にもあったと思うが、依然診てもらったときに無かった因縁が
出てたり、表記が変わったりするというのがあったが、あれも本当に方便。いくらでもいいようがあります。

そうなると、生まれ持った因縁というのは変化するまでは分かるが、それでは消しようが無いではないか。
ここにインチキのエキスが十分あります。
また、Mさんのように「悪い因縁が無い」と成果を果たしても、生きている間は悪因縁をいくらでも発生させる
事が懸念されるわけであり、それではいつまで経っても解脱などできるはずが無い。
お釈迦様でさえも涅槃に入れない、ということになる。
こんな馬鹿げた理論があるものか!

ですから、如何にいい加減で根拠の無いものを信者に信じ込ませやらせているか、ですよ。
むしろ、釈尊の言われていることは煩悩を解脱して涅槃へ入るのだ。
悪因縁、徳がどうのこうのなど言われて無い。
印を組み、真言やお経を読み、教団へ奉仕するのが仏教じゃないんです。邪教です。
お釈迦様はそんなことをすれば解脱できるぞなんて、一言も言って無い。
ゲイカのやっていることは、仏教ではありません。

311Boo:2010/03/08(月) 14:33:11 ID:iVNJKjNQ0
なんたって、元副管長でしかも自分の妻も解脱していないんだから解脱している人間なんて
おりゃせんのとちゃう?まじで。3年前にできた教団ならいざ知らず、アゴン宗になってもう何十年よ?

観音慈恵会の時のパンフレットには、横変死の因縁の洗い出しで切れた話なんかを
読みました。あのころのほうが因縁切れた人多かったですよ、たぶん。

アゴン宗で知人で因縁切れた人は、準さんくらいしか聞かないよ。笑っちゃうね。

312天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 14:49:15 ID:zG8dYNWU0
うーん、個人的には因縁が切れているのではなくて頭の回路が切れていると思うのですがw

313Boo:2010/03/08(月) 15:02:44 ID:iVNJKjNQ0
笑!!!

314ラシン:2010/03/08(月) 15:08:47 ID:XYs6itx.0
>当然、「霊障の仏はいません」と返金されることは多々あり、Mさん夫婦も喜んでいる。

アゴン宗的にはすごい徳積みをしている。
返金までするなんて手がこんでいますね。

>それでも聖者認定は無いんですよ。

理由は天照さんの先述の通りで充分、納得できます。
三福道の実践者でそれを極めたなら涅槃界です。
桐山さんが末世成仏本尊経として在家でアナゴンまでの
可能性を述べていますが、シュダオンにすら未認定?
準シュダオンさんと比較にすらならない大先達です。

話しは飛びますが、あるとき家人が無断で法施の如意宝珠の
宝塔を足立近在でよく当たると言う霊媒師に見てもらって、
その結果を言われた。
ひと言「汚れている」だった。
桐箱に入れずアゴン宗の物とも言っていないで師の目前に
置いただけで、瞬時に言われたそうです。
当時はその家人の行動に怒ったもので、ましてや汚れているなど
とんでもない霊媒師と罵ったが、今にして思えばズバリ的中です。
釈尊の意思に反して死者成仏を謳い、亡くなった人を霊障扱いして、
己の欲のための功徳を求める自己本位は、たしかに人道すら外した
邪まな考えですから、それを手助けするなら汚れるのは当然ですね。

315天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 18:40:45 ID:zG8dYNWU0
ラシンさん、いつも投稿ありがとうございます。
そのMさん夫妻は、こぼれ落ちる先祖がいるのが嫌で完全に家系から未成仏の仏が
なくしたいというのと、ゲイカの指導に沿うならば全部霊障の仏は「無し」にせねばいけない
という考えを素直に行っているといえます。(勿論、財力も無ければ無理ですが)
なので、自分達には霊障の仏(未成仏の先祖)がいない、と言われても”もしも”のために
毎年20万と資料箋を出して、わざわざ解脱を出しているんです。で、霊障の仏はいませんよ、
というと安心するそうです。勿論、霊障の仏がいたらそれはねんごろに供養するわけで、
霊廟も墓稜も持っているといってたなあ。そうなれば守護神様も当然もらってるでしょうね。
物凄いお金(供養)をつぎ込んでいるんですよ。

あと、勧進もたくさんやってるので法施は同じものが4個も5個もあるそうで、その法友は
仏舎利ペンダントをただでもらったんだよねえ。(20万)いっぱいあるからあげるって。
光明法蓮華とかも数枚持っているんじゃないかしらw
法施はもう要らない、といってたそうですよ。

あと、霊媒師の話ですが、私も分解などをしているので実感として分かります。
こんなものに自分達は礼拝したり、珍重してたのかと。
某教団の「壷」じゃないが、それが物体が変わっただけで実質同じだなあと。

後、個人的に言えば汚れているかどうかは分かりませんが、仮に汚れて無くても
何の意味も成さない物体だったんだなあとがっくり。
聖なる波動(バイブ)も何もなくて、ただのイミテーションを喜んで拝んでいた。
清くも無いが汚れても居らず、ただの置物だったり物体だった、ということですね。
惨めさが身にしみます・・・。

316天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 19:38:05 ID:zG8dYNWU0
★ 更新情報

昨日のAERA記事に続き、またまた「と有る方」さん提供の資料をUP。
今日は「密教食疑惑」の記事画像です。本からの引用ですが、中々の内容です。
ぜひ、ご覧ください。(昨日のメニュー項目のすぐそばにあります)

http://agama.zouri.jp/index.htm

あと、@chs−1でユビさんが言われていた「テレビヨーガ道場」の事も出てるので
びっくり。ナイスなタイミングに天照もインド人もびっくりだよ〜んw
(インド人は冗談)

317ラシン:2010/03/08(月) 20:33:25 ID:qVxlLRg.0
>316 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 19:38:05 ID:zG8dYNWU0
★ 更新情報

昭和45年といえば桐山さんが小田慈舟猊下より「如意宝珠法」の
伝授を受けた年であり、その年の1月の初護摩で「念力の護摩」を
焚いたとされています。
藤本さんが、桐山さんに初めて会ったと言うのがその年の7月頃で、
インドの奥義書の念力の火の絵を見せたら、それが「密教超能力の
秘密」の著書出版の下絵となった?
念力の護摩を焚いた後なので、逆にそれを事実として補強したかった
のでしょうか?
チャクラやクンダリーニもその奥義書がヒントですか?
記憶に頼りますが、それにしても密教食は、桐山さんが護摩供の
五穀・五香・香油を注杓するそれらの中に身体に大変栄養効果が
良い物を見出した、と述べていたが。
元々が山岳修行者も栄養源にしていたものだと言っていた。
そのモトネタが「ホツマナ」ですか? 呆れたもんだ。
健康食品販売という”商売”に熱心だったわけですね。
ニセビール造りの教訓が生かされた。

天照さん、「と有る方」さん提供の資料も一級品です。
法施グッズの価値性もさることながら、桐山さんは何から何まで、
みんな剽窃やネタ盗用、改ざんや誤釈の迷人ですね。

318ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/08(月) 21:20:10 ID:SmEF4Oe2O
そもそも「変身の原理」には一言も出てこないチャクラやクンダリニーが
「密教・超能力の秘密」になって忽然と現れる秘密がわかりましたね。
桐山さんは前著では示さない奥伝の引き出しが俺様にはあるのだと示した
つもりなんだろうが、仕入れたばかりのネタだったのですね。
藤本さんに「こんど密教とヨガを組み合わせた面白い本を書いているんですよ」
という紹介もおかしい。
まるでこれから試論的にも創作の途中ですと告白しているかのようだ。
本来なら念力の護摩を焚く以前からチャクラを開発し、密教とヨガのミックス
は当たり前だったはずなのに。
変身の原理で「ヨガ」と表記し、超能力の秘密で「ヨーガ」と伸ばすようになった
理由もよくわかった。
テレビヨーガ道場が東京12チャンネルと書いてあるのは藤本さんの記憶違い
なのか、私が一度だけ番組のほんの数分を見た記憶はたしかではない。

319天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 21:32:15 ID:zG8dYNWU0
ユビさん、ラシンさん、早速の感想・意見ありがとうございます。
確かに検証が必要な感じでありますが、この本に書かれている内容は非常に検証する上で
参考になるのかと推察いたします。
もしかしたら藤本さんの妄想か勘違いというのも無いとは言えないが、もしも真実であれば
これはまたとないゲイカへの突っ込み材料になります。
ゲイカはかなりの詐欺師ですから、こういう情報も検証して真偽が出せれば本当にいい証拠だと
思いますね。

ラシンさんの
「念力の護摩を焚いた後なので、逆にそれを事実として補強したかったのでしょうか?」
というのには私もそうなのでは、と感じます。
あの当時の時期としても念力の護摩はインパクトが結構得られたと思うのですが、ただばーんと
出した、もしくは教団内だけでは世間に知らしめるにはやはり弱い。
当時の有効な手立てとしては今のようにネットもありませんからやはり出版かTVが一番いい。
「三時に逢いましょう」で人気を博したのも効果があったように、やはり本は有効でしょう。
また、ゲイカとしてもあれだけ成功?した護摩を世間が注目しないと気がすまないのもあったかと
思うんです。どうだ俺は偉いんだ。天才なんだ。真言宗の僧侶が束になってもできない念力の護摩を
俺は焚いたんだ。どうだ!と知らしめたかったころだと思うんです。
ですから、事実として補強し、世に絶対に知らしめる必要があったしやり遂げたい、という思惑は
大きく存在し、実際にそれをやられた、ということではないかと私も思います。

320ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/08(月) 21:39:08 ID:SmEF4Oe2O
そもそもあの図像、念力の護摩なのかわからんはずですよ。
桐山さん英語読めないから訳してもらおうとしたんでしょ?
藤本さんが念力で火を出しているのですと解説を添えたのならまだしも。
2つの絵は、一つは護摩の炎の中に女神が現れる図ですし、もう一つの絵も
護摩焚いてるむこうで雨が降っており、天地自然を支配する絵にはなっても
念力で火をおこしたかはわからない。

321天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 21:55:09 ID:zG8dYNWU0
あと、思ったのはやはり念力で火をおこすには、チャクラ開発ができているというのも出したかったのでしょう。
廣野本で見られるインチキを実際行っていながら、チャクラもくそもないだろう、と今では思うが、今後現在にまで
インチキを構築するためにかどうかは分からないが、チャクラ開発・超能力をどんどん打ち出している。
当時今ほど検証の材料もないし、暴くこともできなかったからあっという間に信じる人が増えて信者になるのは
中々防ぐことはできかねたと思う。そういう点では見事な展開をゲイカはしたと思います。
念力の護摩は「変身の原理」で十分述べたから、その後はそういう超常的な現象を起こすにはチャクラ開発、超能力開発が
必須である。そのためにはシャカの残した修行法が有効である、という展開をしたくて進めたのでしょうかね。
ともかく、いづれにしても上辺だけの中身のない宣伝にまんまとやられたわけですが、その元々はこういう裏があったのか、
というのを知らしめるいい暴露情報には感謝をしています。

322天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 22:21:15 ID:zG8dYNWU0
私はユビさんのように古い時期の信者じゃないために疎いところがあるので調べたら、随分胡散臭い。

まず、ウィキを見てゲイカの著書の発行のものを見たら、こうなっている。

『幸福への原理』 1957/01/01
『変身の原理−密教の神秘真理』 1975/04/30
『密教・超能力の秘密』 1972/07/05
『念力 −超能力を身につける九つの方法』 1973/04/25
『密教占星術 l −運命とはなにか』 1973/07/20
『説法六十心 l 』 1974/09/10
『チャンネルをまわせ −密教・そのアントロポロギー』 1975/06/25
『密教誕生』 1976/11/01
『密教入門 −求聞持聡明法の秘密』 1976/12/05
『人間改造の原理と方法 −原始仏教から密教まで』 1977/12/20

これらは途中までの抜粋だが、良く見ると発行年数順になっていない。
で、発行年数順に直せば下のようになる。

『幸福への原理』 1957/01/01
『密教・超能力の秘密』 1972/07/05
『念力 −超能力を身につける九つの方法』 1973/04/25
『密教占星術 l −運命とはなにか』 1973/07/20
『説法六十心 l 』 1974/09/10
『変身の原理−密教の神秘真理』 1975/04/30
『チャンネルをまわせ −密教・そのアントロポロギー』 1975/06/25
『密教誕生』 1976/11/01
『密教入門 −求聞持聡明法の秘密』 1976/12/05
『人間改造の原理と方法 −原始仏教から密教まで』 1977/12/20

これも、違和感があるのでA宗のHPに行った。で、調べると変身の原理の初版などは書いてない。
いわゆる平成になってからの新しいやつだけしか載ってない。

あまりにも時期が変なので、廣野本で確かめると1972年の10月25日に発行となっている。
で、次の「密教ー超能力の秘密ー」は翌年の7月2日発行になっている。
これなら納得ができる。しかし、記載漏れにしては不信感が生ずる。
考えすぎかもしれないが、意図的な操作を感じたりする。

323天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 22:23:02 ID:zG8dYNWU0
>>322 訂正を。7月2日じゃなくて7月5日でした。打ち間違い失礼。

324ラシン:2010/03/08(月) 23:04:55 ID:1rPzIAY60
>2つの絵は、一つは護摩の炎の中に女神が現れる図ですし、もう一つの絵も
護摩焚いてるむこうで雨が降っており、天地自然を支配する絵にはなっても
念力で火をおこしたかはわからない。

そうですか、図柄は覚えていません。本が無いもので、、、
桐山さんには神仏降臨も焚いた火は、すべて念力に直結したのか?
アグリも不動明王も背中に背負っていたのか、念力中毒?
インドでは雨乞いをするだろうし、普通に火をたく。
求聞持はどこで修練したのか、念力はどこだ?気を失う前に
パチと音がして焦げていた?
著書があればその時系列の矛盾も吟味できるはずだが、、、
私が聞いたのは護摩供の栄養分を取り入れたと記憶にある。
とにかくアゴン宗を立宗してから念力の護摩の話しを
避けるようになった。
書いたものは残るし、信者は奇跡を信じたいから探るようになる。
だが決して求聞持話しも念力護摩も話題に対し避けていた。
聞けば当時から灯明の火を絶やさないようにして今にある
と言うだけ。

325深山:2010/03/08(月) 23:09:51 ID:aM2wYPrM0
>>322 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/08(月) 22:21:15 ID:zG8dYNWU0

『変身の原理』の各発行所の初版の日付は次のようになっています。
文一出版・・・1971年6月25日
角川書店・・・1975年4月30日
平河出版社・・2002年12月20日
ウィキの人は、文一版を持っておらず、角川版の発行年しかわからないから、
角川版の発行年を書き、しかも実際の発行年ごとに並べたのでしょう。

廣野さんが『変身の原理』を昭和46(1971)年10月25日としたのは、
おそらく彼が持っている本が初版ではなく、増刷された本だからでしょう。
文献を引用する時には、基本的にはその人が所有している本の発行年で
記載しますから、彼もそれに準じたのでしょう。
アマゾンの本などを見ると、初版の発行年ではなく、現在販売されている本の
版の年代が記載されています。
アマゾンの『人間改造の原理と方法』は発売日が1984年となっています。
だが、初版は1977年です、
ユビキタスさんが『輪廻する葦』を引用してページを示す時、初版であることを
書いていますが、あれは版によって該当する文章のページが違っているからです。
『守護霊を持て』の口絵のカラー写真も版によって違っているはずです。

326ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/09(火) 01:39:55 ID:SmEF4Oe2O
>>324:ラシン10/03/08(月) 23:04:55 ID:1rPzIAY60
>そうですか、図柄は覚えていません。本が無いもので、、、

http://imepita.jp/20100309/053260
↑と↓っす。
http://imepita.jp/20100309/054470

>桐山さんには神仏降臨も焚いた火は、すべて念力に直結したのか?

まあ女神を呼び寄せるのも念力であり、雨を降らせるのも念力じゃといい言い訳が
できます。
えいっ!と火が出る絵はないのでしょうか?
それにしても散杖がありませんね。あれがないと火が出ないのだが。
ん?右手で傍らの瓶から水を掬い垂らせばよいかな?

327天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/09(火) 07:19:37 ID:lNvoNxD20
>>325 深山さん、情報ありがとうございます。
私の考えすぎでしたね。その説明ですと納得がいきます。
やはり、情報は確かでないといけないですね。

守護霊を持て、は”2”のほうが変わってるのではなかったでしたっけ?
自分もそれは持ってますし、覚えています。(後日HPに載せようとしてたw)

ううむ、ウィキも訂正が必要か・・・メドイなあw

328ラシン:2010/03/09(火) 10:09:10 ID:XYs6itx.0

ユビさん、どうも、謝謝?、グラツィェ、サマラッポ。
しかし啓示的というかインドのヒンドゥー教的図柄ですね。
桐山さんは、これのどこで念力の護摩を連想したのか?
このユビさんの画像も資料室に載せたいですね、
どうでしょう? 天照さん。

>それにしても散杖がありませんね。あれがないと火が出ないのだが。

なるほど水から出火の皮肉じゃ〜、こりゃ水克火の大凶ですね?

329準シュダオン:2010/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
管長がヨレヨレ、なんてレスしてる人が居るけど、そりゃ、思い違いだよ。
先月の例祭でも、元気な法話してましたよ。あれではあと30年くらい生き
るんでないかな。

護摩木祈願は、普通の人は持たない煩悩まで持たせる可能性がある、という
のは、批判派を見れば、そのとおりだね。都合の良い教えだけを聞いてると、
そうなってしまう。密教修行者は、三昧耶戒、という誓願を持つ決まりなん
だけどね。その一つが、衆生を救う、という仏の誓願を持つことなんだけど、
その自覚がないと、今の批判派みたいな、我利我利祈願になってしまうw。

最初は、我利我利祈願でもいいだろうけど、次第に向上して、三昧耶戒を
自覚しないといけないでしょう。薬師如来の十二願や普賢菩薩の十願みた
いな立派なものでなくても良いから。
 阿弥陀如来の48願の中には、変な願だなぁ、と思えるのもあるけど、
一言で言うと、「私は、すべての人が仏になった後で、さいごに仏になり
ます」という誓いですね。

それにしても、深山さんの我見の強さには、呆れて笑うしかないねw。

330準シュダオン:2010/03/09(火) 11:18:22 ID:agsP6ENM0
わたしの3人の訪問者についての、ユビキタスさんの推測も変だよw。
変だよというのは、3人の訪問予定を忘れてた、とかの可能性。
そりゃ、ないさ、今よりずーと前の、入行前の若い頃の話だ。
その時分からそんなに忘れっぽくては、正社員にはなれんだろうし、
今頃はとっくにボケててPCも打てやしないだろうさw。

で、それがどうしたの?というんだけど、唯物論者の無神論者から転向した
のは、私にとって大きい出来事ですよ。その時期、職場にハンコ売りながら
占いをする人などもよく来てね、驚くような占断をされたこともある。
まぁ、それで管長の説く○○の因縁も信じるようになったわけです。
 でも、入行後、何年間も輪廻転生は信じなかったですねぇ。

 念力で火をつけることは、修行で可能なようですね。
たとえば、「驚異の念写カメラ術」中岡俊哉著・二見書房・昭和57年発行
には、五条霊岳さんという、仙人・行者で88歳の老僧が、フジテレビでの
念力実験で、念力で紙に火をつけた、成功例が書かれています。
 中岡俊哉さんは、その他、再三、念力で木材に火を点けたりするのを見て
きた、と本に書いております。

331名無しさん:2010/03/09(火) 11:30:26 ID:G.PDOCeU0
中岡俊哉は駄目。
己が霊感ありそうなこと言ってるが実際は情報ネタを元に憶測で書いてる人だと判った。
彼が、テレビでありえんと断言したものを、私も他の人も多くがありだったからねw

332ラシン:2010/03/09(火) 11:42:55 ID:XYs6itx.0
>329 :準シュダオン:2010/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
管長がヨレヨレ、なんてレスしてる人が居るけど、そりゃ、思い違いだよ。

杖に頼ってかろうじて立っていた。
腰が曲がり滑舌が悪いと、印象的にヨレヨレでしょう。

>密教修行者は、三昧耶戒、という誓願を持つ決まりなんだけどね。
その一つが、衆生を救う、という仏の誓願を持つことなんだけど、
その自覚がないと、今の批判派みたいな、我利我利祈願になってしまうw。

ようは三昧耶の本誓という衆生救済の誓願がないから、
批判派は、我欲利得祈願だと言いたいようだが、
批判派の誰が、祈願信仰しているのでしょうね?
あいかわらずの夢想ぶりです。
批判側は、祈願そのものが煩悩を喚起するとして否定したのです。
釈尊その人が、祈りで誰かを救済しましたかね?
世界平和の祈願を口実にして、勧進の成果を望むことや己の徳積みに
期待することを我利我欲というのです。
三昧耶戒というなら四重禁戒を実践しているのか?
どうも密教の悪弊である「したつもり、なったつもり」信仰です。

>薬師如来の十二願や普賢菩薩の十願みたいな立派なものでなくても良いから。

看板を立てるばかりに目を凝らして中身を忘れる信仰の意義は何か?
悪事を為している者ほど善意の衣装を身につけたがる。
釈尊の教えは、自己観察してまずその偽善性を拭い去ることから始まる。

>それにしても、深山さんの我見の強さには、呆れて笑うしかないねw。

霊魂を信じそれを何かしようと考えるのが、我見です。
あなたのようにデンパ話に固執し自慢することが我見です。
死後の霊障を吹聴し、その無いものを死者成仏出来ると信じている、
これも我見という邪見です。
アゴン宗のイベントすべてが我見であり、あなたはその妄執の信者です。

333天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/09(火) 12:22:20 ID:b.GhP6ig0
>>328 ラシンさん、丁度私もその本を持っているので載せることは可能です。
イメピタでユビさんが出さなかったら、私が出してたかもしれません。
検討してみますね。

>>331 そうです。私も当時はまっていてその影響もありアゴンへ流れていった
経緯の影響の持ち主ですが、あの方はただのおじさんです。ブームが去ったら
全然見ないし、ブックオフなどで氏の本を見ると、空しさだけが走ります。
彼はあの当時人気が出ただけのオカルト好きのおじさんです。

334ラシン:2010/03/09(火) 12:27:48 ID:XYs6itx.0
天照さん、よろしく御願いします。

>330 :準シュダオン:2010/03/09(火) 11:18:22 ID:agsP6ENM0
わたしの3人の訪問者についての、ユビキタスさんの推測も変だよw。

まだ個人的経験を書き連ねている、シツコイネ。
予知やひらめきは否定しないが、準シュダオンさん話は、
ウソでしょうね、過去のあなたの行状でみて信用性ゼロです。
ひらめいて自分でチェックマークをつけたならまだ分かるが、
自動書記のような桐山真似事話は、キツネ憑きの類いでしょう。
そんなことを自慢げに書いて運命論や○○因縁をリンクしても、
第三者への根拠となりえぬ自我肥大という人格崩壊にしか見えない。

>念力で火をつけることは、修行で可能なようですね。

それが事実だからと言って、桐山さんの念力護摩が真実だ、
との証明にはなりません。
たとえ念力で火をつけられたから、それが解脱にどう役立つのか?
ー如是語経典『近代仏教への道』増谷文雄ー
「比丘たちよ、われは、知るもの、見るものの、有漏(煩悩)の
滅尽を説く。
知らざるもの、見ざるものにはあらず。」

335深山:2010/03/09(火) 12:37:26 ID:13EJb2co0
>>329 :準シュダオン:2010/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>それにしても、深山さんの我見の強さには、呆れて笑うしかないねw。

>>281-285は、私の我見の強さを示したのではなく、
準シュダオンさんの嘘を指摘したのです。
あなたは、

>わたしもねぇ、思念の相承の体験は、他言は、何年間も封印していたのです。(>>271)

と、思念の相承の体験を何年間も書かなかったと書いた。
だが、>>282に引用してみせたとおり、あなたは「書きまくった」。
あなたの脳味噌の成分は「慢心」が大半を占めているのだから、書かないわけがない。
だが、あなたは自分がとても謙虚な人間であるかのように思い込んでいるのでしょう?
271は、実はあなたは嘘をついたつもりはなく、頭の中ではこのように
記憶が変えられているのです。
「素晴らしい体験をしたが、ヲレ様は謙虚だから、それを自慢したりはしなかった、フフフ」
これがあなたの頭の中、薄汚れた腹の中です。
あなたは封印していたどころか、思念の相承と称する脳梗塞の症状が出ていた時、
生中継までした。
前回はそこまで引用するのもあなたに気の毒だと思ったから引用しなかったが、
やはりあなたは懲りない性格で、遠慮はいらないようだ。

336深山:2010/03/09(火) 12:38:56 ID:13EJb2co0
[4155]眠りブッダ 04/10/23 4:41 yI4JYEpi.Wz
グルに取り急ぎ申しあげます。まだ整理中なのですが。お手元に
「輪廻する葦」をお持ちの方は、雑阿含経「出家経」をお読みください。
[4156]眠りブッダ 04/10/23 4:53 yI4JYEpi.Wz
グルへ報告いたします。
「これは、本当に偉大なことです。仏・法・僧の三つの力がすべて、修行者
に平等に及んで賢も愚も浄も不浄も、なんの差別もわけへだてなくことごとく
涅槃へ運んでくださる、まことにありがたくも不思議な教法であります」
と、なっております。  以上 取り急ぎご報告まで 礼拝
[4157]眠りブッダ 04/10/23 4:58 yI4JYEpi.Wz
慈愛に満ちたグルへ
急に、寒気が襲ってまいりましたので、すこし混乱いたしました。
まるで富士山の山頂にいる思いでした。
落ち着いてきたら、またご報告いたします。
[4158]眠りブッダ 04/10/23 5:22 yI4JYEpi.Wz
どうやら、寒さの原因は、4154、報告の、選んだご法話の記憶
違いからきたようです。
けっして、そんなけちな考えから、控えているわけでは、ありませんが、
もう一度寒さの原因を考えてみます。
[4159]眠りブッダ 04/10/23 5:32 yI4JYEpi.Wz
この寒さの原因は、まだ、因縁の洗い出しが継続中だと、判断しました。
この因縁は用意に切れるものでは、ありませんから、自己流でやってきた
天罰だと思います。用意に切れるわけがありません。しばらくつづくと
考えられます。
[4161]眠りブッダ 04/10/23 9:57 yI4JYEpi.Wz
考えてみると、メシアの法の使徒に天罰のあろうはずが、ありません。あせるほど
変な考えに、なり、うまくまとまりません。
私もまた、一本の道を歩まされていることの衝撃に、まだ戸惑いを覚えて
います。
[4175]眠りブッダ 04/10/23 12:54 yI4JYEpi.Wz
今日、出席する予定の私の歓迎会、兼ねたある総会(昼食会)に、出ないで
しまいました。それほどの衝撃です。
富士山七合目。(少しビッグマウスか)

337深山:2010/03/09(火) 12:44:44 ID:13EJb2co0
>>336

準シュダオン(眠りブッダ)さんは早朝に意味不明の書き込みを続けた。
朝方に脳梗塞は起きやすい。
桐山さんの脳梗塞も、あなたよりも一ヶ月ほど後の早朝でした。
この時の10/23だけでなく、その前からあなたは似たような症状が出ていたはずです。
だが、それを総本殿から送信された白銀バイブだと信じ込んで、医者にも行かなかった。
そればかりか、自分は桐山ゲイカと同じ仏道を歩んでいるのだと思い込んだ。
同じ道を歩んでいるという点はそのとおりです。
「富士山七合目」とは、脳梗塞の症状を霊的な進化と見て、
預流になったのだろうと思いこんだ。
オメデタイというか、無知と思い込みと自己愛は本当に便利です。
桐山さんもあなたも飽食のしすぎから生活習慣病になり、それが原因で脳梗塞に
なったにすぎないのに、二人とも白銀バイブだと信じ込んで、
教祖はアナゴンになり、信者はシュダオンになったと思いこんだ。
それなら、病院にはたくさんの白銀バイブを受信した聖者たちがいる。

338深山:2010/03/09(火) 12:47:37 ID:13EJb2co0
>>329 :準シュダオン:2010/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>それにしても、深山さんの我見の強さには、呆れて笑うしかないねw。

あなたにいくら受診するように言ってもしないでしょうね。
そこも桐山さんとそっくりです。
桐山さんは1996年12月の大激震の前に、3月に一度症状が出た。
一ヶ月ほど信者の前から姿を消したから、入院していたのでしょう。
だが、その前から症状が出ていたはずです。
なにせ、16年も前のインドですでに小梗塞の症状が出ているのだから、
この16年間の間に何度か、ちょうど準シュダオンさんのような軽い症状が出ていたはずです。
おそらく桐山さんもまた糖尿病になって診察を受けた時、医者から
脳梗塞などに気を付けるように言われ、症状を聞けば、
すでにいくつも思い当たることがあったはずです。
だが、桐山さんもあなたと同じで、慢心ばかり強いから、
食生活を改めることもなく、飽食や美食を続けた。
そればかりか、サプリでごまかそうとして、これを信者に栄養講義と
称して講義して、サプリを売りつけた。
転んでもタダでは起きない素晴らしい商魂です。

339深山:2010/03/09(火) 12:59:01 ID:13EJb2co0
>>329 :準シュダオン:2010/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>それにしても、深山さんの我見の強さには、呆れて笑うしかないねw。

桐山さんがそれまでの玄米菜食という建前を捨てて、栄養講義を始めたのが
1986年頃だから、逆に言うなら、この時期には彼は糖尿病の診断を受けていたのでしょう。
糖尿病から来る症状の一つにEDがある。
シャンバラの愛人が去ったのもこの時期です。
桐山さんはEDを性欲がなくなったと解釈したのか、悪因縁の完全解脱宣言までした。
突然、糖尿病財団に寄付をして、社会運動だと称した。
自分の悪癖、悪食、悪業を全部仏道修行であるかのように見せかけた。
転んでもタダでは起きない見事すぎる商魂です。
だが、信者や自分を騙せても、身体は騙せない。
その結果が、1996年の大激震となって現れた。
あの時に突然、脳梗塞になったのではなく、それまで何十年もの飽食の積み重ねがあり、
何度も何度も身体が警告を出しているのに、それを無視して、
白銀バイブだの、サプリだのとゴマカシ続けた結果です。
これが今の準シュダオンさんの歩んでいる道の結果です。

340深山:2010/03/09(火) 13:06:06 ID:13EJb2co0
>>329 :準シュダオン:2010/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>それにしても、深山さんの我見の強さには、呆れて笑うしかないねw。

準シュダオンさんはまさに桐山ゲイカと同じ道を歩んでいる。
飽食が原因で同じように生活習慣病になり、同じように脳梗塞の症状が出ている。
人格は粗雑になり、記憶力が明らかにマダラ模様になっているのに、
それを具体的に指摘されても、あなたは気にもしない。
1996年以前の桐山さんと同じです。
桐山さんが症状を無視して、美食飽食を続けたように、
あなたも症状を総本殿からの白銀バイブだと自惚れたまま、酒すらもやめられない。
酒は高カロリー食品であり、糖尿病には最悪です。
この間も親戚に出かけて酒をご馳走になったなどと、書いていた。
真夜中に酔っぱらって書き込んだこともありましたね。
糖尿病になったと他人を責めるつもりはない。
だが、問題はその後です。
節制するどころか、それまでと同じ事をくり返し、
しかも自分は聖者になったと自惚れる。
釈尊と弟子は托鉢で一日一食の食物すら得られなくても、
別な村に托鉢しようという心を抑え、水を飲んで、
飢餓に耐えたというのに、美食飽食を続ける者が仏教の聖者???
無知と無恥と高慢もそこまでいくと、二人ともご立派です。

341深山:2010/03/09(火) 13:09:46 ID:13EJb2co0
>>329 :準シュダオン:2010/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>それにしても、深山さんの我見の強さには、呆れて笑うしかないねw。

2ちゃんねるに出てきたペテン大作さんが十正道を大発見したと
大喜びで書いていますよ。(スレ176の342〜)
「ヴァッカモーン、批判側に最初に十正道を示したのはワシだ!
学者の解説どころ、ワシャは経典そのものを示したのだ」と
自慢話を書いてあげてはどうですか。
もちろん、批判側からコテンパンに反撃されたことなど書く必要はなく、
「十正道の前に批判側は白旗をあげたのだよ、フフフ」と書いてもいいですよ。
どうせ準シュダオンさんは何をどう反撃されたかなんて覚えていませんよね。
え?十正道なんて記憶にない??・・・あらら、そこまで逝ってしまいましたか。

342深山:2010/03/09(火) 13:14:42 ID:13EJb2co0
>>329 :準シュダオン:2010/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>それにしても、深山さんの我見の強さには、呆れて笑うしかないねw。

準シュダオンさんとペテン大作さんにはいくつか共通点がある。
最大の共通点は国語力がかなり低いことです。
前後を無視した勝手な解釈をして、時には文意とは正反対の主張するのも平気です。
もう一つの共通点は、ペテン大作さんは国語力の低さから、
十行以上文章をまとめることができない。
準シュダオンさんは脳梗塞で記憶力が減退し、批判文は三秒で忘れる。
だから、二人とも、過去にすでに何度も反論されたことを、反論内容を無視して、
相手があきれて黙るまで、くどくどと繰り返す。
阿含経や学者の解説を見ると、それを自分勝手で狭量な解釈を加えて、
自分が発見したかのように歓喜奉行して、批判側への勝利宣言を早々とする。
十正道の件などまさにこれです。
今回のペテン大作さんの指摘など、普通の人なら「ではどうして釈尊は八正道と言ったのだろう。
三十七道品にはどうして十正道ではなく、八正道なのだろ。
どうして学者たちは十正道と言わず、八正道と言うのだろう」と自分の解釈に疑問を持つ。
だが、二人とも自惚ればかり強いから、そんな疑問など持つはずもなく、
「大発見した。批判側、破れたり!」と自分の無知を棚に上げて勝利宣言をする。
丁寧に説明しても、二人とも受け付けない。
なぜなら、あなた方二人の目的は仏教の理解などではないからです。

343深山:2010/03/09(火) 13:29:50 ID:13EJb2co0
>>329 :準シュダオン:2010/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>それにしても、深山さんの我見の強さには、呆れて笑うしかないねw。

ペテン大作さんは批判側、特に私への激しい復讐心から仏教をネタにして攻撃している。
準シュダオンさんは復讐心ではなく、ヲレ様はエライと自慢したいために
アゴン宗や桐山さんを踏み台にしている。
動機は二人とも違うが、仏教やアゴン宗を利用して、己の欲望を満たしたいという点と、
そのことに自覚がないという点は共通しています。
これが最も重要なことだが、そここそがあなた方二人が
桐山ゲイカの弟子としての素質を持ってる点です・・・誉めてあげたのですよ。
桐山ゲイカは天井知らずの自惚れ屋なのに、世間はその才能を認めず、
ムショに入れられたから、世間への激しい復讐心がある。
仏教を利用して、解脱者を自称をすることで自惚れを満足し、
世間を霊障や地球壊滅で脅かして復讐した。
桐山さんはちょうどお二人を合わせたように、そっくりです。
三人とも仏教そのものが目的ではなく、自分の欲望や憎悪を満たすための
道具にすぎないから、どんなにねじ曲げた解釈をしても気にならないのです。
準シュダオンさんもペテン大作さんも桐山ゲイカと同じ道を歩む立派な弟子です。
今日はずいぶん準シュダオンさんを誉めてしまいました。

344ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/09(火) 13:31:09 ID:SmEF4Oe2O
>>330:準シュダオン10/03/09(火) 11:18:22 ID:agsP6ENM0
>わたしの3人の訪問者についての、ユビキタスさんの推測も変だよw。
>変だよというのは、3人の訪問予定を忘れてた、とかの可能性。
>そりゃ、ないさ、今よりずーと前の、入行前の若い頃の話だ。
>その時分からそんなに忘れっぽくては、正社員にはなれんだろうし、
>今頃はとっくにボケててPCも打てやしないだろうさw。

この時間帯はここの部分だけのレスとします。
あくまでもいろいろある推測のうちの一つだけで、あなたがしっかりと聞いて
受諾したものを忘れたなんて話ではなく、あなたは最初から記憶に残るほどきちんと
聞いてなかったのではないかと思います。
あなたの現在の態度から判断して、若い時からいい加減な面も推測できましてね。
あるいは先方としてもあなたに直接伝えた報告でなくてよい。
極端な話、あなたが居眠りをしている時に、あなたの耳にも届いてきた情報かも
しれない。陰口みたいにね。
人間の脳というものは素晴らしいもので、そういう記憶の局留めもするのです。
未来予知を信じるならば、このような記憶に関する脳の神秘だって認めてよいし、
そちらの方が認めやすい。
局留めされた記憶があなたの頭に沸々として、この情報に気がついてくれと
あなたに働きかけたのが、名簿を見てたらなぜか立ちくらみのような感覚に
襲われたというわけです。
つまり、あなたの表面意識が捉えてなくても潜在意識が捉えていた情報で
それは未知の未来ではなく既知の確定情報だったわけです。
あくまでも一仮説だけど、そんな捉え方も可能なのでは?

345ラシン:2010/03/09(火) 18:11:35 ID:XYs6itx.0
>>330:準シュダオン
>今よりずーと前の、入行前の若い頃の話だ。
その時分からそんなに忘れっぽくては、正社員にはなれんだろうし、

推測すれば、ざっと25年以上前ですかね?
理由は「職場にハンコ売りながら占いをする人などもよく来てね」
という告白の件りです。
印相占いをした印鑑の訪問販売(実印・銀行印・三文印)の
三点セットが、流行っていた時期です。
おまけにローンも組み込まれていた。
なぜなら、
実は私、身分不相応で無理をして購入した経験がある。
準シュダオンさんは、「若い時期」と断言しているし、
正社員と言う表現なら、大卒で入社して少し間をおいた
25歳前後かな?
この印鑑訪問販売の流行期間をMAX10年間として考えますと、
御歳は、55歳以上を推量できますが、問題は年当てクイズではない。
そこで、
訪問販売法やクーリングオフ制度の規制を考えても、
15年以上前でしょうね。
最低15年前、最高25年前の一度しか会わなかった三人の
人の氏名を なんと準シュダオンさんは、覚えていると言う。

>>235 :準シュダオン:2010/03/05(金) 10:32:44 ID:agsP6ENM0
たったT回、当たっただけというけどねえw。私は今でもその3名の名前を、
フルネームで覚えてますよ。K・Rさん、Y・Yさん、N・Tさん、だ。

15〜25年前の記憶をですが、百歩譲って10年前でもよい。
あなたは超人だ、さもなくば、大ホラ吹きです。
普通一度しか会ってない人間3人の氏名を10年以上経ても、
正確に覚えている?
私なら一年前でも、思い出せません。
準シュダオンさんの上記言質を以て推測するなら、
少なくとも15年以上前でしょう(あなたは若い!)?
話に無理があると思わないか?
それとも抜群以上の”チョー記憶力”をあなたが、自慢した?
脳の記憶の蓄積は反復学習が必要だが、あなたはその機会も
無くして忘却せずに覚えていると言う。
エビングハウスの忘却理論をあなたは超えたようで、スンバラシー。

346準シュダオン:2010/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
批判派の話は笑うしかないw。
ユビキタスさんの、わたしの3人事件の空想も、笑うしかない。が、仕方
ない。わたしも、自分が体験するまでは、その手の話は勘違いか脳の病気だ、
と笑っていたのだからね。私のいうような体験なしに、仏教など信じるのは
頭がおかしいと思うねw。神秘体験の経験がない人は、唯物論・無神論で
生きていくのが正道だと思うね。そのような体験なしに、なんで超常現象
など信じられるのw?。

 深山さんは我見が深いと、私はレスした。なぜかわかるかな?
あんたは、我執なのさ!だから、私の過去レスと思われることを探して
レスしている。お笑いだ。ご苦労さんなこったw。
 だが、それが私の過去のレスであろうと、別人のものであろうと、関係
ない。私は笑うだけだ。何でかわからないの?本人か別人か、知っているのは
わたしだ!深山君は、あくまでも推測者だ。わたしに勝つわけはないのだ。
その道理をわかっていない。だから、私は笑うのだ。

 私は、3か月も経つと、過去レスと別人のような思考を持つこともある。
それが無常ということなのだ。
たとえば、私が、ユビキタスさんの信者時代のことや、
天照さんの信者時代のことを、あれこれ延々とレスしたことがあるかね?
それはない。時代も、人も変わっていることを知っているからだ。
だが、それを理解しないで、変わらないのは、深山くんの愚かさW。

それが、深山くんが無常を理解していないことの、証拠なのです。よ

管長の過去の本を取り上げて、云々しているのも、同じ過ちですよ!
管長は、進歩しているから、過去の著書と矛盾して書いていることが
あるのです。それに気がついた人は、本当の修行者です。
 教えられて気が付くようでは、本物ではありませんから、何も言いませんW。

347うサギ:2010/03/09(火) 19:39:49 ID:UtKVqJLA0
>>346私は、3か月も経つと、過去レスと別人のような思考を持つこともある。

言い換えれば、
「私の言説はコロコロ変わります。あまり信用しないでね。
これは病気が原因なので仕方がありません。すぐに忘れてしまうのです。
ごめんなさい。」ということでしょうか?

それならそれで仕方ありません。ご同情いたします。
あなたの言説は、5割引ぐらいで読むようにしますので。

348準シュダオン:2010/03/09(火) 19:59:35 ID:agsP6ENM0
うサギくんのレスは、どこかで読んだ気もするなあw。どこだっけ。
矛盾の話かな?
業と報の話だっけか。例えば、赤と青の業が合わさると、紫になるわけだ。
紫には、赤と青の業が出ている。
紫は、赤と青の因縁を変えたことになるかな?
それとも、赤と青の、両方の因縁が出た、というべきなのか?

どう言っても良い。それが矛盾がない、という意味なのだよ。
良い業、悪い業、それらの報いが、変わらないといっても正解だし、
変わると言っても正解であること、それを理解できたらそれでいい。

349うサギ:2010/03/09(火) 20:14:00 ID:UtKVqJLA0
>>348

すみませんが、まったく意味がわかりません。
ご自分でもう一度読み直して、レスし直してもらえませんか?

あなたは、私の前のレスを読まずにレスをつけましたね。
だから、こんな間抜けなレスになるのではないですか?

350ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/09(火) 21:27:18 ID:SmEF4Oe2O
>>346:準シュダオン10/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんの、わたしの3人事件の空想も、笑うしかない。が、仕方
>ない。わたしも、自分が体験するまでは、その手の話は勘違いか脳の病気だ、
>と笑っていたのだからね。私のいうような体験なしに、仏教など信じるのは
>頭がおかしいと思うねw。神秘体験の経験がない人は、唯物論・無神論で
>生きていくのが正道だと思うね。そのような体験なしに、なんで超常現象
>など信じられるのw?。

いや、神秘体験みたいなことをするのはよいが、その解釈なんて幾通りもある
ことを考えねばならないのです。
私の一仮説が正しいか正しくないかなんて話ではない。
そんな解釈も可能だというわけで、その実あなただって本当の意味はわからない
はずです。他力的な存在が未来を教えてくれたというのも私が示した仮説と同等の
仮説に過ぎないことを知るべきです。
結局はあなたの希望的解釈に過ぎない。
ましてや未来予知はよいが翌日に起こることを「生まれた時から決まっていた運命」
(この論点をぼかしてごまかすなよ。ジジイ)とは・・・。
桐山さんの「チャンネルをまわせ」にブラックボックスの秘密だか奇跡だか文献
を紹介してるのを覚えてますか?
ある教団に礼拝に行ったら皆古代ヘブライ語だかを喋りだした。それまでそちらの
知識などないのに。皆古代ヘブライ人の生まれ変わりだったのか?
そうではなく教会に通ううちにそこで唱えられている文言などが強烈な体験で
記憶に局留めされて、それが表出しただけだと。
この頃は桐山さんも 安易に生まれ変わりなど認めてなかったのですが。
しかし私などはかえってこの人間の心の不思議に興味を覚え、それはさながら
神秘でさえありましたよ。
あなたのように考えることをしない頭には神秘体験はかえって邪魔かもしれませんね。

351ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/09(火) 22:19:32 ID:SmEF4Oe2O
昔、日本テレビで「200X年特命リサーチ」という番組やってましたね。
同じ曜日にやってた投稿特ホウ王国とともに好きだった。
ある日「デジャブ」を特集しており興味深かった。
ある女性が京都の貴船神社を訪ねた。女性は急に不安感に襲われた。
ここ前に来たことがある気がする。初めて訪れた所なのに。
調べてみるとこの女性の祖母だったか、この貴船神社で自殺をしたことがあるという。
さてはこの女性は祖母の生まれ変わりか?前世を見たのか?
ところがもっと調べてみると別の事実も発見された。
この女性は幼い頃鎌倉の鶴岡八幡宮に親に連れられて行った時、迷子になって
非常に怖い思いがした。それが原体験となっている。
そして鶴岡八幡宮と貴船神社は建物の配置とか雰囲気がよく似ていた。
だから初めて訪れたはずの貴船神社に足を踏み入れた途端、もはや忘れている
幼い頃の恐怖の記憶がよみがえり不安と既視のデジャブに襲われたというカラクリである。
もちろん真実はどちらなのかはわからない。
結局選択は個人の嗜好によらないか?
だから安易に体験の意味付けを固定するなんて考えが幼いのです。
私はこのデジャブの話でも人間の潜在記憶に神秘にも通じる興味を覚えましたよ。
何も前世話でなくても。深層心理は面白い。
ダニエル・キイスの 「24人のビリー・ミリガン」なんて読んでみてはいかがですか?
多重人格を扱った実話を題材にしたノンフィクション小説です。

352ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/09(火) 22:45:21 ID:SmEF4Oe2O
忘れられた記憶が頭の中で沸々としているなんて説はこれも 私が読んだ小説に
ヒントを得ているのですよ。
西風隆介(ならいりゅうすけ)という作家の神の系譜シリーズですね。
竜のナントカとか。認知心理学の先生が出てきて謎解きをするのだが、高校生で
天目(あまのめ)マサトという超能力者がいる。
彼の超能力とは他心通みたいなもので、相手の脳にアクセスしてしまい、その記憶を
読み取る。他人の記憶が視覚として見える。
記憶の領野と視覚の領野が隣接しているからだったっけ?
だから他人の記憶が視覚として見える。
京極夏彦の小説に出てくる榎木津礼次郎もそんな特異な能力持ってたね。
天目少年はその才能を持った類い稀なる人とか。
片目の人、弱視の人はある物を凝視すると自分の脳にアクセスする。
凹面鏡を凝視すると自分の脳にアクセスする。
その自分の脳と他人の脳を共鳴させる能力がある人なら自分の脳に他人の記憶を見る。
失せ物探しなんて得意中の得意。
なぜなら失せ物は自分が覚えている。
引き出しの中に片付けたのを忘れてしまったわけ。
しかし完全に忘れたわけではなく、脳の記憶貯蔵庫の中にちゃんとある。
それをなかなか本人は思い出せない。思い出そうと必死になっている。
意識化はなかなかできないが、脳の中でここだよ、ここだよと沸々としている。
その脳にアクセスする。
すると引き出しにしまった光景が「見える」というわけ。
超心理学ではない認知心理学を使っているが、ならいセンセーこれもなかなか
似非科学的なトンデモ小説ではあるが。
だからこれをヒントに、未来の予知ではなく過去の記憶を思い出したという仮説にした次第。
これでは運命にしようがない。

353ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/09(火) 22:50:11 ID:SmEF4Oe2O
なお、認知心理学の世界は自分の中の赤の他人なんて人格の葛藤みたいなものは
取り扱わない。フロイト思想とは手法が違う。
あくまでも記憶の問題しか取り上げない。

354ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/09(火) 23:09:53 ID:SmEF4Oe2O
で、私も個人的には深層意識なんて人格ではなく、あるのは記憶の層だけの話
なのではないかと思っている。

355ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/09(火) 23:45:27 ID:SmEF4Oe2O
>>329:準シュダオン10/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>管長がヨレヨレ、なんてレスしてる人が居るけど、そりゃ、思い違いだよ。
>先月の例祭でも、元気な法話してましたよ。あれではあと30年くらい生き
>るんでないかな。

いや、そんな無茶な未来形を出すのでなく、今現在と過去を観察するだけでよい。
桐山さんと同年代の人を見るに、桐山さんよりも身体も話し方もしっかりとして
かくしゃくとした人は多い。
また過去を見るに桐山さんは脳梗塞で倒れ入院し、千景さんの世話になった。
かなり不自由をし、つらい思いをしたわけです。
本来なら管長としてやらねばならない仕事がいくらでもあるのに。
つまり普通に年老いて弱った。
しかし桐山さんは普通に年老いて弱ったはならないんですよ。
脳梗塞になんかなってはおかしいんです。
自分が分類して示した脳障害の因縁が切れてなかったことになる。
また求聞持聡明法の著書を出した時こう書いた。
「もしあなたが不運にして高齢の遅きにこの修行に取り組んで、天才にまでは
なれなかったにしても衰えを知らない頑健な脳、肉体だけは保証しよう。」
しかし自分自身が頑健な脳どころか脳梗塞です。

356ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/10(水) 00:03:03 ID:SmEF4Oe2O
>>329:準シュダオン10/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>密教修行者は、三昧耶戒、という誓願を持つ決まりなん
>だけどね。その一つが、衆生を救う、という仏の誓願を持つことなんだけど、
>その自覚がないと、今の批判派みたいな、我利我利祈願になってしまうw。

誓願や戒律をかざしていれば戒律違反をやってもよいという意味か?
宜しいか?護摩木に祈願を書いてナモナモ祈るなんて戒律と相反するのです。
戒律を実践している意味がない。
不偸盗戒を掲げていれば万引きくらいは許すと言っているようなものです。
誓願などと言うが、それは本来現実に実践して実現できるものでなければ妄想の
夢物語に過ぎない。
仏の誓願、人を救う誓願と言うが、ではあなたは具体的に何をどうして誰を救うのだ?
まさか護摩木に人の幸せを祈る?救いを祈る?
そんなことで人が幸せになり、救われるなんて思うこと自体が傲慢なんです。
釈尊の仏教は救済など説かない。
救うと言うなら他人にも煩悩を減らしなくす道を教えて自分で実践するように
勧めることです。護摩木に祈ることではない。
他人の幸せを祈る自分って、なんていい人なんだ!
って、自分で自分に酔ってません。
それは実にキショイ。尚且つ傲慢です。

357ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/10(水) 00:11:42 ID:SmEF4Oe2O
>>329:準シュダオン10/03/09(火) 10:23:30 ID:agsP6ENM0
>最初は、我利我利祈願でもいいだろうけど、次第に向上して、三昧耶戒を
>自覚しないといけないでしょう。薬師如来の十二願や普賢菩薩の十願みた
>いな立派なものでなくても良いから。

最初から断ち切るように努力しなければ永久に断ち切れません。
ねえねえ!これが最後だからさあ。お願いだから最後の1本だけ吸わせて!
と、こんな断ち切れぬ欲望の追求を何十年続けてきた?
単に自分を甘やかせているだけです。
だから今この場で断ち切る覚悟のないものは絶対に後でも断ち切れないのです。
そんなことも未だにわからぬか?何十年無駄飯を食ってきた?

358ラシン:2010/03/10(水) 00:26:34 ID:fq/JBJMU0
ユビさんへ

おそれながら、ユビさんの準シュダオンさんへの反証は、
彼には多分、、理解しがたいでしょう。
私はユビさんの過去の変遷を見て脱会した人間ですが、
>>350>>353は、ある意味、難解な論理展開ではないかと、、。
それもユビさんの経験知という高文、高度、高邁では、
準シュダオンさんへは失礼だが、そのユビさんの見解は、
理解や解釈のハードルが、けっこう高いと思いますよ。
直言すれば、的を絞りきれていない歯がゆさがある。
貴船の川床料理のさわやかさなら、賛同もあるかなぁ、、。
料理の味は、値段にすれば大したことはないですよね。
どちらかといえば、建仁寺への祇園じゃない道の花身小路が、
好きですね。
石塀通りも風情があるが、先斗町の川添えも意趣があるね。

ユビさんが、擁護派の時の反論姿勢にも異種異形の塊りの
準シュダオンさんには、絶対に馴染まない論理ですね(失礼)。
ユビさんの反証に、私は少しだが、違和感を感じたので、
失礼ながら申し上げましたが、気を悪くしないでチョ〜ダイ、、。
言いたいことは、準シュダオンさんへの反証反論とするなら、
ユビさんのご指摘は、的を外した欲求不満と誤解されるような
要素があるのが、少々危惧します。
なぜならユビさんのそれが、よいところかと思う反面、
逆にその善意を悪意で突かれることに私の悔しさも多々
あるからなのですよ。
準シュダオンさんの確信犯的発言へは、少々物足りない、、。
深山さんへならえ、と言うわけではありませんが”多言”無用、
私は到底、批判力量不足なので、それををユビさんの直截なる
見解にて、釈尊逆心への直言、諫言を期待する次第です。
アゴン信者さんへの理解や解釈への導入との意味で、
ユビさんの発信は、とても貴重と考えています。

おぉ、ユビさんの>>355>>357が期待に答える反証姿勢です。
あのね〜、maeokiganagasugiru,,.

359ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/10(水) 00:59:08 ID:SmEF4Oe2O
>>358
そうです。記憶の層の話は私なりにあえて脱線してみたのです。
だって私だって脱線したいも〜ん。
老人介護ばかりでなく。
天照さんは寛大だから脱線話も許容してくれるし。
だから準シュダオンさんに限らず、少し理解を得難い部分があるのは否めない。
私もそれが絶対なんて言うつもりはないし。
準シュダオンさんにわかりやすく言うと、それ未来予知ではなく、あんたが過去に
聞いた話を思い出したに過ぎないんだよということ。

月曜日のことだった。
準シュダオン先輩デスクでお昼寝中。
少し離れた場所で同僚談義中。
「おい、今度の日曜日、誰が準さんの家に行って交渉する?」
「俺はやだね。あの人いくら先輩でも嫌いだから」
「俺もやだ」
「俺も」
「俺も」
「それじゃあ仕方ないな。ジャンケンで決めるより他ない。最初はグー。ジャンケンポン」
「はい、この3人ね」
「ちぇっ、貧乏クジひいたな。せっかくの休日が台無しだ」
「むにゃむにゃ・・・誰か私のことでよからぬ相談してるのかな・・3人」
そしてその週の土曜日の晩。なぜか理由はわからぬが名簿が見たくなった準シュダオンさん。
なぜかめまいと頭痛が・・・。
気がつくと3人に丸つけてた。特に親しい人でもないな。親しい人あまりいないけど。
翌日曜日。ピンポン♪
「おお!昨日予言があった3人!これは運命だったのか!」
「月曜日に決めたんだよ。ひょっとして聞こえた?」

360天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 07:10:07 ID:fB28Uu520
私がアゴンに在籍していたときに感じたのは、色々模索していたから感じたのですが、
非常に依存が多いことがまずいと判断しましたね。

私の過去の書き込みを見ている方はもうご存知でしょうが、新しい方も見ているかと思いますので
敢えて書かせてもらいますが、アゴンの信仰をしていてある種の違和感を感じていた。
それは教団や本尊に依存する形が非常に多い、ということでした。
当時はまだ批判板を見てはいませんでしたが、自分を含め法友等を見ていると非常に拝むことが
メインで「これで果たしていいのだろうか」と感じたわけです。

特に不安神経症や鬱の信者を見て、「どうかお助けください」と拝む姿には私は「それでは駄目だ」
と感じたものです。大した知識もないし批判側のデータもない状態でもそれを一種の危険性と私は
感じていたわけです。要は「拝んで何かを得る」というおすがりスタイルといってもいい。
で、それに対し本尊の反応も教祖も「我関せず」の姿勢に腹を立てたものです。

それで、「そんな無反応の存在に頼ってなるものか」と模索し始めるわけですが、その最中に2chへ
飛び込んで現在に至るわけです。やはり、私の模索は間違ってなかった、というわけです。

釈尊の本当の教法を実践する教団、というから信じて入信したわけですが、実際やっていることを見れば
「これが本当に釈尊が示唆したものなのか」ということです。
信者はただひたすらに「供養」という名目の奉仕をやらされます。いわゆる貢です。
本尊や教祖の「ご機嫌」を伺い、もしくは取る為に信者はせっせと供養に励むわけです。
または、自分が利益を得たいがために様々な供養という行為を行うかのどちらかです。

それが批判側が呈したもの、つまり釈尊の本当の教えは
「自分というものをしっかり持ち、変な(悪い)依存や執着から離れる。全てのタンハーの根本である
心の不浄というものを取り除くことが本当の教えなのだ」と知らされたとき、納得がいきました。
これは依存や執着している、または自分というものを確立できない弱さを持つ人や、自己都合主義の
考えのある方には理解ができません。どこまでも依存して執着することで自我を満たしているのですから
それに反する行為には違和感を感じ、理解することができないのです。

361天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 07:24:50 ID:tS9hLFkg0
まず、釈尊が「拝む」という行為はほとんどされてない、というのに気づかないことです。
ましてや釈尊自身を拝め、とか何かの存在、つまり浄土で言うなら「阿弥陀如来」が本尊ですが、
釈尊自身が居られるのに「阿弥陀仏を拝め」というのはおかしいわけです。
また、南無阿弥陀仏と念仏を唱えよ、という自体がおかしいわけです。

ところが念仏慣れというか今までの間違った仏教に慣れた人は急に
「本当の仏教は煩悩を取り去ることが基本で、心の清浄行が根本なのですよ」といわれて
即座にそれをやることには物凄い抵抗があります。勿論違和感も。
なぜなら、どっぷり阿弥陀仏に依存する姿勢(癖)があるし、それが本当の仏教と信じてきたわけ
ですから概念を外すことが容易にできかねる場合が多いのです。
だからアゴンだけでなく、ほとんどの日本に存在する仏教は「依存をさせる偽仏教」といっていい。
それに慣れ親しんでいるから、現代になって本当の仏教だと情報が得られたとしてもそれを
中々理解しよう、実践しようとは考えられないのです。

だから、精神的な「心をきれいにしよう」などというよりも、拝んだり護摩木を書いたりお経や真言
念仏やお題目を唱えたほうが安心するし、楽だからです。ましてや自分の先祖も信仰をしてきた人も
そういうのに慣れ親しんだので、それをいきなり変えることに物凄い抵抗があるのです。
ましてや依存は楽です。頼みます!、お願いします!という一辺倒で済みますからね。
それに対し、自己を見つめ分析し把握しコントロールする釈尊の行為は非常に大変。
まして普段からやったことがない行為ですから、難しくやりづらい。なんだこんなもの、と
なってしまうわけです。

362天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 07:43:20 ID:eWccmlng0
なぜ生きているのがこんなに苦しいのか。楽な状態があったとしてもそれが永続できないのか。
どうしてこの世はこんな煩わしいのか・・・というのを感じていても、それが自分の心、つまり煩悩から
苦を生じさせているという風に考えられなくて、外に何かを求めてしまうわけです。
だから、未だに酒やSEXやドラッグ、過食に暴力、賭け事や自傷行為などに走る人が多いのはそのせいで
苦しみを紛らわすものへ走るのが多い。宗教もその行為のひとつでもあったりします。
満たされない欲求や虚無感・不安感を埋めるために「宗教」に走る人が多いのです。
で、依存したい気持ちが根底にありますから、宗教行為にはまってそれで安堵するわけです。
ましてや今のほとんどの宗教は「依存を受け入れる体質」が多いですから、依存するにはうってつけ、な
わけなんです。で、依存をさせたお礼に金や物、労力を貢がせるわけです。

それよりも依存という気持ちが無く、ほとんど自分で何でも行おうという気持ちのある人は人を頼りにしたり
当てにする、また宗教などに頼るという気持ちがありません。これは一種合理的で唯物者のように見えますが
実はとても自分というものを確立していて自覚している人なのです。

確かに生きている間には人の力も借りなければ生きてゆけない場合が有りますから100%依存しないで生きる、
ということは難しいですが、私の言いたいのは自分を駄目にするとか楽をするために何かに頼る、ということを
指しているのであって、100%依存をなくせ、といっているのではないのです。
変な依存を無くせ、ということなのです。
で、釈尊はそのことを現在から2500年くらい前からそれを言われていた、ということですね。
変な依存を排除し、自分の足で歩く生き方を薦めていたと言う事です。

363天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 07:53:35 ID:nEHccXDQ0
だから、煩悩解脱といえば違和感がありますが、言葉を変えれば理解し易くなります。
苦しみの原因は自分にある。その根本を取り去るまでは苦しいのだ。自分の中に有る
様々な苦しみの原因を取り除き、その究極が解脱ということにつながるのです。
それを方便というか別なものへ転嫁して補うのは無理があります。

死ぬほどお経を唱え、真言を唱え、念仏・お題目を唱え、仏像・仏画を拝んでもそこには
自分の苦しみを一時的に麻痺や回避することはできても、根本からずれているので
自己満足や錯覚の域をでない。ましてや、釈尊はそういうことで解脱ができる、とは
一切言われてないわけです。
占いも護摩もまじないも禁止したのはそこなのです。そんなものをやってもごまかしだけで
根本なものの解決はできない。ましてや欲望(煩悩)を増やすだけだ、と。
だから、アゴンをはじめ在来仏教でどれだけ本当の釈尊の教法に従って行っている仏教教団が
日本にあるのか?といえば、ほとんどない、というのがそこなのです。
ましてやアゴン宗が本当の釈尊の教法をやっているなどありえないのです。
依存させて信者を駄目にしているのがアゴン宗なのです。

364天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 08:07:26 ID:gKI5DM3Y0
自分自身というものが確立しているならば、別に護摩木に祈願する必要は無い。
お経を読み上げる必要も無いのです。真言も要らない。仏像も仏画も要らない。
仏舎利も要らないし、要るのは釈尊の真の教法と行動の示唆、もしくは自分の
行動だけです。

自立している人がなぜ他を頼るのか?拝む必要も無いわけです。
現実を見て、目標を持って黙々と努力・行動し、自分で獲得するはずです。
または、他と調和し協力し合って何かを成し遂げるとかがあるはずです。

それをどうして「ご本尊様」とやってしまうか。ご本尊様は何かしてくれるのでしょうか?
また、それを期待している自分は一体何なのでしょうか?
変な期待をするよりも、自分で努力し動くことのほうが大事ではないのではないでしょうか。
それならば何で祈ったり拝んだり請わなければいけないのでしょうか?

自分の足で歩く。自分の考えで動く。自分で選択する。そうやることが自然であり当たり前。
自分というものに不安や迷い、また確立するものが無いから何かに頼りたくなるんです。
または当てにしたくなる。神様仏様、自分の意に合う様にどうか・・・と願うわけです。
自分というものがない、または自分が楽をしたいから当てにするんです。
最初からそんなものを無しでやったら、やる必要が無いんです。

365天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 08:18:17 ID:qK3qV8lQ0
例えるならば、無人島にいたら何も当てにできません。自分だけが頼りです。
コンビニや他人がいるこの世界では「誰かを当てにできる」からいいですが、
もしも無人島に独りでいたなら、いくら拝んでも祈っても飯は自分で作らなければいけません。
そうなると自分で何もかもしなければいけない。それと同じです。

面倒くさい。やったことがない。やり方がわからない。何もできない。
そんなことをぼやいたり泣いたりしても、何もやらなければ死ぬだけです。
何から何まで自分でやらないといけない。
ただ、現代で社会に生きていれば何らかの依存ができるので、自覚がないだけです。
親も他人も当てにできない。そうなると自分だけが、という意味が分かってきます。

釈尊は見事に昔から真理を説いていたのです。
自分だけが頼りだ。自分を研鑽せよ。早く煩悩から離れなさい。苦しくないか?
と問いかけてくるのが分かります。
拝んだり、頼っては駄目だよ。そういうことよりも自分の持つ苦しみの元を取り去り、
あなたも解脱を得なさい。といわれているのです。
確かにすぐにポンと得られて解脱できるわけではありませんが、変な依存に身を置いて自分を無くす
ようなことはしないで済みます。
ましてやデタラメな宗教にはまるよりも、自分と自分の人生をどうするのかに力を入れたほうが
マシであり、自分をしっかりもったらアゴン宗は要らない、というのに気が付くはずです。

366ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/10(水) 08:35:53 ID:SmEF4Oe2O
>>330:準シュダオン10/03/09(火) 11:18:22 ID:agsP6ENM0
>>で、それがどうしたの?というんだけど、唯物論者の無神論者から転向した
>のは、私にとって大きい出来事ですよ。

あなた個人の心の転機などどうでもよい。
そういう話は桐山さんですら運命だの言っていない。
宝くじで大金を手にした人のその後を追って果たして前より幸福になったかどうかを
調査した人がいて、それを例祭法話のネタとして話したことがある。
調査によると決してよくなっていない。寧ろ大金を手にしたことで自分を見失う
人が多いとの結果だそうだ。
この結果を踏まえて宝くじで大金を手にすることは不運なことと言えると調査者は
逆説的に結論を述べたそうだ。
これに対し桐山さんはそれはおかしいと述べた。
大金を手にするという幸運を得ながらそれを後の人生にもプラスに運用できない
のはその人の能力の問題であり、運ではないと。
だからあなたの神秘体験もまたそうです。
それをどう解釈したかなんて人によって異なる。
ある人は決まった未来があるのだなと思い、因縁解脱なんて無理だと志さない。
因縁解脱とはその会う運命の3人とは会わなくすることだからです。
ふとしたきっかけに何を思おうが自由だが、それは運命ではない。
ある意味あなたは自分で自分の運命を開拓したのだ。
アゴン宗の選択という方向に向かって。
皆が皆アゴン宗やその他の宗教を選択するわけではない。
そんな運命はない。
それにアゴン宗を選ぶのが運命だとする。
するとこれは因縁切りを志して因縁を切る因縁ということになる。
決まっている運命を変える運命となる。
ますますわけがわからん。

367ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/10(水) 08:50:54 ID:SmEF4Oe2O
>>330:準シュダオン10/03/09(火) 11:18:22 ID:agsP6ENM0
>たとえば、「驚異の念写カメラ術」中岡俊哉著・二見書房・昭和57年発行
>には、五条霊岳さんという、仙人・行者で88歳の老僧が、フジテレビでの
>念力実験で、念力で紙に火をつけた、成功例が書かれています。

他の方も書いているように五條さんが火をつけられたことと桐山さんが火をつける
のとは話が別です。
それぞれ条件も前提も異なる。
五條さんのことは知らんし、参考にならないから題材にも取り上げないが、
桐山さんは桐山さんで不審な情報があるし、古代ヨーガでチャクラを開発したから
とかの前提の作り話にも矛盾があるわけです。
だから仮に五條さんが火を出しても、桐山さんの出した火はそれとは別の手品です。

368ラシン:2010/03/10(水) 10:11:47 ID:XYs6itx.0

昨晩はユビさんへ婉曲にご要望申し上げたが、
実は準シュダオンさんへの皮肉も込めたつもりです。
天照さんも感心しているように、ユビキタスさんの
解説や例えを盛り込んだ話しは分かりやすく
実証的です。
懇切丁寧に釈尊の教義を解説してくれるが、
なぜか準シュダオンさんには通じない。
まあ、彼に通じる説明など誰も為しえないが、
そこが折角のユビさんの努力に礼を逸していると、
感じる所以です。
天照さんの解説も信者の経験から頷けるものばかりです。
しかし、準シュダオンさんにはトント対論者ながらも、
肝胆相照らす気概が通じないようです。
暖簾に腕押しの感で、私もついつい彼をエグッてしまう。
まあ、10年以上も前の一度しか会わない人の氏名を
完全記憶しているくらいの超人ですから、その意味で敵わない。

369名無しさん:2010/03/10(水) 11:27:00 ID:G.PDOCeU0
私は昔、プロレス中継を見ていて悪役レスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーとか
ザ・シークが手から火炎を出していたのが今でも印象的だなw

370天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 11:41:40 ID:.J5I2lsY0
矛盾というのは、ウィキによれば

「矛盾(むじゅん、矛楯)とは、あることを一方では肯定し、同時に他方では否定するなど論理の辻褄(つじつま)が合わないこと。
物事の筋道や道理が合わないこと。自家撞着(じかどうちゃく)」

『韓非子』の一篇「難」に基づく故事成語。「どんな盾も突き抜く矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた楚の男が、
客に「その矛でその盾を突いたらどうなる」と問われ答えられなかったという話から。
もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤り。
もし突き通せなければ「どんな盾も突きとおす矛」は誤り。
よってどちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない。

これにプラスするなら、私は「両者引き分けはあるのか」と考えたことがあるが、
どう考えてもそれは絶対にありえないわけで、そうなるとますますつじつまが
合わないさまをどうしても呈するのである。

準さんは仏教のことを語っているようで、仏教でないものを語り、時には仏教&釈尊まで
否定するような発言をしている。
じゃあ、仏教を信じてない・仏教以外のものを信じたり求めているのか?と思えば
仏教の(ような)ことをいったり仏教を匂わせるようなことも言う。
まさにそれは自家撞着を起こしていて、尚且つ自分の思考に沿った自分教なのだから
いくら説明しても正しい仏教のことを出しても「関係ない」「そんなのは知らんよ」と
自分教に合わないものは取り入れる・聞く耳も持たないのである。
せいぜい譲歩しても「それぞれの考えは正しいのだから、各々が信じればよい」で誤魔化す。

準さんの言うことはまさにこの矛盾に他ならないというわけだ。

ラシンさん。準さんは、はなから本当の仏教など講じるつもりは無い様ですよ。

371深山:2010/03/10(水) 12:40:51 ID:4LnmXWzY0
>>346 :準シュダオン:2010/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
> 深山さんは我見が深いと、私はレスした。なぜかわかるかな?
>あんたは、我執なのさ!だから、私の過去レスと思われることを探して
>レスしている。お笑いだ。ご苦労さんなこったw。

何度も書くが私の関心の対象は準シュダオンさんではなく、桐山さんです。
だから、「わかるかな?」などと言われても、あなたの薄汚い意図などわからないし、
知りたいとも思わない。
準シュダオンさんの関心は桐山アゴン宗ですらなく、あなた自身です。
桐山アゴン宗など実はどうでもなく、これを踏み台にして、自分の自慢話を
しているにすぎない。
あなたの書き込みの大半が、「自分」の話、自分の自慢です。
だが、私も読者もあなたになど関心はない。
あなたをからかってやろうとか、蹴飛ばして楽しもうとか、
空威張りしているのをくすぐってやろうとか、そういう気持ちは・・・
少しはあるかもしれないいが、それが目的ではありません。
お願いですから、自分が批判側から強く関心を持たれているという錯覚だけは
捨ててもらえませんか。
私も他の批判側も、自惚れと無責任を額と鼻先にぶら下げた老人になど
何の関心もないことをご理解願いたい。

372深山:2010/03/10(水) 12:43:51 ID:4LnmXWzY0
>>346 :準シュダオン:2010/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
> 深山さんは我見が深いと、私はレスした。なぜかわかるかな?
>あんたは、我執なのさ!だから、私の過去レスと思われることを探して

我見や我執などとごまかそうとしても無駄です。
私の話をしているのではない。
あなたが嘘をついたことを私が指摘したのです。
あなたが嘘を書いたことを指摘することがどうして我見や我執になるのだ?
「何年も封印していた」(>>271)というなら、証明してみなさい。
私は具体的にあなたが書いたことを引用して、271が嘘であることを示した。
それでも足りないというから、封印どころか、生中継までしていたことを示した。
あなたの嘘がばれたのであって、私の我見や我執など関係ない。
ごまかそうとしても無駄です。

373深山:2010/03/10(水) 12:48:39 ID:4LnmXWzY0
>>346 :準シュダオン:2010/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
>レスしている。お笑いだ。ご苦労さんなこったw。

あなたの脳梗塞中継を引用したのは、読者のためです。
なぜなら、あなたは信者のために自分の体験を書いていると毎度言う。
だから、読んでいる信者さんたちに、どれほど準シュダオンさんの書き込みが
信用のならないものであるかを示すために引用したのであって、
あなたの為でも、私の我執のためでもありません。
脳梗塞の生中継をして、それを白銀バイブだと思い込むのは滑稽であり、
脳梗塞という病気を預流になったのではないかと思い込む姿は爆笑であり、
しかも、生中継までして、直後に体験の自慢話を書き込みながら、
「何年も封印していた」(>>271)などと、謙遜であるかのように自惚れるためなら、
嘘を平気で言うあなたの姿は大爆笑です。
あなたは読解力が低いのに、自分はシュダオン界から知恵をもらっている
などと自惚れている。
さらにそれを「知識と知恵は違う」などとお説教を始める厚かましさ。
嘘も平気で、嘘や間違いを指摘されても、絶対にこれを認めず、
必ず屁理屈を言って逃げまどうみっともなさ。
つまり、これを示すことで、読者の信者さんたちは準シュダオンさんの
体験を含めた書き込み内容など信用のならない年寄りのタワゴトだと理解する。
それが私があなたにレスをつけた理由であり目的です。

374深山:2010/03/10(水) 12:51:27 ID:4LnmXWzY0
>>346 :準シュダオン:2010/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
> 私は、3か月も経つと、過去レスと別人のような思考を持つこともある。

いいえ、あなたの思考は少なくともここ六年間、一貫していることを私が証言してあげます。
あなたは脳梗塞を発症して、人格が低劣になって以来何も変わっていない。
人を小馬鹿にしきった態度、上から目線、自分の発言に責任を持たず、強烈な
自惚れを垂れ流しにしていることなど、また主張内容も同じだし、前に
反論されたことを完全無視して、同じ主張を繰り返すのも変わっていません。
ただし、一つだけ最近目立つことがある。
それはあなたの記憶障害です。
あなたが三ヶ月前と自分の思考が別であるかのように思うのは、
単に三ヶ月前のことを覚えていないからです。
私はあなたと違い、根拠のない主張はしないから、なんなら証拠を出しましょうか。
あなたは毎回、繰り返し同じ事、同じネタを主張しており、別人の思考ではありません。
仮にハンドルがなくても、論理展開のでたらめさに加えて、慢心という
強烈な臭いが文章に染みついているから準シュダオンさんの主張だとすぐにわかる。
だが、記憶から脱落しているから、あなた自身は初めて書いたかのように思っているのでしょう?
昨年のひどい場合には、三週間もたっていないのに、また同じ事を書いた。
秋口にそれを繰り返した事例ならすぐに出せます。
私なら自分の過去の間違いを取り上げられるのが恥ずかしいが、
あなたは恥をかくのが好きらしいから、ご希望とあれば出してあげますよ。

375深山:2010/03/10(水) 12:54:07 ID:4LnmXWzY0
>>346 :準シュダオン:2010/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
> 私は、3か月も経つと、過去レスと別人のような思考を持つこともある。
>それが無常ということなのだ。

桐山さんとそっくりですね。
桐山さんは偽ビール造りというセコイ犯罪を、「仏様からの十界修行」とごまかした。
自分が金儲けしようとしてやった犯罪を、仏様が仕組んだというのです。
自分の悪事をぜんぶ仏様や死者たちのせいにして責任逃れをした。
厚かましいにもほどがある。
責任をとらないという点では、あなたは実に立派な桐山ゲイカの弟子です。
桐山さんがそうであるように、仏教を持ち出し、壮大な言い訳をする。
あなたがついたにすぎない嘘がなんで仏教の無常と関係があるのだ?
自分の嘘を認めないという無責任を仏教の無常だと言い出した。
自分の嘘つきぶりを指摘されて、「無常なのさ」と開き直るばかりか、
相手を無常を理解していないなどなじる。
日本語では、あなたのしたことは無常ではなく、あなたの嘘であり、ただの責任逃れです。
わかりやすく言えば、あなたも桐山さんもただの無責任男です。

376深山:2010/03/10(水) 13:04:23 ID:4LnmXWzY0
>>346 :準シュダオン:2010/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
>それが無常ということなのだ。

準シュダオン親子の対話
親「あ、ここにあったチョコを食べたでしょう?」
子「ヲレ、知らないよ」(口の周りにチョコがついている)
親「嘘ついてもダメよ」
子「お母さんはね、仏教の無常を知らないのだよ」
親「・・???」
子「物事は常に変化して、ここにあった物はやがてなくなる。
祇園精舎の鐘の声と同じで、チョコも無常なんだなあ」

あなたの書いたことはこの子供と同じ屁理屈です。
無常を理解していないのはあなたです。
無常には無責任という意味はありません。
あなたのは無常ではなく、自分の発言に責任を取らないだけです。
あなたは嘘をついて、それを「無常だから、嘘をついた過去の自分とは関係ない」と言っている。
それなら、犯罪者が「犯罪をしたのは過去の自分であって、無常なのだから、
今の自分ではない」という理屈が成り立つことになる。
あなたの無常説では、前世で悪業を積んだのは前世の自分なのだから、
今の自分が悪因縁という形で受け取ることはないことになる。
あなたの無常説は桐山因縁論を否定したことになる。
さあどうぞ、お得意の屁理屈を「ww」とあざ笑いながらここに書いてください。
私があなたの無知と無責任ぶりを指摘して、読者の信者さんたちに
あなたの書き込みが信用ならないものだと示しましょう。

377深山:2010/03/10(水) 13:06:55 ID:4LnmXWzY0
>>346 :準シュダオン:2010/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
>それが無常ということなのだ。
>それが無常ということなのだ。

あなたの嘘や間違いを指摘することがどうして私の我執や無常なのだ?
それなら、犯罪を摘発することは警察官の我執なのか?
私の我執ではなく、あなたが「何年も封印していた」(>>271)と嘘をついたのだ。
私の我執の問題ではなく、「あなたが嘘をついた」のだ。
それをごまかすために、我執や無常など関係のない話を出してきた。
どうしてそんなにもあなたは卑怯で姑息なのだ。
間違いは間違いと素直に認めれば話は簡単だ。
だが、あなたは桐山さんと同じで絶対に自分の間違いを認めない。
そればかりか、今回のように、まるで私に何か問題があるかのように言い換える。
あなたはそれを普段の仕事や日常でもしていますね。
自分のミスなのに、立場の弱い人たちに「それは君の我執だよ」などと言っている。
2ちゃんねるでも、「預流に近い」と書くところを「準預流に近い」と書いてしまった。
こんな程度のミスなら、素直に認めればいいのに、
みっともない言い訳を大物ぶったつもりで笑いながら書いている。
本当にあなたのその姿は「醜い」。
どうしてそこまで醜悪なことができるのだろう。

378深山:2010/03/10(水) 13:14:25 ID:4LnmXWzY0
>>346 :準シュダオン:2010/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
>それが無常ということなのだ。

我執だの無常だのと言い逃ればかりしていたから、あなたは現役時代の仕事がうまくいかなかった。
あなたみたいに責任逃れなことばかりしていたら、信用も信頼もなくなるのは当たり前です。
仕事でミスをしたら、素直に認めて謝罪して、仲間に助けを求めるしかない。
だが、あなたは今回自分の嘘を認めず、私の我執や無常に話をすり替えたように、
仕事でも絶対に自分のミスを認めず、他人のせいにして、責任逃れをしてきた。
そして責任逃れの詭弁を、自分が頭が良いからだと自惚れた。
誰もあなたみたいな人と仕事をしたくない。
今はあなたは何か天下り的な既得権を利用して会社に居座っているようだが、
周囲はあなたに頭を下げているのではなく、既得権に頭を下げているのです。
人間的にも仕事面でもあなたは周囲からものすごく嫌われている。
だから、現場の仕事ではなく、全員一致で名誉職に追いやられた。
仕事の現場にいて勝手なことをしてミスをしても「君の我執だ」「無常を知らないね」
などと責任逃れなことばかり言われては迷惑この上ないからです。
嘘だと思ったら、辞めてみなさい。
今まで頭を下げていた人も誰一人あなたにハナもひっかけなくなります。

379ラシン:2010/03/10(水) 13:31:19 ID:XYs6itx.0
>ラシンさん。準さんは、はなから本当の仏教など講じるつもりは無い様ですよ。

宗教の定義を考えれば、それを成立させている基本要素が、
超絶的ないし超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)を
みとめる特定の観念であることを踏まえつつ、宗教とは人間の
力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、
その観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた
社会集団である。『ウィキペディア』参照

準シュダオンさんは、まさにその定義に根ざした仏教観を
超越的とした形だけで展開している、仏教=超越的存在=宗教。
しかし批判側の多くは、そう簡単に照準を合わせない。
釈尊の残した現実的な法の実践とは、私見ですが個人崇拝とか、
釈迦という人物信仰や舎利信仰など、また天照さんが指摘した
相対依存性とは、大きな相違があると考えます。
あえていうなら、精神修養であり目的は違うが武士道とか、
柔術などの”個人鍛錬”に近い、と解釈するほうが分かりやすい。
あくまでも自己での向上解決であり、他人に求め得るものでは
ないと考えます。
武士道は活人剣であり、相手の真剣の切っ先を見切る心の修養です。
チャンバラのように剣を受けたりすれば、刃は折れてしまうから、
寸でのところで切っ先をかわすのです。
柔術も相手の力を利用して最小限で相手を御すのを目的とする。
どちらも自分の心を制御し、冷静な目で相手の動きを察知する。
これは、心の鍛練無くしては為し得ない精神修養の道です。
他力などと目に見えぬ対象に依存することのない自己制御という
自分との真剣勝負です。
ーダンマパダ第七章ー
他人に教えるとおりに、自分で行なえ。自分をよくととのえた人こそ、
他人をととのえ得るであろう。自己は実に制し難い。

380ラシン:2010/03/10(水) 14:57:37 ID:XYs6itx.0

前言を少し付加いたしますが、
剣道剣術といわず武士道としたわけは、葉隠という武士の
心得に「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」との有名な
言葉があります。
生死を越えた忠義を常なる念頭に置いての決断心を意味している。
また、山鹿素行という学説には、武士道として“天壌無窮”を
説いている。
山鹿とは、赤穂浪士討ち入りの際の山鹿流陣太鼓が有名です。
大略は「天下万国すべてが平穏で無事」を願う意義を持って
武士としての修養の道の体格を剣で修す、と解釈される所以です。
今の剣道と違い人を生かすための活人の剣。
これを修めるのが、武士道という心の鍛錬として引用しました。

381Boo:2010/03/10(水) 15:29:27 ID:DXlq9owoO
話題を変えて申し訳ないが・・・・

2chで深山さんをF田僧頭だとの書き込みがありますね。

擁護側の人のようですが、信者ってあそこまで馬鹿なんでしょうか?

準氏といい、本当レベル低いよね〜?レベル合わせるのにストレス感じますね〜、やれやれ。

自分の研究では密教占星術のもとねた本は『運命読本』辺りではないか、とか。ブッシャリの由来を直訳してみたらこれこれで、アゴン宗の主張と矛盾が無かったとか、先祖供養を奨励しているアーガマを見つけたけど、皆さんどう思いますか?とかさ。

もちろん全部不可能だけどね。調べるほど批判派の意見に近づきますからw

アゴン宗側のレスがレベル低すぎるので、疲れね?最近。

382天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 15:50:17 ID:Iq4jCzLY0
Booさんの言われることは分かりますね。だから、反論する気にもならないし2ch自体には
書き込まない。下手に書き込むと荒らし認定されアク禁にもなります。
だから、HPの更新とかこれは必要だな、というときしか自分は2chに書きこみません。
相手にするには結構エネルギーが要ります。

>>371で深山さんが言われた言葉につきますね。(私はどうも表現が下手で駄目です)
「準シュダオンさんの関心は桐山アゴン宗ですらなく、あなた自身です。
桐山アゴン宗など実はどうでもなく、これを踏み台にして、自分の自慢話を
しているにすぎない」これに尽きるのです。
ですから、いくら周りが正しい意見を言っても受けつけないし、みもしない。
まして記憶力が低下しているのと、脳梗塞で我執・我見が強いので理解ができない。
そういわざるを得ないです。まあ百歩譲って我見を取っても「自慢」だけは外れない。
教祖と同じく妄想と自慢(慢心)だけが先走って止まらないのでしょう。

私の親も恥ずかしいことながらそういう傾向の持ち主です。
自分が一番偉く、最高なのだと威張り、周りの人間を自分に従えようとする良くない性格です。
子供も孫も寄り付かないのを「俺の価値を分からない馬鹿ばかりだ」と威張っています。
身内でなかったら縁を切っていますよ。それくらい嫌な存在だ。

ですが、以前も私は述べたようにラシンさんもユビさんも間違った点を指摘される勇気とエネルギー
には本当に頭が下がります。最近私はそこまでのエネルギーがなくなってきています。
深山さんのようにシャープで、ユビさんのようにユーモラスでラシンさんのように真剣で対応する
能力と力が欲しいこのごろですw

383天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 16:02:26 ID:Iq4jCzLY0
おっと、書き忘れた。>>381のBooさんの意見に追記。

本当にそうです。言いがかりとはあのことですね。また、批判側を法務部?
憶測にしても全然違うのが分からないイカレタお方ばかりですねえ。
ましてや私は「水道屋」にさせられるし、大笑いですよ。

深山さんが何で深田さんか、というのももう飽きましたね。
HNの頭文字だけしかあってないじゃないですかw
本当の深田さんだったら、もっと内部のえぐいことまで知っているから、アゴン宗は
大打撃を与えますよ。こういう掲示板でちまちま書きますかいな。
色川さん以上の存在ですよ。深田さんがTVに出たり本を書いたらあっというまにアゴンは
沈没するくらいの影響力があるんです。そんなことさえ知らないで「深田だ」と認定し叫ぶ。
子供以下の書き込みです。

あと地獄に落ちるだとか、いろんなことも言ってますねえ。
ま、向こうはしたらばのように削除も無いから、書けばいいでしょう。
全くくだらない&取るに足りないものだと・・・おお、あれは「妄想だ」と自分に
サティを入れてスルーするのがいいかもしれないw

擁護ができなくなれば、言いがかりか罵声、荒らし行為に自己満足な主張しかなくなります。
それで仏教徒・宗教を講じている人間だというのですから、全く本末転倒です。

384天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 16:15:11 ID:zARy39wU0
ああ、今2chに行って来ましたが、あの名無しさんの発言ですか。

確かに深山さんは詳しいですよ。でも、それよりもっと詳しいのが「深田さん」でしょうが。
ゲイカの裏事情やスケジュール、その他今までのゲイカの失態まで全部知っている。
2chやしたらばに書く以上に「なぜこんなことまで」というようなことを知っています。
でも、そこまでは深山さんは出していない。そういうことも分からんで「深田認定」は愚か。

私が在籍していた地方道場でも宗務職員や光和のアルバイトのかた、また道場運営の先達など
でも結構裏話知っているんです。それは自然と道場の運営に携わるとか長年何らかの人間間の
ネットワークができたら、様々な情報が入るものです。
ですから、過去で言うとヌマエビさんなどのように普通の信者では分からないことを出すのが
内部の人間です。まして深田さんは若いころからアゴンにいてゲイカのそばにいた人間です。
あの人ほど裏事情を知る人は居ない。和田さんだって深田さんが反逆してきたら青くなるはずです。
ヌマエビさん以上の裏事情と中身を知っている唯一の人です。
深山さんの情報も凄いが、もっと深田さん本人なら深山さん程度ではすまない。
そんな単純なことも分からないで憶測でものを言うんですから、本当に程度が低いか内部を知らない
輩が憶測でも物をいっているのが分かります。

385天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 16:29:14 ID:Ykavf8Vs0
したらばは宗務職員が見ているかどうかは分からないが、書いてみようか。

例えば、今から2〜3年前になるが、別院でゲイカ及び首脳部が集まってこれからの
アゴン宗をどうするか、という会議が開かれたのを私は聞いている。
その中にMさんの旦那さんが出席しているんです。

内容は関西では「和田さんの力が強く、ほぼ絶対的ぐらいに強い。だが、関東はまだ
そこまでの影響は幸い起きていない。これがもし全国に和田さんの影響力が出れば
関東はめちゃくちゃな状態になる。何とかそれをどうしたらよいのか」というのが
メインで会議が成されたんですねえ。

で、関東でも和田さんの影響力というのを恐れているし、嫌われてもいるんです。
関西の中でも「コンチクショー」と思っても言えない・逆らえないそうですってね。
私は当時批判板もみてないし、内部には疎いので「ああそうなの?」って感じでした。
批判板を読んで「なるほど!」と思ったんですけどねw

地方道場のしかも末端信者でも、縁故があればこういう情報は入るんですよ。
ですから、内部にいたらもっと詳しいはずです。詳細も語れるでしょう。
だから、深田さんと深山さんをみなすことは「異常」だし、根拠がない。
深田さんをなめちゃいけませんwww

386ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/10(水) 22:37:48 ID:SmEF4Oe2O
>>346:準シュダオン10/03/09(火) 19:18:22 ID:agsP6ENM0
>管長の過去の本を取り上げて、云々しているのも、同じ過ちですよ!
>管長は、進歩しているから、過去の著書と矛盾して書いていることが
>あるのです。それに気が付いた人は、本当の修行者です。
> 教えられて気が付くようでは、本物ではありませんから、何も言いませんw。

あなたごとき桐山教学ダメダメ信者が、自分の頭は節操なくコロコロ変わるなどと
言おうが知ったことではないが、桐山さんの代弁をするかのような発言だけは
遠慮しなさい。それは桐山さんを直接侮辱することに等しい。
たしかに桐山さんの言ってることはコロコロ変わるし矛盾だらけだけど、だからと
言って、古い著書の内容を間違っていたとして訂正変更したことはない。
これは自分の間違いでしたと認めたことはない。
ほとんどそのまま変わらず通用させているのですよ。
桐山さんの著書のこの部分はもはや桐山さんによって否定されているとか
もう通用しないなどと勝手に述べてはならない。
桐山さんが最も嫌うのは我見です。
だからこのような問題はきちんと質問をして確認すべきなんです。
それをせずに我見を振り回すのを桐山さんは一番憎む。
しかしあなたはどうせ自分のような幽霊信者は特定されやしないから何を書いて
辱しめようが身に危険は訪れないと馬鹿にしているからこういうことを書くのですよね。
しかしそれにしてもあなたは教団に迷惑を掛けない為にも、一言、これは私の考えだがと、
あくまでも私見であることをはっきり表明するのが義務でしょうね。
その際には必ず個別、具体的な指摘を示すことです。
毎度毎度あなたが一番卑怯なのは、一般論として、管長も進歩しているから
発言内容も変わるのだとしか示さないことです。
では具体的に示してみなさい。こちらが出した桐山本のこの内容は今では通用しない。
今、この桐山説は否定されているはずだ。自分がそう判断した根拠はこれこれ
こうであると。
あなたにできやせんでしょう?
ちなみに私はできますよ。この著書のこの発言は今では訂正されている。
その根拠まで論じることもできます。
過去の発言の訂正なんてそうありませんが。

387ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/10(水) 23:18:30 ID:SmEF4Oe2O
>>368:ラシン10/03/10(水) 10:11:47 ID:XYs6itx.0
>懇切丁寧に釈尊の教義を解説してくれるが、
>なぜか準シュダオンさんには通じない。
>まあ、彼に通じる説明など誰も為しえないが、
>そこが折角のユビさんの努力に礼を逸していると、
>感じる所以です。

この点については私はあの準シュダオンさんを説得改心させようなんて大慈悲心
なんて、これっぽっちも持ってないからご心配なく。
準シュダオンさんが我々との対話で改心などしないことに10万円賭けてもよい。
彼を救う気など毛頭ない。私は人格者ではないから、彼の愚行愚言をせせら笑いたい。
それでも健気に一々準シュダオンさんの書き込み内容に反レスをつけるのは
ギャラリーの為です。
信者も含めたギャラリーに対してこちらの圧倒的優位性を示すのが目的なんです。
彼はその道具に過ぎない。

>まあ、10年以上も前の一度しか会わない人の氏名を
>完全記憶しているくらいの超人ですから、その意味で敵わない。

これは私は一応真に受けてあげる立場にいます。
人間というものはどんな遠い昔でもはっきりとその情景を覚えているトピックスがある。
他のこと、前後のことは完全に失念していても。
何気に無差別に名簿から抽出された3人が本当に翌日に来てしまった!
これは本当に吃驚してしまった。だからその3人の名前だけは今でもフルネームで
覚えている。逆に親しかった人の名前でも忘れてしまったのが。
仮に作り話だとしてもこう説明すればよいわけです。
このように私は相手に逃げ道をいくつも与える。
作り話だと推定する前提だけだと、逆にそうしないとこちらが都合が悪いから
必死に否定する構図だとギャラリーに誤解もされる。
だからここは彼の体験を認めてあげる。
しかし解釈には容赦はしない。決め付けはしないがいくつも推論が立てられる
ことをギャラリーの為にも示してあげる。
脳にアクセスなんて トンデモ話すら必要 ない。
昔から万事いい加減な準シュダオンさんが今度の日曜日にこれこれの3人で
お邪魔しますよと報告したのに、興味なく空返事しかしなかったと想定すればよい。
それでも翌日に迫り、なんか予定があったか記憶が騒ぎだして名簿を取り出させ
3人をリストアップさせたとすればよい。
もちろん3人のうちの1人が風邪ひいて2人しか来なくてもかまわない。
それだけの話で運命ではない。
これも仮説仮説。

388天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/10(水) 23:31:43 ID:3mkn8qnI0
なるほど。だから敢えてアク禁をしないように、と言われるのですねwww
さすがはユビ管長!

389ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/10(水) 23:36:24 ID:SmEF4Oe2O
>401:神も仏も名無しさん :2010/03/10(水) 23:04:05 ID:yqm/JUtz
>深山さん≠深田さんを証明したのは擁護側の私です。
>批判側は深山さんの無実?を誰一人証明できず、
>また証明してあげようともしなかったのです。
>彼らは理屈を並べるだけで行動力が無く、
>また仲間に冷たい人たちなのです。

ペテン大作さんも相変わらず視野狭窄だな。
私が深山=F田説だったら、こんなオモロイ話はないと書いたその皮肉の構図
すら理解できんのかな?
分身の術なんかよりそちらの方が大問題だ。
批判側はBooさんにしてもそれがわかっているから呆れて物が言えないだけ。
F田説言ってる色川派は自分のことしか考えない頭悪い子だし。

390準シュダオン:2010/03/11(木) 10:08:39 ID:agsP6ENM0
深山=F田説?そりゃ、100%ないと思うね。F田さんなら、預流向を
聖者だなんて、まかり間違っても、そんな勘違いなどするわけがないw。
管長は、「仏陀の真実の教えを説く」P373で、「・・阿含信徒は聖者に
向かって修行している、これを須陀?向といいます・・」と、書いてる
でしょう。当然、管長は、須陀?果からを聖者に区分しています。

聖者に向かって修行している存在を、須陀?向というのです。三結煩悩を
断った修行者を、預流(聖者の流れに入った者という意味)と呼んで聖者
としたのです(阿含仏教時代のこと)。

ところが、部派・アビダルマ仏教時代になると、修行者を、1資糧位、
2加行位、3見道位、4修道位、5無学位、の五つに分類するのが主流に
なり、預流向を見道位の十五心に位置付けて、聖者とする考えが有力に
なったのです。その考えを今でも、採用する学者さんもいて、深山さん
などはそれを信じていたわけですね。テーラワーダでも採用していたり、
するようです。(前編)

391準シュダオン:2010/03/11(木) 10:23:17 ID:agsP6ENM0
しかし、預流向を見道位の十五心に位置付けて、聖者とするのは屁理屈で
しょうね。三結煩悩を断てていないのですからね。
また、この説と、須陀?を八十八随眠煩悩を断った存在とするのはセット
になっているようです。

参考までに、大乗仏教では、仏道修行者=菩薩を、五十二位に区分し、
十信→十住→十行→十廻向→十地→等覚→妙覚、というように修行が進み、
十地の一地(歓喜)から見道位に入って聖者としているようです。
十地未満は凡夫僧で、十地からが聖者僧というわけですね。(後編)

392準シュダオン:2010/03/11(木) 10:38:10 ID:agsP6ENM0
「誓願なきは菩薩の魔事なり」、誓願を持ちなさい、
と、管長は度々、法話でとり上げたものです。
最初は、我利我利祈願護摩木でも仕方ないと、思うけど、管長の話聞いて
たら、やはり誓願を考えないといけないでしょう。

密教修行者の第一歩は、三昧耶戒を持つことですからね。
その一つが、衆生を救う、という義務的誓願ですね。

また、仏道修行者=菩薩が必ず持たねばならない四つの誓願を、
四弘誓願といい、その一つが、やはり衆生を救うという義務誓願です。
義務と書いたが、これは言葉のアヤで、この誓願は自然に持つようでな
くてはいけないみたいです。

これらが基になっての、功徳や利益ですからね。仏道の基本を思えば、
いつまでも我利我利祈願だけが続くはずがないのです。
ユビキタスさんや、深山くんは、この基本が、わからなかったようですね。

393孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/11(木) 11:22:39 ID:XUfb/HH.0
>>392 準シュダオンさんのレスはユビキタスさんの>>356-357 を全く読んでいません。
だから自分自身の>>329と同じことを書いてるだけ。会話ってキャッチボールだと思いますよ。相手無視して同じこと繰り返してもダメだよね。
もう少し頑張ろう、準シュダオンさん。

それとラシンさんが書いてる興味深い>>379-380はどう思いますか?
仏道というのは修練のようです。ラシンさんのはさすが根本仏教のことを指している。準さんはもろ大乗のようです。

>>329 >今の批判派みたいな、我利我利祈願になってしまうw。
>>392 >いつまでも我利我利祈願だけが続くはずがないのです。ユビキタスさんや、深山くんは、この基本が、わからなかったようですね。

相手がやってもいないことを決め付けるのはよくないね。ユビキタスさんや、深山さんは我利我利祈願をしているんですか?
2chでも深山さんが脱糞したとか侮辱の書き込みをしてるのがいますが、読むほうは自分自身の体験だな、と理解します。
準シュダオンさん自身が我利我利祈願してるんだと。

394ラシン:2010/03/11(木) 11:33:50 ID:XYs6itx.0

佐倉哲氏の宗教批判掲示板で、幸福の科学の大川さんの
インチキ振りを暴露している内容を以前に引用しました。
大川さんは、内村鑑三の霊が氏を通して霊示されたメッセージを
霊示集として出していますが、はたしてその馬脚は?
大川さんを通して、「内村鑑三の霊」が語ったイエスの誕生日を
12月25日と前提した間違いを
「この日は、古代ローマ宗教の太陽神の誕生日であって、
クリスマスというのは、その祝日をイエスの誕生を祝う日として
4世紀〜5世紀ごろから始まった習慣に過ぎない」
というキリスト教徒なら誰でも知っている常識であることを
指摘している。

さて氏は、霊能者などが語る死後の世界観やその個人の精神領域は、
第三者が検証できないのでウソデタラメもまかり通るが、
それが現実に即した内容が加味されると、第三者でもその矛盾をつける
とし、大川氏の伝えるイエスの生誕夜に雪が降っていた情景にそのウソを
指摘しております。以下は佐倉哲氏の指摘文です。
「どうやら「内村鑑三の霊」は、日本のクリスマス時期の感覚で話を
しているようです。そもそも、この地域に「地面に十センチ」雪が 積もる
こと自体が通常ではないのですが、イエスが生まれたときの聖書の記述は、
あきらかに、雪が十センチも積もった話しを否定しています。
なぜなら、その日、羊飼いたちが「夜通し羊の群れの番をしていた」と
記録してあるからです。
雪が十センチも積もったところで羊飼いたちが「夜通し羊の群れの番をしていた」
はずがありません。」

395ラシン:2010/03/11(木) 11:35:01 ID:XYs6itx.0

この大川氏と同じ過ちを犯してしまったのが、桐山さんです。
大霊能者でありシャカの成仏リキを持ったアジャリ様が、
自身の不幸な因縁を透視した時、それらの原因は祖父が上意討ちした、
信州藩士である十八人の霊障武士が、桐山家に祟ったとの根拠です。
ユビさんも郷土資料を調べて、そのような事実は無いとの結論が出ている。
長野県に存在した十一の諸藩の歴史資料にそのような事件そのものが
まったく無かった。
桐山さんもついつい、霊能力を鼓舞するあまり口を滑らしたのか、
誰もそんな昔話など確認できぬと油断し、祖父か母親の伝え聞きとして、
霊障の根拠にしてしまったのでしょう。
そこで展開する桐山さんの死者成仏は、十八人の恨みを持った霊障武士を
悉く解脱させてしまう、という成仏リキを謳ってしまった。
存在しない十八人の霊障武士を解脱させたのだから、それは作り話しだと、
批判諸兄から糾弾されるのは、当然の帰結です。
だから生きている家族が瞑徳供養リストに降りてきたりする。
生きている家族や縁者が不成仏霊と認可されてしまうのも頷けます。
因縁霊視で指摘されていなかった病気にかかるという矛盾も生じる。
すべて桐山さんの妄想であれば、その間違いが生じることも当然です。
第三者が検証できない死後の世界観や個人の精神領域は、客観的根拠と
なり得ないことが分かる。

その視点を無視して個人体験をもとに運命論や○○因縁を語るのが、
準シュダオンさんです。
どんなに低く見積もっても15〜20年前に一度会っただけの三人の
人の氏名を完全記憶していると豪語する。
ユビキタスさんは、それをあえて否定せず別な切り口で批判していますが、
私の狭い中で知る限り、そんな記憶力を持つ人を終ぞ知らない。
他人の記憶力という能力を一概に否定出来ない、という意見もあるでしょう。
しかし脳の記憶の蓄積保持は、反復学習を必要とするのが通説です。
準シュダオンさんは、蓄積されていた記憶をレセプター機能で取り戻した、
とか思い出したのではなく、今でも過去から覚えていると断言している。
この表現自体がおかしいし、不思議ですね。
その人たちと遭遇した以後、無関係で一度も会っていないいわば
反復学習無しで、どうして記憶を保持しているのか理解に苦しむ。
それで完全記憶しているとは、超人以外はありえないでしょう。
まあ、準シュダオンさんの一部の超能力を認めるなら別です。

396天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/11(木) 11:48:31 ID:5ZIjgdoI0
本当にラシンさんの文章には納得がいきます。説明や論証をするならこのようにやればいいのに、準さん。

ゲイカのミスは話だけにしておけば「母親から聞いただけだから、間違いは在るかもしれない」という
こともできようが、ゲイカ自ら霊障の仏である侍さんを18人成仏させた、と自ら言うのですから、もう
後ろに下がることも誤魔化しもできなくなってしまっている。自滅行為ですね。
で、在る年の法話で「文章にしたためたら訂正が効かない。分掌を書く場合には気をつけたほうがいい」という
のを言ってたが、ああ、自分のことを言ってるんだな、と後で気づいた。
(最初何を言っているのか分からなかった)
というか、普通の一般人がそんな身動きの取れなくなるような文章など早々書かないってw

あのときの何々はどこそこが間違っていました。訂正します。とやれないのが悔やんでいるのでしょう。
恥も外聞も捨てればできるでしょう。でも、それをやりたくない、またはやることによって損失が出るから
やれないんですよね。下手をすれば教団の衰退にも関わる。だから、黙っているしかないわけです。
全てはデタラメや妄想で物を言うからこうなるのです。ゲイカ自身が悪い。

397天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/11(木) 11:56:32 ID:5ZIjgdoI0
うわお、分掌って何よ(恥) 文章の間違いです。

またね、準さんは「昔のことまで言う」云々を言われているが、それは訂正もしないし、
間違ったことをいつまでも言うから批難されるんですよ。
だから、ありえないことだがゲイカが自らの非を詫びて訂正するのなら在る程度で批難は
やむんですよ。

例えですが、薬害問題で死ぬまで「自分は悪くない」といってた方がいましたよね。
十分悪いことをやった形跡や証拠が在るのに、絶対に認めず自分は正しいと。
ゴリ押しで自分の正当性を主張することは、それは誰でもできます。
しかし、薬害の犠牲になった人はどうするのか? また、それを製造したとか関わった人は
自分のエゴで「俺は正しい」とどういう神経でいえるのか、です。
まるで他人(誰か)がやったような言い方です。
そういう人は永遠に批難されて当然ですよ。それと同じです。
嘘つきや謝罪で訂正もできない人には、永遠に批難されて当然なのです。

398天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/11(木) 12:01:51 ID:5ZIjgdoI0
神人同行さん、全解除しました。これで大丈夫だと思います。
@chs−1も同様に解除しました。ご確認ください。

399ラシン:2010/03/11(木) 12:43:22 ID:XYs6itx.0
>390 :準シュダオン:2010/03/11(木) 10:08:39 ID:agsP6ENM0
>管長は、「仏陀の真実の教えを説く」P373で、「・・阿含信徒は聖者に
向かって修行している、これを須陀?向といいます・・」と、書いてる
でしょう。当然、管長は、須陀?果からを聖者に区分しています。

強弁の輪廻現象がまた出たようだが、これで何回なの?
それも、またまた都合の良い部分だけの引用ですか?
何度指摘されてもあなたは、その姑息さを治そうとしないか、
本当に忘れているのか、そうならあなたの記憶力に疑問符がつく。
桐山さんは立場上、預流の定義を曖昧にしているのだ、と以前に
解説してある。
信者を聖者と認定してしまうとお布施や派閥とか下手をしたら、
独立されかねない危惧もあるからで、預流認定の信者が悪趣に
でも堕ちたら言い訳も出来ない。
かと言って完全否定すれば、信者のモチベーションや信仰目的の機運も
喪失して教団にはゼニにならないから、曖昧な表現に終始しているのです。
あなたも企業人なら、それくらいの桐山さんの立場を理解してあげることだ。
また、桐山さんは阿含経を標榜しているのだから、俗に言う仲介者ですよ。
阿含経を教説したのは釈尊ですから、いわばその説の所有権は釈尊にある。
例えで言えば桐山仲介者が、所有者の土地建物を勝手に改装し条件変更して、
他者にそのチラシを流布するなどは、所有者への違反行為です。
これくらいなら準シュダオンさんでも理解できるでしょう。
あなたの不動産を専任媒介した仲介業者が、勝手に売却条件を変更改ざんして、
他者に売ろうとして、あなたは納得するか?
釈尊は、大パリニッバーナ経にて二人ずつの四組と八人の人々=四双八輩が、
世間の最上の副田であり聖者の流れに踏み入った者、と明解に説いている。
あなたが言う桐山説の根拠を阿含経に求めてみなさい。
また、>>390>>392までの部派仏教や大乗仏教の引用は、
過去あなたが、都合で根拠にしたり否定したりした内容そのものです。
ではいったいどちらなのですか? それとも完全記憶能力が眠っていたのか?

400神人同行:2010/03/11(木) 12:47:10 ID:aEHS8D7k0
この道−は〜何時か来た道〜!!
ならうれしいが!!

401ラシン:2010/03/11(木) 12:49:07 ID:XYs6itx.0
>398 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/11(木) 12:01:51 ID:5ZIjgdoI0
神人同行さん、全解除しました。これで大丈夫だと思います。
@chs−1も同様に解除しました。ご確認ください。

>409 :神人同行:2010/03/11(木) 11:21:58 ID:/xIc5w2x
ウバソク101さん
未だ行けません!!

402ラシン:2010/03/11(木) 12:52:21 ID:XYs6itx.0
>400 :神人同行:2010/03/11(木) 12:47:10 ID:aEHS8D7k0
この道−は〜何時か来た道〜!!
ならうれしいが!!

大丈夫のようで、おかえりなさい神人同行さん。

403神人同行:2010/03/11(木) 13:29:25 ID:aEHS8D7k0
ラシンさんはじめ皆様お久しぶりです。
巻き添え食っちゃった。
レスの流れから、天照さんが一人で戦っていることは推測できましたから、
自分でもと参入可能な道をイロイロやってはみたものの門外漢の悲しさ、
到達できませんでした。
ネットの何処か彼処に私の足跡・落とし物が散在してるかもしれません。
ウッ!と思われるものに出くわしましたならば消去してください。
他の方が躓かないように!!お願いいたします。
天照さんへの攻撃が、私の関係するサ−バ−やプロバイダ−からならば、
何時でもアク禁にしてください。
待ちますよ。喜んで待ちますカラ

404準シュダオン:2010/03/11(木) 15:29:59 ID:agsP6ENM0
過去レスに拘るのは愚か者ですw。変わらないのは真実だけです。
来年のことを言うと鬼が笑うが、去年のレスを言うと臍が笑うよw。
変わらないのは真理を含んだ言葉。
これを、道元禅師は、「変わらぬ教え今もなお、人に示して新たなり」と、
詠っています。この「変わらぬ教え」とは、仏の言葉のことでしょう。

普通の人は、古くなって壊れた靴や、あるいは古い下着は捨てるでしょう。
言葉だってそうなのよ。私は、わたしの古くなった過去レスは捨てていますw。
それを拾ってきてあれこれ論評してる人の気が知れないねw。
捨ててないのは、真理を含んだ言葉だけです。

いくら本を読んで、知識を集めても、須陀?にはなれません。
それと、学者先生方は、アビダルマ論師の説をそのまま書いたりしてます
から、中には妥当でない記述もあります。それらを鵜呑みにするのでは
なくて、取捨選択する智慧が必要です。

例えば、テーラワーダの、気づきの瞑想法は釈迦の時代から連綿と続いて
きたものだ、という主張があります。そうかも知れない、が、変えられてる
部分もあると私は思うし、気づきの瞑想法だけでは不十分だと思う。
 道元の座禅も、言わば気づきの瞑想法です。
道元は、常住座臥、すべてが座禅なのだ、今に気づけ、と教えてますからね。

405準シュダオン:2010/03/11(木) 15:37:05 ID:agsP6ENM0
あらら、たまたま、ラシンくんのくだらない、レスが目に入ってしまった。

「管長は、お布施が減るから、信徒を聖者に認定しない」という箇所だよ。
ラシンくんも、あまりとぼけたこと言っちゃあ、いけないよ。
「仏陀の真実の教えを説く」という本に、「阿含宗には相当数の須陀?が
誕生しています」と、書いてるだろうがw。ちゃんと聖者入りを認定して
るではないか!
ラシンくんは、どこに目を付けているの?
あまり嘘ばかりのレスをするんじゃないよ。

406ラシン:2010/03/11(木) 16:01:27 ID:XYs6itx.0
>405 :準シュダオン:2010/03/11(木) 15:37:05 ID:agsP6ENM0
>「仏陀の真実の教えを説く」という本に、「阿含宗には相当数の須陀?が
誕生しています」と、書いてるだろうがw。ちゃんと聖者入りを認定して
るではないか!
ラシンくんは、どこに目を付けているの?
あまり嘘ばかりのレスをするんじゃないよ。

だから明確に誰それと認定せずにあいまい表現です、と指摘しています。
信者さんには、馬の鼻の人参効果です。
そうならなぜ桐山さんは特定して認定し、賞賛してあげないのですか?
認めたようでお得意の拳を握り締めたただの素振りです。
あなたは素振りを見ただけで、今の奥さんと結婚した?

407ラシン:2010/03/11(木) 16:02:26 ID:XYs6itx.0
>392 :準シュダオン:2010/03/11(木) 10:38:10 ID:agsP6ENM0
「誓願なきは菩薩の魔事なり」、誓願を持ちなさい、
と、管長は度々、法話でとり上げたものです。

これに対しても批判側は、その偽善を指摘しているにも係わらず、
ユビさんなど対論者の論証を自分勝手にまとめ上げて自論を
展開するのは、相手に失礼だと>>368で指摘したのです。
青柿さんの>>393の感想も、その線上にあってあなたに呆れています。
再度その偽善を指摘すれば、
桐山さんが、どんな大層ご立派な誓願を立てて、誰が救われたか?
世界平和などと大見得を切って日中友好・世界平和の祈りや、
モンゴル世界平和祈念大焚き火で内モンゴルや東トルキスタン、
チベットの虐殺が止んで、人々がそこから救われたのか?
常識で考えればそれらは、具体的措置である国際的運動などで、
その解決を図ろうと考えるのが常道で、祈りで民族浄化が止まる、
と信じる人は、ごく稀で少ないだろうね。
それでもアゴン宗は、イスラエル建国60周年奉祝と世界平和を
祈念する護摩を4ヶ月も過ぎてから焚いた後に、何が起こった?
建国お祝いに便乗した護摩を焚いた後の事実は、何だったのか?
よく考えてみると良い。
その年末から翌年、イスラエル軍によるパレスチナ市民に対して白燐弾などを
用いた無差別攻撃や、幼児に対する無差別銃撃が行われたのです。
65年前の昨日、東京大空襲の被害と重なる気持ちなど、あなたには皆無だった。
だからヌケヌケと今日も、菩薩の誓願などと書き込んでいる。
慰霊堂の清掃修行経験で、その惨事の悲痛を今に噛み締める信者はいないらしい。
誓願と言うならその前に、スレ違いでもせめてその不幸に対する憐憫も示さない?
ガザ地区のその総死者数は1417人、その内の民間人は926人の犠牲者を出したという。
このガザ虐殺という大惨事が引き起こされた過去をあなたは、忘れているのか。
あなたの掲示が、ただ言葉の遊戯に酔いしれ、いかに現実を見ていないかが分かる。
信者さんやあなたは、ガザ虐殺という大惨事と引き換えにアゴン功徳という空手形を
貰ったに等しい。

408準シュダオン:2010/03/11(木) 16:04:42 ID:agsP6ENM0
三供養品の三善根、「仏法僧にて、功徳の種をうえる」修行で、思念(王者)
の相承を受けることが可能だ、と管長は本に書いています。
でも、この場合の三善根を、無貪、無恚、無癡、と解釈してはいけないね。
この場合の三善根は、功徳の種をうえる、という善根ですからね。

無貪、無恚、無癡と解釈する場合には、
例えば、衆集経の場合には、「復有三法 謂三善根 一者不貪、二者不恚」
いわゆる三善根という言葉と、無貪瞋癡の説明が入っています。

十上経でも、「・・謂三善根、無貪善根 無恚善根・・」というように、
説明が入っています。

三取聚でも、「謂三善根、無貪善根、・・略」と、いうように、
無貪、無瞋、無痴、を意味する場合には、謂三善根という語と、その内容が
説明されています。

だから、三供養品の三善根の場合は、無貪瞋痴の意味と解釈してはいけない
のです。頑なに、無貪瞋痴、とだけ解釈するのを我見というのです。

409ラシン:2010/03/11(木) 16:58:06 ID:XYs6itx.0
>404 :準シュダオン:2010/03/11(木) 15:29:59 ID:agsP6ENM0
>普通の人は、古くなって壊れた靴や、あるいは古い下着は捨てるでしょう。
言葉だってそうなのよ。私は、わたしの古くなった過去レスは捨てていますw。
それを拾ってきてあれこれ論評してる人の気が知れないねw。
捨ててないのは、真理を含んだ言葉だけです。

道元禅師の言葉を出しておいて、脈絡もなく自論を補正したい?
道元禅師に助けを求めても無駄ですよ。
あなたは自惚れが強いから、そんな幼稚行為で他人を騙せると、
考えるのでしょうが、あなたの心意はミエミエで分かりやすい。

論評されるのが嫌なのは、あなたにとって都合が悪いからだと、
よ〜く分かりますよ。
世間なら無責任となりますし、対論者の立場なら卑怯と思われる。
あなたは他人を殴っておいて、それは過ぎたことで自分は忘れたから、
その過去の行為を批判するな、と言っているようなものです。
あなたは、ことを為してから、勝手に裁判長を名乗って無罪だと、
自己宣告しているような愚行です。
しかし、ここには目撃者や証言できる人が多数いますし、
何よりあなたの書いた文章が残っているが、平気だとしたい。
深山さんいわく、そこが桐山さんと似ているらしい。
現実を逃避しても、目を開ければ見えるから慌てて蓋をしようとした?
勝手に捨てた宣言をしても、付き纏うあなたの主張は消えないから、
所有権を放棄しても誰も認めない。
そうだ、念力で消したらどうですか?
日ごろの自慢する能力を発揮する良い機会ですよ。

410ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 17:32:52 ID:SmEF4Oe2O
>>395
準シュダオンさんが予言された3人の名前を数十年経っていようが覚えていても
決して超能力的なおかしな話とも言い切れないと私が認める背景をもう少し
補足的に説明しましょう。
私は3〜4歳の頃の記憶で克明なものがいくつかあります。
いや、私に限らず皆さんもそうでしょう。
一度迷子になったのをよく覚えている。
幼なじみのノリコちゃんと二人でお散歩に出た。
帰ろうという時に意見が対立した。ノリコちゃんはこのまままっすぐ進んで帰るという。
一方私は今来た道を逆に引き返さないとだめじゃないかと主張。
喧嘩になり別々に別れて帰ることとなった。結果は・・・私の方が迷子になった。
なんてことはない。ノリコちゃんは道をよく知っていたのに対して私は知らなかった
のですね。私は近くの八百屋さんに保護され、おもちゃで遊んでるうちに、
警察にも届けたおばあちゃんが迎えに来た。
母はその頃長期入院していたので、父方のおばあちゃんが子どもの世話に
援助に来てくれていた。この事件に懲りた祖母はかねてからの懸案であった、
母方の祖父母の山形県の実家に私を預けることを決断した。
山形県に預けられた私は何不自由なく可愛がられ感謝しているが、一度悪さをして
祖母に倉庫の小屋に閉じ込められたことがある。閉じ込められると真っ暗になり
わっと泣き出した私を当時まだ若いKおばちゃんが予定通り助けてに来てくれた
笑顔をよく覚えている。
4ヶ月ほど預けられると、叔父に連れられ東京の等々力の当時の自宅に戻った。
玄関を開けて入ると狭い家の茶の間で母が笑顔で迎えてくれた。
私は母はまだ入院しているものだとばかり思っていたので意外に思い吃驚もした。
それで開口一番が「ただいま」ではなく「ねえ・・・」と言ったのを自分でよく
覚えている。
どうしてこういう記憶が鮮明なのか考証して、準爺の戯言でも理があることを
考えてみたい。(つづく)

411ラシン:2010/03/11(木) 18:01:08 ID:XYs6itx.0
>408 :準シュダオン
>この場合の三善根を、無貪、無恚、無癡、と解釈してはいけないね。
この場合の三善根は、功徳の種をうえる、という善根ですからね。

功徳の種をうえる修行とは何なの?
仏教で言う功徳とは、簡単に言えば善行による利益です。
究極の利益は、煩悩滅尽だからその種子を植える行為は、
煩悩を滅する修行を指すのは必然ではないか。
仏法僧の三宝において貪・瞋・痴の煩悩をなくす修行のことです。
あなたのように我欲物欲に執着しているから、仏教の利益が漏尽だと、
理解できないのです。

>だから、三供養品の三善根の場合は、無貪瞋痴の意味と解釈してはいけない
のです。頑なに、無貪瞋痴、とだけ解釈するのを我見というのです。

三供養品という経の題名は、後世に法数分類されたものです。
アビダルマ論師が得意とした法を数とした分類法です。
善根は良い果報をもたらす”もと”です。
仏教で良い果報とは、煩悩が滅尽することです。
そのもととは、三毒である貪・瞋・痴を消滅する行為となる。
それを無貪・無瞋・無痴として三つの”もと”だから三善根です。
このように普通に解釈して意味が通じることが、頑なで我見だと?
また、
桐山さんが出した増一阿含経のどこに三供養という語があるのか?
あなたは桐山さんの仕掛けた疑似餌を丸呑みしただけで、
何の論証もなり得ていません。
お経にない語句を夢見てそれを解釈して何になる?
答えは、桐山さんの狙った供養=ゼニを出せとなるのだ。
奇麗に表現すれば、アゴン三宝のもとでゼニを植えろ、です。
それを刈り取るのは桐山一派で、信者さんが受け取るのは、
功徳という言葉だけの空手形です。
あなたはその敷かれた桐山レールを歩いている風だが、
実際は、ゼニも出さず舌を出しているだけ、だろ?

412ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 18:05:03 ID:SmEF4Oe2O
410の続き
40年以上前になる幼い頃の記憶でも未だに克明に覚えているのは何らかの
非日常のショックを受けているからです。
だから大概のことは忘れても、あるシーンだけは忘れない。
もちろん前後の記憶は欠落している。
それともう一つ未だに忘れない理由はその後これらの事件が母ら親子関係において
当時を懐かしむ会話の中でよく取り上げられたからである。
迷子のことも小屋に閉じ込められたことも入院中の母にとっては伝聞とはいえ
懐かしい豊かな思い出だろう。援助してくれた関係者への感謝も含めて。
それは私とて同じなのだが、ともあれこの話題が何回も話の種にのぼるのです。
だから私の記憶の一部はますます不動になるのです。
その後の話で説明補完的に付け加えられた加工記憶みたいなものもあるかもしれない。
しかし迷子の際、ノリコちゃんの主張と私の主張の対立などは家族にはわからない
私だけの記憶として継承されている。
また等々力の自宅に帰って来た時、母が言うには私は気恥ずかしいのか玄関に
立ったまますぐには部屋に入って来なかったという。しかし私はそこまでは
はっきりと覚えていない。しかし逆に、これは母の方でも忘れていることだが
「ねえ・・・」という開口一番の挨拶は紛れもなく私自身の記憶なのである。
このようにちょっとした事件の記憶は、これを話題に取り上げ反芻することにより
補強されたというわけです。

さて、ここで準シュダオンさんの供述を嘘デマカセではない本当の体験と仮定して
みましょう。長い人生で一度しか会ったことがない、それもその後の交流もなく
その時の接触の内容、意義もとるに足らないことならば、この3人のフルネーム
まで記憶しているなんてのは考えられず超能力にも等しい。
ところが相手はどうだか知らんが準シュダオンさんにとっては前日何気にめまいが
して名簿から3人抽出したのだが、それだけでもどういうことなんだろう?と
思えるのに、そのまさかの3人が訪問したことに心底吃驚した!
カラクリは私の仮説のように実は耳にしていたのを意識に留めてなかったでも
何でもよい。当時の彼にとっては大変なショックです。これで運命を信じたとは
笑えるが、人生観が変わるほどの事件だった。
そしてそれはその後もこの体験を自分自身で反芻したはずです。(つづく)

413うサギ:2010/03/11(木) 18:39:17 ID:UtKVqJLA0
>>404言葉だってそうなのよ。私は、わたしの古くなった過去レスは捨てていますw。
それを拾ってきてあれこれ論評してる人の気が知れないねw。

あなたに責任能力がないならば、法律的には「禁治産者」です。
しかし、あなたは「禁治産者」ではないから、自分の発言に責任が生じますよね?
だから、過去の発言にも責任があるのではないのですか??

それを放棄するというのならば、あなたは無責任な人です。

でも、「そんなこと言ったっけ? 言ったとしても知ったことではない」
という考え方は、たとえばあなたが子供ならまだ許されます。
なぜなら子供は自分が言ったことをすぐ忘れてしまうことがあるし、
すべての発言に責任を負えるだけの年齢ではないからです。

ということは、あなたは子供なんですね?
だから、自分の過去レスに責任を感じないんですね?

準々シュダオンさん。

414<削除>:<削除>
<削除>

415ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 18:39:52 ID:SmEF4Oe2O
412の続き
準シュダオンさんのこの体験が仮に30年前のこととしましょう。
今回我々との議論の中で30年ぶりにこれを思い出した。そうそう、その時の
3人の名前はこうこうだったなんて供述したら、これは嘘臭い。
しかしそうは書いていない。
この事件に驚き、運命を信じ、人生観が変わり、唯物論者を脱してこの翌年には
アゴン宗に入信したという。
当然この記念碑的な出来事は彼の頭の中で特別なことと位置付けられ、折に触れて
思い出す忘れられない事件としてますます補強するはずなんです。
3人の名前というのも然り。その後の交流などどうでもよい。
幸いに予め印までつけた名簿まであるのだから、嫌が上にもその名前は脳裏にも
焼き付き、またその後も意識的にこれを覚えておこう、忘れずにいようと
反芻努力はしないか?
だからこれは彼の感情の中では特別な体験なんだから、普通だったら覚えている
はずもないフルネームだって覚えていても不思議ではない。
私のような幼児期の記憶とも違い、大人として相手のフルネームを覚えたわけです。
だからそこまでは嘘であろうがなかろうが認めてあげてよい。
ただ彼に言いたいことは、いかに彼の感情の昂りのある事件でも冷静に考えれば
生まれた時に方向付けられた桐山因縁みたいな運命の話にはなり得ないということです。
私は情報を耳にしていた説でなく、本当の霊感によるムシの知らせ的な予知という
超能力説を認めたってかまわない。
しかし運命には安直に結びつけられるはずがない。
例えば私は今月の21、22の連休を甲子園に選抜高校野球を観戦の予定で
前売り券も往復の指定席も現地の宿も既に手配済みです。
つまり私は10日後の運命がわかっている。
それから昨日あった会議が来月は4月14日の第二水曜日にある。
これも運命が決まっている。
このように人は皆何らかのスケジュールにより軌道の一部が確定している。
当日風邪などひかない限り。
たったそれだけの事実を事前にキャッチしたことが、甲子園の因縁、会議の因縁
などという運命話にしてよいのか?とギャラリーの皆さんに投げ掛けて確認を
促したのです。
そちらの問題の方が今回の桐山因縁を信じた経緯というテーマから考えて
迫るべきことです。

416うサギ:2010/03/11(木) 18:40:40 ID:UtKVqJLA0
申し訳ありません。連投になってしまいました。

417天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/11(木) 20:28:43 ID:l1TEhB6c0
うサギさん、>>414は413のダブりですので削除しておきました。
いつも投稿ありがとうございます。禁治産者には笑ったwww

418ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 20:48:38 ID:SmEF4Oe2O
>>392:準シュダオン10/03/11(木) 10:38:10 ID:agsP6ENM0
>「誓願なきは菩薩の魔事なり」、誓願を持ちなさい、
>と、管長は度々、法話でとり上げたものです。

まあ、実際にはそれをどう活用するかと言えば、護摩木を何本勧進するかとか
何人お導きをするとか数字を提出せよと言う時くらいですが。

>最初は、我利我利祈願護摩木でも仕方ないと、思うけど、管長の話聞いて
>たら、やはり誓願を考えないといけないでしょう。
>密教修行者の第一歩は、三昧耶戒を持つことですからね。
>その一つが、衆生を救う、という義務的誓願ですね。
>また、仏道修行者=菩薩が必ず持たねばならない四つの誓願を、
>四弘誓願といい、その一つが、やはり衆生を救うという義務誓願です。

あなたのいう誓願の話はあくまでも大乗仏教の話であり、本来釈尊の仏教には
ない話です。人を救う誓願と言うが、救うという概念自体大乗になってできたものです。
しかし細かい話は省略しますが、救いとは決して護摩木を書いて人の欲望が叶うように
祈ることではありません。
上求菩提、化下衆生といいます。
自分自身はさらに上の菩提(さとり)を求める。一方他人に対してはまだ仏の道を
志してない衆生に対して菩提を志すように教導する。
すなわち救うとは煩悩で自分自身を縛って苦しめているのだからその煩悩を解き放て
と教えて諭し、仏の道を進ませることです。
よって護摩祈願の肯定にはならない。
これが自利と利他の二大聖業です。
そして自利を目指すならそれは我利を捨てることから始まる。
仏の道を志した瞬間から我利をなくすことから始めるのが上求菩提たる自利です。
あなたは自利と我利を混同したのです。馬鹿ですねえ。
利他たる化下衆生を志すなら尚更です。
自分が我利の煩悩に溺れてどうして教導などできる?
衆生を救う誓願に到るためにどうして我利我利祈願から始めねばならないのか?
最初から我利を否定して自利を求めるべきでないか?

419ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 21:02:33 ID:SmEF4Oe2O
化下衆生ではなく下化衆生だったっけ?
正しい方に訂正しといて。

420ラシン:2010/03/11(木) 21:02:51 ID:fq/JBJMU0

脳の記憶の蓄積保持は、反復学習を必要とするのが通説です。
と、私は何度か前述した。
ユビさんの指摘も、翌年のアゴン宗入信という記念碑的な出来事ゆえの
反芻努力をしていたことに触れています。
しかしそうであれば、やはり準シュダオンさんの記憶は反復学習の上で
成り立っていたとなります。
だが、自慢好きの準シュダオンさんがこの具体的話だけは書いていない。
つまり、その反芻努力の根拠が見当たらないから不思議だと言っている。
毎回、何十年も記念碑的な根拠として確認反復した経緯が見えない。
また千や万の確率に着眼し仮肯定するより、常識で判断される出来事で済む。
それを守護神だとか何とかと匂わせて煙に巻いているのが、
準シュダオン流姑息術ではないか。
まあ、このあたりのグレーゾーン的疑問が氏の性格からして説得力に欠けるが、
問題はまだある。
その氏の経験を以ってしても、桐山運命論とは合致しないのだ。
簡単に言えば「運命」と言う言葉の語呂合わせにすぎないのだが、
それが準シュダオンさんの思い込みであり、その根拠を曲解している。
桐山説は「分かっちゃいるけど止められない」という言説に根拠があるのです。
スケジュールを決める行為そのものが、ある種の因縁で決められている、
それが前世からのカルマだ、というものだからです。
今後の予定一つ決めることも選択することも過去世からの因縁で、
それによって運命が決まってしまう、と脅しているのが桐山説です。
自分の志向、思考、嗜好、指向、すべてが持って生まれた因縁による。
理屈で分かろうが注意深くしようが、悪因縁一つでその行為は翻弄される。
それは過去に為したカルマから来るとして白隠禅師の施行歌で、
不徳ゆえの悪因縁、○○因縁を補説しているのです。
どんなに才能があろうとも、不徳ゆえの因縁で現世で貧するを見る運命だ。
どんなに現世で気をつけても、不徳ゆえの悪因縁で運命は決定され、
富貴などぶっ飛ぶのだから、アゴン宗で因縁を切って徳を積めと言っている。
因縁解脱が一番だ、と間違った教えになっている。
だから、準シュダオンさんの予知自慢など、桐山運命説に合致しない。
直裁に言えば前世の不徳により形成された因縁で運命が決まっている。
それはカルマとなって勢い君たちの運命をつかさどるのだ。
このように脅しているのだから準シュダオンさんの出会い経験などは、
桐山さんの説を擁護していない、実はただの能力自慢だと指摘したのです。

421ラシン:2010/03/11(木) 21:37:03 ID:fq/JBJMU0

準シュダオンさんが桐山運命説を根拠する経験を
強調するなら、その理想は違いすぎます。
どうせ言うなら、これだ!

名簿を凝視してチェックマークを付けた。
しかし翌日に現れた人は、一人ではなく三人だった。
それもチェックマークを付けた人とは違い、人数も違った。
そしてその人たちに望んだ結果も違っていたがそれは言うまい。
翌年、な〜んとアゴン宗に入信したらその三人も入信していた。
それで確信したことは、桐山ゲーカの言われるとおり、
自分で思考し望む結果と思っても、私のが持っていた因縁により、
違う結果をもたらした、アゴン宗との好運な出会いでスだ。
何と言う因縁の不思議と、その後の出会う運命に驚愕し絶句したもんだw。
だから私は運命を信じるね、批判派が何を言おうともねwww。
ゆえにあのお三方の氏名は今でも明解におぼえているのであ〜るw。
もっともらしくネ?

422ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 22:01:09 ID:SmEF4Oe2O
>>404:準シュダオン10/03/11(木) 15:29:59 ID:agsP6ENM0
>過去レスに拘るのは愚か者ですw。変わらないのは真実だけです。
>来年のことを言うと鬼が笑うが、去年のレスを言うと臍が笑うよw。

つまり自分の発言には責任が持てないということですね?
相手に対して馬鹿と悪口を言ってもその発言責任をとらない。
しかもその言い訳に道元まで使うあつかましさ!
私は親に一度書いたものは消えないのだから滅多なことを書くものではないと
教えられた。
あなたのような無責任男を見ていると桐山さんを思い出す。
本当にそっくりですね。おそらく偽ビールその他の罪で逮捕された時も取り調べ、
裁判あなたのような調子だったのだろうと想像がつき参考になります。

423無関係な人間です:2010/03/11(木) 22:36:55 ID:/pkTDi1Q0
天照様、お返事が遅れてすみませんでした。また、山段氏の本に関して
 画像を送らずに申し訳ありませんでした
 
「黒幕と言われた男」で、他に阿含宗に言及してある部分は以下の通りです。

 京都市役所の幹部だった某氏(本では実名で紹介)が、市役所を退職後に
阿含宗へ再就職しているが、この斡旋をしたのは山段氏である。(181ページ)

 (株)藤田工務(現在は倒産)が阿含宗関係の工事に参入できるよう斡旋をしたのも
山段氏である。(193ページ)

 なお、准シュダオン様と批判派の方々のやりとりを拝見して、またまた20年前の
思い出がよみがえりました。
 阿含宗をしている友人達と自分との対談は、簡単に言えば、噛み合ないままでした。
阿含宗の素晴らしさ、桐山氏の偉大さを説明する友人達と、それを否定する自分との
対談は、深夜にもおよび、それが何回も続きました。
 最後は彼らは星祭りの炎の写真を持ち出し、「龍神」の形をしている炎の存在こそ、
阿含宗の教義の正しさの証明である(私には単なる偶然だと思えた)であると必死に
説明を始めたのです。この写真をめぐって「龍に似ている」「いや、似ていない」と
またまた延々何時間も論争をしておりました。
 結局、疲労困憊をして結論がでないまま終りました。

で、数日後に共通の友人から「彼らが君の事を頑固だ、柔軟性がない、知性に問題が
ある、と心配をしていたよ。」と聞かされると、さらに疲れがでました。

 どうか、皆様、お疲れが出ないように気をつけて下さい。

424ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 22:38:52 ID:SmEF4Oe2O
>>404:準シュダオン10/03/11(木) 15:29:59 ID:agsP6ENM0
>過去レスに拘るのは愚か者ですw。変わらないのは真実だけです。
>来年のことを言うと鬼が笑うが、去年のレスを言うと臍が笑うよw。

では、「変わる」とは何なのだ?
真理ではなくあなたの意見がコロコロ変わるのはよい。
しかしあなたが深山さんに指摘されたのは思念による相承を受けたことは
これまで書いたこともなく、今回初めて信徒の為を思って出したという嘘です。
つまり過去に書いていた。その「事実」を指摘したわけです。
あなたの考えが変わっても過去の事実は、あなたの言う真理と同じように変わらない
のです。

425ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 22:57:28 ID:SmEF4Oe2O
>>404:準シュダオン10/03/11(木) 15:29:59 ID:agsP6ENM0
>いくら本を読んで、知識を集めても、須陀m9にはなれません。
>それと、学者先生方は、アビダルマ論師の説をそのまま書いたりしてます
>から、中には妥当でない記述もあります。それらを鵜呑みにするのでは
>なくて、取捨選択する智慧が必要です。

あなたをはじめアゴン宗の信者は桐山さんの悪影響で智慧を特別神秘な力などと
捉えてますが、こういう捉え方では真理を見抜けません。
智慧とは文字通り知識も含めて知ることです。知って悟るのです。悟って努力する。
猿がバナナを掴んで離さないから仕掛けから抜けられない。
バナナを離せば解放されることを知れば悟ればよいのです。
また逆にバナナに手が届かない時は踏み台を使えば捕れることを知り悟るのです。
だからこれはペテン大作さんも勘違いしてるのだが、神通力を得ても神通力を
使って解脱するのではない。
解脱を得た人が神通力を使って観察をしてわかるものもあるのです。
例えば他心通。人の心が読み通せる。この神通力で得られるものは知ることです。
多くの衆生の煩悩を他心通で観察する。また宿明智で前世からの自他を観察する。
そして煩悩が輪廻を作り出していることを「知る」のです。
知ることにおいて本を読んで知識を獲得することと基本は変わらない。
桐山さんの言うように「他人を動かす」五大超能力ではないのです。
他人は動かせない。自分が知って悟って態度を決めるのです。

>例えば、テーラワーダの、気づきの瞑想法は釈迦の時代から連綿と続いて
>きたものだ、という主張があります。そうかも知れない、が、変えられてる
>部分もあると私は思うし、気づきの瞑想法だけでは不十分だと思う。

気付きは瞑想のお時間という場だけではありません。
瞑想もあるが日常生活全てが観察気付きの対象なんです。
それがテーラワーダ含めた釈尊の仏教の実践であることをあなたは知らないのです。
今さら道元を出すまでもないのです。

426ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 22:59:46 ID:SmEF4Oe2O
ましてや空を飛んだり分身したり壁をすり抜ける神通力を得ても解脱の役に立つ
わけでもない。

427ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 23:06:22 ID:SmEF4Oe2O
>>405:準シュダオン10/03/11(木) 15:37:05 ID:agsP6ENM0
>「仏陀の真実の教えを説く」という本に、「阿含宗には相当数の須陀m9が
>誕生しています」と、書いてるだろうがw。ちゃんと聖者入りを認定して
>るではないか!
ラシンくんは、どこに目を付けているの?

あの著書の発言は昭和50年代後半です。
大本の法話が実際に行われたのがその頃なんです。
その記録が後にダルマチャクラに編集され、「社会科学としての阿含仏教」になり
「仏陀の真実の教えを説く」になったわけです。
その頃のリップサービスなんです。
輩出しているとだけ書いてその実誰も特定せず認めない。
あなたのような恥知らずでない真面目な信者はあなたの何倍も努力していながら
まだシュダオンではないと思うのです。
あの発言を聞いて「ああ、俺がシュダオンか?」なんて認識する恥知らずは
そういないのです。
桐山さんもそこを承知で書いている。

428ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/11(木) 23:44:14 ID:SmEF4Oe2O
>>408:準シュダオン10/03/11(木) 16:04:42 ID:agsP6ENM0
>三供養品の三善根、「仏法僧にて、功徳の種をうえる」修行で、思念(王者)
>の相承を受けることが可能だ、と管長は本に書いています。

そのマスオ説がどうしたと言うのだ?
そもそも思念による王者の相承なんて認めてない阿含経の世界に勝手に阿含経を
持ち込むのがおかしな頭の持ち主のすることなんです。

>でも、この場合の三善根を、無貪、無恚、無癡、と解釈してはいけないね。
>この場合の三善根は、功徳の種をうえる、という善根ですからね。

>無貪、無恚、無癡と解釈する場合には、
>例えば、衆集経の場合には、「復有三法 謂三善根 一者不貪、二者不恚」
>いわゆる三善根という言葉と、無貪瞋癡の説明が入っています。
>十上経でも、「・・謂三善根、無貪善根 無恚善根・・」というように、
>説明が入っています。
>三取聚でも、「謂三善根、無貪善根、・・略」と、いうように、
>無貪、無瞋、無痴、を意味する場合には、謂三善根という語と、その内容が
>説明されています。
>だから、三供養品の三善根の場合は、無貪瞋痴の意味と解釈してはいけない
>のです。頑なに、無貪瞋痴、とだけ解釈するのを我見というのです。

寧ろ逆ですね。これだけ三善根という言葉を他の経典で解説しているのですから
全く同じ単語である三善根を出したならば、これは以前に出した無貪、無瞋、無癡
とは別なんだよと明記しないと混同されます。
あるいはこの経典の方が先に説かれたならば、前に説いた御利益もらえる供養の
三善根とは全く違うのじゃぞよと、断り書きをしなければならないではないか?
ならば最初から単語は別にして三福道にすべきでないか?

429孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/12(金) 02:18:24 ID:XUfb/HH.0
>>385 ボンギョーが大嫌いなものからしたらW田だろうがゲーカだろうが信者はボンギョーさせられるということでもう同じなのですが、
ゲーカ出席のもと部下にあたるW田さんの勢力にどう対処する?みたいな会議って異常だと思う。だって管長といえば絶対的な立場であり部下でエラそうなのは叱ればいいと普通思うし。
今はゲーカってもうろくして実権持ってない名前だけの管長なんだ。

準シュダオンさん案の定、都合が悪いレスは皆スルーしちゃった。
さしさわりのないところだけ答えたり、話題を変えて誤魔化したりで男らしくない。

430準シュダオン:2010/03/12(金) 11:43:58 ID:agsP6ENM0
基本だから、もう少し三善根を追及してみよう。
貪・瞋・癡、が薄れたら、斯陀含という聖者です。
だから、無貪・無瞋・無癡が実践できたら、もう阿那含か阿羅漢です。
つまり、無貪・無瞋・無癡というのは、「因」「果」でいうと、
修行(因)の結果、得られる「果」なのです。
つまり、無貪瞋癡は、修行目標といっていい。
では、その手段は?
それが、「仏法僧にて、功徳の種をうえる」ということなのです。

具体的には、無貪を達成するために、施行をするのです。
      無瞋を達成するために、平等行をする、自己中心の考えを捨てる
      行です。するとだんだんに瞋恚が薄れます。
      無癡を達成するためには、道理を思惟する習慣を持つことです。
      つまり、衆集経にいう三福業の実践です。
それが、「三供養品・三善根」の要諦です。
この経には、無貪・無瞋・無癡の言葉が一つも出ていない。

もしこの経が、ユビキタスさんなどが言うような意味ならば、
釈迦は、「仏法僧において、無貪瞋癡を実践せよ」と、説くはずです。
そうすれば管長や、私のような解釈は出て来ない。
つまり、この経の批判派の解釈は誤りでしょうね。

431ラシン:2010/03/12(金) 11:53:48 ID:XYs6itx.0
>準シュダオンさん案の定、都合が悪いレスは皆スルーしちゃった。
さしさわりのないところだけ答えたり、話題を変えて誤魔化したりで男らしくない。

完全に見透かされていますね。
しかし準シュダオンさんに道理や潔さを求めるのは、
絶対無理と批判側全員が、感じるところでしょう。
昔の自己発言は捨てたから、今の自分を見ろなんて、
お子様の思考形態で呆れるだけです。
これで思い出すのは、法華経の正直捨方便という
阿含経の思想をいったん捨てろという思想です。
桐山さんも六年学んだ法華経が来世成仏だから去った、
と述べていても、その形態は法華経そのものに見える。
準シュダオンさんも法華行者が似合いそうです。

432準シュダオン:2010/03/12(金) 12:05:48 ID:agsP6ENM0
三昧耶戒と四弘誓願を持つならば、護摩木祈願で、煩悩を煽られるような
事態にはならないことが、わかるでしょう?
四弘誓願は、しこうせいがん、と読みたくなるが、「しぐせいがん」と
ルビを振るようです。「ずいめん」煩悩みたいに、不思議な発音です。

ついでに言うと、道元は中国に渡り、老僧の典座から、
「日常生活すべてが修行なのだ」と、言われて大悟したという。
それまでの道元は、座禅したり経を読むことを修行と、思っていたという。
典座とは、食事係のことで、「てんざ」ではなくて、「てんぞ」と発音しま
すね、これも不思議な発音ですね。

本の知識をいくら集めても、智慧にはならないし、須陀?にもなれませんよ。
この道理がわからないと、ユビキタスさんは、いくら知識を集めても、
修行は進めません。現にユビキタスさんは、大量の知識を集めている。
記憶力も良いようだ。しかし、肝心なところをユビさんが間違えていること
が、私にはわかるね。物忘れが激しい私の方が、今のところ仏法を理解して
いる。

つまり、これが管長がいう「脳の引き出しが違う」という意味だね。
新皮質脳では、仏法を感じることは出来ないのです。知識を集めても智慧に
はならない、という道理です。
だからそれが、記憶力の良い多聞第一の阿難が、悟るのが遅れた理由ですね。

433ラシン:2010/03/12(金) 12:09:09 ID:XYs6itx.0
>430 :準シュダオン:2010/03/12(金) 11:43:58 ID:agsP6ENM0
基本だから、もう少し三善根を追及してみよう。

あなたの無駄話は結構、白隠禅師の施行歌でも噛み締めて、
アゴン宗への布施に邁進しなさい。

今生富貴する人は 前世に蒔きおく種がある
今生施しせぬ人は 未来はきわめて貧なるぞ

利口で富貴がなるならば 鈍なる人はみな貧か
利口で貧乏するを見よ

この世は前世の種しだい 未来はこの世の種しだい
富貴に大小ある事は 蒔く種大小あるゆえぞ

この世はわずかの物なれば よい種えらんで蒔きたまえ
種を惜しみて植えざれば 穀物取りたるためしなし

田畑に麦稗蒔かずして 麦ひえ取りたるためしなし
むぎひえ一升蒔きおけば 五升や一斗はみのるぞや

しかれば少しの施しも 果報は倍々あるものぞ
いわんや施し多ければ 果報も多しとはかりしれ

それゆえ釈迦も観音も 施しせよとすすめたり
さすれば乞食非人まで 救うこころをおこすべし

おのおの富貴で持つ宝 有れば有るほど足らぬもの
おおくの宝をゆずるとも 持つ子が持たねば持たぬもの

少しも田畑ゆずらねど 持つ子はあっぱれ持つものぞ
我が子の繁昌祈るなら 人を倒さず施行せよ

人を倒して持つ宝 我が子にゆずりてあだとなる
人の恨みのかかるもの ゆずる我が子は沈みきる

升や秤や算盤や 筆の非道をしたまうな
常々商いする人も あまり非道な利をとるな

死んで三途に入ることぞ
その身は三途に落ち入って 屋敷は草木が生いしげる

非道は子孫の害となる 親の悪事が身にむくう
世間に数々ある物ぞ

一門繁昌することは 親が悪事をせぬゆえぞ
もしまた親にはなれなば ますます重恩思いしれ

子を慈しむ親ごころ 荒い風をも厭いしぞ
それ程親に思われて 親を思わぬおろかさよ

おやに不孝な人々は 鳶や烏に劣りたり
むすめ息子をしつけるに 惜しむ宝はなきものぞ

親の後生の為ならば その金出して施行せよ
飢え死ぬ人を助けなば これに勝れる善事なし

たとい満貫長者でも 死んで身につく物はなし
妻も子供も銭金も 捨てて冥土の旅立ちぞ

冥土の旅立ちする時は 耳も聞こえず目も見えず
行方しらずに門を出で 暗き闇路に入る事ぞ

そのとき後悔限りなし とかく命のあるかぎり
菩提の種を植えたまえ

命はもろきものなれば 露の命と名付けたり
今宵頭痛がし始めて ついに死病となるもあり

強い自慢をする人も 暮れに頓死をするもあり
今日は他人を葬礼し 明日はわが身の葬礼ぞ

しかれば頼みなき娑婆に 金銀たくわえ何にする
富貴さいわいある人は 貧者に施しせらるべし

貧者に施しせぬ人は 富貴でくらすかいもなし
犬でも口はすぐるぞや 飢え人貧者を助くべし

慈悲善根はそのままに 家繁栄のご祈祷ぞ
慈悲善根する人は 神や仏に守られて

天魔外道は寄りつかず 然れば祈祷になるまいか
よくよく了簡せらるべし

恵み施しならぬとは あんまり胴欲目にあまる
飢え死ぬ貧者を見ぬふりに 暮らす心は鬼神か

慈悲善根のなき人は 子孫はんじょう長からじ
宝は余りはなき物ぞ 施行で借銭し始めよ

それこそまことの信心よ
上なる人をはじめとし 頭立ちたる人々は

我も我もと共々に 厚く施行に身を入れよ
貧者の命救うなら 広大無辺の善事なり

平生貧者に敬われ 身につく果報あるまいか
人の食いもの捨つるのを 好んで拾うて食うものは

前世に蒔く種たらぬゆえ 是非なく袖乞いする事ぞ
かかる有りさま見ながらも おのおの仁心起こらぬか

とにも角にも人として 信心なければ人でなし
この節信心起こらねば まったく牛馬にことならず

434準シュダオン:2010/03/12(金) 12:15:09 ID:agsP6ENM0
昨日、ラシンさんの
「聖者を認めると布施が減る」とのレスを読んで、微笑んでしまったのだw。

施行とは、聖者になっても続く修行なのだよ。
釈迦は、「如来は六法において飽くことなし」と、説いています。
そして、六法の一つが施行ですね。
慈心において無量の如来は、衆生に対する「施」においても無量なのです。

たぶん、ラシンさんは、聖者になれば、信者の布施だけで生活出来て、
楽なもんだ、と考えていたのでしょうw。
聖者になっても、施行は続く、と聞いて、アテがはずれたろうw。

435ラシン:2010/03/12(金) 12:45:22 ID:XYs6itx.0
>たぶん、ラシンさんは、聖者になれば、信者の布施だけで生活出来て、
楽なもんだ、と考えていたのでしょうw。
聖者になっても、施行は続く、と聞いて、アテがはずれたろうw。

バレましたか? そうなんです聖者になれば楽できると、
桐山さんをそう考えてたが、今2chにも書き込みましたが、
聖者になっても、施行は続くんですね〜、いやぁ〜、辛い辛い。
せっかく信者から脅し取っても、教団維持のため経費がいる?
な〜んて、露ほども知らんかったッス。

436ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/12(金) 13:18:21 ID:SmEF4Oe2O
>>434:準シュダオン10/03/12(金) 12:15:09 ID:agsP6ENM0
>施行とは、聖者になっても続く修行なのだよ。
>釈迦は、「如来は六法において飽くことなし」と、説いています。
>そして、六法の一つが施行ですね。
>慈心において無量の如来は、衆生に対する「施」においても無量なのです。

おい?ちょっと待て。
六法に施行なんてあるか?
六法とは比丘などになる手前の七衆の式叉摩耶の実践する戒律で、
染心相触、盗人四銭、断畜生命、小妄語、非時食、飲酒の6つです。
布施などはない。
大乗の菩薩の実践行たる六波羅蜜(六度)と勘違いしてない?
それから引用の経典名を示して。

437ラシン:2010/03/12(金) 13:25:57 ID:XYs6itx.0
>434

施行って大乗の六波羅蜜を出してどうするの?
阿含経に、聖者の施行なんてあるのかい?
なんでも混ぜこぜするお方だ、だからごった煮思考
となる。
また、ユビさんの指摘するとおり六法とは、染心相触、盗人四銭、
断畜生命、小妄語、非時食、飲酒の六つのことではないのか?
これって六種の戒ではないのか、戒を修するを六法という。
飽くとは、もう沢山の意で飽くことなしとは、もう沢山だとするな、
満足満喫するな、という意味ですよ。
だから、如来ともなれば六戒で由と満足してはいけない、
との意味ではありませんか。
大乗仏教を半端読みして主張しないで欲しいね。

438ラシン:2010/03/12(金) 13:49:37 ID:XYs6itx.0
>>434準シュダオン
そして、六法の一つが施行ですね。

>436 :ユビキタス
おい?ちょっと待て。
六法に施行なんてあるか?

時間があるので、ユビさんの推察通り六法と両者比較をしてみるか。

菩薩の基本的な実践徳目として六波羅蜜がある。
1布施波羅蜜 2持戒波羅蜜 3忍辱波羅蜜 4精進波羅蜜
5禅定波羅蜜 6智慧波羅蜜

六法とは、七衆の式叉摩耶の実践する戒律です。
1染心相触 2盗人四銭 3断畜生命 4小妄語 5非時食 6飲酒

どうやら準シュダオンさんは、ユビさん指摘に適うようなマチガイ?
いや勘違い? 否、早とちり? またまた混濁?

439準シュダオン:2010/03/12(金) 14:48:38 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんともあろうものが、「如来の六法」を忘れているのかい?
あれだよ、アヌルッダの縫い針に、釈迦が糸を通してあげたとき、
説いたお話。
「如来は、六法において飽くことなし」と、説いた。
その一つが、「施」でしょ。
二つ目が、 「法を説くこと」でしょ。
 だから、釈迦は法を説くために、あちこち歩き回ったわけだ。
三つ目が、より上の法を求めることでしょ。

 あとは忘れたから、誰か経典をあたって教えてください。
 確か、「衆生を愛護すること」ということも入ってたね。

440準シュダオン:2010/03/12(金) 15:05:03 ID:agsP6ENM0
過去レスに拘るのは、愚かなことです。
例えば、ユビキタスさんの擁護時代のレスを取り上げて、批判したとて、
しょうもないことです。愚かしい。
だから、私は、そういうことはしたことないし、考えもしない。

しかもだ、別人が、同一ハンドル名でレスする可能性を考えず、全部わたしの
レスだと断定して、批判している愚かな人もいる。笑うしかないだろ?
思わず、昨年のレスをみると、「臍が笑う」とレスしてしまったw。
「へそが茶を沸かす」と、レスすべきであったね。

へそで茶を沸かせるぐらい、臍が熱でるように可笑しい、という意味らしいね。
もともとは、へそが笑うではなくて、へそを笑うことらしい。
言いたいことは、無常を学ぶ者は、あまり過去のことに拘るんじゃない、
ということ。
それで修行程度がわかるよ。

441天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/12(金) 16:28:19 ID:vU8./bzY0
@chs−1にも出したが、こっちにもd

http://wadaokiru.com/home/

私は疎いので良く分からないが、詳しい人には良い資料なのかもしれない。
箸やすめに、ドゾー。

442ラシン:2010/03/12(金) 16:32:48 ID:XYs6itx.0
>439 :準シュダオン:2010/03/12(金) 14:48:38 ID:agsP6ENM0

暇な一日で一応ネットで当たってみましたが、アヌルッダの逸話で
施行に関するものは確認できませんでした。
六敬法はあったが、布施されたものを平等に分ける話しで、
修行僧の施行はありませんでした。
しかし、ウル覚えで強弁していたとは、さすがですね。

>440 :準シュダオン:2010/03/12(金) 15:05:03 ID:agsP6ENM0
過去レスに拘るのは、愚かなことです。
例えば、ユビキタスさんの擁護時代のレスを取り上げて、批判したとて、
しょうもないことです。愚かしい。

準シュダオンさんは、ユビキタスさんのその当時の掲示を読んだ?
読んでもいないで言わないほうが良い。
ユビさんは、あなたのような闇雲な上位目線で掲示していません。
批判側に根拠を問われ、必死に自問自答し結論を探していたのです。
そして何よりアゴン教説の間違いを認め、批判に転じたのだから、
あなたのようなゴマカシをしないで、潔くケリをつけている。
その差をキチンと確認することです。
また、>同一ハンドル名でレスする可能性を考えず< と言うなら、
あなたの行歴とアゴン宗の名に懸けて明解に違うと否定したらどうか?
ノラリクラリと曖昧且つ婉曲に違う可能性ばかりをチラツカせるのは、
あなたの心底に良心が残っているからだ。
あえてウソを明白につくなど、さすがに修行者として憚るのではないのかな。
あなたの言行の変遷を無常観で逃げる?
知恵が無いね。

443ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/12(金) 16:54:28 ID:SmEF4Oe2O
ラシンさん。ありましたよ。

http://www.geocities.co.jp/Milkyway/4017/ikikata/v4-buddha/anaritu.html

盲目になってしまったアヌルッダが「誰か私に親切の施しをしてはくれぬか?」
と針に糸を通してもらおうと仲間に声をかけたら、釈尊が「私もまだまだ親切の
施しの功徳を積みたいのだよ」と言って自ら申し出た美しい話です。
これを見返りを求める布施の話ととったのが準シュダオンさんです。

444ラシン:2010/03/12(金) 17:16:08 ID:XYs6itx.0
サンクス、ユビさん。
一応コピペ貼りします、さあ〜解釈は?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アヌルッダよ。仏陀であっても、なお求めるものがある。
最高の仏陀であっても、これで満足としてはならないものが六つある。
釈尊はアヌルッダに教えられる。
まず第一が、"施(せ)"。人に施しをするのに、これで充分ということはない。
第二に"教誡(きょうかい)"。弟子の指導に、ここまでで十分というところはない。
第三に"忍"。じっと耐え忍ぶことに限界はない。
第四は"説法"。信者に法(真理)を説くのに、これだけ説けばもういい、という限界がない。
第五は"衆生の愛護"。これにも限りがない。
そして最後に、"無上正真の法を求めること"。仏道は無窮であって、
仏陀はいつまでも最高の真理を求めつづけているのだ。
だからね、アヌルッダよ、仏陀はいつでも幸福を求めているのだよ。
仏陀はいつでも精進をつづけているのだよ。もうこれでよいという限界はない。
つねに前進をつづけるのが、仏教者なんだよ・・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>443 釈尊が「私もまだまだ親切の施しの功徳を積みたいのだよ」
と言って自ら申し出た美しい話です。

了解しました、言葉も使いようであり、文の前後で意味も違うものとなる。
準シュダオンさんの我田引水でしたね。
でも、仏陀が求める幸福という表現をこれまた誤解しそうな準シュダオンさんが見える。
こりゃ、天耳痛、他心痛 かな?

445ラシン:2010/03/12(金) 17:44:51 ID:XYs6itx.0
>私は疎いので良く分からないが、詳しい人には良い資料なのかもしれない。
箸やすめに、ドゾー。

天照さん
2chにも貼られていたので確認しました。
疑惑のデパートのようで生々しい。
以前に私も、帳簿経理の閲覧権を行使して
バランスシートを検分すれば、譲渡贈与などの脱税の
疑惑可能性を見出せると以前に掲示しております。
法人格ならその代表者たる自社への違背つまり背任の
可能性も、その線上にあると思います。
貸借対照表、損益計算書とCF計算書のいわゆる財務三表を
入手できれば、その道のプロなら糾弾可能と思いますね。
米国内法によりますが、単純に詐欺性を立証するのは難儀です。
横領は当然偽装されますから、そこに必ず会計的矛盾が生じます。
教団なら悪事に係わることは足跡のつかない現金のやり取りですが、
今回は海外送金の原資があるのだから、まずそこからスタートでしょう。

446うサギ:2010/03/12(金) 17:57:10 ID:UtKVqJLA0
>>440しかもだ、別人が、同一ハンドル名でレスする可能性を考えず、全部わたしの
レスだと断定して、批判している愚かな人もいる。笑うしかないだろ?


その「別人レス」は具体的にどれですか?
実際にそういうことが本当にあったのですか?
それとも、あったかのように書いて
責任逃れをしようとしているだけですか?

447ラシン:2010/03/12(金) 18:08:35 ID:XYs6itx.0
>446うサギさん、もう彼は自爆吐露 ↓ しちゃっております。

「言いたいことは、無常を学ぶ者は、あまり過去のことに拘るんじゃない、」

散々否定しながらも、過去を根掘り葉掘り蒸返すなということですから、
その過去を認めたようなもので、実は準シュダオンさんはツイツイ正直が、
出てしまうのです。
桐山さんと同じで、尻尾を出していることに気づかない。

448ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/12(金) 20:09:26 ID:SmEF4Oe2O
>>430:準シュダオン10/03/12(金) 11:43:58 ID:agsP6ENM0
>だから、無貪・無瞋・無癡が実践できたら、もう阿那含か阿羅漢です。
>つまり、無貪・無瞋・無癡というのは、「因」「果」でいうと、
>修行(因)の結果、得られる「果」なのです。
>つまり、無貪瞋癡は、修行目標といっていい。

「善根を種える」と原文にあるでしょ?
種えるは「種をうえる」ことです。
つまり善根の種をうえるのです。
三善根(無貪・無瞋・無癡)の種をうえるのです。
つまり目標であると同時に実践手段なのです。
だってそうではないか?
「むさぼりに囚われた人生・・・うんざりとするほど苦しいですね。わかりますよ。
そしてそのむさぼりから離れた境地が無貪ですね?わかりますよ。憧れます。
して無貪の境地を得るにはどうしたらよいでしょう?」
「むさぼらないことだ。無貪を実践するのだ」
「へ?じゃあ無瞋なんかどうでしょう?怒りにまみれた自分なんてなんて苦しい
ことか?わかりますよ。怒りを離れた無瞋がどれだけ素晴らしい境地か憧れます。
して、どうしたら無瞋の境地を得られましょう?」
「怒らないことだ。無瞋を実践することだ」
「へ?」
(このあと若林から春日に突っ込んでやってください)
そうではないか?むさぼりやいかりを離れた境地を得るのに、歯を磨き、お風呂に入って、
マッサージを受けてツボを刺激して・・とか、そんなピンボケな話ではなかろう?
だから

>では、その手段は?
>それが、「仏法僧にて、功徳の種をうえる」ということなのです。

これって、その功徳の種が教団への供養をさすのならば、すんごいピンボケなんですよ。
なんで供養するとむさぼりやいかりがなくなるのさ?
「仏さん。こんにちは。供養しま〜す」
「へい、まいどあり」
「ん?ん?んんんんん!おおぉぉ!むさぼりが減ってきたわい」
「法さん。こんにちは。供養しま〜す」
「ほう?まいどあり」
「ん?ん?んんんんん!おおぉぉ!いかりがなくなってきたわい」
「僧さん。こんにちは。供養しま〜す」「そう?まいどあり」
「ん?ん?んんんんん!おおぉぉ。おろかな頭がよくなったわい」

んなアホなことを経典は説くのか?

449ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/12(金) 20:48:22 ID:SmEF4Oe2O
>>430:準シュダオン10/03/12(金) 11:43:58 ID:agsP6ENM0
>>具体的には、無貪を達成するために、施行をするのです。
>      無瞋を達成するために、平等行をする、自己中心の考えを捨てる
>      行です。するとだんだんに瞋恚が薄れます。
>      無癡を達成するためには、道理を思惟する習慣を持つことです。
>      つまり、衆集経にいう三福業の実践です。
>それが、「三供養品・三善根」の要諦です。

その通りです。その衆集経に説く三福業の内容と三善根は言いたいことが結局は
共通しており似ています。
しかし桐山さんはかつて人間改造の原理では施戒修の三福業を出したが、
三福業ならぬ三福道を説く時に施の概念は出しても、平等慈悲
だの観察思惟なんて出したこともない。
貪瞋癡の煩悩をなくすことが目的であり実践そのものなんて示したことがない。
それから後で解説するが施行の意義、捉え方も違う。桐山施っせは白隠の施行歌
とすら異なります。

>この経には、無貪・無瞋・無癡の言葉が一つも出ていない。
>もしこの経が、ユビキタスさんなどが言うような意味ならば、
>釈迦は、「仏法僧において、無貪瞋癡を実践せよ」と、説くはずです。

だから無貪瞋癡と説明しなくても三善根ありと最初に断り書きをしておけば
それは無貪・無瞋・無癡であることは説法済みの約束事なんだから、善根を種える
だけで話は通じます。仏法僧の三宝において無貪無瞋無癡を実践し獲得するのです。

450ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/12(金) 21:13:08 ID:SmEF4Oe2O
>>432:準シュダオン10/03/12(金) 12:05:48 ID:agsP6ENM0
>三昧耶戒と四弘誓願を持つならば、護摩木祈願で、煩悩を煽られるような
>事態にはならないことが、わかるでしょう?

密教では護摩を認める言い訳の屁理屈に「護摩木を煩悩に見立て、智火でこれを
焼き尽くす」と観念するという。
そんなおままごとみたいなことを大仰にやったところで自分の内なる煩悩は
なくなりません。これも観念宗と揶揄、批判される所以です。
しかしここは百歩譲って密教の屁理屈は理屈だけでも認めてやっても、護摩祈願は
おかしい。どうして現世利益の祈願をついでにやっちゃうのか?
護摩木なんて煩悩に見立てた道具に過ぎないのだから、祈願など添える必要が
ないではないか?
仮に祈願を添えてみるならば、これこそがサヨナラすべき煩悩祈願です。
煩悩のあらん限りを護摩木に書き殴り、結局これを燃やして煩悩よサラバという
お芝居です。だから当然祈願の内容なんて間違っても叶ってはならない。
つまり三昧耶戒だろうが四弘誓願だろうがせっかく立派なスローガンを掲げても
祈願なんてしたら台無しなんです。
だから祈願することをやめることから始めるのが三昧耶戒や四弘誓願につながる
ではないか?
やらなくてよいことはやらなくてよい。
ましてやあなたのように我利我利祈願でもよいなんて理屈はどこからも出てこない。
少しでも我利祈願的な自分をなくし抑制するところから始めるのが筋でしょうが。

451ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/12(金) 21:54:47 ID:SmEF4Oe2O
>>432:準シュダオン10/03/12(金) 12:05:48 ID:agsP6ENM0
>本の知識をいくら集めても、智慧にはならないし、須陀m9にもなれませんよ。
>この道理がわからないと、ユビキタスさんは、いくら知識を集めても、
>修行は進めません。現にユビキタスさんは、大量の知識を集めている。
>記憶力も良いようだ。しかし、肝心なところをユビさんが間違えていること
>が、私にはわかるね。物忘れが激しい私の方が、今のところ仏法を理解して
>いる。

実践の伴わない本の知識だけの頭でっかち(ズバリあんたのことですがな)では
いかんのだが、しかし知識を馬鹿にしてはいかんのです。
物事はまず頭で正しく理解することから始まるのです。
修道の前に見道があるでしょ?
道理を正しく理解する。まずは知識としてでも。
その道理が正しく理解できた者が三結断ったシュダオンなのです。
預流だの預流向だのはこのような理知的な間違いを改めた知識メインの人です。
だからまだ感情面の怒りなどは十分に断てていないわけです。
正しく理解することが一番大切なんですよ。
その為にはあなたのように自分が書いたことも忘れたり、他人の話を読んで
理解できない、桐山教学さえ正しく理解していないなんて頭では駄目なんです。
頭の問題だけではない。基本的な態度の問題もある。
それは高齢ゆえの衰えだけではありません。
間違いなくあなたは若い時から万事仕事がずさんなんです。
だからアヌルッダの話も正しく引用できない。アヌルッダの名前すら最初から
示すことすらできない。
だから私はあなたの若い頃の予知体験を単なるずさんな情報管理で片付ける
ことも可能だとしたのです。

452ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/12(金) 22:30:26 ID:SmEF4Oe2O
>>439:準シュダオン10/03/12(金) 14:48:38 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんともあろうものが、「如来の六法」を忘れているのかい?
>あれだよ、アヌルッダの縫い針に、釈迦が糸を通してあげたとき、
>説いたお話。
>「如来は、六法において飽くことなし」と、説いた。
>その一つが、「施」でしょ。

最初からせめてアヌルッダの名前くらい出したらどうか?
だからあなたは独りよがりで仲間さえもいないのです。
あなたの示した考え、内容が仮に批判側も凌駕する素晴らしい内容であってさえ
こんな提示では誰の理解も共感も得られない。
若い時からの癖で仕事がずさんなのです。
アヌルッダの名前を出すだけでなく、盲目のアヌルッダが針に糸を通すのを
釈尊が私にも手伝わせて幸福にさせてくれと言った事実を解説することくらい
簡単です。
さて、あなたは釈尊が如来でさえも飽くことなく限りなく実践して幸福を得る
努力をせよと説いたのを読んで、これが布施により御利益を無尽に追い求める
ことを奨励したと思うか?
それはあまりに仏教無知で仏教の幸福を理解していない。
仏教の幸福とは心が清らかに平安になることです。
むさぼりなどの煩悩がなくなることです。
見返りを求めない施しをする。純粋なる親切な心です。
電車でお年寄りや身体の不自由な人に席を譲る時、何か見返りを求めているか?
アヌルッダが針に糸を通してもらうように仲間に懇願した。
師の釈尊自らが買って出た。アヌルッダは如来様のなさることではありませんと
尻込みした。如来の 釈尊は反論した。他人に親切をすることにおいて限度やし過ぎが
あろうか?いくらしてもこれでおしまいなんてものはない。たしかに私は如来である。
しかし私が如来だろうが関係ないではないか?私は他人に親切にすることが好きなのだ。
そのような施しをすること自体私の喜びであり幸福なんだ。
これです。この気持ちが三福業でも説いている無貪を得る無貪の布施です。
施す相手から見返りをもらうのではない。
見返りを求める貪りが一切なくただただ純粋に他人に親切にしたいだけの施し。
それから白隠の施行歌の施行でさえも桐山施行と違いますよ。
白隠は困った人、貧しい人の為に施しをしなさい。世の中に還元お返しをしなさい
と説いている。原の 松陰寺に布施しなさいなんて説いていない。
桐山三福道商売と根本的に違うのです。

453ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/12(金) 22:42:45 ID:SmEF4Oe2O
>>440:準シュダオン10/03/12(金) 15:05:03 ID:agsP6ENM0
>過去レスに拘るのは、愚かなことです。
>例えば、ユビキタスさんの擁護時代のレスを取り上げて、批判したとて、
>しょうもないことです。愚かしい。
>だから、私は、そういうことはしたことないし、考えもしない。
>しかもだ、別人が、同一ハンドル名でレスする可能性を考えず、全部わたしの
>レスだと断定して、批判している愚かな人もいる。笑うしかないだろ?

うサギさんやラシンさんならずともギャラリー全員があなたの尻尾をつかんで
笑っています。
別人の可能性などと一般論で煙に巻く以前に自分で最初から「私はその5年前の
眠りブッダとやらと別人物であり私は知らないとはっきり否定表明するのが
当たり前です。当然の権利というだけでなく社会人の義務です。
警察に訊問を受けて自分ではないと思ったら否認するのが義務であり、否認さえ
しなかったら犯人と疑われて何の反論の資格もない。
否認せずにあなたは人の考えは変わる、私の考えも変わるなどと一般論で煙に巻いた
ことは、自分が眠りブッダであったことを認めたも同然なんです、とあからさまに
言うと面白くないなあw
今からではもう遅いよ。

454孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/13(土) 00:46:41 ID:XUfb/HH.0
>>431 >しかし準シュダオンさんに道理や潔さを求めるのは、絶対無理と批判側全員が、感じるところでしょう。
昔の自己発言は捨てたから、今の自分を見ろなんて、お子様の思考形態で呆れるだけです。

やっぱ無理すかw あははw
>>365には全く答えてないし、>>432>>329と同じこと繰り返してるだけだし。

自分が擁護派なら365に対し、"真言宗は観念宗だからそのとおりだがあごん宗は間脳を開発した人が焚く護摩なので
観念が現実化する、護摩は念力のるつぼだ"、みたいなレスしますね。
スルーばかりじゃなくちゃんと対話するのが礼儀です。
この準シュダオンさんは365に答えられないくらいあごんの護摩の効果など信じていないし感じてもいないんでしょうか・・

455ラシン:2010/03/13(土) 00:54:28 ID:OOnVISUQ0
>>448>>452ユビキタス

ユビさんの的を得た解説とオチャラ突っ込みに、はからずも笑いすぎまスた。
釈尊の思想を正しく理解している信根では、ジョークでもおもわず、
パン と膝を打つ名論となるではないか。
三善根と桐山三福道のカラクリ摩り替えは、過去に深山さんユビさんの
反証に負うところが多いから、私でさえもソラで反論した(大丈夫か?)
しかし、
準シュダオンさんのサービス精神には頭が下がります。
叩かれることを分かって、しかもその材料までハチマキで巻いて、
さ〜どうぞと、頭を出すその勇気は、、素ン晴らしい。
ただ残念なのは、もぐら叩きの穴の数は定数だから、
叩かれるために出てくるヘボ頭は、新鮮味に欠けることです。
そのサイクルは、もぐら叩き穴の数量を超えない現実を呈している。
だから次回も期待できないこちらの憂慮感がある。
準シュダオンさんには、次回ぜひ新鮮な珍説をご期待申し上げる次第です。
準シュダオンさんは過去レスを無常と逃げますが、いえいえ、無常ならざる
誤主張の継続には、ある種の畏敬すら感じておりまっス。

さて、HANネを度々変えるこのお方とは、
ある時は桐山説を肯定しある時はコケにする、またある時は阿含経一部改ざん、
してある時はアビダンマの根拠肯定や否定の部派ハの果たしてその正体は、、、
何を隠そう聖偽の使者、大乗上位目線の七つのHANネを持つ人、
その名は、タラレバHAN無い?居場所がナイナイ、という準聖ジャなのじゃ。

*注 映画の多羅尾伴内とは関係ありません

456天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/13(土) 07:44:49 ID:f7iL/PMk0
>>423 無関係な人間さん、返事が遅くなってしまい申し訳ございません。
またも、貴重な情報、ありがとうございます。
本の画像ですが「と有る方」さんが提供してくださいましたので、大丈夫です。
文字だけの提供でも価値が有る内容ですし、私としては大変助かります。
心より御礼申しあげます。

また、423での文中にもありますが、私も過去に霊写真を以ってアゴンの正当性を
主張してたことを思い出しました。霊写真はまたとない布教のアイテムだったのです。

ですが、面白い事実を。
昔・・・そうですねえ。昭和の時期や平成に入って間もないころは良くこの霊写真が
効果を奏したものですが、時期を追うごとに効かなくなっているんです。
たまたまなのでしょうが今の若い人に見せても「何?へびじゃないの?」と竜神さまを
いとも簡単に蛇呼ばわりされたのを良く覚えています。

そして、今からだと3年前ですか。法友が50代末くらいの方に霊写真を見せたら
食いついてきたそうで、先の例と比較すると古い年代の人ほど効果が有るのかなあ?
と思ったりしています。
多数統計を取ったわけでは無いので、天照のたわごと、と思ってくださいw

それにしても、当時一生懸命だったとはいえ、一抹の虚しさがが漂う天照でした。

457天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/13(土) 07:47:45 ID:f7iL/PMk0
おわっと、いけねえ。更新を書くのを忘れていた・・・。

agama考察室を本日更新。
今回は「黒幕と言われた男」のpart2。と有る方さん提供の本の画像です。
このしたらばでの>>423の無関係さんの記事の本の実際画像です。
どうぞ、ご覧ください。

http://agama.zouri.jp/index.htm

458天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/13(土) 08:10:35 ID:f7iL/PMk0
>>441では私はとぼけていたが、本当はあのサイトは結構、暴露には効果が有ると思いますね。

私が先ごろ別院でMさんの旦那さんと幹部とゲイカが会議を云々、といった記事がありましたが、
あの記事が嘘でないこともこれで有る程度の証明できましたね。
ゲイカさえも和田さんを警戒&嫌がっているわけで、それは噂として聞いてましたが、本当だったんだな、
とあのサイトの記事でうかがえます。

今はまだ関西だけの和田支配、で済んでますが、関東にも、いや全国に広まったら今度は桐山教じゃなく
「和田教」になってしまうおそれがありますよ。
ですから、かなり将来を案じて「どのようにしたらいいか」という対策を会議で開くほど、アゴンは
やはり毒されているし、無力化もされている、ともいえます。

まあ、うちらからしたらゲイカも和田さんも同罪なんですけどね。

459準シュダオン:2010/03/13(土) 10:19:26 ID:agsP6ENM0
釈迦がアヌルッダの縫い針に糸を通してあげたのは、施行です。
如来になっても施行は続くのです。
普通の阿含信者は、そんなことを知ってますから、
「聖者を認定すると布施が減る」なんて、トンチンカンな発想はないのです。
へそが茶を沸かすでしょうw?

過去レスに拘る愚か者にしてもそうです。
警察の質問になら、そりゃ、YES、NO、をはっきり答えますよ。
でも、ここの愚か者さんは、警察ではないでしょ?
答える義務はないね。
過去にこだわる愚かさを笑うだけよ。厳密にいうと、今日の私は、昨日の
私とは違うのだ、それが釈迦の無常の教えです。

知識をいくら集めても、シュダオンにはなれません、とはそのことです。
五陰、十二入、十八界は無常なので執着するな!、という知識はあっても、
理解できないから、実行できない。だから過去レスに拘る愚かな我執を
断てないのです。

460準シュダオン:2010/03/13(土) 10:32:14 ID:agsP6ENM0
たぶん、批判派の信者時代は、三昧耶戒も四弘誓願も、自覚してないね。
だから、我利我利祈願の、我欲信仰だったと、推測される。
煩悩を煽られる、という発想が、その証拠なのねw。
そんな信仰態度では、願いが叶うはずもない。

だから、管長も法話で口をすっぱくして「誓願無きは菩薩の魔」と、
言ったし、こちらは耳にタコができた。
しかし、批判派の耳は素通りしてたようだね。
菩薩の誓願と合わせて、自分の祈願を考える修行してたならば、
やがては、貪欲と健全な欲との区別もつけられたであろうにw。

461準シュダオン:2010/03/13(土) 11:08:51 ID:agsP6ENM0
何時であったか、ユビキタスさんが、預流向を聖者とする説、聖者としない説
の両方がある、とかのレスをしてた。
その場合、どちらの説が妥当であろうか?と、自分で判断する知恵が必要
でしょう。私は、勿論、預流向を聖者には含めない。

釈迦の教えに、「便成須陀? 得不退転法 必成至道」が、あったと記憶
している。たぶん、合ってると思う。物忘れが激しくとも、要所要所は、
よく思い出すんだw。準シュダオンを自称する由縁ね。
「須陀?に成ると、不退転法を得て、必ず成仏する」という教えね。
これが預流=聖者の流れに入った者=成仏する流れに入った者、という
意味でしょう。

残念ながら、須陀?向(預流向)は、未だこの流れに入っていない。
三結煩悩も断てていない。明日は仏道を止めて外道になるかも知れない
存在です。当然、聖者には含められないでしょう。
釈迦は、四双八輩を一まとめにして、福田とか、聖弟子衆、と呼ぶことが
ありますが、詳しく見ていくと、上記のような違いがありますね。

462うサギ:2010/03/13(土) 21:05:25 ID:UtKVqJLA0
>>459過去レスに拘る愚か者にしてもそうです。
警察の質問になら、そりゃ、YES、NO、をはっきり答えますよ。
でも、ここの愚か者さんは、警察ではないでしょ?
答える義務はないね。

あなたは、権威や権力にはしっぽを振って、そうではない人には
「答える義務はない」とふんぞりかえるタイプなんですね?


>>461準シュダオンを自称する由縁ね。

あくまでも「自称」であるという自覚はあるのですね。
ところであなたは、正確には自称「準々シュダオン」ですよね?

463孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/14(日) 00:06:16 ID:XUfb/HH.0
準シュダオンさん、ユビキタスさんの>>356に答えてください。
逃げてばかりじゃ擁護になりません。

464ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 00:44:41 ID:SmEF4Oe2O
山形中央は護摩木で祈願すると日大三に勝てるだろうか?
今日は組合せ抽選でアゴン宗どころでなかったな。
誰かさんは煩悩無尽誓願断なんて絶対やりたくないし。

465準シュダオン:2010/03/14(日) 11:12:27 ID:agsP6ENM0
煩悩無尽誓願断を思い出しながら、自分の護摩木祈願を考えて見ることです。
だんだんに、煩悩と健全な欲との区別がついて来ますよ。
欲望は、ただ無くせばいいというもんじゃない。食欲や生存欲まで無くして、
自殺未遂を繰り返すようでは大変です。

扶養親族を抱えてる在家が、商売繁盛なり、仕事順調の祈願をするのは、
当り前のことです。それは健全な欲望であって、煩悩ではない。
どの辺から欲張りの煩悩になるのかは、各人生きてる条件が違うので、
各自が悟るしかないと思いますね。釈迦も「少欲知足」としか説きません。

ユビキタスさんは、誓願なんて自覚したことがないから、自分の信仰は煩悩
増進の修行じゃないか、と気がつき、恥ずかしくなって退会してしまったの
でしょう?誓願を自覚してたら、自然に煩悩は抑えられるはずです。
だから、管長は「誓願なきは菩薩の魔」を、何度もお話したね。

釈尊の仏教は救済など説かないという考えもおかしな話で、
「如来は六法に飽くことなし」の六法の一つは、「衆生の救済」ですよ!
まぁ、「衆生を護る」とか、訳してる本もあるかと思いますが、同じような
意味でしょう。

466ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 11:27:24 ID:SmEF4Oe2O
>>459:準シュダオン10/03/13(土) 10:19:26 ID:agsP6ENM0
>如来になっても施行は続くのです。
>普通の阿含信者は、そんなことを知ってますから、

いや、知らんでしょうね。アゴン宗の信者は阿含経を読まないのです。
それにアゴン宗の施行にもたしかに和顔施、和語施等無財の七施はある。
如来は無財産なんだから如来自らがまだまだ施行を楽しむとはこれらの他人に
親切を施すことに他ならない。
しかしこんなん人間だったら当たり前じゃん。電車で席を譲るのに、自分が席を
譲られるような高齢だったり身体不自由ならばともかく若い健常者ならば
功徳を積んですっかり如来のごとくエラクなったのだから席を譲らなくてよい
なんて話はないでしょう?
ところがラシンさんの指摘する布施が減るとはそんな話ではなく、ズバリ教団に
金を投じることだよ。

>「聖者を認定すると布施が減る」なんて、トンチンカンな発想はないのです。
>へそが茶を沸かすでしょうw?

例えば解脱供養とかです。あれは総本殿建立基金という布施供養の見返りに
不成仏霊供養のサービスをする原則になっている。
ラシンさんのいう布施が減るとはこういう金を教団に投資する機会が減ってしまう
ことを言うのであり、白隠禅師などが奨励するように世間の困っている人たちを
助けたり還元したりすることではない。
シュダオンに認定されたらまだそこで終わりではないから、ますます修行に励み、
金も払ってもらえそうなものだが、しかし例えばより高度の伝法修行メニューなんて
ないし、やはり解脱供養のような脅しメニューの方が金が取れる。
信者は長年続けてきて当初の夢想はどこへやら、アラハンの涅槃なんてのは
現世で無理そうだから必ずしも求めない。
しかしせめて最低シュダオンくらいで今生を全うしたい。
三悪趣に堕ちないシュダオンで終わり、来世以降に期待したい。
となるとどうなるか?シュダオンを簡単に認定しない方が解脱供養の商品もよく売れる。
質問するが霊障(不浄の極み)を抱えたシュダオン(浄められた聖者)がいると思うか?
それに霊障とは信者が判断するものではない。
申し込んでみて該当なしならそういう返事が来るはずなのだが、霊障の先祖を
供養対象として下ろしてくれるのは桐山さんです。
もう一つ質問するが、あなたは長年の信者だが、準シュダオンと名乗るものの
シュダオンとは名乗らない根拠は何か?

467孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/14(日) 11:40:46 ID:XUfb/HH.0
えらいですぞ!準シュダオンさん、まあ356の問いかけに答えてはいないが、レスをしたことは評価いたします!
まあ「人を救う誓願と言うが、ではあなたは具体的に何をどうして誰を救うのだ?」は答えづらいものね。
準シュダオンさんがそういう行動をしていないし、あごんの護摩も他者救済の力などなさそうだし。

468ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 11:47:45 ID:SmEF4Oe2O
>>459:準シュダオン10/03/13(土) 10:19:26 ID:agsP6ENM0
>警察の質問になら、そりゃ、YES、NO、をはっきり答えますよ。
>でも、ここの愚か者さんは、警察ではないでしょ?
>答える義務はないね。

ギャラリーの皆さん。とくと御覧あれ。
私は何も評価しませんから皆さん方各位がそれぞれ彼のことを評価してください。

>過去にこだわる愚かさを笑うだけよ。厳密にいうと、今日の私は、昨日の
>私とは違うのだ、それが釈迦の無常の教えです。

5年前の眠りブッダさんがあなたと違う人ならば、何も上記のことを書く必要が
ないではないか?
人の考えがその人の経年経時変化により考えそのものも変わる
こともあるなどという一般論をこの場で出すのはトンチンカンで臍で茶が沸きます。
なぜなら眠りブッダさんなんて他人は最初からあなたと考えが違うはずなのであり、
変化なんて適用できないからです。
それでも変化なんて示したことが、あなたがかつての眠りブッダさんだと認めたも
同然です。ねえ?ギャラリーの皆さん。

469孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/14(日) 12:14:06 ID:XUfb/HH.0
あ!そういやそうだw

470ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 12:36:50 ID:SmEF4Oe2O
>>459:準シュダオン10/03/13(土) 10:19:26 ID:agsP6ENM0
>知識をいくら集めても、シュダオンにはなれません、とはそのことです。
>五陰、十二入、十八界は無常なので執着するな!、という知識はあっても、
>理解できないから、実行できない。だから過去レスに拘る愚かな我執を
>断てないのです。

寄せ集めた知識だけでシュダオンになるとは言ってませんが、知識は大切なことだと
申しておるわけです。
だから釈尊は言葉で教えを説いて、頭で理解させることから始めているのです。
それは知識を得ることから始まるのです。
あなたがかざしているものだって本を読んで得た知識に過ぎない。
だから知識はないがしろにしてはならず、大切にすべきであり、正しく理解する
ことが不可欠なわけですね。
そして所詮付け焼き刃に過ぎない知識でありそれが生活にも根付いた智慧にまで
なっていなくても、智慧の獲得者から見て、考え方に間違いがなければ、
その付け焼き刃君の言っていることは理屈として正しいよと認定されます。
あとはせいぜい頭でっかちでなく生活に生かすように精進しなさいと言われるだけです。
つまり付け焼き刃知識でさえも間違いとはならないのです。
身に付く度合いが違うだけで共通です。
ましてや三結煩悩とは認識の誤謬の問題だけです。
知識こそが要なんです。
アゴン宗は三結を侵しているではありませんか?
不成仏霊などに囚われるのは身見の煩悩です。
釈尊が説いた煩悩解脱を小解脱に過ぎないと疑うのは疑惑の煩悩です。
釈尊が否定禁止した護摩や占いをするのは戒取の煩悩です。
こんなことは知識だけで指摘できます。

471ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 13:01:50 ID:SmEF4Oe2O
>>460:準シュダオン10/03/13(土) 10:32:14 ID:agsP6ENM0
>たぶん、批判派の信者時代は、三昧耶戒も四弘誓願も、自覚してないね。
>だから、我利我利祈願の、我欲信仰だったと、推測される。

>菩薩の誓願と合わせて、自分の祈願を考える修行してたならば、
>やがては、貪欲と健全な欲との区別もつけられたであろうにw。

>>465:準シュダオン10/03/14(日) 11:12:27 ID:agsP6ENM0
>煩悩無尽誓願断を思い出しながら、自分の護摩木祈願を考えて見ることです。
>だんだんに、煩悩と健全な欲との区別がついて来ますよ。
>欲望は、ただ無くせばいいというもんじゃない。食欲や生存欲まで無くして、
>自殺未遂を繰り返すようでは大変です。
>扶養親族を抱えてる在家が、商売繁盛なり、仕事順調の祈願をするのは、
>当り前のことです。それは健全な欲望であって、煩悩ではない。

煩悩無尽誓願断と四弘誓願を立てたならば口先だけでなく少しでもそれに近づける
ように生活を律して努力していくべきでしょう。
つまり煩悩を増やすことにもなることからは最初から手を引き、手を染めないのが
賢い知恵というものです。
護摩なんて生活に必要なものですか?
あなたのいう通り家族を養い自分の生活を死守することは信仰の基盤にも必要です。
ならば商売人だったら商売に真剣に勤しめばよい。仕事に励みながら煩悩無尽誓願断
に励む。護摩に商売繁盛を祈ることではない。
あなたにまたまた質問するが、アゴン宗入信以前に護摩木を書いて祈願したことが
ありますか?私はありません。お正月に川崎大師とか密教寺院に初詣をしても
お賽銭を投げるだけで護摩札すら買ったことがない。
周囲にも聞いてごらんなさい。
護摩木を書いて祈願をしたことのある人などそんなにいない。
それでも皆健全に生活を運営している。
つまり護摩木祈願など必要ないのです。
人間なんだから究極の時に神仏に祈る気持ちがあることは古代人も現代人も
変わりはない。しかし神仏希求そのものまではすぐに断てなくても護摩木祈願
なんてやらなくても健全に生活を進めているのです。
そこに必要のなかったものを勧めてどうするのだ?
健全な生活努力以外の普通はやりもしない生活習慣を勧めてどうするのだ?
生活努力をするのは煩悩でないが、護摩木に生活の安定などを求めるのは都合のよい
依存の煩悩です。

472ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 13:23:10 ID:SmEF4Oe2O
>>461:準シュダオン10/03/13(土) 11:08:51 ID:agsP6ENM0
>何時であったか、ユビキタスさんが、預流向を聖者とする説、聖者としない説
>の両方がある、とかのレスをしてた。

その通りです。上座仏教の一派にさえもそのような説もあるのだそうです。
だからあなた自身がどちらを支持するのかも原則自由と示しました。
しかし一説としてある程度であり、四双八輩を聖者とする考えは根強いのだから
あなたみたいに預流向からを聖者の流れとするなんて馬鹿なをじゃねーの?
みたいな書き方をするとお釈迦様をも侮辱することになるから、もう少し謙虚な
書き方をしてはどうかと思いますね。
聖者の流れなんだから完璧な聖者である必要がないわけだし、そもそも何が聖
なんだかという視点も必要だし。
それよりも準シュダオンというハンドルはアゴン宗的にも傲慢に相当しないか?
と心配してあげたわけです。
なぜなら準シュダオンとはシュダオンに準じる第二番なわけです。
優勝に対する準優勝に相当する。
たしかに準優勝は優勝旗をもらえない。
夏の甲子園なら準優勝盾しかもらえない。
春の選抜は紫紺の優勝旗ではない赤い準優勝旗しかもらえない。
しかしこれらは所詮敗退のチームにはもらう資格のない準栄冠です。
修行をサボってる予選敗退組の口にできる資格ではない。
まあ好きなように名乗ればよいのだが、アゴン宗が認めてないだけで。

473ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 13:42:01 ID:SmEF4Oe2O
>>465:準シュダオン10/03/14(日) 11:12:27 ID:agsP6ENM0
>釈尊の仏教は救済など説かないという考えもおかしな話で、
>「如来は六法に飽くことなし」の六法の一つは、「衆生の救済」ですよ!
>まぁ、「衆生を護る」とか、訳してる本もあるかと思いますが、同じような
>意味でしょう。

私が>>443でリンクを貼り、ラシンさんが>>444でコピペしてくれた該当箇所は

まず第一が、"施(せ)"。人に施しをするのに、これで充分ということはない。
第二に"教誡(きょうかい)"。弟子の指導に、ここまでで十分というところはない。
第三に"忍"。じっと耐え忍ぶことに限界はない。
第四は"説法"。信者に法(真理)を説くのに、これだけ説けばもういい、という限界がない。
第五は"衆生の愛護"。これにも限りがない。
そして最後に、"無上正真の法を求めること"。仏道は無窮であって、
仏陀はいつまでも最高の真理を求めつづけているのだ。

です。

流れから見ても仏道の教導と見るべきでしょう。
つまり仏道とは各自が煩悩をなくして苦の根本から脱することなんだから
衆生に対して深い愛、慈悲の目を向けてこれを教えて実践をすることを勧める
ことであり、商売繁盛の手助けをすることではなく、災害から守ることでもない。

474準シュダオン:2010/03/14(日) 14:04:57 ID:agsP6ENM0
仕事に精出せば、必ず商売繁盛するのであれば、誰も苦労しない。
努力しても、頑張っても、上手くいかず、破産したりするのが人生です。
そうであっては、仏道修行などのところではない。

そこで宗教の登場になる。
「如来様の、衆生の愛護が無限ならば、どうか商売に行きづまっている私を
救って、仏道修行ができるようにしてください。わずかですが護摩木料を布施
供養とさせていただきます。」

てなことで、護摩木などの祈願も出てくる。確かに釈迦は、木片を焚け、
なんて説いてはいないが、仏へ供養すれば果報がある、と説いていますから
ね。護摩木代金は正法を説く教団への布施供養と、考えればよいわけです。

475ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 14:21:33 ID:SmEF4Oe2O
>>474:準シュダオン10/03/14(日) 14:04:57 ID:agsP6ENM0
>仕事に精出せば、必ず商売繁盛するのであれば、誰も苦労しない。
>努力しても、頑張っても、上手くいかず、破産したりするのが人生です。
>そうであっては、仏道修行などのところではない。
>そこで宗教の登場になる。
>「如来様の、衆生の愛護が無限ならば、どうか商売に行きづまっている私を
>救って、仏道修行ができるようにしてください。わずかですが護摩木料を布施
>供養とさせていただきます。」

そういうのをワガママの煩悩と言います。
これは四苦八苦の人生に対して、
「人間はどうして死ぬのか?今この場で死んでしまったら仏道修行もできません。
死ななくなるようにしてください。
人間はどうして老いるのでしょうか?老いてヨレヨレになっては仏道修行は
できません。老いなくなるようにしてください」
というワガママと同じです。

476準シュダオン:2010/03/14(日) 14:22:25 ID:agsP6ENM0
入行前に護摩木を書いたことがあるか?との質問を見落としていた。
そりゃあ、ありませんよ。なんせ唯物論者の無神論者でしたからね。
自動車運転するにしたって、お守りの類も、一切身に付けたことが
ありませんでした。

それが、入行前年、何十人もの名簿を見ていて、立ちくらみ状態が出て、
3人の名前の頭ににチェックマークを入れられている。で、翌日、3人に
会うはめになった。そのとき、何者かが、私に運命があることを教えて
いる、と確信した。それまでは運命なんてない、偶然だ、と考えていたね。

立ちくらみの経験がない者には、想像がつかないでしょう。居眠り状態で、
こっくり、舟をこぐ状態、にも似てましたね。ほんの2秒か3秒でしょう。
この前、この話のレスをした後、「そういえば、あの頃、学校の中学生など
に、コックリさん、コックリさんが流行って、社会現象になっていたなあ」
と、思いだした。

477ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 14:29:58 ID:SmEF4Oe2O
>>474:準シュダオン10/03/14(日) 14:04:57 ID:agsP6ENM0
>仕事に精出せば、必ず商売繁盛するのであれば、誰も苦労しない。
>努力しても、頑張っても、上手くいかず、破産したりするのが人生です。
>そうであっては、仏道修行などのところではない。

ちょっと別角度からアゴン宗に突っ込んでみますか?
ここに派遣切りになって住むところにも困る難民がいる。
アゴン宗の因縁理論によるならば、こうなったのも何らかの因縁でしょう。
そこで因縁解脱をせねばとアゴン宗の道場に入門を乞う。
「私たちは金がありません。住む所もないから住民票もないし再就業もままならず
仏道修行どころではありません。私たちの因縁を切る道を示してください」
「ひどい因縁だね。霊障も当然あるな。解脱供養を申し込みなさい。
一体10万円です」

478うサギ:2010/03/14(日) 14:31:43 ID:UtKVqJLA0
>>474わずかですが護摩木料を布施供養とさせていただきます。

なんで護摩がそこで出てくるのでしょうか?
商売に困っているときにそんな無駄遣いできますか?

それに、「護摩木料払うから商売をどうにかして」という取引に
誰が応じてくれるのですか? 釈迦ですか?

商売がうまくいくかどうかは自分次第ではありませんか?
むしろそう説いたのが釈迦ではないのですか?

479うサギ:2010/03/14(日) 14:40:08 ID:UtKVqJLA0
>>476立ちくらみの経験がない者には、想像がつかないでしょう。

あなたの神秘的な体験を「立ちくらみの経験」と
あなたが表現するのならば、私にも「立ちくらみの経験」はありますよ。

それは貧血です。突然立ち上がったときにたまにクラクラします。

自分で「立ちくらみの経験」だと表現するのならば
あなたの経験も単なる貧血なのではありませんか?
あるいは、貧血である可能性は「0」だと言い切れますか?

480準シュダオン:2010/03/14(日) 14:40:19 ID:agsP6ENM0
で、今回は、私には、コックリさん状態になった経験はないが、想像するに、
あの3人の名簿事件のときは、コックリさん状態で、知らないうちに、
名簿にチェックを入れさせられていました、と書きましょう。

すると、批判派は、何だ嘘つき、この前は立ちくらみとレスしたではないか?
立ちくらみとコックリさんでは大違いではないか!物忘れ野郎が、とくる
わけだw。
まぁ、無常なわけだから、新しいレスを本当だと思えば良いさね。
法律だって、同位の法律で矛盾する場合は後から出来た法律が優先する
でしょう?

で、3人の名簿事件以後、私は他力を意識せざるを得なかった。その他、
いろんな体験の後で、管長の「思念による相承」らしきものを体験した。
もう完全に、他力を肯定しますね。
でもね、批判派の皆さんには、別に私の話を信じてくれとか、信じないでくれ、
とか、私の願望は一切ありませんよ。どうせ信じるか信じないかはその人の因縁
次第ですからね。知識、経験、能力、で違うのです。それが因縁ですから。

わたしの考えでは、たぶん、仏性の篤い人は信じるだろうし、仏性の乏しい人は、
何をレスしてやがる、あの嘘つき野郎!、と、信じないことでしょうW。

481ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 14:46:17 ID:SmEF4Oe2O
>>476:準シュダオン10/03/14(日) 14:22:25 ID:agsP6ENM0
>入行前に護摩木を書いたことがあるか?との質問を見落としていた。
>そりゃあ、ありませんよ。なんせ唯物論者の無神論者でしたからね。

たちくらみやコックリさんの話はいいから、あなた個人だけでなく、あなたの
ご近所の皆さんにも質問して調査してみてください。
ほとんどの人が、護摩木祈願などをせずにたくましく自分たちの生活を支えてますよ。
苦しいのはお互い様だ。
ここにあなたは護摩木祈願をして生活を安定させて仏道修行に励みなさいと
煩悩を勧進するか?

482準シュダオン:2010/03/14(日) 14:53:49 ID:agsP6ENM0
貪欲が煩悩なのであり、健全な欲は煩悩ではないのよ。
貪とは、欲深いことを言うのです。
だから、仏道修行が出来るくらいの、商売繁盛祈願は、煩悩ではありません。
そのあたりの、ユビキタスさんとの、見解の相違が、意見の違いになってますね。

で、私は、他力を体験してますから、欲深い祈願以外の、真剣な護摩木には
何らかの効果があると思いますね。霊界か、仏界か、悪魔界か、どこかで
護摩木を、チェックしているのかも知れませんよ。

483準シュダオン:2010/03/14(日) 15:01:26 ID:agsP6ENM0
だから、護摩木などに縁がなくても暮らして行ける人は、それで良いのです。
金も住所もない人は、たとえお釈迦様でも救えないでしょう。
縁なき衆生は度し難し、です。
救われるためには、最低限の徳が必要なんだそうです。
蜘蛛の糸、みたいに、蜘蛛を助けたことがあるとかのね。

取引信仰ではない、とはいうものの、徳による取引と、言えなくもないね。

484ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 15:07:43 ID:SmEF4Oe2O
>>482:準シュダオン10/03/14(日) 14:53:49 ID:agsP6ENM0
>貪欲が煩悩なのであり、健全な欲は煩悩ではないのよ。
>貪とは、欲深いことを言うのです。
>だから、仏道修行が出来るくらいの、商売繁盛祈願は、煩悩ではありません。

護摩木に祈って商売繁盛なんてそれこそ 都合のよい欲深さであり、貪です。
あなたの言葉を借りるならば護摩木に祈願して商売繁盛するならば誰も苦労せん。
皆そう言いますよ。たとえ自力の努力プラス他力の護摩木祈願なんて言ってもね。
同じことです。それで成功するならば誰も苦労せん。
それから桐山さんはこういう言い方をしてますね。
因縁解脱とは言わば反重力の修行で、人間が人間を超えるような大それたことです。
そんなすごいことをやり遂げる前提に人間としての世事も全うする能力のない奴に
何ができようか?と。因縁解脱は世事を全うすることよりも難しい道なんです。
そしてその世事を全うするなんてことは世間の圧倒的多数の人が護摩木など他力に
頼らずに成し遂げているのです。
それが護摩木に頼らねばなんて情けないことを言ってるミジメ君がどうして
因縁解脱の仏道修行などできるのか?

485ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 15:18:13 ID:SmEF4Oe2O
>>483:準シュダオン10/03/14(日) 15:01:26 ID:agsP6ENM0
>だから、護摩木などに縁がなくても暮らして行ける人は、それで良いのです。

だから世間の圧倒的多数の人がそうだというのです。
護摩木など必要がない。
まるで一部の恵まれてる人はそれでよいなんて印象付けるようなすり替えはやめなさい。

>金も住所もない人は、たとえお釈迦様でも救えないでしょう。

そんなことはありません。どんな境遇に遭っても挫けずに頑張れと説きます。

>縁なき衆生は度し難し、です。
>救われるためには、最低限の徳が必要なんだそうです。
>蜘蛛の糸、みたいに、蜘蛛を助けたことがあるとかのね。

これは派遣切りで悩む難民に対する侮辱の言ですか?
縁無き衆生は救い難しの言葉を出す時、桐山さんですら因縁の悪さから来る
貧乏を出さないのですよ。やる気がない奴に対して言います。

486ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 15:40:36 ID:SmEF4Oe2O
>>472の部分訂正

誤:しかしこれらは所詮敗退のチームにはもらえない準栄冠です。

正:しかしこれらは初戦敗退のチームにはもらえない準栄冠です。

準シュダオンさんが寛大に扱ってくれる誤変換ですが、意味が通じないといかんと思って。

487準シュダオン:2010/03/14(日) 17:20:32 ID:agsP6ENM0
私は、准シュダオンを自称したとて、傲慢だと思いませんね。
管長に傲慢だ、と言われたのならば、反省しますけどね。
管長は、修行が進めば、自分の境界がわかるようになると説いてます。
阿含宗に、シュダオンが相当数誕生している中で、准シュダオンを名乗る
くらいは、良いと思う。

むしろ、思念の相承を体験しながら、准シュダオンさえ名乗れないようなら、
管長の法を貶めることになるでっしゃろ?
「なんや、王者の相承を受けながら、準シュダオンにさえなれんのか!」
「そりゃ、屁の突っ張りにもなりゃしまへんがな」
てなことになるでしょう。

私には、思念が流れてきいしまへんでした。「この地を東の国にうつせ!」
とかの、イメージやら、思念が、感じられなかったのです。
鈍感だったのでしょう。だから、準シュダオン止まりにしてんですよ。
修行態度の良い人は、この波動を受けたら、すぐさま、シュダオンを
名乗れると思いますよ。何と言っても、心境の変化を感じますからね。

488うサギ:2010/03/14(日) 18:29:45 ID:UtKVqJLA0
>>480法律だって、同位の法律で矛盾する場合は後から出来た法律が優先する
でしょう?

それは「立法」、つまり、法律を作るときの一般的な約束事です。

あなたは、日常生活にもそれを適用しているのでしょうか?
つまりあなたは、自分の発言に一貫性がないときに、日常生活でも
同じようないいわけをしているのでしょうか?

もし、あなたが日常生活でもそのようないいわけを
しているとしたら、周りの人たちは、口に出さなくても
あなたのことを信用できない人だと感じると私は思います。

法律的な約束事が
過去の自分の発言を覆す理由にはなりません。
なぜなら、前提が違うからです。
法律は、新しいものを優先するという約束事を前提としていますが、
日常生活での発言には、そういう約束事はありません。

それともこの世界の中で、準々シュダオンさんの発言にだけは特別に、
法律と同じような約束事が前提として存在するのでしょうか?

489ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 18:49:05 ID:SmEF4Oe2O
>>487:準シュダオン10/03/14(日) 17:20:32 ID:agsP6ENM0
>管長は、修行が進めば、自分の境界がわかるようになると説いてます。

>修行態度の良い人は、この波動を受けたら、すぐさま、シュダオンを
>名乗れると思いますよ。何と言っても、心境の変化を感じますからね。

桐山さんはこのような主観的な感覚などで判断することを否定しています。
なぜなら個人の思い込みで何でも体感してしまうからです。
だから例えばチャクラの開発なども感覚の変化などを指標としない。
ムラダーラチャクラを開発すると肉体のある一部に顕著な変化が生じるとか
客観的に確認できるものを指標としている。
池田慈水さんがムラダーラチャクラを開発したと自称した時、ならば体力、精神力
常人の3倍から5倍などと宣伝してる通り3日3晩徹夜で仕事しても堪えない
肉体なんでしょうな?と質問したことがある。
だから心境の変化などでは認められないのです。

>むしろ、思念の相承を体験しながら、准シュダオンさえ名乗れないようなら、
>管長の法を貶めることになるでっしゃろ?
>「なんや、王者の相承を受けながら、準シュダオンにさえなれんのか!」
>「そりゃ、屁の突っ張りにもなりゃしまへんがな」
>てなことになるでしょう

あなたのような深夜未明の勝手な思念の発作などではなく、桐山さんは公式に
思念を複数回、送っています。1997年の時点で仏陀の法第1期伝法会を受講済み
であれば誰でも参加できたものです。
それでも思念を受けてシュダオンや準シュダオンになったなどと自称する無恥な人は
いません。そう言わなきゃ管長に失礼だなんて言わない。

>私には、思念が流れてきいしまへんでした。「この地を東の国にうつせ!」
>とかの、イメージやら、思念が、感じられなかったのです。
>鈍感だったのでしょう。だから、準シュダオン止まりにしてんですよ。

脳梗塞の小発作と考えれば簡単に説明がつき、メッセージがないことがその
証明みたいなものです。

シュダオンの証明というか少なくともシュダオンでないことの証明はできます。
三結を断っているかどうか考え方を確認することです。
アゴン宗を信じているというだけで三結煩悩を抱えている証明になるからです。

490深山:2010/03/14(日) 19:03:28 ID:Px6j0DNY0
>>404:準シュダオン10/03/11(木) 15:29:59 ID:agsP6ENM0
>過去レスに拘るのは愚か者ですw。変わらないのは真実だけです。
>来年のことを言うと鬼が笑うが、去年のレスを言うと臍が笑うよw。

社員「昨夜の飲み会で立て替えた酒代を払ってください。」
準「過去に拘るのは愚か者ですw。
明日のことを言うと鬼が笑うが、昨日の酒代を言うと臍が笑うよw。
ワシは今のワシではないのだよw。
だから、請求するなら、昨日のワシに請求しなさいww」

>>459:準シュダオン10/03/13(土) 10:19:26 ID:agsP6ENM0
>過去にこだわる愚かさを笑うだけよ。厳密にいうと、今日の私は、昨日の
>私とは違うのだ、それが釈迦の無常の教えです。

準「先月の給料が振り込まれていないぞ」
経理「準シュダオンさんは無常を知らないのですね。
だって、先月のあなたと今のあなたは違うんでしょ?
だから、先月のあなたに払う先月の給料はあるが、
今月のあなたに払う先月の給料はありません。
給料を受け取りたければ、先月のあなたを連れて来なさい。
それが準シュダオンさんのいう無常の教えです。」

491ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/14(日) 20:22:20 ID:SmEF4Oe2O
>>487:準シュダオン10/03/14(日) 17:20:32 ID:agsP6ENM0
>阿含宗に、シュダオンが相当数誕生している中で、准シュダオンを名乗る
>くらいは、良いと思う。

>鈍感だったのでしょう。だから、準シュダオン止まりにしてんですよ。

このように準シュダオンさんのような恥知らずでさえ、準々シュダオンにして
しまうことはあってもシュダオンとは言い切らない遠慮がある。
だから普通の信者であれば尚更シュダオンなどと自称しない。
自称もできない理由は結局シュダオンという境涯がアゴン宗にあって曖昧だからです。
指標も何もない。
因縁解脱の目標は説くが、もともとの因縁も示されないし、脳梗塞になって
実は脳障害の因縁があったことが証明されない限り切れたのかどうかもわからない。
ガンの因縁を因縁透視や因縁診断で受けていても、今現在ガンではないことが、
果たして因縁が切れたのか、まだ発現してないだけなのか、はてまたそんな因縁が
ないのかも判別がつかないのです。
準シュダオンさんが言う心境などがいくら変わっても、それが因縁の切れた証明
かどうかもわからない。
シュダオンなんて仏教用語を使ったからとて、青いオーラとか目に見えないものを
出し、凡人にはさっぱり判別がつかない。シュダオンに本来仏教にはない
運命の星の悪因縁だの霊障だのくっつくことによりますますわからなくなる。
だからシュダオンは相当数輩出してますよなんてリップサービスがあってすら、
それを自分にあてはめる恥知らずもいないのです。
本来おかしいではないか?アゴン宗を開いて32年。
最低のシュダオンも誰だかもわからないこの不透明さ。
一方釈尊は初転法輪でかつての仲間の5人の出家を相手に教えを説き、最初に
理解を示したのがコーンダンニャという。
釈尊は「コーンダンニャが悟った!」と喜んだ。
このコーンダンニャの悟りとはアラハンのそれでなくシュダオンの悟りかも知れぬ。
しかし30年もかかってないのです。
せいぜい1週間か1ヶ月程度ではないか?
そんな矛盾がある中アゴン宗シュダオンとは不透明にしてそれは不安感を与えます。
不安感の脅しはそのまま解脱供養などの商売に結び付くのです。

492孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/15(月) 01:18:46 ID:XUfb/HH.0
邪欲、貪欲、我利我利とか全部 準シュダオンさんのことじゃんw

深山さんユビキタスさん冴えてます。切り返しが見事!

493ラシン:2010/03/15(月) 11:44:48 ID:q4iXIS7Y0

ユビさん、土日をかけた解説、ご苦労様です。
今回もアゴン宗と阿含経の矛盾に関しての資料として、
あらたに形成されました。
桐山教義の矛盾はすでの批判諸兄の実証が存在していますが、
なにか誤釈があれば、その都度一々の反証も必要です。
準シュダオンさんは、今回も珍説や自己解釈でしか、
批判側の指摘の切り崩しが出来なかった。
準シュダオンさん主張の矛盾は、深山さんの例えで
読者諸兄は、よく理解とするところでしょう。
仏教の預流や預流向は、三結を侵し断じていないアゴン宗
ですから端から該当しませんが、アゴン宗という外道に
おいてすら準シュダオンという定義は成り立たない。
ユビさんも何度も指摘したように、準ずるとは準優勝を
例にしても優勝という結果に準ずる位置です。
優勝を目指して、しのぎを削るグループは言わば優勝向ですから、
準シュダオン=預流向とはならない。
しかし準シュダオンさんの自己申告じたい猫の目のように変わる
ような支離滅裂さです。
この程度の国語力でさえ間違える準シュダオンさんなら、
経の学説への解釈を正しく読解できないのは、自明の理となる。
あと護摩木祈願の件ですが、三が日には無宗教の人でも
神社仏閣へお参りします。
そこで家内安全とか商売繁盛とお札に書いて奉納するが、
それが適わなくても、その神社仏閣を訴える人は皆無です。
なぜならそれは日本の一文化で、ある意味その本人の素朴な
自覚や目標値を設け、その一年を努力しようと考える。
その伝統神社仏閣ですら、必ず適うという保証などもしていない。
それを理解した上である意味、年初の行事として満足しているだけで、
アゴン宗信者さんのように絶対祈りは通じるとメラメラした期待感は、
ありませんから、逆に無宗教の人のほうが我欲に囚われていない。
アゴン宗で余計な知識が染み付いて、かえって煩悩を肥大化させている。
会社が倒産したのも、生活が破綻したのも自己の生まれ持った悪因縁の
せいだ、護摩木祈願が足りなかった、などと考え自己逃避し他者責任転嫁
するより自己への反省に徹し見事に帰り咲いた例は、枚挙に暇が無い。
自分の悪運に納得し降参して努力を諦めた人には、次の成果は生じない。
極論すれば祈願だけして無為徒食に生きた人の成果は見たためしがない。

494準シュダオン:2010/03/15(月) 12:25:49 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんが信者時代に、知識を集めても、なんで修行が修行が進ま
なかったか、理由がわかったよ。単純な真理を間違えていたからだね。
単純な真理とは、
貪欲と健全な欲とは、違うという真理だよ。これをあんたは理解していな
かった。だから、如来は勿論、シュダオンにさえなれるわけがない。

なんでか?
それは、釈迦がアヌルッダに説いた「如来の六法」を考えてご覧なさい。
一つ、施において無量。一つ、衆生を愛護するに無量。・・でしょう?
この釈迦如来の六法は、単なる如来の妄想で、実効果はないと思うのかね?
仮に、ユビキタスさんの修行が進んで、ユビキタス如来となった。

で、扶養家族の多いある在家信者が、生活苦のあまり、「商売繁盛」と、
護摩木祈願をした。ユビキタス如来は、その祈願を、煩悩の煽りである、
として却下するわけだw。そんな如来様なんて有難いか?そんな如来は
人々から石投げられよるわw。
最低限の生活ができるように、衆生を愛護し、手立てを考えるのが如来の
智慧でっしゃろ?

薬師如来の十二法(十二大願)を調べたことあるかいな。病気を除くだけで
なしに、衆生の衣食住を満たし、すべての心願成就を叶えてやろう、という
誓願ですよ。釈迦如来の六法よりも有難いですね。仏道修行とは、そういう
仏に成ろうとする修行でしょう?なのに、在家の商売繁盛祈願が煩悩だ、
というようでは、如来に成る資格はないね。

495深山:2010/03/15(月) 13:04:53 ID:Kcv2/JNs0
>>480 :準シュダオン:2010/03/14(日) 14:40:19 ID:agsP6ENM0
>まぁ、無常なわけだから、新しいレスを本当だと思えば良いさね。
>法律だって、同位の法律で矛盾する場合は後から出来た法律が優先する
>でしょう?
>わたしの考えでは、たぶん、仏性の篤い人は信じるだろうし、仏性の乏しい人は、
>何をレスしてやがる、あの嘘つき野郎!、と、信じないことでしょうW。

店員「へい、お待たせ、ラーメン一丁」
準「ラーメンじゃないよ」
店員「え?さっきお客さんはラーメンを注文しましたよね」
準「それは10分前の私であって、今はカツ丼が食べたいのだ」
店員「・・・10分前を覚えていないなんて(ははあ、ヴォケ老人だな)
・・はいはい、わかりました」
十分後
店員「はい、今度は注文通りのカツ丼ですよ」
準「いや、今の私は餃子が食べたいのだ」
店員「お客さ−ん、いい加減にしてくださいよ!(やっぱり、徘徊老人だ)」
準「まぁ、無常なわけだから、新しい注文を本当だと思えば良いさね。
法律だって、同位の法律で矛盾する場合は後から出来た法律が優先する
でしょう?フフフ」
店員「毎回違う注文をして、この嘘つき野郎!」
準「わたしの考えでは、たぶん、仏性の篤い人は信じるだろうし、仏性の乏しいキミは、
何を注文してやがる、あの嘘つき野郎!、と、信じないことでしょうW。」
店員「・・(脳味噌がまだらで、おまけに変な宗教に凝り固まった老人じゃ、
介護する人も大変だよな)・・・」

496ラシン:2010/03/15(月) 13:30:31 ID:q4iXIS7Y0
>494 :準シュダオン
>で、扶養家族の多いある在家信者が、生活苦のあまり、「商売繁盛」と、
護摩木祈願をした。ユビキタス如来は、その祈願を、煩悩の煽りである、
として却下するわけだw。

物欲の権化たる準シュダオンさんらしい解釈振りだ。
目の見えないアヌルッダに針の糸を通してあげた行為を
どうしても金銭的施しと考えてしまう、という浅ましさです。
如来はあなたのような慢心がないから、上位目線で却下などしない。
ただ煩悩の何たるかを教え諭し、善行を勧めるだろうね。

>最低限の生活ができるように、衆生を愛護し、手立てを考えるのが如来の
智慧でっしゃろ?

如来は生活保護の相談窓口じゃない、福祉行政は当時の国王の範疇です。
だから国王へは、衆生を慈しむ心を説いている。
あなたのような物欲の権化を戒めたのが、如来である釈尊です。

>薬師如来の十二法(十二大願)を調べたことあるかいな。病気を除くだけで
なしに、衆生の衣食住を満たし、すべての心願成就を叶えてやろう、という
誓願ですよ。

何何?それで教団から浄財として搾取されても、まだ金が余っているだと?
それを知った桐山さんいわく、
おい、衣食住が満たされたのは、いったい誰のおかげじゃい?
はよ、我が桐山教団に施行しろ、特別護摩木の10本くらい安いもんじゃ〜。
それとも何か? お主、言うだけでホントは信じていないからケチるのか?
この〜偽善の徒めが〜、、、なんだ〜? 偽善者が偽善を咎めるなだと?
だ、誰だ〜?生意気な、、 えっ、おい、チかゲなのか? えっ? たのむから、
たのむからもう、暴露はやめてくれよ(取りあえず九字切っておくか、ウ〜ム)。
ドサバサ、ドスン(よろけてコケタ音)

準シュダオンさんの余りの愚考に、ついバカ話しになってもうた。

497準シュダオン:2010/03/15(月) 13:46:07 ID:agsP6ENM0
ウサギちゃんは、過去レスに拘るならハンドルを犬にした方がいいよ。
忠犬、とかさ。ご主人様が捨てた古い靴など、探して咥えて来る忠犬を、
連想してしまうのだ、古い過去レスを咥えている人を見るとさw。
今日の私は、昨日の私ではないのよ、それが無常という意味よ。

昨日の私は過去に過ぎ去っているし、今の私は未来から来た私だよ。
それが説一切有部の無常説だろ。そのあたりから勉強してうサギくんは、
無常を理解しなさい。過去に執着する我見の愚かさをわかるまで。

貪欲と健全な欲との区別がつかないようでは、修行は進まないね。
それの区別をつける智慧を持つのが修行かも知れない。
「極端を避けて中道の道」てのと同じことでしょう。
体を苦しめ過ぎる修行も誤りならば、楽だけしてる修行も誤りでしょ。
欲深貪欲が誤りならば、食欲生存欲まで無くす無欲も誤りでしょ。

「商売繁盛祈願」も同じことでしょ。ある人によっては貪り祈願になるし、
ある人によっては健全な祈願になり得る。それを見分ける智慧を持つ修行が
仏道修行の一つでしょう。
 「縁なき衆生は、お釈迦様でも救えない」、こんな単純な真理が、なんで
わからないの?経典にも、お釈迦さまが救えなかったアホ弟子のことが、
書かれてるでしょ。

498名無しさん:2010/03/15(月) 15:19:41 ID:yGgAVm0g0
>>497
>貪欲と健全な欲との区別がつかないようでは、修行は進まないね。

ほう。
貴方の師匠である桐山氏は、偽仏舎利を真正仏舎利と称し、
三福道をねつ造し、偽アジャリという、偽三宝を作ったわけだが、
こういったいかがわしい「欲」も「健全な欲」なのかね。

桐山氏など「健全な欲」ではなく、貪欲をも超えた「異常な欲」というのだよ!
自分がエラくなりたいという病的な欲求、異常な欲があるから、
宗教という清らかな世界において、普通やらないような大嘘を付いたり
ねつ造を平気でやってしまうのだ。

やってはいけないことをやったのが、君の師匠なのだ!
大乗仏教よりも酷い偽仏教でありながら、根本仏教とまで称している。
桐山氏の罪は重すぎるのだよ。
この事実をよく見なさい。そしてよく考えなさい。

ただ、あなたの「貪欲と健全な欲との区別がつかないようでは、
修行は進まないね。」というのは、そのままあなたの師匠に当てはまる。

あなたの考えでは、師匠もまた修行が一歩も進んでいないことになる。
スバラシイ見解だ。
その調子で思索を深めるように。
あなたの今後の精進に期待する。

499うサギ:2010/03/15(月) 15:49:42 ID:UtKVqJLA0
>>497ウサギちゃんは、過去レスに拘るならハンドルを犬にした方がいいよ。

余計なお世話じゃ、ど忘れボケ野郎のくせに! 朝何食ったか覚えてんのか?

ところで、>>495の深山さんのレス読んでどういう感想をお持ちですか?
準々シュダオンさんの考えであれば、
たとえば、ラーメン→カツ丼→餃子と注文が変遷しても
新しい注文が優先されるんですよね?

あなたは、そういう考えで行動をする人を
正常だと思いますか、と聞かれたら「はい」と応えますか?

500ラシン:2010/03/15(月) 15:56:29 ID:q4iXIS7Y0
>497 :準シュダオン:2010/03/15(月) 13:46:07 ID:agsP6ENM0
ウサギちゃんは、過去レスに拘るならハンドルを犬にした方がいいよ。

あなたがウソつきである証拠を出すことが、どうして過去に
拘ることになる?
あなたが過去に拘り、それを隠すためにウソをついたのでしょう?
恥ずかしい過去を消去したい気持ちは分かりますが、
そのためには、うサギさんを根拠無く侮蔑するなんて卑怯だと思わない?

>古い過去レスを咥えている人を見るとさw。
今日の私は、昨日の私ではないのよ、それが無常という意味よ。

これで分かる一つは、複数HNの過去レスを認めたことです。
もう一つは為した業(文章など)は消せるという間違った認識だ。
盛んに「縁無き衆生は度し難し」というならそれは中国産の
仏の三不能か?
その中の一つに「為した業は消せない」とあるが、あなたの都合で
論拠にしても、同じ根拠の一説が、あなたの主張を否定している
矛盾と支離滅裂さに気づかないでいる。
無常観もバカ丸出しですね、常ならざる世で常住不変は無く常に
変容していることを以て、過去の自説に蓋が出来ると思う幼児性は、
掲示板で群を抜いています。
自分の過誤を隠すために、仏教の無常観を改ざんするなんて、
そこまで桐山さんの真似をしないほうがよい。

>「商売繁盛祈願」も同じことでしょ。ある人によっては貪り祈願になるし、
ある人によっては健全な祈願になり得る。

一人を殺せば殺人だが、戦争で殺せば英雄だ、
として殺人という行為を認可するようなものです。
仏教において欲に健全欲などありませんよ。
欲が満たされると次の欲が生じて尽きないから、どんな欲も
捨て去るべきものとされている。
桐山さんからお釈迦は一切衆生を救済せんとする大欲を持っていた、
などと刷り込まれて、まあ、得意気によく喋るものだ、恥ずかしい。
どだい「縁なき衆生は度し難し」の意味を勘違いしているから、
引用も不適切です。

501準シュダオン:2010/03/15(月) 16:07:21 ID:agsP6ENM0
ウサギちゃんは、悪態吐くだけは一丁前だねぇw。
朝何食ったか覚えてるかって?
今日の朝ご飯は覚えてるよ。
でも、昨日の朝ごはんは忘れたよ。ウンコにしちまったからさ。
ウンコにしたのは忘れることにしてんだよう。

過去レスだってウンコと同じさ。あんた、ウンコ咥えて何しくさる?
だからハンドルを犬にしな、と言ってんのさW。
深山さんのレス?そんなの読む暇ないからスルーしてるさ。
あれもウンコレスに拘るほうだからさW。
あんたもあんなレス読んで感心してるようでは見込みないでえ。

私の最近のレス読んで勉強しなさい。若いもんは、今からでもシュダオンになれるでぇ。

502Boo:2010/03/15(月) 16:16:49 ID:iVNJKjNQ0
>494 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/03/15(月) 12:25:49 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんが信者時代に、知識を集めても、なんで修行が修行が進ま
>なかったか、理由がわかったよ。単純な真理を間違えていたからだね。
>単純な真理とは、
>貪欲と健全な欲とは、違うという真理だよ。これをあんたは理解していな
>かった。だから、如来は勿論、シュダオンにさえなれるわけがない。

準シュダオンさんの言われる、「アゴン宗において修行が進む」とはどういう状況ですか?
少なくとも、私が在籍していた数十年で「因縁を切った」という修行者は
一人も見聞していません。

503うサギ:2010/03/15(月) 16:43:06 ID:UtKVqJLA0
>>501若いもんは、今からでもシュダオンになれるでぇ。

自称準々シュダオンにすぎないあなたに
だれがいつ「シュダオン」になれると言えるのですか?

富士山の山頂に立ったことがないあなたが
どうして山頂からの眺めを説明できるのでしょうか?

それから、>>499の最後の質問に応えていただけませんか?
あなたのレスの2つ上の質問さえもすでに忘れてしまいましたか?
もの忘れが激しすぎませんか?

504ラシン:2010/03/15(月) 17:08:48 ID:q4iXIS7Y0
>501 :準シュダオン
>ウンコにしたのは忘れることにしてんだよう。
>過去レスだってウンコと同じさ。あんた、ウンコ咥えて何しくさる?

あなたは、ウンコ咥えていないわけね?
じゃあ、
思念の相承なんて経験もウンコで、
今は咥えていないんだな。

505ラシン:2010/03/15(月) 17:40:59 ID:q4iXIS7Y0
>代三九章 [768]如来の子孫 08/11/03 16:17 ZsBX9bFJxg
ここに書いたことの客観的証明は無理なのです。
それはラシン君の言うとおりです。そのとおりです。
客観的事実、証明できるものは、何を書いたか、です。
一度書いた内容は、もう消せません。

準シュダオンさんの過去レスです。
そしてユビさんのレスをエロ話しだとあげつらって、
自分のレスに比べて格段に品格が違う、
と自慢していた。
やはり、コックリ病で足許がふらついている?

506準シュダオン:2010/03/15(月) 19:32:19 ID:agsP6ENM0
ははは、うさぎちゃんも、批判派に騙されたらいけんぜ、完全な批判派に
成る前に、足洗いな。そうすれば、あんたもシュダオンに成れるぞよ。
准々シュダオンが、どうして頂上(シュダオン)が見えるのか?
と、いうことだが、8合目まで登った登山者には、頂上が見えるのだよ。

それを、2合目あたりでウロウロしている批判者がだ、8合目まで登った
私を、インチキダ、痴呆者とか騒いでる、可笑しいでぇ。
ウサギくんが、本当に解脱を願うなら、今からでも遅くはねえ。
批判派のアホレスを信望することなく、私の最近のレスを熟考してみることだ。

例えば、欲貪の話。貪りとは、欲深いことをいうのだよ!健全な欲は釈迦も
否定していないし、中村元博士も肯定している。
それを、批判派は、すべての欲はいけないみたいに、誤解している。
それじゃ、修行は進まないし、シュダオンにだって、なれるわけがない。

第一、衆生から、何かを祈願されたとき、それが煩悩か?健全な欲かを判断
できなくて、何が仏かね?祈願すべてが煩悩だ、なんていう仏はインチキだよ。
煩悩と健全な欲との区別をつけられること、それが修行の第一歩なのさ。
そのあたり、批判派は少しもわかっていないね。

507準シュダオン:2010/03/15(月) 19:50:05 ID:agsP6ENM0
それから、深山さんを、過去レスに拘る犬みたいにレスしたけどね、彼の
知性は優れてるよ。新皮質脳は、批判派でも群を抜いているだろうね、
戦争と競争の区別も、いち早く気づいていたしね。
その点、ウサギちゃんは誤解してはいけないよ。私は、批判派の意見をすべて
否定しているのではない。管長の教えを曲解している部分を否定しているだけね。

だが、惜しいことに、深山さんは間脳が開いていない。だから、知性だけで
あれこれ議論している。例えるなら、間脳は親の智慧で、新皮質脳は子供の
知識だよ。子供がいくら学校での知識を集めても、人生体験に養われた親の
智慧に勝ることはできないさ。そういうことだ。
思念の相承とは、いわば、親の智慧を与えられるような、感じだね。

子供は朝のご飯の内容を覚えている。親は忘れている。痴ほう症か?
だが、完全にボケるまでは、子供よりも智慧が優れているものさ!
アホうさぎちゃん、わかったかぇw?

508うサギ:2010/03/15(月) 20:03:01 ID:UtKVqJLA0
>>506それを、2合目あたりでウロウロしている批判者がだ、
8合目まで登った私を、インチキダ、痴呆者とか騒いでる、可笑しいでぇ。

逆に見えますが? つまり、

それを、2合目あたりでウロウロしている準々シュダオンさんがだ、
8合目まで登った批判派を、インチキダ、痴呆者とか騒いでる、
可笑しいでぇ。

だいたい、自称準々シュダオンがなんで「8合目」なんですか?
たとえば、「英検準々2級」は、「英検2級8合目」なんですか?
「準々」なのに?

>>506ウサギくんが、本当に解脱を願うなら、今からでも遅くはねえ。
批判派のアホレスを信望することなく、私の最近のレスを熟考してみることだ。

あなたの「ど忘れボケボケ」のアホレスを熟考??
こっちまで頭が変になりそうなので遠慮します。

それから、しつこいようで申し訳ないんですが、
>>499の最後の質問に応えていただけませんか?
それとも、応えたくない理由でもあるのですか?

それから最後に一言。

なにを偉そうに、「くん」付けしとんじゃ、コラ!
以前も指摘されてたけど、もう忘れてるよね?

そういうところが傲慢に見えるって気づいてますか?

509うサギ:2010/03/15(月) 20:21:32 ID:UtKVqJLA0
>>507管長の教えを曲解している部分を否定しているだけね。

これも、真逆に見えますが?

準々シュダオンさんが管長の教えを曲解しているか無知なので
批判派のみなさんが修正してあげているように見えますが?

つまり、あなたのほうがアゴン宗については詳しく知らない。
だから、批判派があなたの間違いを修正している場面がありますよね?
それなのに、間違いを認めないので「準シュダオン教」と揶揄されてますよね?
違いますか?

510ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/15(月) 20:24:24 ID:SmEF4Oe2O
>>494:準シュダオン10/03/15(月) 12:25:49 ID:agsP6ENM0
>単純な真理とは、
>貪欲と健全な欲とは、違うという真理だよ。これをあんたは理解していな
>かった。だから、如来は勿論、シュダオンにさえなれるわけがない。

あなたの言わんとしていることはわかりますよ。
護摩木に億万長者になるようになんてあさましい貪欲ではなく、もっと慎ましい
無事安泰でありますようにとささやかに願って何が悪い?と言いたいのでしょう?
それならばこちらも言いましょう。
こちらもそんな煩悩抱えていたら地獄に堕ちるで!なんてことは言いません。
しかし焚き火に生活の安泰無事を祈るなんて、それが本気であればあるほど
愚かな煩悩であることには変わりありません。
だからこんなものに囚われている限り輪廻からは脱出できません。
それだけのことです。解脱なんかしたくない人は護摩でも何でも依存しなさい。
ちなみに私は護摩木祈願などもうしないが、初詣には今でも行きます。
今年は南房総に温泉がてら安房神社、常楽山涅槃仏、那古観音ですか。
まあ観光ドライブのレジャーであり信仰でもなんでもないですけどね。
人並みにお賽銭投げて手を合わせて拝みますよ。
拝む内容はいつも困るのですが、とりあえずあなたと同じように今年の無事安泰を
念じます。我ながら無駄なことやっとるなと思いつつ煩悩にまで至らないのは
本気で依存しないレジャーだからですね。ラシンさんも書いている習俗慣習を
満喫しているだけの立場に過ぎない。
あなたのささやかなる護摩祈願とやらもこれと同じですか?
それならばまだ無害の面もあるが入れ込めば入れ込むほどアホに見えます。
草木も眠る丑三つ時に百目蝋燭を頭にかざして神社に詣でて呪いの五寸釘を
打つ絵を見ると思わず笑えるでしょ?
しかし護摩だって大して変わらないっすよ。大の大人が屋内で焚き火なんかして。
漫才ネタにならんかな?
「お前そんなことばかり言うとるといい死に方せんどー。お前を呪ってる奴多いでー」
「裏の拓ボン、この間怨敵退散の護摩焚いとったで」
そもそもあなたは常に護摩サービスをよだれを垂らして享受する無責任な在家
ばかり演じてばかりいるが、この護摩サービスをするのが仏教団体であることを
忘れんように。
釈尊は護摩を禁止した。しかし出家には禁じたが在家には禁じるまではしない。
しかし勧めないどころかやはり近寄らない方がよい。

511Boo:2010/03/15(月) 20:30:32 ID:iVNJKjNQ0
>>505 ラシンさん

爆笑ネタですね!!

準シュダオンさんの言いたいことは、自分は古いウンコをいつまでも咥えていない。
しかし、新鮮なウンコなら喜んで咥える、ってこと?

512ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/15(月) 21:15:08 ID:SmEF4Oe2O
>>494:準シュダオン10/03/15(月) 12:25:49 ID:agsP6ENM0
>単純な真理とは、
>貪欲と健全な欲とは、違うという真理だよ。これをあんたは理解していな
>かった。だから、如来は勿論、シュダオンにさえなれるわけがない。

初詣などでその場かぎりで「今年も無事でありますように」と念じるくらいなら
まだよいが、大仰に焚き火までして、どこかのキチガイ爺は念力の坩堝で念力を
増幅してどうこうだのもう本気モード。
ささやかなる現世利益を祈る善男善女のどこが悪い?と言うか?
しかし釈尊はそんな善男善女にもそろそろ自立しなさいねと教える教師なんです。
出家に禁じたものは在家も見習って手を染めないことが第一なんです。
煩悩を完全に断じるのが義務なのが出家ならば、在家は少しでも減らすようにする。
護摩のように欲望を煽ることには近づかない方がよい。
ささやかなる願望?そんな甘い許可を与えたら、あれもはずしこれもはずす
ことは目に見えているというものが知恵に他ならない。
君子危うきに近寄らず。離れておれ!
だいたい護摩が生活に必要か?
必要のないものをどうしてわざわざする?
準シュダオンさんの善男善女気取りの庶民感覚を批判しているのではない。
そんな善男善女の庶民も含めて正しい道を歩ませようという仏教がどうして
おつまみに護摩を食う、箸休めに護摩も食ってみる受動的立場ではなく
さあ、護摩木を食え!と勧める能動的立場にあるのだ?
わたしゃ管長でない在家の一庶民だから知らんよでいいのか?
こちらは仏教者ということになっている桐山管長を批判しているのだ。
ただよだれを垂らしているだけの客はすっこんどれ!

513ラシン:2010/03/15(月) 21:18:55 ID:Mt.F09l.0
>511 :Boo:2010/03/15(月) 20:30:32 ID:iVNJKjNQ0
>準シュダオンさんの言いたいことは、自分は古いウンコをいつまでも咥えていない。
しかし、新鮮なウンコなら喜んで咥える、ってこと?

Booさんのアイロニーは、よく理解できます。
Booさんの占術の知識を見る限り、アゴンを凌いでいますね。
桐山占術なんて、数多ある占断占術の上澄みを尤もらしい
価値をくっつけたゴッダ煮だから、その底の浅さを露呈してしまう。
奇門遁甲、四柱推命、風水や気学九星、宿曜占星の類です。
桐山さんは、これら碩学の師を越えたのか?
超えていないのは、一目瞭然ですね。
批判側は、これらの不思議や奇跡を否定などしていませんが、
桐山さんの実力は、ウソだと批判しているだけですよね。
しかしそれに便乗して、己の慢心を満足するための道具に
利用している準シュダオンさんの狡さを批判側は、決して見逃さない。
Booさんの知性で判断したら、許容範囲を超えてしまうでしょうね。
肥溜めの上澄みを美味しいと言える準シュダオンさんだからこそ、
ウンコにこれほどの拘りを発揮できるのでしょう。

514ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/15(月) 22:35:49 ID:SmEF4Oe2O
>>494:準シュダオン10/03/15(月) 12:25:49 ID:agsP6ENM0
>単純な真理とは、
>貪欲と健全な欲とは、違うという真理だよ。これをあんたは理解していな
>かった。だから、如来は勿論、シュダオンにさえなれるわけがない。

煩悩無尽誓願断を建前にでも掲げているから大丈夫なのではなく、煩悩無尽誓願断を
掲げるからこそ率先して無駄なものを排除するのです。

幸せ(煩悩無尽誓願断)なら態度で示そうよ♪ほら皆で護摩やめよ♪

幸せ(煩悩断)は歩いて来ない♪だから歩いて行くんだね♪
一日一歩♪3日で三歩♪三歩下がって二歩下がる♪(護摩壇から)

515伊藤:2010/03/15(月) 22:38:50 ID:rE9DI.Y.0
天照さんへ
メール送らせて頂きました。

516天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/16(火) 00:25:04 ID:L21ddAQM0
伊藤さん。メール拝見しました。
只今返事送りました。届くのにタイムラグが有る場合がございますが、
どうぞお読みください。ありがとうございます。

517孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/16(火) 00:57:30 ID:XUfb/HH.0
>>505 グジョブ!
準シュダオンさん、いくら無常といっても度を越すと醜いよ

518うサギ:2010/03/16(火) 05:24:06 ID:UtKVqJLA0
「准々シュダオン」さんは読み違いをしています。

それは、次の箇所です。
私は、>>503のレスでは、
「富士山の山頂に立ったことがないあなたが
どうして山頂からの眺めを説明できるのでしょうか?」
と質問しています。

それに対して、「准々シュダオン」さんは>>506で、
「准々シュダオンが、どうして頂上(シュダオン)が
見えるのか?と、いうことだが」と書き変えています。

つまり、私の質問には応えていません。
応えているふりをしているのか、ボケているのか。
いずれにしても、質問を読み間違えているので
そのあとの回答はまったく無駄骨です。

無駄なレスを書くのはあなたもいやでしょう。
これからは質問をよく読んで応えてはどうですか?

519ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 06:44:26 ID:SmEF4Oe2O
富士山の山頂なら新幹線からでも見えるがや。
東京からでも見えるがや。
>ボケ準

520ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 06:47:59 ID:SmEF4Oe2O
頂上からの眺めなら、あたしゃテレビで見たことがあると言ってやればよいですぞ。
>ボケ準

521ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 07:24:22 ID:SmEF4Oe2O
>>506:準シュダオン10/03/15(月) 19:32:19 ID:agsP6ENM0
>例えば、欲貪の話。貪りとは、欲深いことをいうのだよ!健全な欲は釈迦も
>否定していないし、中村元博士も肯定している。
>それを、批判派は、すべての欲はいけないみたいに、誤解している。

そちらこそ話のすり替えとわからない。
億万長者になりたいという強欲、貪欲でなく、家族を人並みに養っていきたいと
いう健全な願望ならよいと言いたいのだろうが、それを護摩に祈って叶えよう
という話はやはり愚かな都合のよい煩悩と言わざるを得ないのだよ。
家族を養おうと現実努力するなら煩悩ではないのだよ。
焚き火でなんとかしよう。これがあかんのです。

522ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 08:28:25 ID:SmEF4Oe2O
>>494:準シュダオン10/03/15(月) 12:25:49 ID:agsP6ENM0
>仮に、ユビキタスさんの修行が進んで、ユビキタス如来となった。
>で、扶養家族の多いある在家信者が、生活苦のあまり、「商売繁盛」と、
>護摩木祈願をした。ユビキタス如来は、その祈願を、煩悩の煽りである、
>として却下するわけだw。そんな如来様なんて有難いか?そんな如来は
>人々から石投げられよるわw。
>最低限の生活ができるように、衆生を愛護し、手立てを考えるのが如来の
>智慧でっしゃろ?

質問するが釈迦如来が衆生を愛護して病気を治したり、貧乏人に生活を保証する
だけの儲けを与えてやったなんてエピソードを書いた経典を出してみなさい。
釈尊が衆生救済を説いたのなら、そんな話がありふれてあってよいはずだ。
しかしそんな話は少しもない。
アヌルッダの話は針に糸を通してあげたという現実的な親切だけでしょ?
どうして「これを飲みなさい」「あ!座頭市の目が開いた!」なんてCM(古)
みたいな話がないのか?
コーサラ国の侵害から釈迦族を法力で救ったという話がないのか?

523ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 08:40:39 ID:SmEF4Oe2O
>>494:準シュダオン10/03/15(月) 12:25:49 ID:agsP6ENM0
>薬師如来の十二法(十二大願)を調べたことあるかいな。病気を除くだけで
>なしに、衆生の衣食住を満たし、すべての心願成就を叶えてやろうという
誓願ですよ。

一応桐山説を教えてあげますが、阿弥陀如来や大日如来などと同じく薬師如来なんて
ホトケも実在しないホトケ、空想のホトケ、お伽噺のホトケとしてるのですよ。
後世の大乗の創作話としている。
あなたは大乗との融合だのと言うが、これを出す時の桐山さんの態度ははっきりと
大乗を否定、批判している。
実在のホトケは釈迦如来だけなんだとしている。

>釈迦如来の六法よりも有難いですね。

おやおや?やはり釈迦如来に石を投げましたね。
ついでに桐山如来にも石を投げたことになる。

524天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/16(火) 09:00:48 ID:L21ddAQM0
準さんの得意技ですね。仏教のことを言ってたかと思えば、逆のことをいう。
これで高段から物を言うのだから、終わっている。
思考が支離滅裂になっているのが分かってないんですね。

525ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 09:07:27 ID:SmEF4Oe2O
>>497:準シュダオン10/03/15(月) 13:46:07 ID:agsP6ENM0
>昨日の私は過去に過ぎ去っているし、今の私は未来から来た私だよ。
>それが説一切有部の無常説だろ。そのあたりから勉強してうサギくんは、
>無常を理解しなさい。過去に執着する我見の愚かさをわかるまで。

これも桐山説を教えてあげますが、桐山さんは説一切有部であろうが経量部で
あろうが、そんなアビダルマの存在論自体本質を見失ったクダラナイものと
評価してるのですよ。
あなたの無常なんだからほっとけという乱暴な応対は因縁因果説をも否定しています。
原因があるから結果がある。前世の業があるから現世がある。
あなたはそれを全部無常で変化するのだから俺は知らんと投げ捨てた。
だったらあなたには桐山悪因縁なんか最初から無いことになる。
因縁?ぶわーかめ。そんな過去に作ったものなんか知るか?
つまりあなたは最初から因縁が切れており因縁解脱の修行の必要性がない。
つまり桐山さんの因縁解脱行を無意味と否定したのです。

>「極端を避けて中道の道」てのと同じことでしょう。
>体を苦しめる修行も誤りならば、楽だけしてる修行も誤りでしょ。
>欲深貪欲が誤りならば、食欲生存欲まで無くす無欲も誤りでしょ。

昨日から申し上げている通り論理のすり替えで、人として当たり前の幸福を
求めることは貪欲ではなく健全な欲だが、そこに護摩祈願でなんとかしよう
というのが入ると話は別なんです。
イージーな選択とも言え、あるいは自分が護摩でも焚くならば無意味な苦行でもあり
いずれにしても極端な道であり中道ではない。

> 「縁なき衆生は、お釈迦様でも救えない」、こんな単純な真理が、なんで
>わからないの?経典にも、お釈迦さまが救えなかったアホ弟子のことが、
>書かれているでしょ。

縁なき衆生の話を出したのはこちらではなくあなたです。
どういうシチュエーションであなたが用いたかというと、派遣切りにあい、
収入も住居もない人をどう救うかという命題を私が出したことに答えたものです。
なるほど、あなたによると釈迦も救えなかったアホ弟子とは貧乏な弟子でしたか?
労働意欲(修行意欲に置き換えられる)があっても。

526準シュダオン:2010/03/16(火) 09:15:21 ID:agsP6ENM0
ウサギくんの質問を取り違えていたよ。
富士山頂に立ったことがない者に山頂の展望を話せるわけがないだろうが。
あまりに当たり前の質問をするんじゃないよ。たしかに質問をよく読まな
かった私も不注意ではあったがね。
なにやら、食堂で注文を次々変える例も出してたが、そんなに注文変えたら
店の主人に怒られてしまうでw。あまり馬鹿馬鹿しい例を出すんじゃないよ。

朝令暮改でさえ、一日かけて変えるんだ。私が考え変えるのは、新しい発見
があったりした場合だよ。だからけっこうな時間がかかること多いさ。
とにかく、すべては無常であり、変化するんだからね、ウサギくんもだ。
だからあまり過去にこだわらんことだ。
変わらないのは真理だけだ。
諸行無常、涅槃寂静、などといった真理は変わらんだろう。

とにかく、貪りとは、欲深いことだ。だから深くない、普通の欲は煩悩では
ないのだ。ここを間違えたら、いくら修行したとてトンチンカンになって
しまう。護摩木祈願でも、煩悩祈願もあれば、健全な祈願もある。
次はそれについて、レスしてみよう。

527準シュダオン:2010/03/16(火) 09:39:40 ID:agsP6ENM0
普通の欲は健全だとしながら、護摩木に書いた祈願はすべて煩悩になると
いうのはおかしな話だろう。祈願を木片に書いて焚き火したとて叶うはず
ない、というのが科学的な人間でもある。商売繁盛は、努力、精進して掴む
ものだ、とね。

だが、信教は自由だ。釈迦の教えを信じるのも自由だろう。
釈迦如来の六法、一つは施において無量、一つは、衆生愛護において無量、
但し、如来のこの六法の加護を得るには条件がある。無条件に如来の六法
を得られるわけではない。その条件の一つは、如来を信じることだ。
信じるだけでもいけない。二つ目の条件は、何か布施供養をすることだ。
それが法則なのだから、如来にもどうしょうもない。

だから、護摩木代金は正法布教の布施供養となり、如来の加護を受けること
が出来る、という仕組みだね。但し、煩悩祈願はいけないし、叶わない。
ユビキタスさんなどは、煩悩祈願だから叶わなかったのだ。
連日、寿司屋に行って食べてるくらい、商売がうまくいってる人が、
「商売繁盛」なんて護摩木祈願をしたら、そりゃ、煩悩祈願かも知れんさ。
しかも、一ヶ月に百円護摩木たったの1本と、きてる。こんなケチ野郎には
大損させたれ!なんて如来様が考えても不思議はない。
ウサギくんは、よく考えてみることだ。

528準シュダオン:2010/03/16(火) 09:59:33 ID:agsP6ENM0
努力、精進してるのに、商売がうまくいかず、苦労してた人がいたとする。
生活は質素で、ご飯のおかずは沢あんだけだ。
この人が奮発して、千円護摩木一本に賭け、「商売繁盛」と書いた。
如来様がそれを見てて、ポツリぽつり、とお客さんを回すお手配をしてくれた。

やがて、この人は連日、お寿司屋さんに行ける状況になった。
そこで考えた。管長の本も読んで見た。そして「如来様はいるに違いない、
貪欲はいけないことだ。」そのように考えて、次の護摩木には、「煩悩断滅」
「因縁解脱」と祈願した。

と、そのように変化していくのが普通だよ。それを、商売がうまく行ってる
のに、更に多くと、いつまでも「商売繁盛」の祈願だけしてる。それが、
我利我利亡者の煩悩祈願でしょう。
我利我利でなければ、大欲だって、良いことでしょうね。

薬師如来の十二大願は、後世の人が、釈迦如来の六法に対して、もっと理想
的なものはないかと、作りだしたものであろうね。
釈迦如来より有難いね、とレスしたのはジョーク含みであることがわからないの?

529ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 10:17:26 ID:SmEF4Oe2O
>>526:準シュダオン10/03/16(火) 09:15:21 ID:agsP6ENM0
>ウサギくんの質問を取り違えていたよ。
>富士山頂に立ったことがない者に山頂の展望を話せるわけがないだろうが。
>あまりに当たり前の質問をするんじゃないよ。たしかに質問をよく読まな
>かった私も不注意ではあったがね。
>なにやら、食堂で注文を次々変える例も出してたが、そんなに注文変えたら
>店の主人に怒られてしまうでw。あまり馬鹿馬鹿しい例を出すんじゃないよ。

横レスですが、まだまだうサギさんの出した命題を理解してないですよ。
喩え話だけ理解して何を言わん問わんとしてるのか、ちゃんと書いてあるのに
読んでいない。
准々シュダオンであるあなたがどうしてシュダオンにいつ到達するか信者に
示せるのか?という問いです。
これに対してあなたは山頂に達してない奴に山頂からの眺望がわかるわけないじゃ
ないかと答えた。
つまりうサギさんの本当の問いに、はい、准々シュダオンに過ぎぬ私めに
後輩信者たちにシュダオンのことを話して勇気づける資格もありません。と回答
して自分の否を認めたことになることにまだ気がつきませんか?
いいかい?私だったらこう切り返しますよ。山頂の眺めの喩え話を使ってね。
山頂がシュダオンならば准シュダオンが9合目、8合目が准々シュダオンでしょうか?
私はまだ8合目にいて上を見上げるとまだまだ苦しいのですが、下界を眺めると
ここでもなかなか素晴らしい景色なんですよ。
山中湖が俯瞰できらあ。あるいは駿河湾が見えらあ。
おやおや下を雲が流れていくよ。なんて爽快な気分なんだ。疲れも吹っ飛ぶ。
下界からは考えられない絶景だ。2合目の樹林帯にいる人にはこの眺望は想像つくまい。
山頂はこれよりももっと素晴らしい眺めなんだろな。
でも山中湖の俯瞰は大差ないかな?
お鉢めぐりすれば火口も見えるし、反対側の南アルプス連峰も見えるはずで楽しみだ。
山頂にいつ着くか?もうしばらくかかるだろうが、ここまで来たら高山病に
かからずへばらずに足を前に進めていく限り山頂は約束されたようなものだ。
さらに頑張ろう。ここまで来れたのだから自信がある。
こんなふうに喩え話で答えてあなたの准々シュダオンの眺めを語ってみせて
シュダオンの境涯に期待を持たせればよいわけです。
ただし喩え話はうまくごまかせても、後者の現実生活の眺めはあなたには
難しいかもしれんが

530ラシン:2010/03/16(火) 10:17:53 ID:q4iXIS7Y0
>526 :準シュダオン
>だからあまり過去にこだわらんことだ。

拘るんじゃなく、先ずあなたの過誤を懺悔しなさい。

>とにかく、貪りとは、欲深いことだ。だから深くない、普通の欲は煩悩では
ないのだ。
>護摩木祈願でも、煩悩祈願もあれば、健全な祈願もある。

少欲知足を言いたいわけね?
だがあなたはそれを理解できていない、ベクトルが違うのよ。
意味は「欲を少なくして行き足るべきを知る」ということです。
家族愛のために祈願するその愛も、煩悩だ。
あなたは釈尊の禁止した護摩木に祈願する、と言うのだから、
違背であり向きが違うだろ?
法を遵守すべき警官が立ちションし少しの違法は罪じゃないと言うかい?
自分がいかにバカなことを言っているかくらい、自覚したらどうだ?

531ラシン:2010/03/16(火) 10:35:11 ID:q4iXIS7Y0
>だから、護摩木代金は正法布教の布施供養となり、如来の加護を受けること
が出来る、という仕組みだね。

釈尊に違背したアゴン宗の教義が正法?
商法のマチガイだよね。
また、如来が何を加護できると言うのだ?
加護を前提し期待することをオネダリ信仰という。
釈尊は修行者へ布施することは、清浄行を助ける善行と
認めてその善果のあることを説いている。
禁止されたマルチ商法で資金集めして護憲運動するのか?

532名無しさん:2010/03/16(火) 10:44:53 ID:0LR3Y0gg0
>>531
商法に笑いました。
言い得て妙。
「アゴンの教えは商法なり!」
儲かり末世w

533ラシン:2010/03/16(火) 10:55:36 ID:q4iXIS7Y0
>連日、寿司屋に行って食べてるくらい、商売がうまくいってる人が、
「商売繁盛」なんて護摩木祈願をしたら、そりゃ、煩悩祈願かも知れんさ。

おや、やっと懺悔する気になった?

>528 :準シュダオン
>如来様がそれを見てて、ポツリぽつり、とお客さんを回すお手配をしてくれた。
やがて、この人は連日、お寿司屋さんに行ける状況になった。

そして、次は高級ステーキを食べられるよう祈願するか?
その望みが適わないだけでなく寿司も食えなくなる状況を
諸行無常と言うのじゃないの?
そこで得られていたものを失うから、求不得苦なのです。
勝手に話しを都合よく創作しても、三文小説以下だ。

>釈迦如来より有難いね、とレスしたのはジョーク含みであることがわからないの?

あなたの存在じたいがジョークだと分からないの?
欲は次から次と漏れ出るから、その得失に左右され苦を生じる。
富士の八合目であろうがビルの八階であろうが、自分で登るのです。
どこかから業者手配されて吊り上げてもらうのか?

534ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 11:08:44 ID:SmEF4Oe2O
>朝令暮改でさえ、一日かけて変えるんだ。私が考え変えるのは、新しい発見
>があったりした場合だよ。だからけっこうな時間がかかること多いさ。

話の流れを再確認しましょう。
宜しいですか?あなたは総本殿からの思念を受けたなんて話を出したのは
迷っている信者に向けてのエールのサービスとして今回初めて出したと書いた。
深山さんがその嘘を見抜き、眠りブッダ時代のシネン体験を転載した。
これに対し、あなたは人の考えというものは変化すると言って逃げたつもりです。
あなたが眠りブッダさんとは別人ならば最初からそう主張して、変化の話など
出す必要がない。
ところが変化の話を出したのはあなたが眠りブッダさん本人であると認めたわけです。
5年前の眠りブッダ時代の私と、今の準シュダオンとしての私とは考えも変わって
いるのだから、いつまでも古いレスを持ち出すなと主張したわけです。
ところがこの問題は「考え方」の話ではないのです。
思念の話を出したことがあるかないかの「事実」の確認なんです。
あなたの物事の考え方、価値観なんて変化があろうとなかろうと最初から問題
にしておらない。
過去の事実だけを検証してるのです。
未来に起こることは未定でも過去に起こった事実は変わりません。
あなたは考え方と事実の区別もつかぬほど知恵がないか?

535うサギ:2010/03/16(火) 11:34:04 ID:UtKVqJLA0
>>526富士山頂に立ったことがない者に山頂の展望を話せるわけがないだろうが。

では、シュダオンの境涯にまだ達したことがない者が、
その境涯を正確に語ることができると思いますか?

>>526なにやら、食堂で注文を次々変える例も出してたが、そんなに注文変えたら
店の主人に怒られてしまうでw。あまり馬鹿馬鹿しい例を出すんじゃないよ。

これでは、質問に応えていない。答えは「はい」か「いいえ」になります。
>>499の質問をよく読んでから応えてもらえませんか?
そうしないと、無駄レスになってしまいますよ?
それとも、質問を読んだそばから内容を忘れてしまうのですか?

>>527こんなケチ野郎には大損させたれ!なんて如来様が考えても不思議はない。

護摩木1本を理由に「大損させたれ!」という発想自体がケチくさくないですか?
準々シュダオンさんから見ると、
如来様って、そんなにケツの穴の小さいシミッタレなんですか?

ああ、くだらん。アホくさ。

アゴン宗の自称「準々シュダオン」さんって
こんなことばかり考えているんですか??


それから、なんで「くん」付けなんやって?
何様のつもりやんやねん?
何回言われたら覚えるんですかね?
本当にボケてるんじゃないでしょうね?

536ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 11:51:20 ID:SmEF4Oe2O
>>527:準シュダオン10/03/16(火) 09:39:40 ID:agsP6ENM0
>だが、信教は自由だ。釈迦の教えを信じるのも自由だろう。
>釈迦如来の六法、一つは施において無量、一つは、衆生愛護において無量、
>但し、如来のこの六法の加護を得るには条件がある。無条件に如来の六法
>を得られるわけではない。その条件の一つは、如来を信じることだ。
>信じるだけでもいけない。二つ目の条件は、何か布施供養をすることだ。
>それが法則なのだから、如来にもどうしょうもない。

これがいつまでも自立のできない煩悩を抱えたあなたの勝手な解釈です。
これ以上得るもののない涅槃の境地を得た釈迦如来が尚も布施して求めるものは
精神的な喜びしかない。目の不自由なアヌルッダに対して針に糸を通す親切の施しを
してあげたのは全く見返りを求めない喜びです。
あなたがまだ若い時にお年寄りに席を譲った時(無いか…)、これをしたことに
よって自分に功徳があるからするのであり、何もなければ馬鹿馬鹿しい、するもんか
という立場だったのか?
アヌルッダが釈尊に「ほら、功徳を授けてやるよ」と褒美をあげたのか?
これを商売繁盛の御利益、最低限の生活基盤確保をゲットする話と関連つける
方がおかしい。
私も在籍していたことのあるアゴン宗信者にこんなにレベルの低い信者がいた
なんて、思わずこちらまで恥ずかしくなる。

537準シュダオン:2010/03/16(火) 12:25:48 ID:agsP6ENM0
ほとほと、ユビキタスさんは、我見がひどくて、救いようがないね。
釈迦如来の施において無量、とは、精神的とか、物質的とか、限定されない
のだよ。それを勝手に解釈してるから、我見というのです。
我見が一番の障害なのです。だからあんたは、修行が進まなかったのです。

もっというと、貪欲なんてのは、シュダオンになってから、断ずれば良い
のです。貪欲なんてのは、持ってて当たり前なのです。だから護摩木祈願
でも何でも、貪欲を持ってたら良い。シュダオンになってはじめて、欲貪の
何たるかがわかるのであって、シュダオンにもなっていない者が、貪欲を
断じる、なんて、生意気なこと言ってても、仕方ないだろうよw?

シュダオンになってから、貪欲を断じる修行が始まり、薄れると斯陀含と
いう聖者になるのだからさ。斯陀含でさえ、貪欲が切れてるわけではない、
のだからね。貪欲と健全な欲との区別もつかないユビキタスさんには、
全くお笑いだよ。まぁ、来世になって出直せばよいさ。

538準シュダオン:2010/03/16(火) 13:35:56 ID:agsP6ENM0
ウサギくんの、質問に、はい、か、いいえ、で答えよ!と言われてもさ、
その質問、読んでる暇がないのだから、答えようがないさw。
それに、はいかいいえで答えよ、なんて、そちらの方こそ何様かになって
るでぇ。
ちゃんでも、くんでも、呼び捨てよりましやんか。

それからな、このケチ野郎に大損させたれ!と言うほど、如来様のケツの
穴は小さいのか?という質問だがね。
わたしゃ、あり得ると思うよ。如来様は甘くはないのだ。
わたしの体験を話してやろう。何年も前の話だ。それまで、私は、「金運如意」
とか、「資金順調」とか「商売繁盛」の類の祈願はしたことがなかった。
金運は順調だったからだ。

で、何年も前の話だが、護摩木が1本余ったのだよ。百円のではない。
5千円か1万円のどちらかのだ。いろいろ身に迫ってる祈願は書いたし、
あと1本の護摩木には何を書こうか?で、何気なく「商売繁盛」のような
ことを書いたのだ。
そしたらなんと、その年に限って、大損よ!!

これは如来様が、
「こいつ、困ってもいないこと祈願しやがって、懲らしめたれ!」と、そう
思って私に罰を与えたんだよ。わたしゃ、そう思ってる。
だから、如来様は怖いでぇw。
それ以後、私は「商売繁盛」の類の祈願はしたことないよ、結構順調だから。
護摩木は真剣に願うことを記入すべきだと思うね

539準シュダオン:2010/03/16(火) 13:48:04 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんも、過去レスに拘るほうみたいだが、私は過去のハンドル名
と今のハンドル名が、同一人物なのか、別人なのか、明かさない主義だから
さぁ。だから、今のハンドル名で初めて書く内容は、すべて初めて言うこと
になるのさ。

それに気が付かないで、何時までも過去レス分析してる深山さんは、滑稽な
こった。ご苦労さんだよ、全く。私が明かさないうちは、すべて推測に
すぎないって、ことがわからんのかねW。
だから、愚か者、と言わざるを得ないのです。

540うサギ:2010/03/16(火) 14:28:41 ID:UtKVqJLA0
>>537もっというと、貪欲なんてのは、シュダオンになってから、断ずれば良い
のです。

自称「準々シュダオン」にすぎないあなたになぜそれがわかるのでしょうか?

>>538その質問、読んでる暇がないのだから、答えようがないさw。

質問を再掲載します。手間のかかる人ですね。
他の質問に応える暇はあるのに変な人だ。

【質問:準々シュダオンさんの考えであれば、
たとえば、ラーメン→カツ丼→餃子と注文が変遷しても
新しい注文が優先されるんですよね?

あなたは、そういう考えで行動をする人を
正常だと思いますか、と聞かれたら「はい」と応えますか?】

「はい」「いいえ」で応えるシンプルな形式なのに、
なぜ、いいわけが先行して、はぐらかすんですかね?
その上、答え方をあなたが勝手に間違えたのに、
それを指摘されたら傲慢だと怒り出す。
面の皮が厚い人だ。

>>538ちゃんでも、くんでも、呼び捨てよりましやんか。

あなたには最低限の礼儀を求めても無理なんですね?
「準々シュダオン」ってその程度なんだ。

>>538わたしの体験を話してやろう。

如来がそんなにケチくさいのかどうかという質問に
あなたの体験談は的外れ。よってゴミレス。

とりあえず、「はい」か「いいえ」を応えてもらえませんか?
それだけでいいですよ。

541ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 15:28:03 ID:SmEF4Oe2O
>>527:準シュダオン10/03/16(火) 09:39:40 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんなどは、煩悩祈願だから叶わなかったのだ。
>連日、寿司屋に行って食べてるくらい、商売がうまくいってる人が、
>「商売繁盛」なんて護摩木祈願をしたら、そりゃ、煩悩祈願かも知れんさ。
>しかも、一ヶ月に百円護摩木たったの1本と、きてる。こんなケチ野郎には
>大損させたれ!と如来様が考えても不思議ではない。

毎度思うのだが、どうして私のことを我利信仰だの煩悩祈願だのとどこからその
根拠を得ているのだろう?
何も根拠などはない。
私がアゴン宗の護摩木祈願であれこれ祈ったがちっとも叶わなかった、こんなもん
インチキに決まってるとか、そんな愚痴を書いているのなら、そのような指摘も
妥当かもしれない。しかしそんなことは書いた試しもない。
それでも根拠なく他人のことをこんな因縁つけるのは自分自身をそのまま投影
している。すなわち我利我利信者、煩悩祈願とは準シュダオンさんその人のことです。
これは彼の書き込み内容を読めば何も私が指摘するまでもなくギャラリーの皆さんは
判断できるでしょう。彼は煩悩こそが友人で一生手離してなるものかと書いている。
それから毎日寿司屋にも行くとか桐山さんのことかと思ったが、私はちっとも
裕福ではないが、私の初詣なんてまさにそれみたいに差し迫った焦りも微塵もない
ものですね。つまり本気本腰でお助けくださいなんて情けない祈願などせず
まあ正月の挨拶みたいなものです。自分のことくらい自分でなんとかする。
だから本気になるほど煩悩だと書いたでしょ?
対してあなたは取引信仰丸出しです。金持ちは金けちると大損させたるなんて
書いてる。あなたは収入の1割を布施供養すると自分なりの基準を書いたこと
ありますよね?
年収500万円なら50万円ですか。
解脱供養も2〜3体できて護摩木も千本はできる。
こんなに宗教に毎年金かけるのはなかなかいないが、アゴン宗の信者ならば
それも納得です。とにかく功徳の沙汰は金次第なんです。
見事な我利我利亡者です。

542ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 16:17:56 ID:SmEF4Oe2O
>>528:準シュダオン10/03/16(火) 09:59:33 ID:agsP6ENM0
>やがて、この人は連日、お寿司屋さんに行ける状況になった。
>そこで考えた。管長の本も読んで見た。そして「如来様はいるに違いない、
>貪欲はいけないことだ。」そのように考えて、次の護摩木には、「煩悩断滅」
「因縁解脱」と祈願した。
と、そのように変化していくのが普通だよ。

妄想にも呆れるが、そのように移行してくれぬことはあなたが証明している。
あなたは貪欲なんてシュダオンになってから断つことを考えればよいなんて書いている。
今現在シュダオンにはなっておらず準シュダオンか準々シュダオンなんだそうだから
まだ貪欲の退治なんて考えてもおらず、もっぱら貪欲の追求のみです。
こんなことでは永遠に改心も回心もない。
だからこういう人には御利益なんてない方が慈悲なんですよ。
人間は少し痛い目に遇わないと立ち上がらないものです。
可哀想なことに人生経験が乏しいのですね。いい年齢越えて。

>薬師如来の十二大願は、後世の人が、釈迦如来の六法に対して、もっと理想
>的なものはないかと、作りだしたものであろうね。

作り出すとは創作する、作り話を書くということと桐山さんは言っています。
だから作り話の薬師のお伽噺なんか出す方がどうかしている。
さて千葉マリンスタジアムのオーブン戦はロッテ7−2広島で終了でした。

543天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/16(火) 16:39:21 ID:u7JRCiR60
準さんの手段がいつも出ているわけですが、人の質問に答えたり関わろうとしない方法が
「準シュダ流」なんです。まともに答えたり質問に沿うと”批判派にやられる・巻き込まれて
勝てない”と分かっているからやろうとしないんです。
過去を見れば分かりますが、相手にできる・返答できる内容にはちゃんと答えやら意見を出すが、
自分の都合に合わない・まずいものには「読む暇がない」と言う始末。
あまつさえ、自分の理路や理屈を出すことで翻弄させたりはぐらかせたりしているつもりが、脳内で
管理できてないから支離滅裂な意見を展開して墓穴を掘っている。
でも、負けにはならないから「それでいいのだ」と未だにやっているんでしょう。
寂しさも空しさも感じないんでしょうなあ。道場で相手にされないよりはここなら相手してもらえる
から寂しくも空しくもないかw

準さんには「ブラフマダンダ」で接したほうがいいような気もしてきた今日この頃です。

544ラシン:2010/03/16(火) 16:48:28 ID:q4iXIS7Y0
>537 :準シュダオン:2010/03/16(火) 12:25:48 ID:agsP6ENM0
ほとほと、ユビキタスさんは、我見がひどくて、救いようがないね。

仏教で言う我見とは、自我の存在を是認する誤った見解の
ことですから、引用を正しくすべきで、ユビさんを断ずる
根拠も無い。
さて
以前あなたから正された三漏を覚えているか?
私は三毒と誤解し、その間違いを指摘されて、
あなたにお礼を言った欲漏・有漏・無明漏の三漏です。

あなたは言葉を超えて「貪欲」は預流果から切るべきものだから、
護摩木祈願の欲が健全なら、漏に拘らずに奨励すると言う?
結核患者が入院するまでは、バンバン喫煙しても構わない?
貸金利息制限法違反でも、裁判で負けるまでは断固徴収する?
表彰状を五回もいただいた身でありながら、恐ろしく反社会的ですね。

仏教は、百八つ煩悩を滅することで三漏にすべて集約されるという。
そのうちの欲漏は、欲望への妄執で仏教徒なら修行初期から滅すべき
相手です。
ですから「貪欲」の対語は「無欲」となっている。
修行者が克服すべき目的と達すべき状態です。
預流向になった時点で「貪欲」という穢れを理解できるよう、
三結を切ることから始めるのであって、貪欲滅は修行者の目的です。
さまざまな戒律と行の実践の結果、あなたが言うように薄れて来るのが、
斯陀含からだということであって、相対的プロセスと理解すべきです。
預流果を得たからさあ〜今度は、ここから貪欲滅の行番だなんて、
そんな安易なターニングポイントではない。
預流向から連綿と意識し実をむすぶ絶え間ない流れです。

>私は、「金運如意」とか、「資金順調」とか「商売繁盛」の類の
祈願はしたことがなかった。金運は順調だったからだ。

へ〜、金運が不調だったら祈願したと言うこと? 正直だね。
大威張りしたいなら、もうすこし”糞”張りなさい。

>539 私は過去のハンドル名と今のハンドル名が、同一人物なのか、
別人なのか、明かさない主義だからさぁ。

自分で自分を目隠して、見えないだろ、と豪語したのね? 
幼稚で知恵が無いね。
まあ、別にそこで強がらずとも、過去レスと最近のあなたの主張で、
事実は明らか、すでに自爆しとるがな〜。

545ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 16:53:52 ID:SmEF4Oe2O
>>537:準シュダオン10/03/16(火) 12:25:48 ID:agsP6ENM0
>釈迦如来の施において無量、とは、精神的とか、物質的とか、限定されない
>のだよ。それを勝手に解釈してるから、我見というのです。
>我見が一番の障害なのです。だからあんたは、修行が進まなかったのです。

では質問するが釈尊はアヌルッダの針に糸を通してやることで、どんな物質的
御利益を求めたのか?
そもそも出家して持ち物は頭陀袋と鉢一つだけの無一文の道を選んだ釈尊です。
よっしゃ!アヌルッダに親切を施した見返りの功徳で今晩はステーキにありつけるぞ。
戒律破って午後も食べちゃおうか?
それとも涅槃を得てしまったから来世がない。
それって寂しいからまた来世も生じて人生をエンジョイしようか?とか。

546ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 17:24:49 ID:SmEF4Oe2O
>>537:準シュダオン10/03/16(火) 12:25:48 ID:agsP6ENM0
>もっというと、貪欲なんてのは、シュダオンになってから、断ずれば良い
>のです。貪欲なんてのは、持ってて当たり前なのです。だから護摩木祈願
>でも何でも、貪欲を持ってたら良い。シュダオンになってはじめて、欲貪の
>何たるかがわかるのであって、シュダオンにもなっていない者が、貪欲を
>断じる、なんて、生意気なこと言ってても、仕方ないだろうよw?
>シュダオンになってから、貪欲を断じる修行が始まり、薄れると斯陀含と
>いう聖者になるのだからさ。斯陀含でさえ、貪欲が切れてるわけではない、

これを読んでペテン大作さんを思い出した。
彼は沙門果経を読んで、戒を修めることにより得る果報、定を修めることにより得る果報、
慧を修めることによる果報、解脱を得たことの果報を釈尊が順を追って個別に丁寧に
解説したのを、あたかも戒と定と慧がそれぞれ別々に段階を踏んで修めたものと
読んでしまい、批判側を定だけで解脱するはずがなく嘘つきだなどとピントはずれ
なことを書いていた。戒も定も慧も同時平行で修められたのです。
準シュダオンさんの三結断じてシュダオンになるとあり、さらに欲貪薄れて
シダゴンとなると書いてあるのを読んで、欲貪、貪欲の問題はシュダオンになってから
初めて取り組む課題であり、それまでは貪欲のままであってもかまわないとした。
笑える話で、出家であれ在家であれ仏門に入り仏道を志したその瞬間から
あらゆる煩悩を減らすように心掛けるものです。
ただ段階的に三結などは正しく理解できれば克服できるものだから比較的早く
断じてシュダオンになるというだけです。
貪欲を完全に断じることはできなくても少しでも減らすような努力は最初から
必要なのです。
それなくして後延ばしにしていては永久に貪欲をなくせません。
だから私は昨夜歌ったのです。
幸せ(煩悩断)は歩いて来ない♪だから歩いて行くんだね♪
一日一歩♪三日で三歩♪三歩下がって二歩下がる♪(貪りから)

今やらねばいつできる?
わしがやらねばたれがやる?

547ラシン:2010/03/16(火) 17:52:23 ID:q4iXIS7Y0
>準さんには「ブラフマダンダ」で接したほうがいいような気もしてきた今日この頃です。

天照さん
準シュダオンさんとは付き合いも長く、氏の性格は
だいたい理解できます。
常識を無視し、高位置からでないと自己主張も出来ない。
ゆえに議論で不利になると、相手を君付けした上位目線にすがる。
過去レスから逃げる割には、過去の自称栄誉に執着している。
掲示板での議論は、過去よりの蓄積と理解できないから、
修行の蓄積も理解できず、ある日パッと大悟できると、
期待する言わば、廃線された駅で電車を待っている迷子です。
匿名に隠れてアラシ行為はしないが、隠れんぼは好きで、
傲慢という尻尾を隠し忘れ、いつも誰かに踏んづけられます。
手塚治氏の「ブッダ」を愛読していたので、発想は漫画的です。
転勤が多かった環境ゆえ、イジメられ慣れした性格を形成した。
今は物欲の権化だが、昔は桐山さんの性格改善説に依存していた。
つまり議論で糾弾され網を狭められて開き直るしかない状態です。
だから無視ではなく、多少は手綱を緩めてあげないと可哀相です。

548ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 22:01:26 ID:SmEF4Oe2O
>>538:準シュダオン10/03/16(火) 13:35:56 ID:agsP6ENM0
>ウサギくんの、質問に、はい、か、いいえ、で答えよ!と言われてもさ、
>その質問、読んでる暇がないのだから、答えようがないさw。

レスをするのもしないのもあなたの自由です。
質問されてもスルーする選択肢もあります。
しかしレスをつけるならば必ず相手の書いていることを読むことです。
速レスなんかする必要はなく、暇ができてからじっくり読んで熟考の上レスすればよい。
読まないのだったらレスするな。
こんなレスの仕方が一番失礼にあたるのです。

>ちゃんでも、くんでも、呼び捨てよりましやんか。

あなたは前に注意されて私に対して「くん」付けするのをやめて「さん」に
改めました。私はその時その改善を素直に評価してあげました。
しかし根本的なことはあなたもわかっていなかったのですね。
私のみならず誰に対してもくん付けを使い分けるのは失礼なんですよ。

>で、何年も前の話だが、護摩木が1本余ったのだよ。百円のではない。
>5千円か1万円のどちらかのだ。いろいろ身に迫ってる祈願は書いたし、
>あと1本の護摩木には何を書こうか?で、何気なく「商売繁盛」のような
>ことを書いたのだ。
祈願の結果についてはあまりに馬鹿馬鹿しいのでコメントしませんが、なるほど
やはり護摩木の購入などは決してけちらず年間千本か2千本くらいは買っていた
のではないかと思われ、そのような金の投資は決してケチでもないことがわかり、
これは私の想像と一致しました。あなたは身体を使った労働奉仕を嫌いけちる
だけで万事金で安易に解決するタイプではあったと推理します。
法施グッズ欲しさに。
だから余りの1万円分も消化しちまおうと。しかも自分で書いて。
いや、批判してるわけでもありません。私も似たようなもんでしたし、アゴン宗
信者の典型例と言えます。
年収の1割を投じるというのも解脱供養などと合わせ、辻褄が合います。

549ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/16(火) 22:07:45 ID:SmEF4Oe2O
>>539:準シュダオン10/03/16(火) 13:48:04 ID:agsP6ENM0
>私は過去のハンドル名
>と今のハンドル名が、同一人物なのか、別人なのか、明かさない主義だから
>さぁ。だから、今のハンドル名で初めて書く内容は、すべて初めて言うこと
>になるのさ。
>それに気が付かないで、何時までも過去レス分析してる深山さんは、滑稽な
>こった。ご苦労さんだよ、全く。私が明かさないうちは、すべて推測に
>すぎないって、ことがわからんのかねW。
>だから、愚か者、と言わざるを得ないのです。

いえいえ、滑稽に見えるのも愚か者も全てあなたの方だとギャラリーはそう見ている
と思いますよ。

550天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/17(水) 06:48:32 ID:H6gH1Kas0
>>547 なるほど、そうでしたか。新参者の私には中々理解できないので、余していましたのですが
ラシンさんの説明には納得ができます。
私も一時期は「何かの理由があってこうなったのだろう。慈愛をもたねば」と思った時期もありました。
しかし、あまりにも程度が酷いので呆れてしまいました。
もう少し、考え直してみます。

551ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 08:19:15 ID:SmEF4Oe2O
>>543:天照 ◆MO30b8Jwoo10/03/16(火) 16:39:21 ID:u7JRCiR60
>準さんには「ブラフマダンダ」で接したほうがいいような気もしてきた今日この頃です。

ブラフマダンダ、すなわち完全無視の罰ですね。
しかし私は無視するよりもあんな準シュダオンさんでも使い途はあり役に立つ
こともあると思っています。昨日はレスをつけながらとりわけそれを強く感じた次第。
準さんがあそこまでひどく仏教を曲解し、自分の都合のよい欲望を満たす道具に
していることに改めて呆れたのですが、同時にこうも思った。
他の信者さんだって五十歩百歩であることに各自気がついてほしいということです。
2ちゃんねるでは昨日こういう外部からの感想投稿があった。

>542:神も仏も名無しさん :2010/03/16(火) 08:04:51 ID:jKFaTbCF
>ちょっとご縁があって、キリヤマさんの本読んだけど、けっきょく彼の因縁解脱とか法力って、
>「最小限の努力で、うまいことやって運を良くしたい」とか、
>「病気や不幸の不安から、お手軽に救われたい」
>というだけのことだと思う。
>ここでまじめに仏教教義について議論しているひともいるみたいだけど、
>じつは仏教教義に関心があるというよりも、それ以前に、
>ほんとうの関心は、上にあげた「お手軽」に「うまいことやって」美味しい思いをしたい、
>というのが本音なんじゃないかなあ。
>ところがキリヤマさんがインチキで、「お手軽で美味しい」はずの話が、そうではなかった、
>だからみんな怒っている、という程度のレベルのような気がする。
>そもそも、あの程度の低いキリヤマさんの本に、騙されるという時点で、かなり問題あると思います。
>これを言っちゃ悪いかもしれないけど。
>むしろ、かえってインチキで良かったんじゃないかな。
>だって、おかげで、生きているうちに目が覚めることができたんだから。

この人が言うには決して批判している人に対して牽制しているのではなく
あくまでも未だにアゴン宗にしがみついて離れない人を評したのだという。
このスレならばまさに準シュダオンさんがこれに該当する。
信者さんは準シュダオンさんの書き込み内容の醜さを読んで「自分はあそこまで
ひどくない」と思うでしょう。
しかし程度の差こそあれ根っこは共通であることに気づいて欲しい。

552ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 08:38:15 ID:SmEF4Oe2O
>>543:天照 ◆MO30b8Jwoo10/03/16(火) 16:39:21 ID:u7JRCiR60
>準さんには「ブラフマダンダ」で接したほうがいいような気もしてきた今日この頃です。

準シュダオンさんはこう書いている。

>>538:準シュダオン10/03/16(火) 13:35:56 ID:agsP6ENM0
>わたしの体験を話してやろう。何年も前の話だ。それまで、私は、「金運如意」
>とか、「資金順調」とか「商売繁盛」の類の祈願はしたことがなかった。
>金運は順調だったからだ。

>あと1本の護摩木には何を書こうか?で、何気なく「商売繁盛」のような
>ことを書いたのだ。
>そしたらなんと、その年に限って、大損よ!!
>これは如来様が、
「こいつ、困ってもいないこと祈願しやがって、懲らしめたれ!」と、そう
>思って私に罰を与えたんだよ。わたしゃ、そう思ってる。

ラシンさんが指摘しているように今は金運順調だから欲張りな祈願をしたら
罸があたるが、しかし悪くなってきたら金運如意の祈願をしちまえばよいと表明
したようなものです。
実に都合がよい話ですね。安易に欲望を叶える道具としているわけです。
人生なんて決して自分の思うようになるものではないのです。
それを現実努力ではなく安易に祈願することで不自由なく暮らそうとする。
これのどこが健全な欲望なのだ?
そこで信者さんは準シュダオンさんのぶちまけた醜い煩悩を他人事だとは思わず、
あそこまでひどく表現していないだけで、やってることは同じだと認識してほしい。
2ちゃんねるの外部の方の批判を受け止めて考えてほしい。
その為には私やラシンさんなどの反論突っ込みも準さん自身に通じなくても
他の信者さんの為に必要です。
と言うのは私だって信者時代は「年に1度お山に登る時は、常に真摯、ひたむき、
切実たる自分でありたい」などと美しく見える言葉で自分を美化してきた。
しかし皮を剥けばなんてことはない、都合のよい欲望に過ぎない。
これはやはり示されないと結構気がつかないものなんです。
だから準シュダオンさんという極端に醜い発言をする人の例というのは
他の人に気づかせるためのよい道具、資源として活用できるのです。

553準シュダオン:2010/03/17(水) 10:36:12 ID:agsP6ENM0
天照さんに言うが、私は議論で勝ち負けを意識してはいない。
勝った負けたというのも、我見だからね。読む価値ないと思うスレはスルー
してるだけさ。時間限られてるからね。スルーされたレスは、そう因縁だと
思って居れば良いだけの話でしょ。

ユビキタスさんの、「では何を期待して釈迦はアヌルッダの縫い針に糸を
通してあげたのか?」という質問だが、お釈迦さまは、具体的な果報の
内容までは考えていないと思うよ。
ただ、善行には善果があるし、悪業には悪果があるということでしょう。
「業報応因縁」と、釈迦が説いてるように、慈心を持って施行することは
善業ですからね、善果を招くでしょうよ。

だから、お釈迦さまは、慈心でアヌルッダの針に糸を通してあげる施行を
したのでしょう。どのような善果を期待したのか?なんて、果報の内容まで、
立ち行って考えるのは、我見ですよ。どんな結論を出そうと、私共の我見
ですから、そこまで考える必要はないと思いますね。

554無関係な人間です:2010/03/17(水) 11:34:36 ID:wZL3Amd20
すみません、2chで書き込みを拒否されてしまったので、こちらに書かせて下さい。
ユビキタスさんの551の書き込みとも関連します。申し訳ありませんがお許し下さい。

>>542
 私は20年前に阿含宗の信徒の友人達から執拗な勧誘を受けた経験があります。
その時に阿含宗の本を読み、阿含宗や桐山氏の主張には根拠がないと考え、今日に
至っています。
 が、このサイトを拝見し、自分の考え以上に阿含宗が問題のある集団である事を知り、
当時の考えの浅さを痛感しております。

 ところで、542の文章を拝見し、自分なりに感想があります。
 馬の前に人参をぶら下げて走らせるという表現がありますが、因縁解脱という人参を
目の前にぶらさげられたら、御利益を求めて走り出す人間がいても不思議ではないと感
じます。
 ただ、何故、当時、かくもたくさんの人間が因縁解脱という人参の存在を信じたか。
もちろん、桐山氏のカリスマ性もあるでしょうが、当時の時代背景もあるとあると
思います。
 その数年前に五島勉という人物がノストラダムスの予言を紹介し、1999年に
世界が滅亡するという本を出版してベストセラーになりました。心ある宗教者は
この本を批判しましたが、カルト系統の宗教はその風潮にのり、勢力を拡大しました。
オウム真理教が跋扈した時に、この本の影響が指摘されていますが、桐山氏は
1999年に地球が滅ぶとかいう本を出していますから、当時の風潮に便乗した
人間だと言えるでしょう。
 当時も社会不安の傾向がありましたが、桐山氏は頭のいい人ですから、その世情を
たくみに利用して、教団の拡大に成功したと言えるでしょう。
 私の知る限り、阿含宗に入信した人間は真面目で、知的な人が多かったです。
(むしろ、私のように頭が悪く、不真面目な人間は頭からバカにしていました。)
何故、優れた人々がカルトに入信したのか。その問いに自分はまだ答えを見つけて
おりません。
 騙されたというのは簡単ですが、私はこれらの状況を実際に見聞しているので、
少し違う感想を持っています。

 強欲で好色な詐欺師がインチキ宗教をでっち上げ、善男善女を騙して私益を
むさぼったという程度の理解ではないと思いますが、やはり表現には誤解を生む
部分があったと思います。
 ただ、後で、釈明をされたのは誠意のある、立派な態度だと思います。

 私は、自分も騙された可能性はしたと考えています。
そして、自分の恥部をあえてさらし、警鐘をならす人々は素直に偉いと考えています。

 違う意見を出しましたが、発言者の人格を毀損する意図はありませんので、
ご理解下さい。

追伸

 太平洋戦争の時も、昭和の初期に日本と米国が戦争をするという本が何冊も出て、
ベストセラーになっています。その本の心理的な影響を指摘する発言もあります。

555ミケ:2010/03/17(水) 12:20:47 ID:/oTguwQk0
天照さん、
わたしもアク禁くらっているのでこちらに書かせてください。
削除ミスで迷惑をかけてごめんなさい。
フォローしてくれた名無しさん、ユビキタスさん、ありがとうございました。

2CHのスレの住人を地獄の周りをうろつく亡者と形容した部外者からのレスがありました。
早くここをでなさいと。
(外者を装う新手の懐柔策だという指摘もありましたが)
いまカルト脱会の本を読んでいますが、
脱会を自力で果たした人は逆に
説得に抵抗して最終的に脱会した人よりも脱会後のケアがより必要だそうです。
深山さんの連投レスがまたぞろ2CHの擁護側から粘着という非難を浴びていますが、
退会者にとってそれは間接的なカウンセリングの役割を果たしていると思うときがあります。
お釈迦様もグラデーションをかけたリフレインで延々と説法しています。
制御された妥協のない批判レスが果たしてきた役割は、
過去ログを読んでいるとと甚大だと実感します。
ペテン大作さんが深山さんを憎悪する気持ちには、
両価的なものがあるかもしれない。
カルト依存から抜け出るプロセスには悲憤も憎悪もあり、
病んだ深さは人によって違うし回復に失敗する人もいるかもしれない。
わたしは過去に心の地獄の釜の蓋があいてしまったことがあり、
知らない自分がそこにいてショックを受けました。
恥をさらけ出し周囲に糾弾されながらけじめをつけてやっと閉めることができました。
人の持つ回復力の可能性を信じていたい気持ちです。

556深山:2010/03/17(水) 12:39:49 ID:SzEZnLdY0
>>507 :準シュダオン:2010/03/15(月) 19:50:05 ID:agsP6ENM0
>それから、深山さんを、過去レスに拘る犬みたいにレスしたけどね、彼の
>知性は優れてるよ。新皮質脳は、批判派でも群を抜いているだろうね、

犬みたいな知性だとほめていただいて恐縮です。
たしかに、私は準シュダオンさんと違い、議論の中心であるアゴン宗とは関係なしに、
シツケの悪い犬みたいに、準シュダオン教を吠えまくるようなことはしない。
反論できないと「つまらないから読まない」などと負け惜しみは言わない。
また、議論して負けそうになると「うさぎちゃん」「うさぎくん」などと
上から目線でマウンテングを始めたりはしない。
これを何度も注意されても、すぐにこの癖を出すようなことはしない。
シツケの悪い犬は飼い主に対してさえもマウンテングするものです。
たしかに、準シュダオンさんを見ていると、シツケの悪い犬を連想させますし、
ご自身も自覚があるのは良いことです。
てっきり自覚すらないのかと思っていたのです。
誤解してすみません。

557ラシン:2010/03/17(水) 12:40:32 ID:q4iXIS7Y0
>553 :準シュダオン:2010/03/17(水) 10:36:12 ID:agsP6ENM0
天照さんに言うが、私は議論で勝ち負けを意識してはいない。
勝った負けたというのも、我見だからね。

そのように思われるのは、あなたの慢心を
桐山虎の威を借りて満足したいが為の
自己顕示欲を示すカキコだからです。
桐山擁護にならないし、阿含経も曲解している。

>ただ、善行には善果があるし、悪業には悪果があるということでしょう。
「業報応因縁」と、釈迦が説いてるように、慈心を持って施行することは
善業ですからね、善果を招くでしょうよ。

業報応因縁なんて大乗仏教的解釈に頼る必要も無い。
在家も出家も区別無く他者へ善を向ければ、
それは施となるのです。
無一物の釈尊やの修行者が物でお返しを考えるか。
あなたの浅ましい信仰で解釈しないでください。

>だから、お釈迦さまは、慈心でアヌルッダの針に糸を通してあげる施行を
したのでしょう。どのような善果を期待したのか?なんて、果報の内容まで、
立ち行って考えるのは、我見ですよ。

相手が何を聞いているのか理解できないのは、
あなたが我執に囚われているからか?
祈願に健全な欲を認めるあなたのマチガイが、
釈尊の施行を貶めている。
あなた流でいえば善果を期待していることになるから、
ではそれは何だ? との問いです。
あなたの祈願は、返ってくる何かを期待するものだろ?
あなたの上記の主張で言えば、それは我見じゃないのか。
1+1=3から出発しているから、永遠に答えが合わないのよ、
あなたの場ヤイは、、、。

558ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 12:45:03 ID:SmEF4Oe2O
>>553:準シュダオン10/03/17(水) 10:36:12 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんの、「では何を期待して釈迦はアヌルッダの縫い針に糸を
>通してあげたのか?」という質問だが、お釈迦さまは、具体的な果報の
>内容までは考えていないと思うよ。
>ただ、善行には善果があるし、悪業には悪果があるということでしょう。
>「業報応因縁」と、釈迦が説いてるように、慈心を持って施行することは
>善業ですからね、善果を招くでしょうよ。
>だから、お釈迦さまは、慈心でアヌルッダの針に糸を通してあげる施行を
>したのでしょう。どのような善果を期待したのか?なんて、果報の内容まで、
>立ち行って考えるのは、我見ですよ。どんな結論を出そうと、私共の我見
>ですから、そこまで考える必要はないと思いますね。

その通りだと思いますよ。善因楽果、悪因苦果は釈尊も認めるところであり
善いことをすることにやり過ぎることはないと言いたいわけです。
釈尊の場合、涅槃を得てもう来世に生じないわけですから、来世に善い報いを
受けることさえ超越してしまっている。
だから果報は何でもよいではなく、果報は度外視という立場のはずです。
それでも私もまだまだ施しをして幸福を求めたいんだと弟子に示しているその本意
を読み取るべきです。
ケーキでもお饅頭でも僕はどちらでも構わないよなんて話には間違ってもならない
わけです。
だからこの釈尊がアヌルッダに親切の施しをした話と、護摩木代を布施したのだから
願いが叶うなんて話を混同してはならんのですね。
片方は見返りを求めぬ(実際に善い果報があるかないかは別として)純粋な施しで
もう片方は単なる取り引きです。
釈尊は取り引きの入る布施を拒みました。
ある時、釈尊の説法を聴いたバラモンがその内容にいたく感動し、お返しばかりに
おやつを供養としたら、釈尊は「詩を唱えて得たものは私は食うてはならぬ」と
自分の立場を説明して頑なに拒まれたのです。
そこまで純粋に与える時は与えるのみ、受ける時は受け取るのみと、取り引きを
極力否定したわけです。

559深山:2010/03/17(水) 12:46:05 ID:SzEZnLdY0
>>507 :準シュダオン:2010/03/15(月) 19:50:05 ID:agsP6ENM0
>だが、惜しいことに、深山さんは間脳が開いていない。だから、知性だけで
>あれこれ議論している。例えるなら、間脳は親の智慧で、新皮質脳は子供の
>知識だよ。

早速、恒例の犬の遠吠えが始まりましたね。
桐山さんと同じで、現実には何の力もないから、妄想の世界で力を誇ってみせる。
カンノーカンノーと真言みたいに唱えていないで、間脳とはどんな脳なのか、
桐山さんも本で解説を引用しているから読んでください。
機能の一つとして食欲、性欲、睡眠欲を制御するなど、身体の機能を制御する脳です。
この脳が霊能力と関係するという桐山説は何一つ証明されていない。
こんな程度の珍説は世の中にたくさんあり、証明されない限り、
シツケの悪い犬が無駄吠えしているのと変わりない。
間脳や脳性理学を出して一見もっともらしい話に仕上げているだけで、
何の根拠もないばかりか、証明もされていない。
桐山さんやあなたのどこが食欲、性欲、睡眠欲を制御しているのだ?
間脳はこれらの原初的な生物の欲望を制御しているのだから、
ここを意図的に制御できるというなら、これらの欲望も制御できるはずです。
だが、現実の桐山さんも準シュダオンも制御するどころか、
俗人丸出しで、これらの欲望のままに生きています。

560深山:2010/03/17(水) 12:51:33 ID:SzEZnLdY0
>>507 :準シュダオン:2010/03/15(月) 19:50:05 ID:agsP6ENM0
>だが、惜しいことに、深山さんは間脳が開いていない。だから、知性だけで

二人とも食欲に任せて食べ続けて生活習慣病から脳梗塞になり、
それでも懲りずにまだ桐山さんは食いしん坊を自称し、あなたは酒すらもやめられない。
桐山さんはEDになっても愛人がいた。
桐山さんもあなたも夜更かしが大好きで、身体の睡眠サイクルが崩れている。
あなた方が食欲、性欲、睡眠欲を見事に制御しているのなら、
間脳を開いたとか、制御しているとうぬぼれてもいいだろうが、全然、ダメじゃない。
二人とも普通の人よりもはるかに食欲が強く、未だにそれが押さえられないのに、
そのあなた方のどこが間脳が開いたことになるのだ?
それとも、間脳を開くとは食欲、性欲、睡眠欲を貪るという意味ですか。
無知とはいえ、よくまあ恥ずかしくもなく書くものだと、毎度あなたのツラの
皮の厚さにはあきれる・・・・あ、もしかして、間脳を開くと面の皮がブ厚くなるとか。

561深山:2010/03/17(水) 12:55:14 ID:SzEZnLdY0
>>507 :準シュダオン:2010/03/15(月) 19:50:05 ID:agsP6ENM0
>だが、惜しいことに、深山さんは間脳が開いていない。だから、知性だけで

間脳を開いて、霊能力を獲得したと言っている桐山さんが、
存在しない18人の霊障武士を霊視した?
同時期に生きていたソンディを異母兄の生まれ変わりと霊視した??
同じ死者を何度も解脱供養したばかりか、生きている人を解脱供養した。
桐山さんにはまるっきり霊視能力なんてありません。
間脳が開いたから霊能力を獲得したなんて嘘なのがわかる。
インドでの白銀バイブを桐山さんだけが感じたのは、彼だけが間脳が開いていたからだという。
桐山さんは間脳で受信した白銀バイブで1999年の地球壊滅を予言した。
だが、1999年には何も起きなかった。
白銀バイブが間脳が開いている証拠にもならなければ、
間脳を開いたことが霊能力の覚醒であるという桐山説もこれで否定された。
桐山さんの間脳開発とやらは、こうやって桐山さん自身によってすでに否定されているのです。
だが、記憶も理性も崩壊しつつある準シュダオンさんにはこういう現実は
何の効果もないらしい。

562深山:2010/03/17(水) 12:59:38 ID:SzEZnLdY0
>>507 :準シュダオン:2010/03/15(月) 19:50:05 ID:agsP6ENM0
>だが、惜しいことに、深山さんは間脳が開いていない。だから、知性だけで

桐山さんは本で、間脳障害による人格変換を引用して、間脳を開いたから、
人格が向上したと言いたいらしい。
だが、桐山さんのどこが人格が向上したのだ?
桐山さんのカッとなる性格は今も昔も何も変わっていない。
その典型が20年前の「このバカつまみ出せ」です。
だが、あれはたまたま例祭という信者の前で馬脚を現しただけで、
桐山さんがああやって人を怒鳴りつけるのは珍しくもない。
すぐにカッとなって、無意味なことで怒鳴りつける。
ひどい場合には、自分が悪いのに職員をしかった。
13運動の時、「誰がこんなことを許可した!」と信者の前で職員をしかりつけた。
だが、自分が許可を出したのを忘れていたのです。
桐山さんは信者の前で大恥をかいた。
だが、そこからが桐山さんのすごいところで、その職員は翌年には
退職するしかないくらいまで追い込まれた。
今回も自分が護摩木を減らしたのに信者たちを叱りつけた。
昔から、桐山さんは何も変わっていない。
とどまることのない名誉欲、生活習慣病になっても押さえられない食欲、
自分の責任はいっさい認めず、壮大な言い訳を作る癖、
すぐにカッとなって人を怒鳴りつける癖。
そして、何よりも虚言癖。
小学校の先生が桐山さんの親に注意したのはおそらくこの虚言癖でしょう。
事実、彼は偽ビールという嘘やアゴン宗という嘘で人を騙し続けた。
人格変換どころか、小学校時代から今に至るまで桐山さんのこれらの
悪い面は何にも変わっていない。

563深山:2010/03/17(水) 13:03:56 ID:SzEZnLdY0
>>507 :準シュダオン:2010/03/15(月) 19:50:05 ID:agsP6ENM0
>だが、惜しいことに、深山さんは間脳が開いていない。だから、知性だけで

人格変換が起きるのは間脳の異常だけではありません。
あなたも桐山さんも知らないらしいが、脳梗塞で人格が変わることは珍しくない。
脳の一部が機能しなくなるのだから、人格が変わるのも当然です。
また、身体や言語に支障が出れば誰でも憂鬱になる。
意欲が失われ、それまでイケイケドンドンだった人がおとなくしなって
しまったケースもあります。
脳梗塞で倒れた後、外見まで老けてしまう人もいます。
桐山さんも準シュダオンさんも小梗塞や脳梗塞を何度も起こしているから、
人格が悪い方に変わってしまうのは当たり前です。
それは間脳が開いたのではなく、脳梗塞という病気です。
桐山さんをそういう目でみるとわかりやすい。
名誉欲は昔からあったが、それが露骨にでてきたのはインドでの白銀バイブの後です。
チベットからの法位法号に始まり、露骨に金を出して名誉を買うようになった。
あれはインドでの脳梗塞で新皮質が壊れ始め、理性のブレーキがきかなくなったからです。

564深山:2010/03/17(水) 13:10:30 ID:SzEZnLdY0
>>507 :準シュダオン:2010/03/15(月) 19:50:05 ID:agsP6ENM0
>だが、惜しいことに、深山さんは間脳が開いていない。だから、知性だけで

準シュダオンさんにも明瞭な変化が見られた。
あなたは2004年の脳梗塞の中継の前後では人格に明瞭な変化が見られる。
それまでは「ユビキタス様」などと丁寧な態度を取っていたが、
脳梗塞の後は、言葉遣いも乱暴になり、謙虚さが消えて、
代わりに激増したのが、罵りと自惚れです。
それまでもなかったわけではないが、まるで体裁をかなぐり捨てたように、
露骨な罵声を繰り返し、○○君などと上から目線や、
呼び捨ても平気でするようになった。
つまり、準シュダオンさんの場合、間脳が開いたのではなく、
理性を司る新皮質が崩壊しつつあるのです。
理性によってあなたは罵りや自惚れを押さえていたが、小梗塞で新皮質の崩壊が
すすみ、これらが露出するようになったのです。
なぜなら、罵りや自惚れの背景にある怒りや慢心とは生物が進化する過程で
獲得した資質ですから、新皮質の理性が崩壊しても、これらだけは残ります。
よく老人になって、色事を隠そうすらしない人がいるのは、
理性の新皮質が崩壊し、本能だけがそのまま残ってしまったからです。
桐山さんやあなたも同じで、理性や抑制である新皮質が崩壊しつつあるから、
羞恥心が失われ、侮蔑や怒りや自惚れを露出させるようになった。
さらにあなたの場合、新皮質だけでなく、記憶力が失われつつあるから、
海馬など他の部位も崩壊しつつあります。
そこから推測すると、あなたの脳を断層撮影すれば、特定の部位の崩壊ではなく、
全体の萎縮が見られるはずです。

565深山:2010/03/17(水) 13:15:49 ID:SzEZnLdY0
>>507 :準シュダオン:2010/03/15(月) 19:50:05 ID:agsP6ENM0
>だが、惜しいことに、深山さんは間脳が開いていない。だから、知性だけで

タバコはいくらなんでも吸っていませんよね?
だったら、あなたが桐山さんのように大激震にみまわれても、命が助かる可能性は高い。
桐山さんもタバコをやめていたから、あんな程度で助かったのです。
タバコをそのまま吸っていたら、1996年が桐山さんの死亡年だった。
あなたも桐山さんも間脳が開いたではなく、脳梗塞で脳が崩壊しつつあるのです。
知性や理性が失われた分、妄想がひどくなり、現実を認識できなくなっただけです。
これは議論とは関係なしにあなたのために助言するが、
とにかく医者に行き、脳の断層撮影を受けてください。
あなたに限らず、誰もが老化する。
だが、今の生活習慣では、下手すれば桐山さんと同じように激震にみまわれます。
医者が「何も問題はありませんよ。あなたの脳は30代の人と同じだ。
間脳がすごく発達していますね」と折り紙をつけてくれればそれでいいではないか。
だが、あなたは断層撮影を受けるのが怖いのでしょう?
私から指摘されたことはいちいち思い当たることがあるだけに、あなたは怖い。
現実を見るのが怖いから「おれのは脳梗塞ではない。間脳が開いたから、
総本殿から無料で白銀バイブを受信したのだ」と妄想にしがみついている。
実はその恐怖はあなたに残された理性の一部です。
脳の崩壊が進むと、その恐怖心すらもなくなり、ついにはあなたは完全解脱してしまう。
理性が残っているうちに治療を受けることです。

566準シュダオン:2010/03/17(水) 13:17:21 ID:agsP6ENM0
うサギちゃんのレスを今読んだ。
ラーメン→カツ丼→餃子、と注文が変遷した場合、最終的な注文が優先する
か?ということだが、ラーメンが出来上がった後での注文変更の場合は、
私が店の主人ならラーメン代も頂くよ。

しかし、「ラーメンお願いします、いや、カツ丼がいい。ラーメン取り消して
カツ丼にします」と、2〜3秒後に変更する場合は、後からの注文が優先する
に決まってるさ。当然でしょ?だから、くだらない質問はするなというのよ。

朝食食べたか覚えてるか?という質問は、良い質問だね。昨日の朝食は、ウンコ
にしちまったが、覚えてるよ。一昨日の朝食は、忘れてしまった。
しかし、3日前の昼食の内容は覚えてるし、一昨日の夕食も覚えている。
どや、うサギちゃん、私はまだ、呆けてないだろう?
う詐欺ちゃん↑と出て変換し直したよW、だから忠犬にハンドル変えろ、ての。

「商売繁盛」の祈願護摩木で、大損した体験は面白くなかったかえ?
わたしは、自分の体験こそ、根拠にしてるからね。
貪欲煩悩と健全な欲との違いは、準々シュダオンの私にも、明確にはわから
ないさ。但し、御馳走指向を止めるのは良いが、食欲や生存欲まで無くして
自殺未遂まで行ったら、明らかに行き過ぎでしょ?

だから、むやみやたらに、欲を無くすのは間違いだってことね。
考えたらわかるでしょ。あなたは若そうだから、今からでもやり直しは可能さ。
だからレスしてるのよ。
ユビキタスさんは、来世にならないと、やり直しは出来ないだろうね。

567ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 13:18:00 ID:SmEF4Oe2O
>>553:準シュダオン10/03/17(水) 10:36:12 ID:agsP6ENM0
>ただ、善行には善果があるし、悪業には悪果があるということでしょう。
>「業報応因縁」と、釈迦が説いてるように、慈心を持って施行することは
>善業ですからね、善果を招くでしょうよ。
>だから、お釈迦さまは、慈心でアヌルッダの針に糸を通してあげる施行を
>したのでしょう。どのような善果を期待したのか?なんて、果報の内容まで、
>立ち行って考えるのは、我見ですよ。

誤解のないように訂正すると釈尊がアヌルッダに親切の施しをなしたのは
「善行をすることに限りなどない」と言いたいが為であっても、「善行により得る
果報に限りがないからこれを受けたいと思う」という話にはならないでしょう。

568ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 13:24:32 ID:SmEF4Oe2O
>>566
あなたの場合来世になっても直せないと思います。
天照さん。次章のタイトルですが「進む脳内崩壊・老人介護病棟」にしましょうか?

569天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/17(水) 13:34:20 ID:cpHdkYAw0
>>553 私が勝ち負けの是非を言いましたかね?私も無論勝ち負けなど考えてないですね。
また、ラシンさんも深山さんもユビさんもどなたも私がかつて擁護側であって、それがそれが
批判側に変わったとき「天照に勝った」と書いた人は一人もおりません。また言ってもいない。
勝負じゃ有るまいし、勝ち負けなどありえません。

あと、確かにスルーの如何はその人の判断によるでしょう。
逆を言えば相手にされるだけまだマシ、ともいえます。
本当に皆から相手にされなくなったら、マジのブラフマダンダの発動です。
それもその人の判断ですからね。まあ、自然に任せます。

570天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/17(水) 13:36:18 ID:cpHdkYAw0
早くも49章のサブタイトルですかw 候補にしておきますね。
思わず笑ったのは内緒(内緒じゃないじゃん)

>来世になっても直せないと思います。

そう思うのはユビさんだけじゃないのも内緒w

571準シュダオン:2010/03/17(水) 13:39:43 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんの、「准々シュダオンであるあなたが、どうしてシュダオンに
なる時期を示せないのか?」とかのレスもあったね。
私の定義
准シュダオン   →戒取と疑惑を断じて、我見が薄れた状態。
准々シュダオン  →戒取と疑惑を断じて、我見が残ってる状態。
准々々シュダオン →煩悩一つだけ断じた状態。
准々々々シュダオン→煩悩すべて、取り揃えております。
と、いうことなのです。
准シュダオンは流動的な存在ですから、油断するとすぐに准々々シュダオン
に後退したりします。

わたしは準々シュダオンですから、あと我見を断ずれば、シュダオンです。
我見は、倶舎論説では、有身見、辺執見、邪見、見取見、戒禁取見、の五つ
にわかれていたと思う。このうち、わたしは、邪見と見取見、有身見が少し
残っていると思う。

しかし、あと1年か2年で我見を断って、シュダオンに到達する予定です。

そうしたら、管長にオーラが出ているか、見てもらいに行く予定です(冗談です)。

572ラシン:2010/03/17(水) 13:48:45 ID:q4iXIS7Y0

>566の準シュダオンさんの反応を見れば、
>560〜>565の深山さん診断の説得力を増す。

相手から「あなたおかいしいよ」と言われて、
その通り「私、あおかしいアルヨ」と自己証明する
そのバカッ正直と言うか、恥を厭わない姿勢は、
賞賛に値する、拍手。
そして未だに質問の意味を理解できないのか、
それとも必死で誤魔化しているのかの何れかで、
ヌケヌケと回答する愚行を見せつける。
自身を客観的に観察できないとは、やはり深山さんが
指摘する脳の萎縮が起きているようだ。
これって、認知症の初期段階です。
私の先輩にあたる知人が若年性のそれであったが、
自己防御には異常なほどの理論武装が出来た。
しかし、俯瞰的視点で三択判断は不得手だった。
攻撃性は異常に強く、自説に異常にこだわる。
他人の意見は一切聞かず、自傷行為を起してしまう。
準シュダオンさんの時に見る自爆行為は、その一端だろう。

573うサギ:2010/03/17(水) 14:46:22 ID:UtKVqJLA0
>>566私が店の主人ならラーメン代も頂くよ。

また、>>499の質問には応えていませんね?
「はい」か「いいえ」しか応え方はないんですけど??
よって、またもや、ゴミレス乙です。
何度か同じことを説明しているはずですが、
まだ理解できないのならば、日本語を正確に読み取る
能力に欠けてるのではないですか? では簡単に、1行で書きますね。

【応え方は「はい」か「いいえ」ですよ?】

これで、理解できましたか?

>>566朝食食べたか覚えてるか?という質問は、良い質問だね。

この質問に対してあなたは自分で回答したことをもう忘れたのですか?
まだ、2日しか経っていませんよ?
>>501 準シュダオン:2010/03/15(月) 16:07:21 ID:agsP6ENM0
ウサギちゃんは、悪態吐くだけは一丁前だねぇw。朝何食ったか覚えてるかって?今日の朝ご 飯は覚えてるよ。】
こうなると、「>>566どや、うサギちゃん、私はまだ、呆けてないだろう?」
というあなたの台詞がむなしく響くのはなぜなんでしょうね?
2日前の自分のレスさえ忘れてしまっているなんて・・・・

>>566う詐欺ちゃん↑と出て変換し直したよW

なぜ、「うサギ」というHNなのか気づいていないのはあなただけでは?
あなたは、誤変換をしてもまだ、私のHNの真意を理解していませんね?

>>だから忠犬にハンドル変えろ、ての。

人のことごちゃごちゃ言えるんか、コラ。
じゃあ、「準々シュダオン」とHNを変えろや、ボケ野郎!
あなたのレスの>>571のとおりであれば、
「準々シュダオン」とHNは不正確な表記ですよね? 
あなたは、虚勢を張っているのでしょうか?
それとも、単純に、間違って表記しているのでしょうか?
あるいは、わざとウソを書いているのでしょうか?

574うサギ:2010/03/17(水) 14:50:40 ID:UtKVqJLA0
>>573 訂正します。すみません。
誤:「準々シュダオン」とHNは不正確な表記ですよね? 
正:「準シュダオン」というHNは不正確な表記ですよね?

575ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 15:08:28 ID:SmEF4Oe2O
今日はあまりにアホらしいので、ブラブラダマダマ(なんじゃ?それ)ではないが
適当に流す。

>>566:準シュダオン10/03/17(水) 13:17:21 ID:agsP6ENM0
>う詐欺ちゃん↑と出て変換し直したよW、だから忠犬にハンドル変えろ、ての。

ようやくそこに気付いたか?w

>考えたらわかるでしょ。あなたは若そうだから、今からでもやり直しは可能さ。
これがわからん。あなたはどうしてうサギさんが若いと判断したのか?
私にはおおよその年代すら見当もつきません。

>>571:準シュダオン10/03/17(水) 13:39:43 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんの、「准々シュダオンであるあなたが、どうしてシュダオンに
>なる時期を示せないのか?」とかのレスもあったね。

正確に言うともともとの問いはうサギさんによるものなんだよね。
何番かわかる?

>准々々々シュダオン→煩悩すべて、取り揃えております。

すると、今度の選抜高校野球大会、あれって去年の秋の大会から勝ち抜いてきた
チームが選抜された。優勝は1校のみだ。
千葉県あたりだとブロック予選があり県大会出場が決まる。
県大会で勝ち抜いた2校が関東大会に行ける。ちなみに千葉県は昨年の秋季関東大会
の開催県だったので特別に3校枠だったが。
関東大会で上位に進んだチームが今回選ばれました。
21世紀枠とかその他の基準もあるが。
さて、千葉県のブロック予選で1つも勝てずにコールド敗退したチームは
準準準準準準準・・・・・優勝ってわけね?
いずれにせよ、あなたはわたしゃ準々シュダオンなんだから、自分よりも下がいる、
そいつらよりも上だと示したわけだ。

>しかし、あと1年か2年で我見を断って、シュダオンに到達する予定です。

これは正直私も少し心配しています。
桐山さんの寿命も心配だが、あなたの場合は発作が起きて入院になったりしないか
心配なんです。そんな不幸はいかな私でも望んでないので、酒など飲まずに
十分に注意してください。

576うサギ:2010/03/17(水) 15:16:30 ID:UtKVqJLA0
>>571准々々々シュダオン→煩悩すべて、取り揃えております。

「准々々々・・・」ってずっとやってろw
ずーーーーーーーーーーーーとやってろw

アホか。「々」が10個ついたらどうなるんですか?
それでも、「シュダオン」の域にとどまってるんですかね?

以上、独り言だから、準々シュダオンさん、読み飛ばしていいですよw

577準シュダオン:2010/03/17(水) 15:32:11 ID:agsP6ENM0
わたしのレスもよく読め!う詐欺くん。
とレスされたら気分悪いだろ?だからハンドル変えろ、と言ったのさ。
准シュダオンと準々シュダオンは、流動的なんですよ。
シュダオンから、安定するのです。だからシュダオン果、というのです。
准シュダオンと準々シュダオンは、午前と午後で、入れ替わったりするのです。

「うサギ」の意味なんて、私は知りませんよw。説明聞かなきゃ、知らないの
が普通です。有詐欺?という意味ですか?
朝食食べたの忘れたか?の回答忘れたか?
と、言ってもねえ、今日の時点でいう、朝食とは3月17日の朝食を意味し、
昨日の時点での朝食は、3月16日の朝食を意味しますよ。

だから、昨日の「昨日の朝食はウンコにしたから忘れた」という、ウンコは、
3月15日の朝食のことなのよ。おわかり?なんか「うさぎ」ちゃんは、
飲み込みが悪いみたいだよ。自分のドタマの悪いこと棚に挙げて、私の日本語
のせいにするんじゃないよ。うサギちゃんのドタマでは、管長の話を誤解して
批判派の屁理屈に翻弄されるのも無理ないわな。

それから、わたしの過去レスには拘るんではないよ。ハンドル違う場合の
過去レスはなおさらだよ。そんなレス、ウンコ扱いしてんだからさ。
因縁の洗い出し現象を体験した後と、前ではレス内容が違ってくるしさ、
思念の相承受けた後と、前ではレス内容が違ってくるしさ、同じなのが
おかしいくらいさ。また、同じ体験話すにも、1年後に話すのと、3年後に
話すのでは違ってくるしね。

578うサギ:2010/03/17(水) 15:47:51 ID:UtKVqJLA0
そういえば、準々シュダオンさん、

【「ちゃん」付け、「くん」付けはやめろ。】

あなたに、ごくふつうの礼儀を求めるのは無理なんですね、
と聞かれたら、あなたは「はい」と応えますか?

もしかしたら今これを読んで、私から初めて、
こんなこと求められてる気がしてませんか?
あなたは他人に、「ちゃん」や「くん」をつけている自覚はありますか?
それとも、今初めてそれに気づいたように感じていませんか?
もしそうだったら、忘れっぽいのもあまりに度を超してますから
今までのあなたの失礼な言葉はすべて水に流しますよ?

579準シュダオン:2010/03/17(水) 15:48:53 ID:agsP6ENM0
例えば、3人の名簿事件レスしたね。無意識に3人の名前にチェックしてて、
翌日3名に会った事件。最初、立ちくらみとか、居眠り状態とレスしたけど。
何日か後で、コックリさん状態かも、と付け加えた。そのように時間が経てば、
同じこというにも、表現が変わったりするものさ。

これが将来は、催眠状態で云々、とレスするかも知れん。
そういうことだよ、うサギちゃん。
ついでに書いておこうか、私は、過去の一時期、ごく近所の親族の人と、
同一ハンドルで、交代でレスしたことあるよ。同じ文体になるように努力は
したけど、出来栄えはよく覚えていない。そして、数は少ないが、なりすまし、
をされたこともあるよ。批判派か、擁護派かは知らんが、わたしのハンドル名
気に入ったらしくて、勝手に書いてたね。わたしは沈黙してた。
匿名の掲示板は、そういうものだろうからね。
だから、過去レスに拘るのは、愚かなんだよ。

プロになれば、過去レスの改ざんさえ、可能だろうしね。

580準シュダオン:2010/03/17(水) 16:00:26 ID:agsP6ENM0
「ちゃん」付け「くん」付け、に、本当に悪い気分を抱く人が居るんだな、
と、初めてわかったね。わたしゃ、くん付けだろうが、ちゃん付けだろうが、
いっこうに気にならないしね。うサギさん、といわれると安定するのかい?

では、今後はそうしよう。
が、あちこち読んでレスするのは、今までどおりだからね。

581ラシン:2010/03/17(水) 16:03:57 ID:q4iXIS7Y0
571 :準シュダオンより
拝啓 桐山ゲーカ様

私はアゴン宗批判掲示板でカンチョウの悪口を
言う輩に必死でゲーカの擁護をしております準
シュダオンと申します。
勝手に準シュダオンと名乗るのは、今から6年余
なんとぅお!総本殿より白銀バイブを受信し王者の
思念相承を確信したからでごじゃります。
ゲーカのあまねくデンパをタダでいただき間脳を
開花させれまスた、勝手にイカンノーとお叱りを
受けるやも知れませんが、どうかお許しを、、、。
しかし〜ボクは過去五回もヒョーショゥー状を受け、
手塚治漫画の「ブッダ」で学んでアゴン教義を
ふか〜くご理解申しあげておるんでごぜーますへへへ。
ボン行はケチっても、アゴン教義にかけちゃ〜、
僕の左?いや右に出る人はいないんじゃないかと思います。
現に、ゲーカのご説明不足を掲示板で何度も補っており、
準シュダオン教だね、な〜んて褒められちゃってますし、へへ。
ボクはゲーカの弱味などは、決して出さずウマク隠して、
批判側に引用してますから、どんゾご安心くださいまシ。
こうみえてもボクは、公人としても社会ホーシしてますから。
それもこれも金銭余裕があるのは、ボクの祈願リキの賜物で、
だからボクァ〜、決してアゴン宗を放さないぞ、イイダロ?
な〜んて夕闇につつまれながら、こ〜の窓辺に〜云うゾウ〜。
あっ、ついついアゴンの素晴らしさに酔ってスまいまスた。
法事で一杯機嫌でして、いや〜酒って分かっちゃいるけど、、、。
そこで僭越でごじゃりますが、ゲーカ様にオネゲーいたします。
ボクも多分あと1年か2年でシュダオンでっす、マチガイない!
これはボクじゃなくカンノウが教えてくれているのです フフフ。
時々、聖なる青白い鼻が垂れますが、これってオーラの前兆かな?
なんて気づいちゃうのです、ふふふヴアックション!ズル(鼻啜る音)
批判側は副鼻腔炎ジャネ?なんて揶揄しますが、
それ言うなら福比丘縁とのご縁ですよね、フアックション!(ズル)。
どうかオネゲー申し上げます、その時はゲーカ、いや官長様〜、
どうかボクのシュダオン果をご賢察の上、誤認定玉割りますよう、
謹んで申し上げまッス。 敬具 準シュダオン拝

さ〜て、これで散々このボクを否定した批判派のヤツラに、
頂門の一針を串刺しにしてやれるワwふふふフアックション!(ズル)
二階から、目薬注すようなレスばかりつけやがって、今に見てろ(ズル)
ボクァ〜、過去のウンコはすべて流したんだ、いましてるのが新ウンコ。
このボクのスンゴイ実力をウ〜ンコ見せてやるカンナ!(シュッシュッ)
ま、そん時でもボクァ〜、奢り昂ぶりなんかしないもんネ。
な〜にが上位目線だ?言うなら上意目線だわ、シュダオンじゃからの。
けどみんな〜バカじゃね、とは思ったりするかもwww(ズル)

582うサギ:2010/03/17(水) 16:21:50 ID:UtKVqJLA0
>>577准シュダオンと準々シュダオンは、午前と午後で、入れ替わったりするのです。

そうなんですね。では、午前と午後でHNが入れ替わらないのはなぜですか?
あなたにとって、あなたの過去レスは「ウンコ」なのですから、
HNが、そのときどきによって入れ替わってもあなたにとっては不都合はありませんよね?
違いますか?

>>577有詐欺?という意味ですか?

すばらしい! よくわかりましたね! さすが、準々シュダオンさん!
もしかして天才ですか? 「サギ」は「詐欺」にかけてるなんてよく気がつきましたね!
もちろん、キリ山師が詐欺師だから、というところまで理解してますよね?

>>577朝食食べたの忘れたか?の回答忘れたか?
と、言ってもねえ、今日の時点でいう、朝食とは3月17日の朝食を意味し、
昨日の時点での朝食は、3月16日の朝食を意味しますよ。

へえ、そうなんですか。
じゃあ、1つの質問にずっと、好きなだけ応え続けてください。
よかったら、ボケ防止のために毎日報告し続けてはどうですか?

>>577自分のドタマの悪いこと棚に挙げて、私の日本語のせいにするんじゃないよ。

私は親切にも、質問を「1行」にまとめて提示したのに、未だに回答なしですか?
「自分のドタマの悪いことを棚に挙げて」いるのはあなたですよね?
あなたは、たった1行の質問にも応えられないのですか?

>>577それから、わたしの過去レスには拘るんではないよ。ハンドル違う場合の
過去レスはなおさらだよ。そんなレス、ウンコ扱いしてんだからさ。

つまり、あなたの過去レスはウンコ。
HNが違えばなおさらウンコ。
では、ついさっきのレスも今では過去レスだからウンコ。
結論としては、あなたのレスは書き終えた瞬間からウンコ。
そういうことになりますね?

583うサギ:2010/03/17(水) 16:27:38 ID:UtKVqJLA0
>>580

ご丁寧に回答ありがとうございます。

584ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 17:47:02 ID:SmEF4Oe2O
>>579:準シュダオン10/03/17(水) 15:48:53 ID:agsP6ENM0
>例えば、3人の名簿事件レスしたね。無意識に3人の名前にチェックしてて、
>翌日3名に会った事件。最初、立ちくらみとか、居眠り状態とレスしたけど。
>何日か後で、コックリさん状態かも、と付け加えた。そのように時間が経てば、
>同じこというにも、表現が変わったりするものさ。

>これが将来は、催眠状態で云々、とレスするかも知れん。

そのすり替えでうまく逃げたつもりですか?
そうは問屋が卸しませんよ。
その名簿事件におけるあなたの表現の変化はこちらは変化とすら認めません。
あなたが自分で書いているように同じことを違う表現で示しただけだからです。
なるほど、立ちくらみとも居眠りともコックリさんとも催眠状態とも、あなた自身
これはどういうものだったろうかと思っているのを上手く表現しようとしても
なかなかしっくりせずにその都度表現を変えることは、こちらにも想像がつき
納得がいきます。だからあなたは自分の体験した事実自体を変えたりはしていない。
だからコックリさんにした時にも私はそこを突っ込んだりしなかったのです。
それなりに筋の通った話と評価しています。
しかしその程度の変化を今回の件に適用するのが間違いなんです。
眠りブッダと名乗る人は総本殿方向より思念のようなものを受けたと供述したのです。
一方今回の準シュダオンさんは今まで書いたことのない思念の相承を信者の為に
初めて書いたと供述した。
もし眠りブッダ=準シュダオンならば、この変化は名簿事件の変化とは比較には
ならない過去の供述の否定です。
眠りブッダ≠準シュダオンならば何も一個人の供述内容の変化について示唆する
必要などこれっぽっちもない。
同じ内容を違う言葉で変化させて表現することと、内容そのものを変化させる
のとは比較の対象にはならない次元の違う話です。
だから準シュダオンさん。あなたは単に「そう言えばそんなことも過去に書いて
いたんだね。すっかり自分でも忘れていたよ。ハハハ。初めての提示というのだけは
訂正しておこう」と認めれば、こちらも それ以上非難なんかしないのです。
大きな問題でないのだから最初からそのように認めればいいものを、必要のない
嘘で塗り固めていくところが桐山さんそっくりで、参考になります。

585ラシン:2010/03/17(水) 18:05:19 ID:q4iXIS7Y0

準シュダオンさんの予想レス

>575 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 15:08:28 ID:SmEF4Oe2O
>ようやくそこに気付いたか?w

そんなことは前から知っていただけで、言わぬが鼻としたの(ズル)

>これがわからん。あなたはどうしてうサギさんが若いと判断したのか?
私にはおおよその年代すら見当もつきません。

バカだね〜ユビ君は、知識の限界を出すんじゃないよ。
ボクなんか旧ウンコと新ウンコを区別する知恵があるのよ。
うさぎちゃんをボクの得意とするウンコ占断でみれば簡単さw。

>正確に言うともともとの問いはうサギさんによるものなんだよね。
何番かわかる?

ハハハ、いかにもユビ君らしいこだわりだね、それを我見というのよ。
桐山先生も過去の詐欺事件にこだわっているかい?チン黙はキンて知らないの。
ダメ元信者君は、過去に縛られているからシュダオンになれないのさ、わかった。

>すると、今度の選抜高校野球大会、あれって去年の秋の大会から勝ち抜いてきた

いやな奴だね〜、あのねボクの熱癇脳はね〜そんな長文 読んでる鼻から(ズル)
忘れちゃうの! だから〜スルースルッて言ってんでしょ?ったくも〜。
熱燗もう一丁っていう無常なのさ。

>心配なんです。そんな不幸はいかな私でも望んでないので、酒など飲まずに
十分に注意してください。

酒を避け ろ? 変なシャレw、この準シュダオンさんには余計なお世話ですな。
ボクは因縁をずいぶん切ったと自覚してるわけさ、そういう確信があるのよw
「酒を飲んでも飲まれるな」ってことわざがあるでしょ?
意味はね、「人の酒を飲んでも自分の酒は飲まれないように」ですからね。
だからねユビ君の心配など、古いウンコなのです。
わたしはね、注意深くてケチだから大丈夫ですよ。
ボクのウン命はねウンメ〜酒という原動力さ、だから酒陀恩という善果よウフフフ。
なになに? 回答が尻滅裂だって? 言うことがいつも下品だね。
わたしの大悟したジョークなど、ダメ元君には無理かな〜 ウイ〜 ッシュ!

586ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 20:11:55 ID:SmEF4Oe2O
第82回選抜高校野球
(3月21日〜4月1日 阪神甲子園球場にて開催)

優勝→1校
準優勝→1校
準々優勝→2校
準々々優勝→4校
準々々々優勝→8校
準々々々々優勝→16校


よしっ!山形中央も準々々々々優勝だ!
(↑失礼な!)

587ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/17(水) 20:48:34 ID:SmEF4Oe2O
>>571:準シュダオン10/03/17(水) 13:39:43 ID:agsP6ENM0
>准々々々シュダオン→煩悩すべて、取り揃えております。

「君ぃ。煩悩が全然切れてなくて丸出しじゃないか?」
「無礼な!準々々々シュダオンに向かって何を言う!」

588無関係な人間です:2010/03/17(水) 21:01:26 ID:wZL3Amd20
今週発売の週刊新潮に阿含宗の大々的な広告が掲載されていました。

589天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/17(水) 22:22:36 ID:cpHdkYAw0
無関係さん、情報ありがとうございます。
ちょうど歯医者さんに通っていてそこで置いてあるんですが、そろそろ広告の時期だと見てたんですが、
先週のだったので広告は掲載されてませんでした。本屋で読んで見ます。

590孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/18(木) 00:15:40 ID:XUfb/HH.0
>>566 たしかに準シュダオンくん きみの体験談はおもろかったよ。
「怖いでぇw」とかのニセ関西弁とか文章とか言い回しが酔っ払いっぽくて面白いんだよね。

しかし忠犬ってきみにこそふさわしいと思うがね、それを皆感づいてるしさ それでもって君がそんなこと書くから余計おかしいんだよ。

591ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/18(木) 08:37:56 ID:SmEF4Oe2O
>>554:無関係な人間です10/03/17(水) 11:34:36 ID:wZL3Amd20
> 馬の前に人参をぶら下げて走らせるという表現がありますが、因縁解脱という人参を
>目の前にぶらさげられたら、御利益を求めて走り出す人間がいても不思議ではないと感
>じます。
> ただ、何故、当時、かくもたくさんの人間が因縁解脱という人参の存在を信じたか。
>もちろん、桐山氏のカリスマ性もあるでしょうが、当時の時代背景もあるとあると
>思います。

時代背景もありますが、それだけでなく各自の心の弱み、隙についてきた部分が
大きいですね。その隙は人によりけり違うでしょうが、各自の煩悩を投影する
ことになった。
私もまた多分にオカルト的な嗜好はあったと思う。
しかしいざ入行にあって超能力など志向しなかった。
ちょうどユリ・ゲラーのスプーン曲げの流行った時代であり、また準シュダオンさんも
書いていたコックリさんなども学校で流行っていた。念力、超能力などは認めても
軽薄に感じていた。まあスプーンは何回かこすりましたが(笑)
それよりも人間として社会で生きていく時に役に立つ能力に牽かれたわけです。
ムラダーラチャクラという一番下位のトレーニングカリキュラムから見ると
一番最初に獲得される能力である常人の3倍から5倍の体力だの精神力だの。
それから因縁解脱です。勝手に自分には中途挫折の因縁があり強いものと観念していた。
これを解いただけでどれだけ人生が変わることか。
つまり変身願望ですね。自分をありのままに観察するよりも今の自分を否定して
変身後の自分に期待して人生を考える。
体力高めたかったら、スポーツでも励めばよいのたがw
この変身願望にあたり桐山流無責任論が大きく影響した。
わかっちゃいるけどやめられない、知性は行動と無関係、自分の中の赤の他人を
解消する必要性です。
こんな話に中学時代牽かれた。私の自主自立性を妨げたわけです。
つまりはここに私の弱点たる心の隙、煩悩があった。
両親は当初入行に反対した。中学生のまだまだ見聞を広め思考力を養わなければ
ならない大事な時期に、特定の新興宗教に頭が凝り固まるのは考えものだと。
結局逃避にならなければやってよいと許可が出たが、両親の心配したことが
正しかったですね。
一度心酔してしまうと、信仰の理論的根拠まで強めて不動にしてしまう自己洗脳でした。

592ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/18(木) 09:00:04 ID:SmEF4Oe2O
超能力の開発なんてテーマは大人になってから、大学にでも入ってからでも
よいわけですが、因縁解脱となるとやはりそういう問題ではない。これは根本的な
問題なのだから至急にでも始めねばと思うわけですね。
わかっちゃいるけど云々を含めて。
無関係さんが指摘しているニンジンです。

593天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/18(木) 09:02:12 ID:0C1AOfaU0
>>554 私の場合は最初は「先祖供養」でしたね。成仏法というものが有るとはわからなったが
何とか先祖を成仏させられる物はないかと個人的に模索していたときに、専門学校でゲイカの本を
持っていてそれを拝見した。(守護霊を持て2、です)それから阿含宗に入るまで一年ちょっと掛かった。
一応警戒してたんです。ですが、本当の仏教というものを知らなかったのでまんまと騙されましたね。
超能力とか守護霊などは最初は興味は無かった。ですが、徐々に本を読んだりしていて興味を持って
もし習得可能ならそれは申し分ない、また悪い運命を変えれるのなら越したことはない。
また、先祖供養を重ねれば守護霊も・・・とシフトして行った経緯があります。
結局は無知ゆえのドツボにはまった、というしかないんですけどね・・・。

594天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/18(木) 09:07:39 ID:0C1AOfaU0
あ、書き損じですね。
専門学校で「友人が」というのを書くのを忘れてました。
友人〜クラスメートが”守護霊を持て2”を持っていてそれを学校に持ってきていて
見せてもらったんです。
ちょうど中岡俊哉さんの本に高校時代興味を持っていて当然密教のことも中岡さんは
やっていましたし違和感がなかった。
ですが、信仰するに当たって「詐欺だとヤバイ」と思っていましたから警戒をして
すぐに入信しなかったんです。でも、本当の仏教を知ることが当時できず、敢え無く
アゴンへ入った次第。
現在のようにネットやスマ氏、また比較対照物がたくさんあったら騙されないで
済んだとは思います。

595準シュダオン:2010/03/18(木) 09:50:29 ID:agsP6ENM0
うサギさん、私が過去レスはウンコだと言ってもね、程度があるよ。
少なくても、今のハンドルのレスはウンコレスとは言わないよ。
ついでに、私が「うサギ」から思い出してる、シャレた笑い話を、
レスしてやろうね。
う、は平仮名で、サギは、カタカナでしょ、だから思い出してたんだ。

要約すれば、次のような話さ、昔、うなぎ屋のうなぎを、泥棒して、
捕まった「うさぎ」がね、罰として首をちょん切られたのだそうだ。
そうしたら、その首が、ビューと、飛んで行って、鵜という鳥になったのだ
そうだよ。
うさぎの残った胴体は、どうなったか?だって、
決まってるさ、鷺という鳥になったそうだよ。

井上ひさしという作家がね、若くて落ち込んだとき、この単純な笑い話を
読んでね、笑って元気付けられた、と本に書いてたよ。

もしかしたら、うサギさんも、人を笑わせるためにつけたハンドルかと
思ったよ。うは平仮名サギはカタカナ、で頭と胴体を分けてたからさ。
そうではなくて、ありふれた理由だったんだね。

596準シュダオン:2010/03/18(木) 10:08:07 ID:agsP6ENM0
うサギさん、管長は詐欺してんではないよ。
わたしが、準シュダオンや準々シュダオンを自称してても信じないのかい?
だから、何様だ?と聞いたのだね。
準シュダオン様に決まってるのに。

思念による王者の相承の、わたしの体験の話も信じないのかね?
それを、「不信」という随煩悩というのだよ。まぁ、仕方ないね。
迷える現役信者さんが、目にして信じてくれたら、それでいい。
私は、あと少しでシュダオンになってさ、それからもう少し修行して、
斯陀含の自覚が出たらさ、管長に、「阿含宗ヨーガタントラ王者の相承派」
の設立を願い出てさ、許可してもらおうか、と思っているよ。
そうしたら、うサギさんを弟子にしてやろうか?
なに、37道品なんて、面倒な修行はしなくていいだからさ。

会費払って、たまに護摩木祈願したり、勧進してればよいのさ。
すると、忘れた頃に、その王者の霊波が間脳を打つだろう、とね。

597準シュダオン:2010/03/18(木) 10:53:10 ID:agsP6ENM0
因縁解脱という人参、とのことだが、私は、確かにその人参を、一本食べ
た自覚がありますね。私は、○○の因縁、××の因縁、△△の因縁、とかを
持ってる自覚のもとに、入行しましたからね。
今、それらの因縁の一つは、薄れたか切れたかの自覚がありますね。
当然、残りの因縁は切れていません。

阿含経の、不堕悪趣とは、悪趣の因縁が切れた、と言うに同じこと。
釈迦が一まとめにいう悪趣とは、管長が、癌やら横変死やら刑獄やらと、
苦しい状態を具体的に言うに対し、釈迦は具体的な一つ々を挙げてないだけ
です。

批判派は、煩悩を断て、と強調する。
管長は、煩悩を断つ他に、煩悩が創り出している悪運命(因縁)をも、
強調しているに過ぎないね。

598無関係な人間です:2010/03/18(木) 10:58:04 ID:pDSzBqw20
 ご丁寧なお返事を頂戴し、深く感謝申し上げます。ご教示は興味深く拝見させていただきました。
後で読み直すと、分かりにくい文章でした。反省しております。
 あの文章は、2chの投稿への反論でしたのに、心よく掲載を許可して下さり、感謝しております。

 あの投稿に限らず、時々、桐山氏に騙された方が悪い、という意見がありますが、私の考えでは、それはあまりにも
心ない発言であると感じます。
 例えて言えば、交通事故で大けがを負った被害者に向かって、
「事故にあったのは君が不注意だったからだ。」
と切り捨てるようなもので、言われた方は、不愉快きわまりない発言をされたと感じるでしょう。
 レイプ事件などでは、この種の言動をセカンドレイプというそうです。

 好んで交通事故に会ったり、レイプの被害者になる人がいないように、誰もカルト宗教の被害者になりたいと
希望する人はいません。しかし、交通事故や、女性ならレイプの被害者になる可能性が誰にもあるように、
カルト宗教に騙される可能性は誰にでもあるはずです。
 最近、交通事故の犠牲者のご遺族やレイプ事件の被害者が、悲劇の根絶を望んで発言を始めたように、
カルトの被害者が被害の減少を望んで発言を始めた事は、何も非難される点はないですし、むしろ
勇気ある態度を別の角度から大いにたたえたらいいと思います。
 
 今後の皆様のご活躍をお祈りしています。頑張ってください。

599うサギ:2010/03/18(木) 11:07:55 ID:UtKVqJLA0
>>596準シュダオン様に決まってるのに。

自分に「様」を付けるなんて、
うぬぼれが口の端から垂れ下がって気持ち悪い。
ああ、鳥肌が立ちそう。きもいきもいきもい。
あなたのウンコは人様の目に触れないようにすぐに流してしまいなさい。

>>596思念による王者の相承の、わたしの体験の話も信じないのかね?

それがただの「立ちくらみ」である可能性は「0」ではないでしょ?と
私が質問してから回答がないということは否定しないということでしょう?
あなた自身が確信を持てないものをなんで私が信じるの?

>>593そうしたら、うサギさんを弟子にしてやろうか?

謹んで遠慮します。
詐欺師の弟子の弟子なんて、ああ、きもいきもいきもいきもいきもい。
人をだますような反社会的な活動はしたくないので
アゴン宗に関わるような犯罪行為をするつもりは一切ないし、
そのウンコ弟子の弟子になってウンコまみれになるつもりもない。

あなた、アゴン宗で修行して、なんかすごいことしてると
まさか思っているなんてことはないですよね?

「俺は準々シュダオンだ」なんて、私から見たら、
子供が仮面ライダーごっこをしているのとまったく同じです。
「俺は仮面ライダーだ」なんて、恥ずかしくて言えないでしょ?
でも、同じことをあなたはしているんですよ?
その自覚がまったくないのが痛々しい。
もっとも、あなたも、カルト宗教の被害者の一人にすぎない。
だからこそ「仮面ライダーごっこ」を本気でやっている。
そういう意味ではあなたはかわいそうだ。
だからこそ、そこまでカルトに染まっている
あなたの弟子になるなんて気持ち悪くて吐き気がします。

600孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/18(木) 12:10:25 ID:XUfb/HH.0
>>596 脳梗塞になるのにわざわざ師匠がいるんかい

601ラシン:2010/03/18(木) 12:13:05 ID:q4iXIS7Y0
>思念による王者の相承の、わたしの体験の話も信じないのかね?

誤った訂正不能の確信を 妄想と呼ぶようです。
自己を過大に評価します。
種別すると自分は神仏であるという宗教妄想や、
大発見をしたという発見妄想、高貴な出であるという
血統妄想などがある。
私の知人にも天皇家の血筋を引くなどと、桐山須佐之男命も
びっくりなことを言う者がいた。
さて、
脳萎縮の弊害として精神障害の原因別で考えると、
エスキロールの定義によれば幻覚とは「対象なき 知覚」であるらしい。
コルサコフ症候群では、記銘力障害、健忘、見当識障害と作り話がある。
桐山さん得意の三文小説は、性癖かコルサコフ症候群の何れかだろう。
また、
自己トポスが低位化した状態で社会的位相差が生じた場合に、
他者の存在様態やその見解が社会圧として作用し、
本人は、相対的な縮小を招くことになるといわれる。
低位化した自己トポス(自己の存在場)の位相を高位化したり、
圧縮された部分を原状回復させ、更には優位なトポスに位相する。
つまり「自己の現状回復」への試みが「自慢」という行為につながる。
桐山説の影響とそれに耽溺することは、以上の弊害を人工的に
喚起され、そのレーゾンデートルは慢心なくしては維持できない。
今まで形成されたアイデンティティの喪失である。
これらが顕著にモルモット化された状態での掲示板人物の存在で、
読者には、ご納得いただけるでしょう。

602準シュダオン:2010/03/18(木) 12:36:41 ID:agsP6ENM0
うサギさんは、若くて真面目だね。
準シュダオン様と、自分に様を付けたのを真面目に解釈してるもの。

「思念の相承が立ちくらみの可能性はゼロでないでしょ?」との質問は、
今、初めて目にしました。目にしてないのは答えようがなかったね。
立ちくらみではないよ、99、999%〜100%の確率で、立ちくらみ
ではないよ。立ちくらみは、何回か経験あるからね。急に立ちあがった時
など、急に貧血状態になって、意識も遠のく感じするからね。

思念の相承は、そういうものではない。話すほどに、誤解の元になるんだ
けどさ。ビィーン、という感じでさ、音は無いのだけど、強く脳の中枢が、
ある波動(バイブレーション)によって、振動させられる感じなのさ。
それ以降、なんだかそれまでの断片的な仏教の知識が、連結されて、動き
出した感じもするね。

ユビキタスさんなどは、私などよりは大量に仏教知識があっても、連結して
いない感じするね。何ていうかなぁ、管長が車の例出してたとき、あったね。
私も、車の例で言うとね、ユビキタスさんの車は新車のハイテク車だ。
ユビキタスさんは、自慢して説明できるさ、これが何式のブレーキで、これ
がアクセル、そんでこれが何々形で、これが、安全装置だ、そしてこれが
エンジンで電気に切り替えることもできる、とかね。

で、私が「すばらしい車だってことはわかったよ、でどうやってエンジン
かけるの?」と私がユビキタスさんに質問するとね、彼は、
「それが、エンジンかけるスイッチの場所がわからなくてね、エンジン
かけられないのよ」と、おっしゃった。
そんな感じだね。私のは、古い型の中古車だが、エンジンがかかった状態、
と、そのように喩えられるかなぁ。

車とは、新皮質脳の仏教知識の喩えのことですよ。

603うサギ:2010/03/18(木) 12:43:55 ID:UtKVqJLA0
準々シュダオンさんに簡単なクイズを出します。

「イルカは魚みたいだけど実は哺乳類なんだよ。犬や猫はなおさらだよ。」
問:さてこの場合、哺乳類として正しい選択肢は次の5つのどれでしょう?
Aイルカだけ B犬だけ C猫だけ D犬と猫 Eイルカ・犬・猫すべて

さて、答えはどれでしょう?

604うサギ:2010/03/18(木) 13:15:56 ID:UtKVqJLA0
>>602急に立ちあがった時など、急に貧血状態になって、
意識も遠のく感じするからね。思念の相承は、そういうものではない。

あなたは医者ですか?
あるいは、あなたの体験について医者の意見を聞きましたか?

たとえば、急に立ち上がったために、貧血状態に陥りました。
そういう貧血状態のときには、夢のようなはっきりとした幻覚を
見ることがあります。

あなたには、貧血による幻覚と、そうでないものを区別するための
医学的な知識や、それらを区別する根拠となるような資料を示すことができるのですか?

もし、そういう知識もなく、根拠も示すことができないならば
あなたの見たものが貧血による幻覚である可能性が「0」ではないのではと
あなたが問われた場合、あなたはその質問に「はい」と応えますか?

605天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/18(木) 13:16:10 ID:M1oiOLY20
>>598 無関係さん、うちは全然かまいませんよ。2chで貴殿までがアク禁というのには呆れかえる
こと極まりないのですが、無関係さんはきちんとした発言をされているので当板では全然問題ございません。
今後もどうぞご利用いただきたく存じます。

過去にもやはり似たような意見が出てまして、現在においていい批判ができるのにアゴンに騙されたの?
ということをいう方がいます。最初から気づいてたり無関係さんのように判断ができれば私だってアゴンに
入信するはずなど皆無なのです。絶対にありえない。
だから、過去と現在を入れ替えたいと私個人は思うほどです。
それこそタイムマシンがあったなら、絶対に自分をアゴンから脱退させるか、入信前に止めます。
アゴンが詐欺だと分かっていて入る(入信する)人はほとんど居ないと思っています。

そして、そこにはその人人の考える理由や動機があって入るわけですが、それも2chの某氏のように
言うことは簡単なのです。私だって学会に入らなかったし、あれは駄目だよというのは周知している。
それがアゴンに働かなかった(機能しなかった)ということなんです。
愚かだったし無知だから陥った、というのは紛れもない事実です。
しかし、2chの某氏の言い方は許せませんね。

無関係さんの言葉に、ありがたさを感じております。

606ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/18(木) 13:22:54 ID:SmEF4Oe2O
>>597:準シュダオン10/03/18(木) 10:53:10 ID:agsP6ENM0
>阿含経の、不堕悪趣とは、悪趣の因縁が切れた、と言うに同じこと。
>釈迦が一まとめにいう悪趣とは、管長が、癌やら横変死やら刑獄やらと、
>苦しい状態を具体的に言うに対し、釈迦は具体的な一つ々を挙げてないだけ
>です。

それっておかしいではないですか?
学者も僧侶もそんな理解はしていない。
来世に地獄などの悪趣に堕ちない、あるいは拡大しても六道輪廻に堕せず
涅槃を得ることと解釈している。誰も現世の災害不幸を悪趣とみなし、それが
なくなるんだなんてしていません。
あなたに言わせればそれは誤解だの浅い理解だのということになる。
しかしそれが釈尊が悪趣に堕ちないとだけしか示さず、実際には具体的にこういう
現世の不幸な運命のことを言うのだよと示していないのであれば、これは釈尊の
責任ではないか?
ところが釈尊は私は全てを説き尽くした、教師に握り拳はないと断言し、かつ
折に触れ、臨終に際しても弟子たちに何か質問はないか?と促したのです。
そうしたならば必ず具体的に指摘した一例でも多例でもあるはずです。
どうしてそれがないのか?
現世の運命転換が単なる桐山さんの曲解だからです。

>>602:準シュダオン10/03/18(木) 12:36:41 ID:agsP6ENM0
>思念の相承は、そういうものではない。話すほどに、誤解の元になるんだ
>けどさ。ビィーン、という感じでさ、音は無いのだけど、強く脳の中枢が、
>ある波動(バイブレーション)によって、振動させられる感じなのさ。

立ちくらみなどという他にもざらに体験のあるものでなく、今まで体験したことがなく
滅多に体験などするものではない、またしてはヤバイ脳梗塞の軽い発作かも
知れないじゃないですか?

607ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/18(木) 13:25:33 ID:SmEF4Oe2O
あ!ごめん。6年前の思念の話と若い頃の名簿事件と混同していた。訂正取り消します。

608準シュダオン:2010/03/18(木) 13:52:41 ID:agsP6ENM0
釈尊が、すべてを説き明かしたとしても、すべて記録されたとは言えません。
悪趣とは、不幸な運命を指すことに間違いありません。
少なくとも、安穏・安楽な人生を、悪趣とは言わないでしょう。
例えば、お釈迦さまが、三年後には破産して一家心中する運命の人に対し、
不堕悪趣、と言うでしょうか?

言うはずないと思いますね。
だから、管長が悪趣とは、ガンやら、横変死やら、と、具体的な例を出すのは
適切だと思います。今現在、学者や僧侶がそういう解釈をしていないにしても、
いずれ、そういう解釈をする学者や僧侶が出て来ると思います。
あと50年もすれば、私が最初に言い出したのだ、という学者や僧侶が多く出
てくるかも知れませんね。

仏教が、現世の運命転換を説いていないならば、私は仏教いらないです。
そして幸いに、わたしも阿含経に運命転換を読み取りますね。
無関係さんが、カルト宗教とか言ってますが、カルトにするのは信者側です。
阿含経を読めば、煩悩を断つ、智慧を持つ、理法を修める、神通を備える、
と、この四つは解脱成仏に必須です。
しかも、神通(超能力)を生ずるのは阿那含からです。

そうしたら、最初から超能力を求めるのは間違いだ、と気付くでしょう。

609準シュダオン:2010/03/18(木) 14:15:56 ID:agsP6ENM0
薬師如来の十二大願の、一つ目は、すべての人々を仏道に導いて仏にする、
というものですね。四弘誓願の一つですね。
そして、その後の衆生に対する衣食住やら、病気を除くやら、衆生に必要な
ものをすべて与える、という願は、すべて一つ目の衆生をすべて仏にするた
めです。

また、アヌルッダに説いた釈迦如来の六法は、一つは施、一つは衆生の愛護、
という言葉で、薬師如来の願の数個分を包含していますね。
やはり釈迦如来は偉いです。
で、阿含経の釈迦如来の大願と、大乗の薬師如来の大願は同じですから、
やはり、管長が説くように、その融合が可能だと思われますね。

だから、大乗の護摩木祈願は、否定すべきではないですね。功徳・ご利益も
仏になる通過点、と考えれば良いでしょう。何時までも我利我利信仰で、
四弘誓願や三昧耶戒の自覚が出ないのが、問題なのですよ。
私のレスを見て、「この怠け信者め!」と、言う方がいる。
私は、カルトでないので、ほどほどに、様子を見ながら修行してるに過ぎ
ないね。

610ラシン:2010/03/18(木) 14:26:50 ID:q4iXIS7Y0
>>602:準シュダオン10/03/18(木) 12:36:41 ID:agsP6ENM0
>思念の相承は、そういうものではない。話すほどに、誤解の元になるんだ
>けどさ。ビィーン、という感じでさ、音は無いのだけど、強く脳の中枢が、
>ある波動(バイブレーション)によって、振動させられる感じなのさ。

私も瞑想での経験から、もう少し詳細に推察しましょう。
ーバイブ回想推察録ー

それは不意に左前方から来た。
一条の光矢が脳の中枢を貫いた!
刹那、頭の中は暖かく安らぐ、その余韻に浸る間もなく、
心もとない不安定を覚え、意識が遠のく恐れを感じた。
刮目し意識を集中すると、眉間すなわち視床下部あたりに
チクリと痛みを感じた。
ヤブ蚊だ。
次の瞬間、尾骨周辺に違和感? クンダリーニか?
トイレへ駆け込む、ク(ン)ダリ腹? 
下痢だ。
すると急激な波動、頭ガクガク何かが?落ちた?因縁が?
総入歯だ。
トイレを出る、頭頂部がコンコンと鳴る。ヒラメキか?
「油揚げを供えろ」
そして次第に意識がうすれ、コックリ、コックリと。
その忘我のなか、わたしは遂に悟ったとの確信を得た、、、
感涙にむせぶ、むせぶ、 ゲフォ、ゲフォアフォ、、、、、、。

611神人同行:2010/03/18(木) 15:31:44 ID:aEHS8D7k0
ラシンさん さすがユ−モア大人!!
手に取るように風景が見えて、秀逸ですね。
マサにかの人自身に読ませてあげたい。
今の推測される状態ではウオッホッホ ウオホッホとご機嫌になられるでしょう。
付き添いの老婆にお勧めしたい。

612天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/18(木) 16:16:47 ID:M1oiOLY20
>>608 どうしてこうも頑迷なんでしょう。また、自分で発言している矛盾に気が付いていないとは?
だから皆から批判されるんです。希望的観測や憶測を捨てて早く仏教を去りなさい。

>悪趣とは、不幸な運命を指すことに間違いありません。
>だから、管長が悪趣とは、ガンやら、横変死やら、と、具体的な例を出すのは
適切だと思います。

それならば、モッガラーナ尊者の死を悪趣とは言わないのか否か。
アゴンの悪趣論を言うときにはこれが必ず付きまといます。
私が在籍していたときから「随分矛盾だなあ」と思ってたし、過去にも質問を出した信者もいた。
アゴンの悪趣論をだせば、この矛盾は必ず浮上してきます。
モッガラーナ尊者は聖者であり、涅槃へ入った方です。だが、悪趣とするならば涅槃へは入れない。
この矛盾を放置しておいて、仏教を論ずる無かれ、ですぞ。

>仏教が、現世の運命転換を説いていないならば、私は仏教いらないです。

だから、説いて無いのだから何々教でもいいから、そっちを信じなさい。
仏教とは金輪際結び付けないことです。

>そして幸いに、わたしも阿含経に運命転換を読み取りますね。

それはあなたの勝手な解釈でしょう。その読み取る、だって以前講釈した縁起の何とかでの
主張でしょう?それだってその部分についてはユビさんからも深山さんからも散々言われても
認めないのはあなただけです。まして、どうやって因縁解脱したかもアーガマには書かれてない。
それで、仏教には運命転換を読み取る? 妄想・錯覚甚だしいですわ。
運命転換だの因縁解脱だの言う前に、モッガラーナ尊者のことを済ませてからいいなされ。
また、どうせ無視で逃げるんでしょうがw

613うサギ:2010/03/18(木) 16:38:42 ID:UtKVqJLA0
準々シュダオンさんはお忙しいようなので、
すぐ読めるようにわざと、話題別に2つに分けてレスしたのに無視ですか?
読みましたよね? しかしわざと無視しましたよね?
そして、あなたの好きな「けつの穴の小さい如来」の話をレスしましたね?
だとすると、時間がないなんて理由で読み飛ばしたのではありませんね?
つまり、応えると自分に都合が悪いから応えないのですね?
要するに、図星なんですね? 違いますか?
気づかなかった、云々のいいわけができないように以下に再掲します。

603 :うサギ:2010/03/18(木) 12:43:55 ID:UtKVqJLA0
準々シュダオンさんに簡単なクイズを出します。

「イルカは魚みたいだけど実は哺乳類なんだよ。犬や猫はなおさらだよ。」
問:さてこの場合、哺乳類として正しい選択肢は次の5つのどれでしょう?
Aイルカだけ B犬だけ C猫だけ D犬と猫 Eイルカ・犬・猫すべて

さて、答えはどれでしょう?

604 :うサギ:2010/03/18(木) 13:15:56 ID:UtKVqJLA0
>>602急に立ちあがった時など、急に貧血状態になって、
意識も遠のく感じするからね。思念の相承は、そういうものではない。

あなたは医者ですか?
あるいは、あなたの体験について医者の意見を聞きましたか?

たとえば、急に立ち上がったために、貧血状態に陥りました。
そういう貧血状態のときには、夢のようなはっきりとした幻覚を
見ることがあります。

あなたには、貧血による幻覚と、そうでないものを区別するための
医学的な知識や、それらを区別する根拠となるような資料を示すことができるのですか?

もし、そういう知識もなく、根拠も示すことができないならば
あなたの見たものが貧血による幻覚である可能性が「0」ではないのではと
あなたが問われた場合、あなたはその質問に「はい」と応えますか?

614ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/18(木) 21:17:50 ID:SmEF4Oe2O
>>608:準シュダオン10/03/18(木) 13:52:41 ID:agsP6ENM0
>釈尊が、すべてを説き明かしたとしても、すべて記録されたとは言えません。

これは以前にも否定したことをどうせ覚えてないでしょうね。
桐山さんは言葉として表現され書き残された阿含経の記述の中から成仏法を発見
したと言う。それも他の南伝の僧侶や学者が知っていたのを情報不足にして
遅ればせながら私もようやく知りましたと言うのではなく、それまで誰も
気が付かなかったのを大天才であるこの俺が見つけたと言っている。
この時点で教師に握り拳はないと断言した釈尊に背く発言ですね。
説き尽くしてもそれを記録に全く留められていないなんてあるか?
弟子たちが集まって「このように聞いた」という話を編纂したのです。
運命転換の話は一番重要なはずです。そのためにあの釈尊がエピソードや喩え話を
交えながら巧みに何度も何度も説いたはずだし、一部の限られた弟子でなく
誰にでもわかるように説いたはずなんです。
おまえたち、借金は苦しいだろう?生き地獄みたいなものだ。しかし大丈夫だ。
煩悩を断つとナント不思議なことに借金に追われる生活から脱け出して裕福になるのだ
とか。こういう話がどうして「ひとつも」ない?

>悪趣とは、不幸な運命を指すことに間違いありません。
>少なくとも、安穏・安楽な人生を、悪趣とは言わないでしょう。

いや、泥棒なんて他人の財産盗んで安楽に人生を楽しんでいます。
政治家なんかもうまい蜜を吸っとる。見つかる奴ばかりではあるまい。
桐山さんも好戦経の解説で、戦争を起こして利益を得た権力者は生前は安泰だったのです。
死後悪業の報いで悪趣に堕ちるのだが、死んだから悪趣に堕ちたのであり、
死ななければ生きている間は天国だったと言うか?
仏教ではそうは言わない。悪いことをした時点で悪趣に堕ちることが約束されている。
悪いことをした人はその時点で悪趣に堕ちたも同然です。安楽に暮らしていても。
仏教の悪趣とはこういう観点なんですよ。
あなたもまたアウシュビッツの犠牲者はあんなひどい目にあったのだから
悪趣に堕ちたわけであり、これを防ぐ為には彼らは煩悩をなくすべきだったと
罵りたいわけですね?

615ラシン:2010/03/18(木) 22:51:57 ID:4GT/R5DM0
>614 :ユビキタス
>いや、泥棒なんて他人の財産盗んで安楽に人生を楽しんでいます。
政治家なんかもうまい蜜を吸っとる。見つかる奴ばかりではあるまい。
桐山さんも好戦経の解説で、戦争を起こして利益を得た権力者は生前は安泰だったのです。

ユビさんの根拠は、しっかり ある。

ーダンマパダ第五章、抜粋ー
 悪事をしても、そのカルマは、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。
 その業は、灰に襲われた火のように、燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。

すでにドタマが固まってる、純米酒駄音さんには、理解不能でっしょ、ね。

616ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/19(金) 00:25:40 ID:SmEF4Oe2O
>>608:準シュダオン10/03/18(木) 13:52:41 ID:agsP6ENM0
>例えば、お釈迦さまが、三年後には破産して一家心中する運命の人に対し、
>不堕悪趣、と言うでしょうか?
>言うはずないと思いますね。

当初何を言いたいのかわからなかった。
今でも半分わからんがw
お釈迦様が人の不幸な運命を相手に教えてあげるのは脅しみたいで遠慮をする
話かとも思ったが、悪趣に堕ちるではなく、不堕悪趣、つまり悪趣に堕ちない
と書いてあるのだから一家心中の運命の人にあんたは悪趣に堕ちることはない
なんて言うわけがない。一家心中の運命はモロ悪趣じゃないか?と言いたいのか?
しかしそれならあなたは言ってることが矛盾してますよね。
あなたは不幸な運命としての悪因縁を説くだけでなく、因縁解脱、つまりその
一家心中の因縁だって転換できるぞと説くのが仏教なんだと言いたいのでしょ?
だったらその3年後に一家心中する強い家運衰退と横変死の因縁をお釈迦様も
示してやって、ほら、お前は本来このような悪趣に堕ちる運命なんだ。恐いだろう?
と脅しておいて、しかし安心せい、わが門下をくぐり成仏法を修行して因縁解脱
すればおまえさんは不堕悪趣なんじゃ、握手しよか?と説いてもよさそうなものです。
そういう具体的な話が転がってなければ運命転換の解脱を説いたとは言えないのだよ。
一家心中について仏教的に考察してみようか?
一家心中なんて暴挙に走ることはこれはよくないこと、悪いことですね。
私はこれは悪趣というよりもそれ自体悪業だと思う。
仏教では必ずしも自殺を全否定せず、ゴーディカの自殺の件もあるし、チュンダ
にも自殺説もあります。しかしこの自殺の仕方はよくない。
この行動を選択することが悪業ではないかと思う。
つまり仏教は破産の憂き目に遭っても一家心中という悪業を行うなという教えになろうか。
一家心中は運命ではない。煩悩に負けて悪業をなすなと説くわけです。
当然破産という憂き目も悪趣なのではない。
一家心中という悪業をなした結果趣くところが悪趣ではないか?
破産が運命であろうがなかろうがそれは悪趣でもなんでもない。
破産という境遇から煩悩に負けて行う悪業により生じる報いが悪趣です。
悪趣に堕ちないように悪業を為すな。煩悩に負けるなと説く。
そう教えるわけだからこれは運命ではない。
「悪業を為すな」
「だって悪業を為すのが運命なんだもん」

617孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/19(金) 00:36:15 ID:XUfb/HH.0
>>602 >ユビキタスさんなどは、私などよりは大量に仏教知識があっても、連結していない感じするね。

これは言いえて妙ですね。もちろん準シュダオンさんのことです。
阿含経の逸話やら難しい単語やら沢山知ってるのに、因縁切りだのバイブレーションだの、繋がってないんですよね。
自分も昔は知識が連結しなかったが南伝仏教の本で繋がりました。
ヴィパサナーとか安那般那念経とか読めば煩悩解脱の法であり、因縁切りの法じゃないって分かりますよ。

>>603 Eですね。海の動物って足がひれに変化してますよね。アシカとイルカもじゅごんも種族的に別なのに皆ひれがある。
頭で「ひれが海中で有利だ」と判断して適応してるわけじゃない。
集合的無意識みたいなものがあるのか魚類だったころの情報が我々にも備わっていて海にいるうちに遺伝子がオンになるのか不思議です。

618ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/19(金) 00:40:31 ID:SmEF4Oe2O
>>608:準シュダオン10/03/18(木) 13:52:41 ID:agsP6ENM0
>だから、管長が悪趣とは、ガンやら、横変死やら、と、具体的な例を出すのは
>適切だと思います。今現在、学者や僧侶がそういう解釈をしていないにしても、
>いずれ、そういう解釈をする学者や僧侶が出て来ると思います。
>あと50年もすれば、私が最初に言い出したのだ、という学者や僧侶が多く出
>てくるかも知れませんね。

2500年も理解されなかったものがどうしてあと50年で理解されるように
なるのだ?どうして今ではないのだ?
ほら?先延ばしの悪い心癖。
シュダオンになってから初めて貪欲の問題を考えようという現実逃避です。
それでは擁護したことになりません。
お釈迦様にケチをつけたことになります。
なぜなら2500年経っても一部のキチガイジジイを除いて未だに正しく理解されず
まだ50年かからないと理解されないのだという。
そんな下手な教え方をしたシャカが悪いということになる。
成仏法の難しい技術テクニック、コツの話ではありませんよ。
成仏の目的意義という桐山さんでも言葉で解説できる定義の説明の問題です。
運命転換という定義すら2500年経っても理解させられない下手くそな教え、
アゴン経とあなたは罵ったことになる。

619ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/19(金) 08:40:21 ID:SmEF4Oe2O
>>609:準シュダオン10/03/18(木) 14:15:56 ID:agsP6ENM0
>薬師如来の十二大願の、一つ目は、すべての人々を仏道に導いて仏にする、
>というものですね。四弘誓願の一つですね。
>そして、その後の衆生に対する衣食住やら、病気を除くやら、衆生に必要な
>ものをすべて与える、という願は、すべて一つ目の衆生をすべて仏にするた
>めです。
>また、アヌルッダに説いた釈迦如来の六法は、一つは施、一つは衆生の愛護、
>という言葉で、薬師如来の願の数個分を包含していますね。
>やはり釈迦如来は偉いです。
>で、阿含経の釈迦如来の大願と、>大乗の薬師如来の大願は同じですから、
>やはり、管長が説くように、その融合が可能だと思われますね。

だからその大乗の創作仏の大願など出しても釈尊の仏教と関係なく意味ありません。
どちらも仏道への誘導を説き、どちらも衆生愛護すなわち慈悲の心を基盤とします。
しかしその慈悲の現れの実践として釈尊は病気を直したり、貧乏から救ったりは
しません。すると言うのなら、釈尊が病気を治したり貧乏から救った話を阿含経
を提示、引用してみなさい。
釈尊自身が病気の際、医者にかかり病気で死んだのです。
愛護の精神があるから親切などの布施もし、自ら仏道を修めることを勧めるのです。
しかし病気、災害などを除去することなどしないしできません。
大乗の救いなんてのは釈尊時代にはないものを勝手に考え出したのです。
だから釈尊の衆生愛護には薬師如来の十二大願など包含してません。
同じではありません。だからここをくっつけてはなりません。

>私のレスを見て、「この怠け信者め!」と、言う方がいる。
>私は、カルトでないので、ほどほどに、様子を見ながら修行してるに過ぎ
>ないね。

ほどほどに様子を見ながら「修行している」のではなく「修行をしていない」
のでしょう?たまに参拝したり会費だけは納めたり護摩木など金で解決してるだけで。
あなたのように何事もほどほどにしてサボることをせずに、真面目にボン行に
励む他のアゴン宗信者は皆カルトだと言いたいわけですね?
ボン行の総大将の桐山さんはカルトの総大将と言いたいわけですね?

620準シュダオン:2010/03/19(金) 09:56:22 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんは、本当に頭が固くて、仏教知識はあっても理解していない。
私が他人に護摩木勧進した例も書いたよ。自分だけで祈願したわけでない。
それから、薬師如来が後世に創り出されたものだとしても、釈迦の教えを
参考にして創られている。だから管長も融合を説いているのだよ。

それを、管長の過去の大乗攻撃だけを盲信して、執着してるユビキタスさん
は愚かなのです。大乗にも良いところは、あるのです。
阿含経には、聖者に布施供養(善業)した者は果報(善果)を得られる、と、
至るところに説かれているではないですか。それを、批判派は、比丘に説いた
内容だけに注目して、背伸びしているだけです。出家でもないのに、そんな
高度の修行は無理でしょうよ。在家らしく、布施供養から入って行くのが
自然なのです。それでも、我利我利が強い人は、欲のあまり、無理な布施供養
をして身を滅ぼしてしまうのです。

前にもレスしたように、釈迦如来の六法、一つは施において無量、一つは、
衆生の愛護において無量、です。これは釈迦如来の夢想だというのですか?
実際に実効果が無ければ、釈迦の妄想、夢想ですよ!私は、実際に効果が
あると思いますよ。愛護とは、親が子を愛護するように、かわいがって守る
ことです。病気が治るように手助けしたり、飢えないように手助けしたり、
そういう具体的な力を持たずに、釈迦が「愛護」なんて言葉を使うわけが、
ありません。気持ちだけでなら、わたしだって世界中の人々を愛護しますよ、
但し、実効果は無理ですけどね。

621準シュダオン:2010/03/19(金) 10:10:01 ID:agsP6ENM0
貪欲などシュダオンになってから考えよ、に固執してはいけない。
勿論、修行の第一歩から考えるべきだろう。しかし、批判派が護摩木祈願を、
煩悩祈願として受け入れないから、貪欲などシュダオンになってから考えよ、
とレスしたまでです。

私は、一家心中も悪い運命、だと考えるし、破産も悪い運命だと考える。
だから、それらは釈迦の説いた悪趣に入ると考える。
ユビキタスさんは、そのようには考えないようだから、私と阿含経の解釈
が違う。まぁ、それでよろしい、お互いに相手が間違ってる、と考えてる
わけだからね。そして、相手が間違いと考えることを、見取見、と言って、
我見とされている。だから、一応、わたしは、ユビキタスさん的思考も、
考えてみることにはしていますよ。

622ラシン:2010/03/19(金) 12:25:12 ID:q4iXIS7Y0

釈尊は煩悩滅を説いた。
在家には煩悩を減らすように説いた。
これが釈尊の教説の原点です、思想と言ってもよい。
だから在家で煩悩を減らすうちに、出家を願う者も
続出した。
その思想に寄り道も余分に付加することも必要としない。
煩悩を減らし滅する行いなのに、どうして煩悩を呼び覚ます
行為が認められると言うのか?
預流向になれば不退転の意思が備わる。
理由は釈尊の思想を理解でき、余分の愚かを解ったからだ。
身見・疑惑・戒取の完断途中でも、知性で理解できたからです。
護摩木祈願をするのは、そこに先の不安と解決を求めるからだ。
生・老・病・死という無常を理解していないから、
そこにまつわる不安と解決を望んで祈ることが煩悩です。
目指す山頂を把握し、自身の足で踏破の必要を自覚する。
そこで寄り道などするか?
釈尊がすでに為したルートを信じずに、別な近道もあるでよ、
なんて勝手が許されると思うか。
登頂を果たしてもいないで、別ルートを説くのが大乗だろ?
大乗教説で、いったい誰が成道を果たした阿羅漢が実在した?
あるのは釈尊の法を安易な拡大解釈をし、擬人化された架空仏に
過ぎないそれのどこに釈尊の教えより価値がある?
そこで、
一般人が、その行為を応援する強力や案内も善行となる。
その報酬が、生活の優雅や不老などと思うのが我欲だ。
善果とは、死後に悪趣に堕ちず善い所に生まれることだ。
在家信者もベースキャンプまでだが、そこで支援をする。
釈尊は山頂ルートを示すだけだ。
釈尊がヘリで山頂まで運んではくれない。
また、
釈尊や出家修行者が登頂を中断し、街の中へ降りてきて
病気治しや、食農を指導するか?
それとも山頂において衆生の電波を受けて返信するか?
それで運命が変わるか。
釈尊の思想原点を理解すれば、そんなオネダリなど無理だ、
と解る。
理解していない者が、あれこれ勝手に期待し可能を創作するのだ。

623ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/19(金) 12:59:31 ID:SmEF4Oe2O
>>620:準シュダオン10/03/19(金) 09:56:22 ID:agsP6ENM0
>それから、薬師如来が後世に創り出されたものだとしても、釈迦の教えを
>参考にして創られている。だから管長も融合を説いているのだよ。

いいえ、参考にして創られた部分もあるがそうでない勝手な属性を付与した部分も
あるのです。それが治病であったり、衣食住の保証などです。
参考と言えば桐山さんは阿弥陀如来も出してますね。法蔵比丘(菩薩)がまだ
菩薩の頃、弥陀の大願を立てた。一切衆生が成仏しないならば自分もまた成仏は
しないぞという誓いです。法蔵比丘は元王子だという。つまりお釈迦様をモデル
にしたのだろうと桐山さんも話している。しかしその評価は決して釈迦も阿弥陀も
共通なんて話ではなく、逆です。
法蔵比丘が今現在阿弥陀如来となったということは菩薩時代の誓願を叶えた、
すなわち一切衆生はもう皆成仏を果たしてしまったということではないか!
そこに気付いた親鸞は修行など必要なくただ感謝の念仏を唱えるだけでよい
という所謂絶対他力を説きます。
それを桐山さんはなんといういい加減な作り話か!と呆れて嘲笑批判のネタとしている。
薬師の十二大願だってこれは菩薩時代に自分が成仏したらこうするぞと立てたもので、
阿弥陀とも似ています。だから桐山さんは阿弥陀や薬師など参考にもしないのです。

>それを、管長の過去の大乗攻撃だけを盲信して、執着してるユビキタスさん
>は愚かなのです。大乗にも良いところは、あるのです。

私だってあると思いますし、桐山さんもそれを認めてはいるが、しかし薬師如来
だの本尊論に関するところは一番厳しくて、実在でない空想の仏を説くことは
批判の対象なんです。

624うサギ:2010/03/19(金) 13:15:52 ID:UtKVqJLA0
準々シュダオンさんは、以下の質問になかなか応えてくれませんね?
しつこいようですがもう一度再掲します。これが最後です。
もし今回、何の反応もないならば、準々シュダオンさんは、
自分の都合の悪いことからは逃げ回る負け犬だと認定させていただきます。
それが現実であり事実ですから、文句はありませんよね?

603 :うサギ:2010/03/18(木) 12:43:55 ID:UtKVqJLA0
準々シュダオンさんに簡単なクイズを出します。

「イルカは魚みたいだけど実は哺乳類なんだよ。犬や猫はなおさらだよ。」
問:さてこの場合、哺乳類として正しい選択肢は次の5つのどれでしょう?
Aイルカだけ B犬だけ C猫だけ D犬と猫 Eイルカ・犬・猫すべて

さて、答えはどれでしょう?

604 :うサギ:2010/03/18(木) 13:15:56 ID:UtKVqJLA0
>>602急に立ちあがった時など、急に貧血状態になって、
意識も遠のく感じするからね。思念の相承は、そういうものではない。

あなたは医者ですか?
あるいは、あなたの体験について医者の意見を聞きましたか?

たとえば、急に立ち上がったために、貧血状態に陥りました。
そういう貧血状態のときには、夢のようなはっきりとした幻覚を
見ることがあります。

あなたには、貧血による幻覚と、そうでないものを区別するための
医学的な知識や、それらを区別する根拠となるような資料を示すことができるのですか?

もし、そういう知識もなく、根拠も示すことができないならば
あなたの見たものが貧血による幻覚である可能性が「0」ではないのではと
あなたが問われた場合、あなたはその質問に「はい」と応えますか?

625ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/19(金) 13:22:39 ID:SmEF4Oe2O
>>620:準シュダオン10/03/19(金) 09:56:22 ID:agsP6ENM0
>前にもレスしたように、釈迦如来の六法、一つは施において無量、一つは、
>衆生の愛護において無量、です。これは釈迦如来の夢想だというのですか?
>実際に実効果が無ければ、釈迦の妄想、夢想ですよ!

どうして愛護という文字を目にしただけで万事問題を解決してくれることを
想定する必要があるのですか?
例えば母親の我が子に対する愛護を考えてみましょう。
子どもが病気になった時、母親は病気を治せますか?
母親が医師でもない限り治療などはできません。母親にできることは看病だけで
病気は治せない。別途医師に診てもらうしかない。
つまり母親は薬師如来ではない。
父親が我が子の出世を願って、あるいは子どもが進学したいという希望に対して
愛護の気持ちから支援できるのは学資を払ってあげるくらいです。
大学に合格させたいと思っても当の子どもが勉強して実力を蓄えねばならぬ。
父親が代理受験することもできない。やるとするとせいぜい裏金を払うくらいかw
さて母親が子どもの病気を治せないのは愛護してないからですか?
また子どもが大学に合格しなかったのは父親に愛護がなかったからですか?
愛護の気持ちがあってもできるものとできないものがある。
釈尊は衆生を愛護する時に、衆生自ら煩悩を離れる道を実践せよと教え諭すだけです。
それしかできず後は本人次第です。
ましてや病気の治療や災害保障など釈尊の仕事ではない。

626ラシン:2010/03/19(金) 15:08:41 ID:q4iXIS7Y0
>625 :ユビキタス

さすがです、反論解説の切り口がすばらしい。
それに引き換え、純米酒駄音さんの理屈は毎度
おなじみのオスガリ信仰で、近頃は珍説にも
斬新さがないですね。
自慢の間脳も、AカンNO状態で、鐘一つです。
ごった煮をのどに詰め込みすぎて窒息したか。

>私は、一家心中も悪い運命、だと考えるし、破産も悪い運命だと考える。
だから、それらは釈迦の説いた悪趣に入ると考える。

その人たちの状況も顧みずに、よくもこのようにすべて悪者に
出来ますよね、桐山霊障で先祖を貶す癖が染み込んでいる。
一家心中は不幸だが、事情を斟酌せず悪運と断じるのは拙速だ。
破産だって数年努力して再建した事実はいくらである。
それはどんな運命なのか考えられるか?
あなたの例えなど、すぐにくつがえされるのは、
運命論に翻弄された者の運命かな?

627ラシン:2010/03/19(金) 17:01:46 ID:q4iXIS7Y0
>私は、一家心中も悪い運命、だと考えるし、破産も悪い運命だと考える。

国家間の戦争も運命なのか? 
その勝敗は悪い運命か否か?
準シュダオンさんも、日露戦争を知ってますよね?
小説 坂の上の雲でも有名な秋山真之参謀が、起草し打電した
「本日天気晴朗なれども波高し、皇国の興廃この一戦にあり、 
各員一層奮励努力せよ。」の有名な檄文があります。

艦隊司令長官は、東郷平八郎大将です。
しかし当時は閑職に追いやられていたのを時の海軍大臣だった
山本権兵衛に推挙された。
明治天皇にその理由を聞かれた山本海軍大臣は一言、
陛下に申し上げます、「東郷は運のいい男ですゆえに」、、。
そして、ロシア最強のバルチック艦隊を撃破し勝利を得ます。
東郷平八郎の生涯を顧みれば、たしかに運がいいとの表現が、
符合します。
だが、当時の戦記で日本艦隊の作戦を解釈すれば、
決して、運頼みではない苦労と犠牲が、読みとれます。

秋山参謀の檄文ではないが、各員の奮励努力の賜物が、
劣勢と思われていた日本連合艦隊に勝利をもたらしたのでは
ないのか?
兵員の心底には、決死の戦いに神頼みもあったろうし、
当時、国民も神仏にその勝利を祈ったことでしょう。
では、その祈願や東郷大将の運で勝利したと言えるか?
現実は必死のT字作戦や、普段の準備と修練の努力行いが、
その結果を結実させたのであり、それが現実的な行為です。

戦闘によって、双方多くの死者を出した。
それを戦争による犠牲者だから、霊障の不成仏霊と貶しますか?
国のために戦うとは、そこに居る家族を守るための行為です。
南下政策のロシアの侵略を防ぐ、また別の思惑もあったろうが、
兵士の気持ちは家族にあったと考えても、悪い運命だと言えるか?
死んだら霊障として厄介扱いするのか?
過去に学べば、戦争は悲惨な結果に終わるが、問題は別にある。
釈尊の煩悩滅の実践が結果、その悲惨な悲劇を防止できる。
人間の少欲知足の理解普及が、終には国家間同士の熾烈な
利害得失を制御できる。
定まった運命だから因縁を切ったら戦争は無くなるなら、
それは国家としてどんな○○因縁なのだ?

628準シュダオン:2010/03/19(金) 18:37:38 ID:agsP6ENM0
だから、釈迦如来の六法、「衆生の愛護は無量」それを実効果があると信
じるのが宗教なのですよ。実効果がないなら、釈迦の夢想・妄想にすぎない。
また、在家信者には、仏法僧に布施供養(善業)すれば果報(善果)があると
説いたのは、詐欺ということになる。托鉢でうまいこと、布施を得ようとする
釈迦の詭弁ということになるではないか?

科学的に考えたのでは、釈迦如来の愛護には、根拠がない。
また、親が医師でない限り、子供の看病は出来ても病気治療はできない。
医師でさえ、原因もわからず、治療法もない難病が沢山ある。
まして、釈迦は、ということになるわけだが、如来の力がどういうもの
なのか、凡人にはわからないのだ。

それとも、凡夫であるユビキタスさんには、如来の限界がわかるとでも
言うのかね?唯物論で無神論者であった私は、いまや、如来の摩訶不思議
な力を、信じますよ、カルト並みには信じませんがね。
ユビキタスさんのは、信じる時はカルト並み、信じないときは無神論的
道徳釈迦になるみたいですね。

629ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/19(金) 22:36:48 ID:SmEF4Oe2O
>>621:準シュダオン10/03/19(金) 10:10:01 ID:agsP6ENM0
>私は、一家心中も悪い運命、だと考えるし、破産も悪い運命だと考える。
>だから、それらは釈迦の説いた悪趣に入ると考える。

「悪い」と言っても2通りのニュアンスを考えてください。
一つは倫理的、道徳的に悪い、不正である、善の反対、間違っている、人倫に悖る、
というニュアンスと、都合が悪い、間が悪い、運が悪いという倫理基準と関係ない
ニュアンスがある。
チョベリバ(←死後)、最悪と女子高生が言うシチュエーションを考えてみましょう。
さあ、あなたは柳原可奈子です。
カナコ「やだ〜、次数学。最悪〜」
数学教師「聞き捨てならないな。俺のどこが悪い?」
カナコ「違うの〜、センセーに責任は何もないの〜。あたしが数字を見ただけで
じんましんが出るタイプなだけでー」
ナオミ(渡辺?)「カナコ〜、でもまだ生物よりはマシよ〜」
カナコ「それもそうね〜、もう生物なんて最悪っっ!!」
生物教師「聞き捨てならんな。お前らの頭が悪いんだろ?」
カナコ「バーカ、おめーのことだよ。この最低最悪の変態セクハラ教師。
今までどれだけの仲間がおめーに泣かされてきたか?おめーの行状を全部校長先生に
ばらしてやろうか?」
生物教師「そ、それだけはご勘弁を!」

数学が最悪なのは数学教師の人格と何の関係もないが、生物が最悪なのは
生物教師の変態破廉恥淫行盗撮恐喝犯罪行為が最悪なのです。
さて悪趣とは悪念悪業の結果堕ちるものです。
この場合の悪業とは間が悪いとか運が悪いとかでない明らかに人倫に悖る道徳的に
悪い行いです。その結果、報いとしての悪趣という観点を忘れてはなりません。
この観点で考えてみましょう。一家心中はラシンさんの言うようにケースにより
微妙でその評価は難しいのですが、死の道連れということで、その愚かな殺人の
選択肢は敢えて悪業としました。しかし破産から死にたくなるような苦しい境遇は
悪趣でもないし、まだ悪業に至っていない。
ここは苦しくともせめて悪業だけは犯さぬように注意すべきところなんです。
だから被害者的観点でもって悲運な境遇なのだから悪趣とみなすのではなく
あくまでも己の加害者としての人倫に悖る悪い行為があったかだけが問われるのです。
破産だって本人の反省すべきいたらなさも原因してるかもしれない。
しかし他を害さない限り悪業でも悪趣でもない。

630ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/19(金) 22:44:32 ID:SmEF4Oe2O
>>621:準シュダオン10/03/19(金) 10:10:01 ID:agsP6ENM0

>そして、相手が間違いと考えることを、見取見、と言って、
>我見とされている。

ほらほら、またしても一般論でごまかし、なんでもかんでも見取見の我見に
してしまわないことです。
知識があっても使いこなす知恵がないのは実はあなたの方です。
では質問するが、六師外道を悉く相手が間違っていると批判した釈尊は見取見に
陥ったのか?

631ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/19(金) 23:10:12 ID:SmEF4Oe2O
>>628:準シュダオン10/03/19(金) 18:37:38 ID:agsP6ENM0
>だから、釈迦如来の六法、「衆生の愛護は無量」それを実効果があると信
>じるのが宗教なのですよ。実効果がないなら、釈迦の夢想・妄想にすぎない。

どうしてその実効果を病気が治るなどの現世利益効果だけに限定するのか?
それ自体があなたの欲望であり夢想です。
釈尊は心の平安を第一の実効果と説いたのです。
常に現世利益を求めて、あれも嫌だ、これも避けたい、これは欲しいなどと
あくせくすることにうんざりする苦を見る。
それよりもそんなことに囚われがなくなった心こそ平安であり、これが涅槃で
あるのだぞと示したわけです。
あなたとは考えが違うのです。
寧ろ現世利益を煽ること自体が苦の原因になるのです。
だからこれは庶民の欲望を離れた感覚で 「悟る」のです。

>また、在家信者には、仏法僧に布施供養(善業)すれば果報(善果)があると
>説いたのは、詐欺ということになる。托鉢でうまいこと、布施を得ようとする
>釈迦の詭弁ということになるではないか?

布施供養とて同じです。
見返りを求めてはいけない。
得るものは、貪りを離れた心で見返りを求めず純粋に与えることで人様のお役に
立ったことを喜ぶ平安の心です。
見返りを求めたら、足りないだの不満だのまたまた煩悩が増す。
因縁解脱の徳はまだかいな?とか、あといくら?とか。
何もないのは詐欺だの詭弁だのと釈尊に不平を言うあなたを見れば既に煩悩で
汚れていることがわかる。

>それとも、凡夫であるユビキタスさんには、如来の限界がわかるとでも
>言うのかね?

わかります。如来にも限度はあります。
釈迦如来は薬師や阿弥陀みたいな空想と違って人間ですからね。
人間としての制約を超えることはできません。
だから四苦八苦、死は苦なり、老は苦なりと示しながら、自らも老いて病んで
死んだではないか?
釈尊はどうして不老不死を得なかったのか?
現世において人間として生きているうちに。
また病気が治せ、災害を回避させる力があるのなら、あなたの「〜のはずだ」
なんて希望の話でなく、必ず経典に奇蹟の話がてんこ盛りのはずなんです。
しかしそんな話が無い。
準シュダオン流悪趣(災害病気)から回避せしめた話をどうして弟子たちは
全員集合しながら書き留めぬ?残らぬ?
神通力を示した話はあります。
どういう神通力か示してみなさい

632ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/20(土) 06:58:25 ID:SmEF4Oe2O
>>621:準シュダオン10/03/19(金) 10:10:01 ID:agsP6ENM0
>私は、一家心中も悪い運命、だと考えるし、破産も悪い運命だと考える。
>だから、それらは釈迦の説いた悪趣に入ると考える。

日本語として悪い運命と言ってしまえば誰でもそうだなと納得する。
しかしそこのところで簡単に考えてはならず、もっと日本語を分析するのです。
悪い運命と言うが、悪(あく)の運命と言えるか?
運命もまた終わってしまって振り返ればそうも見えるが、現在形、未来形として
どうなのか?
たから境遇という言葉に置き換える。
そうすると不運、不幸な境遇ではあっても
悪(あく)の境遇なのか?
悪とは自分が意図して他を害することです。
家族を巻き添えにして殺すということはたしかに悪です。悪の境遇です。
破産自体は必ずしも悪ではない。騙される例もある。
騙すのは悪だが、騙されるのは不幸です。
殺すのは悪だが、殺されるのは不幸です。
この使い分けに留意してください。
そして殺人に対して仏教では殺すなと教える。
不殺生戒ですね。在家も守る最低限の基本です。
ところが殺すことが運命ならばおかしいではないか?
「殺すな」と教えられても「運命ではありませんか?」となる。
運命を特殊な成仏法で変える救いの道を説くのに、単に教えとしての殺すなですか?
戒律として課して、守れねば破門の戒律レベルですか?
そこでわかるのはこれは運命ではない。
煩悩を断って悪の境遇、悪意の境遇を脱しなさいと教えるのです。
誰でも克服可能だから教えとして戒律として課すのです。
どんなに苦しくとも自分に負けるなという。
被害者的立場が運命ならばこれを避けるのも難しいというかわからないが
加害者的立場なら有無を言わさず、するなだけです。
不可抗力の運命ではない証拠です。
それが仏教観です。

633準シュダオン:2010/03/20(土) 12:45:37 ID:agsP6ENM0
釈迦は老いて病で死んだけど、凡夫の老いて病で死ぬのとは、大違いなの
です。有余涅槃から無余涅槃に変わっただけです。釈迦の老いと病は、凡夫の
老いと病とは違う。生老病死の因果を理解した人(仏)と凡夫の違いです。

布施供養と果報についても同じことです。ユビキタスさんは「平安なこころ」
と我見を述べている。たぶん、名声や長寿を得るや、財が増す、などという
俗的なご利益よりも、「平安なこころ」の方が、かっこよくて高級だ、と
誤解してるのでしょう。だが、そういうものではない。

釈迦がアヌルッダの針に糸を通してあげたね。
確かあの話の要点は、アヌルッダが、「誰か私の針に糸を通して(善業)
果報(善果)を求めるものはいないか?と、心で念じたんだよね。
そしたらお釈迦さまが、「アヌルッダよ、私が通してあげよう」と、近づいた。
そしたらアヌルッダが驚いて、「無上安穏涅槃を得た如来ともあろうものが、
何で今更功徳を積んで果報を得ようと望むのか?」と訊いた。

そうしたらお釈迦さまは、「世間の幸福を求める者は、私が一番なのだ」
というように答えた。そして如来の六法を説いて、「幸福の力が一番優れ
ている。幸福の力で仏道を成じるのが最上」と、いうような詩を聞かせた
わけですね。確かに、慈心に由りて、見返りを求めず施行するのが一番
良いであろう。だが、この経の場合、釈迦が針に糸を通すという、これは
無財の七施の一つの、身施に当たると思うが、善業善果のことも説かれて
いるので、素直に解釈すべきであるね。

平安のこころ、などとは考え過ぎです、屁理屈と言ってもいいね。

ところで、少欲知足である如来が、世間の幸福を求めることにおいて、
私が一番だろう、と言うとは、どういうことでしょう?
少欲知足に矛盾していないだろうか?
少し考えたらわかったね、矛盾しませんね。

634ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/20(土) 13:33:59 ID:SmEF4Oe2O
>>633
続けてください。
どうして幸福を求めることに関して一番と発言したことと
少欲知足を説くことが矛盾のようでいて、矛盾ではないとわかった理由ですね。
ちなみに私も全く矛盾はないと思いますが。
皆さんにわかるようにあなたなりの考えを示してください。

635準シュダオン:2010/03/20(土) 15:32:55 ID:agsP6ENM0
少欲知足と、幸福を求めることに関して一番、とのことはもう少し、レス
しないことにしておきましょうよ。各自考えて、各自なりの答えを持つことも
大事だと思うのですよ。
それよりも、偶然なのか否か、先ほど歴史ものの本を取りに行って、本棚に
寝せていた本が目について、取ってみてパラパラとめくって見たら、
アヌルッダのことが書いてありました。

著者は増原良彦という方で、1982年、祥伝社発行、タイトルは、
「釈迦の読み方」です。彼の訳は、以下のようです。(P176〜)
アヌルッダが、「どなたか他人に親切を施して、功徳を積んで幸福になり
たい方はおられぬか・・。どうか糸を通してくだされ」
「どれどれ、わたしがその功徳を積ませていただこう」
彼の声に応じた人は、ほかでもない釈尊その人であった。
「いえ、わたしはお釈迦さまに申しあげたのではありません。お釈迦さま
は別です・・・」
「どうしてだね、アヌルッダよ、わたしだって、幸福になりたいという点
では、決して人後に落ちないのだよ」
釈尊がそう言われている。

以上、増原氏の訳を抜粋したが、彼は「あらゆる欲望を滅却して生きるのが、
釈尊の理想ではなかったはずだ、と続けています。小乗仏教の人々は、
どうやら釈尊を誤解したようである。あらゆる煩悩を消滅させた人間が理想
とするならば、脳を手術して、ロボトミーにすれば良いじゃないか。
とも書いています。

636準シュダオン:2010/03/20(土) 15:50:44 ID:agsP6ENM0
先ほどのレス、増原氏がどういう方か存知ないが、彼の批判は、阿含経の、
ここでの批判派側解釈に該当するようです。少なくても、阿含宗には該当
しません。阿含宗は、すべての欲望を滅却するなんて、主張しませんから。

「他人と競争して勝ちたいという我欲、煩悩ともいえる。しかし、阿含宗
ではそれを否定しない。」
とは、今週号の、週刊文春(P100)PR記事に書かれている文です。

まるで、私がレスした、「貪欲煩悩なんてシュダオンになってから考えよ」
に、似てるではないですか。やはり、わたしの考えは、阿含宗徒の考えと
して外れていないようですね。

637天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/20(土) 20:53:02 ID:cHhd20R.0
むう、準さんの解説は私の持っている本と違いますね。
これから私の本をスキャンしてHPに掲載しましょう。
説明が違うと全然解釈も変わるので、その例を見せます。
しばらくお待ちを。

638天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/20(土) 21:44:38 ID:cHhd20R.0
できました。比較のためご覧ください。

http://agama.zouri.jp/anu.html

これは直アドですので、メニューの項目に入っていません。

>>635の準さんの解説は、私の本のように見たわけではないので疑問はあるのですが、
もし、本のとおりに準さんが写したとしたなら、その増原氏の解説に異議を感じますが、
私は菅沼氏の解説のほうがしっくり来ます。

引用本 菅沼 晃 著 ブッダとその弟子89の物語 法蔵館

639ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/20(土) 22:17:16 ID:SmEF4Oe2O
>>635:準シュダオン10/03/20(土) 15:32:55 ID:agsP6ENM0
>少欲知足と、幸福を求めることに関して一番、とのことはもう少し、レス
>しないことにしておきましょうよ。各自考えて、各自なりの答えを持つことも
>大事だと思うのですよ。

なんで?自由に書けばいいじゃねーかよ。
解釈は自由だよ。私だってこの話はいく通りもの解釈ができると思う。
ちなみに増原良彦氏って、ひろさちや氏の本名ね。
私はひろさんなんかよりも含蓄のある解釈ができるよ。
しかし今寝台特急サンライズ出雲で移動中。
姫路で下りて甲子園に戻る贅沢プラン。

640天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/20(土) 22:31:46 ID:cHhd20R.0
では、私も真似をしてレスしないで・・・・たら、掲示板も過疎になるなあw

まあ、ジョークはその辺にしておいて、時間を置いてからレスしますよ。
比較できる資料を掲示して検証できるるのは、本当に便利ですわw

641天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/20(土) 22:33:16 ID:cHhd20R.0
できるる、ってなによw る、が一つ多いぞw

ユビさん、そういえば今週が観戦でしたね。どうぞご堪能ください〜♪

642ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/20(土) 22:42:25 ID:SmEF4Oe2O
>>633:準シュダオン10/03/20(土) 12:45:37 ID:agsP6ENM0
>確かあの話の要点は、アヌルッダが、「誰か私の針に糸を通して(善業)
>果報(善果)を求めるものはいないか?と、心で念じたんだよね。
>そしたらお釈迦さまが、「アヌルッダよ、私が通してあげよう」と、近づいた。
>そしたらアヌルッダが驚いて、「無上安穏涅槃を得た如来ともあろうものが、
>何で今更功徳を積んで果報を得ようと望むのか?」と訊いた。
>そうしたらお釈迦さまは、「世間の幸福を求める者は、私が一番なのだ」

別にあなたの言うようにその果報が物質的なものであれ精神的なものであれ何であれ
善業善果を説いた話と見てよいと思いますよ。
ただそれなら釈尊ってなんだか大人げないと思いません?
いいとこどりですよね。おいらが一番一番一番!!
善行を為して果報があるならば、それは釈尊がぶんどらずに弟子が享受できる
ようにはからうのが師の役目と思わぬか?
ところが釈尊が図々しくもぬけぬけと現れた。
俺にやらせろ。一番一番一番!
しかし私は思う。もし私がその場にいたらどう感じるか?
私はアヌルッダではないアヌルッダの修行仲間です。
共に黙々と修行と生活をしている。
そして今回師の釈尊に針に糸を通す手伝いをさせてしまった。
私は「しまった!」と思うでしょう。
なぜだかわかりますか?

643ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/20(土) 23:13:03 ID:SmEF4Oe2O
>>633:準シュダオン10/03/20(土) 12:45:37 ID:agsP6ENM0
>そうしたらお釈迦さまは、「世間の幸福を求める者は、私が一番なのだ」

アヌルッダは居眠りをしてしまったことに猛省し、不眠の修行をしたがために
目が不自由になった。だから衣のほころびを繕おうと針に糸を通すのに支障が出る。
私にはなんとなく情景が思い浮かぶ。
皆各自黙々と瞑想に励み、アヌルッダのことなどかまわなかったのではないか?
いや、イジメとかブラフマダンダとかではありませんよ。
アヌルッダにかまってる暇なく自分の修行だけに励んでいた。無関心だった。
だからアヌルッダの不自由な素振りを見ても手伝おうともしない。気がつきもしない。
そこに偉大なる師の釈尊が私がやろうと申し出るのを見たらどうしますか?
私は青くなって平伏します。
「師よ!気がつきもせず申し訳ございませんでした!これは本来我々が率先して
協力すべきことだったのです。我々は自分のことしか考えてませんでした。
師よ、あなたの仰りたいことはよくわかりました」
つまり釈尊はアヌルッダのみならず他の弟子たちの為にも一計を案じてパフォーマンス
をしてみせたのではないか?
表現が適切でないかも知れないが、このパフォーマンスの際に「おどけてみせた」
部分もあるのではないか?
よーし、パパ頑張ってニンニクましましで行くかんね。・・例が悪いな。
遊び人の金さんでい。・・これも例が悪いな。
おまえたち。何を言っとる?この俺だってまだまだ果報は求めるんだぞ。
俺は三国一の果報を求める男なのさ。まだまだおまえらには負けんよ。
師にこう言わせたら我々弟子は自分らの無関心を赤面するしかない。
「申し訳ございません!我々はもっと気を配って周囲に親切にすべきでした。
目の前に困ったアヌルッダがいながら・・・。
この事件以降仏弟子集団は皆率先して周囲に気を配り親切の 善行を実践する
ようになりましたとさ。めでたしめでたしと言ったら、やはりこれって釈尊一流の
指導と言えないか?

644深山:2010/03/20(土) 23:18:51 ID:5hcHKnrc0
>>635 :準シュダオン:2010/03/20(土) 15:32:55 ID:agsP6ENM0
>著者は増原良彦という方で、1982年、祥伝社発行、タイトルは、
>「釈迦の読み方」です。彼の訳は、以下のようです。(P176〜)

珍しく文献を示して、しかも頁数まで示していますね。
エライ!
準シュダオンさんにお願いだが、請求されなくても、いつもこんなふうに
してもらえませんか。
今回のアヌルッダの話にしても、あなたの解釈など誰も聞いていないから、
あなたの読んだ本の題名や頁をきちんと引用してもらえるとありがたい。
あなたは引用そのものもごまかすことがあったから信用ができないのです。
そして、今回、またあなたは引用文をごまかしましたね。
どうしてこういうことを平気でするのか、正直、私はあなたのその神経が理解できない。
あなたは抜粋だからいいだろうというが、重要な部分を抜いている。

「「どれどれ、わたしがその功徳を積ませていただこう」
彼の声に応じた人は、ほかでもない釈尊その人であった。」(>>635)

この二つの文章の間にある次の文章をあなたはどうして省略したのだ?

「彼はそういった。「功徳を積んで幸福になる」という表現は人にものを頼むときの当時の一
般的な言い方であったらしい。」
(『釈迦の読み方』増原良彦、178頁)

645深山:2010/03/20(土) 23:28:00 ID:5hcHKnrc0
「彼はそういった。「功徳を積んで幸福になる」という表現は人にものを頼むときの当時の一
般的な言い方であったらしい。」
(『釈迦の読み方』増原良彦、178頁)

この文章以外はあなたは丁寧に引用している。
だが、上記の一文を抜いてしまったら、ずいぶんと後半の意味が違ってしまう。
増原さんは「功徳を積んで幸福になる」という言葉には深い意味はなく、
当時、他人にものを頼む時の常套句だったと説明しているのです。
ということは、「功徳を積んで幸福になる」には「功徳を積んで御利益を得る」というような、
準シュダオンさんが主張したい意味はないのです。
単に、「・・・お願いします」というくらいの意味なのです。
日本語の「今日は」は本日という意味ではなく、単なる挨拶にすぎないのに、
これを準シュダオンさんは「今日は、と言っているのだから、
これは本日という意味に違いない」と主張しているようなものです。
どうしてあなたこういうゴマカシを平気でするのだろう。
他人はこんな古い本は持っていないだろうと侮っているのでしょう?
桐山さんが三供養品や止息経で、素人は漢訳経典など調べないだろうと
インチキをしたのを真似ているのですか。
準シュダオンさんて汚い人ですよね。
桐山さんと同じで、一言一句が信用できない。
アヌルッダと釈尊の問答は、あなたが主張したいような、
「功徳を積んで御利益を得る」かどうかを二人が話し合っているのではなく、
ただ釈尊が盲目のアヌルッダのために針に糸を通してあげたという話です。
だが、餓鬼で目が曇っているあなたにはそんな簡単なことすら見えない。

646深山:2010/03/20(土) 23:31:46 ID:5hcHKnrc0
「どうしてだね、アヌルッダよ、わたしだって、幸福になりたいという点
では、決して人後に落ちないのだよ」(『釈迦の読み方』増原良彦、178頁)

準シュダオンさんて欲で目が曇っているから、こんな簡単な経典の意味もわからないのですね。
特にあなたがおかしいのは、釈尊とアヌルッダの心をまるで理解せず、
功徳を積んで御利益を得る話をしていると解釈するその餓鬼ぶりです。
情景はとても簡単です。
目の見えないアヌルッダが、そばに釈尊がいるとも気が付かず、
「糸を通してくれる人はいないだろうか」とつぶやいた。
すると釈尊は、「私が通してやろう」と言った。
だが、アヌルッダにしてみれば、自分の師であり、偉大なブッダに
自分の雑用をさせるなどめっそうもない。
びっくり仰天したアヌルッダは断るつもりで次のように言った。
「いえ、わたしはお釈迦さまに申しあげたのではありません。お釈迦さま
は別です・・・」(『釈迦の読み方』増原良彦、178頁)
つまり、アヌルッダは釈尊に小間使いをさせようなどという気持ちは
なかったと遠慮し、恐縮し、辞退したのです。
だが、釈尊は非常に智慧のある方で、アヌルッダの使った言葉を
たくみに用いて、彼が恐縮する必要などないことを説いた。

647深山:2010/03/20(土) 23:38:28 ID:5hcHKnrc0
「どうしてだね、アヌルッダよ、わたしだって、幸福になりたいという点
では、決して人後に落ちないのだよ」(『釈迦の読み方』増原良彦、178頁)

釈尊は、アヌルッダが使った「功徳を積んで幸福になる」という頼み事の常套句を
そのまま使い、彼が断らなくてもいいように、また断れないように、
彼の顔を立ててあげているのです。
この言葉で用いている幸福には、あなたが考えているような世俗的な意味などない。
仏教で功徳、幸福といえば一つしか意味がないからです。
功徳を積むとは煩悩を切る修行をすることであり、幸福とは煩悩を断ち切って
解脱することです。
あなたと違い、アヌルッダは解脱者だからすぐにわかった。
釈尊はたくみに教法を上記の言葉の中に混ぜて、
アヌルッダが釈尊の申し出を断れないようにしてあげた。
上記を簡単に言えば、「気にするな、やってあげるよ」という意味です。
釈尊のこういう対応は実に知性にあふれている。
だが、この対話を読んで、学ばなければならないのは、
釈尊の知性もさることながら、釈尊のあふれるような慈悲の心です。
この経典の主旨をたった一言で表現しろというなら、釈尊の慈悲です。
そんなことは中学生でもわかる。
釈尊の他人を見る時の温かいまなざしと慈悲の心が文章の間から伝わってくる。
なんと麗しく感動的な話だろう。
だが、準シュダオンさんはこれを功徳を積んで御利益を得たいと
釈尊が表明したと読めるのですね?!
準シュダオンさんの解釈を読んでいて、いつも絶句するのがそこです。
こんなわかりやすく、文章や言葉の隅々にまで釈尊の慈悲が溢れているのに、
あなたはまるっきり気が付かず、世俗的な幸福を求めたとしか読めないのだ!
あなたって本当の、本物の、正真正銘の餓鬼なんですね。

648深山:2010/03/20(土) 23:43:38 ID:5hcHKnrc0
「どうしてだね、アヌルッダよ、わたしだって、幸福になりたいという点
では、決して人後に落ちないのだよ」(『釈迦の読み方』増原良彦、178頁)

準シュダオンさんはこの釈尊の対応を読んで、彼の深い慈悲ややさしさを感じませんか。
そもそも、針を通してあげるよと申し出たこと自体が、すごい。
教祖として威張り、京都から弁当を運ばせてワガママな王様のように君臨する
どこかの教祖様とはえらい違いです。
そればかりではない。
申し出に恐縮しているアヌルッダが困らないように、彼の自尊心を傷つけないように、
教法を出して説明してあげるその細かい気遣いに、準シュダオンさんがまるで
気が付かないことに驚かされる。
どうしてそんな鈍感、鈍重なのだ?
私はこの話を読んだ時、釈尊がほんとうに知性と慈悲に溢れた人なのだと感激した。
だから、どこかの口先だけの教祖様と違い、優れた弟子たちが育ったのです。

649ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/20(土) 23:45:53 ID:SmEF4Oe2O
>>633:準シュダオン10/03/20(土) 12:45:37 ID:agsP6ENM0
>そうしたらお釈迦さまは、「世間の幸福を求める者は、私が一番なのだ」

ここにひどいブスの女がいる。男に全然相手にされない。
「でーぶでーぶ百貫デブ。おまえを見てもちっとも欲情しねーよ。おめーはくせー
んだよ。あっちへ行け」とさんざんなことを言われる。
女は悲しくて泣く。もう死にたい。
女は川に身投げした。
そこに現れた通りすがりのユビキタス聖者。
自ら川に飛び込み女の命を救う。
ユビキタスは近くの小屋でびしょびしょになった女を風邪を引かぬように脱がせ
自らも脱いで素肌で暖めて抱く。
ユビキタスはしどろもどろに言う。
「すみません・・・こんなことをして・・」
「あたしみたいな醜い女を抱いてさぞ気持ち悪いでしょうに。あたしって臭いでしょ?」
「何をおっしゃる?私は今理性が切れそうになるのを必死で抑えているのですよ。
臭くなんかありません。とってもいい香りでうっとりしてます。おっと、こんな
ことを言って本当にごめんなさい!私って醜いんですよ。それを必死に理性で
抑えているのですが・・本当にもうドキドキなんです」
さてギャラリーの皆さんは既にお気づきでしょうが、私ユビキタス聖者は
あらゆる煩悩を乗り越えたアラハンです。
だ、誰だ?アッハン♪なんて言うのは?
だから本当は欲情に駆られてなんかもいないのです。
ユビキタス様の頭にあったのは、彼女の命だけでなく傷ついた心を癒してあげねば
ならない。だから世間でブスと言われる女に対して、それを全否定するだけでなく
かえってあなたは魅力的で私はどうしようもありません。と示して自信を回復
させてやらねばならないのです。
つまり優しさゆえの方便です。
方便とは工夫をするということですね。
釈尊は人を見て法を説くという。
相手に強く訴えわからせるためには逆説的な説き方も必要なんです。
それをこのアヌルッダたちに示した俺が果報を求める一番というアピールでないか?
そんな考え方も成り立ちなかなか面白い。

え?ユビキタス聖者の話の続き?
・・・ぱっこん、ぱっこん
それじゃ駄目じゃんw

しかし個室寝台になんか乗ると、おなぬーしたくなるな。

650深山:2010/03/20(土) 23:48:39 ID:5hcHKnrc0
>>635 :準シュダオン:2010/03/20(土) 15:32:55 ID:agsP6ENM0

あなたは、釈尊が「功徳を積んでヲイラも御利益を得たいのさ」と
餓鬼心を告白したと受け取った!?
私は泡を吹いてひっくり返りそうになった。
同じ文言を読んでも、どうしてこんなに解釈が違うのでしょうね。
というよりも、どうやったらそれだけ餓鬼解釈を恥ずかしくもなく
出せるのだろう・・・あ、餓鬼だからか。
どうしてそんなにさもしいのだ?
生活にも困っていないし、五体満足に生まれて、人並みの生活をしているはずなのに、
どうしてそんな欲張りなのだ?
ガツガツとあるが上にも欲しがるのは桐山さんが模範だとは知っているが、
それにしても、毎度毎度あなたのその慢心と餓鬼根性丸出しに反吐が出そうです。
釈尊の慈悲深い話すらも御利益を説いた話に読めるのは、
あなたの知性も感性も、アゴン宗の信仰をしたおかげで、
いよいよ本当にやせ細ってしまったのか、それとも元々そうだったのか、
どっちなんだろう・・・え?両方?

651深山:2010/03/20(土) 23:51:58 ID:5hcHKnrc0
>>635 :準シュダオン:2010/03/20(土) 15:32:55 ID:agsP6ENM0
>以上、増原氏の訳を抜粋したが、彼は「あらゆる欲望を滅却して生きるのが、
>釈尊の理想ではなかったはずだ、と続けています。小乗仏教の人々は、

あなたは増原さんの上記の主張を引用して我が意を得たりと思ったのでしょうね。
そのとおりで、あなたは増原さんと相性がいいと思いますよ。
なぜなら彼は伝統仏教系だからです。
ところで、あなたは増原さんて誰なのか知っていますか。
本の裏表紙に顔写真も出ていますから、見てごらんなさい。
「ひろさちや」さんです。
何年か前に、彼の自宅に現金でおいてあった一億数千万円を盗まれたという事件が
あったくらい、売れっ子の仏教ジャーナリストです。
彼がそんなに好きなら、他の本も読んでみるといい。
一つの傾向を言えば、彼は釈迦仏教や上座部仏教は大嫌いです。
だから、堂々と、上記でも「小乗仏教」という差別用語を用いている。
彼はこれ以外の著書でも上座部仏教を小乗仏教と罵りを書くことにためらないがない。
そのくらい釈迦仏教とその正統派である上座部は彼は嫌いです。
そして、あなたが上記に引用したように、釈尊があらゆる欲望を滅却したと
説いたはずはないなど、嘘を書いている。
これが仏教の解説書を書く人の見解かと驚かされる。
だが、準シュダオンさんとは相性がいいですよ。
なぜなら、欲望の積極的な肯定は大乗仏教から始まったからです。

652深山:2010/03/21(日) 00:01:43 ID:5hcHKnrc0
>>635 :準シュダオン:2010/03/20(土) 15:32:55 ID:agsP6ENM0
>以上、増原氏の訳を抜粋したが、彼は「あらゆる欲望を滅却して生きるのが、
>釈尊の理想ではなかったはずだ、と続けています。小乗仏教の人々は、

釈尊は、解脱したいという欲望以外はすべて否定的です。
生きているから、食欲や睡眠欲までは否定はしないが、最小限です。
釈尊は俗人がしたいことをするなといい、したくないことをしろというから、
世俗の人は、桐山さんやあなたが典型で、これを受け入れたくない。
後世になって大乗仏教がもてはやされたのは、欲望の一部が積極的に解禁されたからです。
成仏法を失ったからなどと桐山さんは書いているが、そんなのは嘘で、
欲望を滅却するという修行法は常に存在したが、これをやらなくても良いという
枠を積極的に広げていったから、釈尊の教法が滅亡したのです。
大乗仏教は後になればなるほど欲望の解禁の枠を広げ、密教の最後の頃には
セックスまで取り入れるほど堕落した。
その末期的な姿が日本の仏教で、坊さんの妻帯が当たり前で、
中には愛人のいるブッダ様なんて英雄までいる。
だから、上記の増原さんの意見は間違っていて、釈尊は欲望を否定し、
滅却した境地を理想とした人です。
増原さんは、桐山さんやあなたのように、自分の欲望に合わない部分を
釈尊は説いていないかのように書いてしまう。
その典型が次の文章です。

653深山:2010/03/21(日) 00:09:17 ID:5hcHKnrc0
「いっさいの煩悩をなくすのが涅槃だと、彼は錯覚したのである。
そんなことをすれば、植物人間になってしまうことに、彼は気が付かなかったのである。」
(『釈迦の読み方』増原良彦、180頁)

ここでいう「彼」とは女性を拒絶した坊さんのことです。
釈尊の教法としてはこの坊さんの態度は正しい。
だが、増原さんに言わせると、それは涅槃の意味を取り違えているのだという。
煩悩を断ち切るとは植物人間になるのだという。
釈尊が煩悩を断ち切ることが解脱だと言っているのに、
この人はそれを植物人間だと揶揄しながら、それで金儲けをしている。
増原(ひろさちや)さんの本はいつもこの調子です。
だが、これが世間でうけるのは、日本がその大乗仏教系であり、
自称出家に妻子や愛人までいても誰も気にないからです。
しかし、「欲望の否定」を否定するのは釈迦仏教ではありません。
つまり、仏教ではありません。

654ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/21(日) 00:10:37 ID:SmEF4Oe2O
>>633:準シュダオン10/03/20(土) 12:45:37 ID:agsP6ENM0
た。
>そうしたらお釈迦さまは、「世間の幸福を求める者は、私が一番なのだ」

幸福を求める第一人者というのは誇張してみせた表現とわかる。
平行して深山さんの書いてる内容と基本的に共通です。
だから本当は功徳なんか貪っていない。
ただ純粋に見返りもなく善行がしたいだけです。
弟子たちにも善行は率先してやれと示したようなものだ。
しかしともあれこの話を善業善果を説いたものと見るのも自由だとした。
しかしあなたのような最終結論には結びつかない。
この議論におけるあなたの最終結論とは何か?
護摩祈願してもよいという話ですよね?
釈尊もまた尚も善行をして御利益の果報を願っている。
だから護摩祈願もよいのだ。という論法です。
皆さんに問う。この論法は成り立つか?
成り立ちません。
なぜなら護摩祈願など善行でもなんでもないからです。
たとえ針に糸を通してあげる程度の小さな親切でも善行は善行です。
だから求める求めないは別としても何らかの果報はあります。
でもそういう現実の善行に比べて焚き火のどこが善行なのか?

655深山:2010/03/21(日) 00:14:13 ID:5hcHKnrc0
>>636 :準シュダオン:2010/03/20(土) 15:50:44 ID:agsP6ENM0
>「他人と競争して勝ちたいという我欲、煩悩ともいえる。しかし、阿含宗
>ではそれを否定しない。」
>とは、今週号の、週刊文春(P100)PR記事に書かれている文です。

あなたはいつも批判側の見解を大乗仏教の考えだと批判するが、逆です。
増原さんの考えは典型的な日本の大乗仏教系の考えです。
そして、あなたはもわざわざアゴン宗の広告記事を引用したように、
我欲という煩悩すらも否定しないとのがアゴン宗の見解だという。
だから、欲望を否定しないというのは大乗仏教であり、釈迦仏教ではありません。
だから、アゴン宗が根本仏教(釈迦仏教)を名乗るのはおかしい。
だから、名乗らなければいいのです。
阿含経を護持するとか、阿含経を実践するなんて嘘をつかずに、
アゴン宗は仏教ではないのだから、仏教なんて名乗らなければいいのです。
あなたも桐山さんも仏教を捨てればいいのです。
そうすれば、矛盾もなくなり、あなたみたいに屁理屈を並べる必要もなくなる。
それから、あなたの上記の引用は、恒例のゴマカシですね。
アゴン宗の言いたいことをあなたは歪めている。
上記の文章の後に次のような文章がある。

656深山:2010/03/21(日) 00:18:04 ID:5hcHKnrc0
「・・・否定しない。世界中の人々の煩悩を護摩壇に集め、炎で浄化することで、
巨大な前向きのエネルギーで変え、世界平和を祈る。」
(週刊文春(P100))

あなたの言いたいことと意味が逆です。
あなたの引用だけ聞くと、まるでアゴン宗は煩悩も肯定したかのように見えるが、
それらは護摩で浄化するというのだから、煩悩を切るのです。
煩悩がそのままでいいなんて言っていない。
煩悩など肯定していない。
護摩壇で浄化してなくすと言っているのだから、あなたの見解と正反対です。
どうして準シュダオンさんの引用って、こうもデタラメなのだろう。
毎回こうやって正反対の意味に引用して嘘を並べるようでは、
ほとんど病気、つまり桐山さんと同じで虚言癖ですね。

657深山:2010/03/21(日) 00:23:13 ID:5hcHKnrc0
>>636 :準シュダオン:2010/03/20(土) 15:50:44 ID:agsP6ENM0

増原さんはあなたやアゴン宗とは違う見解をその後に書いていますね。
増原さんの本の180頁から八正道が出てくる。
彼は四諦の道諦とは八正道だと述べている。
だが、桐山さんは道諦とは八正道なんてオシエではなく、
四神足という神通力開発法であると批判している。
それで、準シュダオンさんはどちらを支持するのだ?
自分に都合の良い部分だけを引き抜いてきて、さも誰かが自分の意見を
支持したかのように書くゴマカシがあなたはなんともない。
今回も、あなたの引用のデタラメさがまた際だった。
いよいよ、誰もあなたの引用など信用しなくなる。
しかも、あなたにとって昨日の自分の書き込みは「ウンコ」らしいから、
自分の発言に責任を持つという常識すらもない。
こういうあなたの書き込みを読んで、信者さんたちはどう思うでしょうね。
信者代表のような書き込みをしながら、威張り、デタラメを書き、
自己顕示欲を満々と見せながら、無責任な発言をくり返し、
釈尊の慈悲の姿を餓鬼の心でしか解釈できないあなたを見て、
アゴン宗を本物だと確信する信者がどこにいるのだ?
どう見ても、あなたは桐山さんという「慢心大餓鬼」の元に集まった「慢心小餓鬼」です。

658孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/21(日) 01:19:14 ID:XUfb/HH.0
だははw また準シュダオンさん卑劣な誤魔化し、ほんと変わりませんね>>644 は笑ったわ
しかも「以上、増原氏の訳を抜粋したが」とか、ぬけぬけとよく言いますね

ユビキタスさんの>>642-643 が普通の知性を備えた成人男子の解釈です。
準シュダオンさんてアスペルガー症候群なのじゃないかね? 自分も機微、微妙が読み取れないアスペルガー的な性質だからよく分かるね

659天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/21(日) 08:09:23 ID:YdsPPT7Y0
深山さん、準さんの示した本をお持ちで、ちゃんとした引用と解説、ありがとうございます。
何か絶対裏が有るなあ、とは思ったんですが、やっぱりでしたね。

私は菅沼氏の本でアヌルッダ尊者の話を知ったので馴染んでいたのが有り、その影響もさながら
ひろさちやさんの解説には納得がいかない部分がありました。
確かに文章づらで行けば準さんのされた解釈に沿います。
そういうことを考えれば、訳する学者の行い方ひとつで如何様にも変わる。
まして、準さんは自分の都合のいい部分しか引用しない癖が有るので警戒してました。

菅沼氏はアゴン宗に有る程度依っている部分の有るかただと聞いていますが、それでも
解説は納得がいきます。あの釈尊が世間で言われている「功徳」について言うとしても
自分の徳、というよりも”生きとし生けるもののために功徳を積む”という表現には
本当に釈尊らしく驕りがない。また、深山さんが言われたように釈尊の姿がありありと
浮かんでくるエピソードが私も同感で感銘を受けました。

660準シュダオン:2010/03/21(日) 09:51:38 ID:agsP6ENM0
増原(ひろさちや)さんの言い分にも、正しいものもあれば、間違いもある。
昨日提示した「釈迦の読み方」本、P175を引用しよう。
批判派に、ぴったり、あてはまる。

「だが、ここで一つだけ声を大にして言っておきたいことがある。
滅諦において、渇愛(煩悩)を滅すれば涅槃が得られると言われているが、
だからといって、あらゆる煩悩をなくせばよいのではない。いっさいの煩悩
の火が消え失せて、こころが灰のように冷え切った状態になるのが涅槃では
ない。それは行き過ぎであり、涅槃を誤解したことになる。小乗仏教の
学者たちは、涅槃をそのように理解したようだが、釈尊はそんなことを言って
おられない。」

以上、「」部分が増原氏の本の引用です。この部分は、表現が不適切であるが、
私は、増原氏に同意するね。管長も同意するであろう。但し、増原氏は、
煩悩と健全な欲とをを区別して、表現すべきであったね。

涅槃を、ろうそくの火が消えた状態に喩えるのは、必ずしも適切ではない。
煩悩の火が消えると同時に、智慧の火が灯るわけですからね。
煩悩のろうそくの火が消えて、新しい永遠の智慧のろうそくの火が灯るわけ
です。これで暗闇は消えるのです。

それから、私は批判派みたいに、姑息な引用しようなどと、爪のあかほども
持っていない。全文引用するのが面倒なだけだ。今回は、深山さんのレスも
ほんの数行は目にした。準シュダオン≠聖者、でないことを理解できたら、
もう少し、読むかも知れないよ。

661準シュダオン:2010/03/21(日) 10:12:57 ID:agsP6ENM0
天照さんも、批判派の解説だけが正しいと思わない方がいいよ。
アヌルッダの縫い針の話にしてもね、ひろさちやさんの解説と、増谷文雄氏の
解説も、大意は同じなんですからね。アヌルッダのエピソードを間違えるよう
では、学者として通用しない。批判派は、すべての欲を断つのが解脱の道だと
誤解してるから、アヌルッダの話を素直に理解できないのです。

例えば、釈迦は、「欲求離欲悪不善法」と、あちこちの経典で説いてます。
どう読みますか?悪い欲と不善から離れよ!という意味でしょ?
中村元先生も、釈迦は、悪い欲、邪欲を捨てよと説いてるのであって、
欲すべてが悪いと言ってるのではない、と解説してますよ。

護摩木祈願には、健全な欲もあれば、煩悩もあるのです。煩悩祈願だけ
してる人は、いずれ退会する運命でしょう。健全な欲を祈願すれば良い
のです。
お釈迦さまが、アヌルッダの針に糸を通してあげた行為は、功徳の種をうえた
行為です。三供養品の三福道・三善根に、仏法僧において、功徳の種をうえよ、
と、ありますね。聖衆において功徳の種をうえよ、の一例を、お釈迦さまが
アヌルッダに対する行為で示してくれています。阿含信徒であれば、法友の相談
にのってあげたり、助けたりすることなのでしょうね。

662準シュダオン:2010/03/21(日) 10:38:27 ID:agsP6ENM0
さて、増原(ひろさちや)氏は、大乗経典を、仏陀が説いた経典だと信じる、
と、本に書いてます。勿論、後世の僧が作成したことを承知の上でです。
どういうことか、というと、後世の僧で、深い瞑想状態に入った者が、実際に
仏陀にまみえて、教えを聞いたのであろう、だから大乗経典も如是我聞で、
始まっているのだ、と、そのように主張しています。
まぁ、それも嘘だとは、証明出来ないね。

ひろさちや氏の論に立てば、薬師如来も嘘ではなくなるね。
高僧が深い瞑想状態に入り、釈迦から、薬師如来の経を聞いた。
そして、前生が名医であったが、解脱して如来になった仏に、
お前が薬師如来の役をして、衆生を助けよ!と命じたのかも知れないね。

釈迦は、アヌルッダに如来の六法を説き、幸福の力が最も優れている。
「幸福の力に由って仏道を成じる」と、説いています。
薬師如来の十二大願の第一は、すべての人々を仏道に入れて仏にすること
です。病気を除いたり、衣食住に不自由させない、つまり、人々を幸福に
する、という薬師如来の大願は、「幸福の力に由って仏道を成じる」という
お釈迦さまの説いた実践です。

だから、桐山管長の焚く護摩は、釈迦如来と薬師如来の融合になりますね。

663天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/21(日) 15:01:19 ID:grRa35420
準さんの言われた>>661の「批判派の解説だけが正しいと思わない方がいいよ」
というのは分かります。過去に出されたユビさんや深山さんその他の方の意見にも
まだわからない部分のものもありますからね。
それは自分が理解できない、と思っていますから後回しにして、理解できるものだけを
認識しているので、全て批判側の意見は100%正しいとは思っていません。

しかしながらかなりの大半、つまり95%といってもいいくらいの高確率で批判側の意見は
正しいものが多い。だから私は批判側の意見を尊重します。また理解できる内容が多い。
準さんの意見はこの逆が多く、5%くらいしか信じられないのが多いです。
それは準さんの意見は持論が多く、仏教の教えでは無いのが多いからです。
実際2chでも準さんを支持している人は、どうやら少ないようです。
批判側の意見を丸呑みしないように、というのは分かりますが、準さんの持論も信憑性が
低いのでそこは気をつけたほうがいいですよ。

664天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/21(日) 15:08:10 ID:/yvMYjoQ0
>>662
>釈迦は、アヌルッダに如来の六法を説き、幸福の力が最も優れている。
「幸福の力に由って仏道を成じる」と、説いています。

この箇所はどこでしょうか?私にはその箇所が見当たりません。
「幸福の力に由って仏道を成じる」と、説いているなんて、アゴンの説く「功徳で成仏する」思考の
権化ではないか。そんなことを釈尊が行って薦めるのなら積徳だけというゲイカの言い分の擁護にしか
ならない。そうなれば、ただの釈尊を自分たちの都合のいい方便に照らし合わせて辻褄を合わせている
としかいえない。

菅沼氏の最後の解説の言葉が私は至上だと思う。
「生きとし生けるものたちのために」功徳を積むのが本当であり、釈尊の言葉だ。
勝手に湾曲させてはいけない。

665準シュダオン:2010/03/21(日) 16:35:20 ID:agsP6ENM0
うろ覚えでレスしたら、少し字句が違ってましたね。天照さんに、正確な
情報を伝えようと、増谷文雄先生のアヌルッダの部分の訳を、見つけ
ました。その部分、2行だけを引用します。意図があって2行だけにする
のではありません。疲れるからです。次のようになっています。

「福(さいわ)いの力こそ最も優れている。この福いに由って仏の道を
 成ずる。」
以上が、増谷先生訳の、釈迦がアヌルッダに説いた言葉です。

また、釈迦がアヌルッダに、「幸福は私も願う」ということを言った部分の
増谷先生の訳は、
「アヌルダよ、世間の福いを求る人、またわたしに過ぎる者はないであろう。」
と、なっています。わたしは、うろ覚えのまま、
「幸福を望む者、私が一番だ。」と、レスしましたが、まぁ大差ないでしょう?
ひろさちや氏の同部分の訳は、
「わたしだって幸福になりたい点では、けっして人後に落ちないのだよ」
と、なっています。増谷先生と、だいたい同じでしょう。

私が今、紹介した増谷先生の本は、1983年、大蔵出版発行、タイトルは
「阿含経典による仏教の根本聖典」増谷文雄著です。探せば今でも買えると
思いますけど。
あと、増谷先生の6巻セットもあったんだけど、何処へやったのか、今は
見えませんねw。

666ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/21(日) 19:16:47 ID:SmEF4Oe2O
>>665:準シュダオン10/03/21(日) 16:35:20 ID:agsP6ENM0
>私が今、紹介した増谷先生の本は、1983年、大蔵出版発行、タイトルは
>「阿含経典による仏教の根本聖典」増谷文雄著です。探せば今でも買えると
思いますけど。
あと、増谷先生の6巻セットもあったんだけど、何処へやったのか、今は
見えませんねw。

それだけ買いそろえながら無駄になっているのはすごい頭ですね。

667天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/21(日) 19:38:48 ID:0w4.3rJ.0
準さん、本の詳細をありがとうございます。こういうことは私は素直にお受けいたします。
「阿含経典による仏教の根本聖典」増谷文雄著ですね。以前私の地方でも置いてました。
もしかしたら有ると思います。¥4500しますから買えないで悔しかったので覚えてました。
後日立ち読みでもいいから確認したく思います。

また>>665の解説は理解できます。大差ない、というのはわかります。
ただ、私が言いたいのはあの後というか、根本の解釈です。

準さんは「福(さいわ)いの力こそ最も優れている。この福いに由って仏の道を
成ずる。」を支持するわけです。ですが私は「世間で功徳を求める人は多いが釈尊に勝る人は居ない。
それでも功徳を積もうとしている。それは私自身のためではなく生きとし生けるもののためにである」
といわれていることです。
アゴンでの功徳の積み方や回向の仕方、修行内容には個人の利益に絡むものが多い。
一方、釈尊はアヌルッダへの行為は「全ての生けるものへ」という回向の心が有る。
この両者は一緒にできないのです。
そして、私の主張をアゴンに適用すると当てはまらないことがでてくる。
ここが釈尊の言葉とゲイカ(アゴン)のいう内容との差異であり、異を唱える所以です。
アゴンが私の考えるとおりの実行をしてたら、批判の対称になりません。
アゴンはどう見ても自分の利益になるような徳を積む、という思考から離れていません。
ですので、本当の仏教から外れている、と判断して批難の対象になるわけです。

668孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/21(日) 21:53:54 ID:XUfb/HH.0
>>662 あれれ ついに桐山さんに牙を向いた!? 桐山さんは大乗経典を霊示による仏説だなんて認めてません。
さて準シュダオンさんの言い分に従うと、法華経こそ釈迦の本懐であるということになり、創価学会が正しい仏教ということになる。

669深山:2010/03/21(日) 21:54:44 ID:EYumERUI0
>>660 :準シュダオン:2010/03/21(日) 09:51:38 ID:agsP6ENM0
>それから、私は批判派みたいに、姑息な引用しようなどと、爪のあかほども
>持っていない。全文引用するのが面倒なだけだ。今回は、深山さんのレスも

さすがは準シュダオンさん。
あなたの嘘デタラメを二つも指摘されても、気にもしないばかりか、
まるで批判側が「姑息な引用」をしたかのように書いている!
あなたって、どこまで図々しいのだ?
盗人猛々しいとはまさにあなたのことです。
姑息な引用をしたのは批判側ではなく、あなたですよ。
ふてぶてしいというか、面の皮が厚いというか、万引きをした老人が、
警察官に「万引きはよくないぞ」とお説教をしているようなものです。
しかも、これが初めてではない。
前も、長阿含経を引用したときも、その前後を引用せず、
正反対の意味に主張して、私からそれを引用されて、沈黙しましたね。
あなたって、本当に桐山さんの弟子にふわしい嘘つきです。
普通なら、まず自分のミスを謝罪し、修正することから始める。
だが、あなたはこの七年ほどの間に、何度も何度もこういうインチキをしながら、
ただの一度も謝罪も撤回もしたことがない。
だが、それでいい。
そのふてぶてしさがいかにも桐山さんの信者です。

670深山:2010/03/21(日) 21:58:31 ID:EYumERUI0
>>660 :準シュダオン:2010/03/21(日) 09:51:38 ID:agsP6ENM0
>私は、増原氏に同意するね。管長も同意するであろう。但し、増原氏は、

増原さんは、煩悩を切ることは涅槃などではなく、植物人間になるのと
同じだと言っており、あなたは彼の意見に同意するのですね?
自分が何をしたか気がついていないとは、おめでたい人だ。
まず、釈尊を植物人間と罵倒した。
もっともアゴン宗の信者は釈尊の解脱を小解脱と罵っているのだから、今さら驚くことではない。
笑えるのは、さらにあなたはアゴン宗の教義を否定したことです。
桐山さんは増原さんの意見に同意などしない。
なぜなら、アゴン宗でも解脱するには煩悩を切ることになっているからです。
『修行者座右宝鑑』の152ページ以降を見てごらんなさい。
桐山さんは六大根本煩悩をあげて、これを心の因縁と名付けて、すべて切ることを
解脱の条件としている。
だから、増原さんのように「あらゆる煩悩をなくせばよいのではない」とは主張
しておらず、桐山さんは「あらゆる煩悩をなくせばよい」と言っているのです。
アゴン宗の解脱のための修行とは、仏舎利供養、先祖供養、心解脱行が
三本柱になっており(『修行者座右宝鑑』118ページ)、そのどれが欠けてだめなのです。
だから、増原さんのように、煩悩は切らなくても解脱するなんて
教義はアゴン宗にはありません。
あなたは桐山さんの主張を否定して、ついに増原教に帰依しましたね。
口から出任せに屁理屈を並べているうちに、アゴン宗の教義を否定してしまった!
あなたって、どこまで愚かなのだ。

671深山:2010/03/21(日) 22:01:45 ID:EYumERUI0
>>660 :準シュダオン:2010/03/21(日) 09:51:38 ID:agsP6ENM0
>私は、増原氏に同意するね。管長も同意するであろう。但し、増原氏は、

涅槃とは煩悩を全部切ることではない、という増原説にあなたが同意するというなら、
この主張の根拠を示してみなさい。
彼の本を読んでいてもあなたは気がついていないようだから、教えてあげましょう。
増原(ひろさちや)さんの一大特徴は、根拠も示さずに自分のトンデモ解釈を堂々と主張する点です。
桐山さんやあなたと同類です。
あなたが同意した涅槃の件だけでなく、増原さんは素人が聞いても首を傾げるような
解釈を堂々と並べ、しかも、根拠はいっさい示さない。
たとえば、あなたが引用した本で、女性を拒絶した僧侶を、涅槃の意味を
間違えたのだと批判している(180頁)。
だったら、何がどう間違えたのかを解説をして、釈尊本人が「涅槃とは煩悩を
全部切ることではない」と言っている根拠を示すべきです。
だが、彼の本はどれもこれも根拠を示していない。
根拠がないから、示せない。
桐山さんや準シュダオンさんと同じで、まるで何かわかったかのように
断定的に書くが、実は根拠がない。
桐山さんも準シュダオンさんも根拠があるかのように見せかけ、
時には捏造し、姑息な引用をしてごまかす。
増原さんが、涅槃とは煩悩を全部切ることではないという彼の主張の
根拠を示しているというなら、頁数を教えてください。
あるはずがない。
あなた方3人に共通するのは、釈尊の言葉をそのまま理解するのではなく、
先に自分の解釈があり、阿含経から文言をツギハギして、
自分の説が正しいかのように見せかける点です。

672深山:2010/03/21(日) 22:09:09 ID:EYumERUI0
>>661 :準シュダオン:2010/03/21(日) 10:12:57 ID:agsP6ENM0
>アヌルッダの縫い針の話にしてもね、ひろさちやさんの解説と、増谷文雄氏の
>解説も、大意は同じなんですからね。アヌルッダのエピソードを間違えるよう

また懲りもせずに嘘を並べる。
増谷博士が、いつ増原さんの「涅槃は煩悩を切ることではない」というオカルト説を
支持したのですか。
増谷博士がそんなことを書いたことは一度もない。
あるというなら示してみなさい。
あなたが引用した『阿含経典による仏教の根本聖典』は阿含経の現代語訳が
載っているだけで、増谷博士は解説などしていない。
解説があるかのような嘘をどうして平気で書くのだ?
解説していないのに、どうして増谷博士と増原さんの解説が同じになるのだ?
あなたはどうしてそうやって口から出任せに適当なことばかり書くのだ?
少しは自分の間違いを指摘され、恥ずかしいという気持ちは残っていないのか。
こういうあなたの性癖は、脳梗塞が原因ではなく、元々あなたの性格ですね。
そんな調子で仕事をしたら、四面楚歌になるのは当たり前です。
絶対に自分の間違いを認めず、相手が本など持っていないだろうと侮って、
次から次とその場しのぎの嘘をつく。
なるほど、あなたは信者というよりも、人間として桐山さんとよく似た者同士なのだ。

673深山:2010/03/21(日) 22:12:10 ID:EYumERUI0
>>661 :準シュダオン:2010/03/21(日) 10:12:57 ID:agsP6ENM0
>アヌルッダの縫い針の話にしてもね、ひろさちやさんの解説と、増谷文雄氏の
>解説も、大意は同じなんですからね。アヌルッダのエピソードを間違えるよう

増谷博士のこの経典についての解説は、たとえば
『ブッダ・ゴータマの弟子たち』(講談社、140〜142頁)
にあります。
しかし、彼の解説に、準シュダオンさんの言うような、現世利益的な話など何も出てきません。
増谷博士がそんなことを言うはずもない。
というよりも、学者が、釈尊が欲望を肯定して、現世利益を説いたなんていうはずがないのです。
あなたは学者を小馬鹿にしているらしい。
解脱とは煩悩を切ることで、こんなことは仏教の常識です。

岩波仏教辞典
「解脱・・・仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう. 」

仏教学者ならまずこれを前提として仏教を語る。
だが、増原さんは学者ではなく、仏教の物書きにすぎないから、
平気で根拠のない自説を何かわかったかのように書いているのです。
だから、私はあなたが彼の本を引用した時、鼻先でせせら笑った。
ひろさちやさんよりも、増谷博士の本があるなら、それをまず読んでみることです。
もっとも、ユビキタスさんが>>666で指摘しているように、
どうやら読んでもあなたには何の役にも立たないようだ。
馬の耳に念仏、準シュダオンの耳に阿含経、というところでしょう。

674深山:2010/03/21(日) 22:15:47 ID:EYumERUI0
>>661 :準シュダオン:2010/03/21(日) 10:12:57 ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまが、アヌルッダの針に糸を通してあげた行為は、功徳の種をうえた
>行為です。

あれだけ根拠を示して否定されても、まだ言っている!!??
では、老人介護のために、あなたの悪事を何度でも示してあげましょう。
あなたは釈尊が御利益信仰を説いたという自分の主張の根拠として
増原さんの本から「姑息な引用」をして、「功徳を積んで幸福になる」に
「功徳を積んで御利益を得る」という意味があるかのようにみせかけた。
だが、増原さんは「功徳を積んで幸福になる」について、次のように説明している。

「彼はそういった。「功徳を積んで幸福になる」という表現は人にものを頼むときの当時の一
般的な言い方であったらしい。」
(『釈迦の読み方』増原良彦、178頁)

「功徳を積んで幸福になる」とは「お願いします」という意味だと増原さん自身が書いている。
「功徳を積んで御利益を得る」なんて意味はないのです。
あなたは薄汚い根性だから、ここの部分を隠して、こういう意味があるかの
ように見せかけ、批判側と読者を騙そうとした。
あの話はアヌルッダに針に糸を通してあげた話であり、釈尊はアヌルッダの
使った幸いという言葉を使い、煩悩を断ち切れという法を説いたのです。
それが、あなたが引用した六法です。
その内容は珍しいものではなく、解脱への道を常に求め続ける姿勢を説いたものです。
これを御利益を説いたなどとはさすがの増原さんも書いていません。
そんなタワケを言っているのはあなた一人です。

675深山:2010/03/21(日) 22:20:31 ID:EYumERUI0
>>662 :準シュダオン:2010/03/21(日) 10:38:27 ID:agsP6ENM0
>仏陀にまみえて、教えを聞いたのであろう、だから大乗経典も如是我聞で、
>始まっているのだ、と、そのように主張しています。
>まぁ、それも嘘だとは、証明出来ないね。

あなたは大乗経典も釈尊がデンパで説いたというひろさちやさんの珍説を支持するのですね。
桐山さんはこんなことは否定している。
>>668で青柿さんが指摘しているように、桐山さんは阿含経以外は後世の
人たちが作った偽経典であると激しく批判している。
だが、あなたは桐山さんのこの説と正反対のひろさちや説を支持して、
ついには桐山さんすらも裏切った。
大乗経典は偽経典であり、釈尊の直説ではないという点では、
桐山さんも批判側も変わりません。
違うのは準シュダオンさんです。
ここはアゴン宗を議論する場だから、ひろさちや説を支持したければ、よそに行きなさい。

676深山:2010/03/21(日) 22:25:57 ID:EYumERUI0
>>662 :準シュダオン:2010/03/21(日) 10:38:27 ID:agsP6ENM0
>釈迦は、アヌルッダに如来の六法を説き、幸福の力が最も優れている。
>「幸福の力に由って仏道を成じる」と、説いています。
>薬師如来の十二大願の第一は、すべての人々を仏道に入れて仏にすること
>です。病気を除いたり、衣食住に不自由させない、つまり、人々を幸福に
>する、という薬師如来の大願は、「幸福の力に由って仏道を成じる」という
>お釈迦さまの説いた実践です。

上記の文章のうち二行まではそのとおりです。
だが、三行目から何ですか、これ?
どうしてここで突然、薬師如来が出てくるのだ?
阿含経のどこ薬師如来があるのだ?
どうして薬師如来の大願が釈尊の実践になるのだ?
薬師如来の所にウルトラマンと入れても、脈絡のなさという点では同じです。
本当にあなたの頭って支離滅裂ですね。
あなたは「さいわいの力」を勝手に世俗的な欲望だと思っているようだが、
どこに釈尊はそんなことを説いているのだ?
釈尊のいう「さいわいの力」で仏道を成じる、つまり解脱するのだというのだから、
「さいわいの力」とは煩悩を断ち切る修行に他ならない。
さいわいの力という言葉を用いているだけで、説いている内容はいつもと同じです。
だが、煩悩を断ち切る修行内容に、病気治しや衣食住に不自由しないなんて内容はありません。
釈尊自身が食中毒という病気で亡くなり、アヌルッダも失明した。
二人とも衣食住には一生不自由していた。
この二人が、病気治しと衣食住の不自由がないようにという法を説いた?
アヌルッダの問答のどこに釈尊が病気治しや衣食住について述べているのだ?
増谷博士や増原さんがどこでそんな解釈をしている?
頼むから、書いてもいないことを勝手に付け加えるのはやめてもらえないか。
ここはあなたの妄想を書くスレではありませんよ。

677深山:2010/03/21(日) 22:28:14 ID:EYumERUI0
>>661 :準シュダオン:2010/03/21(日) 10:12:57 ID:agsP6ENM0
>中村元先生も、釈迦は、悪い欲、邪欲を捨てよと説いてるのであって、
>欲すべてが悪いと言ってるのではない、と解説してますよ。

中村博士がどういう意味でこういうことを言っているのか説明してあげるから、
文献の名前とページ数を示しなさい。
毎度言われなくても、学者の名前を引用して自分の主張の根拠とするなら、
文献を示す癖をつけなさい。
増原さんの本も、増谷博士の本も、全部、あなたが主張した内容は書いておらず、
引用も解釈もまったくのデタラメだった。
こういうあなたが文献も示さずに主張して、誰が信用するのだ?
あなたが私の文章など読まないのは自由だ。
だが、読者は、私が指摘した、準シュダオンさんの引用文献の嘘の
部分はしっかり読んでいる。
あなたが読まなくても、他の全員が読んで、あなたのデタラメさ、
嘘つきぶり、そして自分の間違いを絶対に認めない頑迷さを知っている。
あなたはよく「w」などと他人をあざ笑うが、私の知る限り、このスレで
一番失笑を買っているのは準シュダオンさんです。

678準シュダオン:2010/03/22(月) 09:59:05 ID:agsP6ENM0
天照さんに紹介した、私が持ってる「阿含経典による仏教の根本聖典」は、
2,500円のですよ。そのP218〜223までがアヌルッダのお話です。
経の題は、「幸福を最勝となす」と、なっています。

天照さんは、阿含宗を誤解してますよ。そりゃ、中には自己の幸福のみ求めて
いる修行者もいるでしょうが、仏道とは、自分が仏陀になる修行ですから、
いずれ、自分の幸福も衆生のためだ、ということに必ず気付くのです。
いわば、自分が釈迦になる修行ですからね。自分だって、施において無量、
衆生の愛護において無量、という存在になる修行ですよ。
護摩木祈願は、その過程に過ぎません。到着点ではないでしょう。

薬師如来の病気平癒の力にしてもね、「他人や世の中のために、自分を活かし
たい、そのために健康になりたい」という人のために、薬師の功徳が発揮され
るのだそうですよ。これはたぶん、薬師如来本願功徳経に説かれていると思い
ます。ただ、自分だけの病気が治りさえすれば良い、という人には、薬師さん
の効果は薄いと思われますね。また、釈尊の衆生救済の働きを表したのが薬師
如来である、との解説も読んだことありますね。

大金持ちのビルゲイツ氏やウォーレン・バフェット氏でさえも、資産の大半は
慈善事業団体に寄付してますからね。仏道修行者の幸福だって、世のため人の
ために尽くせるようになるために、求めないといけない、管長はそのように
説いています。そのために管長は護摩を焚いてるのですよ。
和讃に、「福徳宝生身にうけて 因縁解脱の道を行く」とありますね、
これが、「福(さいわ)いに由りて 仏の道を成じる」という釈迦の教えと、
一致していますね。

それにしても、今発売中の、週刊新潮、文春、の阿含宗PR記事を読んだら、
常識人間には阿含の崩壊など、考えられないでしょう?子供山伏も育ってるし
YaNも育ってるし、焚く護摩木量も限界に近いほど多いね。

679準シュダオン:2010/03/22(月) 11:55:21 ID:agsP6ENM0
批判派のレスを読んで、おかしいと思うのは、阿含経のあちらこちらで説か
れている、「聖者僧に布施供養した者には、果報がある」と、いうことを、
否定したがっていることです。やれ、それは精神的なものだ、とか、勝手な
ことを、批判派は言っています。釈迦は、精神的なもの、とか、そんなこと
は言っていません。在家には、はっきりと、災難に遭わない、長寿を得る、
財が増える、とか、批判派が嫌がることを、説いていますよw。

本当の仏教は現世利益を求めるものではない、などと言って、せっかくの
釈迦の「施」を拒否したら、どうなりますか?せっかく、膨大な努力をして、
「施」の力や、「衆生を愛護」する力を得た釈迦の苦労は無駄になるのでは
ありませんか?
天眼智や宿命智を持ち、衆生の運命を見通してる如来様ですよ。
人の想像もつかない、お力をお持ちだと思いますね。
護摩木に祈願を書いたって、科学的にはバカバカしくて、叶うとは思われません。
しかし、宗教とは非科学的なものでしょう。

私は、護摩木に記した内容を、背後霊か守護霊か、神仏か悪魔か、動物霊か、
何者かが見てる感じがするのですけどねぇ。効果があると思いますね。
家族に癌患者が出た人に、護摩木を進めたら、病気平癒を祈願した人がいた。
後からその人が私に、「結局死んだけどね、護摩木を書いてから、それまで
苦しんで呻いていたのが、苦しまなくなって亡くなった」と、礼を言って
くれましたね、そういう体験もあるね。

680孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/22(月) 12:22:48 ID:XUfb/HH.0
ああ、それってお守りを勧めてくれた人への決まり文句なんよ。社交辞令だね↑

681天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/22(月) 13:32:24 ID:xsNGldFM0
>>678 本日午前中に書店へ行って、「幸福を最勝となす」を見てきました。
やはり、深山さんの言われたとおりで、増谷博士は訳した文章だけで解説は
していませんね。ですので、準さんの「増谷さんも同じように〜」というのは
準さんの誤解釈ですね。良くないですよ。信憑性が下がるもとです。
増谷博士は解説をして無いので、そこは混同しないようにしないといけません。

あと、本の値段は¥2800でした。税込みで¥2940ですか。
そこは私が間違っていました。訂正いたします。

で、増谷博士の訳は準さんが示した
釈迦は、アヌルッダに如来の六法を説き、幸福の力が最も優れている。
「幸福の力に由って仏道を成じる」と言う点は合っていますが、解釈の点で
納得がいきません。私や批判側は釈尊の示唆であり、準さんはゲイカの言い分に沿う
解釈です。

682天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/22(月) 13:39:34 ID:xsNGldFM0
>>678 釈尊が薬師如来の存在をいつ出しましたか? また、それに沿うような
功徳をいつ申しましたか? 準さんの言っていることは大乗仏教の思想と解釈です。
アーガマにさえそういう記述が有るのでしょうか。
自分で思うことや大乗の思想を持ち込んでさも、釈尊も言われただろう、というのは
止めたほうがいいです。勝手に仏教をいじくらないように。

>和讃に、「福徳宝生身にうけて 因縁解脱の道を行く」とありますね、
これが、「福(さいわ)いに由りて 仏の道を成じる」という釈迦の教えと、
一致していますね。

また、始まった。何でそういうすり替えに騙されますか。
仏の道が因縁解脱? 勝手に作り変えるなというのが分からんのですね。
また、釈尊が”福徳宝生身にうけて”と発言したのですか?
因縁を解脱しなさい、と釈尊は言われて無いのだからありえない。
煩悩を解脱しなさいとは言われたが、因縁を解脱しなさいなど言ってません。
どうしてあなたは自分の都合のいいことしか言わないのか、精神を疑います。

683天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/22(月) 13:51:56 ID:xsNGldFM0
薬師如来だとかいつまでもそういうバーチャル(仮想)な世界に遊ぶのが好きだから
未だにそういう論を信じるのです。

いいですか?釈尊がなぜ護摩も占いも禁止したか。
それは自分に依るべきだと述べているからです。
最後の自灯明がそれです。釈尊が生きていたときから一貫してました。
まして、釈尊は弟子や自分を奉するひとへ「自分を拝むな」といっているのです。
それが何でいきなり仮想な存在である仏を拝むのか?
釈尊がそういうことを言わない事実さえ知らないという無知モロ出しがアゴンの信者です。
かつての私もそうだったんですがね。

護摩というのは本尊を立てます。つまり拝む対象の中心を立てるわけです。
そうでしょう?空中に拝むのなら(本尊が無いのなら)護摩を焚く意味が無いんですよ。
ということは護摩を焚くのは本尊が有るから焚けるわけです。

じゃあ、その本尊はなんだ?とぴうことになる。不動明王でもいい。大日如来でもいい。
とにかく本尊が必要なんですよ。
で、釈尊が生きていたときに何かの本尊を立てるのか?また立てたのか?というとそれはない。
史上最高の生きている如来がいるのに何で別に本尊を立てるのか。
次に自分が自分に拝むのか?ということです。全くおかしいシステムです。
だから、釈尊は護摩を焚かないんです。
自分以外にも本尊を立てないし、自分自身に立ててもおかしいことになる。
自分が護摩壇に座って自分を本尊で拝むのは全くおかしい。
まして、様々な如来でも何でもいいから本尊を立てたらエセ仏教になる。
だからそういうおかしげなことはするはずが無いのです。
だから、護摩など釈尊は焚かないし、禁止もした。護摩は依存なのです。

684天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/22(月) 13:58:31 ID:xsNGldFM0
準さんも「阿含経典による仏教の根本聖典」を持っているのなら、そこに書いてある意味ぐらい理解しては?
釈尊の姿勢というものが分かればアゴン宗の矛盾など一発で分かります。
私はスッタニパータやパリニッパーナ経などで理解しましたよ。
結構仏教の本を持っている割には、無知なのには驚きますね。

685名無しさん:2010/03/22(月) 14:56:10 ID:gxYO303o0
>>679
> 、「聖者僧に布施供養した者には、果報がある」と、いうことを、
否定したがっていることです。やれ、それは精神的なものだ、とか、勝手な
ことを、批判派は言っています。釈迦は、精神的なもの、とか、そんなこと
は言っていません。在家には、はっきりと、災難に遭わない、長寿を得る、
財が増える、とか、批判派が嫌がることを、説いていますよw。

呆れかえるなあ。
ジジイ、あんたはこれだから、レスはよく読みなさいと言われるのだ。

批判派は施によって善果が来ることは否定していない。
否定されているのは「施によって解脱できる」という桐山氏の教え。

この違いはボケジジイでも分かるよな。
2行で書いたから、ジジイでも読めるはずだ。

686深山:2010/03/22(月) 18:53:14 ID:k/HdPqes0
>>678 :準シュダオン:2010/03/22(月) 09:59:05 ID:agsP6ENM0
>経の題は、「幸福を最勝となす」と、なっています。

これは経典の表題ではなく、増谷博士の本での表題です。
細かい指摘のようだが、あなたは毎度こんな調子で、一知半解です。
あなたは幸福を、勝手に世俗的な幸福と解釈している。
まったくの勝手解釈です。
この経典では、幸福が何を指すのかちゃんと説明されている。
釈尊はアヌルッダに自分もまた「さいわい」を求めていると述べた。
これに対するアヌルッダの質問をみてごらんなさい。

「如来の身はすでに真法の身であらせられる。またさらに何を求むるのであろうか」
(『阿含経典による仏教の根本聖典』222頁)

このアヌルッダの質問をみればわかるように、釈尊のいう「さいわい」とは解脱そのものです。
すでに解脱したはずの釈尊が、さらにそれを求めるというから、
アヌルッダが驚いて、どうしてかと質問したのです。
解脱の修行に終わりなどないと釈尊はアヌルッダに説いた。
だから、その説明として出した六法の最初は「施」です。
釈尊は遊行しながら、亡くなるまで人々に教法を伝えた。
これが出家の「施」です。
煩悩を断って、苦しい輪廻の世界から解脱しろというのがその教法です。
煩悩を断てと言っているだけで、どこにも準シュダオンさんのいうような、
病気治しや衣食住に関する御利益などの現世利益は説いていません。

687深山:2010/03/22(月) 18:59:22 ID:k/HdPqes0
>>678 :準シュダオン:2010/03/22(月) 09:59:05 ID:agsP6ENM0
>薬師如来の病気平癒の力にしてもね、「他人や世の中のために、自分を活かし

だから、アヌルッダの話のどこに薬師如来や病気治しの話が出てくるのだ?
ありもしないものをあなたは見えるらしい。
妄想癖のある年寄りは世話が焼ける。
あなたは、釈尊も現世利益も説いたからアゴン宗は正しい、と言うために
アヌルッダの話を出した。
だが、そのどこにも薬師如来も出てこなければ、病気治しもない。
なのに、どうしてここで脈絡もなく薬師如来が出てくるのだ?
それを>>676で私から指摘されても完全無視する。
釈尊がアヌルッダに説いたのは、解脱の修行に終わりなどないということです。
どこにも病気治しや衣食住に困らないようになるなどと説いていない。
まったく書いていないのに、あなたにはこれらの現世利益を
釈尊が説いたかのように読めるのですね。
教義や仏教議論ですらなく、単にあなたの脳に脈絡がないだけです。
アヌルッダの経典を出してこれを現世利益を説いたという主張もメチャクチャだが、
そこに唐突に薬師如来や病気治しが出てくるのは、普通の人には知性を
疑わせるような話の飛躍です。
脳が老化しただけなら、同情の余地もあるが、引用文は自分の都合の
悪いところは適当にカットするというズルサだけは健在です。

688深山:2010/03/22(月) 19:01:47 ID:k/HdPqes0
>>679 :準シュダオン:2010/03/22(月) 11:55:21 ID:agsP6ENM0
>批判派のレスを読んで、おかしいと思うのは、阿含経のあちらこちらで説か
>れている、「聖者僧に布施供養した者には、果報がある」と、いうことを、
>否定したがっていることです。やれ、それは精神的なものだ、とか、勝手な

準シュダオンさんからこういう発言が出るたびに、
>>685さんだけでなく、絶句しますね。
いったい、あなたとこれまで議論した内容は何だったのだ?
このテーマだけでも何度議論して、何度あなたのこの勘違いを指摘し、
何度批判側がそんなことは言っていないと否定し、
何度釈尊の説いていることはこれこれだと説明したことか。
三福道の議論をあなたとずっとしてきて、あなたが出した長阿含経の
証拠とやらが、今回同様に、肝心な部分を抜いて、自分に都合の良い
解釈を加えてごまかしていたのを私は指摘した。
恥をかいたら普通の人は覚えているはずなのに、あなたは覚えていない。
まあ、いいでしょう。
あなたのためにレスをつけているのではなく、
読者の信者さんたちのためにレスを付けている。
あなたのような屁理屈が成り立たないことを何度でも示すだけです。

689深山:2010/03/22(月) 19:04:57 ID:k/HdPqes0
>>679 :準シュダオン:2010/03/22(月) 11:55:21 ID:agsP6ENM0
>批判派のレスを読んで、おかしいと思うのは、阿含経のあちらこちらで説か
>れている、「聖者僧に布施供養した者には、果報がある」と、いうことを、
>否定したがっていることです。やれ、それは精神的なものだ、とか、勝手な

批判側は、如来に供養することで果報がないなどと言ったことはありません。
清浄なる比丘である如来に供養するのは最高の善業であり、
善業には善果が得られる、と釈尊も説いている。
善因善果、悪因悪果は釈尊以前のウパニシャッドで作り出された考えで、
釈尊も大筋でこれを採用しています。
比丘たちに衣食住を供養することや、困っている人たちに施しをすることは
良いことだと釈尊は奨励しています。
批判側がこんな仏教の基本を否定したことは一度もない。
批判側は、如来に供養すると解脱が得られると
いう桐山三福道は仏教にはないと批判しているのです。
準シュダオンさんはこの違いがわからない。
彼は無理だろうが、信者さんたちはここの違いをよく理解することです。
桐山さんは巧みにすり替えをしています。

690深山:2010/03/22(月) 19:09:27 ID:k/HdPqes0
●釈尊の説く供養・・・善業による善果が得られる
●桐山三福道・・・如来に供養する見返りに解脱できる

釈尊はたしかに供養や布施という善業によって、善果が得られると説いている。
だが、それは過去の悪業(悪因縁)を帳消しにしてくれるとは説いていません。
福祉に寄付すれば感謝状がもらえ、人々から感謝されるという果報が得られる。
だが、その人が過去になした窃盗がそれで帳消しになることはありません。
これと同じで、釈尊は為した善業には報いがあると説くが、
過去の悪業(アゴン宗のいう悪因縁)が帳消しになるとは言っていません。
ましてや、供養の功徳で解脱するなんて金輪際説いていない。
在家には、出家に供養するように説き、その果報は大きいぞとは説いているが、
だからといって、「供養したら悪因縁が切れるぞ」「仏縁ができる」
「解脱への道を進む」などいっさい説いていません。
信者さんたちが信じている三福道では、如来に供養すると
見返りに因縁を切ってもらい、解脱を含めた好運をもらえるというものです。
だが、釈尊は過去の悪業(悪因縁)の帳消しは説いていない。
信者さんたちが、仮に本物の釈尊に供養することができても、それは来世で
大きな果報となることはあっても、信者さんたちの悪因縁を切ることもないし、
解脱への道を歩み、預流になることもありません。
供養によって解脱するなんて桐山さんの作り話です。

691深山:2010/03/22(月) 19:12:43 ID:k/HdPqes0
●釈尊の説く供養・・・善業による善果が得られる
●桐山三福道・・・如来に供養する見返りに解脱できる

桐山三福道の「供養による解脱」など真っ赤な嘘です。
その事例として、いつも出すのが、コーサラ国にいた大金持ちの商人の話です。
岩波文庫の『神々との対話』(中村元)の197〜200ページにあります。
この商人は前世で如来に供養した功徳で天界に七度生まれ変わり、
さらに七度サーヴァッティーの長者となった。
まさに、最高の善業による善果を彼は得たという事例です。
だが、彼は貪りの心が強く、それを捨てなかったために、
その善果を使い果たしてしまった。
彼は前世で財産を手にいれるために兄弟の子供を殺した。
それらの報いによって、彼はすでに長年地獄に落ちて苦しんできた。
彼は今回は善果を使い果たしたので、死後、地獄に堕ちたという話です。
信者さんたちはこの話を聞いて、桐山三福道が成り立たないことに気がつきませんか。

692深山:2010/03/22(月) 19:17:52 ID:k/HdPqes0
●釈尊の説く供養・・・善業による善果が得られる
●桐山三福道・・・如来に供養する見返りに解脱できる

商人の為した善業は善果のまま、悪業は悪果のまま降りかかっていて、
両者は帳消しにはなっていない。
商人は如来に供養したのだから、桐山三福道によれば、その出世間の功徳で、
兄弟の子供を殺した悪因縁が切れていいはずなのに、彼はその報いをそのまま受けています。
解脱者にいくら供養しても、その善業による功徳は得られるが、
だからといって、過去の悪業の帳消しにはならない。
桐山三福道では、前世の悪業である横変死の因縁など悪因縁を、
如来に供養すると切ってくれるというが、この主張をこの経典は真っ向から否定しています。
また、商人は前世で解脱者に供養したにもかかわらず、今生では、
釈尊という解脱者がいるにもかかわらず、仏縁ができなかった。
解脱どころか、預流にすらなれなかったのです。
信者さんたちは、今アゴン宗で供養することで、輪廻しても、来世で仏縁ができると思っている。
だが、この商人の事例をみればわかるように、そんなに甘くないのです。

693うサギ:2010/03/22(月) 19:19:40 ID:UtKVqJLA0
準々シュダオンさんへ。
もしかしたらお忘れかもしれないのでお知らせします。
私は、>>624であなたに質問しています。
忘れていませんか??
  ↓
624 :うサギ:2010/03/19(金) 13:15:52 ID:UtKVqJLA0

694深山:2010/03/22(月) 19:21:39 ID:k/HdPqes0
●釈尊の説く供養・・・善業による善果が得られる
●桐山三福道・・・如来に供養する見返りに解脱できる

アゴン宗の供養には致命傷がある。
それは釈尊のいう供養とは、「清浄の比丘」への供養だという点です。
商人も前世で独覚、つまり釈尊のような如来に供養したから、
その果報で大きな功徳を得ることができた。
だが、信者さんたちが供養している相手は桐山さんですから、如来ではありません。
あなた方が供養している相手は、骨如来や応供の如来ですらなく、
桐山さんという実在する人間です。
彼は愛人がおり、食欲すら押さえられない煩悩のままの不浄な人間です。
釈尊のいう清浄の比丘とは、煩悩を断ち切ったか、それにむかって修行している人のことです。
だが、桐山さんは、見ての通り、俗人よりももっと煩悩が強い。
しかも、桐山さんはインチキ仏教を釈迦仏教だと称して、
漏尽解脱を小解脱だなどと如来を誹謗するという大悪業を為している。
教法を正しく伝えたのなら善業だが、禁止された護摩や占いを使い、
因縁解脱などという外道の解脱を釈尊が説いたかのように嘘を宣伝している。
こんな人に供養するのは、麻原彰晃に供養すると同じで、悪業に他なりません。

695深山:2010/03/22(月) 19:26:04 ID:k/HdPqes0
●釈尊の説く供養・・・善業による善果が得られる
●桐山三福道・・・如来に供養する見返りに解脱できる

桐山三福道について信者さんたちの最大の間違いは、
釈尊に供養すると、「釈尊が功徳をくれる」と信じている点です。
だから、本物の如来、本物の骨に供養しなければならない、などという
オカルト教義が出てくる。
釈尊が説いている善因善果とは、釈尊本人は関係がないことに気がついてください。
これはこの世界の法則を示したにすぎない。
リンゴが落ちるのはニュートンが原因ではありません。
万有引力の法則という自然界の法則によってリンゴは落ちるにすぎない。
これと同じで、如来に供養すると来世に来るという大きな果報とは
その如来が授けるのではありません。
この点をよく気をつけてほしい。
商人が如来に供養したから、その如来が彼に功徳として授けたのではなく、
リンゴを枝から切れば地面に落ちるように、善業を為したから、善果が得られただけで、
その時の如来が授けたのではありません。
だから、もし目の前に釈尊が現れて供養すれば、我々も来世はこの商人のような
大金持ちになれるかもしれないが、それは釈尊が我々に授けた功徳ではなく、
それがこの世界の法則なのです。
功徳であれ、解脱であれ、釈尊が授けるのではない、という点に気が付いてください。

696深山:2010/03/22(月) 19:28:26 ID:k/HdPqes0
●釈尊の説く供養・・・善業による善果が得られる
●桐山三福道・・・如来に供養する見返りに解脱できる

如来への供養に対する果報も、さらには解脱も、釈尊本人はまったく関係ありません。
このことをよおく理解することです。
信者さんたちは桐山さんにこの点を徹底的にオカルトを教え込まされ、誤解している。
真正仏舎利でなければダメだとか、供養しなければ因縁は切れないなどと、
如来とやらに依存するようにシツケられている。
だが、如来が本物だろうか偽物だろうが、解脱にはまったく関係ない。
だから、コーサラ国の商人は、供養をしても解脱どころか、仏縁すらできなかったのです。
供養しようがしまいが、解脱とは関係がないのです。

697深山:2010/03/22(月) 19:34:09 ID:k/HdPqes0
●釈尊の説く供養・・・善業による善果が得られる
●桐山三福道・・・如来に供養する見返りに解脱できる

釈尊の説く解脱には何が関係しているのでしょう。
自分の煩悩を自分で減らし、なくすこと以外は何もありません。
釈尊は学校の先生と同じで、教えてはくれるが、大学に合格(解脱)するのは
本人が勉強するしかない。
どんなに先生にお中元やお歳暮(供養)を出しても、生徒の大学合否とは関係ありません。
これと同じで、如来に供養してもしなくても、解脱とは関係がない。
仮に桐山さんが如来であっても、彼にいくら供養しても、信者さんたちの
解脱には関係ない。
コーサラ国の商人は善業の善果は大いに受けたが、解脱への道を歩むことはなかった。
なぜなら、彼自身が自分の貪りの心を抑えようとはしなかったからです。
解脱への道を歩むには、自分で自分の煩悩を減らし、切っていく努力をするしかない。
大学に合格するには自分で勉強するしかないというのと同じで、
当たり前すぎるほど当たり前のことです。
そして、信者さんたちは桐山さんから、当たり前ではないことを教え込まされている。
自分で自分の煩悩を切るのだと理解したら、護摩木など禁止されなくても、
自分から捨てます。
だから、護摩木すらも捨てられない人は、釈尊が何を説いたかすらも
理解していないのです。
つまり、桐山さんも先達たちも仏教の基本すら理解していない人たちです。

698ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/22(月) 22:21:13 ID:SmEF4Oe2O
帰りの新幹線からのんびり反レスしようかと思ったが、結局は高校野球板ばかりに
書いていた。
一昨夜から昨日にかけて関東でもすごい強風の嵐だったようだね。
甲子園では開会式前に雨ごと通りすぎた後で。
それでも黄砂が舞ってたが。
一昨夜の夜行も一時小田原手前で強風で停止し、さらに徐行運転になったんよ。
姫路着が朝の5:24の予定が目が覚めたら5:50頃で、しまったーーー!!!!
やってしまったーーーー!!!!と思った。アラームは設定していたのだが、
快適に爆睡して気がつかなかったようで。
高校野球スレで気をつけろと言われていたのがついにやってしまった。大寝坊
乗り過ごし。恥ずかしー。
次は岡山まで停まらないので岡山から新幹線で戻らねばと思って時刻を調べていたら、
6時過ぎに車内アナウンスが。
「次は姫路、姫路。列車は強風の影響で1時間遅れました」
寝坊しても助かるラッキーでした。
日頃の行いが正しいからでしょうか?
別に護摩木で祈願もしとらんが。

699ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/22(月) 22:38:18 ID:SmEF4Oe2O
期待していた向陽セーラー、上にお揃いの白のウインドブレーカー着てた。
防寒対策もあろうが、けしからん!子どもは風の子じゃ。
それでは健全なる心身は得られん。
向陽は旧海草中学。海草のビキニでもおじさんはかまわないよ。
それから山形中央終わってみれば惨敗ですが、前半は善戦し存在感を示した。
ツービートの昔の漫才を思い出した。
東京出身のたけしと山形出身のきよしの掛け合い。
たけし「甲子園の高校野球が大人気だね」
きよし「俺も高校時代、野球に入れ込んでさ〜」
たけし「山形に高校があるか?」
今回東京にぼこられた山形でしたが、山形に高校はあるということだけは
証明できたと思います。

700天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/23(火) 05:46:12 ID:iVb/AEV20
ユビさんへ

野球観戦旅行、お疲れ様でした。姫路の件は普段の精進の賜物と思われます。本当に喜ばしいことです。

深山さんへ

いつも分かり易いご意見ありがとうございます。本当にそのとおりでございます。

大乗仏教の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです。
かくいう私も最初は「これが釈尊の教え?こんなので解脱できるのか?」と訝しく思ったものでした。
しかし、良く調べてゆくと大乗の教えでは解脱ができない、とわかりました。
それは「自己を何らかのものに依存させている」というのが分かったからです。
自分以外の他者的な何かを頼りにすることは解脱は得られない、ということです。
その意味さえも読み取れないで、慣れ親しんだ「依存」から離れられないで執拗に執着するのは分かります。
しかし、それが本当の仏教・道であると勘違いするのは何の得にもなりません。
釈尊の教えなどどうでもよく、自分の気分や利益が適えばそれでいい、という都合主義信仰なのです。

701天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/23(火) 06:07:06 ID:pFUIGihk0
ゲイカは昔
「念仏やお題目、おマンダラを拝んで利益を売る、という信仰の時代は終わった」
といいながら、言った先から密教の作法で依存をたっぷり行わせる、という矛盾を
信者にやらせています。この矛盾が信者には理解できていない。むしろ理解できたら
「何でこんなおかしなことをやらせるか」と離れるはずです。
因縁解脱、現世利益・・・など様々な名目を並べてそれに引っかかる人間を待つのが
アゴン宗の中身であり、教祖の狙いなのです。

釈尊が言われたのは、釈尊が説いた真理の教えを、どこまでも個人が行って解脱を得て
涅槃へ至るようになる・仏陀になるのが本題です。
何かのものを対象に於いて利益を得るとか、現世に於いて煩悩に絡む欲求を叶える。
また、自分や自分の家族の安泰や安穏を得るのが目的では無いのです。
どこまでも自分をコントロールし、煩悩を無くし悟りを得るために精進するのが本当の
仏教の教えです。
そういう教えとは逆の依存をさせて金や物、労力をつぎ込ませるようにしたのが
アゴン宗です。
ありもしない「OOの因縁」という項目を並べ立て、それがどの人にも有るのだぞ、と
脅す・観念を植え付けることで成り立っている宗教です。
また、先祖を「成仏してない」と言うことから「成仏させてあげますよ」ということで
成り立っている宗教です。
人生では様々な困難が有る。願い事をかなえて幸せな人生を・・・というのもアゴン宗
のウリです。そして、ご本尊様や先祖に供養してゆくとあなた方の人生はいいものになり
ますよ、と依存させて搾取することしか示唆していないのです。

お釈迦様はこんなことは一切していません。それが分からないのがアゴンの信者です。

だから、原始・初期仏教のお経の解説を読むと違和感が有るのは当然なのです。
アゴン宗での教えと全く逆だからです。どちらが本物か分かるのに少々迷いましたよ。
でも、大乗仏教が今は仏教のほとんどを占める訳ですから、では大乗の教えが正しいか、
それとも原始・初期のほうが間違っているか、のどちらしかない。
すると、釈尊の行いや姿勢というものや、中身を判断してゆけば段々わかってきます。
それで「ああ、大乗は湾曲された仏教なのだな」と分かるわけです。

702天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/23(火) 06:24:13 ID:xKNUpdmI0
おっと、誤字訂正
「念仏やお題目、おマンダラを拝んで利益を売る、という信仰の時代は終わった」を
「念仏やお題目、おマンダラを拝んで利益を得る、という信仰の時代は終わった」に
に訂正です。利益を”売って”どうする、ですね・・・。それじゃあ商売ですな。

一番の違いに驚いたのは、釈尊と弟子達が不幸な亡くなり方をした方がいた、という点です。
これがもし全て幸せ、というか穏やかな死ばかりであれば、目が覚めるのにはわたしは
時間が掛かったかも知れません。

信者時代からどうしても納得がいかなかったんですね。
釈尊は食あたりで亡くなられた。弟子達も不幸な亡くなり方をされた方がいた。
因縁解脱を果たし、完全解脱できた「聖者」がなぜに不完全な死に方をするのか・・・
それでは絶対に納得がいかない・辻褄が合わないからです。

で、あとで分かったら因縁解脱なんていう思考・指導など釈尊はされていない、とわかって
びっくりですよ。ゲイカの言うことは全くの嘘だったわけです。
次にアゴン宗で行われていることのほとんどがデタラメなわけで、先祖供養やら護摩、各種供養
も偽仏教の教えなのです。釈尊はそういうことなど指導・示唆されていないのです。

むしろ釈尊は現世利益とか生きている間に幸せになろう、なんていうことよりも、究極的である
「解脱〜悟りを得る」ということを教えになられた。四苦八苦に見られる苦というものが常に
付きまとう「輪廻」から離れることのできる唯一の解脱が目的であって、願いを叶えるとか
先祖の成仏とか、現世で幸せになれる、悪い運命を回避する・消滅させる、などということなど
全然関係が無かったのです。ですから、不幸な亡くなり方をしようが、現世で貧乏であろうが
関係が無く、いかに解脱を果たしてニルバーナに入るかが目的だったのです。

703天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/23(火) 06:37:58 ID:CgXnYSLM0
だから、完全な煩悩から解脱できたら、執着が無いのだから貧乏でもかまわない。
何かにすがることも無い。何かを集め、むさぼることも無い。略奪や搾取も無い。
ただひたすらに清浄行を行い、悪行を行わないで天寿を全うするのが聖者です。
どこかの教祖のように愛人を囲い、信者から搾取して贅沢の限りを尽くし、病を
発症し、未だに嘘をついて自分の保身を図ろうとする愚者とは全然違います。
執着だらけの教祖と、究極的な解脱を果たした釈尊とは全然違うのが分かります。

ましてアゴン教学で照らし合わせたら、あの不幸な亡くなり方をしたというのは
説明に矛盾が生じます。因縁解脱を果たしてない、という証拠になるからです。
因縁解脱を果たしたら、あのように釈尊を始め弟子たちは不幸な亡くなり方をせずに
静かに眠るように亡くなって、病や事故などで亡くならないのが筋です。

巷でもアゴンの信仰もしないのに、苦しまないで老衰で亡くなる方がいます。
普通聖者ならそのようになるのが当然です。
では、その巷の一般人に聖者は劣っているというのでしょうか?
因縁解脱の修行をして無いのに健やかで、一方アゴンの信者でガンで亡くなってたり
横変死したら、それは全く矛盾の極みでは無いか?ということです。

ですから、そもそも因縁解脱なんて嘘でありデタラメなんですから、意味が無い
ということですね。運命など変える力など無いのがアゴン宗です。

704ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/23(火) 08:47:07 ID:SmEF4Oe2O
>>700
いえいえ、寝坊しても助かった話は汗顔でしたよ。
単にラッキーだったなんて喜べない。
昔、準シュダオンさんが別ハンドルだった時に似たようなラッキー話を書いていた。
なんかの会計の仕事を受け持っていたのだが、つい忘れてさぼっていた。
そこで提出納期が過ぎてからか間際になってから言われてやることになった。
しかし実はこの時に集計した時に後から追加分の伝票も見つけ、わかったことが
もしいつも通りに集計に着手していたらその追加遅れ分の伝票はカウントされず、
後から来た際に集計のし直しの作業が生じたはずだった。
二度手間にならずに一度で済んだのはラッキーといえ、この仕事を忘れて
手をつけずにいたこと自体仏様によるお手配だったのではないかとかそんな内容を
書いていた。
私はそんな話までも仏まで出さねばならないことに呆れて笑い、こう指摘した。
「それは逆だろ?こういうハプニングがあったら結果オーライとすべきでなく、
冷や汗をかいたところで反省をすべきだろ。たとえ二度手間が生じてもそれはそれで
仕方ないとして、やはり仕事は忘れずにきちんと覚えていて予定通りに着手
すべきであったろう。あわやのハプニングをよい教訓として反省自戒の機会と
すべきなんです。そうでなければ遅れたってかまわないなんて発想にもつながりかねない。
だからハプニングはハプニングとしてこれをどう受け止めて次に活かすかは
その人次第ですね。
夜行寝台と言えば昔、星まつりの修行に今はもうない寝台特急出雲3号で行った
ことがあります。京都着が未明の3時40頃に着くやつです。
やはり今はない急行銀河や夜行バスのドリーム号では現地集合時間に間に合わないもので。
そういう変な時間に到着する駅には車内放送もしないし。
姫路も本来車内放送しない駅だったので、車内放送がかかった時、てっきり岡山
かと思った。

705深山:2010/03/23(火) 12:36:42 ID:3O04P.BQ0
>>700 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/23(火) 05:46:12 ID:iVb/AEV20
>大乗仏教の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです。

アゴン宗の思想は、日本の習俗仏教に霊的脅迫というメリハリをつけたものにすぎません。
つまり、大乗仏教ですらない。
桐山さんの知識の元は、前にも書いたように、立正佼成会であり、
この教団の親である霊友会の思想です。
これを母体にして、密教という包装紙にくるみ、阿含経というノシをつけたのがアゴン宗です。
だから、阿含経の思想とは似ても似つかない。
だが、日本人に親しみやすいのは、習俗仏教が深く日本の中に根付いているからです。
たとえば、因縁を運命の意味に使うのは、霊友会だけでなく、天理教でも
似たような使い方をしています。
霊友会は昔は巨大教団であり、ここから雨後の竹の子のように分裂を繰り返して、
すごい数の「子供教団」ができて、その一つの立正佼成会がそうであるように、
子供教団もまた親教団を上回るほどの巨大教団にいくつか育ったのです。
その結果、因縁を運命のような意味に使うやり方が世間に広がってしまった。
「孫教団」であるアゴン宗の悪因縁の話を聞いても、それほど違和感がないのは、
どこかでこういう因縁の使い方を聞いているからです。
「因縁=運命」という考えは大乗仏教ですらなく、日本の近代の新興宗教の思想なのです。
そして、因縁がそうであるように、アゴン宗の教義のうち桐山さんが
作り出した部分のほとんとが近代の新興宗教から出来ています。

706深山:2010/03/23(火) 12:40:00 ID:3O04P.BQ0
>大乗仏教の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです。

言うまでもなく、因縁には運命などという意味はありません。
教育を受けていなかった霊友会の教祖が、西田無学という人から
法華経の講義で因縁の話を聞いても意味を正確に理解できずに、
彼女なりに「因縁=運命」と理解したのでしょう。
そして、この彼女の無知と間違いが、その後の日本の宗教を大きくゆがめてしまった。
仏教をきちんと勉強すれば、「因縁=運命」など子供じみた間違いだと気がつきます。
逆に言えば、これをそのまま信じてしまった桐山さんは実は仏教など
まともに勉強したことがないのです。
また、彼はこの間違いに気が付かない程度の知性だということです。
理由は簡単で、仏教を学びたいのではなく、宗教で一旗揚げる方法を
学ぶために、立正佼成会を調べたのでしょう。
立正佼成会を選んだのは、当時、爆発的に広がり、社会問題にまでなっていたからです。
仏教を求めるなら、坊さんのところで学んでみようとするのが順序です。
だが、桐山さんが選んだのは一代で巨大教団となっていた立正佼成会です。
これを見ても、桐山さんが仏教を求めていたのではなく、
教祖になってエラクなるのが目的だったのがよくわかる。

707深山:2010/03/23(火) 12:44:36 ID:3O04P.BQ0
>大乗仏教の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです。

アゴン宗のもう一つの得意技である霊障の話も霊友会にあります。
霊友会でも、悪因縁の元は先祖供養の不足からくる先祖の崇りだとしているのです。
そっくりそのまんまです。
アゴン宗の重要な教義の霊的な話の部分は、その元が霊友会、
あるいは立正佼成会にすでにあるのです。
霊障は霊友会ではなく、真光系の教団が前から使っている言葉です。
桐山さんがこの言葉を本格的にウリの一つとして使い出したのは
アゴン宗になってからです。
それはその直前に、真光系といっしょに宗教講演をしているからです。
その話を聞いて、桐山さんはこれは使えるとピンと来たのでしょう。
立正佼成会から学んだ先祖の崇りに、真光系の霊障というキャッチコピーを
くっつけて、自分の発明であるかのように新発売して、爆発的に売れた。
桐山さんが宗教を商品とする優れた商人であったことは確かです。

708深山:2010/03/23(火) 12:47:20 ID:3O04P.BQ0
>大乗仏教の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです。

桐山さんは立正佼成会のことは一言も言っていません。
にもかかわらず、私が立正佼成会こそがアゴン宗の親だというのは、
教義や布教から言葉まで、ものすごくよく似ているからです。
よく似ているのに、一言もないのはおかしい。
他の教団の名前は出しているのに立正佼成会だけは出したことがありません。
つまり、自分の手の内を見せたくないのです。
どれほど似ているか、比較してみましょう。
桐山さんは占いで因縁鑑定をしています。
立宗佼成会の教祖の一人庭野さんも手相と九星を用いて因縁鑑定をしているのです。
桐山さんはこのやり方を見てピンと来て、因縁霊視を始めた。
「○○の因縁」という言い方もそのままで、たとえば、色情の因縁などは共通しています。
導き、導きの親、法座会など言葉はそのままです。
また、立正佼成会では勤行の時、観音様の像にご供養金を毎回入れて、
これを教団に納めるようになっている。
アゴン宗の勤行と同じ集金方法です。
さらには、阿含経を正式に取り入れた新興宗教は立正佼成会が初めてです。
アゴン宗の信者の多くはアゴン宗が初めてだなんて言っているが、
アゴン宗よりも二十年近くも前に、庭野さんは阿含経こそが釈尊の説いた
経典だという学者の説を学び、法華経と根本仏教の一体を説いています。
だから、「日本でアゴン宗が初めて阿含経を取り入れた」なんていうのは、
無知であり、事実ではありません。

709深山:2010/03/23(火) 12:50:04 ID:3O04P.BQ0
>大乗仏教の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです。

他にも庭野さんは「明るい社会づくり運動」をしている。
これも桐山さんは「宗教運動から社会運動へ」などとマネしている。
世界平和運動は言うに及びません。
この点ではただ焚き火をしている桐山さんと違い、庭野さんのほうが
より具体的な活動をしています。
庭野さんの履歴の年表を見ると、一行一句が驚くほど桐山さんと似ている。

1941年 招集令状で身体検査を受けた結果、不合格。
1952年 佼成会病院設立
1957年 広島で原爆犠牲者慰霊法要
1959年 千鳥ヶ淵墓苑戦没者慰霊法要
1963年 ローマ教皇パウロ六世と謁見
1964年 インド仏跡巡礼
1964年 健康維持のためにゴルフを始める。
1965年 第二回バチカン公会議に出席してミサに参加。ローマ教皇パウロ六世と予定外の会見
1966年 インド大菩提会から仏舎利の寄贈を受ける
1972年 サイパン、グアム両島に日敬名の慰霊塔を建立
1973年 伊勢神宮式年遷宮出席
1973年 警視総監賞受賞
1974年 中国仏教協会の招きで中国を訪問
1974年 ベルギーで第二回世界宗教者平和会議に出席した後、
ナチスのブリーンドンク収容所跡で祈りを捧げる。
1975年 アメリカ、シカゴ大学のミードビル・メンバード神学大学院から名誉法学博士学位証書授与

710深山:2010/03/23(火) 12:54:51 ID:3O04P.BQ0
>大乗仏教の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです。

年代を見ないと、桐山さんの年表かと思うくらい、よく似ている。
徴兵で不合格、病院設立、広島や千鳥ヶ淵、南方諸島、ナチスの収容所での法要、
教皇との謁見、仏舎利拝受、インド仏蹟巡礼、伊勢神宮の式年遷宮、
警察から受賞、中国仏教協会との交流など、そのまんまです。
桐山さんは昔はゴルフを小馬鹿にしていたが、途中から始めた。
年代を見ればわかるように、庭野さんのほうが先輩ですから、
全部桐山さんのモノマネです。
この類似については、いろいろな見方ができます。
新興宗教はどこも似たようなことをするとも見られるが、
桐山さんが慈恵会をおこした頃から、立正佼成会を目標にして、
100万人の巨大教団を目指していたと見れば、説明がつきます。
ここまで似ているのに、桐山さんの口からも本にも立正佼成会が出たことは一度もない。
それでいて成長の家のことなどを批判していた。
つまり、桐山さんは本当のネタを隠しているのです。
これは桐山さんがよくやる手で、本当のネタは隠して、それを知られないために、
別なおとりを使って、目くらましをしようとする。
この人わりと姑息でセコイ。

711深山:2010/03/23(火) 13:00:49 ID:3O04P.BQ0
>大乗仏教の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです。

桐山さんが作り出した宗教の背景を見れば、
これはもはや仏教とすらもいえないどぶ川のような習俗仏教にすぎません。
どぶ川とは皮肉でもなんでもなく、ありとあらゆる汚物が
流れ込んでいるという意味です。
インドの大乗仏教はもっと精緻で、少なくとも先祖供養だの
死者の成仏なんてありません。
密教より前は占いや護摩などの加持祈祷もしていません。
出家はいちおう独身で、彼らなりの戒律も守っていた。
それに比べたら、桐山さんなど出家などと名乗れるものではない。
ただの俗人です。
アゴン宗の信者さんたちには、アゴン宗が釈迦仏教にもっとも近いなどというのは、
無知以外のなにものでもないことに早く気がついてほしい。
信者時代の私と同じように、アゴン宗を釈尊が説いた仏教に近いと
思いこみ、これを世に広めることは聖業だと信じているなら、
それはとんでもない間違いだという点です。
アゴン宗は釈迦仏教ではもちろんないし、大乗仏教ですらない。
解脱の意味からして違うのだから、仏教ではないのです!
私から外道と言われて、信者さんたちが反発するのはわかるが、
だが、仏教ですらないのだから、外道という表現は間違ってはいないのです。
アゴン宗は桐山さんが無知と思いこみだけで作った桐山教にすぎない。
準シュダオンさんのように自己顕示欲だけのために信者になっているのは
どうでもいいが、中には本当に釈迦仏教だと信じている人もいる。
今回も千葉の先達が亡くなったというニュースがあった。
無知のまま、桐山教という外道を釈迦仏教だと信じたまま死ぬなら、
それはあまりに悲劇、悲惨です。
信仰は自由だが、信者さんたちにはアゴン宗が仏教ですらないという事実だけでも
知ってから、死んでほしい。

712ラシン:2010/03/23(火) 13:24:43 ID:q4iXIS7Y0

連休でずいぶんとレスが進んだようですね。
純米酒駄音さんの支離滅裂、無知蒙昧と
あい変らずの引用の不正確に、呆れます。
ひろさちや氏の著書は一冊のみ持っていましたが、
たしか般若心経入門だったと思います。
深山さん指摘の通り、学者でもない評論家で怪しい。
純米酒駄音さんの愛読書には、相応しいかも知れない。
さて、
正宗の講員さんであろう垢重丸さんという方の
宗派批判板があります。
数年前に反論メールを送りましたが、無しのツブテでした。
いかにも正宗講員さんらしい強弁が目立ちますが、
内容は、多少事実と異なる部分があっても、大方はよく
調べているようです。
桐山アゴン宗も、バッサリ切り捨てられています。

百花繚乱 http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/agonsyu.html

713ラシン:2010/03/23(火) 15:22:52 ID:q4iXIS7Y0

居家八法(雑阿含、卷第四、大正、二、二三)一部抜粋
『仏教聖典を語る』叢書、第二巻【阿含経】 友松円諦著
URL要約 http://www008.upp.so-net.ne.jp/oldkino/Tao636.html
年少の婆羅門にして鬱闍迦うじゃかとよぶものがあった。
彼はある日、釈尊を訪問して次のやうな質問をした。
「世尊よ、私共、在家の俗人はいかなるほうほうによって、
この世の安らかさと、この世のたのしみとをうることが出来ませうか。」
「四つの法があるよ、この四つによって在家の俗人がこの世で安んじ、
且つ、たのしむことが出来るだろう。」「どんな四法でありませうか。」

方便具足: 自分の仕事にしっかりと精勤修行すること。
守護具足: 自分が正当に得たものに対する所得の管理。
善知識具足:善友を持つ。
正命具足: 自分の銭財を計って収入のバランスを取る。 
      つまりは正しい経済を計る。

以上は現世での安楽を得る四法で、ウジャカはこの後、更に後の世の
安楽を得る方法を尋ねます。
「世尊、その辺のことはよくわかりました。然らば、このやうな方法に
よりまして、在家の俗人は後世に安と楽とをかちえませうか。」

信具足: 悟れるもの(如来所)の上に信敬心をいだき、信本を建立すること。
戒具足: 不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒についての
     つつしみを持つこと。
施具足: 「ものおしみ」の心を離れ、常に分け与え、捨てる事をも楽しみ、
     すべてに平等心を持って施行すること。
慧具足: 人生の四諦(苦集滅道)の聖諦を如実に知見すること。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
純米酒駄音さんが、つねに在家が現世利益を物的な報酬にその見返りを
求めることに反して、阿含経では現世の安楽を説いてる。
方便具足・守護具足・善知識具足・正命具足の四つです。
護摩木祈願の正当性など、微塵もありません。
どこにも布施供養すれば、この世の物的見返りがあるというものではない。
それは、現世での具体的努力と正しい見識を以て生活することを説いている。
また、施行の果が出てくるのが、来世の安楽の場合です。
信具足・戒具足・施具足・慧具足の四つの実践によって得る。
そしてこの二種を併せた八法の実践で、在家であっても、
現世でも来世でも安楽を得ることが出来る、と言う内容です。

714天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/23(火) 15:44:03 ID:qyhLg9bk0
深山さん、解説をありがとうございます。
自分の表現が適切で無かったですね。
「大乗仏教の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです」を
「アゴン宗の思想に慣れた人はどうも原始・初期仏教の中身を理解できない人が多いようです」に
訂正いたします。

勿論、アゴン宗の信者の中には気づいてアゴンを去る方もいますが、頑迷で確認もしない方は
特にその傾向が強い、というのがいいたかったんですが、段々ずれてしまいました。
信じることは悪いことでは無いのですが、ゲイカの間違った説を信じてそこから離れないのは
釈尊の本当の教えよりも、ゲイカの説を信じる、というのが好きな傾向の方が多いようです。

715準シュダオン:2010/03/24(水) 11:29:02 ID:agsP6ENM0
天照さん、勘違いしてますよ。
煩悩から完全に解脱したら、執着がないから貧乏でも構わない、と思うのは、
よろしいですが、程度の問題がありますね。衣類も無ければ、食べるものも
ない、ではいけませんね。

お釈迦さまの「世間の福いを求める人、わたしに過ぎる者はないであろう」
とのお言葉を、素直に受け取るべきでしょう。お釈迦さまは、当初、老病死
に悩み、一切の世間的幸福を放棄して出家したわけです。老病死が待ちうけて
いるのに、世間的幸福が何になる?というわけです。
そして、修行の結果、無上安穏涅槃、を発見したのですよ。

で、すべての人に、この無上安穏涅槃を得てほしいと願い、教えを説きはじめ
ました。ところが、病で悩んでる人や、貧乏で借金まみれの人は、教えを聞く
どころではないでしょう。その前に、病を治してくれ、お金をくれ、という
ことになります。ここで、釈迦如来の無量の施、無量の衆生の愛護、というのは、
効果があるのか?あるいは無力な戯言か?ということになりますね。

716準シュダオン:2010/03/24(水) 11:39:17 ID:agsP6ENM0
うサギさんの質問ね、興味がないです。
若い時は、クイズダービーも見たし、クイズタイムショックもみたけど、
今はクイズ番組一つも観ない。興味がないから。

717準シュダオン:2010/03/24(水) 12:05:39 ID:agsP6ENM0
管長の言葉で言うと、悪趣というのは因縁です。
そして、不堕悪趣というのは、悪趣の因縁を切る、ということです。
そして、修行で煩悩を断つ毎に、徐々に生活環境が良くなって、最後に
無上安穏涅槃にたどりつくのです。

運命の星=○○の因縁を消す教えが仏教に無かったら、わたしは仏教いら
ないね。私は、自分の体験で考察してるから、他人の意見に動揺もしない。
私は入行時、○○の因縁が3つか4つ、出てた。かろうじて仕事だけは首の
皮一枚で残ってた、が、○○の因縁で失業の危機も常にあった。
結論から言うと、失業の危機は乗り越えられて来た。それが阿含の修行の
せいなのか、釈迦の加護か、私の運のせいか、わからない。やり直しの
実験が出来ないしね。だから宗教なんですね。

今も、悪い○○の因縁が、2つ3つ残ってますが、入行時よりは良いね。
阿含経を読めば、解脱には、1煩悩を断つ 2智慧を修める 3理法を修める
4神通力を具える、の4つが必須だとわかります。
そして、神通は阿那含から生じる、と書いてあります。
そして管長も、超能力を求める修行から始めると、人相が狐か狸に似てくる
よ、と修行読本に書いてたと思うね。

718準シュダオン:2010/03/24(水) 12:19:21 ID:agsP6ENM0
薬師如来のレスをしたのは、管長が阿含仏教と大乗仏教の融合を説いている
からですよ。私の三身即一の如来は、釈迦如来と準テイ如来と薬師如来です。
管長の説く三身即一の如来とは違いますね!
ユビキタスさんなどは、信徒の分際で、勝手なこと言うな!
と、くるけどw、それでいいのです。いつまでも言われたことを、そのまま
鵜呑みにしててもいけない。

私は、薬師如来が有難い。仏道修行が安全に進むように、衣食住に瀕する
ことがないように、それと病気も除いてあげます、という仏さまですからね。
聖徳太子も、薬師如来の功徳を得ようと、薬師寺を建立しませんでしたっけ?

719ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/24(水) 13:20:30 ID:SmEF4Oe2O
>>718
桐山さんの三身仏の変遷を書いてごらん。
次に三身即一の阿弥陀如来という護摩木、護摩札があるが、これはどういう意味か
書いてごらん。
また阿弥陀如来でも薬師如来でもどちらでもよいが阿弥陀にしておこうとした
のはどの三身仏か説明してごらん。
いずれも桐山教学です。

720ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/24(水) 13:22:40 ID:SmEF4Oe2O
>>716
クイズでなくて単なる国語の常識問題でしょ?
ひねって考える必要のない即答レベルです。

721準シュダオン:2010/03/24(水) 13:58:49 ID:agsP6ENM0
クイズらしいというだけで、読まずにスルーだから答えようがない。
三身即一は、法身、報身、応身、の法身は大日如来と勘違いしてた、
とかの法話があったね。細かいことは忘れた。準テイ如来だとて、釈迦の
変化身だから、細かいことはどうでもいいんじゃないの?

薬師如来だとて、薬壺がなければ、釈迦如来と区別がつかないそうですよ。
だから、薬師如来も釈迦の変化身かも知れないね。
阿弥陀如来の護摩木の意味は知らないよ。来世の極楽往生は考えたことない
ので阿弥陀さんは、知らない。
だいたい、阿弥陀信仰は、修行は雑行、人は救われてるから感謝の念仏を
唱えるだけでいい、という教えでしょ?
私だったら、「救われてるなら、感謝の念仏も不用でしょ?」
と、なりますね。

阿弥陀は来世を救う仏様。薬師は現世を救う仏様。準テイ様は、二世を
救うのだから、準テイ様が一番有難いですね。

722準シュダオン:2010/03/24(水) 14:14:06 ID:agsP6ENM0
阿含経で釈迦は、在家には布施供養で福徳を得ながら解脱へ進む道を、
出家者には、37道品の修行で解脱する道を、説いています。
批判派は、出家も在家も37道品の修行で解脱する、と勘違いしてるのでは
ありませんか?だから、俗的な果報をとても嫌う。

お釈迦さまは、老病死を悩み、一切を放棄しました。老病死が襲ってくる
のに、世間福など何になろう。と、いうわけです。
そして、やがて無上安穏涅槃を獲得し、老病死の悩みは解決しました。
すると、世間福も邪魔ではないことになった、と思いますね。
邪魔どころか、世間福も大きいほど望ましい。
釈迦が布施供養を断った例は、無いように思う。

しかし、世間福は追い求めてはいけない、少欲知足でなければ。

723ラシン:2010/03/24(水) 14:41:55 ID:q4iXIS7Y0
>717 :準シュダオン:2010/03/24(水) 12:05:39 ID:agsP6ENM0
管長の言葉で言うと、悪趣というのは因縁です。
そして、不堕悪趣というのは、悪趣の因縁を切る、ということです。
そして、修行で煩悩を断つ毎に、徐々に生活環境が良くなって、最後に
無上安穏涅槃にたどりつくのです。

よく分かります、師匠の桐山さんが準シュダオンさんの理想だ。
若い時分は、支離滅裂な行動で周辺から信頼されず解雇されかけたが、
アゴン宗に出会ってから他人を騙せるすべを見つけ、周りを煙に巻いて
うやむやにする奇策を身につけた。
中年になるとお金ある程度も自由に使えるようになり、
飽食に明け暮れた?
準シュダオンさんならレストランでは、シャンパンなども嗜むのかな?

「君、君、アペリティフにドンペリでも〜頼むよ、今日は祝いじゃ〜」
「何々、今はボラジェがオシャレだと?、じゃあ、そのRDを頼むよ」
「うむ、ツマミはフォアグラにトリフをチョイ引っかけてな、ワシ食通だで」
「あ〜、メインはネ、大田原牛のステーキ半生焼きね、400グラム頼むよ」
「ワインはどうするかって?」
「ほいほい、98年のカロンセギュール赤? 出しなさい出しなさい早く早く、
3本くらい、いっぺんに持って来なさい、金はあるんじゃ!」
「へっ? デキャンンタージュするかって?何それ? なんでんいいから早くチてね」

「閉めは何を呑むかだって? あんたにおまかせ〜〜するわ」
「う〜んむ、うんめ〜な、何これ、へっ〜? グラッパって言うの?」

「あ〜飲んだ、食った〜、呑んだ〜、やっぱり生活環境が良くなると、
満足度が増えるね〜、次は軽くブラッセリでも行くか〜、、、。」

「んん? 何か頭がカックラコンと来たな、またまた、黄金のバイブかな?」
「ん〜む、こりゃまた左前方じゃな〜、、」(クラッ)
「やはりわたしくらいになれば、無上安穏涅槃が近いかな〜、バイブイ〜」(ドタッ)

724天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/24(水) 21:15:49 ID:kLk17gXs0
>>715 準さんはどうしてそこまで分かっていて、湾曲するかなあ。

>病で悩んでる人や、貧乏で借金まみれの人は、教えを聞くどころではないでしょう。
その前に、病を治してくれ、お金をくれ、ということになります。

これは分かりますよ。理屈としても現実的にも。
でも、実際釈尊はそういう方々を救い上げてから、教えを説いたか?です。
そういうのが見当たらないのですよ。
自ら乞食しているギリギリであっても、では貧者に施して救い上げたのか?
そういう記述や話はどこに有るのか?です。

想像や憶測で「釈尊はそういうことをしたかもしれない」というのは自由でも、
実際にやったかどうかが鍵なのです。
大乗仏教では貧者を救う逸話?があったとしても、アーガマでそういう記述や示唆があったのか、
私には果たしてそういうのものが見えないです。

もしかしてゲイカの言われた「地獄に落ちているものは一旦救い上げないと修行などできない」
というのを鵜呑みにしていませんか?

725ラシン:2010/03/25(木) 00:17:14 ID:14wzeD8s0
>想像や憶測で「釈尊はそういうことをしたかもしれない」というのは自由でも、
実際にやったかどうかが鍵なのです。

天照さんの謙虚な受け取り方に、過去と今の隔絶を知ることができます。
純米酒駄音さんの勝手無知には、批判諸兄がしっかり反証しています。
しかし、純米酒駄音さんの論証は根拠無き自説に埋没しています。
釈尊が悟った真理は、釈尊が悟ろうが悟らなくても、すでに存在する真理です。
アイザックが、万有引力をりんご落下で知ろうが、それはすでに存在する真理と
同じだ、ということが、理解できる人と出来ない人がいるだけです。
しかし現代物理学でも、いまだ万有引力の発生原理は解明されていない。
物体間での引力の存在問題ですね、それ以上は解き明かされていないのが、
真理諸限界です。
沈んだ石を浮かび上がせる能力は、誰も持ちあわせない。
祈りが通じる保証の根拠はありません。
期待に応える義理が、どうして釈尊にあると責めるのか?求めるか?
不思議と疑問する以前の、子供がオネダリする甘えと言う煩悩に過ぎない。
だから純米酒駄音さんの屁理屈に、みながウンザリしている。
まさに、信仰介護です。
批判諸兄が、ギャラリーを意識して真面目な反証があるからここ考察の
意義が存在しています。
ユビさん深山さんの解説が、純米酒駄音さんに持続継続する因果応報は、
苦痛か楽なのか? 想像するうえでもそれ、可笑しく笑えますよ。

726ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/25(木) 08:49:05 ID:SmEF4Oe2O
>>721:準シュダオン10/03/24(水) 13:58:49 ID:agsP6ENM0
>三身即一は、法身、報身、応身、の法身は大日如来と勘違いしてた、
>とかの法話があったね。細かいことは忘れた。準テイ如来だとて、釈迦の
>変化身だから、細かいことはどうでもいいんじゃないの?
>だから、薬師如来も釈迦の変化身かも知れないね。

桐山さんは当初法身→大日、報身→釈迦、応身→準胝としていたが、途中から
法身→釈迦、報身→阿弥陀(薬師でもよいがアゴン宗では阿弥陀とする)、応身→準胝
になりました。
ゆえに三身即一の阿弥陀如来などという3千円相当以上の護摩木まで販売されています。
何が「ゆえに」なんだか意味不明ですが。

>阿弥陀如来の護摩木の意味は知らないよ。来世の極楽往生は考えたことない
>ので阿弥陀さんは、知らない。
>だいたい、阿弥陀信仰は、修行は雑行、人は救われてるから感謝の念仏を
>唱えるだけでいい、という教えでしょ?
桐山さんが否定している親鸞の阿弥陀信仰ですね。
さてこの三身即一の阿弥陀如来の護摩木とは胎蔵界壇に属する供養護摩木の分類と
されています。つまり先祖の成仏供養を祈る時に使うわけです。
供養護摩木の高価品というわけですね。百円じゃしみったれてるわいと思った時
まとめて書くわけです。10万円まであります。
しかし阿弥陀信仰には本来先祖供養の意味はありません。
あくまでも念仏を唱える本人が極楽往生を願うのですね。
親鸞の絶対他力では解脱供養なんかは必要ない、一切衆生は皆往生してるからこそ
俺は法蔵菩薩ではなく阿弥陀如来になってしまっているわけだからと。
阿弥陀如来にせよ薬師如来にせよ桐山さんは実在しない、空想のホトケなんだと
存在自体を否定したわけです。
それがまたまたノコノコと浮上してきたわけです。
だからこの三身仏の理屈は理屈としてもわけがわからず正しく解説できる人なんていません。

727準シュダオン:2010/03/25(木) 09:16:26 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんは詳しいなぁ、新皮質脳は私などよりはるかに性能が良いこと
認めますよ。だが、惜しむらくは、間脳が目覚めてない。だから、矛盾を受け
入れる智慧が出ていない。来世にまた阿含宗に縁を得て、解脱するしかないねw。

728準シュダオン:2010/03/25(木) 09:29:48 ID:agsP6ENM0
阿含経には、釈迦が在家信者に、聖者僧に布施供養をさせ、福徳を得させ
ながら、解脱に導いた話が、アチコチにあるでしょ、天照さん。
私は今更、その経典を引用しませんよ。一部引用すると、批判派は必ず
「姑息」だとイチャモン付けてきますからね。自分たちで探して見つけること
ですなw。

貧乏な在家は、聖者僧に布施供養することです。そうすれば果報があると、
釈迦は説いてます。財が増える、長寿を得る、名声が上がる、災難に遭わない、
とか、具体的に説いています。問題は、釈迦の言葉が本当なのか?
あるいは出まかせなのか?と、言うことでしょう。

私が二十代の、唯物論者の頃は、勿論、こんな話↑は信じません。
しかし、今は本当だと思います。但し、節度が必要でしょうね。

729深山:2010/03/25(木) 12:37:04 ID:uLu6cOdc0
>>728 名前:準シュダオン 投稿日: 2010/03/25(木) 09:29:48 ID:agsP6ENM0

相変わらず、準シュダオンさんは他人の反論を完全無視して、
毎度同じ内容の独り言をぶつぶつとつぶやき続ける。
あなたは私を無視しているのだと書いているが、無視しているのは
私の書き込みだけでなく、批判側の書き込みの大半を無視して、
ただひたすらあなたの勝手な主張を並べている。
>>728のように、前に反論され否定されたことはすっかり忘れ、
まるで自分が議論ですでに証明したかのような書き方をしている。
あなたが気がついていないようだが、ますます、議論というキャッチボールが
なくなりつつありますね。
数年前までは、あなたの主張内容は同じでも、批判側の反論内容に対してレスをつけた。
時には新しい経典を持ち出し、一年前までは私にもレスをつけた。
いちおう、批判側の反論をあなたは読んでいたのです。
だが、今では私の反論を無視するだけでなく、他の人たちの反論も
事実上読まなくなっている。
反論できずに悔しいから読まないというよりも、何を批判されたのか
よくわからないから、とばし読みして無視して、自分の主張を書くことにしたのでしょう?
あなたは自分ではそれが賢いつもりなのだろうが、ただの脳の老化ですよ。

730深山:2010/03/25(木) 12:42:22 ID:uLu6cOdc0
>>718 :準シュダオン:2010/03/24(水) 12:19:21 ID:agsP6ENM0
>薬師如来のレスをしたのは、管長が阿含仏教と大乗仏教の融合を説いている
>からですよ。私の三身即一の如来は、釈迦如来と準テイ如来と薬師如来です。

阿含経にあるアヌルッダの話を出している最中に、あなたは突然、
「ひろさちや氏の論に立てば、薬師如来も嘘ではなくなるね。」
と。薬師如来と関係しているなどと言い出した。
この件はどうなったのだ?

>>662 :準シュダオン:2010/03/21(日) 10:38:27 ID:agsP6ENM0
>釈迦は、アヌルッダに如来の六法を説き、幸福の力が最も優れている。
>「幸福の力に由って仏道を成じる」と、説いています。
>薬師如来の十二大願の第一は、すべての人々を仏道に入れて仏にすること
>です。病気を除いたり、衣食住に不自由させない、つまり、人々を幸福に
>する、という薬師如来の大願は、「幸福の力に由って仏道を成じる」という
>お釈迦さまの説いた実践です。

私はアヌルッダの話と薬師如来がどう関係しているのかと質問した。
それまでのユビキタスさんとの薬師如来についての議論をごまかそうとして、
阿含経のアヌルッダや増原さんの説が、いかにもあなたの説を
支持しているかのような書き方をして、逃げようとした。
だが、増原さんは薬師如来を阿含仏教との融合だなんて言っていない。
阿含経に薬師如来なんて出てこないし、アヌルッダの話も薬師如来なんて
関係あるはずがない。
答えられないのでしょう?
嘘や間違いを指摘されても無視して、上記のような自説だけを書く。
あなたって小ずるい、小賢しい、卑怯という言葉がぴったりですね。

731ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/25(木) 12:43:57 ID:SmEF4Oe2O
>>728:準シュダオン10/03/25(木) 09:29:48 ID:agsP6ENM0
>阿含経には、釈迦が在家信者に、聖者僧に布施供養をさせ、福徳を得させ
>ながら、解脱に導いた話が、アチコチにあるでしょ、天照さん。

釈尊が在家に説いたのは施、戒、生天です。
布施だけでは御利益果報はあっても解脱にまで導けません。
ちゃんと戒律も実行させているのですよ。
そして出家には大いなる戒律として護摩の禁止がある。
在家には護摩祈願を禁じるとは書いてないが出家に禁じたものは在家も近寄るべきでない。
護摩祈願など生活に必要もないからです。
必要がなく出家には禁じるものを在家がわざわざやることはこれまた煩悩を増やすのです。

>私は今更、その経典を引用しませんよ。一部引用すると、批判派は必ず
>「姑息」だとイチャモン付けてきますからね。自分たちで探して見つけること
>ですなw。

都合の悪いところだけカットせずにそのまま部分引用すればよいだけです。

732深山:2010/03/25(木) 12:45:53 ID:uLu6cOdc0
>>728 :準シュダオン:2010/03/25(木) 09:29:48 ID:agsP6ENM0
>阿含経には、釈迦が在家信者に、聖者僧に布施供養をさせ、福徳を得させ
>ながら、解脱に導いた話が、アチコチにあるでしょ、天照さん。
>私は今更、その経典を引用しませんよ。一部引用すると、批判派は必ず
>「姑息」だとイチャモン付けてきますからね。自分たちで探して見つけること
ですなw。

供養させて、その功徳で解脱させたなんて経典は存在しません。
根拠を示せと言われて、前にあなたは経典を出した。
その時、天照さんがいなかったことをいいことに、「アチコチにある」などと
適当な嘘をよくまあ書くものだ。
あの時もあなたの引用はデタラメだった。
今回の増原さんの引用と同様に、自分の主張の根拠になるように適当に切り張りしていた。
その時に私が反論したことをまた書きましょう。
供養の功徳で解脱できる経典があるなどと言ったら、桐山ゲイカの三福道は
大発見でもなんでもなく、似たような経典が「アチコチにある」ことになる。
だが、桐山ゲイカは三供養品を末世成仏本尊経と名前をつけるほど
特殊な経典であり、過去の仏教徒は誰も気がつがず、桐山ゲイカの仏陀の智恵で
初めて気がついた大発見であると主張しているのです。
桐山ゲイカのように間脳が開いた人でなければ発見できない内容が
書いてある経典が、「アチコチにある」?
桐山アゴン宗を擁護したつもりで、桐山説を否定し、
桐山さんの顔に泥を塗ったことに気がつかないのは本当にお幸せなことです。
それがあなたのいう「福(さいわい)」というやつですか。
普通はそれを脳の老化や羞恥心の欠落といいます。

733ラシン:2010/03/25(木) 12:47:47 ID:q4iXIS7Y0
>727 :準シュダオン
だが、惜しむらくは、間脳が目覚めてない。だから、矛盾を受け
入れる智慧が出ていない。

あたかも自身は間脳が開いたような?

ー七田真式間脳の働き抜粋ー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
間脳コントロールができるようになると、人はすっと変性意識に
入ることができるようになります。
人間は通常使っている日常意識と、普通あまり使わない非日常的
意識があります。
日常的意識と非日常的意識は、極めて薄いスクリーンに隔てられて
いるものの、連続して存在しているのです。
非日常的意識体験は潜在能力を開花させます。
画工で成績が上がらない子ども達がいます。
この子達に変性意識を体験させ、イメージを見る力を育てると、
右脳五感(ESP)鋭くなり、透視遊びが100%正解できるようになったり、
記憶力が目覚しく伸びます。
(七田真「間脳を目覚めさせよ!知能と創造のサイエンス」)
http://the-peace-company.com/profile/shichida.htm
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
変性意識状態は「宇宙」との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い、
この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われる。
(ウイキペディア参照)

氏は大脳生理学者ではないようですが、脳の働きと幼児教育を
関連研究し、七田式幼児教育理論を確立した教育研究家。
また、波動研究などでオカルト的扱いや評価もあるようです。
まあ、純米酒駄音さんに照らして記憶力で検証すれば、
氏の根拠を以てしても、間脳開花とは言えないだろう。
桐山さんの根拠も似たり寄ったり、さも科学的学論を結びつけて、
いきなり間脳思考→超能力→アデプト、のようなオカルトに変身する。
桐山著書がないので引用不可、記憶が違ったら、ご指摘ください。

735深山:2010/03/25(木) 12:50:19 ID:uLu6cOdc0
>>728 :準シュダオン:2010/03/25(木) 09:29:48 ID:agsP6ENM0
>貧乏な在家は、聖者僧に布施供養することです。そうすれば果報があると、
>釈迦は説いてます。財が増える、長寿を得る、名声が上がる、災難に遭わない、
>とか、具体的に説いています。問題は、釈迦の言葉が本当なのか?
>あるいは出まかせなのか?と、言うことでしょう。

すでに何度も説明したように、批判側は供養の果報を否定したことなど一度もありません。
果報があると釈尊は説いている。
出任せは準シュダオンさんであって、釈尊も批判側もなんら供養の果報など否定していない。
いくら因縁つけのアゴン宗の信者でも、ヤクザみたいにいつまでも
因縁をつけるのもいい加減にしませんか。
批判側は、その果報で解脱するという桐山三福道などないと批判しているのです。
また、釈尊は供養した果報が生前に来るとはほとんど説いていない。
あなたが前に引用した長阿含経の場合も、あなたはわざとその部分をカットした。
釈尊は来世で功徳が来ると説いているのに、まるですぐに果報があるかのように
あなたは見せかけたのです。
ほんとうにあなたはずるい男だ。
供養の果報はたいていは来世の話です。
そして、その果報とは釈尊が授けるのではありません。
善業を為せば善果が得られるというこの世界の法則を説いたにすぎない。
だが、如来に供養していくら善業を積んでも解脱などしません。
供養で解脱するなんて経典は存在しないし、ありえないという証拠が、
>>691以降で説明したコーサラ国の商人の話です。

736深山:2010/03/25(木) 12:59:44 ID:uLu6cOdc0
>>728 :準シュダオン:2010/03/25(木) 09:29:48 ID:agsP6ENM0

信者さんたちは準シュダオンさんが何をごまかそうとしているかわかりますか。
桐山さんと同じ手法よるゴマカシですから、脳が老化した年寄りのタワゴトだと
思わずに、反面教師にすることです。
彼は、「釈尊が供養の果報で解脱すると説いた」という桐山三福道を擁護しようとしているのです。
釈尊は供養による果報を説いています。
そのことをもって、「供養果報で解脱する」と飛躍させているのです。
飛躍させているというよりも、準シュダオンさんの脳ではすでに区別がつかないのでしょう。
桐山三福道は、「供養の果報で解脱する」、つまり在家は如来に供養すれば、
シュダオンからアナゴンまでいけるという説です。
だが、すでに何度も批判されているように、三供養品には三福道などなく、
三供養品にある三善根とは貪瞋癡という煩悩を切ることです。
この経典のどこにも供養なんて出てこない。
「agama考察室」→「阿含宗関連資料掲示HP」→「目で見る桐山阿含宗官長桐山氏のインチキ」
→「阿含経捏造 1」
に桐山さんの三福道の嘘をまとめてありますから、ごらんください。
これで否定されたから、準シュダオンさんは他の経典に根拠を求めた。
すると、そこに供養による果報が説かれている。
供養による果報ならたしかにあちこちにあります。
準シュダオンさんは大喜びで、釈尊が現世利益を説いた、「供養の果報で解脱する」
と説いたと短絡して、何度否定され、説明されても無視して、今でも主張しているのです。
彼の読解力の低さ、自惚れ、思い込みという三重苦の上に、脳の老化が
加わった四重苦の結果がこの悲惨な有様です。

737深山:2010/03/25(木) 13:05:37 ID:uLu6cOdc0
>>728 :準シュダオン:2010/03/25(木) 09:29:48 ID:agsP6ENM0

信者さんたちは供養の果報と解脱とは違うことをまず理解してほしい。
釈尊は供養の果報は説きました。
供養すれば、「来世」に金持ちや健康など現世利益が得られると説いた。
だが、これは釈尊が説きたかった解脱の内容ではありません。
この世界の法則はこのようなっていると説いただけです。
お金を出せば品物が買える、と言うのと同じです。
これを説明した人が貨幣経済を作ったのでも、その人が品物を授けるのでもない。
単に社会の成り立ちを説明しているだけです。
だから、果報を得たければ、なにも如来に供養しなくても、善業を為せば善果は得られます。
単に如来への供養が最大の善業であるというだけのことで、
得られる善果は規模が違うだけで、内容には変わりありません。
そして、その善果には解脱は含まれない。
しかも、釈尊は、供養して来世で幸せになりなさいという教法を説いたのではありません。
これではバラモン教と変わりない。
釈尊はそのような果報すらも苦だとして、それらの果報すらも捨てて
解脱しろと説いたのです。
もっというと、果報を捨てなければ解脱はできない。
だから、信者さんたちのように護摩木祈願という欲望を増大させながら
解脱への道を歩むなんて絶対にありえません。
なぜなら、そんな矛盾したことを信じているということは、
釈尊の教法を理解していないのだから、三結の一つ「疑惑」を持っていることしになる。
だから、預流どころか、預流向にすらなれません。

738深山:2010/03/25(木) 13:11:37 ID:uLu6cOdc0
>>728 :準シュダオン:2010/03/25(木) 09:29:48 ID:agsP6ENM0

如来に供養しただけでは預流向にすらなれないのは、
>>691に引用したコーサラ国の商人の話がなによりの証拠です。
如来に供養した見返りに天界や金持ちに生まれた。
だが、彼は目の前に釈尊がいても帰依すらせず、解脱とは何の関係もないまま、
果報を使い果たして地獄に堕ちた。
本物の如来に供養した商人ですら、この有様なのですよ。
ましてや今の信者さんたちは本物の如来どころか、詐欺師に供養して、
宗教詐欺を手伝っているのだから、供養ではなく、悪業です。
宗教詐欺の手伝いをするくらいなら、世間的な善業を為したほうが
よほど来世で果報があります。
在家は、釈尊に供養しなければ解脱できないなんて言ったら、
釈尊時代以外に誰も解脱できなくなる。
そんなバカみたいなことを釈尊は説いていません。
釈尊の教法とは釈尊がいようがいまいが関係なしに成り立つ。
なぜなら、煩悩を持っているのも、それを断ち切るのも本人であって、
釈尊を含めた他人は関係ないからです。
在家でも供養などしなくても、本人が自分の煩悩を断ちきれば解脱します。
学校の先生にお中元を出さなくても、本人が点数を取れば大学に合格できるのと同じ事です。
解脱への道には、釈尊の遺骨も間脳を開いた導師も必要ありません。

739孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/03/25(木) 17:23:25 ID:XUfb/HH.0
準シュダオンさん教えてください。>>733の七田式ですが、私は講演会に参加し生徒さんの驚くべき記憶力の実演を見ました。
またスポーツの教室で七田に通ってるこがいて学習塾に通わないのに成績が中の上、また真暗闇でも波動で本を読むことができるそうです。
ただスポーツは向き不向きがあるのかその教室のスポーツは苦手のようでした。
またコンビニにたまたま七田の先生のお姉さん方と会話しました。ナンパじゃありません。
あごん宗の人達と違い、皆高い能力と個性豊かで穏やかな人間性をお持ちです。

桐山ゲイカは間脳開発を説きそれを社会がしないと人類は滅びる趣旨のことを「密教超能力の秘密」「求聞持聡明法秘伝」などで
説かれています。なのに実際はおまじない作法と奉仕だけです。何故ですか?
七田が世に出たことでもうあごん宗は不要だと判断され感応開発を捨てたのですか?

740天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/25(木) 19:56:21 ID:5oJsHdTo0
>>728 準さん、読み間違えですよ。私が言ったのは「釈尊が貧者を救ったこと」です。
信者が釈尊や弟子達に供養したのを出してください、といっていません。

確認のためコピペで引用します。

>阿含経には、釈迦が在家信者に、聖者僧に布施供養をさせ、福徳を得させ
ながら、解脱に導いた話が、アチコチにあるでしょ、天照さん。

この文章は準さんが書いたものです。この文章の内容は2つの嘘があります。
@ 釈尊が「我や修行者(出家者)に供養すれば、その功徳で低い境涯から解脱できる」
ということは言って(やって)いないということ。

A 釈尊が自らの所有物(財産的なものや食物など)を貧者に与えて修行できる段階になってから
救い上げたという事項が無いこと。

Aのほうが私が>>724で準さんに問うたことです。
おそらく間違ったか勘違いして返信されたとは思いますが、正しくはそういうことです。
釈尊は深山さんやユビさんやラシンさんがいつも言われているとおり、取引のような行為や自分に
供養すれば助ける(助かる)ということは言ってません。

再度、準さんの見解を待ちます。

741ミケ:2010/03/25(木) 22:45:12 ID:ESYyXdYw0
>>708 :深山:2010/03/23(火) 12:47:20 ID:3O04P.BQ0
>桐山さんは占いで因縁鑑定をしています。
>立宗佼成会の教祖の一人庭野さんも手相と九星を用いて因縁鑑定をしているのです。
>桐山さんはこのやり方を見てピンと来て、因縁霊視を始めた。
>「○○の因縁」という言い方もそのままで、たとえば、色情の因縁などは共通しています。
>導き、導きの親、法座会など言葉はそのままです。
>庭野さんの履歴の年表を見ると、一行一句が驚くほど桐山さんと似ている。
>ここまで似ているのに、桐山さんの口からも本にも立正佼成会が出たことは一度もない。
>それでいて成長の家のことなどを批判していた。
>つまり、桐山さんは本当のネタを隠しているのです。
>これは桐山さんがよくやる手で、本当のネタは隠して、それを知られないために、
>別なおとりを使って、目くらましをしようとする。
>この人わりと姑息でセコイ。

きょう深山さんの一連のレスを読んで衝撃を受けました。
なぜなら入行した当初、桐山師が立宗佼成会の教祖庭野日敬氏の言動を批判した
印刷物か法話を一度だけ聞いて以来、その受け売りを信じていたからです。
「庭野氏は、例えば交通事故にあわないためには常日頃からの心構えが大切だと教えているようだが、
失礼だがこれは宗教家の言うことではない。彼は因縁を解脱する法力をもたない倫理道徳家に過ぎない」
こんな感じで一言のもとに切って捨てて見せた庭野氏の因縁鑑定や履歴をそっくり踏襲していたとは・・・
このスレや2chの情報で、桐山師のパクリにはもう慣れっこになっていましたが、自分の間抜けさ加減に
きょうというきょうは重大ショックを受けました。深山さんがすでに指摘しているらしいのに、過去ログを
まだ三分の二くらいしか読めていないので、きょう初めて知りました。
受け売りを信じてバカにしていた自分の傲慢さ、まぬけさに気がついていませんでした。

742準シュダオン:2010/03/26(金) 09:11:23 ID:agsP6ENM0
釈迦の言葉を信じるならば、先ず、聖者僧には、衆生に対して福徳を与える
力がある、ということです。しかし、無条件には与えることが出来ません。
布施供養で、福徳と縁を持つ必要があります。
また、聖者僧も衆生に直接、物を与えるのではありませんね。

例えば、釈迦は善生という在家に、六つのことを説きました。
1、食事は質素にしなさい
2、先ず財を蓄えて窮乏に備えなさい
3、仕事に精出して、怠けないこと
4、農地を耕し、商いをし、牧場は適地に作りなさい
5、塔廟を建てなさい
6、僧に住居を布施しなさい
この六つに、いそしむならば、財産が増していくであろう、と説きました。
(記憶だけで書きましたから、いくらか正確性に欠けてるかも)

上記の、5と6は、宗教的なもので、科学的には財が増える根拠には、成り
得ないでしょう。また、布施供養したら寝てても良いのではありません。
働くことが必要です。働けど働けど、我が暮らし楽にならざり、とかの言葉
がありますが、聖者僧への布施供養で、そういう悪循環は断たれるのだと、
私は解釈しています。「働けば働くほど、効果が見える」そういう状態に
なるのだと思われます。

743準シュダオン:2010/03/26(金) 09:36:15 ID:agsP6ENM0
最近、ウォーレン・バフェット伝、をアチコチ読んでるのですがね、彼は
世界で1位か2位を争う億万長者なのです、が、質素な家に住み、自分の
ためには浪費せず、その莫大な資産の大部分を、慈善事業団体に寄付して
しまった、興味深い人物です。

実に、ウォーレンとは、釈迦みたいな人物ではありませんか?福を得たのは
己の欲を満たす、というよりは、その富を人々と分かち合うためです。
釈迦がアヌルダに、「世間の福いを求める人、私に過ぎる者はないであろう」と
述べましたが、釈迦もまた、その福は衆生と分かち合うためのものでしょう。

面白いことに、ウォーレンと親しいキャサリン・グラハムさんは、
「ウォーレンは超能力の持ち主だ」と、いっています。
ところが、この超能力というのも面白くて、その内容は「あたり前のことが、
当たり前に見える」能力を言うのだそうです。
普通の人は、当たり前のことが、当たり前に見えていないのだそうです。
必ず我見と共に見る、というわけです。
まぁ、詳しいことは忘れました。今、天照さんのレスを見て、思いついた
内容ですからね。

744準シュダオン:2010/03/26(金) 09:52:30 ID:agsP6ENM0
天照さんは、「釈尊が貧者を救ったこと」の例を知りたいと言います。
ですが、私の理解では、
「釈尊が貧者を救ったこと」=「釈尊が布施供養を受けられたこと」なのです。
なぜならば、聖者僧に布施供養した者には果報がある、からです。

釈迦の言葉が真実であることが前提の、結論ですけどね↑。
ユビキタスさんが、ホームレスを阿含宗道場へ連れてきたら救えるか?
との例を出してましたが、それは釈迦でも無理でしょうね。
阿含宗では、施餓鬼供養のおにぎり、1個くらい、与える程度でしょう。

745ラシン:2010/03/26(金) 10:57:07 ID:q4iXIS7Y0
>743 :準シュダオン:2010/03/26(金) 09:36:15 ID:agsP6ENM0
>質素な家に住み、自分のためには浪費せず、その莫大な資産の大部分を、
慈善事業団体に寄付してしまった、興味深い人物です。

準シュダオンさんの見解によれば篤志の厚い方のようです。
氏は仏教徒ではなくとも、過去世において善行を為し現世の
福徳を受けた、と仏教的に解釈できます。
つまり仏縁がなくとも来世の世俗的善果など、世情においての
善行で可能なのですよ。
何もありもしない聖者の福徳リキに、俗世の利益など期待する
必要も無い。
あなたの>>742の1〜4の条件など、世俗での普通の努力という
心構えであって、どこに聖者への布施による功徳と関連があるのか?
あなたの布施の前提と、1〜4の条件は、ただベツモノを継ぎ接ぎした
主張に過ぎない目クラマシ、という姑息がまた出た?
また、>5、塔廟を建てなさい 6、僧に住居を布施しなさい> とは、
仏教に在家として帰依しなさいとの意味です。
しかしその善果は来世の善趣であり、その法は釈尊が現れる前から
既在しているのだ。
釈尊が悟りによりその道理を発見したのであって、釈尊が与えられる
功徳リキなどではない。
聖者僧の衆生への福徳リキなんて、釈尊が認定もしていない条件を
仮想することじたい、あなたの我欲に他ならない。

>この超能力というのも面白くて、その内容は「あたり前のことが、
当たり前に見える」能力を言うのだそうです。

良い指摘です、なら期待解釈などせずにその当り前の理解力を
普通の人間の思考として捉えればよかろう。
ただしその当り前の眼力とは、欲というメガネを外してはじめて
見えてくるのだ、ということを忘れないように。
準シュダオンさんの指摘通りの人なら氏は、仏教でいう煩悩の
抑制統御に優れた人、或いは気づいて実践した人なのでしょう。
超能力で富を得たなどとは、努々考えないように。
それこそ本末転倒になります。
釈尊の「その福は衆生と分かち合うためのもの」とは解脱以外にない。
物欲を捨てて得た福は、涅槃の安楽以外にないからです。
富と福は違います。
釈尊が得た物益を衆生と折半しましょうなどと考えることじたいが、
あさましい身の程知らずのオネダリ信仰です。

746準シュダオン:2010/03/26(金) 11:44:14 ID:agsP6ENM0
釈迦が護摩を禁止したと言っても、管長は「根本仏教だけやってれば良いと
言うものじゃない」と言って、大乗との融合を説いてるのですからね。
ユビキタスさんは、釈迦至上主義だから、そのような見解になってしまう
のです。

釈迦は、「木片を燃やしたからといって心が清くなったと思うな!」と、
注意してるだけです。別に害が生じる、といってるわけではないよ。
似たようなことは、他にも説いてます。ガンジスで沐浴したとて清くなる
わけではない、とか、托鉢したから出家なのではない、とかね。
べつに、沐浴や択鉢を禁じたわけではない。
護摩木祈願にしても、そのとおりです。批判派みたいに、我利我利が強いと
煩悩を煽られる危険性はあります。

しかし、普通の人は、誓願とは利他のことだな、と、やがて気が付くのです。
仏になる修行なのだから、批判派みたいに、いつまでも我利我利で、気が付
かないのは変なのです。

747ラシン:2010/03/26(金) 11:56:34 ID:q4iXIS7Y0

準シュダオンさんが考える仏教信仰とは、袈裟をつけて
数珠を手もみし、ひたすら釈尊の功徳リキにすがること、
簡単に言えばそう固定化している。
そこにできればその功徳リキを増長させる護摩の火という、
物理的火炎の現象力にその期待を馳せて満足を得るのでしょう。
これぞまさに他力であり、他力の依存現象です。
しかし、準シュダオンさんの指摘したウォーレン・バフェット氏は、
そんなコスプレ修行などなくして現世で富を得て、それをまた社会に
還元したのでしょう?
仏教でいうところの在家者の善行です。
仏縁がなくても篤志の精神の必要性だと分かる。
世にいうボランティア精神です。
また、氏は護摩に祈願しなくとも世俗的利益は享受できた。
白隠禅師の施行歌の一つの証明となる。
篤志が来世の世俗的善果を招いたということです。
深山さんが引用してくれている”コーサラ国の大金持ちの商人の話”の
ある種の過程にあたる人が、ウォーレン氏と考えて理解できる。
しかしそれはあくまでも世俗的享受で、世間福でも出世間福でも
ありませんよね、比丘も居ないし仏教に帰依もしていないのだから。
釈尊とその教団は、たしかに福田と呼称されるが、それは世俗的利益享受の
意味ではないのだ。
釈尊の説いた法の実践=煩悩滅が行われる状況環境が、福田と言われる。
そのもたらす結果は、涅槃に向いているから福田と称されるのです。
福と富を混同し、すわっ生活向上、富裕などとヨダレを垂らし、
桐山さんのウソを信じて骨と焚き火に祈願したがるのは、まちがいです。
利他を篤志と混同し、その誓願だから我欲はないなどと福田も理解せず、
その行為に慢心している。
祈願が成就すると自惚れることじたいが煩悩の内に居ることも知らない。
真の利他をいうなら、福田に招くことですよ。

748準シュダオン:2010/03/26(金) 11:59:07 ID:agsP6ENM0
管長は、「阿含仏教超能力の秘密」本のあとがきで、ニーチェのことを
書いています。超人思想やら、ツァラトーストラのこととかね。私は本を
読んだ時は、「神は死んだ」で名高いニーチェの名は知っていたが、読んだ
ことはなかった。ツァラトーストラのことも知らなかった。
ツァラトーストラは、ニーチェのバイブルなそうで、さすがに良い言葉を
残していますね。管長も若い時読んで、感動した旨、書いています。

管長が若い時、このゾロアスター教、拝火教の開祖であるツァラトーストラ
に影響を受け、その後、護摩を焚く指導者になったのは必然でしょうね。
管長がいつも言うように、護摩を智火にすれば良いのでしょう。
煩悩の火から、智慧の火に転換したら、まったく問題はありません。

749準シュダオン:2010/03/26(金) 12:15:44 ID:agsP6ENM0
天照さんは、言葉を限定的に捉えすぎですね。
釈迦が、「在家者が聖者僧に布施供養したならば、大いなる果報を得る」と、
説いたことは、「低い境涯の者は、低い境涯から解脱できる」という意味と
同じことなのですよ。勿論、ユビキタスさんがレスしたように、護戒も必要
でしょうね。

釈迦は、「大いなる果報」の内容までを、限定してはいません。
「大いなる果報」は、無限でしょう。貧者は→裕福に、長者は→方向涅槃、
病者は→長寿に、というような果報を与えると思いますね。
但し、過大な期待を抱くことは、間違いでしょうね。
T粒萬倍なんて、本来、虫が良すぎますからねw

750ラシン:2010/03/26(金) 12:26:38 ID:q4iXIS7Y0
>746 :準シュダオン
>ユビキタスさんは、釈迦至上主義だから、そのような見解になってしまう
のです。

釈尊以外に誰に従えばよいのか?釈尊が残した法と戒律です。
どうせ噛み付くなら、教条的だくらいの表現力をみせなさい。

>似たようなことは、他にも説いてます。ガンジスで沐浴したとて清くなる
わけではない、とか、托鉢したから出家なのではない、とかね。
べつに、沐浴や択鉢を禁じたわけではない。

得意の、アヤカシまやかし論法ですね、それも幼稚の域を出ない。
焚き火で心が清くならないのだから、その意味では素直にやめればよい。
暖を取るために焚き火をするな、という意味ではないのよ。
同様に体を清潔にするための沐浴は禁止していない。
心が清浄となると考えての沐浴は、意義がなくするなということです。
あなたはどうして、その禁じた意味の選り分けが出来ないのか?
なになに? 頭が固いからだと?
包丁は人を危めるものにもなる、といわれて料理には一切使用しない
バカをするのが、準シュダオン流解釈らしい、お笑いですね。

751ラシン:2010/03/26(金) 12:48:53 ID:q4iXIS7Y0
748 :準シュダオン
>管長が若い時、このゾロアスター教、拝火教の開祖であるツァラトーストラ
に影響を受け、その後、護摩を焚く指導者になったのは必然でしょうね。
管長がいつも言うように、護摩を智火にすれば良いのでしょう。
煩悩の火から、智慧の火に転換したら、まったく問題はありません。

ゴマ法を釈尊が補完したのか? していないな。
またあなたにその智慧の火と焚き火の違いは分からないだろ?
それで桐山さんが可能と考える根拠に外道の教えを持って来た?
浅学披瀝で自説に紙の鎧を着込んだようなお笑いだ。
贋作絵画にいかに立派な額をあてようが、偽の絵が本モノにはならない。
偽僧侶の桐山さんが、いかに立派な僧衣を着込もうが中身は変わらない。
智慧の火を焚くというアジャリ様が、どうして脳障害の因縁を晒したのだ?

>749 :準シュダオン:2010/03/26(金) 12:15:44 ID:agsP6ENM0
天照さんは、言葉を限定的に捉えすぎですね。
釈迦が、「在家者が聖者僧に布施供養したならば、大いなる果報を得る」と、
説いたことは、「低い境涯の者は、低い境涯から解脱できる」という意味と
同じことなのですよ。

あなたの短い物差しで長モノを計る愚行は止めてくれ。
準シュダオン教ではなく、主張するならお経を引用掲示しなさい。
ただし、勝手都合の特選引用ではなく公平に論拠を出せばよい。
卑怯手法を使いながら、聖者を語るお笑いだけはご勘弁を!

752深山:2010/03/26(金) 12:51:22 ID:XDFmrz.I0
>>742 :準シュダオン:2010/03/26(金) 09:11:23 ID:agsP6ENM0
>釈迦の言葉を信じるならば、先ず、聖者僧には、衆生に対して福徳を与える
>力がある、ということです。しかし、無条件には与えることが出来ません。

相変わらず、平気で嘘を書きますね。
釈尊が供養に対して福徳を授けるなんてどこにもありません。
釈尊は、善業には善果がある、と説いているだけです。
善業の中でも最大の善業こそが清浄な比丘への供養です。
だが、比丘が善果を授けるのではありません。
飢えた人に食物を施すことは善業であり、釈尊はこれも奨励している。
善業には善果があるが、しかし、食べ物をもらった人が善果を授けるではありません。
これと同じで、如来に供養すればそれは来世以降に大きな善果が
もたらされるが、それは如来が授けたのではありません。
如来は福徳や果報など授けない。
嘘を書き続けるのはやめなさい。
如来が我々に授けるのは「解脱への道を指し示すこと」だけです。

753深山:2010/03/26(金) 12:54:45 ID:XDFmrz.I0
>>743 :準シュダオン:2010/03/26(金) 09:36:15 ID:agsP6ENM0
>実に、ウォーレンとは、釈迦みたいな人物ではありませんか?福を得たのは
>己の欲を満たす、というよりは、その富を人々と分かち合うためです。
>釈迦がアヌルダに、「世間の福いを求める人、私に過ぎる者はないであろう」と
>述べましたが、釈迦もまた、その福は衆生と分かち合うためのものでしょう。

釈尊を世俗の人間と同列に扱うのは、あなたがいかに仏教を理解していないかを
示す良い例です。
そうやって本の知識をひけらし、偉そうに知見を他人に示したつもりのようだが、
あなたがしたことは自分の無知を披露し、釈尊を侮辱しただけです。
桐山さんと同じで、仏教の初歩を理解していない。
釈尊のいう福とは解脱のことです。
富を集めるどころか、それを全部捨て去ることです。
彼は王子の地位を捨て、家族を捨て、ありとあらゆるものを捨て、
また弟子たちにも捨てることを説いた。
大金持ちとは正反対の生き方を釈尊は実践した。
桐山さんやあなたのような「餓鬼脳」では、福や功徳などという言葉を聞くと、
世俗的な物しか連想しないのだろうが、仏教の福や功徳とは解脱のことであり、
世俗的な物を得るのではなく、捨てることです。
だから、「釈迦もまた、その福は衆生と分かち合う」というあなたの
表現そのものは正しいが、そこでいう福はあなたが考えている意味とは違う。
あなたは「釈迦もまた、その世俗的な福は衆生と分かち合う」と解釈しているが間違いです。
正確には「釈迦もまた、その解脱という福は衆生と分かち合う」というのが正しい。
それにしても、桐山さんといい、準シュダオンさんといい、
餓鬼脳をもつ人は、釈尊がどんなに説いても、何を説いても、
全部、世俗的な御利益を説いたとしか読めないのですね。

754深山:2010/03/26(金) 13:00:09 ID:XDFmrz.I0
>>744 :準シュダオン:2010/03/26(金) 09:52:30 ID:agsP6ENM0
>「釈尊が貧者を救ったこと」=「釈尊が布施供養を受けられたこと」なのです。
>なぜならば、聖者僧に布施供養した者には果報がある、からです。

また、お得意のゴマカシが始まった。
アゴン宗の教義では、供養の果報で解脱するとしている。
桐山ゲイカは、解脱こそが救いであり、世俗的な救いなど救いではないと
批判し、世間で行われている寄付やボランティアだけではダメだと否定している。
アゴン宗の主張の大きな特徴は、「供養の功徳で解脱する」です。
アゴン宗の教義では、貧者を救うとは、供養させて、その見返りに
貧乏の因縁を切ってしまうことです。
つまり、アゴン宗でも、救われるとは解脱することや、解脱への道を歩み始めることです。
だが、釈尊の説く供養による果報とは来世で得られる世俗的な功徳です。
第一に、釈尊は今生で供養の果報が得られるとは説いていない。
第二に、貧乏の因縁がキレルなどと釈尊は説いていない。
だから、貧乏人が如来に供養しても、アゴン宗のいう因縁も切れなければ、
もちろん、釈尊の説く漏尽解脱もしない。
供養することは供養したものの解脱とは関係がありません。
だから、供養するだけでは仏教では本人の救いにはならない。

755深山:2010/03/26(金) 13:04:17 ID:XDFmrz.I0
>>744 :準シュダオン:2010/03/26(金) 09:52:30 ID:agsP6ENM0
>「釈尊が貧者を救ったこと」=「釈尊が布施供養を受けられたこと」なのです。
>なぜならば、聖者僧に布施供養した者には果報がある、からです。

貧乏人が如来に供養して得られるのは、来世での富貴など現世利益だけです。
その典型が>>691のコーサラ国の商人の例です。
彼は前世で如来に供養した功徳で得られた果報は、
天界に生まれる変わることと、輪廻して金持ちになることだった。
解脱もしなければ、目の前に如来がまたいるのに仏縁もなかった。
貧乏人が如来に供養しても、得られるのはこの商人と同じ事です。
これのどこが救いなのですか。
救いとは、仏教でもアゴン宗でも、解脱するか、その道を歩むことです。
だが、如来に供養しただけでは、商人がそうであるように、
解脱も解脱への道も歩まない。
ただ、大きな果報が得られるだけです。
信者さんたちは>>691で紹介した商人の話をよく読むことです。
準シュダオンさんのような詭弁で自分をごまかせる程度の知性の人はいい。
だが、この経典を読めば、「如来に供養して解脱する」などありえないことがはっきりしている。
如来に供養しただけでは、解脱することも、解脱への道を歩むこともなく、
輪廻から脱出することないから、仏教的には救われないのです。
桐山三福道などありえません。

756準シュダオン:2010/03/26(金) 13:08:36 ID:agsP6ENM0
ツァラトーストラ→ツァラトゥストラが正しいようです。
記憶だけで書くと、細かい間違いはつきものですなw。

あと、前レスで、ツァラトゥストラは良い言葉を残してますね、と書いたが
これは間違いで、正確にはニーチェの言葉のことです。

757深山:2010/03/26(金) 13:10:33 ID:XDFmrz.I0
>>741 :ミケ:2010/03/25(木) 22:45:12 ID:ESYyXdYw0
>なぜなら入行した当初、桐山師が立宗佼成会の教祖庭野日敬氏の言動を批判した

そうでしたか、これは貴重な情報をありがとうございます。
事実なら、桐山さんはエサをくれた人に吠える恩知らずの犬のようなものです。
708には書きませんでしたが、観音慈恵会という名称も、立正佼成会と
似せて作ったのではないかと思います。
慈恵会時代の桐山さんのことを信者は「会長先生」と呼んでいました。
立正佼成会でも庭野さんのことは会長先生です。
だから、立正佼成会から来た知り合いの信者さんが「内容が似ていて、
違和感がない」と言っていました。
観音慈恵会を作る時、内容から制度までモノマネをしたのだから、
一宿一飯の恩義を感じるなら、自分から庭野さんの批判などできるものではない。
だが、どうやら、桐山さんは準シュダオンさんと同じ恥知らずで、
恩人に吠えることがなんともない人のようです。

758深山:2010/03/26(金) 13:13:05 ID:XDFmrz.I0
>>741 :ミケ:2010/03/25(木) 22:45:12 ID:ESYyXdYw0
>なぜなら入行した当初、桐山師が立宗佼成会の教祖庭野日敬氏の言動を批判した

特に、桐山さんが庭野さんに恩義に感じるべきは因縁霊視です。
桐山さんはこれを伝家の宝刀だと言っていた。
これで因縁をつけて信者を脅かして家畜にしていたのだから、
桐山さんの最大の武器です。
それを「伝授」してくれたのはある意味で庭野さんです。
桐山さんは手相や九星ではなく、因縁鑑定と称して、
まるで自分に霊能力があるかのようなふりをして、実際には占いを使った。
庭野さんが占いであるとはっきりと手の内を明らかにしたのに比べれば、
これを霊能力であるかのように見せかけたゴマカシは桐山さんらしい一工夫です。
桐山さんが因縁鑑定をまねたのは、庭野さんがこれで大成功を収めたからです。
庭野さんは手相などで相手の状況を言い当てるのが得意で、
それらを「○○の因縁」と表現して、法華経の信仰によって因縁切りをするように勧めた。
占いでズバリ当てるものだから、信者はすさまじい勢いで増えた。
桐山さんは、信者を増やす方法を庭野さんから学んだのです。
桐山さんにとっての先生であり恩人です。

759深山:2010/03/26(金) 13:19:40 ID:XDFmrz.I0
>>741 :ミケ:2010/03/25(木) 22:45:12 ID:ESYyXdYw0
>失礼だがこれは宗教家の言うことではない。彼は因縁を解脱する法力をもたない倫理 道徳家に過ぎない」

桐山さんのオハコですね。
「成仏法、成仏リキのない仏教は倫理道徳にすぎない」と叫ぶ。
そして桐山さんは他の宗教を批判する時はこれしかない。
なんとかの一つ覚えみたいに成仏ホーという言葉を使う。
だが、誰もその成仏ホーなるものを見た人がいない。
それもそのはずで、桐山さんのいう成仏ホーなんて阿含経どころか、
仏教には存在しないからです。
阿含経には因縁解脱する方法なんて説いていない。
桐山さんが倫理道徳だと非難してやまない煩悩を切ることこそが解脱です。
しかも、桐山さんが成仏リキとやらで因縁を切ったのならまだ吠えてもいいが、
本人もまた悪因縁を垂れ流しにしているのだから、
これで成仏リキを体得してなんていくらいっても何の説得力もありません。
他人の入った大学を三流だと非難している人が、その三流大学にすら
合格できなかったようなものです。
さすがは準シュダオンさんの師匠だけあって、ツラの皮が厚い。
因縁切りを仏教だという庭野さんもおかしいし、
その無知をそのまま信じて因縁解脱を仏教の解脱だと宣伝して、
さらには庭野さんの因縁切りがおかしいと言い出す桐山さんはもっとおかしい。
偽者同士が、「おまえは偽者だ」と非難しあっているような笑える光景です。
そこに準シュダオンさんのような思い込みだけの信者が加わり、
知りもしないのにニーチェを出して馬脚を現している。
教祖も信者も恥知らずの似たもの同士です。
こんな程度の低い所に自分がいたかと思うと、笑ってごまかすしかありませんね。

760ラシン:2010/03/26(金) 13:56:02 ID:q4iXIS7Y0
>756 :準シュダオン:2010/03/26(金) 13:08:36 ID:agsP6ENM0
ツァラトーストラ→ツァラトゥストラが正しいようです。
記憶だけで書くと、細かい間違いはつきものですなw。

準シュダオンさん、批判側はPCの変換ミスや誤字脱字など、
重箱の隅を突付くようなことはしていない。
それよりも大事なことは、公平な掲示姿勢です。
多数の反論者に、孤高奮闘する立場は理解します。
だが、反レスする場合は相手のどの部分の内容かくらいは、
例示して主張していただければと思いますよ。

761準シュダオン:2010/03/26(金) 15:00:28 ID:agsP6ENM0
たしか、天照さんのレスに、「釈尊は、貧者に施して救いあげたか」という
問があったと思うけど、今までの、わたしのレスで納得されましたかねぇ。
管長に言わせると、貧者は貧者になる因縁を持ってるのだから、お金をあげ
たって無駄だ!救うことにはならない、ということになりますね。

だから、釈尊も貧者に、直接財施をするということなど、ないでしょうね。
たとえば、貧者が、果報(裕福)を得たくて釈尊に布施供養をしたとします。

今ふうに言うと、釈尊はその貧者の意図を、次のように見抜くでしょう。
「ははぁ、こ奴は、ギャンブル狂で、なけなしの金賭けて、何時もピイピイ
だな。最後に仏に頼って来たか。さて、どうしよう?」
てな具合に、対策を考えるわけで、決してお金を直接渡したりはしませんね。

自分の努力に、神仏のご加護が加わる、と考えたら良いと思います。
努力しない者には、ご加護はありませんし、欲張りな者には逆に、
懲らしめが生じますw。

762ラシン:2010/03/26(金) 18:11:14 ID:q4iXIS7Y0
>761 :準シュダオン
>今ふうに言うと、釈尊はその貧者の意図を、次のように見抜くでしょう。
「ははぁ、こ奴は、ギャンブル狂で、なけなしの金賭けて、何時もピイピイ
だな。最後に仏に頼って来たか。さて、どうしよう?」
てな具合に、対策を考えるわけで、決してお金を直接渡したりはしませんね。

ジョークにもならないウソをつく。
貧者の因縁がなければそれなら、釈尊在世時には、
オシャカが直接金銭の授受をしたのか? となります。
釈尊がそのような○○因縁に基づいて説いてなどいない。
そんな因縁論などないし、あるならお経を出しなさい。
また、
戒律には、布施でも金を扱ってはならにという決まりがある。
意味を取り違えて「釈尊も貧者に、直接財施をするということなど、
ないでしょうね。」などと主張してもそれは、知ったかぶりで
知恵のない比喩にも遠い話しです。
あなたの言う釈尊の施福とは、解脱への導きにほかならない。
それ以外、釈尊や比丘から在家へ何が出来るのですか?

>自分の努力に、神仏のご加護が加わる、と考えたら良いと思います。
努力しない者には、ご加護はありませんし、欲張りな者には逆に、
懲らしめが生じますw。

無一物を説いた釈尊が、どうして自説に反する努力への加護が
あると考えるのです?
釈尊を万能神と捉えるから、神仏カルトになりやすいのです。
たとえ解脱を目指す清浄行に対しても、仏の加護など可能だとは
説いていません。
釈尊はそれについては、三世に渡る善行と善果、悪行と悪果の道理を
発見し、その真理を伝えただけです。
桐山流に言えば、昨日の深酒が今日の二日酔い、との原因と結果を
行為という観点で説いているのです。
それともあなたが二日酔いしたら、それは神仏からのバチだ、
と受け取る分けですか?

763天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/26(金) 19:51:24 ID:PicDTHUU0
準さん、返信を頂きありがとうございます。

まず>>742は良い説明です。6つの分類も私もうろ覚えですが、ほぼ正しいと思います。
(こういう説明は理解できるんですけどねえ)ただ、

「働くことが必要です。働けど働けど、我が暮らし楽にならざり、とかの言葉
がありますが、聖者僧への布施供養で、そういう悪循環は断たれるのだと、
私は解釈しています。「働けば働くほど、効果が見える」そういう状態に
なるのだと思われます」

ならば、別段供養の必要は要らないのでは無いのでしょうか。
貧困で困るのなら、働くなどで稼ぎ(収入)を得ればいいだけではないか。
特に釈尊や出家者に供養しなくても、5・6を除いた行為だけでも十分では無いのか、
ということです。で、実際巷を見ても現代においてもそれは同じことです。
無宗教で供養などしない人も、仕事をしていれば生活には早々困りません。
(例外は除く)

>>744引用
>「釈尊が貧者を救ったこと」=「釈尊が布施供養を受けられたこと」なのです。
なぜならば、聖者僧に布施供養した者には果報がある、からです。

>>752で深山さんの説明のとおりで
「釈尊は、善業には善果がある、と説いているだけです」に尽きます。

「釈尊が布施供養を受けられたこと」は釈尊は供養をただ受けられるだけで
貧者を救うとか言われてません。富貴者であろうが貧者であろうが出家者には
供養(乞食などの際に食物などの供養・喜捨などを指す)をすればその供養の
果報は有る、と述べても貧者が困窮から救われるとかそういうことは言ってません。
ゲイカの方便に惑わされていませんか?(過去の自分もそうであった)
ですから、釈尊が貧者を救った、ということはありえません。
もしも救われたのなら、供養だけしていればいい。後は如来の功徳(果報)を
待てばいいのです。

ところが準さんは>>742では「働けば働くほど、効果が見える」と書いてますね。
効果が見える、というよりも働けば普通ボランティアで無い限りはお金か物で
収入が得られますよね?

つまり、準さんは「如来への供養での果報論」を言いながら、現実世界の仕事を
しないからには暮らしては行けない、ということを言っている。
これでは矛盾過ぎるのですがいかがでしょうか。

764天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/26(金) 19:51:53 ID:PicDTHUU0
>>761の譬えもしらけてしまいます。こんなことは苦しみを味わった人の
言う言葉ではない。過去にも何度か私も反論発言したものです。

準さんはまさか東京から遠いのでホームレスを見たことが無い、というわけでは
ないでしょう。TVでも見たことは有るかと思います。
また、ニュースでもいい。働きたくても働く場所が無い、とか雇ってくれる企業が
無いので敢え無く無職という人がどれだけ世間に多いのか分からないのでしょう。

そういう人たちが、では準さんの言うように心がけや行いが悪い人たちばかりなの
でしょうか。また、その人たちが供養すれば救われるのでしょうか。
もしも、おにぎり一個だけの功徳だけしか与えないのであれば、随分ケチな如来であり
また果報もタカが知れている、といわざるを得ないでしょう。

そんな程度の低い如来を仰ぐ(供養する)よりも、仕事を与えれば良いじゃないですか。
また、そういう環境の中仕事の機会を与えてくれた経営者はまさに「如来」のようなものじゃ
ないですか。
供養だと大上段で構えてふんぞり返っている教祖や如来よりも、実際に給料を与える経営者
のほうがよっぽど素晴らしいんじゃないですか。

では百歩譲って釈尊が救うのでしょう?では、どのように如何にして救うのか。
見せれるはずがありません。ゲイカでさえそれは方便で誤魔化しているからです。

私の法友も泣きながら、という話を以前しましたよね?
その人はギャンブルを一切しません。両親の最後を看取り天涯孤独になってしまいました。
つまり親の面倒を見てその末に独りぼっちになってしまいました。
西武に入ってたテナントの社員でしたが、西武撤退のためにそのテナント企業も廃業し、
そこで働いていた法友も自然解雇になりました。そこから無職が続きました。
何も悪いことをしておらず、ギャンブルもしない。また悪いことをしないし、真面目な性格です。

では、その方はアゴンの信仰をしていて何で助けてもらえないのでしょうか。

準さんの譬えはゲイカと同じで、説得力がありません。

765天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/26(金) 19:52:21 ID:PicDTHUU0
>>749
>釈迦が、「在家者が聖者僧に布施供養したならば、大いなる果報を得る」と、
説いたことは、「低い境涯の者は、低い境涯から解脱できる」という意味と
同じことなのですよ。

では先ほどの低い境涯の信者をどのように救うのでしょうか?
先日知り合いに聞いたら、その法友は未だに苦境にあえいでいる、と聞きました。
つまり、まだ危機から脱出して無いそうです。

入行してその方も20数年。またその極めて困窮している時期からはもう7年も
経っています。随分アゴンの神仏はその信者をいじめるのが好きなようですね。
どうしてこれだけ苦しんでても救わないのでしょうか?

私はこの事実を見て「おかしい」と思った。かなり模索したし対応策も講じた。
しかし、その法友を救う手立ては「金と高収入の仕事」しかなかった。
だが、昨今の世情ではそれは適わない。だから未だに泣きながら過ごしている。

私ならゲイカにも言える。さあ、やるだけやったから救って見せろと。
本当に成仏法があって力が有るなら目の前に見せてみろと。

ですから、準さんの説明では納得はできませんね。
ぜいぜい>>742の6つの分類の説明は理解できます。それだけですね。

私が限定的、と言う前に私がリアルの世界にどれだけ関わっていたか、を
準さんが理解すべきだと私は思いますが。

766ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/27(土) 08:25:09 ID:SmEF4Oe2O
>>761:準シュダオン10/03/26(金) 15:00:28 ID:agsP6ENM0
>管長に言わせると、貧者は貧者になる因縁を持ってるのだから、お金をあげ
>たって無駄だ!救うことにはならない、ということになりますね。
>だから、釈尊も貧者に、直接財施をするということなど、ないでしょうね。
>たとえば、貧者が、果報(裕福)を得たくて釈尊に布施供養をしたとします。
>今ふうに言うと、釈尊はその貧者の意図を、次のように見抜くでしょう。
>「ははぁ、こ奴は、ギャンブル狂で、なけなしの金賭けて、何時もピイピイ
>だな。最後に仏に頼って来たか。さて、どうしよう?」
>てな具合に、対策を考えるわけで、決してお金を直接渡したりはしませんね。

うーむ・・・準シュダオン教では釈迦が在家の庶民に金をプレゼントするのか?
釈尊はその日必要な食べ物を托鉢にて恵んでもらうだけで他人に与える財産など持たぬ。
実際に金を渡さなくても儲かるような運だか力だかを与えると言いたいのだろうが、
とにかく出家の比丘というのはその日の食事はその日しか得られずその日暮らしです。
それも午前中だけで。
その日の食事をその日に得ると書いたが、托鉢で得られぬこともあるのです。
ほんの少量の食べ物を皆で分けながら食したわけだが、托鉢の成果がない為
絶食など当たり前にあり、ひもじい暮らしをしていた。
どこかの教祖みたいに生肉がいいんだなんて庶民では手が出ないような高価な
生肉を購入したり、毎日京都の高級弁当を職員に届けさせたり、ホテルのレストランで
頻繁にグルメを楽しむような、およそ少欲知足には縁のない人とは全然違う。
つまり生活が不安定なんです。明日の保証なんかない。
あなたはいくら修行を志しても生活に困るようでは支障があるからそれの解消が
第一であり、それは欲張りでないからいいのだなんて主張してるが、彼ら自身が
生活の安定など無縁です。
在家に対してだって明日のことを考えず今日1日のことだけを考えて生きる
一日賢者の道を説いています。
この釈尊がどうして最低限の生活の保証なんてプレゼントしてくれる?

767ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/27(土) 08:59:00 ID:SmEF4Oe2O
>>761:準シュダオン10/03/26(金) 15:00:28 ID:agsP6ENM0
>管長に言わせると、貧者は貧者になる因縁を持ってるのだから、お金をあげ
>たって無駄だ!救うことにはならない、ということになりますね。

準シュダオン教と桐山教の考え方の違いを示しましょうか?
桐山さんはこういうことを書いている。
シャカの一行がある部落を通りかかった。シャカはその部落に托鉢に入ろうとした。
しかし弟子がこれを止めようとした。
「この部落は大変困窮しているので托鉢に行っても何も得られません」
しかしシャカはそれに対して答える。「だからこそ托鉢に行くのだ。彼らが貧乏
なのはそれだけの積徳をしていないからだ。だから我々が托鉢に行くことにより
徳を積ませるのだ」
つまり貧乏人からでも吸い上げよという話です。
しかし桐山さんはこれを経典にあるというだけで、その出典を示さない。
そんな阿含経典などないはずです。
準シュダオンさんはそんな記述の阿含経を知ってますか?
托鉢の一行は何も得られずに帰ることも多かったのです。
貧民を救うために貧民からむしりとるなんて話はない。
しかしこの話はある意味桐山教の性格をよく表している。
アゴン宗では金がないものは労働奉仕を捧げよ、労働奉仕の時間がないものは
金を払えという指導とは「限りません」。
むしろ逆説的に「時間のない者こそ時間を捧げよ」とボン行奉仕の必要性を説く。
いずれにせよ苦しい境遇から救ってもらうにしてもカネがなければどうにもならない。
金を払えば救ってやるという取引信仰です。
守護霊、守護神なんかもそうですね。苦しい時は守護霊に呼び掛ければ助けて
くださると安定志向に応える宣伝をしながら、その守護霊を買うのには巨額の
金が必要なんです。
これだけの金が支払える恵まれた人って、最初から生活基盤の安定求めて
稼いでいれば守護霊の加護なんて必要がない。

768準シュダオン:2010/03/27(土) 10:23:57 ID:agsP6ENM0
ギャンブル狂の例は、喩えですよ。
クレジットカードの衝動買い病もありますよ。先にレスした世界の大富豪、
ウォーレンが、ビルゲイツ財団の慈善事業団体に資産を寄付する、と発表
したら、すぐさま何千通も手紙が殺到したそうです。
「これこれの不幸な状態で、首つり寸前、お金援助してください」てな、
具合の手紙だそうです。

だが、慈善事業だからといって、むやみにお金の援助はしない、そうです。
ギャンブル狂や、衝動買いの病者、そういう人には助言をするだけです。
純粋な不運ゆえの不幸に遭った人を援助するそうです。
そうね、例えば、個人タクシーの人が、所有の自動車にハリケーンで倒れた
電柱の下敷きになって、営業できなくなった、援助してほしい、というような
手紙には応じるのでしょう。

私は、何を言いたいのか?
つまり、人間の慈善事業団体でさえ、援助する相手を選ぶ智慧がある、という
ことです。ギャンブル狂にはお金を与えても無駄だという智慧は、人間にさえ
ある、ということです。
まして、如来には、その人が貧者である因果関係が、すべて見通せるのです。

如来様が、無駄な援助など、するわけがないでしょう。
まして、如来様に人を助ける義務などない。
天照さんのレスなど読むと、まるで、助けない如来様が悪い、みたいな印象を
受けます。如来は、天照さんの指図は受けないでしょう。

769準シュダオン:2010/03/27(土) 10:48:26 ID:agsP6ENM0
管長の言葉というよりも、私は阿含経の釈迦の言葉を基にしてレスして
いますよ、天照さん。善生に説いた、6つのことね、1食事は質素に〜6
僧に住居を布施せよ、とか。しかし、世間には、無宗教で働いて、立派に
生活している人々が沢山います。その人たちはどうなの?
そういう人は、それでいいのですね。私も、二十代はそれでうまくいって
ました。

ところが、ある時、○○の因縁がいくつも出て、失業寸前まで行った。
そして、不幸にも因縁切りの必要に目覚めて、入行するに至ったのです。
順調な人には、宗教など不用でしょうね。
天照さんの法友は、20数年、いまだに苦境に喘いでいるとか。
しかし、ものは考えようです。その法友は生きてるのですね。阿含に縁が
無かったら、今頃は自殺してたかも知れないのですよ。
そう考えたら、助けられてることになりますね。

より多く、求め過ぎてもいけませんね。

770準シュダオン:2010/03/27(土) 11:15:09 ID:agsP6ENM0
まぁ、首の皮一枚残ってて、失業せず、に私は入行しました。
その後も危機はあったが、失業しないですみました。それで、生活費に
困ることだけは無かったのです。それで、金運に関するような護摩木は
それまで書いたことがなく、時が過ぎてきたのです。

ところが、何年も前のことですが、一通り、当面の悩み事の護摩木祈願を
書き終えて、さて、護摩木が一本余ったのです、5千円か1万円のね。
それで、祈願しても無駄はないだろうと考え、金運如意、資金順調、商売繁盛
のうちの、一つを、初めて書いたのです。
ところが、その年に限って、仕事に失敗して大損をしたのです。
あ、これは如来様に懲らしめられた、と、直観しましたね。

なぜそう思ったか?今までレスしてなかったけど、実はその護摩木に
縁起の悪いことが生じてたのですね。何が起きてたのか?
次の3つのうちのどれかが、実際に起きたことです。
1、護摩木を書いたら、上から下まで、護摩木に亀裂が生じた。
2、護摩木に書いた文字が、すべて消えていた。
3、護摩木の木目の紋様に、凶という文字があった。

 このうちの一つが、生じたのです。だから、私の持論は、欲張りは如来様
に懲らしめられる、です。で、前に、「如来様は恐いでぇ」とレスしました。
(親族に、永らく兵庫県に住んどった奴がおってね、そいつと話すと関西弁が
移ってることがあるよw。)
だから、釈迦が否定しようが、阿含宗の護摩木には、力があると思いますね。

771準シュダオン:2010/03/27(土) 11:36:53 ID:agsP6ENM0
後で反省してみたら、仕事で失敗して大損した年は、仕事を人任せにする、
怠け心が、私に出ていたね。あれでは失敗するのも当たり前であったね。
だから別に、如来様は悪くないね。
この祈願は無理だ、と教えてくれたのでしょう。

772名無しさん:2010/03/27(土) 16:25:21 ID:G.PDOCeU0
ギャンブルの汚い話でバフェットがゲイツの慈善団体にと綺麗ごとでギャンブルに縁が無さそうだが、
ニューヨーク証券取引所の米国正式名称をザ・プロクター・アンド・ギャンブル・カンパニー(The Procter & Gamble Company)と言う。
米国を拠点に活動するウォーレン・バフェット氏の株、先物などの投資市場の情報投資経営は、その名の通りギャンブル(賭け事)であると表現する。
ガソリンがリッター180円超となった石油バブルを操作して創りだしたのもウォーレン・バフェット氏で、あの時の石油投機には迷惑なことだったな。

773天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/27(土) 17:11:38 ID:X9a.rBWU0
>>768 >まして、如来には、その人が貧者である因果関係が、すべて見通せるのです。

それでは、その私の法友が困窮しているのは、その人の因縁が悪い、ということだから
如来は助けない、というのですね。
だったらそんな屁理屈如来を拝むより、親切な企業を探して職に付いたほうがマシです。
ですから、私はそういうリアルのアゴンの世界を見てきましたから辞めましたね。
未だに効果の無いアゴンにしがみついている法友は無知といえます。
信者の皆さん。アゴンの如来は助けてくれませんから、早く見切りをつけたほうがいいですよ。

>>769 >しかし、ものは考えようです。その法友は生きてるのですね。阿含に縁が
無かったら、今頃は自殺してたかも知れないのですよ。
そう考えたら、助けられてることになりますね。

皆さんこの引用の言葉を良く見ていてください。苦境に埋没したことの無い人が吐く言葉だと
いうことを。

ではその人が自殺したらどうしますか? 生きているから助けられてる?
冗談は程ほどにしておきなさい。その人に失礼だし、助けられなければ死ぬのか?
失業し、金もほとんどなく親の遺産も無い。うつ状態になって大変だったのですよ。
良くそういうことをぬけぬけと言いますね。
もう貴方にはこの手の話は今回限りにします。馬鹿くさい。

>>770 >まぁ、首の皮一枚残ってて、失業せず、に私は入行しました。
その後も危機はあったが、失業しないですみました。それで、生活費に
困ることだけは無かったのです。

貴方は失業して何度も職安に通っても、せっかくあった求人を受けても何度も落ちる
という過酷な経験もありませんし、第一失業したことが無い。
こんな人にいくら実情を話しても無駄です。

>ところが、その年に限って、仕事に失敗して大損をしたのです。
あ、これは如来様に懲らしめられた、と、直観しましたね。

信者さんは良くこの現実を見ておくことです。
護摩木に書いて願いがかなわないと、「怖い」だとか「徳が無い」
「仏様は私の欲望を見抜いている」などと申します。

で、逆に願い事がかなうと、「仏様はちゃんと私を見ている」とか
「徳が備わった証拠だ」とか「現世利益ってあるんだなあ」何でもいいですが
自分の都合にあった解釈をする。

準さんの場合はたまたま叶わず、しかも凶兆が有ったそうだが、そんなのは
思い過ごしです。如何様にも解釈できる。

良い例を示しましょう。私の地方の道場の会員には、アパートを2・3件所有している
方がいます。ゆえに働かずに毎月収入があります。
その方はお金が沢山有るので毎年特別大護摩木を3〜5本購入します。
すぐ道場で現金払いです。そして、その方は大抵の願いが叶っているそうです。

その方は道場ではあまり梵行をしません。一方私の困窮している法友は無職の間ほぼ
毎日道場に来て梵行を行っていました。でも、何の功徳の顕現もありません。
それを見てアゴンの神仏に疑問を感じました。
一方は過去世の徳だか知らないが、何の修行もしないで楽な暮らし。
一方は一生懸命やってても、ほとんど変わりの無い貧困生活。

アゴンの神仏って本当は存在しないか、もしくは相当の気まぐれものですよ。

774天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/27(土) 17:20:16 ID:X9a.rBWU0
釈尊が貧困のものを助けた、などということを言っているが、それが見られないのは嘘だからです。
何で釈尊の舎利を祀っていて、そこにもろもろの供養を捧げているのにその法友は助からないか?
いくら方便で理屈を並べても、実際に証拠を見せない限り信じることはできません。

私の言っていることがわからない人は、実際に経験するしかありません。
失業した。病気になった。その他色々な苦難や障害にあっている人でアゴンの神仏に供養をして
効果がなかった人なら私の言い分は分かります。
大変な思いをしたことの無い人にいくら言っても理解できるはずがありません。

775深山:2010/03/27(土) 23:44:11 ID:uDdi3FXk0
>>746 :準シュダオン:2010/03/26(金) 11:44:14 ID:agsP6ENM0
>釈迦は、「木片を燃やしたからといって心が清くなったと思うな!」と、
>注意してるだけです。別に害が生じる、といってるわけではないよ。
>似たようなことは、他にも説いてます。ガンジスで沐浴したとて清くなる
>わけではない、とか、托鉢したから出家なのではない、とかね。
>べつに、沐浴や択鉢を禁じたわけではない。

桐山三福道の話をしていたかと思うと、反論を完全無視して、
今度は護摩の話ですか。
準シュダオンさんの頭って何の脈絡もない。
あなたの説と違い、釈尊は護摩を禁止したのです。
また、「沐浴で清くなる沐浴」「托鉢で清くなる托鉢」も禁止です。
煩悩を増大させるような内容はすべて禁止です。
あなたの理屈が成り立つなら、釈尊は日本酒は禁止していないのだから、
出家は酒は飲まないが、日本酒ならかまわないことになる。
日本酒を飲んだからといってすぐに害にはならない。
釈尊は合成麻薬は禁止していないから、かまわないことになる。
釈尊はタバコは禁止していないから、吸ってもいいことになる。
実際、こういう屁理屈でタバコを吸う坊さんはいますよ。
準シュダオンさんと同類の屁理屈坊さんはどこにでも居るようですね。

776深山:2010/03/27(土) 23:47:01 ID:uDdi3FXk0
>>746 :準シュダオン:2010/03/26(金) 11:44:14 ID:agsP6ENM0
>釈迦は、「木片を燃やしたからといって心が清くなったと思うな!」と、
>注意してるだけです。別に害が生じる、といってるわけではないよ。

あなたがどんな屁理屈を並べても釈尊は護摩を禁止したのです。
その証拠は何度も示した。
釈尊が護摩を禁止した経典などいくらでもあります。
また、弟子で護摩を焚いていた者は一人もいません。
護摩を焚いていたカッサパ三兄弟ですら、護摩を捨てて帰依した。
弟子たちが護摩を捨て、また誰一人護摩など焚くことなく、
インド仏教では密教によって堕落するまでの数百年間、誰も護摩など焚かなかった。
護摩が禁止なのを知っていたからです。
準シュダオンさんのとりとめのない脳味噌はさておき、読んでいる信者さんの
ために、準シュダオンさんご推薦の釈尊本人の言葉を引用しましょう。

777深山:2010/03/27(土) 23:54:00 ID:uDdi3FXk0
「バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな。
それは単に外側に関することであるからである。
外的なことによって清浄が得られると考える人は、
実はそれによって浄らかさを得ることができない、
と真理に熟達した人々は語る。
バラモンよ。わたしは〔外的に〕木片を焼くことをやめて、
内面的にのみ光輝を燃焼させる。
永遠の火をともし、常に心を静かに統一していて、
敬わるべき人として、わたくしは清浄行を実践する。
バラモンよ。そなたの慢心は重荷である。
怒りは煙であり、虚言は灰である。
舌は木杓であり、心臓は〔供犠のための〕光炎の場所である。 」
(「ブッダ悪魔との対話」中村元、p.147)

信者さんたちはこの釈尊の言葉を読んで、これでも
釈尊は「シャカの成仏ホーによる護摩は禁止していない」と解釈しますか。
普通の国語力があれば、釈尊が護摩を禁止したことはあまりに明瞭です。
これを否定する学者は皆無で、仏教の常識です。
ましてや阿含経を元にした教法をうち立てるなら、
そこで禁止されている護摩を売り物にするなどありえない。
釈迦仏教以来、南伝の上座部仏教にいたるまで、阿含経を護持する正統な
仏教では護摩などという外道の加持祈祷はしません。
議論の余地のない常識中の常識です。
信者さんたちのためにケーマ尼の言葉を引用しましょう。

778深山:2010/03/27(土) 23:58:07 ID:uDdi3FXk0
「愚者ものどもよ。そなたらは星宿を崇拝し、森の中で火神に仕え、
如実にありのままに知ることもなく、[それを]『清浄だ』と思った。」
(『テーリーガーター』『尼僧の告白』中村元、35頁)

「星宿を崇拝」「森の中で火神に仕え」は信者さんたちの姿そのままです。
アゴン宗でも星宿を祭ると称して、山の上で大きな焚き火をする。
二千五百年前もアゴン宗のような宗教がすでにあったのです。
こういうことをする人をケーマは「愚者ものどもよ」と呼びかけている。
信者さんたちのことです。
護摩を焚いてそれを「清浄だ」と思うのは愚者だと言っている。
ケーマはマガダ国の皇后で、絶世の美女だった。
出家後は釈尊が賛辞を贈るほど模範的な比丘尼で、頭もよく理論家だった。
解脱者であるケーマから、アゴン宗を信仰する者たちは「愚者ものども」だと指摘されたのです。
仏教を信仰しているはずの信者さんたちは、アラハンからの指摘を無視するのですか。

779深山:2010/03/28(日) 00:04:16 ID:uDdi3FXk0
「時に婆羅豆婆遮婆羅門、阿羅漢を得心善く解脱して自ら喜楽を覚り即ち
偈を説いて言はく、『非道にして清浄を求めて火を供養し祠祀せり。清浄
の道を識らざること猶ほ生盲者の如し。今巳に安楽を得出家して具足を受
け三明を逮得して佛の教へたまふ所を巳に作しぬ。先には婆羅門は難かり
しも今婆羅門と為りぬ。沐浴して塵垢を離れ諸天の彼岸に度りぬ」と。」
(国訳一切経 雑阿含、領群特経)

これは前にスターダストさんが引用してくれた経典です。
要点を和訳するなら次のような内容です。

「婆羅豆婆遮婆羅門は解脱して偈を唱えた。
自分は、外道の宗教で清浄を求めて火を祀って加持祈祷していた。
その時の自分はまるで盲目のように清浄への道を知らなかった。
今は出家して仏の教えにしたがい三明を体得して解脱した。
今は本当の婆羅門になり、本当の沐浴によって煩悩の汚れを離れ、
彼岸に渡ることができた。」

信者さんたちも護摩を焚きながら霊的に清まることを求めている。
だが、解脱したアラハンは護摩を焚いていた時の自分は正しい清浄の道を
知らなかったと告白している。
このように、釈尊の弟子であるアラハンたちは、護摩を焚く宗教は非道であり、
その信仰をする者たちを愚者だとはっきりと批判している。
彼らは桐山さんのような自称アラハンではなく、釈尊も認めた本当の解脱者、
アラハンなのですよ。
信者さんたちは本当のアラハンたちの言葉にもっと耳を傾けるべきです。
釈尊が護摩など禁止していたのは当たり前のことで、
その事は桐山さんも本で引用している。

780深山:2010/03/28(日) 00:10:31 ID:uDdi3FXk0
「そこでほら貝結びの行者たちは、毛髪・ほら貝結びをした髪(を剃り落として)、
携帯品・事火具とともに水に流して、尊師のおられるところに赴いて、
尊師の足に顔面をつけて礼拝し、尊師にこういった。
「尊い方よ。われわれは尊師のもとに出家し、受戒したいのです」と。」
(『阿含仏教超奇跡の秘密』39頁)

これはカッサパ三兄弟とその弟子千人が釈尊に帰依する場面です。
彼らがアゴン宗のように護摩を焚き、火を拝んでいたことは
桐山さんの本でも引用されています。
だが、ここで着目してほしいのは「事火具とともに水に流して」という一文です。
桐山さんは自分に都合の悪い文章は素知らぬ顔だが、
信者さんたちにとってショッキングなことがここに書いてあるのです。
事火具とは護摩を焚くための道具、つまり護摩の法具です。
アゴン宗でも護摩を焚く時、様々な道具を使うが、
彼らはそれらを捨てて帰依したとあるのです。
捨てたということは、護摩そのものを捨てたのです。
もし、桐山さんの言うような「釈迦の成仏ホーによる護摩」なんて
ものがあるなら、どうして釈尊はここでそれを教えなかったのですか。
「カッサパ君、護摩具は捨てなくてもよろしい。
ワシがおシャカの成仏ホーによる護摩を教えてやる」
と、どうして釈尊は言わなかったのですか。
オシャカの成仏ホーによる護摩なんて存在しないからです。

781深山:2010/03/28(日) 00:15:15 ID:uDdi3FXk0
カッサパと弟子たちが護摩を捨てたのは、釈尊の教法を理解したからです。
護摩という加持祈祷と、釈尊の説く煩悩を断ち切れという教法は相反しており、
絶対に両立しない。
智慧の護摩で煩悩を切るなどとインド密教は言い出して護摩を採用し、
桐山さんもこれを真似ている。
だが、そんなものがあるなら、>>778のケーマが「愚者ものども」などと
口をきわめて批判したりするでしょうか。
>>779の婆羅豆婆遮婆羅門は護摩を焚くことを「非道」、つまり仏道に非ずと
はっきりと否定している。
インド密教は、煩悩を増大する護摩を採用するほど堕落して、
「非道」の「愚者ものども」に成り下がった。
イスラム教に破壊されたというよりも、ヒンドゥー教とほとんど差がなくなったから、
インドから消滅したのです。
人殺しをしたオウムを信者さんたちは仏教だとは思わないでしょう。
だが、オウムでは人殺しをポワと称して仏教の一つだと主張していた。
アゴン宗も釈尊が禁止した護摩を最大の売り物にして、根本仏教だと称している。
殺人をする仏教がありえないように、護摩を焚く根本仏教などありえないのです。
これだけ明瞭に釈尊から禁止された護摩をそれでもするというなら、
信者さんたちも準シュダオンさんと知性のレベルが変わらないということなる
・・・あ、失礼、これは信者さんたちへの大変な侮辱でしたね。

782準シュダオン:2010/03/28(日) 10:14:17 ID:agsP6ENM0
天照さんは、私のような失業もしたことがない者と話しても無駄だ、
と言いますが、失業寸前の危機まで追い詰められて、私は入行したのです。
その後も失業せずにすんだのは、阿含での修行の効果だと思っています。
わたしのように、阿含に助けられた、という法友も多いですよ。

助けられない信徒を多く見てきた、という天照さんの言葉も本当ならば、
助けられた信徒を多く知っている、という私の言葉も本当なのです。
天照さんは、なぜ二者択一するのですか?
助けられる信徒も多ければ、助けられない信徒も多い、それが実態である、
と考えたら良いと思いますね。

783準シュダオン:2010/03/28(日) 10:33:23 ID:agsP6ENM0
阿含経でお釈迦さまが、「聖者僧に布施供養した者には果報がある」と、
説いているのは事実です。先日のレスで、善生を例に出しましたが、善生
に釈迦は、「布施する場合には、その多寡をよく考えなさい」とも説いて
います。身の丈を考えて布施供養しなさい、という意味でしょうか。

勿論、ただ一度くらいの布施供養で、過大な果報などはあり得ないでしょう。
地道に在家の五戒を守り、8法16法を実践し、その上に布施供養も続けて
いく在家信者、そういう人には果報がある、という意味でしょうね。
具体的な果報の一つに、「長寿」がありました。
長寿というからには、病気も少ない、と予想されますし、災難で命を落とす
ことなどない、とも予想されますね。

784準シュダオン:2010/03/28(日) 11:03:25 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんの釈迦観は、当然ながら、私と違うようです。
食事の托鉢にしても、粗末であれば良いというものではありません。
必要な栄養は満たすが望ましいし、要は、御馳走などに左右されるな!
と、いうのが釈迦の説く要帝でしょうね。

釈迦だって、味覚障害ではないでしょうから、これは美味いな、とか、
これは不味いな、とか感じることはあるでしょう。だが、それに左右されて、
執着が生じてはいけない、ということでしょう。
また、現代では釈迦のやり方は出来ませんし、通用しないでしょう。

休眠宗教団体の名を語って、アジア系外国人に托鉢僧の格好をさせ、金品を
集めて歩く詐欺団体のことも報道されています。釈迦の真似をして、弟子を
5人も連れて托鉢したら、さて、日本ではどうなるでしょうか?

誓願とは、利他の願いのことですね。護摩木祈願も、最初は我利からの出発
で良し。仏に成る修行は、修行が進むにつれて、自然に利他心が生じます。
ですが、超能力を得ようとして入行した人は、注意が必要ですね。
管長も、「いたずらに超能力を得ようとすると、人品卑しくなり、キツネや
タヌキの動物霊が憑依するから気をつけなさい」と言ってますし、経典には
神通は阿那含から生じる、と書いてありますから、足元をよく見て歩むこと
が肝心でしょう。

785ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/28(日) 12:20:55 ID:SmEF4Oe2O
>>782:準シュダオン10/03/28(日) 10:14:17 ID:agsP6ENM0
>天照さんは、私のような失業もしたことがない者と話しても無駄だ、
>と言いますが、失業寸前の危機まで追い詰められて、私は入行したのです。

失業なんて当たり前のことであり、どうってことはない。
死ぬわけでも殺されるわけでもない。
桐山さんも朔日護摩の法話で誰かの言葉を引用して「転んだら立てばいいんや」
としている。失業の苦境にあろうともそこから立ち上がればよい。
経験がないから怖いんでしょうね。
そこで情けないことにお宅の「ホネシャカ薬師仕立て」さんにおすがりする。
少しくらい人生の辛酸を舐めた方が人間としての味わいが出ますよ。
お宅のおシャカさん甘過ぎですよ。
本当のお釈迦様はそんな手助けなんかしません。
自力で立ち直る勇気を説くだけですよ。

786準シュダオン:2010/03/28(日) 14:30:13 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんも天照さんも考えが浅いね。
失業一つとっても、人の環境によって、様々に違う。

一人身の場合もあれば、父母や弟妹や妻子を抱えて、つぶしのきかない
職業の場合もある。後者の場合は、死ぬほどつらいであろうし、転職可能な
身であれば、どうということもない。
ユビキタスさんは、そのような、想像力に欠けてると思う。

また、本当のお釈迦さまは手助けなんかしない、とユビキタスさんは書いた
が、お釈迦さまでもないあんたに、なんでわかるの?
私は、自分の体験を基にして、仏の手助けはあるだろう、と推測しているの
です。そりゃ、簡単には助けてくれません、というより、無理な相談、なの
でしょう。

私の入行の前年の体験、3名の名簿にマークさせられて、翌日、その3名に
会うことになった体験。あれは、何者かが私に、「運命はあるよ。いつまで
も唯物論の無神論ではいけないよ。」と、教えてくれたと信じてますよ。
では、何者が教えてくれたのでしょう?

787準シュダオン:2010/03/28(日) 14:45:52 ID:agsP6ENM0
まぁ、あまり真面目に神仏の加護なんか話すと、世間では笑われますね。
しかし、阿含経には布施供養と果報の業報関係が説かれています。
前に、ギャンブル狂の貧者が、釈迦に供養した場合を、レスしたが、
次のようにも推測できます。

お釈迦さまの遊行には、常に精霊や天界の神々が、付き添っている、とも
考えられます。そして、釈迦に布施供養した人達を、その精霊や神々が、
見ているのです。で、天界の法則として、聖者に布施供養した者には、
必ず果報が与えられる仕組みになっている。

で、布施供養したギャンブル狂の貧者には、「ギャンブルは負ける確率
高くて、必ず損する」と、言うような情報が届くように、精霊やら神々から
手配されるのです。

勿論、ただの妄想かも知れませんがw。

788天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/28(日) 17:00:21 ID:fUYW/AhA0
>>782
>わたしのように、阿含に助けられた、という法友も多いですよ。
>助けられた信徒を多く知っている、という私の言葉も本当なのです。
>助けられる信徒も多ければ、助けられない信徒も多い、それが実態である、
と考えたら良いと思いますね。

このことは私だって分かっています。そのことを否定する気もありません。
ただ、”救われない人”のことを準さんは分かっていないようですね。
そして、その救われない人に対して実際的な釈尊の救済とやらを説明できてない。

>失業寸前の危機まで追い詰められて、私は入行したのです。
その後も失業せずにすんだのは、阿含での修行の効果だと思っています。
わたしのように、阿含に助けられた、という法友も多いですよ。

この最後の一行は分かります。アゴンの中でもお陰をいただいた、という人は若干名
いますし、私の弟もいただきましたから。
ただ、失業せずに済んだのは準さんの状態や何かが良かったから済んだだけでしょう?
アゴンの信仰にもしも入らなかったら、別に信仰してなくても助かったのでは?と
思いますよ。準さんの中で信仰と結びつけているだけではないでしょうか。

789天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/28(日) 17:00:50 ID:fUYW/AhA0

>>783 
>身の丈を考えて布施供養しなさい、という意味でしょうか。

以前に深山さんを始め皆さんが言われたことを無視してこういうことを平気で言う。
アゴン宗では「力の限り供養せよ」つまり、できるだけ力いっぱい・精一杯
供養しなさいという。また過去のゲイカの発言では「少々苦しいと感ずるほどの
供養をしないといけない」という旨の発言もされている。
適当や少ない供養では、功徳や加護がいただけない、とさえいわれている。
昔のことを忘れる準さんには、この説明さえもお得意の無視でしょうね。
身の丈といえば綺麗な言葉ですが、アゴン宗ではそういうのは「自己都合」なのです。
教祖の指導に逆らう勝手な行動はやめたほうがいいのではないのですか?

>地道に在家の五戒を守り、8法16法を実践し、その上に布施供養も続けて
いく在家信者、そういう人には果報がある、という意味でしょうね。

私の法友はこれ以上のことを実践しています。ですが、未だに救われてません。
納得の行く理由をお願いします。

>「聖者僧に布施供養した者には果報がある」と、説いているのは事実です。

これは「果報」ではなくて「功徳」ではないでしょうか?
まあ、内容は似たようなものですから、OKとしたとしても、ではその聖者僧と
いうのはどこにいるのでしょうか?
その「聖者僧に供養したら本当に救われる」のですね?

>>786
>ユビキタスさんも天照さんも考えが浅いね。
失業一つとっても、人の環境によって、様々に違う。

私から見たら準さんのほうが私達より年配者なのに社会のことも世情も実情も
しらない「世間ズレ」している方だといいたいですね。(平和ボケでもいい)

>一人身の場合もあれば、父母や弟妹や妻子を抱えて、つぶしのきかない
職業の場合もある。後者の場合は、死ぬほどつらいであろうし、転職可能な
身であれば、どうということもない。

一人身だろうが、既婚者だろうが内容は違っても、どれだけその人人によって
大変か準さんは分からないようだ。私は以前から詳しく説明してきたがその文章も
ロクに読まないから分からないし、経験もしてないから痛みも分からない。
だからヌケヌケと高段説法するのだ。

その法友は・・・いいや、もう言わない。書いたところで貴方は無視する。
見る・知る気が有るのなら書きますが、割愛します。馬鹿くさい。
なので、これだけ言っておきます。独身だろうが既婚者だろうが苦労は苦労です。
生活余力があってヘラヘラしてて「苦しいんだよ〜」などという輩は苦労人ではない。
確かに既婚者のほうがハンデは大きいが、独身だからといって楽だとは限らない。

次に、転職可能な身であれば、というが今は20代の若者でも再就職が難しい状態です。
東京やら大都市では職の選り好みをしなければ、職は有るという。
でも、地方などは本当に就職〜アルバイトさえ合格しない人が多い現実が有る。
そういうことも知らないで、能書きを垂れるのはまさに平和ボケです。

>>787
>お釈迦さまの遊行には、常に精霊や天界の神々が、付き添っている、とも
考えられます。そして、釈迦に布施供養した人達を、その精霊や神々が、
見ているのです。で、天界の法則として、聖者に布施供養した者には、
必ず果報が与えられる仕組みになっている。

法友はギャンブルもしないし、両親を最後まで独りで看取りました。
そして、人の道を外れず、アゴンの信仰も真面目に行い、修行もしてました。
さあ、必ず果報が与えられるのですね? 法友は救われるのですね?
もし、法友が自殺したり、救われなかったら準さんに責任を取ってもらいましょうかね。

790天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/28(日) 17:01:14 ID:fUYW/AhA0


後これは準さんではないけど、少々。

>>785
確かに仰せのとおりです。ですが、死ぬわけでも殺されるわけでも、とは言い過ぎでは
ないでしょうか?
確かにその法友も逆切れでもいいから、アゴンの信仰など辞めて奮起すればよい。
私も当時法友に言ったのです「自分を助けるのは自分だよ」と。
本尊やゲイカの頼ってはいけない、と。でも、それに対して少々怒っていました。
「それじゃあ天照さん、アゴンの信仰は要らないでしょう?」といわれました。
その矛盾の最中に掲示板に突入した私でしたが、おかげさまで私は救われましたがね。
未だに救われない信仰にしがみついてどうする、とは思います。

>少しくらい人生の辛酸を舐めた方が人間としての味わいが出ますよ。

確かにそうでしょう。50代にもなってメソメソ泣いて、一人ぼっちになったからと
いって信仰にすがり、狂ったように「お助けください」など馬鹿げている。
多少性格がきつくなってもいいから、自力で立ち上がり「もう親も誰も頼りにならないんだ」
としっかり自覚を持って生きること・気持ちが法友には必要です。ですから、

>本当のお釈迦様はそんな手助けなんかしません。
自力で立ち直る勇気を説くだけですよ。

これに尽きます。だが、アゴンの教学はこういうことを”教えない”のです。
依存させて、自分で考えることを捨てさせて、奴隷化・家畜化することが目的だからです。
ゲイカが喜ぶのは自分に従う「イエスマン」だけなのです。

法友は確かに人生でこんなに大変な思い(苦労・苦難)はしたことがなかった、と言って
ました。だから、経験がないから怖いというのも合っています。
貯金もほとんどない。職もない、独身で独り身。だけど生活には掛かるものがかなり有る。
切り詰めても限度が有るし、また誰も助けてはくれない。
唯一の頼みは信仰と法友だけです。実際自殺でもしようか、とも言ってました。
生活保護も考えましたが、それは嫌だというので何とか低所得の仕事には最近就いたよう
ですが、全然生活が楽にならないそうです。(給料が低すぎて)

生きているだけで儲けもの、は強靭な精神か感謝の気持ちが有る人だけに言える言葉だと
思います。

ユビさん。家族や蓄えの有る人や環境が有る程度有る人はいいですよ。
誰も頼れず、3年も4年も無職で過ごして生活費さえ払えない目にあったら、易々と
死ぬわけでも殺されるわけでも、というのはいえないとは思いますが。

791ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/28(日) 17:40:13 ID:SmEF4Oe2O
>>790:天照 ◆MO30b8Jwoo10/03/28(日) 17:01:14 ID:fUYW/AhA0
>確かに仰せのとおりです。ですが、死ぬわけでも殺されるわけでも、とは言い過ぎでは
>ないでしょうか?

私も無職の辛さから生活費にも困る息がつまる苦しさは痛いほど経験しています。
ちなみにアゴン宗の信者時代でしたけどね。
だからと言って、信仰の効果がないなどと怨んだことなど一度もなかった。
逆にアゴン宗の信仰をしながらこのザマはなんだ?と周囲から突っ込まれる
ことに黙って耐えるか逃げるしかなかったが。
そういう経験も踏まえても、やはり殺されるわけではないのだから、人間死んだ気になって
取り組むしかないというのが、似た苦しみの人に与えるアドバイスであり、安易に
アゴン宗のような御利益解決法なんて示すべきでないと思います。
また私がこの話を出したのは、準シュダオンさんが欲張りはいけないと自ら
特に困ってるわけでもないのに5千円の金運如意の護摩木を出したらうまくいかず、
これは仏様の諌めであり、ちょっと困ってさえいればお助け祈願はありなんだ
と示すわけなんだから、果たしてあなた(準さん)はどこまで逼迫した境遇にあったのか
疑問に思ったわけです。
ちょっと辛い、苦しいくらいで、よしよし、辛くないように取り計らってやるよ
なんてのが準流シャカサービスなのか? と思って。
彼は極端な例を出して何でもそれにあてはめるゴマカシが得意ですからね。

792ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/28(日) 18:05:35 ID:SmEF4Oe2O
>>784:準シュダオン10/03/28(日) 11:03:25 ID:agsP6ENM0
>食事の托鉢にしても、粗末であれば良いというものではありません。
>必要な栄養は満たすが望ましいし、要は、御馳走などに左右されるな!
>と、いうのが釈迦の説く要帝でしょうね。

粗末さなんて求めてもないですよ。
単に与えられた中で最小限必要な分だけ受けて、それ以上は受けないわけです。
チュンダの供養だってキノコ料理とされているが豚肉料理と いう解釈もある。
中には高価なご馳走もある。つまり選ばないでそのまま受けるだけなのです。
しかもそれでいて毎日安定した供養があったわけではない。
食べられない日もある。栄養もへったくれもない。
それでいながら午前中にしか食しないという戒律だけは厳守している。
どうしてこんなことをしなくてはならないのか?
都合のよい言い訳などしないのです。

793ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/28(日) 18:15:28 ID:SmEF4Oe2O
>>784:準シュダオン10/03/28(日) 11:03:25 ID:agsP6ENM0
>誓願とは、利他の願いのことですね。護摩木祈願も、最初は我利からの出発
>で良し。仏に成る修行は、修行が進むにつれて、自然に利他心が生じます。

だからその利他の誓願を実行するにあたり、どうして最初は我利から始めるのか
意味不明、説得力ありません。
席を譲る、針に糸を通すような利他は我利の追求など前提としなくても今すぐ
この場で実践できます。やれることをやればよい。護摩になど祈願してどうするのか?
そんなものは利他ではない。

>ですが、超能力を得ようとして入行した人は、注意が必要ですね。

誰が超能力目的の書き込み発言をしてるのか?
私も超能力など必要なかったと入行動機に書いた。
ただ体力、精神力など現実的な能力はあればよいと思った。
因縁を切って中途挫折せずにやり遂げることも含めて。
こういう能力開発の宣伝をどうして桐山さんは煽るのか?

794深山:2010/03/28(日) 18:32:27 ID:FipyI6c60
>>783 :準シュダオン:2010/03/28(日) 10:33:23 ID:agsP6ENM0
>阿含経でお釈迦さまが、「聖者僧に布施供養した者には果報がある」と、
>説いているのは事実です。先日のレスで、善生を例に出しましたが、善生
>>787 :準シュダオン:2010/03/28(日) 14:45:52 ID:agsP6ENM0
>まぁ、あまり真面目に神仏の加護なんか話すと、世間では笑われますね。
>しかし、阿含経には布施供養と果報の業報関係が説かれています。

まだ言っている。
批判側は誰一人供養に対する果報を否定していません。
ところが、まるで批判側は果報を否定したかのように、それを準シュダオンさんが
批判側の間違いを指摘して、証拠を示したかのように書いている。
誰も果報は否定していないし、何度書いても無視するだけです。
まったく相手の反論を読まず、理解せず、日だまりで老人が
ぶつぶつと独り言を話しているのが準シュダオンさんです。
私を無視しているだけではなく、ユビキタスさんや天照さんも
同じ事を言っているのに、無視している。
準シュダオンさんの脳味噌って、完全に「独走状態」ですね。

795深山:2010/03/28(日) 18:35:09 ID:FipyI6c60
>>787 :準シュダオン:2010/03/28(日) 14:45:52 ID:agsP6ENM0
>まぁ、あまり真面目に神仏の加護なんか話すと、世間では笑われますね。
>しかし、阿含経には布施供養と果報の業報関係が説かれています。

また加護と果報のごまかしです。
供養とそれに対する果報は説いているが、加護なんて説いていません。
釈尊に供養すれば果報は得られても、釈尊からの加護なんて得られません。
果報すらも釈尊が授けるものではありません。
誰が誰に対してしようが善業は善果を生むというのが、
仏教がウパニシャッドから取り入れた思想の一つです。
釈尊が加護するなんて、阿含経にはただの一言も出てきません。
桐山さんから、「仏の加護なくしては解脱はできない」などと教え込まれ、
これを鵜呑みにしている。
信者さんたちも桐山さんの言葉を鵜呑みにするのではなく、
釈尊の加護が書いてある阿含経を探してみてください。
そんなのありませんよ。
桐山さんは、釈尊がパータリプッタでの説教での、加護という言葉を
ひっぱってきて、これが守護霊なのだと書いているが、信じられないような国語力です。
よく読んでください。
『ブッダ最後の旅』39ページにあります。
この文章のどこにブッダや比丘たちに供養したら、ブッダや比丘たちが
供養した人を加護するとあるのですか。
そんな文章は一言もない。
ないのに、どうして釈尊に供養すると信者を加護するという考えが出てくるのだ?
桐山さんのお得意のすり替えです。

796深山:2010/03/28(日) 18:38:08 ID:FipyI6c60
>>783 :準シュダオン:2010/03/28(日) 10:33:23 ID:agsP6ENM0
>勿論、ただ一度くらいの布施供養で、過大な果報などはあり得ないでしょう。

また、空想だけの準シュダオン教です。
一度の供養で過大な果報はあり得ます。
>>691のコーサラ国の商人の例では、前世のたった一度の供養で、
彼は七回の天界への輪廻と、七回の大金持ちになれた。
彼はたった一度、それも惜しいと思いながら供養した。
如来への供養を惜しいと思う不心得者でありながら、その果報は受け取れたのです。
ここから、準シュダオンさんは心がけが悪いと果報が受けられないかのような
書き方をしているが、これも嘘なのがよくわかる。
為した行為とその果報は本人の心がけがどうあろうが、関係ない。
悪人だろうが、善人だろうが、お金を出せば同じ商品を買えるのと同じです。
準シュダオンさんの頭では、オシャカという霊的な存在が、
相手の態度を見て見返りの功徳を授けるかのような子供じみた空想をしています。
だが、供養とは善業であり、善業に対する善果は仏教的な意味では
自然の法則であり、釈尊が決めたことでも関与していることでもありません。
また、善業と悪業は帳消しにもならない。
商人は如来に供養するという善業を行い、その報いはそのまま受け、
兄弟の子供を殺すという悪業を行い、その報いもそのまま受けています。
大小や善悪にかかわらず、心構えなど関係なしに、
返っていくというのが基本的な考えです。

797深山:2010/03/28(日) 18:39:50 ID:FipyI6c60
>>786 :準シュダオン:2010/03/28(日) 14:30:13 ID:agsP6ENM0
>また、本当のお釈迦さまは手助けなんかしない、とユビキタスさんは書いた
>が、お釈迦さまでもないあんたに、なんでわかるの?

それを言うなら、なんでお釈迦さまでもない準シュダオンさんにわかるのだ?
どうして準シュダオンさんてこんなに厚かましいのでしょうね。
ユビキタスさんがわかるのではなく、阿含経にそのように書いてあるのです。
釈尊は何にも手助けなんかしない。
したというなら、阿含経から引用してみればいい。
飢えている人たちに食べ物を施したとか、病気を治したとか、
望みごとをかなえてやったとか、そういうことを釈尊がしますと発言し、
またそういう記述があるなら示してみなさい。
そんな記述はほとんどないばかりか、手助けなどしないことを宣言している記述はあります。

798深山:2010/03/28(日) 18:43:39 ID:FipyI6c60
「愛執の矢が肉に刺さったので、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。
汝らは(みずから)なすべきである。
けだし諸の完成者(如来)はただ道を示しただけである。」
(『真理のことば・感興のことば』、中村元、196頁)

信者さんたちはしばしば神仏に御祈願と称して助けを求める。
だが、釈尊は何もしてくれません。
上記のように「ただ道を示した」だけだからです。
この記述に信者さんたちはショックを受けてほしい。
釈尊が拒絶しているのだから、祈願など意味がないのです。
病気や貧困で苦しみ、神仏に助けを求めたい気持ちは、私も元信者であり、
俗人にすぎないから、よくわかります。
だが、頼む相手が釈尊ならそれは無理であり、筋違いです。
上記のようにはっきりと信者さんたちの頼みを断っている。
まして、如来に供養するとその果報で病気や貧困がなくなるなんて説いていません。
一つには、供養の果報は来世のものであって、今すぐに来るものではない。
二つ目に、供養の果報は自分の悪業を帳消しにしてくれるものではない。
だから、今生の病気や貧困の苦しみをなんとかしてほしいという気持ちで
如来に供養しても、何の意味もありません。
供養の果報はあるが、せいぜい来世であり、しかも、今の病気や貧困を
解決するものではありません。
その証拠に、コーサラ国の商人はたった一度の供養で大きな果報を得たが、
それは輪廻した後に得た果報であり、しかも、兄弟の子供を殺したという
悪業は帳消しにならなかった。
如来に供養して今の病気や貧困など問題を解決しようとするのは無意味です。

799深山:2010/03/28(日) 18:47:50 ID:FipyI6c60
>>786 :準シュダオン:2010/03/28(日) 14:30:13 ID:agsP6ENM0
>で、布施供養したギャンブル狂の貧者には、「ギャンブルは負ける確率
>高くて、必ず損する」と、言うような情報が届くように、精霊やら神々から
>手配されるのです。

準シュダオンさんのこの子供じみた空想は、桐山さんが三福道で教えている。
だから、信者さんたちもオシャカという「霊界金融業者」に
お金を渡すと、過去の悪業を帳消しにしてくれて、さらに徳という好運を
現世でもたらし、逆にご機嫌を損ねると、罰を下すと信じている。
まるで霊界ヤクザです。
それが上記の準シュダオンさんの妄想です。
自分の運命や賞罰を全部霊的な存在に握られており、
彼らの気分しだいで運命を左右されると信じている。
こういう信仰にもっとも近いのはキリスト教です。
キリスト教では運命などこの世のすべてはすべて「神のワザ」であり、
人間が悪いことをすると罰を下すと信じている。
日本の新興宗教にも仏教系ですらこの種の稚拙な信仰が蔓延している。
だから、逆に言えば、宇宙を支配する絶対神に帰依さえすれば、
その信者は神のためなら何をしてもいいという危険思想が出てくる。
イスラム教徒を殺戮した十字軍がそうであり、オウムがそうです。
T一教会の信者が身分を偽ってまで物売りすることについて、「神様に
差し上げるのだから、人間を騙しても騙したことにならない」と言っていた。
アゴン宗の中にこういう思想が深く染みついている。
自分たちは神仏に支配されているという考えです。
それが上記の準シュダオンさんのような子供じみた発言によく現れている。
信者さんたちもよく「仏様のお手配」とかアゴン宗をやめた信者を
「仏様から見捨てられた」なんて言いませんか。
それって、準シュダオンさんと同じ子供じみた発想ですよ。

800深山:2010/03/28(日) 18:52:50 ID:FipyI6c60
>>784 :準シュダオン:2010/03/28(日) 11:03:25 ID:agsP6ENM0
>必要な栄養は満たすが望ましいし、要は、御馳走などに左右されるな!

釈尊が必要な栄養を気にしていた???
準シュダオンさんて、当時がどんな時代だったか、
まるっきりわかっていないのですね。
食うのにやっとの時代に、誰が栄養を満たすなんて考えますか。
今みたいに食べ物が余っている時代ではありません。
釈尊は托鉢して得た食物を食べただけです。
「与えられない物は求めない」これが原則です。
だから、差し出された食べ物をただ食べるだけです。
それがどれほど徹底していたかは、マハーカッサパの托鉢で出ている。
彼はハンセン病の患者から托鉢した。
患者が飯を彼の鉢に入れた時、腐った指が一緒に入ってしまった。
すさまじい光景です。
だが、マハーカッサパは患者が供養してくれた飯を、なんの嫌悪もなく食べた。
釈尊たちは身体を維持できる必要最小限だけを食べたのです。
あなたや桐山さんみたいに飽食で病気になってもまだ
飽食がやめられない人たちには理解できないでしょうね。

801深山:2010/03/28(日) 18:56:17 ID:FipyI6c60
>>784 :準シュダオン:2010/03/28(日) 11:03:25 ID:agsP6ENM0
>また、現代では釈迦のやり方は出来ませんし、通用しないでしょう。

まったく逆で、食物が余っている今の時代だからこそ托鉢は可能であり、
釈尊のやり方は通用します。
日本の托鉢は、あれは托鉢とは言えないほどに変容してしまった。
編み笠をかぶり、鐘を鳴らし、時にお経まで唱える。
いずれも元々の托鉢ではしてはならないことです。
元々の托鉢の姿が残っているのはタイなどの上座部でしょう。
彼らは今でも午前中に托鉢をして、それを食している。
立派に通用している。
あれが阿含仏教の正しい托鉢の仕方です。
食物がない時代にはこれで食うのは容易ではなかったから、
釈尊の教団では出家たちがかなり飢えていた。
だが、今は食物が余っているのだから、坊さんの一食分などたちまち集まる。
本当に阿含仏教に基づく修行をしたいと思うなら、
釈尊の時代よりも今のほうが衣食住についてははるかに楽です。
なぜなら、時代がどう変わっても、出家の原則は、
「与えられない物は求めない」「必要最小限」だからです。
つまり、桐山さんとは正反対のやり方です。

802深山:2010/03/28(日) 19:02:39 ID:FipyI6c60
>>784 :準シュダオン:2010/03/28(日) 11:03:25 ID:agsP6ENM0

ラシンさんが書いた>>723で、準シュダオンさんは銘柄を
並べられてもなんのことか理解できなかったでしょう?
なぜなら、あなたは723に描写されたような美食家ではないからです。
あなたが糖尿病になったのは美食ではなく、飽食が原因です。
桐山さんが糖尿病になったのは美食と飽食です。
だが、準シュダオンさんは飽食だけが原因です。
だから、あなたが接待を受けてタダ酒を飲んでいる風景は次のようなものです。

準「うーん、ワインはうまいなあ」
接「・・あのう、それワインではなく、焼酎なんですが・・」
準「君は道理がわかっていないねえ。
いいかい、ワインはアルコールで出来ている。
で、焼酎はどうだ?
そうそう、やっぱりアルコールだ。
つまり、ワインも焼酎も同じものなんだ、わかったかね、若造君。
私くらいのツーになるとね、ドンペリという日本酒の一気呑みよ、WWW」
接「・・はあ、そうですか(ッタク、この屁理屈屋の糞ジジイめ)」
準「酒の飲み方を教えてあげるから、私の後に付いて唱和しなさい。
さあ、飲むぞ!
必ずタダ酒だ!
私はとってもタダ酒だ!
絶対にタダ酒がうまい!
では、四軒目に行こう。
きれいなネーチャンも頼むぞ、へへへ」
接「え!?まだ飲み足りないんですか。足下ふらふらですよ(ッタク、意地汚ねえヂヂイだ)」
準「何言ってるんだ。さっき、路上で吐いたから、もう一回飲み直して、
その後、牛丼にラーメンに餃子を食うぞ!!」
接「そんなに食ったら、糖尿病になりますよ」
準「もうなってるから、いいの」
接「・・・絶句・・・」

803深山:2010/03/28(日) 19:04:47 ID:FipyI6c60
>>784 :準シュダオン:2010/03/28(日) 11:03:25 ID:agsP6ENM0
>管長も、「いたずらに超能力を得ようとすると、人品卑しくなり、キツネや
>タヌキの動物霊が憑依するから気をつけなさい」と言ってますし、経典には

これは妙に説得力がありますね。
桐山さんは超能力を獲得したブッダという大嘘をつく銀狐みたいだし、
準シュダオンさんは脳梗塞を白銀バイブだと思いこんで、
内心自分を預流だと自惚れる古狸みたいです。
桐山さんでも本当のことを書くことがあるのですね。

804ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/29(月) 08:53:46 ID:SmEF4Oe2O
>>786:準シュダオン10/03/28(日) 14:30:13 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんも天照さんも考えが浅いね。
>失業一つとっても、人の環境によって、様々に違う。
>一人身の場合もあれば、父母や弟妹や妻子を抱えて、つぶしのきかない
>職業の場合もある。後者の場合は、死ぬほどつらいであろうし、転職可能な
>身であれば、どうということもない。
>ユビキタスさんは、そのような、想像力に欠けてると思う。

家族を路頭に迷わせる危機があろうとも同じことで、頑張るしかない。
現実に多くの人が頑張っている。
しかしあなたの逼迫した時は助けを求めてはよいが、そうでない時は欲張りだから
という言い訳はゴマカシに過ぎないのですよ。
桐山さんは「転ばぬ先の杖」と説いている。
今こうしている時平穏無事でもいつなんどき苦境に立つかわからんのです。
だから商売なんかやってる人は常に売上げを伸ばし成長し続けねばならない。
現状を維持することは絶え間ない努力をすることなんです。
宮仕えに耐えてさえいれば給料が保証された人にはこの逼迫感はわからない。
華々しい芸能人でもその基盤は根なし草ゆえ宗教に頼る人が多い。
だから売れている時は祈願しなくてよい、苦しい時だけ神頼みというのは
桐山さん自身が否定している。
そして釈尊はそんな現実があろうとも神仏に身の保証を依頼することを悉く否定
して自立の道を説いたのです。
あなたは護摩木祈願の一部を否定、一部を肯定することによりごまかそうとしたが
桐山さん的には転ばぬ先の杖を認めて否定してはならない。
そしてそれは釈尊とは対立する構図を把握しなさい。

805準シュダオン:2010/03/29(月) 10:04:06 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさん、私のは誤魔化しでなく、自分の体験から、自分の判断を
したまでです。ユビキタスさんのように、管長を盲信したり、盲不信したり
はしないということです。また、わたしに起こったことが、他人にも起こる
とは限らない。「商売繁盛」の護摩木にしても、大損したら、護摩木もあてに
ならんわい、大金払って損したわい、と思うのが普通でしょう。
 また仮に神仏が居たとして、人はすべて持ってる因縁が違うわけだから、
人が同じ護摩木祈願内容をしても、その効果はすべて違ってくる理屈ですね。

806準シュダオン:2010/03/29(月) 11:46:11 ID:agsP6ENM0
お釈迦さまだとて、最初から利他行を始めたのではない、ですね。
自分の四苦八苦を解決するために、出家したのです。
で、修行が進むにつれて、利他心が生じたわけですね。
だから、最初は我利の信仰でよろしいのです。
て、いうか、管長は、最初から利他のための信仰なんて、本物とは思えない、
と、話してますよ、ユビキタスさんは聞き逃してましたね。

人のためではなくて、自分の悩みのために入行した者こそ、本物の信仰に
成るだろう、とね。そして、自分の境涯が上がると、利他心が自然に生じる
ものだ、とね、管長はそのように話してましたね。私もそう思うね。
最初から利他のための信仰なんて、わたしゃ、理解できないね。
それなら黙って、さっさと、ボランテァ活動でもしなさい、と言いたいね。

807ラシン:2010/03/29(月) 11:59:06 ID:q4iXIS7Y0

週刊文春3月25日号に桐山さんと作曲家の服部克久氏との対談で、
桐山さんは「護摩をお焚きする際に様々な供物もお焚きしますから、
その食物が焼かれ煙となって天に上がり、そこにいる天界の神仏が、
その煙を再び食物に替えて召し上がってもらうことになる」
との意味合いの話しをしていました。
チラ読みの記憶ですから要点だけの記載です。
ようは護摩による神仏への供養を話していたものです。
護摩木の祈願もその焼かれた祈願文が煙で天上に舞い上がり、
神仏は、また護摩木に復活させて読み取ってくれるらしい。
大の大人が、公の週刊誌で語っていましたよ。
まあ、あくまでも対談だし茶飲み話し程度の軽いものと考えれば、
他愛のない宗教おとぎ話しとして、目くじらを立てることもない。
だがその具体的根拠もなく、そんなもんだ形式で他人から祈願料を
浄財として集める宣伝を堂々として、それが許されている。
信教の自由が保障されている所以でしょうが、宗教の名を借りずに
このような荒唐無稽話しで金を集めたら、普通は詐欺でしょうね。

808ラシン:2010/03/29(月) 11:59:43 ID:q4iXIS7Y0
>787 :準シュダオン:2010/03/28(日) 14:45:52 ID:agsP6ENM0
まぁ、あまり真面目に神仏の加護なんか話すと、世間では笑われますね。
しかし、阿含経には布施供養と果報の業報関係が説かれています。

だから、加護と布施の関連など結びつきません。
あなたは、「ただの妄想かも知れませんがw。」などと言い分けしながら、
ユビキタスさんや天照さんの反論に妄想仮想というタラレバで回答してる。
また、あれだけ深山さんから護摩禁止の仏説を阿含経で示されても、
あなたは完全無視して、どこ吹く風の態度で無視しています。
普通の知性なら驚愕し、ショックを受けます。
事実私もそうなり、最終的にアゴン宗を去ったからよくわる。
深山さんの示した阿含経を読んで、週刊文春の桐山談話を読み
比較してみたらどうか?
とてもじゃないが「さもありなんなどと」桐山談話など納得できないが、
あなたは違うようです。
理由を考えれば、あなたの生き様が分かるようなものです。
あなたは真にアゴン宗に帰依しているのではなく、あなたが偉ぶって
生活したいうえでのお説教武器にして執着しているにすぎない。
宗教などよく知らない人たちに、オレ様はこんなに知恵があるのだと、
威張りたいから、桐山さんに依存しているだけでしょう?
桐山さんの頭からジョーブツリキというハチマキを取ってみた現実の
生身の桐山像など見たくないのでしょうし、必要も無いのですよね。
そうだから釈尊の煩悩抑制や、煩悩滅などを道徳に置いといて、
ひたすら因縁論で周りを脅かして悦に浸っている。
あなたの自慢する体験談だって自己申告ながらすべてアゴン宗に
依存しそれを仮に存在するか否かの神仏効果を曖昧にしている。
先に防波堤を建てて、あなたの主張する責任を回避していますね。
ただ、あなたがその生活信条を通す上で宗教依存した弊害が、
一つ生じていることも指摘します。
深山さんから何度も言われた、あなたの評価を自己毀損することです。
あなたの仕事や生活の向上には、少なくとも周りの誰かが援助したはずだ。
人間一人で社会のなかで仕事をこなして行けません。
だがあなたは宗教依存によって神仏に感謝しこそすれ、
その協力者には感謝の念などは皆無でしょう。
あなたは社会人として最低限の周りへの感謝を忘れ、自己の祈願リキ成就に
自惚れているから、回りからは慢心者と見なされ最後には敬遠される。

809ラシン:2010/03/29(月) 12:30:57 ID:q4iXIS7Y0
>806 :準シュダオン
>それなら黙って、さっさと、ボランテァ活動でもしなさい、と言いたいね。

あなたってつくづく篤志の精神を高みから貶して己が一番と、
自惚れたい人間の代表のようだ。
自己資産を投じて社会に貢献している例などをあなたは、
小ばかにしているのでしょう。
だがその本人がケチで舌を出しながら、我欲を隠して奇麗事を言うだけ?
自分の境涯を高くしたくて利他の行だと?
社福の助成金を受けられずに、それでも弱者救済に励んでいる施設が、
世に数多くあることを知らない?
名誉や感謝状など求めず、ひたすら地域貢献している民間施設の
存在をどう見るのですか?
ではいったいアゴン宗はどんな社会的貢献をしたのです?
名誉や学位と引き換えにファンドを組んで社会運動だとは何だ。
護摩イベントをして世界が、平和になったつもり祈願で、
己の境涯が高くなった、と自惚れるのが利他なのか?
その挙句がガザの虐殺が引き起こされた。
たしかにアゴン宗の祈願は、反作用のチカラだけはあるらしい?

810深山:2010/03/29(月) 12:36:42 ID:rN3GKEN60
>>805 :準シュダオン:2010/03/29(月) 10:04:06 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさん、私のは誤魔化しでなく、自分の体験から、自分の判断を
>したまでです。ユビキタスさんのように、管長を盲信したり、盲不信したり

あなたの体験や判断をここで主張しても、無駄な努力です。
なぜなら、信者ですら準シュダオンさんの体験や判断など信じていない。
糖尿病から脳梗塞を発症したのを、「総本殿からの白銀バイブを無料で
受信できた、オレ様はほとんど預流だ」と自惚れるようなあなたの体験など
信用どころか、検証にすら値しない。
桐山さんがニューヨークでビルが崩壊する幻影を見て、それをチラシで
例祭で配ったなんて「体験談」もデタラメもいいところだった。
書くたびに配布した時期や話の内容も違っていた。
前にそれらを比較してあげて、あなたの記憶がいかにデタラメかを示した。
なにせ、自分が書いたことすらも数週間で忘れて、また同じことを書き始めるのが
準シュダオンさんの記憶力です。
こんなあなたの記憶力を見たら、批判側であるか擁護側かなど関係なく、
あなたの体験談や判断なんて誰が信じるか。

811深山:2010/03/29(月) 12:40:33 ID:rN3GKEN60
>>805 :準シュダオン:2010/03/29(月) 10:04:06 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさん、私のは誤魔化しでなく、自分の体験から、自分の判断を
>したまでです。ユビキタスさんのように、管長を盲信したり、盲不信したり

せめてあなたがまじめに修行をしている信者なら、信者側からは
共感くらいは得られるだろうが、例祭すらろくに行っていない。
護摩木もろくに書かず、星まつりも行っていないのでしょう。
あなたの信者としての体験はむしろ、アゴン宗は何の力もないという証明です。
あなたは昔はかなりマジメに修行していた。
だから、伝法会も護摩法まで受講したのでしょう。
だがいくら桐山さんの指示に従っても、他の信者や元信者と同じで、何の効果もなかった。
因縁切りの行を始めて十年目には糖尿病になった。
あなたのその無責任で自己顕示欲ばかり強い態度だから、仕事もうまくいかなった。
だが、退職前後にうまく今の仕事をゲットして、権限の上にあぐらをかき、
ろくな仕事をしなくても、給与と年金でのんびり暮らせる身分になった。
それで満足すればいいものを、生来の自惚れ癖が頭をもたげて、シュダオンゴッコを始めた。
自惚れが強いから、自分の自慢の元にしてきたアゴン宗の擁護にも
ならないような内容を書き続けている。

812深山:2010/03/29(月) 12:43:27 ID:rN3GKEN60
>>805 :準シュダオン:2010/03/29(月) 10:04:06 ID:agsP6ENM0

あなたは2ちゃんねるがが始まった当初からいたようですね。
本格的デビューはこのスレの前世からだが、その以後7年以上にわたり、
何か一つでもアゴン宗を擁護できましたか。
何にもない。
あるのは、あなたの思いこみでできた体験と、自惚れを元にした判断とやらです。
7年前の「眠りネコ」時代から、擁護内容には何の進歩も変化もない。
変わったのは、脳梗塞から記憶力が著しく欠落しはじめたことくらいです。
何一つ桐山アゴン宗を客観的に擁護などできなかった。
あなたの様子を見て、おかげで、読者はいくつも学んだ。

1.アゴン宗を20年以上信仰しても何のプラスの効果もない。
2.アゴン宗を信仰すると自惚れや侮蔑心ばかり強くなるなどマイナスの効果は絶大である。
3.アゴン宗を擁護するには体験など主観によるものしかなく、客観的な根拠はない。

813深山:2010/03/29(月) 12:48:50 ID:rN3GKEN60
>>805 :準シュダオン:2010/03/29(月) 10:04:06 ID:agsP6ENM0
>したまでです。ユビキタスさんのように、管長を盲信したり、盲不信したり

準シュダオンさんは二十年以上の信者で、本人の自己申告によれば
限りなく、預流に近いそうだ。
そんなお偉い方が、議論に詰まると、相手の書き込みを無視し、人を小馬鹿に
したような態度や、上から目線をとり、何度注意されてもやめられない。
桐山さんが認めてもいないのに総本殿から白銀バイブを受信したと自惚れる。
つまり、桐山アゴン宗など実のところ、あなたは信じておらず、
ただ自分の自惚れを満足されるために、利用しているだけです。
だから、あなたの、管長を盲信もしないし、盲不信もしないという言葉は
そのとおりで、桐山さんを自分の自惚れを満たすために利用しているだけです。
ここで書き込んでいるのは、桐山アゴン宗を擁護しているのではなく、
あなたの自惚れの土台を擁護しているだけです。
実のところアゴン宗などどうでもいいから、護摩木も書かないし例祭にも行かない。
なにせ、それらに何の効果もないことはあなたの「体験」によって実証されている。
そんなくだらない物に金や時間をいまさら浪費するつもりはない。
それよりも、ここに来て、おれは預流向だと威張って、「○○君」などど
上から目線でお説教を垂れているほうがよほどあなたの慢心を満たしてくれる。
あなたは記憶力が減退しているから、過去の議論も、
自分の主張を否定されたことも記憶から脱落している。
過去の議論など無視して同じことを書き続けているだけなのに、初めて
書いた素晴らしい内容であるかのように思いこんでいるから、自慢気に書く。
これがまもなく三十年になろうというアゴン宗の信者の結果であり、ナレノハテです。

814深山:2010/03/29(月) 12:52:07 ID:rN3GKEN60
>>805 :準シュダオン:2010/03/29(月) 10:04:06 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさん、私のは誤魔化しでなく、自分の体験から、自分の判断を

あなたは信者たちが迷わないようにと自分の体験を書くという。
だが、そんなのは嘘です。
あなたの目的は、桐山アゴン宗でも信者でもなく、あなた自身の自惚れの垂れ流しです。
アゴン宗で投資しても何一つ得られなかった。
例祭にも行かず、護摩木も書かないのは当然で、そんなものは何の効果もないことは
過去のあなたの「体験」で知っているからです。
だが、ここに来て、シュダオンゴッコをすると、とても気分がいいのでしょう?
あなたは仕事など現実世界ではまともに相手してくれる人がいないからです。
信者ですら、前につきあいのあった人たちは去ってしまった。
アゴン宗ですらあなたを相手にしていない。
自惚ればかり強く、無責任な態度と、自己弁護ばかりしていたら、嫌われて当然です。
だが、ここに来ると正面から相手してくれて、あなたは預流向だと威張っていられる。
しかも、何も得られなかったアゴン宗からも無料で白銀バイブを手にいれた。

815深山:2010/03/29(月) 12:58:31 ID:rN3GKEN60
>>805 :準シュダオン:2010/03/29(月) 10:04:06 ID:agsP6ENM0

ここ5〜6年、あなたにとっては絶頂期ですよね。
オモチャを手に入れた子供みたいにはしゃぎ、
「ヲレ様はこんなすごいものを手に入れたのに、批判側は何も手にいれていない」と
批判側がバカに見えて仕方ない。
それが何度注意されても上から目線をやめられない理由です。
だが、その絶頂感は、あなたの思いこみと違い、単に脳が老化して、
妄想がひどくなっているだけです。
このスレでのあなたの存在はうっとうしいが、実はとても大事だと思っている。
それは桐山さんの宗教を小型化して見せている点です。
たとえば、脳梗塞を白銀バイブだと思いこんだ点や、それで聖者になったと
自惚れる点など、あなたが桐山さんを真似たとはいえ、実際にやってみせた。
桐山さんは脳梗塞になっても、まだ食生活を変えらないように、
あなたも脳梗塞になっても、まだ酒がやめられない。
酒がやめられないということは、飽食もやめられないのでしょう?
年寄りの食習慣を変えるのは不可能と言われるほどです。
脳が老化しているから、理性で食欲を押さえることができず、従来の食習慣のままでいるから、
さらに脳が老化して理性が崩壊するという悪循環から出られない。
桐山さんもあなたも年齢や外見が老人だといだけではなく、食生活が原因で脳が老化し、
その原因を変えないから、もっと脳が老化が進むというサンプルです。
その脳の老化こそが、桐山さんのブッダ宣言、準シュダオンさんの預流向宣言をもたらした。
あなたは桐山さんと同じ妄想道をたどっているという点でとても便利な存在です。

816深山:2010/03/29(月) 13:02:02 ID:rN3GKEN60
>>805 :準シュダオン:2010/03/29(月) 10:04:06 ID:agsP6ENM0

桐山さんもあなたも仏教を信仰したいのではなく、自己顕示欲を満足させるために
仏教を道具に使っているという点も強い共通性がある。
釈尊も阿含経もあなた方には内容なんかどうでもよく、
内容を知りたいのではなく、自分の欲望を満足させる道具にすぎない。
だから、どんなに「そんなことは阿含経にはない」と言われても、
全然気にしない、というよりも、気にならない。
このスレに来た信者の反応を見ると、それがよくわかる。
桐山さんの嘘を並べられて、ショックを受ける信者と、
あなたみたいに、蛙の面に水という信者とに分かれる。
それを見ると、その信者が何のために信仰を求めたのか、何を信仰して来たか、
よくわかる。
桐山さんの嘘に超鈍感なあなたみたいな信者は、桐山さんと同じで、
釈尊が何を説いたかなんて実はどうでもよく、
自分の欲得を満たすのにどれだけ使えるかしか興味がない。
この点であなたは桐山さんよりも正直で、煩悩解脱しか説かない釈迦なんか興味ないと
はっきりと自分の欲望の深さと信仰の浅さを表明している。

817深山:2010/03/29(月) 13:14:18 ID:rN3GKEN60
>>806 :準シュダオン:2010/03/29(月) 11:46:11 ID:agsP6ENM0
>だから、最初は我利の信仰でよろしいのです。

桐山さんは我利の行から入って、今でも我利のままですよね。
彼が誰に何の利益を与えたのだ?
嘘の仏教を本物だと売り、超能力を獲得できるかのように
宣伝して、人の金と時間を取り上げた。
それもこれも彼自身がエラクなるためのものです。
百万人の巨大教団の教祖として君臨して、エラクなりたいという
我利というよりも私利私欲のために彼は仏教を利用した。
しかも、五十年間、その姿勢は何も変わっていない。
だから、89歳にもなってから愛人問題が発覚した。
教義上の問題ならまだいい。
愛人問題です。
品性を疑いたくなるような下半身の問題を人々にさらした。
それも私利私欲、我利我欲のために釈尊や仏教を利用してきたからです。

818深山:2010/03/29(月) 13:23:19 ID:rN3GKEN60
>>806 :準シュダオン:2010/03/29(月) 11:46:11 ID:agsP6ENM0
>だから、最初は我利の信仰でよろしいのです。

桐山さんの宗教家として利他といえるような成果はどこにあるのだ?
準シュダオンさんのような妄想癖のある信者の育成には貢献があった。
その最大の成果は麻原彰晃でしょう。
福永法源もアゴン宗を参考した。
結局、桐山さんの社会に直接影響した成果と言えば、詐欺宗教、オカルト宗教、
霊感商法のビジネスモデルを作り、麻原や福永など愛弟子を育てたことです。
他に何もない。
あるというなら、出してみなさい。
阿含経を世に広めた?
阿含経は最初から世にあったし、近代で最初に阿含経を採用し、
阿含経の布教に努めたのは友松師です。
新興宗教で阿含経を最初に採用したのは立正佼成会です。
桐山さんが阿含経でしたことと言えば、まるで釈尊が因縁解脱を説いたかのように、
護摩を認めたかのようなインチキを広めただけです。
大変な誤解を社会に与えたとんでもない宗教家です。
桐山さんも準シュダオンさんも、最初から今にいたるまでエラクなるため、
自己顕示欲という我利や私利私欲のために仏教を利用しているにすぎない。
だから、桐山さんは銀狐に、準シュダオンさんはメタボの古狸になった。

819ラシン:2010/03/29(月) 17:32:48 ID:q4iXIS7Y0

>>807の週刊文春記事は、アゴンHPによれば3/17日号と
なっているが、3/25日号は記憶違いであれば失礼申し上げます。
また桐山さんは、ここでも星まつり参拝客45万人だと?
以前にも深山さんが疑問視し指摘していましたが、
大型バス60人定員にしても延べにして7500車両が必要です。
路線バスや観光バスを併せても、一車両あたり往復する稼動回数を
平均10回でも、750台が必要ですからバスだけではありえない。
日本一の参拝客を誇る明治神宮でも一日平均100万人です。
それも深夜0時からのフル24時間の平均で、アクセスもJR原宿や
私鉄が4駅もあり、バスと電車では運搬可能な人員が極端差がある。
規模も参道から境内の広さからみても、北花山は明治神宮の比には
総合的に値しない。
1990年頃の盛況期ですら精々5万〜限度10万人だと思います。
あの幅員の狭い山道の行き交いで、ものすごい人数だと錯覚する。

820ラシン:2010/03/29(月) 18:20:54 ID:q4iXIS7Y0
>>806 :準シュダオン
>それなら黙って、さっさと、ボランテァ活動でもしなさい、と言いたいね。

アゴン宗は、宗教の社会活動の必要性を唱えている。
それってボランテァ活動です、一応はね、、、。
しかしよくみると、やたら基金設立や財団化しています。
昔、総会屋がよく使う常套手段なんですよね。
その設立時期は公益を主体とした非営利目的の条件下でした。
今は改定され、必ずしも公益性を目的としなくても認可さるるようです。
基金はその運用益で運営されます、いわゆる投資行為がなされている。
財団は、一般からも寄付を募ることが出来るし、その領収は原則一定額までは
無税ですから、裏金を作りやすい。
そこに不正経理が発生しやすいから、昔は財団設立者の社会的信用性の
重きを問われたものです。
では浄財を原資としたそれら財団運営の経理が、信者さんに明示されているか?
いいえ、すべて事後報告ですいや自慢報告です。
ファンドでの運用益のプラマイはどうなのかも分からない。
他国への寄付なども詳細が分からないから中抜きされても、
その正不正すら確かめようもない。
普通、福祉施設はそのような方法を取りませんよ。
精々が、社福法人を申請し助成金の交付を期待するだけです。
そう考えればアゴン宗の社会活動じたいが疑問される状況です。

821ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/29(月) 23:53:57 ID:SmEF4Oe2O
>>805:準シュダオン10/03/29(月) 10:04:06 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさん、私のは誤魔化しでなく、自分の体験から、自分の判断を
>したまでです。

その体験がどうしてアゴン宗の擁護になり得ようか?
こちらの反論はあなたに御利益の体験があろうとも、釈尊はそんな御利益に依存
することを否定していると主張しているのです。御利益があろうが感じようが
あなたの勝手だが、御利益のあるなしなんて論点でさえないのです。

>「商売繁盛」の護摩木にしても、大損したら、護摩木もあてに
>ならんわい、大金払って損したわい、と思うのが普通でしょう。

つまり自分よりもアゴン宗に都合のよいように話を逸らしているだけのことです。
普通ならばプラスの体験を具体的にいくつも書く。そんな中でマイナスの体験も
あったことも示して考察を語るのならまだそれなりの説得力みたいなものもある
かもしれない。しかし祈願しても損をした体験だけ書いてそれを都合よく美化
されたって何の説得力にもなりやしない。

822ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/30(火) 00:21:27 ID:SmEF4Oe2O
>>806:準シュダオン10/03/29(月) 11:46:11 ID:agsP6ENM0
>お釈迦さまだとて、最初から利他行を始めたのではない、ですね。
>自分の四苦八苦を解決するために、出家したのです。
>で、修行が進むにつれて、利他心が生じたわけですね。

ここまではまあよい。しかし、

>だから、最初は我利の信仰でよろしいのです。

何でこうなるのか???
だから昔も書いたように自利と我利を履き違えているのです。
釈尊もまた自らの苦悩を解決する為に道を求めた。衆生済度なんて考えてもいない。
しかし四苦八苦の解決を求めたが、それでどういう解決法に至ったと言うのですか?
護摩でも焚いて少しでも四苦八苦がなくなることを祈願したのですか?
ほら?釈尊なんか出してもまたまたピンボケだ。
桐山さんの発言なんかに用はないんだよ。
桐山さんが言えば何でも正しいと思っているのか?
釈尊の自利とは苦の根本原因たる煩悩を滅し菩提に至ること です。
どこにも祈願なんて出てこない。
苦しくなくなるように祈願することがますます苦悩を増すことを悟っているのです。
そして利他とはこの菩提の道を他に教導することです。
あんたも護摩に祈願しなさいなんて話ではない。
それは悪魔のささやきです。
桐山さんだって我のつくものさ否定しています。
我見を排せ。我流はいかん。我を出してはいかん。我とは因縁だと。
だから我利我利亡者の我利なんて用語を否定する。自分のことはさておき建前として。
だからあくまでも利他とセットになるのは自利です。
自ずと利他の心が生じてくる・・なんかよさそうですね。
だったら最初からその邪魔っけになる我利祈願なんてしてはいけません。
余計なことをしてはいけません。普通に生きなさい。

>最初から利他のための信仰なんて、わたしゃ、理解できないね。
>それなら黙って、さっさと、ボランテァ活動でもしなさい、と言いたいね。

ボランティアをするのに自分の得になることを考える人などいないからです。
自分が何か儲けたことにならない限り善事なんてするもんかというのもなかなか
情けない人で、思わず世間に晒してあげたくなります。

823ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/03/30(火) 00:43:58 ID:SmEF4Oe2O
>>787:準シュダオン10/03/28(日) 14:45:52 ID:agsP6ENM0
>まぁ、あまり真面目に神仏の加護なんか話すと、世間では笑われますね。

ええ、私らが無理に突っ込まなくたって十分に物笑いの種になっていると思います。
そういう意味では放置しておいてあげた方がこちらも都合がよいかもしれない。
ここまでひどかったか?情けなかったか?ミジメだったか?とアゴン宗のお仲間も
さぞかし肩身の狭い気がしてるだろうと同情もしてあげたい。
しかし準シュダオンさんの書き込みを読むにつけ、自分らのやってることは
なんか恥ずかしいほどにレベルの低いことだと気付いてほしいです。
だからこれからもどんどん書いてください。

>お釈迦さまの遊行には、常に精霊や天界の神々が、付き添っている、とも
>考えられます。そして、釈迦に布施供養した人達を、その精霊や神々が、
>見ているのです。で、天界の法則として、聖者に布施供養した者には、
>必ず果報が与えられる仕組みになっている。
>で、布施供養したギャンブル狂の貧者には、「ギャンブルは負ける確率
>高くて、必ず損する」と、言うような情報が届くように、精霊やら神々から
>手配されるのです。

やはり人に見られることを意識しているわけですね。
点数稼ぎなわけだ。
だから取引信仰というのです。
中国の庚申信仰を思い出しました。
60日に1回の庚申の日になると人間の体内に棲む三尸という虫が寝ている間に
身体から脱け出し、天帝にその人の行状をあらいざらい報告するのだと。
だから普段からろくでもないことしてる人はその日の晩は眠らずに夜を通して
飲み食い語り合うのがかの地の庚申祭なんだそうだ。
人の目を意識した点数稼ぎ。見られているから祈願もする。
そのためにいい子ぶる。

824準シュダオン:2010/03/30(火) 10:33:20 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさん、取引信仰なんて、最初から、あり得ないのです。
取引なんて、両者の合意があって、はじめて成立するのですからね。
だいたい、仏様の署名もハンコも無いわけですから、取引なんぞ、成立する
わけがないw。管長が取引信仰云々なんて、関係ないよw。

阿含経で釈迦が「聖者僧に布施供養した者には大いなる果報がある」と、
在家に説いてるのは事実です。但し、邪心から布施供養しても、効果は
ないと思われます。

また、アゴンマガジンの本年1月号には、管長法話アーカイブとして、
四心六開が解説されています。「欲を無くせ」と説いています。
しかし、この欲とは、我利我利欲、悪欲、邪欲のことですね。
持つべき健全な欲は、持たねばいけないのです。管長はそう説いてます。
「桐山靖雄心のしおり」P36〜37には、欲について説かれています。
「なまざとりは、欲をなくせという。」と、ありますね。
「大日教では欲望を浄化せよ、というのです。」と、あります。
欲望の浄化とは何か?
批判派の皆さんは、このあたりを考えていないし、理解できていませんね。

825準シュダオン:2010/03/30(火) 10:38:12 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさん、自利も我利も同じ意味ですよ。
屁理屈はいかんね。
自分と言っても、我(われ)と言っても、同じことです、自己のことです。

826準シュダオン:2010/03/30(火) 11:22:01 ID:agsP6ENM0
私は自分の体験をレスしてるのであって、それが阿含宗の擁護になるのか、
批判になるのか、なんて考えてませんよ。
ご利益なんぞに依存するなと、何処で釈迦は説いてますか?ユビさん。
わたしはそういう経典は読んだことがないね。
逆に、「幸福(利益も似たようなもの)に由って仏の道を成じる」との
釈迦の言葉なら読んだことがありますw。

批判派の皆さんは、欲をよく考えてませんね。
管長は、「欲を全く無くした人は、カスみたいな人になる」と、どこかで
話されてますね。そのとおりでしょうね。
「五無主義」人間になってしまいますよ。
無気力、無責任、無関心、無感動、そして人にろくな挨拶も出来ない、無礼儀
を合わせて、五無主義人間です。

でしょう?良い人間関係を持とう、というような健全な欲まで無くすから、
ろくな挨拶も出来ない人間になるのです。

「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はない」とか、誰かが
言ったけど、逆も真で、「個人の幸福がなければ、世界の幸福もない」ね。
て、ことは、「自分の幸福がなければ世界全体の幸福もない」と、いうことに
なって、要はバランス感覚の問題か、と思われますよ。

827名無しさん:2010/03/30(火) 11:25:15 ID:rKmXBaXk0
>>824
>持つべき健全な欲は、持たねばいけないのです。管長はそう説いてます。

ふーん。なるほどねー。
準シュダオンさん、勉強になりました。
ところで、準さんに質問です。

1.名称も内容もありもしない三福道という経典を創作し、これを釈迦直説の経典とする欲は、持つべき健全な欲ですか。
2.真正仏舎利でもないのに、真正仏舎利と詐称してしまう欲は、持つべき健全な欲ですか。
3.アジャリの資格もないのに、密教の大導師と称する欲は、持つべき健全な欲ですか。

どうかご教授をお願いいたします。

828名無しさん:2010/03/30(火) 11:34:32 ID:rKmXBaXk0
>>824
>「大日教では欲望を浄化せよ、というのです。」と、あります。

ふーん。なるほどねー。
準シュダオンさん、勉強になりました。
ところで、準さんに質問です。

1.名称も内容もありもしない三福道という経典を創作し、これを釈迦直説の経典とする欲は、浄化された欲に基づくものですか。
2.真正仏舎利でもないのに、真正仏舎利と詐称してしまう欲は、浄化された欲に基づくものですか。
3.アジャリの資格もないのに、密教の大導師と称する欲は、浄化された欲に基づくものですか。

どうかご教授をお願いいたします。

829うサギ:2010/03/30(火) 11:59:43 ID:UtKVqJLA0
>>721 :準シュダオン:2010/03/24(水) 13:58:49 ID:agsP6ENM0
クイズらしいというだけで、読まずにスルーだから答えようがない。

読むまで待ちました。しかし、読まないんですね。

じゃあ、これもどうせ読まないのだろうから好き勝手書かせてもらいます。
どうせ読まないあなたにどんなことを書いても気がつくわけがない。

>>577それから、わたしの過去レスには拘るんではないよ。ハンドル違う場合の
過去レスはなおさらだよ。そんなレス、ウンコ扱いしてんだからさ。

あなたの文章がわかりにくいので次のようにまとめた。
つまり、あなたの過去レスはウンコ。
HNが違えばなおさらウンコ。
では、ついさっきのレスも今では過去レスだからウンコ。
結論としては、あなたのレスは書き終えた瞬間からウンコ。

>>603の哺乳類のクイズは、あなたが「なおさら」という言葉を
理解しているのか確認するためのものでした。答えはEです。
しかしあなたはスルーした。だからあなたが「なおさら」という言葉を
理解しているのかどうか不明。不明であるかぎりは、
「あなたのレスは書き終えた瞬間からウンコ」という私の結論は妥当です。

>>604の質問には応えるそぶりもありませんね?
医者としての資格もなく、医者に確認したわけでもなく、
知識も根拠もないので、「貧血による幻覚」ではないと言い切れない。

「思念の相承」ではない可能性を否定できないいうことは
あなたが準々シュダオンでさえないという可能性を否定しないということです。

要するに、あなたの言い方を借りれば、あなたは、
「準々々々々々々々シュダオン」であると言われても、
あなたはそれを否定しない。なぜなら事実否定しないのだから。

【まとめ】
@準々シュダオンさんのレスはすべて「ウンコレス」。
A準々シュダオンさんが「思念の相承」をした根拠はない。

【おまけ】
>>624 :うサギ:2010/03/19(金) 13:15:52 ID:UtKVqJLA0
もし今回、何の反応もないならば、準々シュダオンさんは、
自分の都合の悪いことからは逃げ回る負け犬だと認定させていただきます。
それが現実であり事実ですから、文句はありませんよね?

ということですので、準々シュダオンさんは
「負け犬」と認定させていただきます。
「それが現実であり事実ですから、文句はありませんよね?」
と念を押していたはずですから、いまさら、言い訳は通用しませんよ。

どうせ、スルーして読んでないでしょうが、もし、読んでいて
反論があるのでしたらどうぞ。今更遅いですが、何かありますか??

830準シュダオン:2010/03/30(火) 14:13:30 ID:agsP6ENM0
管長が、三善根の語を三福道に改めたのか、あるいは三福道という違訳本が
あるのか、私は知りません。但し、管長が三福道に改めたのなら、それは
良いことだと思うね。なぜなら、三善根の語だと、無貪、無瞋恚、無痴の
ことだと、誤解する人たちが居るからです、現に批判派はそのように経典の
意味を誤解しています。

他の経典で三善根という語が出た場合、謂三善根の語も出て、必ず無貪、
無瞋恚、無痴、の説明も出ています。ところが、三供養品・三善根の場合は、
謂三善根の語も出ていないし、無貪恚痴の説明も出ていません。
ですから、三供養品・三善根の内容は、「功徳の種をうえる修行」だと、
わかりますね。

釈迦がアヌルダの針に糸を通してあげたような行為、あれが「聖衆において
功徳の種をうえる」の手本だと思いますね。
最澄が天皇に「唐へ渡りたい」と願い出た理由をご存知ですね?
「日本の仏教経典は、誤字、脱字が多くて意味がようわからないとこが多い。
 だから唐に渡って実際に経典の原本を見たい」それが理由でしたね。

つまり、これまでも、日本の経典は、高僧に誤字を改められ、脱字は挿入され、
手直しされつつ、現代に到っています。
だから、管長が三善根の語を、三福道に改めたとしても、いっこうに問題はない
し、かえって意味が通りやすくなったと思いますね。
宗祖には、当然、それくらいの資格はあると思います。

831準シュダオン:2010/03/30(火) 14:31:14 ID:agsP6ENM0
真正仏舎利というのは、授与するスリランカ大統領がそういうのだから、
しょうがないw。真正仏舎利だと主張する欲は、正直でありたい、という
当然持つべき、健全な欲ですね。それを嘘だと信じるのは、邪心だと思わ
れ、スリランカ大統領に失礼なことだと思いますね。

一宗を立てた宗祖に、アジャリの資格問題を言うのはおかしな話で、
一宗を立てたからには、アジャリの資格を与える側になった、と
いうことです。密教の大大導師と名乗る欲は、多くのアジャリを育てたい、
という釈迦如来の六法と同じく、当然持つべき健全な欲、だと思いますね。

832準シュダオン:2010/03/30(火) 15:16:22 ID:agsP6ENM0
うサギさんのレス、ウンコの文字が多いね。
私がウンコレスと言ったとて、いくらなんでも、書いた瞬間からウンコレス
にはならないさw。新しいレスが出た時点で、過去レスはウンコレスだよ。
過去レスにも、例外があって、真理を含んでいるレスはウンコにならないよ。
それ以外の、すべての過去レスは、ウンチレスだよ。

うサギさんには、まだ理解は無理だと思うけど、古くても真理はウンコになら
ない訳を記して見よう。次の道元の教え(和讃)ですよ。
面倒だから、確かめずに記憶だけでレスするね、細かい間違いは気にしない
こと。次の「 」内が道元の教えだね。

「仏を習うとは自己を習うことなり・・・・星はめぐりて時うつり、暮らし
のすべは変われども、変わらぬ教え今もなお、人に示して新たなり。」

どや?すばらしく良い詩だろう?
これは「永遠に真理は新しい!」という教えだろうね。
こういう教えだけは、ウンコにならない訳だね。
もし、うサギさんが、この道元の和讃を全部理解できたら、今度は私が
教えて貰いたいもんだね。

833名無しさん:2010/03/30(火) 15:25:16 ID:rKmXBaXk0
>>830-831
準シュダオンさん、ありがとうございます。
そのレスは、>>827-828へのものだと思いますが、
三福道や自称真正仏舎利の中身ついて訪ねたのでなく、
健全な欲なのか、浄化された欲に基づくものなのかを
お訪ねしたのですが。

即答できますよね。

834名無しさん:2010/03/30(火) 20:20:00 ID:9sYmIUls0
>>832
準々シュダオンさんは、自分のレスに自分で反論していることに気がついていますか?
あなたは下記のように自分で書いていたのですがお忘れですよね?

>>577それから、わたしの過去レスには拘るんではないよ。ハンドル違う場合の
過去レスはなおさらだよ。そんなレス、ウンコ扱いしてんだからさ。

あなたが>>577のように書いたから、では、あなたの過去レスはすべて
ウンコ(ウンチ?)なんですね、とまとめてあげただけです。

むしろあなたは、過去レスがどうのこうのと説明するよりも、
3歩歩いたらすべて忘れるので自分の過去レスに責任が取れないと
正直に宣言してしまうほうがいいのでは? 
だってそれが事実であり現実なんでしょ?
いろいろ言い訳を並べるよりずっと楽になりますよ?

>>832うサギさんには、まだ理解は無理だと思うけど、

あなたは、自分自身の過去レスの整合性のなさを
理解するのはあなた自身では無理だと思いますか?
と聞かれたら「はい」と応えますか?

以上、また簡単な質問です。
回答形式は「はい」か「いいえ」の2つのうちの1つです。
もちろんそのくらいわかってますよね?

835深山:2010/03/30(火) 20:30:19 ID:3JqFz9SE0
>>824 :準シュダオン:2010/03/30(火) 10:33:20 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさん、取引信仰なんて、最初から、あり得ないのです。
>取引なんて、両者の合意があって、はじめて成立するのですからね。

だんだん言葉に詰まり、言葉尻をとらえるようになった。
アゴン宗は立派にあなたのいう「両者の合意」がありますよ。
オシャカに人と金を貢げば、見返りに、前世の悪業である悪因縁を切り、
好運という御利益を授けると言っている。
これに同意した者が信者としてオシャカに人と金を貢いだのです。
アゴン宗のオシャカと信者は、提供するものと見返りとを最初から合意している。
だから、アゴン宗は立派な取引信仰です。
しかし、釈尊はそんな取引はいっさい示していない。
煩悩をなくす修行を説いただけで、実行するのも、その利益を得るのも本人であって、
釈尊は何もしてくれないし、何も返さない。
供養に対して釈尊が信者の煩悩や因縁を切るなんて説いていない。
だから、釈尊の教法は取引信仰ではないが、
アゴン宗の信仰は取引信仰です。

836深山:2010/03/30(火) 20:33:25 ID:3JqFz9SE0
>>824 :準シュダオン:2010/03/30(火) 10:33:20 ID:agsP6ENM0
>阿含経で釈迦が「聖者僧に布施供養した者には大いなる果報がある」と、
>在家に説いてるのは事実です。但し、邪心から布施供養しても、効果は
>ないと思われます。

何度でも書くが、準シュダオンさんの一行目の、供養に果報があるというのは
批判側は一度も否定したことはないし、間違っていない。
だが、二〜三行目は嘘です。
邪心だろうが、善心だろうが、如来に供養した者には果報があることは、
>>691のコーサラ国の商人の事例がすべてを示している。
彼は、惜しいという気持ちで供養したのです。
だが、果報はちゃんと得られた。
信者さんたちは「皆さんの心がけが良いから、今日は晴れました」なんて
小学校の運動会の時の挨拶を聞いたことがありませんか。
準シュダオンさんの頭って、ああいう子供じみたレベルです。
信者さんたちも、「龍神様のおかげで晴れた」などと言う。
今年のように星まつりで雨が降ると「試練を与えるために雨を降らせた」などと始まる。
神様が物事を決めており、心がけがよいと功徳を授け、悪いと罰をくだすと思っている。
親の支配から抜けられない子供っぽく、原始的な信仰です。
心が自立しておらず、自分で物事を判断して責任を持つのではなく、
神様という絶対的な存在の顔色で判断する。
だが、如来への供養に対する果報は、為した分に応じてかえってくるのが
この世界の法則なのです。
善業には善果、悪業に悪果が来る。
この法則は如来はまったく関係ありません。
邪悪な心を持つという悪業も本人にいずれ返るが、如来に供養したという
善業も本人にいずれ返り、両者は帳消しにはなりません。
準シュダオンさんの嘘です。

837深山:2010/03/30(火) 20:36:25 ID:3JqFz9SE0
>>824 :準シュダオン:2010/03/30(火) 10:33:20 ID:agsP6ENM0
>「大日教では欲望を浄化せよ、というのです。」と、あります。
>欲望の浄化とは何か?

欲望を肯定して、釈尊が禁止した護摩などの加持祈祷までした密教の
大日経を引用してどうするのだ?
桐山さんと同じで、準シュダオンさんてほんとうにその場しのぎですね。
ある時は、批判側の考えは大乗仏教だと批判しながら、
こうやって大日経など持ち出す。
釈尊が認めた欲望は、解脱したいという欲望のみです。
他は生きるに最小限の欲望しか認めていません。
これは教義よりも、実際の釈尊や弟子たちの姿と、実際の桐山さんと比較すればいい。
釈尊に愛人がいたか。
釈尊が飽食で糖尿病になったか。
釈尊がバラモンたちから名誉を授けられて喜んだか。
釈尊が為政者に金品を差し出して媚を売ったか。
釈尊が総本殿のような伽藍を誇り、信者から金を集めたか。
信者さんたちにも、欲望の浄化などと、頭を抽象的な話でごまかす前に、
現実の桐山さんのぬめりつくような欲望をよく見ることです。
これのどこが浄化された欲望なのだ?
俗人の欲望そのままか、むしろ、普通の人よりもはるかに欲望が強い。
信者さんたちは大作さんや麻原彰晃が「欲望の浄化」など説いたら鼻先でせせら笑うでしょう。
だが、それは桐山さんでも同じことです。
いくら経典を持ち出し、口先で偉そうなお説教を垂れても、
現実の桐山さんは大作さんや麻原と同じように世俗の欲望にまみれている。

838深山:2010/03/30(火) 20:43:10 ID:3JqFz9SE0
>>830 :準シュダオン:2010/03/30(火) 14:13:30 ID:agsP6ENM0
>無瞋恚、無痴、の説明も出ています。ところが、三供養品・三善根の場合は、
>謂三善根の語も出ていないし、無貪恚痴の説明も出ていません。
>ですから、三供養品・三善根の内容は、「功徳の種をうえる修行」だと、
>わかりますね。

「謂三善根の語も出ていない」とはどういう意味ですか。
三供養品にはちゃんと三善根という言葉がでてきます。
どさくさに紛れて、とんでもない嘘を書く人だ。
出てこないのは三福道です。
あなたの説では、釈尊は内容を説明していないから、三善根は別な意味だと言いたいらしい。
この件も反論するのは何度目だろう・・また老人介護だ。
三善根とは無貪・無瞋・無癡という意味です。
信者さんたちは>>1から下記のところを読んでください。

「agama考察室」→「阿含宗関連資料掲示HP」→「目で見る阿含宗管長桐山氏の嘘とインチキ」→阿含経の捏造1 三供養品に存在しない“三福道”」

準シュダオンさんの老人の独り言はともかく、信者さんたちに質問したい。
三供養品に出てくる三善根が無貪・無瞋・無癡とは違う意味なら、
では、どうして釈尊はここでその違う意味を説明しないのだ?
三善根は他の経典でも無貪・無瞋・無癡以外の意味に使われたことはありません。
「agama考察室」にも引用したように、岩波仏教辞典にすら、はっきりと、
三善根とは無貪・無瞋・無癡という意味だと書いてある。
つまり、三善根にはたった一つしか意味がないのです。
もしも三供養品で釈尊が三善根を無貪・無瞋・無癡以外の意味に
使ったなら、釈尊が意味を説明しないはずはない。
三供養品でわざわざ意味を説明しなかったのは、
聞いていたアーナンダには当たり前の言葉だったからです。
つまり、三善根を通常の意味で使ったからです。
だから、冒頭で「三善根あり」と、先に結論を示しているのです。
釈尊は冒頭で「無貪・無瞋・無癡がある」と説いたのです。
ちなみに、桐山さんは三善根に二つの意味があるなんて書いていません。
二つの意味があるというのは準シュダオンさんの年寄りのタワゴトです。

839深山:2010/03/30(火) 20:48:01 ID:3JqFz9SE0
>>830 :準シュダオン:2010/03/30(火) 14:13:30 ID:agsP6ENM0
>つまり、これまでも、日本の経典は、高僧に誤字を改められ、脱字は挿入され、
>手直しされつつ、現代に到っています。
>だから、管長が三善根の語を、三福道に改めたとしても、いっこうに問題はない

また同じ事を書いている。
桐山さんは三善根を三福道と改めたのではなく、三善根と三福道と書いた二つの
経典があるとして、両者を本で引用して示しているのです。
せめて桐山さんが書いている事実くらい受け入れたらいいと思うのだが、
妄想老人の暴走は誰もとめられないようだ。
桐山さんは二種類の経典があるかのように見せかけた。
だが、桐山さんが用いたという『國訳一切経』の三供養品の中には
三善根と書いた経典はあっても、三福道という書いた経典などありません。
次のところに『國訳一切経』を実際に示しました。

>>1「agama考察室」→「阿含宗関連資料掲示HP」→「目で見る阿含宗管長桐山氏の嘘とインチキ」
→「阿含経の捏造1 三供養品に存在しない“三福道”」

三供養品にある十個の経典をすべて示しましたから、信者さんたちはよく見てください。
二番目におなじみの三善根の経典はあります。
しかし、同様の経典も、また三福道などと書いた経典もありません。
二つの経典があるかのように桐山さんは見せかけたが、真っ赤な嘘です。
三福道とある三供養品など桐山さんの完全に嘘、捏造です。
アゴン宗の根本といえる経典を捏造したのですよ。
これ一つだけでも桐山さんは大嘘つきの宗教詐欺師だと批判されてもしかたないと思いませんか。

840深山:2010/03/30(火) 20:50:57 ID:3JqFz9SE0
>>831 :準シュダオン:2010/03/30(火) 14:31:14 ID:agsP6ENM0
>真正仏舎利というのは、授与するスリランカ大統領がそういうのだから、
>しょうがないw。真正仏舎利だと主張する欲は、正直でありたい、という

こういう嘘をこの期に及んでよく書きますね。
大統領がいつ真正仏舎利だと言ったのですか。
大統領のメッセージはわかりやすい英語で中学生なら簡単に訳せる。
あの英文のどこに「本物の仏舎利」とあるのだ?
>>1から下記の所に根拠を示しました。

「agama考察室」→「阿含宗関連資料掲示HP」→「目で見る阿含宗管長桐山氏の嘘とインチキ」
→「真正仏舎利の嘘1 大統領が本物であると保証したという嘘」

信者さんたちはこれをよく見てください。
大統領のメッセージにアゴン宗側の和訳もついています。
だが、どこにも本物だなんてありません。
信者さんたちは、準シュダオンさんのように
明らかな嘘をつくのではなく、現実をよく見ることです。
大統領のメッセージにも由来書にも本物だなんてどこにもありません。
桐山さんと準シュダオンさんの嘘です。

841深山:2010/03/30(火) 20:57:10 ID:3JqFz9SE0
>>831 :準シュダオン:2010/03/30(火) 14:31:14 ID:agsP6ENM0
>一宗を立てた宗祖に、アジャリの資格問題を言うのはおかしな話で、
>一宗を立てたからには、アジャリの資格を与える側になった、と

「アゴン宗のアジャリ」と「真言宗のアジャリ」をすり替えてごまかそうという魂胆です。
どうしてこの人こんなに姑息でセコイ老人なのでしょう。
批判側は、「アゴン宗のアジャリ」の資格を問題にしているのではありません。
桐山さんが「真言宗のアジャリ」を名乗ったこと問題にしているのです。
彼の法歴詐称も下記に実筆の証拠があります。

>>1「agama考察室」→「阿含宗関連資料掲示HP」→「目で見る阿含宗管長桐山氏の嘘とインチキ」
→「桐山氏の自筆の履歴書 本人が書いた学歴詐称、僧籍詐称、阿闍梨詐称」

桐山さんがこの履歴書で書いたアジャリとは真言宗のアジャリです。
履歴書を書いたのは慈恵会時代だから、アゴン宗のアジャリであるはずがない。
だが、授与したと言われた北野師も、立会人の証明師も二人とも否定しています。
二人が否定しても、何か証明となるものを出せばいい。
だが、桐山さんはこれを出したことはありません。
桐山さんは「真言宗の偽アジャリ」です。
教祖も嘘つきなら、信者の準シュダオンさんも見事なまでに嘘つきです。
嘘だらけの教祖を擁護していれば、嘘をつくしかなくなる。
信者さんたちもこんなふうになりたいのですか。
釈尊が在家にも定めた五戒の一つは「嘘をつくな」です。
世俗の世界で嘘をまるっきりつかないという訳にはいかない。
だが、桐山さんや準シュダオンさんみたいに、信仰の世界でまで嘘をつきまくるなら、
いったい何のための仏教信仰なのだ?

842天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/31(水) 06:29:45 ID:gG4luN1.0
早速agama考察室の箇所を拝見しましたが、素晴らしいですね。パーフェクトに近い掲示ではないでしょうか。
これだけの資料がまとめられていて読み易く構成されているので、2chの膨大な過去資料と並ぶ、いやそれ以上
の威力と効果が有ると推察いたします。

そのHPを見ますと如何にゲイカが嘘や捏造を平気で行っているか。また信者も世間の人たちも気が付かないうちに
桐山氏のトリックに騙されてしまうかが分かります。

やはりこのように証拠物を出して比較検証・論証されるのは重要なことであり、単なるやっかみや憶測で物を言って
ないということにもなります。整合性・信憑性の高い記事であることは確かです。
準さんの出された意見も霞むというものです。

843天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/31(水) 06:33:28 ID:gG4luN1.0
ユビさんへ。

以前の私の「言い過ぎではないか」といった件、撤回いたします。
私のほうが言いすぎでした。申し訳ございません。
今後とも変わらぬご意見、お願いいたします。

844無関係な人間です:2010/03/31(水) 11:33:19 ID:y.5kS6/Y0
文芸春秋」78年3月号 「袴田除名の衝撃」立花隆 P156

 「いったんウソの上に城を築いてしまったものは、真実に攻め寄せられると、ウソの上にウソを積み重ねて
ウソの城壁を厚くすることによってしか防ぎようがなくなるのである。そして、やがて、自分のつくウソ
を十分に吟味する余裕がなくなって、なりふりかまわず手当たり次第にすぐばれるウソでもよいから
あらんかぎりのウソをつきまくって相手を中傷し、中傷の物量攻撃で相手を打倒しょうとするのである。」

 これは、スパイ査問事件での日本共産党と立花隆氏との論争の最中に書かれた文章の一部。
桐山氏や阿含宗について書かれたものではりません。ただ、ふと思い出したので、書きました。
関係のない話をかいて、すみません。

845ラシン:2010/03/31(水) 12:28:12 ID:q4iXIS7Y0
>824 :準シュダオン:2010/03/30(火) 10:33:20 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさん、取引信仰なんて、最初から、あり得ないのです。
取引なんて、両者の合意があって、はじめて成立するのですからね。
だいたい、仏様の署名もハンコも無いわけですから、取引なんぞ、成立する
わけがないw。管長が取引信仰云々なんて、関係ないよw。

その通り!釈尊は取引信仰など認めていませんし、
バラモンに教説した後の見返りの布施を拒否している。
説法と布施を結び付けないから取引は成立せず且つ否定されている。
しかし、あなたの取引契約の解釈では理由にならんよ。
口頭による契約でも取引が成立するのは、常識ですよ。
釈尊が取引など約束していないのに、桐山代理人は約束している。
それを批判しているのに、あなたは、何をすっ呆けている?

>「桐山靖雄心のしおり」P36〜37には、欲について説かれています。
「なまざとりは、欲をなくせという。」と、ありますね。
「大日教では欲望を浄化せよ、というのです。」と、あります。
欲望の浄化とは何か?

欲望の浄化とは、欲を直裁に否定せずむしろ欲を肯定し受領し、
清らかな欲に変換することで生活習慣病を肯定することですよね?
どうだ? 理解できているだろ?
だがそれって、
お釈迦の代理人である桐山さんの耳聞こえが良い屁理屈です。
阿含経で、欲の浄化運動など聞いたことがない。

846ラシン:2010/03/31(水) 12:35:24 ID:q4iXIS7Y0
>826 :準シュダオン:2010/03/30(火) 11:22:01 ID:agsP6ENM0
私は自分の体験をレスしてるのであって、それが阿含宗の擁護になるのか、
批判になるのか、なんて考えてませんよ。

知ってますよ、あなたが自慢したいだけです。

>ご利益なんぞに依存するなと、何処で釈迦は説いてますか?ユビさん。
わたしはそういう経典は読んだことがないね。
逆に、「幸福(利益も似たようなもの)に由って仏の道を成じる」との
釈迦の言葉なら読んだことがありますw。

釈尊が言う利益とは解脱を得ることです。
すべてのお経にある共通事項は煩悩を捨てよと言うのだから、
世俗の利益に依存してよいなんて解釈じたい成り立たない。
また、仏教での幸福も利益も解脱や涅槃を指している。
我欲で解釈するから、すべて言葉の意味が物欲をあらわすことになる。

>無気力、無責任、無関心、無感動、そして人にろくな挨拶も出来ない、無礼儀
を合わせて、五無主義人間です。
>でしょう?良い人間関係を持とう、というような健全な欲まで無くすから、
ろくな挨拶も出来ない人間になるのです。

幼い頃に普通に躾けされ、社会に出て常識を学べばよいだけです。
それをどうして宗教に頼るのだ?
あなたの解釈は真逆です、だからその五無主義人間を披瀝しているのです。
我欲という自説に執着するから、自署押印がなければ取引成立しない、
などと社会通念を逸脱することになる。
だからあなたは”無恥”を加えた六無主義人間です。
その一番の見本が桐山さんでしょう?
桐山さんは肝心の社会道徳すら無関心、自己の利益以外には五無主義です。
その結果が、宗教を詐欺を働くだけで弟子一人も育っていないだろ?

847うサギ:2010/03/31(水) 13:15:12 ID:9sYmIUls0
レス>>834は、私「うサギ」です。
パソコンが違うので自動的にHNが入りませんでした。
では、準々シュダオンさん、回答よろしくお願いします。

848準シュダオン:2010/03/31(水) 13:19:42 ID:agsP6ENM0
私は前に、神仏の加護を言うと、世間に笑われる、とレスしたが、別に加護
を否定してるのではないよ。神仏の加護を受けてる人は居ると思うね。
加護を笑う人もいれば、真面目に加護を願う人もいる、それが世間だね。

次の詩は、比叡山で最澄が詠んだものですよ。

「アノクタラサンミャク三菩提の仏たち、わが立つ杣に 冥加あらせ給へ」

冥加とは神仏の加護のことですね。わが立つ杣(そま)とは、比叡山の自分の
居る所でしょう。つまりこの詩は、自分(最長)に仏の加護がありますように、
と、願った詩ですね。
このように、最澄様でさえも、仏の加護を願っていたのですから、凡夫が仏の
加護を願っても、当然のことでしょう。

849天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/31(水) 14:19:20 ID:BlosCJfc0
>>844 無関係さん、関係のない話ではないですよ。大いに関係が有ります。
(関係というよりも関連、のほうが適切なのかもしれないですが)

一般的にも良く聞く言葉ですよね。嘘をついたらその嘘を通すためには
嘘をつき続けるか、または嘘を詫びるしか手が無い。
ですが、謝罪する気が無い・したくない場合はその嘘を通すしかない。
そこで、いくらボロがでてもあらんかぎりの嘘をつきまくってゆく・・・
そういうものが本当にありますよね。

ちょっと前に円天の社長の報道がTVでありましたが、あれを見ていると
本当にこれとはちょっと違うんですが、アゴンを見せられているようで
嫌になりますね。

円天の社長は「本気で思っているのか、それとも嘘を付くしかない」から
ああやって発言しているのかが分かりませんが、醜態この上ないです。
もしも、本気で思っているのなら、精神鑑定が必要でしょうね。
逆に、嘘のための発言なら、これほどの悪党はいないですね。

桐山氏はどのような状態かは分かりませんが、私は嘘をわかって通している
ような気がします。
深山さんの示された「agama考察室」での箇所を見れば特にそういうのを感じます。
あれは、本当に意図が無ければできないと思うからです。完全に捏造です。

確かに桐山氏は思い込みの激しい性格というのもあります。
しかしながら、全て自分の創作というのならああいうパクリはしないものです。
自分で作り上げて詐欺を働くものです。それがよそからパクるというのは
平気で人を騙そうとか、はめようとしている意図が多いからです。

850天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/03/31(水) 14:19:44 ID:BlosCJfc0
また、信者も信者です。
教祖の嘘や欺瞞を理解せず、「教祖や教団の悪口を言っている」と擁護する。
きちんと検証もせず、自分と自分の信じるものを責めるものは一切受け付けない、という
エゴが自身を狂わせている、というのに気が付きません。

ですから、教祖のトンデモ論を支持し、それの整合性が無いのに気が付かず、逆に
「それこそが真実だ」と間違っているほうの肩を持ってしまう。
そして、その末にトンデモ論を展開し、認めさせようと躍起になる。

無関係さんのようにアゴンの信仰に入ってない第三者の立場で見ても「何じゃこれ?」と
言うものばかり説いている方がいますでしょう?
退会して分かりましたが、こういう情けない信者がいるのが実情なんです。

嘘をついて固めた教義など、もう通用しない状態に入ってきています。
実際、桐山氏の本はブックオフでも買取できない値段ランクです。
販売してもほとんどが¥105のコーナーに有るか、取り扱わない支店もあります。
まして、新品の本を扱う書店ではほとんど扱っていない状態です。

ネットの世界でもどんどん発展してきて、アゴン宗の嘘が暴露されてきています。
いつまでも嘘をついてそれを通せる世の中ではなくなって来たのです。
まして、いまやネットは週刊誌や新聞と肩を並べる・・・いや、それ以上の影響が
でてきているのではないのでしょうか。

無関係さんの出された言葉は、決して関係のないものではないと私は捉えています。

851ラシン:2010/03/31(水) 17:23:10 ID:q4iXIS7Y0
>848 :準シュダオン
>このように、最澄様でさえも、仏の加護を願っていたのですから、凡夫が仏の
加護を願っても、当然のことでしょう。

今度は天台宗に入信したか?
自説を強弁するためには悪魔にも魂を売るに等しい。
桐山さんが最澄を認めたか?否、認めていないよね。
空海を我が師と表現はしたが、最澄は認めていない。

>>844「いったんウソの上に城を築いてしまったものは、真実に攻め寄せられると、
ウソの上にウソを積み重ねてウソの城壁を厚くすることによってしか防ぎようが
なくなるのである。、、、後略」

無関係な人間ですさんの指摘通りに泳いでいるのが、
準シュダオンさんです。
自説補強のためなら、大乗仏教でもイスラム教でも何でもアリ。
ふと気づいたら、オレ様って何宗教の信仰者だ??
なんて自己観察ができないで溺れています。

準シュダオンさんは桐山説を論拠にすべきなのに、何を言っ天台?

852深山:2010/03/31(水) 22:33:34 ID:oFAfbPag0
>>848 :準シュダオン:2010/03/31(水) 13:19:42 ID:agsP6ENM0
>私は前に、神仏の加護を言うと、世間に笑われる、とレスしたが、別に加護
>を否定してるのではないよ。神仏の加護を受けてる人は居ると思うね。

相変わらず自分が議論の中心になっていると錯覚していますね。
最澄なんてアゴン宗では議論の対象ですらない。
ここでの関心や議論の対象はアゴン宗と桐山さんであって、
準シュダオンさんやあなたの宗教観など対象外です。
この点はすでに何年もの間、私はあなたに言い続けている。
他のことは三秒で忘れてもいいから、このことだけはよおく覚えておいてほしい。
なぜなら、批判側だけでなく、信者やアゴン宗にとっても迷惑だからです。
迷惑だなどと、邪魔者扱いの老人にはなりたくないでしょう。
だったら、あなたの宗教観や準シュダオン教ではなく、アゴン宗で
どう言っているのかを主張してください。
これはあなたが批判側からだけでなく信者にも受け入れられる唯一の道です。

853深山:2010/03/31(水) 22:34:36 ID:oFAfbPag0
『修行者座右宝鑑』99頁
「すなわち、真正仏舎利こそが、唯一の、仏陀の聖物なのである。だから、
仏教教団であるからには、「本尊」として、真正仏舎利をおまつりし、こ
れを尊崇するのがほんとうなのである。これこそが、「真実の仏」なのだ。
さきの章で、わたくしは、「法」だけでは十分でない。「仏」がなければ
ダメだといった。仏と法がそろって、ほんとうの仏法となるのだといった。
仏陀の御聖物である真正仏舎利が、本尊として、修行者、信者に力をあ
たえ、御加護くださってはじめて、法が成就するのである。仏陀の加護な
くして、自力だけで成仏法を成就することなど、不可能である。わたくし
の完全解脱も、本尊の加護があってこそ、成就したのである。
虚像の仏が、こういう奇瑞をあらわす道理はない。」

854深山:2010/03/31(水) 22:37:50 ID:oFAfbPag0
>>848 :準シュダオン:2010/03/31(水) 13:19:42 ID:agsP6ENM0
>私は前に、神仏の加護を言うと、世間に笑われる、とレスしたが、別に加護
>を否定してるのではないよ。神仏の加護を受けてる人は居ると思うね。

>>853に引用したように、神仏の加護なくして法が成就することはないというのが、
アゴン宗の教義です。
桐山さんは繰り返し書いています。
だから、世間が笑うかどうかどうでもよく、また、あなたが肯定しようが
否定しようが関係なしに、アゴン宗では神仏の加護は解脱や
信仰上絶対不可欠です。
議論をする時は、こういう桐山さんの主張を引用し、これを踏まえてからにしてください。
上記のような、あなたの個人的な感想文はここでは無用です。

855深山:2010/03/31(水) 22:43:17 ID:oFAfbPag0
>>848 :準シュダオン:2010/03/31(水) 13:19:42 ID:agsP6ENM0
>このように、最澄様でさえも、仏の加護を願っていたのですから、凡夫が仏の
>加護を願っても、当然のことでしょう。

桐山さんは最澄など相手にしていない。
それに桐山さんのいう仏の加護を最澄は得られません。
あなたはこんなこともわからないでアゴン宗を信仰しているのですね。
桐山さんの本にあるように、仏の加護とは、真正仏舎利からいただくのです。
桐山ゲイカが真正仏舎利を本尊としてオシャカの成仏ホーを修すると、
あんら不思議、真正仏舎利からはオシャカの成仏リキが垂れ流れて来て、
信者を加護するというのが桐山説です。
つまり、加護をいただくためには、
条件1.本尊が真正仏舎利であること、
条件2.成仏ホーを体得した導師が修すること、
という二つの条件を満たさないとダメなのです。
桐山さんの加護とはこういう内容です。
だが、最澄はこれらの条件をそもそも知らない。
それも当然で、こんな条件を発明したのは桐山さんだからです。
最澄のいう加護とは、こういう桐山さんの話とは違う。
だから、加護という言葉が同じでも意味や用い方が違うのだから、
アゴン宗を擁護するのに使うのは筋違いです。
もちろん、あなたが最澄の文章を引用して、自分に仏教の知識があるところを
見せて自慢したかったという意図は十分承知している。
だが、あなたの知識の底の浅さと、解釈のデタラメさと、自惚れは
批判側は十分に承知しており、みっともないだけだから、出さないでほしい。

856深山:2010/03/31(水) 22:47:46 ID:oFAfbPag0
>>848 :準シュダオン:2010/03/31(水) 13:19:42 ID:agsP6ENM0
>このように、最澄様でさえも、仏の加護を願っていたのですから、凡夫が仏の
>加護を願っても、当然のことでしょう。

>>853に示したように、桐山さんは仏の加護なくしては因縁も切れなければ、
煩悩すらも切れないと言っています。
これに対する批判は、桐山さんの並べた加護の条件をアゴン宗は満たして
いないというのが一点で、もう一つ、こっちのほうが重要なのだが、
釈尊は加護など説いていないという点です。
桐山さんは加護の条件として>>855の二つをあげているが、
アゴン宗の仏舎利は本物ではないし、桐山さんのいうオシャカの成仏ホーは
阿含経には存在しないばかりか、桐山さん本人も体得したはずはない。
桐山さんのいうオシャカの成仏ホーでは因縁を切るのだそうだが、
悪因縁の完全解脱を宣言した後、刑獄の因縁と脳障害の因縁と、最近は
色情の因縁まで丸出しにしている桐山さんのどこが因縁が切れたのだ?
結果的に切れていないのだから、体得などしたはずがない。
つまり、桐山さん自身が仏の加護の条件とした二つを満たしていないのだから、
アゴン宗の教義においてすらも仏の加護は得られません。
桐山ゲイカですら加護が得られないのに、その下っ端の信者がどうやって
仏の加護を得るのだ?

857深山:2010/03/31(水) 22:53:25 ID:oFAfbPag0
>>848 :準シュダオン:2010/03/31(水) 13:19:42 ID:agsP6ENM0
>このように、最澄様でさえも、仏の加護を願っていたのですから、凡夫が仏の
>加護を願っても、当然のことでしょう。

釈尊は修行者や信者の加護など説いていません。
そんな阿含経どこにあるのだ?
あるというなら、示してみなさい。
あなたの解釈なんかいらないから、「信者を守護するぞ」と説いた経典を
そのまま示してください。
応説経の親鳥と卵の関係をあなたは出したが、ユビキタスさんに読み間違いの
反論をされたのを忘れましたか・・・覚えているはずがないだろうって?
>>251以降を読んでみなさい。
あの時も、準シュダオンさんはあれだけ丁寧にユビキタスさんから説明されても、
解釈の反論ではなく、ただ否定して、加護があると繰り返すばかり。
誰がどう読んでも、釈尊は自力を説いているだけで、加護など一言も説いていない。
三十七道品という卵を暖め、殻を破るのは修行者であって、釈尊ではありません。
そうでなければ、ユビキタスさんも指摘しているように、
後半の大船と綱とのたとえの説明がつかなくなる。
アゴン宗が読誦している応説経にすら自力が説かれているのです。
他力である加護などあるはずがない。
自力を説いているあの経典を呪文みたいに百年唱えても理解などできませんよ。
・・・あ、そうか、準シュダオンさんは勤行なんてしていないから、
呪文すらも唱えていなかったんですね。

858深山:2010/03/31(水) 22:55:51 ID:oFAfbPag0
>>848 :準シュダオン:2010/03/31(水) 13:19:42 ID:agsP6ENM0
>このように、最澄様でさえも、仏の加護を願っていたのですから、凡夫が仏の
>加護を願っても、当然のことでしょう。

準シュダオンさんは知らないのだろうが、大乗仏教がはやった理由の一つは、
民衆に仏の加護という他力を説いたからです。
やがて他力だけになってしまって、ついには加持祈祷まで取り入れたのが密教です。
加持祈祷は「仏様、力を貸してくれ」と加護を願うのだから、究極の他力です。
逆に言うなら、釈迦仏教も部派仏教も自力の一点張りだった。
加護などナシの自力でやれというから、嫌われたのです。
煩悩を切るなんて普通の人は嫌いだし、事実、桐山さんや準シュダオンさんは大々々嫌いです。
二人とも未だに食欲すらも押さえようとしない。
お願い事をかなえてもらうなど自分の欲望を増大させるほうが楽しいに決まっている。
だから、桐山さんも準シュダオンさんも食欲を押さえずに、
加護を願って病気を治すという知性の低い、愚劣な信仰をしている。
その愚劣な信仰こそが人間の欲望をよく表しており、世間では普通にみられる。
だが、釈尊はそれらを否定したのです。
俗人が大好きな煩悩を捨てることを説き、しかも、捨てる方法だけ教えるから、
自分でやれという。
釈尊のこういう教法は一般民衆には好かれない。
大乗仏教はじめ、今日のアゴン宗のような新興宗教に至るまで、
仏教を自称しながら、みんなこれをねじ曲げて、御利益と他力を説いた。
そのほうが民衆から受けるからです。
御利益を否定し、他力を否定したのが釈尊だから、御利益を肯定し、自力を否定したら外道です。
だから、アゴン宗もこの観点から見ても外道であり、あなたは外道の信者です。

859天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/04/01(木) 06:03:46 ID:1Hk64qyI0
天台宗で思い出したが、今から2〜3年前にゲイカが天台宗から乞われて講義をするといってたが
さてそれをやったのか、さっぱり聞きませんなあ。
まあ、ゲイカは嘘つきですから、それも「妄想」だったんでしょうけどw

さも、天台宗の若い坊さんもかなり期待しているということを言ってたが、冗談も程度が有るね。
今はどこの寺もアゴンなど相手にしないのにねえ。

860準シュダオン:2010/04/01(木) 09:15:25 ID:agsP6ENM0
今回のうサギさんの質問は、ややこしくて理解できないね。

それよりも、次の道元禅師の詩を理解して、私に教えてくださいな。
「星はめぐりて時うつり、暮らしのすべは変われども、
 変わらぬ教え今もなお、人に示して あらたなり」

すばらしい真理の詩ですねえ!
真理は常に衝撃を持って、世に受け止められる、ということですね。

この詩を何回読んでも、自分の境界が上がるわkではないよ。
自分の境界が上がると、詩の意味が解る、ということですね。
私が、十年前にこの詩を目にしても、ほぼ無感動です。
今はまるで違う。すばらしい詩だと思う。

861無関係な人間です:2010/04/01(木) 09:56:52 ID:rBAO0DxQ0
天照様、ご教示ありがとうございました。
それと、今はインターネットがあるので、阿含宗の人達も商売(?)がやりにくいでしょうね。
20年前なら、友人の下宿で数人を相手に論争していても、全然、世間には影響がなかった。
それが今は、個人でも影響が出ますから。
先日、桐山氏の自伝が古本屋の安売りコーナーに出ていたので、立ち読みをしました。
感想がありますが、後日、アップさせていただきます。
いつも、寛大に扱って下さり、感謝しています。

862無関係な人間です:2010/04/01(木) 10:31:12 ID:rBAO0DxQ0
 すみません、2chに投稿したのですが、アクセス規制で書けませんでした。
こちらへ書かせて下さい。よろしくお願いします。

昼休みに古本屋で桐山氏の自伝「現世成仏」を立ち読みしました。

桐山氏が苦学した時代の部分は、自分も似たような経験があるので、率直に言って、
共感を覚えました。ちょうど、ミケ様が自分のコメントを引用されていたので、それに
関連して思い出したこと、感じた事もありました。
 いくつか感想がありますが、とりあえず一つ、書かせて下さい。

 自分は学生時代に阿含宗には激しい敵意を感じていました。
今から思うと自分でも、何故、あんなに阿含宗が嫌いだったのか不思議でしたが、
この本を読んで思い出しました。
 学生時代、自分は苦学をしていました。苦学生と言えば聞こえがいいですが、
超がつく貧乏生活をしていました。生活費はもちろん、学費まで自分で捻出していたの
で、アルバイトと奨学金でかつかつの生活をしていました。留年などは許されない
贅沢でしたから、勉強も真面目にしていました。古い言葉ですが、努力と根性で逆境
を乗り越えるのだと頑張っていました。
 そんな時に、阿含宗の因縁因果の話を聞きました。加持祈祷をしたら成功をすると
いう宗教は、自分にしたら冗談にしか思えませんでした。それどころか、自分の努力を
否定されたような印象を受けたのです。
 しかも、調べると、ボロが次々と出て来たので、一層、許せない! という憤りを
感じたのです。
 もし、自分が経済的に恵まれた状況だったら、あっさりと騙された危険性はあります。
その意味で、自分が早くから阿含宗や桐山氏に嫌悪感を感じていたのは、決して自分
が聡明だった訳でも、冷静だった訳でもないからです。
 大半の人にとっては大学時代は楽しい記憶があるでしょうが、自分は頑張ったという
記憶が大半です。
 ただ、おかげで桐山氏には騙されなかったので、幸いとすべきでしょうか。
 
 あと、桐山氏に関して感じた事が二つありますが、また、後で、申し上げます。

863うサギ:2010/04/01(木) 10:37:30 ID:9sYmIUls0
>>860すばらしい真理の詩ですねえ!
あなたの上記の言葉には、たとえば、聖教新聞の記事のような
押し付けがましさがある。一言でいえば、「うざい」。
この「うざい」感じは、新宗教やカルト宗教の共通点だ。
しかし当事者達は、そんなふうに受け取られることに気づいていない。哀れ。

ところで、>>834の次の質問に応えていただけませんか?
それとも、「準々シュダオン」という存在は、これぐらいの質問でも
「ややこしくて理解できない」程度の存在なんですか?
「はい」か「いいえ」で応えればいいような質問なんですけど??


【あなたは、自分自身の過去レスの整合性のなさを
理解するのはあなた自身では無理だと思いますか?
と聞かれたら「はい」と応えますか?】

864準シュダオン:2010/04/01(木) 11:19:58 ID:agsP6ENM0
うサギさん、私の過去レスには整合性なんてないのだW。
あるのは無常だよ。進化してるのだからさ、過去のウンコレスに拘るのは、
ウンコギン蠅だけだぜぃw。それに、私、うざい、の言葉、知らんわい。
うざい、て、最近はやりの、小ギャル言葉だろう?
そんな言葉使う言うのは、あんたが、子供だっていう証拠やんけw。

準シュダオンともなると、言葉遊びはしないのや。
ほれ、わたしを四行しか理解できん、という阿法共が、何十行もの大量の
レスしてるやないか。私、あんなの一行も理解できへんよって、スルーやw。

新宗教だろうが、伝統宗教だろうが、宗教てのは非科学的なもので、不幸な
連中が必要とするもんだろう。だから、幸福になった人は宗教捨てたら良い
だけの話で、今宗教やってる人にアレコレ言うのは余計な世話というもんだ。
アレフや光の輪だって、まだやってるぜぃw。

865ラシン:2010/04/01(木) 11:40:23 ID:q4iXIS7Y0
>860 :準シュダオン
>「星はめぐりて時うつり、暮らしのすべは変われども、
 変わらぬ教え今もなお、人に示して あらたなり」

準シュダオンさんは多分、”あらた”の意味違いをしている。
意味は、
世の中がいかに変遷しようが、釈尊の教えは現代に示しても、
古びず新鮮である、つまり変わらない、との意味です。
いつの世にも通じるから真理なのであって、世の条件や今昔の
人の違いによって影響を受けるなら真理とは言わない。
しかし準シュダオンさんは、境界が上がって”あらた”とは
新しい解釈、新たな見方だと言いたいらしい?
違いますか?
ようするに準シュダオン説や準シュダオン流解釈の正しさを
補完したいわけではないのか?
境界が上がったから新たな発見として理解できた、
と述べたいのではないのか?
オマエたちとは違うのだと、、、?
そうであれば境界が上がったからではなく、慢心が増えたから
普通に解釈できないだけの話しだ、と言わざるを得ない。

それにしても今度は道元禅師かえ?

866ラシン:2010/04/01(木) 11:59:20 ID:q4iXIS7Y0
>864 :準シュダオン:2010/04/01(木) 11:19:58 ID:agsP6ENM0
うサギさん、私の過去レスには整合性なんてないのだW。

ようするに結果デタラメだと言うことね。

>それに、私、うざい、の言葉、知らんわい。
うざい、て、最近はやりの、小ギャル言葉だろう?

鏡を見るようにあなたの掲示を見れば意味は分かるだろうね。

>ほれ、わたしを四行しか理解できん、という阿法共が、何十行もの大量の
レスしてるやないか。私、あんなの一行も理解できへんよって、スルーやw。

自惚れはあいかわらず健在だね。
批判側は、あなたが無視しようが関係ない。
もぐら叩きのようにあなたのマニアックな解釈を例として、
反論をギャラリーに示すだけの機会と考えている。

>新宗教だろうが、伝統宗教だろうが、宗教てのは非科学的なもので、不幸な
連中が必要とするもんだろう。だから、幸福になった人は宗教捨てたら良い
だけの話で、

まあね〜、準シュダオン教の掲示のほうが余計なのですよ。
ここはアゴン宗考察の場だから、あなたのご利益宗教観などを
披瀝されても困るのだ。
もっとも桐山さんが人の不幸につけ込んで、ご利益札を販売している
との根拠に基づくなら話しは別で、それなら宗教詐欺だと指摘できる。

867ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/01(木) 12:29:41 ID:SmEF4Oe2O
>>864:準シュダオン10/04/01(木) 11:19:58 ID:agsP6ENM0
>うサギさん、私の過去レスには整合性なんてないのだW。
>あるのは無常だよ。進化してるのだからさ、過去のウンコレスに拘るのは、
>ウンコギン蠅だけだぜぃw。

ということは今書いてること、昨日書いたことなどすべてウンコ化を進めているので
これはなんぴとたりともマトモに信用する価値もなく、取り合わなくてよい
ということですね?

868孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/04/01(木) 13:32:26 ID:XUfb/HH.0
>>864整合性はない、で分かりましたw
今まで批判派は我利で挫折したと言いつつ、我利で上等在家なんだからな とか言ってみたり
仏教に入るに四度誓願をたてると言いながら、如来に天照さんの法友なんぞを助ける義務はねえんだ みたいな
もう滅茶苦茶だと思ってたところなんです。

869準シュダオン:2010/04/01(木) 14:43:57 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさん、書いた瞬間からウンコレスになるのは、大量にカキコしてる
批判派のレスだよ、まぁ、ユビさんのは対象外にしとこう。
私のレスには、もう少し耐用期間があって、ウンコになるには半年程度、
かかるかと思われます。

それにしても、関西の道場のガラスが割られたというのは、本当だろうか?
本当だとしたら嫌だね、恨み抱いてる元信者の犯行だろうね。
それは、批判派の仲間だぜい、怖いな。
わたし、家を探されて、窓ガラス割られたり、サリン撒かれるのは御免だよ。

870うサギ:2010/04/01(木) 16:03:47 ID:9sYmIUls0
>>864うサギさん、私の過去レスには整合性なんてないのだW。

自分のレスに整合性がないことは理解しているんですね。すばらしい。

>>864うざい、て、最近はやりの、小ギャル言葉だろう?
そんな言葉使う言うのは、あんたが、子供だっていう証拠やんけw。

「小ギャル」という言葉は「最近はやり」どころか死語なのは知っていますか?
「ギャル」という言葉は「最近はやり」ですが意味の違いはわかりますか?

「だろう?」と推測の域を出ていない問いかけから、なぜ、私が
「子供だっていう証拠やんけw」という結論に飛ぶのか解説してもらえませんか?

>>864準シュダオンともなると、言葉遊びはしないのや。

「言葉遊び」とは具体的に何のことでしょうか?
前後の脈略がないので、何の話かわかりません。
どこのレスの何行目など、実例を指摘してもらえませんか?

>>864私、あんなの一行も理解できへんよって、スルーやw。

4行どころか、1行も理解できないのでスルーするしかないんですか?
つまりあなたは、前後矛盾した整合性がないレスを垂れ流し、
人が書いたものは1行さえも理解できないでスルーする「準々シュダオン」なんですね?


>>869私のレスには、もう少し耐用期間があって、ウンコになるには半年程度、
かかるかと思われます。

つまり、準々シュダオンさんのレスは
「整合性なんてない」「無常」な「ウンコになるには半年程度、
かかる」「ウンコギン蠅だけ」が「拘る」程度のものということでよろしいですか?

ちなみに、カッコ内の言葉は、あなたが自分のレスを説明するために
使用した言葉です。それをまとめました。「うざい」作業でしたが、
準々シュダオンさんは「うざい」という言葉は「知らんわい」でしたね?
それに、4行にわたるこのレスは「理解できん」なんですよね? そりゃ、残念だ。

871名無しさん:2010/04/01(木) 17:56:46 ID:z5UDslLcO
どんな宗教も
運命を変えるご利益も
限界があります。
その限界は、個々の自己責任です。自業自得です。
人の身代わりで、新たに業を受けたりする場合なら、限界の意味が違ってきます。
自己責任の限界を転嫁して桐山憎しとする批判は、更に新な業を積む行為です。
批判は釈尊の禁止した行為です。

872名無しさん:2010/04/01(木) 18:04:33 ID:zckg4f8.0
>>870
おかしいね。。クスクス

873深山:2010/04/01(木) 22:36:10 ID:MdM4gxhE0
>>860 :準シュダオン:2010/04/01(木) 09:15:25 ID:agsP6ENM0
>私が、十年前にこの詩を目にしても、ほぼ無感動です。
>今はまるで違う。すばらしい詩だと思う。

準シュダオンさんの言いたいことをわかりやすく翻訳してあげましょう。

「こういう素晴らしい詩に感動した自分はなんと素晴らしいのだろう。
ヲレ様はとても偉く、実はシュダオン様なのだ。
ヲレ様は道元と似たような境涯まで来たから、感動できるんだよ。
十年の間にヲレ様は境涯が高くなったのだ。
ヲマイラ批判側は境涯が低いから、意味がわかんねえだろうなあ、www」

つまり、道元の話をしているのではなく、ちょっと読みかじった詩を
引用してみせて、いかに自分が知識や教養にあふれた人間であるか、
また自分の境涯がとても高いのだと自慢してみせただけです。
つまり、あなたは詩をほめたのではなく、詩をほめることで、
自分を持ち上げてみせたのです。
準シュダオンさんの文章は汚くて読みにくいが、
何を言いたいのかはとてもシンプルでわかりやすい。
あなたが書いていることはいつもたった一つで、「ヲレ様はエライ」です。
あなたは他のことは何も書いていない。
あなたが、桐山さんと同じで、いかに名誉欲に飢えているかよくわかる。

874深山:2010/04/01(木) 22:38:04 ID:MdM4gxhE0
>>860 :準シュダオン:2010/04/01(木) 09:15:25 ID:agsP6ENM0
>私が、十年前にこの詩を目にしても、ほぼ無感動です。
>今はまるで違う。すばらしい詩だと思う。

「ヲレ様はこんなにエライのだから、もっと尊敬されたい。
他人はヲレ様に教えを請い、礼賛し、尊重するべきだ」と
桐山さんもあなたも思いこんでいる。
だが、実力がない。
ここでのあなたは自己評価ばかり高い自惚れ屋で、実力が伴わず、
間違いをしても、責任逃れな言い訳をして、無責任なくせに逆にお説教を垂れる。
スレでのこの様子を見れば、現実世界での仕事がうまくいくはずがない。
やっとたどりついた今の仕事も、あなたは全員一致で推挙してくれたと
書いていたが、それは推挙ではなく、全員一致で閑職に追い出したのです。
アゴン宗でもその欲望は満たされなかった。
脳梗塞を白銀バイブだとして、自分はもうシュダオンなのだと
周囲に宣伝したものだから、法友は蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。

875深山:2010/04/01(木) 22:42:11 ID:MdM4gxhE0
>>864 :準シュダオン:2010/04/01(木) 11:19:58 ID:agsP6ENM0
>ほれ、わたしを四行しか理解できん、という阿法共が、何十行もの大量の
>レスしてるやないか。私、あんなの一行も理解できへんよって、スルーやw。

「阿法共」ですか。
あなたがこういう罵りを始めるのは言葉に詰まった時です。
○○君、などと相手を目下においてマウンテングをするか、
それでもダメとなると、ついにはぶち切れてこういう罵りを始める。
私はあなたにレスなどつけていない。
私は、読んでいるだけの観客を目の前にして、準シュダオンさんを
ドツキ漫才の相方にして、アゴン宗批判をしているだけです。
良い相方には条件が必要で、恥知らずであることと、
鈍感で批判されてもゾンビみたいにすぐに蘇ることです。
つまり、アゴン宗の先達に必要条件である無知と無恥と慢心です。
この条件をものすごくよく満たしてくれているのが準シュダオンさんです。
二年くらい前までは相方としては本当に良かった。
なぜなら、まだ記憶力があったから、議論の終わったことを
すぐに蒸し返したりせずに、適当な時間間隔があったからです。
ペテン大作さんのような執拗な憎しみという悪臭もない。
罵りをやめるようにいうと、あなたは言い訳をしながらも控えるだけの
知性がまだ残っていた。
だから、私はここにあなたを誘ったのです。
治安もよく、アゴン宗についてちゃんとした議論ができそうだと私は喜んでいた。
だが、あなたの脳の崩壊は予想よりも早かった。

876深山:2010/04/01(木) 22:50:21 ID:MdM4gxhE0
>>864 :準シュダオン:2010/04/01(木) 11:19:58 ID:agsP6ENM0
>ほれ、わたしを四行しか理解できん、という阿法共が、何十行もの大量の
>レスしてるやないか。私、あんなの一行も理解できへんよって、スルーやw。

昨年、あなたの記憶力が悲惨な状態であることにショックでした。
私は何度か病院で断層撮影を受けるように勧めましたね。
あれは、もちろん、あなたのことを心配して助言したというのもあるが、
同時に、あなたの脳がどの程度の状態なのかを知るモノサシになるのです。
あなたは未だに病院には行っていない。
これがまたあなたの脳の老化状態を示すモノサシなのです。
老化すればするほど、頑迷になり、こういう助言には従わない。
おまけにあなたの場合、元々自分くらいエライ者はないという自惚れが強いから、
批判側からの助言なら、意地でも行かないだろうと私は予想した。
あなたの脳はすでに私の批判に対して反論する以前の問題として、
何を指摘され、何を反論されたかという把握すらできなくなっている。
私の文章だけではなく、議論している相手であるユビキタスさんの文章すら
あなたがろくに理解できずレスをしている。
そして、こういう老人に多くなるのが独り言です。
独り言とは議論のキャッチボールができなくなり、自分の主張を一方的に
言うだけになっている状態、つまり今のあなたの状態です。
まあ、それでもドツキ漫才はできますから、いいですよ。
そのまま独り言でも、ウンコでもいいから、書き続けてください。
脳が崩壊しつつあるからまず理性や知性が失われ、ますますあなたは
慢心を露骨に出すようになり、あざけりもひどくなり、羞恥心もなくなり、
同時に自分が高い境涯に達したような高揚感を得るはずです。
桐山さんが脳梗塞で倒れた後で有余依涅槃の聖者を宣言したのと同じ理由で、
いずれも聖者になったのではなく、脳の崩壊です。
私はあなたの独り言を材料にしてアゴン宗を批判し、三十年近くも信仰をしてきた
準シュダオンさんという「使用後」を、信者さんたちの将来の姿だと示すだけです。
あなたを無理にここに連れてきてさらし者にするような残酷なことは私はできないが、
あなだか自分から出てきて醜態をさらしてくれるのだから、
犠牲を伴う愛だとみなして、大いに活用させてもらいます。

877深山:2010/04/01(木) 22:55:20 ID:MdM4gxhE0
>>871 :名無しさん:2010/04/01(木) 17:56:46 ID:z5UDslLcO
>自己責任の限界を転嫁して桐山憎しとする批判は、更に新な業を積む行為です。
>批判は釈尊の禁止した行為です。

おもしろいことに、あなたみたいに「釈尊は批判を禁止した」という中途半端な
知識を振り回す信者が一年に一度はくらい出てくる。
その人たちへ書いたのと同じことをまた書きましょう。
あなたのような人は、二つの特徴をもっている。

1.桐山阿含経以外は阿含経を読んだことがない。
2.批判と悪口、議論と争論の区別がつかない。

釈尊がどれほど批判的な人か、あなたは知らないらしい。
毎度引用する護摩を禁止した釈尊の言葉にしても、

「バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな。」

これがあなたには護摩を焚くバラモンへの批判に聞こえないのですか。
物足りないというなら、では、次の言葉はどうでしょう。

「バラモンよ。そなたの慢心は重荷である。
怒りは煙であり、虚言は灰である。
舌は木杓であり、心臓は〔供犠のための〕光炎の場所である。」

あなたにはこれが批判に見えないらしい。
釈尊は「桐山よ、おまえの心は慢心と怒りと虚言に満ちている」と批判しているのです。
「桐山よ」のところをあなたの名前を入れれば、釈尊からのあなたへの批判です。

878深山:2010/04/01(木) 22:57:57 ID:MdM4gxhE0
>>871 :名無しさん:2010/04/01(木) 17:56:46 ID:z5UDslLcO
>自己責任の限界を転嫁して桐山憎しとする批判は、更に新な業を積む行為です。
>批判は釈尊の禁止した行為です。

釈尊の批判の言葉はこの経典だけではありません。
そんなことは当たり前で、今までの宗教では間違っている、足りないという
批判から新しい宗教を起こすのだから、批判をしないなどありえません。
それまであったバラモン教やウパニシャッドや六師外道などの宗教が
本当の解脱ではないと批判するところから釈尊の教法が始まっているのです。
桐山さんだってそうです。
口先では「経典批判はするが、宗教批判はしていない」などときれい事を言いながら、
伝統宗教も他宗教も激しい口調で批判してきた。
桐山さんのオハコは「オシャカの成仏ホー」です。
他宗教はオシャカの成仏ホーがないと桐山さんは「批判」したのです。
こういう批判がアゴン宗の最大のウリなのに、あなたはどこを見て信仰をしているのだ?

879深山:2010/04/01(木) 23:01:47 ID:MdM4gxhE0
>>871 :名無しさん:2010/04/01(木) 17:56:46 ID:z5UDslLcO
>自己責任の限界を転嫁して桐山憎しとする批判は、更に新な業を積む行為です。
>批判は釈尊の禁止した行為です。

仏教を中途半端に理解している人たちは、釈尊が争論を禁止したことを、
議論や批判を禁止したと思いこむ。
また、釈尊が無記といって、十箇条については質問されても返答をしなかったことを見て、
釈尊という人は議論もせずに、悟りを一人静かに楽しんだ人なのだ
などと勝手な解釈をしている。
もう少し当時の社会を勉強してみることです。
都市が経済的に発展して市民が台頭しはじめると、伝統にあぐらをかいていた
バラモンの権威が落ち始め、ウパニシャッドや六師外道などの新興勢力が
台頭してきて、一説には60以上もの宗教があったという。
これだけ激しい競争の中で、議論をしかけてくる者もいれば、罵声を浴びせる者もいる。
だが、釈尊は一度もこれに対して沈黙したことなどありません。
罵声を並べる相手を一撃で倒した事例を桐山さんが紹介している。
また、護摩に仕えるバラモンが「坊主、そこにいろ。偽者の道の者!卑しいヤツ!」
と激しい罵声を浴びせても、釈尊は教法を説いて彼を帰依させてしまった。
釈尊は図抜けた議論の技をもち、たいへんな論客だったからこそ、
居並ぶ競合者たちをなぎ倒し、仏教が台頭したのです。
あれほど多くの経典が残ったのも、釈尊がどのような議論にも応えたからです。

880名無しさん:2010/04/01(木) 23:02:55 ID:z5UDslLcO
釈尊は入信し裏切りをする人は悪い境遇になると教えました。

881ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/01(木) 23:09:17 ID:SmEF4Oe2O
>>869:準シュダオン10/04/01(木) 14:43:57 ID:agsP6ENM0
>私のレスには、もう少し耐用期間があって、ウンコになるには半年程度、
>かかるかと思われます。

普通は半年そこらで変わるものではありません。
そんな無責任な人には仕事を任せられませんよね。
半年しか雇用できません。こんな信用ならぬ人をそれ以上雇用するのは危険です。
そんな無責任者のあなたに次の詩を贈ります。

「星はめぐりて時うつり、暮らしのすべは変われども、
 変わらぬ教え今もなお、人に示して あらたなり」

変わらぬ教えを今もなお変わらず説くことです。
あなたも半年で自分の発言をウンコにしてはいけません。

882深山:2010/04/01(木) 23:12:36 ID:MdM4gxhE0
>>871 :名無しさん:2010/04/01(木) 17:56:46 ID:z5UDslLcO
>自己責任の限界を転嫁して桐山憎しとする批判は、更に新な業を積む行為です。
>批判は釈尊の禁止した行為です。

仏教は議論を奨励しているのですよ。
だから、三蔵の一つは論蔵です。
今でもチベット仏教などでは議論することが修行として取り入れられているし、
日本でも禅宗などではこれが形式的に残っています。
これらの問答は時には激しく相手をやりこめて答えられなくなるまで続く。
ところが日本人は議論が不得意で、儒教の影響が強いから、上の者の命令に
いっさい疑問を持たず、従うのが正しいという風潮がある。
アゴン宗でも師の命令は絶対だなどと桐山さんは言う。
だが、釈尊はそうではない。
疑問があれば質問し、自分で納得できるまで自分の頭で考えろと説いている。
釈尊の最後の言葉は「怠らず修行せよ」だが、その前まで釈尊が何をしていたか知っていますか。
「最後のチャンスだから、質問があればするように」です。
それでも入滅後に疑問を持つなら、仲間同士で議論するようにと説いた。
最後の最後まで、普通の知性で思考し、理解するように説いたのです。
どこにもデンパで成仏ホーをビビッと体得するとか、徳を積むなんてありません。
仏教が知恵の宗教と言われるのは、桐山さんのいうような仏陀の智慧などという
摩訶不思議な知恵の話をしているのではなく、
実際に、論理的に順を追って物事を考える知性的な宗教だからです。

883深山:2010/04/01(木) 23:14:30 ID:MdM4gxhE0
>>871 :名無しさん:2010/04/01(木) 17:56:46 ID:z5UDslLcO
>自己責任の限界を転嫁して桐山憎しとする批判は、更に新な業を積む行為です。
>批判は釈尊の禁止した行為です。

あなたのいう「自己責任の限界を転嫁して桐山憎しとする批判」とは
具体的にどれを指しているのですか。
指摘できませんよね。
ということは、「自己責任の限界を転嫁して」いるのはあなたです。
批判側はなんら「自己責任の限界を転嫁して桐山憎しとする批判」などしていない。
だが、あなたは自分の信仰を批判されたのが気に入らず、不愉快で、腹立たしい。
そこで批判側を黙らせるために、釈尊が批判を禁止などという嘘を並べ、
批判側が書いてもいない「自己責任の限界を転嫁して桐山憎しとする批判」
などと根拠のない批判をした。
批判が禁止だと言いながら、あなた自身は批判をして、
しかも、根拠のない批判だから、あなたの批判は批判ではなく、ただの悪口です。

884深山:2010/04/01(木) 23:17:37 ID:MdM4gxhE0
>>871 :名無しさん:2010/04/01(木) 17:56:46 ID:z5UDslLcO
>どんな宗教も
>運命を変えるご利益も
>限界があります。
>その限界は、個々の自己責任です。自業自得です。

限界などと一般論を使わずに、批判側がどんな限界を超えたことを要求したのか、
示してみればいいではないか。
桐山さんは、因縁が切れる、霊障は解ける、超能力が身に付くと宣伝した。
これは桐山さんが示したことであり、元信者の限界を超えた要求ではありません。
一つ目に、どこに因縁のキレタ人がいるのだ?
教祖自ら、密教食事件で有罪になったのだから、刑獄の因縁が切れていない。
教祖自ら、脳梗塞になったのだから、脳障害の因縁が切れていない。
教祖自ら、愛人がいたのだから、色情の因縁が切れていない。
因縁を切るも何も、桐山さん自身が因縁丸出しで、運命など変わっていないではないか。
二つ目に、地球壊滅を引き起こす霊障がいつどのように解けたのだ?
霊障を発して桐山さんをムショに送り込んだという十八人の霊障武士はどこにいるのだ?
信州幕末には桐山さんの言うような上意討ちなどありません。
霊障解脱したという約束は果たされていない。
三つ目に、超能力を身につけた人とはどこにいるのだ?
自分の雪駄すらもはけない桐山さんのどこが超能力者なのだ?
因縁切りも霊障解脱も超能力開発も、全部桐山さんが約束したことであって、
限界を超えた要求などではない。
だが、桐山さんを含めて、ただの一人も運命を変えた人などそもそもいないのだ。

885深山:2010/04/01(木) 23:20:13 ID:MdM4gxhE0
>>871 :名無しさん:2010/04/01(木) 17:56:46 ID:z5UDslLcO
>その限界は、個々の自己責任です。自業自得です。

限界以前の問題として、桐山さんの宣伝を実現した人は誰もいないし、何もないのです。
運命を変えた人が出てきてこそ、限界などといえるのであって、
変えた人がただの一人もいないのに限界などと言っても無意味です。
信者や元信者の限界などではなく、桐山さんの自己責任、というよりも無責任です。
嘘デタラメを並べ続け、信者を騙して、金や人生を浪費させた桐山さんには責任がある。
それをどうしてあなたは元信者の責任だと言い抜けるのだ?
ここまではっきりと元信者などの自己責任だと断定するなら、
さあ、責任をもって根拠を説明してみなさい。
それとも、あなたも桐山さんや準シュダオンさんと同じで自分の発言には
何の責任も負わないという無責任信者の一人か。
あなたが準シュダオンさんと違い、まだ恥じる心を持っているのなら説明してみなさい。

886深山:2010/04/01(木) 23:30:36 ID:MdM4gxhE0
>>880 名前:名無しさん 投稿日: 2010/04/01(木) 23:02:55 ID:z5UDslLcO
>釈尊は入信し裏切りをする人は悪い境遇になると教えました。

あなたの仏教の理解とはこんな程度なのですね。
裏切るから悪い境涯に落ちるのではなく、解脱への道を歩むことが
ないから、三悪悪道を輪廻するのです。
それであなたは何を言いたいのだ?
あなたは、
「アゴン宗に入りながら裏切った元信者たちは悪い境涯に落ちる」
と言いたいのでしょう?
いちいち通訳してもらわなくてもいいように、自分の言いたいことは
自分で説明してください。
あなたの指摘はこの意味においても間違っている。
第一に、アゴン宗は仏教ではないから、釈尊の教団と同列に扱っても意味がない。
第二に、アゴン宗は釈尊の説く解脱とは違う解脱を説いているから、
アゴン宗にいても、それは釈尊の教法以外の外道にいると同じだから、
三悪道そのままで、輪廻はやまない。

887深山:2010/04/01(木) 23:36:02 ID:MdM4gxhE0
>>880 名前:名無しさん 投稿日: 2010/04/01(木) 23:02:55 ID:z5UDslLcO
>釈尊は入信し裏切りをする人は悪い境遇になると教えました。

釈尊の説く煩悩を切る修行を捨ててしまったら、三悪道の中を輪廻するに決まっている。
別に釈尊を裏切ったから落ちるのではなく、道から外れたからです。
そして、アゴン宗は最初から仏道から外れている。
釈尊の説いた三悪道に落ちない方法とは煩悩解脱(漏尽解脱)です。
だが、アゴン宗ではこれを小解脱として卑しめ、
因縁解脱こそが本当の解脱だと説いている。
釈尊の説いている解脱と違いますから、三悪道からは解脱できません。
あなたはアゴン宗を裏切ったら三悪道に落ちるかのように信じているようだが、
現実はまったく逆で、アゴン宗の信仰をしている限り、
三悪道からは逃れられません。
現実に桐山さんをごらんなさい。
刑獄の因縁という地獄クラスの因縁、
脳梗塞になってもまだ食いしん坊がやめられない餓鬼クラスの因縁、
色情の因縁や脳障害の因縁という畜生クラスの因縁、
いずれも切れておらず、三悪道そのままです。
中途半端な知識を振り回さず、現実の桐山アゴン宗をあるがままに観察することです。
それもまた仏道修行の一つなのですよ。

888準シュダオン:2010/04/02(金) 10:18:55 ID:agsP6ENM0
だってさ、うサギさん、うざい、を辞典で引いても出てないよ。
小ギャルとギャルは違うのかい?大人はそんなこと知らないよ。
そんな違い知ってるのは子供だけだよ。ゆえに、うサギさんは、子供です。

言葉遊びとは、理屈こねくり回す、うサギさんのようなレスのこと。
うサギさんは若いようだから、まだやり直しが可能だね。騙されたと、怒る
ようでは、修行が足りない。たとえ、騙されても、責任は自分にあると自覚
して、怒る、恨む、覆(責任転嫁)などの煩悩を出さないようにするのが、
修行だね。

そのように、煩悩を出さないように努力して、適当に梵行してたら、王者の
相承を受けることも可能でしょう。

889名無しさん:2010/04/02(金) 10:40:24 ID:iDZ5CF1U0
>>888
>騙されても、責任は自分にあると自覚
して、怒る、恨む、覆(責任転嫁)などの煩悩を出さないようにするのが、
修行だね。

ふーん。なるほどねー。
でも、準シュダオンさんは騙されたら、その悪党の手先となって、
率先して悪事に加担することで、騙されたことへの怒りを静める人ですね。

よくわかります。

890準シュダオン:2010/04/02(金) 10:56:46 ID:agsP6ENM0
「変わらぬ教え今もなお、人に示してあらたなり」と、言うのは、真理に
達した仏の教えだからこそで、我らのレスはウンコレスだろうよ。
ユビキタスさんに、わたしのレスの耐用期間半年とレスしたのは、
私の考えが変わる実感があるからですよ。我見が薄れると準シュダオンね、
我見が強まると準準シュダオンに後退する。

だが、もう少しで我見を断ずるとシュダオンに成るね。そうしたら今の考えも
変わるであろうね。そのとき、過去レスでこう言った、とか言われても、そん
なのウンコレスや、責任持たないよ。
倶舎論の我見は、五つなそうです。有身見、辺執見、邪見、見取見、戒禁取見、
の五つでしょう。このうち、戒禁取見は、三結と重複してるから、我見は実質
四っつですね。以前は、今より若いのに、どうしても我見の内容を暗記でき
なかった。今は不思議なことに、簡単に暗記できている。間もなく我見を断じ
られる前兆かな?
有身見は、アートマンと、無常なのに自己所有物の勘違いの関係ね。
辺執見は、断見、または常見の見解。
邪見は、業と報を無関係とする見解。
見取見は、相手の正しい考えを間違いだと断定することや。

まぁ、簡単にいうとそういうことでしょ。

891準シュダオン:2010/04/02(金) 11:04:46 ID:agsP6ENM0
私には、騙された怒りなんて、ないです。だから静める必要もない。
信じるも信じないも、自分の意思、責任でしょう?
親に入れられた子供以外はさ。

先ほどの我見のレスは、なにも見ないでレスしたけど、だいたい当りでしょ?
これは間もなく我見が無くなる前兆かなぁ?

892無関係な人間です:2010/04/02(金) 11:08:42 ID:.dXRHkm20
>>871
 深山氏が委細を尽くした論評を書いているので、付け加える事はないですが、
あえてこの文章への感想を。

 渡航自粛勧告が出ている危険な国に勝手に出かけて、死んだり、怪我をしたのなら、
「自己責任」と言われるのも仕方がないと思います。
 しかし、「この宗教を信じたら超能力がつく。他の宗教は無力だ。この宗教でないと
因縁は切れない。」と説得した人物がいて、実は彼にはそんな能力がなかった場合に、
騙された人を「自己責任だからあきらめろ」というのは、責任の転嫁ではないかと
思います。この発想は間違いでしょうか?
 自己責任を問われる場合、前提として、リスクの説明をされている事が前提となり
ます。自分は阿含宗に入信をしていないので知りませんが、阿含宗に入信をする前に
「真面目に修行をしても因縁が切れない場合もあります。超能力が身に付かない場合
もあります。」と阿含宗側から入信希望者へ事前に説明はされたのでしょうか?

893名無しさん:2010/04/02(金) 11:48:15 ID:3Kt2e1sI0
>>888 うざい

http://zokugo-dict.com/03u/uzai.htm

http://www.nhk.or.jp/a-room/kininaru/2007/12/1203.html

894名無しさん:2010/04/02(金) 11:49:35 ID:iDZ5CF1U0
>>890
>邪見は、業と報を無関係とする見解。

ふーん。なるほどねー。
準シュダオンさん、勉強になりました。
ところで、準さんに質問です。

過去に行った行為がブーメランのように戻ってくることを
因果応報といいますよね。

ところで同じレス>>890
>過去レスでこう言った、とか言われても、そん
>なのウンコレスや、責任持たないよ。

といっていますが、あれれ?準さんオカシイですね〜。
準さんの過去の業が報いとして「責任取りなさい」と言われているのですよ。

準さんが「業と報を無関係とする見解」を持たないなら、
過去の行いに責任を持つのが当然ですよねー。

過去の行為に対して逃げ回ることは、「業と報を無関係とする見解」があるからですねー。

呆リキで過去の業をチャラにする思想も、「業と報を無関係とする見解」ですねー。

梵行で過去の業をチャラにする思想も、「業と報を無関係とする見解」ですねー。

あれれ、準さん、邪見の塊になっていませんかあ???

895うサギ:2010/04/02(金) 12:03:48 ID:9sYmIUls0
>>888だってさ、うサギさん、うざい、を辞典で引いても出てないよ。

じゃあ、あなたはずっと「うざい」の意味を知らないままでいればよい。
「辞典で引いても出てないよ」って、調べる方法は今や他にいろいろあります。
子供じゃないんだからそれぐらいわかりますよね?

>>888小ギャルとギャルは違うのかい?大人はそんなこと知らないよ。

正確に書けば、「そういうことを知らない大人もいるし、知っている大人もいる」です。
あなたは、「そんなこと知らない」大人のひとりです。
それとも、あなた以外のすべての大人も、「小ギャルとギャルは違う」ことを
知らないという調査結果でもあるのですか? そういう事実があれば示してもらえませんか?

>>888そんな違い知ってるのは子供だけだよ。ゆえに、うサギさんは、子供です。

なぜ子供だという結論になるのですか?
「そんな違い知ってるのは子供だけ」ということを裏付ける調査なり
事実なりを明示することがあなたにはできるのですか?

>>888言葉遊びとは、理屈こねくり回す、うサギさんのようなレスのこと。

私は、事実は事実、推測は推測と、正確に書くように努めているだけです。
それが「理屈をこねくり回す」「言葉遊び」にあなたには見えるのですか?
あなたは、首尾一貫した思考も記述もできないから
私から、それを突っ込まれると「言葉遊び」だと言いがかりをつけて逃げた。
つまり、あなたは「負け犬」だということです。
もし「負け犬」でないのならば、上記の質問にすべて答えられるはずです。
さあ、どうですか?

>>888王者の相承を受けることも可能でしょう。

あなたは、たとえば、「貧血による立ちくらみ」の可能性を否定しなかった。
よってあなたには、「王者の相承」を語る資格はありません。
しかし、あなたはもう忘れているはずだから、その根拠になるレスを示しておきます。
>>604 >>613 >>624 >>693

896名無しさん:2010/04/02(金) 12:18:12 ID:iDZ5CF1U0
>>891
>これは間もなく我見が無くなる前兆かなぁ?

いえいえ、間もなく見当識が無くなる前兆ですよ。

897ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/02(金) 12:54:35 ID:SmEF4Oe2O
>>890:準シュダオン10/04/02(金) 10:56:46 ID:agsP6ENM0
>「変わらぬ教え今もなお、人に示してあらたなり」と、言うのは、真理に
>達した仏の教えだからこそで、我らのレスはウンコレスだろうよ。

わかってないですね。あなたはここで何の議論をしてるつもりなんですか?
アゴン宗という名のブッキョーでありシンリが、仏教として真理として正当であること
を証明しようと論じているつもりなんでしょ?
それとも単にウンコをしに来たのか?
真理を解説しようというあなたが、あなたの日常生活なんか問わないが、アゴン宗真理を
解説せんとするあなたがその発言内容には変わらぬように努めねばならないのだよ。
それが真理を辱しめない心得です。
つまり発言責任です。
この責任がとれないならば仏教を持ち出して真理を語るべきでない。
アゴン宗の擁護なんかすべきでない。
あ?わかった!アゴン宗なんか仏教でもなければ真理でもなくウンコだと言いたい
わけですね。

898ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/02(金) 12:58:44 ID:SmEF4Oe2O
>>891:準シュダオン10/04/02(金) 11:04:46 ID:agsP6ENM0
>私には、騙された怒りなんて、ないです。だから静める必要もない。
>信じるも信じないも、自分の意思、責任でしょう?
>親に入れられた子供以外はさ。

はい、そうです。あなたはそれでよいです。
そしてあなただけでなく、皆各自の自己責任において判断を促しており、こちらは
ただ情報を書き込むだけです。
受け入れるも受け入れないもあなた方の自由ですよ。
各自が各自の判断をすればよい。

899ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/02(金) 13:03:55 ID:SmEF4Oe2O
>>888:準シュダオン10/04/02(金) 10:18:55 ID:agsP6ENM0
>だってさ、うサギさん、うざい、を辞典で引いても出てないよ。

さすがに広辞苑あたりはまだでも現代用語の基礎知識みたいな時事用語の辞典には
出てるでしょうね。雑学にも強くなることです。

>小ギャルとギャルは違うのかい?大人はそんなこと知らないよ。

コギャルが女子高校生、マゴギャルが女子中学生とはもはや古い用語です。
最近ではJK、JCと言います。

900ラシン:2010/04/02(金) 14:47:32 ID:q4iXIS7Y0
>890 :準シュダオン
だが、もう少しで我見を断ずるとシュダオンに成るね。そうしたら今の考えも
変わるであろうね。そのとき、過去レスでこう言った、とか言われても、そん
なのウンコレスや、責任持たないよ。

アゴン宗に長年依存していると、慢心が肥大化するという
好例をまたもや見せてくれた。
境涯が上がった場合、過去の境涯話しは今と違うから
責任を持たないなんて理由が準シュダオンさんには、
まかり通るらしい。
準シュダオンさんから借りた金は係長時代だから、
今の課長の身分ではウンコ借金で、返す責任は持たなくても
よいのだね?
それで、何が我見が薄れただと? 意味を解って言ってるのか?
あなたは、アゴン宗の不成仏霊や霊障という実体に囚われて
いるのだから、身見そのまんまです。
仏教の漏尽解脱をただの道徳に置き換えて因縁解脱などと、
仏教にない概念を信じているから、疑惑そのまんまです。
釈尊の禁じた護摩に祈願するような奇習奇行に感涙するあなたは、
戒取のこだわりから抜け出ていない。
以上、身見・疑惑・戒取の三結そのまんまだから≠預流です。

聖者の流れから真逆のアゴン宗という肥溜めに浮かんで汚物まみれの
あなたが、ほどなくシュダオンだなんてつい放言してしまうのは
真剣なの?
慢心から来る自己陶酔型人間になると、恥ずかしさも超越するらしい。

901ラシン:2010/04/02(金) 15:54:26 ID:q4iXIS7Y0
>891:準シュダオン10/04/02(金) 11:04:46 ID:agsP6ENM0
>私には、騙された怒りなんて、ないです。だから静める必要もない。
信じるも信じないも、自分の意思、責任でしょう?
親に入れられた子供以外はさ。

あなたは桐山さんから手に入れたオモチャの利用法に、
依存してるからそりゃそうだ。
せっかく手に入れたオモチャを手放したら、
世間の宗教無知の人にあなたのオモチャを自慢できない。
だから騙されたなんて考えずに仏教無知でもオモチャに耽溺する。
あなたはアゴン宗的にはサボり信者で、勧進もボン行も少ないようだ。
あなたのような銀行ドロの見張り役程度なら、罪もまだ軽いか。
だが
アゴン宗で真面目な信者さんほど詐欺の片棒を担がされている。
信者さんがせっせと金と労力をつぎ込んでいることは、
子供銀行に本物の円札を持ち込み、代わりに子供銀行券を
両替したに等しい、世間では通用しない紙幣です。
アゴン宗への浄財が、功徳という自動貯金になると信じて、
いざおろしてみたら功徳ではなく悪業という詐欺だった。
だから信じた上での自己責任だなんて言えない連座性を
あなたは、自覚していないから無責任で居れるのです。
法的に詐欺ほう助とならなくても、仏教では悪業を積まされている。
自分だけなら自己責任だが、他人を巻き込んでそれは通用しない。
ここで批判側の掲示した事実に論証できないでいて、
なお他人を勧誘するなら、それは問題ではないのか。
まるで師に騙されて殺人を犯したアングリマーラのように、
殺人ではないが他人を不善に巻き込む行為です。

902ラシン:2010/04/02(金) 17:24:54 ID:q4iXIS7Y0
>891:準シュダオン10/04/02(金) 11:04:46 ID:agsP6ENM0
>信じるも信じないも、自分の意思、責任でしょう?
親に入れられた子供以外はさ。

いかにも信じた人の自己責任という一般的正論性を装っているが、
>>884の深山さんの過去からの指摘にいまだ、擁護側は反証できていない。
その指摘じたいアゴン宗教義の自己崩壊を証明していてなお且つ、
仏説の阿含経には説かれていない内容であるにも係わらず、
あなたを含めアゴン宗擁護側は、その事実を覆せていません。
阿含経を標榜し、まるで釈尊が説いたかのように偽装している。
だから、これを宗教詐欺と批判しているのです。
批判に反証できず、アゴン宗に勧誘して信者となったその人だけが、
どうして自己責任を問われるのか?
自分だけ信じるならまだしも、巻き込んだ他人に自己責任を
押し付けるその厚顔無恥は何だ?
あなたの弁は、世間で怪しいという先物商品を安全だ、
と保証せずに売りつけて、購入した人の自己責任だけで済まそう
という魂胆と変わらない。
それは、
アゴン宗という宗教詐欺に連座する責任を自覚していないからだ。
それが違うなら>>884の深山さんの指摘はウソだ、と反証したらどうか。
反論証明できていないなら、どう欲目に見ても怪しい宗教だとなる。
現役アゴン宗信者さんに対し、その客観的事実を見て欲しいと思う。
布教することにおいて少なくても疑問し、検証する気持ちを持って欲しい。
導きの行は、もしかしたら被害者を拡大する行為かも知れないことに、
元信者として気づいていただきたい思いがある。

903ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/02(金) 21:14:00 ID:SmEF4Oe2O
>>888:準シュダオン10/04/02(金) 10:18:55 ID:agsP6ENM0
>だってさ、うサギさん、うざい、を辞典で引いても出てないよ。

マイ携帯にも登録している三省堂書店のデイリーコンサイス国語辞典より。

【うざい】
じゃまでわずらわしい
目障りだ
「うざったい」の変形

【うざったい】
うっとうしい
じゃまだ

天下の三省堂の国語辞典に出てますがな。

904深山:2010/04/02(金) 22:02:56 ID:M/T81p2s0
>>888 :準シュダオン:2010/04/02(金) 10:18:55 ID:agsP6ENM0
>だってさ、うサギさん、うざい、を辞典で引いても出てないよ。

他の人たちも指摘しているが、ありますよ。

「うざい
(主に若者語で)面倒だ。うっとうしい。「うぜえ」とも。 〔「うざったい」の略からか〕」

新語として登録されています。
そういうと準シュダオンさんは「新語なんて知らない」というでしょうね。
だが、それを言うと霊障もまた新語なのです。
だから、元々の広辞苑などには霊障なんて言葉はありません。
うざいを知っているの子供だと言いたいらしいが、
それを言うなら、霊障なんて言葉を使うのはオカルト教団の信者だけです。

905深山:2010/04/02(金) 22:06:44 ID:M/T81p2s0
>>888 :準シュダオン:2010/04/02(金) 10:18:55 ID:agsP6ENM0
>言葉遊びとは、理屈こねくり回す、うサギさんのようなレスのこと。

これには笑いました。
いつも言葉の勝手な解釈と屁理屈をこね回す準シュダオンさんが
まるで他人事のようにお説教を垂れるとはおもしろい。
自虐ネタですか。
居直り強盗、説教強盗とはよくいったもので、あなたにぴったりです。
阿含経には因縁解脱などないのに、因縁という言葉を持ち出して、
これが因縁解脱を説いたとずっとあなたは言い続けている。
阿含経には因縁も解脱もあるが、因縁解脱などない。
因縁は解脱するものでも切るものでもないからです。
この言葉遊び、屁理屈で最近のあなたの大ヒットは「無常」です。
準シュダオンさんは自分の無責任を無常と言い抜けた。
桐山さんもあなたと同じでその場しのぎの屁理屈をよく言うし、
無責任という点では天下一品だが、その桐山さんですら、
自分の発言の一貫性のなさを無常と言ったことはありません。
修行が進んで新しい教義を作ったとはいうが、無常だから教義が変わったなんて、
嘘つき総本山の桐山さんですら言ったことがない。
なんかもう準シュダオンさんは桐山ゲイカを越えたのではありませんか。

906深山:2010/04/02(金) 22:08:14 ID:M/T81p2s0
>>888 :準シュダオン:2010/04/02(金) 10:18:55 ID:agsP6ENM0
>言葉遊びとは、理屈こねくり回す、うサギさんのようなレスのこと。

>>894さんと同じ質問をあなたにしましょう。
無常で常に変化しているだから、過去の自分の発言に責任を持つ必要がないというなら、
では、どうやって前世の業である悪因縁を持っているのだ?
無常であり、常に変化しているのだから、もちろん前世のあなたと
今のあなたはまるっきり別人です。
だったら、悪因縁があるというのはおかしい。
過去の発言すら引き継がないのに、どうして前世の悪因縁を引き継いでいるだ?
説明してみなさい。
できないでしょう。
あたりまえです。
無常とは、すべては変化している、ということ以上の意味などない。
変化していることと、引き継がないということは別です。

907深山:2010/04/02(金) 22:09:40 ID:M/T81p2s0
>>888 :準シュダオン:2010/04/02(金) 10:18:55 ID:agsP6ENM0
>言葉遊びとは、理屈こねくり回す、うサギさんのようなレスのこと。

店員「千円をいただきます」
準「フフフ、チミは無常ということを知らないね。
無常なのだから、私は常に変化している。
飯を食った私は10分前の私なのだから、今の私には責任はない。
十分前の彼に請求してくれ。」
店員「パシッ」(いきなり準シュダオンさんを平手打ち)
準「きっ、キサマ、オレを叩いたな。謝れ!!」
店員「私が叩いたのは10秒前のあなたであって、今のあなたではない。
また、あなたを叩いたのは10秒前の私であって、今の私ではない。
したがって、今の私が今のあなたに謝る必要はない。
それがあなたのいう無常というものだ」

908深山:2010/04/02(金) 22:11:34 ID:M/T81p2s0
>>888 :準シュダオン:2010/04/02(金) 10:18:55 ID:agsP6ENM0
>言葉遊びとは、理屈こねくり回す、うサギさんのようなレスのこと。

あなたは言葉遊びと屁理屈でごまかした。
無常でも為したこと(業)は引き継ぐのです。
どうのように変化しようが、つまりあなたが犬に生まれ変わっても、
人間だった時に為した嘘をつくという悪業を何らかの形で引き継ぐのであって、
受け取りを拒絶することはできません。
あなたが責任をとるかとらないかなんて関係ない。
そのツケはなんらかの形で支払わされるというのが仏教が
ウパニシャッドから大筋で取り入れた考えです。
だから、準シュダオンさんがここで責任を取らないのは自由だが、
いずれ、あなたはここで為した口先のゴマカシを今度は他人からされるだけです。
私はその光景を見て、ゴンネンとミショウしたいが、
あいにく神通力がないので、見られないのが残念です。

909深山:2010/04/02(金) 22:13:50 ID:M/T81p2s0
>>891 :準シュダオン:2010/04/02(金) 11:04:46 ID:agsP6ENM0
>これは間もなく我見が無くなる前兆かなぁ?

はい、私が予告したとおりで、まもなく、あなたは次の段階を自覚します。
あなたの場合、小梗塞だから徐々に進むが、あるいは2004年の時や、
桐山さんの1996年の時のように大きなのが襲ってきますから、
その時が次の聖者の階梯に進むチャンスです。
桐山さんが脳梗塞の後に有余依涅槃の聖者を宣言したように、
あなたも脳梗塞によって、自分が高い境涯に達したように感じることができます。
今でさえ、何をどう批判されても、何も感じず、大船に乗ったような気分でしょう。
それは脳が崩壊して、知性や感性や感覚が鈍くなっているからです。
だが、あなたはそれとはまったく逆に、知性や感覚が磨かれたかのように感じるはずです。
それは熱が出ると逆に寒さを感じるのと同じです。
口にこそ出していないが、あなたは自分ではすでにシュダオンなどこえて、
もうシダゴンくらいになっているのではないかと思っていますよね。
その証拠に、批判側がどうしようもないバカに見えてしかたないでしょう?
現実世界からの乖離がひどくなっているからです。
桐山さんは脳が崩壊してアゴン宗アラハンを宣言したのだから、同じように
脳が崩壊している準シュダオンさんなら十分にアゴン宗預流を名乗っても大丈夫です。

910深山:2010/04/02(金) 22:19:00 ID:M/T81p2s0
>>892 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 11:08:42 ID:.dXRHkm20
>「真面目に修行をしても因縁が切れない場合もあります。超能力が身に付かない場合
も>あります。」と阿含宗側から入信希望者へ事前に説明はされたのでしょうか?

もちろん、桐山さんは事前説明の逃げ道をちゃんと準備しています。
それは「桐山ゲイカに言われたとおりに修行する」というものです。
言われたとおりに修行すれば因縁も切れ、不幸災難はなくなり、
棚ぼたの好運がやってくるというのです。
言葉を見ただけで、なかなかうまいのがわかりますよね。
内容が曖昧で「言われたとおり」とは具体的に何を指すのかわからず、
それ自体が桐山さんの手の内で、どうにでもなる。
たとえば「1万円を払えば」という条件なら明瞭でわかりやすいが、
「お金を払えば」という条件では、一見、お金という具体的なものを
示しているようでありながら、金額が示されないのだから、何もないのと同じです。
桐山さんの示した条件とはまさにこういうことです。
「言われたとおり」の内容が明瞭ではないから、信者がどんなに一生懸命に
やっても、「足りない」と言われればそれで終わりです。
桐山さんはこういうやり方で三十年以上信者をひっぱってきた。
最初の頃、超能力開発を売り物にしたが、もちろん中身がない。
やったのは照真秘流という他人のパクリの加持祈祷と、
伝法会と称して滝行やヨーガのまねごとをした。
普通なら、これであきられてしまうが、桐山さんのうまいところは、
次のエサと屁理屈で信者を引っ張る。
つまり、「言われたとおり」とは、このエサに食いつき、
桐山さんの屁理屈を受け入れることです。

911深山:2010/04/02(金) 22:25:04 ID:M/T81p2s0
>>892 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 11:08:42 ID:.dXRHkm20

信者をエサと屁理屈で引っ張るという点で、桐山さんが宗教詐欺師として
どれだけ優れているか、少しご紹介しましょう。
100万人の巨大教団の教祖になり、名誉も権力も金も思うがままにしたいというのが
桐山さんの本当の、そして最終目標です。
つまり、大作さんのようになりたかった。
桐山さんを良く理解するためには、
「エラクなりたい」
これが彼の切なる望みであることを知ることです。
彼がエラクなりたいという欲望の背景にある「自分はエライのだから、
エラクなって当然だ」という思いこみも理解してあげてください。
そうすると、彼の言動の大半は説明がついてしまい、わかりやすい。
エラクなることを目標に、念力の護摩というインチキで、超能力を
売り物にして世に出てきた。
ところが、超能力開発をうたっても、何もないから人がいなくなり、
密教の鬼として密教界の寵児になるはずだったのが、前科まで暴露され、
密教界から追い出された。
そこで考え出したが、アゴン宗を立宗して自分の目標と復讐を一石二鳥で達成することです。

912深山:2010/04/02(金) 22:30:12 ID:M/T81p2s0
>>892 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 11:08:42 ID:.dXRHkm20

才能を妬む他宗教から宗教的な迫害にあっている桐山ゲイカが、
命をかけて阿含経を世に出し、オシャカを蘇らせる、という美しい話を
作り上げて、信者を前から引っ張り、さらに、オシャカの蘇りに失敗すれば
霊障のカルマが世紀末に現れ、地球は核ミサイルや大地震で壊滅するぞと、
後ろから火をつけた。
「言われたとおり」とはこの大聖業に参加させていただき、
徳を積ませていただくことであり、これこそが釈尊が説かれた解脱へと
進む三福道である、といかにも釈尊の教法であるかのように権威付けした。
桐山さんの私利私欲のために金と人を集めることを「大聖業」とか、梵行などと
仏教用語で言い換えた点はさすがです。
しかも、信者側が「させていただく」のです。
桐山ゲイカのたくみな宗教商売の手法に気か付きましたか。
事前説明が見事にすり替えられている。
いつのまにか、客と売り手の上下関係が変わっています。
普通は客が金を払って商品を買ってあげるのに対して、
アゴン宗では客が商品を「買わせていただく」のです。
世間的には実におもしろい光景で、客が頭を下げて、
お願いして売っていただき、店主は威張って売ってあげるのです。
買わせていただくのですから、客側の要求である事前説明など事実上、反故です。
話が違うという批判に対しては「文句があるんなら出て行け」とヤクザのように開き直るのが桐山さんの常で、
これを彼は「去る者は追わず」と言います。

913深山:2010/04/02(金) 22:32:36 ID:M/T81p2s0
>>892 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 11:08:42 ID:.dXRHkm20

文句があって出ていく者はまだいいのでしょう。
だが、洗脳されてしまうと、桐山さんの法力に依存している。
「横変死の因縁あり」とは、自殺、他殺、事故死などで死ぬという運命です。
これを桐山さんから因縁をつけられたら、信者はおびえます。
第三者からみたらバカみたいだが、運命を完璧に透視するという桐山さんから
「おまえは畳の上では死ねない」とお墨付きをもらい、
なおかつ、毎年のように「いよいよ地球壊滅がくる。大地震が来る。
核ミサイルが飛んでくる」と脅かされたらどうでしょう。
明日にも東京には直下型の大地震がおきてもおかしくないのは事実です。
こういう事実を巧みにからめて、強い恐怖心を植え付けられ、
これを救えるのは桐山ゲイカだけだと教え込まされている。
体内に爆弾を埋め込まれ、これを外せるのは桐山ゲイカだけだと
言われたようなものです。
その爆弾とは、横変死する、ガンになる、若い女性には幸せな結婚ができない、
親には子供が不幸になる、という相手の弱みにつけ込んだ脅しです。
アゴン宗はカルト宗教だと批判するのは、こういう霊的な脅迫を教義として
はっきりと示し、しかも実際にそれをしているからです。

914深山:2010/04/02(金) 22:35:33 ID:M/T81p2s0
>>892 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 11:08:42 ID:.dXRHkm20

桐山さんの因縁に洗脳された人は、もはや、入信の時の事前説明も何もあったものではなく、
桐山ゲイカのお力にすがるしかない宗教奴隷になりはてる。
しかも、非常に困ったことに、自分が洗脳されていることに
気がついている人は希です。
私自身がそうだった。
私は関東なので毎月、例祭といって桐山さんの護摩に出席していました。
この護摩で一ヶ月の間に溜まった自分の悪因縁を浄化してもらうというものです。
「関東にいるからいいが、地方や海外にいる人は、悪因縁を浄化することも
ままならず、大変だなあ。自分たちはゲイカの護摩に接することが
できるのだから、恵まれている」と思った。
思ってから、自分のこの考えがとても奇妙だと気がついたのです。
自分は護摩に頼っている、依存しているのではないかと疑った。
その疑いは時間とともに広がっていき、やがて自分が依存しているのが
桐山さんの法力なのだと気がついた。
気がつくのがずいぶん遅いと思うかもしれませんが、
自分が何かに依存しているという自覚そのものがないのです。
だから、自分が悪因縁への恐怖心を植え付けられていることを
自覚するのにずいぶん時間がかかりました。
自覚しないというよりも、認めたくないのです。
自分がそんな霊的な脅かしを受けて、オバケに怯える子供と
同じだなんて認めたくありません。
でも、事実だった。

915深山:2010/04/02(金) 22:44:22 ID:M/T81p2s0
>>892 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 11:08:42 ID:.dXRHkm20

恐怖心を植え付けられ、桐山ゲイカでなければ救済できないと
洗脳されてしまったら宗教家畜、宗教奴隷です。
家畜や奴隷には、入信の時の説明条項なんて記憶にない。
入信の時の条件を問題にするのは、対等の立場での人間であって、
家畜や奴隷にはそんな発想すらありません。
むしろ、アゴン宗を批判されると、自分の土台を批判されたような
錯覚から、批判するものを嫌悪する。
洗脳され、依存し、桐山ゲイカなくしては自分の命や人生すらも
成り立たないと自覚なく思いこんでいるのだから、批判には無条件で反発します。
アゴン宗ではこの恐怖心の洗脳による依存の他に、
自分たちは仏様に選ばれたという強烈な慢心も植え付けられていることが多い。
私がアゴン宗の先達の必須条件は、無知と無恥と慢心だといつも書くのはそれが理由です。
その元はやはり桐山さんで、彼は自分くらいエライ者はなく、
踊りと字以外はだれにも負けないとまで言ったことがあります。
彼を信じていた信者時代に聞いた時ですら、「この人は世間に出て、
客観的に自分を評価されたことがない人だなあ」と思いました。
この桐山さんの「高度の慢心」に感染してガンのように増大した例が準シュダオンさんです。

916深山:2010/04/02(金) 22:48:56 ID:M/T81p2s0
>>892 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 11:08:42 ID:.dXRHkm20

準シュダオンさんは、桐山さんと似ているのは、実力よりも自惚れのほうが大きい点です。
二人とも現実世界での実力はないから、その満たされなかった自惚れを
宗教の妄想世界で実現しようとしている。
桐山さんがアゴン宗で妄想の仏陀ゴッコをやってのけ、その桐山妄想の上にできた
オデキのように聖者ゴッコをして自惚れているのが準シュダオンさんです。
彼のようなタイプの信者がものすごく珍しいわけではなく、何人か思い出せます。
ただ、アゴン宗の信者とはすべて準シュダオンさんのように、慢心と無恥と
無知をゴシック体で大書して額と鼻先にぶら下げたような連中ばかりで
はないことは言うまでもありません。
信者の大半は洗脳され、自覚しない形で恐怖心を強く植え付けられ、
あるいは欲にあおられ、入信の時の条件など忘れてしまっている人も多いが、
さすがに準シュダオンさんのような壊れ方は少数派です。

917無関係な人間です:2010/04/02(金) 23:08:42 ID:.dXRHkm20
 深山様、丁寧なご回答に深く感謝申し上げます。
いつも御文章を拝読し、明晰な頭脳とすぐれた分析には感服をしております。

 それにしても、桐山氏の手口のすごさにはつくづく感心をします。
まあ、無駄に門松を経ていなかった人ですね。○○の道で修行して来た
だけに、普通の人では太刀打ちできないでしょう。

 自分も桐山氏の「現世成仏」という本を久しぶりに立ち読みをしました。
彼が苦学した時代の事が書かれていますが、彼と一緒に勉強をした人の中には
俳優の金子信雄氏や弁護士の原秀男氏(2.26事件の研究でも有名です。ちなみに
日弁連の理事なども歴任)など、社会的に成功した人物がぞろぞろ出てきます。
 他にも、偉い人やインテリが沢山登場します。
 でも、彼は前科者になってしまった! 彼は落伍者になったのです。
(まあ、○○の世界で成功をしたのですから、ある意味、能力はある人なんでしょう。)

 これからは自分の独断ですが、同じように努力をしていたのに、他の人達は成功し、
自分は落伍者になってしまった。奥さんですら、歯科医師で活躍している。
 彼は自分の頭脳に自信があり、プライドも高い人のようですから、自分のせいで
失敗をしたとは認めたくなかったと思います。その点、因縁のせいで失敗をしたと
いう説明は、すごく自分のプライドを満たす説明だったのではないかと感じます。
 周囲に人は学校に行けたのに、自分が行けなかった。周囲は金持ちなのに、
自分は貧乏生活である。これは不公平だ。自分のほうが能力があるのに、環境の
せいで成功できなかった。これは、全部、因縁のせいだ。自分のせいではない、と。

 これは、私個人の感想で、これが正しいと言い切るつもりはありませんが。
 
 あと、ご説明の通り、学歴コンプレックスと劣等感が彼の権力志向を強めたのは
自分も感じました。
 自分も苦学しましたが、まあ、苦学中は自分の事でせいいっぱいで、他人の事など
どうでもいいという心境でした。自分は幸い、卒業できたのですが、あれが「中途挫折」
していたら、自分も桐山氏のように、権力や金の亡者になったいた可能性は否定できませ
ん。

 何か、勝手な思いつきを書いて、申し訳ありません。
「現世成仏」を読んでの感想でした。

これからも御健筆をふるって下さい。益々のご活躍をお祈り申し上げます。
 親切なご指導には、重ねて御礼を申し上げます。

918準シュダオン:2010/04/03(土) 10:11:25 ID:agsP6ENM0
うざい、のユビキタスさんの辞典は、新しいがな!
私愛用のは、昭和54年発行、岩波国語辞典第三版、でね、伝統ある辞典だ。
阿含宗立宗の翌年に発行された辞典、それには「うざい」なんて、ガキの
使う語はないよ。

919無関係な人間です:2010/04/03(土) 10:13:20 ID:yA04FUQE0
深山様へ追伸です。

 拝読していて、「うげー、そんなに酷いのか。」と声も出ませんでした。
以前、初めて北朝鮮の内情を暴いた「凍土の共和国」という本を読んだときも似たような感想を覚えました。
 が、これが日本で行われているのには驚きます。

 阿含宗を脱会した方々が、金と時間を返せと言います。それは自分も以前から共鳴していました。
しかし、深山様の御文章を拝読して感じたのは、桐山氏の行為は、信徒の人格を踏みにじる行為である
というものです。金や時間、労力以上の問題であり、阿含宗と桐山氏の行為は信者の方々の
人間性への侮辱であると言ってもいいでしょう。ひどい話だと思います。

 若い方には理解できないかもしれませんが、ある程度の年齢になると、自分の人生を振り返るようになります。
自分が解脱のため、世のため、人のために純粋な好意でしてきた行為が、実は壮大な虚偽であったという事実
は取り返しのつかないショックになると思います。
 
 言うべき言葉もありません。

920無関係な人間です:2010/04/03(土) 10:28:23 ID:yA04FUQE0
>>918

すみません、申し上げにくいのですが、それは全然、反論になっていないと思います。

921準シュダオン:2010/04/03(土) 10:34:16 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんが、真理を説こうとしても、真理を知らないのだから、
説けようがない、ということが第一点。
私だとて、真理を知らないから、同じく真理を説けようがない。
だから、我らのレスはウンコレスだと、言ったのです。
まず、それを自覚できないといけない。

涅槃という語を知ってはいても、それがどういうものであるか、知らないで
理屈を述べあっている。滑稽なことでしょ。同じく、桐山管長の教えを、
同じような言葉で話したとしても、その理解度には雲泥の差があります。
長州力と長州小力の容姿は似ていても、その力量は全く違う、それと同じこと。
管長の言葉をまねても、その内容は理解できていない、ということです。

釈迦の説く「欲を無くせ」一つ取り上げても、その理解度は全くちがう。
我欲に貪欲に邪欲に悪欲、よく理解できてないままに、論じてるね。
健全な欲まで否定してる人もいる。
「欲求離欲悪不善法」という、釈迦の言葉は、「悪欲を離れるという欲を
求めて持ちなさい」ということで、向上心につながる欲は求めなさい、と、
教えているわけですよ。
だから、釈迦が欲を離れよ、という場合の欲とは何か?
まず、それを知る必要がある。しかし、それは難しい。
シュダオンになってから、ようやく貪欲の内容がわかってくるのであって、
それ以前には、わかりようがない。

922準シュダオン:2010/04/03(土) 10:35:25 ID:agsP6ENM0
ユビキタスさんが、真理を説こうとしても、真理を知らないのだから、
説けようがない、ということが第一点。
私だとて、真理を知らないから、同じく真理を説けようがない。
だから、我らのレスはウンコレスだと、言ったのです。
まず、それを自覚できないといけない。

涅槃という語を知ってはいても、それがどういうものであるか、知らないで
理屈を述べあっている。滑稽なことでしょ。同じく、桐山管長の教えを、
同じような言葉で話したとしても、その理解度には雲泥の差があります。
長州力と長州小力の容姿は似ていても、その力量は全く違う、それと同じこと。
管長の言葉をまねても、その内容は理解できていない、ということです。

釈迦の説く「欲を無くせ」一つ取り上げても、その理解度は全くちがう。
我欲に貪欲に邪欲に悪欲、よく理解できてないままに、論じてるね。
健全な欲まで否定してる人もいる。
「欲求離欲悪不善法」という、釈迦の言葉は、「悪欲を離れるという欲を
求めて持ちなさい」ということで、向上心につながる欲は求めなさい、と、
教えているわけですよ。
だから、釈迦が欲を離れよ、という場合の欲とは何か?
まず、それを知る必要がある。しかし、それは難しい。
シュダオンになってから、ようやく貪欲の内容がわかってくるのであって、
それ以前には、わかりようがない。

923ラシン:2010/04/03(土) 11:16:35 ID:xHcchQTM0
>921 :準シュダオン
>釈迦の説く「欲を無くせ」一つ取り上げても、その理解度は全くちがう。
我欲に貪欲に邪欲に悪欲、よく理解できてないままに、論じてるね。
健全な欲まで否定してる人もいる。
「欲求離欲悪不善法」という、釈迦の言葉は、「悪欲を離れるという欲を
求めて持ちなさい」ということで、向上心につながる欲は求めなさい、と、
教えているわけですよ。

批判側の誰が、解脱を求める欲を捨てろと言った?
深山さんもすぐ前のレスで釈尊も弟子たちも解脱修行に必要な
一日最低限生きられる食だけを求め、食に耽溺しないようにしていたと、
掲示している。
それこそがあなたの言いたい健全な欲と言うなら、これがそうなのだ。
あなたは、捨欲を認めたくないからなんだかんだ言い訳をつくり、
欲を健全か邪欲かと独断でしがみついている。
それが我執なんですよ。
釈尊が認めた欲は解脱以外一切ないのだ。
それも解脱途中でその欲すら消えて行く。
これは、アゴン宗以外常識ね。
欲は全て捨て去る、滅せられる対象とされているのが仏教だ。
そんなあなたの失笑を買う屁理屈は通じません。
あなたの欲ボケしたアタマで欲の選り分けなど、とうてい無理だ。
理由は、そんな選り分けの必要が無いからです。
信者さんたちもよく見るとよい。
アゴン宗にいて欲まみれの師を持つと、結果このような健全な○○欲が、
あると執着し妄想を作り出して、手前の我欲を正当化しようとする。
挙句の成れの果てが、今の桐山さんです。
自分の欲の重さに足許がふらつい、て一人歩くこともままならない。

924準シュダオン:2010/04/03(土) 11:59:59 ID:agsP6ENM0
うサギさんに、言葉の議論がかみ合わない、具体的理由を示しておこう。
言葉の議論は最初から、かみ合わない宿命を帯びているのです。

なぜかというと、例えば、ここに同じ種類の林檎が、二個あったとします。
そして、「この林檎は同じものですね?」と、訊いた場合、
「はい、同じ物、同じ林檎です」との答えは、正解です。

また、「同じ種類の林檎でも、その形や味は微妙に違います。だから、
    林檎A、林檎Bと区別すれば、この二つは別の林檎です。」
そのように、答えても、正解です。

ね、「二つの林檎は同じ」と答えても正解ですし、「二つの林檎は違う」と
答えても正解です。普通は、この林檎の例のように、細かい定義をしないで
議論してます。だから言葉の議論は、矛盾してるように見えることが多い。
同じ言葉を使っても、お互いに、別の意味で使ってる場合があるからです。

「うざい」にしても似たようなもの。うサギさんは真面目にレスしてるが、
私のような年齢になると、うざい、というような言葉を使う人は、坊や、に
思えてしまうのよ。そりゃ、小中学生が、うざい、という言葉を使って、
ケンカなどしてることは知ってますよ。
だが、私などの年代は、うざい、の言葉を使った、実体験がない。

だから、そういう言葉使われると、相手を幼く感じてしまうのよ。
悪気はないよ、ただそれだけ。

925名無しさん:2010/04/03(土) 13:41:13 ID:9Bf3hFVwO
>>917

926うサギ:2010/04/03(土) 14:14:45 ID:9sYmIUls0
>>918私愛用のは、昭和54年発行、岩波国語辞典第三版、でね、伝統ある辞典だ。
阿含宗立宗の翌年に発行された辞典、それには「うざい」なんて、ガキの使う語はないよ。

馬鹿に「馬鹿ですか?」と聞いて「はい」と応えたら、
それは、その人が馬鹿だということになると思いますか?

さて、あなたの「伝統ある辞典」には、
「インターネット」や「2ちゃんねる」という言葉は載っていますか?
あなたの「伝統ある辞典」に載っていない言葉は「ガキの使う語」なんですか?
だったら、あなたの「伝統ある辞典」に載っていない
「現代用語」の大部分は「ガキの使う語」なんですね?

あなた「愛用」の「昭和54年発行、岩波国語辞典第三版」に
載っているかいないかということが「ガキの使う語」の基準に
なる根拠は何ですか? いつからそういうことになっているのですか?
とりあえず以上のことを解説していただきたい。
あなたには、一度にそれ以上は求めませんから、よろしくお願いします。

927うサギ:2010/04/03(土) 14:24:45 ID:9sYmIUls0
>>924のりんごの話は「抽象化の階梯」といわれるものですね。
大学の一般教養などで勉強するような話題ですので解説不要です。

928ラシン:2010/04/03(土) 18:50:16 ID:3gClh01Y0
>924 :準シュダオン:2010/04/03(土) 11:59:59 ID:agsP6ENM0
うサギさんに、言葉の議論がかみ合わない、具体的理由を示しておこう。
言葉の議論は最初から、かみ合わない宿命を帯びているのです。

また出た、勝手に仮想して逃げるウナギのヌルヌル拙論。
しかし、あなたのそれはすでにウナギの頭がメ打ちされている。
ここは文章が残るのだから、その書いた文章は検証される。
言葉による議論がかみ合わない前提を設けたら、
あなたはすでに社会人を放棄したと同じだ。
どの世界でも言葉による議論によって打合せや交渉が成立している。
司法立法の場は、裁判や国会という言葉の世界だ。
あなたが、ヨロメイて税金減免に泣きつき相手は行政という公設機関だ。
以前に教えたはずですよ、口頭による契約成立もね。
それを担保するために文章化し、双方の確認の証として残すのが、
契約書や覚書、同意書、念書というものです。
あなたがそれらを否定するなら、どうやって今まで生活してきたのだ?
そうそう、始末書という部類もある。
多分あなたが、過去に書いてきたであろうあなたのミスの記録だよ。
さあ、これからでも遅くないからそれらはウンコですと言って、
あなたの上司から取り戻して来たらどうだ?

>なぜかというと、例えば、ここに同じ種類の林檎が、二個あったとします。
そして、「この林檎は同じものですね?」と、訊いた場合、

小学生のような言い訳はやめたほうが良い、いい大人がそんな幼稚な
例えには誰も納得しません。
りんごの同一性を吟味するなら、そのDNA的生成なのか単に味なのか、
また熟成を考えるのか、形状かと目的を限定しての議論が可能です。
あなたは常にそれを避けたつもりで、逃げ道を残しているつもりで、
そうやって自己過信して都合悪くなれば曖昧に逃げているだけだ。
あなたの十八番の”つもり”感覚ですよ。
そんな姑息性は充分理解し、批判側は苦笑を交えてあなたの暴論を
看破し反論している。
しかしそれはウンコだ、と卑劣にもあなたは逃げた。
やはりアゴン宗という汚物信仰者だけのことはある。
桐山さんもどうようにことを曖昧にして逃げ道確保した”つもり”人間だ。
普通、議論で逃げたならば、あなたが白旗を挙げたに等しいのだよ。
それも分からずあなたは、公の場所で便意を我慢もせず垂れ流して、
テンとして恥じない。
この状況はボケ老人が、町内を徘徊し家内屋内問わず糞小便を撒き散らす、
という悲惨な情景に似ている。

929ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/03(土) 20:34:03 ID:SmEF4Oe2O
>>918:準シュダオン10/04/03(土) 10:11:25 ID:agsP6ENM0
>うざい、のユビキタスさんの辞典は、新しいがな!
>私愛用のは、昭和54年発行、岩波国語辞典第三版、でね、伝統ある辞典だ。

三省堂も伝統ある辞典ですが、辞書の命は新しい情報も盛り込んであることです。
世の中情報社会ですからね。
情報の差、不足は競争にだって負けます。
あなたが昭和54年の六法全書を持っているとしますよね。
ところが法律なんてのも年々改正になるのです。
それを知らなかったでは違反があった時済まされません。
罰金や禁固の刑の行使もあなたの無知な言い訳など通用しません。

930ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/03(土) 20:59:28 ID:SmEF4Oe2O
>>921:準シュダオン10/04/03(土) 10:34:16 ID:agsP6ENM0
>ユビキタスさんが、真理を説こうとしても、真理を知らないのだから、
>説けようがない、ということが第一点。
>私だとて、真理を知らないから、同じく真理を説けようがない。
>だから、我らのレスはウンコレスだと、言ったのです。
>まず、それを自覚できないといけない。

何事も完璧に知っている必要などないし、そんなことは少ないことです。
だから我らは「私は〜についてこう思っている」という考えを示せばよいのです。
そういう限られた範囲の中でお互いに議論を交わすのです。
だから真理を本当につかんでいるかどうかではなく、自分がこう思うと発言した
ことについては自分で責任を持たねばならず、過去の発言だからと言ってウンコ
扱いにしてはいけません。
考えが変わったのならば、お詫びまでは不要だが、訂正する義務があります。
これを桐山さんもきちんと果たしていない。
きちんと訂正もせずに過去の自分の発言をウンコ扱いにして、そんなものに
突っ込むなと逃げるのは甚だ失礼なことです。
こんな人は社会から相手にされない。
ちなみに私の過去の発言にウンコはありません。
少なくとも自分で自分をウンコ扱いになどしません。
ジョーク、ブラックユーモアで書いたことすら取り消す気はなくそのまま機能させたい。
それだけの自信と責任を持っています。

931ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/03(土) 21:16:43 ID:SmEF4Oe2O
>>924:準シュダオン10/04/03(土) 11:59:59 ID:agsP6ENM0
>「うざい」にしても似たようなもの。うサギさんは真面目にレスしてるが、
>私のような年齢になると、うざい、というような言葉を使う人は、坊や、に
>思えてしまうのよ。

そう思えるあなたの感覚は自由ですが、それをあからさまに表現してはいけませんね。
単にワシは爺だから若い奴らのことはとんと知らんとぼやいているに過ぎない。
世の中年長者の言うことは年少者の言うことよりも正しいとは限らないのですよ。
むしろ若い人こそ新鮮な目でよい仕事をする。
若い人の方が謙虚かつ公徳心に富み、反対に爺どもに「なんだ?この公徳心の
著しい欠如と非常識は?」と呆れることも多い。
頭が古いことなど自慢にすらなりません。
ところであなたも時々発言の最後にwwwを付けることありますよね。
この用法なんて昔の辞書にもありません。
言わば若者文化的な軽薄にもとれる使用法です。
しかし私はあなたのような年長の人がそんな用法を使用することも寧ろ微笑みらしく
受容しています。
wwwを使いながら、よく矛盾したことが言えますねw
うざいは子供でwwwは大人とでも言いたいのですか?w

932深山:2010/04/03(土) 21:34:27 ID:rOJZgD720
>>917 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 23:08:42 ID:.dXRHkm20
>周囲に人は学校に行けたのに、自分が行けなかった。周囲は金持ちなのに、
>自分は貧乏生活である。これは不公平だ。自分のほうが能力があるのに、環境の
>せいで成功できなかった。これは、全部、因縁のせいだ。自分のせいではない、と。

桐山さんの人生を見ると、彼にも同情できる面があるという印象を持たれたのですね。
百人の人が読めば、かつての私を含めた99人まで同じ印象を持つでしょう。
その印象を確認し記憶してください。
なぜなら、それこそが、桐山さんがどれほど嘘がうまいかを体験するチャンスだからです。
あの本を読むと、大まかに言うなら桐山さんの気の毒な点は、
1.秀才だったのに家が貧しくて進学できなかったので学歴に恵まれなかった。
2.結核のために学業がうまくいかなかった。
3.インスタントビールを造ろうとして他人の犯罪に巻き込まれた。
という三点かと思います。
だが、いずれも嘘です。

933Boo:2010/04/03(土) 21:35:09 ID:pgtsYaQs0
準シュダオンさんはそもそも謙虚さがありませんね。傲慢で自分勝手な性格が
行間から読み取れます。それはお釈迦様の仏教から程遠いものにしか見えません。

ゲイカが昔よく言っていましたが「皆さんは地獄や畜生から、まず人間になりなさい」
と言っていました。それは多分準シュダオンさんのような輩に言っていたのでしょう。

それでも「ウンコ」扱いはしませんでした。

自称「準シュダオン」が自分の過去の発言を「ウンコ」呼ばわりするのは、ハンドル
ネームに対する冒涜としか思えません。

934深山:2010/04/03(土) 21:37:06 ID:rOJZgD720
1.桐山さんは秀才の貧乏学生だったのか

まず一つ気を付けてほしいのは、桐山さんは
「いまさら東大を志すというわけにもいかない」(39頁)などと、
いかにも学校の成績の良い秀才であったかのような書き方をしているが、
これがまず嘘でしょう。
それは彼の中学進学の時の描写を読めばわかります。
いかにも家計が苦しいので中学受験をしなかったかのように書いています。
だが、なんともっと金のかかる私立中学に進学している。
流山から都内まで通学にしろ、下宿にしろ、金がかかります。
そこに入れたということは、少なくとも入学時には彼の家には金があったのです。
まるで「おれは東大に合格する実力があったが、家が貧乏だったので受験せず、金のかかる三流私立大学に入学した」と言っているのと同じで、支離滅裂です。
現実は、公立中学を受験しなかったのは、成績からいって合格しそうもないから
格好つけるために受験せず、誰でも入れる私立中学にかろうじて入れてもらったのでしょう。
つまり、公立の中学に合格できない程度の成績だったということです。
学校の成績が本当の意味での頭の良し悪しとは必ずしも関係ないが、
少なくとも、公立中学の受験すらできない成績しかとれなかったということは、
桐山さんは秀才どころか、学校の成績はかなり悪かったとみるべきでしょう。
これは私の一方的な悪口ではなく、いくつか根拠があります。

935深山:2010/04/03(土) 21:39:22 ID:rOJZgD720
1.桐山さんは秀才の貧乏学生だったのか

阪神大震災でアゴン宗の信者が三人亡くなり、これを桐山さんは逆手にとって、
「583対3」と題して、伝統仏教の信者が583人亡くなったのに、
アゴン宗はたった3人だったと『一九九九年七の月が来る』という本で宣伝したのです。
絶句しませんか。
当然のことながら、両者を比較するなら、信者全体数という分母を考えなければならない。
これは小学校で習う算数です。
ところが、桐山さんは分母については、被災地区にいるアゴン宗信者数は一万人などと
適当なことを書いているが、伝統仏教の信者数を書いていないのです。
これで分子にあたる583人と3人を比較して何になるのか。
小学生でもこの比較がおかしいことに気が付いていいはずなのに、
桐山さんは堂々とこれを書いています。
つまり、桐山さんは小学校の算数ができないのです。

936深山:2010/04/03(土) 21:47:46 ID:rOJZgD720
1.桐山さんは秀才の貧乏学生だったのか

文筆力はあるから、国語はできたかのように見えるが、これもないと思う。
桐山さんは法話で「国語の教科書など一日で終わった」と自慢していた。
これも絶句しませんか。
読むだけならたしかに一日で終わる。
だが、それを読解するとなると一年かかる。
要するに桐山さんは国語の読解とは何かを未だに理解していないのです。
それは桐山さんの他人の文章の読み方を見るとよくわかります。
相手が何を書いているのかを理解するのではなく、
自分の勝手な解釈をあてはめて解釈するのです。
彼の理解は一知半解、決めつけと独断です。
昔、桐山さんと先達たちが会合する定例会というがありました。
先達たちが問題点などを提出し、これに桐山さんが指導するのですが、
しばしば先達が何を言いたいのか、文意を理解しておらず、
ピント外れな意見を並べ、あとは自慢話で終わることもよくありました。
要するに、部下たちが何を悩んでいるのか文章から読みとれないのです。
こんな程度の読解力だから、仏教の解脱の定義すら彼はついに理解できなかった。
解脱者を称する者が解脱の定義を間違えているのです。
オリンピックの水泳で金メダルを取ったという水泳選手が
カナヅチだと言っているようなものです。
つまり、桐山さんが秀才であったとか、有名大学にも入れたなんてのは
桐山さんのホラにすぎないのです。

937深山:2010/04/03(土) 21:51:03 ID:rOJZgD720
1.桐山さんは秀才の貧乏学生だったのか

桐山さんの家が貧乏で学業が続けられなかったというのも、私は疑っています。
あの本を丁寧に読むと、家が貧乏になり、新聞配達までするようになったのは
長く見ても数年です。
東京の私立中学に実際に入ったのだから、中学入学当時は家に金があったことは
疑いようもありません。
その後、金が続かなくなって新聞配達や出版社に勤めたとあります。
しかし、その後を読んでください。
39頁頃に、支那事変で父親の仕事がうまくいくようになり、
働かなくてもよくなったというのです。
支那事変は、1937年(昭和12年)ですから、桐山さんは十六歳です。
仮に14歳から苦労をしたとしても、数年なのです。
当時の日本の貧しさからすれば、小学校卒が当たり前であり、
桐山さんの境遇など例外ではなかった。
しかも、この部分をよく読めばとんでもないことが書いてある。

938深山:2010/04/03(土) 21:54:06 ID:rOJZgD720
1.桐山さんは秀才の貧乏学生だったのか

「・・・上野の図書館に通い、猛烈な勉強をはじめた。」
(『現世成仏』39頁)

一見、まじめに勉強しているかのような書きぶりだが、
働きもせず、学校にもいかず、図書館通いと称して遊んでいたのです。
学資もあるし、まだ十六歳なのだから、学校をちゃんと卒業するチャンスはあったのです。
しかも、桐山さんはこの時期、
「ある私立学校に籍をおいていた」
と、在学していたことを書いている。
まじめに勉強して学歴をつけようというなら、図書館通いなどありえないことです。
桐山さんは金持ちのボンボンみたいに、働く必要もなく、
学校に行くでもなく、毎日、遊び暮らしていたのです。
この状態が終戦まで、なんと二十四歳まで続いています。
つまり、貧乏でチャンスがなくて学べなかったのではなく、
お金もチャンスもいくらでもあったのに、遊びまくっていたのです。

939深山:2010/04/03(土) 21:56:41 ID:rOJZgD720
1.桐山さんは秀才の貧乏学生だったのか

学業や司法試験などまじめに努力した人たちがその成果を得るのも、
また、何もせずに「遊び人」をしていただけの桐山さんが
何も得られなかったのは当然の結果です。
むしろ、当時の人達に比べたら、はるかに勉学のチャンスが
あったにもかかわらず、何もしなかった。
桐山さんは小説家を目指していたというのも、ホラです。
なぜなら、知り合いで同じ小説家を目指した金子信雄氏は
次のように答えています。

「彼の作品は一篇も読んだことがないですけどね」
(「桐山靖雄とは何者か」『宝石』1978年11月号、149頁)

桐山さんは書いてはいたでしょう。
だが、必死に小説家を目指していたなんていうのは嘘です。
それならどうして金子氏がただの一つも見たことがないのか。
桐山さんの当時の職業は「遊び人」であり、趣味が小説書きです。
だが、この幸せな時期も長くは続かなかった。
それが戦争であり、徴兵です。
そこに桐山さんのもう一つの大嘘がある。

940深山:2010/04/03(土) 22:03:21 ID:rOJZgD720
2.桐山さんは結核だったのか

桐山さんは結核になり、病気によって勉強などを断念したかのような書き方をしています。
結核だったという話自体が嘘の可能性がかなり高い。
それはこの本を読んだだけでもわかります。
徴兵検査の直前になっていますから、兵役逃れでしょう。
嘘だから、結核になった時期を本の記述から比較しただけでも矛盾する。

「17歳の時、・・・(中略)しかしなおも、武術の練習を止めなかったため、
翌年、大喀血をし、結核になった」(『求聞持聡明法秘伝』39頁)
「私は、十七、八歳で肋膜炎を病み、結核患者となって、徴兵検査では丙種であった」
(『阿含仏教超能力の秘密』107頁)
「半年ばかり自宅療養してから、千葉県の上総湊にある鳩山病院という
結核療養専門病院に入ったのであるが・・」(『現世成仏』110頁)
「昭和16年から17年頃であったと思う。
一年余この鳩山病院にお世話になった」(『現世成仏』116頁)

『求聞持聡明法秘伝』の記述からすると、17歳の翌年とあるから、
18歳(昭和14年)で結核になっている。
だが、『現世成仏』の入院から逆算するとこれすらも数字が合わない。
入院期間が一年余ですから、入院したのは早くても昭和16年(20歳)です。
入院する前、半年自宅療養したというのだから、喀血して結核だとわかったのは、
早くても昭和15年(19歳)の中頃から16年(20歳)ということになる。
つまり、昭和14年(18歳)という数字と一年も違う。
しかも重度の結核患者だった桐山さんはこの後、大活躍をする。

941深山:2010/04/03(土) 22:08:44 ID:rOJZgD720
2.桐山さんは結核だったのか

順天堂大の先生には余命数年と言われた結核末期の堤青年(桐山さん)は、
夏休みに登山をして、タバコを吸っていたのですよ。
国民体力検定に推薦され、千葉県で3人の上位者に選ばれたのです。
これが余命数年の末期患者?
結核になった人を知っているが、身体がだるくてどうにもならないという。
桐山さんが結核療養に行ったというのも、一年ほどで回復して戻ってきている。
余命数年はどこに行ってしまったのだ?
東京空襲では電車がなくなり、流山まで歩いて帰ったという。
小説家仲間の金子信雄氏は、桐山さんが結核患者だとは知らなかったという。
さらには、桐山さんは戦争が終わった翌年、結婚している。
今と違い、結核は死病として恐れられ、感染を恐れた人たちから差別された。
桐山さんが結核とわかっていて歯科医である夫人が結婚するはずがない。
こんなふうに彼自身の記述や現実のどこをどう見ても、
桐山さんが重症の結核患者だったなどありえない。
現実は簡単で、兵役逃れのための嘘だったのでしょう。

942深山:2010/04/03(土) 22:17:31 ID:rOJZgD720
2.桐山さんは結核だったのか

桐山さんの父親は軍の御用商人ですから、裏金を使うことは可能です。
大事な長男を戦争に行かせまいとしたとみれば説明がつく。
世間の男たちが徴兵で戦地で戦っていた時、我らが教祖様は
嘘の結核でうまく徴兵を逃れ、登山を楽しみ、タバコを吸い、
美人女優のいる大学に通い、遊び人を満喫していた。
頑強な若者が遊んでいるという世間の目をさけるために
結核療養所に行ったかのように一時、家から出た。
それでも世間の目はごまかせないから、体力検定や満州の特別警察に
なるようにと、おそらく近所の人が話を持ちかけたのでしょう。
本当に結核で余命数年のフラフラの丙種合格者を誰が体力検定や警察に推挙しますか。
本当に結核で死にそうな人に運動会に出ろとか、警察官になれなんて言うはずがない。
今の我々ですら桐山さんの結核に疑いを持っているのですから、
ましてや直接彼を見ていた近所の人や知人たちは桐山さんの嘘に気が付いていたのです。
だから、皮肉半分に、体力検定や警察官に推薦したのでしょう。

943深山:2010/04/03(土) 22:23:25 ID:rOJZgD720
3.桐山さんは犯罪に巻き込まれたのか

次が前科についてです。
桐山さんは、
1.偽ビールではなく、インスタントビールを造るつもりで、
2.醸造所など買い取って、試験的に醸造していたのを、
3.仲間がキリンビールとして売ったために、逮捕された、
と述べています。
これだと、一見、気の毒な被害者のようにも見えます。
だが、全部嘘です。
第一に、当時も今もインスタントビールなど勝手に試験醸造することはできません。
試験醸造だろうがなんだろうが、税務署の許可なしにはできません。
つまり、無許可に試験醸造した段階で違法なのです。
また2のように、醸造所を買ったからといって、インスタントビールなど作れません。
なぜなら、税務署が与える許可とは、酒類ごとで、
醸造所が日本酒を造っていたのなら、日本酒しか許可されません。
インスタントビールなど造っていた醸造所はありませんから、
どこの醸造所を買おうが、インスタントビールの許可など付いてきません。
つまり、1と2は現実にはまったく成り立たない嘘の言い訳です。

944深山:2010/04/03(土) 22:26:29 ID:rOJZgD720
3.桐山さんは犯罪に巻き込まれたのか

3のキリンビールとして売ったことを知らなかった、という言い訳も無理です。
桐山さんは主犯ではないが、明らかに関与しており、
知らなかったで済む話ではありません。
逆に言えば、試験醸造した酒をどうするつもりでいたのかということになる。
醸造所や機械など様々な投資をすでにしているのだから、
元をどうやってとろうとしたのかという点です。
前述のように、インスタントビールなどというものを簡単に許可するはずが
ないし、また桐山さんのグループに許可がおりた可能性はありません。
なぜなら、主犯格の男は密造酒の前科のある男であり、
この一つだけでも絶対に許可がおりない。
ましてや、無許可で試験醸造したとばれたら、醸造許可どころか処罰されます。
だから、試験醸造した酒は密売する以外に道はなかったし、
そんなことは三十過ぎの桐山さんなら最初から知っていたはずです。
このように見ればわかるように、桐山さんの言い訳など嘘であり、
実際は密造酒で一儲けしようとたくらんだのです。

945深山:2010/04/03(土) 22:32:17 ID:rOJZgD720
3.桐山さんは犯罪に巻き込まれたのか

『現世成仏』を読むと、文学青年にすぎない純真な桐山さんが
ドブロク造りのプロに騙されて、全責任を負わされたような書き方だが、
まったくの嘘です。
実は桐山さんはこの本でものすごく重要なことを書いていない。
それは、彼はこの段階で3度目の逮捕だったという点です。

昭和27年8月16日 詐欺・契約違反の容疑で西新井署に逮捕。
昭和27年12月12日 手形詐欺擁護で千葉県松戸署に逮捕。
昭和28年8月16日 酒税法違反・私文書偽造容疑で防犯課に逮捕。

3度目の逮捕が、後に服役することになった偽ビール事件です。
いかがですか、3度の逮捕歴があるとなると、『現世成仏』での若き日の
桐山さんのイメージとはずいぶん違ってきます。
桐山さんは純情な文学青年どころか、私文書偽造など二度に渡る詐欺事件で
前年逮捕されていた犯罪の強者だったのです。
おそらく醸造に使うイモなどを手にいれるために、
農協の組合長であるかのようなふりをして偽造して、相手を騙したのでしょう。
普通の人は一度でも逮捕されたら、すっぱり犯罪から足を洗う。
ところが、彼は二度も逮捕されてもまだ懲りずに密造酒に関わっていた。
おそらく2度目までは微罪として、大目に見てくれたのでしょう。
桐山さんはそれを自分の頭の良さで切り抜けたと自惚れ、そのまま続けた。

946深山:2010/04/03(土) 22:39:13 ID:rOJZgD720
3.桐山さんは犯罪に巻き込まれたのか

私は信者時代、桐山さんの前科は知っていたが、
逮捕歴の話を批判記事で読んでショックでした。
桐山さんは今日に至るまで、一度もこの三度の逮捕歴のことは話したことがない。
一度なら、若き日の過ちともとれるが、二度も逮捕されても、懲りることなく、
そのまま犯罪を続けた。
1度目の逮捕で密造酒から足を洗えば、翌年、摘発されても、
彼はすでに参加していないのだから、起訴を免れたはずです。
2度目の逮捕で密造酒から足を洗っていたなら、有罪でも執行猶予がついたでしょう。
だが、二度も逮捕され、お説教を食らっても、まだ密造酒造りに参加していたのです。
この神経に信者時代の私はギョッとした。
二度も過ちを正すチャンスを警察からもらったのに、まだ犯罪を選んだのです。
純粋な文学青年どころか、犯罪など勲章のうちだというヤクザみたいな印象です。
桐山さんは前科を恥じているかのように書いているが、本当にそうなんでしょうか。
それほどこれを恥じる性格の人が、はたして二度も逮捕されても、
まだその犯罪行為に手を染めたままでいるなんてありえますか。

947深山:2010/04/03(土) 22:44:49 ID:rOJZgD720
>>917 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 23:08:42 ID:.dXRHkm20
>周囲に人は学校に行けたのに、自分が行けなかった。周囲は金持ちなのに、
>自分は貧乏生活である。これは不公平だ。自分のほうが能力があるのに、環境の
>せいで成功できなかった。これは、全部、因縁のせいだ。自分のせいではない、と。

桐山さんの小学生時代から、三十歳すぎまでの人生のいくつかのポイントを見てきて、
いかがでしょう。
だいぶん『現世成仏』で描写された若き日の桐山さんの印象とは違うのではありませんか。
少なくとも「頭がよかったのに貧乏で教育のチャンスもなかった気の毒な学生時代」など
作り話であり、「病弱で余命数年の命を嘆く青年」なんてのも嘘で、
「犯罪に巻き込まれた純粋な文学青年」に至っては真っ赤な嘘で、
前科があるのは当たり前なのがおわかりでしょうか。
彼は、同期や知り合いの出世をうらやましく思えるような
努力もしていなければ、才能もありません。
彼は、異常なまでに高い自己評価という自惚れと、一切の自己責任を認めず、
すべて他人のせいにして、自己弁護のためならさらに嘘を並べることも
なんともない歪んだ性格の持ち主です。

948深山:2010/04/03(土) 22:51:18 ID:rOJZgD720
>>917 :無関係な人間です:2010/04/02(金) 23:08:42 ID:.dXRHkm20

桐山さんが子供頃から虚言癖がひどかったことは、『現世成仏』の21頁に
自分で書いています。
小学校の先生が「この子は偉い人か、大悪人なる」と
卒業の時、わざわざ父親を呼んで注意したという。
これを桐山さんは自分のすごい才能を見抜いていたのだと自慢話として書いています。
だが、誰が読んでも、小学校の先生が父親を呼んでわざわざこれを注意したということは、
先生から見て目に余る言動が彼にあったからです。
才能を見抜いたのなら、才能だけを誉めたはずです。
だが、先生は「大変な悪人」としての桐山さんの素質を見抜いたから
わざわざ注意したのです。
それはその後の桐山さんの人生を見れば、先生が彼の何を見て、
大変な悪人などと言ったかは明瞭です。
虚言癖です。
小学生なのにとんでもない嘘をついて人を騙すのが、先生から見ても
異常に見えるほどひどかったのでしょう。
つまり、小学生の頃から今に至るまで、桐山さんの性格も
していることも、一貫しており、何も変わっていないのです。
『現世成仏』を読んだ直後に大半の人が持つ桐山さんへの少しの同情心は、
実は桐山さんの虚言癖に騙された結果なのです。
どうですか、桐山さんの嘘のうまさに感動していただけたでしょうか。

949天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/04/03(土) 23:43:09 ID:RAZX.7P60
深山さんの書き込みには頭が下がります。大感動です。腹いっぱいで寝れます。
しかも内容が秀逸なため、インデックスには最適な内容です。後日史料編纂の際には
採用間違いなし、です。

あと、明日にでも49章を設定しておきます。48章が一杯になったら49章を使用
してください。あと50記事で48章終了ですが、満杯まで書き込み(利用)よろしく
お願いいたします。

950天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/04/04(日) 06:16:50 ID:ZjbFQS4Y0
夜中書き込みが有るかと思ったのですが、無かったですね。
で、49章のサブタイトル、「長い」と出るので文字を削りました。

(しかし、タイトルくらいの細かい制御すんなよ、したらばさん。と思うんですが)

まずはよろしくお願いいたします。

951天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/04/04(日) 07:05:18 ID:I7UUvGQI0
ageるために書き込みますよっと。

深山さんの桐山氏著の「現世成仏」の解説は本当に素晴らしい。
おそらく、ここまで深く詳細にわたる内容は信者にはほとんど知られて無い事実です。
私もこれに類似した意見を過去に読んで非常にショックを受け、「そんなはずは無い」と
擁護時代は疑ったものでした。

しかし、根拠の無いものをどうやってこのように掲示板で出すことができようか。
暴露本や過去にいろんな方々が出版された本などの入念な桐山氏の過去のリサーチで
出されたものです。犯罪暦3回というのも信者はほとんどの人が知らないでしょう。
もしも、名誉毀損で桐山氏が訴えたとしても、警察(検察)に保存している書類を
出してみれば、どちらが正しいのかが分かります。おそらく桐山氏が負けるでしょう。

このように詳細なデータと検証の元で桐山氏に相対すれば不利になるのは桐山氏です。
だから、ほとんどの批判意見に噛み付いてこないのが現実です。
教団の中で「俺が怒ったらどうなるか分かっているのか」と吠える事しかできません。
実際に公の場所で戦うことすらできないのが桐山氏です。

ですから、深山さんをはじめこのようにデータを持って意見する批判側の姿勢には
誠に意義深く内容が備わっている、とみます。
そして、私が擁護など捨てて批判に回ったのもその影響に大するものがあったということです。
過去にあった桐山氏の虚偽の内容を詳しく見やすく分かり易く検証し投稿くださった深山さん
には深く感謝申し上げます。

952ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/04(日) 09:09:59 ID:SmEF4Oe2O
ぶっ!次スレのタイトル「進む脳内崩壊老人介護病棟」を本当に採用しましたか?
準シュダオンさんの為のスレみたいなもんですね。
もっとも脳内崩壊が進んでいるのは、桐山親分もそうですから、我々のきめ細かい
批判とは介護技術に相当するかもしれない。

953無関係な人間です:2010/04/04(日) 19:33:49 ID:94I96Uz.0
 深山様、ご丁寧な御教示に深く感謝いたします。
いつも懇切なお返事を頂戴し、恐縮しております。ありがとうございました。 
 たくさんの分量でびっくりしました。
ちょっと、量が多いので、あらためてお返事をすることも考えています。

 印象としては、私への返答というよりも、「現世成仏」の内容を信じている
阿含宗の方々への警鐘という意図を感じました。それはとても大切な事だと
思います。

 私が桐山氏の本を読破したのは20年前でしたが、記憶に間違いがなければ、
彼の書いた本の大半は、趣味の悪い大ボラか、程度の悪いオカルト本という感想で
した。ただ、唯一、「現世成仏」だけは面白かったです。これは私だけかと
考えていましたが、深山様のご文章を拝読すると、大半の方がやはり感激する
内容だったようです。
 しかし桐山氏が苦学した部分については共鳴したものの、では、彼の言動に賛同した
かと言うと、これは自分の場合、No! でした。
 自分の場合、早くに苦労をしたのですが、周囲の人を見ていると、苦労したために
人情の機敏が分かる人もいれば、利己的になる人もいます。桐山氏は明らかに後者
だと感じました。苦労をした事が犯罪の免罪符にならないと考えたのです。
 その点は、少し変わっています。
 
 いつも地道な言論活動には頭が下がります。
最後になりますが、益々のご活躍をお祈り申し上げます。

追伸:桐山氏のウソのうまさには、本当に感激しました。でも、被害者の方々には
言葉もありませんね。

954無関係な人間です:2010/04/04(日) 20:19:34 ID:94I96Uz.0
追伸

 自分が最近、疑問に思うのは、20年、30年間も阿含宗に騙され、もとい、帰依する人が多い事でした。
それの訳が少し理解できた事は幸いでありましあ。
自分は過去、猛烈な否定派で、その後、積極的な無関心になり、最近、阿含宗に関心を持ちました。
もちろん、自分は阿含宗を援護する立場にはありません。しかし、無関係な人間にもかかわらず、
議論に加えて下さる皆様方のお気持ちには感謝しています。自分は週刊誌を契機にサイトを見ましたが
阿含宗というよりも、阿含宗に関わった人達に関心を待った次第です。(阿含宗は、まもなく重大な
局面を迎えると思います。)ただ、自分がお気楽に過ごしていた期間をストイックに過ごして来た
信者の方々の気持ちを考えると、暗澹たるものがあります。現在も桐山氏や阿含宗には、ひどい人達
だという感想はありますが、それ以上に信徒の皆様には表現のしようがない感情があります。 以上
追伸まで。

955準シュダオン:2010/04/04(日) 20:41:10 ID:agsP6ENM0
ユビさんよ!
あんた、あんたの過去の下ネタ発言も、撤回しないのか?

今後、あなたが真面目なレスする度に、私があんたの過去の下ネタレスを
貼り付けたら、どう思うかね?

そういう問題なのだよ。

956ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/04(日) 22:41:16 ID:SmEF4Oe2O
>>955:準シュダオン10/04/04(日) 20:41:10 ID:agsP6ENM0
>ユビさんよ!
>あんた、あんたの過去の下ネタ発言も、撤回しないのか?
>今後、あなたが真面目なレスする度に、私があんたの過去の下ネタレスを
>貼り付けたら、どう思うかね?
>そういう問題なのだよ。

撤回しません。
但し私の下ネタ発言が正当であるといつまでも拘るのではなく、下ネタは読んでる
人に不快感を与えることも十分に承知してますから、自分の非だって認めもします。
但しその下ネタを書いたのは間違いなく私であることを否定しない、撤回しない
ということです。
自分の書いた書き込みなんだから何年過ぎようとも責任を持ちます。
誰かさんみたいにごまかさない、それを言いたかったわけです。
おわかりになりましたかな?

957天照 ◆MO30b8Jwoo:2010/04/05(月) 07:43:17 ID:uEZrXPmI0
>>954 無関係さん、いつもご意見ありがとうございます。
私個人は今後「なぜ阿含宗というものが発生したか」とか「なぜ信者は騙されたか」
なども分析・追跡してみたいと思っています。そのためのHP作成も今年中に行う予定です。
出来上がりの際にはぜひ、ごらんいただきたいと思います。

深山さんの出された投稿は非常に素晴らしく、将来・・・いや永遠に考察に役に立つご意見です。
また、過去に出された大量なログにもそのようなものがあります。
本当はそういうのをまとめて本にしようと計画してたのですが、そんな悠著ことは言ってられない。
アゴンにダメージを与えるには今しかないと思うので、先にHPのほうをやります。そう考えました。

私は色々沢山理由が有るとは思いますが、主にやはり長年アゴンにいる、というのはゲイカの言うことを
鵜呑みにして本当の仏教との比較検証をしてないのと、また騙されていることに気が付いてないからだと
思いますね。
長年信仰をやっていれば、普通1つや2つの疑問や矛盾が有るものですが、まさか自分が騙されているとは
思わないのです。外部から見たら「絶対に気が付かないほうがおかしい」と分かるのですが、そこが妙な
点であり、また現実でもあります。

最近良く例えるのですが、円天の問題がありましたね。
あれなんか、自分にはどう見ても「うまい話だが詐欺じゃん」とすぐに分かりました。
ですが、はまった当事者にすれば「わからなかった」とか「もしかしたら何か変だな」と思いながらも
騙されているんです。これにはアゴンではまったからでしょうか、私にはなんとなく分かります。
自分は円天には絶対手を染めないけど、彼らのはまった様相は理解できます。

また、気が付かないというのではなく「もしかしたら」と思っても自分を誤魔化すのもあります。
自分が騙されているというのを認めたくないんですね。

アゴンの信仰は概存の日本仏教の形式とほぼ同じです。ですから違和感を感じにくいのです。
念仏を真言に置きかえただけ、と私個人は見ています。

ですが、桐山氏の方便にすっかり騙されていて、自分たちこそはそこらの宗教とは違うんだ、という
変な刷り込みを入れられたりしていますから、なお麻痺しています。
冷静に見れば何も特別なことはしてないんですけどね・・・。
で、それが「だまされている」と有るとき気が付いても「そんなはずはない」とまるで太平洋戦争の
時の国民のように天皇陛下が「神」というのを捨てたくないんです。
そういう心境にも似ています。(続きはまた後で)

958準シュダオン:2010/04/05(月) 09:43:11 ID:agsP6ENM0
私なら、過去の下ネタ発言は撤回するね。
「若気の至りでした、公の場には相応しくない、間違いでした。」
そのように言って、撤回することに、なんの問題があろうか?

「誤ちを改めるにはばかることなかれ」ですよ。

ドラマ「臨場」というテレビ番組で、子供のいじめがあって、記者の子が
蠅の子と罵しられ、ウジ虫になっていた。子供は、蠅の子がウジ虫だと
思っているらしいw。
わたしゃ、過去のウンコレスに拘る批判派を連想して大笑いしたことであった。

959ラシン:2010/04/05(月) 10:35:20 ID:q4iXIS7Y0
>958 :準シュダオン:2010/04/05(月) 09:43:11 ID:agsP6ENM0
私なら、過去の下ネタ発言は撤回するね。
「若気の至りでした、公の場には相応しくない、間違いでした。」
そのように言って、撤回することに、なんの問題があろうか?

わからぬ人ですね、この人は。
あなたはユビさんの下ネタのどこに不快を感じた?
ユビさんのは、ある意味ほとんど自虐ネタで披露された。
だれしも思い浮かぶであろう自己の暗部を”下ネタ”という
形の比喩で話したに過ぎず、それをどう誤解されようとも
言った責任はあなたのように言い訳などせずに認めるということです。
つまり「毀誉褒貶は他に存す」という潔さです。
ユビさんの意図と違って批判や誤解を受けようと、黙って受けとめる、
という姿勢を述べているのです。

960Boo:2010/04/05(月) 11:34:17 ID:pgtsYaQs0
ま、ここまで傲慢で「(過去の発言が)クソジジイ」には何を言っても「馬耳東風」
というか「馬(アゴン信者)の耳に念仏(正しい仏説)」ですね。

961ラシン:2010/04/05(月) 12:06:16 ID:q4iXIS7Y0
>957 :天照
>それが「だまされている」と有るとき気が付いても「そんなはずはない」と
まるで太平洋戦争の時の国民のように天皇陛下が「神」というのを捨てたくないんです。
そういう心境にも似ています。

批判とはある意味防御だと考えます。
では何に対しての防御かといえばそれは、
詐欺やその部類に関するものからの生活的防御です。
ただし宗教に関しての詐欺性の線引きは現状難しいと、
言わざるを得ません。
憲法による信教の自由が保障されていますからその宗教への
欺瞞に法的根拠を以て踏み込む際の制限が、高く存在します。
なんとなればその方法論の一つが、その宗教が掲げる矛盾へ
踏み込み、その不整合性を暴くしかありません。
どの宗教も檀家や信徒からの浄財にその維持を依存しています。
伝統仏教のように生活に馴染み且つ又生活文化として浸透した、
いわば在家者の生活行事という役目の範囲であればそれはある意味で
潤いであり、社会的行事の糧として寄与貢献となるものでしょう。
しかし、ある種の確信的約束を謳って世間の人から金品を募り、
その約束が果たされなければ、或いは達成された結果を客観的に
判断されないのであれば、それは甚だ疑わしい宗教と批判されても、
いたしかたがない。
また天照さんへ一言申し上げるなら、当時の戦争時代の天皇陛下解釈と、
ここでの宗祖絶対的信仰の批判とは大きく隔絶したものです。
戦争と天皇陛下に関する総括は、国内外の資料と照合して勘案すべき
歴史的問題であり、一宗教信仰とは安易に比較し比喩することではないと、
考える次第です。

962深山:2010/04/05(月) 12:39:51 ID:TIpiIUpc0
>>924 :準シュダオン:2010/04/03(土) 11:59:59 ID:agsP6ENM0
>うサギさんに、言葉の議論がかみ合わない、具体的理由を示しておこう。
>言葉の議論は最初から、かみ合わない宿命を帯びているのです。

たとえというのは、物事をわかりやすくするためのものだが、
準シュダオンさんの場合には、たとえそのものがわかりにくい。
具体的理由などといいながら、抽象的な話をするところなど、
なかなか笑いをとっていますよ。
一つの言葉でもいろいろ意味になるというのは、アゴン宗のゴマカシの
指摘としては鋭い指摘です。
信者さんたちはせっかく準シュダオンさんが指摘してくれたのだから、
仏教用語の正しい意味を理解しましょう。
アゴン宗はオカルト仏教用語が満載です。
信者さんたちがまず知らなければならないのは因縁です。
仏教の因縁には、信者さんたちが信じているような運命という意味はありません。
仏教の因縁とは縁起そのものを指すか、狭くは原因くらいの意味に使われます。
これをアゴン宗では運命の意味に用いている。
霊友会の教祖の無知がこういう間違った因縁の使い方を広めてしまった。
同じように無知だった桐山さんがそのまま信じ込んで真似したのです。
仏教では運命などそもそも議論しない。
桐山さんがこれまで講義した阿含経の中に運命や運命の改善を説いた文章を
信者さんたちは見たことがありますか。
ありませんよね。
桐山さんから、あるかのように錯覚させられ、思いこんでいるだけで、
そんな経典は存在しません。

963うサギ:2010/04/05(月) 12:39:54 ID:UtKVqJLA0
準々シュダオンさんへ。>>926にお応えください。それともまた逃げますか?

>>958ドラマ「臨場」というテレビ番組で、子供のいじめがあって、記者の子が
蠅の子と罵しられ、ウジ虫になっていた。子供は、蠅の子がウジ虫だと
思っているらしいw。

あなたは最後に「w」マークを付けていますね?
いじめの話のどこかがおもしろかったのですか?
あなたは、いじめの話が好きなんですか?
それとも単に、「子供は、蠅の子がウジ虫だと
思っているらしい」ということだけがおもしろかったのですか?

あなたが何をそんなにおもしろがっているのかが
わからないので教えてください。よろしくお願いします。

964深山:2010/04/05(月) 12:44:12 ID:TIpiIUpc0
>>924 :準シュダオン:2010/04/03(土) 11:59:59 ID:agsP6ENM0
>だから、そういう言葉使われると、相手を幼く感じてしまうのよ。
>悪気はないよ、ただそれだけ。

あなたに悪気がないのはわかりますよ。
脳の老化を悪気だと批判する人はいませんから、安心してください。
老化にすぎない証拠に、あなたのリンゴのたとえと、上記の結論が
どう脈絡しているのかさっぱりわからない。
立場や見方で様々な表現が可能だと言いたいらしいが、
それでどうして「幼く感じてしまう」という結論が出てくるのですか。
リンゴのたとえで何かご立派な根拠を示したかのようにみせかけて、
まるで関係のない自分の結論を出してみせる。
全然根拠にならないことを示して煙に巻いて、
どさくさに紛れて、自分が主張したい結論だけさっと出してみせる。
その脈絡のなさが、あなたの知性と性格をよく表している。
つまり、あなたは老化によって知性が衰えているだけでなく、こういう
すり替えやゴマカシをしてでも相手に勝ちたいという慢心が元々極端に強いのです。
たぶん、そこが桐山さんと共鳴する部分なのでしょうね。

965深山:2010/04/05(月) 12:47:35 ID:TIpiIUpc0
>>955 :準シュダオン:2010/04/04(日) 20:41:10 ID:agsP6ENM0
>今後、あなたが真面目なレスする度に、私があんたの過去の下ネタレスを
>貼り付けたら、どう思うかね?
>>958 :準シュダオン:2010/04/05(月) 09:43:11 ID:agsP6ENM0
>「誤ちを改めるにはばかることなかれ」ですよ。

貼り付けてみたらどうですか。
私の記憶ではユビキタスさんの下ネタなんて特に目くじらを立てるほどの
ことではなかった。
ユビキタスさんの下ネタの何が「過ち」なのか示してくれませんか。
これは見方によってはユビキタスさんへの誹謗中傷ともとれる。
笑いをとるための下ネタを過ちであり、これを撤回するのが当然だと
あなたはお説教を垂れた。
誤りとして認めろ、と言わなければならないほどの
ことをユビキタスさんが書いたと言いたいらしい。
つまり、罪があるとあなたは言いたいらしい。
えん罪でない証拠に、それを引用してください。
私は記憶にない。
どう見てもユビキタスさんに因縁をつけているようにしか見えない。
一方、あなたの過去におけるひどい書き込みは山のようにある。
罵声、自惚れ、嘘の連発です。
あなたが、ユビキタスさんが誤りを認めなければならないほどの下ネタを貼り付けてくれれば、
私もあなたの罵声と慢心の書き込みを貼り付けてあげましょう。
両者を比較して、どちらが改めなければならない誤りか、読者に見てもらったらどうですか。

966深山:2010/04/05(月) 12:58:35 ID:TIpiIUpc0
>>955 :準シュダオン:2010/04/04(日) 20:41:10 ID:agsP6ENM0
>今後、あなたが真面目なレスする度に、私があんたの過去の下ネタレスを
>貼り付けたら、どう思うかね?
>>958 :準シュダオン:2010/04/05(月) 09:43:11 ID:agsP6ENM0
>「誤ちを改めるにはばかることなかれ」ですよ。

あなたは自分が書いた過去の書き込みの責任を取らないために
ユビキタスさんの話を出して、ごまかそうとしている。
だが、ユビキタスさんも>>956で指摘しているように、話の内容が違いますよ。
ユビキタスさんは自分の書いた文章に責任を持たないと言っているのではない。
だが、準シュダオンさんは自分の書いた文章に責任を持たないと言っているのです。
ユビキタスさんは責任を持つといい、あなたは持たないと言っているのだから、
ユビキタスさんの事例を出して自己弁護しようとしても無理です。
あなた以外に、自分の発言に責任を持たないと言っている信者も批判側もいない。
小学生でも自分の発言には責任を持つ。
内容について議論する以前の問題として、あなたは自分の発言に
責任を持たないという、一般社会ではありえない主張をしている。
問題になってるのは、誤りを認めるかどうかではなく、
あなたの「過去の書き込みに責任を持たない」という非常識で、
男らしくなく、姑息で、セコク、小ずるい態度です。

967ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/05(月) 12:59:26 ID:SmEF4Oe2O
>>958:準シュダオン10/04/05(月) 09:43:11 ID:agsP6ENM0
>私なら、過去の下ネタ発言は撤回するね。
>「若気の至りでした、公の場には相応しくない、間違いでした。」
>そのように言って、撤回することに、なんの問題があろうか?
>「誤ちを改めるにはばかることなかれ」ですよ。

そう、それをあなたに逆に言いたかったわけですよ。
あなたや桐山さんに欠けているのがきちんとした訂正の報告です。
私は自分のアゴン宗批判の個々の書き込みについて常に発言責任を持ってますから
これを撤回などはしません。しかし批判を少し脱線した部分での下ネタなどは
いかに自虐ネタであり、他の誰も攻撃してないにしても、場違いの下ネタを読む
のは不愉快だと苦情を訴えられるのでしたら、私はその意見を汲んで、不適切で
ありましたと示す準備はいつでもあります。だからいつでも過去の具体的な発言を
貼って申し出てください。きちんと対処します。そこの部分は。
私の発言には間違いないのだから、これをしらばっくれるような卑怯な真似はしない
ということに関して「撤回しない」としたのです。
片やあなたはどうか?
自分が過去に吐いた発言なんてウンコみたいなもので、いつまでも取り合うな?
何ですか?そのふてぶてしい態度は?
素直に訂正すればよいだけの話ではないですか?
具体的な話をします。
あなたは総本殿からの思念のデンパ体験を迷える信徒の為にも公表するのは初めてだ
と発言した。これに対して深山さんが否定して過去に書いた根拠を示した。
それに対するあなたはそんなものはウンコに過ぎないではなく、自分でも書いていた
ことを忘れていましたという訂正報告だけでよいのです。
そのようにきちんと訂正したらこちらもそれ以上その件について追及しません。
桐山さんといい、あなたといい、訂正をきちんと示すというこんな簡単なことが
どうしてできぬのか?

968深山:2010/04/05(月) 13:02:38 ID:TIpiIUpc0
>>958 :準シュダオン:2010/04/05(月) 09:43:11 ID:agsP6ENM0
>「誤ちを改めるにはばかることなかれ」ですよ。

これをあなたが言うとは、大爆笑ネタですね。
泥棒が、「この家はもっと鍵をしっかりとかけるべきだ」と説教を垂れているような光景です。
説教強盗とはよくいったもので、あなたにぴったりです。
私はあなたの過去の書き込みの数多く「誤ち」を何度も示した。
だが、あなたはそのことを誤ちと認めたことも撤回したとこともない。
これはただの一度もあなたはしたことがない。
ここにいる批判側は、明らかなミスは認めてきた。
たとえば、私は準シュダオンさんに「桐山さんは預流向を名乗るのを
許したはずばない」と批判したが、桐山さんは信者は預流向であるかのように
読める文章を書いていた。
だから、あなたのほうが正しく、私の記憶が間違っていたことを認めた。
アゴン宗の信者とはアゴン宗の預流向を名乗ってもかまわないことになる。
ただし、聖者についての議論は、桐山さんは預流向については聖者で
あるかような書き方もしているし、そうではないかのような書き方もしているから、
阿含経講義の下巻が出てくるまで待つしかない。
こんなふうに間違いは間違いと認め、修正している。
だが、あなたは私の記憶する限り、数限りない間違いや嘘やデタラメを
何年にも渡り並べてきたが、それを修正したことは一度もない。
引用がでたらめで嘘を書いて、批判側を騙そうとしたことが何度もあり、
私からその都度、嘘を指摘されても、あなたは謝罪もしなければ、撤回もしていない。
いつも口を拭ってそしらぬ顔です。
つまり、過ちを認めたことがただの一度もないあなたが、
>「誤ちを改めるにはばかることなかれ」ですよ。
と、お説教垂れる姿は爆笑以外のなにものでもない。

969深山:2010/04/05(月) 13:13:49 ID:TIpiIUpc0
>>958 :準シュダオン:2010/04/05(月) 09:43:11 ID:agsP6ENM0
>「誤ちを改めるにはばかることなかれ」ですよ。

さすがは桐山さんの信者だけのことはある。
自分に一番あてはまることを、まるで他人事のようにお説教している。
アゴン宗のホームページには、「宗教だけでも真実を」なとどいう桐山さんの
お言葉が引用されている。
だが、それを言っている桐山さんの作ったアゴン宗は嘘だらけです。
桐山さんは、自分はさんざん嘘をつきながら、いっさい認めず、修正もせず、
他人に向かって、嘘はよくないとお説教を垂れている。
まるで、ヒトラーが平和の大切さを説き、麻原彰晃が命の大切さを
お説教しているような光景です。
あなたの姿はこの桐山さんの態度をよく学んでおり、すばらしい。
普通の人は羞恥心があり、我が身を省みるから、さすがにそれができないのです。
だが、桐山さんもあなたも恥知らずだから、自分はさんざん嘘をついているのに、
他人に嘘はいけないとか、誤りは改めろなどとぬけぬけと他人にお説教を垂れる。
あの嘘つき大将で無責任総本山の桐山さんが「アゴン宗阿羅漢」ですから、
準シュダオンさんのこの開き直りぶりは、十分に「アゴン宗預流」に値しますよ。
本当はあなたは自分はアゴン宗預流だと思っているんでしょう?
四月でサクラも咲いたことだし、「ヲレはアゴン宗預流だ」と宣言しなさいよ。
批判側が大爆笑でお祝いをしてあげます。

970準シュダオン:2010/04/05(月) 13:55:43 ID:agsP6ENM0
うサギさん、ドラマにまで、真面目だね。
子供のいじめの話だけどw、ドラマでの話だよ!
「あぁ、あの子役、いじめの役にしては迫力不足だよう、」てな、具合で、
私は観賞してんです。このドラマはフィクションです、とのテロップも流れ
ますから、深刻に見ないことですね。

アゴンマガジン2・3月号の管長講義で、四弘誓願と五大願が解説されて
いますね(P15)。これ読んでたら、いかに鈍い信徒でも、やがては自分も
持たねばならない誓願だと、気づくでしょう。
もっとも、批判派みたいな修行姿勢の者は、
「この誓願は、仏と菩薩が持つ誓願だから、自分には関係ない」
と、思うかも知れないがねw。

仏道修行者は、この四弘誓願、五大願を持たねばいけないのです。護摩木祈願
は、その過程だと思えば良いね。善に強けりゃ悪にも強い、というように、
ろくな我欲も無い人は、ろくな利他心だとて持てるわけがない、と思うね。

我欲・我利・自利、といったものを、利他心・誓願に転換していく過程を
修行と呼ぶのであろうね。管長の話を要約すれば、そのように理解できま
すね。批判派は、そのことを理解できていないね。

971準シュダオン:2010/04/05(月) 14:04:26 ID:agsP6ENM0
ほんとにユビキタスさんも、深山さんと同じく、智慧が足りないね。
ハンドルが同じと断定するのは、推測にすぎませんよ!
わかりますか?それは、推測なのです。

わたくしが、このハンドルとあのハンドルは、同じ人です、とか別です、とか
宣言しないかぎり、推測なのです。だから、ウンコレスハンターが、このハンドル
時代に、これこれのレスしてるじゃないか、と言っても、それは推測なのよ!

そういう単純な理屈も理解できないから、正しい教えも理解不能なのです。
それを、我見というのです。深山さんのレスは、我見の典型的見本ですw。

972ラシン:2010/04/05(月) 16:16:31 ID:q4iXIS7Y0
>970 :準シュダオン
アゴンマガジン2・3月号の管長講義で、四弘誓願と五大願が解説されて
いますね(P15)。これ読んでたら、いかに鈍い信徒でも、

あなたが批判側の意見をスルーしたい気持ちは、
痛切に理解できます、反論しようがないからだね。
それとも単に”鈍い”だけか。

四弘誓願の原型は大乗本生心地観経にあり、
天台大師チギの弘説ではないのか?
桐山さんが、チギの間違いを述べ大乗を批難しても、
都合解釈でまたもや講釈するという無定見ぶりのようです。
それを我利我利亡者の準シュダオンさんがさらに、偉そうに講釈を
垂れる図式は、セクハラ患者がセクハラ指導員になったような
違和感をおぼえますよ。

>批判派みたいな修行姿勢の者は、

と指摘されても、批判派の誰が修行しているのか?
あなたが妄想してしまったその根拠を見せてくれませんか?

>971 :準シュダオン:2010/04/05(月) 14:04:26 ID:agsP6ENM0
ほんとにユビキタスさんも、深山さんと同じく、智慧が足りないね。

まず、自分の記憶力不足を自覚してからにしなさい。
あなあたのばやい、知恵以前の問題が山積みだからです。

>わたくしが、このハンドルとあのハンドルは、同じ人です、とか別です、とか
宣言しないかぎり、推測なのです。

違いますね、あなたは過去のHNを否定しなかったのみならず、
過去のHNに自ら言及して、ウンコレスだと言い分けした。
別人ならどうして今のHN以外まで言い訳の対象に及んだのか?
こんな単純なミスを棚に上げて他者を見下すのを我見ではなく、
慢心というのです。
あなたを見ていると他人に厳しく自分に甘いという桐山像が、
鮮明に見えてしまう。
ただし、あなたは桐山さんほどの創立者ではないから、
そのような態度はただ敬遠され、さぞ職場では苦労されているようです。

しかし2chは、またアク禁ですが困ったものだ。

973ラシン:2010/04/05(月) 17:39:52 ID:q4iXIS7Y0

>>807 :ラシン:2010/03/29(月) 11:59:06 ID:q4iXIS7Y0
週刊文春3月25日号に桐山さんと作曲家の服部克久氏との対談は、
確認したところ、3月25日号に掲載されていました。
実際、対談内容は桐山さんの「護摩をお焚きする際に様々な供物も
お焚きしますから、その供物が焼かれ煙となって天に上がり、
そこにいる天界の神仏が、その煙を再び食物に替えて召し上がって
もらうことになる」との内容はその通りです。
つまり供物を元の食べ物にして食べるそうです。
すんごい神力というか、現実的で食欲旺盛な神様達です。
また祈願札は焼かれ煙となって天界にのぼり、星になるそうです。
星に祈りを、なんて普通ならロマンティックな話です。
これを臆面もなく大の大人の服部氏に話している。
信者さんも読んだでしょうか?
この世の雲の上に天界があり、供物の上昇を虎視眈々と待っている
ありがた〜い神仏が存在するそうです。
いや〜飛行機などで空中では見えないのも、霊眼がないからなの?
毎年の2月11日を待ちわびる神仏にお布施してどんなことが起きた?
最近の例でチリの大地震もロシアの自爆テロも京都からじゃ及ばない?
公称護摩木3000万本ですよ!
金にして30億円強が、煙から星になったそうな。
実際の札束は教団及び関係者らしいが、、、。
もちろんハイチやチリなどへ義援金として送っているでしょうね。
なになに? 裁判費用や和解金に充当? ほかは義理場が優先?
あとの残りをはじめて仕舞い込むこれぞ聖行、先憂後楽じゃと?
大した知恵である。

974準シュダオン:2010/04/05(月) 19:31:36 ID:agsP6ENM0
うサギさんは、若いね。真面目に質問してくるから、答えようかw。
私の愛用の辞典は、昭和54年発行の岩波辞典ね。
そして、準愛用の辞典は、1994年(平成7年)発行の、三省堂編修所、
編の、実用新国語辞典です。

そのどちらにも、「うざい」という語はないね。
つまり、うざい、という体験は、私世代の大人にはなくて、そういう言葉を
使う人は、坊や、に思えるだけの話です。
インターネットの語は、辞典にあろうがなかろうが、実体験としてあるので、
そういう語を使ったからと言って、坊や、というわけにはいかないよ。
そのあたりの、区別というか、知恵というか、それが無いのよ、批判派には。

あなたもね、私の推測によれば、やり直しが出来る年代だよ!
それを、深山さんあたりのウンコレスを信じて、棒に振ることはないよ。
わたしには、はっきりと、深山さんの勘違いが見えてるのだからねw。
深山さんのレスは、戦争と競争を間違えて、長文レスしてるようなものだ、
読むに値しないね。

975名無しさん:2010/04/05(月) 19:45:11 ID:IxbBYFCw0
>>970
>我欲・我利・自利、といったものを、利他心・誓願に転換していく過程を
>修行と呼ぶのであろうね。管長の話を要約すれば、そのように理解できま
>すね。

ふーん。なるほどねー。
準シュダオンさん、勉強になりました。
ところで、準さんに質問です。

1.名称も内容もありもしない三福道という経典を創作し、これを釈迦直説の経典としていることは、我欲・我利・自利といったものを利他心・誓願に転換したものでしょうか。
2.真正仏舎利でもないのに、真正仏舎利と詐称していることは、我欲・我利・自利といったものを利他心・誓願に転換したものでしょうか。
3.アジャリの資格もないのに、密教の大導師と称していることは、我欲・我利・自利といったものを利他心・誓願に転換したものでしょうか。

宗教の世界で、しかも教義を構築する段階で、トンデモない大嘘を付いて作り上げること自体が、宗教者として大失格です。お話しにならないのです。準さんもそう思いませんか。思いますよね。

976準シュダオン:2010/04/05(月) 19:49:28 ID:agsP6ENM0
科学的唯物論者によれば、仏教そのものがインチキなのだから、本当の
仏教といえども、本当のインチキになってしまうw。
そのことが、理解出来ましょうか?

私は、本当の仏教、偽の仏教、そういうことには関心がない。
管長が説いてることが、私に起こったか否か、それだけが大きな関心事ね。

で、思念の相承は、起こった。釈迦が説いてるかどうかは問題ではない。
管長の説いてることが起こった事実が、一番重要だろう。
だが、前にレスした、私には「サヘトマヘトを東の国に移せ」という、思念
の流れは無かった、というレスは、私のジョークですよw。

北花山のサヘトマヘトを、東に移したら、ハワイかカリフォルニアになって
しまうw。それはないw。わたしの冗談です。

そういう思念の流入はなかったが、強烈なバイブレーションは起こった。
体験のない者は、「それは脳の病気だ!脳梗塞の前兆だ!」というのは、
当たり前だね。私も、二十代の頃は、その手の話には、そう話して笑って
いたよ。

977準シュダオン:2010/04/05(月) 20:04:50 ID:agsP6ENM0
1、三福道という経典を創作し、云々は、改訂と捉えるべし。
2、真正仏舎利か否かは、誰にもわからない。
  なんで、名無しさんに、偽物だとわかるのかね?
  あんた、反桐山のレスを本当だと盲信してるのに過ぎないのだよ!
  スリランカ大統領が、真正仏舎利というのだから、それでいいじゃんか。
3、アジャリは、資格の問題ではない。資格があっても力のない者もいる。
  資格がなくても、その力がある者も居る。要は、自称でいいのだ。
  釈迦だとて、「俺は阿羅漢だ!」と、自称したことから始まるね。
  証明者はいらない。私も、ある種の、思念の相承を受けた。
  その証明者はいらない。私の体験だ。
だから、批判者の膨大なレスを見ても、私の確信は、微動だにしないねw。

978うサギ:2010/04/05(月) 20:15:33 ID:UtKVqJLA0
>>974インターネットの語は、辞典にあろうがなかろうが、実体験としてあるので、
そういう語を使ったからと言って、坊や、というわけにはいかないよ。

大爆笑ですね。あなたは、自分の>>888>>918のレスに自分で反論している。

なぜならあなたは、>>888で、
「だってさ、うサギさん、うざい、を辞典で引いても出てないよ。」
「ゆえに、うサギさんは、子供です。」と書いているからです。
さらにまた、>>918でも、あなたの「伝統ある辞典」には「うざい」という
言葉はないと繰り返して強調している。

そこには、「実体験」なんて言葉は1つも現れない。
そして、突然、>>974で「実体験」という単語が初めて現れる。

つまり、あなたは、「昭和54年発行の岩波辞典」に載っているか
どうかを、「ガキの使う語」の根拠にしているように書いた。
私ではありませんよ。あなたがそう書いたんです。
だから、その辞典が基準になる根拠を説明してくださいと聞いたら
突然、自分の>>888>>918の説にこう反論し始めた。

「辞典にあろうがなかろうが、実体験としてあるので、
そういう語を使ったからと言って、坊や、というわけにはいかない」と。

では、確認します。

【「辞典にあろうがなかろうが」「実体験として」「うざい」という
ような語を「使ったからと言って、坊や、というわけにはいかない」と
思いますか? と聞かれたら「はい」と応えますか?】

ちなみにもう何度も繰り返しているとおり、「はい」または「いいえ」の
どちらかで応える形式にしていますので、そのとおりにお応えください。
あなたには、こういう基本的な問答形式にさえ、
逐一注意書きを書く必要があるのでしょうか? それが不思議でなりません。
なぜなら、あなたは、自称「準々シュダオン」なんでしょ??
有名無実とはまさのこのことでしょうか?

979ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/05(月) 20:17:51 ID:SmEF4Oe2O
>>971:準シュダオン10/04/05(月) 14:04:26 ID:agsP6ENM0
>ハンドルが同じと断定するのは、推測にすぎませんよ!
>わかりますか?それは、推測なのです。
>わたくしが、このハンドルとあのハンドルは、同じ人です、とか別です、とか
>宣言しないかぎり、推測なのです。だから、ウンコレスハンターが、このハンドル
>時代に、これこれのレスしてるじゃないか、と言っても、それは推測なのよ!

推測ですよ。何事にも推測を書いて悪いことってあるんですか?
但しこちらはどうしてそう推測したかその根拠を示しています。
深山さんだって、眠りブッダ氏と(トラベラー→大王の使者→如来の子孫→準シュダオン)氏
は当初別人だろうと推測していたのがやはり同一と推測した根拠を書いています。
この推測に対して、それは邪推だ!間違っている!取り消せ!と言う権利もあります。
しかしその権利を行使するには「私(準シュダオン)は眠りブッダではない!」と否定を示す
義務があります。簡単なことです。極端な話、嘘でもよい。
否定しない限り肯定したも同然なんですよ。
今までに一度も否定したことありませんよね。
あなたの最後の良心かも知らんが、あからさまな嘘は自分自身に情けない。
そこであなたの取った選択肢とは、嘘をあからさまに言わない代わりに一般論で
相手を非難してごまかそうという手です。
再度言うが推測のどこが悪いのか?
違っていれば否定すればよいだけです。

980ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/05(月) 20:18:34 ID:SmEF4Oe2O
>>971:準シュダオン10/04/05(月) 14:04:26 ID:agsP6ENM0
>ハンドルが同じと断定するのは、推測にすぎませんよ!
>わかりますか?それは、推測なのです。
>わたくしが、このハンドルとあのハンドルは、同じ人です、とか別です、とか
>宣言しないかぎり、推測なのです。だから、ウンコレスハンターが、このハンドル
>時代に、これこれのレスしてるじゃないか、と言っても、それは推測なのよ!

推測ですよ。何事にも推測を書いて悪いことってあるんですか?
但しこちらはどうしてそう推測したかその根拠を示しています。
深山さんだって、眠りブッダ氏と(トラベラー→大王の使者→如来の子孫→準シュダオン)氏
は当初別人だろうと推測していたのがやはり同一と推測した根拠を書いています。
この推測に対して、それは邪推だ!間違っている!取り消せ!と言う権利もあります。
しかしその権利を行使するには「私(準シュダオン)は眠りブッダではない!」と否定を示す
義務があります。簡単なことです。極端な話、嘘でもよい。
否定しない限り肯定したも同然なんですよ。
今までに一度も否定したことありませんよね。
あなたの最後の良心かも知らんが、あからさまな嘘は自分自身に情けない。
そこであなたの取った選択肢とは、嘘をあからさまに言わない代わりに一般論で
相手を非難してごまかそうという手です。
再度言うが推測のどこが悪いのか?
違っていれば否定すればよいだけです。

981ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/05(月) 20:20:02 ID:SmEF4Oe2O
ああ、二重すまんです。

982名無しさん:2010/04/05(月) 20:21:10 ID:IxbBYFCw0
>>976-977
へー。んじゃ、聞きますが、

>>976
>私は、本当の仏教、偽の仏教、そういうことには関心がない。
>管長が説いてることが、私に起こったか否か、それだけが大きな関心事ね。

と書いていますがね、

13 :準シュダオン:2010/02/18(木) 10:40:52 ID:P9JinFks0
仏教から因縁解脱を廃止したら、わたしは仏教に価値を認めないよw。

とも書いていますねえ。
準さんは、ただ単にご都合主義なだけですね。

それと、
>>976
>管長の説いてることが起こった事実が、一番重要だろう。

「起こった」と読んで、桐山氏が怒ったことを思い出したよ。
自称アナゴン時代にオバサンにプッツンして切れまくって
目を白黒させながらキチガイのように激昂した姿を思い出す。
怒りの心が全て無くなっているはずのアナゴン様が、発狂したとはねー。
準さん、この事実も重要しないといけませんよ。
「管長の説いてることが起こった事実が、一番重要」なのですというのは、
説いていることと違うことが起きていることも重要なのです。

だから、
1.名称も内容もありもしない三福道という経典を創作し、これを釈迦直説の経典とした事実。
2.真正仏舎利でもないのに、真正仏舎利と詐称している事実。
3.アジャリの資格もないのに、密教の大導師と称している事実。

これらも重要なのですよ。
ね、準さん。分かったでしょ。

983うサギ:2010/04/05(月) 20:22:45 ID:UtKVqJLA0
>>958子供は、蠅の子がウジ虫だと思っ ているらしいw。

準々シュダオンさんへ。
上記部分の意味がわかりませんので具体的に解説をお願いします。

984ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/05(月) 20:31:16 ID:SmEF4Oe2O
>>971:準シュダオン10/04/05(月) 14:04:26 ID:agsP6ENM0
>わたくしが、このハンドルとあのハンドルは、同じ人です、とか別です、とか
>宣言しないかぎり、推測なのです。だから、ウンコレスハンターが、このハンドル
>時代に、これこれのレスしてるじゃないか、と言っても、それは推測なのよ!

ところで指摘しますが、そのウンコレスのウンコって下品な下ネタですよね?
いや、ウンコなんて下品な下ネタは私も使いますよ。
だからそれだけであなたを非難しようなんて思わない。
またそのウンコっていうのは自分のレスも含めて言っているのだから相手に対する
罵りにもなってないし、セーフだと思う。
でも汚ならしい下ネタであることには変わりありませんよね?
これを読んだだけで不快感を示す人もいるでしょう。
さてあなたが指摘した私の下ネタだってあなたのウンコと同じようなものでした。
相手を攻撃するのではなく自虐を示す息抜きのギャグです。ウケるウケないは別として。
あなただって汚ならしくも見える下ネタを書いているくせに、どうして私だけ非難して、
自分には甘いのですか?説明してください。

985準シュダオン:2010/04/05(月) 20:35:50 ID:agsP6ENM0
うサギさん、理屈っぽい、その姿勢では、現世での阿含宗の修行は無理だね。
来世でのチャンスを待ちたまえw。

わたしは、ユビキタスさん的批判を、すべて否定してるわけではないよ。
そういう危険性はあるね。阿含経には、果報の話もあれば、神通の話もある。
管長の、超能力、を説く修行に邁進する危険性は、あるね。

だが、その管長の教えに迷う信徒を見ると、バランスを欠いている。
我欲で超能力を求める者には、キツネやタヌキの動物霊が憑依して、人品が
卑しくなる、と修行読本に書いてます。
そういうところを読んで、自戒してるのかなぁ。たぶん、退会して悪口言う
ような信者は、そういう肝心な教えのところは、目にしていないだろう。

責任転嫁の煩悩を「覆」という。
自分が阿含宗を信じた責任は、他に転嫁できないものと、知るがよい。
阿含宗の加護を受けたと実感している信者もいれば、加護などない、
阿含宗は、インチキ詐欺宗教だ、と言う者もいる。
その両者が居る、という事実を、知りなさい。

986阿含宗信徒一同:2010/04/05(月) 21:02:35 ID:kHWurtHEO
準シュダオン様、いつも孤軍奮闘、お疲れさまです。掲示版の件は先日みんなで、話題になりましたよ。貴殿の意見、いつも共感してますよ。

987名無しさん:2010/04/05(月) 21:11:13 ID:IxbBYFCw0
>>985
>阿含宗の加護を受けたと実感している信者もいれば、加護などない、
>阿含宗は、インチキ詐欺宗教だ、と言う者もいる。
>その両者が居る、という事実を、知りなさい。

ふーん。なるほどねー。
ところで準さんにお聞きします。

私も一生懸命に信じていました。
まあ、準さに言わせると「一生懸命になりすぎ」と言われる輩でしたがね。

んで、ある日ある時、仏陀釈尊の言行録を直に読みましたね。
んだー、おらビックラしただあ。
桐山カンチョーが説く仏教と全然違うことが書いてあるべ。
気になって、もっともっと調べたところ、あれまあ、
ますます桐山カンチョーが言ってることと違うべさ。

でね、準さんよ。
桐山カンチョーの教えは、この男の世界だけなら完結するんだね。
しかーし、本場モンの仏教の世界から、桐山カンチョーの教えを鳥観すると、
仏教でないことに気付くわけ。

これは何度も自問自答し検証もしますた。

で、結論は今書いたとおり、
桐山カンチョーの教えの世界だけにいるなら、桐山ブッキョーは正しいと信じてしまう。
しかーし、
仏教から桐山ブッキョーを見た場合、インチキ仏教と断言できるんだな、これが。

だから、
>阿含宗の加護を受けたと実感している信者もいれば、加護などない、
というのは、無知だから、そう実感できるのですね。

準さん、分かったかな。

988ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/05(月) 21:39:33 ID:SmEF4Oe2O
>>970:準シュダオン10/04/05(月) 13:55:43 ID:agsP6ENM0
>仏道修行者は、この四弘誓願、五大願を持たねばいけないのです。護摩木祈願
>は、その過程だと思えば良いね。善に強けりゃ悪にも強い、というように、
>ろくな我欲も無い人は、ろくな利他心だとて持てるわけがない、と思うね。

そうは思わないってか、釈尊はそんな我欲の祈願で念力みたいのを強めて誓願達成
ならしめるのだなんて説いてませんいません。
弟子のアーナンダは美男で女性にもてたようです。いろいろと誘惑も多かった。
これに対して釈尊はアーナンダに女性と関わりを持たず耐える道を説いた。
つまり君子危うきに近寄らずが釈尊の基本とも言えます。
欲望を喚起するようなものには近寄らない。だから護摩木から遠ざかることを説き
関わりを持たないのです。
あなたは少欲知足とかもっともらしいことを言葉だけ出しましたよね。
どうして少欲知足を説きながら、善に強けりゃ悪に強いだの、悪にも強けりゃ
善もきっと強くなるだろうなんて矛盾したことを説けるのだろう?

>我欲・我利・自利、といったものを、利他心・誓願に転換していく過程を
>修行と呼ぶのであろうね。管長の話を要約すれば、そのように理解できま
>すね。批判派は、そのことを理解できていないね。

桐山さんですら「我」とはその人の悪因縁の現れだとしている。
つまりますます因縁を助長するのです。
だからこそまず我をなくせと説いて、悪い心癖を改める心解脱を説くのです。
我欲出しっぱなしの心解脱なんて桐山さん的にもない。
因縁が切れないとこぼす時、心解脱の修行ができとらんと言い訳にするのです。

989うサギ:2010/04/05(月) 21:40:37 ID:UtKVqJLA0
>>985うサギさん、理屈っぽい、

逃げますか? >>978 >>983に応えられないんですね?
応えられない自分を「準々シュダオン」ではなく、
ただの負け犬だと思いませんか?

>>985その姿勢では、現世での阿含宗の修行は無理だね。

「現世での阿含宗の修行」を私が望んでいると
私が書いているレスがあれば示してもらえませんか?

>>985来世でのチャンスを待ちたまえw。

私が「来世でのチャンス」を待ち望んでいると
書いているレスがあれば示してもらえませんか?

990ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/05(月) 21:46:47 ID:SmEF4Oe2O
>>974:準シュダオン10/04/05(月) 19:31:36 ID:agsP6ENM0
>私の愛用の辞典は、昭和54年発行の岩波辞典ね。
>そして、準愛用の辞典は、1994年(平成7年)発行の、三省堂編修所、
>編の、実用新国語辞典です。
>そのどちらにも、「うざい」という語はないね。
>つまり、うざい、という体験は、私世代の大人にはなくて、そういう言葉を
>使う人は、坊や、に思えるだけの話です。

ではあなたが語尾につけるwの意味、用法の説明はその辞書にありますか?
あなたによると、そんな辞書にすらない大人でない坊やの言葉をあなたも使っているのです。
単に自分が知らなかった話は面白くないから認めないだけの立場に過ぎないでしょ?

991ラシン:2010/04/05(月) 21:56:41 ID:WTFbFOaY0
>974 :準シュダオン

あなたの↑自称、高尚な知恵論は、理解しがたい。

>976 :準シュダオン
>私は、本当の仏教、偽の仏教、そういうことには関心がない。
管長が説いてることが、私に起こったか否か、それだけが大きな関心事ね。

論詰まり、つまり便秘だな、あなたは。
そこでカンチョウのカンチョウは効果が無い、と言うわけね!
あなたの糞詰まりは、残念ながら解消されなかった。
ポリープじゃなく糞詰まりね。
カンチョウは、薬事法違反という刑獄、脳梗塞という脳障害、
愛人問題という色情の因縁が生起したのだが、「大きな関心事ね」ではなく、
あなたには”他山の石”いや、他山の糞石と言うことですか?

>で、思念の相承は、起こった。釈迦が説いてるかどうかは問題ではない。
管長の説いてることが起こった事実が、一番重要だろう。

おお〜スンバラシイ、、、拍手拍手!!
珍しいお方だから、もう一度、拍手拍手!!
オイラなんか、白銀じゃなく、黄金のバイブじゃ〜けんネ〜。
パトライトの赤色の不動明王も来たがな〜、 さあどうだ?

>スリランカ大統領が、真正仏舎利というのだから、それでいいじゃんか。

じゃ〜、それを引用掲示してみな、大法螺吹きめ、、、。

>釈迦だとて、「俺は阿羅漢だ!」と、自称したことから始まるね。
  証明者はいらない。私も、ある種の、思念の相承を受けた。
  その証明者はいらない。私の体験だ。

かなり重症のようだが、、、実は〜〜、僕ちゃんも阿羅漢なのだヨン!
きみきみ、掲示板でもネ、あなた、チョイト頭が高くありませんか?
なになに?証拠はだと? >その証明者はいらない。私の体験だ。<

992ラシン:2010/04/05(月) 21:58:33 ID:WTFbFOaY0
>986 :阿含宗信徒一同:2010/04/05(月) 21:02:35 ID:kHWurtHEO
準シュダオン様、いつも孤軍奮闘、お疲れさまです。掲示版の件は先日みんなで、
話題になりましたよ。貴殿の意見、いつも共感してますよ。

そうですか〜?
準シュダオンさんは、サボりも余裕だと仰っていたから、
それにおおいに共感した信者さんというわけですね。
最近のアゴン宗徒は、サボるのが必須だとよ、、!
開き直りの蔓延は、崩壊の序章かな?

993ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2010/04/05(月) 22:14:17 ID:SmEF4Oe2O
>>976:準シュダオン10/04/05(月) 19:49:28 ID:agsP6ENM0
>科学的唯物論者によれば、仏教そのものがインチキなのだから、本当の
>仏教といえども、本当のインチキになってしまうw。
>そのことが、理解出来ましょうか?

あなたのアタマが理解できません。
私らはそんなことって科学的にあり得ないっ!と言っているのではなく
あなたごときの体験なんて無理に超科学を用いなくても、科学や医学で説明が
ついてしまうと言っているのです。

>で、思念の相承は、起こった。釈迦が説いてるかどうかは問題ではない。
>管長の説いてることが起こった事実が、一番重要だろう。
>だが、前にレスした、私には「サヘトマヘトを東の国に移せ」という、思念
>の流れは無かった、というレスは、私のジョークですよw。
>北花山のサヘトマヘトを、東に移したら、ハワイかカリフォルニアになって
>しまうw。それはないw。わたしの冗談です。

あなたのジョークに付き合ってあげると、あなたごときしみったれにサヘトマヘトを
東に移せなんてメッセージなんか来ません。そんなメッセージが欲しかったら
東の国のサヘトマヘトを充実する為にカネを出せ。
人には分相応の役割というものがある。アンゴルモアの使徒として何ができるか?
何をなすべきか?そんなメッセージも感じられずに単にアタマが痺れただけでしょ?

994うサギ:2010/04/05(月) 23:05:37 ID:UtKVqJLA0
>>976科学的唯物論者によれば、仏教そのものがインチキなのだから、本当の
仏教といえども、本当のインチキになってしまうw。
そのことが、理解出来ましょうか?

それは、エセ科学的唯物論者の態度です。

本当の科学的唯物論者ならばこう言うでしょう。
「仏教で言っていることは実験による再現性や観測による記録が
できないので、真であるとは言い切れない。しかし、そうできないから
といっても、完全に反証できるものでもないので真でないとも言い切れない。」

つまり、科学的法則性があれば真理とし、それ以外については言及不可というのが
本来の科学的唯物論の立場です。この「言及不可」というのは、ぶっちゃけ、
「そうであるともそうでないとも言えないからわからんとしか言いようがない」
ということです。

よって、あなたのような、生半可に、科学的唯物論者の立場を理解している
つもりの人間が、「仏教そのものがインチキなのだから、本当の
仏教といえども、本当のインチキになってしまうw」などということを言えば
本来の科学的唯物論者からただ失笑を買うだけです。なぜなら彼らは、
「わからないものはわからない」と正直に考えるからです。

995孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2010/04/05(月) 23:48:00 ID:XUfb/HH.0
準シュダオンさんの因縁解脱体験?
入信前は 園児に突き飛ばされ血だらけの大怪我をしていた。入信後も酒はやめられず脳梗塞になる。
よれよれになり、園児ですら突き飛ばしてはいけない状態だと一目で分かる。
これって唯物論とか宗教とかと関連つけるほどのことでもないですよね。
準シュダオンさんにしてみれば大怪我から のがれられるなったのは天国の心境なんでしょうけど

>>986 阿含宗信徒一同 さま
共感してるんですかw あごん宗的に見ても彼の意見はおかしいけど
ボンギョーさぼってると脳にバイブレーション来てシュダオンになるんですか?

996準シュダオン:2010/04/06(火) 08:48:44 ID:agsP6ENM0
管長の言葉の、名無しさんの理解の仕方がおかしいのだべさ。
わらは、阿含経読んでも、管長の本読んでも、結論は同じだべさ。
名無しさん含めた、批判派の皆さんは、文の読み方が硬いべさ。
そのものズバリ書いてないと、理解出来ないみたいだな。
応用力が足りない。

それと、残酷だけど、ズバリ、言うよ。
「覆」というのは、責任転嫁の煩悩だね。
入行して修行しても成果でなかった、その責任を他人のせいにするような根性
では、うまく行かない。わらわは、そう思うね。
「成果でなくても、文句は言いません、すべて私の責任です」と、いうような
心掛けの場合、成果が出るように、思われる。

自分に効果が無いから、効果があると言う他人はホラ吹きか妄想だ!
そのように捉えている傲慢さ、愚かさ、が理解できないのかな?
「私には修行の成果がなかったけど、成果をあげてる修行者も居るようだ、
 私は、何かが欠けていたのだろう。」と、考えるのがまともな修行者だと
いうもんだね。また、そのように考える修行者には成果が出るもんだろうね。

997準シュダオン:2010/04/06(火) 09:09:51 ID:agsP6ENM0
釈迦は、「欲求離欲悪」と、説いてるように、これは、
「悪い欲を離れるという欲を持ちなさい」ということですね。
また、意欲は持たないといけないのです。
また、「小欲知足」というのは、自利・我欲に属するものであって、
利他の分野では「大欲知足」だと、知れるのです。
そのあたり、ユビキタスさんは混同しています。

単に欲を無くすのでは、五無主義になってしまいます。
眼の欲を失えば、何を見ても感動しない、無感動、無関心、無気力、です。
耳の欲を失えば、どんな音楽、小鳥のさえずりさえも、無感動、無関心、無気力です。
味の欲を失えば、味覚障害みたいな、無感動、無関心、無気力、です。

釈迦が欲を無くせという場合、上記の意味で、欲を無くせというのではない。
批判派は、そのあたりを、誤解しているのです。
音楽を楽しんでも、風景を楽しんでも、味覚を楽しんでも、かまわないの
です、執着の欲を起こさない限りね。

998うサギ:2010/04/06(火) 11:10:08 ID:UtKVqJLA0
準々シュダオンへ。>>989にご返答ください。よろしくお願いします。
念を押しておきますが、>>978 >>983へのご返答もお忘れなく。


ところで、2ちゃんねるの「アゴン宗177」に入れません。
規制が強化されているためです。
いくつかルートを持っていますが全滅でした。
こんなに規制が強いと2ちゃんは過疎化しそうですね。

999ラシン:2010/04/06(火) 11:22:47 ID:q4iXIS7Y0
>996 :準シュダオン:2010/04/06(火) 08:48:44 ID:agsP6ENM0
管長の言葉の、名無しさんの理解の仕方がおかしいのだべさ。
わらは、阿含経読んでも、管長の本読んでも、結論は同じだべさ。
名無しさん含めた、批判派の皆さんは、文の読み方が硬いべさ。
そのものズバリ書いてないと、理解出来ないみたいだな。
応用力が足りない。

経典に書かれてもいないことをあれこれへ理屈をつけて、
理解すると思い込むことは、応用力とは言いません。
あなたの場合は、最初に欲望の肯定ありきという前提で、
経典解釈をその方向へ導きたい。
だからまともな解釈から外れて皆さんから失笑を買うのです。
桐山さんもあなたも欲望が大好き人間で、それを否定されたくない。
我欲にしがみつき、なんとかその正当性を探している無い物ネダリです。

>それと、残酷だけど、ズバリ、言うよ。「覆」というのは、
責任転嫁の煩悩だね。入行して修行しても成果でなかった、
その責任を他人のせいにするような根性では、うまく行かない。

ウンコに責任転嫁するお方には、残酷な告白ですね。
批判側は成果が出ないから辞めたなんて誰が言った?
阿含経とまるで違う教説に気づいたからその矛盾が理解できた。
批判として指摘する根拠が、桐山さん本人の無成果という事実を
露わにすることであって、辞めた動機はまるで違うことを知らない。

>自分に効果が無いから、効果があると言う他人はホラ吹きか妄想だ!
そのように捉えている傲慢さ、愚かさ、が理解できないのかな?

あなたが単にそのように捻くれているだけでしょう?
批判側はこの世の奇瑞や不思議、奇跡を否定しているわけではない。
桐山さんのそれは、インチキだと指摘しているだけです。
インチキ教祖からどうしてあなたがホンモノを受け取れるのだ?
それと、客観的証明ができない個人の霊的体験は議論できない、
と何度も述べているが、独善的にあなたが咆哮するのは慢心です。

1000ラシン:2010/04/06(火) 11:24:21 ID:q4iXIS7Y0
>997 :準シュダオン:2010/04/06(火) 09:09:51 ID:agsP6ENM0
釈迦は、「欲求離欲悪」と、説いてるように、これは、
「悪い欲を離れるという欲を持ちなさい」ということですね。

○○熟語が好きなようだが、意味を正確に理解していないのが、
あなたの最大の欠点です。
その「悪い欲を離れるという欲」とは煩悩を止滅しなさいです。

>また、「小欲知足」というのは、自利・我欲に属するものであって、
利他の分野では「大欲知足」だと、知れるのです。

生涯無一物を実践するのが釈尊の修行生活です。
衣鉢も布施食べ物も最低限でよしとしそれ以上求める心を
制御する修行の心得です。
その価値を他者に教説する心が利他ですよ。
解脱を目指して輪廻から解放されるよう説くことが利他行です。
これぞ利他の大欲などと自惚れることじたい慢心という煩悩だ。

>単に欲を無くすのでは、五無主義になってしまいます。
眼の欲を失えば、何を見ても感動しない、無感動、無関心、無気力、です。

五無主義などと解った風なことを言わないほうが良い。
感動が更なる執着を呼ぶから、心を平静にし安定に努めるのだ。
関心という興味からそこに執着心が沸き起こるから心を動かされぬよう、
平常心を保たねばならない。
気力充実に努めれば精力が生じ、生に執着するから平静に努める。
まさに眼・耳・鼻・舌・心・意という五官六識六根によって、
妄想という煩悩が生じるのですから、あなたの理屈では不可能です。

せっかく桐山さんという反面教師が居るのだから少しは学んだらどうか、
と指摘するのが、批判側の批判たる根拠です。
平和の護摩という独りよがりの感動で釈尊の禁戒を破り、
名誉や役職称号に関心を持って浄財でそれらを収集し、
向上心とやらで、気力を充実させるために美食大食に励んで来たのですよね。
その結果が、カルト信仰を煽り信者の浄財を野放図に使いまくって、
挙句の果てが贈賄や薬事法違反、脳梗塞の病と色情の醜聞まで世間にさらした。
釈尊の生涯無一物と比べて、あまりにも極端に違う真逆の結果ではないのか。
桐山さんの関心は、常に他の大教団のように発展させてそこで君臨して偉くなりたい。
おおよそ宗教の聖職者としては逸脱しており、仏教からは外道の師です。

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