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阿含宗と桐山氏についてー第四十四章ー現形ゲギョーでゲーコゲコ
1大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/12(月) 14:47:50 ID:oy1jw7zU0
このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です。
なるべく規制はかけないつもりですが、悪質な悪戯や荒らし行為、卑猥AA、無駄AA、連続コピペ、
その他閲覧にふさわしくない迷惑行為はご遠慮ください。(記事削除の対象となります)
また、その他微妙な判断は管理人である”大日如来”が行うこととします。

「A宗考察意見交換スレ」他
http://ime.nu/www2.atchs.jp/agama/
初めての方のためのダイジェスト
http://ime.nu/religion.bbs.thebbs.jp/1130673101/ の[463]-[864]
http://ime.nu/religion.bbs.thebbs.jp/1137513788/ の[7]-[79]
過去ログ倉庫
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「阿含宗と桐山氏について話題インデックス」
http://ime.nu/www1.atchs.jp/agamaindex/

2ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/12(月) 14:50:00 ID:SmEF4Oe2O
おっと。スレ立て乙であります。
しっかし意味不明なサブタイトルだな。
誰だ?命名者はw

3大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/12(月) 14:55:02 ID:oy1jw7zU0
悩みましたが、ユビさん仰せの通りガナルも時期が何ですし、丁度43章の終わりには現形の話題が出てましたから、
立てさせていただきました。いつも同様、ご愛顧のほどよろしくお願いします。

4深山:2009/10/12(月) 17:46:51 ID:5Xtpem0E0
大日さん
スレ立てありがとうございます。
「ゲギョーでゲーコゲコ」の飾りもなかなかいい。

5深山:2009/10/12(月) 17:49:22 ID:5Xtpem0E0
43章
>992 :準シュダオン:2009/10/12(月) 09:39:06 ID:P9JinFks0
>シベリア護摩の法施とした写真にも、それらしいお姿が現形されていますよ。
>但し、信徒同士でもあまり話題にはなりません、その手に慣れ過ぎているのかな。

準シュダオンさんが勝手に現形写真だと言っているだけですね。
どうせこんなことだろうと思ったから、あなたに誰が現形写真と
認定したのかと質問したのです。
あなたは、桐山さんが認定していない写真を現形だと称して、
批判側の知識は古いとあざ笑った。
どうしてそんなにあなたは姑息なのだ?

>とも陳腐な批判で、笑いをこらえるのが難しいからです。
>授けられていますよ。でも、情報不足の人はそれを知らないのですW。

批判側の知識のどこが陳腐で笑いをこらえるのも難しいのだ?
桐山さんも認めていないような写真は現形写真ですらない。
情報不足どころか、信者ですら知らないものを勝手に現形だと称して、
他人をあざ笑う。
どうしてあなたの性格ってそんなに歪んでいるのだ?
批判側の知識が古いというなら、新しい知識を示して反論すればいいのに、
阿含経の出し方もそうだが、いつもあなたは手の中に半分隠してみせて、
「おまえら知らないだろう」とあざ笑ってみせる。
だが、実は勝手に現形写真だと言っているにすぎない。
正々堂々と議論で勝負するのではなく、それらしいふりをしながら、
姑息に立ち回る。
それは批判側の無知を示しているのではなく、あなたの歪んだ性格や
曲がった根性を示すにすぎない。

6深山:2009/10/12(月) 17:54:09 ID:5Xtpem0E0
>992 :準シュダオン:2009/10/12(月) 09:39:06 ID:P9JinFks0
>満月を見ても感動しない犬を、人と一緒にしてはいけません。

感動したあなたは現形写真は手にいれたのか?
どうして私の質問を無視するのだ?
応供の如来、龍神、慈母観音などの
現形写真なんてあなたは持っていないのでしょう?
現形写真を買おうともしないで、よくまあ、そうやって
偉そうに他人にお説教ができますね。
あなたが持っていないから、自己弁護のためにも、
これらの現形写真は古いと言っているのでしょう?
桐山さんもあなたも、自己弁護のためなら大義名分を振りかざす。
その厚かましい態度だけはひたすら感心する。
恥知らずとは本当に便利な煩悩だ。

7深山:2009/10/12(月) 17:59:29 ID:5Xtpem0E0
>992 :準シュダオン:2009/10/12(月) 09:39:06 ID:P9JinFks0
>要は、自分の見え方を、他人に押し付けないことです。それが我見を離れると
>いうことでしょう。

自分の見え方を押しつけたのはあなたですよね。
シベリア護摩の写真はアゴン宗側ですら現形とは言っていない。
それをあなたは現形写真だと「自分の考え」で決めつけて、
それを知らないと批判側をあざ笑ったのだから、
あなたこそ「自分の見え方を、他人に押し付け」たのです。
それも批判側に押しつけたばかりか、他の信者さんたちにも押しつけている。
オウムといい、準シュダオンさんといい、カルト信者は
必ずこうやって自分がしている悪事を相手がしていると言い抜ける。

8深山:2009/10/12(月) 18:02:51 ID:5Xtpem0E0
>992 :準シュダオン:2009/10/12(月) 09:39:06 ID:P9JinFks0
>現形写真に見える人を、洗脳されているからだ、と決めつけないことです。

あれが神仏の現形でもかまわない。
だから、私は応供の如来の現形写真にはシッポが生えていると批判している。
炎の形についてあれこれ主張するなら、どうしてシッポを無視するのだ?
あんなに明瞭に、真っ白なシッポが後ろから長々とのびているのに、
あなたには見えないのですか。
シッポの生えた応供に如来って、何なのだ?
説明してみなさい。

9深山:2009/10/12(月) 18:05:27 ID:5Xtpem0E0
>992 :準シュダオン:2009/10/12(月) 09:39:06 ID:P9JinFks0
>現形写真に見える人を、洗脳されているからだ、と決めつけないことです。

そのように見えるという程度なら中華鍋にも龍神が現形している。
中国には龍がいることになっているから、中華鍋はかまわない。
だが、仏教に龍が出てくるのはおかしいのです。
なぜなら、仏教にはそもそもドラゴン型の龍神なんて存在しない。
仏教の龍王とはナーガであり、蛇のことです。
蛇とドラゴンは別物であることはいくらなんでもわかりますよね。
中国で作り出された龍がなんでインド仏教に出てくるはずがあるのだ?
大菩提寺のホームページにも池の真ん中に、釈尊を守護するムチャリンダ龍王の
図像が掲載されている。
見ればわかるように、キングコブラの姿です。
これがインドの龍王の姿です。
どこにもドラゴンなんて存在しない。
なんでインド由来の龍王であるナンダやウパナンダ、ムチャリンダが
ドラゴンの姿で現形するはずがあるのだ?
理由は簡単で、桐山さんが仏教の龍王はドラゴンだと
信じ込んでいるからです。

10深山:2009/10/12(月) 18:08:10 ID:5Xtpem0E0
>992 :準シュダオン:2009/10/12(月) 09:39:06 ID:P9JinFks0
>現形写真に見える人を、洗脳されているからだ、と決めつけないことです。

桐山さんの無知です。
桐山さんはこんな程度の知識すらない。
阿含経を読破して、万巻の書を読んだなんて自慢しているが、
龍王がドラゴンではないという当たり前の知識すら彼にはない。
仏教の一般解説書に書いてある内容です。
素人が間違うような間違いをしている。
これのどこが仏陀の智慧なのだ?
もし、桐山さんに霊能力があるなら、神仏がその間違いをデンパで伝えるはずです。
龍王が「ヲイラの姿をしっかりと見ろ」と言うはずです。
だが、桐山さんは未だに龍王とはドラゴンだと思っている。
これは桐山さんの無知だけでなく、現形した神仏が偽物であり、
桐山さんのいう御霊示なんて嘘である何よりの証拠です。
他の信者さんたちは疑問に思わないか。
いくら空想上の存在でも、間違えていいことではありません。
現形が本物の神仏なら間違いを正すはずだし、
桐山さんに本当に霊能力があるなら、それを受信して、
自分の知識の間違いを修正したはずです。
だが、どちらもなく、未だに多くの信者も仏教の龍王をドラゴンだと信じている。
ここ十年ほどの間に、龍神について議論した信者や元信者のほぼ全員が
龍王とはドラゴンだと信じていた。
桐山さんの無知に汚染されたのです。

11深山:2009/10/12(月) 18:09:45 ID:5Xtpem0E0
>993 名前:準シュダオン 投稿日: 2009/10/12(月) 10:01:52 ID:P9JinFks0
>まぁ、釈迦の言葉よりアビダルマ論師を信じるのも自由でしょうW。

批判側が示した根拠が阿含経や、原始仏教としての説明であることが
あなたの記憶には残っていないようですね。
何度でも引用しましょう。

「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」(『佛教大辞典』小学館、379頁)

原始仏教とは釈迦仏教、つまり釈尊の言葉を元にした仏教です。
その原始仏教において預流向は聖者なのです。
あなたは坊さんの分類を持ち出して、話をすり替えようと必死だが、無意味です。
上記のように、原始仏教においても預流向は聖者です。

12深山:2009/10/12(月) 18:13:38 ID:5Xtpem0E0
>993 名前:準シュダオン 投稿日: 2009/10/12(月) 10:01:52 ID:P9JinFks0
>まぁ、釈迦の言葉よりアビダルマ論師を信じるのも自由でしょうW。

準シュダオンさんが出した議論のテーマの中で、最後までしがみついているのが預流向です。
あなたの本音がよくわかる。
「おれは預流に限りなく近い預流向だ」
これがあなたが言いたいことであり、ここに書き込んでいるすべてです。
桐山アゴン宗の擁護にみせかけて、自惚れと慢心を垂れ流しにしている。
預流向が聖者かどうかなんて、桐山さんはいっさい議論していない。
なにせアゴン宗の教義では、あなたが引用した桐山さんの言葉程度で、
預流向の立場なんて決められていないからです。
ところが、あなたはアゴン宗の教義にすらなっていない預流向について
しつこく、執念深く、噛みついている。
他の議論をすべて捨ててでも、これだけは捨てない。
ここに来ているのが桐山アゴン宗の擁護ではなく、
「おれは預流に限りなく近い預流向だ」
と、自惚れと自己満足と慢心を垂れ流すのが目的だからです。
あなたの汚物をこんなところに巻き散らさないでほしい。

13深山:2009/10/12(月) 18:16:30 ID:5Xtpem0E0
>993 名前:準シュダオン 投稿日: 2009/10/12(月) 10:01:52 ID:P9JinFks0

あなたはどんなに根拠を示されても、完全無視して、
ちょうど栗花さんのように、同じ事を繰り返し繰り返し書き続ける。
批判側のあなたへの反論が急に少なくなったことに気がついているか。
あなたの書き込みを完全無視して、他の議論をしている。
それであなたはたまりかねて、現形の話に首を突っ込んできた。
なぜ、反論が少なくなったか、わかるか。
栗花さんと同じで、具体的な反論を無視して、自分の主張をただ繰り返すだけだからです。
しかも、栗花さんと違い、あなたはわざとそれをしているのではなく、
脳が老化して、反論を記憶することができなくなったからです。
準シュダオンさんは4行しか読んでいない、とBooさんが書いた。
もっと詳しく説明してあげましょう。
あなたは4行しか読まないのではなく、「4行しか記憶できない」のです。
4行くらいは記憶できるが、5行目に入ると、
最初の一行目はあなたの記憶から脱落する。
嘘だと思うなら、私が今回、預流向についてどんなことを書いたか、
具体的に思い出してごらんなさい。
私が何か反論を書いたのは覚えているだろうが、
具体的に何をどう反論されたのかは思い出せないでしょう?

14深山:2009/10/12(月) 18:18:39 ID:5Xtpem0E0
>993 名前:準シュダオン 投稿日: 2009/10/12(月) 10:01:52 ID:P9JinFks0

準シュダオンさんの記憶力は病的に減退している。
だから、批判側から何をどう反論されても、あなたはあざ笑っていられる。
預流向の件も、阿含経や事典まで引用されて、ずいぶん前に完全に
論破されているのに、あなたは記憶にないのでしょう?
それが脳梗塞による脳の老化なのです。
脳梗塞を患った人が同じような症状を言っていた。
読書家だったのに、脳梗塞を患ってから、本が読めなくなった。
文章の意味はわかるが、本を読み終えた後、頭に何も残らないというのです。
今の準シュダオンさんとそっくりです。
先月テレビで、芸能人を専門医たちが精密検査して寿命を予測するという番組があった。
その中に、六十代のタレントが脳梗塞を指摘されていた。
もろちん、彼は脳梗塞になった自覚はありません。
だが、専門家が見ると、すでに脳梗塞を起こした跡があった。
自覚のない脳梗塞を無症候性脳梗塞というようです。
自覚がなくても脳梗塞は起きるのです。

15深山:2009/10/12(月) 18:21:36 ID:5Xtpem0E0
>993 名前:準シュダオン 投稿日: 2009/10/12(月) 10:01:52 ID:P9JinFks0

準シュダオンさんの場合、無症候性ですらなく、実際に症状が出ていた。
あなたが眠りブッダを自称していた2004年に、明け方にかけて
脳梗塞を発症して、生中継をしていた(43章の785)。
あれは総本殿から来たバイブではなく、あなたの脳梗塞です。
小梗塞といって、言語や運動に障害が出るほどの脳梗塞ではないが、脳梗塞です。
その結果ははっきりしていて、あなたの人格がその直後から変わった。
「ユビキタス様」という礼儀正しい人から、罵りや罵声を繰り返す人間に
変身してしまった(43章の777)。
その罵り癖はますますひどくなっている。
記憶障害は重度です。
批判側の書いたことが覚えられないばかりか、
自分が書いたことも忘れて、まるで新しく発見したかのように
何度も書いて、私からそれを指摘された。
と、言われても、指摘されたこともあなたは覚えていないでしょう?

16深山:2009/10/12(月) 18:24:04 ID:5Xtpem0E0
>993 名前:準シュダオン 投稿日: 2009/10/12(月) 10:01:52 ID:P9JinFks0

眠りブッダ時代のあなたの書き込みを読んで、脳梗塞になるのは当然だと思った。
夜中の2〜3時頃にビールを飲んで書き込んでいた。
若い頃ならともかく、あなたのような年で、こんな時間に酒など
飲むのは自殺行為です。
桐山さんはタバコはやめたから、血管がボロボロになることはなかったが、
酒と美食が止められなかったから、血管が詰まって脳梗塞になった。
夜、桐山さんが別院でビールを飲んでふらふらになっているのを新入りの職員が
見かけて、仰天して、これを周囲に話したためにクビになった。
あなたの尊敬する桐山さんは悪い見本であり、
あなたはそっくり同じ道をたどっている。
番組に出ていた医者は、タレントにすぐに治療を開始するように勧めていた。
なぜなら、さらに脳梗塞になるそうな部位が見つかったからです。
脳梗塞の自覚がない人でこの有様なのですよ。
あなたは実際に五年前に脳梗塞の症状が出たのです。

17深山:2009/10/12(月) 18:27:38 ID:5Xtpem0E0
>993 名前:準シュダオン 投稿日: 2009/10/12(月) 10:01:52 ID:P9JinFks0

あなたは明らかに病的な記憶障害を起こしている。
批判側があなたにレスをつけなくなったのは、その状態があまりひどいからです。
反論をほぼ完全無視しているということは、あなたは読んでも記憶できないからです。
記憶障害を起こしている老人と議論しても、議論が空転して意味がないし、
こちらも、まるで病人を殴りつけているような罪悪感にかられる。
あなたがここに執念深く出てくるのも、
実は現実世界でもまともに相手してもらえないからでしょう?
家族など身近な人に、「記憶障害だと言われたが、おれは言っていることが
おかしいか」と質問してみるといい。
仕事場の人たちはかなり迷惑しているはずです。
聞く耳など持たないだろうが、一度断層撮影を受けて、
専門家の意見を聞いてみたらどうか。
タレントもすぐに治療するように医者に助言されていた。
病気は何でもそうだが、治療は早いほうがいい。

18深山:2009/10/12(月) 18:33:06 ID:5Xtpem0E0
>990 :干柿:2009/10/10(土) 23:41:28 ID:BBtat4sE0
>当時の中堅的な信者には書いてあることが違うといって笑っていたものです。

これは驚いた。
『アゴン宗・桐山靖雄の知られざる正体』は笑ってすまされる内容でしたか。
細かい間違いはありますが、それは細かい間違いであって、大筋では正しい。
その忠犬的な信者とやらが笑ったのは、細かい間違いを見つけて、
正しい批判の部分まで間違いであるかのように思いこもうとしたのでしょう?
大物ぶって「わたしの信仰がこんな程度で揺らぐはずあるまい、ハッハッハ」と高笑いをしてみせた。
だが、それは無知と思い上がりからくる高笑いにすぎない。
この本の内容が違うというなら、具体的にどこが大きな間違いなのか指摘してください。
僧籍詐称、学歴詐称、偽ビール事件での三度の逮捕、刑期を終えた後のオオボラ。
そして、信者には一言も言わなかった裁判の件。
今日から見ても桐山さんの嘘やデタラメを正面からいくつも射抜いていた。
私や周囲の信者には相当な衝撃だった。
裁判など、知らない内容もたくさんあった。
私の周囲では、青くなって沈黙しただけで、笑っていたなんて一人もいない。
何も言えずに赤くなったり、青くなったりしていたのは桐山さん本人です。

19深山:2009/10/12(月) 18:35:01 ID:5Xtpem0E0
>990 :干柿:2009/10/10(土) 23:41:28 ID:BBtat4sE0
>当時の中堅的な信者には書いてあることが違うといって笑っていたものです。

二十年前のこの本でW田さんのことを指摘しているのを干柿さんは鋭いとは思わないか。
13章の989さんの紹介した内容も笑ってはいられない。
アゴン宗も機関誌で連載中の漫画は、信仰に反対する悪魔のような父親と
それにひたすら耐えながら信仰を続けるご立派な母親と家族という話です。
父親は暴力まで働いている。
アゴン宗に反対する奴は暴力を働くようなとんでもない連中だと言いたいらしい。
だが、私の知る範囲での信者の現実はむしろ正反対です。
たとえば、2ちゃんねるに出てきた女性の夫はある地区の先達として
それなりの立場を持っていたらしいが、暴力を働くという。
また、アゴン宗二世が出てきて、アゴン宗に夢中な親に頭を悩ませていた。
普通の信仰ならさほど害はないのだろうが、アゴン宗の場合、
ものすごく金がかかるという点の害が大きい。
機関誌の漫画でも金の話になっていたが、あれの実話を知っています。

20深山:2009/10/12(月) 18:39:16 ID:5Xtpem0E0
>990 :干柿:2009/10/10(土) 23:41:28 ID:BBtat4sE0
>当時の中堅的な信者には書いてあることが違うといって笑っていたものです。

別院で運営を手伝っていたオバサンの夫は信者ではなかった。
ところが、オバサンはアゴン宗への供養として貯金を使ってしまい、
それに気が付いた夫は「おまえ、老後をどうするつもりでいるのだ?」と
問いつめたという。
当然です。
奥さんは老後を考えるからこそ、オシャカ銀行というものすごく利率の良い銀行に
徳の預貯金をしたつもりでいる。
お金なんて世の中が変わるとどうなるかわからないが、
オシャカ銀行なら安全で確実な徳の利回りで好運がもたらされるばかりか、
死んだ後まで霊障のホトケとならずに、阿鼻野街道も斉の広場も
信者なら顔パスで通してくれると信じている。
元本保証、危険性皆無、高利回り、おまけにあの世の保険まで
付けてくれるというオシャカ銀行の金融商品を買ったつもりでいるのです。
夫は妻を信用して預金通帳を預けておいたのに、
それをなんと訳のわからない宗教に全部使ってしまったという。
年金だけで生活はなかなか難しい。
「金のない年寄りくらいミジメなものはない」とは桐山ゲイカのお言葉です。
「老後をどうするつもりでいるのだ」という夫の言葉は、奥さんを叱ったと
いうよりも、貯金通帳を見た彼の暗澹たる気持ちです。

21深山:2009/10/12(月) 18:41:26 ID:5Xtpem0E0
>>990 :干柿:2009/10/10(土) 23:41:28 ID:BBtat4sE0
>当時の中堅的な信者には書いてあることが違うといって笑っていたものです。

読んでいる信者さんたちの中には、「供養をするかしないかは
本人の自由であってアゴン宗は強制していないのだから、
その奥さんに最大の責任がある」という人が必ずいる。
だが、少しでもアゴン宗で熱心に修行をしたことのある人なら、それがただの
建前にすぎず、出さない訳にはいかないようにできていることを知っているはずです。
だから、準シュダオンさんのように出さないで済んでいる人は桐山さんに
言われたとおりの供養という修行をしていない人です。
もちろん、オシャカ銀行にいくら徳を積んだつもりでも何の効果もない。
その典型が、長年、修行してきてガンなってしまった信者への桐山さんの対応です。
一人は250体も解脱供養を出したというのにガンになった。
桐山さんに指導を求めると、アガリクスを紹介した記事を渡したという。
ちなみに、アガリスクのガンへの効果は否定されています。
もう一人は、妻から反対されながらも長年、修行していたのにガンになってしまい、
桐山ゲイカに助けを求めた。
桐山さんは彼を激しく叱責して、「信仰に反対する妻と離婚できないだろうから、
おまえがアゴン宗をやめろ」と指導した。
機関誌に載せて彼をさらし者にして、山門からたたき出した。
これが慈悲深きオシャカ銀行の頭取をされている方の対応です。

22深山:2009/10/12(月) 18:44:29 ID:5Xtpem0E0
>990 :干柿:2009/10/10(土) 23:41:28 ID:BBtat4sE0
>当時の中堅的な信者には書いてあることが違うといって笑っていたものです。

もっとも、他人に対してだけでなく、桐山ゲイカは妻がガンになっても
銅像を建てる言い訳に使っただけで、二度目は助けられなかったのだから、
オシャカ銀行なんて、元本どころか利子など払うつもりはない。
アゴン宗の信者で、家族の中に冷静に批判的に見ている人がいる分には、
喧嘩をしても、まだ救いようもある。
これが一家総出で信者だとなると、一家は仲良しの完全な奴隷家族で、
アゴン宗牧場の家畜小屋に棲んでいることになる。
機関誌などでアゴン二世が出てきて活動をしているなんて見ると、背筋が寒くなります。
親は自分の判断でカルトにのめり込んだのだから自己責任だが、
子供は生まれた時から北朝鮮にいるようなものです。
桐山ゲイカという絶対的な支配者に頭も財布も捧げるのが当たり前と
小さい時から教育されて、しかも自分たちこそは霊的な世界を理解しており、
これを理解できない世間の連中は犬猫並だと侮蔑心を持つ。
これを読んでいる子供をもった信者さんたちはよく考えたほうがいい。
信仰を植え付けて、信者さんたちは子供を霊的に助け、運を良くしたつもりでいるのだろうが、
実際は子供に妄想のハンディキャップを背負わせていると同じですよ。

23深山:2009/10/12(月) 18:47:10 ID:5Xtpem0E0
>990 :干柿:2009/10/10(土) 23:41:28 ID:BBtat4sE0
>当時の中堅的な信者には書いてあることが違うといって笑っていたものです。

干柿さんの忠犬的な信者と違い、私には早川さんと廣野さんの批判本は
二冊とも衝撃的だったし、目を覚ますのに役だった。
何よりも、これらの本に対する桐山さんの腰抜けぶりには
本以上にショックだった。
仏陀の智慧はどうした?
俗人に批判されて怒り、信者に当たり散らすしかできない桐山ゲイカを見て、
ずいぶん情けない人だと思いましたよ。
批判本の最大の効果は桐山さんのこの姿です。
オバサンが「桐山ゲイカは嘘つきです」と批判した時と同じように、
批判内容ではなく、桐山さんの情けない姿こそが最大の収穫だった。
いくら赤い山伏でさっそうと歩き回り、格好よく九字を切っても無駄です。
ちょっと石を投げられたら、あたふたと逃げまどい、まあ、その姿の惨めなこと。
聖者だの超能力者だの威張ってみせても、
ああいう時にこそ、本当の姿が見えてしまう。
だが、干柿さんの忠犬的な信者たちは、批判本にだけ目が行って、
桐山さんがオタオタと逃げまどう姿は見えなかったらしい。

24深山:2009/10/12(月) 18:55:29 ID:5Xtpem0E0
>990 :干柿:2009/10/10(土) 23:41:28 ID:BBtat4sE0
>当時の中堅的な信者には書いてあることが違うといって笑っていたものです。

信者さんたちも桐山さんの仏陀の智慧を信じているのなら、
なぜ桐山さんが批判にちゃんと答えないのか、考えてみてほしい。
偽坊主、偽阿闍梨、偽大僧正と二十年も前から批判されているのに、
桐山さんは何も答えられない。
おかしくないか。
無視していいことではないし、批判が間違っているのなら簡単に反論できる。
度牒とそれぞれの証書を示して見せればいいだけです。
だが、どれも嘘で、批判が事実だから、示せない。
そこで、「悪口は無視する」と大人ぶったようなふりをして、
海外から法位法号を買い集めて、なんとかごまかそうとした。
僧侶、阿闍梨、大僧正を詐称したという事実は、いくら法位法号を
買い集めても帳消しにならないことくらい信者さんたちもわかるでしょう。
桐山さんの仏陀の智慧とは、批判を無視して、海外に投資して、焚き火を
焚き、法位法号を買い集めることです。
しかし、それは普通ゴマカシといいます。
桐山さんは山積みの嘘から目をそらして、イベントや名誉学位でごまかそうとする。
信者さんたちはこういう点まで桐山さんを真似るのはやめたほうがいい。
いくらガダルカナル護摩を成功させたと大騒ぎしても、
桐山さんの詐称は消えないし、釈尊が死者成仏を説くなんてこともありません。
焚き火によるお祭り騒ぎで、死者を救ったかのように自己陶酔しているだけです。

25ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/12(月) 20:34:33 ID:SmEF4Oe2O
>前スレ43章
>992
準シュダオンさんがシベリア護摩の頒布写真を現形と決めつけることは
桐山さんを侮辱したことにもなるのに気付きませんか?
その写真はハバロフスク護摩基金を喜捨した人に頒布するものだそうですね。
アゴン宗で言う法施に該当します。
こういう法施には宗務局で勝手に決めることはあり得ない。
必ず桐山管長の許可が必要です。
シベリア護摩にも飾りのように参加した桐山さんも許可を与えるにあたって
その写真を確認しないはずがない。必ず確認している。
だからその信者にも頒布する写真に尊い現形写真がゲーコゲコと写っていたら
必ず例祭などの法話で信者にそれを示すはずです。
今回現形された仏はこれこれであり、諸君は大切にするようにと指導します。
指導がないから信者同士でもその話が登らず、あなただけがそれらしく見える
と言っている。
現形していたら桐山さんの片手落ちですよ。説明不足の。
何も3000円じゃ安過ぎるから値段を吊り上げるとか、おみたまやのりたまを
ふりかけるという話ではありませんよ。
説明すらないというのがおかしいのです。
だからあなたが桐山さんの許可もなくシベリア護摩写真の現形をコメントするのは
桐山さん無視の態度であり、桐山さんを侮辱したことに相当するのですよ。
もう少し思慮深く発言しなさい。

26ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/12(月) 20:57:19 ID:SmEF4Oe2O
>前スレ43章
>993
準シュダオンさんは預流向を聖者扱いにすることを笑うのは釈尊に対して侮辱の
笑いをしたのと同じです。
桐山さんを侮辱して釈尊も侮辱して大した人ですね。
アビダルマ論師の言葉でなく釈尊の言葉なんですよ。準脳梗塞さん。
預流向がまだ煩悩具足と言えど、釈尊が聖者とまとめているからには聖者なんです。
釈尊の言葉に「疑惑」するか?
なぜなら預流果だって未だ煩悩具足でないか?残っている。
しかし預流向も預流果も阿羅漢果も全て聖者のくくりにしているのです。
それはそれとして悟りを開いた僧を聖者僧としよう、まだの者は凡夫僧と呼ぼう
というその時その時の分類整理があるのですよ。
だからその辺のTPOも理解せず、この双方に矛盾があるなんて言うのは
頭が硬すぎるんですよ。
それからあなたは仏教辞典の僧から凡夫僧、聖者僧の区別を見つけたとありますが
岩波仏教辞典ではどこですか?
私の岩波の「僧」には出てないのですよ。
逆に岩波仏教辞典の「凡夫」から面白いものを見つけたので、あなたにとって致命的な
それを示しましょう。

27ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/12(月) 21:04:10 ID:SmEF4Oe2O
岩波仏教辞典より
「凡夫」の項の解説より抜粋

とくに修行論では聖者(arya)の階位(見道、四向四果の預流向)に到達する前、三賢と四善根の階梯にある修行者を意味する。

28ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/12(月) 21:12:10 ID:SmEF4Oe2O
>993
いいですか?
>>27を目ん玉よく開いて見てご覧なさい。
聖者(四向四果の預流向)とあり、凡夫とは預流向に到達する前とある。
預流果に到達する前ではなく、預流向に到達する前が凡夫であり、預流向に到達
したら聖者なんですよ。
吃驚したでしょう?
三賢と四善根よりも上なんですよ。預流果ならぬ預流向は。
三賢(さんげん)と四善根(しぜんこん)も岩波仏教辞典に出てますよ。
調べてご覧なさい。
それらは凡夫に分類され、預流向は聖者の分類なんです。

29ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/12(月) 21:23:56 ID:SmEF4Oe2O
>993
まあこれは私も前言を訂正、反省しなければならないですけどね。
私は四向四果の分類と凡夫僧、聖者僧の区別を混同すべきでないと書いたが
混同してよいのです。
混同してすら預流向はもはや凡夫の域を脱した聖者の域なんです。
つまり四向四果に凡夫僧は存在しない。
これが私の回答と言うよりも、あなたも根拠に出す仏教辞典の回答なんですよ。

30干柿:2009/10/12(月) 22:27:03 ID:BBtat4sE0
>>24
まあ、いまさらどうでもいいんだけど、そうだったんだ深山さんは衝撃
だったんだ。その当時の話でしょ?
なんで私はさほど衝撃うけなかったかというと、すでに阿含経を唱えていたのに
唱えていないだの阿含なのに釈迦を拝んでいないだのと(この本が出された時には
阿含経を読んだいたし、仏舎利も祭られていたあとだった、捏造経だのニセ仏舎利
だのというのは当時はわからなかったでしょ今の感覚で読んじゃダメだよ)
それに当時所属していた地区のことが書かれていたのだが、そのような事実は
なかったという事件、(ボヤ騒ぎになって近所が大騒ぎしただのとか)とか
書かれていたからです。
また、その他の記事については織田さんの本とかとそう変わりはなかった
すでに織田さんの本とか読んでいたから、さほどねぇ〜
だからダラダラつづけてきてしまったのですよw

31ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/12(月) 22:39:13 ID:SmEF4Oe2O
>前スレ43章
>980
>981
>982
今度は大日さんの書いてくれたことに対するレスです。
前章でもつけていますが。
大日さんを論破してやろうというわけでなく、大日さんが提示してみた試論の
検証考察ですね。
気功やヨガに関するものです。
大日さんは気功やヨガなどを実践すると勘がひらめいたり力が加わったような
感覚になることもあるがなぜか一時的であり、桐山さんにしてもその段階の経験
はあるのではないかという試論です。
これに対して私はそれすらもないのでは?と思う。
なぜなら気功にしてもヨガにしても古い市販本の読書知識くらいで実践がないからです。
気功については前章で指摘した通り、桐山さんが気功を出したのは世間で気功ブーム
が起きてからです。
それから気功も(見よう見まねで)やってみて少しばかし一時的な力がついたか
ということになる。
なんかおかしいですね。
ヨガを考えてみましょう。
桐山さんがクンダリニーヨーガをチャクラと共に初めて著書を通じて出したのは
1972年の「密教・超能力の秘密」の時です。
そして売れっ子になった桐山さんはアメリカに行く。
バジアンさんなどと会うわけです。
それが1974年と1975年です。
そのアメリカ訪問でヨガ道場を訪ね、桐山さんは「あれは何をしているのか?」
と訊ねる。それは火の呼吸法です。例の鼻を指で押さえてフイゴのごとく呼吸する
ものです。
つまり火の呼吸法を知らなかった!
1972年にクンダリニーヨーガを説きながら、その実クンダリニーヨーガの
基本技術の火の呼吸法すら知らなかった!
高等数学をマスターしたと説いた人が実は算数の基礎も知らなかったようものです。
これをどう説明するか?
じゃあ知ったその時点から自分も火の呼吸法を修行してみて少し力を得るように
なったと言うのか?
桐山さんはいつ力を得たのかという話になる。
多くの信者はかなり初期の昔は修行による力があったが、今は堕落して失っている
と思いたがっている。
しかし実は違う。昔ほど情報が乏しく修行実践のメニューすら知らない。
では後になればなるほど力がついてきてもよいはずだが、そうは誰も見ない。
昔は純粋で力が幾ばくかあったが、今は不純で力がないのではない。
昔から、昔ほど不純かつ無知かつ未実践なんです。
昔が純粋なんてのは我々がそう描きたい幻想に過ぎない。
自分自身の昔の幼さと勘違いをしている。

32ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/12(月) 22:48:53 ID:SmEF4Oe2O
それから>981の病気が治ったなどの体験談などは、アゴン宗に限らずどこの
新興宗教団体にもみられる御利益現象です。
そしてそれは大日さんの書いているように一時的なんですね。
ちなみに創価学会では初心の功徳と言って、初心者ほど奇跡的な御利益体験が
報告されているのだという。
それを考えるとなんとなくわかってくる。
アゴン宗に限らず信仰というものを持つと、それはフレッシュであればあるほど
何か精神的なショックを感じて物事が好転する気まぐれがあるようです。
解脱供養の奇跡体験談も初回に多いでしょ?
中には大日さんの報告のように解脱供養もしないうちに入信しただけで一時的
に治る早とちりもある。
だからこれらの奇跡体験談はどの宗教にも見られる現象なんだからアゴン宗の
正しさの証明にならないし、まして桐山さんの霊能力の根拠にはならない。

33干柿:2009/10/12(月) 23:03:23 ID:BBtat4sE0
ああ、あともっともこりゃなんだ?と思ってしまったのが
バチカンへいったときのことを桐山氏はローマ法王と握手なんかしていない
と書かれていたことですわ!
ヤマトの記録映画もあったのに、このジャーナリストはろくな取材もしないで
ただ悪口書いて風評を流すことだけのために・・・なんて思ってしまったものです。
たしか、ゲイカはここの部分だけを強調してけなしていましたよバカな本だと

34ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/12(月) 23:09:02 ID:SmEF4Oe2O
「現形ゲギョーでゲーコゲコ」というサブタイトルは前章で足止めの法の話を
書いた時に思い付きました。
足止めの法なんて神田の古書店から探し出してきたようなおまじないの世界の
本からの名前だけのパクリだろうと。
そのおまじないの世界では足止めの法は蟇(ひきがえる)の法なんだと。
蟇(ひきがえる)→引き帰る→足止め帰宅
というくだらんシャレの世界です。
桐山現形ゲギョーも似たようなものでカエルがゲーコゲコと鳴くような
お笑い世界ということで命名しました。

35大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/13(火) 07:16:39 ID:hdxAXEcY0
>>34 なるほど、納得。妙なサブタイトルだなあと思ってたらふむふむ。
ちなみに私が得た「足止めの法」は呪符式なのでひきがえるというのはわかりませんでした。
慈恵会のときに伝習された方の中で知っている人は作法を知っていますが、如何せん
それをどこかでゲットしてやったら効いたよ、というのが皆無という状態からひきがえるの
法といわれても否めない自分が居ますw

>>31でのことは信者としては悔しいがその通りなんです。
何か奇蹟のようなことが起きても、それが長続きしない。いつでも起きない。最初の
うちしか起きない、などの現象が多すぎるんですね。
そして、そういう奇蹟が起きなければ案外退会も洗脳も解けやすいが、一旦そういうものに
出会うというか遭遇するとはまってしまう。しかも、一度だけの奇蹟によらず、二度三度
経験すれば尚頑強な”はまり”に落ちてしまう。これは特別な方が多いようで数としては
非常に少ない。私が見てきた会員の多くは一度派が多数を占める。で、後は他の会員の
奇蹟話を聞いて「ああ、別な方も奇蹟を得たんだ」という錯覚に入るのがほとんどです。
そして、ゲイカはやっぱり凄いんだ、と刷り込んでしまうのです。
私自身がそのパターンだったから、嫌というほどわかる。

ゲイカはその時々ポコポコ起こる奇蹟を例祭の体験談発表として今は成されているが、
昔ならまだしも今はその影響も弱くなっている。
なぜなら、2chでどなたかが書かれていたが、護摩法要だけ終わればすぐに帰宅する
信者が全国で増えている事実がある。これは関東別院だけの話ではないのです。

36大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/13(火) 07:27:26 ID:iTdnePPg0
また、奇蹟を売りにしたA宗であるが、ここ近年はそれが寂しくなっている。
外国で護摩法要を行い、英霊を供養して向かえているんだと展開中だが、今は
それがメインで過去の様々なものはどこに行ったやら。

1995辺りから「桐山氏は数年前から超能力云々を言わなくなった」ということを取り上げて
指導でもするかのように姿勢を見せたゲイカだが、それも尻切れのままだ。
結局、表向きは秘法を惜しんでて出さないように見えるが、中身が無いから出せないという結果。
自分にちゃんと付いてきたやつだけ教える、という姿勢はフェイクそのもので、本当は金と見栄
と後は実際小さくても形だけでもやらないと都合が悪くなるから錬脳塾というシステム?で
やっているだけ。いや、やっているというのは言葉・形上だけで中身は30年変わってないと
いうから話にもならん。まさに超能力ごっこである。

A宗はまさにゲイカの作り上げた「ネバーランド」である。

37大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/13(火) 07:40:24 ID:iTdnePPg0
一番の奇蹟を崩すのが「イスラエル法要」である。
法要したのにもかかわらず、まもなく戦争が起きて死者が多数出た。
これはまさに中身が無いのを決定付けるのに皮肉な結果となった。

このことを信者に言えば、また得意の屁理屈が帰ってくる。
気持ちはわかるが、その理屈には納得させるだけの理論も裏付けもない。
ただのいいわけである。

アゴンの護摩は普通の護摩では無いのである。それが結果としてどうでたか?
ただの焚き火をしただけではないか。それで平和が得られ、あの地方のイザコザが
解決できると思ってたのか。

いや、それよりもただのパフォーマンスだけが目的ではなかったのか。
それは結果として現れた。行うまでは信者側も思わなかったかもしれない。

奇蹟が売りのアゴンが面目つぶれというか、自分で自爆した結果があの法要である。
極東やガナルのような今は戦争が起きない地区では自爆の心配は無いが、唯一の汚点を
出したのは、予想に反したイスラエル法要である。あの法要の後の戦争は想定外なので
ある。

ここにゲイカの予知能力も計算も法力も奇蹟を生む力も超能力も皆無なのがわかる。

38大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/13(火) 07:52:13 ID:A1/V7tF60
重ねて言おう。あの法要では現形がほとんど無かった。
にもかかわらず、数は少ないが現形したと言い張るのです。

私は当時まだ辞めていなかったので参拝はしたが、じっと様子を見ていた。
どのように、また検証のために見ていた。
ところが法要が終わって、虚しさだけが残った。

「あれが聖なる護摩の法要か」と。

当日は風は強く、護摩の炎はほとんどが横に流れていた。
現形の暇が無かったほどである。
ところが後からの報告で、また写真に収められたという。
ところがどう見ても私には現形と認められなかった代物ばかり。
しまいにはキリスト様も出ましたよ、には呆れてしまった。

でも、百歩譲って現形したのだから良い結果が出るだろう、と思ってたら何ですか。
まもなく戦争。多数の死者が出たというではないか。
私は耳を疑った。ニュースの間違いではないかと。でも、調べたら嘘じゃないんですね。
そこでますますアゴンへの懐疑心は強くなった。

「見ろ! 現形だの奇蹟だの、みんな嘘八百だ!何のための法要なのだ!」

憤ったが批判派の言うとおりなんです。A宗及びゲイカには何の力も無い、と。
壇上でそれらしい格好をしてそれらしく見せているだけ。中身は何も無いのです。
あったら絶対に戦争など起きないのです。
結局、アゴンには戦争の抑止力や奇蹟を起こす力も最初から無いのです。
単なるミスでは済まされないのがここに有るのです。

39大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/13(火) 07:58:37 ID:A1/V7tF60
つまりは現形しただのしないのだの、そんなのはどうでもいい。
答えや結果が全てなのです。

信者には違和感が有るかもしれないが、あのイスラエルの法要で現形が仮にしなくてもいいのですよ。
現形しなくても答えが出れば、それでOKなのです。誰にも文句は言わせない、そういう結果があれば
奇蹟でも何でも言えるんですよ。それが出せなかったなら何といわれるか?
今のアゴンへのバッシングがそれでしょう? あそこで焚き火をして楽しんできました、じゃないでしょう?
観光旅行に行ったのではないでしょうが。

答えも結果も出せないアゴンなど、意味は無いと私は捉えますね。

40準シュダオン:2009/10/13(火) 11:51:35 ID:P9JinFks0
言葉足らずであったが、シベリア護摩の時の御法施の写真には、
「○○○の姿」が写っています、と、写真の説明の言葉が印刷されて
いましたよ。私の目にも、炎は確かにそれらしい姿に見えましたよ。
印刷されていましたから管長が知らないはずはありません。おそらく管長が
「法施はこの写真にしなさい」と指示したのでしょうよ。法施を頂かない信徒
は、そういう写真の存在も知らないことでしょうね、批判派は勿論でしょう。

阿含宗は、霊の存在を認め、霊をも成仏させる、と信じている教団です。
ですから、答えも結果も出せない、というのは主観の問題でしょう。
ある信徒にとっては結果を出しているのです。私も結果を出して頂いたので、
未だに信徒なわけです、これも主観の問題です。私の努力の結果なのか、阿
含宗の加護の結果なのか、それは証明できません。そういうことですよ、大日さん。

41ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/13(火) 12:15:43 ID:SmEF4Oe2O
>>40
どうして「○○○のお姿」と伏せ字にするのですか?
印刷されているのだったら公表されているものです。
アゴン宗の名誉にかけて隠す必要はない。

42ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/13(火) 12:18:07 ID:SmEF4Oe2O
>>40
基金3千円の結果ね。
普通の信徒だったら申し込まない方が少ないと思います。

43ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/13(火) 12:27:46 ID:SmEF4Oe2O
>>40
年金生活から3千円の出費はやはり努力なのか?

44ラシン:2009/10/13(火) 12:32:03 ID:2LdR/Kgw0
大日サン、スレ立ありがとうございます。

私もごホウセのゲ行写真をありがたく持っていましたが、
退会時にすべて返納してます。
本山落慶法要の一年前だったと思いますが、星祭で母親がインスタントカメラで
撮った写真の中の数枚が、観世音菩薩の横姿に見えるものがあって驚き勇んだ。
早速、宗務局に持ち込みましたが、認定してもらえなかった記憶があります。
それほど多くのゲ行写真と思われるものが存在していたらしい。
逆に言えばそれなりに見えてしまうのが、火炎の特徴でしょうね、深山さんの
中華なべゲ行のように。
入行して2年目くらいに仏壇ではなく祭壇を購入しましたその夜、
祭壇の部屋で寝ましたら深夜、壁に赤い色をした不動明王が映っている。
家人を起して見せたら、なんとなく人物像に見えると言うが、私には祭壇を
購入したことで現れたと考えた。
翌晩もまたかと期待したが、現れないが赤い模様見たいのが映し出された。
おかしく感じて反対側の小窓を開けたら、工事中のビルのパトライトが見えた。
自分でも思い込みの激しさに苦笑した過去の結果がある。
知人の会社事務所に屋敷浄霊をした時に多くの金粉が舞った。
この金粉の検証はすでにここで為されていますが、当時の私にすれば
一時間しても舞っていたし、手にもついたから知人もその縁起を喜んでくれたが、
一年も絶たぬうちにバブル崩壊の波を受けて倒産した、という結果もあります。

45深山:2009/10/13(火) 12:35:46 ID:SEzHeAPQ0
>>30 :干柿:2009/10/12(月) 22:27:03 ID:BBtat4sE0
>なんで私はさほど衝撃うけなかったかというと、すでに阿含経を唱えていたのに
>唱えていないだの阿含なのに釈迦を拝んでいないだのと(この本が出された時には

この本がでたのは1986年5月で、阿含経の読誦のために阿含経が
配られたのが、私の手元のメモでは1985年10月の例祭からです。
早く川さんの原稿ができて発行まで数ヶ月かかったとすれば、1985年10月は
本を執筆している最中でしょう。
何年も前から取り入れているのに彼が無視したというならまだわかるが、
半年前に取り入れたにすぎないのに、それが抜けているのはおかしいと高笑いをするのですか。
おかしいのはそれを言った忠犬的な信者です。
相手に過剰な要求をして、ちょっとした間違いを見つけてはこれに因縁を付ける。
しかも、早川本の解釈もおかしい。

46深山:2009/10/13(火) 12:39:38 ID:SEzHeAPQ0
>>30 :干柿:2009/10/12(月) 22:27:03 ID:BBtat4sE0
>なんで私はさほど衝撃うけなかったかというと、すでに阿含経を唱えていたのに
>唱えていないだの阿含なのに釈迦を拝んでいないだのと(この本が出された時には

あなたの指摘は、たぶん下記の文章でしょう。

「つまり、阿含宗以前からの売り物の千座行で唱えられているお経は阿含経ではなく、
桐山師が批判する大乗仏教経典の寄せ集めでしかない」(146頁)

この文章をもって、阿含経を読んでいないと書いていると
あなたが解釈したとすれば、それは言葉尻をとらえているとしか言いようがない。
現実に今でも読誦している経典の大半は阿含経ではなく「寄せ集め」です。
彼の批判は前後を読めばわかるように、桐山さんが大乗経典を
偽経典と激しく非難していながら、自らは千座行で阿含経でないものを
唱えているのはおかしくないかと指摘しているのです。
これはそのとおりで、おかしい。
二つの阿含経を除いて、桐山さんが偽経典と批判する大乗経典や由来不明の偽経典です。
あなたは、読誦している経典に阿含経が入っていない、という一点のみを取り上げて、
彼の主張である「大乗仏教経典の寄せ集め」という指摘を無視した。
あなたの解釈はあまりに偏っていないか。

47深山:2009/10/13(火) 12:43:20 ID:SEzHeAPQ0
>>30 :干柿:2009/10/12(月) 22:27:03 ID:BBtat4sE0
>なんで私はさほど衝撃うけなかったかというと、すでに阿含経を唱えていたのに
>唱えていないだの阿含なのに釈迦を拝んでいないだのと(この本が出された時には

さらにその後で早川さんは、桐山さんが七科三十七道品を売り物にしているのに、
戒律を守らず、占いをしている点も指摘している。(153頁)
阿含経にあるはずのない悪因縁や霊障という崇りを説くことの矛盾の指摘も鋭い。(154頁)
こういう大きな教義の矛盾の指摘を見ようともせず、アゴン宗が阿含経を
読誦しはじめたのか最近であることも無視している。
「阿含経ではなく」という言葉一つに噛みつき、大宮道場での事件が違っていると
という点だけをあなたは取り上げて、高笑いをしていたのですね。
大宮道場の事件がどうであったかなんて細かい話です。
重要なのは彼が指摘した桐山さんとアゴン宗の教義などに関わる部分です。
七科三十七道品を唱えながら、八正道から外れており、戒律すら守らない点など、
信者なら相当に耳に痛い指摘です。
悪因縁と霊障の件の指摘をあなたはどう読んだのだ?
桐山さんはこの段階ではなんら阿含経の中に悪因縁も因縁解脱も、
霊障も霊障解脱も示していなかった。
いや、今でも示していない。
木に竹を接いだように桐山さんは阿含経を引用しながら、そこに悪因縁や霊障の
話を混ぜているにすぎないことは、当時行われた阿含経講義の本を読めばわかる。
その矛盾を早川さんは素人ながら巧みに突いている。
あなたは当時、これらの指摘に自分なりに反論できましたか。
私はできなかった。
だから、青くなったのです。

48深山:2009/10/13(火) 12:48:44 ID:SEzHeAPQ0
>>30 :干柿:2009/10/12(月) 22:27:03 ID:BBtat4sE0
>唱えていないだの阿含なのに釈迦を拝んでいないだのと(この本が出された時には

釈迦を拝んでいないという話はこの本のどこにあるのですか。
本が手元にあるなら、ページ数を教えてください。
早川さんの本では仏舎利のことも本尊の件も取り上げていない。
また、仮にそのように書いていたとしても、これも仕方ない批判ではありませんか。
なぜなら、アゴン宗が真正仏舎利を大宣伝に使ったのは1986年からです。
だから、本が出た段階では今のように「真正」仏舎利が本尊にはなっていなかった。
この点では桐山さんが『霊障を解く』の248ページ以降で
聖教新聞に反論して、本尊は仏舎利だと書いている。
だが、あれはおかしい。
仏舎利が真ん中に置いてあるなどといいながら、
「本尊は、たしかに準胝如来、準胝観世音である」
「アゴン宗の本尊は、
大日如来、釈迦如来、準胝如来、
法身、報身、応身の、三身即一の如来である」
などと書いている。
あなたはこの説明の意味がわかりましたか。
後世の密教の空想の仏をごちゃ混ぜにして、これを釈迦であるなどと
言われて、あなたは納得しましたか。
本尊は三身即一の応供の如来であって、釈迦ではないことになる。
ワインの中にジュースや合成アルコールを混ぜてワインであると
言っているようなものです。
だが、それはワインではない。
当時は本尊が釈迦ではないという批判のほうが当たっているのです。

49深山:2009/10/13(火) 12:51:49 ID:SEzHeAPQ0
>>30 :干柿:2009/10/12(月) 22:27:03 ID:BBtat4sE0
>阿含経を読んだいたし、仏舎利も祭られていたあとだった、捏造経だのニセ仏舎利
>だのというのは当時はわからなかったでしょ今の感覚で読んじゃダメだよ)

これは私に説教しているのですよね?
今知っている知識を、早川本を読んだ時の知識であるかのように錯覚するなと
あなたは私に説教しているのですね?
何を見当違いなことを書いているのだ。
偽仏舎利や経典捏造なんて早川さんは指摘していませんよ。
私もそれを早川さんの本で学んだなんて書いていない。
今の感覚で読んでいるのはあなたです。
今知った知識で、あなたが早川本を読んだ時の自分の反応を思い出してみたほうがいい。
知識が間違っており、読み方も偏っている。
今のあなたから見たら、完全な洗脳信者です。
過去の自分を否定したくない気持ちはよくわかる。
だが、それでは仏教の修行からは外れており、まだ桐山教の信者のままです。
あの本を高笑いをした自分を恥じる心をもったほうがいい。

50深山:2009/10/13(火) 12:55:52 ID:SEzHeAPQ0
>>30 :干柿:2009/10/12(月) 22:27:03 ID:BBtat4sE0
>また、その他の記事については織田さんの本とかとそう変わりはなかった

本当にどこに目をつけて読んでいるのでしょうね。
桐山さんが三度逮捕されていたなんて織田師は書いていない。
逮捕が一度と三度では話がまるで違う。
干柿さんに聞くが、もし仮に、あなたが偽ビールを造り逮捕され、
たまたま釈放されたら、それでも偽ビールを作り続けるか。
私は小市民だから、即刻、足を洗う。
そして多くの人がそうです。
裁判になる以前の問題として、犯罪人として逮捕されるなどこの上もなく不名誉なことです。
それが独裁体制に反対した政治犯や思想犯ならまだ格好もいい。
人を偽ビールで騙す詐欺ですよ。
普通の人ならすぐに反省して、二度と逮捕などされないようする。
だが、桐山さんは一度逮捕されても、まるで気にしなかった。
いや、そればかりか、二度逮捕されてもまだ懲りずに偽ビール造りを続けた。
この桐山さんの姿にあなたは目が点にならないか。
私はギョッとした。
桐山さんの話では、主犯格の男に小説家としての興味をひかれ、
資金を提供しているうちに逃げ損ねて、すべての罪を着せられた文学青年という言い方だった。
だが、一度ならず、二度逮捕されても犯罪を続けたとなると、
これが純粋な文学青年ではなく、どう見ても、逮捕など勲章の一つだと
思っている業界の人のように見える。
なによりも桐山さんのその性格です。
仏教は世間よりもはるかに強い道徳を求められるのに、
元々の桐山さんにはそれが欠落しているように見える。
尊敬し、指導を仰ぐ指導者の若い頃が、道徳心が著しく欠落しているのを知って、
かなりショックでした。
だが、あなたはそうではなかったらしい。

51深山:2009/10/13(火) 13:02:09 ID:SEzHeAPQ0
>>30 :干柿:2009/10/12(月) 22:27:03 ID:BBtat4sE0
>また、その他の記事については織田さんの本とかとそう変わりはなかった

学歴詐称の履歴書も二カ所に増えていて驚いた。
一カ所だけなら、筆の勢いでとか、どうしても学歴が必要だったからという
言い訳もできるが、なんと間を二年もおいて二カ所に早大中退の嘘を書いている。
干柿さんは学歴を詐称しますか。
私は自分が中卒であったとしても、詐称しようなんて気はない。
それを二度ですよ。
しかも、日付を見ると、念力の護摩を焚く前後です。
因縁に苦しみ、因縁を切らずには絶対に世に出ないと決心して、
15年以上も修行して因縁を切ってきたはずなのになんでこんな嘘をわざわざ書くの?
逮捕歴三度というは出家する前だから、未熟だったと言い訳ができる。
だが、15年以上も血の涙を流しながら、荒行をして因縁切りをしたのに、
また、人を騙そうとして必要もない嘘をついている。
桐山さんはものすごい学歴コンプレックスと、嘘をつくことに常習性があるのではないかと疑った。
学歴詐称は逮捕歴三度にみられる桐山さんの道徳心の低さとしっかりとリンクしている。
つまり、偽ビールを造った当時も、念力の護摩を焚いた時期も、
彼は人間としてさほど変わっていないのではないかと疑われた。
嘘をつくことになんのためらいもなく、常習性があるとなると、
念力の護摩が手品だというのも、桐山さんならありえない話ではなくなる。

52深山:2009/10/13(火) 13:08:32 ID:SEzHeAPQ0
>>30 :干柿:2009/10/12(月) 22:27:03 ID:BBtat4sE0
>また、その他の記事については織田さんの本とかとそう変わりはなかった

裁判の件も織田師の本でも出ているが、早川さんは詳細を記述しており、
私は内容を読んで、かなりショックだった。
裁判なんてえん罪もあるくらいだから、勝ち負けがすべてではありません。
だが、読んでショックだったのが、桐山さんが一度も裁判に姿を現さなかったという点です。
自分から裁判を起こしておきながら、一度も姿を見せない?
私にはそれが腰抜けに見えた。
自分から訴えたのなら、勝とうが負けようが、正々堂々と立ち向かうのが男ではないか。
桐山ゲイカはいつも格好よく、それを宣言している。
だが、現実の桐山ゲイカは自分から戦いを仕掛けておきながら、
姿すら現さなかった。
桐山ゲイカは普通の人と違い、高度な智慧をもっている超人です。
自分から裁判を起こしたということは、予知能力を持ち、
事物の明快な認識力をお持ちの桐山ゲイカには深い深い読みがあったはずだ。
だが、現実の桐山さんを見てください。
裁判に出廷していつもの弁舌をふるうこともなく、相手に一撃されて、さっさと逃げ出した。
当時の私の心の中に思い浮かんだ言葉を出すなら、負け犬。
これで彼の超人的能力を信じろと言われてもねえ・・・。

53深山:2009/10/13(火) 13:18:33 ID:SEzHeAPQ0
>>33 :干柿:2009/10/12(月) 23:03:23 ID:BBtat4sE0
>バチカンへいったときのことを桐山氏はローマ法王と握手なんかしていない
>と書かれていたことですわ!

これはあなたと桐山さんの間違いです。
本があるならもう一度読んでみてください。
握手をしたと書いてあります。(205頁)
早川さんの「小さな間違い」は、桐山さんが強引に握手したと書いた点です。
それも早川さんがそう書いているのではなく、バチカン・ツアー関係者の
話として書いている。
桐山さんが前に進み出て強引に握手した、というのは間違いです。
しかし、早川本でも握手したことは認めている。
いかにあなたの記憶も、桐山さんの話もいい加減かこれを見てもわかる。
桐山さんもしばしばこういう記憶違いがある。
だが、桐山さんはもうどうしようもない人だからいいとして、
干柿さんは記憶がいつの間にか作り替えられていることを意識するべきです。
あなたも桐山さんも自分の実際の能力以上に過信している。
自分をもっと疑ったほうがいい。
そうすれば謙虚になれます。
こういう記憶の間違いは自分を知る良い機会なのです。

54準シュダオン:2009/10/13(火) 14:00:59 ID:P9JinFks0
ユビキタスさんの仏教辞典には預流向が聖者になっているのですか?
それは驚きですね!!、おそらくアビダルマ論師達の誤った見解をそのまま
解説したと考えられますね。そういうのを鵜呑みにするから間違うのです。
釈迦は阿含経で、僧衆を四双八輩に区分しています。だから四双八輩以外の
僧はないのです。そんな辞典の記述を読んで喜ぶようでは、見込みがない。

お釈迦さまは、阿含経で四沙門果を説いています。四段階の聖者です。
所謂、「預流果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果」の四聖者です。
釈迦は、預流向果などという聖者は説いていません。釈迦とユビキタスさんの
辞典は食い違っています。こういう場合の、正しい判断能力を智慧というの
です。阿羅漢向とは正確には阿那含の範疇です。つまり、阿羅漢向=阿那含です。
同じように、阿那含向=斯陀含です。斯陀含向=預流です。これらはいずれも
何らかの煩悩を断った聖者で、すべて四沙門果に含まれます。

では、預流向は?預流向を聖者とするならば、四沙門果より低い聖者です。
ふぁとすれば、釈迦は、五沙門果を説かないとおかしいのです。つまり、
ユビキタスさんの辞典の方が変なのです。外道と比較すれば預流向の方が
より聖者に近い、という意味での、言葉のアヤとして預流向を聖者と呼ぶ
場合は、許されるでしょう。しかし、仏教における聖者と凡夫の区別は、
煩悩をいかに断っているか、の問題なのですから煩悩を断っていない存在の
預流向を聖者に含めるのは理屈に合わないのです。

55ラシン:2009/10/13(火) 14:08:15 ID:2LdR/Kgw0
>40 :準シュダオン:2009/10/13(火) 11:51:35 ID:P9JinFks0
阿含宗は、霊の存在を認め、霊をも成仏させる、と信じている教団です。
ですから、答えも結果も出せない、というのは主観の問題でしょう。

ふざけるなと言いたい、桐山さんが主観の問題としていたなら
私はゲダツ供養も冥徳供養もしなかっただろうし、サン便宝珠も
各種のごホウセの威徳に縋ることもしなかった。
当時の心の中は、現世で努力した甲斐が報われると信じていた。
あなたの勝手な判断で桐山教義を歪めるのはやめなさい。

>私の努力の結果なのか、阿含宗の加護の結果なのか、それは証明できません。

すごいことを平気で言うものだ。
証明できないものでも信じるのは勝手だが、ならばなぜあなたは今まで
証明しようと悪あがきをしてきたのか?
けっきょく、何も論証できなくなった捨鉢の咆哮ですか?
批判側は桐山さんの成仏リキなど無く、加持も加護する力も無いと指摘している。
あなたは、そこで証明できないと断言し主観のふところに逃げたのだから、
あなたの信仰は勝手だが、批判の指摘へはもう論を俟たないことになる。
このことをどうかお忘れなきように。

56Boo:2009/10/13(火) 14:15:11 ID:DXlq9owoO
準バカボンさんって・・・


やっぱりこの人4行以上読んどらんわ・・・


しかし・・・事典の引用を間違いだ、と言い出すとは、絶句しますね。この人の判断基準となる著作物ってなに?まさかゲイカの本が仏教事典に優先するなんて言いださねーだろーなー。

深山さんがバカボンさんを脳梗塞だ、と診断しましたが、マジでこの人逝ってるかも・・・

57準シュダオン:2009/10/13(火) 14:31:41 ID:P9JinFks0
預流向についての、ユビキタスさんの辞典は、おそらくアビダルマ論師達が
預流向を見道位の十五心と定義したことに関連する記述でしょうね。
私が読んだ阿含経の範囲では、いずれも預流からが聖者とされており、
預流向はそれに向かって修行中の者とされています。

「須陀?とは、預流とか入流と意訳され、聖者の流れに入ること、または法
の流れに入った者、または悟りの方向に向かう流れに入った者」と解説されて
おり、須陀??(預流)からが聖者なのであり、須陀?向は須陀?を目指して
修行中の者であり、まだ最初の聖者の須陀?には到達していないのです。
須陀?は、「初獲聖性 入聖行流」と説明されるように、最初の聖者の段階が
須陀?とされています。

仏教の目的は煩悩を断つこと、と強調する批判派が、煩悩を断っていない存在
の預流向を聖者に含めることに一生懸命なのは滑稽ですねW。

58ラシン:2009/10/13(火) 14:34:24 ID:2LdR/Kgw0
>54 :準シュダオン:2009/10/13(火) 14:00:59 ID:P9JinFks0
ユビキタスさんの仏教辞典には預流向が聖者になっているのですか?

当り前でしょう、26〜29のユビさんの指摘で既にケリはついている。

>釈迦は阿含経で、僧衆を四双八輩に区分しています。だから四双八輩以外の
僧はないのです。

四双八輩と四向四果は同じだよ、こんなこと批判側は初めからの観点でいる。
また広義で僧のなかにはウバソクやウバイも入るのだよ、アワテ者さん。
あなたは四双八輩を現前僧と履き違えているだけ、スレとは無関係な議論に
いつまでも執着する愚行はやめなさい。

59ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/13(火) 21:27:59 ID:SmEF4Oe2O
>>54
>>57
今度は仏教辞典に対する侮辱ですかw
あのね。仏教辞典を最初に持ち出したのはあなたなんですよ。
前スレ43章の909に岩波仏教辞典の僧を調べると聖者僧と凡夫僧の区別が書いてある
と示した。
ちなみに私が>>27で示した「凡夫」の解説の一部抜粋も岩波仏教辞典です。
2002年の第二版であり、ページで言うと、947ページです。
あなたのと版が違うかもしれないと思い、敢えてページを示さなかったのだが。
その第二版の岩波仏教辞典の僧を引くと、あなたの示した聖者僧、凡夫僧の区別が
書いてないのですよ。
1998年の第一版には書いてあるんですか?
どこの岩波仏教辞典ですか?講談社の岩波仏教辞典ですか?ベースボールマガジン社の
岩波仏教辞典ですか?私のは岩波書店の岩波仏教辞典です。
まあ、あなたの出典は大体見当つきますよ。
これでしょう?↓
日本百科事典―僧
http://encyclopaedicnet.com/japan/a_/a__25.html

これも引用抜粋しましょう。

大乗仏教が成立してからは、在来の僧を「声聞僧」と呼び、大乗の教団を「菩薩僧」と呼んだ。
菩薩僧では在家出家の区別が明瞭でなく、両者を含めて僧とも衆とも呼んでいる。
悟った聖者の集団を「聖者僧」と呼び、三宝の一つとしての僧はこの聖者僧であるともなされ、
一般の僧を「凡夫僧」「世俗僧」ともいう。


なんだ?アビダルマどころか大乗仏教での用語じゃねーか?

60ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/13(火) 21:59:13 ID:SmEF4Oe2O
>>54
>>57
原始仏教にも部派仏教にも聖者(しょうじゃ)と凡夫の区別はあります。
それぞれ今度こそ岩波仏教辞典で引いてごらんなさい。
聖者とは四諦の真理を理解した四向四果の境地なんです。
三向四果ではありません。
ちなみにこういった分類整理はやはりアビダルマの影響が大きいでしょうね。
三賢、四善根の凡夫の位を経て、見道の位に到達して初めて聖者入りすると説くのは
説一切有部なんだそうで。
あなたの嫌うアビダルマですね。
しかし私はアビダルマの論だから間違っているなんて思わない。
いいんじゃないですか?
桐山さんもアビダルマを高く評価していることを知らないのですね。
あなただけですよ。桐山さんに反逆してアビダルマを否定するのは。
それに比べてあなたの出した聖者僧、凡夫僧はアビダルマですらなかった。
岩波以外の仏教辞典を大型書店で立ち読みしても出てこないはずだ。
大乗を出しながらよくアビダルマだけ否定できますね。
私も仏教の素人として今回調べてみて正直吃驚したんです。
預流果ならぬ預流向は到達するものです。
入会金払って入信したらそれだけで預流向の分類とかいかないみたいですね。
教えの理解が必要なんです。
感情の中に煩悩が残っていても聖者の入り口なのです。

61ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/13(火) 23:04:07 ID:SmEF4Oe2O
私は早川さんの批判本は発売当時、本屋でチラ見した他は、退会して批判側に
なってから、図書館で全読しました。
ですから手元に早川本がないので確認できないが、どうも干柿さんの記憶って
昔からあてにならない面が多かったから心配してるのだが、一部早川本の内容ではなく
深山さんも挙げている桐山本「霊障を解く」にある聖教新聞のアゴン宗批判記事
に対する桐山反論と一部混同していないか?
こういうあやふやな記憶が準シュダオンさんに見られるんですね。
たしかに準シュダオンさんも持っているはずの「岩波」仏教辞典に聖者僧、凡夫僧が
僧の欄に載っていると示したことです。
これは決して準シュダオンさんの悪意あるゴマカシ、嘘でもないと思う。
単なる無責任なうろ覚えのせいだと思う。
きちんとした引用の習慣がついていないからです。
さぞ現役時代は仕事ができず上司から怒られたでしょうね。
自分よりも若い上司に無能呼ばわりされて、真冬に頭から水をかぶりたいくらい
そんな職場が嫌だったことでしょう。
しかし原因はあなたの態度にある。

62ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/13(火) 23:36:31 ID:SmEF4Oe2O
出家して僧(ビク、ビクニ)になっても未だに四諦の真理すらも理解できん駄目な奴ら
がおり、そいつらは預流向の聖者にもなってない、四双八輩の枠組みにも入れん
未熟者のお坊さんがおるなんて解釈ではなく・・・
準シュダオンさんの出した凡夫僧が大乗での分類ならば、例の事典では前提として
大乗の僧は在家出家を区別していないと書いてあるでしょ?
その中で悟った衆(在家と出家)が聖者僧であり、そうでないのが凡夫僧と
書いてあるのだから、普通は在家のまだ理解不十分な信者でしょう。
これに四双八輩を混同してはならぬと、また昨夜の前言を翻してスマヌ。

63ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/13(火) 23:58:02 ID:SmEF4Oe2O
朝晩冷え込む季節になりました。
皆さん、インフルエンザも流行っているし、風邪などひかぬように。
尚頭から冷水をかぶりたい方は遠慮なくどうぞw
アーメン

64大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/14(水) 00:01:53 ID:aFOs7QFM0
>>40 言葉足らず、というよりも全く書かない姿勢はいかがなものか。伏字にするのは表現すると汚らしいとか
不快感を感じるものや中傷・誹謗の恐れが有るからとかの理由があるからするものであって、何故にわざと伏字
にして、「お前はその伏字を解けよ」のようにするのかが皆目わかりません。
もしかして他の方も申されているように貴方道場に行ってないですな、準さん?
伏字は書かないのでなくて書けないのですね。今までの投稿を見てそう判断されても否めないですね。
今後クイズのような伏字は嫌味にしか映らないので、やめていただきたい。
むしろ書かないで欲しいと言っておきます。

>おそらく管長が「法施はこの写真にしなさい」と指示したのでしょうよ。

当たり前です。あれほど無許可が嫌いなゲイカが勝手な法施を誰かが出して黙っているはずが無い。
そんなことは知らないほうがおかしい。信者であるなら尚更です。

65樹意:2009/10/14(水) 00:16:31 ID:tsllgqu20
預流向議論については議論の余地がないと何度か述べてきましたが
だいたいにして仏教辞典を監修されているのは 中村博士だったり
ここで引用されてきた博士 先生方です。 

それらの先生方の見解を否定しながら 仏教辞典によるべしなんてのは
昼のユビ氏と夜のユビ氏が別の人間というのと同じようなもんです。
[変な喩 w 」

まぁ 深山氏の指摘が全てなのでしょう。
いずれにしろ準シュダオンさんは 一度本気で病院にいくべきでしょう。
早めに治療してよくなってくださいね。

66大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/14(水) 00:19:34 ID:fEID8C4A0
続き

>阿含宗は、霊の存在を認め、霊をも成仏させる、と信じている教団です。

信じている、というレベルや表現の事で済ませないでくださいますか?
信じているのではなくて、打ち出している、いや絶対的なはずです。
そうでないとアゴン宗は成立しませんぞ。

あるときは霊の存在を”信じ”、あるときは霊をも”成仏させる”が時々、いや
不定期に・ランダムに信じない時も有るし、成仏をさせられないときも有る、では
宗教法人や仏教教団としてはトンデモないことになる。
むしろ、霊の存在を信じ、霊を成仏させられる、ときっぱりいえなくてどうします?
というか、成仏法は何のために有るか? それすら貴方は主張も出来ないのか。
信者失格です。想像で物をいう癖はおやめになったほうがよろしい。

基本的で絶対的な間違いを貴方はされているのです。ゲイカがこの発言を聞いたら
顔色が変わりますぞ。そして、殿下の宝刀の文句が貴方に浴びせられる可能性が増えますぞ。
「この馬鹿つまみ出せ」を。

ここでは確かに批判も擁護も意見を交換しましょうなのでどのような意見も構わないが、
信者としては恥ずかしい発言です。神経通ってますか?

>ですから、答えも結果も出せない、というのは主観の問題でしょう。

主観かどうか、という言葉で立派な意見を言った風のフェイクは通用しません。
現実を見ない信者の戯言です。頑迷な信者に見られる特有の言葉です。

ならば、現形も主観ということになるがよろしいですか?
現形に現れる神仏は有る人には有ると見えるし、無いという人には無いという主観の問題だ、
と貴方は理論付けたいのでしょう? だからアゴンの基本教学・理念も間違うのです。
霊の存在を認める、までは同意なのだが、成仏に関しては私も黙っては居ないです。

成仏できなければ意味が無い。ましてゲイカも何度も言っているでしょう。
成仏法の無い仏教など、何とかの入らないコーヒーのようだと。
つまりは、成仏が出来ない仏教など全く無意味だ、ということです。

67大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/14(水) 00:37:11 ID:kpZ/qQfY0
またも続き

>ある信徒にとっては結果を出しているのです。私も結果を出して頂いたので、
未だに信徒なわけです、これも主観の問題です。私の努力の結果なのか、阿
含宗の加護の結果なのか、それは証明できません。

ここは半分はわかりますよ。私も過去に奇蹟のようなものは目にしているし、
20数年も信徒をしたのはそういう理由だからです。
最後の部分の「それは証明できません」というのは素直な感想で理解できる。
しかし、主観次第というのは嘘ですね。そんな馬鹿な現象だけがこの世にあると
思う・理論付けるのは間違いだ。現実というのを見ないからそういう風になる。

例えば私が過去に出した内容だが、弟がどうしてもB型肝炎になり長年治らなかった。
一時期は死ぬ寸前まで行ってた。治療を重ねて努力していたが全然治らなかった。
ところが、解脱供養を行ったら一発で治った。あの頑固な不治の病が治った。
これには私も舌を巻いたし、弟自身が一番喜んだ。無論私も喜び、ゲイカや本尊にも
感謝した。

このことに対し「フラシーボ説」「どこの宗教でもある奇跡」を言われたが、私は今でも
それだけで説明が付かないとは個人的に思っている。

しかし、これは有る会員だが精神疾患を抱えそれが原因で家庭崩壊になる恐れがある人が
アゴンに期待を寄せて入行してきた。ところが解脱も何もかもやったが効果が一向に無かった
人がいた。まもなくその方は失望が原因で退会したが、これもあなたが言う主観で済まされる
事なのだろうかと問いたい。

私の弟は救われて、ある方は救われない。これは事実である。
しかし、では主観やあるときは救われて、あるときは救われないのでは信者はたまったものではない。
そういう背景が事実上有るのに、貴方は説明が出来ないとか、主観で済まそうとしている。
これははっきり言って誤魔化しや方便である。詭弁と言ってもいい。

まして決定的なことを言おう。実は今年の夏にその我が弟が亡くなった。
天下のアゴン宗に居ながら、である。神仏の救いも無いままに亡くなった。
B型肝炎で劇的な奇蹟を見せたのに、今回は何も無いとはどういうことだ?
これも晴れ時々曇りの天気予想の如く、たまたま救えなかった、で済ますのか?

現実は冗談や詭弁で済まされないぞ。

68ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/14(水) 00:49:07 ID:SmEF4Oe2O
>>67
ああ、弟さんお亡くなりになりましたか?
それは残念です。
慎んで御冥福お祈り申し上げます。
準シュダオンさんはこういう現実の問題に直面することがないのですよ。
読んでいると、楽したいような情けない怠惰心の我欲ばかりで。
人生に対する真摯な問題意識のない奴は、何に対しても問題意識が育たないのですよ。

69大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/14(水) 01:17:12 ID:YYM1FWJQ0
ユビさん、お言葉ありがとうございます。本当はまだ後で出そうと思ってたのですが
弟の事をエキサイトして出してしまいました。

問題意識が無い人というのは幸せというか、何と言うか・・・。
うちの親もそういうところ有るんで、困っていますね。
くだらないことばかりに目が行って、肝心なところはボケて理解しない。
書類の文字一つ書けないくせに、屁理屈ばかり万能で。

うちの弟の遺産は親が100%貰ったんですが、その際に色々書類書かないといけない。
そういう大事なこともロクに出来ないんですよ。
頭が働かないようで、日付も曜日も時間間隔も無い日があって、しかも、生活の行動も
だらしなくなってきている。だが、金とか興味の有るものだけは冴えている。
昔の事や執着していることだけは人一倍で昨日の事も忘れる・・・
そういう親を見て、「まるでしたらばで書かれていることは親にも出てる」と共感しましたね。
まだ痴呆症とか認知症ではない、とDrに言われましたが、その前兆はでてますね。
これからが怖いですね。

実際に親を見てそういう現実も味わっている自分でした。

70準シュダオン:2009/10/14(水) 07:57:20 ID:P9JinFks0
四双八輩は阿含仏教において、成仏に至る重要な区分です。ゆえにおろそか
にはできない。預流向を聖者に区分するか凡夫に区分するかも根本問題です。
釈迦と管長の説明を要約すると以下のようになります。

凡夫(預流向)→預流果(斯陀含向)→斯陀含果(阿那含向)→
阿那含果(阿羅漢向)→阿羅漢(仏)  以上です。

阿羅漢向は、阿羅漢という語がついていても、阿羅漢に到達していないので、
阿那含に属します。
同じように、預流向は、預流という語がついていても到達していないので凡夫
に属するのです。おわかりですか?

71準シュダオン:2009/10/14(水) 08:09:56 ID:P9JinFks0
釈迦が四双八輩を、ときには福田とか聖衆と呼んだからといって、預流向が
「俺は聖者だ」などと思うのは間違いです。それは言葉のアヤなのであって、
釈迦の言葉尻をとらえてはいけません。

釈迦は、ある時には僧衆を聖衆と呼んでいます。だからと言って、僧衆はすべて
聖者かといえば、そうではありません。それも釈迦の言葉尻をとらえた間違いです。
釈迦は、ある時には、僧衆を四つに区分しており、その一つは外見だけが立派で
心は汚れたろくでもない僧衆です。

聖衆と、ひとくくりに呼んでも、その中にはろくでもない僧が居ることを説いて
いるのです。ですから福田とひとくくりに呼んでも、その中には聖者でない者も
含まれていることがわかるのです。こういうことは理解できないといけませんね。

72準シュダオン:2009/10/14(水) 08:33:40 ID:P9JinFks0
煩悩を離れた度合いで、四沙門果を区分していることはおわかりでしょう。
煩悩を断った存在として、最初に出てくるのが三結煩悩を断った預流果です。
預流向は、煩悩を断っていない、という点で凡夫に属します。

煩悩を一つか二つ断った存在(聖者)の預流向もいるんじゃないの?
という意見もあるでしょう。
十結煩悩をすべて持ってる預流向もいれば、身見煩悩だけを断った預流向も
いれば、身見と疑惑の二つの煩悩を断った預流向もいるでしょう。

一つでも煩悩を断ったら聖者に含めてもよろしいのではありませんか?
という考えもあるでしょう。
ですがねえ、そうするとね「私は昨日までは聖者だったが、今日からは凡夫に
戻った」という人も出てくるのですよ。変でしょう。
三結煩悩を断つと仏道に不退転になるのであって、それ未満の煩悩を断ったとて
何時修行を辞めてしまうかわからないのです。つまり預流向とは、いつ仏道を辞
めるかわからない存在です。で、預流向を聖者に含めると、「私は昨日まで聖者
であったが、今日からは凡夫に戻った」という人が出てくる。
聖者をそんなに安売りしてはいけません。

73ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/14(水) 08:39:00 ID:SmEF4Oe2O
>>70
>>71
あなたの手持ちの岩波仏教辞典を調べましたか?
預流向は見道位であり聖者であると。
そもそもオール仏教徒必ず四双八輩、四向四果のどれかに属しているはずであり
一番低いのが怠け者、理解不足者含めて預流向と呼ぶというのが、あなたの勝手な
決めつけだ。
もっと謙虚に学びなさい。

74ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/14(水) 08:42:20 ID:SmEF4Oe2O
>>72
あなたと同じ理屈で、どうして欲貪などの煩悩がまだ残っている預流果を
聖者にするのか?

75準シュダオン:2009/10/14(水) 08:48:43 ID:P9JinFks0
シベリア護摩の御法施写真を確かめてみました。
正確には、写真の下に「お護摩の炎に現れた○○○○○」と、説明文が印刷
されておりました。お護摩写真を見ると、確かにそのように見えます。
五文字を伏字にしたのは、阿含宗報にも、各種チラシでも、そのことを目に
しないからです。たぶん、管長も法話などで口に出していないと思います。
そのような内容を、このような場所に、安易にレスするは、ためらいますね。

76準シュダオン:2009/10/14(水) 08:55:19 ID:P9JinFks0
貪欲煩悩が残っていても、三結煩悩さえ断てば仏道に不退転になります。
ゆえに預流果を聖者にしてよいのです、貪欲煩悩を断つのは時間の問題です。
ところが、預流向はいつ仏道を捨てるかわからない存在です。
ゆえに、アビダルマ論師達が預流向を、見道位の十五心の聖者と定義したの
は間違いである、と判断出来るのです。

77ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/14(水) 08:57:07 ID:SmEF4Oe2O
>>75
きちんと示せない、中途半端にしか示せないのだったら、最初から自慢するように
このスレで示すべきではなかったんじゃないの?

78ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/14(水) 09:06:11 ID:SmEF4Oe2O
>>76
アゴン宗でいう中途挫折の因縁が切れてなかったらどうするの?

79Boo:2009/10/14(水) 10:06:59 ID:DXlq9owoO
相変わらずバカボンぶりには笑えますね。


準バカボンさんが『預流』を不退転と考えたのは、『凡夫の生き方(流れ)に逆らって流れに入った(預かった)聖者』と言うゲイカの解釈が元になっているからこだわっているのでしょう?くだらないことなのに。

『預流』が逆流というのも凡夫の生き方に逆らった流れ、という意味でこの流れに入ったら決して元の流れに戻らない、だから不退転だ、とこういう解釈だったはずです。


言葉の定義を仏教事典でよく調べろ、とかユビキタスさんに糞ナマイキなレスをしておきながら、事典の解釈を鵜呑みにするな、とかって、まるで天才バカボンでも読んでるみたいで笑えるのだが、準バカボンさんには全く伝わっていないみたいですね、レスを読んで笑い転げている批判者やロムの姿が。


そもそも『預流』ってのは漢文的に意訳された言葉であって本来はシュダオンですよね。それを『預流』と意訳した後でシュダオン果とかシュダオン向とかの単語が出てきたので、本来は聖者の流れに入ったのは『シュダオン向=預流』と訳さなけりゃならにのに『シュダオン向』『シュダオン果』を『預流向』『預流果』と単純に訳したという可能性は通常程度のおつむの柔軟さがあれば、簡単に考えられますよね。

そういう可能性が強いから仏教事典では預流向を聖者として扱っていると簡単に結論出せそうです。

訳者は後世の仏教徒で、此処までこだわる準バカボンさんのような脳梗塞頑固翁が、ネットで訳者のミス(とまで言えないが準バカボンさんのようなしつこいレスを繰り返す輩の出現を考えるとミスを犯したと言えなくもない)にしつこくこだわるなんて思いも寄らなかったかもしれない。

80Boo:2009/10/14(水) 11:07:36 ID:DXlq9owoO
更に私が思うに、準シュダオンという不敬なコテハンにも原因が在ると思っています。『預流向』が聖者だったら自分の『準シュダオン』も聖者になっちゃう。それはいくら恥知らずな自分でも図々しいと感じる(おつむがあればまだ見込は在るのだが)。

然しながら、準バカボンさんの場合、元々がお釈迦様の説かれた修業を行っているわけではない教団に散々ケチ(彼解釈の不施?)りながら自分ではどっぷり浸かっているつもりになっているので、当然ながら『疑惑』や『戒取』などは程遠い、更に『身見』に至っては言わずもがな、完全な意味でシュダオンと一番遠い距離を保っている。『シュダオン向』にもっとも遠い存在と誰が見てもわかります。そういう意味での『罪』(聖者であると詐称する罪業)はないのです。

準バカボンさんにアドバイスするならば、釈尊の正法にたどり着いたら後は納得するだけで聖者になるほど、釈尊の法とは尊いものだといえますね。

そんなこんなで、準バカボンさんは、いつまでも犀の角のようにただ一人しつこく、こだわり続けているのでしょう。批判の皆さん、分かってあげてください。

81ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/14(水) 12:12:25 ID:SmEF4Oe2O
三結断ったシュダオン、すなわち預流果で不退転は宜しいのですが、これって
アゴン宗の因縁と因縁解脱定義に反しませんか?
と言うのは三結煩悩と言うのは理知上の迷いをいいます。
間違った認識を正すのです。わからないものをわかるようにする。
しかし桐山さんの因縁教学は「わかっちゃいるけどやめられない」ですよね。
教えや道徳で人生の問題が解決するか?わかっちゃいるけどやめられない人間の
深層まで掘り下げてこそ因縁解脱がなり、運命も転換するのじゃと説く。
中途挫折の因縁も然りと言うか、その最も典型的なものと言える。
ちなみに桐山さんは男性のほとんどは中途挫折の因縁を持つと説いています。
なお女性の場合は後家の因縁がこれに該当し、平均寿命の男女差を根拠にしています。
これも時代遅れの偏見ですが。
ともあれそんな中途挫折の因縁が理知上の迷いを払拭してオシエにより認識を
改めたくらいで切れるはずはないのが桐山教学です。
だから聖者議論もこのように桐山教学と関連して行わないと一般仏教考察論に
陥るわけです。
ちなみに仏教ではまず認識を改めるから修行にまっしぐらに進めるのです。
修行には努力が必要です。
努力しなくても退転しないなんとなく超人になるのではない。
厳しい戒律を一生守っていかねばならない。
会費を払ってあとはサボリ呆けなんてのは退転したも同然です。
準シュダオンさんみたいに。

82深山:2009/10/14(水) 12:36:37 ID:J87Scqos0
>>75 :準シュダオン:2009/10/14(水) 08:48:43 ID:P9JinFks0
>しないからです。たぶん、管長も法話などで口に出していないと思います。

あなたは現形写真の件を出しただけで、具体的に法施の
一つとして配られた写真だろうと指摘したのは批判側の私ですよ。
知らないのではなく、知っていたから、指摘できたのです。
だが、そんな程度の写真は現形を議論するのに価値がない。
重要な現形写真なら桐山さんが宣伝しないわけがない。
応供の如来とはアゴン宗の本尊なのですよ。
一番重要な仏を公開しているのに、なんで3千円でくれてやるような
写真が、それほど重要なのですか。
桐山さんが法話ですら出さないのは、価値がないからです。
そんな程度ならあなたが知らないだけで、昔からあるのです。
他の人も書いていたが、「トライライトゾーン」というしょうもない雑誌に
アゴン宗は現形写真を載せたことがある。
弥勒菩薩やターラ菩薩だという。
現形写真なんてこんな程度なのです。

83深山:2009/10/14(水) 12:43:25 ID:J87Scqos0
>>75 :準シュダオン:2009/10/14(水) 08:48:43 ID:P9JinFks0
>シベリア護摩の御法施写真を確かめてみました。

なるほど、ようやくあなたが何を言いたくて、この件を出したかわかった。
自分が3千円を払って法施を買ったのがうれしくてうれしくて、
自慢したくて仕方なかったのだ。
それで、

>とも陳腐な批判で、笑いをこらえるのが難しいからです。
>授けられていますよ。でも、情報不足の人はそれを知らないのですW。

などと、批判側をあざ笑って、自分の優位を示したつもりだったのですね。
素直に自分の自慢をするのではなく、相手を足蹴にして、小馬鹿にしながら、
自慢するのが好きとは、準シュダオンさんて、ずいぶんと性格の歪んだ人なのですね。
あなたは批判側が何も知らないのだろうとあざ笑ったが、
実は笑われたのは準シュダオンさんのほうです。
あなたは法施に3千円払ったらしい。
だが、応供の如来、龍神、準胝観音、慈母観音などの現形写真はもらっていないようだ。
なぜなら、値段が高いからでしょう?
で、3千円で現形写真を手に入れた大喜びして、批判側を腐した。
偉そうなことを言っても、しょせん、あなたの人間性はそんな程度です。

84深山:2009/10/14(水) 12:46:35 ID:J87Scqos0
>>40 :準シュダオン:2009/10/13(火) 11:51:35 ID:P9JinFks0
>ですから、答えも結果も出せない、というのは主観の問題でしょう。

信者さんたちは、準シュダオンさんは桐山さんの説明を否定していることに気が付いていますか。
桐山さんが現形写真を出したのは、主観ではなく、客観的に
神仏が存在し、我々に働きかけているのだという証拠として出したのです。
ですから、あれを主観だなどと言い出したら、アゴン宗を否定したのと同じです。
あれがそもそも神仏なのかどうかを議論しているのです。
根拠を示せないから、準シュダオンさんは主観だと言い出して、
桐山さんの客観的な証拠という主張を否定するはめになった。
信者さんたちも同様で、現形写真をいくら主張してみても、
主観だという準シュダオンさんの意見に達してしまう。
桐山さんの客観的な証拠だという主張が間違っているのです。

85深山:2009/10/14(水) 12:50:57 ID:J87Scqos0
>>59 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/13(火) 21:27:59 ID:SmEF4Oe2O
>なんだ?アビダルマどころか大乗仏教での用語じゃねーか?

確かに第二版にはありませんが、準シュダオンさんは初版を使ったようです。

「大乗仏教が成立してからは・・・(中略)・・悟った聖者の集団を
<聖者僧>と呼び、三宝の一つとしての僧はこの聖者僧であるといわれ、
一般の僧を<凡夫僧><世俗僧>ともいう」
(『岩波仏教辞典 初版 508−509頁』)

準シュダオンさんはこの説明を引用するだけでなく、書き加えもしています。

43章
>909 :準シュダオン:2009/10/04(日) 15:47:52 ID:P9JinFks0
>聖者の定義について、私の説明を聞くよりは、各自、辞典など見て自分で
>判断した方がわかると思う。岩波仏教辞典の「僧」の項を引くと、
>「悟った聖者の集団を聖者僧と呼び」とか、「(悟っていない)一般の僧
>を凡夫僧ともいう」とかの説明もあります。

「(悟っていない)」というのは、準シュダオンさんの書き加えで、
辞典にはありません。
普通、引用内容に書き加えはしないか、書き加えたら、
それを一言説明するのが常識です。
だが、彼のこういう面での意識は非常に低いので、信用できない。
しかも、この文章はユビキタスさんが指摘したように、
大乗仏教の説明です。

86深山:2009/10/14(水) 13:01:18 ID:J87Scqos0
岩波仏教辞典の初版の説明には「大乗仏教が成立してからは」と
前置きがあるように、彼の引用した内容は大乗仏教の説明にすぎない。
ユビキタスさんが指摘したように、準シュダオンさんは、
アビダルマ仏教どころか、大乗仏教を持ち出して主張しているのです。
だが、ユビキタスさんに昨夜それを指摘されても、
全然気にもせずに、完全無視して、>>71以降で同じ主張を繰り返している。
栗華さんが意図的にしているのに対して、準シュダオンさんは
記憶力がなくなっているから、脳がついてこないのでしょう。
四行以上読まないというか、文章が記憶できない。
「大乗仏教が成立してからは」という文章から、
準シュダオンさんが引用した文章までちょうど4行です。
Booさんのいう4行そのままです。
準シュダオンさんは4行目を読む頃には、その前の文章は記憶から脱落して、
これが大乗仏教についての説明であることも忘れてしまった。
悪意はないのだろうが、やったことはかなり悪質です。
準シュダオンさんて、まるで耳の遠い老人のように、
ただ自分の主張をするだけで、相手の話は理解できない。

87深山:2009/10/14(水) 13:03:49 ID:J87Scqos0
43章で、縁起のことを主張した時も準シュダオンさんは同じ事をしていていた。
岩波仏教辞典の縁起の説明では、初期仏教と部派仏教をきれいに分けて説明しているのに、
準シュダオンさんは無視して、部派仏教の説明を持ち出して、
これを釈尊の縁起説だと主張した。
ラシンさんと私から、部派仏教の説明を持ち出すのはおかしいと
批判されても、無視してまた同じ主張をしていた。
準シュダオンさんの厚かましいのは、今、預流向の議論では、
アビダルマ仏教など間違いだと批判しながら、縁起の説明では
部派仏教、つまりアビダルマ仏教の説明を引用していた。
本当にこの人、御都合でクルクルと話を変える。
その場しのぎの矛盾を指摘されても、四行で記憶がなくなるから、気にならない。
笑えるのが、岩波仏教辞典の初版を見ると、縁起説の初期仏教と部派仏教の
説明はちょうど4行離れている。
Booさんの4行説はかなり説得力があります、いや、実証された!!

88深山:2009/10/14(水) 13:06:18 ID:J87Scqos0
準シュダオンさんを見ていると、「こうはなりたくない年寄り」の典型ですね。
信者さんたちも他人事としてではなく、彼をよく見ることです。
彼は25年くらいの行歴を持つ信者なのですよ。
何もしない信者かと思ったら、どうやら3千円で法施の写真を買ったらしい。
だから、模範的な信者ではないが、普通の信者です。
アゴン宗で普通の人が普通に25年修行するとどうなるかを彼は実例を示している。
本人は「限りなく預流に近い預流向」を自称している。
シュダオンだと言いたいが、それを言うと反撃されるのがわかっているから
言わないだけで、去年あたりは、シュダオンだとプンプン臭わせていた。
それを言いたいがために、阿含経を示されようが、辞書を示されようが、
頑迷に預流向とは聖者ではないと言い張っているのです。
仏教の議論ではもちろんなく、アゴン宗の擁護ですらなく、
自分の慢心のために言い張っている。
25年修行してきて、ここまで堕ちるかというくらい惨めな姿です。

89深山:2009/10/14(水) 13:11:17 ID:J87Scqos0
信者さんたちは準シュダオンさんの姿を他人事だと思わないほうがいい。
アゴン宗で長年修行してもこんな程度だという他山の石にしなければならない老人です。
脳梗塞の前はまだ理性が働いていたから、「ユビキタス様」と
礼儀をわきまえていたが、理性が失われ始めて、暴言を吐くようになった。
しかも、元々、自分への強烈な慢心があるのに仕事はうまくいかなかったから、
威張りたい、認められたいという欲求が人一倍強烈です。
年をとって脳が老化して理性が外れたから、その欲求だけが突出してきた。
現実世界では何も得られなかったから、
そこで預流向になることでその欲望を満たそうと必死なのです。
世俗ではエラクなれなかったが、信仰ではエラクなれたと自惚れている。
それを突き崩されたら、彼は何もない。
だから、必死にしがみつき、阿含経や辞書を示されようが、関係ない。
因縁切りを25年もしてきても、こんな程度なのです。
何の効果もないどころか、妄想と慢心が増えた分、普通の老人よりももっとたちが悪い。
信者さんたちは準シュダオンさんのこの姿はどこかで見たような気がしませんか。
桐山さんと同じです。

90深山:2009/10/14(水) 13:17:49 ID:J87Scqos0
桐山さんも、芥川賞作家くらいの能力があったとか、
字と踊り以外は誰にも負けないなどと自惚れだけは天井知らずです。
だが、現実にはまったく何も通用していない。
今でさえ、桐山さんはお金を使わないでは何もできない。
ガダルカナル護摩など海外の護摩のすべては相手が招いたのではなく、
大金を使って、相手が招待てくれたかのように見せかけているだけです。
お金を出さなければ、誰も招いてくれない。
アゴン宗を宗教として評価しているのではなく、アゴン宗の金に
みんな頭を下げていることに気がつかないか。
桐山さんの趣味の囲碁も、桐山杯に表れているように、多額の投資をしている。
中国からの名誉も、残留孤児の養父母の不幸に付け込んで集めた金を
仏教協会に寄付して足かがりをつくり、朝貢を続けた成果です。
桐山さんの才能とは、大作さんと同じで、信者から金を集めて、
世間に金をばらまいて、イベントを開き、名誉を得るという能力にすぎない。
信者さんたちは、ガダルカナル護摩などでも政府の要人などが
出ると、まるでアゴン宗が世界的に認められたかのように錯覚する。
世俗的な権威を捨てるのが仏教の基本なのに、
大作さんと同じで、それを積極的に使っている。
アゴン宗がしたことはただの焚き火です。
信者たちの思い込みと、アゴン宗のおかげで懐が潤った人がいるだけで、
何の効果もない宗教行事にすぎない。
信者さんたちは、死者たちを霊障のホトケの罵った悪業が残り、
死者を成仏させたという自惚れという煩悩が増えただけです。

91ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/14(水) 14:19:58 ID:SmEF4Oe2O
>>85
なるほど。初版を示していただいてありがとうございます。
実は今頃言うのもなんですが、昨夜深山さんを指定して質問しようかと思ったんですよ。
初版ではどうなってますか?と。たしか深山さんも準シュダオンさんも初版のを
お持ちと記憶してたんで。
しかしこれは準シュダオンさんが答える義務があったんですよ。
何が講談社の岩波仏教辞典だ?何がベースボールマガジン社の岩波仏教辞典だ?
と反論できた。もちろん私は言い過ぎの皮肉にお詫びをしたろうし、今改めてします。
しかしここが私が一番確認したかったところなんですね。
まさか大乗とは思わなかったが、それこそ準シュダオンさんが馬鹿にする
一部のアビダルマ論師の論とか、時代背景が確認できるはずだと思ったからです。
しかしそれをしないのはやはりズバリ大乗を指摘されて、もはや出せなくなった
からですか?
今朝はいやに早い登場だなと思ったが、その後書き込みがないから、久々に
会合とか仕事で出掛けたものと推測するが。
第二版では削られるほどさして重要な分類史ではなかったようです。

92大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/14(水) 15:54:57 ID:DsnIXLiI0
>>75 随分シベリア護摩にこだわる人だ。イスラエルはどうしたのか?
個人的に嫌いなのかね? 東京のCXの敷地内でやったときも法施があったが、
それも言わないね。まあ、あのときのほうが値段が高いからやらなかったのだろう。
3千円でありがたがり喜んでいる、自慢したいんだね。深山氏の意見に賛同です。

ま、せいぜい拝んで自己満足に浸ってください。

93干柿:2009/10/14(水) 22:52:49 ID:BBtat4sE0
大日さんもまだシベリア護摩のころは道場に出入りしていたと思いますが、
知っていますよね?この法要のために尽力をつくされていた人で本職が弁護士で
浄土真宗の坊主であった阿含宗の理事で顧問弁護士だった人(いつのまにかそんな人が理事になっていた)
名前わすれたけど、とにかくシベリアに関してはこの人が言いだしっぺだったような
そんなこともあって大変な努力してたそうです。ものすごい梵行を積んだわけです。
それなのに・・・法要終わってしばらくして真冬の2月でしたかゴルフいって
心不全おこして(ひらたくいえば心臓麻痺でしょ)あっけなくあの世に旅立ってしまった。
ゲイカが例祭で話していましたよ、しかも、シベリアの法要に力を注いだことじゃなく
真冬にゴルフにいったことに対して気をつけないからこんなことになる。
みたいな言い方してました。
どこが因縁解脱なんでしょうか?梵行、アゴンに関しての善行つんでも
あれですか、ちょとした不注意ですぐ死んじゃうんでしょうかね?
そういえば御巣鷹の法要に尽力をつくされていた群馬の弁護士のYさんも癌で
早死に(たしか50台半ばです)されてしまいました。別院や銀座ビルで
奉仕で法律相談とかもやっていられた方です。
どこが因縁解脱なんでしょうか?

94大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/15(木) 07:02:56 ID:gcEDej/Q0
>>93 そうですね。まだ出入りはあった時期ですが、法話はほとんど見ないのでこの箇所の

>真冬にゴルフにいったことに対して気をつけないからこんなことになる。
みたいな言い方してました。

これは知りませんでした。ですが、A宗はVTRも残してますし、見る方も居ますから
聞けばわかるのですが、これが本当なら批判派のいつも言っている
「俺の言うことを聞かないからこうなるんだ」とか「用がなければ切り捨てたような言い方をする」
のまさに典型的な、しかも新しい情報として成り立ちますね。

ゲイカは信者だけでなく、奥様に対してもそうだった。たち婦人が亡くなって元気をなくされていた
時期は法話もシベリアよりは見てましたから、あの時は拝聴しながら「なんだこれ?」と思ってた。
自分の言うことは絶対でそれを聞かないから不幸な目にあうんだ、という内容に呆れた。
まあ、洗脳真っ最中でしたし、奥様を亡くされてまもないから愚痴の一つでも言いたいか、と
思ってあまり怒りに執着してなかったが、今思えばふざけてますね。
やはりゲイカはそういう人なんだ、とつくづく思えます。

人はいつか死にますからそのことに対してゲイカを責めるつもりは無い。
だが、多くの尽力した方に対してあまりにも酷い言い方や仕方なんだな、と人間性を疑います。
やはり批判派の言われた250体の解脱をされた方の話は嘘じゃないんだなあ、と再認識。
あまり昔の話だと捏造か、と最初は思っていましたからね。
ところがそれは私の私見であって、あまりにも現実にそういう話が出るのはやはりゲイカの
姿勢や人間性、発言に問題が有るということでしょう。

でもよかったですね。もし私が宗務に居たらゲイカの発言集をダビングしてネットで放出したかも
しれません。その方が世の中のためだったかな? といまさらありもしないことを言ってみるw

95準シュダオン:2009/10/15(木) 13:21:33 ID:P9JinFks0
四向四果の理解は、阿含仏教では基本的な知識です。
こういう基本的な教えを理解できていないから、深山くんも落伍したのです。
私が調べた範囲では、1995年4月号のダルマチャクラの阿含経講義が一番
詳しく四向四果について解説しているようです。勿論、預流向を聖者なんての
間違いはしておりません、管長ですからね、流石です。

ユビキタスさんが仏教辞典から示した預流向は、ようするに凡夫と預流果の
間に預流向があると、解説しているようです。
つまり、凡夫→預流向→預流果、というようにね、これでは間違いです。
「凡夫が修行して預流向を獲得し、預流向が修行して預流果を獲得する」と
いう考え方は間違いです。
凡夫が釈迦の信徒になった時点で、預流向なのです。
凡夫が釈迦の弟子になって、第一日目、お釈迦さまのお話を聞いたら、それは
「聞」という修行で、すでに預流果を得るための第一歩なのです、つまりすで
に預流向の修行に入っているのです。
つまり、預流向とは、預流果を目指して修行している凡夫の別名です。
深山さんなどはこれを理解できていないのです。他の現職信徒さんなら理解
できるでしょう。

96ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/15(木) 13:41:07 ID:SmEF4Oe2O
>>93
>>94
真冬に不用心にゴルフに行ったことを非難したのが桐山さんだそうですが、
そもそもアゴン宗で因縁を切っていたら、真冬にゴルフをやっても大丈夫と
言うよりも、意識的にも無意識的にもそういう行動を選択しなくなるから
このような最悪の悲劇を回避できるはずなんですよね。
アゴン宗の因縁理論は因が縁を選ぶです。
この場合縁とは、不用心に不摂生をするという行為です。
だから縁を変えるように努力するとは、不摂生をしないということであり、
それは何もアゴン宗に限ったことでなく、世間にそのまま通用する当たり前の話です。
しかしアゴン宗では、どうして彼はこんな不摂生の道を選択したかと言うと、
もともと不幸の運命を呼び込むような因を先天的にもつから、悪い因は悪い生活習慣
という縁を選び取り、因縁の示す不幸な運命を実現させてしまうという理論です。
だから縁を変える努力もさることながら先天的な因を解消せねばどうにもならないのです。
悪い因がある限りどうしても助長する悪い縁を呼び込むことを避けられないのです。
どんなに理性を持って注意をしていても、天命殺のような凶運の時期に入ると
生来の判断力、生命力を鈍り、つい油断
をして、衝動で間違った行動を起こしてしまう。
内的にも外的にもそのような環境が整い、誘発されるというわけです。
ゆえに桐山さんは「わかっちゃいるけどやめられない」とか「オシエは無力」とか
啓蒙(笑)するのです。
逆に悪い因を切ってしまうと彼は悪い縁を選び取ることがなくなり、常に非常に
悪い運命が遂行されにくい環境が内的にも外的にも整うはずなんです。
だからその弁護士の話で縁を変える努力の欠如しか説かぬ桐山さんは、自分の
因縁理論にも矛盾しているわけです。
しかしこのような先天的予定調和説運命論など世間一般にも釈尊の仏法にもない
話なんです。
釈尊の教えは常に自己観察を怠らず注意しておれであり、衝動的行動選択なんて
あり得ないし、わけのわからない因を切る為に不可思議な法を呪術のごとく念じる
ことなど説かない。まさに縁を変える努力だけであり、その表面意識の心構えこそが
因です。
だから不退転についても然り。
いつのまにか努力しなくても退転せずに済む自分になっているのではなく
表面意識が正しい認識をしているから誤った行動をとらない自分を努力して作るのです。

97ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/15(木) 13:46:05 ID:SmEF4Oe2O
>>95
だから本当の釈尊の四向四果の立場からアゴン宗の四向四果論を否定しているのですよ。
馬鹿ですねえ。
岩波仏教辞典を否定するのだったら今後岩波仏教辞典を引き合いに提示するのを
やめたらどうですか?

98準シュダオン:2009/10/15(木) 13:49:47 ID:P9JinFks0
管長も修行を登山に例えて話されてた本がありましたから、預流向についての
管長の解説を、私が登山に例えてレスしましょう。ユビキタスさんなどは登山
に喩えたらすぐに理解できるでしょう。
三合目に到達した人を三合目果と呼びます。三合目に立ち止まって周りの景色
を眺めています、これが三合目果です。やがてその人は、四合目に向かって
歩き始めました。これを四合目向と呼びます。歩き始めた第一歩から四合目向に
なるのです。

三合目と四合目の間に、四合目向という地点があるのではありません。
三合目と四合目の間の区間は、すべて四合目向なのです。
つまり、上を目指して歩き始めた須陀?果を、斯陀含向と呼ぶのです。
おわかりでしょう?
辞典に書いてることがすべて正しいと鵜呑みにしてはいけませんよ。
私の辞典にも、須陀?とは見惑の八十八随眠煩悩を断った聖者、との記述があり
ますよ。しかしこれは阿含経典では違います。阿含経では三結を断ち、不堕悪趣
を得た者が須陀?と、釈迦が説いています。

預流向についてもそのとおりです。私の辞典には、預流向とは見道位の十五心、
との記述がありますが、阿含経では違いますね。阿含経では釈迦は、預流向の
ことを、預流果を目指して修行している者、との解説しかしておりません。
だから、仏道修行者で未だ預流果を得ていない者は、すべて預流向なのです。
おわかりですか?

99準シュダオン:2009/10/15(木) 13:55:55 ID:P9JinFks0
釈迦の四向四果と阿含宗の四向四果論は同じですよ。
ユビキタスさんこそ、釈迦の四向四果と辞典(アビダルマ論)の四向四果が
違うことに気がついていない、大馬鹿者です。
私が批判派なら、とっくに恥ずかしくなって、「預流向=聖者」説を、撤回
しています。まぁ、それが出来ないから批判派は落伍派なのでしょうけど。

100準シュダオン:2009/10/15(木) 13:59:02 ID:P9JinFks0
岩波仏教辞典を否定してはいないよ。
間違えてる部分、というか、釈迦の説ではなくて、アビダルマ論や大乗の考え
方も多く記載してるので、すべて釈迦の教えと勘違いするな、ということね。

101大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/15(木) 18:40:46 ID:hd6Mnlek0
割り込み失礼。今日初めてインデックスに参入。http://www1.atchs.jp/agamaindex/
ここの「  深山氏の心に染みた意見集(大日セレクト) 」というのが私のインデックスです。
今後もひまを見て作りますのでよろしくです。

また、樹意さん、ユビさん、ラシンさん諸兄様方の”心に染みるシリーズ”を作成してゆく
つもりですので、乞うご期待。

102ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/15(木) 18:55:52 ID:SmEF4Oe2O
>>98
あのね。登山にたとえるのはいいけどね、今議論の焦点はどこにあるかわかる?
預流向は聖者に属するのか属しないのかという議論です。
これが勝手に準シュダオンさんが述べていると言うのなら(そういう面もあるが)
相手にもしたくないが、桐山さんもそう説いたことがあると言うのなら、ではその
聖者とはいかなる境地なのかという視点をそもそものアゴン宗の因縁解脱教学
との関連も含めて考察する価値がある。(批判する価値がある)
単なる言葉遊びではないのだ。
だから三合目に到達したら三合目果、そこに到る以前を三合目向でもなんでもよい。
あなたや桐山さんが言っている預流果からが聖者、預流向は聖者に非ずというのは
三合目以下は登山に非ず、三合目に到達して初めて登山になるというものです。
三合目以下は登山ではないのか?
登山ではないと言うのならば登山とは何なのか?どういう根拠でそう言うのか?
そういう考察もなしに言葉のもてあそびをしても無意味です。

103ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/15(木) 19:10:04 ID:SmEF4Oe2O
>>99
同じではなく違います。
預流向を聖者から外している点ですね。
しかし岩波仏教辞典などでは宗派とか関係なくあくまでも学問的に厳正な立場から
預流向から始まる四向四果を聖者とし、預流向に到達しない衆(僧でもない)を
凡夫としている。
あなたが持っている岩波仏教辞典初版から「凡夫」「聖者」(しょうじゃ)を
調べてご覧なさい。
あなたが笑うべき対象は批判側ではない。
仏教辞典であり仏教学です。
仏教学を敵に回してまず彼らと闘いなさい。
それからこちらに来なさい。

104ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/15(木) 19:29:54 ID:SmEF4Oe2O
>>100
あのね。あなたが前スレ909で岩波仏教辞典にあると示した聖者僧、凡夫僧の区別は
その大乗仏教における分類であるとその岩波仏教辞典に明記されているわけだよ。
あなたはそれを「これは大乗の分類であるが」と断り書きを一度でも示しましたか?
皆無でしょうが。こちらが暴いてやって初めて明らかになったことです。
あなたに隠す意志があったかないかはわからぬが、現実は隠して欺いたも同然です。
まるで釈尊が説いた仏教の常識のごとく示して、それでいてこちらの示した
岩波仏教辞典の引用を、それはアビダルマ論師の解釈だから間違っているなどと
根拠もなく侮辱した。
だったらどうして桐山さんも偽の仏教と否定する大乗仏教のそれを間違っている
としないのか?
えらいエコヒイキがある以前にズルイ情報提示ですよね。
大乗がそのような仏教徒の衆(出家の僧侶に限らない)を分類するのも自由であり
別に間違っているわけでもないでしょう。
しかしここにもはや大乗の説でない四向四果の僧とはどう関係するのだろうと
問題提起することがピンボケなのです。
あるいは大乗の方が後世に起こった仏教なんだからそれ以前の原始仏教や部派仏教
に説かれた四向四果をこの分類で評価のしてみようという試論も自由かもしれない。
しかしそれは釈尊の説いたこととは関係ない。
「お釈迦様。大乗の連中がああ言ってますが、どう責任をとってくれるのですか?」
「知るか?彼らがどう主張しようが自由だが、どうして俺に責任がある?」

105干柿:2009/10/15(木) 23:10:06 ID:BBtat4sE0
阿含宗などやっていてもシュダオンなどになれるわけないですよ。
準シュダオンさんw
なぜかというと熱心に行や仏教の勉強している人や、有能な人など
ほとんど教団に残っていないではないですか
阿含宗がゲイカのいうように真の釈迦の仏法を歩むものならば行が深まる
につれますます信仰は深まり人徳も深まり、シュダオンどころかシダゴン
アナゴンまで到達した人がでてくるはずで、そんな人が餓鬼亡者みたいな
雰囲気をただよわせるはずがない。そんなのばかりが先達とかリーダー
とかやっているでしょ。
また、教団自体も聖者が続出するならば雰囲気もすがすがしく一般人でも
ふと道場に入ってみたくなってしまうものがあるはずだと思います。
ところが現実にはでかい建物だけが目立ち、金満の銀座ビルも手放すしまつ
信者は離れていくし、宗務では裁判沙汰(まあ、外部のわけのわからない人との争い
火の粉を払うためならよしとしましょう、しかしカルホルニャにせよE川さんにせよ
内部の醜聞とかも目立つのはおかしい)こんな教団でシュダオンになれるわけがない
のぼせあがるのもいいかげんにせよ!
と言いたいですなw

106干柿:2009/10/15(木) 23:16:57 ID:BBtat4sE0
先祖供養やって多少ご利益があったという程度のもんでしょう
あとゲイカの屁理屈に騙されて舞い上がるのも程々にしなさい
仏教辞典などを使い勉強しても意味ないから
満杯になったコップに新しい新鮮な水を注ぐには、いったんコップの水を
捨てなければならない。
捨てる勇気(自己執着もふくめて)捨てる決心のないものがどうしてシュダオン
になることができようか

107ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/15(木) 23:58:45 ID:SmEF4Oe2O
>>101
ユビ氏のはずれコントシリーズも編集してみようかな?
一部青柿さんにユビ調としてウケたが、まあはずしっぱなしだった。
当時の○○屋さんなんて、本当によくいじらせてもらった。
作文「ぼくのひいおじいちゃん」だの、ユビキタス自動車と桐山自動車の両企業に
不当なクレームを電話で訴えるチンピラユーザーの役とか。
代表作が女湯とシャカですね。
釈尊はたしかに「人は他を浄めることはできない」とか「自分自身のみを島とせよ」
と説いて釈尊に救済依存することを否定した。
しかしそれは生きている間はいろいろと肉体上の制約があったから助けたくても
助けに行けなかったのであり、女湯に入ったら「まあ!そんしったらエッチ!」
と痴漢扱いにもされる。やむを得ずおまいら自分で責任とれと言うておいた。
しかし死んでしまえばもうこっちのものさ。幽霊になって、時空を超えて
どこへでも飛んで助けにも行ける。そう、女湯にでも。ヒッヒッヒッ。
だから幽霊になったらおまいらを助けに回るから覚悟しておけよ〜。
「そうですか、そんし!それでは早く死んでください」
「お主はっきり言うのう。コイツ〜(笑)」

批判よりもこんなネタを考えることに情熱を傾けていたものだ。
ハズレ覚悟で。

108ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/16(金) 08:23:43 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんは干柿さんや大日さんなどと会話もできないでしょう。
預流向だの預流果だの聖者だの能書きを垂れたところで、アゴン宗の道場の
現実情報を知らない。
先駆的、先進的な人たちは悪い因縁も切れずに亡くなってしまうし、また人格も
傲慢で問題のある人ばかり残る。
まだ行歴浅い駆け出しの未熟者の話ではない。
アゴン宗で活動実績のある先達たちの話です。
どうしてこんな奴らが聖なる空間のはずのアゴン宗から排他もされないのか?
アゴン宗シュダオンなど意味がない。

109太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
色々と阿含宗のいわゆる霊的な力について否定的な議論がたくさんされている
ようなので、以下について教えて下さい。
批判派の方々は、これらについてはどのように説明されるでしょうか。
既出でしたらすみません。

1.守護霊神様をいただいているお宅があります。10数人の法友とそのお宅に
お邪魔した際に祭壇の前で記念写真を撮りました。後日その時の写真が出来た
というので見せていただいたところ、御社の真ん中にある守護霊神様をおまつ
りした御神体のおさめられたちょうど鏡の部分に、あり得ないくらいに輝く光
の玉が写っていました。どう見ても部屋の照明やストロボが写り込んだような
ものではなく(位置からしてもそんな風にはなりません)、その部分だけがと
んでもなく白く輝いており、明らかにそこには普通の物質ではない別の「何か」
があるという状態です。みんなで「これは一体何だろう?!」とびっくりしま
したが、現時点ではやっぱりこれは生の(?)御神体としか考えられないと思
っています。

そのご家庭は、確かに守護霊神様をおまつりしているだけあって、非常に家運
隆昌で一族は繁栄しています。
ちなみにこの話は2年前のことです。

2.地鎮屋敷浄霊法の修法でよく金粉が降るという話があります。これは既に
結論が出ているとのことですが、阿含宗のとある先達で、その方が修法すると
修法中に金粉が降るのはもちろんのこと、それだけではなく終わってもしばら
く(半日くらい)はその方が行く先々に金粉が出現するという方がいました。
午前中に一軒修法を済ませて昼食にファミレスに行くと、案内されたテーブル
が何だか妙にざらついているので手で拭いてみたところ例の金粉がテーブル一
面に捲いたように広がっているという感じです。
そしてその現象はさらに拡大して、ついには修法中にその方の全身が金箔で覆
われていくという現象までに発展していきました。

その方はお歳にもかかわらず毎朝5時に起きては九字を切るなど筋金入りの熱心
な修行者でしたが、そういうことを得意気にお話するような方ではなく謙虚な
方でもあったのでそういう現象は同じ浄霊班の方やお世話になった方くらいし
か知らなかったようですが、残念ながら10年ほど前にお亡くなりになりました。

3.解脱供養についてです。
確かに、解脱供養などしてもらっても何も感じない、何も変わらないという人
もいます。
しかし、私の友人はすごかったのです。
彼女はもともと霊媒体質だったのか、高校生の頃に地元で「憑り付いてやる」
という声が聞こえたそうでそれからおかしくなり始め、「霊が家の中にいる」
などと言ってはノイローゼのようになり高校は中途退学してしまいました。
その後はどんどんひどくなり、食事もまともに取らず体重は激減して身体は
子供のようにやせ細り、もういつ死んでもおかしくない、本人も毎日のように
わめき散らすので家族も限界という状態になっていました。

そして20年以上も経ってからですが、たまたまご縁がありましたのでお話して
解脱供養をお勧めしたところ、まとめて5体申し込みされました。
すると、20年以上に渡って本人はもちろん家族全員が苦しんできたという問題
でしたがちょうど解脱供養の3ヶ月目にぴたりとそれが収まってしまいました。
それは本当に人格が入れ変わったかのようでした。
阿含宗で解脱供養を5体というと費用としては50万円かかりますが、そのご家庭
ではそれまで拝み屋さんのような所に既に数百万円をつぎ込んでいたそうです
ので、逆にその程度のお金でしかも長年もう諦めかけていた問題に対してすぐ
に結果が出たので非常に驚かれたと同時に感謝されました。
これも約2年前のことです。


以上について、よろしくお願いします。
ちなみに私は現役会員です。

おそらく批判派の方々は、1についてなどは「たまたま」「光の当たり具合に
よる」「ちょうどレンズのその部分に何かが付いていた」「現像の時点で何か
不具合が起きただけ」などと説明されるのではないかと思います。

私は基本的にROMっていますが、色々読んでいても阿含宗を止めてしまう気持
ちになるまでの完全に納得のいく反論がなかなか見当たらないので是非説得
してみて欲しいのです。

これは冷やかしでも何でもありません。
批判派の方々の論には真面目に説得力を感じる部分もあるのですが、様々な部
分でどうも間違った理解をしていてそれを元に擁護派を説得しようとしていた
り、時々無意味で細かい揚げ足取りのような本質からずれたことを主張したり
されるので、結局批判派のお話には説得力を感じられないのです。

よろしくお願いします。

110準シュダオン:2009/10/16(金) 09:49:33 ID:P9JinFks0
だってね、四向四果は阿含仏教の基本ですからね。預流向を聖者に区分する
のか凡夫に区分するかは、重要な問題なのです。阿含仏教において、預流向
でない信徒などはあり得ないのです。他宗のことは知りませんよ。
ナムアミダブツと唱えて死後に浄土に往生しようと考えてる信徒は預流果な
ど考えてないでしょう。しかし、阿含仏教においては、信者はすべて四双八輩
に入ってしまうのです。阿含仏教においては、すべての信者は比丘、比丘尼、
優婆塞、優婆夷、の四種に入ってしまうのです。それと同じことです。

聖者僧とか凡夫僧とは大乗の考え方、とは言ってもね、大乗だからすべて間違い
という訳ではありません。その真贋を見分ける智慧が必要なのです。聖者僧とか
凡夫僧という区別の考え方は、大乗の考え方とはいえ、するどく正しいのです。
釈迦も遊行経で、「外見だけは立派だが、仏道を穢す沙門衆」が居ることを
周那に説いています。これなどは、大乗で言う凡夫僧と言えるでしょう。
管長も、法華経の勉強はその後の仏教の勉強に大変役立ったと、話されてます。
だから、大乗だからといってすべて間違いというわけではありません。

釈迦の四向四果では、須陀?からが聖者です。だから須陀?のことを、
預流または入流と意訳するのです(聖者の流れに入ること)。
預流向とは、その聖者の流れに入ろうと、それに向かって修行中の者です。
その道を聖なる道ということから、預流向を聖者と呼ぶことが言葉のアヤと
して呼ぶことがあるかも知れない。しかし、正しくは聖者ではありません。

阿含仏教においては、煩悩を断った者が聖者です。釈迦は預流向を煩悩を
断った者とは話しておりません。須陀?から三結煩悩を断った存在として
話しております。だから、アビダルマ論師が預流向を聖者と位置づけたの
は間違いです。こういうところにこそ、煩悩を断つ、という観点から真贋
を見抜いていかねばいけません。

111ラシン:2009/10/16(金) 11:12:21 ID:2LdR/Kgw0
>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0

太郎さん、奇跡現象はほかの新興宗教に多々あります。
病気が治った、仕事金運が良くなった、人間関係の改善等等。
しかし阿含経に説かれている釈尊の教えは、それらを煩悩とし、
尽く否定していることはご存知ですか?
その阿含経を標榜しているアゴン宗が、釈尊の教えに違背した
所業をなし、その結果世間を欺いています。
あなたのご質問には、直裁に答えてくださる批判諸兄がおりますから、
その役は譲りますが、あなたも実際の釈尊の説いたことを良く学び、
アゴン教学とよく比較検討されることをお勧めします。

112Boo:2009/10/16(金) 11:50:14 ID:DXlq9owoO
預流向が聖者であろうが無かろうが、批判サイドに何の不利益な論調もありません。だから、どうでもいいのです。実際問題として。この議論を見ていて、『準シュダオンさんはアフォだなー。言葉や知識を振り回しているだけで議論の焦点が分かってねー』と思うだけ。そのことに気づかず、桐山隊長の進軍ラッパも鳴っていないのに、勝手に前線に飛び出して、蜂の巣になっているのが今の準シュダオンさんの哀れな姿です。ですから、擁護的な視点から準シュダオンさんのレスを読んでもとても迷惑だと思います。

準シュダオンさんが桐山隊長の本だけを読んで、批判側に論戦を挑んでも、勝つ見込はありません。はっきり言って。なぜならば、隊長はアーガマを信仰の依りどころとしていますが、アーガマの内容を実践していない、その隊長の矛盾した論理で、アーガマを理解している批判サイドの『先達』に、お釈迦様の哲学をぶつけて勝てる訳無いのです。桐山隊長は看板だけアーガマを名乗っていますが、実は法華経のご利益信仰なのです。準シュダオンさんは四向四果を大変重要な問題で、これが理解出来ないから、批判派は落伍したのだ、と言いますが、そうではないのです。準シュダオンさんが隊長の一兵卒としての成すべき事を成していないから、疑問が湧かないだけなのです。批判サイドのお歴々は皆さん程度の差はあれ、桐山隊長の一兵卒をやって来て、そのうえで桐山隊長が実は正義の釈尊軍団の大将ではなくて、霊障軍団のやり手ジジイであった事に気がついたのです。自分が正義の仮面ライダーだ、と思っていたが、実はショッカーの怪人であることに気がついて衝撃が走った人が批判サイドのお歴々なのです。

113ラシン:2009/10/16(金) 11:59:29 ID:2LdR/Kgw0
>110 :準シュダオン:2009/10/16(金) 09:49:33 ID:P9JinFks0
だってね、四向四果は阿含仏教の基本ですからね。預流向を聖者に区分する
のか凡夫に区分するかは、重要な問題なのです。

準シュダオンさんが、スレに関係ない部分にしつこく拘るのは、
あなたの偏向した考えを認めたくないのと、読解力の問題だ。
あなたは四向四果と四双八輩を分けて解釈していましたよね。
この二つが同じ意味とは知らなかった、だから>>54で「四双八輩以外の
僧はないのです。」などと断じていた。
四向四果の最初は、預流向・預流果ですよね、後は同様に三種が組み合わさって
境涯が上がっていきます。
あなたは岩波辞典の四向四果の解説文である”預流とは聖者の流れ、すなわち
見道位に入ることで”とのこの部分の”預流”という語句に翻弄されているのでは
ないか? だが、預流とは預流向・預流果の総称で預流=預流向・預流果です。
またもうひとつ、同辞書での預流の解説には、”無漏の聖者の流れに入った者。
四向四果の最初の段階。原始仏教では三結を断じた者が得る位であったが、、、”
つまり、無漏の聖者の流れに入った者とあるが、四向四果の最初の段階と解説されている。  
四向四果の最初の段階とは、預流向のことですよね。
しかし、あなたは”無漏の聖者の流れ”を誤解し読み違えているのに過ぎない。
あなた流に言えば、山頂を目指して登山する山道に入った三合目にいる登山者、
との意味です、山頂にいる登山者とは違ってもすでに山頂を目指す登山者のグループです。
これがアーガマ「大パリニッバーナ経/涅槃経」に裏づけされている。
すでに掲示したので〕要約すれば、尊師の弟子のつどいは、すなわち、二人ずつの四組と八人の
人々(四双八輩)であり、精神統一に導く戒律を身に具現している。
釈尊の示す出家律在家律を実行している人々です。
釈尊のその「法の鏡」を具現した弟子らはだからこのように自覚する「わたしは聖者の
流れに踏み入った者である。わたしはもはや堕することの無い者である。
わたしは必ずさとりを究める者である」と。
これが釈尊が認めた聖者の条件であり、段階です。
三合目に踏み入った登山者も、必ず山頂を究める者であるということです。

114深山:2009/10/16(金) 12:35:42 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>色々と阿含宗のいわゆる霊的な力について否定的な議論がたくさんされている

言葉尻をとらえるつもりはありませんが、誤解のないように先に申しあげておくと、
「阿含宗のいわゆる霊的な力について否定的な議論」はしていません。
桐山さんの霊的な力について私など批判側の一部は全面否定しているのです。
また、批判側の一部にも桐山さんは昔はそれなりの霊的な力があったのではないかと
肯定する意見もあります。
ですから、批判側が、アゴン宗の霊的な現象を否定しているというのは間違いです。
桐山さんの成仏リキや霊能力を否定している私ですら、アゴン宗の中で
霊的な現象を起きるのを否定したとはありません。
まずこの点をしっかりと自覚してください。
「桐山ゲイカの霊能力」と「アゴン宗での霊現象」は別物です。
もっとわかりやすくいうと、桐山ゲイカの霊能力と信者の体験談は別物です。
私の主張は、信者の体験談をもって桐山ゲイカの霊能力だというのは間違いだ、というものです。

115深山:2009/10/16(金) 12:39:32 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>色々と阿含宗のいわゆる霊的な力について否定的な議論がたくさんされている

私がこれをあなたに強調するのは、一つには私は桐山さんの霊能力を
否定しているのに、アゴン宗の霊現象を否定したかのように受け取っていること、
もう一つは、信者の体験談を桐山ゲイカの霊能力の根拠と誤解する人がいるからです。
桐山さんが目の前で霊能力を発揮したのを目撃したというなら、
桐山さんの霊能力の証拠として意味があります。
しかし、あなたの三つの体験談がそうであるように、これらは桐山さん本人が
あなたの目の前で示した力ではありません。
両者をくっつけて解釈しています。
だが、アゴン宗の霊現象の証拠にはなるが、桐山さんの霊能力の証拠になりません。
アゴン宗の中で霊的な不思議な現象が起きることまで私は否定しないが、
これらは桐山さんの霊能力の証拠にはならない、という点を確認してください。

116深山:2009/10/16(金) 12:45:49 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>色々と阿含宗のいわゆる霊的な力について否定的な議論がたくさんされている

信者は「アゴン宗=桐山ゲイカ」であるとして、個人的な体験も
すべて桐山ゲイカのお力だと思い込んでいる。
それは間違いです。
なぜなら、「霊的な体験」「奇蹟のような体験」はどこの教団にもあるからです。
たとえば、あなたは金粉を例に出している。
だが、金粉は他の教団にも事例があります。
守護霊をもらい、解脱供養したことでよくなったという程度の体験談は
アゴン宗だけでなく、どこの教団にもあります。
あなたが示した事例の内容の検討は後にして、では、その教団や教祖も
同じような釈迦の成仏リキを持っているとあなたは認めるのですか。
それを認めたら、アゴン宗の独自性は何もないことになる。
アゴン宗でなくてもどこかの教団でも、桐山ゲイカでなくどこかの金粉教祖様の
金粉力による病気治しや守護霊様による御加護の体験談は山のようにあります。
だったら、よその教団でも一向にかまわないことになる。
あなたが、よその教団もアゴン宗も同じように霊的現象や霊的奇蹟があり、
アゴン宗はこの点でなんらユニークなものではないと認めるなら、議論はそれで終わりです。
なぜなら、アゴン宗は他の祈祷教団、呪術教団と同じであると認めたら、
桐山さんの言っていることと違ってしまうからです。
桐山ゲイカはアゴン宗は他に類例のない釈迦の成仏ホーを護持する教団であると誇っている。
桐山さんは違うと言っているのに、信者が同じだと言ってしまったら、
その信者個人の信仰の問題だから、議論のしようもない。
桐山さんは特別だという力を証明するのに、他教団と同じ霊現象を出しても意味がないのです。

117深山:2009/10/16(金) 12:48:03 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>色々と阿含宗のいわゆる霊的な力について否定的な議論がたくさんされている

アゴン宗の独自性を証明できる何かを出すしかないのです。
あなたが出した事例は他教団となんら変わりないという根拠を示したにすぎない。
独自性を証明するには、桐山ゲイカ本人の霊能力を示すことと、
アゴン宗以外にはできないという霊現象を示すことです。
私はすでにそれらを検証して批判している。
桐山ゲイカ本人の霊能力は、これまでの議論をあなたが読んでいればわかるように、否定された。
念力の護摩は手品で説明がつき、目撃者の証言まである。
しかも、この時期、同様の手品まがいのことをして信者を騙していたことは、
元信者が擁護のため証言した内容から見ても明らかです。
十八人の霊障武士、ソンディの件はアゴン宗の重要な教義の事例です。
だが、どちらも嘘です。
他にも、本で出た、山口県での中山卿の発現の件も、本人が亡くなり、
守護霊の効果など何もなかったことを見れば結果は十分です。
関東で霊障発現した奥方様の件も、解脱供養は効果がなかった。
いずれも誰かが目撃したなどという事例ではなく、桐山さんが自分の力の
証拠とした出したものが全部否定されたのです。

118深山:2009/10/16(金) 12:50:21 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>色々と阿含宗のいわゆる霊的な力について否定的な議論がたくさんされている

アゴン宗が他にない独自の霊現象の証拠として出したのが、
今も議論されている現形であり、モンゴルの奇蹟と印パの核戦争です。
奇蹟奇蹟と叫ぶからいっぱいあるかのように見えるが、実は探すとこれくらいしかない。
もし、他にアゴン宗が公式に霊現象として出しているものがあれば指摘してください。
まず現形だが、応供の如来などという無知丸出しの名前はともかく、
背を丸め、横向きに出てきて、後ろからシッポを出しているのをどう解釈するのか。
仏教の龍王とは蛇であり、ドラゴンではないのに、どうしてインド由来の
龍王であるナンダ、ウンパナンダ、ムチャリンダがドラゴンの姿をしているはずがあるのか。
これらの現形写真は桐山さんと信者の無知と妄想の共鳴でしかない。
なによりもこれらの神仏が現形して、アゴン宗と桐山さんと信者に
なんらプラスの効果などなかった。
相変わらず、無知と欲望と執着の信仰を続けているだけです。

119深山:2009/10/16(金) 12:56:29 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>色々と阿含宗のいわゆる霊的な力について否定的な議論がたくさんされている

モンゴルの奇蹟は天気予報によるごまかしにすぎない。
その証拠に、モンゴル側はアゴン宗のおかげで山火事が消えたとは一言も言っていない。
感謝状という紙切れ一枚出していない。
アゴン宗側と、利害を持つ人たちがただそのように言っているだけです。
印パの核戦争を防いだという話にいたっては我田引水、手前味噌であり、論外です。
桐山さんはインド護摩については釈迦の聖誕祭だとはっきり書いた。
どこにも世界的な危機を救ったなんて書いていない。
後になって印パの核戦争の危機があったことを知って、自分の手柄にしたのです。
以上のように、桐山さんとアゴン宗の独自の霊的な力の証拠として
出されたものはことごとく否定されている。
だから、実は議論はこれで終わりなのです。
だが、それではあなたは納得しないだろうから、次にあなたが
出した個人的な体験談について議論します。
繰り返すが、個人的な体験談は、それがどれほど奇蹟的であっても、
桐山ゲイカの霊能力や教団の独自の力の証明にはなりません。
失礼ながら、あなたが示した三つの事例はよその教団でも聞かれる内容で、
アゴン宗に特別な霊能力があり、本物だという根拠にはなりません。
我々は実際に調べることもできない内容です。
これを前提としてそれぞれについて意見を述べます。

120深山:2009/10/16(金) 13:00:34 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>1.守護霊神様をいただいているお宅があります。10数人の法友とそのお宅に

いきなり奇蹟だと叫ばないで、どうしてもっと現実的な解釈をしないのですか。
それでは学校で何を習ってきたのかわからなくなる。
「鏡の部分」に何か写っているのでしょう?
私は現物を見ていないが、鏡とは本当の鏡ですよね。
それの反射光とカメラのレンズによるゴーストです。
こんなのは珍しくもない。
たとえばカメラに太陽光が斜めから入り込むと、光の道筋や光の玉が表れます。
鏡に限らず、この種の反射光が写真に写りこむのは珍しいことではありません。
そんな事例を出すなら、どうしてアゴン宗が公式に出している霊光を出さないのだろう。
『一九九九年七の月よ、さらば』のカラーページに
「カスケットの頂に奇蹟のご霊光が燦然と輝く」
と説明つきの奇蹟の写真がありますよ。
カスケットの頂上部分が光っています。
あなたはこの写真を見て「奇蹟だ」どう思うか。
素人が見ても、頭頂部に光が当たり反射しているにすぎない。
この仏舎利カスケットがどのようなものかわからないが、物によっては、
頭頂部にダイヤモンドカットされたガラスのようなものが入っている。
ピカピカに磨かれた金属か、ダイヤモンドカットされたガラスなら
いろいろな方面からの光を反射するなんて当たり前です。
アゴン宗のこういう解釈も、あなたの解釈もそうだが、どうしてまず現実的な
解釈をしないのだろうかと、光よりも、そのほうが私には不思議です。

121深山:2009/10/16(金) 13:06:42 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>2.地鎮屋敷浄霊法の修法でよく金粉が降るという話があります。これは既に

あなたに助言したいのは、他人の話を鵜呑みにしないことです。
ファミレスの話などは、あなた自身が体験したのではなく、
そのような話を聞いたのでしょう?
あなたのこの話は二次情報、いわゆる又聞きとしての価値しかない。
伝言ゲームをしてみればわかるように、伝えた人に悪気がなくても、
誇張や聞き間違いなど、又聞きは信用度が愕然と落ちる。
だから、事例を出すなら、霊光のように、あなた自身が現物や現場を
見た事例を出してください。
あなたはこういう話を聞いた時、変だなあとは思わないか。
それは「どうして屋敷浄霊でしか金粉は降らないのか」という点です。
独古加持とか、勤行の最中に金粉が降ったという話は聞いたことがない。
頭から信じるのではなく、まずこういう現実的な面から検証するのです。
金粉はほぼ間違いなく、錫杖が原因です。
勤行の時、金属の輪のついた錫杖を振って音を出す。
関東別院で販売していた錫杖は安物なので、真鍮の焼きが甘く、
振っているうちに金属片が剥離するのです。
これは実際に試してみた人が何人かいる。
黒い衣を広げて、振ったら、金粉が見事に現れた。
だから、仏具屋で買った質の良い錫杖を使っている人たちから金粉が出ない。
あなたが事例に出した先達は年中、屋敷浄霊に参加して錫杖を振っていたのでしょう?
九字を熱心に切っていたとう点から見ても、必死に振ったはずです。
はっきりいうなら、年寄りで暇があるから、他の人よりも参加回数も多かったはずです。
それが大量の金粉が現形した理由です。

122深山:2009/10/16(金) 13:13:09 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>2.地鎮屋敷浄霊法の修法でよく金粉が降るという話があります。これは既に

錫杖だというと、浄霊が終わった後で出るのは何なのかとあなたは質問するでしょう。
金粉は金属粉ですから、飛び散って、他の衣類に付着したのでしょう。
しかし、それでもあなたは「ファミレスのテーブルの上はどう説明するか」と言うでしょう。
それは最初に申しあげたように、あなたがそれを見たのかという点です。
先達が謙虚な人だとあなたは書いた。
だが、私から見たら、それを錫杖ではあるまいかと疑うことすらしないのだから、
思い込みの激しい人です。
年を取ると視野が狭くなり、他人の意見や別な考えが受けいれられなくなるのは、
ここにいる準シュダオンさんを見れば十分です。
また、まじめで信仰心の強い人ほど、アゴン宗を擁護するような話をしてしまう。
それに、自分が何かすれば金粉が降るとなれば、いくら表面で謙虚さを
装っても、自惚れは出てくる。
その話をしたということ自体がその先達の心の中をよく表している。
その人はその自惚れという煩悩と、錫杖金粉を仏様の誉め言葉だという無明を
アゴン宗で増大させたまま死んだ。
アゴン宗なんてインチキ宗教をしなければ、慢心も無明も増やさずに
済んだのに、わざわざ増やして、しかもそれを捨てることなく亡くなった。
その増えた煩悩によって彼は輪廻し、来世まで持ち込むことになる。
奇蹟ではなく、ただの不幸です。

123深山:2009/10/16(金) 13:17:05 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>3.解脱供養についてです。
>確かに、解脱供養などしてもらっても何も感じない、何も変わらないという人
もいます。

あなたの友人が立ち直ったことをあれこれ批判するつもりはありません。
ただ、友人の問題は本当にあなたが書いてるような霊的なものだったのでしょうか。
霊媒体質と簡単に書いているが、そんな体質は医学的にはありません。
言わんとする意味はわかりますよ。
だが、霊媒体質という人の中には、それだけでないことが多い。
高校中退ということは、成長期の変化ですよね。
身体が急激に変化して、特に女性の場合、大きな変調をきたすことがある。
ホルモンで身体が大きく変わるのだから、人によってかなり問題が出てくる。
そこに、痩せたいなどと節食したり、さらに自分の容姿に対する極端なコンプレックスや、
他人の言葉に強く傷いたりすると、心理的なダメージが加わる。
一番重要なのは家族関係です。
成長とともに家族関係がギクシャクするのは大人としての自立だから当たり前のことだが、
家族が彼女の苦しみをうまく理解できず、誰も助けられなかった可能性がある。
あなたの友人がそうだったかどうかはわかりません。
だが、そういうケースがある。
霊媒体質ではなく、自分の中に他の人格を作り、そこに逃げ込むのです。

124深山:2009/10/16(金) 13:19:38 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>3.解脱供養についてです。

大人になってからもそれが癖になっている人がいる。
こういう人に暗示をかけると発現します。
「こいつの先祖にオレはヒドイめにあわされ、殺された。
悔しい。憎らしい。だから、こいつに取り憑いて祟って、不幸にしてやる」
などと、三百年前の霊障が出てくる。
女の人が男みたいな声を出して、呪いを吐き散らす。
祈祷師が加持すると、あばれ、苦しみ、のたうちまわる。
初めてみると、ギョッとします。
だが、あれは三百年前の霊障ではなく、本人が作り上げたものです。
だから、三百年前の人にしては話す言葉は今風だし、内容もテレビあたりで
やっている霊の祟りと似ている。
芝居ではなく、自分の中にはそういう崇りの霊が入って、暴れているのだと思っている。
アゴン宗の例でいくと、奥方様の霊障発現です。
例祭などで、面々とした恨みをしゃべり続けた。
だが、冷静に聞くと、江戸時代の地方の藩主の妻がなんでこんなしゃべり方を
するのか奇妙です。
あれは時代劇の役者の言葉です。
もう一つ奇妙なのは、恨みを並べるが、具体性に乏しい。
自分の人生を語るなら、具体的な名前や場所や当時の風俗などが
が出てきていいはずなのに、ほとんど出てこない。
そこであなたの友人の件です。

125深山:2009/10/16(金) 13:24:23 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>3.解脱供養についてです。

若い頃に、彼女は霊的な話が好きだったはずです。
霊媒体質といえばそうかもしれないが、思い込みの激しい性格です。
身体と心と周囲との人間関係が壊れて引き籠もりになってしまった。
悪のスパイラルで、一つが壊れると、連鎖反応的にダメになり、元に戻れない。
だが、二十年目にして、救世主が現れた。
解脱供養ではなく、あなたです。
あなたは彼女に解脱供養の件を告げて申し込んだのでしょう?
彼女は解脱供養とは何かを知っていた。
だから、反応したのです。
意識的にやったとは思いませんよ。
だが、二十年ということは三十代半ばでしょう?
すでに身体の変化は収まり、むしろ、老化が始まっているから、
若い頃ほどには過敏ではなくなっていた。
彼女もそこから出たくて苦しんでいた。
だが、悪のスパイラルに入り込むとそれができない。
何か起爆剤が必要なのです。
それが霊障を取るという話です。
彼女は自分の人生をダメにしたのは、霊的な障りだと信じている。
というよりも、それを信じなければ、これまでの人生を否定することになり、
自分は価値のない存在になってしまうから、霊的な障りだと信じるしかないのです。
そこにあなたが、まさにその霊障の話をして、しかも、それを取り外す方法があると告げた。
彼女の人生を肯定しながら、しかも、その問題を解決する方法をあなたが示してくれた。
重要なのは、あなたが彼女の二十年にわたる人生を肯定した点なのです。
だから、もし、「そりゃ、あんたの気持ちの問題だよ。医者に行け」などと
言ったら、
彼女は絶対に救われなかった。
彼女のこれまで悲惨な人生を肯定した上で、なおかつ、それを解決すると
いう方法をあなたが示した。
だから、彼女は立ち直れたのです。

126深山:2009/10/16(金) 13:31:26 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>3.解脱供養についてです。

だが、それでもあなたは納得しない。
それは拝み屋に頼んでもだめだったではないか、という点です。
だめでしょう。
そこが、拝み屋とあなたの違いです。
あなたは丁寧に家族や友人に話をしたのでしょう?
因縁と霊障の怖さを話して、霊障によって人生がメタメタになってしまうのだと
誠意をもって話をしたはずです。
なによりも、あなたは友人です。
拝み屋と決定的な違いが一つあって、あなたはお金を受け取ったわけではない。
自分の信仰を紹介しただけで、自分の利益のために動いたのではない。
それはあなたのここでの書き方をみればわかる。
批判側に反発心を持たないはずはないのに、あなたは丁寧に失礼にならないように普通に書いている。
ここにあなたの性格がよく表れている。
友人は誰かに助けてほしかったし、誰かが手をさしのべないと悪のスパイラルから出られない。
だが、誰でも良いわけではなく、彼女は被害妄想も手伝って、相手が彼女を
どんな目で見て、救いの手をさしのべようとしているのか疑いの目で見ていた。
あなたは心から気の毒に思い、誠意をもって手をさしのべた。
だから、彼女はあなたの手をつかんで出てきたのです。
彼女を助けたのはあなたの誠意であって、解脱供養の力などではありません。

127深山:2009/10/16(金) 13:35:43 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0

以上にように、あなたの体験に対する意見を書きました。
最初にも断ったように、あなたの体験は桐山アゴン宗の霊的力の証拠にはなりません。
あなたが真光系の教団にいて、3番目の事例の友人に
手かざしなどを紹介したら、案外、同じ結果が得られて、
あなたはその教団の擁護を書いていたかもしれない。
よその教団の体験談を読んでみてください。
最近はネットでいくらでも読めます。
あなたの友人の件よりももっとすごい話がいくらでもあります。
では、よその教団もすごいことになる。
どうしても桐山ゲイカの解脱供養の力だというなら、あなたの最初に書いているように、
どうして同じように悩み苦しんでいる人が解脱供養を出しても効果がないのか説明がつかない。
また、あなたのその友人はとりあえず普通の生活に戻れたが、
失った二十年があるから、様々な問題をまだ抱えているはずです。
だから、解脱供養を出して問題解決をはかってみるといい。
最初五体のような劇的な効果はないはずです。
そういう体験もまたアゴン宗だけでなく、よその教団にもあります。

128太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
深山さん、私はこれまでの議論を色々と拝見し、批判派の方々の意見にも納得で
きる部分があると思い始めたからこそ質問させていただいたのです。
しかし、私が考えてもいないことまで突然一方的に決めつけられて、そのように
攻撃的にまくしたてられる様を見て、私は大変失望しました。

私は、釈迦の成仏力がどうのこうのというお話はしていません。
私は、猊下の霊能力がどうのこうのというお話もしていません。
阿含宗以外の他の宗教でも、私が体験した程度の奇跡めいた(?)ことが起こっ
たりすることはあるということも私はよく理解しています。
そういったことを一方的に、まるで判っていない、話にならないという態度でま
くしたてられたのでは、、、聞く気も失せてしまいます。

それは他の現役会員さん達にとっても同じことなのです。
だから「説得力がない」と言っているのがお判りにならないのでしょうか。

他にもたとえば、
> 「阿含宗のいわゆる霊的な力について否定的な議論」はしていません。
と書いておきながら、実際には否定的な議論をされていますよね。
もちろん否定する立場ですから判りますが、深山さんの論の展開を見ていると
まるで猊下が「こうだ」「こうに違いないのだ」と決めつけている感じとそっ
くりで、批判派の方のお話として聞くには説得力が全然無いと感じてしまうの
です。

写真に写っていた霊光?(深山さん自身がこう書かれたのでとりあえず仮にこ
う呼びます)も、おっしゃるような類の光り方や色なら誰もが当然その可能性
を考えます。
しかしそう考えるには無理がある光り方なので敢えてここに挙げたのです。

金粉=錫杖から出た物、という説もさんざん読んでいますから知っています。
深山さんは、その先達が必死に錫杖を振ったんだろうと書かれていますが、
その方はいつも導師役ですから一切錫杖は振りません。
しかしもちろん周囲で他のお役方は錫杖を振ります。
こういったことも深山さんはいつも最初から決めつけて書かれます。

ファミレスのテーブルに金粉がばら撒いた状態になっていたことも、何故か私
が直接見たことではないと決めつけて書かれています。
私は、私自身が体験したことだらこそ書いているのです。

友人のこともそうです。
彼女のことを何も知らないのに何故かあれこれ彼女の人物像を決めつけて書か
れていますが、全然違います。


私は批判派の方々に反論したかったために投稿したのではなく、「色々読ませ
ていただきましたが、それでもまだ納得がいかない点があるのでこの点はどう
なのでしょうか。何か説得力のある説明はありませんか?」と問いかけたので
す。
だから説得してみて欲しいと書いたのです。

深山さんは、今回の私の投稿に対してこれまでと同じような内容を繰り返し書
かれていらっしゃいますが、そんなことは深山さんがこれまでにだらだらと何
度も何度もしつこく書かれてきたことですからもう十分、お腹いっぱいなのです。

逆に深山さんのレスを見て、私は本当にうんざりしてしまいました。

何ら建設的な態度でもなく、攻撃的、一方的に決めつけるだけ。
そんな話はこれまでにさんざんあなたから聞かされてきました。
そのような議論の仕方では、せっかく良いかもしれないことをおっしゃっても
現役会員さん達には何も響かないのです。

大変失望しました。

129ラシン:2009/10/16(金) 14:22:56 ID:2LdR/Kgw0
>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
これは冷やかしでも何でもありません。
批判派の方々の論には真面目に説得力を感じる部分もあるのですが、様々な部
分でどうも間違った理解をしていてそれを元に擁護派を説得しようとしていたり、

基本的にここの批判者は、擁護者を説得しようとはしていません。
アゴン宗教義の間違いを指摘する姿勢です。
気づくも気づかないのも、読んでいる方々に委ねるだけです。
ですから、あなたを説得するつもりの批判者は誰もいないと思います。
さて、そこであなたの言う間違った理解とは何を指すのでしょうか?
桐山教義なら、信者時代いやと言うほど叩き込まれその理解に努力した。
だから時々、擁護者なのに桐山教義を間違って拝受していることに
違和感を覚えたくらいです。
多分その場合、多くが桐山さんを擁護する内に矛盾を呈し自家中毒を起し、
結果、桐山教を歪曲したり教義から外れてしまうのではと解釈しました。
私の場合、家の仏間はアゴングッズで満載でした、決して自慢話ではなく
それほど多くの金と人を提供したということです。
金だけではご法施は増えません、そこには多くの人を信者として勧誘した。
その過去に目を向けることは、今でも辛く忸怩たる思いがあるので、できれば
話したくありませんが、退会した私には今でもその当時の法友が存在するのです。
誤った宗教を説得し押付け、私はその見返りのご利益を手に入れていた事実です。
私の退会理由を述べて謝罪できた人もいれば、出来ないでいる人もまだ存在する。
ですから暗にここや2chを紹介し、アゴン宗の実態を見るように勧めています。
ただ言えることは、桐山さんの指導で為したボンギョウでは諸行無常がわかったことで、
波間に漂う小船のように底と波上の繰り返しに過ぎないということです。
それをバッサリ信仰への心がけが悪いからとの理由で片付けるなら、桐山さんの霊力は
いったい何なのだ、と不信感が募ったのです。
私のように慢心が強く楽を望む信者には、アゴン宗の解脱力は無力だった証拠です。
金襴の袈裟など喧伝する必要がどこにあるのか?ならば端から信仰の心がけを指導し、
無欲節制、執着を煽らなければ当時、あんなにも増長不敬は溜まらなかったと思います。
信者当時の私は、まさに鼻持ちならない人間でしかありませんでした。
ただ聖者清浄を装った宗教ごっこの類でしかなく、その明らかな姿が親分の桐山さんです。

130太郎:2009/10/16(金) 14:32:26 ID:p6OhJsmk0
> 129 :ラシン:2009/10/16(金) 14:22:56 ID:2LdR/Kgw0
基本的にここの批判者は、擁護者を説得しようとはしていません。

ラシンさん、そうでしたか。
だとしたら私の投稿はスレ違いだったのですね。
失礼しました。

131太郎:2009/10/16(金) 14:51:07 ID:p6OhJsmk0
深山さん、いずれにしても長々と返信をしていただきありがとうございました。
私の投稿はスレ違いだったようです。
失礼しました。
にもかかわらずお付き合いいただきありがとうございました。

132ラシン:2009/10/16(金) 15:02:14 ID:2LdR/Kgw0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0

批判側は宗教上の奇跡を闇雲に否定はしていません。
理由はほとんどが個人的主観的なことで客観的に証明できないからです。
ただし、桐山さんは自分にその霊的能力がずば抜けて持ち合わせており、
それは仏陀の成仏力だと喧伝し、アゴン宗を他と区別化し優劣をつけて
宣伝しているのですから、検証の対象となり事実と異なることへの批判を
展開しております。
その一番は、阿含経に説かれていない因縁解脱を桐山さんは果たしたと
宣言していますが、事実は生活習慣病から来る食事節制という執着を止めれず、
それによって脳梗塞を患った、いわば脳障害の因縁を露呈した。
しかし、あなたはその桐山さんの教団での奇跡は疑いなく信じている。
親亀がコケても、あなたは何も気にしないのですか?
またあなたの垣間見た、経験したその奇跡が本当だとしてそれが何かと問いたい。
あなたは阿含経を奉じている教団に属し、信仰をしているはずです。
ではその奇跡の現象が、いったいあなたや信者さんへ何をもたらすと
言いたいのでしょうか?
奇跡的な力が自己の解脱を促進させ、死者まで成仏させる証明の意味ですか?
阿含経には、アゴン宗が行っている護摩や占いを禁じています。
現世的な利益を求めるな、と説かれている。
阿含経にある現世利益とは、父母所生の身で涅槃に到達することです。
しかし、今までの桐山さんを見るなら悉く釈尊の教えに違背し、阿含経という
プラカードだけを掲げて教団を権威付けているに他ならない。
あなたは深山さんに失望した言うが、あなたの掲示した奇跡が仏教という意味では
何の役に立たぬばかりか、むしろ阿含経に背くものだと深山さんから指摘されたのです。
あなたが納得いかないのではなく、あなたの出した要件がここのスレでは批判の
対象である釈尊の真意にすべて背くものばかりだということです。
深山さんは、スレに倣ってそれを比ゆして指摘したのです。
どうか、その点をよく見据えてお考えください。

133Boo:2009/10/16(金) 15:05:55 ID:DXlq9owoO
おや、まあ。信者さんにしては随分礼儀正しい人だこと。近頃では珍しいタイプの方ですね。

そもそも、自分を説得してくれ、とか、納得させてくれ、という態度、姿勢に問題があります。此処を読んで納得する部分が在るから、丁寧に批判側にお願いしたのでしょうが、それは間違いと言わざるを得ない。

ま、擁護、批判どちらにも言えることですが、ゲイカのような『超(低)能力者』ではないので、お伺い書のような答えは書けません。

134太郎:2009/10/16(金) 15:38:37 ID:p6OhJsmk0
たびたびすみません。
やっぱりスレ主の大日如来さんが
> このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です。
と書かれているので、私の投稿がスレ違いなのかどうかよく判らなくなりました。
阿含宗考察や検証となる内容ではないかと思っていましたので。
またここは2chなどよりも情報や内容がある程度まとまっていて、しかも充実
していると思いましたので。

私は、ここは阿含宗全般について書き込みして良い所なんだろうと勝手に解釈
してしまっていましたが(大日如来さん、すみません)、それはちょっと違う
ということでしょうか?
擁護派はほとんど準シュダオンさんだけで、準シュダオンさんに対する対応を
見ていると何だかここは擁護派が書き込みしたり質問してはいけないような感
じを受けるのですが、、、。
意見交換、というのもスレの目的に挙げてあったのですが、実際にはそれは違
うということなのでしょうか。
もしそうであれば、それはそれで私は別の所に行きますので全然構いません。

もしここが、私のような書き込みが場違いなのだとすると、逆に私が投稿すべ
き場所はどこなのでしょうか。
教えていただければ幸いです。

135ラシン:2009/10/16(金) 16:14:01 ID:2LdR/Kgw0
>134 :太郎:2009/10/16(金) 15:38:37 ID:p6OhJsmk0
たびたびすみません。
やっぱりスレ主の大日如来さんが
> このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です。
と書かれているので、私の投稿がスレ違いなのかどうかよく判らなくなりました。

太郎さん、ここの誰かがあなたのレスをスレ違いと申しましたか?
私の記述が誤解を招いたなら、お詫びしますがあなたのはスレ違いではない。
あなたの掲示した要件が、ここでは批判の対象となるとの意味です。
Booさんが指摘している通り、あなたの期待する返答に沿う事はここでは意味を
なさないと申し上げています。
ただここは、キズイ奇跡を検証し論じ合う場所ではないだけです。
つまり、アゴン宗の霊的現象と桐山さんの霊能力はリンクしていない、
信者さんの体験が桐山さんの霊能力と関係はしないとの立場で申し上げた。
理由は、批判側は桐山さんに霊能力などないと判断しているからです。
ですから、あなたの期待には添えないがあなたの体験現象を以てアゴン宗と
桐山さんの霊能力の売りを批判したのが、深山さんの指摘ですよ、
と申し上げたのです。
もしあなたが、アゴン宗を擁護できる論旨があるなら遠慮なく掲示してください。
その意味ではアゴン宗と桐山さんを考察する上で、批判を含めた意見交換となるでしょうから。

136ラシン:2009/10/16(金) 17:00:10 ID:2LdR/Kgw0

スレ違いを起しても気づかないでいるのが準シュダオンさんです。
いや、もしかしたら確信犯的に自己弁明に努めていてもスレ違いです。
桐山さんですら預流向≠聖者とは言及していません。
阿含経やアゴンマガジンにあるなら提示すればよいだけだが、
いつものナンチャッテですから、ボカしてハッタリで強弁するだけ。
預流を目指している凡夫を預流向だなんて、どこに根拠があるのか?
釈尊は、「大パリニッバーナ経/涅槃経」にて四双八輩=四向四果を
法の鏡を具現する弟子であるから、聖者の流れに踏み入った者と定義しています。
岩波辞書においても、預流の解説には「四向四果の最初の段階。」と表記されている。
四向の最初は預流向で、四果の最初の段階は預流果となるので、総称して預流であり
聖者の流れに属することになる。
つまり、準シュダオンさんは預流=預流向・預流果を理解できていません。
また準シュダオンさんは、預流向は不退転ではなく途中で挫折するなどの解釈を
論じているが、それこそ預流の意味を知らない証拠です。
預流とは最大でも7回欲界と天を往復し、解脱するのですから途中挫折しても
預流向は再び生まれ変わって仏道を目指すのです。
お経と辞典を素直に読み解けば、自ずと理解できることも準シュダオンさんは、
長くアゴン宗にいて染み付いた慢心と執着のために、目を曇らせている。
この姿が、行暦の長いアゴン先達の醜態ですから、準シュダオンさんの論旨が
いかにスレ違いでもアゴン宗を考察する上では、氏自体が批判の良い対象例となるものです。

137太郎:2009/10/16(金) 17:46:55 ID:p6OhJsmk0
> 135 :ラシン:2009/10/16(金) 16:14:01 ID:2LdR/Kgw0
太郎さん、ここの誰かがあなたのレスをスレ違いと申しましたか?
私の記述が誤解を招いたなら、お詫びしますがあなたのはスレ違いではない。

ラシンさん、ありがとうございます。
これは私が勝手にスレ違いなのかと考えただけです。
スレ違いではないとのこと、判りました。

そこで、今一つよく判らないのが、
> アゴン宗の霊的現象と桐山さんの霊能力はリンクしていない

> 信者さんの体験が桐山さんの霊能力と関係はしない
という件です。

阿含宗は教義も含めて全てを桐山管長が作ったものですし、様々な法について
も仮にパクリだという話があるとしてもやはり桐山管長が持ってきたかあるい
は形を変えるなどして編成したものです。
会員さんはみな桐山管長に教育感化されて修行しています。
それは誰もが認める事実でしょう。

つまり、阿含宗=何から何まで猊下の分身、であることは誰の目にも明白です。
それはまた所属している人にまで皆さんご自身が言及されています。阿含宗の
会員さんがネット上で妙な発言をすると「管長と同じ(で傲慢など)」だとい
う趣旨のことを言われている点です。

上記の論では「阿含宗という所で起こったりする(のかもしれない)奇跡だの
霊的体験というものはあるのかもしれない」が「桐山管長自身にはそんな能力
など何も無い」ということですよね。

しかしこれは、猊下が二代目や三代目の話だったらまだ判りますが、その全て
の中身を作った張本人、創始者が何の力も持っていないのに、その中では様々
な奇瑞が起こることはあり得る話、というのは説得力に欠けると思います。

阿含宗=何から何まで猊下の分身、というのは明白なのですから、否定するの
であれば「本人にも、作ったものにも、何の奇瑞も奇跡も無い」と全てを否定
しなければつじつまが合わないはずです。

ここでは阿含宗考察、検証が目的ですから、それであれば尚のことそのような
納得性に欠ける不自然な理屈を持ってきてしまうと信頼度が落ちてしまうと思
うのです。

逆に、それは私が勘違いしている、あるいはこの論理を理解できていないとい
うことであれば、もうちょっと噛み砕くなりして教えていただけるでしょうか。
よろしくお願いします。

138ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/16(金) 18:30:45 ID:SmEF4Oe2O
太郎さんに申し上げます。
ラシンさんが書いているようにスレ違いではなく、寧ろ準シュダオンさんなどと
比較してもスレの趣旨にあった歓迎すべき話題であり、大日さんも喜ばれている
と思います。
宜しいですか?ここは議論ってか会話のスレです。
会話とはキャッチボールに他なりません。
キャッチボールというものは一度投げて返ってきておしまいではありません。
何度も続ける必要があるのです。それでこそ相互理解に近づけるのです。
これができないのが桐山さんですね。質疑応答の用紙に書かせて質問を受け付けるも
一度答えて、はい、おしまい。
回答より得られた疑問をさらに投げ返すとかキャッチボールの形式をとらせずに
所詮は一方通行です。
キャッチボールというのは続けるうちに内容が修正されるものなんですよ。
修正されないのが準シュダオンさんとのキャッチボール。
こちらの胸元に投げてこい、どうもボールが合わない、大きすぎるんじゃないか?
ソフトボール用のボールでなく野球のボールをしっかり握って投げてごらんよと
アドバイスしても彼は修正しようとしない。
深山さんは決めつけてなどいない。
こんな考え方「も」あるから一つ一つ検証しようよとまずはキャッチボールの
第一回目のボールを投げ返してみたのです。
その第一投はあなたも予測していたいつものネタであるのが当然ではありませんか?
物の順番として。しかしこれが最終結論でもないし、決めつけなどではない。
あなたは第二投を返せばよいだけです。
ファミレスでは私も目撃しましたとか、否定する。
それを読んで深山さんも第二投を投げますよ。それを踏まえた上での次なる試論
ですね。(深山さんも書いている通り正確な回答などはお互いに得られない)
金粉は錫杖ネタだけではありませんし。
このように根気よくキャッチボールを続けるのが人間としての当たり前の
コミュニケーションです。
お互いに癇癪を起こしてはならない。

139大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 18:40:20 ID:/0HM17xc0
太郎さん、よく投稿してくださいましたね。感謝申し上げます。管理人の大日如来です。
仰せの通り「このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的です」というのは貴方が
お考えの通りでして「阿含宗考察や検証となる内容」の投稿であればOKです。また、
「ここは阿含宗全般について書き込みして良い所」というのはその通りであります。
ですので、今後もどうぞ太郎さんの意見を擁護・批判関係なくお出しになってください。

ラシンさんの意見が今出されておりますが、他の方の意見も今後出てくると思います。
色々な意見を見て、意見を交わし将来の太郎さんのいい方向に役立てるようにと
願っています。

私も後ほど自分の考えを出させていただきます。本当にありがとうございます。

140太郎:2009/10/16(金) 19:11:42 ID:p6OhJsmk0
ユビキタスさん、よく判りました。
ありがとうございます。

深山さん、「大変失望しました」と失礼な物言いをしてしまいましたがご容赦
いただければ幸いです。

大日如来さん、ありがとうございます。
ご覧の通り、こちらでのコミュニケーションの取り方にまだ不慣れではありま
すが、ぼつぼつと投稿してみたいと思いますのでよろしくお願いします。

141大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 19:45:55 ID:3hzKaBr60
>>137 太郎さんは本当に良く文章を書かれていますね。見やすく引用もしやすいしわかりやすいです。
では私の見解というか意見を述べさせていただきます。

>阿含宗は教義も含めて全てを桐山管長が作ったものですし、様々な法について
も仮にパクリだという話があるとしてもやはり桐山管長が持ってきたかあるい
は形を変えるなどして編成したものです。
会員さんはみな桐山管長に教育感化されて修行しています。
それは誰もが認める事実でしょう。

そのとおりだと思います。ですが、私も批判に回った(退会した)理由は、

「いくらパクリでも桐山氏の草案であっても、効能に不具合があったり整合性に欠ける」というのと
「阿含宗は仏教教団として運営(存在)しています。ですが、仏教の開祖釈尊が説かない(禁止した)
ものを方便のような説明で行っている浅ましさと効能が無い行為をしている」

この二つが大きな理由ですね。
これらを優しい言葉でわかりやすく砕けば、

「オリジナルでもパクリでもいい。効き目が無ければ意味が無い」
「偽仏教でありながら本当の仏教を講じている、という嘘が多い欺瞞の世界ゆえ問題が有る」

ということです。

そういうと、嘘がどうのこうの、と思われるかもしれませんが、実はゲイカ自身が申されていることでもあるんです。
こういう話を覚えてませんか?

「車に欠陥があるとリコールというのを行うが、仏教に対しても同様の事が言える。
大乗仏教に欠陥が有る。だが、我が阿含宗は本物である。釈尊が残した成仏法がある。
それを唯一持っている・講じている仏教教団なのだ」

これが正しければ私も批判などしませんし、退会もしなかった。
本当に本当の仏教であって、ゲイカが言われていることが正しいのなら私も辞めないのです。

間違った仏教を講じて何が有るか? また、ゲイカは成仏できなければ意味が無い、と過去にも言われている。
仏教は成仏してなんぼ、なんです。成仏が出来なかったら別に仏教でもないし、講じる必要は無い。
深山さんの言われるとおり、信者で成仏した人は居るのか、先祖は本当に成仏したのかを証明することは
できないのです。死者の場合は横に置いても、生きている人、つまり信者で修行を完成させた人は未だ居ない。
ゲイカ独りしか居ない。だが、その完成させた?といわれているゲイカも脳梗塞やらを起こし、たち夫人もガンで
亡くなっている。立証が見られないのです。

また、指導をしているのも無い。成仏法をマスターしているゲイかが成仏法を伝授して修行の完成を成した人は
未だに居ない。そういう事実があるのに我々(私)は自分の都合のいいように脳内解釈をして自分の信仰に則す
考えで埋め尽くそうとする癖が有る。これは元信者としてわかるのです。本当に現実を見て把握・検証・解釈を
しないと見えてこないのです。つまり、見ているのに見えてない、ということなのです。

阿含宗の教義と実際に行っている行為と批判派の意見とを比べてみるのが一番わかりやすい。
一気にやっても大変だから、項目分けというか要所要所に分けてやるといいですよ。
自分はそういう風にやっていった。

例えば、因縁解脱から調べる、とか、成仏法から調べるとか、のようにです。
そして重要なのが、釈尊が何を言われたか・成されたかも押さえないといけない。
ゲイカの本ばかりの知識しかなくて反論すると絶対に正しいものは見えてきません。
これが恥ずかしいながら私のやった失態です。
それこそ例えなのですが、浄土系の文献を持って成仏法を証明する、としたとしても絶対無理なように
本当の釈尊の行った経緯や歴史、そして捏造してない文献を知った上で比較・検証しないと真偽は見えません。

ゲイカは悲しいかな、自分の理論・理屈を展開するためにはどんな方法でもやる人(やった人)です。
そこは注意しないと後々ショックを受けますよ。
まあ、そのショックがいい方向へ働くのが最適なのですが・・・。

続きは又後でw

142大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 20:56:42 ID:4N/F/keI0
今、丁度手元にあった管長の本「現世成仏」を引用して再度詳しく説明をさせていただきます。

「密教を経て、密教に失望した眼で再び阿含を見たとき思わず あ! と声をあげた。ここに仏教の原点があったとわかった。
成仏法があったのである。完全なる因縁解脱の法がそこにあったのだ。私はその成仏法に没入した。ここに私を救ってくれる
物が有る。これしかない、そう心に叫んで私は阿含経に命をかけた。
 しかし、これは阿含を小乗とけなして一切かえりみない大乗仏教が主流である日本仏教において、まったく常識はずれであり、
異端の極みというべきものであった。ましては阿含宗をたてるなどとは狂気の沙汰というべきものであった。
阿含宗を立宗して、大乗経典を批判するなど、暴挙というよりほかないものであった。だが、わたくしはすべての経典と論書を
渉猟した結果、悪しきカルマ、悪しき因縁に苦しむわたくしを救ってくれるのは、釈迦直説の成仏法を記した阿含経しかないと
確信したのである。そして、その通りにわたしは救われた。そこでわたくし同様、悪しきカルマ、悪しき因縁に苦しむ衆生を
本当に救う力を持っているのは、釈迦の名を語ってつくられた創作経典などではなく、本当の釈迦の教法を記した阿含経でなけ
ればならぬとの信念をいよいよかためたのである。さらに、悪しきカルマに覆われた現代社会を救うものは、この阿含の成仏法
しかない、そう確信した。わたくしはこれに命をかける決心をした。
 この釈迦の本当の仏法を世に広めるという浄業(梵行)を推進することによってこそ、私は完全解脱し、成仏するのである。
かくして、わたくしの完全解脱への修行は続けられている。これが私の完全解脱・現世成仏達成の道なのである 」

桐山 靖雄 現世成仏  118Pの9行目から119Pの8行目まで

一見するとよく出来てもっともな文章に見えるが、洗脳が解けたらおかしなことばかりである。
まずは追って見ていきたい。

>成仏法があったのである。完全なる因縁解脱の法がそこにあったのだ。

まず、成仏法とはゲイカの付けた名称である。本当には正式には七科三十七道品、または七科三十七菩提分法なのだが、まあ
名称は「成仏法」と100歩譲って呼ぶことは良いとしても、問題は内容です。次の文章が問題なのです。

「完全なる因縁解脱の法がそこにあったのだ」 ここが問題。

まず、釈尊は因縁解脱を説いたのか、という検証です。ゲイカ推奨の”阿含経”を調べてみればいいし、宗務局に聞いてもいい。
阿含経のどこに因縁解脱が説かれているか、因縁解脱の方法がどこにどのように記されているか、本当に釈尊が示唆されているのかを
出してもらえばいいし、自分で調べられても良いですよ。絶対に出てきませんから。

こんな根本的なことから阿含宗信者は理解してないのです。釈尊も説かない・示唆しない〜つまり、ありもしない”因縁解脱”〜が
どうして因縁解脱するとかしなければならない、とやるのか?です。

因縁という言葉や因縁果報というのはありますが、因縁解脱、というのは無いんです。
でも、ゲイカに言わせれば”その方法がある”という。誠におかしな話です。
では、どこからその因縁とやらを持ってきたのか? それを太郎さんは知っていますか?
それは占いの世界から持ってきて、さも釈尊がそれを解く(解脱する・した)かのような錯覚を植え付け、納得させて信仰を行わせている。
つまり、仏教ではなく”桐山教”を行わされているのです。寅の衣を借りて桐山教を仏教と称し行わせているのです。
つまりゲイカが因縁解脱を説いているのだがその理論に、そうなのか、と納得し従っているさまなのです。

次に成仏法を見ると、その肝心な成仏法に因縁解脱の法など書かれていません。因縁解脱の”い”の字や意味さえかかれて居ない。
どうやってゲイカは因縁解脱の法というのを見つけて狂喜乱舞したのかが皆目わからないのです。
ありもしない因縁やその解脱方法が無いのだから、もうここで信仰の意味も消えるというものです。

長いので切ります。

143大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 21:02:44 ID:YwNoSv560
>しかし、これは阿含を小乗とけなして一切かえりみない大乗仏教が主流である日本仏教において、まったく常識はずれであり、
異端の極みというべきものであった。ましては阿含宗をたてるなどとは狂気の沙汰というべきものであった。
阿含宗を立宗して、大乗経典を批判するなど、暴挙というよりほかないものであった。

ここはそのまま正しいので、スルー。

>だが、わたくしはすべての経典と論書を渉猟した結果、悪しきカルマ、悪しき因縁に苦しむわたくしを救ってくれるのは、釈迦直説の成仏法
を記した阿含経しかないと確信したのである。そして、その通りにわたしは救われた。

渉猟したのは「そうですか」としかいえないが、悪しきカルマ、悪しき因縁というのが曲者。深山さんが言われていたその因縁とかは誰もが
簡単にわかるものではないし、見えるものでもない。またそれを指摘・把握できるのはゲイカだけなのです。
これは言いがかりといえるのではないかと私も思えます。お前に悪い因縁が有るのだ、と言われたらその通りに成るわけで、悪質な脅しと同等です。
それこそヤクザが因縁をつける、というのと変わらない、誰かが言ったように宗教ヤクザといわれても仕方ないです。

また、釈尊が昔からそういうことを言われ因縁解脱の方法を説いて示唆されているのなら、問題は無いが、ゲイカが勝手に作り上げた因縁を解脱
するということは、貴方に悪霊が憑いている、という宗教と変わりない、といえるのです。

そして、驚くべきことは「そして、その通りにわたしは救われた」という文です。
はあ?本当に救われたのか? それはわかります。ジュンテイ尊を本尊とした勤行(現在は仏舎利宝生行)を行ったからです。
あれは密教に伝わる行の一つで成仏法とは関係が無いのですが、ここでまた整合性が出てこなくなる。全く矛盾しているのです。
この「だが、わたくしは〜」からの文章だけを見ても不可解なことが見えてくるのです。

>そこでわたくし同様、悪しきカルマ、悪しき因縁に苦しむ衆生を
本当に救う力を持っているのは、釈迦の名を語ってつくられた創作経典などではなく、本当の釈迦の教法を記した阿含経でなけ
ればならぬとの信念をいよいよかためたのである。さらに、悪しきカルマに覆われた現代社会を救うものは、この阿含の成仏法
しかない、そう確信した。わたくしはこれに命をかける決心をした。

命をかけるのはゲイカの勝手だが、これもサプリと同じように自分が試して良い結果が出たのだから君達にもお勧めするよ、という手法である。
この文章だけを見れば、とてもいいことを言っているように見える。ここに落とし穴があるのです。

>この釈迦の本当の仏法を世に広めるという浄業(梵行)を推進することによってこそ、私は完全解脱し、成仏するのである。
かくして、わたくしの完全解脱への修行は続けられている。これが私の完全解脱・現世成仏達成の道なのである。

釈迦の名を語って、と大乗仏教を批判したゲイカだが、では肝心のご自身は何をやっているか、である。
自分こそは厳しい修行の結果、釈迦の成仏法を体得した世界で唯一の存在である、と言っているが、それの証明は未だに無い。
自己申告の世界だけなのです。それを追々見てゆきましょう。

144<削除>:<削除>
<削除>

145ラシン:2009/10/16(金) 21:29:19 ID:Xj1b9g0Y0
>137 :太郎:2009/10/16(金) 17:46:55 ID:p6OhJsmk0

太郎さん、批判側では新参者の私ですが、精一杯のレスをさせていただくが、
私の説明不足や拙速なる指摘は、あなたに対しここの諸兄が補うでしょう。

>上記の論では「阿含宗という所で起こったりする(のかもしれない)奇跡だの
霊的体験というものはあるのかもしれない」が、、、中略、、、創始者が何の力も
持っていないのに、その中では様々な奇瑞が起こることはあり得る話、というのは
説得力に欠けると思います。

果たしてそうでしょうか? あなたの言う桐山アゴン宗での奇瑞はインチキ手品の類、
と、2chやここで、すでに何度も論証されていますよ、出来れば過去ログ倉庫を参照して
ください。
そこで、信者さんが経験した奇瑞奇跡の類いは、アゴン宗でなくても多くが存在しています。
そして誰もそれを一概には否定しませんが、それでその奇瑞により例えば生命が延長したとして、
その真の成果が何なのかを考えたのが、阿含経から得られる釈尊の法えなのですから、
そこをよくよく把握していただきたいものです。

>阿含宗=何から何まで猊下の分身、というのは明白なのですから、否定するの
であれば「本人にも、作ったものにも、何の奇瑞も奇跡も無い」と全てを否定
しなければつじつまが合わないはずです。

このあなたの主張は、多分あなたのロム経験の浅さと受けとめます(揶揄ではありません)。
ここの批判者は、誰彼先を問わず、桐山さんの全否定を指摘し論拠を示していますが、
あなたはまだ、その論証に触れていないようですね。
もっと言えば、仮に奇跡が起こってその成果はどのように結実するのですか?
これ↑は私が先述していますが、あなたの興味を引かないのか、返答不可なのかどちら?
そこをスルーしたら、真の阿含経を依所とするアゴン宗信者としては落第ですよね。
そこでもう一度、あなたの信奉する桐山さんの現状をよく見てみることです。
批判側の樹意さんいわく、あなたへの深山さんの指摘は麻酔無き手術のようで痛みを感じる。
ここのスレ主さんである大日さんも、その容赦なき洗礼を浴びて今があるのですよ。
もしあなたが耳を傾ける思いがあれば、前掲の大日さんの感想を看過しないでください。

146大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 21:29:57 ID:YwNoSv560
注】 #144は私がダブル投稿のため削除しました。内容は#143と同じです。

>この釈迦の本当の仏法を世に広めるという浄業(梵行)を推進することによってこそ、私は完全解脱し、成仏するのである。

この箇所はゲイカが過去から一貫して言っている有名な言葉です。しかし、良く見るとおかしなことに気がついてくる。

釈尊の本当の仏法を世に広める、ですが、先にも言ったようにありもしない因縁解脱やその他の桐山教の理論を広めるのが本題であって
釈尊の本当の仏法を世に広める行為をどれだけ本当にしているか、を調べないとおかしなことになる。

結論を言いますが、ゲイカは釈尊の本当の仏法を世に広める事をしてないばかりか、自分の理論理屈を広める事ばかりしているのです。
つまり、釈尊はあくまでダシ・表向きであって、中身は仏教とは程遠い行為ばかりをしているのです。

なぜそれがいえるか? それは仏教の教祖釈尊が禁止した行為を多く行っているからです。
釈尊の本当の仏法を世に広めるのなら、護摩も占いも祈祷もしないのです。まして因縁解脱も霊障もありえない。
また、成仏への定義自体が間違っているし、成仏法の講じ方さえも間違っている。これでは成仏などありえません。
そういう行為をしていながら、釈尊の本当の仏法を世に広める??? 大きな顔して言えるものだと呆れますし、恥ずかしくないのでしょうか?
まして、釈尊の本当の仏法を世に広めるのなら、現在行っている阿含宗のような行動はできなくなるものです。

そういうと過去の私もそうでしたが、釈尊が言った言わないだけで判断するのか、という思考が起きるかもしれませんが、ではゲイカはどれだけ
偉く素晴らしいのでしょうか? 釈尊と同等か釈尊を超えた存在なのでしょうか?
特筆すべきは最近の発言です。輪廻転生瞑想法と言うやつです。輪廻を自由自在に操る瞑想法なのですが、おかしいと思いませんか?
仏陀釈尊は輪廻の輪から解脱せよ、といわれている。輪廻のサイクルから離れて涅槃へ入るのが究極な仏教の極みです。
それが次はいい所へ生まれるための瞑想法だという。この時点で「おかしい」と思わなければいけない。
呆けた脳障害の老人の狂言だと警戒せねばいけないのです。

また、釈尊は成仏の仕方を示唆したお方です。その成仏の定義も間違っていて、尚且つ仏陀師匠と違う方法であっても必ず解脱できるなら
それは証明できるのならいいでしょう。しかし、ゲイカはそういうことを成されていないし逆に師匠である釈尊とぎ逆のことをしている。

物事の進め方というのは勉学であれスポーツであれ、まずは師匠や先駆者の事をなぞらう形から入るものです。
つまり、釈尊のおやりになった成仏の方法を行えて実証できてから、ゲイカオリジナルの行為やテクニックというのを加味したのならわかる。
しかし、実際ゲイカがやられたことは何なのかを検証すれば、これがほとんど全部に近いほど矛盾や立証が出来ない事実が出てくるのです。
これが現実を見る、検証されたほうがいいですよ、ということなのです。

147大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 21:53:04 ID:YwNoSv560
ゲイカは自己申告が好きなようで、尚且つ自分は世の中で一番という自惚れが非常に高い。
なぜか? それは自分は釈迦を超えたという発言を法話の中でされている。
それが本当なら私もいぶかしく思わないが、では実際にどれだけ何をされたか。

道場の現実を太郎さん、貴方はご存知でしょうか。
大分昔から道場は過疎に喘ぎ、運営さえ危ない道場まである。人が寄り付かないのです。
また、そういう中で修行に来られている方もいるが、多くの方は阿含宗で言われている悪因縁の方々です。
その方々が救われないで苦しんでいて、それが救われないで居る事実を目の前にして憤りを感じませんか?

阿含宗には成仏法があり、偉大なる導師が居られる。ご本尊も最高のものをいただいているし、供養も抜群なはず。
それがどうして救いの輪から漏れる信者が出るのでしょうか?

彼らが何も修行をしない堕落者なら不幸も当然だと思うが、逆に一生懸命やっても救われないのはどうやって説明すればいいのでしょうか。
これでは本尊がケチなのか、偽物なのか、またゲイカも偉大なる神通力(超能力)でどうして救わないのですか?
苦しめ、と崖から蹴落とすのがゲイカや本尊のやることですか?

ゲイカが救われた方法というのをやっているのに報われないのは、天下の阿含宗といえるのでしょうか?
また、成仏法は人を救済する力が有るはずじゃないですか。

お釈迦様は貧乏や富貴などに係わらず成仏への示唆をされた方です。それが今の阿含宗のやっていることは「金次第」じゃないですか。
地獄の沙汰も金次第では、悪徳宗教と変わらないではないですか。

巷の人や私もそうだが、生活や環境が悪い人で本当にそこから救われたい、何とか改善したいという人がいるんです。
そういうのも信仰の目的な方も居るのです。決して、功徳ばかり求めなくとも。
苦しくて、大変で泣きながら生きている法友を知っています。
一緒になって梵行をしたこともあります。ですが、何年経っても報われない。
随分、本尊もゲイカも無慈悲だな、と思ったものです。かく言う私もその苦しいエリアに近い人間です。

本題に戻って。

>この釈迦の本当の仏法を世に広めるという浄業(梵行)を推進することによってこそ、私は完全解脱し、成仏するのである。

ここのおかしな箇所は、「浄業(梵行)を推進することによってこそ、私は完全解脱し、成仏するのである」という箇所です。
これでは、まるで在来仏教教団と変わりない。本来なら
「釈尊の正しい教法を実践し、その成仏法により、私は完全解脱し、成仏するのである」でならなければならないはずです。
伏せ文字でいうとぼやけるからはっきり言いましょう。これなら法華経を護持宣布しろ、というのと変わらない、ということです。

阿含経が如何に素晴らしく着目した、というゲイカはそこは素晴らしいと思う。しかしながら、肝心のその中身をやらないで
宣布だけで成仏を得る??? 誠にナンセンスな話です。(続く)

148大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 22:11:27 ID:Alu7w3hA0
阿含経を世に広めるということは悪いことではないが、中身が無いのなら意味が無いのです。
だから、私は阿含宗はフェイクだとか看板だけしか掲げてない教団と認定するのです。

>>137 より

>つまり、阿含宗=何から何まで猊下の分身、であることは誰の目にも明白です。
それはまた所属している人にまで皆さんご自身が言及されています。阿含宗の
会員さんがネット上で妙な発言をすると「管長と同じ(で傲慢など)」だとい
う趣旨のことを言われている点です。

私もそれは痛感します。何か発言すれば否定ばかりされるような意見が見られ、憤りを感じます。
ですが、批判側の意見も腹立たしさが起きるかもしれませんが、何度か繰り返してみると
意味がわかってきます。ユビさんが申されているように何度か意見交換を行い、また樹意さんが
申されているように、自分で文章を書いてみる、また検証をしてみるのも非常に有益な作業です。

また、反論されてもいいから自分の意見を述べてみるのはいいことだと思います。
ゲイカは何も言わず、信者の多くは2chは悪魔の巣窟だ、とも言いますし、自己で検証や比較、
また論議をして何かを見出す、というのをされないと阿含宗の信仰も逆に確立できないことも
有るかと思います。

私なんかは擁護から入りましたからね。なんだお前達批判ばっかりしやがって、が最初でしたからね。
勿論批判派を負かすとか勝ってやろうか、などとは思っていませんでしたが、癪に障ったのは事実です。
ですが、そのまさかの自分が批判になるとは夢にも思わなかったw

だから私は自分のことを棚にあげていうのは恐縮なんですが、傲慢ないいかたでなければいいかと。
どうしても信者は自分の信じている宗派を良く言われないから、むかつくんですよ。
まして、お前は傲慢だ、といわれると殴ってやりたくなるし、反発もしたくなる。

だからユビさんの言われているとおり、腐らないで会話を行ってゆけば見えてくるものは有ると思います。
最初は自分も「オマエラとは仲良くなれるはずが無い」と思っていましたからね。

でも、今は感謝でいっぱいです。むしろ過去の自分は何て愚かだったろうと反省しています。
腹が立っても、気にそぐわなくても、自分の意見をいち社会人として整然と述べる&意見を交わす。
これこそが一番の掲示板の意味であり。意義であろうと思うし、またこと阿含宗というのはさて?と
言うのを知るにはまたとない機会なのです。だって道場でこういうことできないでしょう?(笑)

149大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 22:30:21 ID:Alu7w3hA0
>>137 続き

>上記の論では「阿含宗という所で起こったりする(のかもしれない)奇跡だの
霊的体験というものはあるのかもしれない」が「桐山管長自身にはそんな能力
など何も無い」ということですよね。

しかしこれは、猊下が二代目や三代目の話だったらまだ判りますが、その全て
の中身を作った張本人、創始者が何の力も持っていないのに、その中では様々
な奇瑞が起こることはあり得る話、というのは説得力に欠けると思います。

ここが微妙ですよね。自分もまさにそう思っていました。さすが太郎さんは文章が上手だ。
未だに私はここがちゃんと書けない。修行が足りません(汗)

実は私もここの点は考察中ですが、今言えることを間違ってても申させていただきます。
(それが確立したから私は退会したといえますので)

阿含宗で見られる奇瑞(奇蹟や功徳体験など)の現象は私はやはり肯定します。
批判派の首領、深山さんも否定はしていない。
だが、それがあるのはどこの宗教でもあることだ、ということですがこれには実は私も納得したわけではない。
どこの宗教でも有るから奇蹟とはいえない、というのは少々暴論です。

ですが、逆から考えると、そういう奇蹟が起きたから阿含宗は凄いとは言いがたいし、阿含宗だけの特別な
奇蹟なのだ、とは言いがたいのも事実です。
ですが、じゃあ他の教団でもその奇蹟を見せてみるよ。霊障を受けている人を解放してみろよ、とやるといっても
そういう人を用意して実験するということもまた難しい。一度はやってみたいものだが現実にはさてどうか、ですね。

私も自分で関わった少ない現象というものがありますが、それを見るとか体験するとやはりかなりの気持ちというか
「阿含宗は凄いんだ、ゲイカは凄いんだ、ご本尊様は凄いんだ、阿含の法は生きているんだ」などと思っちゃう。
それは否めないですよね。

でも、深山さんが言われたことも実践することも必要です。
道場で発表される体験談も全てが嘘だといいませんが、逆を言えば全て検証されたわけではありません。
また、又聞きとか我々本人が確認してないものは、信憑性に欠ける、といわれてもこれは仕方が無い。
ですので、できるだけ現実に合った・遭遇した事実があることがまず第一です。
そして、その次に信仰をしている・してないに係わらず、実際に会った現象を検証してみることです。
まあ、簡単に言ってますが実際信仰をしていてそれだけクールになれるほうが珍しいのだが、そういうのも必要。
そして、その上で説明のつかないものや奇跡的なことは、当事者やその方々の思い出にするだけのほうがいいのです

150大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 22:48:50 ID:u8R8BYlE0
>>137 又も続き

私も解脱供養や屋敷浄霊の奇蹟の事はありますよ。だけど、それの証明はなかなか出せない。
奇跡的な改善が見られたというのは私にもあります。金粉も実際にお分けしてもらったのがありますから
今度HPでも立ち上げたら、写真をUPしましょうかねw

でもね、その金粉を見せた、実際にいいこと(奇蹟)があったというのはあっても、否定する人は否定する。
阿含宗以外の方なら尚更です。
そして、奇蹟が起こるのはゲイカは成仏法とか神仏の力だ、と言ってますがそれも信憑性が無い。
奇蹟が起これば「そういう力が阿含宗には有るのだ」と言っても、駄目なときは何と説明するか?

ラシンさんが書かれていたが屋敷浄霊をやった後でしばらく経ってその会社が倒産した、となれば何と言うか?

「屋敷浄霊と会社の衰退は関係ない」
「商売繁盛云々まで保障できない」
「屋敷浄霊法というのは土地・家屋の不浄払いなのだから関係ない」
「元々その人(社長)の運命だから仕方ない」

などを言って終わりかと思うのです。まあ、これ以外に何か理由があっても納得できる説明はおそらく無いかと。

この世にはまじないの類もあり、奇跡的なことが起きることは多々あります。
それが阿含宗であろうが無かろうが、です。

また、一番気がかりなのはゲイカの矛盾や欺瞞です。太郎さんも今後過去ログや意見を見てゆくとわかってくると
思いますがかなりのゲイカのやっていることを見てゆけば、そういう方に奇蹟が果たして起こせるのか?という
疑問も起きてまいります。詐称や捏造、すり替えやパクリ、自分勝手な発言や行為、整合性の合わない事実関係が
奇蹟を起こすに到るのか、というのも出てきます。

確かに、様々な奇蹟は凄いし信じたい。ですが、それらをつむぎ合わせても現実にそぐわないことも存在するのです。
それが私が申した>>147のことです。
それだけ奇蹟を起こせるのなら、何故に信者を救わないのか、また救われないのか、ということです。

だから私も奇蹟は認めるが、それが阿含宗とゲイカの信憑性につながらない、という批判派の意見に賛成なのです。
(この微妙な気持ち、わかりますか?)

151深山:2009/10/16(金) 23:01:07 ID:k26HehPc0
>>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>しかし、私が考えてもいないことまで突然一方的に決めつけられて、そのように
>攻撃的にまくしたてられる様を見て、私は大変失望しました。
>逆に深山さんのレスを見て、私は本当にうんざりしてしまいました。

議論に慣れていないようですね。
私の反論を予想していたのなら、反論されたくらいでうんざりしないことです。
私はあなたの登場にはうんざりはしていない。
ネタを振ってくれたので助かりました。
批判側がうんざりしているのは準シュダオンさんのような人です。
意見は違っても、まともに議論できる相手が出てきたので、助かりましたよ。
私は攻撃的に見えるだろうが、実はこう見えても、最初にあなたに書きたいことを遠慮したのです。
ですが、今後のためにも、その点について意見を書いておきます。

152深山:2009/10/16(金) 23:05:28 ID:k26HehPc0
>>109 :太郎:2009/10/16(金) 09:17:27 ID:p6OhJsmk0
>批判派の方々の論には真面目に説得力を感じる部分もあるのですが、様々な部
>分でどうも間違った理解をしていてそれを元に擁護派を説得しようとしていた
>り、時々無意味で細かい揚げ足取りのような本質からずれたことを主張したり
>されるので、結局批判派のお話には説得力を感じられないのです。

「間違った理解」「細かい揚げ足取り」「本質からずれたこと」などと批判をけなした。
こういうのをキメツケというのです。
この一文に、何が「間違った理解」「細かい揚げ足取り」
「本質からずれたこと」なのか、私は批判しようと思った。
あなたはさかんに私が一方的でキメツケだらけだと批判しているが、
何の根拠も具体的な内容も示さずに、こういうことを書くのをキメツケというのです。
上記にまず反論しようかと思ったが、せっかく書いてくれたのに、
無用な波風を立てることになる。
だから、最初に、あなたの質問にではなく、釈迦の成仏リキや
ゲイカの霊能力について再度アゴン宗の批判を並べてみせたのです。
毎度の反論ではなく、あなたの上記の無礼に間接的に反論したのです。

153大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 23:06:56 ID:l1iHNYy60
>>128 より

>写真に写っていた霊光?(深山さん自身がこう書かれたのでとりあえず仮にこ
う呼びます)も、おっしゃるような類の光り方や色なら誰もが当然その可能性
を考えます。しかしそう考えるには無理がある光り方なので敢えてここに挙げたのです。

私も太郎さん写真を見たわけではないですが、守護神様の社で霊光というのは信じたいですね。
でも、それも「そうですか」で終わりなのです。大槻教授で無いがそういう風に言われるのがある。
私自身はそう思わないが、でもだから凄いかどうかは個人の感覚というか感想でしかない。
ですが、何を言っても尽きるのが「その家族が平和で安穏」というのがいいですね。
守護神様、守護霊様が無くてもそうでなければいけない、と思うのです。

私はそういう人は恵まれていると思います。何しろタダでは手に入れれませんからね。
それだけの果報萌えられる、というか境遇なのだからよろしいですねえ、と思います。

金粉説は私は逆に信じません。錫杖説では説明が出来ないことが有るからです。
錫杖だけではその場にしか降らせることしかできないし、また自分が所持している
金粉も家中にあったのですから(しかも大量に)
修法をやらない居間以外でも出ているので錫杖説では逆に理論としては不十分です。

しかしながら、私の今までの事を申せば、私の家では金粉は降りませんでした。
また、金粉が降ったからと言って何かありましたか?(いいこととか)
金粉が降るというのは凄いことですが、降る現象だけで特段何も無いのです。
そこが私は惜しいと思ったりします。

今日は沢山書きましたのでここで一旦終わりますが、また色々書きたいと思います。
太郎さん、読むのも大変でしょうが、これにて。

154深山:2009/10/16(金) 23:07:26 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>私は、釈迦の成仏力がどうのこうのというお話はしていません。
>私は、猊下の霊能力がどうのこうのというお話もしていません。

あなたが出した三つの体験談は全部、アゴン宗の御利益話、奇蹟話です。
アゴン宗の奇蹟とは桐山ゲイが釈迦の成仏リキをもって示した奇蹟です。
守護神のオミタマも、屋敷浄霊の金粉も、解脱供養のお力も、
全部、桐山ゲイカが阿含経に説かれたシャカの成仏ホーという
霊能力を体得して得られたものです。
あなたが話をしようがしまいが、これらはアゴン宗の教義において
結びついており、切っても切れない。
上記では三つの体験談を、釈迦の成仏ホーや桐山さんの霊能力とも関係ないかのように
書きながら、>>137では関係していると主張している。
あなたが釈迦の成仏ホーの話をしていなくても、三つの体験談と深く関わっているのです。
だから、私は先に桐山さんのいうシャカの成仏ホーについて指摘したのです。

155深山:2009/10/16(金) 23:09:39 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>まるで猊下が「こうだ」「こうに違いないのだ」と決めつけている感じとそっ
>くりで、批判派の方のお話として聞くには説得力が全然無いと感じてしまうの
>です。

桐山ゲイカはキメツケかひどいと書いているように読めますが、これは本音ですか。
私の意見は、桐山さんはキメツケではなく、嘘が多すぎる、というものです。
桐山さんの空想や妄想にすぎないのに、霊能力によって確認した事実で
あるかのように言う。
つまり、嘘つきです。
桐山ゲイカのキメツケをあなたはほとんど全部信じているように見えた。
信じているからこそ、守護神、錫杖金粉、解脱供養の功徳を出した。
だが、違うというなら、桐山さんのキメツケに相当する部分は何なのかを
皆さんに説明してはどうでしょうか。
桐山さんがキメツケが多いという意見には読んでいる信者さんたちの
多くも賛成するのでしょう。
具体的にどういう点がそうなのかを提示してみるのも
ここでの議論する上では役立つかもしれません。

156大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/16(金) 23:10:14 ID:l1iHNYy60
>>153 訂正

金粉説は私は逆に信じません、は間違いで
金粉=錫杖から出た物説は信じない、に訂正です。

157深山:2009/10/16(金) 23:11:51 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>しかしそう考えるには無理がある光り方なので敢えてここに挙げたのです。

あなたは最初の文章でも今回の文章でもその「無理」だという
根拠を何も書いていない。
議論とは、「無理」の中身を書くのです。
光学的にありえないという根拠を示して、反論すればいいのです。
ついでにストロボを使ったかどうかも書いてください。
私はストロボを出したかったが、「使っていません」とあなたは言える。
あなたを嘘つきだとは思わないが、すべてはあなたの手の内だから、誰も確認できない。

158干柿:2009/10/16(金) 23:11:58 ID:BBtat4sE0
私は奇跡とかお陰とかいう類ものは方便であって、けっして中心にあるものでは
ないと考えます。
門に招き入れるための方便ですよ。そういう意味では占いなどもそうでしょう。
それが中心になっては邪道だと思います。
魔法じゃないんだから一二度良いことがあるかもしれないけどそれだけです、ちょっと拝んで夢がかなうなんてのはウソですよ
阿含宗はそればっかやっているから、あるいはそれしかないから(つまり真の中身がないから)
邪道におちいって今があるんですよ。
こんな醜い教団になるとは夢にも思いませんでしたトほほ

159深山:2009/10/16(金) 23:17:26 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>その方はいつも導師役ですから一切錫杖は振りません。

あなたは錫杖の振り方をしらないわけではあるまい。
錫杖を水でぬらして、振ってごらんなさい。
大半の水滴は前に向かって勢いよく飛んでいく。
剥離した金粉を勢いつけて飛ばしているのと同じです。
金粉がそのへんじゅうに飛び散っており、錫杖をふっていない人に
付着してもなんの不思議もない。

160深山:2009/10/16(金) 23:20:47 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>ファミレスのテーブルに金粉がばら撒いた状態になっていたことも、何故か私
>が直接見たことではないと決めつけて書かれています。
>私は、私自身が体験したことだらこそ書いているのです。

だから、おかしいと言っているのです。
修法して金粉が降るならまだわかる。
ファミレスのテーブルの上に、ざらつくほど金粉があるのに、
どうしてあなたはその奇妙な光景を疑わないのだ?
飯を食うのにも仏が出てくるのか。
いくらなんでもそんな仏っておかしくないか。
私なら店員を呼んで、もっとしっかりとテーブルを拭くように言う。
そして、なぜこんな金属粉がテーブル一面に広がっているのか質問します。
だが、あなた方は、店のテーブルに金粉らしいものがあると、
それが仏様の霊現象だと思ったのですよね。
私があなたがその場にいなかったと推測したのは、
あなたがそこまで何でもかんでも仏様のオカゲとするほど脳味噌が
沸騰してはいないだろうと思ったからです。
だが、私の買いかぶりだったようだ。
あなたの浄霊班のオミタマはファミレスまで付いてきて、金粉をまき散らして、
店員に掃除の手間をかけさせ、タダ飯を食うらしい。

161深山:2009/10/16(金) 23:22:47 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>彼女のことを何も知らないのに何故かあれこれ彼女の人物像を決めつけて書か
>れていますが、全然違います。

これもそう。
違うなら、何がどう違うか書けばいいのに、書かない。
私は透視能力なんていないから、決めつけではなく、推測したにすぎない。
だから、はっきりと意見だと書いている。
推測の何がいけないのですか。
私があなたと同じ情報をもって議論するならまだわかるが、
あなたの一方的なわずかばかりの情報から推測して書いているにすぎないのです。
意見を書けというから、現実的な解釈を書くと、キメツケだ、違うとだけ書いてくる。
2ちゃんねるを見ていますよね?
栗花さんが「違います」と否定語だけを書くのをあなたはどう思いますか。
彼は礼儀知らず、読解力がない、根性が悪い、と私は思う。
あなたしか知らないのに、ただキメツケだ、違うなどというばかりで
何が違うのかを示さないのでは、栗花さんとさして違わないことになってしまうのです。
栗花さんと同類に扱われたら、あなたは不愉快なのはわかるが、
議論とは、情報をきちんと提供して、反論する時はただ否定語を並べるのではなく、
何がどう違うのかを示すのです。
そこで、読者のためにも、最初に読んだ時の疑問を書きます。

162深山:2009/10/16(金) 23:25:31 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>そして20年以上も経ってからですが、たまたまご縁がありましたのでお話して
>解脱供養をお勧めしたところ、まとめて5体申し込みされました。

上記を読んで、私はとても驚いた。
二十年ぶりの友人の勧めに応じて、どこの馬の骨かわからない祈祷師に
50万円を払ったというのですか。
その友人の親とはよほどの大金持ちか太っ腹らしい。
あなたは一体10万円と説明したはずなのに、相手はいきなり50万円出した。
普通なら、まず10万円の金を払い、効果を見てから次のを払う。
だが、五十万円をまとめて払ったという。
今まで祈祷師にたくさん払ったから、50万円くらい安いというような書き方をしているが、
率直に言って庶民感覚から外れています。
今まで祈祷師にさんざん金を使ったのに効果がなかったのなら、
なおさら、別な祈祷師に出すことにためらいを感じるのが普通です。
おそらく読者の多くも私の指摘に、おかしいと思ったはずです。
もしあなたがこの議論を続けたいのなら、もう少しこのあたりを
詳しく説明したほうがいいと思います。

163深山:2009/10/16(金) 23:29:36 ID:k26HehPc0
>>137 :太郎:2009/10/16(金) 17:46:55 ID:p6OhJsmk0
>逆に、それは私が勘違いしている、あるいはこの論理を理解できていないとい
>うことであれば、もうちょっと噛み砕くなりして教えていただけるでしょうか。

「信者が傲慢なのは桐山さんの影響」と、
「アゴン宗で起きていることは桐山さんの力」がどう同じなのですか。
「子供が傲慢なのは父親そっくりだ。
したがって、子供が成績の良いのは父親の学力である」
と言っているようなものです。
第一に、傲慢と成績(霊能力)とは関係ない。
傲慢な人間だから成績が良い、悪いなんてありません。
桐山さんが傲慢で、信者が傲慢になるのは真似をしているからです。
これは霊的なものではなく、現実的な説明がつく内容です。
第二に、子供の成績は子供の努力によるものであって、親の学力によるものではありません。
信者の間に霊的な現象がある(子供の成績)からといって、
それは桐山さんの霊能力(親の学力)とは関係がありません。
また、どこの教団でも似たような霊的な奇蹟があるとは、このたとえでいうなら、
「あなたの子供だけが百点をとれたのではなく、ほとんどの子供が
百点かとれたのです」と言っているのです。
桐山さんの霊能力の証拠だと主張するのは、生徒のほとんどが百点をとれているのに、
それを無視して、「自分の子供が百点を取れたのは、親の学力が優れている証拠だ」
と言っているようなものです。
ごらんのように支離滅裂です。

164深山:2009/10/16(金) 23:35:12 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>なのでしょうか。何か説得力のある説明はありませんか?」と問いかけたので
>す。
>だから説得してみて欲しいと書いたのです。

少なくとも、私は説得しようと議論をした相手は一人もいません。
過去の議論を読んでいただければそれは明瞭です。
私は情報を提供し、相手の主張の間違いを指摘するだけです。
だから、今回もあなたの主張のおかしな点を指摘し、現実的な解釈を述べたのです。
それがかなり不愉快らしいことはわかります。
樹意さんが「麻酔もかけずに手術」と表現したとおりなのでしょう。
だが、私は麻酔を持っていないので、かけようもない。
ここでの議論に耐えられないなら、読者に戻ってもらうしかありません。
議論の相手が何をどう説明されても、嘘デタラメの桐山アゴン宗を信じているというなら
凡人の私が何をそれ以上説得することがあるでしょうか。
信仰は自由だし、輪廻はどこまでも続くのだから、好きなだけ嘘デタラメの
オカルト宗教をやっていればいいというのが、私の率直な感想です。
私は信者時代、批判本や先達などから、アゴン宗の間違い、桐山さんの嘘を教えてもらった。
その情報がとてもありがたかったし、目を覚ますのに役立った。
今度は私の知る範囲の情報を信者さんたちに提供しているだけです。
だから、あなたを説得しようという気は、少なくとも私にはありません。

165深山:2009/10/16(金) 23:39:00 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>そのような議論の仕方では、せっかく良いかもしれないことをおっしゃっても
>現役会員さん達には何も響かないのです。

私は狂信的な人たちに何か響かせようなんて気はありません。
だが、全員が最初から耳をふさいでいるだけの信者ではありません。
中には聞く耳を持つ者がいる。
他でもない、私がそうだった。
桐山さんは批判本を買うな、読むなと言ったから、買って、丁寧に読み、
内容を知り合いの信者と検証してみた。
大半の信者はあなたが言うように、聞く耳を持たないだろうが、
少数だが、聞く耳を持つ者もいるのです。
私はその少数の信者に伝わればいいと思っている。
私は元信者としては桐山さんの良き理解者であり、性格も欲望も良く知っている。
一方、信者の多くは、桐山さんの本当の姿を知らず、無理解な人が多い。
だから、桐山さんを正確に理解するように、情報を伝えるのです。

166深山:2009/10/16(金) 23:42:55 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>そのような議論の仕方では、せっかく良いかもしれないことをおっしゃっても
>現役会員さん達には何も響かないのです。

私がここに信者さんたちに書くのはもう一つ理由がある。
それは信者時代、桐山ゲイカは真の仏教を蘇らせる聖なる戦士であり、
私は末席に連なる者だと自惚れていた・・・今から思うと冷や汗が出る。
仏教どころか、外道の信者だったのだ。
信者の中にも未だに私と同じようにアゴン宗こそが釈迦仏教に最も近いと
信じている人たちがいるでしょう。
その人たちにそれは間違いだ、と伝えたい。
輪廻転生して、せっかく阿含経こそが釈尊が説いた仏教なのだ、という所まで
たどり着いたのに、アゴン宗にいる限り、目の前にある仏教に到達できない。
仏教とは似ても似つかない桐山教を、釈尊が説いた教法なのだと
信じて一生が終わったら、悲劇というか、喜劇というか、言葉がない。
だから、彼らが死ぬ前に(笑)、手をのばせば簡単に届くところに本当の仏教が
あることに気が付いてほしい。
日本に仏教が来て千五百年ほどたち、ようやく我々庶民が、
釈尊本人の言葉をわかりやすい言葉で学ぶことができるようになった。
それなのに、むざむざ宗教詐欺の餌食になって、くだらん焚き火や加持祈祷をして、
輪廻の素を増やし、一生を終わるのは悲惨です。
だから、退会を表明した人にも、阿含経を釈尊から直接学ぶように勧めます。

167深山:2009/10/16(金) 23:47:07 ID:k26HehPc0
>128 :太郎:2009/10/16(金) 14:03:34 ID:p6OhJsmk0
>なのでしょうか。何か説得力のある説明はありませんか?」と問いかけたので
>す。
>だから説得してみて欲しいと書いたのです。

あなたも阿含経をまず自分の目で読んでみてください。
桐山さんの解説など抜きにして、岩波文庫で釈尊本人から学ぶのです。
あなたはまだ金粉やら写真に写った光に価値を置いている。
それが本物であるか、霊的な現象であるかなど百年議論しても何も出てこない。
なぜなら、価値がないからです。
今のあなたはそれらに価値があると思うからこそ出した。
だが、あなたは怒るだろうが、私にはゴミにしか見えない。
ゴミとは、価値がないという意味ではなく、害があるという意味です。
霊的現象だろうがなかろうが、後ろで龍神が金粉をばらまいていようが、
そんなことは何の価値もない。
私は、その龍神も金粉もまとめてゴミ箱に捨てる。
釈尊本人から教法を学ぶと、そんなことは何の価値もないばかりか、
輪廻の素である煩悩を増やすにすぎないことに気が付く。
自分を説得してくれとあなたは書いた。
それに対する私の意見は、批判側ではなく、釈尊本人に説得してもらってはどうでしょう。
これ以上の適役はいませんよ。

168大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 02:00:45 ID:3vBOOBXo0
>>109 の太郎さんの2について

言葉足らず(説明不足)でしたので追記で。

金粉=錫杖から出た物説は説得力に欠けます。
まず、私自身が浄霊班に居て参加したこともあるし、逆に自宅を修法していただいたことも有る。
そして、法友の浄霊にも参列(参拝)したことも有る。
だが、私の参加したものは一切金粉は出なかった。

ところが、私の地区で極稀に出ることが僅かだがあった。それは出ないほうが多いので金粉が出れば
必ず浄霊班か行ってもらった家主や会員が言うからである。
それこそ「どこそこのお家で金粉出たよ」などの言葉ですね。

それは珍しい現象だから私も実際見たいものだ、と思ってたら、ある会員の方からかなり大量の
金粉が出たのでそれを皆様にお分けしたい、ということで道場でコーナーを作り、そこに透明な
小袋に分けた金粉を持ち帰ったのです。小袋もかなり多く百袋はありましたね。

また、私も太郎さんの出された2の話に似たのを道場で聞いています。
もしかしたら、全国へ流れたのかもしれませんね。

確かにファミレスまで金粉が現れたらそりゃあ驚きます。なんじゃこりゃあ、と。

で、何がいいたいかと言うと「金粉=錫杖から出た」は私にはありえないからです。
浄霊が終われば時間のある方は法具を綺麗にしてケースなどに納めます。使った錫杖も磨きます。
その際に使い込んでいる錫杖は金メッキな部分は一切無く、金粉など発生しません。
また、実際にそんな簡単に金粉が発生するのなら、毎度発生するであろうし、手入れの際に錫杖の
メッキが剥れたね、と会員同士で会話も出るというものです。

また、浄霊班も阿含宗の力を示すために金粉をわざと撒くような細工をしたらばれますし、そういう
細工を導師や会員同士でやるはずが無い、というか見たことが無い。

そして、道場内の勤行をやる際にも錫杖を使うときが有るが、それも使い込んでて金な部分は無い。
また、錫杖から金片が出るのであれば、道場の勤行の時には毎度発生することになるのである。
私も道場の勤行会には数度出たし、錫杖を振ったが金のかけらどころか何も金属片など出ませんよ。
安易に金片が出るとしたら、それは磨耗している錫杖かありえない錫杖を使っていることになる。
しかも、ファミレスには錫杖は無いでしょう? というか、そこまで錫杖持ってゆく??
人の見ている前で錫杖振り回す??? ありえないでしょう。

そうなるとまさに不快な現象で「こりゃあ、奇蹟の現象だ」となってくるのですが、前にも言いました
がここでチェック。 「金粉出たけど何かいいことがありましたか」ですね。

花咲じいさんじゃないが、枯れ木に花を咲かせる、のような事のようだが、金粉ではそこまでの事は
期待できないし、実際先ほど述べた「有る信者の金粉のおすそ分け」を貰っても別段何も無かった。
ただ、そういう現象が起きた、というのと、縁起がいいねえ、ぐらいで終わっているんです。

しかも、その方はそういう奇蹟というか神秘現象の起きやすい方で、普通に写真をとってもオーブが
結構出るんですよ。写真を撮ってもらったら結構出やすいらしく、自分もその方の写真を見せて貰った。
本当に何枚もオーブが写った写真が8枚ほどありましたね。
しかも、その方の金粉が出たのは冥徳墳墓の申し込みをして完了後、塔婆が自宅に来て祀った日の次の
日に金粉が大量発生したという。

なので本当に不思議な現象では有るが、落ち着いてみると特段何かあるわけでもなく、奇妙な現象だね、
で終わる、というのが私の今までの把握ですね。

169大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 02:02:33 ID:3vBOOBXo0
次に3の解脱供養ですが、これも不思議ですね。

ただ、解脱供養は良くわからないことが多く、人によって効果抜群、というときもあれば全然効果なし、
ということが結構見られます。私の弟や家族も法友もお陰をいただいたこともあります。

そして特筆すべきは太郎さんの友人の女性の悪い状況が改善されたことですね。
これは本当に良かったと私も思います。
ただ、実際に私の方で見られたことですが、ある時は解脱供養が効いて、ある時は効かなかった、という
のがあります。これが奇蹟が現れても疑念を抱く結果になります。

>>162で深山さんが言われていることには、私も同じ意見です。
普通なら躊躇するか、一体申しこんで様子を見るとかが普通ですが、まあ、そこは太郎さんの説明や
信頼でドンと出された、もしくは非常に助かりたいと思って思い切って出されたのでしょうね。
その甲斐もあってその友人である女性にいい効果があったのはよろしかったと思いますから、そういう点は
阿含宗の批判意見を読んで知っている私でも本当によかったなあ、と思えますよ。

ただ、それだから阿含宗の良さと言うか、正当性は出せません。それはあまりにも解脱の効果が完璧で
ないからです。成仏法を謳う阿含宗が死者を成仏させたのに効果がない、ではお粗末だからです。

では、霊障が原因でなかったから、というのも考えられる。ならば因縁が有るからだ、となる。
その因縁を切るためには入行し、解脱も梵行もしなければできない、ということです。
ところが私の>>147で言ったように、ゲイカの指導に添っても報われない人が居る事実をどうするかも有るのです。
そうすると太郎さんの友人の女性は「たまたまラッキーで報われた人」であって、私の言う方々は
「とってもアンラッキーな人」という矛盾した結果が残ります。この差はどこから来るのか?
それは私にもわからない。しかし、現実に有るのはそういう格差が有るわけです。

また、私の弟や法友にも有ることなのですが、最初は効いた。だが、二回目以降には何の変化も無かった、と
いう事実もあります。このランダムな効果というのもかなり疑わしさを醸すものであります。

ですので、全否定はしませんが、やはり突き詰めてゆくと「阿含宗の奇蹟や力の凄さは認定」とは行かないのが
ありますね。私も解脱推奨の輩でしたが、今では疑惑の眼がかなり強いです。

例としては芳しくないのでしょうが、ゲイカの奥様、たち夫人はガンで亡くなられたのはご存知ですね。
あの方をとっても整合性に欠けるのが阿含宗です。

まず、ガンの因縁が切れなかった、ということと、あと管長夫人ですからまさか解脱をかけてないということは無い。
そして、サプリも摂取してなかった〜養生もしてなかった、というのはどうも不自然です。

ゲイカは事あるごとに「俺の言うことを聞かないから、そうなるんだ」という発言をされます。
そういうのは勝手ですが、では言うことを守っている信者で救われないのはどうしてですか、といいたい。
うちのご本尊様やお釈迦様は信者が不幸であっても無視するような方なのですか?
ゲイカはどうしてそのお持ちである偉大なる力で救済なさらないのですか?
お金を払わないとやらないじゃないですか。また、苦しみに喘ぐ信者に手を差し伸べましたか?
高いところに居て足元の信者の困窮を救わない教祖ってありえますか、といいたい。

段々ゲイカのやっていることのおかしさに気づき、現状を見て憤りを感じたら
「もしかしたら色々な奇蹟は有るだろうが、それよりもゲイカの発言や行動はおかしくないか?」と考え
検証をしていったのが私です。

私は「どこの宗教でも奇蹟は有る」といいましたが、阿含宗なりの奇蹟は有るとは思う。
だが、それがゲイカの超能力・法力云々や整合性の立証には事欠けると思うのです。
ですから、奇蹟は奇蹟として一旦置いて、ゲイカのやられていることや阿含宗の教学、または方針・歴史
というものを比較して、どのようにどこまで阿含宗が正しく、また間違っているかを認識されたほうが
よろしいかと思います。まあ、それらは今後時間をかけておやりになってゆけばいいと思いますね。

170170:2009/10/17(土) 07:04:10 ID:KL/3ExWQ0
>>109
太郎さん、こんにちわ。他の方と重複する考察もありますが、また個人的な見解も入り混ぜながらお話しいたします。

まず「光の玉」とありますので、いわゆる「オーブ」でしょうか。
現物の写真を見ていないので何ともいえませんが、オーブは空気中の水分やホコリにフラッシュが反射して映り込むことが多いものです。

だから、湿気の多い日や場所、雨降りの日などは大量にオーブが映ります。ウィキペディアにも書いてあるくらい、オーブが映るメカニズムは分かっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E9%9C%8A%E5%86%99%E7%9C%9F

ウィキペディア引用
オーブと称する物もある。これはフラッシュを発光した際にストロボ光が空気中の水分・ホコリなどに反射し発生する現象である。右記の写真では、最上段のものがレンズ若しくはレンズフィルターに付着した水滴が乱反射を起こす現象で、夜間、露が降りてきたときなどに特に発生しやすい。また、下段は空気中で結露した水蒸気が湯気となりフラッシュ光で乱反射を起こした物で、特に地下からの水がわき出るような所や滝の近くでは夏場などによく発生する現象である


2番目の屋敷浄霊も実際に見ていないでの何ともいえませんが、誤認識があるのではないでしょうか。信仰心と思いこみが強いと、物事を過大に判断するときがあります。そのケースは考えられませんか?意外と「思いこみ」や「奇跡がおきて欲しい」という気持ちからの「錯覚」「誤解」というのがあります。

171170:2009/10/17(土) 07:09:08 ID:KL/3ExWQ0
3番目の解脱供養は、宗教団体では、そういった体験談・お陰話がザラにあります。
大抵どこでもあります。成仏法が無くても先祖供養して物事が好転する体験談は
多数あります。宗教でもない「霊術」や自己啓発の「潜在意識の活用」の世界でもあります。

ただ(個人的な見解ですが)加えて、宗教団体や祈祷師との相性、
また暗示による効果もあると思っています。
暗示か働きやすいムードみたいなものもあるでしょう。
それと、相手に信頼を寄せれば寄せるほど、暗示の効果は強化されて、
病状が回復することもあります。

単なる小麦粉を「最新の妙薬」と患者に与えたところ、テキメンに効果を発揮して
病気が治ったという報告もあるほどです。
その方はアゴンと相性がよかったのか、それで暗示も強く作用したのかもしれません。

太郎さんに考察していただきたい一つは、そういった「お陰話し」の
発現性の度合いです。
もしも本当に霊力なりがあれば、発現の確率は高くなるはずです。
しかし実際はアゴンで篤信の人でもあっても、解脱供養を何十体したにもかかわらず
好転しなかったケースもあります。

法力が本当に存在するなら、信心が篤く梵行にも人並み熱心な信者であるならば、
その効験はもっと際だってくるのが道理ではないでしょうか。
しかし、そうでないケースも多い。これは何故なのか。

172170:2009/10/17(土) 07:09:46 ID:KL/3ExWQ0
法力といえば、法力には霊能力が関係していることが多いものです。
しかし霊能力の無い、また霊能者を自称すらしない池田○○氏の率いる○○学会ですら
「ガンが治った」「難病が治った」という奇跡談があります。
霊能力も無いにもかかわらず奇瑞が起きているのです。
学会の奇跡が「本尊の力」「日蓮の力」としても、それは説得力に欠けます。
太郎さんも信じないでしょ(笑)。そんな神秘的な力が発揮されようはずがない。
しかし奇瑞がある。じゃあ、大作さんがブッダの生まれ変わり?神の化身?まさか。

もう一つの事例として、大川○○の幸福の○○もそうです。
ネットで検索してご覧下さい。出てきますよ。
たとえば「脳幹梗塞から奇跡の回復!」「重度のアトピー性皮膚炎が完治!」
「舌ガンが消えた!」などなど。
じゃあ大川さんのエルカンターレも本当?ブッダ再臨なんですか?これも「まさか」でしょ。
お陰話はご本人にすれば、とても有難いことでしょうし、
救われたなら「よかったね!」となります
(しかしお陰話と教義の正しさは別なのですね)。

このように、何も無いはずの宗教ですら、奇瑞が起きているのです。
この事実を直視して、よく考察する必要があります。
宗教という世界には、お陰話しがある。
そこに霊力があろうとなかろうとも、「お陰話」は宗教という世界
(宗教に類する世界)で起きる「共通した現象」としてとらええるほうが
むしろ普遍性のある考え方と思いませんか。

一つの考察ですが、教祖に霊能力が無くても、「イワシの頭も信心」、
思いこみの強さ、信者の必死さ、本尊の力を信じ仲間の支援による感謝の高揚、
潜在意識のメカニムズなどによって、奇瑞奇跡は起こるとも考えられるわけです。
メンタリティーに起因した現象が多いのでしょう。

173170:2009/10/17(土) 07:10:16 ID:KL/3ExWQ0
自己啓発などの潜在意識活用の世界では、患者の病気を治したという奇跡談もあるほどです。
それくら心には形成力があり、これを助長させる暗示、思いこみの作用は大きいのです。
潜在意識を活用して願望達成するコツは、まさにこの強烈な思いこみなのです。
宗教の場合、余計なことを考えず理屈抜きに「力」を信じるため、
奇跡もおきやすくなるのでしょう。

ですので、教祖の霊妙な力などなくても、教団の教えによる感化・暗示や、
人間関係などから奇跡や奇瑞を起きやすくもなっていると考えることもできるわけです。
だから、教祖≠教団になるわけです。
教祖の考えが教団に反映されていても、教団に属する人の行為や営みは、教祖と直接関係ありません。

もちろん、高い境界の神霊の加護もあるかもしれません。
ただ、境界の高い霊なら、嘘を言ったり人様のものをパクるような
あさましいことをする教祖を守護することは考えにくいでしょう。
もしも加護する神霊がいるなら、それ相応の霊(低級霊)と考えるのが、
これまた道理というものです。

174170:2009/10/17(土) 07:13:35 ID:KL/3ExWQ0
しかし一番大事なことは、「お陰話があるから、奇跡奇瑞があるからこの宗教は正法」
と捉えてはいけないことです。短絡的に「正しい」とするのは誤りです。
よく、ここで錯覚して、正法と信じ込むケースが多いのですが、これは間違った結論。
正法かどうかは、仏教の場合、釈尊の教説と照らし合わせて正しいかどうかを
検証しなければなりません。

奇跡奇瑞は、どの宗教団体でもあるということ。
これは「宗教の世界(類する所)で起きる共通の現象」として受け止め、
これとは別に教義が正しいかどうかを検証していくことです。

くどいようですが、「奇跡があるから正法」と思いこんでいると、
戯論から永久に抜けられません。なぜなら、教義に矛盾を抱いても、
奇跡奇瑞に帰着して、教義の矛盾や嘘をうやむやにしてしまうことになるからです。

しかし「いや自分は現世利益が得られればそれでいい」と考えるなら、それまでです。
けれども仮に現世利益、お陰が欲しくて宗教を求める・信仰をするにしても、
もっと合理的な説明のつく教義があって、嘘偽りがなく、
礼節もあって人間的な錬磨もできる宗教を選ぶのが得策というものです。

一つの宗教や教義の世界だけしか知らないと、視野が狭くなり、
一面的な思考に陥ります。さまざまな宗教や異能の世界を見聞すると、
より高い視点から俯瞰することもできます。

175170:2009/10/17(土) 07:19:22 ID:KL/3ExWQ0
ところで、太郎さんの疑問に対して、一つの見解を述べさせていただきます。
太郎さんの疑問のテーマとも関連するであろう「どうして供養で好転するのか」についてです。

暗示以外の一つの考察に、パーリ経典の小部にある「餓鬼事経」があります。
この経典は長老が編纂したといいますが、餓鬼供養によって救われた事例が掲載されています。
テーラワーダの教理になりますが、詳細はスマナサーラ氏の著書「死後はどうなるの?」を
読んでいただきたいと思います。ちなみに私はテーラワーダの者ではありません。

内容をかい摘んで言えば、先祖供養で救われる好転するケースは、
施餓鬼供養に相当するものだといいます。
畜生界や地獄階に墜ちた人の霊を救うことはできないといいます。
畜生道に墜ちた場合は、文字通り、動物として生きていきます。
地獄は救済の及ばない状態と。
しかし餓鬼道の場合は、中には人間の施しによって救われる者もあると。

それと餓鬼亡者は、人間に悪影響を及ぼすことがあり、
人間界と相互に影響を与えるところがあるといいます。
また餓鬼亡者は嫉妬や怒りのエネルギーを好み、逆に平和や明るさを嫌うといいます。
いわゆる「霊障」という現象は、餓鬼道に墜ちた霊のみによる作用ではないかと
推察する次第です。

先祖有縁の中に、餓鬼道に墜ちた人もいても、子孫の供養によって救われたなら
(通俗的な意味で成仏したなら)、それまで餓鬼亡者によって悪影響を受けていた
悪影響が解消されて、諸問題も好転するということは考えられます。

176170:2009/10/17(土) 07:20:35 ID:KL/3ExWQ0
ただし、先祖の全てが餓鬼界に墜ちているとか、霊障になっているというケースは、
じつは稀ではないかと考える次第です。
ゲイカが説くようにな、何十、何百の先祖が霊障を起こしているのは考えにくい。
亡くなった者が全員、餓鬼や地獄・畜生へ行くとは思えない。
安らかに亡くなり、天界へ往生した人もいるはず。

事実、最初の解脱供養で劇的な好転をしたケースはわりとありますが、
その後の供養ではサッパリというのがあります。
いや、意外とこのケースは多い。
こういった事例から推察するに、餓鬼道の墜ちた御霊はそれほど多くなく、
その後の解脱供養ではサッパリ効験が得られないのは当然といえば当然です。
施餓鬼供養を受ける霊がいなければ、虚空に向かって供養しているだけになります。

それと、解脱供養の場合、10万円という高額な供養を出した篤い供養の心や願いが、
餓鬼の墜ちた亡者の一部だけに届き、それで解消されていったと考察しています。

しかし先祖の多くが苦しんでいると言い放つのは問題でしょう。
不安や恐怖を煽っているといわれる所以です。
先祖有縁の中で餓鬼に墜ちて苦しんでいる御霊もれば、
安らかに往生して天界へ赴いた御霊もある。
どちらにせよ、先祖への思いやり、感謝というのが本来の先祖供養でしょう。
先祖に対して「あんたが不成仏霊になって霊障をおこして、
悪因縁作った困った存在なんだね!」とネガティブな気持ちを持って行うのは、
かなり乱暴なやり方だと思いませんか。

また何も解脱供養のようにお金をかけるだけが供養ではなく、
心から、本当に心からあつく供養すれば、その気持ちは餓鬼に墜ちている霊に届き、
供養はできると考えます。お墓参りをしてから好転したという話しは数多くありますが、
お墓参りはこの典型ではないでしょうか。

多くの宗教で起きる奇跡奇瑞の理由の一つに、施餓鬼供養による効験があると考えています。

考察の糧になればと思います。

177ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 08:22:36 ID:SmEF4Oe2O
>>110
独り空気を読まずウンザリするような預流向議論のゴミ処理でもしましょうか?
大乗の教えにも決して間違ってないものもあるとは一般論的にその通りです。
しかしこれを示す時は、これは大乗の分類であればと示す義務はあるでしょう。
必ず示した上で間違っていないと補足する必要があり、準シュダオンさんは
その点を怠ったからゴマカシのように見られても仕方ない
それから時代が判明したのなら、時代を飛び越えて別の時代の価値基準にこの
大乗の価値基準を適用するのはいかがなものか?
大乗の集団と釈尊のサンガ集団とはまた違うのです。悟りの内容も違う。
だから四向四果の考察にこれを持ってくること自体無理がありましたね。
また大乗にも間違っていないものがあると認めるならば、アビダルマにも正しい
ものはあると認めるべきですね。
これは正しいがこれは正しくないと分別をするならば、アビダルマだからとか
適用できないことになり、別の指標が必要です。
それに四向四果は全て聖なる集いであることはアビダルマ論師が説いたことではなく
釈尊が説いた言葉であり、それが経典として、その言葉が残されているのです。
ログを改めて再度引用掲載します。
それから三結煩悩断った(預流果)から聖者の誕生なんだと準シュダオンさんは
説くわけなんだが、この三結煩悩って理知上の迷いに過ぎない。
これを断つと物事の道理がわかるわけです。
しかし桐山さんはわかっちゃいるけどやめられないと説く。
どんなに道理がわかってもそれだけで人間は根本的に変わらない。
悪い因縁も切れず愚かな行為に走ることも止められないはずなのです。
知情意の情意の奥深い部分の克服がされていないからなんです。
教えをよく理解納得した段階の預流果が、どうして桐山的に聖者なのか?
中途挫折の因縁も教えを理解したくらいで切れるはずはないから、嫌になって
退転する可能性は十二分にあるのです。

178ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 08:42:55 ID:SmEF4Oe2O
「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経―」中村元訳、岩波文庫

尊師の弟子のつどいとは、すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)
とであるが、かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、
世間の最上の福田である〉と。かれは、聖者の愛する、切れ切れではなくて、
瑕の無い、斑点のない、よごれていないで、自在であって、知者の称讃する、汚れの無い、精神統一を、身に具現している。
アーナンダよ、これこそ〈法の鏡〉という名の法門であって、それを具現したならば、
立派な弟子は、もしも望むならば、みずからの自分の運命を見究めることが
できるであろう、〈わたくしには地獄は消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。
悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたくしは聖者の流れ踏み入った者である。

179ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 08:53:49 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオン「え?二人四組の八人?ご冗談で?二人三組の六人、プラス二人一組から
一人削った一人を加えた合計七人でしょうが?」
釈尊「八人」
準シュダオン「八人のうちの一人は福田であっても尊ばれても、間違っても聖者では
ありませんよね?」
釈尊「八人」

180ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 09:01:29 ID:SmEF4Oe2O
書き忘れたが、>>178の「ブッダ最後の旅」の引用は50〜51ページ。

181Boo:2009/10/17(土) 10:52:52 ID:DXlq9owoO
久しぶりの脚本『コント原始仏教ー釈尊と準預流』面白く読ませていただきました

四双八輩に準預流を加えて、四双九輩だったら準シュダオンさんの理屈に合うのかも。阿含経のどこかに在るかもしれないので、探してみるといいですよ、シュダオンさん。

きっとゲイカが何も考えないで言い出したんでしょうか?それを鵜呑みにするから、こんな基本的なところで躓くんでしょうね〜。準シュダオンさんは仏教事典を鵜呑みにしない慎重さがありながら、グモンジ脳梗塞の言は鵜呑みにする、というバランス感覚の崩れた状態で在ることを証明する事例を残した訳ですね。

182Boo:2009/10/17(土) 11:13:13 ID:DXlq9owoO
170さんにお尋ねしたいのですが、テーラワーダの餓鬼霊障と阿含経との整合性はどのように考えておられますか?つまり、誰も死者を成仏させれないという釈尊の言との整合ですね。

他の批判サイドの方のお考えも出来ればお聞きしたいですね。

183準シュダオン:2009/10/17(土) 13:21:30 ID:P9JinFks0
四向四果は阿含仏教の基本ですから、預流向を凡夫に区分するか聖者に区分
するかは重要な問題です。ここを間違えたら、他のことだって間違うでしょう。
現に、ここを間違えてるから、深山さんやユビキタスさんは管長の教えを間違え
て受け取っているのです。預流向の解釈について、私に抵抗するだけ、哀れみを
感じざるを得ませんね。

再度、釈迦の四向四果を説明します。
凡夫→預流果→斯陀含果→阿那含果→阿羅漢(仏)という順で成仏するのです。
凡夫から阿羅漢まで→が四個↑あるでしょう。この四本の→のところに「向」
が入るのです。預流向、斯陀含向、阿那含向、阿羅漢向、の四っつです。
預流向は煩悩を断っていないので、凡夫に属するのです。

阿含経のどこかで、釈迦が預流向を煩悩を断った存在と説いているならば、
管長の説は誤っていることになります、が、釈迦はそんなこと説いていません。
釈迦が預流向を煩悩を断った存在だと説いてる経がありますか?
そんな経はない。だから、預流向を聖者と位置付けたアビダルマ論師の説は、
間違いなのです。

184準シュダオン:2009/10/17(土) 13:36:08 ID:P9JinFks0
預流向を聖者に区分している本があるからといって、それをそのまま信じるのは
理解が浅いです。それが妥当かどうか批判できる智慧が欲しいですね。
凡夫と聖者の違いは、煩悩を断ってるか否かの違い、ということを理解でき
るであろうか?

それが理解出来たら、預流向は煩悩を断ってるか否か、を考察すればすぐに
結論が出よう。三結煩悩を断たない限り、煩悩を断ったことにはならない
のです。だから釈迦は、三結煩悩をワンセットにして説いています。
この三結煩悩を断たないかぎり、いつ仏道を捨てて釈迦の悪口を言う者に
なるかわからない、のです。それが預流向という煩悩を持った存在です。

釈迦が四双八輩を福田と呼んだからといって、預流向を聖者だと思うのは
間違いです。そりゃ、四向四果をひとまとめにして、聖者衆か凡夫衆か?
と釈迦に問うならば、聖者衆とこたえるでしょうよ。それだけのことです。

185ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 13:36:20 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオン流・聖者の定義

一結煩悩も断てない→凡夫
一結煩悩断って九結煩悩残し→凡夫
二結煩悩断って八結煩悩残し→凡夫
三結煩悩断って七結煩悩残し→聖者

186ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 13:38:06 ID:SmEF4Oe2O
>>184
だから聖者衆なんですよ。

187ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 13:40:00 ID:SmEF4Oe2O
>>184
お釈迦様の経典を読んでも信じるな。

188ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 13:47:23 ID:SmEF4Oe2O
「三結煩悩断って預流果のシュダオンになりました。もう聖者だかんね」
「間違った認識を改め申したるか?」
「改め申したり!」
「然らば聖者の山に入山召されよ」
「でもわかっちゃいるけどやめられないんすよ。悪いとわかっていても万引き
するかもしれんし、憎いと思ったら殺しちゃうかもしれんし」
「それじゃ駄目じゃん」

189ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 13:54:38 ID:SmEF4Oe2O
刑獄の因縁は間違った道理を改めさせ、法律や道徳を教育しさえすれば
切れるということになりますぞ。
三結断った預流果が聖者ならば。
桐山さん危うし!
刑獄の因縁の切れない聖者とは・・?

190準シュダオン:2009/10/17(土) 14:00:39 ID:P9JinFks0
くどいようだが、肝心なことなので何度もレスします。ここを理解できない
限りは、また道を、間違うしかないのです。

「預流果を目指して修行をしている凡夫を、預流向と呼ぶのです」
凡夫が修行して預流向という境界を獲得するのではありません。
ここ↑を何度も読んで、理解してごらんなさい。
私だとて、批判派のいう預流向を聖者とする考え方の立場にたって、しばし
考えてみたのですよ。その結果、矛盾があるので、間違いを指摘しているのです。
我見を捨てるとはそういうことでしょう、まず相手の立場になって考えて見る、
それが大事ですよ。

釈迦の信者になったら第一日目から、釈迦の話を聞いたら「聞」という預流向
の修行になっているのです。釈迦のお話も常に無駄なく、新米の修行者に対
してもいつでも解脱へ向けた講義になっているのですからね。
阿含経を読むとそのことがよくわかります。
管長が「人間改造の原理と方法」に書いてる、預流果と預流については、
意識的に、預流向から「向」をとって、預流を聖者としたのです。

191深山:2009/10/17(土) 14:53:49 ID:B3hNJmOk0
>>168 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 02:00:45 ID:3vBOOBXo0
>その際に使い込んでいる錫杖は金メッキな部分は一切無く、金粉など発生しません。

錫杖金粉ではないかと疑った目で観察していたのでしょうか。
また道場のような薄暗いところで調べても無理です。
錫杖金粉を疑った信者が、明るい部屋で浄霊をした時、
観察していると、錫杖を降り始めると同時に光るダストが
一斉に空中を漂うのを見たと言っていました。
その部屋にはピアノがあったので、見事、黒いピアノの上に
金粉が現形して、皆さん大喜びしたそうです。
ピアノだけでなく、実は部屋のあちらこちら飛び散っていた。
薄暗い道場の中ではそれが見えない。
金属だから、すぐに落ちてしまうなんて思うのは間違いです。
細かい金属粉は長時間空中に浮遊します。
つまり、着替えをした後の衣服についてもおかしくない。
また、浄霊をしている人たちに警告するなら、
それらの金属粉を肺に吸い込むのはとても危険です。
シンチュウは酸化するから石綿ほどの害はないだろうが、
肺に金属粉が入り込んで付着して身体に良いことは一つもありません。
原因不明の金属アレルギーなどをおこすおそれがある。

192170:2009/10/17(土) 14:55:02 ID:KL/3ExWQ0
>>182
整合性は取れていると理解しています。

釈尊が説いた死者成仏否定の経典は、相応部経典42・6の西地人にある
石・油と水の例えによる説明になろうかと思います。

この経典では、あるバラモンが地獄に堕ちた死者でも祈祷や供養で
天界へ送り届けることができるとしていますが、
釈尊は、悪業を犯して地獄へ堕ちた者は救われないことを述べています。

ただ注意して読むと、地獄に堕ちた死者を天界へ往生させることはできないとあります。

#ここに一人のひとがあって、人を殺し、物を盗み、偽りを語るなど、
 あらゆる邪まの行為をなしたとするがよい。

#あらゆる邪悪の行為をつんできたものが

#あらゆる邪悪の業をつんできたものが、いかに祈祷し合掌したからとて、
 死後、天界におもむく道理はない。
 その人は、身壊れ、命終わりて後は、悪趣地獄に生まれるほかはないのである。

とあり、同じ死者でも地獄の墜ちた者への言及と考えられます。

テーラワーダの説も、地獄に墜ちた者は救済できないけれども、
餓鬼界に墜ちている場合は救済できる「場合がある」としています。
(救済できない餓鬼亡者もあるとのこと)
釈尊は、餓鬼界に墜ちた者への言及はされていませんので今後の検証が必要と思いますが、
現時点では相応部経典42・6と、施餓鬼供養は矛盾せず、整合性は取れていると理解しています。

しかし死後の世界を見たことはありませんので、
本当に正しいのかどうかは確認のしようがありません。

しかし大事なことは、仮に施餓鬼供養が成立するといっても、
桐山氏の死者供養・先祖供養は、相応部(四二・六)のバラモンと同じことになります。
地獄に堕ちた者も救済できるとするのは釈尊のお考えと異なります。

193深山:2009/10/17(土) 14:55:35 ID:B3hNJmOk0
>>168 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 02:00:45 ID:3vBOOBXo0
>メッキが剥れたね、と会員同士で会話も出るというものです。

金粉はメッキから出るのではありません。
錫杖はメッキはされていません。
シンチュウは金属としては加工しやすい材料です。
銅ほどの粘りもなく、鉄ほどの固さはない。
加工しやすいとは、剥離がおきてもおかしくないという意味です。
あんなふうに激しくたたくようにこすり合わせれば
剥離しないほうが不思議なくらいです。
あれで剥離しないなら、ドリルで穴なんか簡単に開けられない。
飛行機の墜落で有名になった金属疲労です。

194170:2009/10/17(土) 14:57:29 ID:KL/3ExWQ0
相応部経典42・6の西地人を過去ログより引用し一つにして掲載します。


>689 :名無しさん@3周年 :04/10/03 01:24:53 ID:gxpU7MIL

死者の成仏を否定した経典を「仏陀の伝記」(増谷文雄)から引用します。

またある時のこと、釈尊がナーランダー(那燗陀)の郊外なるパーヴァーリカン
バ(波婆離迦奄羅)という林にあったとき、アシバンダカプッタという村の長が、釈尊を訪れて来たこ
とがあった。彼は釈尊にむかって、このようなことを訊ねた。
「大徳よ、西の方より来たれる婆羅門は、水瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、火につかえて、死
せる人々を天界に至らしめることができるという。大徳は、世尊にましまし、応供にましまし、正等
覚者であらせられると聞くが、大徳もまた、人々の身壌れ命おわりてのち、よく善趣天界に上生せし
めることを得るであろうか」
かように問われた釈尊は、ここでもきっと慈眼に笑みをたたえていられたであろう。そして、いき
なり彼の質問をしりぞけるかわりに、静かにこのような問いを試みられたのであった。
「村の長よ。わたしの方からなんじに問うてみたいことがある。なんじの思うとおりに答えてみる
がよい。
村の長よ、こんな場合になんじはいかに思うであろうか。ここに一人のひとがあって、人を殺し、
物を盗み、偽りを語るなど、あらゆる邪まの行為をなしたとするがよい。さてその人が死んで、そこ
に大勢の人が集まってきて、――この人は死して後に善趣天界に生まれますように――と、祈祷し、
合掌したとするならば、なんじは如何に思うか、この人は大勢の人々の祈祷合掌の力によって、死し
てのち天界に生まれることができるであろうか」
「いいえ、大徳よ、その人は天界に生まれることはできますまい」

彼はそう答えるより他はなかった。釈尊はさらに、彼に問うて言った。
「村の長よ、また、かような場合には、なんじは如何に考えるであろうか。たとえば、ここに一人
のひとがあって、深い湖の水のなかに大きな石を投げ込んだとするがよい。そのとき、そこに大勢の
人々が集まってきて、――大石よ、浮かんでこい、浮かびあがって陸にのぼれ――と、湖のまわりを
めぐりながら、合掌し、祈祷したとするならば、その大きな石は、大勢の人々の合掌祈祷の力によっ
て、浮かび上がってくるであろうか」
「大徳よ、いいえ、その石が浮かんでくるはずはありません」
「それと同じことであろう。村の長よ、あらゆる邪悪の行為をつんできたものが、いかに祈祷した
からとて、合掌したからとて、死してのち天界におもむく道理はない。その人は、身壊れ命おわりて
のちは、悪趣地獄におもむくの外はないのである」
村の長の顔には、しだいに、釈尊の教えるところを、納得し確信する色がみえてきた。釈尊は、さ
らに、彼に対する問いを重ねた。
「では、村の長よ。さらに、かような場合には、如何に思うであろうか。たとえば、ここにまた一
人のひとがあって、生ける者を害さず、他人の物を盗まず、偽りのことばを語らず、あらゆる善き業
とをつんだとするがよい。さて、その人が死んで、そこに、大勢の人々が集まってきて、――この人は
死してのち、悪趣地獄に生まれますように。――と祈祷し合掌したとせば、どうであろうか。この人
は大勢の人々の祈藤合掌の力によって、死してのちは地獄に生まれなけれぼならぬであろうか」
「いいえ、大徳よ、そのような人が悪趣地獄に生まれる道理はありません」

そのように答える村の長の面には、もはや確信のほほえみすらも浮かんでいたであろう。だが、釈
尊は、さらに譬をもって、かさねて説いて言った。
「村の長よ、その通りである。たとえばここに一人のひとがあって、深い湖に油壷を投じたとする
がよい。すると、壷は破れて油は水の面に浮いたとする。その時、大勢の者が集まってきて、――油
よ沈め、油よ水の底にくだれ。――と祈りをなし、合掌して、湖のまわりを繞ったとするならば、な
んじはいかに思うか。その油は人々の祈祷合掌の力によって、水の底に沈んでゆくであろうか」
「いいえ、大徳よ、油が水の底に沈む道理はありません」
「それと同じことではないか。村の長よ、あらゆる正善の行為をつんできたものが、いかに祈った
からとて、合掌したからとて、その力によって悪趣地獄におもむく道理はないのであって、その人は、
身壊れ命終わりてのちにおいては、善趣天界に生をうくるであろうこと必定である」

195深山:2009/10/17(土) 14:58:33 ID:B3hNJmOk0
>>168 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 02:00:45 ID:3vBOOBXo0
>メッキが剥れたね、と会員同士で会話も出るというものです。

錫杖ならばどれでも金粉が出るとは言っていません。
重要なのは錫杖の個体差です。
私のいたことがある浄霊班では金粉は出ていません。
なぜなら、そこで使っている錫杖は別院から買ったものではなく、
どこかの仏具屋から買ったという見た目も高級感があり、
音もシャンシャンと軽いきれいな音がでる錫杖でした。
軽い音が出るということは、焼きがしっかりしており、堅いからです。
アゴン宗側は浄霊を始めて大量の錫杖を購入した。
当然、一番の安物です。
内陣の錫杖は、見た範囲では買った時期もバラバラなのか、何種類か混ざっていた。
錫杖は手作りです。
シンチュウが多いが、一口にシンチュウと言っても種類があります。
わずかしか売れない錫杖を規格を統一して、材料も一定にして造っているはずはなく、
おそらくアゴン宗が一括して購入した錫杖ですら、その都度、シンチュウの材質が
違っている可能性すらある。
なによりも手作りだから、焼き入れの度合いも違う。
安物は焼き入れがいい加減です。
つまり、材質と加工の違いから、個体差がかなりあるのです。
一部の浄霊班に金粉が多量に出て、他の浄霊班にまったく出ないことは
これだけでも説明がついてしまう。
つまり、ある時期に、焼きが甘く、剥離しやすいシンチュウで造られた錫杖を
購入した班は金粉が出たのです。

196Boo:2009/10/17(土) 14:59:44 ID:DXlq9owoO
だから、そのことが一番重要なのは準シュダオンさんなんですっってば。一番重要な人が間違った解釈をしているから、菩薩の遣いがあなたに正しい知識を認識させて上げてるの。批判側は菩薩行しているから何処から誰が聖者だなんてどうでもいい。でも準シュダオンさんは凡夫だから、そんな認識じゃ永久に聖者の流れに入れない。それじゃかわいそうだから仏界の釈尊が菩薩をこの世に遣わせて、此処のスレに降臨して、文章の中に『現形』しているの。それが見えないようじゃ、準シュダオンさんもまだまだじゃのう。ふぉふぉふぉふぉふぉ。

197深山:2009/10/17(土) 15:05:25 ID:B3hNJmOk0
>>168 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 02:00:45 ID:3vBOOBXo0
>しかも、ファミレスには錫杖は無いでしょう? というか、そこまで錫杖持ってゆく??

私は、太郎さんを含めて、いきなりこれを霊現象に結びつけるその感性が理解できない。
そんな奇妙な光景を見たら、まず現実的な原因を探るのが当たり前です。
だが、いきなりそれを霊現象に短絡する。
浄霊が終わった後でファミレスに行ったとすれば、前述のように、
浄霊班の人たちの衣服にたくさんの金属粉がついていたはずです。
あるいは、その席はまだその日は使われていなかったが、前日、工事をして、
その際、ドリルから出た金属片が散らばっており、店員は気が付かなかっただけなのかもしれない。
だから、太郎さんに、店員を呼んで文句を言うべきだったのではないかと書いたのです。
結局、原因を霊現象に短絡したまま、本当の理由を探るチャンスを失ってしまった。
だから、こういう「思い込んでいる人たちの目撃談」など役に立たない。
今でもまだモンゴルで、桐山ゲイカが祈りで雨を降らせたと本気で
信じている人たちが大勢いるのですよ。
参加した三百人のうち、250人ほどが体験記として、あれを奇蹟だと書いている。
ちょっと考えてみれば、すぐにネタバレする程度の内容なのに、
「奇蹟を目撃した」などと書いている。
冷静客観を求められる大学教授まで一緒になって騒いだ。
自分を疑う心を持たない人たちの体験談など役に立たないのです。

198深山:2009/10/17(土) 15:11:21 ID:B3hNJmOk0
>>168 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 02:00:45 ID:3vBOOBXo0
>しかも、ファミレスには錫杖は無いでしょう? というか、そこまで錫杖持ってゆく??

一部の浄霊班にだけ金粉が出る点をどう解釈しますか。
金粉が出ないのは心がけが間違っているから?
太郎さんの所の導師みたいに熱心で立派だから、仏が感応道交して
大量に金粉を降らせる?
それって、まじめに浄霊をしている人たちに失礼ですよね。
もし、そんな差があるのなら、感応道交するには
どうしたらいいか桐山ゲイカは指導するべきです。
だが、誰もその理由がわからない。
金粉が出る班や人が、何かとても偉い人たちだという話は聞いたことがない。
仏様が金粉を降らせている霊現象だなんて考える限り、説明がつかない。
また、大日さんが指摘しているように、波及効果という点もおかしい。
金粉が出て、だから、何なのさ、という点です。
そこから浄霊班の人たちが霊能力が覚醒したとか、
皆さんシュダオンになってしまったとか、何かあるなら、理由はどうあれ、
霊現象ともいえるだろうが、波及効果が何もない。
太郎さんの浄霊班の金粉導師さんが、百歳になってもまだ
ジョギングで身体を鍛えて、浄霊に励んでいるというなら金粉ジイちゃんと
誉めてあげるが、普通の年齢で亡くなったのでしょう。
では、金粉は何の意味があり、何の役に立ったのだ?
しかし、錫杖が造られる時の品質のばらつきから、剥離しやすい錫杖があると
考えれば、
これらは全部説明がつき、何の矛盾もおかしい点もなくなる。
現実的な説明のつく現象は霊現象で解釈する必要はありません。

199ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 18:44:41 ID:SmEF4Oe2O
>>190
では、預流果ならぬ預流向までもがどうして聖者にしてしまうのかというあなたの
疑問についてお答えしましょう。
こんなものは難しく考える必要はなく、普通に理解すればよいのです。
それは境涯の差こそあれ、等しく煩悩を克服しようとしているからです。
だから尊いのであり等しく聖者なんです。
これに敢えて区別ならぬ差別を加える方がおかしいのです。
五十歩百歩という言葉がありますね。
五十歩逃げた人間が百歩逃げた他人を笑うことはできないというものです。
これは悪い意味に使いますから逆に良い意味で考えるとよい。
百歩進んだ人間はまだ五十歩しか進んでいない人を笑うことはできない。
その五十歩の道はかつて自分も歩んできた道であり、いずれ彼も百歩まで進んでくる
人なんだから尊敬の眼差しで評価すべきなんです。
千里の道も一歩からという。一歩一歩をバカにしてはならんのです。
一歩があるから百歩がある。
だから阿羅漢果が百歩で預流果を三十歩とすると、三十歩に満たない奴等は
尊い歩みに至ってないと差別するのはおかしい。
五十歩百歩の理屈で預流向と預流果を論争させてみましょうか?
よるかちゃん「ふん、まだ三結煩悩すらも断ててない未熟者が。おまえなんか聖者でない」
よるこうくん「お?偉そうに。おまえだって有身見、疑、戒禁取だけ断っただけで
まだ諸々の煩悩の感情山々の未熟者には違いないではないか?」
しかし見方を変えるとこんな穏やかな会話になる。
よるこうくん「よるかちゃん、すごいなあ。三結煩悩断っちゃって。僕なんかまだ未熟者で」
よるかちゃん「そんなことないのよ。あなただって煩悩をなくすんだと志して
頑張っているじゃないの。その志と継続する努力が尊いのよ。あたしだって
たかだか三結の誤認識を捨てただけで、まだまだムカついたり、ムラムラと欲望が
起きたり未熟者を自覚するわ。五十歩百歩なんだからお互いに頑張りましょうよ」
これが聖者同士の会話です。
尚、預流向とは煩悩解脱を志して、その実践に励む人です。
お金を儲けたいとか、超能力を得ようとか、事故病気がないように好運をゲットしようとか
都合のよい煩悩を目的に信仰しようとする人は含みません。
そいつらこそ凡夫なんですよ。
ビク、ビクニ、ウバソク、ウバイであれ仏門に下り信仰と精進を誓う人はこんな
奴等はいない。
煩悩解脱の価値を認めて、頭で理解して入信して精進するのです。
ゆえに預流向なり。

200太郎:2009/10/17(土) 19:10:12 ID:p6OhJsmk0
皆さん、たくさんのレスをありがとうございます。
あまりに大量にいただき少し驚いています。

ただ大変ありがたいのですが、大量のためいきなり全部にレスすることができ
ません。
またたくさんご質問というかご指摘をいただいており、それに対しても全部レ
スしていきたいのですが、全ての細かいやり取りをさせていただいていると
それだけで終わってしまいまそうですので、大きそうな問題やできる所から順
にレスさせていただければと思います。

また仕事の合間のレスになってしまうため、週末などはその週にもよりますが
レスできないことが多いと思いますのでご容赦下さい。


それでは、ちょうど金粉のお話が直前にありましたのでまずこのお話を。

錫杖についてまず確認したいのですが、錫杖はどれも真鍮製ということで間違
いないのでしょうか。また、メッキではなく、材質そのものが表面から中身ま
で真鍮製ということでしょうか。
真鍮製だとすると、銅と亜鉛の合金で、一般的なものは銅65%、亜鉛35%です。
(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%8A%85

錫杖から出る粉にしては、大日如来さんがおっしゃっているように金メッキな
部分が無い錫杖でも出る時は出るし、また金粉が出来たての時には妙にきらき
らしており、錫杖の成分を確認したいと思っています。
どなたか判る方はいらっしゃるでしょうか。

私は金粉の話にしろ、解脱供養の話にしろ、写真に写った霊光の話にしろ、こ
ういう現象は世間的には超常現象だと言われますし、何よりも会員さんがこう
いう話から「本当に法力がある」「奇蹟だ」と感じる人が大半だと思いますの
で、まずはその辺から検証したいと考えて例を挙げた次第です。

私自身の考えについて誤解の無いように申し上げておきますと、私自身は阿含
宗については冷静に検証、判断したいと考えています。
猊下に対する問題については、批判派の方々に同意できる部分もありますし出
来ない部分もあります。
これはこれで重要なことでもありますので、それはまた順番にやり取りさせて
いただきたいと考えています。

(今週末はこの後また週明けまで離れてしまう予定ですのでご了承下さい。)

201ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/17(土) 19:19:30 ID:SmEF4Oe2O
>>190
いかがですか?>>199を読んで、そのニュアンスだけでもつかめましたか?
あなたは聖者を何か特別な権威あるものと思っている。
その権威で拝む人にも功徳を分け与えられるような特別な存在だと認識している。
その聖者認識が間違いなんですよ。
だから預流向ごときをなんで聖者と呼ぶかがわからない。
正しい方向に等しく努力する人は皆尊い聖者なんです。
預流果とは一来向の始まりであり、一来果は不還向の始まりであり、不還果は
阿羅漢向の始まりです。全ては連続してつながっている。
預流向は阿羅漢向の一部でもあるわけです。尊くないはずがない。
それから預流果、すなわち三結煩悩を断った人って、どういう人なのか想像つきますか?
それ以前に三結煩悩の内容を再度調べてください。
有身見、疑、戒禁取。単語の羅列だけでなくその意味をもね。
これらは全て間違った認識です。
だから教えを聞いて理解して受け入れるだけでよいのです。
特別な修行も瞑想も必要ありません。
そんなことはないだろ?と滝行を始めたり、パール瞑想法だの般若心経瞑想法だの
始めたら、はい、アウトです。
あなたは戒禁取に陥りました。
まだ疑惑しますか?
だから三結煩悩を断った人は、実は頭で正しく理解をして間違った認識を捨てた
だけの人なんだから、普通に怒りや欲望などの煩悩はまだ克服できないまま
残っているんですよ。
しかし、それでも彼を聖者の流れに入ったと尊ぶのです。
それを桐山さんみたいに、浄められた聖者だから青いオーラが漂うとか・・・
いやはや、無知なるものは真にお笑いですねぇw
はっきり言いましょう。三結煩悩をなくして預流果を得ることは簡単です。
預流向すっとばしてでも得られる。
しかし断言する。
あなた方アゴン宗徒はその簡単に離れられるはずの三結煩悩を後生大事に抱え、
煩悩を本尊とし、修行法とするのだから、一生預流果などにはなれない。
預流向の道すら歩んでいない。

202大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:11:08 ID:/Gx32FKA0
>>191 深山:2009/10/17(土) 14:53:49 ID:B3hNJmOk0

>錫杖金粉ではないかと疑った目で観察していたのでしょうか。
また道場のような薄暗いところで調べても無理です。
錫杖金粉を疑った信者が、明るい部屋で浄霊をした時、
観察していると、錫杖を降り始めると同時に光るダストが
一斉に空中を漂うのを見たと言っていました。
その部屋にはピアノがあったので、見事、黒いピアノの上に
金粉が現形して、皆さん大喜びしたそうです。
ピアノだけでなく、実は部屋のあちらこちら飛び散っていた。
薄暗い道場の中ではそれが見えない。
金属だから、すぐに落ちてしまうなんて思うのは間違いです。
細かい金属粉は長時間空中に浮遊します。
つまり、着替えをした後の衣服についてもおかしくない。
また、浄霊をしている人たちに警告するなら、
それらの金属粉を肺に吸い込むのはとても危険です。
シンチュウは酸化するから石綿ほどの害はないだろうが、
肺に金属粉が入り込んで付着して身体に良いことは一つもありません。
原因不明の金属アレルギーなどをおこすおそれがある。


薄暗い?私はちゃんと明るい場所か明るい蛍光灯の差す箇所での作業を行っていますよ。
道場内どこかの薄暗い部屋での処理ならそうかといえますが、私のやったときは昼間だし、
夕方であってもまだ15時頃で暗くはないし、そういうことは無いです。
また道場は人が少ないので外陣の所でもやっていたので暗い場所での作業は一切ありません。

>錫杖金粉を疑った信者が、明るい部屋で浄霊をした時、
観察していると、錫杖を降り始めると同時に光るダストが
一斉に空中を漂うのを見たと言っていました。

見たと言っている、ということは深山さんは実際確認をした、というわけではないのですね?
この文章だと、まるで信者の誰かが言っていた、と取れる文章です。

またこの意見文章の中に申されている衣服に付く、というのはわかりますが、では大量に
金粉が出たときの説明はどう説明されますでしょうか?
そんな誰もがわかるような大量のものが出たのなら、錫杖が異常に磨耗していることになり
長年使っていればあの輪の部分なども切れてしまう事だってあるでしょう。
まあ、切れないにしても切れてしまいそうだ、と言う位くらいの剥離がなければそんなに金粉
など発生するはずが無い、と考えます。

203大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:11:49 ID:/Gx32FKA0

>>193 深山:2009/10/17(土) 14:55:35 ID:B3hNJmOk0

>金粉はメッキから出るのではありません。
錫杖はメッキはされていません。
シンチュウは金属としては加工しやすい材料です。
銅ほどの粘りもなく、鉄ほどの固さはない。
加工しやすいとは、剥離がおきてもおかしくないという意味です。
あんなふうに激しくたたくようにこすり合わせれば
剥離しないほうが不思議なくらいです。
あれで剥離しないなら、ドリルで穴なんか簡単に開けられない。
飛行機の墜落で有名になった金属疲労です。

これは失礼しました。メッキは訂正します。
ですが、剥離がそうそうおきるものですか?
そんなに剥離が起きるのなら、修法後道場に帰ってきたら道具を磨き整理するときに
わかるはずだと私は言いたいのです。
剥離するほどのものが起きているのなら、道具を磨くときに布で拭いたり触るのだから
気が付かないはずが無いのです。

204大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:12:27 ID:/Gx32FKA0

>>195 深山:2009/10/17(土) 14:58:33 ID:B3hNJmOk0

>錫杖ならばどれでも金粉が出るとは言っていません。
重要なのは錫杖の個体差です。
私のいたことがある浄霊班では金粉は出ていません。
なぜなら、そこで使っている錫杖は別院から買ったものではなく、
どこかの仏具屋から買ったという見た目も高級感があり、
音もシャンシャンと軽いきれいな音がでる錫杖でした。
軽い音が出るということは、焼きがしっかりしており、堅いからです。
アゴン宗側は浄霊を始めて大量の錫杖を購入した。
当然、一番の安物です。
内陣の錫杖は、見た範囲では買った時期もバラバラなのか、何種類か混ざっていた。
錫杖は手作りです。
シンチュウが多いが、一口にシンチュウと言っても種類があります。
わずかしか売れない錫杖を規格を統一して、材料も一定にして造っているはずはなく、
おそらくアゴン宗が一括して購入した錫杖ですら、その都度、シンチュウの材質が
違っている可能性すらある。
なによりも手作りだから、焼き入れの度合いも違う。
安物は焼き入れがいい加減です。
つまり、材質と加工の違いから、個体差がかなりあるのです。
一部の浄霊班に金粉が多量に出て、他の浄霊班にまったく出ないことは
これだけでも説明がついてしまう。
つまり、ある時期に、焼きが甘く、剥離しやすいシンチュウで造られた錫杖を
購入した班は金粉が出たのです。

ほとんど同意なのですが、おかしな点が。
まず、「錫杖ならばどれでも金粉が出るとは言っていません。重要なのは錫杖の個体差です」
というのと「つまり、ある時期に、焼きが甘く、剥離しやすいシンチュウで造られた錫杖を
購入した班は金粉が出たのです」は異議を申します。

深山さんが言われるように例えば関東別院などの大きな道場ではそういうことは納得です。
しかしながら、私の居た地区では地方道場なので、使う道具は一定で決まっており、尚且つ
屋敷浄霊用のケースに入っていて、屋敷浄霊が行われた最初から使われていた法具(道具)です。
つまり屋敷浄霊専用の錫杖であり、私が前に言った勤行会には使われていないのです。
ですので、皆錫杖に個体差はあっても深山さんが言われるような磨耗や剥離は見当たらないし、
実際同じ道具でやるのに金粉が降る家もあれば降らない家も有る。
そうなると深山さんのおっしゃる論は一部成立しないことになります。

尚且つ私の地区では金粉を常時降らせるような導師はおりません。
ですが、ほとんど降らせない普通の?導師であっても、極稀に降ったという事実も有ります。

205大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:13:43 ID:/Gx32FKA0


>>197 深山:2009/10/17(土) 15:05:25 ID:B3hNJmOk0

>私は、太郎さんを含めて、いきなりこれを霊現象に結びつけるその感性が理解できない。
そんな奇妙な光景を見たら、まず現実的な原因を探るのが当たり前です。
だが、いきなりそれを霊現象に短絡する。
浄霊が終わった後でファミレスに行ったとすれば、前述のように、
浄霊班の人たちの衣服にたくさんの金属粉がついていたはずです。
あるいは、その席はまだその日は使われていなかったが、前日、工事をして、
その際、ドリルから出た金属片が散らばっており、店員は気が付かなかっただけなのかもしれない。
だから、太郎さんに、店員を呼んで文句を言うべきだったのではないかと書いたのです。
結局、原因を霊現象に短絡したまま、本当の理由を探るチャンスを失ってしまった。
だから、こういう「思い込んでいる人たちの目撃談」など役に立たない。
今でもまだモンゴルで、桐山ゲイカが祈りで雨を降らせたと本気で
信じている人たちが大勢いるのですよ。
参加した三百人のうち、250人ほどが体験記として、あれを奇蹟だと書いている。
ちょっと考えてみれば、すぐにネタバレする程度の内容なのに、
「奇蹟を目撃した」などと書いている。
冷静客観を求められる大学教授まで一緒になって騒いだ。
自分を疑う心を持たない人たちの体験談など役に立たないのです。

霊現象に結びつける、というのはどうか、というのは私も同意です。しかし、思うのですが
その金粉を分析機関に分析してもらえばいいのでしょうけどね。(お金はかかるが)
でも、誰もそれをやった人は居ないですね。

あと、ファミレスの件は深山さんの言うとおり冷静に分析し事実確認をするのがいいのでしょう
が、一つ疑問が。(続く)

206大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:15:07 ID:/Gx32FKA0
(続き)

屋敷浄霊には法衣を着てやりますよね? で、終わってファミレスには私服で行くわけですよね?
つまり、法衣のままファミレス行くのなら深山さんの説は理解できますが、では着替えて私服で
行ったファミレスに金粉が出たか?しかも大量に??
そうなると深山さんの申すとおり「前日、工事をして、その際、ドリルから出た金属片が散らば
っており、店員は気が付かなかっただけなのかもしれない」とは思います。

しかし、そのテーブルに行った時間が開店間もない時に座った、とか、太郎さんたちが行くまで
誰もそのテーブルに他のお客さんが座らなかったのか?という疑問も出ます。
つまり、太郎さんたちが行ったのが午後であって誰かお客さんが座って食事をしたら、お帰りに
なったら必ずテーブルを拭く、などの行為が出るので、金粉がおもむろに出現するというのは
確かに説明が出来ない現象です。しかも、かなりの量があった、と太郎さんは述べている。

それだけの大量の金粉をどうやって持っていくのか? また、ファミレスの工事説にしても
想定は出来るが、論の成立とまでは行かない。だから「不思議ですねえ」でしかない。
なので今更言っても仕方ないが、金粉を持ち帰って成分分析するか、店員に言ってみるのは
必要だったのかと思いますね。
(勿論金粉だらけなのだから、店員にテーブルを拭いてもらったかもしれないが)

ただ、どんなことを言っても金粉はまるで手品のようだと私は思います。
金粉=錫杖説で仮に無い事だとしても、不可解な現象であっても、それは縁起物程度の産物で
しかないのが現状です。

金粉が降ったからその家で物凄いことが起こったという話は聞かないし、また私の前に申した
金粉が降った家の人の中には障害のあるお子さんが居られるそうだが、その子が例えば急に
健常者になったとか、宝くじが当たったとかそういうことも無い。
ただ、起きたのは金粉が降った、という奇蹟?のような事実だけ。

そういう事実をけなすわけではないが、「そうですか〜」以上のものはないのです。
信者として見れば醒めた言葉のように感じるかもしれないが、奇妙な現象が起きた、それだけです。

深山さんの申すとおり、霊現象とするのはいかがかと。これは奇怪・不可思議現象です。
名称が違うだけだろう、といわれればそれまでですが、霊現象というのは解脱供養などの体験談に
見られるようなものなどです。私もそういう傾向があったから確かに”一緒くた”はいけない。
霊現象や奇蹟、とみられる様々な現象は数あるながら、それがどのようにあったとしても阿含宗
及びゲイカの力、本尊の力、としてしまうのは注意しなければいけないと思います。

207深山:2009/10/17(土) 22:25:42 ID:B3hNJmOk0
>>202 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:11:08 ID:/Gx32FKA0
>薄暗い?私はちゃんと明るい場所か明るい蛍光灯の差す箇所での作業を行っていますよ。

蛍光灯ということは、蛍光灯をつけて明るくした程度ですよね。
その程度では、錫杖からの金属片が空中に散乱していても見えません。
人間の目は明るさに応じて調整しますから、物理的な明るさとは違います。
太陽光が部屋に入ると、光に沿って道筋ができることがあります。
あれは空気中にあるホコリが太陽光に当たって反射しているからです。
逆に言うなら、空中に散乱しているホコリが見えるのには、
部屋の中にいて、しかも太陽光くらいの強い光が必要です。
私が紹介した浄霊の話も、太陽が差し込んでいたから見えたのです。
これは私の体験ではありません。
ただし、錫杖から金粉が出ることは、私も金粉錫杖を借りて実験しました。
他にも私のファミリーでは数人が確認しています。
だから、金粉が出る錫杖と出ない錫杖があることを知っているのです。
浄霊班のチーフは、「金粉の出やすい錫杖を作り売ろうか」などと笑っていました。

208深山:2009/10/17(土) 22:30:16 ID:B3hNJmOk0
>202 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:11:08 ID:/Gx32FKA0

大日さんの体験を私は具体的に知っているわけではないから、
これ以上の議論は無意味でしょう。
ただ、大量に金粉が出現したという話を聞いた時、私は一つ疑いを持ちました。
誰かがインチキをしたのではないかという疑いです。
「信者仲間を疑うとはなんだ」と大日さんは怒るかもしれないが、
実は私の苦い体験でもあるのです。
私のファミリーで盗難が発生したことがあります。
盗まれた物や場所からして、ファミリーで活動している特定の誰かです。
チーフと二人で、いったい誰なのかと、あれこれ考えたが、
もちろん、全員がまじめで、無償で労力やお金を提供している人たちですから、
仏様の前で泥棒などするはずがない。
仲間を疑いたくもないという気持ちも手伝って、私は見当もつきませんでした。
ずっと後になって、ちょっとしたことから、犯人がわかりました。
本人の名誉のために言うなら、本人は最後まで否定していたそうです。
その人は泥棒の被害者でもあったから、「え、まさか、なんで、あの人が」と私は驚きました。
私が一度も疑ったことにない人でした。(笑)
しかし、状況証拠からはたしかにその人以外にはありえない。
また、その人なら、過去の盗難のいくつかは説明がついてしまう。
信仰心も篤く、修行に熱心だったあの人が、陰で、仏様の目の前で
他人の物を盗んでいたかと思うと、そのことが私はショックでした。
同時に、一つ気が付かされたのは、表面ではきわめて良識的で、マジメに見えても、
こういうことをする人もいるということ、また自分は他人の表面しか
知らないのだということです。

209深山:2009/10/17(土) 22:35:53 ID:B3hNJmOk0
>202 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:11:08 ID:/Gx32FKA0

振り返ってみれば、我らが胃大な御大将はインチキと嘘の名人です。
私は桐山さんの顔を見て、この人がこれほどの嘘デタラメを平気でする
人には見えませんでした。
むしろ、彼の言葉通り、殺されてもシャカを世に出すのだという
求道者然とした姿に見えました。
だが、現実の彼は嘘の塊で、本当の部分がほとんどない。
しかも、念力の護摩、モンゴルの奇蹟など自分から積極的に仕掛けを作り、他人を騙した。
今こうやって彼の化けの皮をはがしてしまうと、
世の中には清々とした顔をしてインチキデタラメを繰り返し、
嘘をつくことになんの良心の呵責もない人がいるのだということと、
いかに、自分が人を見抜く目がないかということがわかります。
信者時代、やはり嘘を堂々と言う信者がいて、あまりに堂々と言うので、
何度か私は騙されたことがあります。
私はアゴン宗でのこの手痛い経験から、他人の霊的な経験なども簡単には
信じないことにしているのです。

210深山:2009/10/17(土) 22:41:21 ID:B3hNJmOk0
>202 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:11:08 ID:/Gx32FKA0

奇蹟や霊現象と断定する前に、まず現実的な解釈で説明がつかないのか、
とにかく検討する。
たとえば、金粉は誰がどんなふうにいつ発見したのか、どうして他人は
それまで気が付かなかったのか、まず状況をきちんと把握しないといけない。
仮に、その中にたった一人ゴマカシをしようとする者がいれば、
どんな体験談も無意味です。
プールいっぱいの水に、一滴だけ毒物を流せば、全体の水が汚染される。
金粉がたくさん残っているのなら、それは何なのかをまず顕微鏡などで詳しく調べ、
水やアルコールに溶けないか、火をつけたらどうなるか、
あるいは業者に頼んで質量分析をするべきです。
本物の金なら、田中金属に持ち込めば、無料で質量分析をしてくれます。
だが、アゴン宗でこういう検証をしたという話は聞いたことがない。
奇蹟だと叫んでいるだけです。
たいていは伝承であり、その多くは、疑っている人たちの伝承ではなく、
信じたい人や信じている人たちの伝承です。
モンゴルの奇蹟も、参会者たちは「私はこの目で見て、体験したのだ」と
断固とした自信をもって言っており、彼らは嘘つきではない。
だが、あれは桐山さんの錯覚を利用したカラクリです。
自分の目で見て体験したと言っても、いかにあてならないかという見本です。

211深山:2009/10/17(土) 22:45:56 ID:B3hNJmOk0
>202 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:11:08 ID:/Gx32FKA0

世界的に有名な物質化現象を示したのがサイババです。
手のひらをクルクルと回すと、ビブーティという灰が出現して、
それを信者にぱらぱらと配ってみせた。
だが、後にこれが手品であることがわかった。
あんな大勢の前では無理だろうと素人は思うが、手品だった。
手品としてばれたことよりも、私は周囲の人たちの反応がおもしろかった。
日本でも著名人の中にサイババの力を信じている人たちがいて、
サイババの手のひらから仏像がニョキニョキと生えてくるのを見たという証言まであった。
サイババの肖像画からアムリタという液体がとめどもなく物質化して流れ出てくるなど、
ちょうどアゴン宗の浄霊での奇蹟話のように、信者による奇蹟の証言があった。
だが、サイババがただの手品師なら、信者や周囲の人たちの奇蹟談は
あれはなんだったのかということになる。
サイババの嘘とは関係なしに、奇蹟が起きていたのですか。
違うと思う。
サイババの手品は彼の単独犯ではなく、周囲にいる小学生などが
サイババにチョークのようなものを手渡しているのが撮影されていた。
つまり、「少数の嘘つき」がいると、それに惑わされ、同調する「嘘つきでない多数」がいて、
世界的に有名なインチキ奇蹟が出来上がっていったのです。
プールいっぱいの水を濁すのにはたった一滴の毒物で十分なのです。

212深山:2009/10/17(土) 22:48:41 ID:B3hNJmOk0
>202 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/17(土) 20:11:08 ID:/Gx32FKA0

サイババの件は、自分が直接関係なかっただけに、興味深くテレビや本を見ていました。
そして、とても参考になった。
なぜなら、金粉の件にしても、サイババの奇蹟とそっくりです。
教祖が奇蹟的な力を持っていると自称し、それに合わせるかのように、
信者たちは奇蹟を体験した。
サイババの信者や信奉者たちの大多数は嘘つきではない。
だが、サイババと周囲や、信者のほんのわずかに嘘つきや妄想癖の
人たちがいて、奇蹟話の核となり、嘘をつかない大多数の人たちを巻き込んだ。
同様に、モンゴルの奇蹟を証言した人たちは全員が嘘つきではありません。
だが、言っていることは嘘です。
たった一人の桐山さんという嘘つきに巻き込まれて、全員がインチキ奇蹟の証言者になっている。
金粉現形の話も、霊的現象だと決断する前に、誰かが嘘をついていないか、
インチキをやっていないかと、一度は疑ってみたほうがいいのです。
現実的な解釈で説明がつかない時は、大日さんは霊現象と判断している。
だが、私は、宗教詐欺師に騙された痛い体験から、情報が足りないことを理由に保留です。

213深山:2009/10/17(土) 22:58:39 ID:B3hNJmOk0
>>200 :太郎:2009/10/17(土) 19:10:12 ID:p6OhJsmk0
>錫杖についてまず確認したいのですが、錫杖はどれも真鍮製ということで間違
>いないのでしょうか。また、メッキではなく、材質そのものが表面から中身ま
>で真鍮製ということでしょうか。

市販されている錫杖は全部がシンチュウではありませんが、
安物はたいていシンチュウです。
錫杖だけでなく、金属製の仏具の多くシンチュウがよく使われます。
四度加行で使う独古、三古、五古などの前具や一面器の大半はシンチュウです。
今回の法施のランバン加持用の二器もシンチュウでしょう。
材料費が安く、加工がしやすく、重さがあって、磨けば金色になるからです。
関東別院で販売されていた錫杖はシンチュウです。
もちろん、表面も中身もシンチュウです。
剥離した破片がキラキラ光るのは当然で、シンチュウは酸化しなければ金色です。

214干柿:2009/10/17(土) 23:02:11 ID:BBtat4sE0
だから〜金粉がふった事実は不思議現象であって奇跡じゃありませんよ。
そういう形にあらわれるものを人はありがたがる習性がある。
それを利用して、と、まあ深山さんあたりはゲイカをかいかぶって宗教詐欺師
とまで評価していますが、私はゲイカも不思議現象にとりこまれてしまって
自分は天才的な聖者だと思い込んでしまったくちだと考えますね。
だから本人自身はまるで悪いことをしているという自覚なんぞありませんよ
だぶん大嘘こいて信者をだましていても、だましているとは思わないのでしょう。
俺の天才的な教えでみんな喜んでいる!と思っていますよw

215名無しさん:2009/10/17(土) 23:43:30 ID:ZYlJA01wO
大日さんはゲイカの嘘に気づいてからまだ日が浅い。

まだまだ不思議大好きの心癖は残るだろう。

霊的なものは否定しないが、物質にその影響を及ぼすとなると
その力はまさに 神 の域にある

それだけの力があるなら病気を直したりいろいろの奇跡を
起こせるだろう。 薬を買うお金で骨董品を買うようなものだと思いませんか?

金粉が降った だからなんなの?

216大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 06:51:06 ID:z7fe9/Ow0
>>212 深山 投稿日: 2009/10/17(土) 22:58:39 ID:B3hNJmOk0

>現実的な解釈で説明がつかない時は、大日さんは霊現象と判断している。

深山さんらしくないですね。私がいつ霊現象と判断しているという発言をしていますか?
奇怪・不可思議現象と言っているのですよ。超常現象と言ってもいい。
私は霊現象というのは別な種類の事だと書いていますが。
あなたがいつも私等に話を自分の脳内で勝手に変えるな、というのをそっくりお返ししますよ。
私は昔はそういう発言をしたが、今はあなた様方のお陰で霊現象とは区別できていますよ。
現形や金粉が振ったから霊現象? トンデモないですよ。あれは霊現象ではない。
深山さんの言うとおり何でも霊現象というのは、間違いであり、それには私も目を
覚ましておりますからね。

217大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 07:09:57 ID:CBz5sqWc0
>>207 深山:2009/10/17(土) 22:25:42 ID:B3hNJmOk0
>蛍光灯ということは、蛍光灯をつけて明るくした程度ですよね。

ならば、太陽光のあるかなり明るい場所での作業でなければ認めない、というように
取れるような表現ですね。蛍光灯の明かり程度では道具(錫杖)をしまう際の手入れに
錫杖が磨耗している様もわからない・気が付かないだろう、といわれている気さえします。
では、スポットライトでも当てて確認でもすれば、納得がいくのでしょうか?

>私が紹介した浄霊の話も、太陽が差し込んでいたから見えたのです。

では、実際金粉が降ったとしても、家での蛍光灯の明かりでは確認が出来かねるという
理屈になりはしませんか? 金粉が降ったというのをわかるためには視界が取れないような
暗さならわかるが、普段の生活をするのに支障ない明るさで発見されているのにそれが
太陽光云々というのは暴論ではないかと。

ミストのような金属粉の飛散は確かに深山さんが言われることは有ると私は思います。
しかし、発見された金粉の大きさは視力の劣っている人で無い限りは確認できる大きさ
なのですよ。それが明るいところでなければ、というのは理解できません。

また、ミストならびに微細な金粉が集まって有る程度の大きさになるとでも言うのでしょうか。
大きさはバラバラだろうという推測は出来ますが、ではそれが明るくなければわからない、と
いう代物なら私も相手にする現象ではない、となりますよ。

私の地区の降った金粉は2ミリは有るんです。そんな0・5ミリや0・3ミリの様なちいさな
微細の金片では無い。だから私は錫杖が破損してしまうだろう位の異常な磨り減りが見られる
だろう、と言う旨の発言をしたのです。

私が言うのは太陽光に照らさないとわからない埃のような金粉の事を指しているのではないのです。

218大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 07:39:52 ID:279JDZbk0
>>208 深山:2009/10/17(土) 22:30:16 ID:B3hNJmOk0

>「信者仲間を疑うとはなんだ」と大日さんは怒るかもしれないが、実は私の苦い体験でもあるのです。

いえ、それには同意です。実際私の地区でも数は少ないが色々な信者の悪い行為がありましたからね。
実際、破門になった方も居ます。(その方も私と交際のあった法友でした)
ですが、これがこと金粉を降らせるための仕込みをしているかどうかは、現行犯で無い限りわかりません。
ですが、もしかしたら故意にそういうことをしている人もいるかもしれませんよね。

>>209 深山:2009/10/17(土) 22:35:53 ID:B3hNJmOk0

こちらの意見には非常に同意です。それが理解できたから私も批判するようになった。
ただ、最後の一つだけを除いては。

>私はアゴン宗でのこの手痛い経験から、他人の霊的な経験なども簡単には
信じないことにしているのです。

私の場合は信じるとしてもそれは心情的なことに関してだけであって、では信じたからそれがA宗の
正当性につながる、主張となるというのは別です。つまり、俗な言い方をすれば体験者の言い分は
信じるが、それはそれ。A宗に付きまとう・存在する欺瞞や虚偽の数々は消えるとか、忘れるという
類のものではないし、またA宗は凄いんだ、正しいんだ、ということにはならない、という気持ちは
消えません。信者に起きた奇蹟や体験は「そうですか〜」であって、それ以外の何ものでもない。
せいぜい、「よかったね」という気持ちが起きることはある。

奇蹟などそれらがあったから「じゃあ、大日さんA宗の凄さを認めますよね?」といわれたらNo!
といいます。だからそれを端的に言ったのが「金粉が降った だからなんなの?」なのです。

追記して言うなら「現形した だからなんなの?」なんですよ。
私はA宗というものを20数年やってきて見て来た。矛盾の多い宗教だなあ、と思ってたら批判意見に
出合ってその疑問が解けた。ああ、これなら矛盾に悩むはずだ、と。
深山さんが申す「だが、現実の彼は嘘の塊で、本当の部分がほとんどない」に尽きるのです。
それが理解できたから私は退会した。

深山さんはご自身の体験や考えから「信じない」という姿勢は了解しました。
しかし、私は実際に起きた・体験した(された)方の現象は現象として「そうですかあ」と認めます。
ただ、それはそれとしてA宗の整合性や正当性とは別ですよ、ということなんです。

219大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 07:54:22 ID:SSf7LU0w0
>>210 深山:2009/10/17(土) 22:41:21 ID:B3hNJmOk0
>奇蹟や霊現象と断定する前に、まず現実的な解釈で説明がつかないのか、とにかく検討する。

これは本当に大事な事です。特に信仰をしていればいるほどこれが無ければいけないと思うが、
如何せんこれを行う人は皆無に近い。むしろやれたら詐欺宗教に騙されないでしょうね。

田中金属さんところに私は地方の人間なので出向けないが、そういう会社が有るのは助かります。
そういうプロに見てもらい、調べてはっきりさせることが一番ですね。
深山さん、情報ありがとうございます。

サイババのことをあげておられてこれも納得。私も最初からあの方は臭いな、と思ってました。
あんなダボダボな服など着ないで、むしろ裸に近い形でみんなの目の前で物質化させたら
信用も出来るが、怪しく手を動かしたり、人前に見せないで居る仕草は手品とおんなじ。
ブックオフや書店でサイババを推奨する本を見かけると、吐き気さえします。

>>213 私も無知でメッキと発言したのを反省。
あんな激しく振るものにメッキ加工したらすぐ剥げるし、意味がないですよね。
私も真鍮だというのを聞いてますので、#213は納得ですね。

220名無しさん:2009/10/18(日) 07:56:38 ID:C1A6cUmk0
屋敷浄霊の金粉現象について。
太郎さんのファミレスのことは別にして、屋敷浄霊中に金粉が降ることについて、
私のところでは「錫杖から出る」説で一件落着していました。
また他の原因も発見されていました。

浄霊が始まった頃、金粉が降るという話しを聞いて、浄霊班でもチェックしたところ確かに発生。
もうみんな大興奮でした。
その後、ほとんどの浄霊で金粉が出現していました。
金粉の出現に注意を払っていたのでわずかな金粉も見逃さないというのもあったでしょう。

しかし何年も経った頃、浄霊の練習中に金粉が話題になったとき、
浄霊班のあるメンバーが「錫杖から金粉が出ているのでは?」と言い、
「まさか」となったのですが、腰衣の上で錫杖を降ると、出るわ出るわ。

これで「錫杖=金粉説」が決定的となりました。
錫杖の輪と、これを通している柄の部分とが研磨され、非常に小さな金属片が飛散していたのでしょう。
非常に小さな金属片であっても、金色なので目に付きやすい。
改良服を着て錫杖を降ると、全身にびっしりという話しもありました。

ただ、全ての錫杖から金粉が出るかといえば、そうではなく、個体差がありました。
メッキを施した軽めの錫杖からは出ず、真鍮性の錫杖でしたね。

それから、浄霊をするのは大抵、仏間(和室)ですが、
仏間(和室)の壁は表面に金色や銀色をした砂状のものを塗布したのが多く、
これが剥がれ落ちていたものを金粉が出現したように錯覚したときもありました。
新築の家では特に落ちやすいのか、大量に発生したときもあります。
もちろん新築に限らず、壁の表面に金色や銀色の素材を塗布したお宅では、金粉の発生も多かったです。

「浄霊をすると金粉が降る」という思いこみが強いと、見るもの聞くもの、
あたかも本当に金粉が出現したかのように認識を誤るときがあります。

中には「浄霊をしたら五種香が降った」というもあって、これなど単に浄霊で使用する
五種香がこぼれたのでしょう。

221170:2009/10/18(日) 07:59:16 ID:C1A6cUmk0
>>220は170です

222大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 08:43:58 ID:lA2Z4Z.k0
>>220 170さんへ

なるほど、そのようなことがありましたか。
ただ、わからないことがあります。私の居た地区の信徒の冥徳墳墓の戒名をいただいた後に
金粉が出た件です。

この方は戒名をいただいただけで浄霊などの法要を行っていません。
ならば、錫杖=金粉説は成立しません。ただし、浄霊法要をやった際に金粉が出る、と
いうのはありえるとは思います。錫杖を使ってますからね。

また、自分が申したファミレスに対しての現象も成立はしない。
道場からしかも私服に付着して大量に移動したというのはありえない。
そこまで移動するなら信者同士の衣服に付いた金粉をファミレスに行くまでに
気が付くはずです。また、太郎さんの報告ではテーブルに出ていた、とある。
衣服からはがれてテーブルに落ちるのはわかるが、では衣服についていたのが
全くわからなかったというのも変であるし、しかもテーブルに集中して落ちるか?
というのもわからない点です。
まあ、当事者である太郎さんのコメントを待ちたいですが。

なので、170さんの道場での検証や事項に対しては「そうなのかあ」と思います。
私も退会する前に知ってたらチェックしてましたね、残念です。
ですが、だから170さんの申すことは嘘だというので無く、説明が付かない事項には
錫杖=金粉説は決定的だ、というのはさて・・・?と思います。
ですが、わけのわからん現象だで終わらせるつもりもないので有効な説明であると思っています。

223準シュダオン:2009/10/18(日) 10:35:05 ID:P9JinFks0
ユビキタスさんが、「煩悩を克服していなくても、克服しようと努力している
姿は尊いので、預流向も等しく聖者です」という考え方をするのは勝手です。
だが、阿含仏教でいうところの聖者と凡夫の区別は、はっきりしています。
煩悩まみれの者を凡夫と呼び、煩悩を断ったものが聖者なのです。

大乗の考え方になって、「煩悩即菩提」などという言い方も出てきたが、
四向四果で聖者を論じる場合は、阿含仏教の考え方で論じるのが筋でしょう。
こういう思い違いを、詭弁で乗り越えようとするような態度ですから、いくら
修行してもユビキタスさんには効果がなかったのでしょう。
ユビキタスさんの修行は、「果報の貪り修行」であったと、断定できますね。
それを批判派から、仏教とは欲を捨て煩悩を断つことだ、とまったく当たり前
のことを指摘されてビックリ仰転したんではないのW。情けないね。

224ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 10:51:49 ID:SmEF4Oe2O
金粉こそまさしくゲーコゲコな話題だね。
科学的合理的解釈を骨子の前提としながら、どうしても説明のつかない問題は
謎のままに不可思議現象とするも、結局それがなんなんだ?となるわけですね。
大日さんが書いているように金粉が出たはいいが、それが結局なんなんだ?
金粉ショーでも始めるのか?
それによって何かが向上するようなことがあったのか?
例えば大日さんは同じ錫杖を使いながらも金粉が出たり出なかったりと書いている。
この場合統計でもとってみると面白いですよね。
この法要はまさに天が感動の感応の印として金粉を降らせるごとき尊い内容だったのか
とか、この法要は割とどうでもよい法要だったのかとか、法則性でも拾えるならば
よいのですが、気まぐれに過ぎないなら、カエルにゲーコゲコと遊ばれるがごとき
他愛のないことです。
アゴン宗の場合、屋敷浄霊という場面のみならず、普段の道場の例祭の護摩とかでも
内陣でない参拝者席で尊いお護摩に感応されたのか金粉が舞った、畳に落ちていた
という話も聞かないではないか?
またガダルカナルとかイスラエルとかシベリアとか、アゴン宗が歴史的偉業と
自画自賛するような行事でも現地の参加者の服に金粉がこびりついていたなんて
話があってもよい。
しかしそんな話も聞かれない。
アゴン宗を離れて金粉現象というのは巷でもよくあるのですね。
顔とか手のひらから金粉のようなキラキラ光る粒子が出たとか。
金粉体質と言って、汗の一種でしょうが、キラキラ光る何かが分泌される。
アゴン宗の場合も一部こういうものもあるかも知らんが、しかしその場面を考えると
世間の金粉とは別に錫杖によるものが大きいと思われますね。

225ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 10:54:26 ID:SmEF4Oe2O
>>223
それを言うなら預流果だってまだ煩悩まみれですよ。
だってまだ頭で理解して承認しただけの段階ですから。
わかっちゃいるけど・・・の段階に過ぎない。桐山さんに言わせると。

226樹意:2009/10/18(日) 11:04:16 ID:tsllgqu20
 太郎さんへ 贈り物。

「比丘たちよ、なにをか一切となすのであろうか。それは、眼と色(物体)とである。
 耳と声とである。鼻と香とである。舌と味とである。身と蝕(感触)とである。
 意と法(観念)とである。びくたちよ、これらを名づけて一切というのである。
 比丘たちよ、もし人ありて、〈わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう〉
 と、そのように言うものがあったらば、それは、ただ言葉があるのみであって、
 他の人の問いに遭えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るであろう。 
 何故であろうか。比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからである。」

 相応部経典 35、23、一切 漢訳 雑阿含経 13、17、生聞一切
 増谷文雄氏訳 阿含経典。

 五蘊十二処十八界 三科の法門ですがこれはゲイカの表現を使うなら コペルニクス的
 見解です。 
 
 私はゲイカのオーラらしきものもみたことがありますし、オーブと思しきものが修行者の
 頭を出入りし、その後その方の物腰が変わったのも経験したことがあります、
 所謂テレパシーらしきものや他の方のオーラらしきものも一時期見えたことがあります、
 悩んでいるような方は頭の周りが黒かったりする。
 勤行でもお経のある部分が光ったりね、 

 またその反対の魔鏡とも呼べるものも体験したこともあります。
 アゴンを止めたのはこういった 霊的なものを客観的に判別してやめたわけでこういった
 批判文章で止めたわけではありません。
 
 判断材料はあくまでこの現実世界を基準にすべきです、ゲイカは本尊でもウソをついている
 僧籍やアジャリもウソ。 三供養品に関しては改竄までしている。
 こういった方がどういう現象を起こしたからといって価値があるとは想いません。

 それと浄霊金粉に関していえばゲイカは霊視で金粉であると呆話で述べている、真鍮を確認した
 がいるのだからそれに関してもウソがある。
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 それと成分分析をした方が誰もいないのだからこの件に関しては答えはでないということです。
 金でなかったらそれはそれでゲイカの呆話でウソがあったということ。

227ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 11:07:35 ID:SmEF4Oe2O
>>223
聖者に果報の見返りを求めてるのはアンタですがな。
福田の解釈一つ見てもわかる。
聖者を拝んでも自分に御利益の果報なんかないんですよ。
自分が彼らのように清らかな生活を実践するならば別ですが。
お坊様という表現がありますね。
最近では見かけない風景ですが、街を歩いていると、寒行なのかなんなのか
お坊様の集団が歩いていらっしゃる。
それもカラフルな袈裟を纏ったお偉いさんでもなく、黒い衣のまだ若い駆け出し
の小僧さんですね。
そんな小僧さんでも整然と隊列を組んで粛々と歩んでいると合掌も捧げたくなる。
この場合の合掌とは、自分にも何かくれというおねだりでなく、ああ、ご苦労様、
欲望を捨てて修行に打ち込む姿が尊く見えるからねぎらいの合掌をするのです。
聖者を崇めるとはこれに近いのですよ。
だから結果もさることながら、現在進行形で修行している姿が尊いという意味での
聖者ですよ。

228ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 11:24:41 ID:SmEF4Oe2O
>>217
横レスですが、太陽光の中でないとなかなか確認できないのは空気中にただよう
金粉含む埃の舞いですね。
部屋の中では四六時中目に見えぬほこりが舞っているはずなんですが、
それを肉眼で確認できるのは午前中に窓でも開けて太陽光の射し込む中で掃除を
したりする時とか限られている。
一方、床や棚のへりなどに落ちた金粉なんてのは蛍光灯レベルで十分確認できます。
深山さんが書いているのは、このまだ空中浮遊中の金粉の件ですよ。
やがて時間差をおいて床に落ちる。

229準シュダオン:2009/10/18(日) 15:17:55 ID:P9JinFks0
預流果は須陀?と称し、三結煩悩を断った存在なので、ここから聖者の
仲間と阿含仏教では定義するのです。だから須陀?を、預流(聖者の流
れに入るという意味)とか、入流との別名に意訳してるのです。
預流向とは、聖者の流れに向かう者、という意味であって、聖者になった
という意味ではありません。それが阿含仏教での聖者の定義です。
ユビキタスさんみたいに、現代の考え方での聖者論に、議論をすり替えら
れては議論にならず、笑うしかありません。
預流向を聖者に区分している本があったからといって、それを無批判に受け
入れたら片手落ちでしょう。預流向を、聖者に区分していない本だってある
のですからね、どちらが正しいのか検討してみる智慧が必要なのですよ。

230準シュダオン:2009/10/18(日) 15:31:09 ID:P9JinFks0
昨日のNHKで楽天の野村監督の特集をしていたが、流石に智将といわれる
だけのことは、ありますね。言うことが含蓄にとんでいました。
「手取り足とり指導しては選手は伸びない」と、話してましたね。
有名な宮大工の棟梁も、同じことを話していましたね。管長も同じことを
話していましたね。「瞑想を、ある程度までしか教えないのは信徒のため
なのだ」と、管長は話してます。

「選手が指導者に依存心を持つ」これが一番伸びない素だと、野村監督は
話してます。だから多くは教えないとね。
考える野球をしろ、と言ってますね。阿含の修行も同じですね。

考え方が変わると行動が変わる、行動が変わると習慣が変わる、習慣が変わる
と人格が変わる、人格が変わると運命が変わる、と、監督は話してました。
これも管長と同じことを言ってますね。
管長は、思考が変わると運命が変わる、と、指導していますからね。
因縁→性格→思考→人生、における思考を変えよ、とね。
そうすれば運命が変わるのですね。

231ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 16:26:55 ID:SmEF4Oe2O
>>229
現代の考え方?
何を言ってる?桐山さんの考え方(わかっちゃいるけどやめられない、教えは無力、
知性と行動は無関係)を示したのだ。
一般仏教の預流果の話ではないのだ。
ここはアゴン宗と桐山氏について考察するスレだからな。
準シュダオンさんによると、一般仏教の四向四果もアゴン宗も同じなんだそうだ。
ところがアゴン宗が普段から力説している因縁教学ではオシエを理解しただけでは
因縁は少しも切れないことになっているのだ。それが教えを聞いて間違った認識
を表面意識から改めただけに過ぎない段階の三結を断ったシュダオンがどうして
アゴン宗においても聖者の流れに入ったことになるのか?と、その矛盾点を
指摘している。
桐山さんの本を鵜呑みにして、自分の頭で考えたことのないあなたには及びもつかぬ
問題提起だよ。だから三結の中身を再度調べてごらんと書いたのだよ。
現代の考え方なんて、仏教の考えを重視して、ついに桐山思考を否定しましたね。
よしよし。

>>230
まず教えにより正しい認識を得るのが基本だよな。それから日常生活でそれを
観念工夫して、身に体現していくことは野村野球も人生も共通だよ。
では聞くが、野村監督は成仏法を授けて特殊なトレーニングをしたのか?
そうではあるまい。瞑想(練習)の繰り返しにより浸透、マスターするという
考えは教えの延長なんだよ。
すなわち水と油は分離していても何度も何度も徐々にでもかき混ぜていくことに
より馴染んでくるという考えだ。
桐山さんは違う。教えとかその延長の日常思考の考え方を変える訓練の他に
それとは全く異なる特殊な成仏法が必要なんだと説く。
教えと法の両輪によって因縁を切るのだ。
それには解脱供養のような苦しむ先祖の怨念に導師の悟りをテレパシーで伝え、
解消させる法も含むってか必要不可欠の前提なのさ。
これと三結だの五結だのとどういう関係がある?
教えを理解してそれを瞑想し続けるだけで因縁が切れるなんて言ったら
桐山さんの否定になりすぜ。
だから仏教と桐山ブッキョーはつながらないと言ったでしょ?

232ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 16:31:51 ID:SmEF4Oe2O
ちなみに私は桐山さんが力説する「わかっちゃいるけどやめられない、教えは無力、
知性と行動は無関係」なんて逃避論を支持もしてません。
わかっちゃいるけどやめられない人情を知りつつも、尚更、だからこそ
わかったことにより改めるように自分で努力する教えの道を 支持しており
これが釈尊の煩悩解脱の道です。

233名無しさん:2009/10/18(日) 16:45:09 ID:ZYlJA01wO
>>229
預流向を聖者に区分していない資料があるならきちんと提示してご覧なさい。
あなたの意見だけでは議論になりませんよ。
論証が必要です。

234ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 17:16:31 ID:SmEF4Oe2O
>>230
肝心なことは何も教えずに自分で考えるのが桐山成仏法か?
それで因縁が切れるのか?
どっこい桐山さんは信者が我流で何かをやるのを嫌います。

235深山:2009/10/18(日) 17:36:15 ID:yYBWyR0g0
>>216 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 06:51:06 ID:z7fe9/Ow0
>深山さんらしくないですね。私がいつ霊現象と判断しているという発言をしていますか?
>>214 :干柿:2009/10/17(土) 23:02:11 ID:BBtat4sE0
>だから〜金粉がふった事実は不思議現象であって奇跡じゃありませんよ。

まず、大日さんが霊現象と言った、という文章は撤回します。
その上で、言い訳を申し上げます。
私には、この件に関して霊現象と言おうが、大日さんのように奇怪現象といおうが、
干柿さんのように不思議現象と言おうが、同じことなのです。
私の主張は、アゴン宗の金粉現象は現実的な世界で起きているものであって、
それ以外の摩訶不思議な世界の現象、つまり奇怪現象や不思議現象ではないというものです。
だから、私から見たら、金粉現象を霊現象、奇怪現象、不思議現象、仏の意志、
感応道交、シャカの成仏リキと言おうが、言葉を変えているだけで同じです。
つまり、霊現象、奇怪現象、不思議現象とは、
「今の科学では説明がつかない現象」=「現実的な説明が不可能」
という意味ですよね?
だが、私は、アゴン宗の金粉現象は、
「今の科学で説明のつく現象」=「現実的な説明が可能」
だと主張しているのです。
今はアゴン宗の奇蹟の一つとしての金粉の話をしているのであって、
金粉現象の一般論をしているのではありません。
アゴン宗では金粉現象を霊現象としているから、その立場をとったのです。
お二人は霊現象と奇怪現象、不思議現象を区別するべきだと主張しているが、
今ここでの議論において、それは意味があるでしょうか。
「火星人とウンモ星人は区別するべきだ」と言っているように聞こえます。
これらは「今の科学では説明がつかない現象」の中に入ってしまいます。
「今の科学では説明がつかない現象」では長すぎるし、アゴン宗は金粉現象を
霊的な話をしているから、それを霊現象と私はひとくくりにしたのです。

236深山:2009/10/18(日) 17:38:29 ID:yYBWyR0g0
>>217 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 07:09:57 ID:CBz5sqWc0
>ならば、太陽光のあるかなり明るい場所での作業でなければ認めない、というように

もう少し議論の幅というか、範囲を限定して議論をしませんか。
この話の直接の元は、大日さんが道場で錫杖を振っても金粉などは確認できなかったという
話から始まったと思います。
それに対して、私は錫杖の種類によって出たり出なかったりすること、
また、「薄暗い」道場の中で金粉が舞飛ぶ様子はわからないと指摘した。
だから、私は大日さんの上記のようなことは述べていません。
錫杖金粉は金属疲労による剥離だから、当然、様々な大きさがあるでしょう。
大日さんが内陣で錫杖を振っても金粉を確認できなかったのは、
錫杖の材質で出にくいものだったかもしれないし、空中を浮遊するような
細かい金粉が出ていても、道場の明るさでは見えないと申し上げたのです。

237深山:2009/10/18(日) 17:42:01 ID:yYBWyR0g0
>>217 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 07:09:57 ID:CBz5sqWc0
>しかし、発見された金粉の大きさは視力の劣っている人で無い限りは確認できる大きさ

錫杖金粉には様々な大きさがあるのは当然です。
空中を浮遊するような小さなものだけしかないと言っているのではありません。
業者が造った粉体ではありませんから、粒子の大きさがそろっているはずはない。
ただ、他の方も指摘しているように、小さな物でも光っていれば目立つことも事実です。
たとえばタバコの煙は大きくても数百ミクロン程度なのに、我々の目には見えます。
だから、空中を浮遊するような小さな金粉でも反射で確認できたのです。
空中に漂う金粉については、黒いピアノの上で確認できた。
つまり、この時の金粉がかなり小さなものであったからです。
ほんのわずかの量でも金粉は現形するのです。
と、言うと、大日さんは「いや大量の」と反論されるだろうが、
大日さんの上記は、浄霊など錫杖を振ったときの話をされているのでしょうか。
後のほうでは、錫杖を振っていないのに金粉が出た話をしていますね。
その点については横レスでこの後述べますが、まず両者を区別しませんか。
浄霊に関しての金粉現形の話を今しており、太郎さんの件も、私の件も、浄霊に関する金粉現形です。
これ以外の金粉話題はダメだというのではなく、浄霊の錫杖金粉の話をしているのに、
錫杖を使わない事例を出して、あたかも浄霊の錫杖金粉説に根拠がないかのように
書いているのが、気になるのです。
まず、錫杖による金粉現形があるという点を確認し、その上で、さらに
錫杖を使わない金粉現形はどうして起こるのかを検証してはどうでしょう。

238深山:2009/10/18(日) 17:44:45 ID:yYBWyR0g0
>>218 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 07:39:52 ID:279JDZbk0
>しかし、私は実際に起きた・体験した(された)方の現象は現象として「そうですかあ」と認めます。

私の場合、モンゴルで雨が降ったことは認めるが、アレを奇蹟だという人を
認めないと言っているのです。
金粉が現れたという事実は多くの人が見ているから、それを認めないと言っているのではありません。
議論の争点は、それが「現実的な説明が可能」な現象なのか、
「現実的な説明が不可能」な現象なのかという点です。
私の分類でいくなら、
「現実的な説明が不可能」=「霊現象、奇怪現象、不思議現象」
ということになります。
そして、私はアゴン宗の金粉現形は「現実的な説明が可能」だと言っているのです。
金粉現形の多くは浄霊の後に起きるし、試しに振れば金粉の出る錫杖が実際にあり、
錫杖を振り始めると金属粉が舞う様子まで観察されている。
ここまで来れば、少なくともアゴン宗の浄霊での金粉現形のほとんどが錫杖金粉、
つまり「現実的な説明が可能」な現象であるとみなすのが当然ではありませんか。
あれらは霊現象、奇怪現象、不思議現象のどれでもない。
まず、アゴン宗の大多数の金粉現形が錫杖金粉で説明がついてしまうことを
認めてしまったほうがいいと思います。
その上で、錫杖金粉だけで説明のつかない事例を検証するべきなのです。

239深山:2009/10/18(日) 17:51:59 ID:yYBWyR0g0
>>222 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 08:43:58 ID:lA2Z4Z.k0
>この方は戒名をいただいただけで浄霊などの法要を行っていません。
>ならば、錫杖=金粉説は成立しません。ただし、浄霊法要をやった際に金粉が出る、と
>いうのはありえるとは思います。錫杖を使ってますからね。

>>220さんや私の言っているのは、屋敷浄霊などでの金粉現形の話をしているのです。
「錫杖=金粉説は決定的だ」なんて書いていません。
屋敷浄霊をしていないケースまでそうだとは言っていない。
屋敷浄霊のほとんどが錫杖金粉で十分に説明ができると言っているのです。
普通知られているアゴン宗の金粉現象は屋敷浄霊から始まった。
その多くは錫杖金粉で説明がついてしまうと私は(たぶん220さんも)主張しているのです。
それなのに、大日さんの上記のケースを、私や220さんが、
錫杖によるものだと主張したかのように書くのはいかがなものでしょう。
220さんは錫杖だけが原因ではないと、その事例まで出しています。
別な原因の場合もあると述べており、それらは220さんの事例や、
私が出したファミレスの工事の件や、信者による嘘などです。
私も220さんの事例で思い出しました。
浄霊をした家の和室の畳の上に金粉が落ちていた。
土壁のような材料の中に雲母のように光るものが混ざっていて、
経年変化で壁が少し落ちてきて散らばり、光るものだけが目立ったのです。
もちろん、原因は明瞭だから、誰もこれを金粉だとは言いませんでした。
だから、大日さんの目撃例が錫杖金粉だとは誰も断定していない。
アゴン宗の金粉現形が、私は「現実的な説明が可能」な現象であるといい、
大日さんと干柿さんは「現実的な説明が不可能」な現象も入っている主張している。
そこが、私とお二人の意見の違いです。

240深山:2009/10/18(日) 17:57:41 ID:yYBWyR0g0
>>222 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 08:43:58 ID:lA2Z4Z.k0

現実的な説明がつくなら、それを霊現象、奇怪現象、不思議現象と解釈する必要はありません。
これは私の姿勢であると同時に、世間でもそうです。
なぜなら、学校でそのように教育を受けるからです。
私が大日さんに、大日さんの体験についてこれ以上議論するのは難しいと
申し上げたのは、当時の大日さんはそれを奇怪現象などであると
みなしてしまっていた点です。
これは今日でもそのようにみなしているのだから、アゴン宗を信じていた当時はなおさらです。
大日さんが疑いの目で見て調べたのなら、事例として議論することもできる。
だが、奇怪現象とみなしてしまったから、詳しい調査もしていませんよね?
前も書いたが、証言者が嘘をついているのではないかと疑うくらい用心深く、
一人一人に聞き取りをして、目撃された時間の流れや目撃者の順番などを検証して、
さらにその物質を調べる必要がある。
だが、大日さんはそのあたりの詳しい聞き取りをしていませんよね。
ちょうど太郎さんがファミレスの店員に、なぜテーブルが汚れているのかと
質問しないのと同じです。
それはお二人だけでなく、錫杖金粉ではないかと疑う前の元信者、信者の全員がそうです。
調べていないのだから、取り返しがつかず、議論しようにも圧倒的に情報がない。

241深山:2009/10/18(日) 18:01:14 ID:yYBWyR0g0
>>222 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 08:43:58 ID:lA2Z4Z.k0

大日さんは自分の証言を疑われているようで気分が悪いだろうが、
これはほぼ我々全員にあてはまる。
なぜなら、我々は霊的現象、奇怪現象、不思議現象を信じているばかりか、
中にはこういう話が大好きな人もいる。
奥方様の発現のあの恨み節を、例祭で流された時は私は耳をふさぎたいくらい
不愉快だったが、あれをわざわざテープを借りて聞いていた人もいた。
信者の多くは幽霊や不思議や奇怪が大好きなのです。
つまり、私を含めたこういう連中(?)の話は信用がならないのです。
ある高速道路でオバアサンの幽霊が出るという噂がたった。
車で通過したら、なんと本当に白装束の幽霊が出た!
幽霊は実在したのだ・・・だが、この目撃者はそこからが我々と違う。
彼は頭から幽霊なんているはずがないと信じていなかったので、
確認のために戻ったというのです。
すると、そこにオバアサンの幽霊が待っていた(笑)。
白い寝間着をきた徘徊老人だったのです。
確認しに戻った彼は例外中の例外で、ほとんどの人は幽霊の目撃者になる。
「科学がどうあれ、幽霊なんて信じていなかったおれがこの目で見たんだよ。
誰がなんと言おうが、幽霊はいる」と彼らは必ず言います。
その時に確認しに戻らない限り、事実がどうであったかは永久にわからない。

242深山:2009/10/18(日) 18:08:08 ID:yYBWyR0g0
>>222 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 08:43:58 ID:lA2Z4Z.k0

幽霊を確認しに戻った人の姿勢を我々(信者や元信者)はもっと学ぶべきでしょう。
大日さんや太郎さんの体験談を議論する時も、まずそれらを「現実的な説明が不可能」な現象、
つまり霊現象、奇怪現象、不思議現象を最優先の結論とせずに、
現実的に説明するのにはどう考えればいいのか、という見方を変えてほしいのです。
自分が見た現象を大日さん自身がまず現実的な解釈を試みてほしい。
ちょっと考えれば、ちょうど私がファミレスの工事の件を出したように、
そんなのは二つや三つたちまち出てきます。
工事でなくても、たとえば、金属加工をした人たちがその席にちょっと座ったが、
他の良い席が空いたので、そちらに移動する時、勢いよく立ち上がったひょうしに、
上着についていた金属粉がテーブルに落ちた。
店員は、食事したテーブルではなかったから、汚れていることに気がつかず、ふかなかった、などです。
これは私の空想でしかない。
だが、浄霊による神仏の感応道交とか、物質化の奇怪現象、不思議現象なんて解釈よりも、
よほど世間の普通の人たちに対しては説得力があります。
感応道交説なら、龍神が「ワヒもファミレスに一度行ってみたかったのよ。
うれチくって、つい狂喜乱舞して、ウロコを落としてしまい、金粉現形してスまった」
とでも説明するのですか。
私の現実的解釈が空想なら、感応道交説は狂信から来る妄想で
世間に対しては何の説得力もありません。
あれが奇怪現象や不思議現象でないなら、どんな現実的な解釈が可能か、
大日さんも検証してほしいのです。
三人寄れば文殊の知恵で、読んでいる批判側の中から、もっとすんなりといく
別な解釈も出てくるかもしれません。

243大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:15:28 ID:lA2Z4Z.k0
>>235 深山:2009/10/18(日) 17:36:15 ID:yYBWyR0g0
>アゴン宗では金粉現象を霊現象としているから、その立場をとったのです。

これは初めて聞きます。いつ、誰がどのように霊現象と申されたのでしょうか?
まあ、憶測ですがもし言うとすれば管長でしょうか。推測ですから外れているかもしれませんが
私には霊現象と聞いた覚えがありません。

235で深山さんが言われていることはごもっともです。しかし、やはり「一緒くた」にしか聞こえない。
言葉だけ変えているようで厳密に言えば内容は違います。
奇怪現象、不思議現象、または超常現象は霊によるものもあれば、霊によらぬものもあります。

まず、金粉は霊が成した、と見るのはたとえ信者であってもそれは矛盾している。
何の霊がどのように起こした、などと管長が言っているとか、信者の中で噂になっているとかなら
まだわかりますがそういう話は私も所属道場でも聞いたことが無いからです。
法友や宗務局員も先達もそういうことは言わないし、また聞かない。
なので、金粉が降るのは霊の仕業、というか霊現象という(みなす)のはあまりにも無謀です。
それもあって私が「霊現象だ」という発言、及び把握をした、というのは遺憾に思ったわけです。
だから、235での
「お二人は霊現象と奇怪現象、不思議現象を区別するべきだと主張しているが、
今ここでの議論において、それは意味があるでしょうか」というのには私は意味が有るというか、
どうでもいい区別にされる扱いは見逃すわけには行きません。
そして、「霊的な話をしているから、それを霊現象と私はひとくくりにしたのです」というのは
私が霊現象といいましたか、につながるわけで、不遜に思ったし、感じたわけです。
ひとくくりでいいようなものに見えるが、実は違うと申したいのがそこにあります。

244大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:16:03 ID:lA2Z4Z.k0
>>236は了解です。

>>237 深山:2009/10/18(日) 17:42:01 ID:yYBWyR0g0
>大日さんの上記は、浄霊など錫杖を振ったときの話をされているのでしょうか。

ですから私は浄霊にも数度参加しているし、実際お役で錫杖も振ったこともあります。
勿論、浄霊だけでなく勤行会でも錫杖を振っている上で申しています。
ですから、自分の参加したものは一度も金粉が出てないので、見たことが無いと申しています。
ただ、太郎さんの話ですと、亡くなった導師役の方のときは大量に出た、ということを指したし、
この自分の>>217は深山さんの言われた空中に舞う金粉説に対しての意見です。
又2ミリという金粉の大きさは地区道場で会員の家で修法した際に出た時の大きさを申しています。
それとは別に私の道場で貰ったコーナーでの金粉は3ミリから5ミリと大きなものです。
ですから、埃のような微細の金粉が錫杖を振ったら出るだろう、という意見はわかりますが、では
埃以上の大きさの金粉が錫杖を振ったら出る、としてもそんなのが何十個も出るのであれば、錫杖
が異常に磨耗してしまうでしょう、という意見です。

245大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:16:37 ID:lA2Z4Z.k0
>>238 深山:2009/10/18(日) 17:44:45 ID:yYBWyR0g0

>まず、アゴン宗の大多数の金粉現形が錫杖金粉で説明がついてしまうことを
認めてしまったほうがいいと思います。

いいえ半分しか認めません。なぜなら、書くのを忘れていたが錫杖は金色のも有るが銀色なのも
あります。むしろ、私の居た地区は銀色のが多数だった。故に金粉が錫杖から降るものだという
のは知らなかったし、実際法要や勤行会でも金粉が降るのは無かった。
そういう錫杖なら降るのは金粉ではなくて”銀粉”でなくてはならないと推察します。

これが仮に自分が金粉を降ったのを実際に見るとか在籍していた時に深山さん方のようにチェック
すればまだわかるのかもしれないが、それは今となっては確認は出来ない。
だからと言って深山さんや170さんの説を「嘘だ、言いがかりだ」とは言わない。
微細な金粉が飛ぶだろう、それが原因だというのは私もそう思います。
しかし、大きな破片となれば、果たしてそうだろうか?と思うのと実際手に入れた「おすそ分け」
があまりにもサイズが大きく、しかも法要を行わないで発生したから(錫杖を降らないで出現した
から)引用しただけで、別段それが奇蹟だとか阿含宗の正当性や超常現象の推奨にしようとは全く
思っては居ません。むしろ、金粉現形は「縁起がいい」程度の現実的に起きる現象であり、それが
奇蹟だとかは思っていません。また、霊の仕業や霊現象だとも思っては居ません。

246ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 21:22:28 ID:SmEF4Oe2O
3ミリや5ミリもある金粉ならば、逆にこれこそ何かから剥がれたものと思いませんか?

247170:2009/10/18(日) 21:23:00 ID:C1A6cUmk0
>>222
少し言葉が足りませんでしたが、「錫杖=金粉説は決定的」は、
>>239で深山さんが指摘された通り、屋敷浄霊での話しになります。

ですので、太郎さんのファミレスや、大日さんの戒名帳の件に該当するかは
別になろうかと思います。

それと、今読ませていただいた中で
>>244
> それとは別に私の道場で貰ったコーナーでの金粉は3ミリから5ミリと大きなものです。

とありますが、このサイズは、壁に吹き付けられた素材の可能性が考えられます。
壁材もそれくらいの大きさのものがあります。
錫杖の金粉は非常に小さいもので、3o〜5oは無かったと記憶しています。

248大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:41:50 ID:lA2Z4Z.k0
ユビさん、170さんありがとうございます。

何かから剥がれた物ではないか、という事ですがその所持者曰くそういうことは一切ないというのです。
そういう剥がれたものと素材が有るような場所ではないし、そういうものも無い、というのです。
所持者の言うことを疑わないのはどうなのか、といわれるかもしれませんが、その方は私も浄霊に行って
部屋を見ていますので嘘ではない。しかし、一番なのは現物が有るという事です。
それを深山さん教えてくれた田中金属さんか調べてもらえる機関のようなところで将来分析をして
貰おうと思っています。

一番いいのは浄霊をやって金粉が出た家の金粉を分析すると100%深山さんや170さんの言われている
分析結果で白黒付くんですが・・・。

こうやって調べてゆくと深山さんの言われた検証作業というのは本当に重要だと痛感します。

249樹意:2009/10/18(日) 22:02:19 ID:tsllgqu20

http://www.butsudanya.co.jp/shop_butsugu_mikkyou.html

銀色なのはニッケルのようですね、 今回は銅と鉄の議論のようです。
ニッケルの錫杖はリーズナブル ステンレス鋼や効果の材料です。

ちなみに 真鍮はというと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E9%8D%AE
薬莢や金属模型などその用途は広い。金に似た美しい黄色の光沢を放つことから
金の代用品にもされpoorman's gold(貧者の金)と呼ばれ、日本の時代劇において
小道具として使われる偽の小判も真鍮製のものが多い。日本では仏具、多くの
金管楽器などに多用されている(金管楽器の別名であるブラス(brass)は黄銅の英名
だそうです

ニッケルのウイキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%AB

250ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 22:08:26 ID:SmEF4Oe2O
>>248
現物が未だにだらしなくも残っていることこそ、現実科学常識で説明のつく代物
だと思いますよ。
本当に不可思議現象で無から有が生まれたらこれは錬金術です。
いつの間にか消えてなくなる方が神秘ですよ。

251大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 22:19:42 ID:lA2Z4Z.k0
>>250 移り変わる季節のように、消えてなくなる儚さが神秘かな

俳句調に言って見たが、別段美しくもないなあ。
だらしなく、は言いすぎの感が。持っている自分が情けなくなってきますよ。
阿含の矛盾を晴らす貴重な証拠品の一部じゃないですかw

誰か信者で法要の際の金粉持っているやつ探して、それも識別にかけようか。
と言っても、今更「金粉探してます」もなんだしなあ。
在籍しているときにやってれば良かったなあ。

今流行の「金属・アクセアリー買います」とやれば来るかな?
お金ないから無理だなw

252大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 22:20:42 ID:lA2Z4Z.k0
俳句じゃない、短歌だ。(情けないミス)

253大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 22:22:35 ID:lA2Z4Z.k0
違った、川柳だ。とうとう疲れも出たか・・・。

254ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 23:04:39 ID:SmEF4Oe2O
>>251
金の破片が素材はなんであろうが、現物として残っていて、尚且つこれがどこからか
剥がれたものとか現実的な説明がつかないものならば、これは無から有を生んだ
超常現象ということになるんですよ。
それはどこかの幽霊みたいのが運んできたというニュアンスを人に与える霊現象
という単語をあてはめなくても、不思議現象、超常現象の言葉にあてはまってしまう。
桐山さんの現形ですら錬金術ではなく、あくまでも炎であり、実は物理科学的に
あり得ない超常現象とすらしていないのです。
むしろこの金粉も一時的なゲギョーの一種にしてしまえば、ああ、天の感応の
現れだったのかなという話にもなる。
しかし未だにその物体が残っていることは、ゲギョーの応供の如来さんが常に
横向き猫背で白いシッポを振りつつ、アゴン宗の道場をウロウロ歩いている
だらしなさに見える。

255深山:2009/10/19(月) 00:39:08 ID:yYBWyR0g0
>>243 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:15:28 ID:lA2Z4Z.k0
>これは初めて聞きます。いつ、誰がどのように霊現象と申されたのでしょうか?

私は、金粉についてはアゴン宗の法が正しいことを支持するために、
仏様が感応道交されて、このような形を示されたのだと聞いています。
つまり、仏様が奇蹟を示されたという表現です。
桐山さんがこのように直接説明したかどうかは忘れました。
しかし、金粉現形を喜んでいる人たちの多くの反応はそうでした。
仏様がというのだから、霊的な現象です。
アゴン宗のよく使う言葉でいうなら、仏様のお手配です。
桐山さんや信者の超能力であるというのは聞いたことがありません。
また、あれを不思議現象であるという説はアゴン宗では聞いたことがありません。

256深山:2009/10/19(月) 00:41:24 ID:yYBWyR0g0
>>243 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:15:28 ID:lA2Z4Z.k0
>奇怪現象、不思議現象、または超常現象は霊によるものもあれば、霊によらぬものもあります。

この点について議論するつもりはありません。
このスレの主旨から外れるし、私には区別がつかないからです。
金粉を振らせているのが竜神様か、宇宙人か、超能力者か、
私にも、またほとんどの読者にも区別がつきません。
私の区別は、すでに述べたように、現実的な説明がつくか、つかないか、だけです。
ここではアゴン宗の教義が基本になっているのですから、
アゴン宗が金粉現形をどう見ているかということのみが議論の対象です。
桐山さんが仏様による霊現象であるといっていないというのなら、
霊現象だという表現も不適切だが、同時に霊など関係のない超常現象だという表現も
どちらもアゴン宗においては不適切になってしまいます。

257深山:2009/10/19(月) 00:45:20 ID:yYBWyR0g0
>>245 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:16:37 ID:lA2Z4Z.k0
>から)引用しただけで、別段それが奇蹟だとか阿含宗の正当性や超常現象の推奨にしようとは全く
>思っては居ません。むしろ、金粉現形は「縁起がいい」程度の現実的に起きる現象であり、それが
>奇蹟だとかは思っていません

この点ははっきりさせておく必要があり、私も、大日さんがそのように
思っているとは思っていません。
私を含めた他の批判側もそのように思っている人はいないと思います。
私が問題にしているのは、大日さんがどのように思っているか、
あるいは太郎さんがどのように思っているかではなく、
アゴン宗でこれがどのように扱われているかという点です。
私の知る限り、前述のように、これはアゴン宗が正しい法を持っていることを
仏様が示すための示された現証(霊現象)であるという主張です。
その点を問題にしているのです。
仏など何も関係がなく、錫杖や壁などから剥がれたものにすぎず、
現実的な説明のついてしまうような内容にすぎないというのが、私の主張です。
つまり、アゴン宗側が自分の正当性、屋敷浄霊という呪術の正当性を
示す証拠として出している金粉には根拠がないと批判しているのです。
大日さんが金粉現象をどう解釈しているかを問題にしているのではありません。

258深山:2009/10/19(月) 00:57:05 ID:yYBWyR0g0
>>245 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:16:37 ID:lA2Z4Z.k0
>ただ、太郎さんの話ですと、亡くなった導師役の方のときは大量に出た、ということを指したし、

これは少し待ったほうがいいと思います。
大量という表現はたいへん曖昧で、人によって感性が違うからです。
大日さんのように、長さいくらと具体的な数字が出ている場合には、
その数字から大きいとか、大量という基準がようやくわかってきます。
太郎さんの話は本人がもう少し詳しく書いてくれるまで待って、
まず大日さんのほうの話をしてはどうでしょうか。
「大日さんの班は金粉が現形した経験はなく、
その同じ錫杖を使った他の班の浄霊では金粉が現れ、
それらは2mm,3mm,5mmくらいの大きさであった。
また、それらは金というよりも銀色であった」ということで、よいですか。
もし違っているのなら修正してください。
同じ錫杖を使っても大日さんなどの浄霊には金粉が出現せず、
しかも、散杖から剥離したシンチュウにしては大きすぎるというなら、
錫杖金粉ではないのでしょう。
私はそれが錫杖金粉であるとは言っていません。
そのことは>>220さんも私も実例を書いています。
浄霊で班員が動き回った部屋なのに、浄霊の後でそこに光る破片が落ちて
いたというだけでは、これは霊現象でも不思議現象でもありません。
そんなこと言い出したら、たいていの部屋は不思議現象のかたまりです。
「わっ!大日さんが出て行った後に財布が物質化したぞ。
これは私への仏様からのプレゼントに違いない」
なんて、私が大日さんの落とした財布をくすねてもいいことになってしまう。

259深山:2009/10/19(月) 00:59:10 ID:yYBWyR0g0
>>245 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:16:37 ID:lA2Z4Z.k0
>あります。むしろ、私の居た地区は銀色のが多数だった。故に金粉が錫杖から降るものだという
>のは知らなかったし、実際法要や勤行会でも金粉が降るのは無かった。

つまり、大日さんは錫杖金粉のことを知らないのですね?
だから、錫杖金粉については認めてはどうかと書いたのです。
私と220さんは実際にそれを目撃し、確認した。
この二人だけでなく、錫杖金粉を確認した人を、少なくとも数人知っています。
大日さんが、その金粉の出る錫杖とやらを調べたが、何もでなかったというなら、
半分は信じないというのもわかります。
だが、錫杖金粉についてはあなたは知らない。
そして、錫杖から金粉が出ることは現実には何の不思議もない話です。
その現実的なことは半分しか信じないのに、突然、数ミリの銀色の
物体が出現したと聞いて、それをそのまま信じるのですか。
私も、ユビキタスさんもそこが不思議でたまらないのです。
皮肉に聞こえるでしょうが、その反応こそが不思議現象です。
現実的に十分おこりえることを説明し、見聞し、実証したと
言っても、大日さんは半分しか信じない。
ところが、何もない所から物質化するという、物理の物質不滅の
法則に反するような現象を他人に言われたらそれを信じている。

260深山:2009/10/19(月) 01:07:16 ID:yYBWyR0g0
>>248 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/18(日) 21:41:50 ID:lA2Z4Z.k0
>何かから剥がれた物ではないか、という事ですがその所持者曰くそういうことは一切ないというのです。
>そういう剥がれたものと素材が有るような場所ではないし、そういうものも無い、というのです。

剥がれる物がいっさいない部屋って、どういう部屋でしょう。
普通の部屋でそういうものがまるでない部屋は非常に珍しい。
まるで、「この部屋にはゴミがいっさいありません」と言っているようなももので、
クリーンルームでもない限り、そんなことはありえません。
壁、天井、床、そして部屋の中に置いてあるものなど、
数ミリ程度の切片なら、ありとあらゆる所から出てもおかしくない。
そういう破片がいっさい出るはずのない建物や部屋なんて世の中に存在するのでしょうか。
私はそのほうが信じられません。
どこのお宅や事務室に伺っても、天井、壁、また部屋の中にあるものなどを
見る限り、数ミリ程度の破片などどこから出てきてもまったく驚くにあたらない。
また、修法中、ドアの開け閉めをしたり、身体を動かし、人が動き回るのだから、
小さな破片程度のものがどこからか落ちたり、浄霊班の人の身につけた物から
落ちても、何の不思議もありません。
こういう現実的な説明よりも、物質不滅の法則を超えた現象が起きたと信じるのですか。

261樹意:2009/10/19(月) 05:23:22 ID:tsllgqu20
>>255 :深山:2009/10/19(月) 00:39:08 ID:yYBWyR0g0

>私は、金粉についてはアゴン宗の法が正しいことを支持するために、
>仏様が感応道交されて、このような形を示されたのだと聞いています。
>つまり、仏様が奇蹟を示されたという表現です。
>桐山さんがこのように直接説明したかどうかは忘れました。

私の記憶があてにならないのは定説ですが 確かに呆話で述べていましたよ。
浄霊で金粉が降ったという報告があり霊視した結果確かに金粉が降っているとね。
これはゲイカの発言です。
興奮気味だったようです。

浄霊というイベントでそういう現象がおきたということであり霊視したのだから
霊現象と捉えるかどうかはさておいて深山氏の発言に分があるのではないか。

錫杖金粉で真鍮が剥がれる可能性には言及がないし、真鍮と金ではまるっきり
別のものですから霊視したのであればキチンと示すべきです。
宗祖の立場であれ責任ある人間であるならそういう現象があった場合は持ち帰させて
成分分析の後発言すべきです。

錫杖金粉が真鍮だったと確認した方々がいるのですから ゲイカの発言は調べもせず
発言したということで組織の長としてみるなら不適切です。
それとゲイカにしろ 金 金 と呼んでいますが捉え方に思い込みがあります。
すでにこの段階で思い込みがあり なんでも霊的な現象に結び付けてキチンと調べる
という姿勢がない、これは観察の宗教である原始仏教とは異質のものです。

262大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:29:55 ID:SMd3Zk7.0
>>255 深山:2009/10/19(月) 00:39:08 ID:yYBWyR0g0
>仏様がというのだから、霊的な現象です。
アゴン宗のよく使う言葉でいうなら、仏様のお手配です。
桐山さんや信者の超能力であるというのは聞いたことがありません。
また、あれを不思議現象であるという説はアゴン宗では聞いたことがありません。

了解しました。
ただ、不可思議現象というのは私が言ったことですから、A宗では言わないし、聞くことはないです。
深山さんが申されるとおり、A宗では奇蹟だとかお手配だ、というのは理解できます。
ただ、そんなものじゃないよというのを表現すると、不可思議現象となるだろうということから私が
発したものですから、ゲイカも信者もそういうことは言わないし言ってないです。

>>256 深山:2009/10/19(月) 00:41:24 ID:yYBWyR0g0
>桐山さんが仏様による霊現象であるといっていないというのなら、
霊現象だという表現も不適切だが、同時に霊など関係のない超常現象だという表現も
どちらもアゴン宗においては不適切になってしまいます。

そうですね。ですが私の言っている・出した理由は深山さんが金粉現形をどう見ているかという議論
に於いて意見を出されていますが、その際に様々な不可解な現象をも一括りにして”霊現象”と言って
しまわれたから、それはおかしくはないですか、というのと異議の内容を示さないといいがかりになる
から私は申しただけです。仏様の霊現象によるものが金粉現形だとゲイカが言われた、ということの
ようですから、それならゲイカが悪い、とみなすしかないですね。

263大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:31:09 ID:SMd3Zk7.0
続き)

>このスレの主旨から外れるし、私には区別がつかないからです。
>ここではアゴン宗の教義が基本になっているのですから、
アゴン宗が金粉現形をどう見ているかということのみが議論の対象です。

確かにアゴン宗の教義から外れ、関係の無い話は良くないでしょう。
でも、私が深山さんのひとくくりにされた件に対し、意見を申すのがスレ違い・外れということで
除外したら相手の説明や意見もあったものじゃない。そういう言い方をしたらあなたのサイババの話
だって、「ここはサイババの話をする場所じゃない」とか「論議はそういうものを対象にしてない」
というのと同じです。その議論の事に対し、引用したり説明や意見を言うのは随することであって、
スレ違いではない。

今まで言わなかったが、深山さんは2chのときからそういう癖が有る。
深山さんが議論に於いて不利というか意見できかねるものの話題になるとそういうことを言われる。
スレ違いだとか主旨から逸れているとかもっともなことを言われて自分の言える・できる論議しか
しない方向に持ってゆく癖が有る。
もっとも私が考えているような本題から外れて話が横道に大きく逸れたなら、深山さんの言われる
ことも十分わかる。ですが、あなたは少しでもそういう補足というか例えや引用意見を出すとそれは
スレの主旨ではない、というのはわかるが、それで相手の行動を止めて少しでも自分が論議の有利な
方向に持っていかれているような姿勢が見られる。
私にすればスレの主旨から逸れている、というのなら大方の人の意見など逸れているものが多い、と
言わざるを得ないと思いますし、私はスレの主旨に関するものであればそうは逸脱しているとは思えない
のです。

そして、アゴン宗が金粉現形をどう見ているかということのみが議論の対象です、となれば深山さんの
言われていることは成立する。だが、意見の場というのは「個人が金粉現形をどう見ているかということ
が議論になるのではないか、ということです。
アゴン宗が金粉現形をどう見ているかということのみが議論の対象ならば、個人の意見などどうでもよい。
むしろ邪魔であるし、主旨外れである、となるがそれは深山さんの考えるものであり、それは間違いでは
ないが、それを押し付けるのはいかがかと思う。
個人の意見や様々な意見があっての掲示板でしょう? 私は深山さんが「こう考える」というのは認めて
いるし、なるほどと納得するものもかなり多い。ですが、100%納得できるものもあればそうでないもの
もある。それに対し意見をしたら主旨外れだ、と言ったら相手の意見など言えるものじゃない。
いや、言っても構わないが、「それは俺は認められないよ」と遠まわしに言われたと同じ効果が有る。
主旨外れだ、というよりも自分はこういう考えだ。あなたはそういう考えですか。それに対し私はこう思う。
という普通の議論をされたほうがいいと思います。
つまり、アゴン宗が金粉現形をどう見ているかということのみが議論の対象、ではなくて、アゴン宗が金粉
現形をどう見ているかということに対しての各々の意見を交わすのが議論の対象とせねばならない、と私は
捉えます。だから、主旨外れではない。というか、主旨外れを言うならみんな深山さんの意見に賛成せねば
ならない、ということになるので私は主旨外れには異をとなえます。

264大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:31:52 ID:SMd3Zk7.0
ですから>>257で深山さんが申されているようなことは深山さんの把握意識(見解)であればそのとおりになる。
しかし、個人の意見は関係ない、と言っているように取れますよ、この意見文章は。
そりゃあ、冷静に現実や状況を見て、情報を持って分析や検証、判断をせねばならない。
個人的見解を入れたら、(しかも心情を入れたら)論議は永遠に終わらないし、決着も付かない場合が
あるでしょう。だからなるべく私情や心情、感情を排除し、冷静に物事を判断・分析するのはわかります。
だが、相手の解釈論を排除したら何が残ります? 残る答えは分析の結果を示した俺の意見が正しいのだ、
というものに従うしかないでしょう。そんなのは傲慢だし、議論ではない。意見の主張とおまえらこれに従え
の遠まわしバージョンにしかならない。

第一、不可思議現象(超常現象)などは説明が付かないものが多い。だからと言ってそれを信じろとは私も
言わない。だが、それに対し科学や何かの検証があって物申すのもわかる。
そのお互いの意見を出し合って議論するのがこういう場所なのです。
それを「大日さんが金粉現象をどう解釈しているかを問題にしているのではありません」というのは綺麗な表現
だが、意味はあなたの意見は問題外だ、と言っているのと変わらないのですよ。

そういうと、「いつ私が問題外といった」という風に言われる。これも深山さんの癖です。
人に文句は言わせないぞ、という姿勢の行為です。
問題にしていない、というのも問題外というのもさほど変わらない。ところが文字を変えて言うとたちまち反論
してくる。ここが2chでも相手が深山さんを不遜に思う原因なのですよ。
いくら綺麗に大人の発言をされても、相手は不快感を感じると言うのを深山さんは知った方がいいかと思います。
だから、この>>257の最後の一行は余計なのですよ。

265大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:32:22 ID:SMd3Zk7.0
>仏など何も関係がなく、錫杖や壁などから剥がれたものにすぎず、
現実的な説明のついてしまうような内容にすぎないというのが、私の主張です。
つまり、アゴン宗側が自分の正当性、屋敷浄霊という呪術の正当性を
示す証拠として出している金粉には根拠がないと批判しているのです。

ここで終わらせれば反感を買わずに済むのです。
私の解釈に対し問題にしてない、というのは一見理性があってクールで沈着そのものですが、相手を見下している
または「お前の解釈や意見などお呼びじゃないよ」という印象を与えるものです。
それらは相手が勝手に思うだけで私はそう思ってないし、言ってない、というでしょう。
でも、それがにじみ出ている。そう思ってなかったら最後の一行は表現が違うか、出さないのが本当です。
深山さんは掲示板に来て意見をされている相手の事など考えても居ないのが丸見えです。
自分の意見は通しても、相手の意見は自分が認めるような内容で無いと認めないが、そういう類のものは主旨外れだ
で相手を封じ込め、深山さんの有利な方向へ運んでいる、と私は思います。

私は少なくとも皆さんの意見を出し合い、議論する。それが掲示板だろうと思います。
深山さんの言うことを実行するならば誰も投稿できないHPが適しています。
実際私もそれをやろうとしていたが、掲示板には意見があるから気が付くことが非常に有る。
つい最近もありましたよ。インデックスの連絡スレにありますが、樹意さんの意見を読んだら2chの世界はあれで
いいんだ、という認識を得ました。あんな雑多なレスばっかりで非常にくだらない、と私は思っていた。
ところが、それは大日の狭い了見であって、グローバルな考えや掲示板の深い活用を考えたら、樹意さんの意思は
非常に理解できた。逆に私のほうが頭を垂れましたよ。浅い考えで申し訳なかったと。

またユビさんの昔に私に言われた「2chはこれでいいんだよ。閉鎖的な掲示板はどうかと思うよ」という発言を
されたことを瞬時に思い出した。ですから、こういう風に自分が気づくことも有るから掲示板はいいなあ、と思うし
相手の意見も聞く、というか見るのは肝要だと思うのです。相手あってこそなのです。

266大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:32:53 ID:SMd3Zk7.0
それが「大日さんが金粉現象をどう解釈しているかを問題にしているのではありません」というのはどういうことか。
それは深山さんの中でのことでしょう? 少なくとも私は皆さんの意見は問題に出来る無いようならすべき、と思う。
荒らし行為や議論が成立しないような物は確かにいけないが、そうでないものは意見を出しても意見は意見です。
私はそういう風に捉えているし、そう考えている。相手の解釈を問題としないのは個人の勝手ですが、だからと言って
相手の意見を問題にしないのが掲示板のルールになったら、これは一種の差別であり封じ込めであります。
そして、今私が申したインデックスの引用だって、今の議論とか関係ない、主旨と違うということになります。
理性的に知性的にクールに何でもやったからそれが通ると思うのはどうかと。
いままで私がこういう文章がかけなかったので、本日言わせていただいた次第です。
だから、そういうことも含めて太郎さんが「私達の心に響かない」というのは私にも有るし、非常に冷たく映る。
深山さんの意見は理路整然としていて一貫性があり、かなりの高度です。ですが、理屈でわかっても心が響かなければ
相手というのは納得しない。それは相手の問題だということもありますが、でも太郎さんは少なくとも低い姿勢で
この掲示板で書き込みをされた。過去の私のような”やさぐれ”ではなかった。そして、気持ちを申されてもいる。
私はその姿勢に少なからず感動しましたね。

「大日さんが金粉現象をどう解釈しているかを問題にしているのではありません」という”大日”を別な人に変えても
その当事者はいい気分をしませんよ。自分の意見が問題(相手)にされないのですからね。

その後の>>258 >>259は納得です。
私が半分しか信じない、というのは理論やまた深山さん、107さんが実際に検証・実験されたのだからそれは認めます。
また、理屈の面から行ってもおそらく高確率で「錫杖金粉だろうなあ」と思いますよ。
だって、どう見てもさんべん宝珠の金箔が剥げて飛び散っている風にも思えないし、サイババよろしく空中で金が発生
したなど到底思えない。また、信者細工も私は信じない。
なんだかんだ言ったって現物の金粉を成分分析にかけないとダメでしょう。だから錫杖金粉があればなあ、と私も駄文
をかいたが、無いものはしょうがない。

267大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:33:28 ID:SMd3Zk7.0
また、>>260のように言わなくてもいいじゃないですか。壁や周りから剥がれるものが無いかの問いに答えただけで
糾弾するような言い方はどうかと。
いいですか?詳しく言うと、壁はヒノキの家。だから金属片が剥げて落ちるような壁ではない、ということ。
天井もそうです。床だってフローリングですから、ましてその上にカーペットを敷いているのでます無いと。
それこそ昔の建物に見られたキラキラした材質、まあ金属でなくても金色のプラスチックか何かはわからないが
そういうものの含まれている壁なら深山さんや107さんの話はわかる。そういうのが皆無だというのが一つ。

次に、金属の花瓶や家具などそういうものがそばに無かったか、とか家の中に有るだろう、というのは信者も私も
その持ち主さんに聞きましたよ。そういうのが剥げたんじゃない?と。
ところがそういうのは置いてない、というのです。でも、じゃあ私もその人の家に再度上がりこんで検証したわけ
ではない。過去に屋敷浄霊で行った際にそういうものは見かけなかったから信じたということですから、警察の
鑑識よろしく詳しく金粉出現の日からすぐに家を調べたわけではない。
だから、私はその方の家の金粉が降ったのはブラボーとも思わないし、また阿含宗の正当性を主張できるものではない。
それらはもう何度も書いているので書きませんが、完全真実とは思わない。何かあるだろうが検証しないとわからん、
という状態です。

なので、私の言いたいのは、錫杖金粉も信じるし、理論もなるほど、と思う。
だが、イレギュラーというか錫杖金粉理論に則さないのも有るが、それはどうなのかなあ、ということです。
それの最たるものはファミレスの件と私の申す「冥徳墳墓の戒名を貰っただけで生じた金粉事実」において、錫杖金粉
の理論はさすがなことであるが、さて、どうかなあということです。
ああ、後は金粉が降った事実は「不思議だよなあ」という感慨が有る、という個人的私見だけだ、ということです。
別段、奇蹟を後押ししてもいないし、推奨もしてない。ましてやA宗の擁護などしてません。これらはご理解ください。

268大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:34:01 ID:SMd3Zk7.0
あと、仰せの金粉が出た事実に対し、「錬金術じゃないか」というのはその通りです。
むしろ私が在籍中は「そんなに金粉が出るのなら集めて商売できるんじゃないか」という冗談にしかならない冗談を
思ったものでした。まさにアゴンゴールドビジネス! 浄霊班でなくとも金生成チームでも作って道場の奥の奥で、
金を空中から精製し、それでお金を作るというビジネス! ・・・・・ありえないことです。

また、錫杖を振らないで金粉が出るなら凄いでしょうね。でも、やはり金粉などタダの縁起物でしかない。
もしか、私が金粉を全身に降らせるようなことが出来たらTVにも出れるし、ギネスにも乗るだろうし、奇人変人に
即登録です。まして、それが純金だったら売って儲けることもできる。

ありえない話です。それこそウルトラマンが本当に居ないと同じで、全くありえない。
法要をやって金粉が降ったからと言って、だから何?です。
なので、「こういう現実的な説明よりも、物質不滅の法則を超えた現象が起きたと信じるのですか」は信じるという
よりも「ああ、そうですかあ」という言葉と認めだけ行い、信じるか信じないかは別です。むしろ信じてないという
方です。それこそ信じてたら金粉説に傾倒し、「ほら、やっぱりアゴンは凄いでしょう」と言い出すはずです。
擁護の値打ちもないのが今のA宗です。

ですから、深山さんの言われるとおり、錫杖金粉説は信じるし、そうだと思います。
ですが、イレギュラーな例には説明が付かないし、わからない。
だから不思議ですねえ、というしかないというだけ。
ファミレスの件は太郎さんの意見を待ちましょう。私も当事者でないので限界があります。
そして、私の方の冥徳墳墓の戒名をいただいたら降った金粉は、実際現物も有ることから将来成分分析して見ます。
また現在に於いてまだ成分分析してないけれども、これは不思議現象であってそれ以外の何物でもない。
せいぜい、不思議な縁起物?が発生しただけだ、と思います。
A宗の奇蹟でもゲイカの超能力云々でもないし、また仏様のご加護とも思わない。そういう考えです。

269ラシン:2009/10/19(月) 10:19:52 ID:2LdR/Kgw0
金粉?

金粉の経験は、私もすでに>>44で申し上げたとおりですが、
記憶を辿ってもう少しその時の状況を記します。
知人のファミリーを通して、私の知り合い(仕事仲間)の
会社事務所を浄霊することになり、私もその浄霊班に加わって、
近くの神社に参拝して行いました。
人数はたしか私を含め10人程度で相手方会社は経営者ともう一人ですから
総勢10数名くらい、昼過ぎに三ベン宝珠をお祭りし部屋を暗くして
修法いたしました。錫杖を振ったのは左右2人づつの4人だと記憶しています。
金粉に気づいたのは、修法を終えて修法場所の事務室のブラインドとカーテンを開け、
室内の蛍光灯を付けた時ですが、最初は天気も良く日差しに舞う埃に
見えました(よく窓の日差しで無数のチリが舞う感じです)
その頃は皆さん法衣の着替えも終わり、挨拶などしている最中でしたが、
黒い会議テーブルに無数の1mmにも満たないテーブルの上一杯の金粉が
落ちていて、手で撫ぜると付いていましたし、息を吹きかけるとかなりの量が
飛散離散し、これは金粉だと騒ぎましたね。当時は初秋でしたが残暑で
エアコンを附けておりましたから、部屋中また衣類や頭髪まで付着していました。
しかし、班の責任者はそのことに無関心な様子で挨拶を終え帰られました。
私は居残って知人と不思議なこともあるものだ、これは縁起が良いねと
談笑しながら、その間中振り舞い続けるキラキラした金粉を眺めていました。
先述したとおり、その会社は一年も絶たず倒産の憂き目に合いましたから、
縁起など何の意味も関係もないと、嘆息した記憶があります。

270名無しさん:2009/10/19(月) 12:13:23 ID:6ISWS4I20
大日さんの思いは普通にその通りです。
みんなそう思っていますよ。
彼の性格は完全主義、潔白主義だと思う。彼の良い面でもあり悪い面でもあるのです。
彼はそれを認めないでしょう。 ま〜仕方が無いと諦めた方がいい。

271深山:2009/10/19(月) 12:42:50 ID:THiBdUJM0
>>263 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:31:09 ID:SMd3Zk7.0
>除外したら相手の説明や意見もあったものじゃない。そういう言い方をしたらあなたのサイババの話

だいぶん怒っておられるようですが、私の書いた文章をもう一度読んでもらえませんか。
私は、これを大日さんの指摘された内容についての「言い訳」だと書いている。
大日さんの話が外れていると言ったのではなく、
大日さんが奇怪現象と言っているにもかかわらず、私が霊現象と
言ってしまった理由を説明したのです。
記憶違いで書いたのではなく、大日さんがそのように書いているのは知っていたが、
両者の違いを区別する必要を私は感じていなかったからだ、と書いたつもりです。
私がこのスレの主旨、またアゴン宗の金粉の解釈からして、
霊現象と奇怪現象とわざわざ分類する必要はないと思ったからです。
繰り返すが、私にはその両者は区別がつかない。
言葉として違いはわかりますよ。
だが、現実に金粉現象が霊現象なのか奇怪現象なのかという区別はつかない。
私の分類は、現実的に説明できる内容か、それとも説明できない内容か、という違いだけです。
たとえば、光が飛んでいたとして、それは幽霊の火の玉としての霊現象なのか、
それとも宇宙人のUFOなどの超常現象なのかなんて区別はつきません。
私がそれを分類するなら、光の反射による幻影やプラズマ球などの現実的な現象か、
もしくはそれでも説明できない現象かという分類しかできません。
そして、たぶん、多くの人がそうです。
だから、大日さんが奇怪現象と述べているのに、私はそれは主旨から外れた分類で
あると判断して、霊現象とひとくりりにしてしまったと言い訳を書いたのです。

272深山:2009/10/19(月) 12:44:33 ID:THiBdUJM0
>>263 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:31:09 ID:SMd3Zk7.0
>だって、「ここはサイババの話をする場所じゃない」とか「論議はそういうものを対象にしてない」

サイババの物質化現象とそれを信じてしまった信奉者たちの話は
もろにこのアゴン宗の金粉現形と関係します。
サイババそのものや、あれが手品か超能力かを議論したのではなく、
手品など現実的な理由があるにもかかわらず、
彼らは物質化現象という奇蹟が起きたと信じ込んだ点を指摘したのです。
金粉を神仏のお手配と言ったのをそのまま信じたのと同じです。
金粉現形を未だに信じている信者さんは、サイババの教団でどんなことが
起きたか、ぜひ自分で調べてみてほしい。
オウムもサイババも他人事だと思って笑っていると、
いつまでも桐山さんの手のひらから出られない。
人間はどこでも似たような間違いをしています。
両者はアゴン宗信者が他山の石にするべきことです。

273深山:2009/10/19(月) 12:47:22 ID:THiBdUJM0
>>264 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:31:52 ID:SMd3Zk7.0
>それを「大日さんが金粉現象をどう解釈しているかを問題にしているのではありません」というのは綺麗な表現
>だが、意味はあなたの意見は問題外だ、と言っているのと変わらないのですよ。

私の表現が気に触ったのなら撤回しましょう。
ただ、上記の一文だけを単独で引っ張り出して見ないで、この文章が
どういう流れで書かれているか、>>257の全体を読んでください。
>>245の書き方からすると、大日さんは、批判側が「大日さんはアゴン宗の奇蹟を未だに
信じているのではないか」と疑っているのではないかと思っていましたよね?
>>257で私が最も言いたかったのは、そんなことはない、という意味です。
少なくとも、私はそんなことは思っていないと、あなたの誤解を解こうと思ったから、
「はっきりさせておく必要がある」とわざわざ強調した。
>>257の上記の文章の直前の文章を読んでください。
批判の対象がアゴン宗の教義であることを再度強調している。
議論対象は、各人の解釈ではなく、アゴン宗の教義なのだという意味です。

274深山:2009/10/19(月) 12:55:12 ID:THiBdUJM0
>>264 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:31:52 ID:SMd3Zk7.0
>それを「大日さんが金粉現象をどう解釈しているかを問題にしているのではありません」というのは綺麗な表現
>だが、意味はあなたの意見は問題外だ、と言っているのと変わらないのですよ。

大日さんに限らず、擁護側、批判側がどんな解釈かではなく、
アゴン宗の解釈こそが議論の対象なのです。
アゴン宗をタイトルに入れ、またこの話のきっかけとなった太郎さんの話も
すべてはアゴン宗の話であって、金粉そのものの話ではありません。
金粉がなんであるかを追求するのが目的ではなく、
金粉を仏様の御意志、アゴン宗の正当性の証拠としていることへの批判なのです。
だから、私はあなたが超常現象と表現したのに、霊現象と一括りにしてしまったのです。
大日さんに限らず、個人が金粉をどう解釈するかなんてどうでもいい(と書くとまた怒るかもしれないが)。
それぞれの解釈や説の是非ではなく、金粉の正体の追求でもなく、
アゴン宗が根拠としていることの是非を議論している。
私はこの点から議論がずれないようにしているつもりなのです。
金粉については他教団やテレビでの実演を見たことがあります。
話題としてはおもしろい内容だが、私はそれを書きたくない。
なぜなら、「アゴン宗の金粉」とは関係がないし、議論があらぬ方向に
すべりだすのを恐れているからです。
そして、2ちゃんねるの擁護側などを見てもわかるように、
議論に勝てないと直接関係ない方向に話を持っていこうとする。
今も大日さんが悪さをしていると書いている擁護側がいる。
ああやって関係ない話で煽り、批判をそらそうとする。
私がスレの主旨という水戸黄門の印籠を出すのは、
坂の上で議論しているようなもので、時々力を加えないと、
自然にあらぬ方向に議論が拡散してしまうからです。

275深山:2009/10/19(月) 13:01:35 ID:THiBdUJM0
>>267 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 09:33:28 ID:SMd3Zk7.0
>また、>>260のように言わなくてもいいじゃないですか。壁や周りから剥がれるものが無いかの問いに答えただけで
>糾弾するような言い方はどうかと。

言葉が不適切なら撤回します。
実は、こういう結果が予想されたから、前に大日さんには、
これ以上の大日さんの体験についての議論は必要がないのではないかと書いたのです。
再度書くなら、浄霊については錫杖で説明がついてしまうが、
錫杖説は金粉を説明する一つにすぎません。
大日さんもおっしゃるように、他にも様々な原因や理由があるはずです。
錫杖を用いていない場合、その原因の大半は今となっては調べようもないからわからない。
だが、いずれにしろ、仏様が金粉を降らせたという荒唐無稽な話よりは、
誰かかが出入りした時に身体に付着した物が落ちたなど
現実的な説明で現象は十分に説明がつきます。

余談ですが、普段使っているハサミが私が置いたはずのない所に
勝手に移動していることがある(笑)。
聞くところによると、あれは部屋に棲んでいる小人の悪戯らしい(笑)。

276準シュダオン:2009/10/19(月) 13:24:19 ID:P9JinFks0
金粉といえば、阿含宗総本殿の落慶パーティに出席したとき、私の隣の信徒が
急に、「あっ、金粉だ!降ってる!降ってる!見て、見て!」と、空中を指さ
して、騒ぎだしたことがあったねぇ。その信徒は、「あっ、私の手にも付いて
る!」といって、手の掌を私に見せたものでした。これは、無から有が生じた
のではなくて、色即是空ですからね、不可視状態であった金粉が、単に可視状
態になっただけでしょう。だからといって、この現象がどういう意味を持つか
など、信徒同士で話題にしたことはないですね。管長の話も聞いた記憶がない
ですね。まぁ、不思議な現象というしかないね。

ユビキタスさんは、預流向解釈でまだ抵抗するのですか。呆れたけど、
ここは重要な問題ですからね。管長が預流向を聖者に含めていないことはご存知
ですね?1995年4月号のダルマチャクラで詳しく説かれていますからね。
だからまず、阿含宗信徒は、預流向を聖者に含めてはいないのです。

次に、私が持ってる岩波仏教辞典では、四向四果の項に、
「預流とは聖者の流れに入ること」と説明されており、
また、「(向)は修行の目標、(果)は到達した境地を示す」
と、解説しております。ですから、預流向とは預流果を目標にして修行して
いる者のことだとわかりますね。預流果になって、はじめて聖者の境地に到
達するのです。だから、仏教辞典の解説と管長の説明は同じです。
また、阿含経現代語訳・長阿含経を発刊した、平河本の学者先生方も、四向四果
については管長説と同じです。

277名無しさん:2009/10/19(月) 13:38:58 ID:6ISWS4I20
大日さん、ま〜仕方が無い奴だと許してやってください。
彼はそれ以上に良い仕事をしてますし
人間、中年にもなればなかなか自分の性格は直せません。
貴方は素直で度量のある方だ
彼の性格も十分見抜いているはず、これ以上この件で話しを進めても
貴方の納得する方向には行きますまい。 許してやってくだされ。

278準シュダオン:2009/10/19(月) 13:47:45 ID:P9JinFks0
預流向について、平河本の例を一つ取り上げると、第2巻のP283の語注に、
「須陀?果、預流果とは悟りへ向かう流れに入った聖者のことである」と、
解説されており、また
「須陀?向、預流向とは、須陀?果に向かって進みつつあるものをいう」
と、解説されています。結論部分だけを引用しましたが、管長の説明とも、
また、仏教辞典の説明とも一致することがおわかりでしょう。

また、お釈迦さまは、煩悩を断った最初の段階を須陀?と説いていますの
で、須陀?からが聖者としている意味がおわかりでしょう。これが、煩悩
を満載の預流向をも聖者に含めてしまうと、凡夫と聖者の違いをどうする
のか、わけがわからなくなってしまうでしょう。

279ラシン:2009/10/19(月) 13:49:03 ID:2LdR/Kgw0
>276 :準シュダオン:2009/10/19(月) 13:24:19 ID:P9JinFks0
金粉といえば、阿含宗総本殿の落慶パーティに出席したとき、私の隣の信徒が
急に、「あっ、金粉だ!降ってる!降ってる!見て、見て!」と

落慶パーティって何?落慶法要?勧進帳の奉納時なのか、私は聞いたことがない。
況してや、厳粛な雰囲気の中で信者が騒いでいたのか?不思議だ。

>次に、私が持ってる岩波仏教辞典では、四向四果の項に、
「預流とは聖者の流れに入ること」と説明されており、

だから、あなたの強弁する預流果から聖者の流れなどとは
表記されていないだろ?
預流とは預流向・預流果を総称しているからです。

280準シュダオン:2009/10/19(月) 16:37:41 ID:P9JinFks0
預流果から聖者の流れにとは表記されていない?
文脈で判断しなさい、ての。
そんな理屈は仏教学者に対する屁理屈だろうがW。
預流向を聖者と定義したらさ、
「預流向とは聖者の流れに入ることを目標にして修行している聖者」
という説明になってしまう。何たるへんな文ではないかW。
ラシンくんの理屈ではそのような陳腐な理屈になるね。
頭冷やして、何度も考えてみなさい。

いいかね、「預流とは聖者の流れに入ること」と辞典にあり、
「向とは目標へ向かって進むこと」「果とは到達した境地」と説明があるの
だよ。だからさ、預流果とは聖者の流れに入ったことを示し、預流向とは
聖者の流れに向かって進んではいるが、まだ聖者の流れに到達していない
存在だってことがわかるでしょ?
これがわからねば、だめだこりゃ。

281大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 16:54:52 ID:SMd3Zk7.0
深山さん、ご意見拝読しました。納得です。了解しました。
私もいいすぎた感があり、自分で内省反省もしていました。

今回は自分も意見を有る程度述べましたので、もう大量投稿は無いです。
太郎さんの時間が空いたら伺いたいこと(ファミレスの件)とかが出てきたら
また書くかも知れません。>>271>>275のご意見、ありがとうございました。

282Boo:2009/10/19(月) 16:54:54 ID:DXlq9owoO
ダメなのは、準さんですよ。

あなたは、というか、アゴン宗の信者である限り、四向四果には縁がないんですよ、永久に。解ってるの?

283準シュダオン:2009/10/19(月) 16:57:32 ID:P9JinFks0
あとさあ、ラシンくんは預流とは、預流向・預流果の総称と考えてるようだ
けどさ、それは違うよ。そう考えるから間違うのだよ。
前にも同じようなことレスしたけどね、
阿那含とは阿那含向と阿那含果の総称ではないのよ。
阿那含向とは、阿那含果を目指して修行している斯陀含果の別名なのよ。
↑これをよく考えて理解してごらん。

阿那含向とは、四沙門果でいうと、斯陀含果に属するのです。
阿那含向とは、阿那含に到達していない、ということを示しているのですよ。
到達したら阿那含果と呼ぶのですから。
だから、預流を預流向と預流果の総称と考えてはダメね。

284Boo:2009/10/19(月) 17:08:23 ID:DXlq9owoO
いや〜、大日さんも深山さんも大人ですね〜。

私も2chの荒れ気味のスレッドには時々違和感を感じていました。大日如来さんが荒れない掲示板を作って管理者として不適切な書き込みを削除する方法は賛否両論ありましたが、結局深山さんもこちらに書き込むようになって、2chと比べるととても快適な掲示板となっています。

結果的により良い意見交換良質な情報入手が可能になりました。

大日如来さん始めみなさんに感謝いたしております。

285ラシン:2009/10/19(月) 17:27:06 ID:2LdR/Kgw0
>283 :準シュダオン:2009/10/19(月) 16:57:32 ID:P9JinFks0
あとさあ、ラシンくんは預流とは、預流向・預流果の総称と考えてるようだ
けどさ、それは違うよ。そう考えるから間違うのだよ。

岩波の辞書で預流を何と解説しているか見なさい。
預流とは、四向四果の最初の段階、と何度も提示した。
つまり四向の最初は預流向、四果の最初は預流果となるんでネ−の?
まとめれば、預流=預流向、預流果じゃないの。
窮屈なオツムでの屁理屈は通じません。
あなたの得意なデッチアゲの資料は無効です。
咆哮は止めて”丁稚”奉公からやり直しなさいね。

286大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 17:28:02 ID:h7BMmGTo0
>>284 Booさん、恐れ多い次第です。深山さんは大人ですが、私はまだ子供です。
文章も下手でまだまだ深山さんを始め、批判派の諸兄様方にはまだ追いつけません。

私も今回色々言いましたが、やはり皆さんには感謝の気持ちは沢山あります。
深山さんも悪気などないし、また2chだけでなく当掲示板に来ていただき意見を
投稿していただけるのは嬉しいです。

私も汗顔の至りで最初は閉鎖的・差別的でした。ですが、果たしてそれでいいのか、というのと
批判意見と擁護意見のどちらが正しいのか、というのを知ると、やはり批判側の意見が正しいの
が多く、擁護だけの掲示板と言うのはいけないなあ、と感じ現在の形である、議論にならない
意見とか荒らし行為などを排除する、という姿勢で行わせていただいています。
もし、2chがこの掲示板のようであったら@chsもしたらばも生まれて無かったかも
しれません。

現在も2chは混沌としていますが、あちらは仕方ないでしょうね。
やはり雑音がないのはいいですよね。(過疎であったり有名でなくても)

私もBooさんをはじめ、皆様にも感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。

287大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/19(月) 17:31:26 ID:h7BMmGTo0
>>286 訂正を。

深山さんも悪気などないし=X 深山さんは悪気など無くいいお方ですし=○

に、訂正です。不適切な表現、失礼しました。

288名無しさん:2009/10/19(月) 20:15:19 ID:ZYlJA01wO
>>280
文脈からいうと預流になってはじめて阿羅漢 解脱へのルートが
確定するわけですから流れに乗って完全解脱に向かうということ、
すなわち見道位でいいのです。
不退転の境地のことですから預流向というのです。
不退転であり解脱は時間の問題ですから聖者なのです。

289名無しさん:2009/10/19(月) 20:51:40 ID:ZYlJA01wO
仏教の目標は涅槃に至ることです。
涅槃への流れに向かい、退転することがない迷いの煩悩を切った瞬間を
預流向といい その瞬間に涅槃へのルートが確定するのです。

290ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 00:05:47 ID:SmEF4Oe2O
>>276
おお!準シュダオンさんも金粉話に乗ってきましたか?
実践経験が皆無だから何もコメントできないと思っていたよ。
空から金粉が降ってくる!とあなたの隣の人が叫んだだけであり、あなた自身は
確認してないのですよね?
確認してたら私もキラキラ光るそれを見たと書くはずですからね。
それから隣の人は見事にそれを手でキャッチしたわけですよね。ストライク!
ナイスキャッチと言いたいとこだが、そんなに降ってるなら手のひらに限らず
頭や衣服、そう、そのお隣さんだけで準シュダオンさんの衣服にまとわりついても
よさそうなものだ。
お隣さんの手のひらのキラキラ金粉は見せてもらったんですよね?
味見させてもらえばよかったのにw
しょっぱ!
あなたにも見えなかった金粉と手のひら金粉が同じかわからんではないですか?
金粉現象なんてネットでも調べればチョロチョロ出てくる。金粉体質とか。
だからこれは錫杖のそれではないでしょう。
無から有が生じたのではなく、不可視の物が姿を現しただけ?
それじゃあなにかい?この空気中には目に見えない金粉が常に舞っていると
言いたいのか?
それともなにかい?あなたの座っていた総本殿からほど遠い星まつり会場には
宗務局職員がこっそりと空から金粉を少量蒔いて、気が付く人だけ気が付く演出を
したと言いたいのかい?
いくらなんでも俺でもそんなわざとらしいことはしないと思う。
しかしあなたも金粉の価値などどうでもいいようだね。私もそう思う。
今日最大の傑作は>>269のラシンさんの報告だよ。
いや、これ実話なんだから他人様の不幸を笑ってはいかんのだが、不謹慎にも
笑ってしまったよ。
新事業所開設で繁栄を祈念して浄霊法要をしたら、金粉現形し、こりゃ幸先ええわい
と思ったら1年後に倒産だろ?
なんのために金粉さん出てきたんだよ。間の悪いw
おまえはアホか?金粉出なかったね〜、それでやはり倒産したし。出なかったことが
徳のないことを示す暗示だったんだね〜と解釈できるのだが、おまえなんで
出てきた?!この恥かきっこが。
こんなアホな金粉に何の意味がある?

291ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 00:20:40 ID:SmEF4Oe2O
あと太郎さんが最初書いていたしまいにゃ金箔だらけになる先達、そりゃ妖怪の
ごとくキモイよ。金粉の祟りか?
バンパイヤだな。
水谷豊少年も月を見ると毛むくじゃらの狼アニメに変身します。

292ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 00:41:25 ID:SmEF4Oe2O
まあ息抜きに紅茶でもどうぞ。

http://m.youtube.com/watch?v=UUWxpPmPPiI&hl=ja&gl=JP&warned=True&client=mv-google


さて、明日は「よるかちゃんの格闘―肉親血縁相剋の因縁編―」をお贈りします。
乞うご期待。
書かんでもわかるよな?

293ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 01:03:46 ID:SmEF4Oe2O
http://m.youtube.com/watch?v=43h2t4YZaJ0&hl=ja&gl=JP&warned=True&client=mv-google

よるか〜よるか〜よ〜る〜か〜〜♪
預流の軍団♪預流の軍団♪なにするものぞ〜♪

この番組に出てたユリカちゃん(斉藤浩子)は後に定岡三兄弟の末っ子と結婚しました。
ゴード(潮哲也)は一時競馬中継に出ていたな。
予告編が賑やかな割りに内容はあっさりの予定。

294樹意:2009/10/20(火) 05:29:20 ID:tsllgqu20
私も以前 奈菜氏さん「現深山氏」と議論を交えたことがありますが
そのときも今の大日さんとのやりとりと似通ったものだったように
記憶しております。

以前書いたことがありますが、彼の場合は一旦現実世界で説明がつかないか
厳しく要因を追及されるのが常です。
アビダルマによれば我々凡夫は 受 として五根から情報を入れますがそれを
あるがままに見るのではなく 情報に対して妄想という加工が施されるといいます。
「二の矢を受ける 」  刹那の世界の話になりますが。

私がよく書いているアゴンの批判で 私たちは詐欺行為を批判しているわけですが
詐欺行為にあうというのは 「金融上の事故」であり 各自金融資産に被害をうける
ということであります。
つまりは実害が伴っている、 となれば再発防止という観点も必要であると考えます。
その観点から眺めるに 深山氏の場合はこういった 「甘さ」というものを排除して
いる点において評価できると思っています。

私は 以前奈菜氏さんと議論したときには 憤慨した面もありますが今にして思えば
 「甘さ」があったと反省しているしだいです。

295太郎:2009/10/20(火) 05:41:26 ID:p6OhJsmk0
皆さん、投稿が大変遅くなってしまい申し訳ありません。

前回からの続きをまた懸命に拝読させていただきました。
金粉のことをどうのこうのと言い出した本人がなかなか続きを書けないままど
んどん進行してしまったようで本当に申し訳ありません。

前回錫杖の成分について確認させていただきましたが、やはり仏具全般が真鍮
製だということで了解しました。
ありがとうございます。

大日如来さんを始め、金粉の成分分析をすればはっきりするのに、というお話
がありましたが私も全くその通りだと思います。
これまでどなたからも分析をしたというお話が出ていないようなので、この機
会にご報告させていただきます。


私は金粉が降るという報告が最初になされてから(私の記憶ではある月の例祭
終了後の定例会での報告だったと思います)、なぜそのようなあり得ないこと
が起こるのかと不思議に思い、分析してみることにしました。

幸いなことに、当時大学(理科系)に在籍しており日常的にX線回折装置を使
っていたため、件の先達の修法後、集めた金粉を当日のうちに大学の研究室に
持ち込みX線回折をかけました。

結論を申し上げますと、残念ながらこの金粉の成分を完全に特定することはで
きませんでした。

ちなみに、その時にX線回折で得られた科学的知見は以下の通りです。
・この金粉の結晶構造はFCC(Face-Centered Cubic lattice、面心立方格子)
・その格子定数は3.67〜3.68Å(オングストローム)(=0.367〜0.368nm)

(参考)
*同じ面心立方構造の元素の格子定数:銅3.62Å、金4.08Å、銀4.09Å
*亜鉛(六方最密充填構造)の格子定数:a=2.66Å、c=4.94Å


もちろん不純物等の影響が出る場合もありますので、これだけで完全に結論付
けることはできませんが、X線回折図形の散乱角度と散乱強度から判断すると
とりあえずの結論は以下の通りです。

・この物質はかなり銅に近い。
・しかし銅ではなく、その他の亜鉛、金、銀などの単体元素でもない。
・かといって真鍮(銅と亜鉛の合金、CuZn)であるとも言い切れない。
なぜなら真鍮はBCC(Body-Centered Cubic lattice、体心立方格子)の典型例
であり結晶構造が異なっている(以下のサイトで解説されています)。
http://www.f-denshi.com/000okite/300crstl/302cry.html
http://www.geocities.jp/e_kamasai/shiryou/d-base/dic_ka.html
・しかし、亜鉛の比率がかなり低い場合は面心立方格子が混合している場合も
あるため亜鉛との合金(真鍮)である可能性も完全に無いとは言えない。
(使用されていた錫杖の成分比率によります。)


錫杖説がこれまで有力な説として挙げられていますので、可能であれば、金粉
が出た時に再度、その時に使用した錫杖と金粉の両方の成分を分析して比較す
ればはっきりすると思います。

現在でも、時々ですが屋敷浄霊法と関係無く金粉が出る時がありますが、当時
も金粉が出る時には錫杖と関係無く色んな場所に出ていましたので(正確に言
うと、私は自分の目で何度も何度も金粉を見て荒探しをした結果そう認識して
いましたので)当時は錫杖を壊してまで分析しようとは考えませんでした。

しかしここまで錫杖説が根強いですので、どなたか現役会員さんで分析可能な
方に是非やっていただきたいものですね。
私は残念ながらそのような分析ができる環境からもう離れてしまいましたので
無理ですが・・・。

296太郎:2009/10/20(火) 05:49:56 ID:p6OhJsmk0
それからファミレスのテーブルに金粉がばら撒かれたようになっていた件につ
いては、席に案内された時点で最初からテーブルの上が全般的に妙にざらつい
ているので、最初に何故こんなところに砂がばら撒かれているのかと思い手で
拭ってみたところ、それがどこもかしこも例の金粉だったという話です。

もちろんすぐに店員を呼んで拭いてもらうと同時に、何故こんな状態になって
いるのか聞きました。しかし店員も「判りません」「申し訳ありません」」と
言うだけで終わりました。
時間帯もお昼過ぎでしたし、直前までその真上の工事や天井を何かいじってい
たとは考えられず、結局理由は判らずじまいでした。

もちろん法衣でそのままファミレスに行ったわけでもなく、みなさん普通の洋
服に着替えてからファミレスに行きましたし、席に案内された時点で既にテー
ブル上がそのような状態でしたので、自分達から金粉が落ちたとか付いたとい
うことはありません。

また錫杖説だと、さらに金粉現象が進みその先達の身体が金箔(みたいなもの)
で覆われていくような現象は説明がつかないと思います。

色々な経験から、私自身は「金粉(や金箔)は、何も無いところから出現する
のではなく、もともとそこにあった物質(埃や汗)などが変質してそうなって
いるのではないか」と考えています(もちろん仮説です)。

というのも、金粉は確かに出現しますが、時間が経つと大きなものも小さくな
ったり、もともと小さかったものは消えてしまったりするからです。私は一度
出現したものが何故消えるんだろう、と今度は逆にまた訝しく思い、よく注意
して見るようにしていました。すると、机の上などに出現した金粉や金の欠片
を時間が経ってから再度見てみると同じ形で埃になっていることがありました。

それを見て、私はそのような仮説を持った次第です。

それらが金そのものではないとしても、何故そのような金色に輝く状態に変化
するのかという理由は全く判りません。

297太郎:2009/10/20(火) 05:51:18 ID:p6OhJsmk0
> 224 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/18(日) 10:51:49 ID:SmEF4Oe2O
アゴン宗を離れて金粉現象というのは巷でもよくあるのですね。
顔とか手のひらから金粉のようなキラキラ光る粒子が出たとか。
金粉体質と言って、汗の一種でしょうが、キラキラ光る何かが分泌される。

また、ユビキタスさんが上記のようにおっしゃっているように、阿含宗以外でも
金粉が出現するケースが結構あることも存じ上げております。
また私自身も身体から時々金粉が出ます。
それはやはり汗が変質してそうなっているという感じです。
手や顔に出た場合、何も触らず放置したまましばらくして時間が経つと消えてし
まいます。
また人によっては金粉ではなく銀粉を出す人もいます。

これは阿含宗の方ではないのですがヨガや気功を修めている方がおり、その方が
人の治療をする時には体のあるチャクラの部分に集中的に金粉が出現します。

色んなケースを見て、私はどうも聖なるものに波長を合わせることで出現するの
ではないかという仮説を持っています。


しかし、金粉が出現したからと言って「だからそれが何?」という話は当然あ
ると思います。
私も金粉が出ること自体は日常的で不思議だとは思いませんので、他人に出て
も自分に出ても気にもならず、確かに「それに何の意味が?」とは思います。
私自身は上記の仮説ですので、単に「ああ精神状態が結構良いんだろうな」と
か「ああこの人は何か聖なるものに波長を合わせてるんだな」くらいに考えて
います。

ただ、私はこの金粉が出現する現象は(ここからは「話が飛躍し過ぎだろう」
「大袈裟過ぎ」と思われるかもしれませんが)有名な弘法大師空海の逸話「清
涼殿八宗論」に通じるものがあるのではないかと考えています(これももちろ
ん仮説です)。
そのためにある程度意味があるのではないかと考えています。

「清涼殿八宗論」とは、嵯峨天皇が南都六宗と比叡山の高僧そして空海の8人
を宮中の清涼殿に召集してそれぞれの宗旨の真髄を聴聞した時に、空海だけが
即身成仏を説くので「では具体的に即身成仏とは?」「そんなことが可能なの
か?」と問われた空海が、印を組み、真言を唱え、仏の三昧に入りしばらく
するとみるみるうちに体が黄金色に輝き大日如来になって見せた、という例の
話です。

亡くなられたその先達は、失礼ながらもちろん空海のレベルでは全然無いと思
いますが、その先達のそれの先には空海が見せたと言われるものがあるのでは
ないかと思うのです。

仏という聖なる存在に意識を合わせてそういう精神状態に入っていった時にそう
いう現象が現実に起きるのではないかと考えている次第です。
もちろんこれはあくまで仮説ですので、何の証拠もありません。
いわゆる「イメージは現実化する」とよく言われているものの究極です。

また空海は、所詮密教者であって仏陀釈尊の教法ではないものを修行した人だ
からそんな人はどうでも良いと言われるかもしれません。
ただ、私は空海という方は相当なレベルで意識を自由自在に使うことをマスタ
ーしていた人だと考えており、仏陀釈尊の説かれた涅槃という境地に至るため
にもまずそのレベルくらいまでには意識を自在に使うことができなければ、
完全に目覚めることはできないだろうと考えていますので、ものすごくお手本
になる方だとは思うのです。
私自身は、阿含宗に入行したことからも当たり前ですが、日本人では空海以上
に釈尊のレベルに近いところまで到達した方は無いだろうと考えています。

話があちらこちらに飛んでしまい、申し訳ありません。
そういう意味で私は、たかが金粉、されど金粉、なのかなと考えている次第
です。

そして私がこの金粉の件を持ち出したのは、猊下や阿含宗の教義についての問
題云々の話ももちろんあるのですが、阿含宗の修行法など正当化する現象の一
つだと(おそらく会員さんの間でも)思われているであろうこの現象について、
どなたかが既に私以上に明確な分析をされて科学的な見地からの検証に耐えう
る解答をお持ちであれば、是非ご意見をお伺いしてみたいと思ったからです。

私も当時もっと突っ込んでさらに分析を進めれば良かったのですが、当時は
結局そこまで調べるにとどまってしまいました。

何だか中途半端な内容で申し訳ありません。

298170:2009/10/20(火) 07:49:26 ID:C1A6cUmk0
>>>295
太郎さん書き込みありがとうございます。

>もちろん不純物等の影響が出る場合もありますので、これだけで完全に結論付
>けることはできませんが

>296
>色々な経験から、私自身は「金粉(や金箔)は、何も無いところから出現する
>のではなく、もともとそこにあった物質(埃や汗)などが変質してそうなって
>いるのではないか」と考えています(もちろん仮説です)。

そのような冷静な受け止め方は、アプローチとして正しいと思い同意できます。
成分分析も埃などの不純物によって影響も出るようですし、屋敷浄霊で金粉が出現することは
何らかの物理的な要因があると太郎さん自身が理解していますので、それでよいのではありませんか。

ただ、
>よく注意
>して見るようにしていました。すると、机の上などに出現した金粉や金の欠片
>を時間が経ってから再度見てみると同じ形で埃になっていることがありました

これは、もしもその金粉が真鍮などの酸化する金属片であるなら、酸化によって変色し、
埃のように見えることも考えられます。
真鍮も経年によって表面に酸化膜が生じて色がくすみます。
微少な金属片なら、酸化して色あせて、それが埃のように見えることも考えられますが、
この仮説はどうでしょうか。

ところでファミレスの件ですが、

>もちろん法衣でそのままファミレスに行ったわけでもなく、みなさん普通の洋
>服に着替えてからファミレスに行きましたし、席に案内された時点で既にテー
>ブル上がそのような状態でしたので、自分達から金粉が落ちたとか付いたとい
>うことはありません。

とありますが丁度>>269でラシンさんの報告に、
>エアコンを附けておりましたから、部屋中また衣類や頭髪まで付着していました。
と、頭髪にも付着していたことが書かれています。
頭髪への付着は私も経験があります。

仮説になりますが、錫杖の金粉が男性の頭髪の毛に付着し、その後、車で近くのファミレスまで移動。
店に入って頭髪をなにげなく手で払ったとき、テーブルの上に落ちた。
浄霊では女性は頭をおおいますが、男性は頭髪は出たままなので、着替えたとしても、
そのまま頭髪に残っていることも考えられます。
また移動が車の場合、頭髪に付着したまま車に乗り、ファミレスが近くなら頭髪に残ったまま
店内に入ることもあるでしょう。

しかし、頭髪に付いた金粉が落ちたとしても微量?
テーブル一面に金粉が落ちていたとなると、微量であっても散在したため、大量に落ちていたと思われたとか?

金粉体質については、体から金粉が発生する人は案外います。
http://blogs.yahoo.co.jp/juria1224/61355497.html
手や顔、首、腕に限らず全身に出るようです。

金粉に関しては、あと「ラメ」が誤認されやすいでしょう。
http://www.nail-school.or.jp/wholesale/cocovolan/glitter.html
若い子がよく使う「ラメ」ですが、金色のラメが家の中に落ちていたら、
これまた金粉騒動が勃発しそうです。

299ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 08:04:09 ID:SmEF4Oe2O
>>297
ははは、金箔先達のところで、紫磨黄金の膚となったという宮中で空海が即身成仏
を示したという話を思い出したと皮肉を交えて書こうと思ったよ。
自由な仮説はよいが、空海もとんだ金粉パフォーマンスショーをしたものだ。
いや、あるいはそうかもしれないよ。
空海も山師的なところはあるし。
ちゃらりらり〜♪と自分で伴奏を口ずさみながら変身していく。
早野凡平が帽子の形をこねくり回していろんな人に変身するがごとく。(←古!)
最近のお笑い芸人では近いのいなかったっけ?
あさって♪あさって♪さては南京玉すだれ♪大日如来となりますた♪
私にかかると空海もお笑い芸人になってしまうが、その仮説の通りだとすると
そんなものって、仏教と関係ないと思うからです。
釈尊も身体から赤や青や黄色や白のいろんな色の火だか水だか光だかを放って
みせた神通力を示しているが、逆に金粉を彷彿させるものもない。
また神変奇蹟を起こすことの重要性など説いておらず、この桐山本の「仏陀の法」にもある示現経に
よると、この後他心示現を示した後、最後に教誡示現を示す。
教誡とは言葉による教え諭すことであり、民衆はこの最後の教誡示現を聞いて
信心を起こしたという経典です。
神通力を説いた経典のように言われるがよく読むと神通力よりも言葉を介した教諭
が何よりという逆の価値を説いたことになる。
神変示現、他心示現は教誡示現を説きたいが為の前説(まえせつ)に過ぎなかった。
クリハナさんが出てきて↓間違っていますと書きたくてウズウズしてるでしょうがw
さてそういうわけだから空海の即身成仏パフォーマンスを釈尊にまでなぞらえる
のは違うと思う。
金粉体質による金粉現象を演出できるということは、悲しい時に涙を流して
泣いて見せ、おかしい時に笑って見せる条件反射に過ぎない。
先達さんは屋敷浄霊という儀式にすっかり神々しい気分になったことにより
自分でも抑えがつかない条件反射、空海は意識的な条件反射操作と言えよう。
しかしいずれも主観の世界の客観的表現で人格とは関係ない。
桐山さんによる空海の即身成仏技術は金粉説とも違い、人間のもつ凄まじい気が
全身から放たれ周囲を圧倒し、弟子の康安をして、ホトケと呼ばれるものの
本体を見た!などと言わせているが、これも仏教とは全然関係ない世界。
仏教の世界とはもっと静かな内面の平和です。
金粉興奮の世界ではない。

300ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 08:16:56 ID:SmEF4Oe2O
ちなみにバンパイヤも条件反射による即身成狼である。(←マンガの世界だっつの)
さて、よるの軍団に話を移すか。朝だけどw

301ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 08:41:08 ID:SmEF4Oe2O
>>297
聖なる空間に波長が合った時に出るのではなく、その人が「聖」だと主観で感じた
時に条件反射的に出るのではないでしょうか?
つまり所詮はセンチメンタルの世界。
聖なる絶対的な客観空間が存在してそれに合わせるのでなく、その人の感情が
全てで左右されてしまう。
だから偽物をつかむことも多いのではないか?

302ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 08:47:56 ID:SmEF4Oe2O
そして釈尊の世界もまたそのようなセンチメンタルに反応すべく扇情世界ではない。
無論聖なる空間など外部に囚われることでもなく、静かな内面観察によって
よく理知的に統御された世界です。

303ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 08:53:04 ID:SmEF4Oe2O
>>301の私の仮説によるならば、聖と感じるものの中には、本当に価値ある体験
とかも当然含むでしょう。
だから世間の金粉体験の中には宗教宣伝を除いたちょっとイイ話もあるのです。
しかしだからと言って金粉が出たことによって、その体験が正しいものである
ということにはならない。
それは別の指標で判断すべきです。
金粉を指標にしてはならないのです。

304ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 09:32:51 ID:SmEF4Oe2O
さて、ここで準シュダオンさんに提案です。
預流向を聖者の分類にするかしないかの仏教一般の議論はここでやめにしませんか?
やめにするとはお互いの考えを尊重し、相手に無理強いしないということです。
自分は自分の考えがあるからそれを崩さないでよいから。
と言うのは、預流向ではなく預流果からを聖者とすると解釈するグループも
南伝仏教の中にもあるのだそうです。
だからこれは解釈の自由として認めてもよいと思う。
全体を考えれば大した問題ではない。
預流向のまま終わることを目標とする人はいないわけだし。
だから仏教一般の考え方としてはあなたの考えも、ダルマチャクラに示した
桐山さんの考えも自由な解釈として認めてもよい。
あくまでもアゴン宗の現実実践とは別個の仏教の文献的解釈としてですが。
しかしあなたも決して預流向が聖者なんて馬鹿じゃんという発言は控えた方がよい。
それは釈尊をも馬鹿にした発言になりますから。
だから自分が絶対だなんて傲慢に思わず、私はこう考える程度の提示でよいのでは?
だからお互いにお互いの考えでいるという平行線でよしとして、このエンドレスの
議論をやめましょうよ。
その代わり、別の観点から預流向なり預流果の問題を考察しましょうよ。
それは仏教一般の話ではなく、アゴン宗の現実実践や因縁解脱教学を踏まえた
上での四向四果の聖者の問題を検証してみましょう。

305Boo:2009/10/20(火) 09:36:18 ID:DXlq9owoO
私は金粉に関しては、見たことないので、非常に懐疑的立場をもっています。太郎さんがX線解析したのは驚きました。

私はあの法衣にも何か原因が在ると思うのです。洗濯しているの見たことありませんから、埃は大分付着しているのではないでしょうか?それが金粉様に見えるのかもしれない、なんて事も思うのです。太郎さん他のご意見を聞いて、そんなことも思いました。

ま、金粉が飛んだからどうした、と思いますが、法に対して真摯な態度の導師の法要の時に金粉が降った場合にはその場にいたら感動するでしょうね。しかし、そのことを人づてに見聞しても、『あ、そう』と相槌打つ程度のことでしょうね。

306Boo:2009/10/20(火) 09:40:35 ID:DXlq9owoO
うふふ。

ユビキタスさんの大人の提案。実は準シュダオンさんにとって、ピンチだったりして(笑)。

307名無しさん:2009/10/20(火) 10:17:58 ID:9V9cz3tc0
4行しか読めない準さん、たしかにピンチw
提案すら理解できないかも。再び預流向の話題になることに10ペソ。

308ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 10:33:05 ID:SmEF4Oe2O
さて、アゴン宗の現実実践、因縁解脱教学から考える預流果ことシュダオンの聖者です。
ちなみに桐山さんはシュダオンになることが一番難しいと著書に書いています。
最終の阿羅漢果、仏陀に飛躍するのも難しいが、しかし修行で阿那含まで至った
人ならばそれを成し遂げるであろうとしています。
それよりも単なる凡夫が聖者の流れに入る(やめましょうとした預流向の問題ですが
聖者に至った完成者ではなく聖者になるべく流れに乗ったという意味で預流向も
アリなんですね)わけなんだから、ここが一番難しいとするわけです。
理屈だけ聞くとなんとなくわかるような気がする。
ここに金づちの人がいて、彼が泳げるようになるのが一番難しいわけで
泳げてしまえば、クロール、平泳ぎ、背泳、バタフライとマスターするのも
時間の問題ですからね。
さてそのシュダオンになるには三結煩悩を断って初めて得られます。
三結とは有身見、疑、戒禁取ですね。
常住の自分などという誤認識をなくすことであり、釈尊の説いた縁起の教えに
疑いを持たないということであり、外道などが実践する苦行やら意味のない儀礼
などをしないというものです。
つまりはこれに対しては特別な修行など要らずよく教えを聴聞して観察を深める
だけでよい。つまり頭で理解する。
もちろんそれでは怒りとか欲望とか様々な感情的な煩悩はまだ断ちきれず依然として
抱えたままです。
しかしこの状態が桐山さんが凡夫の脱出が一番難しいという
シュダオンなんです。
さてそこでいろんな人を想定したい。
人は皆何かしら悪い悪因縁(桐山因縁の話です)を持つ。
横変死の因縁、ガンの因縁、中途挫折の因縁、夫婦縁障害の因縁、肉体障害の因縁、
脳障害の因縁、刑獄の因縁、肉親血縁相剋の因縁・・・
こういうものを抱えた凡夫が因縁を切った聖者を目指すのです。
さて三結を断った預流果、シュダオンの聖者を見てみましょう。
彼女、よるかちゃんには肉親血縁相剋の因縁がある。
父親のよるぞうに横変死の因縁があり、よるかちゃんに刑獄の因縁があったら
よるかちゃんは父親を殺す運命かもしれない。
これって何も現代の視点ではありませんよね?
古代こそ親子の醜い政権争いの殺し合いの不幸はあった。
釈尊の時代にも、アジャセ王とビンビサーラ王のように。
さて三結断ったよるかちゃんはこの肉親血縁相剋の因縁はどうなったか?
つづく

309ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 10:55:14 ID:SmEF4Oe2O
>>308の続き
このよるかちゃんは肉親血縁相剋の因縁を切っていません。
なぜなら親に対する憎しみなどの煩悩はまだ断っていないのですから。
どういう段階かと言うと絶対的な自分などという迷妄を離れただけです。
物事の道理を理解した。
当然、親子で憎しみあうなんてよくないとも認識したでしょう。
しかしとにかく認識したというただそれだけで、それ以上のところまでは進んで
いないのが三結断ちのはずです。
教えを聞いて自己を振り返り反省したその段階です。
さあ、これで肉親血縁相剋の因縁は切れたのですか?
もちろん切れてなどおらずこれから大変な因縁切りの修行が必要です。
解脱供養による霊障の除去も必要です。
その上に立って煩悩をなくし改める訓練をする。
親を憎しむのはよくないとわかった。
改めよう。しかしわかったくらいですぐに改められるくらいなら、これを悪因縁の
運命だなんて言わない。教育で解決がつく。
桐山さんの好きなわかっちゃいるけどやめられないは依然として生きている。
しかしまずは理解する、改めようと決意することは絶対に必要であり、因縁切りの
第一歩には変わりないですよね?
だから聖者の流れに乗ったということで準シュダオンさんはOKですか?
そしてこの三結断って間違った認識を改めた段階に過ぎぬシュダオンになることが
一番難しいというのはどういうことですか?
なんか矛盾を感じるのは気のせいですか?

310ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 10:59:51 ID:SmEF4Oe2O
まあたしかに準シュダオンさんなんかを見ていると、物事を正しく頭で理解しよう
としないところが一番大きいですよね。
彼が頑固な考えを取り払い謙虚に学ぶようになったら、いろいろ性格に難を
残しつつもまだ救われる。道も開ける可能性もある。
それを考えると三結を断つことは一番大切だと思う。

311ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 11:03:37 ID:SmEF4Oe2O
>>307
その場合は今度こそスルー、無視ですね。
当面の金粉論議にでも精を出す。
こちらの示すものは示した。彼だって示した。
これ以上キャッチボールを続ける必要はない。
ボールを投げてこいというのに依然としてバットを投げてくる人とはキャッチボールは
成立しない。

312ラシン:2009/10/20(火) 11:16:33 ID:2LdR/Kgw0
>304 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 09:32:51 ID:SmEF4Oe2O

日本テーラワーダ仏教協会HPでの
藤本 晃(慈照)文学博士・誓教寺住職の解説にも
ありますから、これが一般的な解釈でしょうね。 

ー抜粋ー
預流向を含めて四つの向と四つの果の全部で八種類が、
悟った人と悟りから離れない人・聖者のグループです。
それ以外の人は凡夫・一般人です。

参照:http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html

つまりアゴン宗のような釈尊の戒律の外にある教義を以て、
四沙門果を語るじたい、読解に欠けるアッチ向いてホイです。
自分以外の異なる解釈は、すべて間違いとする準シュダオンさんこそ、
最もアゴン信徒らしい傲慢さを兼ね備えた霊、否、例です。

313準シュダオン:2009/10/20(火) 11:18:38 ID:P9JinFks0
預流向を聖者に区分するか凡夫に区分するかは小さな問題ではなくて、
このあたりを理解できるかどうかが、管長が説く阿含仏教を理解できるか
どうかの分岐点になっていると思う。だからオロソカにはできないね。
それに、管長の教学では預流向は聖者ではなく、修行を始めた凡夫のこと
である。だから阿含宗では、預流向を名乗ったとて、あたりまえのことであり、
少しも傲慢ではないのです。
それを他の物差しで判断して、預流向を名乗るなど傲慢だ、などと批判されて
も的外れなのです。だって同じ土俵に立ってはいないのですからね。

私だとて、預流向を聖者と定義した場合はどうなるか?と考えてみましたよ。
するとややこしくなって、凡夫と預流向の境をどうするか、の問題が解決で
きなくなります。結局、理屈屋のアビダルマ論師のわけのわからない説に従
うはめになる。阿含経の何処かに、凡夫と預流向の違いを釈迦が説いてる箇所
がありますか?私には見つからないね。預流向を修行を始めた凡夫と定義すれ
ば、すべて説明がつきます。

314準シュダオン:2009/10/20(火) 11:24:45 ID:P9JinFks0
私が金粉事件に遭遇したのは、総本殿が落慶したときのパーティの時の一度
きりですね。あのときは、私の周りの数名が「金粉だ!」と騒ぎましたね。
でも出席者のほとんどの服装が、タキシードにドレス姿でしたよ。女性には
着物姿も多く見られましけど。あのときは何の修法もしなかったし、金粉と
人の服装は関係ないと思うね。

315名無しさん:2009/10/20(火) 11:32:59 ID:9V9cz3tc0
やっぱり預流向キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
準さん、返球したボールを取り損ねてエラーしても、そのボールを取りに行かず、
手元にあるバットや石を投げて来ますね。
キリちゃんの養成ギプスがキリキリと音を立てて心身を締め付けているので
思うように動かんのかもしれないw

316準シュダオン:2009/10/20(火) 11:36:21 ID:P9JinFks0
預流向について、ラシンくんが言うような説を管長が知らないわけではない。
私だとて、考えてみた、とレスしてます。戒律がどうのというけどね、在家の
五戒だけでも、ちゃんと四沙門果を得ているのですよ。
優婆塞や優婆夷が沙門果を得た話は、阿含経のあちらこちらで釈迦が説いてる
でしょう。

だから、預流向とは煩悩を断てていない段階なので、凡夫に区分したほうが
妥当なのです。まぁ、聖者に区分したい人はそれでも良いでしょう。私の考
えを、ていうか、管長の教学ですけどね、押し付けたりはしませんよ。
けど、煩悩だらけでも修行してたら聖者、と定義したら、日本国中、聖者だ
らけになってしまうんじゃないかな?

317ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 11:36:48 ID:SmEF4Oe2O
307さん、10ペソ獲得おめでとうございます。
肉親血縁相剋のよるかちゃんの問題は高度過ぎてわからないようです。

318ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 11:44:30 ID:SmEF4Oe2O
ちなみに肉親血縁相剋の因縁のよるかちゃんの命題は預流果からを聖者とし、
預流向はまだ聖者の流れにつこうともがいて向かっている最中だから聖者ではない
という準シュダオン説を仮にでも認めてあげて、その前提の上で出した
聖者の流れに預かる預流果シュダオンに対する命題です。

319名無しさん:2009/10/20(火) 11:59:01 ID:9V9cz3tc0
>>307
まさかと思っていたところ、本当に来ましたねw
準さんへは、4行以内にメッセージを送らないと受け止めてくれないのかな。
本山からの違法電波はビシビシと受け取るのに。

320名無しさん:2009/10/20(火) 12:00:18 ID:9V9cz3tc0
>>319>>317ユビさんへのレスです

321Boo:2009/10/20(火) 12:24:34 ID:DXlq9owoO
準預流さん、予想どうりのレス、さすが期待を裏切らない!それでこそ、外道!これからも、期待していますので、外道を極めてください。

322ラシン:2009/10/20(火) 12:30:42 ID:2LdR/Kgw0
>313 :準シュダオン:2009/10/20(火) 11:18:38 ID:P9JinFks0
>それに、管長の教学では預流向は聖者ではなく、修行を始めた凡夫のこと
である。だから阿含宗では、預流向を名乗ったとて、あたりまえのことであり、
少しも傲慢ではないのです。

それが精一杯の自分への言い訳だろう。
それで、桐山さんの教学?ってなんだ?
桐山さんは、いつどこで誰から真言宗の伝法潅頂を受け、
真言宗の阿闍梨、大僧正になったのだ?
求聞持聡明法をいつどこで修行したのか証明されたか?
阿含経を依経としながら釈迦が禁止した護摩をどうして焚くのだ?
釈迦の説かない死者成仏や先祖供養を行うのは何故だ?
桐山さんは出家者なのかそれとも在家者か、どちらだ?
阿含経を看板に利用するだけの桐山さんは、ことごとく阿含経に違背しているが、
それを読めないのは、4行準シュダオンさんだけのようだ。
あなたの説は”四向四果”ではなく、”四行しか”読めない。

323ユビキタス@4行でまとめてみますた ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 12:33:51 ID:SmEF4Oe2O
@ここに肉親血縁相剋の因縁を持つ人がいたが、因縁解脱の修行を決意し、遂に三結断ち預流果の聖者となりました。
Aでも三結という理知上の間違った認識を改めただけですから憎しみなどの煩悩は残って因縁は切れてません。
Bでもたったそんなことでも凡夫が聖者になる脱皮飛躍なんだから一番難しいことと桐山さんはしています。
C上記に矛盾は感じないでしょうか?

324ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 12:36:06 ID:SmEF4Oe2O
>>322
最後の1行うまいっ!
座布団4枚!w

325ラシン:2009/10/20(火) 12:53:41 ID:2LdR/Kgw0
>313 :準シュダオン:2009/10/20(火) 11:18:38 ID:P9JinFks0
>私だとて、預流向を聖者と定義した場合はどうなるか?と考えてみましたよ。
するとややこしくなって、凡夫と預流向の境をどうするか、の問題が解決で
きなくなります。

それはね、桐山アゴンに汚染された窮屈なオツムだから。
ホント、アタマ悪くネ?
岩波辞書抜粋 
凡夫:仏教の道理を理解していない者、俗人。
   特に修行論では聖者の階位(見道、四向四果の預流向)に
   到達する前。
悩める俗人者、準シュダオンよ、道理を悟れ ジャンジャン。
せめて三賢、四善根くらいにしたら?いやそれも無理かアゴン宗じゃね。

326Boo:2009/10/20(火) 13:18:08 ID:DXlq9owoO
あーはらいてー。

『四行しか』の聖者準シュダオンさん。何だか小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』のネタみたいな話。

そういえば、アゴンの機関誌に四コママンガ『密教マウス』ってのがあったな。ネズミが袈裟架けて念珠もって。いまでも連載してるかな?あれは思わず笑ってしまったな。よくオリエンタルランドからクレーム来なかったな〜。

327準シュダオン:2009/10/20(火) 15:51:28 ID:P9JinFks0
口惜しいから私を揶揄してんでしょうけど、見苦しいからやめなさいなw。
平河本を発行した学者先生方もね、預流向を聖者に含める説を知らないはず
がないのよね。百も承知の上で、平河本・阿含経の解説では、預流果から
聖者としているわけよ。考えてみたら理由がすぐにわかるさ、普通の頭して
たらね。預流向を聖者と説明してる本があるからといって、単純にそれを信じ
込むのは相当お粗末な頭ですよW。

いいかね、仮に預流向を聖者と定義してだね、凡夫の修行が何処まで進んだら
預流向果になるのかね?それに預流向を目指して修行する預流向向という存在
が必要ではないかね?預流向向は凡夫のことで、預流向向から預流向まで進ん
だら聖者になるわけだろ?

凡夫も煩悩だらけだし、聖者の預流向も煩悩だらけ、どこで凡夫修行者と
聖者預流向修行者の区別をつけるつもりなの?W。

328準シュダオン:2009/10/20(火) 16:03:22 ID:P9JinFks0
ユビキタスさんの質問に答えてあげましょう。
三結煩悩が切れた聖者でも、憎しみの因縁は切れてないのはどういうわけか?
という質問だね。それはね、一番最初の段階の新米の聖者だからですよ。
でもね、三結煩悩切ってるから、憎しみの因縁が残っていても三悪趣という
苦しい目には遭わずにすむわけよ、わかった?
管長がこういうこと説いてるからさ、こんな簡単な質問はもうしないで、
これからは自分で思いついてね。

329ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 17:08:01 ID:SmEF4Oe2O
>>328
ほらね。あなたは単に三結という単語をもてあそんでいるだけで、その実なんらの
具体的な説明のできない人です。
三結の中身を単語だけでなく解説してごらんなさいよ。
そしてこの煩悩がなくなるとどうして三悪趣に堕ちなくなるのか理論的に説明して
ごらんなさいよ。どうして憎しみの煩悩が残っていても、三悪趣に堕ちないのか?
肉親血縁の因縁は消滅していないのだ。これに父親の横変死の因縁、本人の刑獄の因縁
と相俟って、あ、親殺し♪あほれ、親殺し♪
因縁がある限り不幸な運命から逃れられなーい♪
あ、人殺し♪人殺し♪
げに恐ろしきは因縁なり。
人間が生身で立ち向かってもかないやしない。
因縁に逆らおうとすればするほどそれは皮肉にも運命の遂行に役立ってしまうのだ。
だから言ったでしょう?
教えではどうにもならないと。特殊な法の力で因縁を切らぬかぎりこの運命は
避けられないのだ。
ましてや三結って認識上の誤りだろ?
認識改めただけでどうして悪い因縁が発動が抑えられる?
植木等が歌っているだろう?
わかっちゃいるけどやめられない。
冗談じゃないぞ。あれは人生の真実だ。
俺(桐山靖雄)が著書にも書いて法話でもさんざん話しているだろう?
これはすごく大切なことなんだ。
悪因縁がある限りわかっちゃいるけどやめられない。理性も知性も通用しない。
ショウペンハウエルも言っているだろう?
知性は意志の行う決断と無関係である。
つまり、知性と行動は無関係。
教えなどで人間は改善できない。いや、教えは大切だが、教えだけでは因縁に
太刀打ちできんのだ。
だからなあ、三結なんて単に間違った認識を改めるなんて教えの実践だけでは
因縁は切れない。そして因縁は遂行され不幸を実現する。
地獄だって生まれるんじゃよ。
親殺し♪人殺し♪
これが悪趣でなくてなんと言おう?
とにかく教えだけでは制御できない。
私は憎む。教えだけで人の不幸が回避されるような説教や道徳を。
だから三結断ったくらいでは駄目なんだー!
どうしてこの程度の改善が聖者なんだー?

330ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 17:25:22 ID:SmEF4Oe2O
http://m.youtube.com/watch?v=Y-_AKuZefSM&hl=ja&gl=JP&warned=True&client=mv-google

人間とは矛盾した存在なのだ。
それを教えで認識を改めただけでどうなる?
わかっちゃいるけどやめられね♪

331ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 17:38:57 ID:Co56rSDI0
ラシンさんが>>312で示したページを準シュダオンさんは読もうとしないだろうから
強制的にコピペしましょう。 

不完全でも、預流果で既に悟りです。釈尊が悟りを開かれてすぐの頃、六年間一緒に修行していた五人の修行者たちに最初に説法されました。その説法を聴いただけで心が変化した最初の一人に、釈尊は「コンダンニャは悟った、コンダンニャは悟った」と喜びの声をあげられました。その時の、説法を聴いただけである煩悩を根こそぎ消した悟りは、四段階の最初の、預流果です。その後五人ともしっかり瞑想修行して、間もなく、五人とも最高の阿羅漢果にまで達しました。

 預流果の一つ前の段階もあります。仏法に向かって心がググッと正面向いている状態で、まだ預流果にもなっていないけど、もう決して、悟りの道から離れません。これは預流果に向かう段階ですから、預流向とか預流道と呼ばれます。

 一来果から阿羅漢果までにもそこに向かう段階もありますから、預流向を含めて四つの向と四つの果の全部で八種類が、悟った人と悟りから離れない人・聖者のグループです。それ以外の人は凡夫・一般人です。八種類合わせて四双八輩とも呼ばれる、出家も在家も含めたこの人々が、広い意味のサンガ・仏陀の家族です。仏陀の家族になったら、阿羅漢果に達するまでは苦しみも悩みもまだありますが、お互いに助け合えますので、大安心です。

 経典に説かれている各段階の悟りの内容を、第一段階の預流果から順に最高の阿羅漢果まで見て、それから、悟りから決して離れない預流向という段階を見ることにしましょう。

332ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 17:42:45 ID:Co56rSDI0
続きです。

6−1. 預流果

 預流果で消える煩悩は無知に基づく三つだけ
 最初の悟り・預流果では、細かく分ければ千五百もあると言われる煩悩の中、たった三つ(三結)だけが消えています。でもそれは、悟りを決定付ける三つです。
 一つ目は、「有身見」と呼ばれる煩悩。
これは欲でも怒りでもなく無知に分類される、誤った見解・邪見です。「私の身体」「私という心身集合体」など、どう呼んでもいいのですが、とにかく何か「私」というものがいると錯覚している煩悩が、まず根こそぎ消えます。瞑想したり集中して仏法の話を聞いたりしている最中に、一瞬でも「私」がいない、何もない瞬間を「体験」して、「ああ、『私』がいるわけではないのだ」と納得した智慧が生まれ、有身見が消えるのです。
 「無常を悟る、無我を悟ることが仏教だ」と言われる、その無常、無我を一瞬だけでも「体験」して、「我がある」という邪見・煩悩が、単なる知識として分かるのではなく、本当に消えるのです。
 二つ目と三つ目は、一つ目の有身見が消えれば、自然に消える煩悩です。
この二つも無知に基づく邪見です。「疑」と「戒禁取」です。
 「疑」とは、「何が真実か分からないままぐずぐずウジウジしていること」です。預流果に悟ると、このウジウジ状態や真偽を見誤ることがなくなります。
 古代インドではたくさんの哲学や宗教が並び立ち、真理を求めてその師匠たちを尋ね歩く人もたくさんいました。尋ねる人たちはあちこちでいろいろな説を学んでいましたから、一つのことだけ教える哲学者や宗教家たちより結構物知りでした。そのためか時に鋭い質問をすると、はぐらかしたり答えられなくて逆ギレしたりする宗教家たちが結構いました。真理を求める物知りたちは、そんな宗教家にはさっさと見切りを付けて、次の師匠を探しに行きました。
 の人たちが釈尊のもとに来て質問すると、明晰な答えが返ってくるので、まず感服します。そして釈尊に、こんな修行があるからやってみたら? と勧められると、すぐに始めて、すぐに預流果などの結果を出します。その場で出家してやがて阿羅漢にまでなる人も、大勢いました。真理を目の前にして何の疑いもなく、ぐずぐず迷わないので、結果もすぐに出るのです。
 現代の私たちも、あっちの哲学をかじったりこっちの宗教を一日体験したり本誌『パティパダー』を手に取ったり、真理を求めてかなり彷徨っています。その私たちも、無我、無常を実際に「体験」して預流果になれば、「あっ、やっぱりこれが真実か」と分かり、この道を疑わなくなるのです。その後はもう「あっちの宗教もいいかな、こっちの瞑想法もいいかな」などとウロウロしません。
 三つ目の消える煩悩は、戒禁取。
しきたりや苦行などにこだわることです。このこだわりも、預流果に悟ると消えます。
 女人禁制の山や寺、火渡り、滝に打たれる行など、大変な意味や宗教的意義があるかのような奇習や奇行が、世の中にはたくさんあります。どれも伝統文化ですから、それを守る人々をないがしろにするのはよくありません。せっかく人が歩いている炭火に「無意味だ」と言っていきなり水を掛けたりするのは失礼です。でも、そこに文化以上の、何かの真実があるわけではないと分かっていますから、ありがたがる気持ちはなくなるのです。
 日常の細かいことにも、戒禁取・こだわりはよく見られます。朝、家を出る時は右足から出ないといけない、家に帰ったら上着は右袖から脱がないといけないなど。宗教儀式でも、線香は一本立てる、三本立てる、いいや二つに折って寝かせる、数珠は左手に掛ける、右手に掛ける、両手に掛ける、首に掛けるなど、宗派によってしきたりが全く違います。
 どのようなしきたりも約束事も、それぞれの仕方、文化ですからどのようにしても自由なのですが、「私がやっているのが正しい、これでなければいけない」とこだわったら、それが戒禁取です。真理ではなく、自分が決めた習慣に自分が縛られているのです。この態度は、預流果の人には消えています。これも、欲でも怒りでもなく無知に基づく邪見です。
 ちなみに、自分のこだわりではなく正しい戒律、例えば「殺さない」などでしたら、真理に基づく理由がありますから、自分の幸福のためには言い訳なしに、がむしゃらに、何としても守らなければなりません。正しい戒律にがむしゃらになるのは、自分のこだわり・戒禁取とは別ものです。
 預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。しかも全て見解・邪見・無知に関するもので、欲も怒りも何も消えていませんから、預流果になっても怒りっぽい性格も欲深な心も、まだほとんど変わっていません。ただ、どうしようもない無知だけが消えて、全ては無常だと分かっていますから、どこかに諦めの気持ちが生まれ、激しい執着は減っています。

333ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 17:44:02 ID:Co56rSDI0
強調。

預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。しかも全て見解・邪見・無知に関するもので、欲も怒りも何も消えていませんから、預流果になっても怒りっぽい性格も欲深な心も、まだほとんど変わっていません。ただ、どうしようもない無知だけが消えて、全ては無常だと分かっていますから、どこかに諦めの気持ちが生まれ、激しい執着は減っています。

334ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 17:46:42 ID:Co56rSDI0
 預流果の特典

 預流果に達した人は、真理を一瞬だけでも「体験」していますから、それだけでも心はガラッと変わっています。心が変わってしまいましたので、心が決めるその後の進路も、悟りの方向に大きく転換しています。

 まず、預流果になった人はいつか必ず完全な悟りを開いて、最高の阿羅漢果に達することが決定しています。もう決して、完全な悟りに向かう道から退くことはないのです。完全な悟りへの聖なる流れに入った、預かったので、預流果と呼ばれます。

 いつか必ず、と言われても、いつまで頑張れば済むのか分からないと結構心配ですので、釈尊は、「八回目にはもう生まれ変わりません。七回生まれ変わる間には完全に悟れます」と限定しておられます。これも釈尊が決めたことではなく、天眼通で他者の生まれ変わりをたくさん観察して、事実として確認されたことです。経典には、預流果に悟ってから今生ですぐに阿羅漢果にまで達した根性のある人のことも多く記されていますが、この一生涯で決められなくても、死んでまた生まれ変わって七回輪廻する間には、必ず悟れるのです。

 それでも、地獄や餓鬼(幽霊)に生まれ変わるのは、誰でも嫌です。お釈迦様は念のため、「預流果の人は天界か人界にだけ生まれ変わり、地獄、畜生、餓鬼界に生まれることは決してない」ともおっしゃっています。輪廻自体は苦しいですが、その中でも善趣と呼ばれる、悟りを目指せる好い境涯にだけ生まれ変わるのです。

 善趣にだけ輪廻するのですから、預流果の人は当然、それをすれば必ず地獄に堕ちる六種類の悪業だけはできなくなっています。母殺し、父殺し、阿羅漢殺し、仏陀の身体を傷つけること、仏教の家族・サンガを仲違いさせること、仏陀の教えを貶したりその偽物を流布させること。この六つの悪業だけは、預流者は拒否反応を起こして、できないのです。

 ということは、預流者とは言っても、この六つ以外の悪業ならまだまだ犯してしまうかもしれないということです。それほど、人格はまだ不完全なのです。

 ただし預流者は、どんな悪業をしても、それを隠し通したり、ごまかしたりするウソつきの性格だけは直っています。自分の悪事を正直に告白して懺悔します。自分の犯した悪を隠し続けたり、隠すためにごまかしたりウソをついたりする、その心のいや〜な気分に耐えられないのです。

 預流者はどんな悪も正直に認め、自分できちんと懺悔します。このような人は結局、素直に頑張りますし、悪を犯しても懺悔して立ち直れるでしょうし、それほど大それた悪事もしないでしょうし、正直だから人々から結構信頼されるでしょうと、容易に想像できます。

335ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 17:51:59 ID:Co56rSDI0

 善趣にだけ輪廻するのですから、預流果の人は当然、それをすれば必ず地獄に堕ちる六種類の悪業だけはできなくなっています。母殺し、父殺し、阿羅漢殺し、仏陀の身体を傷つけること、仏教の家族・サンガを仲違いさせること、仏陀の教えを貶したりその偽物を流布させること。この六つの悪業だけは、預流者は拒否反応を起こして、できないのです。

しかし桐山さんは悪い因縁があれば、わかっちゃいるけどやめられないから、悪業も積んで
刑務所にも入る運命を免れないと説くのです。
だって刑獄の因縁があるんだから、これが遂行されなかったら、俺(桐山)
やばいでしょ?
それが悟りを開くなんて程度でどうして消失するの?
も、もしや、桐山因縁って・・・・・口からデマカセ?



ピンポン♪

336ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 18:05:10 ID:Co56rSDI0
>>295 :太郎:2009/10/20(火) 05:41:26 ID:p6OhJsmk0
>・この物質はかなり銅に近い。
>・しかし銅ではなく、その他の亜鉛、金、銀などの単体元素でもない。
>・かといって真鍮(銅と亜鉛の合金、CuZn)であるとも言い切れない。
>なぜなら真鍮はBCC(Body-Centered Cubic lattice、体心立方格子)の典型例
>であり結晶構造が異なっている(以下のサイトで解説されています)。
>http://www.f-denshi.com/000okite/300crstl/302cry.html
>http://www.geocities.jp/e_kamasai/shiryou/d-base/dic_ka.html
>・しかし、亜鉛の比率がかなり低い場合は面心立方格子が混合している場合も
>あるため亜鉛との合金(真鍮)である可能性も完全に無いとは言えない。

立派な調査ですね。大したものです。
銅ではないが銅に近い。真鍮とは言い切れないが、可能性もある。
どうだ!(寒)
しかし天の恵み、祝福、贈りとして金色で出てきたのだとしたら、してその正体
銅に近しなんて、随分天のケチケチしてまんな。経費かかるのかな?
(使用されていた錫杖の成分比率によります。)

337ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 18:07:21 ID:Co56rSDI0
んー、書き直し。

立派な調査ですね。大したものです。
銅ではないが銅に近い。真鍮とは言い切れないが、可能性もある。
どうだ!(寒)
しかし天の恵み、祝福、贈り物として金色で出てきたのだとしたら、してその正体
銅に近しなんて、随分天はんもケチケチしてまんな。経費かかるのかな?

338ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 19:16:20 ID:SmEF4Oe2O
>>328
シュダオンを得るのが一番難しいと言った桐山さんに矛盾は感じぬか?
三結という言葉による説法だけで悟れるものです。
ちなみに初転法輪でかつての5人の比丘仲間に説いたものの 最初は受け入れられ
なかったが、やがてコーンダンニャが耳を傾けるようになり、悟りを開いて
釈尊は「コーンダンニャが悟った!」と我がことのように喜んだのは有名な話です。
この悟りは決して最高究極の阿羅漢果の悟りではなかったが預流果の悟りだった
わけです。悟るのに何年も何十年もかかったと思えますか。
せいぜい数日か一週間程度ではないですか?
ところが桐山さんは預流果シュダオンに到達するのが一番難しいとして
現に信者に対してシュダオンになったよと認めていない。
認めないことでその難しさをわからせている。
しかし預流果など言葉だけの説法でコーンダンニャでも僅かな期間で悟れたのです。
預流果になったのです。
実際の仏教とエライ違いですよね?
しかし準シュダオンさんに関して言うと、こちらの言葉の説法を理解し承認
することが一番難しいことでしょうが。

339Boo:2009/10/20(火) 21:13:32 ID:tFKjEVUs0
ユビキタスさん・・・一番読んでほしい人が決して読まない引用、ご苦労さんでした。

>せいぜい数日か一週間程度ではないですか?
ところが桐山さんは預流果シュダオンに到達するのが一番難しいとして
現に信者に対してシュダオンになったよと認めていない。
認めないことでその難しさをわからせている。

ここは、ゲイカもある意味正直なんではないかと思います。
アゴン宗で、カンチョウの話を聞いているうちは、おまいら預流はムリポ、と言う意味かもw

ここの批判サイドの面々は預流っていい線行ってるんでない?
少なくとも、預流向かもね。批判側にいる人を仲たがいさせちゃ
いけんのだね。よーく肝に命じとこ。

340ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 22:03:27 ID:SmEF4Oe2O
>>295の金粉の化学成分分析の結果報告は重要です。
断定できないだけで、ほぼ真鍮錫杖に近い成分のものと検出されたわけです。
これが見えない力の介在があり、天からの贈り物のようなものとした場合、
それは極めて純度の高い純金とかだったら、天啓としてありがたみもあると
いうものだ。しかしそういう金粉「知らせ」を出すのにどうして銅に近いとか
真鍮に近いとか半端な合金みたいなものを使って現形させたのか?
もうここで答えが出るはずですよ。

341深山:2009/10/20(火) 22:09:10 ID:RRxusD.60
>>295 :太郎:2009/10/20(火) 05:41:26 ID:p6OhJsmk0
>持ち込みX線回折をかけました。

すばらしい。
これには敬服します。
私は金粉錫杖を振ったら、金粉が出たので、分析まではしませんでした。
その分析の範囲では、銅を含む合金である可能性が高いということですね。
つまり、錫杖である可能性が高いことになる。
あなたは現役の信者さんなのだから、浄霊班の錫杖や、個人で所有している人の
錫杖を借りて、黒っぽい紙をしいて、錫杖を片端から降ってみてはどうですか。
私は黒い腰衣の上で振ってみた。
たぶん、10本もあれば、必ず金粉錫杖があります。
また、私の知り合いの目撃者のように、太陽の光が入り込むような
部屋で錫杖を振った時、空中に舞い上がるかどうか確認することです。

342深山:2009/10/20(火) 22:11:38 ID:RRxusD.60
>>296 :太郎:2009/10/20(火) 05:49:56 ID:p6OhJsmk0
>それからファミレスのテーブルに金粉がばら撒かれたようになっていた件につ

あなた方が到着する前からそこには金粉があったということですね。
それなのに、どうして浄霊の件と結びつけるのですか。
質量分析までしたあなたの客観的な態度に比べて、食事に出かけたレストランの
テーブルの上に金属粉があったからといって、これをすぐに
霊現象や超常現象だと思うのはあまりに飛躍している。
あなたは霊現象だとは断定していないと言うだろうが、でも、説明のつく
現実的な現象だと思っているのなら、この事例を出したりしませんよね。
テーブルの上に金属粉が落ちていたら、私なら、>>242で出したように、
現実的な解釈をします。
金属加工をしている人が作業着のままファミレスに入ってもおかしくないし、
衣服に金属粉がついていて、立ち上げる時、気が付いて、はたいたのかもしれない。
あるいは>>298さんのエアコンの話のように、いくらでも現実的な推測はできる。
これらは推測だが、霊現象や超常現象だと考えるよりもよほど説得力があります。
現実的な解釈が可能なら、それは霊現象や超常現象ではありません。

343深山:2009/10/20(火) 22:13:34 ID:RRxusD.60
>>296 :太郎:2009/10/20(火) 05:49:56 ID:p6OhJsmk0
>というのも、金粉は確かに出現しますが、時間が経つと大きなものも小さくな
>ったり、もともと小さかったものは消えてしまったりするからです。私は一度

金粉現形は錫杖金粉だけがすべてではありません。
それだけでは説明のつかない場合があることも事実です。
大日さんが出しているように、錫杖を使っていない場合もあり、
その多くは何かからの剥離、人の身体についていた物が落ちたりしたものでしょう。
それからもう一つが、あなたが述べている変質したり、消えてしまう金粉です。
その話をする前に、ここまでの件で再度確認しておきたいのは、
アゴン宗の屋敷浄霊の金粉現形の大半は錫杖で説明がついてしまうという点です。
すべての事例を検証したわけではないが、浄霊の後、つまり錫杖を振ったあとで
金粉が出現するのは錫杖金粉で大半が説明がつきます。
また、ファミレスの件も、原因を特定できないだけで、霊現象や超常現象ではありません。
これらを前提として、次に消えてしまう金粉です。

344深山:2009/10/20(火) 22:16:24 ID:RRxusD.60
>>296 :太郎:2009/10/20(火) 05:49:56 ID:p6OhJsmk0
>というのも、金粉は確かに出現しますが、時間が経つと大きなものも小さくな
>ったり、もともと小さかったものは消えてしまったりするからです。私は一度

私はアゴン宗の中で消えてしまう金粉の目撃例を知りません。
だから、出さないようにしていたが、あなたはアゴン宗の信者として
これを目撃したということらしいから、テレビで見た金粉現形の話をします。
ただし、私の記憶に頼る話です。
被験者は中年のオバチャン祈祷師で、彼女が祈祷すると金粉が現れるというのです。
祈祷師らしいおどろおどろしい祈祷をした後、彼女の着ていた黒い羽織の上に金粉が現れた。
羽織の何カ所かでキラキラ光っているのです。
テレビで見た範囲では、金属というよりも、小さな白い雲母みたいに見えました。
現れたといっても、現れる前の映像があるのではないから、
前からつけていたのだろうという疑いもあるが、
少なくともスタジオにいて、彼女を見ていた人たちは気が付かなかった。
だから、祈祷前にはなかった金粉が羽織の上に現れたように見えました。
番組の中で、大学教授がこれを採取して、分析したら、リン酸カルシウムでした。
詳しいことは知らないが、肥料や食品添加物にも多く使われる物質です。
これが羽織の上に現れたことになる。

345深山:2009/10/20(火) 22:19:12 ID:RRxusD.60
>>296 :太郎:2009/10/20(火) 05:49:56 ID:p6OhJsmk0
>というのも、金粉は確かに出現しますが、時間が経つと大きなものも小さくな
>ったり、もともと小さかったものは消えてしまったりするからです。私は一度

オバチャン祈祷師の場合とあなたの先達のケースとよく似ています。
この金粉現形を現実的に説明するなら、>>224
ユビキタスさんの説明であり、太郎さんの体験です。
顔や手のひらに現れる金粉は、汗に含まれた物質が結晶化したと考えれば説明がつきます。
スポーツ選手が汗が乾いて塩で白くなった例があることを考えれば、
その塩がうまく結晶化すれば、金粉のように見えます。
私はテレビを見たとき、このオバチャン祈祷師の場合、汗に含まれる塩が
結晶化したのではないかと予想していました。
汗の中にリン酸カルシウムが含まれるのかどうか私は知りません。
オバチャン祈祷師は小太りで、いわゆる実証の体質ですから、もともと汗かきです。
そこに激しく祈祷をするのだから、汗をかき、それが蒸発し、外気にあたる黒い
羽織の表面で冷やされ、羽織の繊維を核にして結晶化したと考えれば説明がつきます。
こういう水溶性の物質が金粉に見えたのなら、消えてしまうのも説明がつきます。
いったんは結晶化しても、空気中の水分を吸収して、結晶が少しずつ崩壊していったとみれば、
太郎さんの目撃も説明がつきます。

346深山:2009/10/20(火) 22:23:06 ID:RRxusD.60
>>296 :太郎:2009/10/20(火) 05:49:56 ID:p6OhJsmk0
>というのも、金粉は確かに出現しますが、時間が経つと大きなものも小さくな
>ったり、もともと小さかったものは消えてしまったりするからです。私は一度

私は一つわからなかったのが、身体の表面に金粉が現れるのは
容易に説明ができるが、オバチャン祈祷師の場合、身体の表面ではなく、
羽織に上に現れたという点です。
汗っかきだとみればいいのだが、目に見えるほどに結晶化するのにはかなりの量が必要です。
だが、これも今回、>>305のBooさんの意見を読んでなるほどと思った。
衣類の汚れ、これはとても重要なキーワードです。
祈祷師は縁起担ぎが多い、というよりも、祈祷自体が縁起担ぎみたいなものだから、
あのオバチャン祈祷師も「この羽織を着ると神様が喜んでくださる」と
いつも同じ金粉羽織を着ていたとすれば、汗が毎回付着して、結晶化はして
いなくても、リン酸カルシウムなどの物質がたくさん付着していたはずです。
そこに蒸発した汗という「熱風」にさらされ、再蒸発して、表面で結晶化した。
つまり、あの黒い羽織は、オバチャンの汗の濃縮装置、結晶化装置だったのだ。
(臭ってきそうな話ですみません。)
同じようなことはあなたの金粉先達についても言えるような気がします。
たしか、その方は毎回導師をしていたのですよね。
そして、とても熱心な方だった。

347深山:2009/10/20(火) 22:25:09 ID:RRxusD.60
>>297 :太郎:2009/10/20(火) 05:51:18 ID:p6OhJsmk0
>色んなケースを見て、私はどうも聖なるものに波長を合わせることで出現するの
>ではないかという仮説を持っています。

質量分析までした冷静なあなたがどうしてこういう飛躍した結論を出すのか
私には理解できない。
聖なるものではなく、ただの特別な体質ではありませんか。
チャクラでもなんでもなく、私の見たオバチャン祈祷師のように、
祈っているうちに、激しいスポーツをしたかのように身体も脳も
猛烈な興奮状態になり、汗をかく人です。
スポーツ選手なら身体に塩が出て光っても、スポーツの神様が現形したとか、
神様が応援しているとは解釈しない。
だが、聖なる祈りを激しく捧げた後、身体や衣類にキラキラ光るものがついていると、
神仏が祈りに応えたかのような、宗教的な特殊なことのように錯覚する。
中には、これを自分の特別な能力なのだと自惚れる。
ま、特別と言えば特別です。
だが、聖なるものへの波長などではありません。
あのオバチャン祈祷師が聖なるものに波長を合わせた、と言われてもねえ・・。

348深山:2009/10/20(火) 22:31:01 ID:RRxusD.60
>>297 :太郎:2009/10/20(火) 05:51:18 ID:p6OhJsmk0
>いますが、その先達のそれの先には空海が見せたと言われるものがあるのでは

なかなかおもしろい説ですね。
そう言われると、空海もいかにも実証の人らしい外見だから、汗かきだったかもしれません。
このあなたの説によれば、それらはただの汗であって、宗教的な意味など何もない。
金粉を分析して金属なのだから物質的な現象であり、あなたの皮膚にも金粉が現れたら、
生理現象であり、不思議な現象でも何でもない。
それをチャクラだの大日如来だのと話を飛躍させる必要はどこにもありません。
宗教とすら関係なく世間でも起きていることは、あなたはファミレスで体験した。
あなたに信仰心がなくあの体験をしたら、「店員の教育がなっていない」と
それで終わったはずです。
世間には原因がはっきりしない出来事などいくらでもある。
だからといって、いきなりそれをチャクラや霊的な話に飛躍させるのはおかしい。
ましてや、アゴン宗の浄霊に霊的な効果がある証拠や、仏様が支持している証になどなりません。
と、私が主張するまでもなく、あなたの解説ではそういう結論になってしまいますよね。

349深山:2009/10/20(火) 22:36:12 ID:RRxusD.60
>>297 :太郎:2009/10/20(火) 05:51:18 ID:p6OhJsmk0
>いますが、その先達のそれの先には空海が見せたと言われるものがあるのでは

アゴン宗での金粉現形は屋敷浄霊で金粉が出てから、様々な金粉現象が出始めた。
それまで金粉なんてアゴン宗では誰も言っていなかった。
屋敷浄霊で出てから、急に金粉があちこちで出るようになった。
神仏が宣伝方針を変えたからですか。
金粉を分析したあなたならすぐにわかるだろうが、屋敷浄霊で錫杖金粉が出たから、
その話を聞いた人たちが金粉がないだろうかと注意するようになったからです。
みんな金粉を探すようになった。
金粉はおそらく前からファミレスでも出ていたが、誰も気にしなかった。
気にすると見つかる、というか、全部アゴン宗に結びつける。
その結果、錫杖金粉だけでなく、様々な原因の金粉が現形するようになった。
屋敷浄霊をする前だったら、あなたがもしファミレスで金属粉を見かけても、
私と同じように、工事でもしたのか、誰か落としていったのかと思う程度で、
覚えてさえもいなかったでしょう。
だが、金粉金粉と騒いでいる時に、たまたまファミレスで金属粉を
見ると、説明不能な奇蹟が起きたかのように短絡して、仰天した。
仏様の宣伝の方針や、金粉が突然出るようになったのではなく、
それを取り巻く人間が金粉に異常な関心を寄せたのです。

350深山:2009/10/20(火) 22:39:11 ID:RRxusD.60
>>297 :太郎:2009/10/20(火) 05:51:18 ID:p6OhJsmk0
>いますが、その先達のそれの先には空海が見せたと言われるものがあるのでは

信者は金粉を探すというよりも、欲しがった。
なぜなら、金粉が出ることは仏様が自分たちを認めていることになるからです。
金粉は仏様から見ての「よい子」の証明になる。
金粉の出た浄霊のほうが、出ない浄霊よりもすばらしく、
金粉の出る浄霊班のほうが、出ない浄霊班よりも法において優れていることになる。
事実、あなたは金粉がいつも出た先達を今でも尊敬している。
仏教なら、彼の煩悩の有無で判断しなければならないのに、あなたは金粉が
出たことで、空海まで持ち出して誉めている。
一方で金粉がただの金属や何かの剥離や生理現象の一つにすぎないとわかっていながら、
それをチャクラや霊的な話に結びつけようとする。
あなたがまた怒るだろうことを承知の上で、あえて言うが、
それは金粉へのあなたの欲望と執着と無明です。
金粉やチャクラや神仏、空海や先達に何かあるのではなく、
あなたの心にあるこれらの煩悩で取り憑いているだけです。

351深山:2009/10/20(火) 22:45:04 ID:RRxusD.60
>>297 :太郎:2009/10/20(火) 05:51:18 ID:p6OhJsmk0
>いますが、その先達のそれの先には空海が見せたと言われるものがあるのでは

アゴン宗の信者が何でも因縁や霊障で考える癖をつけているのと同じです。
桐山さんから条件付け、シツケをされてしまっている。
元々、信者も元信者もその種の霊的な話、不思議な話が大好きで、抵抗が少ない。
そこに信頼している桐山ゲイカから、因縁、霊障、金粉という話をされると、
腹の減った犬の前に肉を置いたようなもので、丸飲みです。
私もそれをやった者だから、他人だけを批判するつもりはない。
桐山さんは、オシャカ肉店から仕入れた松阪牛だと言っているが、
真っ赤な嘘で、食わされた物は肉ですらない。
金粉を分析するほどの冷静さを持っているのなら、自分が何を食べたかも
さることながら、自分がどうして食べたのかを省みることです。
釈尊が説いていることはそういうことです。
釈尊は金粉現形もチャクラも説いていない。
なのに、あなたの関心は、内にある自分の心ではなく、外にある金粉やチャクラらしい。

352ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 22:54:56 ID:SmEF4Oe2O
>>297
余談ですが、空海の清涼殿での即身成仏現証の技術の新解釈を私もまた
あながち珍解釈とも言えなくもないとあなたの仮説を否定もしなかった。
しかしそこから先が私とあなたで空海に対する評価が分かれた。
太郎さんはこんなパフォーマンスができた空海をますます尊敬し、釈尊と道が
違えど最も釈尊の涅槃技術(?)に近い意識グリグリコントロール者と賛辞した。
私は全く逆です。もしそうならば流石空海、山師的な才能を発揮したと
皮肉で否定的、批判的に受け止める。
なぜならどんなに精神力があろうとそれで以て金粉体質、金箔体質を作り上げて
全身を金箔で覆わせて見せるって、単に帝らを吃驚させたい、つまり騙したい
という煩悩ではないか?
それとも空海はまさか本当に即身成仏とは金箔仏像にまでなっちゃうことと
心底信じているというのか?
鏡を見てこれなら如来に見えなくもないからと、やってみせたことはだまくらかし
みたいなものですよ。
己の信念に恥じる行為と言えよう。
だからもしこれをやったと言うのなら、ますます空海は釈尊から遠退いた。
私が空海ファンだったらガッカリします。
だから私は早野凡平だの南京玉すだれを出したのです。
手品師と変わらんではないか?

353服部エンタープライズ社長:2009/10/21(水) 00:38:25 ID:rYBj6oNUO
おじゃましま〜す
こちらですか?ザの続きは
ユビさん 干しさんおかわりありませんか?

354服部エンタープライズ社長:2009/10/21(水) 00:43:54 ID:Yd64AN5kC
スレ主様 他皆々様へお礼と感謝を申し上げます

355Boo:2009/10/21(水) 01:00:24 ID:tFKjEVUs0
>>352

ユビキタスさん。私は歴史の神話的ロマンなどにそんなに目くじら立てることもない
ように感じますが・・・

ミラクルの池の釈尊の神変や毒竜調伏のエピソードなど、神話的な逸話は釈尊にも
いくつかありますね。勿論無批判に受け入れ、釈尊を現実以上に神格化するのも
問題ありますが、不思議な神通力のエピソード伝説があったほうが釈尊に対する
憧憬を感じるのも事実。そこから、仏教に興味を持つのもありかと思います。

歴史的な事実や哲学は誇張なく学問されるべきであると思いますが、信仰とか
物語的なエピソードにはそこまでの厳格さを要求しなくても差し支えなく感じます。

掲示板の中でもニュアンス的に厳格さを要求される話題もある(例えば「四向四果」と
「四行しか」の違いとか)とは思いますが、このたびの太郎さんの書き込みは信仰と
しての側面が強く、空海に対する太郎さんの感情にまで立ち入るのは必要とは思えない。

ま、金粉と空海の伝説を並べ対比するのも、太郎さん側にミステイクを感じますが、
空海に対する意識を揶揄するように見方によっては捉えられるユビキタスさんの書き込みは
行き過ぎのように私は感じる。

「四行しか」のおじさんの応用の利かない厳格さにも、かなりの行き過ぎを感じるが・・・

356太郎:2009/10/21(水) 04:05:09 ID:p6OhJsmk0
皆さん、ご意見をまたたくさんありがとうございます。

金粉の分析については、当時のあの時点では結局のところ答が明確に出せま
せんでした。
科学的に「この物質は○○である」と断言するだけの材料が不足しており、
結果的にあのような曖昧なことしか言えない程度になってしまいました。
それについては大変申し訳なく思っています。

ただ、ユビキタスさんが
>> 340 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 22:03:27 ID:SmEF4Oe2O
>295の金粉の化学成分分析の結果報告は重要です。
>断定できないだけで、ほぼ真鍮錫杖に近い成分のものと検出されたわけです。
と述べられていますが、「ほぼ真鍮錫杖に近い成分のものと検出された」わけ
ではありません。

ご案内の通り科学では何かを結論付けるためにはおよそ考えられる様々な角度
から検証し、再現性を確認した上で結論を出します。

前述の通り、真鍮(CuZn)は体心立方格子の典型例であり、この金粉とは結晶
構造が異なっています。

ただし私はそれでもまだ「真鍮ではない」と結論付けるのは拙速であると考え
ました。それは、同じ真鍮でも亜鉛の含有比率がかなり低い場合はこの金粉と
同じ面心立方格子が現れる場合があるからです。

そのため、あのような中途半端な結論になってしまった次第です。

357太郎:2009/10/21(水) 04:06:32 ID:p6OhJsmk0
>>342 :深山:2009/10/20(火) 22:11:38 ID:RRxusD.60
>あなた方が到着する前からそこには金粉があったということですね。
>それなのに、どうして浄霊の件と結びつけるのですか。

これについては、その先達が導師役で屋敷浄霊法を修するといつも金粉が出現
しており、その日も修法後に行ったファミレスのテーブルの上に我々が席に案
内された時点で最初から何故かそのようなものが出現していたため、その先達
が行く先々にそのようなものが出現するのかと考えた次第です。

もちろん最初は普通に他の理由を考えたからこそ店員に理由を聞いたりしたわ
けですが、店員にも判らないと言われたために結局その二つは関係あるのでは
ないかと考えた次第です。

おっしゃる通りで、その二つが関係あるかどうかは何の証拠もありません。

錫杖を振ると金粉が出るかどうかは今度機会を見つけて試してみます。

358太郎:2009/10/21(水) 04:07:45 ID:p6OhJsmk0
>>345 :深山:2009/10/20(火) 22:19:12 ID:RRxusD.60
>顔や手のひらに現れる金粉は、汗に含まれた物質が結晶化したと考えれば説
>明がつきます。
>スポーツ選手が汗が乾いて塩で白くなった例があることを考えれば、
>その塩がうまく結晶化すれば、金粉のように見えます。

この汗が金粉に変質する(のかもしれない)件については、深山さんのおっし
ゃる「うまく結晶化すれば金粉のように見える」という点はよく判りません。

私は、汗は大半が水分でそれ以外はほぼNaCl(塩化ナトリウム)でありどう結
晶化したとしても白い塩のようにしかならないと認識しています。
(参考)
http://www.kusamado.com/contents/sc_baio04.html

そのため深山さんがおっしゃっている金粉のようになる結晶化というものは、
その結晶構造や成分も含めて不勉強ながら知りません。
深山さんは何かそのような事例をご存知でしょうか。

ちなみに、件の先達は綺麗好きな方で毎回きちんと行衣を洗濯されていました。
また行衣の上に着る法衣もクリーニングなどで綺麗にされていて何か匂ったり
するようなことも全くありませんでした。
汗かきでもありませんでした。

359太郎:2009/10/21(水) 04:08:35 ID:p6OhJsmk0
>>301 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/20(火) 08:41:08 ID:SmEF4Oe2O
>>>>297
>聖なる空間に波長が合った時に出るのではなく、その人が「聖」だと主観で
>感じた時に条件反射的に出るのではないでしょうか?
>つまり所詮はセンチメンタルの世界。
>聖なる絶対的な客観空間が存在してそれに合わせるのでなく、その人の感情が
>全てで左右されてしまう。
>だから偽物をつかむことも多いのではないか?

私も、その対象が聖なるものかどうかは別にして本人が「聖」だと主観で感じ
た時に、というのは同感です。

ただ、ユビキタスさんは単なるセンチメンタルの世界とおっしゃるのですが、
意識をどう使うのかという問題で、私はそれはとても重要なことではないかと
考えています。

釈尊の到達された涅槃というレベルは全てを突き抜けた究極の世界ですが、そこ
へ我々がいきなり至ることは、当たり前ですがまず不可能だと思います。
釈尊の在命時には、直接導いて下さる釈尊がいらっしゃいましたのでたくさん
の阿羅漢が出ましたが・・・。

釈尊自身、出家後にはアーラーラ・カーラーマ、次にウッダカ・ラーマ・プッタ
という師に師事し、それぞれが説いていた「空無辺処」「悲想非非想処」という
境地をすぐに獲得しています。
その後、苦行に入るわけですが、最後にはやはり瞑想によって智慧を獲得し、
涅槃に至っています。

深い瞑想とは、潜在意識、深層意識にまで働きかけるものだと思いますが、それ
は敢えて簡単に言えば意識の使い方をマスターするということだと思います。
釈尊は、上記の2人の師に師事してからすぐに彼らと同じ境地に至ったことから
も相当なレベルの瞑想ができる方だったんだろうと思います。

しかし、単なる凡夫の我々はいきなり何の手掛かりもなくそんなレベルに到達
しようとしてもまず無理だと思います。

ですので、もちろん初めから最高で本物の絶対的な「聖」なるものと縁が出来
てそれに波長を合わせることができれば一番だと思いますが、たとえ偽物であ
ったとしてもそれはその時その人のレベルに応じた縁ということですし、意識
の使い方を学ぶ手段としては仮に偽物でも何でも良いと思うのです。

そういう意味で私は、大日如来という架空の仏を本尊に据えて教義を確立した
空海も凄い人だったと評価している次第です。

360太郎:2009/10/21(水) 04:26:57 ID:p6OhJsmk0
大日如来さん、御礼がだいぶ遅くなってしまいましたが、前の方で私が言いたか
ったことを上手に表現していただきありがとうございます(深山さんとのやり取
りです)。

本来私が主張すべきところを大日如来さんが代弁するような形になってしまい、
一時的とは言え深山さんと議論されるようなことになり申し訳ありませんでした。

忘れないうちに御礼とお詫びを申し上げておきます。


深山さん、お手柔らかに今後ともお願いします(笑)。

361樹意:2009/10/21(水) 05:02:54 ID:tsllgqu20
議論というのは無駄にはなりませんよ、議論することによって見識がふかまるのですからね、
いろんな方面から資料と意見がでてきて自分で考える作業が発生する。

成分分析までしたのには恐れ入りました。
その姿勢は信者さんにしてはたいへんすばらしいものだと思います。

>>226 :樹意:2009/10/18(日) 11:04:16 ID:tsllgqu20
 太郎さんへ 贈り物。

「比丘たちよ、なにをか一切となすのであろうか。それは、眼と色(物体)とである。
 耳と声とである。鼻と香とである。舌と味とである。身と蝕(感触)とである。
 意と法(観念)とである。びくたちよ、これらを名づけて一切というのである。
 比丘たちよ、もし人ありて、〈わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう〉
 と、そのように言うものがあったらば、それは、ただ言葉があるのみであって、
 他の人の問いに遭えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るであろう。 
 何故であろうか。比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからである。」

 >相応部経典 35、23、一切 漢訳 雑阿含経 13、17、生聞一切
 >増谷文雄氏訳 阿含経典。

先に仏陀の三科の法門である 一切というお経を紹介しましたが 釈尊その方は 六処
相応 受相応 等人間の感受に関する教えを沢山説いています、
これは先に書いたように コペルニクス的教えであって 人間の感覚器官から生じる執着
妄想から 識 やらもろもろのものが縁生する。あるいみ悟りの部分です。
死んでからもなお存続する何かがあると考えることも 常見 という妄想です。

>>359 :太郎:2009/10/21(水) 04:08:35 ID:p6OhJsmk0
>>直接導いて下さる釈尊がいらっしゃいましたのでたくさん
の阿羅漢が出ましたが・・・。

太郎氏は釈尊その方やその境涯を引用されているようですが
釈尊その方は アゴンでやっているようなこういった 屋敷浄霊のようなものも 占いも
大戒として禁止されている。 「沙門果経 梵網経 」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/3419/1246830917/662
禁止するには禁止するだけの理由があるから禁止する。 こういった呪術は原始仏教に
おいては禁止事項です。なぜなら 妄想を誘発し 識 を生じさせる手助けになるから
です。

釈尊その方はキチンと経典にその教えを残している、釈尊が禁止したことをやって
その境涯を語るのはいかがなものかと私なぞは考える。

それと釈尊が禁止したことをして金粉なるものが降ったこともあれですが
ゲイカはあまりにもウソで他人を騙しつづける悪業を積んでいる。
こういう方が主催する行事でいかな物質が生じたとしても 私には 汚い
ばっちいという イメージしかわきません。

362大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/21(水) 06:49:30 ID:WBeFBnsY0
>>353 >>354 服部エンタープライズ社長さんへ

これは服部社長さん、お越しいただき恐れ入ります。
あなた様に直接許可をいただかないうちに、したらばにて継承掲示板を勝手に立てましたこと
お許しください。
ザビビがいい雰囲気で行われていた矢先に閉鎖されてしまったため、私は非常に服部社長さんの
続けられていました「阿含宗と桐山氏について」というディスカッションの場を失うのはもったい
無く感じ、恐れ多くも続けさせていただいた次第です。

ザビビでは2chと違い、参加される方もまた違う方が居られますが、有意義な投稿が存在し、
当時は私も2chとザビビの両方を拝見し、また参加もしておりました。
(優婆塞001というのが私です)

阿含宗と桐山氏について、では最後あたりには「大チャンマン」というおちゃらけなHNでもあり
ましたが、それも私です。要するにザビビは2chとは違い、味のある掲示板であったことは事実
ですし、それを構築されたのは服部社長さん、あなた様であります。ですので、本当に心の底から
服部社長の成された行動とその活躍を絶賛し、高く重んじていた次第でございます。

勝手に許可なく継承したことへのお詫びと、当スレにお越しいただきましたこと、そして今後も
あのザビビに近い有意義な意見交換を行う場所になるよう頑張りますので、何卒よろしくお願い
もうしあげる次第でございます。

この度は、本当にありがとうございました。

363大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/21(水) 07:14:50 ID:tV.dKcpY0
>>360 太郎さんへ

ありがとうございます。私も大量に書き込んだため、太郎さんも投稿を躊躇われたかと
思ってましたが、丁度忙しい時期だったようで、本来なら太郎さんのコメントを待ってから
投稿すべきなのですが、私も熱くなってしまいましたことお詫びいたします。

また、太郎さんの書かれたことで何箇所か感じるものがあったのが燃えた動機につながった
のもあります。その最たるものが「心に響かない」という点です。

これは当初こういう掲示板で意見を見た際に、違和感を強く感じた時に表現する最も適した
心中表現ですが、これは自分に問題が有るか、相手に問題があるか、と悩んだものでした。

確かに、信者であって洗脳度が深ければ深いほど違和感は強いでしょうし、取り去るのも
大変という事実もありますからそれはわかるのですが、実際問題として頭でわかって心で
わからないから認められない、という類で終わらせるのもおかしな話で、突き詰めて物を
考えてゆくと、必ずどこかに答えは見えてくるはずなのだと洗脳された頭でも思うわけです。

そうすると、例えA宗に在籍していても何らかの学びというか、真偽の程が知りたくなる。
だが、それをこういった掲示板(2chも含む)などが無い状態で、独りで悟るのは全く
出来ないことではないが、おそらくそれを達成できるのは難しいと思われます。

また、人の意見が有効な効力を持つのはやはり掲示板ならではの効果です。
ゆえに、私は未熟で非力な一般人でありながらも、こういう掲示板をレンタルさせていただき、
運営していくことは、検証や考察に非常に有益だと思うし感じたからです。

ですが、その有益な掲示板で意見を交わし、また拝読しても時々違和感を感じることが有る。
これが「心に響かない」という点です。
これは読むほうが悪いのか、言ったほうに問題が有るのか、といつも自問自答していたこと
なんですね。その考えや答えに近づくきっかけを与えてくれた太郎さんには私も非常に役に
たったので感謝を申し上げます。ありがとうございます。

>>361で樹意さんが申されている言葉の

>議論というのは無駄にはなりませんよ、議論することによって見識がふかまるのですからね、
いろんな方面から資料と意見がでてきて自分で考える作業が発生する。

には本当に同意です。また、このことが私というものを変えるきっかけになった。

掲示板を立てた本当の最初は(@chsのこと)2chに批判板が有るならば、その逆の擁護板
というのがあっても良かろう。批判ばかりの意見には異議を申す、というような気持ちが先に
立っていた。勿論2chのあの混濁した嫌気の内容も嫌いだったので、それを回避したい
気持ちも存在していました。そういう憤りから自分でレンタルし運営をしてきた。

ですが、それはさて果たして正しいのか、というのをユビさんが教えてくださった。
後に樹意さんも私に教えてくださった。そこで実際に意見を交わし、拝読して見えてきた。
批判意見を排除することは、正しいということではない。それよりも何が重要かということの
方が大事であって、それに自分は気づいた。だから擁護専用なんてくだらないことはやめて、
批判擁護どっちも歓迎で、ただ、真摯にA宗について考えるとか、意見を述べる。そういう
板でならなければいけない、と板の主旨変更と私自身の考えを改めたのです。

364大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/21(水) 07:30:21 ID:tV.dKcpY0
ですので、それを実行するのには@chsのままで行こうかと思いましたが、当時私が掲示板に
参加した時期にザビビ、(ザBBS)という掲示板で服部社長さんがおやりになられていた
「 阿含宗と桐山氏について」というシリーズがとても素晴らしく、かつ内容も有益なものが
あったんですね。ところが、そのザビビが閉鎖になり投稿ができなくなってしまった。

ならば、この有益なシリーズを無くしてはもったいない。不肖な私では有るが、A宗の矛盾や
今後の検証や考察を深める方のためにやはり服部社長の許可を待たずに行わせていただこう、
そう思い立ち、したらば(ライブドアさん)を借りて掲示板を立てて運営した経緯に到ります。

批判派の皆様はとても勉強されており、知識も豊富で非常に有益な投稿をされています。
深山さんはその最たるお方だと私は思っています。ですから>>341から>>351の意見を拝読しまして、
「ああ、やはり深山さんは冷静でまとまりのあるしっかりとした意見と文章を書かれるお方だ」と
非常に納得がいく発言をされます。

ただ、時折どうしても極稀に心に響かないときが有る。それはどういうことなのか、という
事を自分は考えていたのですね。それに対する答えが中々出せないでいた。
ですが、その答えが出せたのは太郎さんのお陰なのです。そして、現在も行われている意見交換という
この行為こそが答えを出せる糧になったのです。つまり、きっかけは太郎さん、糧は議論による
ものだ、ということですね。

今後もどうぞ意見を出し合い、考察や検証、話し合いにて納得が得られる機会を増やすようにできる
ことを進めて行きましょう。ありがとうございました。

365ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/21(水) 08:37:06 ID:SmEF4Oe2O
>>355
自分で言うのもなんですが、むしろ親切心からの「気づかせ」のアドバイスと
思ってもらいたいんですよね。
太郎さんは空海のやってみせた意識コントロール技術の深みをすごいものと
思っている。そのこと自体にケチをつける気はありません。
その感性は自由です。
ところが私は違った側面からスポットを当ててみた。
倫理的側面です。
これって要するに即身成仏の如来の提示としたら違うんでね?と思ったわけです。
真言宗という新宗派を既存の伝統宗派の中にあっても認めさせようという
意気込みはよい。
しかし真面目さを欠いた芝居じみた話はいただけない。
あんな芝居まで打つ必要があったかということですね。
釈尊の毒竜調伏というのはショーマンシップみたいなものは皆無だと思いますよ。
あれは釈尊が意図したことではなく与えられた環境に対する処理ですね。
毒竜退治が桐山さんの言うような人間同士の超能力対決か、本当に毒蛇と対峙して
襲われなかった話なのか真相は永遠に不明ですが、しかし釈尊の側から意図あって
宣伝用に示したものではない。
対して空海には金箔如来でなければならなかったの?とその提示に疑問を感じた
わけです。両者ともに神話になって誤解を与えたとしても、空海の場合はすこぶる
恣意的な悪意を感じる。
ただしあくまでも太郎さんの仮説を認めた場合の話ですが。
太郎さんのような人がある一面から空海に対して高い評価を与えるのはよいが、
しかしこういう側面からみると、決して誉められたことでないと私などが指摘する。
なかなか他の人から指摘を受けないと気がつきにくいものなんですよね。
そういう視点からも考えてくださいとアドバイスを与えたわけです。
南京玉すだれだけだと行き過ぎのオフザケにしか受け止められないかもしれないが、
マジレスの補足は必要なのではと思い、敢えて書いた次第。

366ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/21(水) 08:57:53 ID:SmEF4Oe2O
>>359
太郎さんは釈尊の仏教に対する勉強が足りないなと感じました。
あなたはあくまでも意識の深みの超技術の中で涅槃が成し遂げられると考えている。
アーラーラ・カーラーマなどから習った非想非非想定などよりももっと高度な
延長上にあるものと思っている。
しかし釈尊はこの止の行(サマタといいます)の究極に達してそれでも解脱を
得られないと悟り、方向転換を図ったのです。それが四六時中の徹底した
ありのままの自己観察というヴィパッサナーと呼ばれるものです。
サマタで意識を究極に制御しているあいだじゅうは煩悩も消えています。
しかし定から醒めて元に戻るとまた煩悩も沸き起こるのです。
だから四六時中の自己監視、煩悩が沸き起こる事実から逃げない直面の対局
という方向をとって煩悩解脱を成し遂げたのです。
これを教えたのが仏教です。
サマタとヴィパッサナーを教えた。
サマタの技術は釈尊以前に究極まであったのです。
ヴィパッサナーこそが仏教の新発見であり真髄です。
だから弟子の中には決して高度な瞑想で前世などを見通す神通力など得られなくても
煩悩を離れた涅槃の境地は得せしめているのです。
決して超人的な瞑想で涅槃を得るのではない。

367ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/21(水) 09:16:07 ID:SmEF4Oe2O
>>359
聖なるものが自分の外側にあり、それに波長をあわせるなどという発想自体、
釈尊の仏教に対する不勉強です。
釈尊の仏教の観察対象は全て自分の内面であり、師匠を含めた他人などは
全て外面に属するものなんです。

368名無しさん:2009/10/21(水) 10:58:55 ID:MH1JDQ9E0
そうだよな〜
オレも頭の中の桐山思考を一度リセットし、まっさらにしてから釈迦思考に臨むべきだと思う。
桐山思考に囚われているあいだは真の仏教の理解は出来ません。

369深山:2009/10/21(水) 12:27:01 ID:BBXV/Ivs0
>>356 :太郎:2009/10/21(水) 04:05:09 ID:p6OhJsmk0
>ました。それは、同じ真鍮でも亜鉛の含有比率がかなり低い場合はこの金粉と
>同じ面心立方格子が現れる場合があるからです。

銅の合金であるとわかれば、それだけで十分です。
金属であり、それが突然、空中から物質化するなどありえない。
しかも、錫杖の材質と同じである可能性がある。
とすれば、錫杖を含めて、周囲にあった金属が何らかの理由で粉末化したものに
すぎないというのがもっとも現実的な解釈です。
現実的な解釈が可能である限り、アゴン宗のように、それが神仏が法の
正しさのためにばらまいていったなんて愚かな解釈は成り立ちません。
ユビキタスさんが示しているように、もしこれが神仏が関わるような物質なら、
分析不能であるとか、現代の科学では作り得ない合金であるなど、
何か人間技ではないことがあるはずです。
だが、錫杖で説明がついてしまう。
錫杖だと断定する必要はありません。
「錫杖の可能性が高い」という結論で十分で、どこにも神仏や霊的現象、
超常現象などいう解釈が入り込む余地はありません。

370深山:2009/10/21(水) 12:32:57 ID:BBXV/Ivs0
>>358 :太郎:2009/10/21(水) 04:07:45 ID:p6OhJsmk0
>私は、汗は大半が水分でそれ以外はほぼNaCl(塩化ナトリウム)でありどう結
>晶化したとしても白い塩のようにしかならないと認識しています。

キラキラ光る塩の結晶はあります。
塩の結晶と一口に言っても、多種多様です。
きれいにできる結晶としては、六面体や枝状や、薄い板のような結晶もあります。
これらが全部光るわけではなく、まず大きさにもよるし、六面体など面を持つ結晶や、
薄い板状になった結晶はよく光を反射して光ります。
条件がそろうと自然の塩湖でもできます。
だから、身体や布の表面でも、条件がそろうと、塩がただ析出するだけでなく、
面を持つような小さな結晶が出来れば、面が光を反射して、キラキラ光ってもおかしくありません。
テレビで見たオバチャン祈祷師の場合、画面では、雲母のように薄い板状の反射でした。
板状かどうかわからないが、板のような平らな面を持ち、それが反射して、
小さいためにキラキラと光るように見えたのでしょう。

371深山:2009/10/21(水) 12:36:09 ID:BBXV/Ivs0
>>358 :太郎:2009/10/21(水) 04:07:45 ID:p6OhJsmk0
>ちなみに、件の先達は綺麗好きな方で毎回きちんと行衣を洗濯されていました。

では、汗かき説は成り立ちませんね。
錫杖師たちの人数や位置はどうなっていたのですか。
行衣とは、導師の黄色い衣も含めた衣類のことですよね?
言葉尻をとらえるようで失礼だが、毎回行衣を洗っているというのを太郎さんは
どうやって確認したのですか。
ついでにもう一つ、最初読んでいてわからなかったことを書きます。
先達が全身が金色になるほどの特異な現象がおきながら、
これを知っているのは浄霊班など一部の人たちだけだったという。
私はこれがかわらない。
強く口止めでもしたのならともかく、そんな特異な現象が起きたら、
噂にならないほうがおかしくありませんか。
普通、金粉現形とは、机の上に出たとか、身体についている程度です。
それが身体全体が金色に光るほど金粉が出たなんて話は他教団の話でも
聞いたことがないくらいすさまじい話です。
本人がどんなに謙虚な人でも、何人もいる浄霊班や、施主の人たちが
これを目撃していながら、誰一人周囲に話そうともしなかったという点が
私にはよく理解できないのです。
私がその場にいたら、奇蹟の目撃者として周囲に話します。
錫杖程度の金粉ですら大騒ぎするのに、全身が金色かと思うほどに
現形しているのに、噂にもならない??
奇蹟が起きているのだから、これはアゴン宗側にしてみれば格好の宣伝ネタであり、
また多くの信者が知るべきであり、報告されるべき内容なのに、
なぜ浄霊班だけに留まっていたのかという点です。

372深山:2009/10/21(水) 12:40:40 ID:BBXV/Ivs0
>>359 :太郎:2009/10/21(水) 04:08:35 ID:p6OhJsmk0
>釈尊は、上記の2人の師に師事してからすぐに彼らと同じ境地に至ったことから
>も相当なレベルの瞑想ができる方だったんだろうと思います。

釈尊が瞑想の達人であり、瞑想によって最終的に解脱したことは事実です。
2ちゃんねるで信者とこの点で議論になった。
釈尊が示した瞑想は9つの段階があります。
そして、二人の仙人から習った瞑想法もその7番目、8番目にあります。
では、9番目こそが解脱の瞑想なのか、というと、そうではない。
なぜなら、釈尊は亡くなる時、つまり完全に入滅するのに、
初禅からはいり9番目まで行き、そこで入滅したのではなく、
元に戻り、4番目の瞑想から入滅しているのです。
これをあなたはどう解釈しますか。
質問して議論しようというのではなく、瞑想で解脱して、しかも、9番目の瞑想こそが
釈尊の発明した解脱瞑想だと解釈したら、4番目から入滅したことの説明がつかないのです。
4番目から入滅したというこの一点を見ても、釈尊が瞑想で解脱したというのは、
解脱の一つの切り口としては正しいが、厳密には成り立たないのです。
あなたは桐山さんから、釈尊が高度な瞑想によって解脱の智慧を
得て、その智慧でカルマを断ち切って解脱したのだと習っている。
瞑想、智慧という単語はそれほど間違っていないが、解釈はまったくのデタラメです。
デタラメとは、阿含経の釈尊の教法とは似ても似つかないという意味です。

373深山:2009/10/21(水) 12:42:44 ID:BBXV/Ivs0
>>359 :太郎:2009/10/21(水) 04:08:35 ID:p6OhJsmk0
>深い瞑想とは、潜在意識、深層意識にまで働きかけるものだと思いますが、それ
>は敢えて簡単に言えば意識の使い方をマスターするということだと思います。

これなど桐山さんからの受け売りですよね。
あなたが答えられないことを百も承知で質問するが、これは阿含経のどこに書いてあるのですか。
確かに、顕在化していない煩悩についても釈尊は触れています。
しかし、わざわざそれを潜在意識や深層意識などという言葉を
使わなければ説明できないほど難しいことを言っているのではありません。
釈尊の教法を読めばわかるように、極力、普通の人間が認識できないようなことは説かない。
だから、アゴン宗のいうカルマなんて認識できないものを切れなんて言いません。
ド素人のあなたや私が、解脱するためには潜在意識までの深い瞑想が必要だ
などと言うのは、四則演算もできない幼稚園児が、「微分積分とは」などと
言っているのと同じです。
五上分結のような微細な煩悩を切るには潜在意識も関係してくるかもしれないが、
まず素人は五下分結を切ることを考えるべきであって、
その先をあれこれと言うのは、生意気な幼稚園児にすぎない。
しかも、それ自体が桐山さんの目くらましだと気が付かないか。

374深山:2009/10/21(水) 12:49:23 ID:BBXV/Ivs0
>>359 :太郎:2009/10/21(水) 04:08:35 ID:p6OhJsmk0
>釈尊は、上記の2人の師に師事してからすぐに彼らと同じ境地に至ったことから
>も相当なレベルの瞑想ができる方だったんだろうと思います。

あなたはそうやって釈尊の解脱とものすごく高尚、高度なものなので、
自分は理解などとうていできないものだと信じ込んでいる。
それが桐山さんの狙いです。
桐山さんは、「自分は高尚高等な段階に入り、ヲマイラごときに
何も理解できるはずがない」と批判の目が彼に向かないようにしているのです。
あなたはそれを鵜呑みにして、桐山ゲイカや釈尊は高度な瞑想の段階を体得しており、
凡人の我々はそんな世界は想像することもできないと思っていますよね。
その証拠に、潜在意識、深層意識などと一見わかったような言葉を用いているが、
あなた自身はそれらを把握することもできない。
悪因縁も霊障も、桐山さんの用いているのは全部あなたには把握できないことばかりです。
思考がそこで停止させられていることに気が付いていますか。
あなたは思考しているのではなく、桐山さんの話を丸飲みして、
オウムのようにその言葉を繰り返しているだけです。
釈尊はそういう思考停止はさせない。
まったく逆で、自分の知性によって理解し、自分の足で一歩ずつ進むことを説いている。

375深山:2009/10/21(水) 12:54:12 ID:BBXV/Ivs0
>>359 :太郎:2009/10/21(水) 04:08:35 ID:p6OhJsmk0
>しかし、単なる凡夫の我々はいきなり何の手掛かりもなくそんなレベルに到達
>しようとしてもまず無理だと思います。

ほら、自分では何もできないと信じこまされている。
あなたは凡夫であり、無力であり、一方、オシャカや桐山ゲイカは
高い境涯に達して素晴らしい波動を放っていると信じているのでしょう?
オシャカから手を引いてもらい、ゲイカから後ろを押してもらわないと
「無理だと思います」というのがあなたや信者さんたちです。
それが桐山さんの作戦だと早く気が付いたほうがいい。
それは小学生が「僕が高等数学を理解するのは無理だから、大学教授様に
貢ぎ物を差し出し、その数学波動をいただくしかない」と言っているのと同じです。
あなたはその小学生に「大学教授がどうのこうのなんて言っていないで、
まず今日渡された算数の演習問題を自分で解いてみなさい。
大学教授も貢ぎ物も数学波動も君の算数の実力とはなんにも関係ないよ。
自分が勉強する以外に学力をつける方法なんてない」と助言するでしょう。
気分を害するだろうが、今のあなたの姿はこの小学生に似ている。

376深山:2009/10/21(水) 12:57:36 ID:BBXV/Ivs0
>>359 :太郎:2009/10/21(水) 04:08:35 ID:p6OhJsmk0
>ですので、もちろん初めから最高で本物の絶対的な「聖」なるものと縁が出来
>てそれに波長を合わせることができれば一番だと思いますが、たとえ偽物であ

これも典型的な桐山節です。
インドの白銀バイブからの話で、聖なるものからの波動によって霊的に
向上するとか、解脱するなんて教えられている。
桐山さんが白銀バイブでアナゴンであること、アラハンになることを宣言したから、
これを信者は信じて、まねしている。
ここにいる信者もこのネタを使い、総本山から白銀バイブを無料で受信して、
自分は預流向であることを自覚したなんて自惚れている。
あなたは準シュダオンさんのこの主張に賛成しますか。
あなたの上記の主張の元となった桐山さんのインドの話をどう見ているのだ?
何度もここで議論されているが、あれが桐山さんの脳障害だったことはあまりに明瞭です。
1999年には何もなかったという結果がすべてを示している。
白銀波動ではなく、桐山さんの普段の食生活の問題から、小梗塞をおこして、
その当時観ていた映画の場面がフラッシュバックしたのです。
白銀波動でも聖なるバイブでもなんでもない。
だが、桐山さんの常で転んでもタダでは起きず、美食飽食から来た脳障害を、
オシャカの白銀バイブと霊障による地球壊滅という妄想を作り上げた。
これだけ桐山さんの白銀バイブの正体がはっきりしているのに、
あなたは未だに、桐山さんの美食飽食からきた病気の幻影と妄想を信じている。

377深山:2009/10/21(水) 13:02:01 ID:BBXV/Ivs0
>>359 :太郎:2009/10/21(水) 04:08:35 ID:p6OhJsmk0
>ですので、もちろん初めから最高で本物の絶対的な「聖」なるものと縁が出来
>てそれに波長を合わせることができれば一番だと思いますが、たとえ偽物であ

こういうのをオカルト仏教といいます。
釈尊の説いた仏教にはこんな考えは片鱗もありません。
こういう桐山節をそのまま復唱しているのを見ると、ユビキタスさんも
指摘しているように、あなたは桐山阿含経以外は読んだことがないのがわかる。
阿含経を読んだら、たぶんあなたなら、いつかは上記のことを書いたことを恥じるだろうと思う。
あなたのいう「聖なるもの」の最高峰は釈尊その人でしょう。
釈尊が波動を出して、比丘たちを浄化して解脱に導いたなんて
阿含経のどこにもありません。
桐山さんとあなたの妄想です。
釈尊がデンパで比丘を解脱させるなんてありません。
釈尊は何もしてくれない。
なにせ、本人が道を示すだけで、何もしないと何度も宣言しているのだから、
あなたがどんなに祈っても、深い瞑想に入っても、釈尊はデンパも徳も
あなたに授けることはありません。

378深山:2009/10/21(水) 13:05:01 ID:BBXV/Ivs0
>>359 :太郎:2009/10/21(水) 04:08:35 ID:p6OhJsmk0
>ですので、もちろん初めから最高で本物の絶対的な「聖」なるものと縁が出来
>てそれに波長を合わせることができれば一番だと思いますが、たとえ偽物であ

潜在意識に達する深い瞑想や、聖なるバイブを受けて解脱するなんて
桐山オカルトを信じるのはあなたの信仰の自由です。
だが、繰り返すが、それは釈尊の説いた仏教ではありません。
信者さんたちは、「桐山ゲイカこそが釈尊の仏教を真に理解し、体得したのだから、
批判側のような凡夫どもが、また学者が何を言おうが、それは間違っており、
桐山ゲイカの説くことこそが釈迦仏教なのだ」と信じている。
これはただの無知と慢心から来る盲信にすぎない。
そんなことを言っている人に限って、阿含経など自分では読んだこともない。
「自分のような凡夫には釈尊の説いた高度な教法が理解できるはずがない。
桐山ゲイカに解説していただかないとわかるはずがない」と思っている。
桐山さんからそんなふうに暗示をかけられ、思考停止している。
釈尊は二千五百年前の無学に人たちにも説いて、彼らは理解して解脱した。
白銀バイブで解脱したのではなく、各人が教法を理解し実践して解脱したのです。
それなのに、学校教育を受けた今の日本人が、解脱はともかく、
内容を理解できないなんてありえるはずがない。
阿含経には桐山説と矛盾するどころか、否定するような内容がたくさんある。
阿含経の釈尊は護摩や占いを禁止し、死者成仏を否定した。
霊障も霊障解脱もありません。
何よりも、因縁解脱なんて説いていない。
解脱の定義すら桐山さんは間違っているのですよ。
その彼のどこが仏陀の智慧なのだ。
彼のしていることは阿含経の理解ではなく、自己流の勝手な解釈です。
あなたは高度な智慧の持ち主に帰依しているのではなく、
まったく逆で、あなたよりも知性の低い男に帰依しているのです。

379深山:2009/10/21(水) 13:28:49 ID:BBXV/Ivs0
>>360 :太郎:2009/10/21(水) 04:26:57 ID:p6OhJsmk0
>深山さん、お手柔らかに今後ともお願いします(笑)。

今回の私の書き込みも太郎さんはずいぶん不快感を覚えたかもしれません。
だが、一つの理解してほしいのは、私の目的はあなた個人ではなく、
あくまでも桐山アゴン宗だという点です。
あなたが信じている「何か」を批判しているのであって、
あなた個人を批判しているのではありません。
スレでよほど無礼なことすれば個人批判をするが、礼儀を守ってる人の批判などしません。
私は太郎さんではなく、沈黙して読んでいる信者さんたちを意識している。
それをいつも私はドツキ漫才にたとえる。
だから、太郎さんは今、私とドツキ漫才の相方をさせられているのです。
あなたがアゴン宗についての信仰のネタを振ってくれれば、
私はそれがいかに根拠のない話か、現実的に説明のつく話であること、
また桐山さんがどれほどの嘘を並べているのか、繰り返し、手を変え品を変えて説明する。
ハリセンで叩かれる太郎さんは痛いだろうが、観客は他人が叩かれても、
感じる痛みはあなた自身よりもはるかに少ない。
観客の中には、舞台を見て、自分の信仰が成り立たないことを理解し、あるいは
釈尊が何を説いたのかを少しずつ理解するようになります。
そして、少数だが、目を覚ます。
これか私の目的だから、舞台の上に出てきた太郎さんのような相方に
手を抜くわけにはいかないし、相手が太郎さんだろうが、大日さんだろうが同じです。
なぜなら、私には誰が目を覚ます人なのかわからない。
その都度、暗がりの観客に向かい、何度でも同じ説明を繰り返し、呼びかけるだけです。

380孫 青柿 ◆vKfCFZ1gqE:2009/10/21(水) 14:20:10 ID:cMnw6Jpw0
>>109 で太郎さんは「時々無意味で細かい揚げ足取りのような本質からずれたことを主張したり
されるので、結局批判派のお話には説得力を感じられないのです。」と書かれていましたが
太郎さん今回>>359のようなこと書いては非常にマズイと思いました。
過去スレで深山さん樹意さんが釈迦の瞑想法「安那般那念経」について書かれ桐山ゲーカのとんでも解説を論破しています。
今回ユビキタスさん深山さんが>>367 >>372-378に書かれていますがこれは単に擁護派・批判派の違いじゃないんです。
20世紀最後のころテーラワーダ仏教が日本に伝来し今世紀に入り7科37道品が実際に習える時代になったし
また書籍で知識上でそれがどんなものか分かるようになったのです。

381太郎:2009/10/22(木) 03:30:05 ID:p6OhJsmk0
皆さん、どんどんレスが増えて話が進んでしまい、擁護派として参加させていた
だいた私が全く追い付けない状態で申し訳ありません。
重ねてお詫び申し上げます。

様々なお話をいただき、私としては少しずつですが議論も進み、また私自身の
理解も進んでいると感じています。
ありがとうございます。

金粉の件一つを取ってもこれだけ話が拡散してしまうため、本当にどこから手
を付けていけば良いのか難しいと感じるのですが、できる限り根本的な部分に
ついて議論していく方が有意義だと思いますので、私もそのように心掛けたい
と思います。

毎日たくさんのレスをすることはできませんのでその点は何卒ご容赦下さい。

樹意さん、贈り物ありがとうございます。
二回も書いていただいたのにレスできずに申し訳ありません。
長くなりますので後日またレスさせていただきます。


まず私自身は、例の「白銀のバイブレーション」なるものがどんなものなのか、
実際に体験していないので、嘘なのか本当なのか、脳梗塞の発作なのか違うの
か、本当に霊的な何かの体験なのか違うのかなどについては何とも言えません。

「聖なるものに波長を合わせる」云々というのは、阿含宗でそのように教えら
れているからということでそれを鵜呑みにしているというわけではありません。

確かにそれは阿含経に直接的には書かれていないかもしれません。
しかし、釈尊は「聖なる真理(四聖諦)」と「聖なる道(八正道)」を説かれ、
阿羅漢を無上なる者とし、釈尊自身も「聖者」であるとされています。

「波長」などと言うと眉つばっぽく聞こえるのかもしれませんが、尊崇する
対象を意識するところから始まり、それに対して意識を集中してそのようにな
ろうとする(同化しようとする)のは何かを学ぼうとする時の当たり前の姿勢
ではないかと思います。

もちろん釈尊在命当時から、釈尊に意識を集中していくら(涅槃に至りたいと)
願ったところで涅槃には至らないというのは、例の毎日の聖典勤行次第にある
「応説経」からも知っています。

しかし、学問でも仕事でも何でもそうですが、こう成りたいと思う先生に付い
て何かを学ぼうとする時、次第に真似をしている状態になることは多いかと思
います。
例えは悪いかもしれませんが、恋人や夫婦などの男女間でも同じことがあると
思います。

それは単に、対象を心の底から受け入れて、学びたいとか同化したいと思った
瞬間から自動的に起こる心の動きであり、それだけの話です。

釈尊の元で修行に励む比丘や比丘尼達も、素直に考えれば、まさに師である釈
尊に波長を合わせて修行していたことだろうと思いますし、私が申し上げた
「聖なるものに波長を合わせる」というのも本質的に同じことで、その延長
です。

ただ私のこのような表現や考えが、阿含宗に毒されていると考えられるよう
であればそれはそれで仕方がないと思います。

382太郎:2009/10/22(木) 03:36:34 ID:p6OhJsmk0
同じように「阿含経に書かれていないではないか」という論点でもっと根本的
な問題があります。
阿含宗では因縁解脱を標榜しているがそこが根本的に間違いで、阿含経には
因縁解脱などということは説かれていない、という問題です。

これは、私はよく理解できないのですが教えていただけるでしょうか。

もしかしたら以下は既出かもしれません。
また「釈迦に説法」「冗長」と言われてしまうかもしれませんがご容赦下さい。

まず釈尊は、四聖諦とともに、苦の原因として十二因縁(十二縁起)を説いて
います(以下、wikipediaより抜粋)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%B8%81%E8%B5%B7
1. 無明(むみょう、avidyaa) - 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。
2. 行(ぎょう、saMskaara) - 志向作用。
3. 識(しき、vijJaana) - 識別作用
4. 名色(みょうしき、nama-ruupa) - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。
5. 六処(ろくしょ、SaD-aayatana) - 六つの感覚器官。
6. 触(そく、sparSa) - 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。
7. 受(じゅ、vedanaa) - 感受。
8. 愛(あい、TRSnaa) - 渇愛。
9. 取(しゅ、upaadaana) - 自分の求めるもののために馳求する位。
10. 有(う、bhava) - 存在。
11. 生(しょう、jaati) - 生まれること。
12. 老死(ろうし、jaraa-maraNa) - 老いと死。

そして、これは釈尊の入滅後ですが、煩悩の分類がさらに行われ、以下が
「説一切有部」や「瑜伽行唯識学派」によって定義されています。

・6つの根本煩悩(貪・瞋・癡・慢・疑・悪見)
・19、あるいは20の随煩悩(忿・恨・覆・悩・嫉・慳・誑・諂・害・驕・無慚・
無愧・掉挙・昏沈・不信・懈怠・放逸・失念・散乱・不正知)

そして、阿含宗で言うところの悪因縁は「運命学で観た時の悪い星」と定義さ
れており、それぞれの悪因縁が上記の6大根本煩悩、20随煩悩から発生していて
それらの煩悩を滅していくことで悪因縁が切れるとしています。

もちろん、釈尊の説かれた十二因縁と阿含宗の因縁は違うものです。

しかし、釈尊は以下のように説かれています。

(ダンマパダ 383)
流れを努力して断て
渇愛を排除せよ、バラモンよ
諸現象の滅尽を知って
人には知れない涅槃を知る者であれ、バラモンよ

「流れ」とは煩悩の漏れ出す流れでもあり、「渇愛」のことでもあるのかなと
私は解釈していますが、いずれにしても煩悩を消滅させる(清らかな)修行に
よって涅槃に至るということだと思います。

その煩悩について、釈尊は在命当時に後世のような緻密で細かい分類をされた
わけではないかもしれませんが、6大根本煩悩や19の随煩悩を定義した「説一切
有部」などは上座部から分派した釈尊の教説に出来る限り忠実に従う出家中心
主義を貫いていた部派ですので、大きく釈尊の教説と異なるものを定義したとは
考えにくいと考えています(これはもちろん単に私の説です)。

そして阿含宗の因縁はこれらの煩悩から発生するものであると定義されており、
それぞれの因縁に一つ一つ元となる煩悩が関連付けられています。

そのため私は、釈尊の「流れを努力して絶て」と言うお言葉が、阿含宗で
「因縁を切る」という言い方と根本的に同じことを言っていると理解している
次第です。

そのため、釈尊が「煩悩を滅して」「涅槃に至る」とおっしゃっていることと、
阿含宗の「因縁解脱して」「仏陀になる」という言い方は、言い方が違うだけで
同じことを言っているのではないかと考えている次第です。

もちろん私は、阿含宗の内容が釈尊の説かれた内容と全く同じだとは考えていま
せん。
釈尊ご本人が残念ながらもういらっしゃらないため全く同じことを伝えるのは
無理だと思いますので、次善の策として、何とかそれに近い状態のもの、そして
現代人が受け入れられる形のものを、新しく編纂し直した一宗派、それが阿含宗
という所ではないかと考えています。

383太郎:2009/10/22(木) 03:40:54 ID:p6OhJsmk0
ついでに誤解の無いように申し上げておきますと、正直なところ私自身は猊下
が仏陀あるいは阿羅漢という境地に到達されているとは考えておりません。
また近年、自ら釈尊を超えたかのような発言をなされたりすることもありまし
たが、それは全然違うと思います。

またそのように盲信している会員さんを見たり、そのような内容で盛り上がっ
たりしている道場の様子を見ていると、正直なところ「終わっている」と思い
ますし、自分達のことが見えていないのかと見苦しく感じます。

ただ客観的に普通の人として、宗教家として見ると、阿含経に着目して阿含宗
というものを立ち上げた結果広く阿含経の存在を世間一般に広めたり、イスラ
エルやアウシュビッツなど仏教者としては前人未到の場所で護摩法要を行った
り、風前の灯となっていたチベット密教を支援して法脈を受け継ぎ後世に残る
よう尽力したり等、これまで誰もやらなかったことを成し遂げたという意味で
もの凄い実績を上げた方だとは思っています。

(釈尊が禁じたという護摩や占いについてはまた後述したいと思います。)

384樹意:2009/10/22(木) 05:12:29 ID:tsllgqu20
>>382 :太郎:2009/10/22(木) 03:36:34 ID:p6OhJsmk0

まぁ 他の諸氏から反論があるでしょうが
因縁というのは存在の法則であり 煩悩を滅する 生存を導きだす条件を滅する
ことにより解脱するというのが本来の釈尊の教えです。
因縁解脱という 法則から解脱するようなものではありません。

お釈迦様の教法は運命がどうのこうのという考え方をしません。
運命という考えをしたならこの欲界の生存である「五蘊に執着」することになり
それは次の生存継続の条件となる「識」を 「行」を作り出してしまうからです。
お釈迦様はこの欲界だけでなく更に高次の「色界」「無色界」さへのその解脱の
範疇とされるのです。

占いにしろ 浄霊 のような呪術にしろ「見」の煩悩を誘発するから禁止するのです。
お釈迦様の教えで一番に学ばないといけないのは「見」の煩悩です。

交通安全を説く方が いろいろ説きながら その団体が飲酒運転をし それを宣伝に
使っているようなものが アゴン であり ゲイカ なのです。
交通安全という目標を達成するにはもろもろの安全の為の条件を充たす必要がある。
涅槃という目標を達成するのも同じことです。

釈尊が禁止したゴマを焚き 占いをし 運命をいろいろ考えさせて惑わす。
これは我々が存在する欲界という低次な世界への執着 煩悩を作り出すものですから
太郎さんが引用されたものは後の文章では否定していることになるだろう。

交通安全を説くならば 飲酒運転はしないことです。 涅槃や解脱を説くならば
ゴマや占いはしないこと、運命がどうのこうのという常見を誘導するものは説かない
ことです。

交通安全の標語を前段で出して 後段で 飲酒の勧めを出しているようなものです。
戒律のない仏教というのはありません。

385ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/22(木) 08:47:05 ID:SmEF4Oe2O
>>381
金粉については質問のあったものを優先にレスをつけていけばよいと思います。
深山さんから出された金箔先達の件ですね。金箔に覆われる状態だったと言うが、
どうしてそんなスゴイ話が広まらないのか、他に目撃者はいなかったのか
という話ですね。
私も質問を追加すると、その全身金箔に覆われたというあなた自身の直接な観察
による詳細描写を具体的に書いてもらいませんか。
ついに金箔だらけになった経緯も含めて、どう始末したのかなど覚えている範囲
のことを書いてください。

波長を合わせたいならば釈尊の説いた教えを尊び、教えを実践するしかないのです。
その際仏界の霊(?)が反応したり、バイブレーションと波長が合うのではなく
あくまでも自ら教えを理解して実践した努力が報われて解脱に至るのです。
仏法僧の三宝を敬えと言われるが、中心になるべくは法という真理の教えであり
それを体得したのが仏であり、体得すべく修行に励む集団が僧です。
釈尊は仏ですが、その仏ですら各自にとってはお手本であり、生きている間は
教師であり、死んだ後はもはや直接の教授もないのだから生前説いた教えを師と
するのです。
この場合教師は言葉で教えを説くのみで、それ以外の何のバイブレーションを
与えてくれません。
もし揺れ動かされることがあったら、あなたが講義中に居眠りをしてしまい
先生に「寝たらいかん」と注意を受ける時くらいですw
物理や化学を習うのに先生のバイブレーションで科学力を身に付けようなんて
人はいないでしょう。
そもそも釈尊の仏教に拝む対象としての本尊なんてものはないのですよ。

386170:2009/10/22(木) 10:25:31 ID:Qw6mRITI0
>>382
> 阿含宗では因縁解脱を標榜しているがそこが根本的に間違いで、阿含経には
> 因縁解脱などということは説かれていない、という問題です。

> そして、阿含宗で言うところの悪因縁は「運命学で観た時の悪い星」と定義さ
> れており、それぞれの悪因縁が上記の6大根本煩悩、20随煩悩から発生していて
> それらの煩悩を滅していくことで悪因縁が切れるとしています。

> 釈尊が「煩悩を滅して」「涅槃に至る」とおっしゃっていることと、
> 阿含宗の「因縁解脱して」「仏陀になる」という言い方は、言い方が違うだけで
> 同じことを言っているのではないかと考えている次第です。


太郎さんはゲイカの説く「因縁」とは「煩悩の現れ」なので、因縁解脱とは煩悩解脱を言い表した別の表現といいたいのでしょう。

けれども仮に「因縁は煩悩を通俗的に表現した現代人に適した教化方法」としても、矛盾が出てきます。
まず、因縁と煩悩の関連性。
一見するともっともらしいのですが、矛盾が多くなります。
たとえば横変死の因縁。これは地獄界に属し、瞋の煩悩があって随煩悩のいくつか書かれています。

だが、阿羅漢に至ったモッガラーナは横変死しています。これは有名な話しですね。
また同じく阿羅漢となったヴァッカリは病気を苦にして自殺しています(相応部サンユッタ・ニカーヤ22.87)
さらに阿羅漢となったゴーディカも自殺しています。

煩悩を解脱した大聖者阿羅漢が横変死?
これはおかしくありませんか?
因縁が切れていないだけでなく、ゲイカの因縁論では煩悩も切れていないことになります。
横変死の因縁は瞋の煩悩から出ているのですから。
明らかな矛盾です。

ゲイカの説く因縁論は、外的な現象から導かれる運命の法則です。
その方の内面性(たとえ心やさしく清らかな性情であっても)、事故で亡くなる人は「横変死の因縁あり」になります。
表面的な性情がどんなによくても、その深層意識に強い瞋の煩悩や霊障があるとするのが、ゲイカの因縁論です。
だからどんな屁理屈をつけても、ゲイカの因縁論では、モッガラーナもヴァッカリもゴーディカも瞋の煩悩が残っていたことになるわけです。
特別なケースといっても、3人もが特別なケースに該当するとは考えにくい。

しかも亡くなった阿羅漢は霊障を受けていた可能性がある。
横変死の因縁という強い因縁がある場合は、横変死した霊障を受けているのが多いとするのがゲイカの説です。
だから3人の阿羅漢は、横変死した霊障を受けていた可能性がある。

しかも桐山仏教では、阿羅漢に到達すれば、当然、成仏法も体得していることになります。
しかし成仏法を体得したはずの阿羅漢が、自らの霊障を解くこともできなかったことすら示唆します。
さらにいえば、横変死した人は、死後、地獄に行くとゲイカはいいます。

このように、因縁を切るはずの仏法を最高度に究めた弟子が横変死。
瞋の煩悩が残っていたことになる阿羅漢。
死後、地獄界へ行く阿羅漢。
霊障を受けていた可能性のある阿羅漢。
成仏法を体得しているはずの阿羅漢が霊障を解けなかった。

なんじゃこりゃ?ですよ。
明らかに矛盾します。

しかもゲイカの因縁論では、横変死の因縁を持っていると、最初のシュダオンの壁すらも通過できないはず。
なぜなら、三結を断じた暁には、三大悪因縁がきれることになっているわけです。
横変死の因縁は切れているのが当たり前。
なのに、数名のお弟子さんはシュダオンはおろか、阿羅漢に到達。
疑問符だらけになりませんか(笑)

シュダオンといえば、三結を断じるとシュダオンといいますね。
ゲイカは、シュダオンになると、三大悪因縁が切れるといいます。
三大悪因縁、横変死の因縁・刑獄の因縁・肉親血縁相剋、この3つが切れると。

しかし、釈尊の朋友でもあったビンビサーラ王はシュダオンであったといいますが、
息子のアジャーサットに殺害されています。
ゲイカの言う横変死の因縁と肉親血縁相剋の因縁があったわけです。
しかしシュダオン。
どういうこと?

釈尊の仏法がおかしいのか、ゲイカの因縁論がおかしいのか。
太郎さんはどちらがおかしいと考えますか?

387ラシン:2009/10/22(木) 10:25:40 ID:2LdR/Kgw0
382 :太郎:2009/10/22(木) 03:36:34 ID:p6OhJsmk0
>そのため私は、釈尊の「流れを努力して絶て」と言うお言葉が、阿含宗で
「因縁を切る」という言い方と根本的に同じことを言っていると理解している
次第です。

まるで違いますね、仏教の因縁はすべての事象は縁起している。
つまり生存の苦悩はいかにして生起し、消滅するのかを示している。
十二支縁起はその因による流れを説いたもので、無明があって老死がある。
樹意さんも指摘されていたように、原因によって生じる法則です。
法則を切っても、用を成しません。

>そのため、釈尊が「煩悩を滅して」「涅槃に至る」とおっしゃっていることと、
阿含宗の「因縁解脱して」「仏陀になる」という言い方は、言い方が違うだけで
同じことを言っているのではないかと考えている次第です。

仏教での解脱とは、煩悩から解放され自由となることで、インド全般で
説かれた理念であり、その解脱した心は迷いがなく再び煩悩が生じないので、
涅槃と同じ意味とされた。
煩悩とは無明を因とし、心身を迷い悩ます汚れた心的活動の総称です。
それは苦しみに満ちた迷妄の世界につなぎ止め置く原因となるものです。
ですから原因を切るのではなく、原因である煩悩を止滅することを
釈尊は説き、それを漏尽解脱と示したのです。
例えばアゴン宗の脳障害の因縁切だって、桐山さんの例で考えれば、
食への執着であり、それは貪欲という煩悩を滅尽しないで食生活での
習慣病となって脳梗塞を生じさせた。同時に生活上の戒律を守らなかった
ゆえの当然の業報だと分かるものでしょう。
要は煩悩です、煩悩の止滅が必要なのです・

388170:2009/10/22(木) 11:00:41 ID:Qw6mRITI0
>>382
さらに、修行の方法が根本的に違っています。

釈尊は、どこでまでも、貪・瞋・痴の三毒煩悩をなくすことを言っています。
そのために清浄行を推奨し、戒律の中にも組み込まれています。
自己の心を浄めることを第一として、その究極が涅槃になるわけです。
一点の汚れもない状態です。

在家に対しても同様です。もちろん社会生活があるので、出家者と同じとはまいりません。
五戒を授けて施行を行い、心をきよらかにして、死後天へ生まれ変わる生き方を説きます。
程度の差こそあれ、煩悩を無くし、心を浄めることになります。

一方、ゲイカの修行法では、因縁を切るためには供養の実践を説きます。
そしてこれを重視します。
現代人は機根劣性が多いので在家には「供養」を説きます。

極端にいえば、供養一本ともいえます。
もちろん座右宝鑑では、供養(仏舎利供養・先祖供養)のほかに心解脱を提示しています。
しかし現実は、中心に供養があります。
三福道がこれを端的に示しています。
しかも三福道では、供養でアナゴンまで到達できるといいます。

しかし釈尊は、供養で聖者に到達できるとは言っていません。
三福道にしても、ゲイカの創作です。
オリジナルの釈尊の教説では、三善根。三善根とは、貪・瞋・痴の煩悩をなくす行為。
だから三福道といわれている経典は、本来、煩悩解脱を説く教典であったのが、
まったく正反対の供養で解脱できるという、世にも恐ろしい内容に書き換えられてしまったわけです。

しかも三福道での供養は、「我に貢げば解脱の徳を授けるぞ」と語るホトケに供養すると解脱できるといいます。
そして現実には、供養の金額を誓願としたり、一生懸命に供養を推奨することが出てくるわけです。
また供養ができないと恥じらいを感じ、供養ができると中には横柄になり傲慢になっていく信者も出てきます。煩悩増大です。

しかしこれは、釈尊の煩悩解脱から乖離した行為と言わざるをえません。
供養を推奨することの本質は、供養への欲望を強める行為だからです。
欲望を強化するので、煩悩解脱や心を浄化することから遠ざかっていくことになります。

現実の話しをしましょう。
供養を熱心に行っていく中で、心を浄めることができる人は、かなり少ないです。
またここまで気付く人はほとんどいません。
ゲイカの説く修行法は、功徳を積むといっても、それは欲望を煽ることになりやすい。
煩悩を助長し、傲慢な性情を強める結果にもなりやすいのです。
しかし釈尊は欲望などの煩悩は無くしていくものとしています。

ゲイカと釈尊とでは、方向性・ベクトルが全然違うわけです。
ゲイカの因縁論に基づく修行法は、釈尊の説く内容と、ベクトルが異なっていると思いませんか?
「因縁解脱は煩悩解脱と同意」といった表現とかの問題ではなく、
修行の方向性自体が釈尊のお考えと異なっていると思いませんか?

結局、因縁に煩悩が組み込まれていても、矛盾を引き起こしているので、
言うならばもっともらしく見せた理屈なのでしょう。

そもそも、因縁など矛盾を抱え、しかも脅しめいたものを出さずに、
「煩悩を無くしましょう」と素直に釈尊の教法に従ったほうがいいと私は考えます。

389170:2009/10/22(木) 11:03:54 ID:Qw6mRITI0
>>382
このようにゲイカの因縁論と、釈尊の教法とでは一致しないどころか辻褄が合わないのです。

何よりもゲイカ自身が、自らが主張する因縁解脱ができていない。
しかも自分の持っていた悩障害の因縁すら透視できていなかった。
解脱すれば漏尽智という自分が悟ったことを知る智も生じるといいます。
自分が解脱したなら、正確に把握できるはずなのに、それができていない。
そうでありながら、自分が有余涅槃の聖者と宣言。
これまたおかしく矛盾を表しています。

脳障害の因縁といえば、ゲイカは昔、おかしな話しをする人に対して「脳障害の因縁のある人」といっていました。
しかしゲイカが脳障害の因縁を持っているなら、ゲイカがいうこともまた、
脳障害の因縁を持つ人特有の思考の現れとみなすことができるでしょう。
脳障害の因縁は畜生界に属する因縁ですので、畜生の物の考え方をすることになります。
ならばゲイカの説も畜生の説になります。
時々、宗教家畜と揶揄されるのもあながち間違いではないことが、
ゲイカ自身の因縁論から導かれてしまいます。

390準シュダオン:2009/10/22(木) 12:16:51 ID:P9JinFks0
深山くんは、赤い布を敵と確信して角で布に体当たりしていく闘牛に似ていま
すね。哀れ、牛はヒラリと闘牛士に体をかわされ、剣を刺され、
やがておダブツしてしまいます。
私はバイブレーションを受けてから預流向を自覚したなどとはレスして
いない。深山くんは、嘘つきだなぁ、でなくば勘違い者だなぁ。

だいたいね、管長は1995年4月号ダルマチャクラで、預流向は凡夫のことだ
と説いているのですからね。それを読んだ頃から私は預流向であることを自覚
してんだよ。
そんで、その頃はまだ思念の相承の伝法は開始されていないのよ。
だから、バイブレーションを受けてから預流向を自覚したんではないの、あほらしい。
こんなに説明しても、理解出来ず、赤い布に突っ込んでいくのかいW。
それを我見というのです。
管長は、預流果からが聖者であって、預流向は凡夫に区分しているのですからね。
それを深山さんは信者時代に理解できていなかったのでしょう?
だいたい、信者時代に四双八輩なんて、考えたこともなかったんでないの?
管長は阿含仏教の基本として、四沙門果をあちこちで説いてますからね。
大乗仏教との大きな違いは、ここにあるわけですからね。

このように書くと、「管長はどこで預流向を凡夫と説いてるか?」という
深山さん、お得意の論法で屁理屈質問がとんでくるようだW。
預流果からが聖者に入る、ということは、預流向は凡夫に入る、ということ。
管長はそういう定義をしてるわけです。

391深山:2009/10/22(木) 12:38:50 ID:fMKvpREs0
>>381 :太郎:2009/10/22(木) 03:30:05 ID:p6OhJsmk0
>実際に体験していないので、嘘なのか本当なのか、脳梗塞の発作なのか違うの
>か、本当に霊的な何かの体験なのか違うのかなどについては何とも言えません。

一見、客観的であるかのような書き方ですが、都合の悪いことからの「逃げ」です。
体験そのものだけを私は指摘しているのでありません。
体験だけなら、あなたが言うように何とも言えない。
だが、桐山さんの体験が本物かどうかは、彼の受けた御霊示で確認できる。
桐山さんはオシャカから、「世紀末に霊障による地球壊滅が起きるから、
霊障のカルマを解脱できるオシャカの成仏ホーを体得したオマエが
地球壊滅を防ぐために力を尽くせ」と御霊示をもらったと書いているのです。
直接的な表現はないが、書いていることはそういうことです。
だから、地球壊滅の時にはもう一度サヘトマヘトに来るのだと言っている。
結果がすべてを示している。
何も起きていない。
インド護摩では脳梗塞で体調が悪く、田舎のサヘトマヘトには行けず、
デリーのチベット寺院で護摩を焚いてお茶を濁した。
しかも、桐山さんはその護摩を釈迦の復活の儀式だと断定している。
白銀バイブとは、単独の内容ではなく、今日に至るまでのアゴン宗の
地球壊滅ネタの元となっているのです。
この事実を見ないで白銀バイブだけを見るのは「逃げ」です。

392深山:2009/10/22(木) 12:42:00 ID:fMKvpREs0
>>381 :太郎:2009/10/22(木) 03:30:05 ID:p6OhJsmk0
>実際に体験していないので、嘘なのか本当なのか、脳梗塞の発作なのか違うの
>か、本当に霊的な何かの体験なのか違うのかなどについては何とも言えません。

二十年間言い続けた地球壊滅はどうなったのか。
桐山さんは1999年の正月まで地球壊滅を言い続けていたのですよ。
本にははっきりと1999年と2000年であると書いてある。
だが、何も起きなかった。
ノストラダムスの予言を出して、さんざん信者たちを地球壊滅で脅かした。
13人の導きは「命だけは保証する」などと、明瞭な脅迫までしていた。
ところが、白銀波動に始まる霊障による地球壊滅なんて何もなかった。
桐山さんの言い訳は、ノストラダムスの1999年とは1997年に
桐山さんが中山大学で講演の原稿を送ったことだと言う。
これはあの言い訳本に書いてある内容です。
あなたはこれをどう読んだのだ?
つい正月まで、北朝鮮の核ミサイルなど引き合いにして信者を脅かしておきながら、
実はもう二年も前1999年七の月は終わっており、
それは講演の原稿を送ったことだという???!!
よく信者さんたちはあの人を小馬鹿にしたような戯れ言で納得できるものだと
私は今でも信じられない。

393深山:2009/10/22(木) 12:45:06 ID:fMKvpREs0
>>381 :太郎:2009/10/22(木) 03:30:05 ID:p6OhJsmk0
>実際に体験していないので、嘘なのか本当なのか、脳梗塞の発作なのか違うの
>か、本当に霊的な何かの体験なのか違うのかなどについては何とも言えません。

インドでの白銀波動で、ただアナゴンであると自覚した程度ならどうでもいい。
だが、二十年に渡り、信者と世間を地球壊滅で脅迫したネタなのです。
そこにあの無責任きわまる言い訳。
脳梗塞かどうかを議論しているのではなく、白銀波動は、桐山さんの霊的な
脅迫ネタの一部であると指摘しているのです。
太郎さんにこれを指摘するのは、あなたもこれを信じて、当時活動していたはずだ。
先に言うが、私は当初これを信じて活動した。
だからこそ、あの白銀バイブが何であったかを追求する。
太郎さんはどうなのだ?
あなたは周囲に桐山ゲイカの予言した霊障のカルマによる地球壊滅を
表現はどうあれ、言いましたよね?
なぜなら、そこに未だにいるということは、未だに霊障のカルマによる
地球壊滅を信じているからです。
私はそれを指摘しているのです。
1999年までにあなたも桐山さんの予言を信じて活動していた。
だが、それがバカ外れしても、きれいに忘れて、
まるで何もなかったかのように口を拭い、ガダルカナル護摩など
また同じ霊障のカルマで人々を脅かす行事に参加している。
桐山さんは日本有数の無責任男だからいいが、あなたはどうなのだ?

394深山:2009/10/22(木) 12:47:49 ID:fMKvpREs0
>>381 :太郎:2009/10/22(木) 03:30:05 ID:p6OhJsmk0
>ただ私のこのような表現や考えが、阿含宗に毒されていると考えられるよう
>であればそれはそれで仕方がないと思います。

はい、毒されています。
あなたは銀波動を付帯条件、つまり、それがあっても良い程度の話にすり替えているが、
桐山さんは、絶対必要条件だと言っているのです。
仕事や恋人のことを四六時中考えていることと、アゴン宗の白銀波動とはまるで違います。
あなたは仕事で目標とする尊敬する人物から「波動」を受けて、仕事を成就するのですか。
仕事と、尊敬する人物を心に思うこととはまるで違う。
桐山さんは尊敬する人物から波動を受け取れば、仕事が成就すると言っているのです。
オシャカという最高の目標から聖なる波動を受けると、
アナゴンやアラハンになれるのだと言っている。
因縁切りも自分で何とかするのではなく、徳の預金額に応じて、
仏様とやらがオシャカの成仏リキという波動で切ってくれるのだという。
必要条件として唱えているのです。
だが、自分の仕事の分野で立派な業績をあげている人を尊敬し、
波動を感じないと、仕事が成就しないなんてありませんよ。
むしろ、目標とするとは、ライバルとみなし、乗り越えようとする競争心で
仕事をするのが普通です。
尊敬の念を持とうが、ライバルとみなそうが、仕事のできあがりとは
直接的には関係ない。
だが、桐山さんは直接関係するどころか、これが絶対に必要条件だと言っているのです。

395深山:2009/10/22(木) 12:52:57 ID:fMKvpREs0
>>381 :太郎:2009/10/22(木) 03:30:05 ID:p6OhJsmk0
>ただ私のこのような表現や考えが、阿含宗に毒されていると考えられるよう
>であればそれはそれで仕方がないと思います。

小学生が数学を学びたくて、年中数学のことを考えているのは正しい。
だが、彼が考えているのは数学の公式の意味ではなく、
大学の数学科の教授のことだったらどうですか。
「僕もあんなふうに、学生の前で数式を書いて講義できるようになろう」と
夢想するばかりで、一向に、算数の演習問題すら解こうとしない。
桐山さんの言っていることは、小学生が「大学教授の白銀バイブがあれば、僕は
たちまち微分も積分も解いてしまえるのさ」と自惚れているのと同じです。
数学を解くのに、年中大学教授を夢想することなど必要ありません。
それと同じで、仏教において釈尊を尊び、彼のようになろうと比丘たちが
努力目標にしていたことは事実だろうが、
だからと言って、そのように思い描くことで、オシャカ波動が
伝わり、解脱できるなんてアホウな説はありません。
桐山さんが言っているのは、このアホウな説なのですよ。
そして、あなたはそれを意味もわからず口まねしている。
毒されている、とあなたがの言葉は当たっています。
しかし、仕方ないで済む話ではない。
あなたが釈尊の教法なんか関係ないと開き直った外道信者なら仕方ないでもいいが、
アゴン宗は釈迦仏教だと言っているのです。
釈迦仏教で説いてもいない解脱の方法を信じて、仕方ないで済むことではありません。
もしそうなら、毒されているのではなく、洗脳されているか、
あなたが百も承知で釈尊について大嘘をついていることになるのです。

396深山:2009/10/22(木) 12:56:44 ID:fMKvpREs0
>>382 :太郎:2009/10/22(木) 03:36:34 ID:p6OhJsmk0
>そのため私は、釈尊の「流れを努力して絶て」と言うお言葉が、阿含宗で
>「因縁を切る」という言い方と根本的に同じことを言っていると理解している
>次第です。

この文章の直前まで仏教の説明は大筋で間違っていないのに、
どうして、ここであなたは「木に竹を接ぐ」のだ?
あなたに限らず、信者がこの話しをする時、ほぼ全員がこれをする。
あなたは釈尊の教法を十二縁起まで出し、しかも、
ここで述べられている因縁とはアゴン宗の悪因縁とは違うとはっきりと述べた。
あなたが出したダンマパダにも、釈尊は煩悩を切れとしか言っていない。
しかも、その「流れ」とは渇愛であり、これを消すことで
涅槃に至るのだと、正しくあなたは解釈している。
だが、この正しい解釈を出していながら、どこから上記の結論が出てくるのですか?
準シュダオンさんのように頭のネジが数本とんでしまった人ならしかたない。
だが、あなたは上記の前まで極めて論理的に、根拠を示しながら記述しており、
準シュダオンさんと違い、普通の論理性と理解力のある人だとわかる。
だから、その直後に、上記の脈絡のない文章が出てくるのが私は理解できないのです。

397深山:2009/10/22(木) 13:00:20 ID:fMKvpREs0
>>382 :太郎:2009/10/22(木) 03:36:34 ID:p6OhJsmk0
>そのため私は、釈尊の「流れを努力して絶て」と言うお言葉が、阿含宗で
>「因縁を切る」という言い方と根本的に同じことを言っていると理解している
>次第です。

釈尊は流れを断て、渇愛を排除せよ、そうすれば解脱すると言っていることをあなたは認めている。
つまり、
A「流れ=渇愛=煩悩」
B「アゴン宗の因縁≠十二因縁」
であると認めている。
この主張は正しい。
だが、それを解説した直後、あなたは、
C「流れ=アゴン宗の因縁(運命)」
と上記で書いている。
おかしくないか。
AとBからCは出てきませんよ。
AやBのどこにも悪因縁(運命)などないのに、なんでCでは悪因縁が出てくるのだ?
「流れ」をあなたは煩悩だと認め、釈尊が説いたのは煩悩解脱だと認めた。
どこにもアゴン宗の悪因縁(運命)なんて言葉も概念も出ていないのに、
どうして、そこで唐突に因縁切り(運命を変える)なんて出て来るのですか。
十二因縁や釈尊の言葉を自分で書き写しながら、矛盾を感じませんか。

398深山:2009/10/22(木) 13:07:53 ID:fMKvpREs0
>>382 :太郎:2009/10/22(木) 03:36:34 ID:p6OhJsmk0
>そのため私は、釈尊の「流れを努力して絶て」と言うお言葉が、阿含宗で
>「因縁を切る」という言い方と根本的に同じことを言っていると理解している
>次第です。

太郎さんの言いたいことはわかりますよ。
「悪因縁は煩悩から出てくるのだから、悪因縁を切ることは釈尊の説いた解脱と同じだ」
と言っている。
違います。
釈尊は煩悩を切れと言っているのに、そこから派生したという悪因縁を
切るなんて、余計な話をなんで付けるのだ?
釈尊は煩悩解脱(漏尽解脱)しか説いていない。
これだけです。
まるで、カレーを作るのに子供に野菜を買うように使いを頼んだら、
野菜はジャガイモ一つだけで、後は自分が好きなお菓子を買ってきて、
「ジャガイモを買ったから同じだと」と言っているようなものです。
なんで釈尊が説いてもいない悪因縁(悪い運命)を勝手に付け加えるのだ?
解脱の定義なのだから、他人が勝手に手を入れていいことではありません。
そういう事自体が、釈尊に対して僭越だと思いませんか。
仏教を本当に信じようとするなら、勝手な付け加えをするのではなく、
釈尊が説いているそのまま理解すればいいだけです。
あなたが引用したように、釈尊は渇愛などの暴流(煩悩)を止めろと説いているだけです。
そして煩悩を止めることこそが涅槃であると説いている。
これだけ端的でわかりやすい阿含経を引用していながら、
なんでそれを無視して、釈尊が説いてもいないことを付け加えるだ?
解脱という最も重要な内容に、凡夫のあなたが何をよけいな口を出す必要があるのですか。

399深山:2009/10/22(木) 13:13:23 ID:fMKvpREs0
>>383 :太郎:2009/10/22(木) 03:40:54 ID:p6OhJsmk0
>ただ客観的に普通の人として、宗教家として見ると、阿含経に着目して阿含宗
>というものを立ち上げた結果広く阿含経の存在を世間一般に広めたり、イスラ

嘘です。
これはあなたや信者さんたちの大きな誤解だから、指摘します。
桐山さんが阿含経を世間に広めたりはしていない。
阿含経の権威と名前を使って、自分の桐山教にすぎない外道の
教えの宣伝の道具にしたのです。
阿含経を広めることに最も功績があったのは、友松円諦師でしょう。
だが、今だって世間は仏教などには関心がないから、阿含経なんて聞いても誰も知らない。
阿含経を広めるとは、選挙ではないのだから、ただ名前を繰り返せばいいというものではない。
内容を正しく伝えてこそ、阿含経を広めたともいえる。
だが、禁止された護摩を大新聞に掲載し、占いの本を書き、
否定された死者成仏をマスコミで宣伝している桐山さんの
どこが阿含経を広めたことになるのだ?
まったく逆で、世間の人々に阿含経の中身を誤解させることをしている。
そして、この悪業の手伝いをあなたは今でもしている。

400深山:2009/10/22(木) 13:16:54 ID:fMKvpREs0
>>383 :太郎:2009/10/22(木) 03:40:54 ID:p6OhJsmk0
>り、風前の灯となっていたチベット密教を支援して法脈を受け継ぎ後世に残る
>よう尽力したり等、これまで誰もやらなかったことを成し遂げたという意味で
>もの凄い実績を上げた方だとは思っています。

これも嘘です。
チベット仏教に金銭的な支援したことは事実です。
だが、あなたの書き方ではまるでチベット仏教が死にかけていたかのような
書き方だが、何を根拠しているのですか。
亡命と、チベット仏教が死にかけていることとは違います。
チベット仏教は桐山さんからの援助があろうがなかろうが脈々として生き残ってきた。
むしろ、チベット人が世界中に広がったおかげで、ローカルな宗教だったのが、
世間に広く知られるようになった。
さらにあなたが書いたことでインチキというよりも嘘なのが、
まるで桐山さんがチベットの法脈を受け継いだかのような書き方です。
太郎さんほどの人がここまで信じ込んでいるとは驚きです。
桐山さんがいつチベット仏教を習ったのですか。
あなたはチベット仏教を小馬鹿にして、なめているのではありませんか。
チベット語もわからない桐山さんがチベット仏教を体得できるはずがない。
桐山さんが多額の寄付をしたことへの御礼として法位法号を授けたにすぎない。
あなたは桐山さんが霊的な能力でチベット仏教を体得したなどと
本気で信じているのだろうか。
だったら、どうしてチベット仏教の出家たちが桐山さんの所に弟子入りしないのだ?
位階のないチベット僧侶なんていくらでもいるのに、誰も桐山さんなんて見向きもしない。
法位法号を金で買ったことがこれほど明瞭なのに、
あなたの目には、チベット仏教を桐山ゲイカが引き継いだかのように見えるのですね。
私は信者時代すら、今ここで述べたようにみなしていたので、あなたが
桐山さんがチベット仏教を体得していると信じていることにかなり驚きました。

401深山:2009/10/22(木) 13:27:48 ID:fMKvpREs0
>>383 :太郎:2009/10/22(木) 03:40:54 ID:p6OhJsmk0>ついでに誤解の無いように申し上げておきますと、正直なところ私自身は猊下
>が仏陀あるいは阿羅漢という境地に到達されているとは考えておりません。

あなたの勇気ある表明には敬意を表するが、これを認めてしまったら、
あなたの信仰そのものが崩壊してしまうことに気が付いていないようですね。
アゴン宗の教義とは、積み木を重ねたようなものだから、
どれか一つを崩すと、全部崩れてしまう。
議論が拡散するからすべては指摘しないが、これを言ったら、
桐山さんのいうオシャカの成仏ホーは成り立たなくなる。
なぜなら、桐山さんは阿含経のオシャカの成仏ホーで解脱したのだと言うのに、
あなたは解脱していないという。
オシャカの成仏ホーを桐山ゲイカは体得していないことになる、
すると、解脱供養だけでなく、ガダルカナル護摩や死者成仏も成り立たなくなる。
あなたが事例として出した三つの体験談も、桐山さんのオシャカの成仏ホーが
背後にあるから初めて意味を持つのです。
大乗経典を読誦し、空想の仏を拝んでもいいのは、桐山さんが阿含経の
オシャカの成仏ホーを体得しているからです。
法施がただの絵や偶像やブツにすぎないのではなく、あれに力があるのは、
桐山さんのオシャカの成仏ホーを元にしている。
桐山さんはそれによって有余依涅槃の聖者、つまり仏陀宣言をした。
だが、あなたはそれを否定した。
では、何を信じているのですか、ということになってしまう。

402深山:2009/10/22(木) 13:33:07 ID:fMKvpREs0
>>381 :太郎:2009/10/22(木) 03:30:05 ID:p6OhJsmk0
>皆さん、どんどんレスが増えて話が進んでしまい、擁護派として参加させていた
>だいた私が全く追い付けない状態で申し訳ありません。

気にすることありません。
太郎さんは一人で、批判側は何人にもいるのだから、すべてに応えるのは無理なのは
誰が見てもわかります。
まず、急いで反論しようとせず、時間をおいて反論することです。
議論はキャッチボールですから、相手が投げ返してくるまで待ちます。
たいへんならペースを落すことです。
我々は仕事があるのですから、議論はあくまでも片手間です。
また、テーマを絞ってはどうですか。
今、議論はかなり広がりはじめている。
どのテーマを選ぶかは太郎さんに選択権があります。

403準シュダオン:2009/10/22(木) 13:42:12 ID:P9JinFks0
「流れを断つ」ということが「因縁を切る」ということと、表現は違っても
言ってる内容が同じであることに気づけないのは、深山さんが我見に汚れて
いるからですよ。煩悩・渇愛の流れが凡夫の生死を形成していることから、
この流れに逆らう聖者という意味で、預流果を別名、「逆流の聖者」とも
称する、と、管長は本に書いています。「流れを断つ」と「因縁解脱」は
同じことを説いてるのです。

ようするに、深山さんなどは、因縁を切るということを、○○の因縁(運命
の星)に限定しすぎて考えているのではないか、と推測できますね。管長が
説く○○の因縁(運命の星)解脱は、煩悩を断って阿羅漢になる途中経過の
教えですよ。釈迦の説く悪趣を、管長は○○の因縁(運命の星)の集合体と
考えているんだな、と思えば間違いないのですよ。

すると、深山さんお得意の「管長はどこでそう言ってるか?」との屁理屈質
問が来そうですが、そこが理解力の問題ですからね。
また、私が必要としてるのは管長が説くところの○○因縁(運命の星)を切る
ことなのであって、仏教にそういう法がないのならば、私に仏教は不要です。
幸い、管長が、阿含仏教は因縁解脱を説いているのだ、と教えていますからね、
だから私も阿含仏教を勉強してるのですよ。

404準シュダオン:2009/10/22(木) 14:25:25 ID:P9JinFks0
友松師を有名にしたのも管長ではないのかな?
私は管長が友松師を言うまで、彼を知りませんでしたよ。
阿含経の権威を利用して、とはいっても、それまで学者に対しては権威があった
かも知れないが、一般大衆には阿含経なんて、権威はなかったよ。
今だって、どれくらいの大衆が阿含経を知ってるのかねw。

深山さんは、管長の一部の言葉だけに踊らされていたんだねぇw。
1999年地球壊滅の話だってさ、法話で「人類滅亡は絶対にない!」と、
強調していたんですよ。「ノストラダムスがいう1999年人類危機説は、
絶対にない、もしあるのならば私がそれを感じないはずはない。私はそれ
を感じてはいない。だから滅亡は絶対にない」と、言ってましたよ。
深山さんは、それを聞いていないのですか?
私はそれを聞いてるから、無理に疲れるような修行はしなかったね、ほどほど
にしてたわけよ。
けど、総本殿落慶パーティには出たのだから、ある程度の修行はしてたんでしょう。

405ラシン:2009/10/22(木) 15:18:09 ID:2LdR/Kgw0
四行しか準シュダオンさんの症状が進行しているようです。
自分で自分を蹴飛ばしていることにすら気づかない。
矛盾にもお構いなく独善を曝け出す。
我見に汚れていようが、読解力は関係ない。
あなたは170さんの>>398の指摘が見えないのか?
釈尊は供養で煩悩滅尽できるなど説いていない。
桐山さんは漏尽解脱は小解脱で、因縁解脱こそが大解脱との教義に
反して「因縁(運命の星)解脱は、煩悩を断って阿羅漢になる
途中経過の教えですよ。」などとノタマウ。
>「今だって、どれくらいの大衆が阿含経を知ってるのかねw。」
ってマジで>>399深山さんへの反論のつもりでっか? 
やっぱ”四行しか”だ。

>1999年地球壊滅の話だってさ、法話で「人類滅亡は絶対にない!」と、
 強調していたんですよ。

あなたはいったいいつの頃の信者さんなのだ?
それとも桐山さんが、二枚舌だと強調したい?

406Boo:2009/10/22(木) 16:31:08 ID:DXlq9owoO
170さんは素晴らしい!

アゴン宗の因縁解脱は見事に根拠を失った感があります。


いや、お見事ですね。


長文のレスのため、四行しかの準シュダオンさんに通じないのは本当におしい。

407大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/22(木) 18:50:58 ID:VYibj1/U0
Booさん、そのとおりですね。170さんの意見の素晴らしさといい、
批判側の諸兄様方の意見も効く〜! ビリビリ来ます。
おお、これこそが正なるバイブレーション・・・・あれ?これじゃあ、丸でパクリじゃん・・・。

408大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/22(木) 18:52:21 ID:VYibj1/U0
ちなみにバイブレーションは冗談ですよ。本当は心にも頭にも響く、というのが正解です。

409ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/22(木) 23:59:57 ID:SmEF4Oe2O
>>382
準四行ウマシカさんみたいに十二因縁などを出しても駄目です。
煩悩解脱による涅槃と桐山因縁解脱による運命好転は全く異なります。
流れを断つだの、あなたは準ウマシカさんと同じで、ウンメイというものを漠然
と捉え、広範囲におけるそれに置き換えることでごまかしている。
十二因縁とは無明から始まる煩悩が執着によって生老病死の存在を生み出す法則です。
だから逆に執着から大本の無明に至るまで煩悩を滅するとたしかに運命の流れは
変わります。
それは老病死などの苦境がなくなる以前に生まれてくることがなくなるわけです。
つまり輪廻が止む。
たしかに無限に輪廻を続けるはずが止んでしまうのは画期的な運命転換です。
いや、運命転換ではなく運命停止です。
たしかに桐山さんも最終目標として輪廻のなくなる涅槃を掲げます。
しかしアゴン宗でいう因縁解脱とは現世において不幸不運な現象を回避して
楽しい人生を謳歌した上で、それに飽きたら涅槃でも求めますかいのというものです。
つまり現世で生を得たままでさすがに老いない、死なないということは恥ずかしくて
言えないから、ガンとか病気などを限定して、こんな人生って苦しくて厭だよね?
回避しちまおうよと説いているわけです。
しかし釈尊は十二因縁を出そうが煩悩からの解放を説こうが、こんな現世の運命転換
を説かない。
私は毎回準四行ウマシカさんに質問をしています。
四苦八苦を説いた釈尊だが、苦の解決法、解決の彼岸の境地として、不老不死を
説くのか?愛する人や物は永遠に自分のもので別離なんて憂き目は見なくて済むのか、
求めたものは全て得られ欲求を満足することが可能になるという解決なのか?
と質問する。
太郎さんはどうですか?
四苦八苦の内容を読んだだけで釈尊の言いたいことはもうわかりますよね。
このような苦から現実的に逃れるうまい道を求めることこそ愚かであると。
人間として生まれてきたからには四苦八苦なんて当たり前です。
だからその回避なんてあさましいことは求めず、囚われのない自分を確立する。
囚われなくなれば、外界の現象は変わらずとも心は常に平安です。
これが涅槃であり、彼は現世で誰にでも普通に起こり得る事故死などで死んだり
もするわけでは、輪廻がなくなり生まれて来なくなる。
生まれて来なくなる運命停止と、現世の間、嫌なことから回避できる運命転換を
混同してはなりません。

410ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 00:31:06 ID:SmEF4Oe2O
>>403
ほらね。準四行ウマシカさんは○○の因縁などに限定するななどととんでもない
ことを述べだしたが 、これこそゴマカシです。
桐山さんは○○の因縁という悪い因縁をいくつも説いて、この具体的な悪因縁を
なくして不幸な運命を回避することが因縁解脱だと説いている。
それは権利というよりも我々の義務であるとさえ説いている。
これにあなたは逆らうのか?
○○の因縁などのような具体的な運命転換に限定されない運命の転換って
あなたの運命ってどうなってるの?
あなただって自分でも推測できる5つの因縁があったのが、いくつか切れたか
薄らいだと書いていたではないか?
その切れただの薄らいだだのと勝手に想像した因縁とは桐山さんの説いた○○の因縁
という具体的なものです。
あなたが絶対に具体的に示さないだけで。
それとも桐山さんすらも説かない、会社に宮仕えして辛い思いをすることも
定年退職によりもう働かなくても蓄えや年金で悠々自適の生活ができるように
なったのだから、これは怨憎会苦の因縁が切れた証明とか言いたいのか?w

411ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 00:47:25 ID:SmEF4Oe2O
>>404
その通りで未だに阿含経などという単語 すら知らない大衆などいくらでもいます。
そういう人は桐山靖雄なんて人も知りません。
桐山さんが有名になった分、友松師も知名度が上がったなんて根拠のないこと
言わないでください。
たまたま私やあなたが桐山さんを通じて友松師も初めて知ったというだけです。
しかし高校の倫理社会とかあるいは世界史などの教科書、副読本には
桐山さんがアゴン宗を開く以前より法句経だのスッタニパータだの相応部経典
とか出典を明らかにして資料を引用掲載しています。
あなたは無縁の人に対してアンケート調査をすべきです。
・阿含経を知っているか?
・友松円諦師を知っているか?
・アゴン宗を知っているか?
・桐山靖雄師を知っているか?
桐山さん自身の知名度すらまだ低いですよ。
池田大作、麻原彰晃、大川隆法などの方が知名度がある。
統計サンプルを集めてから物事を主張しなさい。

412ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 01:01:16 ID:SmEF4Oe2O
>>404
ある日の法話で人類は滅亡しないと話していたら、「1999年カルマと霊障からの脱出」
のみならず、その後、「1999年7の月が来る」に至るまで、滅亡、壊滅的打撃
の危機を活字にまで して著書に示した責任は問われないのですか?
法話なんて限られた機会よりも、活字に出した責任の方が重いですよ。
私は昔から母から教育されましたよ。
書いたものは残る。
だから人に害を与えるようなことは滅多に書くものではないと。
母は私の兄を身籠っている時、義父(私の祖父)がガンの末期だったので
小姑から迷信で「お腹の子どもを堕ろせ」と手紙を受けてショックを受けたのですよ。

413ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 01:12:09 ID:SmEF4Oe2O
>>404
だからラシンさんも質問しているように、総本殿落慶パーティーって何ですか?
1991年に行われた総本殿落慶法要のことですか?
あれは全信徒参加ということで席まで指定されたのです。
もちろん信者の自己都合で欠席した人もいただけで。
それともあなたは総本殿の中に招待の指定席があったのですか?
疲れない程度の修行と言いますが、私らだって生活に支障をきたす無理な修行は
しません。
星まつりの現地修行なども全く疲れないと言ったら嘘になるが、無理なことはない。
普通に回復します。毎月の例祭の運営修行だってね。
ちなみに桐山さんは金を出すことも含めて、無理のない範囲で無理をしろと指導します。
無理をしないことと全然何もしないこととは違います。
何か具体的なことをやっていなければならない。
書けますか?

414ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 08:44:52 ID:SmEF4Oe2O
>>383
アウシュビッツやエルサレムなど決して前人未到の場所などではありませんよ。
こちらをご覧ください。↓
http://www.saifukuji.or.jp/ekan_history.htm

真言宗の池口恵観氏の活動履歴を見ると、平成4年にロシアのハバロフスク
日本人墓地で慰霊祭を行っており、平成12年にはホロコースト平和運動として
やはり法要を行っている。
もちろんアゴン宗のような大規模な焚き火ではないだろうが、こういう地で
日本の仏教団体が法要を行うなんて初めてのことではなく、ちゃんと前例があるのです。
だから前例のある場所でそれに追従するようなことは許可されておかしくもない。

415ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 09:01:09 ID:SmEF4Oe2O
おっと。書き忘れ。
池口恵観氏は平成12年にホロコースト平和運動としてアウシュビッツとエルサレム
で法要を行っています。

416ラシン:2009/10/23(金) 10:47:20 ID:2LdR/Kgw0

同上ユビさんの指摘は、四行しか準シュダオンが、アゴン宗内から
しか判断できない視野狭窄振りを明快に示す根拠です。
自説を通すためなら、誰彼相手かまわず間違いとする傲慢。
ユビさんの指摘通り、書いたものは残る上で業となり責任は重い。

よっしゃ!四行で終えた〜。

417深山:2009/10/23(金) 12:36:38 ID:.KuCAASY0
>>390 :準シュダオン:2009/10/22(木) 12:16:51 ID:P9JinFks0
>私はバイブレーションを受けてから預流向を自覚したなどとはレスして
>いない。深山くんは、嘘つきだなぁ、でなくば勘違い者だなぁ。

また同じことを書いている・・・いやはや。
ユビキタスさんなど他の人に「老人介護」をお任せしていたが、
ご指名とあれば、私もするしかないか・・・老人介護。
ここはあなた個人の宗教観を議論する場ではないと
いくら言われてもわからないようだ(もう四行過ぎているからわかんねえだろうなあ)。
あなたがいつどこでバイブを受けようが、預流向になろうが、
地方老人になろうが、このスレの議論とはなんの関係もない。
預流向宣言などアゴン宗側とも関係ない。
あなたの妄想など、誰も関心がないのだ。
自分がよほど他人から着目されていると思っているようだ。
あなたが預流向かどうかなんて、批判側どころか、信者ですら関心がない。
ここ以外で誰があなたみたいな人をまともに相手してくれている?
批判側は礼儀正しいから、あなたのその針の飛んだレコードみたいな
書き込みにもつきあっている。
他では、信者からも相手してもらえないから、ここに来るのでしょう?
あなたの書いていることは、スレ違い、場違い、お門違い、
と指摘されてもわからないなら、独り言、寝言、老人のタワゴトです。

418深山:2009/10/23(金) 12:39:14 ID:.KuCAASY0
>>390 :準シュダオン:2009/10/22(木) 12:16:51 ID:P9JinFks0
>預流果からが聖者に入る、ということは、預流向は凡夫に入る、ということ。
>管長はそういう定義をしてるわけです。

1.桐山さんが預流向は凡夫だと書いた文章を示しなさい。
2.釈尊が預流向は聖者ではないと述べている阿含経を示しなさい。
3.学者が預流向は聖者ではないと述べている辞典を引用しなさい。
4.以上の三点は引用のみが必要で、あなたの解釈は書かなくてよい。

四行にまとめたから、意味がわかりますよね。
この四つはこれまでも批判側から何度もあなたに質問が出ている。
だが、あなたはこれらを具体的に示したことはない。
あなたの書いていることは全部、あなたの解釈にすぎない。
桐山さんが定義していると書いているが、あなたが引用した『ダルマチャクラ』の
どこにそんな文章があるのだ?
阿含経も学者の説も引用できたことはない。
あなたが書いているのは全部、あなたの勝手な解釈です。
一方、批判側は、ユビキタスさんが阿含経をそのまま引用し、
私は学者の解説を引用して、釈尊が預流向を聖者と分類していることを示した。
繰り返すが、準シュダオンさんの解釈や解説はいらないから、
釈尊、学者、桐山さんが、「預流向は聖者ではない」と言っている文章を
そのまま引用しなさい。

419深山:2009/10/23(金) 12:48:29 ID:.KuCAASY0
>[816]大王の使者 05/05/07 14:47 d61kACBckO
>私は、初めて桐山管長の法話を聞いたとき、因縁解脱という用語を聞き、
>たちまちその意味内容を理解し、その場で預流向(四向四果の一つ)を得たのであった。
>縁起の法や四諦の法門の存在を知ったのはその後であった。

ほら、準シュダオンさんがいつ預流向になったか、あなたの妄想話を私は
ちゃあんと理解している。
四年も前のあなたの愚かな与太話を探し出して、わざわざ引用して、
老人介護の下の世話までしてくれるなんて、私以外、誰がいますか。
脳梗塞になった時期すらも特定してあげた。
私は準シュダオンさんの妄想の良き理解者です。
だから、あなたが自惚ればかり強く、脳梗塞になって、白銀バイブだと称して、
預流向だのと聖者ゴッコまでしているのが、桐山老人と
そっくり同じだと言って笑っているのです。
信者さんたちに悪い見本として参考にするように奨励している。
あなたが預流向の妄想をいつ持ったかなんて、
私は精神科や老人病棟の医者ではないから、興味も関心もない。
精神病棟にいる「神様」がいつ神様になったなんて誰も関心がないし、
老人病棟にいる認知症の老人がいつ準聖者になったかなんて誰も興味もない。
私も、また多くの読者もあなたの汚物には興味がないのだ。
このように、私が準シュダオンさんをちゃんと理解いることがわかったでしょう。
だったら、後は読まなくてもいいから、安心して、もう寝なさい。

420深山:2009/10/23(金) 12:57:09 ID:.KuCAASY0
>>404 :準シュダオン:2009/10/22(木) 14:25:25 ID:P9JinFks0
>友松師を有名にしたのも管長ではないのかな?
>私は管長が友松師を言うまで、彼を知りませんでしたよ。

自分の無知を恥じるのではなく、まるで世の中のことを
全部知っているかのような書き方が、いかにも脳が老化した人らしい。
友松師の本は講談社の学術文庫にまで入っている。
アゴン宗以外で、阿含経を知っている人たちは友松師の名前くらいは知っている。
そのくらいこの分野では知られた人です。
桐山さんが有名にしたって、どういう根拠で言っているのですか。
信者は、桐山さんが阿含経を広めたといつも言う。
だが、それを言う人はたいていろくに調べもせずに、
桐山さんの話を鵜呑みにして、桐山礼賛をしているにすぎない。
無知を恥じるのではなく、あなたみたいに無知を誇る。
アゴン宗に二十五年もいるとそんなふうになってしまうのですね。
おぞましい光景です。

421深山:2009/10/23(金) 13:03:00 ID:.KuCAASY0
>>404 :準シュダオン:2009/10/22(木) 14:25:25 ID:P9JinFks0
>1999年地球壊滅の話だってさ、法話で「人類滅亡は絶対にない!」と、
>強調していたんですよ。「ノストラダムスがいう1999年人類危機説は、
>絶対にない、もしあるのならば私がそれを感じないはずはない。私はそれ

・・・またか。
前スレで別な議論で、桐山さんが書いた文章を示したのをもう忘れている。
だから、老人介護はウンザリさせられるのです。
何をどう証拠を出されて反論されても、「四行しか」の準シュダオンさんは
きれいに忘れて、また同じことを、まるで鬼の首でも取ったかのように書く。
私が、「桐山さんは人類が滅亡すると言った」とどこで書きましたか。
嘘つきはどっちだ?
あなたはこれまで5年間の間、議論で嘘や間違いを指摘されても、
ただの一度もこれを撤回したり謝罪したことがない。
いつも無視して、口を拭い、素知らぬ顔です。
厚かましく、図々しく、恥知らずです。
桐山さんと同じで自分の間違いと対峙するだけの勇気のない小者だからです。
あなたみたいに言葉に因縁をつける信者がいるから、地球壊滅と書いているのです。
これは私が使った言葉ではなく、桐山さんが本の題名にまでした。

422準シュダオン:2009/10/23(金) 13:07:03 ID:P9JinFks0
深山くん、だから私はあなたを闘牛に例えたのだよW。
大王の使者くんは複数居るよ、というレスを読んだことないの?
だからあんたは抜けてるの。多くの批判派はそのこと知ってるはずよW。
そして我が法友やファミリィにとって、新米信者はすべて預流向からスタート
することは常識なのよw。私らは、管長の説く聖者は預流果からである、とい
う教えに忠実ですからね。あなたの説とは違うのですw。

私が、阿含信徒は預流向からスタートするんだな、と自覚したのは、1995
年4月号のダルマチャクラを読んだ頃だと思うが、その前から何度も管長は
法話で同じこと説いてたそうだから、その前かもしれない。
いずれにしても、バイブレーションを受けてから預流向を自覚した、なんて
戯言をいうわけがないだろうw、情けない。

423深山:2009/10/23(金) 13:07:39 ID:.KuCAASY0
「そこでわたくしは考えるのだが、世界は終末はむかえはしないが、
一九九九年七の月、世界中が恐れおののき、人類すべて震撼する出来事に
直面するであろう。
それはまちがいない。
おそらく、滅亡寸前まで行くであろう。」
(「一九九九年カルマと霊障からの脱出」256頁)

滅亡寸前まで行くとはっきり書いている。
人類滅亡をちゃんと警告している。
繰り返すが、私は「桐山さんは人類が滅亡すると言った」なんて書いていない。
桐山さんは上記にように、さんざん人を地球壊滅で脅かしておきながら、
「終末はむかえはしないが」などと逃げ道を作っておく卑怯者です。
それでいて、「滅亡寸前まで行く」などとまた脅かしを書いている。
書き方がほんとうにズルイ。
断定する度胸がなく、狐みたいに小賢しい仕掛けを作っておく。
後で「わたくしは、終末はむかえないと本で書いている」などと言うつもりなのです。
1999年の地球壊滅がバカ外れすると、滅亡の期限は三十年、という
二十年前の本の一文を出して、地球壊滅の賞味期限を2010年まで延ばした。
そのやり方は実に卑劣、卑怯、小賢しい。
それを準シュダオンさんは真似しているのだから、教祖が狐なら、信者は狸。

424深山:2009/10/23(金) 13:12:54 ID:.KuCAASY0
1987年の桐山ゲイカの歌
「UFOの 警告いよいよ始まりぬ 天災地変 戦火ひろがる
UFOの 警告よそに人類は 滅亡の道 ひた進むらむか
世を救う大光明を身にうけて 阿含の子らよ 光となるべし」

ほら、見てごらんなさい。
歌の中に「人類は 滅亡の道 ひた進む」とまでよんでいる。
今から、二十年も前に桐山さんが作った歌です。
信者の皆さんは読んでいてはずかしくないか。
UFOがパイロットに目撃されてニュースになると、
桐山さんはさっそくこうやってこれを「警告」と書いている。
宇宙人が警告しているというのです!
あまりのオカルトぶりにあきれないか。
それで、「光となるべし」と言われた準シュダオンさんは
頭の中の脳味噌が消えて、すっかり光になっている。
準シュダオンさんの解釈はいらないから、証拠を出せと>>418で言われた直後、
>>422でまた同じ解釈をくどくどと繰り返す。
信者さんたちは他人事だと思わずに、この二十五年修行している信者の
「残骸」を見てごらんなさい。
あなた方はこんなふうになるために修行しているのか。

425深山:2009/10/23(金) 13:17:15 ID:.KuCAASY0
『炎の大霊言』222頁、1987年
「だから、世紀末に人類の十分の一ぐらい減る災害が起きるか
もしれないが、私はかえってそのほうがいいんじゃないかと思います。」

人類が十分の一になる災害を人類滅亡の危機というのです。
人類滅亡を人類が一人もいなくなることと勝手に決めつけて、
準シュダオンさんは因縁をつけているのだろうが、
桐山さんは人類滅亡の危機をちゃんとこんなふうに文章にしている。
しかも、その後の文章を読んでください。
「私はかえってそのほうがいいんじゃないかと思います」
言うに事欠いて、人類はひどい目にあって、苦しむべきだと言っている。
もちろん、この後に、もっともらしい言い訳は書いて、
自分の本音を隠したつもりです。
桐山さんがどうしてこんな発言をしたか、信者さんたちはわかりますか。
桐山さんの社会への激しい憎しみと復讐心です。
「天才であるオレ様を、あろうことか、ムショに入れやがった。
ただ済むと思うなよ。
しかも、大天才のオレ様を密教界から排撃しやがった。
オレ様にこういうことをしたら、どうなるか、償ってもらうからな。
目に物見せてやる!」
極度の自惚れと、逆恨みからくる復讐心、これが桐山さんの心の中です。
自分を苦しめた人類は間違っており、一度痛い目に遭えばいいと思っている。
準シュダオンさんの動機が自惚れと自己顕示欲であるように、
桐山さんの宗教動機も、異常な自己評価の高さと復讐心です
二人とも、しようもない男です。

426深山:2009/10/23(金) 13:19:51 ID:.KuCAASY0
『炎の大霊言』222頁、1987年
「だから、世紀末に人類の十分の一ぐらい減る災害が起きるか
もしれないが、私はかえってそのほうがいいんじゃないかと思います。」

地球壊滅の脅かしは、桐山さんの復讐なのです。
「横変死が四割、残り五割も強い肉体障害だ。
ヲマイラ、地獄のような苦しみを受けながら死んで、しかも、死んでからも
その苦しみがそのまま続く霊障のホトケとなるぞ。
阿鼻野街道で、斉の広場で泣きながら、子孫の供養があるまで
半永久的におまえたちは苦しむのだ。
横変死しないように運命を変えられるのも、霊障のホトケにならないように
できるのも、この世の中でたった一人、オシャカの成仏ホーを
体得したヲレ様だけだと知っているか、ふふふ。
横変死したくなければ、ヲレ様に土下座しろ!
頭をさげて、涙を流して、助けてくれと懇願してみろ!
ヲレ様をムショに入れたことをわびろ!
ヲレ様の味わった苦しみのほんのわずかでも味わってみろ!!」
これが桐山さんの心の背景だと見れば、上記の本音や、様々な言動も説明がつく。

427準シュダオン:2009/10/23(金) 13:21:52 ID:P9JinFks0
深山くんねえ、私の予想どうり「管長が何時、預流向を凡人だと定義した?」
と、来てたねW。理解力の問題さ。口惜しいから四行過ぎたらどうの・・
なんていうのだろうが、見苦しいから止めなさい、といったでしょ。
いいかね、「大乗仏教は凡夫と仏の間に菩薩を置いて・・云々」とは管長が
良く説いてることです。阿含仏教では聖者と凡夫の間に、置いてる中間の
存在はないのです。聖者か凡夫かです。聖者でない存在は、凡夫か外道です。

だからぁ、聖者でない存在の預流向は、凡夫に区分されるのですよW。
まっとうに阿含宗を批判したかったら、1995年4月号のダルマチャクラ
を読んで、もっと勉強してから出直しておいでよ、深山さん。

428深山:2009/10/23(金) 13:23:15 ID:.KuCAASY0
「世紀末の大動乱!
明日、いや、今日の日にも、日本列島が壊滅するような大異変が起こらぬとも限らぬのである。
いや、それは必ず来る。」
(ダルマチャクラ、管長メッセージ、1999年1月10日、5頁)

信者さんたちは十年前を思い出しましたか。
1999年七の月の直前ですら、桐山さんはこうやって
信者を脅かし続けていたのです。
この霊的な脅迫にかつての私も、今の信者さんたちもひっかかった。
信者さんたちの多くは、自分が霊的な脅迫を受けているとは自覚していない。
それを指摘されて、大半の信者は鼻先で笑う。
マスコミすら気がつかないのだから、信者が気がつかないのは当然です。
なにせ、私は自分が霊的な脅迫に怯えているのだと気が付くのに、
ずいぶん時間がかかったから、よくわかります。
たいていの信者は自分が脅かされていることの自覚すらない。
桐山さんから離れたら、因縁が出て、霊障が襲いかかり、
自分の人生は滅茶苦茶だと無意識に信じている。
恐怖こそは人間を支配する最高の方法です。
それを桐山さんは合法的にやれる方法を編み出したという点で、
霊感商法の草分けという称号にふさわしい。

429深山:2009/10/23(金) 13:27:34 ID:.KuCAASY0
「二十一世紀は、まさに人類の存亡にかかわる世紀である。
いま、人類がかかえる課題はあまりにも多く、
あまりにも危機にみちている。
この課題をクリアーせぬかぎり、
人類は滅亡の道をたどるよりほかはない。」
(2000年6月18日、島根土地浄霊へのメッセージ)

『ダルマチャクラ』、131号、56頁、2000年
「世界の現状を見るに、核の危険は、年々歳々、高まるばかりであります。
一つ一つ、事例を挙げるまでもありません。皆様もよくご承知の通りであります。
私は、究極のところ、人類は、核によってか、環境破壊によってか、
そのいずれかにより絶滅するものと信じております。」

ごらんのように、人類滅亡をはっきりと言っている。
「課題をクリアーする」とは、アゴン宗の教法を受け入れることです。
なぜなら、天災や人災の多くは霊障のカルマから起きているというのが桐山説です。
これを解決しない限り、根本的な問題の解決にならず、
滅亡するというのだから、人類は滅亡すると言っているのと同じです。
人類は絶滅すると信じているとはっきり表明している。
言っていないどころか、こうやって文章にはっきりと残しているのです。
準シュダオンさんはどこを見て・・あ、そうか、「四行しか」でしたね。

430深山:2009/10/23(金) 13:32:13 ID:.KuCAASY0
>>427 名前:準シュダオン 投稿日: 2009/10/23(金) 13:21:52 ID:P9JinFks0
>まっとうに阿含宗を批判したかったら、1995年4月号のダルマチャクラ

なにを見当違いなことを書いているのだ。
預流向の議論はアゴン宗批判などではありません。
あなたの個人の宗教観をここに出しているにすぎない。
証拠とは他人に読めではなく、自分で出すのだ。
なぜなら、主張しているのは批判側ではなく、あなただからです。
『ダルマチャクラ』をどうして引用しないのだ?
もったいつけていないで、機関誌を持っていない信者さんたちも
たくさんいるのだから、前のようにそのまま引用すればいいではないか。
あなたの駄文の解説をくどくどと繰り返す手間で、
引用すれば、済んでしまうのに、どうしてしないのだ?
さもそこに書いてあるかのように「みせかける」しか手がないからでしょう?
栗花さんと同じで、あなた方は本当に姑息な人だ。

431ラシン:2009/10/23(金) 13:35:11 ID:2LdR/Kgw0
再掲示します、岩波辞書抜粋 
凡夫:仏教の道理を理解していない者、俗人。
    特に修行論では聖者の階位(見道、四向四果の預流向)に到達する前。
だから、準シュダオンさんは凡夫だし、預流向でもないのです。ハイ四行ね。

1995年4月号のダルマチャクラを出せない四行し果さん、どうした?(しまった5行なった)

432準シュダオン:2009/10/23(金) 13:35:56 ID:P9JinFks0
阿ぬ夷経にね、究羅帝という裸行者が出てくるね。釈迦の弟子の善宿が、
究羅帝が糞の山に腹ばいになってるのを見て、「すべての見栄を捨てた阿羅漢
だ」と誤解するわけです。それを察知した釈迦が、彼の者は腹がふくれて7日
後に死ぬ、と予言するわけです。そしてそのとおりになった。

このことを、管長の言葉で表現すると、
「究羅帝は腹が膨れて死ぬ因縁を持ってる」ということになるわけです。
で、究羅帝が釈迦の弟子、優婆塞になったとして、釈迦を信じ、五戒を守り、
施行・供養をし、教えを聞き、よく考えて、教法に親しむならば、三結煩悩
も断てて、やがて腹が膨れて死ぬ運命が変わるのだ、ということです。
それを因縁解脱と管長は呼んでるのです。

因縁解脱なんて阿含経の何処に書いてあるか?という問は、
阿含経の内容を理解できていないことの証明でもありますね。

433準シュダオン:2009/10/23(金) 13:42:08 ID:P9JinFks0
仏教辞典の凡夫と預流向の説明は、アビダルマ論師の説であって、管長は
それを採用していませんw。アビダルマ論師は須陀?を八十八煩悩を断った
聖者と定義しています。それも釈迦の説とは違います。
辞典に書いてあるからといってすべて鵜呑みにするのは、愚か者ですw。

434ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 13:42:37 ID:SmEF4Oe2O
>>432
そんな解説よりダルマチャクラ1995年4月号の該当箇所を忠実に引用したら?
深山さんをやっつけるチャンスだよ。
あなた学術関係の雑誌に論文を投稿したことがあるって書いたことなかったっけ?
ならば引用のルールは知ってるよね?

435準シュダオン:2009/10/23(金) 13:47:13 ID:P9JinFks0
前にもレスしたけど、管長は世紀末の何年か前から、法話で、
「人類が滅亡するような災害はない」と話しているのです。
「もしそういうことがあるならば、必ず自分が予知するはずだ」とね。
だから、管長の本等読んで、必要以上に危機感を感じた人は、法話を聞いて
ない信者ですね。あるいは居眠りしてたのかなw。

436準シュダオン:2009/10/23(金) 13:49:22 ID:P9JinFks0
ダルマチャクラ4月号は内容が深くて長い。
引用してたら日が暮れてしまうw。

437大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 14:01:15 ID:XUgXGzmU0
準さんに私からも希望。先ほど眠らせていたダルマチャクラ出してきたから、早めにね。
本当は燃やそうと思ってたんだからね。ちなみにもしかしたら、という箇所を見たが、
これって本でも何度かいっていることジャン。まあ、引用待ってますからよろしくです。

438ラシン:2009/10/23(金) 14:02:19 ID:2LdR/Kgw0
>433 :準シュダオン:2009/10/23(金) 13:42:08 ID:P9JinFks0
仏教辞典の凡夫と預流向の説明は、アビダルマ論師の説であって、管長は
それを採用していませんw。

辞典解説を系統的に把握することが出来ない、しないのがあなただ。
独善的に辞書を引用したり否定する姑息者があなただ。
桐山さんこそ、教義体系にアビダツマ論師を一番パクっているのも知らない?
ホレホレ、三行ですから、いいだろ?

439大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 14:05:31 ID:XUgXGzmU0
>>435 それはおかしい。準さんの言ったダルマチャクラにも書かれておりますがな。
そうなると準さん、あなたの言っていることは整合性が無くなりますよ。
26Pから書いてるのはじゃあ、誰なんですかね? (深田さんだとはいわないでね)

440ラシン:2009/10/23(金) 14:17:21 ID:2LdR/Kgw0
>436 :準シュダオン:2009/10/23(金) 13:49:22 ID:P9JinFks0
ダルマチャクラ4月号は内容が深くて長い。
引用してたら日が暮れてしまうw。

こりゃ〜驚きだ、あなたは内容を把握していないのだね?
把握しないで桐山さんがきちんと定義しているとまでハッタリをかました?
把握しているなら、その定義した要点抜粋など大して時間を要しないだろ?
日が暮れるまでとは、何たる無責任発言で”恥”かしいよ。(ハイ四行ね)

441ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 15:31:29 ID:SmEF4Oe2O
>>435
いつ頃の法話ですか?
いや、そんなに厳密な時間精度を求めてませんが。
この俺に知らせが来ないはずはないといったような話なら、こんな話があるなあ。
サヘトマヘトで恐怖と戦慄のバイブレーションを受けた。
これは何を意味するものか?
自分の死か?
しかし自分の死なら、その時に知らせが来るごとく自分で予知できるはずだ。

あともしそんな話があったとしたら、ある限られた局面に対しての評価ではないか?
例えば阪神大震災。あの揺れと災害を感じて、このまま人類は滅亡するのか?
あるいはニューヨークテロ。このまま全面核戦争に突入するのか?とか。
まあそんな話もなかなか想定できないが。
しかしこんな話はなかったかな?
桐山さんは阪神大震災の当日関西の京都にいながらも、あの大地震を予知できなかった
と正直に告白していた。
その時の言い訳に油断していたとか、地震は関東に来るものとばかり先入観があり
まさか関西は想定してなかったとか。
そんな中で、今この時期に人類が滅亡するような知らせもなかったから阪神大震災
も予知の知らせはなかったとか。
これも言いそうにないかな?
しかしだいたいそんな流れの発言を4行さんは主旨を聞き間違えてないか?
人類が滅亡するなんて今後あり得ないなどとは発言していない。

442ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 15:35:50 ID:SmEF4Oe2O
>>436
全文引用の必要はないよ。
必要な部分引用でよい。
4行程度に抜粋できないか?
ただし抜粋というのは要点を意訳して文章を作り替えることではないから
その点だけは注意。
正しく引用してくれ。
そうでないと、あなたが誤解され、不利だと思うのだが。

443準シュダオン:2009/10/23(金) 16:16:24 ID:P9JinFks0
1995年4月号のダルマチャクラにもp26から、1999年七の月が来る
ーーどれだけの人が生き残れるか?恐怖の大王が活動を始めた、
とか、危機を警告する文を、確かに管長は書いております。

しかし、私は法話で確かに聞いております。管長は自信を持って強調して
おりました。
「人類が滅亡するような事態には絶対ならない。もしそういう事態がある
のならば事前に私が予知しないはずがない。ところが私にはそういう感じ
がない。だから、そういう大きな災害はない。」とね。
これは1999年の何年か前の法話だと思いますが、正確な年月はわかり
ません。但し、こういう信徒の修行が緩むような発言は、文章にはしてい
ないようです。だから、法話を聞いた私のような信徒は、ほどほどにしか
危機感を持たず、修行もほどほどにしか、しないのですねw。

管長は、平成七年だったかな?その年は、国連50周年に当たっており、
アメリカから、ぜひ出席してほしい、と招待されたんですよね。
だが、管長は、「来年は都合がつかないのでアメリカには行けません」
と、招待を断ったわけです。アメリカ側は、なぜ来れないの?予定があるの
なら仕方ないが、予定があるのですか?と、訊いてきた。
管長は、「予定はないが、来年は渡米できないような事態が起きます。これは
私の予感です」と、答えたそうです。それでアメリカも納得したそうです。
で、翌年、地下鉄サリン事件が起きた。管長も何かと対応に追われましたね。

こういう事がありましたので、「人類の滅亡なんて起きない」という管長の
予知のお話を私は信じていたわけです。だが、それを活字にはしていないよ
うです。その理由はわかりません。

444準シュダオン:2009/10/23(金) 16:37:48 ID:P9JinFks0
ユビキタスさんが、どこかで私の運命観を問うていたと思う。
先日、野村監督の言葉を紹介したね。考える野球をすれば運命が変わる、とね。
それと同じことです。
考えを方を変えると行動が変わり、習慣が変わり、人格が変わり、運命が変
わる、と野村監督はいう。野村監督の言う運命とは、銭のとれない野球選手
から銭のとれる野球選手に運命が変わる、ということです。

だから、銭のとれない野球選手を、管長の言葉で言うと、
野球であまり活躍できない因縁、ということになります。
ついでに、三結煩悩を断って肉親相克の因縁が残っていた場合は、身見が
切れているので、憎しみも深刻にはならない。自己中心の考え方が無くなって
いるので、相手の立場も良く理解できるようになります。
だから、三結断ったら、聖者に区分できるのですねぇ。

445ラシン:2009/10/23(金) 18:06:00 ID:2LdR/Kgw0
>443 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:16:24 ID:P9JinFks0
>だから、法話を聞いた私のような信徒は、ほどほどにしか
危機感を持たず、修行もほどほどにしか、しないのですねw。

桐山さんは、散々著書で危機感を煽り例祭でも主張していたが、
そのための賢劫の千仏など宣伝していたことも否定するのか?
それとも教師の握り拳を、準シュダオンさんだけが覗く事が出来た?
あなたの言い様は、桐山さんは二枚舌だと言っているのと同じです。
そして、あなたがここでいくら強弁しようとも、まったく客観性はない。

>444  ユビキタスさんが、どこかで私の運命観を問うていたと思う。
先日、野村監督の言葉を紹介したね。考える野球をすれば運命が変わる、とね。
それと同じことです。

何を寝ぼけているのですかね。
野球選手のみならず、自己の研鑽努力を看過してはいけない。
勿論考え方もそうですが、それは桐山さんの教義と異なると、
あなたは気づかない? 桐山運命転換論は因縁に基づくのだが、
野球選手が冥徳供養して変わったわけでもあるまい?
考え方だけの選択で運命が変わるなら、桐山教義など必要ないんだね?
あなたの自説は、いつもこのように自家中毒を起し自分で何が
論旨だったかを忘れる。
あなたの主張は常に脈絡が無く、履歴にも結びつかないマダラ主張です。
口角泡を飛ばし得意げに話しているうちに、桐山さんにまで唾を飛ばしている
ことも気づかないで、終いには蹴躓いて尻餅をつく有様です。
あレレ、四行を超えてしまったわ。

446ラシン:2009/10/23(金) 18:23:55 ID:2LdR/Kgw0
>444  ユビキタスさんが、どこかで私の運命観を問うていたと思う。
先日、野村監督の言葉を紹介したね。考える野球をすれば運命が変わる、とね。
それと同じことです。

あなたは、桐山因縁論を正当化しようと比ゆした話が、
逆に桐山因縁論の不要という結果を生じさせた。
あなたの常なる展開には苦笑せざるを得ないが、もう少し
突っ込みさせていただくと、イチローはどうだ?
彼も変われると言っていたし、その通りメジャーでも
大記録を更新中です。
野球に対する考えを変化させ、その姿勢を見つめなおして
結果を出したのだから、まさに自己努力の賜物です。
桐山因縁論など必要ない、現実の問題でステップアップ出来た。
周りからいくら適切な助言があろうと、実践するのは本人自身だ。
桐山念力も成仏ホーも必要なく、現実の人生をチェンジできただろ?
桐山さんに頼って馬の鼻人参で追随しても先細るばかりで、現実味を
帯びないから、準シュダオンさんだって適当な修行で満足している。
あなたの独善を満足するためには、師を足蹴にし砂を掛けても平気なのか?

447大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 18:47:44 ID:xR/o.UU20
>>443 準さん、あなたの主張したいのは私も元信者としてわからなくも無いが、「自分が聞いた」という
説明や意見だけでは説得力に欠けるのですよ。だから、本なり何らかの文章(宗報でもいい)を引用し、
示さなければ、準さんの勝手な妄想とか思い込みと判断されかねないのです。
ゲイカが申したのを聞いた・いつ頃言ったというのは容易いが、文章を転載するのは確かに大変。
実証や確認をするためにも必要な作業ですから、それを省いたら疑われるのは準さんですよ。

448大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 18:51:03 ID:xR/o.UU20
よろしいですか。私が26Pと申したが準さんからそれを申したのではない。私が申した。
有る意味これは助け舟的でも有る。本来なら準さんが示すべきであろう。
いや、示せない。示したらゲイカが人類は滅亡する危機に有る、と書いているのだから、
準さんの意見を否定する文章だからだ。これは>>443のように肯定するしかない。

449大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 18:54:33 ID:xR/o.UU20
実は私も知ってますよ。準さんの言われていることは。>>443で述べていることのような
散々寸前まで「人類は滅亡する危機に有る」と言っていたのと逆の発言をしているゲイカを。
だが、それまではさすがに私も示さない。示したら「おお、それだ」というに決まっているからです。
私は知ってて出さないから準さん、貴方が主張するのですから貴方がそれを示さなければいけない。

450名無しさん:2009/10/23(金) 18:54:34 ID:4lHbL3yw0
四行ウマシカの準さん、人気だなあw
準さん、汚名返上のチャンスですぞ!
しかぁし、再び、人類滅亡の話しにリピートすることに100ペソ。

451大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 18:57:54 ID:xR/o.UU20
この板は自分の意見を言う場所ですから、趣旨に沿った意見であれば擁護意見でも構いません。
ただし、批判側はちゃんと文章を引用したり、かなりの検証材料を出されています。
又説明もかなりのものです。それに対抗?というか反論するにはやはり擁護側もれっきとした
ゲイカの発言や文章を出さないと、準さんの独りよがりになってしますのです。

452大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 19:00:40 ID:xR/o.UU20
ですから、全文掲載出なくてもいいから、どれそれの何Pの何行目から、とか
短い文章ぐらいなら転載するとか、本当に現存するものを示さないと残念ながら
ただの戯言か独りよがりで終わりです。本当にゲイカが申したとかなら本になって
無くても阿含宗報に載ってたりしますから、面倒くさがらずにおやりになることです。

453大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 19:03:22 ID:xR/o.UU20
最後に。
ゲイカが準さんの申すようなことを言ってたのは私も知っている、ということは批判側の方で
知っているかもしれません。また、追記するなら私はそういう文章を見かけていますから
探せば出てきます。ということは、法話だけでゲイカが文章にしなかった、というのは嘘です。
ですから、マジに訴えたかったら死ぬ気でゲイカの発言を探しましょう、と言っておきます。

454大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 19:06:21 ID:xR/o.UU20
あらら、>>451訂正。
準さんの独りよがりになってしますのです=X
準さんの独りよがりになってしまうのです=○

します、って何よwww 単ミスすまん。

455ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 20:39:52 ID:Co56rSDI0
>>443 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:16:24 ID:P9JinFks0
>1995年4月号のダルマチャクラにもp26から、1999年七の月が来る

ちょっと待ってほしい。
今、問題は2点ありますね。
一つはその26Pにあるという人類滅亡に関する桐山発言の問題。
そしてもう一つは、本来ダルマチャクラ1995年4月号に出ていると
示したのは、預流向は聖者の分類に入らず、預流果に至って初めて聖者の
流れに入るという桐山さんの発言ですから、そこを間違えず、そちらの方も
部分引用するように。
すればいいのにしないのは、実は嘘なんじゃないかとこの機関誌を持っていない
人はあなたのことを誤解しますよ。それでもいいのですか?

456ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 20:51:19 ID:Co56rSDI0
>>443 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:16:24 ID:P9JinFks0
>「人類が滅亡するような事態には絶対ならない。もしそういう事態がある
>のならば事前に私が予知しないはずがない。ところが私にはそういう感じ
>がない。だから、そういう大きな災害はない。」とね。
>これは1999年の何年か前の法話だと思いますが、正確な年月はわかり
ません。

桐山さんは毎年年頭にその年の予言をします。見事にはずしますがw
今年は大きな災害はないとか、そういうことは話します。
しかしこれはあくまでもその年単年度に限っての予言ゴッコなんですよ。
今年は人類が滅亡するような大きな災害はないなあ。もし、あるのなら
私の霊感がそれを察知するはずだ。しかしまだそれがない。
よって今年は滅亡の危機は訪れない。ただし何年か先は保証の限りではない。
という意味をこめての発言だった可能性はないでしょうか?
それとも、もう今後一切人類が滅亡するような危機はない。だから安心していたまえ。
君たちはもう大丈夫だ。という法話だったのですか?

457ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 21:21:39 ID:Co56rSDI0
>>443 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:16:24 ID:P9JinFks0
>ないようです。だから、法話を聞いた私のような信徒は、ほどほどにしか
>危機感を持たず、修行もほどほどにしか、しないのですねw。

とにかく面倒な修行などというものをしなくてもよい、サボっていてもよい
正当化になりそうな話ばかり、法話の中からも模索しているあなたと違って、
桐山さんは1996年モンゴルの焚き火の後に、例の13救いの輪運動を
提唱し、奨励します。
来るべき1999年の危機に瀕して、管長は信徒の命を命がけで守る、だから
諸君も13人のお導きをして守られる隊列を作ることをお誓いせよ。
これは男と男の約束だ。誓願を立てて13人導いた者にはこの管長が1999年の
危機から必ず命だけは救ってやるとぶちまけたわけだ。
さぼってなどおられるはずがない。導きをしなければ、命の保証はできんよと
言ったも同然ですからね。ほどほどやって13人導いたのかな?
あなたはこれらの桐山発言を鼻で笑っているのでしょうね。
またまたゲイカったら。人を脅して信者集めだなんて性格が悪い。と。
もしそう思っているのなら、私はあなたを見直します。
あなたは>>404で深山さんに書きましたね?
>深山さんは、管長の一部の言葉だけに踊らされていたんだねぇw。
深山さんに代わってお答えします。
ハイ、騙されて踊らされてました。その愚かさを反省しています。
私ユビキタスもそうでしたし、多くの真面目な信者もそうでしたから。
つまり深山さんもユビキタスも他の人も、賢いあなたと違って見事に騙され
踊らされていたことを肯定致しますが、あなたは認めるのですね。
桐山さんは、13人導かないと命の保証はできないなどと脅しを使って
我々を騙していたという事実を。
あなただけはそんな桐山さんの脅しや嘘に引っかからずに、鼻の先で
桐山発言をせせら笑っていたから、ほどほど適当にサボってた賢者であると
認めるわけですね?

458ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 21:36:37 ID:Co56rSDI0
>>443 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:16:24 ID:P9JinFks0
>管長は、平成七年だったかな?その年は、国連50周年に当たっており、
>アメリカから、ぜひ出席してほしい、と招待されたんですよね。
>だが、管長は、「来年は都合がつかないのでアメリカには行けません」
>と、招待を断ったわけです。アメリカ側は、なぜ来れないの?予定があるの
>なら仕方ないが、予定があるのですか?と、訊いてきた。
>管長は、「予定はないが、来年は渡米できないような事態が起きます。これは
>私の予感です」と、答えたそうです。それでアメリカも納得したそうです。
>で、翌年、地下鉄サリン事件が起きた。管長も何かと対応に追われましたね。

まあ正確なところを指摘しますと、その平成7年に地下鉄サリン事件が勃発
したのですね。その少し前に阪神大震災も起きましたし。
その辺の細かな年次の間違いについては別に目くじらを立てませんが、
地下鉄サリンが起きて、アゴン宗もまたその対応に追われるとはどういう
ことなんでしょうね?やったのはオウム真理教だし。
あなたはこう言いたいのですか?
普通だったらよその教団がやらかしたことにアゴン宗などが対応することなど
何もないはずですが、さすがのあなたでもオウムの生みの親と言われたアゴン宗に
引け目を感じての発言ですか?
地下鉄サリン事件は国内だけでなく、アメリカはもちろんのこと全世界を震撼させた。
この時にあのオウムを生んだ母体のアゴン宗がアメリカに行ったら、いろいろと
うるさく叩かれることを危惧して、なるほど桐山予言の通りになったと
思っているわけですか?

459ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 21:59:33 ID:Co56rSDI0
>>444 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:37:48 ID:P9JinFks0
>先日、野村監督の言葉を紹介したね。考える野球をすれば運命が変わる、とね。
>それと同じことです。
>考えを方を変えると行動が変わり、習慣が変わり、人格が変わり、運命が変
>わる、と野村監督はいう。野村監督の言う運命とは、銭のとれない野球選手

まず誤解のないように私の人生観を野村監督の野球観とも対比して語りましょう。
私は基本的にこの野村さんの考え方に賛成します。
人は何事をするにしても、まず考え方を改めて、行動も改めていけば、ゆくゆくは
人生も開け、運命も創造的に開拓できるものです。流されていてはだめだ。
自分の頭で考えろ。考ええを変えて、習慣を変えて、人格を変えて、失敗者は成功者
にも変身する。まさにその通りです。
しかし、いくら私が野村さんの考えに同意しても、桐山さんはそれを否定するのです。
いや、たしかに桐山さんも野村さんの考えに同意こそしましょう。
しかし一般論でなく因縁の話となったら究極は否定するのですよ。
心がけを改めたくらいで因縁が切れるか?
考えを変えたくらいで因縁が切れれば誰も苦労せん。皆因縁解脱者だ。
どうして因縁が切れないか?わかっちゃいるけどやめられないからです。
だから頭で理解してわかった程度でじは根本的なその人の因縁に起因する
悪い行動パターンも改められない。必ず挫折する。
これを打ち破るには、特殊な成仏法というものを体得するしかなく、
考え方を変えて対処努力していくなんてのは、所詮倫理道徳の教えに過ぎない
から限界があると説くのです。
だから野村監督は如来の加持によって力を得て因縁を切る成仏法を説いたのか?
と訊ねたわけです。
野村人生論でももちろん容易な道ではない。それこそ観念工夫、努力が必要です。
ちょっと考えを変えたくらいで太刀打ちできない。
だから継続努力をする。それでやがては表面意識レベルの考えも潜在意識にも浸透
するというものです。これは野村人生観に限らず、どんな道でも同じことです。
しかしそのような世間にありふれた努力の道を桐山さんは「教えに過ぎない」
と斬り捨て、教え以外に神秘の法が必要なんだと迫るのが、桐山因縁解脱教です。


ついでに、三結煩悩を断って肉親相克の因縁が残っていた場合は、身見が
切れているので、憎しみも深刻にはならない。自己中心の考え方が無くなって
いるので、相手の立場も良く理解できるようになります。
だから、三結断ったら、聖者に区分できるのですねぇ。

460ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 22:16:11 ID:Co56rSDI0
>>444 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:37:48 ID:P9JinFks0
>ついでに、三結煩悩を断って肉親相克の因縁が残っていた場合は、身見が
>切れているので、憎しみも深刻にはならない。自己中心の考え方が無くなって
>いるので、相手の立場も良く理解できるようになります。
>だから、三結断ったら、聖者に区分できるのですねぇ。

それはたしかにある程度はそうでしょう。
しかし三結断ちというのは理知面の誤認識を改めただけだから、依然として
感情のコントロールはままならない面があるのです。
しかしそれでも人生観を変えただけで肉親血縁相剋の因縁を抑えて、不幸な
いあざこざが回避できるのだったら、成仏法なんていらない。
肉親血縁相剋の因縁の背景には霊障の先祖もいる。霊障を解くのは人生観を
改めることですか?
結局は根本的なことはなにも解決しない。この因縁切らぬ限り不幸な運命は
絶対に回避できない。
どうしてこの程度に過ぎない人が、聖者の流れに入った人で、この預流果を
得ることは一番難しいステップアップなどと桐山さんは説くのか?
準シュダオンさんに教えてあげましょう。預流は聖者の流れに入るとあるが、
決して完成形ではないのです。だからまだまだ不完全だけど、一所懸命泳ぐ
努力をすることにより、必ず完成者としての聖者の彼岸に流れ着くから
預流というのです。それは桐山さんですらそう説いています。
だから煩悩がまあd断てていなくても聖者に向かっているのです。
預流果は一来向でもあり、究極すべては阿羅漢向と言えるのです。
だから預流向も阿羅漢果を究極とする聖者に向かっているのです。
預流果だってまだ聖者に向かっている。わかりますか?

461ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 22:26:06 ID:Co56rSDI0
>>432 :準シュダオン:2009/10/23(金) 13:35:56 ID:P9JinFks0
>このことを、管長の言葉で表現すると、
>「究羅帝は腹が膨れて死ぬ因縁を持ってる」ということになるわけです。
>で、究羅帝が釈迦の弟子、優婆塞になったとして、釈迦を信じ、五戒を守り、
>施行・供養をし、教えを聞き、よく考えて、教法に親しむならば、三結煩悩
>も断てて、やがて腹が膨れて死ぬ運命が変わるのだ、ということです。
>それを因縁解脱と管長は呼んでるのです。

いや、ちょっと待ってください。阿羅漢だって死にますよ。死ねば死後硬直も
起きるし、腹が膨れることもありましょう。
戒律を守ったって、煩悩を断ったって必ず死にます。
この運命は変えられません。変わるのは来世がないことだけです。
腹が膨れるというのが、何か祟りか不衛生によるものだとしたら、釈尊だって
食あたりで下痢ピーになってやがて死んだのです。

462ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 22:32:11 ID:Co56rSDI0
>>435 :準シュダオン:2009/10/23(金) 13:47:13 ID:P9JinFks0
>前にもレスしたけど、管長は世紀末の何年か前から、法話で、
>「人類が滅亡するような災害はない」と話しているのです。
>「もしそういうことがあるならば、必ず自分が予知するはずだ」とね。
>だから、管長の本等読んで、必要以上に危機感を感じた人は、法話を聞いて
>ない信者ですね。あるいは居眠りしてたのかなw。

ということは、桐山さんが1999年が過ぎて21世紀になってからも、
2010年まで人類の賞味期限を延長して、壊滅の危機は未だにあると
説いたことなんて、真に受けずに、さぼっていても人類が滅亡することは
ないと言いたいのですね。
桐山さんは二枚舌だから信用するなと、我々批判側でなく、信者さんたちに
啓蒙したいわけね?

463ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 23:16:37 ID:SmEF4Oe2O
ちなみに私ユビキタスにもつい最近ある筋から国連の会合に来てくれと要請を受けました。
私は現在の仕事が忙しく日本を離れられないからと固辞したら、先方は納得してくれました。

464深山:2009/10/23(金) 23:38:38 ID:.KuCAASY0
>>432 :準シュダオン:2009/10/23(金) 13:35:56 ID:P9JinFks0
>後に死ぬ、と予言するわけです。そしてそのとおりになった。

あいつは美食、飽食をしているから、そのうち、糖尿病になり、
脳梗塞か心筋梗塞になるだろうと予測したら、脳梗塞になった。
これのどこが運命や因縁なのだ。
本人の意志による食生活の結果から病気になっただけで、
これを因縁や運命とは言わない。
食生活を節制すれば糖尿病にも脳梗塞にもならないが、
これは節制であって、因縁切りや運命改造なんて言わない。
それと同じです。
不潔な生活をしている者が内臓を病んで死ぬだろうと釈尊は予測して、
そのとおりに死んだ。
原因と、予想される結果をただ釈尊は示しただけです。
釈尊は善宿に、「究羅帝が運命を変えなかったから死んだ。
だから、おまえも運命を変えろ」と言ったのか。
どこにもそんな言葉はありません。
ありもしない言葉をよくそうやって読めますね。
もしかして、総本殿からデンパがまた来たのですか。

465深山:2009/10/23(金) 23:41:22 ID:.KuCAASY0
>>435 :準シュダオン:2009/10/23(金) 13:47:13 ID:P9JinFks0
>前にもレスしたけど、管長は世紀末の何年か前から、法話で、
>「人類が滅亡するような災害はない」と話しているのです。

あなたに聞くが、私がいつ「桐山ゲイカは人類が滅亡するような
災害が起きると言った」と書いたのだ?
>>423で指摘されても、まだ同じ事を言い続ける。
どうしてあなたは私が書いてもいないことを勝手に決めつけて反論するのだ?
桐山さんは地球壊滅的なことが起きると言っているだけです。
人類が滅亡するなんて言っていない。
これは地球壊滅の脅かしをした最初の本からそうです。
だから、それを私が>>423で示してあげた。
あなたと同じで桐山さんはズルイ人だから、逃げ道をたくさん作っておくのです。
「世界は終末はむかえないが」という一文です。
桐山さんが言い続けているのは、人類が地球から消滅するほどことはないが、
日本を含めて、人類が大幅に減るような大災害が起きると脅かし続けてきた。
私は証拠をあげて、それを指摘している。

466深山:2009/10/23(金) 23:43:01 ID:.KuCAASY0
「一九九九年カルマと霊障から脱出」1981年、14頁
「今から十年くらい前は、一〇〇人のひとをみて、一人か二人、せいぜい多くて
三人であった。それが最近、六、七人になってきた。」

『阿含宗報』51号、1990年
「ところが今は、百人の因縁を透視いたしますと、そのうちの85、6人のまでは横変死を持ち、
さらには横変死した不成仏霊があることを発見したわけです。」

「一九九九年七の月が来る」、1995年、84ページ
「いま、わたくしが透視すると、横変死の因縁を持つ人は、十人中四人、即
ち、四〇%に達しているのである。これを具体的に表現すると、十万人の都市
で、じつに四万人が死亡するのである。その他、肉体障害の因縁は、十人中、
五人、つまり、無事である人は、一〇%しかいないのである。」

「社会科学としての阿含仏教」1997年、200ページ
「今の日本の人口が約一億二千万人ですから、その二〇パーセントの二千四百万人が横
変死するということとは、どういうことか?戦争が起きるか?あるいは原子力発電所
などで事故が起こるか?またあるいは、大地震がこの日本を襲うのか?とにかく、
このままでいけば、おそらく安穏に二十一世紀を迎えることはできないでしょう。」

467深山:2009/10/23(金) 23:46:45 ID:.KuCAASY0
>>466

横変死の因縁の数を見てください。
1981年 6〜7%
1990年 85〜86%
1995年 40%
1997年 20%
なんと1990年を境に横変死の因縁が減っている!!
これもアゴン宗のおかげ?
いや、単に桐山さんの数字がデタラメなだけです。
だが、横変死20%でも、桐山さんが書いてるように、大災害なんて
生やさしいものではなく、人類の歴史に記録されたことのないほどの大災害です。
なぜなら、2400万人も死ぬほどの災害なら、残りの80%が無傷なはずはない。
だから、桐山さんは人類が滅亡するなんて言っていません。
だが、大災害が起きて、大量の人が横変死すると繰り返し述べている。
現実にそんなことはなかったのだから、大嘘つきだと批判しているのです。
また、信者さんたちに桐山さんのこの嘘つきぶりを振り返るように勧めている。

468ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/23(金) 23:48:59 ID:SmEF4Oe2O
来年がダメなら再来年はどうでしょう?と私ユビキタスは国連の会合に出席
することを要請されました。
私は再来年はちょっとね、と難色を示しました。
どういう理由からですか?と訊ねるその人に私はある花を指でつまんで、
軽くひねって微笑しました。
その人はそれで納得されました。

469深山:2009/10/23(金) 23:49:20 ID:.KuCAASY0
『ダルマチャクラ』103号、1998年、44〜45頁、
「和歌山地方は、世界有数の活断層である中央構造線をはじめ、仏像線、根來断層、五条谷断層、
その他、かずかずの断層帯が走っている。
ノストラダムスの予言にある「空から恐怖の大王が降りて来る」という恐怖の大王とは、
原子炉の倒壊による死の灰の降下と考えられる。
アンゴルモアの大王のもとに結集して、生命と財産を守らなければならない。」

ここでははっきりと原子炉が倒壊して、死の灰が降るとある。
直前の文章からして、大地震で原子炉が倒壊するというのでしょう。
桐山さんの書いた『一九九九年地球壊滅』という小説と同じことが起きると
はっきりと宣言している。
人類が絶滅するなんて桐山さんは言っていないし、
人類が絶滅するような災害が起きるなどとも言っていない。
だが、大災害が起きて、多数の人間が死ぬと脅かし続けていた。
そして、それを今でもやっている。
桐山さんは宗教詐欺師が商売だからいいとして、
信者さんたちはこういう嘘つきの宣伝の片棒を担ぎ、
人々を霊障で脅かすことに良心の呵責はないのかと問いかけているのです。

470深山:2009/10/23(金) 23:53:46 ID:.KuCAASY0
>>443 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:16:24 ID:P9JinFks0
>しかし、私は法話で確かに聞いております。

だから、準シュダオンさんの記憶が一番あてにならないのだ。
このスレで何度も何度も証明されている。
あなたは自分が書いたことも忘れている。
ニューヨークで桐山さんが幻影を見たという話も、
誰一人聞いたことがなく、それを聞いた時期も書く度にクルクル変わる。
>>464でも指摘したように、あなたの文章の解釈を聞いても、
文章にない内容を勝手に作り出している。
その記憶力、解釈を見れば、あなたが聞いたなんて何の根拠にもならない。
再度言うが、「桐山ゲイカは人類が滅亡する、滅亡するような
災害が起きると言った」などとは私は主張していない。
私が主張もしていないのにあなたがそうやってしつこくからむ理由はよく知っている。

471深山:2009/10/23(金) 23:59:30 ID:.KuCAASY0
>>443 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:16:24 ID:P9JinFks0
>こういう事がありましたので、「人類の滅亡なんて起きない」という管長の
>予知のお話を私は信じていたわけです。だが、それを活字にはしていないよ
>うです。その理由はわかりません。

いいえ、理由は明瞭です。
あなたの記憶がデタラメだからです。
その記憶がなぜデタラメなのかもわかる。
自己弁護のためです。
あなたは13人の導きの運動にも何もしなかった。
それを正当化するために、あたかも地球壊滅の危機など桐山ゲイカが
説いていなかったかのように言い逃れをしたのです。
あるいはそのように自分の記憶を変えてしまった。
だが、現実は、1999年までの約二十年間、
桐山さんは地球壊滅ネタで信者を脅かし続けていた。
あなたがこうやって屁理屈を並べてもしつこくからむのは、
理由1.ろくに修行もしない自分の自己弁護、
そして、預流向のように、
理由2.自惚れを満足させる
という二つの理由に集約される。
あなたの発言の動機はこの二つで説明がついてしまう。

472深山:2009/10/24(土) 00:02:33 ID:.KuCAASY0
>>449 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/23(金) 18:54:33 ID:xR/o.UU20
>実は私も知ってますよ。準さんの言われていることは。>>443で述べていることのような
>散々寸前まで「人類は滅亡する危機に有る」と言っていたのと逆の発言をしているゲイカを。

大日さんに提案ですが、その資料を出してもらえませんか。
準シュダオンさんでは、ごらんのように、議論にならない。
この人に何を言っても無駄です。
ここでは準シュダオンさんではなく、桐山さんが何をどう言ったかが
重要な議論のテーマであり、それを読者の信者さんたちも期待している。
彼が大日さんの知っている資料を出せるはずもなく、
また『ダルマチャクラ』の件のように、わずかばかりの資料すら
引用しようとしない人です・・・この態度にはさすがに失望しました。
だがもうこの老人はこのまま放置して、議論を進めませんか。
桐山さんの一貫性のなさは有名だから、そのような発言をしていたのなら、
それまた貴重な資料であり、私はぜひ見てみたい。
また、読んでいる信者さんたちのためにも、ぜひ資料を提示してください。

473ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/24(土) 00:05:12 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさん。
あなたはどうして人類は滅亡しないと聞いて安心してサボっているのですか?
別に人類が滅亡しなくて繁栄しようとも、あなた一人は不運にも交通事故にでも
遭って、脳味噌も目ん玉も飛び出してグチュグチュになるかもしれないではないですか?
(故・石立鉄男調。オマエはどこのワカメじゃ)
だって因縁というものは各自が別々に固有に持つものでしょ?
真面目に修行しないで悪因縁が切れなかったら、いかにそれほど悪い因縁を持たぬ周囲が
この世の春を謳歌しているのを尻目にあなたは不幸のどん底に落ちる。
それを考えると人類の行く手など関係なく真面目に修行した方がいいんちゃう?
私はかつて逆に人類がほとんど壊滅してしまうならその多数派で構わない。
下手に生き残って苦労したくない、絶望の悲鳴をあげたくないとチラと思った
こともありますよ。

474深山:2009/10/24(土) 00:05:28 ID:.KuCAASY0
>>443 :準シュダオン:2009/10/23(金) 16:16:24 ID:P9JinFks0
>管長は、平成七年だったかな?その年は、国連50周年に当たっており、
>アメリカから、ぜひ出席してほしい、と招待されたんですよね。

国連から招待?初めて聞きました。
桐山さんは国連と関係したのは、国連INEOA平和賞という
インチキ賞を受賞したと言っているだけです。
国連にはINEOAなんて組織はありません。
だから、国連INEOA賞なんてあるはずがない。
桐山さんが国連と関わったこともないのに、
その国連のどこの組織から招待があったのですか。
頼むから、あなたの記憶に頼る話ではなく、書くのなら、
根拠を示せるものに限定してください。
老人の妄想話はいらない。

475深山:2009/10/24(土) 00:09:39 ID:.KuCAASY0
>>436 :準シュダオン:2009/10/23(金) 13:49:22 ID:P9JinFks0
>ダルマチャクラ4月号は内容が深くて長い。
>引用してたら日が暮れてしまうw。

これがあなたの正体ですよね。
栗花さんと同じで、何かあるかのように見せかけていながら、
示してみろというと出さない、いや、出せない。
罠に掛けるような真似や、あなたみたいなハッタリは私は好みに
合わないから、先にいうが、あなたが前スレで指摘した時、
私は『ダルマチャクラ』を読んでいる。
あなたは、当然、覚えてはいないだろうが、私は前スレですでに反論している。
その上で、あなたに引用するように指摘している。

1.桐山さんが預流向は凡夫だと書いた文章を示しなさい。(>>418)

という質問にあなたが答えられるはずはない。
桐山さんはそんなことは書いていないからです。
該当箇所を引用しても10行もない。
私に言わせれば、あなたの主張したい内容なら2行の引用で十分です。
くどくどとした同じ話の繰り返しを書いている暇があるなら、
いくらでも書き写して示すことができる程度の文章です。
だが、桐山さんはただ学者の解説を口まねしているだけで、
「預流向が凡夫だ」なんて文章は存在しない。

476ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/24(土) 00:15:44 ID:SmEF4Oe2O
私も>>472の深山さんの提案に賛成です。
ご面倒様ですが、大日さんにお願いしたい仕事は2つです。
1つはあなたの方が先に見つけたダルマチャクラ1995年4月号にの26頁に
書いてあるという人類滅亡に関する桐山発言を引用すること。
もう1つはやはりそのダルマチャクラ1995年4月号に書いてあると準シュダオン
さんの示した、四向四果と聖者に関する桐山発言で、預流向 は聖者ではないと
明言している部分を探して引用していただくことです。

477深山:2009/10/24(土) 00:19:18 ID:.KuCAASY0
>>436 :準シュダオン:2009/10/23(金) 13:49:22 ID:P9JinFks0
>ダルマチャクラ4月号は内容が深くて長い。

あなたはまだ桐山さんの無知に気がついていないようですね。
あなたと同じ間違いをしているのですよ。
批判側が何度も説明した四向四果を素直に学んで理解すればいいものを、
桐山さんもあなたも自惚ればかり強くて、自分の無知に気がつかない。
私は人を罠に追い込むようなことはしたくないから、
先にあなたのこれから進んだ場合を警告しておきます。
『ダルマチャクラ』にはそのような文章はないと認めるのが一つ目の道です。
もう一つは、今まで通り、あなたの解釈を持ち込めば、その代わり、
桐山さんの無知をあざ笑うことになる。
桐山さんが書いていないと認めるか、書いていると主張して、
桐山さんの無知を暴露するか、どちらでも好きな方を選びなさい。
このようにあなたには警告した。
もっとも、今のあなたの知性では、何を言われているのか、
皆目見当もつかないでしょう。
そして、あなたはもちろん、後のほうを選ぶでしょう。

478深山:2009/10/24(土) 00:21:44 ID:.KuCAASY0
>>436 :準シュダオン:2009/10/23(金) 13:49:22 ID:P9JinFks0
>ダルマチャクラ4月号は内容が深くて長い。

引用してくれたら、私は桐山さんの無知を指摘しようと待っている。
というよりも、桐山さんも準シュダオンさんと同じ間違いをしているのです。
その意味ではあなたの解釈は正しい。(笑)
前回、このことを指摘しなかったのは、間もなくこの『ダルマチャクラ』の
阿含経講義が下巻として出版されるからです。
平河出版社の人はここを読んでいるから、無知を指摘すれば、直すでしょう。
このまま出してくれて、後で指摘したほうが信者さんたちのためだと思った。
桐山さんの阿含経の知識がいかに付け焼き刃かを知るチャンスです。
準シュダオンさんと同じレベルだと知ったら、ショックも大きい。
しかし、平河の人たちが、上巻で異陰の嘘を直したことを
私は評価しているから、桐山さんが何を思い違いしているかを
説明するのはかまわない。
準シュダオンさんは無知だから、桐山さんの無知に気が付かずに
桐山さんの無知を教えたから、私は気が付いた。
感謝します。

479ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/24(土) 00:24:16 ID:SmEF4Oe2O
>>478
しかしその下巻の刊行こそがあてにならなくなりましたね。

480ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/24(土) 00:45:46 ID:SmEF4Oe2O
あはははっ!
自宅に帰り着いて、もしやと思って普段いじらない本棚の一角を探したら
ダルマチャクラ1995年4月号持っていたではないか?
そう言えば阪神大震災の不幸に喜んでの脅迫を説いたこの頃のダルマチャクラ
買ったなあ。
同時に阿含経講義の内容まで記憶してなかった私も不勉強だったな。
よし、大日さんに無理にお願いすることもないが(ダルマチャクラでない
他の資料は別として)、明日土曜日は私は仕事なので明日準シュダオンさんが
引用しなかったら日曜日にでも示してやるかな。

481ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/24(土) 01:31:53 ID:SmEF4Oe2O
これはひどいw
(準4行ウマしかさんの頭)

482大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/24(土) 08:46:06 ID:F1Ghh1QI0
批判派の御大「深山さん」にお願いされるのは恐縮です。
ですが、私としては丁度ユビさんがダルマチャクラを見つけられましたし、また準さんが
回答を出さないうちに答えを出すのは彼にために良くないので、後の楽しみにしておきましょう。

先の文章でも書きましたが、人の書いた文章をこの掲示板に書き写すというのは結構難儀な
作業なんですよ。準さんが「日が暮れちまう」というのもそれはわかります。
ですが、自分の主張を通すのと正当性を証明する。また誰でも確認が出来るようにするのが
本当の意見を出すことにつながると思うのです。

現に深山さんもユビさんも引用をされるときが有る。実際私も必要に迫られてやったがこれは
めっちゃ面倒くさい! ですが、自分の言っていることを示すためにはやらないほうがおかしい。
だから、ただほざくだけなら誰でも出来るんですよ、というのが有るわけです。
あんまり「ほざき」だけやるとそのうち誰も返答してくれなくなりますよ、準さん。
例え、間違ってても自分の主張は通せばいいし、出すものです。それには文章の転載も必須なのです。
自分がこう思う、聞いただけでは妄想認定されるのがおちで、それ以上になればスルーされますよ。

483ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/24(土) 09:04:30 ID:SmEF4Oe2O
2行の引用は簡単なんですけどね。
さあ書くや否や?
逆に大日さんには準シュダオンさんが示したものと類似する桐山発言を
もし引用が可能ならばしてはどうでしょうか?

484名無しさん:2009/10/24(土) 09:20:14 ID:YFqsstWI0
2ちゃん真如苑スレより引用。

>991 :神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 07:49:00 ID:sYcPnglk
建設業者が仕事を求めて護摩に参上
証券会社が金を求めて法要に参上
みんな高級な車で高級な部屋で札束を数えている

古美術商がオークションの話を持ってきた
やつらグルになって値段をつり上げた

太鼓の達人が声楽家とやってきて
みんなの為にコンサートを開きましょう!とチケットを沢山置いて行った

不動産屋が子分とやってきた
ヨーロッパに掘り出し物の城がありますから
視察旅行に行きませんか?
能登の魚は美味しいよ

働かない人達が奉仕と言いながら
会社を休んで夜行バスに乗る
金が無いから他人を騙す

日本万歳



…う〜ん、どっかの新新宗教と、クリソツですな。


気のせいかな?(苦笑)

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251217310/l50

485大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/24(土) 09:41:26 ID:Y4n8EaBg0
ユビさん、恐れ入ります。ですが、準さんも今探しているとか書き込みで下書きされているかもしれませんから
もうしばらく待ちましょう。これは準さんの”修行”なのですよ。
ましてやシュダオンに近いというか準する方の意見を聞かねば失礼に当たるのですから。(なんちゃって)
答えを出すのは簡単ですが、意見を出すのは結構労力を費やすというのを準さんも認識せねばいけない、と思う。

486ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/24(土) 13:51:10 ID:SmEF4Oe2O
例祭に暇潰しにでも行ってるのかな?

487Boo:2009/10/24(土) 14:06:46 ID:DXlq9owoO
準四行ウマシカさん、都合悪くなったから、コテハン変えて別人で登場する準備かな?

488深山:2009/10/24(土) 19:12:33 ID:XYyu5b8U0
>480 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/24(土) 00:45:46 ID:SmEF4Oe2O
>自宅に帰り着いて、もしやと思って普段いじらない本棚の一角を探したら
>ダルマチャクラ1995年4月号持っていたではないか?

「いや、これこそがアゴンの奇蹟、物質化現象なのラ!
今回は龍神様は金粉はやめにして、『ダルマチャクラ』をばらまいたのだ。
奇蹟だ!アゴンの奇蹟だ!!」

と、調子に乗って、もう一つ。

「アゴンの信者たちよ、見よ、これこそ、ユビキタス聖者様の未来予知能力じゃ。
ユビキタス聖者様は十四年後にこの『ダルマチャクラ』が必要になることを
霊感でビビッと体得された。
「今だ、買え!」という御霊示に従ったのである。
ユビキタス聖者様がいかにすさまじい超能力をお持ちか、
また神仏との深い絆をお持ちか、これで実証された。
さあ、信者さんたちは、誰に供養しなければならないか、もうおわかりであろう(呵々)」

などと、アホウなことでも書かないと、某老人を相手にしていると
こちらの頭までおかしくなりそう。

489深山:2009/10/24(土) 19:18:54 ID:XYyu5b8U0
>>482 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/24(土) 08:46:06 ID:F1Ghh1QI0
>ですが、私としては丁度ユビさんがダルマチャクラを見つけられましたし、また準さんが
>回答を出さないうちに答えを出すのは彼にために良くないので、後の楽しみにしておきましょう。

問題になっている資料が複数あり、錯綜しているように見えます(あるいは私の誤解)。
私が大日さんにお願いしたのは、桐山さんが「人類が滅亡するような災害はない」と
言ったことが文章で残っているという資料です。
準シュダオンさんはこの件を法話で聞いたと言っているだけで、そういう資料が
あるとも、探すとも言っていません。
むしろ、なぜ活字になっていないのかわからない、と述べています。
ですから、資料があっても出さない彼が、存在すら知らない資料を
出すことはまずないでしょう。
探してもいないと思います。
今の準シュダオンさんの脳は、大日さんの配慮が理解できる状態ではありません。
1995年の『ダルマチャクラ』はユビキタスさんが引用してくれるようです。
「世紀末の地球壊滅の大災害はない」の資料の転載が大変であれば、
資料名やページ数だけでも教えてもらえませんか。

490大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/24(土) 20:40:12 ID:gDMG.Ldo0
今日自分も確認の作業をしてみましたが、どうも自分も勘違いの可能性が高いですね。
なぜなら今の段階では、該当するものが出てきません。

また、言われたことを顧みると私の早とちりも含まれるようです。
今後も確認を続けますが、先にお詫びを申しておきます。
(勿論報告は確認終了後再度のお詫びと報告をいたします)

今の段階で言える事は準さんが申したことは違う表現で言われているし、また実際言われて無い言葉まで
有るようです。はっきり言って信者側の聞き違えか思い違いと思われます。

知り合いの現信者の法友に電話をかけて聞いたのですが、私と答えは同じでした。
しかし、双方文証を探したのですが・・・無い。
するとやはり聞き違い(勘違い)、思い違いということか、文章にしていないだけで法話でゲイかが
言われたか、のどちらかです。

阿含宗報の中からも探して貰っていますが(自分は全部焼いたため引用・確認できないため)
今のところ見つかっていません。著書も該当のものが見当たりません。

まだ途中とはいえ、これだけ探して「無い」ということはおそらく活字にしてないものと思われます。
理由はわかります。散々脅し文句を言っているのに、そういう文章をUPしたら言っていることが矛盾
するからです。仮に生発言されたとしても、文章にしないのはその理由からだと思われます。

とりあえず単発ものですが報告をさせていただきました。

491大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/10/24(土) 20:59:20 ID:gDMG.Ldo0
読み返したら、抜けてた分があったので追記いたします。

まず、何を間違えていたのか、を申します。
「世紀末の地球壊滅の大災害はない」「人類が滅亡するような災害はない」をごっちゃにしていた点です。
実はこういう表記は無いんです。(今のところ発見できてない、が正しい)
ただし、こういう表記はあります。

ダルマチャクラ112号 27Pの後ろから4行目

>しかし、この予言が、世界の終末を予告したものでないことは明らかである。というのは
ノストラダムスの予言は、このあともつづくのであるから、論理的に「世界の終わり」は無いので有る。

こういうような表現はされているが、
「世紀末の地球壊滅の大災害はない」「人類が滅亡するような災害はない」というような文章・発言は
見当たらないのです。つまり、世界の終わりは無いし、人類が滅亡するようなことは有るかもしれないが、
全人類が滅亡するのはノストラダムスの予言では無いから「世紀末の地球壊滅の大災害はない」といった
と勘違いしているというのが一つ。

>>443で準さんが申した
「人類が滅亡するような事態には絶対ならない。もしそういう事態がある
のならば事前に私が予知しないはずがない。ところが私にはそういう感じ
がない。だから、そういう大きな災害はない。」

この最後の「だから、そういう大きな災害はない」というのが信者(聞いた側)の思い込みの可能性が
ある、ということです。

著書ではそういう発言が見つけられなかったので、可能性としては各地区で配布した文章ものか、
宗報しか可能性は無いかと思われます。

以上、抜けていた分でした。

492準シュダオン:2009/10/25(日) 09:57:38 ID:P9JinFks0
大日さんが示したダルマチャクラ112号に掲載されてるようなことは、
例えば、「1999年七の月が来る」P224あたりにも書かれています。
管長は、地球が終末をむかえるとは思わないことを述べ、
「わたくし自身の霊感も、世界はふたたび平和と繁栄の道を歩みはじめる
と感じているからである」と、記しています。

私が法話で聞いた話は、そりゃ、思い込みの可能性はあるでしょうが、
私自身は100パーセント、思いこみではない、という自信はあります。
今まで、自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、を頼りとして生きて
きましたからね。そりゃ、記憶が曖昧な自信のないこともあります。
ですが、人類が滅亡するような災害はない、という管長の法話はありありと、
覚えています。そういう災害があるのならば、大霊能者である私が予知しない
わけがなかろう、というような、自信に満ちた法話であったと思います。
あれで安心した信徒も多かろうと思いますね。

493準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0
管長が須陀?向から聖者としないで、須陀?果から聖者と区分する考え方は、
ダルマチャクラ69・1995年4月号に詳しく説いていることは前にレス
しました。しかし、十年以上も前のダルマチャクラなので、それを持ってい
ない現職信者さんもいると思う。
そういう人は、「仏陀の真実の教えを説く」を読めば、管長の考えがわかる
と思う。その本のP311には、お終いから6行目より、須陀?、斯陀含、
阿那含、阿羅漢、このことは阿含教学の基本ですから、あなたがたは暗記
しておかなくてはいけない、というように書いています。

四向四果は阿含教学の基本なのです。大乗仏教にはないのです。
以下、示すページはすべて「仏陀の真実の教えを説く」本の頁です。
P181の5行目から、預流は新米の聖者である、と書いてあります。
P187には、四沙門果を解説しており、須陀?を聖者としております。
P302とP303にも、須陀?と聖者の語があります。
P310の最初にも、預流は聖者、のことが記されています。
P323のお終いから5行目に、「須陀?になると、聖者の流れに入って
 不退転となります」と記されています。

P372にも、須陀?、預流、聖者、の説明があります。
そして、P373のお終いから3行目、
「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀?になっていないまでも、須陀?に近くなって
いる人たちもいます。須陀?にどんどん向かっているのですからーーこれを
須陀?向といいますーー」と、記されています。

これらを読めば、管長が須陀?から聖者と区分しており、わたしたちは須陀?向
なのだと、おっしゃていることがわかるでしょう。

494ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 10:57:08 ID:SmEF4Oe2O
>>492
その著書には人類は2001年あたりから安定に向かうが、しかしその前に1999年と2000年に
壊滅「的」打撃を蒙り、そこをいかに乗り切るのかが重要と説いています。
すなわち人類は絶滅はしないが、相当のダメージを受けると説いている。
これが壊滅「的」打撃で、その恐怖を説いているのです。
滅亡ではないが、準・滅亡ですよ。
地球の人口が半分に減るような事態をどう思いますか?
それが1999年から2000年にかけて危ないと説いていた。
そしてその著書を出した翌年に、この壊滅的危機から救われたくば、13人の
お導きをせよと条件を明示したのです。
それでもほどほどにしてサボっていたのは、あなたが桐山さんの言うことなんか
信じてないからでしょ?
眉に唾つけてせせら笑っていたからでしょ?
あなたがどういう頭の構造で法話の主旨を聞き間違えか覚え間違いをしたのか
知らんが、もしもこれらの壊滅的危機を否定して、もう世界は安泰なんだから
無理して修行することもないと説いていたのなら、普通の人は前後に矛盾を感じて
問い質すものです。
疑問も感じないあなたは、相当頭が悪いか、桐山さんを信じてないで馬鹿にしてるか
のどちらかです。
仮にあなたが壊滅的危機から救われても、他の無縁の人は死に絶える可能性が
濃厚なんです。
あ! わかった!あなたは桐山さんと同じように、自分をいじめた周囲の奴らは
悉く死んでしまえ、いい気味だ、救ってやらないよと思っていたのですねw

495ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 11:12:22 ID:SmEF4Oe2O
>>493
おっ、四向四果の考えは大乗にはないと書きましたね?
その通りです。
して、あなたが示した聖者僧、凡夫僧の分類は大乗の考えであると認めましたよね?
つまり大乗の考えから大乗の考えにない四向四果を評価することがピンボケなんですよ。

さて、あなたはまた「仏陀の真実の教えを説く」などを出してきましたが、
ダルマチャクラ1995年4月号の引用はどうなりました?
ちなみにこちらはいつでもそれと思われる該当箇所の引用が可能な状態です。
それを示して、果たしてこれが桐山さんが本当にシュダオン向は聖者ではなく
凡夫であると提示したことになるのか皆 に確認してもらう用意があります。
どうしますか?
あなたの方でされますか?

496ラシン:2009/10/25(日) 12:19:37 ID:Xj1b9g0Y0
>493 :準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0
>「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀?になっていないまでも、須陀?に近くなって
いる人たちもいます。須陀?にどんどん向かっているのですからーーこれを
須陀?向といいますーー」と、記されています。

相変わらず怪しい引用ですね、外道凡夫って何だ〜? 外道、凡夫じゃないのか?
外道なんてたとえその師であろうが聖者の対象外だから、外道、凡夫じゃないのか?
あなたは、以前に凡夫は預流を目指すから預流向だと述べていた。
預流向は、凡夫の部類、範疇だとの意味で強弁していた。
ならば、上記桐山さんの「凡夫ではない須陀?向」との解説に矛盾するじゃないか?
それを隠すべく”外道の凡夫”という意味表記なら、私の上記、外道の補足で成り立たない。
わざわざ”外道の凡夫”という意味合いで述べる必要は無いということです。
上記桐山さんの説く意味は、「私たちは凡夫ではなく、(中略)これを須陀?向といいます」と、
あきらかに半端な解説だが、「凡夫ではない須陀?向」となるから、あなたはウソツキだな。

もうひとつ何度も言うが、自弁の都合で辞書や部派仏教解釈の取捨選択はやめなさい。
その根性が、とても醜く、汚れて見えるから、あなたは姑息だと批判されるのだ。
桐山さんは、修業者座右宝鑑においてアビダルマ論と根本煩悩、随煩悩に心の因縁を
系統付け、指導の要としているくらい信者なら自覚しなさい。
それともあなたは、修業者座右宝鑑をただ持っているだけなのか?

497ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 15:49:43 ID:SmEF4Oe2O
>>493
うまいタイミングで外道凡夫の桐山発言を出してくれたね。
そうです。凡夫には外道なども含まれる。

498ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 16:38:23 ID:SmEF4Oe2O
では、ダルマチャクラ1995年4月号から引用をします。
3つに分けて投稿しますが、本当に必要なのは最初の引用で、ダルマチャクラ誌
2行分ですね。

まずはその2行分ですが、5ページにあります。
阿含経講義―増一阿含経・等見品(3)―から引用します。
これはスレ番を改めて引用投稿する他の2つも同じですから、ページのみを
添えておきます。
とにかくまずは5ページの2行分です。


何度も説いてきたことですが、まず凡夫から須陀オンになる。次に斯陀含になり、
三番目に阿那含となって、最後に阿羅漢になる。この阿羅漢が仏、如来です。

499ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 16:45:15 ID:SmEF4Oe2O
仏道修行を正しく進めていきますと、須陀オンという境界になる。須陀オンはもう聖者です。
聖者の中ではいちばん下ですが、須陀オンは聖者の流れに入ります。
それで須陀オンを「(聖者の)流れに預かる」と書いて、預流といいます。
須陀オンは聖者の列に加わり、ひたすら仏道を歩んでいって、決して退転することがありません。
成仏するのは時間の問題です。聖者の 第一段階、これが須陀オンです。
(6ページ)

500ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 18:05:06 ID:SmEF4Oe2O
同様に、須陀オンに向かっているのが須陀オン向、阿那含(阿那含果)に向かっているのが
阿那含向、阿羅漢(阿羅漢果)に向かっているのが阿羅漢向です。
須陀オン向・斯陀含向・阿那含向・阿羅漢向を四向、須陀オン・斯陀含・阿那含・阿羅漢を
四果といい、合わせて四向四果、あるいは四双八輩と呼びます。
(8ページ)

501ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 18:36:40 ID:SmEF4Oe2O
さて、>>498-500でダルマチャクラ1995年4月号から引用を済ませました。
皆さん。わかりましたでしょうか?
何がかって、準シュダオンさんは、これで桐山さんは預流向、須陀オン向は
聖者ではなく凡夫に属すると述べたと言うのです。
述べてますか?
どこにも述べてません。
全ては準シュダオンさんが、推理したに過ぎません。
推理とはこうです。須陀オンからを聖者の流れに入ったと言う。そして須陀オン向とは
須陀オン(果)に向かっているという。そして凡夫から始まり須陀オン→斯陀含
→阿那含→阿羅漢
と進む。
だからこのことから推理すると須陀オン向は凡夫に決まってるじゃんか、と言いたいわけです。
しかしそんなに簡単に結論付けてよいでしょうか?
私から見ると、桐山さんの考えは「そうかも知れないがわからない」が正直なところです。
自分の推理を桐山さんが明言したように混同しないことです。
最も根拠となるのは>>498の2行と述べました。
凡夫から始まるとあります。
しかし考えてご覧なさい。
人間は皆最初は凡夫なのです。最初から聖者なんて人はいない。
つまりまだ仏道を志す前もまた凡夫なのです。
ちょうど>>493の準シュダオンさんによる桐山文の引用で外道凡夫という概念が
示されている。外道も凡夫です。また特定の外道宗教を信仰していないが、
仏門もくぐっていない者も凡夫です。
つまり人は必ず凡夫から道が始まる。
では仏門に入って須陀オン果を得るまでの間もまた凡夫と呼ぶのかと言うと
準シュダオンさんは当ったり前だと言うわけです。
なるほど推理の論理としてはそうですね。
では須陀オン向という四向四果、四双八輩にも加えられている須陀オン向(預流向)
という境界はどうなんだと言うと、これがどの程度の須陀オンへの近づき方なのか
不明なんです。桐山さんですら明言していない。
だからこれは「これだけの資料ではわからない」としか言えないはずなんです。
ところが準シュダオンさんは、向かっているんだから、ぺーぺーの新米も
オール須陀オン向、須陀オンを得ていない信者、弟子は皆須陀オン向であり
皆凡夫なんだと決めつけている。
しかしこれは思い込みというものです。
準シュダオンさんが自分の考えを示す時にはこれでもかまわないが、桐山さんと いう
他人の発言を利用する時には、明言もされていないものを勝手に思い込みで決めつけては
ならないのです。

502ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 21:05:26 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんは預流としての聖者についてどう考えているのか?
これは私が前から質問していたことです。
まだ煩悩も断っておらぬ未熟の身がどうして聖者であるものか?と。
これに対しては私は預流果シュダオンだって認識を改めただけで未だ煩悩具足の 身
ではないかと問い返した。
つまり聖者とは完成形ではない。
だから流れに預かるという立場なんです。
阿羅漢果という聖者の大海がある。
そこに至る川の流れがある。
絶え間ない流れにより河川は大海に注ぎ込む。
その流れに預かるのです。だから預流なんです。
もちろんもう黙っていても怠けていても大海に流れ着いてしまうという人任せ
ではない。苦しみの根源は己が煩悩にあるから、これを断つことが真理の道なんだ
と了解し、覚悟を決めて修行に励む。だから不退転と言うのです。
努力を惜しまないから究極の聖者の大海にも流れ着こう。
これが預流とされる所以です。
ならば三結の誤認識を未だ十分に断てずとも、これを断つんだ
と求め向かい努力する預流向だって、その流れをつかむはずです。
預流向が向かっている段階で完成形でないならば、預流果だって完成形ではなく
流れの終着点に向かっているのです。
だから私は良い意味での五十歩百歩と書いたのです。
つまり厳密な区切りなどしなくても預流向も聖者への流れにある。
ここのところがわからぬか?
そりゃ仏教に金儲けとか健康増進とか災害よけとか御利益を求めたら、この外道思考
は預流向ですらない。
煩悩を断つぞと理解し、努力を始めたから預流向なんです。
ここのところがおわかりか?
ところが桐山さんもシュダオン自体に何か特別な聖者としての「力」を想定して
しまっているのですね。
それがこのダルマチャクラ1995年4月号の講義録でわかる。

503ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 21:26:38 ID:SmEF4Oe2O
桐山さんはこのダルマチャクラ掲載の講義録でシュダオンの解説を始める。
シュダオンに到達すると天と人を7たび輪廻して後、涅槃に至るとは桐山さん
ではなく、釈尊の説くところです。
ところが桐山さんはこの天に生まれ変わるところに囚われた。
天と中国語で訳されているが、これに近い概念は実は中国にもなく、敢えて言うと
日本で言うところの神に近い。これもよい。
しかし桐山さんはどんどんこれに囚われていく。
仏教でいう天部としての神は一神通しか持たないとして大黒天や弁財天を紹介する。
一神通だから究極の神通力ではない。
(桐山さんは神通力で解脱も得るものだと間違って認識している)
しかし大黒天のようにお金、物資の調達するなどの神通力を以て世の中に貢献して
徳を高めていくがごとく説明を加えていく。
この辺でもう完全に脱線してしまっている。
神通力を持っているから初歩の聖者と認められる所以のごとく説く。
しかしこれが全く違う。
桐山さんはシュダオンに到達しただけで寿命が尽きて、天に生まれ変わるケース
だけを想定しているからこんな寝惚けたロマンなどを語る。
生前シュダオンだけに留まらずもっと先に突き抜ける人のことを想定していない。
彼らは天の神通力など得ないわけです。
桐山さんは天に生まれたり人間に生まれてくるシュダオンについて語り、
人間として生まれ変わっても超能力者として生まれてくるがごとく説いています。
そうか?シュダオンで死んでまた人間に生まれ変わるとユリ・ゲラーか関口少年
のようになるのかw
このように聖者というのを神通力もある到達点、通過点として評価している。
聖者の意味がわかってないのです。
預流向でも聖者の流れに預かるという本当の意味が理解できていない。
だから準シュダオンさんも聖者とは何ぞやという問題を正しく認識できていないのです。

504深山:2009/10/25(日) 22:23:10 ID:GSb.hwFM0
>>492 :準シュダオン:2009/10/25(日) 09:57:38 ID:P9JinFks0
>私が法話で聞いた話は、そりゃ、思い込みの可能性はあるでしょうが、

それであなたは何を言いたいのだ?
自分で何を議論しているのかすっかり忘れているようですね。
私が太郎さんに、桐山さんが地球壊滅で人を脅かしたことを
書いたら、あなたは、

「人類滅亡は絶対にない!」(>>404)

と始まった。
だが、私は「桐山さんは人類は滅亡すると言った」なんて書いていない。
書いていないのに、書いたかのような書き方をして、
それで何を言いたいのだ?
あなたの一方的な思い込みによる読み違いですよね。
それを私が指摘しても、あなたはいつものように無視して、

「人類が滅亡するような災害はない」(>>435)

とまた同じことを書いた。
私は「桐山さんは人類は滅亡すると言った」なんて書いていないと
再度、書いても、あなた気にもしない。
私がまるでそんなふうに書いたかのような因縁を付けるをやめなさいと
いくら言われても、馬耳東風。
あなたの親はそういう礼儀知らずを教えたのか?
私が名無しだった頃、これを無礼者だと書いたのを覚えているか。
それほど礼儀を重んじるのなら、どうして他人にこういう無礼なことを
何度も注意されても繰り返すのだ?・・・あ、そうか、あなたは無礼者だからか。

505深山:2009/10/25(日) 22:28:05 ID:GSb.hwFM0
>>492 :準シュダオン:2009/10/25(日) 09:57:38 ID:P9JinFks0
>私が法話で聞いた話は、そりゃ、思い込みの可能性はあるでしょうが、

私から何を言われているのかわからないのでしょう?
あなたのような傲慢な年寄りはみんなそうです。
自分の主張に夢中で、相手が何を言っているのかなんて気にしない。
自分の主張が受け入れられないと、相手をバカだの嘘つきだのと罵る。
昼間見たテレビでも年寄りの議員が、相手の発言を無視して、
一人で一方的にしゃべりまくり、司会者が苦笑いしていた。
しかも、発音が不明瞭で早口で話すから、何を言っているのかわからない。
議論という言葉のキャッチボールができず、
相手の指摘や反論を無視して、一方的に話しまくる。
今のあなたがそうです。
預流向の件も、地球壊滅の件も、相手が何を反論しているのか
完全無視して、ひたすら自分の主張を繰り返す。
私は、「桐山さんが地球壊滅で人を脅かした」と書いたのだ。
「桐山さんは人類が滅亡すると言った」なんて書いていません。
私が書いていないことを書いたかのように捏造したことを撤回しなさい。
前、私が間違えて、あなたが預流だと名乗ったと書いたのを
「預流向と名乗ったのだ。謝罪しろ」と吠えた。
その程度の読み違いを、他人に謝罪しろと大上段に振りかざすのなら、
あなたも私の発言を取り違えたことを、撤回したらどうだ。
と、今の「四行しか」の準シュダオンさんに何を言っても無駄なのは知っている。

506深山:2009/10/25(日) 22:34:09 ID:GSb.hwFM0
>>492 :準シュダオン:2009/10/25(日) 09:57:38 ID:P9JinFks0
>ですが、人類が滅亡するような災害はない、という管長の法話はありありと、

だから、「桐山さんは、人類が滅亡するような災害がある、と言った」なんて、
誰もここでは主張していないのだ。
どうして、あなたはそんな頭が悪いのだ?
私が、>>423で引用した桐山さんの文章を読んでみなさい。

「そこでわたくしは考えるのだが、世界は終末はむかえはしないが、」
(「一九九九年カルマと霊障からの脱出」256頁)

終末を迎えないとは、人類が滅亡するようなことはないという意味です。
桐山さんは、世紀末の地球壊滅を唱えた最初の本から、
人類が絶滅するとは説いていない。
また、私も批判側も、誰もそんなことは言っていない。
私が太郎さんとの議論で問題にしたのは、上記の文章の後です。

「一九九九年七の月、世界中が恐れおののき、人類すべて震撼する出来事に
直面するであろう。
それはまちがいない。
おそらく、滅亡寸前まで行くであろう。」

大災害が起きて、滅亡はしないが、滅亡寸前まで行くと言っているのです。
桐山さんのこの主張は二十年間一貫している。

507深山:2009/10/25(日) 22:38:41 ID:GSb.hwFM0
『炎の大霊言』222頁、1987年
「だから、世紀末に人類の十分の一ぐらい減る災害が起きるか
もしれないが、私はかえってそのほうがいいんじゃないかと思います。」

>>425で引用した上記の文章でも、世紀末に、人類は滅亡はしないが、
激減するほどの大災害が起きるとしているのです。
そして、具体的に桐山さんは横変死の因縁として85%,40%,20%
と、1999年の直前まで、ものすごい数字を示している。
20%というのだから、残りは生きているのです。
絶滅するなんて言っていない。
私は、絶滅しなかったではないかと批判しているのではなく、
絶滅寸前ほどの大災害が起きると信者たちを脅かした点を批判している。
現実に大災害などおきなかった。
どこが十分の一、何が横変死40%なのだ?
これだけ人々を数字で脅かしておきながら、口を拭って知らぬふりを
しているその無責任ぶりを私は指摘している。
そして、懲りもせずにまだやっている。
信者も、こういう桐山さんの無責任を見ないようにして、まだ地球壊滅で
人々を脅かして、ガダルカナルの護摩木を書かせたなら、桐山さんと同罪です。
準シュダオンさんも同罪だと言っているのです。

508深山:2009/10/25(日) 22:40:58 ID:GSb.hwFM0
>>492 :準シュダオン:2009/10/25(日) 09:57:38 ID:P9JinFks0
>例えば、「1999年七の月が来る」P224あたりにも書かれています。

こんな程度の話だろうと思った。
この本のどこに、地球壊滅の大災害が来ない、とある?
いったいあなたはこの本のどこを読んでいるのだ?

「いま、わたくしが透視すると、横変死の因縁を持つ人は、十人中四人、即
ち、四〇%に達しているのである。」
(「一九九九年七の月が来る」、1995年、84ページ)

「そこで、九星図の示すところをたどれば、本年、五黄の年から始まった
破壊・動乱は、一九九六年、九七年、九八年とつづいて、一九九九年、離
宮の年に至ってさらに拡大し、翌二000年、坎宮の年に入ってその極に
達するのである。」(25ページ)

「一九九九年、中宮にすがたをあらわした恐怖の大王(五黄土星)は、九
六、九七、九八、とやや勢いをゆるめるであろうが、俄然、九九年に入っ
て猛威をふるい、二000年に入ってその極に達する。」 (28ページ)

「つまり、一九九五年から「危」に入って、全地球的な危機の時代になり、九
七年に、さらにその度が強まる。しかし、それでは終わりにならず、反転して、
九八年に、ふたたび「危」の時代に入り、二000年に「滅」をむかえる。」(160ページ)

「わたくしは、放射能を帯びた原子炉の灰が、空から降りそそいでくるのだと思うのである。
その前提となるのは、巨大地震である。」(153ページ)

509深山:2009/10/25(日) 22:46:50 ID:GSb.hwFM0
>>492 :準シュダオン:2009/10/25(日) 09:57:38 ID:P9JinFks0
>例えば、「1999年七の月が来る」P224あたりにも書かれています。

この本で、2001年の安定の前に、大災害が起きると書いている。
巨大地震によって原子炉が崩壊して、放射能が空から降り注ぐのだと
具体的な内容まで予告して、人口の40%が横変死して、
残り50%も強い肉体障害で苦しむと予言している。
それなのに、あなたはこの本の何をどう読んでいるのだ?
桐山さんは絶滅するなんて一言も言っていないし、
私もそんなことを書いたことは一度もない。
準シュダオンさんの勝手な読み違いと、思い込みと、
私が書いてもいないことを捏造して無礼を働いただけですよね。
最初に書いたように、あなたは十三人の導きもしていないし、
桐山さんが地球壊滅に向けて、信者に指導したことは
何もしていない。
その言い訳が欲しいから、桐山さんは地球壊滅など説いていないかのように
記憶を変えたのです。
だから、大災害の羅列のような本を開いても、あなたの目には見えない。
あなたのは自分に都合よく読み替える御都合愚悶持脳です。
それは脳梗塞になる前からのあなたの癖ですよね。

510深山:2009/10/25(日) 22:51:07 ID:GSb.hwFM0
>>492 :準シュダオン:2009/10/25(日) 09:57:38 ID:P9JinFks0
>あれで安心した信徒も多かろうと思いますね。

いいえ、それはあなたの脳内の話です。
私の知り合いの信者で安心したなんて聞いたこともない。
今でも印象に残っているのは、「自分は死んでもいいが、子供の親なんか、
自分の子供が大災害に巻き込まれたらと思うとたまらないでしょうね」と
言っていたことです。
現実の信者たちはみんなこんな状態で戦々恐々としていた。
だから、13運動で、自分の親族の同意も得ずに入信させて、数だけ
そろえて、ナンタラ・ミッショナリなどという馬鹿げた位階をもらっていた。
大災害が起きないというなら、なんで13運動があったのだ?
大災害がないなら、安心して、誰もそんなことしなかったはずだ。
だが、別院では13運動の狂想曲が流れ、恐怖の欲望に追い立てられた信者たちが
右往左往大騒ぎしていた。
あなたの願望的記憶と現実はまるっきり違う。

511深山:2009/10/25(日) 22:53:52 ID:GSb.hwFM0
「世紀末の大動乱!
明日、いや、今日の日にも、日本列島が壊滅するような大異変が起こらぬとも限らぬのである。
いや、それは必ず来る。」
(ダルマチャクラ、管長メッセージ、1999年1月10日、5頁)

>>428でも引用した上記は、1999年のその年です。
桐山さんははっきりと大異変が来ると書いている。
これをあなたはどう読んでいたのだ?
桐山ゲイカがはっきりと「必ず来る」と断言しているのに、
安心していた??
私は記憶ではなく、具体的に桐山さんの書いた文書を引用している。
あなたの記憶とまるで違うし、解釈も間違えている。
それを読んでも、まだあなたの記憶がどれほどいい加減か、
わかりませんか・・・あ、もちろん、わからないでしょうね。
あなたみたいな老人の大きな特徴は、自分の記憶や脳に疑いを持たないことです。
自分の記憶に絶対間違いないと信じているのでしょう?

512深山:2009/10/25(日) 22:57:36 ID:GSb.hwFM0
>493 :準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0
>「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
>に修行しています。完全に須陀諸Yになっていないまでも、須陀諸Yに近くなって
>いる人たちもいます。須陀諸Yにどんどん向かっているのですからーーこれを
>須陀諸Y向といいますーー」と、記されています。

引用をご苦労様。
預流向について指摘する前に、あなたは自分の主張を一つ撤回するべきことがある。
それはあなたは前に「今のアゴン宗では預流は聖者ではなく、賢者だ。
批判側は教学が古い」とあざ笑ったことがある。
実際、そのように書いてある桐山本もある。
だが、あなたが引用した上記の本は2007年だから、預流については最新刊です。
その中で、桐山さんは預流は聖者だと分類している。
つまり、アゴン宗の今の教義においても、預流は聖者なのです。

513深山:2009/10/25(日) 23:02:56 ID:GSb.hwFM0
>493 :準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0

撤回して、批判側を笑ったことを謝罪したらどうか。
と言われても、小狡い準シュダオンさんがするはずがない。
だが、信者さんたちは記憶しておいたほうがいい。
桐山さんの話とはこれほどいい加減なのだ。
ある時は聖者、ある時は賢者、そしてまた聖者と
その場しのぎに思いつきで本すらも書く。
そして、矛盾を指摘されると、また別な屁理屈を並べる。
だから、桐山さんの話を信じて強く主張したりすると後で大恥をかく。
いわゆる、「梯子を外される」です。
準シュダオンさんが、預流は賢者だ、という指摘はある本では正しいのです。
桐山ゲイカは常に前に進んでいる人なのだ、などと信じているから、
聖者という分類を古いとしてあざ笑った。
だが、桐山さんは前に進んでいるのではなく、その場しのぎの思いつきを書いているだけです。
だから、桐山さんの話を信じ込んで主張したりすると、
教団内ですら、とんでもない恥をかくことになる。
準シュダオンさんは脳がふやけているから気にしないだろうが、
もし信者さんたちが準シュダオンさんの立場なら、かなりは恥ずかしい。
でも、恥をかかせたのは批判側ではなく、桐山さんですよ。

514深山:2009/10/25(日) 23:06:47 ID:GSb.hwFM0
>493 :準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0
>「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
>に修行しています。完全に須陀諸Yになっていないまでも、須陀諸Yに近くなって
>いる人たちもいます。須陀諸Yにどんどん向かっているのですからーーこれを
>須陀諸Y向といいますーー」と、記されています。

準シュダオンさんにまず質問するが、「預流向は聖者ではない」とどこにあるのだ?
何が議論になっているか理解していないようですね。

1.桐山さんが預流向は凡夫だと書いた文章を示しなさい。(>>418)

これが私の質問であり、議論のテーマです。
あなたが引用した大半は、「預流は聖者」と書いてあるだけです。
今議論しているのは預流向が聖者かどうかです。
だが、桐山さんは預流向を凡夫だとは書いていない。
そういうと、あなたは上記の文章を解釈すれば、
預流向は聖者に向かうのだから、聖者でないと、主張するでしょう。
そのつもりで上記を引用したのですよね?
先にしつこく確認するが、桐山さんは「預流向は聖者ではない」とは
書いていない。
あくまでもあなたの上記の文章の解釈です。
だから、前回申しあげたように、そのようなあなたの
解釈を受け入れてもいいと私は書いたのです。
その代わり、桐山さんの無知をさらすことになる。
なぜなら、桐山さんもまた預流向を聖者ではないと主張したことになるからです。
そして、あなたは桐山さんの無知をさらすことを選ぶだろうと
予測したら、そのとおりのことをした。
桐山さんの無知をさらしたのは批判側ではなく、準シュダオンさんであることを
信者さんたちは覚えておいてください。

515深山:2009/10/25(日) 23:16:14 ID:GSb.hwFM0
>493 :準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0
>「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命

信者さんたちはここまでの議論で次のことを確認してください。
桐山さんの説明では、預流が聖者で、その前段階である預流向は
聖者ではないと言っているようにとれる(と、準シュダオンさんは主張している)。
一方、ユビキタスさんが示した阿含経の釈尊も、学者の解説でも
預流向も聖者になっていている。
両者が矛盾しているが、これをどう説明するかです。
もちろん、預流向は聖者です。
阿含経の釈尊がそう説いているのだし、学者たちも例外なく
四向四果は聖者であるとしているから、これは決定的で、
預流向を聖者ではないという説はありません。
だから、桐山さんが預流向を聖者ではないと述べているなら、
それは彼の無知以外の何ものでもない。
これらの矛盾を信者さんたちはどう説明しますか。

516深山:2009/10/25(日) 23:25:36 ID:GSb.hwFM0
>493 :準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0
>「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命

実は、すでに他の批判側がこの点を指摘しています。
桐山さんや準シュダオンさんたちは、
「預流=預流果」(預流とは預流果のみのこと)
として、預流向を預流に至る前段階だと思い込んでいる。
預流向は預流果の前段階であって、預流の前段階ではありません。
たしかに、預流という時、預流果を指すこともしばしばあります。
だが、当時はそれらは明瞭に区別されたものではなく、漠然として用いられていたにすぎません。
つまり、預流を預流果だけに限定するなんてありません。
「預流=預流向+預流果」(預流とは預流向と預流果のこと)
このように考えれば、矛盾なく説明がつきます。
預流向と預流果がペアとなる言葉で、預流の中身を説明したのが預流向と預流果なのです。
だから、預流向とは預流であり、預流果ももちろん預流です。
たとえていうなら、預流とは小学生です。
預流向は小学一年から六年生までであり、預流果とは卒業した小学生のことです。
小学生から大学生まで全員が学生(聖者)です。
桐山さんは小学生(預流)を、小学校を卒業した生徒(預流果)だけに限定した。
これでは小学一年生(預流向)は学生(聖者)ではなくなってしまうから、矛盾したのです。

517深山:2009/10/25(日) 23:33:32 ID:GSb.hwFM0
>493 :準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0
>「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命

信者さんたちに気が付いてほしいのが、
桐山さんの理解力って、こんな程度だということです。
これが準シュダオンさんという凡夫が間違ったのなら笑っていられる。
だが、阿含経をことごとく読破して、アビダルマにも精通しているはずの
桐山ゲイカが、四向四果について、まるで無知な素人みたいな間違いをしている。
そして、こんな重要なことすら間違う桐山さんて何なの?
桐山ゲイカは預流どころか、阿羅漢を自称している。
まるで、大学の数学科を卒業したと自称している人が四則演算も
知らないような話ではありませんか。
「小学校一年生は学生ではない」と言っているようなものです。
理由は簡単で、桐山さんは小学校(預流)など入ったはずはないから、
もちろん、卒業などしておらず、何も知らないのです。
何も知らないで、さも知ったかのようなふりをしているから、
こんな初歩的な間違いをして、それを堂々と表明している。
それを仏陀の智慧だと信じている準シュダオンさんのような人が
鵜呑みにして、預流向を自称している。
無知と盲信の連鎖と共鳴です。

518樹意:2009/10/25(日) 23:38:00 ID:tsllgqu20
あごん 24
http://life.2ch.net/psy/kako/1024/10242/1024213539.html
247 名前: ねて 仙人 投稿日: 02/07/01 20:23

1999年7の月よ、さらば!
「1999年カルマと霊障からの脱出」(1981年、7月平河出版社刊)
でノストラダムスの預言を解き、1999年7の月には、破壊も破滅も起こらない
無事に終わるであろうと断定している。
その後起きる出来事に注目すべきだとのべている。

阿含宗 教団機関紙裏表紙 1999年7の月には、破壊も破滅も起こらない  両方いえば
どっちかが当る。

---------------------------------------------------------------------------------

過去に二重預言として議論したものですが教団機関紙裏表紙に預言が当たったとして
宣伝されていたのをみて愕然としたことがある。
あれだけ脅しておいて今更何をいうのか。 
要するに両方云っておくならば、確率100% 聞き取り因縁付けの ガンの因縁が三割はあたる
のと同じ。
経営的にみるならば両方述べてどっちが外れてもいいように保険をかけたとみなせるのでしょうが
ゲイカの場合はその場その場で気分で書いている面がある。

519深山:2009/10/25(日) 23:45:57 ID:GSb.hwFM0
>493 :準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0
>「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命

私が、準シュダオンさんが預流と名乗ったと書いたのを彼は激しく非難して、
謝罪まで求めたが、彼は預流向を名乗ったのだから、預流を名乗ったのです。
小学一年生(預流向)でも小学生(預流)です。
桐山さんに言わせると、信者さんたちも預流向らしいから預流であり、聖者です。
恥ずかしくありませんか。
信者さんも預流果の資格はご存じのように、身見、疑惑、戒取を切った人のことです。
だが、信者さんたちはアゴン宗に入る前は、霊障のホトケなんて
霊魂を信じていなかったのにこれを信じたから、身見が増えた。
釈尊は漏尽解脱を解脱だというのに、これを小解脱と罵って、
釈尊の教法を疑っているから、疑惑が増えた。
因縁解脱だの護摩で死者を成仏させるなんていう外道の教えを
信じているから戒取が増えている。
アゴン宗に入ったおかげで三結が増えたのだから、仏教の預流向であるはずがない。
外道とは、仏教以外の教えを信仰する者です。
護摩や占いや死者成仏をするのは釈迦仏教からみたら外道です。
アゴン宗の信者こそが、正真正銘の外道凡夫です。
ですから、信者さんたちが預流向を名乗るなら「外道預流向」です。
準シュダオンさんも、実態に合わせて、「外道準シュダオン」と名乗るといいでしょう。

520ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 00:02:08 ID:SmEF4Oe2O
預流を小学校とか学校に例えたのはわかりやすくていいですね。
聖者とはどういう集団かというと学校で勉強する集団であり勉強するから尊いのです。
もちろん皆真面目に勉強することが当たり前の前提ですから必ず学業が身に付く。
流れに預かるのです。
尊い学業を勉強する学生は尊い学生、聖者という賛辞です。

521樹意:2009/10/26(月) 00:38:03 ID:tsllgqu20
>>499 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 16:45:15 ID:SmEF4Oe2O
>>500 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/25(日) 18:05:06 ID:SmEF4Oe2O
>同様に、須陀オンに向かっているのが須陀オン向、阿那含(阿那含果)に向かっているのが
>阿那含向、阿羅漢(阿羅漢果)に向かっているのが阿羅漢向です。
>須陀オン向・斯陀含向・阿那含向・阿羅漢向を四向、須陀オン・斯陀含・阿那含・阿羅漢を
>四果といい、合わせて四向四果、あるいは四双八輩と呼びます。
>(8ページ)

引用ありがとうございます。
準シュダオン氏との議論は書いていないものが読めるようだから引用もあてにはならない
したがって批判するにも準シュダオン氏の引用文というのはゲイカ批判には使えない点に
わずらわしさがあります。
ゲイカという方は信者さんの指導原理に アビダルマも使っているのですが上記のような
書き方をしている点ですでに理解の程が知れる内容となっています。
ゲイカがその種本としているのは水野広元氏の「原始仏教」其の他ですが、これら碩学の
分類では「見道位」として預流向としており、アビダルマでは悟った瞬間を指すようです。
要するに「預流」の悟りである三結煩悩を断った瞬間を指し これをもって「見道」の位
とするのです。他の「向」も同様です。
これは 道「magga」果「pha-la」として対になるもので片山一良氏翻訳経典でもよく出て
くるものです。智慧としては 道智 果智 ということ。

沙門果経 其の他にある 
 「生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。もはや、この状態の
  他はない 」
片山一良氏訳 沙門果経 

注釈 「なすべきことーー」の部分

katam karaniyam 〈四諦において四種の道 (=四向)と知・断・証・修とによる十六種の
務めが完成した。それぞれの道によって遮断されるべき煩悩は遮断され、苦の根源は断たれた〉
の意
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
要するに 預流道(magga)によって断つ煩悩ー略ー阿羅漢道(magga)によって断つ煩悩があり
それぞれ断つ煩悩に対応する。道(magga)によって煩悩を遮断し、その煩悩を断った瞬間
を示すのです。 道と果でセット すなわち四双八輩。

阿含経やアビダルマの知識無しに単に漢字をなぞっているのがよくわかる文面となって
いるようです。 ゲイカの文章は阿含経やアビダルマに対する無知を晒しているのです。

522樹意:2009/10/26(月) 05:26:21 ID:tsllgqu20

 片山一良氏訳 長部経典 沙門果経
 
 最終章 104
 さて、世尊は、マガダ国の王でありヴィデーヒー妃の子であるアジャータサットゥが
 退出してまもなく、比丘たちに話かけられた。
 「比丘たちよ、かの王は掘り出されているのです。比丘たちよ、かの王は破壊されています。
  比丘たちよ、、もし、かの王が正しい法王である父君を殺さなかったならば、この
  座でそのまま、塵を離れ、垢の消えた法の眼が生じたにちがいありません」と。
  このように世尊は言われた。

 掘り出されている 注釈
  〈この自己の状態(つまり現世)において成就するもろもろの善根を自ら掘り出すことに
   よって「掘り出され」、破壊することによって「破壊されている」〉の意

 法の眼 注釈
 dhamma-cakkhu. 法眼。〈法から成る眼〉、あるいは《四諦法を見るための眼》。
 他の場合には三種の道の同義語であるが、ここでは預流道(sota-patti-magga)
 のみについて言われる。

釈尊に沙門の果報を質問したアジャータサットゥ王は本来ならば 世尊の説法を聞いたこの
時に前世からの善根(ハラミツ)によりその場で dhamma-cakkhu. 法眼 預流道(sota-patti-magga)
を得るはずだったのだが父君を殺してしまった為にそれが叶わなかったと世尊が言及されている。
でもまぁ この後の注釈では大王は夜寝られるようになり、 未来に独覚となるように伝え
られたとのことですから、それはそれで功徳を得たのでしょう。
世尊の説法を聞いて法眼浄を得る話は他にもあるようですが これらは預流道 三つの煩悩を
遮断し 法眼 を得ることを指します。 道智 ということでこれを 向 といいいます。

道 果 でセットなのです。
そういうわけで ゲイカという方が不勉強なのがよくわかるわけです。

523準シュダオン:2009/10/26(月) 09:25:07 ID:P9JinFks0
深山さんは、自分でレスした474をよく見なさい、そしてあなたの勘違いを
よく自覚しなさい。国連から招待?なんて私は書いてない。あんたの勝手な
思い違いです。そういう思い違いのレスが、あなたには多すぎます。だから
赤い布を敵だと思いこんで突っ込んでいく牛に例えたのです。

対イラク戦争だって、国連軍かアメリカ軍か、では大違い。管長が招待を受
けたのは、アメリカのサンフランシスコ市か、サンフランシスコ大学かの、
どちらかでしょう。あるいはその両方か。国連発足の地はサンフランシスコ
ですからね。戦勝連合国50カ国余りで、サンフランシスコの地で、国連憲章
が採択されたと思う。1995年はそれから50年に当たり、国連50周年記
念行事が行われることになり、阿含宗も招待されたとのことであった。

正確にいえば、その前年に参加できるか打診があったのでしょう。
で、管長は、来年はアメリカへは行けないような事情が起きる、ということで
断ったのです。そしてそのとおりの地下鉄サリン事件が起きた。
阿含宗にはマスコミから取材が殺到した、という。管長が居なかったら、どんな
濡れ衣を着せられてしまうはめになったかも。

管長は、1998年9月に、サンフランシスコ大学学長特別メダルを授与され
ました。これは同大学140年余の歴史で、管長を含めてわずか3人だという。
また同日、サンフランシスコ市からは、キリヤマ・デー宣言文なるものが管長
に贈られましたね。

524準シュダオン:2009/10/26(月) 09:44:06 ID:P9JinFks0
深山さんなどは、ついに預流も預流向も同じにしてしもうたW。
ここが肝心なところだと思いますからね、現職信者さん方も、管長が正しいのか、
それとも批判派の預流向説が正しいのか、自分の頭で考えてみましょう。
アビダルマ論師や学者先生が預流向を聖者と定義しているから聖者なのか、
釈迦の言う凡夫と聖者の違いは何なのか、考えてみましょう。

小縁経に、釈迦が「四双八輩 是為如来弟子衆也」と、説いてる箇所があります。
四双八輩が釈迦の弟子衆なのです。これ以外に釈迦の弟子はいないのです。
だから、預流向を聖者に定義してしまうと、釈迦の弟子は皆聖者だという定義
になってしまうのです。いくら何でも、おかしいでしょう。
そりゃ、四双八輩をひとくくりにして、聖者衆か?凡夫衆か?と問われたら
釈迦は、聖者衆や福田と答えるでしょう、阿羅漢や阿那含が含まれていますからね。
だからといって、厳密に言う場合、初歩の弟子の預流向まで聖者に区分するの
は間違いなのです。何度もいうように、預流向は三結さえ、断てていないのですよ。

525ラシン:2009/10/26(月) 11:37:23 ID:2LdR/Kgw0
>524 :準シュダオン:2009/10/26(月) 09:44:06 ID:P9JinFks0
深山さんなどは、ついに預流も預流向も同じにしてしもうたW。
ここが肝心なところだと思いますからね、現職信者さん方も、管長が正しいのか

批判側はみな同じ観点ですよ。ズレブレのあなたと違ってね。
私はすでに>>136 で「四向の最初は預流向で、四果の最初の段階は預流果となるので、
総称して預流であり聖者の流れに属することになる。
つまり、準シュダオンさんは預流=預流向・預流果を理解できていません。」
と指摘したこともあなたは、忘却の彼方にあって反証すら出来なかったことも忘れた?
あなたは前スレ>>326で桐山さんは「「須陀?に向かっているのが須陀?向」と引用し、
>313では、「管長の教学では預流向は聖者ではなく、”修行を始めた凡夫”のこと
である。」と断定していたが、今回あなたが引用掲示した桐山さんの文章からは、
”修行を始めた凡夫”ではなくて、>493 では、凡夫ではない須陀?向との意味に取れる
>「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命に修行して
います。後略」と、なっているのだから、明らかに矛盾を露呈した。
桐山さんは、このように曖昧な表現をして沙門四果を解説したところを
信者である準シュダオンさん自らが、その師のいい加減さを暴露したのです。
これなら確かにスレに適うのだから、大いに桐山さんのいい加減さと、
あなたの記憶や解釈のデタラメ振りを追及できることになる。

526ラシン:2009/10/26(月) 12:02:25 ID:2LdR/Kgw0
>524 :準シュダオン
小縁経に、釈迦が「四双八輩 是為如来弟子衆也」と、説いてる箇所があります。
四双八輩が釈迦の弟子衆なのです。これ以外に釈迦の弟子はいないのです。
だから、預流向を聖者に定義してしまうと、釈迦の弟子は皆聖者だという
定義になってしまうのです。いくら何でも、おかしいでしょう。

おかしいのは、あなたのオツムなのだと気づかない。
アゴン宗などのデタラメインチキ宗教に染まるから理解できないのだ。
釈尊のサンガに集う弟子達は、在家も含めみな清らかな戒律を以て
修道しているのだから清浄であり、聖者の流れに踏み入ったとされるのだ。
あなたのように在家の五戒すら守れぬ似非仏教徒とは大きく違うのです。
それを分かるように過去何度も『大パリニッバーナ経/涅槃経』の経句を
示しても戒律の重要性を分からぬあなたには、蛙の面に小便だった。
ー再抜粋ー
『尊師の弟子のつどいはよく実践している。尊師の弟子のつどいは真っ直ぐに実践している。
 尊師の弟子のつどいは正しい道理にしたがって実践している。
 尊師の弟子のつどいは和敬して実践している。尊師の弟子のつどいは、すなわち、
 二人ずつの四組と八人の人々とであるが、かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、
 合掌すべきであり、世間の最上の副田である』
次に釈尊は、それらを「法の鏡」と称しその法門を具現(上記修道と戒律の実践)したなら、
「わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。
 悪いところ・苦しいところに堕することもない。 わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
 わたしはもはや堕することの無い者である。 わたしは必ずさとりを究める者である」

あなたのヘボ解釈である凡夫が預流を目指すなどの上澄み言葉ではない、きわめて難解で
普通、凡夫が嫌う厳しい戒律の実践の集いに参集している弟子達だから尊く聖い集まりなのだよ。

527準シュダオン:2009/10/26(月) 12:31:46 ID:P9JinFks0
まぁ、解釈が違うから議論にもなるのだが、四向四果は阿含教学の基本です
から、預流向を聖者に区分するか、凡夫に区分するかは重要です。
ユビキタスさん、1995年のダルマチャクラからの引用ありがとう。
これで私の引用する部分が少なくて助かります。

同ダルマチャクラの5ページのお終いから2行目も重要だと思います。
管長は「何度も説いてきたことですが、まず、凡夫から須陀?になる。次に
斯陀含になり、三番目に阿那含になって、最後は阿羅漢になる。この阿羅漢
が、仏、如来です。」と解説しています。「まず、凡夫から須陀?になる。」
という部分がポイントです。凡夫から須陀?を目指してる段階が須陀?向だか
らです。

また、同ダルマチャクラの8頁の7行目も重要でしょう。管長は、
「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀?の範疇ですから、云々」
と、解説しています。ここを理解できるかどうかで、預流向と預流の違いが
理解できるのです。斯陀含向は須陀?の範疇、と管長が説くように、預流向は
預流に向かっているものの、まだ凡夫の範疇と、捉えるべきなのです。
そうすれば、ラシンさんのような間違いは、なくなります。

528ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 12:34:36 ID:SmEF4Oe2O
1995年は国連50周年だったのであるが、阪神大震災が起きた。
1995年は国連50周年だったのであるが地下鉄サリン事件が起きた。
1995年は国連50周年だったのであるが、近江神宮で護摩を焚いた。

529深山:2009/10/26(月) 12:39:29 ID:sFcPcrx20
>>523 :準シュダオン:2009/10/26(月) 09:25:07 ID:P9JinFks0
>深山さんは、自分でレスした474をよく見なさい、そしてあなたの勘違いを
>よく自覚しなさい。国連から招待?なんて私は書いてない。あんたの勝手な

なるほど、準シュダオンさんは「消防署のほうから来ました」と
言って消火器を売る詐欺商売のお仲間だということを忘れていました。
「国連五十周年」「アメリカから招待」と書かれて、
国連関係から、国連本部のあるアメリカから招待されたと読み違いした。
何も知らない一般の人が読んだら、半数が私と同じ読み違いをしたでしょう。
だが、実際は、国連とはまったく関係のないサンフランシスコ市や
サンフランシスコ大学に寄付した話をあなたはこんなふうに書いたのですね。
さすがは国連INEOA平和賞などという嘘を本に
堂々とする桐山ゲイカの信者だけのことはある。
あれはサンフランシスコ大学への10億円もの寄付など、
サンフランシスコ市への寄付へのご招待にすぎない。
スポンサー様をご招待するなんて当たり前です。
前年には学長自らアゴン宗を表敬訪問している。

530深山:2009/10/26(月) 12:41:57 ID:sFcPcrx20
>>523 :準シュダオン:2009/10/26(月) 09:25:07 ID:P9JinFks0
>管長は、1998年9月に、サンフランシスコ大学学長特別メダルを授与され
>ました。これは同大学140年余の歴史で、管長を含めてわずか3人だという。
>また同日、サンフランシスコ市からは、キリヤマ・デー宣言文なるものが管長
>に贈られましたね。

上記も「消防署のほうから来ました」ですね。
メダルを授与され、キリヤマ・デーを設置されるのにどれほどの
金を使ったか、どうしてあなたは書かないのだ。
信者時代から、こういう金で買った名誉に、私は顔をしかめて、
見ないようにしていた。
だが、あなたはそれがうれしくて仕方ないのですね。
桐山さんと同じであなたも名誉大好き人間でしょう?
だから、誰も聞いていないのに、あなたは賞をもらったと自慢していた。
他人からそうやって誉めてもらわないと自分を確立できないのです。
私も俗人だから、名誉は好きですよ。
でも、桐山さんやあなたと決定的に違うのは、
仏教にそれを持ち込もうとは思わない。
釈尊はそれを利養として批判しており、捨て去るべき煩悩の一つとしているからです。
俗人が業績に対する評価としてもらえたのならまだいい。
桐山さんが集めた名誉はほぼ100%寄付、つまり金で買った。
利養どころか、欲望そのものです。
釈尊が捨て去るように説いているのに、わざわざ金を出して買い集め、
その上、教祖も信者も自慢気にこれを出す。
だから、私は桐山さんもあなたも餓鬼だと批判しているのです。

531ラシン:2009/10/26(月) 12:46:12 ID:2LdR/Kgw0

桐山さんがどうして曖昧な姿勢で沙門四果、四向四果を説いているかは、
一目瞭然です。
深山さんが常々指摘しているように、信者の預流を明確に認めてしまうと
馬の鼻人参の適用が難しくまた、預流先達への信者の羨望を阻止することと、
そうであっても預流への可能性を完全に塞ぐと、金と人集めに支障を来たす。
だから時には、ある信者が預流に近くなったとか、アゴンブランドを強調するために
君達は凡夫ではない聖者に向かう修行者などと、曖昧に激励するしかない。
すべて宗教詐欺の方便に過ぎぬ桐山語録に、信者さんは一喜一憂されています。
準シュダオンさんなどは、それを真に受けてあろうことか自説強弁のためには、
師の曖昧なる語録まで引用し、逆に桐山さんに砂を掛けるしまつです。

>そうすれば、ラシンさんのような間違いは、なくなります。

すでに桐山曖昧論なのだから、準シュダオンさんの根拠は消滅したばかりか、
あなた自身がその曖昧さを引きずりつつ、混迷し矛盾していたわけです。
阿含経の涅槃経には、明解に四向四果=四双八輩が聖者の流れと定義されている。
ゆえにこれ以上の議論は俟たない。
尊者の集いとは法門の実践であり、困難で清浄な戒律を実践している意味だから、
それは尊く清らかな聖の流れの集いであるのだ。

532深山:2009/10/26(月) 12:48:39 ID:sFcPcrx20
>>523 :準シュダオン:2009/10/26(月) 09:25:07 ID:P9JinFks0
>管長は、1998年9月に、サンフランシスコ大学学長特別メダルを授与され

信者さんたちに聞くが、これらの寄付が何の役に立ったのだ?
社会運動と称して、桐山さんのしていることは寄付によって、
大学の理事やメダルやキリヤマ・デーなど名誉を得ただけです。
こういうのを「成り上がり」というのです。
桐山さんが深い意図があり、どうしても寄付が必要だというなら、
名誉を受け取られなければいい。
いくらでも辞退できます。
だが、桐山さんの寄付の目的が、環太平洋仏教圏を構築するための
深い意図があるのではなく、名誉そのものを手にいれることです。
だから、寄付して、名誉を手に入れ、それっきりです。
あれから十五年近くもたって、どこに環太平洋仏教圏が確立しつつあるのだ?
なんにもありゃしない。
桐山さんは自分の名誉欲を満たすために、社会運動などと
大義名分の言い訳を作って、名誉を買い集めているにすぎない。
大作さんに信者さんたちは嫌悪を覚えますよね。
では、どうして同じ事をしている桐山さんに嫌悪を覚えないのだ?
それとも毒を食らわば皿までで、大作さんは立派だと誉めますか。
どうやら、準シュダオンさんは大作さんを立派だと思っているらしい。

533深山:2009/10/26(月) 12:51:53 ID:sFcPcrx20
>>523 :準シュダオン:2009/10/26(月) 09:25:07 ID:P9JinFks0
>小縁経に、釈迦が「四双八輩 是為如来弟子衆也」と、説いてる箇所があります。
>四双八輩が釈迦の弟子衆なのです。これ以外に釈迦の弟子はいないのです。

他人に、あなたの中途半端な文章の読み方をおかしいと注意するなら、
あなたも経典の読み方を気を付けたらどうか。
あなたの引用した経典がどこにあるか知らないから、引用した部分だけで議論します。
「四双八輩は如来の弟子たちである」というのが何かおかしいか。
あなたは勝手にこれを「如来の弟子とは四双八輩しかいない」と決めつけている。
あなたが引用した文章のどこにそんなことが書いてある?
書いていません。
釈尊は四双八輩が弟子だと言っているだけです。

534深山:2009/10/26(月) 12:58:41 ID:sFcPcrx20
>>523 :準シュダオン:2009/10/26(月) 09:25:07 ID:P9JinFks0
>四双八輩が釈迦の弟子衆なのです。これ以外に釈迦の弟子はいないのです。

次に、釈尊の弟子の比丘たちのほとんどが四双八輩です。
ユビキタスさんが説明したのをあなたはまったく無視している。
あなたは聖者というと、頭からピカピカと光がでるような特別な者だと
いうアニメ聖者を桐山さんから植え付けられている。
あなたは限りなく預流に近いから、頭から青い光が出ていると信じているのでしょう?
よくそんな子供じみたことを信じていられるものだ。
釈尊の教法を理解しはじめたら、その人は預流向、聖者なのです。
だから、あなたが前に漢訳経典から、アンバパーリーが法眼が
生じたという話を引用していた。
あれは預流向になったという意味です。
このことは樹意さんが前から何度も経典を引用して指摘している。
釈尊の教法を聞いた聴衆が法眼を得た、預流向になったという記述があるのです。
在家でもこうなのだから、ましてや、出家は教法を理解したからこそ
出家したのであって、理解せずに勝手な解釈を並べるあなたみたいな人はいても例外です。
だから、釈尊の弟子たちはほぼ全員が四向四果であり、聖者です。

535深山:2009/10/26(月) 13:03:50 ID:sFcPcrx20
>>523 :準シュダオン:2009/10/26(月) 09:25:07 ID:P9JinFks0
>そりゃ、四双八輩をひとくくりにして、聖者衆か?凡夫衆か?と問われたら
>釈迦は、聖者衆や福田と答えるでしょう、阿羅漢や阿那含が含まれていますからね。
>だからといって、厳密に言う場合、初歩の弟子の預流向まで聖者に区分するの
>は間違いなのです。

ごまかすのはやめなさい。
ほんとうにあなたって小汚い手法を使う人ですね。
釈尊は四向四果を聖者だとしている。
四向四果とは預流向から阿羅漢果までの8つ全部を含める。
それら八つを全部聖者だと言っているのです。
どこにも預流向は除くなどと述べていない。
あなたのような凡夫が釈尊に何を偉そうに反論しているのだ?
上記の最初の文章では、釈尊は四向四果を聖者だといっていると認めながら、
何の根拠も示さずに、後半では、預流向を聖者だというのは間違いだと断定する。
まるで桐山さんの木に竹を接いだオカルト本を連想させる論法ですね。
だが、いくら言葉でごまかしても、「預流向≠聖者」など根拠がない。
何一つ根拠を示せない。
なぜなら、桐山さんとあなたの思い込みからくる勝手な解釈にすぎないからです。

536深山:2009/10/26(月) 13:06:40 ID:sFcPcrx20
>>524 :準シュダオン:2009/10/26(月) 09:44:06 ID:P9JinFks0
>釈迦の言う凡夫と聖者の違いは何なのか、考えてみましょう。

あなたの場合、考えましょうとは、あなたの根拠のない説を受け入れろという意味ですよね。
普通の知性の人には無理です。
あまりに明瞭で考える必要すらない。
経典にある釈尊の言葉どおり、学者たちの研究結果をそのまま受け入れればいいのです。
そのどこを読んでも四向四果は聖者であり、預流向は聖者です。
学者の解説でも凡夫と四向四果を区別してある。
預流向を凡夫に入れるなんてオカルト説はどこにもありません。
桐山さんとあなたの珍説です。

537準シュダオン:2009/10/26(月) 13:20:21 ID:P9JinFks0
例えば、樹意さんが提示した沙門果経の法眼浄は、「不殺父者、即當於此坐上
得法眼浄」と、経典にあるように、「もし父を殺していなければこの場で法眼浄
を得たであろうに」と、釈迦が述べたに過ぎません。まして、法眼浄を得たら
預流向になる、などと釈迦は言っていません。
 ですから、法眼浄を得た預流向も居れば、法眼浄を得ていない預流向も居ると
考えるのが妥当でしょう。

法眼浄を得たら、須陀?または須陀?に近い預流向でしょう。
普段は、煩悩を断つのが仏教の教え、と強調している批判派の皆さんが、
こと、預流向の件にになると、煩悩を少しも断っていなくても聖者、だと
言いはるのは何でだろ?w。三結断てば須陀?、五下結断てば阿那含、十結断てば
阿羅漢、という聖者。煩悩を断っていなくても聖者なの?

アビダルマ論師たちが、最初に、「預流向は聖者」と定義したから、やれ見道位の
十五心を預流向とす、なんて無理な理屈をつけるはめになったのです。

538深山:2009/10/26(月) 13:20:25 ID:sFcPcrx20
>>527 :準シュダオン:2009/10/26(月) 12:31:46 ID:P9JinFks0
>まぁ、解釈が違うから議論にもなるのだが、四向四果は阿含教学の基本です

ラシンさんが間違っているのではなく、準シュダオンさんが何を
議論しているのか理解していないのですね。
あなたの上記の解説は無用です。
何度も言うように、桐山さんの言葉の「あなたの解釈」ではなく、
桐山さんがズバリそのように言っている言葉を示せと言っているのです。
桐山さんは「預流向は凡夫である」とは書いていない。
あなたはそのように読めると主張した。
上記はそれの繰り返しです。
だが、批判側はすでに、桐山さんが「預流向≠聖者」預流向=凡夫」説と
唱えているというあなたの説を受け入れて、その上で議論しているのです。
あなたの今の脳ではなかなか理解しにくいだろうが、
桐山説「預流向=凡夫」「預流向≠聖者」
であるというあなたの解釈の上に今議論しているのです。
私がどうしてレスを付け始めたかあなたは理解してくれないようだ。
準シュダオンさんの個人的な解釈などこのスレの議論対象ではない。
たが、桐山さんもまた「預流向=凡夫」とあなたと同じ事を唱えているとするなら、
それはここでは議論の対象となるからです。
自分の解釈と、桐山さんの説と、仏教の教説くらい区別してください。
「シャカ仏教 対 桐山教」の議論をしているのです。

539深山:2009/10/26(月) 13:23:43 ID:sFcPcrx20
>>524 :準シュダオン:2009/10/26(月) 09:44:06 ID:P9JinFks0
>深山さんなどは、ついに預流も預流向も同じにしてしもうたW。

他人を笑う前に、「預流向≠聖者」の根拠を示してみたらどうか。
根拠もなしに「預流向≠聖者」を主張するあなたのほうがよほどおかしい。
矛盾を指摘されて、四向四果とまとめて言う時と、
個々の分類では違うなどという滅茶苦茶な説を出してきた。
預流とは預流向と預流果から出来ている。
あるいは、預流を預流向と預流果に分離して説明したのが、
アビダルマ仏教です。
こんなことは解説書にいくらでも書いてあり、図で説明してあります。
だが、阿含経、アビダルマ、学者の解説のどこを探しても、
「預流向≠聖者」などというタワケ説はありません。
「預流向≠聖者」説こそ笑われている。
桐山さんとあなたが笑われているのです。
こんなこと議論しなければ、桐山さんのデタラメぶりも
わからずに済んだのに、あなたがわざわざ暴露してくれた。

540準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
深山くんは、本当に考えが浅いよ!笑うしかないw、良く考えてみなさい。
あのね、まず各人の考え方があって、その考えによって桐山論を肯定したり
否定したりしてんですよ。あんたは「阿含宗、桐山氏の理論が議論の対象
なのであって、各個人の意見は問題ではない」というけどさ、それ間違いよ。
各個人の意見が、管長論を肯定や否定するのだよ、あんたはそれを理解できて
いない。

小縁経の、「四双八輩は是如来の弟子衆」というのをさ、私は釈迦が弟子を
修行の進んだ段階に応じて区分したもので、弟子のすべてが含まれると読み
とったわけです。だから管長の「預流向≠聖者」説を支持しているのですよ。
あんただって、アビダルマ論師の預流向説を肯定するから、桐山論を否定して
いるわけでしょ。
それで、あなたはたぶん、1995年のダルマチャクラを読んでも、管長の
四向四果論を記憶していなかったのでしょう。そんで、それを覚えてた私の
記憶を、よく馬鹿にできるもんだね。己の記憶をこそ恥じなさい。
ユビキタスさんは、潔く、忘れてた、と反省してましたよ。見習いなさい。

じゃあ、深山さんをまねて質問するけどさ、
釈迦が「四双八輩以外にも弟子がいる」と、どこの経典に書いてありますか?

541準シュダオン:2009/10/26(月) 13:55:27 ID:P9JinFks0
預流向≠聖者の根拠は、聖者とは煩悩を断った存在と解釈し、凡夫とは煩悩を
断っていない存在だと解釈するからです。
預流向は煩悩を断っていません、だから凡夫の範疇だとするのです。
それが管長の考えだと理解しています。

釈迦が自分の弟子衆をすべて聖者と呼んだとしても、阿含宗での聖者は
そんなに甘くありません。阿含宗では、三結煩悩を断った者から聖者の列に
入ります、別に頭ピカピカは関係ありませんw。

542ラシン:2009/10/26(月) 14:05:16 ID:2LdR/Kgw0
>537
普段は、煩悩を断つのが仏教の教え、と強調している批判派の皆さんが、
こと、預流向の件にになると、煩悩を少しも断っていなくても聖者、だと
言いはるのは何でだろ?w。三結断てば須陀?、五下結断てば阿那含、十結断てば
阿羅漢、という聖者。煩悩を断っていなくても聖者なの?

段階はあっても聖者の流れに入ったのですよ。
では釈尊がいつ煩悩を絶たなければ聖者ではないと定義したのか?
孫子の集いにおいて法門を実践している弟子は、その程度の差こそあれ
聖者の流れに入った者と定義されている。戒律の価値を見落とす愚考です。
アビダルマ論師以前に、釈尊が定義しているのだから無駄口はやめなさい。

>540
まず各人の考え方があって、その考えによって桐山論を肯定したり
否定したりしてんですよ。あんたは「阿含宗、桐山氏の理論が議論の対象
なのであって、各個人の意見は問題ではない」というけどさ、それ間違いよ。

ここで個人の主観を述べたら、あなたのように支離滅裂だ。
阿含経とその解釈を学者に委ね、それを根拠に桐山さんを論じて批判しているのです。
各人の考え方なんて必要とされていません。
その良き例があなたです。
記憶ボケ、論旨のズレブレ、自己解釈という独善と慢心。
どれを取っても議論にはなりません。

543ラシン:2009/10/26(月) 14:55:51 ID:2LdR/Kgw0
>541 釈迦が自分の弟子衆をすべて聖者と呼んだとしても、阿含宗での聖者は
そんなに甘くありません。阿含宗では、三結煩悩を断った者から聖者の列に
入ります、

へえ〜、あなたは釈尊を否定し、しかもアゴン宗と異なるとの主張だ。
あなたは阿含経を掲げるアゴン宗と釈尊の違いを認めたことになる。
さてそこで、有身見とは誤った見解ですよ、アゴン宗のように死者成仏が
可能だと考えることが邪見なのにどうして身見を切れるのですか?
疑とは釈尊の示す真理に対し疑い惑うことで、
丁度あなたが、釈尊の聖者定義に違背し疑うように、それを疑という。
戒禁取とは、古来よりのしきたり因習にこだわることです。
アゴン宗は釈尊の禁じた護摩や占いにこだわる、これでどうして
戒取を切ったことになるのか?
これら三結のいずれも切れるどころか、悉く反対のことをしている
それがアゴン宗であり、あなたが頼りとして変な自説を奮う羽目になっている。
あなたは釈尊の最初に示した道標すら侮蔑し、アゴン宗のほうが厳しいとした。
あなたは明らかに釈尊を否定したのだから、立派な外道信者です。

544準シュダオン:2009/10/26(月) 15:23:18 ID:P9JinFks0
ラシンくんの南瓜頭で理解できるかどうか不安だがw、もう一度理解する
チャンスを与えよう、あなたはもしかしたら、仏教辞典がないのかも知れない
から。いいかね、辞典では預流を次のように説明している。

「預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を
 生まれかわれば悟りを開く位」とね。

おわかりか?預流とは預流果のことであって、預流向は含まれないことが。
これでわからねば、救いようがないね。

545名無しさん:2009/10/26(月) 15:25:14 ID:ZYlJA01wO
道智と果智を分けているだけのことです。
阿羅漢道智で全ての煩悩無明が絶たれる。

道によって得れる智恵だからです。そして確認する。漏尽智。
預流道で三結煩悩が絶たれる。

546ラシン:2009/10/26(月) 16:17:17 ID:2LdR/Kgw0

準シュダオンさんは、聖者の定義を煩悩の有無で捉えていますが、
それを言えば阿羅漢果を得た者以外は、すべて該当しないことになる。
釈尊の聖者の流れに入った弟子の定義は、尊師の集いの実践です。
それは別に釈尊に追随しているか否かに係わらず、法門の実践を
している弟子なら釈尊から遠くで修行していようがその範疇との意味です。
それは釈尊の唱えた道理を学ぼうとの姿勢で戒律を以て生活する人々です。
報の鏡とは、法に照らして映る自分自身の姿勢であり、またその法を
手本として生活し修行している人々は、聖者の流れに踏み入った者だと認めている。

>544 「預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を
 生まれかわれば悟りを開く位」とね。
おわかりか?預流とは預流果のことであって、預流向は含まれないことが。

何がおわかりか?なのだ、笑わさないでくれ、それも都合のよい省略引用という姑息。
やはりあなたは四行しかさんだね、前スレの2ヶ月前の私の指摘など、
あなたにとって↓は、大昔なのか? 救いようが無いのはどちらですか?
前スレ>>382 :ラシン:2009/08/25(火) 16:27:54 ID:gAxpX80s0
ー岩波仏教辞典ー
預流:サンスクリット語を音写してシュダオンとも。
   ”無漏の聖者の流れに入った者”
    四向四果の最初の段階。
四向四果:原始仏教や部派仏教における修行の階位で、預流向・預流果
     一来向・一来果、不還向・不還果、阿羅漢向・阿羅漢果のこと。

四向四果の最初の段階って、なあ〜んだ?

547ラシン:2009/10/26(月) 18:35:34 ID:2LdR/Kgw0

四向四果の最初の段階って、なあ〜んだ?

小学レベルだが、岩波辞書には「預流=四向四果の最初の段階」とある。
これは明解に「原始仏教や部派仏教における修行の階位」とも記されている。
つまり原始仏教の見解を部派仏教や説一切有部のアビダルマ論師も踏襲している
だけで、決してアビダルマ論師の見解のみに留まらないと分かります。

では次に四向とは、預流向・一来向・不還向・阿羅漢向の四つです。
同ように四果とは、預流果・一来果・不還果・阿羅漢果の四つです。

はい、ではこのうちで四向四果の最初の段階とは、ど〜れだ?
はい、答えは、預流向と預流果ですね。つまり預流=預流向と預流果。

また、煩悩の有無にこだわる準シュダオンさんだが、阿羅漢果以外は
いづれもその数の違いがあれど、煩悩を有するのだから、
煩悩の無しを問えませんし、例えば身見を切った預流向だって、
その準シュダオンさんの定義ならば見事に当てはまってしまう。
明確にその線引きなどは、釈尊の説くところにあらず、となるのですね。
釈尊の聖者の線引きとは、法門の具現でありそれを為す尊師の集いです。

おわかりか?

548ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 20:18:17 ID:Co56rSDI0
>>527 :準シュダオン:2009/10/26(月) 12:31:46 ID:P9JinFks0
>ユビキタスさん、1995年のダルマチャクラからの引用ありがとう。
>これで私の引用する部分が少なくて助かります。

本来最初からあなたがすべきことです。ダルマチャクラを出したのはあなた
なんだから、あなたが責任を持って示さねばならない義務がある。
それが面倒だったら、最初からダルマチャクラがどうのこうの書きなさんな
と言いたい。ったく恥ずかしくないのか?
既に述べたとおり、私やあなたが引用した箇所にも他の箇所にもどこにも
桐山さんはシュダオン向は聖者にあらず凡夫であるなどと述べていない。
では凡夫にあらず聖者の流れであると言っているかというと、それも述べていない。
つまり我々にはこの資料では桐山さんの考えをそこまで読み取れない、わからない
としか言い様がないのです。
あるいはそうなのかもしれないという各自の推測だけです。
だからあなたは面倒くさがらずに最初から2行でかまわないから引用した上で
自説を論じるべきだった。そうすれば、桐山さんが明言しているのではなく、
桐山さんはこうとしか書いていないが、私はこれをこう分析してきっとこうに
違いないと思うのである・・・と、あくまでもあなたの考えの提示であることが
誰の目にもわかる。それをしないで、桐山さんがこう言っていたと決め付けて
しまったのは甚だうまくない常識知らずですね。

549ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 20:32:38 ID:Co56rSDI0
>>537 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:20:21 ID:P9JinFks0
>普段は、煩悩を断つのが仏教の教え、と強調している批判派の皆さんが、
>こと、預流向の件にになると、煩悩を少しも断っていなくても聖者、だと
>言いはるのは何でだろ?w。三結断てば須陀?、五下結断てば阿那含、十結断てば
>阿羅漢、という聖者。煩悩を断っていなくても聖者なの?

聖者を完成形という観点からしか捉えてないからそういう狭い思考になるのです。
完成形というのならまだ欲貪とか瞋恚とか醜い煩悩に汚れていて断つまでに
至ってない奴をどうして聖者などと言うのか?おべっかのつもりか?
預流、流れに預かるという言葉でわかりませんか?
流れ着いた先の大海こそが聖者と呼ぶにふさわしい煩悩を断ち切った集団です。
まだ流れにそって泳いでいる状態なんだから預流果だろうが一来果だろうが
等しく未熟者です。ふんぞり返る境地だと思うか?
修行中の身だというだけです。それとも預流とは「聖者の行進」で聖者マーチ
の演奏の中、周囲が頭をたれてひれ伏している中、悠々とふんぞり返りながら
「我は聖者の集団である。頭が高い」という流れだと思ってましたか?
煩悩を断った聖者にも流れ着くであろう努力をしているから、流れに預かる
集団なのです。それは等しく尊い人たちなんです。それは聖なる衆と言ってよい。
後であっと驚くアゴン宗用語出したろか?(気がついた人います?)

550ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 20:52:52 ID:Co56rSDI0
>>541 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:55:27 ID:P9JinFks0
>釈迦が自分の弟子衆をすべて聖者と呼んだとしても、阿含宗での聖者は
>そんなに甘くありません。阿含宗では、三結煩悩を断った者から聖者の列に
>入ります、別に頭ピカピカは関係ありませんw。

この考えにはある面賛成しています。それならそれで最初からそう説けばよい。
アゴン宗は預流向とか預流果とか釈尊の仏教の用語を拝借しているが、名前だけで
もはや釈尊の教えとは違うものにしましたと堂々と説けばよい。
だったら釈尊の仏教の用語ごと置いていけよと要求しますが。。。
あなたが桐山ブッキョーも釈尊の仏教も共通のように説くから、それは違うよと
反論しているのです。
たしかに桐山さんは我々をそう簡単に聖者なんて認めてくれません。
ダルマチャクラ1995年4月号にも書いてあったでしょ?
シダゴンはまだいないが、シュダオンは少数いる。だけど本人のためにならないかあr
教えない。
ところでそれに矛盾するようだが、面白いアゴン宗用語があるんですよ。
「聖衆」ですよ。わかりませんか?サンプクドー(三福道)の聖衆です。
如来の所に於いて功徳を種える。この福、窮尽すべからず。
正法に於いて功徳を種える。この福、窮尽きすべからず。
聖衆に於いて功徳を種える。この福、窮尽きすべからず。
(注:あくまでもアゴン宗訳)
この聖衆ってなんですか?アゴンの聖衆ですよね。つまりアゴン宗の信徒集団です。
この場合、あなたによるとアゴンの聖衆とはあくまでもシュダオン果にまで至ったと
公表はせずとも管長が認定するごく僅かな人たちだけを指すのですか?
その他大勢はまだヨルコーの凡夫なんだから、こいつらと一緒に修行なんか励んでも
どうにもならず、二福道にしかならないと思うのですがどうですか?

551ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 21:05:01 ID:Co56rSDI0
そう言うと、聖者と聖衆は違うとかごまかすでしょうね?
同じことです。聖なる衆です。
なぜ、アゴン宗で会員諸君を聖衆とするのかというと、因縁解脱の修行に
励んでいるからなんです。そして因縁を切って、世の中の浄化運動に励み、
・・・・・吐き気がしてきたけどガマンガマン・・・・・
自他の因縁解脱による地球救済に励む集団だから聖衆なんです。どれだけ
因縁が切れているかいないかとか、そんな差別なんて小せえ小せえ、いずれは
皆因縁を切ることは目に見えているし、未熟でも縁の下の力持ちでかまわないから
教団の聖なる布教活動を支援し、尽力し、戦力となり(おえええええっ!)
そのボン行こそ尊い菩薩行なんです。これを聖業と言わず何と言う?(ゲボッ)
聖業に励む信者こそまだ因縁や煩悩切れずとも聖衆です。
このアゴン宗の理屈がわかりますか?
これと同じように聖者の流れを考えれば理解できるでしょう。
吐き気を堪えてサービスで書いたのだから、少しは理解しなさい。

552ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 21:11:03 ID:Co56rSDI0
>>544 :準シュダオン:2009/10/26(月) 15:23:18 ID:P9JinFks0
>「預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を
> 生まれかわれば悟りを開く位」とね。

どの辞典から引用したのか意訳したのか知らんが、生まれ変われば悟りを
開くってことは、要するに今生は悟りを開いていないってことジャン。
だめジャン。

553ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 21:27:24 ID:Co56rSDI0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>それで、あなたはたぶん、1995年のダルマチャクラを読んでも、管長の
>四向四果論を記憶していなかったのでしょう。そんで、それを覚えてた私の
>記憶を、よく馬鹿にできるもんだね。己の記憶をこそ恥じなさい。
>ユビキタスさんは、潔く、忘れてた、と反省してましたよ。見習いなさい。

最初なんのことかと思ったけど、ダルマチャクラ1995年4月号が自宅の
書棚の片隅に発見した時の私の吐いた言葉のことね。
たしかに忘れてたと書いた。自分は不勉強だったと書いた。
しかしこの不勉強、忘れてたとは、桐山さんが預流向は聖者には分類されず
まだ凡夫の段階に過ぎないと発言した法話がダルマチャクラにも載っていた
とするならば、その内容を覚えていない私は不勉強ということになるなと
吐露したのです。
しかし、その後、楽しみにしてその内容を読んでみると・・・預流向が凡夫
なんてどこにも書いてないじゃん!とがっかりしたのです。
それでどうして準シュダオンさんが桐山さんがそう説いたかのように解釈したのか
こちらも推理をしたのです。
それでそのあまりにもお粗末な頭脳と、文章表明の拙さに呆れて、これはヒドイW
と深夜に書いたのですよ。
つまり私は桐山さんの説いたことは実は忘れてなどいなかった。
あのダルマチャクラに書いている四向四果の話なんて他の著書などで説くそれと
少しも変わらず、目新しいものは何もないのです。

554ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 21:43:51 ID:Co56rSDI0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>あのね、まず各人の考え方があって、その考えによって桐山論を肯定したり
>否定したりしてんですよ。あんたは「阿含宗、桐山氏の理論が議論の対象
>なのであって、各個人の意見は問題ではない」というけどさ、それ間違いよ。
>各個人の意見が、管長論を肯定や否定するのだよ、あんたはそれを理解できて
>いない。

言っていることが意味不明だが、それは間違いです。
まずは他人の説いたことを正確に理解しなければならない。その上に立って
自分はこう思うという変則解釈の試論提示だって許されるのです。
つまりきちんと翻訳の作業ができなければならないのです。それが基礎です。
英文和訳のテストをして、正しくない答えを書いた時、訳なんてものは各自の
考えが先にあってしかるべきものだとあなたは主張するのか?
あなたがどんな独自の考えを持っていてもそれは自由です。変えなくてもいいから
それを自分の信念と勝手に抱えていなさい。その自由を疎外などしない。
しかしアゴン宗と桐山氏を語るスレにおいては、まず桐山氏がどう説いているのか
正しく翻訳できなければなりません。わからないものを自分はこう思うという
あなただけの考えに用はないからお引取りくださいと言っている。
ここで擁護側として同道と論陣を張りたければ、まず桐山氏の教学を間違いなく
示せるようにしなさい。正しい桐山説に基づくものでなければ、このスレでは
意味がないのです。準シュダオン教には用がないのです。
準シュダオンさん。そんなにこのヨルコー問題にこだわりたくば、桐山さんに
堂々と文書を出して質問しなさい。「私はこう解釈しておりますが、ゲイカは
どうお考えでしょうか?」と丁寧に質問状を出すことは無礼にあたりません。
むしろ向学心に富んだ信者だと誉められますよ。
あなたの考えではなく、桐山さんの考えを出しなさい。
きちんと区別しなさい。

555ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/26(月) 21:53:17 ID:Co56rSDI0
>「預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を
> 生まれかわれば悟りを開く位」とね。

しつこく突っ込もう。
あなたは大乗の聖者僧と凡夫僧の分類について示しましたよね。岩波仏教辞典の
初版には載っていた。
それによると悟りを開いたのが聖者僧で、一般の凡夫僧と分けている。
しかるにあなたが示した預流ちゃんはまだ悟りを開いておらず、悟りは生まれ変わった
来世以降に持ち越している。
これがどうして聖者僧なの?凡夫僧ということになるではないか?
ほら、あなたの出した大乗の分類が役にも立たないか、あなたの出した預流の
提示がおかしいかのどちらかです。

556名無しさん:2009/10/26(月) 23:58:20 ID:2KV7OvQE0
皆さんよく我慢して準シュダオンさんのお相手をされてますね。
私など読んでるだけでもイライラしてきますからとても無理です。
それにしても彼の頭の中は一体どうなってんでしょうか?

557Boo:2009/10/27(火) 00:23:14 ID:tFKjEVUs0
>そう言うと、聖者と聖衆は違うとかごまかすでしょうね?
同じことです。聖なる衆です。
なぜ、アゴン宗で会員諸君を聖衆とするのかというと、因縁解脱の修行に
励んでいるからなんです。そして因縁を切って、世の中の浄化運動に励み、


ここのところは違うと思います。聖衆とは「聖師とその弟子の群衆」とゲイカの
解説がありますから、ゲイカが聖者であれば弟子たちは凡夫でもよいと解釈できそうですね。

わしが聖者であるので、わしの言うこと聞いて修行する凡夫がわしの周りに
集まってきて、わしに金を貢げば「聖衆」なんじゃ。という高笑いが聞こえてきそうですね。

558ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/27(火) 00:23:29 ID:SmEF4Oe2O
>>556
彼の頭の中→
・桐山さん、あるいは自分の考え(実は何もない)と異なる考えは全部間違いの
学説である。
・しかし自分で学者の説をいい加減に示すこともあり、全ての学説が間違いなのではなく、
ちゃんと正しい学説もある。その判断基準は自分の好みによる。
・要するに、栓ずるに、総じて、暇で暇で仕方がない。

559樹意:2009/10/27(火) 05:29:06 ID:tsllgqu20
>>541
聖者の分類が煩悩の有無なのはその通りです。
ですが 預流向はその身見からの三結を道智によって断った瞬間を
指しますからあなたの説は間違いです。

先に引用した通り 法眼浄 見道位 すべてこれを指します。
アナタとの議論で説明したものは下記にあります。

預流向の説明
阿含宗と桐山氏についてー第四十三章ー英霊達への盂蘭盆会
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/3419/1246830917/

道・果の双子 「333」 ゲイカの採用したアビダルマにおいてはこの
             道・果は出世間心に分類されます。

 「333」〜  

スシーマ経に出てくるスシーマのようにインチキ出家する方も中にはいた
ようですし 「彼は後に法の理解を深めざんげの後完全智を得た」
在家であっても預流を得る方は沢山いたわけですから、釈尊の仏教は完全な
ものです。

ゴマを焚き 霊があるとみるのは邪見の一種ですからこれで 身見 が断てる
道理はありません。 アゴンの信者さんたちは六十二見説明できますか?
議論以前の問題です。

560深山:2009/10/27(火) 12:36:24 ID:MaSDj55s0
>>537 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:20:21 ID:P9JinFks0
>預流向になる、などと釈迦は言っていません。
> ですから、法眼浄を得た預流向も居れば、法眼浄を得てい>ない預流向も居ると
>考えるのが妥当でしょう。

法眼を得たから預流向になる、などとは私は書いていない。
法眼を得たとは預流向になったという意味だ、と書いたのです。
自分の書き方を棚に上げて国連の話に高飛車にお説教をするなら、
他人の文章をもっとしっかりと読んだらどうですか。

561深山:2009/10/27(火) 12:42:03 ID:MaSDj55s0
>>537 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:20:21 ID:P9JinFks0
>法眼浄を得たら
>預流向になる、などと釈迦は言っていません。

>法眼浄を得たら、須陀諸Yまたは須陀諸Yに近い預流向でしょう。

四行すぎると、あなたは自分の書いたことも忘れて、矛盾を感じないらしい。
上記の前半では、法眼を得たら預流向になるとは限らない、と書いていながら、
後半では、法眼を得たら預流向や預流果になると書いている。
こんなこと釈尊はいつ述べたのだ?
あなたの勝手な空想ですよね。
その場しのぎに屁理屈を並べているから、四行後と矛盾した話になるのです。
あなたが私を憎くて悔しくて、何とか足払いをかけてやりたいと、
頭が大混乱になっているのだけはわかります。

562深山:2009/10/27(火) 12:49:27 ID:MaSDj55s0
>>537 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:20:21 ID:P9JinFks0
>法眼浄を得たら
>預流向になる、などと釈迦は言っていません。

あなたに言わせると、釈尊はそんなことは言っていないという。
根拠を示したらどうか。
法眼を得るとは預流向(預流)のことです。

「この人たちは法眼を得ると言われている」(『仏教入門』高崎直道、198頁)

「この人たち」とは預流(預流向と預流果)のことです。
だから、私は>>534で法眼を得るとは預流向(預流)のことだと書いたのです。
あなたも法眼を得たら預流向か預流果だと言っている。
同じ事を書いているのに、何をあなたは難癖をつけているのだ?
何が違うかまだ気がつきませんか。
あなたと私では預流の定義が違うのです。
私は「預流=預流向と預流果」であり、あなたは「預流=預流果」です。
それをあなたはごちゃ混ぜにして反論している。

563深山:2009/10/27(火) 12:53:35 ID:MaSDj55s0
>>537 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:20:21 ID:P9JinFks0
>こと、預流向の件にになると、煩悩を少しも断っていなくても聖者、だと
>言いはるのは何でだろ?w。

またこうやって批判側が書いてもいないことを勝手に捏造している。
誰がどこでそんなことを書きましたか。
国連の話など自分の文章を誤解されると悪し様に罵るのに、
あなたはこうやって他人が書いてもいないことを次々と捏造して、
相手に罪を着せ、あざ笑う。
何度注意されてもやめない。
どうしてそんなに品性が卑しいのだ?
上記を批判側が書いているというなら、引用してみなさい。
預流果は三結を断じているが、預流向は三結を断じつつある存在です。
預流向は煩悩の一部を断ちつつあるから預流向なのです。
だから、煩悩を少しも断っていないどころか、増大し固まりつつある
準シュダオンさんは預流向などではない。

564深山:2009/10/27(火) 12:55:29 ID:MaSDj55s0
>>537 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:20:21 ID:P9JinFks0
>アビダルマ論師たちが、最初に、「預流向は聖者」と定義したから、やれ見道位の

まるでアビダルマ仏教が勝手に四向四果を聖者にしたかのような言い方ですね。
そもそも四向四果のようにきれいに分類したのはアビダルマですよ。
それをあなたは自分の自慢に使いながら、都合が悪くなると否定する。
どうしてそんなにワガママで身勝手で御都合主義なのだ。
ユビキタスさんが引用した経典に、釈尊本人の言葉として、
四向四果のすべてが聖者だと出ている。
アビダルマ仏教の人たちは、あなたと違って阿含経に基づいて
これを整理し体系化したのです。
だから、釈尊が預流向が聖者ではないと言っているにもかかわらず、
アビダルマ仏教の人たちが聖者にしてしまったなんてありえません。
預流向が聖者でないと言っているのは、世の中であなただけです。
桐山さんですら、そのように断定はしていない。

565深山:2009/10/27(火) 12:59:28 ID:MaSDj55s0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>小縁経の、「四双八輩は是如来の弟子衆」というのをさ、私は釈迦が弟子を
>修行の進んだ段階に応じて区分したもので、弟子のすべてが含まれると読み
>とったわけです。だから管長の「預流向≠聖者」説を支持しているのですよ。

あなたが個人的にそのように解釈するのは一向にかまわない。
だが、それはあなた一人が主張している内容で、
桐山さんは「預流向≠聖者」とは書いていない。
なによりも、釈尊は「四向四果=聖者」としているのです。
あなたの引用した文章から預流向がどうであるかを考えるのではなく、
先に「四向四果=聖者」という大前提から考えるべきです。
誰が一番偉いのだ?
釈尊のその人です。
釈尊の説いた「四向四果=聖者」が大前提なのです。
そのことは学者たちも認めている。
釈尊の示した教法に従わないあなたは、釈尊の言葉を信じようと
しないのだから、ただの外道です。
アゴン宗は外道であり、あなたはそこの信者だから、矛盾はなく、
読者もあなたの態度を見て「なるほど外道だ」と納得している。

566名無しさん:2009/10/27(火) 13:00:16 ID:ZYlJA01wO
預流向は三結断じた聖者です。
つつあるものではありません。

567深山:2009/10/27(火) 13:01:46 ID:MaSDj55s0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>あんただって、アビダルマ論師の預流向説を肯定するから、桐山論を否定して

「あんた」とは、私のことらしい。
相手を「クン」呼ばわりするのは無礼だから、やめたらどうかと
何度も言われ、一時鳴りを潜めていたが、また復活して、ついには「あんた」。
あなたの親は社会常識のシツケすらもしなかったようだ。
年上の者として、若者に礼儀を教えなければならない立場なのに、
あなたのそのザマはなんだ。
さすがは、オバサンにキサマ呼ばわりする教祖の信者だけのことはある。
あなたの孫みたいな若者の大半は、あなたのような礼儀知らずではない。
預流に限りなく近い預流向だなどと、妄想の自惚れだけ肥大して、
人間としての基本的なマナーすらない。
情けない姿ですよね。

568深山:2009/10/27(火) 13:03:59 ID:MaSDj55s0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>あんただって、アビダルマ論師の預流向説を肯定するから、桐山論を否定して
>いるわけでしょ。
>それで、あなたはたぶん、1995年のダルマチャクラを読んでも、管長の
>四向四果論を記憶していなかったのでしょう。そんで、それを覚えてた私の
>記憶を、よく馬鹿にできるもんだね。己の記憶をこそ恥じなさい。

あなたのマナーのひどさだけでなく、意味も、ユビキタスさんの>>553
読むまで、何を言っているのかわからなかった。
あなたは私を罵倒したいらしいが、それにはそこで一人で高笑いするのではなく、
読者に私を笑わせることです。
言われてる本人である私や、ユビキタスさんですら考えないとわからない説明を
読者がわかるはずがない。
私を罵りたくてしかたないというあなたのその熱意くらいは
伝わるだろうが、あなたの期待に反して、誰も私を笑ってはくれない。

569深山:2009/10/27(火) 13:05:19 ID:MaSDj55s0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>あんただって、アビダルマ論師の預流向説を肯定するから、桐山論を否定して
>いるわけでしょ。

何度書かれてもあなたは理解できないようだが、
アビダルマ論の根拠など私は示したことは一度もない。
ユビキタスさんは阿含経の釈尊の言葉を引用し、私は学者たちの
仏教辞典の解説を引用したのです。
アビダルマなんて引用していません。
また、桐山説も否定などしていない。
なぜなら、桐山さんは「預流向≠聖者」とも「預流向=聖者」とも
断定していない。
だから、彼がどちらの説を表明するかはこれからです。
「預流向≠聖者」を断定しているのは、たぶん世界中であなただけです。

570深山:2009/10/27(火) 13:07:41 ID:MaSDj55s0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>あんただって、アビダルマ論師の預流向説を肯定するから、桐山論を否定して
>いるわけでしょ。

あなたは、『ダルマチャクラ』の「預流向≠聖者」という説を桐山さんが唱えていたのを
私が覚えていなかっただろう、とあざ笑いたいようですね。
だから、桐山さんの文章のどこに「預流向≠聖者」とあるのですか。
ありませんよ。
桐山さんは預流向を聖者だとも聖者でないとも言っていない。
書いていないのに、書いてあると記憶したのだから、
あなたの記憶は間違いです。
あなたが誤解したがっているようだから、私は何度も強調している。
「預流向が聖者でないとは桐山さんは書いていないが、
今、準シュダオンさんの解釈を受け入れるなら」、と何度も
しつこいほど前提を書いているのに、あなたは読めないのですね。
桐山さんが「預流向≠聖者」と述べているなどと、誰も認めてはいない。
あなたと違い、書いていない文章は私は読めないのです。

571深山:2009/10/27(火) 13:13:47 ID:MaSDj55s0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>四向四果論を記憶していなかったのでしょう。そんで、それを覚えてた私の
>記憶を、よく馬鹿にできるもんだね。己の記憶をこそ恥じなさい。

あなたが示した『ダルマチャクラ』に載っていたなど知りませんでした。
なぜなら、桐山さんの四向四果の説明は、そんな機関紙の説明など
必要がなく、古くは『輪廻する葦』、またあなたがしばしば引用した
『21世紀は智慧の時代』に体系的に書いてある。
あれで十分です。
そして今回の阿含経講義でも四向四果の話はあちらこちらにあるが、
預流向が出てきたのはたった一箇所です。
桐山さんは昔から預流向なんて重視していないからです。
あなたが預流向にこだわるのは、桐山教学を学んだからでなく、
自分が預流向だと自慢したいからでしょう?
他の信者さんたちもあなたの預流向への異常なこだわりに驚いている。
だが、あなたの自己顕示欲から出たのだと知れば、苦笑いする。
アゴン宗では四向四果については教義があるが、預流向なんて議論されません。
だから、あなたが引用したどの文章にも桐山さんは預流向については
聖者だとも聖者ではないとも書いていない。
あなたは自慢話をしたいから、強烈な関心を持つが、アゴン宗においてはそんな程度です。
大半の人はあなたの自慢話には興味がなく、議論の関心は桐山教学のみだから、
私が『ダルマチャクラ』の記述を記憶していなかったなんて、別に不思議ではない。
それから、私はあなたの記憶力のなさをバカにしたのではなく、
記憶力のなさを自覚せず、傲慢と自惚れを垂れ流して、
人を小馬鹿にしたような書き方をしている点を批判しているのです。

572深山:2009/10/27(火) 13:16:21 ID:MaSDj55s0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>じゃあ、深山さんをまねて質問するけどさ、
>釈迦が「四双八輩以外にも弟子がいる」と、どこの経典に書いてありますか?

またそうやってごまかす。
議論の争点をごまかそうとしても無駄です。
四双八輩以外に弟子がいるかいないかを議論しているのではない。
私はそんなことは主張した覚えはありません。
あなたの引用した経典の文言には「如来の弟子とは四双八輩しかいない」
とは書いていないと批判したのです。
あなたの常で、書いていないのに、勝手な解釈を付け加えてると批判しているのです。
引用した経典にはそんな意味はない。
私の真似をするなら、そういうゴマカシをしなさんな。

573深山:2009/10/27(火) 13:20:38 ID:MaSDj55s0
>>544 :準シュダオン:2009/10/26(月) 15:23:18 ID:P9JinFks0
>おわかりか?預流とは預流果のことであって、預流向は含まれないことが。
>これでわからねば、救いようがないね。

救いようがないのはあなたです。
あなたが引用した内容は、預流(預流向と預流果)によって得られる境涯を
説明しているのです。
「小学校とは小学校卒という資格がえられる」と書いているのです。
小学校(預流)で学べば、小学校卒(最大七回の輪廻)という資格が得られる。
小学校で学ぶとは、一年生から六年生まで学ぶことであり、
小学校とは、一年生から六年生までと(預流向)、そこを卒業したという資格(預流果)の
二つから成り立っている。
あなたが引用した文章はこういうことを前提として、
預流(小学校)で得られる預流果(卒業資格)を記述したのです。
あなたは卒業資格のほうばかり見ている。
一年生から六年生まで学習課程(預流向)があって、初めて小学校卒(預流果)に至るのです。
この両者は別々のものではなく、預流の二つの側面を述べているにすぎません。

574深山:2009/10/27(火) 13:23:56 ID:MaSDj55s0
>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>深山くんは、本当に考えが浅いよ!笑うしかないw、良く考えてみなさい。

あなたから見ると、釈尊の考えや2500年間の仏教学者たちの考えも浅いらしい。
準シュダオンさんてほんとうにエライ方なのですね。
釈尊は四向四果は聖者だと述べており、預流向は四向四果だから、聖者です。
釈尊の説明は理路整然として一貫しており、私が考える必要など何もない。
私は考えなど述べておらず、釈尊のこの考えをそのまま受け売りしているだけです。
釈尊の教説にいちいちあなたみたいに口をはさむほど、私はおエラクありません。
釈尊からの受け売りを、考えが浅いというのだから、
あなたは如来に向かって、考えが浅く、笑うしかない、と言ったことになる。
釈尊をあざ笑った!
さすがは外道の信者だけのことはありますね。
如来をあざ笑えるとは、その度胸だけは感心し、あきれます。

575深山:2009/10/27(火) 13:26:20 ID:MaSDj55s0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>あのね、まず各人の考え方があって、その考えによって桐山論を肯定したり
>否定したりしてんですよ。あんたは「阿含宗、桐山氏の理論が議論の対象
>なのであって、各個人の意見は問題ではない」というけどさ、それ間違いよ。
>各個人の意見が、管長論を肯定や否定するのだよ、あんたはそれを理解できて
>いない。

間違いです。
こんなこともわからないのですね。
ここの表題は「阿含宗と桐山氏について」です。
あなたの宗教観なんてここでは議論の対象ではない。
各人の宗教観やアゴン宗への個人的な解釈など議論しはじめたら、
とりとめもなく話は拡散して栗花さんみたいになり、議論にならない。
アゴン宗でどう言っているのか、桐山さんがどのように解釈しているのか、
それが議論の対象であり、議論の機軸です。
だから、準シュダオンさんが総本殿からデンパを受けたなんて話は
アゴン宗の話ではなく、あなたの個人的な話です。
王者の相承や白銀バイブはアゴン宗の教義だから、議論の対象です。
しかし、桐山さんは無料受信を認めていないし、あなたの受信も認定していない。

576深山:2009/10/27(火) 13:30:17 ID:MaSDj55s0
>>540 :準シュダオン:2009/10/26(月) 13:45:18 ID:P9JinFks0
>各個人の意見が、管長論を肯定や否定するのだよ、あんたはそれを理解できて
>いない。

そのとおりで、各人が管長論を肯定否定をする。
だが、あなたのは管長論ではありません。
管長論とは、桐山管長の主張内容です。
個人の主観的な感想ではありません。
たとえば、桐山さんが言ってもことを批判して何の意味がありますか。
批判するにしろ、擁護するのにしろ、まず桐山さんが主張している内容が
何であるかを検証しなければならない。
桐山さんが「預流向≠聖者」などと言ってもいないのに、
言ったかのように捏造して批判するなら、間違いです。
擁護も同様です。
個人が何を信じようが、桐山ゲイカを神様だと信じようが自由です。
だが、議論として擁護するとは、桐山さんが主張した内容を是認し、
擁護し、証拠や、これに基づく体験を示すことです。
あなたが預流向だという主張は、桐山さんの主張でも擁護でも
証拠でもなく、あなた個人の体験にすぎない。
太郎さんのように、金粉が出た、解脱供養でお手配があったというのは
管長論を議論している。
なぜなら、それらはアゴン宗の教義だからです。
ヂミズさんや実行委員長さんがアナゴンを宣言しているが、
あれは彼らの個人的な宗教観であって、アゴン宗の話ではありません。
同様に、あなたが預流向だとか、預流向は聖者でないなど
桐山さんはいっさい言っていないし、認めてもいないから、議論の対象ではありません。
この程度のことは説明されなくても、区別して議論してください。

577深山:2009/10/27(火) 13:33:43 ID:MaSDj55s0
>>566 :名無しさん:2009/10/27(火) 13:00:16 ID:ZYlJA01wO
>預流向は三結断じた聖者です。
>つつあるものではありません。

私の>>563への反論のようですが、説明していただけませんか。
預流向が三結を断じた聖者だとは初めて聞きました。
経典、学者の解説など何でも結構ですから、解説をお願いします。

578ラシン:2009/10/27(火) 16:32:27 ID:2LdR/Kgw0
>>>566 :名無しさん:2009/10/27(火) 13:00:16 ID:ZYlJA01wO
>預流向は三結断じた聖者です。
>つつあるものではありません。

参考になれば、、、

(スマナサーラ師の講義より編集抜粋 http://www.j-theravada.net/pali/key-sangha.html
これは「 四双八輩 」と訳されている語で、預流道、預流果、一来道、一来果、不還道、
不還果、阿羅漢道、阿羅漢果、という八つの悟りの段階のどれかにすでに入っている
人々のことです。〜道と〜果というのは原因と結果を表します。
たとえば預流道は、預流果になるための道 (原因)です。
四つの悟りの段階を原因と結果に分けているわけですが、
この原因と結果には時間的な差というのはありません。
風船に針を刺すと割れるように、原因ができればそこに結果も出るということです。

579樹意:2009/10/28(水) 01:30:29 ID:tsllgqu20
>> 577 >> 578

阿含宗と桐山氏についてー第四十三章ー英霊達の盂蘭盆会
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/3419/1246830917/335

「335」
335 :樹意:2009/08/23(日) 07:23:18 ID:rCYMJ6ns0

    道心 magga-citta    果心 phala-citta
  水野弘元監修/略 「アビダンマッタサンガハ 南方仏教哲学教義概説」
  スマ長老解説 出世間心
  「預流道心、一来道心、不還道心、阿羅漢道心、というこれら四つが、出世間
  道心と呼ばれる

  預流果心、一来果心、不還果心、阿羅漢果心、というこれら四つが、出世間異
  熟心と呼ばれる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上記著作 第二部 心の分析 317p〜
詳しく出世間心解説がある。
佛教徒の仕事は 心を清めることです とあるようにアビダンマでは阿羅漢の心まで
分析分類する仕事をしている。
いきなりこれを説明しても理解しがたいかもしれませんから 禅定の心である色界心
も提示してみましょう。

 色界善心
 色界心
 尋 伺 喜 楽 一境性とともにある初禅善心 −−−

 色界異熟心 
 尋 伺 喜 楽 一境性とともにある初禅異熟心 −−−

 唯作心 
 尋 伺 喜 楽 一境性とともにある初禅唯作心 −−−

 終結 
 「以上で、十五の色界善 異熟 唯作心[の解説]が全て終わった。」
 禅定で作る心は三つのグループ 十五ありますよということ。
 尋 伺 喜 楽 一境性 だけを提示するのではない、色界禅定を作った心と
 異熟心 そして 阿羅漢が作る心である唯作心 これはカルマを作らない。
 こういう分析分類をするようです。

 さて先に引用した 道心 magga-citta    果心 phala-citta
 の説明分を引用してみます。

 出世間心は八つあります。まず道心が、預流道心 [パーリ語略以下同様]
 一来道心 不還道心 阿羅漢道心 と四つありまして、次の四つは同じ言葉
 ですが、果心といいます。 預流果心 一来果心 不還果心 阿羅漢果心です。
 −略ー
 この八つの心は悟りの心、出世間の心です。 −略ー
 ここで出世間心と言うのは、心の成長の終わり、生命としての最後の心と
 いう意味です。 −略ー
 ーーーー略ーーーーーーー

   この預流道心というこころは、ほんの瞬間の心です。一時間も起こりつづける
 心ではありません。−略ー
 預流道心とは、そういう結び目を解いた瞬間です。−略ー

 預流道の心sotapatti-magga-citta が生まれたら、それは悟りの心。次の
 瞬間か一つ二つ先の瞬間に、預流果の心sotapatti-phala-citta が生まれます。
 預流道 預流果、と、すぐ生まれます。
 本当のところは、道と果がほんの瞬間ですから、ややこしく分けなくても良いのです。
 しかし、アビダンマではきめ細かに分けているのです。 −略ー
 預流道心が生まれたら、すぐ次に預流心が生まれます。預流道心は何回も生まれる
 心ではあり得ません。道心というのは煩悩を断つ心のことです。同じものを何度も
 断ち切ることはあり得ないのです。 −略ー
 しかし預流果心は、何個でも生まれるのです。実際の悟りの場合は、道心が一個と
 果心は一つ、二つ、三刹那くらい生まれるのです。
 その後、また普通のヴィバッサナー瞑想の心に戻ります。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 水野弘元 仏教要語の基礎知識 25p
 見道とは理論的な迷い(見惑)を断ずる位であり、−−−

 ゲイカが種本として水野本の大本の図が上記著書にあるのだが 聖位三分 四双八輩
 見道 修道 無学果 とされる。 要するに預流向は聖位 見道位にある。
 
 裏づけとしては先に引用した片山一良氏訳 阿含経典 また準シュダオン氏が好んで
 引用した 衆集経 十増経 其の他の典拠 注釈からもとれております。
 これも引用済み。
 理論的な迷いを断った聖者のこと 預流向 を法眼を得た 或いは法眼浄を得たと
 称したりしているようです。

 なお預流向を 預流に向かうと読まれている方がいるようですが 何に対する流れなのか
 というならば完全な悟り 無明の滅までの流れに向かった流れに預かったということですので
 その点は強調しておきたいと思います。
 いずれにしろ準シュダオン氏にしろ ゲイカにしろ 無知 を晒したということに
 なるでしょう。

580準シュダオン:2009/10/28(水) 08:09:06 ID:P9JinFks0
深山さんは、せっかくユビキタスさんが1995年のダルマチャクラから
管長の四双八輩解説を引用してくれたのに、まだ理解出来ないのかい?
あれ読んだら、たいていの人は、管長は預流向≠聖者説であることが理解
できるよ。
 それを理解できないようでは、あんたと議論しても無駄ですね。
赤い布を敵だと確信して突っ込んでいく牛を説得するようなものですw。

581準シュダオン:2009/10/28(水) 08:28:34 ID:P9JinFks0
管長も、私も、アビダルマ論師の預流向・預流の定義を支持してるわけでは
ありません。釈迦の定義を支持してるだけです。

釈迦は、三結を断じた預流果になって、はじめて仏道に不転退の境地を獲得
できる、と説いています。
預流向は三結を断じていないので、何時、仏道を辞めて外道に行くかもわか
らない境界です。少しも煩悩を断っていない、そのような者が本当の聖者で
あるはずがないのです。釈迦は自分の弟子を、聖なる弟子、というように、
初心の弟子に対しても「聖」を付けて、しばしば呼んでいます。
そのように弟子を大切にしています。
四双八輩についても、聖衆と呼んだのはそういう意味でしょう。

だからと言って、預流向を聖者と定義したのでは、釈迦を困らせるだけです。
後に、仏道を辞めて外道になった預流向を何と呼びますか?
お釈迦さまに、
「お釈迦さまは、預流向も聖者と言ったのに、彼の預流向は今や仏道を辞めて
外道を学んでいます。何という聖者でしょうか?」と、質問しますか?

お釈迦さまは、「預流向は本当の聖者ではない」と答えるしかないでしょう。

582準シュダオン:2009/10/28(水) 08:55:05 ID:P9JinFks0
小縁経の「四双八輩 是為如来弟子衆也」というのは、平河本第2巻P95
にあります。その少し前の記述に、四双八輩は五分法身をそなえている、
というような意味の記述がありますが、それは誤って記入されたのであろう、
と辛嶋先生は語注で解説しています。

「四双八輩 是為如来弟子衆也」をどう解釈するかで、預流向の定義も決まり
そうですね。私は、「これ、如来の弟子衆と為すなり」とありますから、
四双八輩=如来弟子衆だと考えます。ちょうど象の足跡にすべての動物の足跡が
が納まるように、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、の四衆にすべての弟子が納ま
ります。
同じように、四双八輩の中にすべての弟子衆が入ると考えますね。
昨日入った初心の弟子もね。
だから管長の預流向≠聖者説を支持してるわけですよ。

583Boo:2009/10/28(水) 11:11:34 ID:DXlq9owoO
ふ〜ん。そなの?

584ラシン:2009/10/28(水) 12:22:15 ID:2LdR/Kgw0
>579 :樹意:2009/10/28(水) 01:30:29 ID:tsllgqu20
>この預流道心というこころは、ほんの瞬間の心です。一時間も起こりつづける
 心ではありません。−略ー
 預流道心とは、そういう結び目を解いた瞬間です。−略ー

パーリに基づいて修行しているスマサナーラ師の解説は意義があり、
道智は、預流果の心が生じる前に一心刹那一回だけ生じるだけとの
説明は、以前に樹意さんからの道果による解説を記憶していました。
それで預流向の聖者の流れは論を俟たないとおもいますが、
若干オツムの硬直硬化した人がいるようです。

>なお預流向を 預流に向かうと読まれている方がいるようですが 何に対する流れなのか
 というならば完全な悟り 無明の滅までの流れに向かった流れに預かったということですので
 その点は強調しておきたいと思います。

この指摘なども日本テーラワーダのHPで確認できるものです。
預流向を得た時点で不退転なのですから、もしも云々などは尊師の集いに
戒律を以て修行する実践意義を理解していない証拠で、五戒すら守れぬ
アゴン宗信者など語る資格もありませんね。

585深山:2009/10/28(水) 12:38:40 ID:nzLqVTrQ0
>>576修正

正 たとえば、桐山さんが言ってもいないことを批判して何の意味がありますか。

誤 たとえば、桐山さんが言ってもことを批判して何の意味がありますか。

586深山:2009/10/28(水) 12:40:43 ID:nzLqVTrQ0
>>580 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:09:06 ID:P9JinFks0
>深山さんは、せっかくユビキタスさんが1995年のダルマチャクラから
>管長の四双八輩解説を引用してくれたのに、まだ理解出来ないのかい?
>あれ読んだら、たいていの人は、管長は預流向≠聖者説であることが理解
>できるよ。

「たいていの人」とは誰のことですか。
あなた以外に「書いていない文章」が読める人はいません。
阿含経にもなく、学者の説にもなく、桐山さんの本にも書いていないのに、
どうしてそんな解釈が出て来るのですか。
あなたの勝手な解釈で桐山さんを巻き添えにするのはやめなさい。
私は桐山さんが書いてもいないことを書いたとして罪をなすりつけるようなことはしたくない。
ユビキタスさんが引用する前に、前スレであなたが引用した時、
私は『ダルマチャクラ』を持っていますから、すでに読んでおり、
読んだ上で、あなたに反論したのです。
だが、桐山さんはどこにも「預流向≠聖者」とは書いていない。
これは単に書いていないからというだけではありません。
あなたは「預流=預流果」だと決めつけて読んでいるから、
そのように読めるのであって、「預流=預流向と預流果」だという
当たり前の目で読めば、桐山さんの書いていることを「預流向≠聖者」だ
とは断定できない。

587深山:2009/10/28(水) 12:46:14 ID:nzLqVTrQ0
>>580 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:09:06 ID:P9JinFks0
>あれ読んだら、たいていの人は、管長は預流向≠聖者説であることが理解
>できるよ。

私はあなたの解釈でもかまわないと書いた。
桐山さんが「預流向≠聖者」と主張しているというなら、
あなたと同じで無知の王冠を輝かせているだけです。
世の中で「預流向≠聖者」などという無知なことを
言っているのはアゴン宗の教祖と信者たちだけということになる。
応供の如来、梵行など本来の仏教とは違うデタラメな使い方しているアゴン宗ですから、
また一つ増えても不思議ではない。
さすがはオカルト仏教、インチキ仏教で、こんなことまでデタラメなのだ
という証拠をあなたが一つ増やしてくれたと感謝したのです。

588深山:2009/10/28(水) 12:47:36 ID:nzLqVTrQ0
>>581 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:28:34 ID:P9JinFks0
>管長も、私も、アビダルマ論師の預流向・預流の定義を支持してるわけでは
>ありません。釈迦の定義を支持してるだけです。

本当にあなたって、道理の通じない人ですね。
釈尊は預流向を聖者だとしているのです。
釈尊は、ユビキタスさんが阿含経を引用したように、四向四果を聖者だとしている。
四向四果の中に預流向が入っているのだから、
「四向四果が聖者」→「預流向=聖者」
こんなこともわかりませんか。
なのにあなたは「預流向≠聖者」だという。
●釈尊説 「預流向=聖者」
●準シュダオン説 「預流向≠聖者」
これだけ明瞭に正反対のことを述べているのに、
どこが釈迦の定義を支持していることになるのだ?

589深山:2009/10/28(水) 12:50:56 ID:nzLqVTrQ0
>>581 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:28:34 ID:P9JinFks0
>管長も、私も、アビダルマ論師の預流向・預流の定義を支持してるわけでは
>ありません。釈迦の定義を支持してるだけです。
>>582 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:55:05 ID:P9JinFks0
>だから管長の預流向≠聖者説を支持してるわけですよ。

本当にあなたって、道理の通じない人ですね。
繰り返すが、桐山さんは「預流向は凡夫だ」とは書いていない。
預流が聖者だと書いているのです。
そして預流とは預流向と預流果のことです。
桐山さんは「預流=聖者」だと書いている。
これはあなたが引用した>>493の文章のほとんどがそうです。
だったら、桐山さんも「預流向=聖者」だと言っている可能性が十分にあります。
桐山さんの説明の中で、預流向についてはたった一度しか出てこない。
そして、桐山さんは預流向を聖者でないとは言っていません。
・・・しかたない。
やりたくはないが、桐山さんのために弁護しましょう。

590深山:2009/10/28(水) 12:52:57 ID:nzLqVTrQ0
「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀諸Yになっていないまでも、須陀諸Yに近くなって
いる人たちもいます。須陀諸Yにどんどん向かっているのですからーーこれを
須陀諸Y向といいますーーみなさんは外道凡夫ではありません。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁)

あなたが引用しこの文章のどこに預流向が凡夫だとあるのですか。
むしろ、預流向は外道凡夫ではないと書いている。
外道凡夫とは、「外道か凡夫」だと桐山さんは訳している。(371頁)
外道凡夫は熟語ではなく、外道と凡夫の二つを表している。
桐山さんが上記で使っている「須陀諸Y」とは須陀諸Y果、つまり預流果の意味です。
なぜなら、そこに向かっているのを須陀諸Y向とわざわざ説明している。
そして、その須陀諸Y向を外道でも凡夫でもないと言っている。
桐山説 → 「預流向≠外道」「預流向≠凡夫」
なのです。
仏教では凡夫でない信者は聖者です。
つまり、桐山さんの上記の文章をそのまま解釈するなら、
桐山説 → 「預流向=聖者」
です。

591深山:2009/10/28(水) 12:59:32 ID:nzLqVTrQ0
「須陀諸Y向といいますーーみなさんは外道凡夫ではありません。」

これは私の解釈であって、桐山さんは預流向が聖者だとも書いていない。
このように解釈できると書いたのです。
だから、準シュダオンさんの解釈でも一向にかまわない。
むしろ、そのほうが桐山さんの無知を笑えるから結構ですよ。
だが、私は、相手が桐山さんであっても、無実の罪をなすりつけることはしない。
桐山さんの文章をそのまま読めば、「預流向=聖者」と解釈できるのに、
違うかのように罪をなすりつけるようなことはしたくない。
でも、どうしてもあなたは桐山さんも無知だと主張したい様子に、
批判側は笑うだけです。
信者さんたちはあきれないか。
愚昧な信者は桐山さんを無知な人間だとこき下ろして顔に泥を塗り、
批判側から、桐山さんは正しく理解している可能性を示され、擁護された。
信者がこき下ろし、批判側が助ける!?
桐山アゴン宗は、たった一人の愚かな信者のために世間の前で何重にもバカ恥をかいている。

592深山:2009/10/28(水) 13:04:43 ID:nzLqVTrQ0
>>580 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:09:06 ID:P9JinFks0
> それを理解できないようでは、あんたと議論しても無駄ですね。

はい、私は預流向の議論は無駄だから、やめませんかと、
前からあなたに書きましたよね。
あなたは自分が預流向だと威張りたいその一念で書いているのが
わかるから、やめたらどうかと勧めた。
私だけでなく、他の批判側も何度もやめるように書いた。
最近では、たしかユビキタスさんも書いたはずです。
それを完全無視して、無知をさらけ出しているのはあなたです。
しかも、自分の無知だけでなく、桐山さんも無知だと巻き添えにしたいらしい。
宗務局は読んでいて、あなたに対して怒り心頭でしょうね。

593深山:2009/10/28(水) 13:07:31 ID:nzLqVTrQ0
>>581 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:28:34 ID:P9JinFks0
>だからと言って、預流向を聖者と定義したのでは、釈迦を困らせるだけです。
>後に、仏道を辞めて外道になった預流向を何と呼びますか?

あなたは聖者を一種の資格みたいに思っているのですね。
医者や弁護士は、一度なってしまえば、ヤブでもヘボでも滅多に剥奪されることはない。
あなたはアゴン宗の山伏位階のように、聖者を資格だと思っているのでしょう。
オメデタイ人だ。
残念ながら、仏教の聖者とはそんなものではなく、不断の努力をする人の
ことをいうのです。
預流果を得れば、もう元に戻ることはなく、最低でも七回の輪廻で
解脱できるとは、そのように努力することを前提としている。
有名進学校に入学したら有名大学に進学できるといっているのと同じで、
保証しているではなく、本人が努力すればという条件付きです。

594深山:2009/10/28(水) 13:13:26 ID:nzLqVTrQ0
>>581 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:28:34 ID:P9JinFks0
>だからと言って、預流向を聖者と定義したのでは、釈迦を困らせるだけです。
>後に、仏道を辞めて外道になった預流向を何と呼びますか?

あなたの理解は、まるで預流向になれば、後はホトケにお任せコースで、
すうっと行けるかのように思っているのですね。
それはアゴン宗の三福道に汚染されているからです。
アゴン宗の三福道は他力信仰で、金と人を貢ぐとホトケが解脱させて
くれると信じている。
釈迦仏教にはそんな考えは金輪際ない。
受験校の先生と同じで、釈尊は教えてはくれるが、勉強をするしないは
生徒本人の問題です。
だから、アラハンですら、そこから滑り落ちる。
何度もすべり落ちた比丘は、アラハンを保つために自殺した。
そのくらいアラハンという最終到達地点ですら、保つのが難しいです。
だから、彼らは解脱した後もひたすら自分の心と身体と言葉に煩悩が出ないように、
監視し、それらに汚染されないよう不断の努力をした。
釈尊ですら努力し続けていたことを経典を読んでいて気が付きませんか。
解脱とは、山の頂上のような所ではなく、生きている間は「滑りやすい坂」なのです。
聖者とは滑りやすい坂にいるようなもので、努力しないと落ちる。
それは四向四果のすべてがそうです。
こういうあなたの仏教への理解は、桐山さんと同じで、アニメか漫画みたいですね。
エイッと気合いをかけると、ビビっと悟りが来るんでしょう?
だから、あなたにも総本殿からデンパが来た。
子供っぽい人たちだ。

595深山:2009/10/28(水) 13:24:19 ID:nzLqVTrQ0
>>582 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:55:05 ID:P9JinFks0
>同じように、四双八輩の中にすべての弟子衆が入ると考えますね。
>昨日入った初心の弟子もね。

あなたのこの経典の解釈のデタラメさはすでに二度指摘した。
読者はあきてしまうし、これ以上無駄だから、しません。
書いていないことを読めるあなたの頭には誰もついて行けない。
それはともあれ、私はあなたの、初心の弟子も四向四果だという解釈には個人的には賛成です。
念のために言うが、100%全員がそうだなんて話ではなく、
ほぼ全員が四向四果だという意味です。
だが、それでどうして「預流向≠聖者」という結論が出てくるのですか。
昨日入った初心の弟子も釈尊の教法を理解し、戒律を守っているのだから、十分に聖者です。
理解がまだ不十分であれば預流果にまで到達していないかもしれないが、
一部を理解したからこそ、出家したのです。
出家とは、在家の様々な習俗も捨てることを意味する。
在家時代には、バラモンを招いて護摩で先祖供養をしていたかもしれないが、
出家と同時にそれらは全部捨てたのだから、戒取はありません。
因縁解脱が解脱だなどと外道の主張をせずに、釈尊の説く漏尽解脱を
解脱だと信じて、解脱の道を選んだのだから、疑惑もない。
出家前は、霊障のホトケを信じて恐れていたが、霊魂の有無の議論を捨て、
霊障のホトケなど関心外なのだから、身見も捨てている。
こういう初心の出家ならもう十分に預流果です。
つまり、弟子衆は全員が聖者です。
弟子衆とは聖者であり、そこに入るか、落ちるかの違いがあるだけです。
小学生(預流)は、卒業証書を渡された六年生(預流果)を含めて、
一年生から六年生まで全員が学生(聖者)です。
だが、桐山小学校と称する文科省が認可していない(外道)学校で、
毎日、護摩木の物売りをしても、彼らは小学生(預流)でもなければ、
小学卒の資格(預流果)も得られない。

596Boo:2009/10/28(水) 14:39:45 ID:DXlq9owoO
あははは。文部科学省管轄外の小学校(正確には小学院といったところでしょうか)。


そういえば、専修学院は専修大学の関係の教育機関みたいな名前だな〜と思ったことがあります。生徒や先生がたくさんいるでかい学校と思わせるような名前ですが、実際は旧京都道場の掃除係みたいなことでしたね。今はどうかわからんが・・・

ゲーカってなんだか勘違いしやすいようなネーミング多いですね、そういえば。

何となく詐欺っぽくね?

597ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/28(水) 15:24:33 ID:SmEF4Oe2O
>>596
ちなみにこちら↓は高野山の専修学院です。
息抜きにどうぞ。
私は中学の時に高野山の専修学院の存在を知り、東京の専修大学はそれよりも
後に知りました。

http://imepita.jp/20091028/552640

598ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/29(木) 01:37:11 ID:SmEF4Oe2O
お釈迦さまは、大変強烈なことをおっしゃっています。
「若し此の五根に於て一切無くんば、我れ彼れを説いて外道凡夫の数と為す」が
それです。お釈迦さまは、五根法を修行しない者は全員が外道凡夫であるぞ、
とおっしゃっているわけです。五根法という言葉を、「お釈迦さまの成仏法」に
置き換えてもよいでしょう。お釈迦さまの成仏法を修行しない者は、外道か凡夫の
どちらかなのだということです。

(中略)

わたくしたちは外道凡夫ではありません。もう聖者に向かって、一生懸命に
修行しています。完全な須陀オンになっていないまでも、須陀オンに近くなっている
人たちもいます。須陀オンにどんどん向かっているのですから――これを須陀オン向
といいます――、みなさんは外道凡夫ではありません。「阿含経」の修行を
しない人たちが外道凡夫なのです。仏教徒にとって外道凡夫といわれるのは、
最大の軽蔑です。熱心な仏教徒が、「おまえは外道凡夫だ」といわれたならば、
バカだといわれるよりももっとひどく怒るはずです。


(仏陀の真実の教えを説く(上)372ページ〜374ページより引用抜粋)

599樹意:2009/10/29(木) 05:31:36 ID:tsllgqu20
>>582 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:55:05 ID:P9JinFks0
>同じように、四双八輩の中にすべての弟子衆が入ると考えますね。
>昨日入った初心の弟子もね。


>>595 :深山:2009/10/28(水) 13:24:19 ID:nzLqVTrQ0
>>582 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:55:05 ID:P9JinFks0
>同じように、四双八輩の中にすべての弟子衆が入ると考えますね。
>昨日入った初心の弟子もね。


>>昨日入った初心の弟子も釈尊の教法を理解し、戒律を守っているのだから、十分に聖者です。
>>理解がまだ不十分であれば預流果にまで到達していないかもしれないが、
>>一部を理解したからこそ、出家したのです。

 水野弘元著 仏教要語の基礎知識 111p〜
 
 四種の沙門
 なお釈尊が入滅される前日に、最後の食事供養を鍛工(鍛冶屋)のチュンダ(cunda 純陀、周那)
 から受けられてが、食後にチュンダは仏に対して、世の中には幾種の沙門(比丘)がいますかと
 質問する。
 仏は四種の沙門がいると説かれた。それは、
 第一には勝道沙門、第二には説道沙門、第三には活道沙門、第四には汚道沙門、である。
 この中で、
 第一の勝道沙門とは、道においてすぐれ、最高の悟りを得た阿羅漢を指し、−略ー

 第二の説道沙門とは、仏教の学説理論を正しく知り、信仰と学解とが確立した有学の聖者で
 あって、道を説くにふさわしい沙門である。

 第三の活道沙門とは、道に従って生活し、定められた戒律をよく守り、学業修行に励んでいるが、
 まだ悟りを得ていない凡夫の沙門である。

 第四の沙門とは、出家受戒の身でありながら、正しい信仰や学解もなく、戒律を守らず、
 修道を怠って、道を汚す沙門である。

 >>577 :深山:2009/10/27(火) 13:33:43 ID:MaSDj55s0

>預流向が三結を断じた聖者だとは初めて聞きました。
>経典、学者の解説など何でも結構ですから、解説をお願いします。


 道書 226p
 初歩の悟りとしての須陀オン道(預流向)において身見(有身見)・疑・戒禁取の三結が
 断ぜられ、 −−略ーー
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 煩悩の整理分類に関しては部派仏教において始められ、説一切有部において詳しく
 その観点から眺めたものとあります。
煩悩の観点からであり
 この文面は説一切有部の説だけでなく この著書で説明する原始仏教全般を
 指すものと考えます。
 
 時間があれば詳しく引用したいと思っております。

600ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/29(木) 08:47:12 ID:SmEF4Oe2O
>>598で桐山さんの「仏陀の真実の教えを説く(上)」から引用を示しましたが、
これはもともとが準シュダオンさんが外道凡夫を出したもので、これを受けて
深山さんが昨日解説したものです。
そこで再度私も引用したわけですが、ここで私は準シュダオンさんにまたアドバイスしたい。
それはあなたはこれまでの主張を180度変えて、預流向は凡夫ではなく
聖者への流れにあるとしてしまった方がこれまでの議論の流れにおける決着点
として有利なんではないですか?
と言うのはこの本のこの引用を読めばわかるように、桐山さん自身、あなた方
信徒諸君はシュダオンに向かって修行する須陀オン向(預流向)であり、
これは外道や凡夫に値しないと述べているのです。あなた方預流向は聖者の流れ
にあると述べたのです。
これはあなたが預流向は聖者にあらずまだ凡夫である、凡夫から始まりシュダオン
の預流に至るとダルマチャクラ1995年4月号に書いてあるから預流向はまだ
凡夫であるというあなたの主張に反する。
あなたの主張が見事に桐山さんによって否定された。
あなたは桐山さんの発言に逆らい続けるのか?
それよりもここはつまらない意地やプライドを捨てて柔軟に意見を変えた方が
有利になるのです。その際、それに気づかせてくれた深山さんなど批判側に
対しても一言礼でも述べれば、態度面でも評価される。
有利とは深山さんに対してかねてからのあなたの主張を認めさせる材料を得た
ことになるからなんです。
そもそもの議論の流れはこうです。あなたは自らのハンドルの準シュダオンを
名乗るにあたり、信者が自らを預流と名乗ることを桐山さんは認めているのか?
と深山さんに注意を受けた。あなたは預流ではなく預流向なんだから全く問題がない、
なぜなら預流向はまだ預流の聖者にも至っておらず向かっているだけの凡夫なんだから
ちっとも不遜にも傲慢にも値しないと主張した。(預流向と準シュダオンは違いますが)
ところが桐山さんはあなた方はシュダオン向であり凡夫ではないと言ったも同然だ。
これを素直に受け入れれば、あなたは深山さんとの当初の議論にも一部勝てる。
ほら?ここで桐山さんは信徒は預流向であると発言している。
だから信者が自ら預流向と名乗ることは、この著書の発言を根拠に認められると。
預流向=凡夫というつまらない意地を撤回すればそれは可能です。
こちらもどうせあなたが何と名乗ろうと知ったことでないし

601ラシン:2009/10/29(木) 10:09:34 ID:2LdR/Kgw0
>600 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/29(木) 08:47:12 ID:SmEF4Oe2O
>>598で桐山さんの「仏陀の真実の教えを説く(上)」から引用を示しましたが、
これはもともとが準シュダオンさんが外道凡夫を出したもので、

やはりね、、、というかんじです。
準シュダオンさんが>>493でダルマチャクラの桐山説を漸く掲示した時点で、
私は>>496で怪しい引用だと指摘し、準シュダオンさんの預流向説とでは、
<桐山さんの「凡夫ではない須陀?向」との解説に矛盾するじゃないか?>
と指摘しましたが、今回のユビさんの引用掲示でハッキリとしました。
相変わらず準シュダオンさんの引用姿勢は、小ズルイ、小汚い。
ここは準シュダオンさんを批難するスレではないから今回までで遠慮しますが、
都合の良い部分だけ取り上げ、都合悪い箇所は隠すのが準シュダオン流の引用だ。
桐山さんの曖昧な表現は詐欺師の方便で、その言説に振り回された準シュダオンさん
と、擁護したいところだが、どっこい準シュダオンさんの預流向≠聖者のこだわりは、
自分自身の恥と間違いを覆い隠す魂胆だと知れているから、ウンザリだね。
桐山さんは、昔の蹉跌を素直に認めずに他者転嫁してウソを重ねてきた。
転んでもタダでは起きない性格ゆえに、ついでに宗教詐欺を働く所業を
世間への復讐心に燃えることで、己の良心を麻痺させ続けて来た。
桐山さん同様、準シュダオンさんも自分の過誤に向き合えずウソにウソを重ねる
という負の循環を招いています。
準シュダオンさんの救われない一番の負とは、我々のみならず自分自身にウソを
突き通していることでしょうね。

602ラシン:2009/10/29(木) 10:30:40 ID:2LdR/Kgw0
>599 :樹意:2009/10/29(木) 05:31:36 ID:tsllgqu20
>道書 226p
 初歩の悟りとしての須陀オン道(預流向)において身見(有身見)・疑・戒禁取の三結が
 断ぜられ、 −−略ーー

これはパーリ三蔵に関する片山解釈、それとも水野博士の解釈ですか?
これだけですと>>566の名無しさんの>預流向は三結断じた聖者です。<を
認める指摘と見受けられますが、違うのでしょうか?
私は、スマナサーラ師の「四つの悟りの段階を原因と結果に分けている」との
解釈に賛同できます。
理由は、道(向)→果への時間的長短の補足の差はあるでしょうが、
区分けしているということは、道果が同じ階位ではないとの結論を得られます。
議論の流れにおいてよろしければ、わかりやすくご教示いただきたく存じます。

603深山:2009/10/29(木) 12:39:36 ID:rkqUFidM0
>580 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:09:06 ID:P9JinFks0
> それを理解できないようでは、あんたと議論しても無駄ですね。

準シュダオンさん、>>660でユビキタスさんに先に言われてしまいましたよ。
私は、桐山さんが信者が預流向を名乗ることは認めていないと指摘した。
だが、>>598などでユビキタスさんが引用したように、
桐山さんは、信者は少なくとも預流向だと述べている。
だから、あなたが預流向を名乗っても問題はないのです。
私から根拠を示せと言われて、あなたは示した。
長い間の議論で、あなたが最も強調したかったこと、
「おれは預流向だ」がついに認められる。
さあ、「深山は知らなかった。オレ様の勝ちだ!」と勝利宣言をしましょう。
私はそれを楽しみにしていたのですよ。
では、どうしてあなたは勝利宣言をして私の批判が間違っていたと
反撃しなかったのか。
それを言うとマズイことが起きる。
あなたの勝利宣言は、同時に、私から次のシッポをつかまれるからです。

604深山:2009/10/29(木) 12:45:04 ID:rkqUFidM0
>580 :準シュダオン:2009/10/28(水) 08:09:06 ID:P9JinFks0
> それを理解できないようでは、あんたと議論しても無駄ですね。

桐山さんは、信者は少なくとも預流向だと言っているが、同時に、
預流向は凡夫ではないかのだから、聖者ということなる。
「信者=預流向」
「預流向=聖者」
なのだから、ここから出てくる結論は、
「準シュダオン=聖者様」!!!
おめでとうございます!!とお笑いタレントが紙吹雪を散らしながら出てきそうです。
さあ、どうぞ、聖者を宣言してください。
いや、恥ずかしがることはありません。
なにせ、アゴン宗の信者は少なくとも預流向であり、全員が聖者です。
ただ、普通の信者は羞恥心が残っているから、聖者だと宣言できない。
でも、あなたは羞恥心が少ないから、大丈夫。
ゲイカも認めているのだから、さあ、堂々と聖者を宣言して、
読者を爆笑の渦に巻き込んでください。

605深山:2009/10/29(木) 12:54:47 ID:rkqUFidM0
>>599 :樹意:2009/10/29(木) 05:31:36 ID:tsllgqu20
>四種の沙門

引用された意図と意味は理解しますが、議論とはちょっと方向が
違うような気がします。
汚道沙門に限らず、どうしようもないオバカ沙門がいたことは、律蔵に出てきます。
私は、出家が全部まじめで誰一人落ちこぼれがないとは書いていません。
出家とは聖者集団であるという原則を述べたのです。
建前としては出家は聖者だという意味です。
たとえば、三供養品の聖衆とは聖なる集まり、聖者集団と解釈するべきでしょう。
教団の沙門には汚道沙門もいるのだから、聖衆という時、
この汚道沙門を入れるのか入れないのか、と議論するべきでしょうか。
私はこの種の議論そのものが意味がないと思っている。
なぜなら、釈尊が聖衆という時、四種の沙門の話をしているのではないからです。
出家集団は本来、聖者であるべきであり、汚道沙門はいないことになっている。
これを前提として聖衆と言っているのです。
同様に、弟子たちが四向四果であるというのも、
こういう原則、建前に基づいていっているにすぎません。

606深山:2009/10/29(木) 12:59:22 ID:rkqUFidM0
>>599 :樹意:2009/10/29(木) 05:31:36 ID:tsllgqu20
>四種の沙門

準シュダオンさんのように、原則や建前の話をしている時に、
例外とするべき存在を入れて、聖衆や四向四果の範囲をあれこれ議論するのは見当違いです。
聖衆や四向四果を出家の比丘集団であると解釈するのを、
「いや、教団には汚道沙門もいるのだから、それを四向四果というのはおかしい」
と言っているようなものです。
理屈としてはそのとおりだが、それは釈尊の言葉尻をとらえるというものです。
「あなたはこの学校の生徒をさして学生、つまり学ぶ者と言いましたね?
だが、ここにはまったく勉強しない汚道学生もいますよ。
彼らは学んでいないから、学生と呼ぶのはおかしい」と言っているようなものです。
生徒全体を指して学生と呼ぶ時は、個々の学生がどうであるかではなく、
原則や建前を述べているにすぎません。

607深山:2009/10/29(木) 13:04:07 ID:rkqUFidM0
>>599 :樹意:2009/10/29(木) 05:31:36 ID:tsllgqu20
>四種の沙門

準シュダオンさんは汚道沙門の話をしているのではありません。
彼は、昨日入門したばかりの初心の比丘は聖者であるはずがない、
だから、預流向は聖者であるはずがない、と言っているのです。
一方、汚道沙門の話は初心であるかどうかではなく、落第生のことです。
落第生はどの学年にもいます。
準シュダオンさんは初心者のこと、樹意さんの引用は落第生の話ですから、
両者は違う内容です。
私は出家は一年生(預流向)でも聖者であると述べているのであって、
他の学年に落第生がいないと言っているのではありません。

608ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/29(木) 13:09:14 ID:SmEF4Oe2O
おお!準シュダオンさん!
あなたは樹意さんの助けも得て、尚且つ謙遜してみせる言い訳ができましたぞ!
わたくし、準シュダオンは預流向であり外道や凡夫にあらぬ存在のはずだが、
聖者でもありません、と。
わたくし準シュダオンは汚道ウバソクなのである。
桐山聖者集団の中でも期待にそぐわぬ例外のおちこぼれなんです、と。
それって、事実、まんまですけどねw

609深山:2009/10/29(木) 13:27:21 ID:rkqUFidM0
>>599 :樹意:2009/10/29(木) 05:31:36 ID:tsllgqu20
>初歩の悟りとしての須陀オン道(預流向)において身見(有身見)・疑・戒禁取の三結が

引用をありがとうございます。
水野博士やテーラワーダ仏教では、預流向と預流果を、前段階と結果と
解釈しているのではなく、煩悩を断ち切る刹那を預流向といい、
預流果とはその状態をさすようですね。
それは前に樹意さんが引用してくれていたので、理解しているつもりです。
だが、正直言うとよくわからない。
なぜなら、他の学者たちの解説では、預流向を「前段階」とみなす解釈もあるからです。
水野博士の説明は、預流向とは単位取得終了であり、預流果は卒業という意味です。
つまり、3月30日に卒業式を迎えたのが預流向、
その後の3月31日までが預流果ということになります。
あるいは、階段を上り、踊り場に立った瞬間が預流向であり、
その踊り場を歩いている間は預流果ということになります。
この解釈では前段階ではなく、同じ事を言葉を変えて言っているにすぎず、
なんのためにわざわざ二つに分けたのか、意味がわからない。
私の解釈は桐山さんの解釈に近いから間違っている可能性も十分にあります(笑)。
ただ、そのほうがわかりやすいのも事実です。
なぜなら、向も果もほとんど同じ内容なら、その中間はどうなるのかという問題です。
つまり、水野博士の解釈では、踊り場の説明はしているが、
その間の階段の説明をしていないのです。
アビダルマ仏教がわざわざこれを二つに分けた最大の理由も、
この中間(階段)を説明するためではありませんか。
私も十分に納得のいく学者の説明がまだ得られていませんので、
ぜひ、何か資料があれば引用してください。

610ラシン:2009/10/29(木) 13:44:24 ID:2LdR/Kgw0
>わたくしたちは外道凡夫ではありません。もう聖者に向かって、一生懸命に
修行しています。完全な須陀オンになっていないまでも、須陀オンに近くなっている
人たちもいます。須陀オンにどんどん向かっているのですから――これを須陀オン向
といいます――、みなさんは外道凡夫ではありません。「阿含経」の修行を
しない人たちが外道凡夫なのです。仏教徒にとって外道凡夫といわれるのは、
最大の軽蔑です。

ありがたくも、ユビさんの示してくれた(仏陀の真実の教えを説く(上))
これを探ると、面白い結果が多々出てきます。
桐山さんは、聖者に向かって一生懸命修行しているわたしたちは
外道凡夫ではないと断定し、その後では「須陀オンに近くなっている人たち
”も”います。」などと言葉を濁し曖昧にしている。
これぞ後でどのようにでも言い換える事を可能とする桐山流詐欺師表現法の
最たるものではないでしょうか。
さらに、みなさんは外道凡夫ではなく「阿含経」の修行をしない人たちが、
外道凡夫だ、と念を押している。
一見、みなさんは外道凡夫ではい預流向だ と匂わせつつも、
桐山さんの指導に従わぬ信者は外道凡夫になるぞ、
と間接的に脅しを掛けているのではないか。
何故ならこの「阿含経」の修行とは、桐山さんの成仏力に依るアゴン宗教義の
根本から派生するものです。
この言い回しが宗教詐欺師たる所以で、信者さんたちは妄信追従することになる。
そこで「阿含経」の修行とはアゴン宗において何か?
を考えれば結果を見て明らかです。
密教様式に倣って各種からの因縁を切るために、桐山さんの成仏力に頼って
前世の不徳や先祖の不浄をなくすための様々な積徳の布施行と運命転換を
占いで探り、護摩の清らかな炎で先祖の死者成仏のための供養を欠かさず
続けることです。
だが、この教義が阿含経のどこに記されているかとの根拠を問えば、
どこにもありません。
阿含経の釈尊は、ひたすら個人その人の煩悩滅を説いていたに他ならない。
運命転換や因縁解脱カルマ解脱など、それらのひとつも必要と示していません。
では桐山さんの言を借りれば、アゴン宗徒こそ阿含経の修行をしない人たちであり、
それは外道凡夫ということになる。
そんなアゴン宗の預流向が、聖者の部類であるはずも無く、
尊師の集いに参集する人々とは大きく隔たることになります。
準シュダオンさんが桐山説を以てアゴン宗の預流向だと宣言しても、
それは仏教から言えば外道であり、仏教の物真似に過ぎません。

611Boo:2009/10/29(木) 15:03:04 ID:tFKjEVUs0
どう表明していいか分らなくなった準シュダオンさん。

どっちに転んでも強烈な批判の雨アラレ・・・

いよいよ固定ハンドル変える時期かと検討中?それともまだやるか?
シュダオン向が凡夫か聖者か・・・

612ラシン:2009/10/29(木) 15:39:35 ID:2LdR/Kgw0

602の「道果が同じ階位ではないとの結論を得られます。」
との私の表現は、預流=預流向と預流果との意味からも間違いですね。

道果が同じ段階とは考えられません、と訂正させていただきます。

613ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/29(木) 21:37:46 ID:SmEF4Oe2O
>>611
この預流向の話題はもう避けてなに食わぬ顔して別の話題でいつものように
噛みついてくることが一番賢明な選択だと思うけどねw
自分の意地に拘って桐山説を否定しても元も子もないと思うのだが、それは普通
の人の感覚なのだが、あの人は果たして・・・
ただ私が昨夜から今朝にかけて準シュダオンさんにアドバイスを書こうと思った
のは、決してイジメル為でもないのです。
上から目線ではなく、寧ろ同じレベルから提言してみようかと。
と言うのは昨日の日中深山さんの書き込みを読んで私もショックを受けたのです。
私もあれだけわかりやすい桐山文を準シュダオンさんの引用に目を通しながらも
気がつかなかった。本来ならば読んだ瞬間ツッコミどころ満載のはずなのが
読み落とした。スルーしてしまった。
そりゃ私もニンマリとはした。外道凡夫ね。準シュダオンさんは外道凡夫と
そうでない外道ではない仏教徒の凡夫を区別したくて示したつもりなんでしょうね。
しかし桐山さんは外道か凡夫と示して、ゲドーボンプなどというおかしな単語を
作らせない。
それから準シュダオンさんは聖者に向かっているというところだけに目をつけて
まだ聖者でない証拠じゃないかと示したかったのでしょう。
そこばかりに目が行って、信者はシュダオン向であり凡夫ではないと明言している
部分を読み落とした。
しかし私も読み落としていた。それはダルマチャクラ1995年4月号の引用課題
にばかり目が覆われていたからです。
日曜日まで待とうとの大日さんとの約束を守り、いざその日曜日はメモに
引用文3つを下記写して、いつでもそれを見ながら投稿できるように外出した。
帰りの電車の中から投稿でもすっか、と。
そしたら行きの電車からスレを覗いたら、仏陀の真実の教えから引用なんかしてやがる。
おいおい、ダルマチャクラを忘れるんでねえ!と苦笑した。
だったら自宅に帰ってからでもその仏陀の真実の教えを説くの該当ページを確認
すればよいものを、すっかり忘れてしまった。これは怠慢だった。
確認しておけば突っ込めたかもしれないことを。
だから目が曇ると素直に読みさえすれば気付く事柄も読み落としてしまうことは
準シュダオンさんも私も同じことなんだから、同じ高さの目線で、ここは謙虚に
ならないかと提案したわけです。
準シュダオンさんも真面目にやればアゴン宗的には聖者の流れ、アゴンの聖衆です。
聖者の真意がわかったか?

614ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/29(木) 21:48:53 ID:SmEF4Oe2O
預流とは完成された聖者「が」流れていくのではない。
完成された聖者「へ」向かって流れていく。
だから三結断ち切り果たしたシュダオン果さえも、実はまだ「向かっている」。
ならば三結を断とうと向かうも次の課題に向かうも等しくより上に向かうことであり
これガ聖者「へ」の流れに預かる預流です。
この国語が理解できれば未熟者でも聖なる集いというアゴン宗でも公認の
アゴンの聖衆です。
シュダオンになって初めておまえらは聖衆になるのだ、わかったか?この凡夫どもめが
なんて桐山さんでも言わないのです。

615ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/29(木) 22:00:44 ID:SmEF4Oe2O
桐山さんはシュダオンになったのが何人かいる、そしてまだシュダオンには
なっていないが、限りなくシュダオンに近づいている人もいると書いてますね。
どこで線引きするのか不明だが、そういう準・シュダオンだけをシュダオン向
(預流向)と認定するのかもしれないですよね。
そいつらは聖者の流れで、そこまで達してない奴は凡夫だと。
お釈迦様の言うことにゃ仏教の修行もしてないのだそうですが。
しかしそうなると、今度はぺーぺーの新米行者も預流向と書いた準シュダオンさんの
主張に反してしまう。
難しいですね。
準シュダオンさんは私はこう考える程度に謙虚に示せばよかったものを
こんなの誰が読んでも当たり前でないかとゴーマンをかましてしまい、恥の上塗りをした。
人間謙虚さを忘れてはならない。

616Boo:2009/10/29(木) 23:03:26 ID:tFKjEVUs0
>準シュダオンさんは私はこう考える程度に謙虚に示せばよかったものを
こんなの誰が読んでも当たり前でないかとゴーマンをかましてしまい、恥の上塗りをした。
人間謙虚さを忘れてはならない。

一番笑えるのは「おまいらそんな理解だからアゴン宗で脱落するんだ」といって
いた本人のゲイカ本の読み方、一番トンでも理解だったことですな。

シュダオンさんのようなあさって向いた読み方する人がアゴン続ける条件だった、
なんて自分で証明していること。国語力が普通の人は批判側に回り、国語力が
平均以下のひとしかアゴン宗に残れない証明につながる可能性を自ら示してしまった
こと。

「準シュダオン」が「聖者」の仲間であることがほぼ立証されたことは準シュダオンさん
にとって最大限の収穫ですね。もちろんそれに対しての反論も批判側は用意しているが・・・

617樹意:2009/10/30(金) 05:30:24 ID:tsllgqu20
>>602 :ラシン:2009/10/29(木) 10:30:40 ID:2LdR/Kgw0
>>599 :樹意:2009/10/29(木) 05:31:36 ID:tsllgqu20
> 道書 226p

訂正
同書 つまりは水野弘元氏文書。

 論拠としては先スレに引用した通り聖位3分というのは説一切有部での
 区分けも
 原始経典にて説かれ部派によって修道論をまとめて説いたとする
 聖者聖位3分という構図は同じ。 これは引用済み。

 私が先に引用したものも スマ長老が解説されたものです。
 今回はゲイカの種本に関連する水野博士の本からの引用です。
 
 同書 引用続き 226p 
  四双八輩の聖者が見道位と修道位と究境位[阿羅漢果]に三分されることは、
  しばしば説いた通りであるが、見道位では見惑[見所断の煩悩]が断ぜられ、
  修道位では修惑[修所断の煩悩]が断ぜられ、見修の一切の煩悩が断ぜられて
  究境位に達するのである。
  −略ー
  身見 辺見 邪見 見取 戒禁取の五見を五利使といい
  貪欲 瞋恚 無明[愚痴] 慢 疑 の五を五鈍使という。

  >>579 :樹意:2009/10/28(水) 01:30:29 ID:tsllgqu20

    道心 magga-citta    果心 phala-citta
  水野弘元監修/略 「アビダンマッタサンガハ 南方仏教哲学教義概説」
  スマ長老解説 出世間心
  「預流道心、一来道心、不還道心、阿羅漢道心、というこれら四つが、出世間
  道心と呼ばれる

  預流果心、一来果心、不還果心、阿羅漢果心、というこれら四つが、出世間異
  熟心と呼ばれる。

 ○○果心を異熟心としているようです、 これから私の見解というか現在の意見を
  述べるます。
  電気で喩えるならば 点灯 と 電気が点いている。は区別するでしょう
  区別しますが明かりが点いた ついているの違いではないでしょうか。
 
  いずれにしてもそう大差ない、それと預流に向かうと読むのではなく
  初歩の悟りを開いて解脱への流れに乗り向かうと読むのもあるかと思います。

  次参考資料 
   水野弘元 仏教用語の基礎知識 第七章 修道論 220p〜
 E 初歩の悟りについて

  原始仏教では初歩の悟りとしての須陀?道(預流向)を得るには、信によるもの
  (随信行)と理論的理解によるもの(随法行)の二種があることは前にも表示した。
  信による悟りは四不壊浄(四証浄)といわれて、仏法僧の三宝と聖戒とに対する
  絶対確実の信仰を指す。理論的理解による悟りは遠塵離苦の法眼(dhamma-cakkhu)
  を得るとされる。四諦や縁起の法に対する智慧の眼が得られたことを意味する。
  これを聖諦現観(sacca-abhisamaya)ともいう。
  とにかく初歩の悟りが得られると、悪事を犯すことが絶対になくなり、悪業の報として
  悪趣に堕すことがないから不堕法(avinipata-dhamma 悪趣におちないもの)
  といわれ、不退転とも正性決定(sammatta-niyata, samyaktva-niyata)ともいわれる。
  聖者位を退転したり異教の信仰に走ったりすることが決してなくなり、かならず向上
  して最高の悟りに至ることが決定しているからである。このような初歩の悟りの人々
  を正定聚(samyaktvaniyata-rasi)という。


 須陀?道(預流向) は大別して 
 信によるもの(随信行)と理論的理解によるもの(随法行)の二種がある 
 遠塵離苦の法眼(dhamma-cakkhu)[これは片山一良氏訳沙門果経にて示した、]
 聖諦現観(sacca-abhisamaya)
 不退転とも正性決定(sammatta-niyata, samyaktva-niyata)
 
 個人ではなく人々を指す言葉としては 正定聚(samyaktvaniyata-rasi)

618樹意:2009/10/30(金) 05:31:13 ID:tsllgqu20
 >> 深山

水野弘元著 仏教要語の基礎知識 107p〜
 
  原始経典に僧伽(三宝の一としての僧宝)の説明として掲げられている定型的な定義は次の
  ごとくである。

  「仏の弟子僧伽は、妙行をそなえー略ー すなわちそれは四双八輩である。この弟子は
   世間から供養せらるべく、−略ー 」 −略ー

  以上の定義によって、僧伽とは元来は仏弟子としての聖者の集団を意味し、悟りを得ていない
  凡夫は含まれていないことが知られる。またこの定義では僧伽は出家者とは限定されていない
  ようであるから、在家の聖者(在家でも有学の聖者となることができる)もこの中に含まれると
  考えられるが、実質問題としては、在家は聖者ではあっても僧伽としての団体生活を営むことは
  なかったから、出家の聖者だけが意味されていると思われる。とにかく、右の定義によれば、
  僧伽は四双八輩の聖者で、ひとびとから供養・恭敬・布施・合掌礼拝せらるべき無上の福田
  である。つまり僧宝として信者から絶対の帰依信奉の対象となるべきものである。
  その資格ある者は聖者でなければならないとされる。
  ところが律蔵で説かれ、また伝統的に一般に伝えられている僧伽は具足戒を受けた出家
  の団体である。 −略ー 三人以下では僧伽とはいわない。 すなわち三人や二人は
  これを別衆(gana)といって僧伽と区別される。
  団員は理想からいえば聖者であることが望ましいが、実際には具足戒を受けた者がすべて
  聖者であることは、釈尊在世にもなかったことであるから、凡夫僧が含まれていることは
  いうまでもない。それでは僧伽の団員はなぜに聖者であることが望ましいかといえば、
  それは僧伽の意義や機能を考察すれば明瞭である。


  今回の深山氏のコメントに対して意見を述べる。
  私なぞはゲイカの衣 或いは出家であるというイメージでコロッと欺かれた反省があり
  他の方も同様ではないかと思う、
  深山氏の文書は影響力が大きいし、私は彼が今まで書いてくれたものの愛読者でありその
  価値を評価する一人です。 ゲイカの批判においてはそれらの価値を大事にしたい。
  しかしながら 
  出家が聖者という観点からのコメントは個人的には批判の対象となり いままでの仕事を
  毀損するのではと思う。

619名無しさん:2009/10/30(金) 08:26:36 ID:zhQQee0s0
大方結論が出たようですし別の話題にしてくださいな。
これ以上堂々巡りされても読んでいる方としては益々イライラがつのるだけ。
そうでしょ、準シュダオンさん?

620ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/30(金) 08:37:35 ID:SmEF4Oe2O
つまり今3説あることがわかる。
1つ目が準シュダオンさんだけが説く説で、仏教に入信、あるいは出家すると
ぺーぺーの新米で煩悩がまだたくさんあろうが、まずは預流を目指してそちらに
向かっているのだから、仏弟子全員預流向なんだが、預流と呼ばれる聖者の流れ
にはまだ預かっておらず、凡夫である。三結断じ尽くしてシュダオン果を得た時に
初めて預流入りし聖者の仲間入りをする。
これには根拠がなく、桐山さんですらシュダオン向(預流向)は凡夫にあらずと
著書(法話集)で示している。
全ては向かうという日本語からまだ到達していないのだから聖者未満に違いない
という個人の思い込みが根拠である。

2つ目は深山さんが学説を根拠に説くもので、預流とは預流向(道)と預流果の
両方のことを言うのであり、これは原因と結果という切り口で分けてみただけの話で、
片方を凡夫、もう片方を聖者と差別すること自体ナンセンスで、両方とも聖者の
流れに預かるものである。
仏弟子は全員が預流向以上の四双八輩でありほぼ全員が聖者の集団と言っても
過言ではない。なぜなら皆戒律を授かり実践に励んでいるのだから結果というのは
単に時間の問題である。もちろんいつの時代にもどこの世界にも例外のおちこぼれ
や戒律すら守らない不良もいるが、これはあくまでも例外であり最初から例外を
想定したくくりはナンセンスである。
わが仏教教団は大多数の聖なる集いと一部の不良おちこぼれから成り立つと
世に示すことはナンセンスである。
わが高校は3年課程であるが、これはあくまでも留年をしなかったという前提での
話なので、実のところわが高校は何年で終わるかわからない、卒業できるかどうか
もわからないので中学生諸君いらっしゃいなどという高校はないのと同じです。

3つ目が樹意さんが文献を根拠に説くもので、入信、出家していきなり聖者として
しまうのでなく、その間にまだ未熟な凡夫僧を認める立場です。
しかし預流向=凡夫などというアホな説は認めず、預流向という限りなく預流果に
近い預流世界はやはり聖者の集団であり、凡夫ではないとする立場です。

そこでまとめますと、預流向がぺーぺーの新米も含む(但し教えを聞いて理解して
入信し戒律は授かり実践する)のか、それともある程度の境界に達した者以上を
限定するのかは不明だが、少なくとも仏教で預流と呼ばれる向(道)も果も両方
含む境界は凡夫ではなく聖者の流れです

621ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/30(金) 08:45:26 ID:SmEF4Oe2O
そして準シュダオン説は桐山さんも認めてなどおらないばかりか、正反対で
桐山説は深山説か樹意説のどちらかということが言える。
だからアゴン宗スレ、桐山スレで桐山さんと異なる準シュダオン説を提示する
ことは御免蒙りたい。

622ユビキタス学園長 ◆oGqIQwSRtg:2009/10/30(金) 09:08:04 ID:SmEF4Oe2O
聖ユビキタス学園高校募集要項

当学園は3年間の学業で修了するが、途中で喫煙、飲酒、万引き、窃盗、無免許運転、
婦女暴行、殺人等の非行や犯罪が発覚累積した場合、その生徒としての資格を
剥奪することがあります。
よってこういうことが何もなく無事卒業するまでは聖なる本校の生徒であるなどと
名乗らないでほしい。
卒業生だけわが聖なる学園生だったと名乗ってほしい。
4年かかってもかまわないから。

623ラシン:2009/10/30(金) 10:07:54 ID:2LdR/Kgw0
>電気で喩えるならば 点灯 と 電気が点いている。は区別するでしょう
区別しますが明かりが点いた ついているの違いではないでしょうか。
 
いずれにしてもそう大差ない、それと預流に向かうと読むのではなく
初歩の悟りを開いて解脱への流れに乗り向かうと読むのもあるかと思います

樹意さん、わかりやすいご説明をありがとうございます。
スマナサーラ師の「四つの悟りの段階を原因と結果に分けている」との
解釈にも合致し、預流向も悟りの初段階との解釈も理解できるものです。
スマ師の「風船に針を刺すと割れるように」とは、まさに言い得て妙だと
思いますから、四双八輩 が聖者の流れに属すとの意味も得心できます。

624樹意:2009/10/31(土) 05:32:47 ID:tsllgqu20
>>619 :名無しさん:2009/10/30(金) 08:26:36 ID:zhQQee0s0
>大方結論が出たようですし別の話題にしてくださいな。

前スレ、さらにその前のスレにおいて論拠としては出てあり、その反論を無視して
純シュダオン氏が性懲りもなくこの話題を何度も何度も出してきた、結果今回 片山一良氏、
及び、水野弘元氏論拠、スマ長老解説、パーリ語原文「アビダンマッタサンガハ南方仏教哲学教義概説」
監修は水野弘元氏、ウ・ウエープッラ/戸田忠訳注。
引用文献としては 増谷氏阿含経典も引用済み。

上記文献より 預流向は初歩の悟りを得た方 別名として >>617 引用 四種ある。都合分かっている
だけで5つの呼称がある。

こういったものは関連性が調べられ整合性が取られているわけですから 日本語の読み方だけで
預流に向かっているなどと解釈するのは ゲイカにしろ 無知 なのが知れるわけです。
準シュダオン氏などは意地を張ったが為に 新しい論拠まで出てきて逃げる隙間さへ失った。
深山氏の言葉を借りるなら 自ボレを満足させたいが為に墓穴を掘ったということでしょう。

 いずれにしろ ゲイカという人間がどの程度のものか知れただけでも収穫です。

625準シュダオン:2009/10/31(土) 11:59:32 ID:P9JinFks0
批判派の皆さんがいかに詭弁を弄して私を否定しようとも、普通の現職信徒
さんなら冷静に、私の預流向論の論理的正しさが理解できるでしょう。
現職信徒さんは、レス量に惑わされてはいけませんよ、だいたいが口数の
多いセールスマンほど、あてにならないことが多いですからねw。

ユビキタスさんも論理をまとめるのがうまいが、冷静さを欠いてますね。
あなたお持ちの岩波仏教辞典を引いてご覧なさい。四向四果の項に、
「預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生まれ
かわれば悟りを開く位」とありますよ。

つまり、預流とは預流果のことなのです、果の省略形です。その証拠に
「7回生まれ変わるうちには悟りを開く」と辞典にあります。これは釈迦が
経典で説いてる須陀?果と同じです。預流向(須陀?向)は預流に含まれ
ないのです。私は辞典の解説と経典を照らし合わせてからレスしてるのです。

626準シュダオン:2009/10/31(土) 12:09:55 ID:P9JinFks0
私の四向四果についての意見は、管長と同じです、というより管長から
教えられたことを、辞典などで確認してからレスしてるだけです。
ユビキタスさんなど、1995年のダルマチャクラを引用していながら、
それを理解できていないのですか?
例えば管長は、P6の5行目で、「聖者の第一段階、これが須陀?です」
と、解説してます。もしも管長が須陀?向をも聖者と考えてたら、須陀
?は第二段階の聖者と解説するでしょう。
こんな簡単なことが理解できないの?

627ため息:2009/10/31(土) 12:24:56 ID:WQTM47qg0
寓話

先生「はい、いですか〜『1+1=2』ですね〜」
生徒達「はーい」
先生「おや?準クンどうしたの?」
準「先生、『1+1=3』です」
先生「!?」
準「先生、ボクの参考書には『1+1=3』と書いてあります」
先生「!?」
準「1+1=3です!」
先生「ちょ、ちょっとその参考書を見せてごらんなさい」
  「(準の参考書を手に取る)ん?著者、キリヤマ塾塾長・キリヤマセイユウ?」
準「ほらね、『1+1=3』と書いてあるでしょ。ボクはキリヤマ塾でもそう習いました(キッパリ)」
先生「準クンね、参考書をよくみてご覧。『1+1=2』と書いてありますよ」
準「ウソだ!参考書には『1+1=3』て書いてあるはずだし、塾でもそう教わったもん!」
先生「準クン、それは君の勘違いだよ。それにキリヤマ塾は、生徒の成績が上がらないことで評判の悪い塾だよ」
準「ウソだ!ウソだ!キリヤマ塾のみんななら分かってもらえるはずだ!『1+1=3』!」
先生・生徒達「準クン・・・」

628名無しさん:2009/10/31(土) 12:36:47 ID:WQTM47qg0
準「学校の算数は、学者物知りが作ったから実践的じゃないんだよ!」
先生「・・・」
準「キリヤマ塾は、実践的な算数を教えているんだ(自信満々)
  塾長が研究したところ『1+1=3』なんだって!」
先生「準クン、算数はゴータマ大先生が2500年前に理論を作ったものですよ。そこには『1+1=2』とあるんですよ。それにキリヤマ塾の参考書にも『1+1=2』とありますよ」
準「そんなの間違いだよ!『1+1=3』だし、キリヤマ塾長が全て正しいんだよ!」
先生・生徒達「準クン・・・(ため息)」

629準シュダオン:2009/10/31(土) 12:38:45 ID:P9JinFks0
前にもレスしたけど、1995年ダルマチャクラの引用です。
「まず、凡夫から須陀?になる」と、P5で解説しています。
「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀?の範疇ですから、」
と、P8に解説しています。

「まず、凡夫から須陀?になる」を、・・・・(1)としましょう。
「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀?の範疇ですから、」を
 (2)としましょう。
この解説から、「阿羅漢向は阿羅漢に向かっているものの、まだ阿那含の範疇
です」が導き出されることがおわかりでしょうか?
同じく、「阿那含向は阿那含に向かっているものの、まだ斯陀含の範疇です」
ということになります。
では須陀?向はどうなりますか?
「須陀?向は須陀?に向かっているものの、まだ?の範疇です」となるわけ
ですが、?は何でしょう。「まず、凡夫から須陀?になる」と解説してます
から、?=凡夫となるでしょう。
つまり、管長は、須陀?向は凡夫の範疇であると説明してると思うのです。
そりゃ、須陀?向はただの凡夫ではない、聖者を目指してるのですから。
凡夫と須陀?向は違う、というのはそういう意味でしょう。
煩悩が満載、という点では、須陀?向も凡夫も同じです。

630準シュダオン:2009/10/31(土) 12:43:44 ID:P9JinFks0
ためいき君や名無し君は恥を知りなさい。
私の仏教辞典だけが間違いだというのか?w。
愚か者めがW。

631ため息:2009/10/31(土) 12:47:08 ID:WQTM47qg0
>>630
あんたの読み違いなんですよ。

632ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/31(土) 13:08:42 ID:SmEF4Oe2O
>>625
いや、辞書がおかしいと言っているのではないですよ。
預流果、シュダオンは七来であり、最大7回輪廻する間に悟りを開く。
それは否定しませんよ。
ただそれだとあなたの方が困ってしまわないか?と訊いたのです。
つまり現世においてはまだ悟ってないのです。
悟ってない奴がどうしてあなたのイメージする聖者なんだ?と訊いたわけです。
あなたのイメージする聖者は三結煩悩も断っているから聖者なんであり
まだ断ちきってもいない凡夫にどうして聖者と呼ぶのだ?と厳しい条件をつけている。
ならば同じ理屈でまだ悟りも開けておらず来世以降の未来形に期待している
だけに過ぎない凡夫をどうして聖者と言うのか?
あなたの主張との矛盾を指摘している。
そもそもあなたは大乗の説く聖者僧と凡夫僧の区別を出してきて、大乗にだって
正しいものはあると示して、これを引っ込めなかった。
その区別とは悟った僧が聖者僧で悟ってない(あなたの表現)のが凡夫僧でしょ?
だったら七来の預流果、シュダオン果は悟りを来世以降に持ち越しているのだから
あなたの持ち出した資料の理屈によると凡夫僧になるじゃんと示したのです。

633ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/31(土) 13:32:50 ID:SmEF4Oe2O
>>629
だからそのダルマチャクラ1995年4月号の引用から「読み取った」あなたの
「理屈」「論理」は、私も最初から十二分に理解してますよ。
なるほど、そういう理屈からそうも言えなくもないと、あなたの解釈、主張はわかります。
ところが困った桐山発言が出てきたのですよ。
>>598に示して>>600で解説した「仏陀の真実の教え」からの引用です。
これももともとはあなたから出してきたもので、あなた方の中にもシュダオンまでは
行かないがシュダオンに近づいている人たちがいる。これをシュダオン向という。
そういうあなた方(シュダオン向)は外道凡夫ではないと明言している。
シュダオン向の範囲をどこまで設定しているのかはわかりません。
ぺーぺーの新米、ボンクラもいる中で、シュダオン間近の進んだ行者のみを
シュダオン向(預流向)として、君らだけは凡夫ではないとしているのかも知らない。
その場合、シュダオン未満の仏弟子、アゴン宗信徒全員預流向の凡夫であると
いうあなたの主張が否定される。
新米含めて全員預流向(シュダオン向)だよとした場合、そのシュダオン向(預流向)は
凡夫ではないことになる。
とにかく桐山さんがシュダオン向は凡夫でないと明言している。
これは明らかです。
片やあなたは別の法話から「読み取った」「論理」「理屈」で、桐山さんを否定した。
「本人による明言」と「本人が書いたものを他人がその言葉尻から読み取った理屈、論理」
とどっちを優先するのですか?
それともあなたは桐山さんに対して俺の論理と矛盾するようなおかしな明言などするな
と批判しているのですか?

634ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/31(土) 13:36:35 ID:SmEF4Oe2O
ある程度、覚悟、予想はしていたが・・・
やはり普通の人間ではなかったw
コイツ人間じゃねえっ!

635Boo:2009/10/31(土) 13:55:36 ID:tFKjEVUs0
あ〜らら・・・

準シュダオンさんは現役信者さんたちに自分の見解が正しいと呼びかけていますが、
多分、現役信者さんたちは、準シュダオンさんと同じサイドに立っていることを
恥ずかしく思っているのじゃないでしょうか?あるいわ、同じサイドに立っていることを
認めていないのじゃないですか?

少なくとも、「準シュダオン」というステータスは「外道凡夫」であることが、ここの
どちらのサイドに立つかには関わりなく、ここのスレッドを読む人の共通の認識のようです。

636ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/10/31(土) 15:32:07 ID:SmEF4Oe2O
準「あたしゃ、ダルマチャクラ1995年4月号を根拠に桐山説が正しいことを
 述べているんだ!余計な資料を出すんじゃないっ!誰だ?あたしの考えに
 逆らうような資料を出す奴は?」
桐「私だが…」
ユ「ゲイカ殿。私めの出番がありませんな」

637Boo:2009/10/31(土) 23:04:24 ID:tFKjEVUs0
準「ゲイカ・・・批判派のやつらがゲイカのご著書で私に反論します!」
桐「ん?あんた私のご著書、読んだの?」
準「もちろん。法話も聞いたし本も読んだし・・・」
桐「・・・・・」

638深山:2009/10/31(土) 23:10:17 ID:SVGOQG7w0
>>618 :樹意:2009/10/30(金) 05:31:13 ID:tsllgqu20
>出家が聖者という観点からのコメントは個人的には批判の対象となり いままでの仕事を
>  毀損するのではと思う

問題点は二つあるようです。
一つは、出家が聖者とみなされるかどうか、二つ目は預流果と預流向についてです。
まず、一つ目の出家が聖者とみなされるかという点ですが、
これはすでに私の意見は述べました。
正直申し上げて、今回、樹意さんが何を反論しているのかよくわかりません。
出家とは聖者とは限らない、という反論ですよね。
しかし、引用した水野博士の文章の中に、

「以上の定義によって、僧伽とは元来は仏弟子としての聖者の集団を意味し、悟りを得ていない
凡夫は含まれていないことが知られる。」

という一文があります。
これは「出家→聖者」だと言っているのではありませんか。
しかも、その根拠として釈尊の言葉が出ており、それらは四向四果です。
つまり、水野博士の解説をそのまま理解するなら、
出家とは四向四果の聖者集団を指す、ということになります。
現実には不良出家がいるのは事実だろうが、現実がどうであるのかではなく、
出家とはすべて四向四果であり、聖者であることが前提とされていると
述べているのではありませんか。
つまり、出家には凡夫などいないという意味です。

639深山:2009/10/31(土) 23:13:03 ID:SVGOQG7w0
>617 :樹意:2009/10/30(金) 05:30:24 ID:tsllgqu20

次に預流果と預流向についてです。
樹意さんはスマナサーラ師と同様に、預流向とは預流果に向かうと
いう意味ではないという立場のようです。
水野博士も三結を切ったのが預流向であり、切った境地が預流果であると、
同様の考えのようです。
ただ、学者の中には必ずしもこういう意見ではない人たちもいます。

「すなわち、小乗における修行階位を、或る境地に向かって修行していく段階(向)と、
それによって到達した境地(果)とに分けて説いたもので、・・・」
(『ブッダ最後の旅』中村元、220頁)

「境地に向かって修行」に表れているように、水野氏の解釈とは違います。
私の階段のたとえを言うなら、一階(世俗)から二階(預流果)に向かうには、
階段を登らなければならず、その階段が預流向です。
中村博士はこういう解釈のように見えます。

640深山:2009/10/31(土) 23:21:42 ID:SVGOQG7w0
>617 :樹意:2009/10/30(金) 05:30:24 ID:tsllgqu20

スマナサーラ師らの説明は私には納得のいく説明ではありません。
風船に針を刺すのと、破裂させるのの違いだと言われても、
なんのためにそんな区別をわざわざしたのか、という疑問です。
たとえはわかるが、修行過程の何を言いたくてこんな区別をする必要が
あるのか、という疑問です。
しかも、このたとえが一貫しているのならまだわかるが、水野博士の説明では、
一来から阿羅漢までの修道は、むしろ、私の学校や階段のたとえそのままで、
いずれも「○○果に向かう」という意味で向を用いています。
たとえば阿羅漢向とは阿那含果のままでいるのではなく、阿羅漢果に至るまでの
煩悩を切る過程を指します。
まさに阿羅漢果に向かって進むのが阿羅漢向です。
それらは修道だから、一瞬ではなく、長い時間がかかるとされている。
つまり、私の階段のたとえは、一来から阿羅漢まではあてはまる。
ところが、唯一、預流向と預流果だけが、風船をわるたとえに出されて
いるような一瞬であり、まるで階段などないか、あるいは一階(世俗、凡夫)
と二階(預流果)の間の階段(預流向)はたった一段しかなく、一瞬で
上れるかのようにされている。
世俗と聖者への移行がたった一段で済む??
水野博士らの説明が納得できないのは、これだけではありません。

641深山:2009/10/31(土) 23:28:58 ID:SVGOQG7w0
『仏教要語の基礎知識』水野弘元、226p
「初歩の悟りとしての須陀諸Y道(預流向)において身見(有身見)・疑・戒禁取の三結が
断ぜられ、欲界の一切煩悩を断じて到達される阿那含(不還)の悟りにおいて
五下分結が断尽され、上二界(色界、無色界)のすべての煩悩を断じて到達される阿羅漢の悟りにおいて五上分結が断尽されるとされるのはそれである。」

樹意さんが引用してくれた上記の水野博士の文章もよく読むと、
意味がよくわからない。
十結を切るまでの段階を、

・三結を断じる → 預流向
・五下分結まで断じる → 阿那含
・五上分結まで断じる → 阿羅漢

と書いている。
皆さん読んでいて意味がわかりますか。
十結煩悩を断滅するのと、四向四果の配置が一定ではないのです。
三結を断じるのは預流向だが、五下分結を断じたのは
預流向に対応する阿那含向でも、阿那含果でもなく、阿那含だというのです。
素人には、はあ??になりませんか。
上記の文章の須陀諸Y道(預流向)が須陀諸Y(預流)ならわかります。
ところが、三結を断じた時だけは、預流ではなく、預流向だというのです。
なんでこんな訳のわからない分類になっているのか。

642深山:2009/10/31(土) 23:43:56 ID:SVGOQG7w0
なぜ、こんな違いが出ているのか。
理由は簡単で、水野博士の説明はアビダルマ仏教だからです。
だから、アビダルマを入れている辞典は同じような説明をしています。
アビダルマでは、
預流向・・・見道
預流果・・・修道
と分類したから、見道の煩悩である三結は預流向のうちに切っておかないと間に合わない。
預流果は見道ではなく修道だから、その前の預流向で
三結が切れていることにしないと矛盾するからです。
アビダルマでは見道や修道という分類を持ち込んだために、
それに合わせたから、預流でも預流果でもなく、預流向で三結を切ることにした。

643深山:2009/10/31(土) 23:57:49 ID:SVGOQG7w0
スマナサーラ師らの、預流向は一瞬で終わってしまうという説明も
同様にアビダルマから来ています。
だが、皆さん考えてほしいのは、この説明に納得できますか。
預流向は見道ですから、知性で理解することです。
釈尊の話を聞いて、その内のいくつかを理解しても
それは預流向ではなく、凡夫であり、
完全に理解して三結を切った瞬間が預流向であり、
次の瞬間には預流果になっているのというのです。
はたして、釈尊はこのように説明しているのでしょうか。
常に立ち返らなければならないのは阿含経です。
預流向で三結を切る、預流向は一瞬であるなど、阿含経の釈尊が
いつそのような説明をしたのか。
私自身はそういう阿含経を見たことがありませんから、
そう説いている阿含経を示してもらうしか方法はありません。
ここで述べているのはあくまでも、ド素人の私の個人的な
見解にすぎませんが、少しだけでも阿含経を見てことを紹介します。

644深山:2009/11/01(日) 00:09:35 ID:SVGOQG7w0
「何等為須陀諸Y果。謂三結断。」(雑阿含経巻第二十九、七九七)

直訳すれば、
「何を須陀諸Y果となすか。三結を断じたことをいう」
つまり、釈尊ははっきりと三結を断じることが預流果なのだと述べています。
三結を断じるのが預流向なら、なぜここでは三結を断じるのは
預流向だと言わずに、預流果であると述べているのでしょう。
こればかりでなく、阿含経には預流向という言葉は私は探せませんでした。
ただし、須陀諸Y道という言葉は出てきます。

「古くは四果のみが説かれて四向は説かれなかったらしい。」
(『総合佛教大辞典』法蔵館、530頁)

つまり、預流果のみで預流向は説かれていなかったというのです。
ただし、誤解のないように、次の経典を見てください。

「謂向須陀諸Y.得須陀諸Y果。向斯陀含.得斯陀含。」
(雑阿含経巻第二十、五五○)

直訳すれば、
「須陀諸Yに向かって、須陀諸Y果を得る。斯陀含に向かって、斯陀含を得る」
とあり、他の経典でもしばしばこの表現が出てきます。
「須陀諸Yに向かって」ですから、須陀諸Y向ともとれますし、
実際、これを元にしてアビダルマの人たちは須陀諸Y向を作ったのでしょう。
だが、須陀諸Y果という表現はあっても、須陀諸Y向とはありません。
釈尊は須陀諸Y向と須陀諸Y果の二つにきれいに分けて考えていたのではなく、
あくまでも須陀諸Y果が主体や目標であり、その目標に向かって進む段階が
あることを述べているだけです。
つまり、「三結を切る須陀諸Y果に向かって修行しなさい」という意味です。
水野博士のアビダルマ仏教の複雑な解説よりも、
元の経典ではシンプルでとてもわかりやすいと思いませんか。

645深山:2009/11/01(日) 00:16:15 ID:SVGOQG7w0
アビダルマにおける預流向と預流果の獲得は「刹那」です。
一瞬で十五段階を経て、いきなり十六番目に到達するという。
もし、このような解説をしている阿含経があるのなら、
ぜひこの機会に紹介していただけるとありがたい。
アビダルマは、桐山さんや準シュダオンのように空想で解釈しているのではなく、
たいてい、元が阿含経にあります。
では、一瞬で預流向を通り過ぎるという話はどこから来たのでしょう。
典型的な話が、準シュダオンさんが我田引水で出したサーリプッタが
釈尊に帰依する時の話です。
アッサジが托鉢している姿を見て、教えを請うと、アッサジはまだ自分は
初心だからと、縁起の法の簡単な詩句を唱えた。
これを聞いたサーリプッタは法眼を生じたというのだから、預流になったのです。
話を聞いて、一瞬で理解し、預流になってしまったのだから、刹那です。
サーリプッタには預流果に向かって精進したなんて時間はほとんどなく、
凡夫(と言っては失礼だが)から、アッサジの話を聞いただけで、
一瞬、刹那に預流になってしまったのです。
アビダルマ仏教の人たちは、このように、預流になるためには、
理解という一瞬でも可能な内容であり、現実にサーリプッタのように、
聞いた瞬間に預流になってしまった事例を踏まえて、刹那という考えを作り出したのでしょう。
ところが、これが後に一人歩きを始めた。
考え出した人たちの意図もわからず、刹那ということに囚われて、
預流向は一瞬で終わってしまうのだから、預流向が預流果を目指す
前段階なんて悠長な話ではなく、風船に針を刺して破裂する時のような、
両者ともに刹那なのだ、というアビダルマ解釈が始まった。
と言うのが、私の推測です。

646深山:2009/11/01(日) 00:24:50 ID:SVGOQG7w0
アビダルマは功罪両方あります。
釈迦仏教とアビダルマ仏教を完全に分離することは無理だし、
アビダルマによって釈迦仏教の理解の助けとすることは賛成です。
だが、アビダルマ仏教は煩雑であるだけでなく、不完全です。
アビダルマは釈迦仏教の解説を助ける「従者」であったはずです。
ところが、主客転倒というか、元の阿含経よりももっとわかりにくい専門用語を
乱造したため、アビダルマを理解するのに別な解説書が必要になるという
バカみたいなことになった。
釈尊の説いた教法を整理統合して、わかりやすくしようと努力し、
一部においてはその功績は大きいが、一方で、釈尊が無学な民衆にも
わかりやすく説いたはずの教法を、ひどくわかりにくいものにしてしまった。
元々、釈尊は対機説法と言われるように、相手に応じて説いたのだから、
教法を体系化することに向きません。
それをアビダルマは強引に体系化してしまったために、わかりやすいことは
わかりにくく、わかりにくいことは理解不可能になるまで作り上げてしまった。
南伝の上座部仏教はアビダルマ仏教の「子孫」です。
いくら「自分たちは釈迦仏教の直系であり、部派仏教などではない」と言っても、
現実には派生した説一切有部などアビダルマ仏教の子孫であることは明かです。
偽ブランドの大乗仏教や、アゴン宗のような仏教ですらない外道は論外としても、
きつい言い方をするなら、彼らは釈迦仏教ではなく、アビダルマ仏教です。

647深山:2009/11/01(日) 00:29:38 ID:SVGOQG7w0
私としては、樹意さんとの議論のほうが信者さんたちにとっても、
大いに意義があると思うし、関心を持ってもらいたいが、
しかし、ここはそれを議論するスレではありません。
両者の意見はそれぞれに書いたのですから、いったん終わりにして、
また、針の飛んだレコードのような信者相手に、賽の河原の石積みの
ような議論に戻りますか・・・(溜息)。
だから、太郎さんが出て来てくれた時はうれしかったんですけどねえ。
せめて、普通の知性と脳をもった信者はいないのかなあ。
2ちゃんねるを見ても、質の悪い信者が多すぎますよね
・・・これは批判ではなく、元信者として、がっかりしているのです。

648樹意:2009/11/01(日) 01:38:43 ID:tsllgqu20
>>638 :深山:2009/10/31(土) 23:10:17 ID:SVGOQG7w0

このごろは忙しくてね、あれなんですがまぁ今は時間がありますから少し議論してみましょうか。
>>618  の私が引用した文には以下の文がある。

  > 団員は理想からいえば聖者であることが望ましいが、実際には具足戒を受けた者がすべて
  >聖者であることは、釈尊在世にもなかったことであるから、凡夫僧が含まれていることは
  >いうまでもない。それでは僧伽の団員はなぜに聖者であることが望ましいかといえば、
  >それは僧伽の意義や機能を考察すれば明瞭である。

 2chにしろこういう批判板を読む方はゲイカが僧侶でもなくましてアジャリでもない
 コスプレーヤーなのは理解されていると思いますが、 (僧侶の格好をしたビジネスマンもどき、)
 ですが私もそうですが奈菜氏さん(現深山氏)もゲイカがこの莫迦つまみ出せ発言を批判する際には
 その煩悩のありようを観察するように信者さんたちに説いていたはずです。
 その他の批判においても同様。
 個人を観る場合仏教においての尺度というのはあくまで煩悩がどれだけ消えたのか、
 解脱したのか?と いうものがその尺度となる、それは出家であるとか在家であるとかは関係ない。

 >>599
 >初歩の悟りとしての須陀オン道(預流向)において身見(有身見)・疑・戒禁取の三結が
 >断ぜられ、 −−略ーー

  こういう批判板を覗かれる方はその時点での話題にそって理解されますから、継続して批判を
 読んでいる方とは見方がおそらくは異なる、従って信者さん其の他の方々においては ゲイカを
 出家であるという前提にて読んでいるものと思っておいた方がよいと私は考える。
 私は信者さんたちにゲイカやその取り巻きをキチンと本来の仏陀の教えに沿った煩悩論で
 判断してもらいたい と常に思っている、
 偽坊主までいかなくても仏陀が説かれる 汚道沙門 の嫌疑をかけてもらいたい。
 仏教の沙門にふさわしいのかよく考えてもらうということ。

 ですから深山氏が出家を聖者の前提にして議論されるのはいかがなものかと指摘したまでの
 こと。

649樹意:2009/11/01(日) 01:40:43 ID:tsllgqu20
 >>638 :深山:2009/10/31(土) 23:10:17 ID:SVGOQG7w0
 >一つは、出家が聖者とみなされるかどうか

>これは「出家→聖者」だと言っているのではありませんか。

あともう一つ指摘しておきたいのは 出家が全て僧伽ではないということ。出家と僧伽はまた
 別にして考える必要があるということ。
 今回テーマにされているのは 出家であり僧伽としての議論ではない。
 出家には先に引用した通り >>599 四種の沙門があり第四には汚道沙門の存在が釈尊その人から
 説かれ、水野博士も注釈において 〔 僧伽に第四の沙門があっては、その機能は乱されるであろう。〕
 と書かれている。

 水野弘元著 仏教要語の基礎知識 112p
  僧伽に出家した者は若い未熟のものであっても、国王大臣などを含むすべての在家信者から
  帰依礼拝されるのは、僧伽が三つの機能をもった宝であるからである。

  同書 109 
  それでは僧伽にはいかなる意義や機能があるかというに、そこには三つの意義や機能があると
  考えられる。それは
  1、僧伽は仏教の専門家である。
  2、僧伽は信仰の指導者である。
  3、僧伽は正法の嗣法者である。

 >>618
 >三人以下では僧伽とはいわない。 すなわち三人や二人は
  >これを別衆(gana)といって僧伽と区別される。

水野博士もその矛盾を指摘されておりますがその聖者としての機能を僧伽の意義、機能に付託
 していることも指摘しておきたい。
 
 > 団員は理想からいえば聖者であることが望ましいが、実際には具足戒を受けた者がすべて
 > 聖者であることは、釈尊在世にもなかったことであるから、凡夫僧が含まれていることは
 > いうまでもない。それでは僧伽の団員はなぜに聖者であることが望ましいかといえば、
 > それは僧伽の意義や機能を考察すれば明瞭である。

個人と法人格の違いとでもいいましょうか。

650樹意:2009/11/01(日) 01:44:44 ID:tsllgqu20
>>639 :深山:2009/10/31(土) 23:13:03 ID:SVGOQG7w0

>次に預流果と預流向についてです。
>樹意さんはスマナサーラ師と同様に、預流向とは預流果に向かうと
>いう意味ではないという立場のようです。

スマ氏は >>629 パーリ語原文「アビダンマッタサンガハ南方仏教哲学教義概説」
を説明した本を書いただけのことですからそこにある出世間心 八種を説明されている
だけのことです。>>579

 出世間道心 出世間異熟心 出世間心ですから預流向は聖者の範疇です。
 道心で煩悩を断ち切って異熟心に移行するのですから 向かう で正解だと思います。

となれば誤解が生じるであろう

 >>624
日本語の読み方だけで預流に向かっているなどと解釈するのは

の部分の発言は撤回しておきます。 

>水野博士も三結を切ったのが預流向であり、切った境地が預流果であると、
>同様の考えのようです。
 
片山一良氏 翻訳 阿含経も同様のようです 
 ディーガニカーヤ ジャナヴァサバ経 補注 4
 −略ー
 《下の三道(預流・一来・不還の道)》によって遮断されるべきもの 、あるいは
 《欲界 (kama-dhatu)》をいう。

各 《道》によって遮断しその後異熟心に移行するようです。

片山氏の注にはこの手の解説が多々あるようです。 道 果 をよく解説されています。

 >中村博士はこういう解釈のように見えます。
預流向の別称は先に引用した通りあるようですので 中村博士の解説を調べて
 みるのも価値がある仕事かと存じます。

651樹意:2009/11/01(日) 02:40:06 ID:tsllgqu20
>>641-646

アビダルマ仏教の批判をされているようですが それはそれで仏陀の教えを
整理分類する上で価値のあるものです。
それと 私が引用した水野弘元氏著作はゲイカが種本にし、その随煩悩分類やら
論述は今尚座右法となって信者さんたちに配布されており、人間改造の原理と方法は
それらのパクリ本であるのは以前引用した通りです。

従ってアゴンとゲイカを批判する上でなんの問題もないことになる。
ゲイカが信者さんからお金と時間を得る論拠とした文書との相違を批判するのが 
批判する上での肝要であります。
アビダルマの批判は批判でまた別のお話です。 今一度基本に帰ってみてください。

アビダルマや水野本を採用したのは 私樹意ではなく ゲイカその人です。
水野本での見解を私はこの板にて紹介し、ゲイカの説明不足認識不測を指摘した
批判する上でそのことに対して何か不都合なことがありますか ?
アビダルマが間違っていようが 水野本がどうだろうが それを採用し利用した
のはゲイカです。
大事なのは きちんとしたゲイカ批判をして仏陀本来の煩悩論でゲイカやその
周囲を信者さんたちに眺めてもらうことではないでしょうか。

 私のいうことが間違っていると思うならご指摘下さい。

652樹意:2009/11/01(日) 06:54:27 ID:tsllgqu20
>>644 :深山:2009/11/01(日) 00:09:35 ID:SVGOQG7w0
>水野博士のアビダルマ仏教の複雑な解説よりも、

水野博士はアビダルマはアビダルマ 部派は部派仏教 原始仏教は原始仏教で詳しく解説されて
 いますし 私も引用においては注意して引用しているつもりです。
 決め付けはよくありませんよ。
 原始仏教で説かれたものを部派仏教が纏めた 聖位三分の図と説一切有部の図は提示済みです。
 心解脱阿羅漢位を除いた七種を七聖人とよぶのも引用済みのはずです。 
 なにより大乗仏教の位階まで順次詳しく説明され それらも引用済みです。
 これらを詳しく整理分類されたものを著作として残されたのです。

 水野弘元 仏教要語の基礎知識 修道位階 211p
  
    釈尊は修道の階位をまとめて説かれることはあまりなかった。しかし
    初歩の悟りを得て四双八輩というような聖者位を進むことは、すでに
    阿含経に説かれている。

653樹意:2009/11/01(日) 07:17:57 ID:tsllgqu20
>>642-643
>>642 :深山:2009/10/31(土) 23:43:56 ID:SVGOQG7w0
>と分類したから、見道の煩悩である三結は預流向のうちに切っておかないと間に合わない。

意見を述べる。
結論から言うと 預流道、一来道、不還道、阿羅漢道 各道によって遮断する煩悩があると
いうことでその遮断する智慧が生じ、煩悩を遮断する智慧(出世間心)を 道(向〉として
いるだけのことと考えます。

煩悩を遮断する 智慧(道智)をも示してもいるということ。
道智という慧によって遮断が成されるということで当然そこに至るにはプロセスというものが
必要なのはいうまでもない。
明かりを点けにいく 明かりを点けた 明かりが点いている。
 観は道の等流であり道は果の等流であるとほかの注にもあるようです。

     結集経 60p  
  四の預流支があります。
  善人に親しむこと、
  正法を聞くこと、 
  正しく思惟すること
  法の随法を実践すること。
  
  注釈  catu-sotopattiyanga.〈預流(sotapa-ti)の支分(annga 条件)、預流道(sota-patti-magga)
      を獲得する根拠〉の意
   
     片山一良氏訳 ディーガニカーヤ 十増経  164p
   何が「起こされるべきニの法」であるか。
   二の智です。
   滅尽智
   無生智 
   これらが起こされるべきニの法です。
   −略ー
   何が「現証されるべきニの法であるか。
   明
   解脱
   これらが現証されるべきニの法です。
  片山一良氏訳 結集経

 補注 264p 
 
 40 
 (「滅尽智」とは、煩悩の滅尽を作る(kilesa-kkhaya-kara) 
  聖道の智(ariyamagga)である〉。《正断(samuccheda)によってもろもろの
  煩悩を捨て去る(kheteti)から滅尽(kha-ya)、聖道(ariyamagga)である。それに属する
  智が滅尽の智である。)
 −略ー
 それゆえ、「滅尽智とは、道を備えている者の智である。 無生智とは、
 果を備えている者の智である」−略ー

654樹意:2009/11/01(日) 07:22:44 ID:tsllgqu20
 同 十増経注釈
 八 〈本説において、「証智」(abhin-na)《証智・慧(panna)》などは《前節におけるのと
    同様に分別し、語られるべきことから》一法と同じものであるが、「起こされるべき」語
    には道が語られ、「現証されるべき」語においては果が語られている〉。なお《「道が
    語られ」とは、「道のみが語られ」というように意味を捉えず、「あるいは道が語られ」
    というように捉えなければならない。なぜなら、「無生智」ということによって果が語られ
    ているからである。「現証されるべき語においては果が語られ」とは、この場合も「果のみ
    が語られ」と捉えず、「あるいは道が語られ」というように意味を捉えなければならない。
    なぜなら、「明」を捉えることによってその他の者が含まれているからである。
    この仕方は、これ以後も、このような箇所については同様である》。

 
  173p
  何が「現証されるべき四の法」であるか。
  四の沙門果です。
  預流果
  一来果
  不還果
  阿羅漢果
  これらが現証されるべき四の法です。

  注釈 
  〈本節においても、「証智」などは一法と同じものであるが、ここにおいて「証智」の語
   には道が、「現証されるべき」においては果が語られている〉。

    結集経  124p
  八の供養されるべき人がおります。
  @預流果の者
  A預流果の現証のために実践する者
  B一来果の者
  C一来果の現証のために実践する者
  D不還果の者
  E不還果の現証のために実践する者
  F阿羅漢果の者
  G阿羅漢果の現証のために実践する者
  注釈 A八 預流道の者 − 略 −


  結集経 84p 注釈
  ー略ー 「観の等流(結果)が道であり、道の等流が果であり、一切の行(形成力)の捨棄が
       涅槃であるといわれるが −略ー

655樹意:2009/11/01(日) 07:43:29 ID:tsllgqu20
  今回の議論の論点は預流向が聖者か否かということだが
  佛教徒の仕事は心を清めることであり、そのものさしというものはどれだけ煩悩が切れたのか
  という点にある、
  道慧によって煩悩を遮断 (正断)するプロセスがありそれは 

  明かりを点けにいく、
  明かりが点いた(道心) 
  明かりが点いている(果心 異熟心〉、
  次の明かりを点けにいく。

  の中で  明かりが点いた(煩悩遮断)までが範疇か否かということがポイントになるかと思う
  預流向ではそのプロセスとして明かりを点けにいく段階では確かに聖者とは云えないだろうが
  預流道(慧)として明かりが点いた初期の悟りが範疇に入っていることから聖者として分類
  されるのだろうと私は考える。
  片山博士翻訳経典においてはそのように 道 を説明されているようです、(一部引用)
  水野弘元氏 アビダンマッタサンガハにおいても同様。
  
  四向四果は増谷博士が文献批判して仏陀の第一結集に迫ったとされる阿含経典にも示されて
  いるこことからこれは信憑性のあるものと思われます。

656樹意:2009/11/01(日) 19:23:02 ID:tsllgqu20
 四向 四果 四双八輩議論 
 調査の結果各仏教学博士の説明されるものが整合とれましたので
 お知らせ致します。

 ヤジが飛ぶかもしれませんが これで純シュダオン氏やゲイカの無知が
 更に更新されたことに価値を見出して欲しいと思います、
 なおご指摘いただいた深山氏には感謝するしだいです。

 >>577 :深山:2009/10/27(火) 13:33:43 ID:MaSDj55s0

>預流向が三結を断じた聖者だとは初めて聞きました。
>経典、学者の解説など何でも結構ですから、解説をお願いします。

  中村元選集〔決定版〕 第16巻
 原始仏教の思想 U

  291p 
 『〔i〕自身を実在と見なす見解と〔ii〕疑いと〔iii〕外面的な戒律・誓いと
 いう三つのことがらが少しでも存在するならば、かれが知見を成就するとともに、
 それらは捨てられてしまう。かれは四つの悪い場所から離れ、また六つの重罪を
 つくるものとはなり得ない。この勝れた宝だ〈つどい〉のうちに存する。この真理 
 によって幸せであれ。』 (Sn.231)

 注釈 296p
 三つのことがらーーここにあげられた三つは十結(samyojanani)のうちの最初の
 三つである。それらは聖者(預流向以上)では消え失せる(sakkyadith,mn. no 44:silabbata,
an.x,13)。

657樹意:2009/11/01(日) 19:24:22 ID:tsllgqu20
 >>639 :深山:2009/10/31(土) 23:13:03 ID:SVGOQG7w0
>>617 :樹意:2009/10/30(金) 05:30:24 ID:tsllgqu20
>ただ、学者の中には必ずしもこういう意見ではない人たちもいます。

>「すなわち、小乗における修行階位を、或る境地に向かって修行していく段階(向)と、
>それによって到達した境地(果)とに分けて説いたもので、・・・」
>(『ブッダ最後の旅』中村元、220頁)

では中村元氏著 広説佛教語大辞典から抜粋してみます。

 しこうしか【四向四果】 聖者の四つの位。小乗仏教における四つの修行目標(向)と
 到達境地(果)。 (1)預流(p sota-apanna s sr-ota-apanna須陀?)。ー略ー
 右の四つにそれぞれ向と果を立てる。すなわち、小乗における修行階位を、或る境地に
 向かって修行していく段階(向)と、それによって到達した境地(果)とに分けて説いた
 もので、預流向・預流果・一来向・一来果・不還向・不還果・阿羅漢向・阿羅漢果の八つ
 をいう。 預流向は三界(欲界・色界・無色界)の見惑(八十八使)を断つつある見道
 十五心の間をいい、見惑を断じ終わって、第十六心である修道に入ると、これを
 預流果という。 一来向は欲界の修惑の九品のうち、六品の修惑を断じつつある位をいい、
 これを断じ終わったくらいを一来果という。不還向は先の修惑の残り三品を断じつつある
 位で、これを断じ終わる時、不還果という。 −略ー
 このように四つの位のそれぞれが向と果とがあることを「四双」といい、全部で八種の
 人々考えられるので「八輩」ということから、四向四果を「四双八輩」ということもある。
 −略ー

 中村博士も編纂に参加された岩波仏教辞典より
 819p
 預流よる 〔s:srota-apanna〕 サンスクリット原語を音写して(須陀?)とも、
 無漏の聖者の流れに入ったもの。・四向四果の最初の段階。原始仏教では三結(有身見
 戒禁取見 、疑 )を断じた者が得る位であったが、のちの『倶舎論』では、見道に
 おいて見惑の八十八随眠(煩悩)を断った者が得るとする、この位に達すると退転する
 ことがなく、最大でも7回人間界と天界を往来するだけで悟りに達するとされる、
 預流向は預流果に向かう見道位の十五心(刹那)のこと。

 十五心刹那というのは水野広元著 仏教要語の基礎知識においては 説一切有部『倶舎論』
 での表示となっています。(過去スレ 図 参照)

658樹意:2009/11/01(日) 19:25:51 ID:tsllgqu20
 中村博士の引用文は
 >しこうしか【四向四果】 聖者の四つの位。小乗仏教における四つの修行目標(向)
 であり、それは深山氏が引用した。
 >>644 :深山:2009/11/01(日) 00:09:35 ID:SVGOQG7w0

>「古くは四果のみが説かれて四向は説かれなかったらしい。」
> (『総合佛教大辞典』法蔵館、530頁) 
 
というものとも整合性が取れるのではないかと考えます、ただ先に私が書いたように、
 増谷博士が経典選別の上編纂した阿含経典には出てきますので、そこいら辺は更に
 突っ込んだ研究が待たれるところです。

 中村博士の引用文から考察できるのは四双八輩というのはそもそもアビダルマの範疇
 であるということ (議論するからにはアビダルマの畑にあるものということです )
 見道位其の他の語彙は水野博士のものと同様であり、スッタニパータの注釈においては
 水野博士と同じ見解となるようです。
 矛盾するようですが これは 悟りの瞬間である 十五心刹那において 果である
 預流果に向かうということを示しているということで、これは アビダンマッタサンガハ
 においても 片山一良氏訳経典注釈においても整合性が取れるものと思われます。
 
 明かりを点けた瞬間 十五刹那の瞬間を (道)(向)として道智により煩悩を遮断
 する様を説明したもののようです。
 先に正断というものを書きましたが 単なる断と正断はこれまた区別するようです。
 (要するに道智)を前面に出したものなのでしょう。
 四双八輩の各博士の整合性はこれで取れましたが、
 
 以前片山博士の比丘は比丘の状態であるがゆえに比丘であるというものを書いたことが
 あります。 涅槃に向けて戒律を守り八正道を実践する方々は聖者とみなしても
 問題ないのではと個人的には思うしだいです。

659深山:2009/11/01(日) 23:28:11 ID:New2ZXVI0
>>648 :樹意:2009/11/01(日) 01:38:43 ID:tsllgqu20
>ですから深山氏が出家を聖者の前提にして議論されるのはいかがなものかと指摘したまでの

出家を聖者と分類した時、桐山さんも聖者になってしまうことになり、
信者に誤解を与えかねず、彼のような汚道比丘を聖者というのは
いかがなものか、という意味ですね?
私のどの文章がそのようにとれるのか、よく分かりませんが、
ただ、そもそも桐山さんは出家ではありませんから、
「出家は聖者」という話の対象にすらなりません。
また、私がそのように言おうが言うまいが、桐山さんを聖者だと
信じている信者は大勢います。
むしろ、彼らの考えでは、出家を聖者だとは思っていないのではありませんか。
なぜなら、そのように見なしたら、彼らが侮蔑する伝統仏教の
僧侶たちは全員が聖者になってしまう。
得度を軽く考え、「成仏リキを体得した人が聖者」などという
オカルトを桐山さんから植え付けられてからです。
ですから、「出家は聖者」と私が書いたせいで、「ゲイカは聖者なのだ」と
改めて信じてしまう信者はほとんどいないと思います。

660深山:2009/11/01(日) 23:35:17 ID:New2ZXVI0
>>649 :樹意:2009/11/01(日) 01:40:43 ID:tsllgqu20
>従ってアゴンとゲイカを批判する上でなんの問題もないことになる。

そのとおりで、私はそのことを批判したのではありません。
ただ、議論は桐山さんが引用したアビダルマ程度に限定しないと、
話はどんどん拡大します。
なぜなら、桐山さんはアビダルマを理解して書いてようには見えない。
桐山さんにとって、阿含経がそうであるように、アビダルマは
桐山教の権威付けのお飾りに使っているにすぎません。
彼が水野博士の解説をしっかりと理解しているはずもない。
だから、樹意さんが、水野博士の解説と桐山さんの理解との間の矛盾を
指摘し、インチキを暴くのは痛快であり、意義があります。
ただ、今回の議論は、出家は聖者かと、預流向についてです。
後者について言うなら、たしかに桐山さんは『人間改造の原理と方法』では
水野本を参考文献に上げているが、同じ沙門四果について書いた『間脳思考』では、
水野本は参考文献には出ていません。
また、現実に「預流向は預流果に向かうこと」という解釈も
成り立つことはすでに述べました。
となると、水野説(と、ここでは表現します)だけで、桐山さんの
四向四果を批判するのは限界があります。

661深山:2009/11/01(日) 23:57:34 ID:New2ZXVI0
>>657 :樹意:2009/11/01(日) 19:24:22 ID:tsllgqu20
>>658 :樹意:2009/11/01(日) 19:25:51 ID:tsllgqu20

樹意さんが引用した中村博士の文章から、預流向とは三結を断じたもの、
という意味は読みとれません。
中村博士が「小乗仏教」という言葉を使っているように、四向四果の
細かい議論がアビダルマでされたものであることは誰しも認めるところです。
だからこそ、釈尊が説いた四向四果と、アビダルマが解釈した四向四果は
ある程度は区別するべきです。
実際、岩波仏教辞典でも、「原始仏教では・・」と説明している内容は、
三結を断じるという所までです。(>>657)
ここには、預流向とは三結を断じる、とは書いていません。
そして、「のちの『倶舎論』では」と、十六心の概念がアビダルマ仏教で
あることが述べられ、原始仏教とは区別されています。
つまり、風船をわる瞬間のように預流向を通過して云々という話は、
アビダルマ仏教の解釈であって、釈尊が説いたものではありません。
批判側、擁護側を問わず、共通の関心はアビダルマ仏教でどう解釈されたか
ではなく、釈尊が四向四果をどう説いているのか、という点です。
アビダルマを参照にするのは、釈尊の教法を理解するためのものであって、
アビダルマそのものを学んだり、理解するためではありません。
桐山さんが『人間改造の原理と方法』で四向四果について引用した内容も、
「アビダルマ仏教では・・」と断りを入れています。
しかも、ここでは預流と預流果であって、預流向はありません。
つまり、これはアビダルマ仏教の引用にすぎず、アゴン宗の教義で
あるとはまだ言えないのではありませんか。

662深山:2009/11/02(月) 00:03:11 ID:New2ZXVI0
「預流向・・・預流に向かって進み行く過程。
預流果・・・聖者としての流れにふみ入った者としての果報。
預流・・・はじめて法の流れに入った者、の意。」
(佛教語大辞典、1389頁)
「三結・・・預流果を得る人の断ずる三種の煩悩」
(佛教語大辞典、461頁)

上記の記述を見る限り、預流向とは、三結を切った境涯である預流果を
得るために、預流果に向かう過程を指しているように読めます。
どう読んでも、預流向で三結を断じるとは読めません。
なぜなら、断じてしまったら、過程ではなく、到達になってしまう。
昨日引用したように、少なくとも四向四果の言葉はすでに阿含経にあり、
それを後に、アビダルマで整理されたものであるのはわかります。
しかし、経典の文言から釈尊が説いていると読めるのは、
四向四果といって預流向と預流果を区別していること、
預流果とは三結を断じたことである、くらいです。
「預流に向かい、預流果を得た」(>>644)という阿含経の記述で
十分ではありませんか。

663深山:2009/11/02(月) 00:06:55 ID:New2ZXVI0
我々は専門家ではないのだから、預流向の解釈のどちらか一つを
採用する必要はなく、水野説から見ても阿含宗の預流向はおかしいし、
桐山さんが採用している解釈の面から見てもおかしいと、
両面から批判すればいいのではないでしょうか。
つまり、樹意さんはアビダルマ論から見て桐山説はおかしいと批判し、
私は、桐山説のままに批判します。
どうせ、桐山さんのアビダルマなんて付け焼き刃ですらありません。
三十七道品のように名前はアビダルマから拝借しているが、
内容の解釈は稚拙な我流です。
なぜなら、桐山さんには煩雑なアビダルマを理解するほどの知性も忍耐力もないからです。
アビダルマの小難しい仏教用語を並べて、さも何事か自分は理解しているかのように
「見せかけ」ているにすぎない。
彼の見せかけにこだわってしまうと、逆手に取られる恐れがあります。
事実、それを今、準シュダオンさんが何度も書いています。
見道、修道の分類についてアビダルマ論師の解釈にすぎないという主張です。
アビダルマ論師の三十七道品は採用するくせに、預流向は
採用しないなどと、毎度のその場しのぎの御都合で
吠えているにすぎないから、彼はどうでもいい。
私が気になるのは信者の読者です。

664深山:2009/11/02(月) 00:13:35 ID:New2ZXVI0
このスレの目的がどうであるかはともかく、私の目的は読者の
信者さんたちに目を覚ましてほしいということがあります。
桐山教学は嘘が満載ですから、どこを突いても出てきます。
それらの嘘がどうして嘘なのか、桐山さんの阿含経や
仏教の知識とは素人程度なのだということを信者さんたちに
「わかりやすく説明」して、桐山さんを仏教を極めて人だとか、
成仏ホーを体得した人だなどという狂信から目を覚ましてほしい。
ところが、この「わかりやすく説明」にアビダルマはあまり向いていません。
事実、アビダルマは煩瑣哲学となり、民衆から離れてしまった歴史を持っている。
このことは今でも同じです。
桐山さんは見せかけにアビダルマを使ってるにすぎないのだから、
それに合わせ、表面だけでも十分に批判することはできます。
どうせ、彼には中身なんかありゃしない。
信者がアゴン宗を信じているということは、仏教の素人という証拠ですから、
素人に合わせたわかりやすい説明が必要なのです。
預流向についても、桐山さんの解説のうち、学者が認めている部分は
そのままにして、論点を単純にわかりやすくしたほうが
桐山さんの嘘は明瞭に信者さんたちに示すことができます。

665樹意:2009/11/02(月) 05:23:11 ID:tsllgqu20
 >>657  

中村博士も編纂に参加された岩波仏教辞典より
 819p
 預流よる 〔s:srota-apanna〕 サンスクリット原語を音写して(須陀?)とも、
 無漏の聖者の流れに入ったもの。・四向四果の最初の段階。原始仏教では三結(有身見
 戒禁取見 、疑 )を断じた者が得る位であったが

では中村元氏著 広説佛教語大辞典から抜粋してみます。

 しこうしか【四向四果】 聖者の四つの位。小乗仏教における四つの修行目標(向)と
 到達境地(果)。 (1)預流(p sota-apanna s sr-ota-apanna須陀?)。ー略ー
 右の四つにそれぞれ向と果を立てる。

>644 :深山:2009/11/01(日) 00:09:35 ID:SVGOQG7w0
>「古くは四果のみが説かれて四向は説かれなかったらしい。」
>(『総合佛教大辞典』法蔵館、530頁)

>つまり、預流果のみで預流向は説かれていなかったというのです。
>ただし、誤解のないように、次の経典を見てください。

 >>656
  中村元選集〔決定版〕 第16巻
 原始仏教の思想 U

  291p 
 『〔i〕自身を実在と見なす見解と〔ii〕疑いと〔iii〕外面的な戒律・誓いと
 いう三つのことがらが少しでも存在するならば、かれが知見を成就するとともに、
 それらは捨てられてしまう。かれは四つの悪い場所から離れ、また六つの重罪を
 つくるものとはなり得ない。この勝れた宝だ〈つどい〉のうちに存する。この真理 
 によって幸せであれ。』 (Sn.231)

 注釈 296p
 三つのことがらーーここにあげられた三つは十結(samyojanani)のうちの最初の
 三つである。それらは聖者(預流向以上)では消え失せる(sakkyadith,mn. no 44:silabbata,
an.x,13)。

深山氏提出のものも含め各学者さんの見解を整合性あるようにしただけですので
 ROMされる方は誤解のないようにお願いします。
 私の論拠根拠はアビダルマだけでなく 深山氏注文の厳しい条件をクリアすべく提示しております
 預流向は中村博士もスッタニパータ注釈にて使用されているようです。聖者ということです。
 > 三つのことがらーーここにあげられた三つは十結(samyojanani)のうちの最初の
 >三つである。 それらは聖者(預流向以上)では消え失せる
 一応は中村博士 片山一良博士 水野弘元博士 の論拠を示し 四向四果に対しては増谷博士
 も聖者の総称 とされております。

 各四種の悟りを二つに割ったもの 悟りの十五刹那 及びその異熟ということのようです
 禅定によって観察を深め通常なら認識できない 無常 滅 を悟るということらしいです。
壊滅智と呼ぶようです。 瞑想や悟りの次元の話ですから通常の認識の世界の話ではない
 ようです。 まぁ 後は各自ご判断下さい。

 それとゲイカを批判するにおいてはゲイカが論拠にしたもの全てが対象となるということです。

666ラシン:2009/11/02(月) 16:56:49 ID:2LdR/Kgw0
>665 :樹意:2009/11/02(月) 05:23:11 ID:tsllgqu20

頑迷な準シュダオンさんの”凡夫が預流へ向う”への反論としては、
スマ師の解説や、樹意さんの補説もアリか、と考えましたが、
準シュダオンさんへの有効打には、何を以ても無理かと苦笑しております。
まあ、一番引き合いに出される「大パリニッバーナ経/涅槃経」の
ナーディカ村の記述でも、直裁に”預流”なる言葉ではなく、
三つの束縛を滅ぼしつくした「聖者の流れに踏み入った人」との
表現ですから、深山さんの”預流向の解釈のどちらか一つを採用する必要はなく、”
との姿勢に倣うことで、論理に偏重をきたすことはないと考えます。
釈尊の示す仏法僧に帰依し、戒律を含めた法の鏡を具現している弟子は、
阿羅漢を含め「わたしは聖者の流れに踏み入った者である。わたしはもはや
堕することの無い者である。わたしは必ずさとりを究める者である」
との自覚が出来ることで、理解に至ると思います。

667名無しさん:2009/11/02(月) 18:48:14 ID:xDqLTrmY0
太郎さんもう来ないのでしょうか。
残念ですね。

668深山:2009/11/02(月) 22:59:27 ID:HG.W.45U0
>>665 :樹意:2009/11/02(月) 05:23:11 ID:tsllgqu20
>注釈 296p
> 三つのことがらーーここにあげられた三つは十結(samyojanani)のうちの最初の
> 三つである。それらは聖者(預流向以上)では消え失せる(sakkyadith,mn. no 44:silabbata, an.x,13)。

引用をありがとうございます。
中村博士が根拠としているのは、次の文献です。
(sakkyadith,MN. No.44:silabbata, AN.X,13)
sakkyadithとは身見のこと、silabbataとは戒取のことのようですから、この記述は、
身見「sakkyadith」については中部経典(MN)の44番目、
戒取「silabbata」については増支部経典( AN)の第10(x)集の13番目の経典、
という二つの文献を表す、という意味だと思われます。(原語には自信がありません。)
つまり、中村博士は、これらの阿含経で「預流向において三結を切る」ことの
根拠を示したことになりますから、それらを見てみましょう。

669深山:2009/11/02(月) 23:02:50 ID:HG.W.45U0
(sakkyadith,MN. No.44:silabbata, AN.X,13)

一つ目の中部経典の44番目の経典は、『原始仏典 5』(春秋社)では51頁からあります。
この経典は比丘尼が在家信者の質問に答えるもので、最後に釈尊はこれらを是認し、賞讃します。
身見について述べているのは、『原始仏典 5』の52〜53ページです。
身見についての詳しい説明と、これをなくす説明はあります。
しかし、どこにも「身見は預流向の段階で切る」とはありません。
中村博士がこの経典を引用したのは、預流向の説明をしようとしたのではなく、
身見についての詳しい説明がされている阿含経の根拠を示したのではないかと思われます。

670深山:2009/11/02(月) 23:08:24 ID:HG.W.45U0
(sakkyadith,MN. No.44:silabbata, AN.X,13)

次に増支部経典(AN)です。
増支部は11集に分かれており、10集(Divison X)の13番目とは、
「清浄品」(Samyojana)
『南伝大蔵経』22巻、167頁
に掲載されています。
5頁ほどと言っても、量は少なく、内容は、八正道と智慧と解脱の
十法を繰り返し説いたもので、特に目新しい内容ではありません。
これがどうして戒取を説いた経典になっているのかよくわかりません。
戒取に相当すると思われるのは、「邪性」という題名で、
十法に反する邪見、邪思惟など十のよこしまな行為を羅列していますから、
これが戒取の話だと言われれば、そんな気もしますが、わかりません。
いずれにしろ、ここでも預流や預流向については一言も出てきません。

671深山:2009/11/02(月) 23:10:50 ID:HG.W.45U0
> 三つである。それらは聖者(預流向以上)では消え失せる

私の調べ方が間違っている可能性もありますから、
樹意さんにはぜひ片山先生の中部経典などで調べてみてください。
私がここまでに調べた範囲では、中村博士が出した二つの阿含経は、
「預流向で三結を切る」という内容の根拠ではありません。
また、彼の註釈を読んでみれば、中村博士は三結の話をしているのだから、
三結の根拠をしめしているにすぎないのは当然でしょう。
そうなると、「(預流向以上)」を中村博士は論じたつもりはなく、
あくまでも三結について書いたにすぎないことになります。

672深山:2009/11/02(月) 23:15:05 ID:HG.W.45U0
> 三つである。それらは聖者(預流向以上)では消え失せる

「聖者(預流向以上)では消え失せる」を「預流向で消える」と解釈するのは間違いです。
預流向で消えるという意味ではなく、預流向から阿羅漢果の間で消えるという意味です。
カッコの中の「預流向以上」の内容は聖者の説明をしているのであって、
三結を切る話ではありません。
「聖者とは預流向以上の阿羅漢果までであり、この聖者の過程で三結は消え失せる」
という意味です。
たしかに誤解を招く表現ではあるが、中村博士が「三結は預流向で消える」と
言っていないのは、この同じ本の四向四果の説明をみれば十分です。
預流から阿羅漢まで四つ並べたあと、次のように説明しています。

673樹意:2009/11/02(月) 23:15:29 ID:tsllgqu20
  北京大学公演録
 「止観」の源流としての阿含仏教
  −−天台智者大師の二つの謎をめぐってーー
  桐山靖雄

 42p〜
  しかし七科三十七道品の成仏法について、こう述べております。「摩訶止観」巻
  第七(上)第六支、修道品です。
  「第三に、道品の位についてみると、四念処は外凡の位に当り、四正勤は煖位に、
  四如意足は頂位に、五根は世第一位に、八正道は見諦の位に、七覚支は修道の位に
  相当する。これが位についてみた道品の意であるが、これもまた同様に道品を調停
  するには及ばないのである」

  これはまた、いささか、意外な評価です。いや、いささかどころか、大いに意外な
  評価ですね。
  というのは、四念処を、外凡の位に当たるといっている。−略ー

  それを、外凡の位、というのは、まことに意外な評価といわねばなりません。
  そして、四正勤を、煖位であるとします。煖位というのは、四善根の一つです。
  四善根とは、聖者の位に至るべき準備(加行)をする四つの位で、煖・頂・忍
  ・世第一法をいいます。つまり四正勤法・四如意足法・五根法・五力法の四つ
  を、ひとまとめにして、四善根という聖位に至る前段階の修行階梯だとしている
  のです。
  これはどうにも納得のいかない判定だといわねばなりません。
  −略ー
  仏陀は「法」として、「成仏」という最終段階、究極の境地を示しているのです。
  これは、どう理解したらよいのでしょうか?
  私はこのように考えるのです。
  「阿毘達磨倶舎論」の「分別賢聖品第六」の中に、こういう文章があります。
  −略ー

  「−−−次に煖・頂・忍・世第一法という四善根の実習に入る。それは、四聖諦  
  を、有漏の慧を以って、十六行相において、繰り返し、観察するのである。この
  四善根すなわち順決択分は、修所成の慧を自性とする。煖法も頂法も、その観察
  の初めは法念住に在り、のち増進して具に四念住にわたる。−略ー」

  智は、これを参考にして、三十七道品の「位」を決めたのではないでしょうか。
  これは私の誤解であって、間違っているかもしれません。諸先生の御教示を賜れば、
  幸甚でございます。
  しかし、もしもそうだとすれば、これは少しおかしいことだと思います。
  「四聖諦を有漏の慧をもって、十六行相において繰り返し観察するのである」と
  ありますが、これは、四聖諦を有漏の慧でもって観察するのであって、四聖諦が
  有漏の慧ではないのです。−略ー

  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ゲイカは以上のようにアビダルマ論をもって智を批判しこれまた部派仏教が名づけた
 七科三十七道品を説明している。
 部派仏教(アビダルマ仏教) (三蔵のうちの論蔵)
 テーマを決めたのもゲイカであり反論もゲイカが組み立てたものです。
 ことに人間改造の原理と方法にも出てきますが 座右法にある大善地法にもとずいて
 戒行 課行を授けるのですからアゴンの因縁解脱の教えと教学と密接な関係を
 持つのがアビダルマになる。批判からこれらを除いたならば批判の呈をなすでしょうか。
 私はゲイカが論拠としたものは批判の対象でありこれからも批判したいと考えております。
 
 あと四向四果の議論についていえば論拠として中村元氏 スッタニパータの注釈を引用
 しておりますがこれはアビダルマが論拠ではありません。
 先に引用した中村元博士広説仏教語大辞典において四向四果を小乗仏教における四つの
 修行目標と(向)と到達境地(果)とありますが  聖者位に至る前に三善根の位があり 
 見道十五刹那の間を(向)とするようです。
 
 煖位
(なんい) 明得定  頂位 明増定  忍位 印順定  世第一法 無間定 
 預流向  預流果 
 http://homepage3.nifty.com/junsoyo/yuisiki/sanjuu27/s27-2-1-2.htm

 いずれにしろ純シュダオン氏の論拠はこれまた一つ否定されたわけです。これは
 ゲイカが書いた公式の論文でありゲイカはゲイカで信者の前では テキトウに
 やっているということです。

674深山:2009/11/02(月) 23:17:54 ID:HG.W.45U0
「ところで、右の聖者の四つの段階にはそれぞれ、それに向かって進んでいる状態と、
行きついた状態とあるから、合わせると八つの状態が想定される。」
(『原始仏教の思想 U』774頁)

「向かっている」と「行きついた」とはっきりと両者の違いを述べています。
この表現で言うなら、預流向は預流果に向かっていることになります。
引用した中村博士の預流の根拠として、スッタニパータを示しています。
その経典の解説に次のように書いています。

「四双一々を、その一々に向かって進みつつある位(向magga)と
至りついた境地(果phala)とに分かつから、全部で八つの位があることになり、
合わせて八輩(attha puggala)という。」
(『ブッダのことば』中村元、301頁)

中村博士はここでも二つを明瞭に、「向かう」と「至りついた」と
過程と目標であることを述べています。
もし、預流向で三結を断じてしまったのなら、預流果とは何なのですか。
預流の目的は三結を断じることであり、預流向で断じたなら、
なんのために預流果があるのか、ということになってしまいます。
「預流向=三結を断じた」「預流果=三結を断じた」になり、
預流果なんていらないことになります。

675深山:2009/11/02(月) 23:22:56 ID:HG.W.45U0
「・・三結尽きて、須陀諸Y果を得、三結尽き、貪.恚.痴薄すらぎて斯陀含果を得て・・・(省略)。」
(雑阿含経、不疲経、26、『國訳一切経 阿含部 2』282頁)
「何等をか須陀諸Y果と為す。謂ゆる三結断ずるなり。」
(雑阿含経、四果経、『國訳一切経 阿含部 2』319頁)

ここにあるように、三結が尽きるから須陀諸Y果が得られ、
須陀諸Y果とは三結を切ることです。
三結が須陀諸Y道(預流向)で尽きてしまうのなら、なぜ上記の経典で、
「三結尽きて、須陀諸Y向を得」とか「何等をか須陀諸Y向と為す」ではないのですか。
阿含経を見ても「預流向で三結を断じる」「預流向は刹那であり、預流果に至る」
などとは書かれていません。
三結を断じたのが預流果であり、預流向はそれに向かって進んでいる段階です。
私は、アビダルマだから否定しているのではなく、阿含経に根拠がないと批判しているのです。
学者たちの解説には一貫性があると思います。
なぜなら、中村博士はアビダルマと原始仏教とは区別しており、
水野博士もアビダルマ仏教の四向四果の解説をしているにすぎません。

アビダルマなら、前に樹意さんが指摘した爆笑ネタを復習しましょう。
信者さんたちも『人間改造の原理と方法』をごらんください。

676深山:2009/11/02(月) 23:26:19 ID:HG.W.45U0
『人間改造の原理と方法』181頁
「預流(須陀諸Yともよぶ)――見道
預流果
一来(斯陀含ともよぶ)
一来果
不還(阿那含ともよぶ)
不還果
阿羅漢道
阿羅漢果――――――無学(完成者)」

上記の四向四果の図は引用が難しいので、「修道」などの一部を省略してあります。
信者さんたちに見てほしいのは、預流から阿羅漢果までの四向四果の名前です。
なんか変だと思いませんか。
四向四果なのだから、
「預流向、預流果、一来向、一来果、不還向、不還果、阿羅漢向、阿羅漢果」
と並ぶのが正しい。
ところが、桐山さんの記述は、
「預流向 → 預流」「一来向 → 一来」「不還向 → 不還」
と、「向」が抜けており、唯一、阿羅漢だけは阿羅漢道とあります。
「阿羅漢向」と「阿羅漢道」は同じことですから、阿羅漢だけが正しく記載され、
その前の三つは「向」または「道」が抜けている。
信者さんたちは何でだと思いますか。
桐山ゲイカの深いブッダの智慧?
いいえ、桐山さんのアビダルマの知識なんて本を書くときに
ちょっと読んだにすぎない付け焼き刃だからです。
それを樹意さんが暴露した。

677樹意:2009/11/02(月) 23:29:38 ID:tsllgqu20
 > 三つのことがらーーここにあげられた三つは十結(samyojanani)のうちの最初の
 > 三つである。それらは聖者(預流向以上)では消え失せる

 以上以下の議論は不要です。 私は各仏教学者の論拠を示したまで、
 仏教学者以上の整合性をとるほどの知識と作業は一般人にとっては意味がありません。
 それと見道位 道 は 見道十五刹那の間であると中村先生は説いています。
 四善根(位)から見道位(向)に入り(果)を得る それをどう捉えるかは各自
 の判断。 
 
 個人的見解は先に別途示してあり、それは深山氏とそうかわらないのでは
 ないでしょうか。

 なおゲイカの批判や順シュダオン氏への批判においては議論が進んだものと
 考えます。

678深山:2009/11/02(月) 23:31:58 ID:HG.W.45U0
『原始仏教』水野弘元、212〜213頁
「須陀諸Y(預流) 道――見道
須陀諸Y果
斯陀含(一来) 道
斯陀含果
阿那含(不還) 道
阿那含果
阿羅漢道
阿羅漢果――――――無学(完成者)」

桐山さんの>>676の図は預流と須陀諸Yなどを交換していますが、
水野博士の上記の図から引用したことは明らかです。
桐山さんは参考文献として上げているから、それ自体はかまわない。
だが、よく両者を比較してみてください。
水野博士は「須陀諸Y(預流)道」と書いているのだから、
桐山さんも「預流(須陀諸Yともよぶ)向」と書くべきだった。
だが、抜けている。
なぜなのか信者さんたちはわかりましたか。
水野本の印刷では「須陀諸Y(預流) 道」と須陀諸Yと道の間に隙間があいており、
桐山さんはこれを「須陀諸Y道」とは読まず、「須陀諸Y」「道」と
別々な言葉だと解釈したのです。
だから、隙間が空いていない、阿羅漢道だけはそのまま書き写した。
四向四果について少し知識があるなら、この桐山さんの引用間違いを
見ただけで、大爆笑です。

679深山:2009/11/02(月) 23:36:14 ID:HG.W.45U0
桐山さんはこの本を書いた1977年の段階で、四向四果を理解していなかったのです。
理解していたら、預流と預流果を同じに並べたりはしない。
預流果(須陀諸Y果)に対応するのは預流向(須陀諸Y道)です。
ところが、そんな基本的なことも知らないものだから、水野本を付け焼き刃に読んで、
写して、いかにもアビダルマに精通しているかのように見せかけたつもりが、
意味を理解しないから、「須陀諸Y道」を一つの単語とはわからず、「須陀諸Y」と「道」に
切り離して考え、意味がわからないから、省略してしまった。
無知丸出しです。
まるで、「休」という漢字を「イ」と「木」だと思って、
これを「イボク」と読んだようなものです。
桐山さんの間違いは、仏教大学の入り立ての学生で、しかも
あまり賢くない学生がやりそうな間違いです。

680深山:2009/11/02(月) 23:39:41 ID:HG.W.45U0
桐山さんがこのオマヌケな間違いをしたのは、立宗前年の1977年です。
その前の十年数年間に、求聞持法を体得して、阿含経からブッダの智慧を獲得して、
ものすごい高度な知性を持ったと自慢していた。
だが、その高い知性とやらのザマを見てごらんなさい。
素人でも間違わないような間違いをしている。
桐山さんが四向四果を学んだのは、おそらくこの本を書くのに
水野本を読んだのが初めてだったのでしょう。
だから、「預流 ←→ 預流果」を対応させるという間違いをして、
それでいながら、「阿羅漢道 ←→ 阿羅漢果」と書いてしまうという二重の間違いをしている。
彼の解釈なら「阿羅漢 ←→ 阿羅漢果」とするべきです。
つまり、彼自身の解釈すらも一貫していないのです。
彼はいかにも阿含経のすべてを通読し、学者の解説などあっという間に
理解して、その上でアゴン宗を立てたかのような言い方をしている。
だが、全部その場しのぎの付け焼き刃だから一知半解です。
四向四果の全体図すら理解できなかった。

681深山:2009/11/02(月) 23:46:14 ID:HG.W.45U0
こういう桐山さんの無知とドジを指摘するのは、揚げ足取りをしているのではありません。
信者さんたちが、「桐山ゲイカは高度の知性を持っており、自分のような凡人には
測り知ることができない。ましてや、批判側ごときが何をいうか」という
その姿勢を改めてほしいからです。
桐山さんは高度の知性なんて持っていない。
だから、学校の成績も悪かった。
理解力に優れているのではなく、勝手な解釈をするのです。
準シュダオンさんがそうであるように、自説が先にあって、
それに合わせて、都合良く解釈していき、自分はなんと偉いのだろうと自惚れる。
勝手な解釈をするのだから、全部理解できることになり、自分は頭が良いと自惚れる。
信者さんたちは準シュダオンさんを見て、理解力の低い、自惚ればかり強い、
どうしようもない人だと思うでしょう。
だが、それは桐山さんも同じなのです。
桐山さんはあちらこちらで知性の程度を出している。
樹意さんが指摘したのは氷山の一角で、桐山さんの無知と嘘はすさまじい。
なぜ、批判側はそれに気がつくのか、わかりますか。
桐山さんが高い知性を持っているなんてインチキを信じていないからです。
信者さんたちにも「自分にわかるはずがない」などと脳味噌を桐山さんに
ご供養せずに、普通の知性で桐山さんとアゴン宗を見てほしいのです。

682ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/03(火) 00:25:20 ID:SmEF4Oe2O
準「深山くんも樹意くんもふんとに馬鹿な会話してるね。
あのね、預流向ってのは、たしかに預流果に近づいている人もいることは否定しないよ。
でもまだ新米の未熟者で、ついつい酒飲んだり、風俗に遊びに行ったり、悔しいから
友人に嘘を言って空威張りしたりもする人も預流を目指して向かっていれば
いいんだよ。つまり顔を向けていれば預流向になるんだよ。居眠りしていてもいい。
会費だけ払って、道場に行かなくても、たとえ布団の中にくるまってでも
御宝塔に顔を向けて手を合わせりゃ預流向なんだよ。
いいかい?考えてもみなさいよ。
東に向かって顔を向けている人は西に顔が向いているわけないだろ?
だから預流に顔向けてりゃとりあえず預流向なんだよ。
こんな簡単な日本語もわからないのかえ?ふんとにもう。
何が預流向、シュダオン向は凡夫でないだよ?
馬っ鹿じゃないの?
え?誰だよ。あたしの袖を引っ張るのは?批判派さんかい?
え?現職の擁護側信者?その現職信者が何であたしの袖を引っ張るんだい?
え?桐山管長猊下のことを馬鹿と言うなだって?
誰がそんなひどいことを言ったんだい?」

683ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/03(火) 00:27:51 ID:SmEF4Oe2O
カンニングというものはバレるもんですなあw
ちゃんと空欄をあけておくと見事に引っ掛かるw

684ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/03(火) 08:45:32 ID:SmEF4Oe2O
一概にカンニングが悪いとは言わない。
引用元をきちんと示せばよいだけで。その際引用元の文章を改竄してはならんわけだが。
カンニングするにも頭の悪い奴は正確に引用すらもできない。
仏教→イム教
浜松町→三兵木公田丁
のごとし。
預流 道、預流果、一来 道、一来果、不還 道、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果

預流、預流果、一来、一来果、不還、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果
これはインデックス逝きですな。
水野本を確認したわけではないけど、これはミホトケの手配だな。
水野博士よ、出版社よ、スペースを開けよ。
似非仏教、ナンチャッテ仏教の無知なアホが引っ掛かりよるで。

685名無しさん:2009/11/03(火) 21:09:10 ID:tQ/4xmo20
最近の世の中は物騒ですね。
同じ詐欺師でも女の結婚詐欺師が中年の男を物色し、お金を貢がせた後に
睡眠薬と練炭を使って自殺したように見せかけ男を始末したようですね。それも何人も。
自白はしていないが100%黒でしょう。あ〜こわ。
でも中年の男性は金持ちが多いね。約七千万円を貢いで殺された男性もいたようです。
凄いね〜。
そこまで男を盲目にしてしまうとはどんなテクニックなのでしょう?
わたしは詐欺宗教に騙されて五百万円ほど貢いでしまったが、なんとか命までは取られなかった。
でも、もしオウムにいたら命の保障はなかったと思う。
女と新興宗教には気をつけろ、のめり込むなと言うことなのでしょうかね。

686樹意:2009/11/04(水) 05:10:20 ID:tsllgqu20
>>668-670

 結論から云うと最古の経典と云われるスッタニパータの注釈はスッタニパータの注釈であって
 他の経典の注釈ではありません。 中村元博士の見解は見解として尊重すべきだと考えます。
 仏教学者の仕事の一つは語彙事に整合性を取る作業でもありますから、学者の見解は見解として
 尊重しましょう。

中村 元博士は  
  【四向四果】 聖者の四つの位。
  小乗仏教における四つの修行目標(向)と到達境地(果)。預流 ー中略ー 道の四つにそれぞれ
  向と果を立てる。すなわち、小乗における修行位階を、或る境地に向かって修行していく段階(向)
  と、それによって到達した境地(果)とに分けて説いたもの。 −中略ー
  預流向は三界(欲界・色界・無色界)の見惑(八十八使)を断じつつある見道十五心の間をいい、
  見惑を断じ終わって、第十六心である修道に入ると、これを預流果という。
 (中村元 広説仏教大辞典)

  今まで深山氏が論拠に出されたものと中身は同じ。
 >>674 :深山:2009/11/02(月) 23:17:54 ID:HG.W.45U0

 深山氏が提出されたように最古の経典と云われるスッタニパータには 向 果 は出てこないが
 中村元博士はそれを(向)から説明されたということ。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

687樹意:2009/11/04(水) 05:27:40 ID:tsllgqu20
 >>673 :樹意:2009/11/02(月) 23:15:29 ID:tsllgqu20
 > 北京大学公演録
 >「止観」の源流としての阿含仏教
 > −−天台智者大師の二つの謎をめぐってーー
 > 桐山靖雄

 >煖位
>(なんい) 明得定  頂位 明増定  忍位 印順定  世第一法 無間定 
 >預流向  預流果 
 >http://homepage3.nifty.com/junsoyo/yuisiki/sanjuu27/s27-2-1-2.htm

前スレで一部引用しましたが四双四輩の図の隣にこれらの図も水野博士の本にはあります。
 説一切有部の修道階位と説明があり
  水野広元著 仏教要語の基礎知識 214p
 凡夫を 三浄因 ー略ー

    三賢(外凡位)  五停心{(不浄観乃至数息観) 別相念住 総相念住(四念処観)}
             資糧位 (順解脱分)

    四善根(内凡位) {煖 頂 忍 世第一法}(四諦十二行相の観察)
             加行位 (順決択分)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ー略ー 資糧位 (順解脱分) → 加行位 (順決択分)→ 聖位預流向

 引用hp より
   煖位 ー 道火すなわち無漏智の明かりがほのかに見えてくる位で,その道火のあたたかさを感ずるので煖位という。
         また道火の明かりが差し込んでくるので,この位で修する禅定を「明得定」と呼ぶ。ー略ー
   ー略ー 
   世第一法 −世間=凡夫の状態としては最高であるから世第一法と呼ばれる。ここにおいて,ー略ー
            その刹那に無間に見道に入るので「無間定」という。

  無がどうのこうのとあるのであまり好きになれないですがまぁこれらの修道階位を説明するには十分だと
  思いますので参考程度に。

  通常の認識の次元の話ではなく禅定修道の状態を指しているようです。観察を極度に深め無常を認識する
  課程のようですので ややこしいといえばややこしい。四善根から聖位に入り 十五刹那の間に果に達する。
  刹那の話なんぞは一般人にはなんのこっちゃ ? ですがビバサナする方たちにとっては その観察を
  後の世に伝えたということでしょう。
  ゲイカはこれを天台大師智を批判し七科三十七道品を説明する論拠に使い、アビダルマ大善地法は
  信者さんたちに授ける戒行、課行のもと というか要するにお布施頂戴なという、根拠に利用している。
  
  信者向けの話と論文とは随分な違いがあるとおもいませんか。

688ラシン:2009/11/04(水) 11:02:21 ID:2LdR/Kgw0
>630 :準シュダオン:2009/10/31(土) 12:43:44 ID:P9JinFks0
ためいき君や名無し君は恥を知りなさい。

恥を知れとはどういうことなのか?
ためいきさんや名無しさんの比ゆは、今の準シュダオンさんの姿を
分かりやすく表現しただけなのに、あなたはそれにカチンと来た?
あなたは全く否定できずに、自分を揶揄したと勘違いしたからです。
その態度は師匠の桐山さんとよく似ていて、桐山さんも各界の著名人から
事実を突きつけられ批判されても、怒り心頭だけで明解な反論を出来なかった。
違うなら、準シュダオンさんも相手に恥を知れなどと扱き下ろす前に、
誰もが納得できる弁明をしたらどうですか?

>私の仏教辞典だけが間違いだというのか?w。
愚か者めがW。

また、罵倒している。
あなたの仏教辞典って何ですか?
過去一度も明解に典拠を出さず、出したと思ったら都合の良い箇所だけで、
あきらかに公平なやり口ではありません。
時には辞書が間違っているとし、終いには桐山さんどころか釈尊まで否定した。
あなたの引用した解説が正しくとも、その結論をまるで反対に唱えて独善とする。
桐山さんがよく経典や学説を長々と引用し、次の頁ではまるで逆の説明や、
経典や学説に書かれてもいないことを堂々と断定するやり方をあなたも真似ている?
深山さんは、よくそのやり口を”木に竹を接ぐ”と表現して言い得て妙なる指摘だが、
それは、準シュダオンさんの仏教辞典が間違っているのではなく、あなたの引用が
常に姑息なのです。
あなたの引用の仕方や姿勢が、間違っているのですよ。
相手を愚か者と罵倒する前に、あなた自身の掲示姿勢が議論の場に適っているか
否かをよく見つめるべきではないのか?

689ラシン:2009/11/04(水) 12:48:06 ID:2LdR/Kgw0
>675 :深山:2009/11/02(月) 23:22:56 ID:HG.W.45U0
「・・三結尽きて、須陀諸Y果を得、三結尽き、貪.恚.痴薄すらぎて斯陀含果を得て・・・(省略)。」
(雑阿含経、不疲経、26、『國訳一切経 阿含部 2』282頁)
「何等をか須陀諸Y果と為す。謂ゆる三結断ずるなり。」
(雑阿含経、四果経、『國訳一切経 阿含部 2』319頁)

>ここにあるように、三結が尽きるから須陀諸Y果が得られ、
須陀諸Y果とは三結を切ることです。

ーYahoo辞書大辞林参照ー
【尽きる】 [1] 次第に減っていって、全くなくなる。
【断ずる】 [3] 切る。断(た)つ。特に煩悩や迷いをたち切る。
【断滅】 (名) スル たえほろびること。また、たやしほろぼすこと。滅亡。

私が、>>666で「頑迷な準シュダオンさんの”凡夫が預流へ向う”への反論としては、
スマ師の解説や、樹意さんの補説もアリか、と考えましたが、」と、
申し上げたのも、上記辞書の意味を考え合わせたものです。
スマ師の風船の例や、原因と結果との考察もありかなと思いますのも、三結を
断じるは、行為(預流向)であり、尽きるとは、その結果(預流果)と解釈できるとして、
私なりの理解といたしました。
つまり、三結断じ=預流向、三結尽きる=預流果 と考えた次第です。

690ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0
>675 :深山:2009/11/02(月) 23:22:56 ID:HG.W.45U0
「・・三結尽きて、須陀諸Y果を得、三結尽き、・・・(省略)。」
(雑阿含経、不疲経、26、『國訳一切経 阿含部 2』282頁)
「何等をか須陀諸Y果と為す。謂ゆる三結断ずるなり。」
(雑阿含経、四果経、『國訳一切経 阿含部 2』319頁)
>ここにあるように、三結が尽きるから須陀諸Y果が得られ、
須陀諸Y果とは三結を切ることです。

ーYahoo辞書大辞林参照ー
【尽きる】 [1] 次第に減っていって、全くなくなる。
【断ずる】 [3] 切る。断(た)つ。特に煩悩や迷いをたち切る。
【断滅】 (名) スル たえほろびること。また、たやしほろぼすこと。滅亡。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>644 :深山:2009/11/01(日) 00:09:35 ID:SVGOQG7w0
「何等為須陀諸Y果。謂三結断。」(雑阿含経巻第二十九、七九七)
>直訳すれば、
「何を須陀諸Y果となすか。三結を断じたことをいう」
つまり、釈尊ははっきりと三結を断じることが預流果なのだと述べています。
----------------------------------------------------------------------
深山さんから多くをご教示いただき、それを基盤としている私が意見を述べるのは、
いささか恐縮しますが、ここで深山さんより示されている経意は「三結を断じたことをいう」
とあり、上記以前の別経の意では「謂ゆる三結断ずるなり。」との両方です。
断じたと、断ずるを同じ意味合いとして括ると、準シュダオンさんの反論である
「凡夫が預流へ向かう修行者だから預流向≠凡夫」に加勢を与えることになり、
その意味でこれを契機にして私なりに熟考しますと、釈尊の縁起説に辿り着きました。
縁起説に倣えば、預流向とは、縁=三結断じる行為、原因、預流果とは、起=三結を断じた
果報、結果、と解釈できないでしょうか。
預流向で三結断じ、その三結尽きた状態、結果が、預流果との階位と解釈できないでしょうか。
なんとなれば、スマ師の針で風船を割るとの比ゆも強ち否定できないものとなります。
深山さんのご説明は、私や批判側が散々、阿含経句と辞書を以て解説してきたものを
さらに経に素直に且つ詳細なる根拠を以て解明されております。
しかし、引用した経や辞書だけでは、凡夫と預流向の線引きを明解に出来ていないのも
事実であり、そこが準シュダオンさんの重石を取り除けぬ原因、とも考えられます。
そこで、預流向が何故に聖者となるのかを考えればやはり「大パリニッバーナ経/涅槃経」
ナーディカ村の章句に、その根拠を見ることが出来ると推察するものです。
ここでの”立派な弟子”である”彼”は、章句をまとめますと、仏法僧の三宝に帰依している、
「聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕のない、斑点のない、よごれていないで、
 自在であって、知者の称讃する、執れのなく、精神統一に導く戒律を身に具現している。 」
とする尊師の集いが、聖者なのだと絶賛する釈尊の言葉の真意を検証します。
経のこの箇所では、その人々を二人ずつの四組と八人の人々=四双八輩(四向四果)と
定義しているのは、当然、預流向も入っております。
そこで深山さんご指摘通りの預流に向かう修行者、との位置づけだけでは、準シュダオンさんの
頑迷な凡夫への線引きには明解ではないと、異を唱えさせていただく理由を申し上げます。
次の「わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。
 悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
 わたしはもはや堕することの無い者である。わたしは必ずさとりを究める者である」
と『法の鏡』という名の法門を具現した立派な弟子との釈尊の言葉には、特別の極みがある
と考えられるものです。、
ではその対象である預流向とは、三結を断じ、次にその果を得るに値する位置だからこそ、
釈尊が斯様に銘を打つ聖者となり得る存在であろうと、私は解釈しました。
三結を断じつつある曖昧さを排除したならば、準シュダオンさんの凡夫説は成り立ちません。
ただし、この解釈は準シュダオンさんへの反論のためのこじ付けではありません。
あくまでも最初に記した釈尊の縁起説への解釈回帰である旨をどうか、ご理解ください。
深山さんのご指摘どおり、阿含経に預流向を断定したその位置づけは無いと賛同します。
であれば、原因と結果を鑑みて、預流果に、切る行為と切れた結果の両方が成り立つことは、
釈尊の教えからすれば矛盾するのではないか、との思いで愚考を述べさせていただきました。

691ラシン:2009/11/04(水) 16:51:30 ID:2LdR/Kgw0

誤:「凡夫が預流へ向かう修行者だから預流向≠凡夫」
正:「凡夫が預流へ向かう修行者だから預流向=凡夫」

692深山:2009/11/04(水) 23:20:41 ID:lLAyLutg0
>>686 :樹意:2009/11/04(水) 05:10:20 ID:tsllgqu20
>中村 元博士は  
>  【四向四果】 聖者の四つの位。

議論はすでに同じ事の繰り返しになっているように見えます。
仏教大辞典の中村博士の記述は「小乗仏教」と断りがあるように、
あくまでもアビダルマの教説であることを断っています。
実際、その中身は十六心など、阿含経はなく、アビダルマが作り出した内容を
説明しているにすぎません。
しかし、中村博士はアビダルマ仏教の教説を紹介しただたけで、
阿含経の中でこのように説かれているとは述べていません。
議論のテーマである「預流向で三結が切れているのかどうか」という点に
ついていうなら、これはアビダルマ仏教の説であって、
阿含経には根拠がないとしか言いようがありません。
つまり、学者の説明に違いがあるのではなく、
アビダルマ仏教の説を阿含経と同じであるとみなすかどうかの違いです。
四向四果の厳密な分類はアビダルマであることは学者たちは述べており、
アビダルマの解説を説明しているにすぎません。
しかし、少なくとも私は、釈尊がそれをどう言っているのかをまず重視したい。
「預流向で三結は切れた」という記述は今のところ阿含経から見つかりません。

693深山:2009/11/04(水) 23:32:51 ID:lLAyLutg0
>>689 :ラシン:2009/11/04(水) 12:48:06 ID:2LdR/Kgw0
>つまり、三結断じ=預流向、三結尽きる=預流果 と考えた次第です。
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0
>預流向で三結断じ、その三結尽きた状態、結果が、預流果との階位と解釈できないでしょうか。

逆にラシンさんにお聞きしたいのですが、それで全体として納得できますか。
私は、アビダルマ説で納得できることが理解できない。
「三結を断じる」と「三結尽きる」は同じにしか聞こえないし、実際に
私が引用した経典では預流果のほうに「断じる」とあります。(雑阿含経、四果経)
つまり、「尽きる」も「断じる」も、両者の意味に違いはありません。
また、「三結断じた状態」と「三結尽きた状態」と何が違うのでしょうか。
こういう解釈は初めて聞いたし、釈尊がこういうちょっとした表現の
違いを用いて、説明している事例を私は知りません。
むしろ、釈尊の説明は、一つのことを説明するのに多種多様な言葉と
表現とたとえをもって説明するのであって、内容が違うのに、
それを似たような言葉を使うというのはあまり読んだことがありません。
断じる、尽きる、消す、漏らさないなど、これらは複数の意味ではなく、
漏尽解脱というたった一つのことを表現しているにすぎません。

694深山:2009/11/04(水) 23:34:57 ID:lLAyLutg0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0
>預流向で三結断じ、その三結尽きた状態、結果が、預流果との階位と解釈できないでしょうか。

アビダルマの解釈は、預流向で三結を断じて、その結果として七回の往復で
済むという預流果を得たという考えです。
だが、これは何度も申しあげているように、
1.阿含経にそのような説明をしている根拠がない、
2.アビダルマの解釈では両者を区別する意味がない、
3.預流だけこういう奇妙な解釈で、後の一来以降はどうして同じように解釈をしないのか、
など、意味が通じないと申しあげているのです。
特に奇妙なのは2番目で、何のために二つにわざわざ区別する必要があるのか、
ということです。
これでは、卒業と卒業証をわざわざ区別しているようなものです。
卒業したと言おうが、卒業証書をもらったと言おうが、卒業の資格を
獲得したと言おうが、みんな同じことで、区別する必要はない。
区別することに何の意味があるのですか。
何のために釈尊はそのように区別しなさいと説いたのかという点です。
阿含経を見る限り、そのような記述はなく、説いていません。

695深山:2009/11/04(水) 23:41:51 ID:lLAyLutg0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0
>預流向で三結断じ、その三結尽きた状態、結果が、預流果との階位と解釈できないでしょうか。

阿含経の釈尊は、
三結を断じた預流果を目標にして進むのが預流向、
欲貪、瞋恚が薄らぐ一来果を目標にして進むのが一来向
五下分結を切った不還果を目標にして進むのが不還向、
十結を切った阿羅漢果を目標にして進むのが阿羅漢向、
と、極めて明瞭に説いている。
ところが、アビダルマでは、最初の預流向と預流果だけは、
他の解釈と違い、預流向ですでに三結を断じているのだという。
彼らがこんな解釈を始めた理由は明らかで、見道と修道という
概念を導入したからです。
この解釈は四向四果を説明するのにはわかりやすい反面、矛盾が生じてくる。
三結は見道で切る煩悩なのだから、修道である預流果になってから
切るというのはおかしい。
そこで見道である預流向で切ったことにした。
見道と修道という釈尊が持ち込んでいない概念を持ち込んで、自家中毒をおこしたのです。
こんなのは簡単で、預流果とは見道と修道の両方にまたがっていると見ればいいのです。
こういう案も出ていたはずです。
だが、アビダルマの人たちは精緻で厳格な脳味噌の持ち主だから、
右でも左でもあるなんてアバウトな解釈は許し難く、竹を割ったように
ビシッと線を引かないと気が済まない。
そこで預流向で三結を切ってしまうことにした。
だが、私の知るかぎり、阿含経にはそんなことは一言もありません。
つまり、アビダルマ仏教であって、釈迦仏教ではありません。

696深山:2009/11/04(水) 23:51:46 ID:lLAyLutg0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0
>「凡夫が預流へ向かう修行者だから預流向≠凡夫」に加勢を与えることになり、

準シュダオン説って、本当にこれですか。
彼は「預流向とは凡夫が預流へ向かう修行者のことだから、預流向は聖者ではない」と
主張しているのではありませんか。
つまり、準シュダオン説では、「預流向≠聖者」だから、
自分は預流向だと名乗ってもかまわないという主張です。
彼は自分を聖者だとは言っていないと主張したい。
ところが、彼が引用した桐山本の解説では、信者とは外道でも凡夫でもなく、
預流向だというのだから、「信者=聖者」ということになる。
つまり、おめでたく、準シュダオンさんも聖者様に昇進されたのです。
それも桐山ゲイカのお墨付きの預流向であり、聖者様となられたのです。
しかも、樹意さんの批判を借りるなら、預流向とは十五心を刹那で通過してしまうのだから、
万年預流向なんているはずもなく、準シュダオンさんは
すでに三結を切った預流であり、聖者様です。
そういえば、彼が「預流になったかもしれない」と去年書いていたのは、
あれは錯覚ではなく、正しかったのですね。
準シュダオン様は預流という聖者様なのであーる!
無礼があってはならないから、今までにもまして徹底的に反論しましょう。

697深山:2009/11/04(水) 23:57:48 ID:lLAyLutg0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0
>「凡夫が預流へ向かう修行者だから預流向≠凡夫」に加勢を与えることになり、

準シュダオンさんの間違いは、凡夫と三結を切り始めた人とを同列にしている点です。
彼は仏教の聖者の意味を理解していない。
勝手に、聖者とはオーラがピカピカしている特殊なものだと
桐山オカルトを信じているから、釈尊のいう聖者の意味がわからない。
釈尊は、自分の教法を理解し始めた人も聖者であると分類しているのです。
我々は一般に聖者と言えば聖人君子のことだと思っている。
だが、釈尊のいう聖者とは教法に関心を持ち、理解し始めた人を全部含めているのです。
桐山さんや準シュダオンさんの頭では聖者を何かの資格のように考えている。
だが、釈尊はそんな特殊な意味合いに用いているのではなく、
正しい教法に触れ、正しく理解しつつ、半歩でも入り込んで進もうとしている人は聖者なのです。

698深山:2009/11/04(水) 23:59:34 ID:lLAyLutg0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0

預流とは、簡単に言えば、四諦を理解した者です。
ですから、預流向とは四諦を理解しつつある者です。
理解しつつある者はもはや凡夫ではありません。
準シュダオンさんは、理解しはじめた者をも凡夫だとしている。
「凡夫=四諦に関心も持たず、説明されても理解もできない人」
「預流向=四諦に関心を持ち、それを理解し始めた人」
この両者が同じでしょうか。
凡夫から見たら、たった一歩かもしれないが、それがやがて
輪廻からの解脱へと通じるのだから、まさに偉大な一歩です。
欲貪や瞋恚といった本格的な煩悩を切ることに比べれば、
一見、小さいことのように見えます。
しかし、それは、0から1を生じるのは、たった1だから大したことは
ないというのと同じです。
1を10にするのは大変ことだが、0から1を生じさせるのは
別な意味で大変なことです。

699深山:2009/11/05(木) 00:03:01 ID:lLAyLutg0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0

アビダルマでは「預流向は一瞬(十五心刹那)」です。
須陀諸Y道(預流向)は阿含経に出て来るが、それが一瞬で終わるなんて記述はありません。
むしろ、阿含経の「須陀諸Y道を成じて」といった記述から見ると、
須陀諸Y道を修行して須陀諸Y果を得たという意味ですから、
これが一瞬という解釈は無理があります。
四諦を理解するのに一瞬て、どういう意味ですか?
一瞬など、サーリプッタのような特殊な人を除いてはありえないことです。
また、知性を重視して、自分で良く考えるように説いている釈尊が、
一瞬で三結が切れてしまうなんて、説くだろうか。
三結を捨てるとは四諦を理解して受け入れることですから、仏教を知性で理解し、
受け入れることです。
だが、これが一瞬でできるものではないことや、いかに難しいかは、
アゴン宗の信者と元信者が模範を示している。

700深山:2009/11/05(木) 00:10:14 ID:/EqjJGHo0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0

伝統仏教の信者と違い、アゴン宗の信者は阿含経こそが釈尊直説の教えだと知っている。
だが、その彼らですら、四諦の最初の「苦」一つの解釈にしても、
アゴン宗では「因縁しだいで苦になるのだから、因縁を変えれば苦は楽になる」
なんて、桐山さんの爆笑解釈を本気で信じている。
前にこの点をユビキタスさんが鋭く指摘していた。
いくらオカルト仏教の信者とはいえ、情報の少ない江戸時代ではないのだから、
仏教学者たちの解説書に、四諦の説明がわかりやすく載っている。
ちょっと読めば、桐山さんの四諦の解釈がおかしいと気が付く。
桐山説は四諦の解釈ではなく、仏教には存在しない因縁切りに合わせた空想説です。
アゴン宗徒は目の前に四諦の教えがありながら、何年、何十年たっても、
あらぬ方向を向いたままで、中にそれで一生が終わってしまった人もいる。
そして、目の前にあってさえも、ついにかの教団の信者たちは
四諦のシの字も理解しないまま死んで行くのです。

701深山:2009/11/05(木) 00:13:10 ID:/EqjJGHo0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0

四諦を正しく理解するのが案外難しいことがこれを見てもわかります。
なぜなら、四諦そのものの内容はそれほど難しくないが、
それを理解する前に様々な邪魔者が存在するからです。
それが身見、戒取、疑惑です。
話はここでグルグルと回ってしまうだが、アゴン宗の信者をみればそれがよくかわる。
自己が肉体ではないと受け入れても、今度は、霊魂であると信じたい。
霊魂がダメというなら、異陰とか意生身とか、何でも良いから、
それに代わる何かがほしいから、身見に囚われる。
その背景となっているのが、霊障のホトケだとか、
魂が輪廻の主体だといった外道の教えが植え付けられているからです(戒取)。
そして、釈尊がいくら漏尽解脱だと説いても、「そんなの倫理道徳だ」と
疑いを捨て去ることができない。
結局、四諦というわかりやすい内容でありながら、
様々な煩悩が邪魔して、知性による理解すらもできないのがアゴン宗の信者です。

702ラシン:2009/11/05(木) 00:14:17 ID:Xj1b9g0Y0
>693 :深山:2009/11/04(水) 23:32:51 ID:lLAyLutg0
>>689 :ラシン:2009/11/04(水) 12:48:06 ID:2LdR/Kgw0
>つまり、三結断じ=預流向、三結尽きる=預流果 と考えた次第です。
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0
>預流向で三結断じ、その三結尽きた状態、結果が、預流果との階位と解釈できないでしょうか。
逆にラシンさんにお聞きしたいのですが、それで全体として納得できますか。

納得できます、たとえば、預流果以降〜一来果以前を一来向とするなら、
一来向は、厳密に考えて 0,1、、、%〜〜99,9、、、%の
範疇が考えられます。
深山さんは、当然ご承知のナーディカ村の章ですが、
ここで釈尊は、村人の死後の運命について答えていますが、
すべて○○向の存在には、誰一人も触れていないことに疑問を抱きませんか?
640人以上もの人々が、マーリという疫病で亡くなったにも係らず、
一人として○○向の出家在家の信者がいないことはおかしいと、、。
仮に、60%の一来向も一来と括ったと考えると、一来果の階位の
意味がなくなってしまいます。
四果の行く末を説いている釈尊ほどの方が、四向の行く末には触れていません。
何故でしょう?
深山さんが先述している通り、預流向の記述が阿含経に見つからないばかりか
他の○○向についても記述があるでしょうか?
その理由が、ここにあると私ながら推察します。
私なりの解釈ではありますが、向と果は、スマ師や樹意さんの説明にあるとおり
各向と各果は一刹那だからと、そう考えれば合理的に納得できませんか?

>694 :深山:2009/11/04(水) 23:34:57 ID:lLAyLutg0
これでは、卒業と卒業証をわざわざ区別しているようなものです。
卒業したと言おうが、卒業証書をもらったと言おうが、卒業の資格を
獲得したと言おうが、みんな同じことで、区別する必要はない。

深山さんの例えが同じ結果の表現の違いですから、少し違います。
合格のための正解答案を書く行為(暫定合格)、次に合格との結論を得る。
行為と結果の差をお考えください。
ーYahoo大辞泉ー
【結果】ある”原因や行為”から生じた、結末や状態。また、そのような状態が生じること。

703ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>694
アビダルマの解釈は、預流向で三結を断じて、その結果として七回の往復で
済むという預流果を得たという考えです。

私はその観点で申し上げておりません、根拠は岩波辞書と「大パリニッバーナ経/涅槃経」
ナーディカ村の章句と、深山さんご提示の経句への解釈とご確認ください。

>695
阿含経の釈尊は、
三結を断じた預流果を目標にして進むのが預流向、
欲貪、瞋恚が薄らぐ一来果を目標にして進むのが一来向
五下分結を切った不還果を目標にして進むのが不還向、
十結を切った阿羅漢果を目標にして進むのが阿羅漢向、
と、極めて明瞭に説いている。

そのような記述の経区をご提示いただけますか?
私の解釈は、縁起の法の「これ滅するが故にかれ滅す」において考えても、
三結断じ=預流向、三結尽きる=預流果とは、縁起の原因と結果に整合すると考えます。
深山さんが首をかしげた「預流向=三結を断じた」「預流果=三結を断じた」
とは、日本語としては意味が??ですが、釈尊の縁起において強ち否定できない解釈
と考えますのは、上記「これ滅するが故にかれ滅す」の表現です。
「預流向(これ)で三結を断じた」故に「預流果(かれ)三結を断じた」と、
解釈して無理があるでしょうか?
釈尊が、預流向をも聖者の流れに入れたのも、果の原因となる行為の”向”となる、
との意味を含んでいると愚考いたしました。
ーYahoo大辞泉ー
【結果】ある”原因や行為”から生じた、結末や状態。また、そのような状態が生じること。

これらを原資として桐山さんのダルマチャクラの”外道凡夫ではない預流に向かう預流向”
との解釈は、間違いであると批判できるものになりませんでしょうか。
また、深山さんも指摘していました岩波辞書の預流とは、四向四果の最初の段階とあり、
それは、預流向と預流果であるとの答えが導き出されます。
間違いなければ、この解説に私は根拠を見出しております。
何故なら、預流向預流果と同列に答えが出ているからです。
解説が預流果へ向かう者であれば、預流向と預流果ではなく預流向から預流果までを
預流と定める、との表現になると考えられますが。
四向四果の最初の段階=預流向と預流果→預流向と預流果は殆ど同列の一刹那との
解釈が成り立ち、預流向が晴れて聖者の流れと定めた釈尊の意志に合致すると得心できます。
僭越なる独釈推論ですが、間違いがあればご教示下さいますようお願いいたします。

>696 準シュダオン説って、本当にこれですか。
彼は「預流向とは凡夫が預流へ向かう修行者のことだから、預流向は聖者ではない」と
主張しているのではありませんか。

恐れ入りますが、すでに直後の>>691で、訂正させていただいております。

704深山:2009/11/05(木) 00:19:39 ID:/EqjJGHo0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0

こういう現実を見た時、四諦を理解するのが一瞬で済むなんてありえますか。
阿含経で預流向を須陀諸Y道と表現しているのは適切です。
「道」です。
それも普通の人には結構長い道です。
なぜなら、ここから先は空想の笑い話なのだが、我々はおそらく、
前世においても四諦の内容を聞いていたのではあるまいか。
だが、今のアゴン宗の信者みたいに外道教祖の解説を聞いて信じていた。
その我々が、今生において、またしてもアゴン宗のようなオカルトに
染まり、四諦から遠く離れ、四諦とは似ても似つかない桐山教に染まった。
ようやく外道四諦から離れただけで、本物の四諦に近づいたかどうかわからない。
こんなふうに、輪廻まで含まれる、とても長くてうねった道です。
この「道」が一瞬であるはずがない。

705深山:2009/11/05(木) 00:24:31 ID:/EqjJGHo0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>恐れ入りますが、すでに直後の>>691で、訂正させていただいております。

これは失礼。
私の読み落としでした。

706ラシン:2009/11/05(木) 00:45:56 ID:Xj1b9g0Y0
>699:深山:2009/11/05(木) 00:03:01 ID:lLAyLutg0
アビダルマでは「預流向は一瞬(十五心刹那)」です。
須陀諸Y道(預流向)は阿含経に出て来るが、それが一瞬で終わるなんて記述はありません。

無いと思いますよ、預流向出の行為の刹那にはすでに預流果なのですから、
釈尊は、『三つの束縛を滅ぼし尽くし結果、聖者の流れに踏み入った人』つまり預流との
表現に留まっています、深山さんもご指摘されたように預流とは預流向と預流果ですから。

>むしろ、阿含経の「須陀諸Y道を成じて」といった記述から見ると、
須陀諸Y道を修行して須陀諸Y果を得たという意味ですから、
これが一瞬という解釈は無理があります。

須陀諸Y道を成じての成じては、国語的意味としては”須陀諸Y道を成就して”と
解釈するほうが妥当ではないですか? 須陀諸Y道の成就こそ果への手段、原因と
考えたほうが、深山さんのよくご指摘される素直な読み方と存じます。
それを”須陀諸Y道を修行して”と解するほうが無理がありませんか?

>これが一瞬という解釈は無理があります。
四諦を理解するのに一瞬て、どういう意味ですか?

意味は須陀諸Y果を得る直前の一瞬であり、それまでは須陀諸Y道以前の修行が
存在すると考える次第です。
つまり、須陀諸Y道とななれば須陀諸Y果が自動的に生じる。
そうでなければ前述しましたとおり、○○向の記載やその境涯での死後の運命に
釈尊が触れていない理由を説明できないと考えます故に。

707太郎:2009/11/05(木) 01:39:34 ID:p6OhJsmk0
皆様、長らく書き込みできずに申し訳ありませんでした。

前回の書き込み後、突然の長期出張に加えて先月終わり頃から急激に仕事が
忙しくなってしまい、書き込みできずにおりました。
色々とレスをいただきありがとうございます。

前回の書き込みからここまで、まだ読めてもいない状態ですが取り急ぎ状況
報告だけでもさせていただきたく書かせていただきました。

大変有意義なやり取りをさせていただいておりますので続けていきたいのです
が、当面の間、どうにも仕事に追われて時間が取れません。

せっかく議論に参加させていただいたというのに中途半端になってしまい誠
に申し訳無いのですが、とりあえず一度筆を置かせて下さい。
せっかく書き込みしていただいても読む時間もレスする時間も取れない状態
になってしまいましたので。

仕事が落ち着いてまた参加できるようになりましたら、その節には是非よろ
しくお願い致します。
皆様との議論は大変勉強になり、また考えさせられることも多いです。
ありがとうございます。
まずはここまでの御礼を申し上げて、一旦離脱させていただくことに致します。

708ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/05(木) 08:41:30 ID:SmEF4Oe2O
そうです。桐山さんの説く四諦の法門は仏教の四諦の法門と全く異なります。
桐山さんの解説を聞いているだけで、少しも頭脳レベルで理解していないなと
わかります。
桐山さんの四諦解説はこうです。
「おまえ苦しいだろう?」
「はい、苦しいです」
「何で苦しいかわかるか?」
「いえ…わかりません」
「それはな、集めているからなんだぞ。苦しみの原因、モトを集めているからなんだ」
「なるほど、わかります。して…どうすればよいのでしょうか?」
「なくせ。滅せよ。その苦しみのモトを滅するのだ。されば苦しみは離れん」
「なるほど!そうですね!当たり前のことのようですが、よくわかりました!
して…どうやってそれを滅すればよいでしょうか?」
「ここに道がある!仏道だ!七科三十七道品という道がある。さあ、この道を歩め」
「なるほど!ようわかりました!」
このわかりやすい解説に私も信者時代感心したものです。
しかしこんな話に騙されてはいけない。
これでは釈尊の説きたい真意が見えない。曲解、誤解を与える。
なぜならその集めているものとは何かと言うと、それが煩悩と密接な関係にあると
もっともらしく説こうが、運命を成立させる星としての因縁だ、この因縁を滅する
のが仏道なんだと説くから、運命転換術という誤解を与える。
しかし仏教の四諦はこんな安っぽい話ではない。
苦しみを成立させるモトをなくすから苦しみという現象がなくなってしまうのではない。
ガンの因縁をなくするから体質から環境から変化して結果ガンにならずに済む
のではない。
そんな話はどこにも 説いていない。
苦しみという現象は少しも変わらないのです。
ガンにもかかれば事故死もあれば殺されもする。
ただそういうことにとらわれなくなる。
なぜならそのとらわれ、執着、恐怖、欲望、依存心などの煩悩こそが苦しみの
現象を苦しみと認識させているからです。
これらの苦しみの現象なんて人間として当たり前のことだ。
だから必要以上にとらわれず、ましてや回避しようなんて都合のよいあさましい
煩悩などに溺れず、あるがままに受け入れて、ただ己の内面を清らかに保てば、
心は全き平安を得る。
これが集めている煩悩の滅の道です。
こういう真理が桐山四諦からは少しも見えないばかりか、かえって不要な煩悩を
集めている。

709ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/05(木) 09:11:08 ID:SmEF4Oe2O
そもそもが苦集滅道の苦諦の認識からして間違っている。
釈尊は四苦八苦を説いた。生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。
四苦はもともとどうすることもできないものですね。
死ななくなることなどあり得ない。老いなくなることなどあり得ない。
また後ろの八苦は心の持ちようによるものだが、さりとて心を変えた、改善した
からと言って別れることはないのかと言うと、そんなことはない。
現実の現象は少しも変わらないとわかる。
受け止めるこちらの心が変わるだけです。
だから少し鋭敏な知性、感性の持ち主なら四苦八苦の話を聞いただけで
わかりました、こんなものをどうにかしようと求めること自体が愚かなとらわれ
なんですねと気付き、悟れる。
しかし桐山さんも四苦八苦の話はよくします。
説法六十心などの著書にもそれはよくわかる。
しかしいっぱしに四苦八苦を説いておきながら、そのくせ次に脈絡なく
ガンや横変死などの苦しい運命が転換する話に持っていく。
その脈絡のなさこそ着眼してください。
騙されてはならんのです。
だから私は準シュダオンさんであろうが太郎さんであろうが毎回質問する。
四苦八苦を説いた釈尊のこれらの苦の解決とはどういう状態か?
死ななくなるのか?老いなくなるのか?愛する人や物は離れることがなくなるのか?
求めて得られないものはない超能力を得て欲望は常に満たされるのか?
この質問に対する回答が返ってきたことはない。
おお、そうだとも!と答えることがいかに恥ずかしいか、まだ残った知性が
拒否しているからでしょう。
苦諦、集諦、滅諦、道諦の四諦が少しもわからず正反対に曲解し、正そうと
向かおうとしない桐山さんとその弟子たちが預流向であるはずがなく、
外道であり凡夫です。
バカボンかな?

710ラシン:2009/11/05(木) 11:20:32 ID:2LdR/Kgw0

ーナーディカ村の章抜粋ー
『尊師の弟子のつどいは、すなわち、二人ずつの四組と八人の人々とであるが、
 かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の副田である』

私の主張の根拠としてこの「大パリニッバーナ経/涅槃経」に示された”二人ずつの四組”
との表現に着目しております。
お分かりのように”二人ずつの”組とあるのは、○○向と○○果を表現しています。
もし深山さんの預流向の認識(過去の私も同様)が、○○果へ向かう○○向であれば、
このような同位同列の表現とはならず、一人ずつの八種となりはしないでしょうか?
後世の論師による四双八輩という表記も、この釈尊の意を汲んだからこそ、
四双=八種に命名したと考える所以です。
ーYahoo大辞林ー
【双】(名)[1]二つで一組になるもの。

なんとなれば、○○向即○○果、○○向で薄滅した門をくぐったら、そこは○○果の境涯
であると認識できる可能性を、私見ながら熟考いたしました。
岩波仏教辞典においても、四向四果の解説では、A ”向は特定の果に向かう段階”と
B”果は到達した境地を示す”とあり、Aの説明は深山さんの主張を裏付ける根拠であり、
Bは二人共通の認識かと存じます。
次に、C”向と果の対(双)が四種あるため、総計で八種の段階にある人という意味で、
<四双八輩>ともいう”とあり、私の上記、同位同列を示唆するものと判断できるものです。
また同辞書において、預流とは四向四果の最初の段階と補説されていることから、
私の主張する預流向預流果の一組は、同位同列を補完する根拠足りえると洞察いたします。
さらに、ナーディカ村における釈尊の村人への死後の運命についての答えも、
各四向の存在は皆無という不思議さがあり、その観点に於いても、各○○向即各○○果であり、
各四向の階位境涯の存続期間は、きわめて刹那という因の有り様ならば、その疑問も
解決にいたるとの結論を抱いております。
いわく、向=原因、果=結果 との見解に立脚するものです。
私の各四向観の変節は以上であり、これを以て桐山さんのダルマチャクラにある預流向の認識
に対しての批判は、充分に意義を持つと考える次第です。

711ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/05(木) 13:16:44 ID:SmEF4Oe2O
>>707
太郎さん。多忙のところをわざわざどうもです。
しかし我々が太郎さんに期待してるのは十分に理論武装された書き込みではありません。
勿論あなたとしては、どうせ書くのならば十分に理論武装された自分でも納得のいく
文章を投稿したいでしょう。その気持ちはわかります。
あなたも深山さんや大日さんや私などと同じく長文派ですから。
しかしこちらが聞いてみたいのはあなたの理論ではなく見聞の事実なんです。
これは下手な理論武装などせず、ありのままに示していただくと考察の余地がある。
例えば砂かけババアならぬ金粉まみれ先達の話ですが、あなたが見た通りのことを
書いてくれればよい。
江ノ島に海水浴に行った時、子どもが浜辺ですっ転ぶ。
顔からべちゃ!起き上がると顔から全身砂だらけ。
砂の中にようやく目と鼻の穴と口が確認できる。
金粉先達のひどい時ってこんなだったのか?
誤解のないようにするには具に見たままを書く必要がある。
そんなところから始めればよい。
どう解剖されるかは恐れずに。
こちらだって何でも解剖できるとは思ってない。

712深山:2009/11/05(木) 23:04:57 ID:New2ZXVI0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>そのような記述の経区をご提示いただけますか?

これまでに示した阿含経です。

「何等をか須陀諸Y果と為す。謂ゆる三結断ずるなり。」
(雑阿含経、四果経、『國訳一切経 阿含部 2』319頁)

これまで示した阿含経では、須陀諸Y道を成じて、須陀諸Y果とは三結を切ることだと述べている。
これをそのまま読むなら、須陀諸Yとは、三結を切る須陀諸Y果を目指して、
須陀諸Y道を修行することだという解釈は成り立ちます。
しかし、須陀諸Y道は一瞬で終わるとか、須陀諸Y道で三結が切れるなどと、
どう読んだら、書いてあるのですか。
書いていない。
書いていないのだから、解釈以前の問題です。
書いていないことを勝手に空想するのはおかしいと批判しているのです。

713深山:2009/11/05(木) 23:07:27 ID:New2ZXVI0
>>706 :ラシン:2009/11/05(木) 00:45:56 ID:Xj1b9g0Y0
>意味は須陀諸Y果を得る直前の一瞬であり、それまでは須陀諸Y道以前の修行が
>存在すると考える次第です。

これはすでに何度も反論しているように、根拠がありません。
一つには阿含経に根拠がない。
刹那なんて阿含経に根拠がないとあなたは認めているのに、
どうしてそれをどこまでも主張するのですか。
二つ目に、何のために、三結を切るのに切った瞬間と、切った後とを
わざわざ分けているのですか。
ラシンさんはアビダルマの人たちと同じように、分類することに
力点を置き、釈尊が何を説いたのかという点を忘れている。
釈尊は煩悩を切れと言ったのです。
四向四果の分類の基本は煩悩を切ることです。
煩悩が薄らぐか、切ったか、それだけが重要なのであって、
切った瞬間とその後とを分けるなんて、この観点から見ても意味がありません。

714深山:2009/11/05(木) 23:13:15 ID:New2ZXVI0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>私はその観点で申し上げておりません、根拠は岩波辞書と「大パリニッバーナ経/涅槃経」

樹意さんの場合、彼個人の解釈を述べているではなく、
アビダルマ仏教と学者たちの説明をそのまま引用して、解説している。
だから、その意味では樹意さんの個人解釈の部分はほとんどなく、わかりやすい。
一方、私は樹意さんが示したアビダルマ解釈に阿含経の根拠がないと批判しています。
つまり、樹意さんはアビダルマという正統派の解説から桐山説を批判し、
私はその部分に根拠がないと議論しているのであって、
互いに個人的見解を議論しているのではありません。
だから、預流について議論しているのですらない。
なんとかスレの主旨から足を踏み外さないように努力しているのです。
樹意さんの議論の姿勢でありがたいのは、彼個人の主張や解釈を極力避けてくれている点です。
だが、ラシンさんはアビダルマでもなく、従来の学者の説でもなく、
もちろん桐山説でない説を出しているのだから、預流についてのほぼ個人的な見解です。
仏教として大いに議論したいテーマだが、スレの主旨からは両足が外れてしまうので、
読者の顔色をうかがうと、正直な所、とても議論しにくいのです。

715深山:2009/11/05(木) 23:16:03 ID:New2ZXVI0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>「ーYahoo大辞泉ー

ラシンさん個人の解釈についてあれこれと言うつもりはありません。
ただ、「断つ」と「尽くす」との違いを辞典から説明しているが、
仏教用語としてその違いを説明しようというなら、仏教辞典や
経典から根拠を引用するべきではないでしょうか。
釈尊がその違いを明瞭に示したことがなく、学者たちも
その違いを指摘していないのなら、読者には説得力がありません。
そして、私はラシンさんの説を裏付けるような阿含経も学者の説も知りません。

716深山:2009/11/05(木) 23:19:57 ID:New2ZXVI0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>これらを原資として桐山さんのダルマチャクラの”外道凡夫ではない預流に向かう預流向”
>との解釈は、間違いであると批判できるものになりませんでしょうか。

今回のラシンさんの議論で、一番重要なのはこの点なのですが、よくわかりません。
なぜなら、私の預流についての説明は桐山説とは違うが、
預流向とは預流果を目標として修行する者、という点では同じです。
すでに申しあげているように、阿含経の記述を読むかぎり、
そのように解釈できるからです。
繰り返すが、預流向は一瞬であるなどという解釈は阿含経にはありません。
こうしてみると、ラシンさんの批判の何が桐山説を否定しているのかよくわからないのです。
私は、樹意さんが出した、桐山説はアビダルマ仏教における考え方とは違う、
という批判で十分ではないかと思います。

717深山:2009/11/05(木) 23:21:55 ID:New2ZXVI0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>私の解釈は、縁起の法の「これ滅するが故にかれ滅す」において考えても、
>三結断じ=預流向、三結尽きる=預流果とは、縁起の原因と結果に整合すると考えます。

縁起の法の「これ」と「かれ」は別物です。
無明をなくすから生老病死がなくなる、というように、無明と生老病死は別物です。
だが、預流向と預流果の対象は三結という一つです。
仮にラシンさんの説明を受け入れ、預流向と預流果が原因と結果だとしてもかまいません。
預流向で三結を切る努力をした原因で、三結が切れるという預流果の結果が得られた。
原因と結果はあまりに明瞭でわざわざ縁起説を出すまでもない。
また、何を主張したくてこれを書いているのでしょう。
縁起説で説明すると、どうして預流向で三結が切れることになるのですか。
むしろ、原因と結果なら、切る努力した原因で(預流向)、その結果切れた(預流果)というのだから、
預流向で切れたという説を否定しているように見えます。

718深山:2009/11/05(木) 23:23:49 ID:New2ZXVI0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>深山さんが首をかしげた「預流向=三結を断じた」「預流果=三結を断じた」
>とは、日本語としては意味が??ですが、釈尊の縁起において強ち否定できない解釈

預流向で三結をすでに断じたのなら、なんのために三結を断じた預流果というのを
もう一度出す必要があるのか、無意味であり、両者は区別が付かないと申しあげたのです。
なぜ、同じ内容を二度も繰り返す必要があるのかと指摘したのです。
まるで「山に登山して登った」「頭が頭痛して痛い」と言っているようなものです。
預流向で三結を断じる努力をして、預流果で断じたという結果を得たというならわかる。
だが、目的である三結を断じることがすでに預流向で行われているのなら、
それをもう一度、断じたことを預流果などと言い直す必要があるのかと指摘したのです。
ラシンさんは、縁起説で原因と結果の例を出しているが、
預流向で三結が切れたのなら、預流向も結果であり、預流果も結果なのです。
つまり、「預流向=三結を断じた」「預流果=三結を断じた」と同じ事を
二度繰り返していると批判したのです。

719深山:2009/11/05(木) 23:30:46 ID:New2ZXVI0
>>706 :ラシン:2009/11/05(木) 00:45:56 ID:Xj1b9g0Y0
>須陀諸Y道を成じての成じては、国語的意味としては”須陀諸Y道を成就して”と

「須陀諸Y道を成じて」とは「小学校で勉強して」と言っているのです。
勉強と卒業は違います。
しかも、釈尊は須陀諸Y果についてははっきりと三結を断じたこと、つまり卒業だと述べている。
「成じて」が三結を断じたことなら、どうして須陀諸Y果の時と
同じように、三結を断じてと述べないのですか。
もちろん、意味が違うからです。

720大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/05(木) 23:33:22 ID:31/2w5ko0
横レスすみません。気になったもので。

私は確かにザビビでの継承ということでこの「したらば」にて”阿含宗と桐山氏について”を続けてさせていただいています。
ただ、私の観点としては「阿含宗と桐山氏について」を語るに際し、関連のあるものであったり、仏教の意義の有る意見など
は「OK」と思っています。

ただし、深山さんの懸念されるとおり、タイトルやザビビで流れてきた経緯を考えれば、今こちら四十四章で行われている意見は
さて、もしやスレ違いにならないか、ということは確かに思われるのは否めません。

そこで、もし意見を交わしづらいのであれば、別にスレを立てて行うとかいかがでしょうか?
私は今ラシンさんと交わされている状態や進んでいるアビダルマ云々は非常に有効だという意義を感じるのですが。
(ですので、今まで口を挟まなかったし私のブログでも”意見交換はいいなあ”と書きました)

もしも、問題なければこのまま続けてよろしいですし、まずいようでしたら別スレ立てて意見交換を行ってもらうのは私は
望みたいところです。つまり、今行われている意見交換は有意義と思う、ということですね。
何かご意見や案がありましたら、提案していただけたら幸いです。

721深山:2009/11/05(木) 23:33:41 ID:New2ZXVI0
>>710 :ラシン:2009/11/05(木) 11:20:32 ID:2LdR/Kgw0
>もし深山さんの預流向の認識(過去の私も同様)が、○○果へ向かう○○向であれば、
>このような同位同列の表現とはならず、一人ずつの八種となりはしないでしょうか?

「二人ずつの四組と八人」とは、預流向と預流果が一組の二人だという意味です。
預流向は預流果を目指す存在であって、預流向と預流果は対等ではありませんし、
私はそんなことを言った覚えはありません。
小学校と小学校卒の関係だと前に書いたとおりです。
預流向は在校生、預流果は卒業資格をもった人のことです。
両者が対等であるはずがありません。

722深山:2009/11/05(木) 23:38:04 ID:New2ZXVI0
>>710 :ラシン:2009/11/05(木) 11:20:32 ID:2LdR/Kgw0
>さらに、ナーディカ村における釈尊の村人への死後の運命についての答えも、
>各四向の存在は皆無という不思議さがあり、その観点に於いても、各○○向即各○○果であり、

死後の運命だからではありませんか。
死んでしまったら、そこでいったん「成績」は確定する。
期限内に単位を取れなければ、学校は卒業できません。
死者には8つではなく、4つの結果しかありません。
預流向の課程で死んでしまえば、預流果は得ていないから、
最長でも七度往復という預流の「果」は得られません。
生まれ変わってやり直しです。
しかし、釈尊の説く四諦すら理解できずに因縁切りを信じた外道凡夫に比べれば、
本当の預流向に入っていた人たちは次のチャンスがあるでしょう。

723深山:2009/11/05(木) 23:41:24 ID:New2ZXVI0
>>690 :ラシン:2009/11/04(水) 16:35:44 ID:2LdR/Kgw0
>ではその対象である預流向とは、三結を断じ、次にその果を得るに値する位置だからこそ、
>釈尊が斯様に銘を打つ聖者となり得る存在であろうと、私は解釈しました。

三結を断じないような者が聖者であるはずがないというのだから、
この点については、準シュダオンさんと同じ考えです。
支離滅裂なことを書いている準シュダオンさんと同列にされるのは不愉快だろうし、
私も、準シュダオンさんのような記憶力がなくなり、慢心だけが残っているような人を
ラシンさんと比較するのが心苦しいが、聖者についてだけは共通した概念を持っています。
彼は、預流向は三結を断じていないから聖者ではない、という考えであり、
ラシンさんは、預流向は三結を断じている者であり、それよりも
前にいる三結を断じていない者は聖者ではない、という考えです。
預流向の定義が違うが、「聖者とは少なくとも三結を断じた者」という
点では両者は共通しています。
だが、それらは経典の根拠がありません。
>>712の経典では、三結を断じたのは預流果とあるだけです。
この言葉をそのまま受け取るなら、預流向は三結を断じていません。
だが、預流向もまた聖者です。

724深山:2009/11/05(木) 23:46:35 ID:New2ZXVI0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>四向四果の最初の段階=預流向と預流果→預流向と預流果は殆ど同列の一刹那との
>解釈が成り立ち、預流向が晴れて聖者の流れと定めた釈尊の意志に合致すると得心できます。

アビダルマでないと言いながら、ラシンさんはアビダルマを入れている。
なんのために、一生懸命に、刹那を強調しなければならないのですか。
阿含経のどこにも預流について、刹那なんてありません。
ラシンさんも準シュダオンさんも共通して背景にあるのは、
「三結を切らない者は聖者であるはずがない」という考えです。
これがあるから、準シュダオンさんは預流向は聖者ではないと言い張るし、
ラシンさんは刹那で預流向を通過すると言っている。
四諦を理解し始めただけの平凡な人を聖者というのが受け入れがたいのでしょう?
実は、お二人と同じ考えだったのがアビダルマです。
預流向が聖者になってしまったものだから、「え?昨日帰依したばかりのペーペー比丘が
聖者だと?冗談じゃない」とばかりに、聖者と凡夫の間に「位階」を作り出した。
それが四善根という四段階の位階です。
こんなものはもちろん釈尊は説いていない

725深山:2009/11/05(木) 23:50:30 ID:New2ZXVI0
>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0

釈尊は凡夫と聖者しか説いていないのに、四善根なんて勝手に作りだした。
私はこのアビダルマの光景を見ると、桐山さんを連想する。
ステップニルバーナと称して、四向四果を配置したのはいいが、
簡単にそこに行けないように、前段階の「位階」を次々と設けている。
だから、四半世紀も前にすでに預流がいると宣言していながら、
今日、未だに預流すらも公式に宣言された人は誰もいない。
これらの位階は山伏位階なんかと違い、仏教の最終位階なのだから、
しかるべき金を出さないような連中にはくれてやらないというのと、
うっかり授けて裏切られたらたまらないから、預流に到達するまでに、
お金と人と従順を差し出させるように、長い長い道のりを作った。
だから、預流という馬ニンジンをぶらさげて四半世紀もたつのに、
未だに誰もそのニンジンに食いつけた人はいない。
アゴン宗の預流は刹那どころか、永久に届かない。

726深山:2009/11/05(木) 23:55:23 ID:New2ZXVI0
>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0

アビダルマ仏教は桐山さんのような詐欺宗教ではないが、
四向四果の道のりをものすごく長大なものに作り替えていったのです。
その結果、釈尊時代には帰依した信者は預流であるという解釈すらあったのに、
在家の連中を四善根という凡夫の中に放り込んで、簡単には預流向に
すらなれないようにした。
教義を体系付け、理論付けしただけではなく、「出家のオレらは聖者だ。
なのに、なんで在家のあの連中が聖者であるはずがあるか」と
いう差別的な気持ちもあったのでしょう。
しかも、預流だけでなく、阿羅漢についても同じ事をしたものだから、
ついには阿羅漢果を得るのに、ものすごい道のりが必要になった。
自分で作り出した理屈で自分を縛って、仏教的には自滅していったのです。

727深山:2009/11/05(木) 23:59:53 ID:New2ZXVI0
>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0

アビダルマは釈迦仏教を理論的に体系的に整理し説明したという点と、
わかりやすいものを複雑煩雑にして、ついには誰も理解できないものに
してしまったという功罪両面を持っています。
そして、私はこのアビダルマから最も学ばなければならないのは、
アビダルマのやった間違いとそっくり同じ事を我々も常にする危険性があるということです。
ラシンさんの主張の行き着く先はアビダルマの四善根と同じだと気が付きませんか。
預流向が聖者なら、三結を断じていない者は聖者ではないという考えです。
それを先に進めると、では、三結を断じていない信者や比丘を何と呼ぶのかという問題になる。
聖者ではないのだから凡夫だが、しかし、焚き火や占いをしている外道凡夫と、
釈尊の教法を信じる在家信者や出家を同じにするのか、という問題が出てくる。
そこで四善根という、凡夫だが、外道ではない位階を作りだした。
というよりも、作らざるを得なくなったのです。
先回りして悪いが、これはラシンさんの主張の行き着く先でもあります。
ラシンさんは新しい主張をしているつもりだろうが、
実は同じ事を過去の人が形を変えてすでにやっているのです。
だが、常に振り返らなければならないのは、四善根など釈尊は説いていないという点です。

728ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/06(金) 00:00:24 ID:SmEF4Oe2O
>720
私見ですが、このまま様子見でどっしり構え、敢えて別スレを立てることもない
と思います。
個人的には雑居スレというのが好きです。
これはなんでもアリだよと間口を広げた服部社長の精神を継承するものであり
荒らし、罵りなどがなければ多少の脱線も関連した話題も認めようという
大日さんの基本精神にももとらない。

729深山:2009/11/06(金) 00:05:37 ID:New2ZXVI0
>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0

釈尊は聖者と凡夫しか説いておらず、四善根などという段階は説いていません。
この釈尊の原則から外れたら、それはもう釈迦仏教ではありません。
三結を切っていない在家や比丘をどこに配置するか、という問題です。
釈尊は教条的な人ではなかったから、この境界線を明瞭にしていません。
だから、アビダルマはその隙間にちゃっかりと四善根を作りだした。
だが、アビダルマの行き着いた先を考えれば、四善根が正しいとはとても思えない。
アビダルマはまるでゴシック建築のように壮麗ではあるが、ゴテゴテと飾り立てられ、
知的遊戯を楽しむ分にはいいだろうが、釈尊のあの簡潔明瞭さはどこにもない。
アビダルマと同じ轍を踏むのか、という問題です。
幸い、桐山さんはアビダルマを理解するほどの知能は持っていないから、
表面の単語だけ拾ってきて、お飾りに使っただけで、批判するにも
あまり踏み込む必要がない。
だから、樹意さんのようにアビダルマまで検証すると、たちまち桐山さんの馬脚が現れる。
アビダルマは反面教師を示してくれているのです。
ラシンさんの説はすでに彼らが唱えており、行き着く先は釈尊の唱えていない四善根です。

730樹意:2009/11/06(金) 05:28:23 ID:tsllgqu20
>>720 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/05(木) 23:33:22 ID:31/2w5ko0

>ただし、深山さんの懸念されるとおり、タイトルやザビビで流れてきた経緯を考えれば、今こちら四十四章で行われている意見は
>さて、もしやスレ違いにならないか、ということは確かに思われるのは否めません。

>>687 :樹意:2009/11/04(水) 05:27:40 ID:tsllgqu20
 >>673 :樹意:2009/11/02(月) 23:15:29 ID:tsllgqu20
 > 北京大学公演録
 >「止観」の源流としての阿含仏教
 > −−天台智者大師の二つの謎をめぐってーー
 > 桐山靖雄

 既にゲイカが論文に採用したものを載せてあり、(アビダルマ、外凡位 内凡位 四善根) 
 教団の指導原理としては大善地法、(因縁の星と煩悩の対比他) 
 人間改造の原理と方法及び 座右法 其の他 看板は阿含経ですが中身は 部派仏教やらそれを
 批判した竜樹のものまである。 
 ゲイカが連呼する七科三十七道品というのもこれまた部派(論部 アビダルマーー)が仕分けした
 ものです。 ゲイカは十七階梯も採用している。
 要するにゲイカが信者さんに説明する論拠です。
 ゲイカの引用文に対するものですから 影響を受けた方はすくなからずいることでしょう。
 ですから 個別の語彙に関しては ゲイカがその論拠にしたものを軸足にするべきだと思っております。
 
 この話題じたいはなんら問題はないのですが 原始仏教そのものに対する深い議論が
 必要なのかどうかは 各自ご判断の程。

 四向四果に対しては既に答えは出ており ゲイカが採用した文書に対する批判其の他がこの板の役目であり
 原始仏教そのものに対して深い議論はそれはそれで意義のあることではありますが、私は各学者
 さんが示してくれたものをそのまま論拠にしてゲイカを批判したらよいのだと思っております。
  
 一般人ですからね。私どもは。
 そういう意味でゲイカが信者さんたちに説明するものと 論文で論陣を張るものにはかなりの違いが
 あり ゲイカの無知が知れるわけです。
 アビダルマ(論蔵)を採用していながらその使い方も 写し方もめちゃくちゃだということ。
 そういう点を信者さんたちに理解していただきたいと切に希望するしだいです。
 学者さんの名前を使うなら 学者さんの論をキチンと示しかつ大事にするべきです。

731樹意:2009/11/06(金) 05:34:27 ID:tsllgqu20
>>720 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/05(木) 23:33:22 ID:31/2w5ko0

ゲイカが論拠にしたものから外れるならば それは板違いということになりますから
管理人として警告するなり 相応の措置をとられて下さい。

まぁ 堅苦しいのはご利益一辺倒の信者さんからみるならつまらないものですがね。
でもこの聖者位というのはゲイカが信者さんから オフセを集める一番の根拠です。
霊界原野商法の元ですからね、

ですから ゲイカを批判する上でこの論蔵から外れては批判の足がかりを失うと
私は思っております。

各自よく考察されて下さい。

732ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/06(金) 08:53:08 ID:SmEF4Oe2O
深山さんが指摘しているようにアビダルマもまた準シュダオンさんと同じことを
考えたわけだ。
預流向はいくら修行中と言ってもまだ三結を断じ尽くしていないから、これを
聖者と呼ぶのはやばいんちゃう?と思ったわけだ。
はからずも準シュダオンさんはアビダルマの考えに近かったわけだ。
しかしアビダルマと準シュダオンさんの違いは、経典に無知な準シュダオンさんは
あっさりと預流向なんて凡夫じゃんと切り捨てたが、アビダルマは阿含経の記述を
知っており、無視できないからどうしても預流向は聖者としなければならない。
その為にこれは三結煩悩を切る一瞬だ、ランナーがゴールでテープを切った瞬間が
預流向で、預流果とはテープを切り終えてバンザイしながらビクトリーロードを
駆け抜けることとか、かなり理解不能の苦しい分類をした。
準シュダオンさんは釈尊とその経典を出した桐山さんに預流向=凡夫説を否定
されたのです。
桐山さんが出した阿含経は>>598に桐山解説を引用した「五根法を修行する者は
外道凡夫にあらず」と釈尊が説いた経典です。
五根法を完成したとは書いていない。修行中であれば凡夫ではないと明言して
いるのです。
そう言うと反論を予想してましたよ。
五根法なんて七科三十七道品の高度にて難解な修行法なんだから凡夫には実践
できず、前段階の基礎修行が必要だとかなんとか。
時に桐山さんはこの五根法を成仏法に置き換えてもよいとしている。
おかしな桐山ジョーブツホーと混同されたくないからせめて成道法か修道法と
呼んでほしいが、私もそれに賛成です。
五根法なんて釈尊の示した修道のひとつの切り口に過ぎず、同じ修道でもいろいろ
呼び名があるわけだから。
すると預流向を凡夫などとしてしまうとおかしな結論になる。
三結断ち切って初めて預流果のシュダオンだが、シュダオンになるには成仏法ではない
凡夫の法、外道の法で成し遂げられるということになってしまう。
シュダオンの聖者になって凡夫を脱し初めて五根法などの成仏法にチャレンジ可能で
そこからは外道凡夫にあらずというわけだ。
シュダオンは成仏法ではない法を修行した結果ということになるではないか?
それに凡夫だけならまだしも外道まで入っているのはヤバイ。
五根法などの成仏法の修行に入る前の前段階の修行は外道の法ということになる。
外道の法でシュダオンになり凡夫を脱する。
さあ、これからシャカの成仏法の修行さ。

733大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/06(金) 08:56:03 ID:hxNVfJjs0
>>728 ユビさん、ご意見ありがとうございます。私も継続の意向なのです。
ただし、四十四章の事を越えてもっと論議せねばならない場合は別に立てるのが良いかと思います。
私もこのまま継続を続けてゆきたく思います。

>>730 >>731 樹意さん、ご意見ありがとうございます。
私も少々考えすぎでしたね。ですが、本音は私は別段スレ違いとは思っていません。
なので、論蔵から外れた場合は警告しますが、今の状態はそうではありませんので
このまま続けたいと思っています。

仰せの通り、ご利益一辺倒な方とか真剣な論議を嫌う方には、このしたらばは面白くないでしょう。
でも、そういう方は来なくてもいいと思っています。
やはり阿含宗という教団、そして仏教というものを深く考えればこのスレは意味があり価値が有る。
そういう風に感じてます。まして桐山 靖雄という人間がどういうことをしてきたか、言ってたかを
検証したり、分析する上では尚重要と考えます。

今回のラシンさんと深山さんが論議されているのは、準氏が主張することの反論意見であり、
深い内容説明でもあります。また樹意さんも文献や情報を出され成されている。
これは論蔵から離れてないし、れっきとした意味の有る論議です。

ですので、考察は各自に任せるとして、論議を続けてくださる皆様には深く感謝を申し上げる次第です。

734ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/06(金) 09:03:32 ID:SmEF4Oe2O
>>598を読み返すと、釈尊は五根法(成仏法、成道法、修道法)を修行しない者は
外道凡夫の数に数えるとまで言ってますね。
だからこういうことになる。

「私はまだぺーぺーの新米だから三結すら切れない凡夫です。凡夫だから
五根法など成仏法の実践取り組みもまだの者です」
「ならばキサマは外道だな」

735Boo:2009/11/06(金) 10:14:28 ID:DXlq9owoO
わたしもユビキタスさんの意見と近い見解をもっています。

以前に『シュダオンを預流と意訳した後にシュダオン向という単語が出てきたので、本来預流向と意訳して構わないものですが、そうすると預流果(聖者の入口)より以前の預流向となり、預流向が聖者か否かの議論が他の問題として出てしまったかもしれない。』という内容のレスをしましたが、私自身どうでもよい問題だと思っていたので大して気にもとめませんでした。

今だにどうでもよい問題だとは思っていますが、アビダルマ論やその成立過程と比較する切り口はなかなか面白い視点だと思いました。

少なくとも準シュダオン氏のような日本語が通じない聖者様のご意見を拝聴させて頂くよりは、根拠を提示して意見を述べるラシン氏や深山氏のレスは有意義な見解であろうと思うのですが、比較対象が準さんであることは、ラシン氏、深山氏ともに不快感を抱くかも知れませんが・・・・・ご容赦ください。

736Boo:2009/11/06(金) 10:23:14 ID:DXlq9owoO
話はちょっと変わるのですが、伝染病で大量の聖者が亡くなった話で、釈尊は何が七度転生してニルバーナに至ると結論しているのでしょうか?私は単純に『霊』とは言えませんが、そのようなもの(識とか無明とかなんでしょうが)だと思うのです。

多分そこのところのカラクリにゲイカの霊感商法が見え隠れするような気がします。

『七来』とか『一来』とか『不還』とかって、何が帰ってきたり、還らなかったりするのでしょうか?やっぱり『霊』のようなものなんでしょうか?

737ラシン:2009/11/06(金) 12:08:29 ID:2LdR/Kgw0

深山さんのお手を煩わせて、恐縮です。
今回の私の愚行は、一つには準シュダオンさんからの預流向=凡夫説
に対して、私も批判側皆さん同様に預流果へ向かう聖者たる預流向の根拠を
提示してきましたが、氏の頑迷な主張に別なる阿含経解釈を以て頂門の一針
とできないか?
さらに一つは、私の無知ゆえの認識不足かも知れないのですが、阿含経に
見える預流向解説の希薄性を無謀ながら矯正し、桐山預流向説批判の一端を
造れないかとの思いと、ご理解願いたいものです。
スレに外れたものなら、遠慮なくご指摘してください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>712 :深山:2009/11/05(木) 23:04:57 ID:New2ZXVI0
>>ラシン そのような記述の経区をご提示いただけますか?

>これまでに示した阿含経です。
「何等をか須陀諸Y果と為す。謂ゆる三結断ずるなり。」
(雑阿含経、四果経、『國訳一切経 阿含部 2』319頁)
これまで示した阿含経では、須陀諸Y道を成じて、須陀諸Y果とは三結を切ることだと述べている。
これをそのまま読むなら、須陀諸Yとは、三結を切る須陀諸Y果を目指して、
須陀諸Y道を修行することだという解釈は成り立ちます。

これは深山さんのご指摘が間違いと、今も考えておりません(過去の私の同意見)。
今回の新たな疑問は、須陀諸Y果という結果において三結を切る行為と果を享受し、
その境涯を表したことでの、切る行為(因)と得た境涯(果)の二つの定理が
同時存在する矛盾です。
理由は深山さんの提示されたもう一つの経句にある、
>644 「何等為須陀諸Y果。謂三結断。」(雑阿含経巻第二十九、七九七)
>直訳すれば、「何を須陀諸Y果となすか。三結を断じたことをいう」<
私はこの経句は、三結を断じたことで須陀諸Y果を得る果報の意味と取れますから、
深山さんの示された二つの経意に違いがあると解釈し、>644がより結果を鮮明に
分かりやすいものとなっている考えます。
因って私の判断は、須陀諸Y果とは結果であり、須陀諸Y道を原因と解釈します。

738ラシン:2009/11/06(金) 12:10:32 ID:2LdR/Kgw0
>712 :深山:2009/11/05(木) 23:04:57 ID:New2ZXVI0
しかし、須陀諸Y道は一瞬で終わるとか、須陀諸Y道で三結が切れるなどと、
どう読んだら、書いてあるのですか。書いていない。
書いていないのだから、解釈以前の問題です。

仰るとおり書かれてないですね、しかし深山さんの”須陀諸Y道を修行すること”
も書かれてないですよね、単に解釈成立の可能性としていませんか?
ならば公平に照らして、私の解釈の可能性もあるのではないでしょうか?
もちろん、その趣旨の理由もすでに記述しています。
再述しますと、私の知る限りの阿含経には、須陀諸Y道だけではなく他の○○向の
記載やその境涯での死後の運命に釈尊が触れていない理由を合理的に考えると、
○○向の修行階位なる存続期間はきわめて短く、ならば果にいたる直前の刹那と
受け止めることの可能性も否定できないと考えます。

>713
>>706 :ラシン:2009/11/05(木) 00:45:56 ID:Xj1b9g0Y0
>>意味は須陀諸Y果を得る直前の一瞬であり、それまでは須陀諸Y道以前の修行が
>>存在すると考える次第です。

>これはすでに何度も反論しているように、根拠がありません。
一つには阿含経に根拠がない。

仰るように私の主張結果からの推論ですが、では各○○向の修行の存在を示す
明解なお経があるのでしょうか?
不勉強ゆえの私の愚問でしたら、どうかご教示くださいますようお願いします。

>二つ目に、何のために、三結を切るのに切った瞬間と、切った後とを
わざわざ分けているのですか。ー略ー四向四果の分類の基本は煩悩を切ることです。
煩悩が薄らぐか、切ったか、それだけが重要なのであって、

何度か説明しましたが、一言でいえば阿含経の預流向解説の希薄性です。
それと、釈尊の基本的教えからみて課における二つの定理が同時存在する矛盾です。
原因と結果、行為(業因)と結果(業果)との意味で申し上げていたが、
深山さんは今回において、どうしてその基本から目を背けたがるのでしょうね。

739ラシン:2009/11/06(金) 12:33:45 ID:2LdR/Kgw0
>714 だが、ラシンさんはアビダルマでもなく、従来の学者の説でもなく、
もちろん桐山説でない説を出しているのだから、預流についてのほぼ個人的な見解です。
仏教として大いに議論したいテーマだが、スレの主旨からは両足が外れてしまうので、

ご指摘どおり何度も私見ながらと申し上げていますが、そこで私説展開する理由は、
アビダルマとその学説への私の解釈です。
深山さんが否定する功罪あるアビダルマ仏教ですから、アビダルマ引用は控えて
私の自己の解釈を披瀝させていただいています。

>715 ただ、「断つ」と「尽くす」との違いを辞典から説明しているが、
仏教用語としてその違いを説明しようというなら、仏教辞典や
経典から根拠を引用するべきではないでしょうか。

それはおかしくありませんか? 専門語ならいざ知らず和訳意訳の解釈に
国語の正確な引用は否定できないでしょう。
訳文も必ずしも適正とは限らず、受け手の誤解もありますからね。

>716 :深山:2009/11/05(木) 23:19:57 ID:New2ZXVI0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>これらを原資として桐山さんのダルマチャクラの”外道凡夫ではない預流に向かう預流向”
>との解釈は、間違いであると批判できるものになりませんでしょうか。

>今回のラシンさんの議論で、一番重要なのはこの点なのですが、よくわかりません。
なぜなら、私の預流についての説明は桐山説とは違うが、
預流向とは預流果を目標として修行する者、という点では同じです。

このことは、>>737で最初に申し上げた通りとご理解ください。

740深山:2009/11/06(金) 12:40:45 ID:sFcPcrx20
>>715に様々な意見が出ているようなので、以下のように説明を加えたいと思います。
このスレで仏教一般について様々な意見が出るのは構わないが、
私個人はアゴン宗批判に常に片足を置きたいと思っています。
他の方が仏教一般についての意見を出されるのはいっこうに構わないし、
これまでにそれに近いことがありました。
しかし、私はそこに参加するつもりはないという意味です。
樹意さんはアビダルマを持ち出したのは彼個人の意見として出したのではなく、
またアビダルマ論を主張したいからではなく、桐山さんがアビダルマを引用しているから、
そのアビダルマからいったら、桐山説はおかしいという主張です。
ですから、私がそれに対して、それはそうだが、阿含経には根拠がないと
反論したのは、二人とも立場が違うだけで、桐山説に対する批判だからです。
だが、ラシンさんの意見は個人的な解釈であることを述べています。
しかも、それを私への意見として書いている。
だから、難しいと申しあげたのです。
ラシンさんが他の方との議論で、預流とはこのように考えてはどうかというなら、
私は考えが違っても口ははさみません。
なぜなら、私は預流について議論したいのではないからです。

741深山:2009/11/06(金) 12:44:54 ID:sFcPcrx20
樹意さんも指摘しているように、今いる人たちは全員が仏教の素人です。
素人が仏教についてデープな議論をしても意味がないと思うし、
また、桐山批判をするのに深い知識など必要としない。
桐山さんは素人並の知識と理解力と、飛び抜けた妄想力で
作り上げているにすぎないから、深く追求する必要はない、
つまり仏教について深く議論する必要すらない、というのが私の意見です。
私にとって、ラシンさんとの議論で一番重要なのが、どのように桐山説を批判するか、
というその一点に限られています。
だから、>>716で、これが一番重要なのによくわからないと書いた。
樹意さんの批判の立場は、桐山さんが引用したアビダルマであり、
アビダルマから見たら、桐山説は失笑です。
繰り返すが、これが批判として有意なのは、樹意さんの個人的な解釈ではないからです。
私とは立場や意見が違うが、明瞭でわかりやすい。
そして、この点の議論はすでに終わったと私は考えていました。
桐山批判を樹意さんはアビダルマから、私は阿含経からしているというものです。

742深山:2009/11/06(金) 12:55:13 ID:sFcPcrx20
そこに、ラシンさんが、再びアビダルマ的な立場から意見を私に書き始めたので、
反論すると、アビダルマではないという。
すると、阿含経の立場からの解釈ということになるが、これは困ったことになる。
預流についてのアビダルマと阿含経とは一致しないのだから、
その両者の整合性をとろうとしても無理です。
さらにいうなら、桐山批判には整合性をとる必要もない。
桐山説のおかしさを批判する時は、アビダルマ仏教の立場から批判するか、
阿含経の立場から批判するか、そのどちらかにするべきで、
両者を混ぜて批判すると、簡単に反論されてしまう。
そしてラシンさんの意見は両者を混ぜているように見えます。
もちろん、ラシンさんはそうではないとおっしゃるだろうが、
そこまでいくと、今度は各人が阿含経をどう解釈するかの問題であり、
それを私に言われても困ってしまう。
私は私の解釈において桐山預流を批判しており、
ラシンさんはラシンさんの立場で桐山預流を批判すればいいだけのことで、
両者を一致させる必要はまったくないからです。
ラシンさんの解釈を私に言われても、「預流向で三結が切れたとは阿含経にはない。
預流向が一瞬で終わるとは阿含経にはない」としか言いようがありません。
それでも、預流向で三結が切れる、預流向は一瞬だというなら、
それはラシンさんの個人的な説ですから、意見の言いようもないし、
私と議論するべき内容とも思えない。
だから、困ったことだと書いたのです。
ラシンさんの解釈からの桐山批判に信者が納得すれば、私は何も言うことはありません。

743ラシン:2009/11/06(金) 12:59:17 ID:2LdR/Kgw0
>717:深山 
だが、預流向と預流果の対象は三結という一つです。
仮にラシンさんの説明を受け入れ、預流向と預流果が原因と結果だとしてもかまいません。
預流向で三結を切る努力をした原因で、三結が切れるという預流果の結果が得られた。
原因と結果はあまりに明瞭でわざわざ縁起説を出すまでもない。

少し違いませんか? ”預流向で三結を切る努力をした原因で”は当に縁(因)のみですが、
”三結が切れるという預流果の結果が得られた。”とは切れるor切る(深山さん既出)と
結果を得るとなり、二つの定理が存在し、総計三つです。
縁起説は、二組ずつの四種です。たとえて「此れ滅する」が故に「かれ滅す」の
一組二定理に整合させたのが、私の預流向(因)預流果(果)の解釈です。

>預流向で切れたという説を否定しているように見えます。

そのために、元に無い切る”努力”などとの言葉を付加をして、深山さんの主張を
あえて今、補強しないでください。
一貫性を以て、当初の深山さんの提示した経句について議論いたしましょう。

744ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/06(金) 13:05:19 ID:SmEF4Oe2O
>>736
かような問題提起に我は答えず(笑)

745深山:2009/11/06(金) 13:05:25 ID:sFcPcrx20
アビダルマは厳密に境界線を決めて、理論構築しています。
だが、釈尊の教法はそんな厳密な体系的なものではなく、
よく言えば、対機説法であり、悪くいうと、とてもアバウトです。
なぜなら、釈尊は学者ではないからです。
両者は良く言えば補完しているが、批判的に言うなら正反対です。
だから、釈尊は須陀諸Y道、須陀諸Y果、須陀諸Yという言葉使いにしても、
どうにでも解釈できるような使い方しかしていません。
また、そんなことは釈尊はどうでもよかった。
須陀諸Yで言いたいことは、須陀諸Y道と須陀諸Y果はどこが境界線で、
境界線は長さはどのくらいで、幅は何ミリあるのかではなく、
三結を早く切れ、早く四諦を理解しろ、と言っているだけです。
煩悩を切れという立場から言うなら、預流向も預流果も、そんな分類は
どうでもいいことです。
小学校では、在籍中と卒業を厳密に区別したりはしない。
一年から六年までの学びこそが卒業の資格であって、
どの段階が児童で、どの段階が卒業なのかとどうかなんて、
誰も厳密に線引きなんかしません。
3月31日の六年生は、小学生なのか、それとも小学卒業生なのか、
卒業とは一瞬なのかどうかなど、一々議論する人はいません。
阿含経の一言一句を拾って詳細に議論しようとすると、
それはアビダルマになり、阿含経からは離れてしまう。
桐山預流説の解釈も阿含経の読み方で可能ならば、それは認めた上で批判する、
というが私の立場です。
桐山さんがどんなご立派な解釈をしようが、正統なアビダルマ解釈をしようが、
そもそも外道のアゴン宗に預流向すらもいるはずがない。

746ラシン:2009/11/06(金) 13:39:42 ID:2LdR/Kgw0
>740〜742 745:深山

深山さんのスレ姿勢は重々ご理解申し上げているつもりです。
反して、私からの無理な議論に付き合わせることになり申し訳ない。
深山さんに異を唱えるのは、ある種、深山さんの胸を借りて
自問自答しているに等しい愚行かもしれません。
誰もが抱くであろう準シュダオンさんの疑念を私が深山さんから
引き出そうとした思いは否めない。
しかし、スレの正論は>740〜742 745の深山さんの言われるとおりです。
それを納得した上で、これ以上の私の主張は終了させていただきますが、
昨日の深山さんへのレスまではお許しください、レスは不要です。

747ラシン:2009/11/06(金) 15:17:20 ID:2LdR/Kgw0
>718 :深山
預流向で三結をすでに断じたのなら、なんのために三結を断じた預流果というのを
もう一度出す必要があるのか、無意味であり、両者は区別が付かないと申しあげたのです。

同じ意味合いの質問が続くようですね。
深山さんも預流とは、預流向と預流果だと認めています。
すなわち預流向と預流果は表裏一体ではないでしょうか?との考えです。
私の主張根拠は、阿含経に各○○向の記述が無いことで、向が果への段階だが、
それはあくまでも原因結果の二定理であり、経では四果として説かれています。

>まるで「山に登山して登った」「頭が頭痛して痛い」と言っているようなものです。

例が恣意的に飛躍しておりますが、
私の表現は、山に登山し、結果登頂を果たした、頭が頭痛し、結果頭痛病だった。

>だが、目的である三結を断じることがすでに預流向で行われているのなら、
それをもう一度、断じたことを預流果などと言い直す必要があるのかと指摘したのです。

何度も申し上げるが、行為と結果に分けて解釈しております。
三結を断じる行為、断じた結果の預流果という成果境涯です。

748ラシン:2009/11/06(金) 15:20:04 ID:2LdR/Kgw0
>718:深山
ラシンさんは、縁起説で原因と結果の例を出しているが、
預流向で三結が切れたのなら、預流向も結果であり、預流果も結果なのです。

それは縁起の「此れ滅する」が故に「かれ滅す」も結果、結果ということに
なりませんか?

>719 :深山:2009/11/05(木) 23:30:46 ID:New2ZXVI0
>>706 :ラシン:2009/11/05(木) 00:45:56 ID:Xj1b9g0Y0
>>須陀諸Y道を成じての成じては、国語的意味としては”須陀諸Y道を成就して”と

>「須陀諸Y道を成じて」とは「小学校で勉強して」と言っているのです。
勉強と卒業は違います。

成じて、成してなどは、国語的意味で考えて「成就」ではありませんか?
”須陀諸Y道を成就して”と申し上げたのは、そこで三結を切ったことです。
深山の現に倣うなら、「須陀諸Y道を成じて」が勉強してとか修行してなど、
お経のどこに記述されているのですか?
また、>勉強と卒業は違います。<のとおり 同じだとは申し上げていない。
深山さんが無理やり接合させているだけで、私は何度も因と果と分けています。
同じ言葉にこだわりすぎた深山さんの無理な比喩とお見受けいたします。

749ラシン:2009/11/06(金) 15:21:32 ID:2LdR/Kgw0
>719 :深山
「成じて」が三結を断じたことなら、どうして須陀諸Y果の時と
同じように、三結を断じてと述べないのですか。
もちろん、意味が違うからです。

もちろん、意味が違います。
深山からは向で成じて果で断じたとの両方連なったお経が示されていないので、
レスどおりに受け止めますと、向と果が違うからこそ、向で三結切を成就し、
果では三結が断じたことによる果報を表しているからではないですか。

>預流向は預流果を目指す存在であって、預流向と預流果は対等ではありませんし、
私はそんなことを言った覚えはありません。

深山さんが対等と述べたと言うのではなく、私の「このような同位同列の表現とはならず」
とは、”二人ずつの”組とあるのは、○○向と○○果の表現”を指したのです。

750ラシン:2009/11/06(金) 15:24:58 ID:2LdR/Kgw0
>719:深山
預流向は在校生、預流果は卒業資格をもった人のことです。
両者が対等であるはずがありません。

であれば在校の一年生とは、どのポジションから認知されたのか説明が付きますか?
たとえば一来向は、預流果を経て一来果へ向かうとの理解は可能で以後同様ですが、
聖者の流れに踏み入った預流向となる起点は何処より始まるのか?わかりません。
もちろん四善根という階位など釈尊は説いていないでしょうからどこなのか?
さて、預流向は在校生ではなく、預流果の原因となる直前と解せないでしょうか?
深山さん流に言えば在校生からの努力の成果が卒業する向で、預流果は卒業資格でしょう。
さらに涅槃経に倣えば、預流向未満は凡夫となる。
ユビさんも指摘しているように三結は理知上の迷いであり、
尊師の集いに参集し三宝に帰依し法の鏡を具現している人々の初段階が、
預流(預流向と預流果)ですから、線引きはそこで引かれると考えます。

>722 :深山:2009/11/05(木) 23:38:04 ID:New2ZXVI0
>>710 :ラシン:2009/11/05(木) 11:20:32 ID:2LdR/Kgw0
>さらに、ナーディカ村における釈尊の村人への死後の運命についての答えも、
>各四向の存在は皆無という不思議さがあり、その観点に於いても、各○○向即各○○果であり、

>死後の運命だからではありませんか。
死んでしまったら、そこでいったん「成績」は確定する。
期限内に単位を取れなければ、学校は卒業できません。
死者には8つではなく、4つの結果しかありません。

では一来向だったなら、預流ということですね。
それによれば預流=預流向と預流果、一来=一来向と一来果との解釈が
成立しなくなりませんか?
際立っていえるのは無学の阿羅漢です、阿羅漢向は不還果となってしまいます。
これでは、無学の意味する定義が崩れませんか?
ゆえに私の解釈は、向果は表裏一体で○○向即○○果であると行き着いた所以です。

751ラシン:2009/11/06(金) 16:09:19 ID:2LdR/Kgw0
>724 :深山:2009/11/05(木) 23:46:35 ID:New2ZXVI0
>>703 :ラシン:2009/11/05(木) 00:17:32 ID:Xj1b9g0Y0
>四向四果の最初の段階=預流向と預流果→預流向と預流果は殆ど同列の一刹那との
>解釈が成り立ち、預流向が晴れて聖者の流れと定めた釈尊の意志に合致すると得心できます。

>アビダルマでないと言いながら、ラシンさんはアビダルマを入れている。
なんのために、一生懸命に、刹那を強調しなければならないのですか。

先述しましたとおり、倶舎論引用をしないでの解釈と申し上げました。
だが、解釈そのものがアビダルマだと言われれば一言も無い。
刹那と言おうが表裏一体と言おうが同位同列と言おうが、アビダルマ体系だと
言われて否定は出来ないでしょう。
ただ、刹那とは書かれていないがそう解釈しても釈尊の教えを毀損せず、
偏重偏向とはならないとの判断によって考えたものとご理解ください。

>745 :深山:2009/11/06(金) 13:05:25 ID:sFcPcrx20
アビダルマは厳密に境界線を決めて、理論構築しています。
だが、釈尊の教法はそんな厳密な体系的なものではなく、
よく言えば、対機説法であり、悪くいうと、とてもアバウトです。
なぜなら、釈尊は学者ではないからです。
ー後略ー

深山さんに対してレスを書き、反論を試みつつもここに至って、
正直に感想を申せば、尽きるところ、上記これら深山さんの見解と姿勢が、
釈尊の教えに一番適うように思います。
では、お前は何故かくも長く預流向説の私見を述べたのかと、怒られそうですが、
これはまたひとつ阿含経を紐解いて、桐山さんの預流向説に?符が付いたからですが、
そうなると、今回のように私自身の過去の見解や深山さんと向き合うことになり、
私だけでの自問自答が出来ません。
深山さんのご指摘によるように、過去2000年以上に及んで釈尊の教義論議があり、
私ごとき素人凡人が、新たな斟酌を開陳するのはお門違いというものと自戒しております。
私の試みた疑問所論は、過去の遺物に有するでしょうが、
それにしても尚、経説学説のギリギリの論証の可能性を考えた次第です。
それは書かれていないものを読み取ろうとしたのではなく、
経句表現の前後と、釈尊思想からなる推察の可能性を追ってみたに過ぎません。
しかし結果として、桐山批判への直球有効打には届かず、
深山さんの姿勢に立ち返ってこそが、その真義を問えるものと同意いたします。
長らく深山さんには、手間ひまを煩わせ、大変感謝申し上げる次第です。
反論上、気をつけてはおりましたが、失礼表現がありましたならご容赦願いたく、
お詫び申し上げます。

752ラシン:2009/11/06(金) 16:46:58 ID:2LdR/Kgw0
追記

読み返せば誤字脱字が目立ち、さらには深山さんへの敬称抜けが数箇所も
あって、汗顔の至りです。

大日如来さん、いつもながらの裁量に深く感謝申し上げます。
今回は深山さんにも気を使わせてしまい、忸怩たる感がありますが、
打てば響けの何とやらで、深山さんのスレ姿勢に改めて感慨の念を抱くのみならず、
経解釈への洞察力と巾の広さに感銘を受けました。
大日さんもまた、新たに学ばれた上でのご賢察ご主張をどうかご披露してください。

753ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/06(金) 21:13:07 ID:SmEF4Oe2O
またまた預流向議論の整理をしたいと思います。
そもそもこの預流向と預流果の違い、凡夫か聖者のいずれであるかの議論は
準シュダオンさんが持ってきたものであります。
それまでは問題にもしておらない話です。
こちらは準シュダオン教には用がないから相手にする必要もないのですが、
桐山さんがそう書いていると彼が言うから検証してみたまでです。
その結果は桐山さんはそんなことは述べておらず、提示された文章だけでは
個人の解釈がいかようにもされるだけではっきりしない、わからないというもので、
それとは別資料の桐山法話にはっきりと、君たちは(たとえ限られた一部であろうが)
シュダオン向だ、そのシュダオン向は三結断ててないが、尊い成仏法を修行する
のだから外道でも凡夫でもないと明言したのだから、準シュダオンさんの
預流向=凡夫説は桐山さんにより完全に否定された。しかもこの預流向≠凡夫は
単に桐山さんの思いつきだけでなく、釈尊の阿含経を根拠にしている。
>>598の引用がまさにそれです。五根法(お釈迦様の成仏法)を修行しない者は
外道か凡夫と釈尊が明言している。成果は問うてない。これを根拠に桐山さんは
シュダオン向は凡夫ではないのだぞと説いた。私はこれは間違っていないと思う。
桐山さんの説いていることは正しいと思う。
但しこれは一般論での話であり、桐山教団の教義と実践においてはこれは絶対に
預流ではない。預流果もなければ預流向もない。
しかしそれはそれで別の面で新たに批判の材料とすべきで、単に向果の別、凡聖の別
については準シュダオンさんに対して釈尊と桐山さんを使って論破したのであり
ここに議論は終了したのです。
だから準シュダオンさんもようやく沈黙した。
準シュダオンさん個人の考えは、アビダルマに近くとも自由です。
しかし桐山スレではもはや用はない。
桐山さんのシュダオン向観はたしかにアビダルマから否定もできる。
しかしそれは不要だと思う。なぜならアゴン宗はアビダルマ宗ではないのだから
阿含経の教説が優先される。
それはたしかに少なくとも桐山さんは人間改造の原理を書いた当初アビダルマの
四向四果説に無知だったと思う。知らなかったと思う。
しかしこんな煩雑なアビダルマは知らなくてもよいと思う。
あるいは後に知ったが、相変わらずアビダルマはどうでもよいことをと無視したの
かも知れない。それなら桐山説に賛成なのです。

754ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/06(金) 21:20:36 ID:SmEF4Oe2O
だから私がラシンさんに提言したいのは、預流向論は桐山批判につながるかも
知れないと思ったとのことですが、残念ながら批判できるのは準シュダオンさんだけで
桐山さんまではこの向果・凡聖論だけで批判できない、寧ろ 私は支持したいと
評価する。
私たち批判側が共に肝に銘じたいのは、闇雲に何でも桐山さんを批判するのではなく
正しいものは正しいと評価して、本当に批判できるところだけを徹底的に批判して
メリハリをつけ公正を期したいのです。
それでこそ批判の信頼性も増す。

755大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/06(金) 21:46:56 ID:u4ch1f3Q0
>>752 ラシンさんへ

いえいえ、こちらこそ凄い意見交換(預流向議論)を拝見して恐れ入ります。
深山さんも丁寧に意見を交わされ、またラシンさんもご自身の意見を出され、とても有意義なことを
成されたと強く感じています。

以前の2chでも真剣な論議が交わされましたが、現在は非常に情けない状態です。
今回のような真剣で深い議論はぜひとも今後も機会がありましたら行って欲しいです。

2chでも真剣な論議も出来ますが、間に邪魔が入ったりレス流しなどもありますゆえ、
阿含宗に係わることから派生した今回の論議はとてもためになる論議でありました。
ラシンさんをはじめ、意見を出されました皆様に御礼申し上げます。

私もこの預流向議論が一段落付いたら、私の宿題(笑)でした課題を報告&意見出しをしたく
思います。ですので、
>大日さんもまた、新たに学ばれた上でのご賢察ご主張をどうかご披露してください。
は、そのようにさせていただきたく存じます。ありがとうございました。

756大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/06(金) 21:49:55 ID:u4ch1f3Q0
いけない、脱落がありました。修正加筆します。

2chでも真剣な論議も出来ますが、間に邪魔が入ったりレス流しなどもありますゆえ、
こちらのしたらばで意見交換が出来たのは非常に良かったと思います。
また、阿含宗に係わることから派生した今回の論議はとてもためになる論議でありました。
ラシンさんをはじめ、意見を出されました皆様に御礼申し上げます。

に修正加筆です。

757ラシン:2009/11/06(金) 23:20:48 ID:Xj1b9g0Y0
>754 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/06(金) 21:20:36 ID:SmEF4Oe2O
だから私がラシンさんに提言したいのは、預流向論は桐山批判につながるかも
知れないと思ったとのことですが、残念ながら批判できるのは準シュダオンさんだけで
桐山さんまではこの向果・凡聖論だけで批判できない、

ユビさんのご指摘に間違いありません。
深山さんの掲示姿勢からしても、多分、私への言及はこれ以上は無いと思う。
議論で言えば、私の完敗で、万に一つの利も私にはありません。
これは、読者に誤解を与えぬためにも、はっきりと認めるものです。
今現在、桐山アゴン宗ネタがありませんので、このたびの経緯を
恥ずかしながら述べさて頂きます。 ー続くー

758ラシン:2009/11/06(金) 23:56:54 ID:Xj1b9g0Y0
>755 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/06(金) 21:46:56 ID:u4ch1f3Q0
>>752 ラシンさんへ

>いえいえ、こちらこそ凄い意見交換(預流向議論)を拝見して恐れ入ります。
深山さんも丁寧に意見を交わされ、

いいえ日さん、違うのです、、、。
今回の私の推論の展開が叶ったのは、深山さんの舌鋒に、加減があったからです。
本日において私の深山さんへの反レスは、私が書く前から完敗なのです。
その数多から数点を特筆すれば、先ずは私の主張した原因結果にリンクした縁起の法です。

>>717:深山「縁起の法の「これ」と「かれ」は別物です。
無明をなくすから生老病死がなくなる、というように、無明と生老病死は別物です。」

深山さんのこれが正解であり、私の預流向因果説の引用は、論理のレトリックに等しいものです。
次なる私の間違いは、
「ナーディカ村における釈尊の村人への死後の運命についての答えも、
 各四向の存在は皆無という不思議さがあり」 に対する深山さんの以下の回答です。

>深山:
>死後の運命だからではありませんか。
死んでしまったら、そこでいったん「成績」は確定する。
期限内に単位を取れなければ、学校は卒業できません。
死者には8つではなく、4つの結果しかありません。
預流向の課程で死んでしまえば、預流果は得ていないから、
最長でも七度往復という預流の「果」は得られません。
生まれ変わってやり直しです。
しかし、釈尊の説く四諦すら理解できずに因縁切りを信じた外道凡夫に比べれば、
本当の預流向に入っていた人たちは次のチャンスがあるでしょう。

まさに正鵠で、亡くなった預流向も聖者ですから悪趣には落ちず、善趣から次の機会が
望める分けですから、私の暴論は何をか言わんやでしょう、となります。
さらに言えば、預流=預流向、預流果 とは一概念であり、
それが死者の境涯に反映しないことへの反証とはならないのは明白です。
これが、私の第二の論理のレトリックなのです。

759深山:2009/11/07(土) 00:00:41 ID:sFcPcrx20
>>746 :ラシン:2009/11/06(金) 13:39:42 ID:2LdR/Kgw0
>それを納得した上で、これ以上の私の主張は終了させていただきますが、
>昨日の深山さんへのレスまではお許しください、レスは不要です。

反論はできますが、議論は終わったものとして、レスは付けません。
ただ、上記に終了宣言を書いた後で、自分は反論を書いて、相手には反論をするな、
というのはいかがなものか。
「自分もこれ以上はレスをつけないから、そちらもやめてくれ」と、
上記の段階で、自分からやめるのが筋ではないでしょうか。

760深山:2009/11/07(土) 00:09:18 ID:sFcPcrx20
>>753 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/06(金) 21:13:07 ID:SmEF4Oe2O
>だから準シュダオンさんもようやく沈黙した。

トとんでもない!何をおっしゃる。
あのお方が沈黙などするはずがない。
準シュダオン様におかれましては、聖者様であらせられるであ〜る。
あの方が眠りブッダとして登場してから五年間、これまで沈黙などしたことがあっただろうか。
今までの批判側からの反論など完全無視して、というか、完全に記憶から脱落して、
「理解力の低い困った批判側だ」とばかりに小馬鹿にした態度で出てきます。
何せアゴン宗の預流向様ご一行は、輪廻転生瞑想法で輪廻していますから、
すべてリセットされて、必ず戻ってきます(なんのこっちゃ)。
「準シュダオン!カムバック!」
という映画の台詞はちと古いから、西城秀樹の「ブーメランストリート」から、

♪ ブーメラン ブーメラン ブーメラン ブーメラン 
きっと 嫌われても 戻ってくるだろう ♪

あら、これも三十年前の歌ですね。
では、同じくらい古い「めだかの兄弟」で、

♪ アゴンの信者が 星まつり 供養したら何になる
供養をしたら シュダオンに 供養したら シダゴンに
クヨウ クヨウ クヨウ・・・
だけど 供養をしても 外道は外道 クヨウ♪

と、歌まで歌ってあげたから、自信満々に戻ってきます。
信者さんたちも、準シュダオンさんの書き込みに、熱が出そうになりますから、
まずは頭痛薬や風邪薬などを準備されてはどうでしょうか。
でも、一つ信者さんが彼を評価しなければならないのは、
「アゴン宗の信者は預流向という聖者である」ということをネットで知らしめたことです。
アゴン宗の信者さんたちは聖者様なのですよ。
信者さんたちは知らなかったし、知りたくなかったでしょう?

761ラシン:2009/11/07(土) 00:45:26 ID:Xj1b9g0Y0
>759 :深山:2009/11/07(土) 00:00:41 ID:sFcPcrx20
反論はできますが、議論は終わったものとして、レスは付けません。
ただ、上記に終了宣言を書いた後で、自分は反論を書いて、相手には反論をするな、
というのはいかがなものか。
「自分もこれ以上はレスをつけないから、そちらもやめてくれ」と、
上記の段階で、自分からやめるのが筋ではないでしょうか。

おっしゃるとおりですから、深山さんの残球があれば放ってください。
私はすでに完敗宣言しておりますから、反レスはいたしませんよ。
終了宣言を書いた後でとのご指摘は、深山さんが既になした昨日よりの時系列でご断ください。
本日の深山さんへの反レスは、私は行っておりませんゆえに、どうかご理解ください。

賢明なる批判側の皆さんは、深山さんへの私の主張に無理があると感じたはずです。
その当事者である私は、議論上において両刃の剣を持った身であり、
今回の私の主張は先述したとおり、以前の自分の見解と深山さんはじめ、批判側の
皆さんと対立する立場に身を置く因果をはらんだ自分を自認していました。
その基点は、預流向≠凡夫 の具体的証明に拘った終の蹉跌でしょうか、、、
私の追及した推論は、阿含経の預流向説の希薄性、無否定、無説の隙間に対し、
自論の可能性を進入させて言及したに過ぎないものです。
その私の愚行に、ユビキタスさんの警鐘は有効打となり、
深山さんの経説の読解を超えるべき私の主張は、全くの皆無でした。
今は、これ以上の自己検証は限界でありますゆえ、以後はお赦しください。
、、、以上。

762ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/07(土) 01:02:11 ID:SmEF4Oe2O
>>760
準シュダオンさんがまた出てくるのは一向にかまわないのですが、いい加減別ネタ
を持ってきてほしいですね。
ただこれは予言ですが、新ネタは持って来ないで、よく読むと、なんだ?昔論破
され尽くしたあのネタをまた持ってきたか!とウンザリすることは覚悟したい。
そもそも準シュダオンさんであれラシンさんであれ、議論というものは負けた方が
得をするものです。
生きた勉強になったからです。
だから準シュダオンさんなど柔軟な頭を持っていれば(無理だろな…)
ああ、そうかい、こりゃ勉強になったね。どうもありがとうねと気楽に言える
はずなんだけどね。
お互いに無知が勉強し合うのが人生なんだから誰も責めはしない。
私もアゴン宗批判を受け入れ退会を決意表明した時、すごく嬉しい気持ちが
こみあげたのも、勉強になったー!と思えたからかもしれない。

763ラシン:2009/11/07(土) 03:14:07 ID:Xj1b9g0Y0
>762 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/07(土) 01:02:11 ID:SmEF4Oe2O
いい加減別ネタを持ってきてほしいですね。

確かにネタ不足での現状で、すこし外れますが掲示コンプライアンスなどですか?

>そもそも準シュダオンさんであれラシンさんであれ、議論というものは負けた方が
得をするものです。

えっ、何ですか??、ユビキタスさんの上記の意味が、よく分かりません。
私は、深山さんとの議論において結果、完敗宣言をしました。が、、、
ユビさんのご指摘は、つまるところ「オマエラも負ける議論でこそ、
勉強になっただろう」とのご指摘が、得になるということなのですか?
それとも、準シュダオンさんと私への憐憫の花向けけなのでしょうか?
私は、議論の勝敗のこだわりは、全くありません。
スレの主旨を尊重し、常に片足を置く深山さんの姿勢に身を呈する姿勢に
なんら異存はないのです。
ユビさんの常なる様々なご指摘は、ある種の握り拳を感じるほどの
ふざけた姿勢に魅入りさせる何かがあるようですね(釈尊の握り拳とは別)。
そこで、ユビさんのご指摘を考えて見ますと、
深山さんほどの方でも、この度は失礼ながら欲求不満を呈した感が
残っているようです。
そうであれば私の説明不足か、文章能力不足なのか誠に申し訳ないと思います。
思う節は、
>>759:反論はできますが、議論は終わったものとして、レスは付けません。

これは私の>>757
「深山さんの掲示姿勢からしても、多分、私への言及はこれ以上は無いと思う。」
への過分なるご配慮かと存じますが、しかし、それでは終わっていなかったようです。

>759「自分もこれ以上はレスをつけないから、そちらもやめてくれ」と、
  上記の段階で、自分からやめるのが筋ではないでしょうか。

これは、私の勝手な ”>>746のレス不要です” への深山さんからのご回答です。
掲示議論でいえば正論ですから、深山さんのご指摘はご尤もです。
だが、私は昨夜(5日木曜日)の深山さんからの対応レス限定で許しを請うて、
翌日に反レスさせて頂き、しかも>>751では最後に完敗の意味合いを宣したつもりが、
深山さんから筋論で少々詰られたわけです。
この深山さんからのご指摘を甘んじて受けろ、との意味が ユビさんの
「議論というものは負けた方が得をするものです。」との励ましですか?
もしそうであれば、ユビさんのご好意には感謝いたしますが、
この段階では、素直には受け取れなく、大変申し訳ありません。
また、ついでながら私の勝手で深山さんを困らせ、不快感を抱かせことについても
再度、お詫び申し上げる次第です。

764樹意:2009/11/07(土) 05:43:06 ID:tsllgqu20
>>638 :深山:2009/10/31(土) 23:10:17 ID:SVGOQG7w0

>という一文があります。
>これは「出家→聖者」だと言っているのではありませんか。
>しかも、その根拠として釈尊の言葉が出ており、それらは四向四果です。
>つまり、水野博士の解説をそのまま理解するなら、
>出家とは四向四果の聖者集団を指す、ということになります。

 水野広元著 仏教要語の基礎知識  105p
 原始仏教以来、部派仏教に至るまでの伝統的な立場では、僧伽とは仏教者全体としての
 七衆または四衆の中で、比丘・比丘尼の出家団体だけを指す。特に比丘僧伽が僧伽の主体
 であって、比丘尼僧伽は比丘僧伽の従属的存在である。したがって沙弥・沙弥尼・正学女
 の出家者も、優婆塞・優婆夷の在家信者も、僧伽の中には含められない。
 −略ー sangaha の語は比丘と比丘尼にだけにしか使用されない。

出家にもいろいろあるようです。出家してはいても具足戒をうけていないものもいる。

預流向の議論は 先に書いたようにゲイカが霊界原野商法ともいうべきネタに使ったものです
からこの議論そのものにはアゴンを批判する上で価値があると思います。
ですから 阿含経からの切り口で批判することも 三蔵の一つである論蔵(アビダルマ)から
批判することも自由だと考えます。
要は信者さんたちにアゴンのでたらめを掲示して考えるネタを提供できればいいのです。

私としては 批判の上からも煩悩を絶っていないものを聖者に含めるのは妥当だとは思いません。

だだ諸経典を伝持してきたのは 部派の方々でしょうからその中で増広が加えられたのは
各学者さんたちが指摘されることであります。

765樹意:2009/11/07(土) 06:44:05 ID:ZYlJA01wO
>>753
三蔵から論蔵をぬいたなら経典引用語彙の解釈等
阿含経をひいたとしてもまったく意味を為さなくなる。

経典を伝持してきた部派論師達と準シュダオン氏を
同列に扱ってみたりしているようだし 私には暴論としかとれない。

ゲイカが根拠にし座右法にまで採用した文書類を無視して
一体何を批判するのでしょうか?
後ほど更に述べたい。

766ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/07(土) 08:52:00 ID:SmEF4Oe2O
>>763
議論というものは負けた方が得をすると書いたのは、全く大真面目な話であり
いささかも冗談など交えてません。
その前の準シュダオンさんはまた古ネタを出してくるだろうと予言したのは
半分冗談、揶揄をこめていますがw
しかし負けるが勝ち論は実は真摯に問いかけ諭している。
あんな準シュダオンさんとラシンさんを同列に並べて書くのは失礼かな?と思い、
その旨お詫びしようかとも思ったのだが、その必要はないと思う。
なぜなら私はあれだけ揶揄しながらも、準シュダオンさんの人格も一人前に尊重
しているからです。
準シュダオンさんに対しても大真面目に議論に負けて相手の意見を受け入れる
ことはそれだけ自分の価値観を広げることができたわけで、これはすごい得を
したことになるじゃ ないか?とラシンさんの言葉を借りるならば、「励まし」た
わけです。
ただし誤解ないようにしていただきたいのは、この励ましは決して上から目線の
勝ち誇った者が行う憐れみとは全く違うのですよ。
同格の立場からの純粋な励ましです。
そもそも議論の勝ち負けって何だ?
実は勝ちも負けもない。当初自分が出した考えだけにこだわらず、相手の意見を
認めて取り入れることを、外面から見ると負けのように見えるが、実はその内面を
考えると、負けた方が進歩を得られた分ハッピーではないか?
ただ人間というものは対面というものがあるから相手に屈服したかのように
終わるのは感情的に面白くないというのは認め、私だって凡人だからそうです。
しかし冷静に考えると進歩の幅が広い方が得をした結果になる。
勝ちも負けもなく常に同格です。
今回も私も深山さんや樹意さん、ラシンさんの知識や洞察にふれてすごく勉強に
なった。お礼を言いたい。
ラシンさんに関しては、たしかにスレ趣旨を超えたところまでの預流向観を
全面撤回して敗北したわけではないと思う。
樹意さんも疑問を投げ掛けたようにまだお互いに言いたいことはある。
尚私は準シュダオンさんに対してでさえ、悟ってないのが聖者の分類に含める
のはおかしいという考えを「自由である」と保証しています。
預流向議論にラシンさんが全否定され敗北したわけではない。
ただラシンさんは柔軟な頭と心を持っているから、深山さんとか私の言いたいことを
すぐに理解していただけ、素直に認め受け入れて感謝の言葉までいただいた。
私はこの構図を言っているのです。
それはよかったですねと

767ラシン:2009/11/07(土) 11:12:24 ID:Xj1b9g0Y0
>766 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/07(土) 08:52:00 ID:SmEF4Oe2O
>>763
議論というものは負けた方が得をすると書いたのは、全く大真面目な話であり
いささかも冗談など交えてません。


ユビさん、諒解いたしました。ありがとうございます。
別に捻くれた訳ではなく、ユビさん一流の笑いで場を和ませたと、
思いましたが、私からの深山さんへの深謝を誤魔化したくなったのです。
こちらからレスをつけておいて、一方的終了宣言では梯子を外された
お気持ちでしょう。
ただ、私は深山さんの反論を止めたのではなく、これ以上私の愚考に
お付き合いさせることは出来ない意味で、ご遠慮申し上げたのです。
それは昨日の深山さんから皆さんへのレスで、感じ取ったからです。

>ただし誤解ないようにしていただきたいのは、この励ましは決して上から目線の
勝ち誇った者が行う憐れみとは全く違うのですよ。
同格の立場からの純粋な励ましです。

お心遣い、感謝申し上げます。ユビさんにしてそんな慢心からなどはあり得ない。
だが所詮、今回の議論は最初から勝敗がついていました。
一つは、過去の自分の主張に逆行して向き合う愚行と、
一つは、幅広い深山さんの読解力です。
今回の私の論理追求は、ある種、卑怯の一言に尽きると反省いたします。
経経の隙間を突いた自説での可能性、といえば聞こえはよいが、
言い換えれば根拠薄い自説に拘った当然の結果でしょうね。

私の掲示で皆さんにご迷惑をお掛けした。
そろそろスレの本主旨に戻すべきかと存じます。

768大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/07(土) 12:12:44 ID:3IUfiZps0
さて外出から戻ってきて、時間が取れましたので許す限り書き込みを。
まずその前に、ラシンさんへ。

私の表現が芳しくなく、大変失礼致しました。
ラシンさんの書かれましたことを拝見し、了解しました。
どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。

さて、ユビさんもおっしゃっている「別ネタ」ですが、私の宿題?だとどうですかね?
準氏が言われたダルマチャクラの件の後報告と自分の見解も語ってないので、それはいかがでしょうか?

え?それも過去に散々やったからイラネって・・・。
報告だけにしておこうかな・・・。

769ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/07(土) 12:24:35 ID:SmEF4Oe2O
>>765
論蔵をないがしろにするものではありません。
寧ろ必須、重要ですので、これからも桐山教義をアビダルマの立場からも
その間違いを指摘して批判してください。
ただこの場合、その都度個別の検証が必要で、必ずしもアビダルマが絶対に
正しいとは言えないケースもあるのではないかと思うのです。
今回のケースがまさにそれで、四向四果、四双八輩という聖者の流れは
経典もアビダルマも共通に説くことなれど、詳しい分類・整理・区別・差別は
アビダルマ独自の見解があると言えます。
その見解の中にはアビダルマが煩瑣哲学と後世に批判されるがごとく首を傾げたく
なるものもあるのも事実でしょう。
だから今回はあくまでも私見ですが、アビダルマの向果凡聖区別論よりも
>>598の阿含経記述を根拠とした桐山説の方が当を得ているのではないかと
支持したわけです。
アビダルマだから違うというわけではなく、逆にアビダルマだから正しいと
いうわけでもなく、あくまでも一々個別の検証なんです。
準シュダオンさんも彼の全てがアビダルマと同列なんて暴論は示しません。
ただ煩悩も断っていないものを聖者の列に加えるのはおかしいという発想が
アビダルマ論師たちが当時感じた発想と共通する部分もあるのではないか
という、これまた個別の部分的な類似の指摘に過ぎません。
ただ処理の仕方が違い、準シュダオンさんは預流向は凡夫としてしまい、
アビダルマは預流向は聖者の流れに違いないが、結構なレベルまで行ってなければ
ならないと限定した。
そして各々の発想は自由であることを原則としております。
それから桐山さんもアビダルマを重視し、彼の座右宝鑑もアビダルマを基に
しております。
しかしだからと言って、なんでもかんでも全てアビダルマに準拠する必要はない
と思います。
アゴン宗を名乗る桐山さんは阿含経を根拠に一部のアビダルマ説をも否定して
取捨選択する自由はあると思います。
まあ建前の看板だけの話にしても。

770大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/07(土) 12:47:09 ID:3IUfiZps0
では、報告を。

まず、該当の文章はみつかりませんでした。
結局、私自身が阿含宗報を保持してないために法友に任せるしかなかったのですが、
その人は面倒くさがり屋なので、きちんと探したかは定かでありません。
ですが、私も知人の法友も記憶にあることから
準氏の申されたことは法話で話されたことだということはあります。

あと、ここからが反論というか意見があるのですがそれは後にするとして、
準さんが申された文章を出せなかったことと私が「そういう文章あるよ」と申した
発言の撤回を申し、深くお詫び申し上げます。

771ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/07(土) 13:13:09 ID:SmEF4Oe2O
>>770
人類が滅亡するようなことは起こらない。
起こるならばこの私に何らか知らせがあるはずだという発言の件ですね?

772大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/07(土) 13:19:18 ID:3IUfiZps0
そうです。預流向論議がいい内容でしたので水を差すといけないと思い、報告を控えてました。
また、あの私が投稿していた最中も預流向論議にシフトしかけていたので、すぐさま発言を控えた次第で
今落ち着いたので再開したいと思ってたのです。

773大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/07(土) 17:34:15 ID:OaJvT/5.0
チェックしながらやっていますが、最初の話題が出たのはこの44章の>>404からですね。
全文はナンバーをクリックしてみてもらうことにして、抜粋だけを載せます。

「1999年地球壊滅の話だってさ、法話で「人類滅亡は絶対にない!」と、
強調していたんですよ。「ノストラダムスがいう1999年人類危機説は、
絶対にない、もしあるのならば私がそれを感じないはずはない。私はそれ
を感じてはいない。だから滅亡は絶対にない」と、言ってましたよ」

次に>>435(これは短いので全文転載)

「前にもレスしたけど、管長は世紀末の何年か前から、法話で、
「人類が滅亡するような災害はない」と話しているのです。
「もしそういうことがあるならば、必ず自分が予知するはずだ」とね。
だから、管長の本等読んで、必要以上に危機感を感じた人は、法話を聞いて
ない信者ですね。あるいは居眠りしてたのかなw」

最後が>>443

「1995年4月号のダルマチャクラにもp26から、1999年七の月が来る
ーーどれだけの人が生き残れるか?恐怖の大王が活動を始めた、
とか、危機を警告する文を、確かに管長は書いております。

しかし、私は法話で確かに聞いております。管長は自信を持って強調して
おりました。
「人類が滅亡するような事態には絶対ならない。もしそういう事態がある
のならば事前に私が予知しないはずがない。ところが私にはそういう感じ
がない。だから、そういう大きな災害はない。」とね。
これは1999年の何年か前の法話だと思いますが、正確な年月はわかり
ません。但し、こういう信徒の修行が緩むような発言は、文章にはしてい
ないようです。だから、法話を聞いた私のような信徒は、ほどほどにしか
危機感を持たず、修行もほどほどにしか、しないのですねw。

(中略)

「こういう事がありましたので、「人類の滅亡なんて起きない」という管長の
予知のお話を私は信じていたわけです。だが、それを活字にはしていないよ
うです。その理由はわかりません」

これらを踏まえて意見を申したいと思います。(続く〜一旦切り)

774名無しさん:2009/11/07(土) 21:23:47 ID:ZYlJA01wO
>>769
ユビ氏ほどの人がレッテル貼りするとは思いませんでしたな、
私の論拠は論蔵だけではありませんよ。

まぁ後ほど論述します。

それと私が引用した学者さんの見解は4人以上になる。
学者さんの見解を持って批判してきた今までの業績を汚すのはいかがなものでしょうか?

そういうご都合主義で説得力が生じると思うならばそれを実践
されるがよいかと思います。

775樹意:2009/11/07(土) 21:25:37 ID:ZYlJA01wO
>>774
文責 樹意

776大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/07(土) 21:29:43 ID:Cg/Mpp6Q0
む?樹意さん、これは気になる状態。
私のはいつでもできる簡単なものなので、後回しにしますのでどうぞ投稿先で構いません。
よろしくお願いいたします。

777ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/07(土) 23:24:32 ID:SmEF4Oe2O
>>775
論述を待ちますが、気になったことがあります。
まずはレッテル貼りとは何を指して言うことか?
アビダルマに対する評価ですか?
しかし私はアビダルマに対してもレッテル貼りはしていない。
アビダルマだから信用おけないとか、アビダルマだから権威があるともどちらも
述べていない。全ては個々の取り上げ材料次第だと申しています。
それでも敢えてレッテル貼りをするならばアビダルマは経典の記述をよく体系整理
して理論構築をした優れた業績です。
しかし万事100%アビダルマ説が正しいとまでは言えない。
私がそう示すことがレッテル貼りと言うのならば、逆に問うとアビダルマ説は
100%間違いない完璧だと仰りたいのですか?
それこそレッテルというものでしょう。
学者の説と仰いますが、学者というものは世にある経典がそれぞれ研究対象です。
法華経を研究対象とする学者もいる。
法華経なんて釈尊の説ではないのだから研究する価値もないなんて言わず
条件設定を理解した上でそれを大真面目に研究対象とします。
しかしそういう学者は法華経思想とはこれこれであると説いても、だから法華経は
仏教において一番正しいとか教祖みたいなことは言いません。
あくまでも釈尊の説いた原始の教えがこのように変容、展開していった事実を
学問的に研究する。
つまりいよいよ宗教でない。
アビダルマ研究もしかりです。
アビダルマの立場から見ると桐山アゴン宗はいろいろと否定できることは
間違いないのです。
しかしそれはアビダルマこそ絶対というおかしなレッテルを剥がした時に
どれだけ有効で説得力を以て訴えられるか、そこを心配してるのです。
念のために補足すると向果凡聖の区分論に特化した場合における話です。
学者の業績を材料としてこれまで批判を成り立たせてきた業績を汚すとは
誰の業績?
この問題を効果的な批判の切り口と言えるかと疑問符を投げ掛けたとて
それまでの樹意さんの業績も誰の業績も汚すものではない。
過去の業績価値は消えません。いつまでも燦然と輝きます。
しかしこれから新たに出す一々の学説はそのたびに真剣勝負です。
阿含経の問題を考察している時に法華経学者の学説はほとんど役に立ちません。
だからと言って学説をもとに批判を展開してきた栄光は崩れません。

778ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/07(土) 23:39:34 ID:SmEF4Oe2O
>>776
大日さん、そんなにタイミングばかり気にせずに自分の時間などの都合だけで
別の議論の題材を書き込めばよいと思いますよ。
複数のテーマが同時平行、結構ではございませんか。
私はそういう雑居的空間が好きなのです。
たしかに幾分レスは遅れることもあり得ます。
しかし書いたものは削除しない限りいつまでも残るのだから、残っている限り
いつでも蒸し返してでも議論の材料にはなります。

779大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 07:10:25 ID:mAmhVcNU0
>>778 ユビさん、恐れ入ります。私も変に気を使いすぎました。
昨夜、文章を有る程度下書きしましたので、早速投稿したいと思います。

まず、準さんの言われていることですが、理解できることがあります。それはゲイカの発言です。
人類が世紀末、つまり1999年の7月に人類危機説が起きるかもしれない、ということですが、
それに対し、深山さんが申されているようにかなり酷な言い方をゲイカはされている。
しかし、その反対とも言えるような表現が準さんの申すことです。
これはかなり、あい矛盾した発言でもあります。(まあ、ゲイカ得意の表現といいましょうかね)

ノストラダムスの予言は的中するかもしれない、と様々なことも網羅し発言しながら、一方では
人類は滅亡しない、ということを言う。では、一体どっちなのか、またはどうなのか、ということ
になる。突き詰めれば、人類が100%滅亡する、ということは無いが、ほぼ壊滅に近いか大多数
の人類(人間)が亡くなるであろう、ということになる。だが、実際に過ぎてみれば結果は皆様が
お分かりの通り、予言は外れ人類危機などトンデモ論であったわけです。

確かに準さんの主張することは、私と私の法友も聞き覚えがあることですし、このしたらばを見ている
方で記憶がある方も居られるかもしれない。しかし、問題はそこではなく、内容なのです。

どういうことか? つまり、一方では「世紀末は危ないぞ」といいながら「世紀末によって人類が
滅亡することは無い」という。これはゲイカが悪いのだが、はっきりしない表現です。
つまりはノストラダムスの予言をダシにして、不安を煽ったということになるわけです。

だが、もしも何もおきなかったら責任がとれませんよね? だから、あれこれ補則が付くわけです。つまり、

@ ノストラダムスの予言は1999年後の後の予言もあるのだから、それを見ても人類は滅亡してない
証拠なのだから、人類壊滅・滅亡というのは無いのだ。
A 釈迦の復活だか、アンゴルモアの大王とか訳のわからん理屈を付けて、その作用によって回避できた
という”もっともらしい理由”を付けて正当性を起こす必要があった。
B この有名な”世紀末”をダシに信者獲得・勢力拡大を目論んでた、というだけの話。
C ゲイカお得意の妄想劇場

ということなのです。

色々批判されていますが、結局ゲイカは何の力も無いのが伺えます。
ちゃんと力があって予知や予言ができたなら、こういう不安定な矛盾に満ちた発言はしないのです。
いつでも如何様に取れる、または可変できるような内容や発言をして、他人に良くない影響を与えている
だけなのです。

780大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 07:39:38 ID:mGHPG6Dg0
何故、そういうことが言えるか? では、その世紀末の事よりも規模が小さいものを当てれないではないか、
というのがあります。それが阪神・淡路大地震です。

あのときは前日から大阪道場にゲイカは居たんです。大黒天祭りに居られてそのまま大阪道場に泊まったのです。
準さんが出された「ダルマチャクラ 69号 1995年4月号」の24Pに写真まで載っており、76Pからは
その法要の様子が活字になっている。まあ、それよりも重んじるのは実際ゲイカが大阪道場にいて、地震前日から
災害の有る地区のすぐそばに居た、ということと何の予知も公示もしなかった、ということがポイントです。

どうして偉大なる聖者様が世紀末の災害よりも規模が小さい災害を察知・感知できなかったのか、です。
(というと怒られますが、あくまで比喩ですので勘弁)

ここで言いたいのはここなのです。

「人類が滅亡するような事態には絶対ならない。もしそういう事態がある
のならば事前に私が予知しないはずがない。ところが私にはそういう感じ
がない。だから、そういう大きな災害はない。」

では、大きい災害なら感知できて、小さな災害なら感知できない、というのでしょうか?
甚だ、これは人を馬鹿にした発言ですよ。言い訳にしても程度が低すぎる。

私は比喩で阪神・淡路大地震を”規模が小さい”などといったが、本音は違います。
結構な死者も出ましたし、被害も大きかった。復興だって大変でしたよ。
それを「気がつかなかった」で済むのか?なのです。

また、百歩譲って世紀末のときはこういうので済む程度じゃないんだ。その時は感知してちゃんと知らせる、と
言ったとしても、そんなのは詭弁でしかない。大事なのはやはり生命ではないかと思うのです。
むしろ、予言をして的中させたらゲイカ&A宗の名も上がると言うものです。
なぜ、それをしないか? しない、でなく”できない”のです。ゲイカはただの老人だからです。

781大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 07:42:31 ID:mGHPG6Dg0
また返す返すも、「人類が滅亡するような災害は無い」との事ですが、ではそれゆえに恐れるものはないのなら
別段ゲイカが日々言う、2010年まで注意しなさい、及び悪いことが起きるというような言い方は何ですか。
単なる注意なら誰も心配などしないし、恐れもしない。危惧したのは準さんが個人的に安心しただけであって、
有る多数の信者というものはゲイカの言うことを聞き、恐れていたものです。
私も恐れはしなかったが、人類の大半が亡くなる様なことが起きなければ、とは思っていました。

災害云々が有る云々よりも、何が起きるかわからないと不安を掻き立てたのは誰ですか?
本や宗報、発行物や法話でもそれらは確認できます。ゲイカその人です。

第一、ノストラダムスが1999年以降の予言があるのだから、人類は滅亡しない(及び滅亡するような災害は無い)
という読みなど素人でも出来るでしょう? そんなことを恐れるよりも多くの人が亡くなるであろう事項が大変、と
思うから、知り合いの人や家族を入行させたり、という人も多かったですよ。
自分の知り合いや家族を守りたい。故に御宝塔を頂き、守護(加護)して欲しくて色々やった人も居る。

あと、深山さんがよく言われる「後出しジャンケン」はゲイカの得意技です。
そして尚且つ、後出しをいつでもできるように布石を打つのもゲイカは上手だ。

過ぎたことを言っても説得力が無いから先に言うが、ゲイカの言った2010年はあと一年ちょっとですよね?
何も無くて過ぎたら何ていうんでしょうね? 大体想像できますがね。

で、もし何か大きな災害があったら「ほら、自分の言ったとおりだ」と過去の布石発言を出してくる。
自分の予言がさも当たったかのように。

外れても、当たっても如何様に出来るようにしているのがゲイカの布石ですよ。そんなもの、屁でもないが。

1999年の事だって散々言ってきている。そんな如何様にもできる言葉に信憑性など最初から無い。
こういう分析を信者でできる人が中々少ないように見受けられる。というか、わかったら愛想が尽きるでしょうが。

そして、1999年の想定が外れ、ゲイカはどうしたのか。それが2010年論です。
毎年何かあるかのような発言をいつもしているが、ほとんど当たらない。
それはユビさんが申されたとおり、新年念頭の法話やらの発言です。

で、今度は2010年を過ぎたら世界は安定の方向に向かうのでしょう?
でも、ペテン師だからまた何を言うかわかったものじゃないですね。
得意の方便で色々いうんでしょうよ、妄想を。

2010年を過ぎたら落ち着くんだから、もし何か大きな災害や何かが起きてもそれはゲイカの予想(予知)が
外れたということになるのだから、私としては見ものですがね。
なぜなら、これで益々予言・予知など出来ない、妄想で物を言っている、というのが確定するからです。
早く2010年になってほしいものです。

まして、安定した世の中になったらA宗も霞んで行く。不幸や危機があってこそA宗が光るわけですから、安穏な
世の中になったら商売上がったりですよ。まあ、その前に寿命で亡くなりそうですが。

782大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 07:45:02 ID:mGHPG6Dg0
あと、準さんが申した「だが、それを活字にはしていないようです。その理由はわかりません」は先の私の発言にある
自分が活字にしたら都合が悪くなるから、敢えて活字にしないようにしたと思われます。
あれほど、自分の法話や言葉を”載せたがる”ゲイカが何も残さないはずが無いと思うのだが、それが見当たらない、と
いうのは、自分が世紀末に対して色々言っているのに、それに対して逆の言葉をしっかり残したら批判の的になりますからね。
私の憶測ですがそう捉えていますね。姑息というかしっかりしているといえますね。

でも、活字にしていなくても多くの信者が聞いて知っている。法友に確認してもらったが、宗務局員も普通の信者も知っていて
25人に確認を取っています。やはり準さんの通り、法話でゲイカは言っているのです。
でも、正確な文字(文章)が無いのでニュアンスや活字の面で不透明ですが、ほぼ準さんの発言であっている、といえます。

しかしながら、色々見てみれば如何にゲイカがインチキ発言で信憑性に欠けるかがわかります。
つまり、ゲイカは何の能力も持ってなく、普通の老人が権威とフェイクだけで上に立っている、ということなのです。
ですから、世紀末云々の発言は「ああ、そうですか」で終わりであり、何ら意味が無いという判断を私はしています。
ノストラダムスをダシに使って儲けた、騒がせた、ということですね。
私も非常にくだらないゲイカの発言に従ったものだと、今ではつくづく思います。

783大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 08:00:53 ID:mGHPG6Dg0
あと、私の知り合いの法友で関東別院に所属する方が居ますが、その方も予言を重んじない方ですね。
つまり、準さんのように平然としていた、ということです。
その方はゲイカを信じないということではなく、予言そのものを信じない方でして、非常に醒めていた。
そういう方だっているのですから、準さんが何ら不安や恐怖を感じないというのはありえると思う。
個人的な見解だけだってそのくらい落ち着いていることが出来るからです。

それとは反対に「ゲイカが注意せよ、といっているぞ」と戦々恐々としているほうが哀れです。
まあ、私もその側の人間ともいえるのですが。

しかし、ゲイカは「無いものをある」とやるのが本当に多いね。
偽仏教、偽仏舎利、その他きりが無い。

そんなことよりも「自分自身の煩悩を解脱せよ」と言われた釈尊の言葉の方が重い。
変な予言や自分自身が様々なデマ情報に翻弄され、戦々恐々としている。
そんなことよりも自分の心の解脱を果たしたほうがよっぽどいい。
横変死しようがガンで亡くなろうが、煩悩解脱した人間には平静しかない。
何を恐れる必要があるか、ですよ。

こういうこともA宗では教えてくれない。いや、教えられないでしょう。
信者を依存させることで利益を生む偽仏教なのですから。

ともかくひっかっかる方も悪いが、言う方も悪い。
トンデモないことを信じる・惑わされずに仏道を進む。
こういうことが出来かねるのですから。

だから、ゲイカが「人類が滅亡するような災害は無い」といわれた云々ではありますが、
そんなもの何でもない。当たり前の事です。

ですが、そういいながらも未だに危機説を言い、さもA宗がそれから救われる道だ、ということを
やっている程度の低さは呆れを通り越してしまうほどの酷さです。

ゲイカの発言は取るに足らないものが非常に多いということですね。

784大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 08:02:25 ID:mGHPG6Dg0
誤字訂正

トンデモないことを信じる・惑わされずに仏道を進む=X

トンデモないことを信じず・惑わされずに仏道を進む=○

785樹意:2009/11/08(日) 10:50:03 ID:tsllgqu20
>>769:ユビキタス
>なんでもかんでも全てアビダルマに準拠する必要はない

暴論ですからね、これは反論しておきます。 といっても私が書くのはROMされる方の
為であることを先に述べておきます。
新しい論拠は提出しますがこれは本来の目的であるROMされるみなさんの便宜の為の
ものです。

私はすでに諸博士方の見解を引用済みである、
これは私の見解ではなく 諸博士方の見解でありますからそのような発言は諸博士方
への批判ということになるだろう。 >>665 他
中村元博士はスッタニパータの注釈にて預流向から説明されている。
きちんとした論拠を無視してレッテル貼りするならば私はいかなパーソナリティ
の方であってもキチンというべきことは云う。

各博士方の見解を指摘するならば相応の資料を用意するべきであり、それなくして
かような発言は傲慢であると私は思う。 >>598 はそれに対応する論拠ではないし
しかもそれは 私の意見であるところの
【出家したからといって聖者と呼ぶのはいかがなものか】を裏付けるものと思われる。
 それとこれにしても直裁に聖者位を説明したものではない。

このようなことでは批判文の信用問題に関わる。 
あるときは学者を信用しあるときは信用しない、資料なしにそれをやっては批判の論拠として
足場を失うだろう。

私が個人的に意見を述べる場合は私の現在の認識はこれこれの程度であることを断って
書いている。

阿含経 阿含経と言われますがこれら聖典は全て部派(論部)が伝持してきたものです。
(論)というのはいわば辞書の索引のようなもので彼らに功罪はあるかもしれないが
一番の仕事は対機説法である釈尊の教えを伝持整理したことです、(法数其の他)

なによりゲイカがその資料論拠としたものを引用批判するのは当然至極のことであり
その文書改竄 内容スリカエ等の指摘をきちんと示していかなかったならば
批判としては欠けることになるだろう。 
これは宗教を利用した詐欺行為であることを忘れてはいけない。 
ゲイカが(論蔵)にて説明しているものを阿含経で説明することも大事ですが読む側から
観るならば、解釈の違いですね。ということにもなるだろう。

786樹意:2009/11/08(日) 10:50:56 ID:tsllgqu20
 水野弘元著 仏教要語の基礎知識 211p
 A 修道階位と聖者
 釈尊は修道の階位をまとめて説かれることはあまりなかった。しかし初歩の悟りを得て
 四双八輩というような聖者位を進むことは、すでに阿含経に説かれている。また聖者位
 においても、理論型と信仰型と禅定型によって進みが違うことも説かれている。また
 凡夫位から聖者位に進む修行階梯について説いた経典もある。

 七清浄 たとえば中阿含経九、伝車経(中部24、伝車経)では修行階梯を、
  
 (1)戒清浄 (−略ー以下同)
 (2)心清浄 (3)見清浄 (4)度疑清浄 (5)道非道知見 (6)行道智見清浄
 (7)智見清浄
  の七清浄としている。パーリ仏教でもっとも重要な修道哲学としての清浄道論(−略ー)
  はこの七清浄を詳説したものである。
 
 「比丘たちよ、生地において、生地の梵行比丘たちの間で、いったい誰が、次のような者として
  尊敬されていますか。すなわち、
 〈自ら小欲にして、小欲の話を比丘たちにしている者である。
  自ら知足にして、知足の話を比丘たちにしている者である。
  自ら遠離があり、遠離の話を比丘たちにしている者である。
  自ら交際をせず、不交際の話を比丘たちにしている者である。
  自ら精進努力をし、精進努力の話を比丘たちにしている者である。
  自ら戒を成就し、戒成就の話を比丘たちにしている者である。
  自ら定を成就し、定成就の話を比丘たちにしている者である。
  自ら慧を成就し、慧成就の話を比丘たちにしている者である。
  自ら解脱を成就し、解脱成就の話を比丘たちにしている者である。
  自ら解脱智見を成就し、解脱智見成就の話を比丘たちにしている者である。
 
  慧注釈 panna 〈世間・出世間の智 −略ー〉
  解脱注釈 vimutti 〈聖果 −略 〉
   単に智見のといった場合  《聖道智》すなわち 〈預流道(−略ー以下同)
  一来道・不還道・阿羅漢道 というこれら四道における智)のこと −−略ー
  とある。 道非道の智見には生滅随観智が入っているようです。

 戒定解脱ではありません、 戒定慧 解脱になるということ。

 増谷文雄氏訳 阿含経典 スシーマ経 
  「友スシーマよ、わたしどもは智慧によって解脱したのである」
 原因と結果

 「では、友よ、智見の清浄は執着のない完全な涅槃ですか」
 「そうではありません、友よ」
 
 道智という智慧によって煩悩を遮断するということ だから仏教は智慧の宗教
 と呼ばれるのです。

 経典注釈というのは〈論蔵〉からもってきているものが多いようですから論蔵を抜き
 にした阿含経解釈というのは学者さんが書いてくれたものを整合性をとりつつ
 示していくのが良いように思います。

  なお私は掲示板に執着してはいませんのでその点も強調しておきます。

787準シュダオン:2009/11/08(日) 10:52:39 ID:P9JinFks0
私は、管長には凡人の持たない特別な能力があることを確認していますよ。
(詐欺能力ではないよw)
大日さんにはそれがないようですね、過去、ただ信じてただけみたいですね。
1999年の危機の話は、何を重く捉えるか?ということもあるようです。
例えば、1997年8月22日号の阿含宗報には、
13救いの輪運動は諸君自らが救われるためにある、との見出しで、
いろいろ説かれております。
「そこで、私は諸君を守ると約束した」と、管長は話しております。
「一人の犠牲者も出さずに、この変動の世紀末を乗り切り、二十一世紀を
迎えたい」とも話されてます。
楽観的な信者なら、この阿含宗報を見ただけで、「全員無事に過ぎるだろう」
と、思うのではありませんか?
2000年以前の阿含宗報は、私の手元にほとんどありません。
大日さんが言うように、私の修行だと思って、古い阿含宗報を探して、
ようやく数部見つけましたよ。先ほどの記事はその中からです。

私は、日常生活に大きな支障がないまでも、3人の医師に恒常的にお世話
になっていましてね、まぁ、歯科も含めてですけど、入行前の病は入行後、
医師の予想以上に好転したのですよ。まぁ、偶然の可能性はありますが、
私は阿含宗の加護がある、と感じているわけです。
 入行後の病(老化か?)については、医師の予想どうりに推移してます、
歯科も含めてね。まぁ、釈迦仏教は病気を治す教えではないようですが、
管長の仏教は、病気にも効果があるようで、有難いわけです。
煩悩無くすだけの教えなら、私は関心なかったですね。

788準シュダオン:2009/11/08(日) 10:57:05 ID:P9JinFks0
なにやら、明日発売の週刊ポストに、阿含宗が大々的に出るようですよ。
新聞広告見ただけですけど、「阿含宗・桐山管長、美人弟子の告発」と
出てますね。まぁ、沈着冷静、客観的に判断することが肝要でしょう。

789ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 14:35:49 ID:SmEF4Oe2O
>>780
大日さんの考察の中で一つ間違いと思われる点を指摘させていただきます。
阪神大震災のあった1995年1月17日月曜日の前日の16日日曜日は大阪道場の大黒天祭
ではなく、京都の総本殿で冥徳祭があり、その日の晩は関西総本部に泊まり、
未明に地震があった。
管長の寝ていた部屋では書斎の本が崩れて散らばった。
目を醒まされてテレビをつけた。
各地の揺れが報告されたが神戸だけがまだだな、で、ニュースを見た後また寝た。
翌朝のニュースで神戸の大被害を知ったと、その月の例祭法話(関東別院)で
話してました。
大阪道場の大黒天祭は少しずれているのではないですか?

790ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 16:06:25 ID:SmEF4Oe2O
樹意さんに対する預流向の話は後回しにさせていただきます。
準シュダオンさんは預流向以外の話に切り替えて何よりです。
しかし・・・

>>187
いや、また笑わせてもらいました。
準シュダオンさんは楽観的というよりやはりウマシカという方が正解でしょう。
宜しいですか?13救いの輪運動の内容を知ってますか?
12人のお導きをして自分を中心とした13人の守られる隊列を作れ。
これを成し遂げた者には、管長は来るべき世紀末1999年の危機から必ず命だけは
守ってみせる。というものです。
これはノアの方舟と同じく、選ばれた者だけを限定して救うというものです。
だから選ばれるようにノルマを達成しなさいと言っているのです。
達成できなかったら命の保証はできないと言っているのと同じです。
それに命の保証をしてくれるのは12人お導きを達成した真ん中の自分だけです。
周囲の12人の命の保証まではしてくれないのです。
だってそれは当たり前でしょう?
自分は一生懸命に12人も導いて初めて命の保証をしてもらう資格を得た。
ところが俺の隣にいる俺が導いてやった人は、たまたま運よく俺に声を掛けられた
だけで、自分では何のお導きの努力もせずどうして簡単に命の保証をして貰えるのか?
それならば一旦退会でもして、また誰か信者の知人に導いてもらった方が
よいことになるではないか?
だから周囲の12人も命の保証をしてもらいたかったら、今度は12人各自が
13救いの輪の誓願を出して12人導きのノルマを達成する。
こうして13×13=169、169×169=・・・というネズミ算式に
守られる隊列を増やしていくのです。
それが一人たりともこぼれず救いたいという管長のご慈悲です。
あるいは少なくともその当時管長の目の前にいる信者全員が12人導きを達成して
信者数が12倍に拡大した時です。
その時に世紀末の大災害か何かが起ころうが、信者の12分の1の当初の1次
導き親だけはどこか安全なところにいて、命だけは救われるというお話です。
2次、3次以降の皆が皆オール(ややこしいな)達成すればどうなるか?
これは日本を超えて世界中アゴン宗信者だらけになり、その世界中の信者も
13救いの輪のノルマを達成して・・・もはや皆命が助かる。人類壊滅の大災害は
太平洋のど真ん中で起きても、こちらは津波から一時逃げるだけで命は救われて
壊滅的危機は回避できる。

つづく

791ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 16:31:33 ID:SmEF4Oe2O
>>787
おっと、>>187ではなく>>787でしたね。
だから一人たりとも漏れずに救いたいというのは条件があるのですよ。
その条件とは管長たる桐山さんが成し遂げるのではなく、信者の努力にかかって
いるのです。達成して初めて救われるから管長も安心できるのです。
で、どうなりましたか?
たしかに13救いの輪達成者で、グランドミッショナリーだかの称号を得た先達も
チラホラいましたが、大多数は達成など未だにしておらない。
管長との約束を守れていないのですよ。
いいですか?約束を守らねばならないのはこちらなんですよ。
未だに命の保証をもらえてない。それは誓願を出しても約束を果たしていないからです。
あ?それともいっそ誓願なんか最初から出さない方が救われるのかな?
信者数は少なくとも12倍になりましたか?
2倍にすらなってないばかりか、激減しています。
つまり命の保証をしてもらえる資格のある人は未だに稀であり、こりゃ世紀末の
危機の大事件(2010年まで延期になったそうです。もう来年ですが)が来ても
救われない恐れが十二分にあるんじゃないですか?
だから管長が一人も残らず救いたいと希望を述べただけで、何一つ努力もしないで
もう壊滅的危機は回避したも同然だなんて思うのは、楽観的以前にちっとも
管長の趣旨を理解していないウマシカなんです。

792ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 17:14:08 ID:SmEF4Oe2O
>>787
なんかご病気を抱えてましたか?
それは初めて聞きましたね。いや、もちろんプライベートのことですから
なにもこれまでにもこれからも書く必要はありませんが。
こちらもあなたがアゴン宗における身体を使って奉仕するボン行にあなたが
全く参加した形跡が感じられないのは、あなたに身体的ハンディキャップがある
のかも知れないと思ったこともありましたけどね。
まあ今後も詮索などしませんよ。

しかし、いかにあなたが因縁切りに励んで、いや、励んでもないうちになんとなく
時間だけが経過していき、まあなんとか悪化もせずにそれなりに順調に過ごせている
のは、因縁が切れたか薄らいだかの証拠だと信じるのは勝手ですが、それと世紀末の
危機の話は別なんですよ。あなたが因縁切れて健康体になったにしても
それと関係なく起こる別の話です。
この大災害だかなんだかの危機から逃れられるかどうかの問題です。
また別の因縁なんですよ。
他の因縁をつぶしたから別の因縁も回避できたことになりますか?
横変死の因縁があれば地球壊滅の危機があろうがなかろうが、その辺の往来
ででも車に轢かれて死にます。
70歳まで車で轢かれて死ぬようなことがなかったから、もう轢かれる心配はない
なんてことはない。80歳でも90歳でも轢かれます。
だから地球壊滅の危機が消えたかどうかの話にあなたの病状の話など何の関係もない。

793ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 17:43:04 ID:SmEF4Oe2O
>>788
週刊ポスト楽しみですね。
私もその内容は読まないとわからないから楽しみなんだが、あなたにも一部
わかり得る話を教えてあげましょう。
その美人舎弟とかいう人は「メシア出現」を書いたIかわさんです。
この人が財務局長のw田さんに追い出されたのですよ。
桐山さんに泣きつこうとしたが出入り禁止にされた。
そのIかわさんが告訴をしたという話は2ちゃんねるでも情報がありました。
しかしわかっているのはそこまでですから、ポストの記事はこちらも興味津々です。

794深山:2009/11/08(日) 18:34:49 ID:2TExyjuc0
>>764 :樹意:2009/11/07(土) 05:43:06 ID:tsllgqu20
>七衆または四衆の中で、比丘・比丘尼の出家団体だけを指す。特に比丘僧伽が僧伽の主体

これは、私の「出家が聖者だ」という主張に対する反論でしょうか。
だが、水野博士が説明しているのは、出家と聖者の話ではなく、
僧伽の説明をしているにすぎません。
また、七衆とは「預流果→阿羅漢果」までの七つを指しているのですか。
樹意さんの引用した文章しか読んでいないので、そのような前提で、
意見を申し上げます。
水野博士が預流向を外したのは当然で、預流向は一瞬ですから、
実際にいる出家たちは四向四果ではなく三向四果、つまり七衆です。
アビダルマ仏教から見たら、出家が「七衆または四衆」になるのは不思議ではありません。
そして、それなら、アビダルマが七衆を出し、一方、釈尊が四向四果
つまり八衆を取り上げていることとは矛盾することになります。

795深山:2009/11/08(日) 18:37:19 ID:2TExyjuc0
>>764 :樹意:2009/11/07(土) 05:43:06 ID:tsllgqu20
>私としては 批判の上からも煩悩を絶っていないものを聖者に含めるのは妥当だとは思いません。

樹意さんがそのように解釈されるのはかまいません。
だが、たとえば、三結のうち、一つの煩悩を切っていれば、
預流果ではないが、煩悩の一つは切ったことになります。
一つだけ、あるいは二つだけの煩悩を切った人をどう取り扱うのでしょうか。
アビダルマの分類では、彼らはもちろん預流向ですらない。
だが、一つか二つの煩悩は切っているのです。
十五心までを一瞬で通過するというのがアビダルマだから、
その理屈では困らないだろうが、阿含経には一瞬で通過する十五心はありません。
釈尊が言っているのはあくまでも三結であり、四諦の理解です。
一来など、欲貪と瞋恚が薄らぐことを指しているのですから、
四向四果は、煩悩を切ったかどうかだけでなく、
煩悩を切りつつあるかどうかという点でも判断しているように見えます。

796深山:2009/11/08(日) 18:41:26 ID:2TExyjuc0
>764 :樹意:2009/11/07(土) 05:43:06 ID:tsllgqu20

仏教が三蔵からなるという考えには賛成です。
私はアビダルマを経蔵と律蔵にたいして一ランク下に見ています。
経蔵と律蔵は釈尊その人が定めたものだが、論蔵(アビダルマ)はそうではありません。
このことは仏教史でも明かです。
釈尊は知的な理解を重視したから、比丘たちに議論を奨励し、
後の比丘たちが理論をまとめアビダルマとなった。
しかも、その多くは、各部派仏教が自分たちを際だたせるために、
複雑な理屈を展開して、我らこそは正統な仏教なりと宣伝に使ったものです。
だから、彼らは二蔵ではなく、自分の教団の独自の理論展開をした論蔵を
含めた三蔵を強調した。
こいう三蔵の成立と内容から見れば、三蔵は対等ではなく、
釈尊その人が説いた経蔵と律蔵こそが主人であり、後代の比丘たちの
解説にすぎないアビダルマは参考書、つまり召使いにすぎません。
今日残っているのは、釈迦仏教そのものではなく、アビダルマ仏教の子孫ですから、
論蔵を抜きにしては成り立たないようになっているのは当然です。
文献を元にした学者たちが仏教を研究する時、
アビダルマ仏教が伝えたものが第一級の資料とするのも当然です。
しかし、繰り返しになりますが、論蔵は釈尊の教法の解説書、
参考書であることの立場をわきまえるべきです。
釈尊はなんらアビダルマを認定してはいません。
釈尊が説いた経蔵や律蔵をさておいて、アビダルマという後世の
比丘の解釈を最優先にするということはありえません。

797深山:2009/11/08(日) 18:45:33 ID:2TExyjuc0
>>779 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 07:10:25 ID:mAmhVcNU0
>まず、準さんの言われていることですが、理解できることがあります。それはゲイカの発言です。

議論の始まりは、準シュダオンさんからの私の批判へのキメツケです。
準シュダオンさんは、「深山は、桐山ゲイカは人類が絶滅すると予言したと
言っているが、そんなのは嘘だ。桐山ゲイカは人類は絶滅しないと言ったのを
聞いた」と批判したのです。
だが、これ自体が準シュダオンさんの思い込みと勝手な決めつけです。
なぜなら、私はそんなことは書いたことはない。
A「人類絶滅」
B「人類の何割かが死ぬような地球壊滅」
とでは話がちがう。
準シュダオンさんはAとBの区別がつかず、勝手に私が桐山説を
Aだと言ったと思いこんで、吠えているのです。
私は、桐山さんがAだと言ったと書いたことはありません。
桐山さんの言っていることはBです。
これを最初から私は準シュダオンさんに説明しても、
彼は理解もできなければ、他人の文章など読もうともしない。
今回の書き込みも両者をごちゃ混ぜにしており、相変わらずピンボケです。

798深山:2009/11/08(日) 18:49:55 ID:2TExyjuc0
A「人類絶滅」
B「人類の何割かが死ぬような地球壊滅」

私は、桐山さんはBが起きると言った、と主張している。
桐山さんは一貫して、
「Bが起きるがAは起きない」
と言ってきた、というのが私の主張です。
桐山さんは調子に乗って「世界の終わり」などとAであるかの
ような言い方は何度もしているのも事実です。
ただ、基本的には二十年間、桐山さんは「Bが起きるがAは起きない」と言い続けた。
Aが起きないとは、1999年近くになってから言い出したのではなく、
最初の本から言っているのです。
それがこれまでも何度も引用した次の本です。

「一九九九年カルマと霊障からの脱出」256頁
「そこでわたくしは考えるのだが、世界は終末はむかえはしないが、一九九九年七の月、
世界中が恐れおののき、人類すべて震撼する出来事に直面するであろう。
それはまちがいない。
おそらく、滅亡寸前まで行くであろう。」

桐山さんのインチキがここに凝縮していると言ってもいい。
この直前までさんざん核戦争など大規模な破滅を書いていながら、
「終末はむかえない」と自分の逃げ道を作った。
つまり、自分の予言が外れてもいいように、安全ネットを張ったのです。
そして、彼はこれ以降二十年間、一方で、地球壊滅で脅かしながら、
もう片方では外れてもいいように、人類滅亡はないと言い続けた。

799深山:2009/11/08(日) 18:51:56 ID:2TExyjuc0
A「人類絶滅」
B「人類の何割かが死ぬような地球壊滅」

問題となるのは、桐山さんがBすら起きないと言ったかどうかです。
まず大日さんにAとBを区別してほしいのです。
準シュダオンさんの知性では区別がつかず、ごちゃ混ぜにして
彼は書くから、気を付けないといけない。
私から何度言われても彼は区別どころか、言われている意味すら
理解できないのは今回の書き込みを見ればわかる。
桐山さんはAが起きないと言っても、Bが起きないと言ったことは
ないと思います。
もちろん、桐山さんも調子に乗ると何を言い出すかわからない人だから、
法話ではその場しのぎのことを言ってAとBの区別などつけないでしょう。
だが、文章においては両者はかなり区別をつけています。
なにせ、彼にとっては予言が外れた場合の安全ネットだからです。
だから、桐山さんが「Aは起きない」と言ったのを、「Bが起きない」と
聞き違い、読み違いしたのではないかというのが、私の推測です。

800深山:2009/11/08(日) 18:57:25 ID:2TExyjuc0
A「人類絶滅」
B「人類の何割かが死ぬような地球壊滅」

私の知る限り、桐山さんはBが起きないと書いたことはないと思います。
なにせそれを書いてしまったら、これまでの教義に矛盾する。
横変死が85%であれ、20%であれ、霊障のカルマで横変死すると言って、
信者を脅かして人と金を集めるのが目的ですから、
Bまでないと言ってしまったら、商売ネタがなくなってしまう。
大日さんの周囲で聞いた方にも、上記の違いを指摘して、
その上で桐山さんが本当にBがないと言ったかどうか確認してみてください。
たぶん、大半の方は指摘されるまで、上記の違いを意識しなかったと思います。
桐山さんがさんざんBを強調して恐怖を煽りながら、突然、Aはないと
言い出したから、皆さんはまるで桐山さんがBがないと言ったかのように錯覚し、
強烈な印象となって残っているのです。
要するに、銀狐の霊的脅迫と保身用の安全ネットという二重の騙しです。

801深山:2009/11/08(日) 19:02:25 ID:2TExyjuc0
>>781 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 07:42:31 ID:mGHPG6Dg0
>で、今度は2010年を過ぎたら世界は安定の方向に向かうのでしょう?

桐山さんが次に何を出すか、楽しみですね。
私は同じような霊的な脅迫が始まると思います。
なにせ、桐山さんの伝家の宝刀はこれしかないからです。
信者から金と人を集めるのには、普通はアメとムチだが、
アゴン宗の場合、「大きなムチと中くらいのムチと小さなムチと、
絵に描いた小さなアメ」です。
桐山さんの得意技はひたすら信者を脅かすことです。
アゴン宗の最大の収入源の護摩木ウリも、ガダルカナルがそうであるように、
全部霊障のカルマという脅迫護摩です。
金額の大きい解脱供養や冥徳解脱も、霊障の崇りが怖いから信者は出す。
アゴン宗の収入源の大半は「霊的脅迫」で成り立っています。
信者の大半は、自分が霊的に脅迫されているという自覚はなく、
オシャカが奨励する供養だと錯覚している。
だから、次の霊的脅迫、というよりも、また形を変えた霊障のカルマの
話が延々と続くでしょう。
騙せる相手がいるうちは同じ手法でいくらでも続きます。

802準シュダオン:2009/11/08(日) 19:14:00 ID:P9JinFks0
煩悩を一つ切ったとて、切ったことにはならないのよ。三結切らないうちは、
双六みたいにまた振り出しに戻ったりするのよ。だから三結切らない預流向は
凡夫だと、管長も私も言うのよ。
 「我々は外道凡夫ではない、預流向だ」という管長のお話はね、我々は預流を
目指している、という意味であってね、何もしてない凡夫とは違う、という
意味なのですよ、ユビキタスさん。管長論の預流向は、聖者というよりも、凡夫
の範疇なのです。いやぁ、同じ文を読んでも十人十色ということが、わかりますねぇ。

管長は、四向四果は阿含教学の基本だ!と本に書いてます。
だからしつこく、私は預流向解釈をレスしたのです。大乗には四向四果はあり
ません。預流向を聖者とするか、凡夫とするかで、管長の指導はガラリと変わる
のです。管長が預流向を聖者とするならば、「まず、預流向を目指せ」と、
管長は指導するでしょう。だが、そんな指導は聞いたことがない。
管長は、「あなた方はまず、預流果をめざせ!」と管長は説きます。
事実かどうかは別にして、阿含宗信徒はすでに預流向だと管長は考えている
からですよ。
 まぁ、1995年のダルマチャクラに詳しく管長の四向四果論が解説されて
いるのに、ユビキタスさんでさえ、内容を理解できていないようです。
これでは管長の教法も、誤解されるのも無理はないですね。

803大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 20:04:12 ID:6YsIhz220
>>789 ユビさんへ 
拝読して「あれ?」と思い、日付を顧みてもそうなりますね。
いやはや、勘違いでした。撤回いたします。ユビさんの言うとおりですね。

>>787 
>私は、管長には凡人の持たない特別な能力があることを確認していますよ。
>大日さんにはそれがないようですね、過去、ただ信じてただけみたいですね。

そうですね。過去に擁護していたときは、そう思っていました。
また、私と仲たがいした未だに現信者である法友もそう思っているから在籍しています。

私は2ch及び掲示板を見て、個人的に検証したら批判意見がほとんど正しいので退会
しました。私もまた批判をするようになりました。
ですので、擁護される人が管長を信じる気持ちはわからないでもないです。
しかし、如何せん整合性が無さ過ぎる。これでは信仰を続けられないし、する気も無い。

管長は特別な存在で偉大な存在。こんな凄い方は空海さま以来だ、とも思ってた。
でも、それは個人の思い込みと管長の様々な発言による錯覚です。
管長には人を救う力も無いし、超能力も霊能力も何も持ってない、ただの老人です。
カリスマ性があって、凄そうに見えるだけです。今のヨレヨレの状態と過去の経歴をみて
「おかしい」と思えないのは、狂信としか思えない。
日本の仏教は日蓮さんやその他宗祖などに見られるように、「宗祖教」なのです。仏教ではない。
本当の仏教を講じるなら釈尊の教えに添うべきです。阿含宗も本当の仏教ではない。
まして、管長の言う事・やっていることは、釈尊の教えではないので尚更です。
これがわからないうちは、他人がいくら何を言っても無理です。

804大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/08(日) 20:05:23 ID:6YsIhz220
>>797 深山さん、そうでしたね。汗顔。
深山さんの言うとおりです。AとBでは全然違うし、仰せの事もその通りです。
確かに、「Bが起きるがAは起きない」で正解です。

法友に聞いてみますが、おそらく深山さんの言うとおりの答えが返ってくると思います。
情けない話ですがAと思っている法友も過去確かに存在しました。
しかし、良くゲイカの発言を見るとBなのです。
ですが、私も申したとおり、Bを言いながらAのような強迫じみた言い方をするのがゲイカです。
これが本当に憎いですね。
臆病というか神経質な信者はそうなると居ても立っても居られず、拝み倒したりゲイカの指導に
邁進する。つまり、13救いの輪運動に励むとか、梵行に狂うなど様々ですが宗教漬けになる。
そして、我こそは救われる人間側になろうと必死になる。

だが、どうですか?過ぎてみれば「何にもなかったよ〜ん」で終わりです。
全くふざけた話です。それこそ「狼少年」の老人Verですかw
その結果が今になって出てきているんじゃないですか?A宗が衰退しているのは。
嘘つき老人の成れの果ては、誰も信じなくなって相手にしなくなるという結末があるというやつ。
早くそうなってほしいものですがね。

おお、そうだ。最後は狼少年は本当の狼に食い殺されるんですよね。
さて、ゲイカはあの世で裁かれるのでしょうかね?
出来れば、この世でヒイヒイ言うのを見たいのですがw

話しは、ずれましたが管長はBは言ってない、というのはありえません。
Bを言ってたのであって、Aは言ってないのです。
ですが、Aを匂わすことを言ってAではないぞ、というのがゲイカのテク。
世紀末を過ぎてみれば、ちゃんちゃらおかしい老人の妄想・狂言なんですけどね・・・。

805ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 22:18:57 ID:SmEF4Oe2O
>>785-786
樹意さん。過去ログ誘導を含めての4人の博士の学説提示ありがとうございました。
しかしこれを改めて読んで尚且つ絶対でないと思いました。
いいえ、学者の学説をある時は都合よく否定して汚しているのではありません。
ただこれだけでは尚更わからないから更に各自独自の再考が必要なのではないか
と思うのです。
例えばこの中から中村元博士の著書と辞書による定義ですが、たしかに預流向
からが三結を断じた聖者の流れとしています。
そして向とは目標であり果は到達境地とある。
預流向からが三結断った聖者なのはよいが、預流向と預流果の区別がますます
わからない。目標の向が三結を断った聖者って何?
ますます頭が混乱する。
こんな解説で「わかった」という方が教祖釈尊にもアビダルマ論師にも仏教学者に
対しても失礼というもので、わからないことは率直にわからないと言って
さらに真理を追求すべきものです。
知ったかぶりをしないということですね。
あるいは無理に変な理屈をつけるくらいならわからないままにしておくとか。
そこで一瞬とか一刹那とか経典に根拠のない説まで出てくるならば、我々は
これこそ金科玉条の定説などと崇めないで、自由に考察を進める方が正しい道
だと思う。
それは桐山さんにしても同じ権利があると思う。
アビダルマ説も学者説も乗り越えて、これを踏み台にしてさらに飛翔する道です。
但しこの場合の桐山靖雄とはあくまでも善意の真面目な求道者を想定しての上ですが。
そこで出したのが>>598の阿含経の引用です。
樹意さんはこれは今回の預流向議論の反論資料になり得ないとしていますが
私はそんなことはないと思う。
実はこの経典こそ四向四果の問題をよく表している。
桐山靖雄を離れてもこの経典に依るべしと思う。
その名も雑阿含経「向経」です。
まずは「仏陀の真実の教えを説く(上)」から引用しながら考察しましょう。
桐山飛躍・逸脱解釈はくだらなくても、原文と桐山さんの考えを入れぬ現代語訳
は価値あるのです。
だって阿含経そのものなんだから。

806ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 22:32:36 ID:SmEF4Oe2O
仏陀の真実の教えを説く(上)
368頁〜369頁から部分抜粋

まずは和訳書き下し文より抜粋

「上に説けるが如く、差別せば、若し比丘よ、此の五根に於て若しは利し若し満足せば
阿羅漢を得、若しは軟若は劣ならば阿那含を得、若しは軟若しは劣ならば斯陀含を得、
若しは軟若しは劣ならば須陀オンを得、満足せば満足事を成じ、不満足ならば
不満足事を成じ、此の五根に於ては空無果ならず。若し此の五根に於て一切無くんば、
我れ彼を説いて外道凡夫の数と為す」と。

807ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 22:48:36 ID:SmEF4Oe2O
次に現代語訳から該当箇所抜粋です。

「以上の(五根法に関するお経で説いてきた)ように、(五根法によって得られる果報を、
その修行の進み具合で)区別するならば、比丘たちよ、この五根法を完全に修行
した者は阿羅漢を得るのです。もしも修行が足りなければ、その者は阿那含を得ます。
さらに修行が少し足りなければ、その者は斯陀含を得ます。さらに修行が少し足りなければ
その者は須陀オンを得ます。
完全に修行したならば完全なる果報である阿羅漢を得て、たとえ不完全であっても
それに見合う果報を得るのです。この五根法を修行して、その努力が報われずに
むなしく終わるということは絶対にありません。もしも、これほどありがたい
五根法を修行しない者がいるとしたならば、それは外道か凡夫というしかありません」

808ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 22:57:32 ID:SmEF4Oe2O
この雑阿含経・向経はこの抜粋した書き下し文と現代語訳が全てであり、
あと残りは如是我聞と歓喜奉行だけなんですね。

それからこんなのも参考に使っておくか。
高校野球板から大東洋君にも引用して手伝ってもらおう。

322:大東洋◆18iA.mwnDU :2009/11/07(土) 08:06:38 ID:1SwpiONHO
>>308
高校サッカーのテーマ曲「振り向くな、君は美しい」ですが、歌詞の内容を見て
いろいろ感じたものです。
最初、「振り向くな、君は美しい」と聴いて、「振り向くな、おまえは醜い。
このどブスが」と表現するのが普通だろと思ったw
次に美しいのに振り向くなということは要するにこういうことが言いたいのか?
と思った。
「キャー、○○クーン」(JKたちの黄色い声援)
(振り向いて)「おおっ!」(スマイルを決める)
「バーカ、振り向いてるんじゃねーよ。ちゃんと前を向いてボールを追えよ。
カメラ目線とか気にしてないで真面目にゲームに集中しろよ。その方が美しい絵
になるから」

あと「戦いに敗れても」とは敗者の美学を最初から想定してるな。これをまだ勝負が
決しない決勝の前半と後半のインターバルに歌って踊るのはいかがなものか?
「戦いに敗れても、黄色い声援にも振り向かずボールを追う美しい自分を演出
すればいいだろう」
それからこの敗者の美学を前に打ち出す歌詞は高校野球のテーマ曲「栄冠は君に輝く」
に対抗するものか?と思い、けんか腰だなwと思った。


まあ、これだけでは使えないけどね。
しかし昨日の朝はラシンさんの誤解を解いて早く安心させてあげねばと思いつつも
こんなどうでもよいレスを優先させていたんだなあ。

809ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/08(日) 23:50:49 ID:SmEF4Oe2O
さて、>>806に原文書き下し文を、>>807に現代語訳(桐山意訳もなく問題ないと思う)
を載せた雑阿含経・向経を材料に考察したい。
私はこれを根拠に凡夫でない預流向の聖者は預流果のように三結を断ち切って
いない、しかし断ち切るのも時間の問題で必ず成し遂げると説く預流向観を提唱する。
桐山さんの言うとおり成仏法に励むシュダオン向はまだ煩悩が切れてなくても
聖者に流れ着く期待と保証の持てる者であり、凡夫ではないんだよという>>598
考え方は間違っていないとするものです。
ただアゴン宗には適用できないだけで。
まず五根法を完全に修行すると阿羅漢を得るというのだから、これはすごい修道法です。
では、これは三結断ったシュダオン以上の者だけがチャレンジできる高度な技法なのか
と言うと、経典はそれを否定している。
この五根法の修行が足りないと、足りなくてもシュダオンになると書いている。
なんと!五根法を修行してその結果としてシュダオンになるのです。
つまり初歩から最終までをカバーしている。
だから桐山さんもこれを五根法に限定せず、「お釈迦様の成仏法という言葉に
置き換えてもよい」としたのです。
三十七道品の他の科目もやはり一乗道で最初から最後までをカバーしているように
説くからです。実は三十七道品なんて分類も、それぞれの場面で説いた教えを
集めて提示してみただけのもので結局は同じ道なんだから。
だから五根法、成仏法でシュダオンからアラハンを得る。
この修行をする者は外道や凡夫でないと言っているのです。
逆にこの五根法、成仏法を修行しない者は外道か凡夫なのであるとさえ断言しているのです。
さあ、そこで考えてみましょう。
預流向が三結を断ち切った預流果シュダオンとほとんど変わらないものとします。
すると預流向以下の修行者はどうなるのか?
アビダルマ説によると聖者の流れに入らぬ凡夫ということになる。
しかし釈尊はそんなことを言っていない。
修行に励む者は凡夫ではないとしている。
質問しますが出家して精進を誓い、修行を始めたばかりのぺーぺーの新米が
すぐに一瞬に一刹那に三結断った預流向・果になれると思いますか?
そういう人もいるかも知れないが、普通はやはり何事にも時間というものはかかりますよね?
桐山さんも時間の因縁にだけは勝てないと言っている。
矛盾ではないか?

810樹意:2009/11/08(日) 23:53:13 ID:tsllgqu20
>>794 :深山:2009/11/08(日) 18:34:49 ID:2TExyjuc0

そもそも出家が聖者ということを言い出したのは深山氏ですよ、出家はしていたも
比丘戒を受けていない方もいるということを示しただけのことです。
戒の成就はおろか戒を受けていない方が 慧 の成就までいくのでしょうか。?

無知な私が云うのもなんですが
私を含め 仏教に対する基本的知識が欠如した中で発言する場合は注意が必要では
ないでしょうか。


>>795 :深山:2009/11/08(日) 18:37:19 ID:2TExyjuc0
>だが、たとえば、三結のうち、一つの煩悩を切っていれば、
>預流果ではないが、煩悩の一つは切ったことになります。
>一つだけ、あるいは二つだけの煩悩を切った人をどう取り扱うのでしょうか。

個人的意見ですが これら三結は 見 の煩悩に位置しおのおの連動したものですから
答えは一つだけ切るというのは無い、では逆にお尋ねしますが一つだけ切ったという
阿含経を示して下さい。 

先に中継車経にて示した通り 智慧にて解脱するのです。 四沙門果に相当する 道智が
片山一良氏経典注釈にはあります。

 「では、友よ、智見の清浄は執着のない完全な涅槃ですか」
 「そうではありません、友よ」
 引用しましたのは中継車経の問答ですが、阿羅漢果は涅槃のことですが問答の示す通り
 執着の全くないのが果である涅槃です。
 ですが無明を断ち切る智慧というのは執着して修行して得るものです。
 これは無明を断ち切る智慧と果である涅槃を分けてはいるが 道と果を語る上でよい
 資料になると思っております。
 
 経典の趣旨としても執着のあるものは涅槃ではないと示し これらを中継する車のようで
 あると示しています。
 
 蟻塚経という経典では 慧 を 剣の喩にて説明されているようです。

811ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 00:08:05 ID:SmEF4Oe2O
預流向を預流果とほとんど変わらないものにしてしまい、まだ三結を断ててない
預流向以下の修行者を想定すると、いや、必ずいるはずであるが、彼らは聖者に
あらずまだ凡夫の類ということになる。
しかし釈尊はシュダオン以上からなどと限定せず、あくまでも五根法の修行に
取り組んでいることだけを条件に凡夫や外道とそうでない(聖なる集い)に分けている。
つまりは預流向という凡夫でない聖なる流れとは、何も三結断ち切ったことが
条件では必ずしもなく、三結断つぞ!とそれに真剣に向かっていれば後はもはや
時間の問題で必ず預流果になるのだから(空無果ならず!)これを聖者の流れに
しているのだと思います。
私たちがアゴン宗批判を超えて釈尊の仏教の信仰と修行に励む仏弟子、仏教徒だったら
釈尊に叱られるかもしれませんよ。
「おまえたち!何をつまらないことで議論している?おまえたちは預流向で終わる
ことを最初から想定しているのか?俺はそんなことを説いていないぞ。あくまでも
煩悩を断てと説いている。おまえたちが励むことはそれだけだ。結果は後からついてくる。
まずは修行に励むことだ。それしかないじゃないか?余計なことは考えるな。
修行に励むことが尊いんだ。聖者に向かうんだ。振り向くな!」

さて次に>>808の大東洋君に登場してもらおうか?

812樹意:2009/11/09(月) 00:14:54 ID:tsllgqu20
 片山一良訳 中部経典 削減経 解説
 
 ー略ーその内容は、種々の見〈我説〉を最初の思惟〈預流道〉によって断つことができるかどうかとの
 問いに、〈これ(五蘊)は私のものではない〉〈これは私ではない〉〈これは私の我ではない〉
 と如実に正しい(預流道の)慧をもってみるならばそれらを断つことができるとして、削減の
 実践を示したものである。「削減」とは、煩悩を正しく削ることをいう。
 ここでは禅の増上慢者に対して、八等至(四色界禅・四色界禅)は楽住であって、観を基礎とする
 削減ではない、ということを述べている。  −略ー

 正見経142p  
 瞋という潜在煩悩を断ち、 注釈
 patighanusaya. 瞋随眠。これによって〈不還道〉が語られている。

 明智を起こし、注釈  〈その無明を根絶する阿羅漢道の明を起こし〉。
 これによって〈阿羅漢道〉が語られている。

 煩悩を断つ智慧と結果である涅槃 道・果を語る資料として提示いたします。
 三結煩悩を断つのも智慧ということになるでしょう。

813樹意:2009/11/09(月) 00:23:32 ID:tsllgqu20
>>805 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg
>樹意さんはこれは今回の預流向議論の反論資料になり得ないとしていますが
>私はそんなことはないと思う。
>実はこの経典こそ四向四果の問題をよく表している。

仰る通りですね、ではその点の発言は撤回しておきます。
 
 ただ私は書く仏教博士方を仕事として評価している、これは語彙等整合性を
 とる作業をされたことを評価するものです。
 今回のユビ氏の発言にはそれらを覆すだけのものはないにも関わらず傲慢な
 姿勢が見えてとれるのと 私が引用した中村博士スッタニパータ注釈やその他
 博士方の これは原始仏教のものですよという指摘を完全に無視し アビダルマ
 仏教のレッテルを貼られている。  これは批判の対象です。
 
 仏教博士方の見解を覆すなら それだけの資料が必要だと考えます。
 仕事がないのにあるように振舞う行為はいかがなものでしょうか。

 あともともと私の個人的見解ではなく各博士方が根拠を調べた上で示すものですから
 根拠はそれなりに出てくる。 
 中村博士指摘のスッタニパータ注釈も 僅かな時間で出てきたものです。

814大東洋 ◆18iA.mwnDU:2009/11/09(月) 00:40:27 ID:SmEF4Oe2O
こんばんは。友人のユビキタス君から呼ばれた大東洋と申します。
まずは自己紹介から。

「次は梅田、梅田。JR大阪駅、阪急線、阪神線お乗り換えです。
ヨドバシカメラ、フレッシュサウナの大東洋はここでお降りになると便利です。
お客様にお願いします。痴漢は迷惑行為です。痴漢を見かけたら警察に通報しましょう。
スーン、ネクストステイション イズ ウメダ。
ワタシ イングリッシュ シャベッテル アルヨ。
ピーナツが大きい大きいよ。


えー・・・本論に入ります。
私は聖者聖者と言いますが、仏教で預流という名で表現される聖者というのは
完成形でないばかりか、固定形でないと思うのですね。
つまり常に動いている。流れている。向かっている。
お寺の仏像みたいにこちらを振り向いて手をかざしてポーズなどとらないのです。
我々から見たら常に後ろ姿、背中しか見えない。
解脱をめざす我々と同じ方向を見ているからです。
だからこの先達が今どの境界にいるかなんて実はさして重要でなく、等しく我々の
先輩であり目標ではないか?
先輩は必ずや解脱に到達すべき尊い修行を行って向かっているのだから、彼を
聖者と言わず何と言う?
え?失敗?堕落?そんなことを最初から想定しては何もできませんよ。
>>808でユビキタス君が私のアホカキコを引用しましたが、本当は私だって
あそこまでひねくれてないですよ。
高校サッカーのテーマ曲「振り向くな、君は美しい」の真意を知ってます。
勝利を目指して無心にボールを追いかけて振り向くこともない姿がそのまま美しいのです。
勝利を目指さず適当にやってれば美しくもないですけどね。
そりゃ勝負事だから必ず勝利をするなんて限らない。
相手があるんだから相手が強けりゃ負けもします。
だって相手も勝利を目指して振り向かずに真剣にやってるんですから。
勝ち負けよりも勝利目指して真剣にやることが美しい。
高校野球のテーマ「栄冠は君に輝く」はなんか勝利者、優勝者だけが栄冠を手にする
ようにも聞こえますが、実は歌詞を読むとそんな限定もない。
プレーに励む者よ、天晴れという趣旨にしかとれない。
ところでサッカーでも野球でも自分以外の他人が相手だから負けることもありますよね?
ところが仏教の預流向、向かえる挑戦者たちは他人ではなく自分自身が挑戦相手ですよね?
時間は多少かかれど続ければ必ず自分に勝つ!
だから預流なんです。
空無果ならず!

815樹意:2009/11/09(月) 04:56:12 ID:tsllgqu20
>>796 :深山:2009/11/08(日) 18:41:26 ID:2TExyjuc0

>こいう三蔵の成立と内容から見れば、三蔵は対等ではなく、
>釈尊その人が説いた経蔵と律蔵こそが主人であり、後代の比丘たちの
>解説にすぎないアビダルマは参考書、つまり召使いにすぎません。

何度も書くが私の論拠はアビダルマだけではない。

 >>644 :深山:2009/11/01(日) 00:09:35 ID:SVGOQG7w0

>「古くは四果のみが説かれて四向は説かれなかったらしい。」
> (『総合佛教大辞典』法蔵館、530頁) 
 
>>692 :深山:2009/11/04(水) 23:20:41 ID:lLAyLutg0
>仏教大辞典の中村博士の記述は「小乗仏教」と断りがあるように、

パーリ五部後の上座部 四分律(宝蔵部)
雑阿含経:説一切有部所伝(相応部経典に対応)
増一阿含経:大衆系の所伝(増支部経典に対応)
増谷文雄 阿含経典 第一巻 17p

 増谷文雄 阿含経典 総論 
 だからして、わたしはいう。わたしどもが、いま、かの釈尊の所説の真相にたずねいたろうと
 するならば、まず、その『相応部経典』あるいは『雑阿含経』と称せられる経典群にたずね
 いたるより他はない。

四双八輩は増谷博士が経典批判して抽出した中にも出てきますが 雑阿含経にある、
その雑阿含経というのは 説一切有部が伝持してきたものですから大衆部からみるなら
小乗仏教ということになるだろう。

深山氏提出の論拠も含め 中村博士が小乗仏教のことわりをいれたとして何も問題ない。
論部 説一切有部が伝持してきた 雑阿含経にこの四双八輩は説かれているということ。
部派は部派でキチンと経典伝持の仕事をしてきたわけです。

816ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 08:41:01 ID:SmEF4Oe2O
>>802
預流向は聖者ではなく凡夫であると主張したのは準シュダオンさんですよ。
ところが向経では空無果ならずと説いてこの五根法を修行すればシュダオンから
アラハンにまでなることは間違いないのだから、これを実践する者は凡夫でない、
実践してない者が凡夫だとお釈迦様が説いているわけだね。
細かく分けないわけよ。
僕五根法修行してま〜す。まだ凡夫で〜す。
ん?おおおお!三結が切れちまったわい。しまった。もう聖者だわい。
こんな話ではない。
最初から聖者集団の自覚を持つことです。誇りと責任感を持つべきです。
桐山さんもアゴン宗は聖衆という聖者集団と説いているでしょう?
この聖衆とはあくまでもシュダオン以上に限った差別なのか?
だからあなたみたいな人は管長の仰ることを素直に受け止めればよいのですよ。
ああ、そうですか、私たちはもう既に聖者の道を歩み初めているのですね。
ありがたいことだ。聖者集団の名に恥じぬよう身を慎み、ますます精進して
三結でも五結でも断じるように精進努力を誓います。とね。
そもそもあなた凡夫のままでいたいんでしょ?
修行なんて厳しい自己規制なんて真っ平御免だ。
そんな面倒なことはしないで御利益の果報は寝て待つ方がいいんでしょ?
あなたにとっては「聖者はつらいよ」ってことになりますね。
聖者には聖者の責任がつきまとう。凡夫の方が好き放題できて気楽です。
聖者とは特別の能力を有してふんぞり返るものではない。
振り向かないで常に向上しているから美しく尊い聖者なんです。

817ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 08:51:08 ID:SmEF4Oe2O
>>813
私は仏教学者の説く学説を全てアビダルマなんて乱暴なレッテル貼りはしたつもりは
ありません。
たしかに引用の学者の方々は部派仏教だけでなく原始仏教についても論及されています。
しかしそれをさらに細部まで分析して、預流向以上が三結を断つ聖者は問題ないのだけれども
預流向は一瞬、一刹那という部分は原始仏教にはない部派仏教の考えではないのか?
と指摘しているわけです。

818Boo:2009/11/09(月) 12:19:05 ID:DXlq9owoO
あ、そういえば・・・週間ポスト見なきゃ・・・

819ラシン:2009/11/09(月) 14:46:39 ID:2LdR/Kgw0
>809 :ユビキタス
質問しますが出家して精進を誓い、修行を始めたばかりのぺーぺーの新米が
すぐに一瞬に一刹那に三結断った預流向・果になれると思いますか?
そういう人もいるかも知れないが、普通はやはり何事にも時間というものはかかりますよね?

横レス失礼します。
ユビさん、ご承知かと思うが、聖者の流れはなにも出家者だけに留まりません。

ー ナーディカ村にての章抜粋ー
A:アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五十人以上の在俗信者たちは、ひとを
  下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、
B:アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を
  滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷い(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒が
  しだいに弱くなっているので、
C:アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五百人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を
  滅ぼしつくしたから、『聖者の流れに踏み入った人』となった。

また、「修行を始めたばかりのぺーぺーの新米」と限定するのはどうでしょうか?
釈尊の聖者の認定は、出家在家問わず三宝に帰依し、法の鏡という法門(戒律生活)を
具現した者と断わりが入っています。
つまり、在家は在家の五戒、出家は出家の二五〇戒を具体的に為しているとの意味で、
これを短時間でとは解釈し難いと考えます。
となればユビさんは当然、「預流向”即”預流果」とは言えない根拠だと仰るでしょう。
倶舎論ではそれまでの間を、四善根と考えたようですが、釈尊がそれを説いた根拠は無い。
となれば、目的を持った修行者=預流向か、目的を持った修行者=預流向未満(凡夫)かの
何れでしょう、との疑問が残ります。
いいや、凡夫が預流果を目指した時点で預流向です、と言わるでしょうが、その基点で
上記、法の鏡という法門(戒律生活)を具現した者、という釈尊の尺度を満たすでしょうか?
どうかご賢察の上、ご教示ください。

820Boo:2009/11/09(月) 15:26:32 ID:DXlq9owoO
私にとってはどうでもいいと思っていることなのですが・・・・預流向は『三結薄らぐ』じゃだめ?

そんなことより何が転生するか、という疑問、霊障はあるかの疑問のほうが面白くね?

821ラシン:2009/11/09(月) 16:07:23 ID:2LdR/Kgw0
>820 :Boo:2009/11/09(月) 15:26:32 ID:DXlq9owoO
私にとってはどうでもいいと思っていることなのですが・・・・預流向は『三結薄らぐ』じゃだめ?

そうですね、深山さんも釈尊のそれは良い意味でアイマイで、預流向云々に
こだわること自体、煩悩かもしれません。
深山さんからご指摘を受けた「釈尊は煩悩の制御と滅尽という結果に視点を置いた」との
意味合いを考慮すれば、Booさんのどうでも良いも否定できませんね。

>そんなことより何が転生するか、という疑問、霊障はあるかの疑問のほうが面白くね?

世においてあるかもしれません、だが桐山さんは阿含経を以てその存在を断定し、
詐欺宗教という所業を為してます。
釈尊は、「何が転生する」について無記であり、ただ煩悩があるからとしか答えていません。
そもそも非我を打ち出したのだから、何かにこだわること自体が”身見”などの煩悩に囚われ、
当時においてさえ、それを利用して金儲けをたくらむ宗教を警鐘し、否定したのでしょう。
”霊障”がたとえ有っても、それは恐怖と言う煩悩に囚われ、涅槃の役に立たないゆえに、
釈尊はその議論に加入しなかったのでは?
釈尊は死者を池の油と石の比喩で、どうにもできないと説かれていますから、
”霊障”などを対象にしていないし、その悪習に囚われるなとの意味で”疑と戒取”の断滅が、
あるのではないでしょうか? 結果、預流の話になってしもうたがな。

822大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/09(月) 16:36:04 ID:s4mc.60Q0
>>820 おおっつ、Booさん、これは私の好きな方向性ですなw
個人的に考察中ですので、私見たっぷりですので抑えていましたが、
ううむ、私もそっち方面が語りたくはあります。
でも、こっちが今預流向・果の論議中だし、@chsの方がいいかなあ、とか思ったり。

また、突っ込まれそうなので少々考えちゃいます・・・。

823ラシン:2009/11/09(月) 17:06:59 ID:2LdR/Kgw0
>822 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/09(月) 16:36:04 ID:s4mc.60Q0
>>820 おおっつ、Booさん、これは私の好きな方向性ですなw
個人的に考察中ですので、


大日さん、私が述べることは深山さん初め批判諸氏が、あらゆる方向で先述されていて、
踏襲されたものに他なりません。
準シュダオンさんは、>>787で、
「まぁ、釈迦仏教は病気を治す教えではないようですが、
 管長の仏教は、病気にも効果があるようで、有難いわけです。
 煩悩無くすだけの教えなら、私は関心なかったですね。」
などと、堂々と釈尊を否定していますからそれは、アゴン宗≠仏教 と宣言したとなります。

しかし、深山さんいわく、桐山さんの霊能力の根拠は皆無だと論証されて来た。
その論証を誰が聞いても、桐山さんの霊能力は眉唾物です。
大日さんも私も、その事実に驚き心を動かされたわけです。
インチキ力を謳って金を取るなら、それは詐欺でしょう。
世間一般で霊魂や霊障が存在し、実際の効果の有無を斟酌し、すわ否定としていないのが、
ここの批判者の姿勢かと思います。
それを信じそのような宗教に入信して効果があるなら、それはそれでどうぞ、です。
しかし、それを仏教と言うならおかしいし、釈尊が説いてもいないことですよ、
と主張するに留めるが、桐山さんの場合は、それが阿含経に説かれているかのように装い、
それを看板にして、信者さんから金や労力を搾り取り続ける行為を非難しています。
むしろ、準シュダオンさんのように アゴン宗≠仏教 と開き直ったなら、
あとは自己責任だから、ならば阿含経を無理に利用しないで欲しいと願うものです。

824ラシン:2009/11/09(月) 17:35:25 ID:2LdR/Kgw0
>>787
「まぁ、釈迦仏教は病気を治す教えではないようですが、
 管長の仏教は、病気にも効果があるようで、有難いわけです。
 煩悩無くすだけの教えなら、私は関心なかったですね。」

さてここで、準シュダオンさんに一言、苦言を申し上げたい。
あなたはよくこうも白々しく”釈迦仏教は病気を治す教えではないようです”
などと言えますね。
あなたは深山さんに散々、阿摩昼経のアンバッタの白癩話しが病気治しだと、
強弁して深山さんからパーリ仏典を示され、あなたの病気治しの間違いを否定された。
それもつい最近の八月のことをお忘れですか?
あなたは、ずうっと釈尊の病気治しを主張していたではないか。
私も他人への変節振りを言える立場ではないが、あなたが上記を述べるなら、
少なくともひと言くらい、深山さんへ深謝してからでも遅くないのではありませんか?
その上で、アゴン宗≠仏教 だと、得意げに述べるが良いでしょう。

825ラシン:2009/11/09(月) 18:04:39 ID:2LdR/Kgw0
>>787
「まぁ、釈迦仏教は病気を治す教えではないようですが、
 管長の仏教は、病気にも効果があるようで、有難いわけです。
 煩悩無くすだけの教えなら、私は関心なかったですね。」

今回の深山さんと私の議論において、私は完敗だと掲示しました。
むろん深山さんにその勝ち負けのこだわりは無いと思った上でです。
たとえ決着が付いても、深山さんが勝ち誇る真似は、あなたと違って
決してしないでしょう。
私は、自分自身の論法を卑怯だったと掲示し、深謝しました。
多少の皮肉を感じても深山さんは、未だに私へのレスを控えられている。
議論上の言いたいことを押さえ、私の深謝を黙認してくれたわけです。
以上、深山さんの常なる掲示姿勢は変わっていない証拠です。

あなたは、批判対擁護との立場上、言い難いのかもしれない。
だが、掲示板での議論でのマナーも大事です。
八月の準シュダオンさんは、明らかにアンバッタの白癩話しが、
釈尊の病気治しだと、強弁していた。
説を変えるなら、あなたの議論姿勢を見せてください。
それでこそ、あなたの主張姿勢も認められるというものではないか。
それともあくまで間違いを認めぬ桐山師に見習うのですか?

826大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/09(月) 18:20:30 ID:s4mc.60Q0
>>823 ラシンさんへ

ご意見拝読して、本当にその通りだと思います。
仏教での考察や阿含宗、ゲイカに対しての事で考察するなら答えは出ています。
ですので、もしやるとするならば個人的見地や見解、という疑問についての論議
になりますよね。Booさんも申している通り、
「そんなことより何が転生するか、という疑問、霊障はあるかの疑問」とあるように
”疑問”と述べられている。これを阿含経や釈尊の言葉と検証するとスレにも
合わなくなってきます。なので、番外としてやるゆえに、@chsで、尚且つ個人的
見解や考察としてやらねばならないでしょうね。(と、思う、というのが正しいかも)

ですから、ラシンさんの言われることはごもっともであり、留意せねばならないと
感じています。ご意見ありがとうございます。

827ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 20:09:12 ID:SmEF4Oe2O
>>819
仰る通り在家でも聖者の流れに入りますね。
在家は阿羅漢はさすがに無理だが、本当に熱心に励む者は阿那含まで行ける。
在家でも最低限五戒を守るわけですからね。もっと厳しく律する人もいましょう。
ナーディカ村で亡くなった人の中で500人以上の在家信者がシュダオン果を
得たとありますね。
経典に記述がないだけで未だ三結断てぬ預流向(とする)もいたと推測します。
また来世で勉強し直せばよいのですが。
Booさんだって霊魂の問題をあれこれ詮索してまだ三結断ててないと思うし、
三結が未だ断ててない仏弟子はいくらでもいたと思う。
経典の中でもBooさんのような質問する人はいるし。
まして在家となれば、1回説法を聴いただけで全てを了解する人も稀でしょう。
だからやはり時間が必要なんです。
三結ではないけど、私がアゴン宗から離れるにもやはり期間は必要だったのです。
(三結の一部ですが)
物事を習得するには練習が必要ですね。
自転車なんかも最初はなかなか乗れない。何度も転ぶ。繰り返す。だめだこりゃ。
しかしある日ある瞬間嘘のように簡単に乗れるようになる。
人間の成長とは決していつでも順調な右肩上がり/ではない。
→→→→↑と発達する。
↑を成長発達と見られがちだが実は→→→→の時期に成長を進めているとは
ある心理学の先生から聞きました。
だから私なんかは↑ではなく→の時期に預流向の重点を置いているわけですが。
しかし私の考えが絶対なんてそんな傲慢な考えは持ってません。
私はこう考えるとただそれだけの話で押し付けではない。
だから各自考え方は自由で尊重したい。
Booさんの三結薄らぐでもよいと思うし、結局はわからないでよいとさえ思う。
アゴン宗批判スレの2大巨頭の読書量、勉強量を誇る深山さんと樹意さんの間でさえ
意見の一致を見ない点があったのです。
これに統一見解を導きだそうというのが無理です。
はっきりしたことがある。樹意さんの引用してくれた資料でわかったことは
桐山預流向はアビダルマ説を普段取り入れながらもアビダルマに則してもないし
学者の説とも違う点があるということがわかった。
後はこれをどう評価するのは各自次第ということでお任せしてはどうか?
問題視する人もいようが許容する人もいようということです。
お互いに言いたいことは述べた。
後はロムする人の判断です。特に信者さん。

828ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 20:33:11 ID:SmEF4Oe2O
>>820
お釈迦様は霊魂の問題について考えるな、答えないとしたわけだけど、敢えて
お釈迦様に質問すると以下のようになるわけかな?
「あの世〜、おシャカさんよう。俺さあ、今まで仏教徒のつもりだったんだけど、
アゴン宗が外道だとわかったんで仏教徒ではなかったことがわかった。
んで、これからなんだけど、いや俺も今さら仏教徒だなんて言わねえよ。
だからあんたの弟子でもないからあんたのアドバイスも聞く気はないし、
解脱とか涅槃とか求めもしないただの遊び人なんだから、こんな俺様に
教化指導なんてわざわざしてくれなくてもいいんだけどさ、一つ教えてくれよ。
霊魂はどうなってるんだい?ケチケチしないで教えてくれよ。
修行の役に立たないなんて最初から修行する気なんかさらさらないんだから
俺が妄念の海に溺れようと俺の責任だし、あんたのせいじゃないんだから
遠慮することはねえ。早く教えてくれよ」

829ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 20:58:00 ID:SmEF4Oe2O
>>820
マジレスすると仏教の問題を離れても霊魂の問題なんてわからないです。
何億の議論を重ねたって結論が出ない。
だからわからないものはわからないままでよい。
霊障という現象についても桐山教団を離れて存在するのかどうかもわからない。
ひょっとするとあるかもしれない。
怨念だの呪いだの祟りだの。
しかし稀なケースにそんな現象があっても、それと関係なく桐山霊障の霊視と
やらはインチキですね。
桐山霊障とは関係ないインチキではない霊障はあるのかと言うとわからない。
しかし桐山さんが言うほど毎日のウンコを生産するがごとく霊障のオンパレード
なんてないんじゃないか?
その一つの例が前にも書いた桐山さんも著書で書いた前世を記憶する人々で
アウシュビッツの処刑者たちがその後アメリカなどに生まれ変わる話ですね。
その転生者って霊障なんですか?前世の記憶が一部甦ったというだけでさして
不幸にも苦しんでもないし、怨念を晴らすべくテロリストになったなんて後日談
を聞かない。つまり普通に生まれ変わった。
そりゃ死ぬまではさぞ苦しかったと思う。しかし死によって苦しみから解放されると
我々と変わりなく生まれ変わって社会人として生活している。
ところでBooさん。今度お正月あたり一緒にガダルカナルにでも旅行しませんか?
あんたが私の分まで航空機の費用とホテル代を払いなさい。その代わり私は
現地でのメシ代くらいおごるから。
二人して現地に着いたらデジャブーで思い出すかも知れませんよ。
二人はその昔ここガダルカナルで戦死した仲の悪い戦友だったとw

830ラシン:2009/11/09(月) 21:11:26 ID:Xj1b9g0Y0
826 :大日如来さん
ご理解いただきまして、ありがとうございます。
深山さん曰く、常に桐山批判に片足を置くことが重要化と存じます。

さてこのたび、深山さんとの議論において私なりに深く考え、詭弁まで弄して
反論したことを自省しましたが、これで樹意さんの論拠までが違うことには
ならず、単に私の持する資料と見識不足のために深山さんの掲示されたお経を
正しく読解できなかったことを認識させられたとの意味です。
深山さんのご指摘は正しくとも、だが私の脳裏に残存する桐山預流向説には、
何か違和感を抱いていたのも事実です。
ここで本題に入りますが、やはり私は桐山預流向説は批判対象となり、
スレ違いではないとの確信を抱いておりますが、間違いあればご指摘願えれば
ありがたく存じます。
先ず下記準シュダオンさんの言い分をあらためて見て、上記の意味で同意するものです。

>>70 :準シュダオン:2009/10/14(水) 07:57:20 ID:P9JinFks0
四双八輩は阿含仏教において、成仏に至る重要な区分です。ゆえにおろそか
にはできない。
>>313: 管長の教学では預流向は聖者ではなく、修行を始めた凡夫のこと
である。だから阿含宗では、預流向を名乗ったとて、あたりまえのことであり、
少しも傲慢ではないのです。

831ラシン:2009/11/09(月) 21:12:35 ID:Xj1b9g0Y0
>>313: 管長の教学では預流向は聖者ではなく、修行を始めた凡夫のこと
である。だから阿含宗では、預流向を名乗ったとて、あたりまえのことであり、
少しも傲慢ではないのです。

議論をして一週間から10日を経て、やっと提示したのが下記引用文です。

>>493 :準シュダオン:2009/10/25(日) 10:36:08 ID:P9JinFks0
>「わたしたちは外道凡夫ではありません。もうすでに聖者に向かって、一生懸命
に修行しています。完全に須陀?になっていないまでも、須陀?に近くなって
いる人たちもいます。須陀?にどんどん向かっているのですからーーこれを
須陀?向といいますーー」

私はこの桐山説引用を下記において反論しておりますが、今に思えば不十分でした。
何故に不十分か? もっと言えば桐山預流向説が、どうして批判対象となるのかを
検証いたします。

832ラシン:2009/11/09(月) 21:18:52 ID:Xj1b9g0Y0
>>531 :ラシン:2009/10/26(月) 12:46:12 ID:2LdR/Kgw0
桐山さんがどうして曖昧な姿勢で沙門四果、四向四果を説いているかは、
一目瞭然です。
深山さんが常々指摘しているように、信者の預流を明確に認めてしまうと
馬の鼻人参の適用が難しくまた、預流先達への信者の羨望を阻止することと、
そうであっても預流への可能性を完全に塞ぐと、金と人集めに支障を来たす。

>>493の準シュダオンさんの引用文で見る限り、桐山さんはアゴン宗信者さんを一応
預流向と認めている点を重視するものです。
だが、上記私の>>531にあるように非常に曖昧且つ、本音と建前の使い分け的な
表現である理由は明白でしょう。
そこで、
再度、桐山説の預流向とは、釈尊の聖者と同質ではあり得ないとの結論を申し上げます。
桐山説の預流向とは、聖者の流れと認めていないのです。
その点では、準シュダオンさんの主張は正解だと申し上げます。
桐山さんは一見、聖者の流れと匂わせながら、卑怯な思わせぶりで信者さんを
タブラカせています。
釈尊は涅槃経などで解釈できる通り、預流向以上を聖者の流れとし三悪趣に落ちないと、
定義しています。
桐山説の預流向=聖者なら、三悪趣の十八もある因縁説で亡くなった信者さんについて、
どのように説明できるのでしょうか?
釈尊の預流向以上=聖者、三悪趣に落ちずで考えて、アゴン宗信者さんのガンの因縁、
横変死の因縁や桐山さんも当てはまる脳障害の因縁などこれら十八もの因縁全てが、
畜生、餓鬼、地獄界の三悪趣です。

準シュダオンさんは、>>70にて、「四双八輩は阿含仏教において、成仏に至る重要な区分です。
ゆえにおろそかにはできない。」とは正に言い得て妙で、その通りおろそかには出来ぬ、
仏教から考えて桐山預流向説の大きな間違いだ、と声高々に言える誤謬です。
あまつさえ、桐山さん自身が三悪趣の脳障害の因縁をさらけ出したのだから、
解脱者などおこがましい、預流向の聖者ですら無いと自認しているに等しく批判の対象で、
本スレに適うと考える次第です。

833ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 21:20:15 ID:SmEF4Oe2O
ところで大日さんにちょっと一言アドバイス。
@chsのスレのことですが最近私はあそこに書き込めなくなりました。
まあそれはよいのだが、代わりにここに書かせてもらいます。
何やらつまらない書き込みを削除されたとか。
私が確認した時にはもう削除されていたので内容を確認してないのですが、
多分2ちゃんねるにも出てくるボキャ貧の人が書いたのでしょうが、スマナサーラ師
の教団に対する批判だか悪口だかのようですね。
スマ師の教団だって同じようなものだとかなんとか。
内容のない妨害と見て大日さんは即座に削除されたものと思われるが、
私の考えとしてはその程度だったらたとえ内容がなくても削除まですることは
ないと思う。
なぜならその後に干柿さんも立派に反論している。
そりゃどこの団体だって、スマ師の団体だって問題はあるでしょう。
金集めの面もあるでしょう。
しかし問題点の大きさ、悪質さについてはアゴン宗ほどひどくない。
比較にもならないくらいだ。
スマ師の団体を批判したいのなら具体的に書いてごらんなさい。
このように立派に反論した。私の補足は必要ない。
だから干柿さんの堂々たる反論を活かす為にもあれは削除すべきでなかった。
復活は可能とのこと。ぜひとも復活してください。

834ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 21:28:20 ID:SmEF4Oe2O
さて週刊ポストの美人内弟子読みました。
面白いですね。非常に面白い。
準シュダオンさんが冷静に慎重に取り扱おうと提言してましたが、心配することなく
思った以上に冷静な書き方です。
決して教団の悪口、辱しめるような書き方をしない慎重さに批判側の私でさえ
感心しました。好感が持てます。
だから余計に面白いw
桐山さん読んだかな?
今月の冥徳祭、例祭の法話が楽しみですね。
ゲイカご欠席かもしれませんがw

835大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/09(月) 21:31:33 ID:s4mc.60Q0
>>833 ユビさんへ @chs、削除解除しました。

836ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 21:35:25 ID:SmEF4Oe2O
>>835
素早い対応をありがとうございます。
さすが頭の柔軟な大日さんだ。

837大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/09(月) 21:37:17 ID:s4mc.60Q0
追記) あと、携帯の妨げになる?と思われる項目を排除。これで書き込めないと手がありませんw
一応、暇なときにでも@chs試してみてください。

838ラシン:2009/11/09(月) 22:24:40 ID:Xj1b9g0Y0

ナーディカ村の章で釈尊は、四双八輩を詳細に説いて次に定義されています。

ー「大パリニッバーナ経/涅槃経」ナーディカ村の章抜粋ー

 アーナンダよ。これこそ『法の鏡』という名の法門であって、それを具現したならば、立派な弟子は、
 もしも望むならば、みずから自分の運命をはっきり見究めることができるであろう、
 「わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。
 悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
 わたしはもはや堕することの無い者である。わたしは必ずさとりを究める者である」と。

しかし因縁解脱論を掲げる桐山ゲイカは、アゴン宗信者さんに対して、
「須陀?にどんどん向かっているのですからーーこれを須陀?向といいます」
と叱咤激励している。
桐山さんは、アゴン宗信者さんを須陀?向と匂わせているというよりヨイショして
明解に認定している。
しかし、かの桐山因縁論は、畜生、餓鬼、地獄の三悪趣の根拠を十八種明示している。
そこで一番よい例が、桐山さんの脳梗塞です。
これは畜生界に定められた脳障害の因縁に該当します。
つまり、桐山預流向説=聖者としたら、桐山さんさえもペケですよね。
えっ?過去よりペケだった? 
さらに言えば、桐山預流果以上の説=聖者も矛盾するのだよね、因縁論があるから。
釈尊の上記に示すナーディカ村の章から考えて、桐山預流向説とは異質だと気づくはずです。
桐山預流向説≠聖者を如実に示す根拠となる。
準シュダオンさんは、なんとなんと〜、、過去よりそれを我々に示唆してくれていた。
聞く耳を持たなかった批判側我々こそ、今、謝らねばならない。
準シュダオンさんが、何度もあなたは、桐山預流向説≠聖者を教示されていた。
ありがとう、ありがとうごぜ〜ます〜、準シュダオンさん。
桐山預流向説=聖者とすれば、桐山因縁論から考えてアゴン宗は矛盾し、
アゴン教義は、崩壊の一途を辿るのですよね。
だから、預流向=聖者などと言えるわけが無い。
その根拠が、経典にある釈尊の定義した預流向説=聖者の流れ、三悪趣に落ちずだ。
だから桐山預流向説なんて、うすっぺらのインチキだと糾弾できるのですよね。

839深山:2009/11/09(月) 22:47:07 ID:5Xtpem0E0
>>810 :樹意:2009/11/08(日) 23:53:13 ID:tsllgqu20
>そもそも出家が聖者ということを言い出したのは深山氏ですよ、出家はしていたも
>比丘戒を受けていない方もいるということを示しただけのことです。
>戒の成就はおろか戒を受けていない方が 慧 の成就までいくのでしょうか。?

言い出したのは私だが、それは違うと反論したのは樹意さんですよね。
私は、上記のような比丘がいたしても、聖者であるという説です。
そのくらい釈尊の分類とは厳密なものではない、というのが私の阿含経を読んだ感想だからです。
釈尊は凡夫と聖者の二種類にしか分類していないのです。
出家したということは、その人はすでに釈尊の教法に何らかの意味で
理解し始めたからです。
「何らか」の中身には厳密な規則や基準など、阿含経からは見つからない。
釈尊のいう聖者とは、せいぜい「聖なる道を歩き始めた者」、
つまり仏道に片足でも入れた者を指しているにすぎない。
私には阿含経からはそんな程度しか読みとれません。
ですから、私の分類から言ったら、戒を受けなくても出家は聖者です。

840深山:2009/11/09(月) 22:50:48 ID:5Xtpem0E0
>>810 :樹意:2009/11/08(日) 23:53:13 ID:tsllgqu20
>そもそも出家が聖者ということを言い出したのは深山氏ですよ、出家はしていたも
>比丘戒を受けていない方もいるということを示しただけのことです。
>戒の成就はおろか戒を受けていない方が 慧 の成就までいくのでしょうか。?

今、樹意さんが私に対して「基本的な知識の欠如」とあきれかえっている気持ちは
アビダルマの比丘たちも同じだった。
「そんなデタラメがあるか」とばかりに彼らも厳密に一つ一つを分類した。
だが、釈尊はそんな厳密な分類などしていないし、それをしたから、
アビダルマは煩瑣哲学という泥沼に入り、様々な矛盾が生じるから、
その矛盾を説明するためにまた別な教義を作りあげた。
一番困るのは、阿含経に根拠がない場合です。
分類は大雑把でいいし、明瞭な境界なんてわからない。
釈尊は、樹意さんの説も私の説も、どちらも正しいとは示していないのです。
樹意さんのように厳密に分類を始めると、その多くはアビダルマになってしまう。
すると、私から阿含経に根拠がないと批判され、あるいは矛盾した例を出される。
出来の悪い出家を凡夫に入れてしまったら、では、彼らは外道と同じなのですか。
自分の本体は霊魂だと信じるのをやめて、外道の護摩をやめて、
煩悩を切ることが大事なのだと気づきはじめても、三結が切れたとはいえない。
だが、こういう人が、死者成仏を信じて、護摩を焚き、占いをしているバリバリの
外道と同じ凡夫だと分類するのでしょうか。
樹意さんは何か説明をするかもしれないが、阿含経に根拠がないと私からまた批判される。
こんなふうに厳密に分類しようとすればするほど堂々巡りになるのです。

841深山:2009/11/09(月) 22:54:11 ID:5Xtpem0E0
>>810 :樹意:2009/11/08(日) 23:53:13 ID:tsllgqu20
>個人的意見ですが これら三結は 見 の煩悩に位置しおのおの連動したものですから
>答えは一つだけ切るというのは無い、では逆にお尋ねしますが一つだけ切ったという
>阿含経を示して下さい。 

樹意さんがわざわざ個人的な見解と書いているように、
「見の煩悩」が連動していると書いてある阿含経などありません。
連動しているという阿含経がないのに、これを根拠にした質問そのものがおかしい。
これはアビダルマ仏教を前提として質問しているのです。
そのアビダルマ説が根拠がないと私は批判しているのに、どうしてそれを
前提とするのですか。
樹意さんは、「自分はアビダルマだけではない」と書いておられるが、
こういう反応にも、しっかりとアビダルマが出ています。

842深山:2009/11/09(月) 22:59:06 ID:5Xtpem0E0
>>810 :樹意:2009/11/08(日) 23:53:13 ID:tsllgqu20
>個人的意見ですが これら三結は 見 の煩悩に位置しおのおの連動したものですから

釈尊が詳細な説明をしていないことは樹意さんもよく知っているはずです。
私がラシンさんとの議論で引用した阿含経でも、そんな明瞭に預流や預流向や預流果を
定義して、説明している経典はありません。
だからこそ、後世のアビダルマが釈尊が説いてもいない解説ができたのです。
書いていないのに、なんのためにそこまで詳細な議論をして、
学者でもない我々が決めなければならないのかということです。
阿含経に書いていないことを元にして、「基本的知識が欠如」などと
相手を批判する必要はありません。
釈尊の説明は大ざっぱだから、樹意さんの説も可能だが、私の説も可能です。
それぞれの立場で桐山さんを批判すればいいだけです。

843深山:2009/11/09(月) 23:00:38 ID:5Xtpem0E0
>>815 :樹意:2009/11/09(月) 04:56:12 ID:tsllgqu20
>深山氏提出の論拠も含め 中村博士が小乗仏教のことわりをいれたとして何も問題ない。

中村博士が小乗仏教と断りを入れたのは、アビダルマ仏教独特の解釈だからです。
でなければ、中村博士は一連の原始仏教関係の著作に、いちいち「小乗仏教では」
という断りをいれ続けたはずです。
彼の研究は、アビダルマ仏教を学びながらも、その中から釈迦仏教を抽出しようとした。
だから、「小乗仏教では」と断りを入れたのは、原始仏教とは区別したからに他なりません。

844深山:2009/11/09(月) 23:04:27 ID:5Xtpem0E0
>>815 :樹意:2009/11/09(月) 04:56:12 ID:tsllgqu20
>何度も書くが私の論拠はアビダルマだけではない。

>>796 は私の立場を説明したものであって、樹意さんへの批判を書いたものではありません。
私は樹意さんがアビダルマだけを論拠にしているとは書いていないし、
これまでの樹意さんの書き込みから見ても、そんなことは思っていません。
ただ、樹意さんが示した水野博士の十五心刹那あたりの話はアビダルマであって、
阿含経にはそのような記述はないと述べているだけです。
私に「基本的知識が欠如」と批判するが、では、十五心刹那の
阿含経の根拠を示してくれと言われても、できませんよね?
阿含経に根拠のない説を唱えることこそ「基本的知識が欠如」ではありませんか。

845深山:2009/11/09(月) 23:09:32 ID:5Xtpem0E0
>>815 :樹意:2009/11/09(月) 04:56:12 ID:tsllgqu20
>その雑阿含経というのは 説一切有部が伝持してきたものですから大衆部からみるなら
>小乗仏教ということになるだろう。

私はすでに、我々が今日見ているのはアビダルマ仏教であって、
釈迦仏教そのものではないと認めています。
部派仏教が伝えた経典を解釈しているにすぎません。
だから、釈尊は三十七道品などという言葉を使ったはずはないのに、
阿含経の一部にはその表記が見られるのは、阿含経と言えども、
アビダルマ仏教という「色」の中を通過しているから染色されているのです。
しかし、こういう事が議論のテーマではありません。
「三結を切る前段階は預流向なのかどうか」「出家は聖者なのか」などが
議論の始まりであり、お互いにすでに意見は述べ合った。
読者がどう判断するかは各人に任せるべきです。
すでに何度も述べているように、意見の違いはそのままで良いのではないでしょうか。
ここで決着をつける必要はない、というのが私の意見です。

846深山:2009/11/09(月) 23:19:53 ID:5Xtpem0E0
>815 :樹意:2009/11/09(月) 04:56:12 ID:tsllgqu20

樹意さんに提案ですが、この件の議論はここで終わりにしませんか。
なにせ、本日は週刊ポストという大爆笑ネタが放り込まれた。
読んで、当時、信者仲間で疑問に思っていた事が理解できました。
信者が仏様に供養したお金が何に使われていたか、わかりやすく解説してくれている。
桐山さんは「他人を動かし、自分の思うままに環境をつくり変える力」を
持っているのに、現実にはW田さん一人に操られ、手のひらの上で転がされ、
金があるのに自分の女にお手当を与えることすらできなくなった気の毒な老人です。(笑)
「千景がいないとさびしい」という桐山さんなのに、今ではその唯一の
慰めすら女帝に取り上げられてしまい、ガダルカナルの帰路、おそらくは女帝の
目を盗んでこっそりとE川さんに電話をよこした桐山仏陀様の姿は涙なくしては
語れない。(爆笑)
W田さんは女だから、「男性の老人」である桐山さんがどんな気持ちなのかわからない。
そこで教団に提案だが、桐山さんは教団の人寄せパンダで長生きしてもらわないと
いけないだから、マスオちゃんの大事なオモチャを取り上げないで、
E川さんくらい与えてやったらどうか。
金食い虫なのはわかるが、この教団にとっては必要経費みたいなものです。
それをとり上げると桐山さんの老化が早まり、誰にとっても利益はないからです。
つまり、角を矯めて牛を殺しかねない。

847ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 23:22:30 ID:SmEF4Oe2O
>>346
同感!それが一番言いたかった。
面白くて面白くてよるこーどころではないw

848ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/09(月) 23:23:40 ID:SmEF4Oe2O
>>846だ〜

849ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 00:05:58 ID:SmEF4Oe2O
2010年までが危ないっていうの当たるかもよ。
いや、地球人類の話でなくて、どこかに限定して・・・(笑)

850名無しさん:2009/11/10(火) 00:46:54 ID:PDDfYMjw0
>849 いや、地球人類の話でなくて、どこかに限定して・・・(笑)

フン糞、、それって もヒかしてアゴン宗?

♪もしかして、もしかして、アゴンの他にもどれか?
 いい金ずるがあるのなら、
 変えてもいいのよ かまわずに

♪もしかしてもしかして お前のすねてる訳が
 千景という女の せいならば
 バカだな 慰めの相手だよ

♪ねえゲイカ 好きだからこそなおさら
 私いじわるをしてしまう
 
♪老婆のくせに わがままいえる
 お前がとても おそろしい

♪未練捨て
 ねえ もどりましょう

♪ふたりの行く先は 地獄

byラシン幸子

851Boo:2009/11/10(火) 01:18:15 ID:tFKjEVUs0
ユビキタスさんとガタルカナルで戦っていたとは・・・

仲の悪い戦友でなくて敵味方だったりしてwww。私アメリカ人、あなた日本人


ク日本の捕虜になった私。リスマスにあなたが私に「メリークリスマス・・・Mr〇〇」なんて。

日本の捕虜生活が辛くて、自殺しようとしたときに、鴨居の所になにやら経典があった。

「あびだるま」という文字とダルマの絵。それを手にした瞬間にロープが首にしまって今の自分に
転生した・・・

なんてストーリーはどうよ?

852樹意:2009/11/10(火) 05:07:54 ID:tsllgqu20
>>810 :樹意:2009/11/08(日) 23:53:13 ID:tsllgqu20

>先に中継車経にて示した通り 智慧にて解脱するのです。 四沙門果に相当する 道智が
>片山一良氏経典注釈にはあります。

> 「では、友よ、智見の清浄は執着のない完全な涅槃ですか」
> 「そうではありません、友よ」
> 引用しましたのは中継車経の問答ですが、阿羅漢果は涅槃のことですが問答の示す通り

 仏陀方式だとこれを質問の形にして投げるのだが 一応ROMされる方の為に補足説明と
 いうか意見を書いておきます。

 涅槃というのは佛教徒の目標であり 執着のない完全な涅槃 ということになるでしょうし
 これが修行によって得られる 最終的な果  阿羅漢果です。
 では 無明煩悩を切るのは 執着のない状態で切るのでしょうか。 ?

 この中継車経の問答から導きだされるのは 解脱 智見の清浄にはまだ執着があり涅槃ではない。
 といいうこと。
 そりゃそうでしょうね、涅槃をニローダ 炎の吹き消した状態と説明があるように 吹き消す
 『無明を滅す」作業がありますからして。

 かといって不還果でこの作業があるわけでもない。
 修行目標『向』と 果 これに当てはまめるならば 果は涅槃 目標としては無明煩悩を切ること
 です。
 四向四果の 説明とさせていただきます。

 これに反論される方はご自由にどうぞ。

853ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 08:42:44 ID:SmEF4Oe2O
今回の週刊ポストの溝口敦氏の記事を読んで感じたのが非常に冷静に書かれており
スキャンダルを暴くがごとき扇情的な書き方を抑えている。
アゴン宗の概略の紹介についても桐山さんが示した通りの結核の話も首吊り自殺未遂
の話もそのまま載せ、もちろん前科の話も入れて真正仏舎利の話、海外における諸活動
の話とバランスよく綴っている。
w田さんの横暴を語るにしても匿名の密教学者の言葉を借りて、夫人はしっかりした人で
桐山さんは約束を守る謙虚な人という人となりを語らせている。
新宗教がぶつかる経営面での教団幹部の独占支配に組織の絶対者(桐山管長)も
老齢化によりどうにもできないことも論じている。
だから論調全体としていたずらに教団の悪口や批判を書いて潰してやろうがごとき
傾向が薄いと言える。この冷静的な論調を信者さんも評価すべきです。
そしてその冷静的な論調の中に説かれる事実だけを確認してください。
96年と01年に脳梗塞発作で倒れたことなども今までたしかに管長は脳梗塞のことも
リハビリを含めて法話で取り上げているが、公に取り上げられたのは初めてです。
そして問題の美人弟子であるが18年の長きにわたっておこづかい、生活費が
桐山さんから送られていること、退院後ホテルオークラに桐山さんと同じく泊まり
面倒を見ていたこと、結婚を志願してもう電話を直接かけてこないでほしいと
述べたら桐山さんがさびしいと難色を示したこと、ついこの間ガダルカナルから
帰ってきた直後も電話をかけたりしたこと、アメリカにおける裁判のこと、
アゴン宗本庁宗憲に明記されている創始者の家系に属する者から後継者を選ぶこと
などいろいろと綴られている。
美人弟子との密接過ぎる関係についても師弟の愛情かそれを越えた男女の仲なのかは
各自の判断に任せると書いている。
論調がこのとおりいたずらに糾弾するような過激なものではなく、冷静な理性的観察
なのだから、信者さんもまた冷静に事実を受け止めてほしい。
不快を感じたらそれを溝口氏にその責任を押し付けるのではなく、誰が不快にさせたか
正しく観察してほしい。
2人の女性は愚かな話です。
しかしこの2人に責任を帰せるよりも誰がこんなことになる種を直接蒔いたのか
観察してほしい。

854Boo:2009/11/10(火) 09:39:53 ID:DXlq9owoO
まだ読んでないが、織田氏との論調の違いを感じますね。織田氏の本などはゲイカのマイナス部分を強調したり、付加したりした部分が目立つために全体が信用できない、と、信者時代は思っていました。2chも何でもかんでもインチキだ、では反発しますね。念力のゴマは今はインチキだと思いますが、信者のころは、見てもいないのにインチキとは言えないはず、と思っていました。インチキかもしれないが、インチキでないかもしれない、分からない、というのが信者の頃の率直な感想でしょう。

855準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
こんな些細な問題が、週刊ポストに6ページも費やして、w、いやぁ、阿含宗
とはネタが売れるのかなぁ?
色川さんてのも、つつましい方ですね。損害賠償金が1600万円余ですからね、
そんなもん、何年かの生活費で消えちまうでしょう、弁護士費用もかかるで
しょうしね。裁判負けたらどうすんでしょ?まぁ、美人な方みたいだし、
キャバクラででも働けそうですね、この就職難の時代、それでも上出来です。

阿含宗、これは和解すべきですね。色川さんは、酒井ノリピー見習って、
介護の資格とって、管長のお世話をしたい、と申し出れば良い。
色川さん、今までだって、管長からのお手当てで生きてきたわけよね、
阿含信徒にしては、少し生活力に欠けてたね。管長と親しいことをいいことに、
修行をおろそかにしたからよ、と、推測できます。

まぁ、こういう些細な事件が大々的に報道されて、私は・・喜んでいいの?
巨大教団、なんて書かれてますよ!たった30万人の教団なのに。
 著名な密教学者が匿名を条件にこう語る。
「・・平川出版が世評の高い研究書をあれだけ刊行できたのも桐山夫人の
 力です。」

へぇー、平河出版の本は世評の高いのが多かったんだね、聞いてみなきゃ
わからないね。批判派の評価とは大違いだね。

856ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 12:53:21 ID:SmEF4Oe2O
>>854
コンビニあたりで350円で買うことをお勧めします。

>>851
要は何が書きたかったと言いますとね、ガダルカナルで法要やって、ようやくこれで
本国に帰れますよとかなんとかやったでしょ?
ところが彼のガダルカナルの犠牲者たちってもはや生まれ変わって普通に我々と
一緒に暮らしているかもしれないのですね。
案外それが私だったりあなただったり。
もちろん前世の記憶なんてないから。
それをまだ成仏してないだの現地で苦しんでるだの、本当に英霊に対して失礼ですね。

857ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 12:58:30 ID:SmEF4Oe2O
>>855
あなたはどうぞ喜んでください。
大体予想通りの反応だ。
キャバクラと介護の件はこれまでのあなたの書き込みで最もすぐれた名案です。
平河出版は桐山本でなくあなたが持ってる現代語訳阿含経典とかその他学者に
執筆をお願いした仏教書とか諸宗教文化書などの学術成果が高いことはこちらも
昔から認めているのですよ。

858ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 13:02:40 ID:SmEF4Oe2O
>>855
管長と親しくないことをいいことに、修行をおろそかにしていませんか?w

859大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/10(火) 13:31:40 ID:4ZXeh0KU0
>>858 茶吹いたwww

860Boo:2009/11/10(火) 14:19:58 ID:DXlq9owoO
へんだな〜

病院の売店で立ち読みしたけどそれらしい記事はないな〜

田舎だからまだ店頭にないのかな〜

861Boo:2009/11/10(火) 14:43:46 ID:DXlq9owoO
よくもまあ・・・・脳天気な書き込み、呆れますね。

必死に貯めた金で解脱供養やメイトク供養した、その目的は、道場や総本殿建立の功徳が苦しむ先祖や縁者に回向されて成仏の種になるからじゃないのですか?

教祖の女(見様によっては女中でしょうか・・・)のお手当に使われる『功徳(?)』を回向された先祖は成仏の根拠さえもが失われるんじゃないの?


ひでえ話じゃないか。だから最近の解脱供養は効き目がないんちゃう?

862大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/10(火) 15:49:35 ID:4ZXeh0KU0
Booさん、私の地方も明日発売ですよ。ちなみに表紙はこのやつです。

http://www.zassi.net/mag_index.php?id=51

抜粋した内容のサイトはこちら。

http://nanbadenwa.sarashi.com/agon.htm

ちなみに、私も昨日コンビニ行って立ち読みしたら記事が無い!!!
そりゃそうだ。先週号だもの・・・(うう、情けない)
赤い表紙の先週号に怒ってた、大日でした<オイ

863大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/10(火) 16:04:16 ID:4ZXeh0KU0
あう・・・書くのを忘れてた。

もうすぐ四十四章も終わりますので、四十五章のタイトルを募集いたします。
よろしくお願いいたします。

864Boo:2009/11/10(火) 16:19:29 ID:DXlq9owoO
大日さん

URL張り付け、恐れ入ります。

アゴン宗って『内弟子』制度なんかあったの?宗憲だかも信者を舐めてますね。株式会社でも有限会社でも総会に諮って決定するものを、信者無視ですね。

さっさと辞めてよかった。

先程も書きましたが、これじゃ浮かばれるものも浮かばれないですね。

865ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 17:27:58 ID:SmEF4Oe2O
>>863
四十五章サブタイトル候補
・美人になってこづかいもらおう!
・おんにゃの闘い
・美人がいないとワシ寂しい

866ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 17:38:44 ID:SmEF4Oe2O
「千の景になって」では、ちとヤバイよな。

867名無しさん:2009/11/10(火) 18:11:32 ID:hy3QQ3Ok0
「 崩壊の序曲 Part 2 」もいいね。

868名無しさん:2009/11/10(火) 18:17:42 ID:hy3QQ3Ok0
こんなのはどう?
「 聖者さまは女がお好き 」。

869名無しさん:2009/11/10(火) 18:28:40 ID:hy3QQ3Ok0
これは?
「 千景がいないと さびしい聖者さま 」。

870ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 18:35:31 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんは「田舎」の在住でもないようですな。

871名無しさん:2009/11/10(火) 18:40:51 ID:hy3QQ3Ok0
これは?
「 聖者は正邪か −その裏側を覗く− 」。

872準シュダオン:2009/11/10(火) 18:43:31 ID:P9JinFks0
あなたがいないと寂しい、これは殺し文句なのよ!
男は覚えてらっしゃいなw、これで35のバツ一女もメロメロよw。
これから電話しないでちょうだいな!、とね、本気なら電話に出なきゃいいじゃ
ないのよ。わざわざ電話に出て、電話しないで頂戴、なんて、痴話喧嘩よw。
いい年して、ww。しかし、これもマスコミ対策かもよ。
 単純な批判派は、少し考えてごらんなさい。
ガダルカナルや、シベリアや、エルサレムで護摩を焚いても、マスコミは
取り上げてくれないよw。それがどうですkか、W女史と色川氏VSだけで、
こんなに大きくマスメデァに取り上げてしまう。驚きよ!
 裏で管長とW女史と色川氏が握手したりしててねw。
それでこそ、現代の教祖なのですW。
信者も利口になりませうw。

873名無しさん:2009/11/10(火) 19:09:24 ID:wyrFiCwI0
準シュダオン氏も狂喜乱舞!女帝VS内弟子バトル勃発!

874ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 19:14:17 ID:SmEF4Oe2O
>>872
掛かってきた電話に出る女のことより、女に電話を掛けてくる男に視点を置きなさいよ。
結婚したいからもう掛けないでと弟子に言われたら、そうか、幸せになるんだよ
と送り出してやるべきでないの?
あるいは「君は私の秘書だろう?これは仕事なんだ。上司が秘書に電話して何が悪い?」
と言えばいいじゃないの。
他の男と結婚したって秘書という仕事は続けられるだろ?
仕事の電話の何がやましい?
あ!やっぱりやましい仲だったんだね。

875ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 19:17:07 ID:SmEF4Oe2O
「愛人512号」っていうのもいいんでね?

876名無しさん:2009/11/10(火) 19:20:01 ID:wyrFiCwI0
>>875
おもろいw

これは?
「奥の院騒動〜晩秋の黄昏とマスヲさん」

877大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/10(火) 19:38:50 ID:Tm1MKJPE0
皆さん、たくさんのタイトル候補ありがとうございます。
しかし、こんなに応募があるとは意外www

個人的には、>>866 >>871 >>876 あたりがいいなあ〜と思ったり。
まだ、千まで時間がありますので、引き続き募集しています。

878ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 19:49:07 ID:SmEF4Oe2O
信者の皆さん。
今回の記事が元内弟子のI女史とかの記述だったら、事実無根、いやらしい想像も
甚だしい!と教団も激怒のポーズをマスコミに対してとることもできます。
しかしこの記事は千景さんが実名フルネームで出ています。
対して財務局長はW局長の伏せ字対応です。
つまりこの記事の中にも書いてあるように筆者の溝口敦氏は10月23日東京地裁の
512号法廷で傍聴席におり、この第1回の公判後、色川さんに接触して
メディアを通して問題がどこにあるか世に明らかにしたらどうかと説得したとある。
それに承諾したから色川さんは実名で出ているのです。
つまりマスコミの嫌がらせ憶測ではなく色川さんの供述によるものです。
だから信者さんはまず最低限そこのところだけは押さえて、嘘、デマがあるならば
それは退会させられた色川さんが怨みに駆られてあることないこと述べているだけだ!
とあなた方ではなく、桐山さん当人含めた教団がそのように弁明することを期待して下さい。
しかし差別発言というわけではないが、女はよくやるよ。
この記事が起こす信者に対する、あるいは外部に対する波紋ということを考えて
協力したのか?
W田さんと同じで自分は桐山さんの虚像でなく実像を知っているのだから
他人様の信仰心を裏切る情報暴露なんてなんの気もないのでしょうね。

879大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/10(火) 20:14:56 ID:Tm1MKJPE0
2chでは、色川さんが金銭支援が無くなって生活に困っているからだろうという意見が
出ているが、どうなんでしょうね。確かにそのことも否めないかなあ、などと憶測。

ユビさんの最後の2行の文章を見て、ふと思ったので書いたのですが、確かに情報暴露という
気などないと私も推測ですが思ったりしますね。

880名無しさん:2009/11/10(火) 20:19:18 ID:wyrFiCwI0
奥の院バトル!その時ますおチャンは・・・「さびしい」
東京地裁512号の乱!
アゴン葬送曲第一楽章「さびしい」

881ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 20:40:02 ID:SmEF4Oe2O
信者さんは今回の色川さんの勇気ある告発に応えて、あなた方自身の目を開く
チャンスとして下さい。
もちろん彼女の勇気なんて周囲のことなんか知ったことではない、自分のオトコを
取り返す為の必死な手段に過ぎない。
しかしあなた方はこれを滅多にないチャンスだと捉えて、自分から逃げずに
考える機会にしてほしい。
このスレは預流向の問題に至るまで桐山ブッキョーと釈尊の仏教との対比作業を
して桐山さんの外道宗教たることを証明してきた。
それも重要にして価値ある必須の批判の切り口の一つでした。
しかし今回のこのような卑俗なスキャンダルもまた信者としてはショックが大きい
ことは私も元信者として熟知している。
準シュダオンさんみたいに別ハンドル時代から「愛人のどこが悪い?」なんて
それよりも相手の方しか批判の目を向けない人はどうでもよい。
ショックを覚えて考えたらそれまでは受け入れようとさえしなかった批判事実も
少しずつ読んで考えるようにもなる。
まさにチャンスの時来たれりです。
この秋(とき)こそ大切な時と心得て正信を獲得(ぎゃくとく)していただきたい。
(今東光の推薦の言葉みたいだなw)
週刊ポストいいですね。
出版元は一流の小学館ですが。
私は前から夢見ていた。
テレビの三面記事的ワイドショーにスキャンダルが取り上げられることを。
桐山アゴン宗なんて三流三面記事のネタ扱いで十分、分相応なんです。

882ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 20:44:27 ID:SmEF4Oe2O
なお、まだポストの販売されてない地域の皆さん。
明日水曜日には間違いなく出揃います。
夜更かしをする人は深夜零時を待ってあなたの町のコンビニに急げ!

883Boo:2009/11/10(火) 21:20:28 ID:tFKjEVUs0
信者A「おい、Bよ、ポストみたか?」

信者B「うん、買って読んだよ」

A「どう思う?カンチョウやばいんちゃう?」

B「おまえ、バカだな〜。カンチョウの予言が当たっただけだろ」

A「予言?」

B「カンチョウは晩年になるほど運気が良くなる。これから大大運気になる。」

A「?」

B「まだわからんのか、たわけ。運が良くなって女が寄ってきたんだろうが。」

A「?????」

解説 信者Bを「準シュダオン」。信者Aを「凡夫」として読みかえるのが、当時のインドの一般的な見方(中〇元)

884ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/10(火) 21:51:01 ID:SmEF4Oe2O
母から聞いた話。
時は終戦後、場所は山形県米沢市。
暗い夜道をまだ中学生である私の母が母親(つまり私の祖母)と歩いていた。
とある橋の近くを通りかかった時。
ほんの小さく煙草の火が見える。
進駐軍である。黒人の進駐軍が夜暗いところにいるから煙草の火しか見えない。
祖母は震撼した。この橋のたもとで進駐軍に乱暴された、生まれた子どもがクロンボ
(差別用語)だったなんて話をよく聞く。
貞操の危機!いや、まだ中学生のわが母ではない。当時の中学生なんてまだオボコだ。
それよりも祖母自身が危ないのです。
案の定、煙草の火が近づいてきた。
祖母は咄嗟に知恵を働かせて背中を丸めた。あたかも老女のごとく。
クロンボ(←差別用語だっちゅーの!)煙草の火明かりを祖母の顔に近づける。
老女のふりをし続ける祖母。
ついに祖母が粘り勝った。
クロンボ「ババ、ダ〜メ」

桐山さんも言ってほしい。
尚子「千景なんて許しません!」
マスオ「ババ、ダ〜メ」

885深山:2009/11/10(火) 22:13:06 ID:vzWPc.nc0
>>855 :準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
>へぇー、平河出版の本は世評の高いのが多かったんだね、聞いてみなきゃ
>わからないね。批判派の評価とは大違いだね。

批判側に根拠のない因縁を付けるのはやめたらどうか。
平河出版の本で、桐山本以外を腐した批判側とは誰のこと?
むしろ、精神世界に関する本ではよく出していると誉めた書き込みを記憶している。
実際、一部のマニアが喜ぶだけで、金にもならないような特殊な本をずいぶん出している。
ユビキタスさんも指摘しているが、あなたが良く引用する阿含経の現代語訳の本も
よく売れたとは思えない。
だが、学者たちを集めて和訳したことは大いに評価できる。
昔は桐山本がよく売れて、そちらで利益を得て、赤字覚悟で特殊な本を出していたのでしょう。
いずれにしろ、いたずらに批判側に因縁を付けるのはやめなさい。

886深山:2009/11/10(火) 22:15:56 ID:vzWPc.nc0
>>855 :準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
>阿含信徒にしては、少し生活力に欠けてたね。管長と親しいことをいいことに、
>修行をおろそかにしたからよ、と、推測できます。

E川さんが生活力に欠けていた??
何をピンボケなことを言っているのだ。
彼女がどれほどすごい人か、あなたは関西の人で直接知らないから
そんなことを言っていられるのでしょうね。
今回、裁判に訴えただけでなく、自ら愛人であることを告白したのと同じです。
普通の人はまずここまではしない。
だが、彼女はした。
彼女の十八年間がアゴン宗の修行であり生活力です。
彼女がアゴン宗でどれほどの特権を持っていたか、
そのスタートはあの『メシヤ出現』という本です。
あとがきですら、彼女が全部書いたとは思えない。
だから、途中までは数字を並べて分析的かと思うと、最後のほうなど、
ただ感情的な文章が並んでいて、一人の人が書いたにしては文章の密度が違う。
桐山さんと平河出版が作り上げたであって、彼女の書いたものであるはずがない。
本を書く実力もないのに一冊仕上げて、しかも印税を得た。
すごい生活力です。

887深山:2009/11/10(火) 22:18:24 ID:vzWPc.nc0
>>855 :準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
>阿含信徒にしては、少し生活力に欠けてたね。管長と親しいことをいいことに、
>修行をおろそかにしたからよ、と、推測できます。

彼女にむかって修行をおろそかにしていたなどと、あなたごときが偉そうに言うものではない。
彼女は家族を全部入信させて、妹を宗務局に入局させていた。
それで、準シュダオンさんは家族や親族を導いたのか?
守護霊のはしりの頃、I橋さんという大金持ちが3500万円出して、
入信と同時に、桐山ゲイカに守護霊授与の個人護摩を焚いてもらった。
金さえ出せば守護霊がもらえるという実例で、E川さんがその紹介人です。
正確には、紹介者の名義を強引に奪い取った・・ほら、他人の手柄を横取りするなど、
彼女はアゴン宗先達としての資格を十分に持っている。
言ってみれば、3500万円の寄付を斡旋した。
準シュダオンさんはこういうE川さんと比べて、何をしたのだ?
導きは?金は?いくら出した?
彼女の足下にも及ばないあなた如き信者が、偉そうに言うのは僭越です。

888深山:2009/11/10(火) 22:23:41 ID:vzWPc.nc0
>>855 :準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
>阿含信徒にしては、少し生活力に欠けてたね。管長と親しいことをいいことに、
>修行をおろそかにしたからよ、と、推測できます。

彼女こそが桐山ゲイカが認める素晴らしい修行をした。
彼女は桐山ゲイカ認定で多くのお役をもらっている。
たとえば、『阿含仏教超能力の秘密』の181頁に載っているのが彼女です。
たしかアゴン宗のビデオでも彼女が菩薩のような格好して出ていた。
あまりの光景に私は見ないようにしていた。
伝法会のムドラー舞踏とかいうネーチャン舞踏でも、あのヒラヒラの
変な格好をして踊っていた。
あなたは知らないだろうが、ああいうのは普段からの修行が評価されて、選ばれる。
E川さんは、他の人がノルマ達成や試験などで得られる資格も、
まったく無視して、得ることができた。
アゴン宗主催のイベントがあれば必ず上席で特別扱い、お客様扱いです。
なぜかわかりますか。
彼女の背景には桐山ゲイカがいたからです。
桐山ゲイカが彼女のあり方が正しいと認めていたからこそ、
彼女は派手で目立つお役をゲットした。
準シュダオンさんみたいに勝手なことをしていたのではなく、E川さんは
桐山ゲイカから内弟子として、直接修行の指導を受け、その言動を認められていた。
あなたのようなろくなボン行もせず、金も出さない下っ端信者、末端信者ごときが、
桐山ゲイカが直接指導をした人に向かって、修行をおろそかにしていたなどと
偉そうな口をきくものではありません。

889深山:2009/11/10(火) 22:27:10 ID:vzWPc.nc0
>>855 :準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
>阿含信徒にしては、少し生活力に欠けてたね。管長と親しいことをいいことに、
>修行をおろそかにしたからよ、と、推測できます。

桐山さんの愛人希望者はたくさんいた。
その中で、彼女はその地位をゲットした。
すごい修行と生活力です。
準シュダオンさんみたいに、無料デンパを勝手に受信して預流向に
なったなんてコソドロと違い、桐山ゲイカが彼女を認めたのです。
18年間、桐山ゲイカは毎月、自らの手でお手当を出していた。
準シュダオンさんは女性にいくらお手当を出すのだ?
2ちゃんねるのヌコみたいに10円玉か。
あの見栄っ張りのゲイカが10〜20万の「はした金」を出すはずはない。
当然、百万単位でしょう。
これ以外にも、ホテルオークラの滞在費でもめたように、
彼女は直接支払わず、アゴン宗にツケを回している。
週刊誌に桐山さんとゴルフをする光景があるが、その代金は桐山さんがアゴン宗から払わせた。
このように、彼女の遊興費の多くがアゴン宗の必要経費で落とせた。
桐山さんが認めれば可能です。
桐山さんの娘婿殿一家がホテルオークラで食事をする風景が目撃された。
ただのサラリーマンがあんなバカ高いところで一家で食事ができるはずがなく、
アゴン宗へのツケだと見れば、何の不思議もない。
また、彼女が今住んでいるという平河町のマンションも桐山さんの名義だから、
家賃は払っていない。
つまり、E川さんへのお手当とアゴン宗へのツケを考えれば、この18年間の
彼女の年収は最低でも一千万円を超え、実質、数千万円あったのです。
数千万円といえば、医者や弁護士並の収入です。
しかも、彼らは働いてこれだけの収入を得ているのに対して、
彼女はいわゆる労働をせずに得ているのだから、すごい才能と能力です。
この彼女が生活力が欠けている?
何をオマヌケなことを言っているのだ?

890深山:2009/11/10(火) 22:34:30 ID:vzWPc.nc0
>>855 :準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
>阿含信徒にしては、少し生活力に欠けてたね。管長と親しいことをいいことに、
>修行をおろそかにしたからよ、と、推測できます。

彼女は今、桐山さんからのお手当が止まってしまったから、
裁判を起こしたのだろうが、これも生活力の一部です。
自分の生活費の問題にすぎないのに、これを一流週刊誌の
トップの記事として取り上げさせたのですよ。
世間にこれだけ知られてしまったら、アゴン宗側は裁判を早期に終結させたい。
一方、E川さんはお立ち台で扇子を振って踊っているようなもので、
いくらでも延長戦が可能だが、アゴン宗側は早く終結させないと、たいへんなことになる。
信者の間に動揺が広がるからです。
信者の多くは準シュダオンさんのように今回の件を軽くみている。
E川さんを知っている人は、「ああ、あの女か」と侮蔑的に言う。
だが、週刊誌を読んで、あれをまったくの虚構だと言える人はいない。
中には、桐山さんの愛人問題が、実名で詳細で、これほど露骨に出て
しまったことに嫌悪を覚える人もいる。
仏様への供養だと思って出していた人たちも、E川ごときに浪費されて
いたとわかれば、財布の紐も固くなる。
長引けば信者の間に噂が立ちこめ、金集め人集めに悪影響が出てくる。

891深山:2009/11/10(火) 22:39:34 ID:vzWPc.nc0
>>855 :準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
>色川さんてのも、つつましい方ですね。損害賠償金が1600万円余ですからね、

アゴン宗側は早期に終結させたい。
これは裁判官とも利害が一致しています。
裁判官もまず和解を勧め、双方の弁護士も普通の弁護士なら、その妥協額を探る。
つまり、E川さん以外の四者は方向が一致しています。
和解とは金を出して終わりにすることです。
そうなると、請求額だけで話が済むとは思えない。
あれはこれまでの仕打ちに対する慰謝料ですから、争点の会員回復をしない
代わりの補償金や、居住権に基づくマンションの立ち退き料とか、彼女は圧倒的に強いのです。
裁判官はE川さんを、判決になれば金額が減ると脅かし、和解ならこれだけの
金額が出るぞと釣る。
釣るためにも金額を上げるようにアゴン宗側に働きかける(正確には脅かす)。
だから、彼女もやがて妥協するだろうが、今の状態から推測すると、
いずれにしろ彼女の勝利です。

892深山:2009/11/10(火) 22:42:44 ID:vzWPc.nc0
>>855 :準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
>色川さんてのも、つつましい方ですね。損害賠償金が1600万円余ですからね、

「つつましい方」と聞いて、彼女を知っている信者たちは爆笑しているでしょう。
彼女を知っている人たちは、彼女は頭があまりよくないと言う。
定例会での彼女の発言を、桐山さんが「君の言っていることよくわからない」と言って、
会場が失笑したこともあった。
たしかに普通の意味での知性では彼女は優れていないが、
生き方においては特殊な才能の持ち主です。
信者時代から彼女を見ていて、それを感じていたから(怖いという意味です)、
私なら彼女と何か戦いをしようという気はない。
戦いになっていることにすらこちらは気が付かないうちに
絡め取られるだろうから、気が付いたら、スタコラ逃げるしかない。
事実、彼女は桐山ゲイカの愛人の立場をゲットして、桐山ゲイカに
「千景がいないとさびしい」と言わせ、数千万円の収入を得て、十八年間、
欲望のままに生活し、今でも圧倒的に有利な戦いを進めている。
この現実と成果を見てごらんなさい。
この彼女をつつましいとか、生活力がないなどというのは、準シュダオンさんが
人を見る目がないか、頭がよほど悪いか、どちからを示しているだけのことです。
現実の彼女は普通の人にはない特殊な才能を持っているから、
今回の事が終わっても、したたかに生きていきます。

893深山:2009/11/10(火) 22:45:14 ID:vzWPc.nc0
>>855 :準シュダオン:2009/11/10(火) 11:51:52 ID:P9JinFks0
>こんな些細な問題が、週刊ポストに6ページも費やして、w、いやぁ、阿含宗

準シュダオンさんのレスで一番楽しみにしていたのは、今回の件をあなたがどう評価するかです。
普段から、阿含経を引用し、自らを限りなく預流に近い預流向だと
名乗り、批判側を愚か者呼ばわりしながら、高飛車な
お説教を垂れるあなたが、桐山さんの行状をどう見るかが楽しみだった。
桐山さんのように仏教をいくら偉そうに語っても、実際は怒りや食欲や性欲すら抑えらない。
「些細な問題」、これがあなたの受け取り方です。
ブッダ様に愛人がいることが些細な問題とはねえ。
あなたの仏教の理解や信仰とはこんな程度なのです。
さすがは桐山さんの信者だけのことはある。

894深山:2009/11/10(火) 22:48:52 ID:vzWPc.nc0
>こんな些細な問題が、

さて、ここからは準シュダオンさん以外の信者さんたちに聞いてほしい。
信者さんたちの多くも準シュダオンさんみたいに
「些細な問題」「E川の個人的な話」などと、必ず問題を矮小化しようする。
わざと「くだらない内容だ」と、中身の検証もせずに吐き捨ててみたり、
「○○の件は嘘だ」と小さな間違いを取り上げて、残りを全否定してみたり、
「ゲイカは霊能力がすごいのであって、聖者だなんて期待していない」などと、
自分の寛容ぶりを表明していた。
信者が自分の信仰を続けるために、目の前に示された矛盾から目線をそらし、
様々な言い訳を考えるのは、自分もやったことがあるし、見かけたから、よく知っている。
もっとも準シュダオンさんのように、事態がどうなっているのか
理解できずに、些細な問題などと言っているピンボケ組もいた。
だが、信者さんたちはよく読んでほしい。
あれは桐山さんの愛人問題なのですよ。

895深山:2009/11/10(火) 22:54:20 ID:vzWPc.nc0
>こんな些細な問題が、

週刊誌の記事にはE川さんを愛人とは書いていない。
一言も出てこない。
あの記事はそこが冷静で客観的です。
だが、内弟子って、何ですか?
ザに出てきたフジウスさんのような人が内弟子というのならわかる。
だが、ブランド品を身に付け、蝶々みたいにフワフワと飛び回っているE川さんの
どこが仏教の内弟子なのだ?
修行上の内弟子なら、フジウスさんがそうであったように、正式に職員として雇い、
生活費としての給与を払えばいい。
その上で、さらに修行に必要な金を渡すというならわかる。
それをなんで桐山さんが彼女の生活費を毎月直接渡すなんてことが18年間も行われたのか。
当時、七十歳前後の中小企業の社長が、二十代の派手な女性に個人的に
生活費を渡していたら、これを世間で何というか。
よその教団の教祖の話だとしたら、信者さんたちは内弟子や秘書だと思いますか。
普通これを愛人というのではありませんか。

896深山:2009/11/10(火) 22:56:17 ID:vzWPc.nc0
>こんな些細な問題が、

週刊誌では愛人という言葉こそ使っていないが、
桐山さんの愛人問題が初めて世間に公表されたのです。
それも噂などではなく、本人からの告発です。
桐山さんは脳梗塞の退院の後、ホテルオークラに一緒に滞在していた。
しかも、それがE川さんの嘘ではない証拠に、
W田さんがそのお金を逆に彼女に請求したという。
つまり、E川さんはホテルオークラに彼女の名前で滞在し、
滞在費のツケをアゴン宗に回したということになります。
いくらあのE川さんでも自分一人が滞在したのなら、それをアゴン宗に
請求するなどありえない。
桐山さんがこの滞在の後、回復したことは皆さんも知っているとおりです。
2001年に脳梗塞を再発したにもかかわらず、2004年には例祭で年に
何度か護摩が焚けるほどに回復した。
週刊誌の写真には2005年にはE川さんと一緒にゴルフをしていた。
冗談や皮肉でなく、E川さんの「献身的サービス」で桐山さんが回復したのは
ありえない話ではない。
老人のリハビリには若い異性があたったほうが良いことはよく知られています。

897深山:2009/11/10(火) 23:02:09 ID:vzWPc.nc0
>こんな些細な問題が、

愛人の噂のあったシャンバラのN本さんは1987年に去っている。
週刊誌によれば、桐山さんがE川さんを「採用」したのは1989年だという。
席が空いていたので入り込んだとみれば、時期も一致している。
N本さんは噂の域をでなかったが、E川さんは本人が実名を出し、はっきりと
桐山さんから直接18年に渡り生活費としてのお手当をもらったと証言している。
そればかりか、平河町という一等地にある桐山さん名義のマンションに住んでいるという。
彼女が結婚を言い出すと、「千景がいないとさびしい」と言ったという。
秘書や内弟子が結婚するのなら、祝福するのが当然ではないか。
自分の女が去ろうとしているのを留め、愛人のままでいてくれという発言です。
これが愛人でないなら、何なのだ?
他にどんなわかりやすい説明ができるのだ?

898深山:2009/11/10(火) 23:06:19 ID:vzWPc.nc0
>こんな些細な問題が、

関東別院の二十年前からの信者の方達は思い出してほしい。
E川さんについては信者の間でもその存在が不思議がられていた。
一般信者なのになぜ特権を持っているのか、というのと、彼女の派手な生活は
どこから収入を得ているのか、という点です。
桐山ヨイショ本を書いたことで特別扱いなのはわかるが、それにしても、
目立つお役を宗務局の意向すらも無視していつもゲットしていた。
こんなことはいくらゲイカに目をかけられた著名な先達でもできない。
桐山さんの親族でもないのに宗務局を無視できる理由はたった一つしかない。
桐山ゲイカと直につながっている人です。
だが、二十歳そこそこの、仏道修行とはおおよそかけ離れたキャピキャピの、
ブランド品を身につけた彼女が桐山ゲイカに特別扱いされる理由とは何なのか。
今回の記事を読んで、当時私と法友たちが疑問に思っていたことが全部説明がついた。
そして、信者さんたちには宿題が残された。
愛人のいるブッダ様とは何なのだ?
目をそらさずに、現実をよく見てほしい。

899深山:2009/11/10(火) 23:09:03 ID:vzWPc.nc0
>>863 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/10(火) 16:04:16 ID:4ZXeh0KU0

「千景がいないとさびしい」

ゲイカのお言葉を慎み敬って推薦いたします。
桐山ゲイカの心がこもっていて、秋の夜に染み渡るような響きを感じます。
ぜひ、ユビキタスさんから、年末の「名言特別大賞」を授与してほしいところです。

900ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/11(水) 00:13:09 ID:SmEF4Oe2O
ポストの表紙を見てて思ったんだが、アッキーナを桐山さんの愛人513号に
推挙してみようか?

901ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/11(水) 00:49:34 ID:SmEF4Oe2O
例のダルマチャクラ4月号を片付けようと、ふと中身をめくったら(目的は例の
ビジンさん載ってないかと)関西総本部コーナーで大阪道場の初大黒天大祭の
記事がありました。
やはり桐山管長ご来道で、期日は1月15日土曜日の成人の日でした。
そういえば昔は15日が成人の日固定だった。
つまり15日大阪道場で大黒天大祭、16日京都で冥徳祭、17日阪神大震災で
ゲイカ目を覚まされ、また寝たというわけ。
大日さん。以上のことがわかりました。

「千景や千景」
「何?ゲイカ?こんな時間に電話してきて」
「大きな地震で怖かったんだよ〜」

902しまT:2009/11/11(水) 01:56:45 ID:WK2XaeeY0
ユビキタス=深山=準シュダオンさん、馬鹿な演出はやめてもらいたい。

ユビキタスHNで総務省か経産省ばりの知的領域のキャラ。
それと遠い攻撃的記述をするマニア深山。
、、、そこに醜悪な準シュダオンという、粘着与太郎擁護キャラの設定。

誰も書き込んでくれないと擁護・批判こわもて・批判冷静の掛け合いが上手くできないからこんな設定
を創作したんでしょうが、、

>>855
>>872

ここまで世間ずれしたことはいうひとは信徒にいませんよ。
溝口敦さんが山口組記事を書いたり、組に襲撃された後きちんと和解し、
細木の闇をあばいたり、創価学会を粘着的に取り上げている雑誌系フリーライターとしては
そこそこ読ませる記事を書いていることくらい
ある程度の社会人なら分かります。
その彼が取り上げた意味は分かりますよ。

あなた方の阿批判の理知的批判はとても参考になります。
それは既存、封建体制に立脚した搾取構造の既存仏教、
僧侶資格資格というしか反論できないひとたちにもあてはまっちゃうはずですよ。

困った状況から脱出できるなら、法験があればいいんです。
ないないとご説明はされていますが、あるという実感には届かないんです。

お導きはできなくなります。
自信がなくなりますもの。

でも、それだけでは辞められません。実感を否定できない。

職員と折り合いの悪い人がお役から外され続けるとか、
阿以外の寺へいったり、護摩に参加したり、外の世界の勉強をすると
お役をはずされ続けるとか。
二言目には、おかねおかねおかねおかね。
いままで出せていたけど時期的にお金を出せなくなった会員、
あるいはお寺に顔を定期的にだせなくなった会員より、
見掛けがみすぼらしく社会人として
首をかしげるけど職員に都合のいい会員重用や、
いりびたり会員の非常識行動支持、といったことのほうが嫌気後押しします。
あなた方の努力をそのまま生かせない馬鹿でゴメンね。

伊勢-白山道のほうがよほど信徒引き剥がしに有効です。



ともかく、準シュダオンまで下げる設定はしないでください。

903名無しさん:2009/11/11(水) 03:57:10 ID:U.G2R2xk0
>>892
次の裁判
11月26日(木)午前11時 東京地方裁判所にて傍聴可能

904ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/11(水) 08:19:37 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさん。
>>902のしまTさんはどうやら教団のあり方に懐疑的な現役信者さんと思われるが
あなたのことを私や深山さんが作り出したお馬鹿キャラだとしている。
批判を際立たせる為に敢えてうんとお馬鹿な対立擁護側信者を設定して自作自演
をしているのだと言う。
あんたの存在も本当の信者からするとネタキャラに過ぎない。
今回しまTさんがお願いしてるのは「設定を下げるな」です。
つまりこれ以上お馬鹿な内容の書き込みをするなと訴えているのです。
今回のポスト記事にあたってあなたはせめて普通に不快を示すだけでよかったのです。
こちらとしても対抗馬を設定するのならあなたのようなピンボケキャラは作らない。

905ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/11(水) 08:41:10 ID:SmEF4Oe2O
>>902
病気が治るような困ったことが解決するような法験、これを御利益体験といいますが、
我々はこのような信仰する個々人の御利益体験を「ないない」なんて言ったことはない。
寧ろ「ある」と認めてます。
アゴン宗に限らずよその新興宗教のどこにでもありふれてある話なんだから
アゴン宗だけ例外的に無いなんてはずはないとしている。
だから御利益があるから他のことが正しかろうが間違っておろうが知ったことではない、
あくまでも自分の御利益本位だと言う人はどうぞ自由に続けてくださいとしている。
預流向などの問題と同じように、今回の管長の愛人問題とか信者から巻き上げた金を
このように無駄に好き放題に浪費する問題も自分には関係ない、当面の御利益さえ
あればよいと言う人に対しても、どうぞお好きなようにというのが、こちらの
基本姿勢です。
我々は万人の胸に響く鐘を鳴らしているつもりはない。
共鳴を感じてくれる一部の人に少しでも自分の頭で考えてくれる内容の書き込みが
できればそれだけで成功だと思っている。

906W田派:2009/11/11(水) 11:41:39 ID:a.vlE0sI0
完全に色川さんに負けました。次の裁判、和解しないでW田を追い出しましょう!
色川さんに拍手喝采!

907Boo:2009/11/11(水) 12:15:21 ID:DXlq9owoO
w田さん出廷したんですか?


アゴン宗崩壊の序章ですね。


w田さんってゲイカの愛人だったんですか?

908反W田派:2009/11/11(水) 12:30:01 ID:a.vlE0sI0
ジャーナリストの溝口氏のリポートがとても良い。冷静に問題点をついている。
色川さんもW田を相手に良い度胸しているし、根性がある。
W田が気に入らない人達を、阿含の金と弁護士を使って追い出したのは、ペーマ氏、秘書のK氏やニューヨーク広報センターの人達、
今回は内弟子の色川さんと、名前をあげればきりがない。
猊下が色川氏に連絡を取りづらい程、W田の北朝鮮体制は強化されている。
11月26日が次回の法廷日であるようだ。
今こそ、W田を恐れず、反W田派であることを表明しようではないか。
そうすれば、W田が阿含宗から追い出される日も遠くはないかもしれまい。

909名無しさん:2009/11/11(水) 12:34:03 ID:tGywCobg0
四十五章サブタイトル
「 聖者モドキは言った ”千景がいないと さびしい” 」

910深山:2009/11/11(水) 12:39:30 ID:OTkILT9I0
>>902 :しまT:2009/11/11(水) 01:56:45 ID:WK2XaeeY0
>ここまで世間ずれしたことはいうひとは信徒にいませんよ。

準シュダオンさんへ。
しまTさんの書き込みを丁寧に何度も読んでください。
あなたの今の頭ではよく理解できないかもしれないが、
簡単に言えば、しまTさんは、準シュダオンさんの書き込みがおかしいと言っているのです。
信者から見ても、準シュダオンさんは「世間ずれした」人物に見えるのです。
世間ずれとは、世間の常識から逸脱した人間という意味です。
そのおかしさがあまりに極端だから、準シュダオンさんは
実在の信者ではなく、批判側が批判のために作った人物に違いないというのです。
つまり、信者が読んでも、あなたの書き込みはおかしいと言っているのです。
このしまTさんの「世間ずれした」という準シュダオンさんへの評価には、
批判側、擁護側を問わず、ほぼ全員が賛成で、激しく同意していると思います。
もっとも、こう指摘されても、「しまTとは批判側が作ったキャラだろう」
なんて、準シュダオンさんはあざ笑うでしょうね。
たしかに、深山=ユビキタス=準シュダオンに見える知性では、
しまTさんも準シュダオンさんも似たようにレベルだと言われれば、そんな気もします。

911深山:2009/11/11(水) 12:44:46 ID:OTkILT9I0
>>902 :しまT:2009/11/11(水) 01:56:45 ID:WK2XaeeY0
>困った状況から脱出できるなら、法験があればいいんです。
>ないないとご説明はされていますが、あるという実感には届かないんです。

法験を云々するよりも、まずあなたは国語力を身につけたほうがいい。
私はユビキタスさんや準シュダオンさんよりもスレにいる「行歴」は古いから、
そうしてみると、私(深山)がユビキタスさんを2003年頃に製造し、
準シュダオンさんを2004年頃に製造して、登場させたらしい。
信者であるユビキタスさんがさも辞めてしまったかのような演出をして、
以来、私は六年の長きに渡り、深山とユビキタスを演じ続けたらしい。
そればかり、世間ずれしたキャラである準シュダオンを登場させたという。
私が準シュダオンさんを作ったのなら、あんなうっとうしい信者はさっさと消去・・・
いや、あなたの言うように世間からずれない程度に、またアゴン宗の本筋から
外れないような議論をするでしょう。
あれだけ自惚れと無知と恥知らずを垂れ流しにして、
しかも他人を侮蔑するようなことは、私の能力をはるかに超えています。

912深山:2009/11/11(水) 12:54:00 ID:OTkILT9I0
>>902 :しまT:2009/11/11(水) 01:56:45 ID:WK2XaeeY0
>ここまで世間ずれしたことはいうひとは信徒にいませんよ。

しまTさん、アゴン宗の信者としてもう一歩進めて透視してはいかがですか。
ほら、気が付きませんか?
ここには、実は深山しかいないのです。
樹意さん、大日さん、Booさん、ラシンさんなど複数のキャラが
いるかのように見せかけているだけで、実は、私が全部作ったキャラで、彼らは実在しない。
私は、昨年は大日さんを登場させ、いかにも信者が辞めたかのように
見せかけたに違いありません。
激しい議論をしたかのように見せかけて、実は一人芝居だったのだ!
そう言えば、大日さんと私は書き込みの分量が多い。
ほらね、やはり両者はどう見ても同一人物です。
最近の樹意さんとの議論も、あれも一人芝居で、
アビダルマに詳しい元信者がいるかのように見せかけていたのだ。
深山と他のキャラで意見に違いがあるかのように議論させて、
複数の批判側がいるかのように見せかけているのです。
そうですよね、桐山ゲイカはオシャカの商法を護持宣布されているのだから、
アゴン宗を批判する元信者なんているはずがない。
ここの書き込みは全部、深山の一人芝居だと透視できましたか。

913深山:2009/11/11(水) 13:00:08 ID:OTkILT9I0
>>902 :しまT:2009/11/11(水) 01:56:45 ID:WK2XaeeY0
>ここまで世間ずれしたことはいうひとは信徒にいませんよ。

ちょっと待ってください。
ここには深山一人しかいないということになると、
しまTさん、あなたも私の作ったキャラということになる。
そうそう、思い出した、昨夜書き込みを終えた後、風呂に入りながら、
脳味噌がマダラ模様のシマッタというキャラを考えたのです。
シマッタを略して「しまT」。
国語の読解力がなく、おまけに物事の道理を説かれても、
自分の体験談という御利益にしか興味がない。
ほら、よくそういう愚かな信者がいるじゃありませんか。
口先では桐山さんの唱えたご立派なアゴン宗教義を口まねするが、
実はオカルト大好きなただの御利益信仰で、
それを功徳、霊験、法験などと名前をちょっと変えると、
下劣な御利益信仰にすぎないことに気が付かない愚かな信者です。
それでいてよその御利益信仰を小馬鹿にしていたりする。
自分のはオシャカの成仏ホーに基づく立派な信仰であり、
よそはぐたらない御利益信仰だと侮蔑している。
こういうアゴン宗信者によくあるようなタイプを私はシマッタというキャラで
昨夜遅く書き込んだのです。
ですから、あなたは私の脳味噌がネットという仮想空間に作り出した夢、幻です。

914深山:2009/11/11(水) 13:04:43 ID:OTkILT9I0
>>902 :しまT:2009/11/11(水) 01:56:45 ID:WK2XaeeY0
>それは既存、封建体制に立脚した搾取構造の既存仏教、
>僧侶資格資格というしか反論できないひとたちにもあてはまっちゃうはずですよ。

「封建体制」「搾取構造」「既存仏教」などと何か難しそうな言葉を並べているが、
何を言いたいのかわからない。
昔の僧侶の制度を政府が管理して、私渡僧を認めず、
檀家制度で民衆を支配したことを言いたいのですか。
それと桐山さんが偽坊主であることとはまるで関係がありません。
なぜなら、僧侶の資格とは、日本の昔の為政者が決めたのではなく、
釈尊その人が決めたことだからです。
これを日本の為政者たちと坊主が組んで悪用したにすぎない。
釈尊は正式な儀式をせずに仏教の出家を名乗ることを禁じた。
簡単に言えば、出家である比丘が得度することが条件です。
だから、鑑真は日本仏教にとっては大恩人なのです。
だが、桐山さんは得度などしていない。
彼が得度をしてもらったという北野師がこれを否定しているからです。
北野師が否定しても、得度の時にもらう度牒を示せばいいだけです。
しかし、偽坊主の批判をされて何十年もたつのに、
桐山さんは北野師からもらったはずの度牒を示したことはありません。
桐山さんに僧侶の資格がないのは仏教としては、これ一つで致命的です。
これ一つだけでも、アゴン宗は仏教ではなくなるのです。
信者さんたちは僧侶の資格を軽くみているが、根本仏教を名乗るのなら、それは間違っています。

915深山:2009/11/11(水) 13:09:08 ID:OTkILT9I0
>>902 :しまT:2009/11/11(水) 01:56:45 ID:WK2XaeeY0
>それは既存、封建体制に立脚した搾取構造の既存仏教、
>僧侶資格資格というしか反論できないひとたちにもあてはまっちゃうはずですよ。

釈尊が厳しく偽坊主を禁止していることだけが問題なのではありませんよ。
僧侶でもないのに僧侶だと嘘をついている点が一番大きな問題なのです。
何のためにこんな嘘をつくのですか。
「自分は得度はしていないが、仏道修行をしてきた」と正直にいうならまだいい。
僧侶でもないのに、いかにも僧侶の資格があるかのように嘘をついて、
多くの人たちを騙している。
桐山さんは「嘘つき」です。
しかも、桐山さんの嘘は、僧籍だけではなく、真言宗の阿闍梨や大僧正も詐称している。
桐山さんが偽坊主であることの問題は、資格がないということよりも、
彼の虚言癖の一例にすぎないのです。
仏教では戒律の一つに「嘘をつくな」があるのに、出家を自称し、嘘をつかないことで
他人の模範たるべき桐山さんが、頭の先から足の先まで嘘で塗り固めている。
出家とか坊さんの資格といった問題以前の話として、
あなたの言葉を使うなら、桐山さんは嘘が多すぎで、「世間ずれ」しすぎている。

916反W田派:2009/11/11(水) 13:10:22 ID:a.vlE0sI0
W田派が反W田派になってみんな集まって一台のPCから交互にカキコしてま〜す。
色川千景さ〜ん、必ずW田を追い出してくださ〜い。裁判楽しみにしてま〜す。
次の法廷11月26?みんなでいこーかな。

917深山:2009/11/11(水) 13:11:30 ID:OTkILT9I0
>>902 :しまT:2009/11/11(水) 01:56:45 ID:WK2XaeeY0
>それは既存、封建体制に立脚した搾取構造の既存仏教、
>僧侶資格資格というしか反論できないひとたちにもあてはまっちゃうはずですよ。

そして、一番の問題は桐山さんの嘘ではなく、あなたのような信者が
こういう桐山さんの虚言癖に何の嫌悪も持たないことです。
学歴詐称など、彼の個人についての嘘だけでなく、アゴン宗の教義
そのものが嘘で塗り固められている。
あなたは法験と称する御利益だけに目を向け、御利益さえあれば、嘘がどれほど
あろうが、気にしない。
ちょうど、オウム信者たちが、麻原がどれほどの俗物だろうが、
超能力があればと、気にしなかったのと似ている。
こういう人たちがいるから、アゴン宗のような詐欺宗教が成り立つのです。
つまり、あなたが桐山さんの嘘を支えている。

918深山:2009/11/11(水) 13:22:03 ID:OTkILT9I0
>>902 :しまT:2009/11/11(水) 01:56:45 ID:WK2XaeeY0
>あなた方の努力をそのまま生かせない馬鹿でゴメンね。

いえいえ、そんなことはありません。
あなたの信仰が御利益信仰にすぎず、釈尊の説いた仏教に何の興味もないのだから、
仕方ありません。
あなたは目の前にある物しか見えない。
つまり、職員や先達の態度の悪さや、カネカネカネの体質。
私はその背後にある物を指摘しているのです。
私に言わせれば、W田さんですら目の前にある物にすぎない。
背後にある物とは桐山さんその人です。
彼こそがすべての原因です。
だが、あなたみたいな人はそれを指摘されてもわからない。
興味がないというべきでしょう。
目の前の問題と、御利益しか見えないからです。
御利益に釣られて目が曇り、職員やアゴン宗の組織に現れた桐山さんの本音が見えない。
「馬鹿で」というよりも、欲望に目がくらみ、道理がわからないのです。
あなたの知っているアゴン宗のわかりやすい言葉で表現するなら、
道理がわからないから畜生クラスであり、欲得に目がくらんでいるから餓鬼クラスなのです。
畜生クラスだから、桐山さんの嘘をどんな指摘されても、
アゴン宗がただの外道だと根拠を示されても、あなたは何も気にならず、
深山とユビキタスと準シュダオンが同じに見える。
その餓鬼や畜生クラスの因縁が少し薄らいで、法験なんて何の意味もないばかりか、
煩悩を増やすだけだと気がつくまで、インチキ宗教で「愛人のいるブッダ」を
拝んでいたほうがいいかもしれません。

919名無しさん:2009/11/11(水) 16:05:18 ID:LqTdFUYM0
2ちゃんねるが大規模規制のせいか盛んに書き込まれてるな。
2ちゃん見てる奴らの多くがこのスレの存在に気づいていないのかと思った。

920大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/11(水) 18:56:09 ID:/aRqI6yM0
>>901 ユビさん、情報感謝申し上げます。大日早くも40代半ばにしてボケが始まっております。
脳障害の因縁が無いはずでしたが、どうも芳しくない。ありがとうございます。

しかし、アッキーナ嫌がるでしょう? 春日になら喜んで成るでしょうがw

大きな地震で怖かったんだよ〜には、ジャワティー吹いたw

921Boo:2009/11/12(木) 00:00:53 ID:tFKjEVUs0
今回の記事を読んで、ちょっと思い出した法話があります。

20年以上前の質問形式の法話だったと思います。

ある女性信者の母親が癌になって亡くなった。ゲイカが手を打ってくれない
(お伺い書や面接指導などのことでしょう)で、その信者がとても落ち込んでいる。
本人も癌が発見されてとてもかわいそう、ゲイカは何とかしてください、見たいなないようでした。
(うろ覚えで詳細は私の勘違いがあるかもしれません)

そのお答えにいわく。

この女性は脳障害の因縁が強く、突然何の害もない会員さんに掴みかかったりして
宗務局から破門にすべきでないか、と上申されたが、私が抑えた。因縁的な問題を
解決するのに、特別に何度か面接指導した。すると、自分はゲイカから特別な情を
かけられている、と、周囲の人間に言いふらし始めた。女性の母親が癌で亡くなった
ときに、彼女を滝行に連れて行って、そのときに癌の因縁(霊障)は落している。
彼女と2人で滝に行ったら周りから勘違いされる恐れがあるので、職員の神D女史を
同行している。指導したのはこの女性がとても一生懸命修行しているので、したことで
他意はない。

この人に伝えてください。この人が問題解決するように、祈りますから元気を出すように。

こんな内容でした。

色川氏の記事を読んではからずも数十年前の法話を思い出しました。

922名無しさん:2009/11/12(木) 01:10:26 ID:LqTdFUYM0
下記の掲示板が1時間前に突如消えたんだが何かあったんか?

「阿含宗という宗教法人」
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/7/

923名無しさん:2009/11/12(木) 02:26:16 ID:3nLv6ZPI0
いずれこの掲示板も次のスレッドが立つ事もなく消えるのかもしれんな。
念のためこまめに保存しておいたほうがいいな。俺はさっき保存したがw
せっかくナイスな書き込みが増えてきたんだから、この調子で盛り上がってほしい。

924名無しさん:2009/11/12(木) 07:10:37 ID:RDdOiPT.0
>>922
その掲示板は時々落ちる。しばらくすると復活している。

925名無しさん:2009/11/12(木) 07:12:10 ID:RDdOiPT.0
新しい人が書き込んでいるが、古参のメンバーは
もう少し寛大な気持ちで見てやれ。
古参の一部はカリカリしてヒステリックになりすぎ。
ユビキタスさんや大日さんを見習って欲しい。

926大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 08:30:32 ID:l1iHNYy60
一晩寝て先ほどクリックしたら@chs、出ない・・・。

良く調べたら、www2サーバー不具合のようで、そのせいですね。
(変なこと書いてないのでおかしいと思った)

しばらくしたら復活すると思うので、>>924さんのいうとおりですね。

927Boo:2009/11/12(木) 10:07:17 ID:DXlq9owoO
しかし・・・女性会員とゴルフに行ったり、マンションに住まわせたり、上根の成仏法って楽しそうですね。

俺も出来そうじゃん、上根の成仏法。ゲイカってマジで賽の広場から転落行きだな。

中沼さんやフジウスさんが退会した時点で教団としては終わっていたんですね。

わたし、退会しても、もしかしたら自分の判断が間違いかも、と、思うところが有ったが、辞めたことは間違いではなかったようですね。


大分損切りになったけど、ほんと止めてよかった。

928ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/12(木) 10:33:03 ID:SmEF4Oe2O
>>927
上根の成仏法とは上手いことを言ったもんだねw
我々は下根の成仏法でゲーコゲコとしみったれた供養をしてしみったれた御利益を
期待するしかなかった。
でも原理はやはり同じだったんですね。
千さんは如来サマの喜び感動するものを捧げた。
如来さんはこの供養に応じてその財力から現実的なクドクを授けた。
しかし単に授けたわけではない。
如来サマ御自身の生き甲斐にもなったのだからまさに「感応道交」の境地まで
達したのですね。

しかし千さん本当にペラペラよくしゃべったんだね。
ほら、これがゲイカに肉筆サインもらった御著書よ、とお宝を写真にまで撮らせる。

929大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 10:40:33 ID:l1iHNYy60
@chsまだ復旧しないので、@chsサブとして立てました。

http://jbbs.livedoor.jp/internet/6441/  板の名前は agama@chs-1 で、こちらと同じしたらばです。
カテゴリは「インターネット」です。

@chsのスタイルが好きな人はどうぞ〜。(嫌いな人はこのままこちらのままでどうぞ〜)

930大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 10:44:42 ID:l1iHNYy60
>>928 昨日書店で立ち読みしたが、ほとんど2chとこちらとあの引用サイトで事足りるので
購入しませんでした。
しかし、ユビさんの仰せの通り、サインありの本にも驚いたがゴルフの写真も中々。
あんな至近距離での写真なら、でっち上げだとはいえないですねえ。

こことは別なところで文章を書いてたんですが、彼女は示談が目的だからなんか醒めるねえ。
我らのように正義感で、というのは無いんだからね。
2chの誰かが申してたように、金で終わりなのかと思うとさてさて、と言う気もします。

ま、彼女と我らとは一緒に出来ないかw

931ラシン:2009/11/12(木) 11:09:43 ID:2LdR/Kgw0
>926 :大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 08:30:32 ID:l1iHNYy60

大日さん、agama@chsは、dat落ちしたのかと思ったが違うようですね。
agama@chsでも信者らしき方が、今回の桐山さんのスキャンダルの
現実を直視できないで、ピンボケな感想を書いておりました。
大日さんも、それら矛盾を丁寧に指摘しておられた。

信者さんは、この愛人問題を批判がわがただ囃し立てている、
と受け止めると、阿含経を捧持しているアゴン宗の自負心は
どうなるのか、気づかないでしょう。
つまり煩悩滅を説いてあるのが、阿含経なのだと知らないことを
裏付けてしまうし、八正道など倫理道徳の範疇としか考えていない
証左だとなる。
では、桐山因縁解脱で照らし合わせれば、お互い双方が色情の因縁を
露呈したことにもなり、余りにもお粗末なものです。
信者さんは、これを些細なスキャンダルと見るのか?
実は、こんな醜聞ごとで裁判を起されるアゴン宗の因縁に、
信者さんはよく目を向けるべきではないのか?

今回の金銭の扱いに関してだけでも、アゴン宗は宗教法人でありながら、
ただの桐山商店並みだと分かる。商店街の個人販売店と変わらない。
しかし、宗教法人法は国が定め所轄庁の認証を受ける公益法人としての
優遇を得ています。
それは収益事業とみなされ、宗教行為は免税ですが収益事業は、
課税対象だから、通常法人の決算内容を問われることになる。
たとえば、桐山さんのポケットマネーで色川さんへのお手当が
処理されいたなら、それは個人消費だから問題ないでしょう。
だがセコイ話し、そのツケを教団に回したら、それは販管費の対象
となるかをチェックされるものです。
色川さんへの生活手当が、給与体系に扱われていなければ、
交際費の範疇となる。
交際費の定額控除を超えれば、その分は贈与などの課税対象となる。
生活のお手当などに領収書など有るわけが無いから、使途不明金ならば
利益隠しと疑われ、鳩山さんではないが、申告漏れか脱税まで疑われるものです。
また、その額が常識以外に大きく年次継続されていたのであれば、
桐山さんの無償の利益供与の頻繁性に対しては、監査の対象です。
私としては、継続行為があるなら脱税の契機となり国税が動いてくれることを
期待したい。
そうなれば様々の裏金の問題が湧出し、それを裏付ける経費の根拠が問われる。
時効の中断が無ければ、5年から多ければ7年までは調査機関の対象です。
判例で考えても、一億を超えれば実刑も免れない。

932ラシン:2009/11/12(木) 11:33:48 ID:2LdR/Kgw0

>それは収益事業とみなされ、宗教行為は免税ですが収益事業は、
 訂正附加
>布教を促進する付帯事業などがある場合は、
 それは収益事業とみなされ、宗教行為は免税ですが収益事業は、

933名無しさん:2009/11/12(木) 11:50:38 ID:3nLv6ZPI0
>>928

>しかし千さん本当にペラペラよくしゃべったんだね。
>ほら、これがゲイカに肉筆サインもらった御著書よ、とお宝を写真にまで撮らせる。



逆だろw
よくもまあ20年近くも誰にも話すことなく黙っていたと感心するよ
よっぽど和田に不当に追い詰められてるか、そうせざるを得ない事情ってものがあるのと違うか
色川さんが訴えを起こしている内容だって道場に普通に参拝させろ、会員に戻せ、宗報に謝罪文をのせろ・・
ってな感じでごくごく普通の内容だし
もっとも、和田のあふれるほどのセコさからすると、色川さんが参拝に来た例祭なんかには急遽管長を出さない、といった意地悪は当然実行するんだろうなw
色川さんが道場に来るようになれば(和田が工作して)管長が我々の前に姿を現さなくなってしまうから今が見納めか?

和田が事実上最高責任者みたいなもんなんだろ?
だったら週間ポスト記事に関する教団側からのコメントは和田がマイクを握って説明すべきだ
あの記事に嘘やいきすぎた誇張なんかがあれば早いうちに釈明しとかないと、信徒はあの記事が100%真実ととらえる
それで管長がいいならいいんだが

934ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/12(木) 12:04:48 ID:SmEF4Oe2O
2ちゃんを読んでても感じるんだが、色さん頑張れ、w田をやっつけろという
声援が多いね。
それはそれでよい。
w田こそ糾弾すべきだ、排除すべきだと高まるのもよい。
ただ諸悪の根源はw田さんにあるようだが、もっと根源には桐山さんその人が
諸悪の根源になっている。
それに気付き疑問を持つ風潮を高めたい。
なぜなら信者にとって色さんもw田さんも所詮は他人に過ぎない。
しかしゲイカだけは単なる他人ではない。
絶対的な存在だけにその牙城を切り崩されることになる。

935名無しさん:2009/11/12(木) 12:22:28 ID:3nLv6ZPI0
そもそもあの和田を管長が許容し好きなようにさせている事は紛れもない事実だからね
ユビさんの主張もごもっともかもな

936ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/12(木) 12:52:04 ID:SmEF4Oe2O
桐山さんとして苦しいのはw田さんを敵に回せないとこなんだよね。
敵に回したら弱みを握られている桐山さんはそれこそ何を暴露されるかわからない。
w田さんの言うことを聞かねばならないということは千景を守れないということです。
げに女というものは恐ろしいものです。
いや、差別、偏見じゃないけど。

937Boo:2009/11/12(木) 13:03:23 ID:DXlq9owoO
こいつら(ゲイカも含めて)腐れ外道じゃねーか!(爆笑もんですね)

938Boo:2009/11/12(木) 13:31:28 ID:DXlq9owoO
準さん、よかったね先達も外道でしたよ。

939ラシン:2009/11/12(木) 14:17:24 ID:2LdR/Kgw0

昔、桐山さんは教団経営に関し信者300人なら食うだけでやっと、
3000人ほどがいて、そこそこに経営してゆける、
と著書に書かれていた。
そして、大きくするためにはオーガナイザーも必要であると。
つまり、御輿に乗せて桐山カリスマス性を大きく見せる側近です。
W田さんは、ある種その役割りを担っていたのでしょう。
しかし、公私混同の激しいというか経営理念など知らない桐山さんゆえ、
教団の経営方針など、期待できるものではないでしょう。
桐山さんは、W田さんに対しても公私のけじめをつけられなかった。
それが、今日の教団の問題を深刻化し露呈しているように思えます。
すべては張本人である桐山さんに多くの責任があり、業報となって
返って来ている。
宗教行為だけなら、問題も教義に照らして信者を押さえつけられるが、
収益事業行為の部分は、優遇税制措置があるゆえに何か脱法行為があれば、
厳しい検査の的にさらされる。
アルカポネではないが、彼のマフィア摘発はギャング行為ではなく
脱税の穴だった。
いくら議員や警察官僚を賄賂で操り、ギャング捜査から逃れても、
逮捕されたのは、恐喝や殺人捜査ではない脱税からの発覚だった。
アゴン宗の宗教的詐欺性を証明するのは難しくとも、
931で指摘したように、教団財務経理の穴は必ず存在するでしょう。
決算とは、経理論的に矛盾無きもので、その経理計算たとえば、
貸借対照表、損益などを計る合計残高試算表を照合すればその矛盾が、
普通の会計士ほどの知識があれば必ず分かる。
金融機関への財務資料と、決算上の収益が違う場合が最も多い。
いわゆる過剰申告過少申告の類です。
おそらく経理内容は、かなり滅茶苦茶でしょう。
そうでなければ、今回のようなケースは法人としてあり得ない。
私的行為で会社の金を使ったら、普通は背任行為です。
トップが行えばそれは、特別背任となる。
桐山さんは、著書で教団の財産はすべて教団所有だと述べていた。
私的財産は何一つ持ち合わせていないとは、釈尊の生涯無一物に通じる。
でも、それは違うらしい。
桐山さんの醜聞は、出家者なら淫戒、在家者なら不邪淫戒を犯したことに
等しい疑惑だ。
疑惑をもたれること自体、宗教者、それも仏教を語る者なら大恥です。
桐山さんは、宗教者としても社会の実業者としてもその資質を問われるべき
今回の出来事であると、信者さんも受け止めねばならぬ大ごとです。

940準シュダオン:2009/11/12(木) 18:11:20 ID:P9JinFks0
こんな記事は恥でもなければ、おおごとでもない。
教団の幹部から嫌がらせ受けてた、一信者が、信徒として認めよ!と訴えたに
すぎない。こんなこと週刊誌で6ページにもわたってレポートした溝口さんは、
何を考えたのか?笑ってしまうよ。阿含宗にとってはいい宣伝になっただけ
です。秘書が逮捕された小沢幹事長が4ぺージです。松井よりも、酒井法子よりも
黒ワンピの女よりも、おおくのページを割いてます。流石、阿含宗ですねw。

管長の偉大さは、あの高齢で、50歳も年下の異性から、介護を申し出され
るくらい、魅力がある男だという事実です。私はあやかりたいねw。
ユビキタスさんや深山さんには逆立ちしたって、マネができないだろう。
この二人の女性には、もう少し頑張って、戦ってほしいねえw。
わたしゃ、一信者として高見の見物してるだけでね、楽しませてもらってる
だけよ。こんな信徒が大部分でしょうね。管長が自分のお金で家政婦さんを
雇ってたって、かまわないはずですね。色川さんが不当に大金を要求したと
でもいうのかな?裁判が楽しみでしょうがないねW。
こんな裁判が起こって、管長に感謝するだけです。
w女史と色川さんが、共に立つように、管長には名裁きを期待してますよw。

941Boo:2009/11/12(木) 20:15:04 ID:tFKjEVUs0
>こんな記事は恥でもなければ、おおごとでもない。
教団の幹部から嫌がらせ受けてた、一信者が、信徒として認めよ!と訴えたに
すぎない。

あなたは「恥」と言う感情が欠如しているからなんともないが、普通はとても
いやな気分になるものです。

>こんなこと週刊誌で6ページにもわたってレポートした溝口さんは、
何を考えたのか?笑ってしまうよ。阿含宗にとってはいい宣伝になっただけ
です。

これを宣伝と思う準シュダオンさんにとっては、オウムの麻原が在籍していたことも
宣伝になってよかったと思うのでしょうね。

>管長の偉大さは、あの高齢で、50歳も年下の異性から、介護を申し出され
るくらい、魅力がある男だという事実です。


あなたはなんてピンボケレンズなんでしょう?嫌いでない異性が相当な対価で
都会の一等地のマンションやホテルオークラで介護を頼んだらそりゃOKでしょう。
四行ウマシカさんだこと。

>裁判が楽しみでしょうがないねW。
こんな裁判が起こって、管長に感謝するだけです。
w女史と色川さんが、共に立つように、管長には名裁きを期待してますよw。

この人そのうち破門ですな。w田の裁きが楽しみです。

942名無しさん:2009/11/12(木) 20:28:11 ID:eQetoqjg0
>>940
冒頭から阿含の星まつりの宣伝で入っていくあの記事は
どう見ても阿含宗の宣伝みたいなもの。少なくとも俺はそう感じた。
記事全体を通じて教団や管長を卑下する書き込みは見当たらない。
むしろ好意的。
あんなささいな問題に6ページも使ってくれたのは取材時の色川さんのもつ魅力ゆえかもしれない。
前に誰か書いていたけど、阿含宗がロシアやイスラエル、ガダルカナルで法要やっても何にも雑誌に記事として取り上げられなかったからね。


>>941
ひょっとしてアンタ、和田の飼い犬?

943ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/12(木) 21:38:29 ID:SmEF4Oe2O
>>940でまた「設定を下げた」としまTさんに怒られそうですね。
深山さん、どう責任とってくれるんですか?(笑)
もっともしまTさんも深山さんの創作でしたか?(笑)
そんな準シュダオンさんはちょっと後回しにして、先に>>942さんの内容にレスします。
>>942
その通りです。星まつりの紹介から始めて先月のガダルカナルに至るまでの
海外の活動まで宣伝してくれているように見えるのは好意的であるかのようにも
見えます。
これには批判側の私でさえも寧ろ好感を覚えた。
なぜか?冷静にしてバランス感覚のある論評は悪意の感情を信者側にも世間にも
与えずかえって信頼性を増している。
その為かえって問題の事実が際立って見える。
しかしどうして星まつりとか平和活動まで書いているのかあなたにはわかりますか?
このような長年にわたる平和活動やら京都では有名になった星まつりイベントを
するような宗教団体なんだが、その内情を見ると、その奥の院では何とも醜い争い
が繰り広げられていると際立たせたいのです。
どうですか?あなたにはこの一流ジャーナリストの論の展開が読めませんか?
そしてその醜聞が桐山さんの目の届かない末端信者を処分したことによる反発とか
桐山さんにとってはいい迷惑的な話ならば気の毒な被害者とも言えなくもない。
ところが訴えを起こしているのは桐山さんの内弟子であり、しかも我々の常識では
考えられない関係なんです。
聖なる平和活動とかをやってる教祖にしては、その現実はあまりにも常軌を
逸しているから、そのギャップが6ページにもわたる記事としての価値があるのですよ。
だからやはりこれは批判記事なんです。
これは>>940の設定の低いお方に対する回答にもなりますね。
私や深山さんでは真似もできないような女性からのもてぶりは私も認めているのですよ。
ただ宗教指導者がそれでいいの?と問うているのです。
あなたの理屈ならば麻原も市橋もニュースになるだけ大したものだということになる。

944ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/12(木) 21:54:57 ID:SmEF4Oe2O
>>940
だから言ってるでしょ?
あなた個人の感覚、感想などに興味はないと。
それを他の大部分の信者の感覚のように書かないことです。
さて、そこで暇人の準シュダオンさんに使命を課します。
来週月曜日の冥徳祭か下旬の例祭に参拝して、信者たちの受け入れ状況を客観的に
報告してください。いや、大部分の信者がなんて豪語するのなら、そのくらいの
報告による証明義務があなたにあります。
簡単なことです。参拝して聴聞するだけです。
法友などその実いくらもいないあなたでも周囲の参拝者の話とかキャッチできる
でしょう。
2ちゃんねるでは信者ではないかと思う人が今月の例祭で質問をすると表明している。
あなたにそこまでは求めません。
ネットワーク例祭に参拝だけして送られてくる映像と声を見聞きしてそれを
後で報告するだけでよいと申しておるのです。
それに管長の名裁きとか書いてるけど、問題はもはや法廷に上げられたのだから
裁くのは裁判官です。
今月の26日午前11時には東京地裁で第2回公判があるのだそうですから
それを傍聴して報告してくれても構いませんよ。
これは義務ではありませんが。

945深山:2009/11/12(木) 23:18:41 ID:2BD9rPG20
>>925 :名無しさん:2009/11/12(木) 07:12:10 ID:RDdOiPT.0
>古参の一部はカリカリしてヒステリックになりすぎ。

他人にお説教するなら、気を付けたほうがいい。
一つは、そのカリカリ古参とは具体的に誰なのかを指摘しないと、
とても卑怯な書き方になります。
二つ目に、寛大に対応するというなら、あなたがその模範を示すことです。
あなたは「新しい人」が誰で、カリカリ古参が誰なのかも示さず、
どこがカリカリなのかも指摘せず、しかも、あなた自身は新しい人に
「寛大な気持ち」を何も示していない。
偉そうにただお説教して、仕切っただけですよね。
一般的なお説教のように書いているが、
実はあなた自身がそのカリカリ古参に恨みがあるからでしょう?
他の批判側は許せても、こいつだけば許せん、というのが本音で、
それをこういう形で書いたのですよね。
いかにも信者への配慮やスレへの常識を語ったかのようにみせて、
実は、個人的な恨みを晴らしている。
そして、そんな本音は他人にはわかるまいと侮っている。
このようなあなたの態度こそがヒステリックではありませんか。
などと、指摘されるから、あなたはもっと逆恨みするのでしょうね。

946深山:2009/11/12(木) 23:27:17 ID:2BD9rPG20
>>940 :準シュダオン:2009/11/12(木) 18:11:20 ID:P9JinFks0
>w女史と色川さんが、共に立つように、管長には名裁きを期待してますよw。

世間から裁かれているのはW田さんでも色川さんでもなく、桐山さん本人です。
同じことを他の教祖がしたら、あなたは同じ事が言えるか。
桐山さんをあるがままに見たら、しようもない男です。
だが、そのように認めてしまうと、自分の信仰が成り立たない。
桐山さんを否定してしまったら、あなたの預流向が成り立たない。
桐山さんの上にあなたは預流向という自惚れを建ててしまったから、
親亀の桐山さんを否定したら、あなたの自惚れも自滅してしまう。
だからあなたは桐山さんがどうあれ、絶対否定できないのです。
自惚れや慢心、そして虚構、それが桐山さんやあなたが人生でかき集めたものです。
あなたと桐山さんの違いは、桐山さんは信者から尊敬されているが、
あなたは信者からさえも、レベルを下げるなとバカにされている点です。

947名無しさん:2009/11/12(木) 23:27:19 ID:eQetoqjg0
ユビキタスさんのレスは少々長いが読み応えがある。
しかし、一方で>>945のようなレスは小難しいだけで訳分からんし無いほうがいい。
もう少し読み手の事を考えて興味深い面白いことを書いてほしいと願うよ。

948深山:2009/11/12(木) 23:30:27 ID:2BD9rPG20
>>947 名前:名無しさん 投稿日: 2009/11/12(木) 23:27:19 ID:eQetoqjg0
>しかし、一方で>>945のようなレスは小難しいだけで訳分からんし無いほうがいい。

そうでしょうね。
わかる人にしかわからない内容です。
わからないなら、読み飛ばせばいいだけです。

949深山:2009/11/12(木) 23:32:50 ID:2BD9rPG20
>>943 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/12(木) 21:38:29 ID:SmEF4Oe2O
>深山さん、どう責任とってくれるんですか?(笑)

スすまんこってす、申し訳ないです・・・あれ?
だって、深山=ユビキタス(>>902)なのだから、オレがオレに謝ってどうするんだ。
オレが作ったキャラがレベルを下げまくって、それをオレが作ったキャラが注意して、
それにオレが謝る??
しまTさんてこんな難しいことがわかるなんて、よっぽど頭がいいんですねえ。
もしかして、それが練脳塾の仏陀の智慧ってやつですか。
・・このレスも>>947さんには意味不明でしょうね。
お気の毒に。

950深山:2009/11/12(木) 23:34:59 ID:2BD9rPG20
>>942 :名無しさん:2009/11/12(木) 20:28:11 ID:eQetoqjg0
>冒頭から阿含の星まつりの宣伝で入っていくあの記事は
>どう見ても阿含宗の宣伝みたいなもの。少なくとも俺はそう感じた。

あなたはそうかもしれないが、一般の人が読んで、桐山さんやアゴン宗の
宣伝と読む人はほとんどいません。
この記事は感情を抑え、言葉を選び、淡々と書いてあるだけに説得力がある。
私は読んでいて、まず目についたのが「生活費」という言葉です。
冒頭を含めて、5〜6回出てくる。
「お手当」とは一度だけだが、カギカッコ付きで強調されている。
他にも、桐山さんが「お金はあるか」と聞いたとか、おこづかいを渡したなど、
桐山さんから私的にE川さんに18年にも渡りお金が渡されたという。
つまり、桐山さんが若い女性に長年に渡り、自ら金を渡していたという
事実だけが読者には強い印象を与える。
ホテルオークラに一緒に長期滞在し、桐山さんのマンションに住み、
桐山さんの「千景がいないとさびしい」、「大丈夫」、「決して見捨てない」と
といった発言を読んだら、世間がこれをアゴン宗の宣伝と読みますか。
あなたも第三者的に読んでごらんなさい。
どう見ても、珍しくもない新興宗教の男性教祖によくある色事のスキャンダルです。
男なら「88歳で孫みたいな愛人か。ウラヤマー。おれも教祖になりてえ」です。

951深山:2009/11/12(木) 23:39:27 ID:2BD9rPG20
>>942 :名無しさん:2009/11/12(木) 20:28:11 ID:eQetoqjg0
>冒頭から阿含の星まつりの宣伝で入っていくあの記事は
>どう見ても阿含宗の宣伝みたいなもの。少なくとも俺はそう感じた。

信者たちの典型的な反応はあなたが書いたようなものでしょうね。
だから、洗脳であり、家畜なのです。
世間とはかけ離れているから、あれだけのことを書かれても、事の重大性がわからない。
準シュダオンさんみたいに、誰が裁かれているかすらわからない。
よその教団の教祖なら嘲笑するような内容でも、自分の信仰となると、まるで反応が違う。
狂信や洗脳とはそのようなものです。
ブッダ様が18年間、特定の女性に自らの手でお手当を出していた。
この事実を一つ見ただけでも、普通の感覚を持っていたら、絶句する。
だから、見ないようにするのです。
準シュダオンさんみたいに、自分の自惚れが崩れるのが怖いし、
信者は信仰が崩れるのが怖いから、見ないようにする。
準シュダオンさんみたいにヘラヘラの笑い飛ばすことで、いかに自分が
正しい信仰を持っているかという自惚れを増やす信者すらいるでしょう。

952名無しさん:2009/11/12(木) 23:39:32 ID:eQetoqjg0
頭いい人ほど万人に分かるような書き方を心掛けたりするものだよ。
俺からしたらむしろ阿呆に見える。
これじゃあ管長のように女にモテルってわけにいかないわな〜

953深山:2009/11/12(木) 23:42:27 ID:2BD9rPG20
>>942 :名無しさん:2009/11/12(木) 20:28:11 ID:eQetoqjg0
>冒頭から阿含の星まつりの宣伝で入っていくあの記事は
>どう見ても阿含宗の宣伝みたいなもの。少なくとも俺はそう感じた。

大半の信者にはあの記事は何の効果もなく、目を覚ますチャンスを逸する。
桐山さんはチャンスをつかむのが大事だと言っていたが、
本当はチャンスを捨てないことが大事なのです。
だが、信者の多くはまたチャンスを故意に捨てます。
E川さんは男女を問わず、あまり評判はよろしくなかった。
「E川を愛人に?ゲイカはそれほど趣味が悪くないよ」などと、
なまじE川さんを知っている人たちは言って、チャンスを捨てる。
本人たちはE川さんを捨てたつもりだろうが、実際は目が覚めるチャンスを捨てたのです。
だが、私はいつも書くことだが、わずかの信者はあの記事で目が覚める。
記事で目が覚めるというよりも、積もり積もった疑問や不信の
起爆剤になるという意味です。
今の桐山さんやアゴン宗に何も疑問を持たないような準シュダオンさんのような
人のほうが例外で、疑問は多かれ少なかれ持っている。
その疑問というガスに、生きている間に火がつくのが望ましいが、
今生がダメなら、また来世で最初からやり直しをすればいい。
輪廻はどこまでも続くから、気長にどうぞ。

954深山:2009/11/12(木) 23:51:52 ID:2BD9rPG20
>>952 名前:名無しさん 投稿日: 2009/11/12(木) 23:39:32 ID:eQetoqjg0
>頭いい人ほど万人に分かるような書き方を心掛けたりするものだよ。
>俺からしたらむしろ阿呆に見える。
>これじゃあ管長のように女にモテルってわけにいかないわな〜

女にもてる?万人向け?
何をピント外れなことを書いている。
>>945がいつ万人向けに書いたというのだ?
私は>>925にレスを付けたのです。
あなたが925なら、945で指摘されたことでわかる範囲で説明してみなさい。
925でないなら、あなたに理解できないなんて当たり前です。
このスレを長く読んでいる人でなければ意味は理解できない。
意味もわからず、他人の議論に口をはさむのを阿呆とは言わないのですか。

955ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/12(木) 23:57:25 ID:SmEF4Oe2O
>>952
横レスになると思うのだが、頭のよい人ほど万人にわかるように心掛けるという
一般論には私も禿げしく同意です。
でその模範が深山さんと見ている。
私が深山さんで一番高く評価するのが、その深い勉強や識見、体験もさることながら
これを非常にわかりやすい言葉で訴えていることです。
難しいことを難しい言葉で説明するのではなく、なんでもわかりやすい言葉で
説明する。本当に頭がよくないとなかなかできないことです。
その模範を長年続けて評価も高いのに、それを理解すらできない人もいるのだな、
世の中というものは広いな、と今回改めて勉強させてもらいました。
あなた様を通じて。

956名無しさん:2009/11/12(木) 23:59:16 ID:eQetoqjg0

はいはい♪

たまには3行で書き込みしてみな

957ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/13(金) 00:05:17 ID:SmEF4Oe2O
>>956
おっ!準シュダオン4行ウマしかさんを上回る3行しかさんを目指すですか?
頑張れw

958名無しさん:2009/11/13(金) 00:19:31 ID:HeXCfjkY0
>>956
客観的にはただのいちゃもんつけにしか見えないんだけど
自分ではカッコいいと思ってるのかな?

959名無しさん:2009/11/13(金) 00:25:36 ID:eQetoqjg0
間違いなくいちゃもんつけているのです

960名無しさん:2009/11/13(金) 00:28:09 ID:HeXCfjkY0
カッコ悪いからやめたらいいのに
何を言いたいんだろう?

961名無しさん:2009/11/13(金) 00:53:02 ID:PFV1G1po0
深山って粘着質でキモイね

962Boo:2009/11/13(金) 01:35:03 ID:tFKjEVUs0
信者の方々はゲイカの二面性をどう見ているのでしょうか?

宗教は魂までささげて信仰するものであり、一点の曇りも許されないはずで
はないですか?

愛人を造る「御霊諭」って一体全体どういう神霊ですか?

私は批判派が三身即一の応供の仏さまの写真に尻尾が生えている、という
レスを読んで、なんて罰当たりなことを書く人もいるんだ、と思った。

護摩の炎で神霊がゲギョウする教団が偽者のはずがないと思った。

しかし、すべてがインチキ。今回の記事が女性問題のくだらないスキャンダル
か、何だかははっきりしないが、会員にこんな特権を与えていたと言うことは
ゲイカが教団を私物化している証拠ですね。

誰かが書いていましたが、YANの男女のルーズな関係を叱り付けていながら
自分は何ですか?

お釈迦様の名前に泥を塗って、聖者を僭称し、金と会員を私物化してきた
人物が、解脱供養と称して供養料を10万円もふんだくる。

信者がどんな思いで10万円を貯めるか桐山さんはわかっているのか?
口と行動が伴わないこんな人物を尊敬していた自分が情けないと思う。

とてもかっこ悪い教祖ですね。まさしく腐れ外道。

963ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/13(金) 08:56:19 ID:SmEF4Oe2O
>>962
矛盾相反する二面性があるのではなく、最初から欲望という一面しかないと
いうのが私の見方です。
片方の宗教という側面は真面目な善意ではなく最初から商売道具と考えれば
何の不思議もない話になります。
これはなかなか儲かるビジネスと考えたはよいが、こういう宗教に手を染めた
からには、特に女性問題などについても自己規制、禁欲をしていかねばならない
ものを、この団体長は最初からそういう自己規制だの禁欲だのお構いなしに
欲望の赴くままに歩んできたのです。
つまり修行なんてことをしていない。
だから解脱供養で死者の怨念を解消するなんてことができるはずがない。
だって自分が未練、執着の固まりではないか?
>>921にBooさんの記憶する法話指導の話が書いてありますね。
その記憶内容が正確かどうかわからないのでレスをつけずにいたが、正確だとすると
ずいぶんピンボケな指導であるばかりでなく矛盾が多い。
まずお母さんの癌に対して何もしてくれなかったという不満に対して何の弁明にも
なっていない。脳障害の因縁とやらにより教団内で迷惑な暴れ方をしていたから
宗務局職員の方で管長に相談せず出入り禁止にしていた為、訴えが上申されなかった
と言うのならばまだわかる。
ところが特別に面接指導とかしたそうではないか?
ならばどうして適切な指導ができぬ?
またお母さんの癌の時に滝行に連れて行って、本人の癌の因縁(霊障)を落とした
と言うが、癌が(医師により発見された)と供述あるでないか?
これは私の念力など無力に過ぎませんでしたと告白しているようなものです。
滝行で霊障が落ちるものなのか?普段桐山さんは護摩で自分の念力、法力を拡大する。
火に次いで水の行でも念力を高められるから桐山さんはその成仏力で念力を彼女に
滝の中で放射したのでしょう。
10万円の回向料という不足する徳の埋め合わせはどうなったのか?
あんなものは商売の為の方便に過ぎないのだとしても、念力放つ桐山さんは自ら
諸法皆空の悟りすら開いておらず、別れ話を持ちかけられただけで「さびしい」と
未練、執念を断てない。
こんな人がどうして死者だかの怨念を悟りのパワーで解消できるのか?
ともあれBooさんの今回の反応こそが正常なんです。
それまでまだ信じていた部分さえも怪しくなってきた。
だからこのネタは重要なんです。

964名無しさん:2009/11/13(金) 09:03:53 ID:eQetoqjg0

つまらん

  つまらん

   つまらん

965ラシン:2009/11/13(金) 11:17:31 ID:2LdR/Kgw0
>940 :準シュダオン:2009/11/12(木) 18:11:20 ID:P9JinFks0
こんな記事は恥でもなければ、おおごとでもない。
教団の幹部から嫌がらせ受けてた、一信者が、信徒として認めよ!と訴えたに
すぎない。

私も元信者だから、その立場で考えたら大ごとだと少なくとも
危機感を覚える。
準シュダオンさんは、ここの皆さんから読解力に問題があると、
何度も指摘されていたが、私はあなたが多少の確信犯的な素振り
かなと推量していたが、違っていたようですね。
今回の記事の簡単な指摘すら、あなたは「一信者が、信徒として認めよ!
と訴えたにすぎない。」としか、読めないなら小学校からやり直しなさい。

>管長の偉大さは、あの高齢で、50歳も年下の異性から、介護を申し出され
るくらい、魅力がある男だという事実です。私はあやかりたいねw。

これで、あなたがいかに世間の狭いポジションに居たかが分かる。
桐山さんの所業など、大小はあれど功成り名を遂げた男の願望にすぎない。
一つの組織で権力と金を持ったトップに、周りの女性が憧憬を抱くなんて、
当り前すぎる図式です。
桐山さんの行動も、金と地位を利用して部下をたらしこむ三流ドラマの社長役を
演じていただけで、そのどこが羨望の的なのか、笑わせないで欲しい。
これで、準シュダオンさんの餓鬼信仰振りがよく分かる。

966ラシン:2009/11/13(金) 11:18:48 ID:2LdR/Kgw0
>940 :準シュダオン
ユビキタスさんや深山さんには逆立ちしたって、マネができないだろう。

何を揶揄したつもりか?
お二人の現実社会での成果など誰も知りませんし、それを比較する意味も無い。
批判側のことより、ではあなたはどうなのですか?
愛人を一人くらい持てるほど、少しは桐山さんに近づいたのか?
今後準シュダオンさんは、その基準で預流の判断とすればよいでしょう。

>この二人の女性には、もう少し頑張って、戦ってほしいねえw。
わたしゃ、一信者として高見の見物してるだけでね、楽しませてもらってる
だけよ。

これが長年アゴン宗での行歴を誇る信者さんの姿だそうです。
もし、ロムしている信者さんから見て、この姿勢をどう思うか?

>管長が自分のお金で家政婦さんを雇ってたって、かまわないはずですね。

@chsでもあなたほどではないが、ピンボケ振りを発揮した信者さんが居て、
大日さんからその見間違い振りを指摘されていた。
桐山さんのポケットマネーであれば宗教を別としてなら、まだ苦笑の範囲だ。
だが、桐山さんはセコイ話し、その費用を教団にツケ回していたのですよ。
言わばそれは、厚い信仰心の信者さん方から出た浄財であろう?
この桐山さんの所業のどこに、男の甲斐性があるのですか?
よい例が昔、鳩山一郎の盟友で借金王の三木武吉という政治家が、
選挙中の相手候補から、妾を4人も持っているからとその資質を問われていわく、
事実は5人でありこの5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬となったが、
これを捨て去る不人情はできず、みなを今も養っていると、やり返した逸話があるが、
比較して桐山さんの器の小ささが、よく分かるものではないのか?

>こんな裁判が起こって、管長に感謝するだけです。
w女史と色川さんが、共に立つように、管長には名裁きを期待してますよw。

準シュダオンさんの判断力って、子供の域を出ていないね。
w田さんと色川さん両方が満足する大岡裁きを期待したようだが、無理だろう?
これは桐山さん自身の問題でもあって、名裁きを出来なかったから今のように
コジれたのです。
過去今までもさんざん醜聞を晒したのは、事前にその危機を回避できる能力が、
桐山さんに欠けていた何よりの証拠ではないのか?
普通、組織のトップならここまで問題悪化をさせる前に解決します。
ブッダの成仏リキを持ち、未来を予測できるという桐山さんの真の実力が、
このザマです。

967Boo:2009/11/13(金) 14:51:41 ID:DXlq9owoO
昨日、詐欺師の特番をやっていました。結婚詐欺師の話で母親と娘と探偵が結婚詐欺師と喫茶店で会うことになった。結婚詐欺師が喫茶店のテーブルに近づくと母親がいきなり男の頭を何発もひっぱたき出した。

いま、桐山詐欺師に会ったら頭ひっぱたきたくなるだろーなー。以前職員が桐山詐欺師に殴り掛かった事件がありましたが、詐欺の被害者って加害者をひっぱたきたくなるのね。

968ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/13(金) 15:27:19 ID:SmEF4Oe2O
>>967
それも正常な感覚だと思います。

969準シュダオン:2009/11/14(土) 09:21:30 ID:P9JinFks0
私は事実関係を知らないので、週刊ポストの記事を事実と仮定してレスして
います。色川さんは教団の弁護士に、「ホテルの経費など、管長の貯金で
賄われているのだから問題ないはずだ」と言って、弁護士の了解を得たよう
に記事に出ている。だから管長が自費で家政婦を雇って何が悪い、とレス
したのです。いかに管長とはいえ、宗教法人の金を自由には出来ないなずだ。
宗教法人法には、役員やその他、かなり厳しい規制があるね。
ルーズな経理では、今までに倒産してるだろうね。

釈迦にだって、常に身の回りをお世話する阿難がいた。
管長にだって、居ても当然だ。性別なんて関係ない。
性別を問題視するのは、問題視する側が俗的な欲望にまみれた目しかない
からであるね。
私には、管長と色川さんの関係は、純粋に聖心的な師弟関係であることが、
わかるね。いわば、釈迦と阿難の関係ですよ。

管長が俗的な人間だとしたら、あの地位なら十人くらいの若い娘を囲って、
今頃は社会的な地位を失っていることでしょうね。

970大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/14(土) 09:35:20 ID:NUkvpfzQ0
>>969 ふと思うのだが、では準さんの言い分を認めた上でお聞きしますが、なぜその”アーナンダ”ばりの色川さんが
教団から排他されなければいけないのか、を考えたことがありますか?

あの記事を見れば、貴方の申される阿難説も崩れませんか?
何で、管長に世話をしている甲斐甲斐しい色川さんを排他するのか?
また、待遇も悪い環境に追いやる必要があるのか。
アゴン側はおかしいと思わないのですか?

純粋に聖心的な師弟関係であることがあるのであれば、何故に排他するのか?
そういうところを見ないであれこれいうのは物を知らないか推測でしかならない。
如何に記事を正しく読めてないかと私は思いますよ。

971準シュダオン:2009/11/14(土) 09:38:13 ID:P9JinFks0
私が色川さんの立場なら、慰謝料は1億6千万円を求めるね。
だって、管長が脳梗塞で弱ったとき、介護で管長を元気にしたんでしょう?
だったら1億6千万円でも安いくらいだね。なにしろ阿含宗は管長の双肩に
かかっているわけですからね。
色川さんはつつましいよ。
もし裁判に負けたら、「裁判費用は原告の負担とする」という判決になる
のですよ。リスクが大きいね。これは信徒で、「色川さんを応援する会」を
作りたいくらいですね。w局長を応援する会、もあっていいね。
そして、教団内で和気あいあいとして、裁判を見守るのです。
なにしろ、僧衆は「和合衆」でなければいけない。
阿含宗信徒も「和合衆」でなくてはいけない。裁判ごときで、本当に争って
はいけないね。十分に宣伝効果が出たころ、和解すればよいのだね。

それまで、溝口さんには頑張ってレポートしてほしい。
週刊ポストも十分な紙面を提供してね。

あとね、管長の二面性とのレスを見たが、法衣の管長とスーツ姿の管長とは
区別して見ないといけないのだよ。

972準シュダオン:2009/11/14(土) 09:52:43 ID:P9JinFks0
大日さんの指摘のように、色川さんにも少し調子にのったところがあった、
と推測できますね。管長に可愛がられて、鼻が少し高くなったかもね。
w局長は、評判悪く、記事に書かれてますね。実際はどうなんでしょう?
色川さんに対して、嫉妬もあったのではないかな?
教団幹部に嫉妬なんて煩悩はないかw。

でも私は、記事にあるような色川さんの「退会処分」なんて知りませんよ。
そういう通知、本当にでたのですか?私は見てないよ。
色川さんに非があるのならば、教団はちゃんと理由を明らかにして、信徒に
色川さんの除名処分なりを通知すべきですね、今まではそうしてきたはずで
す。今回はそれがありませんね。

973大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/14(土) 10:40:36 ID:DwjE4PAQ0
確かに私も個人的な見解を述べれば、色川さんが鼻が高くなっただろうというのは感じますし、そう思います。
ゲイカに囲われればそういう風には男性であっても成るかもしれませんね。
和田さんの事は私の地区でも言われてますね。あの人は嫌いだって。

退会処分は私も末端の信者ですから知りませんでしたし、色川さん自体も知りませんでした。
ですが、愛人の噂は一部でありましたし、宗務のツーカーな内部ではわかってたようです。

準さんの言われる例えば宗報のようなものに「退会通告」のような公示があれば誰でもわかりますが、
それをやったらゲイカが都合が悪い。だから、口頭で言い渡し実際に道場から退去させられた。
記事の事は嘘ではないと思います。通知が無いのはそういう理由です。
完全に退会処分したなら、とっくにマンションにもどこにも居られないはずです。
そうするとゲイカが困るので、それをやらなかっただけです。

974準シュダオン:2009/11/14(土) 12:42:59 ID:P9JinFks0
「愛人の噂」といいますが、本当のところは当人にしかわからないわけです。
週刊誌の記事を事実とすれば、色川さんは悪い人ではないね。
管長に対して、「お嫁にいきたいので、もう二度と電話しないでほしい」と
言いながら、管長が脳梗塞で倒れると、「一生、管長先生についていこう」
と、決意したわけです。

別れたいのが本心なら、管長が倒れたらホッとするでしょう。
「これで管長もおとなしくなるだろう、これで安心してお嫁に行ける」とね、
喜ぶかも知れない。ところが色川さんは違った、介護を選んだ。
これを愛人感情と思いますか?80過ぎの老人が倒れて、その介護を選ぶ
こと。これは管長の人間的魅力ゆえでしょう。人間、かくありたいものです。
あやかりたい、と私がレスしたのはそういう意味です。
批判派の方が、80過ぎて老いて倒れて、肉親でもないのに、誰かが一生を
かけてあなたを介護してくれる人がおりますか?そういうことです。

また、80過ぎて倒れた管長の介護を決意した色川さんを、愛人としての
男女関係を期待したゆえだろう、と考える人がいるのだろうか?
そんなことはないでしょうね。

975ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/14(土) 12:46:27 ID:SmEF4Oe2O
>>969
あのね。あからさまに色川さんの宿泊代を教団の帳簿に載せるわけないでしょうよ。
こういうのは経費で落とすのです。
悪質なお役所でもするでしょう。
単なる職員の派手な飲食費も必要経費とかで落とす。
その際あからさまに正直なことは書かない。
二重帳簿のある場合もあるでしょう。
だから監査などが入った時に「何だ?この膨大な経費とは?」と突っ込まれる。
悪いことをする奴、団体ってのは何事もわからないように上手くやるのですよ。
それが一介の職員だったらそいつの為に誰がそんな経費など回せるかとなるが
他ならぬ管長から出せと言われたものは何が何でも出すのがアゴン宗です。
当然うまく処理しておけなんて暗黙の了承です。
名目上は別の必要経費にしてあるわけですよ。

それから性別の問題だが、これが女性ではなく男性の内弟子であっても
さすがに性の問題は言われなくても、小遣いをこれだけ支給してマンションまで
買い与えるのは、条規を逸している。
秘書的役割なら職員にして通常給与、高めの設定にすればよいではないか?

976名無しさん:2009/11/14(土) 13:06:03 ID:8eJcDJss0
準シュダオンさんは何勝手なことをいってんでしょうか。
お手伝いさんだって?
何を言ってんでしょ? じゃね、なんでそれを今まで隠していたの?
やましい事がないのら初めから公にすればいいんだよ。
また女でなくとも男でも十分世話は出来ます。釈尊を見ればわかるでしょ。
だいたいアンタの頭はおかしいよ。常識というものがない。
全く非常識な思考ですね。要は管長を擁護したいだけというのがミエミエです。

977ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/14(土) 13:08:16 ID:SmEF4Oe2O
>>971
あのね。1600万円の慰謝料は手切れ金ではないんですよ。
彼女の要求は第一に会員として参拝ができるように元に戻せということなんです。
元に戻ればまたゲイカの内弟子としての関係も復活してこずかいでもなんでも
もらえ、マンションにでも住めるのです。
その上での今までの不愉快な仕打ちに傷ついた心を癒す慰謝料1600万円を
支払えと要求してるのです。
これが退会除名処分あいわかった。
ならばこれから生活していけるだけの手切れ金、保証金を出せと要求しているのではない。

法衣とスーツ姿で二面性のギャップなんかあってはなりませんよ。
僧侶というのは四六時中いつでも僧侶であり、二面性なんかあってはならんですよ。
サラリーマンと勘違いしてませんか?サラリーマンだったらスーツ姿と私服姿で
ある程度のギャップがあってよい。
仕事には厳しくても家庭では優しいパパでよい。
しかし一歩会社を出るや愛人を囲い、なんて判明すればサラリーマンだって
問題視されますよ。
ましてや聖職なんですよ。
あなたは単なる8時間労働の職業的僧侶としか見てないのですね。
法衣を脱げば何をしてもよい。
本来釈尊の時代の出家僧侶ならば息を抜く暇なんかない。
四六時中厳しい自己観察なのです。
だからこそ聖者であり聖職なんです。生殖ではない。
しかしそこまで厳しく求めなくても時には息抜きだって認めてもやりたいですよ。
普通のサラリーマン並みにね。
しかし物事は何事も程度モノなんです。
度が過ぎる破廉恥なギャップなどサラリーマンですら認められない。

978Boo:2009/11/14(土) 13:16:10 ID:DXlq9owoO
四行ウマシカさんみたいな人が、教祖の命令でサリンをまいたりするんでしょうね。ポジティブシンキングとは明らかに異なる思考パターンです。殺人を犯してもポアと称する救いの儀式と理由付けするわけですね。

このような人を相手にしても、時間とエネルギーとサーバーの容量の浪費にしかならないような気がしてきました・・・・・

979名無しさん:2009/11/14(土) 13:24:50 ID:fnGKJ5mg0
>>969
>管長が俗的な人間だとしたら、あの地位なら十人くらいの若い娘を囲って、
>今頃は社会的な地位を失っていることでしょうね。


まさにおっしゃるとおりです。
教祖ともなれば毎晩のように若い女の子をとっかえひっかえお相手させてエロ生活できる立場にある。
他の教団のTOPなんかに比べれば驚異的にクリーンな存在なのが我らが桐山管長。
年寄りで不細工なw田さんが愛人だなんて誰も気持ち悪くて想像すらしたくなかったが
ここにきて色川さんが本命との真相報道がなされたため、我々信徒の多くが「やっぱりね」という印象をもった。
管長が責任をとって色川さんを妻に迎えれば美談に変わるんじゃね?
健康を回復し、今の元気な管長でいられるのは色川さんのお陰だって何人かが言っているじゃないか。
管長はそのくらいのことしてやるべきだと思うよ。

980名無しさん:2009/11/14(土) 13:27:37 ID:8eJcDJss0
>>978
>殺人を犯してもポアと称する救いの儀式と理由付けするわけですね。

準シュダオンさんは桐山管長マンセーなんだよ。
昔の天皇陛下バンザイと同じね。
誰が何と言おうが桐ちゃんが正しいのです。
こんなのが一番怖い人になる。麻原にポアしろと言われれば、「ハイ」と言ってサリンを撒いた奴らと同じ思考です。
はっきり言いますが彼は将来の危険人物ですね。

981ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/14(土) 13:28:19 ID:SmEF4Oe2O
>>972
そのとおりで週刊ポストで溝口さんが報告しているように、色川さんの供述によると
正式に退会勧告なり処分なりを教団から言い渡されてもいないとのことだし、
教団としても宗報などで退会処分、除名処分を公示していない。
だからこそ教団側は不利で色川さん側が 何らか勝つことが予想されるのです。
あなたの言うようにw田さんの色川さんに対する嫉妬です。
w田さんは桐山さん及び教団の勢力を独占したいのです。
だから邪魔な勢力は悉く排除してきた。
中沼源太郎さん=桐止めハルオさんもまたその一人です。
色川さんにしても然り。女の醜い愛憎劇ですよ。
よくもまあおめでたい頭で和解だの期待できますね。
準シュダオンさん。あなたは毎日が日曜日みたいなものだろうが、世間では今日明日の
土日こそが休みであるところが圧倒的に多い。
つまり休みを利用して道場に参拝する人も平日より多い。
道場に参拝して信者仲間と語らって来なさい。
あなたのような考えの人もいるでしょうし、そうでない人もいる。
いろいろ語らって勉強することです。
他人は何を考えているか知ることは勉強になる。
家にひきこもっていてはそれはわからない。
例祭や冥徳祭などの行事がなくてもよいのです。
行事がなくても参拝するのが普通の信者なんですから。

982名無しさん:2009/11/14(土) 13:41:34 ID:fnGKJ5mg0
 
大日如来 ◆rAuM1WGShc さんへお願い

このスレッドはなかなかの名作だと思います。
次のスレッドを立てる際にも、過去ログが自由に読めるようにしておいてください。

983ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/14(土) 13:44:03 ID:SmEF4Oe2O
>>974
普通はそういうのを愛人の仲と言うのですよw
一度は愛人の仲を解消しようとした。
しかし相手がワガママを言った。さらに倒れてしまい母性本能もくすぐり
またしてもより深い愛情が芽生えた。
そして再度自分は生涯愛人として尽くそうとした女のいじましさです。
夫人が亡くなったとは言え、容易に結婚できるほど甘くない。
なさぬ仲に甘んじて覚悟を決めたのです。
男女の恋愛に年齢差なんて関係ないですよ。
彼女は著書を読んでその内容に感銘したと言うよりは、新聞広告に出てた著書の
著者の顔写真を見てこの人のもとに行かねばならないと感じたのだそうですから。
当時も今も年齢差45歳ですか。

984名無しさん:2009/11/14(土) 14:26:57 ID:zckg4f8.0
最近なぜか2chの規制が激しいね。
今日は昼にも規制が掛かっていました。
どこからか依頼でもあるのかな?
例えば阿含宗からとか?
でもここは今のところそんなのがないからいいね、ひみちゅ&も来ないしね。
ただ、どの程度の人が知っているんでしょうか?
2chと同じほど有名になって皆に読んでほしいね。

985名無しさん:2009/11/14(土) 14:32:57 ID:LJ5IiHEo0
> どこからか依頼でもあるのかな?
そういうのは一切ありません。
2chで荒らし行為をすると、プロバイダ毎規制されます。
詳しいことはこちら。
http://qb5.2ch.net/sec2ch/

986名無しさん:2009/11/14(土) 14:51:13 ID:fnGKJ5mg0
色川さんが(和田の個人的嫉妬かどうかは知らないが)強制退会処分になっていたなんて
週間ポストの記事で初めて知ったぞ。東北道場で暴行傷害事件(?)を起こした(?)なんて
事も今回の記事で初めて知った。昔から色川さんの人となりはちょっとは知っているが、
暴行とか人に怪我を負わせるだとか全く考えられない事なんだけどな。
その怪我させられたって人って具体的に誰よ?知っている人いたら情報がほしい。
当然警察に被害届けを出しているんだろうな。もしも被害届けも出されていない、
病院での診断書も存在しないなら和田のでっち上げによる超スキャンダルだぜ。
あのしょーもない和田の事だから診断書偽造なんて何のためらいも無く簡単にやるだろうなw
東北道場で色川さんに怪我を負わされた(?)っていう人物には是非証言台に立ってもらおうか。
どんなツラした奴か俺必ず見に行くから。第一男かよ女かよ?その被害者って奴は。
もし万が一男だったら色川さんに怪我させられるほどのオオボケとして全国道場の笑いものになること間違いなしだw

987名無しさん:2009/11/14(土) 15:45:46 ID:/bJpdI7A0
>>986
>あのしょーもない和田の事だから診断書偽造なんて何のためらいも無く簡単にやるだろうなw

以前、京都地区のある会員さんが和田から直に京都地区の実情を探って報告して欲しい、
およびそれに対して報酬を出すからという誘いを受けたそうです。
つまり、金を出すからスパイになれということです。しかし、その会員さんは断ったとのこと。

本当にしょーもない和田です。

988ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/14(土) 18:38:17 ID:SmEF4Oe2O
大日さん。このスレもあともうすぐで1000に到達です。
2chの度重なる不具合もあり、こちらに書き込む人の数も増えておりますゆえ、
そろそろ次スレの準備をお願いします。
サブタイトルはいろいろと案が出ていますので、あとは大日さんがお決めになれば
よいと思います。大日さん独自のお考えも含めまして。

989大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/14(土) 20:22:17 ID:ClAF/oMQ0
>>982 名無しさん
身に余るお言葉恐縮です。しばらくこの四十四章は、すぐ過去ログ倉庫に置かず、四十五章とともに置いておきます。

>>988 ユビさん了解です。

皆様へ。今から四十五章設置しますが、四十四章満杯になってから四十五章の投稿をお願いいたします。

990大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/14(土) 20:33:06 ID:ClAF/oMQ0
お詫び(四十五章のサブタイトルについて)

四十五章のサブタイトルが「長すぎる」と出て、「その裏側を覗く」という文章を入れれませんでした。
せっかくのタイトルを全掲載出ませんで、本当に申しわけありませんでした。

991深山:2009/11/14(土) 20:49:03 ID:ojHsskHo0
>>969 :準シュダオン:2009/11/14(土) 09:21:30 ID:P9JinFks0
>に記事に出ている。だから管長が自費で家政婦を雇って何が悪い、とレス
>したのです。いかに管長とはいえ、宗教法人の金を自由には出来ないなずだ。

これはあなたの間違いです。
桐山さんの世話をするいわゆる家政婦は別にいます。
そのうちの一人は一時、年齢で退職していた信者が、脳梗塞を機会に呼び戻された。
もちろん、桐山さんが個人的に雇っているはずはなく、アゴン宗の経費です。
桐山さんはアゴン宗の管長なのだから、その身の回りを世話する人を
アゴン宗の経費で雇っても、税務署も必要経費として認めるでしょう。
桐山さんの場合、道場に寝泊まりしているのだから、個人宅とは違う。
だが、E川さんは堤家の家政婦ではない。
内弟子です。
「内弟子」なら、アゴン宗から給与を払うのが当たり前です。
なにせ、そういう宗教活動を目的にしているのがアゴン宗であり、
宗教団体だからこそ税制の優遇も受けている。
内弟子をアゴン宗で雇うのは当たり前です。
内弟子が活動するのに給与だけでは足りない分を桐山さんが
補助したというなら、これまた不思議なことではない。
だが、E川さんの場合、これらには当てはまらないから、問題になっているのです。
議論するなら、ピンボケな主張をするのではなく、
こういうすでに主張されている前提くらい理解した上で書いたらどうか。

992名無しさん:2009/11/14(土) 20:52:26 ID:HeXCfjkY0
>>984
ここは大日さんが管理しているから、ひみちゅをアク禁にしているとの事。

993深山:2009/11/14(土) 20:54:40 ID:ojHsskHo0
>>969 :準シュダオン:2009/11/14(土) 09:21:30 ID:P9JinFks0
>に記事に出ている。だから管長が自費で家政婦を雇って何が悪い、とレス
>したのです。いかに管長とはいえ、宗教法人の金を自由には出来ないなずだ。

E川さんは家政婦ではなく、内弟子です。
はっきりと「我が弟子」と本人が書いている。
サイン本は何種類か見たことがあるが、一信者に「我が弟子」と書いてあるのは初めて見ました。
それも「我が弟子 E川君へ」というならわかる。
「我が弟子 千景へ」です。
いくら内弟子でも、女性を名前で呼び捨てにして書くか。
これは他でもない、桐山さんが普段から彼女を名前で呼び捨てにしていたからです。
あなたは家政婦に雇った女性を名前で呼び捨てにするか。
ありえない。
桐山さんが「W田を呼べ」というのは何度も聞いたが、
「尚子を呼べ」と言ったのは聞いたことがない。
男性が女性の名前を呼び捨てにするのは、普通は恋人や妻など、
相当に親しい間柄の場合だけです。
あるいはそのような呼び方をしたら、男女関係を疑われる。

994深山:2009/11/14(土) 20:59:45 ID:ojHsskHo0
>>969 :準シュダオン:2009/11/14(土) 09:21:30 ID:P9JinFks0
>釈迦にだって、常に身の回りをお世話する阿難がいた。

あまりに釈尊を侮辱した発言だから、反論しておきます。
アーナンダがいつから女性になったのだ?
アーナンダが従者に選ばれたとき、すでに尼僧教団はあっただろうが、
従者は比丘以外には検討の対象にすらならなかった。
仏教の聖者とはこのように自ら身を慎み、他人から疑われないようにするのです。
「ブッダ最後の旅」にも釈尊はアーナンダに、女性を見るな、話しかけるな、
控えておれと、女性とそもそも接触するなと戒めている。
信者が釈尊の教法に感動して、美人の娘を提供したいと申し出た時、
釈尊は「糞の入った袋はいらない」と拒絶した。
これほど異性に厳しい態度をとった釈尊と、桐山さんごときただの俗物を一緒に
するのはやめてもらえないか。
あなたが慢心垂れ流しの外道信者で、俗物教祖を擁護したいのはわかるが、
だからといって釈尊を小馬鹿にしたような言葉はよくありません。
これまでも何度もあなたはこれを繰り返している。
議論を抜きにして、もう少し、如来への畏敬の念をもったらどうか。

995深山:2009/11/14(土) 21:07:34 ID:ojHsskHo0
>>972 :準シュダオン:2009/11/14(土) 09:52:43 ID:P9JinFks0
>でも私は、記事にあるような色川さんの「退会処分」なんて知りませんよ。
>そういう通知、本当にでたのですか?私は見てないよ。

ゴルア、職員!準シュダオン様に対してご報告をしなかったとはどういうことだ!
責任者を出せ、なんてことになるんですかねえ。
準シュダオンさんてナニサマなのだ?
これまであなたは信者の退会処分の連絡を受けたことがあるのか?
あるはずがない。
アゴン宗は退会処分の通知をE川さん本人にすら通知していないのですよ。
それをなんで関係のない準シュダオンさんに通知しなければならないのですか。
>>977でユビキタスさんが指摘している慰謝料の内容もそうだが、準シュダオンさんは
脳が老人だとバカにされたくないなら、こういうピンボケなことを書かないことです。
記事の内容くらいきちんと読んで理解してから書きなさい。
退会処分は各道場に連絡され、それが短期間張り出される程度で、信者に配るなんてしない。
アゴン宗は個人的な問題であるからと言い訳を言うだろうが、別に本音がある。

996深山:2009/11/14(土) 21:10:14 ID:ojHsskHo0
>>972 :準シュダオン:2009/11/14(土) 09:52:43 ID:P9JinFks0
>でも私は、記事にあるような色川さんの「退会処分」なんて知りませんよ。
>そういう通知、本当にでたのですか?私は見てないよ。

アゴン宗が退会処分を最小限しか告知しないのは、信者に動揺が広がるのを恐れているからです。
桐山さんは「腐ったミカンはつまみ出せ」が方針の冷酷な人だから、
人をたたき斬るのが大好きです。
だが、これは一罰百戒で信者を黙らせる効果もあるが、
同時にアゴン宗への疑問や桐山さんの能力への疑惑など、
信者の知性を再起動させてしまう危険性もある。
だから、アゴン宗側は退会処分はあまり信者には知ってほしくない。
信者らしい>>986さんも知らなかったと書いている。
いくらE川さんに信者が快く思っていなくても、それはそれ、これはこれで、
除名処分ともなれば、何が起きたかと信者の間に噂が広まり、動揺する。
退会処分とは、ニワトリでいえば「殺処分」です。
鳥インフルエンザでニワトリを殺す様子を一般に公表しないのと同じで、
同じ宗教家畜である他の信者には殺処分の話は極力しない。
ましてや道場にろくに行かないあなたが知らないのは当たり前です。

997深山:2009/11/14(土) 21:12:21 ID:ojHsskHo0
>>974 :準シュダオン:2009/11/14(土) 12:42:59 ID:P9JinFks0
>また、80過ぎて倒れた管長の介護を決意した色川さんを、愛人としての
>男女関係を期待したゆえだろう、と考える人がいるのだろうか?

あなたはE川さんを本当に、まるっきり、完璧に知らないのですね。
E川さんが目的にしたのが男女関係なはずがない。
だいたい、1989年頃は桐山さんはすでにEDで機能不全です。
あなたは彼女を知らないし、その大したこともない知性で
あれこれ彼女を推測しても無駄です。
私の推測は普通の常識に囚われているから、
まさか、彼女が裁判を起こすなど予想もしなかった。
まさか、彼女が週刊誌に自分の事をさらすとは予想もしなかった。
こんなふうに彼女は、普通の人の常識や予測をはるかに超えた存在なのです。
彼女はあなたよりもはるかに大物だから、あなたみたいに狭量で、
我見に凝り固まったような人が、いくら彼女を推測しても無駄です。
それは海原を手で掴もうとするようなもので、無意味です。
しかも、桐山万歳で記事を読んでいるから、書いてあることも読めなくなる。
彼女が何を目的にしたか、男女関係などでないことは、週刊誌にちゃんと書いてある。
彼女はもっとスケールが大きいのだ。

998深山:2009/11/14(土) 21:15:41 ID:ojHsskHo0
「お嫁に行きたい。二度と電話を掛けてこないでほしい」

桐山さんが2001年1月、二度目の脳梗塞になる直前、
彼女は桐山さんに「お嫁に行きたい」と告げている。
読んでいて??に思いませんか。
彼女は35歳という年齢を上げているが、世間的に35歳が、
適齢期のタイムリミットだなんてあまり聞かない。
それなら、どうして30歳の時、あるいは25歳の時に言わなかったのか。
読んでいる信者さんたちの中で女性の方は特に考えてほしいのは、
35歳だから、というのが今ひとつ説得力がない点です。
そればかりか、彼女はこれよりも前からいわゆる「婚活」はしていた。
一例は(あくまでも一例)、付き合っていた相手の男が持てあまして別れを告げたので、
彼女は別院の本堂で人前で泣いてみせて、周囲の同情を引いた。
つまり彼女は2001年よりも前の内弟子時代にも、しっかりと婚活をしていた。
それが今さら婚活するから、「電話を掛けてこないで」って、何それ?
彼女の当時の行状を知っている人なら、おかしいとわかる。
だが、もちろん、あのE川さんにはちゃんとした理由がある。
前年に何があったか思い出してください。

999深山:2009/11/14(土) 21:22:55 ID:ojHsskHo0
「お嫁に行きたい。二度と電話を掛けてこないでほしい」

前年、桐山夫人が亡くなっている。
つまり、妻の座が空いたのです。
前年桐山夫人が亡くなり、翌年一月には「お嫁に行きたい」と突然言い出した。
彼女が何を狙ったかわかるでしょう。
彼女は桐山さんの所に「お嫁にいきたい」と言ったのでしょう。
空いた妻の座を管長におねだりしたが、拒絶されて、怒った彼女は別れを告げた。
桐山さんが彼女にベッタリなのを知っているから、
「千景のほしいものをくれないから、ゲイカにもあげない」とダダをこねたのです。
今、この私の推測に、「くだらん空想だ」と内心思った人はE川さんを知らない人です。
E川さんの性格を知っている人なら、「あいつならありえる」と笑うしかない。
桐山さんの妻の座を狙うなんて、普通の常識では考えられない。
だが、彼女ならやる。
彼女は、私たちが常識とか良識と思っているような既成概念には囚われず、
己の欲望のままに自由に生きる人なのです。
これこそが私が彼女の才能を高く評価する理由であり、
同時に決してお近づきにはなりたくない理由です。

1000名無しさん:2009/11/14(土) 21:29:13 ID:3nLv6ZPI0
しかし、それはあなたの単なる推測だろ?
まるで色川さんとともに近くにいたみたいに表現しているのはおかしいぞ。

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