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阿含宗と桐山氏について-第四十二章- ザビビから転生(ーザ復刻ー)
1大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/24(火) 06:58:30 ID:9OzO2u420
"新"大いなる涅槃を目指して帰ってきた三十六服部エンタープライズジェネレーションズ会長代行補佐

2chでも「ザ」の続きを行いたくてスレを立てた方が居りましたが、どうも機能して無いようなのと、2chが鯖落ちなどや不具合で
動かなかった場合などを考えると、別所にあったほうが便利なのと、私も「ザ」のような掲示板は欲しいと感じてましたので、立てた次第。

@chsとは違い、なるべく規制はかけないつもりですが、スレ違いや悪質な悪戯や荒らし行為、卑猥AA、その他閲覧にふさわしくない
行為はご遠慮ください。

2chとザBBSの過去倉庫はこちら(ザBBSは下記の倉庫の下のほう"関連掲示板"の中にあります)

http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/

2大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/24(火) 07:18:30 ID:nUWP97Ns0
本来ならば私ごときが立てていいのかとも考えました。
例えば別なHNにしても良かったし、2chの立てた方よりも早く立てればよかったとかも・・・。

実際、2chの42章のほうも進行を期待していたのですが、機能していないのを見て
「ヤバイんじゃない?」と思いました。(余計なお世話でしょうけど)
このままでは2chで立てても意味が無くなる・・・そう思ったわけです。

趣旨にも書いていますが、私もザの閉鎖は本当に惜しく痛かったと感じるものの一人です。
2chとは違った味があり、過去の内容も良いものが有る。
それこそお金があったらザの運営者に相談し、継承して良いかどうか伺ったでしょう。
本当にもったいなかったです。

ですが、最近になって無料で運営できるのを数種有るのを知り、検索して調べたら@chsか
「もしらば」がログ保有数がほぼ無制限なので選んだのですね。
本当はザのそっくりな板のほうを望んでましたが無いのです。残念・・・

@でも運営していますが同じところで2つあっても何だしなあ・・・と思ってたら世の中広いですね。
ちゃんとこうやってレンタルしている場所が有るので助かります。

また@は@で自分の掲示板での発言ラインというのを持ってやっていますが、それを好まない人も
存在するわけです。そこを考えるとやはり同じ@では芳しくないと判断したのです。

実際ザのような掲示板が将来できることを期待するわけですが、誰がいつやるのかはわかりません。
それまでの間でもレンタルで展開するのは良いかもしれない、という期待を持って行いたいというのがあります。

まずは、ザのように2chでもない、また@でもない自由な形のザに即した投稿をしてゆければ・・・
と思っています。

そういうわけで楽しく有意義な会話を行ってゆきましょう。よろしくお願いいたします。

3大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/24(火) 20:01:46 ID:nb9oteGw0
ここも過疎になって「機能してない」といわれたら話にならないので、何か話題でも振りますかね。

41章から何か・・・と思ったのですが、どうも和やか過ぎて話題が振れない・・・。
なので、40章を見ていたら、・・・・あった!

引用しますね。

40章の記事No7、の途中から

>ああ、今日は冥徳祭ですか?
前に言ったでしょ、わたしはただの会員クラスの信徒です、って。
だから欠席してしまった、その代り、勤行で先祖供養するのです。

実はこれ、私も過去にそうしていましたが、ここに今回の振りを。

自分は昔勤行をしていましたが、実は初公開ですが先祖が喜んでいるのを感じたり、伝達を受けたことがありません。
なので、いつも勤行をしていて「果たして成仏法が届いているのだろうか」と思っていました。
信者の方はお分かりでしょうが、勤行すると成仏力が発生し、3つの供養が出来るんですよね。
それが機能しているのかが甚だ疑問だったのです。

先祖が喜んでいる様子というのが全然伝わらないし(感じないし)、また現象も現れない。
また、いつまでやってもきりがなくてなんか虚しくなるんですよね。

そして、護摩修法には参加せよといわれても、土日休みの人でなければ早々いけない。
いつも悔しい思いでいました。

ですが、何とか参加したときもありましたが別段先祖がどうの、ということも無く、また護摩を拝したからといって
何か好転もあるわけでない。つまり、平素と変わりが無いわけです。そこをいつも変に思っていました。

確かに参加できない人は自宅での勤行で・・・となるのは当然ですが、そこにいつも不満がありましたね。

長くなるので次に続きを書きます。

4大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/24(火) 20:19:25 ID:5oJsHdTo0
また、地方道場ではリアルタイムでの法要の参加は出来ませんので、録画でのビデオ映像の参加となる場合もありますが、
それは地方だけであり、例えば別院で示すと、土日の例祭を録画して、それを平日に放送(参拝)できるようにするというのは
行ってないわけです。ここに格差を感じ矛盾も感じてました。

お護摩を大事にする姿勢はわかります。しかし、サービス業などや特殊な仕事をしている人は参拝できないわけで、
その人たちは因縁解脱が出来ない、ということになります。後は外国に行って参加できないとか、遠洋漁業や南極に行ったりなど
のかたは出来ないし、また多忙なDrや経営者なども参加できかねる・・・。
そういう人たちへの配慮というのが薄い・欠けている気が以前からしてました。

あと、大柴燈も道場では最近一時間ほど放映してますが、過去はしてないか録画をちょっとだけでしたよね。
これも矛盾です。

実は当地へ直に行った方でハンディカメラ(ビデオ)を持って行って録画している人がいるんですが、それだってA宗の
基準では後から拝すのは良くないですよね? でも、個人で拝すのは構わなくて、それを道場で再生するのは許可が出ないんですよ。
本当におかしい矛盾です。

それこそ京都へ行きたくても行けない人も居ますし、始終撮影しているビデオなら点火からずっと見れるし、TVのように
CMもないし、臨場感があっていいものですよ。それがどうして駄目?
これが例祭でも、冥徳祭でも同様なのですよ。
実際地方道場では16日が平日であれば、映像が放送されず、道場での勤行と先月の法話ビデオ拝聴で終わりなのですよ。
なので、平日の冥徳祭は参拝者が少ない少ない。

で、逆に祝日や日曜日に16日がかかると「特別に許可が下りて映像がありますよ」とのこと。
全く矛盾だらけだと思いませんか?

尚且つ、先ほど最初に言った例祭・冥徳祭に参加しても特に何も無いし、勤行も何も無い。
昔から「因縁が切れているのだろうか、先祖は成仏しているのだろうか、喜んでいるのか」と
毎日思っていましたね。

私の思うところを書いてみました。以上です。

5大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/25(水) 10:10:02 ID:GzlRGxRE0
阿含宗の教義の矛盾や不整合は2ch、及びザビビでも出てきましたが、やはり宗教というものであるのと
霊的なことや目に見えない事象などは眼前に出せないことも有り、その確認・確証がとれないことで
問題も生じます。つまり、私の言ったような先祖成仏や因縁がどれだけ切れているか、また功徳の発生も
なかなか把握できかねます。

また、近年の阿含宗に於いては持論である教義の中の仏教の講じ方も疑問視されているのが目立ちます。
つまり、何も知らない人は教義を信じ入信します。しかし、まもなく何も得られないのを知ると人は
疑問や不信感を抱きます。それが増えると信心の欠如、行や活動をしない、最後には退会となります。
そういうことが私は増えていると推察します。

成仏法や成仏力たるものを謳って華々しく?宣伝する・流布するのは宗教として当然でしょうが、
それが効いてないのであれば醒めるのは当然です。
また、教義や実際に講じてみて矛盾が出てくる場合もあります。
つまり、阿含宗は仏教を名乗っていますが、果たして本当の仏教を講じているのか?ということです。
そこを検証してゆくと、どうも不整合な点が出てくる。
そうなるとまたおかしいということで、信仰する気がなくなるということです。

一言で言えば、私が思うには阿含宗はどうも欠陥だらけだ、という気がします。

それは実際に入信して講じて20数年もいたからいえるわけで、これが一年足らずで気が付いたら
かなりの天才か敏感な感覚の持ち主、といえるでしょう。
まあ、一番良いのは入信する前に気が付いて判断するのが一番良いのですが。

6大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/25(水) 10:30:43 ID:GzlRGxRE0
誰も書き込みが無いので書いてゆきましょう。

因縁に際しての見解を。

行をやっている方ならお分かりですが、御宝塔なるものをいただき、それを前にして一日一回
必ず勤行という「おつとめ」をするのが因縁きりの行の根本であります。
ですが、それだけでは完全でないので梵行と称する宗教活動(奉仕活動)と必要に応じては
解脱供養もしなければいけません。つまり、勤行を基本に様々な行動を要する、ということです。

しかしながら簡潔に示せば、勤行がやはり因縁解脱への基本行動になるわけです。

その勤行には「護符」なるものが付属でありまして、それを勤行の際には御宝塔のそばに置いて
勤行をする。そうするとその人の因縁なるものがその護符に吸い取られ吸収される仕組みです。
それを毎月例祭で護摩修法し、悪因縁を焼き消滅させるために道場へ持って行き奉じてもらうのです。
このシステムは前記事でいいましたように、中々例祭に来られない人にとってはかなり助かるシステムです。

しかし、会費と引き換えに護符は渡されるので金銭的に厳しい人は護符がもらえません。
いわゆる会費滞納者には護符がわたらない、ということです。
システムが有るのは良いのですが、そのシステムに沿わないと因縁解脱ができないというのが一つ。

次に例祭に参加して御護摩で浄化しないと因縁は切れないというのが一つ。
最後は、梵行や解脱供養をしないとそれも同じく因縁解脱ができない、という。

ここに矛盾を感じるのですね。

何が矛盾か。それはかならずこれらを行っても因縁が切れるという保証が無いことです。
次に何がどこまで切れている、というのもわからない。きりがないわけです。
後はこれは私の考えですが、人の因縁は様々です。それに対し適切な指導が無いのです。

ゆえに、これで因縁というものが切れるのか?ということに辿り付くのです。

尚且つ2chやザでお見かけの「因縁解脱というのはあるのだろうか」ということです。
本来ならここがポイントで基本中の基本なわけです。

因縁というものが有る、という前提から講じるわけですから、まずそれがあるのかどうか、という
考えから入ってゆかねばならないでしょう。そうなると阿含宗の依経である「阿含経」にそれが書かれているか、
また書かれているのならどこに書かれているか、そしてそれを解脱する方法が記されているか、が要になります。

それを調べてゆくと実は無いのです。

7大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/25(水) 10:42:00 ID:7fNksYZk0
つまり、阿含宗では『無いものを有る』と言って行っている、ということになってくるわけです。
では、この因縁というのはどこから来たのか?となれば、当然調べないといけなくなる。
単なる開祖様の妄想、ということになりますからね。

調べてゆくと、それは運命の星を言い方を変えただけの事と判ります。
つまり、密教占星術で人の運命を見た場合、様々な運命を示すわけですが、その運命を因縁と
置き換えて表現し、示しているだけなのです。
簡単に言えば、占いから引用した、ということでしょう。

仏教はお釈迦様が開祖です。そのお釈迦様が言っても居ない・示してもいないことを阿含宗は
やっているわけです。そうなるとおかしな話になってくるわけです。
極端な話、御宝塔を前にし、お勤めすることなどお釈迦様は微塵とも指示してない、ということですね。
因縁解脱たることも言ってないし、やっていない。つまり桐山管長が行わせたものであることが
判ってきます。つまり、仏教とは別物なのです。

なので、有るはずの無いものをどうのこうのと頭をひねっても見えるはずも出るはずも無いのです。
因縁解脱などは最初から無いのです。

矛盾はまだまだ続きます。

8サライ:2009/03/26(木) 00:11:49 ID:kHWurtHEO
スレ立ておめでとうございます。ザザビでは、いろいろな方のお話が聞けて楽しかったですね。したらばにあったらいいなあと思っていたので継承スレができてなによりです。今回のお話の件、A宗の"お客様の声集約システム"があれば、投稿できるのですがね。今あるのでは、"ホシモビ"の携帯サイトに意見投稿はできますが。(返事はくれませんが) とにかく、20年来の信者さんが続々"卒業"されていきますよね。残念。あっ、星祭りのついででも時期ずれでも、毎年の冬の京都社寺めぐりはいいですよ。五木寛之氏と瀬戸内寂聴氏の本を片手にして。(笑)

9大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/26(木) 09:37:25 ID:K5yP15aw0
サライさん、書き込みありがとうございます。お越しいただき、感謝であります。

本当にザビビが閉鎖(機能停止)で閲覧しか出来ないのが残念で残念で。
しかも最後辺りは雰囲気も良くて、さあこれからか?という状態だったし、今でも悔しいです。

ホシモビ行ったことがないのですが、そうなのですか〜。何か楽しそうですね。
後日行ってみようかと思います。
また、卒業ですか・・・私も近い将来卒業の予定ですから微妙な気分。
でも、私が死ぬか掲示板が閉鎖されるまでは今の活動は続けてゆきたいと思っています。

あと、自分はagama@chsという掲示板も運営していますが、ここでは辛らつな批判や芳しくない行為は
投稿を規制したりするのですが、それが自由度を無くす原因のため一部の方しか来訪してません。
ですが、こちらは基本的には2chやザのように自由度を高めて意見交換を出来たら、ということで
尚且つザビビのような流れで行ければ良いなあ、とおもって立てました。
以後、お気楽に意見を出されてくだされると幸いであります。

冬の京都も良いですね。長野や秋田、北海道などなどの雪国とはまた違う風情があって好きです。
若い頃私も別働隊で大柴燈にも参加しましたが、お山や街の雪景色が印象に残っています。
将来お金と時間の余裕が出来たらお寺も好きですし、京都行脚したいと思っていますね。
いっそのこと住もうかな?と思ったり。

外国旅行よりも国内旅行のほうが先、とおもうほど自国好きの自分でした。

10大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/26(木) 11:44:20 ID:K5yP15aw0
うーん、ホシモビ検索したが出ないですね。もしかしたら星祭り開催前後しか稼動してないのかな?
とにかく残念ですが、アドレスとか何か情報がありましたらよろしくお願いします。
自分が探せないだけなのかもしれないので・・・。

ホシモビと検索すると、ザビビのところしかヒットしないのは微笑。
そこでのユビさんの検証意見はかなり役に立つなあ。感動した!というのはマジな話。

でもそういう中、現、天身さんがいて邪魔をしているのはワロタw
昔からなのね〜あの姿勢・・・。ご苦労様です。

11サライ:2009/03/26(木) 23:12:38 ID:kHWurtHEO
http://hoshi.mobi/ が、星祭り携帯モバイルサイトですよ。ペンネームでメルマガ会員にもなれます。まっ、ご参考までに。次は、教団ホームページにどこのお寺のホームページにもある、意見箱ができるといいですね。大日さんの先祖の宗旨のお寺のホームページもどうぞ、ご覧になってください。(先祖の宗旨はやっぱり大切みたいですよ。←A宗では特に言わないことですが。)

12大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/27(金) 06:20:11 ID:1M1KXNFk0
サライさん、ありがとうございます。てっきり無くなっていたのかと思った・・・。

でも、携帯専用なのですね。非常に残念。
当方、パケ放題でないもので、しかも家族の携帯を借りている身分なのです。
月の無料料金の範囲内で閲覧してみますねw

意見箱は有るに越したことは無いでしょうね。ですが、A宗は何かと叩かれる宗派ですから
設置したら荒らされるので特にPCHPでは置いてないのでしょうね。

先祖代々の宗旨は大切、ですか・・・。
A宗の矛盾ですっかり無宗教に転向するつもりでいましたが・・・。

本当の話ですがこういうことが。

私の叔父さんが東京の医科大学在学中に若くして亡くなりました。(享年23歳)
その際に私の両親とお婆さんが東京へ行き、そちらで荼毘に付して葬儀を行ってきました。
その際にそのお寺さんが説教をしたときのことを私に話してくれました。
(当時昭和46年くらいでしたね)

「皆さんが信仰されている檀家と言うのは実は本当の仏教ではありません。
 仏教と言うのは歴史的流れの中である理由があり、日本に入ってきた時点で本当の仏教と
 いうのから逸れてしまった偽物の仏教なのです。
 しかしながら、偽物だからと言って何もしないと先祖の方のお御霊が迷うことになりますので
 こうして檀家と言うものがあってご供養しているのです」

と、いうような話をされたそうです。
まことに正直なお坊さんであり、また方便もうまいですね。

サライさんの話を聞いて、このお坊さんの言われたことを思い出しましたね。

後、こういうことも。

私のお世話をしたA宗の会員さんで肝硬変で亡くなった方がいましたが、その方が
入行してまもなくこういう話をされてました。

その方の父親が「本門仏立宗」を長年信仰されていたそうでしたが、父親が亡くなってからある日
息子さんであるその方の夢枕に立って懇願されたそうです。

「本門仏立宗では成仏できないので、手間をかけるが先祖代々の宗派に戻して骨も戻してくれ」と
言われたそうで、すぐにそれを行ったそうです。すると夢枕に立たなくなったそうです。

A宗では自分の行いの正当性を主張する宗派ですから、昔ながらの檀家の奨めをしないでしょう。
いまでさえ矛盾たっぷりなのに輪をかけるのはますます自滅に加速をかけますしね。

南無阿弥陀仏を捨ててきた自分ですから、微妙な心境の自分では有りますね。

13樹意:2009/03/28(土) 21:03:14 ID:pGEkDsEI0
>>12 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/27(金) 06:20:11 ID:1M1KXNFk0

>「本門仏立宗では成仏できないので、手間をかけるが先祖代々の宗派に戻して骨も戻してくれ」と
>言われたそうで、すぐにそれを行ったそうです。すると夢枕に立たなくなったそうです。

大日さん
スレ建てお疲れさまです、うまいことザの論客が戻ってきてくれることを願います、

こういう話は当家親戚筋にもありまして、夢枕かどうかは忘れましたが血脈忘れた
とかいって 訴えかけられたとの事。 
ま、いろいろありますわな。 お釈迦さまは死者の成仏を否定されましたが
先祖供養はやはり大事なのではないでしょうか。
良い世界に転生していただきたいと思います。

アゴンのゲダツ供養の体験などもありますが、お釈迦さまも 過去世において
相撲取りの頃作った業がもとで苦しんだことがあるようです、神通第一のモッガラーナ
尊者においてすら暴漢に撲殺される業があったわけですから人それぞれ
それなりの業を受けるのは仕方ないのかもしれません、
人生にはいろんな現象が生じますが、それもまた 縁 というものなのではないでしょうか、

ゲイカのゲダツ供養において霊験があったと思う方がいるかもしれませんが、
ゲイカは本当の成仏法である(八正道)を否定されておりますので 成仏の根拠にウソが
あります、 従ってどういう霊験を体感されたとしても その方の業が熟し果報を生じた
ただそれだけのものという感触になります。
時期が来て ある現象が起き 時期がきてその現象が消えるただそれだけのことです。
しかしながら
ゲイカが説くような因縁解脱 業解脱のような教えは仏教にはありません。

14大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/29(日) 09:04:18 ID:aFZDe0Go0
樹意さん、こちらにもお越しいただきありがとうございます。また、お言葉もありがたく頂戴いたしました。
ご意見拝して深く感じる事ございますので書かせていただきます。

ザでの投稿をされていた方や新規の方でも良い会話が出来たらいいなあ、と思っています。
こちらは@と違い、よほど酷い行為で無い限りは管理行使はしないつもりですので、皆様にはのびのびと参加して
いただきたいと思っています。ザの閉鎖は本当に痛かったです。

>お釈迦さまは死者の成仏を否定されましたが先祖供養はやはり大事なのではないでしょうか。
良い世界に転生していただきたいと思います。

私もそう思います。また、自分では将来に向けてその方向への考察も成就できたらと思っています。
仰せのとおり、釈尊は死者成仏を語っていません。ですが、実際に墓などを掃除したり、先祖を供養する
行為などで危機を乗り切ったとか、何らかの功徳体験なども良く聞きます。
そういうことを見るにつけ、何らかの因果関係も有るのではないか、と思ったりするわけです。
勿論A宗の言われていることとは別にして、です。

釈尊が言われてないから、と言うことだけ追っていけば従来宗教のように「供養だ供養だ」と励む必要は無いわけで、
でも、実際はそのあたりはどうなのか、と個人的には思うんです。
思えば先祖供養は民間信仰的な要素もあり、だからといって全く無意味とは思えない。
釈尊に逆らうつもりではないですが、もしかしたら何かあるかも、とは思うのです。

今回初で先祖が訴えることに話を出しましたが、そういう現象はやはり巷でも多いのだなあ、と感じました。

15大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/29(日) 09:12:42 ID:aFZDe0Go0
続きを。

>アゴンのゲダツ供養の体験などもありますが、お釈迦さまも 過去世において
相撲取りの頃作った業がもとで苦しんだことがあるようです、神通第一のモッガラーナ
尊者においてすら暴漢に撲殺される業があったわけですから人それぞれ
それなりの業を受けるのは仕方ないのかもしれません、
人生にはいろんな現象が生じますが、それもまた 縁 というものなのではないでしょうか

私も同意です。本当に生きているうちは様々な事項に出会います。
それらに対して全てを把握できる能力と言うのを会得できたら全て理解できるのでしょうが、
普通の人はそれができません。しかしながら、そういう神通力みたいのが無くても人生をどうやって
生きてゆくか、何を得て悟るかが大事だと言うのがわかってきました。なので、釈尊は神通力など
持たなくてもそれよりも大事ななことが有るぞ。それを掴むべきと諭したのだと強く思いますね。

>ゲイカのゲダツ供養において霊験があったと思う方がいるかもしれませんが、
ゲイカは本当の成仏法である(八正道)を否定されておりますので 成仏の根拠にウソが
あります、 従ってどういう霊験を体感されたとしても その方の業が熟し果報を生じた
ただそれだけのものという感触になります。
時期が来て ある現象が起き 時期がきてその現象が消えるただそれだけのことです。

なるほどです。実はこの文章を読んで「はっ」としたのですが、それについて少々。

”ゲイカは本当の成仏法である(八正道)を否定されておりますので 成仏の根拠にウソが
あります” ここの部分です。

実は私が2chに飛び込んだ最初の辺りに関わることですが、長くなるので以降に記します。

16大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/29(日) 19:10:49 ID:9FR58bkQ0
ゲイカの死者の成仏に於いてどういう風にされているか、を記されたのが著書「仏陀の法」ですが、
それを引用して2chに飛び込んだのが最初の自分の姿でした。それを思い出したのです。

仏陀の法 186〜187P

成仏してない死者に対して怨念を消滅させるエネルギーを発信して解脱成仏させる、とあるわけですが、
それは脳の一部が発信機、受信機になり、そこから悟りの念を送るわけです。
アジナーチャクラが受信機、サハスラーラチャクラが発信機とゲイカは言われている。

死者に対して何を発信するのか? それは著書には
『仏陀のさとりの核ともいうべき「縁起の法」と「八正道の教え」であると書かれている。
また187Pで尚もこう説明されています。
『最も大切なことは、発信機が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、悟りの境地が、仏陀と同等の
ところまで到達していなければいけないと言うことである』

ところが樹意さんの申されるようにゲイカは八正道を重んじていない発言を他でされている。
これまた恐ろしいほどの矛盾であります。これが言いたかったのです。
成仏の根拠にウソがあります、というのは本当に言えるのです。

このことは私たちが難癖をつける以前の問題で、ゲイカ自身が自ら発言されたことによるものであり、
第三者から見れば、ゲイカは自分で自爆行為なる発言を行っているわけです。
つまり、あるときは八正道を”否定し”、仏陀の法では”肯定し”ているわけです。
これでは話にならないわけです。

ですから樹意さんが最後の言葉で申されている
>ゲイカが説くような因縁解脱 業解脱のような教えは仏教にはありません。
というのが、A宗の教義であり、ゲイカの妄想に当たると私は思いますし、樹意さんの意見に同意でありますね。

17大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/03/29(日) 19:31:18 ID:9FR58bkQ0
あ、ちなみに”難癖”というのはA宗側、および擁護サイドから見た場合の表現であって、別段難癖を
付けているわけでは有りませんので、ご了承を。私の表現の例えですからw

結局私も樹意さんの意見を拝して再度改めて思ったのですが、A宗批判側は一貫して釈尊の成仏への
要は「四諦八正道である」と言っておられる。
そして、ゲイカの著書には死者成仏のための方法論として同様のことを言われている。
見事に一致しているわけです。それで「あれ?」と思ったわけです。

ところが擁護側の今までの意見を拝すれば、七科三十七道品であるといい、私も過去そうであったが
八正道なんてただの道徳みたいなものだ、と思っていた。
だが、仏陀の法によれば「いかにもかんたんあようであるが、決してそうではないのである」と
言われている。しかもゲイカ自らである。

これは私が思うに(間違っているかもしれないが)ゲイカのその時々でいう曖昧さや矛盾が引き起こした
ことも原因ではないかと思うのです。
それこそ私が「ハテナ?」と思うのは、死者成仏の時だけ「四諦八正道」が要で、生きている人にはあまり
重要ではない、というのはかなり矛盾していますし、ゲイカ自身がそういわれたのならわかるが、そうは
言ってない(と、私は記憶している)のです。

すると、いつ・どう・どこが、と言う風に整合性を出さないと一貫性に欠けていることになり、理論も理屈も
崩壊することになる。これがA宗(ゲイカ)の欠点です。これでは本当にまずい。

批判側の言っていることを否定すれば自らのことも否定することになるし、肯定すればゲイカ自身の発言ミス
を認めなければならないわけで、そこに問題があります。

先祖成仏についてちょっと語っただけでもこういう面が出てくるのは本当におかしい。
完全仏教と言う名は撤回せねばならないかもしれませんね。

そんなことも思ったりしていた自分でした。(了)

18サライ:2009/04/02(木) 00:11:53 ID:kHWurtHEO
本門仏立宗は、日蓮宗の一派ですよね。なぜ、成仏できないのでしょうね。長男なのに、先祖の宗旨替えをしたのでしょうかね。ところで、もう、大日さんは、例祭なんか、行ってないでしょうが、3月例祭で、星祭りの編集映画があり、久しぶりに感動ものでしたよ。山科の地で、2月11日、9時10分お護摩点火して、懺悔文、三帰、三竟が唱えられます。そして、般若心経。A宗が本物だろうが、なんだろうが、この行為を実践すれば、いやがおうでも、仏法は動きだしますよ。A宗は、少なくとも、現在の朝廷、寺社奉行である、文化庁から、免許をもらってるんですから、民間資格である、度ちょう授与や、偽僧侶うんぬんの議論は、なんか、ピントはずれですね。

19大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/02(木) 10:21:03 ID:GMa6SMzI0
サライさん、書き込みありがとうございます。
そうですね。2月までは行けませんでしたが現在は行けます。しかし、もう例祭に参加しても信者間で会話するのが
目的なだけで後は辛いだけなので行っていません。
3月中旬に道場の人から電話が来まして「道場へいらっしゃい」と散々言われましたが同意していません。
何か用事が無い限りは行かないつもりだからです。でも、その時に大柴燈のことも言ってましたね。
『今年は凄かったのよ。竜神様が現形して煙も物凄かった云々』と言われてました。
私も過去に修行にも参加したことがありますから、有る程度はわかります。
また、整地される前ですから大分変わったのも見てみたい気もします。
しかし、今はA宗に対するものの考え方が変わったのできっと醒めた目で見るかもしれません。
用事が無いと行かない方針なので拝見はおそらく大分後になるでしょうね。
心に留めておきます。

20大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/02(木) 10:38:13 ID:2K8ucckQ0
本門仏立宗は私も気になったので調べたら法華系ですよね。知る前まではA宗と同じ新宗教かと思ってました(笑)
私の無知も甚だしいですよね。

元々の浄土系だった家の宗派をそのお父さんが感ずるものがあって宗派変えをして懇ろに供養したそうです。
結構寄進もして亡くなった時には仏立宗から高い位の戒名をいただいたそうです。
供養をなされたお父さんは先祖供養を本気で考えていたのでしょうね。

しかし、息子さんの枕もとに立って「元の檀家に戻してくれ」と言われると言うのは不思議ですね。
霊感などと言うことを言う人で無いだけに、私も驚きました。
息子さんは仏立宗には興味がありませんでした。そして亡くなる一年前にA宗に出会ったのです。
そしてどういうわけか私がその方のお世話をすることになったのです。
なので、この話に関わってたわけです。

私も今から26年前にお爺さんとの短い交信の中で「南無阿弥陀仏は効かない」というのを知り、宗教の「し」の字も
知らない若造が道を求めた。その翌年にA宗に出会って入行するわけですが、奇妙と言えますね。
成仏法が無いというのをそこで知り、A宗にはまってゆくわけですが、A宗の中身を知った今、非常に
複雑な心境では有りますね。法華だ浄土だでは無く、もっと本当のものが有るのではないか、ということに。

個人的な考察はまだまだ続くと思いますが、今は何もなしの状態で考えています。
原始仏教では釈尊が死者成仏さえ説いていないのを見ると、いよいよ判らなくなる。
そういった感じであります。なので、仏立宗のことを出した私ですが、それはあくまで知り合いの方の
事項的説明をするためであって、深くは考えてないし、浄土もまたしかりです。

ゲイカの言われた霊障や因果関係も新たに考察しなければいけないかも、と思っていると言うことです。

21サライ:2009/04/02(木) 23:52:01 ID:kHWurtHEO
大日さんは、「伊勢白山道」サンのブログはご存知ですか。なかなか、読みごたえありますよ。人によっては、偽「ネット行者」 と言う人もいますが(笑)。お金はアクセス通信料と線香代しか かからない宗教です。(新興宗教の各教祖さんも真っ青) その他、本物の霊能者としての江原氏、下ヨシ子氏の2人の説を中心に先祖供養すれば、「変な会に入会する必要もない」と、最近アドバイスしている方もいます。20年前はいなかった江原氏がいる現代、A宗もしっかりしないと。「彼はお笑い番組と同じ」なんていう認識は、ひどいっすね。(笑)

22大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/03(金) 10:07:43 ID:rcoNP9RU0
サライさん、良いサイト教えてくださいまして大感謝です。私は知りませんでした。
ざっと拝見しましたがいいですね。後でじっくり拝見させていただきます。

高速で拝読した感想は私の個人で考察しているものの方向性に近いです。
なので、とても良い印象を受けました。

下ヨシ子さんと江原さんについては、微妙ですね。
下さんの場合は特に私は疑問視をしています。どうも「ほん怖」の演出はやりすぎかとw
江原さんは個人的には良く頑張っているなあとは思います。
お笑い番組と言う人がいますか・・・それは言いすぎでしょう。
でも、江原さんのことにも少々疑問がありますが、良いことを示唆されているので私は
下さんよりは容認の考えです。なぜ、下さんへの見解が厳しいかと言うと彼女はプロであり
アジャリ様だからですね。それが無ければ厳しい見方はしません。
最初は期待していたのですけどね・・・。

でも、一言で言えば人の役に立つ・良い示唆が出来ていればよろしいかと。
A宗はその点不足な面が目に付きますしね。
また、教団となっている分厳しい見方が立つのも仕方ないです。
江原さんは教団は作らないでしょうが、もし作ったら見方は厳しくなりますね。
美輪さんは教団ではないが団体を作っているので、江原さんと下さんの中間ぐらいでもっと
見方は厳しいほうに自分は見ています。

23大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/03(金) 10:20:32 ID:VLRbCHPE0
あと、自分が今そうなのですが、結局A宗を捨てれば無宗教や何かの宗教を講じるようになると思います。
まあ、一旦無宗教になるほうが楽でしょうね。
でも、実際霊的なことや先祖のこと、カルマのこと・・・と考えればこの伊勢白山道さんのような姿勢に
なるものありえると思っています。かなり興味がありますね。

見えない世界のことですからどのようにも捉えようが有るし操作も出来る。
ここが心霊や宗教の恐ろしいところです。
あと、あちこちで見かけるのが2012年論ですね。
私もゲイカの言われる「2010まで危ない」という説は信じてませんでした。
ですが、2012年に何かある?と個人的に感じてましたが、本屋へ行って読んだらかなりそういう
話が有るんですね。マジ驚きました。(伊勢白山道でも少し触れていますね)

あとジュセリーノ氏の予言も考察しましたが、彼は駄目ですね。
本物の預言者では無いですね。

なので、究極的には伊勢白山道さんのような形がベストかな、と思ったり。
もう宗教はほとんどがグダグダになっているので、もう個人的に期待が出来ない感じです。
そういう面ではA宗では良い勉強をしたのかな?と思っています。

サライさんには良いサイトを教えていただき、重ねて御礼申し上げます。

24大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/03(金) 20:23:44 ID:MTe3Bmhc0
自分、忘れやすいので途中経過でカキコ。

過去ログを読んで納得。リーマンさんに何故完全賛同できないかと首をひねってたら、なるほど本人が
申してますね。幽界のことが絡んでいるからですね。

結構良いことを申すのですが、時々理解できない箇所が出てくるんです。
なるほどです。しかも、非常に惜しい。

ですが、かなりのカリスマ?もお有りのようで閲覧者も凄いですね。
教祖に成れるんじゃない?と思ってらやはり昔にそういう感じがあったという。
でも、きっぱり断るところも素晴らしい。

結構過去ログも多いので、読むのも大変ですが勉強になります。

思えばゲイカも幽界に支配されているのかしらん、と思った自分でした。

25大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/04(土) 21:26:00 ID:B1fLUh8E0
本当は@に書いても良いのだが、こっちがまだ広まってないのでこっちに書きましょうか。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1237091591/l50 ここからピックアップ。
記事No21からですが、まず
>道場での同時中継の映像をぼんやり見ながら、般若心経をおとなえさせて頂いていた時、俄かに涙が出てきて止まりません。其れが今度は嗚咽に変わって行きました。
私自身がセンチメンタルになって悲しんでいたのではないのです。
勝手に体がそうなりました。どなたかが、きっと成仏されたんだろうなあと、思いました。

これは私にもありましたね。ただ、私の場合はアウシュビッツのときは強かったですね。
シベリアの時はアウシュビッツより弱かったですが、それは死者の状態が違うからだと判りましたね。
兵隊さんはやはり死への覚悟と言うか観念がありますので、その分姿勢が違う所以だと思います。
例祭のときもそういう減少が有るときがありますが、毎回なるとは限りません。
やはり霊的感応が無いときは反応無しですね。

>先の大戦で亡くなられた方の思いは「物資さへあれば、俺達は負けなかった、物資さへあれば」ゲイカが教えてくださいました。
>でも、日本人として受けてしまった集団的な無意識層にある抑圧意識との闘いもあるのではと推理しました。

これはあると思います。ただほとんどの人がそうだと言うわけではないですね。

実はここに私が以前から書こうと思ってたのが入っています。それをまず先に書きましょう。

物資を無くす原因を作ったのは日本側です。日本が物資の供給を止められるのがわかってて吹っかけた戦争ですし、また
神の名を借りて殺人と略奪、侵略を行って世界を手中にしようとしたツケです。
この様はA宗にも言えることです。

まあ、まさかA宗は世界を制覇・コントロールしようとするまでは言いませんが、世界宗教になると言うのはそういう側面もあるだろうと。
まして、日本が犯したミスのように信者は「A宗こそが本当の宗教だ」と思い込ませているのは太平洋戦争に非常に似ている。
それこそ「鬼畜米英」と思ってたのが全く違ったように、”目を覚ませ日本人”と呼びかけたのはまさに今の批判派と言えるのではないか?
と私は思いますね。

当時、本人のほとんどが日本が間違っているのを信じなかったように。

26大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/04(土) 21:37:00 ID:B1fLUh8E0
信者の方で知っている人はお分かりでしょうが、法話中のゲイカはおかしかったですよ。
最初は普通に話していたが、段々恨み節になっていたのを私は見ています。
「本当は日本は勝つはずだった」とか「アメリカ兵に負けたくなかった」とか段々と発言していた。
それをみて、
「ああ、やはり面白くなかったんだな」と強く感じましたね。

私にすれば”神の名を借りて正義を主張して悪事を行った”としか映らない。
それが神のすることか、と思いますよ。
確かに日本は神国なのでしょう。でも神様が人を殺して喜ぶのか?人を殺せと言う神様ってアリか?
そういうのは神じゃないでしょうが。

それで何が「神国」でしょうか。結局は戦争をして人殺しとエゴを通したかっただけです。
戦争に負けるのは当たり前です。

もし仮に物資があったって勝てるはずが無い。私はそう思う。
いや、逆か。悪いことをしているのに物資などあたわるはずがない。
結局は戦争をしたがる狂った集団にそそのかされた・巻き込まれたからでしょう。

そういう中、「やはり日本はおかしい」と思ってた人がいたように、A宗がおかしい、と思う
人がいるのが少数なのは戦争時代の様を見るようでなんだか・・・。
それこそA宗の欠点が露見して呆然とする信者の多さを見るような気がしますね。
敗戦で呆然としたかつての日本人のように。

27大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/04(土) 21:49:10 ID:B1fLUh8E0
>深い闇を抜けて、魂の復活です。これからの経済にもこれが起きるのではないかと思いますがぎりぎりの所できっと日本は復活する。
日本神道と仏教の融合がこれから物理的な世界に必ず影響をもたらすと思います。

おそらくそういう方向に行くのかな、と思っています。信じたい、と言う方が正しいかな?

まだまだこれから明かされる仕組みと言うのが明かされない限り判りませんが、今のままでは世界は悪くなるばかり。
善の光が弱すぎる。

だが、それが岩戸開きによって明かされるだろう、というのはあると思います。
私は神道系にはあまり関心が深くないし、疎いがその辺りはそうなると思っている。
そうでなければ、ジュセリーノ氏の予言のようになるでしょう。

まだ考察中ではありますが、私も仏教が日本に入ってきたのは何か意味があったなあと思ってました。
ですが、うまく機能して無いようです。
また、神道も本当の力と言うのを出してない。そして、それ以外の他宗派も同様。
いよいよとならねば判らない仕組みというのはここなのでしょうね。

まあ、それをなしえる宗教はA宗だと思ってたのですが、それは叶わないようです。
そうなるとやはり今の世に有る宗教では統治・統括は出来ないでしょう。
新たなるワールドワイドなものでないと対応・適応できないでしょうね。

私はそれを無意識に求めているのかもしれませんね。

28大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/07(火) 20:08:24 ID:u7JRCiR60
またこっちが止まったのでこちらに書きましょうか。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1237256128/l50 の記事No629

同感ですね。というか、とうとうゲイカ本音が出たか、という思いですね。
以前から私は「ゲイカは釈尊を超えた、と思っているのか」という発言をしていました。
それがまさにピタリとあったといえる言葉でしょう。
(別に私の予測が当たる・当たらないが目的ではないが・・・)

因縁解脱にしたってそうではないかと思われ。
なぜか? それは釈尊は在世中、肝心なことを言い忘れたのではないか、というような
展開をされているでしょう。もし、釈尊が生きておられたら因縁解脱というのを説かれた
かも知れないだろうし、あなはな念だって含めて八科何とか道品とやっていたでしょう?
素晴らしい発見をしたというあのくだりだってそうだし、成仏法の定義だって釈尊を
超えたといわんばかりです。そして、ついには輪廻云々で展開?となるわけです。
もう妄想ごっこやめませんか(笑)

記事No655のユビさんの言われている
>解脱とは災難不幸とか関係のないところで心と行いの正しさを実践することです。
だから解脱を果たした人にも災難不幸は襲う。

これに尽きます。これの認識がないといろんなものに惑うし、はまります。
釈尊の正しい教えに沿わないと、この意味がわからないのです。

続いて、記事No656の名無しさんの言葉で
>私は菩提樹を礼拝する信仰を腐してなどいない。
その人がどういう心で菩提樹を礼拝しているかを問うているのです。
菩提樹を礼拝しながら、釈尊の教法を思い出し、
護摩木で欲望を祈願するような悪い行いをやめて、
釈尊の教法をねじ曲げるようなことはせずに、正しく理解し、
自分の煩悩を自分で少しでも減らすように努力しようと決意するなら、
その人の菩提樹礼拝は正しい。
だが、あなたの礼拝はそうではない。
因縁解脱や霊障解脱や好運という御利益を願っている。
煩悩を減らすどころか、煩悩のままに、自分の欲望をかなえて
くれるように、菩提樹というただの樹木に祈っている。
樹木がなんでお願い事をかなえてくれるのだ?

これも正論です。むしろ、こうでないといけない。
依存に浸りきって、しかも煩悩を増やす行為に疑問を感じないのは偽仏教に慣らされているからです。
向こうはA宗批判スレだからこうは言わないが、私は仏教全体を見るんでやはり在来仏教の姿勢にも
問題は十分有ると言いたい。釈尊は祈願・祈祷などしないのです。日本人はそれに気がつくべし、と
私は思っていますね。

また、記事No657も素晴らしい。659もそうです。
(他の記事も素晴らしいが、特に奨めるという意味での表現です)

こういう思考ができなければ、A宗の欺瞞や虚偽など自覚できない。そう思います。

私が最後に一言付け加えるとしたら、自己満足で行うのなら何宗でも構いませんが、
もし本当に求道しているのなら、A宗について信者はきちんと分析・判断しないとそれだけ
後悔することになると言っておきます。

29サライ:2009/04/07(火) 21:27:16 ID:kHWurtHEO
大日様、伊勢白山道サンのブログご覧いただき、ありがとうございました。最近のK住職はなぜ、人間以外の者に生まれかわることを畏れているんでしょうね。そういえば、伊勢氏の先月のお話に、有料の新興宗教の教祖の多くは、奈良の天理市にいる(いた)老婆の庭先の置き石の下にミミズとして生まれかわり、一定期間過ごすことになる( 手かざし系のO田教祖がこの前来たとのこと)との話が、出てました。ゲイカは仏界に行くとおっしゃっていたのに、どうしてしまったんでしょうね。

30大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/07(火) 23:38:40 ID:u7JRCiR60
サライさん、しばらくでした。K住職が畏れている? 確かに不可思議ですね。
私がもし自分の檀家の浄土の住職であったとしても畏れはしないですよ。

ミミズの話ですが、それもどうかと。
それこそ私の知り合いにはある宗教は死後「蛆虫」に生まれ変わるのだと言ってました。
そこからハエになり、どんどん進化転生して人間になるのだという説。
当時は自分は中学生でしたので「そうか」と思ってましたが現在は「さて・・・」ですね。

例えば私は昔ハムスターを飼っていましたが、多数死なせました。
その因果がめぐるのなら私もハムスターに転生し私が犯した報いを受けるでしょう。
餓死や低温による死も有るので、それを受けるのかと思うと嫌ですけど。やったのは事実。
それがミミズであっても受けようという気がありますよ。

ゲイカは仏界にはいけないですね。だって本当の仏教でないし。
覚醒も能力も悟りも得てないから、また人間になります。
今度はかなり苦労するでしょう。今の境涯より落ちますから。

それこそ2chでも言われてましたが、ゲイカも死が近くなってきて死後の確立できない不安が
露呈しているのですよ。聖者が何で今頃妄想を展開しますか?
それこそ堂々と「俺は涅槃へ入るから必要ないが、君達も輪廻は操作できるぞ」というのが
本当でしょう? 絶対に変ですよ。完全に弱くなっているし惑っている証拠です。

また自分で妄想を展開しているとも言える。釈尊が説かないことを平気でやろうとしている。
散々批判側が言ってきたことの繰り返しをゲイカは自らやろうとしている。
それは妄想の展開です。

仏教の真偽など関係ない。自分の持論さえ展開できれば何でも良い。
つまり、真の仏教など最初からやるつもりなど無いのでしょう。その言葉が冥徳祭の法話での
発言になっている。

誠に信者としては「どうしたんだ?」と思うことは当然ですね。
(私もまだ辞めてないから現信者ですよ)
ゲイカが色々展開するのは当然だが、トンデモなくなってきているのがありますね。

まあ、世間や信者はそれを見ているしかないわけで、それを判断するのも個人の自由ということですか。

31名無しさん:2009/04/09(木) 00:35:17 ID:cMnw6Jpw0
>>26 視点で同じものを感じました。といっても、そのイベントのときは辞めてたのでそのご法話じゃないが、
自分が26と同じように思ったのは、ゲイカの海外のイベント三昧で、「説法六十心」のなかの"龍心"の解説で豊臣秀吉の聚楽亭建設や朝鮮出兵のような成功者が権威を誇ろうとする行為についての記述を思い出したからです。
ゲイカは八白で自身を家康と同じに例えてるが、秀吉だなと思いました。全く民のためという気持ちじゃなく権勢を誇りたいだけと。
家康が国内の強化を第一と考えたことが、アゴンに例えると弟子へのグモンジ法の伝授と同じと思い、それをせずに海外でのイベント三昧には呆れて軽蔑しました。で退会したんだが・・・

逆に平成の初期に勲章を寄付の代償としてアメリカからもらったころなんかは、
戦後の物資がなく困っていたとき、アメリカは敗戦国の我々を助けてくれた、と誉めちぎっていましたが。

32大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/09(木) 09:26:29 ID:VIhw7NR.0
>>31 名無しさん、投稿ありがとうございます。

>戦後の物資がなく困っていたとき、アメリカは敗戦国の我々を助けてくれた、と誉めちぎっていましたが。

そうなんです。法話の最初はそういう言い方をしていたんです。
しかし、段々と恨み節になって行き、真珠湾攻撃やらその他作戦が成功すればアメリカに負けなかったんだ。
そのままどうだこうだと続けて最後には「鬼畜米英め」とか言い出す始末。
見ていて気分が悪くなりましたし、やはり「本音はちがうんだな」と認識。

そりゃあ自国を愛するならばそういう気持ちも出るでしょう。でも、戦争の歴史や動機・発生をみれば
日本が悪いと判断できなければただの獣です。いくら当時世界中が狂っていたとしても自らが他国を
占領略奪し、統治下に置いた事実をないがしろにして他者に恨みを抱くのは尋常じゃないですね。
そのまま軍国主義の脳みそ・思考のままだというのがアリアリと私は見ます。
軍事教育が抜け切っていないのだとも思いましたね。

本当に助けてもらったという気持ちは全く無いとはいいませんが、薄いのかもしれません。
または表向きな表現をしただけか。

せめていうなら、アメリカやソ連などに喧嘩を売らないで、与力を高めてから行えばよかったでしょう?
それでも負けていたとは思いますが。
結局慢心と傲慢が破滅を生んだ。そもそも世界制覇・制圧など馬鹿げた話。
何様だと思ってそれをやろうとしたのか。神国日本?笑わせます。
本当にそれをやろうとしたなら、戦争でなく神の御心・姿勢でやるべき。
人を殺して嫌な思いをさせて暴力・権力でやろうとするからしっぺ返しを喰らった。
いまどきの小学生でもわかるというものです。

33大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/09(木) 09:57:50 ID:VIhw7NR.0
続けて。

ノートに記してあるんですが、すぐに出てこないので内容だけ書きます。
当時、まだ質疑応答が行われていた法話でのこと。

「A宗では大柴燈などいろいろ行事が行われますが、それをイベント宗教だといわれる方がいます。
自分もそれを肯定するわけではありませんが、どうもイベントだなあと思うことがあります。管長は
このことに対してどう思われますか」・・・だったかな?
つまり、A宗はイベント宗教だといわれてますが、どうでしょうか?という内容だった気が。

それに対し、「イベント結構じゃないか」というゲイカの回答。
当時は「おお、見事な反論」と思ってましたが、良く見れば開き直りですね。

確かにその後のゲイカの説明もわからなくはない。でも、裏を返せばイベントでなければ人を
集められないということかと推察しますね。
現に今のA宗は例祭からしてそういうものだし、例祭自体も集まらない。
何とかフォーラムとか日曜祝日には何らかの地方道場でもイベントが行われる。
つまり、イベントをしないと人は集まらないのですよ。
時にはイベントをやっても人が来ない場合が有る。

今年はガナルカナルでの法要を行うそうですが、これも過去のシベリアと同様の効果狙いです。
日本人への先祖供養の心と関連者の方々へのアピールにはうってつけです。
アウシュビッツやイスラエルは内容が違います。
ただ、全て総じて言えば世界平和のために活動しているという風に見せることはしています。
私もそれを信じて疑わなかった。

ただ、如何せんイスラエルはまずかった。法要後戦争が起きてしまいましたからね。
また寄付(寄贈)した先がまずかった。戦争と関係ないところだったらまだ良かったが、
モロ関係者ですからね。2chでいわれているように戦争に加担したといわれても仕方ない。
いや、それさえもゲイカは判断できなかったのか?となってくる。

また、これは後で気がついたことですが、モンゴルもチベットも一回こっきりである。
ダライラマ法王が日本に来てもA宗に来ないでしょう? あれほど過去に武道館でやった仲
なのに、しかもあの時はわざわざ予定を変更してまでゲイカに逢いに来たのでしょう?
それが今回は時間があったのにもかかわらず、TV局やその他の人に逢ったのにゲイカには
一切逢わない。おかしなことです。ダライラマ政府から仏舎利を貰っているのに?です。

アメリカでも教会内で護摩を焚いたけどイスラエルのように大掛かりな外での法要はまだです。
なかなか許可が出ないのでしょう。教会内で小さな護摩を焚いても布教には弱すぎる。
あれで、成功していると見るほうがおかしい。
世界平和という「看板」は見事なものだが、さて内実は・・・わかりませんね。
弟子の育成などよりも違うものへの関心というのが伺えます。
それはやはり教団を大きくすることだったり、知名度を高めることのほうに力を入れているとしか
思えません。

また、自分は改めて思うのですが、釈尊が在世の時に弟子が成仏陀になるのを指導されていますよね。
師匠たるもの、弟子を育ててその成長を喜ぶのが普通でしょう?
A宗で「これだけ解脱した人がおりますよ」と示す・出すのが本当でしょう。
かつて未だに解脱した修行者というのを見たことが無いです。出していないからです。

こうしてこうやって・・・と熱烈な指導をしていて実際に「君は解脱した」とお墨付きを与え
られた会員など一人もいません。ゲイカ特有の飽きっぽさと我がままの行使です。
また、自分が解脱してないから教えられないのでしょう。私はそう判断しています。
自分が体得してないものを人に教えられるはずが無いですからね。

秀吉、というのは私は思っていませんでしたが、いわれてみればそうかもしれませんね。
信長でもいいのかしらん?と思ったり。(失礼)

ゲイカが過去によく言われた「馬鹿にされても、いや怒ってないよ、といいつつ鼻がピクピク
している人がいるが〜」という言葉が有るが、それは”ご自身のことを言われているのでは”と
良く思ったものでしたね。嗚呼。

34大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/09(木) 10:03:19 ID:VIhw7NR.0
>>33 訂正を

チベットでは法要はやってませんね。パリですね。
チベットといいたいのはダライラマ法王と関係を持ちながら、何故今は無視同然なのか?
ということをいいたかったのです。訂正しお詫び申しあげます。

35サライ:2009/04/09(木) 11:02:08 ID:kHWurtHEO
>>32 日本も他国を占領したが、アジアで、西洋人の植民地支配の餌食にならなかったのは、日本とタイくらいですからね。オランダなんか、インドネシアから日本が、出ていったら、再侵略・占領しようとした。まあ、すべて、日本は踊らされただけ。米国の軍産複合体( 死の商人)が大本。最大の軍国主義者は彼らですね。、今も暗躍中。

36サライ:2009/04/09(木) 11:19:15 ID:kHWurtHEO
あと、その死の商人たち「闇の勢力」に対抗するのが、「天照大神の神託たる日本国憲法第゙9条」というのが 、2012年問題を唱える中丸薫女史の論ですね。

37大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/10(金) 22:20:19 ID:2Q2JqwpA0
昨日ブックオフにて「内在神への道」を購入。非常に安価で購入できたので助かりました。
今日、読み終わりましたが、ブログでも見かけたのがあるので本を買いたくない人はブログでも
いいのですね。でも買って損をしたとは思いません、非常に勉強になりました。
もう一冊は後で購入します。(まだ値段が高いんですよ)

そこで本から得たのは、戦争や狂いはやはり悪の組織の操作だったかと。
闇の勢力には本当に困ったものです。

中丸薫女史は私は初なので検索しましたが、啓蒙者?と見ていいのでしょうか?
良くわかりませんでした。
私としてはいい活動をされているのであればよろしいかなと。

これからは大きく世の中が変わってゆくとのこと。なるほどと思います。
というか、このままだったら正直者が馬鹿を見るんで本当にやってられないです。
といって、悪事を行うのもまずいしね。

そうなると釈尊が言われていた、世の中がどう変わろうと安定の心を保つ修行が要となる。
清浄なる心と眼、そして行動、智慧。それらを獲得することが大切なんだなあ、と
感じている次第です。ただ、それは安易に手に入らないので、頑張らないとねw
そうしみじみと思う自分でした。

38サライ:2009/04/11(土) 23:13:25 ID:kHWurtHEO
「内在神への道」の大作読破、おつかれさまです。大日さんが、唱えるA宗幽界論のヒントもあったのではないでしょうか。新興宗教の多くは幽界からの眷属「龍」様が、関係してA宗もそのうちの一つではあり、そのさらなる内実は?です。ちなみにT理教は大狸が本体との話を最近、聞きました。 中丸薫女史はそう、啓蒙者ですね。本がどんどん出てます。戦争を「非合法」とする、昭和天皇と天照大神の意志を受け継ぐ憲法9条を日本は断固受け継げと。そして、2012年地球はフォトン(光子)ベルトへ突入する。これにより邪悪なものは、排除される方向に向かうとのことです。

39名無しさん:2009/04/12(日) 00:21:55 ID:cMnw6Jpw0
>>33 >師匠たるもの、弟子を育ててその成長を喜ぶのが普通でしょう?

同感! これだけ器の小さい指導者って見たことないです。

>>32 >そのままどうだこうだと続けて最後には「鬼畜米英め」とか言い出す始末。

鬼畜米英w NYで二度も護摩焚かせてもらって内心そんなこと思ってたのか!

40大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/12(日) 10:33:19 ID:M3lmNVNA0
>>39 レスありがとうございます。
   私もゲイカから様々な技法や指導を受け、世のため人のために、と考えていたのですが、全くそれをやりません。
   2chで、批判側の意見を聞いてもう半年が経ちますが、それを見てふと思ったのです。
   「ゲイカは本気で仏教を広め、世界平和を実現しようとしているか」というのが感じられなくなった。
   私は信者として今まで見ているので、比較をすればすぐにわかります。ゲイカはしてないです。
   まして、指導無しのTOPなど、仰ぐに値しないとなるのは正常の印かと。
   未だに「アジャリ様に、三礼」などやる気もおきません。心も行動も改めない限り着いてゆく気もないです。

   法話の話は本当なのでビデオで見ればわかりますが、日付をチェックしてなかったなあ。
   私の中の良い信者も一緒にそれを見ていたので、嘘ではないですよ。
   本当に法話をみて呆れましたね。私のように不快感を言ったのは他に見ないですね。
   まさに洗脳か?といいたくなるほど。気がつかないのでしょうか?
   当時は2chに参入してなかったのですが、世界平和を言う人の発言ではないな、と感じたものです。
   ゲイカは習気を出しすぎです。勿論聖者じゃない。
   正月の初護摩の後の法話でも「バーカ」と他人を卑下するのを見て、馬鹿はあなただ、といいたくなりました。
   胸糞悪いので早めに帰ってきました。それからですね。初護摩に行かなくなったのは。
   というか、毎月の法話も聞きたくないんで参加しなくなったのですがw
   とにかく、もうゲイカは卒業です。

41大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/12(日) 11:50:40 ID:AYv15HfI0
>>38 レスありがとうございます。
今までのA宗の経緯を見て判らない部分があったのですが、ここ数日の検証で判りました。
やはり、その発見に関与できたのは日月神示とリーマンさんとサライさんのお陰です。
本当に感謝申し上げます。

魔界や動物霊、地獄霊だと悪さや見返りが出るんです。
ところがA宗はそれが無い。なので、何だろう?と思っていたのです。
過去にも日月神示は見ていて(本も持ってますが)私がどこか抜けていたのですね。
本当に忘れていたというしかない。

ところがサライさんからブログを教えていただいて、それからの刺激で検証できたのは幸せと
思っています。また、本を買って読んでいると尚納得。

ゲイカをよく見ているとわかりますが、今はあまりやりませんがまだ60〜70代の頃の元気
な頃の法話を見ていると、良く口元を舐める仕草があるんです。
私はどうも嫌なんですね、あの仕草。まるで蛇のようで・・・。

ゲイカは竜神様の守護を受けているといいますが、私にはそれが見えないのです。
まあ、私ごときの霊感では無理だろう、と思っていたのですが、それが竜神ではなくて蛇霊だとしたら?
合点が行きます。また、リーマンさんの本によると、竜神も手足がとれ、うろこがはげ、角も取れたら蛇でしょう、
というのがまたいいですね。

そういう説明のほかにも、行をやめても何か有るということも無いし、実際辞めた信者で御宝塔をゴミに
出した輩がいますが、何も罰らしきものは起きていません。
また、法施物なども感応がないし、おかしいな?とは思ってたんです。
これが本当に狐霊とか魔界のものの御霊が入ってたら、ただではすまないです。
そこを私は言うわけです。

なので、逆に修法と行ってA宗は護摩を焚くわけですが、その分霊だって同様で、例えば独鈷の御霊も
何も感応がないです。それこそ私にすればただの箱にしか見えない。(感じない)
金竜さまの写真を自分は持っていますが、あれも同様でただの炎の形の写真ですね。
確かに、炎でああいう形が出るのは凄い。だが、そこに魂が入ってないのはいかがかと。
長年大事にしてましたが、ただの写真に気合いを入れただけの産物ですから、何も無かったですね。
今はしまっており、拝むこともないです。

お厨子だってそう。不浄な感じはないですが、逆に清清しいのも無い。御宝塔もそうです。
そこのが点が中々出せなかったのですが、ようやく判ったのです。
幽界の産物で整合性が出ました。本物の諸仏諸尊の御霊は入っていません。
ゆえに、罰も当たらないし、逆に功徳も与えられないという結論です。
なので、信者の皆さん。いくら拝んでも因縁も切れないし、先祖も成仏しませんからやめたほうがいいですよ。
まして福徳宝生などありえませんから。

>そして、2012年地球はフォトン(光子)ベルトへ突入する。これにより邪悪なものは、排除される方向に向かうとのことです。

なるほどです。やはりミロクの世が出るのはここからなのでしょう。
もしかしたら私も淘汰?されるかもしれませんが、そのほうがいいと思います。
悪い魂や行いの輩はその世に居ないほうがいいと思います。
また、私が淘汰されたなら「ああ、自分は悪いほうの人間か」と思うようにしますから。
この世はあまりにも悪が栄えすぎた。淘汰は個人的に喜んで受けます。

逆に私は生き残ったほうがエライ苦労をする気もします。
死体の始末や、後悔した土地や建物の修復など復帰活動。その他全て立て直さなければいけないからね・・・。
その建て直しが終わってから転生した人は、物凄くいい環境でしょうね。

でも、淘汰と先ほど言いましたが、本当は皆が目覚めて悪いことをやめて争いが無く、共に愛し合う尊重しあう
世界に入れば、人口が多少多くたってどうにかなるはずなのです。
それを人類は行えるか? 確立は低いです。なので、淘汰される方向が大きいのです。
あの世はきっとカオス状態になると思いますね。

願わくば、みんなが覚醒し共存できるようになってください。そう思います。

42大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/12(日) 12:10:39 ID:yybxUcKQ0
ううむ、駄目だなあ、誤字が・・・。

>>40 の >私の中の良い信者、は「私の仲の良い信者」に訂正です。

>>41 は >死体の始末や、後悔した土地や、は「崩壊した土地や」に訂正です。

失礼しました・・・。

43大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/14(火) 15:06:12 ID:OqRsnP6c0
またまたここが暇なんで、書いてゆきますか。

>>41 の自己考察の説明です。ここの
>魔界や動物霊、地獄霊だと悪さや見返りが出るんです。
ところがA宗はそれが無い。なので、何だろう?と思っていたのです。

ここを解説いたします。

古いA宗信者の方はお分かりですが、和賛というものが有りますが、昔は「千座行和賛」というものが有りまして、
この中に「行を休めば、因縁返しを受ける」というくだりが有るのです。
私も当然、これを非常に恐れていました。

しかし、畏れ多くも?中途挫折の因縁が強い私なので行を切らした(途中で休む)ことを何度も起こしていたのです。
そのたびに本尊に詫びたり、先祖にも謝っていたものです。
ですが、あるとき私の奥義?の逆ギレが出て、「おう、因縁返し上等じゃねえか。受けてやるぜ」とわざと行を休み
因縁返しを待っていたときがあります。

結果、最長3年少々行を休みましたが何もありませんでした。
それで、あれれ?と思ったのです。

又、過去にも自分がお導きした人が、御宝塔をゴミに出したり、紛失したりとしたのも居ましたし、
信者では亡くなった親族の棺に間違って数個あった当事者以外の別の御宝塔を荼毘に付したのもありましたし、
そういうことをなどを総じると、「罰」というのものは”当たらない”という結論に至ります。

でも、それだけでは確証が得られないので、私はつい最近まで考察中でした。
ですが、最近それが見えてきたので、安堵した次第です。また持論を公開した訳です。

それはA宗の神仏の正体、また法施物や修法物、ゲイカの通力やA宗での死後の世界は幽界産物(経由)と
いうことです。
それを端的に言ったのが>>41の引用の文章です。
なので、これでもうA宗の背後や脅威に怯える必要はなくなりました。
信徒の皆さん、安心してくださいね。

44大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/14(火) 15:19:32 ID:OqRsnP6c0
(長くなるので、分けて書きました)

次は、こういうことです。
行を休むと因縁返し、ですが、これは根拠が有りません。2chで批判側でおっしゃられているとおりです。
因縁が帰ってきてその人を罰する・悪いことを与えることは有りません。

まず、因縁というそのものが無い、ということです。
仏教の開祖、釈尊自体が説かれてないことです。つまり、でっちあげです。
無いものを「ある」とみなし、それが切る途中の作業で休んだから、自分に降りかかってくるというのは
まさにナンセンス。それこそ自分が日向や電球の明かりに映る自分の影が自分を襲う、というのに等しい。
どう考えたって、ありえない話です。空想・妄想の世界でしょう?それと同様なのです。

人生の運命的なもの、というのならまだ分りますが、何々の因縁、というのはでっちあげです。
なので、それに怯える必要は無い、ということ。

次に、仮に「因縁」というのもがあったとしましょうか?
それを解脱する作業で途中で止めたからと言って、なぜ自分に悪いことが起きるのでしょうか?
自分の悪業は悪業として決まった量しかないはずです。なぜそれが襲ってきたり、増えたりするのですか?
まして、減らす作業をしているわけであって、それを途中で中座したからといって元に戻る?
なら、最初からやらなくとも同じじゃないですか?
途中までやったのなら、やった分減っているはずですが?

また、因縁なんていつまで・どこまで消滅しているかなど分りはしない。
そういうわけのわからないものに怯えてどうしますか?
むしろ、そういうものにこだわらず、明るく元気に毎日を感謝で生きて、良い行いを一つでも多く
行うように生きる、するべきではないでしょうか?

お釈迦様が言わない、訳のわからない存在の因縁など、襲いもしないし返ってくるというものではない、ということです。
ですので、行をやろうがやらないだろうが、増えも減りもしない空中に向かって拝んでいるのと変わらない行為だということです。
なので、罰も当たらないし、変化も無いのは当然、ということです。

45大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/14(火) 15:43:11 ID:OqRsnP6c0
次に法施や修法物への考察。

私は若干霊感が有るのでそれでいつもサーチするのですが、波動が感じられないことに疑問がありました。
A宗の修法物には、感応(反応)が無いのです。

まあ、今までは「私の霊感が未熟だから測れないのだろう」と思ってましたし、日月神示でも
「正神に奇蹟なし」と言うのがありますから、それを信じていたのもありましたね。

でも、それとは裏腹に「魂が入ってないのも何も反応は無いだろうし、奇蹟も起きないぞ」という
気持ちもあったのでした。

今までの考察で判ったのは、

@ 多少の霊的な良い影響というのは有るのだが、それが微弱でほとんど無いに等しい。
A 世俗のことに関心が無く、感応はほどんとない、また逆に聖なる行為でも反応は見られない。
B 御宝塔同様、粗末にしても罰を受けることが無い報告があったのを見ている。
C 抜魂修法をしてなくても、罰が無い。

何故、ここまでいえるかというと、納札物を扱う作業(お役)をしたことの有る人はわかるからです。
はっ、と気がついた方は正解。そう、納札物は処理の段階でまだ抜魂してませんよね?
それなのに、結構処理の段階ですさまじいことをしますよね?
それを自宅でも私はしたのですよ。実験で。未だに何も無いですよ。それが一つ。

後は、伊勢白山道さんと日月神示がヒントでしたね。それで確証に至ったわけです。
幽界のものなら、合点が行くわけです。

これが魔界とか動物霊、地獄界の類、逆に本当の霊界や神界でしたらただではすみません。
エライ目にあいます。

良く2chでは「狐霊」とか何とかの霊、というのを言われてますが、違います。
幽界の世界ですから怖くは無いです。ですが、有益でもないです。
幻というか、ゲイカの観念の世界、及び陽炎的なものですから、箸にも棒にもかからないわけです。
なのでご利益も無い代わりに、罰も無いという結論です。

ですから、A宗は空中を拝んでいるのと変わりが無いですね。残念ですが・・・。

46大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/14(火) 16:00:19 ID:OqRsnP6c0
現形について

今まで私も、現形については一目置いていましたが、それも判りました。
あれは、ゲイカの通力での発生物です。また、幽界からの感応での発生です。
本当の神仏なのではありません。

例えば、近年ではイスラエルの獅子とか、キリスト様が現形されましたが、それもどうということはない。
ゲイカの念が造形されただけのことです。つまり、ゲイカは炎の造形師なのです。
又、それが非常に得意です。

まず、護摩は何でもあり、だということです。どうして他宗の神仏が出るのか?
現形してはいけない、ということはありませんが、何故そうなるのでしょうか?
ゲイカ自身がそれを言っていますね。人の思い(念)は非常に強いものだと。
それが炎に表すことができる能力を身に着けた、となればどうなるでしょうか?
色々修行してきた方ですから、それぐらいは朝飯前でないでしょうか?

次に、その現形したものをお分けしているA宗ですが、それを拝んでも効果が無いということです。
その理由は先の文章で書いたとおりです。本当の神仏でない、しかも御霊が入ってないのですから、
奇蹟も祈願成就も叶うはずが無いわけです。陽炎に拝んでも叶うはずないですよね?
もっと例えるならば、雪像や氷像を刻んでそれに気合いをかけて「修法物だ」と授けたようなもの。
その雪像や氷像が炎であって、写真というだけです。まして、気合いが入魂ですから、御霊など程遠い。
だから、いくら霊写真だといって拝んでも何も無いのが現実です。
また、招聘するもとの御霊は幽界ですから、何も起きない。
いずれにしても、何も効力が無い炎の写真、造形物ということです。

また、2chで散々言われているように、釈尊が禁止した護摩を焚く時点でおかしい。
それで根本仏教というのだから、如何に矛盾しているかがわかります。
護摩を焚かなくても、人が集まるようでなければいけないのでは?と思います。
護摩の火を拝んでご利益を得ようとする時点で、それも釈尊は禁止しています。
つまり、護摩に依る理由は別に有るのです。次にそこを書いてみますね。

47大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/14(火) 16:31:47 ID:CWNdZPOM0
護摩について

護摩は火を使います。火というのは実は人間に強烈な印象を与えます。
火は、人間だけが扱うことができる代物です。また、火は便利なもので生活には欠かせません。
そして、かなり昔から、生活だけに限らず、宗教儀式にも用いられてきています。
それが護摩です。

そして、これはゲイカの受け売りですが、人は火(炎)にかなり影響を及ぼされると私も思います。

良く焚き火をしていると、その火(炎)を眺めるのが好きだ、という方いませんか?
また「火事場でのやじうま」が多いのは、その炎見たさに集まるのです。
これを良く利用しています。
人はやはり無意識に火への畏怖と憧憬を持っているようです。
その関心や影響をゲイカは活用しているのです。

あれだけ大きな炎を目の前にして、人は国境や性別、年齢を超えて意味知れぬ何かを感じます。
それが人によっては恐怖の場合もあるでしょうが、ありがたさを感じるのは宗教だけです。
巷の焚き火はそこまで行きません。

火への人間に関する影響を持って、宗教関心を持たせようというのが裏の目的です。
表向きはA宗の言っていることではありますけどね。

火への関心が捻じ曲がった場合には、悪事へと走ります。放火などがそうです。
火を家などに放ち、燃え盛るのを見て喜びと恍惚感、そして鬱憤を晴らすのが多くの目的といわれて
います。(恨みなどで人を殺傷する場合は別ですが)
火への関心は悪い方向なら放火、そうでない場合は護摩が有効と成るのです。

又、炎を見せることで多くを語らなくても済むというメリットもあります。
理屈抜きで「どうでしたか」といえば、多くの人は曖昧ながらも感動の意を言います。
それだけ効果があるのです。

全く反応の無い人は別ですが。

また、先ほどのことに重複しますが、護摩の炎の中に何か出現したといってそれがどうと言うことは
特段無いのです。もし、それがあるとしたら商売に行き詰まっている人や病気で困っているなどなど
あるひとは、写真だけ拝んでればいいわけです。実際の護摩やビデオでもいい。

ところがそれからあぶれる人がいるわけです。これはどういうことか?
すると、当然A宗の神仏もたいしたことは無い、となるのは当然です。
あるときは願いを叶えて、あるときは叶えないというのは非常に不可解です。

それこそ願いをかなえるのなら、自分で努力しなさいと言うほうが正しい。
しかし、それでは宗派は飯が食えない。
願いを叶える代わりに、金銭の授受を勧めるわけです。今の在来宗教はそういう形になっています。

一方、釈尊はそういう「見返り信仰」の行為はされてなかった。
全くされてなかったのです。ただ、ひたすら自己完成・解脱を示唆されていたのです。

本当の仏教というのはそれだけ違うものなのです。

ですから、護摩の炎に何の神様などが現れたとか、願いが叶ったというものの行為は仏教ではないのです。
それを売りにしているということは、仏教以外の宗教をしているということであり、邪道なのです。
そして、人々の煩悩を増大させることを増長している行為になるのです。
むしろ、本当の仏教を講じ、実行するなら護摩をやめるべきですが、それをやると火への効果が得られない
のと、教団の運営が出来なくなるからやっているのであり、またあの炎で先祖成仏や因縁解脱が出来ると
いうのは、ありえない話でそこも理解できないと護摩&A宗マジックから抜け出せないということを
申しておきます。

48サライ:2009/04/14(火) 23:55:16 ID:kHWurtHEO
>>41伊勢白山道氏の論から、A宗の考察を進められたようでなによりです。A宗の精神世界の中での位置づけ論の一つですね。護摩については、ゲイカは「私のかつての師の北野恵宝先生は、"坊主は護摩さえ焚いていれば、喰いぱぐれないんだ"とよく言ってました」 と最近の法話で言ってましたよ。釈迦はゴマを禁止うんぬんというのではなく、もともと神道アミニズムや修験道の国柄ですし、あまり、こだわらなくてもいいんじゃないですかね(笑)。所詮、新興宗教ですから、家の宗旨の菩提寺と産土(うぶすな)神社をメ インにして、新興宗教はサブにするのがいいのかもしれません。つい、セールストークの「在来仏教には成仏法がない」(←こんなこと言っちゃダメすよね。常識的にとかに洗脳されてしまうわけです。お護摩のチラシには「宗派を越えて祈りの心を集めてます」なんて書いて、表裏があっておかしいですよね。

49サライ:2009/04/15(水) 00:05:24 ID:kHWurtHEO
>>48 訂正 「常識的」にの後カッコ閉じです。

50大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/15(水) 10:23:26 ID:WU8.MdgM0
サライさん、ご意見ありがとうございます。
実は色々書いた私ですが、個人的には護摩は嫌いじゃないですよ。むしろ好きなほうです。
やはり、私も自分の説明の中にあったように、炎に反応する輩の一人なのでしょう。

護摩のチラシの文句は嫌がる人も居るでしょうが、あれも私は当然の謳い文句だと。
あれが無かったらA宗は完全邪教になってしまう。
まあ、ここが批判派の突っつかれる元にもなっているわけですが。

確かにサライさんの言われるように日本自体の宗教に対する形(国柄)というのを考えると
「良いジャマイカ」ですよね。それは分ります。
ですから、憲法でしたっけ?信教の自由が有るわけですし、当事者がよければ良いかと。
ただ、私もA宗に疑問を持つとか、真面目に考えている人、迷っている人がいたらその方
達の判断材料になるために、書かせていただいているのもあります。それにつきますので
私を信じてもらわなくてもいいし、逆に信じてもらっても良いかと思っています。
私はA宗の欺瞞を暴くのだ、というのは持っていませんからね。

どちらかというと私は自分が考察したのと、自分が在籍していて見てきたものや
感じたものを言っているのが多いですね。ですので、それに近い経験をしてきた
方には感じるものがあるかも?と推察しています。

ただ、「大日。お前は間違っている」とも言われることも有るかとは思います。
結局、人によりけり、なのだと思いますね。

でも、北野氏批難するつもりは無いですが、そういうことを言ってましたか。
最近の法話ということはゲイカの発言ですね? 胡散臭いなあ、ゲイカ。
何でも自分の都合のいいような発言するからなあ。しかも、北野氏と縁も切れたくせに。
まあ、なんでも自分の思い通りになるとまだ思っているのでしょう。
もうゲイカの時代は終わっているのにね。ご愁傷様w

あの方は裏表がありすぎです。

51大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/15(水) 10:24:44 ID:WU8.MdgM0
>>50 訂正を

批判派の突っ込まれる、を「批判派から突っ込まれる」に訂正です。

52名無しさん:2009/04/16(木) 12:52:09 ID:cMnw6Jpw0
>>48 人違いだったらすまん。ザビビのころから上等こいて今更それはないんじゃないか。
どう上等こいたか忘れたが擁護ばかりしてた記憶があるもので。誤解だったらすまん

53サライ:2009/04/16(木) 19:24:58 ID:kHWurtHEO
>>50 そう、A宗に在籍してきて、感じたことや考察の結果、A宗幽界論にたどりついたこと、を自然な形で表明されてるわけですね。ちなみにゲイカのかつての師の北野恵宝師を以前、ネット検索したら師のUFOとの遭遇(自宅の庭に降りた)話が出てきましたよ。(笑) こういうのって、Xフィルぽくていいですよね。2、3年前の正月でしたか、シュタイナーの神智学の講義をしてくれるっていったのに、例によって、月が変わると予告した講義予定内容をころっと忘れてしまいますね。(笑)(瞑想の講義は2回やっだけで、10年以上中断したまま)。講義のスキームの年間プランナーが必要なのに、職員さん達もゲイカ自身に丸投げでしょ。「来月からこれをテキストにして・・」と予告したことを忘れてても、職員も知らんぷり。年間通して、講義もあっちとんだり、こっちとんだりしてしまってる。(笑)職員さんがしっかりプランナーして、サポートしないと、ゲイカ気の毒です。

54サライ:2009/04/16(木) 19:41:37 ID:kHWurtHEO
幽界というのは、そこに住まわれるといわれる多数?の龍神様や、幽界の盟主といわれる大国主ノ神様が、キーワードになると思うのですなが、A宗との関連は?さて。と考え中です。A宗はまあ、神道系であることとの関連。新興宗教では、神祇を軽んじる不埒なところがあるようですが、A宗は神祇を重んじる。それは確かにA宗の長所であり、救いです。

55名無しさん:2009/04/17(金) 01:15:35 ID:cMnw6Jpw0
大日さんがいう幽界はかくりよとは違うと思います。
幽界、霊界、神界というような言い方の場合、かくりよにレベルがあって、かなりレベルが低いところを指す。
あごん宗の神仏はあごん宗の表現でいう不成仏霊の世界の存在と大日さんは言ってるのです。

あごん宗は神祇を軽んじる不埒なところがあるようです。龍神がとぶで仏法じゃないと神も成仏できないから神々が仏法を求めてるみたいなこと書くし。
星祭りに強力してくれる神社の祭神を不成仏霊扱いしたこともあった。

56大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/17(金) 08:29:38 ID:i8CM25Ik0
>>53 >月が変わると予告した講義予定内容をころっと忘れてしまいますね。

実は私はブックオフで廣野さんの本を手に入れれたのですが、それには昔からその傾向(癖)が
あったと書かれていて驚き。

ゲイカが本を出版されたらそのたびに「次回の法話は御著書をテキストに講義しますから
購入し、持参のこと」といわれるのですが、過去にそれを実行したのは自分の中では一回だけ。
しかも、短時間話して終わり。奥義も深い解説も補足もなし。
それじゃあ、各自で本を読んで終わりジャン、です。
なので、それ以降本を持参するのはやめました。

伝法会でもそうですし、また合同講義もそう。用意させておいて使わない。
これ、ゲイカの癖です。マトモに相手にしないほうがいいですよ。
しかも、昔からそうなのだから、今に始まったものではありません。
それこそ観音慈恵会からなのですよ。呆れます。
また、職員はゲイカの飼い犬状態ですから、意見など言えるはずが無い。
仮にやろうとしても、ワンマンだから言うことを聞かないですよ。

あと、>>54の「A宗は神祇を重んじる」ですが、どうかなあ?と。
それは次に書かせていただきます。

57大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/17(金) 08:54:23 ID:E.Q5glXk0
私は>>55での名無しさんと同様に「神祇を軽んじる不埒なところがあるよう」だと推察します。

私見で申し訳ないですが、>>55での
>龍神が飛ぶ、で仏法じゃないと神も成仏できないから神々が仏法を求めてるみたいなこと書くし。
星祭りに強力してくれる神社の祭神を不成仏霊扱いしたこともあった。

これは良く2chなどで言われていることです。確かにそれはそうかと思いますがそれが神祇を軽んじる
事か?とはそうは思わない。

仏教の観点で考えれば、どうしてもそうなるのはありえることだからです。
おそらくA宗でなくても、そういう表現になるでしょう。でも、それが仏教だというのは
これまたおかしい。
キリスト教でも神道でも同様に仏教から見たら「成仏してない」と言いがかり?をつけるのは
いくらでも出来ます。それをやっただけのことです。

でも、神祇を重んじるかといえばそれもどうかと。
本当に重んじていれば、形が違ったのではないかと思うのです。

古神道系の方でゲイカ、及びA宗を批判した方はいないようですのでわたしの推測になってしまいますが、
おそらくゲイカが体得をしてないと思われます。

まず、ゲイカが古神道系の人と交際が皆無なこと。
次に、法を披露したことがないこと。
最後に、古神道の方がゲイカの作法や力を見れば分る(判断できる)ということです。

結局、ゲイカは自己申告、つまり、言ったもの勝ちの世界で生きています。
証明・証拠など無いのです。

自分は神道のほうの法を持っている(知っている・体得している)といいますが、それは本などの作法の
取得によるものです。実際に神仏を動かす、修法できる力は分りません。私は無いと判断。

なぜなら、過去の法施物で「まがたま」がありますが、あれも授けただけで何も示唆が無い。
また、神仏両界曼荼羅もあるが、あれも飾って終わり。これが神法のある方の行動ですか?

また、実際に神法で何かをしたというのも無い。金星の法もどこへ行ったやら。
結局、妄想やごまかしで終わりですね。

また、道場にいけばわかりますが、内陣に神様を安置しているのもおかしい。
あれを見たら、知識の有る人は「何でもありだな」といいますよ。
また、何の作法も儀式も無い。神道形式で祝詞もあげることもしていない。
内陣修行をやったことの有る人なら、すぐに私の言ったことは察しがつくはずです。

供物を上げたり、変えたり掃除はするが、それ以外はしないでしょう?
神様がA宗に来るといきなり仏扱い??? おかしなものです。
いつの間にか神様が仏様の眷属になっている。ここを私は「重んじてない」と判断。

そして、その後の>>55で言われている行為をしたのがまずいよね?と思います。
神道は成仏という観念が無いので、いくらでも言いようはありますね。
言われた方もA宗と関わりがあるので文句を言ってませんが、普通なら縁を切られるほどの
事を発言されているというのに気がつかないといけない。恐ろしいことです。

58大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/17(金) 09:09:12 ID:XTxd16PQ0
あと、神道は神道の世界が有るのだから成仏云々ということを言っても通用しません。
他宗派も同様です。

死後、自分の想う世界か、住した(属した)宗教の世界へ行きます。
ただし、それが幻であったら、存在しないので行き場を失います。
それこそ、以前本門仏立宗を信じた有る方の話を書きましたが、それと同様にその世界へ
入れないで迷う方もいます。いくら念じてもそこに行けない人も居るし、また行ける人もいる。
そして、行ったから安泰と思ったらそこは霊界ではないので、安穏できないで離れる人も居ます。
とにかく様々なのです。

A宗は偽仏教なので、あの世での世界は幽界に属しています。仏界・霊界ではないです。
なので、そこには釈尊は居ません。そこに死後収容されるか、それともそこに居られないで
彷徨うとかになるでしょう。それを懸念して自分は離脱を決めました。

幽界は何でもアリの別宇宙空間です。この世とあの世との狭間に有り、中有界とも違います。
勿論、神界や仏界でも霊界でもないです。

死んだら霊になるしあの世は霊界だから霊界じゃね?といわれるかもしれませんが、ゲイカの言われた
霊界というのを当てはめると合致しなくなります。なので、霊界ではないという判断です。
あの世が全て霊界というのなら、何もかもが霊界になってしまいます。

私の言う幽界とは仏教の説く霊界ではないということ。勿論仏界でもない。
観念でいつでも発生できるようなインスタントの世界でも有る別宇宙の空間だということです。

そういう箸にも棒にもかからない神仏もどきを信じているのは無駄なので意味が無いよということですね。

59サライ:2009/04/17(金) 23:29:41 ID:kHWurtHEO
>>57 古神道の思想家方で菅田正昭氏がいますが、著書で、「 A宗、新宗教・ 精神世界のすぐれた'予備校'」の評価をいただいておりますね。「日本宗教の戦後史(三交社)」 あと、何が偽仏教かなんて、誰も判定はできない(相対的なもの)わけですから、「仏教系の新興宗教」というのが、適正な表現かと思うのですが。また、N神社さんが、協力して下さるようになったのは、その事を言われた3、4年'後'からだと思うのですが。失礼があったら、協力関係なんて、できるわけないかと。

60大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/18(土) 06:32:05 ID:AWZ1Ufxk0
>>59 確かに仰せのこと分りますね。偽仏教というのは言い過ぎたと反省。
今後は「仏教系の新興宗教」という言葉に致します。

菅田さんという方の本を読まないとなんともいえないのですが、そうでしたか。
無反応とばかり思ってましたね。
好反応があるとは意外だと個人的には思いますね。まず、その教えてくださった本
を探してみますね。

私も今のようにA宗を見るようになるまでは、マジでN神社さんの協力のことを
いいほうに捉えてました。
しかし、少し前から疑問が出てきましたね。果たして100%喜べるかなと。

掛け値なしに喜ぶ姿勢は今申したようにあったのです。しかし、今は「果たして?」
というのが有りますね。
まあ、疑惑や疑念が生じたら何でもいぶかしく思うのは否めませんがw

今の私個人の考えは、N神社OK。A宗OK。でいいとは思うのです。
実際うまくやっているわけですし、別段何か悪い画策があるわけでもないし。
それこそ、N神社以外にも今後神道系統にもA宗は将来何らかの縁が生じ、本当の
神仏両界、仏教でありながら神への示唆もされるんだなあ、という期待に胸を
膨らませていたものです。

ところが現在の状況や、少し前からの様子を見ても、特段何かあるわけでもないし、
N神社の絡みだけがA宗には有るのみで、あとの神道系は特に縁が無い。

また、実際神法というのをゲイカだけの世界にしているのを見て、「さあ、果たして」
という気持ちになるのは実際ありますね。

守護神を拝受された方は祝詞も頂き、毎朝唱えるし行うわけですが、それ以外は信徒は
特に何かするわけでもない。
神棚を持つ人への示唆も指導も特に無いA宗は、私は何か興ざめする感がありますね。
しかも、最近過去に行われた「式年遷宮」のことも、本当の招聘ではなかったという
疑惑の意見も出ていますし、どうもやぶさかではない気もします。

私も今後将来は世の中が悪くなるようですから、その時には「やれ神だ仏だ」なんて
言ってられないし、そういう状態ではないでしょう。それこそ神も仏も力を合わせて
ゆくような事態が予測されるので、融合は歓迎するところです。そういった意味で
私は神仏両界はよろしいかな、とは思っていましたが、さて・・・。

正統な仏教の法を講じてない。また教えも捏造・湾曲している様を見て、果たして
その上を行く「神仏両界」へのいざないは本当に可能か?という気持ちが有るのは
私の中にある、と申させていただきます。

61名無しさん:2009/04/18(土) 10:35:58 ID:cMnw6Jpw0
>>59 >何が偽仏教かなんて、誰も判定はできない(相対的なもの)

あなたは座右宝鑑を読んでいませんね。または読んでいて無視している。
宝鑑によると三宝を判定する絶対的な基準があるんですよ。あごん宗は三宝が本物である唯一の仏教教団じゃないんですか?

62大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/19(日) 20:09:35 ID:/aRqI6yM0
ふむ、本来ならサライさんの意見があった後のほうがいいのかもしれませんが、書いて見ます。

三宝は如何様にも取れるものですよね?
以前こういうことがありました。

自分の知り合いの学会の信者さんが言われたことですが、そこではこうです。

仏=日蓮さん
法=法華経
僧=日蓮正宗のお坊さん

次に浄土真宗では

仏=阿弥陀仏
法=阿弥陀経
僧=寺の坊さん

私はこれを今から10数年前に聞いたときから笑ってしまいましたが、現在はA宗も同様なので
笑えなくなりましたね。

三宝など、いくらでも捏造可能じゃないかと。

>>61の名無しさんの言われることはわかります。
あなたの言うとおりで主張しないとA宗の教義など、他宗同様おかしげなものになってしまうし、
主張できないと矛盾が発生してしまうし。
また、座右宝鑑を読んでいるか、A宗の教学を知っていれば(学んでいれば)>>59のような発言は出来ないはず。

でも、私にすれば先ほど示したように、三宝なんていくらでも作れる・主張できるんですよ。
なので、仏教はややこしいのです。

また、何も知らない人はA宗信者だけでなく、その宗派(仏教系)の信者なら真面目にその宗派のいう
三宝を始め教え全て正しいものと信じていますよ。

そういうのを見ると「偽仏教」というならA宗以外の宗派は”偽仏教”であり、また学会さんから見れば、
学会以外は”偽仏教”になるし、それを考えたら
「ああ、偽仏教というのはやめようか」と私は思った次第。

その人が思ったら”偽仏教”であっても”正仏教”になる?のかもしれませんし。
究極的には釈尊が言われたことを基準に図るのが一番いいのかな?と個人的には思いますが。

サライさんの見解もお聞きしたいですね。よろしくお願いいたします。

63サライ:2009/04/21(火) 00:07:28 ID:kHWurtHEO
>>61 座右宝鑑ですね。思い出させていただきありがとうございます。100パーセント身についてるわけでないので、今回、参照させていただきました。聖徳太子の憲法17条第2項とともに参考にいたします。「篤く三宝を敬え。三宝とは、仏・法・僧なり。則ち四生の終帰にして、万国の極宗なり。・・・・・以下略」 >> 62大日さんのおっしゃる通りで、どこの教団も自分の所に三宝があるというでしょうね。(笑) 「どの宗派の僧侶も仏教の慈悲の考えから自派と異なる立場をとる宗派にも寛容に接してきた。このため、日本では多様な宗派が共存することとなった。ただし日蓮宗だけは自分たちが唱える"法華の教え"を唯一の正統として他の宗派をすべて邪法とみる。このため、1536年天文法華の乱( 京都の日蓮宗寺院21カ所が比叡山の僧兵との戦により破壊された事件) など日蓮宗にからむ紛争がおきている。(知っておきたい日本の仏教、武光誠著 角川ソフィア文庫)」 この日蓮教団さんたちみたいに「他は邪教だ」なんて、いやですね。昔A宗も他から邪教と言われれてて、ゲイカも「末世成仏本尊経」で反論したまではよかった。が、言われているうちはよかったが、今度自分で、他に言ってしまった。この日蓮教団と同じような目で、他宗をみなしてるとしたら・・? (他宗では成仏できない云々) A宗は日蓮教団の生まれ変わり?ですかね。(笑)

64大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/21(火) 03:32:43 ID:dgaC1xQw0
サライさん、投稿ありがとうございます。本当に>>61名無しさんは良い意見を出されました。
今一度考える・また基準というものを出してくださったわけですから、本当に良い意見です。

結局、寛容な姿勢を持った我が国では、逆にデメリットの部分も共有してしまったわけで、
だが、だからと言って”何でもよし”でいいのか?とも感じるのはあったりします。
いろんな人間が居るのと同様に、いろんな考えや宗教もありなのかということでしょう。

家の妻も言うのですが、「何でみんな宗教は自分のところが一番だとか、正しいという
んだろうね」と言われ、ふと疑問に思ったことがあります。
仏教は特にそれが多いし、また仏教以外でも言う宗派もあるようで。

でも、沢山有る宗教の中でどれかをチョイスして講じている人が居たら、それ以外の宗派は
どうなのよ?ということになる。
それに対し、「いやどこもそれなりに良いんだよ」というか「間違っている」というか
「無関心」のどれかになるでしょうね。

間違っている、といえば争いの元になるし、どこでも良い、といえばいい加減なやつと
みなされる。無関心だとそれはそれでまた言われる・・・きりが無いですね。
そうなると、排他的なことを言わないで行くのが一番良い、となるわけです。

私も偽仏教というのをやめる姿勢をとったのは、この原則に気がついたからです。
自分が仮に「偽仏教」と思う・認定しても言うのは排他になるからやめようと。
一生懸命ある宗教を信じている人の怒りを買うだけですから。
結局は、信じるも信じないも個人の勝手であり、それで損をしてもそれはその人の責任で
ある訳ですからね・・・。

>>63の最後の文の日蓮教団の生まれ変わり、は無いと思いますね。
それは自教団の解釈・主張だけですから。
ですから、「仏教系の新興宗教」というのは正しい表現と私は感じます。

65名無しさん:2009/04/21(火) 12:34:34 ID:hUzlpf5A0
>>18 :サライ:2009/04/02(木) 00:11:53 ID:kHWurtHEO
>A宗が本物だろうが、なんだろうが、この行為を実践すれば、いやがおうでも、仏法は動きだしますよ。
>A宗は、少なくとも、現在の朝廷、寺社奉行である、文化庁から、免許をもらってるんですから、民間資格である、度ちょう授与や、偽僧侶うんぬんの議論は、なんか、ピントはずれですね。
>>48 :サライ:2009/04/14(火) 23:55:16 ID:kHWurtHEO
>釈迦はゴマを禁止うんぬんというのではなく、もともと神道アミニズムや修験道の国柄ですし、あまり、こだわらなくてもいいんじゃないですかね(笑)。
>>59 :サライ:2009/04/17(金) 23:29:41 ID:kHWurtHEO
>「日本宗教の戦後史(三交社)」 あと、何が偽仏教かなんて、誰も判定はできない(相対的なもの)わけですから、「仏教系の新興宗教」というのが、適正な表現かと思うのですが。

サライさんは文章はアゴン宗に批判的なものもあるが、時々、上記のように、
エッ?と思う一文を紛れ込ませるのが得意のようですね。
こうしてみると、どうやらあなたもアゴン宗の信者らしい。
あなたが信者なら、上記のような文章を紛れ込ませるのはとてもズルイと思う。
もっと正々堂々と、正面から上記の主張を書いてはどうか。
18については、2ちゃんねるの156の562であなたの文章を引用して批判しました。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1237256128/
大日さんが信者さんたちも書き込みがしやすいようにと配慮して
作ったこの継続スレに、私が出てきては書き込みがしにくくなるかも
しれないと遠慮して、18は引用して批判しました。
だが、こういう転記自体が擁護側からは不評のようで、
引用して批判したことを激しく恨む人たちもいるので、こちらに来ました。
59については60さんから質問がでており、私もこの質問に賛成です。
あなたの返事を読んでから書くつもりで待っていました。
まず、護摩の件です。

66名無しさん:2009/04/21(火) 12:38:21 ID:hUzlpf5A0
>>48 :サライ:2009/04/14(火) 23:55:16 ID:kHWurtHEO
>釈迦はゴマを禁止うんぬんというのではなく、もともと神道アミニズムや修験道の国柄ですし、あまり、こだわらなくてもいいんじゃないですかね(笑)。

日本の宗教が神仏混交だから、アゴン宗も護摩を焚いてもかまわないのではないか
というのが、あなたの意見らしい。
あなたは三宝の件も話を日本宗教の一般論に置き換えてしまっている。
だが、このスレもアゴン宗が対象であり、大日さんは信者であり、
私は元信者であり、アゴン宗を抜きにした一般論は無意味です。
また、失礼ながら、それがゴマカシや逃げ口上のように私には見える。
なぜなら、一般論にみせかけてアゴン宗擁護をこうやって滑り込ませ、
批判をあざ笑うのは、おおよそ趣味が悪い。
アゴン宗の教義から見ても、あなたの上記の主張は間違いです。
批判を理解していないのはともかく、アゴン宗の教義を理解していない。
もう少しアゴン宗の教義をしっかりと勉強したほうがいい。
アゴン宗は日本の他の宗教とは違います。
その一大特徴は、阿含経を依経としている点です。
阿含経を取り入れている教団は他にもあるが、教団の中心経典として
取り入れているのは唯一、アゴン宗だけです。
だから、名前もアゴン宗です。
依経とは、教義の基本となる経典であり、経典にある教えこそが
その宗教団体の基本理念となる。
ところが、依経とする阿含経では護摩は禁止されている。
この矛盾を批判しているのです。

67名無しさん:2009/04/21(火) 12:41:17 ID:hUzlpf5A0
>>48 :サライ:2009/04/14(火) 23:55:16 ID:kHWurtHEO
>釈迦はゴマを禁止うんぬんというのではなく、もともと神道アミニズムや修験道の国柄ですし、あまり、こだわらなくてもいいんじゃないですかね(笑)。

真言宗のように、仏教を標傍しながら護摩を焚いている教団もあります。
だが、真言宗は阿含経を依経とはしていない。
仏教を名乗りながら、護摩を焚き、加持祈祷すること自体が間違いだと
私は思うが、それでも、真言宗の教義においては矛盾していない。
これに対して、アゴン宗はアゴン宗の教義において矛盾するのです。
アゴン宗が真言宗の一派で、阿含経など取り入れていないというなら、
護摩を焚くことは、少なくとも教団内部での矛盾はありません。
だが、アゴン宗は真言宗の様式を取り入れただけで、
大日経や金剛頂経を依経とはしていない。
阿含経がたくさんの経典や宗教様式の一つとして採用するというなら、
阿含経と護摩や加持祈祷は対等だから、かまわないという理屈も成り立つかもしれないが、
桐山さんは阿含経のみを依経として、教団の頂点に置いたのです。
阿含経を頂点に置いたら、ありとあらゆることが、まず阿含経を基本とすることになる。

68名無しさん:2009/04/21(火) 12:45:17 ID:hUzlpf5A0
>>48 :サライ:2009/04/14(火) 23:55:16 ID:kHWurtHEO
>釈迦はゴマを禁止うんぬんというのではなく、もともと神道アミニズムや修験道の国柄ですし、あまり、こだわらなくてもいいんじゃないですかね(笑)。

阿含経こそがアゴン宗の「憲法」なのです。
憲法と矛盾するような法律は、その法律が排除されます。
だから、阿含経と違う教法があるなら、それは不採用です。
阿含経では護摩や加持祈祷は禁止です。
憲法でそれが定められているのだから、護摩は禁止です。
阿含経では護摩や占いなど加持祈祷の類はことごとく禁止されていますから、
これをしているアゴン宗は自ら制定した憲法に違反し、自己矛盾しているのです。
そして、それが適用されるのは、阿含経を憲法としたアゴン宗だけです。
あなたはアゴン宗憲法が適用されない他の日本の教団を取り上げ、
だからエエジャナイカと、護摩を批判している批判側を嘲笑したが、
間違っているのはあなたのほうです。
たとえば、日本国憲法で天皇は象徴だが、日本国憲法の規制を受けない他国が
天皇を象徴と認めないのは彼らの勝手です。
だが、日本の地方都市が「天皇は象徴ではない」という条例を作ったら、
憲法違反であり、取り消しを求められる。
これと同じで、神仏混淆の日本の宗教が護摩を焚くことは、
阿含経を依経としないよその教団は内部的には矛盾しないが、たった一つ、
アゴン宗だけは阿含経を憲法としているために、違憲なのです。

69名無しさん:2009/04/21(火) 12:50:37 ID:hUzlpf5A0
>>59 :サライ:2009/04/17(金) 23:29:41 ID:kHWurtHEO
>「日本宗教の戦後史(三交社)」 あと、何が偽仏教かなんて、誰も判定はできない(相対的なもの)わけですから、「仏教系の新興宗教」というのが、適正な表現かと思うのですが

>>61さんが指摘したように、あなたの主張はアゴン宗の教義とは違います。
桐山さんはアゴン宗こそ三宝本物だと主張した。
相対的などと一般論を出すところをみると、座右宝鑑の記述を忘れていたのではなく、
批判を読んで、三宝本物という主張がマズイことをあなたは知っていたのではありませんか。
だから、63の返事もまるっきりピンボケで、護摩と同様に、一般論になっている。
このスレのタイトルからして、話題の背景にはすべてアゴン宗がある。
しかも、あなたがアゴン宗を完全に抜きにしているのならともかく、
某氏ははアゴン宗を評価してくれたとか、護摩の件のように、
批判側の態度をチクリと皮肉ったりと、アゴン宗擁護をしている。
だから、護摩や三宝の件も百も承知で書いたように見える。
大日さんは寛容な人だからあなたの発言を追求をしないが、私のように
考えも立場も違う者も読んでいることを覚えておいてください。

70名無しさん:2009/04/21(火) 12:54:02 ID:hUzlpf5A0
>>63 :サライ:2009/04/21(火) 00:07:28 ID:kHWurtHEO
>大日さんのおっしゃる通りで、どこの教団も自分の所に三宝があるというでしょうね。(笑)

そんな話ではありません。
仏教一般や日蓮宗なんかどうでもいい。
あなたが所属しているアゴン宗の三宝が偽物だと批判しているのです。
桐山さんはアゴン宗こそが三宝本物であり、他は偽物だと非難した。
だが、アゴン宗こそが三宝偽物です。
三宝の仏とは真正仏舎利であると桐山さんは書いている。
だが、スリランカ大統領から4億円で買った仏舎利すらも、真っ赤な偽物です。
そのことは2ちゃんねるで繰り返し批判されてきた。
このスレのご先祖のザのスレにそれらの連載が転記されています。
http://religion.log.thebbs.jp/1130673101.html
の[782]から「偽の真正仏舎利」と題した批判がそれです。
スリランカ大統領のメッセージにも仲介している僧侶の書いた由来書にも、
本物とは一言もない。
そればかり、由来書には「見えない存在からもらった」と
偽物であることがはっきりと書いてある。
真正仏舎利が偽物となると、アゴン宗の教義が破綻する。
なぜなら、桐山さんは本物の仏舎利でなければ奇蹟はおきないとしている。
本物の仏舎利が来たから自分は解脱したのだとまで書いている。
ところが、これが正真正銘、保証書付きの偽物です。
真正仏舎利を持たないよその教団を腐したつもりで投げた石が桐山さんの頭を直撃した。
三宝の仏である本尊が偽物です。
これであなたが笑っていられるのが、私は不思議でたまらない。

71名無しさん:2009/04/21(火) 12:57:15 ID:hUzlpf5A0
>>63 :サライ:2009/04/21(火) 00:07:28 ID:kHWurtHEO
>大日さんのおっしゃる通りで、どこの教団も自分の所に三宝があるというでしょうね。(笑)

三宝の二番目が法です。
桐山さんは阿含経から釈迦の成仏法を発見したという。
その内容は因縁解脱、霊障解脱など、カルマを断ち切る法だという。
だが、釈尊が説いたのは漏尽解脱、つまり煩悩を断ち切る法であって、
カルマ(悪因縁)を断ち切る法など阿含経のどこにもありません。
事実、釈尊は食あたりで、大目連は異教徒に襲われた傷が元で亡くなっている。
アゴン宗的に見たら因縁解脱していません。
だが、漏尽解脱を目的とする釈迦仏教なら、死に方なんて関係ない。
釈尊は漏尽解脱だといい、桐山さんはそれを小解脱と侮蔑し、
因縁解脱こそが大解脱だという。
大解脱だというのはカラスの勝手だが、釈尊はそんなことは説いていない。
説いてもいない因縁解脱を阿含経から見いだしたという!?
解脱の定義が違うのですよ!!
「ヒマラヤ登頂に成功して、ワイキキで泳いできました」
「早稲田大学に合格し、医者になりました」
と言っているようなもので、無知から来るナンチャッテ解脱です。
解脱の定義を間違えて、七科三十七道品を成就したなんて言っても何の説得力もない。
桐山さんは釈尊の説いた法は何なのかを、未だに知らないのです。
しかし、因縁解脱が仏教の法でなくても、桐山さんが成就したのならまだいい。
密教食事件で有罪になり、脳梗塞になったのを見てもわかるように、
因縁解脱自体がこれまた嘘です。
アゴン宗の法は仏教から見て偽物であり、アゴン宗においても成り立たない。

72名無しさん:2009/04/21(火) 13:00:53 ID:hUzlpf5A0
>>63 :サライ:2009/04/21(火) 00:07:28 ID:kHWurtHEO
>大日さんのおっしゃる通りで、どこの教団も自分の所に三宝があるというでしょうね。(笑)

三番目が僧です。
桐山さんは僧侶の資格すらないのだから、論外です。
桐山さんは三十七道品を身につけた者が僧侶だと主張しているが、
これは二重の意味で成り立たない。
一つに、釈尊は得度をもって出家と認めたのであって、修行はその後です。
得度していなければ話にならない。
これをアゴン宗の信者たちはとても軽く見ていることに驚かされる。
釈尊は許可も得ない自称出家を厳しく禁止した。
二つ目に、法のところで述べたように、桐山さんは解脱の定義すら知らず、
三十七道品を修行したなどありえないし、実際に欲望のままに
生きているのを見ればわかるように、体得などしていない。
解脱した人が食欲すら抑えられないなんて、死体がしゃべるようなもので、
ありえない。
だから、桐山さんが出した条件すらも満たしていません。
つまり、三宝の僧においてもアゴン宗は偽物です。

73名無しさん:2009/04/21(火) 13:05:48 ID:hUzlpf5A0
>>63 :サライ:2009/04/21(火) 00:07:28 ID:kHWurtHEO
>大日さんのおっしゃる通りで、どこの教団も自分の所に三宝があるというでしょうね。(笑)

以上のように、アゴン宗は三宝において「完璧な偽物」です。
仏教教団をつくる時、三宝の根拠を示すのが通例です。
その教団の内側では、サライさんが指摘したように、たいてい本物なのです。
三宝など、ある意味で教祖か勝手に造っていいのだから、
偽物なんて、作れと言われても作れない。
ところが、アゴン宗の場合、桐山さんの決めた三宝において偽物です。
一つならまだしも、三つそろいもそろって偽物だというのだから、
桐山ゲイカはやはり天才だったというべきか、笑ってしまう。
仏罰なんて信じていないが、三宝偽物のアゴン宗を見ると、信じたくなる。
そこで、アゴン宗や桐山さんではなく、サライさんなど信者さんたちの問題になる。
イワシの頭を信仰するのは自由だが、仏教教団を自称するばかりか、
根本仏教を標傍しながら、三宝偽物だという。
三宝偽物を信仰しているあなた方の信仰が問われる。
一部の信者のように、釈尊の教法なんか実はどうでもよく、
桐山ゲイカを崇拝すると開き直るのも一つの手です。
サライさんは何かというと日本仏教や宗教の一般論を出したがる。
その性癖をちょっと減らして、あなたが信仰し擁護している桐山さんと
アゴン宗を直視してはどうか。

74大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/21(火) 20:13:32 ID:2rgs4xRQ0
>>65->>73 名無しさんへ
投稿ありがとうございます。また2chの時は大変ご迷惑と不快感を与え、申し訳ございませんでした。
ここでは@chsと違い、自由に書き込みできる環境を、と思って行っていますのでどうぞ今後も
ご意見投稿よろしくお願いいたします。

また、こちらの2chへの引用もお気遣いありがとうございました。
今後は引用や実際の投稿、全てOKですので気兼ねなくご使用くださいませ。

確かに名無しさん仰せのように、他の擁護?の方には不評のようですね。
私は全然構わない(気にならない)のですが。

引用というのは検証や意見を申すときのために必要な行為だと思いますね。
それこそ、ユビさんが当初私の引用が浅いのをみて言われた事がありましたが、引用が薄いほうが
逆にまずい、と思った次第。(そう思いながら、あまりやらないのは私の欠点ですが)

私も最初は批判意見に反発していましたが、よく読んでゆくとやはり正しいですね。
なので、今回名無しさんが出された意見はそのとおりです。
そういう観点で見ないと真偽もわからないし、ナアナアになってしまう。

私が甘くしたのはあくまでこの板で自由に、ザビビの流れも汲みたい。
後は巷の認識度に寛容度を広げた、ということです。
ゆえに、「大日。お前の本音は如何に」といわれたら名無しさんの意見に同意です。
なので、最初は”偽仏教”と、ためらいも無く発言したのはそこですね。
ですが、訂正をしたのはサライさんの言うことも分るし、辛らつに言うとその宗教を講じている人に
失礼になるのも有るなあ、という考えですね。

それこそ例えではないですが、犯罪をした人も刑が確定するまでは”容疑者”というでしょう?
あれと似ているようなものです。仏教系の新興宗教というのは「耳触りのいい言葉」であって、
本当は見方によっては「本当の仏教ではない」ということなのですからね。

こちらの板に整然として書き込みをされた名無しさんには、心より御礼申しいたします。

7561:2009/04/21(火) 23:58:06 ID:cMnw6Jpw0
サライさん大日さん。
三宝が全てニセモノの稀有な教団なのですね。アゴン宗って!

76大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/22(水) 04:44:46 ID:1exDlmYk0
61さんへ

うーん、アゴン宗だけがニセモノか?というのは私は疑問視しているのです。
以下の文を読んで、ご意見をいただけたらと思います。

三宝を考えたとき、有る疑問が出ます。
まず、仏。これは釈尊以外考えられないですね。
この世に生まれた(現存された)仏といわれる方はゴータマ・シッダルタ、そのお方だけです。
阿弥陀さまも大日如来もジュンテイ尊も皆概念(架空)の存在です。

次に法。これは生ける如来だった釈尊が説かれた教えと法ですね。
これは、阿含経及び原始・初期仏教経典でよろしいかと思います。
阿弥陀経や大日経、法華経や理趣経その他の創作経典は該当になりません。

最後が問題。僧です。
僧伽(サンガ)となると、釈尊在世及び滅後の数百年間は良しとしても、これだけ長い年月が経過
した現在では、本当の釈尊の教えを守るサンガというのはありえるのだろうか?という疑問です。

仏・法、とまでは確立できるが、僧〜サンガとなるとさて・・・?となってしまうのです。
どなたかお教えしてくださいますでしょうか?

アゴンの不整合は名無しさんが申されたとおりでございます。
しかし、では本当の基準となる「三宝」を見てみると、今のような疑問で止まってしまう
自分が居ります。
アゴンこそが本当のサンガと思ってたのがそうではなかった・・・。これは理解しました。
では、その本物のサンガが無ければ、基準というのが出来ますまい。私はそう考えます。

何卒皆様、よろしくご意見を賜りますよう、お願いいたします。

7761:2009/04/23(木) 00:11:13 ID:cMnw6Jpw0
>>76 南伝仏教でおk。 南伝でも呪術をしたりするそうですが、今までアゴン宗を本物だと信じ込んできた我々です。
アゴンが偽者だったからといって、全ての仏教まで偽だときびしくすることもないでしょう。
agama@chsの過去ログ「比較対象 A宗 皮のはぎ方」を参考に・・ってw

また2chの御大の名無しさんの書いたのを読んで(>>70>>73とか)、私も考えるのですが、日本の仏教が本物じゃない云々あっても、
例えば、真言宗で南伝仏教国から仏舎利をいただいて祭っているお寺と、あごん宗を同レベルに見ることが出来ないです。
祭ってる仏舎利も同じだし(スリランカとかタイとか南伝仏教国ということで)、祭る作法も真言宗の作法かもしれませんが、"カニンガム将軍"とか"7科37道品"とか"行息"?が 中国で行気の法?になったとか悪意がありすぎです。
なんかせっかくいただいたのに偽の由来付けたらだいなしです。

7861:2009/04/23(木) 02:46:39 ID:cMnw6Jpw0
>>62 学会員と本の取替えというわけじゃないけど本の貸し合いをしてそのままになっていまして、
折伏経典持ってます。仏=日蓮さんですが、具体的には日蓮さんがいついつに直筆した曼荼羅が本尊でという由来があって、
その曼荼羅が日蓮さんの魂がこもったものとして本尊にしていたようです。
その由来にアゴン宗のようなカニンガム将軍云々のようなでっちあげはないようです。
本山と学会が離別した後は本尊を他に求めたようですが、その本尊にさえアゴン宗のようなウソの由来を付けたとは聞いたことないです。

79大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/23(木) 08:48:59 ID:cV4Fvp5M0
>>77 >>78 61さんへ
ご意見ありがとうございます。いやあ、勉強になります。頷くこと多しです。
まず>>77に対してですが、A宗を在来の他宗と同レベルに見ることが出来ないのは
本当にそうですね。
今まではA宗こそ最高で本物で・・・とやっていたのが2ch及び検証をすると
如何に間違いで嘘を教えられていたか、と愕然としますね。

仰せの悪意は私はゲイカの悪意なのか分りかねることがあります。
つまり、私はゲイカは思うに妄想と何かヒットをさせるために模索・引用・改ざんした
のでは?と思うのです。悪意云々は各個人の推察に任せて私は論ぜず、ただ、何でも
アリのA宗は寄せ集めやパクリで構成されていた、というショックのほうが大きいですね。

結局は人を救うとか本当の仏教を布教するということは嘘であるというのは考えてない、と
みなしてもいいかと。行動で分りましたからね。

「皮のはぎ方」ですか・・・いやはや、恐れ多いです・・・。

あと、私はある会員の方に「大日さん、批判はやめたほうがいいですよ」と忠告をいただいて
居るのです。気をつけるようにしているのですが、私も熱くなるとつい・・・ね。

結局、真偽など言うと釈尊の教えを忠実に守っている仏教教団は皆無に近い。
ゆえに、広く大きく他の仏教教団さえ批難することになってくるのです。

でも、それが果たして正しいのか?と思うようになりましたね。
このことは長くなるので又別な機会に書かせていただきます。

結論としては私も61さんの
>アゴンが偽者だったからといって、全ての仏教まで偽だときびしくすることもないでしょう。
に同意だということですね。

80大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/23(木) 09:22:05 ID:cV4Fvp5M0
続いて>>78について

知り合いから顕正会と学会さんの対決を知らされて、それに関するサイトを拝見しましたが、
あれなんかを見るとなかなか顕正会さんの言うことは凄いですね。
また、それとは対照的に学会さんの柔らかな姿勢というのも驚いた。
学会さんは結構頑なな姿勢というのを昔から見てきましたので、意外に感じましたね。
学会側の方と顕正会の方との対話動画が有るのですが、それに阿含経の言葉が出るのも本当に
意外意外w

その会話を見て思ったのですが、阿含側から見たら「何でそこで止まっているんだよ?」と
思うこと多いですよ。
だって、未だに日蓮さんの時代から時間が止まったような論議しているんですから。

確かに61さんの仰せのように、学会さんなどの本尊は「法華経曼荼羅」になっています。
私も資料としてその写真も所持しています。
ですが、人によっては日蓮上人であったり、日蓮さんの書かれた文字であったり、中には
お釈迦様という人も居る。仕舞いには法華経そのものが仏だというひとまで・・・。
過去にあんぐりした経緯を持つ私なので、これらを書いてもしょうがないので「日蓮さん」と
しか書かなかった経緯があります。(>>76

結局私から言わせれば、日連さんは仏陀ではないでしょう?ましてお釈迦様でもないし。
また曼荼羅が本尊?これもおかしい。お釈迦様がそう認定したのですか?
全く本尊論からしても矛盾しているわけで、話にならない。

法にしてもそう。法華経が仏教の歴史を見ても本当のお経でないことは判るもの。
もうここで三宝は成り立たなくなります。

でも、これもそうですがだからと言って批難してどうなるのか?なのです。
意見や研究は真偽の程を極めてもいいが、こと個人の信仰までどうこう言うのはどうなのか?
これは別なこととして考えなければいけないと思います。

でもね、思うんですよ。私なんかこうやってA宗関連の板を持って意見を出しているが、これ
だって外から見たら「くだらない行為」と思われてるんだろうなあ、と。

A宗での習った教義というのはあながち馬鹿に出来ない。
本当の仏教を知るためには役立つ部分も有るからです。
そこから見たら、浄土も法華経も「まだまだですな」とわかる。

でも、じゃあA宗が最高なのかというとそうじゃなかった。
私はこれから本当のものを求めてゆくようでないと、いよいよ本当のものは得られない、と
思っています。つまり、釈尊から見たら「まだまだ」なのです。

例え、顕正会や学会さん、その他の教団があれこれ本尊を持ってきても本当の三宝に照らせば
偽物となってしまう。だが、それ以降の何々の仏教宗派を信じるとか講じるのは個人の勝手。
そこを言うのはやめようという方向ですね。

8161:2009/04/24(金) 23:43:00 ID:cMnw6Jpw0
ご存知でしたか! 日蓮さんが仏陀という教義みたいですよ。ちゃんと法華経で釈尊が東の国に現われる次世代の仏陀を予言しているとK会の人言ってました。
どの経典だ?なんてことは聞かなかったけど、なんだかアゴン宗と同じですね。で曼荼羅が魂がこもる依りしろなんでしょう。
阿含経を小乗だと貶めるのと、阿含経を使って詐欺をするのとどっちが悪質かというと色々意見あるでしょうけど、
私は歴史学を利用した後者のほうが悪質かと思います。

82大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/25(土) 08:24:25 ID:ZfTMn4f.0
>>81 やはりそうでしたか。そういう教団が有るというのは聞いてましたが、まさかKとは・・・。

確かに気持ちも分らないでもないんですよね。日蓮さんはカリスマ性も持ってたし、実際「刀尋段段壊」も
あったわけですし、あの強烈なパワーと情熱は信者が「仏陀」とみなしてもおかしくは無いでしょう。
おそらく私もその時代に居たら崇めたかと思いますよ。

でもね、現代では情報などいろんなものが流通している時代。仏教経典の経緯や分析もあるわけで、
過去の偉人の歴史なんかも良く調べられている。つまり、現代と昔とは一緒に出来ないですよね?
まして、仏陀釈尊と日連さんを比べても違いは歴然。ここが狂信の怖さですね。
明らかに違うし、全てを考察すれば仏陀か否か、というのは中学生でも分る世の中です。
それを大の大人が分らん、というのは妄信か狂信、もしくは不勉強と言えるでしょう。

最初に申しておきますが、私は法華経教団に喧嘩を売るつもりではありません。
考察のために非常に良い為、持ち出している、とご理解ください。

まず、スマ氏が申されているように、日本の仏教のほとんどは「宗祖仏教(宗教)」なのです。
本当の仏教を講じているという道から外れているのです。
詳しくはこちらを見てください。 http://www.j-theravada.net/kogi/kogi8.html その中から抜粋

「 とくにここで私が言いたいことは、もし釈迦尊の教えを仏教と定義するなら、日本をはじめ中国などで仏教と呼んでいるものは仏教でないということです。
最澄の興した天台宗、空海の真言宗、法然の説く浄土宗、親鸞の説く浄土真宗、日蓮の説いた日蓮宗など、ふつうのひとはみんなこれを仏教と思っていますが
それはとんでもない大間違いだということです。
これは当時の新興宗教であって、分かりやすく言えば最澄宗、空海宗、法然宗、親鸞宗、と解釈すべきなのです。仏教は読んで字の如くブッダの教えです。
釈迦以外にはだれも説けない教えなのです。マスコミもこういう正しい情報は提供してくれません」

まさにこれが正論です。これを見たとき日本の在来仏教は真の仏教だと言えないというのが私も発言する所以なのです。
勿論スマ氏万歳、と言っているのではないのですよ。見事に良い説明をしている、と言うことだけです。
だが、じゃあ在来仏教が酷いもので駄目か?と言うことではない。これだけは押さえて欲しい点です。
これに関して述べるとかなりPを要しますので、今回は割愛します。

で、本尊観や三宝で追ってゆけばすぐに解体できるものなのです。

まず、仏。確かに在来仏教教団でも「南無釈迦牟尼仏」とやっているところがありますが、基本としては正しいわけです。
この世に歴史上生まれそして亡くなったといわれる形跡を残した唯一の如来は釈尊だけです。
密教の大日如来や、浄土の阿弥陀仏も架空・観念の存在ですから、本当の仏とはいえない。
だから、基本どおりにやるなら「仏陀釈尊」だけ拝するのが正しいわけです。

それをいつの間にか、仏像や先ほど言った観念上の諸尊を拝む。果てには教祖(宗祖)を拝むことで本尊としている。
気持ちは分るがそれは本当の信仰。ことに仏教を講じていることにはならないのです。
ここを教団も信者もごっちゃにしている点が挙げられます。

なので、日蓮さんを偲ぶ・奉るのは勝手ですが、それはどこまで行っても真の仏教とは言いがたいのです。
こと、A宗に於いてもそれは言えるわけです。
次はA宗について書きましょう。

83ポッポ:2009/04/25(土) 08:32:48 ID:luV08/1o0
はじめてこの掲示板の存在を知りました。
お初になります。

幸福の科学で総裁はブッダの生まれ変わりとしています。こういった妄想を語る
宗教はものすごく多く、教祖の多くは神がかっていますね。
妄想がほとんどでしょう。

釈迦は妄想を排して事実をあるがままに受け止めることを推奨されていました。
空想や妄想と事実を区別できないのは、無痴の制御ができていない、三善根ができていないからだともいえますが、
教祖自体が空想や妄想の世界にいることが多いので、始末が悪く、信者も巻き込まれて
しまっています。
この上の方に、教祖がミミズなどに転生した話しがありますが、まんざらでもなさそうですね。

84大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/25(土) 08:51:02 ID:wFdzpeqM0
A宗では本尊観がかなり多いです。まず、一つ一つ追ってゆきましょうか。
@ 三身即一の如来
私も「この仏様は単一の大日如来を超えて最高の宇宙仏だ」と歓喜したのですが、2chでの意見やその後の私個人の
考察で分りましたね。これはニセモノです。

もうagama@chsで散々言って来ましたのでagama@chsの過去ログ「比較対象 A宗 皮のはぎ方」を読まれると分りますが、
この仏も架空の仏なのです。信者は見事にこれに騙されているのです。

次に、A仏舎利。これについても@chsで書かれていますから読んでください。
つまり、結果を言うと偽仏舎利の可能性が高い、と言うことです。また、仮に本物の仏舎利であっても、釈尊が仏舎利自体に
何かあるぞ、拝め、と言うことは言っていないのです。つまり、仏舎利は象徴であり、物体としての骨、それだけです。
それに対して何か祈祷したとか云々を施して何か効験があると言うのは、仏教ではないのです。
つまり、唯一の最終兵器の「仏舎利」さえも無意味に近いのです。
あの仏舎利は「仏陀を偲ぶ・清らかな気持ちになるための象徴物」なのです。
ゆえに、仏舎利を所持したから何か奇蹟があるとか起きるとかそういうレベルのものではないのです。

最後に、Bジュンテイ尊。
これも、@と同様架空の概念上の存在です。
確かに因縁解脱に適した仏様で、在家が拝むには適しています。
ですが、哀しいことにこれはやはり現存で釈尊と同じ位置には居ない存在です。
架空・概念の仏なのです。

そうなると何が残りますか?そう。カラッポなA宗だけが残る。
この虚しさは恐ろしいほどです。
あれほど信じて講じてきたA宗が、いとも簡単に空虚になる・・・。
本当の仏教を講じ、流布宣布していると思ったものが、いつの間にか空に消えてゆく・・・。
このことを悟らない限り、A宗マジックからは抜け出せません。

こういった考察だけでもすぐに気がつくのです。ところが妄信しているとそれが理解できない。
これが怖いところです。

それと比較して、では法華経教団ではどうか?

そう。先ほど言ったとおり、日蓮さんは仏陀ではないです。
優れた教祖であったことは私も認めます。ですが、仏陀ではありません。
ここはしっかり把握しないと妄信に至ります。
逆を言えば、これが有るからこそ教団が成り立ちます。
どこまで行っても仏教は開祖「仏陀釈尊」が仏が正しいのです。

85大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/25(土) 08:59:08 ID:wFdzpeqM0
ポッポさん初めまして。板設置の発案兼管理の大日如来と申します。
ザBBSのいい流れを復活させたく、書き込みを続けています。
もし参加者が増えましたら私は一旦下がるつもりですが、まだ設置間もないので
投稿者が少なく、私がほとんど書いている次第です。

どうぞ、今後ともこちらの掲示板にいらしてご意見を出されてください。
勿論ROMも歓迎です。

幸福の科学では総裁が釈尊の生まれ変わりと申しているのは有名ですね。
でも、釈尊が在世の時に「我は生まれ変わらん」と言われているのにいきなりあの世で
都合が変わって生まれ変わってきたのでしょうか?いやはや何ともですね。
なので、私はこういいます。

「総裁さん。2500年前に教えた成仏法をもっと詳しく丁寧に直に教えてください。
そうすれば貴方の存在は認めます」

キツイですかね?言いかた。

妄想だと分ればすぐに真偽は出るものですが、やはりその妄想に騙されると言うか理論などの展開に
惑わされるのでしょうね。
まあ、私もゲイカの妄想にやられた輩ですがwww

86大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/25(土) 09:18:01 ID:SF8WIy.60
次に法です。

これは前に申したとおり、法と教えと見てもいいでしょう。
歴史上で証明されたものや経典の中身の検証の方が信憑性があるとみていいでしょう。
そうなるとやはり、阿含経となるでしょう。
ゲイカはこれを強みにもってきた、と言えます。

ただ、それが中途半端であるがために、強く主張が出来ないことが最大のミスです。
本当にA宗の教団としての主張のようになるならば、どこまで行っても阿含経の内容や
実践をすべきなのですが、ゲイカ特有の「何でもあり」のために阿含経はただの象徴
としかなっていません。

しかも、2chなどで散々言われていますように、改ざんが酷い。
これは、ゲイカの自己都合に向かわせるための策と言えます。これはいけない。
まして、阿含経には成仏法がある、といっておきながらその推移がない。
自分の作り上げたシステムでそれが成仏できる道だとしてしまっている。
全く話しにならないフェイクのオンパレードです。妄想街道と言ってもいい。
つまり、A宗には教えはあっても少しだけであって、ほとんど期待は出来ない。
また法も持っているようで実際には持っていません。
教団自体が架空の城、そのものです。

これが法華経教団になれば、それは一生懸命講じているところもあり素晴らしいです。
しかし、ゲイカの言われるとおりで法華経には成仏法はありません。

次に、法華経は歴史上では「創作経典」に入ると言う事実をぬぐえません。
これについて知らない法華経信者の多いこと。愕然とするばかりです。

例えば、学会さんと知り合いだった時期がありましたが、その方は結構学会では位を
持っている方でしたが、創作経典と言うことを知ってませんでした。
これには私も心の中で「マジですか?」と思いましたね。

法としての「法華経」が通用しないと知ったら、この日本に遍満する法華経教団は崩壊
するでしょう。まして、それを宣布した日蓮さんの存在さえ危うくなります。
すると、日蓮さんを”仏”。法を”法華経”とやっている法華経系列は大壊滅です。

いやあ、怖いですねえ・・・。

87大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/25(土) 09:32:40 ID:3ikHyoh.0
次に怖いのが、仏も法も「法華経曼荼羅」にしているところですね。

それは先ほど言ったように、仏は「釈尊」です。
それが曼荼羅が「仏」??? もう、こうなると狂信でありオカルトとなります。

次に、法も法華経を超えて「曼荼羅」がTOPになるのです。
それこそ、仏や仏像もお経も超えた存在・・・法華経曼荼羅が至上で最高なのです。
この曼荼羅の前でお題目を唱えるだけでもいいし、法華経を読誦すると尚いい。
いざとなったら、戒名も塔婆も要らない。この曼荼羅を所持しなさい。
家が火事になったら曼荼羅を持って逃げなさい、と言うほど貴重で命なのです。

これはどう見てもおかしく感じませんか?

基本を考えるべきです。お釈迦様がそういうことを言ったのかどうか。

お釈迦様は法華経を信じ、これこそが私の全てが入っているなどといっては居ません。
また、それを曼荼羅にして弟子に授けたと言うこともありません。まして曼荼羅を
拝めなどと言うはずもないです。

じゃあ、曼荼羅というのは何ぞや?となってくる。
ね?もうここで「おかしいぞ」となってくるわけです。

A宗では「御宝塔」なるものを大事にしますが、これも曼荼羅と同様ですね。
そういう”象徴”がないと因縁解脱が出来ないと釈尊が言ったのでしょうか?
又、釈尊は因縁解脱を説いたのですか?
成仏法は因縁解脱法だといったのですか?

答えはすぐに分りますよね?勉強した方ならすぐに・・・ね。

これがA宗マジックなのです。

多くの教団ではいろんな展開があります。それを見抜けとは言いませんがかなり
巧妙にトリックが仕組まれている場合があります。中々難しい問題でありますね。

88大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/25(土) 09:43:18 ID:31/2w5ko0
僧についても色々ありますが、簡単に申せば
「自分の信じるところの団体(教団)が僧伽だ」ということですね。
学会さんであれば学会。何々会であればそこの会。A宗で言えばA宗ということになる。
これでは話にならんですよ。

そこからの延長で、「自分の宗派は正しいんだ」とやって排他する結果になる。
これでは全く争いも消えないし、何が本当か分らなくなる。
なので私はこの板で「僧を教えてください」と出した。

でも、南伝仏教がそうだ、といっても良く分らないですね。
そこではじゃあアーガマをやっているのか、また道品法をやっているのか、
すべてをトータルバランスにやっている団体があるのなら講じたいですね。

テーラワーダがそうなのかな?とも思いましたが、確定に至りません。
どうやら本当の僧伽を見つけないといけませんね。

確かに今の日本仏教を見ても正しいと言い切れないところ多しです。
すると「南伝だろう」というのは判る気はします。
しかし、南伝もどうかだよ、と言う人も居るのを聞くと、検証が必要でしょうね。

本当の仏教にであるためにはまだまだ勉強と探索が必要なようですね。

89ポッポ:2009/04/25(土) 09:51:19 ID:luV08/1o0
大日さん、そうなんですよ。ブッダの生まれ変わりとか、涅槃に至ったとか
いうなら、釈迦の法を詳しく解説もできるはずなんですね。
ところが実際は、それはできていません。せいぜい見出しや項目を羅列するだけ。
で、あたかもその奥は秘伝のようにして誤魔化してしまう。
大概、こういったやり方をしていますね。

A宗もそうですが、宗教の妄想世界は怖い。といいますか危険ですね。
ほとんどの人は宗教を専門に勉強していないませんし、通俗的な宗教の考え
しか持ち合わせていませんよ。だから因縁とか出されても「あ、そうなんだ」
と納得してしまう。無知だからコロっと騙されてしまうわけですが。
S学会に関しては完全に情報弱者状態ですね。知識や情報を知らないので、
無知な状態なので、正法に思えてきてしまう。これはA宗でも同じですが。

仏教教団のトリックを見抜くためには、仏教をきっちりと勉強する必要が
ありますね。釈迦はなにを説いたのかを、教団の色眼鏡ではなく、文献的
に正しい立場から学んでいかないと、取り返しのつかないことにもなりかねませんからね。

90ポッポ:2009/04/25(土) 09:53:15 ID:luV08/1o0
文章がおかしな所がありますが、ご愛敬でw

91大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/26(日) 07:07:40 ID:P/MjNtC.0
ポッポさん、ご意見ありがとうございます。いやあ、本当にそのとおりですね。
実は私もその昔、A宗に入るまでは1年かけて、考えていたのですよ。
ですが、根本仏教から詳しく比較するということが抜けていたので、現在のような
少々痛い目に?あった次第。当時PCの普及、及びネットが無かったので今の時代
を恨めしく思うことがあります。いまなら、こういう掲示板やWeb辞典、その他
HP、ブログ・・・なんでもありますから、比較・検証が格段に容易ですよね。

まあ、過去のことを言っても仕方ないので、これくらいでw

ポッポさんの仰せられるとおりで、本当に深く調べて行うことが重要ですね。

>>90 了解です。掲示板は一旦投稿するとあとでの修正が聞かないのでそこが残念。
機能として設けて欲しいですのが・・・。気になりませんのでOKですよ。

9261:2009/04/27(月) 00:24:27 ID:cMnw6Jpw0
法友で理解する人が少ないのが残念ですね。やはり掲示板をじっくり見なければ分からない。
悪意で書かれた批判にすぎない、とか、自分(法友)と面識もない匿名で批判する卑怯者とどちらを信じる?とか。
理解してくれる人も中にはいて、反・釈迦だろうが僕は管長を信じる とか言う。

93大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/27(月) 07:42:27 ID:A8qzjQ.s0
61さん、そうですよね。自分も法友に話していますが、自分には理解を示すのですが、従いません。
結局は、A宗の方を支持するところから離れないのです。

ここ数年来の交際ながらも、A宗の疑問点や矛盾については話したことはあります。
ですが、それ以上のことに及ぶと必ず擁護になる。

私も現信者ですから気持ちもわからないではない。だが、A宗に自分の求めたものが得られない、
となれば私は講じる気持ちは無いのです。そこが大きな違いでしょうか。

自分の信じた宗派を冷静に判断するのはなかなか骨の折れる作業だと思います。
ですが、どこまでも真実の仏教と言うのを求める観点があれば、それは出来るのではないかと。
逆を言えば、出来ないのは何かその当事者に何かあるものだと推察します。

人によって違うので有る程度の抜粋になりますが、自分が思うのは、その人の願望達成のためとか、
悪因縁を切るのが目的とか、霊障解脱、その他は欲得か変なプライドとか・・・ですかね?

私も最初は掲示板を見るのも嫌だった。汚らわしいという風に思ってた。
しかし、それは真実を見るのを防ぐための方便に騙されていた、と言うことです。
掲示板には教団側に不都合なことしか書かれていないからです。

ですが、不都合というのは教団だけであって、本当の仏教を模索している人間からすれば、掲示板は
どんなに素晴らしくありがたいものかが判ると言うものです。
まして、私のように教団内での矛盾に不満が有る人は、尚更見て検証すべきです。
教団の中だけでは、本当のことなど見つけるのは容易ではないです。

また、掲示板が嫌いなら、本という手が有る。本を読むのが嫌いというならもう救われないですね。
掲示板も嫌。本も嫌。まして人の話を聞かないのなら、放置するのがよろしい。
自分で気づくしか方法は無いからです。

ですが、いつも願うのは「自分の信じるものが崩壊する怖さ」よりも、「自分が騙されていることに
遅くなってから気が付いて後悔する」方が私は嫌だ。今までの人生時間を損したなあ、と思いますもの。
まあ、いまさらA宗を恨む気持ちは無いです。判らなかった自分が悪いですから。
でも、一人でも早く・多く気が付いて人生の路線変更をして欲しいなあ、と願うばかりですね。
A宗に居ては、人生のロスが多すぎます。

9461:2009/04/27(月) 12:30:47 ID:cMnw6Jpw0
>>93 どこまで話したのですか?
例えば7科37道品の実践の説明がデタラメで正しい方法はすでに日本でも実践がはじまってる、とか 因縁解脱は仏教じゃなく立正佼成会とか、
カニンガムが仏舎利発掘した事実はないとか。

95大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/27(月) 16:56:06 ID:Xb2qYAwo0
>>94 そうですね、その方は2ch、ザビビはほとんど見た、と言われていますので全般的に会話をしました。
ですが、いずれも理解できるが信じられない、と言うような態度ですね。

私にすれば「理解できてないし、理解しようとは見えない。むしろ屁理屈で持論を通し、認めたくない」と
判断しています。

普通、理解し言い分がわかるのなら検証をして判断すればよろしいと思うのですが、その方にはそういう行動は
見えないし、感じない。発言を聞いたのでそこは判ります。
また、あれこれ理屈をつけて正当性を図ろうとする。

私にすれば理屈も何も関係ない。A宗がちゃんとした運営をしていて、ゲイカも指導をしていれば何も言わない。
やることはからっきし。言うことは一人前。これで納得がいくほうがおかしいです。

マトモな思考をされていれば、批判側の意見というのは個人的に嫌であっても認めざるを得ないです。
感情で好きだ嫌いの問題ではない。強くそこを感じますね。
というか、私が学んだことですが、批判側への感情など捨てるべきです。
そういうのを持っていたら、いつまでも反発するしかない。
感情抜きで真偽の程を比較するとか、調べるほうが先でしょう?
それをその知り合いは行わないわけです。

かなり時間をかけて過去ログも読んだそうだが、私は過去ログは全体の半分も読んでないです。
全て読んだと言う知人と、私とでは大きな違いが有る。それは何か?
求めているものが違うのと我執が有るからです。何をA宗に求めているかが鍵です。

私はどこまで行っても解脱です。でも、その解脱が出来ないのでは話しにならん。
それを彼は理解できないし、理解しようとも思ってないのです。
湾曲したA宗教義、ゲイカの態度を見ても「おかしい」と認知できないのです。
これでは話になりませんので、有る程度言う事は言って今は会話していません。
(ちなみに今年4月上旬までは話をしました)

後は彼の判断如何ですからね。

人はそれぞれ考え方も違いますから、限界があります。彼がA宗を信じるのならそれも好きにすればいい。
その代わり、後で文句は聞きません。もう、事前に伝えて有るのですから。

始めは黙っていようかなあ、と思ったのです。ですが、それは彼に失礼だ。
自分だけこそっと退会していて、後になって「知らなかったのか?」というのはとんでもないことです。
なので、敢えて仲たがいするのも覚悟で伝えたわけです。

我々のすることは法友に対する行動は、そういうことで精一杯なのではないのでしょうか?
後は掲示板やHPやブログで世に訴えるとか、考察論を展開するとか・・・
そういう風に私は思っていますね・・・。

96名無しさん:2009/04/27(月) 19:41:55 ID:BJcM57P60
大日さんの書き込みを読んでですが、
結局A宗に何を求めるかで違ってくるのでしょう。

A宗には
1.真実の釈迦仏教を求める求道者タイプ
2.現世利益を求めるタイプ
3.K管長のファン
4.盲信タイプ
5.なんとなく「おかしい」と感じているタイプ
6.ただなんとなく在籍しているタイプ
7.法友やなどの関係や親戚家族の手前で間違っていると分かっていても辞められないタイプ

こういったタイプが混在していると思います。
それぞれ修行や信仰に対する姿勢も違いますし、A宗の間違いや問題への
認識や対応の仕方も違ってきます。


1.真実の釈迦仏教を求める求道者タイプ
このタイプは、掲示板の情報を知れば、即日、A宗を辞めるでしょう。
通常の知性を持った人であるならば、A宗の誤りは理解できます。

2.現世利益を求めるタイプ
このタイプは、A宗の教学が間違っていることを知っても、妥協して残る可能性が高くなります。
なぜならば目当てが現世利益(ご加護)だからです。
A宗の教学が間違っていると言われても、逆に詭弁を弄して擁護する態度に出ることが予想されます。

3.K管長のファン
基本的にK管長のファンで惚れ込んでいるため、何を言っても盲信します。
地獄の底までも付いていくタイプです。一番厄介なタイプで社会問題も引き起こしても平気です。
いわゆるカルトな信者です。

4.盲信タイプ
信者本人も妄想の世界にドップリとつかり、事実を正確に理解することも認めることもしないし、
できない人。
A宗でいうところの脳障害の因縁の強い人。
本人も頑固に信じているので、
事実をいくら突きつけても認めることも信じることもしません。

5.なんとなく「おかしい」と感じているタイプ
数年前から増加しているのが、このタイプです。K管長の言っていることが
おかしいと気付き始めていますが、表だって公言はしません。
1999年の地球壊滅の予言外れ、
完全解脱を宣言しても脳障害の因縁を出していること、
チャクラ開発してアデプトでありながら老化が著しいこと、
いつまでたっても成仏法の真髄を教えないこと、
教学の矛盾、
人格的に疑問のあるK管長の言動などなど、
「A宗はおかしい」と感じたり気付いている信者です。
気付いているけれども論理的に分析していなかったり、決定的な確証が得られないまま、
ズルズルと残っています。
ネット掲示板の情報を知れば、A宗を辞めていくことが多くなるでしょう。
ただ、法友との関係などからすぐには辞められないかもしれません。
しかしA宗の問題をきちんと認識することは決して無駄にはなりません。
迷妄を迷妄と認識することは正しいことです。
2ちゃんねる掲示板などの情報を知れば、「なんとなくおかしい」といった
曖昧な疑いは「確証」に変わるでしょう。

6.ただなんとなく在籍しているタイプ
お導きや家族の関係で、なんとなく入行したタイプです。
A宗の誤りを知れば、即日かしばらくすれば退会するでしょう。

7.法友やなどの関係や親戚家族の手前で間違っていると分かっていても辞められないタイプ
意外と多いのがこのタイプです。A宗には20年〜30年クラスの信者
も少なくありません。今まで情報が少なかったため本当の仏教のことを知らず
A宗が正しいと何十年も信じてきたのですが、最近のネットや上座部仏教の書籍の普及に従って
本当の仏教の情報が大きく広がりをみせています。
しかし今まで在籍した期間の体験が惜しく、間違っていたことを自分で認めることが難しくなっています。
また親しい法友関係を維持したい。
家族や親戚に「A宗は真実の仏教」と何年も力説してきたため今さら態度を変えるわけにはいかない。
職員となって今さら転職したくてもできない、路頭に迷うことになりかねない。
だからA宗にしがみつくしか選択肢が残っていない。
など、複雑かつ切実な問題を抱えている人もいます。
A宗は間違っていると分かっていても、A宗に留まる複雑な心境の人達です。

97名無しさん:2009/04/27(月) 19:43:16 ID:BJcM57P60
この中で気の毒なのが、7の「法友やなどの関係や親戚家族の手前で間違っていると分かっていても辞められないタイプ」の人です。

しかし、A宗に残る残らないに関係なく、A宗の誤りを指摘続けることは正しいことだと考えます。ほとんどの信者は、「A宗こそ真の仏法・釈迦の仏教!」というK管長の口車に騙されて入行した人達です。ただし、K管長自身が、情報不足と自己過信と妄想から、自説が真の仏教と確信していました。この人は聖者でもなんでもありません。

昔は情報が少なかったため、K管長の説を信用する人もいましたが、現在ではネット検索すれば専門的な情報も瞬時で入手できます。上座部仏教の詳しい書籍も多くなっています。こういったのを読めば、いかにA宗が間違っているかは普通の知性を持っていれば分かります。

でも、A宗が間違っているとわかっても、しがらみなどから辞められない人がいるのでしょう。

そこで第三の提案をしたいと思います。

それは、A宗が教義の大幅な修正をすることです。K管長の説の誤りは正して、本当の釈迦の仏教を標榜するようにするこです。

K管長自身は、自らの嘘で地獄だろうがどこだろうが行ってもらっても構いません。しかし罪の無い信者は気の毒です。A宗の信者を救うためにも、A宗には教義の大幅な修正をするようにしてもらいたいです。それがせめてものの罪滅ぼしになると考えます。

真の仏法と看板を掲げて、嘘の仏教を説き続けることはいただけません。五戒にひっかかるため、死後、悪趣へ行くでしょう。A宗信者をもろもと地獄へ道連れにすることはやめてほしいと痛切に願います。

信者の中には「A宗こそ真の仏教」といまだに信じて活動している人もいます。間違いは間違いと認めてきちんと襟を正すことが、A宗に今一番求められていることだと考えます。

98名無しさん:2009/04/27(月) 20:04:02 ID:BJcM57P60
A宗には良い部分もたくさんあると思います。けれども土台の部分が間違っているので
ここが問題です。看板と内容が大きく食い違っていては台無しです。

99らるご:2009/04/27(月) 22:55:21 ID:XKrLsTng0
>>96〜97
お初です。昨年末までは5のタイプでしたが、輪廻転生瞑想法の話を聞いて、
おかしい!じゃあ今までやってきたことは何だったの〜!?と・・・。
それがきっかけで今、本や掲示板で勉強&検証中です。
A宗には家族もいますし法友もいるのでまさに7の状況です。

今日、久々に道場に行きました。
ある梵行で中心になってやってきた人が事情でできなくなり、
私がその作業の経験者ということで、手伝ってもらえないか、と。
多忙ということで一度はお断りしたんですが、
非常に困っているとの事でしたので、引き受けました。
すごく複雑な気持ちで作業を終え、帰宅しました。
今まで関わってきた他の梵行も足抜けしてはいるんですが、
家族や親しい法友や先達にはその理由を伝えていません。
言いたいのは山々ですが、その後に待っているものを思うと、気が重いです。
何故なら、3と4のタイプが周りに多いからです。
まさに「A宗こそ真実の仏教」と思っている人たちばかりです。

でも、自分の気持ちに蓋し続けるのもツライです。
既に勤行もやめ、A宗グッズも家族にわからないように処分してるんですけどね。
早く退会したい・・・。

教義の大幅修正、どうなんですかねぇ。
私の所属する地区道場なんか今、移転し護摩壇設置道場にすると誓願立てて、
活動が始まっちゃってますよ〜。やだなぁ。

10093:2009/04/28(火) 00:04:45 ID:jVNSoGyg0
らるごさんはじめまして。心中お察し申し上げます。
第三の提案のほかに第四の提案もあります。
お釈迦様の教えと法は、どこかの教団の属していなくても、どこにいても
実践できるものです。詳しいことは上座部系の本を何冊かお読みになってください。
だから、仮にA宗に在籍していても、心は真の仏教という姿勢でもいられます。
辛辣なことや脅しめいたことを書いてしまったかもしれないと思っていますが、
大事なことはA宗の誤りを誤りと認識することでしょう。
そうすれば災いは無くなると思います。

10161:2009/04/28(火) 00:37:59 ID:cMnw6Jpw0
>>95 報告ありがとうございます。掲示板の情報完全無視 、屁理屈で対抗、居直ってる人 とか色々いるようですが、
私の周囲には1人しかいないので・・その法友の方みたいに屁理屈で対抗するタイプって。理解しがたいものがあります。
自分も大日さんもその時期を経験したがそこに居続けることって出来ないですもの。

周囲の法友を>>96の方の分類で、あの人は何番だなとか分けてみて2,3,4ばかりです。
まあ1と2の中間として超越とか精神的安穏とか(釈迦仏教じゃないが、他の秘教とかで得られるもの)を目的とするタイプいますが
それも1に含めていいのでしょうか?
ユガ派タイプの法友に見えて結局あごんに満足してるから2のタイプなのか?という法友がいて悲しいです。

またその人とは別に掲示板の内容ある程度理解したのに、釈迦仏教では修行しないといけない、修行はイヤだ、気功も禅もヴィパサナも修行なので全部イヤだ、
だから反・釈迦であろうと管長を信じる、という居直って2に居続ける人います。

>>99 らるごさん、よろしくお願いします。まだまだいるんですね。目が覚める人達が。掲示板続けてきてよかったです。
輪廻転生瞑想法がきっかけになったとは! 輪廻転生瞑想法の具体的な指導はあったのでしょうか?
退会してると現状分からないので在籍してるうちは教えてくださいませ。

10261:2009/04/28(火) 09:51:15 ID:cMnw6Jpw0
>>95 しっかし・・その法友の方の反応って如来の子孫さんそのままですねw
掲示板で子孫さんとやってたように、その屁理屈に対しさらにつっこみ入れてはどうですか?
批判派と擁護派のやりとりのように。95で書いたことをそのまま伝えるとか・・他人事のように書いたが自分はそれで友達1人減りました。

103らるご:2009/04/28(火) 15:59:41 ID:2ysql.y60
>>100 93さん、ありがとうございます。
岩波文庫の中村元先生の本をちょこちょこと読み進めている所です。
相方は管長礼賛派なので、「学者の書いた本なんてつまんないでしょ?」
なんて言ってましたが、私はむしろ今まで読まなかったことを後悔しました。
上座部系・・・スマ〇サーラ氏の本なら図書館に数冊ありましたし、
地元の大きめの書店にも沢山ありましたが・・・。
それ以外に推薦図書などありましたら是非教えて下さいませ。

104らるご:2009/04/28(火) 16:15:20 ID:2ysql.y60
>>101 61さん、こちらこそよろしくお願いします。
輪廻転生瞑想法について書いた本が近く出るらしいですが、詳細は不明です。
先日相方は例祭に行きましたが(私仕事でここ数年参拝してないんです)、
特に何も報告が無かったところを見ると、具体的な指導の話はまだなのかと。
また、書き込ませていただきますね。

105大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/28(火) 16:54:00 ID:Okp4lZB20
>>96->>98 名無しさん、詳しい分類と解説、そしてご意見深く感謝申し上げます。
いやあ、凄くわかりやすくためになります。今後も珍重し引用させていただきます。

私の場合は全て当てはまるのですが、それが消えて1の気持ちが有るために決別できたと言うことですね。
私もお金はあまりつぎ込みませんでしたが、情熱の面では人並み以上にあったと思っています。
ですが、それを100%使って燃え尽きない前に悟ったので、迂回できて本当に良かったと思っています。

もし、2chに突入しなかったら私は未だに「A宗万歳!」と崖の上から身を投げていたことでしょう。

106大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/28(火) 16:54:36 ID:Okp4lZB20
>>96 にありますように、第三の提案は本当に願うところです。おそらくそれしか運営しながら正常な道へ
戻る方法は無いでしょう。後は破滅かダウンしながらも細々と継続するか・・・。

私はおそらく第三の提案は講じないのでは?と推察します。
この世に絶対と言うのが1つしかないのというように、ゲイカはおそらくそれを行わないでしょう。
なぜなら、今まで展開したものが「嘘であった」という証明になってしまうからです。
もう、引き返せない状態にいると思うからです。

そのことを超えて行うならば、私個人は過去をほとんど水に流してもいいと思っています。
ですが、おそらくそれは叶わない。ゲイカはそこまで肝っ玉が強くない。またw田女史が許すかどうか。
一応、ゲイカは最高責任者ですから、乱心と首脳部から見られても言えるのなら大した者です。
ですが、2chで言われているように、自分のことや私欲・権利・金銭にしがみついているのなら無理です。
私はおそらく変わるとすれば、ゲイカ滅後分裂して新派でも立たない限り無理と思いますね。

そうなればA宗じゃなくなりますが(苦笑)

私は個人的に本当にA宗を軌道修正させたいと思っていた。だが、それは非常に危険で下手をすれば死を
伴う恐れも有る。
だったら、そういう危険なことをするよりも別な方法がいいな、と思って案を考えています。
別に壊滅を迎えるような教団にしがみつく必要も無いし・・・と言うのもありますが。

なので、A宗には第三の方法を講じてくれれば、と言う願いは有るものの期待はしていない、というのが
私の考えですね。

本当に何と言う哀しい宗派なのだろうと深く思います。

107大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/28(火) 16:55:15 ID:Okp4lZB20
61さんへ

突っ込みですか・・・入れてもいいのですが、やはり喧嘩になるのでそれはお互い避けていますね。
知り合いも私に言いたいことは沢山有るはずです。でも程ほどで抑えている。
又私も、ある程度2chの言葉を使い説明している。
彼は嫌がってますよ。発言が批判派そのものだ、って。

でもね、私は正しいものに沿うし、同意します。批判側が間違っているのなら私も肩入れしない。
ちゃんとした理性や知性が有るのならわかるはずなんです。それを判らないのは狂信・妄信なんです。
A宗を信じたい・守りたい、そんなのは私だって120%あった。だけど、それが出来ないのは欺瞞が
有るからです。ただの嫌がらせや中傷なら私だって相手にしない。だが、嘘を隠して真を通そうとして
いるのは誰だ?と言うことがはっきりさせないといけない。
ここをなおざりにして「A宗万歳!」は愚の骨頂です。
むしろ、そのくらい判らないで宗教を講じているのか?とも言いたい。

批判側というのはただの「嫌がらせ」じゃ無いんです。元信者で自分達の先達でも有る。
中の奥まで判って言っている。これはかなりキツイです。擁護してみればよく判ります。
あれほど信じたA宗の擁護が全く出来ない。これは非常におかしいことです。
やるとすれば、変な理屈を言うか自分の私見しかなくなってくるのです。または無言になるか。

話がずれたので戻しますが、私が突っ込まないのは彼がいつか目を覚ますだろうと思うからです。
また、仲良くやってゆきたいとも思うからです。

彼曰く「全てWebは閲覧した」と言うのだからそうなのでしょう。
それで気がつかないのなら、彼はそのままです。仕方ないと思うしかない。
トコトンやって因縁解脱できなかった、と悔やんでもそれは彼の選んだこと。私は黙っています。
もう、引導は渡したのですから。A宗では解脱できないよ、と。

彼は頭が悪いわけではありません。判別が出来ないだけなのです。自分の持つ我執で判断が出来ない。
気づきがないのです。
釈尊は我執を断つことを教えてられます。それの実行さえ出来ないのは彼の持っているものの所以です。
我執を断つことが彼の修行なのです。
釈尊の言うとおり「我は道を示すのみ」と言う言葉のとおり、私も「違うよ」と言ったのですから、後は
彼が判断するしかない、と思うのです。

例えこれがネックとなり、彼とも縁が切れてしまうかも、とは思いました。しかも何度も・・・。
でも、私は行きます。例え一人でも。
釈尊いわく「象が森を歩むが如く、一人歩めよ」と言われた言葉のように、寂しくても歩く。
そう決めたのです。

61さんのように友達一人減るのは私も嫌ではあります。でも、偽仏教を講じて何も得られないほうが
余計哀しい。私はそう判断しました。
なので、私も61さんは気の毒な思いをされたと思いますが、真の道を歩むために正義を貫かれたと私は
賞賛いたします。

108大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/28(火) 18:44:38 ID:Okp4lZB20
>>103 らるごさんへ
初めまして。ザビビ復刻板の主催・管理人の大日如来と申します。
ここでは気兼ね無くご意見投稿お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。

過去ログにあったものですが転載しておきます。
もし、もうご存知でしたらお許しください。

「ブッダのことば」(スッタニパータ)
「ブッダの真理のことば・感興のことば」(ダンマパダ、ウダーナヴァルガ)
「ブッダ最後の旅」(大パリニッバーナ経)
「ブッダ 神々との対話」
「ブッダ 悪魔との対話」
(いずれもサンユッタ・ニカーヤ)
「仏弟子の告白」(テーラガーター)
「尼僧の告白」(テーリーガーター)

全て中村 元さんの著で岩波文庫でございます。
あと、他は又調べてUPいたします。

109らるご:2009/04/28(火) 21:28:50 ID:2ysql.y60
>>108 大日如来さま
はじめまして。
ありがとうございます!
一応過去ログ見てたんですが、拾いきれてなかったようです〜。
ご紹介の7冊のうち、3冊は未読でした。
早速探してみます。

11061:2009/04/28(火) 23:31:17 ID:cMnw6Jpw0
>>104 新著が出るまでは詳細不明ですか・・でも新著が楽しみです。

>>107 お褒めくださりありがとうございます。実はつっこみ入れたから縁を切られたのが1人であり、つっこみ以前のお知らせの段階で何人も法友なくしてます。
大日さんじゃないが和賛に「7科37道品、成仏法の尊きを広く世間に伝うべし、」とあるならば、我々はゲイカの弟子ならば(皮肉ですが)
法友から縁を切られようが私も同じように、7科37道品を実践しない仏教を批判します。(ゲイカの主張がそのままアゴン批判になる皮肉)

>>106 危険って? 死を伴う恐れって?? やはりフジウスさんの報告にある、あごん宗を援護しているプロのことでしょうか?

11196:2009/04/29(水) 07:52:39 ID:Wu8vfCws0
>>103らるごさんへ
岩波文庫の中村元先生の本をちょこちょこと読み進めている所です。
相方は管長礼賛派なので、「学者の書いた本なんてつまんないでしょ?」
なんて言ってましたが、私はむしろ今まで読まなかったことを後悔しました。
上座部系・・・スマ〇サーラ氏の本なら図書館に数冊ありましたし、
地元の大きめの書店にも沢山ありましたが・・・。
それ以外に推薦図書などありましたら是非教えて下さいませ。

私の場合、スマ氏の「アビダンマ講義シリーズ 第二巻 心の分析」
これが一番参考になり、また勉強になりました。アビダルマは阿含経の
論書ですが、スマ氏の解説本は経典に基づき丁寧に解説されています。
どこかの誰かのようにねつ造したり、大幅に意味を変えてウソは説いて
いないと思われます。
内容が白眉です。「あ〜お釈迦さまの仏教は、こうだったのか!」と
開眼しました。

この本を読んで改めて中村先生や仏教学者の本を読むと、その意味が素直
に理解できました。K管長の眼鏡が根深く残っていると素直に読めません。
K管長の眼鏡を完全に取り外すためには、スマ氏のような分かりやすく、かつ
懇切丁寧な本を読んで、心を一掃させる必要があると思います。

「心の分析」を読むと、いかに煩悩解脱が大事なのか。煩悩解脱によって
人はどうなるのか、阿羅漢の心とは。瞑想が深まるとどうなるのか、といった
ことまでもとても詳しく解説されています。K管長が言っていることが、
いかに浅薄で分かっていないのかもハッキリします。

ただしもちろんスマ氏が100%正しいとは思いません。A宗での体験も
ありますので宗教は頭から信じるのは危険だとも思います。しかしK管長
よりは何十倍も信用できると思います。

あとほかには、同じスマ氏の「死後はどうなるの?」、地橋秀雄の「ブッダの瞑想法」
も参考になりました。地橋さんはカルマの意味を少し誤解している気もします
ので注意が必要かもしれません(因業的な意味で使っているように思います。
釈迦の説くカルマは「行為・行い」といった意味で使っていましたから)

11296:2009/04/29(水) 07:54:54 ID:Wu8vfCws0
>>105大日如来さんへ
>>96->>98 名無しさん、詳しい分類と解説、そしてご意見深く感謝申し上げます。
いやあ、凄くわかりやすくためになります。今後も珍重し引用させていただきます。

いえいえ、過分な誉め言葉を頂戴し、恐縮です。
思いつくままに書いただけですので、今見直すと甘いと思います。
>>96の項目は、複数が該当する方が多いと思います。求道者タイプであっても
盲信している方もいますし、求道者タイプでも現世利益もしっかりと求めている
方もいます。人それぞれですね。

少し追加いたしますと、4.盲信タイプにも3種類あるかと思います。
どれも結局はA宗が説く脳障害の因縁が根底にあると思いますが、

4−1.盲信タイプ(教学絶対主義)
4−2.盲信タイプ(奇蹟を信じている)
4−3.盲信タイプ(知性に問題がある)

でして、

4−1.盲信タイプ(教学絶対主義)
心底、A宗の教学を信じているタイプです。仏教は「因縁とカルマを切るもの」
と頑固に信じています。しかしこのタイプでも、道理や理屈が分かれば、間違い
を認める可能性はあります。

4−2.盲信タイプ(奇蹟を信じている)
お陰をいただいた!奇蹟的に助かった!
お護摩の火の中に現行したのを見た!
K管長からテレパシーを受けた!
K管長の超能力を実際に見た!
などなどA宗やK管長の通力を実際に見聞したり体験しているタイプです。
このタイプは自らの体験ベースがあるため、信が強くなっています。
A宗に矛盾やおかしさを感じても、自分の体験ベースが根底にあるため
信は変わりません。
しかし、スマ氏の「心の分析」や「死後はどうなるの?」なども読めば
分かりますが、色界第四禅になると物質も自在にコントロールすことも
可能になるといいます。しかし釈迦が目指したのは、色界四禅よりも
さらに5段階上の涅槃の境地です。物質世界においていわゆる奇跡を
起こしたり不思議な現象を起こす力が仮にあったとしても、その人物が
ブッダや聖者であるとは限りません。「心の分析」にも書いてありますが、
禅定の入って超能力が出てくるタイプは元々煩悩が強い人で、こういった
人が禅定に入って超能力を得ると解脱の進歩が非常に遅くなり厄介である
とあります。不思議な能力は拝み屋も持っている人もいます。イタコも
そうです。不思議な力を持っているから、現象を起こせるからと言って
聖者ではないということですね。ここのところを理解できると、体験ベースで
しがみついている人も、はらりと目かからウロコが落ちます。

4−3.盲信タイプ(知性に問題がある)
これは典型的な脳障害の因縁の方になります。お気の毒ですが、知性が
発達されてない方は、どうしても理解の点において不十分になります。
事実をいくら突きつけても、理解することは難しいでしょう。感情的に
納得すれば理屈は分からなくても「おかしいんだね」と分かってくれる
かもしれません。

11396:2009/04/29(水) 07:58:03 ID:Wu8vfCws0
>>106大日如来さんへ
私はおそらく第三の提案は講じないのでは?と推察します。
この世に絶対と言うのが1つしかないのというように、ゲイカはおそらくそれを行わないでしょう。
なぜなら、今まで展開したものが「嘘であった」という証明になってしまうからです。
もう、引き返せない状態にいると思うからです。

>>97ですが、これは「法友やなどの関係や親戚家族の手前で間違っていると分かっていても辞められないタイプ」が少なからずいることに気の毒と思うことから提案いたしました。

それとA宗に残っている人全員が救われる道だとも考えるからです。
盲信している信者や現世利益中心の信者は、A宗が教義を変えても付いていくでしょう(笑)
A宗が教義を変えれば、おかしいなと思っている正常な知性を持った人達を
救うことができます。

けれども現実は大日如来さんがおっしゃる通り厳しいでしょう。
自分で書いていながら矛盾したことを述べますが現実は難しいと思います。
また一般信者が個人的に何か行動を起こしても、謀反を起こしたとか、
教団内を攪乱したといわれて罪に問われるでしょう。だから現実は、
宗務局や法務部の上層部の判断次第になってくると思います。

昔K管長は「さかな屋の息子でも成仏法を説いているなら、俺は
ひざまずいて教えを請う」ようなことを言っていましたが、果たして
それができるかどうか。昔言ったことも忘れて「そんなこと言いました?」
とすっとぼけるのがオチかもしれませんね。

A宗が教義の大幅な変更をするなら、K管長が亡くなった後しか
できないかもしれませんね。またA宗自体が分裂することも考えられます。
K管長原理主義派と、釈迦原理主義派の二派に。

ところでもう一つの掲示板にでも話題になっていましたが、
「夢をいつまでも見せ続けて欲しかった」というのは、私も同じす。
絶対と信じていたものが妄想だと分かった瞬間、なんとも言えない虚無感
に襲われて真っ暗になります。

これを体験するのが嫌で、無意識の中でA宗の真実を向き合うのが怖くて、
認めようとしない信者もいると思います。大日如来さんの法友もそうかも
しれません。理解できる知性があっても、真実を認めるのが怖いのかもし
れませんね。しかし真実に向き合う怖さを選択し続けても、それは単に
迷妄の世界、つまり無痴の因縁のままであるに過ぎませんからね。。。

114大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/29(水) 08:10:34 ID:j8OFTDno0
61さんへ

そうでしたか、一人だけではないのですね。
私も道場で数人仲の良い知り合いが居ますが、言ってません。
少し前から道場に行ってないのも有るのですが、まだ話していません。
でも、おそらく話しても理解できない可能性が高いです。
私のようにクールな人は、中々見ないからです。皆、一様にA宗とゲイカを信じてますから。
その中で如何に詳しく説明しても、A宗に不満を持っているような人で無い限り理解は難しい。
ゆえに、61さんのようになるのは必死だと私も思います。
逆に、それを貫き通した61さんのほうが凄いし勇気があると思います。

死を伴う、というのは推測ですね。もしかしたらそこまで行かないかもしれない。
でも、妨害は受けると思いますよ。

私は暴露本を出したり、マスコミから煽ってゆけばA宗に何らかの影響を与えると思っています。
また、A宗に対抗するわけではないが、真の仏教を講じる宗派を立ち上げたとしても、邪魔が
入ると思います。ゲイカは右派とも親しいわけですし、893とも関わりがあるんでしょう?
2chではそういうことを言われていますね。もし、それが本当なら私も実際に動いたらただでは
すまない、ということです。そして、その極めが「死ぬかも」ということです。

ただ、実際にやっては居ませんので、確証はないですが恐れは十分有るということです。
ですから、もし動くのならゲイカ滅後のほうが理想的なわけです。

115大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/29(水) 08:16:03 ID:j8OFTDno0
らるごさんへ

おお、それは良かった。お役に立てて光栄です。

93さんへ

こちらこそ又も詳しい解説を頂き、ありがとうございます。
そして、お勧めの本を紹介いただき、感謝であります。

こういうためになる情報交流というのを私はとても喜んでいます。
皆さんが意見や情報を出し合い、A宗の欺瞞を調べる元手となり、尚且つ仏教考察
に進む糧になるのですから、こんな素晴らしいことはありません。
この板を立ててよかったと本当に感激しております。

どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。又、皆様も精進を重ね、A宗で
得られなかった本当の仏教を知り・講じるために共に頑張りましょう。

116大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/30(木) 09:08:35 ID:YVd6xPFM0
>>113 96さんへ
すいません、すっかり見逃していました。

ご意見拝読して、非常に感動! 私とほとんど同じお考えなのですね。
もう、こうなったら同盟でも作って新しい宗派作りましょうか?<オイ
A宗に居た人たちで、釈迦原理主義団体を。

我々は本当の仏教を講じていたと思ったからこそA宗に入った。
だが、それはニセモノだった。非常に遺憾です。

でも、じゃあ、どこかの団体が本物をやっているか?と言えば見当たらない。
何か哀しくなった日々を思い出します。

別に依存団体を作ろう、と言うのではなくて、本当の仏教を講じているアシュラムが
あってもいいじゃないか。超能力云々、因縁解脱・・・そんなものは離れて本当の
清らかなものを求めて、最終的にはニルバーナを目指す、本当の釈尊の宗派。

マジに欲しいと思います。

ですが、今はまだ自分も修行中でまだまだ未熟。今後も皆さんの意見や情報を交わし、
尚且つ本当の仏教の教えと法を講じてゆきたい・・・そう思っています。

ご意見ありがとうございます。

11796:2009/04/30(木) 11:27:28 ID:uElEpBzE0
>>116大日如来さんへ
新しい教団ですか(笑)。
A宗が教義を変えてくれればよかったですが、それは難しそうですね。

私は辞めて数年がたちます。
途中から準テイ真言の読じゅが勧められるようになり「あれ?なんで?」
と思ったのがきっかけでした。
いくら管長の指示とはいえ、今まで「仏陀直説ぅ!」と言っていたのが
途中で路線変更のようになって「え?」と戸惑いを覚えました。

その後「龍神さまにコレをお供えしなさい」とか言い出したので
「え?お稲荷さんみたいなことを言うなあ、なんで?」とますます疑問が深まり

最終的には廃絶家の供養でジエンドでした。「柏原もあるのになんで?」
と思いましたね。
ちょうどスマ氏の本を読んだことも重なりました。スマ氏の本はインパクトが大きく、
これがはずみになりました。
2ちゃんねるでも言われているとおり「因縁ではなく煩悩解脱!」これですね。
とはいっても導いた人も数人いたので辞めることに迷いました。
2ちゃんねるも見ていましたが、その頃はしっかりと見ていなかったかもしれません。

しかし昨年頃から、三福道が話題になっていて、それを読んで唖然としました。
三福道はA宗の心臓に当たる経典です。これが創作だと知って愕然としましたね。
導いた人が可哀想に思えてきて、それで思い切って掲示板に書き込むことにしました。
ROMっている方が楽ですが、しかしA宗の誤りは問題だと思います。
この事実はきちんとして欲しいと思いますね。
ただ、A宗を辞める辞めないに関しては、お気の毒な方もいますので、
それは本人の自由意志にまかせておけばいいと考えています。

私は日々の生活にお釈迦さまの教法を取り入れて、自分なりに実践しています。
生天の教えの通り生きていれば、来世において天に生まれ変わるので、
それだけでも安心です。何も特定の宗教にドッブリと浸ることはないと思いますよね。

118らるご:2009/04/30(木) 11:56:30 ID:r0yzszmM0
61さんへ
A宗報279号入手しました。
3月の例祭法話が巻頭記事で、
「昨日最後の1枚を書き上げた。おおよそ1ヵ月後に各書店に並ぶでしょう」
と、輪廻転生瞑想法新刊著書の話題を。以下、私なりに要約しましたが・・・。

「人は輪廻転生する。果てしなく生と死を繰り返す。
さらに忘れてはならないのは、来世でも人間としての生を受けられる保障はない。
やはり、誰もが来世も人間に生まれ変わりたいと考えるでしょう。
さらにできることならば、幸福な境遇に生まれたいと願うはずです。
それを実現するのが輪廻転生瞑想法です」

「輪廻転生瞑想法の第1段階の瞑想では、まず来世も人間に生まれることを目指す。
第2段階の瞑想で優秀で聡明な人間に生まれることを目指す。
第3段階では愛情の深い両親のいる豊かな家庭に生まれるようにするわけです」

「この瞑想修行はじつに衝撃的な内容で、死の実態に迫る瞑想。
死の実態を理解してこそ、生まれることの実態も分かる。
したがって、輪廻転生瞑想法は人間に究極の悟りをもたらす瞑想だと言えるかもしれない」

・・・心血を注いでこの本の原稿を書き上げたそうです。
刊行されたならば、懇親の力をふりしぼって伝授するので、
諸君も覚悟を決めて全身全霊を以ってこの修行に臨まなければなりません・・・との事。

予想もしなかった修行を教えることになるためいささか躊躇しているが、
腹を据えて指導にあたる・・・と締めくくってます。

119らるご:2009/04/30(木) 12:04:19 ID:r0yzszmM0
書き忘れました!
 
>>118>>101への返信です。
すみませんm(_ _)m

120大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/30(木) 14:21:15 ID:YVd6xPFM0
らるごさん、情報ありがとうございます。私も知り合いの信者から情報は得られますが、必要以上に
逢いたくもないし、道場へ行くのも嫌なので本当に助かります。
(つい最近までファイリングして今後のために、と集めた宗報も体験談も皆捨てましたからね)

>>118はいい考察のための材料になります。ですが、本来61さんへの提供なので61さんの拝見の
あとで展開したく思います。
さあ、突っ込みどころが満載なので楽しみです。

121症頭葉:2009/04/30(木) 16:26:45 ID:OrYkNg.I0
投稿者:ユビ (男性/40代) 投稿日:2009/03/31

甲子園の選抜高校野球観戦に利用しました。昨年に続いての利用ですが、
快適に楽しめました。天然温泉にマッサージ、飲食、インターネットに
漫画本といくらでも時間を潰せて寝不足になりそう。ただカプセル内が
寒かった。暖房を利かせてカプセル内で調節ができるとよいのだが。

http://www.jalan.net/kuchikomi/YAD_329207.html

122大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/04/30(木) 17:05:37 ID:YVd6xPFM0
>>121 症頭葉さんへ

うーん、ホテルの情報Upしたくて?の投稿でしょうか。
こちらのスレとは趣旨が違っていますので、こういう投稿はご遠慮願います。
ちなみに@chsではないので削除はしませんが、忠告申し上げます。
よろしくご留意のほどお願いいたします。

12361:2009/05/01(金) 00:41:12 ID:cMnw6Jpw0
>>118 ご報告ありがとうございます。ゲイカって筆力はあいかわらずですね。パンフレット作りの名人ですよ。
解説からどのような指導なのか予想つきませんがユビキタスさんが今回の瞑想も輪廻をテーマにした小説やアニメと同じような内容なのではないかという推理から
予想するとゲイカの妄想、死んで生まれ変わる物語を信者が各々空想し生まれ変わったつもりになるみたいですね。
それを前提に読むとああなるほどと思います。
そうなるよう想像しろということなのでしょうが、それなら浄土宗の念仏をゲイカは否定しながら今回の瞑想とやらもどこが違うという内容であるし、
「君は誰の輪廻転生か」で他教団のものが賽の広場にいく描写、徳がなく地獄谷を渡れない描写、とも矛盾します。
空想したら地獄谷渡れるのなら徳がどうのとか成仏法がどうのとか関係ないじゃん。
まあ私が書いたのが正しいかどうかは分からないけど・・

124大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/01(金) 16:14:24 ID:EGJ7.s.k0
>>123 拝見しました〜。なるほど、これは推測であっても中々いいものと思います。
ゲイカの言われることを顧みてみれば、自分(ゲイカ)は瞑想のプロで尚且つ成仏法も
他のものも大事な仏法の要は自分が会得していて、高度の存在である。
その高度の存在であるゲイカが編み出した「瞑想法」は素晴らしいものであってしかも
まだこの世に出してない新しく斬新でしかも輪廻を自由自在に操作できるものです。

こういうものを何も知らない(考えない)輩は「凄い!」と感じ、思ってしまいます。
ところが61さんの推測で考えても、矛盾がすぐに出てくる訳です。
もちろん私にも矛盾点のツッコミはありますし、他の方のツッコミ意見もあるでしょう。
これを本来なら本が出版されてからやるのが筋でしょうが、ゲイカのいう「まもなく出版」
は嘘が多いので、先取りじゃないですがここで色々考察したら面白いかな?と考え、行いたい
と思います。

125大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/01(金) 16:22:43 ID:EGJ7.s.k0
まず>>123で61さんが言われたことはまさにそのとおりですね。
この瞑想法をやれば、徳も成仏法もA宗信者で無くても来世は自由自在、と言うことになるのが考えられます。
そうなるとA宗での教義は「何だったのか」と言うことを発生させる元となります。
つまり、ゲイカは私は常々申してますが、「自分の言ったことを自分で壊す行為をされている」というのが
ここにも現れています。ゆえに、A宗に魅力やゲイカに不信感を抱く結果となるのです。

これをゲイカが作ったものを信者か誰か、つまり第三者が壊すというのならまだ判ります。
ですが、ゲイカ自信が草案・発案?しているのですから、如何に妄想で根拠の無いことかわかります。
まして、仏陀釈尊が言ってもいないことを行うわけですから、如何に傲慢かがわかります。

道理で考えてもどうも合わない。ただ、A宗の理屈で言うと合う部分はあります。
しかし、それはA宗の中だけの世界であって、他では通用しません。
それこそ貨幣価値のようなもので、A宗では使えても他では使えない無価値なものであり、まして
仏教の教え・秘法というものではないと言うことがわかります。
これに気がつかない・踊らされるのは後で気がついて悔しい思いをするだけだと先に言っておきます。

126大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/01(金) 16:46:18 ID:EGJ7.s.k0
ああ、訂正を。>>125のA宗に魅力や、は「A宗に魅力を感じない、とか」に訂正です。

では、私のツッコミを。
まず、「さらに忘れてはならないのは、来世でも人間としての生を受けられる保障はない」とありますが、ここがおかしい。
ゲイカはチベット死者の書が出るまでは「私は人間は人間にしか生まれ変わるのを見たことが無い」と言われています。
昔ダルマチャクラ以前に発刊された「法友」及び「大法城」という機関紙に掲載されています。
ただ、私もアホで、その該当するバックナンバーを持っていないのです。なので、何々の何Pと出せないのですが、
もし、それを持っている人は確認することができます。又法話でも言われているので会員で記憶に有る人もいますね。

それが、急に「人間以外に生まれ変わる」と鞍替え?したので、私は質疑応答の用紙に書いたのですが取り上げられません
でした。ゲイカは都合のいいのしか選びませんからね。

本当に霊眼があって、尚且つ過去の発言を訂正するならまだしも何も言ってません。これがゲイカのおかしいところ。
いきなり、過去の訂正もせずに「人間に転生するとは限らない」と大きな顔で言うのはかなりの腹の持ち主です。

そしておかしいのはやはり、急にその「転生」に関して急に論が変わったことです。
これは2chで散々言われていることですが、どうやら霊眼も霊能力も無い、と言うことの証明になるかと思います。

なぜなら本当のことがわかるのなら、そうコロコロ事実が変わるはずが無いからです。
見えている・把握しているのなら、変わるはずが無い。
また、急に変わる時期も本が出た辺りから変わっている、と言うことは本の受け売りをしている、つまり、パクリである
と言うことが濃厚です。



>やはり、誰もが来世も人間に生まれ変わりたいと考えるでしょう。
さらにできることならば、幸福な境遇に生まれたいと願うはずです。
それを実現するのが輪廻転生瞑想法です

これは気をつけないといけません。これに騙されるのです。
人の希望や願望(欲望)などにあわせての発言と聞こえませんか?

そりゃあ確かに動物や植物には生まれ変わりたくは無いです。ですが、それは決定した事項なのでしょうか?
また、チベットの書でいわれているからといって鵜呑みにしていいのでしょうか?
A宗がチベット仏教と関わっているから? そう思っている貴方、危険ですよ。

日ごろA宗の行をしていて、修行にいそしんでいるA宗信者なら何を恐れる必要がありますか?
むしろ仏舎利を奉じた功徳で人間に生まれ変わる、尚且つ今より境涯の上の環境に生まれてこなければいけないじゃないですか?
それがいつの間にかその瞑想法をやらないと成就できないほど貴方は修行不足なのですか?

また、修行云々以外でも安心できることをお教えしましょう。

127大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/01(金) 17:31:52 ID:EGJ7.s.k0
柏原聖地霊園のカラーチラシをご覧ください。あそこにいいことが書かれていますよ。
A宗の信者は死後シュダオンになる、と書かれてあります。

いつの間にそういう風に定義が変わったのでしょうか??? ちなみに私は聞いてませんでしたが。
いつゲイカがそう申されたのでしょうか? 知っている方は教えてください。

これがもし嘘でなかったら、福寿墓稜も要りませんね。

私の知っている限りでは、シュダオン云々は修行をしていった信徒でなければなれないはずです。
でも、A宗信者は勤行をして御宝塔を大事に祀っていれば、死後冥界には必ずいけるとゲイカはいっています。
ダルマチャクラや法話でも言われています。

行をしない・御宝塔を粗末にする人は保障はできませんよ、とまで言っている。
ならば、逆に毎日勤行を行い、梵行まで行う人は何を怖がる必要がありますか?
また、真言行をやっている人は仮に阿鼻野街道に居たとしても、ジュンテイ如来が現れて冥界に連れて行って
くれるわけでしょう? いまさら何を怖がるのですか? 何が恐ろしいのですか?
信者ならそのくらい胆が据わっていないでどうしますか!

では、この胆が据わったところで問います。
なぜ、この来世保障のA宗にいながら輪廻転生瞑想法に「こだわる必要が有るのか」です。
または、どうして不信感を抱かないのか?です。

それは貴方の中に安心感や安定感が無いのと貪りがあるからですよ。

いいですか? ゲイカの言葉に翻弄されてはいけません。また、ちゃんと確認することです。
なんで、言うことがいちいち変わるのか。また、新商品でもないのにこうやって色々出てくるのか、も。
普通、悟った真理というのはコロコロ変わるものではないと言うことを知りましょう。

まず、不安になるのは因縁解脱が完璧でないことです。
どこまで切れて、どのようになったのかなんてゲイカしか判りません。
その見えない・得体の知れない「因縁解脱」にあなたはすがりつつも、不安を抱いているから来世のことを
案じるのではないのですか?

返って「成仏間違いなし」と観念する浄土思想より弱いし負けていますよ。
成仏法も有る最高度の宗派信徒が泣かせますなあ。

成仏法があって、仏舎利があって、本尊が有る。何が怖いのですか?何が不安なのですか?
解脱供養を数対して先祖を成仏させた功徳や、梵行で貯めた徳があるのに何が怖いのか?
そう、自分がもしも何かの間違いで動物や虫、植物に転生したくないから怖いのでしょう?

これはゲイカの妄想と不安にさせてA宗にひきつけるためのテクニックなのですよ。
やることをやっていて不安になるのは、このテクニックに引っかかるからです。
私が言うようにちゃんとやっていたら、不安になるものですか。

また敢えて言うなら、本当はA宗の行動で安心できるはずです。でも、ゲイカの言うことに逆らえず従う。
または、安全を期するために従うわけでしょう?

お金が有る人は福寿墓稜を買えば、間違いなく地獄に落ちない。でも不安なのです。心配なのです。
まして、経済的理由で墓稜を買えない人は余計不安でしょう?
でも、前述どおり怖がる・案ずる理由など無いのです。

ゲイカの妄想に踊らされるのは楽しいですか?と私は問います。

128大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/01(金) 17:46:10 ID:EGJ7.s.k0
また、私は信者に問います。
貴方はその瞑想法をやらないと転生成就できないほど修行不足なのですか?
そして、その瞑想法を貴方は成就できるのですか?

考えてください、今までゲイカの”指導”ということの全てを。
今回は瞑想のことですから瞑想について考えましょうか。

求聞持スクールに入講した方なら良くわかりますが、基礎的な示唆だけで深いものは何もやっていません。
結局、ゲイカの著書に毛が生えた程度のおさらいで月¥500を徴収するのです。
又、一度入講すれば退講は嫌われます。しかし、無理にでも退講をお願いすると再入講は出来ないのです。
これは私が経験済みですから100%胸を張って言えます。

結局何をするかと言うと、長く息を吸う・吐くの指導とマグマ呼吸法だけ。
あとは、本にかかれている各種の瞑想だけですよ。
それなら本を読んでいるだけで誰でも出来るでしょう?
それ以上の高度な指導は何も無いのですよ。しかももう15年経っても何も無い。
そういう姿勢の人間から特殊な指導など期待しても無理です。

まあ、見ててください。私のいったような結果に終わりますから。
結局、概略を言ってそれで終わりです。これまで一度も深い瞑想や内容を教えたことがないのです。
観音慈恵会からみれば30年以上も経ってて、入り口しか教えてないのですから、私の言ったことは
嘘でないことがわかります。

さあ、貴方はこれでもその瞑想法に「しがみつく」のですか?

129大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/01(金) 19:25:20 ID:EGJ7.s.k0
>輪廻転生瞑想法の第1段階の瞑想では、まず来世も人間に生まれることを目指す。
第2段階の瞑想で優秀で聡明な人間に生まれることを目指す。
第3段階では愛情の深い両親のいる豊かな家庭に生まれるようにするわけです

ここでも矛盾がすぐに出ていますね。第一段階で来世も人間に生まれることを目指す、とありますが、片腹痛いですね。
つまり、仏陀釈尊の成仏法も仏舎利も講じても(奉じても)意味が無いことを現しています。
それなら完全なる救済など、また安心など得られないと言っているものです。

いいですか?二世の願はどこへ行ったのですか?これは肝心尚且つ重要なことですよね?
畜生などに生まれ変わるのは教義に反することですよね。ここでもう矛盾が出てくるというものです。
そうなるとどっちが正しいか?ということですよ。
ジュンテイ尊の請願か、それともゲイカの妄想瞑想法か・・・。

次に「第2段階の瞑想で優秀で聡明な人間に生まれることを目指す」ですが、これはごもっともですが例えばこれは
徳が備わっていない人間でも可能なのでしょうかね?
A宗では因縁解脱も福徳を得るのも「徳如何」と言ってますよね?それが瞑想で解決するのでしょうか?
又、どれだけ徳を積めばそれは叶うのでしょうか?甚だ疑問ばかりですね。

最後に「第3段階では愛情の深い両親のいる豊かな家庭に生まれるようにするわけです」これも第二と同様に
意味はわかりますが、それも可能なのか?と言うことです。

輪廻はもう大分前にゲイカが言われている理論があります。それは「タテの因縁、ヨコの因縁」の論です。
すると、そこをどうやって調整するか、が鍵です。

また、よく考えてみると欲望を煽る文章だと思いませんか?
自分だけは、自分こそは境涯も環境もいいものを、と望んでいる。
それは果たして因縁解脱と関係が有るのでしょうか?

ハタから見れば因縁解脱よりも欲得と楽をしたい権化にしか見えないですね。
よく2chで言われることでもありますが、そんなに自分の状態を良くしたい欲望の達成のためにA宗を講じている
という人が多いと言うのを見ましたが、本当にそのとおりですね。

いい学校に入り、いい会社に入り、いい給料と多くの休みを貰い、楽して暮らせる環境を望む現代のエゴと同じに
見えますね。そういう欲望のためにA宗を講じているのに気がつかないのでしょう。

釈尊の本当の教えと比較したことがありますか?比較したらこういう教え(瞑想法)など存在しないのがわかります。
むしろ、釈尊は俗世に有る欲望を捨てろと言っているほどです。
釈尊の生き様を見ても判るように、王子だった地位を捨てて苦行と瞑想によって悟りを得たわけです。
この第二・第三段階の様を「逆に捨てた」のが釈尊です。
これの逆を勧めるゲイカは「おかしくないか?」と思えてくるはずです。
もし、思えないとすれば煩悩に穢されている・浸っているから判らないのです。

釈尊は解脱の邪魔になる元、つまり煩悩を無くすことを申されています。
それが、ゲイカは逆に人の煩悩を煽ることをやっている。これが原始仏教・正統の仏教の宗派のやることでしょうか?
むしろ、釈尊の教義に沿うならば、煩悩を減らすための示唆をされて、瞑想もそういう方向へ行わせるのです。

それがロクな瞑想も指導せず、煩悩を誘発・増大させる。しかも現代人が好みそうな傾向を盛りだくさんにしないと
関心を示すはずがありません。
それこそ私が言うような煩悩を減らす瞑想など、通常は人は寄り付きもしません。面白くも無いからです。
結局、ゲイカは人受けする・好みそうなものを出しているのです。

釈尊も言っています。「自分の言っていることでも吟味せよ」と。惑わされず、よく吟味することです。

130大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/01(金) 19:35:59 ID:EGJ7.s.k0
>>117 96さんへ
すみません、気づくのが遅かった・・・読み飛ばしてました。
真言行の前ですから結構前ですね。でも早い退会、よろしかったと思います。
自分は今ですからね・・・。

仰せのこと私も非常に同感です。段々ゲイカは悪くなる一方です。疑問と矛盾だけが増えて
どんどん嫌気が指して来るのを抑えながら過ごしてましたからね。

>私は日々の生活にお釈迦さまの教法を取り入れて、自分なりに実践しています。
生天の教えの通り生きていれば、来世において天に生まれ変わるので、
それだけでも安心です。何も特定の宗教にドッブリと浸ることはないと思いますよね。

これに尽きますよね。本当に素晴らしい。これからもよろしくお願いいたします。

131ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/02(土) 00:00:38 ID:SmEF4Oe2O
>>121は私がじゃらんのサイトに大阪・梅田のスパ&カプセルホテル大東洋に泊まった
時のクチコミ情報を投稿したものだよ。
高校野球板でもこれを発見した人がいたけど、熱心なストーカーがいるもんですねえ。
こんなもんupしても何の意味もないのに。
登録しているじゃらんのサイトでポイントが貯まっていたから最大限1割引で
泊まりましたよ。

13296:2009/05/02(土) 00:58:48 ID:Pom2hlmo0
>>130大日如来さんへ
いやあもう矛盾していく内容に付いていけなくなりまいした。それでまも矛盾や疑問も方便やK管長に深いお考えがあると思って信じていましたが、スマ氏の本を読み、崩壊していきました。A宗に対する見方が変わるため、A宗が迷妄であることに気付きます。一度気付くと全部が崩れていきます。
ただ、まだ導いた人が残っているので、これが辛い。とくに昨年あたりからの三福道の議論が強烈でした。でも過去ログを読むとかなり前から三福道は問題になっていましたね。最近知ったのですが、遅いですね。
それと樹意さんもスマ氏のアビダルマ講義をお勧めしていました。スマ氏の本はA宗信者の目を覚まさせる効果はあると思います。

ところでお釈迦さまは脅しや不安で人を動かすことはあまりされていなかったようです。出家修行者に対しては厳しいときもありましたが、K管長は最初からずっと不安や脅しと欲望を煽ることをしています。大日如来さんや2ちゃんねるで言われているとおりです。因縁、霊障、1999年地球壊滅、ナナメの因縁、転生者、廃絶家、といったように次から次へと不安なことを出してきます。一方では超能力、守護霊、メシアの法、パール瞑想、守護神といったようにニンジンで煽り立てます。
で、今度は「動物に生まれ変わる」と。もう崩壊しています。>>126-129で大日如来さんが指摘している通りです。K管長が自分でぶっ壊しています。周囲の人もおかしいと思っても、もう誰も止められないのでしょう。このままでは、再び警察のご厄介になるかもしれませんね。

133大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/02(土) 07:55:05 ID:nb9oteGw0
ユビさんへ

うーん、それはキツい。ユビさん人気者だから・・・。綺麗なお姉さんならいいかもしれませんが・・・ね。
以前2chで見た大東洋の意味がわかりましたw。でも安くて割りのいい宿泊所がるのはいいですね。

96さんへ

そうかあ、私が早く辞めれたのは導いた人がいないから、と言うのに気がつきました。
正確には弟だけなんですよ。弟とも意見は分かれていて「まあ、そういう風に言わないで行やれよ」と
と言うのですが、やりません。
先月、私の家に来て私の部屋を見て「あれ、御宝塔とかは?」というので、「全部片付けた」と言ったら
本気なんだな、と観念した模様。
そのぐらいのことなので、導いた人への気遣いが少ないのでそこは気が楽ですね。
おそらく私も96さんと同じ立場ならかなり胸を痛めるでしょう。

>このままでは、再び警察のご厄介になるかもしれませんね。
いや、それがそうでもないのですよ。ゲイカがギリギリの線でセーフを行う天才なのです。
麻原のようにアボーンじゃないところが、さすが<オイ

最近知ったのですが、パール瞑想法は気功の中にあるやつでして、パクリというのが判明。
またしても、かという心境です。あと、守護神は守護霊よりも上で凄いんだぞ、ということもやりたかったのでしょう。
でも、皆守護神をいただくのに大変なのと、祀りきれないのを感じて興味が無いですね。
ブックオフに¥105で著書が売られているの見て、哀れと感じる自分が居ます。

結局、ゲイカはブームを模索しているとか巻き返しを図っている気がします。
本当の仏教・仏法を講じることなど皆無ですね。我々がその妄想に踊らされた哀しさがあります。

96さんの言われたように私も矛盾や疑問、方便はゲイカに何か深い考えがあって、と思っていたのです。
でも、よく見ると深い考えなど無く、ブーム作りや煽ることしか考えてない。教団を大きくする・自分の利益のため
の行動しか該当しません。そのための行動だったと気がついたら、自分は砂の城に居たのかと愕然です。

結局私も2chが無ければ動けなかった可能性が高いです。
A宗の中にいては判断するのは難しい。本当に判別するための策を講じるか、一旦外の情報を持たねば非常に難しい。
スマ氏の本を読まれたのは正解ですね。私も2chや退会した方から教えてもらいました。

で、これは余談なのですがスマ氏のことを知り合いに話したら、「スマ氏は成仏法をやっているのか」とか
「本当の仏教をやっているのか」「解脱している覚者なのか」というんです。言いがかりも甚だしい。
もう、理性や知性も麻痺しているんでしょうね。A宗最高!から抜け出せない証拠です。

私は「わからなくなったら基本に帰る」と言うのをやっただけです。
釈尊が何を言い、伝えたかったかからやるべきだと。スマ氏はそれのいいお手本なのです。
それが判らないで難癖をつけるのは、妄信・狂信ですね。判らなかったら自分で調べればいい。
それもやらずに「私がおかしい」と言うのですからそれはいかがなものかと。
釈尊も「自分で確かめよ」と言われていますよね。

まがいものの宗教を信じるとエライ目にあいます、はい。

134ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/02(土) 08:08:32 ID:SmEF4Oe2O
>>132
お気持ちは痛いほどわかりますが、決して遅いことはありませんよ。
気がついた時点で改めればよい。
逆に2ちゃんねるなどの批判情報を目にする機会に恵まれなかったら今後も
続けていってることになると思います。
おかしいなあと矛盾を感じつつも一度洗脳された人間なんて皆そんなものです。
むしろ批判スレに出会ったことをラッキーと思った方がよい。
導いた人に対する責任感はわかりますが、必ずしも全員が今度は退会の勧めに
応じてもらえるとは限りません。
もはやその人の意志 になっているのですから。
少し長文になっても2ちゃんねるに書いてある批判事実を書いてあげて、
等しく情報を分け与えてあげればよいと思います。

135ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/02(土) 08:16:49 ID:SmEF4Oe2O
>>133
パール瞑想法が気功のパクリの件、宜しかったら詳述願います。

13696:2009/05/02(土) 08:54:04 ID:Pom2hlmo0
>>133大日如来さんへ

そうですか。パールもパクリでしたか。何とも閉口しますね。

わたくしはスマ氏の本を読み、仏教が因縁解脱を説いていないことを知って愕然としました。
A宗では煩悩解脱を低く位置づけしています。きよめ・たかめるといっても、きよめの部分は
先祖供養や解脱供養の比重が高く、心解脱といっても実際に不十分です。
お釈迦さまの場合は、もう心解脱一本といっていいでしょう。
ほかにも数多くの示唆を受けたわけですが、たくさんありすぎますね。

ところで
> 「スマ氏は成仏法をやっているのか」「本当の仏教をやっているのか」
> 「解脱している覚者なのか」
これはA宗に染まっていると理解できないでしょうね。一度、A宗とは違った仏教の世界に触れるとだんだんと分かってくると思います。一番最初にスマ氏の本を読んだときは、自分の中に抵抗がありました。しかし何度も読むうちに理解が深まりA宗の誤りに気付きます。時間はかかるかもしれませんね。しかし頑固な人は無理だと思います。言っても分からない人は分かりませんね。

A宗は確かめることのできない概念が多いです。そしてこの概念があたかも本当に存在するかのように見せるのが上手です。いったんA宗の妄想の世界にはまってしまうと、なかなか抜け出せなくなります。

三福道の重大な間違いは、辞めてから知りましたが、ここまでA宗が歪んだ仏教だったとは恐ろしいです。というのも、三福道があるから、A宗の活動の全てが釈迦の本意にかなうことにもなっています。いわば論理的な根拠ですね。ここに嘘があるとなれば、真面目な信者が気の毒です。複雑な気持ちにもなります。

137大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/02(土) 08:59:11 ID:nb9oteGw0
うーん、そのサイトに迷惑かかるかも知れないので概略を。

ゲイカが出した「パール瞑想法」は私が何も知らなかったからなのですが、ゲイカのオリジナルと思ってたんです。
ですが、今年(先月)にそのサイトで「しゃぶり玉」なるのを説明していたのを見たら、何とゲイカのやっていた
パールと同様です。気管に気を巡らす、という技法もそのもの。ただ、パールとしていないだけでほぼ同じです。

気功などの本を読んで後にゲイカが行われていて、それをゲイカ自身がパールで打ち出したようです。
実際、物体を持ち用らないで観想でも出来るのですが、そのしゃぶり玉に気を入れているので効果が高いそう。

138ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/02(土) 13:32:25 ID:SmEF4Oe2O
>>137
ちなみにその「しゃぶり玉」で検索したら、変なサイトばかり出てきましたw
裏筋がどーのこーのとか私の得意な妄想分野ですね。
さて、しかしネットで見つけたということは、桐山さんがパール瞑想を書いた
「脳と心の革命瞑想」(1996年)よりも遡る証拠を見つけるのは難しいかもしれませんね。
それ以前からその気功世界では行われていたのではないかとも想像できますが
根拠がないわけです。
すると信者なんてものは、あちらが桐山本をパクったなんて言う奴もいるかもしれない。
そうは言わないまでも古くから気功で行われていて、何がおかしいだろうか?
ゲイカはやはり気功も修行されたのだから、こういう引き出しをいくつも持って
おられるのであり、それを私たちに教えて下さる。
あの時限り(笑)
元ネタがあって何が悪い?それは成仏法そのものではなく、入り口に過ぎないのだから
気功に根拠があるなら大歓迎だ。
・・・と擁護する人がいるでしょう。
しかし桐山さんが気功を口にする、本に書くようになったのは、気功ブームが
起きてからなんですよね。
それまでは導引は出してましたが。
つまり桐山さんも昔から気功を修行していたわけでもなく、ブームになってから
そちら方面からネタを仕入れた付け焼き刃の疑いも濃いわけです。

139大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/02(土) 17:19:20 ID:nOwEYcV20
>>138 そうですね、ユビさんの言われるとおりですね。
先に言ったもの勝ちじゃないですが、そのサイトは最近なので逆に「そっちが後だから真似たのは
そっちじゃね?」と言われる可能性はあります。
ただ、ブックオフで立ち読みした本に、そのゲイカのやられている気管(気道)の
ことを書かれていたのもみましたから、やはり元々あったんだ、と言うのもあります。

ただ、その本が売れたのか見つけられない! 買って置けばよかった・・・。
激しく後悔しています。

ですので、ユビさんの言うとおり遡るのと文証を出せないので、申し訳ないですが、パールパクリの
件は保留にしておいてください。申し訳ありません。

14061:2009/05/02(土) 23:18:03 ID:cMnw6Jpw0
仙道のパクリです。経絡に沿って球体か煙りを想像して気を動かす。小周天といいます。
ただ小周天の場合、呼吸と想像で 気感(熱感、振動etc)を移動したり留めたりするもので、想像だけを移動させると害があると本に書かれてます。
ゲイカの方法、つまり想像だけで移動したり大きさを変えたりなんてのは下の下でしょう。

14161:2009/05/02(土) 23:43:00 ID:cMnw6Jpw0
小周天によって気を回すことを河車かしゃ といいますが、ゲイカの方法 想像だけで回すことを空車くうしゃ といってよくない例としてよく知られてます。
138のユビキタスさんの言うとおりゲイカは習ったこともないのにブームにのり、知識+空想で勝手に行法つくるからとんでもないものになるのでしょう。

http://www.din.or.jp/~runer/xiandao/yongyu.html#ku
空車(くうしゃ)
小周天で熱感や物理的感覚が無い偽の陽気を回している状態の事。

142大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/03(日) 03:52:40 ID:dgpXN.YQ0
61さん、ありがとうございます。引用サイトも勉強になりました。

私が瞑想を本気で考えたのが丁度パールの時期なんです。
それで、求聞持スクールにも入講したのです。もうワクワクで学びしましたね。

ところが、ある程度進むとそれ以降指導が無いのです。銀座のビルでの指導は若干あったようですが、
それも毎度ではない。それこそいつもの「ゲイカは忙しい」で終わりです。
そして、それ以降特段指導が無く、終わって現在に到るのです。
だから、退会した信者さんで個人的に瞑想をやっている人が「ゲイカは駄目だよ」と言っているのが
意味もわかるわけです。内容も体制も中途半端で止まっているし。

また、一番の悪い傾向は最初の時だけなんですよね。瞑想にしても何かの講義にしてもいつも
ちょっとやっただけで後は尻切れとんぼですよ。

般若心経瞑想法だってDVD見て覚えろ、でしょう? 特段指導もないし、そんな程度で般若の世界を
把握・理解できるの?皆様。

また、パールやその他の瞑想も自分で習得しろ、みたいな姿勢じゃないですか。
私なんて何もわからないから、深く指導して欲しいものですが、誰にも深く指導などしてません。
ある程度ネットワークでゲイカがやったのを何度も復習してやれ、で終わりです。
それで覚醒などするものですか。

また、気道もさっぱりです。著書で説明やスクールでもビデオで説明しても実地で説明・指導しないと
判るものではない。まして独学でいくらか勉強した人ならまだしも私なんて全くの素人ですよ。
経絡だってかなり数が有るんだから、そうそうわかるはずがない。

そして気づいたのが、気功とかそういう世界では先生が弟子達に身近に接して詳しく指導するのも
有るそうで、それなら話もわかります。ゲイカの場合は高いところから説明だけして、後は練習だ、
で終わりです。結局、チンプンカンプンで終わりですよ。
なので、もう嫌気が指したので退講を願ったら「もう二度と入講できませんよ、いいですか?」と
言われ、問うと「嫌でやめるのに何でまた気が変わったからと何度も入講させるのですか?よく考えて
退講を考えてください」と言われましたね。

なので、退講せずに滞納めっちゃやっています。払うつもりも無いですがw

でも、これって本行と同じですよね?御宝塔を返す〜退会する〜と、再入行は許可が降りないと
できませんよ、とほとんど同じです。
行なら判りますが、スクールで同様な説明を言われるとは思わなかったですね。
A宗ってこういうところだというのは経験済みなので、これは100%間違いないです。

思えば、どうして深く・懇切に教えないのか、と思ったら結局飽きっぽいのと、パクリだから
教えることが出来ないのでしょう。もし、本当に教えたとしてもA宗以外の本当にマスターしている
人からみたら、嘘を教えていたらバレる訳ですし、ゲイカはまさかそうだとは思いませんが、そういう
理由で教えなかったのか?と勘ぐる自分が居ます。

どういう理由であれ、指導ができない人を「導師」というのは呼ぶにも崇めるにも値しない。
天外氏が言われていることも良くわかります。

「自分のことを導師と崇めさせて、絶対服従をさせるような指導者は気をつけたほうがいい」

本当にそのとおりだとつくづく思います。本当の指導者はそうはやらないはずですから・・・。

143サライ:2009/05/03(日) 23:35:34 ID:kHWurtHEO
大日さん、お久しぶりです。A宗予備校卒業されたみたいですね。( 古神道思想家菅田正昭氏もA宗を精神世界の予備校と表現されてました) 予備校ということは当然、次ぎなる段階へ進まれるということです。今後のご健勝、ご活躍をお祈り申しあげます。伊勢白山道氏も新著「森羅万象1」を出すみたいですよ。「人類を縛る偽宗教組織から人々を解放する」と意気込んでいらっしゃるみたいです。あと、私がA宗と日蓮宗を比較したら「そんなことどうでもいい」と言った方がいましたが、笑っちゃいますね。在来仏教や日蓮義のことを我々は勉強しなくてはね。A宗関係か否かを問わずね。あと、副島隆彦氏の新著によると、闇の組織は以下の謀略を最近、働いたようです。1 N川金融大臣のワインに薬を入れて酩酊状態にさせ、失脚させた。2 O沢I郎氏失脚を狙った秘書の逮捕。3 量的緩和路線の高○洋一T洋大教授(「官僚をぶっ飛ばせ」著者)の銭湯におけるでっちあげ窃盗犯扱い事件による失脚。皆、アメリカに逆らう奴はつぶせということみたいです。余談まで。(笑)

144(61)孫青柿:2009/05/04(月) 01:04:31 ID:cMnw6Jpw0
>>143 >あと、私がA宗と日蓮宗を比較したら

いつあなたがA宗と日蓮宗をしたのか? 比較というのは比べることですよ。
62で大日さんが例を挙げてくれた。それを一般仏教より酷い と比較したのが2chの御大の名無しさんであり、
それを私と大日さんがフォローしてs学会と比べた。

>あと、私がA宗と日蓮宗を比較したら「そんなことどうでもいい」と言った方がいましたが、笑っちゃいますね。在来仏教や日蓮義のことを我々は勉強しなくてはね。

何がどう可笑しくて笑うのか理解できないが、しかしあなたはユーモアにかけてるみたいですね。
2chの御大の名無しさんのユーモアが分からないらしい。
ユーモアとかギャグは説明してしまってはつまらないが仕方ないですねぇ。

『以上のように、アゴン宗は三宝において「完璧な偽物」です。
仏教教団をつくる時、三宝の根拠を示すのが通例です。
その教団の内側では、サライさんが指摘したように、たいてい本物なのです。
三宝など、ある意味で教祖か勝手に造っていいのだから、
偽物なんて、作れと言われても作れない。ところが、アゴン宗の場合、桐山さんの決めた三宝において偽物です。
一つならまだしも、三つそろいもそろって偽物だというのだから、
桐山ゲイカはやはり天才だったというべきか、笑ってしまう。』

同じニセでもレベルの違う正真正銘の偽物だというんですよ。
私は2ch名無しさんの同じ趣旨の文章読んでビックリしましたよ。思わず苦笑せずにはおれないでしたよ。
サライさんは50歩100歩とあっけらかんとしてますが、やはり我らがゲイカ度合いが違いすぎです。

145孫 青柿:2009/05/04(月) 01:09:11 ID:cMnw6Jpw0
2ch名無しさんの同じ趣旨の文章

2ch過去スレで同じ趣旨の文章見たときのことでした。

146大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/04(月) 07:21:46 ID:/B4cJkik0
>>143 サライさん、お久しぶりです。本当にそうですよね。私は予備校を卒業できたのかあ・・・なるほど。
A宗が偽物とわかったのでもう戻ることは無いです。更なる上を目指して精進してゆきます。

伊勢ブログ毎日拝見しています。でも3ヶ月ごとの区切りでは本当に何冊になるやら。
まさか、亀有派出所の漫画のようにギネス更新、みたいな数はならないと思いますが、
非常に期待していますね。
変なわけの判らん本の出版よりずっと良いと私は思っていますね。

147大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/04(月) 07:30:03 ID:/B4cJkik0
青柿さんへ

あら、なんとなく「同じ香りがする」と思ってたらビンゴ。ご意見ありがとうございます。

S学会との比較は以前からやりたかったことなんです。それが流れ上出てきたのですかさず拙い文章でしたが、
書かせていただいたのが私の思惑。
それぞれの宗旨に三宝があって「何ぞや」とは思っていたのですよ。

青柿さんの申されるように、それぞれの教団が三宝と言うものを出される。
逆を言えば出さない仏教宗旨はありえない。
ですが、その三宝も真偽の程を確かめるとなれば、検証が必要です。
なので、今回はその片鱗?でも行ったので私はよかった、と感じているのですが、甘いかな?

2chのA宗批判スレはA宗批判がメインですから、こういう他宗旨との比較がだせるのは良いかな、と
思いますね。もし今後も検証絡みでやってゆくのは良いと思います。
ただ、日蓮・法華経系教団批判スレになるといけませんがwww

148大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/05(火) 07:54:18 ID:tYoax.8A0
GW中は皆さん自分のやられることで忙しいのかな? 書き込みが止まっちゃったw

では、話題を振りましょうか・・・。
前にも出たK正会とS学会の絡みです。まず、下のアドでのサイトをご覧ください。

創価破折勉強会 1 法宝は「南無妙法蓮華経」?
http://www.youtube.com/watch?v=jE67dJzdap8&NR=1

創価破折勉強会 2 三宝の狂いが邪教
http://www.youtube.com/watch?v=kWLw83tql6A&feature=related

こちらのサイトはかなりの膨大な量なので、全て見るにはかなり労力と根気と時間が必要ですが、
なかなか勉強させられるのと、樋田さんの情熱が伝わってきます。

ここで何が、というとやはり以前出た「三宝」についてのあちら様の宗旨の教義です。
でも、A宗で教義を学んできた方には、私の以前言っていたことが判るかと思います。

本当はその時に引用しようと思ったのですが、今回思うところがあって引用させていただきました。

「TOYODATV」とググると一番最初に出てくると思います。
TOPページを見て、色々見るのも面白いかと思います。
特に法華経をかじったことの有る方は、結構頷かれるかも?

149孫 青柿:2009/05/05(火) 13:09:50 ID:cMnw6Jpw0
>>148 こういう箸にも棒にもかからないような三宝でも、捏造ということはされておらず、
いかにあごん宗が酷いか分かりますね。
例えばS会の昔の本尊は何年に日蓮上人が直筆したもので、今は別の本尊になっている。
だからといってカニンガム将軍が発見した釈尊直筆の曼荼羅だとかそういう捏造は一切ないでしょ。
また法にしても「南無妙法蓮華経」は「南無妙法蓮華経」と唱えることであってそれ以外の何ものでもない。
あごん宗は7科37道品の一番大事なお経を字面から連想ゲームのように行息=チャクラにプラナめぐらすことだみたいな捏造しているが、
S会は「南無妙法蓮華経」を"女"の"子"と"連"れたって"華"道をすることが「南無妙法蓮華経」です。出来れば南ちゃんが相手で無いほうがいいとか
そういうへんな連想一切ないでしょう。
そうすると箸にも棒にもかからないような三宝と比較してもアゴン宗の三宝がウソにまみれてるかが分かるというものです。

150孫 青柿:2009/05/06(水) 02:47:45 ID:cMnw6Jpw0
このサライさんという人は全て分かったようなことを言うが、アゴン宗に入信したときも予備校などと思って入信したのだろうか?
後になってとんでもない宗教だと分かってからオレは最初から知ってたよ、みたいなカッコをつけてるんでしょう。
で、>>143で、大日くんA宗予備校卒業おめでとう、ようやく君もここまで来たか、みたいにゆとっているが、
予備校にいつまでも居るのはあなただけじゃないのか?

151大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/06(水) 07:53:03 ID:rQ1hlJOw0
思うところを書いてみますね。

この「樋田TV」は実は私のA宗の法友から教えていただいたものです。
かなり膨大なので見るのも疲れましたが、全体の70%くらいは見たのかな。
色々と勉強になりました。

思ったことは、非常に情熱的だというのと、真面目だなあということ。
私も樋田さんのようになれたらどんなにいいか、と思いましたね。
これだけ勉強し、これだけエネルギッシュな方は本当に凄いです。

でも、哀しいかな、やはりシナ仏教から脱していないんです。
日蓮さんの時代から止まったままなのです。
A宗で教学を学んだ・仏教を勉強した方は見ていて「言っていることは判るがそこで終わるのか」
という気持ちが出てきませんか?

2chを見る前でしたから、この樋田さんも「アゴンをやればもっといいのに」とマジに思って
居ました。ですが、2chに関わりA宗の欺瞞を知ったらもう全て崩壊ですね。
法華系もA宗も本当の仏教〜釈尊から見たら、皆失格です。
まして、A宗を真剣に捉えていた自分は虚無感が結構強いですよ。
それこそ宇宙空間に放り出された感じといいましょうか、とにかく虚しい。

樋田TVを見て最初は「貴方達論点が全然違うよ」と思っていた。
ところが、今度は批判側から「貴方達A宗は間違いだらけだ」とやられた。
かなりショックですよ。

この現実を受け止めない限りは退会は無理です。A宗に依存して・離れたくなくて仕方が無い。
そういう心境が有るはずだ。頭でわかってても嫌な気持ちが先にたつはずだ。
自分の信じたものが幻となって消えるのが怖い。離したくないんですよ。

本当の仏教へ還れ、と私は言っているが、現実的にはかなり厳しいものが有る。
特に心情的にはかなり・・・ね。

でも、これを超えねばならぬし、本当のものを掴めば寂しくもないはず。
本来最初から本当のものを掴んでいれば、こうはならなかったと思いますけどね。
でも、これも道なのでしょう。A宗というフェイク・トラップを超えてゆかねば真実を
知ることが出来なかったのですからね。

樋田さんのあの情熱を見ていると、ある面羨ましかったり懐かしかったりしますね。

152名無しさん:2009/05/07(木) 23:56:11 ID:cMnw6Jpw0
2ch 阿含宗という宗教158
789 :神も仏も名無しさん:2009/05/07(木) 18:53:42 ID:/ddFEqMO
創価学会に殺されたと噂のある映画監督や政治家は居るけど
阿含宗に殺されたらしい人は聞いたことないから
同じカルトでも阿含宗のほうがおとなしいのかな。
創価 > オウム > 阿含宗 ですかね。

791 :神も仏も名無しさん:2009/05/07(木) 20:06:07 ID:E2dQEuqL
>>創価学会に殺されたと噂のある映画監督や政治家は居るけど

ソースをだせ!ソースを!
憶測ででたらめをいうと ためにならんぞ

153孫 青柿:2009/05/08(金) 00:06:49 ID:cMnw6Jpw0
2chに面白い書き込みがありましたが、
大日さん、もしかして、阿含宗やオウムに失望した人は南伝仏教に行けるがS学会に失望した人は行けないだろうから、
阿含宗やオウムは素晴らしいなんて思ってないでしょうね?
半分は冗談ですが、何か書き込み読むとS会よりはアゴンのほうがマシというのが伝わってくるのは気のせいですか?
もしそうだとしたらですが、こうは考えられませんか。
最近、中国製の食品の危険性が巷で話題になります。そこで例えですが、
@中国製を販売する業者、A中国製を"日本製"と偽装して売る業者、B日本製を販売する業者 
信用度の高い順番はB、@、Aでしょう? 決してB、A、@じゃない。

@s会、Aアゴン宗、B南伝仏教 という例えです。

154大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/08(金) 02:42:52 ID:ZfvzZcWM0
変な時間に起きたもんだ。んで、青柿さんの書き込みがあったので早速。

確かに仰せのように取れる文章を私は書いた、と思われても仕方が無いです。
それは過去の偏見を表したのでそうなっております。
現在ではアゴンもS学会もその他在来もそんなに変わらないと私は思っています。
なぜならみんな本物の仏教のエキスというか、正しい部分は有る程度入っていても、
「我こそ教団は本当の釈尊の伝統仏教である」とはいえないでしょう?
そういう風に思い込んでる・主張する団体は有るけれどね。

南伝も日本にある仏教より「マシ」というだけで、100%正統(伝統)仏教というのは
無いかと思われ。私の考えだと南伝を基本に「これは正しい」と思われるものを集め、実行
していかねば100%に近い仏教は講じれるのか?と思っています。
もし、南伝で「これは100%だよ」という派と団体があったらどなたか教えてくださると
助かります。

今まで2chや本などで見ても、その該当する団体というのを見たことが無いためか、
そう感じている自分です。

ただ、>>152で引用された2chの記事は私も見ましたが、その中で区別をつけると、という
意味では正解なのかもしれませんが、こと100%釈尊仏教となれば違うと。
まして、「おとなしさレベル」ですからねえ・・・。なので、

@S会AA宗B南伝仏教C100%釈尊仏教 なのでしょうが、Cの成立は難しいと判断。
ならば、青柿さんの区別でいいのではないかと。

ただ、2chでの該当のレスは「S会を主張したがっている」のがミエミエですので、
私から見ればK正会と同様、「何を言ってます?」ですし、他の法華系も同様です。
そうなれば、A宗も含む日本の在来仏教は皆偽物です。
なので、2chは何を言ってもOK状態ですから構いませんが、何か醒めますね。
いつまで仏教の歴史を無視して「我こそは本当の仏教だ」と思っているのでしょうか?
ご苦労様、としかいえないですね。

アゴンの狂信も嫌ですが、他の狂信も嫌ですね。あと、先般私もミスをしましたが、

>>創価学会に殺されたと噂のある映画監督や政治家は居るけど

ソースを出せ、というのはそうですね。聞いたことがないです。有るのなら出すべき。
2chの批判側はきちんとしているので、本当に凄い。

155大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/08(金) 02:59:46 ID:ZfvzZcWM0
うーむ、書かないと書かなくなるし、書き出せば書きたくなる性分の自分でどうよ、みたいな。

気功とかチャクラ、またサライさんから教えていただいたサイト(伊勢さん)などを学ぶと
やはり、無宗教というか開放的になりますね。
特にA宗の欺瞞考察に移行した自分は現在A宗を離れ、仏陀釈尊の真の姿を追っている。
段々見えてきたのはやはり、釈尊の偉大さとその姿勢です。
こだわらず且つ大きいというか自由というか、凄く健やかで広々としている・・・。
スマ氏が「仏教は宗教ではない」という意味もわかりますね。

あと、A宗に対してのことで本当に宗教の嫌な部分と言うのを見せられました。
勉強にもなりましたが、そこからはなれて逆に自由になった今は、大いなる存在への
考察と自分自身を観る大切さ、釈尊の本当の教えを講じなきゃ、という気持ち・・・
それらが入り混じって、不思議な気持ちの状態ですね。

でも、過去にA宗に居てイライラしていたことは無くなったので良かったと思っています。
学び以外の部分は本当にふざけた団体だったなあ、と今では思います。

156孫 青柿:2009/05/08(金) 21:54:35 ID:cMnw6Jpw0
>>154 まあたしかに個人個人受け取り方は違うのだから同じ感じ方せよというほうが無茶な話しであります。
一応私が何故2chの名無しさんの書いたことに同感したかを書きますね。
私もS会の人と話したことありますから、151と同じことS会に思いましたし、また掲示板でアゴンの欺瞞を知ったのも同じです。
その後ですね、A宗考察意見交換スレで大日さんが書いていることを当時の私も思った。
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/842-846
アゴン宗って法華経系や浄土系の教団と変わらないのに何故根本仏教などと騙るのかとむかついたんです。
それなら最初っから大乗ですとか宗祖の仏教とか名乗るほうが罪がないから。

157孫 青柿:2009/05/08(金) 23:28:04 ID:cMnw6Jpw0
>>155 やはりボンギョーはイライラしますよ。向き不向きがあるのに全員ボンギョーに引きずり込みますから。
信徒時代はそういう事いっても言ってる自分が変なのかと自信なくなったりしますが。
ゲイカは性格とか能力とかで人間は技術系とか営業系とか何々系があるとか分類してるのに、
教団内の修行と称するものはそんなの無視で全部奴隷化です。
退会してやっと価値観が普通に戻ってくるんですよね。なんと自分で抑圧してきたんだろとか思う。

158大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/09(土) 07:38:29 ID:PNL40m.c0
>>156
>アゴン宗って法華経系や浄土系の教団と変わらないのに何故根本仏教などと騙るのかとむかついたんです。
それなら最初っから大乗ですとか宗祖の仏教とか名乗るほうが罪がないから。

仰せのとおりと痛感。ですが、ご存知のとおりゲイカはそういう視点が無かったのでしょう。
仏教の中に「運命改造法」のようなものを求めて探していたのはいいとしても、その展開がハチャメチャですよね。
人は何故様々な運命を持つのか。またそれをどうにかできないのか、等等考えるのは理解できるんです。
でも、それをゲイカの妄想とか改ざんはまずいですよね。
また、そのために?というわけではないが、自分がやっていること以外を批判するのは全くまずかった。
まして中身もないし・・・やってて「やべえ」と思わなかったのかな?と思いますね。
最初の時点はまだ”よさげ”に見えるが、段々道が逸れてきているわけですから・・・。
今ではもう取り返しの付かない状態ですね。もう、こうなったら死ぬまで妄想で通すしかないとwww
なので、本当に罪作りだと思いますね。

159大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/09(土) 08:22:26 ID:PNL40m.c0
>>157 私の場合は全般的にイライラありましたね。青柿さんは特に梵行にはかなり憤りがあったようですが。
でも、思い返すと本当に巻き込まれている・左右されている力というのは本当に恐ろしい。
教学や雰囲気、流れに巻き込ませて「この活動(修行)は正しいんだよ」とやらせるあの状態・・・
「別に因縁切れなくてもいいし、地獄におちてもいいや。好きにやらせてもらう」と考えたほうが正しかった、
というのはなんとも情けないことです。
結局、徳を積ませるとか何とか申し、自分の都合のいいように従わせる・動かすために展開したのでしょう。
ゲイカという人の人間性は恐ろしいです。(しかもサイコパス)
ボウイのアルバムにも付いてるタイトルですが、意味を知って笑えなくなりました。

160孫 青柿:2009/05/10(日) 00:07:34 ID:cMnw6Jpw0
BOOWYのサイコパス懐かしいですね。自分も意味知らずに聴いてました。
ゲイカはサイコパスという指摘で脱会したからさらに感慨です。
ザビビのあごんスレで桐沢新一さんという人が
「桐山先生のような筋金入りサイコパスは1つの世界に1人現われるという・・」と書き込みが私の退会を促しました。
"サイコパス"って何ぞやと検索したら、ずばそのものじゃん、皆に知らせてあげないと、思いザビビのYさんのSNSメールに送ったら
怒り出して、直に電話したら「君はクズだ」と言われた。
分かった、脱会してやると答えて数日後に脱会しました。

161大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/10(日) 01:39:01 ID:DlqFiB9g0
>>160 おおー、そういう経緯があったのですか。これは凄いw
実は私も最近2chでその言葉が出ているのをみて調べたら、絶句・・・・。
しかも、子孫さん、天身さん〜など今人の意見を聞かないで書いている人たちなども
それに随すると知って「ああ、嫌だ」とマジで思いましたよ。

修行宝鑑で因縁透視(今ではインチキというのが判ってますけど)をいただいた自分ですが、
その中に「人の意見を聞かない。自分は良くて人は悪い、とやる心癖あり」(要約)と自分
が書かれていたのですが、反省と共に思ったのは「む?ゲイカもそういうところかなり有るじゃん」
と思ったものです。寝ていて人を起こすな、と言ってて自分はやっている姿勢がね。

しかし、「君はクズだ」ですか・・・。ゲイカも同様なことを言われるでしょうね。
だが、クズはどっちか、というと・・・・いや、やめときましょう。
自分がちゃんとしていれば、それでいいのですからw 退会が、一番さっぱりしますね。

162孫 青柿:2009/05/10(日) 14:35:10 ID:cMnw6Jpw0
その因縁透視は外れたか、またはその因縁切ってしまったか、ということになりますね。
透視が外れるのもアゴン宗にとって都合悪いし因縁切ったら脱会するのも都合悪い。

天身さんてかなりヤバイ域に達しているサイコパスでしょうね。
コピペ不快なだけじゃなく不気味で気持ち悪いし。

163大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/12(火) 07:32:23 ID:jtDsXd.s0
いやあ、久しぶりに2chの「ザ用板」に言ったらここのサイコパスの話題が出ていて驚きwww

また、サイコパステストも初めて目にしたが、オモロイ!
ちなみに自分の答えは・・・・

「葬式に来ていた姉が自分の代わりに電話番号を聞いてなかったから腹を立てて殺した」
なんですが、どうもこれも変ですよね・・・・

答えを見たら、正解しないほうが正常と有るので、胸をなでおろしました。
でも、不正解がいいなんて・・・なんというテストやねんw

ちなみに向こうはサイコパス権化の子孫どのが居るんで書き込みはしません・・・。

164大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/14(木) 07:01:16 ID:BE2TcwlI0
ちょうどいいネタがあったので、自考察も含めてしばらくこれについて展開をしようかな。
まずは、引用のためのコピペを。

600 :準シュダオン:2009/05/13(水) 13:10:40 ID:YYnMT071
例えば、「社会科学としての阿含仏教」P319に、「如来の所で功徳を種
える」ことについて解説しています。
管長はこう書いています。
「お釈迦様が、お金をもうけるとか、高い地位が得られるとか、長生きする
とか、そういうことを福と考えられて、そういうものが得られるぞ、とわさ
わざお説きになるわけがない。」とね。

三供養品の「功徳を種える」ことによって得られる福は、そういう世間福の
ことではありません。涅槃界へ至る福です。管長も本の中でちゃんと解説し
てるのに、批判派はそういうことには目が行かないらしいね。

但し、世間福を求める信徒も否定はしない、ということです。
だが、それは貪りになっていないか信徒自身が反省しないといけません。
「播けば播くほど実るもの」などという言葉に操られて、世間福の貪りに
陥り、無理な布施供養などして、効果がなかった者が、退会してから教団
の悪口言ってる印象を受けますね。

165大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/14(木) 21:21:26 ID:DwVljibQ0
すみません。ちょっと横入りな用事のため、続きは後になります。
書き込みをされたい方は、この後書き込んで構いません。
自分は多分明日以降になるもので・・・。

166名無しさん:2009/05/15(金) 15:31:02 ID:XESnzsYQ0
「於如来所 而種功徳」を、「如来所で無貪瞋痴を修すること」と解釈
することが出来るのは、三善根=無貪瞋痴が説かれた後に三供養品が説
かれた場合です。

たとえば、釈迦が40歳の時に三供養品の三善根を説き、
     釈迦が45歳の時に三善根=無貪瞋痴を説いたとしたら、
     「於如来所 而種功徳」をどう解釈しますか?

公平に考えれば、上記の場合の可能性は50パーセントあるわけです。
そして、管長は三供養品の三善根を、無貪瞋痴とは解釈していないです。
布施供養を含んだ、文字どおり、「三善根=三宝で功徳を種えること」だ
と、管長は解釈しております。
ですから、今の時点では、三善根に二通りの意味があることになります。

167名無しさん:2009/05/15(金) 15:42:54 ID:XESnzsYQ0
三供養品の有三善根が、無貪瞋痴を意味する場合、
お釈迦様なら、有九善根と、説くでしょう。
  於如来所で無貪を修すーーー1
   〃  で無瞋を修すーーー2
   〃  で無痴を修すーーー3
  於正法 で無貪り  −−−4
   〃   無瞋   ーーー5
     略
  於聖衆 で無痴を修す−−−9
とね。だから有九善根です。
お釈迦様なら、こういうように、正確な数え方をするでしょう。

168名無しさん:2009/05/15(金) 21:24:06 ID:HeXCfjkY0
>>166,167
準シュダオンさん?
ここではコテハンは使わないの?

169ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/15(金) 22:08:11 ID:SmEF4Oe2O
>>166-167
おまえは天身と同類か?

170大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/16(土) 08:28:22 ID:HkRXjNhI0
今日もどこまでやれるかわからないが、書き込みがあったのでそれの方を優先します。
自分の持論はもうちょっと後にします。では引用。

>625 :準シュダオン:2009/05/14(木) 12:46:11 ID:AE6HzN5z
釈尊が三供養品の三善根を説いた時、批判派が次のように質問しました。
「三善根とは無貪無瞋無痴のことですよね?」と。
釈尊は答えました。
「この場合の三善根とは、無貪瞋痴のことではない。それならば有九善根と
 言うことになる。わかるか?
 如来の所で無貪を修す。・・・1
 如来の所で無瞋を修す・・・・2
 如来の所で無痴を修す・・・・3
 於正法無貪を修す・・・・・・4
 於正法無瞋を修す・・・・・・5
 於正法無痴を修す・・・・・・6
 於聖衆無貪を修す・・・・・・7
 於聖衆無瞋を修す・・・・・・8
 於聖衆無痴を修す・・・・・・9
と、いうように九善根になってしまう。簡単な算数を間違えてはいけない。」
そのようにお答えになりました。

>>167は省略されているので、2chから引用。
読むとなるほど、という印象を受けるがここで質問。

この9種のものは
@ お経に書かれているのか
A 書かれているなら、どの箇所か
B 書かれていないとした場合、それは準シュダオン氏の解説によるものなのか
ここのところがはっきりしないと、言いようが無いですね。
というか、自分は初見なので、ここまで釈尊が解説したのかどうかが鍵かと。
ゲイカもここまで解説してないので、説法?としてはかなり素晴らしいですね。
さて、そこらを伺いたいものです。

もし、何も数日間意見が無ければ、スルーしますのでよろしくw

171準シュダオン:2009/05/16(土) 15:33:29 ID:XESnzsYQ0
三供養品の三善根が、三善根=無貪瞋痴を意味するのであるならば、
三宝でその三善根を修する場合、お釈迦様なら、有九善根(3×三か所)と
説くはずだ、と考えたのは私の個人的な解釈です。経典にそのような話が説
かれているかどうかは、知りません。
ただ、他の経を見た場合、修行法や煩悩などの数を説く場合、かなり正確に
記していますから、それに倣って、三宝で三善根(無貪瞋痴)を修する場合
なら、有九善根と説くはずだ、と類推したのです。

なにより、批判派の意味のようにお釈迦様が説くとしたら、
「功徳を種えよ」と説くより「無貪瞋痴を修せよ」と説いた方がわかりやす
くて誤解がない。
私は、そう思います。
「社会科学としての阿含仏教」には、本の2割以上の頁をさいて、
この三善根(三福道)を解説しています。読むとよく理解できます。
阿含宗が重要視している経典ですね。

172深山:2009/05/16(土) 18:46:26 ID:WjHetjig0
>>171 :準シュダオン:2009/05/16(土) 15:33:29 ID:XESnzsYQ0
>三供養品の三善根が、三善根=無貪瞋痴を意味するのであるならば、
>三宝でその三善根を修する場合、お釈迦様なら、有九善根(3×三か所)と
>説くはずだ、と考えたのは私の個人的な解釈です。

私が反論したことは完全無視ですね。
スレ159の349で私は反論している。
昨日なのに、反論されたことすら覚えていないのでしょう
もう一度、あなたの書いていることのおかしさをたとえます。
英語と国語と数学の三教科を、学校と家と塾において勉強しなさい、
と先生からの指示を受けたら、あなたの頭では、三教科が九教科になるらしい。
無貪、無瞋、無癡の三つの善根を、三宝において修したら、
九善根になるなどというのは、九教科になると言っているのとかわりない。
そのばかげた主張を少しは恥じてくれるかと期待したが、
なんと直後こちらにまた同じ事を書いた!
準シュダオンさんはどうしてこれをしたのですか。
私からの反論を毎回無視するくらいあなたは無礼非礼な人間なのか、
それとも、反論された直後にきれいに忘れてしまうほど
記憶力が減退しているのか、あるいは自分が書き込んだことも
忘れて、同じ事をここにも書いたのか、どれなのですか。

173名無しさん:2009/05/16(土) 18:50:38 ID:WjHetjig0
>>171 :準シュダオン:2009/05/16(土) 15:33:29 ID:XESnzsYQ0
>なにより、批判派の意味のようにお釈迦様が説くとしたら、
>「功徳を種えよ」と説くより「無貪瞋痴を修せよ」と説いた方がわかりやす
>くて誤解がない。

準シュダオンさんに逆に聞くが、なぜ釈尊は
「如来のみもとにおいて供養せよ」と説いていないのですか。
誤解がないというなら、ストレートにこのように言うのがもっともわかりやすい。
だが、釈尊は「功徳をうえよ」と言ったのです。
桐山説によれば、在家の下根の者に説いたのだという。
機根の優れていない者に、遠回しな言い方をされても理解できない。
ストレートに「供養せよ」と言えば、何をするのかよくわかったはずなのに、
どうしてこの経典には供養の一言も出てこないのですか。
何よりも、冒頭では「三善根がある」と言い出した。
供養も数多くの善根の一つには間違いないが、
釈尊が説いた三善根とは無貪・無瞋・無癡を意味する。
これは他の経典を見ても明らかであり、
だから、あなたは三善根に二つあるなどという珍説を出してきた。
そうでなくても機根の優れない在家の人に、
無貪・無瞋・無癡を意味する三善根をいきなり冒頭に出して、
しかも、いっさい供養という言葉を出さずに、
それでも供養という意味にとれと、釈尊は言ったことになる。
そんなことありえると思うか。
わかりやすくあなたへの質問を繰り返すなら、
「釈尊が供養を説いたのなら、なぜ供養という言葉をストレートに
ださなかったのか?」

174深山:2009/05/16(土) 18:54:57 ID:WjHetjig0
>>171 :準シュダオン:2009/05/16(土) 15:33:29 ID:XESnzsYQ0
>なにより、批判派の意味のようにお釈迦様が説くとしたら、
>「功徳を種えよ」と説くより「無貪瞋痴を修せよ」と説いた方がわかりやす
>くて誤解がない。

あなたの目には「無貪・無瞋・無癡を修せよ」と説いたように
見えないのだろうが、普通に読めばそのように説いているのです。
冒頭にある「三善根あり」です。
これが結論であり、これがこの経典のすべてであり、他に意味はない。
釈尊の教法の多くはこのように結論はストレートにでており、
それを相手に応じて、様々なたとえなどをして説明した。
あなたも若い頃、企画書や提案書を書くとき、
結論を冒頭に持ってくるように言われたでしょう。
まず結論を先に出し、その後に、経緯や根拠や理由を説明していき、
最後にそこから導き出された結論をもう一度書く。
(天身さんの文書を見ればわかるように、
彼はこういう訓練を一度も受けたことがない人です。
社会に出たことがないか、通用しなかったのでしょう。)
釈尊の説き方も、何を言っているのかわからないような、もったいぶった、
神秘めかした説き方ではなく、飽きさせないように、忍耐させないように、
わかりやすい言葉で結論を先に出している。
だから、三供養品にある経典も、「三人有り」「三善根有り」「此の三痛あり」
「三事ありて」と、今から何を説くのか、結論を先に述べている。
釈尊が先に結論を述べているのだから、よけいな解釈は無用です。

175深山:2009/05/16(土) 18:59:45 ID:WjHetjig0
>>171 :準シュダオン:2009/05/16(土) 15:33:29 ID:XESnzsYQ0
>なにより、批判派の意味のようにお釈迦様が説くとしたら、
>「功徳を種えよ」と説くより「無貪瞋痴を修せよ」と説いた方がわかりやす
>くて誤解がない。

「「無貪瞋痴を修せよ」と説いた方が」と書いているが、
釈尊がそのように説いている文字が読めませんか。
繰り返すが、冒頭の「三善根有り」です。
どこに目をつけて読んでいるのだ?
釈尊の説き方が悪いのではなく、桐山さんとあなたが「供養」という
色眼鏡で読んでいるから、意味不明になってしまうのです。
この経典はとてもわかりやすい。
「今から、無貪・無瞋・無癡の三善根を説くぞ」と説く内容の結論を先に述べている。
ものすごく明瞭です。
これだけストレートに説いているのに、どこを読んでいるのだ?
学校の先生が、「今から、算数を説く。リンゴが一個、ミカンが三個・・・」と
説明をすると、果物の話をしていると受け取る生徒がいたら、愚かだと思うでしょう。
ところが、この先生の話を聞いて、これは金儲けの話だと受け取った者がいた。
先生の「算数を説く」を果物の話と受け取るのも愚かなら、
金儲けの話と受け取るなど、金儲けの欲望で狂っているからでしょう。
先生が悪いのではなく、欲望の色眼鏡をかけているほうが悪い。
それが桐山さんやあなたです。
釈尊が供養なんて一言も言っておらず、冒頭で三善根と明瞭に
結論を述べているにもかかわらず、欲得に目がくらんでいるから、
供養すると見返りに何かもらえるというとてつもない解釈をしてしまう。
だから、私は桐山さんとあなたは餓鬼の目で読んでいると批判したのです。

176深山:2009/05/16(土) 19:03:38 ID:WjHetjig0
>>171 :準シュダオン:2009/05/16(土) 15:33:29 ID:XESnzsYQ0
>「社会科学としての阿含仏教」には、本の2割以上の頁をさいて、
>この三善根(三福道)を解説しています。読むとよく理解できます。
>阿含宗が重要視している経典ですね。

その桐山本の主張が正しいかどうかを検証しているのですよ。
検証対象を根拠としても意味がない、ということがわかりませんか。
あなたは、三供養品で釈尊が供養を説いたという根拠として、
経典の題名に供養があるからだと主張した。
だが、三供養品とはあの経典の題名ではないことを私は示した。
あの経典には題名はありません。
私の言葉を信じなくていいから、国訳一切経を自分で調べてください。
桐山さんの小手先のごまかしがどれほどのものか、
自分で見て感動するのが一番です。
モンゴルの奇跡もそうだが、桐山さんてちょっとしたごまかしをして、
手品のようにすり替えるのが実にうまい。
国訳一切経は購入を勧めるが、図書館で取り寄せてもらうこともできる。
まもなくグーグルが国訳一切経も南伝大蔵経も無料で公開して 
くれるだろうが、その前に手間暇を惜しまずに自分で調べることです。
三供養品には供養という言葉はいっさい出てこないし、それらしい文言もない。
あなたが拠り所とした経典の題名には根拠がない。
つまり、あの経典はまったく供養とは関係がないのです。
あなたの主張は根拠を失い、すべて否定された。
桐山本に逃げ込むのではなく、現実をよく見てください。
それから、前から気になっていたのだが、そろそろ「貪瞋痴」ではなく、
「貪瞋癡」にしませんか。
癡と痴では意味が違います。

177大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/16(土) 19:09:19 ID:eiPBHlfc0
準シュダオンさん、回答いただきありがとうございます。
仰せの「社会科学としての阿含仏教」を当方只今再読しております。
後ほど、意見や質問を交え考察を深めさせていただきたいと願う次第です。
よろしくお願いいたします。

178大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/16(土) 21:41:14 ID:eiPBHlfc0
ある程度読みました。しかし、やはりゲイカに対する疑問やあと考察に絡む問題として進めて行きたいと思います。

まず、自分が感じたのは、この「社会科学としての阿含仏教」に出てくる三福道(三善根)というのがありますが
これを読んでゆくと表現の違いだけで、さほど意味は変わらないように見受けました。
もし、変わらないのであればどちらのお経1つで意味は足りると思いますがいかがでしょうか。

次に、どちらか一つ、ということであれば次に吟味したいのが、”本当に直訳に近い解説(お経)であるかどうか”
が重要かと思われます。

2chで批判側の方々がよく言われることですが、ゲイカは持論の展開のためであれば経典内容の改ざんも平気で
行っています。それが本当のようであればこれは大問題です。そこの検証を必要と私は思います。
それで参考になるのはhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1242035459/ の記事No.302と3にあります、
208さんの文章と深山さんのご意見です。まず、208さんの文章を僭越ながら引用(転載)させていただきます。

*208さん、勝手に引用(転載)お許しください。

>302 :208:2009/05/14(木) 23:26:09 ID:lgwmnRYy
次ぎに三福道ですが、これも散々議論されています。
過去ログにも膨大な議論があります。深山さんやユビキタスさんらが
大変わかりやすく論じておられます。

三福道は、三供養品第二十二(二)の経典をいいますが、
このお経群は、最初に登場するお経の主旨が経題になっています。
三供養品第二十二は全部で10部の経典から成り立っています。
その2番目に来るのが阿含宗の在家の拠経です。

三供養品第二十二の最期には、「供養.三善根 三痛.三覆露 相.法.三不覺 
愛敬.春.無足 撓繹「含經卷第十二」と締めくくられています。
つまり、この三供養品第二十二は、1.供養.2.三善根、3.三痛.4.三覆露、
5.相、6.法、7.三不覺、8.愛敬、9.春、10、無足についてセットになった
お経の集まりなのです。
けれども、ゲイカは、経題から、三供養品第二十二(二)も供養の経典と誤解したのです。


阿含宗の三福道の元のお経を掲載しておきます。

撓繹「含經三供養品第二十二
(二)聞如是。一時。
佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時。世尊告阿難。有三善根。
不可窮盡。漸至涅槃界。云何為三。
所謂於如來所而種功コ。此善根不可窮盡。
於正法而種功コ。此善根不可窮盡。
於聖衆而種功コ。此善根不可窮盡。是謂。阿難。
此三善根不可窮盡。得至涅槃界。是故。阿難。
當求方便。獲此不可窮盡之福。如是。阿難。
當作是學。爾時。阿難聞佛所説。
歡喜奉行

>303 :208:2009/05/14(木) 23:27:33 ID:lgwmnRYy
ここに出てくる「三善根」は何度も議論されていますが、無貪、無瞋、無癡の意味です。

『岩波仏教辞典』
「善根・・無貪、無瞋、無癡の三つを三善根という」(499頁)
「・・・貪、瞋、癡のいわゆる三毒が煩悩の根元的なものであり・・」(752頁)
「三毒・・もっとも根本的な3種の煩悩を毒にたとえたもの。
教学用語としては三不善根と呼ばれる」(326頁)


これが三善根の意味です。三善根が供養の意味になるはずがありません。

しかしゲイカは、三善根を、三福道と変えただけでなく、
意味までも変えてしまったのです。

本来の無貪、無瞋、無癡の意味を、阿含宗の教団の仏と法と僧に供養するという
意味に変えてしまいました。「無貪、無瞋、無癡」の三善根がどうして「供養」になるのか。
はなはだ疑問なわけです。

___________________________________

非常に判りやすい解説で、ゲイカの言われていることとかなり違いを感じますね。
ゲイカが正しいのか、それとも間違っているのかどちらかなはずです。
では、次に深山さんの意見を拝見致しましょう。

179大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/16(土) 21:43:28 ID:eiPBHlfc0
*深山さん、勝手に引用(転載)をどうぞお許しください。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1242035459/ 

>413 :深山:2009/05/15(金) 23:10:09 ID:3mlnYtTb
>>368 :準シュダオン:2009/05/15(金) 13:15:14 ID:39y5ht1J
>釈迦は、アンババリに、「仏塔や精舎を布施した者の福は日夜に増す」と、
説いています。
>阿難には、「於如来所 功徳を種える」と涅槃界へ至る、と説いてます。
>だから、阿含宗の如来が本物ならば、供養した者には果報があるのです。

アンバパーリーに説いたのは、供養の世俗的な果報であり、
解脱とは関係ありません。
アーナンダに説いた三供養品は供養の話ではなく、
無貪・無瞋・無癡の三善根で解脱してアラハンになれという教法です。
両者はまったく別な話です。
あなたの頭では両者はくっついているらしいが、別です。
だから、三供養品には供養なんて一言も出てこない。

>414 :深山:2009/05/15(金) 23:15:34 ID:3mlnYtTb
>>368 :準シュダオン:2009/05/15(金) 13:15:14 ID:39y5ht1J
>だから、阿含宗の如来が本物ならば、供養した者には果報があるのです。

あなたはとても重要なことを書きました。
「本物ならば」
釈尊に供養したら果報はあります。
釈尊でなくても、煩悩を断ち切る清浄の修行をしている比丘に
供養するなら、大善行だから、来世に世俗的な果報があります。
本物とは、清浄の出家のことです。
で、アゴン宗のどこに清浄の出家がいるのだ?
釈尊は骨に供養しろなんてバカみたいなことは言っていない。
なぜなら、骨は飯は食わないから。
清浄の比丘に供養しろと説いたのです。

180大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/16(土) 21:44:32 ID:eiPBHlfc0
>417 :深山:2009/05/15(金) 23:31:49 ID:3mlnYtTb
>277 :準シュダオン:2009/04/27(月) 14:37:55 ID:FFk79Ddp
>三供養品の三善根・功徳を種える、を供養と解釈したのは、経のタイトルが
>三供養品とあるように、供養を主題にしてると考えたのですよ。

「三供養品はあの経典のタイトルではありません」
三善根が説かれているあの経典にはタイトルはありません。
三供養品とは、経典群のタイトルです。
私はK地区信者さんとの議論の番号まで示し、根拠を示した。
だが、あなたは調べようとすらもしないのですね。
平河出版の阿含経本以外は持っていないようだ。
そこまで主張するなら、『國訳一切経』(大東出版社)を買うか、
図書館で取り寄せてもらうべきです。
増一阿含経である「阿含部 八」の190頁を開いて下さい。
190頁の冒頭に
「三供養品第二十二」
とあります。
22とは、増一阿含経の22番目という意味です。
そして次に「一」とあり、最初の経典が始まります。
190頁の「一」の経典から、212頁の「十」まで、この10が三供養品です。
だが、一つ一つを読んでみると、内容には何の脈絡もありません。
この10の経典は連続した経典ではなく、一つ一つがバラバラなのです。
では、なぜ、内容の違う経典が三供養品として一つにまとまっているのか。
それは各経典の釈尊の説明の冒頭の部分を読むとわかります。
「三人有り」「三善根有り」「此の三痛あり」「三事ありて」・・・
というように、3という数字でまとめられた経典群なのです。
3という数字でまとめられた経典群の名前に三供養品と付けたのです。
ですから、三供養品とは三善根の経典そのものの題名ではありません。
三善根の経典は「三供養品という経典群の二番目にある経典」です。


>418 :深山:2009/05/15(金) 23:40:45 ID:3mlnYtTb
>277 :準シュダオン:2009/04/27(月) 14:37:55 ID:FFk79Ddp
>三供養品の三善根・功徳を種える、を供養と解釈したのは、経のタイトルが
>三供養品とあるように、供養を主題にしてると考えたのですよ。

三という数字でまとめられた10の経典群の名前が三供養品なのです。
三善根の経典は三供養品の二番目にある経典で、供養とはまったく関係ありません。
三善根(アゴン宗のいう三福道)の経典についてる名前は「二」だけで、
名前がないのです。
では、なんで経典群に三供養品なんて名前がついたかというと、
一番目の経典が供養について書いてあるからです。
残りの9つの経典は、つまり三善根の経典も、供養とは関係のない経典ばかりです。
ずいぶんとデタラメな名前の付け方だと思うだろうが、
そのとおりで、阿含経の名前や分類の仕方はかなりいい加減です。
だが、重要なことは、三善根が説かれたあの経典には
「二」以外のタイトルはついておらず、三供養品とは
あの経典のタイトルではないということです。
つまり、あの経典には供養なんて、題名にも本文にも
まったく出てきません。
だから、あの経典は供養について説いた経典ではありません。

___________________________________

181大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/16(土) 21:45:45 ID:eiPBHlfc0
批判側の(される)方は単なる”イチャモン”では無く、このように詳しい説明や文献などを用いてきちんと
投稿をされております。こうすることによって嘘か真か、または引用先などを調べて確認することが出来るよう
示すことをされています。

信者からするとこういう詳しい説明はゲイカからされてないので異様(異常)に感じるものですが、確認をすると
本当に嘘やイチャモンではないことがはっきり判ります。すると、嘘をついていたのは誰なのか?というのが明確
になってきます。

私も当初「お経に書かれていない」とよく批判側から言われるのを不快に思っていました。
しかし、お経に書かれていないことを行う、という行為はどういう性質のものか?ということに疑問を持たないと
いけないのに気づきます。

まず、A宗では「阿含経」を依経としており、その中に書かれている”成仏法”を行っている仏教教団です。
そのお経に書かれてあることは「絶対」なはずです。なぜならお釈迦様の法と教えが記されている大事な記録集が
”お経”なわけです。そのお経に書かれていないことを実践する、ということは「自分勝手な行動」ということで
あり、成仏法の実践から逸れる、ということになります。

次に、お釈迦様が禁止した行為というものが戒律やお経の中にも記されています。
その禁止行為を何故敢えて行う必要が有るか、ということです。

成仏するために成仏法を講じるわけですが、その目的から離れる行為をすることは「成仏は要らない」ということに
つながる行為です。ゲイカも成仏の大切さを説かれる訳ですから、成仏のための修行というものを行わなければいけない。
それをどこまで・どのように行っているか、の考察・検証が無ければ、成仏など得られないのです。

批判側の方々は昔信者だったわけでして、元信者です。つまり、現信者の過去の方々です。
A宗でどのようなことをしていたか、内容などわかっているわけです。
また、在籍していた、ということは何らかのA宗の教義に感じるものがあって過去に入会されたわけです。

しかし、いろんな矛盾や虚偽の確証を得て退会されたのです。つまり、理由があって退会されたのです。
それらが単なる「個人的に嫌になったから」という感情のものではなく、ゲイカのやられている言動をよく検証したり
比較して、その虚偽の多さに批判をしているのがあるわけです。(勿論私の述べた以外の理由もあります)

話は戻って、ではなぜこの三供養品が捏造・改ざんされなければならなかったのでしょうか?
逆を言えば、何故ゲイカはストレートに三供養品の解説をしなかったのでしょうか?
そこの意図を信者は考える・感じ取らねばならないでしょう。

182大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/16(土) 21:46:57 ID:eiPBHlfc0
私は思うに、「ゲイカが解説し、展開を進めてゆくために有利にするために変えられた」と思います。
勿論、208さんの記事No.425で申されているようなことも十分考えられます。
(むしろその方が正しいのかもしれないですね)

日本人には「功徳の種を植える(撒く)」というのと、善根というのはどうもピンと来ない。
また、植える(撒く)というのは”供養”という言葉に寄り添いやすいし当てはめたほうがピンと来易いのです。
だが、善根というのをそのまま使えない。使えばA宗の教義から外れてゆくからです。
善根というのをきちんと調べ、実行するとA宗の供養の教義(意味)とマッチングが合わないからです。

善根というのは深山さんが申されているとおりで、無貪・無瞋・無癡の三善根で解脱してアラハンになれという教法
なわけです。これをゲイカは供養という「便利な言葉」を利用してすり変えているのです。

善根というのはA宗的には「善の行為をして根を張れ」的な言い方から発展し、善行、つまり、徳を積む奉仕行を
行い、その行為が種を植えることであり、その種を埋める場所が”如来”であり、そこから果報の芽が出て実が実る
とそれは応供の如来から「因縁解脱の徳(力)」をいただける、という風に体系付けてA宗教義に仕立てているのです。
ゆえに、供養という言葉で何もかも纏め・括り、それを信じ込ませているのです。

信者の方は判ると思いますが、貪、瞋、癡を無くす、ということは教学でも法話でも言われることがありますが、
そのための方法は全て”供養”にすり変えられています。実際に、どのように、どうやって貪、瞋、癡を無くす
のか、という方法は行われてないし、指導もされていない。ここに気が付いていない人が多い。(過去の私も含め)

また、徳を積むことに重点を置いているので、肝心な成仏法の修行というのも行われておらず、ひたすらA宗教義
にある「奉仕行」ということの”供養重点の行為”にすり変えられてそれを信者は行わされているのです。
ただ、それをゲイカの口調だけで行うと説得力もなくなります。なので、もっと印象付け、尚且つ仏教の開祖釈尊が
言われているのだぞ、という示しにお経を用いるのはここにあると思います。

つまり、釈尊がさも言ったかのように思わせて、ゲイカの持論を展開するために用いた手法、と思うのがそこです。
別段、釈尊の言われた行為を行うならば変える必要もないし、またその申された修行を行えばいい。
しかし、それをやると教団には金も入らず、奉仕も期待できないことから内容を変えるようにした、と見るのが
私の推察です。

A宗では「供養することが成仏」といわんばかりの行為を信者に行わせます。
ですが、深山さんの申されるとおり、供養という文字は出てこない。
これはA宗にとってかなり都合が悪いのです。

例えば「貪、瞋、癡を無くす」ということについては、瞑想と自己の性格変換で成しえる「煩悩解脱」になるわけです。
すると、そこには教団に奉仕修行するとか金銭・物品供養するという観念は薄くなります。
ひたすら煩悩を解脱し、涅槃へいたる行為は供養という観念が無いわけですから、これでは教団が持たなくなる。
そして、お経に書かれてある・釈尊が言われた禁止行為(護摩・占いなど)をやめたらこれも当然教団は潰れるか維持
出来なくなるのです。もしくは貧乏教団で運営するのがやっとでしょう。
又、人は欲望や困窮脱出には力も興味も出ます。それが逆に「煩悩を解脱しなさい」の一辺倒ならほとんどの人が興味
を示さないし、会員数も増えないでしょう。

つまり、A宗は根本・原始仏教だと言っていますが、それを忠実に行うと返って不都合なことが起きてしまうのです。
教団の運営や発展が見られなくなるのですから、それとは逆の祈願成就とか巷に有る在来宗教の形をとらざるを得ない。
だが、どこでもやっているようなことをやってては関心は惹けないので色々やっているうちに、人が関心を持つような
物や話題性・時代性に合ったことや展開をしている、ということです。

また、非常に成就が難しい「煩悩解脱」よりも「悪因縁を無くす」ということの因縁解脱を出して、それを出来るのが
仏様だ。なので、それを成就させるために供養をしなさい、とやったほうが儲かるしやりやすい。
まして、因縁解脱ということは釈尊は一切言ってない訳で、これも明らかな嘘をついている証拠です。

183大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/16(土) 22:17:05 ID:eiPBHlfc0
>だから、阿含宗の如来が本物ならば、供養した者には果報があるのです

準シュダオンさんは、A宗の本尊について考察されたことがおありでしょうか?
まず、この世に生を受けて本当に存在する釈尊だけが「如来」であって、それ以外は如来は居られない、というのは
ご存知ですかと思うのですが・・・。

そうなれば、三身即一の如来も大日如来も、阿弥陀如来もジュンテイ如来も「名前や概念」は如来であっても本当の
如来ではない、というのがお分かりいただけると思います。つまり、どこまで行っても如来は「釈迦如来」だけなのです。
すると、信者が信仰している本尊で唯一の如来は「釈迦如来」だけであって、他の如来も諸仏諸尊は偶像崇拝なのです。

次にA宗では仏舎利を本尊としてますが、これは2chなどでもお見受けしているように釈尊は仏舎利を本尊とせよ、
ということは一切言われてません。また、仏舎利に向かって祈願や祈念・祈祷せよ、というのも言われてません。
いくらA宗が「密教の様式で作法を行う」ということであっても、釈尊の言葉に従うのであればやはりおかしい行為
です。ゆえに、仏舎利は尊いものであるとしても本尊とはなりえないのです。

また、三身即一の如来もこれはゲイカが言われたことであり、また、その源流は他人の口や何らかで言われた存在で、
これも釈尊が「この宇宙には三身即一の仏が居てな・・・」という事をアーガマにも初期・原始仏教経典にも書かれて
いない事です。つまり、釈尊が推奨も存在の有無も説いてない”架空・想像の産物”なのです。
ゆえに、三善根(三福道)での如来〜応供の如来(仏)というのは成立しないのです。
ですから、「だから、阿含宗の如来が本物ならば、供養した者には果報があるのです」というのは叶わない行為になる
事が懸念されるのです。それは「如来が本物で無いから」なのです。

次に、唯一の「釈迦如来」に対して供養をすれば・・・という考えが出てきます。
しかし、釈尊はA宗の教義に有る「供養」というのを求めていないのです。

どういうことか? つまり、A宗でやっている見捧げ供養というのを釈尊は望んでいません。
次に、金品(物品)の供養を望んではいません。
じゃあ、布教(法施)ということで、正法の護持宣布か?となりますが、A宗は完全な仏教の形態や行いをしていません。
本当の釈尊の教えを講じてない宗派の布教は法施に成り得ません。
そうなると釈尊が唯一自分の教えを広めてくれることが一番嬉しい、というゲイカの言葉も叶わないことになります。

また、それを抜きにしても釈尊が「我に供養をせよ」という言葉は正しい釈尊の言葉を記したお経には書かれていません。
つまり、自分が供養の見返りに何かする、ということは一切言われてないのです。
もう、ここでA宗の教義のおかしさが露呈されてきます。

最後に、A宗教義を思い出してください。そんなに供養して仏様の意向に沿う・機嫌をとらないと因縁解脱できないのですか
また、何かを捧げないと成仏出来ないものなのですか? 釈尊ってそんなに見返り主義なお方なのでしょうか?
供養せよ、供養せよ、と言っているのは”ゲイカ”では無いでしょうか?
金品と人、そして自分たちの人生時間まで供養せねば、仏様は助けてくれないのでしょうか?
それは私はおかしいと思いますね。

184大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/16(土) 22:25:43 ID:eiPBHlfc0
長くなったので一旦これでやめますが、続きはまた後日書きたいと思っています。
(世間福、出世間福などの考察も有るので)

まず、今回は如来メインで書きましたが、正法も、聖衆も考察があります。
追々、やってゆきたいと思います。

では、皆様ご意見よろしくお願いいたします。

185準シュダオン:2009/05/17(日) 12:22:53 ID:XESnzsYQ0
1、有三勉強(三教科)、所謂国語算数英語なり。

2、有三勉強(三教科)
  於学校教師の話を聞く 於家庭両親の話を聞く 於熟先生の話を聞く

2の場合、必ずしも国語算数英語の勉強だけとは限らない。
 国語算数英語を勉強させる場合なら、先生の話を聞け、というより、
 国語算数英語の勉強をせよ、と明確に指示したほうが子供は迷わないのに
 そうなってはいない。
 おわかりですか?深山さん。

186準シュダオン:2009/05/17(日) 12:31:36 ID:XESnzsYQ0
輪廻転生瞑想法について、大日さんの言い分もわからないではないが、
もっと単純に考えたら良いと思う。
修行法の一つ、と考えたら問題ない、と思う。
阿含宗信徒が、シュダオンになったとする。
するとアラカンまで、最大で7回、人間界に輪廻転生しなければならない。
そこを、輪廻転生瞑想法で修行して良い環境に生まれて、あと3回か4回の
輪廻転生でアラカンに達するようにするのである。

187準シュダオン:2009/05/17(日) 12:40:26 ID:XESnzsYQ0
如来は釈迦如来だけとは限らないのではありませんか?
お釈迦様が、過去の仏(如来)や、未来の仏(如来)についても、お話して
おりますよ。決して如来はご自身(釈迦)一人しかいない、とはおっしゃっ
ておりません。

仏様(如来)は、たくさんいらっしゃいます。
だから、仏母准低観音というように、仏を生んだ仏の母がお出でなのでしょう。

188準シュダオン:2009/05/17(日) 12:51:51 ID:XESnzsYQ0
もっと厳密に言えば、無貪無瞋無痴は修行法ではありません。
修行によって、到達する心の境界・状態が無貪瞋痴です。
だから、無貪瞋痴を達成するには、四念処なりを具体的に修行しなくては
いけません。

だから、「於如来所 功徳を種える」は、文字通り「功徳を種える」と、
解釈すれば良いのです。

189準シュダオン:2009/05/17(日) 15:27:22 ID:XESnzsYQ0
なぜ、釈尊は、「於如来所 供養せよ」と説かないのか?
との深山さんの問いを今、読んだW。
それはですね「功徳を種えよ」と説いた方が、幅が広いからだと思いますよ。
功徳を種えよ=修行(梵行)+供養ですから、幅が広いです。

他の経では、如来(仏)に供養すれば果報がある、と説いてますよ。
そういう経は沢山あります。批判派は、なんでこれを無視すんの?
また、善生経などには、「詐欺師などには乞われても布施するな!」と、
説いていますね。

190準シュダオン:2009/05/17(日) 16:04:44 ID:XESnzsYQ0
三供養品というタイトルは「経典群」に名付けた名だ、というのはよく理解
できますよ。
管長は、「功徳を種える」の意味の解説で、それは修行と供養の二種類に
分類できる、としています。勿論、修行も供養も一緒なのであって、本来は
明確に区別できるものではないでしょう。
お釈迦さまは、「わたしの教えを実践するならば、それは如来供養である」と
話されてますからね。なにも金品の布施だけが供養ではありません。

経の冒頭に有三善根とあるから、それは無貪瞋痴のことだ、とはなりません
経に供養という語がない、というならば、無貪瞋痴という語もありません。
仮説ですが、釈迦は40歳の時に「於如来所 功徳を種える」を説き、
         45歳の時に「三善根=無貪瞋痴」を説いたとしたら
         どう解釈しますか?
公平に考えると、この可能性は5割、あるのですよ。

191準シュダオン:2009/05/17(日) 16:19:04 ID:XESnzsYQ0
もう一度書きますが、厳密に言えば、無貪瞋痴は修行法ではありません。
それは修行の結果得られる、心の境界・状態のことです。
ですから、仏法僧に於いて無貪瞋痴、と言っても意味はないと思いますね。

これに対し、功徳を種える、ことは修行法です。
だから、修行者は、功徳を種える、具体的な内容を方便を求めて、実践すれ
ばよいのです。

192大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/17(日) 17:31:44 ID:ofEWv1NY0
準シュダオンさん、ご意見ありがとうございます。
うーん、拝読しましたが違和感が抜けないなあ・・・。
「無貪瞋痴は修行法ではありません」というのは判る気がしますが、納得がいかないのですね。
私は「修行法」でなければおかしい、と思うのです。

まず、>>170に於いて「九善根になってしまう」という説明は個人的にも卓見だなあと思うわけですが、
修行法でなければ、>>170の説明は成り立たなくなってしまいますがいかがでしょうか?

次に、ゲイカの著書によれば「下根の成仏法」とあるわけですが、下根の成仏法はただ単に
「お経に書かれているだけ」の文字の羅列ではまずいわけで、実際に実践をするから意味があるわけです。
易しく言えばいくら天下の成仏法といえども、実行しなかったら何の因果も効力も発揮しない、ということ
ですよね?
また、成仏法は実践するがゆえに”修行法”でなければいけないはず。
修行法でないとなれば、これは「絵に書いた餅」か「能書き書」となってしまいますよね?

次に、>>187で書かれています

>如来は釈迦如来だけとは限らないのではありませんか?
お釈迦様が、過去の仏(如来)や、未来の仏(如来)についても、お話して
おりますよ。決して如来はご自身(釈迦)一人しかいない、とはおっしゃっ
ておりません。仏様(如来)は、たくさんいらっしゃいます。

これは私は初耳です。なので、そういう風に釈尊がもし説かれた箇所や経典が有るのでしたら
ぜひ、教えていただけたらと思います。只し、創作経典は論外です。
アーガマにそのような表記があったら、如来論は修正する考えがあります。

193ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/17(日) 18:09:43 ID:SmEF4Oe2O
>>187
三供養について引き続き一々反論できるが、ここでは如来について指摘しましょう。
あなたの言うとおり如来とは何も釈迦如来に限らない。
なぜならば如来とは煩悩をなくす修行を完成した人を呼ぶのにいくつも呼び名が
あるうちの一つなのだから。
しかし如来は釈迦如来しかいないと言っているのは桐山さんなのです。
阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、それからあなたも出した準胝如来もそうだが、
これらは概念上の仏、理論上の仏であり、架空の仏であり実在しない、実在するのは
釈迦如来だけなんだとした。
スリランカより仏舎利を買って本尊まで仏舎利尊に変えた時、これまではアゴン宗も
準胝尊という架空の仏を本尊としていたわけだが、と口が滑ったことを聞き逃して
おりません。
あなたにお聞きするが、準胝仏母、7億の仏の母と言うが、じゃあこのお母さんは
誰とセックスして7億体もの仏を産んだのか?
と冗談を言うとわかるでしょう?
宇宙のどこかにジュンテイという如来様がいる、いらしたのではない。
桐山さんはこれを釈迦如来と同じとしている。
これは実はアゴン宗を開く観音慈恵会の昔から言っていたことで、準胝の本地は
釈迦なんだとしており、それは1974年の説法六十心でも確認できます。
こんなことを言ったら他の仏も全部釈迦から派生したものと言えてしまうが。
また桐山さんは、三身即一の応供の如来が焚き火の炎に法爾無作の仏として現れた時、
如来は一つの世界に一つしか現れないと言われると示しています。
つまり如来はコイツしかいないぞと示したかったわけだが。
では釈迦如来はどうなるか?と言うと、その三身即一の一つが釈迦如来なんだから
なんとかセーフにしているというよくわからん話ですが。
つまりセックスして如来がコロコロ生産されるのではなく、正しい法を実践して
煩悩をなくせば如来になれる話なんだが、釈迦如来しかいないとしたのは
とにかく桐山さんなのです。

194ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/17(日) 18:34:21 ID:SmEF4Oe2O
仏の十号の一つが如来なわけです。
応供(供養するに相応しい)とか等正覚とか善逝とか天人師とか。
如来とはタターガタです。tathagataですね。
実はこの訳し方に問題がある。
tathaとは真如、そのように、如実にという意味です。
来、来るとしたのはagataを訳したのです。
だから真如の世界から衆生の世界に来た、とか(過去の仏と)同じように来たと
訳されるわけです。
漢訳仏典はそういう訳し方しか採用せず如来となった。
しかしtatha-agataと訳さなくても、tatha-gataという訳し方です。
ギャターと言うと何か思い出しませんか?そうです。般若心経のギャーテーギャーテーです。
訳すると往けよ往けよとなる。つまり往く、到達するという意味です。
つまりこちらは真如の世界に(修行により)到達するということで、こちらの方が
なるほどとピンとくる。
如去(にょこ)となる。
しかし如去と訳したのは教理的解釈の文献を除けばほとんどないとされます。
これには大乗仏教的な救いの仏的な発想も影響しているのかもしれない。
苦しむ衆生を救うために如来はタケチャンマンのごとくあちらの世界からやって来る。
で、如来なんてそういるものではない。お釈迦様くらいしかいないなんて話にも
なってくる。
しかし仏の十号の一つと考えるならば、如来と言われる修行完成者、到達者はいくら
いてもおかしくない。
桐山さんもまた本来は救いなんて機能ない仏に、大乗の歴史的経緯をも加味して
救いの仏がやって来るというイメージに操作したいわけですよ。桐山さんは。
大日さん。そういうことなんです。
準シュダオンさんは桐山さんをうっかり否定してしまったのです。

195ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/17(日) 19:02:26 ID:SmEF4Oe2O
如来を神格化してしまった。
もちろんその経緯は桐山さんだけでなく、釈尊を畏れ多いとして、かつ救いの仏と
期待してしまうのは、超自然的な神のような存在に頼ることを渇望する民の常で
ありましょう。
釈尊が否定したものを渇望してしまった。
しかしそれを釈尊の阿含経に基づいて是正するのが桐山さんでしょう。
如来を過去(釈尊以前)の仏と同じようにやって来たように見えると捉えるならば
そんな呼び方の問題などどうでもよい。
しかし、一つの世界に一つしか如来は現れないなどと示す桐山さんはいかがなものか?
如来の神格化の脱皮などできておらないばかりかますます助長している。
桐山如来を示したい時どうするのか?
実はワシはあちらの世界からやって来た約束された如来なのである。

196名無しさん:2009/05/17(日) 19:10:52 ID:IcNmBAcQ0
>>185 :準シュダオン:2009/05/17(日) 12:22:53 ID:XESnzsYQ0
>2の場合、必ずしも国語算数英語の勉強だけとは限らない。

最初は3×3で九教科だと言っていたのとずいぶん違いますね。
あなたの悪い癖は、自分が主張した内容の間違いやミスを指摘されても
いっさい無視して、次の屁理屈を並べることです。
それで、あなたのいう2の場合とは、三供養品のどこの何を指しているのですか。
三供養品は、三善根と三宝の両方、つまり1と2が同時に出ているのです。
その片方だけ取り出すのは、ゴマカシですよね。
釈尊は三善根(3科目)だと先に宣言した。
無貪・無瞋・無癡を出し、次に三宝において修行せよと説いた。
どう読んでも、あなたのいう2だけを説いたのではありません。
1がないかのように、2だけ取りだして、ごまかそうとする。
どうしてそんなにズルイのだ?

197深山:2009/05/17(日) 19:13:56 ID:IcNmBAcQ0
>>185 :準シュダオン:2009/05/17(日) 12:22:53 ID:XESnzsYQ0
> 国語算数英語を勉強させる場合なら、先生の話を聞け、というより、
> 国語算数英語の勉強をせよ、と明確に指示したほうが子供は迷わないのに
> そうなってはいない。
> おわかりですか?深山さん。

いいえ、釈尊のおっしゃることは簡単明瞭だからわかりますが、
あなたのいうことおわかりではありません。
三善根には一つしか意味がない。
それは無貪・無瞋・無癡です。
他に意味などありません。
冒頭に「三善根あり」ですから、あなたのたとえでいうなら、
「国語算数英語の三教科あり」です。
つまり、そこから先の話は、すべてこの三善根(三教科)の話です。
三教科で高校受験する中学生の前で、先生が「三教科の話をする」と
言った時、三教科を体育・音楽・美術だと思う生徒は準シュダオンさんくらいです。
後の生徒は「三教科」と言われたら、英数国に決まっている。
三教科が英数国だなどと説明しなくても、当たり前のことなのです。
三善根も同様で、三善根とは善根であればどれでもいいのではなく、
無貪・無瞋・無癡以外にはありません。
釈尊はアーナンダなどの出家に三善根を説いている。
中学生三年生に三教科といったら英数国であるように、
出家は、桐山さんやあなたと違い間違えようがないのです。

198大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/17(日) 19:15:15 ID:ofEWv1NY0
ユビさん、詳しい解説ありがとうございます。なるほど・・・そうですか。

ゲイカが言われているのは確かにユビさんの言われたとおりと記憶を取り戻しましたが、
自分の中に残っているのはゲイカだけでなく、本を出版されている人の中の解説もその
ようだと記憶していました。つまり、ゲイカ以外の方もで真如の世界からやってきた方」
という解説文を過去に見たことがありますしのでその意識が強かったと思っています。

あと、A宗で在籍していたときに如来の話が出たことがあって、やはり教団内でも如来は
厳密に言えば釈迦如来オンリーなのだ。しかし、A宗は密教の様式を取り入れているので
ジュンテイ尊も本尊であるし、本地である釈迦如来の御遺骨である仏舎利が奉じて有るから
A宗は完璧な本尊を崇拝(信仰)をしているのだ、という会話をしたものです。

しかしながら、スッタニパータやパリニッパーナなどを見てゆくとA宗の教義が歪に感じる。
どうもおかしいわけです。また学術本でなくても最近の出た仏教の本でも批判側の言われている
解説に沿う言葉が沢山出てくるわけです。そうなるとやはり今回の三供養品ではないが、色々
検証や考察というものが必須になってくるわけです。

199深山:2009/05/17(日) 19:15:53 ID:IcNmBAcQ0
>>188 :準シュダオン:2009/05/17(日) 12:51:51 ID:XESnzsYQ0
>もっと厳密に言えば、無貪無瞋無痴は修行法ではありません。

相変わらず、「痴」ですか。
私の提案を全部受け入れろとはいわない。
だが、「癡」を「痴」と書くのは、はっきり言うなら無知なのです。
前回は、あなたのメンツを重んじて、丁寧に修正を提案したつもりだが、
どうやらそういう気遣いは無用のようだ。
無知を誇りたいなら、恥をさらすといい。

200深山:2009/05/17(日) 19:18:37 ID:IcNmBAcQ0
>>189 :準シュダオン:2009/05/17(日) 15:27:22 ID:XESnzsYQ0
>なぜ、釈尊は、「於如来所 供養せよ」と説かないのか?
>との深山さんの問いを今、読んだW。

他人からの批判や指摘を無視してきた時、あなたが取る態度は笑うことか。
どういうシツケと教育を受けたのだろう。
あなたの親は礼儀を教えなかったようですね。
こういう時にあなたの人間としての品位がはっきり出てしまう。
要職にいくらついているなどと威張ってみせても、
あなたのこういう態度を見れば、顧問などの名誉職を与えて、
現場から追い払われたのがよくわかる。
社員「準シュダオンさん、三日前にメールで頼んだ見積もりの件、どうなりましたか」
準シ「君の頼みを今、読んだW」
こんな調子だったのでしょうね。

201深山:2009/05/17(日) 19:21:38 ID:IcNmBAcQ0
>>189 :準シュダオン:2009/05/17(日) 15:27:22 ID:XESnzsYQ0
>それはですね「功徳を種えよ」と説いた方が、幅が広いからだと思いますよ。
>功徳を種えよ=修行(梵行)+供養ですから、幅が広いです。

アゴン宗のいう梵行と、釈尊のいう梵行ではまるで中身が違うから
あなたのいう梵行とはアゴン宗のボン行として解釈します。
あなたに質問するが、それならどうして
「如来のみもとでボン行と供養をせよ」と具体的に説かなかったのだ?
相手は在家の無学な下根の者たちです。
具体的な中身を示されないのに、「功徳をうえる」に
ボン行と供養の二つの意味があるなんて、誰が理解できますか。
「功徳をうえる」に供養という意味があるのですら下根は気が付かないのに、
あなたによれば、さらにボン行という意味まであるという。
下根の者にわかるわけがないだろう。
幅が広かろうが、狭かろうが、下根にはまったくわかりません。
供養もなければ、ボン行もないのに、どうやって在家の下根に
それを読みとれというのですか。

>国語算数英語の勉強をせよ、と明確に指示したほうが子供は迷わないのに
> そうなってはいない。(>>185)

あなたはこうやって、三善根の意味にとろうとすると、
明確に指示していないと批判するのに、経典にはまったく出てこない
供養やボン行などという意味があるのだと主張をしている。
そのコウモリぶりを恥じる気持ちはないのか・・もちろんないのは知っている。

202深山:2009/05/17(日) 19:24:46 ID:IcNmBAcQ0
>>189 :準シュダオン:2009/05/17(日) 15:27:22 ID:XESnzsYQ0
>他の経では、如来(仏)に供養すれば果報がある、と説いてますよ。
>そういう経は沢山あります。批判派は、なんでこれを無視すんの?

うわあ、また始まった!!
本当に準シュダオンさんて自分が書いたことも覚えていないのですね。
スレ159であなたは三日前次のように書いた。

>238 :準シュダオン:2009/05/14(木) 14:02:50 ID:AE6HzN5z
>このように、阿含経には、仏法僧に布施した者には果報がある、と説かれて

これをユビキタスさんが286(5/14)で反論した。
私も350(5/15)で反論して、その時も、
「上記の件は、すでに何度も何度も何度もあなたに反論していますよね。 」
と、あなたが反論を完全無視したことを指摘して、
反論されたら、反論内容をまず理解してほしいと頼んだのです。
その上で、丁寧に再度反論した。
だが、私が書き込んでいるうちから、あなたは反論も読まずに、また、

>368 :準シュダオン:2009/05/15(金) 13:15:14 ID:39y5ht1J
>釈迦は、アンババリに、「仏塔や精舎を布施した者の福は日夜に増す」と、
説いています。
>阿難には、「於如来所 功徳を種える」と涅槃界へ至る、と説いてます。

と同じ事を書いた。
ユビキタスさんが401(5/15)で、あなたが反論をまったく読まないことを
指摘しながら、再度、説明した。
私も413(5/15)で反論した。
わずか二日の間に、あなたは二度同じことを書き、
私とユビキタスさんからそれぞれ二度、合計四度反論されているのです。
それなのに、その二日後にはきれいに忘れて「なんでこれを無視すんの?」????
いや、そればかりではない。

203深山:2009/05/17(日) 19:28:11 ID:IcNmBAcQ0
>>189 :準シュダオン:2009/05/17(日) 15:27:22 ID:XESnzsYQ0
>他の経では、如来(仏)に供養すれば果報がある、と説いてますよ。
>そういう経は沢山あります。批判派は、なんでこれを無視すんの?

>>179に大日さんが、私が413で書いた文章を引用してくれた。
あなたの上記の文章への反論です。
これすらあなたは読んでいないのですね。
ほとんど他人の文章を読まないか、あるいは読んでも記憶できないのだ!
自分の脳に自惚れるのは自由だが、すでにあなたがわずか二日前のことすら
きれいに忘れていることを、これ以外にもいくつも指摘しました。
どう見ても、あなたの記憶力が正常には見えない。
私が202に書き込みの具体的な番号を示したのだから、それをたどってみなさい。
あなたは数日前、189とそっくり同じ事を書いて、反論され、
反論を無視して、また同じ事を書いて反論され、
それでもまた無視して、同じことを書いているのです。
今のあなたはものすごい物忘れをしているのですよ。
あなたのその物忘れのひどさは明らかに病的です。
あなたはまた無視するだろうが、再度書きます。
病院に行き、「物忘れがひどいと他人から言われた」と相談したほうがいい。
治療は早いほうがいい。

204深山:2009/05/17(日) 19:31:18 ID:IcNmBAcQ0
>>189 :準シュダオン:2009/05/17(日) 15:27:22 ID:XESnzsYQ0
>他の経では、如来(仏)に供養すれば果報がある、と説いてますよ。
>そういう経は沢山あります。批判派は、なんでこれを無視すんの?

賛同しなくてもいいから、こちらの反論を理解し、記憶してください
(と書くのは何度目だろう)。
長く書いても記憶してくれないようだから、短く書きます。
如来に供養すれば世俗的果報があると釈尊は説いている。
批判側はそれを否定したことは一度もありません。
だが、釈尊は、供養によってシュダオンになれるとは説いていません。
あなたは供養による世俗的果報と、供養による解脱(への道)を一緒にしている。
両者は別であり、釈尊は後者を説いていないと批判しているのです。

205深山:2009/05/17(日) 19:34:00 ID:IcNmBAcQ0
>>190 :準シュダオン:2009/05/17(日) 16:04:44 ID:XESnzsYQ0
>三供養品というタイトルは「経典群」に名付けた名だ、というのはよく理解
できますよ。
>管長は、「功徳を種える」の意味の解説で、それは修行と供養の二種類に
>分類できる、としています。勿論、修行も供養も一緒なのであって、本来は
>明確に区別できるものではないでしょう。

あなたの上記の一行目と、それ以降の文章がつながりません。
経典群に付けたタイトルと、桐山さんの説明とどう関係しているのですか。
タイトルは桐山さんが付けたのではなく、元々ついているのです。
経典群に付けられた名前は、大日さんが>>178に208さんの説明を引用しているように、
また、>>180に私の説明を引用してくれているように、
経典群の最初の経典が供養に関する話だからであって、
それ以上の意味などありません。
つまらない屁理屈を並べるよりも、國訳一切経を手にいれて、
自分の目で見てから書いたらどうか。
私はあなたを見ていて、図々しいとは思うのは、自分はろくに手足も
動かさず、良くもない頭であれこれと屁理屈をこね回している点です。
現物を見てから物を言いなさい。

206大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/17(日) 19:35:38 ID:ofEWv1NY0
私が思うのはやはり原始・初期経典やアーガマにも「三身即一の如来、というものがあるぞ」と釈尊がいわれているのなら
信じるわけです。ところがそうではない。つまり、三身即一の如来の話はどうやら胡散臭いということになる。
逆にそういうのがまかり通るから「三身即一の阿弥陀如来」とゲイカがやるわけです。
一時期、これもトンデモ論と騒がれかけたが、「仏に三身あり」が通用すれば、如何に桐山節が異様でも通用するわけです。

しかし、本当の釈尊にはそれは通用しない。大衆を騙せても本当の仏教を基準にすれば嘘がばれるというものです。
釈尊が推奨も説きもしない「如来」など幻・架空なのです。
そういう理論からすれば、釈迦如来だけ、といったゲイカはマトモだったかもしれません。
だが、その後が悪い。自分の展開を有利にするために方便や嘘をついた。

釈尊在世の時は「本尊」というものが無かった。本尊は釈尊滅後に作られたものです。
釈尊だけが本尊であり、他は無いはずです。如来は仏陀になれば成れるかもしれないですが・・・。

ただ、現実問題として今完全解脱をされた方はいるのか?という問題があります。
さすればユビさんの申されるとおりのことを考え「如来」というのを探しても早々居ない。
すると、如来のみもとに於いて、というのが難しくなる。私はここを懸念するわけです。
万が一、ゲイカが如来というのなら、それはありえない。それはA宗の中だけ通用する理論です。
また、ゲイカに供養したら因縁解脱の徳が授かるのか? ありえないことです。

207深山:2009/05/17(日) 19:37:44 ID:IcNmBAcQ0
>>188 :準シュダオン:2009/05/17(日) 12:51:51 ID:XESnzsYQ0
>もっと厳密に言えば、無貪無瞋無痴は修行法ではありません。
>>191 :準シュダオン:2009/05/17(日) 16:19:04 ID:XESnzsYQ0
>もう一度書きますが、厳密に言えば、無貪瞋痴は修行法ではありません。
>それは修行の結果得られる、心の境界・状態のことです。
>ですから、仏法僧に於いて無貪瞋痴、と言っても意味はないと思いますね。

無貪・無瞋・無癡が意味がない!!!
釈尊に向かってそれが言えるとは、恥知らずもここまで来ると立派です。
三善根を成就することは修行です。
三宝において解脱に到達せよ、
三宝において涅槃をめざせ、
三宝においてアラハンになれ、
三宝において三善根を成就せよ、
これらは全部同じことを指している。
三善根の意味が修行法そのものでなくても、
三善根を成就せよとは、解脱のための修行をせよという意味です。
貪瞋癡の煩悩をなくす修行をすることを三善根というのです。
バカげた屁理屈を並べて、釈尊にむかって「意味はない」などと
言ってしまったことは恥じるべき・・・あなたには無理ですね。

208大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/17(日) 20:23:56 ID:ofEWv1NY0
如来の位置づけや存在を考えれば、どうしても釈迦如来になる。私の中にはジュンテイ如来も何も無い。
ひたすらこの世に生まれ存在した、しかも仏教開祖の「釈尊」だけというのを考えます。

そうすると、釈尊は今この世に居られない。では、どうしたら如来のみもとに於いて功徳の種を植えるのか?
が要となってくる。
次に「正法に於いて」もA宗は完全な正法の実践をしていないので、これも不完全になる。
最後に「聖衆に於いて」もA宗が本当の釈尊の教法の実践をしているサンガではないので、これもまたダメ。
ゆえに、A宗での三供養品は実践で来ていないし、また実践しても供養の仕様が無い、ということになります。

これで完全仏教というのはまさにおかしいです。

供養を受ける如来がおらず架空の如来である。正法も不完全。聖衆も同様。三供養品を行う以前の問題ですね。
供養を捧げる価値もないです。

また、供養と修行法は別に考えるべきかと。

ゲイカは自分の理論を展開するために「供養」を押し出しています。
又、供養は徳を得るための方法という意味合いや内容が深いです。
これに対し、修行法は何らかの見返りや徳云々はあまり介在せず、ひたすら完成を目指すための方法です。
準シュダオン氏の言うことも判りますが、それではいつまでたっても修行が進みません。
一生奉仕活動で終わる形がすでに見えています。これでアラハンを得るのは無理です。

また、釈尊の姿勢を見るとわかります。供養をして徳を積め。さすれば因縁解脱できる、というのは
説かれていない。因縁解脱はゲイカの発した言葉と発想です。釈尊はそういうことは言っていません。
そして、徳を積むとアラハンになれる。だから修行法は要らない、ともいわれていない。
尚且つ、自分や如来に供養せよ、ということは見かけません。慢心の無かった釈尊が急に「供養せよ」
という風に鞍替えや言いかえをするはずがありません。

また、それほど供養が大事ならアーガマに大量に・繰り返し供養せよとしつこく言うはずです。
学者も経典を訳した時点でそう訳す筈です。供養で成仏するというのは釈尊は申してません。

そして、如来という高度な存在が「自分に供養すれば徳が授かるぞ」ということは言うはずがない。
言うとすればそれは偽作経典だからです。深山さんが申されているように
「如来に供養すれば世俗的果報があると釈尊は説いている」のはあっても徳が授かるとか因縁が切れる
とかは言われていない。また示唆もされていない。

209大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/17(日) 20:37:48 ID:ofEWv1NY0
あと、これは今日偶然気づいたのですが、こちらを参照してください。

社会科学としての阿含仏教 254Pの4行目から

「お経の中に「如来」という言葉が出てきますが、如来ということばは、仏という意味のほかに、
衆生という意味をあらわす場合もあるとされております。(以下略)」

正式な文章や続きは本を読んでいただきたいのですが、これは今まで気が付かなかったですね。

もし、これが三供養品に適用すると「衆生のみもとに於いて〜」となるわけで、そうなれば
人々のために何か役に立つ善業を行え、という意味になるのですがいかがでしょうか?
これなら功過格ともつながりますし、巷のボランティアも徳を積めることが理解できる。

後で出そうと思ってましたが、そもそも世間福・出世間福というものの説明に納得がいかない。
まるでゲイカの主張を手助けするかのような言葉に思えた。
まあ、このことは大分話が進んでから出しますね。

確かにゲイカの説明に有るとおり、出世間福しか因縁解脱できない、といわれればもっともに
聞こえる。しかし、それって本当に釈尊がそういったのか?という疑問がたちます。
因縁解脱を説かない釈尊が、急に出世間福を積め!というのだろうか・・・
全く不思議に思えてならない私が居ますね。
また、この福を積むためには修行法ではなく「供養」となっていることがおかしい。
修行法をかなり何度も説く釈尊が急に「供養」というのはどうも不自然ですね。

210大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/17(日) 20:45:31 ID:ofEWv1NY0
また、アーガマなどに「供養」と「徳」のことばかり説明している箇所は有るのでしょうか?
成仏法は修行法ではなかったのでしょうか?
供養一辺倒であれば、お経も供養メインになるはずで、まるでこれでは大乗仏教の示唆と同様ではないですか?

修行法を捨てた成仏法が無い仏教がA宗ではないのですか?
私は釈尊の指導とは全く思えません。

そもそも供養供養と言っているのは誰か? ゲイカじゃありませんか?
さも、釈尊が言っているぞ、という風に思わせている・すり変えているのではないのでしょうか。

私は供養を馬鹿にするつもりも卑下するつもりも無いです。
ただ、前にも言ったように供養と修行法は別だと思うのです。
A宗を見ていると供養ばかり先にたち、何も修行らしきことはしていない。
まして供養を「修行」と称して信者にやらせているではないか。
これが釈尊の修行法だとしたら、大問題です。釈尊自体が「詐欺師」になってしまう。

と、言うことは釈尊が悪いのか、それともゲイカが悪いのか、どっちかですね。
ここをきちんと把握しないと道は逸れるかと思いますね。

211大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/17(日) 21:03:55 ID:ofEWv1NY0
A宗には如何に供養と称するものが多いか準シュダオンさんもお分かりですよね?

護摩木勧進、解脱供養、冥徳供養、喜捨、御洗米、個人の物品による喜捨、
道場内の活動で自分の体を使って行う奉仕供養(身供養)、A宗に入信させる
お導き、その他諸々ありますが、これが「修行」と称してさせている「供養」ですよ。

因縁解脱にダイレクトにつながる修行やニルバーナを得るための修行法はほとんど成されて
いない。つまり、成仏法の修行は高度で難解だから供養をしなさい、とすりかえられているのです。

と、いうことは大乗仏教よろしく修行法を持たない仏教と同様なのです。

でも、それだとバレバレになるので、いろんな方便を使って「修行法をやっている」と思い込ませて
要るのです。これがゲイカマジックです。

釈尊が示唆した修行法など教えてもらっては居ません。皆供養にすりかえられているのです。
しかも、分析すれば三供養品など役に立たない。いや、A宗自体が間違った方向にあるから
正しく実行が出来ないと言う方が正解でしょう。

なので、私の観点は批判側とは違いますが、結論は深山さんと同じです。
修行法で無ければいけないし、修行法で有るべきです。
供養は結構ですが、供養で成仏陀にはなれない。そういう見解ですね。

212ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/17(日) 21:09:45 ID:SmEF4Oe2O
尚、念のために誤解を与えぬように書くと、私は如来=真如の世界から来れるものと
いう訳語が間違っているとか適切でないなどという気はない。
仏の十号としてそのような意味の如来が使われていたとてもかまいません。
要するに仏とはそういう真如世界を悟られた奇特な方にあらせられれば。
(う〜ん、天地人を見た後はどうしても言葉遣いが変わってござりますな)
しかし問題なのはその如来さんってのは生きたお方でなければ意味がないでは
ござりませぬか?
たしかに釈迦如来とお呼びしても阿難如来とか目連如来とは申しませぬ。
如来はひとえに釈尊にしか相当致しませぬのも、弟子たちの畏れ多い遠慮で
あらせられましょうに、無師独覚の釈尊と自分たちでは、同じアラハンでも
きちんと差別化をはかっておられるでしょう。
如来の所でいう場合、それはやはり人間として生きている如来様にあらせられ
ましょう。
しかしもし既にお亡くなりになって無余依涅槃を得られた如来様であるならば
それは生きている時の言動とか教えとか模範にし、尊重すべき対象に他なりません。
それは自ら見出だすものです。
つまり死んでしまった釈尊はたとえ骨を残されてももはや何も与えてくださいませぬ。
それを三身即一だかなんだか知らぬが、焚き火の中に写真を留め、普段はブッ怪だか
どっかにおって、アゴン宗だかの道場にうろうろしてる空気みたいな存在こそ
まさに架空の仏ではありませんか?
それを否定しているのです。
それを皮肉って、ジュンテイ仏母って誰とセックスしたのと書いたのです。

213ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/17(日) 22:37:12 ID:SmEF4Oe2O
>>185
そんなこたあない。
三教科を勉強するには自習してもよいが、やはり学校で先生に習ったり、
塾に行ったり家庭教師をつけたりすれば、理解習得はより強化されます。
もっとも塾や家庭教師は必ずしも揃っていなければならない必要条件でないから
あまりいい例とは言えない。
教師のもとで、教科書をもとに、級友とともに、とした方が三宝の話に近くて適切
でしょう。教室でという場所を添えてもよい。
これらは決して別々のことではない。
たしかに9シーン思い浮かぶ。
@教師の授業で国語を習っている。
A教師の授業で数学を習っている。
B教師の授業で英語を習っている。
C教科書を使って国語を習っている。
D教科書を使って数学を習っている。
E教科書を使って英語を習っている。
F教室で級友たちとともに国語を習っている。
G教室で級友たちとともに数学を習っている。
H教室で級友たちとともに英語を習っている。
でもこれって、本当に9種類の別々のことですか?
結局国語、数学、英語という三教科を習うという3つのことに集約されるでは
ありませんか?
だからやるべきことは三教科の学習です。
教師、教科書(教材)、級友(教室、学校)とは一つにまとめられる同じことです。
三宝もまたしかり。
問題なのは環境よりも何を為すのかということです。

214ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/17(日) 23:03:11 ID:SmEF4Oe2O
>>818
なるほど。無貪・無瞋・無癡は得るべき境地ではあっても、修行法ではないと
来ましたか?
では修行法とはどんなんか?
ミルラさんが書いているような舌を上顎につけて何かをどうかする特殊技術か
ラジオ体操みたいなものか?
それにあなたはいいところに着眼した。
四念処などと書いている。
そのとおりです。四念処などで無貪・無瞋・無癡を得る。
つまり供養でそれを得るなんて話はどこにもない。
四念処は供養ではない。
一方功徳の種をうえるとあるが、その種が実った功徳とは何か?
涅槃界ですよね。涅槃のことです。
では涅槃界とはどういう境涯か?
無貪・無瞋・無癡の境涯です。貪瞋癡の煩悩がなくなった境涯が涅槃界です。
つまり涅槃界の功徳を実らすには蒔く種とは四念処などです。
供養ではありません。
四念処などの修行法を三善根、すなわち無貪・無瞋・無癡を得る道とするわけです。
世間的な御利益が功徳だったら私も無貪・無瞋・無癡の道なんてしませんよ。
涅槃界だから無貪・無瞋・無癡の道しかないのです。
どうして供養をすると貪瞋癡の煩悩が無くなる涅槃界になるのか?
だから書いたでしょ?
ベンザエースが効く人はベンザエースを飲んだ人です。
ベンザエースを飲んだからベンザエースが効いたのです。
どうしてベンザエースを飲まずに製薬会社に寄付しただけで風邪が治るか?

215大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/18(月) 08:32:05 ID:gY4sMzj20
ユビさんの申されるとおりで、例えば四念処にしてもA宗ではそれを教えていません。
いや、正確に言えば成仏法そのものを教えていない。五根・五力・七覚支法・・・
とにかくどれかでもいいから深く丁寧に教えたことが一度も無いのです。
理由は簡単です。「おまえらには難しすぎるから」と言って教えないのです。
で、行ったことは御宝塔を拝むこと。梵行をすること。解脱供養をすること、です。
これらは全て「供養」です。修行法ではありません。

在家や一般人には難しくて、しかも普段の生活に於いては修行など出来ない。
だから、在家は「供養メイン」にやれというのがゲイカの指導でしょう?
そして、梵行や財施などが在家の「修行法だ」などということで”すり替えている”

だから、三供養品の分析もゲイカの言っている「供養論」から抜け出せないのです。
あと、実際問題としてその「供養」を行っても因縁も切れないし、境涯も上がらない。
そういうのを自分も他人も見てきています。

また、釈尊は俗世の煩悩というものから離れろ、という指導なのですから、徳が授かり
いいことが有るとか、病気が治るとか、お金が入るとか、地位が上がるとか色々なこと
など説いてない。まして「悪因縁を解脱せよ」ということも言わない。霊障も言わない。
まして釈尊自ら護摩を焚いて、それを弟子やみんなに拝ませることもしない。
また、御宝塔なるものも製造して拝ませることもさせない。
行ったことは、本当に煩悩を解脱して涅槃へ到ることの示唆です。
A宗の行動と教義がこのことから全く離れている事実を知ったら、深山さん・ユビさんの
言うことは正しいと理解できるのが有るはずです。

ゲイカは信者に修行をさせているのではなく、供養という布施や労力を教団とゲイカ
自身のために費やさせるために行っているのです。

216準シュダオン:2009/05/18(月) 10:13:45 ID:XESnzsYQ0
般若心経瞑想法の本は、空を体得するためのテキストと考えても良いが、
四念処法のテキスト、そのものと考えても良いと思いますよ。
1、身についての瞑想(観察) 2、感受についての瞑想(観察)
3、無常についての瞑想(観察)4、諸法無我についての瞑想(観察)
ね、四念処法、そのものが般若心経瞑想法に解説されてると思いませんか?
私はそう思うね。大日さんなどはそう思わないのかね。
般若心経瞑想法本のP86にはね、
「諸法無我は、諸行無常の補足といってよいであろう。(蛇足とまではいわ
ないが)」と、書いてありますね。
私は、ここ読んで思わず笑ったね。
ちょっと考えれば、無常であれば無我に決まってますものね。
管長も、諸法無我は蛇足のようなものである、と、はっきり書けばよかった
のにね。優しいから、蛇足とまではいわなかったのでしょう。

217樹意:2009/05/18(月) 10:16:00 ID:TmDDmEbA0
>199 :深山:2009/05/17(日) 19:15:53 ID:IcNmBAcQ0

>相変わらず、「痴」ですか。
>私の提案を全部受け入れろとはいわない。
>だが、「癡」を「痴」と書くのは、はっきり言うなら無知なのです

この「痴」というのは私も使用しております、従って 私への指摘としても
あてはまり 私の批判文にも関わることですから一応返論しておきます。

学者さん他翻訳において「痴」を使用されているようですので使用しても問題はない
というのが私の見解です。
ダンマパダにあるように仏教徒の仕事は心を清めることですので
ゲイカのやるような意味そのものを歪めるやり方は容認してはいけないですし
批判の対象ということになります。

相応部経典 45、19 鶏林精舎 増谷氏訳
「友よ、それはまさに、かの聖なる八支の道である。ー略ー そして友よ
 貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅をこそ、梵行の究極とするのである」

相応部経典 45、7 一比丘 増谷氏訳
「比丘よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉
 である。」

相応部経典 38、2 阿羅漢果 増谷氏訳
「友よ、およそ貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して阿羅漢果と
 いうのである」

218樹意:2009/05/18(月) 10:18:01 ID:TmDDmEbA0
片山一良氏訳 結集経 (衆集経) 長部パーティカ篇
三の不善根があります
貪の不善根
瞋の不善根
痴の不善根

三の善根があります。 
無貪の善根
無瞋の善根
無痴の善根

他 水野広元氏、も「痴」を使用されているようです。
「痴」(Moha)は無常、苦、無我をわかっていない状態のことだそうです。

>>191 :準シュダオン:2009/05/17(日) 16:19:04 ID:XESnzsYQ0
>もう一度書きますが、厳密に言えば、無貪瞋痴は修行法ではありません。
>それは修行の結果得られる、心の境界・状態のことです。
>ですから、仏法僧に於いて無貪瞋痴、と言っても意味はないと思いますね。

>これに対し、功徳を種える、ことは修行法です。
>だから、修行者は、功徳を種える、具体的な内容を方便を求めて、実践すれ
>ばよいのです。

先に引用した通り 三善根というのは三の不善根に対するものであり
涅槃 (貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏)に至るには八正道という道を
仏陀は教示されている。
しかしながらゲイカはその八正道を滅道ではないと排除している。

219準シュダオン:2009/05/18(月) 10:27:43 ID:XESnzsYQ0
縁起の法とは、
諸法は因縁によりて生ず、ですね。
だから、
煩悩も因縁によりて生ず、ですよ。
だから、煩悩の因縁を断てば、煩悩も断てる。
煩悩=因縁の場合が、多々あるわけですよ。
原因が結果を生みますが、その結果が新たな原因になって、別の結果を生み
ます。管長の説く因縁解脱には、煩悩解脱が含まれているのです。
釈迦の説く、12因縁は、12因縁=迷いの人生、です。
お釈迦様も、この12因縁からの解脱を説いています。
管長も釈迦と同じように説いてますが、ただ、管長独自の、
悪い運命の星(因縁)が付け加えられている、というだけです。

220準シュダオン:2009/05/18(月) 10:36:25 ID:XESnzsYQ0
前に、私の痴という文字はは三毒のチのことですからね、と断ってますよ。
正確な字を知らないわけではないが、正確な漢字をこのPCで探せないでい
るだけです。

そういう誤字や脱字や、国語力などに拘るのを、挙げ足とり、というの。
大事なのは、その人が何を言おうとしてるのかを、善意で汲み取ること
なのです。大意を理解することが大事です。細かいことはいいの。

221準シュダオン:2009/05/18(月) 12:01:42 ID:XESnzsYQ0
製薬会社に献金したとて、薬を飲まねば効果はない、というのはそのとおり
であるが、仏(如来)への供養の場合は別でしょう。
管長はそのあたりを「アラディンの魔法のランプ」P69に、感応道交の言葉
で説明しています。信徒の信仰心(感)に、仏が応えてくださるのです。
だから、釈迦もウバソクに、信、戒、施、というように、施行を8法修行の一
つに課しています。
管長の言葉を借りれば、供養によって霊性開顕の聖者に縁が生じ、霊性の場が
開発されるのでしょう。
磁石の傍の鉄が、やがて、磁力をおびるように。
感応道交を信じられるか、信じられないか、によりますね。

222深山:2009/05/18(月) 12:38:10 ID:5ufcLDbA0
>>220 :準シュダオン:2009/05/18(月) 10:36:25 ID:XESnzsYQ0
>前に、私の痴という文字はは三毒のチのことですからね、と断ってますよ。
>正確な字を知らないわけではないが、正確な漢字をこのPCで探せないでい
>るだけです。

あなたはせっかく樹意さんが擁護してくれているのに、
樹意さんの説明の意味すら理解できないのですね。
痴は学者も用いており、あなたが痴を用いたことは間違いではないと
擁護してくれているのですよ。
痴は誤字脱字ではなく、正しいと樹意さんが書いているのです。
私の指摘が間違っていると言ってくれているのに、
あなたは正確な字が探しだせなかっただけだ、などという。
だったら、文字をコピペすればいいではないか。
準シュダオンさんは痴でも正しいことを知ってて書いたのではなく、
コピペするという単純な作業すらできないための当て字だったという。
せっかく樹意さんがあなたが正しいと証明してくれたのだから、
自分の無知まで告白しなくてもいいですよ。

223深山:2009/05/18(月) 12:45:42 ID:5ufcLDbA0
>>216 :準シュダオン:2009/05/18(月) 10:13:45 ID:XESnzsYQ0
>般若心経瞑想法の本は、空を体得するためのテキストと考えても良いが、
>四念処法のテキスト、そのものと考えても良いと思いますよ。
>1、身についての瞑想(観察) 2、感受についての瞑想(観察)
>3、無常についての瞑想(観察)4、諸法無我についての瞑想(観察)
>ね、四念処法、そのものが般若心経瞑想法に解説されてると思いませんか?

いいえ、完全な間違いです。
それは「瞑想」であると思っている点です。
この点は信者さんたちによく着目してほしい。
桐山さんがいかに仏教を理解していないかを示す好例です。
桐山さんは四念処を瞑想だとした。
準シュダオンさんに聞くが、阿含経に出てくる四念処のどこに瞑想とあるのだ?
仏教辞典を引いて、四念処が瞑想だと書いてあるか調べてください。
四念処とは四六時中行うものであって、桐山さんのように、
座って頭の中であれこれ空想するものではありません。
「瞑想でも四念処をする」のは正しいが、「四念処とは瞑想でする」というのは間違いです。
比丘にとって瞑想とは食事や排泄と同じだからです。
桐山さんは四念処を瞑想だと繰り返し説いている。
頭のなかで、不浄、苦、無我、無常と空想することだと思っている。
子供みたいな解釈です。
日常の自分の身体と言葉と心の動きに常に着目して、
そこに煩悩が漏れてこないかどうかを観察し、煩悩が生じたら、
その一つ一つが苦、不浄、無我、無常であることを知性で分析し、
理解することで、煩悩を減らし、捨てるのが四念処です。
四念処が瞑想だなどというのは、四念処を理解すらしておらず、
ましてや体得したなんてありえないことの証拠です。

224深山:2009/05/18(月) 12:51:49 ID:5ufcLDbA0
>>216 :準シュダオン:2009/05/18(月) 10:13:45 ID:XESnzsYQ0
>ちょっと考えれば、無常であれば無我に決まってますものね。

これも桐山さんがいかに四念処を理解していないかを示す事例です。
釈尊は無駄なことは説いていない。
無我をわざわざ項目にあげたのは、もちろん、煩悩を断ち切るためです。
自我に対する執着は生物の本能です。
それを端的表した煩悩がタンハー(貪愛)です。
自己に対し誤った認識と執着がタンハーです。
命への執着を解き放つことがどれほど難しいかは、説明されなくても誰でも理解できる。
だから、釈尊は無我を説いたのです。
常に存在する自我などありえないという哲学を説くのが目的ではなく、
自己への執着、生命への愛着という煩悩を断ち切ることを説いたから、
無我がとても重要になってくるのです。
また、不浄、苦、無我、無常はばらばらにも使えるが、
本来はばらばらのものではありません
自己への執着や生命への愛着を断ち切るための一連の作業なのです。
ところが、桐山さんはこんな基本的なことすらわからなかった。
こんな桐山さんが四念処を体得しているはずがない。

225深山:2009/05/18(月) 12:56:10 ID:5ufcLDbA0
>>216 :準シュダオン:2009/05/18(月) 10:13:45 ID:XESnzsYQ0
>ちょっと考えれば、無常であれば無我に決まってますものね。

桐山さんは四念処を体得したなどと言っているが、
四念処を体得したかどうかは、素人が外から見てもわかる。
その人の日常の言動にそのまま現れてくるからです。
信者さんたちはこの点をよく理解したほうがいい。
不浄を体得したはずの桐山さんがなんで頭をポマードで固め、
七条袈裟をつけて身を飾るのだ?
こんなことありえないのですよ。
不浄を体得したら、自分の身を飾るなんて絶対にしない。
というよりも、体得するためにも身を飾らないのです。
無我を体得したら、霊魂があるとか、霊障のホトケだと言うはずかない。
四念処とは四六時中自分の心に生じる煩悩に目を向けることだから、
オバサン一人に嘘つき呼ばわりされたくらいで、切れるはずがない。
食欲すら抑えられず、いまだに食いしん坊だと平気で言ってのける桐山さんが
不浄や苦を体得したはずはないのです。
こんなふうに四念処を体得したかどうか、理屈ではなく、目でみてわかる。
信者さんたちも、四念処の内容を理解すれば、桐山さんが体得した人なのか
どうか、一目瞭然なのです。
桐山さんが四念処を体得したなど絶対にありえない。

226深山:2009/05/18(月) 12:58:54 ID:5ufcLDbA0
>>219 :準シュダオン:2009/05/18(月) 10:27:43 ID:XESnzsYQ0
>管長も釈迦と同じように説いてますが、ただ、管長独自の、
>悪い運命の星(因縁)が付け加えられている、というだけです。

また、すでに何度も反論されたメチャクチャな主張が始まりましたね。
あなたのゴマカシの第一は、因縁の意味の使い方です。
あなたは前半では仏教的な意味であるかのように因縁を用い、
後半で、アゴン宗の悪因縁と仏教の因縁とを混ぜて用いている。
それはゴマカシです。
仏教の因縁には、あなたが前に認めたように、原因くらいの意味しかありません。
だから、「諸法は因縁によりて生ず」は正しい。
こんな難しい言葉を用いなくても、「物事には原因がある」という意味です。
だが、アゴン宗の悪因縁は原因などという抽象的な意味ではなく、
運命という具体的な意味をもたせている。
運命を形作るカルマの性質を悪因縁と言っているのです。
だが、仏教の因縁には運命などという意味はありません。
我々が日常で原因という言葉を用いるとき、この原因に運命などという
意味は含まれないのと同じです。
仏教の因縁と、アゴン宗の悪因縁が同じであるかのように
桐山さんも巧みにごまかしているが、両者は違う。
まず、あなたは両者が同じものであることを証明するべきだ。
それを私から四年ほど前に言われて、桐山本を出して、
反論されたことも忘れてるのでしょうね。

227深山:2009/05/18(月) 13:04:57 ID:5ufcLDbA0
>>219 :準シュダオン:2009/05/18(月) 10:27:43 ID:XESnzsYQ0
>縁起の法とは、
>諸法は因縁によりて生ず、ですね。
>だから、
>煩悩も因縁によりて生ず、ですよ。

あなたの二つ目のゴマカシは
「煩悩も因縁によりて生ず」
という文章です。
阿含経のどこにあるのか示してみなさい。
こんな文章があるはずがなく、あなたの捏造です。
なぜなら、釈尊は十二因縁の式を見ればわかるように、
「苦の原因(因縁)は煩悩である」と説いただけで、
これ以上のことは説いていない。
最初の無明の前には原因はない。
十二因縁は「煩悩→苦」を示したにすぎない。
苦の原因である煩悩を断ち切れと言っているだけです。
その煩悩も原因によって生じると阿含経にあるというなら、示してください。
ちなみに、あなたのこの要求をするのは少なくとも二度目です。

228深山:2009/05/18(月) 13:06:58 ID:5ufcLDbA0
>>219 :準シュダオン:2009/05/18(月) 10:27:43 ID:XESnzsYQ0
>だから、煩悩の因縁を断てば、煩悩も断てる。
>煩悩=因縁の場合が、多々あるわけですよ。

これはどこの何という宗教で説いている説ですか。
釈尊は「煩悩の因縁」も説いていないし、
煩悩の因縁を断つなんてことも説いていないし、
それによって煩悩が断てるとも説いていない。
アゴン宗の教義ともまったく違います。
「煩悩=因縁」などという教義はありません。
アゴン宗では煩悩と悪因縁は別物です。
桐山さんは、煩悩から悪因縁が生じると述べている。
貪りという煩悩によってガンの因縁が生じると言っている。
煩悩と悪因縁とは別物として取り扱っているのです。
煩悩が切れたからいって悪因縁がキレルと限らない。
法の力で一時的に因縁を切っても、元となった煩悩が残ると説いている。
こんなふうに準シュダオンさんの書いていることは、
仏教でもなければ、アゴン宗でもない。
あなた個人の宗教観にすぎないから、スレ違いです。

229深山:2009/05/18(月) 13:17:08 ID:5ufcLDbA0
>>219 :準シュダオン:2009/05/18(月) 10:27:43 ID:XESnzsYQ0
>管長の説く因縁解脱には、煩悩解脱が含まれているのです。

アゴン宗では因縁解脱するためには煩悩解脱しなければならないというのが教義です。
だが、あなたは、悪因縁を切ることと煩悩を切ることが同じだと言っているのでしょう?
だったら、まったくの間違いです。
アゴン宗では煩悩と悪因縁は別物で、両者は同時並行的に行われる別な修行です。
煩悩をいくら切っても因縁解脱したことにはならない。
法の力で一時的に悪因縁を切っても、煩悩を切らないとまた悪因縁ができる。
つまり、煩悩も悪因縁も、金と人をどこまでも貢ぎ続けないと切れない。
アゴン宗では、信者はいつまでたっても悪因縁も煩悩も切れないように
して、ずっと金と人を貢ぎ続けるようにできている。
そういう目で見ると、とてもわかりやすい教義です。

230深山:2009/05/18(月) 13:21:45 ID:5ufcLDbA0
>>221 :準シュダオン:2009/05/18(月) 12:01:42 ID:XESnzsYQ0
>管長はそのあたりを「アラディンの魔法のランプ」P69に、感応道交の言葉
>で説明しています。信徒の信仰心(感)に、仏が応えてくださるのです。

阿含経の釈尊が、供養の見返りに解脱への道を歩めると説いたという
桐山説の是非を議論しているときに、桐山さんの本を
根拠にして何か意味があるのですか。
あなたはしばしばこれをするが、泥棒と疑われている本人の主張は、
証言としては価値がありません。
示すなら、釈尊がそのように説いていることを示すべきです。
感応道交を釈尊が説いたというなら、阿含経を示しなさい。
これも私は二度目の要求です。
釈尊が説いてもいないことを適当に切り張りして、
さも説いたかのようにいうのはゴマカシです。
悪代官と悪徳商人じゃあるまいし、供養されると以心伝心で
手心を加えてやるなんてするはずがあるまい。
釈尊を侮辱するつもりですか。
釈尊が信仰心に応えて、功徳を授けるなんて阿含経のどこにあるのだ?
供養の見返りにシュダオンになれるというのは、
桐山さんは三供養品にだけ出てくる特別な内容だと主張している。
だが、これまで三供養品の議論を通じて、
どこにも供養なんて出てこないことを示した。
供養すればシュダオンになれるなんてどこにもない。
三福道なんて言葉も意味も桐山さんの嘘です。

231樹意:2009/05/18(月) 15:01:21 ID:TmDDmEbA0
>>222 :深山:2009/05/18(月) 12:38:10 ID:5ufcLDbA0
>>>220 :準シュダオン:2009/05/18(月) 10:36:25 ID:XESnzsYQ0
>>前に、私の痴という文字はは三毒のチのことですからね、と断ってますよ。

準シュダオン氏が
自分で書いているように三毒に対比するのが三善根で。 煩悩の反対が涅槃です。
それと、「痴」は学者さんが翻訳提示する場合に使われているものですから
別段掲示板で使用する程度ならば、「癡」と正式に書かなくとも問題ないと
私はその根拠を示したわけです。

三毒と対比するのが三善根であって 三福道と対比するものではありません。
だからこれもゲイカのすりかえです。
ゲイカは『−略ー 一書には「三善根」「三福業」とあり阿含宗は三福道をとる。』
と末世成仏本尊経講義 255pに書いていますが、三福業
はサーリプッタが説いた衆集経にあり、三福業と同じ三で区分けして説いた中に
三善根も説かれている、別のものとしてサーリプッタが分別したものを根拠に
同じ意味であるかの如く見せかけている。 三善根と三福業は別のもので この
中から三福道を取るのだという。 

アゴンでは教団に貢ぐ行為『供養』を「梵行」という名で推進しています、所謂
これが三福道の中身です。

実際には引用経典にあるように
相応部経典 45、19 鶏林精舎 増谷氏訳
「友よ、それはまさに、かの聖なる八支の道である。ー略ー そして友よ
 貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅をこそ、梵行の究極とするのである」
三毒の壊滅 涅槃を示したものを梵行の究極とするのです。

本来の梵行とは八正道を修め、三毒を壊滅させることにある。

232大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/18(月) 19:54:07 ID:2vnESDMY0
>>216 準シュダオンさんへ
なるほど。「般若心経瞑想法の本は、空を体得するためのテキストと考えても良いが」これには私も
頷けますが、「四念処法のテキスト、そのものと考えても良いと思いますよ」には賛成できません。
深山さんが解説していただいているのに自分も同意です。ただ、”空”を観ずるためのものとして
水想流転は私は活用しています。一部の方がこれを嫌っているようですが私は個人的にはイイと感じ
自己の瞑想にも活用しています。ただし、それですぐさま「空」が悟れたとか、境地が得られる、
というのでは無く、無常を感じる、とか水の変化のさまを観察するのにいいので私は流転はたまに
使う事がありますので、それはいいと思います。

あと、ゲイカの悪い癖は深山さんの言われているとおり、「間違った教えを説いている」のと、
私と有るお方がいつも言っている「入り口しか教えていない」ということです。
看板だけ立てるのがうまいが、中身が無いのがゲイカのパターンです。
本当に成仏法を体得し、わかっててこういう行為をしているのならかなりの性悪です。
自分だけがメソッドを知っていて教えるつもりが無いなら最初からやらなければいい。

次に懸念されるのが、本当は知らない、ということです。
ゲイカはパクリや妄想のプロ、といわれています。これが本当なら罪の意識が無い詐欺師です。
自分だけは凄い技法を知っている、と思い込んでいるだけで中身が無いのですぐばれます。
また、中身が無いので人に教えることが出来ない、ともいえます。

いづれにしてもどちらであろうとも始末が悪いですね。
このことに気が付かないでゲイカは凄いとか、後ろを付いてゆくのは私も散々やりました。
ですが、もうこりごりです。

ただ、先ほど言いました「流転」など活用できるものもありますからそれのようなものなどは
ありがたく活用はしますが、意味の無い・詐欺まがいの効果が無いものはカットの方向です。
ゲイカはそういうのが多いので、よく注意が必要と思われます。

233大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/18(月) 20:10:30 ID:2vnESDMY0
>>221 こちらで感応道交のことを言われていますが、それは判ります。
しかし、それはA宗の中や、在来仏教(宗教)などの世界でしか通用しません。
これもどこまで行っても「釈尊はそういうことを説いてない」のです。

アーガマや初期・原始経典でそういう箇所が有るのなら考えますが、そういう「感応道交」という
思考そのものが大乗的であり、外道的であります。

釈尊は成仏陀になるために「何々の神・仏と感応道交せよ」とか「必要」だと一切言われてません。
それは成仏陀になるために必要な行為ではないからです。
また、百歩譲って釈尊が「我と感応道交せよ」という教えもされていない。
これも先と同じ理由ですね。

これから考えると、では「感応道交」とは如何に? また、必要なのか?というのが出てくる。
仏教は成仏するための教えなのだが、成仏するために本当にその感応道交が必要なのか?という
ことが重要ですね。

釈尊は「不要」とされていて、それ以外の”仏教”では「必要」といわれるならばどちらが正しいか?
単純ながら、微妙なところですね。

また、感応道交というのは何かを対象とするものです。特に私が思うのは「本尊」とかの観念がある
から感応道交を求めるのではないか、と推察します。
感応道交によって「不思議な力」の獲得や「神秘解脱」のような効果を得ようとしているように見える。
ところが、煩悩を滅することに於いて、自己の観察や自分を深く分析して是正する「煩悩解脱」には
感応して何かを得ようという思考・行動が全く要らないわけです。ここが明らかに違う点です。
と、言うことは感応道交して何かを得る必要は別段要らない、という結論になるわけです。

234大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/18(月) 20:25:01 ID:2vnESDMY0
何故、それが堂々といえるか? それは私も散々やってきたからです。
感応道交まっしぐら、と言ってもいいほどやったからです。
で、その結果何を得たかというと「何も無い」のです。

釈尊の本当の教えなど知らず、ゲイカまっしぐらでやってきた。
感応して何かを得ようと必死だった。しかし、何も無かった。
そもそも、本尊に何かを求めて道交して何が有るのでしょうか?
道交したら因縁解脱できるのでしょうか?

感応道交というのは本当の仏教をするには必要の無いものです。
逆を言えば外道宗教を行う際には必要かもしれません。
本道である「真正仏教」を行うとしたら、感応道交など要らないのです。

A宗は仏陀釈尊の直説のアーガマを奉じ、原始仏教を行っている教団ですよね?
それがなぜ、外道の行為をするか?です。そこがおかしいと思わなければいけな
いのではないかと思いますよ。

例えば仏教以外の宗教を講じて「感応道交だ!」というのならそれはよろしい。
しかし、仏教を、尚且つ本当の仏教をやる人なら、感応道交は要らないでしょう。
また、何故・何のために・何を対象として感応道交するのか?
釈尊に対してやるのならこれも外道。ジュンテイ尊にやる・三身即一の仏にやる
のなら、やればいい。何も無いから。

架空の仏〜存在しない対象に感応をするのは、その人の自己満足か妄想・幻想です。
空中に向かって拝むのと変わらない。そしてその個人が脳内麻薬で痺れていればいい。
「ああ、仏様が見える〜」と喜んでいればいい。

私は感応道交を説かなかった釈尊は正しいと思いますよ。

235大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 03:33:38 ID:glVjq87o0
あと、これも後から気づいたのですが、A宗信者はゲイカの言うことを真に受けすぎる。
尚且つ、検証をしていない。つまり、何でも信用して信じきっているのが多い。
かく言う私もその一人でありました。ゲイカが白といえば黒でも白なのです。

感応道交だけを見ても「おかしい」わけです。こういうことを釈尊が弟子達にやらせているか、
という確認や検証をして「ゲイカ、それはおかしくありませんか」という人がいないのは
まさに「ファシズムにやられている」所以です。

また、現実的に言ったなら破門でしょうし、おかしいと思ったら自主的に辞めるしかない。
それもあるからなのか、ここ数年A宗から離れる人が非常に多い。
また、幽霊会員も非常に多い。会費滞納・道場に来ない、などかなりいます。

当初私も2chで批判側と意見しましたが、異常さが目に付く。その異常さはA宗に於いてです。
擁護しようとしても出来なくなる。完全仏教なはずのA宗が負けるわけです。
これが単なる批判側の「屁理屈」なら何とも思わないが、確認したらどうもA宗側に落ち度が
有るようだ、というのがわかった。尚且つゲイカの言動の矛盾が多すぎる。
これでは話にならないわけです。

で、迷ったときや判らなくなったら「原点回帰」をするのが一番な訳です。
それで、釈尊が何を言い、何をされたか、を見ればわかってくるわけです。
すると、まあ欺瞞が出てくる出てくる・・・。如何に踊らされていたかが見えてくる。
そうすると、検証に拍車がかかり段々と真実が見えてくる。そこで目が覚めるわけです。

そもそも感応道交は「思念の継承」にも言えることです。ゲイカとの感応する行動が道交で
あり、そこに不自然はないわけです。
しかし、釈尊が弟子達に思念の継承をされたというのは聞かない。お経にも書かれていない。
アジナータッチやシャクティパットなど一切されていないわけです。
じゃあ、それらはどこから来たのか?というと、釈尊滅後に誰かがやったか、別宗教の宗教行為
なわけです。釈尊自らそういう神秘体験公示やら示唆はされていないのです。

236大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 03:49:27 ID:glVjq87o0
また、釈尊が「私と感応道交しないと解脱できないぞ」というのでしょうか?
それなら麻原と変わらないと思いますよ。
弟子達に言うんですか?「私と感応道交をしようよ。ふふふ」・・・キモイですよね。

尚且つ、釈尊が「私の思念を授ける。弟子達よ、それを受け取りなさい」というのですか?
これだってどう見てもおかしいでしょう?

そもそも白銀のバイブレーション云々など言ったのはゲイカです。そういうゲイカの
個人妄想・幻覚を信じきった自分たちが悪い。そのバイブレーションを受けたからと行って
何があるというのか。
それこそ人格も性格もいいほうに変わり、悟りを得て仏陀釈尊の教法や悟りを得て、
ゲイカより釈尊バリの法を説かれてもいいんじゃないですか?
目つきも思考も行動も聖者のような動きをされるはずです。それがTOP自ら短気が治らない。
傲慢さも治らない。つまり性格が芳しくないというのは聖者とは言えない。
ゲイカ自体が聖なるバイブレーションなど受けてないし持ってない。
まして思念の継承などありはしないのです。第一釈尊がそういうのはやってないし。
そういう思念云々はゲイカが発したものであり、やっているものです。
思念の継承及び感応道交など、解脱や成仏陀には無関係なのです。
ゆえに「オカルト宗教」と言われても、当然の報いなのです。

237大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 04:15:40 ID:glVjq87o0
それこそ例えですが、ゴミ屋敷に住んでいる人はゴミがゴミだと思わないのです。
ゴミが「宝」に見えるし、そう思っている。
しかし、他人から見れば「ゴミ」を集めて喜んでいるようにしか見えない。
本人が自覚しない限り、ゴミという認識が抜けないのです。

また、ゴミ屋敷にいる人間はまずほとんどが不潔です。不衛生でいることにも自覚がない。
周りに指摘されても逆にキレる事も有るくらいで、自分が不潔とさえ思わない。
自分の世界が正しくて、あれこれ言う周りが悪い言い方です。

私も批判側に言われてかなり吠えた。でも、「汚れているのはどっちだ」と言われ
「確かめてみて、批判側が汚れていたら見ていろよ」と自分自身をまず顧みた。
また、A宗及びゲイカをも顧みた。
すると汚いのはどっちかが判った。答えは自分たちでした。

愕然としましたよ。自分だけが綺麗で尚且つ正統で高度な宗教を講じているのだ、という
プライドも自信も根拠も一気に霧散した後に残ったものは「何も無い」のですから。
有るとすれば、自分が如何に夢の中にいたか、という現実(過去)だけです。
今まで自分は何をやっていたのか(来たのか)、という呆然さがまず先にたった。
そして、情けなさと哀しさが来て、激しい憤りが起きた。これが現実です。

あれほど釈尊の教法を正しく実行していた、と信じてやってきたことが間違っていた。
つまり、ゴミ屋敷にいた主は「自分だった」という現実です。

釈尊は無駄や執着から離れることを示唆されました。ゴミというのはその「無駄や執着」です。
そういう要らないものを集めてどうするのだ、といわれているのが釈尊です。
本当の解脱を得て涅槃へ到るのに、どうして間違った教えや物や金、煩悩を集める行為に
執着するのか・・・お前は本当の仏教を講じてないではないか、と言われた気がしました。

なぜ、架空の本尊というものを仰ぎ・依存するのか? 私がそういうことを教えたか?
拝んで供養して解脱できると私が言ったのか?と釈尊が語っているような気がしました。
もし、釈尊が生きていたらそういわれたと思いますよ。

オカルト的な行動や間違った教えはやめなさい。私の説いた本当の教えを講じて修行なさい。
そうすれば必ず解脱を得られるよ・・・そう申すでしょう。
お経を唱え、真言を誦し、印を結んで、拝み倒す・・・。そんな行為など仏教ではないです。
批判側の言われるとおり、釈尊の残された修行法を一人一人が忠実に実践して行く。
その成果によって解脱が得られるのです。

供養・供養と称し某(それがし)の物品や労力を捧げて解脱を得るという「修行法」を捨てた
行為で解脱など得られるものですか。
まして、今一度考えてください。供養とは修行法ではないのですよ。
釈尊の言われた供養はサンガにいる出家者に布施をする行為と、貧者や弱者を救うために布施
をすることなどがメインです。また社会的に公共物を立てるとか役に立つ施設を建てるとか
公益、つまり全ての人に有益な布施をすることが「供養」なのです。
架空の本尊に献上するのが供養ではないのです。

238大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 04:28:43 ID:glVjq87o0
結局、釈尊の言動・行為というものを基準にしないから物事の真実が見えないのです。
まして、A宗は釈尊の真の教法を実践しているわけでしょう?
ならば、よく調べたり比較すれば見えてくるのです。
見えないのはゲイカの言うことばかり信じて比較しないか、自分で真実を見ないからです。
都合のいい・自分が求めることを優先するから見えないし判らない。

私なんかは釈尊だけを見ようとしていた傾向があったからまだ良かった。
これがご利益優先で、釈尊よりも「何とか尊」のほうがご利益有るし、都合がいい、
という思考だったらおそらく未だに抵抗していたでしょう。
あれこれ言う批判側は悪魔だ!とかね・・・。

私は批判側の片棒を担いではいません。A宗に正当性が無く信憑性が無いからいうのです。
目を覚まさせてくれた批判側に逆に感謝するほどです。

私にすればA宗に勝ってほしかった。自分の信じる宗派が一番!と思ってやってきた。
だが、それは叶わなかった。間違っていたのはゲイカだったのです。

今後も意見を交わし、考察を深めて行こうではありませんか。

239準シュダオン:2009/05/19(火) 09:55:33 ID:XESnzsYQ0
まぁ、時間がないのでまだチラリと眺めた程度ですが、大日さんの
言い分もわからないではない。ですが、和讃にもあるように、「巨万の富も
権勢も、悪因ひとつあるならば、すべて苦の種泣きの種」ですよ。
管長も法話などで、宝くじで大金を得ても、その後かえって不幸になった例
などよく話しました。ですから、管長の教えをゴミにしているのは、信者側
なのです。お金を得てもそれが苦の種泣きの種になるのですから、信徒は
御利益信仰を脇において、なるべく早く、悪因を切る修行に専念すべきなの
です。何時までもご利益信仰してたって、そりゃ、修行が進むわけがない。

感応道交について、もう少し述べたいことがありますが、所用のため後に
します。

240準シュダオン:2009/05/19(火) 12:16:24 ID:XESnzsYQ0
誤解してはいけないと思いますが、阿含宗は原始仏教を行いますが、
原始仏教だけを行うわけではありません。原始仏教だけ、ではないのです。
管長は、首でも吊ろうかな、というとき、准テイ観音経、に救われました。
ですから、真言密教六観音の一つである、准テイ観音を、管長が捨てるはずが
ないのです。命の恩人ですからね。
阿含宗勤行聖典には、観音経もあります。これも原始仏教ではないですね。
でも管長の命を救った観音様なので、取り入れております。
余談ですが、観自在菩薩と観世音菩薩という訳の違いがありますが、
管長ならば、「観救自在菩薩」と訳す、と本に書いてましたね。

そして管長は、密教のルーツが阿含経の37道品であることを発見した。
つまり、お釈迦様は護摩を焚いたりしなかったが、お釈迦様が説いた
37道品が後世に密教護摩を生んでいたのです。
つまり、阿含宗の焚く護摩は、お釈迦さまが生みの親、と言えましょう。

241準シュダオン:2009/05/19(火) 12:45:36 ID:XESnzsYQ0
感応道交まっしぐらにやってきた大日さんが、結果、何も得られなかったと
言う。レスを見ると私より勉強熱心で、新皮質脳も優れていそうである。
私は一切経も持っていない。阿含宗でのいろんな資格も、私にはない。
信徒として、あまり熱心な方ではなかったでしょう。
だが運よく、思念の相承のバイブレーションは受けることができた。
もっとも、思念の流れは感じなかったので、管長のメッセージも感じられ
なかった。その点、不完全な思念の相承であろう。
だから、準シュダオンを宣言したが、思念の流れまで感じていたら、シュダオン
を宣言した?でしょう。

あれ以来、なんの変化もないし、仕事も普通にこなしてるから、脳梗塞では
ありませんね。京都の新しきサエトマエトから発せられた、聖なるバイブ
レーションであったと確信しますね。
管長の場合は、叩きつけられるような衝撃、とのことでしたが、
私の場合はそんなに強い衝撃ではありません。例えて言えば、子供の頃、
裸電球を点けるソケットに、誤って指を入れたりしてね、ビビビ、ときて、
感電して「お〜お〜お」と叫んだりしたことがあった。
それの百分の一くらいの衝撃で、脳の中枢部に、電波というか霊波というか
ビィーンと、震動を受けるのです。
ですから私は、お釈迦様が説いていようがいまいが、感応道交を信じますね。

もし、大日さんがバイブレーションを受けられるまで粘っていたら、
おそらくは一挙に、シュダオンまで行けたと思いますね。

242準シュダオン:2009/05/19(火) 12:58:36 ID:XESnzsYQ0
供養は修行ではない、との意見がありましたが、
私は、やはり、布施供養も修行の一つと考えたいですね。
お釈迦様も、信戒施聞・・というように在家の8法の一つにしています。
だから、「於如来所 功徳の種をうえる」具体的行為の一つに、布施供養も
含めて考えます。
善根とは、果実を実らす樹木の根に例えた言葉でしょう。
無貪瞋痴は果実です。
それは修行の結果、得られるところの目的なり目標です。
それを得られる種をうえなさい、
と、三供養品・三善根は説いているわけでしょう。

243名無しさん:2009/05/19(火) 14:03:48 ID:g4UmjtUc0
準シュダオンさん

都合の悪い書き込みは読み飛ばして答えず、一方的に自分の考えを
書き込まれても、説得力はありません。

批判派も擁護派のどちらからも失笑を買っていることを自覚した方が
いいですね。

244大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 15:46:32 ID:5oJsHdTo0
準シュダオンさん、貴方のご意見拝読しました。なるほどです。
また、後ほど感応道交の意見もよろしくお願いいたします。
では、追って私も意見を少々。

私も実は「仏陀の法 第一期」を申し込み、思念の継承は受けました。
かなり期待してましたし、喜んでいましたよ。ゲイカにも間近に逢えますしw

ですが、内容は期待外れでした。何も感じませんでした。
まあ、ご存知かと思いますが「感知できないのは自分のせい」だと思い、その後もゲイカの
言われたことを実行し、霊性の覚醒というか修行に励んだものです。
しかし、何も無かった。
それでも自分は「まだ自分が未熟だからだ」と思い何度も模索するが答えは出ない。
そのうち、「また3万円払ってアジナータッチしてもらおうか」とも思ったことがあった。
しかし、それは今ならわかりますが、不要ですね。やらなくて良かったです。

結局、私が先の記事で述べたとおり、ゲイカの妄想だから何も無いのが当たり前だからです。
それこそ私が「思念を体得した」と宣言し、その権威を持って継承を行うのと変わりない。
無資格・無承認で神秘儀式をやっているのと変わりないからです。

自分がヨガや瞑想などをやって神秘体験をしてそれが超能力獲得と錯覚する。
そのままの延長できたのが「ゲイカ」です。
自分は凄い能力があり、法力も持っている。普通の人間ではないのだぞ、という慢心と錯覚
で突き進んできているのです。勿論ゲイカ自身はその背景に悪意が有るかはわからないが。
本当に悪意が無ければ根っからの空想・妄想家、ということになります。

なぜ、それをいうか?批判側の今までのデータ(意見)や私も信者としての長年見てきた
経緯と一致するからです。以前から「おかしい」と何度も思っていたが、2chでの意見を
みて検証したら納得がいくわけです。

また、偶然も重なった。例えば私の地区に信者でガンになった方がいた。
その方もA宗の限りと医学の限りを尽くしたが半年で天に召された。
いわゆる奇蹟は起こらなかったのです。

ところがそういう一方、何とか教とかの力でガンが消えた人を見ればA宗の如何に
力が無いか判ります。というか、歴然とした矛盾でしょう?
ゲイカに力が。また本尊が本当に救うのなら現象があってしかるべきです。
それが無いのは、まさに「中身が無い」といわれて(見られて)も仕方が無い。

また、護摩木勧進を過去にやったのですが、その勧進した一人を除いて全て願いが叶わなかった
という事実もあります。私自体も叶わないほうが多い。なので、数年前から私は祈願はしてないですね。

お手配願いもやったが効かなかった。でも、それでも信者は続けた。
ひたすら方法を変え、自分を正しやってきた。しかし、あるものは「自己満足」だけであった。
なので、模索をしているうちに2chに飛び込んだわけです。

そして、偶然私も電気でしびれた経験があります。
ですが、それはそういう現象であって、神秘体験と比するのは違いますね。
また、瞑想を準シュダオンさんはやられているかと思いますが、瞑想での神秘体験は無いほうが
正常です。逆に危険だというくらいです。
どうも、準シュダオンさんは神秘的な方向がお好きなようで、それは私も過去に求めたことが
有るので否定しませんが、ただ、本当の瞑想や修行をするには神秘体験などそうそう無い、という
のが多いですね。自分も模索してそのA宗との違いに驚きました。

神秘より確実に自分が現実の世界で重要な物事に気づくものを悟るほうが有効ですよ。
むしろ釈尊はその方向を示唆しています。A宗は真逆ですね。

245大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 16:08:00 ID:5oJsHdTo0
>>242 私も考えですが、厳密に言えば供養も修行だと思うのです。
ですが、A宗の供養の仕方がおかしいから「それは修行ではない」という言い方をしています。

釈尊が説いた「供養」は私が>>237で申している事などが代表であり、それとA宗での中身と比較
してみれば、私の言っている意味も見えてきます。

まず、釈尊自身も財閥や衆生からいろんな布施(供養)を受けています。
物だったり、お金であったり、建物や土地などもありました。
ですが、それらは全て仏道修行者のために活用されたのです。

まず、釈尊自らと弟子達の飲食のためとか、道場のためとか、一切の無駄が無かった。
自分のポケット(懐)に入れるということが無かったのです。
無駄が無く有効に使われたし、供養を強制することもなかった。

しかし、ゲイカを見れば影で何をやっているかわからない。
暴露本には特別お手配願いの収賄もしてましたし、2chでも色々金にまつわる情報が出ている。
でも、私にすれば一番決定的なのは数年前のゲイカ自身から申された「大金を失った」という
ことです。

あれはA宗では金額を少なく申してますし、言うたびに金額がコロコロ変わる。
また、一番許せないのは内容が嘘だということです。

別院の宗務局長だった婿さん(ゲイカの娘の旦那)が事業をやりたいからゲイカが保証人になった
のだが、事業に失敗したのでその負債をゲイカが背負う羽目になった、と言っていますが、
あれは嘘なんですよ。
10億の金を右派に取られ、それが出所のいい金ではないので取り返せない・訴えられないので
とても悔しがっているんです。

しかも、事業をやるから、といって過去に宗務を辞めてまでやったのが失敗して、そのツケを
ゲイカに背負わせて、しかも去年ですか、また懲りずに宗務に返り咲いた。

これってどう思います? 全くふざけているし虚偽が全開で匂いますね。
いくらゲイカの娘の旦那とはいえ、行動が不自然です。逆に擁護しているように見える。
また、その旦那もよく大きな顔をしてA宗に戻ってきたと思う。
私なら恥ずかしくて戻ってこないですよ。復帰するならせいぜい借金払い終わってからにしますね。
ゲイカの顔に泥を塗っておきながら、よくオメオメと復帰するものだと。

違うんですよ。裏が有るんですよ。だからこの異様な現実が簡単に起きるんです。

この事実を知ったら如何にゲイカが綺麗ごとを言っても「嘘だ」となる大きな証拠です。
過去からゲイカは言ってますよね? 私は自宅のマンション以外は何も金も財産も持ってない、と。
これがまるっきり嘘だという証拠なのですが、いかがでしょうかね?

246大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 16:18:20 ID:5oJsHdTo0
確かにゲイカは発展途上国に井戸を作ってあげたり、学校を建てたり、奨学金など慈善活動もされています。
それはいいと思うのです。
しかし、裏でどこまでやっているかわから無いですよ。

あと、普段修行をしている人が糖尿病になるのはナンセンス。
節制や栄養や運動など健康に気をつけている人が糖尿になるのは医者でも「うん」といいません。
これも絶対にあってはいけないことです。子宮の無い男性が妊娠するのと同じです。
絶対にありえない。

脳梗塞も起こしてますし、これはゲイカ自ら「脳障害の因縁」の項目に入れてますよね?
それが自分自身でかかってしまった。ということはゲイカには脳障害の因縁がある、ということですし、
また自分には「脳障害の因縁は無い」と言っていたのが嘘になる。
言い逃れが出来ないことをゲイカはしているのです。

また、自分自身が因縁を解脱しているのに脳障害の因縁にやられているのは因縁を解脱してない、
できない、という証明になってしまいます。
そして、奥様もガンで亡くなった。もう因縁解脱が出来ない、という証明です。

なぜ、本尊は助けないのか。なぜ本尊は因縁解脱の徳やパワーをくださらないのか。
修行が足りないから? 供養が足りないから? 違いますよ。偽物だからですよ。
A宗には盛りだくさんの本尊がいて、尚且つ釈尊の御霊と仏舎利が有るではないですか。
なぜ、救われない?なぜ、報われない? ここが大事なのです。

247大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 16:33:27 ID:5oJsHdTo0
ですから、供養は確かに大事であろうと思います。ですが、その供養はA宗では
間違ったことに動いている〜つまり機能しない供養であり、解脱など出来ない
見込めない供養という名の「奉仕」なのです。

教団とゲイカが潤うための奉仕なら私はやらない。意味が無い。
私はどこまで行っても因縁解脱、ニルバーナの獲得です。
そのためにA宗に入ったのです。信仰をしていたのです。
ゲイカを喜ばせて贅沢をさせるためにやっているのではないですね。

ですから準シュダオンさんはいい事を申された。>>239で言われた
>ですが、和讃にもあるように、「巨万の富も
権勢も、悪因ひとつあるならば、すべて苦の種泣きの種」ですよ。
管長も法話などで、宝くじで大金を得ても、その後かえって不幸になった例
などよく話しました。ですから、管長の教えをゴミにしているのは、信者側
なのです。お金を得てもそれが苦の種泣きの種になるのですから、信徒は
御利益信仰を脇において、なるべく早く、悪因を切る修行に専念すべきなの
です。何時までもご利益信仰してたって、そりゃ、修行が進むわけがない。

これに尽きるのですよ。欲得を捨てて悪因縁を解脱し、二ルバーナに到る。
これ以外の現世利益など、オプションのようなものだ。

釈尊だってそういう示唆をされたはずだ。だが、哀しいかな。因縁解脱は説いてない。
ならば、涅槃へ到るということしか残らない。そのために修行をするという選択になる。
そして、それを成就するためには「修行」なのですよ。

修行は成仏法の実践。そして供養は積徳。これは間違いない。
だが、成仏法の実践は供養ではない。修行法なのです。
七科三十七道品をやらねば仏陀にはなれない。解脱できないのです。
それをA宗は教えてない。この事実を判らないといけない。

又、供養は私が申したように架空の如来に供養するのではなく、人々や社会に向けて
供養すべきです。また本当に真の修行をしているサンガや修行者に布施をする。
これが正式な供養です。

仏舎利にお金や食べ物を備えても徳など得られない。
架空の本尊にお金や食べ物を備えても徳など得られない。
正法や成仏法の実践をしてない教団ににお金や食べ物を備えても徳など得られない。
また体を使って奉仕しても徳など得られない。解脱など出来ないのです。
ゲイカの言葉に騙されて動かされているだけです。
貴方の費やした時間や労力、金や物などは全て教団とゲイカの潤いのために使われている。
この現実を知らねば、私達の言っていることは判らないでしょう。

準シュダオンさんが好きで喜んでやられているのなら、止めはしません。

248大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 16:54:49 ID:5oJsHdTo0
>>240 信者特有の言葉が出ましたね。確かにそれは判ります。
ですが、どうして架空の仏や菩薩を拝むのです? 密教の様式を使っているA宗だから、というのでしょう?
また、ゲイカの説明に有るからでしょう?

原始仏教オンリーで無ければいけない、というのは方便ですよ。
先ほど>>247で言ったようにどこまで行っても解脱と涅槃の獲得です。
だが、なぜそこから逸れて諸尊諸仏に行くのか? おかしいと気が付かないのですね。

観音信仰というのは日本人には昔からのなじみの深い信仰ですし、また観音様の姿や顔も優しいことから
好まれ、尚且つ奇蹟が起きることで有名なのでその意識が強いのですね。

いいですか? 釈尊が観音信仰を勧めていますか?
次に、観音様を信仰して因縁解脱できるぞ、と釈尊が言いましたか?
また、それは成仏法ですか? 修行法なのですか?

違いますよね? 判っていて何故に拝むか。それは依存心と奇蹟を望むからですよ。
ジュンテイ観音(如来)様は不思議な力を持っている。因縁解脱専用の仏様だ。
この概念が取れないからでしょう?

確かにジュンテイ尊の位置づけや効能、素晴らしいですよ。
でもね、効果が無いし釈尊が推奨しない事をやってて楽しいのか?と思う。
そもそも因縁解脱という発想が間違っている。

因縁というのは因縁果報、つまり物事の法則ですよ。
何々の因縁、というのは運命の(占い上の)項目、コース名です。
それを最もらしく仏教に結び付けて方便で講釈しているのがA宗です。
しかも、因縁論はA宗が発祥ではない、というのは知ってますよね?
それを知らないのなら、A宗・ゲイカマジックから離脱できませんね。

よくヤクザが因縁つける、という言葉がありますが、それと一緒にしては困ります。
また、釈尊自体が「何々の因縁あり。それを解脱するには成仏法にて供養せよ」といわれたのでしょうか?
有るのなら出してみて欲しいです。

逸れこそ因縁をつけたのはゲイカでしょう? 釈尊の教法をねじまげて改ざんし、方便・嘘で飾って
我々を騙したのはゲイカでしょう?

真言宗でジュンテイ尊を拝もうが、誰それが勝手に拝もうがそれは自由です。
ですが、できもしない・ありもしない因縁論をだしてそれを解脱できると称し、騙している行為は
これは犯罪です。

>そして管長は、密教のルーツが阿含経の37道品であることを発見した。

これは正しいですね。

>つまり、お釈迦様は護摩を焚いたりしなかったが、お釈迦様が説いた
37道品が後世に密教護摩を生んでいたのです。

これは違います。三十七道品が後世に密教護摩を生んでいたのでは無くて、誰かが生み出した・作った
から派生したのです。

>つまり、阿含宗の焚く護摩は、お釈迦さまが生みの親、と言えましょう。

とんでもない。そう思いたいのは判りますが、お釈迦様がお経の中で「護摩を禁止」しているのに
なんで後世に「護摩を焚いてもいいよ」などというのですか。
生みの親というのは釈尊への誹謗に値しますよ。

249大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/19(火) 17:11:15 ID:5oJsHdTo0
長くなっていますのでここらで一旦しますが、私は感応道交は嫌いではないですよ。
否定意見を言っていまさら何を? と思うでしょうが、これは事実です。
まして、数年前までそれを求めていたのですからね。
準シュダオンさんが、釈尊が説いていまいが信じるのはなるほど、と思います。

ですが、私はありもしない・効能があるかどうかわからない道交などはどうか、
というのがあります。

実は公にしてませんでしたが、今身内がガンで本日手術をしています。
もう4度目で、おそらく今年中に亡くなる可能性が高いです。

普通なら特別お手配や至急の解脱供養をするところですが、やりません。
それはもうお分かりのとおり、A宗の欺瞞に気が付いたからです。

むしろ自分は他の方法で何とかなれば、と思っています。ですが、それも過剰に期待しない。

そのほかの方法にしてもやはり感応道交を要するんですよ。
色々な見えない力とのコンタクトですからね。それが出来なければ奇蹟などありえない。

個人的には感応道交でも何でもいいから救われればいいと思う気持ちもあります。
ですが、A宗だけには頼りたくない。なのでやらないのです。

そういうわけで感応道交はOK、といいながらA宗での感応道交は拒否するのがあります。
ですが、準シュダオンさんは個人でそう思うのですから、それはいいかと思いますね。

究極的に救われない様を見て「感応道交でもダメか」という気持ちや立場にならないと
判らないのかもしれませんね。

250準シュダオン:2009/05/19(火) 17:27:18 ID:XESnzsYQ0
仏舎利は釈迦の象徴として拝んでいるのであり、骨そのものが尊いのでは
ありませんよ。釈迦の象徴として本尊にしているのでしょう。
だから、かまわないのです。
あとね、入行事、私には管長いうところの因縁が自覚されていて、その因縁
を切りたかった。だから入行したのです。それまでに手塚治虫の「ブッダ」
という漫画くらいは読んでいたが、あの程度の仏教観なら、私は仏教徒には
ならなかった。私には管長説くところの、因縁切りが必要だったので入行し
たのです。その結果、因縁が薄れた自覚があります。
副管長がガンで亡くなられたのはお気の毒ですが、阿含の如来から、私には
加護があった。私は、自分に起きた体験で評価するのであり、他人に起きた
ことはほんの参考意見にすぎません。

私は、聖なるバイブレーションを受けたら人は、四沙門果を確信するように
なるし、管長の教えを確信(盲信ではない)するようになる、と思います。
そうならないなら、どのような体験も、管長が言うバイブレーションでは
ありません。それは偽物です
私は、思念の相承の体験を、こんなところに書きたくはなかった。
でも、書くのが法恩かも知れないと思いなおして、レスしたのです。
管長の言うことが、私にとっては、事実でしたよ、
と皆さんに知ってほしくてね。

251名無しさん:2009/05/19(火) 17:59:16 ID:XESnzsYQ0
有三教科 国語算数英語、という例えは、善根が幅広い意味を持つに対して
教科は狭い。経典からみて、次のように例えるべきであろう。

1、有三学習 国語算数英語也。という生徒への教え。
2、有三学習 学校に於いて話をよく聞く。
       家庭において話をよく聞く。
       塾において話をよく聞く。
       そうすれば、受験に合格するだろう。

で、2の話をよく聞く、ということは、国語算数英語の話だけに限らない。
話の場所を学校家庭塾に限定したのは、受験に役立つ話が多いであろうから。
遊技場や娯楽嬢での話を聞いても大して役だたない。

だから、功徳の種をうえる、を無貪瞋痴に限定するのはおかしいのである。

252名無しさん:2009/05/19(火) 18:05:35 ID:XESnzsYQ0
アンババリへの釈迦の言葉は、俗的な福の意味だ、との意見を今読んだ。

そのように限定するのはおかしいですよ。福には涅槃に至る福もあれば、
世間的な福もある。アンババリは、釈迦の話を聞いたその場で、法眼を得て
浄信を得て、不堕悪道を得た、のです。これは俗的な福ではありません。
涅槃界に至る福です。

253名無しさん:2009/05/19(火) 18:18:36 ID:XESnzsYQ0
「痴」という文字のレスについては、チラリと見てすぐレスしました。
文字について議論してるな、と早合点したわけです。
そんなの、無駄とは言わないが、本質的ではない。
それと、擁護派とか批判派にたつのもあまりよくない。ディベート式の発想
ではよくない。批判のための批判が出てくるし、擁護のための擁護論が出て
来ると思うから。

梵行とは、自分を清め、高める修行のことだ、と管長は話してます。

護摩木勧進を仕事にしてはいけません。自分を清め高める手段に利用する
のです。身供養も、財供養も同じこと、仕事にしてはいけません、自分を
清め高める手段として利用するのです。
これを忘れたら、手段が目的化して、本末転倒になってしまう。
批判派は、それに陥ったのではないでしょうか。

254準シュダオン:2009/05/19(火) 18:21:54 ID:XESnzsYQ0
何でだろ?ひとりでにハンドルが消えてました。
先ほどのは私のレスです。

255名無しさん:2009/05/19(火) 18:29:55 ID:g4UmjtUc0
>>251
例え話しを前提に論じられても困ります。
また「善根が幅広い意味を持つ」といっても、善根には
1.三善根、2.善行の意味しかありません。

また「三善根」といえば、三毒を無くすこと。すなわち「無貪、無瞋、無癡」
になります。

仮に「善根」を「善行」としても

1.釈尊が終生言ったことは「無貪、無瞋、無癡」を実践し涅槃に至ること
なので、三善根は、無貪、無瞋、無癡の意味になる。
2.この経典が阿難に語っているので出家者に説いているので、在家向けの
善因善果の教えとは考えにくい
3.阿含宗が説く「供養」の意味にはなりえないこと

以上の3つからも、この経典の三千根は「無貪、無瞋、無癡」であることが
推測すらできてしまいます。

256準シュダオン:2009/05/19(火) 18:34:17 ID:XESnzsYQ0
釈迦が観音信仰を説いていないからといって、管長が準テイ観音を捨てられ
るわけがないでしょう。観音さまは、命の恩人ですよ。

釈迦の説いた37道品が密教を産んだのです。
だから、密教護摩は、お釈迦さまにも責任がありますよ。

いくら釈迦が絶対とはいえ、今の日本に釈迦時代の修行がそのまま成り立つ
とは思えない。仮に本物の釈迦が日本に登場して、弟子を沢山引き連れて、
遊行したとて、釈迦だと気づく人がいるでしょうか?
ホームレスの親分だと勘違いされて、公園の派遣村に連れて行かれるのが
オチではないでしょうか。

257準シュダオン:2009/05/19(火) 18:53:45 ID:XESnzsYQ0
あのですね、無貪瞋痴の実践といってもですね、無痴なり無愚を念じていても
無痴はなくならない、でしょう?
無貪瞋痴は、修行法ではなくて、修行の結果得られる果実なのですよ。
「功徳の種をうえる」は修行法です。
功徳の種をうえて、無貪瞋痴というような涅槃界を得なさい、ということ
ですね。

無痴を実践せよ、と言われたって、どうしたらよいか、わからない。
そのためには、仏教を学んで釈迦の教法を理解していくしかありません。
それで、如来の所で功徳の種をうえると、釈迦の教法が理解できるように
なるよ(修行が進む)、ということでしょう。

ですから、三供養品の三善根は、無貪瞋痴だけに拘る必要はありません。
管長の解説が正しいと思います。

258深山:2009/05/19(火) 21:47:37 ID:VUIszSSk0
>>241 :準シュダオン:2009/05/19(火) 12:45:36 ID:XESnzsYQ0
>あれ以来、なんの変化もないし、仕事も普通にこなしてるから、脳梗塞では
>ありませんね。京都の新しきサエトマエトから発せられた、聖なるバイブ
>レーションであったと確信しますね。

居間でオシッコはやめましょう。
あなたが受けたのが白銀バイブであるかどうか、
あなたが準シュダオンであるかどうかはここの議論のテーマではない。
なぜなら、桐山さんはどちらも認めていないからです。
桐山さんは時間外に無料でデンパを発射することはありません。
ですから、あなたが受けたものは、すくなくとも桐山さんのいう
王者の相承ではありません。
ここはアゴン宗と桐山さんの説を議論する場であって、
子孫教を議論するスレではない。

259深山:2009/05/19(火) 21:48:48 ID:VUIszSSk0
>>241 :準シュダオン:2009/05/19(火) 12:45:36 ID:XESnzsYQ0
>ですから私は、お釈迦様が説いていようがいまいが、感応道交を信じますね。

釈尊は感応道交なんて説いていないし、
桐山さんもあなたの感応道交による預流向を認めていない。
つまり、あなたの感応道交は、仏教でもなければ、
アゴン宗でもありません。
スレ違いですので、お引き取りください。

260深山:2009/05/19(火) 21:53:48 ID:VUIszSSk0
>>241 :準シュダオン:2009/05/19(火) 12:45:36 ID:XESnzsYQ0
>あれ以来、なんの変化もないし、仕事も普通にこなしてるから、脳梗塞では
>ありませんね。京都の新しきサエトマエトから発せられた、聖なるバイブ
>レーションであったと確信しますね。

変化がないのは預流向でない何よりの証拠です。
シュダオンに近づいたら、自分と桐山さんの煩悩だらけの姿に
嫌悪しないはずはない。
だが、あなたはむしろ桐山さんの欲望と執着の臭いが大好きです。
あなたは、自分をエラク大きく見せて、他人に尊敬を受けたいという
桐山さんと似たタイプだから共鳴して、コバンザメをしているだけです。
桐山さんが認めていないのだから、アゴン宗の預流向ではないし、
煩悩が大好きな預流向なんて仏教にはありませんから、
もちろん仏教の預流向であるはずがない。

261深山:2009/05/19(火) 21:58:23 ID:VUIszSSk0
>>241 :準シュダオン:2009/05/19(火) 12:45:36 ID:XESnzsYQ0
>それの百分の一くらいの衝撃で、脳の中枢部に、電波というか霊波というか
>ビィーンと、震動を受けるのです。

それは脳梗塞の患者の体験談によく出てくる症状です。
あなたは読んだことがありませんね。
私が医者に行くように勧めたのは、明らかな脳梗塞とわかっているのに、
何も書かないのは道義に反すると思うから助言をしただけです。
社会人としての義務を果たしただです。
あなたの傲慢な性格と知性からして、助言を受け入れるはずがない。
だが、一つだけ覚えておいて欲しい。
あなたみたいに助言されても診察も受けず、後で本格的な脳梗塞を発症してから、
治療を受けた場合、初期に治療を受けた場合の何十倍という医療費がかかり、
その経費は全部国民の負担となることを記憶しておいてください。

262深山:2009/05/19(火) 22:00:40 ID:VUIszSSk0
>>250 :準シュダオン:2009/05/19(火) 17:27:18 ID:XESnzsYQ0
>私は、思念の相承の体験を、こんなところに書きたくはなかった。

おや、意見が一致しましたね。
誰も頼んでいませんから、二度と書かないでください。
アゴン宗の教義からいってもあなたが預流向などではない。
アゴン宗側もあなたの勝手な書き込みを迷惑しています。
桐山さんが認定しない限り、預流向、預流などを勝手に名乗るのは
アゴン宗では禁止です。
あなたも社会人なら、こういう普通のマナーは心得たらどうか。
あなたを見ていると、パーティーで乾杯を始める前に、勝手に栓を開けて飲み始め、
「これはボルドーの・・」などとワインの講釈を垂れて、周囲があきれ顔を
しているのに、自分の講釈に感心していると思いこんでいる人みたいです。

263深山:2009/05/19(火) 22:02:31 ID:VUIszSSk0
>>239 :準シュダオン:2009/05/19(火) 09:55:33 ID:XESnzsYQ0
>お金を得てもそれが苦の種泣きの種になるのですから、信徒は
>御利益信仰を脇において、なるべく早く、悪因を切る修行に専念すべきなの
>です。何時までもご利益信仰してたって、そりゃ、修行が進むわけがない。

これを批判側に説教していないで、桐山さんに説教したらどうか。
「ゲイカ、金集め、人集め、勲章集めをいくらしても、
因縁を切らないから、ほら、脳梗塞になり、密教食事件でも有罪です。
因縁を切らないで、何時までもご利益信仰してたって、そりゃ、
修行が進むわけがない。」
桐山さんのどこが因縁を切ったのだ?
現実の桐山さんの体たらくを見て、よく準シュダオンさんは上記のような
桐山節のお説教ができるものだとあきれる。
あなたも世の中を悪因縁でしか見られない。
因縁しだいで幸不幸が決まるなんて、何を現実離れした話をしているのだ?
その因縁とやらを霊視したという桐山さん本人が因縁を外し、
因縁切りに失敗しているのですよ。

264深山:2009/05/19(火) 22:05:28 ID:VUIszSSk0
>>239 :準シュダオン:2009/05/19(火) 09:55:33 ID:XESnzsYQ0
>です。何時までもご利益信仰してたって、そりゃ、修行が進むわけがない。

因縁切りが御利益信仰だということすらあなたは気が付いていない。
私も信者時代、これに気が付くのにずいぶん時間がかかった。
前世からの悪業の結果である悪因縁を、金を出して、ナモナモと拝んで、
それで帳消しにしてもらいたいなんて、身勝手でご都合な信仰が
御利益信仰でなくてなに?
信者さんたちもよく考えてみたほうがいい。
因縁切りを仏道修行であると信じているから、
ただの御利益信仰であることに気が付いていない信者は多い。
悪い運命を避けて、好運を得たいというは御利益そのものです。
信者さんたちは、法華経系の御利益を売り物にする宗教を軽蔑していますよね?
桐山さんがそう言っているし、信者時代、私もそう思っていた。
だが、アゴン宗は因縁解脱とか福徳宝生なんていうから、
何かご立派な仏道のように錯覚させられているが、中身は同じです。
彼らは御利益をストレートに出しているが、アゴン宗は桐山さんが
巧みな言葉を使い、修行のように見かけているだけです。
釈尊は、運命を変えたいという欲望を減らし、
なくすようにしなさいと説いたのです。
それが漏尽解脱(煩悩解脱)です。
運命転換の御利益を願う因縁解脱と、それをなくせという漏尽解脱では
正反対の教法です。

265深山:2009/05/19(火) 22:08:22 ID:VUIszSSk0
>>239 :準シュダオン:2009/05/19(火) 09:55:33 ID:XESnzsYQ0
>ですから、管長の教えをゴミにしているのは、信者側
>なのです。

信者の皆さん、準シュダオン様からのお叱りですよ。
せっかくのゲイカの教えをゴミにしているのはあなた方だそうです。
こんなご立派なお説教をしている準シュダオン様が
では、どのような修行をされているかというと、
例祭も出ないし、供養もボン行もしないばかりか、ちゃっかりと
無料で勝手にデンパを受信したと称して預流向を名乗っている。
その面の皮の厚さのすごさに信者さんたちも負けますよね。
だが、信者さんたちに見てほしいのは、準シュダオンさんの姑息なくせに
お説教を垂れて威張りたがる面ではありません。
彼が、桐山さんを擁護するためになら、仲間である信者すらも悪者にしている点です。

266深山:2009/05/19(火) 22:11:29 ID:VUIszSSk0
>>239 :準シュダオン:2009/05/19(火) 09:55:33 ID:XESnzsYQ0
>ですから、管長の教えをゴミにしているのは、信者側
>なのです。

桐山さんを擁護するためなら、仲間である信者すらも足蹴にしている。
桐山さんが悪いのではなく、信者たちが悪いのだと言っているのです。
これは新興宗教、特にカルト系の宗教の信者にはよくみられる「症状」です。
学者たちはこれを「過剰な教祖の弁護」と言っている。
教祖の言動がおかしく矛盾を見つけても、それは教祖がおかしいのではなく、
自分がおかしいと自虐的なまでに教祖を擁護する。
たとえば、信者さんたちも、桐山さんやアゴン宗の矛盾を言っても、
先達などから「それはあなたの因縁でものを見ているからです」と
言われたことがありませんか。
赤い因縁の色メガネで見るから、ゲイカが赤く見えるのであって、
ゲイカそのものが赤いのではないという意味です。
なにせその因縁とやらは桐山さんの手の内にあり、誰も確認できないのだから、
そう言われると、何も言えなくなる。
洗脳の「症状」が進むと、先達から言われなくても、
「ゲイカが名誉欲の餓鬼のように見えるのは自分の因縁が悪いからだ」と
自分で思い込み、また他人にもそのように言うようになります。
身に覚えがありませんか。
上記の準シュダオンさんがまさにそれをしている。
信者さんたちは準シュダオンさんの姿を我が身を見る鏡にしてください。

267深山:2009/05/19(火) 22:15:08 ID:VUIszSSk0
>>240 :準シュダオン:2009/05/19(火) 12:16:24 ID:XESnzsYQ0
>そして管長は、密教のルーツが阿含経の37道品であることを発見した。
>つまり、お釈迦様は護摩を焚いたりしなかったが、お釈迦様が説いた
>37道品が後世に密教護摩を生んでいたのです。
>つまり、阿含宗の焚く護摩は、お釈迦さまが生みの親、と言えましょう。
>>256 :準シュダオン:2009/05/19(火) 18:34:17 ID:XESnzsYQ0
>釈迦の説いた37道品が密教を産んだのです。
>だから、密教護摩は、お釈迦さまにも責任がありますよ。

「そしてマスコミは、オウムのルーツがアゴン宗であることを発見した。
つまり、オウムのサリン事件は、桐山ゲイカが生みの親、と言えましょう。」
あなたの屁理屈を使うとこんなふうになってしまう。
あなたが認めるならかまわないが、
私は桐山さんがサリン事件の生みの親だとは思わない。
釈尊は護摩を明瞭に禁止した。
三十七道品の中には護摩なんてありません。
それを何百年も後の密教が、護摩を取り入れたからといって、
釈尊が護摩の生みの親って、なんですか。
準シュダオンさんの文章を読んでいて、強く感じるのは、
あなたは釈尊への信仰心がとても薄い。
ないとはいわないが、とても希薄ですね。
なぜなら、桐山さんを擁護するためなら、釈尊を小馬鹿にしたような
発言をすることにためらいがない。
桐山さんですら、釈尊が護摩の生みの親だなんて、
こんな釈尊を罵るようなことは書いていない。
桐山さんはただ密教から取り入れたと言っているだけです。
それから、「管長は、密教のルーツが阿含経の37道品であることを発見した」
なんて、桐山本しか読んだことのないあなたの無知です。
そんなことは他の学者たちも指摘している普通の内容です。

268深山:2009/05/19(火) 22:16:35 ID:VUIszSSk0
>>250 :準シュダオン:2009/05/19(火) 17:27:18 ID:XESnzsYQ0
>仏舎利は釈迦の象徴として拝んでいるのであり、骨そのものが尊いのでは
>ありませんよ。釈迦の象徴として本尊にしているのでしょう。
>だから、かまわないのです。

あなたがかまわなくても、桐山さんもアゴン宗もかまうのです。
アゴン宗では骨そのものが尊いのです。

「すなわち、真正仏舎利こそが、唯一の、仏陀の聖物なのである。だから、
仏教教団であるからには、「本尊」として、真正仏舎利をおまつりし、こ
れを尊崇するのがほんとうなのである。これこそが、「真実の仏」なのだ。」
(「修行者座右宝鑑」99頁)

仏舎利が本物の釈迦の遺骨だからこそ尊いのだ、だから奇蹟がおきるのだと
桐山さんは繰り返し書いている。
無知と勝手な独り言を書く前に、『修行者座右宝鑑』くらい読んだらどうか。

269深山:2009/05/19(火) 22:23:01 ID:VUIszSSk0
>>253 :名無しさん:2009/05/19(火) 18:18:36 ID:XESnzsYQ0
>それと、擁護派とか批判派にたつのもあまりよくない。

自分が擁護側に立ちながら、何を言っているのだ?
あなたの頭では自分こそが客観的で正しいという自惚れがあるから、
こういうピント外れなお説教が始まるのです。
あなたの「痴」を擁護してくれたのは批判側の樹意さんですよ。
いかに批判側が冷静に客観的に正しいことは正しいと認め、
間違いは間違いと認めているかを示す例です。
それに比べたら、擁護側のザマはなんですか。
あなたは批判内容もろくに読まずに、同じ主張をただただ繰り返すだけで、
どんなに矛盾を指摘され、反論に詰まっても、何一つ自分の間違いを認めない。
>>268のようにしばしば批判側からアゴン宗の教義を教えられる有様です。
もっとも、桐山さんの顔に泥を塗りまくっているのだから、
あなたは擁護側とはいえないのかもしれない。

270名無しさん:2009/05/19(火) 22:28:19 ID:z5UDslLcO
深山さんは何がいいたいの?
否定は簡単です。
否定するかわりに
どうすればいいかいえるのか?

271深山:2009/05/19(火) 22:28:27 ID:VUIszSSk0
>>253 :名無しさん:2009/05/19(火) 18:18:36 ID:XESnzsYQ0
>「痴」という文字のレスについては、チラリと見てすぐレスしました。

それがいなけないのです。
あなたが批判側の反論など、チラリと見るだけで、ろくに読みもせず、
内容など無視して反論しているのはよくわかる。
だが、それはとても相手に失礼なことだとどうして思わないのだ?
あなたが十代の生意気盛りなら、その態度も容認されるでしょう。
だが、分別盛りをはるかに過ぎた年齢で、他人に模範を示すべきなのに、
相手の反論などろくに読みもせずに、しかも、自分の書き込みを
なんで読まないのだと言うのは、いくらなんでも厚かましくないか。
でも、この文章すらあなたは読まないのでしょうね。
ま、気にしなくてもいいですよ。
あなたはネタを振ってくれているだけで、私はあなたに反論しているつもりはない。
だから、ザが終わった時、2ちゃんねるに来てくれるように誘ったのです。
沈黙の信者のために信者代表のあなたの意見がいかに成り立たないかを
述べて、桐山アゴン宗の嘘を示すのが私の目的です。
同じ事をあなたがクドクドと書いてくれれば、こちらが
何度も同じ内容で反論するから、読者も自然に記憶に残ります。
あなたのチラリも、信者のためには意義がある。

272深山:2009/05/19(火) 22:30:33 ID:VUIszSSk0
>>242 :準シュダオン:2009/05/19(火) 12:58:36 ID:XESnzsYQ0
>だから、「於如来所 功徳の種をうえる」具体的行為の一つに、布施供養も
>含めて考えます。
>善根とは、果実を実らす樹木の根に例えた言葉でしょう。
>無貪瞋痴は果実です。
>それは修行の結果、得られるところの目的なり目標です。
>それを得られる種をうえなさい、

また、準シュダオンさんのゴマカシが始まった。
これまでの議論を完全無視です。
三供養品には供養なんて言葉も概念もないと何度指摘されても、あなたは絶対に折れない。
すさまじい頑迷さです。
この一ヶ月以上、あなたは三供養品について様々に主張し、
遊行経を根拠として示すなどしたが、何か一つでもその主張が通用したことがあったか。
主張すれば正面からは批判側に反撃され、背後の桐山説と矛盾した。
あなたの頭には反論など記憶にないから気にならないのでしょうね。
いかに現実などどうでもよく、ただ自分が信じたいように屁理屈を並べて、
信じているだけなのがよくわかる。
結論はとても簡単です。
三供養品に限らず、釈尊は供養によってシュダオンになれるなどは説いていない。
供養と解脱とはまったく別物です。

273深山:2009/05/19(火) 22:33:00 ID:VUIszSSk0
>>251 :名無しさん:2009/05/19(火) 17:59:16 ID:XESnzsYQ0
>有三教科 国語算数英語、という例えは、善根が幅広い意味を持つに対して
>教科は狭い。経典からみて、次のように例えるべきであろう。

これも何度目だろう。
善根にはいろいろな意味があるなど当たり前です。
だが、釈尊が三供養品で説いているのは「三善根」です。
釈尊が善根の中のどれでもいいから三つをしなさいと言っているのではありません。
窮め尽くすことができないほどの福、つまり解脱を得なさいと言っているのです。
解脱とは、無貪・無瞋・無知です。
だから、三善根には無貪・無瞋・無知以外の意味などありません。

274深山:2009/05/19(火) 22:36:03 ID:VUIszSSk0
>>252 :名無しさん:2009/05/19(火) 18:05:35 ID:XESnzsYQ0
>世間的な福もある。アンババリは、釈迦の話を聞いたその場で、法眼を得て
>浄信を得て、不堕悪道を得た、のです。これは俗的な福ではありません。
>涅槃界に至る福です。

これもすでに何度も反論した。
あなたの頭って、同じところをグルグル回っているだけなのですね。
あなたは「供養→アンパパリの法眼(=シュダオン)」と勝手に仮定している。
いったい経典のどこにそんなことが書いてあるのですか。
供養したからではなく、釈尊の教法を聞いて理解したから法眼を得たのです。
仏教が知恵の宗教と呼ばれるのは、知性による理解を重んじているからです。
釈尊は教法をまず普通の知性で理解することを求めた。
「供養するだけで法眼が得られるなら、あなたが引用した遊行経の
バラモンはどうして法眼を得なかったのか。彼は供養して、
釈尊から果報を説かれたのに帰依すらしなかったではないか」と
私から質問されたことなどきれいに忘れているのですね。
供養で法眼が得られるなら、供養した人たちはみんな帰依して、
シュダオンになれたはずです。
なにせ、全身舎利の如来に供養するのだから、
アゴン宗みたいに偽舎利が7つなんてケチ臭い話ではない。
だが、阿含経には、釈尊の教法を聞いて法眼が得た人はたくさん出てくるが、
供養の功徳でシュダオンになったなんて話は、アンバパーリーを含めて皆無です。

275名無しさん:2009/05/19(火) 22:36:37 ID:7yZK1g.U0
159から逃げ出した深山

自分からやめたと思っているだけで仏様から追い出された深山

惨めな深山

一生2ちゃんかきこの牢獄に投獄されていると知らずに統一教会に利用された
惨めな深山

自分は正義の見方のつもりでも見るものが見たら惨めな、つまらない一生
をすごす深山

残念な一生です。

はいヒステリー反論どうぞ〜

276深山:2009/05/19(火) 22:38:16 ID:VUIszSSk0
>>257 :準シュダオン:2009/05/19(火) 18:53:45 ID:XESnzsYQ0
>あのですね、無貪瞋痴の実践といってもですね、無痴なり無愚を念じていても
>無痴はなくならない、でしょう?

あなたは修行法でないというが、無貪・無瞋・無癡と具体的な
内容を示しているのをどうして無視しているのだ?
あなたは修行法が、桐山さんの言うような何か特殊なものだと思っている。
修行法とは、貪をなくすこと、瞋をなくすこと、癡をなくすことです。
なくせばいいではないか。
国語という言葉そのものが勉強法でなくても、国語と言われただけで、
生徒たちは何を勉強するか知っている。
国語を勉強するのです。
無癡と言われたら、無癡を実践するのが修行です。
無癡の初歩の実践は教えてもらわないとできないことではありません。
釈尊の教法を因縁解脱だなどとアホウなこというのは癡です。
だから、これを捨てて、漏尽解脱こそが釈尊の教法と理解するのが無癡です。
焚き火や供養で解脱するなんて外道の教えが癡で、
自分の煩悩をなくすことが解脱なのだと理解することが無癡です。
念じる必要もなければ、焚き火もいらないし、般若心経瞑想もいらない。
無癡を修行法ではないなどというのが癡であり、
無癡こそが釈尊の説いた教法であると理解し実践するのが無癡です。

277深山:2009/05/19(火) 22:43:56 ID:VUIszSSk0
>>256 :準シュダオン:2009/05/19(火) 18:34:17 ID:XESnzsYQ0
>遊行したとて、釈迦だと気づく人がいるでしょうか?
>ホームレスの親分だと勘違いされて、公園の派遣村に連れて行かれるのが
>オチではないでしょうか。

どこまで釈尊を小馬鹿にすれば済むのだろう。
ほんとうに準シュダオンさんて桐山教という外道の信者なのですね。
釈尊が時代なんて関係ないことにすら気が付かない。
釈尊の時代にもあなたのように外見で罵りを投げる者がいた。
「そこの坊主!そこにおれ!賤しい奴、それにおれ」と釈尊を
罵ったのは護摩を焚くバラモンだった。
現代では、桐山教という護摩を焚く外道の信者が
釈尊をホームレスの親分と罵る。
あなたは桐山さんが聖者に見えるのだから、釈尊を見ても、
ただのホームレスにしか見えないのはやってみなくてもわかる。
だが、世の中の人は、みんながみんな、あなたや>>275さんのような節穴でありません。
きちんと根拠を示されて説かれれば、理解する人が
いつの時代にも少数だがいるのです。
あなたや>>275さんが準シュダオンやアナゴンを名乗りたいだけの
癡を鼻先にぶらさげた愚か者だからといって、みんながそうだと思うのは間違いですよ。

278深山:2009/05/19(火) 22:54:29 ID:VUIszSSk0
>>270 :名無しさん:2009/05/19(火) 22:28:19 ID:z5UDslLcO
>深山さんは何がいいたいの?

これだけ説明されてもまだわかりませんか。
桐山さんは嘘つきの宗教詐欺師であり、アゴン宗は霊感商法を
する外道のカルト宗教だと言っているのです。
他に私は何かいいましたっけ?

279深山:2009/05/19(火) 22:58:12 ID:VUIszSSk0
>>270 :名無しさん:2009/05/19(火) 22:28:19 ID:z5UDslLcO
>否定は簡単です。
>否定するかわりに
>どうすればいいかいえるのか?

時々、信者がこれを書く。
アゴン宗を否定するなら、代わりの道を示せということらしい。
よく恥ずかしくもなく、これを書くものだと、読んでいて顔が赤らむ。
そうやって他人を頼るから、桐山さんに騙されたということが
まだわからないようだ。
そんなに信仰をしたければ、一冊千円もせずに阿含経が売られている。
阿含経こそが釈尊直説の経典だという桐山さんの説明だけは正しい。
くだらない桐山本や木切れを買うなら、これらの本を読んでみるといい。
釈尊という仏教の開祖自らがわかりやすい日本語で
何を「どうすればいいか」あなたに直々に教えてくれる。
釈尊自らが教えているのに、私がどうしてそれを
わざわざあなたに言わなければならないのだ?
こんなピント外れな質問をしたことをあなたに恥じる心が残っていればいいが。

280名無しさん:2009/05/19(火) 23:44:45 ID:HeXCfjkY0
>>275
深山さんにきちんと反論できないから、そうやって
ごちゃごちゃ書いてるのがバレバレですね。
仏様から見放されているのは貴方です。

281名無しさん:2009/05/20(水) 02:29:25 ID:uLU.XtoA0
>>244 神秘より確実に自分が現実の世界で重要な物事に気づくものを悟るほうが有効ですよ。
むしろ釈尊はその方向を示唆しています。A宗は真逆ですね。
 
 良い所に気づかれた。

>>250 私は、聖なるバイブレーションを受けたら人は、四沙門果を確信するように
なるし、管長の教えを確信(盲信ではない)するようになる、と思います。

それはテレパシーの一種で、それ以上でもそれ以下でもありません。盲信ではないと
言いつつ、様々な矛盾には判断力が働かず、管長、管長と言っているではないですか。
それを日本語で盲信というのです。他の言い方をすると催眠術にかかっているとも言います。
(あえて、マインドコントロールという言葉は使いません。あなたは自分の自主的な意思で
信者になっていると思っているが)

ひとつ言えることは、自主的な意思でA宗及び管長の言うことが絶対正しいと思い込んでいる
人は、そうではない人の意見を客観的に判断できる思考能力が停止しています。それは
死ぬまで変わらないかもしれない。(私にして見ればそんなことどうでもいいことなのだが)

反対意見を聞けばきくほど、反発心が起こり「お前ら、何もわかっちゃいない」となっている
でしょ。まあ、最後まで自分の信じる道を行くことです。それがあなたの因縁なのですから。
因縁解脱で入ったのにね。では。

282名無しさん:2009/05/20(水) 08:20:06 ID:4UMfHM5k0
天身栗花がいないから読みやすくて快適ですね!
感謝です。

283ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/20(水) 08:53:03 ID:SmEF4Oe2O
2日間レスをしませんでした。
焦ることなくじっくり時間のある時に取り組めばよいが、今も少し書いていたら
投稿内容を途中で消してしまっていた。
一つだけ問いましょうか。
準シュダオンさんは感応道交などと示すが、仏との感応道交で涅槃界に至れるならば
どうして釈尊はこれを否定するのか?
桐山さんはたしかに感応道交を説きます。
要は行動実践であれ、仏に真心でもってみささげをして、仏をして感動せしむる時、
仏もまたこの供養者(供養とは財物のみならず行動実践を含み、寧ろそちらが
メインと言えるが)に対して解脱と宝生の功徳を与えるというもので、桐山三福道の
根拠となっている。
しかし釈尊は別の経典でこれを完全に否定しています。
あなた方が日常勤行として読み上げる応説経です。アゴン宗の2大聖典です。
そこには私釈尊に漏尽解脱を求めてもそれはできないと説いている。
どうして真心をこめて供養を捧げよと説かないのか?
釈尊の生きている間のことです。
テレパシーも必要なく目の前で誠意を示せばよい。
俺はテレパシーの感応道交しか受け付けんぞなんて言わない。
あるいはどうしてテレパシーであれなんであれ、この俺に感応道交すれば涅槃界に
至れ、漏尽解脱も可能なのだと説かない?
矛盾であり二枚舌ではないか?
だから感応道交なんて出したって、この矛盾を解くの回答になっていないのです。

284準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0
深山さんは、もう少し、落ちついて考えるべきですよ。
思い込みが激しすぎます。真理に気付くと、今度はあなたの今のレスが自分で
恥ずかしくなりますよ。

アンババリは釈迦のお話を聞いて、法眼を得て、浄心を得て、不堕悪趣を得た
のです。これは俗的な福を得たというよりは、涅槃界に至る福と考えるべき
なのです。経典には、アンババリガシュダオンを得た、と記されていない?
あのですね、「三結を断じて、シュダオンを得て、悪趣に堕せず」と、省略
せずに経典に記されていることもあります。が、これはセットですよ。
三結断じ=シュダオンを得る=悪趣に堕せず、はセットでしょう。

経典に「シュダオンを得た」と記されているだけで、あとは省略されていても
三結断じていることも、悪趣に堕せずも、わかるのです。
供養だけで涅槃界に至るといえども、誰でも至れるわけではありません。
心掛け次第では、掃除だけでも、涅槃界へ至れるのです。

無貪や無痴を心がけることは必要でしょうが、それを心がけているだけで
は涅槃界へ至れないでしょう。それで至れるなら他の修行法はいらないです。
無貪瞋痴は果実です。だから「功徳を種える」の内容は、無貪瞋痴そのもの
ではないですね。無貪瞋痴を得られるような種を、方便を求めてその種を
探してうえなさい、ということでしょうね。

285準シュダオン:2009/05/20(水) 17:43:31 ID:XESnzsYQ0
応説経の「私に解脱を願っても彼の比丘は成仏できない」というのは、仏の
慈悲にすがって成仏する、と説いた大乗仏教の僧侶のことだと思いますね。
慈悲にすがるだけではいけません。また、供養だけでも、涅槃界へは行け
ないのでしょう。供養と併せて、37道品の初歩だけでも修行する必要が
あると思います。管長は「功徳を種える」の内容を、修行と供養の二種類
に、分類し、両方同時にしなさい、と指導しています。

お釈迦様は、自分や優れた比丘に対しての供養は勧めていると思いますね。
釈迦が感応道交を説いていない、からといって、それがないということには
ならないでしょう。お釈迦様は離れた場所から弟子たちの議論をお知りに
なって、素知らぬ顔で弟子たちの所に来て、その議論のことを話題にしたり
しました。他心通ですね。釈迦のアンテナは完成されましたので、そのアン
テナで弟子たちの心がわかります。が、出来の悪い弟子たちのアンテナは錆
ついていて、他心通などできません。

管長は、信者の信仰心(感)に、仏が応えてくださる、と説いています。
私も、一心に礼拝を続けていけば、信徒のアンテナが磨かれて、やがて仏の
電波をキャッチできる、と思いますね。

286準シュダオン:2009/05/20(水) 18:20:53 ID:XESnzsYQ0
思念の相承も、聖なるバイブレーションも存在します。桐山論を肯定する
ために、私の体験を記しているのです。法恩謝徳の一つとしてね。

深山さんね、自分が体験しないから、それはない、と思うのは軽薄ですよ。
私も二十代の頃は唯物論者でしたからね、霊体験など話す友人に、脳の病気
に過ぎない、と一笑したものです。今の深山さんみたいにね。

バイブレーションを受けてから、四沙門果の存在を確信できました。
新皮質脳でいくら考えても無駄です。それは理解できません。
聖なるバイブレーションは、管長の思念そのものでは、ないと思います。
それにしては、衝撃が強すぎます。
ちょうど、マイクを通すと大声になるように、そのように管長の思念が仏界
で増幅されて、発震された感じです。

私は、管長の娘婿さんの事実関係を知りません。
だからそれについて、コメントはできません。

287樹意:2009/05/20(水) 22:52:35 ID:TmDDmEbA0
>>284 :準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0

>無貪や無痴を心がけることは必要でしょうが、それを心がけているだけで
>は涅槃界へ至れないでしょう。それで至れるなら他の修行法はいらないです。
>無貪瞋痴は果実です。だから「功徳を種える」の内容は、無貪瞋痴そのもの
>ではないですね。無貪瞋痴を得られるような種を、方便を求めてその種を
>探してうえなさい、ということでしょうね。

増谷文雄氏訳 南伝相応部 45,6、一比丘
「大徳よ、梵行、梵行と仰せられますが、大徳よ、なにを梵行というのでありましょうか。また
いかなるを梵行の究極となすのでありましょうか」
「比丘よ、この聖なる八支の道が、とももなおさず、梵行である。−略ー
 そして、比丘よ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅が、この梵行の究極とするところである。」

一比丘2
「大徳よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、大徳よ、いったい、貪欲の
調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、なにを指していう言葉でありましょうか」
「比丘よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。
 これをもって、もろもろの煩悩の滅尽を説くのである」
 −略ー
 「比丘よ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅。これを名づけて不死というのである。そして、
 かの聖なる八支の道こそが、不死に至る道である。ー略ー」

相応部経典 45、19 鶏林精舎
ー略ー
「友よ、それは、まさに、かの聖なる八支の道である。すなわちー略ー
 そして、友よ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅をこそ梵行の究極とするのである。」

相応部経典 45、56、 善友『2』
「−略ー また、貪欲の調伏を究極の目標となし、瞋恚の調伏を究極の目標となし、
 愚痴の調伏を究極の目標となす正定を習い修めるのである。
 比丘たちよ、そのようにして、善き友をもてる比丘においては、聖なる八支の道を習い修め、
 さらに、いくたびとなく八支の道を修するのである」

 善友『3』   −略ー  w w  
 
 相応部経典 45、102 、「海」 ー略ー  w w w

相応部経典 38、3 法語者
「さらば友よ、その貪欲、瞋恚、愚痴の捨て去る道があるであろうか。そこにいたる道があるであろうか」
 −略ー
 「友よ、かの聖なる八支の道こそが、この貪欲、瞋恚、愚痴を捨て去る道である。−略ー」

相応部経典 38、2、 阿羅漢果
「友よ、およそ貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して阿羅漢果というのである」
 −略ー
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、その阿羅漢果を実現する道である。−略ー」

288ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/20(水) 23:09:36 ID:SmEF4Oe2O
>>285
勝手なこと書いてはいけません。
雑阿含経応説経と編集される教えを釈尊が説いた時代に大乗仏教なんてありません。
釈尊は慈悲の心を持ったお方ですが、慈悲で人を救うなんて説いてませんし、
そんな教えを説く大乗仏教もまだ台頭していないのです。
釈尊はあくまでも三十七道品の修道をしないと漏尽解脱できないと断言しているのです。
供養による感応道交で涅槃界に往けることを真っ向から否定している。
あなたが言うような三福道には三十七道品もちょっぴり入っているなんて桐山さんは
説いていない。そんな解釈をしていないのです。
あなたはもう一度「末世成仏本尊経講義」を読んでみなさい。
桐山さんはこの三供養品の2番目に出てくる三善根経典を三福道に読み替えて
最初不審に思ったのだそうだ。
どうして応説経で三十七道品の修行をしないと解脱を得られないと説く釈尊が
こんな三宝供養だけで涅槃界を得るなどと安直なことを説くのか?
これはおそらく後世の大乗が混入したものだろうと思っていたのだそうだ。
三福道こそ大乗の混入と疑っていたのだという。
しかしその考えを改めるわけだが、その理由は三福道にも三十七道品が混ざっている
からなんて根拠のない空想ではない。
著書に書いてあるから読み直してごらんなさい。持っていたら。

それから釈尊が他心通を示したエピソードは出典をきちんと示してください。
疑っているのではない。釈尊は他心通の通力も持っているのだ。
しかしそれは人の心が読めるだけだ。
だから弟子たちの議論を遠く離れた場所で感知、受信したとて、それが何の役に立った?
他心通なんてあったところで解脱の役にも立たないばかりか人助けもできない。
「受信」するだけだからです。
相手は何も変わらないし、影響を与えない。与えたい時は口を酸っぱくして言葉で
教えを伝えるのみ。
ところが桐山さんのいう思念の相承とは他心通とは異なり、発信して相手に影響を
与える。相手にわからせる。相手を変えてしまう。
こんな力は釈尊にもない。

289ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/21(木) 08:36:09 ID:SmEF4Oe2O
話を遡りましょう。
準シュダオンさんが般若心経瞑想法など出しました。
経緯はこうです。
三善根の話を進めていた。三善根が無貪・無しん・無癡ならばそれは到達すべき
境地であり、修行法ではないと。修行法とは四念処などであると準シュダオンさんは
主張した。対してこちらは、無貪・無しん・無癡が得るべき境地であるのは
その通りであるが、それは涅槃界に相当する。つまり涅槃界は四念処などの実践によって得られる。
そして四念処は供養の道などでは全然なく三福道の証明などにならない。
ますます供養の証明から遠退いた。
ここで大日さんがそもそもアゴン宗で四念処など教えていないと指摘した。
それに対する反論として出されたのが、般若心経瞑想法が四念処瞑想なのである
というものです。
供養の問題はここではどっかに行ってしまった。
それはさておき桐山般若心経瞑想法などちっとも四念処ではありません。
自分の身体や心からありのままに観察するのが四念処だが、あれはそもそも月の中に
字が現れ、菩薩が現れ、光輝き、その光を受けて我が身も輝くなんて空想に耽る
ことからしてありのままの観察ではない。
そこに万物流転の理屈を思い浮かべるだけだ。オシエを言い聞かせているのか?
空想人間ができあがるばかりで、自分が今抱えている煩悩を観察することもできない。

290ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/21(木) 09:03:05 ID:SmEF4Oe2O
また準胝観音の話も出てきた。
阿含経だけではないのだという主張だが、これは通用しない。
阿含経の他に進めてもよいものと悪いものがある。
準胝観音に因縁解脱や現世利益(どちらも同じことだが)を祈ること自体が
阿含経の教えに背反してしまうのです。
阿含経では神々を認めても、それに頼る道を否定しています。
自分のことは全て自分で責任を持つのです。
観音力などに頼らない。
そもそも観音とは何かと言うと、桐山さんは般若心経瞑想法の本に紹介している。
西の他国土からやってきたとある。
すなわちペルシャ産の神を取り入れたわけです。
そして桐山さんは神仏には理念、概念、想像上の存在と感得の存在とがあるとする。
観音が概念上の仏ならば実在しないというのが、桐山さんの主張です。
ところが感得の仏なら実在もすることになる。
ペルシャに実在した神ですね。
それともペルシャで想像されていた神がいきなりインドで実在するようになるのか?
あたかも18人の武士のように。
そしペルシャ時代から実在する神だったのならば、その神はいつ解脱して
仏の力を持つようになったのか?
それとも菩薩なんだからまだ仏になってない、煩悩も切ってない、インネンも
切ってないのか?
どうしてその神が因縁解脱で人を救えるのか?
目に見えないペルシャ観音さんはいつどこで仏教を修行したのか?
これを伝法会で質問したことがあるが回答はなしです。
桐山さんはホンモノの仏舎利尊に解脱でも福徳宝生でも祈れば足りるではないか?
どうして今さら準胝などに祈る?

291名無しさん:2009/05/21(木) 10:52:12 ID:pS9Z10Nw0
そもそも準胝観音は大乗仏教の仏さんでしょ?
大乗仏教は釈迦の根本仏教とは違いますよ。
あれはヒンドゥー教に仏教を無理やんこ接木した教えです。
大乗には必ず菩薩の誓願が出てきますが、あの思想はヒンドゥー教から来たもので
誓戒の思想を菩薩の行を支える理念の中核に据えています。
根本仏教からは大きく変わってしまっていて、これはもうあたらしい宗教なのです。
だからアゴン宗が根本仏教を名乗った段階で捨て去るべきものだったのです。
それをしなかった桐山さんは偽物の宗教家だと言われてもしかたがない。

292深山:2009/05/21(木) 12:37:06 ID:iFCbkVMw0
>>284 :準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0
>アンババリは釈迦のお話を聞いて、法眼を得て、浄心を得て、不堕悪趣を得た
>のです。これは俗的な福を得たというよりは、涅槃界に至る福と考えるべき
>なのです

あなたは何を議論していたのか、自分が何を主張していたのか
すっかり忘れてしまっているようですね。
上記の主張は、私など批判側の主張です。
あなたはそうでないと説いた。
●準シュダオン説・・・アンバパーリーは供養の功徳でシュダオンになった。
●批判側主張・・・アンバパーリーは教法を聞いて理解し、法眼を得た。
釈尊は供養によって世俗的な果報が得られると説いただけです。
供養の果報でシュダオンになれるというなら、それを示してみなさいと
言われて、あなたはアンバパーリーの例を出したが、
どこにも供養の功徳で法眼を得たとも、シュダオンになったともない。
あなたすらも認めたように、「釈迦のお話を聞いて」法眼を得た。
つまり、供養でシュダオンになれるというあなたの主張が
成り立たないことを自分で認めたのです。
認めたというよりも、何を議論していたのか忘れて、うっかり当たり前の
解釈をしてしまったのでしょう?
どっちが恥ずかしいのだ?

293深山:2009/05/21(木) 12:40:04 ID:iFCbkVMw0
>>284 :準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0
>あのですね、「三結を断じて、シュダオンを得て、悪趣に堕せず」と、省略
>せずに経典に記されていることもあります。が、これはセットですよ。

そういうあなたの個人的な解釈はここではなく、他のスレでしてください。
私は、シュダオンと書いていない、と批判しただけです。
法眼を得たとあるのなら、それ以上の勝手な解釈はするべきではないし、
ここはそういう議論をするスレではない。
私は桐山さんやあなた違い、経典に書いていないことを主張したり、
議論するつもりはまったくない。
私は、アンバパーリーがシュダオンになっていないとは書いていない。
シュダオンになったという記述はないと、あなたの主張に根拠がないことを
指摘しているだけです。
そして、事実、そんな記述はない。
アンバパーリーは教法を聞いて、自分で理解して法眼を得たのです。
供養したことと法眼とは関係ありません。
だから、供養しなくて、教法を聞いて法眼を得た人はたくさんいた。

294深山:2009/05/21(木) 12:42:44 ID:iFCbkVMw0
>>284 :準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0
>供養だけで涅槃界に至るといえども、誰でも至れるわけではありません。
>心掛け次第では、掃除だけでも、涅槃界へ至れるのです。

「掃除だけ」って、あなたはしているのか?
よくまあ、そうやって何もしないのに偉そうにいえますよね。
供養すればシュダオンになれるとひたすら主張するあなたは、
では、どんな供養をしたのですか。
あなたの図々しく、ツラの皮の厚いのはそこなのです。
信者も元信者も驚くような供養やボン行をアゴン宗にした上で、
供養で預流向になったと宣言するなら、資格くらいあるでしょう。
だが、あなたは熱心な信者ならばする程度の供養もボン行もせず、
それでいて、供養の功徳でシュダオンになれるとお説教を垂れる。
あなたが預流向になったのは、供養ではなく、白銀バイブですよね。
話が違うではないか。
例祭にも行かないのだから、聴聞すらせずに八法十六法などを偉そうに出す。
どうして、そんなに面の皮だけ厚いのだ?

295深山:2009/05/21(木) 12:45:30 ID:iFCbkVMw0
>>284 :準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0
>心掛け次第では、掃除だけでも、涅槃界へ至れるのです。

あなたは過去の議論を完全無視するのが大好きなようだが、
それは厚かましいからか、それとも記憶力がないからか?
涅槃界とは涅槃の意味であることはすでに議論済みです。
桐山さんのいうような、シュダオンからアナゴンまでの意味などありません。
涅槃界は涅槃、つまり解脱者であるアラハンのみを指す。
三供養品の場合も、三善根を成就したら、シュダオンでもアナゴンでもなく、
アラハンです。
経典の内容から見ても、三供養品の涅槃界は涅槃そのものの意味です。
こういうすでに議論の終わったことを完全無視してまた同じ主張を
繰り返すのは、あまりに年寄りじみているから、やめてもらえませんか。

296深山:2009/05/21(木) 12:52:33 ID:iFCbkVMw0
>>284 :準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0
>心掛け次第では、掃除だけでも、涅槃界へ至れるのです。

桐山さんは掃除だけでもシュダオンになれるなんて言っていません。
これはあなたが、ろくに供養もボン行もしていないのに、預流向だと
主張したいがための言い訳なのは読者はいやというほどわかっている。
だが、いい年をして、みっともないからやめたらどうか。
桐山さんは預流向の値引きはしない。
精一杯、アゴン宗に金と人と労力を貢がない限り、
徳がないから、シュダオンにはなれないと言っている。
桐山さんは徳という預金が必要だと言っているのです。
心がけをよくして、銀行の前で掃除をしたら、
あなたの預金通帳の残高は増えるのか。
桐山さんもこれと同じで、貢いで徳の預金をしないかぎり、
解脱できないと言っている。
アゴン宗の沙汰はすべて徳しだいなのです。
そしてその徳とは、心がけではなく、アゴン宗に
貢いだ金と人のことです。
あなたみたいに何もしない人は薄徳だから少福であると
桐山さんは法華経を引用して説明している。
もっとしっかりとアゴン宗の教義を勉強しなさい。

297深山:2009/05/21(木) 12:55:11 ID:iFCbkVMw0
>>284 :準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0
>無貪や無痴を心がけることは必要でしょうが、それを心がけているだけで
>は涅槃界へ至れないでしょう。それで至れるなら他の修行法はいらないです。
>無貪瞋痴は果実です。だから「功徳を種える」の内容は、無貪瞋痴そのもの
>ではないですね。無貪瞋痴を得られるような種を、方便を求めてその種を
>探してうえなさい、ということでしょうね。

「それを心がけているだけ」とは、また如来への誹謗が始まりましたね。
「それを心がけているだけ」なのが如来なのです。
他に彼らは何もしていない。
アラハンになっても、四六時中、無貪・無瞋・無癡を実践しているのです。
その実践の具体的な内容を示したが八正道です。
しかし、それは修行法という切り口で教法を示しただけのことであって、
八正道も三善根も内容は同じです。
桐山さんやあなたみたいに、八正道や四念処は教えで、四神足が修行法なんて
釈尊は厳密に区別などしていない。
三善根を実践せよといったら、その具体的な内容は八正道に決まっている。
「学校と家と塾において勉強して合格せよ」と学校の先生が
生徒に言う時、いちいち勉強法なんて説きません。
だが、生徒はすぐに勉強を始める。
勉強と勉強法なんてわざわざ区別する内容ではないからです。
この経典も同様で、三善根と言われたら、それを実践するのは八正道だと
出家はみんな知っている。

298深山:2009/05/21(木) 12:58:21 ID:iFCbkVMw0
>>284 :準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0
>無貪瞋痴は果実です。だから「功徳を種える」の内容は、無貪瞋痴そのもの
>ではないですね。無貪瞋痴を得られるような種を、方便を求めてその種を
>探してうえなさい、ということでしょうね。

この経典での修行法とは「功徳をうえる」だとあなたはいう。
その意見に別に反対などしていない。
問題は「功徳をうえる」という修行内容です。
どうしてそこで突然、供養という経典にまったく出てこない概念が出てくるのですか。
釈尊は「功徳をうえる」としか説いていない。
供養なんてどこにもないのに、なんで勝手に出してくるのだ?
釈尊は三善根をこの経典で説いた。
無貪・無瞋・無癡に至るにはどうしたらいいか。
供養でこの境涯に至るなんてどこにもない。
釈尊は無貪・無瞋・無癡に至る修行法として八正道を説いたのだから、
「功徳をうえる」とは、八正道の実践だということになる。
そういう解釈でもかまいませんよ。
三善根を実践するといおうが、八正道を実践すると言おうが、同じ内容です。
しかし、繰り返し言うが、「功徳をうえる」が修行法であっても、
それが供養だなんてどこにも、まったく、完全に、一字たりとも、
そんな言葉は出てきません。

299深山:2009/05/21(木) 13:01:03 ID:iFCbkVMw0
>>284 :準シュダオン:2009/05/20(水) 16:35:16 ID:XESnzsYQ0
>無貪瞋痴は果実です。だから「功徳を種える」の内容は、無貪瞋痴そのもの
>ではないですね。無貪瞋痴を得られるような種を、方便を求めてその種を
>探してうえなさい、ということでしょうね。

>>287に樹意さんが引用してくれた経典を読んで、
あなたの心に羞恥心が生まれるのを期待・・・ま、無理だろうなあ。
釈尊の言葉を読んでさえも、あなたは意味が理解できない。
ましてや、凡夫の批判側がいくら説明しても理解できるはずがないのは当たり前です。
準シュダオンさんは別として、他の信者さんたちは>>278をしっかりと読んでほしい。
これが釈尊の説いた内容です。
アゴン宗とは話が全然違うではないか。
釈尊の説く梵行とは八正道であり、三善根(無貪・無瞋・無癡)そのものです。
「功徳をうえる」は無貪・無瞋・無癡を実践することです。
供養で解脱するなんて三福道はどこからも出てきません。

300深山:2009/05/21(木) 13:04:37 ID:iFCbkVMw0
>>285 :準シュダオン:2009/05/20(水) 17:43:31 ID:XESnzsYQ0
>供養と併せて、37道品の初歩だけでも修行する必要が
>あると思います。管長は「功徳を種える」の内容を、修行と供養の二種類
>に、分類し、両方同時にしなさい、と指導しています。

何を勝手な事をかいているのだ?
こんなことを言い出したら、下根の者はどうやってシュダオンになるのだ?
桐山さんは、どんなに下根の者でも、桐山ゲイカの言うとおりに、
なんでも「はい」と素直に従い、いっさい疑問をさしはさまず、
アゴン宗に金と人を貢ぎ続けたら、シュダオンになれると言っているのです。
三十七道品を同時にするなんて話はしていない。
それは三十七道品を目指すような上根の者でも、供養しないと
徳がないとダメだといっているのです。
桐山さんに言わせると、三十七道品を成就するには、
上根と徳の両方がないとダメだという。
簡単にまとめなら、信者は全員、とにかく貢げと言っているのです。
勝手な解釈をせずに、桐山ゲイカのおっしゃることをそのまま理解しなさい。

301深山:2009/05/21(木) 13:06:47 ID:iFCbkVMw0
>>285 :準シュダオン:2009/05/20(水) 17:43:31 ID:XESnzsYQ0
>が、出来の悪い弟子たちのアンテナは錆ついていて、他心通などできません。

また如来への誹謗が始まりましたね。
サーリプッタは他心通を持っていません。
だが、彼もまた解脱したアラハンであり如来だった。
準シュダオンさんにいわせると、釈尊の二大弟子と言われ、
智慧第一と言われたほどの彼が「出来の悪い弟子」だったらしい。
準シュダオンさんて、こうやってたびたびアラハンを罵るところを見ると、
ほんとうに仏教が嫌いなんですね。
自分の主張と現実の阿含経の記述の間に矛盾が生じたら、
普通の人は自分の主張を手直しする。
だが、あなたは桐山さんと同じで、都合の悪いことは忘れ、
あるいは別な屁理屈をつけて、どこまでも自分の主張を繰り返す。
元々頑迷な性格なのか、それとも年をとって脳が固くなっているのか。
外道大好きの準シュダオンさんはいいから、他の普通の知性の
残っている信者さんたちは高弟の一人が他心通という神通力を
持っていなかったという事実を重視してください。
解脱と神通力は関係ないという何よりの証拠です。
このたった一つの事実だけでも、桐山さんの、神通力で解脱すると
いう主張が真っ赤な嘘だとわかる。
信者さんたちは桐山さんや準シュダオンさんのように、阿含経の事実を
無視するのではなく、受け入れて、自分の間違いを修正することです。

302深山:2009/05/21(木) 13:09:24 ID:iFCbkVMw0
>>286 :準シュダオン:2009/05/20(水) 18:20:53 ID:XESnzsYQ0
>思念の相承も、聖なるバイブレーションも存在します。桐山論を肯定する
>ために、私の体験を記しているのです。法恩謝徳の一つとしてね。

批判側ではなく、アゴン宗側に代わって、あなたに言っておきます。
あなたの準シュダオン宣言は、報恩謝徳などではなく、
薄汚い自己顕示欲から出た桐山ゲイカへの裏切り行為にすぎない。
桐山さんに本当に帰依する心があれば、勝手に名乗るなど絶対にしない。
というよりも、できない。
因縁を切ることや、預流や預流向はアゴン宗では信者の一番の目標です。
そこに到達したなどと勝手に名乗ることは普通の信者はしない。
あなたは桐山ブランドを勝手に使うこすからい盗っ人です。

303深山:2009/05/21(木) 13:15:02 ID:iFCbkVMw0
>>286 :準シュダオン:2009/05/20(水) 18:20:53 ID:XESnzsYQ0
>思念の相承も、聖なるバイブレーションも存在します。桐山論を肯定する
>ために、私の体験を記しているのです。法恩謝徳の一つとしてね。

アゴン宗の教義からいって、あなたが預流向であるはずがないのです。
桐山さんは「21世紀は智慧の時代」でそれを説明している。
この本によれば5つの階梯があり、最初の二つは、
1.基礎訓練
2.シュダオン
となっている。(206頁)
つまり、シュダオンに近づいた人とは少なくとも基礎訓練に入った人です。
だから、預流向とは基礎訓練が必要条件です。
あなたは練脳塾に入っていない。
つまり、基礎訓練すら受けていない。
そんな人がどうやってシュダオンに近づけるはずがあるのだ?
桐山さんの説明からいっても、基礎訓練すら受けていないあなたが
アゴン宗の預流向になれるはずがない。
桐山さんが示したシュダオンの条件に、王者の相承を受けるとはありません。
つまり、あなたが仮に桐山さんの王者の相承を受けたとしても、
預流向になることにはならない。

304深山:2009/05/21(木) 13:17:04 ID:iFCbkVMw0
>>286 :準シュダオン:2009/05/20(水) 18:20:53 ID:XESnzsYQ0
>思念の相承も、聖なるバイブレーションも存在します。桐山論を肯定する
>ために、私の体験を記しているのです。法恩謝徳の一つとしてね。

アゴン宗のシュダオンとは、精神、肉体、霊的に清められた人です。
霊的に清めるためには、解脱供養や冥徳供養を桐山さんに
指示されたとおりに出さなければダメです。
それであなたは解脱供養をいくつ出したのだ?
桐山ゲイカから、「もう霊障のホトケはいない」と言われるまで出したか。
冥徳供養は何家系出して、守護神はいただいたのか。
守護神すらいただいていない者が霊的に家系を清めたことにはならない。
シュダオンになるための霊的浄化に絶対不可欠です。
あなたはそれをしていない。
シュダオンに近づくための霊的浄化という条件を満たしていないのだから、
あなたが預流向であるはずがない。
あなたは今でもアゴン宗から見て霊的に不浄です。

305深山:2009/05/21(木) 13:22:52 ID:iFCbkVMw0
>>286 :準シュダオン:2009/05/20(水) 18:20:53 ID:XESnzsYQ0
>ために、私の体験を記しているのです。法恩謝徳の一つとしてね。

アゴン宗の教義もろくに知らず、勝手な自説を並べて、反論されても
無視して、知性に問題があるかのように同じ主張をどこまで繰り返す。
それでいて、因縁がキレタとか、シュダオンに近づいただのと
慢心を垂れ流しにしている。
これがアゴン宗信者だと世間の皆々様に醜態を示すことが、あなたの法恩謝徳らしい。
その態度には、信者たちは眉をひそめているだろうが、批判側は歓迎する。
特に私はあなたを大いに歓迎する。
もっとお笑いネタをふりまいて、批判ネタを提供してくれれば、
私がその愚かさを批判するから、あなたは失笑を買う。
だが、あなたは自分が失笑を買っているとは理解できないから、
傷つくこともない。
あなたは預流向の慢心を満たし、桐山さんを助けたと自惚れられ、
批判側は批判ネタを提供してもらい、アゴン宗の嘘を告発することができて、
しかも、アゴン宗の信者とはどれほど愚昧かと模範を示すことまでできる。
桐山さんと信者たちが顔をしかめるだけで、
あなたにも批判側にも大いに利益をもたらしていますから、
今後もがんばって、桐山さんの顔に泥を塗ってください。

306深山:2009/05/21(木) 13:27:22 ID:iFCbkVMw0
>>286 :準シュダオン:2009/05/20(水) 18:20:53 ID:XESnzsYQ0
>深山さんね、自分が体験しないから、それはない、と思うのは軽薄ですよ。
>私も二十代の頃は唯物論者でしたからね、霊体験など話す友人に、脳の病気
>に過ぎない、と一笑したものです。今の深山さんみたいにね。

準シュダオンさんに前にお願いしたことだが、
頼むからあなたと一緒にしないください。
それは私への侮辱です。
あなたが私を侮辱する気などなしに書いているのはわかる。
だから、根拠のない話を書かないでほしい。
私はあなたみたいに唯物論者であったこともなければ、
今でも霊体験を脳の病気だなどと一笑したことはありません。
また、そんなことをここで主張したこともありません。
あなたの脳味噌がそういう単純な色分けしかできないのはわかる。
だが、私は違います。
あなたの白銀バイブは脳梗塞で説明がつくと言っているのです。
あなたの体験を否定したからといって、どうして私が唯物主義や
世間の霊体験を否定することになるのですか。
私のここでの批判はアゴン宗などへの限定的なものです。
桐山ゲイカが認めてもいない白銀バイブや預流向を主張するなど、
信者時代に私があなたと同じ体験を持っても、自分の良識においてしません。
これはあなたと私の常識や礼儀に対する感覚が違うのです。
私からみたらあなたは師に対する礼儀知らずの無礼者です。

307ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/21(木) 23:57:12 ID:SmEF4Oe2O
>>286
あなたが何かを感じたとして、それがどうして桐山さんの思念の相承によるもの
とわかるのか?
その根拠を具体的に書いてごらんなさい。
これが桐山さんが実際にアゴン宗における公の場で思念を発信した時、受信に集まった
道場において起きたというのならまだわかる。
もちろんそれとても自分で自分に無意識的に暗示をかけたとも解釈できるが。
あるいはあなたは道場で思念の儀式があることも知らず、いつものように
自宅でさぼっていた。その時原因不明の頭痛のような症状にかかった。
後になってからちょうど桐山さんが思念を送った時間帯と知った。
こちらはそんな行事があることすら知らなかったのに、とか。
何でもない時にあなたが変調を感じたところで、どうしてそれを起こさせた犯人が
桐山さんであると考えられるか?
その時桐山さんの顔が思い浮かんだのか?
夢枕に出てくるがごとく。
あなたに質問する。
昨夜の夢に愛しのあの娘が出てきた。
これは愛しのあの娘の方から発信されたものと、あなたは原始人思考をするか?

308名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
深山さん
死んだ振りして逃げてないで、自分の立てたスレッドに戻られたらいかがですか?
ザの復刻ばんはミルラさんが立てたスレッドが先なのに、批判派が多いスレッドに準シュダさんを
だまして誘い込んで、大体やり口がセコイのです。
だから自分が修行に失敗したからと言って古巣の団体を貶めるかきこを延々と行い
回りをだまして、修行の邪魔ばかりする。
準シュダさんは私とは違い純真な心があるから、批判派の多いスレッドに参加してる。
こころが清らかなんですよ。貴方とは大違い。
それと貴方のかきこは血が通ってる感じがしない。
何か、人工的で人造的だ、憑依を疑った方がいいね。
体温の低い蛇か何かに憑依されているかもしれない。
大日さんお得意の伊勢白山からすると、魂喰われちまったみたいだね。
魂喰われちまったから、死んだふりするのではなく、もう死んだも同然かも知れない。
お気の毒といえばお気の毒ですなぁ。
兎に角、生き返るために、天身さんとこ言って質問に答えることですな。
統一教会ならもう無理かもしれないね。伊勢白山に言わせると蛇に食われたところだから。
ここでもう、大日さんとも齟齬があることになっちゃったね。ざんね〜ん

309名無しさん:2009/05/22(金) 00:43:22 ID:HeXCfjkY0
>>308
わけのわからない人ですね。
2ちゃんねるでスレを立てたのは私です。
深山さんではありません。
勝手に決め付けて、深山さんを罵るだけのレスでは
「アゴン宗の信者ってレベルが低い」
と思われますよ。

310ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/22(金) 00:55:21 ID:SmEF4Oe2O
>>308
死んだ振りして逃げてないで?
ほう?どうしてこんな言葉が出てくるのですかね?
深山さんはいつでも誰でも正面から相手にしてますが?
これは天身さんの意味不明な質問煽りに対するものですか?
実は天身さんに対しても何度も文献の根拠をあげて示して回答している。
それが天身さんだけでなくあなたにも理解できないのか?
ならば逆に問うが、天身さんはどうして私の質問に回答しないで逃げているのか?
私の質問はこうです。
天身さんは佐竹隆三、大塚義孝の両ソンディ研究の第一人者の書いたことを
否定するのですか?というものです。
あなたのような主体性のない奴って、どうせ本家桐山さんが天身をウザイ、去れと
発言したならば簡単に見捨てるんでしょ?

311名無しさん:2009/05/22(金) 01:23:03 ID:HeXCfjkY0
そういえば、>>275も同じ人ですね。
あまりアゴン宗の恥になる行動は慎んだ方が良いと思いますよ。

312ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/22(金) 01:35:01 ID:SmEF4Oe2O
>>308
全く正しい観察ができない人ですね。
深山さんは準シュダオンさんを騙してここに連れ込んだのではない。
残念なことに今の2ちゃんねるでは天身さんが荒らしまくっているので、
ここならばそういう心配もなくお互いの主張がよりわかり、議論がしやすいからです。
つまり自分だけでなく相手の書き込みもより目立ち際立つ。
あとは内容次第です。
私も2日レスを休んだためになかなか遡って追い付けない。
それほどに彼(準シュダオンさん)はこのスレの主役です。
つまり我々の方で彼が堂々と主張できる場に誘導した。
天身さんの邪魔もなく。
天身さんと準シュダオンさんは交流もないし、説いている内容も違う。
準シュダオンは天身さんを相手にしておらない。
だから有利も不利もないのですよ。
あなたの書いていることは「弱いものイジメはよせ」と言っているようなものです。
純真とかなんとか誉めておきながら、腹の底で、こんな役にも立たない奴と
準シュダオンさんをバカにしているのです。
どんな内容であれ、真っ向からレスする我々こそ彼のスレにおける人格を尊重している。
一人前に扱っている。
あなたのようなみそっかす扱いではない。

313ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/22(金) 08:19:29 ID:SmEF4Oe2O
>>286
法恩謝徳ではなく報恩謝徳ね。
桐山さんも報恩とこの字を使用して信者にも啓蒙を迫っているのだから、
あなたが勝手な当て字をしてはなりません。
報の字こそが大切なのです。
恩に報いるのです。恩返しです。
あなたの場合は恩を仇で返している。
恩を感じている人間が例祭を両日ともさぼって、その時間中カキコに専念していた
前科が2回や3回どころではないなんてことはない。
ちっとも恩を感じてないからこういう仇で返すことができるのです。
恩を返すのだから態度で行動で示す必要がある。つまらなかろうがきつかろうが
関係ない。ごろ寝をして人と応対しながら、私はあなたに敬意を表してますよ
と言っているようなものです。
星まつり、例祭など奉仕修行で参加していて当たり前です。
その活動実績が質問をしてさえ返ってこないのは、恩に報いる気が皆無の証拠です。
あなたはネットで御利益の功徳を書き込むことが恩返しだと思って書いたのだそうだが
それは身分不相応というものです。
あなたが普段から努力している人がそれを書くならばまだ効果もあろうが、
こんな人がいつ発信されたのかもわからない思念を自分が受けて痺れたなどと書くこと
自体が不遜です。
あなたの場合、自分はこの通りさぼってばかりいるから進歩もないけど、真面目に
やってる法友はこのとおり(具体例をあげる)進歩していると示すことがせめてもの
報恩謝徳に繋がります。
寧ろ何も書かない方がよい。
書けば書くだけ恩を仇で返している。

314準シュダオン:2009/05/22(金) 10:29:55 ID:XESnzsYQ0
報恩謝徳より、法恩謝徳の方が意味がわかるでしょ?
法を感じた人が、その法に感謝するのよ。

それから、私は最新のレスから目を通してます。時間が来たらおしまい。
だからすべてに目を通せないです。よって、質問されても知らないでいること
がままあります。

315準シュダオン:2009/05/22(金) 10:48:29 ID:XESnzsYQ0
私が霊的バイブレーションを受けたのは何年か前です。
それ以降も、生計は民間会社で立ててるし、他の人に押されて公職にも就いて
ます。公金にも関わるし、脳梗塞なら辞めさせられます。
おわかりか?秦山さん。
私は脳梗塞ではないのW。

それから霊的バイブレーションは、自宅で起こりました。
まったく思念の相承なんて意識のない頃、忘れていたころ、起きました。
それが霊的バイブレーションであることを、言葉で説明はできません。
そのように感じるのだから、仕方がないのです。
これ以降、四沙門果という四つの階梯を、本当に信じるようになりましたね。

316準シュダオン:2009/05/22(金) 11:14:24 ID:XESnzsYQ0
もう一度書きますが、厳密にいうと、無貪瞋痴は修行法ではありません。
「功徳を種える」は、修行法です。
無貪瞋痴は、修行によって得られる、いわば果実です。
果実は食べるものであって、うえるものではありません。
うえるものは種です。
果実は食べて、残った種を植えるのです。
(種なしブドウは?なんて問うてはいけません)

遊行経に、有六不退法が説かれています。

ア、有六不退法・・1念仏2念法3念僧4念戒5念施6念天

イ、有六不退法・・1身で慈悲を行う2口で慈悲を行う3心で慈悲を行う
         4布施で得たものは僧団で平等に分ける。5持戒
         6見賢聖道

と、このように説かれています。
仮に、辞典にアの六不退法が載ってるからといって、それをイの六不退法に
組み込んではいけません。この六不退法は、ふたとうりに解釈できますね。
有三善根も、無貪瞋痴のこと、と、功徳の種を仏法僧にてうえること、との
ふたとおりの意味なのですね。

317名無しさん:2009/05/22(金) 12:02:11 ID:EXIc2GFU0
準シュダオンさんは、非常に頑固なので、脳障害の因縁を持っていると思います。

霊的バイブレーションを受けたというのは、脳機能の異常でしょう。
脳梗塞は初期の異常から数年たって発病する例は多いですから注意してください。

318深山:2009/05/22(金) 12:39:05 ID:p2f5gpq.0
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>ザの復刻ばんはミルラさんが立てたスレッドが先なのに、批判派が多いスレッドに準シュダさんを
>だまして誘い込んで、大体やり口がセコイのです。

私がどうやって彼を騙して、ここに連れてきたというのですか。
騙されたと思ったら、元に戻ればいい。
どこに書き込もうが本人の自由であり、私が左右できることではありません。
騙したなどと言ったら、まるで準シュダオンさんが
簡単に騙されるほどバカだと言っているようなものですね。
私は議論のしやすい場所を提案したにすぎない。
本家の2ちゃんねるは天身さんが嫌がらせの書き込みをする。
準シュダオンさんはそうでなくも、こちらの文章を読まない人です。
「気が付かなかった」では、議論にならない。
こちらなら、治安もいいから、天身さんも嫌がらせができない。
私のためではなく、準シュダオンさんのためには良い環境だから
こちらに来ませんかと提案したのです。
準シュダオンさん、308さんによれば、あなたは私に騙されたのだそうだ。
そう思うなら、2ちゃんねるに戻ればいい。
私はどちらでもかまいませんよ。

319深山:2009/05/22(金) 12:45:14 ID:p2f5gpq.0
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>準シュダさんは私とは違い純真な心があるから、批判派の多いスレッドに参加してる。
>こころが清らかなんですよ。貴方とは大違い。

預流向だと自惚れる桐山さんの裏切り者に純真な心がある?
どう見ても、桐山さんを利用して、自分もエラクなったつもりに
なっているコバンザメにすぎない。
自分では教祖になれるほどの力もないが、自己顕示欲を満たすために、
他人のフンドシを使って、威張ってみせるタイプです。
大泥棒から盗んでいるコソドロです。
アゴン宗では珍しくもないタイプです。
あなたは準シュダオンさんが、総本殿から本当に王者の
相承を受信して、預流向になったという主張を支持するのか。
それなら、あなたも同じように桐山ゲイカの裏切り者です。
桐山ゲイカを裏切っても何も感じないあなた方に
純真な心などにないことだけはよくわかる。

320深山:2009/05/22(金) 12:51:24 ID:p2f5gpq.0
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>兎に角、生き返るために、天身さんとこ言って質問に答えることですな。

天身さんのどんな質問に答えるのですか。
あなたもまた信者の常で、国語力に相当に問題かあるようだ。
質問を完全無視して、関係のない話を書き込んでいるのは天身さんです。
私はスレの主旨にそった内容については、彼の質問には答えている。
彼が答えなければならないのは、
「異母兄がソンディより三年前に自殺した」
ということの根拠です。
示したか?
示せないのではないか。
ソンディが引っ越しをいつしたなんて質問はいったい桐山ソンディの
議論とどう関係して、何の役に立つのだ?
天身さんは何一つ根拠など示しておらず、ただどこからか拾ってきたような
内容を執念深く書き込んでいるだけです。
質問している彼自身、ソンディが引っ越しした年齢の根拠を示していない。
これに限らず、彼は何一つ未だに根拠を示していないのですよ。
根拠を示せないということは、何も意味のある内容を書いていないのと同じです。
せめて、文献やネットのアドレスを示せばいいではないか。
それすらしない彼の書き込み内容なんて、寝言でしかない。
彼が書き込んでいるのは無意味な文字の羅列にすぎない。
その彼がどのツラ下げて他人に答えろなどと威張りながら
無意味な質問ができるのだ?
彼が根拠を示せず、こちらの質問に答えられないから、
逆に無意味な質問をしてごまかそうという魂胆です。
こんな魂胆すらあなたはわからないほど国語力が低いのか。

321深山:2009/05/22(金) 12:57:20 ID:p2f5gpq.0
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>兎に角、生き返るために、天身さんとこ言って質問に答えることですな。

一つあなたに通訳の提案です。
私には天身さんが何を言っているのかほとんど意味不明です。
だが、あなたはどうやら理解できるらしい。
ひとつ、その天身さんの質問の解説をしてください。
ただし、スレの主旨に沿った内容であることと、
その質問が桐山ソンディとどう関係しているのか、
何のためのどのような質問なのかという点を明らかにしてください。
ソンディの引っ越しした年など私は何も書いていないのに、
わざわざそれを質問するなら、何のために、桐山ソンディと
どう関係しているのかを説明してください。
と提案しても、あなたは何もしない。
自分の信仰を批判されて怒り狂っているだけで、自分では正面からは
議論も反論もできないから、恥知らずの天身さんを盾に使うつもりなのでしょう。
そういうのを恥知らず、姑息というのだ。
天身さんの質問に答えろてはなく、あなたが桐山さんから習った仏陀の
智慧とやらで反論してみればいい。
罵ること以外、芸はないのか?

322深山:2009/05/22(金) 13:05:49 ID:p2f5gpq.0
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>ここでもう、大日さんとも齟齬があることになっちゃったね。ざんね〜ん

あなたの説明を数回読んだが、私と大日さんとでどんな齟齬があるのか
まったく理解できない。
私は大日さんと、「伊勢白山」「魂喰われちまった」「統一教会」「蛇」
などについて議論した記憶がまるでない。
大日さんと私とが、どのように意見を一致させる必要があったのですか。
私は大日さんと意見を一致させようとしたことも、また彼が私に対して
そのようにしたという記憶もない。
私も大日さんも意見を一致させようとしたことはありませんから、
齟齬などおこりようはずもない。
批判側もお互いに意見を一致させようとしたことはない。
なんの利害関係もないから、考えは違うし、立場も違う。
それぞれが正しいと思うところを述べているだけです。
あえて、批判側に共通点があるとすれば、事実は何かを追求し、
その事実に認めるだけの勇気を持っていることです。
反対に、あなたなど信者たちには事実を認めるだけの度胸がない。
事実の前に、桐山妄想が崩壊していくのが、悔しくて仕方ないのでしょう?
元信者の批判側はその妄想を捨てて、痛みに耐えながら、
現実を見ることを選択しただけです。

323深山:2009/05/22(金) 13:14:50 ID:p2f5gpq.0
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>それと貴方のかきこは血が通ってる感じがしない。
>何か、人工的で人造的だ、憑依を疑った方がいいね。

今回のあなたの書き込みで、もっとも私がうれしかったのはこの一文です。
血が通わない、人工的という批判は実にありがたい。
私は極力自分の感情を廃して、冷静に、初めも終わりも理路整然と
根拠を示しながら、批判をしているつもりです。
残念ながら、凡人なので、つい感情が混じってしまうことがある。
だが、あなたは私が目標としている書き方に近い印象を受けたようだ。
だから、このように評価されるととてもうれしい。
私がもっとも嫌なのは、自分の文章が感情や情緒に流されているような
印象を与えてしまうことです。
事実を淡々と並べられ、逃げ場がどこにもないほどに八方をふさがれてしまうから、
あなたは何も言えずに固まってしまうのを血が通っていないと感じるのでしょう。
血の通った文章とは、>>275や今回のように、怒りと憎しみと復讐心に
満ちたあなたのような文章をさすのですか。
それとも、桐山さんが『変身の原理』の後書きで書いたような、
作家への激しい怒りと憎しみと復讐心を指すのですか。
とすれば、私は文章にそのような薄汚い血を通わせるのはやめておきます。
なぜなら、桐山さんやあなたと違い、私はそういう煩悩を他人に
見られることを恥としているからです。

324深山:2009/05/22(金) 13:21:51 ID:p2f5gpq.0
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>それと貴方のかきこは血が通ってる感じがしない。
>何か、人工的で人造的だ、憑依を疑った方がいいね。

アウシュビッツの犠牲者たちを悪霊と罵り、彼らに天災や人災の罪を
なすりつけ、彼らを助けてやったと自惚れることが、あなたの血の通った信仰らしい。
釈尊が護摩を禁止したのに、まるで柴燈護摩を奨励したかのように
世間の皆さんを騙して木切れを売ることが血の通った信仰しらい。
釈尊が漏尽解脱を説いているのに、これを小解脱と罵り、
因縁解脱などという外道の教えを大解脱と宣伝することが、
あなたにとって血の通った信仰らしい。
仏教とは似ても似つかないものを釈迦仏教だと信じて、
後ろからシッポの生えた応供の如来なんてアニメみたいな名前のホトケを
拝んでいるあなたこそ、何かに憑かれているではないか。
仏教にはドラゴンの姿をした龍王なんていません。
神仏を詐称するモノノケに取り憑かれている。
あなたが取り憑かれているのはこれらのモノノケだけではない。
霊能力などなくても、あなたが何に憑かれているかよくわかる。
欲望、執着、怒り、依存、恐怖といった煩悩に憑依されている。
それもアゴン宗に入る前は持っていなかった煩悩にまで取り憑かれている。
なぜなら、あなたもまたこれらの煩悩に取り憑いているからです。
これがあなたが自分の温かい血だと思っているものの正体です。

325名無しさん:2009/05/22(金) 13:49:04 ID:5KiS7krQ0
怖いですね〜、煩悩、煩悩。

326大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/22(金) 15:12:35 ID:gFX1xMLM0
ここで書いたか、よそで書いたか失念したが、二重でもいいから書いておきます。

自分は、いいと思ったものは取り入れます。なので、ゲイカの発言でもいいと思うものは
取り入れますし、逆に悪かったら取り入れない。他の方も同様です。
伊勢白山さんも結構いいことを言われますが、全て良いとは思いません。
ですが、最近の彼のブログの発言はイイと感じてます。そういう見方ですね。

深山さんが魂食われたというのはそれはないですよ。深山さんは一貫して姿勢を
ちゃんと取られているし、ユビさんも樹意さんもそう。皆さん冷静沈着ですよ。

あと、大日はキレやすくてアク禁するし、と見られてますが、それは悪姿勢の方だけ。
例え擁護派であっても程度が過ぎれば処置はします。
ですが、自分の意見を述べる分にはアク禁にはならない。
むしろ、おかしな行動をするとすぐアク禁かもしれないほどです。

批判派の方がこられてもアク禁になってないでしょう?それはちゃんとしているからです。
むしろコピペばっかりとか、荒らし目的なら規制されるのは当然です。
批判側の方はそういうことをしませんよ。2chを見てもわかります。

そういうことなので、こちらではちゃんとした意見交換をするのであれば何ら問題はないし、
もし、問題が有るようであれば警告をします。それに従わなければ規制対応をします。

でも、それは私の本意ではないので、できるだけそうならないように私も願うし、意見を
交わしていい考察が出来ればそれに越したことは無い、と私は思います。

327準シュダオン:2009/05/22(金) 16:35:24 ID:XESnzsYQ0
預流向だと自惚れ?
可笑しいね。預流向は一番下の位ですよ。仏教信者のスタート地点が預流向
なのですよ。だから、自称預流向というのは、一番の下座の精進ですよ。
ですから私は預流向ではなく、準シュダオンを名乗ったのです。もう少しで
シュダオンに到達できる、という感じを得たからね。

以前の阿含宗の姿勢は、去る信徒は追わず、でした。しかし、去った信者の
一部が、サリン事件という悲惨な事件を起こした。退会を引きとめていれば
助かった元信者もいたわけ、です。私がここにレスしてるのは、管長の教え
を間違えて解釈し、批判してることを真に受けて、退会を考える迷える信徒
のためですよ。もう少し粘って信徒を続けていれば、たぶん霊的バイブレー
ションも受けられますよ、とね。
単に数字だけを追う護摩木勧進とか、導き行とか、間違えた梵行ではいけな
いでしょうけどね。

328準シュダオン:2009/05/22(金) 16:47:23 ID:XESnzsYQ0
脳梗塞は兆候から数年後に起きる可能性があるのですか?
もうあれから数年は経過してるのですけどね、まぁ気をつけておきましょう。

でも、万一、私が脳梗塞にかかっても、管長のように回復して、本の一冊も
書けるように成るかも知れないね。

329準シュダオン:2009/05/22(金) 17:01:28 ID:XESnzsYQ0
管長は、仏陀の真実の教えを説く、という本の分別経の解説で、
「四念処法は空観と呼ぶべきであり、四念処法で人は空に到達する」と
述べています。

また、管長は、「般若心経瞑想法は、空を悟るための瞑想法です」と解説
しております。

上記をよくお読みください。般若心経瞑想法が、空をめぐって、四念処法の
テキストにもなっていることに気づくでしょう。
座法などについても図示しております。

だから、管長は四念処法などの成仏法を教えていない、という批判は当たら
ないのです。そういう批判者は、本の内容を読み取れていないだけですね。

330名無しさん:2009/05/22(金) 17:11:05 ID:5KiS7krQ0
ふ〜ん、、???

331大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/22(金) 19:50:40 ID:Cg/Mpp6Q0
>>329 >そういう批判者は、本の内容を読み取れていないだけですね。

では、その批判をした?者が、少々。

まず、@ゲイカが実地で教えたことがあるか Aその空を悟った人が信者でいるか
B本に書いてある内容を準シュダオンさんは体得したのか C四念処でもいいしそれ以外でもいい。
成仏法を体得した信者がいるのか

私の答えは@無い。あっても入り口のことだけで瞑想の方法とムドラーぐらい。
実際にやられたことは無いですね。
Aいない。いるのならとっくにゲイカ推薦で皆の前に出てきている。
Bこれはご本人が言われることなので、私の推察論は後から。
CAと同様です。

ぜひ、準シュダオンさんの見解をお願いします。

332ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/22(金) 20:31:15 ID:SmEF4Oe2O
>>328
桐山さんの場合は前兆があってから数十年経ってから発作が出て呂律が回らなくなり
手足がきかなくなり入院もしたわけです。
だからあなただって数年ごときで油断せぬ方がよい。
日常不自由なく暮らせていても脳のCTを撮ってみるとその跡が認められることもある。
ひょっとすると私にあったって決しておかしくもない。
しかしほうっておくのはよくない。
早期発見、早期対策すれば決して怖くない。
自信があるのならば、病院に行って検査を受けてみればよいのです。
インフルエンザだけ伝染されないようにマスクでもして。
数年前に起きた症状を話して、他人から脳梗塞の疑いがあるからCTを撮ってもらう
ようにアドバイスを受けたと医師に話すとよい。
健康保険を使って検査してもらえます。
撮ってもらって「どこにも異常はありませんよ」とお墨付きをもらえばよいではないか?
脳梗塞が認められようが、認められまいが、今後の生活上の注意点などアドバイス
してくれるから、これはラッキーなことです。
治療ではなく予防医学ですよ。
検査を受けてから、またこちらに来て、異常なし、40代くらいの若い脳だと
言われたと自慢しにくればよいではないですか?
それとも怖くて診てもらいにも行けませんか?

333ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/22(金) 20:36:48 ID:SmEF4Oe2O
数十年ではなく十六年だったか。スマソ。

334ミルラ:2009/05/22(金) 23:23:22 ID:7yZK1g.U0
横レス失礼。

準シュダオンさん
過去ログの「さぼろうと思ったら無理やり引き戻される」は笑いました。
レベルは低いですが、サボっているつもりでやっている事が修行そのもの
だった。と言う経験が私にはありました。そのときは全く気がつきません
でしたが、数年後に気がついて私は一人で笑っちゃいました。
そんなんで、かきこしたくなって登場した次第です。

あと「伊勢白山」の話題がでてるのでしょうしょう。
私も一時期読んでいたことがありました。
霊視能力は?ですが、スピリチュアルについて警鐘を鳴らしている
あたりは賛同できる点がありますし、とんでも話しとしての情報
も面白いですね。
伊雑ノ宮についての重要性、小泉太命は神人であるとの発言から
管長猊下に繋がっていくラインもなきにしもあらずと言ったところ
でしょうか。
伊勢白山さんはグルジェフについてもお詳しいようですが、
グルジェフの本は平河から出てますし、阿含宗の修行はどこかグル
ジェフワークを取りいれてる気もしないでもないです。3Kの実践ですね。(笑)
本名を明かさないところ、霊視についての他の検証が皆無に等しい点で
?????です。あっでも感謝行は私も取り入れてます。はい。
お邪魔しました。

335名無しさん:2009/05/22(金) 23:43:14 ID:HeXCfjkY0
>>275
>>308
>>334
同じ人ですね

336ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/23(土) 13:07:41 ID:SmEF4Oe2O
>>414
要は当て字の問題などでなく、内容の問題です。
報恩、恩に報いようと思ったら、態度、行動で示すべきです。
今日明日が例祭なのかどうか私は知らないが(誰かさんの為の予防線)、
恩に報いる気持ちがあったらせっかく管長が老骨に鞭を打ってまで信徒の為に
例祭行事を開き護摩を焚かせたり法話を話したりするならば、弟子であるあなたは
参列するのが恩に報いる最低限の行為です。
仕事等行けないのならば仕方ないが、まさか掲示板に書き込んで遊んでいるのは
背徳行為です。
掲示板に書いて擁護したい気持ちがあるならば、例祭の最中は控えて、別の時間帯を
選べばよいだけのことです。
準シュダオンさんは八法だの十六法だの能書きばかり説く。
八法十六法の見とか聞とかは、自ら道場に見えて法を聴聞することであり、また
お連れした人に聞かせることです。
サボってる奴が何を抜かすか?
それから思念の相承も所詮タイミングと場所なんです。
桐山さんですらインドのサヘトマヘトに足を運んだから目眩が・・いや、白銀の
バイブレーションを受けることができた。
日本にいて仏勅を受けたのではない。
その割には、釈迦如来も含む法爾無作の応供の如来さんは日本まで出張してくれたが。
準シュダオンさんが勝手に思念を受けたなどとほざくのは許されない。
あなたが思念を受ける機会に道場で受けたかどうか知らないが、その時には
どうして離れていてさえ、ありがたい思念を感じることができなかったのか?
桐山さんは思念を受けるにも修練とボン行実践の積み重ねの上に成立する徳が必要
だと説いているのです。
これらを無視した勝手な話を書くことが逆恩の因縁なんですよ。

337準シュダオン:2009/05/23(土) 13:10:26 ID:XESnzsYQ0
管長は瞑想を実地で教えてますでしょ、大日さん。メシャの法として教えま
したが、あれは般若心経瞑想法やパール瞑想法と、基本は共通のものですよ。
空を悟るのは程度の問題です。般若心経瞑想法の実践の頁に、「変じて観自
在菩薩になる」とか、さまざまあるでしょう。あれは自分自身が観自在菩薩
になる瞑想ですね。あの本を良く読んで、五陰や十二処や十八界を理解して、
それらが無常であり、空であることを瞑想するわけ、ですね。
境界がかなりすすんだ信徒も居る、と私は思いますね。

五陰や十二処や十八界が、無常であり、執着してはいけないものであることを
理解しなくては、自分が観自在菩薩になる観想など、出来ないでしょう。
四念処法とは、1、身について、2、感受について、3、無常について、
4、無我について、の四つの観想でしょう。般若心経瞑想法の本の内容その
ものでしょう。五陰(色受想行識)十二処十八界(眼耳鼻舌身意・色声香味
触法・眼識耳識鼻識舌識身識意識)など、あるいは無常や無我について、
管長は詳しく解説しております。あるいは、12支縁起の修観法とか四諦と
か。これらの瞑想法は不二一体のものである、との管長の講義を聞いた記憶
がありますよ。

338ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/23(土) 13:12:00 ID:SmEF4Oe2O
ん?>>414ではなく、>>314か?
したらばは携帯ではコピペができんから個人的には使いずらい。
ザ掲示板もそうだったけどね。

339ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/23(土) 13:14:14 ID:SmEF4Oe2O
>>337
ん?「今日は」いたか?

340準シュダオン:2009/05/23(土) 13:22:26 ID:XESnzsYQ0
私のレスを見て、迷える信徒さんが1人でも、退会を延期してくれたら例祭を
サボって書いた効果があるというものです。十分に法恩謝徳になります、
気持が繋がっていれば、たまに用事で例祭を欠席しても良いのです。

霊的バイブレーションを受けるコツを、管長は法話で話してます。
護摩木を一万本勧進した者が、千本勧進した者より優先して受けられる、と
いうものではありません。もちろん、勧進が少ないからといって優先もされ
ません。要は、心構えでしょう。

341準シュダオン:2009/05/23(土) 13:49:00 ID:XESnzsYQ0
どこかに深山さんが、
「阿含宗に金と人を貢ぎ続けたらシュダオンになれる」と管長が説いてる、
とレスしてた。そのようなことは聞いた覚えがない。たぶん嘘です。
深山さんは、私以上に同じことを書いてますよ。
私以上に、老化現象ですね。

いいですか?三善根の「功徳を種える」の解説を、「社会科学としての
阿含仏教」P354、でしてあります。それは修行と供養の二種類に分類
できるが、同時にしなさい、と書かれております。金と人を貢げばシュダ
オンになれる、なんてどこにも書かれていません。

私と深山さんのどちらが正しいか、関心ある方は私が示した本のページを
見てください。私が本当のこと言ってるのがわかるでしょう。
深山さんを、嘘つきだ、までとは申しませんが、勘違いか記憶違いで、
誤った修行をしてきたことは、間違いありません。

342ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/23(土) 13:54:26 ID:SmEF4Oe2O
>>340
あなたの書き込みが現役信者が退会しなくても済むように理解納得する効果が
あるかないかはさておき(私には逆効果にしか見えないのだがね)、例祭はサボらずに
例祭が終わった時間、例祭でない日に一所懸命擁護の書き込みをして役立てたいという
発想はないわけ?
単に法恩なんてどうでもいいからサボりたいことの言い訳にしか聞こえない。
また一人退会に心が傾く不徳な書き込みをしてしまいましたな。

343準シュダオン:2009/05/23(土) 13:56:18 ID:XESnzsYQ0
私が、修行も梵行も供養もぜんぜんしない、なんて誤解してはいけません。
それなりにしてますよ。ただ、無理しない、ということです。

例えば、お金を供養する場合、私の態度は、
「なにか果報があれば嬉しいですが、全く果報が無くても少しも文句があり
ません。」です。

たとえ果報がまったく無くても、一切文句は言いません。
と、いう姿勢ですから、無理な供養などはしない、わけです。
ほどほどのところを、見つけるわけです。

344ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/23(土) 15:35:19 ID:SmEF4Oe2O
>>341
横レスですが嘘ではありませんよ。
修行者座右宝鑑をご覧なさい。
因縁解脱の条件として「みささげ」をすることが求められている。
みささげとは誠意をこめたボン行労働奉仕もそうだし、金を教団に喜捨することも
含まれる。一番喜ばれるのが、お導きをして信者を入信させることです。
これは十六法とも矛盾しないでしょ?
お導き勧誘実績というのは各種伝法の条件になっているものもある。
屋敷浄霊、メシアの法第2期、それから廃止されたが因縁解脱修行宝鑑の下付、
それも3人導けば無料、1人だけならプラス1万円と金で代用できる部分もある。
だから人、金、労働奉仕のみささげは絶対に必要なのです。
それは因縁解脱の条件なのです。
いくらナモナモ勤行してもバイブレーションを受けた気になっても、それだけでは
徳が足りない。
桐山さんだって教団を立ち上げるにあたって御霊示があったのだそうだが
「今だ、起て。教えを広めよ。力は与えてある。徳は自ら積むものだ」と命じられ
徳は自分の実践努力によって培われるものとした。
みささげの努力をすることにより、解脱に必要な徳が生じて、逆に言うと
このみささげの努力による徳積みをしない限り因縁解脱も得られないし、
シュダオンもない。
どうです?人生ラクをするのがあなたの信仰の動機であるとあなたはかつて
語っていたが、なかなか面倒でしょう?
昔は仕事でも上司からさんざん叱られ、真冬に頭から水をかぶろうとしたこともある
あなたも忍耐を重ねて最近では要職という名の閑職に追いやられた結果、
楽もできるようになった。せっかく楽ができている時に誰が好き好んでそんな面倒な
みささげ奉仕なんかするものか!法恩なんてくそ食らえ。功徳さえあれば
恩返しなんか知ったことか、という気持ちがあるから今日も例祭をサボっているのでしょ?
ところで今日は例祭なんですか?
私は知らないのです。
あなたなら知ってるでしょ?

345ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/23(土) 15:42:50 ID:SmEF4Oe2O
>>343
だから無理にしないと言うが、これは無理でやり過ぎ、これならばできるという
活動実践基準を書いてご覧なさい。
今日例祭に運営修行で参加している人は決して無理でやり過ぎとは思わない。
なぜならば月に1回時間を割くだけだからです。
これが毎日とか隔日参加せよとなると無理であり、やり過ぎですけどね。
仕事にも私生活にも支障をきたす。
例祭日に仕事が重なる時は仕方がない。
でも掲示板に書きこみして遊んでる暇があったら、その時間を例祭奉仕に費やす
のは無理な話ではない。
書きこみは後からじっくりすればよいのだから。

346名無しさん:2009/05/23(土) 18:56:21 ID:uDdi3FXk0
>>315 :準シュダオン:2009/05/22(金) 10:48:29 ID:XESnzsYQ0
>それ以降も、生計は民間会社で立ててるし、他の人に押されて公職にも就いて
>ます。公金にも関わるし、脳梗塞なら辞めさせられます。

脳梗塞でも辞めさせられるなんてありません。
あなたはこちらが言ってもいないことを勝手に作り上げ、
すでに何度も反論されたことを無視して、また同じ事を書き続ける。
脳梗塞かどうかは別として、あなたの記憶力が極端に減退しているのは事実です。
私とユビキタスさんに反論されたことなんて覚えていないのでしょう?
何ヶ月も何年も前のことではなく、ここ数日の議論ですら忘れている。
あなたが会社で相談役や顧問などの名誉職をしていたとしても、
それと脳梗塞とは関係がないのです。
その事例として、ユビキタスさんが桐山さん本人を出したのを忘れましたか。
桐山さんもインドで脳障害を起こしたが、それ以降も宗教詐欺に大活躍です。
むしろ、その後にアゴン宗は最盛期を迎えた。

347名無しさん:2009/05/23(土) 18:59:51 ID:uDdi3FXk0
>>328 :準シュダオン:2009/05/22(金) 16:47:23 ID:XESnzsYQ0
>脳梗塞は兆候から数年後に起きる可能性があるのですか?
>もうあれから数年は経過してるのですけどね、まぁ気をつけておきましょう。

スレの主旨から外れるが、あなたのために再度書きます。
数年後ではなく、脳梗塞は今あなたの脳の中でおきているのだ。
脳梗塞とは、桐山さんのように激震だけが脳梗塞ではありません。
老人の脳はだんだん萎縮していくのは、全部といわないが、
自覚症状のない小さな脳梗塞(多発性の小梗塞)がおきているのです。
前に私の知人のケースも書いた。
彼はたぶんあなたよりも年上だが、日常に何の問題もなく仕事をしている。
倒れたことも、あなたのような具体的な症状を訴えたこともありません。
だが、若い頃から酒とたばこをたしなんだので、脳の断層撮影をすると、
小さい脳梗塞の跡がたくさんみられた。
話をしていると、あなたなどよりよほど記憶はしっかしています。
だが、彼の脳は脳梗塞を起こし、一部に萎縮や隙間がみられる。
あなたの読解力の低さが、若い頃からなのか、老人になってからなのかは
わからないが、記憶力はあきらかに減退している。
だから、今回も、新しいことを書いたつもりで、
前にすでに何度も書いて反論されたことをクドクドと書いている。
新しいことを忘れるのは老人によくあることで、記憶をつかさどる部位が
崩壊しているからです。
つまり、あなたの脳は小さな脳梗塞が起きつつあるのです。
その比較的大きな症状が、数年前におきたという聖なるバイブです。

348深山:2009/05/23(土) 19:02:11 ID:uDdi3FXk0
>>315 :準シュダオン:2009/05/22(金) 10:48:29 ID:XESnzsYQ0
>それから霊的バイブレーションは、自宅で起こりました。
>まったく思念の相承なんて意識のない頃、忘れていたころ、起きました。
>それが霊的バイブレーションであることを、言葉で説明はできません。
>そのように感じるのだから、仕方がないのです。
>これ以降、四沙門果という四つの階梯を、本当に信じるようになりましたね。

だから、違うと言っているのです。
桐山さんは預流や預流向の条件を示している。
私は本からそれを引用してあげたのに、どうしてあなたは無視するのだ?
私ではなく、あなたの尊敬する桐山さんが言っているのですよ。
本をちゃんと読みなさい、というよりも、この本の預流の話は
ザであなたが引用したのです。
あなたの預流向は桐山さんの条件に合わない。
桐山さんは、霊的バイブでシュダオンになるなんて言っていません。
また、霊的バイブで預流向になったという信者の存在も認めていません。
桐山さんの預流や預流向の条件と、あなたの主張とは違う。
桐山さんは練脳塾と、解脱供養と冥徳解脱による霊的浄化を
預流と預流向の「必修科目」にしている。
だが、あなたはこの二つの必修科目を受けていないから、預流向もありえません。
あなたの主張は、センター試験も受けていない学生が
東大に合格しましたと言っているようなもので、ありえない。

349深山:2009/05/23(土) 19:06:53 ID:uDdi3FXk0
>>327 :準シュダオン:2009/05/22(金) 16:35:24 ID:XESnzsYQ0
>預流向だと自惚れ?
>可笑しいね。預流向は一番下の位ですよ。仏教信者のスタート地点が預流向
>なのですよ。だから、自称預流向というのは、一番の下座の精進ですよ。
>ですから私は預流向ではなく、準シュダオンを名乗ったのです。もう少しで
>シュダオンに到達できる、という感じを得たからね。

すでに何度も言ったことだが、あなた個人の宗教観とアゴン宗の話を区別してください。
腹の中で何をどう思おうが信じようがあなたの自由だ。
だが、ここはアゴン宗について議論しているのだから、
アゴン宗が認めていないことを出されても何の説得力もないし、
信者ですらうれしくない。
あなたも年長者として、若者に見本を示すべき年齢ですよね。
「本当は書きたくなかった」と前に書きましたよね?
だったら、書くな。
書かなければいい。
だれもあなたに、「君は預流向か」とは質問していない。
あなたは書きたくなかったし、誰も聞きたくないのだから、
互いの方向性は一致している。
なのに、どうしていつまでもいつまでも同じ主張を繰り返すのだ?
結局、アゴン宗の議論ではなく、「オレ様は預流向だぜ」と自慢話をしたいからです。
そういうのを自惚れだと、あなたの鼻先にぶら下げた慢心を指摘しただけです。

350深山:2009/05/23(土) 19:11:47 ID:uDdi3FXk0
>>327 :準シュダオン:2009/05/22(金) 16:35:24 ID:XESnzsYQ0
>預流向だと自惚れ?
>可笑しいね。預流向は一番下の位ですよ。仏教信者のスタート地点が預流向
>なのですよ。だから、自称預流向というのは、一番の下座の精進ですよ。

おかしいのはあなたの頭だけです。
なぜなら、あなた以外には誰一人としてあなたを預流向とは認めていない。
仏教の預流向ならば、あなたは絶対に預流向ではありえない。
これはあなたに限らず、アゴン宗の信者で預流や預流向の人など一人もいない。
それはヒマラヤの山頂で水泳をしたと言っているのと同じで、ありえないことです。
これはすでに何度も説明したとおりです。
仏教の預流とは、身見、疑惑、戒取を断ち切った人です。
預流向なのだから、これに向かって歩んでいる人です。
たが、霊魂がある、不成仏霊がいると信じているアゴン宗は身見に違反している。
釈尊の説く漏尽解脱を小解脱として罵って、信じようとしないだから、
アゴン宗の信者は疑惑に囚われている。
釈尊が禁止した外道の護摩や死者成仏を信じて、これを積極的に
実践しているのだから、戒取に違反する。
ごらんのように、アゴン宗の信者がシュダオンや預流向になることは
絶対に不可能です。
つまり、あなたはアゴン宗の預流向ではないし、また台所のゴキが
清潔なはずがないのと同じで、あなたが仏教の預流向であるなど絶対にありえません。

351深山:2009/05/23(土) 19:14:32 ID:uDdi3FXk0
>>327 :準シュダオン:2009/05/22(金) 16:35:24 ID:XESnzsYQ0
>私がここにレスしてるのは、管長の教え
>を間違えて解釈し、批判してることを真に受けて、退会を考える迷える信徒
>のためですよ。
>>340 :準シュダオン:2009/05/23(土) 13:22:26 ID:XESnzsYQ0
>私のレスを見て、迷える信徒さんが1人でも、退会を延期してくれたら例祭を
>サボって書いた効果があるというものです。十分に法恩謝徳になります、

また同じ事を書いている。
あなたとの議論は信者に事実を伝える機会になるから、
読んでいる信者さんたちはいよいよ桐山さんに不信の念を持ちます。
三供養品の議論をしてくれたおかげで、ここに初めてきた信者すらも、
三供養品に供養の文字がないことに気が付いたばかりか、
三供養品という名前が経典の題名でないと聞いて、またまたびっくり。
三福道と書いてある経典が桐山さんの捏造で、
阿含経には存在しないと聞いて、常識のある信者なら、大ショックです。
しかも、仏教辞典などから三善根の意味を引いて、
三供養品の意味を丁寧に説明すれば、桐山さんやあなたみたいな
ねじくれた解釈など必要としない普通の経典だと気が付く。
出家に無貪・無瞋・無癡を成就して解脱するように説いた普通の経典です。
しかも、あなたは議論内容をすぐに忘れて、同じ事を繰り返す。
そのたびに私がまた説明するから、信者はいやでも同じ内容を
読まされ、やがて理解し、記憶する。
そこがあなたのように記憶力が著しく減退している人とは違う。

352名無しさん:2009/05/23(土) 19:16:11 ID:uDdi3FXk0
>>327 :準シュダオン:2009/05/22(金) 16:35:24 ID:XESnzsYQ0
>単に数字だけを追う護摩木勧進とか、導き行とか、間違えた梵行ではいけな
>いでしょうけどね。

「誓願なきは菩薩の魔事なり」
これを桐山さんはしばしば修行者たちに引用する。
誓願とは、護摩木や導きの数の数字そのものです。
数字を仏様に誓願して、それを達成するのが修行であり、
その数字を出しもない者の修行は魔物の修行ゴッコだと批判している。
あなたのことです。
あなたはこれを「間違えた梵行」と言った。
桐山さんの御指導を間違えた梵行と罵ったのだ。

353深山:2009/05/23(土) 19:18:34 ID:uDdi3FXk0
>>340 :準シュダオン:2009/05/23(土) 13:22:26 ID:XESnzsYQ0
>霊的バイブレーションを受けるコツを、管長は法話で話してます。
>護摩木を一万本勧進した者が、千本勧進した者より優先して受けられる、と
>いうものではありません。もちろん、勧進が少ないからといって優先もされ
>ません。要は、心構えでしょう。

それであなたの心構えのどこが他の信者と違ってご立派なのだ?
例祭にもいかず、ろくなボン行もせず、桐山さんの示す課行を無視して、
勝手に預流向を名乗り、しかも自分の行の足りなさを言い訳して、
その「さぼり」は信者に見本を示すためだとうそぶく。
反論されてもその場できれいに忘れて、自分が書いたことすらも忘れて、
ひたすら同じ事を繰り返し繰り返し書くだけ。
あなたは信者さんたちの良い見本ですよ。
なぜなら、ひたすら「言い訳」をしている姿が桐山さんそっくりだからです。
現実をあるがままに認めるのではなく、桐山さんも自分のセコイ犯罪を
仏様が手配した十界修行だとまで言い訳を並べた。
霊的バイブを受ける方法なら桐山さんがちゃんと説明しています。
「徳」しだいです。
だから、アゴン宗に金と人を貢いで徳を積み、
それによって仏が感応道交して、デンパを出したくれるのです。
アゴン宗のホトケ様はこのようにしっかりと徳という預貯金による
現金決済だから、あなたみたいに徳を積まない人の所には
デンパは出してくれません。

354深山:2009/05/23(土) 19:24:41 ID:uDdi3FXk0
>>316 :準シュダオン:2009/05/22(金) 11:14:24 ID:XESnzsYQ0
>もう一度書きますが、厳密にいうと、無貪瞋痴は修行法ではありません。

無貪・無瞋・無癡が修行法だと誰が主張したのですか。
あなたが勝手に上記を言い出したにすぎない。
そんなことは議論にすらなっていない。
あなたはそうやって、何か自分が大発見したかのように錯覚すると
大喜びで、何を反論されようが、どれほど場違いであろうが
関係無しにずっと主張し続ける癖がありますね。
批判側のたびたびの反論は全部無視です。
耳の遠い年寄りのために何度も説明しなおしましょう。
「功徳をうえる」というのが修行法だとあなたは言う。
ではあなたに聞くが、その功徳をうえるという修行法が
供養であるとどこにあるのだ?
私はこれを何度もあなたに質問している。
だが、あなたは完全無視して、上記のような同じことを繰り返している。
「功徳をうえる」が修行法を示すとしても、それは供養などではありません。
なぜなら、どこにも供養なんて言葉は存在しないからです。
三供養品の本文にも題名にもない。
もう一つあなたに質問するが、供養がどうして修行なのだ?
桐山さんから供養を修行であるかのような錯覚させられているようだが、
供養とは供養であって、修行などではありません。
阿含経のどこに供養が修行だとあるのだ?
示してみなさい。

355名無しさん:2009/05/23(土) 19:27:16 ID:uDdi3FXk0
>>316 :準シュダオン:2009/05/22(金) 11:14:24 ID:XESnzsYQ0
>遊行経に、有六不退法が説かれています。

また、同じ主張がはじまった・・・いやはや。
六不退法に二通りあるからといって、だから何なのだ?
今は三善根というある特定の言葉について議論しているであって、
六不退法に二つの意味がある(かどうか別にして)ことと、
三善根とどう関係しているのですか。
「佐藤さんは二人兄弟だ。したがって、山田さんも二人兄弟に違いない」
こんなことを言っている人がいたら、頭がおかしいと思いませんか。
だが、あなたの言っていることはこれと同じなのですよ。
佐藤さんの兄弟数と山田さんの兄弟数はまったく関係ないし、脈絡もない。
六不退法に、仮に二つの意味があるとするなら、どうして三善根にも
二つの意味があることになるのですか。
仏教用語には二つの意味どころか、複数の意味があることなど珍しくもない。
だから、三善根に二つの意味があってもかまいませんよ。
だが、三善根に二つの意味があると主張するのなら、根拠を示すべきです。
あなたの示した根拠は六不退法という三善根とは関係ない話です。
山田さんが二人兄弟であることを示すのに、佐藤さんの兄弟数を持ってきても意味がない。
あなたみたいに人にはどうやって説明したら、この違いを理解してもらえるのだろう。

356深山:2009/05/23(土) 19:30:29 ID:uDdi3FXk0
>>316 :準シュダオン:2009/05/22(金) 11:14:24 ID:XESnzsYQ0
>遊行経に、有六不退法が説かれています。

あなたにはすでに五回以上言ったことをもう一度繰り返します。

「桐山さんは三善根に二つの意味があるとは言っていない。」
「学者は三善根に二つの意味があるとは言っていない。」

桐山さんは「三善根=三福道」としており、他の経典の三善根と意味が
違うなんて言っていない。
学者たちによれば、「三善根=無貪・無瞋・無癡」以外の意味などありません。
つまり、三善根に二つの意味があると主張しているのは、
準シュダオンさんだけであって、桐山さんも学者もいっさい説いていない。
準シュダオンさん個人の宗教観にすぎないのです。
ここはアゴン宗について議論する場だから、個人の宗教観を出さないで
くれと頼んでいる意味が理解できませんか・・・できないようですね。
あなたが年寄りであり、年齢よりも記憶力や読解力が著しく劣化していることを
前提として何度も同じ説明を繰り返している。
しかし、議論のマナーを指摘されたら、少なくとも、
桐山さんが言っていないことを主張するのはやめてくれませんか。

357深山:2009/05/23(土) 19:36:06 ID:uDdi3FXk0
>>329 :準シュダオン:2009/05/22(金) 17:01:28 ID:XESnzsYQ0
>だから、管長は四念処法などの成仏法を教えていない、という批判は当たら
>ないのです。そういう批判者は、本の内容を読み取れていないだけですね。
>>337 :準シュダオン:2009/05/23(土) 13:10:26 ID:XESnzsYQ0
>管長は瞑想を実地で教えてますでしょ、大日さん。メシャの法として教えま

これも私の>>223-225などの反論は完全無視ですね。
四日もたっているから、あなたの頭からは完全に消えているのでしょう。
桐山さんが四念処を体得したはずないのです。
それは絶対にありえない。
なぜなら、彼は四念処の内容を理解していないからです。
それは桐山さんが、四念処を瞑想であるとしている点です。
あなたは桐山さんが四念処を体得していることを前提としている。
こちらはあなたのその前提すらも認めていないのです。
私はその根拠も示した。
だが、あなたは完全無視して、まるで桐山さんが体得したことは
当たり前のことのように主張している。
だったら、桐山さんの説を擁護するために、まずは「四念処は瞑想である」
と書いている阿含経を示してください。

358深山:2009/05/23(土) 19:42:13 ID:uDdi3FXk0
>>341 :準シュダオン:2009/05/23(土) 13:49:00 ID:XESnzsYQ0
>どこかに深山さんが、
>「阿含宗に金と人を貢ぎ続けたらシュダオンになれる」と管長が説いてる、
>とレスしてた。そのようなことは聞いた覚えがない。たぶん嘘です。

他人の書いていることを嘘だと批判するなら「たぶん」ではなく、
具体的に証拠をだしなさい。
桐山さんが供養と修行と言っているというが、
では、その修行とは具体的に何を指すのだ?
あなたはそれを三十七道品の一部をするのだなどという
とてつもない説を出した。
あれこそ嘘です。
あなたの悪い癖で、どんなに自分の間違いを指摘されても、
絶対に自分の非を認めない。
涼しい顔をして、口を拭い、こちらが嘘をついているなど別な話を始める。
桐山さんのいう在家の修行とは、
1.仏舎利供養=御奉仕供養(ボン行、報恩謝徳の行)+礼拝供養
2.先祖供養=解脱供養+冥徳供養
3.心解脱行
の三つです。(『修行者座右宝鑑』118頁)
三つのうち、なんと二つまでは供養の名前がついている。
これだけでも、アゴン宗での供養と修行など区別がつかず、
ほぼ同じ内容であることがわかる。
現場で実践していたら、こんなことは説明されなくてもわかる。
あなたはろくに何もしていないから、両者が違うかのように
思いこんでいるのです。

359深山:2009/05/23(土) 19:45:31 ID:uDdi3FXk0
>>341 :準シュダオン:2009/05/23(土) 13:49:00 ID:XESnzsYQ0
>阿含仏教」P354、でしてあります。それは修行と供養の二種類に分類
>できるが、同時にしなさい、と書かれております。金と人を貢げばシュダ

まず3の心解脱行からいくと、この中身は、アゴン宗に疑問をはさむことは
けしからんことで、桐山ゲイカの指示どおりに、1と2の供養を
実践する従順な心を持つことです。
しかも、心解脱するためには、1と2のご供養による福徳をいただかないと
心の因縁は切れないと桐山さんは述べている。(135頁)
3を実践するためには、供養が必要だと言っているのです。
そのくらい在家の修行とは供養こそが大事だと言っているのです。
つまり、アゴン宗の在家の修行とは事実上、供養だけです。
そこで供養の中身です。

360深山:2009/05/23(土) 19:47:33 ID:uDdi3FXk0
>>341 :準シュダオン:2009/05/23(土) 13:49:00 ID:XESnzsYQ0
>阿含仏教」P354、でしてあります。それは修行と供養の二種類に分類
>できるが、同時にしなさい、と書かれております。金と人を貢げばシュダ

1.仏舎利供養=御奉仕供養(ボン行、報恩謝徳の行)+礼拝供養
仏舎利になってからは礼拝供養の経典勤行は毎日する必要はないことになっている。
その理由として、桐山さんは徳を積むことのほうが大切だからだと言っている。
それが御奉仕供養であり、アゴン宗のいうボン行です。
あなたは、法恩謝徳などと変な名前をつけて自分の行為を正当化していたが、
アゴン宗の報恩謝徳とはボン行のことを指している。
あなたのような勝手な振る舞いを報恩謝徳とは言いません。
「御奉仕供養」をミササゲ供養と読ませている。
桐山さんはボン行の中身として「物品、金銭、身の動き」を指摘している。
つまり、仏舎利供養とは金と労力を提供することです。

361深山:2009/05/23(土) 19:51:09 ID:uDdi3FXk0
>>341 :準シュダオン:2009/05/23(土) 13:49:00 ID:XESnzsYQ0
>阿含仏教」P354、でしてあります。それは修行と供養の二種類に分類
>できるが、同時にしなさい、と書かれております。金と人を貢げばシュダ

2.先祖供養=解脱供養+冥徳供養
オシャカの成仏ホーをもって供養しなければ、不成仏霊も霊障のホトケも
絶対に成仏しない!
だから、解脱供養と冥徳供養は必修科目です。
これは桐山ゲイカしか霊視できないから、ゲイカから「もういい」と
言われるまで出し続けないといけない。
解脱供養と冥徳供養はことごとく金がかかる。
金を出さないで供養してくれるのは一つもない。
つまり、在家のしなければならない先祖供養とはお金そのものです。
1〜3で桐山さんが示した在家の供養と修行とは金と労力です。
あなたは前に、供養の中に広施の行として布教活動を出していた。
そのとおりで、アゴン宗では信者獲得こそが仏への供養であり、
大きく徳を積むことになる。
三人導き、十三人の輪など、いずれも桐山さんははっきりと数値目標を
示して、徳を積むように指導し、見返りもはっきりと示した。
このようにしてみれば、桐山さんの言っている在家の修行内容とは
金(と労力)と人を出せということに尽きてしまう。

362深山:2009/05/23(土) 19:52:45 ID:uDdi3FXk0
>>341 :準シュダオン:2009/05/23(土) 13:49:00 ID:XESnzsYQ0
>深山さんを、嘘つきだ、までとは申しませんが、勘違いか記憶違いで、
>誤った修行をしてきたことは、間違いありません

因縁を切り、やがてアゴン宗シュダオンになれるのは、
こういう桐山さんの指示に従って、言われたとおりに金と人を貢いだ人です。
だから、シュダオンになるための練脳塾で一番進んでいる人たちは、
長年にわたり金と人を捧げてきた人たちばかりです。
そもそも、練脳塾に参加するのにも供養金と導きが必要だった。
これらの桐山さんの指導をみればわかるように、
アゴン宗シュダオンになるには、金と人を桐山さんの言うとおりに
貢ぎ続けることが最低条件です。
あなたが引用した本と座右宝鑑に基づき、アゴン宗の教義を示した。
桐山さんの指示に従わず、勝手な解釈をして、誤った修行をしているのはあなたです。
だから、準シュダオンさんは絶対に預流向になどなっていない。
修行者座右宝鑑くらいしっかりと読みなさい。

363深山:2009/05/23(土) 19:57:09 ID:uDdi3FXk0
>>343 :準シュダオン:2009/05/23(土) 13:56:18 ID:XESnzsYQ0
>例えば、お金を供養する場合、私の態度は、
>「なにか果報があれば嬉しいですが、全く果報が無くても少しも文句があり
>ません。」です。

なるほど、あなたは果報をおねだりしながら、金を出しているのですね。
私はあなたみたいに「果報があれば嬉しい」なんて思って解脱供養や
冥徳供養を出してことは一度もない。
ミササゲ供養とは、果報をくださいなどと願って出すのではない。
解脱供養とは先祖を助け、家系を浄化するために出すのです。
施主は十万円の供養の功徳すら受け取らず、それを霊障のホトケとなって
苦しんでいる徳の低い先祖に廻向してあげる。
解脱供養を出すとき、先祖が成仏してくれること以外、
何も願ったことはないし、果報なんて考えたこともない。
だが、上記を見ると、どうやら、あなたは果報を内心期待しながら
出してが、果報がないので、出すのをやめたようですね。
準シュダオンさんがどういう意図で供養をしたのか、
あなたの餓鬼の本音が出ていてわかりやすい。

364大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/23(土) 20:52:46 ID:Y89vcS5.0
準ジュダオンさん、書き込みありがとうございます。
ですが、>>331の私の質問に回答のある部分とない部分がありますね。
分析します。

@への回答は>>337
>管長は瞑想を実地で教えてますでしょ、大日さん。メシャの法として教えま
したが、あれは般若心経瞑想法やパール瞑想法と、基本は共通のものですよ。

私が言っているのはグモンジスクールでの指導ではなく、般若心経瞑想法についても
指導されているか、です。ちなみに追加質問しますが、準ジュダオンさんはグモンジ
スクールに入講されてますか?

また、パールと般若心経瞑想法は基本は同じ、と申されていますが、瞑想の基本の
是非を私が問うてるのではなく、成仏法の直結した瞑想で深い指導をゲイカが直に
やられているのか、を問うたわけです。
ちなみに私の知り合いや宗務のかたにも聞きましたが、指導はされてないそうです。

単なる普通の瞑想ならA宗にいなくても、本だけ読んで自学でも出来ます。
しかし、こと成仏法が絡む高度な瞑想や指導と言うものをゲイカはされていない、と
私は言うわけです。ですので@の答えは答えにならないです。

Aへの回答は
>空を悟るのは程度の問題です。般若心経瞑想法の実践の頁に、「変じて観自
在菩薩になる」とか、さまざまあるでしょう。あれは自分自身が観自在菩薩
になる瞑想ですね。あの本を良く読んで、五陰や十二処や十八界を理解して、
それらが無常であり、空であることを瞑想するわけ、ですね。
境界がかなりすすんだ信徒も居る、と私は思いますね。

このコピペ最後の文章のところでも答えになってないですね。”思う”だけでは
証明にならないからです。実際にいるのかいないのかが示されないと憶測では
信用が出来ません。ましてゲイカが「こいつは空を悟っている信徒だ」というのを
一人たりとも示したことが無いし、宗務にも聞いてください。
未だ「ああ、OOの道場にいますよ」ということは絶対に聞けませんから。

>五陰や十二処や十八界が、無常であり、執着してはいけないものであることを
理解しなくては、自分が観自在菩薩になる観想など、出来ないでしょう。
四念処法とは、1、身について、2、感受について、3、無常について、
4、無我について、の四つの観想でしょう。般若心経瞑想法の本の内容その
ものでしょう。五陰(色受想行識)十二処十八界(眼耳鼻舌身意・色声香味
触法・眼識耳識鼻識舌識身識意識)など、あるいは無常や無我について、
管長は詳しく解説しております。あるいは、12支縁起の修観法とか四諦と
か。これらの瞑想法は不二一体のものである、との管長の講義を聞いた記憶
がありますよ。

これはBに対する答えと取っていいのでしょうか?
説明はたいしたもの?ですが、私が伺いたいのはそこではない。
貴方が力説する「空」とやらを体得したのか・否かなのです。
講義を聴いた云々を問うているのではないのです。

Cについては深山さんが以前にも書かれていますように、ゲイカの解説は間違っています。
それなのにゲイカ説ばかりを主張される。確認してみようとは思わないのですか?
間違った修行をしていない、と申されてますが、もうすでにA宗信者は層ざらえで間違っています。
それはゲイカ説を確認しないからです。嘘だと思ったら調べて深山さんの言ったことと比較すれば
いい。もし深山さんが嘘をついていたら、深山さんの言ったことは跡形も無く消える。
嘘ならずすぐばれますから。ゲイカと深山さんとどっちが本当か確認されたほうがいい。

第一、成仏法・成仏法と叫ぶゲイカが肝心の成仏法の中身を教えてないのですよ。
また、教えるというのは実際に手をとり足をとり、じっくり分るまで教え込む、ということです。
本に書いて「それを読め」という姿勢は”教え”とは言わないのです。

般若心経瞑想法の本の内容を読んで自学だけで会得したというのなら、貴方はゲイカと同等の
天才か異端児です。ゲイカは秘法を易々教えないという性格の人間です。
それなのにマスターした??? だから私は問うのです。
まだ、誰にも(深田さんは別かもしれないが)教えてない技術を般若心経瞑想法の本の内容
やら、ゲイカの本に書かれてある”講釈”だけで成仏法の修行???

思い込みは結構ですが、真実を語れないのなら嘘をついているか想像で物を言っている、と
判断されますがいかがでしょうか?

365準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
私はグモンジスクールに入校しています。
空を体得した人がいますか?との質問ですが、やはり程度の問題でしょう。
私は、準シュダオンの程度に、「空」を悟ったのです。
シュダオン程度に悟った信徒もいると思います。
このことは自称するしか、方法はありません。
お釈迦様にしても、我は仏なり、と自称したのですから。

遊行経で、釈迦は阿難に、「陰界入無我 乃名第一供」と説いています。
これは、「何を如来供養と名つけるのか?」との問いに釈迦が答えて説いた
ものです。「如来の教えを実践するならば如来供養である」と答えてから、
「陰界入無我」が、第一の供養である、と述べています。
これを、学者先生は、五陰十二処十八界が無常・無我であることを悟って、
とらわれないこと、と和訳しております。
管長が著した「般若心経瞑想法」内容こそ、四念処法の解説であり如来供養
の第一、と私はとらえました。
私は、管長の「無我」の解説は正しい、と思います。
私とて、多少は「無我」の学者説も読みますよ、その上での結論。

「有三善根 於如来所 功徳種」という解釈についてですが、
たとえば、三聚経には、
「云何三法向善趣 謂三善根 無貪善根 無瞋善根 無痴善根」
と、あり、三善根の内容を説明しています。

また、十上経には、
「云何三増法 謂三善根 無貪善根 無瞋善根 無痴善根」
と、あり、これまた三善根の内容を説明しています。

ですから、「有三善根 於如来所 功徳種」という経の三善根に、無貪瞋痴
という語が少しも出ていないのは、その意味ではないからでしょう。
やはり管長が言う、「功徳種とは、修行と供養の二つの意味」との説明が
正しいのです。私の法友に現職教員も何人もいますが、国語・漢文が専門の
教員も私と同じ見解ですよ。

366準シュダオン:2009/05/24(日) 18:25:50 ID:XESnzsYQ0
深山さんは思い込みが酷すぎます。
だから信者時代は、管長を絶対視、し過ぎて、無理な信仰になったのです。
果報を求めて供養したことはない、というのも異常です。
普通の人は、果報を喜ぶものです。

私は、「果報があれば嬉しいけど、無くても一切、不平不満はありません」
という考えですから、身の丈以上の無理な供養はあり得ません。
果報があれば、普通の人は嬉しいのではないですか?
果報とは、解脱が進む果報を含めてですよ。

果報を求めない供養とは、一体何のための供養ですか?
果報を求めて供養したことはない、なんて、
私には詭弁にしか聞こえないし、ウソのようにキコエマスネエ。

367ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/24(日) 19:20:00 ID:SmEF4Oe2O
>>365
例祭も終って帰宅したってところかな?
さて、あなたはよい経典を示しましたね。
この三善根経典には供養なんて言葉は少しも出てこないわけですが、しかし
全然別の経典においてすら、如来供養とは如来の教えを実践することと書いてある
ではありませんか?もちろん食べ物や衣類などをさしあげるのも供養なんだが
最善の供養とは釈尊が説いた三毒煩悩を減らしてなくする教えを実践することなんです。
ましてや三善根の種をうえるとなると三善根(を得るように)実践をすることになり
ここに布施など限定できない。
功徳の種を植える、蒔くことは布施供養とは限らなく、身をもって実践を行う
ことは、アゴン宗の和讃にもある。「解脱宝生願うなら梵行功徳の種を蒔け」
アゴン宗のボン行は本当の梵行と異なるが、行というように行動実践のことであり
行動実践をすることが種蒔きなのです。
それからあなたが出した三善根の意味を説いた経典はそれがあることがやはり
この経典もまたその三善根である証拠なんです。
かつてよさんもそんなことを言っていたが全く逆なんですよ。
逆にそのような経典がなかったら三つの善根と言われていかようにも解釈されてしまう。
この経典でも三善根の意味をいちいち説明しなければならないか?
そんなことを言ったら涅槃界とは何なのかどうして経典に解説がないのか?
桐山さんは自シュダオン至アナゴン断五下分結と付け足したのはあくまでも自分の
補足だとして原文にはないことを認めている。
いや、シュダオンってなんだ?アナゴンってなんだ?五下分結ってなんだ?
如来ってなんだ?いちいち解説を添えないと別の意味もあり得るのか?
ここでいう如来とは「来たようだ」つまりなんかしらんが来たような人、つまり
訪問者全般を指すのであり仏を指すのではないとか。

368ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/24(日) 19:59:09 ID:SmEF4Oe2O
>>365
陰界入無我を悟ることこそ供養ですか?
なるほど。意味深だ。
しかし桐山さんが三福道どとく三つの供養とは悟りを得ることにはなってないのですよ。
あなたは四念処→般若心経瞑想法を証明したいが為に、陰界入無我の悟りを出した
はよいが、悟ることが供養なんてヤバイ経典を出してしまいましたね。
それから三善根について。
如来の所、正法、聖衆に善根の種をうえるのだと言う。
ではその善根って、具体的に何よ?ってな話になる。
布施供養もたしかにその一つと想定はできるが、あなたの理屈で言うと、
はっきりとした解説が示されてない。
それに如来さんに供養するのはよいが、正法に食べ物を供養するって何?
それから「末世成仏本尊経講義」で桐山さんが、この如来は釈尊のことではない
と書いている文を見つけましたか?
その理由は正法にあるというわけのわからんものです。

369ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/24(日) 20:53:15 ID:SmEF4Oe2O
>>366
話の流れはこうです。
あなたは>>343で無理はしないことを強調した。
つまり無理のある供養の否定、批判が根底にある。
あなたは昔から批判していた。
解脱供養を十何体、何十体もする信者の多いことを聞いて、それは行き過ぎ、やり過ぎ
無理のある供養はいかんとしていた。
しかしその解脱供養の申し込みに応じて霊障の先祖を指摘して早く供養せよと
命じているのは誰なのか?
冥徳供養などはこちらからストップを示さない限り自動的に不成仏霊をどんどん
霊視して生産してくれる。
不成仏霊、霊障ですよ。影響を受ける自分も大変だが、金払って供養さしあげないと
こうしている今でもご先祖様は苦しんでいる。
自分のことなら我慢もするが、一刻も早く苦しむ先祖を成仏させてあげたい。
これが人質をとられた者の当たり前の心情であり、そこには自分の果報など
度外視して、供養をする。
それをあなたは欲張り、やり過ぎのように罵り、批判した。
あなたは大丈夫なのですね?人質を助けたければ金を出せと強要される。
あなたはほうっておけばよいと言うのか?
そのままいつまでも苦しませておけ。無理はいかんのだから。
あなたは本当は信じていないのでしょ?
桐山さんの霊視だの霊障だの解脱供養だのと。
そんなことより自分に果報があることを求める。
質問する。霊障を抱えた、霊障を受けたシュダオンはいるのか?
あなたは解脱供養を申し込んだら該当なしと言われるとでも言うのか?
それとも無理はしたくないから、霊障の先祖には苦しませておけと見放す自分勝手な
薄情者か?

370名無しさん:2009/05/24(日) 22:53:15 ID:1J36nHEQ0
>>365 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
>ですから、「有三善根 於如来所 功徳種」という経の三善根に、無貪瞋痴
>という語が少しも出ていないのは、その意味ではないからでしょう。
>やはり管長が言う、「功徳種とは、修行と供養の二つの意味」との説明が
>正しいのです。

>>356に書いたことは完全無視して、相変わらず、
三善根に二種類あるという自説を唱え続ける。
居間でオシッコをしないでくれと言われてもわからないようですね。
わかりやすいようにと、行をあけて、二行で端的にまとめてあげても、
意味が理解できないらしい。

「桐山さんは三善根に二つの意味があるとは言っていない。」
「学者は三善根に二つの意味があるとは言っていない。」

桐山さんも学者も、三善根に二種類あるとは唱えていないのです。
アゴン宗でも仏教学でも、三善根には一つしか意味がない。
二種類あると唱えているのは準シュダオンさんだけなのです。
スレの題名をよく見て下さい。
「阿含宗と桐山氏について」です。
さあ、声を出して「阿含宗と桐山氏について」と読んでみてください。
アゴン宗と桐山さんこそがここの議論の主題であり、あなたではない。
準シュダオンさんがここのテーマではありません。
だから、桐山さんが唱えてもいないあなたの個人の説をいくら
出しても、そもそも議論の対象にはならない。
アゴン宗と関係のない日蓮宗の教義をもってきているようなものです。
それをしたければ、こことは関係なしに子孫教スレを立ち上げて、
独演会をしていればいい。
準シュダオンさんにいくら説明しても、読もうともせずに、
「居間でオシッコ」を繰り返すだけらしい。
では、せめて他の信者さんたちに、桐山説も準シュダオン説も
どちらも成り立たないことを説明しましょう。

371深山:2009/05/24(日) 22:59:19 ID:1J36nHEQ0
>>365 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
>ですから、「有三善根 於如来所 功徳種」という経の三善根に、無貪瞋痴
>という語が少しも出ていないのは、その意味ではないからでしょう。

信者の皆さん、準シュダオンさんが三善根を説明した経典を二つも引用してくれた。

「云何三法向善趣 謂三善根 無貪善根 無瞋善根 無痴善根」(三聚経)
「云何三増法 謂三善根 無貪善根 無瞋善根 無痴善根」(十上経)

ごらんください。
二つの経典ではしっかりと三善根とは無貪・無瞋・無癡であると述べている。
また、準シュダオンさんが引用した経典以外にも、阿含経には三善根や
三不善根が出てくるが、いずれも無貪・無瞋・無癡を成就しろという内容です。

「また、無貪、無瞋、無癡の三つを三善根という。」(『岩波仏教辞典』499頁)

辞書にも、このように説明があり、経典の説明と一貫しています。
いかがですか。
三善根とは、無貪・無瞋・無癡以外の意味などありません。
桐山三善根(=三福道)みたいに、供養の見返りで解脱するなんて意味はありません。
準シュダオンさんが他の阿含経の証拠までそろえてくれました。
これなら信者さんたちも納得するしかありませんね。
だが、準シュダオンさんだけは、正反対の解釈をしているようです。

372深山:2009/05/24(日) 23:10:05 ID:1J36nHEQ0
>>365 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
>ですから、「有三善根 於如来所 功徳種」という経の三善根に、無貪瞋痴
>という語が少しも出ていないのは、その意味ではないからでしょう。

釈尊は三聚経や十上経など他の経典で「三善根=無貪・無瞋・無癡」であることを示した。
そこで、信者さんたちに考えてほしい。
もし、釈尊が三供養品の三善根だけは別な意味に用いるなら、
どのように説明すると思いますか。
「今から説く三善根はこれまでの三善根と意味が違う。それは・・・」と
きちんと説明をしたはずです。
だが、三供養品にはこのような説明はありません。
説明がなければ、「三善根=無貪・無瞋・無癡」だと思うのが普通です。
ところが、準シュダオンさんだけは、その説明がないと、
別な三善根だと思いこむという変わった知性の持ち主らしい。

先生「おい、子孫君、今日は四則演算をすると言っているのに、
なんでそこで塗り絵をしているのだ?」
子孫「だって先生は四則演算をすると言っただけで、足し算とも
引き算とも説明をしなかったから、ボクは塗り絵をしたんだ」
先生「・・あのな、子孫君、四則演算といったら、足し算や引き算だよ。
四則演算に塗り絵なんて意味があるわけないだろう。」
子孫「四則演算に足し算や引き算という語が少しも出ていないのは、
その意味ではないからでしょう」
と、その頑迷な子供は塗り絵を続けた。

373深山:2009/05/24(日) 23:12:46 ID:1J36nHEQ0
>>365 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
>ですから、「有三善根 於如来所 功徳種」という経の三善根に、無貪瞋痴
>という語が少しも出ていないのは、その意味ではないからでしょう。
>やはり管長が言う、「功徳種とは、修行と供養の二つの意味」との説明が正しいのです。

信者の皆さん、よおく上記の二つの文章を読んでください。
準シュダオンさんは、「功徳をうえる」に「修行と供養」の意味があると
いう結論をだすのに、三善根の無貪・無瞋・無癡という説明がないことを
根拠しているのです。
論理の飛躍というよりも、支離滅裂なことを書いているのがおわかりでしょう。
上記の一つ目の文章からは二つ目の文章の結論は絶対に出てきません。
三善根に無貪・無瞋・無癡の説明がないと、
どうして、「功徳をうえる」が修行と供養の意味になるのですか。
三供養品には「修行と供養」など文字も概念もありません。
本文には供養という文字も、それを示すような表現もありません。
また、三供養品とはこの経典の題名ではありません。
つまり、この経典には供養に相当する言葉も概念もないのです。
三善根や功徳をうえるという言葉しかないのに、そこからどうやって
修行と供養という言葉が突然出てくるのだ??
四則演算と言われて塗り絵をする子供と同じで、ゴマカシです。
しかも、このお年寄りのズルサはこれだけではない。

374深山:2009/05/24(日) 23:17:20 ID:1J36nHEQ0
>792 :準シュダオン:2009/04/23(木) 10:15:07 ID:l3CoGeBg
>それに対し、布施供養などの功徳の種を植えて果報を得るためには、三宝を
>指定する必要があるわけです。

>>365 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
>やはり管長が言う、「功徳種とは、修行と供養の二つの意味」との説明が正しいのです。

約一ヶ月前の準シュダオンさんの文章と今とを比較して、
この人のズルサに気が付きましたか。
「功徳をうえる」ことを前は「布施供養」と言っていた。
ところが、いつの間にか「修行と供養」にすり替えた。
一ヶ月前は三供養品は供養を説いたと信じ切っていたから、
布施供養という言葉を使っていたが、本文にもなく、
題名にもないとわかって、供養単独では説明がつかなくなった。
なんとかゴマカス方法はないかと考えたが「修行と供養」です。
供養を消さないようにして、修行を書き加えた。
それも「供養と修行」と書くと供養が目立つから、修行を先に書くというセコサ。
彼は必死に、桐山ゲイカも「修行と供養」の両方を説いているのだと
詭弁を並べたが、私から>>358以降で、桐山さんのいう在家の修行とは
供養のことだと道をふさがれた。
だが、さすがは準シュダオンさん、馬の耳に念仏で完全無視して、
「修行と供養」と言い続ける。
こういう人をズルイ、セコイ、コズルイ、コスカライ、あるいは何というのでしょう。

375深山:2009/05/24(日) 23:24:11 ID:1J36nHEQ0
>>365 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
>やはり管長が言う、「功徳種とは、修行と供養の二つの意味」との説明が正しいのです。

準シュダオンさんはずっとこれを言い続けるでしょう。
彼はどうでもいいから、信者さんたちは冷静に三供養品を見てほしい。
長くもなく、難しくもなく、また釈尊の普段の教法から外れた経典でもありません。
まず、本文には供養なんて言葉も概念も出てきません。
経典の題名は三供養品ではありません。
冒頭には「三善根あり」と、釈尊は「今から三善根について説くぞ」と
経典の内容を一言で表現している。
三福道などと書いてある阿含経は存在しません。
あれは桐山さんの捏造です。
三善根とは>>365で準シュダオンさんが他の経典を引用してくれているように、
「三善根=無貪・無瞋・無癡」
です。
これ以外の意味などありません。
釈尊は、「三宝において無貪・無瞋・無癡を実践し(功徳をうえる)、
解脱という窮め尽くすことのできない福を得なさい」と説いた。
簡単明瞭な経典です。
供養なんてただの一言も出てこないし、供養という概念を入れないと
理解できない内容ではありません。
供養を説いたなどという桐山説は真っ赤な嘘です。

376深山:2009/05/24(日) 23:29:01 ID:1J36nHEQ0
>>365 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
>遊行経で、釈迦は阿難に、「陰界入無我 乃名第一供」と説いています。

これは釈尊が入滅の時、如来への最高の供養とはどのようなものかを説明した部分です。
準シュダオンさんは、どうして釈尊の最初の説明の部分をカットしたのですか。
「五陰十二処十八界が無常・無我であることを悟って」などという小難しい言葉を引用して、
煙にまき、桐山擁護をしたつもりでしょう。
だが、釈尊は偈を唱える前に、簡潔な説明をしている。

「人が(如来の説く)真理の教えを受け、真理の教えを実践することが
できるならば、これを如来を供養すると名づけるのである。」
(『現代語訳阿含経経典1』288頁)

「いかなる修行僧、尼僧、在俗信者、在俗信女
でも、理法にしたがって実践し、正しく実践して、法にしたがって行なっている者こそ、修行
完成者を敬い、重んじ、尊び、尊敬し、最上の供養によって供養しているのである。」
(『ブッダ最後の旅』中村元、127頁)

準シュダオンさんが使っている本にこのように書いてあるのに、
こういうわかりやすい訳語をわざととらず、「陰界入無我 乃名第一供」
などと漢文を引用してみせるのがいかにも彼らしい。
だが、釈尊の説くところはきわめて簡潔です。
彼の説いた煩悩をなくすための教法を実践することが
如来への最高の供養だと述べたのです。
信者さんたちは気が付きませんか。
その最高の供養を簡単に言うなら、三善根のことです。
無貪・無瞋・無癡の三善根を実践することが最高の如来供養だと述べている。
釈尊の教法が一貫しており、どんな時にも、様々なたとえをして
漏尽解脱を説いたということがこれを見てもわかります。

377深山:2009/05/24(日) 23:31:29 ID:1J36nHEQ0
>>365 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
>私は、管長の「無我」の解説は正しい、と思います。
>私とて、多少は「無我」の学者説も読みますよ、その上での結論。

釈尊が最高の供養と説いたのは、無貪・無瞋・無癡を
信者や比丘みずから実践することのたとえです。
なぜ煩悩をなくす必要があるのか、煩悩を減らすためにはどうしたらいいかを
説くために無我や無常があるのです。
無我や無常は手段であって、目的は漏尽解脱です。
無我や無常だけなら、哲学にすぎない。
桐山さんはこんな基本的なことも理解できていない。
なぜなら、釈尊の漏尽解脱を理解していないからです。

378深山:2009/05/24(日) 23:35:07 ID:1J36nHEQ0
>>365 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:09:52 ID:XESnzsYQ0
>正しいのです。私の法友に現職教員も何人もいますが、国語・漢文が専門の
>教員も私と同じ見解ですよ。

あなたのように他人の文章も読めず、同じ事をただ繰り返すばかりでは
話にならないから、その法友をここに連れてきてください。
漢文の専門家にじっくりと、三供養品のどこに供養があるのか聞いてみたい。
できれば、ここ一ヶ月ほどの議論内容をその先生に示して、
その上で議論に参加してもらえると有り難い。
現役の学校の先生ならあなたみたいに、同じ説明を何度繰り返しても
無視するようなことはないでしょう。
念のためにいうが、あなたがその先生の意見を代筆するのはナシです。
ハンドルを別にして、本人の文章で書き込んで下さい。
その先生がためらうようだったら、アゴン宗と桐山ゲイカを守れるか
どうかの瀬戸際であると危機を強調してください。
あなたが一人でも多くの信者を守ろうと必死になっていることを
伝えて、その手伝いであり、仏様のお仕事であり、
これこそが大ボン行であると言えば、理解してくれるでしょう。
また、あなたが長年、ここで議論ができたように、批判側はただの悪口を
並べているのとは違うことも伝えてください。
・・・いや、その先生への細かい説明は私からしますから、とにかく
準シュダオンさんはその先生をここに連れてきてください。

379深山:2009/05/24(日) 23:46:10 ID:1J36nHEQ0
>>366 :準シュダオン:2009/05/24(日) 18:25:50 ID:XESnzsYQ0
>果報を求めて供養したことはない、というのも異常です。
>普通の人は、果報を喜ぶものです。

自分の感性と違う信仰を他人がすると「異常です」?!
どうしてあなたのその餓鬼信仰が「普通の人」なのだ?
私の周囲にはボン行も供養も足りないことを恥じる信者はいたが、
あなたみたいに逆にそれを誇る信者なんて見たことがない。
餓鬼信仰ではなく、むしろ純粋に道を求める人がいた。
私は果報を求めて解脱供養など出したことはありません。
解脱供養とは先祖供養であって、彼らが成仏して、
家系が霊的に浄化されることが第一の功徳です。
こんな素晴らしい法なのに、あなたはさらに果報を求めるとは何と意地汚い。
桐山ゲイカの法力によって大きな功徳をいただいているのに、
その上、果報を求めるのが「普通の人」?
自分が餓鬼だからといって、他の信者まで巻き添えにするのは趣味が悪い。

380深山:2009/05/24(日) 23:54:03 ID:1J36nHEQ0
>>275 :名無しさん:2009/05/19(火) 22:36:37 ID:7yZK1g.U0
>159から逃げ出した深山
>はいヒステリー反論どうぞ〜
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>深山さん
>死んだ振りして逃げてないで、自分の立てたスレッドに戻られたらいかがですか?
>>334 :ミルラ:2009/05/22(金) 23:23:22 ID:7yZK1g.U0

275=308=ミルラさんだとは335さんに指摘されるまで気が付きませんでした。
ここは2ちゃんねると違い、ハンドルを毎度気を付けないと名無しに
なってしまうから、275や308でわざとあなたが名無しで書いたとは思わない。
だが、それにしても、ずいぶん普段のミルラさんがコテハンで
書いている時と文面の印象が違いますね。
あなたはソリトンやエントロピーなどの物理用語などを用いて、
さも何か霊的な世界を理解したかのように物知り顔に書くのが好きで、
風船みたいに地に足がつかないのだろうと思っていた。
知ったかぶりで、理解してない物理用語を振り回すのはやめたらどうかと
注意されても気にもせず、先月も「時空間においての共鳴現象」
なんて書いていました。
脳味噌が宙に浮いていて、何をどう言われても何も感じないのかと
思っていたが、275の罵りを見ると、どうやら、私の批判にあなたは激怒したようです。
そうか、自分のこととなると普通の感性を持っていたのだ。
これは失礼した。

381深山:2009/05/25(月) 00:01:04 ID:1J36nHEQ0
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>それと貴方のかきこは血が通ってる感じがしない。
>何か、人工的で人造的だ、憑依を疑った方がいいね。

これがミルラさんの書いた内容だとすれば、よく理解できる。
あなたも私から批判されて、反論できず、悔しさを溜め込んでおり、
いつか復讐してやると、機会を狙っていたのですね。
そして、天身さんの件で私をこうやってなじることにした。
「血が通ってる感じがしない」とは、実はアゴン宗批判の話ではなく、
私からのあなたへの批判に反論できなかったことの自分自身の悔しさを言っているのだ。
あなたは物理用語を並べて、自分の素晴らしさを示したつもりだった。
普段、周囲の信者はそれで感心してくれるからです。
だが、私からあなたの知識の底の浅さを批判された。
美しさを誇ったつもりが、下手な厚化粧だと批判されたから、
心底あなたは私を恨んだようだ。
それが308のすごい罵りによく現れている。
これがあなたが長年アゴン宗で修行した成果なのですね。
桐山さんと同じで、物理用語なんて、飾りにすぎないのがよくわかる。

382深山:2009/05/25(月) 00:07:14 ID:1J36nHEQ0
>>308 :名無しさん:2009/05/22(金) 00:08:06 ID:7yZK1g.U0
>それと貴方のかきこは血が通ってる感じがしない。
>何か、人工的で人造的だ、憑依を疑った方がいいね。

私は、ミルラさんが天身さんや準シュダオンさんを身内とみなし、
注意されても懲りずに知ったかぶりの物理用語を振り回す姿を見て、
あなたも批判内容すら理解できない感性のかな〜り鈍い人なのだと思っていた。
でも、上記を見るとあなたは私の批判に怒り、激しく憎しみを持ったらしい。
おもしろい感性ですね。
自分が直接批判されると怒り狂うのに、アゴン宗の信仰が嘘デタラメだと
指摘されてもなんともない。
桐山さんと同じで自分の痛みだけは強烈に感じ、死者など他人に痛みを
与えていることに超鈍感です。
桐山さんにあなたが「時空間においての共鳴現象」を
おこすのは、こういう共通点があるからでしょう。

383深山:2009/05/25(月) 00:09:42 ID:1J36nHEQ0
>>334 :ミルラ:2009/05/22(金) 23:23:22 ID:7yZK1g.U0
>伊雑ノ宮についての重要性、小泉太命は神人であるとの発言から
>管長猊下に繋がっていくラインもなきにしもあらずと言ったところ
>でしょうか。

どこにラインが「あった」のですか。
あの話はあれっきりです。
桐山さんのこの種の話は全部、尻切れトンボ、竜頭蛇尾です。
『龍神が翔ぶ』に出てくる飯綱の話もお話だけで終わり。
ヨハネ・パウロ二世とはどれほど深いつながりがあるかという話だったが、
結局、なんにも出てこなかった。
小泉さんとの話も、夢を見て、彼からスサノオの生まれ変わりで、
これから国造りをするのだと壮大な話を聞かされたというだけで、
「だから、なんなのさ」?
全部、お話、物語、小説です。
だから、桐山さんのお得意のおもしろおかしい話があるだけで、
生前の小泉さんが出てきたことはないし、第三者の証言など皆無です。
アゴン宗の若者が小泉家に押しかけて、抗議されたというくらいです。
なにもない。
大山鳴動してネズミ一匹ならまだいいが、ネズミすら出てこない。
いったい、この現実を前にしてどこが「なきにしもあらず」なのだ?

384深山:2009/05/25(月) 00:11:52 ID:1J36nHEQ0
>>334 :ミルラ:2009/05/22(金) 23:23:22 ID:7yZK1g.U0
>伊雑ノ宮についての重要性、小泉太命は神人であるとの発言から

小泉太志命については2ちゃんねるでも何度も爆笑ネタとして出てきました。
彼はワールドメイトの深見青山さんに次のように告げたという。

「今後の日本神道、伊勢の霊性、皇室の命運、わが国の国運は、
すべてあなたの双肩にかかっています」
(『深見青山』磯崎史郎、勁文社、228ページ)

他に、小泉さんは岡田光玉という真光系の教祖もヨイショしたという。
桐山さんは国開きのスサノオの生まれ変わりで、深見青山さんには国運がかかっている・・
・・あれえ、小泉オジイちゃん、どっちかにしたらあ、と言いたくなる。
これを見ればわかるように、小泉太志命は不思議大好き、
霊能者ヨイショが大好きで、「あなたこそ・・・」と相手かまわず媚を売っていた。
小泉太志命は霊能話が大好きだが、本人は教団を作れるほどの才能がなかったので、
新興宗教の教祖をヨイショすることで、自分をアピールしたのでしょう。

385深山:2009/05/25(月) 00:16:41 ID:1J36nHEQ0
>>334 :ミルラ:2009/05/22(金) 23:23:22 ID:7yZK1g.U0
>伊雑ノ宮についての重要性、小泉太命は神人であるとの発言から

桐山さんはとにかくヨイショに弱い男だから、
小泉さんにおだてられて、煙みたいに天井まで昇ってしまった。
こういう小泉さんの実態を知らなくても、
「使用後」の今のアゴン宗と桐山さんを見れば、
小泉さんの話など何の意味もないことは明らかなはずです。
外道の中小教団を率いた桐山さんのなにがどうスサノオなのだ?
あなたを見ていて驚くのは、こういう現実を見ようともせず、
まだ何かあるかのように思い込んでいられる点です。
自分が批判されると痛みを感じるだけの感性がまだ残っているのなら、
物理用語に浮かれて妄想を口走ったり、準シュダオンさんですら相手に
しない天身さんみたいなヤカラに助っ人を頼むではなく、
自分が信じている現実の桐山さんをしっかりと肉眼で見たらどうか。

386ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/25(月) 08:39:23 ID:SmEF4Oe2O
>>365
できればその国語・漢文の現職教員が法友などでなく一般人だとよかったんだがねw
準シュダオンさんは自分が道場に行けなくてもそのような法友から情報も入手
できるわけだ。
もっとも八法十六法を示すくらいなら、そんなことを頼りにするのは駄目で
自ら足を運ぶ努力をする義務があるのだがね。
ところでその法友さんたちもちゃんと道場に行っているのだろうね?
あと準シュダオンさんは当然ご家族も皆入信されているのだろうね?
奥さん、お子さん、お孫さん。
まさか家族そろってサボリ会員なんてことはないよね?

387準シュダオン:2009/05/25(月) 10:04:46 ID:XESnzsYQ0
私が道場に行かないなんて、私がいつ発言したかね?
そのように、勝手に決め付けるのが良くないね。
私はちょくちょく、道場にも顔を出してますよ。
例祭にも行ける場合もあれば、行けない場合もある、ということです。

388準シュダオン:2009/05/25(月) 12:36:32 ID:XESnzsYQ0
果報があれば喜ぶのが普通の人です。
何も求めず供養するのは異常なのです。
大乗の菩薩行など、病人や困窮者を福田と称して、何の見返りも求めない
布施とされていますが、これとて仏になる修行です。
仏になる、という果報を求めていることに、気づきませんか?深山さん。

じゃあ、あなたの供養は何のためにするのですか?
供養が目的なのですか?
何も求めない供養なんて、異常だと私は思いますねえ。
人生を豊かにするため、精神的満足のため、いずれも目的があるでしょう。

389樹意:2009/05/25(月) 12:59:44 ID:JYQN.K/Y0
増谷氏訳阿含経典   南伝相応部経典 55 5、 舎利ほつ
「サーリプッタよ、預流支、預流支というが、サーリプッタよ、預流支とは、いったい、何であろうか」
「大徳よ、善き人に親しみ近づくことは預流支であり、正法を聴聞することは預流支であり、道理のままに
 思惟することは預流支であり、また、法のごとくに行ずることは預流支であります」
 −略ー
では、サーリプッタよ、流れ、流れというが、その流れとはなんであろうか」
「大徳よ、聖なる八支の道は流れであります。いわく、正見 −略ー」
「善いかな、サーリプッタよ、善いかな、サーリプッタよ。聖なる八支の道は流れである。いわく
 正見−略ー 」

預流支という その流れというのは八正道のことであるとお釈迦さまははっきり仰っていますが、
ゲイカは般若心経瞑想法において 「滅道」は八正道ではないとしていますので
預流の条件である 「流」 を否定しているわけです。

390樹意:2009/05/25(月) 13:07:42 ID:JYQN.K/Y0
>>387

アゴン宗の提示する条件は 道場へ顔を出すレベルのことではありませんよ、
きちんと奉仕 供養することです。

391準シュダオン:2009/05/25(月) 13:07:56 ID:XESnzsYQ0
法友の国語・漢文の先生は深山さんのような批判派は相手にしませんよ。
阿含宗や管長の危機、なんて言ったら大笑いされますよ。
深山さんこそ、信者以外の漢文の先生にでも、三供養品の三善根を和訳して
もらってみてください。自分の頭だけで考えるよりも、客観視できますよ。
あなたとて、恩師はいるでしょうから、そのつてでなんとかなるでしょう。

どこに供養の語があるか?ということですが、そんなこといったら修行と
いう語だってありませんよ。そんな論法ではいけません。

遊行経に、いい例があります。
食事の供養を受けたお釈迦さまが、供養をしたバラモンに
「飲食衣服施持戒人 則獲大果」と、言いました。
学者先生は、則獲大果を、「大果報を得る」と訳しています。
その次にお釈迦さまは、
「是故種善 為後世糧」と、おっしゃってます。「種善」に注目。
学者先生は、
「それゆえに、善根を種えることは来世の糧である」と和訳しています。
施食供養したバラモンに、「善根を種えること」と称してます。
これって、三供養品の「功徳を種える」に似てるでしょう。

上の例は、三供養品の「功徳を種える」ことが、供養を含むことの証明だと
思いませんか?私は証明してると思います。

392名無しさん:2009/05/25(月) 15:14:48 ID:EXIc2GFU0
>>391
善根には三善根の意味はあります。
しかし三善根には供養の意味はありません。

393準シュダオン:2009/05/25(月) 15:20:24 ID:XESnzsYQ0
管長の諸法無我の解釈は誤りだとの意見がありましたが、辞典を丸写しした
とて、無我を悟ったことにはなりません。法自性を含めて、いろんな解釈が
あったことは承知しています。私が、どの程度、無我を理解しているのか、
言語で説明することは、大変、難しいのです。

お釈迦さまが、阿難に対し、我について次のように説いた経があります。
「解脱した心の比丘は、我がありかつ無いことも理解し、我があるわけでも
無いわけでもないことを理解し、云々」とね。
私にはまだ、この意味が理解出来ようはずはないが、たぶんこういうことな
のかなあ、という感じはあります。
言葉での説明はややこしくて出来ませんけど。

394準シュダオン:2009/05/25(月) 15:44:37 ID:XESnzsYQ0
伝法会に出ますと、金剛界曼荼羅の解説で、分段生死と変易生死の違いを
教わります。仏教辞典にもこれの説明がありますが、よくわかりません。
聖者と凡夫の生死の違い、寿命の限界、煩悩障の生死、等、辞典に説明が
ありますが、肝心なことが解説されておりません。

この点、管長の説明を聞くと、分段、変易生死の意味が良く理解できます。
ですから、学者先生方にも、わからないことはあるのですねえ。
批判派の方で、分段、変易生死の違いを具体的に説明できる方は居られま
すか?
辞典に書いてあることだけでは、ダメですよ。

395準シュダオン:2009/05/25(月) 16:17:12 ID:XESnzsYQ0
「於正法 種功徳」とは、正法の護持宣布、と考えて良いのはないですか?
何が何でも財施供養だ、なんて考えることはありませんよ。

なんで管長は、三福道と三善根の、二つの経を本に掲載したのか?
一つで十分ではないか?との大日如来さんの問いがありましたね。
ダルマチャクラにも二つ、掲載されていますね。

それは有三善根だけの経にすると、今の批判派のように、無貪瞋痴だと
解釈して、供養しない信徒が出ては気の毒だからでしょう。
また、有三福道だけにすると、俗的な福だけ連想する信徒が出ては
まずいと思われたのではないでしょうか。

よく読むと、「功徳を種えよ」ですから同じ意味になりますね。
功徳とは、福徳を意味するpunyaの訳語でもある、と辞典にあり
ますから、「福徳の種をうえよ」という意味もあることになりますね。

396ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/26(火) 08:19:13 ID:SmEF4Oe2O
>>388
仏教では布施に見返りなど求めません。
果報があることを説くことと、それを貪って求めることは別です。
あなたの場合は不当な欲望があり、それこそ信仰を持たぬ人に比べて異常です。
分け与えよとは、例えばお年寄りに席を譲ってあげなさいと説くがごときものです。
そうすることにより世の中はよくなり各自の心は清まる。
もちろん善いことをすれば来世に善いところに生まれることは説きます。
しかしあなたの場合完全に差別化の心が働き、お年寄りなんかに席を譲っても
何も返してくれないが、アゴン宗の仏を供養すれば素晴らしいプレゼントが返ってくる
と期待している。普通人の思考ではない。欲を煽られたのです。
こんな安っぽい教えが仏教だと思うか?何のために仏教書を読んで勉強してるのか?
そんな御利益信仰ならば仏教に求める必要などない。
準シュダオンさんはアゴン宗に入ることにより余計な欲を抱えてしまったのだ。
桐山さんだって法華経が説く御利益の数々に閉口して「そんな御利益は俺の実力で
つかみとってやる」と無視している。そして別の妄執を説く。
それが因縁や霊障の恐怖です。
アゴン宗の供養はよりプラスの御利益を求めるものよりマイナスの帳消しを求める
ものが大きい。それが解脱供養です。
先祖を人質にとり、お前の運命も不幸になると脅す。
人の恐怖心につけこんでいる。その解消のために供養をする。
こんな不純な供養はない。

397ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/26(火) 08:39:46 ID:SmEF4Oe2O
>>391
国語・漢文の教員を権威付けに使うのが笑えるのです。
法友でなければよかったねと書いたのは、法友、すなわち同じアゴン宗の信者ならば
やはり桐山さんに同意してしまう。反対意見なんか述べません。
また漢文とか国語の文法の問題などではないのです。
仏教の問題です。いくら国語の先生でも漢文の先生でも仏教までは詳しく知らない。
だから謙虚に勉強すべきなんです。
たまたま漢文経典だからと言って漢文の文法、語法を習うだけでは仏教を解釈できない。

398ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/26(火) 08:46:28 ID:SmEF4Oe2O
>>391
遊行経で来世の糧となる功徳の種まきと、三善根経典で三善根の種まきと書いてある
ことを共通に見るのがおかしいのです。
一般論的に功徳にはいろいろあって一つではない。
それぞれに文脈、内容から検証すべきです。
それを全部同じはずだとするところにあなたの意図的な強引さがある。

399樹意:2009/05/26(火) 12:28:48 ID:JYQN.K/Y0
大正新脩大藏經テキストデータベース
より検索してみました。
『三善根』
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/database.html
Search word : "三善根" : Including related character :

11 hits : 1 --- [ keyword count ] : 16

阿含部   

長阿含經 (No. 0001) 0049b27 - 0052c11: 恚三者愚癡復有三法謂三善根一者不貪二者不恚三者 [show] (1 hit)
長阿含經 (No. 0001) 0052c18 - 0057b24: 癡不善根云何三増法謂三善根無貪善根無恚善根無癡 [show] (1 hit)
長阿含經 (No. 0001) 0059b15 - 0060a27: 善根云何三法向善趣謂三善根無貪善根無恚善根無癡 [show] (1 hit)
佛説大集法門經 (No. 0012) 0227c19 - 0227c20: 復次三善根是佛所説謂無貪善根無瞋善根無癡善根 [show] (1 hit)
中阿含經 (No. 0026) 0800b26 - 0800b26: 供養三善根三痛三覆露 [show] (1 hit)
雜阿含經 (No. 0099) 0094b02 - 0095b09: 實知云何善根如實知謂三善根無貪無恚無癡是名三善 [show] (2 hits)
増一阿含經 (No. 0125) 0607a28 - 0607b08: 獨園爾時世尊告阿難有三善根不可窮盡漸至涅槃界云 [show] (2 hits)
増一阿含經 (No. 0125) 0609a05 - 0609a06: 供養・三善根三痛・三覆露相・法・三不覺愛敬・春 [show] (1 hit)
増一阿含經 (No. 0125) 0614b09 - 0614b21: 有三惡趣比丘當知有此三善根云何爲三不貪善根不恚 [show] (4 hits)
増一阿含經 (No. 0125) 0614b22 - 0614c12: 定聚彼云何名善聚所謂三善根何等善根所謂不貪善根 [show] (1 hit)
増一阿含經 (No. 0125) 0614x09 - 0614x09: 〔若有此三善根〕−<三> [show] (1 hit)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『三福道』
Search word : "三福道" : Including related character : 三逼道 三sケ

0 hit : --- [ keyword count ] : 0

400深山:2009/05/26(火) 12:34:01 ID:ZGIaUYJc0
>>387 :準シュダオン:2009/05/25(月) 10:04:46 ID:XESnzsYQ0
>私が道場に行かないなんて、私がいつ発言したか

誰が準シュダオンさんは道場に行かないと断言したのですか。
あなたはしばしばこういう言葉をちょっと変えて、反論してくる悪い癖がある。
行かないではなく、ろくに行っていないと指摘したのです。
道場にちょくちょく行く人が例祭にほとんど行かないはずがない。
反論したければ、「週に2〜3回は最低でも行っている」と具体的に書いたほうがいい。
それなら、ろくに行っていない、という批判は間違いです。
でも、書けませんよね。
供養でシュダオンになれると主張しながら、では、預流向までなったあなたが
どれほど供養したか、他の信者のためにも書いてくれといくら言われても、
何も書けない。
10月にはガダルカナルとニューギニアで護摩を焚く。
護摩木供養の誓願本数を出しみなさい、なんて言われても何も出せない。
それどころか、数をいうのは間違いだなどと桐山ゲイカに逆らう。
漢文の先生の話もそうだが、実体がわかるともっと笑われるから、
あなたはそうやってハッタリを言うしかない。

401深山:2009/05/26(火) 12:36:29 ID:ZGIaUYJc0
>>388 :準シュダオン:2009/05/25(月) 12:36:32 ID:XESnzsYQ0
>果報があれば喜ぶのが普通の人です。
>何も求めず供養するのは異常なのです。
>仏になる、という果報を求めていることに、気づきませんか?深山さん。

あなたは自分が何を議論しているのかすっかり忘れているようだ。
他人にお説教を垂れる前に、あなたが何を書き、
私が何を書いたか、もう一度読んでごらんなさい。
あなたは言葉の意味を自分勝手に解釈して書いている。

>「なにか果報があれば嬉しいですが、全く果報が無くても少しも文句があり
>ません。」です。(>>343)

と、あなたが書いたのに対して、私は、

>私はあなたみたいに「果報があれば嬉しい」なんて思って解脱供養や
>冥徳供養を出してことは一度もない。(>>363)

と書いただけです。
私の書いたことは桐山さんの主張どおりで、アゴン宗では正当な話であり、
それをあなたは異常だというのだから、桐山さんの主張が異常だというのですね。

402深山:2009/05/26(火) 12:37:57 ID:ZGIaUYJc0
>>388 :準シュダオン:2009/05/25(月) 12:36:32 ID:XESnzsYQ0
>じゃあ、あなたの供養は何のためにするのですか?
>供養が目的なのですか?
>何も求めない供養なんて、異常だと私は思いますねえ。

解脱供養がなんのため??
信者からこれを質問されるとは驚きだ。
すでに>>363で最初から私は説明しているのに、あなたは毎度
読みもしないでこうやって質問する。
霊障のホトケとなって苦しんでいる先祖を助け、家系を霊的に浄化させるためです。
この解脱供養を出すのに、
>「なにか果報があれば嬉しいですが、全く果報が無くても少しも文句があり
>ません。」(>>343)
なんて、私は思ったことはありません。
桐山ゲイカが言ったとおりのことを信じて解脱供養を出した私が「異常」?
あなたは桐山さんを異常だと言ったのと同じなのですよ。
今の私はその意見には賛成です。

403樹意:2009/05/26(火) 12:42:05 ID:JYQN.K/Y0
Search word : "三福業" : Including related character : 三逼業 三kニ

1 hit : 1 --- [ keyword count ] : 1

--------------------------------------------------------------------------------

--- in 阿含部 |

阿含部

長阿含經 (No. 0001) 0049b27 - 0052c11: 恚思無害思復有三法謂三福業施業平等業思惟業復有 [show] (1 hit)

ちなみに阿含部以外の論蔵も含めると三福業で116 hits
三善根で448 hits  
三福道は 零  hits   
ーーーーーーーーーーーー
三福道どいうのは論蔵も含め見当たらないようです。

404深山:2009/05/26(火) 12:43:11 ID:ZGIaUYJc0
>>391 :準シュダオン:2009/05/25(月) 13:07:56 ID:XESnzsYQ0
>法友の国語・漢文の先生は深山さんのような批判派は相手にしませんよ。

あなたの法友の漢文の先生は実在するだろうが、
あなたの意見に同意した漢文の先生なんて存在しない。
だから、説得するも何も、相手にしてくれない。
あなたの話なんてそんな程度です。
ザにいる頃、自分は一人ではなく、複数の人が書いているなんて言ってましたね。
だが、文章や論理展開や、記憶力や理解力の低さまでいつも同じ。
別な人がいたら、ああはならない。
漢文の先生など周囲の法友は、あなたが言っている意味不明のことを
逆らってもしかたないので、「ああ、そうですね」と同意したかのように
装っているだけです。
相手が反論しないのを見て、あなたは自分の意見が正しいと自惚れる。
アゴン宗の信者なのだから、あなたの言い分に同意しているのではなく、
桐山ゲイカの三福道に同意しているだけです。
「三供養品は供養でアナゴンまでなれるという経典だ」と信じている。
つい最近まであなたと同じで、三供養品が経典の題名なのだから、
あれは供養を説いた経典だと未だに信じている。
あなたは漢文の先生に「三供養品は題名ではなく、本文には供養の文字は
一つもない」と説明したか。
してませんよね?
あなたは都合の悪いことは説明せず、桐山さんを信じ切っている
信者相手に、信じている内容を話したにすぎないのに、
まるで自分の主張を話したら相手が同意してくれたかのように思い込む。
自分に都合の良いように解釈して、他人を利用するのは桐山さんとよく似ていますよ。
その漢文の先生はあなたを預流向だと認めているのか。
それよりも、あなたは自分が預流向だとその人に話したのか。
あなたを預流向と認めたり、あなたの個人的な意見に同意した漢文の先生など
いないから、連れてこれるはずがない。
もちろん、あなたが連れて来れるはずがないと百も承知で誘ったのです。

405深山:2009/05/26(火) 12:47:28 ID:ZGIaUYJc0
>>391 :準シュダオン:2009/05/25(月) 13:07:56 ID:XESnzsYQ0
>あなたとて、恩師はいるでしょうから、そのつてでなんとかなるでしょう。

三供養品には存在しないのに、供養という意味に読みとれるという漢文の
先生って、いったいどこにいるのだ?
漢文の先生でなくても、書いていない文字を読みとるなんて、
アゴン宗の信者以外、どこにそんな人がいる?
アゴン宗の信者ですら、三供養品には供養の一文字もないこと、
三供養品が題名ではないことを示され、三善根とは無貪・無瞋・無知の
意味しかないと知ったら、まずは黙る。
あなたが来る直前に、K地区信者さんが、三供養品という題名があるから、
供養を説いたと主張して、私からあれは題名ではないと反論された。
K地区信者さんは私に激しい反発と怒りと憎しみを感じただろうが、
指摘はそのとおりだから、沈黙した。
これが普通の人の反応です。
今ちょうど樹意さんが大蔵経から三福道を検索して、一つも探せないのを
示しているように、三福道が桐山さんの捏造だと知ったら、
批判側の主張に同意しなくても、沈黙を選ぶ。
これだけの証拠を並べられて、それでも三供養品は供養を説いたなんて言える人は、
知性に問題のある人かよほどの恥知らずだけです。

406深山:2009/05/26(火) 12:48:54 ID:ZGIaUYJc0
>>391 :準シュダオン:2009/05/25(月) 13:07:56 ID:XESnzsYQ0
>上の例は、三供養品の「功徳を種える」ことが、供養を含むことの証明だと
>思いませんか?私は証明してると思います。

準シュダオンさんはこの事例を出したのが自分では初めてだと思っているのですよね?
あなたはこれを出してのは今回だけでも三回目をはるかにすぎている。
そればかりか、ザにいた頃にすでにあなたはこれを出して、
今回と同じ主張をして、そのたびに私から反論された。
だが、私の反論はおろか、自分がこの事例を供養の事例として
出したことすら覚えていないのでしょう?
だから、あなたの記憶力は極端に減退していると指摘しているのです。
あなたのその状態が普通でないことは他の人も感じている。
大日さんの同意を取っていないが、準シュダオンさんへの
的確な評価が書いてあるから、部分を引用します。

407深山:2009/05/26(火) 12:49:47 ID:ZGIaUYJc0
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/l50

866 : 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2009/05/20(水) 01:34:52 ID:sCIP+TDM0
うーん、したらばでの展開、堂々巡りですね。
どうしてあの方は頑固なんだろうかね。
それこそA宗が崩壊しないとわからないのでしょうかね。
それも道といえば道なのかもしれないが・・・。

私も最初は反発してたが2ヶ月もしたら気づいてきたものです。
あの方は何年も掲示板にいても擁護と持論ばかりなんですなあ・・・。
もう、いい加減好きにしてください、といいたくなってきましたね。

自分の都合の悪いことはパスして読まないし、持論は曲げないし。
まあ、人生思うようにやってくださいな、ですね。

408深山:2009/05/26(火) 12:52:00 ID:ZGIaUYJc0
>うーん、したらばでの展開、堂々巡りですね。
>どうしてあの方は頑固なんだろうかね。

大日さんのいう「あの方」とは準シュダオンさんのことです。
あなたの話が堂々巡りで、頑固で、持論ばかりだというのが、
我々の議論を読んだ人の率直な感想なのです。
堂々巡り、つまり同じ事をあなたは繰り返し繰り返し書いている。
反論されると、その場では黙るが、早いと数日後にはまったく同じ事を主張し始める。
一ヶ月近くの議論はそれの繰り返しです。
読者はあなたと違い、過去の議論の記憶があるから、
「あ、準シュダオンさんはまた同じ経典を引用して、また同じ主張している。
前に反論されたのに、完全無視だ」と気が付く。
私が漢文の先生を連れてきてくれと頼んでいるのも、
あなたとの議論が同じ所をただ回るだけで、空転しているからです。
私がいくら反論しても、しばらくたつとあなたは、私の反論どころか、
自分が引用した経典や主張内容もきれいに忘れて、まるで初めて
気が付いたかのように同じ経典を引用して、同じ主張を始める。
そればかりか、次の事例のように、あなたが書いたことと
私が書いたことすら区別がつかない有様です。

409深山:2009/05/26(火) 12:54:07 ID:ZGIaUYJc0
>>391 :準シュダオン:2009/05/25(月) 13:07:56 ID:XESnzsYQ0
>どこに供養の語があるか?ということですが、そんなこといったら修行と
>いう語だってありませんよ。そんな論法ではいけません。

論法ではいけませんて、誰に説教しているのだ?
修行があると言っているのはあなたであって、私は一度もそんなことは
書いたことがない。
三供養品に書いていない供養や修行を主張する勝手な論法を展開して
いるのはあなたであって、私ではない。
あなたの頭の中って、自分の書いたことも私の書いたこともゴチャゴチャに
混ざっているのですね。
私は、「功徳をうえる」とは三善根を実践することだとしか書いたことはありません。
「修行と供養」と言い出したのはあなたです。
それも最初は布施供養と書いていたのが、いつのまに修行と供養になった。
どうしてそんなにズルイのだ?
あの経典には修行もなければ供養もありません。
あるのは三善根だけです。

410深山:2009/05/26(火) 12:55:47 ID:ZGIaUYJc0
>>391 :準シュダオン:2009/05/25(月) 13:07:56 ID:XESnzsYQ0
>どこに供養の語があるか?ということですが、そんなこといったら修行と
>いう語だってありませんよ。そんな論法ではいけません。
>遊行経に、いい例があります。

すごい、ゴマカシですね。
あなたはこの遊行経を、供養という言葉がなくても供養を説いている
という主張の根拠として出した。
だが、遊行経の話は供養の話です。
バラモンが供養して、釈尊がその果報を説いたという当たり前の経典です。
供養という言葉が出ていなくても、釈尊が供養を説いた事例を出すかのように
見せかけながら、実際は供養を説いた経典を出したにすぎない。
供養している経典に供養やその果報が出てくるなんて当たり前です。
私は、三供養品のどこに供養があるかと質問しているのです。
こんなインチキをしながら、

>上の例は、三供養品の「功徳を種える」ことが、供養を含むことの証明だと
>思いませんか?私は証明してると思います。

などと、まるで証明したかのような言い方をする。
あなたはインチキが好きなのか、ごまかすのが得意なのか、
それとも桐山さんと同じでただの嘘つきなのか。

411深山:2009/05/26(火) 12:58:53 ID:ZGIaUYJc0
>>391 :準シュダオン:2009/05/25(月) 13:07:56 ID:XESnzsYQ0
>「それゆえに、善根を種えることは来世の糧である」と和訳しています。
>施食供養したバラモンに、「善根を種えること」と称してます。
>これって、三供養品の「功徳を種える」に似てるでしょう。

この件を準シュダオンさんに反論するのが何度目か私も忘れてしまった。
まず反論の一つ目が、「善根」と「三善根」の違いです。
三善根とは、これ自体が一つの熟語であって、
三つの善根であればなんでもいいのではありません。
たとえば、食事を布施する善根、衣類を布施する善根、精舎を布施する善根は
全部善根だが、この三つを合わせても三善根とは言いません。
あなたが引用した遊行経に出てくる善根と三善根は別物です。
釈尊のいう三善根とは善根一般の話をしているのではなく、
無貪・無瞋・無知だけで、他にありません。
なぜなら、無貪・無瞋・無知は解脱や涅槃の境涯ですから、
これ以上の善根などあるはずがない。
仏教の最高の善根を三善根と表現しているのです。
「三善根=解脱=涅槃=アラハン」です。
こういう三善根の中に、衣食住の供養のような善根を入れたら、
解脱や涅槃という意味にはなりません。
善根と三善根では意味が違うのです。

412深山:2009/05/26(火) 13:00:31 ID:ZGIaUYJc0
>>391 :準シュダオン:2009/05/25(月) 13:07:56 ID:XESnzsYQ0
>「それゆえに、善根を種えることは来世の糧である」と和訳しています。
>施食供養したバラモンに、「善根を種えること」と称してます。
>これって、三供養品の「功徳を種える」に似てるでしょう。

反論の二つ目です。
あなたが引用した経典の供養による果報は来世の世俗的な果報です。
だが、三福道は世俗的な果報ではなく、アナゴンまで至る解脱への道です。
この違いが何度説明されてもあなたはわからないらしい。
●釈尊の説く供養による果報・・・供養で世俗的な果報を得る
●桐山三福道・・・供養で解脱への道を進む
釈尊は供養すれば世俗的な果報が主に来世で得られると説いた。
それがあなた引用した経典の内容です。
だが、どこにもその供養によって、シュダオンになれるとは述べていない。
同じ「うえる」という言葉を使ったからといって、
両者は同じだなんて、読解力の低い子供みたいなことを言わないで下さい。
釈尊は、三善根で得られるのは解脱そのものであると説き、
供養によってえられるのは世俗的な果報であると明瞭に示している。
両者はまったく別物です。

413深山:2009/05/26(火) 13:05:57 ID:ZGIaUYJc0
>>393 :準シュダオン:2009/05/25(月) 15:20:24 ID:XESnzsYQ0
>管長の諸法無我の解釈は誤りだとの意見がありましたが、辞典を丸写しした
>とて、無我を悟ったことにはなりません。法自性を含めて、いろんな解釈が
>あったことは承知しています。私が、どの程度、無我を理解しているのか、
>言語で説明することは、大変、難しいのです。

無我(非我)を理解するのが何かものすごいことのように思い込んでるようですね。
釈尊は無我を言葉で説明し、無学の人たちもそれを理解したのです。
自我は五蘊という部品によって作られたものにすぎず、そこには
輪廻転生の主体としての霊魂のような自我など存在しないという意味です。
だから、無我を理解したかどうかは、本人の頭の中なんか知らなくてもわかる。
仏教の無我を理解したら、霊魂があるなんて主張をするはずがない。
だから、桐山さんのように霊魂があるなどと説く人が仏教の無我を
理解しているはずがないのです。
桐山さんが阪神大震災のとき600対3という数字を示して、
他人の不幸を利用してアゴン宗の宣伝をしたことがあった。
桐山さんの頭の中などわからなくても、彼が分数や比の概念すら
理解していないのはこういう数字の使い方を見ればすぐにわかる。
成績表など見なくても、あの人は学校時代の成績はかなり悪かった。
だから、公立中学すら受験せず、できの悪い私立に進学するしかなかった。
このように、桐山さんの頭の中などのぞかなくても、彼が書いた文章を
みれば彼が仏教など何も理解していないのがわかるのです。
それはあなたも同様です。
慢心ばかり強くて、自分の勝手な解釈をごりごりと押しつけるから、
無学の人たちも理解できた簡単なことがあなた方は理解できない。

414深山:2009/05/26(火) 13:07:59 ID:ZGIaUYJc0
>>394 :準シュダオン:2009/05/25(月) 15:44:37 ID:XESnzsYQ0
>この点、管長の説明を聞くと、分段、変易生死の意味が良く理解できます。

では、わかりやすく教えていただけませんか。
大乗仏教が菩薩に特別な意味をもたせるために作った考えなのだと
思っていたが、阿含経にあるようですね。
釈尊がどの経典で説かれているのか、具体的に
阿含経の名前などを教えていただけるとありがたい。
あなたの書き方からすると、桐山さんはこれを阿含経を
引用しながら説明しているようだが、
その本の題名とページ数を教えてください。

415深山:2009/05/26(火) 13:11:19 ID:ZGIaUYJc0
>277 :準シュダオン:2009/04/27(月) 14:37:55 ID:FFk79Ddp
>正法においてとは、「成仏法の尊きを、広く世間に伝うべし、正法の護持宣布
>をば、理法の供養と申すなり」と、和讃にあるとおりでしょう。

>>395 :準シュダオン:2009/05/25(月) 16:17:12 ID:XESnzsYQ0
>「於正法 種功徳」とは、正法の護持宣布、と考えて良いのはないですか?
>何が何でも財施供養だ、なんて考えることはありませんよ。

上記を見てもわかるように、あなたは一ヶ月ほどまえ前に同じ事を書いて、
私から、根拠が和讃とはなんだ、と笑われた。
一ヶ月たってすっかり忘れてまた同じ主張を始める。
この事例を見ればわかるように、あなたが最近書いていることの
ほとんどがここ一ヶ月の間にあなたが主張し、私が反論した内容ばかりです。
こういう物忘れと同じ事をただ繰り返しているだけなのをあなたは、

>[29]如来の子孫 08/07/28 11:53 18TZXoMZvv
>だが、それ以降、次々と、いろんなことに気づくようになった。
>自分で気づくのか、あるいは霊界の助けがあるのか知らないが、
>教えられてるわけでなく、勝手に自分の考えが湧くね。
>だから、シュダオンに近いのか?とも考えたのよね、フ。

などと自惚れている。
過去に反論されたことをきれいに忘れれば、いつも新しいことに
気が付くような気がするでしょうね。
それはさっき食事が終わった老人が「おれはまだ飯を食っていない」と
言っているのと同じです。

416深山:2009/05/26(火) 13:15:59 ID:ZGIaUYJc0
>>395 :準シュダオン:2009/05/25(月) 16:17:12 ID:XESnzsYQ0
>「於正法 種功徳」とは、正法の護持宣布、と考えて良いのはないですか?
>何が何でも財施供養だ、なんて考えることはありませんよ。

三供養品のどこに正法の護持宣布と書いてあるのですか。
そんな文字は三供養品にはどこにもありません。
書いてもいない文字をよく読めますね。
あなたみたいに勝手な連想で解釈するならナンデモアリになってしまう。
釈尊は冒頭に「三善根あり」と三善根であると限定しているのです。
三善根に正法を広めるなんて意味はありません。
文字としてない勝手な解釈をあれこれいうのではなく、
文字通り、三善根=無貪・無瞋・無癡を説いたのだと見ればなんの問題もありません。
書いてもいない供養、修行、護持宣布が読めるなら、
脳の断層撮影をお勧めするが、それがいやなら、老眼鏡を買い直してはどうですか。

417ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/27(水) 00:12:31 ID:SmEF4Oe2O
>>395
「正法に於て功徳を種える此の善根」が「正法の護持宣布」?
何?その苦しい言い回し?
どうして正法を布教するとわかりやすく書かないの?
まさにどうにでも訳せることになってしまう。
無理にこじつけているだけです。
そんな苦しい訳し方をしなければならないほど苦しい表現をするものか?
布教をするとどうして涅槃を得るのか?わけがわからん。

それから三善根と三福道の2種類の経典を桐山さんも提示しているが、そもそも
あるのは三善根経典だけで、三福道なんて記した経典などどこに見つかっていません。
桐山さんの捏造だからです。
桐山さんは善根と福道の部分だけが異なり後は同じことから、三善根=三福道
としているが、三善根に無貪・無瞋・無癡という意味があること自体今でも
知らないかもしれませんよ。
だから無知なるがゆえに無恥な解釈を示せる。
あるいは知った上での確信犯か?
堂々と示せばよいではないか?他の阿含経では三善根には無貪・無瞋・無癡の意味がある。
三不善根が貪欲・瞋恚・愚癡と説く経典もある。しかしこの経典は違う意味なのであると。
あなたが言うように無貪・無瞋・無癡ととってほしくないという意図があるから
三福道を出してごまかしたんでしょ?
三善根の解説をせずに。
つまり「隠したい」のですよ。あなたのいう通り。

418孫 青柿:2009/05/27(水) 02:02:33 ID:cMnw6Jpw0
>>388 大王の使者さんは私のことを我欲邪欲で供養したから効果なかった、と罵っていたが、
深山さんのように純粋に先祖の成仏だけを願っている人の前だと、使者さんはあれこれ言いはじめ餓鬼の本性を丸出しに。
あなたも私と変わらなかったんですね。変わらないのに上から目線で偉そうにこちらは不愉快だったが溜飲が下がるとはこのことだね。

419準シュダオン:2009/05/27(水) 15:23:48 ID:XESnzsYQ0
何時ものように最新のレスから読んで関心が湧いたものからレスしていこう。
深山さんは、相変わらず、想像力が乏しいよ。
お釈迦さまは、三供養品の有三善根を、ごく初期に説いたと考えてご覧なさい。
その後に、三善根=無貪瞋痴を説いたとした場合、あなたの論理は通用しない
のよ。もう少し考えてご覧なさい。

それから、三福道と訳した経典はない、との意見もありますが、それの事実は
不明です。そういうことは、沢山の阿含経を読んだ人だけにいう資格があるの
です。後でそういう経が、他からも出てきた場合は恥かくからね。

420準シュダオン:2009/05/27(水) 15:41:21 ID:XESnzsYQ0
準シュダオンと預流向と、勘違いするような人には、私のレスを理解するのは
無理かも知れないが、まぁ、迷える信徒さんに理解されたら有難いことです。
それから、気になることが一つ。批判派に、勝手に過去のレスをいろいろ取り
上げる人がいるけど、私はそれらに関わっているとも、いないとも答えて
いないよ。推理力が足りないよ。
たとえば、同じ会社の同僚が、同じPCから同じハンドルで書いてたら
どうするね?責任もてないでしょ。

よって、私は現在のハンドル以外の過去レスには関知しないよ。
時間の無駄だから、そういうレスは読まないよ。

421準シュダオン:2009/05/27(水) 16:09:32 ID:XESnzsYQ0
何を如来供養と名付けるのですか?という阿難の問に、
「陰入界無我 乃名第一供」(遊行経)と、お釈迦さまは説きました。
学者先生はこれを、
「五陰と六入と十八界についてとらわれなきことこそ第一の供養と名づける
 のだ」と、和訳されています。学者先生には字数制限もあろう。
同じ意味だが、私なら次のように訳しますね。
「五陰十二入十八界について、無常であり、苦であり、無我であることを
さとってとらわれないこと、これを第一の供養と名付ける」とね。

般若心経瞑想法のP109に、「四念処法」もこれを基調としたもので
ある、と管長は解説しております。つまり、般若心経瞑想法と四念処法は
密接に関係しています。

理解したつもりでも、無常・苦・無我、についての理解は、聖者の理解と
凡夫の理解ではまるで違うのです。シュダオンとアナゴンの、無常無我の
理解度もも違う。
深山さんの無我の理解など、まだまだ凡夫の理解なのです。
あなたが書いたようなことは、般若心経瞑想法P90などに詳しく解説さ
れているから、良く読んで瞑想したらいいでしょう。読んだだけでは本当
の意味は体得できません。

管長の霊魂説は、無我を理解した上での霊魂論なのです。
不変のアートマンとの考え方とは違う霊魂なのです。

422準シュダオン:2009/05/27(水) 18:09:51 ID:XESnzsYQ0
正法において功徳を種えよ、とは、正法の護持宣布のことなどです。
護持宣布との、管長の言葉をつかうと解りやすいでしょう。
ウバソクの8法16法の中に、宣布を修行として課せられていますね。

ついでに言っておこう。
無貪・無瞋・無痴、を、実践できたら、それが正法そのものでしょ。
なにも、正法において無貪瞋痴を実践せよ、なんて言う必要はないのです。

ところが、ウパソクの8法16法の実践(功徳種)として法を他人に説く
場合は、正法において説け、と注意しておく必要がありますね。
邪法を説いたら大変ですからね。
だから、「於正法 種功徳」とは、無貪瞋痴のことではない、と理解でき
るのです。

423樹意:2009/05/27(水) 21:22:35 ID:JYQN.K/Y0
>>419 :準シュダオン:2009/05/27(水) 15:23:48 ID:XESnzsYQ0

>それから、三福道と訳した経典はない、との意見もありますが、それの事実は
>不明です。そういうことは、沢山の阿含経を読んだ人だけにいう資格があるの
>です。後でそういう経が、他からも出てきた場合は恥かくからね。

前々から2chでは云っていることだが『意見』と『引用』『事実』の違いくらいは
わきまえましょうというのがあるね、
私が引用したのは私個人の『意見』ではないよ、
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/members.html

大蔵経テキストデータベース委員会

支援組織
文部科学省
日本学術振興会
財団法人仏教学術振興会(大蔵経データベース化支援募金会)
東京大学大学院人文社会系研究科


協力組織
中華電子仏典協会(台湾)
日本印度学仏教学会

これらの組織がデータベース化し、検索したものを提示しておりその責任というのも
これらの組織にある。 
こちらとしてはキチンとソースを提示した、後は貴方の番です。
どうでしょう、これだけの事を仰ったのだから、調べて提示してみては、?
でてきたなら 準シュダオン氏は 東京大学大学院人文社会系研究科 他協力組織をはじめ
それらの仕事を超えたことになる。
そうなれば一躍学界における仕事をなした評価がなされることでありましょう。

末世成仏本尊経講義の255p 注釈(三福道)
福を受ける三つの道・方法。この場合の“福”とは、霊性開顕して聖者になること。
一書には「三善根」「三福業」とあり。阿含宗は「三福道」をとる。また、
「自須陀?至阿那含断五下分結」の十三句は、のちにのべる通りの理由により、
同意の阿含経からとり入れた。

第二に上記の文章をみて分かる通り
>一書には「三善根」「三福業」とあり。阿含宗は「三福道」をとる。
経典にあるのは「三善根」 三福業は衆集経にはあるが三福道はどこにもない。
となれば百歩も万歩もゆずって解釈するとして、ゲイカは「三善根」も「三福業」も
「三福道」も同じという位置づけになる、
だが衆集経においては別に「三不善根」「三善根」も説かれており「三福業」とは別。
他にヒットした経典群もほぼ同様となっている。
「三不善根」と「三善根」は対になる概念です。三善根無貪善根無恚善根無癡

アゴン部だけでなく論蔵も含め検索するとサーリプッタが阿含部衆集経にてたったい一つ説いた
「三福業」は 
阿含部   般若部 大集部 經集部 毘曇部 中觀部・瑜伽部
經疏部 律疏部・論疏部 諸宗部 史傳部 事彙部・外教部・目録部 續經疏部
續律疏部・續論疏部 續諸宗部 古逸部・疑似部
これだけの中から 116 Hit を記録している、
もし阿含部経典に出ていて見逃していたとしても、これら後世の経典群に出てこないはずがない
と私なぞは考える。

424樹意:2009/05/27(水) 21:24:32 ID:JYQN.K/Y0
>>419 :準シュダオン:2009/05/27(水) 15:23:48 ID:XESnzsYQ0
>何時ものように最新のレスから読んで関心が湧いたものからレスしていこう。
>深山さんは、相変わらず、想像力が乏しいよ。
>お釈迦さまは、三供養品の有三善根を、ごく初期に説いたと考えてご覧なさい。
>その後に、三善根=無貪瞋痴を説いたとした場合、あなたの論理は通用しない
>のよ。もう少し考えてご覧なさい。

この経典が書いてあるのは末世成仏本尊経にあるように 増一阿含経です。
増谷文雄博士が仏陀の第一結集のせまったという阿含経典 総論には下記のようにある。
少し引用が長くなりますが重要なことですのでご容赦願いたい。

第一巻22p 〜 25p
それで思い出すのが、『長阿含経」や『長部経典』の中にみられる「衆集経」(sangiti-suttanata)や
「十増経」(dasuttara-suttanata)などのことである。それらの経は、『長阿含経』や『長部経典』
のその他の諸経とまったく説相を異にして、ひたすらに法相・名目を羅列しているのであるが、
それがやがて、『増一阿含経典』や『増支部経典』の成立を促し、さらに、それらの経典群が、
阿毘達磨(abhidharma)すなわち論部の先駆をなしたものと考えられる。とするならば、それらの経典群は、
おそらく、漢訳の「四阿含」およびパーリの「四部」(小部をのぞく)のなかにおいては、もっとも
遅い成立であってように思われる。
それかあらぬか、漢訳の『増一阿含経』の所説には、しばしば大乗仏教の影響がみられる。たとえば
ー略ー  (舎利弗 まさに知るべし、如来に四の不可思議のことあり、小乗の能く知るところにあらず)
(十八、九)
のごとくである。『増一阿含経』が大衆部の所属であろうと想定される所以である。
ー略ー

以上のごとくであるととするならば、漢訳の「四阿含」、ならびに「パーリ五部」の、それぞれ
の阿含、それぞれの部の成立の順序は、おおよそ、つぎのように言うことをうるであろう。
1、漢訳の「四阿含」のなかの『雑阿含経』、ならびに、パーリの「五部」のなかの
『相応部経典』は、それぞれ「四阿含」および「五部」のなかにおいて、もっとも早き頃の
成立であると考えられる。
2、つづいて、「四阿含」の中の『中部経典』 −略ー
3、さらに、 「四阿含」の中の『長阿含経』 −略ー

4、そして、「四阿含」の中の『増一阿含経』ならびに、「五部」のなかの『増支部経典』は、
新しい要求と新しい考え方に促されて、新しい編集様式によって編まれたものであった。
したがって、その成立は、「四阿含」「五部」のなかの更に遅いものであったと考えられる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先に『長阿含経』集衆経 十増経はサーリプッタが仏陀の了承を得て説いたアビダルマのはしりであると
書いたことがありますが、大衆部所蔵の『増一阿含経』も実はこれらが成立を即したものであると
増谷博士は論評されております。
増一とあるように 後で増設されしものという意味ではないでしょうか。
それとゲイカがあれほど批判していた「大衆部」所蔵の経典をゲイカは採用したことになります。

425ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/27(水) 23:16:54 ID:SmEF4Oe2O
>>419
前からあなたが書いているようにこの増一阿含経の三善根経典の方が無貪・無瞋・無癡
をきちんと解説された経典より成立が古かったらどうだろう?というあなたの切ない
希望ですが、残念ながらこれは>>424で樹意さんによって否定されている。
増一阿含経は比較的成立が新しいのです。
つまり他の三善根を説く経典よりも後に成立した、説かれた公算が高い。
しかし私はそんなことは抜きにしてさえ、成立の順序に関係なく三善根の意味が
2つあったならば、必ず片方に記述があって然るべきでないか?
準シュダオンさんの希望通り「三善根あり、それは三宝供養のことじゃよ」と説いた
経典が、無貪無瞋無癡経典よりも早かったならば、その無貪無貪無瞋無癡経典を
説く時に説明義務があります。
あん時は三宝供養を三善根としたけど、今度の三善根は内容がガラッと違うぞと
断らないのか?
またこのように三善根に2つの異なる意味があるならば、どうして仏教辞典は
これを解説しないのか?
@無貪・無瞋・無癡のこと
A如来、正法、聖衆の三宝に供養すること
とね。
この増一阿含経は大正蔵にあり、国訳一切経にある。
三福道なんかと違って見落とされることなんかない。
ましてや三善根なんて用語は阿含経でも無数にあるわけでない。
非常に限られている。
樹意さんが検索したくらいしかない。

それから三福道はあなたも検索してみるとよい。
樹意さんも示す電子経典にも引っ掛からないのです。
三で並べた用語がいっぱいあって分類整理もされている中で、三福道なんて用語は
どこにも見当たらない。
三福業ならある。ただし桐山三福道とは全く内容が違う。

426ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/27(水) 23:37:48 ID:SmEF4Oe2O
>>420
預流向と準シュダオンを混同?
馬鹿を言え。預流とはシュダオンのことだが、四沙門果にはそれぞれ向と果がある。
すなわちシュダオン向とシュダオン果です。預流向と預流果です。
シュダオン向はまだシュダオンにまで到達してないが、到達しようと向かっている
最中の人、シュダオン果は文字通りシュダオンを果たした人、到達した人。
あなたは準シュダオン、シュダオンに準ずると名乗っているのだから、これは
シュダオン向であり、預流向でないか?

それからあなたは>>418で青柿さんから大王の使者とザビビの頃の古いハンドルネームを
指摘されて、しらばっくれるような真似はしない方がよい。
誰がどう見ても大王の使者も如来の子孫も準シュダオンも同一人物です。
さらに2つハンドルを遡ることも可能です。
しかし隠す必要がありますか?ハンドルを変えるのは自由です。
ばれたらばれたで堂々としていればいいではありませんか?
こちらはハンドルを 変えることを非難したことはない。
またあなたの屁理屈は通用しない。
同一パソコンから同一ハンドルで別の人に書かれてしまったら、後で本人が
この人は別ですと弁明すればよい。
しないのは本人が書いたも同然と、書き込み内容の責任を認めたことになります。
正直を貫いていればよく、変な小細工をする必要がない。
それでも小細工したいのはあなたにやましい気持ちがあるからです。
そしてそれは公の目に晒されている。
見ている人はあなたの不可解な嘘に疑問を持ちます。
そしてその行為はアゴン宗全体の信用に関わる。
アゴン宗の信者には小細工をする嘘つきがいるのか?と信用を貶める。
その責任をどう考える?
こんなつまらんことで意地を張らず泰然自若としていればよいのです。

427ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/27(水) 23:54:11 ID:SmEF4Oe2O
>>421
あなたはまだわかってないようですね。
如来供養の第一は悟ることだとしている。
これは私も同感なのです。
如来供養とは、如来に捧げ物をして見返りに功徳を受けることではない。
自ら修観して悟りを得るのです。
ところが桐山三福道の如来供養はこんなことを説いていない。
あなたは般若心経瞑想法やら四念処など別の問題を論じているつもりが、その根拠の
つもりで出したものが、実は桐山三福道の如来供養をぶち壊すことになった。
おそらく生活にも修行にも立脚せぬ弱い頭の中だけで思考を巡らせているだけだから
問題点が整理されないのでしょう。
阿含経や学者の説を下手に振り回すと、それは桐山さんを否定して傷つけることに
なるのです。

428ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/28(木) 00:04:41 ID:SmEF4Oe2O
>>422
正法とは仏法僧の法そのものです。
つまり真理の教えです。
釈尊の説いた正しい教え(正法)に基づいて無貪無瞋無癡を実践してその結果
無貪無瞋無癡を得る。
ベンザエースは使用上の注意をよく読んで、正しくベンザエースを使用すれば
ベンザエースの効き目がよく現れるというものです。
これが、ベンザエースが効く人はベンザエースを飲んだ人ですという桐山さんも
お気に入りのキョンキョンの古いCMです。
それをどうして、ベンザエースは他人に薦めると風邪が治りますになるのか?
飲めばよいのです。正しい用法で。
風邪は他人にうつせば治るとも言うが。
新型インフルエンザを治すにはとにかくタミフルを自分に投与することです。
他人に売っても治らない。

429ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/28(木) 08:42:47 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんはちゃんと「末世成仏本尊経講義」を読んだことがあるのか?
この著書を読まずに三福道を語れない。
桐山さんがちゃんと書いているのです。
一書には三福業とあり一書には三善根とあり、アゴン宗では三福道を採用すると。
つまり三福道なんてもともとないと表明してしまっているのです。
無いものを採用した?
しかも三福業の意味はまるで違う。

430ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/28(木) 08:52:41 ID:SmEF4Oe2O
三福業

施福業
平等福業
思惟福業

431深山:2009/05/28(木) 12:54:27 ID:3vWFz/3M0
>>419 :準シュダオン:2009/05/27(水) 15:23:48 ID:XESnzsYQ0
>深山さんは、相変わらず、想像力が乏しいよ。
>お釈迦さまは、三供養品の有三善根を、ごく初期に説いたと考えてご覧なさい。
>その後に、三善根=無貪瞋痴を説いたとした場合、あなたの論理は通用しない
>のよ。もう少し考えてご覧なさい。

想像力がありすぎて、妄想を言っているのがあなたです。
三供養品を初期に説いたという根拠は何ですか。
何もなく、あなたの主張っていつもこんなふうにただの空想ですよね。
それが自分ではとても頭が良いと思っているのでしょう?
簡単に反論されることすら予想していない。
仮に三供養品を初期に説いて、その後、三善根を別な意味に説いたとして、
では、どうして釈尊は「前に説いた三善根とは違う意味に説くぞ」と
告げないのですか。
前と違うことを説いたのなら、違うと説明しなければアーナンダは理解できない。
釈尊はどの経典でも、「違う三善根」など説いていない。
終始一貫して、無貪・無瞋・無知の三善根のみです。
三供養品を含めて全部それで意味が通じる。
三供養品に無貪・無瞋・無知以外の意味の三善根など必要ありません。

432深山:2009/05/28(木) 12:56:48 ID:3vWFz/3M0
>>419 :準シュダオン:2009/05/27(水) 15:23:48 ID:XESnzsYQ0
>のよ。もう少し考えてご覧なさい。

準シュダオンさんは考えるのをやめたらどうか。
あなたこそその愚かな想像を捨てるべきです。
毎度繰り返すが、桐山さんも学者もあなたと違い、三善根に二種類あるとは説いていない。
準シュダオンさんだけが言っている空想説です。
あなたの耳には届かないようだが、それは準シュダオンさん個人の
宗教観であって、ここではまったく議論の対象ですらない。
居間でオシッコをするなと言われてもさえも、あなたには通じない。
こうやってスレ違いな内容を頑迷に書き続けるのは、
天身さん、ヂミズさんとあなたくらいです。
彼らと一緒にされることに不名誉かを感じるくらいの羞恥心は残っていないのですか。

433深山:2009/05/28(木) 12:59:04 ID:3vWFz/3M0
>>419 :準シュダオン:2009/05/27(水) 15:23:48 ID:XESnzsYQ0
>それから、三福道と訳した経典はない、との意見もありますが、それの事実は
>不明です。そういうことは、沢山の阿含経を読んだ人だけにいう資格があるの
>です。後でそういう経が、他からも出てきた場合は恥かくからね。

樹意さんにあれだけの証拠を突きつけられも、まだ言っている。
事実は不明ではなく、明瞭で三福道などありません。
あなたは大正新脩大蔵経をなんだと思っているのですか。
漢訳経典の世界的な標準とされている。
その経典に三福道なんてありません。
天身さんが、他の大蔵経があることを物知り顔で書いていた。
だが、すでに何度も反論したように、桐山さんが元としたのは
大正新脩大蔵経ですらなく、國訳一切経です。
本人がはっきりと本に書いているのを私は何度も引用して示した。

「気がついてみたら、わたくはがそのとき書庫から持ってきた阿含経は、
密教にはいる前に読んだ国訳一切経の中の阿含経です。
いたるところ、こう、朱線が引いてあるんです。」(『霊障を解く』211頁)

ごらんのように桐山さんは國訳一切経を読んだと言っているし、
実際彼が引用した経典は國訳一切経そのままか、学者の本からの丸写しです。
国訳一切経にも三福道なんてありません。
桐山さんは増一阿含経であると指定しているから、大東出版社の
『國訳一切経 阿含部』の8〜9巻目です。
三供養品は8巻目の190頁からある十の経典のみで、たった7ページです。
素人でもそれらの経典に三福道という言葉があるかどうか、
10分もあれば調べられます。
どっちが恥をかくか、あなたも空想で言うのではなく、本を買うか、
図書館で取り寄せて調べてからものを言いなさい。

434深山:2009/05/28(木) 13:00:46 ID:3vWFz/3M0
>>422 :準シュダオン:2009/05/27(水) 18:09:51 ID:XESnzsYQ0
>正法において功徳を種えよ、とは、正法の護持宣布のことなどです。

あなたの目には、三供養品の中に存在しない供養や護持宣布の文字が見えるらしい。
三供養品には、供養も護持宣布の文字も概念もありません。
樹意さんが意見と引用と事実くらい分けて書けと助言している。
だが、あなたが書いたことは、存在しない文字が見えるというのだから、
意見ですらなく、妄想です。
存在しない文字が見えるなら、まず脳の断層撮影をしてもらったほうがいい。
ありえない文字が見える人には対応するのは医者や心理カウンセラーですから、
ここに来るのは間違いです。

435深山:2009/05/28(木) 13:02:26 ID:3vWFz/3M0
>>422 :準シュダオン:2009/05/27(水) 18:09:51 ID:XESnzsYQ0
>無貪・無瞋・無痴、を、実践できたら、それが正法そのものでしょ。
>なにも、正法において無貪瞋痴を実践せよ、なんて言う必要はないのです。

三供養品の説いている内容は、解脱していない比丘には
「正しい法を実践して、無貪・無瞋・無知を達成せよ」、
解脱した比丘には「正しい法を実践して、無貪・無瞋・無知を維持せよ」です。
釈尊の説いた内容は簡単で、何の矛盾もない。
そうやって何でもかんでも言葉尻をつかまえてイチャモンを
つけようとすると、意地の悪い老人になってしまいますよ・・もうなっているか。

436深山:2009/05/28(木) 13:03:53 ID:3vWFz/3M0
>>420 :準シュダオン:2009/05/27(水) 15:41:21 ID:XESnzsYQ0
>よって、私は現在のハンドル以外の過去レスには関知しないよ。
>時間の無駄だから、そういうレスは読まないよ。

過去の書き込みに責任を持たない!
狸オヤジの狸寝入り、「死んだふり」ですね。
大爆笑です。
その場しのぎの空想で書いているから、過去の書き込みとの矛盾を
指摘されるのが怖いのだ。
桐山さんと同じで、自分が現実に為したことから逃げようと必死です。
あなたは本当に男なのか?

437深山:2009/05/28(木) 13:06:31 ID:3vWFz/3M0
>>420 :準シュダオン:2009/05/27(水) 15:41:21 ID:XESnzsYQ0
>シュダオンと預流向と、勘違いするような人には、私のレスを理解するのは
>無理かも知れないが、まぁ、迷える信徒さんに理解されたら有難いことです。

過去の自分の書き込みには責任を持たないと言いながら、
その過去に私が書いたことはこうやって取り上げるのですね。
あなたが預流と名乗ろうが、預流向と名乗ろうが、そのインチキぶりは同じです。
どちらも真っ赤な嘘だ。
あなたはあの当時も私の質問など無視したのに、
私が預流と預流向を読み間違えると、何度も何度も謝罪を求めた。
だから、私はあの当時もきちんと返事をして、次のようなたとえをしたのを覚えているか。
私は、あなたが盗んだのが時計ではなく、腕輪だと間違えたにすぎず、
あなたが泥棒であることにはなんら変わりない。
あなたは「おれは時計を盗んだのに、おまえは腕輪だと言った。謝れ!」
と言っている泥棒です。
それも釈尊と桐山さんの両方から盗んだコソドロです。

438深山:2009/05/28(木) 13:08:53 ID:3vWFz/3M0
>>420 :準シュダオン:2009/05/27(水) 15:41:21 ID:XESnzsYQ0
>シュダオンと預流向と、勘違いするような人には、私のレスを理解するのは
>無理かも知れないが、まぁ、迷える信徒さんに理解されたら有難いことです。

擁護側にはあなたよりも前にアナゴンを名乗る愚か者が二人いた。
信者時代もこういう自己顕示欲を垂れ流しにして恥とも思わない連中がいたから、
辟易しているところに、あなたが出てきた。
「また、聖者を名乗っている!」と私は吐き気がしそうだった。
あなたの預流向宣言は、薄汚い自己顕示欲のハラワタをそのまま出しているにすぎない。
その汚いハラワタが黒だろうが、しま模様だろうが、同じです。
過去の書き込みには責任をもたないとまで宣言したのなら、
あなたの過去に書いた矛盾を一つ指摘してあげましょう。
ここはあなたを批判するスレではないし、預流向ゴッコをして
自己満足を得るくらいしか楽しみのない年寄りに
あまり恥をかかせては気の毒だと思って、出すのをやめようと思っていた。
だが、どうやら、遠慮は無用のようだ。

439深山:2009/05/28(木) 13:10:25 ID:3vWFz/3M0
[816]大王の使者 05/05/07 14:47 d61kACBckO
真理を求めて旅をしていた舎利子は、出合ったアッサジに教えを懇願した
そうだ。アッサジは、自分は新米弟子であることを断った上で、
「諸法は因より生ず。如来はその因を説きたまふ。」と、縁起の法の
さわり部分を説いたという。舎利子はたちまち釈迦の教えを理解し、
その場で、シュダオン果を得たという。
私は、初めて桐山管長の法話を聞いたとき、因縁解脱という用語を聞き、
たちまちその意味内容を理解し、その場で預流向(四向四果の一つ)を得たのであった。
縁起の法や四諦の法門の存在を知ったのはその後であった。

[29]如来の子孫 08/07/28 11:53 18TZXoMZvv
管長が、思念による相承の伝法を開始したのが、1997年です。
それから12年が経過しますね。
実は、その間に、私は、思念による相承・霊的バイブレーションを
受けた、但し、管長の言うような強い衝撃ではなかった。
自宅に居ながら、それは来た。阿含宗のお山から来たと確信できた。
私の自宅とお山の距離は、100キロ以上も離れてる。数百キロ以上
であろうか?詳しくは書かないが、距離は大きい。
だが、思念の相承は、距離は関係ないと思うね。

私の場合は、緩やかな衝撃であった、時間は5〜6分くらいであろ
うか?あるいは1時間も続いたのであろうか?いま考えても、時間は
わからない。脳の中枢に緩やかな衝撃が続いた。
衝撃が緩やかなせいか、私にはグモンジ脳は完成しない。
その準備もできていなかったのであろう。
だが、それ以降、次々と、いろんなことに気づくようになった。
自分で気づくのか、あるいは霊界の助けがあるのか知らないが、
教えられてるわけでなく、勝手に自分の考えが湧くね。
だから、シュダオンに近いのか?とも考えたのよね、フ。

239 :準シュダオン:2009/05/14(木) 14:23:11 ID:AE6HzN5z
管長は、「思念による相承」を、修行法を超えた成仏法と呼んでいます。
(間脳思考P249)
私が、準シュダオンを名乗っているのは、この相承を受けた確信があるから
なのです。但し私の場合、管長がインドで受けたような強い衝撃ではありま
せんでした。
たぶん、私が受けた衝撃は、管長の十分の一、くらいかと思います。
思念の流れ、も感じませんでした。私の間脳が眠りこけていたからでしょう。

この体験があってから、成仏に至る四つの階梯を、信じることができるよう
になりましたね。あまり熱心な信徒とはいえない私だと思うのですが、
このような体験ができて、本当に運が良かった、と思っています。
未だ、私のような体験がない迷える信徒さんも、希望はありますよ。

私の場合、すっかり忘れて居た頃、突然それは起こりました。

440深山:2009/05/28(木) 13:15:54 ID:3vWFz/3M0
>[816]大王の使者 05/05/07 14:47 d61kACBckO
>私は、初めて桐山管長の法話を聞いたとき、因縁解脱という用語を聞き、
>たちまちその意味内容を理解し、その場で預流向(四向四果の一つ)を得たのであった。
>239 :準シュダオン:2009/05/14(木) 14:23:11 ID:AE6HzN5z
>私が、準シュダオンを名乗っているのは、この相承を受けた確信があるから
>なのです。

四年前は、サーリプッタを引き合いにして、桐山さんの話を聞いて
預流向になったと書いていた。
ところが、去年と今年は、桐山さんがインドでオシャカからデンパを
受けてアナゴンになったように、彼もデンパの相承を受けたから
預流向になったのだと書いた。
いかにあなたがいい加減ことをその場しのぎに自慢話を作り上げているか、
これをみてもわかる。
あなたはなんともないだろうが、本当にみっともない。
準シュダオンさんのために爆笑の言い訳を考えてあげましょう。
「法話を聞いた時の預流向は一年生、聖なるバイブの預流向は二年生だ」
「法話を聞いて預流向になっていたが、その時は自覚がなく、
後にバイブを受けた時、それを自覚した」
「大王の使者、如来の子孫、準シュダオンは別人物だ。
おれはアメーバみたいに増殖できるのだ」
「預流向は時空を越えておきた」(ミルラ風)
さあさあ、準シュダオンさん、皆さん、笑い転げようと準備しているから、
お得意のシュダオン界からの智慧で屁理屈の言い訳を並べてくださいよ。

441深山:2009/05/28(木) 13:18:12 ID:3vWFz/3M0
[840]如来の子孫 08/03/20 20:28 Bj.cdF2kp6
私自身、もしかしたらシュダオンの入り口に入ったのかな?
[1009]如来の子孫 08/03/31 10:29 LGksRgotLI
こりゃ、私もシュダオンに成ってるのかなぁ、と思います、ま、
こりゃ、ジョークですが。
[4]如来の子孫 08/04/01 20:52 9hWjqriglk
私は、霊界のシュダオン界の力を得て、応えてあげよう。
[52]如来の子孫 08/04/04 19:23 9hWjqriglk
私には、シュダオン界のテレパシーを、受けてる感じがあるので
[885]如来の子孫 08/06/03 16:48 XgL5H.msHL
限りなくシュダオンに近づけてる自覚があるのですよ。
[467]如来の子孫 08/06/13 16:30 oNmU9AvgdV
私が書いたのは、限りなくシュダオンに近づいた気がする、だよ。
[470]如来の子孫 08/06/13 19:33 oNmU9AvgdV
私はシュダオンに近い、と思う。
[510]如来の子孫 08/06/14 20:33 oNmU9AvgdV
シュダオンに限りなく近い感じがする、と述べたのね。
大違いでしょ、フフ。たぶん、私の口の悪い因縁が切れたら、
シュダオンだと思う、フフフ。
[202]如来の子孫 08/06/29 17:10 Bj.cdF2kI0
自分でいうのは可笑しいですが、私はシュダオンに近づいてる自覚
があるんですよ。
[277]如来の子孫 08/07/01 13:19 LGksRgot8d
だから、私は修行をサボるわけです。それでもシュダオンに近づい
てる自覚があるのですね、エヘエヘ。
今ではマジにシュダオンに近いと自覚してるのです。
[572]如来の子孫 08/07/09 16:52 LGksRgot8d
私はシュダオンに近いと思うから、シュダオン並みの理解が
出来た、と思う。
[763]如来の子孫 08/07/16 14:24 9hWjqrigkD
だが、シュダオンに近づいた、という自覚はあるね。
[799]如来の子孫 08/07/17 13:31 9hWjqrigkD
私は最小限の参加です。さぼり過ぎると、霊界から叱られる感じが、
するんですね、フフ、だからシュダオンに近いのかな?なんて思う。
[872]如来の子孫 08/07/21 10:50 18TZXoMZvv
私の場合は、或いは、シュダオンの相承を受けたかも、知れないね。
[1005]如来の子孫 08/07/26 10:54 18TZXoMZvv
私は、なんか、シュダオンに近い知恵が湧くような、気がするんだ
よね。
[1019]如来の子孫 08/07/26 13:48 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いかな、なんて、おこがま
しいことまでレスしたのですよ。
[29]如来の子孫 08/07/28 11:53 18TZXoMZvv
だから、シュダオンに近いのか?とも考えたのよね、フ。
[150]如来の子孫 08/08/01 16:35 hTuSt843kK
私のいう桐山教法では、私はシュダオンに近いという自覚・確信が
あるのですよ。
[170]如来の子孫 08/08/02 09:47 hTuSt843kK
私としては、まぁ、シュダオンまでは行かないが、
及第点をあげようか、と自己採点しましたよ、フフ。
[196]如来の子孫 08/08/02 16:57 hTuSt843kK
自分では、やれやれ、やっとシュダオン近くに来れたか!
と自己満足してんですよ、生活も楽になってさ。
[607]如来の子孫 08/08/12 13:49 Fen4TGEF1J
もしかしたら、これがシュダオン・預流、ということで、解脱の流れ
に入ったことなのかなぁ、とも考えた。
[608]如来の子孫 08/10/27 11:24 PL3a0oHZ4G
涅槃に流れる川があって、その川の中に浮かんだ心境なんですよ、だから預流かな。
[618]如来の子孫 08/08/12 16:57 Fen4TGEF1J
でね、確かに私はシュダオンに近いかも知れない、と思うのよ。
[708]如来の子孫 08/08/15 13:23 Fen4TGEF1J
賢者のシュダオンには、かなり近づいた感じがする、と今でも思って
いるし、そのことを書いたつもりね。
[275]如来の子孫 08/09/11 17:40 XgL5H.msHL
だから、私は、もしかしたらシュダオン(賢者)に限りなく近い
かも知れない、と書いた。

442深山:2009/05/28(木) 13:22:48 ID:3vWFz/3M0
>[277]如来の子孫 08/07/01 13:19 LGksRgot8d
>だから、私は修行をサボるわけです。それでもシュダオンに近づい
>てる自覚があるのですね、エヘエヘ。

昨年半年の間の準シュダオンさんの預流向宣言の羅列です。
いかにこの人の妄想がひどいかを示している。
半年の間に、30回近くも、つまり、一週間に一度は自分は預流向だと言い続けた。
なにせ書いたはしから忘れてしまうから、彼は自分がこんなに頻繁に
書いていることのすら自覚がない。
「エヘエヘ」だの「フフ」だのと品性のかけらもない。
しかも、書いているうちに、だんだん妄想がひどくなっていることに
皆さんお気付きでしょうか。
彼は足払いをかけられないようにシュダオン宣言こそしていないが、
限りなくシュダオンだと何度も何度も書いている。
実際は「だから預流かな」などと、黒い腹の中ではすでにシュダオンのつもりです。

443深山:2009/05/28(木) 13:24:56 ID:3vWFz/3M0
>[277]如来の子孫 08/07/01 13:19 LGksRgot8d
>だから、私は修行をサボるわけです。それでもシュダオンに近づい
>てる自覚があるのですね、エヘエヘ。

こんな準シュダオンさんの不気味な光景をわざわざ並べたのは、
信者さんたちに見てほしいからです。
脳が老化しているだけでなく、これまで彼は現実の人生は満たされなかった。
「ヲレ様はもっと評価されてもいいはずなのに」とずっと不満を持っていた。
そういう自惚れこそがトラブルの原因だったのが、彼は気が付かない。
自惚れを満たすために、客観的に評価できない預流向ゴッコを始めた。
これなら、自前で宣言してしまえばこっちのもの、他人あれこれ言われる筋合いはない。
ヂミズさんや実行委員長と同じ手法です。
現実の彼はろくに修行も梵行もせず、小梗塞を白銀バイブだと
勘違いして自惚れるセコイ老人にすぎない。
信者さんたちは汚い物でも見たように嫌悪を覚えたでしょう。
だが、準シュダオンさんのこの姿は桐山さんとそっくりだと気が付かないか。
桐山さんも現実世界では通用しないから、宗教の世界で、ブッダやナンタラ大王を
自認し、金で買った名誉を体中にくっつけている。
信者さんたちは準シュダオンさんに嫌悪を覚えたのに、
どうして桐山さんには嫌悪を覚えないのですか。

444深山:2009/05/28(木) 13:28:59 ID:3vWFz/3M0
>>421 :準シュダオン:2009/05/27(水) 16:09:32 ID:XESnzsYQ0
>理解したつもりでも、無常・苦・無我、についての理解は、聖者の理解と
>凡夫の理解ではまるで違うのです。シ

あなたは聖者の理解と凡夫の理解では違うと書いた。
あなたも私も聖者ではなく、凡夫です。
したがって、あなたの理屈からいったら、二人も
理解できないことになる。
私だけでなく、あなたも理解できないのです。
だったら、桐山さんが正しいとわかるはずがないから、
桐山さんが正しいというあなたの主張は間違っている。
あなたの屁理屈はこんなふうに自己矛盾している。
また、桐山さんが聖者だという前提であなたは書いているが、
それを誰が認めたのだ?
彼が聖者でもなんでもないと批判している最中に、
桐山さんが聖者であるという前提で書いてなんの役に立つのだ?
あなたはこういうことに矛盾を感じる知性がないらしい。
中学校の数学で仮定や定理を使って結論を証明するというのを習いませんでしたか。
数学の不得意な生徒はしばしば結論を使って結論を証明してしまう。
あなたはそれとそっくりです。

445深山:2009/05/28(木) 13:31:35 ID:3vWFz/3M0
>>421 :準シュダオン:2009/05/27(水) 16:09:32 ID:XESnzsYQ0
>管長の霊魂説は、無我を理解した上での霊魂論なのです。

無我を理解した上で霊魂を説いているとうなら、
あなたがそれを説明しみなさい。
無我説では、自己は五蘊という要素で成り立っている。
主体となるもの(我)がなく、五蘊という要素で組み立てられているからこそ、
無我(非我)説なのです。
あなたに質問するが、五蘊のどこに霊魂があるのだ?
霊魂とは五蘊のどれなのだ?
と質問しても、無視するんでしょうね。
先に答えを言ってあげると、もちろん、こんな質問に答えられた人は
過去2500年に一人もいない。
あなたは知らないのだろうが、霊魂と無我説を両立させようと
必死に部派仏教や大乗仏教の天才たちも努力したのです。
だが、もちろんできるはずはなく、絶対に両立しない。
なぜなら、釈尊の無我説とは、霊魂については議論しないこと(無記)から
始まっているからです。
桐山さんて、仏教のこんな初歩的なことすら理解していないのです。

446準シュダオン:2009/05/28(木) 14:03:23 ID:XESnzsYQ0
解脱供養は家系の霊的浄化のためと深山さんはレスしたね。
わたしに言わせれば、家系の浄化=果報、であるのです。
お年寄りに席を譲って嬉しい気持ちになった。
わたしに言わせれば、嬉しい気持ち=果報、であるのです。
おわかりか?ユビキタスさん。

447準シュダオン:2009/05/28(木) 14:13:31 ID:XESnzsYQ0
本日は最新レスではなくて、途中から読んでます。
深山さんは、都合が悪い場合は嘘発言呼ばわりするのですね。
たとえば、私の国語・漢文専門の法友はウソ、みたいにね。
そういうあなたの心は汚いのよ。汚れてる。自分が嘘付いてるから、
他人もウソ付くと考えてるのかなあ。
仏教とは、そういう心の汚れを落とすことから修行が始まるのですよ。
それが出来てないから、あなたの修行は進まなかった、のです。
そういう人は、いくら仏教知識をかき集めても無駄ですねえ。

448準シュダオン:2009/05/28(木) 14:18:52 ID:XESnzsYQ0
大蔵経を検索、とはいっても、未だ三福道という語での経はネット化されて
いないということです。ない、という証明にはならないでしょう。
大蔵経といっても、20世紀版もあれば、19世紀版、18世紀、17世紀
と、沢山あるでしょうからね。

449準シュダオン:2009/05/28(木) 14:30:57 ID:XESnzsYQ0
何度も同じこと書くのは、何度もレスしているうちに、気づく可能性がある
と思っているからですよ。まぁ、批判派の皆さんには無理でも、迷える現職
信徒さんには、わかる人もいるでしょう。

じゃあ、ついでに同じ質問です。
批判派の皆さんは、勝手に、三善根=無貪瞋痴という経を説いた後に、
三供養品の三善根が説かれたことを前提にして論じています。
だが、そういうことは決まっていない。

仮に、お釈迦さまが39歳の時に、三供養品の三善根を説き、40歳の
時に三善根=無貪瞋恚痴を説いた場合は、「而種功徳」をどう解釈するの?
そういう問題なのです。
そういう推理さえ出来ない単純揃い、なんですか?批判派の皆さんは。

450準シュダオン:2009/05/28(木) 14:47:33 ID:XESnzsYQ0
樹意さんのレスを今読んで、今気づいたが、三福道(一書には三善根、三福業
とあり、阿含宗では三福道をとる)と、なっていたのですねえ。

私は次のように勘違いしてましたよ。
「一書には三善根、三福道とあり、阿含宗では三福道をとる」とね。

どっちだって、同じような意味だから、と思って、気をつけていなかった。
管長は、三福道に改めたのですね。
これは別に、内容が変わっているわけでなし、捏造とはいわないね。

451準シュダオン:2009/05/28(木) 15:01:49 ID:XESnzsYQ0
つまり、三善根には二通りの意味があることになります。

1、三善根=無貪善根、無瞋善根、無痴善根
2、三善根=於如来所而種功徳、於正法而種功徳、於聖衆而種功徳

ということですね。六不退法と同じこと、これで何の問題もありません。

452準シュダオン:2009/05/28(木) 15:10:49 ID:XESnzsYQ0
ユビキタスくんよ、落ち付いて考えてみなさい。
深山さんは、私のことを「預流向と自惚れている」と、レスしたのですよ。
だから、私が、預流向は仏道修行者の第一歩、だから自惚れにならないよ、
と指摘したのです。シュダオンに近い預流向もあれば、シュダオンには、
はるかに遠い預流向もあるのです。
意味がおわかりか?ユビキタスさん。

私のことを、「準シュダオンと自惚れている」と言われたのなら文句はない
から、反レスはしなかったよ。

453準シュダオン:2009/05/28(木) 15:20:21 ID:XESnzsYQ0
深山さん、もう少し落ち着いて考えてね。
管長は、三善根に二通りの意味があると、説いていることになるのです。
間接的にね、そういうことになるのです。

だって、「於如来種功徳」を一善根、「於正法種功徳」を二善根、
    「於聖衆種功徳」を三善根、
と、いうように、管長は説いてますからね。
管長は、三善根に二通りの意味あり、説なのです。おわかりですか?

454準シュダオン:2009/05/28(木) 15:32:04 ID:XESnzsYQ0
樹意さんはなかなかの勉強家ですね。
では、一つ訊きましょう。
増谷先生の羅摩経訳では、「生知生見 定道品法」という最後の部分はどう
訳されてますか?

管長は、その部分を、「解脱知見が生じて、37道品を定めた」と訳されて
ますね。古来、この部分に気付いた仏教者はいない、と書いてます。
増谷先生は、その部分に、気づいてますか?

455名無しさん:2009/05/28(木) 15:40:29 ID:gtM.n4CU0
準シュダオンさんへ

凄まじいほどの強引な解釈といいますか独善的な解釈に唖然としています。
少し話しを変えますが、立正校正会でも、阿含経を勉強しています。
これは開祖の庭野さんが「これぞお釈迦さまの正法」と喝破されて、
自教団に採用しました。

しかし既に法華経を依経として立正校正会を立てていたため、内容が
相反するとして、阿含経を全面に出すのは控えました。

立正校正会での阿含経解釈はほぼ正しいようです。阿含宗のように強引に
言葉を変えたり、意味を変更することはなく、ほぼ忠実に経典解釈していた
といいます。

だからこそ、阿含経を全面に出せなかったのでしょう。

立正校正会が仏教的に正しいというわけではありませんが、少なくとも
庭野さんのアプローチは誠実性があります。

経典を正しく解釈することは、お釈迦さまの意図をくみ取ることです。
その作業が、研究者による経典の翻訳です。中国へ輸入された際も、
翻訳者達は、できる限り原義を忠実に訳そうと努力しています。

しかし阿含宗では、こういった忠実な解釈ではなく、独善的ともいえる
解釈をあちこちでしています。供養一つにしても、後世の大乗仏教的な意味に
すり替えてしまったりしています

あまつさえ、供養積徳で解脱できると新しく意味まで付加しています。
ゲイカの霊感で解釈したとしても、じゃあ、肝心のゲイカは因縁解脱が
できていますか?脳梗塞になり、脳障害の因縁が切れていないことが
明らかになっているではありませんか。ついでにいえば、自分に脳障害の
因縁があることすら見抜けなかったのですよ(座右宝冠を参照のこと)。

あらゆる点から冷静になって判断すれば、ゲイカの独善的解釈が目立つ
ということになります。三福道もそうです。「一書には三善根、三福道とあり、
阿含宗では三福道をとる」と、どうしてこういう紛らわしいというか、嘘
を書いてまでゲイカは自説を主張しようとするのか。

単に誤解なのか、供養の見返りによって因縁解脱ができる福徳がいただける
としたほうが信者獲得につながると判断したからなのか、こういった辺りも
冷静になって判断していく必要があると思いますよ。

宗教を実践し、信仰する場合「信じるために疑う」ことはゲイカも勧められて
いたではありませんか。ゲイカのこの教えを知らないのですか?

今まで自分が信仰してきた阿含宗に誤りがあることを認めたくない気持ちが
心の奥にあると、絶対に事実を受け入れることができません。黒が白に
見え続けます。

しかしそれでは、進歩も成長も生まれてこないのですよ。準シュダオンさんも
いい年のようですから、残った人生を充実あるものにするためにも、真理に
気付かれた方がよろしいですよ。

456準シュダオン:2009/05/28(木) 15:56:38 ID:XESnzsYQ0
管長は、八正道だけが滅道ではない、と言ったのであり、
八正道は滅道ではない、と言ったのは言葉のアヤです。

四諦・八正道を五比丘に説いたところから仏教は始まった、とされますが、
八正道がすべて、と思うのは間違いでしょう。
四諦を学べば12因縁が関係しますし、12因縁を観想するには、五陰と
十二処と十八界が出てきます。
五陰(色受想行識)
十二入(処)(眼耳鼻舌身意色声香味触法)
十八界(十二入+眼識耳識鼻識舌識身識意識)
これを、無常であり、苦であり、無我であることを悟ってとらわれない、
ことこそ、如来供養の第一である、とお釈迦さまは説きました。

四諦を理解した程度に、知が生じて、正見が生じます。
正見が生じた程度に、正思が生じ、正語・・・正定が生じます。
だんだんに進んで解脱を得る、と釈迦は説いてます。

また、四諦を理解した程度に、五陰と十二処と十八界が、無常であり、苦で
あり、無我であることを悟り、四念処観を修して解脱する者もあるでしょう。
私は、管長の「般若心経瞑想法」本から、そのようなことを読み取りました。

深山さんは、なにかというと「何処に書いてあるか?」と、問いますが、
書いて無くても読み取れる、ところまで行かないといけませんね。

457準シュダオン:2009/05/28(木) 16:56:59 ID:XESnzsYQ0
いやあ、我ながら呆れましたW。
私は今まで、
「一書には三善根、三福道とあり阿含宗では三福道をとる」
だと、思いこんでましたよ。管長は二つの訳のうち、どちらかを選択した
ものだと思いこんでいたね。違ってたんですね。
これなら批判派が捏造呼ばわりするのも、いくらか理解できるね。

早くに気づいていたら、私もレスの内容がだいぶ違っていただろう、無駄な
レスを重ねたものだ。
だが、三供養品・三善根の解釈は今までと変わらないよ。

因縁解脱は勘違いしてないだろうね。
12因縁を解脱して、涅槃を得る教えが阿含経だよね。
そのために煩悩から解脱すること。
これは、間違いないだろう。その途中経過に、管長が編成した、
運命の星(因縁)解脱もある、というのが阿含宗の教え、だよね。

458樹意:2009/05/28(木) 23:12:37 ID:JYQN.K/Y0
>>454 :準シュダオン:2009/05/28(木) 15:32:04 ID:XESnzsYQ0
>樹意さんはなかなかの勉強家ですね。
>では、一つ訊きましょう。
>増谷先生の羅摩経訳では、「生知生見 定道品法」という最後の部分はどう
>訳されてますか?

管長は、その部分を、「解脱知見が生じて、37道品を定めた」と訳されて
ますね。古来、この部分に気付いた仏教者はいない、と書いてます。
増谷先生は、その部分に、気づいてますか?

お褒めいただき恐縮です、
先に引用した通り私が持っている増谷博士の阿含経典は増谷氏が経典批判をした上で
仏陀の第一結集に迫る仕事をしたというのがその趣旨のようです。
ですから詳しく調べてはいませんが、おそらく中部経典である羅摩経は翻訳にありません。

増谷氏訳阿含経典 総論
かくて、わたしどもは、これこそが、あの原作に近づきうるせめてもの手立てではないか
と考えられる。かくて、わたしどもは、その「漢訳四阿含」や「パーリ五部」にたいして、
懸命の批判をこころみる。そしてそのような批判の結実をもって、いま、おおよそ、
次のようなことを語ることができるのである。
A 漢訳の「四阿含」、および、パーリの「四部」〈小部経典を除く〉は、いずれも、
西暦前のかなり遠い年代にまで遡って、現存のものの形に近いものが、すでに成立して
いたと考えられる。
パーリの「五部」は後のいわゆる上座部〈theravada〉所属である。漢訳の「雑阿含経」
は説一切有部〈sabbatthavada〉のものと推定される。「増一阿含経」は、おそらく
大衆部〈mahasamaghika〉の系統のものであろう。また、「四分律」は法蔵部〈dharmagupata〉
のものであり、「五分律」は化他部〈mahisasaka〉所属の律であるが、いずれも「四阿含」
および「小部」もしくは「雑蔵」の編集をもって、法の結集を叙している。
それらのことを勘案してみると、すくなくとも、「四阿含」もしくは「四部」をもってする
経典編集の形式は、すでに部派仏教の以前から存していたものと想定せられる。
ーー略ーー 21P
「大般涅槃経」〈mahaparinibbana-suttanata〉漢訳同本、「長阿含経」二、「遊行経」であるが
、私は、かつて、その経を分解して、その各部分につき原資料への還元作業をこころみたことがある。
その時、わたしは、その経が、「相応部経典」〈もしくは「雑阿含経」〉などから三十数経を
引いて編纂されていることをしって一驚したことがある。
ー略ー「増一」とはekottara 〈increasing by one〉の訳語で、「一つづつ加える」との意であり、
また、「増支」〈anguttara〉とはもと「指」〈angula= finger〉を折り加えることをいう言葉であって、
いずれも数を基準として編集されたものであった。もっと具体的にいうと、一から十一にいたるまでの
数字をたてて、それによって諸経を分類するというのが、「増一阿含経」および「増支部経典」の
編集様式である。
ー略ー
つまり、釈尊の教法においても、すでに、四諦とか、五蘊とか、六処とか、七覚支とか、八正道とか、
数をもって表示せられる法門がすくなくなかった。それが、時をくだるにつれ、法相、分別のいとなみが
しだいに繁くなるとともに、名目、法数のかずはいよいよ多きを加えてきた。それらを暗誦し記憶するには、
数をもってすることがもっとも便であろう。かくて、このような編集様式が新たに採られたものであろうと
理解せられる。

459樹意:2009/05/28(木) 23:13:15 ID:JYQN.K/Y0
それで思い出すのが、『長阿含経」や『長部経典』の中にみられる「衆集経」(sangiti-suttanata)や
「十増経」(dasuttara-suttanata)などのことである。それらの経は、『長阿含経』や『長部経典』
のその他の諸経とまったく説相を異にして、ひたすらに法相・名目を羅列しているのであるが、
それがやがて、『増一阿含経典』や『増支部経典』の成立を促し、さらに、それらの経典群が、
阿毘達磨(abhidharma)すなわち論部の先駆をなしたものと考えられる。とするならば、それらの経典群は、
おそらく、漢訳の「四阿含」およびパーリの「四部」(小部をのぞく)のなかにおいては、もっとも
遅い成立であってように思われる。
それかあらぬか、漢訳の『増一阿含経』の所説には、しばしば大乗仏教の影響がみられる。たとえば
ー略ー  (舎利弗 まさに知るべし、如来に四の不可思議のことあり、小乗の能く知るところにあらず)
(十八、九)
のごとくである。『増一阿含経』が大衆部の所属であろうと想定される所以である。
ー略ー
ともあれ、そのようにして、従来の文献は、たいてい、長部経典・中部経典・相応部経典・増支部経典、
あるいは、長阿含経・中阿含経・雑阿含経・増一阿含経の順をもって、四部もしくは四阿含の制作の
順位とする。だが、それを、第一結集の時点に立ち、そして、その後の増大、付加、再編などのこと
を考慮に入れて考えてみると、やはり、詮ずるところは、相応部経典・中部経典・長部経典・、そして
増支部経典、あるいは、漢訳でいえば、雑阿含経・中阿含経・長阿含経・、そして増一阿含経と、
そのような成立順序で考えられる。いや、そう考えざるを得ないのである。なんとなれば、それら
の経の収録をつぶさに検討すれば、それらの収録そのものが、その然ることを物語っているのである。
だからして、わたしはいう。わたしどもが、いま、かの釈尊の所説の真相にたずねいたろうとするならば、
まず、その「相応部経典」あるいは、「雑阿含経」と称せられる経典群にたずねいるより他はない、と。
ー略ーここでもまた、原作はすでに、すくなかららぬ増大、加上、再編によって侵されたであろうこと
を否定することができない。かくて、わたしは、その「相応部経典」ならびに「雑阿含経」をも、
また、わが批判の対象としてとりあげねばならないのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

とまぁ 長々と引用しましたが、要するに徹底的に経典批判して第一結集に迫ろうとすると、その元の
文献であるところの「相応部経典」「雑阿含経」すら後世の増大 付加 再編がみられるとの事です。
ですから今まで私が引用してきた増谷氏訳阿含経典群というのはかなり信憑性が高いものであると
自負するものです。

私がアビダルマを題材に批判論を展開したところ各所よりブーイングを頂きましたが、
要するに長阿含経にあるサーリップッタが説いたところの衆集経、十増経をアビダルマのはしりと
するならなんと増一阿含経もその流れを汲むものであり、しかも「大衆部」所属のものであるとの
こと。要は「大衆部」の方たちが暗誦しやすいようにユビ折数えて一から十一までの数字をたてて
もろもろの教えを分類したものであるわけです。 
〈暗誦しやすいように編集した〉
阿含経とはいえゲイカが批判した大衆部所属のアビダルマ的お経です。

460樹意:2009/05/28(木) 23:14:49 ID:JYQN.K/Y0
末世成仏本尊経講義 251p
 大乗仏教が、どうしてそういうことをしたのかというと、わたしの考えるに、釈尊の亡くなられた後、
教団を飛び出した大衆部のひとたちは、つぎつぎと新しい経典を創作しはじめた。しかし、
このひとたちは釈尊の成仏法・七科三十七道品を持っていない。したがって、その経典に、
釈尊の成仏法・七科三十七道品を書くことができない。−略ー
以上の理由で、大乗仏教は、阿羅漢を、小乗の低いさとりとしてしまったのである。
これは、とんでもないまちがいとい、というより、仏教徒としてあるまじき冒涜の
行為というより他ないことである。 −略ー
真理と真実が押しまげられてしまっているのである。わたくしたち阿含の門徒一同は、こういう
まちがい、というようりも捏造を、世に明らかにして、ほんとの正しい仏教というものを
世にひろめなければならぬ、ーーーーー 略ー 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この後に末世成仏本尊経として 三供養品 が続くわけです。
まぁ こんな事を書いた後にきっちり捏造していたというのも何ですが、
な、なんと ゲイカが自分で批判しまくっていた 「大衆部」所属のアビダルマ的
経典だったのが 末世成仏本尊経 なわけです。

461深山:2009/05/28(木) 23:15:10 ID:3vWFz/3M0
>>446 :準シュダオン:2009/05/28(木) 14:03:23 ID:XESnzsYQ0
>解脱供養は家系の霊的浄化のためと深山さんはレスしたね。
>わたしに言わせれば、家系の浄化=果報、であるのです。

きっとあなたはこういうその場しのぎの屁理屈を言い出すだろうから、
矛盾して笑われないように、>>401でわざわざあなたの文章と私の文章を
引用してあげたのに、やはり効果はありませんでしたね。
あなたに言わせると、果報とは家系の浄化らしい。
だが、あなたは次のように書いた。

>「なにか果報があれば嬉しいですが、全く果報が無くても少しも文句があり
>ません。」です。(>>343)

あなたの書いた343は、桐山ゲイカの解脱供養で
家系の浄化が「無くても少しも文句がありません」という意味になる。
解脱供養をしたら、霊障のホトケという霊的不浄がいなくなるから、
家系は浄化されるのです。
だが、あなたは浄化が無くても、などと桐山ゲイカの成仏リキにイチャモンをつけた。
信者の分際で、桐山ゲイカの成仏リキにむかって、なんだ、その態度は?
無礼者め!
あなたは桐山さんの成仏リキにケチをつけたのです。
桐山さんの成仏リキを蹴飛ばした気分はどんなものか。

こんなふうに足払いを簡単にかけられるが、それをしたくないから、
>>401でわざわざ私は警告したのです。
あなたもそれに半ば気が付いた。
だが、あなたは自惚れが強いから、果報を家系の浄化という意味にすれば、
なんとかなると突撃した。
343を書いた段階であなたはすでに負けていた。
だから、401を読んだ段階で沈黙すればよかったのです。
だが、そこでブレーキが効かなかった。
どうしてかわかりますか。
あなたの理性をつかさどる新皮質が老化して抑制が効かなくなっているからです。

462深山:2009/05/28(木) 23:17:24 ID:3vWFz/3M0
>>447 :準シュダオン:2009/05/28(木) 14:13:31 ID:XESnzsYQ0
>深山さんは、都合が悪い場合は嘘発言呼ばわりするのですね。
>たとえば、私の国語・漢文専門の法友はウソ、みたいにね。
>そういうあなたの心は汚いのよ。汚れてる。自分が嘘付いてるから、
>他人もウソ付くと考えてるのかなあ。

私のどこが都合が悪く、どこが汚く、何の嘘をついているのだ?
三供養品に、供養の意味があるかのように嘘を言い続けているのはあなたです。
あなたの漢文の先生はいるが、その彼はあなたの意見に賛成など
していないと言っているだけです(>>404)。
その先生に、三供養品という題名があの経典の題名ではないこと、
三供養品には供養という言葉が出てこないことをあなたは話をしたのか?
三福道なんて経典は存在しないことを話したのか?
していませんよね。
漢文の先生は桐山三福道に賛成しているにすぎず、
あなたの意見に賛成しているのではありません。
都合が悪く漢文の先生を連れてこれないのも、
阿含経に因縁解脱や三福道があるかのように嘘をついているのも、
預流向などと自惚れを垂れ流して心が薄汚いのもぜんぶあなたです。
前から頼んでいることだが、あなたと一緒にしないでくれ。

463深山:2009/05/28(木) 23:18:37 ID:3vWFz/3M0
>>448 :準シュダオン:2009/05/28(木) 14:18:52 ID:XESnzsYQ0
>大蔵経を検索、とはいっても、未だ三福道という語での経はネット化されて
>いないということです。ない、という証明にはならないでしょう。

桐山さんが國訳一切経を元にしていると書いているのが読めませんか。(>>433)
まだ発見されていないどこかの大蔵経ではなく、
市販されている國訳一切経を用いたと本人が書いているのです。
桐山さん自身がどれを用いたかを指定しているのです。
そして、國訳一切経の三供養品には三福道などありません。
だから、証明された。
樹意さんはその上で、なおかつ、三供養品だけでなく、
すべての阿含経から検索しなおしてくれたのです。
桐山さんが指定した経典にもなく、すべての阿含経にもない。
あるという証拠を出してみなさい。

464樹意:2009/05/28(木) 23:18:40 ID:JYQN.K/Y0
>>460 :樹意:2009/05/28(木) 23:14:49 ID:JYQN.K/Y0

>まぁ こんな事を書いた後にきっちり捏造していたというのも何ですが、

この部分 捏造ではなく 改ざんに訂正しておきます。

465深山:2009/05/28(木) 23:20:57 ID:3vWFz/3M0
>>449 :準シュダオン:2009/05/28(木) 14:30:57 ID:XESnzsYQ0
>仮に、お釈迦さまが39歳の時に、三供養品の三善根を説き、40歳の
>時に三善根=無貪瞋恚痴を説いた場合は、「而種功徳」をどう解釈するの?
>そういう問題なのです。
>そういう推理さえ出来ない単純揃い、なんですか?批判派の皆さんは。

あなたの上記の推理に基づいて反論されたことすら理解できないのですね。(>>431)
同じ事を書きましょう。
仮に釈尊が三供養品を40歳に説いて、その後、三善根を別な意味に説いたとして、
では、どうして釈尊はその時「前に説いた三善根とは違う意味に説くぞ」と
告げないのですか。
釈尊は別な三善根を説くとはどこにも述べていない。
なによりも三供養品に出てくる三善根は無貪・無瞋・無知で説明がつく。
つまり、阿含経に出てくる三善根は一つしか意味を「必要としない」。

466深山:2009/05/28(木) 23:22:15 ID:3vWFz/3M0
>>451 :準シュダオン:2009/05/28(木) 15:01:49 ID:XESnzsYQ0
>つまり、三善根には二通りの意味があることになります。

また始まった。
ほとんどあなたの病気ですね。
桐山さんですら二種類の三善根があるとは説いていない。
学者も二種類あるとは説いていない。
あなたが示した推測は449だが、第一に根拠になっていない。
第二に、私は二度それに反論して、成り立たないことを示した。
「つまり」と結論を出す前の論拠はすべて否定されたから、
二通りの意味があるという結論は出てきません。
スレに関係のない話をご遠慮ください。

467深山:2009/05/28(木) 23:26:36 ID:3vWFz/3M0
>>450 :準シュダオン:2009/05/28(木) 14:47:33 ID:XESnzsYQ0
>どっちだって、同じような意味だから、と思って、気をつけていなかった。
>管長は、三福道に改めたのですね。

違います。
信者のくせにこんなことも知らず、桐山さんが三福道と書き換えたと
犯罪を認めるらしい。
桐山さんは三福道に直したとは言っていません。
三福道と三善根の二種類の経典があると言っているのです。
『社会科学としての阿含仏教』の288〜290頁にこの二種類を出している。
だが、これが真っ赤な嘘です。
三供養品には、三善根という経典はあるが、三福道という経典は存在しない。

468深山:2009/05/28(木) 23:29:49 ID:3vWFz/3M0
>>450 :準シュダオン:2009/05/28(木) 14:47:33 ID:XESnzsYQ0
>これは別に、内容が変わっているわけでなし、捏造とはいわないね。

あなたはこんなことも知らないのですね。
桐山さんは経典一つを丸ごと捏造したのです。
その際、内容も変えた。

「須陀オン自り阿那含に至りて五下分結を断ず。」

という三供養品には存在しない文言を付け加えた。
これは本人がはっきりと付け加えたことを『末世成仏本尊経講義』の
257頁で述べています。
三供養品には三善根を説いた経典は存在するが、
三福道を説いた二つ目の経典など存在しない。
もし、三善根を三福道と置き換えただけだから、改ざんともいえるだろうが、
「三福道の三供養品」が別にあると桐山さんはでっちあげたのだから、
こちらは経典を丸ごと一つ捏造したのです。

469深山:2009/05/28(木) 23:32:14 ID:3vWFz/3M0
>>452 :準シュダオン:2009/05/28(木) 15:10:49 ID:XESnzsYQ0
>深山さんは、私のことを「預流向と自惚れている」と、レスしたのですよ。

自惚れという表現が気に入らないなら、汚物でもいいですよ。
仏教では煩悩を不浄としているから、あなたの心は慢心という汚物でいっぱいです。
アゴン宗の普通の信者は預流向などと勝手に名乗らない。
桐山さんはあなたの預流向など認めていない。
資格もないのに勝手に名乗り、自分がいかにエライかを
繰り返し主張するから、これが第一の自惚れという汚物です。
しかも、あなたは自分が限りなく預流に近い預流向だという。
>>441に引用したように繰り返し繰り返し、限りなく預流に近いと宣言している。
桐山さんの定めた預流の条件をまったく満たさないのに、
預流向に限りなく近いだと?
もちろん、仏教の預流向では絶対にありえない。
どちらの条件も満たさないのに、これを主張しているのは、
自己顕示欲と自己満足でないなら、何なのだ?
ただの嘘つきか。
これが第二の自惚れというあなたの腹の中の汚物です。

470深山:2009/05/28(木) 23:33:48 ID:3vWFz/3M0
>>453 :準シュダオン:2009/05/28(木) 15:20:21 ID:XESnzsYQ0
>だって、「於如来種功徳」を一善根、「於正法種功徳」を二善根、
>    「於聖衆種功徳」を三善根、
>と、いうように、管長は説いてますからね。
>管長は、三善根に二通りの意味あり、説なのです。おわかりですか?

いいえ、まったくわからないし、桐山さんは一善根、二善根などと説いていません。
一善根とか二善根などという勝手な言葉を作るのはやめなさい。
こういう造語でなんとか煙に巻こうと必死なのはよくわかる。
だが、桐山さんはこういう言葉は用いていない。
桐山さんの主張を紹介したいなら、本人の本からそのまま引用しなさい。
あなたが書いた上記の二行には如来、正法、聖衆における三善根と
いう一種類の三善根があるにすぎない。

471深山:2009/05/28(木) 23:37:16 ID:3vWFz/3M0
>>456 :準シュダオン:2009/05/28(木) 15:56:38 ID:XESnzsYQ0
>管長は、八正道だけが滅道ではない、と言ったのであり、
>八正道は滅道ではない、と言ったのは言葉のアヤです。

あなたの意味不明の解説など不要で、批判側はちゃんと理解しています。

『般若心経瞑想法』115頁
「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、「八聖道」ではないという確信を持った。」

このとおり、桐山さんはズバリと四諦の「道」とは八正道ではないと書いている。
桐山さんは、あなたみたいにどうでも逃げられるような
書き方はせずに、端的に、断定的に書く。
しかも八正道が釈尊の説く道ではないと昔から繰り返し説いている。

『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁
「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。」
「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」

『仏陀の法』128頁
「四神足法,五力以外の道品、すなわち、四念柱、四正断、七覚支、八正道は、
『教え』である。」

八正道は初学の者に説いたオシエにすぎないと桐山さんは切り捨てた。
釈尊は八正道こそが道だと繰り返し述べた。
実際、そのとおりで、修行法は八正道にすべては含まれてしまう。
桐山さんは釈尊の説いた修行法を初学のオシエで、
これだけでは解脱できないと釈尊を小馬鹿にした。

472深山:2009/05/28(木) 23:38:42 ID:3vWFz/3M0
>>456 :準シュダオン:2009/05/28(木) 15:56:38 ID:XESnzsYQ0
>深山さんは、なにかというと「何処に書いてあるか?」と、問いますが、
>書いて無くても読み取れる、ところまで行かないといけませんね。

勝手な空想を「読みとる」とは言わない。
解釈をする時には、先に根拠を示すものです。
あなたはなんら根拠を示さず、その根拠のなさを指摘されても、
気にもせずに、自分の空想を並べる。
あなたは、仮に部下のセールスマンが「今月の売上?そんなことおれに
問わ無くても読み取れるところまで行かないといけませんよ」と言ったら、
それで納得するのか。
セールスの売上は読みとるのではなく数字です。
それと同じで、経典の解釈とは根拠を示してこそ意味がある。
あなたみたいな空想で済むなら学者はいらない。

473深山:2009/05/28(木) 23:40:16 ID:3vWFz/3M0
>>457 :準シュダオン:2009/05/28(木) 16:56:59 ID:XESnzsYQ0
>因縁解脱は勘違いしてないだろうね。
>12因縁を解脱して、涅槃を得る教えが阿含経だよね。
>そのために煩悩から解脱すること。

またお得意のインチキ話が始まった。
阿含経のどこに「12因縁を解脱して、涅槃を得る」とあるのだ?
よくまあ、こうやって釈尊が説いてもいないことを捏造できるものだ。
「十二因縁を解脱する」なんて言葉があるなら、出してみなさい。
嘘だと百も承知でこうやって出すから、嘘つきだと言われるのです。
釈尊の説いた十二因縁とは、苦の元とは何から生じているか、
苦の世界から解脱するにはどうしたら良いかを説いたにすぎない。
あなたは前に、因縁とは原因という意味だと認めた。
そのとおりで、十二因縁とは十二の原因くらいの意味です。
なのに「十二原因解脱」とはどういう意味?
と、あなたに何度質問したことだろう。

474深山:2009/05/28(木) 23:42:40 ID:3vWFz/3M0
>>457 :準シュダオン:2009/05/28(木) 16:56:59 ID:XESnzsYQ0
>これは、間違いないだろう。その途中経過に、管長が編成した、
>運命の星(因縁)解脱もある、というのが阿含宗の教え、だよね。

これもゴマカシ。
仏教の因縁には運命の星などという意味はありません。
あるなら出してみさない。
これももう四年も前から何度も私から批判された内容です。
阿含経のどこに因縁解脱があるのだと質問され、
あなたは『超脳思考をめざせ』を出した。
この本での対談者はズバリ、阿含経のどこに因縁や因縁解脱があるのかと質問している。(78頁)
そして、桐山さんは、ちょうどあなたがしているように、
たくみに仏教の因縁と、アゴン宗の悪因縁とを混ぜて表現し、
両者が同一のものであるかのようにみせかけてごまかした。
もちろん、因縁解脱と書かれた阿含経など出せるはずがない。
全部ごまかしです。
また、因縁を運命のように解釈するのは桐山さんのオリジナルではなく、
ちょうど>>455さんが立正佼成会を出しているが、この団体からのパクリです。

475深山:2009/05/28(木) 23:49:56 ID:3vWFz/3M0
>>457 :準シュダオン:2009/05/28(木) 16:56:59 ID:XESnzsYQ0
>ものだと思いこんでいたね。違ってたんですね。
>これなら批判派が捏造呼ばわりするのも、いくらか理解できるね。

あなたが自分の間違いを認めるとは大きな進歩であり、
正直のところ、驚いた。
何をどう証拠を示されても、いっさい受け付けないのかと思っていた。
その態度を大事にしなさい。
解釈は後にして、まず現実、事実を受け入れるのです。

「一書には三善根、三福業とあり。阿含宗は三福道をとる」
(『末世成仏本尊経講義』255頁)

あなたはこの文章を読んで、桐山さんのメチャクチャぶりに気が付かないか。
日本語としてすら成り立っていないのですよ。
冗談の文章かと思われてしまう。
だが、アゴン宗の教義の根本となる三福道の元がこれです。
三福道の嘘のすべてはこの一文から始まっている。
この子供みたいな間違いの上に三福道は成り立っているのです。
立派な建物の床下の土台が、安っぽいプラスチックでできていたようなものです。
アゴン宗の根本教義の三福道が桐山さんの上記の思い違いから始まっている。
これが仏陀の智慧とやらをもった人のしたことです。
以後、桐山さんは三供養品に三善根しかないと批判されると、
三福道の経典と二種類あるかのように捏造した。
今度の阿含経講義の下巻で何と書いてくるか楽しみです。

476ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 00:26:06 ID:KvLIbJRQ0
>>457 :準シュダオン:2009/05/28(木) 16:56:59 ID:XESnzsYQ0
>いやあ、我ながら呆れましたW。
>これなら批判派が捏造呼ばわりするのも、いくらか理解できるね。
>早くに気づいていたら、私もレスの内容がだいぶ違っていただろう、無駄な
>レスを重ねたものだ。

と、半歩歩み寄ったかのように見えるが、どこまで問題の本質がわかっているものやら。

>だが、三供養品・三善根の解釈は今までと変わらないよ。

なんて書いているくらいだからね。
あなたの言うとおり呆れます。一書に三福業とあり、一書に三善根とあり、
アゴン宗では三福道を採用すると書いている。小さい字で。
Aという経典、Bという経典の2つがあるが、アゴン宗はCを採用するとある。
わけわからん。
しかしあなたは単に三福業と三福道の業と道の字の違いだけで、取り替えた
などと思ってませんか?
違うんですよ。そんなレベルの話でない。
「社会科学としての阿含仏教」に2つの経典を並べて書いているでしょ?
一つが三善根。もう一つが三福道。ほとんど同じ文章です。
あなたはその三福道の方が実は三福業と書かれているのに、業→道に取り替えた
だけなんて思ってませんか?
もちろんそれだけでも捏造です。原文には忠実でなければならない。
桐山さんはわが教団はこれを「三福道活動」と改名して実践しているなどと
書くのは勝手です。しかし経典の原文だけは一字たりとも変えてはならない。
しかしあなたなどは「まあ固いことを言わずに。業でも道でも意味は変わらない
のだから、大目に見てあげましょう」などと弁明するかもしれない。
ところが違うのです。「三福業あり。窮尽すべからずして涅槃界に至る・・・」
などと説く経典が存在しないのです!

私は次のように勘違いしてましたよ。
「一書には三善根、三福道とあり、阿含宗では三福道をとる」とね。

どっちだって、同じような意味だから、と思って、気をつけていなかった。
管長は、三福道に改めたのですね。
これは別に、内容が変わっているわけでなし、捏造とはいわないね。

477孫 青柿:2009/05/29(金) 00:26:32 ID:cMnw6Jpw0
>>441 グッジョブ!!  汚物もこう陳列されると壮観かもしれませんw

>>424 使者さんが変なことを言ってくれたのでまたまた大発見です!
なんか妙に面白い

478ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 00:28:51 ID:KvLIbJRQ0
↑あ〜、下5行コピペの消し忘れがあります。

479ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 00:50:29 ID:KvLIbJRQ0
>>457 :準シュダオン:2009/05/28(木) 16:56:59 ID:XESnzsYQ0
>いやあ、我ながら呆れましたW。
>これなら批判派が捏造呼ばわりするのも、いくらか理解できるね。

三善根経典とほとんど全く同じの三福業経典なんてのが世に存在しないのです。
あの如来の所に於いて、正法に於いて、聖衆に於いてという三善根経典は
一つしかない。三善根しかない。
では三福業という経典はないのか?と言うと、別の経典にあります。
もちろん内容が異なります。
三福業の3つとは、私が今朝示したように、施福業、平等福業、思惟福業です。
お?やっぱり布施があるじゃないか?なんて喜ばないでくださいね。
平等ってなんですか?思惟ってなんですか?
如来、正法、聖衆に功徳を種える話はどこへ言ったのですか?
実はこの三福業は三善根の裏返し的な意味がある。
この場合の三善根とは、無貪、無瞋、無痴の方です。
すなわち布施、分け与えるのみで見返りを求めない心は貪りに反するもので
無貪を得る一つの実践法、精神と言える。
また誰に対しても平等慈悲の心を持つことは、瞋恚、いかり、うらみ、ねたみ
などに反するものです。瞋恚がなくなり無瞋が獲得できる。
また愚痴という愚かさに対しては、よく思惟観察するという努力が必要でしょ?
愚痴の克服、すなわち無痴です。
このとおり三善根と三福業は違う経典だが、説いていることは共通のものがある。
だったらいいじゃん、なんて言わないでくださいね。
あなたがひたすら否定したかった無貪・無瞋・無痴の方の三善根ですよ。
ん?桐山三福道はどこへ行った?
三宝に供養すると涅槃界に行けちゃうという意味内容・・・
そう、三福業と桐山三福道は意味が全く異なるのです。

480なな:2009/05/29(金) 01:56:50 ID:b7TiYq8kO
天身さんの書き込みは荒しではない。
真面目に勉強していないと書けない内容だ。
文章のテクニックも凄い。
何故か桐山が正しいと擁護している彼を待っている自分に気が付き、心が揺れ動いた。
調べると彼が書いた内容が正しいことが多い。
しかし、彼は八割くらいに止めている。
多分、批判派の立場も必要と思っているのだろう。
皮肉なのは、桐山が毛嫌するタイプと言うことだ。

481大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/29(金) 06:27:39 ID:qqV3YCD60
信者だからいえることだが、感違いや思い込みは本当に怖いですよ。
ゲイカを信じてやるわけだから、信じたい・擁護したいのは分る。
しかし、中身がハチャメチャなのに信じるのは、検証しないでいるか妄信な訳だ。
私だって最初はかなり拒否した。

しかし、様々な内容を指摘・提出されそれらを調べたら、間違っているのはどっちか、と
言うのが分る。これを認めたくないのが反批判側だ。

>>471の深山さんの文章を見ただけですぐにわかる人は救われますね。
私はこの文章のとおり、八正道を馬鹿にしてたし、ゲイカの言うことは正しい!と
思っていた。だが、どうですか?どう見ても辻褄が合うのは深山さんの方です。
つまり、逆にとんでもない論を信じている信者の方が全くおかしい。
脳の検査をした方がいい、というのはまさに正論と思うが、おかしい人は自分を
おかしいと思わないのだから、無理かもしれないですね。

まあ、正常な人は気が付くか、真面目に脳の検査を受けるでしょうね。
というか、常識や道徳のある人間なら普通気づきますがw

482大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/05/29(金) 06:44:47 ID:qqV3YCD60
いけない・・・元信者だから、というのが正しいですね。ミス失礼・・・。

信者というものはゲイカの右ならえが多い。
いちいち反発してたら信者などなれないからです。
ですが、確認もせず鵜呑みにしているから、提言・警告なさっている批判側の
言葉も情報も頭に入らないのです。

ゲイカの言うことや信頼などは一旦横に置いて、批判側の意見とA宗及びゲイカの
発言や行動を比較・検証すればいい。それをロクにやらない人が反発しますね。
次に多いのが、分っていても理解しようとしない人。
私の知人にいますよ。批判側の言っている事はさすがだと。でも信じない、とね。

呆れてものが言えませんな。
何が貴方の都合に悪いのか分らんが、分っていてもA宗から離れないという。
その方も思い出せば脳障害の因縁を持っていた。だからなのかもしれませんね。

私もボケたり、阿呆だが批判側の意見は理解しましたよ。
それは検証や擁護にも躍起になったからです。ですが、擁護など出来なかった。
また、A宗というものを自分から離して、第三者の感覚で物を見なかったら本当の
意味など分らない。

また、A宗で本当の仏陀釈尊の教法を学ぼうとしてない人に限って擁護に走る。
釈尊を擁護するのではなく、ゲイカを擁護しようとしているこの事実に気が付かない。
もう、すでにその時点で仏教ではないのです。
本当の仏教を知れば、拝んだりする事ではなく煩悩解脱に精進するのが正しい道。
騙されているのがわからんのだなあ。

483ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 08:26:59 ID:SmEF4Oe2O
>>446
そのとおりです。お年寄りに席を譲るなどすると嬉しくなるのは果報です。
しかし笑えました。準シュダオンさんはとにかく議論に勝ちたい、負けたくない、
相手を否定したいという闘争心が強く、何を問題にしてこちらが何を批判してるのか
わからない。
こちらが批判しているのはあなたの私利私欲に基づく御利益信仰のあさましい心です。
実は仏教で説く果報とはあなたが書いたような精神的な清らかさ、喜びなのです。
私利私欲を離れた清らかな喜びなのです。
一方あなたの果報とは何なのか?
具体的に自分で書いてみなさい。たぶん書けない、書かないだろうが。
病気が治ったのか?お金が儲かったのか?生活が楽になったのか?
これらの世俗的な御利益を願い、日々生活の中で求めることは間違ってはいない。
しかし布施という相手に施しをする際に、自分の健康とかを求めるのは筋が違って
はいないか?健康などは布施と関係なく、別の努力や節制などで追求すればよいでは
ないか?お年寄りに席を譲る時、自分の病気平癒を目的にする異常な人はいない。
あくまでも純粋に相手のことを考えての上だ。
相手が助かったことをわが喜びとする。ここに私利私欲はない。
私は2ちゃんねるでも桐山さんも奨励した和顔施、和語施などは間違っていない、
よいことだと肯定しているのですよ。
何でも否定するのではなく、良いものは良い、悪いものは悪いとしている。
布施の果報に私利私欲を求めるあなたのあさましさを指摘したのです。
解脱供養に関しては、これは霊障がなくなると自分の問題も解決するかのように
煽られるので、これもまたあさましい私利私欲を恐怖の煩悩とともに喚起された
ものだが、しかし自分の問題などどうでもいいから、苦しんでいるご先祖には
早く助けてあげたいという私利私欲を離れたボダイ心もあるわけですよ。
まあ不当な侮辱と反省してますが。

484ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 08:41:22 ID:SmEF4Oe2O
>>452
いいえ、あなたが準シュダオンと名乗るのはシュダオンに近いという意味です。
準ずるという意味を辞書でひいてご覧なさい。
近いという意味です。
シュダオンまでには至らぬがもう目の前に迫っているのです。
「〜に準ずる」と表現する時、まだまだ遠い状態の人を指定しません。
入門してまだまだ修行が必要な人に準なんて使わない。
大学だって大学院に入ればいきなり准教授になんかならないでしょ?
ましてやあなたにはオーラを見てもらいだの、もうシュダオンかもしれないとか
根拠のない自惚れを垂れ流しにしており気持ち悪い。
謙虚さのカケラも見られない。

485準シュダオン:2009/05/29(金) 09:55:13 ID:XESnzsYQ0
ユビキタスさんよ、落ちついて考えてみなW。
私は、準シュダオンと称して自惚れているわけだよ。
預流向と称したら、自惚れてることにならないのだよ。
預流まで、はるかに遠い預流向もあるからね、自惚れにならない。

それを深山さんは、「預流向と称して自惚れている」と、レスしてきた
から、預流向の意味を誤解してるから、指摘したのよ。
瞑想して、私の言う意味を理解しなさいなW、。

486準シュダオン:2009/05/29(金) 10:06:48 ID:XESnzsYQ0
「果報があれば嬉しいけど、無くても一切不満はありません」という私の
言う果報を、なんで私利私欲のご利益と決めつけるのかね?
それを偏見、というのだよ。

まぁ、例を一つ挙げれば、ここしばらく、祈願護摩木には世界平和、とだけ
しか書いた記憶がないよ、私は。
まぁ、それとて世界の滅亡を望む人から見たら、平和など私利私欲の願望と
いうことになるだろうね。

487準シュダオン:2009/05/29(金) 10:38:32 ID:XESnzsYQ0
管長が、八正道を滅道ではない、と書いたからといって、否定していると
考えるのは間違いなのです。八正道は滅道ではないが、滅道のひとつである
ことは認めているのです。管長は、37道品を成仏法として、何度も強調し
ており、その中に八正道が含まれているからです。
般若心経瞑想法のP117、を読めば、八正道の否定でないことがわかりま
すよ。

たとえば、出家経などをよく読めば、管長の主張がよく理解できますよ。
「仏陀の真実の教えを説く」のP201〜202を読んでご覧なさい。

「止観を習修せよ、空入処〜識入処、〜貪瞋痴薄、得シダゴン、〜
 五下分結尽 得阿那含 種種神通境界 天眼天耳 他心智 宿明智
 生死智 漏尽智 皆得 是故比丘 当修二法(止観)・・以下略」

これは、修行を通して、シュダオン→シダゴン→アナゴン→アラカン、
を得る過程を、お釈迦さまが説いてる場面です。神通は阿那含から
獲得できることがわかりますね。ここには、八正道の面影はありま
せん。止観も八正道の一部だ!という考え方もあろうが、私として
は、滅道の考え方は、管長の主張の方が妥当だと思うね。

488準シュダオン:2009/05/29(金) 14:33:06 ID:XESnzsYQ0
深山さんとユビキタスさんの預流向と預流果の理解の勘違いを、もう一度、
指摘してあげるから、落ち付いて理解してください。

シュダオンとは預流果のことであり、聖者の流れに入った者ですね。
だが、準シュダオンと準預流ならば、まだ聖者ではありません。
聖者に近い、との宣言ではありますから、自惚れの可能性はあります。

しかし、シュダオン向とか、預流向は、全く聖者ではありません。
シュダオンにはるかに遠い、修行者の新米でも、シュダオンを目指して
修行するものは、預流向なのです。
だから、シュダオン向とか預流向を宣言したとて、まったく自惚れている
ことにはならないのです。阿含経信者です、と宣言したにすぎません。
おわかりですか?

489準シュダオン:2009/05/29(金) 14:50:39 ID:XESnzsYQ0
過去レスに拘るのは成長がない印ですよ。
中学生に、小学生時代の悪戯を、くどくど注意したとてしょうがない。
それと同じことです。
今現在のレスで、正否を問いましょう。

私などは、昨日と今日では、三福道の考え方がまるで違う。
「一書には三善根、三福道とあるが、阿含宗では三福道をとる」と、
勘違いしてましたからね。
てっきり、管長が経から、二者択一したものと思いこんでいた。
註釈の文字をよく読まなかった、字が細かくなってるし、大した内容では
あるまい、と、勘違いしてました。

管長は、三福道という表現に改めたのですね。

490名無しさん:2009/05/29(金) 15:01:03 ID:Fz2Fk/tc0
>>489
>管長は、三福道という表現に改めたのですね。

アンタ、改めたんじゃないの、 捏造したんだよ、捏造。
バカだねー、いつまでそんな呆けたこと言ってんのかねー??
もう救われんなー。

491ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 21:48:07 ID:SmEF4Oe2O
>>485
あなたの預流向って極端過ぎませんか?
仏門に入った、仏道を志した、もうそれだけで預流向なんだと。
いや、そういう人もいるかも知らない。
三結という理知上の迷いを正せばよいのだから。
しかしアゴン宗の場合はシュダオンを霊的に浄められた行者としている。
実は仏教ではそんなことなど説いてないのだが。
だからシュダオンと呼ぼうが預流と呼ぼうがアゴン宗の場合ハードルが高い。
解脱供養や冥徳供養を申し込めば霊障のホトケざくざく・・こんなことで浄められた
聖者などと言えるか?
しかしあなたは言うでしょう。シュダオン果ではなく、途上の向なんだと。
しかしあなたは向かってすらいない。
アゴン宗が課すボン行にも参加せず例祭にも出ずさぼっている。
仏弟子だって教えを守らず聞こうとせず実行しない奴を四向四果の仲間入りなんかに
認めないですよ。努力しているから向なのです。
もちろん本当の仏教でも預流に向かっていない。
三結煩悩を後生大事に抱えて離そうとせずますます太らせている。
反逆しているのです。
こんな人が預流向などと自称しても駄目です。

492ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 22:32:34 ID:SmEF4Oe2O
>>486
話の発端はあなたが書いた>>343に始まります。
そうです。話が見えにくくなったら面倒くさがらずにいくつ でも過去レスに遡っても
追い求める根気は人生のどの場面においても共通の必要事項です。
桐山さんも果報は寝て待てとは認めず練って待てとしている。横着屋さん。
あなたは自分は修行してないわけではない、供養してないわけではない、
ただ無理をしないようにほどほどにしていると書いた。
それで何かプラスの果報でもあれば御の字であり、なくてもかまわないとした。
ところがアゴン宗の解脱供養なんてプラスの果報を得ることが目的ではない。
マイナスの解消です。苦しむ人質を助けることです。
プラスを求める精神的余裕などない。
恐怖の煩悩の方が強い。
無理はしたくない?ええ、私もしたくないですよ。
しかし人質をとられているんですって。
無理したくないのはいいが、こうしている今でも先祖は苦しんでいる。
「グルジイ、たすけてくれえー」
あなたはよく平気でいられますね?
霊力無比の桐山さんの霊視による指導ですよ。
本当に無茶はやらないまでもある程度は頑張って金をつぎこむ。
プラスの果報もあれば尚よいが、まあなくてもいいよなんて 呑気なセリフがよく吐ける。
桐山霊視の霊障なんてあなたの損得勘定の前には信じてもいないのでしょ?
それにあなたは今回無理して果報などなくてもよいなんてカッコつけてるが
その場しのぎとわかります。
あなたは昔から果報、御利益がなかったらそんな信仰は要らないなんて度々書いていた。
私だって御利益の果報は求めたのです。
あなたも素直に認めてゴマカスのはやめなさい。

493ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 22:49:03 ID:SmEF4Oe2O
>>487
桐山さんは八正道を滅道の一つと認めているが、そんなオシエの道徳では因縁なんか
切れるわけがない、つまりそれだけでは駄目だ、これは初学の人の為に説いた
道徳倫理であり、道徳も理解できんバカはこれで教育して、さらに本当の因縁解脱は
もっと別の科目で修行するとしている。
しかし実際には釈尊はいろいろと煩悩を減らしなくする道を説いたが、集約すると
八正道で足りてしまう。八正道に四念処なども含んでいるからです。
だから三十七道品とは英語をマスターすることに例えるならば、英会話とか英作文
とか英字新聞、海外ホームステイとかいろいろ科目がある中で、八正道とは
英語の学習全体のことです。
だから八正道を実践すればそれで十分であり、足りないなんてことはない。
無知な桐山さんはそういうことを知らんのです。

494深山:2009/05/29(金) 23:10:00 ID:RnAPlrJ20
>>486 :準シュダオン:2009/05/29(金) 10:06:48 ID:XESnzsYQ0
>「果報があれば嬉しいけど、無くても一切不満はありません」という私の
>言う果報を、なんで私利私欲のご利益と決めつけるのかね?

あなたは私利私欲の御利益を願っているからです。
三供養品のどこにも供養の一文字もないのに、
相変わらず、供養すれば功徳がもらえると御利益信仰を主張する。
釈尊が御利益を説いてそれを欲しがるならまだわかる。
御利益どころか、無貪であると、欲望を減らせと釈尊が説いている経典を、正反対の意味にとっている。
あなたは桐山さんの解釈に洗脳されて、供養を説いたかのように錯覚して段階ではない。
題名にも本文にも供養の文字はなく、三善根とは無貪・無瞋・無知の
意味だと繰り返し説明されても、それでも断固としてこれは釈尊が
見返りを説いた経典だとして譲らない。
餓鬼クラスで何でもかんでもガツガツと御利益だけ欲しがるのか、
畜生クラスで物の道理がわからないのか、どちらかなのでしょう。
他にどうあなたのその反応を説明すればいいのだ?

495深山:2009/05/29(金) 23:11:59 ID:RnAPlrJ20
>>486 :準シュダオン:2009/05/29(金) 10:06:48 ID:XESnzsYQ0
>まぁ、例を一つ挙げれば、ここしばらく、祈願護摩木には世界平和、とだけ
>しか書いた記憶がないよ、私は。

ほら、欲望丸出しです。
木切れに書いただけで、世界が平和になれなんて、なんという欲張りなのだろう。
いい年をした大人が木切れに、世界平和なんて大それたことを書いて、
実現されますようにと祈るなんて、欲張りの極致です。
世界平和なんて、どうやったらいいか見当もつかないほど、
望みとしては巨大です。
それをあなたは木切れ一つで実現しようなんて、十円玉一つで
「このデパートの商品全部くれ」と言っているほうがまだ欲望が少ない。
ほんとうにあなたって、欲望の塊なんですね。

496深山:2009/05/29(金) 23:13:57 ID:RnAPlrJ20
>>487 :準シュダオン:2009/05/29(金) 10:38:32 ID:XESnzsYQ0
>管長が、八正道を滅道ではない、と書いたからといって、否定していると
>考えるのは間違いなのです。八正道は滅道ではないが、滅道のひとつである
>ことは認めているのです

他人の文章を読まないで、勝手な決めつけで反論をするのはやめてほしい。
あなたはこちらが言ってもいないことを勝手に作り上げて、お説教を始める。
桐山さんが「滅道のひとつであることは認めて」いないなどと私は書いていない。
あなたと違い、私は桐山さんの主張をそのまま引用したのですよ。(>>471)

『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁
「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。」
「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」

「道は、八正道だけではない」という一文を引用したのは私です。
しかも、私は
「桐山さんは釈尊の説いた修行法を初学のオシエで、
これだけでは解脱できないと釈尊を小馬鹿にした。」
と書いて、桐山さんが「滅道のひとつであることは認めて」いると書いた。
こういう私の文章から、どうやったら、これを否定したかのような解釈ができるのだ?
どうして、あなたは威張り腐るわりには一知半解なのだろう。
他人に、もっと考えなさいなどとお説教を垂れる前に、
あなたこそ他人の文章くらいしっかりと読んで理解しなさい。

497ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 23:15:59 ID:SmEF4Oe2O
>>488
いいえ、準シュダオン、準預流は預流、シュダオンにはまだまだ程遠い新米のこと
ではありません。
準優勝とは決勝まで勝ち進んできた競技者に冠せられる栄誉の称号です。
一回戦や予選で敗退した人にはいかに優勝に向けて努力していた人でも与えられません。
自惚れがあると思ったらそれを改める、返上することですね。

498深山:2009/05/29(金) 23:19:06 ID:RnAPlrJ20
>>487 :準シュダオン:2009/05/29(金) 10:38:32 ID:XESnzsYQ0
>管長が、八正道を滅道ではない、と書いたからといって、否定していると
>考えるのは間違いなのです。八正道は滅道ではないが、滅道のひとつである
>ことは認めているのです

桐山さんが八正道は初心の者のオシエにすぎず、
これだけでは解脱できないと言っているから、
それが釈尊への侮辱だと批判しているのです。
釈尊の説いた道とは八正道であり、八正道にあなたの好きな三十七道品も
すべてが含まれる。
>>287で樹意さんが具体的に釈尊の言葉を引用してくれている。
樹意さんはあなたをこれまで二回も助けてくれたのを覚えているか。
あなたは恩知らずだから、覚えてもいないでしょうね。
その彼が示した経典くらいきちんと読んだらどうか。
彼が書いた文章ではなく、釈尊の言葉なのですよ。
準シュダオンさんはこれを覚えるどころか、見てもいないでしょう。

「かの聖なる八支の道こそが、不死に至る道である」(>>287)

八正道こそが解脱に至る道だと釈尊は説いている。
無貪・無瞋・無知の三善根に至る道とは八正道だと説いているのです。

499深山:2009/05/29(金) 23:20:53 ID:RnAPlrJ20
『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁
「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。」
「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」

相応部経典 38、2、 阿羅漢果
「友よ、およそ貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して阿羅漢果というのである」
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、その阿羅漢果を実現する道である。−略ー」 (>>287)

準シュダオンさんはどうでもいいが、他の信者さんたちは、
上記の二つの文章をよく読み比べてほしい。
桐山さんは八正道だけでは解脱できないと言っている。
だが、釈尊は、八正道(八支の道)こそがアラハン、つまり解脱への道だと説いている。
全然言っていることが違う。
信者さんたちはどちらを信じるのだ?
桐山さんか、それとも釈尊か?

500ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/29(金) 23:21:54 ID:SmEF4Oe2O
>>489
では昨日の準シュダオンさんとは考えが異なるという今日の準シュダオンさんの
書き込み内容に反レスします。
>>490さんのいう通り改めたのではなく捏造したのです。

501深山:2009/05/29(金) 23:24:34 ID:RnAPlrJ20
>>487 :準シュダオン:2009/05/29(金) 10:38:32 ID:XESnzsYQ0
「止観を習修せよ、空入処〜識入処、〜貪瞋痴薄、得シダゴン、〜
 五下分結尽 得阿那含 種種神通境界 天眼天耳 他心智 宿明智
 生死智 漏尽智 皆得 是故比丘 当修二法(止観)・・以下略」

これがどうかしましたか。
釈尊は止観を修習せよとおっしゃっている。
あなたは止観をなんだと思っているのですか。
八正道の中に入っている内容です。
止観の止とは簡単にいえば、煩悩に囚われている心に集中することです。
そして、煩悩に囚われている心をあるがままに観察するのが観です。
これを起きている時も、トイレに入っている時も、四六時中行う。
観察する時の分類の方法の一つが、四念処の苦、不浄、無常、無我です。
こういう観察を、八正道の正念と言ってもいいし、三学の慧に相当するとみなしてもいい。
これを禅定の状態でするのが正定であり、大系づけたのが九次第定です。
八正道の面影がないどころか、釈尊が婆蹉種出家におっしゃった止観は八正道そのものです。
先生が「分数の勉強をしましよう」と言ったら、準シュダオンさんは
「算数という言葉が出てこないから、算数の面影がない」と
言ったようなもので、ただの無知です。

502深山:2009/05/29(金) 23:27:03 ID:RnAPlrJ20
>>487 :準シュダオン:2009/05/29(金) 10:38:32 ID:XESnzsYQ0
>神通は阿那含から
>獲得できることがわかりますね。ここには、八正道の面影はありま
>せん。止観も八正道の一部だ!という考え方もあろうが、私として
>は、滅道の考え方は、管長の主張の方が妥当だと思うね。

信者の大好きな神通力ですね。
神通力もない教祖と信者が、どうしてこうも二言目には
神通力を連発するのだろう。
では、神通力を持たないアラハンをあなたはどう説明するのだ?
あなただけでなく、前にペテン大作さんが沙門果経を出して、
神通力で解脱するのだとどこまでも主張し続けた。
だが、沙門果経ですら、神通力で解脱するとか、
アラハンは必ず神通力を持っているなどとは書いていない。
スシーマ経では、神通力を一つとして持たない比丘が解脱を宣言し、
それを釈尊に報告して、認められる場面がある。(『阿含経典1』増谷文雄、241頁)
前にあなたに示したように、二大弟子のサーリプッタは他心通を持っていなかった。
だが、彼らは全員がアラハンです。
神通力は解脱することと関係がないとしなければ説明がつかない。
神通力は、解脱の過程で体得する比丘もいたという意味であり、
解脱の必要条件ではありません。

503深山:2009/05/29(金) 23:29:23 ID:RnAPlrJ20
>>485 :準シュダオン:2009/05/29(金) 09:55:13 ID:XESnzsYQ0
>それを深山さんは、「預流向と称して自惚れている」と、レスしてきた

桐山さんが認めてもいないのに、アゴン宗の預流向を自称するのは、
どういう預流向だろうが、関係なく、違反です。
腕時計を盗もうが、腕輪を盗もうが泥棒です。
ガム一つ盗んでも泥棒には変わりない。
だから、あなたは桐山さんという大泥棒から盗んだコソドロだと批判したのです。

504深山:2009/05/29(金) 23:36:15 ID:RnAPlrJ20
>>485 :準シュダオン:2009/05/29(金) 09:55:13 ID:XESnzsYQ0
>預流向と称したら、自惚れてることにならないのだよ。
>預流まで、はるかに遠い預流向もあるからね、自惚れにならない。

>>441を示されてもぬけぬけとこういうことを書くくらい、
本当にあなたは厚かましく、図々しい人だ。
一年前、自分は限りなく預流に近いなどと半年の間書きまくって、
その証拠を目の前につきつけられても、素知らぬ顔で、
まるでそんなことは自分は書いていないかのように口を拭う。
はるか遠いどころか、限りなく近いと書き続けている。
一年前に一度や二度でなく、半年に渡り自分はシュダオンに近いと書き続けた。
誰も聞いてもいないのに、シュダオンに近いなどと、
ヘラヘラと笑いながら繰り返す姿が自惚れでないなら、なんだ?
認知症か、アルツハイマーか、ピック病か。

505深山:2009/05/29(金) 23:38:43 ID:RnAPlrJ20
>>488 :準シュダオン:2009/05/29(金) 14:33:06 ID:XESnzsYQ0
>だから、シュダオン向とか預流向を宣言したとて、まったく自惚れている
>ことにはならないのです。阿含経信者です、と宣言したにすぎません。

落ち着いてなどと言われなくても、あなたの言っていることはよくわかっている。
よく読まなければならないのは、あなたのほうです。
自分の屁理屈を押し付けることばかりに夢中にならないで、
こちらが何に対して批判しているのか理解したらどうだ。
あなたの言い訳を承知の上で、自惚れのコソドロだと批判しているのです。
預流向が預流とは違うから、かまわないなどという理屈は、
アゴン宗においても仏教においても成り立たないと何度も反論した。
アゴン宗においては、預流であれ、預流向であれ、信者が勝手に
名乗っていいことにはならない。
その判断権は桐山ゲイカにのみにある。
桐山さんの許可も得ず、勝手に預流向を名乗ることは許されない。
あなたはこの桐山ゲイカの権利を侵害して、横からくすねている。
あなたはアゴン宗において預流向を勝手に名乗っているのは違法行為です。

506深山:2009/05/29(金) 23:43:12 ID:RnAPlrJ20
>>488 :準シュダオン:2009/05/29(金) 14:33:06 ID:XESnzsYQ0
>だから、シュダオン向とか預流向を宣言したとて、まったく自惚れている
>ことにはならないのです。阿含経信者です、と宣言したにすぎません。

仏教においては預流向とは、三結を断じるまではいかないが、
それに向かって努力している人のことです。
だが、アゴン宗の信者で預流向である人は一人もいない。
なぜならアゴン宗の教義はそのどれもが三結を切ることに違反するからです。
霊魂があるというのは身見という煩悩です。
漏尽解脱は小解脱であり、八正道だけでは解脱に至らないなどというのは、
釈尊の教法に対する疑惑という煩悩です。
護摩を焚き、占いをして、死者成仏だの霊障解脱だのと、
外道の行いをするのは戒取という煩悩です。
三結の煩悩のままの行為を修行と称してしながら、
そのあなたのどこが阿含経信者で、どこが預流向なのだ?
こういうあなたが阿含経信者だなどというのは、泥棒が「私は法律信者だ」、
大嘘つきが「私は正直信者だ」と言っているようなものです。

507深山:2009/05/29(金) 23:45:01 ID:RnAPlrJ20
>>489 :準シュダオン:2009/05/29(金) 14:50:39 ID:XESnzsYQ0
>過去レスに拘るのは成長がない印ですよ。
>中学生に、小学生時代の悪戯を、くどくど注意したとてしょうがない。
>それと同じことです。
>今現在のレスで、正否を問いましょう。

麻原彰晃が「過去レスに拘るのは成長がない印ですよ」と言ったら、
あなたはそのとおりだと受け入れるのか。
あなたが過去と違うというなら、過去の自分がどう間違っていたのか、
書いてみたらどうだ?
修正してこそ、初めて、その過去はリセットされる。
あなたがすでに修正したことをこちらがまた出したのなら、それは正しくない。
だが、あなたはただ桐山さんの文章を読み間違えていたと書いただけで、
その解釈は相変わらず、何一つ変えていない。

>管長は、三福道という表現に改めたのですね。

こんなふうに何をどう反論されようが、自分の主張は何一つ変えていない。
過去を問うななどというなら、まず、自分のどこが間違っていたのか、
どこを修正したのか、きちんと示しなさい。

508深山:2009/05/29(金) 23:49:36 ID:RnAPlrJ20
>>489 :準シュダオン:2009/05/29(金) 14:50:39 ID:XESnzsYQ0
>過去レスに拘るのは成長がない印ですよ。

>>439であなたのデタラメを示されたから、こんなことを書いているのでしょう?
預流向になったのが、桐山さんの法話を聞いた時だと四年前に書いた。
ところが、最近は聖なるバイブを受けて預流向になったと書いた。
元々、誰もあなたか預流向だなんて信じていないが、いよいよそれが嘘だとばれた。
普通なら恥ずかしくて出てこれないくらいだが、
あなたは面の皮が厚くて、図太いから、平気。
私が言い訳まで書き並べてあげただから、あれに色をつけて、
何か書いて、みんなからあざ笑われたらどうか。
まさかあんなことを四年前に自分が書いているとは覚えてもいなかったのでしょう?
いい加減な妄想を書いているとこんなふうに矛盾するのだ。
桐山さんが悪い見本を示しているのに、学ぼうともしない。
過去を問うななどと他人に言う前に、まずあなたが自分の過去の
矛盾を素直に認め、ケジメをつけるべきだ。
それが男というものだろう?

509深山:2009/05/29(金) 23:54:34 ID:RnAPlrJ20
>>489 :準シュダオン:2009/05/29(金) 14:50:39 ID:XESnzsYQ0
>今現在のレスで、正否を問いましょう。

そこで、私はあなたに一つ提案する。
これから預流向の話を出すのはやめなさい。
元々、このスレの主旨とは関係のない話であり、あなたは出したくなかったと書いた。
だから、出さなければいいのです。
出し続けた結果が、>>439でばらされて、大恥をかくはめになった。
あなたも桐山さんもものすごく悪い癖は、引き時のチャンスがあるのに、
どこまでも頑迷に自分の欲望を押し通そうとして、事態をもっと悪化させる。
余計な話だが、あなたは仕事でもそれをやって嫌われたのだ。
>>439が出てきたのが良い機会なのだから、
もう預流向の話はあなたの腹の中に納めて、ここに書くのはやめなさい。
しかし、あなたが引き続き書くというなら、私は>>439
矛盾をどこまでも追求して、皆さんの笑いのネタにします。
きっとあなたは悔し紛れに、いつもの負けん気で別な屁理屈を並べ始める。
書いているうちに矛盾が生じて、またあざ笑われる。
だが、あなたが預流向の話を今後しないというなら、あなたの提案どおり、
>>439の過去の矛盾については追求する必要もなくなる。
ついでにハンドルも変えたらどうか。
あなたしだいです。

510準シュダオン:2009/05/30(土) 11:16:40 ID:XESnzsYQ0
深山さん、落ち付いて、よく読みなさい。
私のハンドル・準シュダオンが、何時、預流向だと名乗ったかね?
名乗っていないよ。ウソ付くのは止めなさい。

それから、阿含経信者では、新米の修行者の第一歩から先ずシュダオンを
目指すのが普通なのです。つまり、最初から預流向、なのです。
意味がおわかりか?
つまり、「預流向を名乗って自惚れる」なんて言い方は、預流向の意味を
間違えて認識しているのです。

511準シュダオン:2009/05/30(土) 11:28:20 ID:XESnzsYQ0
果報の認識は人によって違うだろうが、深山さんの場合は極端に狭く解釈
してますね。私の場合は広く捉えてます。お釈迦さまは比丘達に、「戒を
修めて定を獲て大果報・・」というように、解脱が進むも大果報です。
俗的な福を得るのも果報です。子供が「私の子猫を助けてください」と、
願って、子猫が助かったら、それも果報です。

だいたい、俗的な福とかを低俗に見る見方は、思いあがりですよ。
家系の霊的な浄化だろうが、商売繁盛だろうが、私に言わせれば同じ果報
です。果報に貴賎などあろうか、あろうはずがない、です。

512準シュダオン:2009/05/30(土) 11:52:16 ID:XESnzsYQ0
私は、三福道を改ざん、とは思わないね。単に改めた、と思いますね。
三善根だと、無貪瞋痴のことだと誤解する信者が出る恐れがあります
からね。三福道だと意味がよくわかります。三功徳とか、三果報と訳す
新宗派も出てきて欲しいね。「自須陀おん至阿那含断五下分結」と、
付け加えたのは、補足であって、解り易くなったです。
内容が変えられた訳ではありません。
開祖にはこれくらいの経典改良は、認められて当然だと思いますね。

般若心経瞑想法P190には、七訳の般若心経が出てますね。人気のある
経典は、異訳が沢山ですね。三供養品・三善根は、人気がなかったのです
ね。この経典は、護摩の火炎に如来が現形した、桐山管長にして、世に出
される運命だったわけですね。

513準シュダオン:2009/05/30(土) 12:13:57 ID:XESnzsYQ0
阿含宗は教えが正しくないから、阿含宗信徒に預流向は一人もいない、
などというのは詭弁です。ならば最初からそう言えばいい。
自分の認識の間違いに気づいて、そういう言い方をしたとて、準シュダオン
を自称する私には、深山さんのいいわけは、見え見えです。
認識を改めるに憚ることありませんよ。

私は、一昨日、「一書に三善根、三福道とあり」の勘違いに気づき、論法が
がらりと変わっているのですからね。三福業を三福道と思いこんでいた。
なので、三福道異訳論で、4日以上前の私のレスにあれこれ言われても困
るのですよ。そういうように、私には、私の勘違いを含めて、新発見が度々
ありますから、誰のであっても過去レスには興味がないのです。

それに私は、これは同一人物で、これは別人とか、一切答えていません。
あくまでも、深山さんの推測です。同じPCだとしても、同一人物とは限ら
ないしね。

514ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/30(土) 12:40:58 ID:SmEF4Oe2O
>>513
これは同一、これは別人だと答えない?
仮に同じPCに別な人が同じハンドルで書き込んでも?
つまりこれまでの書き込みにもこれからの書き込みにも別人が混じる可能性があり
準シュダオンの書き込み発言にはいちいち責任が持てないとでも?
さすが卑怯者らしいやり方ですね。
皆軽蔑しています。

515準シュダオン:2009/05/30(土) 13:44:55 ID:XESnzsYQ0
管長は度々、信徒に「あなた方は先ず、シュダオンを目指して修行しなさい」
と、お命じになっていますよ、深山さん。
はい、と素直に従った信徒は、皆、預流向なのですよ、深山さん。

預流向とは、一番位が低い修行者のことですからね。
だから、預流向を自称しても、自惚れにはならないのです。
だから、「預流向と自惚れ」という表現の間違いを指摘したのです。

阿含宗に預流向がいるか、いないかを論じたのではありません。

516準シュダオン:2009/05/30(土) 14:15:37 ID:XESnzsYQ0
深山さん、阿含宗では今は、信徒は勝手に、預流向を名乗っても良いの
ですよ。あなたの時代にはダメだったのですか?そんなことさえ管長の
専売特許ですか?時代遅れの批判ですなあW。

517準シュダオン:2009/05/30(土) 14:44:06 ID:XESnzsYQ0
止観も八正道の正念に入っている、とは、例えば、どなたの説ですか?
学者先生の解説では、八正道は37道品の構成要素という位置づけですよ。
つまり、学者先生方の解釈は、八正道<37道品なのです。
おわかりですか?深山さん。

それからね、すべての修行法は、八正道の具体化である、とでもお釈迦さま
が説いていたら、深山さんの説に従ってもいいよ。だが、そういう説き方は
していません。樹意さんの、八正道で無明以下の因縁が滅して涅槃に至る
経は、アチコチで私も読んでいますよ。ですが、出家経の例を出したように
止観と九次第定で解脱するとか、他にも、八正道以外の修行法なのではない
か?と、思われる経が沢山ありますね。

まぁ、仏道という語にすべての修行法が入るように、八正道にすべての修行
法を含めるような定義にでもなっていれば、樹意さんの意見もわからないで
はないですよ。

それから、増谷先生が、羅摩経の最後の部分をどう訳されているか、
樹意さんにお尋ねしたいですね。「定道品法」の箇所です。
羅摩経は重要な経典らしいですので、必ず訳されていましょう。

518準シュダオン:2009/05/30(土) 17:14:30 ID:XESnzsYQ0
今日は仕事が休みなので、あと一つくらい、レスができますね。
管長の歴史を振り返ると、
1978年(昭53)阿含宗立宗    (3年ほど熟慮後)
1979年     護摩の火炎に如来現形   三供養品が閃いた。
 〃  年     求聞持法瞑想入門 発刊  四念処観世に出る。
1980年     インドで白銀のバイブレーション、サエトマエトを
          移せと命を受けた。
1981年     カルマと霊障からの脱出 発刊
1982年     輪廻する葦 発刊 七覚支法が世に出る。
1983年     間脳思考  発刊 思念の相承解説
1985年     慈母観音現形
1986年     末世成仏本尊経 発刊 三福道の福音
  〃 年     千座行から解脱宝生行に移行、三福道が聖典に登載
以下は後日。
 
と、まぁ、こういう具合になりましょうか。
必然であったように思います。

519深山:2009/05/30(土) 18:06:27 ID:BD2bZJsY0
>>510 :準シュダオン:2009/05/30(土) 11:16:40 ID:XESnzsYQ0
>深山さん、落ち付いて、よく読みなさい。
>私のハンドル・準シュダオンが、何時、預流向だと名乗ったかね?
>名乗っていないよ。ウソ付くのは止めなさい。

準シュダオンさん、落ち着いて、よく読みなさい。
私は準シュダオンを預流向だと何時、書いたかね?
書いていないよ。ウソ付くのは止めなさい。
ハンドルを変えたらどうかと提案したのです。
毎度あなたは他人に落ち着いて読めとか、よく考えろと
お説教するが、こちらが言ってもいないことを勝手に書いている。
落ち着いてよく読まなければならないのはあなたです。

520深山:2009/05/30(土) 18:08:56 ID:BD2bZJsY0
>>510 :準シュダオン:2009/05/30(土) 11:16:40 ID:XESnzsYQ0
>それから、阿含経信者では、新米の修行者の第一歩から先ずシュダオンを
>目指すのが普通なのです。つまり、最初から預流向、なのです。
>意味がおわかりか?
>つまり、「預流向を名乗って自惚れる」なんて言い方は、預流向の意味を
>間違えて認識しているのです。

何度も同じ説明をしてもらわなくても、あなたの屁理屈は理解しています。
その上で、アゴン宗から見ても、仏教から見ても、
あなたは預流向などではないと>>505-506で批判したのです。
あなたの行為は、仏教としては論外であり、
アゴン宗の信者としては裏切り者、コソドロです。
どうやら、私の>>509の提案は拒絶であり、あなたは断固として、
スレ違いの預流向を名乗るつもりらしい。
では、私も>>439-440を今後も引用して、あなたの預流向がどれほど
いい加減な話か、どれほど威張りたがりのハッタリ屋か、
一見、アゴン宗を擁護しているようでありながら、
実は桐山さんなどどうでもよく、自分のスゴサを際だたせたいという
自己顕示欲から書いているのだということを示してあげましょう。

521深山:2009/05/30(土) 18:18:38 ID:BD2bZJsY0
>>510 :準シュダオン:2009/05/30(土) 11:16:40 ID:XESnzsYQ0
>それから、阿含経信者では、新米の修行者の第一歩から先ずシュダオンを
>目指すのが普通なのです。つまり、最初から預流向、なのです。

では、聞くが、あなたの預流向が他の信者の励みになれば
いいとはどういう意味だ?
あなたの上記の理屈ではアゴン宗の信者は全員が預流向らしい。
だったら、あなたの存在などいらない。
全員、預流向なのだから、信者のために書いているというのと矛盾する。
なんのためにわざわざ繰り返し繰り返し、預流向であると主張するのだ?
また、白銀バイブを受信して預流向になったとはどういう意味だ?
あなたの上記では白銀バイブなど関係なしに、
アゴン宗の信者は預流向になるらしい。
だったら、白銀バイブなんて必要ない。
では、なんのためにあなたはしつこく書き続けているのだ?
自分が他の信者よりもエライと自慢したいからですよね。
屁理屈を並べてますます自己矛盾の泥沼に落ちたいらしい。
恥知らずとは便利なものだ。

522深山:2009/05/30(土) 18:20:17 ID:BD2bZJsY0
>>513 :準シュダオン:2009/05/30(土) 12:13:57 ID:XESnzsYQ0
>阿含宗は教えが正しくないから、阿含宗信徒に預流向は一人もいない、
>などというのは詭弁です。ならば最初からそう言えばいい。

あなたが知らないだけで、最初から繰り返し言っています。
あなたがザに来た頃には書いていた。
アゴン宗に預流も預流向も一人もいないとは、
読者の耳にタコができるほど私は繰り返し述べていることです。
これは十結煩悩を説明する時に何度も書いた。
>>506のような、身見、疑惑、戒取はアゴン宗では絶対に切れないから、
ただの一人もシュダオンなどいるはずがないと書き続けてきた。
あなたと違い、私は過去の書き込みを前提として、
その文言に責任と一貫性を持たせながら書いている。
あなたのような恥知らずではないからです。

523深山:2009/05/30(土) 18:21:48 ID:BD2bZJsY0
>>513 :準シュダオン:2009/05/30(土) 12:13:57 ID:XESnzsYQ0
>阿含宗は教えが正しくないから、阿含宗信徒に預流向は一人もいない、
>などというのは詭弁です。ならば最初からそう言えばいい。

どこが詭弁なのか反論してごらんなさい。
私は>>506のように具体的にアゴン宗の教法と、釈尊が定めたシュダオンの
資格とを比較して、アゴン宗の信者はシュダオンの資格を満たして
いるはずがないことを指摘した。
これが間違っているというなら、反論してみればいい。
護摩、占い、死者成仏、因縁解脱や霊障解脱など外道の教えを
信じて実践しているあなた方がシュダオンでございますなどということ自体が詭弁です。
外道のマジナイごときをしながら、どこが三結が切れるかの、説明してみなさい。
盗っ人にも言い訳があるだろうから、聞かないとは言わない。

524深山:2009/05/30(土) 18:25:16 ID:BD2bZJsY0
>>513 :準シュダオン:2009/05/30(土) 12:13:57 ID:XESnzsYQ0
>自分の認識の間違いに気づいて、そういう言い方をしたとて、準シュダオン
>を自称する私には、深山さんのいいわけは、見え見えです。

「自分の認識の間違い」とは誰の、どのような認識の間違いなのですか。
あなたは、私の話が詭弁であると決めつけて、
次には認識の間違いとすり替えた。
だが、アゴン宗の信者が三結そのままだという主張の
どこが詭弁で、どこか間違いなのか、あなたはまったく示していない。
「いいわけ」とは私の何に対するどのような言い訳ですか。
私は言い訳など一つもしていない。
矛盾を指摘されて、「過去の書き込みには責任を持たない」と
言い訳をしているのはあなたです。
あなたが自己矛盾に追いつめられて、具体的に反論できないから
「詭弁」「認識の間違い」「いいわけ」などと悔し紛れに書いたのが見え見えです。
違うというなら、まずは>>521で指摘した矛盾を説明してみなさい。
それとも、四日以前に書いたことには責任を持たないとまた卑怯者らしく逃げますか。

525深山:2009/05/30(土) 18:27:01 ID:BD2bZJsY0
>>513 :準シュダオン:2009/05/30(土) 12:13:57 ID:XESnzsYQ0
>私は、一昨日、「一書に三善根、三福道とあり」の勘違いに気づき、論法が
>がらりと変わっているのですからね

いいえ、あなたがそう思い込んでいるだけで、何も変わっていません。
相変わらず、桐山さんの捏造を認めようとしていない。
あなたは桐山本に書いてあることを読み違いしていたと認めただけです。
そんなことは批判側から何年も前から繰り返し指摘されてきたことです。
だが、あなたはろくに読みもしないから、今頃気が付いた。
こんなことも知らないで、議論しているのです。
あなたのレベルがどれほど低いかよくわかる。
読解力が低い上に批判側の文章を小馬鹿にして丁寧に読もうとしないから、
すべて一知半解で、時には自分の主張と私の主張の区別すらもつかない。

526深山:2009/05/30(土) 18:35:15 ID:BD2bZJsY0
>>513 :準シュダオン:2009/05/30(土) 12:13:57 ID:XESnzsYQ0
>それに私は、これは同一人物で、これは別人とか、一切答えていません。
>あくまでも、深山さんの推測です。同じPCだとしても、同一人物とは限ら
>ないしね。

答えなければ、あなただとわからないほど他人はバカだと思っているのですね。
そういう人を見下した態度だから、他人からもあなたは馬鹿にされるのです。
答えなくても、>>439-440があなたであることは誰の目にも明らかです。
自分の「臭い」に気が付かないとは幸せなことだ。
2ちゃんねるで、ヂミズさんが出ている。
彼は名乗っていないのに、どうして批判側がヂミズさんだと
特定しているか、あなたはわかるか。
あるいは、あなたが2ちゃんねるに名無しで出てきた時、
私があなただと見抜いて話しかけた。
名乗らなくても、なぜ見抜けるかわかりますか。
人には文体や書き方、主張の展開のし方に独特の癖があるからです。
長い間書き続ければ、その人の文章の「臭い」で、
ハンドルを変えてもその人だと見当がつく。
>>439-440のような愚かなことを繰り返し書いているのはたった一人しかいない。
それがわからないと思っているあなたは「頭隠して尻隠さず」です。

527深山:2009/05/30(土) 18:36:37 ID:BD2bZJsY0
>>515 :準シュダオン:2009/05/30(土) 13:44:55 ID:XESnzsYQ0
>管長は度々、信徒に「あなた方は先ず、シュダオンを目指して修行しなさい」
>と、お命じになっていますよ、深山さん。
>はい、と素直に従った信徒は、皆、預流向なのですよ、深山さん。

「皆、預流向なのです」と桐山さんがいつ言いましたか。
上記の二行まではたしかに桐山さんはこれに近いことは言っている。
だが、「皆、預流向なのです」なんて言っていないし、
ましてや、預流向を宣言してもいいなどとは一言も言っていない。
三行目はあなたの勝手な解釈であり、付け加えです。
違うというなら、具体的に桐山さんがいつどこで
こういうことを発言したか、根拠を示しなさい。
示せるはずがない。
あなたの作り話です。

528深山:2009/05/30(土) 18:39:23 ID:BD2bZJsY0
>>515 :準シュダオン:2009/05/30(土) 13:44:55 ID:XESnzsYQ0
>阿含宗に預流向がいるか、いないかを論じたのではありません。

ここの議論があなたのことを議論していると思っているのですね。
どうしてそんなに自己中心なのだ?
まるで子供みたいですね。
あなたの議論などしていない。
ここはアゴン宗と桐山さんを議論する場です。
だから、あなたが預流向かどうかなんてテーマではないが、
アゴン宗に預流向がいるかどうかは議論のテーマです。
桐山さんが何を言ったか、どのように指示したかがテーマであり、
あなたがそれをどう解釈したかなんて誰も聞いていない。
ましてや、桐山さんが言ってもいないことを勝手に言い出すのは
桐山さんにも失礼だし、スレ違いです。
だから、あなたの自称預流向をその黒い腹の中にしまって、出すなと言っているのです。

529深山:2009/05/30(土) 18:41:56 ID:BD2bZJsY0
>>516 :準シュダオン:2009/05/30(土) 14:15:37 ID:XESnzsYQ0
>深山さん、阿含宗では今は、信徒は勝手に、預流向を名乗っても良いの
>ですよ。あなたの時代にはダメだったのですか?そんなことさえ管長の
>専売特許ですか?時代遅れの批判ですなあW。

「信徒は勝手に、預流向を名乗っても良い」といつ桐山さんが
このように言ったか、示しなさい。
あなたは何を書いたかわかっているのか。
あなたがここまで嘘をつくとは正直驚いた。
預流向はあなたにとってとても大事なお宝だったのですね。
私からそのオモチャを蹴飛ばされたから、
嘘をついてでも守ろうと必死らしい。
こんなことは桐山さんは言っていない。
アゴン宗で預流向を名乗ることなど認められていない。
前は、あなたは「名乗るのはおれの勝手だ」と言っていた。
だから私も、名乗るのはあなたの勝手だが、
ここのスレと関係がないから、出すなと言った。
だが、今度は、あなたが勝手に名乗ってもいいと
アゴン宗が容認しているかのような嘘まで書いた。
あなたと違い、私はこの発言を記憶しましょう。

530深山:2009/05/30(土) 18:44:36 ID:BD2bZJsY0
>>517 :準シュダオン:2009/05/30(土) 14:44:06 ID:XESnzsYQ0
>止観も八正道の正念に入っている、とは、例えば、どなたの説ですか?
>学者先生の解説では、八正道は37道品の構成要素という位置づけですよ。
>つまり、学者先生方の解釈は、八正道<37道品なのです。
>おわかりですか?深山さん。

どなたの説って、釈尊の説であり、学者たちの説です。
樹意さんが経典を引用して示してくれたし、私もそれを指摘した。
釈尊は八支の道こそがすべであり、これ以外ないと述べている。
亡くなる直前、釈尊はスバッダに八支の道を説明して、

「これ以外には(道の人)なるものも存在しない。
第二の〈道の人)なるものも存在しない。第三の(道の人)なるものも存在しない。第四の〈道
の人)なるものも存在しない。他の論議の道(=他派)は空虚である。
〈道の人)を欠いている。」
(『ブッダ最後の旅 大パリニバーナ経』中村元、150ページ)

八正道以外の道などないと説明した。
四諦の道は八正道そのものであることは学者も認めていると、
桐山さんですら書いている。
あなたは桐山さんの説明に逆らうのか。
一つでは不足なら、樹意さんが引用してくれたのを再度掲載しましょう。

531深山:2009/05/30(土) 18:45:25 ID:BD2bZJsY0
「友よ、聖なる八支の道こそは、その涅槃を実現する道である。−−−」
相応部経典 38.1涅槃 雑阿含経 18.1 難等 増谷氏訳
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、その阿羅漢果を実現する道である。−−−」
相応部経典 38.1涅槃 雑阿含経 18.1 難等 増谷氏訳
「友よ、かの聖なる八支の道こそが、この貪欲・瞋恚・愚痴を捨て去る道である。−−−」
相応部経典 38.3 法語者 雑阿含経 18.1 難等 増谷氏訳
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、その苦を知悉する道である。−−−」
相応部経典 38.4何在 雑阿含経 18.1 難等 増谷氏訳
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、それらの受を知悉する道である。−−−」
相応部経典 38.7 7 受 増谷氏訳
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、それらの漏を捨て去る道である。−−−」
相応部経典 38.8 漏 雑阿含経 18.1 難等 増谷氏訳
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、無明を捨て去ってしまう道である。−−−」
相応部経典 38.9 無明 雑阿含経 18.1 難等 増谷氏訳

532深山:2009/05/30(土) 18:47:21 ID:BD2bZJsY0
>>517 :準シュダオン:2009/05/30(土) 14:44:06 ID:XESnzsYQ0
>おわかりですか?深山さん。

>>531の釈尊本人の説明でおわかりですか?準シュダオンさん。
・・あら、わかっていない。
そうでしょうね。
あなたの頭には桐山さんから三十七道品こそが
修行法だと焼き付けられている。
何をどう説明されても、何とか一つ覚えみたいに三十七道品を唱える。
あなたは前にも上記のような主張して、私から反論されたのを
覚えて・・・そうか四日しか記憶がないから、無理でしたね。
三十七道品という分類をしたのは後世の部派仏教の人たちです。
だから、阿含経に三十七道品という言葉が出てくるのは、
数も少なく、増一阿含経など一番後に成立した経典のみです。

533深山:2009/05/30(土) 18:49:35 ID:BD2bZJsY0
>>517 :準シュダオン:2009/05/30(土) 14:44:06 ID:XESnzsYQ0
>つまり、学者先生方の解釈は、八正道<37道品なのです。

「八正道<37道品」などと、さも当たり前のことにように書いているが、
こういうのを見れば、あなたは三十七道品の中身を検証したことすらないのがわかる。
ただ、三十七道品の中に八正道が入っているのを見て、
「八正道<37道品」などと書いているのでしょう?
内容を調べたことがありませんよね。
と、前にもあなたに指摘したが、もちろんその後も調べることもせず、
そのままだから、同じ事を書いているのです。
三十七道品の中身は大系だったものではなく、
数字でただ並べてあるだけです。
桐山さんやあなたはまるで国語や数学のように、
七教科あるものだと思っているのだろうが、違います。
だから、内容を見ると、甚だしく重複しており、
しかも、七科目の内容は対等ではない。

534深山:2009/05/30(土) 18:52:06 ID:BD2bZJsY0
>>517 :準シュダオン:2009/05/30(土) 14:44:06 ID:XESnzsYQ0
>つまり、学者先生方の解釈は、八正道<37道品なのです。

なぜこんなにバラバラのものが並べてあるかという理由は簡単で、
釈尊は物事を体系立って説明した人ではないからです。
対機説法にすぎない内容を後世の人が三十七道品としてまとめた。
三十七道品は有名だから桐山さんが取り上げたが、
同様の釈尊の説いた修行法なら他にもたくさんある。
その極端な例があなたが引用した100科550道品です。
あれはサーリプッタが説明したものだが、
釈尊はこれを認めたことになっている。
では、数が多いから、「37道品<100科550道品」ですか。
理解できるのはサーリプッタくらいで、普通の人にはこんな大系は理解できない。
釈尊の説いた修行法をたった一言でいえば、それが四諦の
苦集滅道の道に相当する八正道です。
念のために信者さんたちに言うが、他の修行法が間違っているとか、
どうでもいいといっているでありません。
四則演算も微分も関数もすべて数学という言葉の中に入ってしまうように、
八正道の中にすべての修行法が含まれているのです。
だから、釈尊が繰り返し経典で述べており、学者たちも、
四諦の道とは八正道だと言っているのです。
こういう修行法の成り立ちがわからないから、桐山さんは
道が八正道だけではないなどとピント外れなことを言い出した。

535深山:2009/05/30(土) 18:54:36 ID:BD2bZJsY0
>>518 :準シュダオン:2009/05/30(土) 17:14:30 ID:XESnzsYQ0

1978年(昭53)
仏教界から批判され真言宗にいられなくなり、阿含宗を立宗して、
伝統仏教への復讐を誓う。
1979年     
ただの護摩の火炎を如来現形と宣伝に使う。
横を向き、背中を丸め、身体に大日如来の飾りをつけ、後ろからはシッポまで生えている。
「応供の如来」という無知からくる爆笑名を冠する。
後に三福道のインチキネタにも登場した。
『求聞持法瞑想入門』を発刊したが、表題と違い、中身は普通の瞑想の本。
四念処観など言葉だけ出して、ナンチャッテ四念処を発表した。
1980年     
美食が原因でインドで脳障害を起こし、その幻影を白銀の
バイブレーションと称して人々を騙した。
この時の世紀末地球壊滅の予言はまったくの嘘。
1981年     
『カルマと霊障からの脱出』を発刊して、いよいよ
霊障のホトケを使った霊感商法が本格的に幕開けした。
1982年     
『輪廻する葦』を発刊して、仙尼経に異陰があるという嘘を発表。
ドラゴン型の龍をムチャリンダであるなどと無知を発揮する。
1983年     
『間脳思考』を発刊。間脳を開きすぎた桐山ゲイカは脳梗塞になった。
1985年     
慈母観音現形 阿含経のどこにも存在しない。
よそは偽物だが、アゴン宗のホトケだけ本物といういつもの口上。
1986年     
『末世成仏本尊経』を発刊。三供養品に三福道を捏造した。
信者の減少に歯止めがかからず、面倒な千座行を廃止して、アゴン宗に
人と金を貢げば因縁がキレルという教義に変更。
だが、効果なし。

536ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/30(土) 20:52:11 ID:SmEF4Oe2O
>>515
あのね。預流向が一番低いなんて見下げるのは分不相応ですよ。
アゴン宗の預流、シュダオンのことです。
桐山さんは著書にシュダオンになるのが一番難しいと書いています。
どの著書かって?あまりあなたの真似したくないが真似してみましょう。
自分で探しなさい。
つまりただの凡夫が聖者になるのだから並大抵でないのです。
シュダオンにまでなれればシダゴン、アナゴンはそう難しくない。
この後アラハンに飛翔するのが一番難しいのだが、しかしアナゴンまで来れた人は
それを成し遂げるのも時間の問題としています。
だから事実上一番難しいのは凡夫がシュダオンになることとしている。
だからシュダオン向と言ってもかなり程度の差が広いことに気がつかないか?
まだ問題外のぺーぺーの新米から、あともう一歩の人まで段階はいくつもある。
あなたはこれをひとまとめにして預流向として一番程度が低いと言う。
特にあなたのネームである準はヤバイ。
準シュダオンのネーミングを以てシュダオンを目指すまだ駆け出しの新米をも含む
ということが、日本語のルールとして間違っている。
準を国語辞典でひいてごらんなさい。
「それに次ぐこと」とある。
ナンバーワンに対するナンバーツーなのです。
また「準じる」は「〜と同じ(つりあいのとれた)扱いをする」とある。
準シュダオンとはシュダオンの一歩手前のシュダオンに次ぐナンバーツーのことであり、
シュダオンとほぼ同等の扱いを受ける人を言う。
教授に次ぐ准教授と同じように講師や研究員は入らない。
これはあくまでも日本語の用法の問題であり、日本語的に不遜だというわけです。
あなたに提案する。
求シュダオンというハンドルネームはどうか?
なんか求道者らしくてかっこよく、ナンバーツーの誤解もない。

537ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/30(土) 23:57:01 ID:SmEF4Oe2O
>>512
ここで七訳般若心経の話を出すのはピントはずれです。
たしかに般若心経にはそのようないくつもの異訳本が存在するようですね。
しかしここで論じているのは増一阿含経の如来所、正法、聖衆に於いて功徳を種えると
記述されている経典の話です。すなわち三善根経典です。
これに異訳本があるかないかの話です。
しかしそれが見当たらない。
少なくとも三福道と記述された異訳本はないと桐山さん自ら語ったようなものです。
じゃあ三福業有り。窮尽すべからずして漸く涅槃界に至ると記述された経典があるか
と言うと、これがない。
三福業というと、施福業、平等福業、思惟福業しかなく、これは意味も文脈も
経典も異なる。
あなたが言うように桐山さんが善根では適切な訳ではない、福道の方が宜しいと
判断したから改めたと言うのならばどうして堂々とそう示さないのか?
桐山さん訳者ではない。そもそもサンスクリット原典なんて現存しないし
漢文経典を原典代わりにするしかない。
漢文の表現が気に入らない、だから自分の考えで変えたと言うのならばどうして
正直にそう書かない?
どうして一書に三福業とありなんて関係のない話を出すのか?
この辺を説明してみなさい。

それから自シュダオン至アナゴン断五下分結が補足と言うのならば、それは間違った
補足ではないか?
どうして自シュダオン至アラハン断五下五上分結(断十結)
でないのか?

桐山さんは大乗を創作経典だからという理由で批判している。
桐山さんのアゴン経だって桐山さんによる創作ではないか?

538準シュダオン:2009/05/31(日) 17:37:15 ID:XESnzsYQ0
註釈は「一書に三善根、三福業とあり。阿含宗では三福道をとる」です。
なるほど、一書にAとBとあり、阿含宗ではCをとる、ですね。
だが、A+B=C、という内容になっています。流石は管長です。

管長は以前、法話において、三供養品を、「如来のみもとで功徳・三善根
(無貪瞋痴)を種える」と解説したことがあります(正法と聖衆に
おいても同じ)」。

「如来のみもとで三善根の種をうえる」です。
功徳=三善根=無貪・無瞋・無痴 です。
三善根の種=三福業=施業・平等業・思惟業 です。

三善根(無貪瞋痴)は、修行の結果得られる、いわば果実です。
その具体的な修行法(種)が、三福業というわけです。
三福業は三善根の裏がえしになってる、というユビキタスさんの指摘のように、
ちゃんと、三福道でその裏返しが説明できますね。

539準シュダオン:2009/05/31(日) 17:47:51 ID:XESnzsYQ0
ユビキタスさんの言うように、準シュダオンはやばいけど、預流向はヤバク
ないのです。シュダオンになるのは一番難しいが、シュダオン向になるのは
一番簡単なのです。修行者の第一歩ですからね。
シュダオンとシュダオン向(預流向)を混同してはいけないのです。
登山に例えれば、登山の第一歩が、いわば預流向ですからね。
預流果と預流向では、それは天と地ほども違いますよ。

540準シュダオン:2009/05/31(日) 17:58:33 ID:XESnzsYQ0
護摩の火炎に慈母観音がなぜ現形したのか?
それは、密教が37道品を元に作られたことを、お釈迦さまが証明した
からだ、と考えられますね。
お釈迦さまの意志、阿含経を取り入れた大乗仏教は認める、ということを
証明するために、大乗仏教の如来様等を現形させたのではないでしょうか?

541ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/31(日) 18:07:10 ID:SmEF4Oe2O
>>538
A+B=C???
なんじゃ?それ?
しかしそれにしてはAである三善根の無貪・無瞋・無癡の内容が桐山解説に
ひとつも出てこないし、Bである三福業の施・平等・思惟の 内容も桐山解説に
ひとつも出てこない。
それでこの足し算からどうしてCである三福道の如来の所、正法、聖衆に於いて
供養をして涅槃という果報を得る話になるのか?
肝心の貪瞋癡の克服努力である見返りを求めぬ施しや平等慈悲の心と実践、思惟観察
が説かれていない。
要するにAもBも無視して全く内容の異なるCという経典を創作した。

542ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/31(日) 18:17:15 ID:SmEF4Oe2O
>>539
準シュダオンはシュダオンに準じる、すなわちもうほとんどシュダオンに近いもの
ということになり、これは思い上がり、増上慢、不遜であり、ヤバイと自覚できましたか?
じゃあその増上慢のハンドルを今から改めればよいではないか?
自分でヤバイと非を認めつつ、改める気はない開き直りの確信犯になります。
求シュダオンと名乗るか、預流向と名乗るかはさておき。
あなたはアゴン宗でも管長を除いた上で、現状の最高レベルにいると自惚れて
いることになる。言われたことすらもやらない怠け者が。
どうしてあなたは好運会の会員ですらないのか?
錬成道場の修行者資格すら持たないのか?

543ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/31(日) 18:27:40 ID:SmEF4Oe2O
>>540
密教と三十七道品の関係って、例の金剛界曼荼羅の三十七尊の諸仏ですよね。
だったらアゴン宗ではなく密教そのものが正しく、オシャカは密教よ、でかしたでかした
ワシの説いた三十七道品を忘れずによく表現してくれたと喜んで観音サマにも
お不動サマにもサービスで護摩の炎の中に化けて出てくれるはずではないか?
桐山さんは密教を否定していない。
密教の様式で実践すると称して密教の護摩などをそのままお次第に則って焚いている。
三十七道品と三十七尊なんて単に数を合わせただけのことなんですよ。
一致するならば対応表を作ってみてください。
この尊はこの科目に相当すると1個でもかまわないから。

544深山:2009/05/31(日) 18:56:35 ID:5hYC.zYo0
>>538 :準シュダオン:2009/05/31(日) 17:37:15 ID:XESnzsYQ0
>註釈は「一書に三善根、三福業とあり。阿含宗では三福道をとる」です。
>なるほど、一書にAとBとあり、阿含宗ではCをとる、ですね。
>だが、A+B=C、という内容になっています。流石は管長です。

「三善根+三福業=三福道」?
どう混ぜれば、前の二つから、三福道が出てくるのだ?
そもそも桐山さんは三善根と三福業を足したなんて書いていない。
この二つの中から、選んだと書いているのです。
三善根と三福業の二つの中から、どうやって三福道を選べるのだ?
普通の人は、桐山さんのように選ぶことも、あなたのように足すこともできない。
桐山さんの国語力も問題があるが、あなたもこんなことが
成り立つと読めるとはやはり、老眼鏡を直すか、
脳の断層撮影を受けたほうがいい。

545深山:2009/05/31(日) 19:00:10 ID:5hYC.zYo0
>>538 :準シュダオン:2009/05/31(日) 17:37:15 ID:XESnzsYQ0
>管長は以前、法話において、三供養品を、「如来のみもとで功徳・三善根
>(無貪瞋痴)を種える」と解説したことがあります(正法と聖衆に
>おいても同じ)」。

あなたは少し前の書き込みには責任を持たないと書いた。
そのあなたの何年も前の桐山さんの法話の記憶なんて、
何の責任も持たずに書いているのでしょうね。
どうして、そんなにツラの皮が厚いのだろう。
自分の過去の発言には責任を持たないといいながら、
こうやって自分の記憶だけの話を聞いたかのように出してくる。
自分の事ですら四年前と違うことを書いているあなたの
記憶を誰が信用するか。
何年何月の法話か示してみなさい。

546深山:2009/05/31(日) 19:02:37 ID:5hYC.zYo0
>>538 :準シュダオン:2009/05/31(日) 17:37:15 ID:XESnzsYQ0
>三福業は三善根の裏がえしになってる、というユビキタスさんの指摘のように、
>ちゃんと、三福道でその裏返しが説明できますね。

三福業と三善根とは別な内容です。
これはすでに樹意さんが何度も指摘している。
それもあなたが前に引用した衆集経の中に証拠があります。

「さらに三つのことがらがある。
すなわち、三つの善の根本である。
一に貪らないこと、二に怒らないこと、三に愚かでないこと。」
「さらに三つのことがらがある。
すなわち、三つの福徳ある行業である。
布施という行業、平等という行業、思惟という行業。」
(『現代語訳阿含経典2』平河出版社、193〜194頁)

このように3でまとめられた教法の中で、三善根と三福業は別々の
ものとして説明されている。
両者は裏返しなどではなく、内容からしても別物です。
あなたの主張は嘘です。

547深山:2009/05/31(日) 19:08:40 ID:5hYC.zYo0
>>539 :準シュダオン:2009/05/31(日) 17:47:51 ID:XESnzsYQ0
>ユビキタスさんの言うように、準シュダオンはやばいけど、預流向はヤバク
>ないのです。

>>510 :準シュダオン:2009/05/30(土) 11:16:40 ID:XESnzsYQ0
>私のハンドル・準シュダオンが、何時、預流向だと名乗ったかね?
>名乗っていないよ。ウソ付くのは止めなさい。

>813 :準シュダオン:2009/04/23(木) 14:48:01 ID:l3CoGeBg
>私が準シュダオンを宣言したのは威張りたいからではない。
>せっかく阿含宗に入行した現職信徒さんが、落ちこぼれ共の元信者のくだらない
>レスを目にして真に受けたら気の毒と思ったからだよ。
>正しく修行すれば、わたしみたいに準シュダオンを得られるよ、とね。
>それを知らせておきたかったからさ。

510、539では、まるで「準シュダオン=預流向」ではないかのような
書き方で、それを私が一緒にしたと責めている。
だが、一ヶ月前、あなたが813で書いた文章を目を開けてよくみなさい。
あなたは「準シュダオンを宣言した」と書いている。
一方あなたは自分は預流向だと名乗っている。
「準シュダオン=預流向」という使い方をしているのはあなたです。
あなたはその場しのぎのことを書いていながら、
まるでこちらが嘘を書いているかのように非難する。
上記の書き込みを見てもわかるように、厚顔鉄面皮の嘘つきはあなたです。

548深山:2009/05/31(日) 19:12:50 ID:5hYC.zYo0
>>539 :準シュダオン:2009/05/31(日) 17:47:51 ID:XESnzsYQ0
>シュダオンになるのは一番難しいが、シュダオン向になるのは
>一番簡単なのです。修行者の第一歩ですからね。

あなたが宣言している預流向も準シュダオンも
そんな初歩の話をしているのではありません。
よくまあ、ぬけぬけと自己弁護するものだとあきれる。

>813 :準シュダオン:2009/04/23(木) 14:48:01 ID:l3CoGeBg
>正しく修行すれば、わたしみたいに準シュダオンを得られるよ、とね。
>それを知らせておきたかったからさ。

あなたの預流向は普通の信者の見本となると自惚れている。
つまり、誰でもなれる預流向などではありません。
いや、これだけではない。

>>327 :準シュダオン:2009/05/22(金) 16:35:24 ID:XESnzsYQ0
>なのですよ。だから、自称預流向というのは、一番の下座の精進ですよ。
>ですから私は預流向ではなく、準シュダオンを名乗ったのです。もう少しで
>シュダオンに到達できる、という感じを得たからね。

十日ほど前、あなたは預流と準シュダオンとは違い、
自分が準シュダオンを名乗っているのは、限りなくシュダオンに
近いからだと宣言している。
慢心垂れ流しです。
それを追求されると、今度は、預流向なんて誰でも名乗れるのだと
ゴマカシして、開き直った。
よくまあ、クルクルと猫の目みたいにその場しのぎに、
嘘デタラメを並べられますね。
あなたはこれまでの人生でもずっとこうだったのでしょう。
あなたが私の仕事関係者でないことを心から喜ぶと同時に、
あなたの仕事場の人たちを心から気の毒に思う。

549深山:2009/05/31(日) 19:15:10 ID:5hYC.zYo0
>>540 :準シュダオン:2009/05/31(日) 17:58:33 ID:XESnzsYQ0
>護摩の火炎に慈母観音がなぜ現形したのか?
>それは、密教が37道品を元に作られたことを、お釈迦さまが証明した
>からだ、と考えられますね。

先に否定しておくが、あの写真を慈母観音だなんて私は認めていない。
慈母観音が出てきて、それで何か変化がありましたか。
読んでいる信者さんたちにも考えほしいのが、
応供の如来でも龍神でも何でもいいが、問題はそれが現形して、
教団なり社会にどれほどの善い影響を与えたかです。
アゴン宗の教祖や信者が正しい仏教の道を歩み始めたというならともかく、
相変わらず霊障や悪因縁で人々を脅かし続けた。
慈母観音は水子の崇りで女性だけでなく、男性も脅かすための道具です。
水子をそのままにしておけば子供たちに悪影響を与えると、
水子を持つ人たちの親心の弱みに付け込み、金を出させる。
しかも、水子を解脱させても、業報は消えないとして、
さらに教団に人と金を貢ぐように脅かしていた。
桐山さんに霊能力があり、死者を成仏させる力があるのなら、
これらのことを言う資格くらいあるでしょう。
だが、霊視すらできない彼がどうやって成仏せるのだ?
水子の霊障は霊感商法の典型です。
それに加担する慈母観音など、あれが霊的な存在なら、
魔界のバケモノ以外にありえません。

550深山:2009/05/31(日) 19:19:47 ID:5hYC.zYo0
>>540 :準シュダオン:2009/05/31(日) 17:58:33 ID:XESnzsYQ0
>護摩の火炎に慈母観音がなぜ現形したのか?
>それは、密教が37道品を元に作られたことを、お釈迦さまが証明した
>からだ、と考えられますね。

信者さんたちによく自覚してほしい。
釈尊は死者の成仏など説いていない。
三十七道品であれ、三善根であれ、どこに死者の供養や成仏があるのですか。
釈迦仏教どころか、インド密教には死者成仏だの
水子の崇りなんてありません。
こんなのは近年の日本の新興の土着宗教が作り上げたものにすぎない。
桐山さんは堕胎経を引用している。
もう一度信者さんたちはあの経典をよく読んでごらんなさい。
堕胎がよくないと説いているだけで、水子の崇りも、その供養も
成仏もまったく説いていない。
驚きませんか。
釈尊はあの経典では、ばれないからといって悪いことをするな、と説いただけです。
釈尊が説いてもいないことを実践する教団の、
釈尊が禁止した護摩に何かを現形させて証明するなんてありえない。
信者さんたちは準シュダオンさんのような年寄りの妄想と
一緒されたくなかったら、しっかりと釈尊の説いた内容を
自分の普通の国語力で読み直してください。
釈尊はけっして死者の崇り(霊障)や死者成仏など説いていません。

551ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/05/31(日) 21:31:37 ID:SmEF4Oe2O
>>540
そもそも密教の金剛界曼荼羅の三十七尊がアビダルマ倶舎論などを参考に
三十七菩提分法を象徴したものだったら、桐山さんがこれを紹介した「人間改造の原理と方法」
の主張は「ホトケさまにまつりあげられた様式化、形式化」を批判している。
「ホトケさまの座から引きずり下ろして本来の修行法に戻せ」です。
この主張には私も賛成です。
つまり密教を経由したのは阿含経に遡るきっかけ、ヒントに過ぎない。
ならばここで潔く密教の供養法を捨てて、本来の阿含経の修行法そのものを実践
しなければならない。ところが桐山さんは相変わらず密教の供養法を後生大事に
抱えている。
さてさてそこでオシャカはそんなアゴン宗密教のために、修行法である三十七道品の
実践ではなく、様式化の結果であるホトケさまの形でそれに応えるとは、なんと
安っぽい主体性のない如来か?
しかも桐山さんはこの後真正仏舎利を手にすると、観音さまだの不動さまを
架空の仏、実在しない仏と罵るわけです。
慈母観音なんてのもそんな仏の一つのはずだ。
桐山さんは言う。この宇宙のどこに不動明王なんて恐ろしい形相をしたのが
背中に火焔を背負って存在するのか?
それと同じく、この宇宙のどこに慈母観音なんてのが赤ん坊を抱いて存在するのか?
水子供養に応じて現れたのが慈母観音だという。
水子の霊障などそもそも説かず、供養による死者の昇天を否定した釈尊がどうして
気をよくして自分が説いた教えを否定してまで水子供養などに応じるのか?
あまりにも情けなさ過ぎるゾ。

552準シュダオン:2009/06/01(月) 10:28:32 ID:XESnzsYQ0
準シュダオンも預流向もごっちゃにして勘違いしていたくせに、深山さんは
よくもぬけぬけと、自分の勘違いを認めずに、延々と物量作戦の、堕文オン
パレードですなw。だが、一般の信徒ならすぐに気付く。預流果と預流向の
天と地ほどの違いに気付くのだ。深山さんやユビキタスさんは、その違いの
大きさに気づいていない。
登山に例えよう。
シュダオンの地点まで登った人は、もう引き返すことはない。
登山道の確信を得て、登ればいいことを知ったのだ。

だが、シュダオンの地点を目指して登り始めた登山者は、その第一歩から
シュダオン向(預流向)なのであるが、何時引き返すか、わかったもの
ではない。お腹痛いと言って、すぐ止めるかもしれない。道がちがう
ようだ、家に帰ろう、といった按配にね。
だから、四向四果の八階梯では、預流向が一番位が低くて、何時修行を
断念するか、わからない存在なのです。
だから、預流向を宣言しても、まったく威張ってることにならないのです。

553樹意:2009/06/01(月) 12:02:02 ID:yvKQFbBM0
>「準シュダオン=預流向」という使い方をしているのはあなたです。

四双八輩は仏教の聖者の総称と増谷氏の阿含経典にはある。

 ー略ー〈世尊の弟子達の僧伽は、正直なる行者のつどいである。世尊の弟子達の僧伽
 は、賢明なる行者のつどいである。世尊の弟子達の僧伽は、正道をゆく行者
 のつどいである。すなわち、四双八輩がそれである。この世尊の弟子たちの
 僧伽は、供養せらるるに値し、尊敬せらるるに値し、施すに値し、合掌して
 拝するに値し、この世間の最上の福田である〉と。
 −略ー
 また、彼らは、聖者にふさわしい戒をその身に保っている。その戒は、
 壊れることなく、そこなわれることなく、純潔にして、汚点あることなく、彼に
 自由を保有せしめ、識者の賞賛するところとなり、邪道に導くことなくして、定
 に資するところのものである。
 彼は、これらの四つの預流支をその身にそなえているのである。

 長者よ、このように、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、よく五戒を犯す
 罪のおそれをしずめ、四つの預流支をその身にそなえ、かつ、智慧をもって聖
 なる理法をよく見、よく理解した時には、もし彼が欲するならば、彼は彼じしん
 を語って、つぎのように言明することができるであろう。
 すなわち、〈−略 もはや堕ちていく処はない。悪道もない、破滅の道もない。
 なんとなれば、わたしはすでに聖者の流れに入り、悪道に堕つることなき者であって
 、かならず正覚の終極にいたるものだからである〉と。」

 相応部経典 12、41 五罪畏 増谷文雄氏訳阿含経典 

注解
五罪畏〈−略〉とは、直訳すれば、五戒を犯す罪のおそれである。釈尊はかの
アナータピンディカ〈給孤独〉長者に対して、よく五戒を守り、また四流支を
具して、智慧をもって正法をみるとき、その人は、「決定して菩提の終極に達する
であろう」と説いているのである。

五戒〈−略ー〉在家戒であって、殺生、偸盗、邪淫、妄語、飲酒を避けるための
戒である。

四つの預流支〈−略ー〉仏教の流れに入るための四つの項目をいう。

四双八輩  仏教における聖者の総称

福田〈−略ー〉 供養すべき対象、  

※〈−略ー〉の部分は英文省略
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

在家長者に語ったものであり 戒も在家戒

554樹意:2009/06/01(月) 12:32:53 ID:yvKQFbBM0
増谷氏の預流相応という経典注釈には
四双八輩 四向四果 、すなわち、先になり後になり仏道を行ずる八種類の
人々を言うとあります。 内容は引用したものと似たような内容です、
なお この「流」というのは「八正道」という意味もあるようです。

http://www.j-theravada.net/pali/key-sangha.html

 次に yadidam cattari purisayugani attha purisa puggala
(ヤディダムチャッターリプリサユガーニアッタプリサプッガラー )
という句文があります。これは「 四双八輩 」と訳されている語で、
預流道、預流果、一来道、一来果、不還道、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果、
という八つの悟りの段階のどれかにすでに入っている人々のことです。
〜道と〜果というのは原因と結果を表します。たとえば預流道は、
預流果になるための道 (原因)です。四つの悟りの段階を原因と結果
に分けているわけですが、この原因と結果には時間的な差というのはありません。
風船に針を刺すと割れるように、原因ができればそこに結果も出るということです。

これは道と果を分けて説いているものですが 時間的には刹那の問題で 道で
煩悩を遮断し、果でその後対応した煩悩がでなくなることを表現しているようです。
預流であるなら三つの煩悩であるし、阿羅漢なら全ての煩悩。
ですから 道は各覚りにつき一回のみということです。
片山氏の沙門果経等よく引き合いに出しますが 注釈に 道とも果ともいわれ、
とか出てきますが 
スマ長老が  水野広元監修、ウ・ウエープッラ
/戸田忠訳、『アビダンマッタサンガハ南方仏教哲学教概説』 を
解説した 第四部 摂路分別 227p によると

煩悩が消える心は道心で、煩悩が消えた心は果心です。

とある、 要約して書くと瞑想して禅定が生まれる心の順序と ビバサナを
修して道果を得る課程はほぼ同じ課程を踏むようです。
禅定や悟りが生まれるときは準備の心が四種類あるということです、
偏作 近行というのがそれで、種姓心で煩悩を抑え、次に道果を得る。
だから禅定〈色界〉の場合は五蓋煩悩は機能せず抑えられた状態にある。

仏教においては心に溶け込んだ煩悩の状態を観察し滅するのが仕事ですから
刹那の違いではありますが 道、果 をわけて説くようです、
ですがそう対した違いはないようです。

555深山:2009/06/01(月) 12:36:54 ID:2nrEBDq20
>>552 :準シュダオン:2009/06/01(月) 10:28:32 ID:XESnzsYQ0
>準シュダオンも預流向もごっちゃにして勘違いしていたくせに、深山さんは

>>547にあれだけはっきりとした証拠を示されても、まだこんなことを書いている。
往生際の悪い預流向殿だ。
私が勘違いしたのではなく、あなたが自分が書いたことを忘れたのです。
一ヶ月前の議論が始まった当初、すでにあなたは
「準シュダオン=預流向」と名乗っている(>>547に引用した813)。
ごっちゃにするも何も、準シュダオンなんて、あなたの造語にすぎない。
あなた様の脳味噌の中で作られたにすぎない内容を
なんで私がご推察してあげなければならないのだ?
重要なことは、あなたは「準シュダオン=預流向」と名乗っていながら、
これをすっかり忘れ、「準シュダオン=預流向」でないかのようなふりをして
私にイチャモンをつけたということです。
しかも、それを指摘されても、自分の非を認めるどころか、
こうやってまた私が悪いとぬけぬけと書く。
頭が悪いのか、性格が悪いのか、どちらなのだろう。
今回のこの件は、あなたは自分の主張になんら一貫性などなく、
その場しのぎに相手をやっつけるためなら、平気で嘘をつき、
嘘がばれても、是を非と言い換えるような人だということを
自ら証明しただけです。
あなたや桐山さんみたいな人は預流を目指す前に、普通の良識ある人間を目指すべきだ。

556深山:2009/06/01(月) 12:42:40 ID:2nrEBDq20
>>552 :準シュダオン:2009/06/01(月) 10:28:32 ID:XESnzsYQ0
>よくもぬけぬけと、自分の勘違いを認めずに、延々と物量作戦の、堕文オン

おやおや、シュダオン界からデンパをもらって頭が良くなっているはずの
準シュダオンさんが3個書いて、私がたった7個の書き込みをすると物量作戦??
頭が良いのなら、「堕文」とやらから主旨を鋭く読みとって、
読者がなるほどと思うような反論をすればいいのではないか。
でも、あなたは「考えなさい」などとお説教じみた態度で、
相手に自分の主張を押し付けることばかりで、
私が何を反論しているかすら理解していない。
だから、>>555で指摘したように、あなたの間違いの証拠を示されてさえも、
逆に私が間違っていると開き直りをする有様です。
現実世界ではここまであなた自身の発言に責任を問われた経験がありませんね。
言葉は消えてしまうから、あなたみたいにその場しのぎに発言する人にとっては、
都合がよく、あなたはそうやって強弁を押し通してきた。
だがネットは文字が残るから、あなたがこれまでの人生でしてきた
インチキ手法は通用しないのです。

557樹意:2009/06/01(月) 12:45:48 ID:yvKQFbBM0
仏教の聖者を得たと宣言した方が 「流」 である「八正道」
を否定されるような言動はいかがなものかと思う。

七科三十七道品の議論はかなり以前に終わっており、釈尊滅後
部派仏教の方々が数字で羅列しただけのものと論証すべて提示して
ある。

滅道は釈尊が説かれたように「八正道」に集約されるのです、
先に釈尊の時代の比丘たちの風景を十増経注解から引用しましたが
行者のパターンが大きくわけて五種類くらいあり、それらの方々にあった
業処〈瞑想対象〉をさずけた風景があります。
各比丘の素養によって 教えを説いたわけですが、全ては「八正道」に
包含されるのです。

増一阿含経も数によって分類し 暗誦口伝の形で後世に伝えやすくする
そのために数字でわけて記憶に残るようにした そういう作業であった
ものと推測されます。
系統だって分類したものではなく 記憶の為にしたものです。

558深山:2009/06/01(月) 12:47:11 ID:2nrEBDq20
>>552 :準シュダオン:2009/06/01(月) 10:28:32 ID:XESnzsYQ0
>パレードですなw。だが、一般の信徒ならすぐに気付く。預流果と預流向の
>天と地ほどの違いに気付くのだ。深山さんやユビキタスさんは、その違いの

また「居間でオシッコ」が始まりましたね。
預流向と預流果の違いなどここでの議論のテーマではありません。
預流向と預流果の違いなんて私はまったく議論すらしていない。
私が批判しているのはあなたが預流向や、限りなく預流に
近いとここで宣言している点です。
あなたは何を批判されているか、問題が何かすら理解していない。

批判1.アゴン宗では預流向を勝手に名乗ることは許されていない。
批判2.アゴン宗の預流の条件をあなたはまったく満たしていないから、
限りなく預流に近い預流向だなんてありえない。
批判3.外道のアゴン宗の信者が仏教の預流向であるはずがない。

堕文というなら、あなたの預流向の主張自体が駄文であり、
ここでは議論の対象ですらない。
それをやめたらどうかといくら言われても、延々と書き続けている。
あなたは、書きたくなかった、などと書いたから、
だったら、書くなと言われても、書くのをやめない。
スレの主旨と関係のないことを書くなといくら言われても、
絶対にあなたは預流向宣言をやめない。
こういう態度をみれば、あなたがアゴン宗を擁護したいのではなく、
アゴン宗にコバンザメして、預流向であると、批判側ばかりか、
信者に対してさえも威張って、自分を大きくみせるのが目的なのがよくわかる。
要するに、あなたは自惚れというゲロをここに吐き続けているのだ。

559深山:2009/06/01(月) 12:53:26 ID:2nrEBDq20
>>552 :準シュダオン:2009/06/01(月) 10:28:32 ID:XESnzsYQ0
>シュダオンの地点まで登った人は、もう引き返すことはない。

仏教のシュダオンについてすらあなたは何も知らない。
前に阿含経の実例を示して説明してあげたことなんかきれいに忘れている。
アラハンですら転落するのです。
だから、生きている間はいくらでもシュダオンから転落する。
つるつるすべる滑り台を登っているようなもので、
常に努力しないと、あっという間に転落する。
ところが、あなたも桐山さんもこういうのを何か資格のように考えて、
いったんそこに達したらもう安心なのだと思っている。
阿含経をろくに読んでいないからです。
アラハンになった者ですら、常に常にその状態を保とうと必死に煩悩と戦う。
釈尊が亡くなる直前まで、悪魔がいつも釈尊にささやきかけていた。
仏教の悪魔とは煩悩のことです。
彼らは常に煩悩に囚われないその状態を維持することを
死ぬまで努力し続けていたのです。
その努力をしない者は沙門四果ではない。
桐山さんやあなたみたいに煩悩をうれしそうに垂れ流す連中が、
アラハンや預流向なはずがない。
そういうのを妄想阿羅漢、妄想預流向というのです。

560深山:2009/06/01(月) 12:57:13 ID:2nrEBDq20
>>552 :準シュダオン:2009/06/01(月) 10:28:32 ID:XESnzsYQ0
>だが、シュダオンの地点を目指して登り始めた登山者は、その第一歩から
>シュダオン向(預流向)なのであるが、何時引き返すか、わかったもの

そんな議論をしているのではなく、
アゴン宗では預流向を名乗ることは許されていないし(>>558批判1)、
外道にすぎないアゴン宗の信者が預流への道など
歩いているはずがない(>>558批判3)、と批判しているのです。
だから、あなたはアゴン宗の預流向を名乗ってはいけないし、
ましてや仏教の預流向では絶対にありえない。
繰り返し言うが、あなたが黒い腹の中で預流向だと信じていることを
批判しているではない。
ここに書くなと言っているのです。
スレの主旨と全然関係のないことを書くなと言っているのです。
どうしてあなたは、ルールのわからない小さい子供や、
ルールを無視するヤクザのようなことをいつまでもするのだ?

561深山:2009/06/01(月) 13:00:15 ID:2nrEBDq20
>813 :準シュダオン:2009/04/23(木) 14:48:01 ID:l3CoGeBg
>正しく修行すれば、わたしみたいに準シュダオンを得られるよ、とね。
>それを知らせておきたかったからさ。

あなたが一ヶ月前に書いた文章です。
信者に対して、自分こそが模範だと宣言している。
アゴン宗シュダオンの条件である供養も梵行もろくにしないあなたの
ような駄目信者が、信者の模範だというのが、威張るのでないなら、何なのだ?
信者さんたちもあなたのその空威張りぶりに苦笑いしている。
話は簡単だ。
あなたは、アゴン宗の信者が預流向を名乗るのを
桐山さんは認めており、それを知らない私は時代遅れただと書いた。
私の知る限り、そんな話は聞いたこともないし、信者に知らないと言っていた。
しばしばあなたは道場に足を運んでいるというのだから、直接聞いてみなさい。
「ゲイカが許可したから、私は預流向を名乗ってもいいですよね?」
と職員に確認しなさい。
それとも、桐山ゲイカも認めたというあなたの主張もまた
口から出まかせの嘘か。
五戒を守るはずの預流向なのに、ずいぶん嘘が多い。
もっとも、アゴン宗では大嘘つきの桐山さんがアゴン宗アラハンなのだから、
嘘つきのあなたはアゴン宗シュダオンです。

562ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/01(月) 21:21:32 ID:SmEF4Oe2O
>>552
あのね。あなたどうして未だに準シュダオンって名乗って書き込みしてるのさ?
あなたは私の日本語用法の解説で準シュダオンはシュダオンに準じるほとんどシュダオン
であり、決して初学の駆け出しはささないからヤバイと認めたんでしょ?
認めながらどうして未だにそのハンドル使ってるの?
あなたが過去から現在に至るまで名乗っているのは預流向ではなく準シュダオンです。
その準シュダオンが問題だと指摘してあなたも認めた。
ならばあなたの選択する道は普通だったら「そうか、なるほど準はヤバイね。
だったら預流向と名乗ろうか。預流向なら山の中腹でもかまわないのだからと。
預流向と預流果の違い、差については樹意さんが四向思果、 四双八輩について
資料を示してくれており、そう極端な初心者を入れてよいものか疑問に思うが
私としては詳しいことはわかりません。
甲子園の決勝で清峰に惜敗した準優勝の花巻東と、地区予選の初戦で5回0−25の
コールドで惨敗し、しかも最後はランナー一塁で相手のパスボールで楽々二塁盗塁を
したものの、二塁ベースをセンター方向にオーバーランしてゆっくり戻ってきたところを
タッチアウトでゲームセット、しかもバッターまで振り逃げと勘違いして、一塁めがけて
走っていたという要するに野球のルールを知らない浦安南高校を「向甲子園」と
同じくくりにしてよいか甚だ疑問であるが。
(高校野球の頂点をシュダオン、大学野球や社会人野球の頂点をシダゴン
プロ野球の頂点をアナゴン、メジャーリーグ・ベースボールの頂点をアルハット
としてみた)
しかしあなたが預流向は登山口から始まるのだという信念をお持ちであり、
最初から預流向と名乗るか、あるいは私から指摘されて預流向と名乗っているのならば
まだわかる。
しかし準シュダオンと預流向は違うのだぞ、準シュダオンは問題だが預流向は問題ない!
とクダをまきつつ、その問題の方の準シュダオンを名乗り続けるとは、要するに
自分は登山口どころではないシュダオン山頂上に近いと自慢したいわけね。
能のない奴ほど空虚に自分を過大に見せるのは甚だしくみっともない。
卑下する必要もないが謙虚さを示すことが賢人らしい。
だから私は「求シュダオン」を提案してあげた。
これなら登山口付近の登り始めた人も頂上間近の人も含めて、尚且つ謙虚にして
カッコイイ。あなたはそれでも空威張りをしたい田舎者ですよね。

563樹意:2009/06/02(火) 14:09:58 ID:yvKQFbBM0
私個人的には準シュダオン氏がどんなHNを使用されようがそれは自由であると
考えますが、仏教の聖者としてのある程度の境地を得たと宣言されているよう
ですので、それに対しては比較検討すべき資料を提供して ROM者のみなさん
の判断の一助になれば思うしだいです、
なお 仏教の聖者といのは煩悩がどんだけ切れたのか ? その程度を示すものです。

増谷博士が経典批判して仏陀の第一結集に迫ったという阿含経典には先に引用した
ものを入れて、全部で七経を「預流相応」として紹介されているようです、

漢訳では「四不壊浄」として紹介されているものが2経、
相応部経典、55、2 預流、雑阿含経 41、7−8、四法
説者「釈尊」−聞者「比丘」
説法内容ー「四不壊浄」

相応部経典 55、 4、舎利弗〈1〉 雑阿含経  30、16、舎利弗
説者「サーリプッタ」−聞者「アーナンダ」
説法内容ー「四不壊浄」 〈預流の四つの条件〉

相応部経典 55、5 舎利弗〈2〉 30、15、舎利弗
説者「釈尊」−聞者「サーリプッタ」
説法内容ー「預流支」ー「善き人に親しみ近づくこと、正法を聴聞すること、
           「道理のまま思惟すること、法のごとくに行ずること、」
説法内容ー「預流の流れの意味」−
     「ー聖なる八支の道は流れであります。−−−」
説法内容ー「預流者の意味」ー「ー八支の道を成就せるもの、−」

相応部経典 55、6、 大工 雑阿含経 30、32、 田業
説者ー「釈尊」−聞者「大工のイシダッタとプラーナ」
説法内容ー「四不壊浄」+ 「施し」

相応部経典 55 16 朋友 雑阿含経 30、8、四不壊浄
説者ー「釈尊」−聞者「比丘たち」
説法内容ー「四不壊浄」+ 「親友、友人、親戚、同族のものを誘導し、四つの
             「預流に住せしめるがよいのである。」

相応部経典 55、21、 摩訶男〈1〉 雑阿含経 33、12、 自軽
説者ー「釈尊」−聞者「摩訶男」
説法内容ー「 不慮の死を迎えた場合私の死後はどうなりますか ? 
     「ながきにわたって、その心を信を持って充たし、戒をもって充たし、
      聞をもって充たし、捨施をもって充たし、智慧をもって充満したならば
      その心は最高処にいたるであろう。」 

相応部経典 55、37、 摩訶男〈2〉 雑阿含経 33、19、 優婆塞
説者ー「釈尊」−聞者「摩訶男」
説法内容ー「優婆塞 在家信者のありようを問う、釈尊の答え
      三帰依、戒具足、信具足、施具足、慧具足 」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

564樹意:2009/06/02(火) 14:15:05 ID:yvKQFbBM0
摩訶男〈1〉はゲイカが阿含経講義に使っていたものですね。憶えがあります、w
増谷博士が第一結集に迫り選別してくれた「預流相応」をアビダルマ的に整理して
みますと、「四不壊浄」を説く経典が七経のうち実に四経
「四不壊浄」を注解より引用すると
一、仏に対して絶対の浄信を成就する。
二、法に対して絶対の浄信を成就する。
三、僧伽に対して絶対の浄信を成就する。
四、戒に対して絶対の浄信を成就する。
絶対の浄信〈ー略ー〉漢訳では、「不壊浄」と訳した。
三法と戒に対する絶対の浄信、摩訶男さんがお釈迦様に問いただしたものも
三帰依、戒具足、施、及び慧 ですからこれも似たようなものですね。
ほんで、預流の「流れ」の意味は「八正道」であると説く経典がある。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
水野弘元氏の原始仏教には 在家の実践修道法とありますが増谷氏の翻訳経典では
比丘に説いているものもありますから在家出家共通したものなのでしょう。
着目すべきは 戒に対して絶対の浄信を成就するという点であり、ゲイカは
八正道にしろ 戒にしろ なるたけ説明せずによい経典を選らんでいるように
思われます。

なおくどいようですが 私の準シュダオン氏へのコメントは 彼のHN自体に
あるものではなく彼が書き込みされた仏教の聖者としての境地を得たものに
対するものです、それと合わせ 預流の流れとはお釈迦さまがサーリプッタに対して
八正道のことであると示したことです。 これらをもってゲイカや準シュダオン氏の
八正道否定発言の批判とするものです。
HNに関しては誰がどういうHNを名乗ろうが自由だと考えます。

565準シュダオン:2009/06/02(火) 16:45:06 ID:XESnzsYQ0
仏教辞典で37道品を調べてご覧なさい。どの辞典でもよろしい。
学者先生の解説は、八正道<37道品になっています。
八正道がすべてなら、八正道=37道品でなければ、おかしいでしょう。

また、八正道だけでは漠然とした教えであることは確かです。
「仏道以外に聖なる道はない」ということに等しいでしょう。
八正道がすべてというならば、その内容の吟味こそ大事です。
深山さん、おわかりか?
あなたは早合点して解釈している。
私のレスが役立って欲しいのは、迷える現職信徒さんにです。
的外れの批判派のレスに心迷い、早まって退会しない方がいいよ、とね。

おそらく、迷うのは貪心から無理な梵行をして疲れたのだと思います。
無理はしないことです。阿含宗に入ったからには、霊障を恐れすぎること
はない。できる範囲で供養したら良いのです。

566準シュダオン:2009/06/02(火) 17:32:34 ID:XESnzsYQ0
深山さん、つべこべ屁理屈をいうもんじゃない。
私は、準シュダオン=預流向、と言ったことはない。
準シュダオンとは、シュダオンに近い、ということだ。
預流向には、シュダオンにはるかに遠い者もいるし、修行を止める者もいる。
だから、準シュダオンと預流向とは、大きくちがうね。

世界平和の祈願護摩木のことだが、管長は法話で何度も次のように話された。
「世界平和と口で唱えたってすぐ実現できるものではない。世界平和のため
には、国の平和が必要です。国の平和のためには地域社会の平和、職場の平和
が必要です。そのためには、各家庭、個々人の平和が実現されねばならない
のです、家庭や個人の幸せが必要なのです。」とね。
当然、私のいう「世界平和」にはこれらのことを含んでいます。
深山さんは世界平和と聞けば、世界平和のことを単純にしか考えませんね。

果報についても同様です。
私は、解脱に向かうも果報、家系の霊的浄化も果報、老人に席を譲って嬉し
くなる気持ちも果報、商売繁盛も果報、と考えていますからね。
どうも、その辺りの考え方が違うようです。

567準シュダオン:2009/06/02(火) 17:46:28 ID:XESnzsYQ0
管長が法話で、「如来のみもとで三善根を種える」と解説したのは何年も
前の話です(正法において、聖衆においても、同じ)。
ですから、A三善根+B三福業=C三福道になりますね。

「如来のみもとで功徳・三善根の種(施業平等業思惟業)をうえる」のです。
これで具体的な修行法になりました。
昭和54年に、星祭りの護摩に如来が現形しました。
その翌年、インドで白銀のバイブレーションを受けました。
これは仏界からのテレパシーでしょう。
「三供養品を手直しして、この如来と一緒に世に出しなさい」、とのテレ
パシーを管長は受けたと思われます。

管長自身、思念による相承の伝法を開始したとき、「これは一種のテレパ
シーである」と話されています。

568準シュダオン:2009/06/02(火) 17:54:48 ID:XESnzsYQ0
現形の如来を、猫背の尻尾が見える、と感じる人とは、象の議論をしても
無駄ですね。眼力と感性の問題ですから、それについて議論しても無駄です。

霊的バイブレーションを脳梗塞というのも議論は無駄です。
私も、若い時は、霊的体験話をする友人に、脳の病気だ、と一笑して相手に
しませんでした。それと同じことです。
脳の病気だというのと、脳梗塞というも、同じでしょうW。

569ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/02(火) 20:14:10 ID:SmEF4Oe2O
>>568
今日は一番近いところから行きましょう。
なるほど、あなたは若い頃は唯物論者であったことはこれまでに何度も書いている。
そんな唯物論者のあなたが霊感体験を説く他人に対して脳の病気に過ぎないよと
言ったことは想像に難くない。
まことに理にあった説明です。
そしてやがてアゴン宗にふれて、そんな若い頃の唯物論も打ち破られて、
霊的バイブレーション、霊感体験はあながち脳の病気なんかで説明しきれない事実を
体験したいったことも想像に難くなく、あなたの唯物論者からの脱皮という観点から、
あなたの主張は一応人を説得するに論理だけはよく理解できます。
しかし・・・しかし、しかし・・・しかし!
これ書いちゃっていいんですか?

(つづく)

570ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/02(火) 20:53:34 ID:SmEF4Oe2O
>>568
(569の続きですよ)
しかしあなたは若い頃、それも割と子どもの頃から霊感が発達していたって
書きませんでした?
いやいや、如来の子孫とかそんな前ハンドルの昔まで遡る必要もなく、準シュダオン
と名乗るようになってからも書いてますねえ。
過去ログ探せば発見できますよ。
今は失われたのかどうしたか無いけれども、若い頃、子どもの頃から霊感があって
霊的体験をしていたと。
となると、やはり子どもでもない若い頃他人が霊的体験を説くのを聞いたら
他の人が笑ってもあなただけは「それってわかる!実は私もそういう体験をした
ことがあるのですよ!」と共鳴理解して、間違っても脳の病気に過ぎないよなんて
言ったりすることもなければ、心に思ったりするはずもない。
もしそう思ったと言うならば、あなたは自分自身が変な霊感体験をするのは
脳の病気かもしれないと言ったことになる。
なんか気のせいだかあなたはその場その場で相矛盾するデマカセ、嘘を書いている
としか思えない。
いえいえ、断定なんかしませんよ。
それは読者の各自が判断することではないですか。
私はあなたが限りなく嘘つきのように見える資料を提示するのみです。
仏教では在家が最低限守らなければならない戒律である五戒に不妄語戒がある。
嘘をついてはならないという戒律です。
そりゃ人間は嘘もつかねばならないこともあります。ついてはならないのだが
人情として苦笑せざるを得ない状況ですね。
ミスをしたから上司に叱られる。できることなら隠しておこう。嘘でごまかそう。
まこと愚かな話だが、愚かなればこそ人間というのものだ。人情話とは言え。
だからそれを克服しようと「我、預流向たらん!」と登山口で気張って誓うも
現実にはまだ弱い自分が克服できないでいるジレンマも初心者にはよくあることです。
しかしそんなよるこーさんではなく限りなくシュダオンに近づいた準シュダオンと
名乗ることをやめないお方がそんな嘘を言うはずはあるまい。
ましてや上司に叱られるとかそんな状況は微塵もない必要のない嘘を自ら進んで
書く正当性などどこにもない。
皆さん、どう思われますか?

571名無しさん:2009/06/02(火) 21:11:08 ID:WKOGljns0
うむ。ユビキタス尊者の言うとおりじゃ。

ちなみに嘘について、最古の仏典「スッタニパータ」では
「嘘を言う人は地獄に堕ちる(3−10−661)」とありますね。
同様に「ダンマパダ」にも同様の説明があります。

シュダオンに近い人なら、三悪趣からかなり離れているので、地獄へ
行くことはないだろうし、地獄行きの行為もしないでしょう。

ということは、準シュダオンさんも、嘘を付くことはしないはず。

え?でも?うむむ?なんかへんだぞ?

572ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/02(火) 21:18:20 ID:SmEF4Oe2O
>>568
あなたの言い訳なんていくらでも想像できます。
職場などの同じPCで別の人間が同ハンドルで書き込めばわからないとか。
ならば若い頃、子どもの頃から霊感があったなどと書いたのは職場の同僚あたりの
イタズラか?あるいは逆に自分は唯物論者だったと書いた方が同僚のイタズラか?
いずれにしてもこれからはどちらかしか使えませんねえ。

信者の見本たらん!と擁護をするあなただが、なかなかどうしてあなたは昔から
信者仲間からでさえも嫌われ人気がない。
今でも一時アク禁にでもなったのか、2ちゃんでも書き込みが途絶えた天身さんの
意味不明な書き込みを啓示的なものを期待して渇望する擁護側信者がまだいる。
そんな意味不明の荒らしより私はまだあなたの方を持ち上げてやりたい気持ちなんです。
しかしあなたは人気がない。
ミルラさんからも純真な人などと上から目線で同情されている。
同情するなら金をくれ!と言ってやりなさい(←古)と言いたい。
しかしこんなザマを見てると、なるほどあなたが人気がないのもよくわかる。
信者にとっても目障りでしょうに。
私もあなたと同じくかつては批判側に反論を試みたい擁護側信者でした。
私の魂の根幹の一番大切にしていたものを否定されたわけですからね。
私も必死の反論を試みました。
ただし絶対的に心掛けていたことがある。
相手を欺くような嘘をつかない!です。
そうでしょう?自分が一番大切なものを守るのに、相手を欺き嘘をついたら
それは自分を欺いたことになる。自分に対する裏切りです。
だから多少議論でかなわなくてもいいから嘘だけはつかない。
これが私の信条でした。ってか、まともな信者に共通する信念ではありませんか?
まあ、あなたも参考にしてください。

573深山:2009/06/02(火) 22:19:28 ID:gcL4rI1Y0
>>565 :準シュダオン:2009/06/02(火) 16:45:06 ID:XESnzsYQ0
>仏教辞典で37道品を調べてご覧なさい。どの辞典でもよろしい。

三十七道品の中に八正道が入っていることくらい、
あなたに言われなくてもわかっているし、
それを前提として話をしているのがわかりませんか。
三十七道品は後世の人たちがまとめたものなのです。
どうして、こんな簡単なことがわからないのだろう?
釈尊がこのように分類大系化したのではありません。
学者の説明を読んでみなさい。
だから、阿含経にも三十七道品という名前が出てくるのは数が少ない。
重要な修行法なのに、どうしてこの名称で頻繁に出てこないのですか。
一方、八正道は樹意さんが引用してくれたように、
経典の至るところに最重要な修行法として出てくる。(>>287,>>389)
私はあなたと違い阿含経を引用して説明している。
釈尊が、八支の道以外にはない(>>530)と説いているのを
あなたはどう説明するのだ?
三十七道品以外にないと釈尊が言ったのなら、あなたの主張もよかろう。
だが、釈尊は八支の道以外にはないと説いているのです。
では、八正道以外の、残りの6科は必要ないのか?
説明してごらんなさい。

574深山:2009/06/02(火) 22:28:47 ID:gcL4rI1Y0
>>565 :準シュダオン:2009/06/02(火) 16:45:06 ID:XESnzsYQ0
>八正道がすべてというならば、その内容の吟味こそ大事です。
>深山さん、おわかりか?

吟味などしたこともないくせに、ぬけぬけとよく書きますよね。
あなたのそのツラの皮の厚さには心底感心する。
内容の吟味をすれば、三十七道品がきれいに分類された
修行法でないことは明らかです。
分類されたものであるという前提でみたら、説明がつかない。
三十七道品が八正道の中にすっぽり入ってしまうことも、
内容を吟味すればすぐにわかる。
あなたは吟味などしたこともなく、桐山さんの解説以外は読んだこともない。
あなたが吟味などしたことがなく、文字面しか見ていないのは
「八正道<37道品」を繰り返し書いていることからもよくわかる。
内容など吟味したこともなく、三十七道品の項目に八正道が入っているからという
単純すぎる理由から書いているのでしょう?
内容を理解したら、こんな簡単な式で書けないことにすぐに気が付く。
「八正道<37道品」を言うのは、あなたが項目を見ただけで、
内容などまるで知りませんと書いているのと同じなのです。

575深山:2009/06/02(火) 22:30:57 ID:gcL4rI1Y0
>>565 :準シュダオン:2009/06/02(火) 16:45:06 ID:XESnzsYQ0
>八正道がすべてなら、八正道=37道品でなければ、おかしいでしょう。

おかしいどころか、このままです。
そんなこともあなたわからないのは、内容を吟味していないからです。
煩悩を断ち切るという修行内容を様々な観点や、切り口で
示したのが三十七道品であって、別々のものではありません。
だから、四念処一つでも一乗といって、これだけでも解脱できる。
だが、四念処は八正道に示された修行法に入っています。
八正道以外の6科目は、すべて八正道に入っている。
7科はばらばらのものでも、分類されたものでも、
整理整頓されたものでもないから、重複し、同じ事の繰り返しがある。
八正道はしいていえば、三十七道品の目次なのです。
本当は逆なのですよ。
八正道こそが釈尊が説いたすべてなのだが、
後世の人が三十七道品と名前をつけて、八正道を入れてしまったから、
その分類に従うなら、八正道は目次、総目録となるだけです。

576深山:2009/06/02(火) 22:35:32 ID:gcL4rI1Y0
>>565 :準シュダオン:2009/06/02(火) 16:45:06 ID:XESnzsYQ0
>八正道がすべてなら、八正道=37道品でなければ、おかしいでしょう。

いつものあなたの癖で議論がだんだんずれてきましたね。
三十七道品と八正道の関係を議論しているではありません。
ここはあなたの関心事を議論するスレではない。
八正道を初心のオシエにすぎないという桐山説を批判しているのです。
桐山さんが四諦の道とは八正道ではないとして、

桐山説1.八正道は初心者向けである。
桐山説2.八正道はオシエにすぎず、法ではない。

と主張した。
だが、彼は阿含経の根拠を示していない。
桐山説を擁護したければ、これを阿含経を根拠として証拠を示しなさい。
批判側は桐山説は間違いだとして、樹意さんが>>287,>>389などの経典をすでに示している。
次はあなたが示す番です。
桐山さんの真似をして、釈尊の修行法を初心のオシエにすぎないと罵ってみなさい。

577深山:2009/06/02(火) 22:37:42 ID:gcL4rI1Y0
>>565 :準シュダオン:2009/06/02(火) 16:45:06 ID:XESnzsYQ0
>おそらく、迷うのは貪心から無理な梵行をして疲れたのだと思います。
>無理はしないことです。阿含宗に入ったからには、霊障を恐れすぎること
>はない。できる範囲で供養したら良いのです。

あなたが一ヶ月ほど前に書いた482の文章をよく見なさい。
あなたは過去に自分が書いたことも忘れているのでしょう?
だから、反論などなおさらきれいに忘れて、また同じ事を書く。
桐山さんはこんなことは言っていない。

『修行者座右宝鑑』293頁
「御奉仕は、労力、物資、ともに「惜しむ心」を一切捨てよ。計算ずくの信心をす
るな。ソンバン勘定を捨てたとき、ソロバンを越えた功徳が得られる。
捧げるところに、功徳が生じる。捧げずして功徳はない。」

ごらんのように、桐山さんは、精一杯の供養をせよ、と言っている。
これがアゴン宗の教義であり、「できる範囲」「身の丈」を
桐山ゲイカは「惜しむ心」「ソロバン勘定」として批判しておられる。
あなたのは自分が供養やボン行をしないことの自己弁護です。
ここは桐山さんの教説こそが議論の対象であって、
あなたの自己弁護など醜いだけだから、出さないでほしい。

578深山:2009/06/02(火) 22:49:26 ID:gcL4rI1Y0
>813 :準シュダオン:2009/04/23(木) 14:48:01 ID:l3CoGeBg
>私が準シュダオンを宣言したのは威張りたいからではない。
>せっかく阿含宗に入行した現職信徒さんが、落ちこぼれ共の元信者のくだらない
>レスを目にして真に受けたら気の毒と思ったからだよ。
>正しく修行すれば、わたしみたいに準シュダオンを得られるよ、とね。
>それを知らせておきたかったからさ。

>>566 :準シュダオン:2009/06/02(火) 17:32:34 ID:XESnzsYQ0
>深山さん、つべこべ屁理屈をいうもんじゃない。
>私は、準シュダオン=預流向、と言ったことはない。

つべこべ言っているのはあなたです。
「準シュダオン=預流向」などと私は言っていない。
あなたが、私が言っているかのように最初にイチャモンをつけたのです。
「準シュダオン=預流向」でないというなら、813はどういう意味だ?
あなたは預流向を宣言し、同時に準シュダオンを宣言していることになる。
準シュダオンはハンドルとして用いているだけでなく、
はっきりと「準シュダオンを宣言した」と書いている。
準シュダオンなんてあなたの造語にすぎない。
それまで預流向を宣言していたあなたが、準シュダオンだと
宣言したら、誰が読んでも「準シュダオン=預流向」にしか聞こえない。
準シュダオンが預流向でないというなら、813の準シュダオン宣言は
預流向宣言とどう違っているのか、またあなたは過去のどこで
「準シュダオンを宣言した」のか、つべこべと屁理屈を並べてみさない。
あなたがどういう屁理屈をつけてくるかを予想して、読者の笑いを
誘えるように反論の準備をしているから、どうぞ、書いてください。
それから、私は準シュダオンというハンドルがけしからんとは書いていない。
このスレ違いの議論を終わりにするたるめにも、ハンドルを変えたらどうかと勧めただけです。

579深山:2009/06/02(火) 22:53:44 ID:gcL4rI1Y0
>>566 :準シュダオン:2009/06/02(火) 17:32:34 ID:XESnzsYQ0
>当然、私のいう「世界平和」にはこれらのことを含んでいます。
>深山さんは世界平和と聞けば、世界平和のことを単純にしか考えませんね。

自分のしたことをわざわざ桐山説を持ち出して否定するとはおもしろい人だ。
では、どうしてあなたは個人平和、家庭平和、職場平和と祈願しなかったのだ。
桐山さんの説に従うなら、これらが平和にならないと世界平和にはならないという。
今の世の中は個人、家庭、職場のいずれも平和でないのがほとんどです。
それらが平和にならないと世界平和が来ないというなら、
先にそれらを祈願しなければならないことになる。
なぜあなたは桐山さんのこの指示に従わず、意味のない世界平和を祈願したのだ?
説明してください。

580深山:2009/06/02(火) 22:55:41 ID:gcL4rI1Y0
>>566 :準シュダオン:2009/06/02(火) 17:32:34 ID:XESnzsYQ0
>当然、私のいう「世界平和」にはこれらのことを含んでいます。
>深山さんは世界平和と聞けば、世界平和のことを単純にしか考えませんね。

桐山さんの個人、家庭、職場の平和とは、桐山さんから
霊障解脱してもらい、霊障のホトケがいなくなり、悪因縁がキレタたら
それから平和が来るという話です。
護摩木で祈願しろという話ではありません。
それであなたは家庭、職場の人たちを何人導いたのだ?
前にユビキタスさんから、家族は全員信者なのかと質問されて、
あなたは何も答えなかった。
ゲイカの理屈では、世界平和は個人や家庭から始まるのだから、
世界平和を願ったくらいだから、あなたは当然、その前段階となる家族を
全員導いているのだろう。
職場でももう何人も導いているのだろう。
その成果をぜひ信者さんのためにも聞かせてください。

581深山:2009/06/02(火) 23:02:13 ID:gcL4rI1Y0
>>566 :準シュダオン:2009/06/02(火) 17:32:34 ID:XESnzsYQ0
>私は、解脱に向かうも果報、家系の霊的浄化も果報、老人に席を譲って嬉し
>くなる気持ちも果報、商売繁盛も果報、と考えていますからね。

準シュダオンさんらくし、自分が矛盾にはまりこんだのを忘れたのですね。
あなたは自分のミスと見事に忘れるから延々と自説を展開できる。
あなたは、供養しても果報が得られなくてもかまわない、と書いた。
自分では無欲を表明したつもりです。
私がそれを餓鬼信仰だとあざ笑うと、あなたのいう果報とは、
解脱供養による家系の浄化のことだと言い逃れを書いた。
あなたは、解脱供養しても家系が浄化しないことがあると書いたのと同じになった。
桐山ゲイカは成仏リキで家系を浄化できると説いているのに、
あなたはそれがなくてもいいですと書いた。
桐山さんの成仏力を信じていないと表明したのだ。
屁理屈と言い訳のはてに桐山さんの力を否定してしまった。
爆笑です。
しかも、あなたは桐山さんの顔に泥を塗ったことなど
きれいに忘れて、上記のようなことを書き続ける。
すぐに忘れることは恥知らずにとって必修科目ですね。

582深山:2009/06/02(火) 23:07:08 ID:gcL4rI1Y0
>>567 :準シュダオン:2009/06/02(火) 17:46:28 ID:XESnzsYQ0
>ですから、A三善根+B三福業=C三福道になりますね。

あなたの脳味噌で上記の式が成り立つなら、もはや何も言うことはない。
三善根と三福業を足すとどうやったら三福道になるのだ?
三善業とか、三福根というならまだ合成としてはわかる。
三善根と三福業のどこに三福道の「道」が入っているのだ?
屁理屈にすらなっていない。
両親は色黒の日本人なのに金髪碧眼の子供が生まれたといっているようなものです。
だから、脳の断層撮影を受けたらどうかと勧めているのだ。
もちろん、桐山さんはこんな変な式は説いていない。
あなたの言っていることと、桐山さんの言っていることは違います。
彼は二つを合わせたと言っているのではなく、
AとBの中から一つを選んだのだと書いているのです。
頭の中で、三福ゴーが三福ドーに適当に置き換わってしまっただけです。
笑えるのが、これだけ重要な事項なのに、この変な文章を事前に修正する人が
誰もいなかったことです。
つまり、あの当時から完全に裸の王様、お山の大将だった。

583深山:2009/06/02(火) 23:08:33 ID:gcL4rI1Y0
>>567 :準シュダオン:2009/06/02(火) 17:46:28 ID:XESnzsYQ0
>「如来のみもとで功徳・三善根の種(施業平等業思惟業)をうえる」のです。

また準シュダオン教が始まりましたね。
あなたの妄想って、どこまで広がるのだろう。
準シュダオン教ではついに三善根が三種類になったらしい。
仏教の三善根には無貪・無瞋・無癡以外にはありません。
桐山さんもあなたみたいなことは言っていません。
三福道(桐山三善根)とは、如来、正法、聖衆に供養することで
見返りを授けてくれるという話であって、
施業平等業思惟業など、まったく関係ありません。
アゴン宗や仏教と関係ない個人的な宗教観を出すのはおやめください。

584深山:2009/06/02(火) 23:14:55 ID:gcL4rI1Y0
>>568 :準シュダオン:2009/06/02(火) 17:54:48 ID:XESnzsYQ0
>現形の如来を、猫背の尻尾が見える、と感じる人とは、象の議論をしても
>無駄ですね。眼力と感性の問題ですから、それについて議論しても無駄です。

あの如来は背中は真っ直ぐではありません。
これは私が批判側だからではなく、信者時代から気になっていた。
頭を明らかに前に傾げている。
仏像などの姿とは違います。
伊達相平さんが強引にこれを腕の付け根であるかのような絵を描いていたが、
それなら、顔だけが真横で、腕や身体は斜めから見ていることになり、
角度が合わない。
シッポについても、私の空想ではありません。
下半身に相当する炎が衣なら、その後ろから出ている白い煙は何ですか?
赤い炎の衣の後ろの下から真っ白な煙が出ている。
これを何だとあなたは説明するのだ?
ウエディングドレスでも着ているのか?
衣の裾から、後ろに向かって、白く長いシッポが出ていると見ればわかりやすい。
供養に応えるなどと人々の欲を煽るのだから、如来の名をかたるシッポの
生えた邪霊だとみれば説明がつく。

585深山:2009/06/02(火) 23:19:23 ID:gcL4rI1Y0
>>568 :準シュダオン:2009/06/02(火) 17:54:48 ID:XESnzsYQ0
>現形の如来を、猫背の尻尾が見える、と感じる人とは、象の議論をしても
>無駄ですね。眼力と感性の問題ですから、それについて議論しても無駄です。

信者さんたちも改めて応供の如来という変な名前の写真をよく見てください。
なんで横向きなんですか。
供養に応えるというのだから、托鉢するのに、横を向いている比丘なんていません。
どこの仏像でも、正面を向いて、その前にお賽銭箱がある。
うなだれたように顔を下に向けて、しかも、白いシッポまである。
大日如来の姿をした釈迦如来って、何?
伊達さんの説明によれば、頭には五智の宝冠を付け、肩までのロングヘアで、
首飾りまでつけているという。
釈尊は頭髪も眉もそり落とし、必要最小限の衣類しか持たなかったのに、
なんで後世のインドの貴族たちの姿をとって現れるのですか。
これが本当の釈尊の托鉢の姿なら、丸坊主で、飾りや足下までの長い
衣類などつけているはずはなく、まっすぐ堂々と正面を向いて、
鉢一つを持った姿で現れるはずです。
なによりも、釈尊には白いシッポは生えていない。

586深山:2009/06/02(火) 23:22:45 ID:gcL4rI1Y0
>>568 :準シュダオン:2009/06/02(火) 17:54:48 ID:XESnzsYQ0
>私も、若い時は、霊的体験話をする友人に、脳の病気だ、と一笑して相手に
>しませんでした。それと同じことです。
>脳の病気だというのと、脳梗塞というも、同じでしょうW。

頼むから、あなたと一緒にしないでくれ。
あなたと一緒にするのは侮辱だと何度書いたらわかってもらえるのだろう。
私は他人の霊的な体験を一笑したことなどない。
あなたの体験ですら、一笑などしておらず、
現実的な解釈で十分に説明がつくと言っているだけです。
あなたと違い、私は唯物主義なんて偏った思想に染まったこともなければ、
今のあなたみたいに何でも霊的なものに結びつけることもしない。
体験が現実的な解釈で説明がつかないのか、
また、その体験がその人や現実世界にどれだけ影響したかで判断する。
たとえば、マザーテレサは神の啓示を受けて、あの活動に入ったという。
実際は神の啓示か妄想か誰もわからない。
だが、彼女のその後の活動をみれば、それは神の啓示で良い。
一方、あなたや桐山さんはバイブを受けたと称して、その後どうなったか。
桐山さんの大予言は全部外れ、本人は欲望まみれのヨレヨレ状態です。
あなたは桐山さんにコバンザメして、あらぬ妄想をふりまいて、
批判側ばかりか、信者に対してさえも威張り散らしている。
宣言したから聖者や賢者になるのではなく、行いにおいて聖者や賢者になる。
だから、桐山さんやあなたは行いにおいて愚者です。

587ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/03(水) 00:08:02 ID:SmEF4Oe2O
ある時は正義の味方♪
ある時は悪魔の手先♪
いいも悪いもリモコン次第♪
鉄人鉄人早く来い♪
ビューンと飛んでく鉄人♪28号♪
グリコ、グリコ、グリコ〜♪


ある時は唯物論者♪
ある時は霊感少年♪
立場変えるのリモコン洗脳♪
鉄面皮、鉄面皮、こたえぬぞ♪
ビューンと飛んでったオツムのネジ♪28本♪
ナオコ、ナオコ、ナオコ〜♪




(反省点)
彼が尚子を知るはずがなかった・・・

588ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/03(水) 01:02:58 ID:SmEF4Oe2O
>>567
三善根の生講義を聴いたことがあるのですか?
私はその頃再入行もしてないし、一般参拝の例祭法話拝聴も途切れていた。
桐山さんの「三福道」の講義なら聞いているが、三善根となるとなかなかない。
でも一度はやったはずです。私の手元にも後に手にした桐山さんが原稿用紙に
手書きした三善根経典と三福道経典のコピーがある。
ビデオアゴン経勉強会のテキストです。
だが何枚もあるアゴン経テキストで残念ながらこの三善根を解説したビデオを
見たことがない。
あなたは会員の特権を活かして道場に行って職員に申請すればビデオ、あるいは
DVDライブラリーから取り出して閲覧できますよ。
1980年代前半の桐山例祭法話です。
その記録が「社会科学としての阿含仏教」です。
だから三善根を話したことは一度はあった。二度あったかは知りません。
おそらくこの時だけかもしれない。

社会科学としての解説を読めば、単に三善根も三福道も同じということを前提の
ごとく、理由も示さずにそそくさと話を進めるだけです。
つまり三善根には無貪・無瞋・無癡の意味もあるなんて話したことは一度もない。
三福業もそうです。法話で三福業の話などしたことがない。
だから施業、平等業、思惟業なんて口に したこともなければ、施、戒、修を
出したこともない。
だからあなたのような足し算をする以前にAもBも説いていない。
最初からA=Cと前提で決めて、Cの話ばかりする。
Cの話しかしません。

589孫 青柿:2009/06/03(水) 03:43:11 ID:cMnw6Jpw0
準シュダオンさんて致命的な大嘘つきなんですか?残念です。・・

590大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/03(水) 07:03:16 ID:okmfLu0U0
見覚えのある言葉なので確認してみたら、やはり古い会員で無いと持ってない可能性がある「修行読本T」というのがあります。
そこの115Pに「三福業道」というのが書かれています。
「人間改造の原理と方法」では210Pの14行目から説明がなされている。

これらを読むと「施、戒、修」などを出されているが、哀しいかな、ゲイカの方便に味付けされている。
つまり、出されているけど意味を成さない状態といえよう。
「人間改造の原理と方法」の全般を見てもそうだが、中に最初のほうでは「スッタニパータ」なども出されているが
ゲイカの都合のいいように説明をされている。これでは余程詳しくない人以外は反論しないはずだ。
まるで、スッタニパータまでもがゲイカの擁護をしているかのように感じる。

また、ユビさんの申されている講義は私も当時はサービス業に従事していたため、講義は聞いてないので記憶も無いが、
ただ、不思議に思ったのは後で「三福道」が提唱されてから、なんか引っかかるので修行読本を見たら似た名前なので
『あれ?これのことを言っているのかな? まあ、名称が変わっただけか』ぐらいにしか当時は思ってなかったのです。
ですが、今になってこうやって勉強(検証)の作業を批判側の先達の方から機会をいただいたわけですが、なかなか矛盾が
どんどん出てくる。これは退会してもしてなくても重要なことですね。

>社会科学としての解説を読めば、単に三善根も三福道も同じということを前提の
ごとく、理由も示さずにそそくさと話を進めるだけです。
つまり三善根には無貪・無瞋・無癡の意味もあるなんて話したことは一度もない。
三福業もそうです。法話で三福業の話などしたことがない。
だから施業、平等業、思惟業なんて口に したこともなければ、施、戒、修を
出したこともない。

まさにこのとおりです。というか、やれないのでしょう。
やったらボロが出るからです。そして、私が疑問に思ったとおり、いきなり三福業道が三福道に変えられている。
このことを信者は誰も突っ込まないわけです。もしくは質問用紙に書いたが取り上げなかったか。

ゲイカはこういう「すり替え」のような行動を取るし、また詳しい解説もしない。
また、以前「三福業道」といったが実はこうなのだよ、という説明も無い。
自分の言ったことは後からでも・いつでも正しいのだ、という慢心かボケなのかもしれません。
だから、「社会科学〜」の本でもロクに説明もせず、すぐ次へと流してしまう。
これがゲイカの得意技です。

施業、平等業、思惟業なんてまともに説いたらボロが出ます。ゆえに説かない。
また、もし説いたとしても著書や修行読本に有るような内容で終わりです。
又、内容をよく読まれるといい。修行法がいつのまにか「供養」に変わっている。
これは在家は修行法など実践できかねるから、供養で補うという思想の現われです。
こういうことを嫌ったのはゲイカ自身だったはずでは? 全くおかしいですね。

591<削除>:<削除>
<削除>

592大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/03(水) 07:22:07 ID:okmfLu0U0
>>591は二重投稿なので削除)

大乗仏教の批判をしておいて、成仏には仏陀の成仏法が必要だ、といっておきながら、実際やることといえば
御宝塔を拝ませ、諸々の供養と称し信者を貢がせる行為で済ませるのがゲイカ流。

人間改造の方法と原理で散々理屈を述べてさも「素晴らしいことを行っている」かのように思わせて
実際やっていることといえば在来宗教の行いと変わらないわけです。
これでは本末転倒としかいえない。それに気づかない信者も確かに悪いが。

修行読本を見ても「修行メイン」に説明がなされている。
前の記事でも言いましたが、供養が悪いとは思わない。
しかし、供養のほかに「確かな修行法」という示唆をされてないのだから問題なのです。
極端な言い方をすれば、解脱供養やら会費やら諸々の布施はいいでしょう。
本当に解脱へ到る指導(修行法)を教えてないからダメなのです。
それをいうと「いやゲイカは指導をされている」と信者は言う始末。

本当に修行法を教えて成就した人がいれば文句も言いませんし、退会もしません。
「教えてもらった気になった」「教わった気になった」だけの妄想から抜け出していないのです。
これでは薬物などを使わないだけでオウムとさほど変わらない。妄想集団の集まりがA宗です。

別に超能力を使うようになれとか、人間離れした行動をして見せろ、と言っているのではない。
目の前に困って悩んでいる信者の一人も救えないで何が宗教・解脱者ですか?
困ったことが無い・苦しんだことが無い妄想野郎が自分の理想論を語っているとしか見えないですね。

理屈だけは一人前で、人の金や労力を食い物にしているので「成功者」?
おふざけもいい加減にして欲しいものだ。

人間改造〜の本も本当のスッタニパータと検証すれば、ばれるような嘘をついている教祖には
付いてゆけませんね。目が覚めるというのはここまで覚めますね。

593大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/03(水) 07:23:16 ID:okmfLu0U0
>>592 訂正

「修行メイン」=X 「供養メイン」=○ でした。

594準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
阿含経の教えは、アノクタラサンミャク三菩提を得て無上安穏涅槃を得る
ために煩悩を断て、という教えですね。

また、釈尊は、福田(三宝)に供養すれば、果報があることも、確かに説
いています。管長も同じです。

また、釈尊は、修行が進むと、天眼天耳他心智、などの種種神通があるこ
とも確かに説いています。管長の言葉で言うと、超能力でしょう。

また、釈尊は、煩悩を断つことによって、悪趣から解脱することを説いて
います。悪趣とは管長がいうところの、運命の星(因縁)ともいえます。
「悪趣=運命の星(因縁)」と考えておかしくありません。

ですから、管長は、釈迦の37道品=成仏法を、因縁解脱法と喝破した
わけです。
私は、入行時と比べて、因縁がだいぶ薄れた自覚があります。
まだまだ因縁が残ってますが、入行時に比べたらだいぶ良くなってます。
だから管長の教法を信じてるわけで、真の仏教が単に煩悩を断つことだけ
教えているのなら、私は仏教徒にならないだろね。

運命の星(因縁)が存在するか、しないか、別として、
私には、運命の星(因縁)を断つ教えが必要でありました。
で、現在は、管長の教法は、私の場合は結果を出している、
と感じている次第です。

595名無しさん:2009/06/03(水) 21:09:14 ID:HeXCfjkY0
>>594
だから、アゴン宗からの「お墨付き」をもらってきなよ。
自信があるんだよね。
なのに、宗務局に届けも出さず、ここで自慢話をしてるだけって
おかしいでしょ。

596孫 青柿:2009/06/03(水) 21:32:54 ID:cMnw6Jpw0
準シュダオンさんの四念処観についてのカキコ>>216 >>329 >>337
深山さん     '’>>223 >>357 
大日さん      '’>>331 
準シュダオンさんvs深山さん、大日さんで四念処観について議論を戦わせていますよね。
三福道がスレの的ですから私のカキコはスルーしてかまいません。
自分なりに検索してみたのですが・・
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20090504/p2
『念。sati, sm?ti。憶とも訳す。その語義は、
A.瞬間瞬間の気づき・注意・不放逸、B.特定の(冥想)対象・法に心をかける、C.単なる記憶作用。』

『四念処(四念住)も北伝仏教では身・受・心・法を「不浄・苦・無常・無我」と思い慣れる修行とされたが、
これはB,Cの意味から導かれた修道論である。
「身を不浄と、受を苦と、心を無常と、法を無我と念じる(記憶して繰り返す)」という、
もっともらしい定型表現でコピペされるが、問題が多い。』

『竜樹(ナーガールジュナ)の著とされる『大智度論』が記された当時、
すでにこの定型で「四念処」を解釈することが定着していたらしい。
同書では身念処の説明にもっぱら不浄隨念を持ち出している。
受・心・法の観察については、かなり説明に苦慮している印象だ。
おそらく、竜樹もよく知らなかったのだろう。』

『管見では、北伝の阿毘達磨の説明では、四念処(catu-satipa??h?na)と、
他の隨念(anussati)の区別がつかなくなっている。ブッダが指し示された出離の道が、見失われているのである。
隨念の場合は、はじめから「不浄、苦、無常、無我」というアイデアがあり、そのように「念」を入れる。B.「特定の(冥想)対象・法に心をかける」意味での念である。』

『これに対して、経典(パーリ念処経)で示されている四念処とは、生滅変化する「身・受・心・法」の状態・あり方に不断に気づき、注意し続けることで、
現象へのとらわれ・執着を離れる実践である。「気づきの実践」を通して、出世間の智慧を開発することである。
もちろん、経典においても文脈によって「念」はA,B,Cの意味で用いられるが、四念処はA「気づき」の実践を意味していることは、パーリ経蔵にあたれば明白である。
五根の「念根」、五力の「念力」、七覚支の「念覚支」、八正道の「正念」もまた、主に「気づき」の意味で捉えられるべきである。』

『パーリ三蔵に依拠したテーラワーダ仏教(上座仏教)のいわゆる「ヴィパッサナー瞑想」が日本でも強いインパクトを持って受け入れられたのは、この「念」の実践に正しい解説をしたからである。
いくら北伝仏教にも「止観」の語があるからといって、「観」実践のエンジンたる「念」の解釈が間違っていたら(エンジンが壊れていたら)、そこから導き出される修行道が曖昧模糊としたものになることは避けられない。』

『現代でも、一部の仏教学者はかたくなにB,CとりわけC「単なる記憶作用」として念をとらえている。何を記憶するのか、というところでB「特定の(冥想)対象・法」の選択という問題が出てくる。北伝仏教でしばしば七覚支の順序が「択法」から始まっていることにも、このような教理学的な背景がある。』

ながながと引用させていただきましたが、準シュダオンさんのいう四念処観は根本仏教のそれでなく大乗の四念処観だということです。
大乗は小乗より優れているから大乗の四念処観のほうが上なのだと 準シュダオンさんには主張することも出来ますが、
根本仏教の四念処観が実技を無視して経典解釈だけで想像するから歪曲して間違って伝わり、新たに大乗の四念処観なるものが机上だが出来てしまった?
そしてそれを7科37道品と勘違いしているのがゲイカであり池田慈水氏であり準シュダオンさんなのでしょう。
深山さんや樹意さんが普段から主張しているのが根本仏教の修行法です。

597名無しさん:2009/06/03(水) 22:54:04 ID:OZ9lP6ds0
そっかぁ。

598ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/04(木) 09:13:00 ID:SmEF4Oe2O
>>594
ごちょごちょいろいろ書いているが、アノクタラサンミャクサンボダイの智慧を得て
涅槃に入ることと、供養をすることにより果報を得ること、他心通などの神通力が
修行の過程に生じることがあること、これらの3つはそれぞれ別のことです。
混同してはなりません。
在家は出家に供養して果報を得る。
しかしその果報とは関係なく煩悩を減らしなくす道がある。
その修行の過程において神通力が副産物的につく人がいる。
しかし神通力を持たずに最高の涅槃を得る高弟もいた。
神通力と悟り、解脱、涅槃は関係ない。
人の心が読めてしまってそれが解脱の何の役に立つのか?

そしてあなたが書いている一番くだらないことは悪趣をアゴン宗の因縁に充当する
という強引な悪趣味です。
まず悪趣とは三悪趣が地獄、餓鬼、畜生という悪い行いをした人が死後に堕ちる
境界なんだそうです。
これを避けるには生きているうちに悪いことはしない、善いことをすることを
実践する以外ありません。
悪趣を離れるとはそういうことです。はい。
また悪趣が死後の世界でなく現世においてそれを充当させる考えが後に起こります。
しかしこの場合、あくまでもその人の心のあり方に地獄や餓鬼や畜生を当てはめます。
相手に危害を与えてやろうとか、盗んでやろう、騙して儲けようとかいった
さもしい心です。究極はやはり貪瞋癡になります。
だから心の悪趣を離れるとは煩悩から解脱することであり、運命の星を変えること
ではない。
まあ一部は運命の好転にもつながりましょう。
悪意をなくすことにより犯罪を犯さないから刑獄行きになることはない。
しかし昨日の朝だったかのNHKのニュースに沖縄のひめゆりの塔の語り部たちの
話があったが、あのような戦争体験で自分は何も罪を犯したわけでないのだが
穴に隠って逃げねばならない恐怖体験はたしかに地獄的ではある。
しかし違うのですね。
彼女たちは地獄などの悪趣の心に堕ちていない。
戦争を起こしてやろうとする人の心に悪趣があるのです。
だから本当の仏教徒は外部からの攻撃、戦争に対して無抵抗主義を貫きます。
殺すくらいなら殺された方がましという考えです。
だからイスラムの攻撃によりインドの仏教はさんざんな被害を受けた。
しかし教えを守り通した。
因縁解脱、運命好転の実現どころか願いすらしなかった証拠ではないか?

599深山:2009/06/04(木) 12:37:39 ID:GgdJb1FM0
>>594 :準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
>阿含経の教えは、アノクタラサンミャク三菩提を得て無上安穏涅槃を得る
>ために煩悩を断て、という教えですね。

そうではなく、煩悩を断ち切ることが、無上安穏涅槃であり、
阿耨多羅三藐三菩提です。
あなたは煩悩を断ち切ることと涅槃とを別物であるかのように思い込んでいる。
煩悩を断ち切ることが仏教の教法であり、目的で、到達地点です。
煩悩を断ち切ることを、解脱、涅槃などと様々な切り口で表現しているにすぎない。
だから、阿含経の教法とは三善根(無貪・無瞋・無癡)だと言ってもいい。

600深山:2009/06/04(木) 12:40:48 ID:GgdJb1FM0
>>594 :準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
>また、釈尊は、福田(三宝)に供養すれば、果報があることも、確かに説
>いています。管長も同じです。

また、出た・・・いやはや。
一週間前に>>412で説明したのに、まだ言っている。
さらに二週間ほど前>>182で出てきたから、>>202で反論して、
実は、その一週間ほど前、スレ159でも書いたから、
その時にも反論していた。
>>202でそれまでの経過が書いてあるから、読んでみなさい。
準シュダオンさんの頭は完全に「輪廻する脳味噌」になっている。
ほぼ一週間たつとあなたは自分が書いたことすら忘れ、
反論などもちろんきれいに忘れ、上記のように同じ事を書く。
あなたの脳にまだ反省心というのが残っているのなら、
こちらの指摘を無視しないで、自分がどれほど同じ事を何度も何度も
書いて、しかも反論をまったく記憶していないか、番号をたどってみなさい。
あなたはこういうあり方を当たり前だと思っているようだが、
議論を抜きにして、あなたの反応は物忘れがひどくなって、
何度も同じ事を言い続ける老人によくみられる反応です。

601深山:2009/06/04(木) 12:43:20 ID:GgdJb1FM0
>>594 :準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
>また、釈尊は、福田(三宝)に供養すれば、果報があることも、確かに説
>いています。管長も同じです。

では、同じ反論をまた繰り返しましょう。
供養に果報があることは誰も否定していない。
釈尊の説いた供養に対する果報と、桐山さんの説いている三福道とは
中身が違うと批判しているのです。

●釈尊の説く供養による果報・・・供養で世俗的な果報を得る
●桐山三福道・・・供養で解脱への道を進む

この二つをよく読み比べてください。
私は、如来供養で来世などに世俗的な功徳となって
返ってくることは一度も否定したことはない。
経典にそれははっきりと書いてあります。
しかし、供養の見返りにシュダオンになれるなどと説いた経典は一つもない。
これを指摘されたあなたは、如来供養で解脱への道を歩む例として、
アンバパーリーを出したが、どこにもシュダオンになったとは書いていない。
また、この事例に限らず、供養した結果、その功徳でシュダオンに
なったなどという経典はありません。
あなたは如来供養の果報だけを桐山さんが説いたかのように
上記で書いているが、そんなのはゴマカシです。
桐山さんは三供養品で、供養によってシュダオンからアナゴンにまでなれると説いた。
桐山三福道など三供養品にもないし、阿含経にも存在しません。
供養によってシュダオンになることはありえません。

602深山:2009/06/04(木) 12:46:19 ID:GgdJb1FM0
>>594 :準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
>また、釈尊は、修行が進むと、天眼天耳他心智、などの種種神通があるこ
>とも確かに説いています。管長の言葉で言うと、超能力でしょう。

釈尊が神通力を持っていたことは経典に書いてあります。
だが、桐山さんのどこが神通力なのですか。
三明六通のどれを桐山さんは持っているのだ?
それどころか、桐山さんは四神足による三明六通の描写を、

「これは全文、ブッダのニルヴァーナにおける心象風景なのだ、と。」
(『21世紀は智慧の時代』191頁)

などと書いている。
心象風景とは空想だと言っているのです。
学者がこれを書くならまだわかる。
体得した人がこんなこと書くか?
釈尊は神通力を空想だなんて言っていない。
それを空想だと言う人が四神足による神通力を体得したはずはあるまい。
釈尊はアメフラシをしたこともなければ、霊障のカルマを切ったこともない。
もちろん、神通力で悪因縁を切って運命を変えるなんてしていません。
釈尊の神通力のどこにカルマを切るなんてオカルトがあるのだ?

603深山:2009/06/04(木) 12:57:37 ID:GgdJb1FM0
>>594 :準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
>います。悪趣とは管長がいうところの、運命の星(因縁)ともいえます。
>「悪趣=運命の星(因縁)」と考えておかしくありません。

毎度お馴染みのゴマカシが始まった。
あなたの書き方からすると、
「悪趣から解脱」=「運命の星(因縁)からの解脱」
ということになる。
アゴン宗の因縁切りを擁護したつもりらしい。
仏教の因縁には、運命の星などという意味はありません。
あなたは前に、因縁とは原因くらいの意味だと認めたではないか。
阿含経を読んで、そういう意味らしいことに気が付いたからです。
しかし、それを無視して、また因縁に運命の星などという
ありもしない意味をくっつけ始めた。
阿含経のどこに運命の星という意味の因縁があるのか示してみなさい。
探せなかったでしょう?
あるはずがない。
仏教の因縁には運命の星なんて意味は金輪際ありません。
近代の新興宗教の無学な教祖が、運命の星の意味に取り違え、
それを真に受けた桐山さんが信じ込んで、教義にしてしまったという無知の連鎖にすぎない。
だから、運命の星という意味の因縁など、阿含経どころか、大乗経典にすらない。
大乗経典の作者たちでさえ、因縁の意味を正しく理解し、
運命の星などという無知で稚拙な意味に誤解することはなかったからです。

604深山:2009/06/04(木) 13:03:24 ID:GgdJb1FM0
>>594 :準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
>います。悪趣とは管長がいうところの、運命の星(因縁)ともいえます。
>「悪趣=運命の星(因縁)」と考えておかしくありません。

釈尊がいつ、修行すれば現世の悪い運命を変えられると説いた?
現世での運命改造なんて説いていません。
その証拠に、解脱者である大目連は異教徒に撲殺された。
アゴン宗でいえば地獄クラスの悪因縁です。
全然、「運命の星(因縁)からの解脱」などしていないではないか。
あなたはこの現実をどう説明するのだ?
あなたはどうしてこんな簡単な矛盾を無視するのだ?
大目連の死は釈尊の教法ではなんら矛盾しない。
大目連は煩悩を持っていないから、死んでももはやこの世界に
戻ってくることはないから、悪趣に堕ちることはない。
他にも自殺した比丘が何人かいるが、彼らも解脱している。
運命なんか変えていない。
運命を変えたいなどというのは欲望という煩悩の一つにすぎない。
煩悩をなくせと説いた釈尊が、運命が変えられるぞ、
などと欲望を説くはずがあるまい。
どうしてこんな簡単な事があなたは何年たってもわからないのだろう。

605深山:2009/06/04(木) 13:07:28 ID:GgdJb1FM0
>>594 :準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
>います。悪趣とは管長がいうところの、運命の星(因縁)ともいえます。
>「悪趣=運命の星(因縁)」と考えておかしくありません。

阿含経の勝手な解釈をしていないで、
現実の桐山さんとアゴン宗を見るべきだ。
密教食事件で有罪になり、脳梗塞になっている桐山さんの
どこが因縁切りなのだ?
刑獄の因縁とは地獄クラスの最悪の因縁だと桐山さんは書いている。
それが因縁を完全解脱したはずの1987年に出しているのですよ。
脳梗塞とは脳障害の因縁です。
桐山さんは昔の機関紙で、自分は脳に関する因縁がないから、
いくら頭を酷使しても大丈夫だと書いている。
では、どうして因縁切りも終わったずっと後の1996年に
脳障害の因縁を丸出しにしたのだ?
このように桐山さんの因縁切りや因縁霊視すらも真っ赤な嘘だと証明されている。
しかも、桐山夫人はガンで76歳で死んだ。
徳を積めば見返りに因縁を切ってくれるのが三福道です。
桐山夫人くらいアゴン宗に貢献した人はいないから、桐山さんは戦友と呼んでいた。
その彼女ですら、因縁が切れなかった。
この教祖夫妻の現実を見ても、まだ因縁切りが可能だと
信じている人を見ると、あまりの狂信ぶりに言葉を失う。

606深山:2009/06/04(木) 13:13:24 ID:GgdJb1FM0
>>594 :準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
>阿含経の教えは、アノクタラサンミャク三菩提を得て無上安穏涅槃を得る
>ために煩悩を断て、という教えですね。

>だから管長の教法を信じてるわけで、真の仏教が単に煩悩を断つことだけ
>教えているのなら、私は仏教徒にならないだろね。

読者の皆さんは上記の二つの文章を読み比べてください。
この準シュダオンさんがいかに恥知らずか、よくわかる。
最初の文章では、仏教の教法とは煩悩を断つことだと書いた。
細かい点はともかく、大筋で正しい。
ところが、最後には、煩悩を断つことだけなら、仏教徒にはならないという。
こうやって並べればわかるように、正反対のことを書いている。
二つの文章の間に、いかにも釈尊が因縁解脱を説いたかのように
ゴマカシをいれて、すり替えていき、最後は、正反対のことをいう。
よくまあ、恥知らずことをここまでするものだとあきれる。
彼は四年前からこのゴマカシをしている。

607深山:2009/06/04(木) 13:17:03 ID:GgdJb1FM0
>>594 :準シュダオン:2009/06/03(水) 12:24:07 ID:XESnzsYQ0
>だから管長の教法を信じてるわけで、真の仏教が単に煩悩を断つことだけ
>教えているのなら、私は仏教徒にならないだろね。

信者さんたちは、準シュダオンさんがなぜこんな回りくどい
ゴマカシをしなければならないかわかりますか。
屁理屈魔の彼ですら、釈尊が説いた解脱とは漏尽解脱(煩悩解脱)であることを
認めるしかないからです。
だから、最初はそれを認めた。
彼も阿含経を開き、なんとか因縁解脱がないかと探したが、
探せば探すほど、あるのは漏尽解脱ばかりです。
そこで、彼はここに来た四年も前から使っている屁理屈をいつも並べる。
それが、仏教の因縁をアゴン宗の悪因縁にすり替えて、
運命改造を説いたと主張することです。
もっともこれは彼のオリジナルではなく、桐山さんが『超脳思考をめざせ』の
中で模範演技を示している。
彼は四年前からそれを繰り返し使っていて、
批判側から手を変え品を変えて反論されても、全然気にしないで、
こうやってまた同じ事を書く。
脳が老化しつつある彼には無理だろうが、他の信者さんたちは
桐山さんの解説した阿含経でいいから、よく見てほしい。
どこにも因縁切りも因縁解脱もありません。
釈尊は漏尽解脱(煩悩解脱)以外は説いていません。
だから、心配しなくても、準シュダオンさんは仏教徒ではない。
アゴン宗という外道の信者です。

608ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/04(木) 14:43:18 ID:SmEF4Oe2O
悪趣、地獄と言いますが、桐山さんは準シュダオンさんと同じように、アウシュビッツの
犠牲者に対して、彼らは地獄に堕ちていると罵りました。
たしかにその苦しみたるや地獄の責め苦を想像させるに等しいと思います。
しかしいくら地獄的だからと言って、地獄と混同してはなりません。
なぜなら地獄とは仏教でも西洋のキリスト教でも、悪いことをした人がその報いで
あるいは罰を受ける為に当然行く場所だからです。
アウシュビッツの犠牲者に対して地獄に堕ちていると示すことは、彼らは悪いことを
したから当然のごとくあのような仕打ちを受けたのだとナチスを肯定することになる。
だから言葉というものは慎まなければならないと同時に、対外的に示すのみならず
自分の心の中でもそんな間違ったことは思ってもならない。
だから皆さん考え方を改めてください。
釈尊は地獄を否定していない。
いくら悪人とはいえ、あんな責め苦を味わせるとは・・地獄とはけしからん所だ、
閻魔大王はこの俺が成敗してやるわなどと釈尊が言うか?
地獄を肯定している。
あそこは悪人の行く所だ。だから悪人になるな。ただちに悪いことをするな。
実に明瞭な教えです。
だからアウシュビッツ犠牲者の苦しみは地獄の苦しみではない。
そのような当然受けるべき帰結の苦しみではなく、不当な苦しみなのです。
だから彼らはかわいそうであり、ナチスは憎まれるのです。
そんなことが仏教者の立場からもわからぬか?
だからいくら不幸に見える運命でもそれを地獄と見るのは自らを罪人と認めたも
同然です。
罪人なら逃げてないで罪を受けなさい。
それからやり直しなさい。

609樹意:2009/06/04(木) 15:09:27 ID:yvKQFbBM0
>>596 :孫 青柿:2009/06/03(水) 21:32:54 ID:cMnw6Jpw0

>『念。sati, sm?ti。憶とも訳す。その語義は、
>A.瞬間瞬間の気づき・注意・不放逸、B.特定の(冥想)対象・法に心をかける、C.単なる記憶作用。』

仏教においては確認するということが重要なようです。ホトケ仏陀の教えであっても 確認作業を
怠らない。

二の矢を受けないという話がありますが、五根からの情報合成 捏造を遮断してありのまま認識する。
経典では憶念に寄与する等書かれており、禅定の五自在でも使いますが一旦自分の得た定を憶念して
おいて観察し、その禅定の良し悪しを判定する 〈批判機能〉
心の状況を確認しいつでも自在にその瞑想状態を呼び出せるようにするのであるし、この五自在を
やらないと次の段階に進めないともある。
増谷氏の阿含経典にもあるようだが、アビダルマでいう 生滅 の観察を考えるに
心も物質も生、住、滅があるようです。 〈説一切有部だけの考え方かとも思ったが 増谷阿含経にも
生滅が語られている部分があるようなので一応書いておきます。 〉
どうもこの生滅をもって無常と判定するようです。
生が一刹那、滅は一刹那、住は15刹那。 生滅の部分は通常認識できない。
従ってこれらも一旦憶念〈記憶〉しておいて観察確認するという作業をする。
原子電子のレベルまで観察したなら 無常 なのはわかりますが。 w

認識の過程を憶念しておいて それを観察確認 批判し、不備があるなら次を目指す。
お釈迦さまはまったくの心だけの世界である無色界禅定まで 批判した上で 出世間の境涯を
説かれたとあります。

過去世を観察できる能力〈神通力〉がある方が過去世があるのだから未来世もあるとして宗教を立てる
弊害等も梵網経にて批判されているようです、
仏教でこの瞑想だけはやってはいけない 無想有情という梵天〈色界〉がありこの場合は解脱ではなしに
心を消してしまう為過去世にこの天であった場合はそこからは過去世を遡ることができなかったりする。
念処経においては 〈念〉の意味を多岐に説明されていますが、個人的には 紹介されている
A、B、C の意味全てを含んだものをいう感触であります、Cの憶念無しに、B,もAもないよう
感じます。

いずれにしろゲイカが般若心経瞑想法等で説いたものとは別次元のものです。

610樹意:2009/06/04(木) 15:20:36 ID:yvKQFbBM0
お釈迦さまは修行時代 もろもろの修行法を実践 確認 批判して中道を開かれた。
〈苦行〉〈瞑想〉 −−
正覚を得た後も 法の議論を奨励し、自らも批判するよう比丘たちに勧めたといいます。
仙人たちが説く瞑想法も実践の後批判し それらは解脱ではないと確認された。
弟子達にも瞑想の五自在を残され 上座部では現在も修行されているわけです。
先に書いたようにこれは 定 を憶念しておいて観察確認、批判することです。
批判検証しないと次のステップへは進めない。

お釈迦さまの修行のありようがこうなのに アゴンの場合は 批判に対してはほっカムリ
なわけです。

611名無しさん:2009/06/04(木) 22:25:32 ID:TNeLGiu60
準ちゃん、ファイト!おー!\(^o^)/

準ちゃん、ちゃんとみんなの書き込みを読もうね♪
カキコを読んで、きちんと議論しようね♪
頭のいい準ちゃんならできるよね♪

準ちゃん、ファイト!おー!\(^o^)/

612孫 青柿:2009/06/05(金) 01:10:22 ID:cMnw6Jpw0
準シュダオンさん、>>609 の樹意さんの四念処観の説明分かりますか?
「どうもこの生滅をもって無常と判定するようです。
生が一刹那、滅は一刹那、住は15刹那。 生滅の部分は通常認識できない。
従ってこれらも一旦憶念〈記憶〉しておいて観察確認するという作業をする。」
「Cの憶念無しに、B,もAもないよう感じます。」

私はシュダオン界から通信はありませんが知識でおそらくこうではないかという予想はできます。
準シュダオンさんは聖者のくせに何を樹意さんが書いてるか全く分からないんじゃないですかね?

私はAこそが重要だと思ったが樹意さんはさらに上をいっていて、深いと感じ入ります。
そういえば栗花さんも同じことを指摘していてそこだけは鋭いと認めたものです。
準シュダオンさんは成仏法を霊界から指導受けられるんだから当然 樹意さんの書いた四念処観の説明のこと分かりますよね。

認識できない生滅の刹那、憶念が必要という部分。
私が上記を格闘技に例えると、スパーリング中に半分マグレで後ろ回し蹴りのカウンターが入ったとする。
しかし入れた瞬間には分からない。若干後で蹴った足への感触、相手のリアクションで判断する、こういうことかなと思います。

樹意さん細かい分析ありがとうございます!

613名無しさん:2009/06/05(金) 08:13:08 ID:bAcJofe60
毎日読んでいろいろ考えることがたいせつだ。

614準シュダオン:2009/06/05(金) 11:49:50 ID:XESnzsYQ0
三聚経に於いて、お釈迦さまは、
「六法向涅槃、謂六思念、念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天」
と、説いています。
その後と思われますが、遊行経では、
「六不退法」という名で、全く同じ内容を説いています。
また、六不退法という同じ名で、全く別の内容も説いています。

ですから、有三善根という名で、二通りの意味があっても、全く不思議では
ないのです。増一阿含経が比較的後世に作成されたとしても、三供養品の
三善根が、三善根=無貪瞋痴の経よりも早く説かれたと仮定して考えてみる
ことは、客観的経典解釈に役立つと思います。

615準シュダオン:2009/06/05(金) 12:22:16 ID:XESnzsYQ0
私は自分の真実を書いてるわけで、なにも深山さんが邪推してるような、
ごまかしなどしていませんよ。
仏教が煩悩解脱だけを説いてるのならば、私は仏教徒にはならなかったよ。

入行以前は、毎年、年末には紅白歌合戦を視てね、「ゆく年くる年」の
除夜の鐘、のNHK中継を家族で観るのが常でしたね。
除夜の鐘は百八っつ、ですね。アナウンサーが百八の煩悩がある、と解説
してくれます。
 私はそれを聞きながら、「煩悩があるから人生なんだよね。煩悩がある
からこそ、泣き笑い苦楽の人生があるのさ。煩悩が一切無くなってたまる
かい。死んだも同然だ。」なんて、家族に話してたものです。

その後、人生経験をつんで、管長が説くところの「運命の星(因縁)」に
思い当たることが生じた。切実に生じた。だから阿含宗に入行したので
あって、「因縁解脱、あるいは超能力」を説いていない仏教には全く関心
がなかったわけです。関心がない、というより、それでは間に合わなかっ
た、わけですね。

お釈迦さま説くところの、「悪趣」とは、
管長が説くところの「運命の星(因縁)」と同じことでしょうよ。
管長は悪趣の内容を、詳しく分析分類してるにすぎません。

616準シュダオン:2009/06/05(金) 12:39:27 ID:XESnzsYQ0
お釈迦さまは、人を悪趣に結びつけているのは煩悩だ、と説きました。
つまり、悪趣に結びつける因縁は煩悩です。
つまり、この場合、因縁=煩悩、です。
つまり、煩悩解脱と呼ぼうが、因縁解脱と呼ぼうが、同じことです。

お釈迦さまは、無明という煩悩を断つことによって、12因縁(苦の人生)
から解脱できる、と説きました。
つまり、煩悩解脱は12因縁解脱のための手段なのですね。

つまり、阿含経は、12因縁解脱を説いています。
つまり、管長は、12因縁解脱を詳しく分析、解説しているのです。

617準シュダオン:2009/06/05(金) 13:15:52 ID:XESnzsYQ0
私は子供の頃から霊感があって霊的体験をしたなんてレスしたことはない。
ユビクタスさんはウソつきですねえ。
あんたなら、
私がそのようなレスしてたら、すかさず引用するでしょう。

だから若い時、霊体験を言う友人に脳の病気だよ、と一笑したのです。

618準シュダオン:2009/06/05(金) 13:29:33 ID:XESnzsYQ0
37道品は釈尊が分類体系化したのではない、という深山さんのレスを
今見た。3日前のレスだね。

おかしいこというね。
たとえば、静浄経を読んでごらんなさい。
お釈迦さまはちゃんと、
「世尊告諸比丘 謂四念処 四神足 ・・・八正道」というように、分類
して説いてますよ。

深山さんこそ、学者先生のいうことを丸のみしないで、自分でも確かめて
もの言ってちょうだい。

619準シュダオン:2009/06/05(金) 14:00:06 ID:XESnzsYQ0
正見〜正定までの八正道を修行せよ!
と、言われても、具体的な修行法を習わなければ、意味がないということを
管長は指摘しているのです。

仏道を修行せよ!という場合も同じです。仏道とは何か?を明確にしなけれ
ば意味がない、のです。

学者先生の言うことが、深山さんの言うように29道品(37−8)は
八正道に含まれる、というような見解なら、管長の問題提起はない、のです。
また、増谷先生が八正道以外の6科29道品についてふれた場面を、私は知ら
ないです。どなたか、紹介してくれますか?

また、雑阿含経で、お釈迦さまが阿難に対して、
「善い友を得ることは修行のすべてである」
と、説いたことがあります。
これをもって、すべての修行法は善い友を得ることに含まれる、
となりますか?ならないですね。

620準シュダオン:2009/06/05(金) 14:41:06 ID:XESnzsYQ0
学者先生の見解では八正道<37道品です。
三聚経で考えてみましょう。
釈迦は、三聚経において涅槃に趣く法を55個、説いています。重複する
部分も多いですが、すべて記してみましょう。
 法向涅槃。
「修身念処、止、観、空三昧、無相三昧、無作三昧、身念処、受念処、
 意念処、法念処、信根、精進根、念根、定根、慧根、念仏、念法、念僧
 念戒、念施、念天、念覚意、択法覚意、精進覚意、猗覚意、定覚意、
 喜覚意、捨覚意、正見〜正定、喜、愛、悦、楽、定、實知、除捨、無欲、
 解脱、正見〜正定、正解脱、正智」

と、まあ、以上です。55個ありますね?
これらの法は、すべて八正道に含まれますか?
そりゃ、含めようとすれば、含められますよ。
お釈迦さまが、これらの法は、八正道の具体的修行法である、と、解説して
いてくだされば問題はないのですけどね。

37道品ー八正道=6科29道品です。
この6科29道品が八正道の具体的修行法ならば、八正道は不必要では
ありませんか?
37道品に八正道を入れてるのは無駄だ、と思いますね。

621樹意:2009/06/05(金) 15:48:53 ID:yvKQFbBM0
>>618 :準シュダオン:2009/06/05(金) 13:29:33 ID:XESnzsYQ0
>37道品は釈尊が分類体系化したのではない、という深山さんのレスを
>今見た。3日前のレスだね。

>おかしいこというね。
>たとえば、静浄経を読んでごらんなさい。

まぁなんだね、準シュダオン氏も一度終わった議論を無視して何度も何度も
懲りずに持ち出すタイプだね。
それと 静浄経 で検索しても出てこないな、引用する場合はキチンと引用しましょうね。

ちなみに 
中村 元氏著 原始仏教から大乗仏教へ においても部派仏教が三十七道と呼んだ
旨書かれているようです。

同、水野弘元著 原始仏教 197p〜208p
部派仏教では、原始聖典に説かれているこれらの修行方法を纏めて、普通に三十七種となし、
これを三十七菩提分法(bodhipakkahiya dhamma) と 呼んでいる。菩提に至る三十七の
部分という意味である。 その内容は 
四念処ーーー略 ー八正道中の正念はこれに当る。
四正勤ー四正断とも訳し、これは八正道中の正精進に当たるものであって、−−−略ー
四如意足ーー略ーーー
五根ーーーー略ーーー
五力ーーーー略ーーー
七覚支ーーー略ーーー
八正道ーーー略ーーー
以上の七項目を加えて三十七となる。然しこの七項目の一々は、それぞれ一つの修行方法の
体系をなし、それだけで、一応修行方法が完結することになっている場合が多い。
ーーー中略ーーー したがって、右の七項目三十七種の全てを行う必要はないのである。
同じ修行道をば、種種の項目として掲げられているのは、恐らく仏陀が弟子達の性格なり能力
なりに応じて、それに適するためのものであろう。−−−中略ーーーー
部派仏教になると、原始聖典に説かれているこれら多くの修行項目を纏めて、
上述の三十七菩提分とか、それに更に四禅定、四無量心(慈、悲、喜、捨の四つであって、
四梵住ともいう)を加えて四十幾種とかとなすことも行われたが、この中には幾つかの
項目に共通して教えられている重複する徳目がすくなくない。
ーーー中略ーーー
このように見てくると、三十七菩提分法もその重複を除けば僅かに十二三種の徳目となる。

622樹意:2009/06/05(金) 15:51:22 ID:yvKQFbBM0
深山氏はこれを部派仏教が体系化したと書かれていますが、水野弘元氏 の資料に
よると、仏陀が説いた パーリ中部39、馬邑大経 に習い各部派において修道論が他に
体系化されているようです。(おそらくは道清浄論のようなものではないでしょうか?)
従って仏教語辞典にあるようにインド人特有の列挙主義にてただ 説かれたものを列挙
しただけということになるものと思われます。
道諦が八正道なのは阿含経典を開けば あちこちに出てくることですし、先に引用した
転法輪にも説いて証転をした。
象跡喩大経に曰く 

「比丘達よ、象より大きい、生物は居ない。
あらゆる足跡は、象の足跡に、飲み込まれる。
いかなる時も、象の足跡だけは、絶対に分かる。」

「これと同じことが、法に就いても言える。
他の法に踏み荒らされない、四つの諦がある。
それでは、この四つの諦とは、如何なるものか。

全ての善の法はこの四聖諦に収まる。即ち 道諦としての中道 八正道の位置はゆるぎない。
さらに、沙門果経その他で私が引用した。 煩悩滅の智 (漏尽智)でも 四聖諦を
知る(智見)の段階を踏んで阿羅漢道智が完成するわけです。

子孫氏が37道品が八正道の構成要素とか云われているようですが、仏滅後だいたい100年から
200年ぐらいたった頃の部派仏教の方々が、仏陀が各修行者の機根 ハラミツに応じて説かれた
業処(修道法) に対して38道品として陳列名づけた。従って38道と名づけられた中には
当然八正道がありますから構成要素と辞典が書くのも仕方のないことかもしれませんが、仏陀が
体系だった修道法 (道諦)(中道)として説いたのは 八正道で他のものはその中にキチンと
収まるわけです。 

仏陀が体系だって説いたというか 証転した道諦は八正道であり、その詳細として説いたのは
先に引用した十七階梯ということになります。

623樹意:2009/06/05(金) 16:00:42 ID:yvKQFbBM0
以前書いたものをコピペしただけだが、三十七道品と呼ぶようになったのは
仏滅後部派仏教からです、
引用の通り水野博士、中村博士、 増谷博士 これらの分析を私は引用した。
佛教辞典というのは仏教全般を踏まえ出してくるものですから 詳細な分析は
かような位置づけになる。
アゴン部で検索するとこのように出てくる。

大般涅槃經 (No. 0007) 0192c22 - 0193a08: 等法汝思惟之勿生懈怠三十七道品法所謂四念處四正勤 [show] (1 hit)
増一阿含經 (No. 0125) 0550c15 - 0551a12: 故此優多羅増一阿含出三十七道品之教及諸法皆由此生 [show] (2 hits)
増一阿含經 (No. 0125) 0551a15 - 0551c28: 倒以無顛倒愚惑想滅諸三十七道品果便得成就以成道果 [show] (1 hit)
増一阿含經 (No. 0125) 0579b21 - 0580a15: 竟日經行未曾捨離意遊三十七道品之法若眼見色不起色 [show] (2 hits)
増一阿含經 (No. 0125) 0612a17 - 0612b29: 十二法行晝夜經行不離三十七道品之教若坐若行常修正 [show] (1 hit)
増一阿含經 (No. 0125) 0635b11 - 0635c06: 最尊最上此亦如是諸善三十七道品之法無放逸之法最爲 [show] (1 hit)
増一阿含經 (No. 0125) 0635c18 - 0635c25: 第一此亦如是諸善功徳三十七道品之法無放逸行爲第一 [show] (1 hit)
増一阿含經 (No. 0125) 0694c19 - 0697a11: 達曉行道不失時節不失三十七道品之行或坐或行除去睡 [show] (1 hit)
増一阿含經 (No. 0125) 0801c14 - 0802a28: 初夜後夜恒知景寤思惟三十七道之法若晝日經行除去惡 [show] (1 hit)

増一阿含経は長阿含経の流れを汲みゲイカが批判した大衆部所属の経典であり 暗誦の為の指折り数える
という意味があります。後から編纂されたアゴン部としては最後の方 大衆部所属であります。

624ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/05(金) 22:41:18 ID:SmEF4Oe2O
>>617
子どもの頃ではないかもしれないね。
昨日暇があったので過去ログも辿ってみました。
まずこのしたらばのスレにあなたが登場するようになってからは、あなたは
そのようなことを書いていない。
あなたが準シュダオンと名乗って登場した2ちゃんねるの方で1箇所霊視なら昔
自分もしたものだ、今ではできないけどねとか書いていた。
子どもの頃はおろか若い頃とも書いてなかったけどね。
その時私もレスしましたよ。昔あった霊視能力がどうして今ないのか?
アゴン宗で修行していればますます磨きがかかるはずなのが。
ユーミンの古い歌の歌詞を示して、小さい子どもの頃は神様がいて不思議に願いを
叶えてくれたと歌っている。つまり大人になると消えてしまう幻想能力です。
こういうレスを書いたから若い頃、子どもの頃と私の方で覚え違えてしまった
のかもしれませんね。
いつなんだろう?若い頃は唯物論者で霊感、霊能を説く人を笑っていたあなたが
霊視もするようになったとはいつのことですか?
きっかけは何ですか?唯物論者を返上してアゴン宗に入ってからですか?
あなたが今はない霊感やちょっとした超能力みたいのを少しは持っていたと書いたのを
読んだのはこの時が初めてではないのです。
だからザ掲示板であなたが如来の子孫と名乗っている時にたしかにそんなことを
書いているわけです。
今度暇があったら探してコピペでもしましょうか。
それまでに辻褄があうように整理しておいてください。
唯物論だったあなたがその逆に霊視なんかもできちゃうことになった時期と
そのきっかけですね。

625ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/05(金) 23:07:52 ID:SmEF4Oe2O
>>615
本音が出ましたね。
御利益の果報がなくてもかまわないという綺麗事を書いたあなたが、やはり煩悩
解脱だけだったらそんな宗教は要らないと、やはり果報を求めた。
煩悩を離れることこそ素晴らしい果報なんだということが想像だにできないのですね。
肩の重荷がなくなりスッキリするような。
そんなに運命がコワイのならアゴン宗を知らない一般人ってよく平気で生きていられますね。
あなたが書いたように大晦日は紅白でものんびり見て。
煩悩を甘く考え過ぎですね。そういうあなたが煩悩に駆逐されている。
ますます苦しみを深めている。
それにも気がつかないところが煩悩の怖さですね。
その人の仲間であり大切な煩悩を離せない。
要するにお釈迦様の仏教は嫌いであると。
結構です。それは自由です。仏教は欲望原理で生きている我々にはなかなか
受け入れがたい教えで万人向きでない。
あなたには桐山煩悩教に囚われるのがあっていると思います。

626ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/05(金) 23:22:50 ID:SmEF4Oe2O
>>616
しかしおかしいと思いませんか?
どうしてあなたが屁理屈を考えなければならないほど、因縁解脱という言葉が
仏教にないのですか?
因縁解脱なんて言葉はアゴン宗くらいしかない。造語です。
どうして造語が必要なのさ?
ただし考え方、概念はあります。
しかしそれは法華経系統の新興団体のそれです。
因縁切りです。霊友会の無学な教祖が因縁の意味がわからず運命の星とした。
その無知を正すことなく踏襲して因縁解脱としたのが桐山教です。
どうしてこんな正統仏教にはない用語と概念にこだわる必要があるわけ?
悪趣から離れる道なら悪趣解脱でよいではないか?
悪趣に至る因縁、原因が煩悩ならば煩悩解脱の方がよくわかる。
どうしても運命好転にしたいのならば誰かさんが書いたように運命解脱なんて
造語もある。
専門家でも難しいとされる十二因縁、十二縁起まで持ち出して因縁解脱なんて
やってもかえってわかりにくい。
仮に仏教の方に因縁解脱という用語があってわかりにくいので桐山さんの方が
煩悩解脱とか悪趣解脱と造語するならわかるが、どうして因縁解脱と造語して
かえってわかりにくくする?

627ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/05(金) 23:26:58 ID:SmEF4Oe2O
>>619
じゃあ逆に質問するが、55−37の18はどうなるのよ?
桐山さんが金科玉条に説く三十七道品では18も足りなく不完全ですよね?
どう思う?

628深山:2009/06/06(土) 21:04:17 ID:hcy8.x2A0
>>614 :準シュダオン:2009/06/05(金) 11:49:50 ID:XESnzsYQ0
>三聚経に於いて、お釈迦さまは、
>「六法向涅槃、謂六思念、念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天」
>と、説いています。

これがどうかしましたか。
釈尊が在家に説いた内容です。
三宝に帰依して、在家として布施をして、戒律と教法を守って煩悩を減らせば、
シュダオンになり天界に行けるという話です。
桐山さんが十結の阿含経で講義した内容と同じで、在家はアナゴンまで行ける。
だが、これのどこに、供養すればシュダオンになれるとあるのだ?
布施供養は在家が当然するべき内容だが、
どこにもそれでシュダオンになれるとは書いていない。
シュダオンになるためには戒律を守り、少なくとも三結をなくすことが条件です。
供養で煩悩が切れるのではありません。
あなたは三供養品にも供養が見えるらしいが、書いていない文字が読めるのですね。

629深山:2009/06/06(土) 21:07:05 ID:hcy8.x2A0
>>614 :準シュダオン:2009/06/05(金) 11:49:50 ID:XESnzsYQ0
>「六法向涅槃、謂六思念、念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天」

前にも書いたが、経典を引用するなら、
あなたが書き写した本の題名と頁数を示すことです。
準シュダオンさんは根拠を示さない天身さんの態度が正しいと思うか。
あなたは、遊行経のバラモンの供養の話を最初に引用した時、
釈尊が来世の果報を説いている部分をカットして出した。
私がその部分を引用して示した。
一部分だけではあなたのようにインチキをする人もいる。
桐山さんがさんざん捏造を繰り返したから、
批判側は元の経典を調べないでは、信用してならないと学習させられた。
だから、自分が正しいと主張したいなら、他人がその経典を調べられるように、
文献の元を示すのです。
阿含経は数千もあると言われているのだから、
よほど有名な経典でもない限り、題名だけでは探し出せない。
あなたは平河出版の阿含経を使っているだろうが、
どうして漢訳のほうだけ出して、現代語訳を示さないのだ?
不親切というよりも、読者が読みにくいようにして、
自分の主張が正当であるかのように見せかけているのですか。
こんなふうに疑われたり、姑息だと言われたくないなら、
誰が読んでもわかる現代語訳のほうを示すべきです。

630深山:2009/06/06(土) 21:10:51 ID:hcy8.x2A0
>>614 :準シュダオン:2009/06/05(金) 11:49:50 ID:XESnzsYQ0
>また、六不退法という同じ名で、全く別の内容も説いています。

六不退法をあなたは今回初めて書いたと思っているのではありませんか。
六不退法のことはあなたは5/22に>>316で書いています。
私は>>355以降で反論しています。
だが、あなたはまったく見ようともせず、
二通りあるという主張を譲らず、5/28に>>451で六不退法
のことをまた出した。
つまり、ほぼ一週間たつと、あなたは自分が書いたことは忘れ、
もちろん反論などきれいに忘れて、また同じ事を書き始める。
今回も、平河出版の阿含経を読んで、六不退法に二つの解説を
していることを新たに大発見したと思って書いたのでしょう?
だが、すでに二週間以上も前にあなたはすでに書いており、
それを私から根拠にならないと反論されているのです。
あの時に使ったたとえをしましょう。
「佐藤さんは二人兄弟だ。したがって、山田さんも二人兄弟に違いない」
と言ったら、何の根拠もない主張に普通の人はあきれる。
だが、三善根に二つの意味があると主張するのはこれと同じです。
三善根の根拠として全然関係のない六不退法を出すのは、
まさに佐藤さんの兄弟の数をもって、山田さんの兄弟の数を
決めつけるようなもので、なんの意味もないというよりも、
あなたの知性が疑われます。

631深山:2009/06/06(土) 21:18:12 ID:hcy8.x2A0
>>614 :準シュダオン:2009/06/05(金) 11:49:50 ID:XESnzsYQ0
>三善根が、三善根=無貪瞋痴の経よりも早く説かれたと仮定して考えてみる
>ことは、客観的経典解釈に役立つと思います。

すでに何度も繰り返した同じ反論を繰り返します。
あなたの主張はスレ違いです。

「桐山さんは三善根に二つの意味があるとは言っていない。」
「学者は三善根に二つの意味があるとは言っていない。」(>>356)

三善根に二種類あるなどと言っているのはあなただけで、
桐山さんも学者も誰も言っていないから、スレ違いです。
あなたのは客観的な経典解釈などではありません。
なぜなら、三善根に二種類あるなど、経典に根拠がない。
早かろうが遅かろうが、釈尊はただの一度も三善根に二種類あるなどと説いていない。
釈尊はどの経典でも、三善根について「これは別な三善根である」とは説いていない。
常に、三善根とは無貪・無瞋・無癡であり、三供養品を含めて、
どの経典もこの解釈で意味が通じます。
三供養品のどこに供養という言葉があるのだ?
ありもしない言葉を勝手に仮定することのどこが客観的経典解釈なのだ?
三善根に二種類あるなどと桐山さんは主張していないのだから、
そんな説はここでは議論の対象ではない。
どうしてあなたはスレ違いという、議論以前の社会的なルールすら
守ろうとしないのだ?
何度注意されても無視するのが、年長者の示す態度か?
本当に恥知らずなんですね。

632深山:2009/06/06(土) 21:22:57 ID:hcy8.x2A0
>>615 :準シュダオン:2009/06/05(金) 12:22:16 ID:XESnzsYQ0
>私は自分の真実を書いてるわけで、なにも深山さんが邪推してるような、
>ごまかしなどしていませんよ。
>仏教が煩悩解脱だけを説いてるのならば、私は仏教徒にはならなかったよ。

上記の文章自体がごまかしだと言っているのです。
あなたがどういう理由でアゴン宗に入ったかなんてどうでもいい。
事実は簡単で、あなたは仏教徒ではない。
あなたも私もアゴン宗以外には帰依したことがない。
仏教徒とは、仏教の僧侶に帰依を申し出て初めて仏教徒となる。
だが、桐山さんは僧侶ではないから、あなたも私も仏教徒ではない。
アゴン宗では、阿含経に存在しない因縁解脱を大解脱だと自称し、
釈尊の説いた漏尽解脱(煩悩解脱)を小解脱だと罵る。
釈尊がこれしかないと説いた八正道を
初学のためのオシエにすぎないと罵る。
釈尊が禁止した護摩や占いを一番の売り物にして、
釈尊が否定した死者成仏を説く。
供養でシュダオンになれるなどと釈尊が説いてもいないことを主張する。
アゴン宗のしていることは釈尊時代のバラモン教とそっくりです。
そこの信者にすぎないあなたが仏教徒であるはすがない。
相変わらず、あなたは漏尽解脱を小馬鹿にしている。
伝統仏教ですら、因縁解脱なんてタワケは言いません。
アゴン宗もあなたも正真正銘の外道で、仏教でも仏教徒でもありません。

633深山:2009/06/06(土) 21:27:02 ID:hcy8.x2A0
>>615 :準シュダオン:2009/06/05(金) 12:22:16 ID:XESnzsYQ0
>お釈迦さま説くところの、「悪趣」とは、
>管長が説くところの「運命の星(因縁)」と同じことでしょうよ。
>管長は悪趣の内容を、詳しく分析分類してるにすぎません。

悪趣がどうして運命の星なのですか。
アゴン宗の教義ですら、両者は区別している。
悪因縁を持っている人の境涯を悪趣と言っているのであって、
両者は別物です。
アゴン宗の悪因縁とは悪い運命のことであり、
アゴン宗の三悪趣とは、その悪い運命に苦しむような境涯を指している。
運命と境涯では違います。
ましてや、悪趣と因縁が同じだなんて経典のどこにあるのだ?
煩悩と因縁は同じだと言ってみたりと、あなたの頭って、
ミソクソでメチャクチャですよね。
いずれも桐山さんが言ってもいない勝手なことを書いているのだから、
桐山ゲイカに対しても非常に失礼なことです。
アゴン宗の教義と違うことはここには書かないでください。
準シュダオンさんの個人的な宗教観など誰も関心も興味もない。
あなたのその黒い腹の中にしまっておいてください。

634深山:2009/06/06(土) 21:33:35 ID:hcy8.x2A0
>>616 :準シュダオン:2009/06/05(金) 12:39:27 ID:XESnzsYQ0
>お釈迦さまは、人を悪趣に結びつけているのは煩悩だ、と説きました。
>つまり、悪趣に結びつける因縁は煩悩です。
>つまり、この場合、因縁=煩悩、です。
>つまり、煩悩解脱と呼ぼうが、因縁解脱と呼ぼうが、同じことです。

いいえ、違います。
あなたはこれを四年前から言い続けて、
そのたびに批判され、否定されても無視して、同じ事を書き続けている。
四年間、何の学習効果もないあなたを見ていると、
どういう頭をしているのかと時々読んでいて不思議になる。
針の飛ぶレコードとはあなたのような人をいうのでしょう。
釈尊は悪趣に結びつけている因縁(原因)とは煩悩だから、
煩悩を切れと言ったのです。
なんのために、わざわざそれを原因を切れなどと言う必要があるのですか。
漏尽解脱(煩悩解脱)というわかりやすい表現なのに、
なんのために原因解脱なんて意味のわからない表記にする必要があるのだ?
桐山さんは因縁と煩悩とは別物であると述べている、
因縁解脱と煩悩解脱も別だと言っているのだから、
上記のあなたの主張はアゴン宗の教義ですらない。
あなたの書いていることの大半は、仏教の説でもなく、
かといってアゴン宗の説でもないのだから、信者の役にすら立たない。
桐山説とすらも違うその勝手な主張を書くのはやめてもらえませんか。
ここはあなたの空想宗教を論じる場ではありません。
年相応に場所柄をわきまえたらどうか。

635深山:2009/06/06(土) 21:41:57 ID:hcy8.x2A0
>>616 :準シュダオン:2009/06/05(金) 12:39:27 ID:XESnzsYQ0
>お釈迦さまは、無明という煩悩を断つことによって、12因縁(苦の人生)
>から解脱できる、と説きました。
>つまり、煩悩解脱は12因縁解脱のための手段なのですね。

煩悩を断ちきることで苦から脱出できると説いたという一文目の説明は正しい。
それらは煩悩からの解脱だから、漏尽解脱(煩悩解脱)なら説いたが、
「12因縁解脱」など釈尊は説いておらず、こんな言葉は存在しない。
さすがの桐山さんも12因縁解脱などという奇妙な言葉を用いていません。
仏教にもないし、桐山さんも説いていないのだから、
12因縁解脱などあなたの個人的な宗教観です。
こういうスレ違いな主張をいつまでもいつまでも繰り返すのは
やめてもらえませんか。
四年前、あなたが桐山さんの本を引用して主張した時の
ことを思い出してください。
あなたはあの時、正しいやり方した。
私は、良い信者が出てきたと喜んでいた。
ところが、それ以後、反論を無視して、ひたすらあなたの個人的な
宗教観を書き並べ、ろくに修行していないことに言い訳を並べ、
シュダオンに近いなどと慢心の垂れ流し。
四年前に戻り、もう一度桐山さんの本をしっかり読んで、
個人的な解釈や自惚れ妄想ではなく、アゴン宗の教義を主張してください。

636深山:2009/06/06(土) 21:46:45 ID:hcy8.x2A0
>>616 :準シュダオン:2009/06/05(金) 12:39:27 ID:XESnzsYQ0
>つまり、阿含経は、12因縁解脱を説いています。

説いていません。
仏教には十二因縁はあるが12因縁解脱など存在しない。
因縁とはあなたが書いたように、

>205 :準シュダオン:2009/04/24(金) 12:37:07 ID:KMKdPsPW
>因縁とは原因のことですからね。

そのとおりで、原因というくらいの意味です。
原因を解脱せよ、なんて日本語としてすら成り立たない。
十二因縁とは、苦の原因(因縁)とは何かを示したものです。
十二個並べて、一つ手前の原因(因縁)をなくせと言っているのではありません。
無明こそが苦の原因だから、無明がなくなれば行がなくなり、
行がなれば識がなくなる、というように、無明をなくすことを説いたのです。
一つ手前の原因を解脱せよではなく、最初の無明という煩悩をなくせと説いたのです。
無明がなくなれば、残りは全部なくなり、苦は消滅する。
12因縁解脱という言葉自体があなたの捏造であり、
仏教には存在しないし、こんな言葉を用いること自体が
十二因縁の内容を理解していない証拠です。

637深山:2009/06/06(土) 21:55:43 ID:hcy8.x2A0
>>618 :準シュダオン:2009/06/05(金) 13:29:33 ID:XESnzsYQ0
>お釈迦さまはちゃんと、
>「世尊告諸比丘 謂四念処 四神足 ・・・八正道」というように、分類
>して説いてますよ。

信者なら応説経をもって来なさい。
応説経に釈尊は何度も七科目を並べている。
私は元信者だから「ネンジョー ショーゴン ニョイソク コン リキ カク ドー」と
応説経を勤行と称して念仏みたいに唱えた。
あなたのような不真面目な信者とは違います。
だから、阿含経にしばしば七科が出てくることくらい知っています。
これを知った上で八正道こそが釈尊の説いた教法だと言っているのです。
でできたのが全部修行だというなら、
あなたが前に出した100科550道品をどう位置づけるのだ?
三十七道品はこれとどう関係しているのだ?
三十七道品が釈尊が説いた修行法の体系なら、100科550道品なんて
いらないのに、サーリプッタが説いたのを釈尊は認めたことになっている。
これをどう説明するのだ?
釈尊が八支の道こそが修行法であると説いている多くの経典との
矛盾をどう解釈するのだ?
何度もあなたにはこれを質問しているが、相変わらず無視している。
答えられないのでしょう?
何とかの一つ覚えみたいに、7科目を並べて、八正道が三十七道品の中に
入っていると幼稚園児並の主張を繰り返すばかりです。

638深山:2009/06/06(土) 22:01:08 ID:hcy8.x2A0
>>618 :準シュダオン:2009/06/05(金) 13:29:33 ID:XESnzsYQ0
>お釈迦さまはちゃんと、
>「世尊告諸比丘 謂四念処 四神足 ・・・八正道」というように、分類
>して説いてますよ。

あなたが引用した経典も応説経も、どこに「三十七道品」だと説いているのですか。
三十七道品を説くことと、7科を並べることは違うのですよ。
>>623で樹意さんが三十七道品という名前の出てくる阿含経を並べてくれた。
何千もある阿含経にこれしか出てこない。
信者さんたちは驚きませんか。
桐山さんが七科三十七道品こそが釈尊が説いた成仏ホウだと言っている。
三十七道品という体系だった内容を釈尊が説いたのなら、
釈尊は三十七道品を繰り返し言ったはずなのに、
経典に出てくるのはたったこれだけです。
応説経ですら、7科が並んでいるだけで、三十七道品という
言葉が出てきていない。
三十七道品という体系を作り出したのは後世の人であって、
釈尊ではありません。
この違い、わかりますか。
応説経がそうであるように、釈尊は7科を並べることはしました。
しかし、それらを体系だった修行法として説いたのではなく、
様々な切り口で修行法を繰り返し表現しただけです。
だから、内容は大小様々で、重複し、順序にも意味はなく、数字で並べてあるだけです。
これを後世の人たちが、三十七道品と名前をつけたために、
まるで体系だった修行法であるかのように誤解されてしまった。

639深山:2009/06/06(土) 22:07:15 ID:hcy8.x2A0
「阿含経典にはこのほか種々の修行項目や、観法が説かれているが、
それらはすべて覚支(あるいは「菩提分」「菩提分法」)とよばれ、
後に次の三十七項目にまとめられた。」
(『仏教入門』高崎直道、162頁)

「後に」という言葉を見てください。
三十七道品という体系をしたのは釈尊ではなく、後の人たちなのです。
釈尊は三十七道品に相当する内容をただ並べているだけで、
体系だった修行法として述べているのではありません。
後世の人たちが七科をそのように総称して、
大系だった修行法であるかのようにしてしまったのです。
だから、三十七道品の内容が、八正道に全部入ってしまうことなど
なんの不思議もない。
たとえば、学校の先生が「英語は発音して覚える。睡眠を十分にとる。
数学と英語は点数がとりやすい。勉強する。」と話したら、
これを先生の説いた四科勉強法という体系だと言うだろうか。
先生の話は体系だった話ではないし、四つ目の
「勉強する」の一言に集約されている。
八正道とは、この「勉強する」に相当するのです。
三十七道品などという言葉自体が最初はなく、
7科の総目次が八正道なのは当たり前なのです。
100科550道品の総目次も八正道です。

640深山:2009/06/06(土) 22:16:12 ID:hcy8.x2A0
>>618 :準シュダオン:2009/06/05(金) 13:29:33 ID:XESnzsYQ0
>深山さんこそ、学者先生のいうことを丸のみしないで、自分でも確かめて
>もの言ってちょうだい。

学者も自分で確かめたから、四諦の道とは八正道だと述べているのです。
学者たちが応説経を読んでもおらず、三十七道品も知らずに、
四諦の道を八正道だと言っていると思っているのか?
あなたがちょっと読んだだけで指摘しているような内容を、
二千五百年間の仏教の学者たちが気が付かなかったと本気で思っているのか。
平河出版を本を一冊めくっている程度なのに、本当にオメデタイ人だ。
学者ではなく、釈尊が八支の道しかないと説いています。
七科目全部が修行法なら、どうして釈尊は八正道しかないと言ったのですか。
これは信者さんたちもよく考えてほしい。
桐山さんの説では矛盾して説明がつかない。
話は簡単で、残りの六科が全部八正道に入ってしまうから、
また、100科550道品も全部八正道に入ってしまうから、
釈尊は八支の道しかないと説いているのです。
また、阿含経そのように書いてあるから、四諦の道とは八正道以外には
ありえないというのが二千五百年間の定説です。
ところが、桐山さんは因縁解脱だの、カルマをちょん切るだの
あるはずのない修行法を阿含経にあるなどと主張するから、
八正道を初学のオシエだなどと無知と馬鹿をさらしたことを
書いてしまったのです。

641深山:2009/06/06(土) 22:19:59 ID:hcy8.x2A0
>>619 :準シュダオン:2009/06/05(金) 14:00:06 ID:XESnzsYQ0
>正見〜正定までの八正道を修行せよ!
>と、言われても、具体的な修行法を習わなければ、意味がないということを
>管長は指摘しているのです。

「具体的な修行法を習わなければ」という一文は桐山さんの口まねですね。
阿含経はその具体的な修行法だらけです。
桐山さんもあなたもどこに目を付けているのだ?
見えないのでしょう?
だから、三善根は目標であって修行法ではないなどと、偉そうにお説教を垂れる。
釈尊の修行法を理解したら、三善根とは目標であり、修行法であることに
気が付かないはずはない。
桐山さんもあなたも釈尊が何を解脱と説いたか理解していないからです。
桐山さんは因縁切りだと信じ込んでいる。
正見をもったって、横変死の因縁が切れるようには見えない。
正定をしても、刑獄の因縁がなくなるようには見えない。
そのとおりで、八正道をいくら実践しても、悪因縁など切れません。
八正道を釈尊はきちんと説明しています。
阿含経の中はそればかりです。
だが、あなたも桐山さんも気が付かない。
なぜなら、因縁切りなどという釈尊が説いてもいないものを求めているからです。
女子トイレに入って、「どうしてここには小便器がないのだ」と
文句を言っているようなもので、かなり恥ずかしい。

642深山:2009/06/06(土) 22:25:24 ID:hcy8.x2A0
>>620 :準シュダオン:2009/06/05(金) 14:41:06 ID:XESnzsYQ0
>これらの法は、すべて八正道に含まれますか?

はい、すべて含まれます。
そんなことは阿含経の中にも書いてあるし、学者も解説している。
そればかりか、私やユビキタスさんや樹意さんがしばしば概要を説明している。
でも、あなたは修行法を説明されたなんて、記憶にすらない。
あなたは言葉では、釈尊が説いた解脱とは漏尽解脱だと言いながら、
その意味を理解していないし、何よりも価値を置いていない。
桐山さんと同じで、どこかで小馬鹿にしている。
だから、いくら阿含経を読んで、釈尊本人から説明されても、
意味がわからない。
目の前にあっても桐山さんもあなたも見えないのです。
かつて自分もそうだったから、笑ってはいけないのだろうが、笑ってしまう。
あなたと違うのは、私は自分が何か間違っているのではないかと疑った。
つまり、あなたほどには自惚れが強くないから、目の前にあることに気が付いたのです。

643深山:2009/06/06(土) 22:27:39 ID:hcy8.x2A0
>>620 :準シュダオン:2009/06/05(金) 14:41:06 ID:XESnzsYQ0
>お釈迦さまが、これらの法は、八正道の具体的修行法である、と、解説して
>いてくだされば問題はないのですけどね。

解説しています。
桐山さんもあなたも聞く耳を持たず、それをオシエだと唾棄している。
素人の私ですら、四正断を何度かここに出した。
過去の過ちはこれを反省して二度としないことです。
では、準シュダオンさんも四正断を実行して、すでに反論され、否定された
内容をクドクドと根拠も示さすに同じ主張を繰り返すのはやめたらどうか。
護摩を焚くことを釈尊は禁止した。
では、準シュダオンさんも四正断を実行して、護摩木祈願も護摩を拝むのをやめたらどうか。
釈尊は瞋を捨てるように説いた。
「オレはシュダオンに近い」などと瞋を丸出しにするのはやめればいい。
それをするに修行法とやらを示されないとできないことか。
その威張り腐った態度と思い上がりを捨てろと言われているだけです。
こんなふうに具体的に釈尊は指示しているにもかかわらず、
完全に無視して、「解説してくだされば」などとほざく。
解説されても小馬鹿にしてオシエだと唾棄して、
ではやれるのかというと、しようともしない。
それでいて「修行法を示せ」などと偉そうに言い続ける。
桐山さんもあなたもどうしようもない人たちですね。

644深山:2009/06/06(土) 22:31:58 ID:hcy8.x2A0
>>619 :準シュダオン:2009/06/05(金) 14:00:06 ID:XESnzsYQ0
>また、雑阿含経で、お釈迦さまが阿難に対して、
>「善い友を得ることは修行のすべてである」
>と、説いたことがあります。
>これをもって、すべての修行法は善い友を得ることに含まれる、
>となりますか?ならないですね。

なります。
こんなこともわからないとは、あなたは本当に釈尊を信じていないのですね。
善き友を得ることは修行のすべてに決まっている。
釈尊がアーナンダに告げた善き友とは釈尊本人のことです。
彼に輪廻の苦の中から解脱できる道を教えてくれた善き友とは釈尊です。
釈尊という善き友がいなかったなら、アーナンダはそのまま輪廻の中にいた。
解脱できるかできないか、これを決定づけたのは修行法を教えてくれた善き友です。
だから、善き友こそが修行の「すべて」です。
その逆の例が、アゴン宗の信者である準シュダオンさんです。

645深山:2009/06/06(土) 22:35:19 ID:hcy8.x2A0
>>619 :準シュダオン:2009/06/05(金) 14:00:06 ID:XESnzsYQ0
>「善い友を得ることは修行のすべてである」

あなたの友とは桐山ゲイカです。
桐山ゲイカの指示どおり、欲望と執着と慢心のまま
護摩や占いなど外道の行いによってこれらの煩悩を増やし、
ますます磨きをかけている。
釈尊は輪廻の素は煩悩だと説いた。
あなたは輪廻の素を増やしているのだから、
仏教の解脱からはますます遠ざかっている。
その原因を作ったあなたの友は桐山ゲイカです。
友の選び方を間違えたために、いよいよあなたは輪廻の
世界に迷い込んでいる。
せめて世俗の人のように、輪廻からの解脱なんて考えていないのならまだいい。
預流に近づいたなどと言っているのだから、
自分では解脱への道を歩んでいると自惚れている。
その自惚れこそがますます解脱の道から遠ざける素なのだということがわからない。
このように、善き友とは正反対の悪しき友を得ると、解脱から遠ざかるのです。
これは信者さんたちにも気が付いてほしい。
釈尊のいう善き友とは、釈尊とその教法をそのまま実践している人以外にはいない。
アゴン宗や桐山さんのように、釈尊の教法を初学のオシエと罵り、
釈尊の説く漏尽解脱を小解脱と罵るような人は悪しき友です。
善き友は解脱をもたらし、悪しき友は解脱から遠ざける。
だから、善き友は修行のすべです。

646準シュダオン:2009/06/07(日) 16:53:01 ID:XESnzsYQ0
時間がないので最新のレスから読んで感想を記しましょう。
昨日、私は仕事の関係で、某メンバー約30名と某温泉に出かけて、懇親を
深めた。阿含信徒は私だけ、全くの社会的集まりですよ。そういう人間関係
を築けています。

さて、八正道、正思、正語、正命、等、正しい言葉使いをして正しい生活を
しましょう、なんてのは学校の生活指導と全く同じで、私でさえも簡単な
道徳指導と思ってしまう。樹意さんや、深山さんは、八正道を神聖視し過ぎ
ではありませんか?五比丘に説いた四諦・八正道が仏教のすべて、という
従来の学説を鵜呑みにしていませんか?

さて、自分でも成仏法を探して修行してみるか、と考えて阿含経を読んで
見ると、管長と同じく八正道に疑問が生じてきますよ。もしかすると、
八正道は修行法ではなくて、目標なのではないか?とも思えますね。
管長の指摘は、苦諦集諦滅諦道諦の、道諦≠八正道、ということでした。

正見とは、修行の結果得られる正しい見解です。
だから、正見を修行せよ、というのは厳密にはおかしいです。
正見を得られるように修行せよ、というのが正しい言い方でしょう。
シュダオンの正見もあれば、シダゴンの正見もあれば、アナゴンの正見も
あります。それぞれのレベルで見解が違うわけです。
何が正見なのか?という管長の指摘は、そういう意味も含んでいます。

647準シュダオン:2009/06/07(日) 17:07:06 ID:XESnzsYQ0
善い友とは釈尊自身のこと、と考えている深山さんは間違えてますよ。
善き友、善き仲間、と表現した阿難の「友の対象」は、修行仲間を指して
います。その質問に釈尊は答えたのです。
釈尊は修行仲間ではなく、指導者です。師なのです。

師については、「善き師、悪しき師」という経が、長阿含経にありますね。

648準シュダオン:2009/06/07(日) 17:20:48 ID:XESnzsYQ0
釈迦は護摩を禁じた、とはいえ、阿含宗は釈迦の教えだけを説いてるわけ
ではありません。
密教も教えているわけです。深山さんは、そこを理解しないといけません。
管長は、首でも吊ろうとしたとき、密教の准胝観音様に命を救われたのです
よ!その密教は捨てられないでしょう。いわば、護摩を通して阿含経にたど
りついたわけですからね。

お釈迦さまにしても、自分が説いた37道品を元にして護摩を焚かれたら、
仕方がない、と思うのではありませんか。
だから如来が現形なされたんですよ。

魔王の現形、に見える人には仕方ありませんW。

649準シュダオン:2009/06/07(日) 17:52:12 ID:XESnzsYQ0
管長の道諦と八正道への指摘を、喩えで説明しましょうね。
深山さんも、冷静に考えて見ましょう。

水泳法を解説した経典があったとする。
1、クロールの泳法(あちこちの経に具体的に泳法を説いている)
2、背泳法(あちこちの経に具体的に泳法を説いている)
3、平泳ぎ法(あちこちの経に具体的に泳法を説いている)
4、バタフライ泳法(あちこちの経に具体的に泳法を説いている)
5、八正体泳げる法(泳ぐときの正しい頭の姿勢、正肩、正腕、正手、正胸
         正腰、正膝、正足、この八の正しい姿勢が泳法の要で
         あり、すべてである。ゆえに之を獲得せよ。)
 ※5の八正体泳げる法の具体的練習法はどこにも説かれていないとす。

また、四つの真理がある。
1、カナツチ諦・・・・泳げない真理
2、カナツチ集諦・・・泳げない原因の真理
3、カナツチ滅諦・・・原因滅すればカナツチ滅する真理
4、泳げる諦・・・・・泳げる法を修習すれば泳げる真理

さあ、ここでじっくり、考えてください。
4、泳げる諦、とは、1〜5の泳法のどれでしょうか?
泳げる法との名があるから、5の八正体泳げる法が、泳げる諦ですか?
管長の指摘は、そういうことです。

5の八正体泳げる法には、1〜4までの泳法が含まれているのだ、経典に
そう書いてあるから、というのが、深山さんの主張です。

650準シュダオン:2009/06/07(日) 21:11:48 ID:XESnzsYQ0
まさか!とは思いますが、念のため言っておきますよ。
般若心経瞑想法のP119をみれば解るように、八正道=道諦、
との経典や学者の説を、多々見た上での、管長のモノ言いである
ことを、理解してくださいね。

樹意さんが示した八正道に関する経などを、吟味した上での、
管長のモノ言いなのです。私でさえ、阿含経の修行法を探して
いるうちに、管長と同じ疑問を持ちましたよ。学者の説を鵜呑
みしているうちは、ダメだと思いますねえ。

八正道は小乗仏教の修行法である、道諦=八正道とは、これまで
の学者の皆が言っています。だが、真剣に修行法を追求していれば
管長と同じ疑問を持つ、と私は思います。八正道は修行法になって
いないのです。八正道とは、修行の結果得られる行動様式です。

樹意さんや深山さんは、阿含宗への見きりが早すぎましたね。
残念なことです。法友にも恵まれていなかったですね。

651ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/07(日) 23:10:18 ID:SmEF4Oe2O
>>646
つまり仕事仲間にアゴン宗の信者が一人もいないとは、そちらの方でお導き活動を
やってないということね。
まあそんなことはどうでもいいが、釈尊が説いた八正道を学校の生活指導に過ぎない
とは、よくもまあこれだけ釈尊を侮辱することができますね。
単なる倫理道徳に過ぎないとか。
ならば言わせてもらう。
桐山さんは「輪廻する葦」で七覚支について細かく解説しました。
七覚支こそ修行体系がその順序の通りきちんと示されたものですが、桐山さんに
よって示された解説って、あれ何ですか?
一杯の天ぷらそばの話とか、単に道徳的な教訓に過ぎないではありませんか?
あの解説こそ単なる言葉による説教、オシエに過ぎないと当時から疑問に感じましたよ。

652ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/07(日) 23:21:25 ID:SmEF4Oe2O
>>647
釈尊はギターを手にして
下駄を鳴らして奴が来る〜♪
腰に手拭いぶら下げて〜♪
学生服に染み込んだ〜♪
男の匂いがやって来る♪
あ〜あ〜♪夢よよき友よ♪
とか、ムッシュかまやつみたいな歌を歌ったと思いますか?
そんな世間的な屈託のない友人関係など説いていない。
あなたの言うように修行仲間なら、まさに共に釈尊の説く真実の道を歩もうと
いう共鳴できるし、励まし合える友人のことではないですか?
それを抜きに温泉仲間でワイワイやるのもいいものだなんて話ではない。
アゴン宗の大好きな聖衆ですよ。
仏法僧の三宝の僧ですよ。
よき修行仲間のいるところには仏もいて正しい法もある。
これを求めるのが一番ではないか?

653ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/07(日) 23:35:30 ID:SmEF4Oe2O
>>648
あのね、護摩を禁じる釈尊の阿含経だけでなく、その禁じた護摩も焚く密教もやって
救われたという人がいて、釈尊は「ま、三十七道品もやったかやらないかはさておき
名前だけ出してくれたのだから、許してやろうなどと妥協して、どうして彼の焚く
護摩の炎に顔を出さねばならないのだ?
そんなに釈尊は安っぽい存在なのか?
桐山さんによると現形の仏とは法爾無作の仏といって仏自らの意志で現れたのだ。
釈尊が「仕方がない」と妥協して自分の禁じた護摩に顔を出す?
桐山さんはそんなことを言ってない。
阿含経では救われずに密教で救われたなんて言ってない。
むしろ逆です。密教に限界を感じたから阿含経にまで行ってみて成仏力を得た
と示しているのです。

654ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/07(日) 23:59:29 ID:SmEF4Oe2O
>>649
なんか下手くそな物のたとえだが、八正道を水泳そのものとしましょう。
クロールや平泳ぎが別の経典でも説かれている。
他にも海水浴とかホテルのプールでのレジャーとか、経典は説く。
これが三十七水泳道品です。
四諦ですが、桐山さんの説き方はこうです。
「おまえ苦しいだろう?」
「はい、苦しいです」
「なんで苦しいかわかるか?」
「わかりません」
「それは集めているからなんだぞ。苦しみになるモト、原因を集めているからだ」
「なるほど、目からウロコが落ちました。で、どうしましょう?」
「なくせ、滅せよ。その苦しみのモトを滅しなさい」
「なるほど、これまた目からウロコが落ちました。で、どうやってそれを滅します?」
「ここに道がある。仏道だ。この道をひたすら歩め」
つまり桐山さんも滅道の道を漠然と仏道と示している。
経典はここでその道とは八正道であると説くのだが、桐山さんはこれを嫌い、
八正道だけでは足りないとして七科三十七道品の成仏法と主張するのだが、
とりあえず仏道と簡単にまとめちゃっている。
その仏道があなたのたとえで水泳、泳ぎ方ならばこれは水泳全般を指す八正泳道
ではないか?
それにクロール泳法がどうのこうの言っているが、桐山さんの七覚支解説なんて
「徳目を並べたに過ぎず修行法そのものではない」とした大乗の六波羅蜜の解説
と変わらぬ単なる道徳説教です。

655ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/08(月) 00:07:40 ID:SmEF4Oe2O
>>650
学者の説ではなく釈尊その人の説なのです。
なぜなら釈尊の説いた経典に八正道がその道諦であることを明記しているからです。
だから学者としては解釈もクソもない。経典にズバリ書いてあるのだから
それを示し紹介するだけなんですよ。
これに異論を唱えることは学者の解釈に異義を唱えることではなく、経典の向こうの
釈尊に異義を唱えたことになる。
道諦の道は八正道だと説く釈尊に、それ違うと思いますと言ったことになる。

656ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/08(月) 08:30:16 ID:SmEF4Oe2O
>>646
八正道が学校の生活指導にしか見えないのはあなたが8つの項目の字面だけで
独断しているからです。
しかしこれは桐山さんだって同じことをしている。
「輪廻する葦」で開示された七覚支だってあんな解説は人生教訓の道徳にしか
思えない。本当は順序を追って修習すべきシステムなのに、喜んで修行に励めとか
人生徳目にしてしまっている。
それは七覚支の7つの字面だけでしか判断してないからです。
もっとも道徳的色彩の少ない四神足だって、ではどう具体的に神通力を得るのか
あなたはわかるのか?
「観神足〜、心神足〜」とぶつぶつ念じていれば神通力が生じるなんてことないでしょ?
八正道もしかりです。
「しょーけん、しょーねん」とぶつぶつ念じているだけで正しい認識ができるわけがない。
八正道にばかり字面の道徳解釈で全てとして侮蔑するあなたの偏りに問題がある。

657準シュダオン:2009/06/08(月) 10:50:21 ID:XESnzsYQ0
樹意さんの清浄経を検索しても出てこない、というレスを今読んだ。
ネット、オンライン化はまだ不備ですね。しょうがないので、その部分だけ
を引用します。
清浄経・・・・
 爾時世尊告諸比丘、
「我於是法躬自作證 謂四念処 四神足 四意断 四禅 五根 五力 
 七覚意 賢聖八道・・・以下略」
と、説いてますよ。だから比丘らよ、お前たちも修習して悟りを得なさい、
と続きます。
ね、ちゃんとお釈迦さまは、修行法を分類して数まで示しているでしょ。
この場合は、四禅を含めて、8科41道品になっていますね。

658準シュダオン:2009/06/08(月) 11:17:49 ID:XESnzsYQ0
前レスで、八正道が賢聖八道になっています。同じ意味でしょうか?
違うでしょうね。正見、正思・・・正定は、聖人賢人の八正道でなければ
いけません。凡人の正見、正思など過ちばかりです。

アラカンの八正道には非の打ちどころがないでしょう。
ですから、すべての修行法は、アラカンの賢聖八道を獲得するために行う、
と、説明されるのならば、理解できます。

ところが、四念処とは正念の具体的修行法だ、と説明されると、
「そのようにも思えるけど、それは、ちょっと違うな」と、思えてきます。
経典を読むたびに、その考えには疑問が湧いてきますね。
それならば、「如何が正念、それは四念処」などと説いてる経典があるはず
だと思います。

659深山:2009/06/08(月) 12:53:42 ID:klfZ23Fo0
>>648 :準シュダオン:2009/06/07(日) 17:20:48 ID:XESnzsYQ0
>釈迦は護摩を禁じた、とはいえ、阿含宗は釈迦の教えだけを説いてるわけ
>ではありません。
>密教も教えているわけです。深山さんは、そこを理解しないといけません。

もっと正確にアゴン宗の教義を理解したほうがいい。
アゴン宗は密教を教えているのではなく、密教の様式だけを取り入れたのです。
密教は中身が何もない形ばかりの宗教だから、桐山さんは阿含経から
その中身であるオシャカの成仏ホーを取り入れた。
だから、アゴン宗は阿含経のみを依経としており、
密教経典は依経としていません。
これはありとあらゆる意味で阿含経こそが最優先になるという意味です。
真言密教の教団として阿含経も取り入れたというなら、
阿含経は二の次だから、密教教義が優先される。
観音慈恵会時代は、密教系だから、護摩を焚いてもおかしくはない。
だが、桐山さんは密教は様式しかないと言っているくらいだから、
阿含経の教法こそが最優先です。
その阿含経では護摩は禁止されている。
最優先されるべき阿含経で禁止されたことをするのはおかしい。
阿含経を依経として旗印に使っているのに、禁止されていることを
するのは旗印に違反しているだから、自己矛盾しているのです。
交通法規を守りますと宣言しているのに、
「おれは酒は否定していない」と酒を飲んで運転しているようなものです。

660深山:2009/06/08(月) 13:00:38 ID:klfZ23Fo0
>>647 :準シュダオン:2009/06/07(日) 17:07:06 ID:XESnzsYQ0
>善い友とは釈尊自身のこと、と考えている深山さんは間違えてますよ。
>善き友、善き仲間、と表現した阿難の「友の対象」は、修行仲間を指して
>います。その質問に釈尊は答えたのです。
>釈尊は修行仲間ではなく、指導者です。師なのです。

これはあなたが間違っている。
第一に、私は善き友を釈尊だけに限定などしていない。

「釈尊のいう善き友とは、釈尊とその教法をそのまま実践している人以外にはいない。」(>>645)

善き友が釈尊など、解脱を目指すいわゆる聖衆を指すのは
あなたに教えてもらわなくてもわかる。
私がアーナンダの善き友とは釈尊だと書いたのは、
アーナンダを直接導いたのが釈尊だからです。
彼が後に解脱できたのは他の人ではなく、釈尊が彼を出家させたからです。
善き友の意味は、解脱を教えてくれて、また共に解脱への
道を歩む人だからこそ、すべてなのです。
ただの友人や知り合いではありません。
このようにアーナンダにとっての善き友とは第一に釈尊であることは明かです。
第二に、釈尊のいう善き友には釈尊本人も含まれます。
あなたは桐山さんと自分との関係から連想して、釈尊と弟子たちも
師が威張り、弟子がはいつくばるという上下関係だと思っている。
あなたもアゴン宗の信者たちも、釈尊は弟子たちにかしずかれ、
僧院の奥で瞑想して、特別な場合以外は会えないと思っている。
だが、釈尊は桐山さんみたいに周囲に威張り散らしたりはしていない。
現実の釈尊が他の僧侶となんら変わりなかったことは、
ジャイナ教が証明しているのです。
ジャイナ教では仏教の教祖とはサーリプッタだと書いてあった。
それくらい釈尊は目立たない存在だったのです。
あなたは釈尊と弟子たちは上下関係でできており、
友などという対等な関係であるはずかないと決めつけているが、
釈尊自らが次のようにあなたの考えが間違っていることを指摘しています。

661深山:2009/06/08(月) 13:04:35 ID:klfZ23Fo0
>>647 :準シュダオン:2009/06/07(日) 17:07:06 ID:XESnzsYQ0
>釈尊は修行仲間ではなく、指導者です。師なのです。

「『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、
あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』とこのよう言う者こそ、
修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。
しかし向上につとめた人は『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、
あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』と思うことがない。
向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。」
(ブッダ最後の旅、中村元、63ページ)

あなたは釈尊が指導者であって善き友ではないと書いた。
だが、上記の釈尊の言葉をよく読んでごらんなさい。
第一に、比丘たちを「なかま」と呼んで、対等に扱っている。
弟子とすら言っていないのです。
なかまとは善き友のことです。
釈尊と比丘たちは解脱の道を歩む善き友です。
第二に、釈尊は比丘たちから頼られることもなければ、
彼らを導くこともないとはっきりと断っている。
あなたのいう指導者とは違います。
釈尊はあなたや桐山さんの言う指導者とは違い、
教師として道を教えるだけで、実行するのは比丘たちです。
八正道という道を教えたにすぎず、それ以上のことは比丘本人がするしかない。
釈尊はあなたが考えているような指導者ではなく、
道を示すだけの善き友であり、釈尊自身は、自分の他と比丘たちを
区別するような言動は取らなかった。
あなたや桐山さんと違い、威張りたがり屋ではないからです。
この文章はあなた持っている平河出版の阿含経にも載っているのに、気が付かなかった。
いかにあなたの目が桐山教に曇らされているか、よくわかる。

662深山:2009/06/08(月) 13:09:14 ID:klfZ23Fo0
>>650 :準シュダオン:2009/06/07(日) 21:11:48 ID:XESnzsYQ0
>八正道は小乗仏教の修行法である、道諦=八正道とは、これまで
>の学者の皆が言っています。

議論を抜きにして、小乗仏教という言葉は使わないほうがいい。
差別用語です。
あなたも桐山さんから多少なりとも仏教史を習ったなら、
上座部や部派仏教を小乗仏教などというのは常識ある人なら使わない。
学者でも一部の人たちが未だに使っているのは事実だが、まねしないことです。
桐山さんの解説を聞きながら、偽経典を元にした大乗仏教という自惚れに
あなたはあきれなかったのか。
彼らの醜い傲慢さに嫌悪したから、彼らが用いた小乗仏教などという
侮蔑的な表記は使わないことです。
小乗仏教の修行法などというものは存在しない。
八正道は上座部や部派仏教で始まったものでも、学者が言っているのでもなく、
釈尊本人が説いた修行法であり、解脱にはこれしかないと本人が述べている。
これこそが正真正銘の釈尊の説いた修行法です。

663深山:2009/06/08(月) 13:12:18 ID:klfZ23Fo0
>>650 :準シュダオン:2009/06/07(日) 21:11:48 ID:XESnzsYQ0
>般若心経瞑想法のP119をみれば解るように、八正道=道諦、
>との経典や学者の説を、多々見た上での、管長のモノ言いである
>ことを、理解してくださいね。

桐山本に書いてあることと違うことを書いているのは、
批判側ではなく準シュダオンさんです。
私も批判側も、アゴン宗の教義を理解した上で書いている。
桐山さんが八正道を理解していないから、
八正道を初学のオシエだなどと馬鹿にできるのです。
あなたもそうです。
批判側は学者の説を鵜呑みになどしていない。
学者のは説ですらなく、あれは阿含経を読んだ上での説明です。
誰がどう読んでも阿含経にででくる四諦の道とは八正道です。
こんなことに異論を言っているのは聞いたことがないくらい明瞭なことです。
二千五百年間、学者や僧侶たちは四諦の道を八正道だと解釈した。
それがおかしいと言い出したのは桐山さんだけです。
しかも、桐山さんがこれを言い出した理由も明瞭です。
釈尊の説いた解脱をカルマを切ること、つまり因縁解脱だと信じているからです。
解脱を間違えたら、全部間違える。
カルマを切る法なんて探したら、八正道でないことは当たり前です。
味の素をふりかけながら、「これでは風邪が治らない」と
文句を言っているようなもので、味の素は風邪薬ではないから、当たり前です。
八正道ではカルマは切れない。
なにせ釈尊はカルマを切るなんて説いていないからです。
それを桐山さんは知ったかぶりで「八正道ではカルマを切れないから、
四諦の道は八正道ではない」などと言っている。
いかにバカな愚かな恥ずかしいことを言っているか、
本人が知らないのが幸いです。

664深山:2009/06/08(月) 13:16:27 ID:klfZ23Fo0
>>646 :準シュダオン:2009/06/07(日) 16:53:01 ID:XESnzsYQ0
>さて、八正道、正思、正語、正命、等、正しい言葉使いをして正しい生活を
>しましょう、なんてのは学校の生活指導と全く同じで、私でさえも簡単な
>道徳指導と思ってしまう。

やってから物を言いなさい。
簡単な道徳指導などと、やりもしないで、よく言いますね。
桐山さんもあなたもどうしてそんなに図々しいのだ?
倫理道徳をきちんと実践した上で上記のような発言をするなら、
発言する資格もあるでしょう。
桐山さんなど基本的な戒律すら守らずに、
倫理道徳を馬鹿にしきった言い方をする。
桐山さんもあなたも「正しい」を理解していない。
だから、あなたは学校の生活指導と変わりないと書いた。
あなたの仏教理解とはこんな程度ですよね。
正しいを一般名称だと勝手に解釈している。
実は多くの信者も、また桐山さんもそう思っている。
だから、桐山さんなど、「正しいとは何が正しいかわからない。
相対的なものである。これを判断するのが仏陀の智慧だ」
などと、したり顔でもっともらしことを書いている。
「正しい」の中身を理解していないからです。
驚くことに、信者がこれに共鳴する。
私はさすがに信者時代もその無知ぶりにあきれた。
だって、これでは桐山さんも信者も仏教のイロハすらも理解していないと
表明したようなものです。
それに汚染された信者の発言があなたの次の文章です。

665深山:2009/06/08(月) 13:20:15 ID:klfZ23Fo0
>>646 :準シュダオン:2009/06/07(日) 16:53:01 ID:XESnzsYQ0
>正見とは、修行の結果得られる正しい見解です。
>だから、正見を修行せよ、というのは厳密にはおかしいです。

違います。
正しい見解とは、簡単に言えば、四諦を理解することです。
この世界は苦であり(苦)、その原因は煩悩であり(集)、
釈尊はそれを滅する方法を説き間(滅)、それが八正道であるということです(道)。
これを理解することのどこが修行なのだ?
四諦の道を実践することは困難だが、理解するのはそれほど難しくない。
小学生でも高学年なら十分に理解できる内容です。
事実、二千五百年前の無学な人たちも理解した。
教育を受けた現代人が理解できない内容ではありません。
だが、慢心という煩悩が強すぎると、理解すらできない人たちがいる。
それが桐山さんやあなたです。
釈尊が平易にわかりやすく四諦をいくら説いても、
あるがまま理解するのではなく、まるっきり別な教法であると主張している。
桐山さんに言わせると、苦は因縁しだいで楽になるものであり(苦)、
苦の原因は悪因縁という前世からの業の報いであり(集)、
カルマをちょん切る因縁解脱の法こそが解脱の道だという(滅道)。
阿含経の四諦は小学生でも理解できる内容なのに、
いったい何をどう読めば、こんなカルマを断ち切るとか、
因縁次第で苦が楽になるなんて話が出てくるのか。
書いてもいないことを書いてあるというのだから、
おかしいのは、桐山さんやあなたの頭です。

666深山:2009/06/08(月) 13:25:55 ID:klfZ23Fo0
>>647 :準シュダオン:2009/06/07(日) 17:07:06 ID:XESnzsYQ0
>善い友とは釈尊自身のこと、と考えている深山さんは間違えてますよ。

何を議論して、私が何を反論したのか、すっかり忘れているようですね。
釈尊は八正道こそがすべてだというのを
あなたはどう解釈するのかという質問への答えです。
善き友の例を出して、善き友は道のすべてではなく、もののたとえにすぎないから、
八正道がすべてというのはおかしいというのがあなたの屁理屈です。
善き友と八正道は別な話なのに、あなたはまた六不退法のように(>>355)まったく
脈絡のない事を出して、根拠としている。
だが、私はそちらのことは指摘せずに、善き友は道のすべてだから、
あなたの主張の根拠にはならないと反論したのです。
だが、あなたは議論の内容をすっかり忘れて、
善き友が何を指すのかという点だけを今回反論している。
あなたは善き友が道のすべてではないことと、そこから、
八正道が道のすべてはないと証明しなければならないのです。
だが、そんなことはきれいに忘れている。
あなたは記憶力が衰え、どれほどピンボケなことをいつも書いているか、
これを見てもわかりませんか・・・わからないでしょうね。

667深山:2009/06/08(月) 13:36:13 ID:klfZ23Fo0
>>649 :準シュダオン:2009/06/07(日) 17:52:12 ID:XESnzsYQ0
>4、泳げる諦、とは、1〜5の泳法のどれでしょうか?

最初1〜5とは、三十七道品をたとえているのですね?
そのたとえ自体が間違っているのです。
あなたは、釈尊がいろいろな修行法を説いて体系化したのが三十七道品だと
いう桐山節を信じて、何度そうではないと言われても、理解できない。
後世の人たちが数字だけでくくったにすぎないのです。
あなたのわかりにくいたとえを応用するなら、
たとえば四念処がクロールで、四神足が平泳ぎなのではありません。
四念処から七覚支までほとんど全部にクロールや平泳ぎが入っている。
説明の仕方や切り口が違うだけです。
だから、あなたのたとえはたとえになっていないのです。
ただ一つだけあなたのたとえで正確なのは、八正道はその泳法のすべてが入っている点です。
なぜなら、総目次だからです。
余談だが、たとえとは、わかりやすく説明するためのものです。
あなたのようなたとえでは、何をどうたとえたか
理解するのに数回読み直さなければならない。
たとえをしないほうがかえってわかりやすい。

668深山:2009/06/08(月) 13:45:24 ID:klfZ23Fo0
>>658 :準シュダオン:2009/06/08(月) 11:17:49 ID:XESnzsYQ0
>前レスで、八正道が賢聖八道になっています。同じ意味でしょうか?

また子孫教の再開です。
あなたは前にも、八正道に二種類あると言い出した。
さんざん反論されたことをすっかり忘れて、また同じ事を言い出す。
釈尊が二つの立場から八正道を説いた経典はある。
しかし、これをもって八正道に二種類あるとか、
八正道に在家用と出家用があるなんてことはありません。
また、なによりも桐山さんはそんなことは説いていない。
何度も書くが、ここで議論をしたければ、桐山さんが説いていないこと、
阿含経に論拠のないことは出さないでほしい。
それをどうしてしたければ、子孫教スレを立ち上げるか、
仏教を議論するスレに行ってください。
ここはアゴン宗を議論するスレであり、あなたの個人的な
宗教見解を議論するスレではありません。

669深山:2009/06/08(月) 13:46:58 ID:klfZ23Fo0
>>649 :準シュダオン:2009/06/07(日) 17:52:12 ID:XESnzsYQ0
> ※5の八正体泳げる法の具体的練習法はどこにも説かれていないとす。

なんですか、この一文は。
相変わらず、あなたはずズルイ人ですね。
具体的な泳法が説かれていないというのは、
あなたの勝手な解釈であって、説かれているのです。
具体的に書かれているとこちらは指摘しているし、具体的に説明した。
煩悩をなくすように正しい見解から始まり、正しい身、口、
心の行い(正思、正語、正行)をするなど、具体的な内容が書かれている。
この身口意の三業において煩悩を出さないようにするというだけでも、
立派な具体的な修行法です。
あなたは護摩に参加しているが、正見から見て悪い行為です。
あなたは護摩木祈願で欲望を増大させているが、正見から見て悪い行為です。
正見から見て悪い行為なら、それをやめるのが正行です。
自分の生活から護摩などという外道の行為をなくすのが正命(正しい生活)です。
護摩木祈願をしたいという欲望が出ても、これを苦、不浄、無常、無我の
正しい見解から、これをいつも捨てようと心がけ(正しい念)、
常に捨て続け(正しい精進)、さらになぜ自分はこのような外道の行為に
囚われているか、その囚われた心を観察し、分析し、これを捨てていく(正しい定)。
八正道とこんなに具体的なものです。
私はすでに何度も、あなたにあてはめて説明した。
それでもまだあなたは断固拒絶して、具体的な修行法がないと言い続ける。
目の前に箸と飯を盛った茶碗が出されても、食べ方がわからないと言っているようなものです。
桐山さんもあなたもそうだが、修行法がないと言っているのは、
それをしたくないから、ないと言っているのです。
ビフテキを食いたいから、目の前に飯を出されても、
食べ物はどこにもないと言い続けている。

670深山:2009/06/08(月) 13:58:20 ID:klfZ23Fo0
>>650 :準シュダオン:2009/06/07(日) 21:11:48 ID:XESnzsYQ0
>樹意さんや深山さんは、阿含宗への見きりが早すぎましたね。
>残念なことです。法友にも恵まれていなかったですね。

あなたみたいな隠れアゴン宗とは違うから、法友はいくらでもいました。
彼らからいろいろと教えてもらった。
三福道などという言葉は阿含経にないというのも、
知り合いの職員から教えてもらった。
もちろん、この職員は辞めました。
そして、あなたみたいな狂信的で、何をどう言われようが、
桐山万歳しかない信者もいました。
だから、あなたを見ても驚かない。
信者の中には社会的には知性的な職業の人なのに道理が通じない人がいた。
アゴン宗に入って一つ良かったことは、あそこに行かなければ、
世の中にこんなに道理のわからない人たちがいるのだということを
体験できなかっただろうということです。
釈尊が知性を重んじ、頭から信じるのではなく、知性で理解するように
繰り返し説いているのを、最初読んだ時に不思議に思った。
説いている内容が難しくないのに、これを繰り返すのは、
当時の人たちが無学な人たちだったからだろうと思っていた。
だが、アゴン宗に入り、そして辞めた今も、あなたみたいな人を見ると、
なるほど、釈尊が必死に知性を用いて教法を理解するように
繰り返し説いていたのもわかる。
あなたみたいに阿含経の釈尊の言葉を引用されても受け入れず、
何度説明されても、釈尊の教法の初歩すら理解せず、
しかも、桐山さんとともに勝手な宗教を唱えて釈迦仏教だとどこまででも
主張する人たちは、当時もいたのでしょう。
私などあなたが理解できるなんて最初から思っていないから気楽だが、
なんとか理解させようと必死になった釈尊の苦労がしのばれます。
まさに善き友は道のすべてです。

671樹意:2009/06/08(月) 14:09:00 ID:yvKQFbBM0
>>657 :準シュダオン:2009/06/08(月) 10:50:21 ID:XESnzsYQ0
>樹意さんの清浄経を検索しても出てこない、というレスを今読んだ。
>ネット、オンライン化はまだ不備ですね。しょうがないので、その部分だけ
>を引用します。

>この場合は、四禅を含めて、8科41道品になっていますね。

>>618 :準シュダオン:2009/06/05(金) 13:29:33 ID:XESnzsYQ0
>たとえば、静浄経を読んでごらんなさい。

自分が書いた文章を見直してみなさい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
普通はもしかしたら自分に間違いがないか見直すものです。
あとね、しょうがないからとかいう物言いはなんですか。?
それにアナタは経典の名前は出しても阿含部の何々といったものも
出していない。
清浄経というのは検索してHITしていましたが字が違うのだから
根拠を調べようがない。
やましいところがあるから根拠を出さずに済まそうとしていると批判されても
文句言えないでしょう。そんなことではね。

8科だったら七科だと一科足りないことになるだろう、あなたの論法で
いけばね。
すでに部派仏教の方々が七科三十七道と名づけた根拠は示したのだから
それは仏陀が系統だって説いたものではない。

「比丘たちよ、では、如来が、眼を開き、智を生じ、寂静、証智、等覚、涅槃に
 至らしめる中道を悟ったというのは、どのようなことであろうか。
 それは聖なる八つの道のことである。−−−
増谷氏訳 如来所説、相応部経典、56、 11、  (転法輪)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
中道八正道を説いた後に道諦を説いた。
これ以外に道はないのです。

672名無しさん:2009/06/08(月) 14:43:53 ID:dCRRiakM0
>>671 危ないねえ。うまく誤魔化されるところです。
こうやって、正してくれるのは誠にありがたい。
準氏が持論を言うのは構わないが、まるで正論を言っている様に見せるのを
度々やるんで、指摘どんどんしてください。

673準シュダオン:2009/06/08(月) 16:44:47 ID:XESnzsYQ0
樹意さんへ、
私が経典の名は出しても阿含部の何々とは出してない?ですと?
清浄経と言えば有名だからある程度以上の人なら解ると思ったからですよ。
あと何?8科41道品だと1科足りない?
そんなことはどうでもいい些細な問題です。
釈尊が修行法を分類・体系化、していたか、していないかの論考ですから。

遊行経にはちゃんと7科37道品の数で説いてますよ。37道品という語は
使用してませんが、清浄経とほぼ同じ内容です、四禅が含まれてない、だけ
です。釈尊はちゃんと37道品を分類して説いているではありませんか。

674準シュダオン:2009/06/08(月) 17:09:08 ID:XESnzsYQ0
ユビキタスさん、勘違いしないでね。
凡夫やシュダオン果までは、三毒が色濃く、残っているのですからね。
貪・瞋・痴・煩悩が色濃く残っているのです。
それが薄れたらシダゴン果ですからね。
だから、果報を求めたり、欲があるのが普通なのです。
そういうのを恥じる必要はありません。
逆に、欲や果報を求めなかったら、「俺は異常か?」と、疑うべきです。
あぶないよ、そういうの。生きる意欲まで失いかねないよ。

欲望の尽きないのが苦の原因、五陰無常、とか教わってもね、本当には
理解してないのよ。シュダオンに成ってさえ、貪瞋痴が濃いのですから
ね。それが薄れたらシダゴンですもん。
凡夫が貪瞋痴がないふりしても、おかしい話。
私は在家ですからね、生計費稼がねばならないし、仕事の関係で、某メンバー
約30名とも懇親深めに温泉にも行かねばならない、わけです、楽しいし。

商売すれば儲けたいだろうし、病気すれば治りたいだろうし、会社員なら
結果も出したいでしょう。それは普通ですよ。
貪らないのならば、いくら儲けてもいいのですよ。
ビルゲイツは貪らずに巨万の富を稼いだです。だから、医学界にその富を
寄付してしまいました。執着し過ぎなければ良いのですよ。
私はそういう考えですね。

675準シュダオン:2009/06/08(月) 17:25:39 ID:XESnzsYQ0
私は勉強不足で、管長の道諦≠八正道、説を完全にはわからない。
が、般若心経瞑想法を読むと、どうやら道諦と訳した中国の翻訳家達に不服
があるようですね。ユビキタスさんは、管長が釈迦に文句言ってるような
レスしてましたが、そういうことではないよ。

転法輪経では、道諦が八聖道と説かれていることは承知です、般若心経
瞑想法P119に書いています。ですが、パーリの転法輪経には、道諦の
ところが修習になっている(P117)そうです。
だから、管長としては四諦を、「苦諦、集諦、滅諦、修諦」のように訳す
べきだと言いたいのではないでしょうか。

道諦と修諦では印象がかなり違いますからね。
まぁ、私としては管長の問題提起を掘り進めてみる学者先生が現われる、
ことを期待しますね。

676名無しさん:2009/06/08(月) 17:48:28 ID:ZYlJA01wO
>>673
社会人としての礼儀まで指摘しなければいけないのか?
困った聖者さまだこと、
貴方のは自分の間違いを他のせいにした。
間違いの指摘には感謝した後、訂正、再度説明するのが
良識ある社会人の議論です。
訂正お詫びもなくあなたの主張が世間に受け入れ
られると思うのか?

677ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/08(月) 20:54:08 ID:SmEF4Oe2O
>>673
ひょっとして、あなたは清浄経と示すべきところを静浄経と誤字して示したって
事実に未だに気がついてないんでね?
清浄経
静浄経

678ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/08(月) 23:33:26 ID:SmEF4Oe2O
>>674
あなたが誰と温泉旅行に行こうが自由です。誰もそんなことを非難などしません。
のんびりと楽しんでください。
それと煩悩や欲望や果報の話を混同する気はない。
ただ準シュダオンと未シュダオンを混同しない方がよい。
日本語的に準シュダオンと言ったらシュダオンに次ぐもの、ほとんどシュダオン、
シュダオンに限りなく近い人であって駆け出しの凡人はこれに該当しない。
ただしシュダオン果を得た人でも理知上の迷い、間違いを克服しただけで欲貪などの
感情にも根ざした煩悩はまだ残っているのも事実です。
時にはその煩悩に負けて流されることもあるかもしれないが・・・それでいいのだ
なんて反省しないシュダオンはいない。
あなたをはじめアゴン宗の信者は等しくこの理知上の誤りを犯しているのだから
ちっともシュダオンに近づいてもないし、向かってもない。
反対方向に向かっている。
外道の教えを抱えているからです。
だから預流向ですらない。

679ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/09(火) 07:46:12 ID:SmEF4Oe2O
>>675
パーリ語の転法輪経に道諦のところが修習字と訳されていたところで意味は変わりません。
滅を得る為に修行しなければならない。
桐山さんはその修行を八正道かもしれないがそうでないかもしれない、なんてその
著書に書いてますね。
しかしその直後に載せてある転法輪経は漢訳なのか道諦を八聖道と説いた経典を
紹介引用してますね。
どうして修習と訳されたパーリ文の方を示さないのか?
道諦であれ修習であれやはり八聖道だからです。
漢訳の方ははっきりと八聖道が道諦であると示している。
そして仏教辞典、あらゆる仏教書を見ても四諦の最後の滅を得る道は八正道と
解説されている。やはり漢訳もパーリも矛盾のない内容だからです。
それからパーリの修習を示す直前まで平川彰先生の引用が長々と続いている。
しかし平川引用文の中にはこのパーリ修習の部分がない。
「」の引用部が終わった後に桐山文としてパーリ修習が続く。
パーリ修習が捏造だなんて言いませんよ。
しかし経典の全文の意味が示せないほど隠している部分があるのではないか?
だから直後に続く転法輪経ですら嫌いな八聖道しか引用できない。
それから平川引用は八正道を否定していない。
八正道だと示す範囲が広いとだけ述べている。
正見にしてもある時はこうこう、また別の角度からはどうこうと。
それだけレパートリーが広いとも言える。
後は修行者の状況判断して選択する頭次第と言える。
馬鹿の一つ覚えでは仕方がない。
オン ショーケン ソワカ、オン ハッショードー ソワカなんてね。
桐山さんは星まつりの護摩の炎に向かって必死に成仏法を祈るのだそうだ。
成仏法を祈る?オン シャカノジョーブツホー ソワカか?
あと桐山さんは四諦で道諦が一番大切で三諦は誰にでもわかる常識だとしている。
しかし実はそこが無知なんです。
苦しみが生じるにあたり集めているのは妄執などの煩悩だとしたところがそれまでにない
新機軸で真理だったのです。
苦しむ運命の星ではない。
おまえ苦しいだろう?なんか知らんが苦しむ原因の星を集めているからだ、
その星を潰そうでないか?なんて馬鹿げた三諦ではない。
煩悩こそが全ての原因と説いた集諦こそが重要なんです。

680準シュダオン:2009/06/09(火) 16:11:40 ID:XESnzsYQ0
深山さんの、釈迦は善き友、とのレスを今読んだ。
だが、中村先生の訳は私にはわかりにくいね。
誰の訳でも良いから、深山さんは、羅摩経の五比丘に釈尊が説く場面を、
読んでごらんなさい。最初の説法として有名でしょ。

釈尊が五比丘に近ずくと、「彼には礼をなすまい。」と申し合わせていた
五比丘が立ちあがって礼をなしたわけである。
五比丘のある者は釈尊の名を呼び、ある者は友よ、と呼んだ。
すると釈尊はおっしゃいました。
「私の名をもって呼んではいけない。また友と呼んではならぬ。私はもはや
如来である。最高の覚者である。」

ね、指導者と弟子の区別は厳格にあったのです。
弟子以外のバラモンが、「友よ」と釈尊に呼びかける場合は、それで
よろしかったようですね。

だから、阿難と釈尊の「善き友」の対象は、釈尊のことではありませんね。

681準シュダオン:2009/06/09(火) 16:42:23 ID:XESnzsYQ0
確か、阿難以外にも、「善き友を得ることは修行のすべてである」と釈尊が
説いたことがあった、と記憶するが、詳しくは思い出せない。

管長の「密教は様式化している」という言葉を、鵜呑みにしてはいけま
せんよ、深山さん。
伝法会に出たら、わかることですが、管長は、
「密教は様式化されている、というのは私だから言える言葉であって、
 法力のない人に言える言葉ではない。だから皆さんも、密教をよく
 修行して、様式化している、と言えるレベルに達しなければいけま
 せん。」
と、話されました。詳しいことは書けませんが、管長は密教を無力だと
言ってるわけではありません。それに首を吊ろうとしたとき、准胝観音経
に命を助けられたわけですよ。だから准胝観音を外すわけにはいかないで
しょう。
「帰命頂礼 准胝尊 因縁解脱の千座行」と、あったわけがわかります。

682準シュダオン:2009/06/09(火) 16:57:43 ID:XESnzsYQ0
何時ぞやは、今どき、釈迦時代のように弟子を引き連れて托鉢に歩いたら、
ホームレスの親玉と勘違いされて、公園の派遣村に連れて行かれるのがオチ
だよ、とレスしたね。

そしたら、「釈迦を小馬鹿にするな!」と言われた。
小馬鹿にしてはいないよ。冷静に考えてご覧、ての。今から30年前は、
阿含経は小乗仏教のレベルの低い教え、てのが社会一般の常識でしたよ。
今でこそある程度、世の中に阿含経が知られましたけどね。

30年前に、阿含経を説きながら托鉢したとて、世間は誰も見向きもし
なかったと思いますよ。伝統仏教の禅宗などの托鉢とは大違いでしたろ
うね。

観音慈恵会、会長が阿含経を依経として立宗したから、それなりに社会の
耳目を集めたのであって、護摩も焚かない、地味な存在が阿含経を世に出
そうとしても、うまく行かなかったと思いますね。

683準シュダオン:2009/06/09(火) 17:42:01 ID:XESnzsYQ0
もっと正確に阿含宗の教義を理解せよ、と深山さんに言われた。
教団からは取り残されてる元信者に言われたのでは、ジョークでしかないよ。
だから、密教は止めよ!なんて言うわけですねW。

この頃の阿含宗ではね、信徒ににね、阿含宗には大別して三つの修行法が
あります、と教えているのですよ。次の三つです。

一つは、37道品に基づく成仏法の修行です。
二つは、真言密教の如意宝珠法の修行です。
三つは、求聞持聡明法の修行です。

ね、パンフまで作成して、上記のように教えてるのですから、
如意宝珠法の密教を止めるわけにはいかないでしょう。

684準シュダオン:2009/06/09(火) 17:47:29 ID:XESnzsYQ0
私は清浄経を静浄経と誤字で間違えてたのですか?
それは失礼しました。
老眼鏡が追い付かないのでね、今後もしばしばあるかも知れないので、
うまくハンドクしてくださいね。

685準シュダオン:2009/06/09(火) 18:16:35 ID:XESnzsYQ0
末世成仏本尊経本のP59〜61に、羅摩経の「定道品法」のことが書いて
あります。これを重大事として取り上げるのは、桐山管長が最初である、と
書いてますね。私は、増谷先生訳の羅摩経を読んだ記憶がありますが、
確かに増谷先生はその部分を訳していなかった、と思います。

やはり管長は天才なのです。37道品こそ重大事、と世に出した功績は図り
知れません。経典の細かい解釈の違いは、枝葉末節です。
仏教の知識をいくら大量に集めても、それだけでは学者にはなれても仏法を
味わうことは出来ませんね。管長いうところの、間脳がいくらかでも、目覚
めないと仏法を味わうことはできないと思いますね。

37道品を修行している阿含宗徒は、正法を修習しているのであって、
外道ではありませんよ。

解脱とは、煩悩からの解脱と輪廻からの解脱を意味します。
煩悩と輪廻を両方合わせて「因縁解脱」というのが一番わかりやすいですね。

686ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/10(水) 00:29:20 ID:SmEF4Oe2O
明日の朝は托鉢論で精一杯かな?時間的に。

687ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/10(水) 01:54:05 ID:SmEF4Oe2O
>>685
今晩のうちにこれだけ片付けますか。
準シュダオンさんにお願いしたい。
ここはたしかにアゴン宗と桐山氏について討議するスレです。
だから桐山本を出すのは正しい。
また参加者のほとんどが信者と元信者というのも事実です。
だから資源ゴミに出した人もいるが、元信者も桐山本は読んでよく知っている。
しかしそれでさえもページを示すだけでなく、引用はせぬまでもあなたなりに
要約をして何が言いたいのか書いてください。
今回は私が書いてあげる。
準シュダオンさんが出した羅摩経とは中阿含経で釈尊自らの涅槃について語った
経典とされます。
「末世成仏本尊経講義」の準シュダオンさんが示したページ、あるいはもっと早く
11ページから出てきます。
桐山さんが説きたいところはここです。
「我れ無病無上安穏涅槃を求めて、・・(略)・・便ち無老無死無愁無憂戚無穢汚無上安穏涅槃を得、
知を生じ見を生じ、道品法を定む。」
この「道品法を定む」を桐山さんは強調している。
すなわち涅槃を得るための修行体系、七科三十七道品法が決定(けつじょう)された
と説いているのだとした。
さて、このスレにおける議論の流れを整理してみましょう。
まず深山さんにしても樹意さんにしても、そもそも三十七道品なんて体系は
釈尊が提唱したものでなく、後世に整理された体系だと主張するわけです。
準シュダオンさんはこれになんとか反論したい。
そして出してきたのが件の著書です。
なかなか目のつけどころが宜しい。
それは準シュダオンさんが示した59ページから61ページを読むとよくわかる。
しかしそれに触れる前に皆さん考えていただきたい。
釈尊は道品法を定むと言っているのだからこれは三十七道品に決まっている、
それしかない、つまり釈尊の時代に釈尊自らが三十七道品を整理して修行体系に
据えていたという主張です。
皆さん、本当にそう思うか?

688ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/10(水) 02:25:54 ID:SmEF4Oe2O
>>685
宜しいですか?三十七道品ではなく単に道品法です。
三十七という数字はついていない。
それを桐山さんは道品法と言ったら七科三十七道品の専売特許であり商標登録なんだ
と言いたいようです。
それが59ページから61ページにかけて書いている。
なぜそんなことを取り上げているのかと言うと、仏教者たちが今までそれを見落としていた
と言うのです。
代表として桐山さんのネタ本でもある安井廣度師の「阿含経講義」を取り上げている。
安井師は「定道品法」をして、「種々な解脱の道(道品法)をみきわめたりという意味か」
と注釈を書いている。
桐山さんは安井師にしてこの程度である、と侮蔑して、道品法とは、「七科三十七道品」
の成仏法なんだと主張するのです。
仏教者は長くこのことに気づいていないと憂いている。
それが準シュダオンさんの示した内容です。
さて再度皆さんに問う。
桐山さんの言うとおり道品法という文字を目にして三十七道品と指定しなかった
安井師はウスラ馬鹿だと思うか?
私はそうは思わない。安井師の注釈の方が適正だと思う。
なぜならば安井師もまた学者として三十七道品なんて用語で分類整理される体系は
釈尊没後、後世に考え出されたものという基本知識を当然知っているものと
思われるからです。
だから三十七という数字が付いているのならまだしも、ついてもいない単なる
道品法という表現に(後に三十七道品と整理される種々の修道法も「含む」)
種々の修道法としか言いようがないではないか?
種々の修道法でよいのです。
ここで無理に三十七揃える必要はない。
それは後世の人たちの勝手な仕事です。
道品法、いろんな道品法でよいではないか?
桐山さんは早とちりなんです。あるいは思い込みが激しいのです。
道品法と言ったら七科三十七道品しかないではないか?どうしてそんなこともわからぬ?
と叫ぶ桐山さん。
しかし冷静に考えればこれは固有名詞ではなく一般名詞としての道品法と捉えるべきです。
いろんな道品法があるが後世三十七道品という体系も産み出されてこれが固有名詞化した。
それだけです。だから釈尊がこの経典を説いた時点では一般名詞としての(種々の)
道品法です。
昔歌謡番組で司会の徳光さんがギャグを言っていた。
「なぎさと言ったら?」
「シンドバッド!」
「ブー。答え、片平なぎさ」
ピンクレディの渚のシンドバッドに囚われ過ぎていたのが桐山さんです。

689ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/10(水) 02:28:56 ID:SmEF4Oe2O
我ながらあんまりいい例ではないな(笑)
オヤスミ。

690ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/10(水) 08:39:28 ID:SmEF4Oe2O
>>682
30年前に阿含経を説いて托鉢などというがアゴン宗は托鉢などしません。
まずあなたは托鉢の正しい意味を知らない。
本当の托鉢はただ各家庭の門前に立って食事を分けてもらい帰るだけです。
もらえない時もあるが。
もらえた時に説法などすらしません。今の日本みたいにお経すら読んだりしない。
ただ黙々と食事をもらうだけです。食事を恵む方はこの一切の生活手段を持たぬ
清浄行者が生き長らえるように、生活ができるようにと支える気持ちだけです。
その行為に果報があろうとも食事をもらう出家の側がお礼や見返りで何も与えて
くれるものではない。福澤アナのように「君に幸あれ」なんてことも言わない。
説法の場と托鉢の場は別です。出家は生活の為に托鉢をする。
布教の手段ではありません。
アゴン宗といえば古くは観音慈恵会時代の水子供養托鉢勧進なんてのがあったが、
護摩木供養托鉢勧進なんてのがある。
しかしこれは単に護摩木を売り付ける商売に過ぎない。
お願い事が叶いますよと欲と期待を煽るサービス販売です。
ここにはどこにも阿含経の精神もなければ托鉢の行為も精神もない。
また30年前に阿含経を広めたと言いたいのだろうが、広める効果があったかなかった
かはさておき、托鉢のついでの布教などの手段ではない。
マスコミを活用した宣伝戦略です。
この点が創価学会などとは布教戦略が異なるところで著書を出版して信者を集めた。
その著書というのも決して最初から純粋な仏教普及の本ではなく、密教時代に
オカルト志向のある読者をターゲットに自らありもしない超能力などを説いて
興味関心を集めて、それをアゴン宗に移行させたに過ぎない。
アゴン宗と名乗り阿含経を看板にしても因縁解脱の恐怖を煽る手法は変わらなかった。
むしろアゴン宗を名乗ってからが守護霊を説き、霊障を説き、いよいよ阿含経に
反目するようになった。
これが現実なのに、托鉢だの阿含経の普及だの言っても通用しません。

691樹意:2009/06/10(水) 09:32:20 ID:yvKQFbBM0
>>690 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/10(水) 08:39:28 ID:SmEF4Oe2O

いつもながらいいことを云いますね。 感服いたしやす。w

現実のアゴンの活動抜きに経典比べだけでは何の意味もありません。
まったくその通りであります。

準シュダオン氏に一言云っておきますが、今アナタとの議論は便宜上相手して
いますが、その実アゴンの場合は 供養に値しない。ただの営利団体であると
いうのが批判側のスタンスです。
ゲイカは嘘吐きであり根本佛教を標榜していながら 破戒 を平気でする団体で
あるということ、従って準シュダオン氏がどんな経典を持ち出そうと
依経に反する破戒行為 嘘を根拠に事業を推進している限りはアナタの
もろもろの経典を根拠にした反論は まったく意味を持たないということを
理解されたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
といっても 理解しないでしょうがね。 w w w
(ゴマ 占いは仏陀その人が禁止された )

ゴマ木托鉢は私もやりましたが、真性仏舎利といい勧進した記憶があります、
批判スレッドにて教えられたところによるとこれらは真性の偽シャリであったとの
こと、
となれば私は嘘をついて勧進して回ったことになる。

嘘をついてお金を集めて それが何かのクドクになるのかキチンと反論されよ。

692深山:2009/06/10(水) 12:36:37 ID:1NsrnJbQ0
>>680 :準シュダオン:2009/06/09(火) 16:11:40 ID:XESnzsYQ0
>「私の名をもって呼んではいけない。また友と呼んではならぬ。私はもはや
>如来である。最高の覚者である。」

まだ言っている。
善き友の議論をするのは議論の中心から外れていると指摘されても
意味がわからないようだ。
善き友の次は友についての議論ですか??
あなたが示さなければならないのは、善き友や友の話ではない。
釈尊が八正道こそが唯一の道だと説いたが、文字通りの唯一ではない、
というあなたの主張の根拠です。
しかたないから、あなたに調子を合わせましょう。
あなたの上記の主張は読解力のなさから来る屁理屈です。
「善き友」とは解脱の道を教え、共に修行をする比丘だと私は書いた。
そのくらい覚えていますよね?
あなたが引用した五人のどこが仏教の比丘なのですか。
彼らはまだ釈尊に帰依すらしていないのですよ。
仏教の比丘でもない者が善き友であるはずがない。
煩悩にまみれたままの、道理を理解しえない人たちです。
実は、あなたが出した件にはもう一つの観点から反論したいのだが、
それをすれば、ますますあなたは関係ない方向に話をしそうだから、
やめておきましょう。
善き友の話はこれくらいにして、八正道が唯一ではないという
根拠を示したらどうか。
善き友は道のすべてだから、あなたの主張の根拠にはならないことを私はすでに示した。

693深山:2009/06/10(水) 12:39:40 ID:1NsrnJbQ0
>>681 :準シュダオン:2009/06/09(火) 16:42:23 ID:XESnzsYQ0
>管長の「密教は様式化している」という言葉を、鵜呑みにしてはいけま
>せんよ、深山さん。

「いま、わたくしは、密教が没落したのは修行法を欠いていたからだと書きました。」
「密教はたしか修行法を持っています。しかしそのもっとも大切な修行法を様式化してしまったのです。」
(『阿含密教いま』261−262頁)

「密教もまた修行法が欠落していたのである。」
「これが様式化でなくて何であろうか。」
「私は『密教入門・求聞持法の秘密』において、
密教には観念宗とよばれる致命的な欠陥があると警告したのは、この点なのである。」
(『人間改造の原理と方法』310頁、314頁)

私は準シュダオンさんと違い、桐山説に勝手な解釈など加えない。
桐山さんは上記のように、密教の修行法は様式化されたもので、
だから、修行法は欠落しているおり、それが致命的だと書いている。
密教を無力だと言っているのです。
だが、あなたは密教にも力があると言いたいらしい。
つまり桐山ゲイカに逆らうのですね。
だが、それは私にではなく、桐山さんに言いなさい。
何度も書くが、ここでの議論は桐山さんが主張していることを元にしている。
あなたのような勝手な解釈で話を歪めるなら、それはあなたの個人的な
宗教観であって、スレ違いだから、出さないでほしい。

694深山:2009/06/10(水) 12:45:59 ID:1NsrnJbQ0
>>681 :準シュダオン:2009/06/09(火) 16:42:23 ID:XESnzsYQ0
>管長の「密教は様式化している」という言葉を、鵜呑みにしてはいけま
>せんよ、深山さん。

桐山さんは伝統密教の修行法で力を得たなんて言っていません。
念力の護摩の開発シーンでも、いくらやっても効果がなかったと書いている。
彼が法力を得たのは、日本密教のやり方を捨てて、日本の古代秘法や
古代インドのヨーガを取り入れることで初めてチャクラやクンダリニーが
覚醒して、法力を得ることができたと言っているのです。
そんな話自体が作り話なのだが、いずれにしろ>>693のように、
桐山さんは密教はただの様式だと繰り返し述べている。
あなたも法話で聞いてるでしょう。
中身がないというなら捨てればいいのに、
様式だけいただいたという屁理屈をつけて利用する。
護摩など、密教は呪術性に富んでいるから、人集め、金集めには欠かせない。
まさに様式をうまく利用している。
罵りながら、都合よく利用するのだから、狐みたいにズルイ人です。

695深山:2009/06/10(水) 12:48:23 ID:1NsrnJbQ0
>>681 :準シュダオン:2009/06/09(火) 16:42:23 ID:XESnzsYQ0
>管長の「密教は様式化している」という言葉を、鵜呑みにしてはいけま
>せんよ、深山さん。

あなたはどうして桐山さんが密教が様式化され、修行法がないと
批判したか、理解していないようですね。
鵜呑みにしているのはあなたであって、私は鵜呑みになどしておらず、
桐山さんの汚い腹の中をよく理解している。
桐山さんが密教を中身がないとこき下ろしたのは、復讐のためです。
アゴン宗を立宗する直前まで、密教こそが本物の仏教であり、
自分は密教を再興するのだと、まるで密教界を一人で背負っているかのような書き方だった。
小田師を騙してまで、自分が正統密教の担い手であるかのように
見せようとしたり、『密教講座』などを発刊して、
密教界にラブコールを送っていた。
桐山さんは密教界が自分を「密教の鬼」として大歓迎してくれると期待していた。
だが、『密教講座』の執筆者は次々と降りてしまい。
そればかり、念力の護摩や超能力の嘘や、前科ばかりか、
学歴詐称、僧籍詐称、阿闍梨詐称など、悪事をことごとく暴露された。

696深山:2009/06/10(水) 12:50:10 ID:1NsrnJbQ0
>>681 :準シュダオン:2009/06/09(火) 16:42:23 ID:XESnzsYQ0
>管長の「密教は様式化している」という言葉を、鵜呑みにしてはいけま
>せんよ、深山さん。

桐山さんは前科の件だけを出して、被害者ぶったことを言うが、
若い頃の前科だけなら、あれほど批判はされなかった。
学歴詐称、僧籍詐称、阿闍梨詐称は若い頃の話ではなく、
念力の護摩から『密教講座』の間のこと、つまり最近のことだったのです。
若い頃の犯罪が暴露されただけではなく、その後も嘘をつき、
同じように人を騙すようなことを平気でしてきた。
それを見て多くの人が桐山さんの正体を見たとして去った。
だが、桐山さんは自分の非など絶対に認めない人だから、
悪いのは密教界だとして激しく恨んだ。
だから、二十数年たった後、『変身の原理』でその怨みを書いている。

697深山:2009/06/10(水) 12:55:12 ID:1NsrnJbQ0
「同時に、こういう卑劣きわまる策を弄する連中と、これ以上、付き合っていることに嫌悪を感じ、
「そんなに邪魔なら、消えてやるよ」と密教界からサヨナラする決心をした。
以前から、釈尊直説の経典、「阿含経」に興味を感じて研究していたので、これを好機と
みて、阿含宗を立てることを決意したのである。」 (『変身の原理』558頁)

「卑劣きわまる策」なんて誰もしていない。
桐山さんのした悪事を暴露しただけです。
だが、桐山さんは激しい恨みと復讐心に燃え、二十数年たっても
なんら衰えていないのが上記の文章からもわかる。
そのくらい桐山さんは密教界への復讐心が強かった。
だから、阿含経を使って罵倒したのです。
上記でも、その本音をしっかりと吐露している。
アゴン宗を立宗したのは、釈迦を蘇らせて人類を救済することなどではなく、
密教界から迫害されたから、サヨナラしたのです。
そして、密教は中身が空っぽだ、とあざ笑い続けた。
本当の中身を知っているのはオレ様だけだと自惚れたが、
密教が手踊り宗教なら、アゴン宗も手踊り宗教で、中身は何もない。
密教が空っぽだと批判するのは、逆恨みからくる復讐心です。
あなたも信者なら、上記の桐山さんの悔しい悔しいという歯ぎしりの
聞こえるような復讐心と逆恨みに満ちた汚い心をよく理解してあげなさい。

698深山:2009/06/10(水) 13:00:34 ID:1NsrnJbQ0
>>683 :準シュダオン:2009/06/09(火) 17:42:01 ID:XESnzsYQ0
>一つは、37道品に基づく成仏法の修行です。
>二つは、真言密教の如意宝珠法の修行です。
>三つは、求聞持聡明法の修行です。

だから、あなたはアゴン宗の教義を理解していないと言っているのです。
二十年も前のネタを新しいと思っているのだから、あなたは桐山さんを
理解していないのです。
桐山さんは昔から上記の三つを言っている。
成仏法、如意宝珠法、求聞持聡明法などと素晴らしい名前がついていて、
不思議大好きな人たちを騙すのには格好の材料だから、
桐山さんがこれを捨てるはずはない。
求聞持聡明法なんて、三十年も前の密教時代から信者集めに使っていた。
『密教超能力の秘密』(1972年)がそれです。
サイバネテック求聞持堂(?)を平河町に作るとして、金集めの道具に使った。
桐山さんの妄想がどのようなものだったかは、『一九九九年地球壊滅』で、
求聞持聡明法という表題で、カラーの絵まで入れて説明しています。(370頁〜)
あれから二十年たち、できあがった総本山の施設と練脳塾の現実と、
この本の求聞持アシュラムと比較すると、大いに笑えます。
ただし、この本はただの爆笑本ではなく、登場人物に桐山さんのモデルの
高山聖峰をべた褒めさせており、桐山さんの自己評価が天井知らずであることや、
慢心に満ちたその汚い腹の中を知る上では役立つ本です。

699深山:2009/06/10(水) 13:04:14 ID:1NsrnJbQ0
>>683 :準シュダオン:2009/06/09(火) 17:42:01 ID:XESnzsYQ0
>一つは、37道品に基づく成仏法の修行です。
>二つは、真言密教の如意宝珠法の修行です。
>三つは、求聞持聡明法の修行です。

求聞持聡明法は密教だから、本来なら、阿含経を依経とした段階で
外道の法は捨てるべきです。
だが、人集めに使えるこんな素晴らしいキャッチコピーを捨てるほど
桐山さんはバカではない。
そこで、おシャカの成仏ホーを体得するのには頭が良くならないとできないから、
まず求聞持法で頭を良くするのだと主張した。
昔は伝法会や瞑想センターで、次は求聞持スクールや、仏陀の法で教えると
称しても、中身がないから、何も出てこなかった。
練脳塾はそのなれの果てです。
昔から薬の効能を並べるだけで薬がまったく出てこないのが桐山求聞持法です。
もっとも、それでもまだひっかかる信者がいるのだから、
桐山ゲイカの求聞持詐欺師法だけは本物です。

700深山:2009/06/10(水) 13:08:56 ID:1NsrnJbQ0
>>683 :準シュダオン:2009/06/09(火) 17:42:01 ID:XESnzsYQ0
>一つは、37道品に基づく成仏法の修行です。
>二つは、真言密教の如意宝珠法の修行です。
>三つは、求聞持聡明法の修行です。

如意宝珠法が詳しく載っているのは二十年前の『守護仏の奇蹟』です。
小田師を騙して、この法を手に入れた。
仏舎利を本尊にしてこれをすると、福徳宝生、因縁解脱が得られるという。
つまり、御利益製造器の仏舎利から御利益を目一杯いただくのに
必要な密教の様式こそが如意宝珠法だという位置付けにした。
真正仏舎利を手にいれても、そこから御利益を搾り取るのには、
如意宝珠法がないと駄目だと言っているのです。
だが、おかしくないか。
三福道では、如意宝珠法に相当する話は何もない。
三福道とは、人と金を貢ぐと功徳をという御利益をくれるというのであって、
如意宝珠法などという特殊なやり方など説いていない。
それもそのはずで、如意宝珠法なんて、インド密教にあったかどうかすらわからない。
如意宝珠法については由来や客観的な証拠が何もありません。
日本で作り上げられた可能性は高い。
桐山さんがこんなインチキな法を後生大事にしているのは、
小田師という密教の権威をうまく利用するためと、
如意宝珠法といういかにも御利益満載であるかのような
名前であなたみたいな餓鬼信者を釣るためです。
実際、あなたは簡単に釣られたから、自慢たらしく、この三つを並べてみせた。
「私は宗教詐欺師に簡単に釣られまスた」とわざわざ告白しているようなものです。
無知と無恥は本当にあなたの強みですね。

701深山:2009/06/10(水) 13:11:17 ID:1NsrnJbQ0
>>683 :準シュダオン:2009/06/09(火) 17:42:01 ID:XESnzsYQ0
>一つは、37道品に基づく成仏法の修行です。
>二つは、真言密教の如意宝珠法の修行です。
>三つは、求聞持聡明法の修行です。

あなたに聞くが、上記の三つを誰が習って、習得したのだ?
誰もいませんよね。
二十〜三十年前から、桐山さんは上記三つを宣伝してきた。
だが、習ったことのある人とは誰なのだ?
さらには習得した人とは誰なのだ?
あなたみたいに一週間たつと自分が書いたことも忘れてしまう人には
上記は目新しいのだろうが、二十〜三十年前から桐山さんは
言い続けてきた使い古しの宣伝文句にすぎない。
そして、それらが中身が何もないことは証明されている。
その証拠が桐山さん本人のあのザマであり、信者たちの今の状態です。
2ちゃんねるに来てみなさい。
「深山さんは間違っている」を○カの一つ覚えみたいに書き続ける信者がいる。
これが求聞持法だの仏陀の法だのと偉そうなタイトルをつけた教団で
修行している信者の実態です。
どう見ても、普通の知性すら働いていない。

702深山:2009/06/10(水) 13:15:02 ID:1NsrnJbQ0
>>685 :準シュダオン:2009/06/09(火) 18:16:35 ID:XESnzsYQ0
>末世成仏本尊経本のP59〜61に、羅摩経の「定道品法」のことが書いて
>あります。これを重大事として取り上げるのは、桐山管長が最初である、と

あなたも桐山さんと同じで、一人で盛り上がるタイプですね。
ユビキタスさんがすでに適切な反論をしている。
桐山さんは最初から三十七道品こそが釈尊の説いた修行法だという主張です。
後に三十七道品としてまとめられた修行法は釈尊が説いたには間違いない。
だが、何度も言うように、三十七道品という言葉は後世の人たちが作った言葉です。
それをまるで釈尊が三十七道品という大系を説いたかのように
桐山さんは錯覚して、学者たちが気が付かないのだと、主張している。
学者の多くは三十七道品が後世にまとめられたものであり、
釈尊が法を説く時、七科目をまとめて並べることがあるから、
修行法を並べる時の一つのパターンにすぎないことを知っている。
しかも、桐山さんと違い、釈尊の説いた道とは八正道であることを知っている。
それを様々な形で釈尊は説いており、七科目を並べて表記するのも、
様々な形の一つにすぎない。
後世それが有名になって一人歩きして、ついには大乗経典にまで出てきた。
だが、あなたも経典を見て、100科550道品が出てきたように、
釈尊はその都度、様々な分類や選択をして教法を説いているのです。
三十七道品はその中の一つにすぎず、
釈尊はこういう分類だけを説いたのではありません。
桐山さんは無知だから、三十七道品こそがすべてだと思っている。
そして自分はそれを大発見したのだと自惚れている。
あなたは自慢したいらしいが、桐山さんの記述は無知をさらしたかなり
恥ずかしい内容なのですよ。
信者だけでなく、教祖もまた無知と無恥と慢心でできている。

703深山:2009/06/10(水) 13:18:38 ID:1NsrnJbQ0
>>685 :準シュダオン:2009/06/09(火) 18:16:35 ID:XESnzsYQ0
>37道品を修行している阿含宗徒は、正法を修習しているのであって、
>外道ではありませんよ。

どうして準シュダオンさんてこういう小手先のゴマカシを言うのだ?
あなたの書いている上記は明瞭な嘘ですよね。
内容よりも、私はあなたの良識を疑いたくなる。
どの信者が三十七道品を習ったのだ?
いくら擁護したくても、こんな嘘は書きなさんな。
三十七道品の伝法会など開かれたことはありません。
桐山さんは三十七道品など教えたことはないから、習った信者などいるはずがない。
あなたの信者が読んでも嘘です。
知らずに書いたのならともかく、あなたは百も承知で嘘を書いた。
桐山さんも必要のない嘘をわざわざ言う人です。
そんなことまで真似をしないことです。

704深山:2009/06/10(水) 13:20:39 ID:1NsrnJbQ0
>>685 :準シュダオン:2009/06/09(火) 18:16:35 ID:XESnzsYQ0
>解脱とは、煩悩からの解脱と輪廻からの解脱を意味します。
>煩悩と輪廻を両方合わせて「因縁解脱」というのが一番わかりやすいですね。

ドサクサに紛れて、また訳のわからん足し算が始まった。
「煩悩解脱+輪廻解脱=因縁解脱」
どこからこんな計算が出てくるのですか。
煩悩からの解脱も輪廻からの解脱もかまわないが、
その両方を足すと、どうして因縁解脱が出てくるのだ?
こういうのをゴマカシというのです。
あなたは現実世界でもこういうゴマカシをずっとしてきたのでしょうね。
仏教の解脱とは煩悩を断ち切ることです。
ただ煩悩を断ち切ることで輪廻から脱出するのだから、
仏教の解脱にその両方の意味があるというのは間違いではない。
だから、漏尽解脱(煩悩解脱)が正しいが、輪廻解脱も間違いではない。
だが、なぜこれらのことから因縁解脱が出てくるのだ?
なぜ、仏教に存在しない因縁解脱なんて言葉を出してくるのだ?
仏教の因縁とは原因くらいの意味であることをあなたは認めた。
原因解脱なんて馬鹿な表現はありません。
ましてや、アゴン宗のいう因縁とは仏教の因縁とは意味が違う。
運命の星という意味です。
仏教の因縁には運命の星なんて意味はありません。
意味が違うのに、言葉だけすり替えて、しかも因縁解脱などという
経典には存在しない言葉を捏造する。
あなたはいつまでその詐欺の真似事を続けるつもりだ?

705深山:2009/06/10(水) 13:24:02 ID:1NsrnJbQ0
>>685 :準シュダオン:2009/06/09(火) 18:16:35 ID:XESnzsYQ0
>外道ではありませんよ。

何度でも外道である理由を書いてあげます。
仏教の解脱とは漏尽解脱であり、因縁解脱ではありません。
桐山さんははっきりと、漏尽解脱を小解脱、つまり
劣った不完全な解脱だと批判している。

「「小解脱」とは、いわゆる「煩悩解脱」です。
それに対して、「大解脱」とは、「因縁解脱」のことなのです。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』176頁)

また、釈尊が、唯一の解脱への修行法であると説いた八正道にも
次のように罵りの言葉を浴びせている。

「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。
この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」
(『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁)

八正道だけが唯一の道だと釈尊が説いているのに、
桐山さんは八正道だけでは解脱できないと批判している。
これは釈尊の説いた解脱や修行法への批判というよりも、罵声です。
釈尊の解脱は漏尽解脱なのに、これを小解脱というのだから、
釈尊は如来ではないと批判したのと同じです。
準シュダオンさんも、釈尊は如来ではないと言っているのですよ。
本当にそれでいいのか。

706名無しさん:2009/06/10(水) 13:25:32 ID:1ZKnJczU0
全く深山さんの言うとおりですね。アゴンが廃れるのも当然ですね。

707深山:2009/06/10(水) 13:26:26 ID:1NsrnJbQ0
>>685 :準シュダオン:2009/06/09(火) 18:16:35 ID:XESnzsYQ0
>外道ではありませんよ。

釈尊は食あたりで亡くなったし、大目連は外道に襲われて亡くなった。
二人とも漏尽解脱はしているが、どうみても因縁解脱していない。
つまり、アゴン宗の教義からいったら、二人とも小解脱であり、
大解脱をしていないことになるから、アラカンとは認められない。
釈尊や大目連を小解脱という教団が仏教教団であるはずがあるまい。
やってはいけないと言われた護摩や
占いを積極的に、最大の売り物としている。
釈尊が否定した死者成仏をドル箱にしている。
護摩や占い、死者成仏を説いたのは釈尊時代のバラモン教の人たちです。
つまり、外道です。
また、カルマ解脱を説いたのはジャイナ教という外道です。
如来たちを小解脱だと罵るばかりか、釈尊が批判し否定した外道の宗教行為や
教義をそっくりそのまま説くアゴン宗のどこが仏教なのだ?

708名無しさん:2009/06/10(水) 18:35:12 ID:NmF0zWA.0
ふ〜ん そっか。

709ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/10(水) 21:00:20 ID:SmEF4Oe2O
>>682
托鉢はさておき、30年前に阿含経を説いても受け入れられないと言うが、では
それから30年経った現代なら受け入れられたと言うのか?
そうではあるまい。阿含経なんて地味だから護摩も焚かないし占いもしない。
ところが桐山さんが30年前阿含経のウケをよくする為に、派手な護摩も焚いたり
したから、こんなに広がった(え?どこに広がってるの?キョロキョロ)とでも
言いたいのか?
ったく、お釈迦様が「俺って地味でウケが悪いな。もっとハチャメチャにやってみよう」
と思い立って「イエ〜イ♪」とピースサインを送ったというよりもくだらない話です。
ところが30年後の現代、たとえば南伝の仏教が普及している。
代表的なのが、かの有名なスマナサーラ師のテーラワーダ仏教協会です。
護摩なんか焚かないし、そのヴィパッサナー瞑想たるや地味なもんです。
ありのままの自分を観察し、心の実況中継をする時、福澤アナみたいに「ファイヤー!」
なんて言わない。
このスマナサーラ師等の南伝仏教が普及する背景に桐山さんが焚き火までして
阿含経をメジャーにしてくれたからだなどとあなたは思うか?
そうだとしたらあなたはおめでたい人です。
地味だろうが何だろうが真理を求める人は真摯にして謙虚です。
桐山コケオドシなどに引っ掛かりません。
スマ師と桐山師とどちらが有名でしょうか?
残念ながら桐山靖雄なんて「そんな奴も一時おったなあ」なんて覚えているのは
中年オジン以上です。
時代じゃあないんですよ。派手さでもないんですよ。
ホントに桐山さんと同じで安っぽい宣伝がないと売れないと思う時代の読めない人
なんですね。

710ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/10(水) 21:14:56 ID:SmEF4Oe2O
福澤比丘「ファイヤー!!!」
一般庶民「うるせーよ」
福澤比丘「托鉢に来ました」
一般庶民「これでも持っていきな」
福澤比丘「君に、幸あれ!」
一般庶民「うるせーよ」

711名無しさん:2009/06/10(水) 22:33:45 ID:Joxem5Xw0
>>709
ユビさん良いこと言うね。
スマ師とキリ死を比較すると、キリ死の邪悪さがいっそう浮き上がってくるから不思議。

そういやあ昔、ある霊能者が「A宗の龍神は黒龍(邪悪な龍神)」と言っていたっけ。
当時は「なんちゅうたわけな霊能者か!」と思いましたが、今となっては正しかったと思う。

712樹意:2009/06/11(木) 03:25:36 ID:yvKQFbBM0
私はスマ氏の仕事であるところのアビダンマサンガハ解説を
引用したりしていますが、ゲイカにいいように騙された反動から
仕事内容は評価しますが、それ以外のことに関して批判するとことを忘れた
わけではありません。

このまえコンビニでスマ氏が書いた佛教的書物を見かけましたが、一冊千円オーバーでありました、
ゲイカの信者であった頃は値段等一切批判的に見たことはありませんでしたが、
現在では全てにおいてよく考察する癖がつくようになっております、
私がスマ氏の立場であるなら佛教の布教も兼ねて、ある程度の上限は、設けたことでありましょう。
まったくいただけないと思っております。

仕事内容に依存したものと人格に依存したものははっきり区別するべきであると思っております。
どなた様であろうとよい仕事はよい仕事でありますが、世間相場というものを常に考慮すべきです。
ですからいつもの批判対象であるところのゲイカの仕事であっても評価すべきものは
評価しているつもりであります。

713ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/11(木) 09:50:04 ID:SmEF4Oe2O
スマ師もキリ死も等しく出版物によって宣伝普及しています。
ある日ピンポンと呼び鈴が鳴ると我が家の前にスリランカ僧が立っていたので
掌にひとつかみのご飯をくれてやったなんてことはありません。
だからマスコミを活用したから悪いなんてことも言わない。
ただ桐山さんの場合、著書の内容がすこぶる人の好奇心とか欲望、あるいは恐怖に
訴えている。真理を説くというよりも最初からそういう狙いですね。
それも真実であるなばよいのだが、中身が嘘だらけでしょうが。
絵に描いた餅でしょうが。
マスコミの悪用というわけです。
ホラ吹きという特性をマスコミにより増長拡大させた。
だからマスコミうんぬんではなく内容なんです。

714準シュダオン:2009/06/11(木) 12:56:07 ID:XESnzsYQ0
八正道は総目次だからすべて入っている、と深山さんは述べた。
私の主張は、肝心なのは目次ではなくて、本文である、ということです。
37道品ー八正道=6科29道品ですね。

仮に、この6科29道品が八正道の具体的実践法だというのならば、
6科29道品があれば、八正道は必要ない、ということです。
仏陀の真実の教えを説く本の、P142、にそのあたりのことを管長は
解説しています。
よくお読みください。

715準シュダオン:2009/06/11(木) 13:04:53 ID:XESnzsYQ0
準シュダオンは全く聖者ではないよ。
だいたい、阿含宗では聖者というのは、アナゴンとアラカンですからね。
シュダオンとシダゴンは賢者扱いです。
準シュダオンは賢者にさえ入りませんよ。

どこかの名無しさんのレスを見かけたが、批判派は、そういう誤魔化しの
レスをしてるね。阿含宗でも救えないような、曲った性格だね。

716ラシン:2009/06/11(木) 13:25:13 ID:ATsDEe2w0
>714 :準シュダオン:2009/06/11(木) 12:56:07 ID:XESnzsYQ0
八正道は総目次だからすべて入っている、と深山さんは述べた。
私の主張は、肝心なのは目次ではなくて、本文である、ということです。
37道品ー八正道=6科29道品ですね。

重複していると何度も指摘されても、理解不能のようです。
つまりあなたのお頭がダブっているのです。
あなたは”法数”という体系付けに縛られ、それが分からんのです。

>715 :準シュダオン:2009/06/11(木) 13:04:53 ID:XESnzsYQ0
準シュダオンは全く聖者ではないよ。

相変わらずズレまくっていますね、準シュダオン(子孫)さんは。
準とは、名詞に付いて、それに次ぐものである、それに近いものである
という意を表す。(大辞林)準優勝とは優勝に次ぐ功績を顕すのだ。 
掲示板では、勝手な自己解釈での誤魔化しは通用しません、見苦しい。

717準シュダオン:2009/06/11(木) 13:27:59 ID:XESnzsYQ0
護摩木祈願は欲望を煽るわけではないよ。
欲望を燃やすか、健全な欲望に留めるかは、信徒側の問題なのです。
在家である以上、商売は繁盛しないといけません。
病気よりは健康な方がよいのです。

大本経に良い例が説かれています。こうです。
「見衆生苦厄 老病死逼迫 為此三悪趣 智慧轉法輪」です。
学者先生の訳は、
「(仏は)この三悪道から救うために智慧によって真理を説いた」です。
ね、苦厄老病という、苦から逃れさせるために、真理が説かれたのです。

だから、衆生が貧困や病気や災いから逃れようと、祈願するのは当然の
ことなのです。これを卑しい欲望などと見る見方こそ、邪見なのです。
ただし、貧困も病気も災いも、そうなる因縁のもとで、そうなっている訳
ですから、その因縁を断つ修行もしなければいけない、と管長は説くわけ
です。

すると、批判派は、そういう教えは阿含経にはない、とくる。
私は、ある、と見るのです。

718準シュダオン:2009/06/11(木) 13:42:58 ID:XESnzsYQ0
私は学者でもないし、批判派のように典拠に厳格でもない。
だから、次にあげる例は、どの経典かは詳しい方から指摘してほしいね。
何という経だったかは、とんと記憶にないが、

お釈迦さまはある時、象の足跡にすべての動物の足跡が入るように、
不放逸のいう善法が最高なのである。不放逸という善法にすべての善法が
入ってしまう。だから不放逸を修めなさい。

さぁ、どう思いますか?
放逸は20随煩悩の一つです。
お釈迦さまがおっしゃるように、放逸という隋煩悩にすべての煩悩が集約
されてしまうのでしょうか?
まぁ、そう考えても、仏道修行の組み立ては可能でしょう。

これって、八正道にすべての修行法が集約される、という考え方と同じですね。

719準シュダオン:2009/06/11(木) 14:06:57 ID:XESnzsYQ0
樹意さんに一言申し上げますが、
真正仏舎利なのか、真正偽仏舎利なのか、そういうことは、釈迦のDNAも
不明ですから、DNA鑑定も出来ません。

つまり、不明です。
管長側と批判派側の、どちらの主張を信じるか?
という問題です。
わたしゃ、批判派側の情報源こそ怪しい、と思うだけです。

720準シュダオン:2009/06/11(木) 14:21:04 ID:XESnzsYQ0
深山さん、都合が悪くなると善き友の議論はもうよい、ですか?
善き友とは釈迦のことではない、と気づいたのかな?W。
準シュダオンと預流向の違いに気づいたように。

深山さんてのは、自分の勘違いには眼をつぶり、誤魔化しに私の国語力
の問題にしてしまう。
学力や知性だけでは仏法は理解できませんよ。
学者ものしり後回し、の意味がわかりますね。
国語力、なんて用語を持ち出す自体、仏教者にあるまじき人格なのです。
そういう新皮質脳型人間では、仏法は理解し難いでしょう。
それでは、既成仏教どまりの、仏教理解だとおもいます。

721孫 青柿:2009/06/11(木) 14:28:18 ID:cMnw6Jpw0
準シュダオンは何故ユビキタスさんの>>656等を無視されるのか?

>>619 「具体的な修行法を習わなければ、意味がないということを管長は指摘しているのです。」には賛成です。
七科三七道品だって全然、具体的な実践技法じゃないでしょうに。

昔からあなたはこだわりが足りないと思う。具体的な実践技法にこだわるならこだわってみなさいよ。
いつも半端で逃げているでしょう。
深山さん、樹意さん、ユビキタスさんとも具体的な実践技法にも詳しいですよ。あなたが半端だから詳細に入ることが出来ないんです。

樹意さんは>>609で四念処観についても細かく、知覚して知的認識を同時というのも人間の脳と神経の性能上 厳密には不可能で、
実際には知覚し0,00・・1秒後にその記憶に対し知的認識を加える。
また諸法が消える、または現われる瞬間瞬時そのものを知覚することはこれまた不可能で、前後の記憶で判断すると書いています。

あなたがいるスレでこれだけ詳細な実践技法の話題が語られているのにあなたには気付かない。
もっともっとこだわって研ぎ澄ましていかなければいけない。

722準シュダオン:2009/06/11(木) 14:38:34 ID:XESnzsYQ0
一つは37道品による成仏法の修行
二つは真言密教の如意宝珠法の修行
三つは求聞持聡明法の修行
これが今の阿含宗の修行です。
で、誰か体得した人がいるか?ですと?

冗談言っては困るのことよ、深山さん。
私が準シュダオン程度に証得したので、準シュダオンを名乗ってるのよ。
伊達や酔狂で名乗ってるのではありません。

その証拠に、言葉使いがあなたより綺麗でしょ。
あなたは口汚く私を罵ってるものね、修行が足りない証拠よ。
多勢の批判派方にも、ぜんぜんブレナイ私、これも準シュダオンの証かも。

723孫 青柿:2009/06/11(木) 14:51:12 ID:cMnw6Jpw0
準シュダオンは深山さんの>>223>>357にも答えてない。

技法ではないが樹意さんの>>554も無視かな?
向と果も刹那だそうです。準シュダオンさんの脳はスローモーすぎるんですよ。

724樹意:2009/06/11(木) 14:52:02 ID:yvKQFbBM0
>>715 :準シュダオン:2009/06/11(木) 13:04:53 ID:XESnzsYQ0
>準シュダオンは全く聖者ではないよ。
>だいたい、阿含宗では聖者というのは、アナゴンとアラカンですからね。
>シュダオンとシダゴンは賢者扱いです。

末世成仏本尊経講義 274p
須陀?というのは、もう聖者の領域に入っているのである。

ハンドルネームに採用したアナタがその程度の認識しかないというのは
他の議論ならいざしらず かなり恥ずかしいレスをしたことになるな。

準さんはキチンと引用する人ではないからね、読む人は気をつけて読むことだな。
準さん個人の価値観はこの板では議論の対象ではないよ、
それとこんなことは普通に道場通っていたなら本なぞ読まなくても情報は
入るし認識できることだよ、だから道場すら満足に通っていないのに
慢心を出したレスをすると反発の元だよ、 気をつけたがいい。
どっちにしろ準さんのレスはいちいちアゴンの正確な教学に訂正してから
でないと阿含経との比較もできないし、
準さんはゴマ木托鉢をした香りもしない、だからアゴンでボン行とする
実際の活動との比較も注意して比較しないとね。

準さんのはゲイカの教えも3割頭だな、残り7割はこっちで訂正してあげないと
経典引用も不正確。
活動はあまりやった香りがしないな、だからボン行にしてもこっちで実態を
書いてその上で比較する必要があるな。
まぁ このスレッドではよい論客さんですから、気張んなさい。

本尊舎利でウソついてそれを根拠に勧進させたのだからね、元信者にそういう
詐欺行為をさせた責任は追及しますよ。
そういう行為は○獄へいく元だとお釈迦さまも仰っていますよ。
今度はそういう経典を引用しましょうか。

725ラシン:2009/06/11(木) 14:59:27 ID:ATsDEe2w0
>719つまり、不明です。
管長側と批判派側の、どちらの主張を信じるか?
という問題です。
わたしゃ、批判派側の情報源こそ怪しい、と思うだけです。

贈呈した側が真正仏舎利と言及していません。
桐山さんが、勝手に真正仏舎利と喧伝しているだけです。

>720深山さん、都合が悪くなると善き友の議論はもうよい、ですか?

深山さんよりその五人はその時点で釈尊に帰依していない、
仏教徒ではないと指摘されても、気づかない?
>国語力の問題< ではなく、あなたのブレーンの問題です。

>722多勢の批判派方にも、ぜんぜんブレナイ私、これも準シュダオンの証かも。

このような慢心を戒め、出さないようにするのが真の修養です。

726準シュダオン:2009/06/11(木) 15:09:15 ID:XESnzsYQ0
管長は、37道品の修行法を教えたことがないですと?
そんなことはありません。私は教わっています。
般若心経瞑想法の本に、座り方まで記されています。
あのように座って、身を観察、受を観察、心を観察、法を観察するのです。
そして、五陰12処18界の、無常、苦、無我を瞑想するのです。

それを理解した分だけ、正見が生じます。正見が生じた分だけ正思が生じ
ます。生思の分だけ・・・・正定が生じます。

また、苦を観察します。苦の生起を考えます。苦の滅を考えます。苦の滅に
至る道を考えます。理解した分だけ、智が生じます。それが正見です。
正見が生じた分だけ正思が生じ・・・・・・・正定になります。

ね、このようにちゃんと教わっているでしょう。般若心経瞑想法の本には、
このような内容が説かれているのです。
管長の道諦≠八正道の主張は、その上に立っての主張です。
ついでに言うと、平河出版の長阿含経の大本経には、四諦が、
「苦聖諦、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦出要諦」と、なっていますね。
他の経で「道諦」のところが「出要諦」になっていますね。

727樹意:2009/06/11(木) 15:30:41 ID:yvKQFbBM0
>>721 :孫 青柿:2009/06/11(木) 14:28:18 ID:cMnw6Jpw0

仏陀の禅定に興味のある方には
スマ氏のアビダンマサンガハ解説と片山一良氏訳阿含経典とくには 梵網経 が面白く良書
であると思いますので孫氏はじめ素養のある方などにはお勧めです。
説一切有部の生住滅は竜樹はじめ批判もあるようですが、生滅に関しては阿含経典に
普通に出てくる言葉ですのでまぁそれを認識するしないは修行が進んだ後のお楽しみと
いうことでいいのではないでしょうか。

瞑想の五自在をはじめ自分のやったことを振り返る作業というのは 何事も習熟を要する
もの一般に通じるものですからこれは推論ではありますが間違いのないことだと
思われます。
モッガラーナでしたかが托鉢前に滅尽定に入りその後托鉢したようです、自由自在に
定に出入りできる習熟をものにするというもの凄いことでありましょう。
何事も記録にとり自己批判し次ぎの段階に進むというやり方です。

728準シュダオン:2009/06/11(木) 15:42:33 ID:XESnzsYQ0
やれやれ、という思いで樹意さんに申しあげます。
末世成仏本尊経の本では、シュダオンは聖者になっています。
しかし、新しい本、例えば「21世紀は智慧の時代」の本、P207、には、
シュダオンとシダゴンは賢者、アナゴンとアラカンは聖者、として記述され
ています。だから私は、21世紀から管長はそのような定義をしたのだな、
と、解釈しているのです。

古い本よりも新しい本での定義に従うべきでしょ?
私も管長の定義に習って、レスしただけです。
それに私は「準」ですからね、優勝と準優勝では大違いです。
高校野球でさえ、優勝校には優勝旗があります。
        準優勝校には楯、と大違いです。

729あのね:2009/06/11(木) 15:54:23 ID:Joxem5Xw0
>>726

あまりにも酷いので、横入りします。

> 管長は、37道品の修行法を教えたことがないですと?
ないですね。本に見出しだけを書いただけで中身な全然明かしていません。
明かしたと思ったら、全くの誤り。
ゲイカが空想で書いていることがバレバレ。


> そんなことはありません。私は教わっています。
はぁ?何を言っているのですか。今まで教わった人などいません。
そういう嘘を言ってはいないよ。
在家の修行は、三福道。これが鉄則なのです。


> 般若心経瞑想法の本に、座り方まで記されています。
> あのように座って、身を観察、受を観察、心を観察、法を観察するのです。
> そして、五陰12処18界の、無常、苦、無我を瞑想するのです。

はぁ〜? 観想が修行法だと?それじゃ密教と同じ。
想像して、修行した気分になっているだけ。
しかも本に書いて伝法できるほど簡単なものではありません。
実施に教えることは、ゲイカも言っているではないか。


> それを理解した分だけ、正見が生じます。正見が生じた分だけ正思が生じ
> ます。生思の分だけ・・・・正定が生じます。
あなたの修行進度を見ていると、妄想と空想の脳障害の因縁が助長している
だけにしかみえません。慢心が強く、正しく物事を判断できず、物事を歪曲して
理解する結果しかみえてきませんね。


> ね、このようにちゃんと教わっているでしょう。般若心経瞑想法の本には、
> このような内容が説かれているのです。

なにが「ね」ですか。
本に書いてあれば伝授されたとするのは妄想。
またまた思念で伝授したとでも妄想を言うのですか。
片腹痛いですね。あなたの妄想は酷すぎます。


> 管長の道諦≠八正道の主張は、その上に立っての主張です。

はぁ〜?。スッタニパータやダンマパダを読んでごらんなさい。
滅諦こそ、八正道なのです。


あんまりにも酷いでの口を出しましたが、あなたの言っていることは
仏教ではない。キリヤマ教をさらに歪曲したもので、阿含宗的にも誤り
なのですが、よくもそこまで妄想や空想で信仰ができるかと驚くだけです。

あんたは、信者のために書いているというが、全然役に立っていないだけでなく、
むしろ、信者離れを加速していることに気付かないのですか?
擁護しているようにみえて、逆なのです。新手の批判者かと思うくらいですね。

滅茶苦茶な阿含宗教義を説いているのですよ。
しかも仏教としてもオカシイ。

730あのね:2009/06/11(木) 16:06:26 ID:Joxem5Xw0
訂正
道諦こそ、八正道なのです。

731ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/12(金) 00:05:06 ID:SmEF4Oe2O
明朝はステップ・ ニルヴァーナ、準(セミ)・ニルヴァーナの解説のみになるかな?
いずれにしても大変な道程です。
基礎訓練、個別の修行プログラム、滝行、護摩行、霊的浄化・・・。
聖者だの賢者だの呼称の問題ではない。
アゴン宗の現実を周囲とも比較して考えた場合、とても77人を出し抜いて
根拠もなくシュダオン選手権準優勝なんて自惚れた台詞を根拠もなく吐けない。
ところでチミはステップいくつだ?

732孫 青柿:2009/06/12(金) 00:23:22 ID:cMnw6Jpw0
>>727 樹意さん凄く詳しいので圧倒されますね! 阿含スレの住人でかつ南伝スレにも住めるレベルに達してますよね。
自分は南伝スレ見ると完全に入門以前のレベルだなあと思い知らされますもの。
樹意さんはめちゃ詳しいから聞きますが、準シュダオンさんは三七道品とか四念処観について間違っていますが、前行とか助行として「フジョー!クー!ムジョー!ムガー!」と想像するサマタの瞑想はあるのでしょう?

>>729 あのねさん、同感です。ゲイカやソンシが
「フジョー!クー!ムジョー!ムガー!」と想像する式の瞑想=四念処観 と
全く両者同じ間違いをしているのって、従来そういう間違いというか誤解が伝統的にあるのではないか?と思いました。
真言宗に属する寺院の観光客用の小冊子にも四念処観を上記のような方法と記していたことがありましたので。

733名無しさん:2009/06/12(金) 00:41:06 ID:HeXCfjkY0
準シュダオンさん、自分がザのスレで他人を
「馬鹿」
と罵っていた過去は封印してる。
これって、自分に都合の悪い事を無視して
いるのか、ただのボケ老人なのか、判断
出来ません。

734ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/12(金) 08:41:29 ID:SmEF4Oe2O
>>715
>>728
シュダオンやシダゴンを聖者と呼ぼうが賢者と呼ぼうがアゴン宗におけるその重さは
変わりありません。安っぽくなったわけでない。アゴン宗では密教の曼荼羅に描かれた賢劫の千仏たれ
している。寧ろ賢者とすることによって曖昧な目にも見えないオーラなんかを
頼りにするよりも高いハードルがあると思った方がよい。
それはあなたがページまで示してくれた「21世紀は智慧の時代」によく書き表されている。
207ページのシュダオンをご覧なさい。
けがれをすべてとり除いて清められた賢者とある。
すべてとり除いたですよ。つまり霊的不浄など残っていない。
解脱供養を申し込んでももう対象がいない、守護霊がもらえる条件と変わりません。
守護霊よりも条件の低い守護神だって下付の条件は冥徳解脱供養40体以上です。
あなたはどれだけ進んでいるのか?数を書いてみなさい。
あなたは単に申し込みをサボっているだけで、申し込みさえすればゴキブリのごとく
不成仏霊が発見されるほど霊的に不浄な心身のはずです。
またこのシュダオンに至る前段階として基礎訓練が必要となる。
いろいろ書いてありますね。
徹底的なカウンセリングによるトラウマの除去、潜在意識、深層意識の分析。
フムフム。これって受けたことありますか?
栄養についてはとりあえずはサプリメント商品などがある。
修行は楽しくなければならないとありますね。
錬成道場でやってるアレですね。卓球とか水泳とかウォーキングとか。
錬成道場に参加されてますか?
本格的修行に入った時の修行プログラムを作製され、それは人により千差万別
なんだそうだ。
当然そのような個別の観察も可能なカウンセリングの場もあるのでしょうな。
ああ、医師の健康診断書の提出も必要なようですよ。基礎訓練の入行に際して。
この基礎訓練を終えて初めて次の段階に移り、それがシュダオンを得る訓練です。
と言うことはどういうことかわかるか?
あなたはもちろんそうだが、アゴン宗の信者の中にシュダオンの修行に移行する
前の基礎訓練すら卒業している者は一人もいない。
卒業どころか基礎訓練が未実施です。
錬成道場の77人が受けたのも護摩の作法の講義があっただけなんだそうだ。
カウンセリングもない。
だから基礎訓練もされてないところにシュダオンが育つわけもないし、修行してない
奴に準シュダオンの名が冠せられるわけがない。

735ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/12(金) 09:03:46 ID:SmEF4Oe2O
>>728
「21世紀は智慧の時代」の口絵のチャートをご覧なさい。
ステップ1からステップ5までありその上部にセミ・ニルヴァーナがある。
その過程には滝行と護摩行がありこれはずっと続くという。
注目すべきは青色字で書かれた霊的障害の排除・梵行とある。
これがステップ5まで続いている。
アゴン宗のシュダオンの定義は何でしたっけ?
けがれを「すべて」とり除いて清められた賢者ですよね。

ほら。やはりステップ5まで行かねばならない。
つまりセミ・ニルヴァーナこそがシュダオンとシダゴンです。
証拠に桐山さんも218ページに書いている。
ニルヴァーナまで修行者を導く自信はないが、準・ニルヴァーナにまで到達させる
自信はあると書いており、滝行と護摩行でシダゴンまで行けるとある。
つまりセミ・ニルヴァーナとはシュダオンとシダゴンです。
ステップ5修了者です。
ところが現実には修行自体まだ序の口なんです。
最先端の77人ですら。
ここにも準シュダオンがいるはずがない。
なぜなら準シュダオンとは準優勝者であり準優勝の栄冠は優勝には及ばないものの
決勝まで進んだ人にしか与えられない。
しかし試合自体が行われていない。
まだ地区予選の準備が始まって停滞している段階です。

736深山:2009/06/12(金) 12:35:34 ID:OF5JxmLE0
>>714 :準シュダオン:2009/06/11(木) 12:56:07 ID:XESnzsYQ0
>八正道は総目次だからすべて入っている、と深山さんは述べた。
>私の主張は、肝心なのは目次ではなくて、本文である、ということです。

さすがは何でも因縁を付けるアゴン宗の信者だけあって、
もののたとえにまで因縁をつけるのですね。
総目次とは物のたとえで、すべて入っているという意味です。
三十七道品に限らず、100科550道品すらも
八正道にすべて入っています。
八正道に目次だけだなどと言ったら、桐山さんのいう
四神足だって目次だけだから、インチキ解説を付け加えている。
あなたはたとえば正見と言われても中身がないと主張する。
私が中身を具体的に説明しても、読もうともせずに、
また中身がない、本文がほしいと始まる。
八正道の正見は本文であり、修行法であり、解脱への道です。
だが、あなたも桐山さんも因縁切りなんて外道の教えを求めて、
煩悩を切ることの意味を理解できないから、
いくらそれを説明されても理解しえない。
だから、あなたが理解することは無理です。
釈尊の教法に因縁解脱や業解脱があるわけがないのだから、
それを八正道にない、ない、ないと言われても、ないに決まっている。
仏教のどこを探しても、あなたが求めているようなものはありません。
釈尊は、桐山さんやあなたが初学のオシエとバカにした内容を解脱の法として説いたのです。

737深山:2009/06/12(金) 12:37:46 ID:OF5JxmLE0
>>714 :準シュダオン:2009/06/11(木) 12:56:07 ID:XESnzsYQ0
>仮に、この6科29道品が八正道の具体的実践法だというのならば、
>6科29道品があれば、八正道は必要ない、ということです。

「仮に」以下の文章はあなたが勝手に言っているだけで成り立っていません。
三十七道品は体系づけられた内容ではないと何度言われればわかるのだろう。
あなたは学校の勉強の国語、数学、英語というように、
七科が出来上がっていると勝手に思い込んでいる。
これを言っているということは、あなたは三十七道品の中身の解説を
読んだこともなく、表面の字面を追って、後は桐山さんのオカルト解説を
鵜呑みにしているにすぎないのがよくわかる。
中身を読んだら、これらの内容が重複し、互いの位置や関係が
対等でないことにすぐに気が付く。
整理され、分類され、順序づけがされた内容ではありません。
だが、桐山さんもあなたもそういうものだという前提で見ている。
あなたの頭には七科とか六科などと、まるで体系づけられた
修行法であるかのように思い込んで、そこから一歩も出られない。
それが間違いだと言っているのです。
修行法のすべてを網羅しているのは八正道です。
三十七道品とは後世の人たちが、釈尊の並べた七科の羅列を
一連の修行法であるかのように数字でくくっただけです。
並べ方にも、くくり方にも、意味はありません。

738深山:2009/06/12(金) 12:41:14 ID:OF5JxmLE0
>>714 :準シュダオン:2009/06/11(木) 12:56:07 ID:XESnzsYQ0
>仏陀の真実の教えを説く本の、P142、にそのあたりのことを管長は
>解説しています。

これを読んだ上で、桐山さんの話はおかしいと批判しているのです。
ユビキタスさんにも指摘されたと思うが、読めではなく、
読者のためにも、きちんと引用して示すのが、それを主張する者の義務です。
天身さんを反面教師としてぜひ心がけてほしい。

「もしも八正道だけで因縁が切れるならば、残りの六科目は最初から不要になります。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』142頁)

読んでいる信者さんたちにまず自覚してほしい第一の大きな間違いは、
「因縁が切れるならば」という言葉です。
仏教には因縁切りはないから、八正道だろうが、
七科三十七道品だろうが、因縁は切れません。
だから、最初の部分だけでも大きな間違いです。
この申恕林経のどこに因縁切りがあるのだ?
この本の他の阿含経のどこに因縁解脱があるのだ?
「もしも八正道だけでリンゴが切れるならば」と
私が書いたら信者さんたちは「バカな、阿含経で
釈尊はリンゴの切り方なんて説いていない」とあざ笑うでしょう。
だが、桐山さんの因縁切りは、リンゴ切りと同じことです。
なぜなら、阿含経には因縁切りなんてただの一度も出てこない。
出てこないのに「もしも」とは何の意味があるのだ?
阿含経に因縁切りや因縁解脱が説かれているなどというのは、
「三十七道品によるリンゴ切りのリンゴ解脱」を求めているのと同じくらい愚かなことです。

739深山:2009/06/12(金) 12:43:33 ID:OF5JxmLE0
「もしも八正道だけで因縁が切れるならば、残りの六科目は最初から不要になります。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』142頁)

阿含経にも仏教にも因縁切りなんてありません。
これを信者さんたちにまずよく自覚してほしい。
ないものをあるかのように桐山さんはこの本でも繰り返し書いている。
信者さんたちは、私から、阿含経のどこに因縁切りがあるのだ、と
質問されて、改めてこの本の阿含経を見て、ないことに気が付いたのではありませんか。
自分がとんでもない錯覚をさせられていたことに驚いてください。
因縁切りなどリンゴ切りと同じで、存在しないのだから、
桐山さんは三十七道品を議論する資格すらない。
こういう文章一つから、桐山さんが仏教の初歩すら理解していないのがわかる。
二千五百年間の学僧たちが、桐山さんのこんな指摘すら気が付かず、
四諦の道を八正道だと説いてきたと思うか。
こんな指摘くらい誰でも思いつきますよね。
桐山さんは基本的なことを知らないから、こんなトンチンカンなことを
まるですごいことに気が付いたかのように書いていられる。
その誤解とは、三十七道品を釈尊その人が体系的に
説いた修行法だと思いこんでいる点です。

740深山:2009/06/12(金) 12:46:55 ID:OF5JxmLE0
「もしも八正道だけで因縁が切れるならば、残りの六科目は最初から不要になります。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』142頁)

初歩的なことを桐山さんは理解していない。
桐山さんは三十七道品を数学や英語のように
体系だった修行法だと思い込むというよりも、決めつけている。
しかも、無知にも、三十七道品という体系を釈尊が説いたと信じている。
三十七道品という体系は後世の人たちが作ったものであり、
釈尊は七科を並べただけで、これを体系だって説いたのではありません。
前にたとえたが、たとえば、学校の先生が「英語は書いて発音して聞いて覚える。
睡眠を十分にとり、朝早くおきる。数学と英語は点数がとりやすい。
勉強しろよ。」と話したのを、後世の人たちがこれを四科八道勉強法と名付けた。
しかし、中身を理解したら、先生の話は体系だった話ではないし、
四つ目の「勉強する」の一言に集約されていることがわかります。
先生の言っていることは「勉強する」に集約されるように、
三十七道品も八正道に集約される。
桐山さんの上記の指摘は「もしも勉強するだけで間に合うならば、
残りの三科目の英語も睡眠も数学もいらないことになります」と言っているのと同じです。
いかに桐山さんの理解力が低く、仏教を理解していないか、
こういうたとえをみればよくわかるでしょう。

741深山:2009/06/12(金) 12:49:45 ID:OF5JxmLE0
>>718 :準シュダオン:2009/06/11(木) 13:42:58 ID:XESnzsYQ0
>私は学者でもないし、批判派のように典拠に厳格でもない。
>だから、次にあげる例は、どの経典かは詳しい方から指摘してほしいね。
>何という経だったかは、とんと記憶にないが、

記憶にないなら、出さないでください。
あなたのいい加減な記憶を元にして議論させられるのは迷惑でしかない。
あなたの書いていることが嘘だと言っているのでありませんよ。
釈尊が誰に、どういう状況でこれを言っているのか見ない限り、
つまりこの経典の前後を読まないかぎり、議論は無意味です。
ある比丘が、他の煩悩はほぼ切れているのに放逸の煩悩が強いので、
おまえは不放逸さえしっかりやれば解脱できると説いたとすれば、何の不思議もない。
それよりも、不放逸のこの話と、八正道とどう関係しているのですか。

742深山:2009/06/12(金) 12:52:39 ID:OF5JxmLE0
>>718 :準シュダオン:2009/06/11(木) 13:42:58 ID:XESnzsYQ0
>これって、八正道にすべての修行法が集約される、という考え方と同じですね。

それで準シュダオンさんは何を言いたいのですか???
八正道が総目録であるという主張と同じであるという
私の説明を受け入れたという意味ですか。
そのように理解してくれるならいいし、あなたの解釈は間違ってはいない。
釈尊の教法とはこのように柔軟なものであり、三十七道品などと名前をつけなければ
ならないような四角四面で教条的なものではありません。
ただ七科目を並べて説いたにすぎず、それ以上の意味などありません。
だから、八正道は他の6科目のまとめとして出しているのですらない。

743深山:2009/06/12(金) 12:56:11 ID:OF5JxmLE0
>>715 :準シュダオン:2009/06/11(木) 13:04:53 ID:XESnzsYQ0
>準シュダオンは全く聖者ではないよ。
>だいたい、阿含宗では聖者というのは、アナゴンとアラカンですからね。
>シュダオンとシダゴンは賢者扱いです。
>準シュダオンは賢者にさえ入りませんよ。

>>578を書かれて、この議論をやめるだけの理性が残っているのかと
評価していたのが、どうやらそうではないようですね。
・・・あ、そうか、一週間たったから、反論されたことは忘れて、
また自慢話をしたくなった・・・病気ですね。
あなたは「預流向=準シュダオン」だとは名乗っていないと書いたが、
ちゃんと名乗っている証拠を私はあなたの書き込みから示した。
その上で、あなたが預流向を名乗ることについては次のように批判している。

批判1.アゴン宗では預流向を勝手に名乗ることは許されていない。
批判2.アゴン宗の預流の条件をあなたはまったく満たしていないから、
限りなく預流に近い預流向だなんてありえない。
批判3.外道のアゴン宗の信者が仏教の預流向であるはずがない。(>>558)

批判2についてはユビキタスさんが>>734-735で具体的に批判している。
聖者か賢者かではなく、アゴン宗では勝手に名乗ってはいけないのだ。
あなたは教団の基本的なモラルすら守ろうとしない。
自分は限りなくシュダオンに近いとただ自惚れたいのでしょう?
だから、慢心から預流向を名乗っていると批判したのです。

744深山:2009/06/12(金) 12:58:44 ID:OF5JxmLE0
>>717 :準シュダオン:2009/06/11(木) 13:27:59 ID:XESnzsYQ0
>だから、衆生が貧困や病気や災いから逃れようと、祈願するのは当然の
>ことなのです。これを卑しい欲望などと見る見方こそ、邪見なのです。

釈尊は苦から逃れることを説いたというのは事実です。
だが、苦から逃れるのに護摩木に祈願するとは何ですか、それ。
阿含経のどこに、苦から解放されるのに、護摩木に限らず、
祈願が説かれているのか、示してみなさい。
釈尊がいつ、病気や貧困から逃れるために祈願せよ、と言いましたか。
あるはずがない。
シャカ仏教には祈願なんて存在しません。
口から出任せにいい加減なことを書くのはやめなさい。
釈尊は祈りなんてしません。
祈りは、何かを望むことであり、望むとは欲望です。
世界平和だろうが、他人のための祈りだろうが、祈りとは仏教では欲望でしかない。
欲望を捨てるのが仏教であり、それこそが苦から解放される唯一の道だと説いた。
祈れなど説くのは邪見というよりも外道の教えです。
だから、外道のアゴン宗は護摩木祈願をして、祈っている。

745深山:2009/06/12(金) 13:02:37 ID:OF5JxmLE0
>>719 :準シュダオン:2009/06/11(木) 14:06:57 ID:XESnzsYQ0
>真正仏舎利なのか、真正偽仏舎利なのか、そういうことは、釈迦のDNAも
>不明ですから、DNA鑑定も出来ません。

一ヶ月前に335で同じ事を書いて、私から反論されたことはきれいに
忘れているのでしょうね。
「阿含宗と桐山氏について-第四十二章-」
の342-346で私はあなたに反論した。
あなたの言いたいことは、DNAによる鑑定ができないのだから、
アゴン宗の仏舎利など偽物だということですね?
批判側はその意見に賛成だが、あなたの発言は桐山ゲイカにものすごく失礼です。
桐山さんは学者も証明している本物だと言っているのです。
また、学問的にも、仏舎利の真贋はDNA鑑定しないとわからないなんてことはありません。
学者から本物だと折り紙のついた仏舎利が二度出ているが、
DNA鑑定なんてしていません。
桐山さんも『守護仏の奇蹟』の中でこれらを引用しており、
大筋では間違いではありません。
だが、アゴン宗の仏舎利はこれらの学問的な保証のあるものではない。
なにせカニンガムは仏舎利など発掘していないのだから、
発掘すらされていない仏舎利です。
また由来を示したシンハリ語の文章にもはっきりと偽物だと書いてある。
DNA鑑定など待たなくても、アゴン宗の仏舎利は真正偽仏舎利です。

746深山:2009/06/12(金) 13:04:22 ID:OF5JxmLE0
>>745で書いた335とは書きの文章です。

>335 :準シュダオン:2009/04/29(水) 08:55:22 ID:CiA8Mt1w
>また、阿含宗の仏舎利が本物か偽物か、それは釈迦のDNA鑑定も不可能だろう
>し、誰にも調べられないであろう。管長がスリランカ大統領から、直接手渡された
>ことは事実だからね。スリランカ政府が偽物だと宣言しない限り、どこの
>誰かも知らない批判派の言うことを信じるわけにはいかないねW。

747深山:2009/06/12(金) 13:09:09 ID:OF5JxmLE0
>>720 :準シュダオン:2009/06/11(木) 14:21:04 ID:XESnzsYQ0
>深山さん、都合が悪くなると善き友の議論はもうよい、ですか?
>善き友とは釈迦のことではない、と気づいたのかな?W。

反論を読まない、理解できないというのは便利な頭ですね。
ついでに恥知らずも便利です。
あなたの上記の反応のひどさに、他の批判側まで絶句していることに
気が付いているか。
私はアーナンダにとっての善き友とは釈尊その人であること根拠を示して説明した。(>>660-661)
しかし、議論は善き友の話ではなく、八正道が道の「すべて」であるか
どうかという点です。
あなたは道のすべてではない事例として、善き友の話を出した。
これ自体、理屈が飛躍しているのが、あなたに合わせたとしても、
善き友は釈尊が言うように道のすべてです。
善き友がだれであろうが、善き友は道の「すべて」です。
つまり、あなたが「釈尊がすべてといってもすべてだとは限らない」と
いう主張の根拠として出した善き友の例は、根拠にはならない。
だから、善き友の議論はこれで終わりです。
しかし、あなたはがむしゃらな負けず嫌いだから、テーマなどどうでもよく、
善き友とは釈尊だという私の主張にひたすら噛みつく。
あなたは、善き友が誰なのかという問題を出したのではなく、
釈尊のいう「すべて」がすべてだとは限らない事例として出したのです。
善き友が誰であれ、あなたの主張は成り立っていないのです。
どうしてそんなに子供っぽいのだろう。
しかたないから、あなたの子供っぽさに合わせましょう。

748深山:2009/06/12(金) 13:11:45 ID:OF5JxmLE0
「そこでは、ブッダ・ゴータマその人が、自分自身をゆびさして、
わたくしは諸君の「善き友」なのだといっておられる。」
(『ブッダ・ゴータマの弟子たち』増谷文雄、72頁)

増谷博士は、善き友とは釈尊だと解釈している。
あの経典を普通に読めば、アーナンダの善き友とは釈尊です。
だから、釈尊の言葉を増谷博士は次のように訳している。

「みんなは、わたくしを善き友とすることによって、老いねばならぬ身でありながら、
老いより自由になることができるではないか。」

以下、病と死からも自由になれると説いている。
つまり、釈尊を善き友とすることで、解脱するのだから、道のすべてだといっているのです。
増谷博士は「わたくしを善き友とする」と訳している。
「わたくし」とは釈尊のことです。
私は準シュダオンさんほどには自分に自惚れはないから、あなたのような
勝手な解釈する前に、まず学者の書いた解説を読んで理解するようにしている。
普通の人なら、ここまで示されたら、少し反省し、我流の解釈を
控えるものだが、準シュダオンさんは三日もたつと反論を忘れて、
何を議論しているのかも忘れて、また同じ事を蒸し返すのでしょうね。
あなたには善き友がいないからです。

749深山:2009/06/12(金) 13:12:54 ID:OF5JxmLE0
>>720 :準シュダオン:2009/06/11(木) 14:21:04 ID:XESnzsYQ0
>深山さんてのは、自分の勘違いには眼をつぶり、誤魔化しに私の国語力
>の問題にしてしまう。

私のどこの何をどう勘違いしたのですか。
何の議論をしているのかきれいに忘れるのを「勘違い」というのです。
善き友についての反論されたことを無視するのを「眼をつぶり」というのです。
経典もろくに読まずに、自分のわずかばかりの記憶に頼り、
勝手な解釈を繰り返す人を国語力に問題があるというのです。
それとも、問題なのは国語力ではなく、あなた人格か、知能か、人間性か。

750深山:2009/06/12(金) 13:14:19 ID:OF5JxmLE0
>>720 :準シュダオン:2009/06/11(木) 14:21:04 ID:XESnzsYQ0
>その証拠に、言葉使いがあなたより綺麗でしょ。

ス、素晴らしい!!!!
私は爆笑して、椅子からひっくりかえりそうになった。
言葉遣いが綺麗!!!
きっとあなたは「あなたより」という伏線を張ったつもりでしょうね。
無駄ですよ。
こんなにあなたにお笑いの才能があるとは知らなかった。
>>733さんが指摘しているように、あなたが他人をバカ呼ばわりしたのは珍しくもない。
あなた以外の人たちはみんな記憶しているのです。
では、私よりも綺麗な言葉づかいとやらを見てみよう!

751深山:2009/06/12(金) 13:15:17 ID:OF5JxmLE0
[470]如来の子孫 08/06/13 19:33 oNmU9AvgdV
お前みたいな落ちこぼれの助言なんて、聞くわけもないよ、空蝉くん。フフフ、ハハ。

[570]如来の子孫 08/07/09 15:52 LGksRgot8d
ユビ元はおバカちゃんだ。

[195]如来の子孫 08/08/02 16:41 hTuSt843kK
これにケチ付ける輩は馬鹿としか思わんよ。

[104]如来の子孫 08/07/31 14:39 hTuSt843kK
ほんとに知恵遅れがいて困るなあ。
私が、いつ阿含宗は知恵を与えてくれるから、有難い、なんて
書いたかね?ほんと、私のレスの何を読んでるのかい!
アキレタよ、議論は無駄だな、知恵遅れとは。

[174]如来の子孫 08/08/02 10:31 hTuSt843kK
○○屋くんて、馬鹿だねえ、なんでムツゴロウが猊下になるんだい?

[177]如来の子孫 08/08/02 12:51 hTuSt843kK
ラシンさんも馬鹿、というか、馬鹿真面目だなあ。
柔軟性がないのよ。

[191]如来の子孫 08/08/02 16:03 hTuSt843kK
ユビ元くんみたいな、修行信仰馬鹿にも一言、いっておこう。

[192]如来の子孫 08/08/02 16:17 hTuSt843kK
ホントに馬鹿には、馬鹿と呼ばせてもらうよ。

[336]如来の子孫 08/09/15 14:27 XgL5H.msHL
この馬鹿者が!だから、具体的な実践例は書きたくないのだ。
本当にひねくれているねw、愚か者はすぐに比較したがる。

752深山:2009/06/12(金) 13:20:03 ID:OF5JxmLE0
ちょっと検索しただけでもたかだか数ヶ月にバカとか、
落ちこぼれ、知恵遅れ、などという罵りがこんなふうに出てくる。
これで私よりも言葉遣いが綺麗とは、なかなか準シュダオンさんて
お笑いのセンスがありますね。
そればかりか、あなたは批判側を次のように罵っている。

>[144]如来の子孫 08/08/01 13:25 hTuSt843kK
>それを邪魔するのは、ゴキブリか、ウジ虫程度でしょうよ。
>阿含宗を擁護する人には、社会的信用がとても高い人がいる。
>阿含宗を批難する人は、社会的信用がとても低い人だ。

>[169]如来の子孫 08/08/02 09:05 hTuSt843kK
>はっきり申し上げて、批判派は、社会的に見たら、嫌な人種です。
>私も正直なレスは、あまりしたくない。怒らせてしまうからね。
>探し出されて、サバイバルナイフで、グサッ、と、アキバ事件みたい
>にされたら嫌だからね。元信者は、危険みたいだから。
>落ちこぼれて文句言う奴は、怖いからね。
>社会に落ちこぼれた奴は、社会が悪いというし、
>何事にしろ、落ちこぼれた原因を相手の責任にする奴は、ロクなの
>いない。

アゴン宗を批判する者は社会的信用が低く、
アゴン宗を邪魔する者はゴキかウジ虫。
うっかり批判したら、殺されかねない危険分子で、
ろくな奴がいないそうです。
よくまあ、ここまだ他人を根拠もなしに罵れるものだとあきれる。
そのあなたが私よりも言葉が綺麗!!??
これだけ罵声を並べる人が限りなくシュダオンに近い預流向様だという。
準シュダオンさんがこれほどお笑い系だとは知らなかった。
ほら、みんな腹を抱えて笑うくらいウケテますよ。

753深山:2009/06/12(金) 13:22:01 ID:OF5JxmLE0
>>547 :準シュダオン:2009/05/10(日) 15:45:59 ID:wJ8PBINa
>馬鹿もの。

ほら、つい一ヶ月ほど前もあなたは私をバカ呼ばわりしたのです。
あなたはたった一ヶ月前に自分が他人を罵ったことを
忘れて、私よりも言葉が綺麗だと始まった。
ずいぶん物忘れが激しいではないか。
私からこんなふうに国語力の低さや物忘れの激しさを批判されるから、
それが悔しくてしかたないのですよね。
あなたが猛烈な負けず嫌いで、悔しがりなのはよくわかっている。
だが、あなたと違い、私はあなたの国語力の低さや物忘れの
ひどさを根拠も示さずに指摘したことはありません。
去年のあなたのみたいに相手をただバカだのウジ虫だの
根拠もなしに罵るようなことはしていない。
私は批判する時はすべて根拠を示している。
あなたが読解を間違えた時、あなたが物忘れしたときにそれを指摘しているのです。
だから、あなたと一緒にしないでほしい。
ただ、私は一つだけ準シュダオンさんを誉めてあげたいのは、
あなたが昨年あれだけ罵声を並べたが、みんなからそれを注意されて、
その後、罵声が少なくなったことです。
だから、今年はバカは一度しか書いていない。
昨年の書き込みを見ても、元々あなたは他人を口汚く罵るのが習慣です。
自惚れが強く、批判されるのが大嫌いで、自分の主張を
受け入れない相手をバカ呼ばわりするという習慣を身につけている。
だが、それをあなたなりに抑えようと努力している。
あなたがアゴン宗に入ってから仏道修行に相当することをしたのは、
唯一、今、そうやってここでの罵声を控えていることだけです。

754深山:2009/06/12(金) 13:24:24 ID:OF5JxmLE0
>>726 :準シュダオン:2009/06/11(木) 15:09:15 ID:XESnzsYQ0
>管長は、37道品の修行法を教えたことがないですと?
>そんなことはありません。私は教わっています。
>般若心経瞑想法の本に、座り方まで記されています。
>あのように座って、身を観察、受を観察、心を観察、法を観察するのです。

教わっている?
これは驚いた。
いつ、桐山さんがこれを講義して伝法しましたか。
本に書いていることをもって修行法を教えたことになどならない。
結局、デンパ受信したとして預流向を宣言したのと同じで、
あなたが勝手な解釈を加えて四念処を体得したつもりでいるだけです。
そういうのをナンチャッテ四念処と言い、アゴン宗ですら認めていません。
私が聞いているのはあなたの勝手な解釈ではなく、
正式な三十七道品の「伝授」です。
四念処の説明だけなら『求聞持法瞑想入門』にも書いてあるし、
瞑想センターの講義でもしている。
他の三十七道品の説明も本で書いています。
だが、桐山さんは正式な三十七道品の伝授などしていません。
自分の勝手な解釈と、アゴン宗の教義や方針とを一緒にしないでください。
「自分と他人」の区別がつかないのは五歳以下の子供だけです。
教えるとは、あなたがどう受け取ったかではなく、アゴン宗や
桐山さんが伝授すると正式に宣言して、伝授が行われたことをいうのです。
大人なら、これくらいの区別はつけなさい。

755深山:2009/06/12(金) 13:26:27 ID:OF5JxmLE0
>>726 :準シュダオン:2009/06/11(木) 15:09:15 ID:XESnzsYQ0
>あのように座って、身を観察、受を観察、心を観察、法を観察するのです。

一人で四念処を体得してしまった準シュダオンさんは放置して、
他の信者さんたちにお聞きしたい。
桐山さんは準シュダオンさんが言うような形で、
四念処を瞑想であると説いている。
つまり、頭の中で苦、不浄、無常、無我を観相するのだと言っている。
また、準シュダオンさんが言うように、頭の中であれこれ
考えると正見から正定までの八正道は簡単に得てしまうそうだ。
なるほどこんなに簡単に体得できるのだから、八正道を初学のオシエと罵る気持ちもわかる。
だが、阿含経のどこに四念処が瞑想だとあるのだ?
四念処が瞑想であるなど、アゴン宗以外では相手にされない珍説です。
違うというなら、阿含経でも学者の解説でもいいから、
四念処が瞑想であるという根拠を探してください。
そんなものありません。
なぜなら四念処とは座ってやるものではなく、
四六時中行うものだからです。
それも、桐山さんが言うように頭であれこれ空想することではない。
自分の言動や感覚や心に常に注意を払い、そこに生じてくる煩悩を観察し、
苦、不浄、無常、無我などの立場から分析し、その煩悩に執着しようとする心を
解き放つのが四念処です。
そしてこれは八正道であり、四神足であり、七覚支でもある。
四念処を瞑想であるなどというのは、桐山さんが三十七道品を
まるで理解していない何よりの証拠です。
こんな人が解脱者であるはずがない。

756深山:2009/06/12(金) 13:29:57 ID:OF5JxmLE0
>>728 :準シュダオン:2009/06/11(木) 15:42:33 ID:XESnzsYQ0
>やれやれ、という思いで樹意さんに申しあげます。

二十五年前の本ではシュダオンを聖者だとして、最近の本でこれを賢者と変えた。
樹意さんに「やれやれ」というなら、桐山さんに言ったらどうか。
なんで21世紀になると急に賢者になったのだ?
細かい因縁をつけると、この本が出たのは2000年だから、
21世紀ではありません。
桐山さんはシュダオンを霊視したら、特殊なオーラが出るから
聖者になった、聖者の流れに入ったと書いた。
わざわざ「きよめられた聖者」と表題まで付けている。
繰り返しシュダオンが聖者であると書いている。
シダゴンも「高められた聖者」だと書いている。
それが16年たつと聖者の肩書きを外して、賢者になってしまった。
なんの説明もありません。
どうして?
信者さんたちも、桐山さんの霊能力を頭か信じる前に、
桐山さんにどういうご都合があったのか、現実的な立場から考えてみてください。

757深山:2009/06/12(金) 13:34:45 ID:OF5JxmLE0
>>728 :準シュダオン:2009/06/11(木) 15:42:33 ID:XESnzsYQ0
>やれやれ、という思いで樹意さんに申しあげます。

商品名を増やす必要に迫られたからです。
この本が出る直前から練脳塾で本格的な訓練を始めると宣言した。
ステップニルバーナです。
そこで山伏の位階と同じで、いくつもの段階を設けないといけない。
一つ進むのに信者に金と人を貢がせるようなシステムです。
いずれはシュダオンという位階の安売りもしなければならない。
しかし、桐山さんは信者に資格や位階を与えると裏切った時に
困るから、できるだけ出したくない。
エライのはヲレ一人でたくさんだ、というのが桐山哲学です。
シュダオンはいずれ作らざるをえないが、信者なんていつ裏切るか
わからないから、授けるものは必要最小限にしたい。
そこでシュダオンの価値を下げて、聖者から賢者に格下げした。
こうすれば、仮にシュダオンの位階を与えた者が裏切っても、
「あいつは聖者まで到達しておらず、賢者レベルでは迷いがあるのだ」と
被害を小さくできる。
桐山さんが本格的に聖者を名乗ったのは1980年のアナゴン宣言からです。
そこで聖者をアナゴン以上の少数エリートの冠にして、
その手前に賢者という位階をつくり、それを聖者餓鬼どもに
追いかけさせるという練脳塾の商売を始めた。
ステップニルバーナではなく、位階をエサにしたステップ金集めです。
こういう現実的な商売上の理由があったから、
桐山さんは聖者と賢者という二つの位階を作ったのです。
十三運動が、百万人の教団を目指したのが理由であったように、
桐山さんの作った教義は、建前の霊的な理由などではなく、
たいてい現実的なそろばん勘定で説明がつく。

758樹意:2009/06/12(金) 22:14:46 ID:yvKQFbBM0
>>728 :準シュダオン:2009/06/11(木) 15:42:33 ID:XESnzsYQ0
>やれやれ、という思いで樹意さんに申しあげます。
>末世成仏本尊経の本では、シュダオンは聖者になっています。
>しかし、新しい本、例えば「21世紀は智慧の時代」の本、P207、には、
>シュダオンとシダゴンは賢者、アナゴンとアラカンは聖者、として記述され
>ています。だから私は、21世紀から管長はそのような定義をしたのだな、
>と、解釈しているのです。


そう云うなら今までの三善根の議論は完全白紙ということになるだろう。
いままでアナタは三福道を擁護してきたが、その福というのをゲイカは以下のように
定義している。

>>423 :樹意:2009/05/27(水) 21:22:35 ID:JYQN.K/Y0

>末世成仏本尊経講義の255p 注釈(三福道)
>福を受ける三つの道・方法。この場合の“福”とは、霊性開顕して聖者になること。
>一書には「三善根」「三福業」とあり。阿含宗は「三福道」をとる。また、
>「自須陀?至阿那含断五下分結」の十三句は、のちにのべる通りの理由により、
>同意の阿含経からとり入れた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

何度か引用したものだが 
>この場合の“福”とは、霊性開顕して聖者になること。
アゴンの場合は 霊性開顕して聖者になることを 福 という。
それはシュダオンからを指し、涅槃界というのもシュダオンからになる。
それが覆るのならば今までアナタは完全に上の空で適当に取り繕っていたことになる。

そもそも下根の成仏法と銘打ってアナゴンまでは三福道でいけるとしたのだから
その聖者の定義がアナゴンからとなるなら 三福道 の否定になり、意味がなくなる。

759樹意:2009/06/12(金) 22:20:43 ID:yvKQFbBM0
末世成仏本尊経講義 

229p〜
五下分結のうち、(一)の身見、(ニ)の疑惑、(三)の戒取、この三結を断滅した人を、
須陀?という。
須陀?を別名、「預流」ともいうが、これは、流れに預る、流れに入る、という意味である。
なんの流れに入るのかというと、聖者の流れに入る、聖者の末席に加わるという
ことで、須陀?になると、もう聖者である。聖者の仲間入りをする。
須陀?になると、もう三悪趣に堕ちない。三悪趣というのは、つぎの三種の境涯のことである。
地獄界、横変死の因縁 刑獄の因縁、−−−−略 −−−
この「悪趣に堕せず」という句には二つの意味があるのであって、
一つは、現世でこれらの因縁を断ち切ってしまって、生きながら三悪趣の境涯から脱出して
しまう、という意と、もうひとつは、過去の業によりたとえこれらの因縁で亡くなっても、
不成仏霊にはならず、天界へ往生する、という意と、この二つである。

274p〜
須陀?というのは、もう聖者の領域に入っているのである。
凡夫が聖者になる、この第一段階の飛躍がむずかしいのである。凡夫と聖者は、
連続した線ではないのだ。大きな断層を一つ飛び越さねばならぬのだ。
それがむずかしいのである。
凡夫というこちらの岸から、聖者という向こう側の高い岸に、飛躍しなければならぬ、
凡夫にとって初めての経験である。
須陀?になってしまえば、あとは阿那含まで連続している。阿那含から阿羅漢には、
もう一度、大飛躍が必要とされるが、これは時間の問題である。
一番むずかしいのは、凡夫が須陀?になることだ。
自分の修行体験で、わたしはそう思う。
ところが、この経典では、如来への功徳の行で、阿那含にまで到達できるのである。
阿那含からは、「正法経」に説く、−略ーの成仏法によって、阿羅漢への道をたどることになる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

760樹意:2009/06/12(金) 22:31:32 ID:yvKQFbBM0
アゴンの供養の根拠は 三福道 にあるのだがこの三善根ー三福道のゴマカシに関しては
置いといて議論を進めましょう。

本来のお釈迦さまの定義はおいといて アゴンの教学においては
整理すると
聖者というのは、
シュダオンからでありそれは 凡夫とは同じ線上にはなく断層を一つ飛び越したもの。
 天 に往生し一種の神通力を備えた存在であること。
それは 涅槃界 の範疇であること。
預流となって 決定して菩提に向かうこと。
(預流であるから 聖者であるともいえる。 )
三悪趣の境涯から解脱した存在であること。

これらの条件を備えてくるから 聖者 と呼ぶわけだが、 聖者 の定義をアナゴンから
とするならこれらの条件がどう変わったのか説明が必要となる。
ではその説明があるのかどうか ?
それと 三福道 の福というのは 三悪道の因縁を解脱して 聖者 になることを
指すわけだから アナゴン からとなったら実際問題在家が目標とするテーマでは
なくなる。
さぁ きちんと説明してみなさい。

761ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/12(金) 23:44:02 ID:SmEF4Oe2O
>>717
在家の生活者が生活の為に商売に励み、繁盛の為の努力をするなんて当たり前です。
また人として常に健康でありたいと願い、病気にならぬように衛生面に気を付けたり
節制をするとかも当たり前の努力です。それでも病気になる時にはなるから
その時は医者にかかって養生するしかない。
古今東西人類がずっとしてきていることです。
これを煩悩だのあさましい不当な欲望だなんて言わない。
しかしこれらを護摩を焚いて祈ることによって叶える?
なんでそんなことが必要なのか?必要ではなく不要です。
どうして当たり前の努力だけでがまんができない。
だって医療が全ての病気を治してくれるわけでもないじゃん。
病気になりたくないんだよーないんだよー。
商売に励んだからといって貧乏から脱出できるなんて保証なんかないじゃん。
保証をよこせーよこせー絶対によこせー。
これが祈りというわがままではないか?
釈尊が説いた四苦八苦を何だと思ってる?
死にとうないわ、老いたくないわ、別れなんていやじゃ、求めたものは絶対に
手にしなければ俺許さんからね。おうよ。悪魔に魂売ってでも祈って祈って祈り
まくって叶えてやる。
えーかげんにせーっちゅーの。
今NHKの大河ドラマで天地人やってるね。
上杉に仕えた直江兼続の話です。
兼続はあともう少しすると奥州は米沢に行きます。
米沢の開拓に尽力した兼続だが、その米沢でこんな話がある。
家臣が下人に対して斬り捨てた。無礼を働いたからだそうな。
しかしこれに下人の遺族が黙っておらず訴えた。
調べるとやはり濡れ衣であった。兼続は遺族に対して「相い済まぬことをした」と
詫びて慰謝料を渡した。しかし遺族は聞き入れない。金など要らぬ。命を返せ。
どうしても譲らない。そこで兼続「ならばあの世に返してもらうように使いの者を
出さねばなるまいな」と言って、目の前の遺族を刀で斬り殺し、最上川の河原に
まつって、閻魔大王に使者を遣わすと晒しものにした。
おいおい?殺してどうするんだよ?
兼続もひどい奴だが、もちろんデマとの説もある。
妻夫木君はそこまで演じないでしょう。
しかし道理のわからん遺族も遺族だ。
護摩に祈って不当な願いを叶えたいなんて、この遺族と五十歩百歩です。
この情けない意気地無しの往生際の悪い奴め。
そんなもん頼らずに生きてみろよ。
兼続に代わって成敗したろか?

762ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/13(土) 00:05:47 ID:SmEF4Oe2O
>>718
その記憶にないとかいう経典の話だが・・・
そもそも不放逸の反対の放逸、つまり怠け者ってのはあなたみたいな奴を言う。
あなたのような言われたことも屁理屈にもならない言い訳を述べながらやろうとも
しない怠け者は何をやっても成功などしません。
仮に我々の批判とは逆に桐山さんの力も教えもホンモノで、アゴン宗からは
続々と解脱者やアデプトが輩出したとしても、あなたには関係ない話です。
あなたは怠け者で言われたこともやらないのだから、あなただけは一生落ちこぼれです。
あなたの人生なんて所詮そんなものだったのだ。
だから何をやるにも不放逸、怠けないってのが第一ではないか?
釈尊の言っていることは正しい。遺言だって怠けるなでしょ?
何を怠けないか?煩悩をなくす修行努力を怠けないです。
とーちゃん、疲れたなんて言って怠けないでかーちゃんを喜ばしてやらないと
いけないぞ、このスケベ(ケーシー高峰風)なんて話ではない。
だから20随煩悩の一つに過ぎない放逸ばかりを諌めて、他はどうでもよいなんて
話にはならない。
釈尊はまさに人を見て法を説き、対機説法をした。
これと八正道と他の科目との並列関係とかの話にこじつけるのが頭の悪い証拠です。

763ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/13(土) 00:23:31 ID:SmEF4Oe2O
>>719
批判側が出している根拠資料って、アゴン宗の桐山さんが示してくれた資料ではないか?
守護霊の系譜の口絵写真にもあるシンハラ語で書かれた由来書です。
それを翻訳業者に有料で訳してもらえばわかる話じゃないですか?

764ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/13(土) 00:31:30 ID:SmEF4Oe2O
桐山本を出せば出すほど、桐山さんのボロの再発見、新発見があるな。
ありがたいことだ。準シュダオンさん、ありがとう。
ところであなたが準シュダオンと名乗ろうがこっちの知ったことではなく、
あなたの自由です。
自由なんだが、それに対してあなたがいかにも正当であるかのように言い訳して
ごまかすのが醜いのです。
ここは堂々と開き直りなさい。
準シュダオンと名乗って何が悪い?増上慢と言われようが知ったことか?
俺は偉いんじゃ。ほとんど賢者なんじゃ。アゴン宗の信者の中で一番偉いんじゃ
と宣言してみなさい。

765樹意:2009/06/13(土) 00:52:08 ID:yvKQFbBM0
>>718 :準シュダオン:2009/06/11(木) 13:42:58 ID:XESnzsYQ0
>お釈迦さまはある時、象の足跡にすべての動物の足跡が入るように、
>不放逸のいう善法が最高なのである。不放逸という善法にすべての善法が
>入ってしまう。だから不放逸を修めなさい。

増谷氏訳 阿含経典 相応部経典 45、140 足跡
「比丘たちよ、たとえば、もろもろの歩行する動物たちの足跡は、すべて象の
足跡の中に入る。だから、象の足跡はもっともすぐれているという。それは
象の足跡が大きいからである。比丘たちよ、それと同じように、もろもろの
善きことは、すべて不放逸を根本となし、ひとしく不放逸に流れ注ぐ。だから
不放逸は、そのもろもろの善きことのなかでも、最上であると説くのである。
比丘たちよ、だから不放逸の比丘においては、彼がやがて聖なる八支の道を
習い修め、さらに、重ねて聖なる八支の道を修するであろうことが、期して
俟たれるのである。−略ー

比丘たちよ、そのようにして、不放逸なる比丘においては、聖なる八支の道
を習い修め、さらに聖なる八支の道を重ねて修するのである」
-------------------------------------------------------------------

リクエストがあったようなので引用しときます、八正道を不放逸するから
善法としては一番のようですね。

766樹意:2009/06/13(土) 00:52:43 ID:yvKQFbBM0
>>622 :樹意:2009/06/05(金) 15:51:22 ID:yvKQFbBM0

>象跡喩大経に曰く 

>「比丘達よ、象より大きい、生物は居ない。
>あらゆる足跡は、象の足跡に、飲み込まれる。
>いかなる時も、象の足跡だけは、絶対に分かる。」

>「これと同じことが、法に就いても言える。
>他の法に踏み荒らされない、四つの諦がある。
>それでは、この四つの諦とは、如何なるものか。

>全ての善の法はこの四聖諦に収まる。即ち 道諦としての中道 八正道の位置はゆるぎない。

水野弘元著 原始仏教 179p
その中道とは八正道であるが、八正道を説いて後、改めて四諦の教えが説示されたのである。
ー略ー
「比丘たちよ、これが苦の滅に至らしめる道としての聖諦である。比丘たちよ、これ即ち正見・
 −−− 略ーーー」

修行法である中道八正道を説いた後、その理論的裏づけとして四諦が説かれたわけです。
これが仏教の始まりです。
ですから全ての仏教の教えは四諦に収まり 中道としての滅道は八正道でありますから
議論は必要ないのです。
なぜならお釈迦さまがキチンと提示され説いたものであるからであり、資料的にも第一結集にて
一級のものだからです。

これを否定したゲイカという方は自分で外道であることを宣言したも同然なのです。

767ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/13(土) 01:31:40 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさんが出したお経がまたしても本人にとって裏目に出たか。御愁傷様。

768樹意:2009/06/13(土) 03:45:40 ID:yvKQFbBM0
>「フジョー!クー!ムジョー!ムガー!」と想像する式の瞑想=四念処観 と
>全く両者同じ間違いをしているのって、従来そういう間違いというか誤解が伝統的にあるのではないか?と思いました。
>真言宗に属する寺院の観光客用の小冊子にも四念処観を上記のような方法と記していたことがありましたので。


>「フジョー!クー!ムジョー!ムガー!」と想像する式の瞑想=四念処観 
これは 「無常随観」を初めとする七つの随観(satta-nanupassana)というのがあるようです。
ただ想像するというのは少し違うような気がします。

また 念処 の念の意味も多岐にわたり片山一良氏訳大念処経及び補注には示されています。
面白いのは後の禅宗の「十牛図」のモチーフになったであろうものも この念処からでている
ことです、 

あたかも子牛を馴らすため
人が杭に繋ぐように
ここに自己の心を結べ
念によって固く所縁に

こころは勝手に未来に過去にと飛び回り妄想しますから、それを 念 によって与えられた業処
(瞑想対象)に繋いだりする、これも 念 の一面です。
出入息念の業処(anapanassati-kammatthana 安般念業処)は釈尊及び長老が授けるところの業処
にあたるようです。
今回の憶念(記憶したものを観察する)に関しては今回スマ氏のアビダンマサンガハ解説を読んだもの
とこれら経典の内容を整理して書いたものです、推測から来るものですから
その点は割り引く必要があるものと覚えておいて下さい。
また順次気づいたことがあれば UPする予定であります。

実践としては出入息の相に基づいて現れる似相(patibbhaga-nimitta)に、四禅(catu-jhana)が
生じる。かれは禅から出て、出息・入息を(把握する)《色によって観(vipassana)に深入する》
か、あるいは諸禅支を把握する《無色によって観に深入する》。と大念処経補注にあります。
この補注だけではよく判らなかった部分がアビダンマ解説のおかげで少しは理解がすすんだように
思います。これの中身は禅定の五自在及び憶念にて観察する様を描写したものではないでしょうか
ちなみに 生滅智というものも注記にはあるようですから批判もあるかもしれませんが信憑性としては
高いものという判断になります。

サマタ瞑想 止 に関しては片山氏長部経典 衆集経、十増経に説かれる仏陀御在世の頃の雨安期の
風景を紹介したことがありますが、比丘たちがお釈迦さまにクレクレするのは おのおのに会った
業処(瞑想対象)を指示してもらうためのもので、大きく大別して五種類の方々があり、それぞれに
合った業処を指示してもらい約三ヶ月の間集中的に瞑想修行されたようです。
電波で王者の相承なるものをもらうというのは間違ってもありません、授けてもらうのは 八正道
にそった業処(瞑想対象)になり、それ以上のことはすべて自分で修行してすすめるのが本当の
仏教であり依存するようなものは一切ありません。

スマ氏のアビダンマサンガハ解説によると 仏教で採用する止禅は危険性の少ないもの四十種
だとのことです。
まぁ危険性のない止禅で色界心を作って色界で 観禅をするってことなんでしょう。
各経典注釈等勘案推測するに、四念処は業処の一つでオールマイティではありますが合う
合わないがあるようですから
遍処の合う人は遍処で色界心(禅那)を作っといて 観禅するってやり方のようです。 
今現在三十七道品という議論がありますが、それらは比丘の素質にあった指示を
ただ纏めただけのもので、系統だった修行階梯としては十七階梯等になるようです。

769樹意:2009/06/13(土) 04:10:28 ID:yvKQFbBM0
何度か書いたことがありますが行動心理学というのがあるそうです、
自分自身にもそうですが部下を動かしたり人を動かすには 何かしらその
行動達成後に《ご褒美》を置いて動かすという欲を刺激するやり方です。
(この方法はゲイカも信者さんを駆り立てるのによく使いますね。 )

梵網経に説かれ、現世涅槃論を展開する方々を仏陀は批判していますが、涅槃と見まがう
ぐらいの境地がそこにはあるわけです。
梵網経注釈には 初禅の内容を尋(vitakka)・伺(vicara)・喜(piti)・楽(sukha)・
心一境性(cittekagga-ta)の五禅支(要素)からなる。とあります。
スマ氏のアビダンマサンガハ解説には この 喜と楽を欲界の次元のものとはまったく別
のものという表現のようです、下手にやると幸福ボケになるそうです。

またお釈迦さまは半月入定してただとか一週間入定していただとかそういう方だったようです。
個人的には止禅にて大心(色界心 禅定)を起こすのを目標( 喜 楽 の御褒美がある)。w
に欲を煽っておいて、次に観(ビバサナ)するのがいいのではないでしょうかと思うしだい。
一番いいのは如意足相応にあるように 欲神足(欲如意足) 涅槃についての欲をたぎらせる
のがいいのでしょうがなかなか初めから欲を捨てる(涅槃への意欲)ことを前面に出すのは
難しいのではと思います。

770準シュダオン:2009/06/13(土) 10:18:12 ID:XESnzsYQ0
道諦と八正道をめぐる管長と批判派の意見が違うのは、八正道についての
解釈の違いですね。
管長は、「仏陀の真実の教えを説く」本、P142、において、
八正道は修行法の一つにしています。

それに対し、批判派の皆さんは、旧来の学者先生の解釈と同じく、修行法の
全部に解釈しています。だから意見が違うのです。前述本P143、には、
優婆塞の八法十六法を、管長は道諦だと説明しています。批判派に言わせれ
ば、これも八正道に含まれる、というわけでしょう。

私は以前、三聚経に説いている、法向涅槃の修行法を55個、提示しことが
ありますが、あの経を読んでいる印象では、八正道も修行法の一つに過ぎな
い、という感じです。その他、修行法が沢山記されてる経でも、そんな感じ
ですね。管長は、それを指摘しているにすぎません。

本を読む場合、目次など読まなくても、本文を読めば用はすみます。
重要なのは、目次ではなく、本文です。
八正道は、すべての修行法を集約したものだから、八正道の研究だけすれば
修行法のすべてが解る、と誤解したのが旧来の学者先生の大方だったのでは
ないでしょうか。
いわば、目次を読んで本文を理解したつもりになったのです。
管長は、その誤りを指摘したのです。

771準シュダオン:2009/06/13(土) 10:27:38 ID:XESnzsYQ0
準シュダオンなんて、阿含宗の中では、まったく偉くありません。
阿含宗には、シュダオンどころか、シダゴンクラスも、あちこちに登場して
来たのではないか、と推測されます。

だから管長もあわてて、シュダオン、シダゴンはまだ聖者ではない、
せいぜいが賢者だと、21世紀から四果の定義を変えたのだと思われます。

772孫 青柿:2009/06/13(土) 11:55:22 ID:cMnw6Jpw0
>>768 ありがとうございます。あるんですね。768に出てくる単語で検索かけたらほんと趣味の悪いグロイ瞑想がひっかりますw
昔はこれが仏陀の瞑想か?まさにゲイカが本に書いたとおりだと思ってました。
そのころは「四念処(catu-satipa??h?na)と、他の隨念(anussati)の区別がつかなくなっている」状態でした。

準シュダオンさんも空想ばかりしてないで樹意氏の話しを聞きなさい。深山さんの>>775は非常に重要だぞ。

773孫 青柿:2009/06/13(土) 11:57:05 ID:cMnw6Jpw0
775じゃなく >>755

774ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/13(土) 13:15:55 ID:SmEF4Oe2O
>>771
これだけアゴン宗にシュダオンなんていない根拠、勝手に名乗ってはならない根拠を
示しているのに、その根拠を無視ですか?
樹意さんが「末世成仏本尊経講義」から引用してくれたシュダオンになるのが
一番難しく断層を飛び越えなければならないというのは、当時の桐山さんの
うっかりミスであり、間違いだったと、あなたはたった聖者と賢者の表記の違い
から勝手に断定するのですか?
そんな失礼なことは許されない。師の話の間違い、路線変更を弟子の分際で
指摘するならば、まず質問、お伺いを立ててからにしなさい。
あなたが準シュダオンと名乗りたい意図はだいたいわかります。
あなたは自分自身サボリもするできのよくない信者であることを自覚している。
そんな自分でもシュダオンにだいぶ近づいているのではないか?と、言うことは、
普段道場にも行かないので、どういう状況なのかわからないが、きっとシュダオン
どころかシダゴンがうようよいるのだろう。こんな自分でも準シュダオンなんだから
と謙遜したつもりなんでしょう。
だからシュダオンを漠然と曖昧に考えていた。
長年ナモナモとやってるから、そろそろ青いオーラが灯っているのではないかとか。
しかしそれはあなたの不勉強であり、かつ桐山さんの現実の言動を見聞きしない
がゆえの無知であり、ハードルは高い。
そして今回聖者を賢者に格下げすることによって、シュダオンに到達するのも
難しくなく、達成した人がたくさんおり、準シュダオンなんて偉くもないなんて
勝手に決めているが、全くの逆です。
かえって遠くなった。
それがその2000年に書かれた著書に書いてあるシュダオンの定義(すべての
けがれを離れた賢者)と、ステップ・ニルヴァーナの構想と、現実の進捗状況
なのです。
それによるとアゴン宗内にアゴン宗の定義するシュダオンがいないことになる。
準シュダオンもいない。準シュダオンと半シュダオンとは異なります。
ましてやあなたが準シュダオンであるはずがない。アゴン宗的に。

775らるご:2009/06/13(土) 18:11:56 ID:7IlYBzZI0
>771
つい先月まで道場に行ってたけど、聖者どころか賢者もいないよ。
大体ゲイカが信者に対してアナゴン、シダゴンどころかシュダオン認定したなんて、
聞いた事ないし、信者同士の話にだって出てこないよ。

それに、ゲイカが信者に対して聖者なり賢者なりのお墨付きを与えるわけ無いですよ。
輪廻転生瞑想法なんてーのを打ち上げて伝授するって言ってるんですから。
アゴンで修行すればシュダオンになれますって言ってたのに、
「動物に生まれ変わるかもしれないから云々」ですよ?

776ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/13(土) 18:30:45 ID:SmEF4Oe2O
>>775
なるほど。情報ありがとうございます。
いやしくもアゴン宗で修行してる信者に向かって動物に生まれるかもしれないですか?
シュダオンになったら人界と天界を最大7回の生まれ変わりですから、畜生界に
生まれることなどあり得ないですよね。
それなのに、その危険性もあるから輪廻転生瞑想法を教えるのだそうです。
シュダオンなんて無理だから諦めろと言っているようなものです。
だって輪廻転生瞑想法をしないで従来通りの仏舎利尊の行や梵行などでも
動物になる恐れがあるんでしょ?
準シュダオンさんは何になるのでしょうね?ブヒブヒ。
2000年の本が根拠だなんて古過ぎますよ。
道場に通って真面目に法話を聞かないと最新情報に乗り遅れますよ。
この通り節操なくコロコロと猫の目のように変わるわけですから。
もうアナゴンだのシュダオンだのどうでもいいようですよ。
来世に成りたい人間に生まれ変われれば。
もはや仏教でないですね。
おっと、最初から仏教だったことなどないか?

777大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/13(土) 18:41:05 ID:9ulKkKTI0
ふうむ。以前も書いたのだが誰も反応が無いし、再度書きますか。

柏原霊園のチラシを見ると、こういうことが書いてある。

「阿含宗の信者は死後シュダオンになります〜云々」
つまり、ろくな修行もしないで信者であれば、死後自動的にシュダオンになって
この世に転生してくるそうです。

今までそういうの聞いたこと無いんですが、いつからそういう風になりましたかね?
また、もしそれが正しいならば、輪廻転生瞑想法要らないんじゃないですかね?
まず少なくとも私なら喜んで修行しませんが。だってしなくてもシュダオンに成れるんですよ。
自動的になるとは、こんな素晴らしい宗教、ありゃしないwww

まあ、ゲイカがチェックを忘れているんでしょう。本気で信じちゃいませんよ。
ユビさんが言われているとおりです。A宗にはシュダオンもそれ以外もいませんから。

778らるご:2009/06/13(土) 20:33:15 ID:7IlYBzZI0
>>777
「これで霊障が解ける!正しい先祖供養の仕方」のP69にも載ってますね。
「須陀オンになっていない阿含宗信徒は、死後どうなるのでしょう?」の答えも
「信徒であれば最低でも冥界に、一生懸命修行すればシュダオンになれますので、
安心して下さい」だそ〜です。

我が夫を見てても、彼は高校時代から20数年必死に修行をし、
先祖供養してますが、シュダオンじゃないですよ。ごくフツウのサラリーマンです。
家族サービスより梵行優先する人ですし。

>>771
準シュダオンさんはどういう修行をなさったんですか?
どのような梵行をして、先祖供養どれぐらいやったんですか?
是非聞かせて下さい。

779ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/13(土) 20:52:45 ID:SmEF4Oe2O
面白いですね。
準シュダオンさん以外に現役信者さんではないかと見られる方々が登場される
ようになりました。
準シュダオンさんのこれまでの頑張り(笑)に刺激されたのでしょうか?
準シュダオンさん。よかったですね。いつも批判側を相手に孤軍奮闘していたのが
お仲間の登場です。
どうぞ批判側ばかりにイチャモンをつけていないで、信者同士で会話をしてみてください。
ラルゴさんも質問されてますし。

780ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/13(土) 20:55:41 ID:SmEF4Oe2O
おっと、>>775>>778も同じらるごさんでしたか。
続々と信者登場と勘違い。方々と書いたのは間違いでしたね。

781大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/14(日) 06:54:22 ID:g.09nsMI0
らるごさん、お久しぶりです。

そうですね。おっしゃるとおりなのですが、実は霊園のチラシには、その発行物(本)などより悪いのですよ。
「修行をしたら」というのが抜けているんです。
ですから、A宗の信者であれば誰でもシュダオンに自動的になれる、という説明なのです。
これは本当に呆れますね。

修行をしてなる、というのならまだわかるのです。
ですが、もうこの掲示板で散々論議されているように、生半可な修行?では当然成れませんし、
なった人というのを見たことが無い。
また、修行というのは表現だけで実はほとんどが供養にすりかえられている。
ゲイカと教団の都合のいいような仕組みにA宗はなっているわけです。
これではシュダオンにもなれず、因縁解脱などありえない。
成仏法とは名ばかりで、成仏すら出来ませんからね・・・。

782ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 10:35:05 ID:SmEF4Oe2O
>>770
だから桐山本の内容をページを示して紹介したとて意味がありません。
こちらはその桐山さんの書いている内容を吟味の上否定しているのですから。
(誤解しないでいただきたいのは「吟味の上」であり、闇雲に桐山説だから否定
してしまえという無茶はしません)
桐山さんはその本で四諦の道諦が八正道としたのは学者の解釈であるかのごとく
書いています。これがお笑いであり、桐山さんが阿含経をろくすっぽ、ほとんど
読んでない証拠です。あるいは自分の気に入らない経典は読んでも素通りなんでしょう。
道という表現からこれは八正道を指すのだろうと後世の学者が推定したかのような
書き方ですよ。準シュダオンさんがページを示した部分は。
ところが学者の解釈などではなく経典にきちんと道諦は八正道であると書いている
のですよ。つまりお釈迦様のお言葉であり、学者がそれをねじ曲げたりどうこう
言うレベルの話ではない。
これに対する準シュダオンさんの反論らしきものはパーリ文の転法輪経では
道諦は修習と表現されているという桐山引用だけです。
しかしそこまでですよね。この後の展開こそが興味が持たれるのだが、そのパーリ文の
転法輪経が修習と書いてあるとして八正道を示唆する文章は抜けているのか
どう書いているのか書いていない。おそらくパーリの転法輪経なんて読んですら
いないのでは?そして般若心経瞑想法で引用した転法輪経は道諦が八聖道である
というものだけだ。
これだけはっきり示しながら学者の解釈の問題だなんて書くのは桐山さんが
真面目に問題を追求していない証拠です。
経典そのものに道諦は八聖道であると書かれたことを知っているならば、学者の解釈
のせいにしたりすることはなく、もっと別の突っ込み方になるはずです。
準シュダオンさん、ヒントを言いましょう。
あなたが示した「仏陀の真実の教えを説く」は近年の出版だが、それが例祭法話で
説かれたのは1980年代前半のことであり、1995年出版の「般若心経瞑想法」
よりもずっと早いのですよ。
だからこの学者の解釈の間違いなんて説いている時は、実は転法輪経すら読んでない
のですよ。「般若心経瞑想法」を出した時、桐山さんはかなり勉強したと話していた。
この時に初めて転法輪経も読んだのでしょう。

783樹意:2009/06/14(日) 11:14:20 ID:yvKQFbBM0
先に書きましたけれども、仏陀は転法輪経において中道ー八正道を説きその後
全ての教えの総括である四諦を説いて仏教が誕生したのです。
非苦非楽の中道にて八正道の中身が説示されたのですから訳によっては
修習となっていても先に説示された内容なのだからいいわけです、
他の阿含経典でも 道諦は八正道であり、全ての教えは四諦に収まると
説かれていますからこれに関しては議論がいらないのですよ。
ゲイカがインチキしただけのことです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
八正道は四諦の中の道諦として説かれるから、教学的には四諦の教え以外に八正道
が別にあるわけではない。四諦といえば、そこに道諦として八正道があるのだから別に、
古来いわれるように四諦八正道と併称する必要はないが、このような総括がインドの
様式のようである。

古い『相応部経典』では、釈迦は、その最初の説法(初転法輪)で、まず非苦非楽の
中道を説き、それを八正道であるといい、さらに四諦を説いたといわれる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昔から四諦八正道と言い習わしていますが、四諦だけでは中身が見えないでしょ、
だから中身もずらっと並べるのがインドの様式のようです。

準さんが三十七道品と連呼していますがね、 
http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%BB%B0%BD%BD%BC%B7%C9%CA%CA%EE%C4%F3%CA%AC%CB%A1
A道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では73巻、75巻本では60巻。寛元2年(1244)2月24

日、吉峰寺にて学人に示された。

この三十七品菩提分法、すなはち仏祖の眼睛鼻孔、皮肉骨髄、手足面目なり。仏祖一枚、これを三

十七品菩提分法と参学しきたれり。しかあれども一千三百六十九品の公案現成なり、菩提分法なり

。坐断すべし脱落すべし。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なんも実践しないアゴンよりは すでに道元さんが寛元2年に学人に説示されて
いるのですよ、それもキチンとこれは釈尊その方が説いたものですよとね。
阿含経としては採用していませんが中身はきっちり日本の仏教はもらってきて
説かれているのです。
しかもかなり正確な情報として伝わってきているということ。

784ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 11:44:20 ID:SmEF4Oe2O
>>770
八正道は修行法であり単なる目次ではありません。
目次のようなものと書いたが、これは釈尊がその場その場でいろいろなレパートリー
の説き方をしたので、その総目録みたいなものにもなっているというだけです。
釈尊の説法なんていつもその場での一期一会の真剣勝負です。
「あー、キミタチ。今日説く八正道は言わば目次みたいなものだから軽く聞き流して
いてもかまわんよ。詳しくは四念処とか各論に期待しなさい」なんて説き方はしません。
だから八正道は修行法なんだが部品ではなく全体です。
だから「君、八正道やったの?でもそれではまだ不完全だね。四念処もやらないと」
なんて話は成立しません。
あなたがよく出す「般若心経瞑想法」に引用されている平川彰博士の文章は
八正道は説いている内容が広過ぎて限定しにくい、正見だってある時はこうで
ある時はこうという限定のしにくさを示しているだけです。
だからと言って平川論文は四諦の道諦は八正道ではないなんてどこにも書いていない。
桐山さんが八正道に少しでもイチャモンをつけたいから、八正道の問題点を
書いたのを見つけて示しただけです。しかしそれでも道諦が八正道であると
釈尊が説いた事実は揺るがない。
だいたいはい、そこで右手を上に上げて、次は左足なんて手取り足取りの技術が
教則本のように書いてありますかいな?
そんなものを期待するのならば、八正道のみならず他の6科目がどれだけ詳しく
経典で解説されているのですか?
四神足の神通力は具体的にどうやって獲得するのですか?
経典に則して解説してご覧なさい。
できやせんでしょうが。八正道と同じく単語の羅列に過ぎない。
そして単語の羅列を脱して桐山さんが言葉で解説してみせたのが、「輪廻する葦」
に説かれた七覚支解説です。
しかしその桐山さんが説いた内容は修行は喜んでしろとか人生徳目、教訓に過ぎない
ではないですか?
こんなことで因縁解脱ができるのか?これが桐山成仏法とやらですか?
実際の七覚支はもっとシステマティックなんですけどね。
択法覚支も数ある宗教からアゴン宗のような道を選ぶことなんてお笑い解釈では
ありませんし。

785ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 12:14:47 ID:SmEF4Oe2O
>>770
在家に説かれた八法十六法を以て、それが我々在家がなすべき道諦とはその通り
かもしれませんよね。
そして釈尊の説いた煩悩解脱の道というのは戒律にしても何にしても徹底的に
やるか、生活の一部に留まっても仕方ないかの差があるだけで共通の原理から
できている。だからこれも八正道を理解実践するならばそれで十分ですね。
しかし桐山さんは在家の道諦は八法十六法としたのはよいが、その内容に経典にも
ありもしない嘘をつけてますね。
それが法次・法向です。
それまでの信、戒、施、聞、持、観(見は除かれている)は前提の教えであり、
法次と法向(分けてしまっておりこそが法と呼ばれる部分であり、それは片方が
解脱宝生行であり片方が七科三十七道品としているが、これが何の根拠もない
桐山さんの勝手な作り話です。
法次・法向は法に近づき法に向かっていくということで同じ意味であり、
分ける必要はない。
だから経典でも法次法向とつなげて書いてある。
そしてその内容だが、法とは修行法のことではない。
法とは真理の教えのことです。
つまり煩悩を離れて清らかになる教えに自分の生活の中で実践していくということです。
その前提に信仰があり戒律があり道場に見えて真理の教えを聴聞してよく護持して
理解観察するという作業があるのです。
その上であとは生活の中で実践努力あるのみです。

786準シュダオン:2009/06/14(日) 12:16:47 ID:XESnzsYQ0
シュダオンの定義が「けがれをすべてとりのぞいた賢者」だとしても、
貪・瞋・痴が未だ濃く残ってる状態がシュダオンですから、大したこと
ありません。ユビキタスさんは大げさに考え過ぎです。

間脳思考本のP249に、「修行法を超えた成仏法がここにある」と、
管長は書いています。1984年の刊行です。それから13年後の、
1997年に「思念の相承」伝法が開始されました。私は運よく霊的
バイブレーションを受けることが出来ました。但し、思考のイメージは
伝わりませんでしたから、不完全な「思念の相承」だったのでしょう。
それでも、四向四果に対する確信が生じ、もう退会など考えられません。
たとえ、釈迦にそういう伝法がなかったとしても、管長の言うことは事実
であったのです。

私の脳梗塞の前兆か?と、じっくり考えても、そうではありませんね。
だから、修行に迷える現信者さんは、疲れていたら現在の修行を休んで
みることです。退会したら縁が切れますから、良くないです。
会費だけ払って、仏舎利尊を礼拝する程度にする。
求聞持スクールの会員と会費の継続も必要ですよ。

運の良い人は、それだけでも「思念の相承」を受けられると思います。

787準シュダオン:2009/06/14(日) 12:34:21 ID:XESnzsYQ0
阿含経には因縁解脱が説かれています。読解力の問題です。
例えば、「三結断じて悪趣に堕せず」とは、「三結煩悩を断じて悪趣に
縛りつけられていた因縁を切った」と、いう意味です。
批判派の方はこの場合、三結煩悩を断つことだけ主張して、悪趣解脱のこと
を言いません。

三結煩悩を断つことは、悪趣から逃れるための手段です。
何のために煩悩を断つのか?その目的をよく考えて見ることです。
三悪趣とは、地獄、餓鬼、畜生の三道と解説されています。
四悪趣とは、上記に修羅を加えたもの。
五悪趣とは、上記に人間界を含めたものです。

だから、「悪趣に堕せず」という語には、同じ人間界でも、特に苦しい生存
の有り方を逃れる(運命の星・因縁を切る)という管長の教えは正しいの
です。輪廻する因縁は煩悩でしょう。

788ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 12:59:37 ID:SmEF4Oe2O
>>786
そういうことを言っているのではない。私が指摘するのは煩悩のけがれではなく、
アゴン宗の説く霊的不浄です。
つまり解脱供養、冥徳解脱供養を修して解消すべき霊障、不成仏霊の話です。
この霊的なけがれが「すべて」なくなってから得るのがシュダオンです。
煩悩の基礎にこのような霊障もあるのがアゴン宗の基礎教学なんだからまず
霊障の除去が煩悩除去に先駆けてあるのはアゴン宗的にも納得できますよね。
解脱供養が不要となるなんてかなり高いハードルです。
冥徳供養ももうしなくてもよいと打ち止めをあちらから宣言される例も。
そして「21世紀は智慧の時代」に示されている口絵のチャートを見よ。
霊的不浄の浄化の青色の点線がセミ・ニルヴァーナの下まで続いている。
つまりシュダオンがこの青色点線が不要となったセミ・ニルヴァーナのこととわかる。
その過程においてステップ1からステップ5まで続いている。
滝行や護摩行の練磨もある。
これらを準シュダオンさんはすべて済ませましたか?
そんな人は一人もいない。
つまりシュダオンなんてアゴン宗に 一人もいないことになる。
これに準ずる準シュダオンもね。
半シュダオンすらいない。

789ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 13:17:16 ID:SmEF4Oe2O
>>787
またつい最近否定された話を出してきたか。
悪趣とは運命のことではない。
現世においては人を害してやろうとか盗みとってやろうというあさましい煩悩に
覆われた哀れな境涯です。だからこの地獄や餓鬼の心をなくす。
しかれば死後地獄など悪趣に堕ちることはない。
地獄で責め苦を受けるのは罪の報いなんだから当たり前で歓迎すべきことです。
あなたはあの麻原が将来地獄に堕ちて苦しむのが見えるでしょ?
それとも責め苦なんか受けない方がよい。
地獄はあった方がよいのです。
地獄からの救いなんて説かない。
地獄に堕ちぬよう悪いことをしなければよいのですから。
だから自分が悪いことをした結果責任をとる地獄の責め苦とは関係ない災害不幸
病気の問題とその解消なんて説いていない。

790準シュダオン:2009/06/14(日) 13:17:49 ID:XESnzsYQ0
釈迦仏教に祈願など無い、と深山さんは書きました。
深山さんは解釈が狭いのよ。
「煩悩を断って苦から逃れたい」という思いは、私の定義では祈願に入る、
のです。いわば、「欲を捨てたい」というのも願いであり、無欲を欲する、
という点では、願い、欲です。

真正仏舎利論議では、真贋はわからない、と私は主張しているだけです。
たとえ学者が本物、あるいは偽物と証明したとて、それが事実であるか
どうかは不明です。そういうことを言ってるだけです。

791ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 13:19:27 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオンさん。
らるごさんの質問にも答えてあげてね。
同じ信者同士の貴重な対話の機会なんだから。

792準シュダオン:2009/06/14(日) 13:26:33 ID:XESnzsYQ0
37道品が体系的なものであるかどうか?
たとえそれが後世にまとめられたものであったとしても、
お釈迦さまの頭の中では、体系的にまとめられていた、と思いますよ。

その体系的に編成された修行法の中から、聴衆に応じて、適当な教法を
説いた、というわけですよ。

仏陀の智慧が、修行法を体系化できていないはずはないでしょう。
森全部の葉ほどの知識から、ほんの一握りの葉、だけしか説いていないの
ですよ。そのお釈迦さまが、修行法を体系化しないわけが、ないですね。

793準シュダオン:2009/06/14(日) 13:47:33 ID:XESnzsYQ0
やはり、阿難のいう「善い友、善い仲間」という意味は釈尊のことではない、
と思いますね、比丘仲間のことですね。
その阿難の質問に対して、釈迦は、
「たとえば、私を善き友とする人々が、苦から解脱するのをみても、修行の
すべてということがわかろう」と、答えたわけです。
自分(世尊)を善き友の例として挙げたわけですよ。

794準シュダオン:2009/06/14(日) 13:55:30 ID:XESnzsYQ0
深山さん、準シュダオンと預流向は違うのです。
私が宣言してるのは準シュダオンであって、預流向ではありません。
混同しないでください。
あなたは、私に勝るとも劣らない、もの解りが悪いですよ。

それに、阿含宗では準シュダオンを名乗ってはいけないですと?
わたしは、そんな戒律は聞いたことがありません。
戒律違反をしていれば、現職信徒さんから注意のレスが来るはずですね。

795準シュダオン:2009/06/14(日) 14:07:30 ID:XESnzsYQ0
深山さん、私が言葉使いが綺麗とレスしたのは、準シュダオンのレスですよ。
子孫レスをすべて私と同一人物に決めつけてレスされてはいけません。
それこそ迷惑ですなあ。
そういう思い込みで修行するから、挫折してしまうのです。

796ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 14:44:42 ID:SmEF4Oe2O
>>795
準シュダオンさんと如来の子孫さんは同一人物ではない別人物であるとあなたは
言いたいのか?
イエスかノーで答えなさい。
この場合、曖昧な回答などあり得ず、イエスかノーでしか答えられない問いです。
さあ、皆さんがあなたの回答に注目している。
あなたがどういう人間か観察しています。
さあ、どうぞ。

797準シュダオン:2009/06/14(日) 14:45:10 ID:XESnzsYQ0
般若心経瞑想法本P116に、平川彰博士の、「八正道は内容が広すぎて
漠然としている」という内容が引用されています。博士の言葉を借りるまで
もなく、八正道を修行しようと思えば、とまどってしまう。何が正しいのか
見当がつかないのだ、凡人なら誰でもそうであろう。

滅道とは八正道のことだから議論の余地はない。
本当であろうか?
そういう抽象的な定義のままだから、これまでアラカンが出なかったのでは?

たとえば、増一経とか、三聚経を読んでみてください。
多くの修行法が説かれています。八正道など、その中の一つ、にしか思えませ
んよ。道諦=八正道なら、それならそれでよろしい。しかし、他の修行法を
修習しないかぎり、仏道は進みませんよ。

前に出家経にある止観を修習せよ、すればシュダオンからアナゴンに進み、
漏尽解脱を得る、との経を示した。止観も八正道のうちだという。
問題は、止観が八正道に入るか否かではなくて、止観を修習することが
成仏への道である、ということです。


798準シュダオン:2009/06/14(日) 14:54:00 ID:XESnzsYQ0
私は如来の子孫と同一人物なのか違うのか?との問があった。
答えない権利は誰にもあるだろう。黙秘権は憲法の定めるところです。

答えない方が面白いね。
それに対する深山さんなどのレスが楽しみですから。
推測でレスされるのは迷惑ですが、相手の人間性も解りますからね。

799ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 15:17:24 ID:SmEF4Oe2O
>>798
答えられないほどやましいものがあるのがよくわかりました。
そもそもあなたが持ち出した話に。
皆さん、よく観察してください。
彼はアゴン宗の信者です。
私はアゴン宗の信者がこのように皆人を欺こうとする人ばかりとは思ってません。
ただ一言申し上げます。彼はアゴン宗の信者です。
公の場でこんな振る舞いしかできない信者です。
いや、公だろうと裏だろうと絶対に人を欺かず正々堂々と振る舞うのがアゴン宗の
名に恥じぬ信者の姿とはあなた方は思わないか?
しかしこんな信者しかいないかのように見えるのは皆様方にとって残念でしょうね。
私にはどうでもいいことですが。
アゴン宗の評判がますます落ちるだけの話で。

さて、神宮球場は全日本大学野球選手権大会の決勝で法政大学が5−1で岩手の
富士大学を下して優勝しました。
しかし法政大苦戦でしたよ。7回まで1安打零封で。8回に追い付き9回に
突き放しましたが、法政が準優勝でもおかしくないゲームでした。
花巻市の富士大学、高校野球と同じくまたしても準優勝ですが、どちらも胸を
張れる内容です。
怠けている人にこの地位は得られない。

800準シュダオン:2009/06/14(日) 15:22:05 ID:XESnzsYQ0
ユビキタスさんは、「輪廻する葦」の七覚支法の解説を笑っているけどね。
私はあれを正しいと考えていますよ。
仏教辞典の七覚支解説は、管長とは別ですね。
辞典での念覚は「自分の言動を思い起こし」とかでしょう。
私は、どうも辞典の解説には疑問です。私が読んだ阿含経の範囲では、管長
の解釈が妥当に思えます(まぁ、私は少ししか読んでないけど)。


管長は念を強める、です。それが正念です。正念場というように、失念や
散乱をせず、思念を明瞭に保てること、それが念覚でしょう。
択法は、多くの経典から阿含経を選ぶ。その中からさらに自分に適した経を
選ぶ、自分に適した修行法を選ぶ。それが択法覚でしょう。

801ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 15:26:00 ID:SmEF4Oe2O
そしてらるごさんの質問に答えるも答えないも準シュダオンさんの自由です。
しかしこれらのやりとりを見て各自がどう判断するかも各自の自由と付記しておきます。
アゴン宗がどう評価されるのかも含めて。
そして法政が優勝し、富士大が準優勝というのも試合経過はどうあれ動かしがたい
事実です。

802ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 15:52:41 ID:SmEF4Oe2O
>>792
釈尊の頭の中で修行 法の体系化が進んでいたのは、私もそう思いますよ。
だからこそ八正道とか四念処とか七覚支とか数を伴った着想がどんどん出てくる。
しかしいくら着想豊富だからと言って7科目なければならないとか37なければ
ならない、それらが揃わなければならないなんて体系なんか頭にないでしょう。
ないからこそサーリブッタが55や110にまで増やしてもそれを認めるわけです。
いろんな着想のあった中で八正道こそは全てを言い表せる釈尊の体系だったわけです。
だからこそ初転法輪でこれを説いて解脱者が出たわけです。
まだ残り6科目説いてないのにおまいら勇み足だよーなんて泣かない。

803ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 17:37:59 ID:SmEF4Oe2O
>>794
あなたが自称しているのは預流向ではなく、準シュダオンの方なんでしょ?
だったら余計に思い上がりじゃないですか?
単に日本語の問題として考えて、向と準ならば向は向かっている最中ということ で
まだ半分程度の半シュダオンでも預流向で通じるかもしれない。
しかしあなたは預流向ではなく準シュダオンだと言う。
シュダオンにあと一歩のところにまで準ずると、かなり高みに登り詰めている。
半シュダオンではない準シュダオンなんだから覚えておけと強調するわけで
大した自信であり、謙虚さのカケラもない。
現職の信者とは職員のことではなく、(なるほど職業人として現役を失ったのが
よくわかる)現役の信者のことを指していると思うのだが、なるほど冷たいことに
誰もあなたを牽制注意しませんね。
まあその昔、ザにいた時は、まだ擁護側だった青柿さんや○○屋さんにかなり
非難されていたし、退会したとも聞かないよさんもあなたにやんわりと注意を促して
いたなんて言ってもあなたは覚えてないでしょう。
私には昨日のらるごさんのあなたに対する質問が「ちゃんと修行してるの?どんな
修行しているか言うてみい」という皮肉にも聞こえる。
こういうことは言われてしまったらおしまいと考えた方がよい。
言われないうちに改めるものです。
どうせ職員だろうが、一般信者だろうが
自分が特定できるはずがあるまいと安心して、見えないことをよいことに書きまくる。
言われる前に自覚する知恵を身につけた方がよい。
放置していることが是認とはいきません。

804ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 17:45:49 ID:SmEF4Oe2O
ああ、信者のらるごさんが、準シュダオンさんの自分に対する勝手なネーミング
よりも、アゴン宗にシュダオンなんかいないと、あなたの書いた内容に反論してましたね。

805ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 18:05:08 ID:SmEF4Oe2O
>>797
平川博士が八正道は範囲が広くて漠然としていると論じたからと言って、なんでもアリで
どのようなトンデモ解釈ができるというわけでもないし、何をどう修行したら
よいかわからないなんて書いてません。
漠然で曖昧なんて言うのならば七覚支の解釈について、あなたも桐山解釈と
仏教辞典の解釈の違いを>>800で指摘してますね。
念覚支を念力を強めてバランスを保つなんて仏教辞典と全然違う解釈もできる(?)
ことをあなたが認めている。このようにどのようにでも解釈することが許される
なら七覚支の提示だって八正道の提示と同様に漠然としていて曖昧という結論に
なるのではないですか?
八正道だけを攻撃したいという気持ちが見え見えです。

806ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 21:11:38 ID:SmEF4Oe2O
>>800
しかしのう。準シュダオン殿。
そなたも仏教辞典で七覚支をお調べになられたか?
覚支で出ておるな。(岩波仏教辞典)
「これまでのおのれの言行を注意深く思い起こし(念)、それらを正しい智慧によって
よく思量しつつ(択法)、怠ることなく励むならば(精進)、心に喜びが生じ(喜)、
喜ぶことによって身体が軽やかになり(軽安)、それより心が安らかに統一されて(定)、
あらゆる感情を離れた平等な態度が達成される(捨)、ということである」とな。
なかなか連続的にしてシステマティックとは思いませぬか?
択法とは宗教を選ぶではないのじゃよ。もう既に修行は始まっておる。
これまでのことを思い出してこれはよい、これは悪いと智慧観察を以て選り分けていく。
法とは真理であり真理、真実を選ぶ、あるいは諸法、あらゆる事象を観察するわけじゃ。
誰かさんがまずよい宗教を選んで、念力も強くして、一杯の天ぷらそばも食えない
厳しい修行でも喜んで修行して、などと人生訓を垂れて、んで何の修行するの〜?
とわからぬうちに、本家釈尊亭はもうどんどん具体的な修行が進んでいる次第に
ござりまする。
ふっ、ほんにどなたかは田舎者の成り上がりにござりますな。
武士にとって太刀より黄金の方に価値を置かれる成り上がり者には真の解脱の覚支
など価値がわからぬのでございましょうな。

(天地人放送の後だけに許されし)

807ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 23:03:10 ID:SmEF4Oe2O
>>790
野球観戦中一つ読み落としているのがあった。
「煩悩をなくして苦から逃れたい」なんて欲望を書いているが、これ自体が
少しも悟っておらず、煩悩を大事に抱えて離さない証拠です。
ましてやその欲望を祈願にしようとしている。祈願からスタートしようとしている。
これでは永久に煩悩から脱することができず、あなたは苦界で苦しみ続けます。
苦から逃れたいなんて書いているのが失格なんです。
何のために釈尊が四苦八苦を説いたか?
四苦八苦から逃れることなどできません。
苦から逃れたい願望があさましい欲望であり煩悩なのだから、まずその考えを
捨てねばなりません。
また煩悩をなくせば苦界を超越できると信じたからには祈願でそれをするのではなく
実際に煩悩をなくす努力を面倒でも苦しくてもするのです。
桐山さんの密教入門を読んでご覧なさい。
桐山さんは苦行を肯定して奨励している。
苦をテーマにして苦からの脱出、克服を求めた釈尊が苦行から始めたのは興味深い
として、その妙味を説いている。
つまり苦行、つらいことの嫌いなあなたは桐山さんと水が合わず、アゴン宗は
あなたに合わないのです。

808ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/14(日) 23:15:03 ID:SmEF4Oe2O
>>790
馬鹿と言われたくなかったら勉強に励みなさいと説きます。
勉強によって無知を克服する。
勉強に励んでよい大学に進む。
この時にまず祈願から始まるだろうか?
祈願なんて無意味です。
そんな暇があったら教科書や参考書などを開いて勉強を進める以外に「勉強力」
を発揮する道はない。
桐山さんは密教を揶揄しましたよね。
英語の教科書を前にオン イングリッシュ ソワカと唱える。
その愚かさを笑った。しかしその実、煩悩を断つなどと言いながら
オン ボンノーモフクメテ インネンゲダツ ソワカなんて祈願してる。

809深山:2009/06/14(日) 23:17:54 ID:tNma5dNw0
>>770 :準シュダオン:2009/06/13(土) 10:18:12 ID:XESnzsYQ0
>道諦と八正道をめぐる管長と批判派の意見が違うのは、八正道についての
>解釈の違いですね。
>管長は、「仏陀の真実の教えを説く」本、P142、において、
>八正道は修行法の一つにしています。

「桐山さんは八正道が修行法の一つでないと言っている」などと
批判側は主張したことはありません。
しかも、この件は二度目ですよね。
何度もこれまでも頼んだことだが、批判側が言ってもいないことを
勝手に捏造するのはやめてもらえないか。
相手の足を踏んづけているようなものです。
あなたは何度注意されてもまた他人の足を踏む。
相手に失礼なことだという意識はないのか。
批判側が言ってもいないことを作り上げて反論して何になる?
いい加減にしてください。
あなたのように記憶があてにならない人は
こうやって独り言のような文章を書くのではなく、
私などがしているように、相手の文章を引用して、
その文章に反論する癖をつけたほうがいい。

810深山:2009/06/14(日) 23:19:55 ID:tNma5dNw0
>>770 :準シュダオン:2009/06/13(土) 10:18:12 ID:XESnzsYQ0
>本を読む場合、目次など読まなくても、本文を読めば用はすみます。
>重要なのは、目次ではなく、本文です。

またすでに何度も反論されたことを無視して、同じ事を書いている。
あなたの頭の中って、こういうのが針の飛ぶレコードみたいに
回っているのでしょうね。
八正道は目次などではありません。
自分の理解力の低さを棚に上げて、いつまで寝言を繰り返すのだ?
>>665,>>669で具体的に説明してあげたではないか。
あなたはこういうことを完全に無視して、目次にすぎないと始まる。
あれが目次なら、他の六科も目次があるだけです。
四神足のどこに具体的な神通力獲得の方法があるのだ?
示してみなさい。

811深山:2009/06/14(日) 23:24:43 ID:tNma5dNw0
>>770 :準シュダオン:2009/06/13(土) 10:18:12 ID:XESnzsYQ0
>それに対し、批判派の皆さんは、旧来の学者先生の解釈と同じく、修行法の
>全部に解釈しています。だから意見が違うのです。

何度も言われてもわからない人ですね。
旧来の学者と書いているが、桐山さん以外に
四諦の道が八正道でないと書いている学者がどこにいるのだ?
私は桐山さんやあなたみたいに勝手な空想を書いているのではありません。
旧来の学者が言っているから同調しているのではなく、
釈尊その人が八正道こそが修行法であり、
四諦の道とは八正道だと述べているのです。
釈尊本人が四諦の道とは八正道だと言っているのに、
桐山さんが何をよけいなことを言う必要があるのですか。
桐山さんのようにろくに阿含経を読んだこともない人が、
あなたと同じような空想で物を言って、何の意味があるのだ。
四諦も八正道も、桐山さんが作ったものではなく、
釈尊が作ったのですよ。
その釈尊がはっきりと道とは八正道だと宣言しているのに、
桐山さんごときが何を言うか。
桐山さんの言っていることはあなたと同じで「ろくに阿含経も
読んでおりません」と宣言しているようなものです。
無知と慢心の産物です。

812深山:2009/06/14(日) 23:28:19 ID:tNma5dNw0
>>787 :準シュダオン:2009/06/14(日) 12:34:21 ID:XESnzsYQ0
>阿含経には因縁解脱が説かれています。読解力の問題です。
>例えば、「三結断じて悪趣に堕せず」とは、「三結煩悩を断じて悪趣に
>縛りつけられていた因縁を切った」と、いう意味です。

そんな意味はありません。
仏教の因縁は切るものではない。
因縁とは原因くらいの意味だとあなたは認めた。
「原因を切った」なんて言葉としてさえもおかしい。
原因の煩悩を切るのであって、原因を切るのではありません。
阿含経に限らず、仏教には「因縁を切る」などという言葉は存在しない。
読解力ではなく、桐山さんとあなたの無知です。
因縁解脱が説かれているというなら、
ズバリ、因縁解脱と書いてある経典を出しなさい。
あるはずがない。
仏教に存在しない因縁解脱などという言葉を
いったい何のためにわざわざ使う必要があるのだ?
そういうのを似非仏教、疑似仏教、オカルト仏教というのです。

813深山:2009/06/14(日) 23:30:12 ID:tNma5dNw0
>>787 :準シュダオン:2009/06/14(日) 12:34:21 ID:XESnzsYQ0
>三結煩悩を断つことは、悪趣から逃れるための手段です。
>何のために煩悩を断つのか?その目的をよく考えて見ることです。

違います。
三結を断じること自体が目的なのです。
あなたの頭で考える必要はない。
仏教を作った釈尊が目的をきちんと示しています。
他の信者さんたちもこの点をよく理解することです。
仏教の目的とは解脱であることは信者さんたちも納得するでしょう。
釈尊は解脱することを説いた。
では、その解脱とは何を指すのかというと、
「仏教では煩悩から解放されて自由な境涯になることをいう。」(『岩波仏教辞典』)
煩悩を切ることが解脱なのですから、煩悩を切ることが目的です。
悪趣に墜ちないことが目的ではなく、それは煩悩を切ることで得られる
結果の一つにすぎません。
勝手に目的を変えないでください。

814深山:2009/06/14(日) 23:32:23 ID:tNma5dNw0
>>787 :準シュダオン:2009/06/14(日) 12:34:21 ID:XESnzsYQ0
>です。輪廻する因縁は煩悩でしょう。

これはすばらしい。
準シュダオンさんもついに仏教を理解しましたね。
そのとおりで、輪廻の原因は煩悩であるというが仏教の説です。
これは釈迦仏教だろうが大乗仏教だろうが変わりません。
ところが、どこかのオカルト教団の教祖は根本仏教を名乗りながら、
とんでもないことを言い出した。

『一九九九年カルマと霊障からの脱出』280頁
「仏教では、この宇宙は一つの存在原理によって成り立っていると考える。
それは、カルマ(業・あるいは業力)による輪廻である。
すべてのものはカルマによって存在し、カルマによってはてしなく輪廻する。
これが宇宙の実相であると考える。このカルマを断たぬかぎり、す
べてのものははてしない輪廻をくりかえす。
ひとがつくり出す人為的な災害も、自然現象としてあらわれる天変地異の災害も、
すべてみな、このカルマによるものである。
仏教は、この、カルマを断ちカルマの輪廻からの脱出を教えるのである。」

815深山:2009/06/14(日) 23:37:51 ID:tNma5dNw0
>>787 :準シュダオン:2009/06/14(日) 12:34:21 ID:XESnzsYQ0
>です。輪廻する因縁は煩悩でしょう。

「仏教は、この、カルマを断ちカルマの輪廻からの脱出を教えるのである。」

桐山ゲイカによれば、輪廻の原因はカルマだという。
・・・あれ?準シュダオンさんと意見が違いますね。
あなたは桐山さんの因縁切りを擁護したつもりで、
いつの間にか桐山さんとは違う意見を書いてしまった。
大爆笑です。
あなたは輪廻の原因は煩悩だと書いた。
そのとおりで、釈尊は輪廻の原因は煩悩があるからだと述べている。
「慢(煩悩)を断じないから、死後、今の自分がなくなっても、次の自分と
なって生まれ変わり、輪廻がやまない。
だから煩悩を断ち切れ」というのが仙尼経に書かれている。
準シュダオンさんの言うとおりです。
だが、桐山さんはあなたとは意見が違う。
悪因縁という業を断ち切ることこそが本当の解脱であり、
煩悩を断ちきるだけでは小解脱といって、ダメなのです。
あなたとは意見が違うようだが、どうしますか。
桐山さんの意見に従えば経典と矛盾し、
経典の説に従えば、桐山さんに逆らうことになる。
シュダオン界からの智慧とやらでお得意の屁理屈を並べて、
みっともなく右往左往してみたらどうか。

816深山:2009/06/14(日) 23:42:18 ID:tNma5dNw0
>>787 :準シュダオン:2009/06/14(日) 12:34:21 ID:XESnzsYQ0
>です。輪廻する因縁は煩悩でしょう。

「仏教は、この、カルマを断ちカルマの輪廻からの脱出を教えるのである。」

他の信者さんたちもよく見てください。
準シュダオンさんのほうが仏教としては正しく、
桐山さんが間違っている。
仏教では煩悩があるから輪廻するのだから、煩悩を断ちきれば、
解脱し、輪廻から解放されると説いている。
これは桐山さんが解説した阿含経の至るところで釈尊が述べています。
だが、桐山さんはカルマがあるから輪廻するのであり、
カルマを断ち切らなければ輪廻からは脱出できないと言っている。
釈尊と桐山さんでは解脱への考えがまるで違うことに気が付いてください。
桐山さんは仏教の解脱についての基本的な事すら理解していないのです。
準シュダオンさんはなんとか桐山さんの因縁切りを擁護しながらも、
阿含経と矛盾しないようにと必死に木に竹を接ごうとして、
ついうっかり桐山説を否定してしまった。
しかし、ここを長く読んでいる人は、信者側がこうやって桐山説を
擁護するために屁理屈を重ね重ねて、うっかり桐山説を否定するような
ことを書いてしまった事例がこれまでも何度もあったことを覚えているでしょう。
なぜかわかりますか。
仏教の教法ではない因縁切りを釈尊が説いたなどと
主張しつづければどこかで矛盾するに決まっている。
矛盾したのは、準シュダオンさんの脳が老化しているからだけではありません。
どんなに頭の良い人でも、木に竹を接ぐことはできません。
準シュダオンさんはすぐに自分の書いた矛盾など忘れてしまうだろうが、
信者さんたちは彼がこんなふうに自己矛盾したことを
他人事だと思わずにしっかり記憶してください。

817深山:2009/06/14(日) 23:45:28 ID:tNma5dNw0
>>790 :準シュダオン:2009/06/14(日) 13:17:49 ID:XESnzsYQ0
>「煩悩を断って苦から逃れたい」という思いは、私の定義では祈願に入る、
>のです。いわば、「欲を捨てたい」というのも願いであり、無欲を欲する、
>という点では、願い、欲です。

あなたの定義など誰も聞いていないし、個人的な宗教観などお呼びでない。
あなたは「欲望=祈願」だと言っているのですよ。
学校でどういう国語を学んだのだ?
もっともあなたの頭では「宗教詐欺師=聖者」らしいから、
「欲望=祈願」も成り立つのでしょうね。
解脱したいということのどこが祈願なのだ?
比丘たちは解脱しようと努力はしているが、祈願などしていません。
祈願とは誰かや何かにお願い事をすることです。
解脱するのは自分であって、釈尊がしてくれるのではないから、
比丘が解脱の祈願をしたなんて聞いたこともない。
比丘たちを侮辱するような発言は慎んだほうがいい。

818深山:2009/06/14(日) 23:51:58 ID:tNma5dNw0
>>792 :準シュダオン:2009/06/14(日) 13:26:33 ID:XESnzsYQ0
>37道品が体系的なものであるかどうか?
>たとえそれが後世にまとめられたものであったとしても、
>お釈迦さまの頭の中では、体系的にまとめられていた、と思いますよ。

あなたが「思う」のは自由だが、根拠のない主張は意味がない。
釈尊の頭の中を勝手に空想するのはやめなさい。
とても失礼なことだ。
八正道などは体系的に説いていたことは間違いない。
だが、三十七道品は体系的に説いたものではありません。
なぜなら、第一に釈尊が説いたものではないし、
第二に体系になっていないからです。
七科はそれぞれ体系と言ってもいいが、三十七道品は体系ではありません。
釈尊が七科を並べたのは、七科の体系化されつつある個々の修行法を
ただ並べたにすぎない。
それ以上の意味などありません。
ところが、後世の人が、これ自体を一つの体系化とみなして、
三十七道品と名前をつけてしまった。
そして、これらの経緯を知らない桐山さんは、釈尊が体系化した修行法だ
と思いこんで、四諦の道が八正道であるはずがないなどと無知なことを言い出したのです。

819深山:2009/06/15(月) 00:00:37 ID:tNma5dNw0
>>793 :準シュダオン:2009/06/14(日) 13:47:33 ID:XESnzsYQ0
>やはり、阿難のいう「善い友、善い仲間」という意味は釈尊のことではない、
>と思いますね、比丘仲間のことですね。

上記の文章を読んで、私はあなたが本当に老人脳なのだと実感した。
学者がはっきりとこの場合の善き友とは釈尊その人を指しているとのべ、
釈尊本人が「わたくしを善き友とすることによって」(>>748)と
はっきりと経典の中で述べているのに、これを受け付けない。
頑迷不屈の石頭という言葉以外、思い浮かばない。
私は善き友が比丘の仲間が含まれていないなどと言ったことはありません。
最初の時から、それを書いている。
そしてその善き友の中に釈尊も入っていると経典で
釈尊本人が述べているのです。
あなたは釈尊本人の説明も受け付けないだから、
私の説明など受け付けないのは当然ですね。
釈尊の言葉に疑いを持つのを「疑惑」といって、
シュダオンになるために捨てる三つの煩悩の一つです。
釈尊本人の言葉すら拒絶するあなたのどこが限りなく預流に
近い預流向なのだ?

820深山:2009/06/15(月) 00:04:31 ID:tNma5dNw0
>>793 :準シュダオン:2009/06/14(日) 13:47:33 ID:XESnzsYQ0
>やはり、阿難のいう「善い友、善い仲間」という意味は釈尊のことではない、
>と思いますね、比丘仲間のことですね。

議論の中身は善き友が誰なのかではないと説明されても、
あなたは無視している。
善き友が道の「すべて」であると釈尊は述べた。
それをあなたは「すべて」という意味ではないと指摘した。
だが、善き友とは八正道を教え、実習する仲間なのだから、すべてです。
善き友の阿含経はアーナンダへ説いたものだけでなく、
サーリプッタとも同じような会話が残されている。
相応部経の45や49にあります。
八正道を実践する善き友は道のすべてであると釈尊もサーリプッタも述べています。
あなたは道のすべではないと述べたが、このように成り立たない。
おまけに、あなたは、八正道こそがすべてであるという釈尊の言葉を
否定するために、善き友の例をだしているが、その善き友とは
八正道を実践するから善き友なのだと述べているのです。
意味が分からないだろうが、あなたの主張は二重に否定されたのです。

821深山:2009/06/15(月) 00:06:19 ID:tNma5dNw0
>>800 :準シュダオン:2009/06/14(日) 15:22:05 ID:XESnzsYQ0
>私は、どうも辞典の解説には疑問です。私が読んだ阿含経の範囲では、管長
>の解釈が妥当に思えます(まぁ、私は少ししか読んでないけど)。

こういう主張をするときはその阿含経を示すことです。
あなたは八正道は内容がよくわからないと書いている。
では、どうして同じような説明にすぎない七覚支だと意味がわかるのだ?
あなたが桐山さんの「解釈が妥当」というその阿含経を示してこそ議論です。
あなたは学者の説に反対しているのだ。
そこまでいうなら、学者の説では成り立たないという七覚支が
書いてある「私が読んだ阿含経」を示して解説してみなさい。
ただ「・・思う」ではあなたの感想文でしかない。

822深山:2009/06/15(月) 00:09:19 ID:tNma5dNw0
>>771 :準シュダオン:2009/06/13(土) 10:27:38 ID:XESnzsYQ0
>準シュダオンなんて、阿含宗の中では、まったく偉くありません。
>>786 :準シュダオン:2009/06/14(日) 12:16:47 ID:XESnzsYQ0
>間脳思考本のP249に、「修行法を超えた成仏法がここにある」と、
>管長は書いています。1984年の刊行です。それから13年後の、
>1997年に「思念の相承」伝法が開始されました。私は運よく霊的
>バイブレーションを受けることが出来ました。但し、思考のイメージは
>>794 :準シュダオン:2009/06/14(日) 13:55:30 ID:XESnzsYQ0
>深山さん、準シュダオンと預流向は違うのです。

>>743で箇条書きにされても、何を批判されているのか理解できないようですね。
アゴン宗の中でエライかどうかを議論しているのではない。
桐山さんが認めていないことをここで主張するのはやめてほしいのです。
スレの主旨と関係のないことを書かないでほしいのです。
ユビキタスさんが、アゴン宗シュダオンになるために
桐山さんが出した条件を紹介したように、王者の相承で預流向になる
などという教義はアゴン宗にはありません。
また、桐山さんはあなたが預流向であると認めたことはない。
つまり、あなたが預流向であると信じるのは自由だが、
それはあなた個人の宗教観にすぎないから、
このスレのアゴン宗の議論から外れているのです。

823深山:2009/06/15(月) 00:11:44 ID:tNma5dNw0
>>771 :準シュダオン:2009/06/13(土) 10:27:38 ID:XESnzsYQ0
>準シュダオンなんて、阿含宗の中では、まったく偉くありません。

あなたが預流向であるかどうかはこのスレと関係ないから、
出すなと言っているのです。
居間でオシッコをするなとは、場所柄を考えてほしい、という意味です。
しかし、何度言ってもわからないらしいから、下品なたとえをしましょう。
あなたのしていることはパンツをおろして、
自分の一物を出して、自慢しているようなものです。
あなたは「こんなに立派だ」と自慢しているが、
立派かどうかではなく、みっともないから出すなと言っているのです。
私があなたに何度か、この話は終わりにしませんか、と提案したのは、
みっともないから、パンツを上げろと言ったのです。
すると、あなたはいよいよ「何を言うか、オレ様のは立派だ」と誇示する。
あなたはそれが自慢でしかたないらしいが、
こちらから見たら、慢心という汚い腹の中にすぎない。
あなたの慢心の強さと恥知らずぶりはわざわざゲロを吐いてもらわなくても
もう十分にわかっている。
預流向宣言はわかったから、出すなと言っているのです。

824深山:2009/06/15(月) 00:16:02 ID:tNma5dNw0
>>795 :準シュダオン:2009/06/14(日) 14:07:30 ID:XESnzsYQ0
>深山さん、私が言葉使いが綺麗とレスしたのは、準シュダオンのレスですよ。

>547 :準シュダオン:2009/05/10(日) 15:45:59 ID:wJ8PBINa
>馬鹿もの

同じ事を何度も引用させないでください。
「馬鹿もの」を書いた時のハンドルを見なさい。
あなたが見落とさないようにと>>753でわざわざ別にして書いてあげても、
このザマです。
どっちが馬鹿ものなのか。
それにしても無恥というのはお幸せですよね。
>>751-753のようなものを引用されたら、私なら沈黙する。
あなたと違い普通の羞恥心を持っているからです。

825深山:2009/06/15(月) 00:19:34 ID:tNma5dNw0
>>795 :準シュダオン:2009/06/14(日) 14:07:30 ID:XESnzsYQ0
>子孫レスをすべて私と同一人物に決めつけてレスされてはいけません。
>>798 :準シュダオン:2009/06/14(日) 14:54:00 ID:XESnzsYQ0
>答えない方が面白いね。
>それに対する深山さんなどのレスが楽しみですから。

答えないのではなく、答えられないのでしょう?
なにせ準シュダオンも如来の子孫も同一人物です。
あなたがここまで卑怯者だとは残念です。
自分のミスくらい素直に認めたらどうなのだ?
私はあなたのために今年に入ってからは罵りが減ったと
誉めてあげたではないか。(>>753)
逃げ道を用意してあげたのに、戻ってきて自分の愚行をまたさらすとは
あなたも本当に他人の善意が読みとれない人ですね。
これだけ明瞭に自分の醜態を暴露されても、「楽しみですから」
などと、他人事のようなレスをつける。
あなたの御要望の「深山さんなどのレス」をあなたが読み落とすと
いけないから、再度繰り返します。
準シュダオンさんは自分の間違いを眼前に並べられても、
無視するような卑怯者、臆病者です。

826準シュダオン:2009/06/15(月) 14:04:43 ID:XESnzsYQ0
らるごさんのレスを今見ました。
見逃すつもりはなくても、見逃してたんですね。
私の修行は、管長からみたら修行ではない、でしょう。私のは縁覚というか、
独覚に近いですね。先祖供養やその他の基金など、経済的負担も、無理しま
せん。

四月例祭の法話は面白かったですね。体験談に対する管長ご指導もね。
体験談は、ある男性会員が、20年かかって、夫婦縁障害の因縁を切った、
というものでした。奥さんは信者でなくて、夫だけが会員とのことでした。
常に離婚騒動が持ち上がっていて、夫婦仲が良くない、とのことでしたね。
その点、らるごさんは夫婦円満な御様子でなによりです。

その体験談を述べた方は、離婚騒動の時、先達に相談したそうですね。
そしたら「導き行などの梵行が足りない」と、二人の先達に指導されたそう
です。で、先達の指導の方がおかしい、とこの男性会員は考えた、とのこと
でした。自分は悪因縁が強いので阿含宗に入っている、妻は自分より境界が
高いので入行せずに生活できている。

そのように考えて、妻に尽くして20年後、ついに
「あなたは仏さまのようです」と、妻に言わしめて因縁が切れた、と思った
とのことでした。管長のご指導は、
「夫婦縁障害は二人の責任だから、一人だけで努力しては効果が薄いよ」
と、いうようなことでしたか。

でも、管長の前で、「導き行が足りない、なんて言う先達の言葉の方が
おかしい」と、堂々と体験談を言ったのですから、良かったですね。

827準シュダオン:2009/06/15(月) 14:14:02 ID:XESnzsYQ0
悪趣は運命でしょうよ、ユビキタスさん。
苦しい生存の在り方を運命付けられている、わけですから。
三結煩悩を断つと、その運命(因縁)から解脱するわけです。

828準シュダオン:2009/06/15(月) 14:25:10 ID:XESnzsYQ0
ユビキタスさんも、私を過去レスの誰それと、決めつけてレスしてますね。
それはおかしい。そういう推測で決めつけるのが、足利事件のような、菅家さん
みたいな冤罪事件を産むのです。厳に慎むべきです。
因みに私は、そういう推測で他者を批難したことはないね。

829準シュダオン:2009/06/15(月) 14:39:11 ID:XESnzsYQ0
何度も書くのは、何度も書けば理解してくれる人もいる、と思うからです。
釈迦でさえも、三度は繰り返した、とか聞きましたしね。
だから深山さん、そんなに怒るんではないの、血圧あがるよ。

祈願護摩木はね、施食衣服座具、とでも考えたら良いのです。
釈迦の教団は福田と称されました。
供養に対して果報がある、と信じられていたからです。

当時の施食施衣服施座具は、現在ではお金の供養、つまり護摩木です。
そう考えれば良いでしょう。

830準シュダオン:2009/06/15(月) 15:06:19 ID:XESnzsYQ0
お釈迦さまがですね、いくつかの経典で道諦=八正道、と説いているからと
言ってですね、わかったつもりになるのは大間違いだ、というのです。
ためしに、増一経などを読んでみてください。八正道なんて、多くの修行法
の一つに過ぎない、と思うようになります。

ためしに、増一経から、四念処法の身念処を引用してみますね。
「比丘内身身観、精勤不懈 憶念不忘 捨世貪憂 外身身観 精勤不懈
 憶念不忘 捨世貪憂 内外身身観 精勤不懈 憶念不忘 捨世貪憂」

ね、これが身念処ですよ、八正道より詳しく説明しているでしょう。
学者先生の解説は省略しましたよ。でもだいたい見当がつくでしょう。

831らるご:2009/06/15(月) 15:50:02 ID:7IlYBzZI0
>>826 私の修行は、管長からみたら修行ではない、でしょう。私のは縁覚というか、
独覚に近いですね。先祖供養やその他の基金など、経済的負担も、無理しま
せん。


ふむふむ。
それでは以前書かれていた「思念の相承」で準シュダオン達成されたと理解してよろしいですか?
それ以外にもご自分が準シュダオンになったと自覚できるような出来事があったのですか?


あとお聞きしたいのは・・・
布教伝道の活動(護摩木勧進やチラシ撒きなど)、先祖供養(解脱供養、冥徳供養など)、
身近な人へのお導き活動、道場内での奉仕活動(道場や例祭の運営、お守り作り、
護摩木判押しなど)・・・ゲイカが指導されているこれらの課業に一生懸命打ち込んでいる
修行者をどう思われますか?

ゲイカが課した課業を何十年やっててもシュダオンになれない理由は何だと思われますか?


4月例祭の法話聞いてないですが(例祭自体仕事で行けないし)。
夫婦なんてどこも大なり小なり問題があるものだし、
「夫婦縁障害は二人の責任だから、一人だけで努力しては効果が薄いよ」
ってーのは当たり前の事実であって、別にご指導でもなんでもないと思いますが・・・。
妻に尽くした体験談の男性の努力は勿論ですが、
妻の方も何らかの努力をしたから上手くいったのかと思いますが。

832準シュダオン:2009/06/15(月) 16:17:53 ID:XESnzsYQ0
大本経から、なぜ仏が真理を説いたか、引用しましょう。
いわば法を説いた目的です。

「衆生の苦しみと災厄と老、病、死に、迫られているさまを見て、
 この三悪道から救うために 智慧によって真理を説いた」

 これが仏が法を説いた目的です。漢文も示しておきましょう。
「見衆生苦厄 老病死逼迫 為此三悪趣 智慧轉法輪」です。
ね、ちゃんと、衆生を三悪趣から救うために、法を説いたとあるでしょう。

だから私は、「三結断じて悪趣に堕せず」を例に出したのです。
三結煩悩を断つのは、悪趣から逃れるための、手段なのです。
悪趣に縛りつけられている因縁があるから、悪趣に居るのです。

その因縁を断て(切るでも同じ)、と管長は教えてるのです。
ね、阿含経の教えは、管長の教えと同じですね。

833ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 20:35:49 ID:SmEF4Oe2O
>>828
足利事件?冤罪?
ほ〜お。そこまで相手に対して言うのなら、どうして自分は如来の子孫ではないと
堂々と書けないのか?
あるいは、如来の子孫を名乗ったことはあったが、深山さんがコピペした罵声の
箇所はたまたま職場で同僚が自分の使ってるPCで勝手に書き込んだものだった
とか言わないのですか?
一般論的に可能性だけ示唆するだけではっきりそうだとか書かない。
印象操作が目的の卑怯者なんでしょうな。
そんな印象操作に引っ掛かる奴なんざあいないよ。
しかしつまらんところで意地を張りますね。
私だったら自分の非を認めますよ。
「いやあ、言われてみればそうだね。私もまだまだ口が悪いところもあったね。
準シュダオンと言ってもまだ煩悩が残っているからこういう失敗も時にはあるさ。
だから自分の言葉がきれいだなんて言い過ぎた。お互いに言葉遣いに気をつけて
いきましょう」なんて書けば、なんか最後の一言はこれで対等扱いにしてやったぞ
という意図が見え見えとは言え、ああ、自分の非も素直に認める柔軟なお人ね
とあなたの評価は上がります。
絶対に自分の非は認めたくなく、相手の言っていることに絶対に従わないのは
桐山さんそっくりで、どんどん泥濘にはまっていき哀れです。
まあしかし私としては柔軟謝罪の道を選んでくれない方が助かりますね。
これでまたアゴン宗の評価が落ちた。
オモチロイナー。

834ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 21:03:56 ID:SmEF4Oe2O
>>827
横レスですが、「導き行が足りないなんて言う先達がおかしい」と堂々と言った
人に対して、桐山さんがそれを是認したと取るのも早合点だと思いますよ。
と言うのは桐山さんの指導が夫婦の因縁は二人揃って行に励まないと難しい
というものでしょ?
これはどうして奥さんを導かなかった?と批評しているようなものです。
導いておれば20年もかかって因縁が切れたかに見えるほど夫婦間のいさかいが
なくなるまでにそんな奥さんに対するご機嫌取りまですることないのにという
側面だって指摘できるのです。
まあ今後もらるごさんとの対話を大切にして下さい。
同じ信者なんだから、素直な対話で打開策の知恵がひらめくかもしれませんしね。
できれば、無理のない供養金などの投資をしてきたと、まるで金の話しかできない
ようにも見えますが、無理のない行動梵行をどれだけやったかなんて具体的に書くと
参考になり有益だと思います。
例祭日以外に月に2回ほど道場に足を運び、その時は2時間くらい護摩木判押しや会報発送準備をしたとかね。
この程度ならば無理はなかったとかね。

835ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 21:27:24 ID:SmEF4Oe2O
>>829
2500年前に釈尊や出家たちに食事や衣類などの施しをするとたしかに彼らに
とって役に立ちます。
しかしアゴン宗のホネ如来だか、その辺をウロウロする目に見えない幽霊みたいな
連中は護摩木を食べるのですか?
火にくべて供養したつもりなんておままごとですね。
さすが観念宗!

836ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 21:49:30 ID:SmEF4Oe2O
深山さんから八正道よりも詳しい七覚支の解説文を経典から引用してみよと
言われたら、出したのが四念処の身念処ですか?
では引き続き、いかに八正道が表現に乏しいか経典の記述を示して下さい。

837ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 21:51:39 ID:SmEF4Oe2O
おっと、>>836>>830に対するレスでした。

838ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 21:59:33 ID:SmEF4Oe2O
>>830
身念処の解説が詳しいと道諦は八正道ではなくなるのか?
しかしまあお釈迦様に対してイチャモンの多い人ですね。
あなたのイチャモンは批判側や学者よりも釈尊その人に向けられている。

839ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 22:34:48 ID:SmEF4Oe2O
>>832
六道輪廻する我々の世界は苦界と観じます。
しかし死ぬこと、老いること、病気になること、災厄に遭うこと自体が三悪趣では
ありませんよ。
しかし大本経を基にあなたは此の三悪趣と現世の災厄や死などを一致させている。
そんなことを言ったらさんざん老いた後、食あたりで死んだ釈尊は三悪趣に
堕ちたのか?異教徒に殺されるという災厄に遭った大目連は三悪趣に堕ちたのか?
そんなことはないとあなたでも言うでしょう。
ではどう考えるか?
三悪趣とは六道の下層とされます。
ちなみに六道の三善趣が天上、人間、修羅ですね。
しかし共通して六道輪廻は老死、病気、災厄から逃れられないのですよ。
ならばそのうち下層である地獄、餓鬼、畜生にだけは行かないように、行いを
正せと教えるのが救いではないですか?
そのように読むべきでしょう。
また老死からの救いなんてアゴン宗の因縁解脱でも説かない。
老いる以前に死ぬ以前に生まれてこなくなったら涅槃を得た証拠ではないか?
生きているうちは誰でも老いるし、死ぬし、病気も災厄もある。
それ自体は三悪趣ではない。

840ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 23:26:10 ID:SmEF4Oe2O
「おまえが殺したのか?」
「刑事さん。めったなことを言ってはいかんですよ。そうやって疑って冤罪だったら
どう責任をとってくれるんですかね?」
「じゃあ、おまえは殺してないと言うのか?」
「人を簡単に疑ってはいけない」
「殺したのか?殺してないのか?」
「黙秘権というものがある」
「否定する権利だってあるのよ」

841ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 23:29:22 ID:SmEF4Oe2O
今気がついたが、>>834のレスアンカーは>>827ではなく>>826に向けられたものでした。

842孫 青柿:2009/06/16(火) 10:29:27 ID:cMnw6Jpw0
>>830 >「比丘内身身観、精勤不懈 憶念不忘 捨世貪憂 外身身観 精勤不懈
 憶念不忘 捨世貪憂 内外身身観 精勤不懈 憶念不忘 捨世貪憂」

なんかそれ読んでも般若心経瞑想法に則り座って「フジョー!クー!ムジョー!ムガー!!!」と空想すると
いうようには読めないのだが・・
深山さんの四念処ってそんなのじゃないという指摘を無視して、詳しい解説だと引用したはいいがあなた自身理解できてないではないか。
830を一言で正念というんですよ。

843準シュダオン:2009/06/16(火) 14:20:07 ID:XESnzsYQ0
管長が課した課行を何十年やってもシュダオンになれない、と、らるごさん
は書きましたが、そういう人いますか?
ちゃんと課行を達成したのになれない、という意味ですか?
課行に取り組むことはできても、課行を達成することは難しいのではありま
せんか?

準シュダオンの自覚が出た、と書いたのは、退会等は考えられなくなった、
からと、四向四果への確信を得たからですよ。霊的バイブレーションの感じ
は100ボルト電気に感電した百分の1とか、レスした気がするけど、勿論、
感電と比べたら、ぜんぜん違う感覚ですよ。喩えようがないから仕方なく
書いたまでです。

一生懸命梵行に励むのは良いと思います。但し、家庭のこともちゃんとした
上で、ならばね。それならよろしいのではありませんか。

844準シュダオン:2009/06/16(火) 14:45:31 ID:XESnzsYQ0
ユビキタスさんも三悪趣のことになると、ちゃんとお釈迦さまへ文句を言う
ところが面白いね。大本経に「苦厄老病死 此三悪趣」と、ちゃんとありま
すからね。

でも今回はユビキタスさんが辞典から詳しく引用してくれた、七覚支法に
ついてです。私は、七覚支を説いた経を、いくつか読んでますが、辞典に
解説してあるような経は読んだことがありません。管長が解説しているよ
うに説いた経なら、いくつか読んでいます。むしろ辞典に疑問ですね。

これも取り敢えず、増一経のを引用してみますよ。
「謂七覚意 於是比丘修念覚意 依無欲 依寂滅 依遠離 修法 修精進
 修喜 修猗 修定 修捨 依無欲 依寂滅 依遠離」ですよ。

上記のように説いた経ならいくつか読みましたけど、辞典に書いてあるよう
な経は読んだことがありません。樹意さんなど、詳しそうですが、教えて
くれませんか?勿論、ユビキタスさんでも深山さんでもかまいませんよ。

845ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/16(火) 15:37:40 ID:SmEF4Oe2O
>>843
ほ〜お?課行をすることと達成することは違うですか?偉そうにまあ。
それでは準シュダオンと名乗るあなたは桐山さんが課した課行をほぼ達成した
(準達成)したのでしょうな?
内訳を述べて下さい。課行の準達成者としての成果を量・質ともに。
まさかごろごろしていたら微量の電気を感じただけで、要するにごろごろしていた
だけで何もしていないとかではありませんな?
梵行と家庭の両立をする人などいくらでもいると思います。
あなたは梵行をしてる人を見ると家庭を台無しにする行き過ぎた人ばかり想定して
梵行をやらない理由にしているのではないですか?
月に1回例祭に出席して、その際ただぼんやり参拝するのでなく、与えられた
お役で修行に励むことは無理であり、行き過ぎか?
それとも逆に課行の未達成でもっともっとしなければならないのか?
あなたはどうしてしないのか?
例祭修行は当日に申し出て参加することも可能ですよ。
人員の足りない役に配置される。
ちなみに今日は冥徳祭でしたか。

846ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/16(火) 16:08:33 ID:SmEF4Oe2O
>>846
苦厄老病死=此三悪趣という読み方がおかしいと言ってるわけでね。
三悪趣=地獄・餓鬼・畜生という定義と違うでないの。
地獄的様相、餓鬼的様相と現世のことを表すのだとしても死ぬという万人共通のもの
老いという万人共通のもの、病気という万人共通のもの、災厄という万人共通のもの、
苦悩という万人共通のものを三悪趣にしたら、世界全人類オール三悪趣になる。
そんな地獄や餓鬼や畜生は説いていない。
六道の人間界はどうなるのか?

それから七覚支についてあなたが引用した経典の文面だけでは、仏教辞典に
書いてあるシステムには読み取れないわけだよね。
だからと言っていやしくも仏教学者が多数集まって厳正に編集された仏教辞典が
単にある個人が字面からこんなストーリーを想定してみたなんてことはあり得ないよね。
つまりあなたが知らないだけでやはり根拠の経典記述はある。
それをあなたも認めるわけだ。
つまりあなたの経典知識などまだまだほんの一部に過ぎない。
ならばそんな浅学で八正道を不当に低く見るのは傲慢以前に痴なんじゃないか?

847ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/16(火) 20:49:09 ID:SmEF4Oe2O
>>826
ふと面白いことに気づきました。
準シュダオンさんが実際に例祭日に道場で拝聴したか、後日道場でビデオ拝聴したか、
はてまた届いた宗報記事を読んだだけなのかはどうでもよいですが、報告してくれた
4月例祭法話の内容です。
この夫婦縁障害が切れたと感じたという報告は矛盾があるのではないですか?
そもそも夫婦縁とか人間関係に関する因縁というものは殊更相対的なもののはずです。
すなわち夫に夫婦縁障害の因縁があるのなら妻にも夫婦縁障害の因縁があり
悪い夫婦縁が実現する仕組みです。
夫婦縁破れる因縁ではなく、夫婦縁障害の因縁です。事実一時は離婚騒動まで
持ち上がったのだから悪い夫婦縁は実現した。お互いに不愉快な思いをした。
この時は夫婦双方に夫婦縁障害の因縁があるはずではないか?
夫だけ夫婦縁障害の因縁があり、妻にそれがないなんてあり得ない。
離婚騒動で厭な思いをした妻の運命はなんだと言うのだ?
男尊女卑の古い考えを持つ桐山さんならではの、妻がどう苦しもうが知ったこと
でなく、男である夫の名誉が傷つけられたのが大問題なのであるなどと言うか?
しかし相対的に考えて必ず双方の因縁の持ちよりなのです。
この夫の認識もアゴン宗の因縁論的に間違ってますね。
妻は自分より境涯が高いから因縁切りは必要がない?
破れ鍋に綴じ蓋という桐山因縁論を知らぬのか?
総得点30点の夫に夫婦として縁ができた妻もやはり30点か35点くらいなのだ。
自分ばかり卑下して馬鹿みたいな男だ。実在する信者さんだけに失礼千万ながら。
さてそういうわけで夫婦双方に夫婦縁障害の因縁がある。
しかるに妻はアゴン宗に入行しておらず、因縁切りをしていない。
つまり妻の側の夫婦縁障害の因縁は切れていないはずである。
それとも因縁解脱の行なんてしなくても因縁は切れるのか?
妻は未だに入行などしていない。あなた様は仏様のような方じゃと夫を褒めてくれた
だけであり、ついに入行に至ったという肝心の報告がない。
つまり入行してない。妻の因縁は切れてない。
この夫婦の夫婦縁障害の因縁は半分しか切れてない。
よくこんな恥ずかしい体験談を取り上げるものだ。

848ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/16(火) 21:04:40 ID:SmEF4Oe2O
>>846>>844につけたレス

849大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/17(水) 06:51:45 ID:QpgWSaLI0
展開中、横レスですみません。ショートで終わらせますので。

準シュダオンさんの言われている「思念の継承」時期違くないですか?
私の記憶しているのは1993あたりなのですが。
準シュダオンさんの1997頃、というのは遅すぎます。
なぜなら1997前に私は受けているからです。
私はもう退会していますので確認できませんが、どなたか知っている方おりましたら
教えていただけたら幸いです。

つまらんレスですみません。(前から気になってたもので)

850らるご:2009/06/17(水) 08:01:31 ID:7IlYBzZI0
>>849
大日如来さんおはようございます。
言われてみれば、そうですね。私が受けたのは、
阪神大震災後、13・救いの輪運動が始まった前後だったと思います。
あれ〜?食い違いますね。
丁度何かの伝授があって別院にいたんですが、
その日講義の真っ最中に結構大き目の震度4ぐらいの地震がきたんです。
(地震の記憶だけ鮮明〜汗)
あれ〜。それが13救いの輪運動の決起大会だったか、
思念の相承の日だったか、定かでない・・・。
お役に立てず、すみません。。
さ、仕事行こうっと。

851ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/17(水) 08:56:59 ID:SmEF4Oe2O
>>849>>850
正確なことを書きます。
思念の相承は1997年3月のお彼岸の時が最初です。
各本部道場にアシュラム・アーガマの会員を集めて、桐山さんは今は無き銀座アゴンビルの
瞑想室におり、そこから放送を発信した。
モンゴルで火災を止めた時と同じ思念をあなた方に送りますと言ってちょっと
経ったところで茨城県西南部あたりが震源の地震が関東別院でも感じられました。
大日さんはおそらくメシアの法伝法会の受け入れの秘儀のアジナータッチか
クンダリニータッチあたりと勘違いしているのでは?
準シュダオンさんの言っているのは、この公式の思念の相承でもなく、自宅にいる時
一人で勝手に感じた微電ショックなんだそうです。
つまりその時に桐山さんが思念を発信していたという根拠が何もないわけです。
ある日彼女の夢を見たのは彼女が自分に恋い焦がれる思念を送っていたからだと
いう話以上にくだらん。

852深山:2009/06/17(水) 12:34:54 ID:PR87/dAs0
>>826 :準シュダオン:2009/06/15(月) 14:04:43 ID:XESnzsYQ0
>でも、管長の前で、「導き行が足りない、なんて言う先達の言葉の方が
>おかしい」と、堂々と体験談を言ったのですから、良かったですね。

準シュダオンさんが書いた範囲で反論します。
準シュダオンさんにお聞きするが、桐山さんは
「その先達の指導は間違っている」と言ったのですか。
言っていないのでしょう?
まるで、あなたの書き方だと、桐山さんが、
先達の指導を間違っていたと指摘したかのような書き方だが、
桐山さんはそんなことは一言も言っていない。
むしろ、逆のことを言っている。

>「夫婦縁障害は二人の責任だから、一人だけで努力しては効果が薄いよ」

この言葉がそのままなら、その体験発表者が妻を導いていない
ことを桐山さんは叱責したのです。
なぜなら、>>847でユビキタスさんが指摘したように、
片方だけ信者で因縁がキレタなんて言い出したら、教義に矛盾が生じる。
つまり、導きが足りないといった先達たちの指導を間違いどころか、
正しいからこそ、桐山さんは上記の指導をしたのです。
桐山さんがほしいのは人と金だから、導きをしなくてもいいなんて絶対に言いません。

853深山:2009/06/17(水) 12:38:30 ID:PR87/dAs0
>>826 :準シュダオン:2009/06/15(月) 14:04:43 ID:XESnzsYQ0
>でも、管長の前で、「導き行が足りない、なんて言う先達の言葉の方が
>おかしい」と、堂々と体験談を言ったのですから、良かったですね。

この信者の夫婦仲がよくなったのはアゴン宗の因縁切りなど関係ない。
夫婦仲がうまくいった原因ははっきりしていて、「妻に尽くして20年後」です。
夫の努力が実を結んだだけです。
こんなことは小学生でもわかる明瞭な原因です
ところが明らかな原因を無視して、因縁切りなどという訳のわからんことを
原因と発表する夫は完全にアゴン宗で頭が固まっている。
むしろ、これだけ立派な夫でも妻が入行しないということは、
アゴン宗の因縁切りなど何の効果もないことを証明している。
ところが、準シュダオンさんは、因縁切りの話よりも、
桐山さんが、まるで導きなんかしなくてもいいと言ったかのように
コメントを逆の意味にとった。
それはあなたの恒例の自己弁故ですね。
やはり準シュダオンさんは家族を導いていないのだ。
それで預流に限りなく近い預流向ですと言っても、何の説得力もありませんよ。
その言い訳をしたいから、こんな事例を出した。
あなたも桐山さんと同じで、自己弁護のために
宗教を利用するのが大好きです。
こういう小手先のゴマカシが他人に通用すると思っているところが
あなたの脳が老化している証拠です。

854深山:2009/06/17(水) 12:42:04 ID:PR87/dAs0
>>828 :準シュダオン:2009/06/15(月) 14:25:10 ID:XESnzsYQ0
>ユビキタスさんも、私を過去レスの誰それと、決めつけてレスしてますね。

「如来の子孫」が自分ではないというなら、
>>751-753の具体的にどれがそうでないか書いてみればいいではないか。
自分が書き込んでおきながら、それを暴露されると、他人が書いたかのように言葉を濁す。
それを卑怯だと言っているのです。
自分の発言にすら責任を持たないから、あなたは仕事ではうまくいかなった。
あなたみたいな無責任で、言い逃ればかりする人を仕事に加えたら
仕事にならない。
誰が見ても明らかにあなたが書いたことを目の前に並べられても
それを認めようとせず、逃げようという卑怯者です。

855深山:2009/06/17(水) 12:46:22 ID:PR87/dAs0
>>828 :準シュダオン:2009/06/15(月) 14:25:10 ID:XESnzsYQ0
>因みに私は、そういう推測で他者を批難したことはないね。

あなたは推測で他人を批判したことはないが、>>751みたいに
落ちこぼれ、馬鹿、知恵遅れ、と相手を眼前で罵るのだ。
それでいて、自分は綺麗な言葉つがいだという。
あなたが私よりも言葉づかいが綺麗だと言い出したのは、
私の批判にあなたが傷ついたからでしょう?
反論したいが、証拠を突きつけられて、事実だから、何もできない。
現実世界ではここまで反論されたこともなく、いつも逃げきった。
だが、ここでは全部文章が残るから、綺麗事をいくら並べても、
あなたの書いた罵詈雑言や自惚れを並べられて、逃げ切れない。
そこで、自分のほうが言葉が綺麗だなどと始まった。
あなたって往生際の悪い男ですよね。
自分の痛みにはものすごく敏感で、それでいて>>751のように
他人を傷つけるような発言はなんともない。
桐山さんとそんなところもよく似ている。
あなたは指摘されても他人のふりをして口を拭い、
懲りずにまた上記のような自己弁護をする。
卑怯な男ですよね。
こういうあなたが預流向でございます、などと名乗っても
お笑い以上ものではない。

856深山:2009/06/17(水) 12:48:55 ID:PR87/dAs0
>>829 :準シュダオン:2009/06/15(月) 14:39:11 ID:XESnzsYQ0
>何度も書くのは、何度も書けば理解してくれる人もいる、と思うからです。
>釈迦でさえも、三度は繰り返した、とか聞きましたしね。

釈尊を、あなたみたいに一週間たつと自分が書いたことをきれいに
忘れるような人と一緒にするのは失礼です。
自分の能力の低さを釈尊にたとえるとは、どうしてそんなに無神経なのだ。
釈尊はあなたみたいに相手の反論を無視したことなどありません。
相手の反論を踏まえて議論を進めた。
あなたみたいに同じ所をグルグル回って自分の主張を針の飛んだ
レコードみたいに繰り返し、相手の反論を理解できないのとは違う。
釈尊は相手の反論を踏まえて、鋭い指摘によって論破したのです。
あなたのことを読者は、記憶力が衰え、それでいて慢心だけが
増大したどうしようもない年寄りだとよく理解している。
わざわざ毎回、それを誇示していただかなくても十分にわかります。

857深山:2009/06/17(水) 12:50:49 ID:PR87/dAs0
>>829 :準シュダオン:2009/06/15(月) 14:39:11 ID:XESnzsYQ0
>当時の施食施衣服施座具は、現在ではお金の供養、つまり護摩木です。
>そう考えれば良いでしょう。

当時も護摩木があったのに、どうして釈尊は護摩を禁止したのだ?
護摩木を売って見返りを受けたなんてオシャカは存在しません。
お金を供養したければ、現金を渡せばいいではないか。
なんのためにわざわざ木切れに換金するのだ?
また、その護摩木であれ、現金であれ、釈尊が今どうやって受け取るのだ?
如来や清浄の比丘たちに供養すれば、果報はある。
あなたも天身さんも何度言われても理解できないようだが、
批判側はそんな当たり前のことを否定したことは一度もありません。
だが、アゴン宗のどこに如来や清浄の比丘がいるのだ?
入滅した後の釈尊はお金も食衣服座具もいらない。
彼の遺骨が本物であっても、お金も食衣服座具もいりません。
果報とは、如来が供養を受け取ってこそ得られるもので、
入滅後の釈尊にはお金も護摩木も食衣服座具も必要としていないから、受け取らない。
だから、アゴン宗の信者には果報もありません。

858深山:2009/06/17(水) 12:54:23 ID:PR87/dAs0
>>830 :準シュダオン:2009/06/15(月) 15:06:19 ID:XESnzsYQ0
>お釈迦さまがですね、いくつかの経典で道諦=八正道、と説いているからと
>言ってですね、わかったつもりになるのは大間違いだ、というのです。

わかったつもりで三十七道品を主張しているのはあなたです。
私はあなたと違い、勝手な解釈もしていなければ、わかったつもりにもなっていない。
釈尊本人が四諦の「道」を八正道だと断言しているから、
受け入れているだけです。
釈尊が宣言したとおりで筋が通っているから、理解しただけです。
釈尊本人が道とは八正道だと宣言しているのに、
桐山さんやあなたのような外道凡夫が何を横から余計な口を出すか。
無礼な人ですよね、あなたも桐山さんも。
釈尊という如来が、四諦の道とは八正道だと言っており、経典にそれが残っている。
それを違うとは、誰に向かって言っているつもりだ?
如来に向かってその厚かましい態度は何のつもりだ。
あなたや桐山さんのしていることは釈尊その人の言葉を否定しているのです。
そんなに釈尊の言葉を信じたくなく、我流の信仰をしたければ
仏教など名乗らなければいい。
実際にアゴン宗は外道なのだから、仏教に関わらないで、
外道の信者らしい態度をとればいい。

859深山:2009/06/17(水) 12:58:12 ID:PR87/dAs0
>>830 :準シュダオン:2009/06/15(月) 15:06:19 ID:XESnzsYQ0
>「比丘内身身観、精勤不懈 憶念不忘 捨世貪憂 外身身観 精勤不懈
> 憶念不忘 捨世貪憂 内外身身観 精勤不懈 憶念不忘 捨世貪憂」

四念処の「念」と、八正道の「正念」をあなたは別物だと思っているのですね。
同じ事を説明しているのです。
両者は共通しているどころか、四念処は八正道の正念や他の中にすっぽり入っている。
詳しいかどうかではなく、他の六科は八正道の中に入っているのです。
何度も書くが、経典を引用したら、ただ経典名を書くだけではなく、
それが何の経典なのか、どの本から引用したのかくらい書いたらどうか。
増一経とは阿含経なのかどうかさえ、普通の人はわかりません。
自分の説明に根拠があると主張したいなら、まず典拠をはっきりさせ、
他人がそれを検証できるようにしてあげることです。
前にあなたはそれをしないで、私からあなたが引用した文章の
前後を示されて、反論された・・・覚えていないでしょうね。
天身さんが経典名すら示さず漢文の羅列をしているのを見て、
あなたはあの経典が何の経典なのか、またその意味を理解できるか。
できないでしょう。
彼はわざとああやって他人が調べられないように、また読みにくくして、
相手の理解を妨げることで、自分の主張に根拠があるかのように見せかけている。
あなたが天身さんを味方としていないことを私は評価している。
だから、彼の下劣な手法を真似するのはやめてほしい。

860深山:2009/06/17(水) 12:59:54 ID:PR87/dAs0
>>832 :準シュダオン:2009/06/15(月) 16:17:53 ID:XESnzsYQ0
>その因縁を断て(切るでも同じ)、と管長は教えてるのです。
>ね、阿含経の教えは、管長の教えと同じですね。

あなたのこういうゴマカシを見ると、老獪なのか老醜なのか
時々わからなくなる。
あなたのは、三結を断じることが悪趣に堕ちないことであり、
それを釈尊も説き、因縁解脱と同じだという主張です。
だが、私は何度も、というよりも、すでに四年ほども
同じ反論を繰り返している。
だが、完全無視して、同じ主張を繰り返す。
仮に、あなたの主張を受け入れて、悪趣に堕ちないことだとしましょう。
釈尊の三結を断じるとは煩悩を断じることだと説いている。
だが、桐山さんの因縁を切るとは煩悩を断じるだけでは足りなく、
カルマを断ち切らないと駄目だと言っているのです。
この両者の違いをあなたどう説明するのだ?

861深山:2009/06/17(水) 13:03:00 ID:PR87/dAs0
>>832 :準シュダオン:2009/06/15(月) 16:17:53 ID:XESnzsYQ0
>その因縁を断て(切るでも同じ)、と管長は教えてるのです。
>ね、阿含経の教えは、管長の教えと同じですね。

悪趣に堕ちない方法は、
●釈尊説・・・三結を断じる。
●桐山説・・・三結を断じ、悪因縁(カルマ)も断ち切る。
と両者は違うのです。
桐山さんは三結を断じるだけでは足りず、
悪因縁を切らないと悪趣に落ちるとしている。
両者は明らかに違う。
釈尊の解脱とは煩悩を切ることであって、他に切るものはない。
桐山さんの因縁解脱とは悪因縁というカルマを切ることであって、
煩悩を切ることとは明瞭に区別している。
釈尊の説いた解脱とは違います。
桐山説では、煩悩を切っても、刑獄の因縁を切らないと、
刑務所に入るから悪趣に落ちるのです。
その典型的な事例として出しているのが桐山さん本人です。
純情な文学青年であり、人を騙すなんて金輪際したこともない堤青年は
刑獄の因縁のなせる業で、あれよあれよという間に犯罪者になってしまった。
桐山さんによれば、彼は犯罪者になるような悪い性格ではなかったと
いうのだから、そんな煩悩は元々持っていなかったのです。
ところが、すべては先祖の作った霊障のせいで、彼は悪趣に堕ちてしまった。
という話が本当かどうか別として、アゴン宗の教義では、
悪趣に堕ちないためには煩悩だけでなく、因縁を切らないと駄目なのです。
釈尊の言っているのとはまるで違う。
四年前から何度も説明しているにもかかわらず、
この違いを理解するだけの知性が残っていないのですか。

862深山:2009/06/17(水) 13:04:57 ID:PR87/dAs0
>>832 :準シュダオン:2009/06/15(月) 16:17:53 ID:XESnzsYQ0
>その因縁を断て(切るでも同じ)、と管長は教えてるのです。
>ね、阿含経の教えは、管長の教えと同じですね。

桐山さんは煩悩と悪因縁とを別にしている。
これは『修行者座右宝鑑』でもはっきりと区別している。
だから、煩悩解脱と因縁解脱では違うのです。
実際、桐山さんは、
煩悩解脱 → 小解脱
因縁解脱 → 大解脱
と両者を明瞭に区別している。
それをどうしてあなたは同じだと言い続けるのだ?
なんど反論されても、あなたは四年以上に渡り、これを言い続けている。
あなたは悪因縁も煩悩も同じだと何度も書いているが、
桐山さんは両者は違うと言っているのだ。
アゴン宗では「悪因縁≠煩悩」「因縁解脱≠煩悩解脱」が教義です。
桐山さんが言ってもいないことを勝手に作り上げて
いつまでも主張するのをやめてもらえないか。
桐山説以外のあなた個人の宗教観はここでは出さないでほしい。
>>1の主旨を遵守してほしい。
あなたが桐山説と違うことをクドクドと何度も何度も書くのは、
迷惑であり、梅雨空にように、うっとうしいのです。

863深山:2009/06/17(水) 13:06:49 ID:PR87/dAs0
>>843 :準シュダオン:2009/06/16(火) 14:20:07 ID:XESnzsYQ0
>管長が課した課行を何十年やってもシュダオンになれない、と、らるごさん
>は書きましたが、そういう人いますか?
>ちゃんと課行を達成したのになれない、という意味ですか?
>課行に取り組むことはできても、課行を達成することは難しいのではありま
>せんか?

課行に取り組んで達成した人などいくらでもいる。
昔の三人の導き、十数年前の十三人の導き、
そして最近の練脳塾で護摩を習った77人など、
まさに長年桐山さんの言うとおりに課行を果たしてきた人です。
だが、シュダオン宣言をしてもらった人すらいない。
また、他の人が質問しているように、
あなたが桐山さんのどんな課行を達成したのだ。
他の人は預流向すら名乗っていないのに、
あなたは限りなく預流に近い預流向だと連発している。
どんな課行を達成したのですか・・・なんて聞いても無駄ですよね。
あなたは何もしていない。
なにせ桐山さんに言われた課行を無視したと前に書いていた。
あなたは課行などなにもせず、預流向という位階だけを
ちゃっかりいただいたコソドロにすぎない。

864深山:2009/06/17(水) 13:10:14 ID:PR87/dAs0
>>843 :準シュダオン:2009/06/16(火) 14:20:07 ID:XESnzsYQ0
>準シュダオンの自覚が出た、と書いたのは、退会等は考えられなくなった、
>からと、四向四果への確信を得たからですよ

また話がクルクルと変わっていますね。
昔は法話を聞いたとたん預流向になったと書いて、
次は総本殿からバイブを受信してシュダオンになったと書いて、
今度は退会することが考えられなくなったからだ書いた。
桐山さんと同じでその場しのぎに口から出任せに書いている。
退会することなど考えられない信者などいくらでもいる。
だが、彼らは預流向なんて名乗らないし、桐山さんも認めていない。
余談だが、あなたはもちろん退会などしないほうがいい。
そのまま桐山さんに寄生して、聖者ゴッコを続けたほうがいい。
桐山さんは因縁は持ち寄りだという。
あなたの自惚れと自己顕示欲の強さ、他人への侮蔑心、
脳障害を霊的バイブだと解釈するその知性の低さ、
どんな現実を突きつけられても平然と居直る恥知らずぶり、
ろくな知識もないのにシュダオン界から知恵をもらっているという愚かさ、
どれ一つをとっても「プチ桐山」とでも言える要素を備えている。
桐山さんは認めなくても、私は準シュダオンさんは
桐山さんにふさわしい信者だと認めてあげますよ。

865深山:2009/06/17(水) 13:15:33 ID:PR87/dAs0
>>844 :準シュダオン:2009/06/16(火) 14:45:31 ID:XESnzsYQ0
>な経は読んだことがありません。樹意さんなど、詳しそうですが、教えて
>くれませんか?勿論、ユビキタスさんでも深山さんでもかまいませんよ

準シュダオンさん、いくらなんでも、他人をおちょくったような、
無礼な態度はいい加減にしたらどうですか。
七覚支を出して、桐山さんのほうが正しく、仏教辞典は間違っていると
言ったのはあなたですよ(>>800)。

>私は、どうも辞典の解説には疑問です。私が読んだ阿含経の範囲では、管長
>の解釈が妥当に思えます

桐山さんが正しく、学者の説明が間違っているという
根拠を示しなさいと指摘された。
だが、あなたはただ普通の七覚支の一文を引用しただけです。
私には仏教辞典にある説明と同じにしか見えない。
だが、あなたには桐山説が正しく、学者の説が間違っていると読めるらしい。
その意味不明のあなたの頭の中を他人に説明しろという話しはあるまい。
なんであなたのために批判側が説明してあげなければならないのだ。
あなたが桐山さんの七覚支の説明が正しく、仏教辞典の説明は
間違っていることを根拠を示しながら、説明するのです。
それを他人にしろとは何ですか。
あなたは自分で衣類を着るでしょう?
だったら、自分のことは自分でしなさい。

866深山:2009/06/17(水) 13:17:25 ID:PR87/dAs0
>>728 :準シュダオン:2009/06/11(木) 15:42:33 ID:XESnzsYQ0
>やれやれ、という思いで樹意さんに申しあげます。
>末世成仏本尊経の本では、シュダオンは聖者になっています。
>しかし、新しい本、例えば「21世紀は智慧の時代」の本、P207、には、
>シュダオンとシダゴンは賢者、アナゴンとアラカンは聖者、として記述され
>ています。

これは準シュダオンさんのほうが間違いです。
あなたは、桐山さんは2000年に出した本でシュダオンとシダゴンが
賢者で、アナゴンとアラハンが聖者と分類しており、
樹意さんの情報(>>724)は古いと批判して、「やれやれ」などとあきれてみせた。
だが、あなたの情報のほうが古く、間違っている。
今のアゴン宗ではシュダオンとシダゴンも聖者です。

867深山:2009/06/17(水) 13:23:34 ID:PR87/dAs0
「一方、聖者も霊界に行って生死を続けます。これが変易生死です。
聖者も霊界において生死を繰り返していくわけですから――
もちろん須陀諸Yや斯陀含は現象界にも生まれますが――、
これも一種の輪廻と言えなくはありません。」
「いずれにしろ、変易生死は聖者の修行状態ですから、凡夫にはよくわかりません。
しかし、諸君も霊界に行けばわかります。ですから、すぐにでも理解したいという人は、
一生懸命に修行して早く須陀諸Yになりなさい。」
(『アゴンマガジン』28号、9頁、2009年5月)

ごらんのように、桐山さんが上記の文章でいう聖者に
須陀諸Yと斯陀含を含めています。
「やれやれ」などと樹意さんの無知をあきれてみせたが、
実はあなたほうが無知なのだ。
桐山さんを信じて主張して、彼にハシゴを外された気分はいかがですか。
また話が元に戻っているなんて、驚いたでしょう。
桐山さんてこんな程度の人です。
その場しのぎのことをペラペラ話して、思いつきで本を書く。
書くと忘れてしまい、別な話をするから、信者はいつも右往左往する。
桐山さんの話を信じてあなたみたいに主張すると
後で違う話が出てきて、主張した信者は立場がなくなる。
桐山さんの記憶力って、こんな程度で、あなたと同じように、
少したつと忘れてしまう。
矛盾を信者が質問すると、あなたと同じで桐山さんは木に竹を
接ぐような言い訳を考えるから、話がぐちゃぐちゃに入り乱れて、
誰も理解できないような教義になってしまう。
私ができるだけ文章で根拠を示すのは、桐山さんの話はそのくらい
デタラメだからです。

868準シュダオン:2009/06/17(水) 14:00:51 ID:XESnzsYQ0
やれやれ、と思ったのは、ずいぶん細かいことを問題にするなあ、と思っ
たからですよ。聖者だろうが、賢者だろうが、私には大した意味はないの。
私が名乗ってるのは「準」ですからね。

教授と準教授は違うでしょう。優勝と準優勝も違う。大違いですわW。

869準シュダオン:2009/06/17(水) 14:13:31 ID:XESnzsYQ0
七覚支について、べつにおちょくってるわけではないですよ。
増一経の例を出しましたけど、遊行経でも同じような記述です。
その他、いくつかの経で七覚支の記述を目にしてますが、同じようなもの
でした。それでね、辞典の解説にあるような経を、どなたかご存知でしたら
教えてくれませんか?と、呼びかけてみたのですよ。

それがどうしておちょくってることになるんですか?
深山さんの考え方はひねくれているんじゃないですか?
私もね、不十分ながら、出来る範囲で、七覚支法を記してる経を探して
きたのよ。それでも、辞典にあるような経を見つけられなかったのです。
それで知ってる方に、教えを乞うただけですよ。
それが、何でおちょくってることになんの?

870準シュダオン:2009/06/17(水) 14:22:12 ID:XESnzsYQ0
深山さんはまた勝手に、私と過去レスの誰かさんを同一人物と決めつけて
レスしてます。それはあんたの推測です。それを我見というのです。
自分の見解に執着して、客観的なことが見えない、のです。
三結煩悩の一番下の煩悩、それが身見・我見です。
深山さんはそれさえ切れていませんね。

私が過去の某レスと、同一人物か別人かを表明せずにいたのは正解でした。
深山さんの性格・人格が見えるもんねW。

871準シュダオン:2009/06/17(水) 14:54:51 ID:XESnzsYQ0
夫婦縁障害の管長指導は、アゴンマガジン7月号か8月号に乗るでしょう。
管長は長く丁寧に話してたような気がしますね。
40点の夫が60点の妻と縁が生じて夫婦になった、とします。
だが、深刻な離婚騒動を起こして夫婦縁障害の因縁強し、の状態です。

夫だけが入行して、成仏法を20年、修行した。
そして80点の夫になった。40点から80点です。
妻も知らないうちに感化されて、60点から70点の良き妻となった。
で、夫婦縁障害の因縁が切れた。
妻も入行していれば、7年くらいで因縁が切れたのです。

修行の成果で夫婦仲が良くなったわけではない、単なる努力の成果だ、という
考え方も自由です。別に考え方の強制はしませんよ。
まぁ、管長の法話を通訳すると以上のようになりますね。

872大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/17(水) 14:58:49 ID:2T3VlNI.0
>>851 ユビさん、そうでしたか・・・。関係書類みんな捨てたんで悔やむなあ。
実は私もその地震のときにネットワーク(画面)を見ていて、「ゲイカ、スゲー」と思ったものです。
その行動以前にアジナータッチを受けたのは正解です。

ただ、アジナータッチは思念の継承(相承)という行為だったはず。
サヘトマヘトで受けた白銀のバイブレーションをヨギ・バジアン氏が行ったアジナータッチの
方式で弟子達にバイブを伝えるのがアジナータッチだったはず。

らるごさんも私と同じ様に感じてた(把握していた)ような感じですね。
コメントありがとうございます。
ただ、後に思念の継承ということでタイトルを変えたのかもしれないが、意味合いは同じだったと記憶。
そして、その地震の起きたときにゲイカが言ったのは、
「以前アジナータッチをした人は、あの時の感覚を思い出しなさい。
モンゴルで火災を止めた時と同じ思念をあなた方に送ります」と言われたように記憶しています。
そして、タイミングよく地震が起きた、という偶然付きでいい味付けが出来た。
今考えればいいお笑い要素です。しかも、念など何も感じなかったし。

思念の内容などユビさんの申されるとおりと思いますね。
ただ、アジナータッチは思念の継承だったはずだなあ・・・と少々残念ではあります。

873準シュダオン:2009/06/17(水) 15:09:16 ID:XESnzsYQ0
管長は、煩悩解脱は小解脱、因縁解脱は大解脱、と説きます。
お釈迦さまは、煩悩解脱(漏尽解脱)を説きます。

だが、こういう違いは微々たる違いです。お釈迦さまの煩悩解脱の中には、
カルマ解脱が含まれているのかも知れません。思い出せないけど、そういう
経をどこかで目にした気もするね。
深山さんのように、大騒ぎするような価値はないね。

三結煩悩を断ち、五下分結煩悩を断ち、というように、小解脱を積み重ねて
行って、最後に大解脱するわけでしょう。だから管長のような表現でも、私は
少しも気になりません。

874準シュダオン:2009/06/17(水) 15:38:10 ID:XESnzsYQ0
思念の相承とかいうのはチベット仏教にあるのでしょう。
管長はインドで白銀に輝くバイブレーションを受けた、と書いてます。
「サヘトマヘトを東の国に移せ」という思念も受けた、と書いてます。

私の場合は、強い霊的バイブレーションは受けたけど、思念は何も感じ
なかったです。だから「準」に留めているのです。
バイブレーションの時間は結構長かったです。何分あったのか不明ですが、
「ずいぶん長いな」と思いました。「まさか、一生続くわけではないだろ
うな。」と、思った時に、スッ、とそれは消えたのです。

花山が放送局になって、仏界の霊波を、各御宝塔へ放送してるのかも知れ
ません。管長は、「自分の思念は時空を超えて存在する」と話されてます
から、信者の皆さんには何時、届くかわかりませんね。
私がレスしたのは、自己顕示欲のためではないですよ、インチキ呼ばわり
するレスに対して、本当のことを言わねばならない、と思ったからです。

何年も言わずにいたのですが、報恩謝徳、のこともありますしね。

875準シュダオン:2009/06/17(水) 16:34:39 ID:XESnzsYQ0
私が霊的バイブレーション以後は退会など考えられなくなった、とレスした
のは、それ以前の私には時々迷いもあった、ということです。

私の変化を述べたのであって、霊的バイブレーションを受けずとも退会な
ど考えない信者さんが受けた場合は、その人なりの、私とは違った変化が
あるでしょう、ということなのです。深山さんは考え方が硬直みたいね。

人によっては、思念だけ受けてバイブレーションを感じない人が居るかも
しれないし、思念と振動の両方感じる人もいるでしょう。
何かの錯覚をそれだ、と勘違いする人もいるでしょう。

まったくのインチキ、と思う人もいるでしょう。そういうことです。

876らるご:2009/06/17(水) 18:02:40 ID:7IlYBzZI0
>>851 ユビキタスさん、はじめまして。
なるほどそうでした。地震の記憶ばかり鮮明でした(滝汗)。
ありがとうございます。
うろ覚えの記憶を書き込んでしまって申し訳ありませんm(_ _)m

877ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/17(水) 20:06:02 ID:SmEF4Oe2O
>>872
そうです。アジナータッチにも思念の相承があります。
受け入れの秘儀に際してグルがメッセージを与えるわけですね。
メッセージのわかる人もいれば、わからないが修行が進むにつれてわかるように
なってくる人もいるとの触れ込みです。
私の場合は当然メッセージなんて勝手に感じたりしません。ノーマルな頭脳なんで。
お?結構力入れて押してくるな、と物理的刺激しか感じません。
あとはドキドキと緊張した自分の心臓の鼓動も同時に感じるだけで。
準シュダオンのおっさんがほざいている思念の相承とはこんな直接指タッチの
話ではありません。自宅で感じたようなので遠隔操作の思念ですね。
準シュダオンさんもアジナータッチくらい受けてると思います。
またアジナータッチ受けてれば、かの思念の相承の場にも出席できる資格は
ありますので受けていてもおかしくはない。
ただそのどちらでもないくっだらない話です。
氏ねん>準

878ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/17(水) 21:53:38 ID:SmEF4Oe2O
>>868
そのとおりで聖者でも賢者でもどちらでもよい。
しかしあなたはどうしてシュダオンは聖者じゃないよ、賢者だから違うんだよと
示したのか?自分はちっとも傲ってないよ、聖者じゃなくて単なる賢者なんだよ
と一つランクを下げてごまかそうとしたからではないか?
このゴマカシは今でも続いている。
準優勝は優勝と大きな違いだと書いている。
たしかに大きな違いかもしれない。しかし目線が一つ上の優勝としか比較してませんね。
下を見ていない。準優優勝ならば勝ち上がってきたはずだ。
高校野球ならば全国4千の高校の頂点に立ったのが優勝校だ。
それに次ぐナンバー2が準優勝校だ。
早々と予選で敗退していった数千の高校から見て、準優勝校のなんと輝かしいことよ。
いやいや、甲子園の準優勝でなくて神奈川の準優勝でもよいですよ。
いずれにしても「大したことある」実力です。
あなたは自分がそれだと言っている。
自分よりも劣るのがいっぱいいると認めていることになる。

879オグリキャップ:2009/06/17(水) 22:18:54 ID:Uqr0tATE0
アジナータッチの源流も、もしかしてキリスト教の洗礼を真似たのか?
洗礼の最後に神父は洗礼者の眉間に指先を押しあて十字を切り込むが。

880ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/17(水) 23:32:59 ID:SmEF4Oe2O
>>870
私らが準シュダオン=如来の子孫と指摘しているのは憶測なんかではありません。
文体とか内容とか昔から少しも変わっておらず、十人が読んで十人があなたと
指摘できます。根拠のある話なのです。そう簡単にあなたの真似などできません。
あなたが相手が勝手に事実無根なことをこちらが述べていることをスレで晒して
やろうと思ったらその第一歩はまずあなたが如来の子孫ではないとはっきりと
否定することです。
再度質問する。あなた準シュダオンさんはかつての如来の子孫さんか?
これに回答しなければ意味がない。
逆にやっぱりあなたが如来の子孫さんだった場合、これまでのこちらの憶測ならぬ
根拠を踏まえた推測は正当なことになります。
だからそれを覆してこちらを非難したかったら自分は如来の子孫ではないと表面
することが最低条件であり、黙秘権を行使する人に、他人を非難する資格すらない。
さあ、あなたは如来の子孫さんですか?

881ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/17(水) 23:45:24 ID:SmEF4Oe2O
>>871
いや、違うのです。
妻も入行していれば7年で切れたものを20年かかって切れたのではなく
未だに切れてないはずなのです。
妻の夫婦縁障害の因縁です。
なぜなら未だに妻はアゴン宗に入行していない。
入行しないで因縁解脱の行をしないでどうして因縁が切れるのか?
妻の夫婦縁障害の因縁が切れてないのにどうして夫婦の夫婦縁障害の因縁が
解消するのか?
逆に夫だけが夫婦縁障害の因縁を切ったとする。
するとこの夫婦はバランスが悪い。
片方は夫婦縁障害の運命がなくなり、片方はまだ持っている。
お互いの運命がよい方も悪い方も遂行されなくなる。
因が縁を選ばなくなる。
するとこの夫婦は釣り合いがとれなくなって離縁します。
妻は再度夫婦縁障害の因縁を持った別の男と再婚する。

882ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/17(水) 23:48:52 ID:SmEF4Oe2O
>>873
思い出せないなら書くなっつーの。この阿呆。
俺はシュダオンでも準シュダオンでもないから普通に口は悪いからな。

883名無しさん:2009/06/18(木) 00:11:23 ID:HeXCfjkY0
準シュダオンさん、みっともないよ。
言い訳をするほど貴方への評価が下がるだけ。

884ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/18(木) 00:11:41 ID:SmEF4Oe2O
>>874
思念は伝わらずバイブレーションだけ伝わったのか?
それでそれがどうして花山から来た思念のバイブレーションと判断できた?
いよいよくだらない体験になってきた。
それから報恩感謝(お!やっと報恩の字を使ったか)ではなく、あなたの場合
恩を仇で返しています。
あなたが教団や信者の為と思って書けば書くほど逆効果で教団に泥を塗り
信者を馬鹿にすることになる。
それだけ自分が見えてないのです。
私はそれでもまだあなたの一番の理解者のつもりです。
あなたが準シュダオンと名乗るのは、自慢したいからではなく、自分のような
怠け者でも準シュダオンまで行っていると感じるから、さしずめ他の真面目な
信者さんはシュダオンやシダゴンになっているのでしょうから自信を持ってください
と言いたいのでしょう。
しかしそれにしても準シュダオンはまずい。もっと謙虚さを示してはどうか?
それが人に好かれる道です。支持を得る道です。
謙虚であることと卑下してへりくだることとは違う。
一修行者というハンドルの人がいた。書き込みの内容はさておいてハンドルだけは
なかなか謙虚で宜しいと思う。尚且つ向上心を感じる。
しかもあなたの準シュダオンの根拠は他の真面目な信者が感じもしない
花山からのバイブレーションだの出している。これが謙虚さのない自分だけ差別化です。
あなたが熱心な活動家ならよい。お金はそんなに払えなくても。
これだけサボリを披露して底辺から見て頂点に近い準優勝者だと言っていることが
少しも謙遜になっていない。逆に他の真面目な信者を舐めている。
人間は努力した人が報われることを望んでおり、それはアゴン宗世界においても
例外ではない。
天は自ら助くる者を助く。
この真理を体得したいのです。
しかしあなたのように天は怠けている人を先に助くということを示す阿呆が
出てくると腹が立つのです。

885ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/18(木) 00:22:55 ID:SmEF4Oe2O
>>875
つまりあなたは「不退転」を感じたから預流に向かっていると感じたのですね。
準優勝するくらいにも。
しかし仏教の不退転とは、挫折、堕落することなく修行に精進し続けることなんですよ。
あなたが退会しなくてよい保証は簡単です。
最低限の会費だけ払い続けておれば会員資格を失うことはない。
ただそれだけです。
うるさく言われる道場にはなるべく行かない。
面倒な梵行なんかしない。何もしないのが長続きの秘訣。
普通こういう人を堕落者といい挫折者という。
精進することを放棄している。
つまりあなたは不退転など得ておらず、その実もう退転している。

886樹意:2009/06/18(木) 11:59:50 ID:yvKQFbBM0
>>836 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/15(月) 21:49:30 ID:SmEF4Oe2O
>深山さんから八正道よりも詳しい七覚支の解説文を経典から引用してみよと
>言われたら、出したのが四念処の身念処ですか?

>>844 :準シュダオン:2009/06/16(火) 14:45:31 ID:XESnzsYQ0
>上記のように説いた経ならいくつか読みましたけど、辞典に書いてあるよう
>な経は読んだことがありません。樹意さんなど、詳しそうですが、教えて

私がよく引用する増谷博士が阿含経を文献批判し、仏陀の第一結集に迫ったという
阿含経典には 覚支相応としてニ経取り上げているようです。
相応部経典 46、5、比丘 雑阿含経 27、22、七道品
「比丘よ、覚(智慧)に資するがゆえに、覚支とはいうのである。
 −略ー 
 比丘よ、この七つの覚支を修め習えば、心は愛欲の煩悩より解脱しーー」

※ 注解
 −略ー すなわち智慧の構成要素というほどの意であって、次の七覚支が
 あげられる。 
 念(sati-mindfulness)記憶して亡失せざること。
 −略ー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それは修習するものであり智慧の構成要素であるということ。
次に、いつもの大念処経、念処経を引用しますが、
お釈迦さまが 総説として初めに四念処一乗道ですよと語られ、次に本説を
説示されるわけですが七覚支というのはこの四念処一乗道の中に含まれていると
いうこと。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何処にあるかというと具体的には、
片山一良氏訳大念処経 梗概 16p
第四は、「法の随観」であり、五の業処(五蓋の部・五蘊の部・十二処の部・
七覚支の部・四諦の部)の実践である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(道諦の解説)
大念処経 31、 
つぎに、比丘たちよ、「苦の滅尽にいたる行道という聖なる真理」とは何か。
これは聖なる八支の道です。すなわち、−−−略ーー」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
四念処といえば中には七覚支が含まれるのです。

887樹意:2009/06/18(木) 12:03:12 ID:yvKQFbBM0
大念処経 補注 372p〜
しかし、なぜ釈尊は、念処を四のみの、過不足のないものとして説かれたのか。
教導されるべき者の利益の為である。すなわち、教導されるべきものたちは、
愛行者(tanha-carita 渇愛行者)、見行者(ditthi-carita)、止行者(samatha-carita)
観行者(vipassana-carita)として、遅鈍(manda)、鋭敏(tikkha)によりそれぞれ
二種になるが、そのうち、「遅鈍な愛行者」には粗大な「身随観の念処」 ー略ー
が清浄の道である。

要するに比丘の境涯素養によって主に修行する業処を分けて説いたわけです。
四念処には完全に七覚支も出入息も身随観も入っているし、四諦の部では
キチンと道諦は八正道ですよと説いている。
四念処と七覚支が全く別の修行法ではないということ。

簡単な話をするなら トイレ といえば男子トイレも女子トイレも含まれる。
男子トイレ 大と小 女子トイレ ただ単にトイレという場合もある。
七科三十七道品もこれと同様で滅道としては 八正道 なのです。
お釈迦さまは相手に応じた業処を説いたのだから清浄の道としては
その方にとっては 正しいわけです。女子の方は女子トイレに誘導する
わけですからね。 

ゲイカはこれだけ釈尊が明確に説いている滅道を八正道ではないなんて
云っているのですから、深山さんがいつも言うように 居間でオシッコを
推奨しているのと同じなのです。
トイレをトイレというのはそうじゃない 修習だとか云って誤魔化して
戒律で禁止されたことを前面でやらかしている。とりもなおさずそれは
女子トイレに行きたがっている方を居間に案内しているようなものなのです。

888大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/19(金) 06:58:27 ID:kzDn3Zjw0
ユビさんの解説に一票。
なぜなら、代行でも因縁は切れない、と聞いてますしね。
準シュダオンさんの意見もみれば「そうか」と思いますが、A宗ではそうはいってない。
あくまで、準シュダオンさんの意見であり考えです。
ユビさんの解説のほうがA宗の教義に沿っていますよ。

なので、因縁が切れたなどというのはおかしな話。
それをゲイカが推奨したなら、もうマスマス話になりません。
逆に信者はユビさんのように”突っ込み”を入れるべきです。
まあ、飼いならされた人たちばかりだから、それさえも出来ないか(苦笑)

本当に突っ込みを入れたら「キサマ!」part2が出るかもしれないので、
穏やかに過ごしたいならやるべきではないでしょうね。

889ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/19(金) 12:23:49 ID:SmEF4Oe2O
>>888
そうです。この話が20年経ってようやく妻も因縁切りの行にに入行して、
因縁切りに励み、ついに長年にわたる夫婦縁障害の因縁を切ったというのならば
初めてハッピーエンドなのですが、現実には妻の因縁解脱行入行という最低ライン
さえクリアできていないのです。

890ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/19(金) 13:47:13 ID:SmEF4Oe2O
現実には、実在するこの夫婦は一時は離婚騒動まであったものの、双方の努力に
よって乗りきったものだと思います。
夫婦間の不仲なんてどこの家庭でもありますから。
そもそもが夫婦縁障害の因縁なんてのが決して桐山さんによって霊視されて示された
わけでもないと思う。
離婚寸前まで行ったのだから、これは夫婦縁障害の因縁に違いないと自分で判断
できるわけです。
今はやらなくなった因縁診断だって結局こういう本人からの自己申告による履歴聴取
によって「それではお望み通り夫婦縁障害の因縁をつけてあげよう」と下付されるわけ。
準シュダオンさんは昔は辛かったから悪い因縁があり、今楽になったから切れたか
薄らいだに違いないと判断している通りです。
まさにありもしない、ってかあるかどうかもわからない運命の星に勝手に束縛されて
窮屈な人生を送っているのです。

891ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/19(金) 13:53:21 ID:SmEF4Oe2O
ああ、そうそう。
ひょっとすると、夫婦仲が悪くなった原因の一つに旦那さんのアゴン宗の信仰を
めぐる不理解があるのかもしれませんよ。

892準シュダオン:2009/06/19(金) 14:46:24 ID:XESnzsYQ0
準優勝と優勝は大違いです。
まして準シュダオンとは、地区大会の予選の準優勝です。
四向四果の一番位の低いところの準ですからね。
まだ甲子園へ出場も決めていない段階です。準シダゴンや準アナゴン
でもない。謙虚なものです。準大日如来?とでもしますか?

どこかで「釈迦仏教に祈願はない」とかのレスを見かけた気がするね。
そんなことはないよ。祈願はある、よ。
長阿含・究羅檀頭経から引用しましょう。
「祭祀においては火がすぐれ
 暗誦するのには詩がすぐれ
   (途中省略)
 大いなる幸福を求めようとするものは
 三宝を供養すべきである」

これは、釈迦に施食供養して、優婆塞となった究羅檀頭という者に説いた
仏の言葉です。
「幸福を求めようとするものは三宝に供養すべき」と、教えています。
幸福を求める=幸福を祈願、でしょう?
だから楽して幸福になりたい人は、修行しないで三宝に供養してても良い
わけです。

893準シュダオン:2009/06/19(金) 15:02:39 ID:XESnzsYQ0
前レスの続きですが、釈迦の言葉に、
「祭祀においては火がすぐれ」と、ありますね。
これでは、護摩をそんなに悪者扱いにしなくていいんでないの?

「幸福を求めるものは三宝に供養すべし」とも、あります。
これは三宝に供養したものは、運命の星が変わる、ということでもあり
ますね。
現代の新皮質脳思考では、理屈に合わないかも知れません。
供養すれば果報がある、なんて、理屈に合いません。
自力本願こそ科学的な感じがしますからね。
しかし、究羅檀頭経には、まぎれもなく、上記のように説かれています。

894準シュダオン:2009/06/19(金) 16:03:20 ID:XESnzsYQ0
樹意さんが七覚支を調べてくれました。なるほど、四念処に含まれますか。
私も調べなかったわけではありません。前回は増一経から引用しましたが、
遊行経には、
「一者修念覚意 閑静無欲 出要無為 二者修法覚意 三者修精進覚意
 四者修喜覚意 五者修猗覚意 六者修定覚意 七者修護覚意 」
と、あります。捨覚意→護覚意になっています。

衆集経には、「念覚意 法覚意 精進覚意 喜覚意 猗覚意 定覚意
       護覚意 」と、あるだけです。やはり捨→護です。

十上経には、「修念覚意 依無欲 依寂滅 依遠離 修法 修精進
       修喜 修猗 修定 修捨 依無欲 依寂滅 依遠離」
      と、あります。やはり辞典のような解釈は無理です。

三聚経には、「念覚意 択法覚意 精進覚意 猗覚意 定覚意 喜覚意 
       捨覚意 」と、あります。辞典と法の順序が違いますね。

自歓喜経には「修念覚意 依欲 依離 依滅盡 依出要 法精進喜猗定
       捨覚意 依欲 依離 依滅尽 依出要 此法最上 」
      と、あります。此法最上と述べています。

と、まぁ、私が調べた範囲ではこのくらいですが、辞典のように説いた経は
眼にしませんでした。辞典によれば、原始経典には、辞典に解説したような
経がしばしば説かれている、とのことです。だとしたら、私もその一つ位は
眼にしてもよさそうなものですが・・・、何か変ですね。

895らるご:2009/06/20(土) 10:55:28 ID:7IlYBzZI0
>>892
だから楽して幸福になりたい人は、修行しないで三宝に供養してても良い
わけです。

↑これって準シュダオンさんの願望でもあるんですよね?如何??

896深山:2009/06/20(土) 21:38:41 ID:Bh4EC.MQ0
>>868 :準シュダオン:2009/06/17(水) 14:00:51 ID:XESnzsYQ0
>やれやれ、と思ったのは、ずいぶん細かいことを問題にするなあ、と思っ
>たからですよ。聖者だろうが、賢者だろうが、私には大した意味はないの。
>私が名乗ってるのは「準」ですからね。

お得意の後出し言い訳ですね。
聖者と賢者という細かいことを指摘したのはあなたですよ。
しかも、細かいことを指摘したあなたが間違っていたのだ。
まるで自分は何もしていないかのようにとぼけてみせる。
聖者と賢者なんて、桐山さんの思いつきで書いた内容を
あなたはさも新しい教義であるかのようにお説教を垂れた。
しかも、最新の機関紙にきちんと書いてあることをあなたは読みもしないで
樹意さんの情報が古いと反論した。
沈黙するか、素直に機関紙のことを知らなかったと認めて、
樹意さんに訂正をするのが筋ではないか。
だが、あなたは負けず嫌いだから、絶対にそれをしない。
男としてきっぱりと自分の非を認めるのではなく、
「準」がどうのこうのと関係のない話で逃げまどう。
自分もいい加減で他人にも寛容ならまだいい。
私があなたのことをシュダオンと名乗ったと誤解して書いたら、
まるで鬼の首でも取ったかのように、吠えまくり、謝罪を要求した。
あなたの親は「自分のことはどんなみっともない言い訳をしてでも言い逃れろ。
相手のことはどんな些細なことでもシッポをつかんで振り回せ」と教えたらしい。

897深山:2009/06/20(土) 21:40:41 ID:Bh4EC.MQ0
>>869 :準シュダオン:2009/06/17(水) 14:13:31 ID:XESnzsYQ0
>でした。それでね、辞典の解説にあるような経を、どなたかご存知でしたら
>教えてくれませんか?と、呼びかけてみたのですよ。

あなたは辞書に書いてある学者の七覚支の説明がおかしく、
桐山さんの説明のほうが正しいと言ったのです。

>私は、どうも辞典の解説には疑問です。私が読んだ阿含経の範囲では、管長
>の解釈が妥当に思えます(>>800)

だから、そんなことを主張する根拠としての阿含経を出してくださいと書いた。

>「謂七覚意 於是比丘修念覚意 依無欲 依寂滅 依遠離 修法 修精進
> 修喜 修猗 修定 修捨 依無欲 依寂滅 依遠離」ですよ。(>>844)

だが、あなたの出したこの経典や>>894に引用した経典は
は普通の七覚支の項目を並べただけです。
あなたはただ違うとか、無理だとか書いているが(>>894)、
この経典のどこが桐山説と一致しており、辞典と違うのか、
それを言い出したあなたがまず説明するべきです。

898深山:2009/06/20(土) 21:42:25 ID:Bh4EC.MQ0
>>869 :準シュダオン:2009/06/17(水) 14:13:31 ID:XESnzsYQ0
>私もね、不十分ながら、出来る範囲で、七覚支法を記してる経を探して
>きたのよ。それでも、辞典にあるような経を見つけられなかったのです。
>>894 :準シュダオン:2009/06/19(金) 16:03:20 ID:XESnzsYQ0
>と、まぁ、私が調べた範囲ではこのくらいですが、辞典のように説いた経は
>眼にしませんでした。

苦労して経典なんて探す必要はありません。
桐山さんが七覚支の経典を引用して解説しているから、
それを出せばいいではないか。
ユビキタスさんに桐山七覚支を批判されたから、あなたの癖でムキになって反論した。
さあ、どうぞ、これらの経典の解釈が
1.どう辞書では間違っているのか
2.桐山さんの解釈を使うとどう正しく解釈できるのか
この二点から説明してください。
先に断っておくが、「七覚支そのものの議論をするのではありません」よ。
断っておかないと、今でさえ、あなたの頭は自分の興味のままに
すでにそっちに向いている。
他人に解説を求める前に、辞書の説明よりも、桐山さんの説明のほうが
阿含経の七覚支を正しく説明しているというあなたの主張をまず解説してください。

899深山:2009/06/20(土) 21:45:19 ID:Bh4EC.MQ0
>>870 :準シュダオン:2009/06/17(水) 14:22:12 ID:XESnzsYQ0
>深山さんはまた勝手に、私と過去レスの誰かさんを同一人物と決めつけて
>レスしてます。それはあんたの推測です。それを我見というのです。

自分の姑息さを指摘されて、我見などと仏教用語を持ち出すのは、
いかにも桐山さんの信者らしい。
我見に推測の意味などありません。
決めつけもなにも、違うなら、はっきりと違うと宣言したらどうか。
「如来の子孫は準シュダオンではない」
とはっきり書きなさい。
複数の人物が書いているというなら、
「○番の書き込みは私の法友が書いたものだ」と宣言すればいい。
だが、あなたは、大王の使者や如来の子孫は自分ではない、とはただの一度も書いていない。
同一と決めつけている、という表現で逃げまどっている。
後で追求されたら「私は同一だとも、同一でないとも書いていない」と
逃げ道を準備しているのでしょう?
そこがあなたの猛烈に姑息で小狡く、セコク、男らしくないところです。
あなたが仏教用語を用いたから私も同じ事をしましょう。
あなたみたいなのをウナギのような屁理屈というのです。
ぬらりぬらりと言葉を濁して逃げまどう。
もう一つ仏教用語をつかいましょう。
あなたは本当に往生際が悪い。

900深山:2009/06/20(土) 21:48:56 ID:Bh4EC.MQ0
>>870 :準シュダオン:2009/06/17(水) 14:22:12 ID:XESnzsYQ0
>私が過去の某レスと、同一人物か別人かを表明せずにいたのは正解でした。
>深山さんの性格・人格が見えるもんねW。

はい、正解です。
こんなわかりきったことすら認めないあなたが
いかに卑怯で、自分の言葉に何の責任も持たない人物であるか、
読んでいる信者さんたちにもよおくわかったからです。
私の性格がわかったのではなく、こういう見え透いたことすらも
言い逃れるようなあなたの卑怯な性格がわかったのです。
あなたは認めさえしなければ誰もわからないと開き直っている。
読者をまるっきり小馬鹿にしている。
こんなつまらないことですら言い逃れをする人の話を誰が信用するのだ?
あなたや私のように、何年にも渡って書き続ける人の書き込みからは
自ずと人格が見えてくる。
事実や根拠のあることを書いているのか、それとも
自分に都合の良いような妄想を書く嘘つきなのか、自ずとわかってしまう。
だから、あなたが預流向だなんて宣言しても、みんな鼻先でせせら笑う。

901深山:2009/06/20(土) 21:52:22 ID:Bh4EC.MQ0
>>871 :準シュダオン:2009/06/17(水) 14:54:51 ID:XESnzsYQ0
>まぁ、管長の法話を通訳すると以上のようになりますね。

話をごまかしなさんな。
あなたは桐山さんが導きを勧めた先達を否定したかのように書いたのです。
だが、そんな文言はどこにもない。
むしろ、夫は妻を導くことが大事だと、導きをしていないことを指摘したのです。
桐山さんは、導きをしなくてもいい、なんて言うはずがない。
それを強調したかったのは、あなたが家族を導いていないことの
言い訳に使いたいからだろうと指摘したのだ。
この指摘が間違いなら、家族を導いたことを書けばいいだけです。
やはり書けないのでしょう。
家族はだれもあなたのご趣味を理解していない。
家族も、職場の人も、だれもあなたをシュダオンという聖者に
限りなく近い人だなんて金輪際思っていないからです。
思い込みが激しく、自己顕示欲が強烈で、ちょっとした間違いでも
絶対に認めず言い訳を言い通すような、頑迷不屈なジイサンだから、
誰もあなたの言葉など耳を傾けない。
当たり前です。

902深山:2009/06/20(土) 22:02:43 ID:Bh4EC.MQ0
>>873 :準シュダオン:2009/06/17(水) 15:09:16 ID:XESnzsYQ0
>だが、こういう違いは微々たる違いです。お釈迦さまの煩悩解脱の中には、
>カルマ解脱が含まれているのかも知れません。思い出せないけど、そういう
>経をどこかで目にした気もするね。

また、あなたの個人的な宗教観を出す。
桐山さんがいつ煩悩解脱と因縁解脱が微々たる違いだと言いましたか。
いったいあなたは桐山本の何をどう読んでいるのだ。
準シュダオンさんが微々たるものだと思うのは自由だが、
アゴン宗の教義では微々たるものではありません。
たいへんな違いです。
なぜなら、漏尽解脱では本当の解脱ではないからです。
そんな程度なら悟りを開いたという坊さんでもできるかもしれないが、
因縁解脱した者は一人もいないと桐山さんは看破している。
だから、欲念をなくし悪業を慎んだ坊さんが三途の川を渡ろうと
身を躍らせると、宙には浮くが、前に進まないと書いている。
小解脱ではカルマが切れていないから、輪廻からは脱出できないのです。
輪廻から脱出するのとしないのでは、たいへんな違いで、
微々たるものではありません。
その思い出せないという阿含経など、あなたの脳味噌の中にあるだけです。
なにせ、仏教には因縁解脱なんて存在しない。

903深山:2009/06/20(土) 22:05:18 ID:Bh4EC.MQ0
>>873 :準シュダオン:2009/06/17(水) 15:09:16 ID:XESnzsYQ0
>三結煩悩を断ち、五下分結煩悩を断ち、というように、小解脱を積み重ねて
>行って、最後に大解脱するわけでしょう

いいえ、違います。
煩悩をいくら切っても、因縁は切れません。
こういうアゴン宗の基本的な教義くらい自分で勉強してください。
何度も書くが、ここはあなたの空想宗教を論ずる場ではない。
煩悩と悪因縁は別物です。
前に座右宝鑑からも引用して何度も説明してあげた。
だが、あなたは聞く耳を持たない。
私の説明が聞きたくないなら、修行者座右宝鑑を読んで、
桐山ゲイカから学んでください。
あなたはアゴン宗の基本的な教義を知らない。

904深山:2009/06/20(土) 22:10:04 ID:Bh4EC.MQ0
>>874 :準シュダオン:2009/06/17(水) 15:38:10 ID:XESnzsYQ0
>花山が放送局になって、仏界の霊波を、各御宝塔へ放送してるのかも知れ
>ません

していません。
桐山さんはそんことはいっさい言っていない。
王者の相承は桐山さんがデンパを発信したときに出るものであって、
しかも、受信できるのは徳を積んで器のできた人のみです。
だから、どんなに桐山さんがデンパを出しても、
徳を積んでいない人は駄目です。
徳を積むとは、解脱供養や冥徳解脱で霊的不浄をなくし、
言われたとおりに人と金を教団に貢ぐことです。
これは前にユビキタスさんが示したように、シュダオンになるための最低条件です。
あなたはこの条件をまったく満たしていない。
受信できる器はできていないのだから、受信できたはずがない。
なによりも、受信できたら預流向だなんて桐山さんは言っていません。
アゴン宗の教義と違う事を書くのをやめてもらえませんか。

905深山:2009/06/20(土) 22:14:31 ID:Bh4EC.MQ0
>>875 :準シュダオン:2009/06/17(水) 16:34:39 ID:XESnzsYQ0
>私が霊的バイブレーション以後は退会など考えられなくなった、とレスした
>のは、それ以前の私には時々迷いもあった、ということです。

アゴン宗でも仏教でも、上記のようなことをもって
預流向とするという考えはありません。
オウムの残党どもは世間から激しく非難されても、
今でも頑固に麻原彰晃を信仰している。
退会など考えられない彼らは預流向か?
あなたの説が正しいなら、狂信者たちはみんな預流向です。
こういうおかしい連中は新興宗教には珍しくもない。
狂信者を預流向とは仏教でもアゴン宗でも言いません。

906深山:2009/06/20(土) 22:18:10 ID:Bh4EC.MQ0
>>874 :準シュダオン:2009/06/17(水) 15:38:10 ID:XESnzsYQ0
>何年も言わずにいたのですが、報恩謝徳、のこともありますしね。

>[816]大王の使者 05/05/07 14:47 d61kACBckO
>私は、初めて桐山管長の法話を聞いたとき、因縁解脱という用語を聞き、
>たちまちその意味内容を理解し、その場で預流向(四向四果の一つ)を得たのであった。

何年も言わずにいたというのは、預流向を何年も宣言しなかったという意味ですよね?
だが、あなたが最初に預流向を宣言したのは、上記のように、2005年です。
しかも、「大王の使者」というハンドルを使ったのはその三日ほど前です。
>[636]大王の使者 05/05/04 11:04 dmuCI9Ig3L
つまり、大王の使者として登場してわずか三日目には預流向を宣言した。
そのあなたが「何年も言わずにいた」??
知っていると思うが、三日は三年ではありませんよ。
しかも、私は先月末>>439でこの文章を引用したばかりです。
だが、きれいに忘れて、あなたの頭の中では
控えめな賢者である自分が肥大化していたようですね。

907深山:2009/06/20(土) 22:20:21 ID:Bh4EC.MQ0
>>874 :準シュダオン:2009/06/17(水) 15:38:10 ID:XESnzsYQ0
>何年も言わずにいたのですが、報恩謝徳、のこともありますしね。

あなたの言い訳は聞かなくてもわかる。
「大王の使者と同一人物だと決めつけているのは我見だ」というのでしょう?
頭を隠して尻隠さずで、「僕はどこにもいないぞ」と言っているようなもので、
読者にはけっこうウケテいて、みんな笑っています。
準シュダオンさんのこういう妄想癖は見ていて興味深い。
桐山さんもそうだが、自己評価が異常に高く、自惚ればかり強い人が
どんなふうに妄想を広げていくのかをよく示している。
現実のあなたはザに出てきた最初から預流向だと威張り散らしていた。
誰も聞いていないのに、あなたから名乗ったのです。
だが、あなたの記憶の中では、それらは消えてしまい、
控えめで、謙虚な自分が、限りなく聖者であることを何年も隠していたが、
ついに隠しとおせず、しかたなしに、やむを得ず、これも報恩謝徳で
あろうと、出したくないが自己犠牲の精神でついに告白したことになっているらしい。
あなたのためにもまた下品なたとえをしましょう。
アバズレ女が「あたし、処女よ」と、はにかんでみせたみたいで、
あなたの上記の文章も、吐き気をこらえれば、結構笑える。

908深山:2009/06/20(土) 22:23:12 ID:Bh4EC.MQ0
>>875 :準シュダオン:2009/06/17(水) 16:34:39 ID:XESnzsYQ0
>私の変化を述べたのであって、霊的バイブレーションを受けずとも退会な
>ど考えない信者さんが受けた場合は、その人なりの、私とは違った変化が
>あるでしょう、ということなのです。深山さんは考え方が硬直みたいね。

退会を考えていた人がバイブを受けたのと、
退会を考えない人がバイブを受けたのでは違う???
まるで、火星人の足が8本あるのと10本あるので
歩く速さがどう違うか、みたいな話ですね。
あなたの話は前提も中身も何の意味のないただの空想です。
なぜなら、退会を考えなくなったことと預流向になったことを
結びつけているのはあなただけであって、
アゴン宗の教義にも仏教の教義もそんなものありません。
私が批判したのは、あなたは預流向になった根拠として、
最初は桐山さんの法話を聞いたからだといい、
次は聖なるバイブを受信したからだといい、
次は退会を考えなくなったからだという。
話が二転三転してとりとめがないのは、事実や現実ではなく、
あなたの慢心から来る妄想にすぎないからです。
桐山さんはあなたを預流向だと認めていないし、
あなたは桐山さんが示した預流の条件をまったく満たしていないから、
預流に近い預流向などであるはずがない。
私の頭が硬直しているのなら、あなたの脳は軟化して溶け出しているのでしょう。

909深山:2009/06/20(土) 22:27:32 ID:Bh4EC.MQ0
>>892 :準シュダオン:2009/06/19(金) 14:46:24 ID:XESnzsYQ0
>幸福を求める=幸福を祈願、でしょう?

はあ??「求める=祈願」???
求めることが祈願であるなんて、いったいあなたはどこの小学校の
どういう先生に国語を習ったのだろう。

客「ラーメン、お願いね」
店員「ラーメンを祈願されているのですね?」
客「・・そのう、ラーメン一つ頼んだんですが・・・」
店員「あなたはラーメンを求め、ラーメンをお願いした。
すなわちラーメン祈願なのです」

社員「社長!賃上げを求めます!」
社長「賃上げ祈願のことね」
社員「あのう、祈願じゃなく、給料あげてくれって要求なんですけど・・」
社長「賃上げを求めるってことは祈願なのよ。
そこに護摩木あるから、百円出して祈願していきなさい」

普通の国語で考えても、求めることが祈願や祈ることであるなんて、
ありえません。
相変わらず、あなたは木に竹を接ぐのが大好きだ。
私はあなたの低迷している国語力に付き合うつもりはない。

910深山:2009/06/20(土) 22:32:22 ID:Bh4EC.MQ0
>>717 :準シュダオン:2009/06/11(木) 13:27:59 ID:XESnzsYQ0
>だから、衆生が貧困や病気や災いから逃れようと、祈願するのは当然の
>ことなのです。これを卑しい欲望などと見る見方こそ、邪見なのです。

このように、あなたは釈迦仏教では祈るのが当然だと書いた。
あなたの国語力ゼロの解釈などいらないから、釈尊がずばり
「祈りによってホトケを動かし、祈りによって天地を動かす」と
言っているのを引用すればいい。
祈り、祈願、何でもいいから、釈尊がそのように説いている経典を示してください。
できないなら、くどくど屁理屈を並べていないで、撤回するか、沈黙を選ぶべきです。

911深山:2009/06/20(土) 22:37:32 ID:Bh4EC.MQ0
>>893 :準シュダオン:2009/06/19(金) 15:02:39 ID:XESnzsYQ0
>「祭祀においては火がすぐれ」と、ありますね。

この件は2ちゃんねるでは古くから何度も議論され、否定された内容です。
あなたは「途中略」としているが、この偈では「人の中で王が優れている」とある。
では、釈尊は王こそが人間の中でもっとも優れていると主張したのですか。
ここに並べたのは世俗の一般の人々が認める優れたものです。
釈尊が認めたのでも、絶対にこれらが優れていると言っているのではない。
釈尊が言いたいのは、こういう世間の人たちが認めているような
優れたものを引き合いにした後で出した次の一文です。
「仏こそが最もすぐれたものである」
(『現代語訳阿含経典5』平河出版社、121頁)
この偈の中で一文だけ出せと言われたら、これです。
あなたは一番肝心な文章をカットしている。
それはズルサからわざとやっているのか、それとも国語の読解力がないのか。
両方ではないかと思わせるのが、あなたの次の一文です。

912深山:2009/06/20(土) 22:42:34 ID:Bh4EC.MQ0
>>893 :準シュダオン:2009/06/19(金) 15:02:39 ID:XESnzsYQ0
>「幸福を求めるものは三宝に供養すべし」とも、あります。
>これは三宝に供養したものは、運命の星が変わる、ということでもあり
>ますね。

あなたの解釈を読んでいると頭が頭痛して痛くなる。
いったい、この経典のどこから運命の星が出てくるのだ??
あなたが引用した文章に限らず、この経典の
どこに、「供養すれば運命の星が変わる」とあるのだ?
いつあなたの文章を読んでも絶句するのが、
あなたは書いていない内容を読んでみせる。
文字や文章や意味として存在しないのに、それがあると主張する。
三供養品の中には供養なんて言葉はないと
いくら指摘されても、あなたの目には見えるらしい。
結局、あなたも桐山さんも、阿含経の文言をそのまま読むのではなく、
自分の解釈したいようにねじ曲げて読んでいるだけです。
だから、阿含経に白だと書いてあっても、あなたは黒だと主張できる。
この経典の前後と、釈尊が何を説いたかを読めば、
運命が変わるなんて説いたはずはあるまい。
あなたの主張では、この経典は、運命を変えるために供養しろ、と説いたそうだ。
だが、運命が良くなったはずのバラモンは病気で間もなく死んだとある。
仏に供養して運命が変わったはずなのに、病気で死んだ。
これのどこが運命が変わったのだ?
運命が変わって早死にしたとでも言うのか。
あなたの解釈はこの経典においてすら成り立たない。
供養したバラモンが間もなく病気で死んだとはっきり書いてあるのに、
あなたは経典のどこを読んで、運命が変わると解釈できるのだ?
あなたの主張を否定する内容が経典に書いてあるのに、
わざわざそれを引用してくるあなたのそのオツムが理解できない。

913深山:2009/06/20(土) 22:54:34 ID:Bh4EC.MQ0
>>893 :準シュダオン:2009/06/19(金) 15:02:39 ID:XESnzsYQ0
>「幸福を求めるものは三宝に供養すべし」とも、あります。
>これは三宝に供養したものは、運命の星が変わる、ということでもあり
>ますね。

釈尊がここで供養を説いたなんて当たり前ではないか。
バラモンが釈尊に供養した後だからですよね?
文脈をまったく無視して、釈尊の言葉尻をとらえている。
釈尊は、祭祀こそが重要だと信じて実行していたバラモンに、
もっと優れたものがあるとして順次説法した。
まず、清浄の比丘たちに供養することだが、
在家が三宝に帰依して戒律を守り修行することはさらに優れ、
もっとも優れた者こそが如来であると説いた。
優れたものの順序として、供養、在家信者、如来の順序で説いたのです。
釈尊が説いた仏教における優れたものの中で、供養は一番下なのです。
この事実をあなたはどう見ているのだ?
偈はこれらの内容をまとめたものです。
世俗の様々なすぐれたものを出して、
「仏こそが最もすぐれたものである」と強調したのです。
釈尊の説法の流れをみればわかるように、
在家として供養することは一番下であり、
帰依して自分で修行することが次に優れており、
出家して解脱することが最高に優れていると説いた。
だから、偈では、前の説明のように比丘に供養するではなく、
三宝に供養するという別な表現をとっている。
三宝に供養するとは、在家として出家を供養することだけではなく、
帰依して自分が修行するという意味です。
つまり、釈尊の説いた幸福とは解脱することです。
事実、このバラモンは間もなく病気で亡くなったがアナゴンになったとある。
釈尊はバラモンが「・・五下分結を断ち切った」(123頁)から、
アナゴンになったと宣言している。
在家として修行して煩悩を断ちきりアナゴンになった。
どこにも供養の功徳でアナゴンになったなんて書いてありません。
あなたは本当におもしろい人だ。
目の前に自分の主張を否定する経典があるのに、
それをいつも正反対の意味に読むことができる。

914ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/21(日) 09:47:19 ID:SmEF4Oe2O
>>892
またまた優勝と準優勝しか比較せず、早々と敗退していった底辺との比較を考えない。
地区予選の準優勝で結構だと私も書いている。
そりゃ球児にとって甲子園に出られるのと出られないのとでは天地の差がある。
しかし実力を比較すると決して大差などなく、まさに時の運です。
予選で敗退していったチームにも名門校、強豪校はいくらでもいる。
みなリトルやシニアを経てきた野球エリートです。
だから地区予選の決勝まで勝ち上がれるなんて並みのことではない。
東海大相模なんて夏の甲子園にもう30年もご無沙汰しているのだぞ。
昨年も一昨年も予選の決勝で敗れた。巨人のドラフト1位大田泰司もおった。
しかしやはり全国4千の高校が皆こんなにすごいところではない。
地区予選の決勝まで行くにはやはり限られている。
あなたなどどう見ても浦安南の佐久間くんだ。
二塁ベースをオーバーランしてゆっくり戻るところをアウトにとられるほど
野球のルールを知らない。アゴン宗の教義も実践も知らない。
予選1回戦でコールド負けです。
浦安南なんて極端な伝説を出さなくても予選で敗退していくチームは皆それなりに
努力をして練習を積み重ねてきた。
その中で地区予選を勝ち抜いて決勝まで行った事実が立派なんです。
半端者のあなたにそこまで行けるわけがない。
行ったなんて書くのが真面目に練習に励む球児を馬鹿にしている。
浦安南の佐久間くんはまだバスケ部から臨時に借りてきた寄せ集めだからそれなりの
運動神経センスがあるからヒットで出塁もできる。
あなたの場合、守備について打球が飛んできたら逃げるだろう。
そんな高校がどうして地区予選で準優勝するのだ?
尚、ようつべで浦安南と検索ワードを入れると関連動画が見れます。

915ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/21(日) 10:21:59 ID:SmEF4Oe2O
>>892
幸福を求めると幸福を祈願するとは全然異なります。
そりゃ求める基盤に幸福を「願い」ます。
しかし「祈り」はしない。
求める人は願って現実努力をする。
祈るという非現実なことは一部の人しかいない。
それから楽して幸福になる、修行しないで幸福になるなんて言うけど、それって
桐山さんが一番軽蔑したことです。
桐山さんが説く仏教の基本は人が特別な修行をして悪い因縁を切り不幸な運命を
変えて、幸福な人生にするのです。
その特別な修行法が記されているのが阿含経というわけです。
ところが大乗仏教はこの阿含経の成仏法を捨てた、修行法を捨てた、よって
成仏できない仏教に成り下がったと痛烈に批判している。
修行しなくてよいなんて言うことは、この桐山さんに対する反逆です。
だからあなたはアゴン宗なんて合わないことはやめて南無阿弥陀仏の信仰でも
していればよいのではありませんか?

916ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/21(日) 10:59:51 ID:SmEF4Oe2O
>>893
祭祀の中で最上のものは火を使ったものであるという表現はスッタニパータにも
出てきて、そちらの方が有名だが、やはりそこでも人間で最上のものは王である
と書いてあり、まともに考えて四姓平等を説いてカーストを否定した釈尊が
こんなことを説くのはおかしい。
つまり世に最上と当時の社会通念で認識されていたものを題材例として出して
その後本当に最上の価値あるものを示して価値観転換を果たしたのです。
そもそも釈尊は祭祀など行わない。
弟子にも祭祀に参加させない。

それから幸福と運命の転換は異なります。
アゴン宗の因縁解脱とは異なる。
仮にその経典の記述が三宝に供養する(=仏教の教えを理解して尊び実践する)
というものではなく、比丘に供養したら果報が得られるという話だけに限定しても
これは善いことをすると善い果報が得られるという善因善果を説いただけに過ぎない。
その果報の幸福がどうしてあらゆる不幸な運命を転換解消した完全無欠な幸福に
しなければならないのだ?
例えば善いことをしたから表彰されたという果報です。
それがどうして万引きをしたことまで帳消しにしてやろうという話になるのだ?
ウンメイというものが過去の悪いカルマの報いとして起こるのならば、それと
今回為した善事の果報とはそれぞれ別です。
だいたい供養だけで因縁が切れると言うのか?
三福道?ふっふっふっ。
で、あなたは何を供養したのか?
あなたの理屈によると、やり過ぎはよくないのだそうだ。
無理のないほどほどの供養をしていれば因縁は切れて運命は変わり幸福になります。
修行なんて必要ありません。

917ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/21(日) 11:20:15 ID:SmEF4Oe2O
>>894
いろいろと七覚支の経典を漢文で示してくれたはよいが、ならばそれを現代語訳して
仕上げてみなさいよ。
それが桐山さんの示した解釈になるのか?
念力を強くしてバランスを保つと読めるのか?
そんなことはない。
桐山さんが念の字を目にして字面だけでいかようにも解釈できるものを独創的な
解釈を空想してみただけに過ぎないとわかる。
あなたは八正道の正見とか正念なんて漠然としていてわからないとした。
ならば七覚支のあなたの並べた漢字だって桐山さんが勝手に想像で意味を付加
しなければならないほど漠然としていることになる。
この事実を無視してよく八正道だけ批判してますね。
あなたの頭の構造なんて簡単です。
桐山さんが八正道は道諦ではないと発言したから絶対にそうであり、八正道は
いくらでもイチャモンをつけてやる。
桐山さんが示した七覚支の独創的な解釈は経典になくても認めてあげましょう。
しかし八正道だけは許さん!
桐山さんが絶対に正しいという前提だけがあなたの頭の中にある。
つまりあなたの頭なんてどこにもない。

918樹意:2009/06/21(日) 21:16:02 ID:lCd/gnpg0
>894 :準シュダオン:2009/06/19(金) 16:03:20 ID:XESnzsYQ0
>樹意さんが七覚支を調べてくれました。なるほど、四念処に含まれますか。
>私も調べなかったわけではありません。

ちなみに大念処経 梗 概 には以下のようにある。

「法を島(州)とせよ」という「法」は、この「四念処」でもあり、「自己」でもある、
と解される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大念処経で 覚支の部(七覚支)の次(諦の部)「法念四聖諦観」に入ると 
苦諦、集諦、滅諦、道諦
「苦滅道聖諦」が来て「八正道」が中で説示される。
あら不思議、四念処の中に今度は四諦ー八正道まで入っている。。
あら〜 こりゃまどうしましょう。
四念処が七覚支で四諦で八正道 ?  ?   ?

なんも不思議なことはないわけで、四念処の中でもキチンと道諦は八正道ですと説かれている。
先にトイレの喩えを出しましたが、女子トイレに男子トイレを含めたトイレ全体の見取り図が
あったとしてもおかしくは無い、更にはイベント会場全体の見取り図があってその中に
トイレがどう配置
されているかの全体図があったとしてもこれまた自然なことです。
お釈迦さまや長老方は各修行者に合った業処(瞑想対象)をさずけたのですから
トイレの喩えでいくならアナタは女子トイレ アナタは男子トイレ、− さらにこの場所から
ならあのトイレが近いだとかそういう案内をした、ですからどれも話を聞く側から
みるなら正しいのです。

登山の喩えなら あの道 この道を案内するがその準備も含めて言う場合もあれば
スキップして案内する場合もある、 ただ登山全体を表現するならそれは 八正道
ということです。

出家して 戒律を受けた方に業処を説く場合はいちいち戒律の話は当然の前提として
スキップする場合もあるでしょう、その場合は戒律という話は見えなかったりする、ですが
戒定慧の三学、四諦 八正道というのは修行法全体を俯瞰してみているわけですから
正定の段階である法念四聖諦観の段階でもそれを振り返り、確認する場があるのです。

919樹意:2009/06/21(日) 21:32:44 ID:lCd/gnpg0
転法輪において仏陀が覚りを開いて 四諦八正道を中道をお説きになったわけですが
四念処 「法の随観」になるとそれを随観 再確認するわけです。
登山でいうなら登山道から登る道だけでなく、準備も含めたもの(戒律)も
含めて随観する。

正定は登山でいうなら本当の登山道だけの話になる、ですが登山する場合は
諸々準備がいるわけで 私がかつてやったようにサンダル履きで登頂するような愚は
ありえない、(遭難しかかりましたが w w )

四神足は(正定)の別名であるし、登山道の角度を変えて説いたというだけの話。
だから ゲイカが滅道を八正道ではないなんて書いたのは まったく仏教を知らないか
意図的に隠しているかのどちらかなのです。

920ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/22(月) 00:30:34 ID:SmEF4Oe2O
すみません。こちらでトリップの表示テスト。

921準シュダオン:2009/06/22(月) 14:36:29 ID:XESnzsYQ0
深山さんの経文勝手読みは、私より面白いよ。
究羅檀頭はお釈迦さまご一行を、7日間施食供養したわけです。
アナゴンになれたのは、その供要の功徳が大きかった、からですね。
三宝供養をせずに、自力だけで法を修養したとて、たかが知れているのです。

新皮質脳の合理的思考方では、この理屈を超えた力を理解できないのです。
7日間も、お釈迦さま御一行を自宅に滞在させたら、僧衆と多くの交流が
生じます。自分の努力も当然ですが、多くの加持力をも得ることが可能なの
ですね。

922準シュダオン:2009/06/22(月) 14:58:23 ID:XESnzsYQ0
ユビキタスさんが提示した、岩波仏教辞典の七覚支解説には、
「四念処の修行から七覚支の修行に進み、七覚支の修行の完成によって、
 明と解脱を得られるとは原始経典にしばしば説かれる」
と、ありますね。

しかし、この学者先生の解説は、樹意さんの説明と矛盾してますね。
四念処に七覚支が含まれているのなら、なにも辞典にあるような説明は、
必要としませんね。一乗道である四念処を修行してれば良い話です。

道諦=八正道ではない、という管長の問題提起は、これからの学者先生の
研究課題でしょう。八正道の中に、すべての修行法が含まれるのならば、
7科なり、8科の修行法の列記に、八正道を含めているのはおかしいです。
算数の修行法を例にするならば、
加法、減法、乗法、除法、とある中に、算数法というのがあるようなもの
です。意味がわかりますね?

923準シュダオン:2009/06/22(月) 15:28:58 ID:XESnzsYQ0
お釈迦さまに文句言う訳ではありませんが、遊行経では比丘達に、
「我以此法自身作証 成最正覚 謂四念処 四意断 四神足 四禅 五根
 五力 七覚意 賢聖八道」と、説いてお出でです。

自歓喜経に於いても、清浄経に於いても、同じように説いています。
学者先生によっては、釈尊は修行法を分類・体系化してはいなかった、と、
主張する先生もいるようですが、経典を読むと違うようです。

ちゃんと、遊行経にも清浄経でも自歓喜経にも、八科41道品にして、
整理して説いているではないですか。だいたいが、仏陀の智慧を、何十年も
修行法を分類体系化しなかった、だどと推測するのは凡夫の浅知恵でしょう。
推測するならば、釈尊にとって、修行法の分類体系化は朝飯前であった、と、
推測すべきではありませんか?

話題をそらしてしまったが、私が言いたいのは、道諦=八正道ならば、
それを四念処などと同じように並べて説くのは、混乱する元ではあり
ませんか?ということです。
前に挙げた、加法、減法というような中に、算数法というように抽象的な
ものがある感じなのです。

924優婆塞001 ◆GKPST/gGoM:2009/06/22(月) 19:44:55 ID:xmHeK4YA0
>>921 >究羅檀頭はお釈迦さまご一行を、7日間施食供養したわけです

釈尊在世の時は飲食供養も出来たが、滅後の現在はそれもままならない。
供養一辺倒よりも修行法のほうがよろしくないか?
というか、釈尊最後の言葉は「自灯明 法灯明」であろう。
供養という言葉は方便が多すぎる。

925ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/23(火) 08:16:11 ID:SmEF4Oe2O
>>921
ほう?子孫教では7日間の施食供養プラス修行がないとアナゴンは難しいですか?
この7日という数字は多い、足りないのどちらの意味にも使えるな。
多いの意味では、広いインドで土地に縛られ、交通機関の発達していない時代、お釈迦様
御一行なんかに遭遇できるなんて稀であり、あっても一期一会と言えましょう。
ましてや7日間滞在歓待なんて。
1回か3回の人は修行してもアナゴンに行けないのでしょうかねえ。
逆にアゴン宗の会員なんて恵まれ過ぎですよね。
最近さぼってるが桐山如来は長年毎月護摩を焚いて信者のためにお加持をして下さる。
それも遠隔地からの思念でなく、道場内目の前でやってくれるし、護摩にのせて
バイブレーションをちくちく発してくれる。
準シュダオンさんは長年、何十年在籍しているのだから、桐山如来の焚く護摩に
参列する回数たるや2桁どころの話でないはずだ。
こんなに恵まれながらどうして未だに準シュダオンなのだ?
なんか桐山如来の無能を証明してくれているような書き込みだぞ。

926ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/23(火) 13:24:43 ID:SmEF4Oe2O
>>922
樹意さんの出した大念処経と仏教辞典は全く矛盾しませんよ。
四念処一乗の道を修めていると、それはやがて七覚支もやらなくてはならなくなり、
八正道もやらなければならないと書いてあるわけです。
それが四念処から始めて七覚支に進むということそのものです。
もちろんその八正道に四念処も七覚支も含まれているわけでして。
だからその時その時に違う角度で説いていったが、結局それは同じ道であり
別々ではないということですね。
四念処一乗道なんてあなたにとっても困りませんか?
6科目足りないとか。
しかし実際にはそういうわけですから、八正道は必須であり、それと別の特別な
何かをやるわけではない。

927ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/23(火) 13:29:39 ID:SmEF4Oe2O
>>923
釈尊が語ったのは分類体系ではなく、それまでに説いてきたことの単なる列挙ですよ。
ある時は八正道と説き、ある時は四念処と説き、ある時は七覚支と説いたこと、
すなわちこれまでいろいろな時にいろいろと説いてきた道は実は全て共通のこと
なんだが、それを単に列挙して、これらをやると、これをやるとこうなるぞと
説いただけです。

928樹意:2009/06/24(水) 00:31:26 ID:AFPDOs6k0
 http://homepage.mac.com/maharsin/buddhism/Hsati/itijou.html

経典(覚者 buddha 釈尊の教えの記録)の全体性を理解するためには、「方便」
(教え導くための巧みな手段)の存在とその意図に気づかなければいけません。
『アーナーパーナ・サティ・スッタ』を読むと、次のような段階で修行が深まって
成功すると書かれています:
アーナーパーナ・サティ→サティパッたーナ(四念住・四念処)→サッタ・
ボッじゃンガー satta-bojjhaGgA(七覚支)→ヴィッジャー vijjA(明智)と
ヴィムッティ vimutti(解脱)
 また、『サティパッたーナ・スッタ』では、四念住の四番めの dhamma だムマ
(法=心の対象として存在するもの・現象)の観察を、次のような段階で行なう
よう説明されています:
五蓋(ごがい)(五つの煩悩)→五蘊(ごうん)(色受想行識)→十二処
(六根+六境)→七覚支→四聖諦→...涅槃(ニッバーナ nibbAna)
 このような修行体系が示されていると、アーナーパーナ・サティを修行したあとに、
さらにあれこれ修行しなければいけないと思うでしょうが、『アーナーパーナ・サティ・
スッタ』の 16 の息の観察行の 15 & 16 番で示されている[苦の]止滅(ニローだ nirodha)
と[エゴからの]出離(パティニッサッガ patinissaga)は、実際には明智・解脱・
涅槃にほかなりませんから、一乗道はアーナーパーナ・サティ(16 の息の観察行=四念住)
において完結しているのです。

16 = 4 = 1
『アーナーパーナ・サティ・スッタ』の 16 の息の観察行を、五蘊(色受想行識)
に照らし合わせて、四種の観察行に再編したものが『サティパッたーナ・スッタ』
の四念住(四念処)です。

929樹意:2009/06/24(水) 00:37:41 ID:AFPDOs6k0
http://homepage.mac.com/maharsin/buddhism/Hsati/sati00.html

HP色分け 肌色
サ テ ィパッたーナ・ス ッ タ
中部阿含経第 10

法念基本
貪欲念 瞋恚念 睡眠念 じょうけ念 疑念
法念 総括
五蘊念 六内外処 1  眼、色念 
    六内外処 2  耳、声念
    六内外処 3  鼻、香念
    六内外処 4  舌、味念
    六内外処 5  身、蝕念
    六内外処 6  意、法念
    六内外処    総括
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
法念七覚支 法念住における七覚支
法念七覚支、法念七覚支の総括
法念四聖諦観
修行の果報
修行者達の歓喜
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

HP色分け 白色
ア ー ナ ー パ ー ナ サ テ ィ・ス ッ タ
中部阿含経第 118
(16の息の観察行)

法念基本 (16の息の観察行の番号は 13、14、15、16)
法念総括
サティパッターナの完成 ※(四念住 四念処)
七覚支(しちかくし) 4法念住における七覚支]
身念住における念覚支 精進覚支 喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支
受念住における念覚支 精進覚支 喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支
心念住における念覚支、精進覚支 喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支
法念住における念覚支、精進覚支 喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支
七覚支の成就。
七覚支から明智 解脱へ
修行者達の歓喜

930樹意:2009/06/24(水) 00:48:39 ID:AFPDOs6k0
>>922 :準シュダオン:2009/06/22(月) 14:58:23 ID:XESnzsYQ0
>ユビキタスさんが提示した、岩波仏教辞典の七覚支解説には、
>「四念処の修行から七覚支の修行に進み、七覚支の修行の完成によって、
> 明と解脱を得られるとは原始経典にしばしば説かれる」
>と、ありますね。

詳しくは引用HPを御覧下さいわかり易く私が分けてありますから この文章だけでも
ご理解いただけるものと存じます。
出入息念 16の息の観察行に重点を置いた場合は七覚支を分けて説いていますが
(一旦区切っていますが)経典にあるように区分としては法念住に入っております。
覚支というのは増谷氏他注釈にあるように智慧の構成要素ということで修道法としては
明智解脱の直前に修するようです。
呼吸の覚智を主として深めていく場合は七覚支の段階で五蘊、身受心法において七覚支
を修し、引用文にあるように五蘊に息して四種の観察行として説く場合は五蘊念は
先にやっていますから法念住全体として七覚支を修する。
智慧の構成要素ですから、明智解脱の前段階になるならどの道をこようが通る道
でありましょう。

では根拠は示しましたのでお得意のトイレの喩えをば一席。w
トイレを《お手洗い》といったところで同じことです化粧室ともいいます、
用を済ませて最後に手を洗って清浄さっぱりして出る。(智慧解脱する)
七覚支を洗面清浄に置き換えるなら、(清浄解脱智慧の構成要素、)
上水道 石鹸、下水、乾燥機 鏡 −− 手を洗って身だしなみを整えて
出てくる 順番が若干変わったところでまぁ対した違いはない。
男の方には男子お手洗い 女性の方には化粧室。 どういう言い方をしようが
同じで洗面身だしなみを強調する場合はお手洗い、
お手洗いから出てくるといってもいいし、トイレで身だしなみを整えて出てくる
でも同じどこで区切るか、強調するかの違い。

引用経典では両者とも法念住に配置されておりますが区切る場所が若干
違うのもあるし、この七覚支というのは智慧の構成要素でありますから
解脱への最終工程の一つになります、これだけをピックUPして説くことも
当然考えられるわけです。
四念住(男女トイレ)において七覚支(智慧清浄の構成要素)(手を洗って
みだしなみを整え)出てくる(清浄智慧解脱)
普通に四念住という場合は法念住の中に七覚支が含まれるのです。
あと法念四聖諦もそうで滅道(中道八正道)を再確認する工程もあるということ。
八正道というのは転法輪以外にも この念処経その他滅道は八正道であると
説かれるものですから、これにいちゃもんつけるなら完全外道ということです。

ゲイカにしろ純氏にしろお釈迦さまの看板を外すしかないのですよ。

931樹意:2009/06/27(土) 04:50:25 ID:AFPDOs6k0
純さん出てこなくなりましたね。
やっぱ 詳細に論拠を出すのはまずかったかな。 w

932大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/27(土) 06:03:46 ID:Y89vcS5.0
樹意さん、いつも詳細に渡る投稿ありがとうございます。
私の思うところ、まずくはないと思いますね。

普通の精神の持ち主なら自分の非を認めるか、黙るかしかないはず。
というか、黙るというのは認めたくない、という気持ちの反動ですけどw

私もそれなりの反抗?をいたした恥ずかしい過去がありますが、自分が悪い・
間違っているなら謝り訂正をするのが本当。なので、私はそれを行いましたね。
抵抗するなら時間はかかっても無視か別な論を持ってくるか、それとも今までどおり
持論の展開をするかいづれかでしょうね。

私は正しい情報を出してくださる樹意さんには本当に素晴らしいと思っています。
例え相手がそれを認めなくても、社会に「お釈迦様はこう説かれていたぞ」という
確認と指針になりますから、樹意さんのようなお方がいなければダメだと思うほど
であります。

2chでは樹意さんを罵る投稿がありますが、本当に遺憾で意味が分らんやつらだ、と
思っています。どうぞ、雑魚のノイズは無視してそのままお続けください。
いつも応援しています。ありがとうございます。

933ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/27(土) 08:03:13 ID:SmEF4Oe2O
いや、どうせまたこれまで反論された内容をころりと忘れて同じことを書いてくるでしょう。(諦め)

934輪廻やめたい:2009/06/28(日) 23:08:48 ID:TMjeGtd60
いろいろ議論されているようですね。

私は信者です。肉眼では見えませんが、良くないエネルギーの場合、鳥肌が立ちます。
ここ数年で、ご供養を求めている先祖が夢でメッセージをくれたりします。

多くの人たちが自分たち以外の霊的存在を感じることができればいいのにと
思います。

935ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/29(月) 00:04:59 ID:SmEF4Oe2O
>>934
夢に出てくるということにもう少し知性を以て考察してください。
たしかに私も一般論的に霊感そのものを全否定する気はありません。
しかし一々個別の例で考えるにしても、例えばあなたの夢にあなたの知人友人の
異性が現れたとしますね。
この場合、その異性がわざわざあなたの枕元を訪ねたのは、その異性があなたに
恋い焦がれている思念を送っているからとあなたは認識しますか?
それは原始人、古代人の無知な認識です。
夢を見るのは自分の脳なんだから、あくまでも夢を見た人自身の問題に過ぎません。
すなわちあなたの方がその異性について思慕の情が働いただけだ。
苦しむ先祖の夢にしたって同じことです。
アゴン宗では苦しむ先祖が成仏できないで子孫に祟っているという教義があり
信者であるあなたはそれを受け入れて信じている。
すると今度は妙な期待感があなたの心の片隅に芽生える。
成仏できない先祖が供養をしてくれと願ってあなたに訴えてくるというあなた自身の
「願望」です。この願望は夢ならば簡単に実現させてくれる。
つまりあなたの願望の投影があなたの夢です。
果たしてあなたはよっしゃとばかりに解脱供養や冥徳解脱供養を申し込む。
するとわけのわからん先祖が供養の対象として下付される。
あなたはこれが夢に出てきた先祖なんだろうと信じて供養に励む、それだけです。
もう少し思い込みが強いと解脱成仏させてもらった先祖が夢でお礼を言うなんて
話になる。これまたその人の願望の投影に過ぎない。
ある意味金も時間も人生も賭けてアゴン宗の信仰に励んでいるわけだ。
だから自分の信仰の実証を得たい、それで確信の満足が得たいという願望がある。
夢はその願望を叶えてもくれる。
好きなあの子の夢を見るのと同じように。
2ちゃんねるだったか、ある批判側と思われる人が、逆に夢で解脱供養をした先祖が
まだ苦しんでいるのを見たからアゴン宗を捨てたと書いていた人がいた。
レスもつけずにスルーしたが、私はこの書き込みを支持しない。
逆にお礼を言って夢に現れるのと、原理は同じだからです。

936樹意:2009/06/29(月) 02:15:34 ID:AFPDOs6k0
>>932 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/27(土) 06:03:46 ID:Y89vcS5.0

いやはや、私も一時期は大日さんを結構批判したりしていましたから、こういう意見を頂くと
恐縮してしまいます。
が 、 まぁ他の方の役に立ったのであれば幸いなことです。
口は悪いかもしれませんがよろしくご容赦の程お願いします。

実は私の場合子孫さんというか純さんには感謝しています、彼が引用してくれた経典から
アビダルマの考察へ移行しましたし、少しずつ摩り替えてくるということは当然の如く
詳細に調べる必要が出てくる。
私の場合はアゴンにいたときは一回道場へいくと数万はかならずといっていいくらい置いて
きた人間です。延べにしたなら膨大な授業料を払ったわけですが、今純さんや他の方との
議論で買った書籍は高いとはいえ片山氏の一万前後の経典ぐらいのものです、アゴンで
一ヶ月信仰に必要とする資金があればほぼ賄えてしまうレベルのものですが、その内容
はさすがに煩雑でありただ眺めるだけでは理解も厳しい。
こうい板で議論しつつ調べるという作業は実に お釈迦さまの実像に迫りゲイカのインチキ
を指摘するに よい機縁だということで 感謝するしだい。
そういうことで 純さんがリニューアルして再登場してくれたらなと想うしだい。

937樹意:2009/06/29(月) 02:24:40 ID:AFPDOs6k0
>>934 :輪廻やめたい:2009/06/28(日) 23:08:48 ID:TMjeGtd60

もしアナタの仰ることがすべてその通りだとしても ゲイカにはそれを成仏させる
力はありません。
なぜならば三法が偽でありアゴンの教学に即しても ゲイカの宣伝通りの条件
ではありませんから力を発揮しようがないからです。
本尊である仏舎利は偽のものですし、ゲイカは僧侶でない、阿含経で禁止された
戒律を破っており 禁止されるゴマと占いをメインのイベントとしている。
とても見るに堪えない有様です。
ご先祖様にウソで積んだ悪業を回向するつもりですか ?
きっとご先祖様は悲しがると思いますよ。  どうかよくお考え下さい。
薬と効能書きは同じ箱に入っていますが、効能書きがどんなに立派であっても
薬が入っていなかったり、毒薬だったりしたら意味がないのと同様です。

938優婆塞001 ◆GKPST/gGoM:2009/06/29(月) 06:25:06 ID:Jdhsd7Pg0
>>934 輪廻やめたいさんへ

ようこそ投稿いただきました。これからもお立ち寄りいただけたら、と思います。

私も個人的に霊感?があるのでは、と思っている輩で元会員です。
つい今年の春頃にアゴンを抜けた元信者です。

私も輪廻やめたいさんの考えは共感できる部分がありますし、自分もつい最近まで
そう思っていました。しかし、2chから@chs、そしてこの「したらば」に
シフトしてきて得たものはやはり>>935でユビキタスさんが申されていることに
尽きますね。

なぜなら私も阿含宗及び管長に霊能力があり、また成仏させられることの出来るお方だと
信じて疑わなかった。しかし、様々な検証を自分でした中でやはり「違うな」という考え
に到りましたね。それは短く要約すればユビさんの言われていることになるのです。

輪廻やめたいさんの言われている「多くの人たちが自分たち以外の霊的存在を感じること
ができればいいのにと思います」というのは正や不の霊的エネルギーを感じるものには
ほとんどの方がそう思うことですし、私もそう思っていました。しかし、貴方様も今一度
考えてみて欲しいのです。夢やご自身の感知された先祖に対して果たして本当に把握が出来て
いるか、を。(続く)

939優婆塞001 ◆GKPST/gGoM:2009/06/29(月) 06:39:02 ID:Jdhsd7Pg0
霊感というものは基本的には誰しもが持っているものですが、人によって感じ方が違うので
強く感じたり影響を受ける方もいれば、ほとんど無感や影響が出ない(受けない)方も居ります。
つまり、個人差の感覚・感受の大小の違いで有ると私は見ています。

その中で霊的なものを感じる方がいたり、感じることの大小も様々であるでしょう。
そうした中でも本当に先祖の状態を感じること(把握すること)が出来る方は非常に少ない。
まして、どうしてどのようにその未浄化・未成仏をクリアーさせてあげられるか、を叶える
ことのできる人がいるか、というのも非常にハテナなのであります。

ご存知のとおり阿含宗ではほとんどの先祖が成仏できないということを申しています。
本当にそれはそのとおりなのでしょうか? また、成仏させられるというのは本当でしょうか?
また、成仏とは何か?ということを突き詰めればまた色々と問題が出てきます。 

2chでの「阿含宗という宗教」というシリーズのスレッドがありますが、そこで沢山の議論が
されていますが、そこも非常に役に立ちます。ただ、管理が入ってないので荒らしや変な書き込み
もありますのでそれをパスしてみていただけたらと思います。

で、何がいいたいかと言いますと、阿含宗でやっている行為のほとんどが偽物だということです。
つまり、先祖供養や成仏のための行為(修行その他)がシステムとして成り立ってない。
また、本当の釈迦の成仏法を講じている、と言っていますがそれも嘘。
ゆえに、信者が先祖云々の感知をして本当の先祖供養をしようと思ってもそれは叶わない、ということ。
また、自分自身の因縁を切るとか、輪廻から解脱するとかも無理です。(続く)

940優婆塞001 ◆GKPST/gGoM:2009/06/29(月) 06:53:07 ID:Jdhsd7Pg0
つまり、簡単に申せば偽仏教を行っているため、阿含宗で謳っている(行っている)事の
目標成就(先祖供養・成仏、因縁解脱、輪廻からの脱出など)はできない、ということです。
ですから、仮に個人で先祖の訴えを感知してもそれをかなえることは出来ない、ということです。

次に、先祖の諸感知についてはユビさんの申されたとおりで、その感知内容に対しての真偽も
非常に疑問視されます。それは阿含宗でいうところの「成仏定義」と仏教開祖の釈尊が言われている
「成仏」とは全く違うからです。これは本当の仏教を知らねば区別できません。
阿含宗のいう”成仏”と釈尊の言う”成仏”は違うので調べてみてください。
すると私の言う「阿含宗は偽仏教だ」というのが見えてきますから。

あと、実際的な私の話をいたします。
私もある先祖が苦しんでいたので解脱供養いたしました。しかし、成仏の姿もお礼も無しです。
これが非常に引っかかっていた。
苦しい、苦しいと常に訴えていた先祖が全く消えた。
確かに苦しい、という訴えは無くなったので「成仏したんだなあ」と思ってたのだが、存在が全然
つかめないのです。

よく信者の体験談で「お礼を言う」というのが見かけますが、当方はそれが無い。
輪廻やめたいさんはお礼を言われた経験がありますでしょうか?
また、先祖が供養されてそれを喜んで受けて阿含の供養法とやらを支持されましたでしょうか?

私の知り合いや今までの20数年の考察上ではそういうことを見かけません。
つまり、信者でありながら今まで成仏法(供養法)というのを信じてきましたが、その効用やシステム
そして把握というのが出来ませんので、おかしいな、と思っていました。
そうしているうちに2chなので阿含宗に欠陥が有る、ということを知り、分った次第。(続く)

941優婆塞001 ◆GKPST/gGoM:2009/06/29(月) 07:03:57 ID:Jdhsd7Pg0
釈尊自体が「先祖供養」というものを行ってないのに行っているのは後世の仏教教団の流れによるものです。
つまり、釈尊が護摩を焚き、先祖の成仏を果たす、などということはありえません。

また、阿含経でそのような記述も箇所も無い。死者成仏など釈尊は説いてないのです。
釈尊直説の成仏法を以って・・・と有る阿含宗ですが、さて?ますますおかしい。
生きている人の成仏法と死者への成仏法、と管長は言ってますが、あれは嘘ですよ。
阿含経にそういう風に書いている箇所は無いです。また、釈尊がそういう風に言ってもいない。
でも、実際には護摩を焚き解脱供養と言うものをやっている。

また、毎日の勤行で先祖供養ができる、ともありますが、釈尊はそういうことは言ってません。
また、やってもいない。全くおかしなことです。もう、ここで釈尊の行動から逸脱しています。

先祖が本当に苦しい、と訴えているのか。
どのようにどうして苦しんでいるのか。
それを解決が本当に出来るのだろうか。
また、その感知は本当なのか。
そして阿含宗の供養法というのは本当なのか。

色々検証してみる必要が有るようですね。

ちなみに、私が感知していた先祖は何も言ってきません。
勤行しても何も無いので、さながら感知ミスなのかもしれません。
自分が先祖を「そう感じている」という思い込みというのも有ると私は思いますね。(終わり)

942優婆塞001 ◆GKPST/gGoM:2009/06/29(月) 07:05:53 ID:Jdhsd7Pg0
訂正を

>また、阿含経でそのような記述も箇所も無い。死者成仏など釈尊は説いてないのです。
釈尊直説の成仏法を以って・・・と有る阿含宗ですが、さて?ますますおかしい。
生きている人の成仏法と死者への成仏法、と管長は言ってますが、あれは嘘ですよ。
阿含経にそういう風に書いている箇所は無いです。また、釈尊がそういう風に言ってもいない。
でも、実際には「阿含宗では」護摩を焚き解脱供養と言うものをやっている。
釈尊がやらないことをやっているわけです。全くおかしい・・。

に訂正です。

943ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/29(月) 08:43:37 ID:SmEF4Oe2O
>>934
輪廻やめたいさんが霊感がないなんて言いません。
しかしあってもそれが絶対的精密な性能のコンピュータのような指標になるのか?
あなたの霊感は決して肉眼で見えるものではなく、マイナスのエネルギーを寒気
など肌で感じる程度ですよね。そのような鳥肌の立つ反応は霊に接した時だけでは
ありますまい。つまりいろいろな感情の影響を受けて混同している。
霊感強く、感受性豊かなゆえに、私が>>935で書いた期待感ですらも夢に取り込んで
しまうわけです。
だから私などは下手に霊感などなくてよかったなと思っている。
霊感が鈍くて損しているとも思えない。なぜなら私は仏教修行者ではないが、
釈尊の本当の仏教の教えは信じているのだが、その釈尊は霊の障りからの脱却
など説いていないのだから、もっぱら目に見えることや自覚観察できる自分の
特性だけを捉えるように心掛けていればよい。
それからアゴン宗で説くのは単に幽霊ではなく、霊障がその人の人生に悪影響を
与えているというものです。霊の感触などその人が感じなくても。
ならばあなたはどんな生活上の問題があったのか?
そしてそれは解脱供養をすることによって、いつどのようなタイミングで
どのように改善されたのか?
病気なんてのは誰もがするもので、かつ誰もが時間を経過して快方に向かうものです。
問題のない人間なんていない。昔から決して好ましくない性格上の欠点とかも
自覚もするし、それの責任の一端をその先祖に転嫁することもある。
果たして解脱供養が済んでもその欠点が目に見えて改善されなくても、原因の
一つがなくなったに過ぎずすぐに改善されるわけはない、長く染み付いた生活習慣を
改善するのは容易ではなく時間を要する、なんて自己納得などもする。
つまりは常に自分の都合のよいように解釈してしまえる話です。
だから体験なんてのは不確かなものです。
それよりもあなたの鋭い霊感とは関係なく、桐山さんが霊視した信州の18人の
上意討ちの武士に相当する人間など歴史上に存在しなかったというような客観的な
指標をこそ判断材料とすべきでしょう。

944ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/29(月) 09:01:32 ID:SmEF4Oe2O
>>934
苦しむ先祖があなたがアゴン宗の信者と知ってか、あなたに夢を通してメッセージを
送ってきた。あたかも早く解脱供養を申し込んでおくれとでも言わんばかりに。
そのようにして、あなたが解脱供養を申し込み、無事解脱成仏した場合、
その先祖は今度は逆に夢でお礼や喜びのメッセージを与えてくれるのが
礼儀とも言えないか?
しかしそのような体験もないのだとしたら、ますますあなたの受けたマイナスの
メッセージなんて一時の気まぐれに過ぎない可能性が高い。

945準シュダオン:2009/06/30(火) 11:17:13 ID:XESnzsYQ0
お釈迦さまは、究羅檀頭のために偈を作った。(最後の部分のみ掲載)
「大いなる幸福を求めようとするものは 三宝を供養すべきである」
これは漢文の、
「欲求大福者 當供養三宝」を学者先生が和訳したものです。
私には、欲求=祈願です。
「祈り」と「願」は違う、とのへ理屈も見えたが、私には同じことです。
願いが強くなると祈りになり、願いも祈りも祈願も欲求も同じことです。

「らるご」さんのいうように、修行せずに楽して幸福を得たいのは私の
願望かも知れませんね、というより、大かたの人はそう願うでしょう。
釈迦滅後は、施食供養したくても、釈迦はいないね。
でも釈迦に続く、釈迦の教法相続者がいたら、その教団に供養することは
釈迦に供養したと同じ効果があるでしょう。
で、世の中のどれが、釈迦の教法の相続者なのか?
という問題でありますね。

946準シュダオン:2009/06/30(火) 11:45:58 ID:XESnzsYQ0
私がAさんの夢を見た場合、私の脳だけの問題なのか、あるいはAさんの思念
が関係しているのか、その真実はわからないですね。
だから、夢の判定はしないことです、誰にもわからない。

釈迦と桐山管長は違います。
管長は釈迦の教法を、桐山流に説いているのです(あたり前でしょう)。
また仮に、釈迦が現在の世界に転生してきた場合、2500年前のインド
と同じ手法で説法するはずがないでしょう。
そのあたりの考え方の問題ですよ。

「果報」という考え方一つとっても、理解度が違うので誤解だらけです。
ある者にとっては商売繁盛は果報です。
ある者にとっては商売繁盛しないのが果報です。
ある者にとっては商売繁盛の執着を離れるのが果報です。

私の印象では、批判派の考え方は、何事も限定しすぎ、に感じます。
因縁解脱の場合、管長は「運命の星(因縁)」からの解脱を説きます。
釈迦は煩悩からの解脱を説きます。
しかし、もっと詳しく言うと、
釈迦は、煩悩からの解脱を説いて悪しき運命の星からの解脱を説く、と、
解釈したほうが良いのです。
だから管長は因縁解脱、と説いてます。

947ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/06/30(火) 13:43:23 ID:SmEF4Oe2O
>>945
楽して幸福を得たいなんてあさましい願望を祈りをこめてまで念じるのは煩悩
そのものではありませんか?
そんな道はアゴン宗ですら説いていない。
物の道理のわからんこと、すなわち痴としてますね。
布施をしても「祈らない」。ミョーな期待もしない。

>>946
Aさんの夢を見た時、Aさんが思念を送ったのかどうかは本人に聞いてみればよい。
昨夜自分のことをしきりに念じたか?と。
はあ?とフラれる確率も高いでしょう。
準シュダオンさんの思念を受けた話の場合、その時間に桐山さんが思念を送ったか
調べればよい。非公式に思念を送っている場合、他の人も思念を受けてる可能性が
高い。ましてやあなたの言い分だと、大して偉くもない準シュダオンです。
あなたの豊富な法友たちに尋ねてみればよい。
それから公式に思念を送った機会が何度かあるのに、どうしてその時はバイブレーション
を感じなかったのか?

948準シュダオン:2009/06/30(火) 15:19:01 ID:XESnzsYQ0
楽して幸福を得たい考えを、あさましい、と考える自由もあろう。
私はあさましい、とは思わない、当然だと思う。
楽な道があったら、楽な道を行きなさいな。
わざわざ苦を求める愚か者でなくてよい。求めなくても苦は避けられぬもの。

苦労して井戸を掘り、見事に水を掘り当てたゴータマという人がいた。
頭を下げたら水をただでくださる、というのに。
それを拒否して新しい井戸を掘ろうとする頑固者。

それよりは感謝しながら水をいただいて飲み、休みながら新しき井戸を掘れ
ばよかろう。水を飲んでるうちに、水源を探す嗅覚もするどくなるであろう。

Aさんが思念を送った時と、私が夢でそれを受けた時間が一致せずとも、
不思議はないのだよ。それが思念は時空を超える、ということ。
私が送ったメールを、皆さんが何時、受け取るかは、それぞれ時間差がある。
管長が思念を送っても、それを信徒が何時受け取るかは、時間差があるのです。

管長の思念は、どこかの宇宙のプロバイダに保管されています、そして準備
出来た信徒には、すかさず送り届けられる、というわけです。

949準シュダオン:2009/06/30(火) 15:44:10 ID:XESnzsYQ0
深山さんは、準シュダオンと預流向の違いを、理解することです。
三結を断じたら預流(シュダオン)です。
三結を少しも切れていなくても、それを目指す者は預流向です。
四向四果の八っつの位の内の、一番、位が低いのが預流向です。
実際には外道であろうとも、それは別問題です。
自称、預流向は、八の階梯のうち、一番下の位であるということ。
自称預流向は下座の精進そのものであって、少しも傲慢には当たらないこと。

勿論、三結のうち二結を断じて、預流(シュダオン)まであと一歩、という
預流向も居るでしょう。そういう者は、準シュダオン又は準預流というに、
ふさわしいですね。

ですから、自称準シュダオンは傲慢の可能性はありますが、自称預流向は
少しも傲慢ではあり得ない、ということです。
そこを深山さんは、勘違いされていましたね。

950大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/30(火) 17:25:12 ID:G4YBWWpE0
>>946
>釈迦と桐山管長は違います。
管長は釈迦の教法を、桐山流に説いているのです(あたり前でしょう)。
また仮に、釈迦が現在の世界に転生してきた場合、2500年前のインド
と同じ手法で説法するはずがないでしょう。
そのあたりの考え方の問題ですよ。

私も過去に同じことを考えていました。ゆえに信者を続けていた理由の一つに上げられるほどです。
なので、この説明は実に頷けますし、知り合いの信者も皆そのように思っています。

しかし、残念ながらそれが成立しないんです。だから私はアゴンを離れました。

まず、「管長は釈迦の教法を、桐山流に説いているのです」ですが、もしこれが本当にそうならば、
言い方ややり方が違っても必ず釈尊の説いたものと同じ結果や効果が無ければ信憑性は出ません。
それが皆無なので私もアゴンから離れるに到るのです。
ところがその現実を見ないで執拗にこの準さんの言われたことだけを信じようと固執しているのが
現信者の方たちです。つまり、自分の信じるものが正しいかどうかも調べずに”思い”だけで進め
信仰しているのが本当の姿なのです。私はこのことに長年気がつかないでいた。なので、気がつく
まで20年以上もかかったわけです。

どうしてこんな単純なことに気がつかなかったか、といえば、自分があまりにもそういう妄想に
浸り・期待しすぎて本当に管長が釈尊の教法を実行している、と錯覚・思い込みしていた訳です。
きちんと自分の思いや期待、教学・・・そういったものを一旦外し、第三者になって検証すれば
管長が如何に釈尊の教法などほとんど行っていない、という事実が見えます。
それを認識しない限り、批判(情報提供)しておられる方の意見は理解できません。
かえって信者になる前とか無垢な方のほうが判断が出来ますね。

下手に信者になり染まったほうが理解が出来ないのが多いようです。

951大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/30(火) 18:14:13 ID:G4YBWWpE0
>>950の続き)

私は簡単に「第三者になって」と書きましたが、これは中々難しいですよ。
むしろかなり勉強した信者さんでこれができる人は、余程素直か追い求めているものが
本当の仏教を求めている方でしょうね。

>また仮に、釈迦が現在の世界に転生してきた場合、2500年前のインド
と同じ手法で説法するはずがないでしょう。
そのあたりの考え方の問題ですよ。

これは一見もっともらしい意見で、アゴンでも使われる表現なんですよ。
私と仲の良い知り合いの信者もこれを言いますよ。また、過去に私もそう言っていた。
ですが、これも現実を見れば解けるものなのです。

確かに釈尊在世の時代は今から約2500年前のかなり昔です。
今とは比較にならないほど時代も違う。それはそのとおりです。
ですが、だからと言って釈尊の教えと法が時代の流れでコロリと変わるほど
安易でちっぽけなものなのでしょうか?
釈尊が大変な思いをして得た道品法〜解脱するための教えと法〜が、時代が変わったから、と
言って変わるのだろうか?という視点があります。

百歩譲って仮に変わることもあり、とします。
しかし、それは途中の経過やプロセス、技法が変わったとしても結果が伴わなければそれは
認められるものではない、といえるでしょう。

確かに管長はユニークで素人の私達にも分りやすい説明をされていることが有る。
しかし、それが単なる方便や説明・技法の違いだけであって結果が伴えば誰も批判などしません。
なぜ、こうやって批判が止まないか? それは、内容と結果が出てないからです。

例えば因縁解脱にしても、完全解脱できたのは管長だけです。(しかも自己申告)
尚且つ、その自己申告したのにもかかわらず、その時期からいくつかの悪因縁と見られる現象が
おきている。因縁解脱できたのなら起きないはずのものが起きているというのは未解脱の証拠です。
その際たるものが「脳障害の因縁」で見られる障害を管長が受けている(現れている)ということです。
この辻褄が合わないことをアゴンでは「長く生きていると色々出てくるものだよ」などという言葉で
誤魔化している。まして管長は自分から「私は脳障害の因縁は無い」と言い切っていますのに、それが
出ているというのは全くおかしいとなるはずが、信者はそうはとらない。
これが信仰の怖さというか、冷静な正しい判断も出来ていない証拠です。

952大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/30(火) 18:28:28 ID:G4YBWWpE0
(さらに続き)

私は批判を言っているのではないのです。自分もかつてそうだったのを踏まえて申しているのです。

管長は「釈尊は生涯因縁解脱を説いた」と申し、因縁解脱を釈尊の教えと進めてきた。
その因縁解脱が果たせない(出来ない)のなら、これは誰が悪いのか?となる。
因縁解脱を説きながら果たせないという詐欺を釈尊が言ったのか?
または、因縁解脱というものは最初から言ってないのに、誰かが説いたのか?、となる。

さあ?どっちなのか、となれば、釈尊が何を説き、何を指導されたかを調べなければいけない。
するとその作業をやれば、答えはわかるのです。
答えは管長が嘘をついた、という現実だけが残るのです。
つまり、釈尊は因縁解脱など説いてなどいない、が正解なのです。

すると、この一つとってももう管長が偽仏教を行っている、というのがわかります。
尚且つ、道品法。つまり、アゴンで言っている「成仏法」についても調べれば、これもまた
間違っている&嘘をついている、というのが出てきます。
そうなれば、ますます信仰などできなくなってくる。
成仏陀に成れない。先祖供養も出来ない。因縁解脱は嘘だった・・・その他まだありますが、
もうこれだけで信仰する気になれなくなってきます。

ですから、準さんの言われていることや気持ちは分りますが、それでは通りません。
単なる方便や技法の違いやら、管長の釈尊は違う、というのは整合性があまりにも無く、
また尚且つ重要な「解脱」が出来ない仏教であれば、それはすでに仏教ではない。

確かに私も最初は批判派の人は「教科書どおりのことしか受け付けない頭カチカチ」だと
思っていました。しかし、そうではなくやはり釈尊が正しいか、管長が正しいかを調べて
検証すると、残念ながら管長の負けです。結果も出せず、しかも釈尊の正しい教法を実践
しておらず、しかも、信者が救われない状況では会員も減り、衰退するのは当然であり、
そういう現実を私は今まで見てきましたし、どうにかしたいと思ってた。

プロセスよりも結果で示せれば、私も退会はしなかったし、批判も出なかったと思いますね。

953大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/06/30(火) 18:30:51 ID:G4YBWWpE0
>>952 誤字発見、訂正を。

>単なる方便や技法の違いやら、管長の釈尊は違う、というのは整合性があまりにも無く



単なる方便や技法の違いやら、管長と釈尊は違う、というのは整合性があまりにも無く

に訂正です。すみません。

954ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/07/01(水) 08:48:01 ID:SmEF4Oe2O
>>948
あなたのいう楽とは享楽ですよ。
釈尊は苦行の道と享楽の道の両極端を否定して中道を説いている。
一方桐山さんは苦行を肯定し、釈尊は苦行の結果ブッダとなったとしていますが。
釈尊、桐山さん共通して説く道は努力の道です。
努力なくして幸福はあり得ない。
懈怠するなかれです。釈尊の遺言ですよね。
すなわち既に井戸が掘られているのに、わざわざ別の井戸を掘るようないたずらな
苦行など説かないが、しかし井戸の水くらい自分で汲みに行けというわけです。
それをあなたは祈りで水よ来い、来いなんて言っている。
如来よ、水持って来ーい、飯を食わせてやったんだから、そのぐらいのサービスをしろ、
俺の運命を改善しろと依存している。
こんなムシのよい話は享楽主義ですね。
桐山三福道ったって甘くないですよ。
福を得る為には努力しなければならない。
生活に無理のない範囲でちょっとだけ布施供養していればよいなんて話ではない。
桐山さんは運命とは運べる命だ、運とは軍にしんにょうがかかったもの、すなわち
命がけの戦いだとしています。
だから道場に足繁く身を運んで、好運を運び出す努力を説いている。
道場に言ったらナモナモと参拝して帰るだけでなく、トイレ掃除、下足番、
護摩木判押し、何でもいいからボン行奉仕して功徳の種をうえろとしています。
もうこれでよいなんてものはない。だからそんなに生易しい道ではない。
思念を発信した時間より遅れて受信できたというのはこちらも予想していた答えです。
あなたの場合思念ですらなく弱い電気のようなバイブレーションだけなんだそうですが。
これを受けたからにはますます道場に足を運んで努力ができるようになる。
努力できる才能、運が生じる。
努力をし続けるから預流なんです。
停滞していたら駄目です。さぼっていても流れが運んでくれるわけではない。
あなたの場合、これらの条件を満たしていない。

955ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/07/01(水) 13:35:35 ID:SmEF4Oe2O
>>949
まず仏教の方の預流向ですが、四向四果の聖者と言いますが、まだ仏門に入門
したばかり、あるいは在俗で五戒を受けて信徒になることを誓ったばかりの
人全員を指す、すなわち全仏教徒四向四果と言ってしまってよいでしょうか?
向かっていると言うだけで。
いや、全く新米でも預流向はいるでしょう。
しかしやはり程度に応じて線引きしてあげねばならないのではないか?
あなたが言うように三結断たずとも三結薄らぐといった具合に。
それからそれに関連して、アゴン宗も含めて、あなたのように会員証を所持して
会費を払っているが、教団が課しているボン行メニューや例祭参加なども
さぼっている奴に、一丁前に預流向などと自称する資格があるのだろうか?
アゴン宗でも真面目に修行している人が預流目指して頑張っていますと慎ましげ
に示すのみです。
もちろんアゴン宗徒は全員三結を断とうと向かってなどおらず、かえって膨らませて
いるから預流向は100%ない。
それを差し置いても、アゴン宗の中でも、少なくともあなただけは遠慮申し上げ
ねばならない呼称ですね。
私ももっと真面目に精進して預流向になれるようにせねばと書かねばならない。
それからあなたは準シュダオンは傲慢かもしれないと認めましたね?
でもまだ準シュダオンを使い続けますよね。
変える気もさらさらないのですよね。
俺は傲慢であると言いたいのか?
俺は準シュダオンであり、アゴン宗でも優等生とまともに思っているのか?

956ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/07/01(水) 13:52:17 ID:SmEF4Oe2O
預流めざしてナモナモ祈願してます。
預流めざして無理のない範囲で金払ってます。
そのうちにシュダオンにでも漂着するでしょう。
もう流れ着いているかも?

957深山:2009/07/01(水) 22:38:38 ID:oZfyi/k20
>>945 :準シュダオン:2009/06/30(火) 11:17:13 ID:XESnzsYQ0
>お釈迦さまは、究羅檀頭のために偈を作った。(最後の部分のみ掲載)
>「大いなる幸福を求めようとするものは 三宝を供養すべきである」
>これは漢文の、
>「欲求大福者 當供養三宝」を学者先生が和訳したものです。

これは何を言いたくて、引用したのですか。
三宝に供養するべきであるという言葉をもって、
まるで供養の功徳でアナゴンになれたかのような言い方ですね。
すでに>>913で説明したように、釈尊はバラモンが供養したことが
在家の正しいあり方であると誉めたのです。
だが、供養すればシュダオンやアナゴンになれるなんてどこにもない。
釈尊が供養を説くのは当たり前であり、
在家が供養して、清らかな行いをする比丘たちを養えば、彼らは人々に教法を
説くから、その分、在家自身も世の中も良くなり、幸せになる。
だから、釈尊は供養を説き、次にもっと良いのは自分自身も在家として
修行することだと説き、もっとも良いことは出家することだと説いた。
三つの中で供養が一番下なのですよ。
在家と言えども、供養よりも、さらに良いのは自分が修行することだと説いている。
だから、バラモンは供養した後で自分で修行してアナゴンになったのです。
供養したからアナゴンになったなんてどこにも書いてありません。
デタラメを言うのもいい加減にしなさい。

958深山:2009/07/01(水) 22:41:12 ID:oZfyi/k20
>>921 :準シュダオン:2009/06/22(月) 14:36:29 ID:XESnzsYQ0
>深山さんの経文勝手読みは、私より面白いよ。
>究羅檀頭はお釈迦さまご一行を、7日間施食供養したわけです。
>アナゴンになれたのは、その供要の功徳が大きかった、からですね。

私が勝手読みしているのではなく、供養でアナゴンになったなどと、
書いてもいないことを勝手読みをしているのはあなたです。
供養の功徳でアナゴンになれたとどこに書いてあるのですか。
あなたは経典に書いていない文字や文章を読む妄想癖がある。
そういうのを勝手読みというのです。
私はあなたみたいな読み方はしていないから、一緒にしないでくれ。
しかも、あなたはとてもズルイ。
七日間供養したと書いてある同じページにある釈尊の述べた言葉を無視している。
この経典を調べていない人にはわからないようにしたつもりでしょう?
前に引用した遊行経でも同じ事をしましたね。
自分の都合の良い部分だけを引用して、都合の悪い所は引用しなかった。
私から毎回、あなたのその下品な手法を暴露されても、恥とも思わずに
また同じ手法を使おうとする。
子供だましが通用すると思っているのですね。
どうしてあなたはそうやって狐や狸みたいなことをするのだ?
相手から見えなければ何をしてもいいというのは桐山さんの人生観です。
どうやら、あなたもそうらしい。
あなたの説など成り立たないことが経典で釈尊が説明している。

959深山:2009/07/01(水) 22:43:45 ID:oZfyi/k20
「あの人は清浄に梵行を修め、一つ一つすべての法が完成しており、
また法について悩まされることがなく、五下分結を断ち切った。
かしこで涅槃を示して、この世にはもどってこない」
(『現代語訳阿含経典 5』123頁)

釈尊に、病死したバラモンについて質問したことへの答えです。
この釈尊の説明のどこをどう読めば、供養の功徳でアナゴンになったと解釈できるのだ?
釈尊のこの説明から、供養の功徳でアナゴンになったとなどいう
あなたの主張はあまりに根拠のない荒唐無稽な話で、
国語力よりも知性を疑われますよ。
供養すれば見返りにアナゴンがもらえるという餓鬼の目で見ているからです。
アナゴンになったことの理由として、「清浄に梵行を修し」、
その結果として五下分結を断ち切ったとある。
供養などではありません。
仏教の梵行とは、アゴン宗のボン行とは違います。
バラモンは釈尊の教法を聞いてそのまま理解できたから、無明を捨てて、
梵行といって欲貪も瞋恚も出さないように八正道を実践したから、
五下分結がなくなったのです。
釈尊がこれだけ明瞭に説いているのに、これをどう読めば、
供養の功徳でアナゴンになったなどという解釈ができるのですか。

960深山:2009/07/01(水) 22:48:02 ID:oZfyi/k20
「あの人は清浄に梵行を修め、一つ一つすべての法が完成しており、
また法について悩まされることがなく、五下分結を断ち切った。
かしこで涅槃を示して、この世にはもどってこない」
(『現代語訳阿含経典 5』123頁)

準シュダオンさんに聞きたいが、上記の釈尊の言葉の
どこに悪因縁を切った、霊障を解脱したとあるのだ?
アナゴンになるためには桐山さんに言わせると、
霊障のホトケを成仏させて霊的に浄めて、
因縁を切って、仏に供養して徳を積まないといけないことになっている。
バラモンが供養をしたことは事実だが、釈尊はその徳でアナゴンに
なったとは言っていないし、因縁がキレタとも言っていない。
もちろん、霊障のホトケを成仏させたともない。
バラモンがしたのは「清浄に梵行を修め」、つまり欲貪と瞋恚の煩悩を
断ち切ったことだけです。
桐山さんの話とまるで違う。
信者さんたちにもよく見てほしい。
アゴン宗のアナゴンの条件と、釈尊が示したアナゴンの条件がまるで違う。
いくら何でもおかしくないか。
アゴン宗との矛盾はそればかりではない。

961深山:2009/07/01(水) 22:52:39 ID:oZfyi/k20
>>921 :準シュダオン:2009/06/22(月) 14:36:29 ID:XESnzsYQ0
>アナゴンになれたのは、その供要の功徳が大きかった、からですね。

あなたは私の>>912の質問には答えないのですね。
供養で大きな果報があるというなら、どうして七日間も供養したのに、
バラモンは間もなく病気で亡くなったのだ?
あなたは遊行経から、供養の果報の大きさを引用した。
また、病気などの苦を取り除くことを釈尊は説いたと主張している。
だが、供養、それも七日間も供養したというのに、その果報が病気ですか?
せめて病気になっても回復したというならともかく、亡くなったのですよ。
全然、果報とやらがないではないか。
なによりも悪因縁が切れていない。
病死だから、ほとんど横変死に近いような悪いカルマです。
七日間も全身舎利に直接供養したのだから、三福道を絵に描いたような
状態だから、霊障のホトケも解脱して、悪いカルマも全部キレタはずです。
だが、現実のバラモンはその直後に病死です。
供養の果報で悪因縁がキレルはずなのに、話が違うではないか。
さあ、お得意の屁理屈を並べてみなさい。
みんなで笑ってあげよう。

962深山:2009/07/01(水) 22:54:39 ID:oZfyi/k20
>>923 :準シュダオン:2009/06/22(月) 15:28:58 ID:XESnzsYQ0
>話題をそらしてしまったが、私が言いたいのは、道諦=八正道ならば、
>それを四念処などと同じように並べて説くのは、混乱する元ではあり
>ませんか?ということです。

これまで私や樹意さんの出した経典で、釈尊は八正道こそが四諦の
道であるとはっきりと述べている。
仏教とは釈尊が説いた教法だから、あなたの主張など誰も聞いていない。
現実の経典の中で、釈尊自らが、四諦の道とは
八正道であると宣言しているのに、桐山さんやあなた如き外道凡夫どもが
どうして余計な口出しをするのだ?
如来に向かって、「それはおかしい」というなら、信じなければいい。
仏教など信仰しなければいいだけです。
釈迦直説の阿含経に書いてあることを読んで、それを理解し
信じて、実践することが仏教です。
あなたも桐山さんも、阿含経の釈尊がはっきりと述べていることに
こうやってことごとく異議を唱え、説いてもいない
因縁切りや霊障解脱などという外道の考えを持ってくる。
仏教をやめなさい。
なにも仏教を信じないと殺されるわけではないのだから、
そんなに釈尊の言うことが気に入らないなら、信じなければいい。

963深山:2009/07/01(水) 22:56:16 ID:oZfyi/k20
>>945 :準シュダオン:2009/06/30(火) 11:17:13 ID:XESnzsYQ0
>私には、欲求=祈願です。
>「祈り」と「願」は違う、とのへ理屈も見えたが、私には同じことです。
>願いが強くなると祈りになり、願いも祈りも祈願も欲求も同じことです。

阿含経に祈りなどないと批判され、あなたはこれまで二つの事例を出してきた。
「欲望=祈願」(>>790) 
「求める=祈願」(>>892)
などという国語力を疑われるような説を唱え続けてきた。
懲りもせず、今度は、
「欲求=祈願」
なのだそうだ。
あなたって、老人の頑迷さそのものですね。
あなたの定義など誰も聞いていない。
あなたがイワシの頭を信じようが信仰の自由だし、
個人的に何をどう祈願しようが勝手です。
釈尊の仏教には祈願などないと批判しているのです。
釈尊の教法に祈願などないのに、どうしてアゴン宗は護摩木祈願などという
外道の行いをするのか、と批判しているのです。

964深山:2009/07/01(水) 23:00:18 ID:oZfyi/k20
>>946 :準シュダオン:2009/06/30(火) 11:45:58 ID:XESnzsYQ0
>管長は釈迦の教法を、桐山流に説いているのです(あたり前でしょう)。
>また仮に、釈迦が現在の世界に転生してきた場合、2500年前のインド
>と同じ手法で説法するはずがないでしょう。

これは信者さんたちはよく言う言葉です。
しかし、それが釈尊の教法をどれほど小馬鹿にした言葉であるか気が付かない。
釈尊の教法とは時間や地域を越えた価値があるからこそ真理なのです。
時代ごとに説法が違っていたら、そんなものは価値がない。
今の時代に釈尊が出てきても同じ事を説きます。
信者さんたちも桐山さんから、釈尊のやり方を今の時代に合わせたのだとか、
昔と今では人の心の複雑さが違うなどと言われて本気にしている。
釈尊がそんなに馬鹿だと思うか。
ニュートン力学は三百年たっても巨視的には成り立つ法則です。
物理の法則ですら普遍性があるというのに、
釈尊の見いだした道に普遍性がないと信者さんたちは言うのですか。
釈尊の教法には時代も地域も人種も越えた普遍性があるからこそ
価値があるのですよ。
ろくでもない頭であれこれ勝手な話を作り上げて、
釈尊の教法を否定して、あなたは何をしたいのだ?
それでは、「釈迦の教えなど今の時代には役立たない。日蓮聖人のおしえ
こそがそれに代わるものだ」と言っている連中と同じではないか。

965深山:2009/07/01(水) 23:02:29 ID:oZfyi/k20
>>946 :準シュダオン:2009/06/30(火) 11:45:58 ID:XESnzsYQ0
>また仮に、釈迦が現在の世界に転生してきた場合、2500年前のインド
>と同じ手法で説法するはずがないでしょう。

釈尊が説いた内容はそのまま今の我々にあてはまる。
何一つ変わっていません。
なぜなら、我々の存在は煩悩そのものだからです。
貪瞋癡という釈尊が示した根本煩悩は今でもそのまま我々に当てはまる。
説明されれば、どれ一つをとっても身に覚えがある。
阿含経を読んだ時、信者さんたちは二千五百年前の釈尊から
自分の心を見透かされたような驚きを感じませんか。
桐山さんの解説など読まずに、阿含経の現代語訳を読んでみてください。
中村博士が訳したダンマパダやスッタニパータを読んでみてください。
今の我々一人一人にそのままあてはまることを指摘している。
これをどう現代流に直す必要があるのですか。
現代流に直すなどという人たちは、中身を理解していないか、
自分に都合良く利用したいかのどちらかです。

966深山:2009/07/01(水) 23:04:54 ID:oZfyi/k20
>>946 :準シュダオン:2009/06/30(火) 11:45:58 ID:XESnzsYQ0
>釈迦は、煩悩からの解脱を説いて悪しき運命の星からの解脱を説く、と、
>解釈したほうが良いのです。
>だから管長は因縁解脱、と説いてます。

阿含経はそのままで完成しているのです。
あなたや桐山さんのような外道凡夫の解釈などいりません。
因縁も解脱も釈尊が用いていた言葉です。
だが、因縁解脱などと言ったことは一度もありません。
なぜなら、中身が違うからです。
釈尊の説いた解脱とは、漏尽解脱(煩悩解脱)であり、
桐山さんのいう因縁解脱とは別物です。
何度も言うが、あなたは上記で「煩悩解脱=因縁解脱」と書いているが、
そのような教義は仏教にはもちろんのこと、アゴン宗にもありません。
桐山さんは、悪因縁と煩悩の違いをはっきりと説明しているし、
煩悩解脱=小解脱
因縁解脱=大解脱
として、明瞭に区別しています。
これをあなたに何度注意しても直そうとしない。
あなた個人の勝手な宗教観をここに出すのはやめてください。

967深山:2009/07/01(水) 23:10:57 ID:oZfyi/k20
>>949 :準シュダオン:2009/06/30(火) 15:44:10 ID:XESnzsYQ0
>深山さんは、準シュダオンと預流向の違いを、理解することです。
>三結を断じたら預流(シュダオン)です。

あなたは一週間たつと脳味噌が輪廻して、前世の議論はきれいに忘れるようだ。
いったい、私は同じ事を何度反論すればいいのだろう。
あなたに反論を受け入れろと言っているのではありませんよ。
主張するなら、こちらの反論を踏まえて、次の話をもってきたらどうかと言っているのです。
だが、あなたは反論をきれいに忘れるから完全無視する。
他人の反論などまるでさっぱりなかったかのように、同じ話を始める。
「準シュダオン=預流向」と私が書いたら、あなたは私を嘘つきとまで
非難した(>>510,>>539)。
だが、あなたは「準シュダオン=預流向」だと4月に書いていた。
それを私は>>547で引用して示した。
ところが、これほど明瞭な証拠を突きつけられても、>>552で逆に開き直りをした。
>>555で私にさらに反論を書かれても、一ヶ月ほどたつと、
もうすっかりそんなことは忘れて、またこういう話を蒸し返す。
どうして、そんなに図々しく、厚かましく、恥知らずなのだ?
あなたは「準シュダオン=預流向」と書いているのだ。
あなたがどんなに物忘れがひどくても、文章として残っているのです。

968深山:2009/07/01(水) 23:13:34 ID:oZfyi/k20
>>949 :準シュダオン:2009/06/30(火) 15:44:10 ID:XESnzsYQ0
>自称預流向は下座の精進そのものであって、少しも傲慢には当たらないこと。

私を含めて、誰も準シュダオンと預流向の違いなんて興味がありません。
あなた個人の宗教観であり、ここのテーマとは関係ない。
準シュダオンなどという言葉自体あなたの造語であって、
その中身がどうであるかなんて興味がないし、ここの議論の対象ですらない。
あなたは自分がそれほど批判側から関心を持たれていると自惚れているのですか。
あなたみたいな慢心を絵に描いたような人間に興味はありません。
ヂミズさんもそうだが、一生聖者ゴッコをしていればいい。
あなたは脳梗塞が進めば、いよいよオメデタクなり、シュダオン宣言をするようになります。
だが、あなたの預流向にも預流にも誰も興味がないのだ。
信者ですら、興味はありません。
なぜなら、信者とはあなたを信じているのではなく、
桐山さんを信じているのです。
桐山さんが認めてもいない預流向や預流を名乗るような
厚かましい信者など、ゲイカに対する裏切り者にすぎない。

969深山:2009/07/01(水) 23:16:04 ID:oZfyi/k20
>>949 :準シュダオン:2009/06/30(火) 15:44:10 ID:XESnzsYQ0
>自称預流向は下座の精進そのものであって、少しも傲慢には当たらないこと。

あなたは傲慢の塊です。
一番下かどうかなど私は問題にもしていないし、話題にもしていない。
あなたが預流向を名乗ることへの批判の理由は
もう二ヶ月にも渡り、同じことを書いています。(>>558)

批判1.アゴン宗では預流向を勝手に名乗ることは許されていない。
批判2.アゴン宗の預流の条件をあなたはまったく満たしていないから、
限りなく預流に近い預流向だなんてありえない。
批判3.外道のアゴン宗の信者が仏教の預流向であるはずがない。

あなたが預流向かどうかを問題にしているのではありません。
このスレはアゴン宗に関係したスレだから、
関係のない話を出すなと言っているのです。
一ヶ月前にも書いたことを書きましょう。
そうやって、何をどう言われようが、結局、あなたは
ひたすら屁理屈を並べて、自分が預流向であると書き続ける。
「出したくなかった」などと口先では言いながら、
こうやって、何ヶ月も自分から話を蒸し返している。
「最初は書かなかった」などと言ったが、登場した最初から預流向だと
あなたが書いていたことを示した。
こういう何年にも渡るあなたの態度をみれば、口先ではいかにも
謙虚そうな顔をしながら、実は、自慢したいのです。
あなたに代わってその自惚れに満ちた心を書いてあげましょう。

970深山:2009/07/01(水) 23:20:59 ID:oZfyi/k20
>>949 :準シュダオン:2009/06/30(火) 15:44:10 ID:XESnzsYQ0
>自称預流向は下座の精進そのものであって、少しも傲慢には当たらないこと。

「私は本当は預流向だなんて言いたくないんですよ。フフフ
やむにやまれず、しかたなしに預流向だと名乗ってしまった。えへん
だから、預流向なんて最初は言ってなかったんですよ。
自分が預流向だなんて全然自慢する気なんてないからです。へへへ
いや、まったくさっぱり預流向だなんて自惚れてなんかいません。
だって、私が預流向だなんて、当たり前じゃないですか。
限りなく預流に近いのだから、そんな当たり前のことを自慢なんかしません。えへへ
慢心だなんて、とんでもない。ケンキョケンキョ
聖なるバイブがビビッて来てしまい、預流向になっちゃった。あはは
私は自慢なんかしませんが、しかし、迷っている信者さんたちの
励みになればと思って、あえて、やむを得ず、預流向を告白したのです。
まあ、これも預流向としてのつらい定めですかねえ。へらへらへら」

こういう文章をあなたは読んで、これが慢心や自惚れがないと思うか。
あなたの文章とはこんなものです。
わざわざ毎度、その慢心のゲロを出してもらわなくても読者はみんな知っている。
私はできるだけ下品なたとえはしないように気を付けている。
信者さんたちにつまらないことで反発してほしくないからです。
だが、その私が、準シュダオンさんについてだけでは、
下品なたとえをこれまでも二度した。
そのくらい、あなたの慢心は目に余るのです。
無駄だと思うが、>>823で書いたたとえをもう一度言います。
人前で下ろしたパンツをあげなさい。
これは、預流向の話はもうやめなさい、という意味です。

971樹意:2009/07/02(木) 00:07:43 ID:iqemTCP.0
>>949 :準シュダオン:2009/06/30(火) 15:44:10 ID:XESnzsYQ0
>深山さんは、準シュダオンと預流向の違いを、理解することです。

純さん復活ということで何よりですね、まぁ気楽にいきましょう、私も
詳細に引用して純さんにダメージを与えてしまったかと思ってヒヤヒヤしとり
ました、かといって詳細に説明しないことには現信者さんや迷いのある方
を納得させられませんので今まで通りやらせてもらいます。

預流向の説明はスマ氏のアビダンマ解説他で何度かやりましたが、水野広元氏
も説明されているようですので引用します、内容的には同じなのと、ゲイカが
採用している『阿毘達磨倶舎論』他の分類ですので、これに関しては
ゲイカも批判側も同じ見解ということになります、純さんはその自分勝手な
見解を引っ込めるようにしてください。 わかりましたね。

では再度ご説明いたします。
水野弘元著 仏教要語の基礎知識  212p〜
とにかく部派仏教になると、原始経典で説かれている修道論をまとめて説くように
なった。例えば四双八輩の聖者と、その中に理論型と信仰型と禅定型とがあることを
表示すれば次のようになる。

聖者(a)見道ー (1)預流道 (預流向) ー略ー
聖者(b)修道ー (2)預流果 (預流果) −略ー
聖者(b)修道ー (3)斯陀含道(一来向) −略ー
聖者(b)修道ー (4)斯陀含果(一来果) −略ー
聖者(b)修道ー (5)阿那含道(不還向) −略ー
聖者(b)修道ー (6)阿那含果(不還果) −略ー
聖者(b)修道ー (7)阿羅漢道(無学道) −略ー
聖者(c)無学果ー(8)阿羅漢果(無学果) −略ー
ー略ー 
故に心解脱を除いた七種を七聖人ということもある。 −略ー

説一切有部の倶舎論などでは、次のような修道位階が説かれるようになった。

聖者 見道ー(預流向) (十五心刹那)ー見道位
聖者 修道ー(預流果)ー 極七返生  ー修道位
聖者 修道ー(一来向)ー家々     ー修道位
聖者 修道ー(一来果)ー家々     ー修道位
聖者 修道ー(不還向)ー一問(一種) ー修道位
聖者 修道ー(不還果)ー一門(一種) ー修道位
聖者 修道ー(阿羅漢向)       ー修道位
聖者 無学果ー阿羅漢果        −無学位
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆図解になっている部分は文字を入れて同じにしてあります。各人確認していただければ
と思います。(図解ですので合わせた内容にして提示してあります。)

七方便にて四善根 (四諦十六行相の観察)加行位というのがありますが これは
凡夫となっています。 加行の位では聖者ではないということです。
なお倶舎論はゲイカ採用のものですから 批判側 教団側ともに同じような見解
ということで異を唱えるのは純さんだけということですね。
散々議論してきたことですが七科三十七道品というのも部派仏教がわけた
分類です。 増谷氏の阿含経典でも引用しましたが四双八輩は供養に値する
福田という扱いになります。 

読んで字の如く、四双八輩の四というのは 四沙門果のことです。対応する煩悩を
遮断する刹那を(道)それから先は煩悩が出ませんから(果)ということです。
道と果を分けて 8輩 ということになります。
要するに純さんは シュダオンの聖者を自称してきたことになるわけです。

972樹意:2009/07/02(木) 00:38:32 ID:iqemTCP.0
  人間改造の原理と方法 124p〜
  さとりに至る三十七の修行法、
いまはわたくしは、アーガマの諸経典およびアビダルマによって、人間存在の構造を
変える仏陀の教法を見ていこうではないかといった。
ー略ー
アーガマに説かれたこの七科目の修行法は、アビダルマ論師によって、七科三十七道品
 あるいは、三十七菩提分法 と名づけられ、代表的な修行法としてくわしく解説されて
いる。−略ー  138pへ
ところで、三十七菩提分法は、いま述べたように、各科がそれぞれ独立した修行方法の
一体系であり、修行者の素質に応じて立てられたものであるから、この全部を
ひとまとめにしても、そこからは統一ある一つの修行体系というものは出てこない。
そこで、部派仏教は、これを、三十七菩提分法としてまとめ呼びはしたものの、それ
をそのまま修行法として採用することはせず、それとはちがう新しい統一ある
修行法方を案出し、それによって修行するようになった。
しかし、もちろんそれらはかれらが勝手につくり出したものではなく、これらの
修道法の先駆けをなすものが、すでにアーガマの中にみられるのである。それを
あげてみよう。
それは中阿含経一八二・馬邑経、パーリ中部三十九・馬邑大経で、そこでは三十七
菩提分法の中の修行法と直接の関係なく、独自の立場で、修行の発足から最後のさとり
にいたるまでの課程を、段階的にまとめて説かれているのである。−−略ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
んで十七階梯が出てくる。

要するにゲイカは今まで純さんに批判側が説明してきたことをキチンと本に書いている。
要するに純さんが勝手にゲイカの本も読まず自分で 純仏教?を 作ってきたという
こと。
ですから これからは ゲイカと批判側の見解が一致している場合には 
指摘しますので 宜しく お考えの程お願いしますですね。 
申し訳ないが アゴンの批判からそれて他の方の勝手な教学まで 相手にする
気はありません。 なにとぞ 擁護される方はゲイカの本を読んでください。

973ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/07/02(木) 00:40:21 ID:SmEF4Oe2O
>>971で樹意さんが桐山さんも推すアビダルマ倶舎論を根拠に四双八輩(四沙門果)を
供養に値する聖者、福田としてますね。
その福田に預流向も入るわけです。
さて、準シュダオンの自称よりも大したことがない、つまり自分は当然預流向の
一人であると認めたことになる準シュダオンさんは供養に値する福田です。
そこでこちらも準シュダオン流福田解釈に則って福田様に要求しましょう。
準シュダオンさん、あなたにご馳走をしてあげましょう。
だから私に宝生解脱の徳を与えてください。
まさか功徳を授ける力もないくせに預流向福田?

974樹意:2009/07/02(木) 00:58:19 ID:iqemTCP.0
今見たらゲイカもアビダルマから引用して同じような 八輩の図を
人間改造の原理と方法に載せているようです。 181 p

道と果を分けるものまで同じ 見道修道も同じで どうやらゲイカの場合は
預流向をはしょって これを(シュダオン)にしているようです。
まぁ 道を得ればシュダオンですから そういうことです。
預流 (須陀オンとも呼ぶ)−見道
預流果 
ー略ー オンの字は漢字ですが カタカナ表記
まぁそういうことで、 純さんは 訂正して深山氏他 皆さんに訂正して
一言あるべきではないでしょうかね。 
いままでシュダオンを名乗っていたわけですからね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

975樹意:2009/07/02(木) 01:03:45 ID:iqemTCP.0
>>973 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/07/02(木) 00:40:21 ID:SmEF4Oe2O
>その福田に預流向も入るわけです

くどいようですがゲイカの分類で預流向はシュダオンという分類です。道を得た段階から
聖者ということでこの点批判者もゲイカも同じ分類です。

976樹意:2009/07/02(木) 02:13:58 ID:iqemTCP.0
あ〜あ 寝られんようになったw w
今私が持っている水野弘元氏著 原始仏教 それと先に引用した 水野氏 
仏教要語の基礎知識 で なんかこの四双八輩の構図が似ているな〜と
思ったら 人間改造の原理と方法の タネ本だった。 w w w
大笑い。 大爆笑。 やってくれますね〜ゲイカ。 プ w

人間改造の原理と方法 181pの四双八輩の図は  水野弘元著
原始仏教 212.213pの図を写したもの。
水野先生の本では
シダゴン(一来) をゲイカの本では 一来(シダゴン) 
アナゴン(不還) をゲイカの本では 不還(阿那含 )
一応入れ替えて ある w w  w  ゲラ ゲラ w

>>972 :樹意:2009/07/02(木) 00:38:32 ID:iqemTCP.0
 > 人間改造の原理と方法 124p〜
ここで書いた文章も水野さんのをそっくり写したぶんしょうですが、十七階梯までね。
これは142pで (この章、水野弘元著『原始仏教』に多く拠る)とありますから まぁ
ぎりぎりセーフ ?
そこから更に 198p、199pにある文章 

仏教では四無色定の上に、さらに滅受想定(滅尽定)という瞑想の境地を立てている。
そこでは、受(苦楽の感受作用)や、想(概念表象の作用)のはたらきが完全に滅して、
ほんとうの無念無想が得られるのである。これは、阿羅漢や、阿那含などのすぐれた
聖者のみが得られる境地で、それらの聖者が人里はなれた閑寂の地でひとり修し、
禅定のたのしみをたのしむのであるとされる。−−ー

水野弘元著 原始仏教 225p 〜

仏教では四無色定の上にさらに滅受想定(滅尽定)というものを立てゝいる。
そこでは、受(苦楽の感受作用)や想(概念表象の作用)のはたらきが滅して、
ほんとうの無念無想が得られるのであって、これは、阿羅漢や阿那含などのすぐれた
聖者のみが、それに入って禅定の楽をたのしむものであるとせられる。−−−
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ゲラ ゲラ 
四禅の説明のところも似たようなやり方だわな、調べればもっとでてくるだろう。w

この人間改造の原理と方法の110p〜 からは例の増谷博士の剽窃文がありますしね。
なは なは なは ははははははっははは  大笑い 爆笑。

977大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/07/02(木) 16:49:33 ID:/nyb2IXY0
>>976 樹意さんへ
投稿拝見して驚きました。まさかネタ(タネ)元を発見とは。素晴らしいですね。

以前から2chではゲイカは「パクリの天才」といわれてましたが、なるほど。
これでマスマス押さえが利くというものです。

ゲイカは本が好きで大量の本を昔から購入するのがあるわけですが、それはネタを
仕入れるためでもあり、実際に使われているのを示すのが有るとただのやっかみの
批判をしている、というのは言われませんからね。又、証拠にもなる。

また、自分の主張を示そうとすれば学術的なものを示すのも非常に効果が有るが、
それを無知識な人が示そうとしても早々出来ない。そうなれば、何かの本や文章の
パクリをすることでカバーできるわけでして、まさにゲイカの鍍金が、また一つ
はがれた、というものです。これはまさに寝れなくなるはずですね。

重要な情報、ありがとうございます。

978樹意:2009/07/03(金) 07:08:41 ID:iqemTCP.0
>>977
大日さんどうもです、
もしかしたら後ほど詳しく報告できるかもしれませんが、もし機会があるなら図書館等
水野弘元氏の原始仏教や増谷文雄著 原初経典 阿含経(筑摩書房)と較べてみて下さい。
増谷氏剽窃文との比較は 阿含宗という宗教83 http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/agon01/agon83.htm
762-764 にアホダラ氏が書いてくれています。むこうの比較は阿含密教いま(平河出版社)
ですが 人間改造の原理と方法110pにも同様の文章があります。
無論他にもタネ本はあるでしょうから それは今後見つかったらUPするということで。

ゲイカがまともに引用するときは 段を2段程下げて
  こんな
  感じに引用とわかるようにかきますし、先に誰それの先生の
  文章であると紹介する書き方です。
>>976 に私が引用した ゲイカの (この章、水野弘元著『原始仏教』に多く拠る)
は文章の最後に入れたものです。殆ど引用なのにうま〜く流した感じです。
あとは完全な剽窃の部分 文字を入れ替えただけのもの 自分流にアレンジした文章
とか ネタ本を組み替えただけのやり方だったりする。
先に書いたように 四双八輩の絵図も字を少し入れ替えたりして操作してありますが、構成は
そのまんまなので手を抜いたのでしょう。
要するにタネ本を三倍増しにしてある、これはタネ本をうまく使いまわすやり方です。
文章の構成をうまくいじって、少し読んだ程度ではわからないようにしてある。
今こういう掲示板が出てきて 批判のために引用をするようになりましたから、私なぞは
どこかで読んだ文章だな〜 というのが出てくるわけです。

そもそも剽窃が宗教者の取る態度かといえば答えは歴然。
また愚問時脳という博覧強記の脳ミソがあるなら、そういう操作はいらない。
タネ本からゲイカの著作を眺めるなら ふ〜ん ほう ほう ふ、 という感じです。
まぁ機会があるならやってみてください、ゲイカの愚問時脳の中身まで俯瞰できる。
そういうしろものです。 みていただくのは文章そのものもありますが
タネ本から持ってきた文章を どういう風に配置させたか、並べ換えたか、剽窃
挿入したかの 組み立て方構図をよく観察してみてください。
それをするとゲイカのやり方がよく判る。(もしかしたら私が報告するかもしれませんが)
手品のタネあかしをするのは楽しいものです。

979深山:2009/07/03(金) 23:33:34 ID:UQ3Oem5.0
>>934 :輪廻やめたい:2009/06/28(日) 23:08:48 ID:TMjeGtd60
>私は信者です。肉眼では見えませんが、良くないエネルギーの場合、鳥肌が立ちます。

すっかり亀レスになってしまいました。
ハンドルと書いている内容の違いがちょっと気になりました。
ハンドルの「輪廻やめたい」は、あなたの希望であり、
信仰の一つの目的なのでしょう?
つまり、少なくともシュダオンになりたいという希望ですよね。
とすれば、どうしてアゴン宗にいるのですか。
また、それとあなたが書いている霊的な話とどう関係しているのだろう。
私は元信者だから、アゴン宗でそれらをグチャグチャに混ぜて
説明しているのは知っています。
だが、あなたはスレの批判をいくつか読んだのでしょう?
だったら、釈尊が輪廻を止める方法とはなんであるかを知ったはずです。
釈尊が説いた輪廻を止める方法は、霊的な存在なんてなんにも関係ありませんよ。
幽霊がいようが、先祖が祟ろうが、鳥肌が立とうが、
あなたの輪廻とはなんの関係もありません。

980深山:2009/07/03(金) 23:37:21 ID:UQ3Oem5.0
>>934 :輪廻やめたい:2009/06/28(日) 23:08:48 ID:TMjeGtd60
>私は信者です。肉眼では見えませんが、良くないエネルギーの場合、鳥肌が立ちます。

『真実の仏陀の教えを説く阿含経講義』の出家経を読んでみてください。
解脱への道であるシュダオンになる条件とは、桐山さんも説明しているように、
三結という三つの煩悩を断じることです。
釈尊はこれ以外の条件は出していません。
霊障のホトケを成仏させろとも、先祖供養をしろとも、
鳥肌を立てて鳥になれとも言っていない。
魂があるなどという身見を捨てて、
漏尽解脱を小解脱などと小馬鹿にする疑惑を捨てて、
護摩や占いや死者成仏など外道を捨てることで戒取を捨てる。
これがシュダオンになるための条件です。
輪廻をやめたいというわりには、釈尊が出した最初の
三つの条件にわざわざあなたは違反している。
そういう自分のあり方に矛盾を感じませんか。

981深山:2009/07/03(金) 23:40:34 ID:UQ3Oem5.0
>>934 :輪廻やめたい:2009/06/28(日) 23:08:48 ID:TMjeGtd60
>私は信者です。肉眼では見えませんが、良くないエネルギーの場合、鳥肌が立ちます。

釈尊が輪廻をとめるために出した条件とは、外にある良くない
エネルギーではなく、あなた自身の中にある煩悩をなくせと説いているのです。
私はあなたが霊的に敏感であることを否定しているのではありませんよ。
だが、それが釈尊の説いた教法において、何の役に立っているのだ?
見えない良くないエネルギーを感じるなら、どうして桐山さんの山のような
嘘をあなたは直感的に把握できないのだ?
私は直感的にも霊感的にも桐山さんが大嘘つきであることは見抜けなかった。
桐山さんの嘘の現実的な証拠を見てから、初めて彼が病的な嘘つきだとわかった。
もしも、あなたが現実的な証拠などなくても、桐山さんを見ているうちに
直感的に、「この人は嘘つきだ」と見抜いたのなら、あなたの霊感は素晴らしい。
私など何年もかかったことを一瞬で見抜いたのなら、尊敬するでしょう。
だが、あなたはここでの桐山さんの嘘だらけの話を示されても、
まだ桐山さんを深く信じているのですよね?
だったら、その霊感は何の役に立つのだ?

982深山:2009/07/03(金) 23:45:39 ID:UQ3Oem5.0
>>934 :輪廻やめたい:2009/06/28(日) 23:08:48 ID:TMjeGtd60
>私は信者です。肉眼では見えませんが、良くないエネルギーの場合、鳥肌が立ちます。

気分を害するだろうが、あなたはとても鈍感な人なのだと思う。
桐山さんの発する強烈な欲望や執着に何も感じないのでしょう?
たいていの欲望や執着は目には見えない。
あなたはそういう見えないエネルギーにとても鈍感な人です。
私は信者時代ですら、彼の強烈な自己顕示欲と、
ぬめりつくような自己愛と自己憐憫は、いつも見なかったことにしていた。
あなたがそれらを指摘されるまではっきりと自覚しなかったというならまだわかる。
桐山さんの嘘に気が付かず、阿含経で釈尊が何を説いているのか知らず、
そのために信仰していたというなら、普通の人です。
だが、あなたはここと2ちゃんねるの批判を読んでいますよね?
桐山さんのすさまじい強欲、執着、嘘つき、妄想癖、
虚言癖という負のエネルギーにあなたは鳥肌が立たなかったようだ。
仏教徒ならば、もっと桐山さんの強烈な煩悩の悪臭に敏感になるべきです。
仏教徒なら一番敏感に感じるべき煩悩に鈍感だった自分に腹を立てるべきです。

983深山:2009/07/03(金) 23:48:44 ID:UQ3Oem5.0
>>934 :輪廻やめたい:2009/06/28(日) 23:08:48 ID:TMjeGtd60
>多くの人たちが自分たち以外の霊的存在を感じることができればいいのにと
>思います。

負のエネルギーなんて、どこかよそを見ていないで、
自分と桐山さんという現実に存在する人間の心を良く観ることです。
先祖が夢に出て来たなんて、子供みたいな寝言を言っていないで、
現実のあなたの心と、あなたが尊敬してやまない桐山ゲイカの
言動を肉眼で良く観察することです。
阿含経で釈尊が何を説いているのか、経典だけを読んでみることです。
桐山さんの解釈は不要どころか、害になる。
釈尊は負のエネルギーに目を向けろと言いましたか。
桐山さんは『間脳思考』で、釈尊は好戦経や堕胎経で霊的な存在を説いたとしている。
これらの経典にある「肉段」は死後の霊的な存在と見ていいでしょう。
肉段は霊的な動物に身体を突かれ、激しく苦しんでいる。
桐山さんはこれこそが霊障のホトケだと言った。
あなたのいう良くないエネルギーであり、自分たち以外の霊的な存在です。
これがそれほど重要なら、釈尊は彼らの害毒と成仏させろを説いたはずです。
阿含経に残された釈尊の本当の言葉を見てください。

984深山:2009/07/03(金) 23:51:17 ID:UQ3Oem5.0
「我れも亦たこの此の衆生を見て、而かも説かざるは・・」

これが釈尊の返事です。
「自分もまたこれらの存在を見ているが、しかし、あなた方に説かないのは・・」
と述べている。
アゴン宗の信者ならこの釈尊の返事に飛び上がるほど驚かなければならない。
霊障のホトケを比丘にすら「説かない」といっているのです。
おかしくありませんか。
桐山説によれば、霊障のホトケを成仏させないかぎり、
絶対に因縁が切れず、あなた自身も絶対に成仏せず、したがって、
輪廻からは脱出できないという。
悪因縁の元をたどると、桐山型の霊障のホトケによるものと、
ソンディ型の運命の反復によるものと二つになるという。
ソンディ型とは、異母兄とその妻が霊障のホトケとなったために、
生まれ変わり、同じ人生を歩もうしたという話です。
それほど重要な霊障のホトケなのに、釈尊は「説かない」と言っているのです。
解脱するかしないかのカナメになるような重要なことを、在家はもちろんん、
比丘にすら説かないというのです。
驚くことはこれだけではありません。

985深山:2009/07/03(金) 23:53:28 ID:UQ3Oem5.0
「我れも亦たこの此の衆生を見て、而かも説かざるは・・」

釈尊は霊障のホトケの話が出ているにもかかわらず、
これを成仏させなければならないとは説いていない。
ブッタマゲませんか。
桐山ゲイカは口角泡を飛ばして、霊障のホトケによる霊障のカルマを
解かなければ、個人ばかりでなく、地球そのものが壊滅すると獅子吼されている。
だからこそ、世界各地で柴燈護摩をして、少しでも霊障のカルマを解いて、
人類の平和のために貢献している。のでしょう?
それができるのは阿含経に説かれたオシャカの成仏ホーだけであると述べている。
だが、そのオシャカの成仏ホーの発明者であるはずの釈尊は、
霊障のホトケを前にして、これを成仏させなければならないとも、
霊障のカルマを解かなければならないとも説いていない。
釈尊はただ、彼が生前、面白半分に人殺しをしたから、地獄に堕ち、
今もまだ苦しんでいるのだと説明しただけです。
桐山ゲイカは狂おしく霊障のホトケの成仏を説いているのに、
釈尊は横目でチラッと見ただけで、無関心です。
この温度差にあなたは驚かないか。

986深山:2009/07/03(金) 23:57:06 ID:UQ3Oem5.0
>>934 :輪廻やめたい:2009/06/28(日) 23:08:48 ID:TMjeGtd60
>多くの人たちが自分たち以外の霊的存在を感じることができればいいのにと
>思います。

釈尊は比丘たちに、自分たち以外の霊的な存在を感じなさい、とは説いていない。
これらの経典で釈尊が言ったこととは、大目連の話が嘘ではないこと、
悪業を為した者は、生前逃れることができも、その報いを受けることを説いただけです。
だから、大目連はゴンネンとミショウした。
桐山さんのいう霊障のホトケは完全無視して、
あなたのいう霊的な存在を感じろとも説いていない。
そればかりか、「説かざる」というのだから、不必要だと釈尊は言ったのです。
必要なら釈尊はちゃんと説いたが、たまたまそのような話が出たから
説明しただけで、必要がないのです。
アゴン宗の最重要教義である霊障のカルマによる悪影響や
死者の成仏を釈尊は必要がないから説かなかったのです。
事実、阿含経のどこにも霊障のカルマの話も不成仏霊の成仏も
釈尊はただの一言も説いてはいません。
あなたが信じている宗教と釈尊が説いた仏教とは
似ても似つかないことに気が付きませんか。

987深山:2009/07/03(金) 23:59:50 ID:UQ3Oem5.0
>>934 :輪廻やめたい:2009/06/28(日) 23:08:48 ID:TMjeGtd60

そこで話があなたのハンドルに戻ります。
釈尊は亡くなる直前、自分の教法以外では絶対に解脱できないと言っている。
輪廻をやめるとは、その一歩はシュダオンとなり解脱への道を歩むことです。
だが、釈尊は自分の教法以外では絶対に不可能だと断言している。
ここからは信仰の問題にすぎないのだが、あなたが本当に釈尊を信仰しているのなら、
今やっているアゴン宗という外道の教えでは絶対にシュダオンにすらなれない。
あなたがどんなに霊的に敏感でも、あるいは霊障のホトケたちを
世界各地で成仏させたと自惚れても、
釈尊の説く解脱とは何の関係もないのからです。
アゴン宗で様々な修行をして解脱しようというのは、
パチンコがうまくなれば大学に合格できるだろうかと言っているのと同じです。
あなたは霊感でよく玉の出る台を見抜く能力を持っているのかもしれない。
だが、いくらその能力があっても、大学合格とはまったく関係ない。
あなたのハンドルと実際にしていることとは、
こういうたとえがピッタリするくらい見当違いです。
元信者として一つ助言するなら、自分の感性を頼りするのはほどほどにしたほうがいい。
感性などあてにならない。
事実あなたの感性も霊感も桐山さんの嘘を何一つ見抜けなかった。
あなたに必要なのは、霊感を磨くことではなく、肉眼と普通の知性で
現実と自分と桐山さんをあるがままに見ることです。

988ユビキタス:2009/07/04(土) 08:25:51 ID:SmEF4Oe2O
「輪廻やめたい」さんのハンドルを見た時に真っ先に「これは反逆に相当するなw」
と思いました。
と言うのは今の桐山さんの教学では「輪廻大好き」「輪廻は楽しい」なのです。
ご存知輪廻転生瞑想法ですね。
自分が思い描いているように生まれ変わる。
完全に仏教から逸脱、反逆してしまったと、干柿さんさえも呆れ果ててしまった。

989ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/07/04(土) 08:52:20 ID:SmEF4Oe2O
トリップを入れ忘れたな。
人間改造の原理と方法に見られる桐山さんの他人の本のパクリ、無断引用に近い
瓢窃の問題は巻末に参考・引用文献を列挙すればよいというものではない。
自分の言葉に噛み砕くこともできず、あそこまで丸写し行為をするならば
その場で脚注でもして、引用元を示して引用の形態を示すことです。
その形態がふさわしくない、嫌だと思ったら面倒でも自分の言葉で語り、水野本
と内容は同じでも表現は変えて区別することです。
桐山さんにはその能力すらない。
道義の問題だけでなく、物書きとしての能力の問題です。
桐山さんのパクリを読んで思ったのが、下手な学生の提出レポートです。
最近は大学などの授業で提出するレポートでもパソコンを使用し、手書きなどはしない。
この場合よく使われるのがWebページにある論文などのコピペです。
コピペでも引用と示すのならばよいが、他人の論文の一部を我がレポートの一部
とばかりに、いかにも自分の文章であるかのように示す。
実は自分も十分内容を理解してないから、こういう手抜きをする。
手抜きと言うよりも能力を超えてしまっているので容量オーバーです。
なるほど小説家になんかなれるほど文才などない。
頭の悪い学生の目先騙しの提出レポートと同じです。

990準シュダオン:2009/07/05(日) 16:12:42 ID:XESnzsYQ0
私は究羅檀頭が、供養だけでアナゴンになれたなどとは、言っていない。
深山さんの思い込みと勘違いですね。三宝への供養は、果報を得る、と
いうことを述べているに過ぎません。今まで、供養しても果報を得られな
かった人は、果報を貪ったからでしょうね。そういう方は、反省せねばい
けませんね。

預流向を名乗る資格がどうのこうの、とあったけど、可笑しいね。
本物の預流向か外道かは別として、釈迦仏教を名乗る以上は、その第一歩は
預流向を名乗らねば仏教徒ではないのね。
預流向を、旧日本軍隊でいうと、2等兵のことなのです。

「私は軍隊で直ぐに2等兵を得た」との話を聞いて、傲慢だと思う人がいる
でしょうか?そりゃ、4等兵なり5等兵が居ると思ってるような知識のない
人は2等兵でも大したもんだ、と思うかも知れない。でも、2等兵は階級が
一番下なのです。直ちに2等兵を得た、なんてのは笑い話です。

深山さんは、大王の使者だっけか?「直ちに預流向を得た」とかのレスを
引用してたと思うけど、考えてみるとあれ、可笑しいよ。
「預流向を得た」なんてのは、「2等兵を得た」と、同じようなものですか
らね、自慢するには可笑しい話です。あれは、使者氏が、たぶん冗談を仕掛
けたんではないですか?と、思いますよW。

991準シュダオン:2009/07/05(日) 16:29:51 ID:XESnzsYQ0
福田とは、当初は釈迦のことであった。
それがだんだんに対象が広くなって、やがて四向四果すべてを含むように
なったのです。

だから、阿含宗が釈迦の教法の相続者であるならば、私も当然、福田の一員
ということになります。ユビキタスさんが私を供養するならば、果報は当然
ありますね。ところが、今までのユビキタスさんのレスを見ると、私への
供養どころか、コケにしてるようです。
これでは果報どころか、コケるだけでしょう。

992準シュダオン:2009/07/05(日) 16:58:28 ID:XESnzsYQ0
2500年前の釈迦が、現在の日本に転生してきた場合、前回と同じ手法は
取らないでしょう。第一に、日本にはバラモンに施食する習慣がないです。
禅宗などの、一部既成仏教においてならば、托鉢に応じる人も居ようが、
今から30年前に阿含経を説いて托鉢したとて、応じる人は稀でしょうね。

お釈迦さまが、もしも今の日本に転生してきた場合、真言宗の護摩もあれば、
天台宗の護摩もあるし、いまや禅宗でも護摩を焚きはじめてるところがあり
ます。日本にはカッサバ兄弟もいないし、お釈迦さまは護摩の禁止などしな
いと思いますね。

993大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/07/05(日) 22:17:44 ID:m5gWNp7s0
>2500年前の釈迦が、現在の日本に転生してきた場合、前回と同じ手法は取らないでしょう。

これは例えにするほうがおかしい。釈迦は「我は転生しない」といわれている。
それをどういう都合か気の変わりか、で転生などするものですか。
で、次に言う言葉もおかしい。

>お釈迦さまが、もしも今の日本に転生してきた場合、真言宗の護摩もあれば、
天台宗の護摩もあるし、いまや禅宗でも護摩を焚きはじめてるところがあり
ます。日本にはカッサバ兄弟もいないし、お釈迦さまは護摩の禁止などしな
いと思いますね。

まず護摩の意味や意義を考えてみればよろしい。釈尊が導師になって何に対し祈祷するのか?

いいですか?護摩というのは拝火と祈祷の名残です。それを儀式化しただけです。
釈尊自身が本尊なのに自分以外の何かを本尊とし護摩を焚くのか?
もうこの時点でおかしいですよ。
天にいる諸尊に向けて供物を供養する意味がどこにあるのか?
釈尊自体が護摩自体を禁止した理由さえも分らないのですね?

供養を受ける本尊が自分であり生きて存在するのだから、敢えて空中というか概念の存在の
「本尊」とやらに供養を捧げる必要があるのか。
何で転生したとしたら自分がこの世にいるのに火を焚いて「自分を願いを叶えたまえ」と護摩を焚いて
拝むのか?おかしいと思わないのですか?
それなら直に「それが如来だ。供養を受けるぞ」といい供物や金銭、労力を承って徳で信者に返せばいい。
なぜ、わざわざ護摩という方法を持って自分に向かって火を焚くというのか?

これでは釈尊も頭がおかしいといわざるを得ないですね。
というか、準さん。ちょっと考えれば分ることではないでしょうか?

994大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/07/05(日) 22:25:10 ID:m5gWNp7s0
「自分に対し、自分の願いを叶えたまえ」とやることになるのですからやるはずが無いのです。
または自分以外の存在、つまり釈尊は何に対して祈祷するのか?であります。
法の象徴である「大日如来」にでも祈祷するのでしょうか?
またはジュンテイ如来でも構わない。それらに向かって祈祷するのですか?
もう、この時点で釈尊は気違いであるとしかいえないじゃないですか。
だから、祈祷するはずが無い。

次に煩悩解脱は祈祷・供養でするものではないのです。
自分自身の心の煩悩を消すために心の様々なことを把握・分析・調整・訓練してゆくものです。
祈祷して、供養して改善できるならとっくの昔に皆が解脱しています。
アゴンのやっていることは何だ?供養ばかりではないか。
煩悩を増やすことばかりして消すことをやっていないではないか。

釈尊のやられていることとゲイカのやられていることの整合性をよく見ることですね。
全然違いますよ。

995大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/07/05(日) 22:34:54 ID:m5gWNp7s0
>阿含宗が釈迦の教法の相続者であるならば

貴方はあると申されている。だが、無いということに気が付かないでいる。
有るのは欺瞞と虚偽の世界だけだ。
何で釈尊の教法を講じているのなら、供養や護摩に走るのか。
その時点から検証しなければいけない。

>第一に、日本にはバラモンに施食する習慣がないです。

当たり前です。だから施食などしなくてもいい。供養はいらないのです。
修行法の実践だけでいいと私は見ています。
どこに今の日本の仏教に正統仏教など有るか。
もしあったならその集団に供養すればいい。
言っておきますがアゴンは正統ではないので供養しても無駄です。

私から言わせれば正統な仏教など日本には無いです。
世界中でもどれだけ有るか疑わしい。
皆それぞれの仏教では欠片の部分で正しい教法をやっているかも?というのは
見聞きするが、さてそれもどうかと思っている。
100%正統仏教有るなら出してみせて欲しいです。

これだけの世の中では自分で取捨選択して講じるしかないとわたしは思っています。
これこそは、という教団は知らないし見かけない。

今まではアゴンが正統だと思っていた。しかし、2chに接してからは嘘だと分った。
で、日本の各宗派を見てもどれも部分で正しいのはあっても正統な仏教はないですね。
だから、供養などいりませんです。

996ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/07/05(日) 22:39:07 ID:SmEF4Oe2O
>>992
そうですね。私も大日さんと同じく現代の釈尊の考察からレスをつけましょうか?
いろいろと技術や社会組織が発達した現代日本に釈尊が生まれて布教しようと思ったら
2500年前と同じようにいかない面もあるでしょう。
樹下に寝泊まるなんてことはできず、全国各地を移動するにしても、どこかに
定住して戸籍を得なければならない。
移動にしても徒歩のみなんてことはない。
電車にも乗ろうし、飛行機に乗って移動もしよう。
また辻説法みたいな直接説法ばかりもしないでマスコミも使うかもしれない。
すなわち本も出版するかもしれない。テレビに出るかもしれない。クイズや
バラエティー番組などには出ないだろうが。
インターネットを活用するかもしれない。
しかし護摩なんか焚きませんよ。
護摩なんて焚き火が文明の発達と何の関係があるのか?
釈尊在世の時から護摩はあるのです。
情報伝達の手段が発達すると、多くの人に自分の教えを伝えようと、柔軟に対応
されるだろうが、護摩を焚く必要性などないし、焚き火をすることで当時は
叶えられなかった問題が解決するわけではない。
問題が焚き火で解決するならば2500年前から焚き火で解決していたはずです。
21世紀の現代、いよいよ護摩など焚く理由がない。
だから現代の釈尊が護摩など焚くことは100%ない。

997大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/07/05(日) 22:44:23 ID:m5gWNp7s0
もういい加減、供養という言葉から離れましょう。
供養より大切なのは、自分自身を磨き向上させることです。
釈尊が解脱に必要なことの要素はそのことに尽きるのです。

供養という言葉と理論に持っていったのは大乗の教えです。
仏教の歴史や原始仏教の本を読んでないから理解できないのです。
ゲイカの言ったことと自分の願望だけを信じている。
それでは私たちの言っていることも理解できるはずが無い。

供養をして良くなるのだったら、何故私の知り合いは未だに貧乏で救われないのですか?
過去に供養をした私の身内はどうして末期ガンになるのですか?
すぐに救ってくださいよ。
そして、私も救ってくださいよ。

いくら供養してもゲイカは何て言うと思います?
「それはお前の供養が足りないからだ」とか「悪因縁が強いからだ(業が深いからだ)」
で終わりでしょう?
いつまでどこまでやればいいのか。しかも、お釈迦様がそういうことを言ってないのに
業が深い?因縁が悪い?供養が足りない?

じゃあ我らは死ねと・苦しめというのですね?

そういう程度の仏教なら私には要らないですね。

998大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/07/05(日) 22:52:49 ID:m5gWNp7s0
私は2chで深山さん、ユビさん、樹意さん・・・その他いろんな方から教えられた。
釈尊はそういうことは言ってないぞと。ゲイカは間違っているぞと。
そして私は調べた。答えは皆さんの言うとおりでした。

因縁は「因果応報」を述べたものであり、悪因縁云々は言われていないし、悪因縁解脱など
釈尊は説かれていない。また、成仏法の内容もかなり違う。
一番驚いたのはゲイカの言っていることがパクリと虚偽が多いことです。
これでは解脱などできるはずが無い。大笑いです。だから私はアゴンを離れた。

供養や祈祷そういったもので解脱を奨めるなど釈尊はしていないのです。
いま、巷に溢れる祈願や何々供養などは釈尊お教えではないのです。
それに気がつかないのがアゴンの信者です。

私もゲイカの本と話ばかりしか見てなかったから知らなかった。
信者にはそういう人がほとんどです。
本当の仏教を知ったら、ゲイカの虚偽には気がつきアゴンの行動など出来なくなる。
我々の言うことを嫌なこととみなし、聞かない・調べない・比較検証しないから
いつまでたっても理解できないのです。

999大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/07/05(日) 23:02:33 ID:m5gWNp7s0
私は前にも言ったとおり、一旦自分の考えはは横に置いて、釈尊の教えとアゴンの教法と
比較してほしいです。全然違いますから。

阿含経から「因縁解脱法」を見つけてください。ありませんから。
また悪因縁というものが有る。それを解脱する方法があるぞ、という箇所も
探してください。ありませんから。

また、成仏法には死者と生者の2種類が有る、というのもあるかどうか。
ありませんから。全部ゲイカの創作です。

そして、密教は大乗仏教です。何で原始仏教の枠から外れて密教をやる必要が有るか?
釈尊は「私の死後、密教をやれ」とは言ってないでしょう?
また、仏舎利である釈尊の遺骨に供養せよ、護摩を焚けなどとも言われてない。

人間の世界では遺言書もかなり意味があるものですが、弟子達の書かれたお経は
遺言書に近いほど影響力があるものです。
誰が作ったかわからない大乗仏教の経典を崇めるよりも、阿含経に従うのが本筋。
密教を行を行うのにふさわしいから、とアゴンでは行っているがもうその時点でおかしいです。

釈尊は在世の時期に密教の様式・作法で拝むことも祈ることも行っていない。
この事実を理解するべきです。

1000大日如来 ◆eu6hMsrO3Q:2009/07/05(日) 23:08:53 ID:m5gWNp7s0
密教・供養にこだわるのはもうやめましょう。
なぜ、釈尊の言われたことに反することに敢えて行うのか。
ゲイカの方便に騙されてはいけません。

釈尊は「我に供養せよ。さすれば徳が授かる」と言っていますか?
阿含経にそう書かれているのですか?
徳が因縁解脱できる、という記述さえないのですよ。
どこから誰がそれを持ってきたのですか? ゲイカでしょう?
釈尊は一切そういうことは言われていません。
騙されていることにそろそろ気が付いてください。

さて、もう残り少ないことからわざと書き込みをラストまでしました。
次のスレは立てておきますので、続きの投稿は次の「43章」でお願いいたします。

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