掲示板 > 政治/社会 > 宗教論・人生論 > 過去ログ

阿含宗と桐山氏について―第二十章―そうだ 京都、行こう。―

[0]服部エンタープライズ社長 06/01/28 08:25 *vOys31uzjgw*LhI5FJZPa8

 阿含宗と桐山氏について―第二十章―

 http://smil.jvcmusic.co.jp/naviram?cd=SE9-13413&sid=ATVE

 行 京 そ

 こ 都 う
    、
 う   だ
  。
 http://kyoto.jr-central.co.jp/


                             協力:JR東海 その他


追加情報..(06/02/05 09:54)
過去スレの紹介

阿含宗と桐山氏について
http://religion.dot.thebbs.jp/1059331092.html
阿含宗と桐山氏について―第二章―阿含宗の謎と実際―
http://religion.dot.thebbs.jp/1068447920.html
阿含宗と桐山氏について―第三章―阿含宗の研究―
http://religion.dot.thebbs.jp/1070718137.html
阿含宗と桐山氏について―第四章―続・阿含宗の研究―
http://religion.dot.thebbs.jp/1077270153.html
阿含宗と桐山氏について―第五章―阿含宗を斬る―[0-5454]
阿含宗と桐山氏について―第六章―阿含宗の秘密[0-1024]
阿含宗と桐山氏について−第七章−崩壊への序曲[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第九章―最新刊 『守護神を持て』とは!?―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会― [0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十一章―【ザ】の皆さん専用です―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十二章―阿含宗の未来は・・・!?―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十三章― ・・・であります!?―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十四章―・・・今後とも宜しくです!! [0-1024]
.阿含宗と桐山氏について―第十五章― 『アートマン プロジェクト』 ― [0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十六章―全人類共通の先祖 『アダム』 ―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十七章 ― 蛇の道は蛇 ―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十八章― 哀愁バイオレット!?―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十九章―【真救世主伝説】―[0-1024]

[1]服部エンタープライズ社長 06/01/28 08:27 *vOys31uzjgw*LhI5FJZPa8
過去スレの紹介

阿含宗と桐山氏について
http://religion.dot.thebbs.jp/1059331092.html
阿含宗と桐山氏について―第二章―阿含宗の謎と実際―
http://religion.dot.thebbs.jp/1068447920.html
阿含宗と桐山氏について―第三章―阿含宗の研究―
http://religion.dot.thebbs.jp/1070718137.html
阿含宗と桐山氏について―第四章―続・阿含宗の研究―
http://religion.dot.thebbs.jp/1077270153.html
阿含宗と桐山氏について―第五章―阿含宗を斬る―[0-5454]
阿含宗と桐山氏について―第六章―阿含宗の秘密[0-1024]
阿含宗と桐山氏について−第七章−崩壊への序曲[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第九章―最新刊 『守護神を持て』とは!?―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会― [0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十一章―【ザ】の皆さん専用です―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十二章―阿含宗の未来は・・・!?―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十三章― ・・・であります!?―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十四章―・・・今後とも宜しくです!! [0-1024]
.阿含宗と桐山氏について―第十五章― 『アートマン プロジェクト』 ― [0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十六章―全人類共通の先祖 『アダム』 ―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十八章― 哀愁バイオレット!?―[0-1024]
阿含宗と桐山氏について―第十九章―【真救世主伝説】―[0-1024]

[2]服部エンタープライズ社長 06/01/28 08:29 *vOys31uzjgw*LhI5FJZPa8

 今年は七日からの予定!!


                今年はまた寒そうだね〜


[3] 06/01/28 10:27 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
新スレありがとうございます。
まるで星まつり記念みたいですねw
我が家はスケジュールが空かないので参拝もできそうにありません。
残念!
[4]服部エンタープライズ社長 06/01/28 18:00 *vOys31uzjgw*LhI5FJZPa8

 こんなのが有ったのね〜

 http://www.kyoto-tv.info/library/calender/winter.html


[5]よろぴこ仮面 06/01/28 18:07 92BAvq4XKl
何で京都?
京都大フットボール部OBが
アアいう事件を越した今
何故京都?
EH?
[6]I 'll be back 06/01/28 18:12 *iaA1uvP//mh*PuPZPN7WXB
屁理屈屋って商売ありますか?
自分の気に入らない相手を、屁理屈でやっける商売はどう?
一人いますねここにも。

例えば、星祭に行けない宗徒を、熱心に修行しない信者とけなし、
星祭に行く信者を、大きな焚き火を見て何が楽しいとけなす。
初めからパターンが読めちゃうところが味噌なのよ!!
アホ臭くてやってられませんな〜。
[7]神人同行 06/01/28 18:59 ic6jPTxNig
以前、何処でレスしたのか分かりませんが、
阿含宗による宿曜による占いがネットである歳の2月ぐらいまでにありましたよね。其処で試しに上司の運勢を確か、晩年運大大、
さっそく上司に喜びましたね。
だけどその年の2月に心臓発作で他界、
嘘バッカリと思いましたよ。
たしかに当たるも八卦当たらぬも八卦の世界なれど、
私のような人ばかりでは無い。
クレイマ−の多いアメリカなら、
多額の保証金はふんだくられるでしょう。
ついでに言いますと、その上司の娘と今同勤・・そういういきさつ知らないようですが、
無責任な事はしない。
言わないが鉄則とは自らを戒める言葉。
[8] 06/01/28 19:16 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
>>6
あなたの仰っていることはよーく、よーーーーくわかります。
しかし、我々の掲示板上での言い合いなど虚しい。
現場がちゃんとしていれば理屈はどうであれガタガタ言われることも無かった筈です。
あまりムキになって反論しても、心証というものが味方につかないでしょう。
気にいらなければスルーするくらいの感じでいいのではないでしょうか。

>>7
そんな占いがあることすら知りませんでしたが案外興味をもって見ていて下さっていたのですね。
そういうものを見ているときに、そういう出来事が起きるというのもなにかの縁でしょう。
神人さんには「近づくな」というサインが送られたのかもしれませんね。
他の人にはまた別のサインが出ることもあるのでしょうが。
[9]よろぴこ仮面 06/01/29 01:39 92BAvq4XKl
掲示板は、刑事が番をしているわけではないので、嘘八百が多い。
まともに議論が出来ないわけだから、虚しい、はかない、
諸行無常の響きあり。
だからこそ、真理を突いた一言があると
瞬間、光を放ち、そして、散ってゆく。
それでは本日のアフォリズムを。

<会うときは語り尽くすと思えども 別れとなれば 残る 言の葉>

                    大 石 力
[10]ユビキタス 06/01/29 02:14 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>6
星まつりに行けない信者など非難してません。
事情で行けないのは仕方ない。
でもそういう時でも修行で参加できず残念ですとくらい書くのが阿含宗の信者です。
私が書いた相手はどうやら行けないのでもなさそうです。
修行でなく参拝で行けるようです。
そこで修行でなく参拝で行くことに何のためらいも恥ずかしさもなく修行者と同等であるかの
ように示す人に対して、阿含宗信者の立場で疑問を投げかけたのです。
本来はこんな修行に参加するも参拝で参加するも自由なんです。
しかしこの信者は偉そうにシュダオン、アナゴンへの道だの三福道だの説くから
自分はそれを体感しておりユビキタスごときは体感もできない哀れな者と見下す発言を
するので、それならおまえはどの程度の修行をして功徳の種を植えているのか訊ねてみた
わけです。何?年に一度の星まつりに修行もせずにナモナモ参拝に行く?
普段から例祭修行とかボンギョーもしてないようだし。
こんな説得力のない能書き信者に過ぎないと示したわけです。
[11]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/29 03:56 agEXh5/HIi
神仏に相手にしてもらえない例

[10]ユビキタス 06/01/29 02:14 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>6
星まつりに行けない信者など非難してません。
事情で行けないのは仕方ない。
でもそういう時でも修行で参加できず残念ですとくらい書くのが阿含宗の信者です。
私が書いた相手はどうやら行けないのでもなさそうです。
修行でなく参拝で行けるようです。
そこで修行でなく参拝で行くことに何のためらいも恥ずかしさもなく修行者と同等であるかの
ように示す人に対して、阿含宗信者の立場で疑問を投げかけたのです。
本来はこんな修行に参加するも参拝で参加するも自由なんです。
しかしこの信者は偉そうにシュダオン、アナゴンへの道だの三福道だの説くから
自分はそれを体感しておりユビキタスごときは体感もできない哀れな者と見下す発言を
するので、それならおまえはどの程度の修行をして功徳の種を植えているのか訊ねてみた
わけです。何?年に一度の星まつりに修行もせずにナモナモ参拝に行く?
普段から例祭修行とかボンギョーもしてないようだし。
こんな説得力のない能書き信者に過ぎないと示したわけです。
[12]I 'll be back 06/01/29 11:19 *iaA1uvP//mh*PuPZPN7WXB
>>7  神人同行さんお久しぶりです。

宿曜術ですか?まず始めに、年の運勢を見るのに宿曜術は適さないと思いますよ。
それとネットで調べると解りますが、人により暦が全然違いますので、
同じ人でも全く違う星になっているのでは価値無しです。
高野山大学の解釈では(牛宿)は重なる星があるので、
27宿の見解を取っています。もし高野山が出している暦に誤りがあれば、自分の星は永遠に解らないでしょう。

自分の傾向を知るには生年月日刻がよいでしょうが、
これもほとんど観る人の力量しだいでしょうし、
自分はいい星があると思って満足して努力しなければ、
いつになったって運が開けるなどとは思えません。

心臓に不安があればせめて毎日コエンザイムぐらいは飲んで、
体のことも気をつけながら、最善の努力がなければだめでしょう。
特に気をつけるべき時期を空亡などと呼びますが、
その時期以外は病気や事故に遇わないなどという理由は全くありません。
私は自分の昔を思い出すと、
年回りに関係なくいつも病気、事故に遇い、いつも不運続きでした。
今年私は空亡の年に入りますが、
昔と同じような経験をする事は、もはやないだろうと思っています。
(多少の不都合は発生したとしても。)

日本人が何でも自分の不都合や不幸を他人にせいにして、
すぐに『訴えてやる〜。』という社会になったら、
日本もおしまいでしょう。
もっとも、このままではアメリカのシステムをもっと不公正にした社会に、日本もなってしまう可能性すらあるでしょうね。
[13]神人同行 06/01/29 15:19 ic6jPTxNig
え−そうなんですか−知らないものだから、これ一つしかないと思ったりしては駄目ですネ−男は?
[14]ユビキタス 06/01/29 15:26 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>前スレ十九章の1019
初年運なども九星などのの特殊な見方によると必ずしも初年運でなくなる事例もある、
その秘伝を公開するのも容易ではないからここでは書かないが、このように生年だけで
判断するのは危険であるとするのなら、そのように桐山さんも注意を著書にも書いて
促すべきです。
桐山さんはその作業を一切せずに危険な一般論で人を脅すことをしています。
>>12を読むとわかるように、えがったさんも宿曜経とか空亡とか独自に勉強していますが、
私はそんなえがった説の批判もしておらず、あくまでも批判の対象は桐山さんの足跡と
現在において、何をどういうふうに説いたかです。
[15]星祭@過保護 06/01/29 15:43 rJG8OghSm0
>14、あのな〜、あくまでも運命学なんよ。決まりきった宿命論を展開しているわけでもないでしょう。みた経験上ひとには初年、中年、晩年とわけて、それぞれ運気を発動する時期というものがある、とだけ述べている。そして、この本では九星を主とした占いだからそれにそって述べているだけでしょ。なにが脅しなの(笑)。そんなこと言ったら、占いの本は全部脅しの書だよ、大殺界だのと(笑)。それに密教占星術Uはあの値段の占い本としては良書の部類に入りますよ。細かい秘伝などそうそう載ってはいません。
[16]大王の使者 06/01/29 15:59 JG6JNXCXuP
ダンマパダの一節です。
「愚か者は何を習ってもなんらの利益なく
 ますます鈍くなってゆくだけだ
 その知識はかれの頭を打ち砕く

 なぜならかれは人々のなかで上位を求めるからだ
 他人の前に、上に立つことを
 わが働きを認めさせ わが意にしたがわせよう
 それがかれの望みであり 傲慢な思いだ」

仏陀は、「愚か者は知識が増すたびに、その知識が頭を打ち砕く」と言って
います。どういうことでしょうか?私はユビさんを連想してしまいます。
信徒時代のユビさんは、上記のダンマパダ、思い当たることがあるのでは
ないですかねえ。
[17]ユビキタス 06/01/29 18:16 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>前スレの1008
シシャさんは一書に三善根とあり三福業とあるのを信じるわけですね?
で、なんで三福道が信じられるのですか?
三福業があるのならなぜ三福業を採用しないで三福道などにしてしまうのか?
おまけにその三福業の出所はわかっています。
これは三供養品にはなく三宝経です。なんでよその経典から語句を持って来るの?
しかもその三つの福業の意味も違う。
施福業、慈福業、慧福業です。貪瞋痴の三毒煩悩に対処するものと理解でき、
仏教辞典の三善根である無貪・無瞋・無痴、または地主経の三善根の不貪・不瞋・不痴に
該当する実践行ですね。貪には施、瞋には慈愛、痴には慧です。
三宝供養で御利益の福が授かるなんて概念でもない。
桐山さんと同じでどうしてこんなにねじれた話を信じられるのだろうか?
[18]ユビキタス 06/01/29 18:31 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>15
普段の阿含宗の教学と実践に関係ない運命学や、とりわけ九星だけに限った話の運期ならば
参考までに示して、こんな生年による分類などマトモに信じて迂闊に運用などしないようにと
注意・警告がされるべきです。
ALCなどは九星占いを使った阿含宗の正式実践項目です。
どうして九星占いはカンと推理の養成訓練だけに使うことに限定せよと指導せずに
初年運みたいな概念を無批判に教えてしまうのか?
初年運は密教の運の改造の法の訓練で改めるしかないと説いているのです。
前スレに引用したが、あなたこそ密教占星術2のP.289を読みなさい。
[19]大王の使者 06/01/29 18:49 JG6JNXCXuP
17>いいかね、ゆびさん。
私は、三福道だろうが、三善根だろうが、三福業だろうが、呼び方は
どうでもいいのですよ。関心ないです、そんなものは。
肝心なのは、阿含宗の如来に供養(功徳をうえて)して、果報があったか、
なかったか、それだけを問題にしているのですよ。
その意味からいえば、釈迦が説いたかどうかも、問題にしていません。
そして、果報があったと、体感しているわけです。
その体感は主観的なものだから、証明はできない、というわけです。
思い込みかも知れないし、錯覚かも知れないし、事実かも知れません。

桐山師は、阿含宗の護摩の三身即一の如来を、三供養品に説く如来だと
説きました。そのみもとで功徳をうえよ、とね。
だが、「社会科学としての阿含仏教」では、如来とは解脱、さとりを得た
お方のもとで、という意味(P333)です、と、書いています。
また、同書に、如来とは真正仏舎利のことである、とも書いています。
だから、ユビさんみたいに柔軟性に欠けた頭で解釈すると、桐山師の教えを
誤解してしまうのです。
[20]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/29 18:55 agEXhShkpC
「愚か者は何を習ってもなんらの利益なく
 ますます鈍くなってゆくだけだ
 その知識はかれの頭を打ち砕く

 なぜならかれは人々のなかで上位を求めるからだ
 他人の前に、上に立つことを
 わが働きを認めさせ わが意にしたがわせよう
 それがかれの望みであり 傲慢な思いだ」
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
[18]ユビキタス 06/01/29 18:31 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>15
普段の阿含宗の教学と実践に関係ない運命学や、とりわけ九星だけに限った話の運期ならば
参考までに示して、こんな生年による分類などマトモに信じて迂闊に運用などしないようにと
注意・警告がされるべきです。
ALCなどは九星占いを使った阿含宗の正式実践項目です。
どうして九星占いはカンと推理の養成訓練だけに使うことに限定せよと指導せずに
初年運みたいな概念を無批判に教えてしまうのか?
初年運は密教の運の改造の法の訓練で改めるしかないと説いているのです。
前スレに引用したが、あなたこそ密教占星術2のP.289を読みなさい。
[21]大王の使者 06/01/29 18:58 JG6JNXCXuP
星祭りに修行で参加するか、参拝のみか、参拝もできないか、などで、
熱心さを判断するのも間違いですね。
たとえば、会社を退職して暇をもてあましてしている人が修行で参加しま
した。
また、会社の重責にある人が、時間がとれず、でも30分だけ顔をだして
護摩を参拝しました。
また、修行も参拝もできない人が、護摩木勧進だけは沢山していました。

さあ、上記の場合、どうしますか?
はっきり言えることは、他人と比較してはいけないし、比較できない、
ということです。この点、ユビさんは、比較したがります。
だから愚かな考えだなぁ、と、私は思うのです。
[22]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/29 19:14 agEXhShkpC

◎ 昇三十三天為母説法

◎ 三道宝梯降下、従三十三天降下
[23]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/29 19:24 agEXhShkpC


釈尊は

池のほとりの樹下に帰ってこられたのです。

(はよ、阿含経よめ)
[24] 06/01/29 21:30 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
中沼源太郎さん
お忙しいなか恐縮ですが、相談に乗っていただきたいことがあります。
もしよろしければ下記アドレス宛に、あなたに連絡可能なメールアドレスをお送り下さい。
moonbase19800113@yahoo.co.jp
尚、ご本人と確認できるなんらかの情報を添えていただければ幸いです。
スレッドが更新されましたので、改めてお願いさせて頂きました。
重ね々恐縮ですが宜しくお願いいたします。
[25]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/29 22:07 m6dR2aoZOl
[985]服部エンタープライズ社長 06/01/28 22:27 *vOys31uzjgw*LhI5FJZPa8

 ほ〜ら 栗ちゃん くんくんしてね〜
 http://nissinfoods.jp.r3h.net/www.nissinfoods.co.jp/img/DBimage.php?type=news&image=836_image_1.jpeg
1980年、すでに人類は地球防衛組織SHADO(シャドー)を結成していた。

SHADOの本部は、イギリスのとある映画会社の地下深く秘密裡につくられ、
沈着冷静なストレイカー最高司令官のもと、日夜謎の円盤UFOに敢然と挑戦していた。

SID、コンピューター衛星。このSIDがUFO侵入をキャッチすると、ただちにSHADO全ステーションに急報。

スカイダイバー、それはSHADOの海底部隊。世界で最も進んだ潜水艦である。
その前部にはスカイ1と呼ばれるジェット機が装備され、海上を超スピードで進み敵を撃破する。

人間の最高頭脳を結集してつくられたSHADOのメカニック。

ムーンベースは月面基地。ここにはミサイル邀撃機インターセプターが非常事態に備えている。

 UFO撃退の準備はできた!”

[26]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/29 22:08 m6dR2aoZOl
[24]よ 06/01/29 21:30 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
中沼源太郎さん
お忙しいなか恐縮ですが、相談に乗っていただきたいことがあります。
もしよろしければ下記アドレス宛に、あなたに連絡可能なメールアドレスをお送り下さい。
moonbase19800113@yahoo.co.jp
尚、ご本人と確認できるなんらかの情報を添えていただければ幸いです。
スレッドが更新されましたので、改めてお願いさせて頂きました。
重ね々恐縮ですが宜しくお願いいたします
1980年、すでに人類は地球防衛組織SHADO(シャドー)を結成していた。

SHADOの本部は、イギリスのとある映画会社の地下深く秘密裡につくられ、
沈着冷静なストレイカー最高司令官のもと、日夜謎の円盤UFOに敢然と挑戦していた。

SID、コンピューター衛星。このSIDがUFO侵入をキャッチすると、ただちにSHADO全ステーションに急報。

スカイダイバー、それはSHADOの海底部隊。世界で最も進んだ潜水艦である。
その前部にはスカイ1と呼ばれるジェット機が装備され、海上を超スピードで進み敵を撃破する。

人間の最高頭脳を結集してつくられたSHADOのメカニック。

ムーンベースは月面基地。ここにはミサイル邀撃機インターセプターが非常事態に備えている。

 UFO撃退の準備はできた!”

[27]ユビキタス 06/01/29 22:32 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>19
シシャさんが三福業でも三福道でも三善根でもそんな呼称などどうでもよい、関心がない
のと同じように、私も阿含宗の管長である桐山さんがよりによって阿含経を捏造した事実を
聞かされても、そんなことに関心がないなんて態度を決め込むシシャさんに関心ありません。
たとえば悩める会員さんなどのように、経典の捏造など恥ずべきことだと感じる感性と
知性と良識のある人だけに関心を示しています。
関心のない人はどうぞこんな嘘つきの宗教詐欺師を生涯ヨイショしていなさいと冷たく
あしらうことしか私にはできません。
幸いなことに阿含宗信者はシシャさんみたいな人ばかりでないと思うから、こういう人を
相手にしています。
桐山さんが何を信じて主張してもかまわないが、釈尊の経典が根拠になっていないばかりか
嘘をついてまで釈尊を自分に近づけようとする営みをする人のことをどう思うかは
各自の判断することですから。
[28]ユビキタス 06/01/29 23:12 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>21
また能書きシシャさんの喩え話ゴマカシが始まりましたね。
何百人もそれぞれの多忙を割いて修行参加するのにそんな両極端の特殊事例など挙げる必要はなく、
あなたの事例を挙げて説明すればよいのです。
自分は今こんな限られた環境と条件で、これだけの活動だけだが、しかし心は皆と同じく一つで
当日の修行がままならないかわりに日頃こういう活動で補っている
とか示せばよいだけです。
現地へ修行にも参拝にも行けないことを悪いなんて最初から言ってないでしょう。
多忙でも30分なら参拝で行けるという人は地元の京都とか関西の人です。
たとえば関東の人が現地に30分だけ参拝できるとするならば、新幹線の往復時間含めて
結局は丸一日の時間が空いていることになり修行にだって参加できたことになる。
修行や参拝ができないかわりに護摩木勧進をたくさんしたと言うのならば、その仏様に
供養する熱意と努力の度合いを示す為にもあなたの勧進の誓願本数と実績本数とさらに
自分が書かずに他人に書いてもらっただいたいの数を書いてみなさい。
一般論的な喩え話には飽き飽きだ。
あなたの具体的な努力の軌跡を示せばよいだけです。
御利益の効果なんてのは主観に過ぎなくても、どんな修行をしたかというのは客観的に
説明できる具体的な話なんですよ。実践とは常に具体的なものだ。
もし主観に過ぎない実践というものがあるならば、それは実は観念に過ぎずその実何の行動も
起こしていないということです。
だからお導き何人とか、勧進何本なんて成績重視する考えは私にはないが、その努力と熱意の
軌跡は具体的に起こした行動の供述で理解できます。
私はこれこれの事情で当日修行はできないが、せめてこれだけの参拝はさせていただいて
代わりにこういう行動をして供養したという事実を書けばよいのです。
現地修行はたとえばお守り札の売り子のお役をいただいて、何個さばけたという実績よりも
当日早朝から夕方までとびきりの笑顔で和顔施させていただいたという実績こそを問うている。
入行してまだ4年目の悩める会員さんは毎年修行参加されてますよ。
わかりますか?私がそう判断する根拠の理由?
あなたも体感したなどと言い、ユビは体感できない哀れな奴と罵りたいのなら、
体感なんて主観の話はいいから客観的に具体的に説明できる山伏の位階などを参考までに
示してみなさい。いえ、それだけで判断するのでなくあくまでも一判断資料だが。
[29]悩める阿含宗会員 06/01/29 23:13 Fk/ynU6qSQ
ユビキタスさんへ
今日は休みで出かけていたので、掲示板に張り付いてはいませんでしたが、携帯でチラッと見たりしました(苦笑)。確かに、ネット上というのは不思議な空間だと思います。いろんな人がいるんだなー、おもしろいなー、と思って見ています。
ユビキタスさんの入会、再入会の動機と、退会への経緯を読めるのを楽しみにして待っています。それによって、私の何かが変わるかもしれません。変わらないかもしれませんけど、でも、とても興味があります。待っています。

考えてみれば、批判派の人に親しみを覚えるのはおかしなことで、せっかくよさんが心配してくださっているような感じだったのに申し訳ありません。以前、「道場で阿含宗を疑うようなことは言えない。」と書きましたが、冷静に思い出してみると、私はしょっちゅう言っているような気がします。その度に先達の人に苦笑いされて、「まあ、まあ。」とたしなめられているように思います。みんな優しいです。何かの勉強会のときに、「阿含宗でなくても奇跡は起こります。だから、私にはよく分かりません。」と言ったことがあります。その後どうなったかは覚えていませんが、ずっと和やかな雰囲気だったと思います、たぶん。

今週末は、約一年ぶりに上京します。ついでに関東別院にも行ってみよう。去年行った時は改修中で、迷って「本堂はどこですか?」と聞いたら職員のお姉さんに冷たくあしらわれたなあ。ちょっと悲しかったなあ・・・。
その次の週は星まつりの修行。あー、忙しい。
[30]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/29 23:32 xmurcBqi9.

◎ 昇三十三天為母説法

◎ 三道宝梯降下、従三十三天降下

阿含経
[31]服部エンタープライズ社長 06/01/30 00:05 *vOys31uzjgw*E-a0Vr6

 栗ちゃんは もしや あややのCMをみたことがないのだな?

 まさか あやや 知らなかったりして…!?


[32]悩み終えた会員 06/01/30 00:50 */QhXMcynORp*KIT2N0vpzj
悩める会員さん
>考えてみれば、批判派の人に親しみを覚えるのはおかしなことで、

んんー・・・これは私も感じたことがあります。「批判派」というよりは「退会者」に感じるように思いますが。

>「阿含宗でなくても奇跡は起こります。だから、私にはよく分かりません。」と言ったことがあります。

これはその通りだと思います。「ファティマ第三の予言」とか「ルルドの泉」とか「ピラミッド」など数々の奇跡があります。あまり「奇跡だ!」なんて騒ぐほうが気恥ずかしいですね、最近は。

>その後どうなったかは覚えていませんが、ずっと和やかな雰囲気だったと思います、たぶん。

これは恐らくそのような雰囲気だったと思います。質問した後の雰囲気は質問者の精神状態によると思います。ネガティブな精神状態で質問した場合ネガティブな雰囲気になるし、ポジティブな精神状態で質問した場合は穏やかな雰囲気になるようです。

>今週末は、約一年ぶりに上京します。ついでに関東別院にも行ってみよう。去年行った時は改修中で、迷って「本堂はどこですか?」と聞いたら職員のお姉さんに冷たくあしらわれたなあ。ちょっと悲しかったなあ・・・。

これは、その「ねーちゃん」が悪いなー、田舎モンにはやさしくしなきゃイカンゼヨ。
[33]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 03:45 xmurcBqi9.
しこみがおわり
これからのあらすじ

悩める阿含宗会員は、
悪口の主の書き込みによって
信者をやめてしまう予定。
悪口の主の御株をつりあげます。


[34]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 03:46 xmurcBqi9.
実はその正体とは・・・
[35]ユビキタス@私の履歴書1 06/01/30 08:55 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
再入行の動機まで書かねばならなくなったか。
まあ、いいや。その方がなぜ二度までも?という疑問に答えられると思う。
一度には書ききれないが、順を追って、ログを分けて履歴書をのんびり書いてみるか。
昔2ちゃんねるで書いたことあるけどね。
皆さんも阿含宗に入行の動機とか経緯とか自分自身の心の整理とか自分を見つめる為とか
他人に見せるものでなく、何かに書いてみるとよいと思います。
私の入行は中学生の時ですね。
ある日ってか、ふと坊主にたりたいと思うようになっていた。
父は都心に通うサラリーマンだったが、満員電車に揺られて会社に通う身などに
なりたくなかった。(ってなことを今満員電車の中で書いている)
旅行に憧れ登山に憧れる嗜好だったので、必然的に京都の古い寺院にも関心がいくように
なったのでしょう。で、あんなとこの住人になれたらなあなんて憧れを抱くように
なったのでしょう。
当時トクホンのテレビCMで、あるお寺に高校の女子バレー部員が合宿しててブルマー姿で
頑張っているのを庭掃除をしながらそれを見ている小僧さんが手を止めて鼻をひくひく
させながらにやけている。それを見つけた和尚さん、「カーーツ!」と一喝。
あんなん、いいなあなんて思ったんでしょうか。
今私は坊主になりたいなんて気持ちはなくなっているが、そちらの方の煩悩だけは健在です。
そんなんだから人生に無常を感じたとか、人生を真摯に見つめたいなんて話でもない。
だから仏教の教義とかも学校で歴史で習う以上のことはまともに勉強しないです。
ただ日本の寺院は宗派仏教だからどの宗派がいいかなあなんて考えた。
座禅はぶたれると痛そうだし、念仏ってなんか情けないし、日蓮って排他的攻撃的なところが
嫌いだし・・・真言宗なんて面白いかな?加持祈祷、密教、わりと昔から神秘的な話
好きだったし。
で、私のそんな変わった嗜好を母が友人に話したら、そこの旦那さんがこちらのマニア的嗜好
など知らず人生や哲学を考える奇特な子供と誤解したのか偉く感心されて、母にキリヤマ
なんとかという人の本を見せてくれたようです。
桐山靖雄の「密教・超能力の秘密」ですね。この人の本の中身の話を母から又聞きで聞いた。
それが桐山密教の最初の出会いでしたね。
つづく
[36]星祭@屁理屈脅し 06/01/30 10:48 rJG8OJNYYd
>18、なんで、それが脅しになるのだ?いいかね、運命学には開運法というものが付き物です。九星でいえばば気学、姓名判断ならば改名、家相などもそう、トウ宮術ならば性格の改善など、南北の人相見ならば食事など、ゲイカの場合は密教が主体だから、それによる運命改造を勧めるのは当たり前ですね。運命学などでは悪い結果も必ずでます。それをもって脅しということ事体常識はずれもいいところ!なんでも批判のネタにすりゃいいってもんじゃないよ(笑)。
[37]大王の使者 06/01/30 10:57 JG6JNXCXuP
「愚か者は何を習ってもなんら利益無く
 ますます鈍くなってゆくだけだ
 その知識はかれの頭を打ち砕く」

仏陀がいう愚か者とは、知性・智慧・気づき、の無い者を言っていますね。
頭に知識や情報を詰め込んでも、気づきがないのです。
桐山師の本を読んで知識を詰め込んでも、気づきがないのです。
だから戯論になってしまいます。ユビさんが典型的な例です。
「その知識がかれの頭を打ち砕く」のです。
[38]大王の使者 06/01/30 11:08 JG6JNXCXuP
私が、星祭りに、修行か、参拝か、欠席か、書かないのは、そんなことで
信徒を差別すべきではないことを、ユビさんに知らせるため、です。
他者がどうであるかを見るよりは、自分を見よ!です。
我欲から一生懸命修行するのは醜いでしょう。
ユビさんのような人は、それをも熱心な信徒と見なすでしょうね。

ユビさんが修行に挫折した原因は、いつまでたっても我欲からの修行から
抜け出せないでいたから、だと私は推測しますね。
我欲から熱心に修行するよりは、私のように怠けていたほうがまだましと
言えましょうね。管長からは小言、いわれそうですがね。
[39]I 'll be back 06/01/30 11:16 *iaA1uvP//mh*PuPZPN7WXB
>>32 悩み終えた会員さん
いつの間にか、悩み終えた会員さんに名前が変わったんですか。

私はルルドの聖女ベルナデッタの話が大好きなんです。
このベルナデッタがルルドで聖母マリアに遇ってから、
沢山の人の病気が治る奇跡が始まるのですけど、
この修道女であるベルナデッタ自身は原因不明の病気に苦しみつづけながらも、献身的に病気の患者さんの介護に努める。
これが普通の人間なら神や聖母に恨み言を言うでしょう。
でも彼女はそんな事は決して言わない。(だから聖女なのでしょう)
ある日、病気に苦しむベルナデッタの枕元の聖母マリアが現れて、
彼女に告げる。
『今世であなたの病気を治してあげる事は出来ないが、
 次の世界(死後)では神の世界(天)に導く事が出来るでしょう。』
とだけ告げて去って行った。
彼女は、死ぬまで難病に来るしみながも、神を忘れることなく、
病人の看病につとめた。(自分こそ病人のはずなのに)
聖人ベルナデッタの遺体は、数百年経った今も遺体は腐ることなく、
死んだ直後のような容姿を整えて存在しています。

本当の信仰心というのは、このようなもです。
(容易にまねは出来ない心だから、尊い聖人なんでしょう。)

 
[40]I 'll be back 06/01/30 11:29 *iaA1uvP//mh*PuPZPN7WXB
どこの組織においてもいろいろな考え、
いろいろな人が居ます。(中には関心出来ない人も)
でも、すべてはあなたの心と神仏の関係でしかありません。
心が穏やかに安らかにいられます事をお祈りいたします。
[41]ユビキタス 06/01/30 13:33 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
私の履歴書シリーズはのんびり行こう。別にシシャさん相手でもないんで。

>>36 星祭さん
脅しだよ。初年運なんてやだな〜って感情起こさせる。
しかしそれは食事によって改善できるとか心掛けを改めることによって改めることができる
なんて汎用性のある教訓・諭しみたいなものではなく、わが密教門に入信せよ。
因縁解脱の成仏法はわが阿含密教にしかない。この成仏法によらねば運気改善できぬのだ。
と説くのは脅しによる勧誘であり引き留め工作です。
だから釈尊も占いなど禁止したのです。
運命改善が目的なら、汝はまず占いにて己が運命を知れ。次にその占いにあきらめるのでなく
わが教法によって改善できることを認識して修行に励めと示してもよい。
運命改善の因縁解脱など説いていないのです。占いなど邪魔以外のなにものでもない。

>>38 シシャさん
語らないのではなく語れないのでしょ?怠けてるから。
語ればいいのですよ。服部社長みたいに7日から現地入りとか、悩める会員さんみたいに
今年終えれば山伏装束の資格を得るとか。(伝法会もきちんと出たようですね)
修行でないならば、代わりにこんな努力してると言えばよい。
こんな相手の顔も名前もわからない場でこんな会話はプライベート侵害でもない。
阿含宗の信者ならこれだけの修行してるからこれだけの体感も得られ、ゆえに三福道の実践
による効果を自覚しているとでも言ってみやがれ。
自分は怠けだが、おまえよりもマシだってなんじゃそら?その言い訳?
差別じゃないんだよ。評価なんだよ。
阿含宗という教団がその活動実績やら勧進実績やらを評価の基準としている。
申し込みの時に書くだろう?
文句があるなら教団に言えよ。差別するなと。
さもなくば星まつり修行でない、これは、という修行を示してみやがれ。
示す以前に実践してみやがれ。
それから偉そうな口叩きやがれ。
[42]I 'll be back 06/01/30 14:30 *iaA1uvP//mh*PuPZPN7WXB
>>釈尊も占いなど禁止したのです。

出家の修行僧に占いなんて必要ないのよ〜。いつも極論すぎるよ。
出家僧は家族の心配もしなくてよいの。
瞑想と実践と托鉢だけしてれば良いので、
よって、占いなんて必要ないの解った?
運命改善の実現性は先に示しましたので、これ以上書きません。

因縁解脱の意味が阿羅漢になるという意味ならば、それが理論的には可能だとしても、例外的な事なので一般的な話ではないでしょうが、
因縁解脱が、輪廻からの脱出という意味ならば可能でしょう。
すべての病を無くすという意味なら、それは不可能です。(病気を軽くするなら可能)

阿含経を読んでいると、たびたび、在家の仏教信者の話が出てきますが、
どこどこに住む、在家信者は戒律を守り(心構えを正し)、仏陀や僧侶に対する供養を行ったことにより、
何人もの在家信者がアナゴンにまで成ったと書いてある。
長阿含経にも、増一阿含経にもそういう記述がある。
決して、特別な瞑想をした結果であるとは記述されていない。

在家の仏教とは、
仏陀在籍の時代においてさえそのようなものなのです。

[43]大王の使者 06/01/30 17:16 JG6JNXCXuP
差別じゃないよ、評価だよ。
とはユビさんの言です。
その評価が、間違いだと私は言うのです。
私が怠け、だというのは自己申告ですよ!
仏様はなんと評価してくださるか、わからないのです。
まして、ユビさんの評価なんて、的外れだけが確実なのです。

「その知識はかれの頭を打ち砕く
 なぜならかれはそこで人々に認められることを求めるからだ
 ひとの前に 上位に立つことをもとめるからだ」
という仏陀の言葉はユビさんのことを言ってるのですよ!
他人の修行の様子をみて、評価してやろう、という考え、そのものが
人の前に立つこと、上位にたつことを、なのです。
教学をいくら学んでも、それでは頭を打ち砕かれるのです。
おわかりですか?

私は、星祭りに、ア、修行で参加するか イ、参拝か ウ 欠席か
のどれかです。でも、欠席する場合は供養金を奮発するでしょうね。
傍観するだけのことはありません。
だいたい、人の修行状況を評価する考えなんて、おこがましいです。
そのような考えを捨てるのが修行というものでしょう。
        
[44]実行委員長 06/01/30 17:17 Bwq7aa/flJ
シュダオンになりたくて、阿含宗の会員になりシュダオンになりました。

もう死んでも良い。

さあ星祭に行きましょう。

止息法まつりもやりましょう。
[45] 06/01/30 19:43 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
>>32
プ・プロフもらしちゃ・・・
[46] 06/01/30 20:36 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
>>29
>考えてみれば、批判派の人に親しみを覚えるのはおかしなことで、
>せっかくよさんが心配してくださっているような感じだったのに申し訳ありません。
いえいえ。
心配云々の前に、あなたがどういう考えをお持ちなのか、また周囲に影
響力のある人がいるのかを知りたかったのです。
>批判派の人に親しみを覚えるのはおかしなことで
これはたぶんあなたが退会したくなっているということなのだと思います。
しかし言語化できない衝動で行動することに対する警戒感が働いている。
そこで情報収集を始めたというところでしょうね。
もちろん表面的にはそこまではっきりとは考えてはいないでしょう。
そして、それで良いのだと思います。辞めるときは迷いなく辞められた方がいい。

因縁解脱の修行がしたいと言われましたね。
だとすれば今の阿含宗はヌルいとお感じになりませんでしたか?
そもそも、因縁各論についてはだいぶんムリのある教学であると思いますが、
個人改革への道と捉えれば、厳しいなりに得るものがあると思います。
しかし、それを実践している先達を見ない。出会えないとなると不安になるのも当然かと思われます。
取りたざされているように阿含宗には様々な問題点があります。
しかしながら、そうしたなかでも立派に行から道を得た方達を先達として拝して来ました。
ところが近年どうもそうした方達が育たないような感触があるのです。
(所詮オイラごときの観想ですがw)

修行をするには環境が重要です。どんな人達に囲まれているかによって
修行になるならない、耐えられるかどうか、閃きが訪れるかどうかなど左右されることでしょう。
ご自身の最寄りの道場が前に聞いたとおりの様子なら、あなたは誰にも頼れないということになる。
阿含宗の本を読むだけではなにが修行になるかなど、わからないのではないでしょうか。
学ぶものは管長からだけでなく、様々な人との偶発的な出会いからもたらされます。

星まつりの修行をされると聞きました。
そこで新しい出会いや発見、得るもののあることをお祈りしております。
[47]ユビキタス 06/01/30 21:08 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>46
いや、私が思いますには、悩める会員さんは決して潜在的にやめたがってなどおらず、
なんとかこの信仰を続けてたいと思っている。本気で信じたいと思っていると思う。
やめたい気持ちになるのを防ぎ長く安泰に信仰を続けたいのならスレから去って、
嫌なものは見ない、考えないようにするのが賢明な策です。
しかし悩めるさんはそうすることを自分の知性が許さないのだと思う。
やはりごまかさないでとことんつきつめたいのが本音でしょう。
つきつめた先に退会を選ぶ自分があることは想定せず、最後は自分なりの心のふんぎりを
つけてなお阿含宗を桐山さんを信じたいと思っている。
私がそうでしたね。ミイラ取りがミイラになる自分をこれっぽっちも想定していなかった。
私も当時2ちゃんねるの批判側こそが私の相談相手で信者側に話せる相手がいなかった。
親しみを感じるのは私がとっても魅力的で素敵だから・・・ではない。残念ながら。
私も口が悪いし、批判も痛い。それでもなおも知性を感じてくれて共鳴を覚えるのでは
ないでしょうか?私の知性が優れているというわけではありませんよ。残念ながら。
ごくあたりまえの普通の知性なんだが、その普通の知性が新鮮に思える。
なんか筋通ったことを言っているな。対して擁護側が反論しきれてないな、自分も反論
できないし。しかし反論できないことは悩みではあるものの、決して悔しいとは思えず
やはり自分の知性は正しい論を受け入れざるを得ない。
本当の悩みの正体はそのジレンマなのかもしれませんね。
桐山さんのもとで因縁解脱の行を続けたい自分。
自分の知性を大切にして優先したい自分。
擁護よりも批判の方が簡単にできてしまう事実。
[48]ユビキタス 06/01/30 22:02 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>42 えがったさん
占いの話は置いておいて、さすが桐山本でない阿含経の本を読んでる成果が出てきましたね。
そのとおり。特別な瞑想修行をしない在家がアナゴンなどになっている。
これは仏や僧侶を供養した褒美ではない。
供養するだけでなく、戒律を守り、心と行いを正す教えの実践に励んだからです。
もちろんそれは容易なことではないが、特殊な瞑想だの呼吸だのタパスだの習いも
訓練もしない在家の彼らがアナゴンになったのです。
一方阿含宗はと言うと、シュダオンにすら認定してもらえてない。
桐山さんは特殊や成仏法を修行しないとアナゴンなどにはなれないと説く。
釈尊と異なりますねえ。心と行いを正す教えの実践が成仏法とは言ってない。
グモンジ脳でないと体得できない特殊な成仏法です。
三福道も説きますが、しかし三福道でアナゴンまで往けたのがいない。
逝っちゃったのは実行とかジミズとかそんなんばっかで。
当時の貧乏な在家の庶民が供養したって、どの程度?ほんの少量の食事と衣類です。
サヘトマヘト寄進した長者もいたが。
一方阿含宗信者の供養の金額たるやすごいものです。
総本山の殿堂があなた方の供養努力で立ちました。
しかしあなた方はアナゴンにもシュダオンにもなっていない。
あたりまえの話で供養で褒美などくれるわけがない。

しかしまあ、特別な瞑想などせずにアナゴンになった阿含経の話、阿含宗の信者に
聞かせてやってどうもありがとう。
[49] 06/01/30 22:25 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
>>47
いやいや〜 ユビキタスくんw
>悩める会員さんは決して潜在的にやめたがってなどおらず、なんとかこの信仰を続けてたいと思っている。
まあオイラは感じたことを書いたまでなので、ほんとの彼女の気持ちはわかりませんけどね。
だけど信じているものを守りたいと思ってる人は、批判的な雰囲気を感じたら近づかないみたいですよ。
オイラの周囲の数名を観察する限りではそう思いますね。

ここにいる擁護側の人達はこう言うと失礼なんだけど、ちょっと変わってると思うんです。
2ちゃんねるに現れたあなたもそうだった。自信過剰だったのですよ。
それまで阿含宗の暗部に触れることなくいられたのは平和な道場にいたからなのか、
それとも悪い噂からは自分から遠ざかっていたのかそれはわかりませんが、
布教現場にいて様々な問題にぶつかることがありませんでしたか?
特別お手配までして死なれちゃうとか、ガンが治らないとか自殺者が出るとか
独鈷でおかしくなっちゃうとか、屋敷浄霊した施主が死んじゃうとか
大昔に退会した人に出会って話を聞くとか、一般の人に護摩木勧進の苦情を言われるとか
なんぼでも問題はあるでしょう。
修行者という者は決して勝ち組とかではないのですよ。その度に苦い、とても苦い想いをしてきている。
それでも、指の隙間から流れ落ちていったような魂の救済を祈りつつ活動していたりするのです。
オイラは自分の中に、意見の合わない会員への憎しみが募るのを見たので道場から遠ざかりましたが
未だに多くの会員と共に活動している人達もいるのです。

よく辛抱していると中沼さんは言った。
わかっているのはあの人くらいかもしれない。いや、オイラはもう辛抱してないんだった。
少なくとも梵行を離れて十何年家族しかみてないw 栗花さんに笑われるだろうw
今もこんなところにカキコして遊んでる。まあココではいろいろと収穫がありましたがね。

あなたは知性云々言うが、それならばなぜ足かけ三十年近く阿含宗を見てきてその苦労がわからないのだろう。
よくとりたざされる批判本のパンチが無さ過ぎて気がつかないのかな?
オイラは2ちゃんねるやこのスレッドに出て来ないような批判本読んだことありますよ。
ある意味廣野さんのよりリアルなやつとかね。あと現場ならではの濃い情報もある。一次情報ですよ。
しかしどれも他人事ではないのです。
ああ、誰かが不徳を積んでますねとか、管長が悪い、では済まない問題でね。
そういうモノと格闘している人達がいることも忘れないでほしいのです。

まあオイラ自身こういうところに書き込むのは、全く楽珍で無責任な行為に逃げているという批判もありましょう。
所詮千座行者崩れの戯言ではあります。 お聞き流し下さい。
[50]悩める阿含宗会員 06/01/30 23:07 Fk/ynU6qSQ
よ さんへ ユビキタスさんへ
私は、1月5日の生誕祭のご法話で2ちゃんねるの批判の書き込みのことがふれられたことがきっかけで、掲示板を見るようになりました。はじめは書き込むつもりなどなかったのですが、脳梗塞についてあまりにもおかしな議論がされていたので、だまっていられなくなって出てきてしまったのです。そのうち、まあ、いろいろ興味も湧いてきて今にいたります。もともと不信感があったから、こうなってしまったのだと思います。

不信その1「強引な誓願達成」
「誓願に足りないから。」という理由で、身内を身代わり行にすることをすすめられたり、その身代わり行を本人行にすすめられたりしたことがあります。護摩法要の基金でも、それはそれは強引にすすめられましたよ。おかしいですよね?我が道場のお導きの誓願は毎月達成されているようですが、明らかに例祭の時の信者の数は減っています。

不信その2「ご法話の内容」
私は、詳しい経典のことなど何も知らないので、そういうレベルの話ではなく、ごく常識的な範囲で「猊下の話がおかしい。」と思うことが度々あるのです。例えば、ここ数ヶ月は好運会に関連して九星の話をしていましたが、「明日は、二黒と三碧の話をする。」と言っておいてしなかったり。ご法話が30分以上送れることなんてしょっちゅうです。伝法会の密教占星術の授業なんか、50分も遅れてきて、本当に呆れました。
それと、7月の解脱供養体験談(ダルマチャクラ9月号)の中で、「ギラン・バレー症候群になった父が解脱供養で救われた。」という内容が発表されていますが、それもおかしい話でした。管長猊下は「非常に珍しい難病です。まだ治療法が発見されていませんから医者も治しようがありません。体が衰弱しないように対処療法を行うよりほかない。しかし、解脱供養をはじめると同時に、進行していたマヒがストップして治ったということは奇蹟的であり、解脱供養のおかげですね。」と話されましたようです。しかし、ギランバレー症候群はそんな病気ではありません。インターネット等で見るとすぐに分かると思います。
以下は、予後についてのコピペです。
「日本でのきちんとした統計がないので、免疫グロブリン大量静注療法と単純血漿交換療法が行われているイギリスでの数字をあげながら説明します。手足のマヒが進行するばかりでなく、4分の1の患者さん(日本ではそれほど多くないようです)が呼吸ができなくなり、人工呼吸器につながれます。手足のマヒの程度は遅くとも1カ月以内にピークに達します。数カ月以内に半数くらいの患者さんは徐々に回復していきます。発病してから1年後の時点では、6割の患者さんがほぼ完全に治っています。障害を残す方が3割、不幸にも急性期やその後の経過中に亡くなられる方が1割(日本ではそれほど多くないようです)います。」
多くの人に影響を与える人なのですかが、もっと慎重に話すべきです。
それに、最近は同じ話が多すぎて、聞く気になりません。年末のご法話で、「来年は大きな地震がくる。詳しくは初護摩の法話で話します。」とおっしゃっていましたが、初護摩の法話では、全くふれられませんでしたね。
「管長猊下の嘘にはついていけない。」と思っていました。だから、批判の書き込みを読んでいくうちに、「やっぱり変な教団なのかも。」と思うようになったのです。
しかしですねえ、不思議なこともたくさんあるのも事実なんです。私の法友にとても霊感の強い子がいるのですが、彼女は管長猊下を見ると、金粉が出るんです。毎回です。その子が突然電話をかけてきて、「何か火の中で苦しんでる人が見えるんだけど、大丈夫?」と言うのです。その頃、私は原因不明の体調不良に悩んでいました。ふと思い立ち、焼身自殺をした叔父を指定で解脱供養することにしました。すると、体調が治ったんです。確かに偶然かもしれませんが、そのときは阿含宗に感謝しました。病気は、本当に辛いですから。
悩む私の気持ちも分かっていただけますか?
[51]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 23:38 agEXhShkYa
「長年月にわたり師のもとで修行を積んでも、「仁、義、礼、智、信、忠、孝、悌」を兼ね備え、技術、人格ともに師に認められなければ正式弟子にはなれず、全伝を授けられることはない。この正式弟子と認められることを拝師と呼び、いったん拝師したならば、弟子は師を親と同様に尊敬し、師は弟子を自分の子供と同じように接し、その信頼関係のなかで、修行をしていくのである。」
[52]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 23:51 agEXhShkYa
http://www.gekkou.or.jp/g-3/ten2006.html
[53]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 23:52 agEXhShkYa
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=192
[54] 06/01/30 23:54 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
>>50
>脳梗塞についてあまりにもおかしな議論
なるほど。 脳梗塞、奇跡の回復!議論ですね。
まあ訓練で脳の損傷していない部分が代替機能を果たすようになることも多いんでしょうね。
まあいいじゃないですか年寄りの自慢話だと思って聞いておけば。

>「誓願に足りないから。」という理由で、身内を身代わり行にすることをすすめられた
最低ですね。
まあ管長ご臨席のミーティングでハッパを掛けられるからということも確かに言えるでしょうが、
それでもそういう行為に反対している人達もいる。
管長に従うこと=梵行 と捉える人も・・・・いや、それは梵行ではないですよねやっぱり。

>ギランバレー症候群&年末の地震の話
元々そういう傾向はあったと思いますが、どうも倒れてから後
だいぶいろんな部分が雑になったような気はします。
もう三年も前ですが、御法話でご自分の著書「超能力の秘密」だったかをお話しになって。
あの本は自分の十字架になった。書かれていること(超人的な事業)を
実現しなければならなくなったからだ。
みたいなこと仰ってましたけど、じゃあ実現してないこと書いてたのかという突っ込みができます。
他にもいろいろありますが、全体にお年を召されたのだなという感じではありますね。

>しかしですねえ、不思議なこともたくさんあるのも事実なんです
たしかにありますね。
先日も友人が拝み屋さんに見てもらった(オイ)と言ってましたが、
あなたの後ろにたいへんエライ人の姿が見える。大勢の先祖があなたを頼っていると言われたそうです。
友人は母が宗教に入っているからと言ってごまかしたそうですが。
また他の法友(女性)は、お父上がたいへん直感の強い人で、プロではないのだけれども
直感を使って縁のあるひとには相談に答えていたのだそうです。
結婚の相談で、見るなりこの男には別のオンナがいるとか言うのだそうですよ。
それで、自分が入行するにあたって、その父から一言もなかったと言っていました。
まあ文句を言われなかったという話でしょうがw

オイラのは過去スレのどっかにあると思いますが、話が長いので割愛します。
そういった話でネガティブなものがあっても不思議はありませんが、
なぜが自分が直接ふれたケースではそういうものしかないですね。
だからと言って考えもなく成績優先で布教するわけにもいかないのですが。
[55]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 23:56 agEXhShkYa

V→T


◎ 昇三十三天為母説法

◎ 三道宝梯降下、従三十三天降下
[56]星祭@まあまあ 06/01/30 23:57 rJG8OghSDZ
>50、そりゃ、嘘というより、情報不足と早とちりから、間々間違えることが多いと言うだけの話しです。歳のせいか最近多い。そういう爺さんの過失をうそつき呼ばわりするのはいかがなもんでしょうかね?医者じゃないんだから、提出された資料から推測して話しているだけでしょうし、九星にしても、順番が変わっただけで、今月できっちり、九つの星を説明しております。
[57]ユビキタス 06/01/31 00:04 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>49 よさん
>>50 悩める会員さん
いや〜、ふざけでなく大真面目に素晴らしい!感激しました!
もはやシシャさんなどにレス付けるのもくだらなくなるほど、私の履歴書なんてつまらん話を
書き込むことよりもこの二人、二つの書き込みに注目してレスつけたい。
まず>>49のよさんだが、いやいや、ありがとう。よくぞズバリ書いてくれた。
私が足かけ29年信者でおれたのはひとえに現実に接することのないボンクラ信者だった
からです。実は私は特異な例ではなく、30年信者というのはかなり多いはずです。
星祭さんもそうでしょう。
その多くは本当の意味での阿含宗の修行をしていないというボンクラです。
私はシシャさんに星まつりの修行について問いただして彼の修行ぶりを確かめている。
しかし星まつりの修行なんてのは、あんなもん本当の修行ではない。レジャーです。
普段例祭の修行もその他の活動もしない奴らが、年に一度の星まつりばかりは祭とばかりに
誰もが修行参加して山伏位階を手にして修行した気になる。
その修行とやらも既にマニュアルのあるものに沿って行うだけで自分のものではない。
これは毎月の例祭修行だって同じです。
本当の修行とは活動の中核になって企画することから始めて、個々の信者さんのお世話を
することです。
それをやったのはこのスレでは、まあいなくなった牧童犬さんを除いてはよさんしか
いないと思う。
もちろん私も失格です。私も星まつりに例祭やらイベントに顔を出す程度の自由参加型
レジャー修行に過ぎない。だからそういう人は長年在籍しても現実のおかしな面、矛盾した面
を見ず、せいぜい自分の問題で悩み、叶わなくてもこれは自分の責任なんだから、
修行不足なんだからと、阿含宗の追及を避けるだけです。他人様の問題を見ないのは
そもそもがお世話をしたり、あるいは本当につっこんだ修行に足を踏み入れないゆえに
問題に遭遇する機会に稀薄なわけです。
そんな私がシシャさんの修行不足を責めるのは決して私が高見に立って彼を見下している
のではない。私とシシャさんなど所詮五十歩百歩なんです。
しかしだからわかるんです。彼が修行してないなと。
書き込み内容ですぐわかる。
私が2ちゃんに登場したのは自信過剰ともちと違うのです。
むしろ実践コンプレックスがあった。
相手の書き込み内容を読めば批判側がいかに自分より実践に優れているかすぐわかった。
つづく
[58]星祭@専門分野 06/01/31 00:10 rJG8OghSDZ
まあ、そんなことで体験談などは体験者の資料と申告を元にして宗教的側面からゲイカは説明しているだけで、医学的な見方などシロウトと同じでしょう。だから、そういう医療などに関しては専門家の新谷教授などを招いて講演してもらったりしている。神様じゃないんだから教祖を万能視するのはよしなさい。学ぶべき点とそうすべきでないものをキッチリわけて取り入れるべきだと思いますね。
[59]星祭@心して 06/01/31 00:30 rJG8OghSDZ
>57、いっておきますが、いいかげんにノラリクラリとやることと、自分が何が出来るか考えて行をすることとはまったく違いますよ。また、星まつり修行をレジャーだというのも違います。あなたは、まわりのベテランのフォローもあって「ああ楽しいな」で一、二回の修行を楽しんだかもしれないが、場所によっては修羅場、実際、怪我された先達も知っています。交通なども気抜いていると、参拝者の誘導であやうく車に・・・なんてことにもなる。馬鹿いうもんじゃない。位階どころじゃないよ現場は。
[60]ユビキタス 06/01/31 00:40 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>49
私が2ちゃんねるに擁護側で出てきた時、何をたわけたこと言ってるんだ。俺が論破して
みせてみせるよ、なんて傲慢な態度ではない。
批判側は書き込み内容からまず阿含宗の教学を正しく認識している。
それのみならず私の不勉強な阿含経とか桐山本以外の知識も豊富である。
それは本だけの頭でっかちでなく阿含宗の梵行やら活動やら中核的に携わってきた
ことも読み取れるのです。
はっきり言ってとても自分の叶う相手ではない。
しかし私は全く言われっぱなしでマトモな議論もできない信者が歯がゆかった。
敗北は覚悟の上で言うだけのことは言わねばならないと思った。
説得力ない部分は認めるがこちらの立場もわかってくれよと示したのは、実践などでなく
正当阿含宗教学の受け売りだった。実はこんな教学は敵の批判側は百も承知だろうとわかった。
議論していてわかったのは俺も古い履歴を持つ信者ならば、相手も相当古い履歴だなと感じた
のだが。(笑)
しかし阿含宗の教学の受け売りすらできない信者ばかりだったので、誠意ある態度で
言うべきことだけは言わねばと書いた。
書いて予想以上に説得力のないことに愕然としてレスを受ける前に「負ける」と悟り
気分が暗くなったのを覚えている。
相手も誠意あるレスを送ってくれたのは内容は痛くても嬉しかったですよ。
だから悩める会員さんが批判側になぜか親近感を覚えるというのは、これに近いんじゃないかな
と思う。つまり悩めるさんの書き込みが真摯だからそれに答えるこちらも真摯にもなり
会話が成立して、それはたとえ自分にとって痛い話であっても嬉しいことなんです。
それが感じとれ、受け入れられるのが知性だと思う。
で、議論の機会を得て私も悩み苦しみ、最後に勇気をふりしぼって大決断をした。
その時に私が発した言葉に「無知は罪なことだとわかりました」という一文がある。
あれが私の大反省なんです。
29年もいながら何やってたんだ。
なんてボンクラだったんだ。それって罪じゃないのか?と恥ずかしい気持ちだった。
でも私はその恥ずかしさを素直に認めて表明したわけです。
こんなボンクラに情報を教えてくれてありがとうと感謝の気持ちをこめて。
批判側も優しかったですよ。今では樹意さんと名を変えた当時ナントカ崇拝さんは
気がつくのが早い遅いなんてのは気にすることなく、遅くても気づくのがハッピーなんだという
意味のことを書いてくれた。
つづく
[61]星祭@お山は 06/01/31 00:40 rJG8OghSDZ
終ったあと清々しい気分にひたり、満足感から楽しかったなということはあるが、レジャーの楽しさとは違う。その違いもわからない感性だと、そりゃ道はぐれるわな。参拝だって物見遊山で来るのもいるだろうが真剣に祈りの場として来る人も多いのだよ。足が不自由なのに、あの急坂を登ってくるお年寄り、親族が病気で入院、その写真をもって祈願におとずれる人、まったく頭の下がる思いです。地方の修行者の態度や考えなども、学ぶべきことは多くあります。まさに行。
[62]星祭@ほっぴー 06/01/31 00:51 rJG8OghSDZ
つまり理屈屋と実践家の違いでしょうな。だから、何でも否定するようになる。脅しだとか屁理屈こかれるとマンマ信じ込んで、脅しだとか、先祖供養を先祖への侮辱だとかいいだす始末。そういうのは、気づいたのではなくて屁理屈に洗脳されただけでしょう。屁理屈に凝り固まるのはハッピーだとは言えません。
[63]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 00:54 agEXh5/HUr
念力護摩は、

古代に泰山で行なわれてきた封禅に源流をみます。
ヒエラルヒーの頂点に立つ
王者の法の流れを汲むものである。

聖域修験の東岳の伝法の1つといわれているのは
それゆえである。

王者の法の流れ、西洋の神話にもその法はある。
ユピテルはその例である。

本来の王者の法である雷法は降魔成道の瞬間と同じ。

不動明王=止息法

念力護摩は聖域修験の法です。

聖域修験の護摩は●=◎◎と同じ仕組みなのです

●ヤコブの梯子

◎ 昇三十三天為母説法
◎ 三道宝梯降下、従三十三天降下
[64]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 00:57 agEXh5/HUr
●ヤコブの梯子


桐山氏が海外の護摩(●ヤコブの梯子)を生そうとするのは、
大きな存在の後押しがあります。
[65]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 00:59 agEXh5/HUr
法力とはまさに
釈尊のサヘトマヘトの神変なのです。

◎ 昇三十三天為母説法
◎ 三道宝梯降下、従三十三天降下
[66]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:07 agEXh5/HUr
その成就には、三つの福力が必要なのです。
真剣にやって極めるのに必要です。

◎三天子(過去の書き込みにあります)

◎ 昇三十三天為母説法

◎ 三道宝梯降下、従三十三天降下
[67]ユビキタス 06/01/31 01:09 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>49
ではこれって私一人のボンクラ喜劇なのかと言うとそうではないと思う。
阿含宗がこうして長年の信者含めて持っているのは、こういうボンクラが支えている
部分があると思う。後は成績重視のゴマスリ的職員や先達ばかりが残って彼らとうまくってか
意見違うながらも共存の関係だけ保てているということ。
よさんの言うように本当に良心的な先達はいた。
皆本来は善人であり善人的属性を持っているからこそ宗教に身を投じた。
しかしそういう人に限ってやめていくわけです。
良心があるから人をお世話して欺瞞に耐えられないからやめる。
残るのは良心を捨てた奴らとそこまでいかないボンクラども。
このボンクラどもをどうするかが問題ですね。
よさんはどう考えますか?
ボンクラ卒業して自分でとことん修行してみろよ。現実の壁にぶつかって自分でジレンマに
陥るところを経験してみろ、と突き放しますか?
実はそれも一つの見識なのですが。
私がよさんにお願いしたいのはよさんが活動実践の中で体験したこと、見聞した現実等
冷静に事実を書いてくれないかということです。
批判は不要です。逆に素晴らしいことも書いてほしい。
後は各自の判断にまかせればよいと思う。
どうしてもネガティブな話なんで批判的効果ばかり先に立ってはしまいますよね。
でもそれって、だから隠すことなのか?
やはり日の目に出して考える材料だけ出すことが誠意なのではないかと私は思う。
それでうろたえ、やめる人はやめ、残る人は残る。
そこだけは各自任せなのです。
信者の心はかき乱れるかもしれない。
ではかき乱れる立場に身を置かぬように情報を遮断することが本当の慈悲なのか?
このジレンマとの戦いこそが本当の修行なんだと思う。
ぜひとも愛すべきボンクラ信者さんに慈悲を垂れてほしいと願うのです。
私ユビキタスは元信者の代表なのではなく、ボンクラ元信者の代表でボンクラ現役信者の
ことを考えて、批判の書き込みをしている。
ボンクラこそが私の存在価値です。
ボンクラでもこの程度書ける。

さて悩めるさんの>>50には明日レスしましょう。思うところがある。
[68]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:10 agEXh5/HUr
三福道という表現は的を得ていると感じます。
[69]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:12 agEXh5/HUr
三つを
真剣にやって極める。
[70]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:18 agEXh5/HUr
[51]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 23:38 agEXhShkYa
「長年月にわたり師のもとで修行を積んでも、「仁、義、礼、智、信、忠、孝、悌」を兼ね備え、技術、人格ともに師に認められなければ正式弟子にはなれず、全伝を授けられることはない。この正式弟子と認められることを拝師と呼び、いったん拝師したならば、弟子は師を親と同様に尊敬し、師は弟子を自分の子供と同じように接し、その信頼関係のなかで、修行をしていくのである。」
[52]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 23:51 agEXhShkYa
http://www.gekkou.or.jp/g-3/ten2006.html
[53]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 23:52 agEXhShkYa
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=192
[55]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/30 23:56 agEXhShkYa

V→T


◎ 昇三十三天為母説法

◎ 三道宝梯降下、従三十三天降下

[71]ユビキタス 06/01/31 01:20 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
星祭さんは30年もの間、どういうお世話をしてきましたか?
深刻な悩みを抱えている人の責任を持ったお世話です。
これに比べて星まつり修行などどんなに危険もあったり大変でもレジャーではないか
という視点ですね。
[72]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:23 agEXh5/HUr
「愚か者は何を習ってもなんら利益無く
 ますます鈍くなってゆくだけだ
 その知識はかれの頭を打ち砕く」
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
[67]ユビキタス 06/01/31 01:09 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>49
ではこれって私一人のボンクラ喜劇なのかと言うとそうではないと思う。
阿含宗がこうして長年の信者含めて持っているのは、こういうボンクラが支えている
部分があると思う。後は成績重視のゴマスリ的職員や先達ばかりが残って彼らとうまくってか
意見違うながらも共存の関係だけ保てているということ。
よさんの言うように本当に良心的な先達はいた。
皆本来は善人であり善人的属性を持っているからこそ宗教に身を投じた。
しかしそういう人に限ってやめていくわけです。
良心があるから人をお世話して欺瞞に耐えられないからやめる。
残るのは良心を捨てた奴らとそこまでいかないボンクラども。
このボンクラどもをどうするかが問題ですね。
よさんはどう考えますか?
ボンクラ卒業して自分でとことん修行してみろよ。現実の壁にぶつかって自分でジレンマに
陥るところを経験してみろ、と突き放しますか?
実はそれも一つの見識なのですが。
私がよさんにお願いしたいのはよさんが活動実践の中で体験したこと、見聞した現実等
冷静に事実を書いてくれないかということです。
批判は不要です。逆に素晴らしいことも書いてほしい。
後は各自の判断にまかせればよいと思う。
どうしてもネガティブな話なんで批判的効果ばかり先に立ってはしまいますよね。
でもそれって、だから隠すことなのか?
やはり日の目に出して考える材料だけ出すことが誠意なのではないかと私は思う。
それでうろたえ、やめる人はやめ、残る人は残る。
そこだけは各自任せなのです。
信者の心はかき乱れるかもしれない。
ではかき乱れる立場に身を置かぬように情報を遮断することが本当の慈悲なのか?
このジレンマとの戦いこそが本当の修行なんだと思う。
ぜひとも愛すべきボンクラ信者さんに慈悲を垂れてほしいと願うのです。
私ユビキタスは元信者の代表なのではなく、ボンクラ元信者の代表でボンクラ現役信者の
ことを考えて、批判の書き込みをしている。
ボンクラこそが私の存在価値です。
ボンクラでもこの程度書ける。

さて悩めるさんの>>50には明日レスしましょう。思うところがある。
[68]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:10 agEXh5/HUr

[73]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:24 agEXh5/HUr
「愚か者は何を習ってもなんら利益無く
 ますます鈍くなってゆくだけだ
 その知識はかれの頭を打ち砕く」
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
[71]ユビキタス 06/01/31 01:20 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
星祭さんは30年もの間、どういうお世話をしてきましたか?
深刻な悩みを抱えている人の責任を持ったお世話です。
これに比べて星まつり修行などどんなに危険もあったり大変でもレジャーではないか
という視点ですね。
[74]星祭@信心 06/01/31 01:25 rJG8OghSDZ
はたして、道場とかに出て来てない信者をボンクラといえるかですね。年、一回しか出てこない人や、前みかけたが、最近みないので、とっくに退会しているものと思っていたら、会費だけはキッチリ払っている人もいる。そういう人はやはり信仰心があつくあるのだろうと思う。ずるずるボンギョーして「なんも、いいことがない。」といってやめる人とはまた違う種類の人だと思う。べつに平々凡々であれば会員である必要もないでしょうに、こういった人々はね。
[75]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:33 agEXh5/HUr
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
[76]ユビキタス 06/01/31 08:42 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
もう少しボンクラ修行について語ろうか?
星祭さんはユビキタスがボンクラと聞いて、なんだ、ボンクラか?と自分を含めていない
ような反応が面白いですね。
2ちゃんでも七氏さんに見抜かれて質問されているではないか?あなたの修行内容を述べてみよと。
私の言うボンクラとはそれでも道場に来て一定の梵行をする人です。
道場にも出てこないのはサボリ信者です。
シシャさんがこれに近いものがある。
悩める信者さんの報告していた基金等の強要的勧誘などサボリ信者には関係ない
預かり知らない世界なのです。シシャ軍団は道場の活動が稀薄だから。
もちろんサボリ信者が世間のダメ人間などではなく、それぞれになかなかの内面世界を
持っているのだが、阿含宗的には落ちこぼれのレッテルを貼られる。
外面こそが問われるからです。
人の評価なんておこがましいとシシャさんは言うが、どこの企業体だって人事考課というものを
ある程度導入している。運用は慎重に贔屓や差別がないようにせねばならないが。
シシャさんみたいに特例の喩え話など想定しなくても、本当のサボリ信者と熱心な真面目信者は
分けて評価しなければ不公平だからだ。
いきおい外面の実績評価となる。
それでもボンクラな職員や管長どもに評価なんかできるか、評価できるのは仏様だけなんだ、
仏様に評価してもらえる活動をしているのだとシシャさんは仰るわけです。
しかしこれってよほど自分の修行に自信がなければ吐ける言葉でない。
仏が評価しようと人が評価しようとそれは具体的に起こした行動こそが問われるからです。
阿含宗的な桐山三福道だって身体を動かして行動で仏様に誠意を示す。
布団の中でごろごろ寝っ転がって、仏様私の誠意を見て下さいはない。
仏を動かすというくらいの行動ならば星まつり修行に限定などしなくても、それは外に
示して報告できるはずのものです。
もちろん貧者の一灯、長者の万灯という境遇・条件の違いによる評価基準の違いはある。
桐山大将の宗務局は長者も貧者も等しく万灯しか評価してないだけで。
貧者の一灯を仏様に捧げるのならばそれを書いてみればよいのです。
カキコする暇もないほどこんなに忙しいけど、最低限これだけのことをしているのだ
という具体的な報告が。
護摩木を沢山ですか?金で解決ですね?シシャさんの修行のレパートリーの貧弱さがわかった。
[77]星祭@ボンクラ 06/01/31 09:35 rJG8OJNYDm
>76、だから、結局はあなたも、皮肉って批判している宗務の評価と同じじゃないの(笑)。それに当てはまらないとボンクラのレッテルを貼っているということでしょう。私はそうは考えない。貧者の一灯、真心をこめたご供養は一種の満足感と清々しさを得られます。その清々しい境地こそ一歩踏み進んだ境涯というものでしょう。これが外面ばかりに捕らわれていると、あなたのように文句しか出てこなくなる。自信があるなしは関係ないですね。真心の問題です。
[78]星祭@お世話なら 06/01/31 09:48 rJG8OJNYDm
>71、私個人だけでは深刻な人をお世話する力はございません。だから尊敬する先達の補佐としてなら、やって来ております。(その先達は専門的な知識も豊富であり、主に神経症など精神的なことに悩みをかかえている人をお世話するのがうまい。)運転手とか荷物もちとか、そんなこと程度ではレジャーだと言うのでしょうかね、別にあなたに評価してもらわんでもいいですが、へたなことすりゃ自殺でもしかねない人に個人であれこれ手をだす不心得者じゃありませんので。
[79]星祭@趣味の梵行 06/01/31 10:01 rJG8OJNYDm
貧者の一灯、無能力者の鞄持ちはボンギョウではなくレジャーだと言いいたいのでしょうか?私には何が出来るか、なにをご供養したらもっとも喜ばれるであろうかと考えて、シシャさんの場合、お金だけは沢山あるが身体を動かすのは不得意、だから、お金をご供養しよう、と考えて真心をこめて奉げるというならば、私はレジャーとは考えませんね。
[80]I 'll be back 06/01/31 12:06 *iaA1uvP//mh*PuPZPN7WXB
>>50 悩める会員さん。

ノルマ達成(数字)の為にという話ですか?
そういうのは、聞き流しておけばよいですよ。(気にしないでよい)
人の世話をするという事はそんなに簡単な事じゃない。
最終的には自分の心と神仏との問題なのですから。
人間関係や組織に潰されるなんて話じゃ、
全くつまらないじゃない話じゃないですか?

ルルドのベルナデッタの話良かったら感想をきかせてください。
この話はカトリック教会とベルナデッタの関係ではなく、
聖母マリアとベルナデッタのの関係話なのです。
私自身の前世の記憶の中には、
カトリック従事者そのものであった記憶があります。

よさんも、屋敷条令したら人が死んだとか、変な事書かないで下さい。
どんな人間にも死期があるのだから、屋敷条令した家では死人が出ないなんて話のほうがおかしいでしょう。
(阿含経に死人の出たことが無い家があるだろうか?との問いがあります。)

法話の話では、政治、経済、医療の話等ありますが、
専門的な知識は専門家の本を読んだり、意見を求めればよいのでは?
地震の話も、何時来てもおかしくないので、
準備を怠らないようにという意味に、受け止めていますけど。

神仏のことを、神仏に関係ない人に聞いてみても何も出てきやしませんよ。
下記参照
>>一方阿含宗はと言うと、シュダオンにすら認定してもらえてない。
 (ユビ氏に認定してもらって、いったい何の意味があるの?)

ケチを付けたくなる気持ちは解ります。
凡行いっぱいしたのに、いいことが無かったと言いたいのですね。
あなたの事は解りました。
でも、他の阿含信徒も足を引っ張って、
辞めさてやろうとかの考えなら、それはやめましょうよ。


[81]ユビキタス 06/01/31 13:30 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>78-79
星まつりさん、ああ、あなたはそのスタンスで宜しい。
本当に悩んでいる人に迂闊に相談など乗らない方がよい。

>>80
悩める会員さんは自由に自分の気持ちと考えを吐露してるだけで誰も引きずり落とそう
としてません。もしつられて落ちる人がいたらその人の自己責任判断です。

>>50
さて、悩める会員さんの吐露の中で阿含宗の解脱供養の奇跡が否定できないで悩んでいる
事例です。
事象をよく観察してみて下さい。
私は霊の存在や霊の働きかけを否定もしないのです。
たしかに焼身自殺でなくなった先祖に心を掛けてあげた為にご先祖が喜んでくれたのかも
しれませんね。
でもそれって本当に阿含宗の奇跡でしょうか?
まず大好きな桐山さんを見ると金粉を発する特異体質の霊感の強い友人がいる。
阿含宗に関係なくもともと霊感が強かった人ではなかろうか?
桐山さんを強く信じている気持ちが金粉を出させたわけであり主観が作用している
だけで桐山さんが奇跡の人である証明ではない。
その桐山さんともともと関係ない友人さんの霊感が正しかったと言える。
それを聞いた悩めるさんは焼身自殺の先祖「指定」で解脱供養を申し込んだ。
過去スレをご覧下さい。中沼源太郎さんが指定で申し込んだ分については、桐山さんの方に
回らず霊視の機会がなく、職員がマニュアルに沿って戒名をつけるのです。
そして解脱護摩は法力があるようなふりをしていると内輪で自供しているF田さんが焚く。
これが無指定で申し込み、見事焼身自殺の先祖を霊視したというのならばすごいという
ことになるが。
病気か治ったのがその供養の所為かどうかはわかりません。
しかし見事ぴたりとおさまり霊の作用が働いているとしたら、これが果たして
F田さんの成仏力に限定されるのか?
私は焼身自殺の先祖の供養を思い立った悩めるさんの気持ちに先祖が喜んでくれた証
なのかもしれないと思う。
つまり阿含宗の解脱供養に力があったのではなく、それはお墓参りでもお墓掃除でも
菩提寺での供養でも同じ効果があったのかもしれない。
悩めるちゃん。気にかけてくれてありがとうねと。
病気が霊障だったのかどうかもわからない。
で、よさんの話もそう解釈できるのです。
たまたま寄った親戚の家の仏壇でご宝塔とお塔婆を前に万感の想いをこめて勤行をした。
よよ。ありがとうや。鬱状態が回復した。
阿含宗の法の力でなく気持ちが感応したのかも。
[82] 06/01/31 14:12 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
>>80
>よさんも、屋敷条令したら人が死んだとか、変な事書かないで下さい。
>どんな人間にも死期があるのだから、屋敷条令した家では死人が出ないなんて話のほうがおかしいでしょう。
「屋敷浄霊したら人が死んだ」という話ではないですよ。
この話は以前に概要を書いたんで今回は省略しているわけです。
いかに注目されてないかってことだな。
[83] 06/01/31 14:17 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
>>81
>万感の想いをこめて勤行をした。
>よよ。ありがとうや。鬱状態が回復した。
あのね。演出するときははこちらでやりますから。
引用するなら原文にリンクでもしていただいた方がありがたいかな?
[84]I 'll be back 06/01/31 15:19 *iaA1uvP//mh*PuPZPN7WXB
UB氏

>>F田さんの成仏力に限定されるのか?
源さんが戒名つけてた頃には、全部管長自身が護摩修法してるよ。
(作り話するな〜F田さんは関係ないの。)

まあ、何も感じられない人はある意味幸せなんだね。
お墓参りに行って浮遊霊に憑かれて帰ってくる人間もいるから。

勤行するだけで、毎日金粉降らせている人もいるよ。
数合わせは私も反対。ここで、悩める会員さんへのテーマ。

>>その子が突然電話をかけてきて、「何か火の中で苦しんでる人が見えるんだけど、大丈夫?」と言うのです。その頃、私は原因不明の体調不良に悩んでいました。ふと思い立ち、焼身自殺をした叔父を指定で解脱供養することにしました。すると、体調が治ったんです。確かに偶然かもしれませんが、そのときは阿含宗に感謝しました。病気は、本当に辛いですから。

解脱供養のすべきご先祖がいて、結果良くなった。
病気が治った時だけ、神仏に感謝し、
病気が治らなければ神仏や阿含宗を恨みますか?
それが信仰の本質なのかどうか?

自分の頭で良く考えてみるが必要はありましょう。
効能がある時は信仰を持ち、無ければ捨てるでは、
信仰を持ち続ける事が艱難な時がくるかもしれません。
(信仰をもち続けるだけでも、決して簡単な事ではないのです。)
ルルドのベルナデッタの話は良い参考となるはずです。

UB氏に影響されて辞めたとしても、確かに自己責任でしょう。
(それが自分の頭で考えた結果なら、しかたがありません。)


[85] 06/01/31 17:00 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
>>57
それからオイラはあなたのことをボンクラな会員だったなどと思ってませんよ。
護摩木判押しの世話を黙々としている会員さん。そして静かに判押しをしている人達。
こういう絵が平和な道場の原風景だと思います。
野心でギラギラしている会員も多かったなか、
静けさが似合う貴重な信徒の一人であったことでしょう。
[86]実行委員長 06/01/31 17:25 Bwq7aa/flJ
京都に行こう。
火の洗礼が待っている。
[87]大王の使者 06/01/31 18:28 JG6JNXCXuP
星祭りには、ア、修行で参加 イ、参拝 ウ、欠席、の三形態に我が
グループはなりそうです。統一行動をとりたいとは思うのですが、それぞれ
都合がありますからね。
かと、いって、修行形態で我がグループは信徒を、差別も評価もしません。
平等です。だいたい外国のイエス様だって、「人を裁くな」と、言ってる
でしょう。こういうときにも使うのですよ。
わかりましたか?ゆびさん。あなたは考え方が、まずいのです。
[88]大王の使者 06/01/31 18:50 JG6JNXCXuP
以前、松原泰道師の本で白隠禅師の逸話を読んだことがありました。
白隠禅師は500年に一人の名僧とうたわれたんだそうですね。
で、あるとき白隠禅師が托鉢に出てて、あるお婆さんの家に行った。
お婆さんは托鉢を断ったんだそうですが、白隠さんは何かに熱中してて
婆さんの声が聞こえず、いつまでも玄関先に立っていたそうです。
そしたら婆さんが怒って竹箒で白隠禅師を叩いたそうです。
その拍子に、白隠禅師が大悟したのだそうですね。

松原師は、そのときに悟った白隠禅師の体験内容は、言葉で説明できないし
白隠さんだけのものだ、と解説していました。
それと同じように、桐山成仏法の体感内容も、個人各々、違うと思うの
ですよね。だから体験内容はユビさんにもレスしないのですよ。
悩める会員さんも、解脱供養で病状が良くなった体験をしてるんですね。
私は、小さい、いろんなことが何回もありましたよ。
具体例は、書きません。ダルマチャクラに書いてあるようなことですから。
[89]ねんねん 06/01/31 18:53 *LqTGAXj2UFV*kvn46svL/C
お〜い、栗花くん!いちいちうるさいやっちゃなー
あらすんでない!消毒しちゃるよ!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
[73]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:24

シュルルルルルルルルルルルッルルーーーーーーー

 はい、綺麗になったので、みんさん議論をどうぞお続け下さい。
[90]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 19:36 xmurcr/oSV
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする


[91]ユビキタス 06/01/31 21:16 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>87
裁いちゃいねぇよ。嘲笑してるだけだよ。

なりそうですってことは、もう修行申し込みは締め切られていると思うのだが
(それとも明日まで延長かな?)参拝するかさぼるか未定の奴らがいるってことかな?
修行も風邪で休むかもしれないってことかな?
で、>>87を書いた単体のキミは修行、参拝、欠席のどれなんだい?

>>88
いや、その白隠の喩えは意味がない。阿含宗では箒で叩かれて因縁解脱なんかしないし
四止息法という呼吸法をマスターせねば。
だから体験内容なんて聞いていねぇよ。
体験を得るまでに至るまでにどんな修行をしたのかと聞いているんだよ。
ナモナモだけじゃねぇだろが?
普段どんな修行してるかその内容と頻度とか、一番最近やった梵行は何でいつだったか
書いてみ。
[92]大王の使者 06/01/31 21:27 JG6JNXCXuP
ユビさんは、反面教師として有意義だと思うのです。
なんでユビさんのような考えだと修行が進まないのか?
勉強になりますよね。

ダンマパダ72、仏陀は言います。
『愚か者は何を習っても(なんら利益無く)
 ますます鈍くなってゆくだけだ その知識はかれの頭を打ち砕く
 なぜならかれはそこで 他人の前に、他人の上に立つことを
 求めるからだ(比丘のなかで上位を、僧院で権勢を)』

上記の( )の部分は訳者によって違います。ですが意味は同じです。
経の捏造とはいいません(三供養品?笑)。

知識はかれの頭を打ち砕く、と、仏陀はいいます。なぜでしょう?
それは、ユビさんが桐山師の本を読んでいくら知識を詰め込んでも、
解脱には役立たず、ユビさんの感性、智慧を打ち砕いてしまう、という
のです。なぜなら、ゆびさんはその教学で他人と議論したり、優劣を
争ったり、そんなくだらんことに関心があるからです。
教学などの知識は、本来、修行の自省のために必要なものですね。

それをダンマパダは言っていると思います。


[93]UB氏 06/01/31 21:47 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>84
悩めるさんは2002年の入行だから、それから申し込んだ解脱供養って、ほとんど
F田護摩でないか?
昨年あたりから桐山例祭護摩がようやく復活したそうで。
それまでは朔日護摩、冥徳護摩、初護摩、星まつり等イベント護摩はあれども
例祭焚き火はF田ショーだった。
で、源太郎さん退職後指定の解脱供養は桐山さんが霊視して戒名をつけるようになった
なんてどこに書いてあるんだい?
この話は桐山さんの霊視と法要ならまだしもF田さんなら信用ならんというネタなんだが
実はどちらも一緒よ。
歴史上実在しない武士を見てそれに成仏法で供養したら解脱昇天していくのが見えた
なんてお笑いかますんだもん。
焼身自殺の先祖は幸い霊視などしなくても生前実在したことは変わりないのだから
ほっとしてるだろうが、桐山さんが昇天したとほざいているのと関係ないところで先祖さんは
悩めるちゃんありがとうと言ったのかもしれないって話さ。
これ無指定でも焼身自殺の先祖が下りるよ。だって資料箋の死因にそう書けば
喜んで御霊示出してくれるよ。
まあ体調が治ったのは霊と全然関係ない暗示作用の線こそ濃いけどね。
金粉を身体から出す体質の人はいるようです。
成分は金などでなく汗の一種のようで。
金粉出すとなんでその出した人の信仰の対象が正しい証明になるのですか?
金粉みたいのが出るのは客観現象です。
しかしその人の信仰は主観です。主観で正しい、すばらしい、神だ、仏だと思いこんだり
勘違いしたりしてるだけです。それでも金粉は出ます。
その人の主観が桐山さんを信じなくなったら金粉は出なくなるかもしれないという
所詮主観の感情に左右されるものです。
[94]大王の使者 06/01/31 21:49 JG6JNXCXuP
裁いちゃいねえよ、嘲笑してるだけだよ。

嘲笑と裁くは、イエス様には同義語なのよね。
同義語の本質の意味がわかるかな?この本質をつかむ力を智慧といいます。
ユビさんにはそれが欠けています。
だからあなたは修行も挫折するのでしょうね。
[95]ねんねん 06/01/31 22:34 *LqTGAXj2UFV*kvn46svL/C
おい、おい、栗花くん!まったく懲りないねー。今、消毒するから。

あらすんでない!消毒しちゃるよ!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
[73]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 01:24
シュルルルルルルルルルルルッルルーーーーーーー

コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする

はい、綺麗に消毒したし、呪文返しもしましたので、みんさん気にせず、議論をどうぞお続け下さい。この荒らしオタクは無視してどーぞ。

 この栗花って人、どういう人なの?
[96]ねんねん 06/01/31 22:45 *LqTGAXj2UFV*kvn46svL/C
 栗花さんへ
 →あなたは主にユビさんの中傷、排除を目的としてカキコしているのですか?ユビさんが阿含宗2回辞めたからですか?
 辞めたあとで、知りえた事実や論理的な批判でもって対抗されるのがそんなに気に入りませんか?
 別にあなたが気にすることではないではないですか?他の信者さんはちゃんと議論されているではないですか?なぜ、ムキになって攻撃するのか理由がわかりません。察するに、あなたが非常に阿含宗に深い関係の方だからでしょうか?
 宗教ひとつとっても、人それぞれに考え方、学ぶ内容も違うと思いませんか?
せっかくの皆さんの社交場をずるずると毎回、荒らさないで下さい!
 荒らすなら2ちゃんでやって!
[97]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 22:58 xmurcr/oSV
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする

[98]悩める阿含宗会員 06/01/31 22:59 Fk/ynU6qSQ
I 'll be back さんへ

ルルドの聖女ベルナデッタについてですね。
その前に、誤解があるようなので訂正しますが、「悩み終えた会員」さんは別人のようです。あれを書いたのは私ではありません。でも、ベルナデッタの話を読んで思ったことを書きます。

あの話を読み、昔読んで感動した小説を思い出しました。カトリック信者である遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」と「深い河」です。どちらも主人公は、不遇な人生を生き、低能と馬鹿にされ、不慮の事故で短い生涯を閉じます。周囲の人に全く感謝されていない分、ベルナデッタよりもつらい人生だったと言えるかもしれません。死後、周囲の人たちは彼らの崇高な精神に気づきます。もし読まれていないのならば、ぜひ読んでみてください。
それともう一つは、仏教を深く信仰していた宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」です。最後の「ミンナニデクノボウトヨバレ  ホメラレモセズ  クニモサレズ  サウイフモノニ  ワタシハ ナリタイ 」の部分を理解できるようになったのは、阿含宗に入行する3〜4年前だったのではないかと思います。それまでは、他の人に認められ、ほめられることが大切だと思う、醜い人間でした。
仏教の本を読み、「どんな状況においても学びだと考え、感謝すること、苦しみをそのまま受け止めること。」が大切であると感じましたが、それは凡人である私にはとてもできないことでした。
考えてみれば、阿含宗に入り、欲にかられてお願いばかりしている私よりも、阿含宗に入る前の私のほうがもっと無欲で精神性が高かったかもしれません。
と書くと、まるで阿含宗をやめるかのように思われるかもしれませんね。でも、私はまだやめると決めたわけではありません。とりあえず、保留です。

それと、強引な勧進をする先達について思い出したことがもう一つあります。星まつりの後のことです。交通整理をした私に彼女が言った言葉は、「交通整理なら立ってるだけだから、楽でよかったわね。私は結界の中で暑くて大変だったわ。」でした。観音慈恵会の頃からの会員で、道場の中心的存在の方です。私は、自分の耳を疑いましたよ。もちろん、そんな先達ばかりではありませんが、こんな人もいます。
[99]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:00 xmurcr/oSV
[1020]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/02 23:32 85KeaIhTfN
【精神的ゾンビ
霊障不成仏生霊】
は 確実に地獄に堕ちます。

私が決めつけているのではありません。
いっているのは輪廻転生の仕組みでそうなったということだけです。

【精神的ゾンビ
霊障不成仏生霊】
は 確実に地獄に堕ちます。

[9]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/03 00:00 7cCbiuUetW

 自業自得
[100]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:02 xmurcr/oSV
[314]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/09 02:05 85KeaeEsqC
桐山氏に文句いってる連中って
かなりねんちゃく
ぐち、いかり や むさぼり。
桐山氏に感謝するべきこともあるでしょうに。
桐山氏に文句いってる連中って
自分の都合のよる打算をひとのせいにする
卑怯な言訳も悪乗りしすぎで度がすぎている。
かなりしつこい
ぐち、いかり や むさぼり。
桐山氏に感謝するべきこともあるでしょうに。
[101]ユビキタス 06/01/31 23:04 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>100
>かなりしつこい

オマエモナー
[102]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:05 xmurcr/oSV
笑われているモト信者の例

380 名前:暇人 :2005/08/16(火) 15:58:16 ID:4sPvEKXL
>>379

自性ネタでは、電波さんが論書を読まないトンデモであることが
明白になりました。
玄奘の後書き部分をもって「ある」としたり、二例五個と論じている箇所を
論旨を理解できずに五例としたりですね。
「現観」ネタでは、電波さんやあほだら君の言う高度な瞑想として「現観」
などがないことがはっきりしました。
彼らの特徴は、中期大乗時代の概念を無闇に原始仏教に適用する愚です。
学問を装いますが 学問に対する冒とくではないかと思います。

さて脈絡のずれたあなたの電波擁護に付き合う義理はございませんが、
あなたも電波よろしくテキストをきちんと確かめず、正覚の傍証として
180度逆の煩悩を意味する「灯明」出したり、とトンデモ系だと自ら
暴露されました。
2ちゃんとはいえ 最低限の。。。以下略。

まあ お元気で
376 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/16(火) 08:15:18 ID:lXoBYmy+
面白い書き込みがある。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
325 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/08/15(月) 08:07:36 ID:KHKtMp2B
事物事象の本性や性質といった意味の“dhAtu”ならば、無常や苦・空・無我などもこれ
に含まれ、更には「一切は無常・苦・空・無我を自性(svabhAva)とする」という言明もされ
得るのではないかと考えます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これ↑です。

私はコメントはしませんが。

( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \
[103]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:08 xmurcr/oSV
呆れられているモト信者の例

140 名前:名無しさん@3周年 :2005/08/03(水) 10:20:50 ID:RFvAjLjL
その他、傍証です。
1.「きちがい」「ごろつき」等電波男が好きな罵倒語が多い。
2.目的が電波宣揚と電波論敵中傷罵倒である。
3.なぜか入手困難な電波の修士論文、卒業論文を持っている。
4.知識の内容な電波男と変わらない。sva√bhU、 写本復元作業と校訂作業
 一般的に自性をsva√bhUとは表記しない。写本復元作業と校訂作業 は、根本的知識不足。
 戸田氏の作業は転写 transcription であって、復元 recension と校訂 emendation ではない。
 そして本来、文献批判は、1.収集、2.復元、3.校訂の過程を踏まなければならないが、
 収集が不完全で復元もなされていないのに校訂を行うことを辻先生は批判されたのである。

 戸田氏の作業は、収集であり、写本の読みを学会に提供している段階です。
 この収集か完了した段階で復元を行う。復元は梵本諸写本の諸系統の復元本 recension を作り、
 漢訳諸訳の復元本、蔵訳の復元本を作り、それが出そろい諸系統図が確認されて初めて校訂を行う訳です。

 ローマナイズより写真本、PDF本がいい理由は簡単です。原資料である写本そのものを見た方がいいから。
 転写することで参照は容易になるかもしれないが、写本ならではの情報は抜けるし、誤写の可能性がでるから。
 だから写真本、PDF本が提供されるのが望ましいわけ。

 例えば、倶舎のプラダン本を読んでる場合でも、誤写は目に付くでしょう。しかし、それを漢訳や蔵訳
 で訂正するのは安易すぎる。漢訳と蔵訳が一致するとしても、梵本が別の読みである
 可能性は否定できない。写本で確認して初めて学問的なわけです。
 だから、諸梵本の PDF が SAT みたいにネットで入手できるようになれば、仏教学の精度は飛躍的に
 高まると思うですが。

 いやしかし恥ずかしい。そして自分にごくろうさん。当分、電波とその分身にはレスしませんので。
[104]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:11 xmurcr/oSV
それぞれの宗教法人はそれぞれの宗教の公理を示す。
その公理がそれぞれであるから、ひとつひとつがそれぞれ認められている。
宗教法人は沢山の数が存在することができるわけなのです。
あたりまえ。
布教で他の宗教法人との違いを示すのはあたりまえ。
信教の自由でどこに入りたいかはそれぞれ自分自身が決めること。
どのように入れてくれるかはまた別問題。
含みを持たせて言うが、やめるときも自由なはずである。
宗教法人はそれぞれの信条があるのはあたりまえ。
組織の数だけ「宗教としての公理」はある。


自分自身が希望し入れてもらっておいて自己都合で辞めてしまう。
再び、自分自身が希望し入れてもらっておいて
再び、自己都合で辞めてしまう。
辞めてしまった宗教法人の活動を阻害する目的の書き込みを継続的に行う。
主宰、主宰家族、信者、関連団体、利害関係者
に対する連続的な負の情報(批判誹謗中傷嘲弄妨害批判者扇動)。
[105]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:14 xmurcr/oSV
傲慢ゆえ謝罪ができないモト信者の例

[168]よ 06/01/04 23:13 *B5GT6dxzVYx*NTzKZlOhNq
>>157
相手を犬に例えるのはやっぱりひどいな。
そういう言い方はやめたほうがいい
[169]ユビキタス 06/01/04 23:45 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>168
ハイ。犬呼ばわりは取り消しましょう。
以下のみにします。
シシャさんは経典でたとえ話を出すのはよいが、何を何にたとえ、何が言いたいのか
具体的な発言をして下さい。
[106]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:17 xmurcr/oSV
それぞれの宗教法人はそれぞれの宗教の公理を示す。
その公理がそれぞれであるから、ひとつひとつがそれぞれ認められている。
宗教法人は沢山の数が存在することができるわけなのです。
あたりまえ。
布教で他の宗教法人との違いを示すのはあたりまえ。
信教の自由でどこに入りたいかはそれぞれ自分自身が決めること。
どのように入れてくれるかはまた別問題。
含みを持たせて言うが、やめるときも自由なはずである。
宗教法人はそれぞれの信条があるのはあたりまえ。
組織の数だけ「宗教としての公理」はある。

自分自身が希望し入れてもらっておいて自己都合で辞めてしまう。
再び、自分自身が希望し入れてもらっておいて
再び、自己都合で辞めてしまう。
辞めてしまった宗教法人の活動を阻害する目的の書き込みを継続的に行う。
主宰、主宰家族、信者、関連団体、利害関係者
に対する連続的な負の情報(批判誹謗中傷嘲弄妨害批判者扇動)。

[107]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:18 xmurcr/oSV
宗祖の世界が即ち公理
その理念
その方法に
人が集まり組織になる。
宗教法人として認められ
宗教法人の格をもつ。
組織の数だけ「宗教としての公理」はある。

どの宗教法人を信じるかは自由信じないのも自由。

宗教法人の「宗教としての公理」は公理なのです。
宗教法人が他の宗教との違い優位をいうことはあたりまえ。
同じであれば独立した団体とみとめられないし法人の意味もない。


[108]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:18 xmurcr/oSV
自分自身が希望し入れてもらっておいて自己都合で辞めてしまう。
再び、自分自身が希望し入れてもらっておいて
再び、自己都合で辞めてしまう。
辞めてしまった宗教法人の活動を阻害する目的の書き込みを継続的に行う。
主宰、主宰家族、信者、関連団体、利害関係者
に対する連続的な負の情報(批判誹謗中傷嘲弄妨害批判者扇動)。

これはあきらかにアウト。

宗教法人の「宗教としての公理」は宗教法人の活動の担保となる絶対的な前提なのです。

妨害となるラインの指針は明確になっています。

情報に関してかなりシビヤなあつかいが普通になっています。
[109]日本ハムファイターズ岩本投手 06/01/31 23:19 E-AelMq
用意はいいですか?
[110]岩本 06/01/31 23:20 E-AelMq
毎度!
[111]ゴージャス 06/01/31 23:21 GoRGEoUS
毎度!
[112]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:22 xmurcr/oSV
どのような立場のひとでも
相手が望まない情報(周知の事柄にかかわらず)を好き勝手に流すこと自体が問題です。

 相手にとって負の情報を晒すこと自体が問題視されます。

宗教法人の「宗教としての公理」が正しい正しくないとかは別なのです。

一個人が不利益を与えようと妨害活動をしているとの見方があるのは事実。

きびしくなってきてます。
[113]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:23 xmurcr/oSV
自分自身が希望し入れてもらっておいて自己都合で辞めてしまう。
再び、自分自身が希望し入れてもらっておいて
再び、自己都合で辞めてしまう。
これは自由
自由ってことは責任があるということでもあります。
自分自身が希望し入れてもらうことは自分でけつもて。
本来、宗教法人の「宗教としての公理」はつべこべいうことでは
ないのです。
[114]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:24 xmurcr/oSV
自分自身が希望し入れてもらっておいて自己都合で辞めてしまう。
再び、自分自身が希望し入れてもらっておいて
再び、自己都合で辞めてしまう。
辞めてしまった宗教法人の活動を阻害する目的の書き込みを継続的に行う。
主宰、主宰家族、信者、関連団体、利害関係者
に対する連続的な負の情報(批判誹謗中傷嘲弄妨害批判者扇動)。

さかのぼっていわれますね。
いろいろ。

すでに
いまはデリケートです。

[115]ユビキタス 06/01/31 23:24 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
おおっ!
栗を利用して栗に勝って、ゴージャスゲットぉぉぉ!
ねんねんさん、見ましたか?
間一髪危ないとこだったが。
[116]服部エンタープライズ社長 06/01/31 23:31 *vOys31uzjgw*E-a0Vr6

 栗ちゃんは何かの発作なの・・・・?

 ちょっと心配です!!

[117]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:35 xmurcr/oSV

この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、
もの惜しみをしない人々が、
ブッダと真理の教えとに対して信仰心あり、
修行者の集いに対して熱烈な尊敬心を持っているならば、
彼らは天界に生まれて、そこで輝く。
もしも人間の状態になっても、富貴な家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。
また〔来世には〕他人の蓄えた財物を、
他化自在天のように、喜び楽しむ。
現世ではこの報いがあり、死後には善いところに生まれる

[118]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:37 xmurcr/oSV

聖者を非難し、誤った見解をもち、
誤った見解にもとづく行為を蓄積している人々が、
肉体が滅んだ死後、不幸な境涯、悪い所、苦しみの境涯、
地獄に生まれるのを、私は見たのである。
さらにまた、比丘たち、
自分で知ったこと、自分で見たこと、自分で理解したことを
私は説くのである

[119]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:45 xmurcr/oSV
霊査による
悪霊払いです。
放置すると危険です。
モニターと人間
そして
その背後に悪霊がきます。
これは電波な発言ではありません。
ある境涯まで達した人達はわかります。
一瞬で悪霊は背後にきます。
ネット上の人間の愛憎は効率のよいところなのです。
すでに抜け殻になった個体をとおして活動しています。
服部エンタープライズ社長は一番ねらわれています。

[116]服部エンタープライズ社長 06/01/31 23:31 *vOys31uzjgw*E-a0Vr6

 栗ちゃんは何かの発作なの・・・・?

 ちょっと心配です!!
[120]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/01/31 23:54 xmurcr/oSV
霊査

●ヤコブの梯子

知っておくこと


桐山氏が海外の護摩(●ヤコブの梯子)を生そうとするのは、
大きな存在の後押しがあります。

法力とはまさに
釈尊のサヘトマヘトの神変なのです。

◎ 昇三十三天為母説法
◎ 三道宝梯降下、従三十三天降下

福力は最後まで善く成就させる力。
その成就には、三つの福力が必要なのです。
真剣にやって極めるのに必要です。

◎三天子(過去の書き込みにあります)

◎ 昇三十三天為母説法

◎ 三道宝梯降下、従三十三天降下

[121]悩める阿含宗会員 06/02/01 00:04 Fk/ynU6qSQ
よ さんへ

いろいろなことを知っているのに、阿含宗をやめないのは何故なんですか?
よかったら、教えてください。
[122]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/01 00:19 xmurcr/oSV

聖者を非難し、誤った見解をもち、
誤った見解にもとづく行為を蓄積している人々が、
肉体が滅んだ死後、不幸な境涯、悪い所、苦しみの境涯、
地獄に生まれるのを、私は見たのである。
さらにまた、比丘たち、
自分で知ったこと、自分で見たこと、自分で理解したことを
私は説くのである


[123]ユビキタス 06/02/01 00:45 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
特別お手配をしたのに死なれちゃう、ガンが治らない、自殺者が出る、独鈷をしたら
おかしくなった、屋敷浄霊に行ったら施主がその後死んだとか、いわゆる御利益の効果が
なかった話の現実というのはショックかもしれない。
しかし信者というものはそうそうそんなことで離れないものです。
よその団体にもよくある信心が足らんだの、修行が足らん、心解脱ができていなかった
とかさんざん効果を得られなかった人の不心得のせいにして問題を保留する。
お世話に携わった人のショックの度合いはともかくとして、これをスレなどの伝聞情報
として得た人にはまだまだそんなことでは諦めないしぶとさを示すかもしれない。
それよりも私は2ちゃんねるで読んだ桐山さんの欺瞞にショックを受けた。
あれも嘘、これも嘘、嘘だらけなんです。
阿含宗知ってるスレに転載のヌマエビさんの情報などです。
この情報がデマや偏見なのでなく、たしかに追認調査がきくものもあり、納得してしまう。
単に効果がないなんて話ではなく、宗教詐欺師だったという数々の証拠の方が私には
ショックだった。
桐山さん自身が因縁とやらを切ってないし。
感性を超えた知性の問題として納得がいく。同時に感性としてもこんな教祖は引いてしまう。
でも私は桐山さんの阿含宗ってまだ慈悲的だと思いますよ。
それはこれだけ嘘とインチキ、欺瞞を我々に露呈してくれているからです。
だから、なーんだ!単なる宗教詐欺師だったのね。自分は愚かなことにそれに騙された
だけだったのね。
という部分で救われるだけ慈悲があると思う。
そこまで悟るのがなかなか嫌なんだけどね。
私が退会決意直前悩んだ時、最後の方はこんなんでしたよ。
桐山さん、私は嘘つきでしたと自白してくれ。桐山さん、いっそこの場で死んで欺瞞を
証明してみせてくれ。犯罪を犯して牢屋入りでもよい。
そうすれば俺はきれいさっぱり諦めることができると。
しかし考え直した。本人が自白しなくたってこれだけネタが上がってるじゃないか。
死ななくても牢屋入りしなくても、死んだも同然ではないか?
私がそれを普通の知性で認めて受け入れればよいだけではないか?
人頼みなんかにせず、自分で判断すればよいだけではないかと思ったのです。
[124]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/01 01:01 xmurcr/oSV
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする


[125]不穏な空気 06/02/01 05:01 r5U.otXSai
栗花氏はこのスレを潰しにかかっているのか?
服部エンタープライズ社長と対決?
どっちが勝つのかな。
[126]不穏な空気 06/02/01 05:06 r5U.otXSai
スレ主に喧嘩売っても
普通は勝てないよ、栗花氏。
そろそろ、ひいたほうがいいんじゃないの?
[127] 06/02/01 06:10 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
>>123
>しかし信者というものはそうそうそんなことで離れないものです。
オヒ
人のことを決めつけるでないよ。

>>121
>いろいろなことを知っているのに、阿含宗をやめないのは何故なんですか?

「阿含宗をやめない?」
正直やめるやめないということにはあまり拘りはないのですが
身内や友人に会員が多いのでその人達と共にあるということでしょうね。
あと一生懸命やっている法友や職員にエールを送りたいという気持ちがある。
彼らは本当にたいへんななかで人の面倒をよく見ています。

それから解脱供養の件。
オイラは管長のいいかげんなところも知っているけれども
これに関してはたいへん深く感謝しています。
過去ログヨメっていうのも不親切なので、あとで要約してみます。

「いろいろなことを知っている」
オイラは>>49でいろいろ書いていますけど、
悪い例を知っていると言うよりも、いろんなことをやっていると
そういうことにも出くわすと言ってるんですね。
みんな自分のまわりで起きたことであり、時には当事者であったりするので
比較的詳細な事情がわかるものだけを挙げました。
一つづつのエピソードにプロセスがあり、結末らしきものがありましたが
終結している訳でもありません。
うまく行ったケースというものは、あまりはっきりした結果が見えないものです。
無事これ名馬。屋敷浄霊で情熱をかたむけて法要に参加しても
うまく行ったケースなど語るほどのこともないということです。
しかし特別なことが起きることもあるということですね。
そして観察者がそこを離れても物語は続いているでしょうから、
うまく行っていると思えても、そうでないことだってあるかもしれない。
一喜一憂しない見方というものは必要でしょうね。

「千座行コンプレックス」
オイラは元がクリスチャンだったものですから、千座行の原理の部分、
仏教では普遍的な業報思想にたいへん関心がありました。
キリスト教の神をそのまま如来と呼び換え、バチ当たりにも業報と神を
確かめる行為に走った。 それがオイラにとっての千座行でした。
正直いって信仰と世間の常識との格差に嫌気がさしていたんですね。
業報と神や霊の存在を否定できれば、自信をもってピカレスクロマンの
道も選べると考えていました。
千日間は疑いを差し挟まず、できる限りのことはやると決意していましたし、
狂っているように見られようが、職を追われようが、命を失おうがかまわない
というような捨て鉢な気持ちもあったのは否めません。

入行前にそのころ刊行されていた阿含宗関連の書籍は古いものも含めて
ほとんど読み切っていたで、教学はだいたい理解していたつもりですが、
基本的に業報のルールの中で行動すればいいのだという考え方をしていました。
そのやりかたなら、他の教団であっても同じ結果を得ることができるハズ
という確信のようなものがありましたので、千座行というのはその舞台と
してさせて頂いたということです。

千座行・梵行というものについてはいろいろとありましたが、満願を迎えるにあたり、
業報の法則は体験できたのか、神仏に触れることができたのかと言えば、
答えはNOといえるでしょう。
しかし二百日を過ぎたあたりで申し込んだ解脱供養で、感受性みたいなものが
目覚める体験をしたので、さらに千日の行を続けてみることにしたのです。
[128] 06/02/01 06:11 *B5GT6dxzVYx*MPfEoRPbKv
「解脱供養の件」
申込書には十六名くらいの戒名を書いて提出したような記憶があります。
父がお墓で書き写してきたものだったので俗名がわからなかったのです。
お塔婆が下りてきたときに、名簿の一人に赤鉛筆で○が書かれていました。
病死と書いておいた人も何人かありましたが、その人の死因はわかりません。
父は実家に背いてクリスチャンになってしまったのでやや疎遠となっていたのです。

お塔婆を供養している期間に、たまたま夏期休暇がとれまして実家に向かおう
とすると、同じく休暇に入った上司がクルマに乗るように誘ってくれたました。
彼の実家は東名高速の端っこの方でしたが、関東からそこまでのせてくれたわけです。
着いたときには夕刻になっていましたが、実家までは残り500キロくらいありましたが、
たまたま父の実家が近くにあったので十何年ぶりに尋ねて行ったと・・・。

父の実家には家を継いでいる伯父がいるわけですが、その、ちと気むずかしい伯父に
宗教団体の阿含宗をやっている旨伝え、許しを得て奥の仏間で千座行をさせてもらいました。
暗い仏間で姪が付けてくれた蝋燭の明かりを頼りに般若心経まで読み進んだときに
胸の奥からぐうっと喜びがこみ上げてきた。嬉しさは頭頂に達して目からは涙が流れる。
お護摩に感動する人ならばよくある経験なのでしょうが、なにしろオイラはお護摩から
なにかを感じたりしたことがなかったので少しうろたえました。般若心経を唱えながら
涙を流している自分に。
勤行を終えた後、伯父に解脱供養であがってきた方のことをそれとなく聞いたところ
まさにその家の二階で誰にも看取られることなく亡くなったのであるということを知りました。

実は千座行に入る以前、感情が枯渇しているような状況があって重苦しい気持ちを
抱いて暮らしており、それを異常と思うこともとくにありませんでしたが、
そこでの勤行の時に出てきた喜びの感情はそのまま胸に残って、世界を色鮮やかに
変えてしまったのです。
悲しい物語を見れば涙を流し、お笑いを見ては腹から笑える。
それで過去の自分が鬱状態であったことに気がついたという次第です。
それ以来今に至るまであの灰色の世界に戻ることはありませんでした。

生理的な変化がなんの前触れもなく起きるのはありうることです。
一方、千座行・梵行・解脱供養という、ある種のストレスを伴う行為がそれを誘発する
ということもありえるでしょう。自分のケースについてはタイミングの良さから考えて
お手配(共時性)と表現することも自然なことであると考えています。
それがずっと続いているわけなのですから、そういう切っ掛けを与えていただいた
桐山管長に感謝するのは当然のことでしょう。

ただ残念なのは、こういう解脱供養の成果のようなものが一律に現れないということです。
オイラ個人もこのあと更に四体ほど解脱供養をしていただいておりますが、さして変化が
感じられませんし、家族の解脱供養をして観察していても有為な変化は見られません。
理由としては、誰しもが霊障の影響を強く受けているわけではないからなのではないか
と考えています。 (それとも例の無事これ名馬?)
また中沼さんに教えて頂いたような、法要や霊視の状況によっても変わってくるのかも
しれませんが、なにぶん自分や知人以外の結果はわからないことなので判断できません。

お手配のようなものが意図的に起こせると考えるのは非科学的かもしれませんが
起きるときはたしかに起きる。
解脱供養の経験も、見方を変えれば千座行の成果だからです。
[129]ユビキタス 06/02/01 08:51 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>128
よさんの体験は一見桐山霊視は正しかった、当を得ていたという説得力がかなりあるかの
ように思えるでしょう。
死因は不明で出した16体のうち見事にこれを特定したのは単なる偶然かもしれないが
そう見るには、かえって疑う人の意地悪さが際立つような話です。
しかし果たしてこれが桐山霊視と成仏力の証明なのかと言うと依然はっきりしない。
桐山霊視も解脱供養も面接指導の上に行われていないからです。
申し込んで戒名帳に赤丸が付されて下りてくる、それだけです。
供養の理由がはっきり指導されない。
面接で、君の先祖にこれこれこういう周囲に看取られないで寂しい気持ちで亡くなった
仏がいる。この赤丸です。君はかなり偏屈で暗いところがあるだろう?この仏の影響に
よるものだったのだと指導されて、それが伯父宅で証明されて初めてすごいとなる。
しかしそういう話はないのでこれは「はっきりしない」。全面否定もできないが。
仮に適当に赤丸したのだとする。その赤丸先祖さんを念じて毎日供養していた折、
たまたま上司の車で叔父宅近くまで乗せてもらったので泊まることになった。
実はそれは赤丸先祖が呼び寄せたのだと解釈する人は信仰をしている人では多いと思う。
そうかどうかはさておき奇跡は叔父宅の仏壇前で起きた。
よや、私を供養してくれてありがとうと先祖が語りかける。胸の奥からこみあげるものがあり
涙がこぼれる。カタルシスの効果も付加される。
果たしてあなたの偏屈さがこの赤丸さんの影響だったのかは、関係ない赤丸さんの
プレゼントみたいなものなのか、心理的ショックで説明がつくことなのかどうかは
はっきりしないが。
いずれにせよ赤丸さんが喜んだのか奇跡が起きたのは解脱護摩の場ではなく仏壇の間の
赤丸さんを念じての勤行供養です。赤丸さん特定とわからずとも先祖供養の勤行をしに来た
よさんに働きかけたのかもしれない。
つまりは阿含宗の信者でなくても、特殊な成仏法とやらを引っ提げて来なくても
純粋に先祖供養したいという気持ちで読経をしただけでも起きたかもしれない話です。
はっきりしませんが。
しかしそのきっかけを桐山さんが作ってくれた。
この桐山霊視がすべてを掌握していてそうしたものやら、たまたまそうなったのかは
「はっきりしない」。
批判もできないわけですが、しかしその後供養した4体の例は何も起きていない証言もある。
これまたはっきりしない話ですが。
[130]I 'll be back 06/02/01 12:29 *iaA1uvP//mh*Xfnl0Q052k
UBC
>>中沼源太郎さんが指定で申し込んだ分については、桐山さんの方に
回らず霊視の機会がなく、
(自分の書いた事を忘れるな!!)

あなたにとっては初めから、桐○氏もフカキョンも、
何の力もないんだから、どっちにしても関係ないわな〜。W
解らない人にには○○も味噌も何でもいっしょだよ〜ん。W

>>98さん
ベルナデッダは勉強が出来ない修道女でしたけれど聖人です。

さて、聖人でない普通人の心構えはどうか?
まず、自分がいったい何を求めているのか?
最初に良く考える事ですよ。
そうでなければ、間違った観念に流されるだけです。
古い会員さんの中にも輪をかけて、変な人も時々いますが、
私には関係ないんです。(いや反面教師にするだけか。)

前のも書いたが、100円の護摩木も10万円の護摩木も価値にかわりは無い。
問題はどれだけ、心を込めて供養したかしかありません。
なので、10万円の護摩木を書けば、祈願が適ううという人は間違いです。
(10万円の護摩木がある事がインチキという方は、
 まず、成田山に行って、何で30万円の祈願札があるのか?と言って、
 イチャモン付けてくださいよ。ケチをつける材料はいくらでも見つかります。)

私の場合は、最近自分の欲望を祈願しません。(供養護摩木は書く)
現在は普通にしていても、めぐり合わせ(運)が良い事とは別に、
自分のわがままな欲望を増大させないようにしているのです。
(するならば、公を利するような祈願にしたい。)

私の霊障体験談はもう沢山なので書きませんが、
真理は、自分がいま恵まれている状態だからら神仏が存在する訳じゃなくて、その人がどんな最悪な状態であろうが神仏は存在しているっていう事です。
(強欲を満たす為に神仏が存在している訳ではない。)
健全な祈りが心を満たしますことを、
星祭りに向けての祈願といたしましょう!!


[131] 06/02/01 13:02 *B5GT6dxzVYx*jlf4f6s5Lm
自分の書いたことを補足します。
>>127
>しかし二百日を過ぎたあたりで(誤
>しかし六百日を過ぎたあたりで(正

>>128
>ただ残念なのは、こういう解脱供養の成果のようなものが一律に現れないということです。
残念な理由は他の人に勧める上で一律の効果が期待できないということです。
霊視というプロセスを経る以上、影響の大きい霊障から順に供養される
という点では最初効果が大きく後の効果が小さいのは理解しやすいことです。
解脱供養について数が多い方がいいという意見がありますが、
以上の理由からそれについては否定的な印象を持っています。
オイラ的にはせいぜい三体くらい試せば良いのではないかと思います。
もちろん霊障群体説や思い込み説も否定するものではありません。
ただオイラは経験からそう感じているということです。

誰かを直裁に楽にしてあげられる方法というものはなかなかないものなので
導師がご高齢ということもあり今後解脱供養が廃れるようなことがあれば寂しい限りではあります。
[132]ユビキタス@私の履歴書2 06/02/01 13:38 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
どこまで行ったっけ?
ああ!全然進んでいないんだ。
桐山靖雄の名を知った私は後にその著書を目にすることになります。
「密教・超能力の秘密」これは某百貨店主催の密教美術名宝展に行った時、出口の書籍
コーナーで見つけその当時2400円もする豪華本を立ち読みしたくらいです。
そこではそれを買い求めず高野山の座主の書いた「高野山金剛峰寺」とか買った。
真言密教の基礎知識みたいなものはこの本で身につけたな。
高野山真言宗とか東寺派とか御室派とか醍醐派とか泉涌寺派とか豊山派とか智山派とか
古義・新義の各派の知識も得たので真言宗金剛院派なんてのは聞いたことのない
随分マイナーなとこなんだなと思った。
さてちょうどその頃若年性腰椎椎間板ヘルニアなんてのにかかっちまって、入院することに
なりました。入院直前に新聞広告で「念力」ね記事を見た私は母に買って見舞い時に持ってきてくれるよう
頼みました。
果たして得て読んだ「念力」の世界はかなり違和感に襲われました。
この人密教とか仏教とかよりもヨーガの指導者になった方がいいのと違うか?と。
長期入院してると、そんな折、母が新聞広告の切り抜きを持ってきてくれた。
桐山靖雄新著「密教占星術1」の発刊予定で、母は気をきかせて知り合いの本屋さんに
予約注文してくれたとのこと。
超能力に念力、次は占星術だと?ったく、この人はやたらオカルト志向の強い人だな。
占いなんか興味ねーよ。ってな内心でした。
しかしそうこうしている時に、私は何をしているのだ?何を求めているのだ?密教って
何なんだ?仏教って何なんだ?と思うようになっていた。よくわからない。
念力で叫んでいた桐山さんの魂の賭けみたいなものも感じるようになってきた。
密教占星術が早く届くことを願うようになった。
そうして届いた密教占星術1。
これが私の人生を左右した。
[133]社長 06/02/01 13:48 D-iacMt
勝手な都合でかくだげのユビキタスっていうのは失敗者の例としてでも性格でもミジンコより落ちる。酷いことはやめなさい。
[134]ねんねん 06/02/01 18:41 *LqTGAXj2UFV*cw6Ypkl6l0
>>127 よさん、入信の動機とか、よーくわかりましたよ。人ってさー、不思議と人によって救われるものなんだよねー。
これからもよい人生が続く事をお祈りします。

〜ところで「ザ」って真面目と不真面目がごっちゃで疲れるねー。

 「栗ちゃん」は壊れちゃったのかな〜。
「コーカーリヤー〜」ばっかりで、疲れているんだね、きっと!
そんなに掲示板に張り付いてなくてもいいのに。コバンザメかい!

あ〜、ユビさん、『111』すっっげーぇーーー!「栗」ちゃんの間をくぐり抜けてのゲット。これは「超能力」?「念力」?いや、「霊視」だろーなぁ!!もはや管長を越えてるね!?

 <おまけじゃん>『守護神をもて』って、元横浜ベイスターズの大魔神(佐々木)をもてということなん?大魔神はね、榎○加奈子だったかと結婚したんだよ〜ん。んで、今年の巨人の守護神は「豊田」かいな?

 んじゃねー。
[135]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/01 19:38 sLBLVeb8O4
「愚か者は何を習ってもなんら利益無く
 ますます鈍くなってゆくだけだ
 その知識はかれの頭を打ち砕く」
[136]ユビキタス 06/02/01 20:22 *3Rv70.P.g7X*8uBN6rSY
>>1に第十七章のリンクが貼り忘れてたので貼っておきますね。
阿含宗と桐山氏について―第十七章 ― 蛇の道は蛇 ―[0-1024]
[137]ユビキタス 06/02/01 20:31 *3Rv70.P.g7X*8uBN6rSY
あ、だめだ。コピペがきかん。
では地味に手入力で行くか。
@阿含宗と桐山氏について―第十七章 ― 蛇の道は蛇 ―[373]
A阿含宗と桐山氏について―第十七章 ― 蛇の道は蛇 ―[375]
B阿含宗と桐山氏について―第十七章 ― 蛇の道は蛇 ―[418]
C阿含宗と桐山氏について―第十七章 ― 蛇の道は蛇 ―[441]
D阿含宗と桐山氏について―第十七章 ― 蛇の道は蛇 ―[469]
E阿含宗と桐山氏について―第十七章 ― 蛇の道は蛇 ―[481]
[138]UBCってかUBQ 06/02/01 20:49 *3Rv70.P.g7X*8uBN6rSY
>>130
さて、えがったさんへのレスです。
私は自分の書いたこと忘れやしませんよ。
源太郎さんがいた時指定などの霊視は源太郎さんがやり、桐山さんが
解脱護摩を焚いていた。
今は源太郎さんは退職され、解脱護摩はほとんどF田さんが焚いている。
源太郎さんが退職された後の霊視って、護摩を焚くのが誰であろうが、
源太郎さん以外にはおらず、今は桐山さんが霊視してるって証拠が
どこにあるの?
>>137の@AがF田さんが念力があるように見せかけているという
証言とその考証ね。
Bは戒名つけには源太郎さんを含む(とりしきる)「メンバー」がいた
ことに注意。
Cは指定分の霊視の話ね。
Dは「戒名はわたしたちが大半つけている」の「わたしたち」に注意。
Eは退職した源太郎さんが現法務職員に観念工夫の奮起を促す言葉。
戒名つけなどに関してね。
つまり源太郎さんがやめたって体制は変わらず、別の職員が戒名を
つけて、念力があるかのようなふりをして九字を切るF田さんが護摩
を焚いており、殊、指定分に関しては、今全く桐山さんの前を通過
すらしていないと見るのが妥当です。
[139] 06/02/01 21:10 *B5GT6dxzVYx*jlf4f6s5Lm
>>134
>これからもよい人生が続く事をお祈りします。
ありがとうございます。
祝福の言葉、これも魔術だよねいい意味での。

>人ってさー、不思議と人によって救われるものなんだよねー。
まったくですね〜 最近本当にそう思う。
他人に助けられることが多いです。

>「栗ちゃん」は壊れちゃったのかな〜。
栗花さんはね、私たちを信用してくれていないように思います。
なんでそんなに隠さなくてはいけないのかがわからないけど
きっと、何かを守り通したいのでしょう。
そこを安心できるようにしなければ、本音を聞くことはできないんじゃないかな。
[140]ユビキタス 06/02/01 21:22 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>135
超能力というか念力というか・・・しいて言えば密教占星術でしょうか?
105あたりを過ぎたあたりから「今だ、書け!」という天啓の御霊示が下りたのです。
あ?これじゃ占いにならないか?
ファイターズの岩本って今年どうなっているのですか?
しかし私の履歴書も本当にやる気なくたらたらやってるなー。
まだ中途挫折の因縁が切れてないかな?
[141]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/01 21:52 ZyCHLdoyLK

悪霊にあやつられる
精神的ゾンビ

悪霊 レギオンは下劣を好みで狡猾です。
自作自演はレギオンゆえです。
[142]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/01 22:05 ZyCHLdoyLK
>よ

狭い憶測からの俗っぽいことは捨て去って
聞くべき時がすぐそこきています。
君が待っている本音とは君に役に立ち必要なことです。

私が修行した聖域修験とは天界の神軍が背景にあります。
私の書き込みは、意図的に
箇条であったり、数と間でおこなっています。
或る段階までの知識と実践の達成により
個体に生存根幹の流れについてのセンサーが機能するようになった人には
言いいたいことが感覚され理解できます。
[143]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/01 22:11 ZyCHLdoyLK
>よ

君の回向はまだ機能していないところがあります。
君をまもっている存在はわたしにそれを
教えて欲しいといっている。
いままでの君をささえているのは般若心経の功徳と
正体がわからないほど大きい
大いなる母性の力です。
[144]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/01 22:14 ZyCHLdoyLK
>よ

思い出すべきことがあるそうです。
九才のときの君が本来の君です。
[145]悩める阿含宗会員 06/02/01 22:17 EFpJDJgqVq
栗花さんの呪いに怯え、よさんの解脱供養の体験談を読んで感動した後に、I 'll be back さんの言葉をかみしめ、とどめは中沼源太郎さんかあ・・・・・・。
うぶな私には刺激が強すぎるわ。

よさん、リクエストに答えてくださってありがとうございます。私ごときが感想を述べるのも失礼なような気がするので差し控えますが、本当にありがとうございました。
I 'll be back さん、自分が本当に何を求めているのか、という壮大なテーマに、すぐに答えが出るわけもありません。時間をかけて見つけていきたいと思います。
私の身近にお二人のような先達がいらっしゃれば、阿含宗に対する思いも変わっていくのかもしれません。

しかし、ユビキタスさんのやることも、何というか、うーん・・・・。中沼さんのおっしゃったことを考えると、言葉を失います。私は今まで何を信じてきたんでしょうね。愕然とします。

すべてを超越している栗花さんが、何だか偉大に見えてきました!
[146]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/01 22:17 ZyCHLdoyLK
傲慢ゆえ謝罪ができないモト信者の例

[168]よ 06/01/04 23:13 *B5GT6dxzVYx*NTzKZlOhNq
>>157
相手を犬に例えるのはやっぱりひどいな。
そういう言い方はやめたほうがいい
[169]ユビキタス 06/01/04 23:45 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>168
ハイ。犬呼ばわりは取り消しましょう。
以下のみにします。
シシャさんは経典でたとえ話を出すのはよいが、何を何にたとえ、何が言いたいのか
具体的な発言をして下さい。

[147]星祭@あほかいな 06/02/01 23:18 GZL6arlyil
また、いいかげんなこと書いているのがいるからねえ〜。いつ、源さんが霊視したなどと書いてのか?彼は戒名の付け方に一定のルールがあり、それをマスターしているから、戒名は自分がつけたものもあると言った。しかし、霊視をしたなどとは一言もいっていない。また、霊視についてゲイカが書かれた故人の名前にをパッパみて印しを赤鉛筆でつけるとか指定の供養はいちいちみないで九字を切るだけだとは書いているが、自分が霊視したり、F田さんが霊視しているとは言ってはおりません。飛躍した想像で書くなよ!
[148]星祭@イエスマン 06/02/01 23:26 GZL6arlyil
だいたいF田さんがやっているのは霊視じゃなくて法要なの。いわは我々が屋敷浄霊やるのと同じことだよ。九字だって、別に法力があるわけじゃないが、心こめて行なうことで通じる、と指導をうけている。だだ、プロであるならば、みせかけでなく、身に付けろという源さんの批判だろ、F田さんに対する。まあ、彼はF田さん、嫌いらしいけれどね。馬鹿っぽいイエスマンに見えたのだろ。
[149]ユビキタス@私の履歴書3 06/02/01 23:29 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
前スレにねんねんさんだったか、密教占星術1に掲載されている文献群の話が書いてあった。
レス付けなかったがまあ文献をやたら書き並べているだけのことでしょう。
こういう文献なども根拠によく研鑽修行されたのだろうと私も当時思った。
この密教占星術1は源太郎さんも書いていたが、占いの本というよりもなかなかバラエティに
富んでいて面白くすっかりその魅力の虜になった。
まあ私も決して読書家ではなかったのだが。
先に基本の仏教書も哲学書も読まない私は仏教世界がわからなかった。
この著書ははっきり明言している。仏教とは因縁解脱による運命転換法に他ならないと
断言するその明快さ。
実はその運命転換なんてのが仏教に非ずの外道の証明なのだが。
そして運命を動かす業とは何か?人間は何によって動かされるか?その選択の原理が
面白かった。ヘッケルの「個体発生は系統時代をたどる」の生物理論から大脳生理学の
皮質論から、ソンディはまだ出ぬが、フロイトの精神分析、潜在意識、深層意識から
ジャン・ポール・シャリエの昇華と葛藤論、「知性は意志の行う決断に無関係」と説く
ショウペンハウエルに、「わかっちゃいるけど
やめられない」の植木節までそのバラエティな展開に魅了された。
そして最後に変身の原理からの引用の大随求法の深層意識と表面意識を直結して
この昇華を果たし、これが即身成仏であり、この深層意識までも操って自分の行動、生活の
パターンを理性の届かない領域から変革して運命転換を図るというたたみかけ方に
鳥肌が立った。
人生経験の稀薄な中学生の柔らかい頼りない頭はこれだ!と思ってしまった。
[150]ユビキタス@あほだす 06/02/01 23:38 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>147
ああっ?ごめんごめん。
>>138私の書き間違い。
源太郎さんは霊視などしてません。
戒名付け専門です。霊視はゲイカがやる。
これは私の勘違いではなく書き間違いでした。
戒名付けと書いたつもりが霊視なんて
書いてしまった。^^;
星祭さん、指摘ありがとう。
[151]ユビキタス 06/02/02 00:00 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>147
>>137のC読んで。
指定分は戒名付けの源太郎さんのところに直接回され、護摩修法時まで桐山さんの
ところには一切回りません。霊視の場がないのです。
だから施主が勝手に指定するのだから、供養はしてやるが、その実霊障を起こしていたのか
否かも霊視してくれない。まあ霊障なんて関係なく亡き父に感謝したいから供養をプレゼント
するんだという動機だけならばよいが。
桐山解脱護摩の場に上がるとそこで初めて、ん?なんだ?コイツは?初めて見る顔の
不成仏霊だな?まあ、いいか、覚悟せいっ、えいっ!ってな感じで解脱昇天でも
されようものですが。
指定でも九字を切るって、護摩でのことですよね?
時々ってか、しょっちゅう星祭さんも書いてもないこと書くから。
これが桐山解脱護摩ではなくF田解脱護摩になるとどうなるか?
指定分は一度も桐山さんに霊視もされず、桐山九字も切られず、念力があるかのように
振る舞って九字を切るF田さんに委ねられる。
指定分が既に冥界にいらっしゃる先祖への感謝の印だけならそれでもよいが、霊障起こしてたら
どうするの〜〜〜?

>>148
心をこめて九字切る奴が念力があるかのように見せなければならないなんて言うかい?
念力がない?何とでも言え。私F田はただひたすらに心をこめて九字を切るのみで
ございますとか言うだろよ。
[152]ユビキタス 06/02/02 00:11 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>147
F田さんの霊視?
誰がそんなこと書いたの?
俺の>>138読んでもそこまで書き間違えてもいないし。
わからねぇ。星祭さんの文章読解の頭脳構造はわからねぇ。
あほかいを自分を表してるわけ?
[153]星祭@F田戒名 06/02/02 07:04 GZL6arlyv.
いいだしっぺはユビさんなの?F田さんについては、CDだとかなんとかいう人が(笑)。それらしく書いていたジャン。まあ、でも阿含宗の戒名ってパターン化されているでしょ、べつに源さんじゃなくても、我々でも付けられるよ、乱暴な言い方かもしれないが。院号は皆同じ、女性か男性かで釈か釈尼で亡くなり方により、普通は覚空か慈空、ヤバイ亡くなりかたをした人は解空とかつけ、あと俗名から一字と戒名事典からとったよい文字を一つか二つつけるだけみたいな感じで、それ事体はそう難しくはないと思うぞ。
[154]ユビキタス 06/02/02 08:55 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>153
CDって何のことだっけ?
だから戒名が成仏させるわけではなく、(桐山さんによると「おまえはこういう戒名なんだぞ〜」
と認識させるのが解脱供養なんだそうたが)桐山さんにしかできない霊視の場が無いということと
桐山さんにしかあるはずがない成仏力を発揮する桐山護摩修法の場がないことが問題なんだよ。
F田さんには成仏力がない。これはF田さんが念力があるように見せるように九字を
切らねばならぬ、バカにされてはいかんのですという発言でわかる。
阿含宗の成仏力とは何かと言ったら、諸法皆空の悟りの念を苦しみを発している亡者の霊に
それを強制的に送り込み悟らせる念力です。これをお塔婆にする九字でえいっ!と念力でやる。
九字にも護摩札などにする開運のものとかいろいろあるが、解脱成仏の為にするそれこそが
気休め的なお札などと違い、最も強力と言え、かつそれは絶対に必要な能力なわけです。
だから成仏力あって解脱供養の護摩が焚けるという人ならば、自分を念力があるように見せる
振る舞いなどする必要はなく、一心に九字を切っていればそれは十二分にすごい念力を発している
ことになり、ゆえに不成仏霊が解脱昇天していくのです。
F田さんは自分の置かれた立場をよく認識して、いくら仲間内とはいえこんな不注意な発言を
してはならない。つまりF田さんに成仏力などない。
では成仏力なくてどうやって解脱成仏させるのかと言うと、これだけは必ず桐山さんがやっている
霊視の場で桐山さんが九字を切り、そこでほぼ解脱成仏は約束され、あとはF田さんの
ていねいな形式の護摩パフォーマンスで仕上がりというヤツです。
桐山さんは霊視の時、怨念を向けて出てくる霊障のホトケに負けないようにえいっ!と九字を切る
わけで、法力・霊力無比の桐山さんの九字だけで霊障のホトケはまいってしまうという理屈です。
さて、指定の解脱供養となると職員による戒名つけとF田さんの見せかけゴッコだけで
唯一成仏力を発揮する桐山さんの霊視の場面も桐山護摩の場面にも遭遇することなく
御霊牌が下がるしくみです。
この指定さんが霊障抱えていたらどないしよう?
[155]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/02 09:29 sLBLVqPqc9
162 :名無しさん@3周年:2006/01/26(木) 10:15:26 ID:3/KCHsal
うすっぺらな中途挫折ユビキタスは人のことをとやかくいえない。
163 :名無しさん@3周年:2006/01/26(木) 11:06:06 ID:3dvwviol
うすっぺらな中途挫折ユビキタスは人のことをとやかくいえない。

[154]ユビキタス 06/02/02 08:55 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>153
CDって何のことだっけ?
だから戒名が成仏させるわけではなく、(桐山さんによると「おまえはこういう戒名なんだぞ〜」
と認識させるのが解脱供養なんだそうたが)桐山さんにしかできない霊視の場が無いということと
桐山さんにしかあるはずがない成仏力を発揮する桐山護摩修法の場がないことが問題なんだよ。
F田さんには成仏力がない。これはF田さんが念力があるように見せるように九字を
切らねばならぬ、バカにされてはいかんのですという発言でわかる。
阿含宗の成仏力とは何かと言ったら、諸法皆空の悟りの念を苦しみを発している亡者の霊に
それを強制的に送り込み悟らせる念力です。これをお塔婆にする九字でえいっ!と念力でやる。
九字にも護摩札などにする開運のものとかいろいろあるが、解脱成仏の為にするそれこそが
気休め的なお札などと違い、最も強力と言え、かつそれは絶対に必要な能力なわけです。
だから成仏力あって解脱供養の護摩が焚けるという人ならば、自分を念力があるように見せる
振る舞いなどする必要はなく、一心に九字を切っていればそれは十二分にすごい念力を発している
ことになり、ゆえに不成仏霊が解脱昇天していくのです。
F田さんは自分の置かれた立場をよく認識して、いくら仲間内とはいえこんな不注意な発言を
してはならない。つまりF田さんに成仏力などない。
では成仏力なくてどうやって解脱成仏させるのかと言うと、これだけは必ず桐山さんがやっている
霊視の場で桐山さんが九字を切り、そこでほぼ解脱成仏は約束され、あとはF田さんの
ていねいな形式の護摩パフォーマンスで仕上がりというヤツです。
桐山さんは霊視の時、怨念を向けて出てくる霊障のホトケに負けないようにえいっ!と九字を切る
わけで、法力・霊力無比の桐山さんの九字だけで霊障のホトケはまいってしまうという理屈です。
さて、指定の解脱供養となると職員による戒名つけとF田さんの見せかけゴッコだけで
唯一成仏力を発揮する桐山さんの霊視の場面も桐山護摩の場面にも遭遇することなく
御霊牌が下がるしくみです。
この指定さんが霊障抱えていたらどないしよう?
[156]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/02 09:30 sLBLVqPqc9
140 :名無しさん@3周年:2006/01/25(水) 19:02:52 ID:D7tap83N
>>137 a!ユビ発見!ユビ発見!
満行しないで、切り夜間の何がわかると言うの?
頭渦示唆にも限度があるデス。普通はやってはいけないこと、あんたしてる。
140 :名無しさん@3周年:2006/01/25(水) 19:02:52 ID:D7tap83N
>>137 a!ユビ発見!ユビ発見!
満行しないで、切り夜間の何がわかると言うの?
頭渦示唆にも限度があるデス。普通はやってはいけないこと、あんたしてる。
[157]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/02 09:32 sLBLVqPqc9

誰でも入信できるようですが、
中途挫折し放棄したことに
執拗に拘り
桐山氏に対し粘着攻撃を延々と続ける性格の人は
最初から修行の真似をしても駄目な存在なのです。
最初から普通の人より
大きな大きな隔たりがあったのです。
[158]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/02 09:41 sLBLVqPqc9

嫉妬やら敗北感に支配された被害妄想を真に受けてはいけません。
そもそも前提として成立しない。
上っ面でやってたことは私がここの掲示板で見破っています。

「匙にスープの味がわかろうか?
 愚か者は師とともに 一生を暮らしたとしても
 法(道)を見のがしてしまう
 舌はスープの味をあじわう」
[159]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/02 09:47 sLBLVqPqc9
あ、上っ面でやってたこと
チベットやっても同じ上っ面でやってたというでしょう。
おかしなしゅうほうやらやつあたりはよくありませんね。
教訓になったのかな?よくないことですよ。
(あ、
おこってなげてもなげた奴を直撃するブーメランだったね)
[160]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/02 09:48 sLBLVqPqc9
「愚か者は何を習ってもなんら利益無く
 ますます鈍くなってゆくだけだ
 その知識はかれの頭を打ち砕く」

「愚か者は何を習ってもなんら利益無く
 ますます鈍くなってゆくだけだ
 その知識はかれの頭を打ち砕く」

[161]大王の使者 06/02/02 10:26 wR7j3boCOs
一昨日の読売新聞の広告に「名僧のこころ・CD講和全集」とかが出て
ましてね、税込み29,400円と書いてました。
講師陣に松原泰道氏がおりましてね、かれは昭和40〜50年代に、多くの
ベストセラーを書いてましてね、私も読みました。
今の役職は、「仏教伝道協会理事」「南無の会、会長」と、重責を担って
お出でです。臨済宗の方でしたよね。

で、ときおり、阿含宗が、「御利益宗教」だと非難されたりします。
松原泰道師が、御利益をどう解説しているかを簡単に書きます。
以下は松原師の文章です。
「・・現世利益を願う心は、決して卑しいものではありません。
 利益と言うのは、仏の教えに従って得られる恩恵です。詳しくは、
 自分を益するのを功徳、他を益するのを利益と分けます。
 浄土教でも念仏行者のうける利得を説きますが、それは祈願をして
 乞うものではなく、仏・菩薩から与えられるものとして、祈祷を
 否定します。」
と、松原先生は書いておられます。現世利益を肯定しておられますね。
桐山師は白隠の施行歌で目を覚ました、と話されていました。
私は白隠の逸話を、松原師の本で知り、一昨日の新聞で懐かしくなり、
例の竹箒で叩かれた話をレスした次第です。
[162]大王の使者 06/02/02 11:09 wR7j3boCOs
「うぶな私には刺激が強すぎる」(笑)ジョーク?
悩める阿含宗会員のレスは面白いですね。
う〜ぶな〜♪わたし〜が〜♪いけえ〜な〜いのー、というピンカラの歌を
思い出して、笑いました。
「交通整理は楽でいいわね」なんて言葉は、修行者にあるまじき言葉ですね
え、ジョークにならないし。
そう言う先達の話も現職信徒の反面教師になり、各自反省材料の役には
立ちますね。
[163]I 'll be back 06/02/02 11:23 *iaA1uvP//mh*Xfnl0Q052k
UBCがF田さんの修行段階を説明したところで、何の意味も無いのですよ。
(ケチをつけるだけなら誰にでも出来る。みんな騙されちゃいけないよー。)
弘法大師クラスの修行者の意見なら聞いてもいいけどね。w

F田さんという方は、自分で修行をしていますなどとは、
言わない人ですが、相当な修行をされている方ですよ。
頭部のふくらみは、修行の成果ですか?と聞けば、
『瞑想を続けてきた結果です。』と答えてくれます。
性格のおとなしい方なので、人からなめられてしまうのでしょう。

とんがり頭はイエスマンと書いていた方は、
この件に関しては、全く感心できません。
おとなしいから、いわれ放題といのでは理に適いません。
源さんの方にも自分の修行が進まなかった腹いせに、
『F田なんてろくなもんじゃない。』
と言っているようにしか、私には感じられません。

源太郎さんは当時、阿含宗徒の為を思い行動していたが、
結果的には失敗してしまった為、
坊主憎けりゃ、袈裟まで憎いになってしまっている感じがするのです。


[164]I 'll be back 06/02/02 11:41 *iaA1uvP//mh*Xfnl0Q052k
私も昔は自分勝手な祈願ばかり護摩木に書いては、
なんで祈願してるのに全然適わないのだろうか?
などと思っていたものです。
出発点としてはそれでも良かったですよ。
願いが適わない場合には、
その願いが正当なのか?あるいは違う努力が必要か?
自分の頭で考えていけば良い方向に向かえます。

[165]ユビキタス 06/02/02 13:02 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>161
松原泰道師は阿含経を依経とする立場などにはない大乗の臨済宗ですか、僧侶ですね。
私も彼の観音経の解説本など中学時代に読んだことありますよ。
彼も理事の一人として連ねる仏教伝道協会とは阿含宗の関東別院にも近い東京・三田にあり
もともとミツトヨでしたか計測機器メーカーの会長さんが創始した仏教聖典を普及する
目的で設立した財団法人です。
ホテルの各ルームに聖書と同じように仏教経典の章句などを英訳して載せた本ですね。
最近は日本語版などもあり、書店でも千円くらいで売っています。
宗派を超えた団体ですから法句経など根本経典を中心に幅広く掲載するわけです。
で、松原師のその文章も全体を読まないとわからないが、その利益の解説も決して
護摩木に欲望を書いて祈ることなど肯定していないように思える。
仏の「教え」により自他を訓導しようという慈悲の心を発動させることを利益と
表現しているわけです。阿含宗的な我欲の充足ではない。
また彼は大乗の立場でこれを説いているのであり、仮に彼が現世の世俗的利益追求を肯定する
ことを書いたからと言って、それはお釈迦様が現世利益を認めたことにならない。
釈迦仏教で利益とは教えを聞いてあるいは実践して心が清まることを言う。

>>162
君が万難排して修行申し込みをして、交通整理でもやりたまえよ。
楽な修行にするか、価値ある修行にするかは君の観念工夫次第だ。
[166]ユビキタス 06/02/02 13:09 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>163
もちろん冗談だろうがF田さんが、んなこと言わねーわな。
「F田さんのその頭は肉髷ですか?」と質問したら「生まれつきですわ」とか言ったとか。
[167]I 'll be back 06/02/02 13:39 *iaA1uvP//mh*Xfnl0Q052k
>>「F田さんのその頭は肉髷ですか?」と質問したら「生まれつきですわ」とか言ったとかいわないとか?

冗談のネタにしては、全然おもしろくないな!!
何にでもケチ付けてるだけで、毎日が楽しいか?

忠告、UBCはこのままでは、来世でも常に神仏を恨み毎日過ごす存在と成りましょう。あなたの好む好まざるに関わらず。
その時、あなたは何も気づかないだけ。
(私はそういう人を一人知っている、前世にには聖職者でありながら、
神に対する恨みから抜け出せず人生を棒に振った人を。)
同じ病気で亡くなった者は、皆同じ場所に行くわけではない。
性格が悪くて癌で死んだなどと平気だ書く。
神仏を恨み、人を恨みながら極楽浄土へ〜往生いたしますように〜。
死ぬ前に念仏でも唱えますか?
きっと阿弥陀如来の慈悲にすがれば、
その罪は許されて、極楽へ往生出来ますか?
(桐○氏の祖父とは違い。)
[168]大王の使者 06/02/02 14:14 wR7j3boCOs
楽な修行だから価値が無くて、つらい修行だから価値がある、なんてことは
ないのですよ、ユビさん。
仏様はべつにサディストじゃないのですからね。(笑)

そういう愚かな差別、評価を止めないと修行は進まないのですねえ。
[169]ユビキタス 06/02/02 15:29 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>168
苦だの楽だの指標自体が間違ってるのじゃ。
能書きはいいから、早く修行に参加して縁の下の力持ちとして役に立ち、自分の心も
磨いてこい。ついでに根性も。
[170]大王の使者 06/02/02 15:42 wR7j3boCOs
松原泰道師は現世利益を肯定しています。
ユビさんが読んだという観音経など、現世利益の典型的な例でしょうよ。
松原師は昭和40年代から、大乗経典は釈迦が説いた経ではない、と、本に
書き、広く世間に知らしめました。また小乗の語は貶称だからといって、
上座仏教と、呼んでいます。だから私にとって印象深い僧侶です。

で、松原師も現世利益を肯定していますし、阿含宗も現世利益を肯定して
いますし、釈迦も現世利益を肯定しています(阿含経でもね)。
それで何も問題はありません。非難される理由はありませんね。
ただし、現世利益の「貪り」は戒めるわけですね。
ホリエモンみたいに株式時価総額が世界一になろうと、ドンペリを毎日何本
も飲もうと、やがて肥満体になって・・・するだけなので、現世利益に執着
するような愚かなことはやめなさい、ということでしょう。
ほどほどの現世利益は、必要なことでしょう。
[171]大王の使者 06/02/02 16:30 wR7j3boCOs
私が星祭りに欠席する場合は供養金を捧げるつもり、と書いたら、
「金で解決か?」とか、ユビさんが書いた。
布施供養について、松原泰道師が面白い教訓を書いてますのでレスしま
しょう。ユビさんも、その精神を学びましょうね。

以下のような逸話です。
『或る禅門の老師が雲水達と托鉢をしていたところ、幼女が道端の石ころ
 を拾って老師に差し出したそうです。老師はためらいもせず、正式の
 作法でその石ころを受け取り、頭陀袋に収めたそうです。
 さて、寺に老師が石ころを持ち帰ったところ、ある雲水が、
 「石ころなんぞ、途中で捨てたらよかったんではないですか?」
 と、言ったそうです。そしたら老師は答えたそうです。
 「石ころをいただくとき、私が合掌したら幼女も小さな手を合わせて
  くれた。施す人も、いただく人も、ともに合掌したからには、もはや
  ただの石ころではない、仏心が宿っている。なんで捨てられようか。」 そう答えて、その石を机に安置したそうです。』
 (静岡県での実話だそうです)

どうですかユビさん?
布施供養の精神が学べましたか?
あなたは、石ころなんぞの話が、なんで教訓なんだ?と思ったでしょう。
十万円の護摩木供養だから仏様がありがたく思い、100円護摩木だから
つまらない、というものではないのですね。供養金を捧げる場合も、心がけ
しだいでしょう。執着・貪心を捨てる修行として、供養するのですからね。
それではじめて三供養品の功徳になるというものでしょう。
その点、私もまだまだなのですけどね。
[172]実行委員長 06/02/02 18:11 5R5qT6eKic
「間脳思考」の特殊な瞑想を探すのが会員でしょう。


[173]神人同行 06/02/02 19:21 STgOcOqPh9
委員長、トウトウ昔の名前で御出座デスカ、
隠居なんだろ、世俗に関わらない方が、モウスグ私も
と言いたいが、まだまだ現役
モウ少し待ってネ、その時は
イヤラシイ碁かたきになってあげるから、
それまで生きていてネ。
[174]【黒】銀【羽】 06/02/02 20:05 E-Nz0ih
スレ主さん
そうだ。京都に行こう。
↑これゲーム好きが雑談するスレパクったでしょ?


これはザクれろに教えなきゃ。
[175](°ω°)【巫円】ビュネイ 06/02/02 20:39 *QLIP5454M1P*z1vTCHSDKA
>>174
ちょwwwwwwww
パクったってお前・・・・・・
[176]服部エンタープライズ社長 06/02/02 20:41 *vOys31uzjgw*E-a0Vr6

 ん〜 今回のサブタイトルはちょっと失敗だったかな〜!?

  JR東海のCMが流れない地域も有るんだよね…

   以後 気を付けま〜す


[177]ユビキタス 06/02/02 21:25 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>170
あなたは三つのことを説いていますね。
@松原泰道師は現世利益を肯定している。
A桐山大王は現世利益を肯定している。
B釈迦は阿含経で現世利益を肯定している。
まずシシャさんは>>161の松原師の文章の出典を示して下さい。
市販されている書籍ではなく、通信講座のテキストだというのならば、それでもいいから
引用元を示して下さい。
で、それはそれとして、あなたが>>161に引用した松原師の現世利益肯定論だけで考えても
これは少なくとも桐山現世利益だけは逆に否定しているとわかるのです。
すなわち@=Aではない。
松原師は現世利益なら何でも肯定しているのではなく、かなり条件をつけている。
あなたの引用部分の最後にあるではないか?
「それは祈願をして乞うものではなく・・・祈祷を否定します」
護摩木とは祈願文を書いて祈願を乞う祈祷です。
松原師は浄土教の念仏においてさえ祈願・祈祷を否定すると説いている。
教えに従い教えを実践するところから得られる恩恵を肯定しているのです。
さすが仏教伝道協会の理事をしているだけあって、ご自身の臨済禅の立場からだけでなく
また釈迦仏教の視点だけでもなく、浄土教などの大乗仏教全体も包括して全仏教の立場から
利益観の共通する部分を示しているのがわかる。
念仏行者はひたすら念仏を唱えるという教えを実践するわけですね。
しかしそれとても行者の祈願・祈祷ではなく、行に対して授かるものとしている。
釈迦仏教は仏も何も授けてはくれないが、しかし教えの実践で自ら獲得する功徳や利益がある。
両者の共通点は大乗と上座仏教の教えの内容にかなりの相違があるとは言え、その教えを
実践した結果得られるものという共通点があり、しかしどちらも祈願、祈祷は否定
していると説いている。
はっきり言って密教の護摩木祈願など否定しておりそれを利益と呼ばないとしているのがわかる。
桐山現世利益とはまさに現世の祈願を書いて乞うて、祈祷をするでないか?
松原利益肯定論に失格であり、松原師によって否定されたのです。
そしてBの釈迦が阿含経で現世利益を肯定したってのは突飛な飛躍であり根拠がない。
松原師は釈迦仏教の正当性を認め、しかし釈迦説でないとわかっている観音経の解説をする等
大乗の立場も価値を認めて説いているが、今回あなたが示した範囲内では阿含経を根拠に
出してないのです。
よってBは空論であり、A=Bになり得る要素すらない。
[178]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/02 21:54 fSzUpO3eO9
論外

[177]ユビキタス 06/02/02 21:25 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>170
あなたは三つのことを説いていますね。
@松原泰道師は現世利益を肯定している。
A桐山大王は現世利益を肯定している。
B釈迦は阿含経で現世利益を肯定している。
まずシシャさんは>>161の松原師の文章の出典を示して下さい。
市販されている書籍ではなく、通信講座のテキストだというのならば、それでもいいから
引用元を示して下さい。
で、それはそれとして、あなたが>>161に引用した松原師の現世利益肯定論だけで考えても
これは少なくとも桐山現世利益だけは逆に否定しているとわかるのです。
すなわち@=Aではない。
松原師は現世利益なら何でも肯定しているのではなく、かなり条件をつけている。
あなたの引用部分の最後にあるではないか?
「それは祈願をして乞うものではなく・・・祈祷を否定します」
護摩木とは祈願文を書いて祈願を乞う祈祷です。
松原師は浄土教の念仏においてさえ祈願・祈祷を否定すると説いている。
教えに従い教えを実践するところから得られる恩恵を肯定しているのです。
さすが仏教伝道協会の理事をしているだけあって、ご自身の臨済禅の立場からだけでなく
また釈迦仏教の視点だけでもなく、浄土教などの大乗仏教全体も包括して全仏教の立場から
利益観の共通する部分を示しているのがわかる。
念仏行者はひたすら念仏を唱えるという教えを実践するわけですね。
しかしそれとても行者の祈願・祈祷ではなく、行に対して授かるものとしている。
釈迦仏教は仏も何も授けてはくれないが、しかし教えの実践で自ら獲得する功徳や利益がある。
両者の共通点は大乗と上座仏教の教えの内容にかなりの相違があるとは言え、その教えを
実践した結果得られるものという共通点があり、しかしどちらも祈願、祈祷は否定
していると説いている。
はっきり言って密教の護摩木祈願など否定しておりそれを利益と呼ばないとしているのがわかる。
桐山現世利益とはまさに現世の祈願を書いて乞うて、祈祷をするでないか?
松原利益肯定論に失格であり、松原師によって否定されたのです。
そしてBの釈迦が阿含経で現世利益を肯定したってのは突飛な飛躍であり根拠がない。
松原師は釈迦仏教の正当性を認め、しかし釈迦説でないとわかっている観音経の解説をする等
大乗の立場も価値を認めて説いているが、今回あなたが示した範囲内では阿含経を根拠に
出してないのです。
よってBは空論であり、A=Bになり得る要素すらない。
[179]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/02 22:11 fSzUpO3eO9
行 京 そこ 都 飢う   だ


[180]悩める阿含宗会員 06/02/02 23:19 EFpJDJgqVq
>>162
あらぁ、大王の使者さん、「うぶな私」なんてジョークに決まってますよぉ。酸いも甘いも噛み分けた、立派な大人ですぅ。

私の家から車で1時間ぐらい離れたところに臨済宗のお寺があり、20代の半ば頃、一年間ほど日曜座禅会に毎週通っていた時期がありました。その頃は、白隠禅師の座禅和讃を暗誦していました。今はもう忘れてしまったけれど。
とっても懐かしいことを思い出させてもらいました。感謝です。
私は、山田無文老師の本が好きで何冊か持っています。
以下「自己を見つめる」からの引用です。

「刻苦光明必ず盛大なり」このことばを思って、甘い教育を受けんよう、ぜいたくな享楽を求めんよう、安易な安楽を求めんよう、厳しく自己を律していただきたいと思います。苦しんで求め、苦しんで学び、苦しんで行じてこそ、立派な人間性が自覚されるのです。

言葉には姿がある。美しい心の人は、言葉も美しい。

[181]星祭@小僧正 06/02/02 23:54 GZL6arlyrU
F田さんのことですが、謙遜して念力があるようにみせなければならんのです。と言っているのかも知れませんがな。でも、まあ、ある意味、ゲイカ以上に本格的な真言密教の行をした人でしょう。たしか大橋覚阿僧正に預かり弟子として、預けられ、東寺の後七日御修法にも伴って参加されたそうで、源さんが小馬鹿にするほどのアホだとは思いませんがね。性格的に生真面目すぎて、おとなしい感じだからなめられるのだと思います。修法や法要だって一生懸命やっているよ。ゲイカが大きすぎて影が薄いだけでしょう。
[182]ユビキタス 06/02/03 00:41 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>171 シシャさん
シシャさんのはモロ金で解決という安易な考えです。
労力奉仕するのも金払うのも同じだろうという取引の感覚が露骨に出ている。
シシャさんは欠席する時は護摩木を多くする言いました。
考えてごらんなさい。護摩木勧進修行と現地修行はそれぞれ別なんですよ。
現地修行をする人は護摩木勧進しないと思いますか?
むしろよく現地修行する人こそ勧進修行の方も熱心にする。
護摩木勧進というのは全信徒に課せられた修行ですから、現地修行するしないに関わらず
各自誓願を出して勧進に励むのです。
現地入りするまでの修行ですからね。
二つの修行は両立するから片方の修行で片方の修行の代用にするなんて発想はない。
もちろん今年は現地に行けないからせめて護摩木勧進の方は頑張るよという言い方はあります。
しかしこれもおかしな表現で、現地に行けないとなぜ勧進本数が増えるのか?
勧進本数を増やして頑張りたいというのは共通の目標です。
つまりシシャさんはマトモに人に護摩木を勧進するという修行もしてないのがわかる。
全部自分で書いてしまうから、現地往復の旅費の浮く分護摩木がその分多く買って
自分で祈願が書けるという金銭の感覚しかない。
だから星まつりの護摩木勧進を布施供養だなんて平気で書ける。
星まつりの修行は仏さまに何かささげて御利益をもらう布施供養としか見ていないのです。
それは参拝者と変わらず己の欲望を祈願というきれいそうな粉飾で増長させているに過ぎず
これのどこが修行なのか?
星まつりの山伏修行は桐山さんも「阿含仏教超能力の秘密」で、ボーイスカウトのような
心身を鍛錬する修行と位置付けている。寒空の下というだけでなく、現代人の最も苦手とする
団体行動をする機会にしています。オウムの超人修行が話題になった時、あの団体は
超人以前に人間としての修行ができておらず、人間的に練れていないと批判しました。
人間は貧、忙、閑、煩の4つに耐えていかねばならないと桐山さんも言っています。
煩とは文字通り煩わしさのことで、団体行動とか人間社会の生活とはとかくに煩わしい
ものです。しかしそれを忌避しては人間的に練れない、成長しない。
だから面倒でも煩わしてもそういう場に身を投じ、なおかつそこに喜びを見出せるように
観念工夫、努力、継続するのです。その為の修行機会なのです。
シシャさんにそういう視点、発想がなく金で解決しようという発想が笑えます。
[183]ユビキタス 06/02/03 01:11 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>171
そもそも護摩木勧進なんてのも本来は勧進の名のとおり周囲の人に護摩木祈願を書いて
祈ってもらう修行です。そんな人に依存の心を与えて何の価値があるのかと言いたいところだが、
そういう視点はさておき、これがなかなか難しい。
書くことを拒否する人もいるし、お義理で数本書いてくれるのが関の山という現実です。
強引なことする先達もおり、結局そうやってでも実績をあげた人が有能と評価されるのだが。
他人に無料で配って書いてもらったのでは、その人に仏様に何も捧げることをさせなかった
ことになる。だから百円護摩木ならちゃんと一本につき百円を徴収する。
他人に勧進する数が多ければそれだけ自分の財布は痛まない。自分の能動的な努力次第です。
しかし現実はなかなか勧進実績も伸びないので、かなりの割合ってか、ほとんど自分で
書いて祈願する。評価はあくまでも購買本数だから、その後どう他人にばらまいたかなど
どうでもよいのです。
自分でばかり書いてると懐との相談の問題にもなってくる。
現地に欠席しようが参加しようが、それと護摩木勧進本数は関係ないのです。
関係なく勧進は勧進で頑張るものなのです。
欠席するからその埋め合わせに護摩木が多く人に勧進できるのか?
護摩木勧進とは当日より前の一年間の努力の結果なんだから、たまたま欠席だから
増やせる理屈もないし、増やせるなら出席しても増やせるのです。
だからおかしな理屈なんだが、ほとんど全部自分で書いて、それだけ金を供養していると
いう発想をしてしまえば、現地修行しなくても俺は俺の中でこんだけ差別化して
供養を増やしたんだからいいだろ?という取引の金で解決の安易な発想が露骨に見える。
全然違う次元の発想の修行なのに、この人は金銭取引の側面しか見えない。
こういう時は、今年は金だけの供養で申し訳ない!来年は頑張るとか、それ以外の修行で
これから頑張りますという気持ちになるから、恥ずかしくてシシャさんのような無神経な
ことは書けない。
星祭さんの知人の信者に星まつりの当日は毎年道場内でトイレ清掃ばかりするのだという。
命じられたものでないから当然山伏位階も出ない。
しかし本人は位階など最初から眼中になく独自の奉仕をしたいのでしょう。かなり偏屈だけど。
こういう肉体を使った一見煩わしい供養をしようとせず、金で解決するのがシシャさんです。
金で買えない経験とか鍛錬とかいう発想が皆無です。
[184]ユビキタス 06/02/03 01:26 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>171
そして金の供養の話にしか興味のないピンボケシシャさんは金銭の大小など問題ではない
などと示す。金銭の大小の差別化の話をしたのはあなたでないか?
欠席したら多く出す。(出席するなら増やさない?)
百円と十万円の差なんて極端な差の話でごまかさなくていいですよ。
普段百円しか書かないのが今回は欠席を理由に二百円もサービスしたのだという意識で
やる限り、あなたは金銭取引の感覚こそが全てなんです。
明らかに自己の中において差別化を示しているのです。
石コロの供養の話でごまかしているが、石コロで護摩木を買ってごらんなさい。
解脱供養を石コロで買ってみなさい。解脱供養はどうして一体定価十万円しか認めないのですか?
金の代わりに道場のトイレ清掃を一定期間やり続ける真心の奉仕供養をしたのを
先祖に対する回向になぜ替えられないのですか?
[185]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/03 01:43 fSzUpO3eO9
えらそうに陳腐な講釈垂れ流す稚拙な無神経さ・・・・
堕落者が人に口出すのは百萬年早い

[184]ユビキタス 06/02/03 01:26 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>171
そして金の供養の話にしか興味のないピンボケシシャさんは金銭の大小など問題ではない
などと示す。金銭の大小の差別化の話をしたのはあなたでないか?
欠席したら多く出す。(出席するなら増やさない?)
百円と十万円の差なんて極端な差の話でごまかさなくていいですよ。
普段百円しか書かないのが今回は欠席を理由に二百円もサービスしたのだという意識で
やる限り、あなたは金銭取引の感覚こそが全てなんです。
明らかに自己の中において差別化を示しているのです。
石コロの供養の話でごまかしているが、石コロで護摩木を買ってごらんなさい。
解脱供養を石コロで買ってみなさい。解脱供養はどうして一体定価十万円しか認めないのですか?
金の代わりに道場のトイレ清掃を一定期間やり続ける真心の奉仕供養をしたのを
先祖に対する回向になぜ替えられないのですか?
[186]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/03 01:48 fSzUpO3eO9
『或る禅門の老師が雲水達と托鉢をしていたところ、幼女が道端の石ころ
 を拾って老師に差し出したそうです。老師はためらいもせず、正式の
 作法でその石ころを受け取り、頭陀袋に収めたそうです。
 さて、寺に老師が石ころを持ち帰ったところ、ある雲水が、
 「石ころなんぞ、途中で捨てたらよかったんではないですか?」
 と、言ったそうです。そしたら老師は答えたそうです。
 「石ころをいただくとき、私が合掌したら幼女も小さな手を合わせて
  くれた。施す人も、いただく人も、ともに合掌したからには、もはや
  ただの石ころではない、仏心が宿っている。なんで捨てられようか。」 そう答えて、その石を机に安置したそうです。』
 (静岡県での実話だそうです)
[187]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/03 02:01 fSzUpO3eO9
長いだけのしょんぼり書き込みにたいする
世間的な見方の例

打算と傲慢の因業が深すぎた基地外
嫉妬し狂乱するホモ
存在自体が恥。
馬鹿がサイレン鳴らしながら恥を振り撒いて同じ場所をグルグル走りまわってどうする。
クス
[188]ユビキタス 06/02/03 08:49 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>170
釈尊の仏教には利益という言葉がありますが、それは病気が治ったとか商売が繁盛したとか
現世の世俗的利益とは異なります。教えを聞いて教えを実践して心が清まり、心が平安に
なることこそ功徳です。それを人にも説いて利益です。
実は松原泰道師もそれを熟知しており、だから>>161の引用文の中で「利益と言うのは、
仏の教えに従って得られる恩恵です。詳しくは、自分を益するものを功徳、他を益するのを
利益と分けます。」とあり、現世利益という言葉を使わず単に「利益」なのです。
仏教の利益観を明らかに示しておき、次に釈迦仏教とは異なる浄土教など出して、
それさえも祈願・祈祷とは異なると示す。
総じて「現世利益を願う心は決して卑しいものではありません。」という結論にしている。
我々が護摩木などに祈願を託して現世利益を得る祈祷をするようなことまで認めてないのです。
それは外道の説く現世利益祈願であり、仏教の説く利益と言うのは違うんだよ、そんな祈願
なんて概念は内包されてないんだよと限定する。
そして釈尊の利益が時代を経て大乗に変遷し、法華経みたいに現世利益を認めるように
なってすら祈願・祈祷などはない、だから(世間で誤解されて行われているのではない)
「本来あるべき姿としての」利益や現世利益を願う心と言うものは決して卑しいものではないよ
と利益追求の理想を掲げているのです。現世利益を願うのならばこうあらねばならない
という基本精神を示したのが松原師の文章です。
その文章に添うと、逆に祈願・祈祷は「卑しい」と言っているのと同然です。
阿含宗では護摩木に商売繁盛、学業増進、病気平癒の祈願文を書いて神仏にこれらの欲望の
叶うことを祈り、護摩などの祈祷をする卑しい心に基づく外道の現世利益追求だと
わざわざ差別しているのですよ。
[189]星祭@現世利益 06/02/03 10:07 GZL6aCsBLL
なんで、学業増進、病気平癒などの祈願が卑しいのか!外道の現世利益の追求になるのかねぇ〜?これらは人として当然、願うべき、ささやかな願い事にすぎませんし、仏教の成就にしても必要なものです、病気で寝たきりの阿羅漢などいません。とうぜん、松原師のいうところの「本来あるべき姿」をこえたものではないですね。屁理屈もいいところ、ということです。
[190]ユビキタス 06/02/03 12:51 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>189
願うことと祈ることは別だからです。
学業増進でも事業順調でも病気平癒でも祈りに似たほど熱望、切望して現実努力するのは
よいですが、その為の祈祷など否定しているのです。
これは私がそう言うのではなく、松原泰道師のシシャさんが引用したあの短い断片を
読むだけでそう書いてあるのです。実際釈尊は祈るなんてことを説いておらず
祈祷を否定しています。出家修行者も健康には気をつけます。病気したら(当時の)医薬の力も借ります。
しかし祈りはしない。後に治毒呪は認めるようになったとするのなら、それは堕落の始まりです。

さて、ここからは主にシシャさんに対するレスになるが、この利益論はそのまま
星まつり修行にも適用できます。
私は星まつりなんて人に妄執を植え込むイベントの手伝いをすることなどを否定しますが、
そういう観点は抜きにして、先に挙げたボーイスカウト的な規律ある団体行動を通じて
心身の鍛錬の一助としようという教えと実践はそれ自体は間違ってもおらず、価値はあると思う。
面倒くさいという煩悩に反して修行に参加するからこそ価値がある。
自分の中の悪い心癖を観念の瞑想や他力の祈りではない身体を動かす修行により
その習気を根滅しようというものです。この修行は自分が参加するしか功徳はありませんよ。
自分がこの教えの実践をすることによりそれなりの功徳を得て、人にもそれを教えて利益となる。
これが松原利益論です。
シシャさんは戒行・課行という実践の概念を忘れてますね。
お手配願い一つにしても戒行がある。「道場え三日間お参りせよ」
例祭以外の日に道場をお参りして、しかしただナモナモ拝むだけではだめです。
トイレ清掃でも下足番でもチラシ折りでも護摩木判押しでもなんでも短い時間でもよいから
身体を動かす奉仕の梵行をするというものです。
身体を動かす梵行の星まつり修行の代わりに、金をいつもより多く投じて護摩木を寄せて
金で解決すると聞いて呆れたのです。
だから星まつり修行ばかりが身体を動かし心の習気をとる修行ではないが、事情で修行参加
できないのは仕方ないとして、代わりにどんな身体を動かす梵行をしているのですかと
質問したのです。
[191] 06/02/03 12:56 *B5GT6dxzVYx*jlf4f6s5Lm
>>181
O先生はご厚意でFさん達を受け入れて下さったのだと思いますよ。
根拠がありますがそれについては公開できません。確かにFさん達が
O先生の元でお剃刀を頂いている可能性もありますが、そういうことや
後七日御修法に同伴されたことについても我々としては先生の、
深いご厚意の上であったと受け止めるべきではないでしょうか。
なんにせよ失礼のないように最大限注意を払うべきだと思います。
[192]ユビキタス 06/02/03 13:07 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>181
謙遜と捉えてあげるにはかなり醜い発言と思いませんか?
いやいや、私の九字なんて管長猊下に比べれば、カッコだけ念力があるように見せかけてる
ようなもんですわ。と言いたいのだろうが、なんだかねえ。
人から後ろ指さされるようではいかんのですわ、はこの謙遜に余計だゾ。
[193]I 'll be back 06/02/03 13:10 *iaA1uvP//mh*Xfnl0Q052k
>>心配しなくても実はF田護摩も桐山護摩もちっとも変わらないから。(笑

こんなことを書いている喜んでいる源さんの書き込みでは、
UBCの話と何も変わらない。

『念力があるように見せかけなければならないのです。』の話も、
何の信憑性もない。
少なくとも霊の関わる事柄は、私よりも疎い人でした。
(これは、修法次第、手順や仏教知識とは別次元のものなので、
 本当に何も解らなかったのだろうと思います。)

霊、前世や死後の問題に対して理屈だけつけて批判しても意味を持ちません。
そのことを源太郎さんもUB氏も自覚して、書き込みをすべきでしょう。
[194]社長 06/02/03 16:46 D-iacMt
ユビキタスっていうのは寄り付くな。迷惑かけるな。 おまえのような汚れは既に関係ない。酷い誹謗中傷はやめなさい。
[195]I 'll be back 06/02/03 17:43 *iaA1uvP//mh*70zfTyUG.Q
UBCにとっては、神仏も護摩も解脱供養も全て無効です。
彼が神仏と人を恨みながら、輪廻していかないことを祈るのみです。
私は、前世にカトリックの修道女でありながら、
今世にて神仏を恨みことに執着して、一生を台無しにしてしまった人を一人知っています。
[196]星祭@願いと祈り 06/02/03 18:33 GZL6aCsBsh
>190、祈祷だって願うことでしょう。祈りは願うことの延長ですよ。人々の応援を願うのと神仏の応援を願うこと、願うこと祈ることからはじまり、人は前向きに希望をもって歩める。それを強引な、ただ己の欲望と分をこえた願いを叶えようとするところに問題があるのです。そこに気づくということも祈祷の功徳でしょう。事実としてなんでもかんでも祈祷すりゃ叶うもんじゃない。むしろ、そんな強力な理を曲げてまで、叶える法はブラックな邪法、外道のたぐい。それといっしょにして論じるのはどうかと思いますね。
[197]ユビキタス 06/02/03 21:11 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>196
いや、俺が言うんじゃないんだって。
シシャさんの好きな松原さんが>>161の何かの引用文で言ってるんだって。
願う心は卑しくないが、しかし祈願を乞うたり祈祷の実践は否定している。
教えを実践して得られたものとのことです。
まああんたは阿含宗の信者で桐山さんだけ信じていればいいんだから、この際シシャなんてのは
死んでもらって、気にせずにマツバラなんてアホじゃと言っておけばいいんだよ。
松原とーちゃーん♪
消ーゆーるかーちゃーん♪
とーちゃんとかーちゃんが喧嘩してー♪
とーちゃんの得意な空手チョップー♪
かーちゃんの得意なハンマー投ーげー♪
って替え歌知ってるぅ?
[198] 06/02/03 21:24 *B5GT6dxzVYx*jlf4f6s5Lm
>>197
確かに松原さんの話なんてのは関係ないかもしれないけど、そういう言い方はないっしょ。
まあシシャさんも星祭りさんも指Qくんもチクチクと皮肉りあうのはやめたらいいのに。
[199]ユビキタス@私の履歴書4 06/02/03 22:46 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
さて私は密教占星術1の説く人間の運命選択の原理とそれの転換を図る桐山密教の技術の
魅力の虜になってしまったわけです。中学生のまだ固まらない柔らかい頭で。
大脳生理学だの深層心理学を都合よく駆使する疑似科学的な論理展開に惹かれたわけだが
しかし決して合理的支配の感化を受けただけでなく、その基盤としてカリスマ支配の
影響を受けています。それが「念力」の本などで自慢する超人的能力の披露話です。
自分がその目で見たり検証したわけでもないのに簡単にこんな話を信じてしまった。
信じたいオカルト好きな背景は自分にあったわけですね。
しかしこの当時桐山密教と関係もなく世の中を席巻したユリゲラーのスプーン曲げに代表される
オカルトブームは薄っぺらいものと感じていた。
そんなつまらない話でなく(スプーンは何度かこすりましたがw)、桐山密教の理念こそが
憧憬の的だった。後に「チャンネルをまわせ」という著書が出るが、その副題である
「密教・そのアントロポロギー」のアントロポロギー(人間学)に惚れたわけです。
私は即座に入会したくなって両親にその気持ちを伝えた。
反対されました。中学生のまだ出来上がってない柔らかい頭で特定の宗教に凝り固まるのは
いかがなものかという理由です。今思えば全くそのとおり。
将来大学に入ったり社会人になってからで遅くないとのことです。こりゃまたそのとおり。
しかし私はどうしても今すぐ入りたいという気持ちがあった。
それは単なる知的好奇心でなく因縁の恐怖があった。
我々は因縁の操り人形であり、自分の自由意志で選択活動をしていると思っているのが
実は因縁の支配下にあり、運命に流されて生きていく。
自分の性格とかもそう。中学生と言えば自我の芽生えの時期。自分を見つめコンプレックスにも
悩む時期です。この時期におかしな思想に既に凝り固まりかけていた。
自分には中途挫折の因縁があると想像していた。
この因縁を切らぬ限り何をやってもうまくいかない。
この因縁を切ることこそ急務である。そう考えた。
しかしこの因縁切ったらムヒョヒョってな野望もあったのではと、現在自己分析している。
そしてそんなんで数ヶ月が過ぎついに両親から許可が下りた。
当時中2の終わり近くで3年になったら高校受験を迎えます。
学生としてなすべき勉学をきちんとすることの条件付きで、晴れて1974年2月入行を果たした。
約束の勉学はさぼり後の受験には失敗したがw
[200]ユビキタス 06/02/03 22:59 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
つまり入行の動機は因縁解脱による自己改革、自己変革、自己改善です。
運命から性格全てにいたるまで。
超能力なんてキモイ力は必要なかった。
次回5は千座行中途挫折編の予定。
[201]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/03 23:51 fSzUpNSRrg
『或る禅門の老師が雲水達と托鉢をしていたところ、幼女が道端の石ころ
 を拾って老師に差し出したそうです。老師はためらいもせず、正式の
 作法でその石ころを受け取り、頭陀袋に収めたそうです。
 さて、寺に老師が石ころを持ち帰ったところ、ある雲水が、
 「石ころなんぞ、途中で捨てたらよかったんではないですか?」
 と、言ったそうです。そしたら老師は答えたそうです。
 「石ころをいただくとき、私が合掌したら幼女も小さな手を合わせて
  くれた。施す人も、いただく人も、ともに合掌したからには、もはや
  ただの石ころではない、仏心が宿っている。なんで捨てられようか。」 そう答えて、その石を机に安置したそうです。』
 (静岡県での実話だそうです)

[202]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 01:32 sLBLVqPqo5
とっくにバレバレですよ。
おまえはいいかげんで
だらしない生まれついての堕落者にすぎないってこと。
おまえなんてのはどうでもいい存在と簡単にわかる。
馬鹿って自覚しなさい。
[203]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 01:34 sLBLVqPqo5
頭はわるい、性格は変、ぐうたら。
中途挫折するにきまっている。
馬鹿だから。

[200]ユビキタス 06/02/03 22:59 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
つまり入行の動機は因縁解脱による自己改革、自己変革、自己改善です。
運命から性格全てにいたるまで。
超能力なんてキモイ力は必要なかった。
次回5は千座行中途挫折編の予定。
[204]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 01:37 sLBLVqPqo5
おまえの都合や
おまえの馬鹿さ加減なんて
全く意味がない。

ただ、おまえ自身が問題だってこと。
問題はおまえ自身だけ。
[205]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 01:41 sLBLVqPqo5

【[197]ユビキタス 06/02/03 21:11 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>196
いや、俺が言うんじゃないんだって。
シシャさんの好きな松原さんが>>161の何かの引用文で言ってるんだって。
願う心は卑しくないが、しかし祈願を乞うたり祈祷の実践は否定している。
教えを実践して得られたものとのことです。
まああんたは阿含宗の信者で桐山さんだけ信じていればいいんだから、この際シシャなんてのは
死んでもらって、気にせずにマツバラなんてアホじゃと言っておけばいいんだよ。
松原とーちゃーん♪
消ーゆーるかーちゃーん♪
とーちゃんとかーちゃんが喧嘩してー♪
とーちゃんの得意な空手チョップー♪
かーちゃんの得意なハンマー投ーげー♪
って替え歌知ってるぅ? 】
[206]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 01:42 sLBLVqPqo5
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする

[207]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 01:47 sLBLVqPqo5

馬鹿な子の親はやっぱり馬鹿というのが多い。
サヌノバビッチってのまんまだ・・・
[208]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 01:48 sLBLVqPqo5
コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする
[209]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 01:53 sLBLVqPqo5
桐山氏のせいにしできる存在ではないですね。

まさに 割れ瓶、荒地

頭の悪さを 桐山氏に謝るべきでしょう。
[210]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 01:55 sLBLVqPqo5

まわりにあんな人がいないことに感謝します。
ほんと
 他人でよかった。
[211] 06/02/04 08:27 *B5GT6dxzVYx*jlf4f6s5Lm
栗花さん
それは中傷というものですよ。
中学生時代の思い込み激しかったことで、そこまで否定されたらやってられないでしょう。
他人でよかったとまで言うのなら、このスレッドに関わらなければいいのではありませんか?
自分からひつこく関わっておきながら、矛盾した言い分です。
悪いことはやめるべきですね。
[212]ユビキタス@私の履歴書 06/02/04 08:37 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
さて、この千座行の挫折談というのは栗花さんも先に宣伝してくれているように
自己責任の自分の問題です。
この件に関しては桐山さんも教団も関係なく、単に私のだらしなさの問題なのですが。
・・・しかしこの時間今日は異様に眠くかったるいな。
栄養ドリンクでも飲んでカキコの方はこの時間は挫折しよう。
ですから次回もまた5です。
[213]ユビキタスドリンク 06/02/04 08:43 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
くそっ、乗り換え駅でドリンク補給する時間がなかったでないか。
150円の安いのでがまんだな。
経路にコンビニないし。
[214]ユビキタス@ボヤキ 06/02/04 09:05 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
デカビタしかねーのかよっ!
こんな寒い朝あんな清涼飲料水飲めるか!
んで、缶コーヒーでホット一息です。
[215]大王の使者 06/02/04 09:56 wR7j3boCOs
「悩める会員さん」は、二十代で、日曜座禅会に毎週通ってたことがある
んですね。偉いですねえ。私の二十代なんて、遊ぶことしか考えてなかった
ですよ。
 それにあなたは座禅和讃を暗唱してたとか、すごいですねえ。
私は一部しか知りません。
「・・自性を証すれば、自性すなわち無性にて、すでに戯論(けろん)を
 離れたり。・・」
とかですよね。

ではお互い星祭りでがんばりましょう。
[216]大王の使者 06/02/04 10:25 wR7j3boCOs
悩める会員さんが引用した山田老師の言葉で、ひとつ気がかりなことがあり
ますので書かせてください。
私はその方の本を持っていませんので誤解かも知れませんが、なんか苦し
んで前進する、とかが強調されている印象を受けました。

中村元先生訳のサンユッタニカーヤに、
「実践してはならない2つの極端がある。ひとつは欲望において欲楽に耽る
 ことであり、他のひとつはみずから苦しめることである。これは高尚なら
 ずためにならぬものである。真理の体現者はこの両極端に近づかない。」
というのがあったと思います。
桐山師も、「修行はつらいばかりでは萎縮してしまう。楽しくなければ長
続きしない。」と、本にも書いておられます(21世紀は智慧の時代)。
で、私は無理しない修行を、心がけていますね。
無理しない、が、怠惰になりがちなのが困りものですが。
[217]大王の使者 06/02/04 10:47 wR7j3boCOs
松原泰道師も現世利益を肯定していますよ。
自分(松原師)のお寺に、受験生の親子が受験合格の祈願に来て、その後、合格したお礼参りに来た親子に「おめでとう」と言った話とか、本に書いて
ますよ。現世利益を否定していたらそんなの受付ないでしょうよ。
出典?松原泰道全集に出ていますよ。何ページかわからんけどね。

ユビさんは、石ころの布施供養の話で、いくらか三供養品の精神が理解でき
ましたかな?金額の問題でもないのよね。また、修行の種類の問題でもない
のよね。

それから、はっきり書くとね、私のように成仏法の威力を体感するとね、
なんの梵行でもいいことがわかるのよね。だから出仕修行したいときはそう
するし、参拝したいときはそうするし、欠席の場合は他の梵行、とか。
だからユビさんの価値観であれこれ言われても、片腹痛いだけなのね。
[218]ユビキタス 06/02/04 13:15 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>217
松原師は阿含経を依経とする阿含宗の僧侶でもなければ、釈迦仏教、上座仏教の僧侶でもない。
大乗の臨済宗の僧侶です。だから釈尊の仏教を理解した上での、それから変遷を遂げた
大乗の立場に立って現世利益を願う心も認めるスタンスなのですから、よさんも言ってる
ように、松原師を引き合いに出しても意味がないのです。
お釈迦様、松原さん、桐山さんとそれぞれにスタンスが違うのです。
受験合格の祈願に来て合格した学生にお祝いの言葉を述べた松原さんですが、
その祈願を松原さんはどういう形でその本で受けたかわかりますか?特別に祈祷を
してやったとか。

引用元は松原泰道全集はいいのですが、巻とページはわからないですか?
するとこの引用はわからないページから持ってきたのですか?
本を見ながら一字一句違わぬように引用したのではなく、あなたの記憶の中から拾った
断片ですか?それならそれと書いて下さい。細部の表現が違っているかもしれないからです。
そういう目で見ます。
しかし正確に引用したものと思われますので、それなら巻とページを示せるはずです。

石ころの件は私の質問に答えて下さい。なぜ解脱供養に十万円の定価があり、金以外の
誠意を認めないのか?なぜ勧進実績の本数に応じた法施が用意されているのか?

それから悩める会員さんとの対話にはこちらから余計な口出しはしませんが、星まつりを
共に頑張りましょうと声を掛けるそのココロが自分も修行なのか、参拝なのか、それに
代わる梵行なのか知りませんが、関わり方の違いはあれど、星まつり参加者の同志として
頑張りましょうということなんでしょう。
今頃になって欠席に代わる梵行なんてやっと出してきた。
だからその梵行の内容を示せばよいのです。
体感のような主観の話と違って、梵行というのは中身が何であれ具体的なものですから
誤解なく堂々と示せます。
それによって、なるほどあなたも努力されてるわけですね、金で解決なんて誤解発言を
申し訳ありませんでした、最初からその梵行を書いて下さいねと謝罪だってできます。
未だにシシャ軍団で欠席する誰それは代わりにこういう梵行をしましたとか報告もなく
誤解は拭えません。

それから体感を得た人は修行で参加しようが参拝に止めようが同じだなんて桐山さんは
認めてません。桐山さんの前でその言葉を吐きなさい。
あなたの素性が知られないからこういう勝手なことが書けるずるさがある
[219]大王の使者 06/02/04 13:19 wR7j3boCOs
ちょっと質問ですが、悩める会員さんのいう、山田無文老師とは、
山田恵諦師とは別人なんですか?
(有名人を知らなくてすみません(笑い)
[220] 06/02/04 13:24 *B5GT6dxzVYx*jlf4f6s5Lm
>>216
>他のひとつはみずから苦しめることである。
これは「苦行の否定」ということではないでしょうかね。
苦行の否定なら釈尊は繰り返して語っておられると思いますが、
それは当時釈尊のサンガ以外に苦行者を中心としたものもあり、
そこと差別化を図るためだったと思われます。
苦行をするサンガには魅力があったらしく、釈尊のサンガから若手がごっそり移動しています。
苦行については、苦行後成道された釈尊ご自身が苦行を否定しているのはちと疑問でもあります。
釈尊の成道にとって苦行は必要なプロセスではなかったのか?
不要ならばなぜ七年麻麦の行などと、ことさら伝えられているのか?
解脱に必要な禅定を得る修行は苦行にならない程度のものなのか?
などです。
[221]大王の使者 06/02/04 13:43 wR7j3boCOs
成仏法を体感できて、はじめて何の梵行でも修行としての効果がある、
ということがわかるのですよ、ユビさん。
あなたはそれを体感できてないから、「あの梵行よりはこの梵行のほうが
価値が高いはずだ」とかの愚かな考えに陥るのです。それを我見といいます。

何の梵行でも同じ、と書いたのは、何の梵行でも効果があるという意味
で書いたのですよ。ユビさん、理解できましたか?
なんで解脱供養は十万円の定価なのか?ですって!
そりゃ、ただ、というわけにもいかないでしょうが。
かといって百万円とか一千万円というのも、ちょっとねえ。
あなたも桐山師の立場になって考えたらわかりそうなものですが。

なんで護摩木勧進数で法施がちがうのか?という質問ですか。
そりゃ、十本でも千本でも同じ法施では、悪平等になると思ったんでは
ないでしょうかね。しかし、護摩木本数の多い法施の方が効き目が強い
とも限らないはずですよ。それが布施供養、法施の精神というもので
しょう。石ころの布施の話がそれを教えてくれますね。

[222]大王の使者 06/02/04 14:03 GoRGEoUS
石ころの布施供養の話は、世間の価値判断をそこに持ち込んではいけない、
ということだと思いますね。
ユビさんの考え方は逆なのです。
たとえば、十万円の供養をしたからには、釈迦時代に食事だけを布施した
よりは効果があるはずだ、とかユビさんは書きました。
金額で修行を買うのではありませんよ!
その十万円に、あなたが、どのくらいの真心を込めたか、が、
問題でしょうよ。
つまり、どのくらいの、貪心と執着心を離れる思いを込めたか!ですよ。
あるいは、我見を離れる思いを、どのくらい込めたのか、ですよ!
また、あなたは、出仕修行か、参拝か、その他か、などで信徒を評価しよう
などと、だいそれたことを考えています。それを煩悩というのです。
だって職員は評価している、ですと?
職員には職員の役割があるからかまいませんのです。
あなたは職員ですか?
また、職員がどのような評価をしようとも、私はそれに左右されませんから
それでいいのですよ。
[223]大王の使者 06/02/04 14:25 wR7j3boCOs
釈尊が否定した苦行とは、いたずらに我が身に苦痛を与える修行の否定
だと思います。現代でいうと、荒行みたいなものでしょう。このことは
桐山師も書いています。苦行と荒行を区別せよ、と、桐山師は説き、
苦行は絶対に必要だ!と、桐山師は説いていますね。

また、苦行の内容は人によって違う、とも説いていますね。
釈尊にとって、苦行(荒行)は必要だったのではないか?ということです
ね。
私の考えを述べさせてもらいますと、苦行(荒行)無しでも、いずれ釈尊
は解脱を得たと思います。たぶん、釈尊は、アーラーラ・カーラーマ等の
教えに満足できず、このままではだめだと、あせったのでしょう。
そして前人未到といわれた荒行に入ったのだと思います。

[224]I 'll be back 06/02/04 16:11 *iaA1uvP//mh*70zfTyUG.Q
>>163 UB氏

あなたは部外者だから知らないだろうが。
多くの会員さんの前で、ある会員さんからの質問に答えたものだから、
私一人だけが聞いているわけじゃない。
まあ、今のUB氏や源太郎氏にとっては、いまさら何の関係もないことでしょうけどね。

源太郎氏もUB氏もネット荒しは良くないというこ事を、
よくよく認識して頂きたいものです。
(何にでもケチを付けて人を中傷したところで、
その妬みの為に自分の価値を下げるだけだ。)
[225]大王の使者 06/02/04 16:58 wR7j3boCOs
よさん、は、
解脱に必要な禅定を得る修行は苦行にならない程度のものなのか?
と、問いました。
桐山師は、「苦行とは、心癖(習気)とたたかう努力」であると、どこかで
書いています。
ですから、毎日一座、勤行をすることだとて、それまでの習慣に逆らう、
という点では、苦行でしょうね。
ただし、日課として慣れてしまえば、もはや苦行ではなくなる、と、私は
考えます。勤行は、慣れないことが大切である、と私は考えます。

釈尊は、弟子に苦行(荒行)は強いずに、それでもカッサバ、サーリプッタ、その他、沢山の弟子に阿羅漢果をもたらしました。そう言う点では、
荒行(苦行)は必要ないものだと私は思います。
また、釈尊が弟子に「荒行(苦行)は無駄だ」と、教えるためには、自身で
実験して確かめておく必要はあったでしょう。その意味では6年麻麦行も
必要であったとは思いますね。
[226]ななし 06/02/04 19:39 5R5qT6eKic
京都に行こう。修行するぞ。
止息法だ。
[227]ユビキタス 06/02/04 20:51 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>221
222も含めてこちらの書いてもいないことを言ってもらっては困る。
222についてはまた別ログでレスしますが。
私はある梵行と梵行を比較してこちらの方が価値があるなんて書いてません。
私が区別したのは梵行をする人としない人です。
参拝しかしない人と修行をする人を区別したのです。
星まつりの現地修行ばかりが修行ではないと私も示しました。
事情で星まつり修行に参加できなくても仕方ないと示しました。
しかしそれに代わる梵行をしていれば、それは努力されてますねとねぎらいましょうとも
書きました。つまりあの梵行とこの梵行の優劣など述べていない。
梵行する人としない人を区別したのです。
参拝だけならこれを梵行とは阿含宗でもみなしません。
参拝は修行とみなしません。ただし会員ではない一般の人をお連れする参拝なら修行と
みなしますが。
あなたは星まつりの参加形態を三つに分類しましたね。
ア、現地修行で参加する人。(ちなみに出仕とは結界内の修行をさします)
イ、参拝で参加する人。
ウ、欠席するが代わりに供養を増やす人。(後で私に言われてから代わりに梵行する人に変えた)
さすがに欠席して代わりに何もしないサボリは除外している。
しかしですね、この分類のイの参拝で参加する人も普通は普段から梵行します。
問うが、あなたは普段から梵行をせずに星まつりに参拝だけする人をどう評価するか?
つまりイにも二通りあり、普段修行して参拝する人と、普段修行せずに参拝する人に
分けられる。後者は全く欠席のサボリよりはマシというだけで、要するに修行しない
サボリ信者には違いない。
参拝など何回してもそれを修行とは言わない。
阿含宗は修行の必要性を説いているのです。
修行を捨てて御利益に代えた大乗仏教を批判しているのです。
だから阿含宗では修行する人と修行しないで参拝だけしている人を区別し、差別もします。
私が問うたのはシシャさんが修行をしているか、梵行をしているかとそれだけです。
程度までは追求する気ありません。しかし梵行をしているのなら内容を具体的に示せる
はずです。内容を評価しようというのではなく、内容が語れるかどうかをテストしたわけです。
こういう梵行をしてますと答えれば合格です。
星まつり修行と差別化する気もない。
簡単なことで嘘でもいいから具体的な内容を示せば終わりだった。
しかし示せない。そこで修行しないダメ信者かなと疑ったのです。
[228]ユビキタス 06/02/04 21:32 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>221
ただではいかないなんて言うのならば、石ころはただではありませんか?
だから石ころで解脱供養ができますか?と問うたのです。
当然ながら石ころでできるはずがない。
石ころの喩えはその人がささげものをしたいという純粋な心を受け取ったという話です。
石ころをささげるその無知は愚かかもしれない。しかし単に無知というだけで、その人の
真心を感じたからこれを受け取り捨てなかったのです。
解脱供養も真心を供養するからこれを先祖に回向しようというものです。
ならばまさか石ころとはいかなくても、真心を示す条件は人によって条件によって
一定しない。
ある超貧乏な人は百円の護摩木をささげるだけでもすごい努力で真心かもしれない。
しかし億万長者がいくら百万円供養しても屁みたいなものかもしれない。
つまり真心の程度が人により違う。
ならばたとえばズボラで出不精な人がその怠け心の煩悩を克己して毎日道場に足繁く通い
肉体を使う清掃修行に励んだとする。この真心をささげた方が安易に十万円払えばいいんだろ
という人よりも真心として高いと思う。それこそが石ころの教えですよ。
しかし阿含宗はそんなことは一切認めず一律十万円です。
だから金で解決か?と批評したのです。
あるいは地獄の沙汰も金次第と言う。

法施について私の意見を述べましょう。
百円しか勧進しなかった人も百万円出した人もその真心、苦労の条件は一律でないのだから
それならば法施を出す出さないなんて差別を一切廃止すべきです。
法施は一切出さない。それでも出したければ全員に等しく出せ。
それこそが石ころを供養した人の真心も受け取る精神でしょうが。
阿含宗は石ころの精神と逆のことをして、石ころ供養を踏みにじっているのに
どうして気がつかないか?
[229]哲人 06/02/04 21:41 A82COhnnjU
まだ阿含宗なんかやってる奴がいるのか。
はやくやめろ。
[230]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 21:53 sLBLVsdwHr
正しい

[163]I 'll be back 06/02/02 11:23 *iaA1uvP//mh*Xfnl0Q052k
UBCがF田さんの修行段階を説明したところで、何の意味も無いのですよ。
(ケチをつけるだけなら誰にでも出来る。みんな騙されちゃいけないよー。)
弘法大師クラスの修行者の意見なら聞いてもいいけどね。w

F田さんという方は、自分で修行をしていますなどとは、
言わない人ですが、相当な修行をされている方ですよ。
頭部のふくらみは、修行の成果ですか?と聞けば、
『瞑想を続けてきた結果です。』と答えてくれます。
性格のおとなしい方なので、人からなめられてしまうのでしょう。

とんがり頭はイエスマンと書いていた方は、
この件に関しては、全く感心できません。
おとなしいから、いわれ放題といのでは理に適いません。
源さんの方にも自分の修行が進まなかった腹いせに、
『F田なんてろくなもんじゃない。』
と言っているようにしか、私には感じられません。

源太郎さんは当時、阿含宗徒の為を思い行動していたが、
結果的には失敗してしまった為、
坊主憎けりゃ、袈裟まで憎いになってしまっている感じがするのです。

[231]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 22:24 sLBLVqPqCq
霊査

F田氏というひとは
なかなか霊査がすんなりといきません。
結界があるようです。
継続します。

源太郎というのは修行ということを勘違いしています。
[232]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/04 22:29 sLBLVqPqCq
>よ
君は怯えている。
それゆえ
ことようなことを書き込んでしまう。
君の迷いの原因がそこにある。
もう一度よく読んで見なさい。

[211]よ 06/02/04 08:27 *B5GT6dxzVYx*jlf4f6s5Lm
栗花さん
それは中傷というものですよ。
中学生時代の思い込み激しかったことで、そこまで否定されたらやってられないでしょう。
他人でよかったとまで言うのなら、このスレッドに関わらなければいいのではありませんか?
自分からひつこく関わっておきながら、矛盾した言い分です。
悪いことはやめるべきですね。

[233]ユビキタス 06/02/05 00:29 *3Rv70.P.g7X*E-AelMq
>>222
キサマごときがゴージャスゲットしよって〜。
と、まず冗談から始めて・・・。
ようやく思い出しました。
釈尊時代の少量の食事の布施と阿含宗信徒が解脱供養や護摩木等に大量の金をかけて
供養する比較の話。
あの時代の在家信者が供養すると言っても知れているわけです。
ある長者のようにサヘトマヘトの土地ごと寄進した人もいたが、おおかたは一回分の食事を
少数の出家グループに供養するくらいです。
真心はもちろんこめているが、しかし多分にそのチャンスは人生一期一会、千載一遇的とも
言えまいか?定住しない遊行の出家とか、まして釈尊その人となると毎度毎度供養に来ました
というわけにかいかない。
つまり供養それ自体は一過性的なものしかできず、生活を犠牲にするような多額投資
などはしていない。
しかし心のものだからたった一回の供養でも真心をこめて、その清らかな気持ちを忘れない
ように心を高く保つ。そしてその心がシュダオンやアナゴンへと自らを導いていく。
一方阿含宗信者はどうか?何も私は十万円の解脱供養料と一回の食事分の費用の比較を
しているのではない。
一回なんかで済むはずがない、阿含宗の信者している限り誰かさんのようにサボリ信者と
言われたくなければ、絶えず供養を続けます。ほら?シシャさんだって今年も毎度のことながら
星まつりに護摩木などを供養するんでしょ?欠席の時は自腹を切る分をわざわざ多くしてまで。
このように比較してみても現在の阿含宗信者の方が、真心の供養の機会に恵まれ努力している。
それともだいたい阿含宗の信者なんてのは毎度毎度の供養に嫌気がさして本来の真心が失せている
から、かえって当時の在家信者のように一期一会の真心に劣ると批判したいわけですか?
いえいえ、現代の阿含宗信者はあなたをはじめ常に真心の供養をしてるでしょう。
それを頻回絶えることなく、色あせることなく真心を投資し続けている。
それでも成仏法を体感したなんて変なのが出てくるくらいで、しかしシュダオンもアナゴンも
誰も認定されませんね。
石ころを供養してないからなんですか?皆供養の本分を忘れているからシュダオンにすらなれない
のですか?
いっそ解脱供養なんてのも生涯に一回の一期一会の機会にしてしまった方が金額の大小なんて
度外視して、石ころの真心の精神を獲得しやすくてよいのでは?
ってことであんまり供養するな?
欠席の埋め合わせ供養なんてやめれ。
[234]甘栗本舗 06/02/05 08:22 voAGZAxrau
>>232

あなた、2chで、さんざん、「超能力者ゴッコはやめれ」と
書かれて、逃げてきて、またここでも同じことしてるの?
まるで、店舗を転々として、おじいちゃん、おばあちゃんを
騙して回る催眠商法みたいだな。

あなたの好きな言葉で言えば、

>>202とっくにバレバレですよ。

ってやつだな。

ないものをあるかのごとく言うから「サギ」だって言われるんだよ。
[235]服部エンタープライズ社長 06/02/05 09:17 *vOys31uzjgw*5gEiqdK1u9

 2/11(土) 9:00〜9:55

 第31回 阿含の星まつり

 【出演者】井筒和幸 松居一代 井上裕太 阿藤快 だって〜


         ほ? 今年は33回だぞ・・・・!?


[236]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/05 09:48 sLBLVqPqCq

源太郎モト信者は、修行ということを勘違いしています。
モトでっち モトちゃぼうず
源太郎モト信者は、修行ということを勘違いしています。

弱虫で心の叫びだけだった子(あああ!!!そこちがっ!!!そこちがっ〜〜!!!)
[237]栗花 馨@婆迦梵宗管長 06/02/05 09:50 sLBLVqPqCq
霊査

F田氏は未だ霊査できていません。
△このページの一番上へ

※このスレッドは大団円を迎えた為、投稿は出来ません。
メニュー