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阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会―

[0]服部エンタープライズ社長 05/05/28 00:30 OshGYcaK1m

 阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会―


 この章は無礼講です! 何でもあり!? 皆でやっちまえ〜〜〜


追加情報..(05/05/28 02:21)
過去スレの紹介

阿含宗と桐山氏について
http://religion.dot.thebbs.jp/1059331092.html

阿含宗と桐山氏について―第二章―阿含宗の謎と実際―
http://religion.dot.thebbs.jp/1068447920.html

阿含宗と桐山氏について―第三章―阿含宗の研究―
http://religion.dot.thebbs.jp/1070718137.html

阿含宗と桐山氏について―第四章―続・阿含宗の研究―
http://religion.dot.thebbs.jp/1077270153.html

阿含宗と桐山氏について―第五章―阿含宗を斬る―[0-5454]

阿含宗と桐山氏について―第六章―阿含宗の秘密[0-1024]

阿含宗と桐山氏について−第七章−崩壊への序曲[0-1024]

阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場―[0-1024]

阿含宗と桐山氏について―第九章―最新刊 『守護神を持て』とは!?―[0-1024]


[1]名無しさん@3周年 05/05/28 00:43 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrOT
163 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:35:31 ID:GHUK8SLz
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場― から転載

[936]大王の使者 05/05/27 14:34 lPSJb/jtbq
名無しさんは、「因縁解脱」という用語は阿含宗以外では全く通用しない
ようなことを言っていました。
そうではないことを示しましょう。名無しさんの認識不足でしょうよ。
先日、新聞の折込に高島易断の運命鑑定会のチラシがありました。
次のような記述があります。
  運命の障害(浄霊・霊視)
  ・家系の因縁  ・先祖の因縁
  ・先祖の障り  ・死霊 生霊の障り

どうですか。一般家庭を対象としたチラシに、先祖の因縁、なんていう用語
が出ています。まさか、因縁を法則などと解釈する家庭はありますまい。
障害の原因というように判断すると思います。それがいまや、世間の常識
というものではありませんか。また、チラシの体験談には、色情因縁なる
言葉もありますし、不成仏霊なる言葉もありますし、わたしも驚くほど
ですね。高島易断が運気改善の手段として成仏供養を肯定してることは知っていましたけど。
本業に支障が出ないように、本日はこれまでです。
[2]名無しさん@3周年 05/05/28 00:43 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrOT
164 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:38:51 ID:GHUK8SLz
>>163 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:35:31 ID:GHUK8SLz
>[936]大王の使者 05/05/27 14:34 lPSJb/jtbq
>どうですか。一般家庭を対象としたチラシに、先祖の因縁、なんていう用語
>が出ています。まさか、因縁を法則などと解釈する家庭はありますまい。

これが私の認識不足なら、私は新聞をとったことがなく、
折り込みのチラシも見たことがないと、あなたは言っていることになる。
この種のチラシなど、私の知る範囲でも二十年以上も前からあります。
阿含宗の因縁の一覧表を丸写ししたようなものまでありました。
あなたは新聞の折り込みをどこかの倫理審査会などが審査しているとでも思っているのですか。
阿含宗のチラシも新聞に折り込めるのですよ。
よほど公序良俗に反するような露骨な内容でない限り、
チラシなど金さえだせば、折り込んでくれます。
[3]名無しさん@3周年 05/05/28 00:44 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrOT
165 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:42:38 ID:GHUK8SLz
>[936]大王の使者 05/05/27 14:34 lPSJb/jtbq
>それがいまや、世間の常識というものではありませんか。

因縁をこういう悪い運命という使い方をしたのは、
阿含宗や高嶋易断が最初ではなく、霊友会の教祖です。
この人が阿含宗の因縁の先祖です。
後に、霊友会から派生した立正佼成会の庭野教祖が九星や手相占いを使い、「因縁を当てた」。
立正佼成会には、「色情の因縁」という言葉があります。
霊友会から派生した教団は立正佼成会だけでなく、
今日も百万人規模の信者を抱えたいくつかの教団があります。
これら巨大教団の布教活動のおかげで、因縁という言葉はますます歪められた。
阿含宗は因縁という仏教用語の誤解を広めるのに一役買ったのです。
常識どころか、下記のように、学者たちは勝手な解釈として眉をしかめている。

・・「因縁」も「親子三代、交通事故で亡くなって、因縁ねえー」
などと陰湿な情感と勝手な解釈を加えて語られたりする。
(『ブッダ』奈良康明、実業之日本社、85頁)
[4]名無しさん@3周年 05/05/28 00:44 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrOT
166 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:48:33 ID:GHUK8SLz
>[936]大王の使者 05/05/27 14:34 lPSJb/jtbq
>それがいまや、世間の常識というものではありませんか。

高嶋易断は、明治時代の易聖と言われた高島嘉衛門とは関係がない。
彼の弟子で高嶋易断を名乗る人はいないから、
すべては虎の威を借りた偽物、巷の占い屋です。
その占い屋が阿含宗を見て、ナンタラの因縁と脅かすのが良いことに気が付いて、
客集めのためにこれを採用した。
T一協会も一時、因縁切りの塔とやらを売っていた。
阿含宗が因縁、因縁解脱と大宣伝しているのを聞いて、
霊感商法にはコリャア便利だと取り入れたのです。
ついでに不成仏霊も取り入れて、先祖の祟りで脅かせばもっと効果的だと気が付いた。
悪因縁を取り入れた連中のツラ構えを見ればわかるように、
阿含宗、高嶋易断、T一協会と、どいつもこいつも、
霊感商法で人を騙して、金を吸い上げようとする悪党ばかりです。
阿含宗をまねしているのだから、阿含宗こそは霊感商法の総本山、家元です。
[5]服部エンタープライズ社長 05/05/28 01:00 *vOys31uzjgw*OshGYcaK1m
[0]服部エンタープライズ社長 05/05/28 00:30 OshGYcaK1m


やばっ!!

  ちょっと失敗した・・・・


[6]服部エンタープライズ社長 05/05/28 01:04 *vOys31uzjgw*OshGYcaK1m

 >>0
 >>5
 施主は私で〜す
[7]池田慈水 05/05/28 01:59 9MrIwPEYzA
まずここを読んでください。ユビキタスは不誠実で、付き合ってはいけない愚かな人々の仲間です。ユビキタスと付き合えば、あとで後悔することになるでしょう。彼は嘘吐きで、人としての自由な心を失っております。

http://members.jcom.home.ne.jp/ikedazisui/yubikitasu.htm
[8]池田慈水 05/05/28 02:16 9MrIwPEYzA
馬鹿か、お前ら、この世で一番悪いのは創価じゃ。きまっとる。
創価学会の悪行を一番先に持ってこないのは

 何故だ

!!!!!!!!!!!!!!!
[9]池田慈水 05/05/28 02:18 9MrIwPEYzA
俺たち宗教に詳しい者をなめトンのかーーーーー!

創価を出せ !  創価を!
フランスでカルトに認定された恐ろしき宗教じゃイ!
[10]池田慈水 05/05/28 02:20 9MrIwPEYzA
名無しさん@3周年  どしろうとめが!引っ込めやーーーーーーーーーーーーーー!!あほんだら創価を真っ先に悪の筆頭に出せないあんたはおかしいいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
[11]池田慈水 05/05/28 02:22 9MrIwPEYzA
創価が日本を悪くしたんや。そんあことも分らんと今日まで生きてきたんか?
お前のようなばか者はもう出てくるナーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
[12]池田慈水 05/05/28 02:26 9MrIwPEYzA
ここにおる奴は皆、創価の仲間やデーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!だまされるなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー皆嘘吐きやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。創価じゃない振りして創価や。俺は騙されぬ。池田慈水は読みきった。ユビキタスの仲間は創価やーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
だから、金輪際、結託できんぞーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー嘘つきのごろつきども、創価のカルト集団め、これまで散々嘘書きよって、しばいたるわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
[13]池田慈水 05/05/28 02:29 9MrIwPEYzA
仏蘭西でカルト創価学会、そうかがっかり。

フランス人は頭が良くて最高です。
したがって、ヨーロッパ全域でほぼカルトと認定されました。
この常識は世界常識となりました。したがって、アメリカでも、カルトデース。

ユビキタスの仲間はこの創価やーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
[14]池田慈水 05/05/28 02:34 9MrIwPEYzA
ユビキタスめ、今まで、桐山氏への猜疑心をあおってきたお前には、今度はお前に対する猜疑心をうんとあおってやるよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそれがおめえの受け取る果報というものだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!


ユビキタスには、誠実な心はかけらもありませんぜ。http://members.jcom.home.ne.jp/ikedazisui/yubikitasu.htm
[15]池田慈水 05/05/28 02:42 9MrIwPEYzA
服部エンタープライズ社長 も創価ですよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、だって仲間だもんねーーーーーーーーーーーーーーーーー層化の仲良し組。うふ。

カルトよ、世界標準カルト、世界標準ぬらりひょんじゃなくてカルト。

皆だまされるなーーーーーーーーここの仲間は創価だぞーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!嘘吐きどもだーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!スレ主ももちろん創価。人のおどけに騙されるナーよーーーーーーーーー!嘘吐きは嘘吐きにちげーねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!彼らは誠実さなんか無いんだから、誠実に話しても無駄。警告しとくぞ。
[16]池田慈水 05/05/28 02:43 9MrIwPEYzA
創価、この朝鮮系組織が日本を破壊しようとしている、ユビキタスも工作員の一人。
[17]池田慈水 05/05/28 02:44 9MrIwPEYzA
ユビキタスを一切信じるな、彼の仲間も一切信じるな。

彼らは日本民族から良心を奪い取るつもりだ。
[18]池田慈水 05/05/28 02:46 9MrIwPEYzA
特に阿含宗の人は猜疑心を吹き込むのが彼の創価学会から請け負った仕事なので

すから、書き込みの仲間になってはいけません。猜疑心を吹き込まれ、初期の修行

者にとっての大切な修行増進の力となる師匠への信仰心が揺らぎますので、非常に

よろしくない事態がおきます。阿含宗入会仕立ての人ほど、ユビキタスと付き合ってはいけないと言えます。
[19]池田慈水 05/05/28 02:50 9MrIwPEYzA
ユビキタスの話は細部にわたって嘘だらけである。ーーーーーーーーーーーーーーーー基本的な数字も嘘。事件も嘘、彼の修行体験話なんぞ全部嘘だらけーーーーーーーーーー、彼は阿含宗の基本行を、調査のために一回行っただけさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそれを何度も修したと嘘をついた。でたらめなやり方で一回行っただけなのに、何度もと嘘をついた。
[20]池田慈水 05/05/28 02:51 9MrIwPEYzA
こんな奴のいうことを聞いて、阿含宗から目が覚めましたと大切な仏になる修行をやめてしまうなんて、カルト創価が喜ぶだけだぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
[21]池田慈水 05/05/28 02:53 9MrIwPEYzA
彼は思考を停止した奴隷である。奴隷に何を言っても無駄である

。ユビキタスに何かを語りかける事は時間の無駄使いであり、恐ろしい罠に

自ら嵌まることである。彼の背後には、朝鮮系の大組織があり、彼自身、そこか

ら抜け出せない大きな締め付けがあるのである。
[22]池田慈水 05/05/28 02:53 9MrIwPEYzA
彼は、掲示板を盛り上げるのが上手いですから、あまり相手がいなくなると、桐山も人気が無くなって来て話題になら無いのだなあ、などといって挑発しますが、

そこで、書き込みに入ったりすれば、シメシメ、一人釣ったぞ、とほくそ笑んでいるのが彼の本性です。

ユビキタスには誠実さというものはまるでありません。誠実さの偽装はします。そうしなければ掲示板では相手にされません。

お金をもらっての工作活動なのですから、彼は見事に演じきります
[23]池田慈水 05/05/28 02:54 9MrIwPEYzA
私などはお金はどこからもらっておらず

自由な身ですから、相手をののしりたいときのののしりますが、ユビキタスは仕事な

のですから、あくまでも紳士的に振舞うでしょう。悪魔であればあるほど、顔は天使面です。

お金がそうさせるのです。釣られてはなりません。

仏道修行の初期の段階で、ユビキタスのようなばい菌に、惑わされることがないよう、御祈念申し上げます。

阿含経の修行を邪魔する要素は、池田慈水は追いかけてでも封殺します。
[24]池田慈水 05/05/28 02:56 9MrIwPEYzA
それではユビキタスとその仲間の華麗なるでっち上げショーの開幕です。冷たい目で御らbんんくだサーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイ
[25]金剛靖雄 05/05/28 04:39 jIycM5XoCi
池田自炊を日本追放処分とする
[26]星祭@まあまあ 05/05/28 07:03 iJYtKODkeM
ちょっとヒステリックになっていませんか?慈水さん。ユビキタス氏の話しは、まあ、彼も勉強家だから色々知っていますが、細かいところ特に感情の移入が激しい論になると冷静さを欠いて、勝手に読み解いたり、細かい話しの細部を聞かなかったりとよく読めば誰でもわかることでしょう。また周囲の連中もキリヤマ憎しの一念でやっているだけのことです。阿含経のことなど考えてもいないことでしょう。
[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意味がないという何考えているのだかわからないのがいて、あまりにもバカバカしいのでほっといたら、調子こいていますが、こんなの一般人でも相手にしないでしょう。きにするこたあ、ありませんぜ!慈水さん。読むものはそれなりに判断するものです。
[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
だいたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にしなけりゃ意味がないでしょう。そんな罪障は大小の違いこそあれ人間ならば誰でももっているものです。酒つくりなど日本だから罪になるのであって普通に作っている地域もある。何故、法律にふれてムショ行きになったかというのは別に考える必要がある。
[29]ユビキタス 05/05/28 08:15 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
社長。さっそくスレ立てありがとうございます。さあ〜、今日も仕事すっぺえか。
これで金が貰えると言うのなら楽なもんだべさ。誰か金くれやあ〜。
との挑発はやめておき・・・(低脳はまたここをコピペするのかな?)

>>28
速レスするがこれは違う。
法律の認めないドブロクを政府に楯突いて製造したとかいうのと違って、偽ビールに
キリンのレッテルを貼って大衆を騙して売ろうとしたのです。

>>27
過去に悪いことをしてしまっていても、反省して改めもうしないということが一番大切
なんです。だから釈尊も過去などにこだわるずに今を清らかに生きることだけを考えよ
と説くわけです。しかし反省すると過去が帳消しになるとか、報いが減免されるなんて
ことはありません。自分の為したことは善いことも悪いことも自分に返るのですから
それは責任をもって受け止めねばなりません。
受けるものは堂々と受け止めて、しかしそれを気にすることなく、今これから悪い行いを
しなければよいのです。
[30]ユビキタス 05/05/28 09:01 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>前スレの938の○○屋さん
まず下の子供ができない運命の条件の分析からいこうか。
ところがこの陰シツ録ではエン了凡は、子の持てない条件として潔癖過ぎて清流に魚棲まず
にひっかかり、また怒りやすく和らいだ気持ちがなく物事を育む素養に欠けるとか
名誉節操ばかり重んじて自分を犠牲にして人を救えないとか以上の3つを理由にあげてます。
子供なんてのはおセックスの産物なのだから心掛けなんて関係ないジャンなんていくら
言ってもだめです。彼もこういう心と行いのあり方が子宝に恵まれる条件と考えており
雲谷禅師もこれを受けて現世の心と行いを重んじている。
占いとは別に占いから示された人生軌道を選択する性格分析をしてみたのです。
そしてその性格はそれを改めることが限られた人生軌道を脱却する道とすぐに導き出された。
今の自分の性格欠点の反省と改善があるばかりで、前世のカルマなんて発想はこの陰シツ録
のどこにも見られない。だから当然前世の業の解消という概念もない。
前世と関係ない五行説を根拠の占いなど話の端緒に過ぎず、問題にしているのはその
人生軌道の現実的解釈です。雲谷禅師もまた書経などを引用して人の道を説いた。
なお書経は道教などとは別思想だからな。
なかなか面白い運命観がある。
陰シツ録で説かれるそれを見ると、これはたしかにユニークな運命転換を書いた書という
ことなのだが、その運命の捉え方が阿含宗あたりのそれと全然違うことがわかる。
それを昼か夜に示すが、○○屋さんは密教占星術1をすぐに再確認できないのなら
この件はこれ以上下手なつっこみをしない方が賢明ですよ。
[31]○○屋 05/05/28 10:55 D-Oab/h
以前『2ちゃん』で、ユビキタスさんを『聖者』と呼び掛けたとき、自称会員の擁護派にしつこく罵られたことがあります。池田さんのレスをみて、唐突ですがあの時の事を思い出しました。
[32]岡目 05/05/28 11:11 cZZZ6JaL2H
ジミズさん「反阿含宗の悪魔 ユビキタスの正体」ですか。
愚かなことを書くようになりましたね。しかも程度が低くなった。
「阿含経の修行を邪魔する要素は、池田慈水は追いかけてでも封殺します。」と 書いているほどだから、ジミズさんは大いなる勘違いをしているようですね。あなたは、桐山の 阿含経解釈を正しいと思っておられるようだが、桐山こそが、阿含経を 貶めていることに気がつかないのでしょうか、桐山こそが 釈尊の教えを歪めていることに気がつかないのでしょうか いったいぜんたい 釈尊の教えをどう解釈したら、桐山の言うこと、やることが 仏の教えにつながるというのか、冷静になって 考えて欲しいものです。釈尊が禁じた護摩を焚き それこそ、人々の煩悩をあおり、釈尊が
説きもしない 霊障話をつくりあげ、人心を脅し それで得た金を 自分自身の見栄や 欲望に注ぎ込んでいる 醜い姿、傲慢な姿がみえないというのなら、あなたは 精神的に盲目であるといわねばなりません。
あなたが、本当の意味で 阿含経を大事にしているのなら、その矛先は 桐山に向けられてこそ しかるべきものなのですが、思い込みの強いあなたの
ことですから、期待するのは 無理というものでしょうね。

[33]こうもり 05/05/28 11:36 f0d/0/hm2k
阿含宗と桐山氏について―第九章―最新刊 『守護神を持て』とは!?―[953]

私自身の経験からこれは異論ありますね。"煩悩を焼く"なんてフレーズ忘れてとにかくお願い事がかなうものならしめたものだ、
と祈願を書きまくる。かなうものもあるけど大体はかなわない。
なもんでさらにやっきになって書きまくる。だんだん疲れてくる。
藁にもすがる気持ちで書くが気休めにもならないことが分かってくる。
そして「木片に祈願を書いて燃やす」ことの愚かさが分かってくる。
釈尊のように答えを先に口で言ってもダメです。

では仏舎利は何のためにあるか?何度でも言います。気功態に入り採気しチャクラ開発する。これが修行です
[34]池田慈水 05/05/28 11:54 9MrIwPEYzA
石の門。石仏の四角い飾りが表札のような位置に彫られている。それが極めて特徴的。少し壊れかかっている。天台系のお寺、かなり寂れたお寺である。ユビキタスの実家、彼は天台の家系に生まれた。

前世で、釈迦如来や阿羅漢に供養を捧げていない人々は天台の家系に生まれる。
法華経を中心として教学があれども、確固たる成仏のための修行方法を持たない天台。法華経は面白い経典。@人はいつか必ず成仏すると宣言。A成仏するためには、成仏を約束する法華経を護持し、敬え。@+A=成仏しない、となる。つまり、@とAをいくら加算しても、ラッキョウの皮と同じで、成仏法本体が欠けている。計算上そうなるのに、法華経信仰者は、成仏の意味を変換することで自己欺瞞する。
法華経は成仏する修行方法が書かれていないのだ。法華経信仰者に、法華経に修行方法を書いた文章(品)がありますか?と聞くと、「不軽品」だと、だいたいの人は答える。しかしながら、その内容は修行の心構えに過ぎない。

ユビキタスは、法華経の縁で、成仏を目指した。しかしながら真の仏縁は無かった。解脱の種を持っていなかった。池田慈水は、前世で如来に帰依を表明し、供養を捧げた。須陀恒になるチャンスを、果報として得た。ユビキタスは、そういう種を撒かなかった。えてしてこういう者は、法華経ゆかりの家に生まれる。仕方の無い事実だ。

池田慈水は新義真言宗發背寺総本山とする豊山派の信徒の家系に生まれた。なんとわなしに、南無阿弥陀仏と唱え、何とわなしに、オンアボキャベイと唱える。

何とわなしに「空」の概念に興味を持ち、大学の図書室で竜樹の論文を読んでいた彼が桐山に出会い、解脱を成し遂げたあとに思う事は、人は「空」という概念が無いほうが、解脱する、という事である。大乗仏教は、落ちて異常になった仏教、「堕異常仏教」だ。とくに、天から堕ちて致命傷を負ったのが、天堕意だ。

今、桐山を置いて誰が在家の人々に、「阿含経を修行しよう!」と呼びかけるであろうか?誰ひとり居ない。他には誰も。桐山を批判することは、国益に反し、現在の宗教界の状況をわきまえない、愚かさそのもの。日本を滅ぼすもの。
ユビキタスの書いてることを信じたって、修行が止まってしまうだけでメリットはゼロである。
[35]池田慈水 05/05/28 12:08 9MrIwPEYzA

状況をまるでわきまえていないという点で、ユビキタスは日本の毒虫である。この国の、馬鹿貝である。
現在消火活動をしている消防夫を代わりの者を立てることなく、過去の言動の矛盾点を述べ立て排斥したところで、
残るのは焼け野原ではないか?知恵が無いのである。ユビキタスは日本の空っぽ脳みそである。
法華経がこれだけ馬鹿をやっている状況下で、阿含経を在家の人に勧めるだけで、素晴らしい宗教家だと言えるだろう。
そこが見えないユビキタスは、底が見えない愚か者である。掲示板での仲間も同罪である。
ユビキタスに賛同してはならない。一つの単語にさえ、耳を貸すな。彼自身もあなたの意見は聞く耳もたぬ。
彼は、韓国創価の雇われである。あなたの意見を客観的に、吟味するタマじゃない。タコなんだ。
[36]池田慈水 05/05/28 12:18 9MrIwPEYzA
暢気な馬鹿野郎たちだぜ、まったく。戦争が起きているの。法華経と、阿含経の。ユビキタスは法華経支持者であり、阿含経排斥論者である。違うと思っている奴は馬鹿者。

現在消火活動をしている消防夫を代わりの者を立てることなく、過去の言動の矛盾点を述べ立て排斥したところで、残るのは焼け野原だ。

状況を見てみろ。内容でなくて、周りの状況を。桐山を排斥したら、阿含経コケるよ?この恐ろしき戦争、阿含経負けたら、大変な日本の損。状況をわきまえない大馬鹿者と、ユビキタスを評するのはそこ。

朝鮮系創価も統一も喜ぶよ。阿含経こけたら、日本にいいとこ無しだもん。思想的泥沼。地獄よ。この国滅ぶよ。

状況をわきまえろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!馬鹿もん!!!!!ユビキタス、死にぇえいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
[37]池田慈水 05/05/28 12:23 9MrIwPEYzA
という訳さ、こんなことが分らんほど馬鹿じゃあないんだろう、あんたがただって。
[38]こうもり 05/05/28 12:28 f0d/0/hm2k
>>36 そこまでおっしゃるなら先生が復帰して阿含宗内で阿含経の修行法の指導をしてください。
先生のサイトを拝見させていただきましたが、そのような修行をしてる会員など少数でしょう?
現状はなんでもいいからお導きと言って信者増やすのが修行とされててS学会と違いがないほどになってしまってます。
私は昨年からこのことを指摘してきたが、もうなんだかな〜という感じになってしまってます。
是非復帰してご指導と教団改革お願いします
[39]こうもり 05/05/28 12:51 f0d/0/hm2k
私は2年ほど前こまりはてて、ある世話役に相談しました。
「君の目は活気がない。ボンギョーで活力を取り戻せ。」 「霊障?そんなものガッツでボンギョーすれば吹っ飛んでいくよ」 「まずは掃除からね」。
ボンギョーなぞS学会の折伏と同じでしょ。信者を増やすお手伝い。
私はアゴン宗こりゃだめだ、と思い書店に行き救われる方法を色々探しました。
そして、これは!?というものをミックスしましたが、皮肉なことに阿含宗のパドママツガの瞑想法に近いものになりました。
ビックリしました。阿含宗はこれほど尊い法を、ボンギョーによってゴミのように捨て去っていたのです。

池田先生コメントいただけますか?
[40]こうもり 05/05/28 12:57 f0d/0/hm2k
阿含宗と桐山氏について―第九章―最新刊 『守護神を持て』とは!?―[840]
再掲載します↑
[41]ユビキタス 05/05/28 13:07 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>前スレの938(>>30の続き)
陰シツ録が運命転換を説いたユニークな書である評価があることは間違いないですし
私もこの本が運命転換を説いていないなんて言っていません。
私が言っているのは前世のカルマだの悪業の報いによる運命を解消して回避した話ではない
と言っているのです。色眼鏡をはずして見れば、カルマの概念が見当たらない。
そしてその運命転換と言っても運命の成立条件と機能、影響力の絶対性とかがが
全く阿含宗と異なるのがわかる。
密教占星術1のP.242で雲谷禅師による書経の引用で「天が下す災いはなお避けることができるが、自分の作った罪科による災難は
避けることがてきぬ」と思想を示されているが、P.247でエン了凡はなおも陰シツ録の中で
息子へのメッセージとしてやはり書経を引用している。
「天命はあてにならず、一定しないものだ」
「禍福は己より求めて求めざるものなし」
つまり天の下す災いなんてものは人間の福を求める営みで避けることができると
言っているわけで、どうにもならぬことはない。
要は自分の欠点を認識してこれを改め、身を慎み、善事を為して人格を陶冶すれば(徳を積めば)
求める幸福も得られ、人生を開拓できる。この人生開拓こそが運命転換であるわけです。
これは実は我々の捉える運命観とも異なり、運命の否定とさえ言える。
単に自分を磨いて徳を養って(この徳というのも阿含宗の御利益との取引の通貨である
概念と異なり、人格者、人徳ということである)人生の可能性を広げようということで、
実は宗教も信仰も持たない現在の我々でも皆大なり小なりそういうことを考えて行動している。
社会や家庭で成功するために。
エン了凡の場合、占いの運命固定の自縛観念が先にありそれを解きほどいたわけです。
書経の人生観と占いもまた別物であることを認識して下さい。
仏教でも道教でも占いでもない書経の天などに強制左右されない人生観があって
エン了凡は占いよりも前世カルマ論よりもこれを支持して実践しているのです。
むしろこの思想は前世の悪業の報いなどに囚われない今この場の行いを正すという意味の
カルマ説に近い。
要は今この現世での目に見える悪い欠点を是正さえすれば道は開けるというのです。
それだけです。
阿含宗の因縁論のような複雑な目に見えない霊的な制約などない。
[42]こうもり 05/05/28 15:30 f0d/0/hm2k
>こうもりさんの書きこは、あれは、何?本当に韓国人連合がここには存在するのかな?

ユビキタス:韓国名:チョー・ヨンソル。
こうもり :韓国名:キョン・ジャーダン。  です。
[43]こうもり 05/05/28 15:53 f0d/0/hm2k
ムルロン、チョンマリ アニムニダ(勿論、本当ではありません)
[44]こうもり 05/05/28 16:42 f0d/0/hm2k
「法華経を中心として教学があれども、確固たる成仏のための修行方法を持たない天台。法華経は面白い経典。@人はいつか必ず成仏すると宣言。A成仏するためには、成仏を約束する法華経を護持し、敬え。@+A=成仏しない、となる。つまり、@とAをいくら加算しても、ラッキョウの皮と同じで、成仏法本体が欠けている。計算上そうなるのに、法華経信仰者は、成仏の意味を変換することで自己欺瞞する。」
      ||

仏陀の呼吸法を提示しながらも信徒はボンギョーにより排斥し、成仏を約束する阿含経を護持してもラッキョウの皮と同じで、成仏法本体が欠けている。計算上そうなるのに、アゴン宗信仰者は、成仏の意味を変換することで自己欺瞞する。
[45]こうもり 05/05/28 17:20 f0d/0/hm2k
宗教とは人を救うのが使命なのに、"ほどほど"に救われたい人はうち、"本当に"救われたい人は他所にいけ  なんてミョウだよな

http://www.iarp.or.jp/mihs/online2.html
ここなんて仏陀の四禅を実際に指導しとるぞな
[46]こうもり 05/05/28 17:26 f0d/0/hm2k
http://www.iarp.or.jp/yoga/kondou.html
チャクラ覚醒法を代表者じゃなく、指導員がちゃんと指導してるし
[47]神人同行 05/05/28 18:35 64zeCoC00a
見えない存在から、忠告?されました。モウ書くなと、マ−忠告と聞いて置きましょう。此処は、社長の無礼講スレ、以前言っていたこのスレでは書きませんと言っていたお話を書き始めよう。社長、許してくれるかナ?
[48]服部エンタープライズ社長 05/05/28 18:41 *vOys31uzjgw*E-4.sho

 神さ〜ん

    はい…


[49]神人同行 05/05/28 18:47 64zeCoC00a
社長、正直に言ってくれ。何か、返事がト−ンダウン。
俺も読むだけが、楽ダシネ。
[50]星祭@どこが? 05/05/28 19:00 iJYtK5E8QS
>41、そりゃ霊視能力がなかった人が書いたものだからだろ(笑)。基本的にはゲイカの言うことと変りありませんね。むしろ、慈恵会はこれが基本だったのだと思いますね。準堤信仰の基本となるものでしょうから当然とも言える。のちに阿含経に入り、成仏力を得て、業と因縁の実態を把握したということでしょう。
[51]星祭@ぐんだり 05/05/28 19:14 iJYtK5E8QS
>46、本山氏の系統のクンダリニ・ヨガでしょう。指導員がどのくらいのレベルでどこまで深く指導してくれるかですね。かえって自修のほうがマシな場合だってある。日々の実践こそもっとも尊いものだと思います。チャクラ開発というものでは竜王会の七つの封印というものもありますよ。
[52]○○屋 05/05/28 21:08 oZBcnpoPcV
「密教占星術」読まないでレスしますが・・・

どうも腑に落ちない部分がある。

人生がある一定の軌跡をたどりました。その軌跡を易経かなんか知らんが予測しました。それは、天のはからいによるもので、変えられると知りました。心がけを改善して、悪しき予測通りにならないようになりました。これは道教だかなんだか知らんが、仏教ですらねー!

このような内容のことをユビキタスさんは言っているわけだ。

そこで、疑問があるのだが、悪しき運命(でも予定でも予測でもいいのだが)をたどるのに原因があるわな。その原因はカルマの法則では悪しき行為による報いだ、と見るわな。しかし、この場合―袁了凡のケースでは―ユビキタスさんは、「悪い予測なんかは、心がけ次第でどうとでも変わるもんだ」と主張している。つまり、カルマの法則なんぞカンケーねーじゃろうが!と主張しておるわな。では、12因縁に照らすとどうか?

「心がけ」は「名色」とか「(意)識」とか「触」とかこの辺だわな。つまりは12因縁の範疇なわけだ。つまりは「無明」がなくならなきゃ、これ(運命でもなんでもいいんだが)変更できないんちゃう?
[53]○○屋 05/05/28 21:18 oZBcnpoPcV
「四書五経」気になったんで調べました。

四書→@大学 前430頃書かれたもので、もともと『礼記』のうちの一篇。漢の武帝が儒教を国教と定めて大学を設置した際、その教育理念を示したものとされ、要するに君子の学習方法を論じたものです。
A中庸 前430頃書かれたもので、『大学』と同じくもともと『礼記』のうちの一篇。中庸とは偏りが無く永久不変という意味で、道徳の原理、不変の道理を論じたものです。
B論語 上下20篇からなり、孔子の談話、弟子の質問に対する答、弟子同士の討論などが書かれています。
漢代には、魯国に伝わった『魯論』20篇と、斉国に伝わった『斉論』22篇、古文で書かれた論語『古論』21篇の三種類がありました。その後漢代末に鄭玄が『魯論』を基礎として現在の20篇に集約したものが現在伝わっているものです。
C孟子 孔子の弟子・孟子による、『論語』を真似た言行録。当時の儒家の標準的理解が記述されていて、孟子の仁義を中心とした思想によって解釈されています。

五経→ @詩経 前470頃書かれた中国最古の詩歌全集です。西周初期から春秋中期(前11世紀〜前6世紀頃)の多くの詩の中から孔子が雅楽に合う305編を選んで編集したもので、地方民謡の『国風』、諸侯歌謡の『小雅』、天子歌謡の『大雅』、霊廟歌謡の『頌』の4章で構成されています。
A書経 前600頃書かれた政令集です。古代からの君臣の言行録を整理したもので、聖王の『虞書』、夏朝の『夏書』、殷朝の『商書』、周朝の『周書』の4章あり、尭・舜から秦の穆公に至るまで全58篇で構成さています。もともとは『書』あるいは『尚書』と呼ばれいました。
B礼記 前漢末期頃書かれた“礼”(戦国以前の制度・習慣)が説明された書物です。日常の礼儀作法や冠婚葬祭の儀礼、官爵・身分制度、学問・修養などについて説明されていて全49篇あります。また、周代の官制が書かれた『周礼』や、周代の官吏の冠婚葬祭について書かれた『儀礼』と共に『三礼』と呼ばれています。
C易経 前700頃書かれた古代の占術理論書です。64卦を説明する『経』とその解説の『十翼』で構成されていて、十翼は、卦に関する『彖伝』上下、爻に関する『象伝』上下、用語を説明する『繋辞伝』上下、乾坤二卦に関する『文言伝』、配列を説明する『序卦伝』、八卦を説明する『説卦伝』、対比を説明する『雑卦伝』からなっています。自然現象を万物の事象の象徴としてとらえ、生成変化を予測するという内容から儒家だけではなく、道家にも尊重されました。もともとは『周易』と呼ばれており、『易経』と呼ばれるようになったのは宋代以降のことです。
D春秋 前5世紀頃書かれた魯国の歴史書です。もともと編年体の年代記を孔子が整理したとされています。『春秋』の本文自体は各年が数行単位の簡潔なもののため、解説書として、前漢初期には『公羊伝』『左氏伝』『穀梁伝』などが伝わり、前漢末期に左丘明が編纂した『春秋左氏伝』が主流となりました
[54]○○屋 05/05/28 21:31 oZBcnpoPcV
>52のつづきね

12因縁はまさに「これあるによりてこれあり」であって、「これ(性格で心癖でも心の持ちようでも何でもいいが)単独であり」とは言っていない。「もし性格を変えよ、さすれば慢断じて人生好転す」ならばこんな回りくどいこと(12因縁のことね)わざわざ言うことないじゃん?

それとも、12因縁に当てはまらない「心」や「存在」や「苦」の方程式が外にあるんだろーか?仏陀の理論が絶対的に正しいという前提ならば、12因縁の外に袁了凡のケースに当てはまる方程式があるはずで、そうでないならば、仏陀といえども何かを見落としたのか?

なぞじゃ・・・
[55]こうもり 05/05/28 22:30 f0d/0/hm2k
>>51 2chで見たら本山氏も三浦氏から最初に学んだ時期があるとかですね。
私もフジウスさんや星祭さんの発言から、アゴン宗はヨガを取り入れた優れた修験道だと分かり、少しは大人しくしてたのですが、
池田先生が暴れたので、私もわざと昨年の理屈に戻り暴れましたが。

本舗さんや星祭さんは猊下から慈愛を感じてるみたいで羨ましいですね
昨年のあなたの「こうもり君は"ダイレクト"に神仏と"感応道交"する法を教えてくれ、と言ってるのでしょう?」と聞かれ、
ちょっとニュアンスの違いを感じながらも"ダイレクト"と言うフレーズに「そうなんです!」と答えましたが、
実は私は"感応道交"など興味ありません。
本舗さんも「ドラゴン嗜好なら"神界修行"を本気でやらないと!」と言われましたが、
竜神と"感応道交"も別にしたくもありません。それらは呪術であり今風にいうチャネリングですから。

本当の宗教、本当のヨガ、etcとは、自己=神性・仏性を見ることであり、それが梵我一如でしょう?
そういう意味で船井氏は、梵=サムシンググレート、我=ハイアーセルフであると説き、船井氏から本山氏はその分野で評価されており、
猊下は高級神霊との交流など、を新著に説き
本当に残念です。
昔は本山氏・桐山氏・高藤氏といえば三大巨頭だったのに。

勿論、仙道にも仙界から指導仙が降りてきて・・・等言いますが、
でも指導仙とチャネリングするのが目的ではなく、
指導仙が熱心な行者をたまたま指導するだけであり、気を練るのが目的なのは当たり前のことですから。

栗花氏が擁護しながらも入会まではしないのも、呪術より行が大事という論理では?
[56]○○屋 05/05/28 23:31 oZBcnpoPcV
んんー私は、「行」の完成には「神・仏」の助けと言うか守護と言うかが必要な気がします。たぶんですが。パール瞑想や、パドママツガよりも深い瞑想では私は「恐怖心」が出てきてそれ以上進めなかったことがあります。(もちろんそのまま。今でも挫折したままですが・・・)

「行」も「呪術」も「ボンギョウ」もバランスが大切なような・・・今の阿含宗は守護神・守護霊に走りすぎな感はありますが。

というよりも、猊下の一言でみんながそっち向くというか、走り出すというか。それで、そっちのほうに行き過ぎたら修正がかかるってのが何度も繰り返されてて、その点を批判されやすいという弱点はあるような。
[57]こうもり 05/05/28 23:56 f0d/0/hm2k
>56 SWに例えますとルークにはオビワンと言う守護霊がついてましたが、それはルークが修行するからであって「オビワンさまオビワンさま、どうかフォースをお与えください。」じゃないと思うのです。
○○屋さんが「恐怖心」を感じたのもハイアーセルフが何かの理由で”待った”をかけた、という解釈のほうが私は今風で好きです。

でもアゴン宗って優れた呪術教であり、屋敷浄霊などというお祓いを多くの信徒が出来るというのは、ある意味スゴイです。

私の導き親は星祭さんと同じ霊感・呪術体質で、
私が「呪術ってカッコ悪いっすよ」と言うと、
彼は「呪術ってカッコいいじゃないか」と言います。
まあそれでも「こうもり君の言うとおり、呪術より行が本道だよ」とも言います。
[58]名無しさん@3周年 05/05/28 23:58 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
181 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 22:52:20 ID:kAaaFw9y
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
た とえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、
あまりにもバカバカしいのでほっといたら、調子こいていますが
、こんなの一般人でも相手にしないで しょう。
きにするこたあ、ありませんぜ!慈水さん。読むものはそれなりに判断するものです。
[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。
そんな罪障は大小の違いこそあれ人間ならば誰でももっているものです。
酒つくりなど日本だから罪になるのであって普通に作っ ている地域もある。
何故、法律にふれてムショ行きになったかというのは別に考える必要がある。
[59]名無しさん@3周年 05/05/28 23:58 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
182 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:03:34 ID:kAaaFw9y
>>181 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 22:52:20 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>きにするこたあ、ありませんぜ!慈水さん。読むものはそれなりに判断するものです。
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM

星祭さんも批判側が憎らしくて、何か言わないではいられないのはわかるが、
何も壊れているヂミズさんに応援を頼むことはあるまいに、よほど人手不足と見える。
壊れているヂミズさんよりも猫の手のほうがまだ役立ちますよ。
星祭さんもヂミズさんが書いている露骨な差別に賛成しているかのように受け取られます。
それとも、聖者の道を歩む星祭さんは、阿含宗をやめたヂミズさんの
普通の人でも書かない個人攻撃や差別や罵声に賛成か?
星祭さんの書き込みは、使途さんとの議論の中で、本スレ84の695、ザの9章の[803]で、
桐山さんの偽ビール造りを引き合いにして、
過去になした悪業は消えないという私の主張への反論です。
もっとも、星祭さんは>>12-14、ザの9章の[805]で恒例の「ばかだね」の罵りを連発しながらも、
桐山さんが偽ビールを造ったと認めたのだから、ずいぶん進歩されたものです。
[60]名無しさん@3周年 05/05/28 23:58 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
183 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:05:46 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

[27]と[28]を並べて書くとわかるように、星祭さんは別な内容を混ぜて議論している。
私が前スレ695で書いたことは、悪業は何をどうしようが消えないという
仏教や宗教のカルマについて書いた内容です。
これに対して、星祭さんの指摘は法律的な罪についての話です。
悪業が消えないと書いたのを、法律的な罪が消えないと主張したかのように
置き換えて、罵っているのです。
しばしば星祭さんがこういう批判側が書いていないことを捏造するので、
前は作戦として、わざと混ぜて、捏造しているのだろうと思っていたが、
最近は、星祭さんの頭では区別がつかないのかもしれないと思うようになりました。
[61]名無しさん@3周年 05/05/28 23:59 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
184 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:08:26 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、

偽ビールを造ったという悪業から逃れることはできません。
星祭さんの罪障とは何を指すのかわかりませんが、
私は少なくとも罪障という言葉は用いていない。
以下に、本スレ84の695で使途さんへのレスを再掲載します。

悪いことをするな、善いことしろ、心を清らかにしろ、です。
釈尊のいう悪いことをするなとは、悪業をなすな、というだけの意味です。
すでになした悪業から脱出を説いているのではなく、
これから悪業をなすな、という意味です。
あなたは悪業から脱出という表現には、悪業を切るという概念を含めていますね。
だから、「悪い行為(業)を脱出すれば、悪趣から脱出できる」などと書いている。
悪い行為をするまいと決心して、二度としなくても、悪趣からは脱出できません。
詐欺で捕まった人が、もう二度と偽ビールを造るまいと決心するのは、
これは今後悪業をなさないこと、悪業からの脱出です。
しかし、すでになしてしまった偽ビール造り(悪業)が許されるわけではなく、
彼は刑務所、つまり悪趣に落ちて、脱出はできない。
あなたの「悪い行為(業)を脱出すれば、悪趣から脱出できる」は成り立ちません。
[62]名無しさん@3周年 05/05/29 00:00 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
185 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:17:19 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、

>>184に転載した私の695の書き込みを見ればわかるように、
罪障が消えないとも、偽ビールについて悪趣から逃れることはできないとも書いていない。
使者さんが、「悪い行為(業)を脱出すれば、悪趣から脱出できる」と書いたから、
悪業を断ち切る方法などないから、
悪業をなした人はそのままでは過去の悪業から脱出することも、
悪趣を脱出することもないと書いたのです。
桐山さんがなした過去の悪業は消えることはない、という当たり前のことを書いたのです。
懺悔、反省も意味がない、などとは、私は一言も書いていない。
私が書いていないことを捏造しているのは星祭さんなのだから、
何考えているのだかわからない、のは、星祭さんのほうです。
もっともあなたが悔しくて、なんとかやり返してやりたいと
熱望しているのだけは行間からひしひしと伝ってきます。
[63]名無しさん@3周年 05/05/29 00:00 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
186 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:21:34 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、

懺悔反省したなら、次に何をするのかが違っていると批判している。
桐山さんは過去の業を切って、業解脱するのだと述べた。
釈尊は過去の業を切れなどと言ったことはなく、悪業を作り出した煩悩をなくせと説いているのです。
桐山さんは業を切ることが解脱だといい、釈尊は煩悩を切ることが解脱だと説いた。
桐山さんは業を切れといい、釈尊は煩悩を切れという、これだけでも両者はまったく違う。
桐山さんの外道ぶりはこれだけではない。
釈尊の説く仏教なら絶対にありえないことを説いている。
それが他人への責任転嫁です。
[64]名無しさん@3周年 05/05/29 00:00 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
187 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:26:17 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、

桐山さんの業解脱(因縁解脱)では、偽ビールは霊障のカルマによって生じた
刑獄の因縁という悪業だから、これを切ればいいことになる。
桐山さんのこの考えでは、霊障のカルマを作った不成仏霊が悪く、
家系に伝わった刑獄の因縁が悪く、彼の責任は出てこない。
その証拠に、信者さんたちは桐山さんから刑獄の因縁の元になった前世の行い、
つまり横の因縁について聞いたことがありますか。
アラハンとは三明を体得しているから、自分の前世を知っているはずです。
桐山さんも刑獄の因縁のある家系に生まれるだけの前世の行いがあったのだから、
これこれが自分の悪業であると述べるべきです。
どのような行いが悪業なのかを知るためにも、先祖や不成仏霊の話などより、
刑獄の因縁、ガンの因縁、強い中途挫折の因縁を作るに至った桐山さんの前世の悪業を話すべきです。
新しい悪業を作らないためにも信者たちには一番参考になる話です。
しかし、桐山さんはこの一番重要な横の因縁を話したことがない。
[65]名無しさん@3周年 05/05/29 00:01 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
188 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:31:19 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。

桐山さんの話はいつも先祖と霊障武士が作り出した悪因縁ばかりです。
前世の悪業としての横の因縁は一見、自己責任を説いているようでありながら、
信者たちに罪悪感を植え付けるのに使うだけで、阿含宗の教学としては隅に追いやられている。
現実に、桐山さん本人は横の因縁の話は皆無で、全部、先祖や霊障武士に責任転嫁している。
桐山さんの業解脱の話は、自分の作った悪業を切るという話ではなく、
先祖や死者たちが作った悪業を切るという話にすり替えられている。
こんなことは釈尊の教法では絶対にありえません。
釈尊の教法では「自己」以外なにかが対象になることはほとんどない。
自己以外の他人、先祖、死者が修行の対象になることはありません。
弟子たちの告白を読んでも、ただの一つとして、
先祖の悪業でひどい目にあったとか、運が悪かったとか、解脱の妨げになったとか、
逆に先祖が守護霊になって、解脱できたなんてのもありません。
桐山さんの因縁解脱はカルマを切るという意味で釈尊の教法とは違うし、
先祖や霊障武士に責任転嫁しているという点でも釈尊の教法とは正反対です。
阿含宗の教法は外道の名にふさわしい。
[66]名無しさん@3周年 05/05/29 00:01 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
190 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:33:21 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

星祭さんのこの批判は桐山さんに言ったほうがいい。
星祭さんに言わせると法律上の罪ばかり問うのはおかしなことで、
根源的な罪障を問題にするべきだとおっしゃっている。
法律上の罪など批判側が問うたことはありません。
桐山さんはちゃんと刑期を終えていることをみんな認めている。
偽ビールの件を問題にしているのは、第一に桐山さんが自分のなした犯罪性を認めていない点です。
率直に、これを犯罪として認め、若気の至りと反省するなら、誰も彼を責めることなどできない。
だが、桐山さんがこの件を何と書いているか。

『現世成仏』11ページ
「思えば、わたくしもまた、この娑婆世界において、地獄界のドン底からはじまる十界修行をさせられてきた。
わたくしの十界修行は、刑獄の因縁による前科を持つことからはじまった。
それは、血と涙の修行の連続であったが、いまにして思えば、すべて、み仏のお慈悲以外の何ものでもなかった。」
『現世成仏』75ページ
「だが――結局は、わたくし自身のもって生まれた刑獄の因縁のなせる業であった。」
[67]名無しさん@3周年 05/05/29 00:02 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
191 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:36:56 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

「十界修行をさせられてきた」
「血と涙の修行の連続」
「み仏のお慈悲以外の何ものでもなかった」
「刑獄の因縁のなせる業」
これが自分の犯罪を反省した人の言葉ですか??
偽ビールを造ったことは、血と涙の十界修行をさせるための
み仏とやらの慈悲で、すべては刑獄の因縁がしたことである!
長々と訳のわからんことを桐山さんは書いているが、一言で言えば、
「おれは悪くない!!!!」
と書いているのです。
反省のハの字もないとはこのことです。
懺悔だの根源的な罪障だのと小難しい表現は必要なく、
桐山さんはまったく反省していない。
桐山さんは今でも自分は悪くなかったと開き直っている。
懺悔、反省は仏教の入口とされているから、桐山さんは仏教の入口にすら入っていないことになる。
[68]名無しさん@3周年 05/05/29 00:02 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
192 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:42:54 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

第二に、桐山さんは前科を逆手にとって、宗教を作り上げた。
偽ビールの件を批判側がしつこく出すなどと、
信者さんも桐山さんの口まねをすることがあるが、よく考えてください。
前科の件を出しているのは批判側ではなく、桐山さんです。
座右宝鑑に霊障や因縁の恐ろしさの例として出しているのが、桐山さんの前科の話です。
1980年代の本では、前科をネタにして、悪因縁や霊障を大宣伝して、
ついにはおシャカまで引っ張り出して、霊障による地球壊滅にまでなった。
偽ビールが地球壊滅ですよ!!
偽ビールを造ったというちっぽけな詐欺事件一つが、
18人の霊障武士、血の涙を流した刑獄因縁、世紀末の地球壊滅の
壮大なドラマのすべての元ネタです。
結局、自分のなしたちっぽけな犯罪すら素直に反省できず、
み仏だの、霊障だのとインチキ宗教を作りあげて誤魔化そうとした。
[69]名無しさん@3周年 05/05/29 00:02 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
193 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:48:34 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

星祭さんは、桐山さんのお金儲けしようとした欲を批判するべきだと述べている。
三十年も何を修行してきたのかと溜息がでるほど、あなたは浅い。
桐山さんのどこを見ているのだ?
金儲けしようとした欲など大した問題ではない。
桐山さんの罪障を問うなら、金儲けの欲ではなく、
他人を偽ビールで騙そうとした点、私文書偽造で人を騙そうした点、
この桐山さんの人生に一貫している詐欺師としての性格を問題にするべきです。
詐欺行為を裁判でも認めず、その後も今日に至るまでいっさい認めないばかりか、
これを悪因縁、霊障に責任転嫁して、人々を宗教詐欺で騙すのに使った。
偽ビールという詐欺行為を反省するどころか、
法律に触れない霊感商法によってさらに詐欺行為を拡大して、
宗教詐欺師として成功を納めたのです。
詐欺師としての煩悩を消すどころか、一生かけて肥大化させた。
[70]名無しさん@3周年 05/05/29 00:04 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
194 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:50:50 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM

釈尊の教法とは、桐山さんでないと見えないカルマの話ではない。
本人の心の中にあり、本人が自覚できる煩悩です。
横変死の因縁など、桐山さん以外はわからないカルマの話ではなく、
偽ビールを造るというカルマを生み出した煩悩がテーマです。
偽ビールというカルマだけを見るかぎり、あなたも
「普通に作っ ている地域もある。」などと書いているとおりで、逃げ道がある。
ドブロクを造ることと、偽ビールを造ることは違う。
ドブロクは酒を造ることであり、偽ビールは人を騙すことです。
今の日本でさえ、前者は脱税だが、後者は詐欺です。
偽ビールのカルマだけでなく、これを作り出した桐山さんの煩悩が問題なのです。
[71]名無しさん@3周年 05/05/29 00:04 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWpe
195 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:58:58 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM

桐山さんけっして自分の煩悩を省みることも、なくす努力もしなかった。
桐山さんは煩悩をなくすどころか、むしろ巨大化させ、今信者さんたちの目の前にある。
阿含宗がそれです。
あれは桐山さんの煩悩が具現化したものです。
だから、妄想、欲望、恐怖、執着など、煩悩の博覧会になっている。
信者さんたちが桐山さんの得意な虚言、慢心、怒り、自己憐憫、
逆恨みといった煩悩が欲しいなら、阿含宗が一番です。
長年、これらの煩悩を服用してきた星祭さんなどは「使用後」の良い参考例になるでしょう。
だが、もしも信者さんの心にはすでに煩悩が十分にあり、わざわざ増やす必要はなく、
少しは釈尊の教法に従い、煩悩を減らす努力をしようと思っているなら、
阿含宗は不適切な場所であり、まったくの場違いです。
[72]ユビキタス 05/05/29 01:38 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>50
星祭さんならではの文脈を理解できないお笑いが出ました。
これは>>52の○○屋さんも同じことで、そもそもの流れが理解できていない。
シシャさんとの対論で業報の回避による運命改善はあるかというテーマの中で、
○○屋さんが陰シツ録のエン了凡の場合は業報を回避した証拠ではないかと題材を示してきた。
私はあくまでも陰シツ録の記述に忠実にたどり、これは業報思想でもなくその回避も説いていない
ことを論じて、陰シツ録は業報回避の根拠資料となり得ないことを証明した。
ここに霊視だのカルマだの十二縁起だの、陰シツ録に書いてもない概念を持ってきても
だめです。陰シツ録の記述の中からそれを見つけねて論じねば。
霊視能力を持たないエン了凡や雲谷禅師のごときが語り書いたのだから霊障などには
気付かぬですと。で、その気付かぬボンクラ凡ちゃんが解脱供養もせず、せいぜい真言を唱える
程度で、人間としてできる範囲の善事の実行を骨子とした人格の向上で人生が開けていった。
これが因縁解脱、業報解脱ならば、法力のある導師の解脱供養による推進もない
条件で、人間的な修養+真言行だけで因縁が切れたことになる。
いくら準胝呪とは言え、準胼胝の真言行と修養だけがシャカの成仏法なのか?
これを前世よりの悪業の解消の結果による運命転換としてしまったら今の阿含宗では
ちと困る例です。むしろこれは阿含宗にとっては引っ込めた方がよい。
ここにもてない男がいるとする。(俺じゃねーぞ)もてない原因は前世の悪業、霊障か?
顔が悪い所為か?性格が悪い所為か?
陰シツ録は前世だの悪業だのどうでもよいが、おまえの今の性格の悪いから改善せよと
指導した。明るく柔和で親切で威張らない飾らない、これを行為で示し、女にももてるようになった。
うーん・・・この例ではまじいから霊障だの因縁だの悪業だのは引っ込めよう。
そういう阿含宗にとっては都合の悪い霊の関わりなど関係ない人間的な修養だけで
成功を勝ち得た話なのです。
だからここに霊視能力なんてもってくるとおかしくなる。
むしろ占いの通り運命は変えられなかった結果に終わり、単なる修養ではだめで
霊的な力が必要なのだ、真言念仏レベルでない高度な成仏法の助けなくては改善できないのだ。
陰シツ録の作者は霊視能力がないからこういうことがわからないと判決を下した
方が阿含宗にとって都合がよかった。
[73]○○屋 05/05/29 02:04 lHNv67meUo
阿含宗にとって都合が良かろうが悪かろうが、そんなことを論じているのではない。
何か勘違いしてやいませんか、旦那ともあろうお方が・・・

>私はあくまでも陰シツ録の記述に忠実にたどり、これは業報思想でもなくその回避も説いていないことを論じて、陰シツ録は業報回避の根拠資料となり得ないことを証明した。

え?どこで?

>ここに霊視だのカルマだの十二縁起だの、陰シツ録に書いてもない概念を持ってきてもだめです。陰シツ録の記述の中からそれを見つけねて論じねば。

あのね・・・「カルマの法則」だの「12因縁」だの釈尊の説いた理屈がインドのある地方でしか通用しない法則や理論じゃないの。袁了凡が指摘された悪しき予測をなぜ回避できたか。袁了凡さんも「カルマの法則」に縛られているわけでしょ?違うのカイ?君は「このケースはカルマなんぞ関係ない」と言うのが理屈だったんでしょう、簡単に言うと。

しかしね、例えカルマの法則が関係なくても、袁了凡が意識(と行動)を変えた、それによって「天の災い」を避けたんでしょう。意識と行動を変えるのは、12因縁の理屈でまさに「これ滅すればこれ滅す」で「天の災いを回避したんじゃろ?

あなたが言うなら、「無明を滅したら回避できるんであって識は苦の解決の途中経過なんだから本当の意味での12因縁には当てはまらん。このケースでは無明の解決が記されておらんじゃろ」とか「釈尊は滅せと説いたんであって変えろなんていっておらん」とか言うなら話はわかるが>>72のレスじゃ、試合放棄宣言ですね。
[74]牧童犬菩薩 05/05/29 02:10 IjzSBTUe4p
第9章って桐山管長の『守護神を持て』を論議する
スレッドじゃあなかったの。
スゴイね、池田ジミズさんは。もうびっくりしました。
いきなり実行委員長をとびこえてしまって、発狂度NO1
で、アラカン、いやアナタ(ジミズ)は“アバカン”に
なってしまいました。アナタはクレイゴンからアバカンに
昇格しました。アガン経(阿癌経)の修行を満行しました
ので、もうこのスレッド書き込みは、必要がありません。

ようやく最終解脱の境地に到達しました。アサハラバカボンパパ
と同じ境地に到達しました。池田ジミズ様、こころから拍手を
送ります。お疲れさまでした。病院に行っても風邪などひかない
ように(あぁ風邪はひかないね)、人には病院をうつさないよう
にしてください。
お餞別などあげたいけれども、ネット知人だから無理だね。
またあげる価値もないし、コトバだけでごめんね。

わたしもね朝鮮人沢山知っているけれど、アナタの言い方は
日本人の恥じです。法華経とか阿含経とかいう以前の問題です。

アナタの情報は古すぎなので、もう一度会員になって
ねんごろに『冥徳霊場』に入ってのち、生まれ変わってから
このスレに参加されることをオススメします
[75]牧童菩薩 05/05/29 02:17 IjzSBTUe4p
あのね、それからね
ジミズさんは、『冥徳霊場』に入ってもね
冥界にゆくのは無理かもしれないから
すこしの間は、サイの広場ゆきの“阿鼻野街道”を
あるくことになるかもしれない。そのときにね
くれぐれも赤ちょうちんや青いちょうちんのおでん屋に
いっちゃあいけませんよ。街道がね、寒いからって
毛布なんてすすめられて、喜んででくるまっちゃ
ダメだよ。犬・猫・牛・馬・豚なんかになっちゃうからさ。
くわしいことは『守護神を持て』読んでね。ちゃんと購入して
ね。住所教えてくれたら施本してもいいよ。
[76]牧童犬 05/05/29 02:22 IjzSBTUe4p
中国は大変でした。日本人に対してはね。
東南アジア方面は後日に変更となりました。
300冊の施本状況は、やっぱわたくしがいないと
ダメだね。明日明後日にはすべておわる。こんどは
おすすめして入行→供養金投資させるのが、
わたしの使命・仕事・事業です。

しかしこのスレもなにを論じているのか、まったくわからなく
なってきたな〜。
[77]ユビキタス 05/05/29 02:27 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>52
○○屋さんなどがついひっかかってしまうのは、先に占いにより運命軌道が開示されたことがある。
ここに囚われてその占いはよく当てられている点もあるから、こういう運命軌道があると
いうことはカルマがあるからだとか十二縁起の法則があるからだと話を自分の固定観念の
仏教知識に結びつけてしまう。
陰シツ録の作者はそういう視点などなくても、ではこれはカルマの問題ではどうなんだろう
こちらであてはめてみたくなるわけです。
しかしこれは占いの示した運命軌道であって、その人の本当の人生軌道とは異なる。
占いを全面受け入れてこれは本来シャカの成仏法でないと切れない強制的な運命であり
それにはカルマが根本動力となっているはずだ、どうなっているのだろうかなどと
○○屋さんの方が占いの呪縛に囚われてしまった。
雲谷禅師は違う。>>53でよい分類資料を出してくれたが、易経の占いを易経とは別分類の
占いなど関係ない古人の知恵の集大成の書経を、占いを聞いて無力感に囚われるエン了凡の
指導に使った。占いの運命と本当のエン了凡の運命は決してイコールでない。
占いであんたには無理だなと言われた科挙の合格と子供つくりを目標にしてこれを
否定してみせる努力を促したのです。
結果はエン了凡は53歳の短命で死ぬはずのところ寿命が延びたオマケまでついた。
しかし53で死ぬだの科挙に合格しないだの子供ができないなんてことは誰にもそれが
起こるまでには確認できないことです。
その実絶対性などない。
つまり運命は絶対的なもので本来ならば変えられないものだと考えているのが○○屋さんや
当初のエン了凡の妄執であり煩悩だったのです。
雲谷禅師はまずその運命観自体の破壊を促したと言える。
運命そのものではなく運命観の破壊です。
おまえの考えるような運命などないと思え。運命なんてどうにでも創造できると
観念の転換をまずはかった。
それはおまえの今自覚できる性格の改善、人格の向上だけで開けるのだ。
過去などどうでもよい。
目に見えぬ報いなどではなく、今の現実観察だけでわかる性格人格の条件を
修養により磨くだけで人生が展開するのだと説く。
そして理屈でなく結果として人生が開けた。
カルマ?よいカルマ(行為)を行ったから善果が出ただけなのだ。
だから根本的にカルマ論からはずれない。
占いのカルマなんて書経でないが天命はあてにならない。
[78]ユビキタス 05/05/29 02:51 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>73
>>72の阿含宗の実践にとって都合の悪い話の提示という視点は>>50の星祭さん向けのものです。
何しろ霊示なんて書いてきたから。
ご丁寧に十二縁起まで話を持ってきた○○屋さんに対するレスはどちらかというと>>77です。
阿含宗の実践なんてどうせさぼってしてないのだからどうでもよく、ただ阿含宗で得た
因縁論、運命観だけは大切にして、自分は絶対に阿含宗でもない限り運命に翻弄されてやるぞ
と堅く誓うマゾヒストのあなた向けは>>77の占いに囚われた男の運命です。
そこであの陰シツ録を私も作者すら語らぬ仏教の十二縁起で解釈してみましょうか?
これはまさに十二縁起で説明できる。
なぜなら十二縁起は運命の法則ではなく存在の法則だからです。
固定された運命などなく存在の法則によって動くというのが十二縁起です。
だから十二縁起で説明できる。
まず無明無知だから占いを受け入れ信じ妄執して、諦めという道を選択していたのが
エン了凡で、諦めの悟りならぬ苦を作り出していた。
これが占いの妄執を捨てて新たな気持ちで目標に向かい現実努力と善事の実行と人格錬磨
によりこの諦めの苦を脱した。
すべての事象を十二縁起で観察できるのです。
輪廻とか運命とかに限定する話ではないのです。
これは観察の方程式なんです。
[79]○○屋 05/05/29 03:09 lHNv67meUo
>>77の理屈はやっぱおかしいわ。

あなたの説明では、まるで、袁了凡は運命軌道を提示されたからそのとおりの人生軌道をたどった、と言う説明に聞こえる。

根拠があったんでしょう、たぶん彼の運命の提示には。その根拠が変わったんでしょう。だから、人生軌道が修正されたんでしょう。

修正された条件は、なんだ?というのがテーマであって、運命の提示が本当のテーマではない。しかし、でたらめな花占いで運命軌道を示したのではないんだから、運命軌道にもそれ相当の根拠があった。そしてそのとおりになった、途中まではね。

途中まではカルマの法則による悪しき報いで人生が構築されていたと見るのが妥当ですぜ。

もう寝る。
[80]牧童犬歯菩薩 05/05/29 04:52 SBZpimHEl5
陰シツロクに関する論戦ですか。
この書の背景や論の根本はいくつもの関連書がでているね。
準提呪については中国密教では準提イコールお釈迦様という
ことだから、これを唱えよということも不思議なことではない。
仏教の開祖であるお釈迦様を念じて、業の転換を果たせとの
禅師のおさとしであったということだと思う。
さて、参考書としては安岡正篤先生の『立命の書 陰シツロクを
読む』が読みやすいように思えます。立命の書であるということ
。ここに大きな意味がある。しかし桐山氏は『密教占星術1』で
この書を紹介しているが片手おちのところもある。どこかという
と、それは禅師が了凡のことを逸材とおもったが、そうではなか
った、なんとただの人だったかというところだ。
桐山氏はそこで話しを次に展開しているが、実は禅師は了凡のこ
とを上品の人だとして修行修養をうながしたのだった。つまり運
命を知りそのとおりとわかった者だとはいえ、雑念がおきずにい
られることは上品と看破したのである。誰でもできるものではな
いのだ。ここに桐山氏の誰でもできるかのようにいう詐欺師的な
部分があるのだ。わかりますかねこの部分。
[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
ユビさんの、「世界平和と書いた木片を焼いたからといって平和になるか?」という言い分ですが、それを言っちゃあ宗教はお終いだろね。カトリックなどにも、祈ってミサなどしたって、平和になるかい?ということでしょう。今の時代は、何らかの手段で世間にアピールしていかないとだめでしょう。釈迦の教えのままに、托鉢して洞窟や林で静かに瞑想していれば良い
というわけにはいかないでしょう。
釈迦が、世界平和や学業増進の祈願までを煩悩というなら、私は仏教やめる
ですね。
[82]大王の使者 05/05/29 08:24 lPSJb/jtbq
阿含宗の修行の目的は涅槃への到達ですから、この涅槃の捉え方が大切だと
思いますね。桐山師は、「釈迦は煩悩からの解脱、業(カルマ)を切ることが涅槃だと説いてる」と主張しています。だが、名無しさんなどは、釈迦は
業(カルマ)を切ることなんか教えていない、と主張しています。
で、各自がお経を読んで、どう判断するかが肝心でしょう。同じ文を読んでも十人十色みたいですから。
前に書いた尼僧の「一切の業を破壊し、生存の素因を滅して」という言葉を
私は、桐山師の主張と同じだと捉えます。
勿論、各自の判断は自由でしょう。自灯明ですからね。
[83]大王の使者 05/05/29 09:12 lPSJb/jtbq
前に書きましたが、田を耕すバラモンのお話しです。名無しさんが、典拠を示してくれましたが、皆さんもご存知でしょう。
托鉢の釈迦に対してバラモンが、「あんたも耕作して食べろ」と言うわけ
です。すると釈迦が詩を唱えて修行の意義を話した。するとバラモンが納得
して施食しようとした。すると釈迦が言います。
「詩をとなえて得たものをわたくしは食うてはならない」←中村元氏訳。
「偈を説いて、わたしは食を得るものではない。←   増谷文雄氏訳
釈迦は続けていわく。
「煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては、
 他の飲食をささげよ。」              ←中村元訳。
「もろもろの煩悩つきて、後悔のともなう行為をなすことなき
 聖者に対して、飲食をもって奉施するがよい。かかる施食
 は、功徳をもとめる者の福田であるからである。」 ← 増谷文雄氏訳
中村先生は、悪い行いを消滅と訳し
増谷先生は、後悔をともなう行為をなすことなき、と訳しました。
私は、これを業(カルマ)を切った、と解釈します。
私と同じ経典にド素人の名無しさんは、自説をあまり押し付けないように
してください。どうかほどほどに。
お互い、身の程をわきまえたいと思います。
[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq
過去の業の報いが熟すまで、まだ時間がある場合もあるでしょう。
その時間を善行に勤めたら、受ける予定の報いが変わることもあるのでは
ないか。と書いたら、それは桐山の考えだ!洗脳されてると、指摘されま
した。自分で考えたんですけどねえ。

じゃあ、今回は桐山大王の使いをしましょうか?
桐山師の本を読んでも、どこにもシュダオン等の自称を禁じてはいません
ね。法話でも禁じるとは聞いたことないです。それどころか、本では
「信者は何を言おうと自由である。」と、書いています。
「オウム真理教と阿含宗」のP7に書いてあります。
て、ことは、シュダオンやシダゴンの自覚ある人はどんどん言ってほしい
と私は思いますね。管長からは教えてくれないそうですから。
自己申告ならいいのではないか、と、私は思います。
星祭りさん方はどうおもうでしょうか。
[85]こうもり 05/05/29 11:26 f0d/0/hm2k
今回のユビキタス氏にはキレがなかったですね。理屈をあれこれ、読んでると、なるほど、そうなの!?と思いながらも、いつもと違う。
阿含経を出してきてアゴン宗は仏教じゃない!と喝破するときは冴えてるが、陰シツ録は思想が違うものだから今回は苦しかったようです。
[86]こうもり 05/05/29 11:27 f0d/0/hm2k
>阿含宗の修行の目的は涅槃への到達ですから
ホントかそれ?
[87]牧童菩薩 05/05/29 12:38 SBZpiOC1og
了凡の“陰シツロク”については、ユビ氏のいっていることも
わかるけれども、肯定派の人達の論点もうなずけるね。
ただ、こういうことだと思うね。
桐山氏という人は、取り入れ方が巧みだということです。
正純密教にはない千座行をつくりだし、これにクンダリーニや
陰シツロクまでつける。そしてね実践のための指導に熱心ならば
いいけれども、あとでどんどんかわっちゃうでしょ。ここが
詐欺師的なんだよ。もっとも底流には流れている、あとでなにか
の時に本にかいてあるでしょ、なんてことを法話などでいう。
信者はついてゆけないわけだ。ほとんどの人が、いま現在につい
てゆくのが精一杯だから。そういうことを知っている会員は
“物知りマニア”だけ。桐山氏は商売なんだから、ネタとして
つかっているだけなんで、そういう眼でみれば、引用されている
了凡さんは、アサハラに利用されたダライラマみたいなもんだ。
[88]牧童菩薩 05/05/29 12:53 SBZpiOC1og
私個人の考えでは、了凡の書は彼の家の代々の教えの結晶と
みえる。五代くらい前から世のために生きる行き方を選択した
家系にうまれ、彼自身、王陽明の最高の弟子だった龍渓の弟子
だった。この龍渓という人は大変な人物だ。陽明学の正統継承者
なのだ。了凡はその人の高弟なのである。ですからね、康という
老人の易者は了凡の父・じいさんの知り合いだったわけで、科挙
など目指す行き方を諭したのだと思う。陽明だって精神的なこと
を重んずるのが神髄ですからね。了凡の家はどんどん衰退したと
言われている。そこで禅師の登場です。5代つづいた先祖からの
生き方、そして王陽明の学問、こういう部分を彼は越えたわけだ
。精神的にも善事をつくす生き方をしながらも、世間の栄達を得
ることができる、つまり“了凡学”を確立したわけだ。彼ほどの
人が運命転換の教え思想を知らない筈がない。奉じする学問ゆえ
に生きることさえままならない。ここを禅師に看破され、立命学
を完成したのだと思う。

しかしこの立命学と桐山氏の千座行および運命転換法はまったく
かかわりのないものであることを付記しておきます。商売なんで
ね。人集め、詐欺集金のツールなのでね。
[89]ユビキタス 05/05/29 14:19 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>85
運命カルマ論も仏教カルマ論でもない思想の書に運命カルマとその解脱の論を見出そう
とすることが話をややこしく見えなくしているのです。
○○屋さんの試論の方向はわかりますよ。
仏教でない書経の思想を出そうが、しかしエン了凡の人生軌道(運命軌道)にも何かしら
カルマの影響はあったはずだと。陰シツ録の思想よりも彼の運命改善を仏教的に解析
しようと言うのでしょう。もはや阿含宗も離れて一般論的に考察してから再度阿含宗の
主張実践と比較の題材にする。
ここで邪魔になるのが、占いでも当たったエン了凡のこれまで人生と、予知されただけの
まだ実現してない未来の運命の問題です。
占いの運命を全て是とみてこれを真理絶対と見るのならこれは運命転換であり、
運命の法則(カルマの法則と一応仮に定義しておく)の転換です。
しかしこれは絶対の真理法則ではない、条件によりどのようにでも変わる現象に過ぎないと
仏教など引用せずとも示したのが雲谷禅師なわけです。
いかなる条件の現象か?
現世での心掛け、行いの如何です。
だから心掛けを改め、悪い心掛け、行いを改め、善い行いを勧めて善い結果を求めて得た。
占いの予測に反する運命になった。
つまり運命を作る条件として、今この現世のカルマ(行いとその影響の総体)を重視したのです。
そこに仏教との共通性がありますね。仏教が現世の果報の幸福を求めることを説かないだけで。
過去世からのカルマの清算という概念が見られない。
科挙に合格しない、子宝に恵まれない、53歳で死ぬ、この運命を転換したのは
心掛けと行いを改めた、つまりそれだけで過去の行いの報いであるこれらの果報の運命の
もとの罪科を相殺して解消したと言いたいのか?
こういうややこしい思考をしている限り仏教は理解できない。
カルマ=運命という構図から離れられない。
カルマ=行為とその影響と見れば、エン了凡の人生に十二縁起の法則だって適用できる。
そして阿含宗を一時離れて一般論的に考察した後、再度阿含宗に戻ると、もはや今の
阿含宗では準胝真言と心掛けと行いの改善のみで因縁解脱して運命改善とはいかなくなる。
せっかく解脱供養が不可欠とか桐山霊感商売なくして運命改善はできないように
啓蒙してきたのに、今頃こんなもの蒸し返されては困るのです。
エン了凡にはカルマの元の不成仏霊はいなかったのか?
[90]こうもり 05/05/29 14:47 f0d/0/hm2k
>>89 簡単に言うと「悪業を善業で中和した例ではない。中和するために、かきまぜる"ホー"の例でもない」ということですね。なるほど
[91]ユビキタス 05/05/29 15:23 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
で、私も一つ引き下がってだね、桐山阿含宗を離れた陰シツ録の思想とはこうなんだと
説くのをやめにして、実は陰シツ録もまた運命カルマ的なものを認めて、しかしその
カルマ的運命もまた現世の善行により、帳消し相殺チャラになることを説いたと仮に認めた
としても、これは阿含宗にとってもまずいわけです。
なぜなら現世の善行だけでカルマの元の不成仏霊も悟りを開いて成仏して怨念の念波を
発することがなくなり、運命を強制する力がなくなったことになるからです。
過去の業報は相殺できるか否かの一般論の議論なんかどうでもよいのです。
立命の学はこれを相殺できる論なのだという仮定でもかまわない。いずれも思想なんですから。
陰シツ録は実は準胝真言の行こそが一番モノを言ったのだと解釈するのも桐山の自由なのです。
しかし桐山の説くカルマの実体がその後変遷してしまった。
カルマの本体を先祖の怨念にしてしまった。
こんな思想は仏教にも陰シツ録にも説く先祖代々の徳、不徳の話にもない。
真言唱える密教みたいなことして善行積めば、先祖の怨念は解け、霊障も解け、
運命転換の因縁解脱を果たしたことになる。
星祭さんは陰シツ録の思想は昔の観音慈恵会の実践だったのだろうと言う。
実際にはその実践に日常生活での善事の実行などはなく、ただ教団に奉仕するのが
その後にボンギョーという名の実践を善行にすり替えただけです。
今は星祭さんあたりに言わせると観音慈恵会時代よりチンポ、もとい進歩(?)して、
阿含経を看板に悪用して霊感商法を展開していくとありますが、私に言わせると、
桐山亡き後、せめてこの準胝真言の御利益信仰をバックに生活における善行実践を教義として
現世の運命改善を目指す実践に転換してもらいたいですね。
阿含宗という名称の欺瞞はまだ残りますが、解脱供養の霊感商法を捨てることで
もう少し健全な団体に近づけるわけです。因縁透視だって、初めに因縁の概念ありきで、
それまでの人生経験の自己申告による想像だけしかできないのだから、因縁の脅しもやめて
信仰と善行で幸福な人生を創造しようと教義と実践を改めれば、カルトなんて
呼ばれることのない路線転向ができます。
初代教祖の否定が条件で、解脱供養や守護神の商売ができなくなりますけどね。
[92]○○屋 05/05/29 15:47 jEz.GLY/ne
>そして阿含宗を一時離れて一般論的に考察した後、再度阿含宗に戻ると、もはや今の
阿含宗では準胝真言と心掛けと行いの改善のみで因縁解脱して運命改善とはいかなくなる。
せっかく解脱供養が不可欠とか桐山霊感商売なくして運命改善はできないように
啓蒙してきたのに、今頃こんなもの蒸し返されては困るのです。
エン了凡にはカルマの元の不成仏霊はいなかったのか?

ははは、あなたはまた、先走り汁たらす・・・そんなことじゃ、彼女に「役立たず」とののしられますよ・・・失礼・・・あなたがそんなこと気にすることは無いんであって、それによって阿含宗の教義がどうのこうのなんて私は気にしていません。万有引力の法則は誰にも平等に働くんですよ。アインシュタインがいようがいまいがね。



>占いの運命を全て是とみてこれを真理絶対と見るのならこれは運命転換であり、運命の法則(カルマの法則と一応仮に定義しておく)の転換です。しかしこれは絶対の真理法則ではない、条件によりどのようにでも変わる現象に過ぎないと仏教など引用せずとも示したのが雲谷禅師なわけです。いかなる条件の現象か?

まさに12因縁はこのことをいっています。また、条件によって変わらないならば、「常見」でしょう?

>現世での心掛け、行いの如何です。だから心掛けを改め、悪い心がけ、行いを改め、善い行いを勧めて善い結果を求めて得た。占いの予測に反する運命になった。

さて、私が何度も主張しているのはここなんです。あなたは「行いの如何」であり「心掛けを改め」「善い行いを勧めて善い結果を求めて得た」という。

しかしだ、12因縁によるとどんな場合でも「これあるによりこれあり」なわけだ。つまり、簡単に「行いの如何」というが、行いを改める前にの前に「無明」を改めなくちゃ「行」は改まらないんじゃないですか?と思う。12因縁はそれぞれがリンクして成り立っています。「生」と「老死」の輪廻を解脱するには「無明」を解脱しなきゃならん。その途中に「行」や「識」「受」など生きていくうえでの営みがあるでしょう。

逆に言うと生きていく営みを変更するには、無明の変更が必要であり必ずそこにリンクしている、そして、それは次々とつながって行く。

12因縁の各項目がリンクしていないならば、釈尊はそういったはずだし、それ以外の法則があるのなら、仏教自体が人類にとって「汎用性」に欠ける宗教であろう、というのが、私の主張なわけ。


[93]栗花 馨 05/05/29 16:25 YzbV/d9icF
無明

明知があってはじめていえる


シャカののちに12いんねんになってるよ

人類にとっての「汎用性」は苦
[94]栗花 馨 05/05/29 16:35 YzbV/d9icF
>栗花氏が擁護しながらも入会まではしないのも、呪術より行が大事という論理では?

 信です。

 桐山氏は神仏陀習合修験者ですね。
[95]ユビキタス 05/05/29 16:38 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>81 シシャさん
世界平和を護摩木に書いて焚き火をして祈ることによって世界平和が実現することと
考えることが傲りであり慢心なのです。
世界平和を念じる気持ちは大切だと私も書きました。祈念でもよい。
しかし祈祷は釈尊は否定しています。
平和の重要性を認識して提唱して啓蒙して機運を高めたら、そんな祈祷の儀式なんか
するのでなく、その認識を元に現実努力をしなければならない。
なぜならば世界平和は訪れるものでなく、人々が自ら作り出すものだからです。
平和を脅かす戦争をなくすように戦争を仕掛ける為政者たちに現実的な呼びかけ、
働きかけが必要です。
たとえばアメリカによるインドとパキスタンの紛争の調停です。あるいは当時のインドの
パジパイ首相のパキスタン訪問です。
これに対して桐山はインドで焚き火をしただけです。
アメリカによるインドとパキスタンの調停の根本原動力となったのは、このインド人もビックリ
のインド護摩だったのだと全く見当ハズレの傲慢を口にした。関係者に対する侮辱もある。
釈尊は言葉で争いをなくすように説き、また自ら行動を起こした人ですよ。
コーサラ国王がシャカ族を煽滅すべく立ち上がろうとした時、たった一人樹下に座り
コーサラ国王を諭して二度までも変心させた。
勇気ある行動です。
これなのに桐山は釈尊は社会的に動くことが稀薄だったと侮辱する。
そんなお偉いことを言う自分は何をしたかというと焚き火だけです。
インドの他にフランスなどにも行って北朝鮮の核ミサイルを抑止するだのピンぼけな
たわけた慢心の煩悩を披露してくれた。

それからこの話に関連して釈尊はバラモンに護摩を実際にやめさせなかったと書いていたね。
言葉でやめるように説いた現実があるのです。
それがサンユッタニカーヤの「バラモンよ、木片を焼いたからといって浄らかさが
得られると考えるな」です。
阿含経とは釈尊の対機説法、随機説法の言行録ですから、あれは釈尊の弟子たちに
バラモンはけしからんと聞こえないようにひそひそ批判の陰口説法をしたのでなく
火の祭祀をするバラモンに直接説いたと見るのが正しいと思う。
これでもバラモンの護摩は禁じられなかったと言うのなら、なぜ創価学会は未だに時代遅れの
五時教判なんか出すのか?
桐山阿含宗が創価学会に五時教判を禁じなかったことが責任じゃないのかと言っている
ようなものです。
[96]栗花 馨 05/05/29 16:39 YzbV/d9icF
結局批判といいつつ

にくたらしいだけなんだね。
[97]○○屋 05/05/29 16:52 jEz.GLY/ne
ああ、まだ主張の途中だったのですか・・・

>で、私も一つ引き下がってだね、桐山阿含宗を離れた陰シツ録の思想とはこうなんだと説くのをやめにして、実は陰シツ録もまた運命カルマ的なものを認めて、しかしそのカルマ的運命もまた現世の善行により、帳消し相殺チャラになることを説いたと仮に認めたとしても、これは阿含宗にとってもまずいわけです。

何度も言うが阿含宗にとってまずかろうが、うまかろうが、そんなことはどうでもいい事なんですよ。

>なぜなら現世の善行だけでカルマの元の不成仏霊も悟りを開いて成仏して怨念の念波を発することがなくなり、運命を強制する力がなくなったことになるからです。

誰が言い出したんですか、「カルマの元の不成仏霊」なんて。フジョウブツ霊は運命を構成する要素のひとつだが、カルマの出発点は「無明」でしょう。常に「これあるによりてこれあり」で、最初の「これ」が「不成仏霊」だっての?「無明」が何なのかわからないのでここに関係してくるかも知れんが、それはわからん。

[98]星祭@単細胞 05/05/29 16:53 iJYtK5E8rP
>91、どこがマズイのですか?むしろ、陰しつ録の不備な点をおぎなって、発展していったものでしょう。エン了凡には善行と師の教えと準堤尊信仰で(運命を)改善することができた。しかし、それだけでは出来ない人がいたわけです。人により千さ万別、霊障にしても人によりその影響はさまざまでしょう。ズバリそれだけでも改善されてしまう人もいれば、あなたのような人もいる。どうして単純な発想しか出来ないのでしょうかね?
[99]栗花 馨 05/05/29 17:05 YzbV/d9icF
釈尊は言葉で争いをなくすように説き、また自ら行動を起こした人ですよ。
コーサラ国王がシャカ族を煽滅すべく立ち上がろうとした時、たった一人樹下に座り
コーサラ国王を諭して二度までも変心させた。
勇気ある行動です。
これなのに桐山は釈尊は社会的に動くことが稀薄だったと侮辱する。
そんなお偉いことを言う自分は何をしたかというと焚き火だけです。

コーサラ国王との話しは疑問ですね。
すべて美化してはだめ
シャク尊はすわってただけ
一族に対して責任を逃避した世捨て人の話はあわれです、
でも結局、強姦強奪殺戮された。

桐山氏は呪術でもなんでも助けることを願ってやってるね。
[100]星祭@達人の護摩 05/05/29 17:12 iJYtK5E8rP
>95、だったら、マーガ青年に対して「祭祀をおこなえ!」と釈迦が励ましたのは何なのでしょうかね?また「究極のヴェーダの達人が祭祀をおこなうときその人の祭祀の行為は成就する。」とも言われております。ちゃんと、<祭祀>とことわっておりますし、ヴェーダはバラモン教の聖典ですから、仏陀などの応供への供養そのものを言っているわけではないですね。究極的には真実のヴェーダの達人の祭祀における献供と如来への供養は同じような福徳をもたらすということでしょう。
[101]栗花 馨 05/05/29 17:13 YzbV/d9icF
池田慈水氏は五比丘の一人に供養している。しかもまだおさない頃、当時の慣習ぬきにみかえりをもとめないで純真な供養をしています。
一度、釈尊にあっている。しかし五比丘の一人のところにもどっている。
[102]神人同行 05/05/29 17:16 64zeCoC00a
ゲゼルシャフト。。利益村落共同体が口を開けば開くほど墓穴を掘る、
その程度の能力で、自分がと?よく思うネ。
[103]栗花 馨 05/05/29 17:16 YzbV/d9icF

 桐山氏も釈尊に供養していたひとです。
[104]ユビキタス 05/05/29 17:16 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>92 ○○屋さん
わははは。阿含宗にとって都合の悪い話になったら、それに対する反論などこれっぽっち
もできず、私は気にならないとただそれだけですか?
これでは下ネタにたとえた論争を続けるのならば、私に寝取られたあなたの彼女を
私は気にしないと笑ってやせがまんしてるだけです。
あなたが阿含宗の実践をさぼるも教学の矛盾を気にしないもこっちの知ったことでなく
気にする人を相手にしている。
真っ向から教学が矛盾していないと説明反論できる人を待ち望んでいる。
雲谷禅師が常見に囚われないこれあるによりてこれありの思考で占いの運命を否定した
のはそのとおりです。
そして十二因縁まで出したはいいが、無明が元になり輪廻の話まで出して、あなたの
主張が見えなくなった。
雲谷禅師は善事の実践により無明が尽きて輪廻しなくなるなんて言ってない。
話がおかしな方に展開・飛躍している。
雲谷禅師が勧めた道は輪廻を断つ道ではなく、あくまでも因果の法則に則った善果を
得る道です。
私が昨夜出した十二因縁の無明無知とはあくまでも占いに囚われる無知から離れることを
応用してみせただけだ。その結果占いの運命を気にしない視点での善行の実践ができた。
しかし輪廻からの解脱なんて雲谷禅師もエン了凡に説いていない。
それとも輪廻を離れるにはエン了凡のようにただひたすら善事を実践することと
阿含宗は説いているのか?シャカの成仏ほーもなしに。
それとも善事の実践が成仏ほー?
[105]星祭@法と法話 05/05/29 17:18 iJYtK5E8rP
>99、まあ、ユビ氏の勝手な偏見に満ちた言い分などコメントに値しませんでしょ。実際にはゲイカは護摩を焚いただけではないですね。それなりに講演し、挨拶して意見を述べています。そりゃ、釈迦の黙然の一座にはおよばないでしょうが(笑)。
[106]星祭@十二 05/05/29 17:31 iJYtK5E8rP
また十二因縁がでましたが、これは人間の苦に対しての<公式>であって応用がなけりゃ何にもならないというのがわたしの考えですね。ひとくちに苦といっても人によりさまざまです。たとえば、触から受、愛と連鎖しますが、接触しても関心がなけりゃ動きはありませんその関心ごとは人によりけりです。ある一定のモノに対しての潜在形成力を<行>という言葉で表しております。これが業であり阿含のいうところの因縁というべきものでありましょう。
[107]ユビキタス 05/05/29 17:33 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>105
そうそう、座っていただけで(勇気ある行動です)コーサラ国王に自分が何について
説きたいのか悟らせた(しかし無言だろうが有言だろうが結局は理解を得られずコーサラ国王
はシャカ族を攻撃した)のに対して、どうして釈尊は、このデモンストレーションだけでは
抑えきれないコーサラとシャカ族の悲運の回避の為に、桐山みたいに破滅のカルマを解く
成仏ほーの護摩を焚かなかったのですか?とシシャさんにも問いたい。
それを書くのを忘れてた。
[108]星祭@楽房 05/05/29 17:38 iJYtK5E8rP
釈迦の説いた偉い説というので学者の難しいが単純な解説をただ奉じているだけで、まったく釈迦の目指す苦からの解脱ということにまで突っ込まないし(実践を考えず、これで苦をなんて考えない)ただ、ゲイカを貶す道具としか考えていないからノホホンとタイソウな解説が出来るのでしょうね。
[109]栗花 馨 05/05/29 20:15 YzbV/d9icF
大変なのはちみの中途挫折の因縁

[76]牧童犬 05/05/29 02:22 IjzSBTUe4p
中国は大変でした。日本人に対してはね。
東南アジア方面は後日に変更となりました。
300冊の施本状況は、やっぱわたくしがいないと
ダメだね。明日明後日にはすべておわる。こんどは
おすすめして入行→供養金投資させるのが、
わたしの使命・仕事・事業です。

しかしこのスレもなにを論じているのか、まったくわからなく
なってきたな〜。

[110]ユビキタス 05/05/29 20:58 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>92
ヒッヒッヒッ。
業=因縁のもとは霊障にありという文証見つけたり。
「霊障を解く」にあります。
後で示すので乞うご期待。
少なくとも霊障を解かねば因縁解脱、業解脱はできません。
>>100の祭祀の件もまた後でレスします。
[111]ユビキタス 05/05/29 21:00 *3Rv70.P.g7X*GoRGEoUS
またやったい。
>>92ではなく>>97
[112]ユビキタス 05/05/29 23:04 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>97
霊障を解く P.219〜220
仏教とはいったい、なにを目標とした信仰でしょうか?
いうまでもなく、因縁解脱して成仏するというのが目標です。
では、それはどのようにしてなされるか。
まず第一に、悪因縁を切るところからはじまります。
では、その悪因縁というものは、いったいどこからきたものか?
むかしから、仏教書では、因縁は煩悩から生ずると教えております。
それはたしかにその通りでしょう。悪い因縁は煩悩から生じます。
しかし、じっさいに人の運命をみておりますと、そんな形式的な、いうならば概念的な
ものでは、なっとくできないものがあるのです。
(中略)
P.222
因縁を切るためには、霊障の不成仏霊を成仏させることが、何よりもの先決問題なのです。
そこから因縁解脱がスタートするのです。
では、どうやって、その霊障の仏を成仏させるか?成仏力です。
導師の成仏力によって、霊障の不成仏霊を成仏させるしかありません。

阿含宗の因縁解脱とは業解脱のことですから、因縁を業に置き換えてもよい。
業(カルマ)の本体=不成仏霊とは言ってない。
しかしこれで十分です。
因縁のおよそ半分は不成仏霊から発生して、不成仏霊の成仏なくして因縁解脱はないのです。
こういう文証を示さずとも阿含宗の因縁教学は昔から縦の因縁と横の因縁を示しています。
横の因縁が自分の前世の悪業ならば、縦の因縁は先祖からのもので、先祖の悪業の遺伝
と言うよりも、成仏していない先祖の霊の悪影響です。
ここで重要なのは、因縁解脱するには霊障の不成仏霊を成仏させねば不可能であり
それは自分が真言を唱えるごときではだめで成仏力を持った導師の解脱供養が必要なのです。
で、エン了凡はどうやってこんな成仏力持った導師と知り合い(雲谷禅師ですか〜?)
解脱供養をしてもらったのか?
準胝真言唱えて善事に励むと霊障の不成仏霊も消えて因縁解脱するよってか〜?
[113]服部エンタープライズ社長 05/05/29 23:50 *vOys31uzjgw*OshGYcaK1m

 とりあえず  どうぞ!!

 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1116987441/209-222


[114]ユビキタス 05/05/30 00:25 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>100 星祭さん
いきなりマーガ青年に祭祀を行えだの、ヴェーダの達人の行う祭祀だの出すのでなく
まずその出典を示して要約でも解説しなさい。
私は読んで、ああ、あの経典のあの箇所かとわかる。
しかしそれではだめで、やはりロム者にもわかるように示さねば説得力に欠けるのです。
星祭さんの示したいのはスッタニパータで、第三 大いなる章の五、マーガでしょう。
中村元訳の「ブッダのことば」(岩波文庫)のP.100〜106にある。
これを護摩祭祀の肯定だの奨励だの根拠にするのはアホです。
あなたは祭祀という言葉と呪文のようなヴェーダの詩句を唱えることに囚われて
神秘オカルト趣味で解釈しているのです。
釈尊はマーガ青年に対して、どのような人に施しの供物を与えて福徳を得るべきか
教えている。この福徳とは御利益のことではなく、心の清らかな幸福のことです。
そしてその供物をささげる対象は、自己を制し、執着がなく、慎みを持ち、欲求がなく
偽りも慢心もなく貪欲を離れ、煩悩の汚れを滅して清らかな行いを修めている
人々にこそ、その施しの供物を与えるにふさわしく、それを与えることで、与える前には
こころ楽しく、与えつつある時には心を清浄ならしめ、与えおわってからはこころ喜ばし
という功徳があるのです。清らかな人をたたえてその人の生活を支えるのですから自分の
心も清らかになるのです。施しによって何か見返りを得ようと思ったらこの清らかさは
得られない。人間としての最高の徳性を尊ぶその心が自分もまたその徳性を希求して
生活において指針とできるわけです。
バラモンは祭祀を行う人です。
釈尊は神々に利益を求める祭祀を否定して、祭祀をするのならこういう清らかな行いを
なした人、ひいては清らかな行いそのものを尊ぶことにつながる祭祀ならばそれは価値の
あることなんだから、どうせ祭祀をするのならそういう祭祀をしなさいと言っているのです。
これは従来ある祭祀の禁止ではなく中身、意義を変えてその精神性を示したのです。
よく節制された清らかな人間が主体なのであり、節制、清らかさを尊ぶ機会を提供しなさい
と教えているのです。
護摩に世界平和だの学業増進だのその他都合よく願いが叶うことを祈る祭祀ではありません。
なおヴェーダは神秘のオカルト呪文でなく真理の章句であり、この真理の徳性をよく理解して
身につけた人が達人なのです。人格の完成者です。
[115]牧童犬歯菩薩 05/05/30 01:21 IjzSBTUenU
こうもりさん、栗花氏は“中途挫折の因縁”というアゴン宗に
しかない用語をつかっていますよ。注目してください。
さらりとつかっている。これだけで彼がアゴン会員歴のある
人物だとおわかりでしょう。軽蔑してあげてください。
[116]牧童菩薩 05/05/30 01:25 IjzSBTUenU
栗花君アンタいくらやっても無理だよ
風采のあがらない人間だからねアンタは
へなちょこだから直接なにもできはしない
アンタのできることは変態書き込みだけ
実行と栗花と池田は相手にされてないんだよ

栗花は、のたうちはじめました。
あせりはじめました。
[117]牧童菩薩 05/05/30 01:27 IjzSBTUenU

エイホッ  エイホッ

エッサ〜  エッサ〜

はらへどの大神  はらへどの大神

イエーッ  エーイッ

[118]名無しさん@3周年 05/05/30 07:32 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
209 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:38:53 ID:9fZT5/uQ
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から部分転載
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>今の時代は、何らかの手段で世間にアピールしていかないとだめでしょう。
>釈迦の教えのまま に、托鉢して洞窟や林で静かに瞑想していれば良い
>というわけにはいかないでしょう。

新聞その他で柴燈護摩を宣伝して、本を出して、
世界中に金をばらまいて肩書きを買い集めて、これだけアピールして、
それで桐山さんは何をどうやって世界平和を実現したというのですか。
あなたは桐山さんの宣伝文句をただ繰り返すばかりで、
宣伝文句が現実に成り立っているかどうかを見ようともしない。
この後に述べる、業解脱についてもそうです。
モンゴルのアメフラシでは、誉めてくれた菅沼教授にして、テレビでは、
「モンゴルの人々に勇気を与えた」「人々の心に雨を降らせた」との発言にとどまった。
雨を降らせたと、心に雨を降らせたではまるで違う。
桐山さんがカルマ解脱でアピールしたことは事実だが、
アピールした内容については、彼は何一つ実証していない。
我田引水、自画自賛以外、阿含宗は何も世界平和に貢献していないのだから、
アピール、つまり宣伝だけで終わっている。
こういう阿含宗の現状でありながら、よくまあ、そうやって釈尊を足蹴にできますね。
[119]名無しさん@3周年 05/05/30 07:33 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
210 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:44:19 ID:9fZT5/uQ
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>今の時代は、何らかの手段で世間にアピールしていかないとだめでしょう。
>釈迦の教えのまま に、托鉢して洞窟や林で静かに瞑想していれば良い
>というわけにはいかないでしょう。

釈尊が托鉢して、洞窟で瞑想していた???
まるでタダ飯食って、毎日座っていたかのような書き方ですね。
いったい使者さんは阿含経の何をどう読んでいるのだ。
釈尊は80歳で遊行中に人里離れた森の中で亡くなったのですよ。
80歳で彼はわずかな弟子を連れて、まだ人々に説法していた。
解脱した後の45年間、彼はついに同じ所に留まることなく、
ひたすら人々に説法していたのです。
釈尊は弟子にも、一人として同じ所に行くな、始めも終わりも道理に沿った法を伝えろと
と布教伝道を勧めた。
勧めただけでなく、一生、自らこれを実践したのです。
この釈尊に向かって、托鉢して瞑想していれば良いなんて、よくまあ無礼なことが言えますね。
[120]名無しさん@3周年 05/05/30 07:33 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
211 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:52:03 ID:9fZT5/uQ
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>今の時代は、何らかの手段で世間にアピールしていかないとだめでしょう。
>釈迦の教えのまま に、托鉢して洞窟や林で静かに瞑想していれば良い
>というわけにはいかないでしょう。

死の直前、面会を申し出たスバッダを断ったアーナンダを制して、
釈尊は面会を受け入れた。
もう間もなく死のうというのだから、断ったアーナンダの判断は普通でしょう。
だが、釈尊は尋ねる者を受け入れ、説法し、得度させた。
使者さんはこの光景をどう思うか。
風邪で高熱を出して寝ている時、誰かが阿含宗のことを教えてくれと頼んだら、あなたは話をするか。
釈尊はスバッダを得度させた後、周囲の弟子たちに、最後だから質問しろ、と三度も促した。
釈尊は死ぬ直前まで、法を説き、法を説き、法を説き続けた。
この光景を読むたびに、私はビックリ仰天する。
桐山さんは教団施設を我が家として、ホテルオークラで飯を食い、ベンツを乗り回して、贅沢三昧して、
一方的な話を法話と称して話すばかりで、まともに議論すらできない。
こういう桐山さんを仏陀だと信じている使者さんは何がビックリかわからないでしょうね。
だから、釈尊を罵倒できるのです。
[121]名無しさん@3周年 05/05/30 07:34 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
212 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:56:27 ID:9fZT5/uQ
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>今の時代は、何らかの手段で世間にアピールしていかないとだめでしょう。
>釈迦の教えのまま に、托鉢して洞窟や林で静かに瞑想していれば良い
>というわけにはいかないでしょう。

あなたがこういう釈尊を小馬鹿にしたような発言をするのも、
桐山さんから、釈尊はシャカ族を滅亡から助けられなかったとか、
社会運動にまで発展させることに失敗したなどと言われて信じているからです。
釈尊は宗教運動に留まったからダメで、
桐山さんは社会運動まで拡大して滅亡のカルマをきるという話です。
『輪廻する葦』の323頁以降に書いている。
釈尊はカルマを切るなんと説いていないのだから、
シャカ族が滅亡のカルマに覆われていたなんてそもそも言っていない。
釈尊はどの種族にも等しく、煩悩を切れという教法を説いた。
彼にとって死に方など問題ではなく、
シャカ族の人たちが死ぬまでにどれだけ煩悩を切ったかが重要です。
だから、シャカ族は最初は優勢に反撃したのに、
釈尊の教えを思い出して、殺すよりも、殺される道を選んだと言われている。
また、釈尊が現実的に何もしなかったなどというのも無知のきわみです。
桐山さんも本で書いてるように、釈尊は三度にわたって進軍を止めた。
この間にシャカ族は逃げたり、応戦の準備をしたはずです。
事実、シャカ族の末裔を名乗る民族が今でもネパールにいます。
国が滅びただけで、シャカ族が滅びたわけではない。
桐山さんのオカルト話ではなく、現実をよく見ることです。
[122]名無しさん@3周年 05/05/30 07:34 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
213 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:02:22 ID:9fZT5/uQ
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>釈迦が、世界平和や学業増進の祈願までを煩悩というなら、私は仏教やめる
ですね。

桐山さんが人集め金集めをしろとに言っている法話のメモを出した時、
あなたは桐山さんが人集め、金集めをしろなどと言っているのなら、自分はやめると書いた。
でも、やめない。
釈尊は祈願など言うはずもないし、世界平和や学業祈願など阿含経のどこを探しても出てくるはずがない。
祈るなんて行為は釈尊の教法にはないからです。
あなたは、批判側の法話メモなどあてにならないとか、
釈尊は世界平和祈願が煩悩だとは書いていないからやめないと屁理屈を言うつもりでしょう。
どちらもやめる勇気などないくせに、桐山さんの真似をしてハッタリを何度も言わないことです。
業解脱、祈願など仏教ではない、という点だけは自覚したほうがいい。
仏教と関係のないカトリックの祈りなど出してきても、何の意味もない。
[123]名無しさん@3周年 05/05/30 07:35 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
214 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:06:29 ID:9fZT5/uQ
>[82]大王の使者 05/05/29 08:24 lPSJb/jtbq
>阿含宗の修行の目的は涅槃への到達ですから、この涅槃の捉え方が大切だと
>思いますね

釈尊の説く解脱は煩悩を切ることであって、カルマから解脱など説いていない。
つまり、阿含宗の涅槃は釈尊の説く涅槃ではありません。
また、桐山さんは煩悩はもちろんのこと、カルマからも解脱などしていない。
密教食事件で地獄クラスの三大悪因縁の刑獄の因縁を丸出しにして、
脳梗塞で脳障害の因縁を丸出しにして、糖尿病で循環系統障害の因縁を出した。
まったく、悪業が切れていない。
阿含宗の定義においてさえ桐山さんは涅槃になど入っていない。
涅槃だの解脱だのと言葉に溺れていないで、
現実に成り立っているかどうか、あなたの目の前をよく見ることです。
[124]名無しさん@3周年 05/05/30 07:35 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
215 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:10:04 ID:9fZT5/uQ
>[82]大王の使者 05/05/29 08:24 lPSJb/jtbq
>前に書いた尼僧の「一切の業を破壊し、生存の素因を滅して」という言葉を
>私は、桐山師の主張と同じだと捉えます。
>勿論、各自の判断は自由でしょう。自灯明ですからね。

あなたが書いたことは、反論はなにもできないが、感情的に桐山さんを信じるというのです。
かまいませんよ。
私にとって重要なのは使者さんではなく、読んでいる人たちがどう判断するか、です。
私がここしばらく「一切の業を破壊し、生存の素因を滅して」は
過去の悪業を切るなどという荒唐無稽な解釈は不要だと様々な観点から指摘した。
あなたはそのどれにも反論できず、ただ子供のように「同じだ」を繰り返し、
今回で、何回目かの「同じだ」です。
つまり、ここでわかるのは、経典の内容を議論しているのではなく、
あなたには頑迷強固で、ただ桐山さんを信じたいだけだということです。
桐山さんという他人を理屈抜きに頑迷に信じる使者さんは自灯明ではありません。
[125]名無しさん@3周年 05/05/30 07:35 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
216 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:14:26 ID:9fZT5/uQ
>[83]大王の使者 05/05/29 09:12 lPSJb/jtbq
>前に書きましたが、田を耕すバラモンのお話しです。

ご存じでしょうではなく、経典の引用元を示してください。
なぜ、私がこういうかわかりますか。
あなたのこれまでの訳がデタラメだからです。
あなたは原文と自分の解釈とを区別せずに記載する。
勝手な解釈を入れて、あたかもそれが学者の和訳であるかのように見せる。
>>158、[927]で、「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」を
「すでに起こした悪業は断じ、」と訳した。
原文の漢訳を載せているだけ良心的だと思ったから、あまり強く批判しなかったが、
完全な誤訳、それもあなたはわざと意図的に誤訳をした。
業を切れという教えが阿含経にあるかのように見せるためで、悪質です。
こういう使者さんの引用は、桐山さんの引用と同じで、原文を見ないうちは信用できない。
[126]名無しさん@3周年 05/05/30 07:36 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
217 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:20:27 ID:9fZT5/uQ
>[83]大王の使者 05/05/29 09:12 lPSJb/jtbq
>中村先生は、悪い行いを消滅と訳し
>増谷先生は、後悔をともなう行為をなすことなき、と訳しました。
>私は、これを業(カルマ)を切った、と解釈します。

どちらの訳でも同じ事で、何も特別なことはなく、いつも釈尊の教えです。
「悪い行いを消滅」とは悪業をなさないという意味です。
普通に日本語として読んでも、過去の悪業を消滅した、などという意味にはならない。
先生が子供に「悪い行いを消滅しなさい」と説教しているのを聞いて、
子供に過去の悪業を消せと説いていると解釈しますか。
誰がどう聞いても、何か悪いことをした子供に、
二度とこのようなことをするなと言っているにすぎない。
これと同じで、悪い行いの消滅は、これから悪い行いをしないという意味です。
煩悩を消滅させ、悪業を二度と作らないアラハンという意味です。
あなたが主張したい過去の悪業の消滅ではありません。
[127]名無しさん@3周年 05/05/30 07:36 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
218 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:26:06 ID:9fZT5/uQ
>[83]大王の使者 05/05/29 09:12 lPSJb/jtbq
>釈迦は続けていわく。
>「煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては、
> 他の飲食をささげよ。」              ←中村元訳。
>「もろもろの煩悩つきて、後悔のともなう行為をなすことなき
> 聖者に対して、飲食をもって奉施するがよい。かかる施食
> は、功徳をもとめる者の福田であるからである。」 ← 増谷文雄氏訳

増谷博士の訳も、「後悔をともなう行為」=「悪業」ですから、
簡単にいうなら「悪業をなすことなき」です。
これは仏教の基本公式の、
「183.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」(ダンマパダ、真理のことば、中村元、36頁)
にすっぽりと入ってしまい、「悪しきことをなさず」そのものです。
釈尊の「煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては」とは、
ダンマパダの悪業を為さず、煩悩を消滅させること、という条件を述べているのがわかります。
どこにも過去のカルマを切ったなどという意味は含まれず、
ダンマパダ183の基本公式から見ても、そのような解釈は成り立ちません。
[128]名無しさん@3周年 05/05/30 07:37 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
219 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:29:08 ID:9fZT5/uQ
>[83]大王の使者 05/05/29 09:12 lPSJb/jtbq
>私と同じ経典にド素人の名無しさんは、自説をあまり押し付けないように
>してください。どうかほどほどに。

ド素人なら、学者たちが認めてもいない勝手な解釈はしないことです。
私は自説などあなたに押し付けた覚えは一度もない。
私が書いている、煩悩を切ることが解脱である、などというのは、
仏教の入門書に書いてある程度の初歩の初歩で、私の考えではありません。
仏教の世界では広く認知されている釈尊の教法です。
ド素人は勝手な解釈はせずに、学者たちが共通している学説を受け入れるべきです。
私はただそれをしているにすぎない。
これまであなたが引用した経典でただの一つでもカルマ解脱を釈尊が説いたことはない。
何一つあなたは根拠を示すことができないでいる。
桐山さんもカルマ解脱の根拠を阿含経から示したことはありません。
学者が認めてもおらず、阿含経の根拠もないのに、
勝手な解釈で自説を他人に押しつけているのが桐山さんであり、使者さんです。
[129]名無しさん@3周年 05/05/30 07:37 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
220 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:33:41 ID:9fZT5/uQ
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq
>過去の業の報いが熟すまで、まだ時間がある場合もあるでしょう。
>その時間を善行に勤めたら、受ける予定の報いが変わることもあるのでは
>ないか。と書いたら、それは桐山の考えだ!洗脳されてると、指摘されま
>した。自分で考えたんですけどねえ。

あなたが引用した>>158,[927]の分別経の精進根については、
あなたの解説は、桐山さんの解説と内容的には同じです。
表現は違うが、桐山さんはまさに同じような訳をして、解説している。
あなたは自分で考えたといっても、あの経典を初めて読んだのは、
桐山さんの講義を聞いた時でしょう?
分別経だけでなく、他の阿含経も桐山さんの解説が初めてなはずです。
なぜなら、事前に阿含経や学者の解説を読んでいれば、
カルマ解脱という考えに違和感や疑問を持つはずです。
それがまるっきりなく、今に至るまで信じていれられるのは、
阿含経を桐山さんの解説で初めて聞き、他の解説を読んだことがないからです。
一部の鳥が卵からかえり、最初に見た相手を親だと「すり込み」が行われるように、
最初に聞かされた業解脱が「すり込み」となってあなたの脳味噌にへばりついているのです。
[130]名無しさん@3周年 05/05/30 07:37 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
221 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:39:05 ID:9fZT5/uQ
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq
>した。自分で考えたんですけどねえ。

暗示をかけられた人は自分で考えて自分で行動したと主張する。
桐山さんを信じて、自分は正しい仏法を歩んでいると信じていたのに、
これを否定され、まったく通用しないばかりか、
桐山さんから信じ込まされた愚かな人間だと批判されたから、
悔し紛れにこんなことを言っているのですよね。
あなたは自分でなど考えていない。
なぜなら、業解脱が現実に成り立つかどうか確認すらしていないからです。
本日だけでも二度目だが、成り立たない事例を何度でも指摘しましょう。
密教食事件で地獄クラスの三大悪因縁の刑獄の因縁を丸出しにして、
脳梗塞で脳障害の因縁を丸出しにして、糖尿病で循環系統障害の因縁を出した。
主張している本人のこのザマを見たら、カルマ解脱だの、
業報を善業で変えられるなんて、言えるはずがない。
ところが、あなたの頭ではこれらの桐山さんの現状は、なんら業解脱に反していないのですよね?
子供でも、桐山さんのこのザマが業解脱と矛盾することを理解しますよ。
だから、あなたの頭は自己洗脳であり、すり込みであり、自分では考えていないと指摘しているのです。
[131]名無しさん@3周年 05/05/30 07:38 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWxH
222 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:44:10 ID:9fZT5/uQ
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq
>桐山師の本を読んでも、どこにもシュダオン等の自称を禁じてはいません
>ね。法話でも禁じるとは聞いたことないです。それどころか、本では
>「信者は何を言おうと自由である。」と、書いています。

引用する時には、本の題名とページを示して下さい。
それが、信じている桐山さんへの最低限の礼儀というものです。
桐山さんが「信者は何を言おうと自由である。」という文章を本に書いたとしても、
これを「信者はシュダオン言おうとアナゴンと言おうと自由である。」
などという意味で書いているはずはない。
こういう文章の引用が、どれほど桐山さんに失礼か自覚がないらしい。
あなたの道徳心では、禁止されていなければ何をしていいのですね。
信者の支持を失うようなことはしないほうがいいという助言も
欲望が強すぎて、理解するだけの知性が麻痺しているらしい。
誰も止めませんから、実行委員長さんやヂミズさんのお仲間にお入りください。
[132]ユビキタス 05/05/30 08:54 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>82-83
シシャさんは業の消滅だの使う時に、その業が過去なした業の報いであるのか
今これから悪い業(行い)を為さないのか、いちいち意識して区別すればよいのです。
あなたは文脈よりも単に言葉だけに反応して自分に都合のよい解釈をする癖があるので
両方の語義をあてはめて検証すればよい。
そうすると無理に業報を想定しなくても今これからの行いで十分意味が通事納得がいく
ことがわかる。納得がいかなかったら国語力の問題で小学生からやり直した方がよい。
すなわち中村訳も増谷訳も共通して、今これから悪い業を作らないことがわかる。

>>84
業には善業も悪業もあり、自分の為した行為は善悪ともに受けるのです。
善業は美味しいから受けておき、悪業は不味いから受けたくないなんて都合のよい
わけにはいきません。
経典のどこにそんなニュアンスがあるのか、あなたの希望ではない客観的なものを示してみなさい。
そこをなんとか、せめて過去の悪業の報いが起こる以前に今やってる善業で許してーな
と懇願する姿は哀れで醜く滑稽です。
桐山は実現するかどうかも危なくなってきたアニメ映画のテーマは、人間には前世、
現世、来世の三世があるのだから、これを認識すれば今この現世を太く短く刹那的に
生きるのでなく、思慮深く価値ある人生を築くようにすることを意図するとのことだ。
長い目での本当の幸福を考えるのに、どうして現世だけ、そこをなんとかと卑しく
あさましいのか?現世で受けるものは受けてしまい、しかし来世は受けるべき悪業の報いが
ないようにこれ以上悪業を作らなければよい。

それからオウム真理教のP.7に信者は何を言ってもよいとあるのは、一連のオウム報道の中で
信者はかつての阿含宗信者の麻原に対して取材に答えてはならないと規制などしなかった
ことを限定的に書いているだけだ。
まあ規制したくてもできなかったのが現実だろうが。
これを自分で勝手にシュダオンと語るも自由なんて受け止めるのは一般社会においても
非常識です。宴会で今夜は無礼講だと音頭をとった社長に、いきなり「このハゲが。
俺の給料倍にしろ」とそのハゲ頭にビールのシャンプーをかけるようなものです。
釈尊の教団だって自分で勝手にブッダ宣言なんて許されません。
シュダオンを自称するのなら、自分はどういう修行をどれだけしてきて、今さぼっているのか
書いてみなさい。
[133]こうもり 05/05/30 10:34 f0d/0/hm2k
>>115 それだけで会員と決め付けるのは?色々ご著書にインネンの種類は、のってますし。このスレでもそういうインネンは誰かが使用したかもしれませんし、それをマネのたかも?
[134]こうもり 05/05/30 12:21 f0d/0/hm2k
新著は会員の中ではこれまでで一番好評だった感じがしますね。リアルの周りを見てますと。
でも世間的には終わった!かな?

洞窟犬さんのようにいい面を"活用する方法"、自分に"プラスになる利用法" はgoodですね。
"洞窟犬"というのが、氏の使われた中で一番可愛いらしいHNだと思いました。気に入っております。
[135]池田慈水 05/05/30 13:06 9MrIwPEYzA
真似ができない図々しさ 噴飯者  出来あいレース
http://members.jcom.home.ne.jp/ikedazisui/yubikitasu.htm
結論はすでに決められたまま動くことは無いのである。詰まり、桐山が不正であるという結論が絶対に動かさずに書き込みを続けてきた、ということを告白してるのであり、彼に何を書いても無駄である。ユビキタスは、人の証言は、最後には本人自身が取材しない限り、本当の事を聞いたことにならない、と不可知論に持ちこめるし、又、本人が見た、聞いた、ということに関しては、あなた自身が騙されたに決まっている、とか、夢でも見たのでしょうと、不可知論論に持っていこうとする。結論を出ないようにするのだ。
[136]こうもり 05/05/30 13:14 f0d/0/hm2k
>阿含経の修行を邪魔する要素は、池田慈水は追いかけてでも殺します。

もし仮りに先生の言うように”阿含経の修行を邪魔する要素”があるならば、それは信徒自身でしょう?
しかし、阿含経の実践をイベントと勧誘活動である、などとおっしゃるなら話は別ですが。
私のレスにはちっとも答えていただけないではありませんか
[137]ユビキタスの正体 05/05/30 13:21 9MrIwPEYzA
ユビキタス自身が図らずも自己の正体をばらしてしまった、ここを一度見てほし
い。阿含宗と桐山氏について―第九章―最新刊 『守護神を持て』とは!?―[696]
<<<世間の密教の坊さんが正しくても、こと桐山に関する限り、桐山だけは正しくないと論じているのがこのスレの批判側の主張>>>この文章で、ユビキタスがこれまで大嘘を付き続けてきたことが知れる。ポーズとしてユビキタスへの反論を聴いたふりをしていても、実は聞く耳持たず、結論はすでに決められたまま動くことは無いのである。詰まり、桐山が不正であるという結論が絶対に動か
さずに書き込みを続けてきた、ということを告白してるのであり、彼に何を書いても無駄である。

ユビキタスは、人の証言は、最後には本人自身が取材しない限り、本当の事を聞いたことにならない、と不可知論に持ちこめるし、又、本人が見た、聞いた、ということに関しては、あなた自身が騙されたに決まっている、とか、夢でも見た
のでしょうと、不可知論論に持っていこうとする。結論を出ないようにするのだ。たとえば私が昔見た竜神のお写真でも、騙されたか、あるいは夢でも見たのではないかな、と話を持ってくる。それが彼の立場を貫くための、手法である。ユビキタスは自分と敵対する側に有利な証言、写真、証拠などは不可知論に持ち込む。絶対に認めようとしない。本当は、私が、昔見た写真の存在だけで桐山靖雄という男の霊能力は本物ということがもうバレテしまっているのであるが、ユビキタスはそれを悟らない。

ユビキタスは、阿含宗官長桐山靖雄と信者と間に、猜疑心を吹き込み、その団結力を失わせるのが目的の男である。そのために全力を注いでいるのだ。その目的のために思考を捨て去ることが出来るし、その目的のために嘘をつくことも厭わない男になってしまった。言わば彼の書く言葉すべてが、もはや嘘だらけになってしまっているのである。

だから私は彼のことを、薄汚い下司野郎と判断する。しかし、私は彼がこれほどまでのの長きに渡る書き込みを続けてきたという事実に関して、更なる疑惑を感じているのである。自己の判断力の停止=桐山が絶対不正という結論は不動=数年間継続、という三本柱はどう考えてもユビキタス本人の趣味の範囲を逸脱しているからである。

これは給料をもらってやるしかない半ば強制労働ではないかと考えられる。そこで私の推理は、韓国創価学会からの破壊工作員、という可能性を主張したい。するといろいろ、面白い事実が浮かび上がる。仲間の支持者が韓国語を使ったりする。

「本日は、これで終わりにします」、とか「これから数日は旅行で出られませんとかい言う挨拶が、スレを見ている読者への挨拶とも取れるが、監視している給料支払い組織への挨拶とも取れるわけだ。おそらく、月月の払い込みは、10万円に満たない程度だと思われるが、このスレを監視している組織がある。監視しているからこそ、自己の判断力の停止=桐山が絶対不正という結論は不動=数年間継続、という三本柱が成立する。言わば彼は思考を停止した奴隷である。奴隷に何を言っても無駄である。ユビキタスに何かを語りかける事は時間の無駄使いであり、恐ろしい罠に自ら嵌まることである。彼の背後には、朝鮮系の大組織があり、彼自身、そこから抜け出せない大きな締め付けがあるのである。

ですから、ユビキタスが顔を利かせる掲示板に出会ったら、無視したほうが良いし、特に阿含宗の人は猜疑心を吹き込むのが彼の創価学会から請け負った仕事なのですから、書き込みの仲間になってはいけません。猜疑心を吹き込まれ、初期の修行者にとっての大切な修行増進の力となる師匠への信仰心が揺らぎますので、非常に
よろしくない事態がおきます。阿含宗入会仕立ての人ほど、ユビキタスと付き合ってはいけないと言えます。
彼は、掲示板を盛り上げるのが上手いですから、あまり相手がいなくなると、桐山も人気が無くなって来て話題になら無いのだなあ、などといって挑発しますが、そこで、書き込みに入ったりすれば、シメシメ、一人釣ったぞ、とほくそ笑んでいるのが彼の本性です。

ユビキタスには誠実さというものはまるでありません。誠実さの偽装はします。そうしなければ掲示板では相手にされません。

お金をもらっての工作活動なのですから、彼は見事に演じきります。私などはお金はどこからもらっておらず自由な身ですから、相手をののしりたいときのののしりますが、ユビキタスは仕事なのですから、あくまでも紳士的に振舞うでしょう。悪魔であればあるほど、顔は天使面です。お金がそうさせるのです。釣られてはなりません。

仏道修行の初期の段階で、ユビキタスのようなばい菌に、惑わされることがないよう、御祈念申し上げます。
[138]こうもり 05/05/30 13:59 f0d/0/hm2k
アイゴー!ハルスオプソヨ。ユビキタスソンセンニム。(うひゃ!どうにもなりません。ユビキタスさん)
ウリドゥル ガ ハングゲSハクフェ ラゴ ハヌン サシルル イケダソンセンニム ウン アルゴイシッスムニダ(我々が某国S会だと、池田先生は知ってらっしゃいますよ。)
チャム クニリダ。オットケ ハシムニカ?(大変だ。どうなさいます?)
[139]こうもり 05/05/30 14:18 f0d/0/hm2k
チョンマリジ イケダソンセンニム ウン ムソウン プニエヨ (さすがに池田先生は怖いお方だ)
[140]牧童洞窟犬 05/05/30 17:06 IjzSB87FLh
池田慈水さん、このところ大爆発していますね。
ひとつお聞きしたいことがあります。
アナタは桐山管長を偉大なグル・お釈迦様の教えを継承して
聖者とみとめているのですか。
それともインチキ、詐欺師とお考えなのか、いったいどっち
なんですか。

そのことだけ明確に答えていただけませんか。
[141]洞窟犬 05/05/30 17:08 IjzSB87FLh
ユビキタスさん、アナタは本当に朝鮮人ですか
それからS学会のまわしもの、日本破壊工作員なのですか

明確にお答えしていただけませんか。
(朝鮮人がいけないということではございません)

[142]洞窟犬 05/05/30 17:18 IjzSB87FLh
こうもりさん、それはちがうとおもうね。
栗花氏は阿含宗についてよく知っています。
『中途挫折の因縁』なんて言葉がさらりとでてくること
自体が、会員であったあるいは会員である証拠です。
みなさんはどうおもわれますか。

会員でないのに元々阿含宗にかかわりがないのに
『中途挫折の因縁』なんていうのはおこがましいことだね。
アゴンの中に入っていないのに、こういう言葉をネットとは
いえ他人につかうこと自体おかしな話です。
まちがいなく彼は桐山氏の弟子です。
こうもりさん、栗花氏を軽蔑してやってください。

栗花さん、アナタちゃーんと池田慈水さんが、お釈迦様の弟子の
五ビクに供養したという証拠を示しなさいよ。適当なことを
いっていいのがれるじゃないよ。

栗花はあせっています 気持ち悪いんだよ
のたうちまわっています
すべて齟齬です
お馬鹿さん クスッ


[143]洞窟犬 05/05/30 17:22 IjzSB87FLh
栗花池田実行などにたいする書き込みはこれにて
おわります。相手にしませんのでみなさん気になさらないで
ください。


エッサ エッサ

ちはやぶる〜 神のみまえに〜 ミソギしてー

すめらが御世に〜 つかえ〜まつらむ〜


[144]名無しさん@3周年 05/05/30 19:47 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
228 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:39:21 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

>>209以降の使者さんとの議論は、読んでいる信者さんには、
そろそろ何の議論なのかわからなくなっているかもしれません。
話のはじめは、因縁解脱を釈尊も説いたかどうか、です。
ちょうどザのスレの[112]でユビキタスさんが桐山さんの本から引用しているように、
「仏教とはいったい、なにを目標とした信仰でしょうか?
いうまでもなく、因縁解脱して成仏するというのが目標です。」(『霊障を解く』 P.219〜220)
変更の多い桐山さんにしては珍しく、因縁解脱を昔から今に至るまで説いている。
阿含宗の因縁とは横変死の因縁など、前世で作られた悪業、あるいは悪業の報いです。
因縁解脱とは、過去に作られた悪業の報いを変えることです。
悪業を完全に断ち切ることがアラハンの必要条件だという主張です。
しかし、こんな考えは釈尊の教法のどこにも存在しない。
因縁解脱など阿含経に存在しないというよりも、仏教に存在しないのです。
[145]名無しさん@3周年 05/05/30 19:47 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
229 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:45:12 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

『超脳思考をめざせ』の中で桐山さんは因縁と因縁解脱の経典の根拠を質問された。
桐山さんは十頁にも及ぶ説明をして、経典を引用しているにもかかわらず、
具体的に因縁解脱という言葉や概念のある経典を示すこともなく、
縁起の法や四諦という仏教の一般的な概念を出し、突然、因縁解脱という単語を「接ぎ木」した。
説明にも根拠にもなっておらず、ゴマカシです。
使者さんの偉いところは、これで懲りずに、阿含経を探した。
前スレの637,[671]に引用した「業の破壊」、分別経の精進根、
そして>>216,[83]の「悪い行いを消滅」などを
過去の業の破壊を説いた阿含経の根拠とした。
しかし、そのいずれが、文章としても、過去の業を切るなどと書いていない。
学者たちもそのような解釈はしていない。
釈尊の教法からいっても、>>218に引用したダンマパダ183から一歩も外れていない。
[146]名無しさん@3周年 05/05/30 19:47 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
230 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:48:20 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

以上の使者さんとの議論を通じてわかったように、
阿含宗のいう因縁解脱など阿含経ばかりか、仏教には存在しない。
それもそのはずで、釈尊は過去の業を切れなんて説いたことはないし、
因縁切りを説いたのは近代の新興宗教の教祖だからです。
桐山さんは仏教のスタートからして間違っており、
今に至るまでその間違いに気が付いていない。
これは根本的な間違いなのですよ。
過去の業を切るという主張を目標にしたとたん、その宗教は仏教ではないから、外道です。
たとえば、ナミアムダブツと唱えて煩悩を切る、という宗教なら、
釈迦仏教からはほど遠いが、煩悩を切るという目標においてだけでは仏教ともいえる。
だが、阿含宗は過去の業を断ちきるという仏教ではありえないことが目標です。
こういう目標は釈尊の時代のバラモンたちの説いたもので、
当時から彼らのことを外道と呼んでいた。
[147]名無しさん@3周年 05/05/30 19:48 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
231 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:52:41 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

使者さんは例外ではなく、信者さんたちのほとんどが、
釈尊は過去の業を切る因縁解脱を説いたと信じている。
長年、使者さんは阿含経講義などでこれを徹底的に教育されてきたから、
阿含経の中に因縁解脱があるものだと信じ込んでいる。
使者さんは、>>158、[927]で、分別経の「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」を
「すでに起こした悪業は断じ、」と訳した。
この訳は桐山さんの解説と一致していて、これを、
「すでに犯した不徳を断ち切るために徳を積め」(『ダルマチャクラ』51号、8頁)
と説明している。
過去や過去世で不徳を作り、これが悪因縁となっているから、
不徳を消すためには徳を積むしかない、というのが桐山さんの説明です。
この説明のポイントは、
1.不徳とは過去の悪業であり、悪因縁はその業報
2.不徳を消すことができる
3.不徳を消すためには徳を積むしかない。
釈尊は「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」と述べたにすぎないのに、
桐山さんはこの一文から1〜3の結論をいきなり出してきた。
内容的に釈尊は1〜3など説いていないし、単語としても使っていない。
信者さんたちは、桐山さんのすり替えの見事さに気が付いただろうか。
[148]名無しさん@3周年 05/05/30 19:48 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
232 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:57:57 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

すり替えのその1が、不徳という言葉です。
釈尊は悪不善と言っているのであって、悪業とも不徳とも言っていない。
悪不善とは、悪いことです。
「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」について、具体例を出すなら、
「今までタバコを吸っていた人は、身体に悪いからやめなさい」という意味です。
タバコを吸うことが不徳??
こうやって具体的に置き換えると桐山さんの説明がおかしいことに気が付く。
もちろん、桐山さんがここで「悪いこと」をわざわざ不徳と言い換えたのは、
不徳がすなわち悪業、悪因縁であるとすり替えて、積徳行に話をもっていくためです。
釈尊は、これまでしてきた悪いことを中止せよ、タバコの悪習慣をやめろ、
と言っているだけで、不徳だの悪因縁だのと言っているのではありません。
[149]名無しさん@3周年 05/05/30 19:49 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
233 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:02:53 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

タバコのたとえを出したのは、信者さんたちに具体的に考えてもらうためです。
桐山さんが徳、不徳という言葉を用いるのは、信者さんたちから、
具体的な思考を奪うためです。
桐山さんは霊的な世界を宗教用語、仏教用語を使うことで、
信者たちに妄想を植え付けるのが得意です。
梵行、積徳行などと言われると、信者は言葉に溺れ、
内容はただ教団に金と人を貢ぐことにすぎなくても、修行であると信じてしまう。
霊障、因縁、徳、不徳など、とらえどころのない内容を実在するかのように錯覚させられる。
違うというなら、徳、不徳とは具体的に何なのか、あなたの言葉で説明してみてください。
できないはずです。
あなたが数学や理論物理が得意ならともかく、私と同じように普通の人なら、
抽象的な言葉や概念を思索できるほど頭は良くない。
そのあまり良ろしくない頭で、目にも見えず、とらえることのできない内容を
理解したかのように思い込むのはやめた方がいい。
桐山さんの手練手管に乗らないためには、具体的に現実にあてはめて考えることです。
[150]名無しさん@3周年 05/05/30 19:49 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
234 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:09:29 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

すり替えのその2が、不徳を帳消しにできるというものです。
「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」のどこに悪業や不徳を消せると書いてあるのですか。
悪不善の法、とは、タバコを吸う習慣をさし、
断ぜしめ、とは、タバコをやめるという意味です。
健康を回復したければ、まずタバコをやめろと釈尊は説いているだけです。
タバコをやめることが、これまで吸ったタバコの結果を消すことではありません。
その人の肺はニコチンで真っ黒であり、肺ガンができている。
タバコをやめたことそのものが肺をきれいにすることでも、肺ガンを消すことでもない。
釈尊は過去の悪業を帳消しにできるなどとは説いていません。
[151]名無しさん@3周年 05/05/30 19:49 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
235 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:14:31 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

不徳を帳消しにできると言い換えて、いよいよ桐山さんの本音が3です。
帳消しにしたければ、徳を積めというものです。
繰り返しますが、「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」の釈尊の言葉には、
過去の悪業を帳消しにできるとか、帳消しにしろという意味はありません。
ましてや、徳を積めなどという言葉が出てくるはずがない。
釈尊は今までしてきた悪いことを中止しろと説いているだけです。
桐山さんの徳を積むとは、阿含宗に金と人を出すことです。
タバコをやめて、阿含宗に金を出せば、その見返りに肺がきれいになり、
肺ガンが消えるというのです。
タバコという具体的な例で考えれば、いかに馬鹿げているか、すぐにわかる。
釈尊の精進根、四正断ではそんなことは説いていない。
タバコをやめるのが一つ目であり、
二つ目は吸ったことがない葉巻を吸わないことであり、
三つ目は、これまで健康のためにしてきたことを継続して、
四つ目は、健康のために運動を始めることです。
これがタバコについての精進根であり、
どこにも徳を積めば過去のタバコの害を帳消しにするなどと説いていません。
[152]名無しさん@3周年 05/05/30 19:50 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
236 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:21:12 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

このように、釈尊は過去の悪業を消す方法など説いていないし、
ましてや徳を積めば業の報いを回避できるなんて説いていない。
桐山さんが徳を持ち出したのは、不徳としての悪因縁で信者を脅かし、
これを帳消しにしたければ、阿含宗に金と人を貢いで、徳を積めと言いたいからです。
釈尊の教法まで利用して、説いてもいない解釈を加えて、
阿含宗に金と人を持ってこいと説いているのが、桐山さんの阿含経講義です。
桐山さんは阿含経を引用するときには、漢文の書き下しの国訳を出す。
これも信者さんたちの目くらましの手法の一つです。
なぜなら、漢文や書き下しは読みにくく、意味がとりにくい。
だから、信者さんたちは経典の元文ではなく、桐山さんの解釈を記憶する。
精進根のように、中身をすり替えられて、釈尊が説いていない内容が記憶に残り、
しかも、自分は阿含経を読み、理解したかのように錯覚する。
使者さんをみてください。
こういう「すり込み」から抜けられず、漢訳経典まで引用していながら、
存在するはずがないのに、「すでに起こした悪業は断じ、」などと訳した。
[153]名無しさん@3周年 05/05/30 19:50 *Viy9Pq55Bwc*IjzSB5FWWM
237 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:28:06 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

桐山さんからの「すり込み」頭で読んでいるうちはいくら阿含経を読んでも理解できないのは、
ザのスレの[100]の星祭さんを見ればわかる。
ユビキタスさんが[114]で反論しているから、信者さんも読んでください。
経典に「マーガよ、祀りを行え」とあると、
文字通り、これは護摩などの祭祀を釈尊が勧めたと解釈して、
如来が福徳を授けるのだという???
中学生でも煩悩を消せと説いていると理解できる経典でも、
完全に頭が桐山脳になりきっているから、星祭さんには釈尊が祭祀などの呪術を行えば、
功徳という御利益を授けると説いたと読めるのです。
国語の読解力は0点でしたと告白しているようなもので、
恥ずかしくもなく、よくこんなことが書けるものだ。
信者さんたちも彼らを他山の石として、経典を読む時だけは、
これまでの桐山さんの阿含経講義を忘れ、ちょっとの間だけ桐山色メガネを外し、
釈尊の説いていることをそのまま素直に読んでみてください。
釈尊は求聞持脳を持たないと理解できないような難しいことなど説いていません。
誰でも、普通に理解できる内容を説いているのです。
[154]○○屋 05/05/30 20:12 oZBcn89eze
あなたはすっかり論旨の流れを忘れているようですね。

前スレ>>893
「・・・人がある行為を受けて、その怨念が残るから相手に報復の念を発して影響を与えるからではない。私があなたの反省と謝罪に免じてカミソリ入り手紙の件を許してあげたにしてもあなたの為した悪業はそれで消えるわけでなく、やはり私と関係のないところであなたに関係のあるところでその報いを受けるというものです。」

に対して私が、同>>894で「袁了凡の話の説明がつかない」とレスしたわけだ。

それで、同>>896であなたは
「・・・因循な性格のエン了凡に善事を為して善果をつかめと鼓舞した。運命の転換というよりも積極的な人生創造を促したと言えよう・・・ともあれ占いの示した運命などに気にせず、因縁解脱など雲谷禅師だって説かない。
仏教も悪業も離れた話です。」

で、私は>>898
「・・・運命は存在し、そこからの脱出方法はあるっちゅうことだな?釈尊が仏教で説こうが説くまいが。つまり阿含宗での運命転換は不可能ではないであろう。」

釈尊が運命転換を説こうが説くまいが、運命の指摘を受けた人が運命転換した事例があるんだから運命転換は不可能なことではないということを申し上げたわけ。つまり、あなたは「因縁解脱」など仏教では説かないんだから、猊下の「因縁解脱法」なんぞ、単なる創作で「運命(○○の因縁)」自体がデタラメだと主張したのに対して、袁了凡の例を挙げて運命があり、そこからの転換も可能であることを「カルマの法則」や「12因縁」によって考察したわけだ。

すると>>920でまず、「密教占星術」を読んで

「彼(雲谷)の出す教えとは孔子や孟子の思想とか「積善の家に余慶あり」とか善行で得られる福とかポジティブな話ばかりで、できれば回避したい悪業とかネガティブな話がありません。
限られた運命の原因を自己分析させて得た結論は今この現世の性格とか心掛けの問題でこれを改めよとの諭しなのです。これを善事実行とからめて説いた。
誠意ある日常の生活態度、人との折衝が成功の秘訣とか。」

更に

「天の災いは避けることができるが、人の悪行によるものは避けられないという意味の話を引用して、孔先生の占いの運命のごときは天の災いに相当するもので避けられると示して、積極果敢な善行実践と性格改善により道を切り開けと鼓舞するのです。仏教の業報思想と、書経にある自分の悪行による報いは避けられないという教えは一致するではありませんか?
書経を持ち出しているが、仏教の業報思想を示さずとも、自分の行いが起因の業報は避けられないという見解を示したようなものです。
占いの示した運命を業報によるものとすらしなかった。業報でないから変えられる。
業報だったら変えられないと言っているも同然です。
密教占星術1のP.242にあります。」

[155]ユビキタス@バク撲滅隊長 05/05/30 20:38 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
ジミズのとっつぁんなど私も無視しとくに限るし、なるべく刺激しないようにすれば
よいのですが、(笑いを堪えるのに必死)私は前スレでも誤解のないように書きましたが、
他の坊さんどもが皆正しくてもこの桐山だけは詐欺師であることを論じているとは
これは最初から桐山=詐欺師の前提と色眼鏡で見ているということではありません。
前スレで桐山と空海は同列に語られねばならないなどと根拠もなくアホなこと語り出したので
空海が偉大な僧侶でも山師でも平凡でも、また空海に限らず他の坊さんたちが正しくても
間違っていても人によりけりでも、そんなことは関係ない。
ここは空海を検証するスレでもないし、他の坊さんたちを論じるスレでもない。
彼らがどうあれ桐山氏を検証してみると詐欺師としか言えない側面がてんこ盛りにある
ことの一つ一つを根拠を示しながら論じているのです。
最初に批判ありきでなく、私は2年半前まで29年の長きにわたって桐山の信奉者だった
わけです。ネットのスレで批判事実を知りショックを受け、抵抗試みるもこれを
受け入れざるを得なかった。己の理性と知性を大切にしたいのであれば。

さて私は韓国とは関係ありませんねえ。両親とも奥州米沢藩で上杉に仕える士族だった
とのことですが、そんなことはどうでもよく、朝鮮人蔑視をする人を見ると同じ日本人
として腹立たしく思います。まあ在日朝鮮人がどういう気持ちでいるのかも理解できない
身ですが。
創価は昔から大嫌いですね。異教の信者と知った時のあの豹変ぶり、人を蔑んだ目と
いびつにつり上がった片眉は共通して同じ表情です。
しかし阿含宗の立場を離れて本当にあの醜い俗物を批判できると思いますね。

栗花さんなどスレの何の役にも立ってないので彼が誰であろうがどうでもよいですね。
誰かさんがスカートまくりとか言っていたが、誰が誰でもどうでもよい。
レスをつける価値のある書き込みをしているか、常にイチゴのパンティ、もとい、一期一会
なんです。
ですからイカ大王のシシャさんの前世がトラベラーさんだろうがその前世が眠り猫さん
だろうがどうでもよい。
眠り猫さんは昔2ちゃんねるでひどい目にあったことがあると書いた記憶があり
今2ちゃんねるなど知らない読まないとばかりに忌避するシシャさんの2ちゃんでの
正体が誰だか見当もつかないがどうでもよい。
ただ私は誠意あるレスを送るだけなのです。
何かネームと矛盾する気もするが。
[156]ユビキタス 05/05/30 20:47 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>154
んで、オタク何が言いたいの?
[157]○○屋 05/05/30 20:51 oZBcn89eze
つづき

それで、私は疑問が湧いたのです。

前スレ>>921
「まず、天の災いとはなんですか?道教には多分『前世の行いによる災い』なんちゅう発想がないからこんな表現したと考えれば何も不思議じゃない。仏教は『輪廻思想を含むカルマの法則』が総ての前提にあるから、『行為とその報い』の一言で解決するが『前世』を考えなければ『天(生まれながら)の災い』としか表現できないに決まっています。」

ここで、実は私は「天の災い」が変更可能ならば「人の悪行によるもの」も避けられるはずだ、と考えたんです。なぜならば、どちらの災いも変更するとしたら「12因縁」のながれによって変更されるはずだからです。つまり最初の「「無明」が滅せられれば、全ての項目が滅す」からです。

>>924であなたは
「その書経の思想を雲谷禅師の口によって語られ、それが書かれてあるのが陰シツ録なわけです。この思想を屁理屈だのわからんだの言うのはあなたの思想の自由です。そのかわりこの陰シツ録が悪業解脱による運命転換を説いた書ではなく根拠になり得ないと知るべきです。」

更に

「エン了凡の試験不合格や子供ができぬごとき占いは、当時の中国なら陰陽五行もまんざら非科学的迷信とは認識されてなくそれなりの根拠と思われていたことが推察される。そういう分析から未来を占っても、それは問題をしっかりおさえて克服すれば変えることもできると言いたかったのでしょう。ただ自分の罪悪に起因することだけはいかんともしがたいと書経も説くのですね。だから易経占いのごときは過去の悪業の報いとも違うと雲谷禅師は言うわけです。私が言うのではないですよ。
人生の傾向を変えることができたのは、実は桐山も脅す強制運命でも悪業の業報でもなかったからと読めるではないですか?」と、結論しています。

で、当スレの>>30、40で

「要は自分の欠点を認識してこれを改め、身を慎み、善事を為して人格を陶冶すれば(徳を積めば)求める幸福も得られ、人生を開拓できる。この人生開拓こそが運命転換であるわけです。これは実は我々の捉える運命観とも異なり、運命の否定とさえ言える。」

これに対して私は>>52-54

「心がけ」は「名色」とか「(意)識」とか「触」とかこの辺だわな。つまりは12因縁の範疇なわけだ。つまりは「無明」がなくならなきゃ、これ(運命でもなんでもいいんだが)変更できないんちゃう?それとも、12因縁に当てはまらない「心」や「存在」や「苦」の方程式が外にあるんだろーか?仏陀の理論が絶対的に正しいという前提ならば、12因縁の外に袁了凡のケースに当てはまる方程式があるはずで、そうでないならば、仏陀といえども何かを見落としたのか?

との疑問が湧いたわけ。しかし、この根底には実は12因縁で滅してしまえば「天」だろうが「悪事」だろうが、原因のあるものの変更は可能である可能性があるのか?というのがあるわけです。

[158]○○屋 05/05/30 21:06 oZBcn89eze
更に続き

で、あなたは何を勘違いしているのか

>>72であなたのレスにそれぞれ私はレスしました。

「○○屋さんが陰シツ録のエン了凡の場合は業報を回避した証拠ではないかと題材を示してきた。私はあくまでも陰シツ録の記述に忠実にたどり、これは業報思想でもなくその回避も説いていないことを論じて、陰シツ録は業報回避の根拠資料となり得ないことを証明した。」

してないだろ?

「ここに霊視だのカルマだの十二縁起だの、陰シツ録に書いてもない概念を持ってきてもだめです。陰シツ録の記述の中からそれを見つけねて論じねば。」

あのね・・・「カルマの法則」だの「12因縁」だの釈尊の説いた理屈がインドのある地方でしか通用しない法則や理論じゃないの。袁了凡が指摘された悪しき予測をなぜ回避できたか。袁了凡さんも「カルマの法則」に縛られているわけでしょ?違うのカイ?君は「このケースはカルマなんぞ関係ない」と言うのが理屈だったんでしょう、簡単に言うと。

しかしね、例えカルマの法則が関係なくても、袁了凡が意識(と行動)を変えた、それによって「天の災い」を避けたんでしょう。意識と行動を変えるのは、12因縁の理屈でまさに「これ滅すればこれ滅す」で「天の災いを回避したんじゃろ?

「陰シツ録は前世だの悪業だのどうでもよいが、おまえの今の性格の悪いから改善せよと指導した。明るく柔和で親切で威張らない飾らない、これを行為で示し、女にももてるようになった。
うーん・・・この例ではまじいから霊障だの因縁だの悪業だのは引っ込めよう。そういう阿含宗にとっては都合の悪い霊の関わりなど関係ない人間的な修養だけで成功を勝ち得た話なのです。だからここに霊視能力なんてもってくるとおかしくなる。」

阿含宗にとって都合が良かろうが悪かろうが、そんなことを論じているのではない。第一、私は最初から霊視能力なんて持ってきていません。ただし、ユビキタスさんが一部他のレスと重複していることをまとめて答えている可能性はありますが。

>>77
「しかし53で死ぬだの科挙に合格しないだの子供ができないなんてことは誰にもそれが起こるまでには確認できないことです。その実絶対性などない。つまり運命は絶対的なもので本来ならば変えられないものだと考えているのが○○屋さんや当初のエン了凡の妄執であり煩悩だったのです。雲谷禅師はまずその運命観自体の破壊を促したと言える。運命そのものではなく運命観の破壊です。おまえの考えるような運命などないと思え。運命なんてどうにでも創造できると観念の転換をまずはかった。」

あなたの説明では、まるで、袁了凡は運命軌道を提示されたからそのとおりの人生軌道をたどった、と言う説明に聞こえる。

根拠があったんでしょう、たぶん彼の運命の提示には。その根拠が変わったんでしょう。だから、人生軌道が修正されたんでしょう。

修正された条件は、なんだ?というのがテーマであって、運命の提示が本当のテーマではない。しかし、でたらめな花占いで運命軌道を示したのではないんだから、運命軌道にもそれ相当の根拠があった。そしてそのとおりになった、途中まではね。

途中まではカルマの法則による悪しき報いで人生が構築されていたと見るのが妥当ですぜ。

と、レスしました。これには根底に先ほども書いた「12因縁で滅してしまえば「天」だろうが「悪事」だろうが、原因のあるものの変更は可能である可能性があるのか?というのがあるわけです。」の疑問をいつも考えていたわけです。

更に続く
[159]平等性智 05/05/30 21:08 H/6/Dvocqm
例えば、こうもりさんあたりがたびたび引き合いに出すような
連中が「わたしは功格表の実践者でござい」…ってな事を
ほざいてるとしたら、阿含の実態、道場内の修行者のありかたが
どの程度かはわかろうというもの。まぁ、そもそも所属の道場と
疎遠だったり、あまりにも桐山さんに対する思い入れがキツイ
ような会員さんには腹を割って話をしないだろうから、その辺の
事情はわかりずらい場合はあるかもしれませんけどね。
カルマ解脱は現場を見てると成り立たないように思うなぁ。

以前ヤフー掲示板の阿含スレに「では、なぜ祈願が叶うことが
あるのですか?」という問いがあり、それに対する答えとして
桐山プロバイダー説が唱えられた。ただ単に、参拝者の祈りの
エネルギーを桐山さんが利用してるだけで、本人になんらかの
力があるわけではない…というもの。そういう懐疑的な見方を
覆すためにもいまこそ焼身護摩を焚くべきだと思いますけどねぇ。
[160]○○屋 05/05/30 21:32 oZBcn89eze
>>92

「あなたは「行いの如何」であり「心掛けを改め」「善い行いを勧めて善い結果を求めて得た」という。

しかしだ、12因縁によるとどんな場合でも「これあるによりこれあり」なわけだ。つまり、簡単に「行いの如何」というが、行いを改める前にの前に「無明」を改めなくちゃ「行」は改まらないんじゃないですか?と思う。12因縁はそれぞれがリンクして成り立っています。「生」と「老死」の輪廻を解脱するには「無明」を解脱しなきゃならん。その途中に「行」や「識」「受」など生きていくうえでの営みがあるでしょう。」

私は実はこの12因縁の「行」=潜在的形成力 当たりに不成仏霊だの霊障だのがあるんじゃないかと思っています。そこから色々な生きていくうえでの営み―識〜老死―が発生して最後に輪廻の「生死」があると見ています。ですから、12因縁の流れに沿って、「全てを滅す」ことは可能じゃないか、と思うわけだ。しかし、これだけでは運命の転換が可能かどうかの考察が出来ないのです。


「雲谷禅師が常見に囚われないこれあるによりてこれありの思考で占いの運命を否定したのはそのとおりです。そして十二因縁まで出したはいいが、無明が元になり輪廻の話まで出して、あなたの主張が見えなくなった。」

あなたはここで、ついに「占いの運命」の存在を認めこれを転換(否定)する「常見」に囚われない生き方―それは取りも直さず、12因縁に則った生き方であった。12因縁である以上「無明」の「滅」が必ず必要になってくる、そうして輪廻が止む。陰シツ録の登場人物が意識しているか否かは別に―についての袁了凡の「陰シツ録」の存在を認識したようだ。
[161]○○屋 05/05/30 21:38 oZBcn89eze
袁了凡が12因縁に沿って運命を転換したことを示したことが大変重要であり、阿含経に書かれていない「成仏法による運命の転換」が可能であることになるわけだ。

天の災いだけでなく全ての災いの転換が可能か、という問題と阿含宗で可能かどうかの考察は続けねばならんが。
[162]栗花 馨 05/05/30 22:18 FFRU60AvMW
すでにはぐれちゃっての完了形ですな、ちみ。
中途挫折済み、ちみは色情因縁の因縁もあるんでは?とさらりといってみる。もう、ばれちゃってるよ。

[142]洞窟犬 05/05/30 17:18 IjzSB87FLh
こうもりさん、それはちがうとおもうね。
栗花氏は阿含宗についてよく知っています。
『中途挫折の因縁』なんて言葉がさらりとでてくること
自体が、会員であったあるいは会員である証拠です。
みなさんはどうおもわれますか。

会員でないのに元々阿含宗にかかわりがないのに
『中途挫折の因縁』なんていうのはおこがましいことだね。
アゴンの中に入っていないのに、こういう言葉をネットとは
いえ他人につかうこと自体おかしな話です。
まちがいなく彼は桐山氏の弟子です。
こうもりさん、栗花氏を軽蔑してやってください。

栗花さん、アナタちゃーんと池田慈水さんが、お釈迦様の弟子の
五ビクに供養したという証拠を示しなさいよ。適当なことを
いっていいのがれるじゃないよ。

栗花はあせっています 気持ち悪いんだよ
のたうちまわっています
すべて齟齬です
お馬鹿さん クスッ
[163]栗花 馨 05/05/30 22:23 FFRU60AvMW
桐山氏に失恋し狂乱するホモの止まり木がチベット。
チベット土着の鬼魂に精気を吸い取られている。
呪いの業がありますね。
ってかね、日本にいるちみが中国云々ってわらえるね。
[164]栗花 馨 05/05/30 22:28 FFRU60AvMW
はやいとこ
桐山氏への傷心はすててしまいなさい。

シャク尊を桐山氏のかわりにしない普通の生活感がいい
[165]ユビキタス 05/05/31 00:22 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>154
>>157
>>158
>>160
>>161
長々とご苦労さんです。
先程は途中でレスを入れてしまい失礼しました。
まあこれからの私のレスも深夜にブツ切れになり中途半端で完了しないと思うから
願うわくばあなたも私のレスが完了するまでは途中でなるべくレスを入れないでほしい。
私は亀の歩みのごとく遅々とレスしていくので、申し訳ないが、時間を頂きたい。
私の頭の整理はついているのだが、書き込みの時間を制限しているもので。
で、あなたの視点から議論の展開を選んでピックアップした形跡を見ると、なるほど
やはりあなたの方がどんどん話が飛躍していっているのがわかる。
最後はとんでもない結論を出している。
お互いの議論の意図というのは言葉足らずで相手に理解されずになかなかかみ合わない
ことが多い。だから議論をしながらそれを確かめあいます。
アナコンダのジミズのとっつぁんが勝手に壊れた背景はいろんな要素があるが、彼が誤解した
私の書き込みもある。すべての坊さんが正しいと認めても桐山だけは詐欺師であることを
論じるという文章が誤解を招いたようで、それの補筆解説を前スレと>>155でした次第で
コミュニケーションというものは言葉が命と思う次第。
当初陰シツ録が過去の業報を避けた話なのかというテーマで私は根拠資料にならないと
説いた。なぜならカルマの影響とその脱出を陰シツ録は明記してないからです。
あるのは現在の善事実行とその成果の社会成功だけです。
占いは雲谷禅師が絶対でなく、それはおまえの心掛けと行いでどうにでも否定の結果を
出してみせることができると説いた。
だから明記されてないものは証拠になり得ないのではないかと促したのが第一段階です。
しかし私もまた議論の相手が欲しているものを察して答えてあげようと努力する方だから
こうもりさんへのレスでそれを理解してあげた。つまり明記などされてなくてもカルマの
思想がなくても、仏教の思想はインド限定でなく普遍性のある思想なんだから
これを陰シツ禄に書かれた事実にもあてはめて考えてみてはどうかというまず第一の
飛躍です。たとえて言うと聖書にあるイエスの十字架の件も阿含宗教学にあてはめると
刑獄の因縁か横変死の因縁と解釈できるのではなかろうかとの試論です。
あなたの主張したい断片から、この試論を私から途中で理解してあげた。
つづく
[166]栗花 馨 05/05/31 00:55 TnONyd2VAj
つづくもなにも

にくたらしさゆえってか永遠のにくしみかな???


 こっちもいまだに安宅の関所ってのもね・・・・
[167]ユビキタス 05/05/31 01:06 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>165の続き
で、カルマの思想の陰シツ録への適用にあたり、あなたの出したカルマ論は所詮運命論を
越えるものはなく、十二因縁もまたこれを運命の法則、運命を滅する法則との色眼鏡はうかがえる。
これあるによりてこれあり、これ滅するによりてこれ滅す。
これをあなたはシシャさんと同じように苦のモト解脱で災難などの苦そのものがなくなり
運命転換の法則と読んだ。これが違うのです。
十二因縁の大本の無明とは煩悩のことです。無知の煩悩のことです。
だからこの煩悩がなくなれば執着することがなくなり、天の災難などはそのまま変わらなくても
それを不当に不要に恐れたり回避の道を求めたり、妄執することからだけは解放される
わけです。生老病死その他の苦は老死がなくなるのでなく、煩悩をなくすことにより
囚われの苦から解脱できるわけです。
運命の転換でないのです。
だから私が適用した十二因縁もどきはあなたと全く違う。
無明は無知なんだから、まず占いの運命はこれは定められたものだから変えられないと諦める
一種の信念、これを無知とした。あなたもまた占いに示されたのだからそれなりに
根拠があるのだろうとこれを絶対視の条件とした。これもまたあなたの囚われの無明無知です。
初めに運命ありきでこれは必ず実現すると信じるのが無知、運命ありきを前提とするのが
無知なんです。この無知の煩悩から離れるとどうなるか?
この無知に基づき諦め、消極的人生を選択(取)して、その結果自分の目標も掲げない人生は
当然成功もおさめない。
無知を捨てて努力する道を選んだ。善事をすれば善い果報に恵まれ、人徳も磨かれ
成功の道も歩む。
この人が占い師などにあわず最初からこういう堂々人生を歩んでいたらやはり成功したでしょう。
つまり運命なんて自分自身が作り出すものだと言いたいわけだ。
だから占いの運命を示した孔先生と雲谷禅師は全く別人という視点が重要です。
運命なんてないよと言っているのも同然なのです。
正しく努力すれば求めるものは得られるよという教えなわけで、人は占いなどに囚われ
自分で壁を作っているのです。
養老孟司さんに言わせるとバカの壁とも言える。
つづく
[168]栗花 馨 05/05/31 01:09 TnONyd2VAj
桐山氏の本をよみ
その気になった人々がその気であつまってくる
が、
桐山氏の弟子の大多数
内容のともなわないうわっつらでうすっぺらな修行しかできないやつら
なので、
桐山氏はブレーンの助けによって修行法をまとめる
けれども、
桐山氏の弟子の大多数
内容のともなわないうわっつらでうすっぺらな修行しかできないやつら
で、
カルマヨーガ的梵行路線
でも、
できるやつにはわかるように修行法を示す。
で、
おちこぼれた人々の一部
讒言
[169]栗花 馨 05/05/31 01:11 TnONyd2VAj
にくたらしさゆえ讒言
つづく
[170]ユビキタス 05/05/31 01:34 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>167の続き
陰シツ録は立命の学です。
立命とは辞書で引くと「天命を全うし、人為により害さない」とある。
つまり天の道に従う。天の道に人為でさからうのでなく全うするという意味です。
天の定めた運命を転換するのではない。
密教占星術を再確認できない○○屋さんはまず「天の下す災難は避けられる」という書経の言葉にとびついて
これは天の道を解脱して運命転換を果たすと読んだ。
なかなか微妙な表現だなと私もこれは誤解もあるだろうと推測もした。
そこで同じ書経の「天命はあてにならない」という言葉もエン了凡も引用しているので
これを示した。これらを組み合わせると書経のいう天の思想、天の道、立命というものが見えてくる。
天を絶対運命などと見ないでそれは人間の努力でどうにでも克服できるものだ
と説きたいわけだ。天にさからうのでなく、もともと天に絶対性などないのだから、
人間として努力すべきところは努力することが天命を全うする天の道であり立命なわけです。
それを説いたのが陰シツ録です。
だから悪業の報いを回避して運命を転換するなんて運命カルマ論にはならないと論じたのです。
悪業とは占いに囚われた無明無知であり、これさえ解き放てば、運命に囚われない人生が
展開する。後の成功は本人の努力次第です。
修養と善行による善果を求めて。
善果は純粋に善果であり、これは過去の悪業から来る運命を転換したからではない。
過去になした罪科の報いは避けられないと書経は説き、仏教もまた行い(業)にはその影響(報い)があり、その報いは避けられないと説く。
しかしこんな比較思想の一般論ばかりしていても仕方がない。
つづく
[171]ユビキタス 05/05/31 02:04 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>170の続き
で、○○屋さんは陰シツ録にもカルマや十二因縁で解釈しようという試論を始めたはいいが
私のような煩悩の人生に展開する方程式の活用と応用するのでなく生の根源にまで
さかのぼってしまった。
無明から始まり生から老死まで生じる輪廻観にしてしまった。
エン了凡という人間がこの世に産声をあげて生まれてくるに至る大本の煩悩は何か
とかそんなすさまじい話になってきた。
これが第二の飛躍で、それはエスカレートしていき、十二因縁の行には不成仏霊とか霊障が
関係しているのではないかと、陰シツ録はもはやもちろん、仏典にもない自分の想像まで
付け加えて第三の飛躍までどんどん突き進んでいく。
これがあなたの方が勝手に飛躍していくと評価する点です。
もはやこんな話にまで進んだら、実は陰シツ録もエン了凡もどうでもよくなる。
わざわざエン了凡なんか出す必要なかったのだ。
エン了凡の話は打ち切って、では十二因縁一般について考察しよう。
生の根源の無明とは何か?それには不成仏霊など関わっているのだろうか?と全く別テーマになる。
エン了凡は前世の悪業を脱して運命を転換したのだろうかという検証ではなく
自説を強引にあてはめただけだ。
だからこんな論にもならぬ論はどうにでも結論付けられる。
つまりイエスの十字架はあれは刑獄の因縁と横変死の因縁のミックスなのだ。
なぜなら阿含宗の因縁論は万国共通の法則を示しているのだから、文句あっか?
と吠えているに過ぎない。
だから○○屋さんの飛躍は逸脱になったのです。
もうエン了凡など使っても使わなくても意味がないのだから、十二因縁を考察することに
切り替えねばならない。
そのけじめが全然なく、私のことを論点の理解がないかのように勘違いする。
そして最後に言っておく。
私は十二因縁とか仏教一般の教義について議論考察に参加する気はない。お断りする。
なぜならここは阿含宗と桐山氏について考察するスレだからだ。
十二因縁を考察する時も必ず桐山と阿含宗の現実を関連付けて語る。
これをしないとスレの本旨からはずれるからだ。
○○屋さんの仏教観などどうでもよく、あくまでも阿含宗の仏教観を考察して
それは単なる理念でなく現実活動実践を観察して検証されねばならない。
○○屋さんがそれに関心がなくても、ここはそういうスレなのだ。
なんでもアリの無礼講だからと言ってハゲ頭にビールをなすりつけるな。
一応了。
オヤスミ。
[172]ユビキタス 05/05/31 08:14 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
イエスの十字架の死はその現象面をありのままに観察すると、処刑されて殺されただけです。
これは間違いない。
また釈尊の死を遊説中の食あたりは野垂れ死です。
しかしイエスには刑獄の因縁があり横変死の因縁があり、前世のカルマで地獄界の因縁を
2つも持った30点の落第人生である。彼はいかに聖者たりともこの因縁を切る
ことができなかったと言ったら、それはありのままの観察ではなく思想を押しつけた
ことになる。どんな思想でもいいから押しつけようと思えばなんでも通るのです。
ですから運命カルマ論でも行為と煩悩論でもどちらでも話が通る。
ユビキタス聖師のユビぱっちん理論(中身を考えてない)だろうがなんだろうが
ある人生にある特殊な観点から解釈することはなんでもアリです。
だからこんな作業は検証として意味がなく不要なのです。
カルマだろうが十二因縁だろうが、正しく適用するも、ねじ曲げた間違った解釈から
応用・適用してさえ、なんとなくどちらも通る。
これを因縁付けという。
○○屋さんは陰シツ録に書かれたある男の半生に偏った視点から因縁を付けたに過ぎない。
これは同時に桐山も我々の人生に偏った因縁を付けて、因縁解脱の商売をしているだけです。
[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
まあ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。違いますね。「仏陀は十二因縁を順逆に観じたのであるが、現実に自らの実存に突きつけられている輪廻的な生存という苦と、その根本的な原因である生存欲(無明、痴、渇愛)とを結ぶ、すべての経験的な事実がおりなすすべての因果関係の鎖を、確実で疑いのないものであると見切り終ったということを意味する。」(宮元啓一著、仏陀が考えたこと、157p)。
[174]ユビキタス 05/05/31 08:39 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
イエスの復活の秘密について教えよう。
あれはイエスの不成仏霊なのだ。
それ以外に何があろうか?
死んだ人間が生き返るなんてことはない。
しかし幽霊ならアリだ。
あれはユダの裏切りに対し、そのユダの前に皮肉で現れてやったのだ。
恨めしやと現れるのは芸がないから、いろいろと親切にしてあげることでかえって
皮肉たっぷりの効果を与える怨念の現れなのだ。
見たまえ。キリスト教には死者を成仏させる法がない。
(そりゃないわな。仏教にもない)
因縁を切り運命を変える法もない。ちまちま愛だの説くだけだ。甘い甘い。
(だから仏教にも運命転換なんてないって)
さあ、諸君。かのイエスもまた不成仏霊になり成仏できなかったこの事実をどう見る?
(もう事実にしてしまっている。。)
それが証拠に欧米のキリスト教社会は行き詰まっている。
(どういうふうに?)
このままではキリスト教社会は壊滅する。
(出た!カルト丸出し)
これを救うのはわがシャカの成仏ホーを備えた阿含宗しかない。
(霊感商法の始まりです)
さあ、みんなで修行しよう。
エイホッ、コラショ、ドッコイショ
(だったっけ?)
[175]ユビキタス 05/05/31 08:45 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>173
だから根源的な無明だのタンハーだの出して輪廻の核となると説くはいいが、エン了凡が
善事を為して現世の運命を開拓したこととどう結びつけるのさ?
[176]星祭@イエス。 05/05/31 09:04 iJYtKODklX
なにいっておるのかえ〜勝手に無明を単なる煩悩にして、我まるだしの自己主張しちょるだけじゃないの(笑)。
[177]星祭@イエス2. 05/05/31 09:08 iJYtKODklX
磔になったイエスは弟のイスキリで、生きていたイエスは日本の青森にきてそこで亡くなったのであるぞよ。墓もちゃんとある、毎年お祭りもあるんだぜ!知らんのか(笑)。
[178]星祭@無明 05/05/31 09:17 iJYtKODklX
で、教授による無明の解説では、1、無明。根本的な生存欲のこと。自覚することがほとんど不可能とだという意味で無明(根本的な無知)といわれる。また、ほとんど抑制不可能だという意味で「渇愛」ともいわれる。ただし、渇愛は後にでてくる「愛」のことともされるが無明を単なる明智の欠如による「論理的な概念」だとする和辻哲郎博士をはじめとする人々の見解はブッダの実存主義的な経験論をまったく踏まえていないので、誤った解釈である。
[179]星祭@愛 05/05/31 09:26 iJYtKODklX
ちなみに「愛」については8、愛。原語は「タンハー、トリシュナー」で、「渇愛」という漢訳語で知られている。ほとんど抑制不可能な盲目的衝動という意味で、しばしば無明と同義に用いられるが、十二因縁の中では対象を認識したことから生じる衝動的な欲望のことを言う。・・・まあ、このあたりから煩悩がかかわってきているようですね。「認識したことから生じる衝動的な欲望」ですから。
[180]星祭@善因楽果 05/05/31 09:46 iJYtKODklX
>175、たしかにブッダは善悪の業を超えることを最終目標にしてはいるが、悪業からくる報いは障害をもたらし、善業からくる報いは福をもたらすことを説いており、だからこそ善事をすすめたのである。目の悪いアヌルッダ尊者が衣のほころびを縫うのに助けを必要としたので彼が「誰か功徳を積みたいものはいないか」と呼びかけたところブッダ釈尊が応じたというのは有名な話し、エン凡了も運命を開拓して願いをかなえたということです。
[181]星祭@運命改善 05/05/31 09:54 iJYtKODklX
運命を開拓して生活が整ったら、次に仏道の修行に向けよ、というのが眼目であるわけでしょう。さらに深みへ・・・。大いに関係ありますぞ!借金取りに追いかけられたり、病気がちだったりしてきちんとした修行ができますか!だから運命改造、開拓が最初にあり、釈迦も善行や供養により功徳を積むことを薦めたのです。
[182]おれ 05/05/31 12:27 jz7xxsM/cp
六水院[191]
[183]ユビキタス 05/05/31 12:34 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>177
その弟のイスキリによく似た地名が日本にある。
生駒山の大阪府側の麓の石切です。
拝み屋さんのこぞう不思議空間です。
何?キリスト教と拝み屋を一緒にするな?
固いこと言うなよ。おんなじ宗教でまとめたらええのや。
磔の処刑は大阪の話かもしれまへんな。
青森と言えば、青森出身の昭和の名大関、貴ノ花、平成にかけての名親方の二子山さんの
ご冥福をお祈り申し上げます。
いきなり休憩タイムです。
[184]ユビキタス 05/05/31 12:53 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>178-179
で、○○屋さんに輪をかけて話の流れが捉えられていないのが、星祭さんです。
無明であろうが渇愛であろうが生の根源から生じるものという見解は知っております。
しかし私はそもそも○○屋さんの陰シツ録の話に十二因縁を適用して考えてみようと
いう試論の方向を察知して、あの話に十二因縁のような関係の法則を強引に適用するのなら
無明(無知)に該当するものは最初に占いを信じ込んだ妄執ではないかと論じてみた。
正しいかとかお粗末とかは抜きにして。
根源的であれ無明無知は煩悩なのです。
それではその生存をあらしめている無明だの渇愛だのと、人間の意識的操作では
いかんともしがたい強い衝動ならば、エン了凡はその根源衝動に対してどういう
策で対処したのか?
善事を実践して果報を求めるのはその強い衝動に対していかなる影響力をもたらしたから
エン了凡は業報解脱して運命改善なったかと問いたい。
だんだん話がわけがわからなくなる。
わけがわからなくしているのは○○屋さんと星祭さんなのです。
これについて見解を述べるのはもはや空想に過ぎず、こんな話を続ける価値などない。
[185]ユビキタス 05/05/31 13:02 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>180
盲目のアヌルッダに糸を通すことを手伝うのに釈尊が率先して自分もまた功徳を積みたいから
と志願したのは、自分も善いことをして心に喜びを得るという功徳を積みたいからです。
よっしゃ。今日は一つええことをした。これの見返りは何がええかいな?
とりあえず過去の悪業の帳消しに使わせてもらいまひょかと計算高く算盤をはじいている
のではありません。

>>181
で、唐突にそう結論付ける根拠は?経典は?文献は?
宮元さんがそう書いているとでも言うの?
[186]こうもり 05/05/31 15:01 f0d/0/hm2k
1年位前ですね、このスレで
「ある村長さんが、バラモンから呪文を唱えたら死者が昇天すると言われたが、反対に釈尊からはしないと言われた。
呪文で池の石が浮かぶか、との例えをもって」

「それは釈尊は儀礼だけでは無理でダイバーのような技術がないとダメだと言う意味。」

「では、そのダイバーの技術を説かないと、村長に誤解を残すじゃないか?」

私自身の修行には関係ないからマジになってまでは考えないものの、やはり自分なりに少し考えましたね。
でも明確な答えは出ませんでした。

しかし今は分かりますよ。
バラモンがそう言ってるのだから、そのとおりだと答えればいいのです。

船井氏の著書で、インドには悪いカルマを解消するホーマムという5〜6時間かかる儀式があるらしいです。

今回、陰シツ録を仏教の12因縁などで論じてますが、そんなの引用せずともバラモン教で説明すればいいだけの話ですね。
[187]こうもり 05/05/31 15:19 f0d/0/hm2k
「では何故、"阿含"宗と名乗るか?」と言われたら、
「あんたの雇い主の4ツ谷の坊さんがいじめるからだろ」と答えればいいのです
[188]○○屋 05/05/31 19:34 o3dmxNPbRC
>私は十二因縁とか仏教一般の教義について議論考察に参加する気はない。お断りする。
なぜならここは阿含宗と桐山氏について考察するスレだからだ。
十二因縁を考察する時も必ず桐山と阿含宗の現実を関連付けて語る。
これをしないとスレの本旨からはずれるからだ。

>わけがわからなくしているのは○○屋さんと星祭さんなのです。
これについて見解を述べるのはもはや空想に過ぎず、こんな話を続ける価値などない。

そう思うなら私のレスに返答しなければ良い。まあどうでも良いのだが・・・ユビキタスさんが論戦から撤収したようなので、私の独り言になるかも知れんが・・・

そもそも、ここに書き込む目的がユビキタスさんと違うので話が噛み合わないと思っているようですね、彼は。

私は昨日の夜書いたように、阿含宗の掲げる「○○の因縁」が本当なのかでたらめなのか、を考えた。―感覚的に「○○の因縁」は「ある」とは思っているが―たまたま仏陀が言わなかったが、仏陀の教団でも因縁解脱なるものがあったのか。そこが非常に重要な問題なのだ。

で、それを検証するのに袁了凡の陰シツ録を題材として用いたわけだ。その結果「運命軌道」は存在するということが論理的に説明できることがわかった。12因縁の理解の違いによりユビキタス氏は「こじつけだ」と断じたが・・・嗚呼

次に、その運命軌道が修正できるのか、袁了凡は修正したが仏陀は運命軌道の修正を唱えていない、しかし、「これあるによりてこれあり」「これ滅すればこれ滅す」で、修正できる可能性がある、少なくとも袁了凡という運命軌道の修正を行った古人がいるのだから可能性があるはずである。ユビキタス氏はもちろん納得しないが。・・・嗚呼

この結論が導き出されただけで私の目的は達成されたわけだ。つまり、信仰において論理的な裏づけがなされた、ということ。

以上

[189]名無しさん@3周年 05/05/31 21:01 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
264 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:34:46 ID:ICjwIiXh
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。
無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。
違いますね。
「仏陀は十二因縁を順逆に観じたの であるが、現実に自らの実存に突きつけられている輪廻的な生存という苦と、
その根本的な原因である生存欲(無明、痴、渇愛)とを結ぶ、
すべての経験的な事 実がおりなすすべての因果関係の鎖を、
確実で疑いのないものであると見切り終ったということを意味する。」
(宮元啓一著、仏陀が考えたこと、157p)。

[178]星祭@無明 05/05/31 09:17 iJYtKODklX
で、 教授による無明の解説では、1、無明。根本的な生存欲のこと。
自覚することがほとんど不可能とだという意味で無明(根本的な無知)といわれる。
また、ほと んど抑制不可能だという意味で「渇愛」ともいわれる。
ただし、渇愛は後にでてくる「愛」のことともされるが
無明を単なる明智の欠如による「論理的な概念」 だとする和辻哲郎博士を
はじめとする人々の見解はブッダの実存主義的な経験論をまったく踏まえていないので、誤った解釈である。

[179]星祭@愛 05/05/31 09:26 iJYtKODklX
ち なみに「愛」については8、愛。原語は「タンハー、トリシュナー」で、
「渇愛」という漢訳語で知られている。
ほとんど抑制不可能な盲目的衝動という意味 で、しばしば無明と同義に用いられるが、
十二因縁の中では対象を認識したことから生じる衝動的な欲望のことを言う。
・・・まあ、このあたりから煩悩がかか わってきているようですね。
「認識したことから生じる衝動的な欲望」ですから。
[190]名無しさん@3周年 05/05/31 21:02 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
265 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:35:27 ID:ICjwIiXh
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[180]星祭@善因楽果 05/05/31 09:46 iJYtKODklX
> 175、たしかにブッダは善悪の業を超えることを最終目標にしてはいるが、
悪業からくる報いは障害をもたらし、善業からくる報いは福をもたらすことを説い ており、
だからこそ善事をすすめたのである。
目の悪いアヌルッダ尊者が衣のほころびを縫うのに助けを必要としたので
彼が「誰か功徳を積みたいものはいない か」と呼びかけたところ
ブッダ釈尊が応じたというのは有名な話し、
エン凡了も運命を開拓して願いをかなえたということです。

[181]星祭@運命改善 05/05/31 09:54 iJYtKODklX
運 命を開拓して生活が整ったら、次に仏道の修行に向けよ、
というのが眼目であるわけでしょう。
さらに深みへ・・・。大いに関係ありますぞ!借金取りに追いか けられたり、
病気がちだったりしてきちんとした修行ができますか!
だから運命改造、開拓が最初にあり、釈迦も善行や供養により功徳を積むことを薦めたので す。
[191]名無しさん@3周年 05/05/31 21:02 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
266 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:42:44 ID:ICjwIiXh
>>264 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:34:46 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。
>[178]星祭@無明 05/05/31 09:17 iJYtKODklX
>[180]星祭@善因楽果 05/05/31 09:46 iJYtKODklX

宮本教授の説明とユビキタスさんの説明とは矛盾していません。
ユビキタスさんは無明を「単なる」煩悩だなどと言っていない。
しかし、無明が煩悩であることは事実であり、
物事の成り立ちを示した十二支因縁の最初にあり、これらを一つずつ消滅するなら、
無明の消滅、つまり煩悩の消滅こそが釈尊が説いた基本であることは明かです。
十二支因縁のどこを見ても、阿含宗のような過去の悪業を切れなんて思想はない。
桐山さんや星祭さんこそ勝手な言い分です。
[192]名無しさん@3周年 05/05/31 21:02 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
267 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:45:50 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

無明が自覚することが不可能かどうかは宮元教授と和辻哲郎博士という学者の間でも
議論になるくらいの内容ですから、素人があれこれ言っても始まりません。
しかし、宮本教授は自覚することが不可能だと書いていない。
自覚することがほとんど不可能、つまり極めて難しいと言っているだけです。
こんなことは当然で、十二支因縁や縁起の法を教えられただけで、
無明という根本煩悩をさっと自覚できたら、天才です。
ましてや、自覚も難しく、「ほとんど抑制不可能な盲目的衝動」を簡単に制御できたら誰も苦労しない。
ものすごく難しいからこそ、これを達成した人をアラハンというのです。
難しいからこそ、釈尊は瞑想や呼吸法など様々な技法を用いて、煩悩を制御、消滅させた。
その技法をまとめたのが七科三十七道品であり、その総目次が八正道です。
釈尊は、まず自覚の難しい煩悩を自覚する方法を説き、
次に制御、消滅の難しい煩悩を制御、消去する方法を説き、
弟子や信者たちはそれぞれの立場で実践した。
宮本教授の主張は細かい議論は別として、何も特別なことや、
ユビキタスさんへの否定にはなっていない。
否定になっていないばかりか、阿含宗への批判になっていることに
星祭さんはまるで気が付いていないのが、おもしろいし、おかしい。
[193]名無しさん@3周年 05/05/31 21:03 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
268 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:51:16 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

阿含宗では煩悩を切ることを説いてはいるが、メインではなく、
これは専ら心構えというオシエでなくすのだと説いている。
伝統仏教は心構えというオシエしかなく、法がないと批判している。
ユビキタスさんが[112]で引用した桐山さんの次の文章が典型です。
「因縁が煩悩から生じる」なんて仏教書はそもそも存在しないが、
悪業は煩悩から生じる、というのが正しい記述で、いかに桐山さんが
仏教書など実はろくに読んでいないかがわかります。
違うというなら、ぜひそのような仏教書を示してください。

『霊障を解く』 P.219〜220
「では、その悪因縁というものは、いったいどこからきたものか?
むかしから、仏教書では、因縁は煩悩から生ずると教えております。
それはたしかにその通りでしょう。悪い因縁は煩悩から生じます。
しかし、じっさいに人の運命をみておりますと、そんな形式的な、いうならば概念的な
ものでは、なっとくできないものがあるのです。」
[194]名無しさん@3周年 05/05/31 21:03 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
269 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:57:33 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

>>268に引用したように、桐山さんは、悪業が煩悩から生じるという表現を
「そんな形式的な、いうならば概念的なものでは」
と切り捨てている。
仏教では悪業(悪因縁)は煩悩から生じるから、煩悩を切れという。
だが、桐山さんは煩悩を切ることを形式的、概念的と批判した。
煩悩を切れというのは形式的、概念的なただのオシエにすぎないと
唾棄したというほうが適当でしょう。
釈尊の教法の根本を形式的、概念的だと侮蔑して、否定した。
しかし、桐山さんが形式的、概念的でオシエだとして切り捨てた煩悩は、
宮本教授によれば、自覚し断ちきることは、ほとんど不可能だというくらい難しいのです。
信者さんたちに、桐山さんと学者ではまったく意見が違うことに気が付いてほしい。
これを見ても、阿含宗は普通に釈尊が説いたされる仏教はまるで違うのがわかります。
星祭さんは学者が桐山さんの説を否定しているのを紹介してくれた。
[195]名無しさん@3周年 05/05/31 21:04 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
270 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:04:52 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

信者さんたちは星祭さんがユビキタスさんに何を言いたくて噛みついたかわかりますか?
星祭さんの一番強調したいのは、無明(渇愛)などは、
「自覚することがほとんど不可能」「抑制不可能」
「ほとんど抑制不可能な盲目的衝動」「衝動的な欲望」
という点です。
これを指摘したのは、桐山説を否定することになるとは気が付かなかったというオマヌケの他に、
星祭さんは、ほとんど不可能だからできない、と言いたいのです。
桐山さんから、因縁切りは素人には不可能であり、
成仏力をもった者以外に絶対無理だと教えられ、信じ切っている。
桐山さんは煩悩すらも成仏リキがないと切れないと釘を刺している。
成仏力という特殊な力がない限り、まったく無力だと教え込まされている。
だから、「ほとんど不可能」→「不可能」と彼の頭の中では変換されているのです。
桐山さんの助けのない自分の努力など無駄だと桐山さんから教え込まれ、魂に刷り込まれている。
[196]名無しさん@3周年 05/05/31 21:04 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
271 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:13:02 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

星祭さんが大好きな単語を宮本教授は書いている。
「盲目的衝動」「衝動的な欲望」
ソンディ心理学などでおなじみの単語で、桐山さんが心理学などを持ち出して、
いかにも科学的な根拠があり、学者も認めているかのように信じ込まされている。
だから、星祭さんはこれらの単語を聞くと条件反射のように、
煩悩すらも切ることは桐山さんの成仏力の助けなくしては不可能だという
植え付けられた概念を頭の中でくり返し、もっと強く確信する。
三十年に渡り、桐山さんからオカルト仏教で教育されているから、
星祭さんはまるでオカルト仏教の薫製みたいな状態です。
無明の自覚もこれを断ち切ることも、もちろん困難です。
しかし、不可能ではない。
小学一年生が微積分や量子力学を理解することは「ほとんど不可能」だが、
少しずつ勉強していくことで、中学や高校になれば、理解できるようになる。
これと同じで、無明のような根本煩悩もやがては断ち切れるからこそ、
たくさんのアラハンが出現したのです。
[197]名無しさん@3周年 05/05/31 21:04 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
272 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:22:42 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

信者さんたちには、鏡に映った自分の姿として、星祭さんに現れた「無力感」を見てほしい。
自分の力ではどうにもならないことだから、
桐山さんの法力に頼るしかないという考えから、彼は一歩も出られない。
だから、宮本教授の「ほとんど不可能」という言葉に飛びついた。
桐山さんにしっかり飼育され、阿含宗の家畜小屋から出たら、
まともに生きていることもできず、悲惨な目にあうと信じ切っている。
ご主人様の力に頼らないとたちまちカルマというオオカミが襲って来て、
ご主人様に従順であれば、おいしい功徳というエサがもらえると信じて、
自分の無力さに怯えきり、萎縮した家畜です。
しかも、星祭さんは自分の姿への自覚すらなく、野を駆ける野生の馬だと信じ切っている。
信者さんたちは釈尊から来る成仏力という力をいただいていると信じているが、
阿含経のどこを探しても、釈尊は成仏力なる力を他人に授けるとか、
助けるとか、煩悩や業を切ってやるなどと説いたことはありません。
どんなに難しくても煩悩を切るのも自分、
悪業をなさないのも自分、善業をなすのも自分です。
釈尊は方法を教えるだけで、煩悩を切るのは自分自身であると説いている。
[198]名無しさん@3周年 05/05/31 21:05 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
273 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:28:55 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

釈尊は自分の力に頼れなどと言ったことは一度もないばかりか、はっきりと否定し、拒絶している。
釈尊に頼る心を出したアーナンダを厳しく叱責したのが、自灯明、法灯明の話です。
アーナンダが生前、アラハンになれなかった唯一最大の理由が、
釈尊に頼る心を持っていたからです。
彼は頼るべき相手がいなくなって初めて頼る心に気が付いて解脱した。
釈尊が成仏力なるもので、業や煩悩を断ちきってくれるのなら、
ずっとそばに付き添っていたアーナンダが解脱しなかったのはおかしい。
釈尊はいかなる意味でも、彼に頼ろうとすることを拒絶した。
その釈尊に力を下さいとナモナモするのはおかしい。
その釈尊の力で煩悩やカルマを断ちきってもらおうというのはおかしい。
星祭さんはこのおかしな信仰から一歩も出られないどころか、
逆に、これを誇りとして、他人に高飛車に説教している。
外が怖くて家畜小屋の隅で縮こまっている自分の姿が見えないからです。
彼に見えないのは仕方ないから、信者さんたちは彼の姿は自分の姿でもあることに気が付いてほしい。
[199]名無しさん@3周年 05/05/31 21:05 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDr1D
274 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:35:47 ID:ICjwIiXh
>[180]星祭@善因楽果 05/05/31 09:46 iJYtKODklX
>彼が「誰か功徳を積みたいものはいない か」と呼びかけたところ
>ブッダ釈尊が応じたというのは有名な話し、

この話が星祭さんには、徳を積んで、運をよくするという御利益を得ようとしたのだと見えるらしい。
何を読んでも、何を説かれても、星祭さんの頭では、
釈尊の力に頼り、そこから流れ出る功徳という御利益をいただくという
さもしい餓鬼信仰から一歩も出られない。
釈尊が弟子のために針に糸を通した話は、御利益話ではありません。
釈尊は糸を通して弟子を助け、喜びを与え、弟子の喜びは釈尊の喜びです。
これを功徳といっているのです。
釈尊は糸を通した見返りなど何も期待していないし、受け取ってもいない。
相手に喜びを与え、自分も喜びを得た、それだけです。
いかなる見返りも求めず、相手に良いことをなすことを仏教で善業というのです。
信者さんが釈尊のために針に糸を通してあげても、
釈尊はお礼はいうだろうし、喜ぶだろうが、あなたが期待するような功徳も何も返してくれません。
また、それを期待するのは仏教徒としては失格です。
なぜなら、それこそが煩悩だからです。
星祭さんの解釈を見ていると、桐山さんと同じで餓鬼そのものです。
功徳という見返りが欲しくて欲しくて、何を読んでも、
どう言われても、すべて見返りでしか物事が考えられない。
桐山さんという大餓鬼から三十年に渡り、餓鬼の教育を受けてしまったからです。
信者さんたちは、星祭さんをよおく反面教師として見ることです。
信者さん全員が釈尊相手に取引信仰をする餓鬼に墜堕したいはずはない。
[200]ユビキタス 05/05/31 21:18 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
愛は永遠なり。
嗚呼。
愛は平和ではない。
嗚呼。
愛ちゃんは藍ちゃんより年少にしてシャラポワよりも年少なり。
嗚呼。

とウォームアップ(?)はこのくらいにして・・・。

>>188
まあ占いに気をとられて陰シツ録では確乎たる運命軌道が存在してたのを転換したとみる
のは好き好きなんだけどさあ・・・
それに対して釈尊はどうしてはっきり運命転換を説かないのか悩むのも好き好き
なんだけどさあ・・・
そんなら釈尊なんか捨てて運命転換をはっきり説く陰シツ録の道を目指して善事実行の道を
選べばいージャンと思うのだが、大きなお世話か?
初めに阿含宗ありき。
阿含宗は正しい仏教なのだ。
これは宇宙の絶対真理なのだ。
だから仏教の教理は宇宙の絶対真理なのだ。
陰シツ録は仏教ではないが、仏教でも説かないことを説いているように見えるが
なんと言っても仏教は宇宙のチャンピオンなんだから、きっと陰シツ録で説いている
運命転換だって本当は説いているんじゃないかと僕は思う。
仏教は愛にあふれているから僕の望んでいるものがあるはずなんだ。嗚呼。
だから僕は善事実行の立命の学なんてやりたくないから、やっぱ最高の仏教の最高の
阿含宗にこれを求めよう。
おお!奇遇だ!阿含宗も運命転換を説いている。
だからやっぱ仏教は運命転換なんだね。

しかし>>186-187のこうもりさんみたいに割り切って仏教なんか好みにあわないから自分はバラモン教の
方がいいと自分の嗜好に素直になるのも一種の自己確立かも知らん。
阿含宗にこだわる必要もないと言えるが。どっちもどっちじゃのう。

で、次回の新著の宣伝コピーです。

温故知新――いまこそこれが希求される時代はないのではなかろうか?
因縁解脱に密教を求め、さらに古く阿含経にまで遡り阿含宗を打ち立てた著者はついに
さらなる古い道を見つけた。
バラモン教――そう、全ての真理はここにあったと悟った著者はついに婆羅門宗に改宗を果たした。
この護摩もあり、占いもありのバラモン教こそ、錯綜に満ちた現代に最も適している
と言え、破滅の危機に瀕した現代では、自己確立なんて甘いことを提唱する仏教は
通用しないのである。
仏教も為し得なかったカルマからの解脱を果たすのである。
ここに古代インド5000年の秘密技術がある。
ん?なんか昔説いたような?

―――「バラモン宗教いま」広告文より
[201]○○屋 05/05/31 21:50 o3dmxNPbRC
あはははは・・・あなたは、「おちょくりゴン」の聖者でしたか・・・

よくわかりました。これだったのですね。このおちょくりを東の国の掲示板に構築するのが使命だったのですね・・・あなたの目的は達せられました。速やかに仏界に行き二度と現世に戻りませぬことをお祈り申し上げます。
[202]こうもり 05/05/31 23:06 f0d/0/hm2k
>>200 大爆笑!ひ〜〜〜〜。サイコー!
でも、もう一度真面目に、よく読むと的を得てますよね。本当に。
だってこのほうが教義に矛盾もなく完璧ですし。
自分は1年前は、アゴン宗が阿含仏教かと本当に思ってましたが、さすがにこのスレ1年いると気付きます。
私の進歩ですよね。
星祭さんも「猊下はさらに進化されている」 的なことをカキコされてた記憶ありますから、
「次回の新著」の予想は案外当たるかも?
[203]こうもり 05/05/31 23:12 f0d/0/hm2k
>仏教も為し得なかったカルマからの解脱を果たすのである。

ここが一番ウケタw
[204]星祭@メチャ 05/05/31 23:16 iJYtKODk17
>名無氏へ、だから、きわめて難しい無明(タンハー)をどうするかでしょう。ユビ氏はいとも簡単に煩悩を切ることだということを言っているがそんなものではないと宮元教授の論をだしてのべたのです。、釈迦が成仏力をさずけるとか誰がいいましたか?あなたの言うことはめちゃくちゃですね。釈迦の成仏法を修行すると成仏力がそなわる。とはゲイカは言っておりますが、人の話しを理解する事の出来ないというのは誰かさん以上ですわ(笑)。
[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>199、経典なり学者の解説をよく読め!釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。喜びって、なに喜ぶの(笑)。師と弟子の馴れ合い漫才じゃあるまいし、「願い」という言葉だけに反応して願いといえば欲望をかなえるとしか思われないその根性をなおすべきでしょうな。「やったぁ〜お釈迦様が糸としてくれたぁ〜!」
[206]星祭@アヌルッダ 05/05/31 23:45 iJYtKODk17
アヌルッダは喜ぶどころか恐縮していた。しかし、釈迦の「私も願いがある、人々の平安と解脱を求めるものである、世間の福を求める人でわたしを過ぎる人はいないであろう。」の言葉に感銘をうけた。
[207]星祭@阿那律 05/06/01 00:04 iJYtKODk17
この経はその末尾にいたって一つのゲを記している。「この世のあらゆる力のうち、幸いの力こそもっとも勝る。人天の世界にこれに勝るもの無し。仏道もその力により成る。」(増谷文雄著、ブッダ・ゴーダマとその弟子たち)
[208]栗花 馨 05/06/01 00:06 FFRU60AvNU
もとは修験です。
[209]星祭@阿那律2 05/06/01 00:10 iJYtKODk17
な、なんと、お釈迦様みずから、善行による功徳、幸いの力はこれに勝るものがなく、仏道もこの力により成るとおっしゃっておるではございませんか!あながちエン凡了の行いも的外れではございませんね。こうもりさんが言われる瞑想、錬行をおろそかにしているという意見は否めませんが、梵行をバカにするのもちがうということでしょう。
[210]ローマカトリック 05/06/01 00:11 /nvkdZFHGs
とにかく勧誘するのやめていただきたい。選挙の時だけ電話してきて友達のふりするのやめていただきたい。他の宗教は間違ってるんだよとか本当に迷惑。宗教を学ぶ前に法律学んでくだい。公明党党首年金未払い問題外。創価学会という宗教は本当にすばらしい、しかし会員がダメすぎる。本当に創価学会のことを池田名誉会長を尊敬しているなら脱会すべきです。あなた達ほどの矛盾は見た事がない
[211]栗花 馨 05/06/01 00:12 FFRU60AvNU
いいですか
本来はね。秘密です、ひみつ。
密教食は秘密で売買し秘密でもぐもぐ食べるのです。
秘密です。しられてはいけない。
[212]栗花 馨 05/06/01 00:24 FFRU60AvNU
アダムからジーザスまでの42世代の荒野
エデンではないところが荒野です。
神が備えられた避難所
創造主の創造のマリアなのでそこで荒野から守られたのです
創造主の創造のマリアは、
安息のジーザスを宿すことが出来るのです。
神が備えられた避難所 は、
神の愛である創造主の創造のマリアと安息のジーザスの救済を
神が守る無原罪のフィールドです。
「婦人は荒野に逃れたが、そこには、1260日間婦
人を養うために神が備えられた避難所があった。」
(聖ヨハネの黙示録12:6)
マリアはイヴミトコンドリアではありません。
創造主の創造のマリアなのです。
創造主の創造のマリアは、
安息のジーザスを宿すことが出来るのです。
そこに間違いはないのです。
マリア様はそれゆえに三位一体たらしめているのです。
間違いはないのです。無原罪は三位一体たらしめているからなのです
安息のジーザスゆえに神の創造のマリアには間違いはないのです。

安息のジーザスゆえに贖罪と救済があるのです

またこの理解には、ヨハンが重要なのです。
「婦人は、荒野の自分の避難所に飛ぶた
めに大鷲の二つの翼が与えられたので、蛇を離れて、一時、二時、また半時の間
養われた。」(黙示録12:14)
蛇を離れてとは、イヴを誘惑した失楽園の蛇です。
無原罪なのです。
大鷲の二つの翼が与えられたのでとは、また無原罪であるゆえのことなのです
[213]栗花 馨 05/06/01 00:27 FFRU60AvNU
が、
シュメール文化(クサビ文字の記録)はモーセ五書より1000年以上前です。
その「クサビ文字の記録」の内容をあきらかにまねている箇所が大部分です。
キリスト教を信仰するヨーロッパ人たちは聖書に書いてあることは真実の物語と考えていたのですが、
『ギルガメシュ叙事詩』が発見されることによって、
旧約聖書が成立する1000年以上前に、その元の話があったことがわかった
旧約聖書をつくったのはヘブライ人という人たちです。
かれらは前10世紀頃に自分たちの国家を建設するんですが、
それ以前は部族ごとに分かれて牧畜などをしながら
メソポタミア地方からエジプトにかけて放浪生活をしていた。
豊かなシュメールの土地に住みたいけれど、
そこに入り込むだけの勢力がなかったんだろう。
なぜ、自分たちはあの豊かな土地に住めないのか、という不満・不運を自分たち自身に
納得させるためアダムとイヴ楽園追放の物語がつくられたのです。
[214]栗花 馨 05/06/01 00:29 FFRU60AvNU
秋田に白人系日本人をときどき見かけるが
どこから来た民族なんだろう。
いつも不思議に思っている。

そんなことより

ヨセフですよヨセフ

彼が重要なのですよ。
[215]栗花 馨 05/06/01 00:32 FFRU60AvNU
イエスキリストは大工の父から聖なるトレーニングをうけたのです。
キリストの父親、聖ヨセフは、東方の賢人の仲間です。
フリーメイサンです。

ジーザスをゴッドパワー鍛えたのは彼です。
ジーザスは、土方とかもやったのでしょう。
ジャッキーチェンの映画や少林寺映画の修行シーンにジーザスを重ねてみてください。
ミラクルの修行をされたのです
考えるな!かんじろ!
きびしい修行はつづきました。
安息日にはゴッドミラクルパワーを充電しました。
ナチスはジーザスのつくった椅子をさがしていました。
安息の椅子です。ゴッドミラクルパワーをそこで充電していたのです。
世界を支配する奇跡のちからをえるといわれていました。
[216]栗花 馨 05/06/01 00:35 FFRU60AvNU
で、クリスチャンナチズムの敵とは?

「ユダヤ人とは誰か―第十三支族・カザール王国の謎」
1500万ユダヤ人の9割を占める東欧系ユダヤ人は、
『聖書』の民、セム系・ユダヤ人ではなかった。
『ホロン革命』のケストラーが自らのルーツを探り、
世界のタブー=ユダヤ人問題に挑戦。

[217]栗花 馨 05/06/01 00:41 FFRU60AvNU
第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も
日本への原爆投下のために尽力した。
1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」が
ティニアン島から離陸する直前、

牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、
お願いです、あなたの天の高さに向け、
我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。
これからも我々はあなたを信頼しながらこの世の道を歩みます。。。
(全テキスト: H. Gollwitzer "Die Christen und die Atomwaffen" 1957からの引用)」
と祈りました。
キリスト教の神の助けにより7万人が広島で翌朝8時半即死しました。
その後5年間に20万人の命が失われました。勿論、神様に感謝しました。彼ら、あのアメリカのクリスチャン達が。
冷戦時代、両教会は水素爆弾の開発や配置をも支持しました。
“あなたの嬰児を取って岩に投げ打つ者は幸いです!”詩篇. 137:9.
ラスカサス(Bartolome de LasCasas)ドミニコ会の宣教師(1474-1566)は、
中米を征服したスペイン人が実際にインディオの赤ちゃんを母のおっぱいから引き離し、
岩に投げつけ殺したのを目撃したと書きました。
ところで、アフリカからアメリカへの黒人の輸入は、
インディオを守るためのラスカサスのアイディアでした


[218]栗花 馨 05/06/01 00:43 FFRU60AvNU
戦時中、教会がヒットラーを敬虔なクリスチャンと褒めてたよ
ヒットラーは教会の人優遇保護し守ってたんだよね
[219]栗花 馨 05/06/01 00:45 FFRU60AvNU
神はおっこっるっで〜 ほんまに

四世紀の聖アンブロシウス(カトリックの四大教父の一人)は
アリアン教という異教を信じていたゴート人を殺してほしかった時、
ゴート人は旧約聖書のゴグ民族(ユダヤ人のライバル)と同じく
神の目障りであると主張しました。
聖アウグスチノもそうでした。
旧約聖書を使ってマニ教の信者殺しと礼拝堂の破壊と求めました。
マルチン・ルターも聖書を引用しながら、
プロテスタント信者達に
ユダヤ人の虐殺やシナゴーグの放火へと扇動しました。
農民の反乱の時も反乱者を鎮圧する為に聖書を利用しました。
[220]栗花 馨 05/06/01 00:46 FFRU60AvNU
第一世界大戦の時、
ドイツの司教達は旧約聖書中にある様な好戦的気分に陥り、
ドイツ兵の武器に十字を切って、神の加護を祈りました。
ドイツの枢機卿ファウルハーバーは、
ドイツのフランス出兵は反神的国家主議(フランス)への
永遠の道徳律(ドイツは当時まだ帝国で、全体として遅れた国でした)の勝利だと述べました。
プロテスタント司教もドイツ側が戦争に勝ちそうな時には、
神に感謝しました
ベトナム戦争の時、
アメリカ合衆国の司教達はこの戦争は十字軍遠征だと言いました。
カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で
南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。
また、プロテスタントの牧師キュンネト(Kunneth)も、
原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました。
それはあの広島・長崎原爆投下の十三年後の事でした。

[221]栗花 馨 05/06/01 00:49 FFRU60AvNU
カールハインツ・デシュナーは色んな歴史の研究者(教会の研究者を含めて)の論文を調べた結果、
ローマ時代のキリスト教信者を襲ったという「十回の迫害波」は伝説、
つまり 作り話し でしかなかった事が判明しました。
キリスト教の偉大な人物オリゲネス(254年死亡)は
キリスト教の殉教者の数は10指に満たないと述べました。
ネロ(54ー68)のキリスト教大虐殺も実際はただの放火者の死刑でした。
当時の歴史学者、スエトン(Sueton)とタキトゥス(Tacitus)は、
反ネロであったにもかかわらず、
キリスト教の放火者の裁判はネロの善の行為だと書き残しました。
ネロは国民から愛され、
焼失したローマの一地区の再建に私財をつぎ込んだと言われています。
キリスト教の宣伝に描かれている様な悪魔の人物ではなかった様です。

殉教者の多くは狂信者で、ローマの神々の神殿、祭壇や彫刻等を糞尿で汚すなどの無礼な行為や冒涜を行っていました
現代の生物解剖学の創立者ベサリウス・アンドレアス(AndreasVesalius)は、
異端審問の法律に基づいた拷問を受けた後で、
当時フィリップ2世時代のマドリッド市街中を引き回されれ、
扇動された賎民の怒りの犠牲となりました。
その後、彼は極端に衰弱した体にもかかわらず生物体解剖研究のゆえ異端裁判にかけられ、
その判決により、エルサレムへの聖地巡礼の旅を余儀なくされました。
そしてその巡礼の旅の途中、
1564年ギリシャのサキントス島(Zakynthos)で亡くなりました。
現在、百科事典で彼がエルサレムの聖地巡礼の旅で死亡したとの記載を見れば、
この学者はなんと敬謙なキリスチャンだろうと思うに違いありません

[222]栗花 馨 05/06/01 01:02 GoRGEoUS
神はおっこっるっで〜 ほんまに
桐山氏>>>>>>>>>>>>>>>ヨハネ パウ

黒人 奴隷 マイケル ユダヤ資本 スリラー ゾンビ 子供の精気 白化

キョンシー
大虐殺が有ったにもかかわらず人口が増えた南京 ユダヤ商人

死後のジーザスはエンジャルズンビ
死体をうごかす第十三支族カザル呪術
クリスト教の暗部にカザル魔導師がいる。ナチは戦っても呪ころされた。
[223]栗花 馨 05/06/01 01:04 FFRU60AvNU
マイケルは一度死んでいる。
[224]栗花 馨 05/06/01 01:06 FFRU60AvNU
ネバーランドの風水はカザル魔術的配置
[225]ユビキタス 05/06/01 08:48 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>204
いとも簡単に煩悩が断ち切れるなんてことは誰も申してません。
些細なことでもそれまでの悪習とか悪い考え方を変換するということは努力のいる
ものなのです。
思えばこうして阿含宗批判の書き込みを続けているのも阿含宗思考に慣れて染み着いた
己の煩悩をひとつひとつ破壊していく作業に他ならない。
アナコンダ・ジミズ先生の言うように「これって詐欺だよね?ね?ね?」と確認し合っている
のでなく、常に自分の頭で詐欺であることを批判でき、次に似たような詐欺に飛びついて
しまうかもしれない煩悩を退治しているのです。
それにはある程度の努力が必要です。
エン了凡もまた占いの名人に過去を含めた生涯を言い当てられた。
その占いを信じ、それを分析して自分の資質ではある段階以上までは行けぬと悟り
諦めの境地にいた。雲谷禅師にあって、そこまで分析できるのならその資質を高めるように
努力すればよいではないかと諭された。
怠け癖がついてる奴は出世できませんよね。性格が悪く協調できない奴も出世できませんよね。
自分のことしか考えない奴も大きな目でしかりです。
だから善事実行というこれまでと180゜違う生活改革、自己改革に乗り出した。
まず雲谷禅師の教えを頭で理解して受け入れたのが煩悩を解き放つ第一段階です。
しかし長年染み着いた悪習はそう簡単に取れるものではない。
陰シツ録では息子に対する教えとして人が運命を変えられない(あるレベルのままの
自分を維持するとそのレベルでの人生しか展開しない)のは自己改革に乗り出しても
過去の習慣に押し流されて続かず元の黙阿弥に終わることを因循と言っている。
因循とは煩悩なわけです。
事実エン了凡も善事実行をいとも簡単に果たしたとは書いておらず、善事を為したと
思えば悪事を為してしまい台無しになり、酒を飲んで乱れたり、挫折しそうになり
紆余曲折だったのです。
もっともな話だが彼は三千の善事実行に十余年を要した。
十余年も継続して続けたところが偉いのです。継続は力なり。簡単にはいかない。
タバコが健康によくないと理解することは容易だが、タバコというのも習慣性のあるものだから
なかなか簡単にはやめられない。まさにわかっちゃいるけどやめられね。
しかし真剣にやめねばと思った人は本当にやめます。超人でなくても。
ましてやエン了凡など根源の煩悩を断って輪廻を断ち後有を受けざる涅槃に入った
なんて書いてない。
[226]こうもり 05/06/01 10:19 f0d/0/hm2k
ジーザスは空白の期間、インドのダイバダッタの教団で修行しました。
[227]○○屋 05/06/01 11:11 D-Oab/h
ユビキタスさんの誤りは、『タバコ(禁煙)』と『運命』とを同レベルに考えていることですね。嗜好には因果関係はないが(厳密にはあるかもしれないが)人生は因果関係によって成り立ちます。
袁了凡は、運命を指摘されて現実にその通りになった。つまり、現実形成力(行)の構成要素を指摘されてその通りになった。先にも述べたように、ある指摘をされたからそうなった、とは到底考えられず因果関係を指摘されたと考える方が自然です。
ここから、あなたと私の思考が分岐します。
あなたは、『原因となる性格を改善すれば指摘された運命が修正される、実際そうなった』この考え方はブツダが『断見』と説いた考え方に近いものです。
わたし『性格などは、形成されるのに原因があり突き詰めると無明にまで遡って修正されなきゃならんのんとちゃう?』
袁了凡のとった行動は『善行』である。これは、『意識と行為』の改善である。しかし、それだけではない。彼が善行を積んだとき、つまれた相手があるはずであり、その要素が彼の運命軌道の修正をなしたのではないか。そういえば先程星祭さんからレスがありましたね。
それから、キリストの件。あれは、かなり前質問がありました。その時の答えは、ああいう死に方でキリスト教が成立したわけだから、『刑極・横変死の因縁』のごとき悪因縁は関係ないそうです。
[228]ユビキタス 05/06/01 13:33 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
星祭さんへのレスは彼が反レスを直接つけた名無しさんが答えてくれるでしょうから
おまかせしましょう。
私は○○屋さんと議論を続けることにします。

>>227
タバコと運命は因果関係があります。
喫煙の習慣とガンの関係とか医学の知見を借りて阿含宗もまたこれを因縁論に組み込む。
つまりガンの因縁ありき。しかしガンの因縁があったからと言って、すぐにガンになる
のでなく、因果の法則に従ってガン細胞ができて広がるわけです。
ガンになりやすい食生活、生活習慣、心構え・・・サプリメントなどの栄養指導も運命転換の
現実指導の一面なのです。禁煙、節煙なども含む。
タバコが因で肺ガンが果です。
阿含宗では因というよりも縁としている。ガンの因縁先にありきで、この因縁の遂行を助ける
縁を重視します。
断見とは前世も来世も一切認めず、運命など一切ない自由とする。
これに対して常見とは永遠常住の我を認め、定められた宿命を説く。
断見でも常見でもない仏教の立場は運命転換などは説かないが、カルマの流れを関係の法則
で説明することにより、滅し生じる相依性を説き絶対性を否定した。
いわば空なわけです。
空を桐山教学では物事全て因縁次第と説明し、さらに縁次第と協調します。
因があっても縁を変えれば果は生じず因縁は変えられる。運命は変えられるという主張です。
しかし○○屋さんのようなことも説き限りなく常見に近づけてもいる。
つまりタ最初からそのヘビースモーカーの生活を選ばせる衝動があって、この衝動が
ある限りその衝動選択から逃れることができない強制力を持つわけで、そのタバコもアルコール
もこの衝動によるものだから、この因を法で滅しなければならないのです。
だから縁を変える教えだけではいかんともしがたい。
そのへんのところを○○屋さんの唱える無明の煩悩の衝動と捉えたいのかと推察する
次第なのですが、これの転換の法とやらはそれこそウマの脳だかワニの脳だかを
作り替える特殊技術を提唱したのが桐山成仏法論です。
あるいはこの衝動に霊障が絡んで霊障解脱の供養が必須となる。
時間切れにてつづく。
[229]こうもり 05/06/01 14:16 f0d/0/hm2k
理論のやり取りの最中、横レスですが、実際にはねえ
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会― [159]
[230]○○屋@指 05/06/01 14:28 D-Oab/h
『ではその因縁だか霊障だかの根拠はというと、居もしなかった信州だか越後だかの、かつて自分の爺さんが斬った十八人だかの武士の怨念だといい、居もしなかった武士を霊視して判った、というからお笑いである。』

むむむ、フォースがそういうレスがあると教えている。暗黒面が広がっておる。指に気を付けるのじゃ。何か感じたら、人差し指を舐めて眉をこすれ。ダークサイドに気をつけるのじゃ。一度暗黒面に落ちたら二度と戻ってこれん。(って、エピ6で戻ったよ、アナキンは・・・)
[231]こうもり 05/06/01 14:43 f0d/0/hm2k
私の知人でも増谷先生の本にハマってついに辞めた人いますからね。
皆さん阿含経には要注意ですよ。
智慧を求めるならナータ派のヨーガの「ゲータンダサンヒター」がお勧め
[232]○○屋 05/06/01 14:49 D-Oab/h
ああ、少々古い表現だが・・・まるで壊れたレコードから同じフレーズが繰り返されるようだ。
それともコレが『デジャブ』なのか?

トリニティ『今何て言った?』
ネオ『デジャブと』
モーフィアス『急げ』
ネオ『?』
トリニティ『デジャブはシステムに何か侵入した時に起きるのよ』
[233]○○屋 05/06/01 15:08 D-Oab/h
次にkotaro先生が登場し、十八人武士の解説が入り、なぜかコレにはユビキタスさんは即レスしない。で時々超オソレスで彼をオチョクル。
で、ユビキタスオチョクリモード全開で次に新規参入のサンドバック候補生を待つ。待っている間に擁護側・批判側のお歴々がくんずほぐれつ。かくして、スレは掲示板の歴史と共に、サーバーに刻まれてゆく・・・・
[234]ユビキタス 05/06/01 15:09 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>230
いやいや、今回はそれを出す計画はござらんから安心めされよ。
それ(上意討ち霊障の武士の嘘)を出したら実も蓋もない。出す時は出して息の根を止める。
しかしいきなり先にこれを出したら論点が見えなくなるのだ。とどめを刺して
殺してしまう以前に決着を付けたい批判がある。
むしろ私のフォースは○○屋さんの言う無明の処理とはそんなことではなく勝手読みをするな
というレスを想定していた。それに対する私のレスは、こちらは○○屋さん個人の
ごんす仏教学などどうでもよく、あくまでも桐山阿含宗が相手だから桐山因縁論を
まず示して考察に入ろう・・・と予定しとったです。
桐山因縁論の模範を示していくと、信者としてはうんうん、そうだそうだと頷く一方、
少し賢明ならば、自分の立てた仮説にもならん論のごときが形勢やばくなるんとちゃう?
という不安感に襲われるはずで、そういうフォースを持っていただきたいものと存じ申す。
ではまた後で。
[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq
もう一度、田を耕すバラモンの話を書きたい。
皆さんは、どう読み取るか、ですね。十人十色でしょうが。
釈尊が托鉢に行くと、バラモンが「あんたも耕作して食え」といった。
釈尊が「我も耕す」と言い、修行の意義を話した。
すると。バラモンが納得して施食しようとした。
すると釈迦が言った。
「詩を唱えて、(報酬として)得たものを、私は食うてはならない。・・
 中略・・煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては、
 他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための福田
 であるからである」←中村元氏訳。

私の解釈は、釈尊のような方々へは、芸人などへお花をあげるようなつも
りで施食してはいけない、ということです。大道芸人などへ、芸の見返り
としてお花出す人がいますね。そのように、詩を唱えた見返りとして供養
してはいけない、と、釈尊は言ったのですね。そして、我は福田であると
も宣言しております。べつに取引信仰云々の問題ではないでしょう。
[236]○○屋@社長 05/06/01 15:42 D-Oab/h
ある日のユビキタス氏


社長『ユビキタスくん、勤務中にパソコンで遊んでちゃいかんだろ!』
ユビキタス『遊んでいるわけではありません。日本を建て直すべく、ユビキタスオチョクリごんの聖者としてネット掲示板で愚民を洗脳しておる処っす。』
社長『そうか、頑張ってくれたまえ。』
ユビキタス『はい、掲示板で頭と下半身の一部が時々とても堅くなるアホがいます。』
社長『うん、そうか』
ユビキタス『そいつは、頭はよいが多分女にも持てるし金ももっている、欠点のない偉い奴なんですが、スケベでアホなんです。』社長『そいつのハンドルはなんだ?今度ガツンと言ってやれ』
ユビキタス『はい、○○屋ですが』
社長『それは、俺だ・・・』ちゃんちゃん


オマヌケユビキタス氏の一こまでした。
[237]○○屋 05/06/01 16:02 D-Oab/h
使者さん

その逸話は以前私もカキコしたことがありますが、ユビキタスさんがご丁寧に屁理屈コネクリ回して、批判材料に料理されました。

普通に読めばあなたの解釈で何ら不都合はないと思います。
[238]大王の使者 05/06/01 16:03 lPSJb/jtbq
桐山師は「求聞持聡明法秘伝」と「脳と心の革命瞑想」の本に、医学博士の
村木弘昌氏の著書の文を引用しております。「釈尊の呼吸法」という、初版
が1979年に発行された本ですが、私もその本を求めてすでにいくらか、
実習しておりました。アナパーナ・サチ(念)を、阿含経を引きながら解説
した本です。この本も大変勉強になりましたが、桐山師の本の方が数段、奥が深いと思った理由は、気が向いたら後で書きます。
村木氏の「釈尊の呼吸法」には、とても興味深いことが書いてありました。
それは、「もし私どもに天災や人災の宿命がふりかかってきても、三十七
品経を念じ行ずれば、その障害を消すことができるのだ。」と、書いてお
ります(P227)。残念なことは、それがなんと言う経であるかは、記しておりません。桐山師は当然、ご存知のことであると思っています。
興味のある方はどうぞ、お探しください。
ご存知の方は、教えてください。
[239]ユビキタス 05/06/01 17:25 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>232
デジャブで思い出したんだが、その後高木ブー以外に管長候補が出てないでないか?
だめだこりゃ。

シシャさんはいい本を読みながら・・・信じられんなあ。
京極夏彦のミステリー小説「姑獲鳥(ウブメ)の夏」で、目の前に死体が転がっていながら
妄執に囚われた人はそれが見えないというかなり苦しい設定があり、映画化にできない
理由なんだが、シシャさんを見ているとまんざら嘘でないとわかる。
死体を見て死体ですよと書いてあるのに死体であることが認識できない。
勉強になるなあ。

で、また後で。
尚、私は職場のパソコンでカキコってほとんどしないのよ。最近は全然。
自分の執務室にはパソコンなく別の部屋に行かねばならんのだが、わざわざカキコに
行く気もない。
○○屋さんは今日はドコモだね。私がauのWINからだってわかるっしょ?
そのかわりアダプター持参で電源しっかり頂いているのだが。
まあ今日は比較的暇っすね。
そろそろ歯医者に行かねば。
[240]大王の使者 05/06/01 18:25 lPSJb/jtbq
悪貨は良貨を駆逐する、て言葉がありますよね。
良いものは誰でも家庭にしまいこんで、悪いものを世間に流通させる、というものです。思い当たりますねこのレスも。横行しているのは、○○ですか
ら、皆さん、騙されないように。口数多いのは、騙そうとする手口で、口数
多いから正しいと言うものではない。
正しいことは、口数少なくても済むのです。
もうわかってましたか?ハハ。
[241]大王の使者 05/06/01 18:29 lPSJb/jtbq
先ほどの○○は、○○屋さんとは全く違う意味ですぞ。
○○屋さんは、論理が明快で、私なんぞ全く、かないませんよ。
[242]こうもり 05/06/01 19:14 f0d/0/hm2k
240でシシャさんが○○と言ってるのは、ずばり、○○=仏教 です
[243]栗花 馨 05/06/01 20:35 FFRU60AvuL
乳粥=仏教
[244]栗花 馨 05/06/01 20:38 FFRU60AvuL
バラモンの真言>>>>>神

バラモン>>>>神々
[245]栗花 馨 05/06/01 20:42 FFRU60AvuL
……「提婆達多派は過去仏を供養するが釈迦牟尼仏を供養しない」という記述があるのは、『法顕伝』(平凡社の東洋文庫版『法顕伝・宋雲行紀』ではp.73)です。

『大唐西域記』ではカルラスヴァルナ国(平凡社の中国古典文学大系では第22巻のp.319)に提婆達多派の記述がありますが、過去仏云々は書かれていません。

なお、法華経と提婆達多派との関わりについては、やはり渡辺照宏先生が岩波新書『日本の仏教』のp.184で言及していました。
[246]栗花 馨 05/06/01 20:43 FFRU60AvuL
、『大唐西域記』のデイーバダッタ派はデイーバダッタを仏とあがめるのではなく、釈尊より前の神話的な過去仏をあがめて、釈迦牟尼物を認めない立場をとっていたようです。渡辺照光先生もそのことで肯定的評価をしておられます
[247]栗花 馨 05/06/01 20:44 FFRU60AvuL
渡辺照宏先生は(断定することは避けつつ)むしろ提婆達多の方が釈迦族の伝統的な信仰の流れを汲むものではないかという見解を述べていました(例えば、岩波新書『仏教』、pp.105-107)。
[248]職務乱用 05/06/01 20:46 /nvkdZFHGs
なんで選挙の時だけ…その変どうですか?自分がやられたら。
私の子供が風邪をひいた時助けてもくれないのに。
創価学会バーベキューに無理やり参加させられた時、かなりの人が飲酒運転 どうなんですこれは
[249]栗花 馨 05/06/01 20:47 FFRU60AvuL
釈迦と言う言葉は, いわゆるお釈迦様の出身部族の名前で,
お釈迦様の個人名ではない. 一般にはゴータマ・シッタールダがお釈迦様の個人名
とされているが, これは後の人がおくった謚(おくりな)の類だろう,
と書かれている. ではもともとの個人名はどうなのかと言うと, これが不明らしい.
誕生年も世紀単位で揺れがあるらしい.
釈迦はアーリア人(アリヤン人)ではなかったとか
[250]名無しさん@3周年 05/06/01 20:51 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
287 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:39:17 ID:YBMTxf7j
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会
[204]星祭@メチャ 05/05/31 23:16 iJYtKODk17
> 名無氏へ、だから、きわめて難しい無明(タンハー)をどうするかでしょう。ユビ氏はいとも簡単に煩悩を切ることだということを言っているがそんなものでは ないと宮元教授の論をだしてのべたのです。、
釈迦が成仏力をさずけるとか誰がいいましたか?あなたの言うことはめちゃくちゃですね。釈迦の成仏法を修行す ると成仏力がそなわる。とはゲイカは言っておりますが、人の話しを理解する事の出来ないというのは誰かさん以上ですわ(笑)。

[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
> 199、経典なり学者の解説をよく読め!釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。
喜びって、なに喜ぶの(笑)。師と弟子の馴れ合い漫才じゃあるまいし、「願い」という言葉だけに反応して願いといえば欲望をかなえるとしか思われないその 根性をなおすべきでしょうな。「やったぁ〜お釈迦様が糸としてくれたぁ〜!」

[206]星祭@アヌルッダ 05/05/31 23:45 iJYtKODk17
アヌルッダは喜ぶどころか恐縮していた。しかし、釈迦の「私も願いがある、人々の平安と解脱を求めるものである、世間の福を求める人でわたしを過ぎる人はいないであろう。」の言葉に感銘をうけた。

[207]星祭@阿那律 05/06/01 00:04 iJYtKODk17
この経はその末尾にいたって一つのゲを記している。「この世のあらゆる力のうち、幸いの力こそもっとも勝る。
人天の世界にこれに勝るもの無し。仏道もその力により成る。」(増谷文雄著、ブッダ・ゴーダマとその弟子たち)

[209]星祭@阿那律2 05/06/01 00:10 iJYtKODk17
な、 なんと、お釈迦様みずから、善行による功徳、幸いの力はこれに勝るものがなく、仏道もこの力により成るとおっしゃっておるではございませんか!
あながちエ ン凡了の行いも的外れではございませんね。こうもりさんが言われる瞑想、錬行をおろそかにしているという意見は否めませんが、梵行をバカにするのもちがう ということでしょう。

288 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:40:00 ID:YBMTxf7j
>>266-272の修正
正 宮元教授
誤 宮本教授
[251]名無しさん@3周年 05/06/01 20:52 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
289 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:44:52 ID:YBMTxf7j
>[204]星祭@メチャ 05/05/31 23:16 iJYtKODk17
>> 名無氏へ、だから、きわめて難しい無明(タンハー)をどうするかでしょう。
>ユビ氏はいとも簡単に煩悩を切ることだということを言っているがそんなものでは ないと宮元教授の論をだしてのべたのです。、

>>267,[192]ですでに述べているのが読めないらしい。
無明をどうするのかについては宮元教授も異論はありません。
学者なのだから、仏教の解脱とは煩悩を断ちきることだというくらい知っています。
阿含宗みたいに業を切ることが解脱だなどと書いていません。
宮元教授の主張は、無明をすぐに自覚できるほど簡単ではなく、
また衝動的に起きるのだから、簡単に切れるものではないと主張しているだけです。
こんなことは当たり前です。
ユビキタスさんも批判側の誰一人として、簡単に煩悩を切るなんて言っていません。
どうしてあなたはこういうこちらが書いてもいないことを書くのでしょう。
私が>>267,[192]に書いたように、難しいからこそ、
これを完全に切った人はアラハンであり、修行法があるのです。
宮元教授の説に反しているのは、批判側ではなく、煩悩を軽視する桐山さんのほうです。
[252]名無しさん@3周年 05/06/01 20:52 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
290 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:47:32 ID:YBMTxf7j
>[204]星祭@メチャ 05/05/31 23:16 iJYtKODk17
>> 名無氏へ、だから、きわめて難しい無明(タンハー)をどうするかでしょう。
>ユビ氏はいとも簡単に煩悩を切ることだということを言っているがそんなものでは ないと宮元教授の論をだしてのべたのです。、

相変わらず、星祭さんは私の文章など斜め読みか、読まないかのどちらかですね。
>>269,[194]で、煩悩を切ることを一ランク下に置いているのは桐山さんだと書いた。
煩悩を切ることを軽視して、軽くみているのは桐山さんのほうです。
桐山さんは煩悩を切ることを「小解脱」、カルマを切ることを「大解脱」と述べた。
また>>268,[193]に引用したように、桐山さんは、
煩悩を切ることを形式的、概念的と述べている。
つまり、桐山さんは煩悩を切ることを形式的、概念的な小さなことであり、
カルマを切ることこそ大きいことだと述べているのです。
桐山さんはカルマを切る「法」は四神足のみで、八正道などは「教え」だと言い捨てている。
こういう桐山さんの煩悩の軽視する態度に対して、
宮元教授は、煩悩は自覚することすら難しく、衝動的におきるから、
切ることはもっと難しいと述べているのです。
釈尊も宮元教授も批判側も、煩悩こそが最大の敵であり、
これを切ることが仏教の目的であるとしているに対して、
桐山さんのみはこれを軽く見て、「小解脱」とまで侮蔑した表現をしている。
宮元教授の指摘は桐山さんの教法が釈尊のそれとはまるで違うことを示している。
これをわざわざ引用してくれた星祭さんに感謝しているのです。
[253]名無しさん@3周年 05/06/01 20:53 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
291 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:50:39 ID:YBMTxf7j
>[204]星祭@メチャ 05/05/31 23:16 iJYtKODk17
>釈迦が成仏力をさずけるとか誰がいいましたか?
>あなたの言うことはめちゃくちゃですね。
>釈迦の成仏法を修行す ると成仏力がそなわる。とはゲイカは言っておりますが、
>人の話しを理解する事の出来ないというのは誰かさん以上ですわ(笑)。

誰がいいましたかって、桐山さんです。
釈迦の成仏力を体得した桐山さんが、その力を信者に授けることで悪因縁が切れるのです。
仏舎利尊は成仏力の受信装置であり、そこから成仏力が垂れ流れてきて、
ド素人で成仏法を体得していないあなたの悪業を切ってくれる。
悪業をどの程度切ってくれるかは、あなたの徳しだいです。
ご宝塔からは常に大量の成仏力が垂れ流れているが、
これを受け取る器が徳であり、不徳なあなたは十分に受け取ることができない。
だから、後はあなたが徳を積めばいいのです。
阿含宗で徳を積むとは、偽の釈迦骨や白いシッポの応供の如来に金と人を供養することです。
今なら、施本して導きをして、冥徳解脱を申込み守護神をもらうことです。
すると、あんら不思議、そこから功徳という御利益がドロドロと出てきて、
あなたの器が拡大して、成仏力を受け取ることができて、
悪因縁が切れ、テロが起きても、横変死しないで済むのです。
この「めちゃくちゃ」で、釈尊「の話しを理解する事の出来ない」愚か者が作り上げたのが阿含宗です。
三十年大先達の星祭さんにこんな阿含宗の教学の初歩を講義することになろうとは?!
[254]名無しさん@3周年 05/06/01 20:53 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
292 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:54:00 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。
>[206]星祭@アヌルッダ 05/05/31 23:45 iJYtKODk17
>しかし、釈迦の「私も願いがある、人々の平安と解脱を求めるものである

釈尊は当たり前のことを言っているだけです。
あなたは前に、ユビキタスさんや私が、心の平安という言葉を使ったのを笑った。
今回も喜びと表現したのを笑った。
だが、釈尊もまた平安と解脱と述べている。
しかし、釈尊の平安や解脱や喜びは、阿含宗や星祭さんのいう意味とは違います。
阿含宗ではお願い事がかない、横変死の因縁などカルマが断ち切れることを平安や解脱だと言う。
釈尊のいう解脱とは煩悩が断ち切れた状態であり、平安とは煩悩を切るか薄らいだ状態です。
釈尊と阿含宗では言葉の意味が違うというよりも、まるっきり逆です。
阿含宗は欲望がかなうことが第一であり、
一方、釈尊のいう平安とは欲望を減らし、なくしてしまうことです。
ましてや、解脱にカルマ(悪因縁)を切るなんて意味はありません。
釈尊の言葉の単語だけを利用して、まったく別な意味を持たせて、
あたかも阿含宗が正しいかのように見せかけようとしても無理です。
それはゴマカシか、星祭さんが仏教を理解していないかのどちらかです。
[255]名無しさん@3周年 05/06/01 20:53 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
293 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:00:56 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。

あなたは人々の平安と、あなたや私の平安とを別なものだと解釈していますね。
だから国語の読解力がないと言われるのです。
釈尊のいう人々の平安のなかには、阿含宗のように、
柴燈護摩などイベントを開催して、それで人々が平和になるなんて考えはありません。
焚き火が人々の平安に役立つと信じているから、人々と自分とを分けて考えてしまう。
釈尊のいう人々の平安とは、私やあなたが平安になることです。
釈尊がしてくれるのでも、釈尊に供養することで功徳という見返りで平安になるのでもない。
釈尊の教法を聞き、私やあなたが自分で自分の煩悩を減らすことで平安が得られる。
これを釈尊は人々の平安と言っているのです。
阿含宗のように集まって、焚き火のお祭り騒ぎをして、
霊障を怖れ、死者を不成仏霊と罵り、焚き火で世の中がよくしたと自惚れ、
恐怖や誹謗や責任転嫁や慢心の煩悩を増やして、平安や解脱が得られることはありません。
[256]名無しさん@3周年 05/06/01 20:54 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
294 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:03:31 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。

「我々やあなた」などと、どさくさに紛れて、星祭さんと私を一緒にしないでほしい。
私は星祭さんと違い、釈尊にナモナモして功徳を授けてもらうとか、
悪業を切ってもらうなんてことはしていません。
信者だった時すら、功徳を授けてもらうという考えになじめなかった。
あなたが三十年信者でありながら、釈尊に何かを差し出して、
その功徳でカルマを切ってもらおうという思想にどっぷりなのには驚かされる。
星祭さんと同時代の人には瑜伽派が多い。
瑜伽派は好きでないが、彼らの一つの長所は自力だという点です。
大衆部が他力本願なのに対して、実際はどうあれ、建前は自力修行だった。
仏にナモナモして何かもらおうとするさもしい心ではなく、
チャクラやクンダリニーはいただけないが、
自力で修行しようとする意欲だけは評価できた。
スレに残骸のように残っている瑜伽派の信者たちにも、その片鱗があります。
[257]名無しさん@3周年 05/06/01 20:54 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
295 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:08:54 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。

私は瑜伽派に共鳴はしないが、感覚だけはわかります。
自力修行は瑜伽派独自のものではなく、桐山さんがそうだったからです。
阿弥陀信仰などの他力信仰を桐山さんはあざ笑っていた。
信仰などいらない、密教は技法だとまで書いた。
瑜伽派の多くが、こういう言葉に引きつけられたことは事実でしょう。
もちろん、こんなのは宣伝文句にすぎなかったことは、今日の結果というか、ザマを見れば十分です。
瑜伽派に共鳴しないのは、欲望もさることながら、こういう現実、事実を見ようとしないからです。
彼らの世代である星祭さんが、どうしてそんなに他力本願なのだ?
仏から功徳をいただくという通俗的な御利益信仰をまるで当たり前のように説いて、
どんな経典も、全部、功徳を返してもらおうという餓鬼の目でしか読めない。
理由は、桐山さんに合わせたのですよね。
仏舎利尊になってから、桐山さんはすっかり他力本願になってしまい、
能力開発の技法は中身がなく、ただの一人も超人も超人の予備軍もいない。
あなたはこういう現実に靴に足を必死に合わせることで信仰を保ってきたのでしょう。
というよりも、靴に足を合わせないと現実の矛盾が押し寄せてくるから、信仰を保つことができなくなる。
星祭さんは桐山さんに過剰に迎合して、桐山さんの他力信仰をガブ飲みにして、
さも最初からそのようであったかのような涼しい顔をすることにした。
過剰に迎合する自分の姿をあなたは美しいとすら自惚れている。
だが、薄汚い桐山さんをガブ飲みして腹が異様に膨れた姿はただの餓鬼です。
「変身の原理」の使用後としては、ずいぶんとミヂメな結果ですね。
[258]名無しさん@3周年 05/06/01 20:55 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
296 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:29:34 ID:YBMTxf7j
>[207]星祭@阿那律 05/06/01 00:04 iJYtKODk17
>この経はその末尾にいたって一つのゲを記している。「この世のあらゆる力のうち、幸いの力こそもっとも勝る。
>[209]星祭@阿那律2 05/06/01 00:10 iJYtKODk17
>な、 なんと、お釈迦様みずから、善行による功徳、幸いの力はこれに勝るものがなく、
>仏道もこの力により成るとおっしゃっておるではございませんか!

星祭さの今回の書き込みで一番苦笑したのがこれらの文章です。
あなたは幸いの「力」に反応したのですよね?
「力」という単語を見たとたん、条件反射のように、
「ほら見ろ、釈尊も幸いの力を説いている。
力を説いているのだ!!おお、批判側、破れたり!」と、小躍りしている。
あなたの反応を条件反射といいます。
桐山さんから長年、成仏リキ、解脱リキ、徳の力などと、
力で何かするのだと教え込まされて、信じ込んでいる。
だから、経典に力という単語があると異様に反応する。
仏教には成仏リキなんて単語はありません。
煩悩も何か不可思議な力で断ち切るではない。
成仏リキなど霊障と同様の桐山さんなどが作ったオカルト仏教用語です。
桐山さんからカルマを成仏リキで切るなんて教え込まされているから、
力で断ち切るという条件付けから抜けられない。
困っている相手を助け、喜びを与えることを幸いの力とたとえたにすぎないのに、
星祭さんは、力というキーワードで条件反射を起こして、
中学生でもしないような読み方をした。
[259]名無しさん@3周年 05/06/01 20:55 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
297 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:35:13 ID:YBMTxf7j
>[209]星祭@阿那律2 05/06/01 00:10 iJYtKODk17
>な、 なんと、お釈迦様みずから、善行による功徳、幸いの力はこれに勝るものがなく、
>仏道もこの力により成るとおっしゃっておるではございませんか!

幸いの力を成仏力のように解釈して、見返りに自分のところに何か返ってくると解釈している。
だから、あなたはは餓鬼信仰、取引信仰なのです。
どこまで星祭さんはさもしいのだ。
釈尊のいう功徳、幸せとは、阿含宗や星祭さんとは正反対で、
いかなる見返りも求めないことです。
功徳とは、功徳などという見返りを求めない心を獲得することです。
困っている人に針を通してあけて、他人を助けるのが善行であり、
善行にはこれ以上の意味などありません。
相手は喜び、我が喜びとするのが幸いで、その行いを幸いの力と表現したのです。
あなたにはどうしてこんな簡単なことすらわからないのだ?
釈尊の説く幸いの究極は煩悩を消滅させることです。
これを世の人々に説き、世の人々が煩悩を減らし、なくすことで幸いになる。
私の安心は、釈尊が直接あなたに説いてすらも、
すべて条件反射のように取引信仰、餓鬼信仰にしか解釈できないのだから、
凡人の私が言っても、何一つ星祭さんが理解できなくても当然だということです。
[260]栗花 馨 05/06/01 21:20 FFRU60AvuL
タリバンに破壊された
大仏があることで有名なバーミヤンから近年大量の部派、大乗の教典の
写本が市場に出回って、多くがノルウェー人の蒐集家スコイエン氏の所
蔵するところとなっている。一方、インド・パキスタン国境のギルギット
も20世紀初頭の「ギルギット写本」で有名で、ここから説一切有部の
『長阿含経』(漢訳は法蔵部のものとされる)が出土している。

ここの「バーミヤン渓谷から現れた仏教写本の諸相」を参照。
ttp://www.classics.jp/Contents/Assets/publication/NLpdf/NLtoc/NLtoc07.htm

スコイエン・コレクションは
ttp://www.nb.no/baser/schoyen/index.html
[261]栗花 馨 05/06/01 21:21 FFRU60AvuL
桐山氏はそのマイクロフィルムを・・・・
[262]○○屋@オビワン 05/06/01 21:30 jEz.Gq7RaS
>むしろ私のフォースは○○屋さんの言う無明の処理とはそんなことではなく勝手読みをするなというレスを想定していた。それに対する私のレスは、こちらは○○屋さん個人のごんす仏教学などどうでもよく、あくまでも桐山阿含宗が相手だから桐山因縁論をまず示して考察に入ろう・・・と予定しとったです。

オビワン・ゴンス(○○屋)「「ごんす」とは久しぶりに聞く名前だ」
ルーク「知ってるんですか?」
オビ「私の昔の名だ」
ルー「じゃ、成仏法はあなただ。メッセージがあります。」
オビ「見てみよう」
メッセージ「ガーガーピーピー・・・ユビキタスめ、今まで、桐山氏への猜疑心をあおってきたお前には、今度はお前に対する猜疑心をうんとあおってやるよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそれがおめえの受け取る果報というものだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!


ユビキタスには、誠実な心はかけらもありませんぜ。ガーガー・・・プッツン」
オビ「切れた・・・」
[263]こうもり 05/06/01 22:12 f0d/0/hm2k
数々のレスからかなりの研究者と思われる栗花氏にお聞きします。あんぱんしゅい経についてです。
まず猊下のご著書で”身止息=身体上のチャクラにプラナを止めること”,”心止息=脳(心は脳にあるから)のチャクラにプラナを止めること”とありますが、
これは間違いです。仙道では"止息"という単語は上記のように使うのが常識ですが、仏教経典を単純に仙道用語で解釈すべきではないと思います。

樹意氏が示してくれたサイト(自分もヨガの目的ですでに知ってたがアーナパーナサティの部分は見てなかった)
@ http://maharsin.com/yogavercity/Hsati/1990as.html
この解釈のほうがつじつまが合って正しいと思いました。

でも実践上考えると、南伝の実況中継のような瞑想では、アーナパーナサティの目的を達することは出来ないと思いました。
A http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html#8

でもって@内の『13“入息しつつ、私は全ての現象(万法・だムマ dhamma)[は相依相関で常に変化しているそ]
    の無常(アニッチャ anicca)を観じ、出息しつつ、私は全ての現象の無常を観じてる。”と、そのように行じなさい 。』
    つまり「全ては変化してるんだな〜」と空想してもダメで、
    ブッダの四禅の超人的天眼で観察するのが法念処で、あってだと思いました。

つまり本山氏の解釈が最も正しく
http://www.iarp.or.jp/mihs/online2.html
”身止息=下位のアストラル体(エーテル体)を制御すること”,”心止息=上位のアストラル体を制御すること”であり、
カラーナ体の制御が出来て、自然に法念処の観察に至るのだと思います。
つまり訓練としてはアストラル体上のチャクラ→カラーナ体上のチャクラと進むのであって、
そうしてみると猊下のトンデモ解釈も実践上はなかなか正しい方法であると解釈するのであります。
[264]ユビキタス 05/06/01 22:51 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>227
さて、桐山因縁解脱論とエン了凡の運命転換の比較作業の続きです。
因縁解脱とは法で因を滅し教えで縁を変えていって悪い運命を変えてしまうというのが
その解脱論です。
単にタバコをやめるとか教えの実行だけで変わるようなものでない。
因縁がそれを許さない。因を滅さないとこの運命の衝動はやまないし、また運命を変えようと
意識的努力をすればするほど皮肉にも運命の示す通りになるとか小説じみたことを言う。
その大本の因が無明の煩悩だの渇愛だの仏教用語を用いようが、教えを理解して行為に
よってこの根源衝動などいかんともしがたい。
特殊な瞑想とタパスにより脳を変えねばならないのであり、またこの衝動は不成仏霊と密接な
関係がある。霊障があるからアルコールに走りアル中になったりする。
ジミズさんも好きなソンディの家族的無意識の衝動意識だのそれを絶対強制のように
歪めて取り入れており、これに素人がさわるのは生兵法怪我の元です。
まずシャカの成仏法で不成仏霊を成仏させることから始めないと運命への挑戦どころか
普通の社会生活もできないと説くのです。
一口に因縁解脱だの運命転換だの言うが、このような原理になっている。
となると、そこで陰シツ録の善事実行による運命転換を考えてみよう。
善事実行とは言わばこの桐山因縁の縁を変える作業に過ぎない。
因の始末はどうなったか?そもそも私がこういう視点を持ち出したのは、○○屋さんが煩悩の根源の無明まで
遡った考察をしないとだめではないかと提唱したから、それならと阿含宗流の根本煩悩
の追求とその対応の検証をしてるわけです。
そうして見ると因縁解脱による運命転換の作業に必要な因を滅する法がない。
特殊な瞑想もタパスもないし、先祖にテレパシーで悟りを伝える特殊な供養もない。
神秘の不思議な法に近いのは準胝真言ぐらいなものです。
しかしそんな程度でこの生兵法怪我の元の繊細な技術を遂行したことになるのか?
また真言唱えれば不成仏霊も成仏するのなら、今日の必須解脱供養とは何なのか?
善事実践の縁作りだけで運命転換したと認めると阿含宗にとってもはややばい話に
なるのです。
そこで○○屋さんも書いているように単なる行為の実践でなく、何か特別な意味を
付与しないといけなくなる。
しかし今でも通用しているもっと別な観点からの運命転換の法がある。
それが下根の成仏法です。
つづく
[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio
ばかだね。ブッダのいう平安とは涅槃寂静のことにきまっておるがな。ユビさんは心の平安といっておったのでそりゃちがうだろ、といったまで、心を安定させる、これはまだ完全なものではないと釈迦はヨガの瞑想の奥義(アーラーラー仙人の)に達してさとり、独自の道を模索することになり、ついには涅槃を得ることになる。くだらん揚げ足取りなど爆笑もんだぞ。
[266]星祭@取り引き 05/06/01 23:06 iJYtKODkio
>259、お釈迦さまが堂々と、いっておられる法則を取り引き信仰だとかイチャモンつけるのはいかがなものですかね。私がいっておるのではない、お釈迦様、あるいは、この経を訳し解説をした増谷博士がいっておるのであるぞよ。増谷博士はこの章で最後に「それはもうわたしのまずい注釈を加える余地もない、「世間のさいわいを求むる人、我にすぎたるはなし」という一句とともにじっと噛み締めてあじわっていただきたい。」と述べております。あじわった結果が取り引き信仰ですか(笑)。おそれいります。
[267]星祭@感興の言葉 05/06/01 23:27 iJYtKODkio
16章さまざまなこと・・・九、以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。−雲を離れた月のように。十、以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人は念いを落ちつけていて、この世でこの執着をのり超える。
[268]星祭@つづき 05/06/01 23:31 iJYtKODkio
27章観察・・・より、九、この世の人々は慢心をもっていて、つねに慢心にへばりつかれている。悪い見解にとりつかれていては、努力しても生死流転を超えることはできない。
[269]名無しさん@3周年 05/06/01 23:41 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
307 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:28:24 ID:GQozq47k
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq
もう一度、田を耕すバラモンの話を書きたい。
皆さんは、どう読み取るか、ですね。十人十色でしょうが。
釈尊が托鉢に行くと、バラモンが「あんたも耕作して食え」といった。
釈尊が「我も耕す」と言い、修行の意義を話した。
すると。バラモンが納得して施食しようとした。
すると釈迦が言った。
「詩を唱えて、(報酬として)得たものを、私は食うてはならない。・・
 中略・・煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては、
 他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための福田
 であるからである」←中村元氏訳。

私の解釈は、釈尊のような方々へは、芸人などへお花をあげるようなつも
りで施食してはいけない、ということです。大道芸人などへ、芸の見返り
としてお花出す人がいますね。そのように、詩を唱えた見返りとして供養
してはいけない、と、釈尊は言ったのですね。そして、我は福田であると
も宣言しております。べつに取引信仰云々の問題ではないでしょう。
[270]名無しさん@3周年 05/06/01 23:42 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
309 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:37:20 ID:GQozq47k
>>307 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:28:24 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq
>私の解釈は、釈尊のような方々へは、芸人などへお花をあげるようなつも
>りで施食してはいけない、ということです。大道芸人などへ、芸の見返り
>としてお花出す人がいますね。そのように、詩を唱えた見返りとして供養

釈尊の供養に対する態度を簡単にまとめるなら、
1.法を説いても、報酬を得ることはない。
2.供養を受け取っても、差し出した人に見返りをだすことはない。
使者さんは1の釈尊が報酬を得ないという点は認めたが、
2の釈尊が供養者に見返りを出さないという点を認めたくないのですよね?
供養すれば功徳を返してくれると主張したい。
報酬を受けないといいながら、功徳を授けるなんて言い出したら、
「私が買ったのではなく、あなたが売ったのだ」と言うのと同じで詭弁です。
釈尊は教法を説いて報酬を受けないと言っている。
功徳は釈尊の教法のうちです。
報酬を受けないのだから、食べ物を得て、教法の一部である功徳を授けることもありえない。
釈尊は買うことも売ることもしない、いっさいの取引はしないと言っているのです。
「供養と功徳を交換するぞ」なんて釈尊が言うはずがない。
あなたは次の福田がそうだと言いたいのですよね。
[271]名無しさん@3周年 05/06/01 23:42 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
310 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:41:25 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq
>してはいけない、と、釈尊は言ったのですね。そして、我は福田であると
>も宣言しております。べつに取引信仰云々の問題ではないでしょう。

「82 全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては、
他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための(福)田であるからである。」
(スッタニパータ、『ブッダの言葉』中村元、25頁)

福田だから、そこに供養という種を投げ込めば、
たくさんの稲穂となって自分に返ってくる、とあなたは考えている。
それは福田ではなく御利益自動販売機です。
釈尊を自動販売機のようにみなすことに、何かためらいはないんでしょうかねえ。
岩波仏教辞典によれば、
「福田・・善き行為の種子を蒔いて功徳の収穫を得る田地という意味。」
であり、釈尊やその弟子たちも福田と呼ばれるようになったとあります。
では、収穫である功徳とは何かというと、
「功徳・・善根を修することにより、その人に備わった徳性をいう。」
ここで善根という単語に阿含宗徒ならすぐに三善根を思い出してほしい。
三善根とは、貪瞋癡の煩悩を消すことを意味する三つの善根のことです。
功徳とは、煩悩をなくす修行をして備わった徳性を意味します。
この功徳の収穫を得る田地を福田といい、釈尊その人を指します。
辞典の説明をまとめるなら、煩悩を切り(三善根)、解脱という収穫(功徳)を得た釈尊は福田です。
[272]名無しさん@3周年 05/06/01 23:43 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
311 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:44:45 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

スッタニパータの82では、解脱者へ食事を供養するように勧め、
「けだしそれは功徳を積もうと望む者のための福田であるからである」
とあります。
これを仏教辞典からの言葉に置き換えるなら、
「けだしそれは煩悩をなくし解脱を望む者のための福田であるからである」
つまり、煩悩を消滅させたアラハンに食事を提供することで、
彼らはこの世に留まり、まだ煩悩を消滅させていない者たちの教師となるのだ、と述べているのです。
煩悩を消滅させたい(功徳を積みたい)と思う者の福田(人間の優れた教師)なのだから、
福田たちがこの世に留まれるように食事を提供しなさいと言っているのです。
清浄な行いをするアラハンたちが世に留まれば、世の中にも清浄な人たちが増える。
彼らがいなくなれば、偽仏陀や自称アナゴンが跋扈して、世の中も悪くなる。
このように仏教辞典にある意味で読めば、
釈尊は特別変わったことも摩訶不思議な事も話していません。
しかし、使者さんは仏教辞典からのこの説明にも納得していませんね。
[273]名無しさん@3周年 05/06/01 23:43 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
312 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:51:23 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

使者さんや星祭さんの頭は、桐山さんから植え付けられた取引信仰から抜け出せないから、
釈尊に供養すれば何かくれると信じて疑わない。
桐山さんは福田をどう説明しているか、オカルト仏教を復習してみましょう。
桐山さんは福田を仏教辞典から引用した内容として、
「福徳を生じ、福徳を授ける人すなわち仏のこと。」(旧座右宝鑑、40頁)
桐山さんは福には世間福と出世間福があり、お釈迦様が説いた福とは、
世間福ではなく、出世間福だという。
出世間福を桐山さんは次のように説明しています。

『社会科学としての阿含仏教』318頁
「出世間福を具体的にいえば、解脱の福です。解脱成仏の福です。
因縁解脱してしまう福、悪いカルマを切ってしまう福が出世間福なのです。」
[274]名無しさん@3周年 05/06/01 23:43 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
313 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:58:51 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

>>312の桐山さんの説明は一見世間福を否定しているかのような書き方です。
因縁解脱してブッダになるための高尚な福がえられるのだと説いているように見えます。
読んでいる信者さんたちの大半はブッダになりたいのではなく、
守護神や守護霊をもらい、テロから守ってもらい、
同じ死ぬなら棚ぼたに当たって死にたいと思っている。
信者さんたちの目的は出世間福ではなく、世間福です。
世間福が得られないのかと心配する必要はありません。
こんなのは桐山さんのお得意の見せかけです。
だから、出世間の福で因縁解脱ができれば、

「出世間福を得る過程で、世間福などは自然に身についてくるでしょう。」
(『社会科学としての阿含仏教』の319頁)

ほらね、桐山さんはほんとうに口がうまい。
「釈尊は出世間福のみをくれる。しかアし、出世間福で因縁解脱すれば、
世間福もばっちり得られる」というのです。
これじゃ、釈尊は世間福を説いていると言っているのと変わりない。
まるで正規の窓口では強く断られたのに、横から袖を引っ張る奴がいて、裏口で、
「ちょっとダンナ、抜け道がありまっせ」とワイロを請求されたようなものです。
[275]名無しさん@3周年 05/06/01 23:44 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
314 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 23:05:45 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

「出世間福を具体的にいえば、解脱の福です。解脱成仏の福です。
因縁解脱してしまう福、悪いカルマを切ってしまう福が出世間福なのです。」

桐山さんのこの文章の一行目と二行目でとんでもない飛躍があります。
解脱することが福であるというのはそのとおりだろうが、
いきなり、そこで因縁解脱が出てきて、悪いカルマを切ってしまうとある。
仏教辞典や釈尊の教法からいったら、まったく脈絡なく、
ここに突然、因縁解脱、カルマ切りが出てきた。
使者さんや信者さんたちは釈尊の教法とは因縁解脱、カルマ解脱だと教えられているから、
違和感がないだろうが、仏教では煩悩を切る話は出てきても、
過去のカルマを切るなんて話は金輪際出てこない。
釈尊のいう解脱とは煩悩を断ちきることです。
仏教辞典からもわかるように、功徳とは善根のことであり、煩悩をなくすことです。
煩悩を消滅させることが解脱であって、カルマを切ることではありません。
だから、仮に、百歩譲って、釈尊が功徳という御利益をくれたとしても、
功徳でなくなるのは煩悩であって、カルマを切るなどありえません。
[276]名無しさん@3周年 05/06/01 23:44 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
315 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 23:10:34 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

1979年の星まつりに応供の如来が現形して、
「われは応供の如来である。供養を受けるぞ」
と桐山さんに御霊示が下ったという。

「応供の如来」とは、「(信者の)供養を受けて、その供養を功徳として(信者に)返す」という意味である。
(『末世成仏本尊経講義』266頁)

「供養を功徳として信者に返す」と桐山さんは述べている。
スッタニパータの81の釈尊の言っていることと違うどころか、
正反対のことを言っているのが読めませんか。
釈尊はいっさい何も返さないのに、桐山さんチに現れた如来は
金と人を差し出すと信者に功徳という御利益を返してくれるという。
これほど明瞭に釈尊と違うことを書いているのが、まだわからない?
釈尊がこんなことをいうことは絶対にありえない。
使者さんは応供を仏教辞典で引いてみてください。
「応供・・供養を受けるにふさわしい者の意」
つまり煩悩を完全に断ち切った存在を指すのであって、
桐山さんの解釈のように「供養に応える」という意味はありません。
「応供の如来」は「因縁解脱」と同じでオカルト仏教用語です。
釈迦仏教には供養に応える仏など存在しない。
[277]ユビキタス 05/06/01 23:44 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>227
つづきです。
善事の実践と運命転換を今でも教学の根本として生きています。
それをならしめたのが、特殊な瞑想だのタパスの上根の成仏法に対して末世の為に用意された
という下根の成仏法です。
これは生きた如来に善事を供養した見返りに解脱の徳を得て因縁解脱による運命転換を
はかろうという取引です。
ちなみにエン了凡の時代が末世だったのか疑問なんですが。
それからエン了凡さんが供養をささげるべき生きた如来さんてどこにいらしたのかしら?
1979年の星まつりに現形した猫背横向きのシッポのはえた如来は一つの世界に
一つしか現れないというのたが。
それにここで阿含宗のいう善事とは世間でいうボランティアではない。
ボランティアはたしかに尊い。その実践により来世には善い果報があるだろうと
桐山も認めつつも、しかしこれは現世の因縁を切る道にはならない。
どんなに純粋な善意でボランティアの善事を実践しても、それは世間の因縁に属した
ものだから、世間の因縁を越えることができない。
出世間の福を求めないといけないのである。梵福とも言う。
そしてその出世間福=梵福を得る善行を梵行という。
(これは阿含宗の概念であり本当の仏教用語でいう梵行とは、欲を節制した清らかな
行いをすることです)
阿含宗流梵行とは仏の事業の手足となり助けて役に立つことです。
抹殺された(?)シャカの成仏法を世に出すことです。
つまりお導きを中心とした布教をせよ、あるいは布教につながる行事に参加して縁の下の
力持ちでもよいからサポートせよとのことです。普段の道場運営も含めて。
金を出すのも立派な奉仕で仏の事業を広めるのに金は欠かせません。
こういう奉仕に生きた如来様がお喜びになるのです。
だから因縁も切れる徳を与えて下さる。
ギブアンドテイクであり仏様のご褒美です。
世間のボランティアではだめで、こういうボンギョーをしないと因縁は切れないのだよ。
こうもりさん。
・・・で、陰シツ録に戻ります。エン了凡の為した善事とはこういう仏の事業だったのか?
私にはどうみても世間のボランティア的なものだし、仏など関係ない自己修養にしか
見えない。
どおしてこんな程度で本来たどるはずの運命を避けて運命転換できたのでせうか?
私にはよくわかりません。
阿含宗思考に戻るとわかりません。
だからこんな矛盾の生まれるやばい例は古い著書に眠らせて叩き起こさないのが賢明なのさ。
[278]名無しさん@3周年 05/06/01 23:44 *Viy9Pq55Bwc*fRHlvVDrWx
316 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 23:21:57 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

使者さんは桐山さんの本や経典を引用してくるから、手取り足取り説明してあげているのに、
相変わらず、無意味な皮肉くらいしか書けないのですね。
口数が少ないのが正しいなんて書いたら、
昔の桐山さんの三時間に及ぶ法話やあの駄本の山はどうする?
私は逆にあなたのために一つヒントを提供します。
桐山さんが釈尊の教法を業解脱と思い違いしたからには、
阿含経の中にはあなたが引用した他にもそのように解釈できる経典があり、
桐山さんはすでに引用しています。
経典を読めば、釈尊はカルマを断ちきることを説いた!と、あなたは歓喜奉行するでしょう。
私はてっきり尼僧よりもこちらを先に出してくるものと思っていた。
しかし、結論からいうと、桐山さんの思いこみ、早とちりです。
使者さんはすでに尼僧の経典で私からどのように読むか反論されているから、
記憶していれば、成り立たないことはすぐに気が付きます。
桐山さんの悪い癖は、先に自分のビジョンがあり、それに合わせて、
経典などを我流で解釈してしまう。
経典を解釈するというよりも、自分の解釈を強引に当てはめる。
こういう読み方をしているから、煩悩を切ることを説いた釈尊の教法を
カルマ解脱を説いたなんて、初歩的な間違いをするのです。
[279]○○屋 05/06/01 23:47 jEz.Gq7RaS
また出ましたねー名無し氏の大量屁理屈カキコ・・・

あなたはそうやって、屁理屈こねてなさい。これから何十年でも。

ああ、なんてネガティブな人生だこと。
[280]ユビキタス 05/06/02 00:06 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
奇しくも、ってか桐山阿含宗の批判なんだから共通するのがあたりまえなんだが、
名無しさんもシシャさんへの福田のレスで世間福、出世間福を出しましたね。
仏教用語を本来の意味をねじ曲げて悪用する桐山の説く善事などは所詮自分とこの教団
への奉仕に過ぎない。
それしかないのです。
密教占星術1の時はまだ生活パターンの転換だの、生活パターンを変える推進力となる
密教の法だの、その密教の法の究極の一つとして、本心の理想我と悪い気質我を調停昇華
する大随求法とはドラマチックに話を展開していたものですが、(実は私が最も感激して
入行の動機となったのが、この古い著書の運命転換原理とその一連と続くシステムがあるのだろう
という期待でしたが)、今ではもう陰シツ録など阿含宗では使えない話になっている
現実をよく考えて下さい。
それでも本当に運命転換を願うのならいっそ、陰シツ録の立命の学でも志した方が
早道なのではないですか?と昨日おちょくりではなくかなり皮肉をこめてお勧めしてみたのです。
まああなたの本当の希望は運命転換をまじめに考えるのでもなし、映画を楽しむ生活に
中くらいの満足をしてるのだから(これは皮肉でなくよいことです)、あとはいかにして
桐山阿含宗にしがみついていたいかそれだけでしょう。
エン了凡などどうでもよくなる。
[281]ユビキタス 05/06/02 00:16 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
それに下根の成仏法をするにしても、シャカの成仏法を体得する導師によるテレパシーで
悟りの念を伝える作業が因縁解脱に不可欠であることに変わりはないのさ。
雲谷禅師がその役を務めたなんてどこにも書いてないぜ。


で、明日の朝は釈尊の呼吸法。
[282]○○屋 05/06/02 00:17 jEz.Gq7RaS
>善事の実践と運命転換を今でも教学の根本として生きています。
それをならしめたのが、特殊な瞑想だのタパスの上根の成仏法に対し末世の為に用意されたという下根の成仏法です。
これは生きた如来に善事を供養した見返りに解脱の徳を得て因縁解脱による運命転換をはかろうという取引です。

はー「取引」ねーあなた方批判派は取引という言葉が好きですねー。
まー、取引としておきますか、実際は違うけど。

>それからエン了凡さんが供養をささげるべき生きた如来さんてどこにいらしたのかしら?1979年の星まつりに現形した猫背横向きのシッポのはえた如来は一つの世界に一つしか現れないというのたが。

そんなこと、聞かれたって知りませんよ。実際に運命の転換が成功したんですから、何らかの生きた如来と「取引」があったんでしょう、きっと。

>出世間の福を求めないといけないのである。梵福とも言う。そしてその出世間福=梵福を得る善行を梵行という。(これは阿含宗の概念であり本当の仏教用語でいう梵行とは、欲を節制した清らかな行いをすることです)
阿含宗流梵行とは仏の事業の手足となり助けて役に立つことです。抹殺された(?)シャカの成仏法を世に出すことです。つまりお導きを中心とした布教をせよ、あるいは布教につながる行事に参加して縁の下の力持ちでもよいからサポートせよとのことです。普段の道場運営も含めて。金を出すのも立派な奉仕で仏の事業を広めるのに金は欠かせません。こういう奉仕に生きた如来様がお喜びになるのです。だから因縁も切れる徳を与えて下さる。ギブアンドテイクであり仏様のご褒美です。

ギブアンドテイクではありませんね。実際に「これだけやったらこれだけ因縁きるぞ」なんて言っていない。

>・・・で、陰シツ録に戻ります。エン了凡の為した善事とはこういう仏の事業だったのか?私にはどうみても世間のボランティア的なものだし、仏など関係ない自己修養にしか見えない。

手元に本がないので記憶に頼ってレスしますが、たしか善事達成のときに坊さん呼んで供養したんじゃなかったけ?

>どおしてこんな程度で本来たどるはずの運命を避けて運命転換できたのでせうか?私にはよくわかりません。

そりゃそうでしょう。運命転換した如来の証明でもなけりゃあなたは信じないでしょう。証明あっても屁理屈こくくせに・・・嗚呼

[283]○○屋 05/06/02 00:30 jEz.Gq7RaS
>今ではもう陰シツ録など阿含宗では使えない話になっている現実をよく考えて下さい

陰シツ録は運命の存在とその転換を実例を挙げて可能であることの証明でそれ以上の存在でも以下の存在でもない。実は私もあなたと同様これを見て運命がありそれを転換せねばと思い、阿含宗の門を叩いたわけです。

>まああなたの本当の希望は運命転換をまじめに考えるのでもなし、映画を楽しむ生活に中くらいの満足をしてるのだから(これは皮肉でなくよいことです)、あとはいかにして桐山阿含宗にしがみついていたいかそれだけでしょう。

んんー、まるで私のことをよく知っている人のような台詞ですね・・・もしかして、当たっているかも・・・

>それに下根の成仏法をするにしても、シャカの成仏法を体得する導師によるテレパシーで悟りの念を伝える作業が因縁解脱に不可欠であることに変わりはないのさ。雲谷禅師がその役を務めたなんてどこにも書いてないぜ。

そりゃー全て包み隠さず書く義理はないでしょう、信仰を「ギブアンドテイク」だの「取引」だの言う人には特にね。まーしかし、キリスト教信仰やユダヤ教信仰は神との契約で成り立っていますから「取引」という表現もあながち間違いではないかもねー
[284]ユビキタス 05/06/02 00:36 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>282
大乗仏教という偽の仏教の、シャカの成仏法も体得していない坊さんを呼んで、
成し遂げた善事を先祖代々に回向供養の儀式をしてさえもらえば、生きた如来はそこにも
シッポをふりながらアンタはエライ!と解脱の徳をくれると言うのですね。
そんな汎用性のある道説いたらゲイカに怒られますよ。
阿含宗だろうが禅宗だろうが要は善事して回向の儀式やってさえもらえば運命転換に
なっちまいますから。


それから>>227の最後のイエスの話も残ってたな。これも明日にしよう。
[285]服部エンタープライズ社長 05/06/02 01:11 *vOys31uzjgw*OshGYcaK1m

 状況と内容に応じてお好みの方をどうぞ〜!!

 阿含宗と桐山氏について―第十一章―【ザ】の皆さん専用です―


[286]○○屋 05/06/02 01:20 jEz.Gq7RaS
>>284

如来はひとつの世界にひとつなんだから、袁了凡の時はあそこにいたんじゃない?

そしていまは阿含宗にいるんでしょうー。

どうです?完璧でしょ?
[287]○○屋さんへ 05/06/02 01:46 bPIgoamhft
名無しさんの書き込みを屁理屈だと書く貴方は、何を信じてるのですか?
桐山氏だけですか?
釈尊を信じているのであれば、名無しさんを屁理屈だと思わないでしょう。
(受け入れるかどうかは別問題)
桐山氏を信じたいのなら、それは貴方の自由です。
が、むやみに「屁理屈」と書くのはやめた方がいいと思います。
第三者には桐山氏に洗脳されている印象を受けますから。
[288]実行委員長@ 05/06/02 02:53 IjzSBC9W6y
仏教学なんかでは間脳開発はできません
口腔と特殊な形状に秘密があるのです
[289]実行委員長@ 05/06/02 02:56 IjzSBC9W6y
止息法でなければわかりません。誰もわかっていない
わかっているのは実行委員長と桐山師だけです

[290]栗花 馨 05/06/02 05:46 FFRU60AvuL
宗教とは
思い込みにすぎない教説
思い込みにすぎない需要
意図的歪曲の積み重ね
勝手に創作
もともと大乗経典は
「経(スートラ)」というより「論(シャーストラ)」として成立
したものでしょう。後に「大乗」を名乗るにあたってそれぞれ
経典へと格上げされたと見るべきなのでは?どうもヘブライズム
というか、聖典は唯一たるべし、という価値観で宗教を眺める
のは、あまりにキリスト教的というか西欧的なものの見方だと
思う。
[291]栗花 馨 05/06/02 05:50 FFRU60AvuL
>こうもり氏
あんぱんしゅい
については
いうべきことがいろいろあります。
桐山氏のはしらないので調べてからはなしたいとおもいます。

自然呼吸でおまちください
[292]○○屋 05/06/02 07:22 D-Oab/h
釈迦を信じれば名無しが屁理屈屋だと思いますよ。

どころか、釈迦が生きていたら間違いなく彼を『屁理屈屋』だと思うと思いますよ。
[293]ユビキタス 05/06/02 08:26 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>286
だいぶ弱ってきたのでとどめの引導を渡しておこう。
しかしエン了凡が坊さん呼んで供養しようとも、それはシャカの成仏法を世に出し
世に広める事業の手伝いをしたわけではない。
彼がしたのは善因善果という因縁因果の法則に則った世間法を一歩も出ることのない思想の
上のもので、その実践活動の実際はボランティア善事でありかつ自分の修養です。
そしてこれらを為して供養だとか捧げたところで仏教の普及にもなっていない。
後世に著した陰シツ録は仏教普及書ですらない。
抹殺されたシャカが俺を世に出せ。さもなくば運命転換の徳を授けてやらんぞと
言うてますよ。
○○屋さんもまた密教占星術に魅せられたクチですか。
私は不幸な運命軌道の転換もさることながら、運命軌道を築く主体の我の深層意識レベル
までの根本的人格転換の必要性を感じたわけです。
自己の内部の矛盾性の克服です。超能力などどうでもよいが。
あの最後の方で大脳生理学理論も出した上で、全ての問題の解決、決着をつけるべく
変身の原理から大随求法の話の引用にまでたたみかける論述に圧倒されて狂喜した
次第でした。
しかしいろいろ並べたあの本も大随求法まで体得して初めて成立する人格転換→運命転換
の理論なのです。
準胝ナモナモと善事実行だけでは運命転換にならないはずなのです。
[294]ユビキタス 05/06/02 08:59 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>238 シシャさん
村木弘昌氏の「釈尊の呼吸法」は手元にありませんが、図書館から借りてきて読んだこと
あります。批判側に立つようになって阿含宗信者に読ませてやりたいと思っていた
本の一つです。
特に読んでもらいたい部分があなたの示した天災も人災も消してしまうという記述です。
これについて村木氏の解説があるでしょう?
本当に天災人災を避けてしまう話ではない。
村木氏は調息による調心、調身を説いているのです。
呼吸で運をよくするなんてそんな理論的説明のつかない荒唐無稽な話ではない。
天災、人災が自分の身にふりかかっても、それに恐怖の煩悩に惑わされない心の安定を
平素の呼吸から得るのです。
村木氏もゆっくりと落ち着いた呼吸を生理学的根拠も踏まえて心の安定につながると
強調してます。
星祭さんがユビは心の平安などと涅槃を馬鹿にしているなどと説くが、心の平安が一番
大切なのです。心が平安で煩悩に動かされないから輪廻もやむ涅槃に至るのです。
涅槃を馬鹿にしてるのは星祭さんの方です。
人生上で苦労した経験が稀薄なのか?
病気でも貧乏でもよいが、そういう苦労そのものよりももっと苦しいのが、それによって
じりじりとなんとも言えない不安感、焦燥感に駆られることです。
病気にしても貧乏にしてもすぐにどうなるものでもないし、腹を決めて覚悟を決めて
苦境を乗り越えるしかない。その為に最も重要なのは心の安定です。
都合のよい不思議な法を追い求めることではない。
私は自分の人生経験から痛いほどそれを知っている。
落ち着いたゆっくりとした根拠と瞑想はそれを助けるのです。
一の矢は受けても二の矢を受けぬ心の平安を得るのです。
それがこの本にちゃんと明記されている。
呼吸の実践まで真似しているシシャさんがそういう部分を読まないか頭に入れない、
受け入れない。
目の前に死体がある現場に居ながら死体を見つけない妄執の作用を書いた小説を
思い出した次第。
[295]ユビキタス 05/06/02 09:05 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
訂正
落ち着いたゆっくりとした根拠と瞑想

落ち着いたゆっくりとした呼吸と瞑想
[296]こうもり 05/06/02 12:09 f0d/0/hm2k
>>294 マジこれに勝る"功徳"はないと思いますよ。クンバハカ密法の教えですね。
バラモンだってねクンバハカ密法を伝える流派は、同じ思想ですよね。(アートマンの解釈の違いはあれども)
[297]ユビキタス 05/06/02 12:52 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>227
イエス・キリストの十字架の件です。
たしかにあれを刑獄の因縁だの横変死の因縁だのとの侮辱は桐山でもしません。
あれだけの有名人をそこまでけなすと自分の身にも不利に思っているのではないでしょうか?
しかしキリスト教はあの十字架処刑が機になって改めて思いもよらぬ新しい宗教が
誕生したと説いたのが「1999年カルマと霊障からの脱出」の後半の誰かの本の引用です。
それによるとイエスによる宮潔め事件は実は武装勢力による神殿略奪のクーデターであり
これに対してローマ政府軍が武力制覇でイエスを処刑したに過ぎないというものです。
十字架刑に処される時、イエスは例の「エロイ、エロイ・・・」つまり父よ、なぜ私が
こんな目に遭わねばならないのでしょうと悲痛の声を出したその台詞を根拠に
決して最初からこういう宗教が生まれたのでなくむごい処刑により殉教の愛を説く
新しい宗教の誕生としたわけです。
昭和から平和の貴公子と言われるユビキタス様が、彼の色情の欲から大勢の若い女を
監禁したところ、警察に逮捕され死刑の判決が決まる。(ユビはそこまでひどいことをしたのか?)
これもユビキタスの色情の因縁にとどまらない刑獄の因縁と横変死の因縁の現れと分かった
のだが、監禁されてもユビ様を慕う女性信者からこの死刑にショックを受けて、私も
想像だにせぬユビキタス教が生まれた。
こんな話とどう違うのか?となる。
つまりはっきり口にせず曖昧にあの世界最大の宗教教団に侮辱の言葉を浴びせる愚を避けながらも
その実、キリスト教など単なる武力闘争の産物と低く見せたいのです。
そしてキリスト教には成仏法がないからキリスト教社会は霊障だらけだ。
1999年の地球壊滅は実はキリスト社会の壊滅であり、1999年騒動に決着をつけた
つもりの「1999年7の月よ、さらば」にもまだキリスト教社会の破滅を説いています。
本音はキリスト教も侮辱して、それを材料にしてのしあがりたいのです。
[298]○○屋 05/06/02 13:18 D-Oab/h
キリストに関するコメントしたのは、あの本が出る大分前です。本をだすときはそのテーマに沿った資料を集めたり、誇張したりしているので、一言一言見てゆくと、矛盾した部分があることがあります。

ま、どう捉えるも読者の勝手ですから−密教占星術もそうですが−私が弁解する筋合いはないが。

で、私は新スレに引っ越します。さようなら。
[299]こうもり 05/06/02 14:02 f0d/0/hm2k
○○屋さんのようなまともな人が抜けて、シシャさんのような変なのが また参入するのでしょうね
[300]こうもり 05/06/02 14:38 f0d/0/hm2k
細かい理論は抜きにしてアゴンの呪術による運気改善はあるていど肯定しますが、
「一九九九年七の月が来る」(だっけ?)にしめされた、インネンがあったら絶対そうなる、なかったらそうならない、という論は
批判派の示すとおり教団のリアルを見るともう崩れてさってますよね。よさん もインネン信じない人でしたっけ?
[301]ユビキタス 05/06/02 16:00 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
十章と十一章使い分けという形になりましたが、私は基本としてはこの十章を使いきる
まで書きます。
しかし十一章で信者さんがなかなか興味深いレスをつけたくなるような書き込みを
見つけた場合には【ザ】のスレの常連である私は遠慮なくそちらに出張して書き込みます。
[302]ヨガの教え 05/06/02 17:02 f0d/0/hm2k
これなんですよね。再度言いますが。これ>>294 二年前、懸命に探した答え。だから共感して涙ぐみますからねえ。
これを徹底的に熟達した人は、鶏に気合術で金縛りかけたり、
贈り物で貰った首絞めて殺した食用鴨に気を送ったら生き返って"があがあ"騒ぎ出し、家人にも叱られ飼うことになった、とか
特殊成分バリバリですが、大事なのは>>294です。
聖パタンジャリのクンバハカ密法です
[303]ヨガの教え 05/06/02 17:07 f0d/0/hm2k
ドイツの大哲学者カントは、生まれつき身体がゆがんで胸が小さく、喘息もちだったらしいんだな。
あるとき医者が、カントを見てからこう言ったと言うね。
「あなたは本当に気の毒な身体をしている。辛かろう、苦しかろう。しかし、それは身体だけのことだ。
 身体は確かに気の毒な状態だけれど、心はどうでもなかろう。
あなたの心はしっかりしている。そのことを喜びと感謝にしていけば、
 身体の方も次第に軽くなって 良くなっていくものなんだ。このことがよくわからないようだったら
 お前は本当に 不幸なんだよ。」
これが機転となりカントは、大哲学者への道を歩み始めるんだねえ。

さあ皆で、自我本質の自覚を唱えよう

 そもや真我の真相は
水火侵し能わざるの絶対にして、
また不朽不滅の実在なり。
 人もしこの信念に真に安定するを得ば、
肉の呵責も 人の世の非業も
夢幻の如くに消え失せて、
無限至上なる観天喜地の世界現れん。
[304]ヨガの教え 05/06/02 17:09 f0d/0/hm2k
「ばかだね。」と>>265で書かれてるからといってハラたてちゃいけませんぜ。
「馬力!だね。」 と読むんです。力が湧いてくるねえ。
では皆で力の誦句を唱えよう。

私は 力だ。
力の結晶だ。
何ものにも打ち克つ力の結晶だ。
だから何ものにも負けないのだ。
病にも、運命にも、
否 あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。
そうだ!!
強い 強い 力の結晶だ。
[305]栗花 馨 05/06/02 23:23 FFRU6Z3gO0
わたしは眼力で蛇の動きを止めることができます。
[306]栗花 馨 05/06/02 23:25 FFRU6Z3gO0
成仏力は五根から
[307]栗花 馨 05/06/02 23:26 FFRU6Z3gO0
桐山氏は
修験ヨーガ
気功はあとからの補助のようです。

[308]こうもり 05/06/02 23:43 f0d/0/hm2k
>>305 最初「ゴマキ飼いたい・・・」って言ってたからお笑い系かと勘違いしましたが、途中からこの方は、まじスゴイと気付きましたよ。周りが変なこと言ってても。
アゴンスレの中で一番達人です。
>>307 なるほど。栗花氏は仙道が最初だったから逆ですね。

洞窟犬氏と仲悪いようですが、修行の点で氏と共通のものを感じますが。
[309]こうもり 05/06/02 23:50 f0d/0/hm2k
1日に1〜2時間位、周天功した場合、「私は正体は気である」ことを悟るのに何年位かかるものですか?師匠は金丹が出来たときと言いますが。
それと夏って元々暑いから熱が全身に広がり丹田に陽気を集めにくいと感じますが、どうなのでしょうか?
[310]こうもり 05/06/02 23:59 f0d/0/hm2k
このスレだとヨガの教え・オーラビンダ師の口癖真似ても、スレ違いで、栗花氏と洞窟犬氏しか分からん
[311]ユビキタス 05/06/03 00:11 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
あっちは雑談しかできんようだな。
[312]星祭@まったく 05/06/03 00:15 iJYtK5E84R
まあ一つ、供養とは、供えて養いとするの意味。応供とは身の養いに値する者の意味ととれるでしょ。では、どんな養いになるのか、いわずと知れた、解脱成仏のための養いとなる。オカルト用語だろうがなんであれ、その根本的な意味するところは同じなんだよ。それすら気がつかない・・・あわれ。もし文句があるとすれば真正仏舎利、現形の応供の仏は真の意味で、仏教でいうところの応供たりえるか、という点だろう。そいう文句かとおもえば、おやおや〜、だな・・・。
[313]星祭@大楽金剛 05/06/03 00:24 iJYtK5E84R
>311、楽しくやるのが、あちらの主旨なんでね。真理というものはかえって、そんな中に見え隠れしたりするもんだぜ〜(笑)。
[314]星祭@キンタン 05/06/03 00:28 iJYtK5E84R
こうもりさん、「ハナクソまるめて万金丹」って知っている?密教食みたいだ(笑)。どいうところからこの言葉でてきたのだろうか?
[315]こうもり 05/06/03 01:13 f0d/0/hm2k
丹というものを薬として外から得る思想があったのだと思いますねえ。
[316]ユビキタス 05/06/03 08:53 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>312
供養とは文字どおり供えて養うという意味ですが、食べ物や衣類を提供して生活の資にして
生活を支えてやるという意味しかありません。
成仏は煩悩を除去してブッダになるわけですから、そういう意味で煩悩の解脱も含めて
概念は認めても、供養したからといってこれらが得られるわけではありませんし、
それを目的目当ての供養ではありません。純粋なる相手の役に立ってもらおうという
利他の心から発するものでなければなりません。
こういう見返りを求めない利他の布施は、己の心を清らかにするという功徳がありますが、
煩悩を断じる解脱はまた別に修行せねばならぬでしょう。
少なくとも解脱は業解脱、因縁解脱ではない。
応供とはその供養を受けるに相応しい、ふさわしいという意味です。
食べ物を与えて生活を支えてあげるにふさわしい尊い存在という意味です。
単にそれだけの意味で、人は供養することにより心の清らかさという功徳を得るだけで
それは応供サンが与えてくれたのでなく、自分の清らかな行為が清らかな心を生むわけです。
応供は人がこのような福(心の清らかさ)を育てる為の田んぼ(機会)になるという意味で
福田になるわけです。
それを桐山は応供のことを供養を受けて、その人々の願い、欲望に応じて、因縁解脱の
できる徳を中心とした様々な御利益の功徳を授けるなんて解釈した。
全く仏教に反する無知です。
応供は何も見返りに与えてくれません。
煩悩の解脱ですら自分で為さねばならないのであり、言葉による教えを説くだけの教師に過ぎず
いかなる力も貸してくれません。
ましてや現世利益や現世の悪い運命を避ける道など説きません。
しかも如来も応供も同じ仏をさす言葉であるのに「我は応供の如来なり」などと
ダブル表現の漫才をやらせた。あれなら別に「僕は如来の応供でーす」でもかまわない。
その如来の応供さんは釈尊の否定・禁止した護摩の炎に現形と称して現れたが
その姿は無欲無一文無所得の如来らしからぬ頭に宝冠やら、きらきら宝飾で着飾って
出てきた。こんなことはあり得ない。
桐山がさんざん批判してきた大乗仏教の架空の仏、空想の仏、偽の仏の形を示してこんにちわ
と現れた。
人はあれを見てやっぱり仏様というものはいるんだねえと信心を起こすのだそうだ。
そういう宣伝の為に現れたそおだ。
人々の心にはますます偶像崇拝の心が育ち、本来の己の内面を見る営みは遠ざかるであろう。
[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>316、清よらかな心持ちだけだったなら、ブッダの称号にわざわざ「応供」などという称号は必要ないし、発生する道理もありません。こういうのを屁理屈というのです。また釈迦は「功徳を積もうと望む者の福田である」とハッキリおしゃっております。(スッタ・ニパータ大いなる章、スンダリカ・バーラドヴァージャ)。それこそホームレスに施しをしても清らかなこころもちになれるでしょう。釈迦のいう「福田」とは意味合いが違うのです。
[318]kotaro 05/06/03 10:33 i8EmrP9OJ7
>>成仏は煩悩を除去してブッダになるわけ
ですから、そういう意味で煩悩の解脱も含
めて概念は認めても、供養したからといって
これらが得られるわけではありません・・。

凄く説得力のある会話のようだが、
はたして、そうだろうか。

傘地蔵の話をご存知でしょう。
其の時、傘をあげたら、幸せになるとか、
功利的に考えて施しをしたでしょうか。
彼は、日頃から、正直な思いやりの
ある人だったのです。
「貴方は、もう既に救われている。」
確かに、其れを契機に表彰されるでしょう。
其れは、周囲の人も分かる形で、
表れたと言うべきでしょう。
因縁とは、そう言うものでしょう。
[319]kotaro 05/06/03 10:40 i8EmrP9OJ7
慈悲の心が生じる。
其れが、仏心で、仏陀の境地です。
其れが、生じれば、因縁解脱とか、
悟りとか言わなくても、同じ境地でしょう。
悟りと言う修行以外で、
仏陀の境地になれる筈はない。
万万が一なれても、其れは、
しばしの間で、長続きしない。
(と、決めてかかるのは、)
其れは、修行僧の思い込みであり、
思い上がりでしょう。
[320]ユビキタス 05/06/03 12:58 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
シンセイ仏舎利の話に移ろうと思ったのだが先に・・・。

>>317
面白い視点が提供されました。
一般論は避けたいが、ホームレスに施しをすることと、清らかな行いをする出家者に
供養をすることとは、ある面共通してある面異なります。
ホームレスを応供とは絶対に言いません。
ホームレスに食事や衣類を施す福祉ボランティアは、まあ彼らがホームレスから脱して
自立の道まで示せれば一番よいですが、当座のしのぎに同じ人間として物資の援助を
差し伸べるのはそれに対する見返りも期待などしません。
人間としての義務感としてやっていることで、自己満足の思い上がりとか「してやっているのだ」
のお仕着せの善意にさえ自戒すればその行為により心も清まりましょう。
しかし彼らホームレスは本来あってはならないものですから、これを自分の心を清める
目的であるかのような福田とは言えません。
目的にしたらそれは不幸な境遇の彼らをダシに使った侮辱です。
出家者の場合は在家が布施しようがしまいが、その清らかな行いが尊いのです。
しかし彼らとて人間として生きていくためには衣食は必要で、これを支えることは
清らかな行いをする人たちを減らさずに増やすことになりますし、自分もまた
彼らに機械的に餌をくれてやるのでなければ、それはその清らかな行いを尊敬した
上での供養ですから、自分もまた清らかさを理想とし、志すきっかけになるのです。
ホームレスではこうはいかない。
しかしどちらにしても心に喜びを得るのは自分なんです。
それはホームレスがくれたものでも出家者がくれたものでもない。
出家者はただ受け取るのみです。
施しを受けることとは関係なく人に清らかな道を説いて教導します。

先生のような立派な方はぜひとももっとご活躍していただきたいと願って、いろいろな
身の回りの世話をする。しかし先生がその生徒の点数などよくしてくれません。
先生がますますご健勝で活躍されることだけが喜びなのです。社会的にも。

>>318
傘地蔵の話は人情話です。
この人が見返りを一切認めぬ施しを続けていくならば、それだけで清らかな心と行いなのですから
煩悩を離れた解脱の道には近づくことでしょう。
しかしそれは如来やお地蔵さんが褒美にくれたものではない。
自己の行為の結果です。
だから傘をくれれば功徳を授けるぞなんて説いてはいかんのです。
本当に純粋な善意でさえも意義を失い、依存心が別に生まれる。
[321]kotaro 05/06/03 14:06 i8EmrP9OJ7
>>だから傘をくれれば功徳を授
けるぞなんて説いてはいかんのです。

教える側の内容を、批判してあるのでしょうか。

もう、既に、在家の境涯を越えておいでですね。
何故なら、其の批判は、在家の私達に、
向けられたものではない。
そう言われているのと同じですから。

教団に向けられての発言ですね。
それなら、そちらに向けられるべきでしょう。
在家の私達には、皆目分かりません。
[322]ユビキタス 05/06/03 16:05 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>321
だから教団に向けて発した教団批判の発言を信者さんに聞こえるように申している
のでございますよ。
kotaroさんがお地蔵さんがかわいそうと見返りを求めず傘をつけてあげながらも、内心
何かいい報いがお地蔵さんから貰えるのでなかろうかと期待する気持ちが湧いたり
それを信じるのも個人の自由でござんす。
しかし阿含経を依経とした阿含宗という仏教教団たるものが、「供養せよ。さすれば我は
汝に功徳を授けてやるぞ」と言って現れたなんて説いてはいかんと言っているのです。
事実そう言っているのですから。
信者というものは教祖の言うことを信じます。
だから教祖の発言は責任があり、個々の信者のもとからある信条とか信仰心は相手に
しておりません。
この教団の教祖の発言は違っておりますわよとお教えさしあげているのでざーます。
最近いろんな人が増えたのでkotaroさんが前よりも善良な方に見えてしまいます。
ピンボケぶりは相変わらずですが、それが懐かしくも感じてレスもつけてあげてしまっている
今日の私です。
[323]栗花 馨 05/06/03 16:30 FFRU60AvCZ
コピペ
アブラハム・マズロー(1908年〜1970年 A.H.Maslow アメリカの心理学者)は,彼が唱えた欲求段階説の中で,人間の欲求は,5段階のピラミッドのようになっていて,底辺から始まって,1段階目の欲求が満たされると,1段階上の欲求を志すというものです。
 人間の欲求の段階は,生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求です。生理的欲求と安全の欲求は,人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求,親和の欲求とは,他人と関りたい,他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求で,自我の欲求とは,自分が集団から価値ある存在と認められ,尊敬されることを求める認知欲求のこと,そして,自己実現の欲求とは,自分の能力,可能性を発揮し,創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求のことです。
[324]栗花 馨 05/06/03 16:32 FFRU60AvCZ
コピペ
アブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908年4月1日 - 1970年6月8日)は、アメリカの心理学者。
1934年ウィスコンシン大学で学位を取得。コロンビア大学、ブルックリン大学で助教授、ブランダイズ大学教授を歴任。1962年、「ヒューマニスティック心理学会」を設立。1967年〜1968年、アメリカ心理学会会長。
自ら提唱する人間性心理学の旗頭として活躍し、自己実現、創造性、価値、美、至高経験、倫理など、従来の心理学が避けてきた、より人間的なものの研究に道を開いた。 マズローの人格理論は、通称「自己実現理論」とよばれ、心理学のみならず、経営学、看護学など他の分野で言及されることも多い。
[325]栗花 馨 05/06/03 16:39 FFRU60AvCZ

 方便

で、導き


祈りです       
[326]栗花 馨 05/06/03 17:01 FFRU60AvCZ
で、できのいい宗教法人ってどこ?
[327]ユビキタス 05/06/03 20:12 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>312
阿含宗の仏舎利が真正ではないとの話は今は置いといて、現形のニョライさんとともに
功徳を授けてくれる存在として仏舎利を出すことがそもそも間違っているのです。
釈尊は自らの死後の遺体等の処置について、出家者は葬儀などにかかずらうなと説きます。
しかし在家の信者が遺体の処理に関わりますが、どのようにしたらよいか阿難から質問されます。
それならばと処理法を説くのです。
決して自分の方から、皆の者、今日はキサマらにとって重大な発表をする。俺の遺体の
処理法だ。これは俺の死後、俺様がブッ界から力を送るのに絶対必要な条件だから
心して聞けい。と言ったわけではないのです。
どうせ自分の遺体を前に祭祀をされ、自分は祭り上げられる。個人崇拝等自分の遺体に
特別な神秘の力を期待するのが在家信者の人情で避けられないのならば、その祭祀に対して
別の意味・意義を付与して、偶像崇拝のないように新たなまつり方で本来の意図を実現
しようとしたのです。釈尊のよくやる過去の無意味な因習の完全禁止ではなく新たな
意味を添えることです。
それが遺骨を塔に納めて四辻に建てて、人はそれを見るにつけ、自分の説いた清らかな教え
を思い出す道標にせよとのことです。
教えを思い出して清らかな心になり、そしてその教えを実行するのです。
ただそれだけの仏教徒のシンボルですから、そもそも遺骨が真正とかそんなことは関係もなく
教えを思い出すシンボルならば本物の遺骨でない塔であっても、それは人の心の問題ですから
うるさく問われる問題ではない。阿含宗だけが真正の遺骨でないとシャカの魂だか
ジョーブツ力が宿らないとかおかしなことを言うのです。
生きている間も言葉で教えを説くだけで力など貸してくれないものが、死んでからも
力など授けるわけでない。
生きている間一切の取引に応じなかった方が死んでから供養に応えて功徳を授ける
わけがない。仏塔見たら教えを思い出して心を清らかなにして、教えを実践して
なお心を清らかにせよとのシンボルに過ぎない。
教えの理解できぬ人にはただの建造物に過ぎないが、それでよい。所詮シンボルなのですから。
仏舎利塔とともに仏教徒のシンボルとされるものに法輪がある。
輪はもともと古代インドの武器なわけですが、法(真理)の輪で煩悩を破砕する象徴とした。
真正法輪なんてありません。単なるシンボルだから力もなく煩悩破砕の教えを自覚するだけです。
[328]ユビキタス 05/06/03 20:33 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>313
雑談から真理を得ると言うと昨夜の兄弟力士のCMで思い出してたものがある。
マンガの「頑張れパイレーツ」だったが、兄は人間辛抱だと言い、弟は人間容貌だと言って
新弟子の獲得の有利な展開にニンマリするシーン。
桐山もまたあのオールバックのロマンスグレーの見た目にカッコイイ風貌、容貌に
どれだけ有利に働いたことか。口のうまさもさることながら、こういうカリスマ性を
十分に活用して成功した例と言えよう。
こちらも雑談の真理でしたが。

>>314
越中富山の反魂丹、鼻クソ丸めて万金丹、そいつを飲む奴ぁアンポンタン
と言うのが元ですね。丹とは漢方薬で散、丸、湯とか形態により種類分けがされる中で
練り上げて作った固形物ですね。
反魂丹!魂が反り生き返るかのようなすごい効能だと商売上手な富山の薬売り行商人は
宣伝しまくったのに対して、適当にいろんな成分を丸めただけのマンキン丹じゃねーのか?
と揶揄された次第です。
密教食という麦こがしのような商品が出た時も、単にいろいろ成分並べてもっともらしい
宣伝をしたところを鼻クソ丸めて密教食と揶揄されたわけですね。
[329]実行委員長@ 05/06/03 21:56 IjzSBxUkay
止息法が成仏法です。こうもりはヨガをわかってない
形状の秘密を知らないからダメ。誰ひとり桐山師の
修行法をわかっていない。わかっているのは実行委員長だけです
[330]実行委員長@ 05/06/03 22:00 IjzSBxUkay
まるめるのは鼻糞ではなくクンダリニー・パールです
パドマ・マツガの明珠です。これが間脳開発の媒体です
わたしはその秘密を解きアナゴンの上のほうになりました
こうもりにはわかりません
[331]こうもり 05/06/03 23:17 f0d/0/hm2k
阿含宗と桐山氏について―第九章―最新刊 『守護神を持て』とは!?―[590]
阿含宗と桐山氏について―第九章―最新刊 『守護神を持て』とは!?―[845]
実行委員長過去スレですが、この↑意味は分かりますか?
[332]ユビキタス--へんてこりんな奴 05/06/04 01:56 9MrIwPEYzA
普通詐欺に会えば、すぐ警察を呼んだり、弁護士に相談するのだが、こいつは、詐欺に会った確認にもう何年間も費やしている阿呆なのだ。いい加減確認が出来たなら、弁護士の処へ行って、訴訟の準備をすればよいし、確認がついに取れなければ、裁判はあきらめナケレバならない訳だ。いつそうするのかなと思っていると今日もこのへんてこりんな臆病者は「自分は詐欺にあったんだよね?違うかな?」と確認作業を続けるのである。こんなのんきな馬鹿野郎、めったに居ないぞ。天然記念物ものだ。
[333]池田慈水 05/06/04 02:39 GoRGEoUS
阿含宗では、桐山以外に阿那含以上に到達した人が居ないという公式見解だそうだが、これは、桐山自身が自分の教法に効果がなかったと認めている事になる。論理的な思考をすればそうなる。須陀恒は自己の境涯を悟らない。そして、斯陀含も阿那含もいないのであるから、信頼性に欠ける教団だと言われても仕様が無いなあ。

阿那含に到達したことを告白している池田慈水は、現在阿含宗会員では無いが、桐山の指導が成功した例として、ここに書きこをしているのである。鼓舞激励をするためにだ。私の位置づけは、仏舎利が来る以前の修行方法の、成功例である。チャクラ開発行(と言っても桐山は「念力」という本しか書いていないし、あと超能力のカリキュラムという本に、ヒントが少し書いてあるだけだが、私は、そんな中でも、マニピューラチャクラ、ヴィシュダーチャクラまで開発が出来てしまった、特殊例である。そのことは私のHPを読んでもらえば分るであろう。実際にあの音を聞いた人しか書けない記述で分ってもらえるであろう。その経験が在ったからこそ、観音経における「梵音海潮音」がまさに天耳通能力と関係があると日本において一番最初に私が記述できたのである。法身の如来の現形、そしてその瓦供養で霊写真をもらい、供養行とチャクラ開発行、さらに阿含経の四念処観を密教的な行法で瞑想することにより、斯陀含から阿那含になったのである。ヴィシュダーチャクラ覚醒の裏づけがあるのだから、行が深く届いているのは、明白である。マニピューラチャクラが覚醒すれば、成仏するのは難しいことではない、と桐山自身が書いているのである。

とにかく、そういう立場で、私はここにいるのだ。

もう一つ、加えて書くが、私は昔、第4回伝法会、もしくは第5回伝法会のときに、同室の仲間からお護摩の写真を見せてもらったことがある。そこにははっきりと龍神様が写っていたことを証言させていただく。龍神の写真であり、炎ではなかったと言っておく。5年前、2ちゃんねるでどうしてもユビキタスのような馬鹿者が、炎だ、炎だといって理解しようとしなかったが、まさしく龍神の写真を見たのだと、ここに再度、証言しておく。
私はマニピューラチャクラを開発しており、視界の縁にいつも白い光を見ており、龍神の写真も見ているので、桐山先生がインチキでないことを知ってしまっているのだ。ユビキタスがどんなに実証主義的な仮面をかぶろうとも、彼こそがいんちきであり、どうしようもない、魂の穢れたものであることを、私は明言する。ユビキタスはインチキである。
[334]池田慈水 05/06/04 02:46 9MrIwPEYzA
ユビキタスは韓国創価学会の工作員の可能性がある。
彼の言うことは全て嘘である。
阿含経などの引用はもちろん本当のことだが、引用以外は、全て嘘だ。
[335]池田慈水 05/06/04 02:49 9MrIwPEYzA
ユビキタスはみな嘘だと、バーレーン。

みんな、サッカー見てるんだろ?(笑)

こういう小学生でも喜ばない駄洒落を書けるのが、私の凄いところ。
[336]服部エンタープライズ社長 05/06/04 02:54 *vOys31uzjgw*OshGYcaK1m



     お〜ッ〜    寒ッ!!


        
[337]池田慈水 05/06/04 03:08 9MrIwPEYzA
修行の成果は、ジーコ申告、なんてね(笑)
[338]そう 05/06/04 03:48 m9ZfI7lYCp
またやってるのか。w
[339]栗花 馨 05/06/04 08:38 YzbV/LL03m
バーレーン。
>こうもり
もうすぐ、あなたはぼくよりきわめます。

夏、心包経は冷やすやくめ
縦郭あたり
また、肺経の皮膚に気があつまります。
[340]こうもり 05/06/04 09:59 f0d/0/hm2k
上段はお世辞がうまい

下段のアドバイス感謝です!
[341]こうもり 05/06/04 13:24 f0d/0/hm2k
HP上でもいいから”栗花 道場”があれば弟子になりたいですね。

「念力」という本で練習した人は他スレ見ると「化けたつもりになるにはいい」と評されてて、いまいちでした。
池田先生の場合、ご自身で書かれてるとおり特殊な呪術体質でしょ。
実行委員長も呪術体質。バクティヨーガの理論上、千座行呪術でもチャクラ覚醒する特殊霊媒師ってまれにいますよね。

普通人は栗花氏が過去に実践したようなちゃんとした修行じゃないと効果でませんよ
[342]金剛靖雄 05/06/04 17:01 jIycM5XoCi
2005.09.25
[343]こうもり 05/06/04 17:06 f0d/0/hm2k
>>327 これはシェルドレイクの形態形成場で説明がつきます。結論を言うと釈尊の聖霊とは関係なくても問題ありません。
仏滅後、在家の信者が仏舎利塔の意図に反して、仏舎利塔の前で呪術を行ったとします。
>>159の理屈でこの信者の念で祈願がかなったとします。そのときこの信者の釈尊を追慕する念がタルパ(人工想念体)になり、仏舎利塔の周りのアストラル界に"場"を創ります。
そして次々と信者が呪術をするので強大な人工想念体に成長するのです。
1例を挙げましょう。アゴン宗の呪術的感性のすぐれた人は『ぶっだのせいれい』を見ます。
ストゥーパの中ではなく、前の空中に座禅を組んで浮かんでいるらしいです。あの有名な定に入った仏陀像にそっくりだそうです。
そして参拝者が鐘を叩くと目を開け、またすぐ瞑目にもどるそうです。
これはお互い見たもの同士があとで話あって一致して、本当だと分かるそうです。これはスゴイことだ、と思いました。

その後、ユビ氏に仏髪崇拝について質問したところ「釈尊がそんなフェチなことを在家にさせない」と答えたので、私なりに調べました。
結果、仏髪の由来に信頼性が薄い、それと経典の中で釈尊はスキンヘッドだった可能性が高い、と分かりました。

(*)ということは仏界の釈尊の聖霊ではなく、人々がよく知ってる『しゃくそん像』であり、アストラル界のタルパの可能性があります。
でもタルパの期待に応え、仕方なく(本物の)仏界の釈尊の聖霊が現れてる可能性もあります。私は本物だと信じたいけど実際わかりません。

タルパ説を裏付けるこういうエピソードがあります。
ある優れた准胝行者がすっぽん料理の店で食べたら腹痛を起こして大変だったそうです。他の人は平気だったそうです。
後日、行者の師が「准胝尊がすっぽんにのってること」を示して理にかなってることになりました。
でも架空の仏の准胝尊が爬虫類のすっぽんにのって、すっぽんを食べた准胝修験者が腹痛を起こすのは何故?
これこそ呪術における形態形成場なのです。

他宗等の架空である不動明王が霊示をさずける現象も同様に説明がつきます。

でも(*)のとおり仏教では仏舎利崇拝が最も古い正統な呪術なので、他の仏さま崇拝より効果があります。

ユビキタス神でも、いつかメジャーな呪術になれる可能性もあります。
[344]こうもり 05/06/04 17:08 f0d/0/hm2k
ちなみに私は呪術的感性がすぐれてないから、『ぶっだのせいれい』は見えません
[345]こうもり 05/06/04 17:25 f0d/0/hm2k
南伝仏教やアゴンや大乗で仏塔をまつる宗派いっぱいありますが、生前説いたことと少し違っても本物の仏界の釈尊が感応するかは、
その分野に詳しい方にレスが欲しいです。
私は本物の仏界の釈尊だと信じたいから、なおさら勤行呪術はめったにせず(昨日1ヶ月半ぶりにしたがw)

本物の仏界の釈尊が望むだろうアーナパーナサティを重視して実践するようにしてます。
[346]こうもり 05/06/04 17:34 f0d/0/hm2k
あれ?仏陀ご自身もご自身のフォースを呪術に利用されることを許可してたのか!なるほどねえ ↓

356 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:48:00 ID:sg3o5td5
>仏教聖典 友松著 講談社学術文庫 p398
 >阿含経によってかかれている。仏舎利について。
>「師よ、われらは師の遺骸をいかにとりなすべきや」
>「アーナンダよ、汝らは如来の遺骸の供養につきてこころ煩わされることなかれ。
> 汝らはただ、おのれのもっとも高き善のために、おろかなることなく
> はげみもて変わることなかれ」

和訳・・・大般涅槃経[法顕訳−ブッダ最後の旅路] 雲井昭善 東京美術 115-116頁
 第二部(巻中) 第二章 入般涅槃直前の世尊 四 葬送儀礼(供養法)について
 −転輪聖王のそれにしたがう− 大正・1・199頁下21行目
<略>
その時、阿難は、仏に白して言う。「世尊よ、[世尊が]般涅槃にお入りになった後、
供養の法は、当(まさ)に云何がしてよろしいでしょうか」と、
仏は言われた。「汝は今、応(まさ)に、逆(あらかじ)め此の事を憂うるべきではない。
但(ただ)、自ら思惟せよ。我が滅後に於いて、正法を護持することを。
昔から聞いた所を、楽(ねが)って人の為に説け。所以は何か[と言えば]、
諸の天神が、自ら当(まさ)に我が身を供養すべきであり、
又、婆羅門及び諸王、長者居士を以て、此等も、自ら応(まさ)に
我が身を供養すべきであるから」と。
[347]栗花 馨 05/06/04 19:58 FFRU6Z3gYI
ありがてえだ・・ありがてえだよお〜〜〜〜〜〜〜〜

ほとけさまだあ・・・
[348]ユビキタス 05/06/05 14:20 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>343
タルパだかぬるぽだか知らんが、(←・・・わからん。ギャグが思いつかんのじゃ)
仏舎利塔が当初釈尊の企図した清らかな教えを思い出す仏教徒のシンボルとしての
機能よりも在家信者が思い描き感じ取ってしまった奇蹟の力、御利益の方に重点が
置かれるようになった歴史的な経緯はあるでしょう。
それが法華経その他大乗経典の舎利の功徳の記述になっている。
しかし阿含経にはこういう記述はないのです。
だから後世の大乗に根拠を持つ舎利信仰こそが阿含経を依経とする阿含宗として
正統な信仰形態とは、間違った理屈なのです。
舎利をまつるにしても意味が違うし、シンボルは所詮シンボルなのだから本尊などとは違う。
釈迦仏教に本尊などはなく、自分自身が島です。
シンセイ仏舎利を買った翌年星まつりで本尊にして、その時のテレビ特番のゲストに
仏教民俗学者の五来重先生が舎利信仰は正しいと発言したのは、とりわけ日本における
庶民の仏教信仰の歴史にも矛盾しないということだけで、阿含経、釈迦仏教に則っている
なんてことではない。
仏舎利塔に力を感じても不思議はないし、仏舎利塔でなくても同様の
奇蹟はあってもおかしくない。こうもりさんが仏舎利が偽物と判明してもなおかつ
Oリングテストの効力は発揮できる。考えてみれば仏舎利が本物だからOリングは開かずに
偽物ならばぱかっと開くなんて根拠はまるでない。
その人の信仰心がこういうどうでもよいシチュエーションでもどれだけの力が発揮できるか
とそれだけです。
だから阿含宗の御利益談などはよそと同じように否定などしません。
ただ御利益があったのは塔の中におシャカの精霊が封じ込められて「がおーがおー」と
力を発しているのでなく、まさしく各自がそのぬるぽを各自封じ込めて気まぐれに発揮させた
呪術的なものですね。
もちろん私も呪術師になる素質も可能性も危険性もありましょうが、どちらかと言うと
霊も感じない体質で、知性が邪魔をするクチで、その知性をますます大切にして、
間違っても霊媒体質になりたくないと考える方なので、難しいですねえ。
[349]栗花 馨 05/06/05 18:09 YzbV/d9iZz
釈迦をまんま引き合いにしてつべこべいうのは大間違い。


釈尊の企図した清らかな教え=清らかな乞食
シンボル=個人のかってな解釈
釈迦仏教の本尊=ゴーダマシッタルタ
自分自身が島=シャク尊のおしえ

阿含経、釈迦仏教は、そのままではぬけがら

現代に活かしてこそシャク尊も喜ぶ

で、完全仏教
[350]栗花 馨 05/06/05 18:10 YzbV/d9iZz
ってかね

にくたらしいシンボルなだけか?いまだに?
[351]栗花 馨 05/06/05 18:15 YzbV/d9iZz
池田ジミズ氏ってなにか主催してるんですか?

表アゴン 深田氏

裏アゴン ジミズ氏

なのでしょうか?
[352]ユビキタス 05/06/05 18:40 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>343
すっぽんが当たった准胝行者とは桐山のことでしょうが、京都の関西本部を方広寺の境内を
借りていた時、方広寺の住職と二人で京都の有名なすっぽん料理の店で忘年会を
やりましょうやということになった。
で、桐山がまずすっぽんの生き血を一口飲んだらお腹の具合が悪くなり、トイレに
駆け込み、すっぽんのスープを口にしてまたトイレ。
後日金剛院派の北野管長に聞くと、それは共食いになりますがなとのこと。
大海ありて亀の背中に准胝尊が乗ると観想するわけだ。
だから常に亀乗り准胝尊を観想している桐山が亀を喰うことに本能的に拒絶反応を
起こしたというお話だが、ここでおかしいのはすっぽんを食おう、食う直前まで
躊躇とか嫌悪感の告白がないことだ。
むしろすっぽん料理に舌鼓を打つことに期待していたようだ。
すっぽん・・・亀ですか?う〜ん、正直気が引けるけどまあつきあいだから
という感じなら、トイレに駆け込んだ時点で、やはり忌避していた感情のとおりだ
と自分で気付く。頭では目の前のすっぽんと普段の観想の准胝の亀は全然別物という
認識はあるものの、長年のカメさん思考により、亀自体を受け付けない体質になった
と言いたいのだろうが、全然そういう心の葛藤が見られない。
北野管長に言われて初めて、ああ、そうかと納得した次第なんだそうだが、このマヌケな
証言に、実は亀の観想など普段からほとんどしてないとわかる。
まあ自室の准胝尊の掛け軸にはたしかに亀が描かれていたはずだし、無意識の意識に
取り込まれていないとは言わない。
しかし准胝尊もその下の亀サマも実在のホトケでありこの亀は生物界の全ての亀を司る
なんてアホな話ではない。
あくまでも観想なのだから、観想のし過ぎが腹下しまで引き起こしたのなら
それこそ迷妄そのものと言え、こういう現実と観想の区別もつかない愚かな話のどこが
自慢になるのだろうか?
ネットの殺人ゲームにはまり、現実との区別がつかずに殺人を犯した話とも共通する
レベルに過ぎない。だからこうもりさんの言う呪術なのです。
ネットの仮想空間の落とし穴の魔術も。
実際には目の前の亀を口にしてもその場で准胝尊も思い浮かばない、後から言われないと
わからない程度の普段の観想ですから、これは単にたまたまお腹の調子が悪かっただけと
解釈できますが。
[353]ユビキタス 05/06/05 19:10 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>346
呪術を培いフォースを受け取る巣にしなさいと示したのではなく、自分の説いた教えを
思い出し、この正法を護持して広めなさい。
バラモンであろうが長者であろうが、諸天に至るまで煩悩をなくして清らかになる
こと教えを示す為にも、このシンボルを活用しなさい、そういう意味での我が身を供養せよ
でありましょう。
[354]栗花 馨 05/06/05 21:03 YzbV/d9iZz
にくたらしさゆえの大間違い

353]ユビキタス 05/06/05 19:10 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>346
呪術を培いフォースを受け取る巣にしなさいと示したのではなく、自分の説いた教えを
思い出し、この正法を護持して広めなさい。
バラモンであろうが長者であろうが、諸天に至るまで煩悩をなくして清らかになる
こと教えを示す為にも、このシンボルを活用しなさい、そういう意味での我が身を供養せよ
でありましょう。
[355]栗花 馨 05/06/05 21:06 YzbV/d9iZz
にくたらしさのシンボル

[353]ユビキタス 05/06/05 19:10
[356]栗花 馨 05/06/05 21:07 YzbV/d9iZz
正しい

[346]こうもり 05/06/04 17:34 f0d/0/hm2k
あれ?仏陀ご自身もご自身のフォースを呪術に利用されることを許可してたのか!なるほどねえ ↓

356 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:48:00 ID:sg3o5td5
>仏教聖典 友松著 講談社学術文庫 p398
 >阿含経によってかかれている。仏舎利について。
>「師よ、われらは師の遺骸をいかにとりなすべきや」
>「アーナンダよ、汝らは如来の遺骸の供養につきてこころ煩わされることなかれ。
> 汝らはただ、おのれのもっとも高き善のために、おろかなることなく
> はげみもて変わることなかれ」

和訳・・・大般涅槃経[法顕訳−ブッダ最後の旅路] 雲井昭善 東京美術 115-116頁
 第二部(巻中) 第二章 入般涅槃直前の世尊 四 葬送儀礼(供養法)について
 −転輪聖王のそれにしたがう− 大正・1・199頁下21行目
<略>
その時、阿難は、仏に白して言う。「世尊よ、[世尊が]般涅槃にお入りになった後、
供養の法は、当(まさ)に云何がしてよろしいでしょうか」と、
仏は言われた。「汝は今、応(まさ)に、逆(あらかじ)め此の事を憂うるべきではない。
但(ただ)、自ら思惟せよ。我が滅後に於いて、正法を護持することを。
昔から聞いた所を、楽(ねが)って人の為に説け。所以は何か[と言えば]、
諸の天神が、自ら当(まさ)に我が身を供養すべきであり、
又、婆羅門及び諸王、長者居士を以て、此等も、自ら応(まさ)に
我が身を供養すべきであるから」と。
[357]平等性智 05/06/05 21:57 H/6/DQAZNW
>>343
伝法会参加者で入堂作法やってれば、それほど不思議なことでも
ないと思うけど…また、ある特定の真言が幾世紀にもわたって
無数の人達により唱えられることによって、それらの想念や加持が
蓄積されるようなことはラマ・ゴヴィンダあたりも言ってたような。
だから「同じ観想による偶然だ」とも、仏陀の聖霊によるものだ
とも決めつけはしませんが、宗教関係者の場合は特定の儀式や
教義による「条件付け」はどうしてもあり、それらが動機の是非に
関わらずなんらかの作用をもたらす可能性は否定できないでしょう。
もっとも無信心な人でも正夢見たりすることはあるんで、そういう
人から現実と符号するような事柄を指摘されたりすると結構ドキっ
としますね。金と時間と労力使わないだけ上等かもしれない。(笑)
[358]こうもり 05/06/06 00:16 f0d/0/hm2k
>>352 >まあ自室の准胝尊の掛け軸にはたしかに亀が描かれていたはずだし、無意識の意識に取り込まれていないとは言わない。
持仏のすっぽんについては調査中です。
さっきネット画像検索したが普通、准胝像にすっぽんは出てませんでした。
仮定だが、普段すっぽんなしの仏像拝んで、正式な「大海ありて亀の背中に准胝尊が乗る」という観想も省略してたと想定します。

しかし、すっぽん食べて腹痛起こした。これは准胝タルパがバチを当てたのです。

あなたは密教呪術の"持"しか見てなく"加"のほうを無視してます。
すっぽん云々を忘れててバチが当たったのだから、あなたは呪術=妄想の類と決めつけてるが、
呪術にはフォースやタルパが伴うのです。>>357の如く。

但し、呪術自体は求道ではありません。求道とはクンダリニヨガです
[359]金剛靖雄 05/06/06 00:26 jIycM5XoCi
9gatu25niti
[360]平等性智 05/06/06 00:33 H/6/DQAZNW
う〜ん、北野さんと桐山さんの師弟関係(?)は通常のノーマルな
ものとはちと違うようですからねぇ…桐山さんも話してるうちに段々
風呂敷が針小棒大に広がってくわけで。そこは最初から割り引いて
考えたほうがよろしいかと。

357でも書きましたが、不可思議な現象を頭から否定はしない立場を
とっていますが、その反面それらの事柄は商売人に利用されやすい
脆さをも含んでいるわけで。あとはその団体なり個人なりの当事者が
どれだけ虚言を吐かずに誠実な態度を保ち続けるか…ということだと
思いますけど。だから現実と符号しないようであってもなんでもかん
でも霊感話にしちゃうようなのは最低ですね。また宗教関係者はその
手の人間が多い。ある意味掃きだなのかもしれません。
[361]平等性智 05/06/06 00:35 H/6/DQAZNW
誤 ある意味掃きだなのかもしれません。

正 ある意味掃きだめなのかもしれません。
[362]ユビキタス 05/06/06 08:56 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>358
持仏の準胝掛け軸にさえ亀は描かれてないのではとは2ちゃんねるで書きました。
となると儀軌にある観想文みたいなのを根拠にしていたとなるが、こうもりさんによると
それすら省略していたこと言う。私もそう思う。
で、そうなるとこうもりさんの結論は、これは桐山準胝行者の修行成果などでなく
もともと準胝という偶像仏にもその御名(みな)に篭められた呪術的なタルパだか
ぬるぽがあり、準胝と亀さんの関係など知らずとも、観想など省略してても亀を食うという
禁忌を犯すと、みな等しくバチが当たって腹を下すってな話になる。
私はそんな苦しい想定よりも、単にせっかくすっぽんを食べに行ったのにたまたまお腹の具合が
悪かったところ、後で北野管長の話を聞いて、なるほど準胝は亀と関係があったのだと
認識して、これは使える!これは私の観想修行の賜物なんだ、君たちもすっぽん食って
あたるくらいになれば一人前ですなんて話にした。
神人小泉太志命に「アンタはスサノオの生まれ変わりだ」とヨイショされて有頂天になって
今回の新著にまでわざわざ書くくらいだから、それと同じで、単なる腹下しに
神秘の意味を後からとってつけに添えただけのことだと思います。
元から加も持もなく、後から火事の事件だったのだと嘘話にした。
せっかくの美味しいすっぽん料理が楽しめなかったことに対する怨念を、準胝信仰者の
業ゆえ仕方ないことと美化し、自分を慰める言い訳にも使った。
転んでもただでは起きない不屈の精神の賜物ですね。自己弁護と商売の拡張。
[363]kotaro 05/06/06 10:25 44UK1TW/7O
>[333]池田慈水聖者 拝礼 拝礼 拝礼

>>阿含宗では、桐山以外に阿那含以上に
到達した人が居ないという公式見解だそうだが、
これは、桐山自身が自分の教法に効果がなかった
と認めている事になる。
論理的な思考をすればそうなる。
須陀恒は自己の境涯を悟らない。
そして、斯陀含も阿那含もいないのであるから、
信頼性に欠ける教団だと言われても仕様が無いなあ。

何時も此処が議論になるので、共通の部分を纏めたい。
私が、阿含宗を訪れた時、親身になり世話下さった
大長さんは、会で、不思議が起きる話を話されていた。
会員の方々も、不思議な才能は、備わって来ている。
が、お釈迦様と比較すると、其の境涯には、あと少し少ない。

それを、”到達した人が居ない”と控えめ
に表現されている。と思う。
ある意味、ユビキタス師匠も、雄弁な
批判が、可能なほどの才能が身についた。
と評価しても、間違いではない。
だから、0ではなく、厳密に言えば、後少しで、
完成する逸材が、わんさかと誕生している。
決して不毛ではない。と表現すべきである。と思う。
[364]kotaro 05/06/06 10:36 44UK1TW/7O
お釈迦様の境地に達する必要がある立場の
人と言えば、阿含宗全体を維持する桐山管長猊下
唯お一人で良い訳で、各自の持ち場持ち場に
必要な、霊力と言うか、生活に必要な超能力は、
既に備わって来ている。
そう評価すべきではないでしょうか。
完全な悟り=仏陀の境地=解脱
も、確かに阿含宗に入門した目的でしょうが、
あと二、三回生まれ変わってと言う事
であれば、少なくとも、今生の生活には不自由
ない霊力が、備わったと認識すべきと思う。

そうした観点で、阿含宗の教えと言うか、
カリキュラムを再評価すべきではないでしょうか。
[365]こうもり 05/06/06 12:27 anUZQ2KjrN
すっぽんに関しては負けを受け入れましょう。
では次に
『諸の天神が、自ら当(まさ)に我が身を供養すべきであり、
又、婆羅門及び諸王、長者居士を以て、此等も、自ら応(まさ)に
我が身を供養すべきであるから』
をユビキタス氏は
『教えを示す為にも、このシンボルを活用しなさい』
と解釈してますが。

天の中でも、形のない純粋精神で構成されるカラーナ次元にいる無色界天の神々が、
わざわざ物質界にシンボルの形を見に来るのですか?それはオカシイ。

それと婆羅門。この人達に"供養すべき"なんて言ったら呪術するに決まってるでしょう?

やはり、呪術を培いフォースを受け取る巣にしなさいと示したと解釈するのが自然です。
ただ阿含経で釈尊が渋々、呪術を容認はしているが、阿含経の趣旨は呪術ではなく、
アーナパーナサティという、カラーナ次元さえも無常であると、体得するクンダリニヨガです。
[366]ユビキタス 05/06/06 12:59 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>365
すっぽんの方こそ実はどうでもよいことで、潜在意識のきまぐれな作用を認めても
実在の準胝が亀ごと取り憑いているという話にもならないわけです。
11スレにごちょごちょ書いているのがいるので、まあそれにもちょいとレスつけようかとは
考えてますが。
仏舎利塔については諸天も婆羅門もまた供養せよという表現がわかりにくいとは
思いますが、だからといって呪術の道具に仕立てよだの、フォースを篭めてつかみとれ
だの指示にするのは、あまりにぶっ飛んだ話です。
それまで神秘な力への依存を否定して自己確立の道を説いて、煩悩をなくせとうるさく
説き続ける釈尊が死期に及んでどうして突然そんな血迷ったことを言うのか?
生涯の教法に矛盾が生じてしまう。
フォースを説くのならもっと丁寧な解説、弁明が必要なのです。
そんな苦し過ぎる解釈より諸天だろうと婆羅門だろうと煩悩から離れた教えを求めて
これを実践せねばならない。その道しるべがこの塔なのだから、塔を拝ませるのでなく
塔の史蹟にこめられた意味、それは塔のバイブレーションなどではなく、言葉によって
言い伝えられねばならない。釈尊の教えを聞いたことのある人はそれを塔を見るにつけ
思い出し、まだ聞かぬ者にはこの塔を道しるべとして、新たに教えを聞かせる機会と
しなさい。それが正法の護持であり広めることでは?
こういう尊い清らかなことをする人に供養して、世の中の役に立ってもらうことを支援して
自らもその煩悩をなくして清める教えを実践して清らかになりなさい。
そういう意味で万人がこの教えの道しるべを供養すべきだと言っているととれる。
物に過ぎない塔がむしゃむしゃとお供えを食べる妖怪話のはずがない。
必ず人が介入し、人の口から言葉の教えが語られる。
[367]ユビキタス 05/06/06 21:21 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
さて、このザのスレは第十章と第十一章が並立するというちょっと異様な状態です。
私は十一章に書いた信者の書き込みで興味あるものは直接そちらに行ってレスを書くと
申しました。
しかしそれはあくまでもあちらで独立した内容の書き込みをしている時です。
今朝からの星祭さんや○○屋さんの書き込みを読むと、この十章に私が書いたことへの
レスです。ならばこちらに直接来てレスすればいいものを、十一章にひきこもって
こちらのことを書いている。
まあそれは自由ですよ。どこで書こうが。
しかしそれなら2ちゃんねるで名無しさんがザのスレの話題を一度転載した上で
レスをつけることにイチャモンなど付けぬことです。
あなた方だって、いくら同じザのスレと言ったって十章と十一章は別スレなんだから
こちらに直接来ないで別スレでごちゃごちゃ書いているのだから、それは名無しさんと
同じではないですか?
名無しさんを批判したかったら、自分も同じことして相手だけとやかく言う矛盾するような
ことは避けた方がよい。
自分たちがどこにいて、どこの別スレの内容を評価しようが勝手だと言いたいのなら
それを認めてあげるから、名無しさんの自由も認めてやることです。
同じ阿含宗のテーマの掲示板で断り付きの転載と評価やレスなどは自由です。
で、私はこの十章にすっぽんの話やらなんやら書いたのだから、それを十一章でレス
するのも自由だが、その代わり今回の話題に対して私が十一章にまでわざわざ行って
レスする必要はない。十一章での番号を付けてこちらでレスする。
なぜならそうしないと信者は十一章にばかり書き込み、それをそちらでレスしていたら
いつまで経ってもこの十章は終わらないおかしな状況になるからだ。
だから十章が起源の議論は私は十章においてレスをする。
十一章起源はなるべくそちらに直接行く。

で、十一章の>43の○○屋さん。
あなたは名無しのあふぉとかいう人に対しての捉え方が全く間違っている。
名無しさんは最初からザのスレに書いたことは一度もない。
桐山はただの老人さんによって転載されただけだ。
社長に締め出されたというのはこの転載のことを言いたいのか?
当の名無しさんは昔から今にいたるまで2ちゃん一つで、同じスタイルで、締め出しも
くってない。だから今2ちゃんで○○屋さんへの反レス含めて書いているのは
一貫した態度です。
あふぉでないあなたはそんなことすら観察できぬか?
[368]金剛靖雄 05/06/06 22:06 RzY.ah5C6q
9月25日
阿含宗徒はろくな霊界にいけません
早くやめなさい
[369]こうもり 05/06/06 22:17 anUZQ2KjrN
ここのスレで何だかな?と思うのは四沙門果(向)に関するカキコですね。
という自分も数ヶ月前までは、もし教団が四沙門果(向)に関し正式認定したら信じるくちだったので人のこと笑えないが。
だいたい原始仏教の十結とその克服の度合いを出してきてどうするの?ということに気付きました。
リアルでの自分での考察は大事でした。
それと、このスレでは洞窟犬氏のカキコは非常に参考になりますね。
うそはうそ、ほんとはほんと、とハッキリ書きますから、偏りがないです。中道wを歩む人です。
それと栗花氏は、非会員で擁護派という立場からカキコなので、アゴンのいい面を擁護してますが、よく読むと遠回しに欠点も認めるカキコあります。

とにかく他のヨガや気功で通用しない"聖者会員"はデンパですね。
[370]平等性智 05/06/06 22:58 rV/ZRhdYt8
ちなみに国訳一切経密教部所収の大準胝陀羅尼経「画像法」には
例のスッポン観想を思わせるようなものはありません。ご参考までに。

「蓮華の下に水地を書き、池中に難陀龍王烏波難陀龍王あって
蓮華座を拓く。云々。」

上醍醐の準胝堂で頒布してる掛け軸はどうだったか、引っ越しで
しまっちゃったんですぐには出せませんが。まぁそんなところです。
[371]こうもり 05/06/06 23:20 anUZQ2KjrN
星祭氏もきびしい良い先達ですね。
2〜3ヶ月前あくまでアゴン宗を理想化して現実を見ない私に対し、
"くさいものにふたをせず、現実を見よ" とばかりのレスに私は反発したが、お蔭でかなり目が醒めました。

それと 平等性智氏は、洞窟犬氏の"お世話グループ"のサブチーフでしょ?
[372]平等性智 05/06/06 23:30 rV/ZRhdYt8
>>洞窟犬氏の"お世話グループ"のサブチーフでしょ?

ネタですか?現在阿含と直接接点無いんで…無言電話、来ましたか。
単なる若い子のイタズラ電話ならまだいいんですけどね。しかし、
普通歌うか?「もしもしカメよ♪」(^o^;
[373]ユビキタス 05/06/06 23:50 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
十一章の>36 ○○屋さん
釈尊の経典なんて同じことを何回も何回も繰り返して説いているわけです。
読めば読むほど、あなたの言いたいことは分かったと言いたくなります。
それだけに唐突に180度違う教えになるわけないのです。
部分的な字面を妙な解釈しなくても全体の整合性ということを考えねば。
生きている間フォースをつかめだの説かずに、死期に及んで、ちょっとタンマタンマ、
やっぱ俺が死んだら結構フォースを発揮するはずなんでそれを授かるように供養しなさい
なんて、これまでの教えのぶち壊し、全面否定なのです。
ここは釈尊擁護のスレではないから釈尊の教えをのっぺらぼうのうすっぺら
と侮辱するのはあなたの勝手だが、私には阿含宗の超人志向こそが、現実はさておき
その理念だけでもうすっぺらで低いものとおかげさまで悟れましたよ。
こんな志向をしているうちは人間的にも一歩も成長できないと悟ってやめたわけです。
それが正解であったと釈尊の経典を読むたびにしみじみ思い、今更なから新鮮ですらある。
わかりきったはずの教えも人間は実行もできず、のみならずわかりたくない欲望、煩悩があるのです。
[374]こうもり 05/06/06 23:53 anUZQ2KjrN
平等性智氏、イタズラ電話は10数年前の話ですから後者ですよw。
370の参考資料ありがとうございます。
私はユビ氏の勝ちを認めたのに、隣りスレで、まだ亀の話してますよ。
「すっぽんの方こそ実はどうでもよいことで・・・」などと言いながら、あの御仁が一番亀が好きみたいです。
[375]ユビキタス 05/06/06 23:54 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>370
池がネックなのかな?
すると案外忘年会はすっぽんではなく、柳川にしましょうと
なっていても、どじょうの観想のし過ぎ・・・になるわけないか?
[376]ユビキタス 05/06/06 23:56 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>374
だって面白いんだもん。
[377]平等性智 05/06/07 00:08 rV/ZRhdYt8
まぁ、違う儀軌や次第を示すなり、あるいはスッポン観想の口伝を
受けたとか言う人が出てこないかと期待してのネタ振りだったり
します…期待してないけど。(^^;

ちなみに僕が飼ってる亀は周期的に元気になったりくたびれたり
します。現在は上昇期…そんなことはどうでもいいか。


[378]星祭@ろくな霊界 05/06/07 00:37 WsN/Ms3X0g
>368、9月25日って何かあったか?
[379]服部江川ッたエロバカオヤジ社長 05/06/07 01:40 *vOys31uzjgw*In.5j.v.OB

 スッポンの卵入りブラッドワインは効くぞ〜

  鼻血噴き拭きしながら大暴走〜!!


           江川るッ って死後!!??


[380]服部エンタープライズ社長 05/06/07 01:48 *vOys31uzjgw*In.5j.v.OB


  江川るッ って死語!!!???


              でした


[381]○○屋 05/06/07 06:58 D-Oab/h
では、ユビキタスさんの非難を受け入れて、こちら起源の話題はこちらに書きましょう。
これで私の態度は首尾一貫なわけだ。
[382]ユビキタス 05/06/07 08:57 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>381
なるほど。名無しさんにイチャモンつけるためには自分も矛盾したことはできない
方を優先したか。
それもまたよし。こちらではなく2ちゃん起源の話にケチをつけたくなったら昔のように
2ちゃんに乗り込んで行って下さい。
[383]○○屋 05/06/07 09:29 D-Oab/h
やなこった!

何でも言うこと聞くと思うなよ!

ま、気分で行くことあるかもしれんが・・・しかしユビキタスさんもあっちこっち忙しいねー。

ちみは頭悪くなさそうだし、人格的にもそれほど悪い奴じゃなさそうだけど、本心から阿ごん宗嫌いなようですね。ま、こういうと、『嫌っているんじゃない、世のため人のため、詐欺に遭わんよう警告してるのじゃ!』といいそうですが・・・しかし、深読みすると、必ず違うこと言いだすから、案外天の邪鬼かも。

しかし、仏舎利尊捨てたりしても、本当に仏罰みたいなものあたらないのかしら?私は試す度胸はないけどさ。正直いって。

[384]栗花 馨 05/06/07 09:39 kiFOcVIwC8
じゅんていかんのんについて

尊ぶように
[385]栗花 馨 05/06/07 09:41 kiFOcVIwC8
仏罰っていうか自業自得。

自分がおがんだものについての不敬は業がふかい。
[386]栗花 馨 05/06/07 09:44 kiFOcVIwC8
ざんげ
帰依することの重大さに気が付かない凡夫。

にくたらしいだけではおわらない

それでかえって業をせおいますよ。

きよめられた分また汚れるのです。

それ以上のぺなるていもせおうのです。
[387]○○屋 05/06/07 11:07 D-Oab/h
ふむ、その『ペナルティ』がいつか、が問題ですね。すぐに切符を切られたら、理由がわかるが、何のペナルティだかわかんないんじゃ人間なかなか気を付けない。

[388]こうもり 05/06/07 12:07 anUZQ2KjrN
『花輪または香料、顔料をささげて』というから、むしゃむしゃとお供えを食べるのでしょう。
[389]ユビキタス 05/06/07 12:35 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>388
一応マジレスしとくと、つまりもともと遺体を丁寧に取り扱い供養する儀式はインドにも
あったわけですね。
片方で風葬などのようなものもありますが。
供養するのに風葬に捨ておけでは大衆の納得も得られない。
ねんごろに丁寧に取り扱いさせてその信仰心を壊さないようにして、なおかつその信仰心
の正しい置き場を煩悩を離れて心清らかにする教えに持っていこう、あるいはこの
記念碑にかつて煩悩をなくして清らかな涅槃に入った人がいたとその尊い価値を認識
させる為の手段であったわけです。
人間死んだらただのゴミなんだからゴミ処理場に捨てておけという対処「だけしかなく」
遺体を尊崇するだの葬儀なんて発想が「全くない」土壌に、釈尊が「俺の遺体は腐っても
特別な遺体なんだから特別に取り扱えや。これは前例のない命令だ(実行委員長風)」
なんて発言した時に初めておや?ってな話なのです。
あるいはヒマラヤの奥地で冷凍保存せいやとか、遺体をぐたぐたに煮込んで寒天でもまぜて
羊羹作って、聖物にして拝めやとか。
[390]栗花 馨 05/06/07 12:49 kiFOc2FASQ
誓願をやぶることは
他の神仏ではおきかわれません

凄く深刻です。
[391]○○屋 05/06/07 13:06 D-Oab/h
栗花さん
私は、自分の判断を神に感謝します。一歩間違えば・・・・ああ、おそろしや〜おそろしや〜!
[392]○○屋 05/06/07 13:11 D-Oab/h
ああ、こちらは『十』でしたか。
ユビキタスさん
では、遺体を葬儀、埋葬するのはわかりました。しかし、『塔』を建てましたか?当時の習慣で。
[393]ユビキタス 05/06/07 18:18 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>392
善い哉善い哉、まぁるまぁるやぁ。
と、バカにしてるわけではありませんが、そうやって当該スレに直接レスに現れる
ようになったのは立派な改善で評価できます。
で、塔についてですがなかなかよい視点での質問です。
いえ、こちらを困らせるなかなか鋭い質問という意味ではありません。
こちらが回答を示し、仏塔信仰とはいかなるものかをわかってもらう為にその起源の
視点は非常に都合が宜しい。
もちろん塔は釈尊の創始などではなく、古代インドからストゥーパとかチャイトヤの
信仰はあるわけです。だからかつて転輪聖王に為したようにストゥーパを建てよと
いう言葉がすっと出てくるのであり、聴く人もそれを理解するのです。
転輪聖王って誰のことや?名前あげて実在したか言うてみい、そんな理想の王なんて
空想だけやおまへんかと私に毒づいても駄目です。
転輪聖王がいたか否かの検証でなくストゥーパでまつる風習があったことを示されて
いるのです。ストゥーパを建てよと言われて「ス、ス、ストッパですか?何スか?それ?
痔を止める薬スか?」ってな戸惑いがない。釈尊が「しょうがねえな、設計図書いて
使い方と意義を説明してあげるよ」なんて話もない。
桐山が「墳墓を作る。円墳がいいな」と言えば職員がよーがすと作ってしまえるのと
同じです。
インドの古代の風習なんて詳しくありませんが、当初は土盛りみたいなのだったろうと
思います。
古代インドに詳しくなくてもそのストゥーパの意義は実はその経典に書いてあるのです。
転輪聖王に為したようにストゥーパを建てよ。これです。
そこで考えて下さい。転輪聖王って何ですか?
偉大なる王様、為政者、政治家でしょう?善政を為した王でしょう?
人はこのストゥーパを見るにつけその王の善政を思い出し清らかな気持ちになると
書いてあるではないですか?経典に。
政治家の塔を建てるとその塔から見えない「政治力」のバイブレーションが発せられて、
これを拝んだり塔の前で特殊な体操や呼吸をした人には政治力が授かるなんてアホな話ですか?
塔を見て当時の善政を思い出す。今の王が悪政ならばこれを見るにつけ心恥入る。
そして皆善政を築くように努力しようと決意する。
悪政をなくし善政が実現するか否かはそれからの各自の問題です。
釈尊はこのような機能のストゥーパを建てよと明言されているのですよ。
呪術の道具になり得ないのです。
[394]岡目 05/06/07 19:49 ZSYeKE9Qhh
星祭りさんと○○屋さんと大王の使者さんを並べてみると、ちょっとだけ、使者さんが 理論的な思考力があるように思えた。食いつきかげんもよくって、名無しさんの えさに 良く飛びついてくれたので、名無しさんも、それはそれは 親猫が子猫をなめるように 可愛がっていた。あれだけ愛情を
かけられ、手をかえ、品をかえ、めんどうをみてもらえば、私など、イチコロで名無しさんに ゴロニャンしてしまうのだが、最近どうしたんだろう
ね。ひょっとしたら、洗脳がとけはじめて、いまごろ、悩みに悩んでいる?
なんて 空想する 私が 馬鹿なのか。ちょっと気にかかるこのごろです。
[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7

>>394岡目さん、確かにあなたは馬鹿です。イチコロで名無しさんにゴロニャンしちゃう? あなた変態ですか?
明らかに四十がらみの男が定職にもつかずに繭のような部屋に閉じこもって紡ぎだす怨嗟に満ちた
言葉の数々が愛情に満ちていると言われるか? 私には単なる負け犬の遠吠え、いや、世間中を敵に回してもおのれの狭い了見を押しつけ、郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも全て桐山靖雄のせいにして自分の甲斐性の無さをほんの一時でも忘れようとしているだけの、このうえなく憐れな廃人予備軍の世迷い言にしか聞こえない。
名無しさんがやっていることは洗脳を解くことではなく、自分の主義主張が絶対だと洗脳をかけているのだ。おわかりにならないか?
せめて2ちゃんねるのコピペだけはもうおやめなさい。あなたじゃないのかもしれないが。
[396]栗花 馨 05/06/07 23:38 u1erGwgNv1
>釈尊はこのような機能のストゥーパを建てよと明言されているのですよ。
>呪術の道具になり得ないのです。
ユビキタスは大きな間違いを犯している。

悪とか
善とか
清らかな気持ちとか
凡夫の基準
凡夫のものさしでは無理

仏陀の立証物であり、
過去現在未来万物と涅槃が生じた瞬間がそこにある。

思い出しなどどいう
過去にひたるものではない。
[397]実行委員長 05/06/08 00:39 H0Q1HmLR
九州電力があるから安心ですw

[396]栗花 馨 05/06/07 23:38 u1erGwgNv1
>釈尊はこのような機能のストゥーパを建てよと明言されているのですよ。
>呪術の道具になり得ないのです。
ユビキタスは大きな間違いを犯している。

悪とか
善とか
清らかな気持ちとか
凡夫の基準
凡夫のものさしでは無理

仏陀の立証物であり、
過去現在未来万物と涅槃が生じた瞬間がそこにある。

思い出しなどどいう
過去にひたるものではない。
[398]実行委員長 05/06/08 00:46 H0Q1HmLR
間脳開発が重要です
七科四十八道品の真髄です
官能小説はほどほどに
[399]○○屋 05/06/08 02:07 HD6T1WDGgW
>転輪聖王に為したようにストゥーパを建てよ。これです。
そこで考えて下さい。転輪聖王って何ですか?
偉大なる王様、為政者、政治家でしょう?善政を為した王でしょう?
人はこのストゥーパを見るにつけその王の善政を思い出し清らかな気持ちになると
書いてあるではないですか?経典に。
政治家の塔を建てるとその塔から見えない「政治力」のバイブレーションが発せられて、
これを拝んだり塔の前で特殊な体操や呼吸をした人には政治力が授かるなんてアホな話ですか?
塔を見て当時の善政を思い出す。今の王が悪政ならばこれを見るにつけ心恥入る。
そして皆善政を築くように努力しようと決意する。
悪政をなくし善政が実現するか否かはそれからの各自の問題です。
釈尊はこのような機能のストゥーパを建てよと明言されているのですよ。

これ、前にレスしたっしょ?もう忘れたの?
「天輪聖王」って実在の人物ですか?違うでしょ?聖者の王なんでしょ?そんな人は存在しないのですよ、どこにも。もしいたとしたら自分(釈尊)が今の聖者としての存在の見返りに存在する可能性のある稀有な大王なんです。言ってみれば釈尊の徳を具えた大王でしょ?それを何ですか?は?「為政者、政治家でしょう?善政を為した王でしょう?」いつ?どこで? 「善政を為した王」なんですか?空想上の伝説の大王でしょう。しかも、釈尊が仏陀にならなきゃこの大王になっていたという予言まである。この大王は「仏陀」そのものでしょうが。
[400]ユビキタス 05/06/08 09:07 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>399
だから>>393で書いたでしょ?転輪聖王が実在したかどうかの検証ではなく、ストゥーパ
の概念や使用事実があったかという検証でしょう?
岩波文庫「ブッダ最後の旅」から該当箇所の表現やら解説の訳注など拾ってみましょう。
まずストゥーパの訳注から。(P.282)
ストゥーパ───土を盛り上げて死者を葬るための塚をつくるということは、日本でも、
朝鮮でも、西洋でもあまねく行われていた。英語でいえばcarin,mound,tumulus,burial,barrow
がそれに当る。インドでは普通は円屋根のかたちをしている。

次に世界を支配する王としての転輪聖王の訳注(P.281)
世界を支配する帝王───漢訳では転輪聖王と訳される。「輪をくるくるところがす帝王」の意。
(中略)
つまり、この王の威力に対して他のいかなる王も抗することができない。
(中略)
この帝王のすがたは、当時興隆しつつあったコーサラ国の国王の反映であると
リス・デヴィッズは解する。しかし少しくのちにはマウリヤ王朝の帝王のすがたの反映と
解するほうが、さらに適当ではなかろうか?

次に本文の一部を掲げる。(第五章P.134)
また、アーナンダよ。どのような道理によって、世界を支配する帝王については、
人々はかれのストゥーパをつくってこれを拝むべきであるのか?
〈これは、法を遵守した、正義の王のストゥーパである〉と思って、多くの人は心が浄まる。

これらの資料を根拠に後で考察します。
[401]こうもり 05/06/08 12:03 anUZQ2KjrN
どなたか詳しい人いますか?
阿含宗と桐山氏について―第十一章―【ザ】の皆さん専用です―[64]
[402]ユビキタス 05/06/08 12:55 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>399
さて、ストゥーパそのものの解説ですが、これは塚であり墳墓であることが>>400の第一資料
でわかります。そもそも墓だの土盛り塚だのが釈尊が第一起源だなんて話はありません。
しかし遺体捨て場に放置される人も大勢いたわけで、地位の高い人が埋葬され墓碑が
建てられたわけです。
さて世界を支配する王のストゥーパはどうなんだ?(形状ではなく道理)という視点に
なってくるわけです。
>>400の第二資料でナントカさんの言っている当時のコーサラ国王の絶対的勢力とか、
現実の王に比定する考察もありますが、私は理想の王でもよいと思う。いまだかつて
インド社会に君臨したことのない王の理想像でもよい。
こんな理想の王が現れたら我々はどんなストゥーパでその死後をまつるべきだろうか
という命題が与えられているのです。
それは>>400の第三資料にまずその転輪聖王とはどんな王なのかが書かれている。
すなわち法に遵奉して正義の王であることが認められる。
釈尊は生まれた時にこの子は世界を統治する転輪聖王になるか、さもなくば人類を救済する
ブッダになるかと予言されたわけです。
ですから仏陀と転輪聖王は明確に区別されている。
片方は仏陀ではない統治者なのです。支配する王なのです。だから為政者なのです。
ただの為政者の王ではなく、正しい法を遵守した正義の人でよい人なのです。
ああ?もう月光仮面でもウルトラマンでもなんでもいいですよ。この際。
法に遵守、遵奉する王とは常識的に考えれば、その法とは真理に則した正しい法律
とか法則ととれて、マカ不思議な呪術の法術を駆使する妖怪とはとれない。
しかしその妖怪の法術みたいなスペシウム光線を発するウルトラマンでもいいと
えーい!と思い切り妥協してやってもよいのだ。
その正義のウルトラマンが眠る墓碑が建てられたとして、人はその墓碑を見て
ああ、ここに正義のウルトラマンがかつていたことの証明なんだと思い出し、我々も
怪獣退治に使命をかけて正義の道を遵守するぞと決意し、心が浄まるのです。
経典はそれを説いているのであり、ウルトラマンの正義の業績とその志を讃える
記念碑なのです。
塚にもたとえば怨霊を封じ込める結界とかいろんな解釈ある中で、これは特に古今東西
見られるまさに墓碑=記念碑なのです。
だから拝んでウルトラマンの力が身に付く呪術の道具でないのです。
シュワッチと拝んでもウルトラマン偉いにしかならない
[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl
知人に貸してくれと言われた本を探していたら、古い月刊アーガマが出てきた。そしたら何と、仏陀が過去の業を切ってくれるというお話しが出てました。月刊アーガマ、1984年6月号です。
長阿含経の「沙門果経」で、訳者は丘山新(おかやまはじめ)先生です。
阿闍世王のお話しですから、今回は阿闍世大王の使いということですね。
マカツ国のビンシャ王という人は、阿闍世王の父でありましたが、阿闍世王はその父を殺害してしまうのです。
その後、阿闍世王は仏陀の説法を聞いて懺悔し、帰依してウパソクになります。仏陀は、「阿闍世王の父殺害の罪過は軽減された」と告げます。
人によって文の解釈も違いましょうから、次に「訳文」をそのまま掲載しましょう。仏に帰依して懺悔するだけで、罪過が軽減されるお話しです。
[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
「沙門果経」の抜粋です。長いので、会話の要点のみ、そのまま掲載です。
阿闍世王は仏に申し上げます。
「・・・どうぞ、世尊よ、御慈悲を垂れ、私が懺悔することを認めて下さいますように」
仏は王におっしゃられた。
「あなたは愚昧で無知であったが、しかし自分から懺悔しました。あなたは五欲に迷ったからこそ父たる王を殺害してしまったのです。ところが今、聖人の教えのもとで懺悔することができるならば、そのままみずからに利益となるのです。私はあなたを憐れむからこそ、あなたが懺悔することを認めましょう。」・・中略・・彼が去ってまもなく、
仏は比丘たちにおっしゃられた。
「この阿闍世王は、罪過は軽減され、もう重い咎もなくなった。もし阿闍世王が父を殺していなかったならば、すぐにもこの会座において、清らかな真理を見る眼を得ていたことであろう。しかし、阿闍世王も今はみずから懺悔し、罪過も軽減され、もう重い咎もなくなった」
・・・と、いうお話しです。
私には、お話しをコネ回す知性がありませんので、仏陀には過去の業報を切る力があるんだ(この場合は軽減ですが)と、解釈しました。
[405]星祭@卒塔婆 05/06/08 23:05 WsN/Ms3X.8
>402、しかしながら、ただの土盛の墓ではない、なぜならば、「四辻、(四つの道路の交差する場所)にストゥーパを建てよ」と述べているからです。これは特別なことです。
[406]星祭@釈迦の葬送 05/06/08 23:14 WsN/Ms3X.8
中村元博士の注釈によると(ブッダ最後の旅)「遺体を町に置くことや通過させることは穢れをもたらすとされ、古くは死骸を東、あるいは西へ運ばねばならぬとされ、マヌ法典では北へ運ぶべきと記されている、ところが、ここで、神々の意向として伝えられていることは、これら古来の習俗を知りながら、それを無視しているのである。」と
[407]星祭@特殊な墓 05/06/08 23:20 WsN/Ms3X.8
さらに「それは仏教徒がここで行なった葬送法が古来の習俗に反抗したことを示すのであろう。」とも書かれております。
[408]星祭@板卒塔婆 05/06/08 23:30 WsN/Ms3X.8
>402、墓碑やストーパをみて心が静まる、というのではないでしょう。あなたの言うことこそ、記念碑や墓碑の呪力を期待している言葉です。のちの大乗仏教徒とおなじような考え方です。卒塔婆とかたてるのはまさにそれですね。土墳とかだとお金はかかるし日本だと高貴な方(天皇とか)のお墓ですから、もっぱら庶民は板卒塔婆をお墓に建てた、釈迦の仏塔とは天地雲泥の差ですね。墓所には浮浪霊がうようよ(笑)。心静まるどころか気持ち悪くなる。
[409]栗花 馨 05/06/08 23:57 u1erGwgN1V
ユビキタスは大きな間違いを犯している。

悪とか
善とか
清らかな気持ちとか
凡夫の基準
凡夫のものさしでは無理

仏陀の立証物であり、
過去現在未来万物と涅槃が生じた瞬間がそこにある。

思い出しなどどいう
過去にひたるものではない。
[410]栗花 馨 05/06/09 00:01 u1erGwgN1V

 天地を貫く供養柱
[411]ユビキタス 05/06/09 08:48 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>403-404
阿闍世は父王を殺害したというよりも死に至らしめたといった方がわかりやすい
でしょうね。その訳に殺害と書いてあっても。
王子時代悪友ダイバダッタこのままでは王位を継承できないとそそのかされて、父の
ビンビサーラ王を幽閉する。食事も与えなかったが母の韋駄希夫人が父王と面会の際
身体に蜂蜜を塗りたくり牢獄内で身体ごとなめさせて命をつないでいた。
ある日父親も自分に愛情をそそいでいたと知り、悔恨して父親を解放しようと出向くも
息子が自分を殺しに来たと観念したビンビサーラは身投げして死ぬ。
だから死に追い込んだことには間違いなく、これを殺害としているわけです。
で、懺悔して優婆塞として釈尊の弟子になるのですが、懺悔により阿闍世の罪過は
軽減されたとは当たり前の発言であり、重い咎を離れたのはもっともなことです。
ここでもシシャさんは現在の自分の行い(業)を改めることと、過去の業報から逃れて
悪運命を転換する話を混同していて区別がつかないのです。
父親を幽閉して死に至らしめ、それを反省だにせず未だに憎しみの念を抱いている
哀れな阿闍世を想像して比較してごらんなさい。
反省懺悔して真人間に戻った阿闍世はまさに手枷足枷となっていた重い煩悩を解いた。
反省懺悔の念はもはや為してしまったどうにもならない己の罪過を改める唯一の道です。
罪過が軽減されたとはこの罪過による報いを将来受けないということではない。
今この罪過を改め懺悔しなくては来世も含めた未来に全く向上がなく堕落と破滅ある
のみです。
為してしまった罪過の報いは必ず受けるでしょう。これは誰しも覚悟しなければならない。
しかし懺悔反省により阿闍世は、それまでに為した悪業の報いは受けても、それから
発生するそれ以上の悪業を積むこともないし、それ以上の報いもない。
反省懺悔ないままにいることがどんなに哀れな地獄になるかを想像した時こそ恐ろしい。
それを考えるとまさに軽減です。
父親殺しの報いがなくなるだの軽減されるということではない。
私も今こうやって阿含宗という宗教詐欺をネットで批判して啓蒙を促したからと言って
その功徳で宗教詐欺に加担した罪過の報いが軽減されるとは思わない。
何かしら報いは受けることは甘んじても、あそこで宗教詐欺から足を洗い懺悔反省した
ことで、あれ以上宗教詐欺に加担することがなくなり、心は安らかです。
[412]池田慈水 05/06/09 09:22 /byZidGeBS
[411]最後の屁理屈だけは、相変わらず笑わせてくれる。

ま、でもあとの箇所は満点だ。
阿闍世は死後地獄に落ちたと阿含経にある。だ釈迦牟尼に帰依を表明したために、地獄での寿命はすぐに尽きて、生まれ変わった。だが「
業は束縛されることが無いので、彼は時折激しい頭痛に襲われた」と書いてあるのですね。業は束縛されない。業の果報は必ず受ける、というのが阿含経の主張です。しかしながら、如来やその教団に供養する果報も必ず受けるということです。ユビキタスの主張は
こちらの果報を無視したがってるようですね。桐山が阿羅漢であり、阿含宗が正当な如来の教団なら、その良き果報も必ず受けるというのが阿含経の主張です。阿含経はユビキタスの主張を半分しか支持していない。
[413]岡目 05/06/09 09:51 ZSYeKE9Qhh
>>395バルトリン氏線さん&使者さん、ジミズさん
やっぱり 私が馬鹿でした。大王の使者さん、何処へいっちゃったのだろうと心配していたのですが、やっと、探し物を見つけて、ご帰還されたようです。いやあ、それでこそ、使者さんと、見直してしまいましたよ。
さっそく、ユビキタスさんから、軽減の意味合いを お聞きすることができてよかったですね。ユビキタスさんの御説は ジミズさんでも 満点だと絶賛されたものですから、良く味わって 名無しさんの前には そんなものを
持ち出さないことです。さて、ユビキタスさんの説を満点だと評した、ジミズさん、このひとも いい線までいっているのですが、なにしろ、桐山に惚れておるところが、彼の矛盾を生み出しているようです。変な人ですね。
[414]ユビキタス 05/06/09 09:57 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>403-404
反省懺悔は業報の解消になるかという仏教の一般論よりも阿含宗の現実を考えた時、
あの教祖に反省懺悔なんかあろうものか?
言葉の上では偽ビール事件に血の涙を流して悔恨したかのように書いています。
しかし実際にはあの偽ビール事件を起こさせた原因を先祖の霊障の所為と責任転嫁した。
しかもその先祖の霊障とは歴史上実在しない武士の嘘話です。
こんな言い訳に反省も懺悔もないことを断定する。
そしてこの己の醜い心による犯罪をきちんと反省せずに、むしろそれをデタラメの霊障と
結びつけて、霊感商法に展開した。
これにより多くの信者を騙して目を曇らせた。
つまりますます罪過を重くした。それは現在に至るまでそうでこのまま桐山の今生は
終わるでしょう。
煩悩と罪過の重荷を背負ったまま、過去の報いも現在の悪業もそのままで未来につながります。
気の毒なことですね。
[415]池田慈水 05/06/09 10:04 /byZidGeBS
信心深く、心が清く、学識があり、理性のある人々は、
「どうしてユビキタスは、桐山靖雄の教団を分裂させ、その統一を破ろうと企てるのか?」
と彼らを非難し、憤慨した。僧たちは、人々が憤り非難しているのを聞いて、欲の少ない僧たちは、
「どうしてユビキタスは、桐山靖雄の教団を分裂させ、その統一を破ろうと企てるのか?」
と彼らを非難し、憤慨した。
そこで、僧達は桐山靖雄にこのことを告げた。{桐山靖雄はユビキタスを訪問した}
「ユビキタスよ、まこと、そなたは教団を分裂させ、統一を破ろうと企てているのか?」
「桐山靖雄よ、その通りです」
「ユビキタスよ、やめよ、教団の分裂を喜ぶべきではない。教団を分裂さす罪は重いのだ。
ユビキタスよ、和合した教団を分裂させる者は、一劫の間地獄に留まる罪過を犯し、一劫の間地獄で煮られるのだ。しかし、ユビキタスよ、分裂した教団を和合させる者は、天上の福徳を得て、一劫の間天上の楽しみを享受するのだ。ユビキタスよ、やめよ、教団の分裂を喜ぶでない。教団を分裂さす罪は重いのだ。」
さて、長老池田慈水は朝早く着替えをして、衣を付け鉢を持ち、ラージャグリハに托鉢に赴いた。
池田慈水長老がラージャグリハの町で托鉢しているのを見て、ユビキタスは彼に近づいて、このように言った。
「池田慈水よ、俺は今日から桐山靖雄とは別に、また僧衆とは別に、説法を行い、まことに効果のある修行法を指導するであろう」
そこで、池田慈水長老は・・・・・・・・「桐山靖雄よ、ユビキタスは、今日教団を分裂させるでありましょう」と告げた。
すると、桐山靖雄はそのことを知って、この感興語を唱えた。
「善人によって、善は成しやすく、
悪人によって善を成すのは難しい
悪人によって悪は成しやすく
聖者が悪をなすのは、難しい」
[416]ユビキタス 05/06/09 12:46 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>405-408
星祭さんはよい資料を提供してくれました。
中村元先生の釈尊の墓に対する観念の改革です。
私もこれを説きたかったからこそ、「墓碑」という言葉をキイワードに意識して書いた。
墓の概念にもいろいろあって、日本ならば縄文期の屈葬など知られるが、遺体を折りたたみ
重い石をのせて魂がふらふらとさまよい出てこないように封じこめるとか、遺体を忌み嫌う
死に対する不浄観がある。
こういう観念に対して、尊い故人の業績を偲ぶ記念碑、墓碑としての性格を与え、
わざわざ人目によくつく街頭の四辻に建てた。
この墓碑と示せば全て説明がつく話をどうしてこうもりさんの用語のみならず、概念まで
まるごと呪術なんて捉えてしまうのだろうか?
後世の板卒塔婆なんて、板に種字などを書いて戒名を書いて呪術的な匂いをぷんぷん
漂わせているが、これとても故人を仏の道に入った尊い人と崇めたい気持ちから作られている。
釈尊時代の塔の価値を後世日本の板卒塔婆などに求めるのはナンセンスです。
それこそ後世の種々雑多の呪術的な要素も集めている。
生前修行してなくても死んだら道に入れるように形だけ整えてみせる呪術です。
こんなものは釈迦仏教と異なる。
[417]○○屋 05/06/09 14:20 D-Oab/h
死んだ偉人の墓(塚じゃないよ)を見て、清らかな気持ちになるかどうか、具体的に考えてみたことある?
私は、『そんな気持ちにならない』と断言できる。少なくとも私はそうです。

ではそこに『精霊』の類があったらどうか。これは、可能性があります。

みなさんは如何ですか?
[418]ユビキタス 05/06/09 15:37 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
>[417]○○屋 05/06/09 14:20 D-Oab/h
>死んだ偉人の墓(塚じゃないよ)を見て、清らかな気持ちになるかどうか、具体的に考えてみたことある?
>私は、『そんな気持ちにならない』と断言できる。少なくとも私はそうです。

ありませんか?
そうですか。感性の乏しい方だこと。
私はありますね。特に偉人でもありませんが、先年お世話になった方の
お墓参りをいたしました。故人を偲ぶ際、そのありふれた無味乾燥の
お墓を拝みながら、その人の人徳を思い出しましたよ。
完全な人格者などいませんから、欠点はあるものの、ああ、この方は
いつも優しい方だったなあ、とか厳しくて怒りっぽい人だったけど、
絶対に差別も贔屓もしない公正な方だったなあと。
その墓に精霊が眠っているのか、ただの石なのかそんなことはどうでもよい。
安らかにお眠りくださいとか、私たちを暖かく見守り下さいとか
おざなりの祈りをつい念じてしまうのですが、まさかそんな祈りに
本当に精霊が故人の霊が答えてくれる期待もない。
と言って馬鹿にしているのではない。生前受けた恩を忘れずに、大切にしたい、
感謝の念を形で表したいわけです。
そういう感謝の念で、個人の人徳を偲ぶ時、単なる愛憎の念だけではない
その人徳そのものを大切にしよう、自分もまたかくありたい、故人に倣って
人に接しようとか、意識しないでもそういう気持ちにはなるのです。
これがお墓に向かって心が清まるということですよ。
最近はお墓参りが疲れた心の癒しという見方もありますよ。
決して情緒面だけでない効果があります。
だからこの場合釈尊の人となり、その教えを知っていることが条件です。
信仰心もなく修学旅行で偉い人の記念碑訪れても、何も心は清まりませんよ。
だから教えを理解しているというのが一番重要な、教えの記念碑なのです。

[419]ユビキタス 05/06/09 15:49 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
>[417]○○屋 05/06/09 14:20 D-Oab/h
>私は、『そんな気持ちにならない』と断言できる。少なくとも私はそうです。
>ではそこに『精霊』の類があったらどうか。これは、可能性があります。

まず一番大切な教えを理解できず、理解しようとせず、したくなく、
それでいて精霊が自分に何か語りかけてきて、なにか与えてくれるような
甘い期待をしているから、○○屋さんは何も見ることもなく、真理を
つかめないのです。
今から2500年前の偉人なんて、直接接したわけでもないから
情愛の念など湧かないのはあたりまえです。
しかし当時釈尊と接した人たちにとっては情愛の念もまた強いでしょう。
だから情愛の感情を利用しても、本来説きたい理性的な道を大切に
尊んでくれる気風を作りたかったのでしょうね。
自分の遺体の処置を在家に訊ねられて、それならばと示したこの手段は
なかなかアイデアに満ちているではありませんか?重々しくない軽い
言い方をさせていただくと。
2500年先にも尊んでくれるかどうかは、もはや情愛などはないから
その人の理性とか、経典の勉強による正しい信仰への度合いによります。
正しい信仰ができている人にはもはや仏塔も必要ないかもしれないが。

[420]第十章は転載可能@byユビキタス 05/06/09 15:58 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
453 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:39:28 ID:SNi1fRs9
>>452 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:36:35 ID:SNi1fRs9
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl
>そしたら何と、仏陀が過去の業を切ってくれるというお話しが出てました。月刊アーガマ、1984年6月号です。

この雑誌を持っているということは、使者さんは二十年をこえる信者さんなのですね。
こんなマイナーな雑誌の二十年前の号では信者さんすら手に入らないでしょう。
丘山教授が訳した同じものが次の本に掲載されています。
『現代語訳阿含経典 長阿含経 第5巻』平河出版社、173頁
国訳では、
『國訳一切経 阿含部 七』大東出版社、340(366)頁
パーリ経典では、
『原始仏典 第一巻 長部経典T』春秋社、57頁
経典の内容はいくつかポイントがありますが、
使者さんが主張したい部分の話は大筋そのようなものです。
[421]第十章は転載可能@byユビキタス 05/06/09 16:01 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
454 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:43:09 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
>私には、お話しをコネ回す知性がありませんので、仏陀には過去の業報を切る力があるんだ(この場合は軽減ですが)と、解釈しました。

コネ回すとは私への皮肉のつもりだろうが、この経典をどのようにコネ回せば、
「過去の業報を切る」という文字や解釈が出てくるのですか。
あなたが引用した部分のどこにも「悪業の軽減」など文字としてない。
引用部分だけでなく「沙門果経」では修行することの果報が説かれており、
またパーリ経典のほうでは修行でどのような結果が得られるかも説かれているが、
釈尊が過去の業報を切る力、軽減する力があるとか、
あるいは業報を切った、軽減したなどただの一言も出てこない。
存在しない文字をあなたはどうやって読んだのだ。
経典に存在もしない文言を持ち出してくることこそ、「コネ回す」というのです。
[422]第十章は転載可能@byユビキタス 05/06/09 16:05 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
455 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:47:37 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
「この阿闍世王は、罪過は軽減され、もう重い咎もなくなった。」

経典にあるのは「悪業の軽減」「罪業の軽減」ではなく「罪過の軽減」です。
釈尊は業は業という言葉を使っており、業と罪過とは別な言葉です。
罪過とはツミとアヤマチという意味で、業という意味はありません。
「罪過の軽減」とは、阿闍世王が自らの罪を認め、懺悔して、反省した、という意味です。
自分の父親を殺すという犯罪の過ち認め、これを反省して、二度としませんと誓ったということです。
王がしたのは懺悔です。
懺悔と悪業を切ることの違いくらい理解できませんか。
王は懺悔すらもしていなかった。
その王が懺悔し、わびる心を持ったから、罪過は軽減されたのです。
こんなことは社会常識からしても当たり前です。
サリンで人殺しをして、深く反省する者と、開き直り、いっさい反省しない者では罪過の重さは違う。
王が懺悔すらしなかったのは、父王殺しを悪いことだと思っていなかったからです。
これを釈尊は彼に反省させた。
過去の過ちを認め、反省したということは、
自分の煩悩を認めたことであり、今後の同じ過ちを防ぐことができる。
懺悔しなければ、王はまた似たようなことをして悪業を積んだでしょう。
これを仏教的にも罪過が軽減された、重い咎がなくなったと表現しているのです。
しかし、王が懺悔したからといって、父王殺しの悪業や業報は消えるはずはない。
実際、釈尊はそんなことは一言も言っていない。
[423]第十章は転載可能@byユビキタス 05/06/09 16:07 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
456 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:57:42 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
「この阿闍世王は、罪過は軽減され、もう重い咎もなくなった。」

王は最初から釈尊に懺悔に来たのではありません。
王は六師外道たちに、修行でどんな現実的な効果があるのか、と質問したが、要領を得なかった。
ところで、おシャカさん、あんたはどうですか、と質問した。
身の程知らずの傲慢な態度です。
父王を殺したことなど反省のカケラもなかったのです。
二度とこのようなことをしないとバカ王に懺悔させなければ、
また悪業を作り、業報となって償うことになる。
釈尊は王への説法ではただの一言も、彼が父王を殺したことには触れていません。
出家の果報という質問されたテーマに沿って法を説いて、
父王を殺したことの大悪業を悟らせた。
だから、王は釈尊が説明が終わった後、唐突に父王を殺したことを懺悔して、釈尊に帰依した。
反省のカケラもなかった男に、その事を直接批判せずに、自ら反省させ懺悔させたのです。
こういうすごい経典を読んでも、使者さんにはただの業報の軽減にしか読めないのですね。
パーリ経典のほうが、長いが、こういう点は少し詳しい。
使者さんが引用した部分のパーリ経典を引用してみます。
[424]第十章は転載可能@byユビキタス 05/06/09 16:09 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
457 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:59:04 ID:SNi1fRs9
『原始仏典 第一巻 長部経典T』春秋社、108頁

「しかし、大王よ。あなたが罪を罪として認め、法に従って懺悔するからには、
わたしたちはあなたを[そのまま]受け入れましょう。なぜならば、大王よ、
罪を罪として認め、法に従って懺悔し、将来において自己制御をするということ、
それこそが、聖者[ブッダ]の戒律の繁栄というものであるからです。」

「修行僧たちよ、かの王は[悪い自己が]掘り起こされ、修行僧たちよ、かの王は[悪い自己が]破壊された。
修行僧たちよ、もしかの王が正当な正義の国王であった父君を殺さなかったならば、
まさにこの座において、塵のない汚れのない法眼[真理を見る眼]が生まれたにちがいない」
[425]第十章は転載可能@byユビキタス 05/06/09 16:11 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
458 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:05:20 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
>私には、お話しをコネ回す知性がありませんので、仏陀には過去の業報を切る力があるんだ(この場合は軽減ですが)と、解釈しました。

漢訳にも>>457の南伝にも、どこを読んでも「業報の消滅」「業報の軽減」など
文字としてもないし、意味としても読みとれない。
王は「罪を罪として認め、法に従って懺悔」したから、
釈尊は在家信者として帰依を認めた、それだけの話しです。
過去の悪業を悪業としてすらも認めない人の帰依など認められるはずはない。
己の煩悩から出た悪業を反省して、今後、煩悩を切り、軽減し、
悪業を作らないようにします、というのが帰依です。
だから、王はこれから将来は「自己制御をする」しなければならない。
父親殺しは強い煩悩から出ているし、当時の王とは人を殺すのが職業のようなものだから、
これを制御するというのは彼には容易ではない。
これのどこをどう読めば「業報の軽減」が出てくるのか。
[426]第十章は転載可能@byユビキタス 05/06/09 16:13 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
459 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:08:39 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

「修行僧たちよ、もしかの王が正当な正義の国王であった父君を殺さなかったならば、
まさにこの座において、塵のない汚れのない法眼[真理を見る眼]が生まれたにちがいない」

>>457の最後の一文は、使者さんの「業報軽減説」を真っ向から釈尊は否定している。
釈尊は「父君を殺さなかったなら」と言っている。
悪業をなしたために、彼は法眼を得ることができなかったと言っているのです。
釈尊に王の悪業を軽減させ、消滅させる力があるのなら、この発言はおかしい。
「ワシに帰依した見返りに、悪業をちょっとだけ消滅させてやったから、
法眼を開いた。いっぱい供養すれば、全部切ってやらんでもないぞ」
などとは釈尊は言っていません。
父王を殺した悪業はそのままだから、法眼を得ることができなかったのです。
[427]第十章は転載可能@byユビキタス 05/06/09 16:15 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
460 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:11:18 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

引用された経典で釈尊が述べていることは、懺悔から始まるという点です。
王のように、過去の悪業をあるがままに認め、反省して、
以後、このようなことをしませんと誓うことです。
ところで、桐山さんはどうだろうか?
偽ビールを造り、自分かなしたことだとあるがままに認め、反省しただろうか。
では、桐山さんの懺悔と反省の弁を拝聴しましょう。

『一九九九年カルマと霊障からの脱出』
「血の涙を流して苦しみました」(29頁)
「何度か自殺をはかったことがある。」(39頁)
「あるのは涙と、絶望、いっそう死んでしまおう、それしかないんです。」(39頁)
「もう身の置きどころもない恥ずかしさ。苦しさ。絶望。」(40頁)
「一度、二度、自殺をはかりましたが・・」(41頁)
[428]転載はつらいよ@byユビキタス 05/06/09 16:17 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
462 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:16:21 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

血の涙!自殺!絶望!
おお、なんと桐山さんは深く懺悔している・・・え?
でも、これって、ただ苦しんだというだけで、
仏教としてはまっさきにするべき、自分がなした悪業をあるがままに認め、
これを生み出した煩悩への反省は一言もありません。
信者さんたちは桐山さんのこの文章に、お得意のすり替えがあることに気が付いたでしょうか。
まるで桐山さんは被害者であるかのような書き方をしている点です。
自分がなした犯罪で苦しむなんて、当たり前です。
他人が彼を苦しめたのではなく、彼は被害者ではなく加害者です。
桐山さんは当時30歳前後だったのだから、
桐山さんほど頭が良くなくても分別がつく年齢だったはずです。
こういう桐山さんが自分からなした犯罪で苦しむなんて当たり前です。
サリン事件の犯人たちが「血の涙!自殺!絶望!」と書いたら、
信者さんたちは彼らに同情しますか。
身から出た錆なのだから、加害者が苦しむのが当たり前であり、
同情すべきは彼らではなく被害者のほうです。
桐山さんは加害者なのに、自分の犯罪への反省には一言もなく、
「血の涙!自殺!絶望!」と自分の苦しみを数頁にわたり書いているだけです。
話が犯罪そのものから、本人の苦しみに話がすり替えられている。
[429]まとめて二つ転載@byユビキタス 05/06/09 16:19 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
463 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:19:23 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

>>460に引用したように、桐山さんは自分の痛みに異常に敏感なのに、
自分が加害者であるという点はきれいに抜け落ちている。
自分の痛みにばかり敏感で、自己中心的で、子供っぽい。
桐山さんの「血の涙!自殺!絶望!」の文章を読んだ信者さんたちも、
いつの間にか、桐山さんが加害者であることを忘れて、
まるで被害者であるかのように錯覚して、桐山さんに同情して、
これを暴いた作家への反発心すら覚えるようになる。
桐山さんは加害者として当然受けるべき苦しみを受けただけで、ただの因果応報です。
自分の苦しみを書いているだけで、仏教の出家としては当然反省するべき悪業と
これを生み出した煩悩への反省は、ただの一言もありません。
いや、反省どころではない。
偽ビール事件とはなんだったのかという桐山さんの総括は次のようなものです。


464 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:20:14 ID:SNi1fRs9
『座右宝鑑』74頁
「その思いが、直系の長男と三女を横変死させ、傍系の孫を横変死させ、もう一人を獄中の人とする。」

『現世成仏』75頁、11頁
「だが――結局は、わたくし自身のもって生まれた刑獄の因縁のなせる業であった。」
「思えば、わたくしもまた、この娑婆世界において、地獄界のドン底からはじまる十界修行をさせられてきた。
わたくしの十界修行は、刑獄の因縁による前科を持つことからはじまった。
それは、血と涙の修行の連続であったが、
いまにして思えば、すべて、み仏のお慈悲以外の何ものでもなかった。」
[430]頑張れユビ!もうちょい転載 05/06/09 16:21 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
466 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:30:46 ID:RBw+l2oM
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

桐山さんの犯罪内容はとてもセコイ。
桐山さんのしたことはただの詐欺、偽ビール造りです。
農協の組合長の印鑑と書類を偽造して、さらに「桐ンビール」を造った。
ばれるまでの経緯を読んでも、犯罪内容に知性が感じられない。
主犯格の男に、頭がいいという思い上がりとオダテに弱いという性格を読みとられ、
手の上で転がされ、しかも桐山さんは自分が主導権を握っていると思っていた。
またネズミ小僧のような義賊ならまだいい。
桐山さんは、ビールを飲むという庶民のささやかな楽しみの裏をかいた。
義賊どころか、底辺にいる一番弱い庶民を騙したのです。
こんなセコイ犯罪が、国を憂い、命をかけて戦った武士たちの霊障の結果?
桐山さんはほんとうに度胸のない男だと思う。
人殺しではないのだから、「若気の至りで、頭がよいつもりで、一儲けをたくらんだ」と
頭をかきながら率直に認めるなら、誰もいつまでも責めるはずはない。
偽ビール造り程度のセコイ犯罪すら、桐山さんは認める勇気がなく、
言を左右に、言い訳を並べて、口をきけない仏様や死者たちを総動員して、
インチキ霊障武士を作り上げて、彼らに責任をすべて押し付けた。
そして、加害者であることすら忘れて、自分の痛みだけを
「血の涙!自殺!絶望!」などと大袈裟に騒ぎ立てる。
なんとまあ、度胸のない、小心な男かとあきれる。
[431]乙彼ユビ!転載完了 05/06/09 16:23 *3Rv70.P.g7X*ZSkHlf2z/V
467 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:37:20 ID:RBw+l2oM
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

>>457「あなたが罪を罪として認め、法に従って懺悔するからには、
わたしたちはあなたを[そのまま]受け入れましょう。」

信者さんたちはよくこの釈尊の言葉を読んだほうがいい。
釈尊が王を信者として受け入れたのは、王が悪業と煩悩を認めて、
反省し、今後、同じ事をしないと誓ったからです。
一方、桐山さんは自分の悪業は霊障武士が原因だと責任を逃れ、
犯罪の元となった煩悩についても一言も言及したことはない。
こんな桐山さんを釈尊は出家どころか、在家としても受け入れてくれません。
同様に、信者さんたちのように、自分がうまくいかないことや
社会の様々な問題を霊障や悪因縁のせいにしている間は
釈尊は信者としては受け付けてくれない。
いくら信者さんたちが骨に供養しても、釈尊は無視している。
信者さんたちは自分たちこそは正真正銘の仏教徒だと信じている。
だが、この経典によれば、釈尊は、悪因縁や霊障のせいにして
自分を省みることのない阿含宗徒の帰依は受け付けてくれません。
[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
「罪過の軽減」は、実質的な業報の軽減である、と私は解釈したのです。
熟語がピッタリ一致している必要もないです。意味が同じなら私はこだわらないです。煩悩と業(カルマ)を切ることも似ています。
「貪り」「奢り」「怒り」などの煩悩と、身口意の業をどう厳密に区別でき
ましょうか。「貪り」「奢り」「怒り」の煩悩は、即「意の業」でしょう。

桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
別に霊障武士の責任だけにしているわけではありません。
自分のヨコの因縁により、そのような先祖を持つと説いています。
最終的な責任は自分にあることを説いています。
批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。
[433]栗花 馨 05/06/09 19:58 u1erGwgN1V
行く人の 四辻のうらの言の葉に うらかた知らせ 辻うらの神

辻や辻四辻がうらの市四辻 うら正しかれ辻うらの神
[434]岡目 05/06/09 21:03 4Wq1e8zwxa
使者さんには 恐れ入るなあ、いまだに、煩悩と、業の違いを説明しなければならないとは、思わなかったよ。でもあなたはそれでいいのですよ。おかげで、こちらも書き込むことが出来るし、心ある信者さんが、ひょっとして目にしてくれるかもしれない。
業(カルマ)というのは 過去に行為したこと、為したことの結果として現れるものを 普通 呼ぶようですし
煩悩というのは、心身を悩ませたり、迷わせたりするような心の働きを 言い 仏教では 貪 瞋 癡 慢 疑 悪見の六つを根本煩悩、特に 貪 瞋癡を 三毒と呼びます。
煩悩によって、間違った行為をしたその結果が 業として現れると、簡単に
解釈してもよいと思います。(善業というのもありますが、ややこしくなるので割愛します。)ですからね、 原因と 結果の違いと言えばわかってくれるでしょうか、それくらい違うものなのですから、厳密に区別してかんがえてください。あなたの頭の中は、いつも ぐちゃぐちゃしているようです
から、整理して考えることも学んでください。 次に          「桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
別に霊障武士の責任だけにしているわけではありません。
自分のヨコの因縁により、そのような先祖を持つと説いています。
最終的な責任は自分にあることを説いています。
批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます」 とありますが
すっぽりとぬかしているのは、桐山ほうなのです。私が 抜けたところに
補うとすれば、桐山の前世はスサノオ だったとか、トラック ん台分の
徳を積んだと言う横の因縁と、18人斬りの先祖の霊障と どうしたら結びつくのか、皆目、見等もつきませんので、 是非、 使者さんに その抜け落ちた部分を埋めていただいて、桐山の正当性を表現していただきたいものだなと思っています。 「最終的な責任は自分にある」と、桐山の説いている文章があれば示してください。  楽しみにしていますよ。
[435]池田慈水 05/06/09 21:43 /byZidGeBS
私は桐山靖雄という宗教家を尊敬しており、役の行者、空海、覚鑁に連なる大天才だと考えます。桐山靖雄と同時代に生まれた幸運を感じております。
しかし、釈迦牟尼の弟子たちが釈迦のことを修行者としての先輩としてみたように、私も先輩修行者として桐山を追いかけております。桐山が阿羅漢になったのなら私だって阿羅漢になれるだろうという強い自負心があるのです。最初から、桐山先生のことを信仰の対象にしてはいないのです。だって私は「念力」という本に従って、ムラダーラチャクラが動き始めるのを確認してから、千座行に入っています。桐山にカリキュラムを与えられ、修行する。須陀恒から阿羅漢に導くカリキュラムを彼は私に提示できなかった。だから私は桐山から離れた。待っていても無駄な一時期があったのだ。そのとき私は、桐山から離れた。正解だった。今も阿含宗に残って、私は阿那含だなどとその中で告白していたら、袋叩きにあっていただろう。桐山は信用するが、彼の弟子全てが信用できる人物ではない。たとえば、彼の言葉を信じるとすれば、ユビキタスなども弟子だったのだから、こんな馬鹿な弟子たちと俺が付き合う必要な無い。私はただの商人であって、プロの宗教家になるつもりは無い。程度の低い連中と付き合う気持ちも無い。とにかく私は運が良かった。
************************
今、桐山を置いて誰が在家の人々に、「阿含経を修行しよう!」と呼びかけるであろうか?誰ひとり居ない。他には誰も。桐山を批判することは、国益に反し、現在の宗教界の状況をわきまえない、愚かさそのもの。日本を滅ぼすもの。ユビキタスの書いてることを信じたって、修行が止まってしまうだけ、メリットはゼロである。だから、ユビキタスはこの世の糞なのだ。自分のしていることが正しいと確信していても、状況的に明らかに多くの民衆にとって不利益ならすべきではないのです。ですから、小泉の靖国参拝も大反対です。状況的に明らかに多くの民衆にとって不利益なことだからです。

状況をまるでわきまえていないという点で、ユビキタスは日本の毒虫である。この国の、馬鹿貝である。現在消火活動をしている消防夫を代わりの者を立てることなく、過去の言動の矛盾点を述べ立て排斥したところで、残るのは焼け野原ではないか?桐山が過去に偽ビールを作った?知ってる!だが誰でも知ってることである。彼を在家修行の指導者にさせたくなければ代役を立てろ。知恵が無いのである。ユビキタスは日本の空っぽ脳みそである。法華経がこれだけ馬鹿をやっている状況下で、阿含経を在家の人に勧めるだけで、素晴らしい宗教家なんだ。それほど、法華経の弊害が大きい!のである。
そこが見えないユビキタスは、底が見えない愚か者である。掲示板での仲間も同罪である。
私があるいはユビキタスは韓国創価の雇われではないかと推理する理由もそれである。
ユビキタスに賛同してはならない。彼自身もあなたの意見は聞く耳もたぬ。
創価の雇われの可能性がある。あなたの意見を客観的に吟味する誠実な人ではない。
もちろん給料をもらって行う仕事ですから、ユビキタスは自分が創価だとは認めないだろう。「創価は嫌いさ」などと書いたりするだろう。状況をわきまえない愚かさを見せつけられては、信用できないのである。
[436]池田慈水 05/06/09 21:52 /byZidGeBS
桐山が、「因縁」と言うとき、「業」と言うとき、ただ「運命の業」、「運命の因縁」という言葉として使っている場合がある。
「運命」とほぼ同義語として使っている場合もあるのではないかな。
ユビキタスは桐山の言葉をわざと曲解して、屁理屈を並べて居るだけだ。見苦しいからやめろ。創価の雇われめ。
お前のやっていることは、状況的には、法華経の応援だ。だからお前は天台の出身だと、俺は論じるんだ。
お前は心の奥底で、法華経を応援し、阿含経を排斥する、そういう愚か者だ。
火事場の消防士に食って掛かる酔っ払いに過ぎぬ。
[437]ユビキタス 05/06/09 22:30 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
予想通りまたしても10点取って下してしまった。
試合途中に滅多にやらないコヨーテ(元祖タオル回し)も出て布教に努めてしまった。
清水に対するブーイングもなくきれいな試合だったが代わりにジミズの顔面めがけて
危険球投げたろか。
またよー痴並みに壊れるからなあ。
[438]池田慈水 05/06/09 22:44 /byZidGeBS
壊れてるのは、オメエだよ。
[439]池田慈水 05/06/09 22:44 /byZidGeBS
ミスタースポックは、言った。
「魚雷は発射され、本艦からは発射されなかった。残された可能性は、見えないクリンゴン船だけである」
ドクターマッコイが口を挟んだ。
「しかしそれなら、魚雷を発射するときに透明偽装装置を解除するはずで、われわれは見てるはずだ」
ミスタースポックは、右目の眉毛を上に反らせながら、答えた。
「新型の透明偽装装置」
皆はまさかという顔をした。
「すべての不可能を消去して残ったたった一つの可能性は、たとえそれがどんなに信じがたいものでも真実である」

**-*---*-*-*-*-*-**--*-*-*-*-*-*--*-*-*-*-*--*-*-*-*--*-*-*-

桐山先生が、過去に書いた著作は何冊あるのだろうか?ゴーストライターが居ないということは、誰もが認めていることである。50冊以上?詳しい数字は知らないが、その中でも求聞地聡明法に関する著作など、成就した本人しか書けない事柄が随所に散りばめられている。あれが本当のことと確認できる人はこれから何人も出ないだろう。神秘に満ちた本だ。偽ビールを造っていた痩せ詐欺師がどうしてあれだけの本が書けるようになったんだろうか?そのことに論理的な説明が出来るのであろうか?

昔、桐山が炊いた護摩の火の中に竜神や天部の守護神や如来が現れた。それは写真に撮られた。わたしは伝法会の同室の方に竜神の写真を見せていただいた。炎がたまたまそのような形になるだけだと誤解している人が居るようだが、見てない人の悲しい誤解である。竜神そのものが護摩の中に浮いているのである。そういう写真であった。
だから、2重露光だとかトリック写真だとか言われるのが落ちだなとは思う。それだけ、神様がはっきりと映ってしまっている。そのことに論理的な説明が出来るのであろうか?

「念力」という本に従って、私は、ムラダーラチャクラ、マニピューラチャクラ、ヴィシュダーチャクラを開発していった。本に書いてある通りの修行の成果があった。天耳通を成就し、この世ならぬ音を聴いた。それは阿含経にも記述されていた六神通の一つであった。
このことに論理的な説明が出来るのであろうか?

桐山靖雄という男は優れた密教修行者であって、その成果を本に書いたり、人々に目撃されたりしている。
論理的な説明は、これだけである。たとえそれがどんなに信じがたいものでも事実なのである。
[440]ユビキタス 05/06/09 23:05 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>432
ヨコの因縁は一般論的に示すだけで、では自分自身がどんな前世の悪業を為したか
語りません。
前世の透視なんてどうでもよい。
前世の悪業により前世の悪念が現世に継承されているから、嘘つきのくだらん
タテの先祖と腐れ縁を選び取ったのでしょう?
その現世に継承する悪念こそが問題なんですよ。
無知な大衆騙して偽ビールで儲けて甘い汁を吸ってやる。
警察なんて俺の口のうまさでなんとかしてやる。
まず第一にこういう悪念を断つことが第一で、その第一歩は徹底して猛反省、懺悔すること。
刑務所に入る憂き目を見て(なんて俺はかわいそうなのだ。俺が騙そうとしたヘタレ
庶民なんかはどうでもよいが)苦境を経験したのも仏様の与えた十界修行の試練なんて
自己陶酔が出てくる神経が理解できん。
自分の非を認めない。反省も懺悔もしない。俺には似合わない。俺は人に頭を下げるのも
嫌いだ。頭を下げる状況になるとますます反り返ってしまうと反省心、自省心皆無だと
正直に述べてますよ。
[441]服部エンタープライズ社長 05/06/09 23:43 *vOys31uzjgw*In.5j.v.OB

>>439

未知の世界だ〜

  因みに6/11はマッコイ役のディフォレスト・ケリーのご命日です


                         合掌


[442]こうもり 05/06/10 10:25 anUZQ2KjrN
>そこが見えないユビキタスは、底が見えない愚か者である。掲示板での仲間も同罪である。

ユビ&☆? ☆さんですか?
奈々氏ですか?
私ですか?

>今、桐山を置いて誰が在家の人々に、「阿含経を修行しよう!」と呼びかけるであろうか?

猊下ご自身もそのような呼びかけはもう止めてますが?
[443]○○屋 05/06/10 11:37 D-Oab/h
ああ、明日ですね。

カテ違いついでに『ロズウェル』のシーズン1にカーク船長が出てきますが、彼はウイリアム・シャトナーかどうかご存じですか?
[444]池田慈水 05/06/10 13:07 GoRGEoUS
スタートレック4「故郷への長い道」に、ジム・キャリーがチョイ役で出てきます。原子力潜水艦エンタープライズにチェコフとウフーラが光子エネルギーを盗みに行くシーンで。
[445]○○屋 05/06/10 13:26 D-Oab/h
池田慈水さんは、トレッキーとお見受けします。ところで、池田先生は『ご宝塔』もって拝んでいるんですか?
[446]池田慈水 05/06/10 13:29 /byZidGeBS
服部エンタープライズ社長、かなりトレッキ−ですね。つい、うれしくなってしまいました。
[439は正直言うと創作です。マッコイはこのとき、ルラペンテ刑務所にカークと閉じこめられてるんで、スポックのそばには居ないんです。この方が分りやすいんで、マッコイにしてしまいました。
ホントは誰がしゃべったんだろう?スコットかも知れません。
[447]池田慈水 05/06/10 13:31 /byZidGeBS
[445]○○屋さん、すいません、入れ違いになってしまって。

昔は拝んでいました。夢のなかに出てきた私のあの瀬戸物の宝塔は、黄金色に輝いていましたね。懐かしい思い出です。
[448]栗花 馨 05/06/10 13:41 u1erGm/oBk
まだありますよ。

死角の因縁
斜めの因縁
変軌道の因縁星
群れの因縁
[449]栗花 エンタープライズ会長 05/06/10 13:43 u1erGm/oBk
ってか

にくたらしいと

ずっとそんなかな
[450]服部エンタープライズ筆頭株主 05/06/10 13:44 u1erGm/oBk
ほりえもん
[451]栗花 馨 05/06/10 13:46 u1erGm/oBk
一種の分派かもね。
[452]こうもり 05/06/10 13:51 anUZQ2KjrN
アゴン宗はオカルトの基礎で何でもありのいいとこもありますが、マジ求道やりたい人は他所でやったほうがいいよ、と言ってくれればいいのにと。ユビ氏は30年も青春費やしてあわれ
[453]こうもり 05/06/10 14:38 anUZQ2KjrN
阿含経を読誦して呪術やるのと、法華経のお題目唱えて呪術やるのと、どう違う?まあ呪力の差じゃん。
S学会で高藤仙道やってた人いるらしいけど、本による成仏法の定義だと、この学会員のほうが阿含経やってるじゃんか
[454]昨日の転載抜け分です@指 05/06/10 19:48 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
465 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:25:07 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

>>464のどこが懺悔、反省なのですか。
偽ビールを造ってムショに入ったのは、「刑獄の因縁のなせる業」であり、
その業とは、祖父が斬った武士たちの怨念が作り出したものである、
というのだから、まったく本人の反省などありません。
横の因縁として、かろうじて前世で自分が刑罰にあうようなことをしたのだと一行くらい書く程度で、
実際、前世でどんな悪業をなしたかを桐山さんが懺悔したことは一度もない。
本で書き、法話で話すのは、全部、今世での祖父の悪業と霊障武士の怨念の話です。
しかも、上意討ちによる霊障武士はまったくの嘘です。
反省、懺悔とは、他人がしたことをあれこれ言うのではなく、
自分がしたかを反省することです。
王の懺悔では、父王を殺したという悪業と同時に、
愚昧、無知、五欲に迷ったと自分の煩悩も反省している。
しかし、桐山さんは>>464のように、自分のなした悪業であると認めたことはないし、
悪業をなした煩悩を懺悔反省したことなど一度もなく、
こうやってさらに嘘をついて人を騙し、自己弁護をくり返してきた。
[455]ユビキタス 05/06/10 19:50 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
クリプトの確認です。
[456]ユビキタス 05/06/10 19:51 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
違うなあ?まあ今日はこれでいいか。
どうせ転載だけの休息日です。
[457]昨日のミスがなければ転載しない指 05/06/10 19:54 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
475 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:18:34 ID:06cPBNXy
>>474 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:11:06 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
>批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。

>>465 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:25:07 ID:SNi1fRs9
>横の因縁として、かろうじて前世で自分が刑罰にあうようなことをしたのだと一行くらい書く程度で、
と、横の因縁についても私は書いていますから抜かしていません。
ユビキタスさんにご苦労をおかけしてしまいましたが、
>>465だけがザへのコピーが抜けていました。
桐山さんが霊障を受け、悪因縁を持つような自分の前世の悪業と煩悩について
書いているというなら、使者さんが示してください。
読んだことも聞いたこともない。
前世で何をすれば、偽ビールを造る因縁ができるのですか。
祖父と同じように、前世で上意討ちをしたとして、
公務で人を殺すという業を作った人が生まれ変わると、
なんでインチキビールを造ってムショに入ることになるの?
使者さんのこだわらない性格で説明してみてください。
[458]昨日のミスのお詫びの転載@指 05/06/10 19:56 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
476 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:22:18 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
>批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。

上意討ちの武士の崇りが、なんで偽ビール造りになるのか?
桐山さんが横変死の因縁を持っているとか、あるいは人など殺していないのに、
冤罪でムショに入れられたとか、国のために悪徳政治家を暗殺して捕まったというなら、筋も通る。
桐山さんのしたことは偽ビール造り、詐欺ですよ。
人を殺すカルマが、どうやったら偽ビールの詐欺のカルマに「変身」するのか。
霊障から来る刑獄の因縁なんていうと、何かすごいことのようだが、
桐山さんは私文書偽造の詐欺師としてムショにはいったのです。
カルマの種類があまりにも違いすぎる。
横の因縁というなら、桐山さんの前世も詐欺師であり、
今と同じように人を騙し続けたため、
大法螺吹きの祖父を持つような家系に生まれたというほうが筋が通ります。
[459]指転載 05/06/10 19:58 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
477 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:26:47 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
>批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。

『続守護霊を持て』215頁
「・・・だいたい家系による因縁が、六、七0%、自分の因縁が三、四0%というところである。
なかには、八0%、九0%が家系の因縁というひとすら見受ける。
だから、悪因縁を切り、悪業をきよめて、明るい安定した人生を持とうと思ったら、
この家系の因縁を切ることがなによりも大切なことであることが、おわかりだろう。」

桐山さんのこの一文を見てもわかるように、
阿含宗では縦の因縁こそが重要であるといつも強調する。
家系の因縁を切ることが「なによりも大切」とはっきり書いている。
あなたがしている解脱供養、冥徳解脱は全部家系の因縁を切るためものです。
阿含宗では先祖に霊障のホトケがいると悪い因縁は切れないとされている。
柏原の墓所も先祖供養が目的です。
守護霊や守護神は先祖からの御利益です。
つまり、阿含宗の信仰のほとんどが家系に関わるものです。
横の因縁など説いてはいるが、桐山さんは重視していないことは明らかです。
[460]指転載 05/06/10 20:00 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
478 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:31:51 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
>批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。

縦の因縁と横の因縁などというのは桐山さんの説であって、元々仏教には存在しない。
あなたが業報を切る根拠として出してきた経典には縦も横もありません。
縦と横の因縁(カルマ)があるというなら、
阿含経のどこに名称なり、概念があるのか示してみなさい。
あるはずがない。
引用した経典でも、
「おまえが父王を殺したのは、先祖の運命の反復で、家運衰退の因縁と
肉親血縁相剋の因縁から来た。武士をいっぱい殺したから、霊障がある。
おまえはこういう縦の因縁の所に生まれるように、前世で悪業をなした」
などと、釈尊は説いていない。
王は愚昧、無知、五欲の煩悩から自分が父親を殺した罪過を認め、反省した。
釈尊は、王が愚昧、無知、五欲の煩悩から彼が父親を殺した罪をなしたという懺悔を受け入れた。
悪因縁も霊障も、縦の因縁も、横の因縁も、前世の因縁も家系の因縁もない。
王の懺悔も釈尊が容認したのも、家系や前世からの何かではなく、
この王の煩悩と、この王がなした悪業です。
[461]指転載 05/06/10 20:01 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
479 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:36:57 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>「罪過の軽減」は、実質的な業報の軽減である、と私は解釈したのです。
>熟語がピッタリ一致している必要もないです。意味が同じなら私はこだわらないです。

罪過も業報も同じ、煩悩も業も同じだというのですね。
これが二十年以上も阿含宗の信仰をして、仏教を学んできた先達です。
国語力と知性を疑われますよ。
両者が同じだという経典でも学説でも何でもいいから、示して下さい。
釈尊も桐山さんも両者を区別しているし、
このスレの最初の頃、無知な信者代表として初代・よー痴さんがいたが、
彼女ですら、両者を同じだとは言わなかった。
両者が同じだなどと言っている人はあなたが初めてです。
「金を貸すも借りるも、同じようなもので、僕はこだわらない。
ボクから金を借りると思って、百万円貸してくれ。
百円も百万円も似たようなもので、僕はこだわらない。
だから、百万円を貸してくれれば、必ず百円を返すよ」
使者さんがこだわらないなら、百円を返しますから、私に百万円を貸してください。
[462]指転載 05/06/10 20:02 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
480 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:40:16 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>熟語がピッタリ一致している必要もないです。意味が同じなら私はこだわらないです。

こだわらない性格なら、なぜ業解脱にそんなにこだわるのですか。
釈尊は業解脱など説いていないのだから、素直にこれを受け入れればいい。
あなたはこだわらないのではなく、
桐山さんを擁護することにこだわり、執着している。
経典のどこを読んでも業解脱や業報の軽減の話など出てこない。
そこで、罪過などという全然違う意味の言葉を出してきて、
罪過=業報などと、木に竹を接ぐというよりも、木に石を接いだ。
子供でも辞書をひいて、両者が違う意味であることを理解しますよ。
あなたは桐山さんを擁護するために、
「東に進めば西になるのだから、太陽は西から昇るのだ。
西とか東とかこだわる必要はない」と屁理屈を言っているようなものです。
[463]指転載 05/06/10 20:03 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
481 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:45:07 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>「貪り」「奢り」「怒り」などの煩悩と、身口意の業をどう厳密に区別でき
>ましょうか。「貪り」「奢り」「怒り」の煩悩は、即「意の業」でしょう。

区別できるし、別物です。
意業と煩悩の区別もつかずに、阿含経を護持する教団で信仰してきたなんて、
こんなこと告白して、恥ずかしくないのですね。
二千五百年間、頭の良い人たちが仏教について議論を続けてきた。
この人たちが意業と煩悩が同じなのに、わざわざ別にすると思うか。
別物だから、別な名前、別な分類になっているのです。
算数も国語も同じ部屋で習っているのだから、厳密には区別できないと言っているようなものです。
あなたはもう少し自分の無知を自覚して、自分が考えつくことくらい、
他人も考えるのではないかと、自分を疑う癖をつけたほうがいい。
[464]転載一過だ、ユービボンボン 05/06/10 20:05 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
482 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:50:49 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>「貪り」「奢り」「怒り」などの煩悩と、身口意の業をどう厳密に区別でき
>ましょうか。「貪り」「奢り」「怒り」の煩悩は、即「意の業」でしょう。

議論が本題から外れてしまうから、煩悩と意業の違いは使者さんが勉強するとして、
一つだけ参考に助言するなら、星祭さんが>>264,[178]で引用した宮元教授の本があります。
「1、無明。根本的な生存欲のこと。
自覚することがほとんど不可能とだという意味で無明(根本的な無知)といわれる。
また、ほとんど抑制不可能だという意味で「渇愛」ともいわれる。」
(『ブッダの考えたこと』153頁)
無明=渇愛は根本煩悩の一つです。
宮元教授はこれを自覚も制御もほとんど不可能だとすら表現している。
使者さんはこれを「意業=意思に関わる行為」と同じ意味にとれるか。
悪いことは言わないから、桐山さんのオカルト仏教からちょっと離れて、
二十年前の初心に帰って、中立的な学者の仏教の入門書から勉強したほうがいい。
いくら顔が見えなくても、あなたの書いていることはあまりに恥ずかしい。
・・あなたは恥ずかしくないだろうが、私のほうが恥ずかしいという意味です。
[465] 05/06/10 20:05 *mQJL43UinZb*XCP5WvYY14
おすまい。
[466]栗花 馨 05/06/10 23:18 kiFOc2FAyH
万物

体  無常




無明⇔明知

無我
[467]栗花 馨 05/06/10 23:19 kiFOc2FAyH
で、涅槃寂静

が成立しうる。
[468]栗花 馨 05/06/10 23:25 kiFOc2FAyH
死角の因縁 子孫から

斜めの因縁 共時律により存在共振する(原因:過去もしくは現在)

変軌道の因縁星 上の階層の魔鬼(天使ともいわれている)

群れの因縁 リーダーまたは準リーダーが標的として受けなければならなくなる。
[469]栗花 馨 05/06/10 23:27 kiFOc2FAyH
あとおなじみの
タテとかヨコとかのね。

業力
業道

ってのの緩急感じてしってるか?
[470]栗花 馨 05/06/11 00:49 kiFOc2FAyH

人の身で天機を漏らしすぎ
[471]栗花 馨 05/06/11 00:57 kiFOc2FAyH
死角の因縁 子孫から

複雑な家系では将来の子孫が時空をこえて影響する
痣や悪性新生物ができたりする。


自分の子供であるのに自分の弟になっている
親と妻に子ができてそのまま自分の子
養子が家系を複雑にしている場合
[472]栗花 馨 05/06/11 00:59 kiFOc2FAyH
斜めの因縁 共時律により存在共振する(原因:過去もしくは現在)

全く関係ないような事柄が実は原因になっている場合
[473]栗花 馨 05/06/11 01:04 kiFOc2FAyH
変軌道の因縁星 上の階層の魔鬼(天使ともいわれている)

大事故 災害 大量殺戮 大量に輪廻滋養がある場合つれていかれる。

虚をうめるのに単体でつれていく場合もある。

カルマは上の階層に同調し同化させられる。


[474]栗花 馨 05/06/11 01:06 kiFOc2FAyH
群れの因縁 リーダーまたは準リーダーが標的として受けなければならなくなる。

例は、おわかりでしょう。
[475]金剛靖雄 05/06/12 02:45 RzY.ah5C6q
2005.09.25
[476]名無しさん@3周年 05/06/12 09:22 *Viy9Pq55Bwc*rIZmXQzuu8
511 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:27:07 ID:QpncOyrR
>>452 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:36:35 ID:SNi1fRs9
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

使者さんが業解脱の経典を探し出せず、困っているようなので、手伝ってあげましょう。
次に引用した文献は仏教学の権威・中村元博士の著書ですから、信頼性は超一級です。
では、業解脱をいってみよう!
[477]名無しさん@3周年 05/06/12 09:23 *Viy9Pq55Bwc*rIZmXQzuu8
512 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:28:15 ID:QpncOyrR
業によって束縛されたこのような悲惨な状態を脱し、永遠のやすらぎである至福の状態に達するためには、
一方では苦行によって過去の業を消滅するとともに、他方では新しい業の流入を防止して、
霊魂を浄化し、霊魂の本性を発揮せしめるようにしなければならない。
(『原始仏教の成立』中村元、139頁)

「・・止滅という特別の原理を想定するが、それは、人が過去にすでに得た業を、
苦行などによって滅することである。」
「したがって寂静は、輪廻の種子である業の滅から生じる。」
(『思想の自由とジャイナ教』中村元、566頁)

解脱とは、1.邪な見解などの束縛の原因が消滅したから、新しい業がもはや存在しないがゆえにと、
2.死滅という原因が存在するから、すでに得た業を排除するがゆえに、
[この二つの理由による]業からの絶対的な解放である。
(同、572頁)

解脱した霊魂は、一切の業を滅した直後に、世界の端にいたるまで上方に登っていく。
(同、582頁)

したがって解脱とは、その罪の流れを断ち切ることである。そうして解脱した人には、
もはや業や罪は存在しない。
解脱したならば、かつて犯した罪の流れも清められることになる。
(同、725頁)
[478]名無しさん@3周年 05/06/12 09:24 *Viy9Pq55Bwc*rIZmXQzuu8
513 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:36:46 ID:QpncOyrR
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

天下の大学者の中村博士が何と書いているか、見よ!
「過去の業を消滅する」
「業を、苦行などによって滅する」
「業からの絶対的な解放」
「解脱した人には、もはや業や罪は存在しない」
「過去の業を消滅する」というのだから、まさに因縁解脱、業解脱です。
使者さんの探し求めていた業報からの解脱です。
「罪は存在しない」というのだから、使者さんが言っていた罪過の消滅です。
おまけに「霊魂の浄化」とあり、阿含宗の「霊的浄化」と同じです。
解釈なんてもんじゃなく、文字で過去の業の消滅、業からの解放と書いてある。
桐山ゲイカの説いておられるのと同じ業解脱、カルマ切り、カルマからの脱出です
きっと使者さんはうれし涙がチョチョ切れていることでしょう。
梅雨に入ったことだし、喜んでいただいて恐縮です。
批判側!破れたりい!
だれだあ!業解脱なんてないとほざいた奴は?・・あ、オレか。
[479]名無しさん@3周年 05/06/12 09:24 *Viy9Pq55Bwc*rIZmXQzuu8
514 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:45:35 ID:QpncOyrR
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

仏教には業解脱なんてありません。
>>512の中村博士の最初の文章を読んで、少し仏教を知る人なら、あれ?と思ったはずです。
「霊魂を浄化」って、たしか釈尊は霊魂については無記、つまり沈黙したはずなのに、
なんで釈尊が霊魂とか、霊魂の浄化なんて言い出すのかと奇妙に思ったでしょう。
そのとおりで、引用した文章は仏教ではなく、ジャイナ教の説明や教典です。
ジャイナ教とは、仏典に出てくる六師外道の一人であるニガンタ・ナータプッタが事実上教祖の宗教で、
桐山さんは『輪廻する葦』の136頁で紹介しています。
仏教とは同時代だというだけでなく、教義に使う単語の多くが共通しています。
しかし、根本的な教義はかなり違っており、その一つが解脱の定義です。
ジャイナ教は明らかに業からの脱出を解脱だと説いています。
こういう点は仏教とは違うが、阿含宗とそっくりです。
[480]名無しさん@3周年 05/06/12 09:25 *Viy9Pq55Bwc*rIZmXQzuu8
515 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:51:35 ID:QpncOyrR
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

ジャイナ教では、霊魂に付着した業というゴミや重りを取り除き、
霊魂が軽くなることで上昇していく、つまり解脱する。
霊魂にくっつく過去のカルマを取り除くことを解脱と言っている点など同じです。
死者の悪業をなくすという話はないから、阿含宗のそれとは違いますが、
不成仏霊に付着した悪因縁と悪業を落とすとみれば、似ている。
釈尊は霊魂のあるなしについては、修行に無用であるとして、沈黙している。
ところが、桐山さんは霊魂はズバリ「ある」と説いている。
あるどころか、不成仏霊を成仏させ、霊障解脱しないと、
因縁解脱すらないというのだから、教義の中心にある。
ジャイナ教でも霊魂はあると説いている。
さすがに、霊障や不成仏霊に相当するようなオカルトはないようだが、
霊魂があるという点は同じです。
使徒さんや信者さんたちは、阿含宗を外道だというと、悪口だと思っている。
でも、阿含宗は解脱の中身など宗教教義の中心部分がそっくりです。
だったら、阿含宗は外道ですよね。
[481]名無しさん@3周年 05/06/12 09:25 *Viy9Pq55Bwc*rIZmXQzuu8
516 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 23:06:17 ID:QpncOyrR
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

阿含宗はバラモン教に改宗というジョークもあるが、
業解脱が似ているならジャイナ教という手もある。
もっとも、桐山さんにジャイナ教は無理です。
ジャイナ教は欲望を徹底的に断滅する道を選ぶから、
衣類をまとうことすら拒絶して、裸でいた。
桐山さんのように高級スーツや七條袈裟など論外です。
ジャイナ教で解脱した者は食欲すらも断ち切るので、餓死が最高の死とされた。
桐山さんのように、糖尿病になるまで美食を続けるなんてありえない。
ジャイナ教は極端に不殺生です。
桐山さんのように、死んだ人まで不成仏霊として引きずり出して、
金とってもう一度殺すなんてありえない。
六師外道は教法においては間違っていたが、ジャイナ教がそうであるように、
彼らなりになかなか厳しい苦行や荒行をしていた。
形式化して、堕落していたバラモン教を批判する新興の宗教だったからです。
桐山さんはレストランで美食飽食をして、高級車を乗り回し、
ゴルフや囲碁に興じ、愛人まで囲うという荒行をした。
六師外道たちは伝統的なバラモン教の権威を否定したのに、
桐山さんはなんとか伝統宗教の権威を得ようと金をばらまく苦行をした。
私は阿含宗を外道と書くたびに、六師外道の教祖たちを
欲まみれ、金まみれの桐山さんと一緒にするのは申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
それで、六師外道と区別するためにも、阿含宗には真正外道というわかりやすい名前を付けたのです。
[482]桐山老人@転載です 05/06/12 09:28 *Viy9Pq55Bwc*rIZmXQzuu8
518 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/11(土) 23:46:00 ID:/TRzyCFB
反逆の思想──かつて私(桐山)が輪廻する葦で提唱したスローガンである。
逆転の発想からさらに進化させて。
私は業に逆らう重力への反逆を説いた。
業解脱こそが私の究極のテーマだった。それは今も変わりない。
温故知新で密教からさらに阿含経にまでさかのぼった。
阿含宗を立ててからも常に進歩と変革を求めることに躊躇いのない私はなおも求道の
努力を忘れなかった。
しかし最近、忽然としてある事に気が付いた。
「なぜだ?!なぜ?」
「いくらなんでも、そんなバカなことがあるはずがない!」
私は呆然とした。唖然とした。長嘆息した。
──いったいなんのことをいっているのか?読者はいぶかしくお思いであろう。
阿含経のことをいっているのである。
仏教の阿含経に業解脱などという思想がなかったのである。
長年にわたって阿含経を修行してきたことにしようという宣伝の結果がこれであることに
私は愕然とした。私は懊悩した。
しかしそんな私に新たな勇気を与えたのが、この自分の旧著の「反逆の思想」だったのだ。
そうだ!反逆の思想だ!重力への反逆、物質世界の法則からの反逆を説いた私だ。
今こそもっと大きな化け物に反逆せねばならない。
阿含経への反逆!仏教への反逆!
仏教で外道と呼ばれる道にこそ真理があったのだ!
ジャイナ教には業解脱があった!
それを悟った私は阿含宗からジャイナ宗と改宗することに躊躇いはなかった。
すべては進化なのである。
名前だけジャイナを借りるのも阿含宗で慣れっこになっているのだから。

───新著「ジャイナ宗教ええジャイナいか(苦)」序文より
[483]新著同時発売です@by komo 05/06/12 10:00 anUZQ2KjrN
温故知新――いまこそこれが希求される時代はないのではなかろうか?
因縁解脱に密教を求め、さらに古く阿含経にまで遡り阿含宗を打ち立てた著者はついに
さらなる古い道を見つけた。
バラモン教――そう、全ての真理はここにあったと悟った著者はついに婆羅門宗に改宗を果たした。
この護摩もあり、占いもありのバラモン教こそ、錯綜に満ちた現代に最も適している
と言え、破滅の危機に瀕した現代では、自己確立なんて甘いことを提唱する仏教は
通用しないのである。
仏教も為し得なかったカルマからの解脱を果たすのである。
ここに古代インド5000年の秘密技術がある。
ん?なんか昔説いたような?

―――「バラモン宗教いま」広告文より
[484]栗花 馨 05/06/12 10:01 u1erGm/oIM

 【仏教のすべては釈迦に担保されています。】
【人間の感覚器官に捉えられた人間。そこにもどりなさい。】
人間の感覚器官に捉えられた人間。そこにもどりなさい。
それにはね。
業についてみなおしなさい。
業の力、思業、思已業、身業、語業
身口意の三業、五業
順現業、順生業、順後業、順不定業
引業とか満業とか共業
業道
[485]栗花 馨 05/06/12 10:03 u1erGm/oIM
自分の存在と他者の存在の関係も成道後の縁起の確認によって確認されました。
成道後自分の存在において、自分の存在と他者の存在の関係が新たになったのです。
自分の存在(明知)と他者の存在(無明)の関係における縁起です。

(明知+生命存在・生 老 病 死)-縁起-(無明=生命存在・生 老 病 死)

成道の種子となった動機は、釈迦の教えの根本です。それは、釈迦の説く成仏の道です。
五根五力が生じるのは、
(明知+生命存在・生 老 病 死)-縁起-(無明=生命存在・生 老 病 死)
の「その縁起(この境界層において確認しえるもの)」によるのです。

(明知+生命存在・生 老 病 死)-縁起-(明知+生命存在・生 老 病 死)
                  ↓
(明知=生命存在・生 老 病 死)-縁起-(明知=生命存在・生 老 病 死)
                  ↓
(明知=生命存在・生 老 病 死)-縁起-(明知=生命存在・生 老 病 死)
                  ↓
          明知=生命存在-縁起-明知=生命存在
                  ↓
             生命存在⇔涅槃⇔生命存在

                涅槃寂静
成道の種子となった動機は、法となるのです。


すべての仏教は釈迦の存在に担保されているのです。
[486]栗花 馨 05/06/12 10:09 u1erGm/oIM
初期の仏教と初期のジャイナ教が密接に連関しているということ。
教えや修行についての形態が良く似ている。
共通の宗教的表現の用語について両宗教をてらしあわせていくことで理解ができる。
わたくしとN氏は、そのような共通の考え・認識をもっていることを確認しています。
いろいろありますが、初期仏教の理解には初期ジャイナ教の理解が必要で、
初期ジャイナの理解には初期仏教の理解が必要あるということです。
すなわち、両宗教は同じ基盤をもち同じ文化的宗教的母胎より発生したということです。初期仏教・初期ジャイナ教は共通の宗教的文化的母胎から発生しているのです。

[487]栗花 馨 05/06/12 10:14 u1erGm/oIM
しょせん

にくたらしいだけなんですね。
[488]栗花 馨 05/06/12 10:20 u1erGm/oIM
死角の因縁 子孫から

斜めの因縁 共時律により存在共振する(原因:過去もしくは現在)

変軌道の因縁星 上の階層の魔鬼(天使ともいわれている)

群れの因縁 リーダーまたは準リーダーが標的として受けなければならなくなる。

あとタテとかヨコとかのね。
[489]kotaro 05/06/13 14:18 44UK1TW/7O
>[488]栗花 馨さんへ
>> あとタテとかヨコとかのね。

解脱せぬ 理由のみだけ 明らかに
      解明されて その日遠のく
[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS
[480]名無しさん@3周年
>釈尊は霊魂のあるなしについては、修行に無用であるとして、沈黙している。

ああ、これは間違いです。名無しさんは間違い。桐山が正しい。
名無しさんは大乗仏教の悪い影響を受けている。
死んでも残る何かが無ければ、前世の記憶はどこに残るというのであろうか?それは霊魂である。
そういうものを霊魂と我々は名づけたのであるから、そう呼ぶのである。だから霊魂は存在するんだ、という事になる。
(学者や哲学者や大乗仏教徒が正解にたどり着けないのは、我々に前世の記憶が無いと言う前提があるためである。だがそれは誤りである。前世の記憶の存在は、退行催眠で証明済みである。)
仏道修行の目的は、輪廻転生からの解脱なのである。
記憶が霊魂から霊魂へと運ばれて、相続してしまい、苦しみの連続を作り出してしまう。その克服が釈迦の目指したものである。
釈迦が霊魂の存在を否定したなどと記述している愚か者は、釈迦が自己の修行の成果を否定していると書いたのも同じである。分析的に物事を考えないからこういう誤謬が生じるのである。

したがって「我」という言葉と「霊魂」を同義語と考えてはいけないのである。
哲学者和辻哲郎なども、高名な学者ではあるが、「我」と「霊魂」とを同じ意味に考えてしまっており、阿含経典の中に、主張の違う二人の釈迦牟尼が存在しているので、後世の創作が混ざっているなどと主張してしまったようである。
要するに、霊魂も多くの他の存在と同様で、変化しながら流転しているのであるから、当たり前に考えれば良いのである。「諸法無我」というのは認識論的に真理であり、絶対に間違いの無いところだから、霊魂も例外ではなく、変化をまぬがれるものではないのである。変化をまぬがれるものなど有りはしないのである。
変化しないものは絶対に無いのにもかかわらず、霊魂を変化しない単位のように定義する。その段階で、霊魂の存在が否定されてしまっているのである。これは愚かな議論である。和辻哲郎氏は、いったい何を血迷ったのだろうか?変化しない単位としての霊魂説では、私の霊魂とあなたの霊魂とが同じ物になってしまうのである。それでは私の魂ではない。それではあなたの魂ではない。最初から無理のある定義付けである。

色即是空だから、霊魂は実体が無く、存在しないが、そのへんのコップが存在するという日常的な言語感覚の範囲では、霊魂はコップと同様存在するのだ。大乗仏教が釈迦仏教に罠を仕掛けています。気をつけてください。
[491]栗花 馨 05/06/14 01:37 u1erGwgNGp
っていうか

究極のシャク尊の禅定までいったらね。

無記になる。

シャク尊の最初の師匠しってるか?
つぎの師匠は?

でシャク尊は?
[492]栗花 馨 05/06/14 01:40 u1erGwgNGp
シャク尊の伝承はシャク尊自身ではない。
[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS
全ての物事は原因と条件とによって生起する
全ての物事は原因と条件とによって消滅する。

原因と条件、この言葉を短く、「因縁」と呼ぶ。
桐山は運命について、因縁と呼ぶ。全ての物事は因縁によって生起するのだから、間違いではない。因縁を切れば運命が変わる、そして人生が変わる。当たり前のことを言っている。「切る」とは、縁を与えて、運命の統一性を破壊し、変化させる意味です。因縁によって消滅したとき、「切れた」という言い方をする。桐山の新興宗教的な言い方が、気に入りませんかね?
運命=因縁の、
その場合の、因とは何か?
前世の行動であり、行動の記憶です。これを業と呼ぶ。
その場合の、縁とは何か?
その人が生まれた家庭に流れる、霊障、であり。ソンデイが名付けるところの家族的無意識、である。

魂は、業を背負っているので、輪廻の際に自分の業に相応しい、霊障の流れる家庭を選んでしまう。我々の霊魂はこのように輪廻再生の旅を続けてしまう。ですから桐山が正しい。
この考え方は釈迦の考え方と同じです。阿含経をこのように読むものこそ、釈迦の弟子である。このように考えるものでなければ、運命固定論者になるか、あるいは運命たまたま論者になるからね。運命変革可能論者でなければ、修行が出来んのよ。ああ、私も釈迦の弟子である。つまり人間の運命の原因と条件を知らなければ、その対処方法が分らないのですから。

釈迦の時代、「家族的無意識」という言葉は存在しなかった。その家族の特殊事情、とかそういう言葉はあっただろうが。
輪廻の実際を知っていた釈迦、彼は自己の輪廻を200世に渡って透視したと言われる。その彼が霊魂の存在を、否定したり、黙った、というのはね、大乗仏教系の、「空」という概念がそう言わせているだけ。
言葉の定義の問題ですね。そういうことを言いながら、桐山を批判しようとしたってだめですよ。私のように、仏教を知っているものには、見破られてしまう。
まあ、桐山が正しいね。どう仕様も無いね。
[494]池田慈水 05/06/14 02:08 /byZidGeBS
釈迦が霊魂の存在を、認めた、ということで、私は正しいと思う。

ただし、この場合の「存在」は、「空」に違反しな意味でですよ。揚げ足を取らないでくださいね。
[495]栗花 馨 05/06/14 02:08 u1erGwgNGp
>解脱せぬ 理由のみだけ 明らかに
>      解明されて その日遠のく
いっちゃいましょうか・・・・・
桐山氏はいろんな供養法、
釈迦の仏舎利、梵行や守護神によってなんとかしようとはしていますね。
桐山氏は何かを見逃しているとは気がついています。
タテヨコ以外の何かですね。
桐山氏は大筋間違ってはいなかったが、
詰めではくずれてしまう部分で多数には成果があらわれない。

死角の因縁 子孫から
斜めの因縁 共時律により存在共振する(原因:過去もしくは現在)
変軌道の因縁星 上の階層の魔鬼(天使ともいわれている)
群れの因縁 リーダーまたは準リーダーが標的として受けなければならなくなる。

[496]栗花 馨 05/06/14 02:14 u1erGwgNGp
釈迦は霊魂の存在を、認めた、とこから求道しています。
で、霊魂の存在を、認め、スジャータ
で、
究極の禅定までいって
無記。
[497]池田慈水 05/06/14 02:15 /byZidGeBS
問題が在るとすれば、法華経でしょう。釈迦が喋ってもいない、「末法」という概念を語らせ、釈迦仏教の今日的無効を宣言している恐るべきハンシャカ二ズム、反仏教ではないですか。ありゃあ、仏教に敵対する恐るべき魔教ですよ。
池田大作も、そういって信者をたぶらかして、この国に無知と道徳的堕落をもたらしているのです。なんで、きちんと釈迦仏教を把握している桐山を批判せにゃあならん?ユビキタスも、名無しさんも頭がおかしいのではないか?だから、俺にカンコクソウカの回し者ではないかと、疑われちゃう訳さ。しっかり考えろ。
[498]栗花 馨 05/06/14 02:23 u1erGwgNGp
え?上意討ち?
神隠しっつーか
重傷者はちゃんと造成時に人柱になっていました。

歴史の闇と御家存続でしょう。
[499]栗花 馨 05/06/14 02:28 u1erGwgNGp

桐山氏は完全仏教家ですよ。
[500]金剛靖雄 05/06/14 02:35 RzY.ah5C6q
9月25日
[501]池田慈水 05/06/14 02:40 /byZidGeBS
[495]栗花 馨
>桐山氏は大筋間違ってはいなかったが、
>詰めではくずれてしまう部分で多数には成果があらわれない。

いままで、人に話したことが無かったが、書いてみる。
昔、見た夢。桐山先生と私がビルの階段を駆けのぼる夢。
屋上まで出て、二人は喜びで満たされ、万歳をする。
ところが、気がついてみると、屋上までたどり着いた者が、
我々二人しかいないことに気がついた。愕然。

この夢は、後に、インターネットで、正夢となる。掲示板、須陀恒は自覚しないからしょうがないが、斯陀含もいない、阿那含もいない。せめて、護摩の神霊写真の目撃証言くらい書いてくれないかと思ったが、そういう人もいなかった。私は2チャンネルで孤立無援の戦いをした。
はああ、桐山密教で解脱した人は恐ろしく少数だな、と私は気がついた、あの夢は正夢だったのだ。
正直言って、委員長が阿那含という表白をされたときに、ほっとしっました。でも少数ですよ、かなり。それはいまだに事実でしょう。

[502]ユビキタス 05/06/14 09:21 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>490
2ちゃんねるでも書きましたが、霊魂があるかないかその存在を否定しているのでなく
そんなことを考察しても何もならないと、霊魂の価値・意義を否定しているのです。
だからジミズさんが実在ではない諸法無我の存在としての霊魂をあれこれ論じても
その論じること自体その輪廻からの解脱に関係がないと説くわけです。
この意味を考えねばならない。
>>493
そして人間の行動に影響を及ぼす無意識の意識にソンディの言うような先祖の抑圧された
衝動選択の偏向性を持っていたにしても、それは先祖の霊魂を解脱成仏させないと
己の統御もままならないなんてことはどこにも説いていないのです。
己に起こる不当な欲望や煩悩の観察と制御だけで、そこには先祖の霊魂の供養なんて
概念も思想も実践もないのです。
内観に先祖の霊魂のもたらす怨念の和解、解消という概念が少しでもあればこれは
霊魂の無記なんてことは言わないで、この問題を直視せよと説きます。
桐山の解脱供養だって己の瞑想と戒行と苦行でそれをやるなんて言わないでしょう?
特殊な悟りの念を特殊なテレパシーで送って解消させ、なおも教団に貢いだ金の功徳を
その先祖に回向して、この金は先祖が出したものにしてやるからその見返りで先祖の霊魂は
救われて、同時に自分の悪い運命のとばっちりも受けずに済むなんて概念がどこにあるのか?
ほらね、霊魂を語ることが無意味どころかこうやってどんどん霊感商法に展開していく。
霊魂とはあなたの心なんだから、まず生きているあなたの心=霊魂を清らかにすることが
大切なんですよってな教えですらない。
自分の煩悩の悪魔ですらない先祖の邪悪な霊魂を想定してこれを始末せよと侮辱する
ことばかり考えてますます内観からは遠退かる。
心は汚れていくばかりです。
これでは解脱など得られない。
霊魂など意識せずとも心と行いを清め正す道を説くのみなのです。
先祖の霊魂なんか気にしなくても解脱ができると言っているのですよ。
関係ないのです。そんな侮辱は不要であり邪魔です。
[503]こうもり 05/06/14 10:27 anUZQ2KjrN
>>495 栗花さん
>詰めではくずれてしまう部分で多数には成果があらわれない。
これは、本当にいえてますね!
[504]こうもり 05/06/14 10:37 anUZQ2KjrN
>>501 ジミズ先生、アゴンは解脱とか修行とかを目的にした団体じゃないでしょ。宗教団体でそれは無理というもの。やはり呪術で現世来世のご利益の教団でしゅ。みな真面目な人は外に道を捜します。
[505]ユビキタス 05/06/14 12:55 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>501
なかなか笑えるジミズ先生の夢です。
ビルの屋上まで到達できたのは桐山先生とジミズ先生の二人だけだった。
アナゴンだのアナコンダだの悟りに達したお山の大将我ら二人という自慢したい煩悩が
よく現れていて、なかなかジミズ先生らしい。若い頃、幼少の頃の夢ならば、照れもあって
自嘲気味に晒して自分を笑ってみるのは知性の一つですが、この人五十過ぎて未だに
こんな幼稚な心を持っている。
まあそんな個人の心理分析なんかどうでもよいです。
問題はジミズ先生も自慢したいくらい桐山アナゴンも世にほとんど全く認められていない。
達成者が出ていないという実績です。
釈尊の経典はそんなことを説かない。
釈尊の弟子には出家からも在家からも後有を受けざる輪廻しない涅槃に達した者が
何百人も誕生し、また来世に生まれ変わるもやがては涅槃への道を進むシュダオンなどに
なった人も何百人といると釈尊自ら説いている。
なんで阿含宗から何十年にもなるのにこれらの人たちが輩出しないのか?
当時のインドの人たちは現代人と違って複雑なコンプレックスなどなく単純だったと
侮辱しますか?
釈尊その人が偉大だったからまみえただけで解脱を得たなんてアホなこと信じますか?
人間なんてものはいつの時代もそう変わらず愚かであり共通するものです。
釈尊は祇園精舎だの竹林精舎だの一定箇所に留まった時代もありますが、結局は
遊説の旅に出ます。出会う人にはまさに一期一会の随機説法で自己確立の道を説くだけです。
特殊なアシュラムで特殊な伝法会を開き、秘伝を教えて弟子を育ててきたなんて話は
伝えられていません。言葉による折々の説教だけです。
それで皆悟りを開いているのです。
初転法輪でコンダンニャをはじめ五人の比丘が悟りを得たのを皮切りに多くの弟子が
悟りを開き涅槃にまで至っている。
阿含宗の涅槃に至るというシステムなんかおかしくありませんか?
まあ目的主眼も違えば、実践も違うのですから、やればやるほどあなた方は涅槃からも
シュダオンからも遠ざかるばかりですが。
達成者を極力作らずしかしそれでもなお期待を持たせてにんじんをぶら下げる商売
だということをよく認識して下さい。
[506]こうもり 05/06/14 13:59 anUZQ2KjrN
>>505 >また来世に生まれ変わるもやがては涅槃への道を進むシュダオンなどに
>なった人も何百人といると釈尊自ら説いている。

>特殊なアシュラムで特殊な伝法会を開き、秘伝を教えて弟子を育ててきたなんて話は
>伝えられていません。言葉による折々の説教だけです。
>それで皆悟りを開いているのです。

これ変じゃないですか?>>294では樹意氏と同じような素晴らしい意見を書いてるのに、こんどは"言葉による折々の説教だけ"ですか?
村木氏や現、帯津氏の調和道の呼吸法が"秘伝"にあたるかどうか判断はそちらにまかせますが、少なくとも言葉だけじゃないでしょ。
言葉だけでokならばユビ氏もシュダオンでしょう。

私は仏教徒じゃないが一応、自分を三結で判断するならば
@アートマンは永遠不変ではなく進化(という変化)する存在であると考えるが、アートマンを五蘊の外におくので常見に近い。
A釈尊の教法には共感すべき部分があるが全てを肯定するわけではない。
B占いはするし、たまに呪術もする。
よっていくら修行してもシュダオンにはなれません。別になりたくもないし。

それに反し、ユビ氏は阿含経の教えを聞いてシュダオンという自覚ありますか?
ありますか!こりゃ失礼しました。
[507]栗花 馨 05/06/14 14:24 kiFOc2FAoO
>こうもり氏

あなたは大丈夫です。

今生でプラチナの光につつまれます。


[508]栗花 馨 05/06/14 14:28 kiFOc2FAoO
ユビキタスは凄く間違っています。彼にはもととなる感覚がない。


出会う人にはまさに一期一会の随機説法で自己確立の道を説くだけです。
特殊なアシュラムで特殊な伝法会を開き、秘伝を教えて弟子を育ててきたなんて話は
伝えられていません。言葉による折々の説教だけです。
[509]平等性智 05/06/14 14:30 rV/ZRhdYt8
>>501
ちなみに僕が以前言った「正夢」は、僕自身ではなく他の人が
見た夢が僕が取った行動(場所や時期、人物)と妙に符号していた
…ということで〜す。(^^;

ジミズ先生が言われるような「夢の中で写生して、朝起きて
眼が覚めたらぱんつの中がカピカピだった」…というのとは
全く別のケースで〜す。(^-^;

 勘弁してくださ〜い。勘弁してくださ〜〜い。(^o^;
[510]栗花 馨 05/06/14 14:36 kiFOc2FAoO
桐山氏のもっている清らかな石仏の守護導きによって
ユビキタスは清らかな瞑想をしたことがある。
しかし桐山氏欠如の代償を別の神仏に求めたため
清められた分また汚れていった。
わたしは彼が振りだしに戻った以上に汚れていく分岐を確認し
注意を喚起することにしたのである。

ジミズ氏はこれから仏陀の感覚を徐々に身につけていく人です。
こうもり氏には神界の守護が加わっています。
いのらずとてもかみはまもらむでしょう。
[511]栗花 馨 05/06/14 14:41 kiFOc2FAoO
件の人物には彼のおばあさんが信仰して徳をつんだ妙見菩薩という星の精霊と霊狐がついていたので発展した。

前世はお賽銭箱の鍵のトラブルで絶命した寺男です。
[512]kotaro 05/06/14 14:45 44UK1TW/7O
>[505]ユビキタスさんへ

お釈迦様は、前世で次の世で解脱する
事が決定されていた。
そう言う逸話を何処で見た記憶がある。
(そう言う場合、その仏典は、釈迦が
書いた物でないと、直ぐに否定されます。
其処で、対話が途切れる。
唯我独尊とは、ユビキタス様
を指す言葉ではないかしら。)

さて、前世は、霊的存在として、
現身に肉体と共にあるべきである。
そう池田慈水聖者は、話を限定される。
然し、それは、宇宙の外で、
霊的存在としてあり、其処での
やりとりが肉体を介して、此処で行
われていても、構わない訳で、肉体
に霊的存在が含まれるべきであると
殊更固守する必要性も感じられない。

我々は、物理学者ではないのだから、
精神活動拠点が何処に在るかに、
関心を示さなくても良いと思う。
其れよりも、一代限りで、
後はリセットされるのかされないのか。
其処を、しっかり論じて貰いたい。
[513]○○屋 05/06/14 14:56 D-Oab/h
ふーむ・・・・

釈尊の霊魂(としておく)論については栗花氏、慈水氏、こうもり氏・・・のほうがユビ氏他よりも説得力あるなー。こうもり氏が言うようにユビ氏他批判がわの諸氏が『シュダオンかまたは他の聖者』としての自覚に目覚めて、実際にその境涯にあるのならば、彼らの言うとうりでしょう。
[514]こうもり 05/06/14 15:30 anUZQ2KjrN
>>507 先輩!ありがとうございます
[515]平等性智 05/06/14 18:12 rV/ZRhdYt8
以上、スーパーミステリーマガジン「ムー」中高年愛読者の集いでした。

http://www.gakken.co.jp/mu/
[516]平等性智 05/06/14 18:24 rV/ZRhdYt8
オカルト好きでもなんでもいいけど、あまりにも検証プロセスが
ずさんだってことね。なんだか、以前星祭氏あたりが言ってた
キリスト日本渡来説とかマトモに信じてそうだな、この人達は。
アレは佐藤有文氏に言わせると、ロシア正教の宣教師が戸来村に
来てたということのようだね。だからキリスト教にまつわる習俗が
あっても、眼の色が青い人が出てきてもなんにも不思議なことは
ないわけさ。東北地方は大陸との交渉も結構古くからあったらしい。

電波フリーパスで話を進めるんじゃなくて、もう少し(大人にも?)
説得力のあるネタ振りがあってもいいと思いますが…期待してないけど。

[517]栗花 馨 05/06/14 21:40 kiFOcVIwR5
他人(桐山)を悩まそうとしたり怒りの想いをいだいたりして互いに苦痛を与えることを望んではいけない。
[518]栗花 馨 05/06/14 21:48 kiFOcVIwR5
可能な限りエネルギーを抜ききった状態では、振動(ゆらぎ)が残ります。消せません。
振動(ゆらぎ)は、素粒子の生成と消滅が繰り返されておこっているのです。
無と有の境かい層をゆらいでいる状態です。
[519]栗花 馨 05/06/14 21:49 kiFOcVIwR5
で、無記ね。高次元で無矛盾。

時間上に載せる意味言葉の羅列では無理
[520]栗花 馨 05/06/14 21:52 kiFOcVIwR5
生命存在・生 老 病 死

釈迦は霊魂の存在を、認めた、とこから求道しています。
で、生命存在・生 老 病 死
で、霊魂の存在を、認め、スジャータ
で、
究極の禅定までいって
無記。

究極のシャク尊の禅定までいったらね。

無記になる。
[521]栗花 馨 05/06/14 21:54 kiFOcVIwR5
ま、集まりを集まるようにしてるの、それ。
[522]栗花 馨 05/06/14 21:57 kiFOcVIwR5
で、
認識の概念では全くありません。

無と有の境かい層は空です。無と有の境かい層が空です。

無と有の境かい層=空

思想ではありません。
有無は二項でなりたっていません。

 空は思想ではありません。

可能な限りエネルギーを抜ききった状態では、振動(ゆらぎ)が残ります。消せません。
振動(ゆらぎ)は、素粒子の生成と消滅が繰り返されておこっているのです。
無と有の境かい層をゆらいでいる状態です。
無と有の境かい層は空です。無と有の境かい層が空です。
無矛盾となるには高次元ではじめて成り立ちます。
文章の記録では、伝達・理解は不可能です。

釈迦が無記された領域です。

認識の概念では全くありません。

無と有の境かい層は空です。無と有の境かい層が空です。

無と有の境かい層=空

思想ではありません。

 有無は二項でなりたっていません。

 空は思想ではありません。
[523]栗花 馨 05/06/14 22:04 kiFOcVIwR5
秘密だったことをいっちゃいましょう。
心理学のユングの関連した資料の中で古い気功の本をみつけました。
そこに浄土に関しての記述もありました。
解らない言葉をしらべていたら、漢字のいみはスカラベでした。
糞転がし即ちスカラベに喩えられる再生の気功(仙術)でした。
スカラベからエジプト文明、キリスト教そして
古代メソポタミア、シュメール文化にいきつきました。
いろいろ最古層のところまでふくめて
体験できました。
[524]栗花 馨 05/06/14 22:11 kiFOcVIwR5
生態系のなかでの食物連鎖。食べられてしまうもの 食べるもの
自然界での生存競争。
命を失う瞬間も連鎖していきます。人間は自らのエゴでいきています。
自然に対して、また他者に対して、
支配のための衝動で愚かで見にくい牙をさらします。
死の連鎖を引き起こす本能が災いの想念に力を与え育ててしまいます。
いじめ、他者への排他的な行動も力を与えてしまうのです。

本来、生き物は命の働きであります恒常性維持機能をちゃんともっております。
ちゃんと、大自然の摂理宇宙の働きと同一の機能として働いています。
人間は自分自身の勝手な支配のための衝動で自然に対して、また他者に対して、
ありべきかたちを破壊しています。
また、実態とは異なったイメージによって自分や他者を支配しようととします。
浅はかなエゴを増長させその生命体のコアとなる中心になにをしたいのでしょう。
動機がどうであれ、勝手な条件ずけ計画の意思を持った瞬間
その個人の生命中心では
必ず止まらない混乱とその働きが絶望的なほど失調してしまう状態となって
しまいます。そのような状態のとき、他者からは容易に支配され、
または容易に捕食の対象となる個体といえましょう。
実態とは異なったイメージによって自分や他者を支配しようとする集団組織や
ただよいさまよう意思やさまざまな性格をもつ想念体、その固着体によって
洗脳支配可能なターゲットになってしまっているのです。
種の絶滅の原因そのものといっしょなのです。
自らも滅び、他からも滅ぼされる。
動機が善であれ悪であれ、
死後の世界と輪廻転生をふくむ自然の生命態系のなかで
それほど罪なことはないのです。
それを解決した人がシャク尊なのです
シャク尊の法は高次元ではじめて成り立ちます。
文章の記録では、伝達・理解は不可能です。

釈迦が無記された領域です。


[525]栗花 馨 05/06/14 22:16 kiFOcVIwR5
心理学のユングの関連した資料の中で古い気功の本をみつけました。
それは偶然でした。
そこに釈迦、浄土に関しての記述、方法があったのです。
理解には親鸞が参考になりました。
釈迦の教えは、苦の終焉をさせる知識であり、その方法であるのです。
釈迦のさとりの瞑想で、自己の生まれ変わりの連続体となるものにより、
既に生じたこと、生じてきたことを時間を遡って感覚していく状態について
説明されています。
自己の存在の始点まで久遠の過去さかのぼり、
その始点から今に至るすべての時間と空間のわたる存在について
すべてについて感覚し一体として全てを感知して
絶対の静寂を具現した存在となったとあります。
このプロセスで成道し自ら悟った存在を仏陀としています。
阿羅漢果を得ることだけとは格がちがう存在です。
預流果(須陀おん果)
一来果(斯陀含果)
不還果(阿那含果)
阿羅漢果
親鸞は、
ありのままの自己存在と仏教者が行ってきた苦の終焉へ必要な自己管理条件
とを対比し、今の自己存在は愚かであるとの自覚を信仰の基盤にしました。
その自覚とは、仏教者としては愚かな存在であると
ありのままの自己をそのまま総体的に認識し存在をその認識の上で感知する状態であるということです。
ありのままの自己存在に仏教者に照らし合わせれば愚かな存在であると感知している自己が
重なって認識されそのまま重ねて感知されます。
浄土世界を創造した阿弥陀如来への深い信による絶対他力の御念仏により
ありのままの自己の存在としての位相に
同調しかさねていた同じ愚かであるとありのままの自己の存在位相が
他力の御念仏により全く逆の位相になり、
波と波が打ち消しあい寂静の瞬間が訪れます。阿弥陀佛の願力と同調します。
四果を上るのではなく横切り、
不還果の境涯とありのままの愚かな自己が阿弥陀仏のが願力につつまれます
[526]栗花 馨 05/06/14 22:22 kiFOcVIwR5
桐山氏も一度、釈迦のそれにつつまれている。
[527]栗花 馨 05/06/14 22:24 kiFOcVIwR5
一瞬です。

それは清濁の是非を問うレベルではないですね。
[528]ユビキタス@ごせ〜んま〜ん〜♪ 05/06/15 00:39 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
明日から雨だからなあ。今日のうち乗り込んで交流戦首位確定してよかったよかった。
薬もセの上位の人気チームだろうに応援でもレフト側が圧倒していた。
ま、それを見届けに行ったんだが。ちなみに私はいつも内野。ぴょんぴょん跳ねて大声を出す
マリーンズサポーターやるほど若くない。川崎時代から内野でマターリ野次るのが
マリサポならぬロッテファンなのだ。まあビジター用の黒ユニフォームはなかなかカッコイイ
ので黒ユニ着ての観戦だが。
明日は単独優勝かけることになるが、神宮雨で中止だろうからヤフードームの自滅を待つかな。

>>506
基本は言葉による教えです。
はっきり言って教えだけ聴いた弟子がほとんどでしょう。
出家が釈尊に「もっと肛門締めて!」と叱咤激励のテクニック伝法授けた場面が
あったかどうか知らんが、呼吸にしても煩悩を払う教えの補助であり、気づきを得る補助
なのです。諸国をめぐりそのたびにいろいろな人にその人を見て法を説いてきたわけだ。
最初から体系だのカリキュラムだのはない。
在家でも貴族でもいちいち肛門ムニュだの「ハイ、息を止めて」だのレントゲン技師
みたいなことするか?
あくまでも言葉の教えを耳で聞いて頭で理解して自分の観念工夫で自己を内省して
自己克服の道を歩むのです。
だかいくらら頭で理解してもシュダオンにはなれんのです。
教えを日々実行することが難しいのです。
ユビ君も程遠いのです。
釈尊は先生なんだから、いくら先生の教えがわかりやすくても、それを本当に実践できるか
否かは個々の生徒次第なのです。
しかし肛門締めなくてもシュダオンになれた在家もいっぱいいたのです。
肛門締めても締めなくても釈尊の時代、達成者はいっぱいいるのに、阿含宗には
いつまで経っても達成者が出ません。認めてくれません。自分でもわかりません。
ジミズさんみたいな幼稚なとっつぁんだけです。
[529]ユビキタス@訂正 05/06/15 00:44 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
誤:だかいくらら
正:だからいくら
挿入ミスですな。
[530]池田慈水 05/06/15 00:49 /byZidGeBS
505]ユビキタス
>>501
>なかなか笑えるジミズ先生の夢です

若い頃の夢です。今頃見てる夢ではない。この夢が正夢となり、この
正夢の時代は、実行委員長の出現で終わりを告げたということですなあ。

[502]ユビキタス
>その論じること自体その輪廻からの解脱に関係がないと説くわけで>す。この意味を考えねばならない。

まあ、ユビキタスは意味を勝手に考えてればよろしい。そうやって年取って、老いさらばえて、何も残らない人生になってしまうのだろうな。達成感が何も無いまま死ぬことになるだろう。
私は、輪廻を克服しようとするブッダが輪廻の当体である霊魂の存在を、否定したり、無記でやり過ごしたということはまずもって無かったということを確信してます。自分たちが清めの修行を行っている
その清めの対象物を、「存在を論じても無駄だ」などと言ったはずが無いからです。冷静に考えてください。彼らは社会的地位をすべて捨てて林に来ています。大乗仏教徒ではないのです。社会にも戻れず、悟りを開かねば、無駄な人生となってしまいます。
清めの対象物が存在しないどと思ったことがあるわけございませんし、その存在を論じても無駄などと思ったことも無いでしょう。日夜清める行を成しつつあったその対象物である自己の霊魂、それは実在であったでしょう。

[502]ユビキタス >先祖の霊魂を解脱成仏させないと
己の統御もままならないなんてことはどこにも説いていないのです。

人間の運命が、カルマと霊障(因と縁)から出来上がっている以上は
カルマと同様、霊障の方も自己の統制と深い係わり合いがあることを釈迦は見抜いていたでしょう。ユビキタスは当たり前のことを当たり前に考えることができなくなっています。文献に残っていなくたって当たり前のことは当たり前に考えればいいんだ。
[531]栗花 馨 05/06/15 01:24 u1erGwgN/U
>無記

言語を超えた伝達です。
[532]栗花 馨 05/06/15 01:36 u1erGwgN/U
ユビキタスには仏法に対する感覚がすでに無い。

阿含宗にいてもユビキタスはいつまで経っても達成者にはなれない。
どこにいてもユビキタスはいつまで経っても達成者にはなれない。

ユビキタスのレベルでは道徳の時間の小賢しい児童未満です。

あたかも母がひとり子を命をかけて護るように、
一切の生きとし生けるもの(桐山氏も含む)に対し、全世界に対し、
無量の慈しみのこころを起こすようにしなさい。
[533]栗花 馨 05/06/15 01:38 u1erGwgN/U
老死の縁って来たる所を知り
[534]ユビキタス 05/06/15 09:11 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>930
霊魂を清めるなんて言うと、自己の心を清め正すかのような錯覚を起こさせますが、
阿含宗の場合そうではなく先祖の悪い怨念の除去なのです。
自分の心を観察してその悪い心を取り除いていく営みではなく、導師の特殊なテレパシー
をぶつけたらたちどころに消えてしまうというもので、また先祖の悪業の報いの免赦を
子孫の供養で功徳を回向するという思想が後世の大乗のもので、釈尊はこれを否定している
のです。回向という用語は釈尊時代からあったが、もともと違う用途に向けるという意味
に過ぎない。
それに大乗の先祖への回向思想だって、地獄に堕ちる先祖を救いたいという慈悲心から
来るもので自分の悪業とは関係ないのです。
因縁とは縁起のこと、因縁生起、縁に因りて生じ起こるで、つまり無明無知の煩悩があるから
苦もまた生起するという関係の法則です。
だから元の煩悩をなくするようにすればよい教えです。簡単ではありませんが。
これを因→縁→果→報と運命の方程式のようにしたのは中国のくまらじゅうとは樹意さんが詳しい。
しかしまあ内なる因だの外から助ける縁を選ぶだの説いても、カルマと霊障の関係だの
ジミズさんが自分で書いているように経典にそんな記述の根拠もない。
ジミズさんの勝手な感性がそれを受け入れているだけです。
ソンディだって先祖の抑圧された心の遺伝趨勢が子孫の運命を強制的に決定するなんて
オカルト話ではないのです。
ソンディ的な無意識があろうとも、それに対するコントロールは全て自己責任の
内観であり、第一にソンディの家族的無意識が克服すべき煩悩という概念でもない。
今自分を省みて自覚せる不当な欲望や不要な煩悩をなくせばよいのであり、選択の好みを
変えなさいということではない。
[535]池田慈水 05/06/15 11:49 /byZidGeBS
用語の定義、概念を明確にしておきたいと思うので、書きましょう。

「寿命も業も尽きる事無く煩悩が消滅するのは、いかなる人の場合であるか?預流果を得た人、一来果を得た人、不還果を得た人、独覚の場合である」          阿含経「シュカ・スートラ」より

私がよく引用するこの阿含経の一説で、かなりの事が分る。まず、四沙門果の聖者には煩悩がないが、業があると書かれていることに注目。同じくシュカ・スートラには「業は束縛されないので、アジャータ・シャトル王は地獄から再生した後、たびたび頭痛に襲われた」との記述もある。業は過去に成した行為の記憶で、それが運命の避けられないエネルギーとして作用する、そのエネルギーをまた業と呼ぶ。業は、運命を作り出すエネルギーのことである。このエネルギーは消えないと阿含経は説く。
たとえばアングリマーラは、村人の投げた石や木材で大怪我をして死んだ。この運命は過去に犯した殺人で誘起した業である。しかしながら、本来は輪廻し、来世、人に殺される運命を彼は持つはずだった。地獄への旅を決定付ける輪廻が待っているはずだった。それが、覆されている。覆された宝石箱のような朝だ。戸口にて囁いたのは仏陀だ。このことをたとえば、「業が切れた」と表現したらどうだろう?業のエネルギーは残ってしまっているが、特定の霊障と結びつくことが無く、本来のカタストロフィーが消え去っている状態である。これが桐山の言う業の破壊、運命転換、因縁解脱、では無いのか?
確かに業のエネルギーは消え去ることが無い。そういう意味では、業が破壊されることは無い。だが、業は特定の家庭の霊障と結びつくことによって人間の運命となる。それが誕生だ。
その作用が破壊された時に、「業の破壊」という言葉は許されてしかるべきである。
アングリマーラは、業のエネルギーによって死んだが、霊障と結びついた通常の意味の運命(ソンデイ言うところの家族的無意識がもたらす運命)として死んだのでは無いので、心の苦しみがないのである。肉体の苦しみがあったが、心は安らかであった。アングリマーラのアヒムサカの誓いは、安らぎに満ちた誓いであった。
であるから、人間の運命は、業と霊障とが結びついたときに起こるのだが、霊障を伴わない場合は心の苦しみが無い。それが煩悩を解脱した状態と、言われるのである。四沙門果の聖者には煩悩がないが、業がある、というのはこういう意味である。
[536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS
あと誤解しないでほしいのは、善行がもたらす業(果報)もエネルギーが消え去ることはない。従って、人を沢山殺したアングリマーラの場合は、難しかったが、人一人殺した業は、人一人救えば消える。
ここで問題になるのは時間のずれであることは前も書いた。間に合わない場合があるのである。
たとえば清水の次郎長は間に合った。阿含宗の会員の中には間に合わなかったという方も居られるはず。私の入会した当時にも、母親を癌でなくされた方が、身近に居られた。
業は運命を作り出すために、様々な状況設定を行う。これが縁である。この縁の設定が完了したあとではななかなか間に合わない場合が多い。だから仏道修行は若いうちから行うほうが良いのである。間に合わないと心が苦しむので、良くない。ユビキタスのように若い人の修行を止めてどうすんのよー!という問題もある。
長生きしたければ放生を行え、と、この前書いた。功過格の実践をないがしろにすることなかれ。袁了凡は高僧のように凄い奴。
[537]ユビキタス 05/06/15 13:03 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>536
人殺しても、代わりに人の命を救えばチャラになるという思想ですね?
阿含宗の皆さん。憎い奴がいたら殺してしまうのが一番です。
先に刑獄の因縁切っておけば捕まらなくて済むし。
自分が死ぬまでの間に、その人の命を救うと言って過言ではない阿含宗に勧誘すれば
いいのです。とりあえず最低殺した数ぶんは。
そうすれば地獄に堕ちることもありません。
また殺したい奴がいたら、また救いのノルマを果たせばよいだけ。
いや、便利だな〜。
[538]栗花 馨 05/06/15 13:14 kiFOcVIwJV
クイズ
一殺多生の理

何人かの命を救うために一人殺す。

の何人の人数は?
[539]ユビキタス 05/06/15 13:32 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
ああ、そうそう。大事なことを書き忘れた。
殺した相手の解脱供養の申し込みを忘れずに。
殺された怨念も消えるのだから、もはや祟りも霊障もありません。
いや、便利だな〜。
[540]池田慈水 05/06/15 14:13 /byZidGeBS
人一人の命を救うのはかなり難しいからな。言っておく。
[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
ユビキタス氏は『(釈尊の言葉を)頭で理解しても、実行はできない』という。ならばどうすれば実行できるというのだ?猊下はそれを埋めるのが『ナモナモ』だ、という。たぶん、簡単に言うとそういう事だと思う。

ユビキタス氏の理屈は、評論家がアスリートを非難するようなもので、評論家より罪は大きい。なぜならば、評論家は、自分で実行できない前提で評論し、視聴者もそれを知っている。しかし、ユビキタス氏は、自分(そして誰でも)が実行可能であることを散々説明(批判)しながらなお実行しない。結果もださない。少なくとも結果を出す努力はすべきだ、釈迦の宗教が言葉のみで伝承されているというのならば。
[542]池田慈水 05/06/15 14:53 /byZidGeBS
ユビキタスめ、この場にて、腹を切れ!腹を。

揚げ足取りの屁理屈野郎、日本国の毒虫めが!

なお、[536 ユビキタスのように若い人の修行を止めてどうすんのよー!  の部分は、青木さやか風に読んでくだされや。
[543]○○屋 05/06/15 15:18 D-Oab/h
慈水聖者は『青木さやか』見るんすか・・・・

あまりの殊に思わずわろた・・・・
[544]こうもり 05/06/15 17:21 anUZQ2KjrN
>>536>ユビキタスのように若い人の修行を止めてどうすんのよー!という問題もある。

う〜ん、これもオカシクないですか?修行をしたい若い人は先ずアゴン宗には来ないでしょう。今どき。猊下ご自身「修行したい人は本山氏のところ行けば」と言われたとか。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1089810074/56
また2世会員の場合、呪術の手伝い や 勧誘を修行と思ってる人もいるでしょうが、これはご利益をいただくためで修行じゃないでしょう?自分も呪術や占いを擁護してますが、でも修行とは違うでしょう。
バラモンでもヨガの経典によると呪術のご利益は認めながらも修行とは位置付けしてませんよ。

>>528 ユビ氏の>>294は感動したんだから、阿含経典読書にせず、呪術より調和道に行こう、と言えばよかったんです。
釈尊の各地での説法で”めからうろこ”で感動した人は沢山いただろうけど、在家でも修行者は呼吸から入り内観観察をしっかり実践したでしょう。(「出家経」の法律の"法"は道理とそれにかなった内観観察の行でしょう)
ここからは予想ですが、気が洩れたり上がりすぎないよう肛門は閉めるのは当然。
[545]池田慈水 05/06/15 18:03 /byZidGeBS
きらきら光るこうもりさん、あなたはどうして、阿含宗では修行が全然行われないかのような、発言を繰り返す。でた<らめ>のラメの飾りよろしく、きらきらきらきら粉飾決算な御仁だな。
[546]栗花 馨 05/06/15 18:03 kiFOcxSx4/
>猊下ご自身「修行したい人は本山氏のところ行けば」と言われたとか。

本山氏はヨガと神社やってるんですね。
すべて本山氏のとこいけば毒ガス集団ができなかったかもね。
[547]栗花 馨 05/06/15 18:05 kiFOcxSx4/
よわそうなのは修行の指導体制でしょうね。

修行の個人指導がほとんどないということでしょう。
[548]個人指導 05/06/15 21:58 1u57mXZVP9
個人指導されてます。
[549]星祭@指導体制 05/06/15 23:41 WsN/M5USbH
>546でも、なぜか、あまり本山氏は人気がなかったね。さほど大量にヨーガ学びにいったとか聞かないし、勝手に滝行をやっていたという人とかはけっこういましたけどね。>547、ま、これは昔の慈恵会ならともかく、中規模とはいえ、これだけ大きな教団になったら個人指導など無理でしょう。拝みや稼業んときのまんまの根性で、指導、指導と理想ばかり先走るところにゲイカの悲劇がある。
[550]星祭@集団指導 05/06/15 23:46 WsN/M5USbH
>548、それは人生指導でしょ。深い悩みの相談とかの・・・。
[551]こうもり 05/06/15 23:50 anUZQ2KjrN
>>546 あの事件で”宗教的奉仕活動アレルギー”がさらに強まりました。何故、宗教団体って会員自身が運営をやるのでしょうか?
例えばスポーツクラブで会員が運営をしなければいけないところってないでしょうし。運営維持費として会費払ってるし。
かといって自分さえよければいいという主義でもないからスタジオレッスンでヨガ・気功・アロマ瞑想etc 素晴らしいことを実感したから口コミで友人にも勧めました。
何故、宗教団体って自然じゃないというか普通じゃないというか理解不能ですね。
[552]こうもり 05/06/16 00:00 anUZQ2KjrN
>>548は最初 何かの嫌がらせかと勘違いしましたが星祭氏の550のレスで意味が分かりました。人それぞれ"指導"の定義が違うんですね
[553]星祭@指導よりも 05/06/16 00:02 WsN/M5USbH
ユビ氏も屁理屈こくのいいかげんにしたら?あなたが何といおうとも実際に解脱供養の功徳はあるし、(むしろ、グモンジなどの指導の中途半端な欠点を超えて阿含宗として威張っていられるのもこれがあるからです。)本尊、仏舎利尊の加持も加わるのがわかる。あとはそれをどのように自分の糧にするかという行の部分が弱いということでしょう。そういう意味では、我の強いオバサン信者と腹立てて辞めていったアナタとでは違いなどありません、自覚して行をやらんと、何もかも教団ベッタリではね・・・。
[554]ユビキタス 05/06/16 00:17 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>541
実行できないなんて書いてません。
実行できるのです。
悪いことをせず善いことをして、自らその心を浄めればよいのです。
不当な欲望を持たずに不要な煩悩に振り回されない。阿含宗のような妄執を離れて
常に自己責任で生きていけばよい。
私はスケベエの欲だけはなかなか捨てられないのですが、しかしまあ悪いことも
してないし、宗教詐欺に加担した過去の件はさておき、今は明澄な毎日ですよ。
アナゴンだの涅槃だのってのは無理だと思っているのは、もはやそれを目的にも目標
にもしてないからですね。これはシュダオンなどもそうで、どうなるかなんて判定になど
興味はない。出家してナニしてやるなんて野望(?)めいたものもない。
欲望の節制は実行できないのではなく、皆その気になってやらないからでしょう。
何事も死んだ気になれば実行できるものです。
アル中などでさえも医師の指導監理の下とかで克服できてしまうのです。
だから己に勝った勝利者がいて、経典にも書かれるわけです。
私が来世に生じるか天に生まれるか地獄に堕ちるか、そんなことは証明しようったって
わからんではありませんか?
目に見えない世界の恐れ自体が煩悩です。
だからそんなことはどうでもよいから今を生きるだけですね。
もう詐欺宗教などに浸かることなどなく。(批判はします)
私は仏教修行者ではなく単なる仏教共鳴者なわけであり、どこの団体にも属さず
自分の理性が仏教の教えに共鳴しているだけで十分なわけです。
特別な修行などせずとも共鳴した自分の理性を信じて生きていきたいですね。
超人になどなる気ありません。
平凡な人間でよろしい。
こんな私に何を証明として示せと言うのか?
私は偉くも賢くもないですよ。
ただあなた方阿含宗の信者ほど愚かでないだけです。
[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS
>554、嘘コケ(笑)。ネットで愚痴だらだら言うのが楽しみなのが明澄なのか(爆!だまって自己研鑚や修行をつみたまえ!まあ,自身の修行体験とかを述べて意見を述べるのは大歓迎ですが、あなたはいつも阿含とゲイカへの文句しかないではないかね。すこしは瞑想体験でも述べたまえ!そういう意味では、池田氏は偉いと思うゾ。
[556]○○屋 05/06/16 00:32 nbcIhLbLNa
>アナゴンだの涅槃だのってのは無理だと思っているのは、もはやそれを目的にも目標にもしてないからですね。これはシュダオンなどもそうで、どうなるかなんて判定になど興味はない。

ほらこれだ!実行可能なのに目標にしていないあなたが、目標を持って行動している人間に対して、「君はまちがっとるよ。監督はそんなこといっとランよ」なんていうこと事態ナンセンスですね。

そんなに言うなら、「俺は監督の言うとおりやって、オリンピックで金メダル取ったから、お前のやり方は監督の言うことを間違って捉えているんだ。悔しかったら俺みたいに結果を出してみろ」って言ってみな。
[557]星祭@宗教 05/06/16 00:33 WsN/M5USbH
>551、宗教だからですよ。ただの「密教ヨーガ道場」だったら、また違うでしょう。人助けのための運営、だったら信者まかせせず。しかるべき職員の指導が必要でしょう。、しかしながら職員は何をやっているのか、ただ、信者をあおるだけで(それ事体が悪いとは言わない)キチンとした指導してんのか、ということでしょう。無理矢理、実績だけあげるオバチャンとかヨイショするから我ばかり肥大して因縁の切れない先達とかでてくるんだ!
[558]星祭@活動ねえ 05/06/16 00:38 WsN/M5USbH
で、今ごろになって、ファミリー活動とかは派閥競走になって弊害が多いと抜かし、廃止して、地区活動に移行・・・。そんなの分かりきったことだろう。だから、阿鼻野街道を歩くハメになるんだ!
[559]ユビキタス 05/06/16 08:48 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>556
第十一章でも批判側から四沙門果の聖者が出るかどうかが説得力の有無につながる
意味のこと書いてましたね。
そんな指標をどこでどうやって判定するのですか?
2005年9月25日(←悪ノリ)の新聞に出るのですか?
『アラハンの聖者誕生―元阿含宗の信者で阿含宗批判者から―』
「アラハンに認定された感想は?」
「光栄っす」
「参考までに阿含宗批判者としてのネームを」
「ユビキタスっす。おーい、まぁるまぁるやぁ。見てるかー?」
こんなアホ記事でも期待してるのか?
「麻原さんは日本で最初に最終解脱に到達された方とのことですが?」
「軽部さん。あなた信じてないでしょ?」
しかし擁護側、阿含宗側にはこんなアホが3人います。
元桐山の弟子の池田ジミズ尊者、実行委員長、そして我らが桐山靖雄ゲイカその人です。
○○屋さんはジミズ尊者は実行がアナゴンだなどと自称して受け入れますか?
かなり胡散臭い奴だと思いつつ、面識もないしわからないと答えるのが関の山でしょう。
しかし桐山アナゴンや桐山アラハンなどは信じている。
実はこの聖者もまたジミズや実行と同じ自称に過ぎない。
そしてその自称は何も自分がその域に達しない素人でも簡単に判定できるのですよ。
桐山の死後が彼がどの境界に逝くのか確認もできないが、しかし今目の前に示された
桐山ゲイカを見れば簡単に判定がつく。
なんでこんなあさましい過剰な醜い欲望と煩悩の虜になっている人が四沙門果の聖者なの?
自分の宣伝の効果も果たしてないし、経典にも背くし。
この薬は発汗作用を制御して汗かきの人にはオススメですと壇上で講演する人が
傍から見てて見苦しいくらいだらだら汗かきまくっているようなものです。
私が薬の専門家でなくても、同じく大汗かきであっても、こいつの薬なんて偽物ジャンと
判定してしまえるのです。
四沙門果の聖者は判定できなくても、四沙門果に入ってないことだけはわかるのです。
[560]星祭@判定 05/06/16 09:20 yPJNkrt//l
>559、人となりの人物像は人によって違うでしょう。別にゲイカをみて、あさましい欲望の虜とは感じないですけれどね。供養金をだして損をしたという、あなたの憎しみがそういった見方をさせるのです。そういう意味で、あなたの判定も判定でなく想像なのですよ。
[561]星祭@ジンギス汗 05/06/16 09:27 yPJNkrt//l
発汗作用の制御の薬の講演で大汗かいて講演ですか?私だったらこう言いますがね。「いま、私は大汗をかいています。そこで、ごらんください、この薬を飲んでみます。実際に実演してみましょう・・・。ほら、どうです!」講演大成功(笑)。
[562]○○屋 05/06/16 09:48 D-Oab/h
自称聖者が聖者かどうかは各人が判断すりゃいいんであって、新聞発表するも、ネット発表するも自由でしょう。
私が問題にしているのは、それらを目指してもいないし、目標にもしていないあなたが、目標にして修業しているものに対して、『あなたの解釈は間違っている。そんなこっちゃ、目的は達成できない。達成できないものを広めるのは詐欺だ』と弾ずることなわけ。(ま、あなたがそういうのも自由だが。)

悔しかったら、あなたの解釈で善いから『阿含経にこう書いていたことをこのように実行したら、こういう結果が得られたから、自分は正しく、○○屋は間違えている』といってみな。実行できることしか釈尊は言ってないんだから。

わたしは、少なくとも釈尊のニルバーナ(はおろかその前段のシュダオンでさえ)は相当困難な目標であり、信仰なくして達成できるものとは思いません。あなたは、それが実行可能であり、こちらの解釈が間違いだといっているんだからやりゃいい。それであなたが納得できる結果を出したら、いつでもあなたの弟子に入門しますよ。
[563]○○屋 05/06/16 11:35 D-Oab/h
そういえば、以前ユビキタス氏も『聖者』を自称したことがありますね。わたしは、そうでない者が『聖者』を自称するのは、罪が重いと考えています。

聖者に敵意を抱くものは地獄に落ちる、と言われています。とするならば、自己の欲望を満たすため聖者をかたり、人心を惑わすのは、聖者に敵意を抱くよりも罪は大きい筈である。

猊下が聖者でないなら、地獄に落ちるし、聖者なら敵意を抱く批判者は地獄に落ちる。どちらにコロンでも私は安全圏なわけ。ただ一つ、批判サイドの説が完全に正しくそちらの陣営から聖者が現われたとき、敵意を抱いたら私は地獄いきなわけだ。ですから、あなたがたの中から聖者が現われるかどうかは、私にとって非常に重要な問題なのです。
[564]ユビキタス 05/06/16 13:08 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>563
批判サイドから聖者が出ても○○屋さんが地獄に堕ちることもないだろうから安心なさい。
単に阿含宗の擁護側と批判側だけの立場の違いで議論をしているに過ぎない。
こんなお互いの顔の見えないネットの環境で聖者を名乗りあって、それに批判を加えたから
といってどうなるものでもない。むしろ聖者宣言のネットパフォーマンスをした方が
アホなんですから。

>>562
で、何を示したら、どんなパフォーマンスを披露したら聖者と認めると言うのでしょうか?
ここに現代に本当に後有を受けざる涅槃に至る聖者がいたとします。
その人の何を見て涅槃に入ったと判断するのですか?
超能力ショーですか?俺は涅槃に入るという自己申告ですか?死んだ後どうなるかなんて
誰にも認知できない。
自己申告ブッダなんてのは大川ブッダとか麻原ブッダとかいろいろいる。
煩悩を除いたのがブッダであり涅槃であるのなら彼にパフォーマンスなど不要で
超能力も必要ない。至って静かな存在です。怒りや相手を害する煩悩もなければ欲望も
生きていくに最低限必要なもの以外は求めない。
してみるとこういう人はきわめてアクのない人たちでパフォーマンスしない分目立ちませんね。
アクの強い聖者を求める心がそちらにあれば結局は大川ブッダや桐山ブッダみたいな
ものしか聖者として認めず、本当に聖者がいてもあなたは認めず見落とすでしょう。
批判する私が聖者でなくても聖者志向でなくてもよいと書いた。
聖者とはいかなる人を言うのだろうか認識さえあればよい。
涅槃の概念さえ頭で知っていればよい。
私が野球音痴でプレイヤーでもなく監督でなくてもルールさえ知っていれば野球観戦は
できるし、簡単な評論はできます。
首位打者をめざす人への評論として首位打者の概念を知っていればよい。
四死球や犠打を除く打席数ならぬ打数に対して安打率を規定打席数を越えた範囲で
最高の人が首位打者とわかればよい。
首位打者をめざすにあたって細かい技術論ではなく、まず打席に入れや、手元の野球ゲーム
ソフトをいじってたって何にもならんだろと、まず野球そのものをやれやとアドバイスも
批判もできます。阿含宗の批判なんてそんな程度に過ぎないのです。
聖者の観点からして違い、現実はかけ離れていり。
[565]池田慈水 05/06/16 16:32 uyMjH0CPLl
[564]ユビキタス
>死んだ後どうなるかなんて誰にも認知できない。

厳密に言えばこれは間違い。皆が認知します。死後。

>本当に聖者がいてもあなたは認めず見落とすでしょう

これはユビキタス自身に返る言葉だ。てめえが見落としてるんだよ、馬鹿やろうめが!
法華経の展開編でも同じことがあったよ。天耳通を成就した俺だけが観音経の「梵音海潮音」のことを正確に書けるんだぞ、と表明しても、あいつらは仏典に登場する六通の菩薩がほんとに目の前に現れたこと(つまり俺)に最後まで気がつかなかったと来たもんだー。

>聖者とはいかなる人を言うのだろうか認識さえあればよい。涅槃の概念さえ頭で知っていればよい。

これは間違いだ。理由はみなが知っている。

      **************
以前も書いたが、阿含経を修行する集団には、天眼通の神通力者がいたほうが良い、というのが私の持論。もちろん、桐山先生も自在の天眼通があるわけでもないし(間違ってら大変失礼)、私も何回かの経験があるだけで自在と言い訳にも行かない。そういう時には占いである程度のことは判断する。すると、たとえば、千座行を成し遂げた人を次々に占ってみると、たとえば、ユビキタス先生は未だ須陀恒では無いとか、kotaroさんは須陀恒にであるとか、x27さんはまだ須陀恒に至らずとか、大体の事は分ります。ですから、実行委員長のことも占って、阿那含と卦に出たので、そうだろうなと私は判断しております。もちろん100%の自信は無いけれども、そんなに外れることも無いと、思っております。ま、いい加減といえば、いい加減なんだけれども。その点で言えば、栗花 馨さんは天眼通めいたことを度々お書きになるんで、ちょっとびっくりしております。こういう優れた奴が阿含宗で指導しろ、と言いたいが。
     ***********
夢においては、自分の心は自分でコントロールできないというか、夢の中では誤魔化しが効かないですね。意識的にも目標を定めて見ている訳ではないので、向こうからやってくる認識ですから、私は尊重します。私は何度も彼岸に渡る夢は見ました。俺はもう阿羅漢なのか?とその度に思いますが、占うと、やはり阿羅漢であることは否定される。
それに、来世の兜率天での情景も夢に見ます。ああ、やっぱりまだ阿那含だ、と自覚します。このまま行けば、来世の私は体が白くて、無音の空飛ぶスクーターに乗る、一種の善神です。その顔の特徴は目がきらきら輝き、唇が少し管のように突き出ています。(あ、前世で喋りすぎたな、と分る)・・・そういうことですので、人それぞれ、認識の仕方があるとは思いますが、ユビキタスほど、何の根拠も無く、あてずっぽうで書いている御仁はこのスレには居ないんですわ。
ユビ本人は自分が一番まともだと思っているのかも知れませんが、宗教のスレに、己の宗教的体験がまるで無いやつが出てきたところで、それはもう大間違いなんですから。土俵に乗馬服で出てきたへんてこな奴みたいなもんでね。
[566]平等性智 05/06/16 16:49 gCw6N7TRPt
…鳥類は生まれて初めて見たものを親として認識するってのが
ありますね。確かその習性をを利用してよその種の巣を乗っ取った
り、卵を食っちゃったりするのもいたような。ちょっとうろ覚えで
なんですが。一連のスレ読んでるとそれと同じようなものを感じて
しまう。「聖者」という概念ひとつとって見ても、桐山さんの
フィルター掛ってたらどうにもならんなぁ…というか。

ああ、桐山さんにしても擁護側聖者軍団(ハア?)にしても、
焼身護摩焚いたら少なくともこの人は本気でやってるんだと
認めもし、敬意も払いますよ。念力による発火は必ずしも条件と
しません。少なくとも阿含的な価値観でいくとそれは必須条件
ですが、そこのところは大幅に譲歩しましょう。さあどうだ?
[567]○○屋 05/06/16 17:30 D-Oab/h
池田慈水さま

私は如何ですか?もしよかったら占(み)て戴きたいのですが。
[568]池田慈水 05/06/16 18:55 uyMjH0CPLl
千座行は行ったのですか?
[569]内緒 05/06/16 19:21 YCd9O09iSv
>>…鳥類は生まれて初めて見たものを親として認識するってのが
ありますね。確かその習性をを利用してよその種の巣を乗っ取った
り、卵を食っちゃったりするのもいたような。

何か耳が痛い話ですね。人間にしろ他の動植物にせよ、生命を奪った者は、その生命に対して責任を負う気がしますね。例えば、魚を食糧にすれば魚に対する生命の責任を負うとか、鳥類を食糧とすれば鳥類に対する責任を負うとかね。

魚は知識を意味しますから、魚がその身体をもって人身御供をしたら音楽や知識を食事として一緒に吸収し体験すれば、その生命に対して責任を負った気がしますがどうでしょう?鳥類は真理や善を意味しそうなので、善や真理を一緒に学べばその生命に対して責任を負ったと思いますがどうでしょうか?

いずれにしろ、自分は食糧にはなりません、しかし他者や他の動植物を食糧にしますではバランスが取れないのではないですか?人に食糧とされることで学ぶこともある気がします。生贄は仁慈の善、仕えることを意味しますゆえ、食うことは食われること、食われることは、教えを受けることと考えています。

また、人間にしろ動物にしろ食糧とされる(仕える 善を為す)ことでより高次な意識を獲得できる気がします。問題は、低い意識の動物に食糧とされることにあると思います。
[570]○○屋 05/06/16 19:47 D-Oab/h
一応一回くらい満願しました。七〜八年かかりましたが。
[571]池田慈水 05/06/16 19:52 uyMjH0CPLl
私も、5年かかって一回だけやりました。そうですか、占いましょう。
[572]○○屋 05/06/16 20:14 pAieIuMbY6
お願いします。
[573]池田慈水 05/06/16 20:15 uyMjH0CPLl
○○屋さんは、須陀恒以上の境涯に達しているのかどうかを
占いましたところ、「巽為風」が出ました。これは、植物が風に運ばれて繁殖する意味で、
風のように自らの実力を養い、勢力を伸ばすと言う意味ですから、須陀恒以上だと占断いたします。

次に、斯陀含以上の境涯に達しているのかどうかを占いましたところ、「地雷復」が出ました。
これは、同じことを繰り返すと言う意味ですから、同じ、須陀恒の境涯を繰り返し、同じ修行を繰り返す、と判断できますので、未だ、斯陀含には到達せずと、判断できます。
[574]○○屋 05/06/16 20:39 pAieIuMbY6
やったー!!ありがとうございます。やはりあなたはアナゴンだ。
[575]○○屋 05/06/16 21:03 pAieIuMbY6
2chでうけてるみたい。

今後はあんまりあほなこと書くのやめよ・・・
[576]実行委員長 05/06/16 21:18 2IfrOD6DsF
私をお忘れなく。
[577]平等性智 05/06/16 21:51 gCw6N7TRPt
ジミズのとっつあんが○○屋さんのオヤジさんで、お土産に牛丼
買ってきた設定を想像すると結構笑えますな。(^o^;

 「やったー!!パパ、明日はホームランだねっ。」

>>569
食物連鎖についての宗教的解釈や実践については多様多義であり、
一言でどうとは言いかねますが、釈尊は梅雨時には虫を踏みつぶす
恐れがあるから托鉢するなとか(夏安居)、水は微生物がいるから
フィルターで濾過して飲むようにとか、律蔵の規定でいろいろある
ようですが、仰るように無意識・無自覚にそれを当然のものとして
受け流すよりは、その内実をそれぞれの立場で問うことは有意義
なことかとも。極端な話、コンビニで端数の小銭が余ったから
募金箱に入れようでもいいと思います。シンプルに考えればね。
[578]ユビキタス 05/06/16 22:17 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>565
死後の世界など認知できないとは死後になって認知できないのではなく、今生きている
間に自分の死後を透視だの霊視だのフツーの人はできないということです。
天耳通を持つフツーでないジミズ尊者は自分の死後の呻き声が聞こえるのかも知れませんね。
釈尊もまたフツーでない天眼通で人の来世も透視したと見てもよいのですが、
そういう不思議世界にばかり囚われずとも、この弟子たちは煩悩をこれだけ減らしたから
死後は天に生まれるだのもはや生まれ変わることはないだのそんな人が何百人もいるだの
説いたのは、弟子の煩悩を観察した結果と言える。
だから○○屋さんが阿含経のここの部分を実行したらこんな効果があったと示せ、
それで聖者かどうか判定してやるというのはどういう注文なのか?
星祭さんも瞑想体験でも綴ってみよと言うが、熱感を感じたからと言ってそれが何になるのか
ということになる。
それよりも煩悩をどれだけ減らせることができたかでしょう。
煩悩を減らしなさいという阿含経の教えを読んで、そんなつまらんことと馬鹿にせずに
長年阿含宗に囚われた私にとっては新鮮さがありました。で、阿含宗という煩悩を
自分で捨てただけです。ハイ。
肛門締めたら煩悩もちぎれたわけでもありません。阿含経の特殊技術など駆使した効果
ではありません。煩悩をなくせという教えをいかに自分で観念工夫するだけです。
特別なことではない。
聖者にならないが一つ煩悩を減らした。
この調子でどんどん煩悩を減らして聖者になったらどんな体験談を期待しており、
どんな体験談だったら聖者と納得するのか○○屋さんの理想を聞いてみたいですね。
まさかジミズさんみたいに子供っぽい夢を見ることを理想とするのか?
休み時間に読んで大笑いしました。
夢というのは潜在する希望が現れる場合もあるわけです。
まるでジミズさんは恋人の夢を見るのは相手が自分のことを想ってくれているから
夢枕に現れると考える無知な古代人のようだ。
大のおとなが潜在願望の夢を見てしまってもかまいませんよ。そんなことは誰にでもある。
しかし目が醒めたら俺もこんな願望があったかと頭を掻いて苦笑するのが知性です。
しかしこの五十過ぎの子供は若い頃の夢を醒めた目でこんな馬鹿げた評価をして自慢して
みせる煩悩を示した。恥ずかしくもなく。
[579]○○屋 05/06/16 22:50 pAieIuMbY6
>だから○○屋さんが阿含経のここの部分を実行したらこんな効果があったと示せ、それで聖者かどうか判定してやるというのはどういう注文なのか?

釈尊の悟りの内容。つまり、最終的に濾尽智でしょう。全ての煩悩を断つ前に煩悩の原因を見煩悩の結果を見ただ、原因と結果を見るだけでなく人の人生とその生まれ変わり死に変わりを見、その輪廻の連続性からの断絶でしょう。どうして判定するか。それは当時の人々は釈尊を見て「聖者」と思ったんだから「聖者」とわかるんでしょう、一般人にも。
[580]池田慈水 05/06/16 23:00 uyMjH0CPLl
どうせ、おいらは子供だい。ぐすん、ぐすん。
ユビキタスのように大人にはなれなかったんだから、しょうがないじゃないか。
エーンエーン。御うちに帰りたいよーーーー。
さあ、パトラッシュ、今夜はこの教会で寝るんだよ。
おなかがすいてるのかい?我慢しようね。
[581]池田慈水 05/06/16 23:30 uyMjH0CPLl
ええと、天耳通と日通のペリカン便との関係は・・・

ええと、ユビキタスは煩悩と言う言葉の定義が分っていないのですね。この前教えてあげたでしょ。業と煩悩との関係を論じたことによって、結論から言えば、煩悩とは家族的無意識が作り出すものです。つまり家庭に流れる霊障です。それに巻き込まれている状態が、煩悩であって、アングリマーラが死を迎えてさえ、心が安楽であったことから分るように、霊障がなければ、煩悩はないと言える訳です。あなたが桐山と言う指導者から去ったことは、煩悩を消すチャンスを失ったと言うことです。と、私の傍らに居るパトラッシュが書け、書けと唸るもんだから、書いちゃいました。またパトラッシュはこうも言ってます。
ユビキタスは煩悩と、単なる「悩み」の区別ができない馬鹿やろうであると、吼えとりますねえ。名犬パトラッシュ。
煩悩を消す修行はつらいのです。根源的な煩悩と向き合わなければならないから、つらい訳です。それは悩みです。修行をやめれば、一時的な悩みは消えます、。でも煩悩は消えないのです。ソンデイの治療室でも患者の逃避が起こる、それはフーガと呼ばれる。とパトラッシュがまた、吼えるなっつうの!
「もう寝ようよ、パトラッシュ、僕らは如来の子供だから、人間の大人には理解されないんだよ。もう寝よう。明日になれば誰かがパンを恵んでくださるよ、ここの村人だって悪い人ばっかりじゃないんだからね」
[582]池田慈水 05/06/17 00:03 uyMjH0CPLl
かくして、少年ネロとパトラッシュは、飢えと寒さの中、死んでしまいました。
天から、白く輝く天使が降りて来て、彼らを天上に迎えます。この天使は翼が無く、奇妙な乗り物にまたいで乗っています、不恰好な自転車のような乗り物でした。しかし、空を飛ぶ能力については素晴らしい性能があるようでした。
ネロは天使の顔を見て非常に驚きました。あまりに理知的な顔に驚いたのです。また一風変わっていたのは、天使の唇でした。それは少し管のように突き出ていたのです。天使は笑顔でネロに話しかけました。
「君は、また人間に生まれて絵を描くつもりかね?それとも、他に何かしたいことがあるのかな?」
天使はまるで古くからの友人のように話しかけてきます。
ネロは、パトラッシュを抱きしめながら、言いました。
「ユビキタスのような大人には絶対になりたくないですね」
その言葉を聞くと、天使はにんまりと笑い、言葉を引き継ぎました。
「ああ、あの男ですか、あの男はまだ輪廻転生を続けてるよ。当分は終わらないだろうな。地獄に落ちたり、天国に昇ったり、人生を味わったり、苦しんだり、男に生まれたり、女に生まれたり、病気になったり、健康に生まれたりするうちに、また再び、解脱するチャンスを掴むだろうさ。だって、人間はいつだってチャンスはあるんだからね、ああ、僕の名前教えとくね。白光口長天使とでも呼んでくれたまえ。前世では、池田慈水と名のってたんだが、だれも覚えちゃ居ないんだ」
[583]ユビキタス 05/06/17 00:47 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>579
漏尽智とは煩悩(漏)の尽きてなくなる智慧で仏教のめざす究極の智慧であることは
知ってのとおりです。
漏の尽きる智慧を得る前提に煩悩の働き、作用の認識のあることは仰せのとおりです。
しかし○○屋さんがどうやらこちらに示してほしい力とは、実は漏尽明でもないようだ。
漏尽明とともに三明とされる宿命明とか天眼明を体得することに目が行っている。
たしかに釈尊や釈尊の弟子の中にはこの神通力を得た者もいるが、しかし神通力を
得てない者もいる。三明で絶対必須のものは漏れ尽明で、残り二つはその前提あるいは
付け足しに過ぎない。一番説きたかったのは煩悩を尽きる智慧です。
釈尊が悟りを開いた過程にこういう神通力を得たからと言って、それが必須と思わぬ方がよい。
神通を得てないサーリプッタのようなアラハンもいるのだから。
煩悩の働きを知ったら副産物の神通力など得なくてもよいから、ただその煩悩をなくす
ことだけを目指せばよいのです。
つまり万有引力の法則を発見したニュートンに続く人はその法則を応用するだけでよい。
煩悩の成り立ちと三世の流れを見る力よりも自分の目の前の煩悩をなくすことさえできればよい。
それにこんな宿命明なんて出さない方がよい。
なぜなら桐山もまた宿命明など持っていないからだ。
彼は自他の前世や来世が見通せるなんて言ったことはない。
代わりにやってるのは占いによる運命鑑定です。
当たる当たらないはさておき、これはそういう方式があるのだから、その方式さえ学べばよい。
それに見事に占いもはずしている。
もし○○やさんが漏尽明を得る為には宿命通が必須と主張するのなら、桐山は前世や来世の
宿命を見る力もなく占いに現世の運命鑑定だけに頼っているのだから、漏尽明ごとないと
いう理屈になってしまう。
どうして占いなどでなく前世をみれないのですか?
自分の師匠すらもできないことを相手に求めない方が、ボロを出さずに済みますよ。
[584]通りすがり 05/06/17 00:49 B5VYPDxgPV
本国ではあの話はまったく有名ではありません。
ベルギー(だったと思う)では、人情が厚く、親をなくした
子供を死においやる様な真似はしないとか。
その為、本国でない他国にて、かの話は流行ったという事を
聞いた事がある。
[585]○○屋 05/06/17 01:08 pAieIuMbY6
はて?あなたは猊下が聖者ではないといっているんでしょう?あなただったら、阿含経よんでそこに書かれていることを実行して三明獲得できるんでしょう?はやくニルバーナの聖者になって(三明獲得して)私を指導してくだされや。
[586]ユビキタス 05/06/17 08:44 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>585
私の弟子になどならなくてもよいが(しっ!しっ!)、桐山の弟子でありながら
桐山が漏尽明はもちろんのこと宿命通も天眼通も体得してないじゃないのと言いたいわけさ。
桐山の三明は次のとおり。
宿命明:前世を見る力なんてないから占いで代用しよう。しかし占いよりも経歴の自己申告
    が一番本人に納得してもらいやすい。因縁の教学が最初にありきだから、経歴から
    因縁をあてはめるだけで誰にでもできる。強引な想像力を駆使しながら。
    こんな変な因縁を作る過去世だったんだねと曖昧に認識させる。
天眼明:来世がわかるのでなく現世の未来を占いで占う。しかしこれも先の自己申告因縁
    さえ付けて納得させておけば、当たる当たらないはさておき本人を呪縛できる。
    生涯呪縛しておけば、かなりの額を搾取する霊感商法が可能。
漏尽明:煩悩の尽きる定義をいつのまにか業報、悪因縁の運命の尽きることにすり替えて、
    霊感商法を推進する。

さて仏教の目的は漏尽明を得て煩悩をなくすことです。
その人の過去や未来を見る通力など付属に過ぎない。
過去や未来なんかわからなくても現在の自分を内省観察してその煩悩を発見して
なくす修行をすればよいのです。
ニュートンにより万有引力の法則が導き出されたら、後世の人はそれを応用・活用する
ことだけを考えればよく、いちいち万有引力の法則を実証する実験をしなければ何もできない
なんてことはない。
だからやはり思っていたとおり、○○屋さんは煩悩の尽きた漏尽明の体得した人などを
見ても聖者などとはわからず素通りし、宿命通のような奇蹟の神通力を示されないと
なびかない頭脳構造なのですね。
そういう他人の頭脳構造を改めることはこちらはできないが、こちら批判側にあなた好みの
宿命通を示してみよと言いながら、自分の師匠の宿命通はどんなものかその実態を観察
していない。桐山は前世が見えるなんて言ったことがないのです。
[587]池田慈水 05/06/17 08:57 uyMjH0CPLl
漏尽明とともに三明とされる宿命明とか天眼明を体得することに目が行っている。>>とユビキタスは書いてますが、桐山先生の著作を読むと、いきなり、サハスララチャクラの修行をして漏尽通を目指すのは、良くないのだと書かれておられます。やはり、ムラダーラチャクラから上に上っていくほうが良いとなってるんですね。私のHPでは次の記述があります。////
甲状腺ホルモンを通常より多く分泌させるとこのような超能力がつくなどと、現代医学は決して認めませんが、
事実は事実、なるものはなるのですから仕方ありません。

甲状腺ホルモン亢進症であるバセドウ氏病は非常に多くの症状があって、30個近くある症状のうちで 耳通に共通したものが2つあったので、驚きました。 掲示板でバセドウ氏病との関連を指摘され調べてわかったことですが、私もこれには驚きました。
   くとも、甲状腺と耳とが関連する事は証明されたと確信。

1 聴力が敏感になる・・・聞こえる周波数が違うが、耳が良くなる点では同じか。          びっくりだ。 バセドウ氏病の方はこのせいで、いいらいらして怒りっぽくなるそうです。

2 体がゆれる感じがする・・・天耳通の神通力者は地震を予知するときに、体の奥がゆれる感じがする。
                 こりゃあ、驚いた。
その事で、何故天耳通の神通力者が、他の悪いバセドウ氏症状が出ないのかと議論になった。私は、天耳通の行者は、性腺ホルモン、胸腺ホルモンも通常より多く分泌している点、またマニピューラチャクラと呼ばれる太陽神経叢も通常より活性化している点、
そう言うことが他の症状を出さないことに影響しているのではないかと、推論した。
多分このことはいつか、医学が証明してくれるのではないかと、希望を持っている。
///この記述はヴィシュダーチャクラを先に開発した場合の危険性について述べている訳だが、
いきなりサハスララチャクラを開発した場合でも、同様の危険性が出てくるのではないかと、桐山先生は心配なさっている訳です。視床下部は、視覚と人格を変化させることが出来る部位であり、そのことから言えば、視覚と人格に危険が伴うということになる訳です。ですから、そういう危険性を通り越したところで特殊体質を有した点で、サーリープッタは天才的な人であった、と言えるでしょう。
 ユビキタス先生は何も分っていない子供と同じですね。パトラッシュと寝てろ、と言いたいねえ。(大笑い)
[588]池田慈水 05/06/17 09:07 uyMjH0CPLl
2CHは馬鹿が多いですね。笑ってしまいました。

[493]池田慈水
>原因と条件、この言葉を短く、「因縁」と呼ぶ。桐山は運命について、因縁と呼ぶ。

私が書いたこの言葉を理解できなかったようですね。
何事も、原因と条件とによって起こるのですから、人間の運命も、原因と条件とによって起こるのです。
原因は因と短く言えます。条件は、縁と短く言えます。ですから人間の運命も、因縁によって起こる、
と言えるのです、このことが用語として間違っていないよ、と私は書いただけです。桐山が間違った言葉使いをしていないと、断言できると書いたのです。これは自明のことであって、なんら可笑しなことは無く、ただ聞き流せば良い事なのです。それを、ああでも無い、こうでも無いと、論じ合って、キチガイですなあ、あの連中は。鹿ですよ、利口者のすることじゃあない。ああいう論じ方はね。
ただ「因縁」と言う言葉は、新興宗教的な言葉ですよ。そういう言葉が嫌いなのですかね、と私は、心配を投げかけている。でも言葉としてはこれ以上正確な言葉はないよ、と言ってるだけなんだが。
   *********************
それで、人間の運命の因は、前世のカルマ(業)、縁は家庭の霊障であると桐山は分析して見せた。そして家庭の霊障については、ソンデイ博士の運命分析をわれらに提示し、その類似性を、われらに教えてくれた訳ですよ。
そして、因はすでに在り、変えようが無く、新しい業を上に上乗せするしかない訳ですので、功過格の実践ということをかつて我等に教えてくれた訳です。つまり、カルマは消えることがないが、積善のカルマも消えることが無く、運命を好転させる訳ですから、積善生福の道を歩めと教えた訳です。
 そしてもう一つの、家庭の霊障については、これはもう私が解説できないものであり、桐山が自らの霊能力を駆使して、相対峙しているものでしょう。わたしはただ、ソンデイを引用し、千座行での行者が見せる行動とソンデイの治療室の患者が見せる行動の類似性を解説するのみであり、それ以上の事は分らずである。ここに桐山の真の偉大さがあると思うべきである。・・。これが私の主張だ。
と言う訳なのさ。ここまで書いても分らないのであれば、2CHに登場する方々は知能が低いのであろうよ。私の意見に賛成しろといってるのではありませんよ。私の文章の意味を把握しろ、と言ってるんですよ。
[589]○○屋 05/06/17 10:01 D-Oab/h
ユビキタス氏は『悩み』が『煩悩』だという。そして、『煩悩(つまり悩み)』がなくなることが『漏尽智』だという。もしそうならば、赤ん坊はニルバーナ状態で生まれ、大人になる過程で『煩悩』が生じていることになる。言うならば、ブッダが成長して凡夫になるようなもんで、『なんじゃこりゃ!?(太陽に吠えろの松田優作風)』だな
[590]○○屋 05/06/17 10:36 D-Oab/h
ちなみに、ニュートンが万有引力を発見したのは実験によってではなく、論理的推考の積み重ねで、である。だいたい、万有引力の実証実験なんて、日常的にできるのか?
[591]池田慈水 05/06/17 11:31 uyMjH0CPLl
夢の語源は、寝目(いめ)だそうで、寝ていても目を開けているのと同じように見ている、という意味だそうだ。
さてユビキタスは私が見る夢を、ただ願望が出ているだけだと書いておりますが、夢というのはそんなに単純なものではないことは皆様がお分かりでしょう。
睡眠には夢を見ないノンレム睡眠と、夢を見るレム睡眠があります。生物が休息を取るという観点からは、レム睡眠は本来不要なものですが、レム睡眠にどんな意味があるというと、これは進化、発展、向上といった意味があるわけです。もともと修行という観点からは非常に近い意味があるわけです。これはコンピュータに新しいソフトをインストールするときに、周辺機器との接続を一旦遮断し、他のソフトを終了するのと同じような意味合いがあるわけです。つまり、どういうことかというと発達中の脳は、新しい回路を組み立てるときに、
一旦体(からだ)との接続をはずし、つまり末梢神経を遮断し、シュミレーション活動を起こすわけです。ですから夢の中では空を飛んだり、有名人と気安く話をしたり、外国人とぺらぺらと外国語で喋ったりする訳です。そして回路が一歩進化したところで、目覚めて、今度はほんとに体を動かす訳で、もちろんそのときに、ほんとに空は飛べませんが、空を飛ぶような活躍をすることは出来る。つまり躍動感あふれる活躍を、脳はすでにシュミレートしてる訳です。外国語を喋った夢を見たあとは、ほんとに外国語会話の実力が上がってるんですね。有名人と出会う夢などは、願望ですが、有名人は何かしらの象徴となっている場合も多い、もちろん、実際に現実にその有名人と出会う正夢の場合もありますが、大概はなんらかの象徴です。
ですから、あたらしい分野に修行を試みている時期は、毎晩、脳はレム睡眠でシュミレーション活動を起こして、自己の実力向上を図っている訳です。再構築された脳は、現実を再構築するのです。文豪チャールズ・ディケンズは夢の中で小説の構想やあらすじが出来上がっていたと、よく言っておりました。ニュートンは数学の難問を夢の中で解いておりました。このように現実の成果と直結する夢もあるわけです。もちろん、ホピ族の預言者のように何年も先の地球上の事件を、予知する霊夢もあります。自分の死後起こるチェルノブイリの事故を予言したのは、ノストラダムスだけではありません。
願望が出ているだけだなんていうのは、何も知らない子供が言うことですよ。(笑)
[592]池田慈水 05/06/17 11:46 uyMjH0CPLl
ユビキタスガ一番ものを知らないね。俺たちが教えてあげてる訳ですから、授業料よこせ!
[593]岡目 05/06/17 12:04 llVCBaFzKj
>>588 ジミズさん
「2CHは馬鹿が多いですね。笑ってしまいました。
原因と条件、この言葉を短く、「因縁」と呼ぶ。桐山は運命について、因縁と呼ぶ。原因は因と短く言えます。条件は、縁と短く言えます。ですから人間の運命も、因縁によって起こる、
桐山が間違った言葉使いをしていないと、断言できると書いたのです。」

自分の見解を絶対のものとして、他人の見解を馬鹿呼ばわりはないでしょう。私の見解を語れば、あなたの方が間違っているのではないかと思われますよ。桐山やあなたが、運命と因縁を 混同しているのであり、釈尊は 運命と因縁をきちんと分けて考えておられます。というより、未来のことは、考えるな、今を大事に生きろ というニュアンスが強いと思われます。
運命を 固定されたもの、方向性のあるもの、また、いかようにも変えることができるもの、また ある部分において変える事が出来るとする 見解 等 色々あるとは思いますが、釈尊は積極的に 語ることはありませんでした。ただ、阿含経の解説のなかには、「我もまた業論者である」という釈尊のことばも見受けられるようなので、人生のある状態(例えば 金持ちの家にうまれるとか、政治家,軍人の家に生まれるとか といったような いわゆる 宿命としての 業は 認めていたようにも思えます。
ただ、その 業果というものも、前世での善業での結果ということではなく、繰り返される輪廻の中で、たまたま、今世 で 何十
[594]岡目 05/06/17 12:13 llVCBaFzKj
つづき
何十、何百年か 前の 善業の果が あらわれたに過ぎない とかんがえておられたように思います。ですから、 現在の 業は、たまたま active になっているだけのことで、 人間である以上、よい業を背負っているときも 悪い業を背負っている時も あるのです。業の前では 平等といったら
解ってもらえますかね。
ですから、現在の業にとらわれることもない。ただ、今を、清く生きるというのが、釈尊の 教え、また、弟子に求めたものだと思うのです。桐山のように 脅して、金を要求するものではありません。
[595]立花監督のまご 05/06/17 12:46 *RDHIgCxQlnk*ZdNFhOauTT
池田慈水さんに申し上げます。貴殿のHPのBBSをみていただきたい
[596]岡目 05/06/17 12:52 llVCBaFzKj
わたしは、現在 一介の 事業主です。事業を起こして、30年になりますが
その間 ちょっとのあいだだけ、阿含宗に在籍していました。3年ほどの間です。私の、1代まえの、前世は、むかし、ゲームセンターの前世占いでみたことがありますが、世界をまたにかける 船乗りであったということでした。(ただの話です。信じているわけではありません。〕2代前は、学者だったということです。3代前は、ヨーロッパで、なにがしかの貴族の女中をしておったそうです。ゲームセンターの前世占いではここまでの記述ですが、4代前は、殺人者で刑務所暮らしだったかもしれません。5代前は。桐山のような詐欺師の一生を送ったかもしれません。6代前は、精神障害者として生まれ、みなに 面倒をかけたかもわかりません。
輪廻を認めるというのは、こういうことではないのでしょうか。人間として、何千回も輪廻をしているとしたら、 あなたも、わたしも、桐山も
天皇陛下だって、同じ条件なのです。こういう意味で、人間は 平等なのではないでしょうか。
阿含宗の教えでは、障害者 や、現在 不幸のどん底にある人に対して、いわれの無い偏見みたいなものを感じます。いわゆる、徳が無い、前世の業だ
という類の考え方です。このような 考え方は、果たして 宗教的なものといえるでしょうか。 ジミズさん、 あなたはどうおもわれますか?
[597]ユビキタス 05/06/17 12:56 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>589
赤ん坊には根源的な生への欲求が本能としてはあるものの邪悪な煩悩がなく、成長と
ともにその煩悩を身につけていってしまうのはまさにそのとおりですね。
では赤ん坊というのはほったらかしておけば煩悩を身につけずに健全に育つのかというと
そんなことはあり得ず、まさに煩悩を身につけながら育っていってしまうのも業と言えようか?(世間用語
としての業です)
だからこそ教育とかあるわけですよね。人間はきちんと教育しないときちんと社会人に
なれません。正しく教育する必要があり、釈尊の示した道もまたしかりです。
子供を野放しにすると涅槃に至るわけではないのです。
自然のままがいいだのあるがままがいいだのしたり顔で説く人もいますが、欲望のままで
節制されてない奴はいかんのです。

>>590
ね?こうやってニュートンの万有引力とかたとえを出しながら論じていくと自分で答えが
出るでしょ?万有引力の法則が一度立証されたら、この法則を活用、応用して生活したり
技術開発などをしていくにあたって、理論考証も実験もわざわざしなければできない
なんてことはないのです。
これと同様に煩悩の働きが輪廻に関わっていると智慧で観察できたら、これを教えで説いて
その煩悩をなくすように努力せよと説くだけでよい。
煩悩をなくせばアラハンなのだから前世や来世を透視できる力なんて余剰なんですよ。
前世や来世を見渡せるから聖者なのではなく、煩悩をなくしたから聖者なのであり
解脱者なのです。
こういう聖者はその教えが理解できない人には理解できまい。
「アラハン様のおお!神秘の前世来世透視ショー」なんてパフォーマンスでもしなければ
○○屋さんのような嗜好の人にはなかなか認められないわけです。

ジミズさんはまた後でね。
逆にあなたの主張の立場をこちらこそ冷静に位置付けることができるのですよ。
桐山と同じである時点で飛躍があり、では最初に持ち出した原因と条件の法則って
単に自分の思想を押しつける為に、釈尊が本来意図していたことと逆の方向に回して
仏教でなくしただけです。
桐山教や池田教ならば別に文句は言わんのだがね。仏教など持ち出さずに。
[598]平等性智@参考資料1 05/06/17 13:22 gCw6N7TRPt
124 名前:名無しさん@3周年 :04/09/13 18:35:33 ID:TMm01qRD
>533 :名無しさん@1周年 :02/09/07 01:48
 原始仏教は現代人にはやくにたたない!
 哲学的思考の遊戯にすぎない!
 阿含宗も現世利益の祈祷が売りもの
 世の中の煩わしさからのがれ出家し欲望を滅するという
 精神がはたしてあるだろうか?
 そういうこと!

>534 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/09/07 01:51
 >>533
 それは誤解です。伝えられ方が悪かっただけで、実は非常に素朴で誰でも実践できる
 極めて道徳的かつ生きていく上で大切なものが盛り込まれていると思いますよ。
 哲学思考の遊戯などはあまり含まれていません。そのことを証明するためには哲学
 的になりますが、お伝えする時にはそんな七面倒くさい事は必要ないのです。

>535 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/09/07 01:54
 部派仏教になると煩瑣哲学的に成って行きます。

>536 :ベロ ◆od7XM/js :02/09/07 02:14
 >>534電波男さん、
 では「非常に素朴で誰にでも実践できる大切な教え」とはどういうものか教えて下さい。
 七面倒くさくないようにお願いします。ここが理解されればカルトの欺瞞性も明らか
 になって来ると思いますし、仏教に対する誤解や偏見も取れてくるのではないでしょうか?
[599]平等性智@参考資料2 05/06/17 13:22 gCw6N7TRPt
125 名前:名無しさん@3周年 :04/09/13 18:35:57 ID:TMm01qRD
>537 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/09/07 02:37
 箇条書きにします
 1 五戒を保とうと努力し
 2 己の欲望を基にすることなく
 3 人に対して笑顔で優しく接し
 4 ものごとを冷静に観察してあるがままに先入観無く判断しようと勤め
 5 真理を見つめるのに決して他人に頼ることなく、自分の目で見つめ
 6 更に見たものを合理的に判断し
 7 生きていく上での糧にし、人にも利益を与え
 8 精一杯にこの生を生き抜く
 これらの目標徳目を設定して一生懸命に生きなさいと言うのが釈尊の教えだと思いますよ。

>538 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/09/07 02:39
 それ以外のことは自然とこれらの徳目に伴うのだと考えます。
[600]岡目 05/06/17 13:23 llVCBaFzKj
人間は 業の前では 平等なものだ という思いが、 宗教の平等観の根底にあるものと思われます。 こういった考え方について、先人の よい話を
書いておきます。
昔は、どの部落にも 血族結婚が多かったせいか、首がまがったままだったり、知能の遅れた子供が いたものです。特殊学校というものも無かった時代ですから、学校にも 一緒にいったし、遊びも一緒でした。でも、いじめたり、仲間はずれに したりすることは無かったようです。我々も、親からそういった子供にどういう対応を取ったらよいのか しっかりと 教育されていたものです。 そういうこどもを、大人は お宝さんと呼んでおりました。そういう子供を持った家が、その子を大事に育ててやると 将来 その家が必ず 発展するという 話でしたし、まわりのものも、その子を大事にしてやることで、とても 運がよくなる というものでした。「お宝さんやで、大事にして あげやあね」とよく言われたものです。阿含宗にはいって
身障者や 精神薄弱児 にたいする 考えが 教祖の桐山でさへ、宗教家らしくないのを耳にして、愕然とした覚えがあります。
[601]平等性智@参考資料3 05/06/17 13:24 gCw6N7TRPt
126 名前:名無しさん@3周年 :04/09/13 18:38:01 ID:TMm01qRD
>あなたのお話の方が筋が通っていますよ。ここで「無神論攻撃」を
>繰り返している人たちは「宗教」「神」「信仰」「理性」「倫理」
>「道徳」の定義が曖昧で味噌糞にしてすべての理論根拠を宗教ない
>し神に求めているのです。宗教の組織化や形骸化などで理性が侵さ
>れてしまった人たちのなれのはてです。

>それを回復奪回するのは真理を求める理性と最終的にその理性を疑
>い、克服して生まれてくる倫理道徳であり、それが純化し、昇華し
>たものが個人の理念であり生き方であり本当の意味での「宗教」で
>しょう。「宗教」とは神や仏を信じることでも教団に入ることでも
>ありません。自分なりに真理を求め人として正しいあり方を模索し
>続ける中で、その価値観を高めるときに「真理と合致」することを
>言います。そしてその個人の考え方に賛同して自分の生き方に執り
>入れることもありましょうが、それはそれでその個人の生き方なの
>です。教団を結成するなんて愚の骨頂です。

>その意味で囚われなく自由に人間存在や世界観を思索し、生き方に
>反映して行ける人間こそが真の意味で自分にとっての「宗教者」で
>あると考えます。「宗教」の教とは「おしえ」ではありません。も
>ともと訳語であり、その訳語に囚われて悪魔に魂を売り渡している
>のです。


127 名前:名無しさん@3周年 :04/09/13 18:40:15 ID:TMm01qRD
>932 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss :02/10/04 15:05
 人間の「ありよう」を深く観察し、苦しみの原因を追求していくのが仏教では
 最初に課されるのです。決して「無明とは」などと説明したりしません。

 まず、卑近な苦しみから一般的な苦しみへと遡りその原因を自業から共業へと
 求めていく。そして人間存在のあり方を深く追求し根本原因である無明へと
 辿りつく。これが如実知見でありそこから様々な修習が始まるのです。

 これは仏教の基本です。阿含経典のみならず、殆どの仏典に説かれています。
-----------------------------------------------------------
こんなとこですか。
ベロ様、電波男様、お気に触られましたらごめんなさい。

http://www.geocities.jp/jfcps873/gb/gb08.html
[602]○○屋 05/06/17 13:34 D-Oab/h
池田先生、なんとか言ってやってくださいよ・・・

赤ん坊は煩悩がないなんていっている。以前ユビキタス氏がいっていた十二因縁の事なんかすっかり忘れている。

根本的には無明(煩悩)があるから生まれるのである。これを『悩み』と解釈するから変な話になっちゃう。ユビキタス氏の話では成長の過程で『無明』がでてくるなんて現象が起きている。

ニュートンの万有引力でもおかしなこと言っている。『ニュートンが(実証実験によって)万有引力を発見したから、そのあとの凡人は実証実験しなくてもよい。』という文章に捉えられるあなたの文意に対して『ニュートンの万有引力は論理物理学によって導きだされる現象なんだから、実証実験なんて関係ない』と言ったのに・・・わけわかんねー

はわれなくとも誰かが発見したでしょう。アインシュタインの相対論こそが天才的論理物理学の金字塔であり、これは、その理屈を理解するだけで
[603]○○屋 05/06/17 13:55 D-Oab/h
↑訂正・・・わけわかんねー

以下余白
[604]立花監督のまご 05/06/17 14:35 *RDHIgCxQlnk*ZdNFhOauTT
池田慈水さんに申し上げます。貴殿のHPのBBSをみていただきたい
[605]池田慈水 05/06/17 16:31 uyMjH0CPLl
[596]岡目 >阿含宗の教えでは、障害者 や、現在 不幸のどん底にある人に対して、いわれの無い偏見みたいなものを感じます。いわゆる、徳が無い、前世の業だ。

これは言っちゃあ悪いが、お釈迦様も同じことを阿含経の中で述べられております。この見解はほぼ満点であり、何の誤謬も無い見解である、全てを業の所産と(過去世、そして現世の業)見るものこそ、真の仏弟子であるとお釈迦様は述べられました。私も、同様に世間を見ております。
家柄によって王となるのではない、業によって彼は王となったのだ。家柄によって、職人になるのではない、彼は業によって職人となったのだ。
家柄によって奴隷となるのではない、彼は業によって奴隷となったのだ。
間違ってはいない、あなたは阿含宗に対して偏見をお持ちのようだ。
[606]池田慈水 05/06/17 16:36 uyMjH0CPLl
ユビキタスだって「随眠」という言葉を知っているだろ。自分で間違ってることを知ってるよ。

煩悩は眠っている、種子の如く眠っている、だから、随眠という名前が付いた。成長の過程で身につけるような代物ではない。
随眠の異名が、漏尽通の「漏」だよ。

授業料よこせ。
[607]立花監督のまご 05/06/17 16:38 *RDHIgCxQlnk*ZdNFhOauTT
思惟・『法華経』・照明編[273]
[608]岡目 05/06/17 19:18 gVA2G1sHvH
>>605 ジミズ さん
だめだ こりゃ 話し合うまでに至らない。
[609]池田慈水 05/06/17 19:30 uyMjH0CPLl
あ、ッそう、岡目さんからは授業料取れないわ。(失礼しました)

原文は「家柄」じゃなくて、「生まれ」だけどね、こっちのほうがわかりやすいかなと思ったもんで、変えちゃった、ごめん。
[610]池田慈水 05/06/17 19:54 uyMjH0CPLl
随眠というのは心の中で眠っていて、発芽を待ってるんだから、これは現代日本で言うところの「深層記憶」です。

ここに「家族的」という言葉をくっつけさえすれば、ソンデイと
同じことになる訳さ。いち早くこういうところに着目した桐山というお人は、まったくたいしたもんだ。
桐山の凄さを噛締めるが良いぞ、ユビキタスよ。
これだけでも、桐山の凄さが分ろうというもんだ。
そういう凄い人の弟子になったおいらも凄い!  と素直に自己満足。(笑)

[611]岡目 05/06/17 20:17 gVA2G1sHvH
>>609ジミズさん
そう、正しくは、釈尊は
「生まれによって、王となるのではない 行為〔業)によって王となったのだ。生まれによって、職人になるのではない。行為(業)によって、職人に
なったのだ。」というような 語り方をされたようです。この論調でいくのなら、奴隷になったのも、行為(業)によって そうなったのだ。貧乏人に
なったのも行為(業)によってなったのだ。詐欺師になったのも行為(業)
によってそうなったのだ。という論理が展開できますね。私は、釈尊のこのような考え方をうけいれるのですが、あなたの受け入れ方と、大分、ニュアンスが違うのです。幾千万劫 生まれ変わるなかで、たまたま、現世、このような形でうまれてきた(大政治家の子供としてとか、貧乏人の娘として誕生したとか)  それは ほんのたまたまであって、来世は またどういう形で、この世に誕生してくるのかわからない。
だからこそ、 人間である以上 いかなる星の下に生まれてくるかは、そんなにたいした問題ではないのです。 桐山のような詐欺宗教家風情に それは、前世のインネンが悪いと、脅かされる、すじあいは 全くないということなのです。ただ、人間として生まれてきた以上、 悪い業を積まないように生きていく。なかには、解脱まで到達する すばらしい 人もいるかもしれない。・・・・・ただそれだけのことではないですか?
やれ、先祖の霊障だの、徳がないなどと、おどされ、けなされ、ながらも
桐山みたいな奴に 金を貢ぐ 人生こそ、みじめで、愚かなものだと 言うべきでしょう。

[612]○○屋 05/06/17 20:42 pAieIl6ZXP
↑たまたまではないんです。必然なんです。

>人間である以上 いかなる星の下に生まれてくるかは、そんなにたいした問題ではないのです。

いかなる星の下に生まれるかは、現世でいかなる生活を送るかで決まるんであって、来世でいい暮らしがしたかったら現世でいいことせい・・・ってのが輪廻思想なわけだが、釈尊はそれも否定した。つまり、現世の生活行動・修行によっては来世無くなる、といったわけ。そこまで言った聖者が始めて「人間である以上 いかなる星の下に生まれてくるかは、そんなにたいした問題ではないのです。」となるのではないですか?
[613]栗花 馨 05/06/17 20:46 85KealKrAk
自説にこだわり、
これこそ真理だと論争する人々はみな、
非難をうけるか、あるいは、時には賞賛をうることもある。
くだらないことである。心の平静のためになることではない。
論争の報酬は(非難と賞賛の)二つだけである。
これを見きわめ、論争を避けよ。
心の平安をめざすとは、論争しない境地に立つことである。
[614]栗花 馨 05/06/17 20:47 85KealKrAk
801 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/30 18:00 ID:rbWVpshi
>>785
はやく団体名称を言いなさい。
ソースも説明責任もはたしますから。(笑)

も一つ馬鹿をからかってあげましょう。

ソース提示要求にも最低必要構成条件と言うのがあるんだよ。
そういうソースを示すかを提示しないと説明しようがないじゃないか。

たとえば、ネットで「10万円持っています」と主張したとしよう。それにたいして
「持っていることを証明するソースを示してください」と言うのがあんた。
さらに「出来たらその10万円で激安ノートPCを購入できるという根拠も」
と恥の上塗りをしている。

ここで、「昭和○×年にある修行を終え、その後指導にも当たった」とソースを
示してもさらにそのソースを要求してくるだろ?それを無限馬鹿というんだよ。

だから、こちらから出向くといってるんだよ!!
説明責任要求にはな、それだけの要件が必要なんだよ。
最近更新していないが、
http://www13.freeweb.ne.jp/business/itoarc/
でも見ておけ。命張ってるんだよ!!

さらに能無しをさらけ出しているのが、この馬鹿に対して賛同する、、、、、、だ。
[615]池田慈水 05/06/17 21:17 uyMjH0CPLl
[611]岡目 きっと同じ桐山でも、岡目さんの知っている桐山と私の知っている桐山は別人だと思うことにしましょう。時期も違いますし。
私自身、5年で離れています。大白身法準低尊とチャクラ開発行の時代、が私の時代。しかも、この年代で修行に成功したと自覚している者は私独りだけなんだから。少なくともネット上ではね。

しかし、せっかく師匠がチャクラ開発行のテキストを作ったのに、もっとやればいいんだよ。密教は高度な自己暗示術だ。そのことが実感できるテキストなんだが。やらないで批判している連中も、誠実ではないぞ。一つのチャクラは最大でも250日で覚醒する。信じる、信じないではない、現実の世界が広がってるんだがなあ。
[616]池田慈水の修行論 05/06/18 00:51 uyMjH0CPLl
100%確定したら、宗教ではなくなってしまう。UFOだって、あるいは見間違いかも知れない、という資料が不完全な段階で、わたしは「UFOは宇宙船だと思う」あるいは「プラズマだ」、と判断してみる。そこに、その人のUFOに対する姿勢が生まれ、論議が生まれる、本が書かれ、人々の興味をそそる。新しい人生の糸口が生まれる。
宗教もそういう不確かな段階で始まるのだ。
「神変大菩薩役行者が空を飛んだかどうか証明されない限り、わたしは彼を信仰しない」と言っているのであれば、そこから何も生まれない。

優れた密教の修行者は体を浮かせることがあるという。
たとえば、阿含経に登場するマハーカッサパは空を飛行したという。
役の行者もそういう伝説が残っている。非常に信憑性が高い。
というのは、彼は佐渡に流されたからである。それで、夜佐渡を抜け出して母親に会いに行ったそうな。

とにかく不確かな段階で、自らの意思で、それまで蓄えた知識と全人格とを持って飛び込んでみるのが宗教だ。
自ら修行を為す、という時点で、自分の未熟を認めているわけである。不確かでなく、完全に確かであるという段階ならばあなたは未熟者ではない。それは修行が要らない事を表しているのだ。
だから、修行というものは不確かな段階で始まるはずのものである。

桐山が聖者であると確定しなければ修行は始めないというのであれば、あなたは青春を浪費してしまう。その場合失望をしなくてもすむが、解脱を得られない。
桐山が聖者であると確定していなくとも修行は始める、というのであれば、あなたは青春を浪費することは無いだろう。
ただし、修行に失敗して、失望する場合もあるだろう。解脱を果たし、阿含経に登場する修行者のように、不死を得る場合もあるだろう。
[617]池田慈水 05/06/18 01:21 uyMjH0CPLl
密教は高度な自己暗示術という事柄に関して、補足。

催眠術で、あなたは透視できる、などとやると実際に透けて見えてしまうことがあるそうです。タバコの本数を当てたり、病気の所在箇所を当てたり、非常に確立の高い人も出て来るそうです。
あなたは世界最高の予知能力者だ、と催眠を掛けると、予知能力を実際に発揮する人が出てきます。ときにはノストラダムスのような凄い人も出てきます。
ですから、高度な自己暗示術である密教をやっても同じように、超能力者が出てしまうということなんです。ああ、人間は単純な生物だ。
催眠の場合、あとで催眠術を解かなければならないのですが、密教の場合は、深い観想から日常生活にそのまま戻ればよいのですから、便利です。また自分が、計画的になりたいものになれます。

もっと密教を行じましょう。そのテクニックは、「念力」という本に書いてあります。古本屋で見つけましょう。徳間書店「念力」、現在は絶版だそうで、残念です。阿含経を密教のテクニックを使って修行してください。漏尽通解脱が非常に速いです。実際にどのような観想をするのかは、私のHPを参考に。
[618]岡目 05/06/18 17:00 gVA2Gg4Rv6
>>615ジミズさん
私が桐山から 離れたのは、彼が宗教家の仮面をかぶった商売人、悪く言うなら、詐欺師であると 見限ったからです。ただ、一時、非常に悔しい思いをしたのは事実ですが、、現在は恨んでいるわけではありません。むしろ、必要悪として、桐山の存在を認めているほうではないかと、思っています。というのは、桐山に騙されて、宗教を続けるものより、桐山にだまされて、宗教の本質、信仰の本質 みたいなものに 近づいた者(人達)のほうが、私の周りでは断然多いからです。人の信仰心を利用し 人間の根源的な不安感、弱さに漬け込んで、金儲けをたくらむ
そんな人間も いるという現実に気がつかせてくれたというのか、平和ボケした世間知らずの軟弱な精神に 反面教師としての 強烈なパンチを食らわされた思いがあるのです。世の中、善人ばかりでは、世間知らずにもなろうというものです。桐山のような こずるい人間も 案外ひつようなのかもしれません。
ところで、ジミズさんは、恩義を感じる桐山のもとを どうして離れたのですか、よかったら、お話ください。
[619]池田慈水 05/06/18 17:53 uyMjH0CPLl
千座行を5年かけて、1回目を終了した段階で、いわばほったらかしにされた訳ですね。私の場合、何回も千ザ行を行ったユビキタスと違って、一回の満願が非常に大きい意味を持ってるんですよ。526日目にうっかり朝を迎えてしまったもんで、そのとき、やめるのか、初日から又始めるか決断しなければならなかったのです。その時の結論は、とにかく一生掛かってもいいから、千座やろうという、気の長いことを考えた訳です。一回をやってそれで死を迎えてもいいんだ、くらいの長い目で見れば、行のプレッシャーなどなんでもない、という考えでした。幸いに、次の1000回では、途切れることが無かったですが、もし途切れても、また行っていたでしょうし、死ぬまでは一回くらいできるさ、くらいに気楽に考えたんですね。ですから私の千座行満願一回は、一生に匹敵する大事件です。そこで終わってもいいくらいのものです。
さて千ザ行が終わってみると、教団は行法に阿含経を取り入れて新しい段階に入るのかと思うとそれもなかなか出てこない。今は出てきてますが、私は待てなかったですね。でも、現在のやり方でも多分上手く行って阿那含までですから、別ルートで解脱した私と結果は同じです。そういう意味では公開する必要はまったく無いし、桐山先生に対する尊敬の念が薄らいでいる訳でもないですね。
自分でチャクラ開発行を深めて行くしかないかな、とか、あるいは、社会奉仕活動をしばらく深めるかなあ、とか、そんな思いがありまして、一旦離れた訳ですね。青年会議所、地域青年団、とやってきました。今は祭囃子の保存会で、篠笛の継承に、力を貸しているくらいですか。ま、たいしたこたあないんですが。若い頃は所属団体8ありましたから、それに比べれば何をやってもたいしたこたあない。
青年会議所時代に知り合った友人のうち、3人が経営難で自殺をしてます。バブルがはじける前の彼らの威勢の良さを知っているだけに、この世は無常で苦の娑婆だ、という釈迦牟尼の言葉の重みを感じられずにはいられません。
仏道に関しては、自分である程度進んで行く自信は妙にあるんですねえ。今もそういう不確かな自信は持ってるんで、プライドが高いのでしょう、私は。
[620]栗花 馨 05/06/18 18:38 85KeaIhTUs
820 :名無しさん@3周年 :04/05/31 00:45 ID:FvxbTQDN
>>789 アホダラさん(=電波男) MLは、遠慮しますよ。
>>788 さんが言うとおりの人の主催する MLなんて参加したくないですよ。
私は788 さんの文の筋道も「て・に・を・は」も理路整然としていているように感じます。
たぶん、サンスクリット文法で考える方だと思います。しかもかなり切れそう。

意味は検証可能な証拠を提示せずに主張する人が、
文献学を学んだとは思えないということで明解じゃないですか。私も全く同感です。
例えばこれは >>798まったく検証不可能ですね。これを堂々と述べるあたりが信じられない。
彼は検証可能な証拠どころが、根拠を述べていることも滅多にないのですが。

しかも電波小僧なんで自作自演にしか見えない。いつものパターンじゃないですか。
窮地に追い込まれると、突然彼を弁護する権威者が現れて称賛し、去っていく。
しかも一様に彼について詳しく知っている。それ以降は登場しない。
弁解してますが、 >>800 これなんか証拠にしか思えないです。
[621]栗花 馨 05/06/18 18:38 85KeaIhTUs
800 :名無しさん@3周年 :04/05/30 17:56 ID:VZ/ooIND

>>792 名前:電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/30 17:13 ID:rbWVpshi

>>795 名前:672 :04/05/30 17:22 ID:rbWVpshi

ID:rbWVpshiキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
[622]栗花 馨 05/06/18 19:07 85KeaIhTUs
阿呆陀羅経=電波男=ベロ=もろもろの自作自演キャラ

アホダラ氏はもと桐山氏の弟子だったというかきこみがあります。

桐山氏を攻撃するわりには最後には言訳して逃げます。

なお法華経に関しておもしろいほど過剰な反応を示しています。
なにかの信者かのような反応でしたね。
809 :名無しさん@3周年 :04/05/30 18:42 ID:2f/k4+Gr
「10万円持っています」


810 :名無しさん@3周年 :04/05/30 18:47 ID:hNCUydVf
>「10万円持っています」
電波男さん tp://www13.freeweb.ne.jp/business/itoarc/
に脱カルト工作を2回依頼できる金額ですね


811 :名無しさん@3周年 :04/05/30 18:53 ID:CkBXXAfZ
電波男のサイトなんて利用したヤシは一人もいないんだろ?
脳内実績のみで誰一人利用者無し。w

第一、金がいくらかかるか料金の積算根拠も書いてない所には誰も頼まんだろ。
騙されやすいやつが相手だから一人、1千万要求してたりしてなw
だって利用者数も料金もソースを出さないですむしな。爆

[623]栗花 馨 05/06/18 19:18 85KeaIhTUs
桐山氏のモト弟子っていろいろですね。

-----------------------------------------------------------
こんなとこですか。
ベロ様=電波男様、お気に触られましたらごめんなさい。

[624]栗花 馨 05/06/18 19:20 85KeaIhTUs
桐山氏のモト弟子っていろいろですねの参考資料です。

新事実がありましたら遠慮しないでおしらせください。


-----------------------------------------------------------
こんなとこですか。
ベロ様=電波男様、お気に触られましたらごめんなさい。


[625]○○屋 05/06/18 20:55 ttnonap.S4
池田さん

私も青年会議所には所属していました。今は卒業していますが、阿含宗は世間的な色々な仕組みから乖離している、そんな感じがしました。

青年会議所は娑婆っ気が特に強い団体ですから、そのように感じたのかもしれません。

世間的な一通りの常識というか、非常識というか、普通レベルというか、そんなものを阿含宗の若い人たちは受け入れないで大人になっているような気がします。

案外、猊下は裏も表も知った上で、色々な話をしているんでしょうね。
[626]ユビキタス 05/06/18 22:31 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
ジミズ尊者は後回しにして現役信者の○○屋さんにレスしましょう。
ジミズさんの
書き込み内容とも関連するところがありますので。
そもそもジミズさんへの反論はケチを付けた相手の2ちゃんからも返されるでしょうし。

>>602
まず、私も理科系に弱いが○○屋さんも弱そうですね。
万有引力の法則をきちんと説明できないでしょう。
質量を持つ物体間に普遍的に働く引力として、二つの物体間に働く引力は、両者のを結ぶ
直線の方向に沿い、その大きさは二物体の質量m・m´の積に比例し、相互の距離rの
二乗に反比例する。その法則は単なる頭の中の理論だけでなく、地上における実験と
天体観測により実証されているわけです。比例定数Gは万有引力定数といわれ、
このGを室内の実験によって得ているわけです
二人の人間が1メートルの距離にある時の
引力は極小でも、地球と月の間に働く引力はかなりでかいのです。それぞれ数値も
得られています。
で、不得意の物理学の話でなく、こういう実証科学により実証されたものは、
それを応用・活用するにあたり、その実証方法をいちいち試さないと活用できない
なんて話はなく、もはやその発見を法則にして、その活用だけに努力を注げばよい
自然科学ならぬ技術の世界と比較をして、煩悩が人間の輪廻の苦の原因となるのなら
輪廻を透視する宿命智の通力などがなくても、煩悩が尽きる漏尽智の追求だけでよい
と示しただけです。

そして赤ん坊の煩悩の件ですが、十二縁起の法則とは関係の法則ですから、生の前提に
妄愛と執着があり、さらにさかのぼり無明無知があるわけです。赤ん坊として生まれたのは
渇愛があるから生じるのです。そして私も生に対する根源的な欲求と書いています。
渇愛がなくなれば赤ん坊として生まれてくることもなくなる。すると今存在している
赤ん坊は煩悩の産物なんだから、前に○○屋さんが自分でもわけがわからないように
書いていたように自殺する以外には来世のなくなる完全な涅槃を勝ち取るしか価値がない
かのような、おかしな人生観になります。
釈尊は赤ん坊が悪業の産物であるかのような忌避の感覚での生の否定など説いていないのです。
それを示そうと考えていたネタをジミズさんが>>605で経典を示しおかしな解釈をしてくれ
>>611で岡目さんが正しい解釈で反論してくれた。
つづく
[627]ユビキタス 05/06/18 23:14 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>626の続き

>>605でジミズさんは生まれによりバラモンなのではない。業によってバラモンなのである。
という有名なスッタニパータの詩句を紹介している。
これは桐山もまた「人間改造の原理と方法」の冒頭で示しているから読んでみて下さい。
ジミズさんと似たような間違いをしている。
ジミズさんは生まれによってを〜でないの生まれを家柄とした。家柄によって
バラモンなのではなく、業という運命によってバラモンなのだと示した。
桐山はジミズさんとは少し違い、この場合の生まれとは家柄をさすのではなく、単に
生まれつきということだろうとしている。つまり生まれつきでバラモンなのではなく
業によってバラモンとなったのだとした。そしてその業とは何かを追求するのが本書の
テーマであると持っていくのであるが、結局はこんな簡単な経典の解釈ができていない
のがわかり大爆笑なのです。結局この業を運命の動力と捉える旧式のバラモン教の
カルマ論から一歩も抜け出せていない。
生まれつきに見える現象は実は生まれつきではないのだが、生まれつきに見えるように
導引する業というものがあるという運命観なのです。これはジミズカルマ論と共通する。
このスッタニパータをまともに読めばわかるが、この業とは運命の業ではなく、
今自分が為している為してきた為そうとしている行いをさすのです。
それが>>611の岡目さんの反論です。
人が盗賊となるのは生まれつきでも運命でもなく盗みをしようと考えた悪念の産物であり、
それを行いとして実行したからなのです。あたりまえのことですが。
だから悪い念を起こさず悪い行いをしなければ盗賊にはならない、それだけなんです。
だから悪い行いをするなと教えるのみです。運命なんてややこしい言い訳を持ってこないのです。
バラモンが人間として最高の地位と当時のバラモン教社会のカーストが制定するならば
それはカースト制とは別の思想で、つまり人間として立派な行いをした人なんだから
彼こそがバラモンなんだと示す。つまりは現実はシュードラという奴隷の運命にある人で
あっても、その人の行いが清らかで正しく立派ならば、私は彼をバラモンと呼ぼうでは
ないかと、これは当時のカースト制の思想に真っ向から反対し、四姓平等を説き、
人間というものは今の行いこそが重要なのであるという思想の革新であり、またもっとも
あたりまえと我々でも納得のいく教えです。
[628]ユビキタス 05/06/18 23:36 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>627の続き

だから赤ん坊の生じる背景に生に対する根源的な欲求としての渇愛があろうとも
だからこの赤ん坊はもはや罪深い存在であるからその罪業を解かねば生きている価値などない
と辱める思想なのではないのです。
無明無知の流れの中に赤ん坊が生じたからと言ってそれがなんなのであろうか?
要は、この赤ん坊はまだ分別もなく己の生存欲の本能にしたがって母乳を求めるだけの
存在で、人を殺すことも、盗みをすることも、邪淫を為すことも、嘘をつくことも
まだ無縁の存在で、いわば世間で言うとおりの無垢な状態です。
この赤ん坊が悪に染まるも立派な行いをする清らかな人に成長するのも今後に
かかっている。だから今これから悪いことをせずに善いことをしましょう、そう育てましょう
と教えるのです。そうするとこの赤ん坊も盗賊になることはなく、人間として最高の徳を持つ
とされるバラモンと等しくなれるのである。来世でなく今この現世で。
それはカースト制の制限するバラモンではなく、実はこの赤ん坊が奴隷のカーストのまま
一生抜け出せない運命であっても、この人の生涯はバラモンではないかとその精神性を
強調したのが釈尊の精神革命なのです。奴隷の一生でも彼の心は平安なのです。
そういう道を説いた。
十二縁起の観法とはすべての苦の根源が煩悩にあるのだから、過去からのことなんか
思い煩っても仕方ないのだから、今これから煩悩を離れる為に行うのですよ。
運命の業報をどうこうしようという話ではない。
今自分ができる行いを改めましょうという教えです。
だって過去に為した行いは改められないのだから、今とこれからを改めるしかない。
人は運命によってバラモンではなく、今これからの清らかな行いそのものがバラモンなのです。
[629]池田慈水 05/06/19 00:04 uyMjH0CPLl
ユビキタスだって「随眠」という言葉を知っているだろ。自分で間違ってることを知ってるよ。

煩悩は眠っている、種子の如く眠っている、だから、随眠という名前が付いた。成長の過程で身につけるような代物ではない。
随眠の異名が、漏尽通の「漏」だよ。

煩悩=随眠=漏=家族的な深層意識>>>従って、生まれた時点で、
持っているものであり、成長の過程で身に着けたり増えたりするものではなく、成長の過程で、底から発芽し、衝動として人生を呑み込んで行く物であり、人生をはっきりと動かし始めた時点では、暴流と呼ばれたり、テン(漢字がチョット出ないが)と呼ばれたりする。
ですからユビキタスは、赤ちゃんが、生まれながらに霊障をもって生まれてきており、煩悩を心の奥に持ってきて生まれてきてしまう、ということを認めていない点で、明らかにミスを犯している。ユビ自身がついに認めようとしないので、ここに彼のミスを告発する。
[630]池田慈水 05/06/19 00:07 uyMjH0CPLl
パトラッシュ、お前、青木さやか、嫌いだろ?
[631]栗花 馨 05/06/19 00:24 93J9OOA73f
シャカの子供

らごら

密行第一
[632]池田慈水 05/06/19 00:27 uyMjH0CPLl
煩悩から解脱すれば、釈迦牟尼の目指した修行は完成だ。
煩悩とは、その家庭に流れる霊障である。桐山は、運命の星だとか、因縁だとか呼んでいるが、ソンデイは家族的運命衝動と呼んでいる。同じものである。
仏典では、この煩悩が深層意識に眠った状態で存在することから、随眠と呼んでいる。別名が、漏である。漏を滅し尽くせば漏尽通である。
簡単でしょう。
桐山は、この煩悩を運命学から導き出しから、星だとか、因縁だとか呼ぶわけである。ソンデイはDNAの中に内在する家族的な衝動因子があると考えている。
こういう当たり前の話に何の疑問があるのだろうか?
ユビキタスは、ハハハ(爆笑)何を血迷ってるのか?
[633]池田慈水 05/06/19 00:29 uyMjH0CPLl
パトラッシュ、お前、ユビキタス、嫌いだろ?
[634]星祭@ごう 05/06/19 00:31 yPJNkrt/9I
>業という運命によって・・・もう、ここから勝手な飛躍がはじまっています。人生の軌道があるとするならば、それを運命という、では、その運命の正体はなにかなにがそうさせるのか、それが業ということです。
[635]栗花 馨 05/06/19 00:41 93J9OOA73f
ユビキタスはシャカの教えではなく小学生の道徳の時間程度

赤ん坊

赤ん坊、我が身これ不浄

赤ん坊、受は苦

赤ん坊、心は無常

赤ん坊、法は無我
[636]星祭@為すもの 05/06/19 00:41 yPJNkrt/9I
>627、>自分が為してきた為している為そうとしている、過去、現在、未来へと引き継がれる業の特質をもって説明しているというわけでしょう。当然、過去からなした業による「生まれつき」もはいりますよ。大爆笑する意味がわからない、あなたの単なる感情の爆発でしょう(笑)。
[637]ユビキタス 05/06/19 00:42 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
さて、ジミズさんに対してのレスに入るかな。
>>606で随眠について述べているが、別に授業料など払わずとも、あなたも私が知っている
はずだと説くように、桐山の「人間開発の原理と方法」にその煩悩の働きに随眠という
根の深い作用があることを示しています。
しかしその著書の巻末の参考・引用文献が明記されているように、随眠とはアビダルマ仏教
で考察されたわけで桐山の独創でも着眼でもなく、学者の説く著書を引用しているに過ぎない。
深層心理を考慮した着眼からフロイトからソンディにも考慮が及ぶのもかまわない。
なんら偉い話でもない。
ソンディの家族的無意識にまで及んでもよい。
しかしそういうものも含めた煩悩の考察も
そこまでなのです。だから釈尊は煩悩は家族的無意識を含んだからと言って、だから
どうしろと言っているのか?
あ?先祖の遺伝欲求もあるのか?こりゃ参ったなあ。自分の中のアカの他人がいた日にゃ
自己確立もあったものじゃない。すまんすまん。安易に自己確立なんて言うべきでなかった。
訂正するよ。まず霊障を解いて先祖の怨念を解消させなさい。それが煩悩を脱し
自己確立を果たす絶対必要条件である。
なんてことが阿含経のどこに書いてあるの?
結局は深層心理学なんて自分の努力だけではどうにもならないと言い訳の道具に使って
いるに過ぎない。随眠のごとく根が深くとも、否、根が深いからこそ余計に意識的努力を
怠るなと教えるのが釈尊の自己確立の教えなのです。
己の煩悩を克服して自己を統御した人こそ勝利者だと説いた釈尊がいつどこで
先祖供養による自己の成道を説いたか根拠を示して下さい。
これは>>588のジミズさんの立場も同じで、因と縁という概念を持ち出してもよいが
原因と条件の法則を持ち出してもよいが、そこまでが仏教との接点であり、カルマの因と
霊障の縁だの、霊障の根拠の桐山ソンディなど出したところで、その時点で仏教から
離れて自分の好きな思想を語っているだけなんです。
つまりもはや阿含宗を仏教として考察することを放棄したのです。
ソンディのいうフーガ(逃走)の症状を被験者が示したからと言って、釈尊は
お?フーガだ、だめだこりゃ、こっちも自己確立の努力からフーガして何か不可思議な
力に頼る逃避の姿勢で臨もうとどこに書いてあるのか?
仏教の説くところとそこからの飛躍と逸脱を区別して下さい。
こちらの観察では区別はついてますよ。
[638]栗花 馨 05/06/19 00:43 93J9OOA73f
九つの穴からは、常に不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、鼻からは鼻汁、口からは或る時は胆汁を吐き、或る時は痰を吐く、全身からは汗と垢とを排泄する
頭蓋骨は空洞であり、脳髄に充ちている。しかるに愚か者は無明に覆われて身体を清らかなものだと思い込んでいる
[639]星祭@運と能力 05/06/19 00:53 yPJNkrt/9I
人間の改造とは、つまりは「業の改造」だということになるのではなかろうか・・・、とゲイカは述べる。そして、それは運と能力を決定するのが業だともいう。運、まあ、これはつまりは「生まれつき」の改造でしょう。しかし、能力は現世での行為そのものによるところの改造にほかならない。あなたの言っていることは本の一部しか理解していない(あるいは理解しようとしない)片手落ち、早とちり、よく読みこなせない。あいかわらずですね。
[640]池田慈水 05/06/19 00:54 uyMjH0CPLl
煩悩を解脱するために必要なことは、まずそれが深層記憶にあるのであるから、深層意識まで、思念を届けなければならない。つまり単純な言い方で言えば、深い瞑想(深い行)が必要である。

ソンデイは何と言っているかというと、自我の、超越作用、架け橋作用、交流作用に期待する、(易しく言えばだよ)と言っている。まず自我が煩悩を認識し、それを乗り越えようとする、そして、大きな全体的自我と架け橋を渡し、統合しようとする。さらに、神や、他者(他人)と交流をして補正活動をする。そういう3つの精神作用によって運命衝動から人は自由になるのだと言う訳だ。

ですから、深い行によって、修行者は煩悩を知覚しなければならない。ついで、それをはっきりと表層意識に上らせて自我意識で乗り越え統合しなければならない。ついで、神への信仰や他人との心の交流を持つことで、魂を癒さなければならないのである。

ま、原理は言うのは簡単。でも、煩悩を知覚するのは非常に難しいです。何しろ随眠と言うくらいで普段は眠ってますからね。どうするんですか?ユビキタスのような大乗仏教がぶつぶつ呟いているような表面的な修行で、煩悩を知覚できると思いますか?
優れた密教修行者ならばそれが出来るのです。桐山が阿含経を密教の様式で行じましょうと、言っているのには訳がある。
私も思念を深いところに届けることが出来るんです。訓練しましたからね。
桐山を否定したら、損でい。(ソンデイ)
うわ、寒。
[641]星祭@バラモン 05/06/19 00:58 yPJNkrt/9I
で、バラモンについてだが、釈迦の考えた古のバラモンとはー覚った人(ブッダ)−を私はバラモンと呼ぶ。とスッタ・ニパータで述べている。行為(修行)によってバラモンとなる。当たり前のことです。
[642]池田慈水 05/06/19 01:00 uyMjH0CPLl
パトラッシュ、え? 桐山先生に飼われたいって? 俺を裏切るなよ。
[643]池田慈水 05/06/19 01:07 uyMjH0CPLl
かくして、ユビキタスの主張は全て崩れ去り、と来たもんだー。♪
[644]池田慈水 05/06/19 01:13 uyMjH0CPLl
640で論理的に証明できました。現代日本で阿含経的解脱を果たすには、桐山阿含密教が必要な要素であることが確認されました。

パトラッシュが勝利の雄たけびを上げております。


ま、そういう訳だからさ、敵である「煩悩」という奴がすごく強敵だから、「桐山」と言う強烈な奴を使わないと、太刀打ちできないんだと、簡単に思ってくれたまえ。必要なのだよ、桐山がね、この戦いに勝つために。
[645]星祭@行 05/06/19 01:14 yPJNkrt/9I
「およそ苦しみがおきるのはすべて潜在的形成力に縁って起るのである。」十二因縁の「行」を中村博士が訳したものだが、潜在的形成力がたんなる「欲」だけとは考えられない、サンスクリットのサンスカーラのことで、刻み込められたり、蓄えられたりして潜在的にあるものがもつ将来にものごとを作っていく力のことらしい、霊障の作用はこの中に含まれるであろう。
[646]栗花 馨 05/06/19 01:18 93J9OOA73f
苦滅道聖諦

苦の教
渇愛は迷いの生涯を引き起こす。

で、なんとかする。

正命 邪しまな生活→正しい生活。
正精進 貪瞋痴→ないならないまま、あるならなくす。
    不貪不瞋不痴→ないならあるようにし、あるならキープ。
正業 殺さない。盗まない。邪淫セックスオナ禁。
正語 二枚舌、悪口、嘘、無駄話を禁止。
正思 貪瞋痴のとき考えない

正念 身受心法ただしく思う。正智で、貪瞋痴を捨す。
正定 有尋有伺 無尋無伺 第三定 第四定 正念正智 不貪不瞋不痴
正見 四つの智慧 貪瞋痴、の生、の滅、の方法

八正道によって
渇愛を滅して執着なきに
いたる。
[647]栗花 馨 05/06/19 01:21 93J9OOA73f
渇愛は自分だけの渇愛というものではない。

先祖家族の渇愛もふくまれているのである。
[648]池田慈水 05/06/19 01:31 uyMjH0CPLl
[645]星祭@行さんの言う「潜在的形成力」を認めたければ、煩悩自体が存在しないことになり、釈迦仏教の存在自体が無意味となってしまうことが、分らんかーーーーーー!ユビキタス、お前はそこまであほなのかーーーーー!
[649]池田慈水 05/06/19 01:31 uyMjH0CPLl
認めたければ、   訂正 →  認めなければ、
[650]池田慈水 05/06/19 01:34 uyMjH0CPLl
ああ、ばかばかしい、もう寝ます。
青木さやかの夢でも見よ。
[651]服部エンタープライズ社長 05/06/19 02:44 *vOys31uzjgw*.ZJ7fElFv0


  スポック「多数の要求は少数の要求に勝る」 ・・・・!?


             カーク 「・・・・・!!??・・・


  カークしてカークは連邦史上最も有名な方になりました・・ とさ!!!???


[652]こうもり 05/06/19 08:28 ZdNFhOauTT
>>640>>644 池田先生、一部疑問点(反論的)があるので後日質問していいですか?
[653]岡目 05/06/19 10:17 gVA2Gg4Rv6
>>619ジミズさん
お答えいただきまして 有り難うございました。ですが、今ひとつ納得行かないのですよね。あなたは、千座行を5年かけて、みごと達成し、桐山の著書である「念力」から、チャクラ開発の修行を独自になしとげて、あるていど、修行から納得のいく結果を得た。(ご自分では アナゴンといわれる)
それで、どうして、桐山から 離れることになったのか、ということが、こちらに伝わってこないのです。つまり、あなたは、ジユンテイ如来の加持力
には桐山を介せずに信仰し、チャクラ開発については 桐山の方法を信じて、自分なりの考えで、修行してきたといわれるのかな。解脱供養は しなかったのですか、梵行は どうなのですか?
仏道に関しては、自分の力で、やっていけるという 自信はたいしたものですが、それだけで、桐山の下を離れるということも、聞いている、私の気持ちが 納得できないのです。
これだけ、師のことを 擁護するあなたが、桐山と 呼び捨てにしているのも よくわからない。どうして、桐山から離れたのか、そこのところをもうすこし書いていただければ、あなたの人となりを 少々は、理解できるのではないかと 思っています。 
[654]岡目 05/06/19 10:45 gVA2Gg4Rv6
>>627ユビキタスさん
「このスッタニパータをまともに読めばわかるが、この業とは運命の業ではなく、
今自分が為している為してきた為そうとしている行いをさすのです。
それが>>611の岡目さんの反論です。」
ユビキタスさん ここに至って、私の言おうとしているところが、ニュアンス的に、ユビキタスさんの考えとも、若干違ったものであることを 御知らせしておきます。ジミズさんや、 星祭りさんは ここで述べられている 業を 即 運命だと解釈し、ユビキタスさんは、行為に 重きがあると、解釈されているようです。私も最初は そう読んでいたし、解釈していたのですが、ジミズさんや、星祭りさんを 勘違いともいえないのです。
赤んぼうの 話もそうなのですが、ユビキタスさんは、無垢な存在だとし
ジミズさんは 赤ん坊であろうとも、随眠(煩悩)・・霊障を宿していると考えておられるようです。確かに 氏より育ち(ユビキタスさん風)の考え方と(三つごの魂百まで、栴檀は双葉より神場氏
[655]岡目 05/06/19 11:05 gVA2Gg4Rv6
つづきです。 途中できれてしまいました。
みつごの魂百まで、栴檀は、双葉よりかんばし〕ジミズさん風の考え方とありまして、このスッタニパータからは どちらがどうとは いえないと思うのです。中をとる というわけでもないのですが、どちらの考え方も許容したうえで、(ただし、霊障 は認めませんよ)
たまたま、今生において、業の果が 発現している ・・と考えたら、どうかなと おもったのです。釈尊ですら、何回も輪廻を重ねて、(過去世でうさぎだった という話も ありました。雪山童子 の説話も あったじゃないですか、輪廻思想というものを 詳しく調べてみないと はっきりしないのですが、何百、何千、何万という 過去世からの 引継ぎで、現在の自分という存在があるのではないでしょうか。それも、今生の 1代まえの前世の結果 今生があるというのではなしに、それこそ、たまたま、何かの縁で
業の果が 今生(こんせい)現れている。と 考えたほうが わかりやすいのではないかと思います。

[656]岡目 05/06/19 11:15 gVA2Gg4Rv6
人間は こういう輪廻を果てしなく繰り返して、進歩(?)していくものではないのでしょうか。
だからこそ、今 現在を厳しく見つめて、悪業を積まない生活方法を釈尊はすすめ、実践されたのではないでしょうか。詐欺商売風情の 桐山に 弱みを握られることなど、はなっから、ないのです。桐山だけではありません。
人間の心の弱みを利用した詐欺まがいの宗教はすべて、断じられてとうぜんであり、現在の法律で裁けない 以上は、 我々が、賢くならざるを得ないのです。
[657]実行委員長 05/06/19 12:55 SM8UOGNDy6
賢くなる方法が求聞持法です。
[658]池田慈水 05/06/19 14:00 uyMjH0CPLl
[655]岡目さんの内容は私も同じ意見ですよ。
[654]については、業 即 運命はありえない話だと思います。業があっても、煩悩は生じないんですよ。縁がなければ苦しみが起こらないでしょう。潜在していた家族的無意識と言うものが動き出して、呑み込まれ、運命のスイッチが入ってから、様々な運命を生じさせる設定作りが起きて、運命の引き金が引かれる訳ですから。その一連の流れが苦しいのであって、それが煩悩なんですから。
業を背負った人間が、その家に赤子として生まれると言うことで、運命が背負わされるのです。生まれた時点で、背負ってますからね。
だとしなければ、如来がこの世に如来として生まれて来てしまうではないですか。罪穢れの無い如来が、輪廻転生をしないと言うことが、崩れてしまうですよ。分るでしょ?
[659]岡目 05/06/19 14:59 gVA2Gg4Rv6
実行さんは   「だめだ こりゃ」 です。話のレベルを下げないで下さい。今 ジミズさんと いい話(?)をしている最中なのです。
[660]栗花 馨 05/06/19 15:17 7cCbiuUeVn
  『業 力』
    ‖
 先天⇔業
 +  ‖
 後天⇔業
    ‖
  『業 道』
    ↓
先天=業=生=業=先天+後天
 +    老
後天     病
        死   
[661]栗花 馨 05/06/19 15:29 7cCbiuUeVn
比丘たちよ、汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少
しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林にあるそれ
といずれが多いであろうか

大徳よ、世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少な
く、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます

比丘たちよ、それとおなじように、わたしが証知して、しか
も、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いので
ある。
[662]栗花 馨 05/06/19 15:34 7cCbiuUeVn
非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』


少ない
 ↓
『シャク尊自身が、証知していて弟子に説ける事実内容』


[663]栗花 馨 05/06/19 15:37 7cCbiuUeVn
釈迦は
伝聞より、本人の実際の経験重視。

ハード
ソフト
センサー

の能力のバランスが前提

本人が自分で実際に感知できないと意味が無し
[664]ユビキタス 05/06/19 15:41 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
>[629]池田慈水 05/06/19 00:04 uyMjH0CPLl
>ユビキタスだって「随眠」という言葉を知っているだろ。自分で間違ってることを知ってるよ。
>煩悩は眠っている、種子の如く眠っている、だから、随眠という名前が付いた。成長の過程で身につけるような代物ではない。
>随眠の異名が、漏尽通の「漏」だよ。
>煩悩=随眠=漏=家族的な深層意識>>>従って、生まれた時点で、
持っているものであり、成長の過程で身に着けたり増えたりするものではなく、成長の過程で、底から発芽し、衝動として人生を呑み込んで行く物であり、人生をはっきりと動かし始めた時点では、暴流と呼ばれたり、テン(漢字がチョット出ないが)と呼ばれたりする。

ここまではよい。が次が仏典になど根拠がない。

>ですからユビキタスは、赤ちゃんが、生まれながらに霊障をもって生まれてきており、煩悩を心の奥に持ってきて生まれてきてしまう、ということを認めていない点で、明らかにミスを犯している。ユビ自身がついに認めようとしないので、ここに彼のミスを告発する。

生まれながらにして根源的な生の欲求としての煩悩を持っていることと
先祖の霊障という特殊なケースの区別がついていない。
そういうニュアンスの記載が仏典に見当たりません。
[665]栗花 馨 05/06/19 15:42 7cCbiuUeVn
シャク尊の指導。

人について

ハード
ソフト
センサー

の八正道という機能構築が前提

その目的に役に立つことしか説かないようにし
方法の実践のみに重点をおいて
弟子本人の力を集中させた。
[666]栗花 馨 05/06/19 15:44 GoRGEoUS
非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』

しかし

弟子があるレベルまでくれば自然と実感できる。

明知

[667]ユビキタス 05/06/19 15:46 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
>[632]池田慈水 05/06/19 00:27 uyMjH0CPLl
>煩悩から解脱すれば、釈迦牟尼の目指した修行は完成だ。

これはよい。しかし次が仏典に根拠がない。

>煩悩とは、その家庭に流れる霊障である。桐山は、運命の星だとか、因縁だとか呼んでいるが、ソンデイは家族的運命衝動と呼んでいる。同じものである。

ついでに言うと家族的運命衝動などは霊障ではない。あなたがソンディ心理学に
無知なだけです。

>仏典では、この煩悩が深層意識に眠った状態で存在することから、随眠と呼んでいる。別名が、漏である。漏を滅し尽くせば漏尽通である。
簡単でしょう。

これもここまではよいのだが、その後が問題です。

>桐山は、この煩悩を運命学から導き出しから、星だとか、因縁だとか呼ぶわけである。ソンデイはDNAの中に内在する家族的な衝動因子があると考えている。
>こういう当たり前の話に何の疑問があるのだろうか?
>ユビキタスは、ハハハ(爆笑)何を血迷ってるのか?
[668]栗花 馨 05/06/19 15:49 7cCbiuUeVn
非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』

時間軸に意味を並べる言語によっては伝達は不可能

で、
弟子があるレベルまでくれば自然と実感できる。

明知

誰かが達しているレベルは達している者からは自然に感知できる。

釈迦の集まりで達成すれば自然と感知し共有できる。

善(不貪不瞋不痴)知識⇔善(不貪不瞋不痴)知識


[669]栗花 馨 05/06/19 15:51 7cCbiuUeVn
苦滅道聖諦

苦の教

渇愛は迷いの生涯を引き起こす。

で、なんとかする。

正命 邪しまな生活→正しい生活。
正精進 貪瞋痴→ないならないまま、あるならなくす。
    不貪不瞋不痴→ないならあるようにし、あるならキープ。
正業 殺さない。盗まない。邪淫セックスオナ禁。
正語 二枚舌、悪口、嘘、無駄話を禁止。
正思 貪瞋痴のとき考えない

正念 身受心法ただしく思う。正智で、貪瞋痴を捨す。
正定 有尋有伺 無尋無伺 第三定 第四定 正念正智 不貪不瞋不痴
正見 四つの智慧 貪瞋痴、の生、の滅、の方法

八正道によって
渇愛を滅して執着なきに
いたる。

善(不貪不瞋不痴)知識⇔善(不貪不瞋不痴)知識⇔善(不貪不瞋不痴)知識

[670]ユビキタス 05/06/19 15:52 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
>[640]池田慈水 05/06/19 00:54 uyMjH0CPLl
>煩悩を解脱するために必要なことは、まずそれが深層記憶にあるのであるから、深層意識まで、思念を届けなければならない。つまり単純な言い方で言えば、深い瞑想(深い行)が必要である。

記憶はともかく、深い瞑想というのはよい。
表面的な努力で簡単に克服できるようなものでもない。

ソンデイは何と言っているかというと、自我の、超越作用、架け橋作用、交流作用に期待する、(易しく言えばだよ)と言っている。まず自我が煩悩を認識し、それを乗り越えようとする、そして、大きな全体的自我と架け橋を渡し、統合しようとする。

ソンディを引っ張り出したこれもよいが、以下の概念は仏教に反する。

>さらに、神や、他者(他人)と交流をして補正活動をする。そういう3つの精神作用によって運命衝動から人は自由になるのだと言う訳だ。

さらに

>ですから、深い行によって、修行者は煩悩を知覚しなければならない。ついで、それをはっきりと表層意識に上らせて自我意識で乗り越え統合しなければならない。

これはよい。しかし以下は仏教に反する。

>ついで、神への信仰や他人との心の交流を持つことで、魂を癒さなければならないのである。
[671]栗花 馨 05/06/19 15:54 7cCbiuUeVn
渇愛は迷いの生涯を引き起こす

渇愛は本人のだけではない。


先祖の渇愛
家族の渇愛も渇愛

で、釈迦の究極の実践には出家が必要なのである。
[672]ユビキタス 05/06/19 15:58 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
>[645]星祭@行 05/06/19 01:14 yPJNkrt/9I
>「およそ苦しみがおきるのはすべて潜在的形成力に縁って起るのである。」十二因縁の「行」を中村博士が訳したものだが、潜在的形成力がたんなる「欲」だけとは考えられない、サンスクリットのサンスカーラのことで、刻み込められたり、蓄えられたりして潜在的にあるものがもつ将来にものごとを作っていく力のことらしい、

ここまではよい。しかしこの後は全く根拠がない。

>霊障の作用はこの中に含まれるであろう。

ジミズさんといい、星祭さんといい、煩悩論を根深いものとして考察するのは
よいのですが、唐突に先祖の霊的な影響という仏典にこれっぽっちも見られない
概念が混入するのです。
それはどうやら間違った桐山ソンディあたりに根拠を求めたい希望らしいが、
この時点で仏典からは離れてしまっている事実だけは、ロムする皆さんは
正確に観察してください。
[673]栗花 馨 05/06/19 16:00 7cCbiuUeVn
桐山氏は神仏陀習合修験者ですね。


仏典にないことは非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』

[674]ユビキタス 05/06/19 16:00 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
>[671]栗花 馨 05/06/19 15:54 7cCbiuUeVn
>渇愛は迷いの生涯を引き起こす
>渇愛は本人のだけではない。
>先祖の渇愛
>家族の渇愛も渇愛
>で、釈迦の究極の実践には出家が必要なのである。

これもね。
先祖の渇愛は先祖自身が対処するもの。
家族の渇愛はその構成員各自が対処するもの。
[675]ユビキタス 05/06/19 16:03 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
>[634]星祭@ごう 05/06/19 00:31 yPJNkrt/9I
>>業という運命によって・・・もう、ここから勝手な飛躍がはじまっています。人生の軌道があるとするならば、それを運命という、では、その運命の正体はなにかなにがそうさせるのか、それが業ということです。

ほらね。業と運命を安易に結びつけることを飛躍と言いながら、結論は
業を運命を動かす正体と、運命論で考えている。
[676]栗花 馨 05/06/19 16:03 7cCbiuUeVn

単純な修行さえも失敗して心が狂乱しているものの言葉は

仏典の記録にかんしての理解さえも大きく間違っている。

[677]栗花 馨 05/06/19 16:04 7cCbiuUeVn


大きく間違っています

これもね。
先祖の渇愛は先祖自身が対処するもの。
家族の渇愛はその構成員各自が対処するもの。
[678]栗花 馨 05/06/19 16:06 7cCbiuUeVn
仏典にないことは非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』

致命的大間違い

これもね。
先祖の渇愛は先祖自身が対処するもの。
家族の渇愛はその構成員各自が対処するもの。


[679]ユビキタス 05/06/19 16:07 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
>[636]星祭@為すもの 05/06/19 00:41 yPJNkrt/9I
>>627、>自分が為してきた為している為そうとしている、過去、現在、未来へと引き継がれる業の特質をもって説明しているというわけでしょう。当然、過去からなした業による「生まれつき」もはいりますよ。大爆笑する意味がわからない、あなたの単なる感情の爆発でしょう(笑)。

ほらね。生まれつきの肯定でしょ?
桐山は「生まれによってバラモンではない」を生まれつきによってバラモン
なのではなく、業(敢えて行為と訳さない)によってバラモンなのである
と論じていく。
して、やっぱし生まれつきの業、運命と言いたいわけです。
スッタニパータの釈尊の言に反しているわけです。
[680]栗花 馨 05/06/19 16:08 7cCbiuUeVn
渇愛はかんたんなものではない

  『業 力』
    ‖
 先天⇔業
 +  ‖
 後天⇔業
    ‖
  『業 道』
    ↓
先天=業=生=業=先天+後天
 +    老
後天     病
        死
[681]ユビキタス 05/06/19 16:11 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
>[639]星祭@運と能力 05/06/19 00:53 yPJNkrt/9I
>人間の改造とは、つまりは「業の改造」だということになるのではなかろうか・・・、とゲイカは述べる。そして、それは運と能力を決定するのが業だともいう。運、まあ、これはつまりは「生まれつき」の改造でしょう。しかし、能力は現世での行為そのものによるところの改造にほかならない。あなたの言っていることは本の一部しか理解していない(あるいは理解しようとしない)片手落ち、早とちり、よく読みこなせない。あいかわらずですね。

しかも生まれつきの改造と、こりゃもう真正なる業=生まれつきの運命
と解釈して、その改造などとした。
ここで釈尊のいう業は今この場における自分の行為のことなのです。
今この場の自分の行為の改造、改革を説いているのであり、運命の改造
など説いていません。
[682]栗花 馨 05/06/19 16:12 7cCbiuUeVn
まさに

 桐山氏に失恋し狂乱するホモ

清められた分以上に汚れて続けていく。

慰めに仏典をテッシュにし狂乱するホモ

渇愛はかんたんなものではない

渇愛はかんたんなものではない
[683]栗花 馨 05/06/19 16:16 7cCbiuUeVn
たとえるなら
桐山氏は秘密の宝庫の扉の鍵を探していました。

仏典にないことは非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』

致命的大間違い

これもね。
先祖の渇愛は先祖自身が対処するもの。
家族の渇愛はその構成員各自が対処するもの。
[684]ユビキタス 05/06/19 16:17 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
>[636]星祭@為すもの 05/06/19 00:41 yPJNkrt/9I
>>627、>自分が為してきた為している為そうとしている、過去、現在、未来へと引き継がれる業の特質をもって説明しているというわけでしょう。当然、過去からなした業による「生まれつき」もはいりますよ。大爆笑する意味がわからない、あなたの単なる感情の爆発でしょう(笑)。

私が>>627で「自分が為してきた為している為そうとしている」と過去形も
入れたのは、これは過去世の報いの概念を含んでいません。
盗賊となったのは、自分が今生において盗みを働いたからというあくまでも
現世限定の行為として、現在形未来形だけでなく過去形も含めたわけです。
このスッタニパータの文脈は、過去世の影響なんて概念を含まず非常に
シンプルに考えればよいのです。だから現在の自分の行為が中心なのです。
[685]ユビキタス 05/06/19 16:28 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
このスッタニパータの詩句は、人は生まれによってバラモンなのでしょうか?
行為によってバラモンなのでしょうか?という問いに長々と答えたものです。
その際に、盗賊も例に出し、また農夫や商人なども例に出している。
牛を飼う行為から農夫と呼ばれる結果が生じて、バラモンとは言わないのです。
単に農業に従事すれば農夫であり、商売に従事すれば商人であり、職能に
従事すれば職人なのです。バラモンもまたしかりで、自分が現在行った
行為をありのままに観察すれば、自ずと答えが出てくる。
前世の報いなんて概念をこの章句に微塵も記述していない。
前世の報いを乗り越える概念すらも見当たらず、ただ今現在のあなたの態度、
行為のみが問われている。そういうシンプルな教えに注目してください。
大いなる章全体を読破すると、そういう文脈にしかならないのです。
それ以上考えるのは、むしろ余計な知識が邪魔をしていると思われます。
あくまでも文脈の中で考えるべきものです。この問答に関わった人たちは
言わば、人生一期一会なんですから。
[686]ユビキタス 05/06/19 16:34 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
盗賊はともかく農夫を例に出していることも観察してください。
おまえは耕作することしか能がない田吾作だから農夫なんだという
侮辱の差別思想が釈尊の言に含蓄されていると思いますか?
おまえは前世の報いで田吾作なのだ。尊い行いをしてバラモンにでもなれや
なんてことは言ってません。
前世の行為も含めてしまうと、農夫とバラモンの間にも差別するがごとき
おかしな話になってしまうのです。
土地を耕せば農夫、心を耕せば立派なバラモン、それだけです。
前世の業なんかどうでもよい。
[687]池田慈水 05/06/19 17:52 uyMjH0CPLl
[653]岡目さんにお答えします。

「ジユンテイ如来の加持力には桐山を介せずに信仰し」、なんてこと出来ることではないでしょう。初心者の段階でできるわけ無いですよ。私はそんなこと書いてませんよ。梵行だって三身即一の如来さまへの瓦供養を為して、自宅へ、応供の如来様をいただいたことによって、成り立った訳です。その当時、桐山先生がご指導なさったことは自分なりの解釈をさしはさまないで、きちっと行じておりますよ。
千座行満願を迎えた段階で、次のメニュー提示が、遅れたのですよ。私は待てなかった。そういう時期があったと書きました。そういう一時期は無かったという人も居るかもしれません。しかし、私にとっては、ほったらかしにされた、と言う感覚は確かにありました。
わたしは、桐山先生と一緒に宗教活動を社会的に展開する事を選ばなかったのです。つまり選ばなかったのです。商人の道を選んだのです。ここで桐山擁護論を展開しているのは、かすかに、選ばなかったことの罪滅ぼしの意味があるのかもしれません。今まで気づきませんでしたが。

桐山と呼び捨てにしているは、私がニュートンのことをニュートン様と書かずに、ただニュートンと書くのと同じ理由によってです。石原慎太郎を石原慎太郎先生と書くか、あるいは石原慎太郎と呼び捨てに書くか、どちらかです。それと同様に私は桐山と書いたり桐山先生と書いたり、どちらかです。尊敬されるべき有名人として敬称を省略させていただく。
それから、釈迦の弟子たちが釈迦のことをどう思っていたかを確認してください。修行者としての先輩であって、釈迦に行動の全てを縛られていた訳でない。
お釈迦様が亡くなられたときに、一人の修行者が「もうあのいまいましい沙門から、これからは指図を受けなくて良いのだからせいせいするではないか」と言った。そのことが、カッサパをして結集を決心させた、と言うエピソードが残っています。
この修行者の態度は非常に良くないことですが、別の観点から言えば、それだけ釈迦教団は、自由で法を中心とする運営がなされていたことになります。釈迦でさえ、一人の修行者としての先輩でしかなかった訳です。なにを成すべきかが皆分かっていたのです。何をすべきか分っている池田慈水は桐山先生を一人の先輩と見ているのである。
[688]池田慈水 05/06/19 18:22 uyMjH0CPLl
[664]ユビキタス に反論します

>生まれながらにして根源的な生の欲求としての煩悩を持っていることと先祖の霊障という特殊なケースの区別がついていない。そういうニュアンスの記載が仏典に見当たりません。

とユビキタスは書いてますが、私の文章<<赤ちゃんが、生まれながらに霊障をもって生まれてきており、煩悩を心の奥に持ってきて生まれてきてしまう>>を読んでくれればわかるように、家族的な運命衝動と、煩悩とを私は同義語で使っております。霊障は特殊なケースとして私は思っていないのです。ソンデイの言う家族的な無意識、つまり運命衝動を煩悩と考えており、それは、どうしてそういうことがいえるのかと言うと、随眠と言う
言葉でお分かりのように、発芽を待って眠っているから「眠」という言葉が使われて居ることから察しられるように、普段は眠っていていつか時期が来ると暴流として人間を押し流していくのですから、これは家族的な深層意識に他ならないと分る訳です。ですから、煩悩は深層意識の1種に他ならない。それはソンデイの言う家族的無意識と同じものである、人が生まれながらに持つものである。それを、宗教家は、「先祖の霊障」という言葉で表現するものでありますから、桐山が正しい訳です。ユビキタスはとっくに論理的破綻を起こしているわけです。赤ちゃんが生まれたときに運命的な霊障、つまり家族的な深層意識を持たないとするならば、純粋で罪穢れの無い如来までがこの世に生まれてきてしまう、という仏教自体が無意味に帰すような事態が想定されてしまうのです。何度言っても屁理屈に逃げようとするユビキタスは、私がちょっと作為的に改編したスッタ二パータの引用をなじることによって話をそらせ、断末魔の様相を呈しています。哀れと言えば哀れですが、彼はこのように最初から哀れな男です。何度も論じてきたように、煩悩から解脱するには自分の瞑想なり、行が心の深層部分に届かなければなりません。いくら指導者が良くても、修行者がこのことに心を砕かなければ、修行が成功しないのです。ユビキタスは、このように修行が失敗した最悪のケースなのです。修行が失敗したのは、行を為すときの心の使い方が悪いからで、桐山のせいではありません。

と、青木さやかが、昨日、夢の中で、言ってたような、言わなかったような、(笑)
[689]池田慈水 05/06/19 18:30 uyMjH0CPLl
ユビキタスは***ジキタリス****と改名したらどうかと思う。
>和名:ジキタリス
>科名:ゴマノハグサ科
>   Scrophulariaceae
>学名:Digitalis purpurea L.
>有毒成分:Digitoxine
>葉から強心剤を抽出することはよく知られている。素人がうかつに利用すると命取りになる、嘔吐、不整脈、頭痛めまい耳鳴り、心臓機能の停止などを起こす。ユビキタスのへんてこな屁理屈を読むと、頭痛や耳鳴り最後は嘔吐まで起こす。症状が大変よく似ている。奴自身は強心臓だが。(笑)
[690]栗花 馨 05/06/19 18:40 85KeaeEsIZ
いいですか。
にくしみの執着すれば、桐山氏に失恋し狂乱するホモ。それだけです。

[686]ユビキタス 05/06/19 16:34 *3Rv70.P.g7X*YVMfGomv7O
盗賊はともかく農夫を例に出していることも観察してください。
おまえは耕作することしか能がない田吾作だから農夫なんだという
侮辱の差別思想が釈尊の言に含蓄されていると思いますか?
おまえは前世の報いで田吾作なのだ。尊い行いをしてバラモンにでもなれや
なんてことは言ってません。
前世の行為も含めてしまうと、農夫とバラモンの間にも差別するがごとき
おかしな話になってしまうのです。
土地を耕せば農夫、心を耕せば立派なバラモン、それだけです。
前世の業なんかどうでもよい。
[691]ユビキタス 05/06/19 18:58 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>688
このとっつぁんは青木さやか写真集のお世話にでもなってるのかな?
わしゃ安くても買う気にもならんが。
まあ好きずきですからどうでもよいですが。
さて、そうくると思った。
たしかにジミズさんの言わんとしていることはわかるのですよ。
煩悩は深層意識とも関係がある。だから深層心理学の世界に分け入るとソンディの
家族的無意識による衝動選択という概念にも特殊ながらふれることができる。
特殊ではなくこれが真理なんだと信じる桐山ソンディ教の信者ならば。
釈尊が煩悩の働きを説いたならば、その煩悩にも影響を与える深層心理学にソンディ学派が
いれば、釈尊とソンディは矛盾しないと単純な飛躍の発想をするわけだ。検証なしに。
で、釈尊とソンディが矛盾しないという立場に仮に立ったとしても、そのソンディ風
家族的無意識の影響下にある煩悩を想定したはよいが、問題は阿含宗におけるこの煩悩の
解消方法の現実である。
これは瓦供養20口で応供の如来写真をゲットしたジミズさんでも話にのぼらない
解脱供養があります。例祭の護摩で桐山導師により先祖の解脱供養をしてもらうのです。
一体拾萬圓也。一体や数体では不十分で大抵数拾体やります。
施主はお塔婆を前にナモナモやってるだけで、そのうちに解脱成仏されましたと通知がきます。
なんかよくわからんけれども悪い束縛が一つ離れたんだそうです。
これがあなたの言う深い瞑想による煩悩の除去なのですか?
阿含宗でも解脱供養は瞑想であるなんて説いてません。
金を代償に仏様から罪業の許しを乞うて得る儀式です。
導師のテレパシーで苦しむ先祖を昇天させるという儀式なのです。
このどちらも仏典に反する矛盾することなのです。
導師の力に頼る必要性も説かぬのです。
本来の瞑想や観察と節制努力による煩悩の解消にこういう儀式にまんまとすり替えているのです。
ジミズさんは解脱供養を何体されましたか?
あなたがどう言おうと桐山は解脱供養なしに因縁解脱が可能だなんて認めません。
だからあなたがいくら擁護しても信者からすら納得は得られません。
[692]平等性智 05/06/19 19:17 gCw6N7TRPt
そういえば伊達氏あたりも釈迦自身は先祖供養をやっていないが、
内的な供養儀礼として昇華したことは考えられる…とかなんとか
珍説を述べてましたな。(ハア?)ここの擁護派もそうだが、
阿含経からは先祖供養なりゲダツ供養なりの文証は得られないから
、桐山さんの書いた本から論拠を持ってくるしかないわけだ。
木に竹を接ぐのも大変ですなぁ。

>681ここで釈尊のいう業は今この場における自分の行為のことなのです。
今この場の自分の行為の改造、改革を説いているのであり、運命の改造
など説いていません。

クリシュナムルティなんかもそうですね。宗教的な因習や教義よりも
「いま、ここに、目覚めて在る」ことの大切さを説いた人でした。
いつの時代にも普遍的な真実はなかなか理解されがたいもので。

カルマ解脱と取引信仰の弊害については…まぁ、言わないでおきましょう。
知ってるけど、被害に遭った相手が見てたらお気の毒なんで…。(^-^;
[693]栗花 馨 05/06/19 19:18 85KeaeEsIZ
>本来の瞑想や観察と節制努力による煩悩の解消にこういう儀式にまんまと>すり替えているのです。

修行が失敗した理由がこれでよくわかりました。
すり替えているのは実はユビキタスさんですね。


[694]池田慈水 05/06/19 19:24 uyMjH0CPLl
[691]ユビキタス 解脱供養については池田慈水は知らない。
だから私の知らないことは勝手にお前は書いておれ。だが、私が論じたことに関してはしっかりお前は書け。逃げるな。
[695]ユビキタス 05/06/19 20:51 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>694
論じておるじゃないの?
煩悩に先祖から継承されたる抑圧意識の衝動選択があろうとも、そう想定しても、
釈尊はそれに対して内観と生活上の注意しか説かず、抑圧された先祖の願望の昇華だの
和解だの説かないのです。
和解する為の瞑想ってジミズ教ではどうするのですか?
桐山阿含宗では先祖供養、解脱供養をするのですよ。
そもそも答えてないってか、論じてないのがジミズさんの方なのです。
ソンディの概念だけが出てきただけで桐山は偉いと誉めて、その実その実践が何たるかを
知らないのが、おめでたいジミズさんです。
ジミズ流先祖との対審・和解の儀式って何ですか?ソンディテスト、実験衝動分析ですか?
ハンマー殺人の衝動の先祖の抑圧を持つ被験者に「ハンマーハンマーハンマー!」と連呼して
病的な先祖を経験させて、これとの調停を意識下においてはかる技術なのですか?
あなたの実践はそれとも程遠い千座行と「念力」あたりにある体操呪文ごっこです。
千座行も呪文とお経のナモナモです。
善事実行ってあなたは何の善事をどれだけ実行したのですか?
ちなみに桐山は解脱供養とボンギョーという教団への奴隷奉仕の見返りを期待させることです。
ジミズ教も桐山教も釈尊からもはずれているばかりか、ソンディの言う先祖の抑圧意識
との対審・和解ですらない。
ナモナモして和解したかのように信者に思わせているに過ぎない。
自分の無意識の意識など何も変わらない。何も変革させてない。
ただ先祖供養という言葉にだけ反応して、類似性があるかのようにいるに過ぎない。
[696]池田慈水 05/06/19 20:58 uyMjH0CPLl
人間の運命は過去に為した業と、生まれる家庭に流れる家族的無意識によって生起する。
全ては原因と条件とによって生起し、原因と条件とによって滅び去り消え行く。このことと矛盾したことは起こらない。もしあなたの考えがこのことに逸脱していれば、間違いです。
全てがこれからの行動に掛かってくる、と言うユビキタスは、その行動を縛り付けるまったくもう一人の自分が存在するという、深層心理学の初歩的な問題さえ、クリアしてない馬鹿者ですわ。宗教家がそれを霊障と名付けてもなんら違和感は無いです。これだけ強く縛り付けてますからねえ。
 ソンデイの理論によれば、職業の選択、死の様式、病気の様式、結婚の様式、この4つに関して人間は自由が利かない、と言っております。タレ目のユビキタスだって、今まで人生を生きてきてるのだから、この4つの縛りつけ、を感じてきたと思う、感じない訳無いからねえ。全員感じてるんだと思います。もちろん、私も感じてきました。
ま、反省してもらいたいねえ。
[697]ユビキタス 05/06/19 21:13 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>696
出た!このソンディ心理学に対する無知が!
その4つの条件に自由がきかないなんてことはない。
病的な先祖の意識が選ぶ強制運命しか選択できないなんてソンディは説いていない。
対立する自由運命も選べると説いているのだよ。
病的な先祖のままになる人もいるが、そうならない選択をする人もいる。
特別な修行をせずともね。
桐山ソンディしか知らないわけですね?
[698]池田慈水 05/06/19 21:21 uyMjH0CPLl
対立する自由運命も選べる そのことにも原因と条件付けがあるのです。だから注意しといたの、最初に。
[699]池田慈水 05/06/19 21:23 uyMjH0CPLl
特別な修行をせずともね。と言ってることは
特別な修行をした場合でもそういう自由が生ずることをみとめてるでねえの。違うかい?
[700]池田慈水 05/06/19 21:32 uyMjH0CPLl
全てがこれからの行動に掛かってくる、と言うユビキタスは、その行動を縛り付けるまったくもう一人の自分が存在するという、深層心理学の初歩的な問題さえ、クリアしてない馬鹿者ですわ。宗教家がそれを霊障と名付けてもなんら違和感は無いです。

生まれたばかりの赤ん坊についてのユビキタスの見解は宗教さえ始まらない世界を想定した幻想世界である。ユビキタスの見解がもし正しいなら、道徳の教科書一冊あれば、世界に理想郷が出現するはずである。ユビキタスが自分の論理的破綻を、認めないので、再度告発しとくわ。何でお前はそんなに馬鹿か?

ただし解脱供養については私はノーコメント。知らないからね、実態を。
[701]ユビキタス 05/06/19 22:04 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>700
誰が道徳の教科書一冊あれば赤ん坊は煩悩に支配されないなどと安直なことを書いた?
人間というのは弱いものだから煩悩に流されやすいのだ。
だから教えを説くということと、その教えがみーんなに浸透して、もはや煩悩を持った
人のいない超人類社会の実現とは別なことなのだ。
すべては各個人個人に関わることなので、超人類社会なんて実現はしない。
しかしだからと言って教えを説くのを諦めるのか?
もう自力には限界があるからやーめた、僕自分自身すら制御できない欠陥人間なんでしゅー
と甘えて、では神秘の力に目を移してそちらを頼ろうと現実から逃避するのか?
怠ることなく精進せよ。
たとえ輪廻が続いても気にすることなく、この現世、この瞬間を努力するだけです。
もう一度言うが釈尊は超人類社会などめざしてない。
人類の救いなど説かない。
個人が個人の責任において自己を克服せよと説くのみです。
[702]ユビキタス 05/06/19 22:32 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
で、回答がないなあ。
抑圧された先祖の欲求との対審・和解・調停をどう具体的にするのか
という方法論が。
よろしいか?解脱供養の原理論、方法論はジミズさんがまだ在籍していた頃で
まだ阿含宗を名乗る以前の観音慈恵会時代の著書「チャンネルをまわせ」(1975年刊行)
に書いてある。
特殊なテレパシーで先祖の抑圧された無意識の意識に眠る抑圧意識の形で影響を与える
先祖の怨念を強制的に解放すると。
実は私が否定しているのはこの原理論と方法論なのだ。現実もさることながら。
(現実は歴史上実在しない霊を視て供養してその怨念を解いたとかお笑いです)
人は他の人を浄めることができないと釈尊は言っているのだ。
テレパシーだろうが悟りの念だろうが。
この時代はまだ心理学上の抑圧意識程度の提示だったのが、後に阿含宗となり
守護霊を持て以降、このソンディ理論的な単なる心理学上の話ではなく、その本体、実体は
霊というものの影響なのだと説くわけです。
心理学からも逸脱する。
そして霊の問題に関して釈尊は修行上何の役にも立たないという理由で霊の問題を語らない
無記を貫くのです。
全部反対ですねえ。
それから心理学という世界が実は弱い立場なんですね。
自然科学とも違って。生理学的根拠を基盤に実験的実証をする認知心理学などに相反して
精神分析や深層心理学は単なる思想的な扱いで科学とみなさない風潮もあるのです。
心理学には限界があります。ソンディテストに基づくソンディ理論も投影法の一つです。
投影の手法などは絶対性などない。フロイトの夢分析だって、そんなものかなあと
首を傾げるでしょ?あれと同じです。
殺人者の家系に屠殺業者と外科医のいる例など紹介しているが、だからと言ってこの家系は
この遺伝圏内のこの限られ職業しか選べないはずはないのです。
現実は反例の方がいっぱい出るはずですよ。
私が大学に入り、教養課程で心理学を受講したらその先生が言ってましたよ。
先生は心理学の専門ですか?だったら私の手相を見て下さいと言ってくる人がいるほど
この世界は正しく認識されていない。
人間が占えるほどの絶対性など心理学にはなく、今後もまたそうです。
[703]星祭@存在なし? 05/06/19 22:43 yPJNkMua0L
>702歴史上存在しないとはどういう意味なのか?先祖は存在しないとでも言うのかえ(笑)。釈迦は霊も修行者も含めて業からの解脱ということを説くのであって、欲圧意識の解放以上のものを説いていることは明らかでしょう。>特殊なテレパシーで・・・これはブッダの成仏力、バイブレーションのことですよ、単なる思考の伝達とは違います。ゲイカはこの力を表現するのにこの当時こういう表現をつかった。「カルマと霊障からの脱出」ではズバリ、霊的バイブレーションと表現しているが体験からもそのとりだと思います。
[704]栗花 馨 05/06/19 22:53 85KeaeEsIZ
シャク尊が死んで、
シャク尊の一部の弟子たちによって広められた教え
清らかな心の乞食。


桐山氏は
日本の神仏習合修験道からシャク尊の教えの源流まで含めた完全仏教。
地球 国 社会 家庭 を放棄しない修験道的実践が中心。

桐山氏にシャカシャカいって文句いってもね。
桐山氏=シャク尊ではない。


[705]星祭@心理 05/06/19 22:54 yPJNkMua0L
>だからと言ってこの家系はこの遺伝圏内のこの限られ職業から選ばれないはずはないのです。・・・そういうことではなくて、大なり小なり影響を受けるということでしょう。心理学が弱い立場であれ、そういった法則が感じられるから学問になりうるのです。屁理屈もたいがいにしなさい。
[706]ユビキタス 05/06/19 23:03 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>703
歴史上実在しない先祖とはもはや説明不要の幕末の信州に上意討ちに倒れた革命の武士
など実在しなかったという話です。
これを霊の話ではなく先祖の抑圧意識の遺伝という深層心理学の問題にしても、
当の武士がいないのだから、いったい誰の抑圧意識が子孫に影響を与えるのか?
桐山のお祖父さんの嘘話にショックを受けた孫の眞寿雄がそのトラウマで偽ビール事件に
関与して刑務所に入れられたというのなら、実在しない嘘話でも十分影響を与えられる
ということにはなるけどね。
悟りは各自個人個人が自分で修行するからこそ悟るのであって、自分以外の他人は
バイブレーションだろうがテレパシーだろうが思念の相承だろうが、浄めるなんてことは
できないのです。
死んだ亡者はなおさらのこと、池に沈んだものをうんうん念じても浮かび上がりません。
人は人を清めることはできないとはダンマパダにあります。
[707]栗花 馨 05/06/19 23:08 85KealKrXD
雜阿含經卷第三十三

自詣塔寺見諸沙門の塔とは仏舎利塔でしょうね。
[708]星祭@刹那滅 05/06/19 23:09 yPJNkMua0L
>701、この瞬間、この一日をどう努力するかでしょう。先祖を供養する(という行為)ことも努力の一つでありましょう。それはそれとして、釈迦は一瞬一瞬を努力する生活などと単純なことを説いているわけではありますまい。それは「精進」という修行の徳目のひとつであって目的ではない。よく読むべきです。
[709]ikedazisui 05/06/19 23:10 uyMjH0CPLl
>人は他の人を浄めることができないと釈尊は言っているのだ

ああとこれは間違い、清めの実体験がある、私には。阿那含だからね。テレパシックな力というのは現実問題あります。阿那含ならば、こういう体験が少しはある。程度問題だが、これはあります。ユビキタスさん、これは実体験ある人しか分らないことです。テレパシックな清めが、あるんです。その人の全てが変わるほどの変革は与えないけどね。
いろいろあるよ。テレビでも、やってるでしょう。陰陽師が憑依した悪霊を清めたり、そういうことがあります。あれで清めてなければ、その人がどうなるか、考えれば、相当の救済になってるわけで、家族的霊障でも同様の清めが<ある程度は>可能ではないかなと思いますよ。
[710]栗花 馨 05/06/19 23:11 85KealKrXD
雜阿含經卷第三十三

ひとがひとを清めるってことの内容がありますね。
[711]栗花 馨 05/06/19 23:12 85KealKrXD
雜阿含經卷第三十三

輪廻転生についての内容がありますね。
[712]栗花 馨 05/06/19 23:14 85KealKrXD
ユビキタスさんは大間違いをしています。


起こったことは過去に戻せない。
しかし今できうることをするのです。ということ。
[713]ikedazisui 05/06/19 23:15 uyMjH0CPLl
まとにかく、100%確定しなければ信じないと言うのであれば、宗教は始まらないのよ。
宗教を積極的に体験したいのであれば、そういう態度は捨てないといけない。仕方ないよ。
あなたは、宗教を論じても、分らない、人。
しょうがないんだよ。あきらめたほうが良い。
[714]栗花 馨 05/06/19 23:15 85KealKrXD

単純な修行さえも失敗して心が狂乱しているものの言葉は

仏典の記録にかんしての理解さえも大きく間違っている。
[715]ユビキタス 05/06/19 23:15 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>705
そう。大なり小なり影響を受ける・・・それぐらいしか言えない。
つまり遺伝圏の衝動はあっても普通は屠殺業や外科医にならずとも職業はサラリーマンでも
運命において深刻な問題の起こらない範囲で社会化のできる程度の影響を受け入れる、
その程度でしょう。適応障害を起こした時のみ治療の対象となる。
あまり効果はないと桐山もまたソンディの現実実践を否定しているけどね。
つまりは強制運命に翻弄されて為すすべがないかのような運命の症例などソンディも
紹介していない。
投影法の手段で人間の一面を探る方法論を示してみただけで、世間ではユニークながら
市民権など得ておらず異端です。
その人間探索も占いのように当たりません。
運命を占うのが目的なのではなく、適応障害を起こす人に実存性を与える試みだからです。
[716]星祭@幕末 05/06/19 23:19 yPJNkMua0L
>706、まだ、言っているの、記録がさだかでない、と言うだけでゲイカの体験した出来事でしょうに、あなたが信じていないというだけで実際になかったと決め付けているだけでしょう。実際にそういう先祖がいる法友を知っていますが(こちらは記録に残っている。)おそろしい因果関係があきらかでして、そういうことからもゲイカは単に作り話しをしているわけではないとよくわかります。こちらはモロに先祖の抑圧意識をうけている・・・。
[717]栗花 馨 05/06/19 23:24 85KealKrXD
比丘たちよ、汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少
しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林にあるそれ
といずれが多いであろうか

大徳よ、世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少な
く、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます

比丘たちよ、それとおなじように、わたしが証知して、しか
も、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いので
ある。

非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』

少ない
 ↓
『シャク尊自身が、証知していて弟子に説く事実内容』
シャク尊の指導とは
ハード
ソフト
センサー
について八正道という機能構築の目的に役に立つことしか説かないようにし
方法の実践のみに重点をおいて
弟子本人の力を集中させた。

[718]栗花 馨 05/06/19 23:30 85KealKrXD
非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』
時間軸に意味を並べる言語によっては伝達は不可能
しかし
弟子があるレベルまでくれば自然と実感できる。

明知
誰かが達しているレベルは達している者からは自然に感知できる。
釈迦の集まりで達成すれば自然と感知し共有できる。
善(不貪不瞋不痴)知識⇔善(不貪不瞋不痴)知識


修行に失敗した人のレベルでの間違った解釈理由です。

そして霊の問題に関して釈尊は修行上何の役にも立たないという理由で霊の問題を語らない
無記を貫くのです。
[719]星祭@浄霊 05/06/19 23:33 yPJNkMua0L
>701、だから〜そのバイブレーションで妄執を断ち切られるのだから清められますよ。あんた霊障の影響といものがわかっていないな。煩悩を絶ち切ろうと自分で努力しても、どうしても出来ない、どうしても頭では納得しても、「駄目だ!」とか「許せない!」とか心の葛藤で迷いの中を廻っているような感じが解脱供養で嘘のように消え「なんで、あんなことにこだわっていたんだろう?」という感じになりますね。あなたももう少し信じて努力していたならば屁理屈もなくなったと思いますが(笑)。
[720]栗花 馨 05/06/19 23:35 85KealKrXD
心理学はうらないもその対象となりえています。

小学校の道徳の時間とは違います。
[721]ユビキタス 05/06/19 23:37 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>716
あたりまえじゃないの。
その法友さんの先祖に悲惨な死に方をした人がいたと客観的に追認できて、その法友さん
がこの影響を受けて不幸な運命をたどるのではないかという主観的な恐怖心や
あるいは既に起きた不幸を主観の希望(?)でこの先祖と結びつけた話と桐山の嘘話とは別の話です。
法友さんの先祖が実在しても桐山に影響を与えたという信州の武士が実在したことにはならず、
依然として桐山の嘘つきには変わりありません。
実に無意味な無駄な抵抗をする。
[722]星祭@三宝 05/06/19 23:42 yPJNkMua0L
釈迦に会い礼拝しただけでシュダオン、なかにはアラカンに達したという人もいることが仏典や「仏弟子の告白・テーラーガーター」などに書かれています。生者さえそうなのだから、ましてや、むきだしの霊そのものの存在は釈迦のバイブレーションにあてられて浄化してしまうことでしょう。バラモンの形だけの「石よ浮いてこい」の呪文とはまったく違うものです。釈迦は権威だけによる形だけの祭儀供養を否定したのであって祭儀供養そのものを否定していません。
[723]ユビキタス 05/06/19 23:52 *3Rv70.P.g7X*723
>>717
その栗花さんの紹介した経典は実は桐山も昭和50年代の例祭法話の阿含経講義で
紹介したことがあります。
自分(釈尊)の知っている事柄をこの森の中の葉っぱすべてとするならば、自分が
君たちに教えようとしていることはこの手のひらの中の葉っぱだけしかないのです。
つまりこの森の中の葉っぱを全部知る必要などはなく、私が示す葉っぱだけを知って
実行すればよいと説くのです。それは何かというと(煩悩からの)解脱の道なわけです。
だから必要なことはすべて釈尊の手のひらの中だけのことで、残りの葉っぱは知らなくてもよい
知る意味がないとしりぞけているのです。霊魂の問題などもそれで、とにかく修行の成否に
関係することならば、釈尊の手のひらにあるはずではずれるはずがない。
だから語らなかった中に秘伝だの重大な秘密などないのです。
[724]星祭@真実 05/06/20 00:01 yPJNkMua0L
>721、また勝手なこといって、そもそも、その法友はゲイカの本にあうまでソンデイ理論もしらなかった。恐怖どころか無頼漢に近かった。(武道家で無謀なこともしたらしい)あらためて自分を見てみるとということです。実際のこととして例があるのだから、それ以上のものはない、あなたこそ無駄な抵抗屁理屈をこねる。これこそ霊障の抑圧というものでしょう(笑)。まあ、慈水氏は金もらって攻撃しているといったりしてますが、私に言わせれば霊障のからくる妄執により悪口がやめられないとみますね。
[725]栗花 馨 05/06/20 00:03 85KealKrXD
非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』
時間軸に意味を並べる言語によっては伝達は不可能
しかし
弟子があるレベルまでくれば自然と実感できる。

明知
誰かが達しているレベルは達している者からは自然に感知できる。
釈迦の集まりで達成すれば自然と感知し共有できる。
善(不貪不瞋不痴)知識⇔善(不貪不瞋不痴)知識


修行に失敗した人のレベルでの間違った解釈理由です。

私が示す葉っぱだけを知って
実行すればよいと説くのです。それは何かというと(煩悩からの)解脱の道なわけです。
だから必要なことはすべて釈尊の手のひらの中だけのことで、残りの葉っぱは知らなくてもよい
知る意味がないとしりぞけているのです。霊魂の問題などもそれで、とにかく修行の成否に
関係することならば、釈尊の手のひらにあるはずではずれるはずがない。
だから語らなかった中に秘伝だの重大な秘密などないのです。
[726]こうもり 05/06/20 00:08 ZdNFhOauTT
池田先生に私が反レスしたいことユビ兄貴が>>670で書いてくれました。

栗花氏をスゴイと思うのは氏の修行歴。それと意見>>673>>704もスゴイです。ヨガの団体でも助行として呪術をするところもありますがしないところもあります。
アゴン宗も含め全ての宗教が呪術化して現世利益来世利益の効果はすばらしいが、所詮宗教などに真理の追究の求道を求めてもダメと遠回しに言ってるんですね。
これは意味不明ですが→>>693

平等性智氏の>>692にも共感する部分あります。
私はチベットは知りませんが無上瑜伽タントラって、要はクンダリニヨガだろ、と思ってます。でもチベットのシステムはアゴンと同じでプージャ呪術が付きまといます。
人それぞれ趣味がありますが、何故、桐山呪術を離れチベット呪術をやるのかよく分かりません。何故ストレートにヨガを選ばなかったのでしょうか?
正統な法脈の呪術師を目指すのですか?

では何故お前はアゴンやってるのか?と聞かれると、選択まちがえたかな?。
まあでもご利益あるらしいし、ヨガの基本もやるから。
しかし本当の求道はヨガや仙道にあり、上座部の人でさえビパーサナ瞑想もやるけど何故か呪術もやる。
求道の意味からは今の宗教は全部クソですね。
[727]こうもり 05/06/20 00:14 ZdNFhOauTT
>>722 >釈迦に会い礼拝しただけでシュダオン、なかにはアラカンに達したという人もいることが仏典や「仏弟子の告白・テーラーガーター」などに書かれています。

呪術の才能があった人達だったのでしょう。チャネリングですね。実行某のような人が太古にもいたんですね。
まあ、特殊なケースです。
万人に開かれたまともな求道とはいえません。
[728]栗花 馨 05/06/20 00:15 85KealKrXD
釈迦は自分の手のひらの葉っぱはそれだけではないといっています。

手のひらの葉っぱだけではなくつながっていて木となっている。

大切なことです。

それとね、桐山氏はアゴン経おしえてたってあんた自分でいってるではないですか!

それに歴史の史実は記録のなには無いよ。


[729]ユビキタス 05/06/20 08:47 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>728
いえいえ。(RENDAROに真似される口調)その阿含経の解釈、訳は桐山の
法話によるものです。
つまり桐山が釈尊は数ある知識の中から宇宙の根源や起源はどうこうだのヤマタイ国は
畿内なのか九州なのかとかどうでもよい知識を授けずに、今手のひらにある解脱の法という
葉っぱのみを教えるのだと講義したのですよ。
桐山も著書にも書いているように国訳一切経などから拾った漢訳の阿含経を一時期
まとめて講義したのですよ。
語句の捏造や意味の曲解の経典もあるけれど、特に問題なく解説したのもあるわけで
この経典もそうです。
どうせなら栗花さんみたいに手のひらにない森の中の葉っぱに秘伝があると訳して解釈
してしまえばよかったのにね。しかしそうなると手のひらの葉っぱが阿含経なんで
阿含経外の秘伝を根拠(?)などにしたら阿含宗を名乗れなくなります。
栗花さんが職員だのDさんだの疑惑する声もありましたが、こういうところから
少なくとも職員ではないと推察するのです。

さてお話変わって、私が釈尊の煩悩の働きを説く教えとソンディの家族的無意識の衝動が
矛盾・相反しないと仮定してもと書いたのはこういうことです。
つまり人間の性質に遺伝的な要素のあることははそれこそ大なり小なり否めない。
たとえば俺が気が短いのは親譲りだとかね。
しかし短気で怒りっぽいのが仮に遺伝的要素だからと言って何なのだろうか?
継承された性質はもはや自分の管理責任の下にあります。
釈尊は親は親としてまずおまえのその怒りっぽい性質を改めよと説くだけです。
その親がけしからん。親のまた親の先祖代々に原因があるから先祖の怒りを鎮めねば
おまえの怒りも静まらないとは釈尊はおろか普通の人も言いません。
それにソンディの言う家族的無意識の遺伝圏の偏向性ってそれ自体煩悩ではありせんよ。
クレッチマーの体格による性格分類ってあるでしょ?やせ型は分裂気質だとか。
あれってやせ型は皆分裂する煩悩があるという話ではないのですよ。
特にソンディは症状よりも選択の言語がキーになる。
緊張型類型が死の様式を選ぶ時、こういう道具を選ぶとか。
よく考えて下さいね。この死の様式の選択って横変死の因縁ではありませんよ。
もし自殺するならこの様式を選ぶというだけで、この類型は必ず自殺するという話ではない。
自殺したい煩悩は類型に関わらず共通ですから、家族的無意識の選択に関係なく
そこだけ戒めればよい。
[730]kotaro 05/06/20 08:51 7UFsuCxoaU
光高校の、いじめへの反撃事件は、
多くの反省を高校教育関係者に与えた。
いじめを受けた側が、登校拒否とか、
いじめを苦に自殺している間は、
自殺同様、いじめられた本人の
個人的事情と処理されていたが、
無関係の人にも被害が及んで、いじめが
教育界で、真剣に処理されようとしている。
[731]kotaro 05/06/20 08:52 7UFsuCxoaU
http://vayo.at.infoseek.co.jp/angulimala.htm
関連経典:『中部経典』第八六経
(Majjhima-nikqya,86 Axgulimqla-sutta)
盗賊アングリマーラ(アングリマーラ経)
関稔訳   アングリマーラの帰依

所で、ユビキタス聖者猊下も、
池田慈水聖者猊下かも、
アングリマーラに殺害された
人々の事には、言及されない。

アングリマーラは、殺した側だから、
生存して、お釈迦様に出会えた。
その後の生き方は、正しかった。
然し、殺された人には、ユビキタス聖者猊下
が主張される、残された日々は無い。

そうした人々を救済する教えが、
原始仏教には無い。
其れを補うの、大乗仏教、桐山
管長猊下の教えではなかろうか。
[732]ユビキタス 05/06/20 12:58 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>731
kotaroさんがなかなか興味深い視点を提供してくれました。
そうです。殺される側、殺された側を救う教えはない。
殺されないように身の安全を祈る法もなければ、不当に殺されてからのその魂を救い出す
教えもある。
しいて言えば、いつ殺されたり災難に遭って死ぬようなことがあっても悔いの残らぬ
ように悪いことをせず善いことをして心を清らかに保ってさえいれば、たとえ殺されても
地獄に堕ちたりすることはない。
だからアングリマーラならぬモッガラーナもまた殺されても既に涅槃に入っている。
前世の報いがどうなのかはさておき、アングリマーラに殺された一般庶民もまた
殺されたこととは別に生前の行いのみが問われます。殺し合いをして殺されたのならともかく
勝手な殺人鬼に殺されたところでその人に現世の罪はない。
現世の罪がないことが一番重要なのです。
だから釈尊は経典に説く。人生は短い。明日命を落とすかも知れぬ。
だからこそ今日一日を、今この一瞬を悔いのないように正しく生きなさい。
怠ることなく精進せよと繰り返し説くわけです。
殺されてもよいが、殺してはいかんのです。
殺すな、相手に危害を加えるなという教えです。
世の中にこの教えが浸透して殺す人がいなくなったら、真の平和が訪れるでしょうが
21世紀の現在もまだ殺す連中がいるわけです。
おそらく未来にわたって殺す人はなくならない。
しかし教えだけは説き続けなければならないのです。汝、殺すなかれと。
それを実行するもしないも各自の自覚しかないのです。
地道な回り道しかないのです。安易な救いなどはない。

で、ソンディの家族的無意識の運命心理学に話を結びつける。
まだ語り足りない気持ちがあったのでちょうどよい。
人生の局面で先祖の意向に沿って選択する範囲が限定される働きがあったからと言って
それは煩悩なのだろうか?悪事なのだろうか?
相手を殺さない、危害を加えないことが一番大切なのです。
悪い女に騙されても相手を騙さないことが大切なのです。
もし先祖の衝動に人を殺したい怨念があっても、あなたはいよいよ理性を働かせて
自分の自由意志を最大限に発揮してその先祖の欲望を拒否しなさいという教えしかないのです。
それさえ守れれば、別に緊張型でもヒステリー型でも偏執病型でもよいではないか?
それは分裂やせ型でも循環デブ型でも粘着筋骨型でもかまわないという思想です。
どうせどれかに類型されるから
[733]ユビキタス 05/06/20 13:01 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
訂正
誤:不当に殺されてもその魂を救う教えがある。
正:不当に殺されてもその魂を救う教えもない。
[734]kotaro 05/06/20 13:31 7UFsuCxoaU
盗賊アングリマーラ(アングリマーラ経)
の教えに総てが含まれている。

桐山管長猊下の偽ビール事件は、
猊下が、服役し罪を悔いている事で、
解脱に支障はない。
と言う統一見解が為されるべきでしょう。

次に、999人も殺害すれば、
地獄行は、お釈迦様も言われています。
その代わりに、現世で罰を受けている。
それは、書かれています。

が、ユビキタス聖者猊下のお言葉、

”たとえ殺されても
地獄に堕ちたりすることはない。”

”殺し合いをして殺されたのならともかく
勝手な殺人鬼に殺されたところでその人に
現世の罪はない。
現世の罪がないことが一番重要なのです。”

事ほど、左様に簡単でしょうか。
あれほど、死ぬ瞬間の思い、渇望(タンファー)
が、来世を決めると言うでは有りませんか。

前世の記憶を調べた話では、前世で
殺害された時の恐怖とかが、現世で思い
起こされると言うでは有りませんか。
不成仏霊、恨み、心残り、無念、
そうしたものが、此処に記されて
いないが、垣間見えると思うのです。
[735]kotaro 05/06/20 13:47 7UFsuCxoaU
お釈迦様は、不殺生を説かれていますが、
殺害者は罰として、地獄に行きます。
が、何故、殺生がいけないのか。
それが、この盗賊アングリマーラ
の教えでは、未だ明確ではないのです。
殺された側にも、将来設計があったと思うのです。
地獄に行くとか行かないとか、
天国に行くとか行かないとか、
それ以前に、今生でしたい事があったはずです。
その思いを如何してくれる。
その怨とか、恨みが、伴うから、
殺生は、いけないのだと思います。
ですから、地獄は、罰ではなく、
殺された側が、自ら実行者となり、
この世で仕組んでいると思うのです。
地獄も極楽もこの世にある。
恩を受けた霊が人へ、この世を天国にしてあげ、
恨みを有する霊が、人へ、このを地獄にしてあげる。
[736]kotaro 05/06/20 14:02 7UFsuCxoaU
人を呪えば、穴二つ。と言います。
確かに、この世で、地獄の生活に
付き合う不成仏霊も、大変だと思います。
横目で、天国並みの生活をしている
恩を受けた霊と、前世で善行をした人の
二人三脚を見れば、出来れば、人を助けた
いでしょう。でも、貧困の家庭に生まれた
人が、裕福な家庭を羨むようなもので、
前世からの腐れ縁で致し方ない。
不成仏霊も、そう思っていると思います。
そうした関係を終了させる教えは、
原始仏教にはない。
そう言えると思います。
阿含宗とは、先祖供養とか、
不成仏霊の成仏法を言いながら、
阿含経の原始仏教にはそれがない。
それは、ユビキタス聖者猊下の主張と
同じです。が、成仏法は、必要だが、
阿含経に無いなら、何処から出典されたのだろう。
不成仏霊の供養が、今生の成功に、
必要不可欠なだけに、余計そう思います。
[737]個人指導 05/06/20 18:23 /kONKCJFSK
間脳開発それだけでいいのです。
その方法を教えてるのだから、阿含
は100点満点です。
[738]ikedazisui 05/06/20 18:38 uyMjH0CPLl
[734]kotaro 05/06/20 13:31 7UFsuCxoaU
盗賊アングリマーラ(アングリマーラ経)
の教えに総てが含まれている。
桐山管長猊下の偽ビール事件は、
猊下が、服役し罪を悔いている事で、
解脱に支障はない

ユビキタス自身が桐山を聖者にしてしまいましたね。kotaroさん見事ですね。
[739]ユビキタス 05/06/20 21:29 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>734
>>738
真実の見えない人たちだ。
桐山は服役は果たしましたが罪を悔いていません。
否、バカなことをやってまずったという気持ちはあったでしょう。
しかし彼は酒税法違反ごときで実刑を科せられるなんて思わず、多寡をくくっていた
為に判決に愕然とショックを受けて、こんなひどい屈辱を味わねばならぬとはと
自分に被せられた刑の悔しさしか頭になく、おかしな詐欺商売に加わった反省、
世の中の罪もない大衆を偽ビールで騙して金を稼ごうとしたことに対する悔いが
ないのです。
そして著書の「現世成仏」では言い訳だらけ。
しまいにゃ自分の為した醜い罪に対する当然の罰に対して、仏の与えた試練と美化する。
アングリマーラは>>731で示してくれた経典を読んでもわかるように服役などせぬが
釈尊の弟子となり、人に危害を与える害意の煩悩を克服して、殺さない人としての
心を持ち続けたのです。もちろん過去の反省の上で。
頭を割られる危害を加えられてなおかつ害意が生じない清らかな心になれたから聖者に
なったのです。
一方桐山は偽ビール事件の後反省して、どこか宗教門に弟子入りして一からやり直しを
するのでなく、いきなり教祖に収まった。
そして薬品を塗り付けて透視するお伺い書システムなどの欺瞞で信者を獲得して
宗教を己の詐欺の隠れ蓑にした。
服役が決まると信者に嘘をついて隠したまでは心情的にわかるが、出所後、老師に
法器と認められたとか不要の嘘を信者に自慢する神経はこの罪と服役に対して
反省の微塵もない証拠です。
そしてこの偽ビール事件は自分の刑獄の因縁としてそれは祖父が上意討ちで斬った武士の
怨念の霊障が作り上げたなどと説いたが、そんな武士は実在せず嘘話だった。
そしてこの嘘の霊障をネタに信者を脅して霊感商法を未だに続ける桐山は、今現在も
人を騙そうという害意をなくしていない、かえって罪を重くしているのです。
これがなんで聖者の証明なの?
[740]星祭@被害妄想 05/06/20 22:55 yPJNkMuabK
>739、ここまでくると被害妄想というべき人ですよ、あなたは。お伺いシステムがどうとかいうことより指導される内容が問題でしょう。透視など余興にすぎません。指導される側としては面白い超能力などより悩みの解決の指導こそ、ありがたいものです。だいたい、透視が云々でなどいまだのたまうのは真剣に修行、信仰をしていなかった証拠ですな。だから解脱供養も理解できない。罪を重くするどころか、霊的に進化しつづけています。だから守護神を授けることができる。ということです。
[741]星祭@きめつけ 05/06/20 23:02 yPJNkMuabK
だいたい反省しているとかしていないとか、そんなの自分のキリヤマ憎しの感情で言っているだけですね。何がわかるというの?人の心が透視できるのでしょうかね?それこそ、トリックどころか勝手な決め付けで罪を重くしているというべきでしょう。
[742]星祭@偽ビール 05/06/20 23:10 yPJNkMuabK
で、実際偽ビールの被害者って実際問題としているのか?事前に捕まったのでしょう。そこまで反省していないというのなら、実際に被害をうけた例をのべてみろ!どうせ大企業のキリンビールの名を勝手に使ったことと酒税法などの法律違反だと月並みなことをならべたてるのが関の山、偽ビール飲んで中毒で死んだ人が出たわけでもないし。大企業には逆らわない、偽ビールは作らない十分反省してんじゃねえか(笑)。
[743]星祭@懲ぬ人とは 05/06/20 23:16 yPJNkMuabK
たとえば、大教団の名を勝手に使って、「創価学宗」とかを立宗したりキリン観音とか勝手にホトケを作って拝ませるのなら反省の色なしと言えるだろうけどね(笑)。
[744]星祭@教を受ける 05/06/20 23:25 yPJNkMuabK
反省しているからこそ教団のトップ、教祖になっても、チベット仏教の法を学び師を礼拝して、灌頂を受けたのだろう、普通、教祖は他宗教に頭は下げませんね。オレが一番と思っているから。(だから、池田大作氏も他の宗教家に教えは受けない頭をさげない外交等別として)そういう素直なゲイカの気持ちも悪くいえば利用した!と、あなたなどは言う。悪口などいくらでも作れるよい例ですね。
[745]こうもり 05/06/20 23:40 */QhXMcynORp*ZdNFhOauTT
>>743 ウケタ。ユビさんと☆さんって漫才ですかあ?ツーカーだな これは。
これからユビさんのツッコミ入るだろな
[746]ユビキタス 05/06/21 00:09 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>740
真面目なその人にとっては深刻な悩み事の相談に余興なんかやる必要ある?

>>741
他心通の超能力なんか持たなくても、その人の言動を見れば誠意のあるなしはわかります。
せめてうわべだけでも反省を表していてくれたら、こちらもそれ以上の裏を読むのも
自分が嫌になってくるが、ああもはっきりと煩悩を示されるとね。

>>742
実害はほとんど出ぬうちに芽を摘むことができたようですね。
しかし星祭さんの態度も信仰者のそれとは思えませんね。
実害が出なかったからよかったなどと思うよりも、実害が出てたら多くの人が苦しんで
悪業を積んだことを考えるとぞっとする感覚に襲われます。
だから仏の試練なんて酔うよりも、実害の出ぬうちに捕まったことこそ仏様の慈悲だった
のかも知れぬ。仏様!申し訳ございませんでした。魔がさしました。
二度とこんなことは致しません。罪の報いは甘んじて受けて、今この瞬間から人間をやり直します!
という気持ちがあれば裁判でも変に突っ張ることなんかないし、予測のとおりこの未遂事件で
実刑など受けることなどなかったでしょう。
その前にも近い時期に逮捕歴があり前科もあるし、反省の心が見られないと裁判官が
判断したから、重い刑が科せられたのです。決して主犯でもなかったのだから
反省心が本当にあれば軽く済んだはずなのです。
捕まらなかったら俺はどんな悪党になっていたかと思うとぞっとするどころか、
せっかく捕まって反省するチャンスを仏様が用意してくれたにも関わらず、反省すらしない。
まあ悪念抱いたけど未遂に終わったじゃんかよ。これ以上がたがた言うなよ。
キリンには悪かったけどもう使ってないからいいじゃんってな感覚なのですねぇ。

>>744
その池田大作もやると認める社交どころか、相手の権威を利用して自分ね名を高めたい
と金を惜しまないだけですよ。大作さんもまたしかりだけどね。
大作さんの模倣なんです。
自分を売る為ですよ。
[747]ユビキタス 05/06/21 00:14 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>745
その>>743だけつっこまなかった。
つっこむほどの価値がなくて。

それから星祭さんは昨日書いてたテーラガータに記述されているという釈尊にまみえた
だけでアラハンを得たという部分をページなどを示してきちんと明らかにして下さい。
こちらも該当箇所を探しているが、きちんと示してもらわねばレスのしようがない。
[748]池田慈水 05/06/21 01:21 uyMjH0CPLl
しばらく読んできて思うことは、やはりユビキタスは人間は心がけ次第で、良い人生を送れるのだ、と言うことを主張しているのですね。
ここが私と相反する意見です。
心がけだけではどうしようもない失敗をしたことがあるんです、私は。ですから、神秘的な力が人間の救済には必要だと感じております。もちろん桐山も同じ意見です。人間は、思いもよらないトラブルに巻き込まれますからね。そこでは選択の余地がなくなります。ソンデイの家族的運命衝動には、選択の余地が無いのです。ユビキタスは選択の自由があるなんてでたらめを書いてますが、選択の自由が無いからこそ、人間は暴流に押し流される。そこで、宗教は救いの手を差し伸べて、選択権を与えようでは無いかと、登場する訳です。
その救済の手法は、通常の人間の思考や論理を超えた手法です。つまり宗教的手法による訳でしょう。ユビキタスは、そこを通常の人間の意識コントロールで出来るかのように嘘を付きましたが、ソンデイの運命分析が必要なのも、桐山の宗教的救済が必要なのも、通常の意識コントロールでは、不可能だから救済を差し伸べる訳ですので、そこの処を安易に考えてはいけないのです。
ユビキタスは<<しかし短気で怒りっぽいのが仮に遺伝的要素だからと言って何なのだろうか?継承された性質はもはや自分の管理責任の下にあります>>と書いておりますが、これは法律的な責任の所在を言っているのであり、そのことは同意いたしますが、それでコントロール出来るか否かは別問題であります。大切なことはコントロールが効くか効かないかでありまして、最初からそれだけを問題にしているのですので、間違わないでいただきたいのです。社会的責任があるからこそ、コントローか効くか聞かないかが最重要なのです。ユビキタスの主張は、たとえば、ドストエフスキーの家系に繰り返し殺人犯と聖職者が出ると言う場合に、すべて、聖職者になればよい、と主張するのみでありまして、何ら解決策が取られないままです。桐山はこの勤行を繰り返せば、殺人者にならずに済むどころか、他の職業選択も可能になるよと言って、救済を差し伸べる訳です。ソンデイは家族的職業傾向はそのままで、社会的に認められた範囲で選択権を与えようとがんばる訳です。つまり、聖職者の道ですね。
仏教を深層心理学的要素を盛り込んで今日的な展開をなさっているのが、桐山であって、それは、覚鑁、空海、神変大菩薩などがそれぞれ時代の最先端を走ってこられたのと同様のことなのですから、仏典に記述が無いから、などといちいち非難したのでは、何も始まりませんよ。
ユビキタスは以上に述べましたように、でたらめを言い続けているので、あくまでも表層意識で人間は何とかなるかのような妄想を抱いている点で、極めて初期大乗仏教的であり、日蓮、創価の匂いがぷんぷんするのであり、私が工作員の可能性があるとしたのも、まんざら外れていないかもしれません。ユビキタスは、やはりこの国の糞ですよ。(笑)
[749]池田慈水 05/06/21 02:33 uyMjH0CPLl
ソンデイ学派は運命治療における「信仰」について積極的見解を持っております。
「運命分析は、フロイトの自我分析を自我の「信仰機能」で補償する」
信仰は運命分析にとっては神秘的参与の特別な方法であり、したがって自我の参加欲求の運命である。信者は関与と言う根源欲求によって超人格的且つ自然的な魂の法廷と同一となるように、親近関係を結ぶように、一致するように促されるのである。信仰における関与は神秘である。というのは神による、神に対する人間の接近は合一という目標によって完了するからである。信仰における関与は積極的なものである。というのは、それは肯定的であり、中断されることはなく、
多年生であるからである。

神に対する人間の接近、このことは観世音菩薩に対する人間の接近としてもかまわないのです。それが、桐山の主張である。と言うより、準低観音の手法が先にあって、そのあとでソンデイの本を紐解いたら、同様のことが書いてあって、現代深層心理学でも桐山の行法が説明できるんだなあと、分ったのでしょ?。要は、自我意識が神との合一を図ることによって、自由を取りもどす、その精神作用が、桐山の手法では準低観世音の印明でもたらされる、そこのところが重要である。
ユビキタスの言うように、釈迦牟尼はこの手法のことは述べていません。桐山は運命学から出発して、最後に阿含経にたどり着いたからです。だからといって、ユビキタスの、仏教に反していると言う批判は当たっていません。なぜなら煩悩に対処しているからです。煩悩とはっきり向き合って、戦ってるからです。
いつも言うように、火事場の消防士を代理を立てることなく、やめさせたら、後に残るのは、焼け野原ですからね。これが、決め手なの。ユビキタスが偽りを言ってるかどうかのね。人々のために、なんて表面のスタンスはユビキタスは立派だけど、彼の言うことを聞いたら焼け野原になってしまうんだ。
だから、私のでいいの。
煩悩に対処しなければ、仏教ではないのよ。煩悩=随眠=濾からの解脱、つまり漏尽解脱なければ、仏教ではない。
それは初期大乗仏教、法華経でしょ?だからこれでいいの。
ユビキタスは<<しかし以下は仏教に反する→ついで、神への信仰や他人との心の交流を持つことで、魂を癒さなければならないのである。>>と書いたが、仏典に記述が無くても、私の記述は正解だよ。煩悩に対処して、魂を自由にするやり方として正しいのだから。仏典、仏典と言ったって、阿含経的な解脱を果たしていないユビキタスの存在自体が仏典違反だからね。何をかいわんや、だね。
[750]池田慈水 05/06/21 02:57 uyMjH0CPLl
agonnkyouni touzyousuru 釈迦牟尼に絶対的な信仰心を持つ者が須陀恒である。ユビキタスは、釈迦牟尼の説法の解説はする。その論説が大概「桐山」が出て来るまでは正解である、満点の場合が多い。
しかしながら、何故、ユビキタスは須陀恒ではないのか?彼は煩悩から解脱していないからだ。煩悩から解脱するためには、桐山の教法が煩悩に対処して戦っている部分を評価して実践しなければだめだ。
ユビキタスは煩悩を解脱する方法を我々に説けるのか?
ユビキタスの主張を受け入れていたら、人々は煩悩にやられてしまう。打ちのめされしまう。だからユビキタスは仏典に違反しているのである。実質的に煩悩からの解脱に役立つものなら、何でもやれ。
逆立ち、落語、シャンソン、クンダリーニ、太極拳、精神病理学、深層心理学、役に立つと思ったら、何でもやるべきです。鍼、灸、いいですね。サブリミナル音楽、マイナスイオン、いいですね。ユビキタスは、仏典違反と止めるかもしれないが、おととい来やがれです、彼の存在自体が、仏典違反ですー、どーこ見てんのよー!(青木さやか風に読んでね)
[751]ユビキタス 05/06/21 09:06 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
いろいろ書いてある中で一点>>748のドストエフスキーの家系だが、「チャンネルをまわせ」
等はドストエフスキーの家系の中に殺人者と聖職者がいたと書いているだけで
そんな繰り返し聖職者と殺人者がぼこぼこ出没したり、聖職者と殺人者しかいないような
ことは書いてません。
殺人者にもならず聖職者にもならず普通の道を選んだ人が幾人もいたはずです。
人間の選択行為に偏向的な嗜好が見られ、たとえばいっぱい虐めてくれそうなS女を
ついつい選んでしまうとしたとてその運命を避ける為にどうこうしてそのM嗜好を
なんとかしなさいとは説かず、相手を虐げる暴力はいけませんと説くわけです。
まあM嗜好はそれ自体十分な欲望であり煩悩ですが。
しかし社会的に問題を起こさない、周囲や自分にも危害・損害を与えないところで、
自分の欲求を昇華している人はざらにいるわけです。
ドストエフスキーのような天才作家ならずとも。
因縁解脱の勤行や解脱供養などしない平凡な人でも。
天才的才能だから先祖の怨念を逃れたというのもよくわからんですね。
ナモナモしたから先祖の怨念を昇華させたというのもわからんけど。
まあ自分の意志を自分で決められない制御できない人を人格欠陥と言います。
衝動人間にならず理性を働かせましょう。
そう説くよりほかないわけです。
後は憂さ晴らしのレジャーや趣味にも力を注いでね。(出家の話ではありません)
[752]○○屋 05/06/21 10:24 D-Oab/h
ユビキタス氏は『衝動人間にならず、理性を働かせましょう』なんて言っていますが、ではどうやるの?自分がどういう『衝動』をその深層に持つのか?あなたは、どうやって識り、どうやってその衝動を避けるのか。その方法は『理性を働かせましょう』?理性がいくら働いたところで、深層の衝動はわからない。(内容が)わからないものにどうやって対応するのか?
赤ん坊は煩悩がないなんて事が事実ならば、聖者教育を国家が取り組めば、聖者国家になるのか?いまだかつて『聖者国家』なるものが実現した事は一度もない。第一、それが(赤ん坊は煩悩がない)真実ならば釈尊は『煩悩だらけの大人』に布教するより保育園の園長先生やって子供を教育したほうが余ほど効率が良い。
[753]池田慈水 05/06/21 11:37 uyMjH0CPLl
[752]○○屋さんの言う通りです。ユビキタスの言うのが正論なら、宗教はいらないし、教育が発達すれば、仏教だっていらないわ。
ユビは本当にどうかしてるぞ。
[754]池田慈水 05/06/21 11:55 uyMjH0CPLl
そもそも宗教的体験が無いのに、スレを立てるのが行けない。図々しいにもほどはあるのだ、このタレ目じじいが!!毒虫め、四万十川で遊ん出ればいいんだ。

お前がいくらへ屁理屈を並べても、ドストエフーの家系に殺人者が沢山出て、多くの人に多大な迷惑を与えたのは、変わらんわーーーーーーーーーーーーーー!

あ、パトラッシュ、さやかの写真集咬んじゃだめ、放せ、放せったら!  よ、よごすなーーー!
[755]ユビキタス 05/06/21 12:59 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>752
衝動は私たちも日常しょっちゅう経験するではないですか?
欲しい物を目にすると衝動買いしたくなる。あるいはしてしまう。
これでよかったのか?ご利用は計画的にで、もう少し理性的に判断すれば買わなくても
よかったとか後悔することはある。青木さやか写真集ぐらいなら安いからいっかとか。
暑くなってきました。女性も薄着で街を闊歩する季節です。
なんか村村するなあ。
村村したからといって痴漢の衝動などに走ってはいけません。
青木さやか写真集で済ます分には罪もありませんが。
このように内より湧き出でたる衝動を自覚したり翻弄されたり、制御するのが我々の絶えず
行っている日常ではありませんか。
よくない衝動はあれども大抵は自分で制御しているから平和な社会が実現しているのです。
釈尊もまた絶えず自己の内面を観察して、よくない衝動を起こさないように努力せよと
説くわけです。
しかし教えを受け入れるのも、自己をコントロールするのもその人次第だから
人を殺すに至る衝動を止められない連中もいつの世もいるのです。
教育であれ宗教であれそれが普及したからといって犯罪がなくなったり、戦争が
なくなったりしませんよ。
しかしこうやって平和を維持できている部分の教育や宗教などの果たした役割も
評価すべきでしょう。
完璧にはいきませんよ。今後も不断永続の努力あるのみです。
都合のよい魔法の妄想は捨てることです。
自分にできることは何か?
せめて理性くらい働かせて悪い衝動の出ないように、人に迷惑をかけないように、
己の人生に悔いのないように絶えず気を配るしかない。人にもそれを勧めてね。
○○屋さんだって牢獄にぶちこまれるようなことしてないでしょ?
これからもないように注意をすればよいのです。
もしも俺に人殺しの因縁があったら俺はその衝動を避けられないんだろななんて情けないこと
を言ってはいけません。
あ〜あ、殺しちまったよ。恨みの念が湧いちゃってさ〜。でもこれ因縁の衝動で
不可抗力なんだから仕方ないさ。だってこれって人間の力の限界を越えているんだぜ。
って言いたいわけ?

>>754
今週のトリビア。
ロシアの文豪、ドストエフスキーは、人殺しと聖職者だけの家系で、彼一人作家の運命をたどった。

へえ〜〜〜〜!!!

ガセじゃねーかよっ!
[756]○○屋 05/06/21 13:08 D-Oab/h
池田先生、落ち着いてください。

ユビキタス氏がこのスレを建てたわけではありません。たぶん四万十川も彼はあまり縁がないでしょう。
長良川ならばもしかしてありかもしれんが。
[757]○○屋 05/06/21 13:40 D-Oab/h
だ〜か〜ら〜

そもそも、腕や足露出の女をみて『村村』する自体が釈尊の解釈では『衝動』でしょう?
しかしね、殺人の衝動や万引き、浮気、レイプ、痴漢だけが衝動だなんて言ってません。日常の中に埋もれている衝動がいくらでもある。猊下がよく例にだす、フロイトの後催眠(だったっけ)のような言うならば、『時限発火装置』つき『衝動』にどうやって対処する?自分もそうする真の意味がわからない衝動ですよ。
偽ビールを仲間が作って主犯になっちまう『衝動』にどうやって注意すりゃいいの?たまたま、夜間駐車していたところに自転車が突っ込んできて、ぶつかって死んだり(数年前新聞に出ていました。このドライバーは有罪で実刑が言い渡されていました)、こんな『衝動』からどうやって『自分を見つめ』防ぐのか。コレができたらその人は十分『聖者』でしょう?
[758]池田慈水 05/06/21 14:36 uyMjH0CPLl
ハア。あれは長良川?美しい川ですね。
じゃあこうしよう、ユビよ、前は、神道の世界にでも行って、かんながら川で、遊んでろ!・・・とこんな感じかな?


なんで、『村村』の表記が、青木さやかの冗談から出てくるのか、不思議と笑えるんだけども。とにかく落ち着いてはいられないです。パトラッシュがこれから写真集をどうするのかギャグを考えていたら、スレが可笑しくなってたので。ま、どうでもいいか。

>あ〜あ、殺しちまったよ。恨みの念が湧いちゃってさ〜。でもこれ>因縁の衝動で
>不可抗力なんだから仕方ないさ。だってこれって人間の力の限界を>越えているんだぜ。
>って言いたいわけ?
いやいや問題は、そうではなくて、この事態を防げたのに防がなかったのが非難されるべきだと、我々は主張しているのです。ユビキタスは、事態を打開しようとしていないし、現実世界に何の変革ももたらさないのである。ここが問題なのだ。煩悩から解脱する宗教的秘儀、もしくはソンデイ治療を成せば、運命から人間は自由に成る、と我々は主張するのである。ジキタリスはどこまで頭痛の毒素を撒き散らすのであろうか?

で、何で、こんな毒素と付きあわなければならないのだ?タレ目老人のぼやき痴呆症にかまける必要があるのか?わあつぃはいったい何オアやってるんだRho・・・oka???.......ロボット池田慈水は電気が切れました。

パトラッシュ、乾電池持ってきて。
[759]栗花 馨 05/06/21 15:01 7cCbiuUe5a
>どうせなら栗花さんみたいに手のひらにない森の中の葉っぱに秘伝があると訳して解釈してしまえばよかったのにね。

そんな秘伝ということばではないですよ。

わたし独自の解釈でもないです。
[760]栗花 馨 05/06/21 15:02 7cCbiuUe5a
比丘たちよ、汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少
しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林にあるそれ
といずれが多いであろうか

大徳よ、世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少な
く、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます

比丘たちよ、それとおなじように、わたしが証知して、しか
も、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いので
ある。

非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』

少ない
 ↓
『シャク尊自身が、証知していて弟子に説く事実内容』
シャク尊の指導とは
ハード
ソフト
センサー
について八正道という機能構築の目的に役に立つことしか説かないようにし
方法の実践のみに重点をおいて
弟子本人の力を集中させた。
[761]栗花 馨 05/06/21 15:03 7cCbiuUe5a
非常に多い
 ↓
『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』
時間軸に意味を並べる言語によっては伝達は不可能
しかし
弟子があるレベルまでくれば自然と実感できる。

明知
誰かが達しているレベルは達している者からは自然に感知できる。
釈迦の集まりで達成すれば自然と感知し共有できる。
善(不貪不瞋不痴)知識⇔善(不貪不瞋不痴)知識
[762]栗花 馨 05/06/21 15:19 7cCbiuUe5a
わたしが手にとっている少
しばかりのシンサパーの葉

これはとても深い意味がまだまだあります。

手(釈尊の指導)+指導の対象(少しばかりのシンサパーの葉)

とっている(その対象への指導内容)

少しばかりのシンサパーの葉は指導対象本人に関わる一つの霊系をもいっているのです。

先祖家族があって指導対象本人があるのです。

シャク尊は息子をはじめ釈迦族をなんにんも出家させています。
それには深い意味があるのです。秘伝ではありません。
また本来秘伝は記録されないものなのです。

シャク尊当時の『シャク尊自身が、証知していても弟子に説かない事実内容』は修行がすすむにつれ弟子自身が自然に認知していくものなのです。


[763]栗花 馨 05/06/21 15:29 7cCbiuUe5a
ユビキタスさんは
「モラロジ−」という団体と同じ考えと桐山氏への怨念執着だけであるとしてみると
わかりやすい人です。
ちょっとまえには純度の高い部分があり期待していましたが
いまはその他大勢になってしまっていますね。
[764]星祭@供養の力 05/06/21 23:04 yPJNkrt/B8
ついこの間おこなった「千鳥が淵護摩法要」の誓願のひとつに「深い海に沈んでいった太平洋戦争における海戦戦死者、輸送船にのったまま撃沈された乗船者の供養」がありました。国が海戦犠牲者の調査に動いたそうです。まず手始めにパラオに眠る海軍給油艦「石廊」の調査をはじめました。とても偶然とは思いません。
[765]星祭@浮かばれる 05/06/21 23:07 yPJNkrt/B8
バラモンの「石よ浮いてこい」の呪文との違いが明白ですね。いずれ遺骨も浮かばれることでしょう。これが成仏法の威力のひとつ、屁理屈こくより黙って行動で示せばいいのです。
[766]こうもり 05/06/22 00:13 ZdNFhOauTT
それはスゴイ呪術です。でもアゴンって大乗ですね。大乗は皆をほどほど救い、小乗は個人を完全に救う。
ちなみに上座部も大乗的であり、小乗に徹してないからだめぽ。
今の時代、宗教は人をきちんと救えないですわ。宗教になると堕落するんですね
[767]こうもり 05/06/22 00:15 ZdNFhOauTT
ユビ氏は肛門さえ閉めれば完璧なのに惜しい!
[768]ユビキタス 05/06/22 00:23 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>757 ○○屋さん
一つのスレを3つの角度からレスしましょう。
一つが後催眠現象としての衝動選択にて為してしまう悪事に対して。
一つが偽ビール仲間の主犯に仕立てられた堤眞壽雄の衝動選択の運命。
一つが有罪判決を受けたドライバーだかの不運な衝動選択の運命。
これを下から順番にいきましょうか。
まず夜間駐車の車に自転車が突っ込んできて死んでしまい、車のドライバーが有罪判決
という状況がよくつかめないのですが、実話として不運な例があったわけですね。
このドライバーの衝動選択とは何か?
落ち度は夜間駐車にあったのかと思う。いかに自転車が勝手に突っ込んで勝手に死んでいった
にしても、そこに違反駐車していた非が咎められたということなのかな?
有罪の判決が下るくらいだから、やはりなんらかの落ち度はあったわけで、違法駐車を
しなければこんな災難にも縁ができなかったわけです。
彼の衝動選択も運命などと捉えずに油断しなければ防げたわけですね。
しかしこんな些細なことでもなんか腑に落ちない不運を感じるのが人情ですよね。
微妙な例なので判定しにくいが、もっと簡単な不運の例はアングリマーラに殺された
村人たちなんかどうか?
彼らは自分たちが悪いことをしたわけではない。ただその村に住んでいたというだけで
とんでもない殺人鬼に殺されたわけだ。
この殺人鬼と縁ができて殺される運命となった衝動選択とは何か?と問題視したいわけかな?
それに対してはたとえば前世の悪業の報いで悪縁が生じたとか結論付けたいのかも知れないが、実は釈尊も
そんな前世の因果論を説かない。だからkotaroさんが不満のように殺された人を救う教えが
ないのです。
災難にまきこまれて殺されたことを衝動選択のように扱いません。
その改造も説きません。命ある限り清らかに努めよと説くだけです。
このへんになるとさすがにソンディですら衝動選択なんて言えない。
不慮の事故の遭遇は選択というよりも被選択になる。それも無差別の。
この被選択が必然などと説いたらさすがにオカルト心理学に堕してしまう。
緊張型の因子をもつ人間が同じ緊張型の因子の人間を選ぶとか、かの心理学にも一応
理論はあるのだから、これを越える逸脱はできない。
語学教師にひかれて異母兄の不幸な運命の反復を恐れて理性をもって彼女と別れた
とか最低限の接点は必要なわけです。
[769]事情通 05/06/22 00:25 IudgFWY6
ユビ氏はクンダリニヨガの達人で、閉めた肛門が
口から出たのを最後にヨガの実習をやめたそうです。
リバーシブルユビと言ったら業界では有名ですよ。
[770]○○屋 05/06/22 00:30 ttnonwEx3B
パトラッシュの飼い主さんはもう寝ましたか?

私寝ますんで、おきてたらリバーシブルの相手頼みます。
[771]ユビキタス 05/06/22 00:35 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>768について次の視点に移る前に、このアングリマーラに殺された村人には釈尊は
煩悩の衝動など問題視していないことを結論付けておきましょう。
不幸な死に方をしたことを煩悩の所為なんて言わないのです。
前世の業報思想がインドにあったのですからそれを持ち出してもよさそうなものを
不思議なくらい出しませんよ。
現世にていかに清らかに生きたかだけが関心なのです。
ドライバーの方は単に違法駐車をする横着の煩悩がこういう問題にまきこまれた時に
不利に働いたわけで、そこだけの煩悩は問われる。
まあ違法駐車しても報いを受けないのもいるが。
[772]事情通 05/06/22 00:39 IudgFWY6
>>770
臨時ニュースによるとパトラッシュの飼い主さんは
電気系統がショートしてなぜか巨大化してしまいました。
人々が叫び声をあげながら逃げまどう様を高層ビル
の窓から眺めるゴノレゴ。。。

http://liloatx.hp.infoseek.co.jp/gol5.html

[773]こうもり 05/06/22 01:03 ZdNFhOauTT
>>768>それに対してはたとえば前世の悪業の報いで悪縁が生じたとか結論付けたいのかも知れないが、実は釈尊もそんな前世の因果論を説かない。

何?モッガラーナのときは前世の害意の報いで異教徒になぐられたと言ってたではありませんか。そしてそれを避けようともしなかったと。

それと肛門の閉めは、何か衝動が出たときは強く、そして瞑想のときは軽めで やるべきです。
口から出るのはやりすぎでしょ。
[774]ユビキタス 05/06/22 01:12 *3Rv70.P.g7X*NoName
>>757
次に偽ビール事件に関与する運命に翻弄された堤眞壽雄の衝動選択を考察しましょう。
これは面白いですよ。
そして簡単です。
マスオは主犯格のSという男にかなり危険性は認識しつつも、小説的な魅力を感じて
のめりこんで、結局偽ビールに関わってしまったわけです。
この衝動選択が彼の運命を暗くしてしまったわけですね。
この衝動選択は必然で避けられなかったのか?
その前にもう少しこの衝動を分析してみましょう。
緊張型とかソンディ流の分類は不案内だから常識的に考える。
マスオはもともと詐欺師の煩悩があったわけです。
その証拠として偽ビール事件以前に前科があり逮捕歴がある。
詐欺師のSに共鳴して彼を選択するのもよく理解できる。
Sが都会的なダンディな魅力があったことも、彼もそうありたいと願っているのだから
余計に選択します。
そして類は友を呼ぶで詐欺師仲間として偽ビールに関わったのです。
最初は偽ビールでなく真面目な合成粉末ビールの事業をする計画というが、そもそも
そんな計画自体常識から考えて常軌を逸していると気付かぬか?
やばい魅力のSとつるんで。
これが世間知らずの青二才なら納得もいく。
しかし繰り返し書くがマスオは既に前科二犯なのです。
さらにはこれも著書に書いているが、彼は自分が刑獄の星があることを若い頃から知っていた
とのことである。しかしもっとよい貴星があるからこれで相殺してくれるだろうと多寡を
括っていた。そしたらやはり星のとおり前科を持つ身になり愕然としたとのことです。
つまり前科を犯してから悪い星を知ったのではなく前から知っていたと言う話です。
で、偽ビールの前に既に逮捕歴があるのだから、この時点で、やはり俺の刑獄の星が発動した!
とここで愕然となっているはずです。
そうするとつきあう友人も関わる事業もやばいものは避けますよ。普通は。
意識しない油断だらけの衝動ならば選んでしまうものもこうなると理性を働かせて
人生を台無しにしないように路線転換をはかります。
やばい道から足を洗います。ヤクザじゃないんだから。
地に足のついた生業を考えます。
そうしなかった。できなかったのではない。しなかった。
なぜならソンディさえも断ち難い愛着を理性で断ってまで語学教師と別れたのだから。
男女の恋愛感情も理性だけで制御したのですよ。
マスオはそれともSに対するホモ感情がソンディより強かったのかな?
[775]ユビキタス 05/06/22 01:42 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>757
最後に後催眠現象としての意識しない衝動選択の招いた運命と煩悩について考察
しましょう。逆からたどってマスオが偽ビール仲間と事業から抜けられなかった話が
これと関連付けられる。
関連付けて考察してみる。
マスオはなんらかの後催眠現象で悪友を衝動選択したのだとする。
いつまでも夢遊病者のごとく自分の内からの自分さえもわからぬ欲求に翻弄されるほど
彼は情けない男なのか?
逮捕され前科がつくというショックがあったのです。
このへんで目を醒ましてはいかが?
大学時代ある授業で催眠の技術を駆使できる非常勤講師の講義を聴講した。
脳性麻痺の子供の身体の屈曲するGパターンの改造に催眠が使えないかと試している
ようでしたが。
その先生の話では催眠の場において「さあ、今着ているものを脱いで裸になりなさい」と
命じると、いかに催眠と言えど、その人に脱ぎたくないという気持ちがあるならば
そこで催眠が解けてしまうというのです。ただし自分は裸になってこのヌードを晒したい
という気持ちが強い女は脱いでしまうそうだが。(実験したいな♪)
このように我々は後催眠の影響は大なり小なり受けるものの、決して夢遊病者のように
主体性を放棄するのではなく、肝心なところは残すのです。
小説にあるようにレム睡眠の最中に殺人をするように暗示をかけたってそううまくはいかない
のです。
だから絶えず意識的な注意、内観を釈尊は説くのです。
後催眠的なものがあっても犯してはならない悪事だけは止めさせる。
自分自身の意志が催眠を越えて。
自分で気が付くのです。マスオにもそのチャンスがあった。
しかし改めなかったのは不可抗力なのではなく、彼が詐欺師の煩悩そのまんまだったから
罪の意識もなく、裁判もなめてかかり心証を悪くするのです。
改められなかったのではなく改める気がさらさらなかった。未だにそうです。
[776]栗花 馨 05/06/22 01:45 7cCbiuUe5a
>ユビキタスさん

桐山氏は
 日本国の宗教法人の代表ですよ。

あなたのおすすめの宗教法人はどこですか?

日本の法律の償いを観とめないあなたは日本国民ですか?

で、桐山氏に失恋し狂乱執着しているあなた自身には理性はあるのですか?


[777]ユビキタス 05/06/22 02:03 *3Rv70.P.g7X**7*7*7*
>>758 パトラッシュの飼い主さん
つまりこういうことですか?
ソンディの運命分析の治療やそれに類したジュンテイでもなんでもよいが、特殊技術を
示して救いの道を説かない限りは、あ〜あ、殺しちまったわい。恨みの念に囚われてさあ〜。
でも仕方ないんだよ。これは不可抗力人間ではどうすることもできないことなんだから
もう殺人の衝動が起こったら止められまへ〜ん。
ワシをなんとかしたかったらソンディを連れてきなさいと言いたいわけね?
かのソンディさんは自分の異母兄と同じ不幸な運命をたどるのではないかと恐れただけで
断ち難い愛着の念を断って語学教師と別れたのは単に理性を発揮してとのことですよ。
この時点で病的な先祖の抑圧意識と対審して和解するごときソンディテストだの
実験衝動分析だの特殊技術も開発してないわけです。
ソンディにもパトラッシュにも青木さやかにも蔑まれながら人殺しでもしてなさい。
[778]ユビキタス 05/06/22 02:28 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>767
ワシは肛門を舐められるとなかなか気持ちよいのじゃが、肛門に指入れられるのは嫌いじゃな。
(↑このレスで相当品格を落としこれまでに築いてきた栄光を台無しにしてしまった)

>>763
モッガラーナが異教徒に攻撃を受けるのは前世の悪念、悪業の報いというのは
これは学研の「釈迦の本」に書いてあった説話を紹介したもので、この話のここの部分だけ
嫌いだと私は書いています。
そもそも阿含経にはそこまではっきりした記述はないそうです。
ただ私がこれを紹介したのは前世に積んだ悪業の報いを避ける道はないことを証明する
説話だと思ったわけです。
モッガラーナは前世の報いがあったにせよ、煩悩はなくしていたのです。
アングリマーラに殺された村人にもなんらかの前世の報いがあったにしても報いを受ける
ことと煩悩とは関係ないのです。

さて明日は日本の戦時中の異常な精神状態の様相と霊障の関係、なんでそれが戦後解消
しちまって、我々はノーマルな平和の感覚を獲得したか論じてみようかな。
霊障なんか関係なく教育・思想の啓蒙の賜物とわかるのです。
日本人の戦時中の煩悩の解消は霊的浄化によって得られたのではありません。
と、ここまで書くともう明日書く必要ないな。
煩悩は教えによって自覚によって克服することを証明したかった次第。
未だにチョンコロとか挑戦蔑視の発言をする奴らとか、あるいは北朝鮮人民政府の
あの異常な精神は霊障の所為とかみなさんは思いますか?
日本も昔、異常な精神に囚われたようです。
しかしもう脱しました。
健全な国際感覚を持つ人が多いです。
いつ霊障解脱したのですか?
[779]ユビキタス 05/06/22 02:31 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
んー。>>763ではなく>>773でした。
[780]池田慈水 05/06/22 07:53 uyMjH0CPLl
>>777 夢で自分の運命を予知して、それを努力し、回避するなんてことはめったにあることではないですね。
ユビキタスだって、やったこと無いでしょ?
ありますか? 
[781]○○屋 05/06/22 07:55 D-Oab/h
しかし、ユビキタス氏も掲示板すきですねー、夜中の二時まで・・・屁理屈こいて。

あなたがそのように、理性だけで人生を組み立てるならば勝手になさるが善かろう。きっとあなたには可能でしょ。
[782]池田慈水 05/06/22 07:59 uyMjH0CPLl
普通、夢と言うものは覚えていないことが多い。
この前書いたように、REM睡眠における脳は、端末装置と外れたコンピューターのようなものであるから、記憶装置と外れているのです。だから記憶できない。たまには記憶できることがあるのだが。
従って、>>777 が如何にいい加減なことを書いてるのかがそれだけで分かると言うもんだ。「単に理性を発揮」ねえ?その言葉が、一番理知の力が無い人から発せられると、笑うしかないですなあ。
[783]池田慈水 05/06/22 08:01 uyMjH0CPLl
夢で自分の運命を予知して、それをたいした努力もせずに
、回避したことが、私にはあります。詳しくは私のHPを。
[784]こうもり 05/06/22 10:15 ZdNFhOauTT
>>778 もう1つ聞きたいです。
釈尊が托鉢で出かけて道がYの字になってました。片方は裕福な村落、片方は超貧乏な村落。
後者は前世で貪ったからそうなった、と。
そこへ行って托鉢した。

供養をした人はこう思ったに違いない。
「尊い尊者に供養したから、ご利益で来世は天界とか裕福な家へ転生に違いない。うれしい」

絶対こうは思わなかっただろう。
「貪りの心が我々にあったが、尊者への供養で晴れ晴れしました」
[785]○○屋 05/06/22 10:44 D-Oab/h
こうもりさん!スルドイ!
[786]岡目 05/06/22 12:13 SqCKf1aFV5
ジミズさんの 人となりが だいぶ 理解できるようになりました。世間的にもちゃんとした生活をされ、回りからも、尊敬を得られておられるようです。結構 面白い人で、異業種交流をしてみたいような 魅力のある人だと思います。ただ、惜しむらくは、思い込みが強すぎること、はやとちりをすること、自身の生き方に強烈な自負心をもっておられるようなので、その思いを否定するような タイプの方とは とことん 相性が悪いようです。 ユビキタスさんは、我々より、一回りぐらい若い方のようですが、実に よくできたかたです。理論家であり、物事の本質を よく見抜いておられると思います。阿含宗、桐山靖雄についての 見かたも ユビキタスさんのほうが正しいと思います。ユビキタスさんの 理論が ジミズさんにはとても唯物論的な 感じにとれるようで、(実際はそうではありません)、唯物論=悪と思い込んでいる、ジミズさんには、許し難い天敵のような 存在に感じられるのでしょう。そもそもの、間違いは、ジミズさんのほうにあるように思います。ジミズさんは、解脱供養もしたことのない、阿含宗の 信者らしからぬ信者でした。5年で千座行を達成されたようですが、桐山の著書(念力)と、阿含経を読んで、全く独自に修行された方なのです。阿含経に縁を作ってくれた桐山に感謝し、行法の取っ掛かりを示してくれた桐山に、思い込みから 純粋に感謝しているだけの方で、桐山の実像については、無頓着な方なのです。
ジミズさんには、桐山の実像、実体を 冷静に 見てもらいたいものです。
阿含宗は 宗教といえるものではありません。あなたは、たまたま あなた独自の強さから、桐山に被害を受けることが無かっただけなのです。
[787]○○屋 05/06/22 12:40 D-Oab/h
確かに宗教団体は団体であるための弊害は必ずついてまわるでしょう。猊下が野に伏し法を伝える釈尊のごとき清貧生活を送ったならば批判の方向もちがったものだったでしょう。
宗教が宗教団体である以上、ある程度の宗教的素因が犠牲になるのは止むを得ず、それが人それぞれの『許容範囲』か否かで自分のスタンスが決まるのではないでしょうか。
若造が生意気言って恐縮ですが、私はそのように思います。
[788]岡目 05/06/22 12:42 SqCKf1aFV5
ユビキタスさんは、阿含経を 霊的な観念の上からも 読み取れるかたです。ただ、霊的なことは 混乱、混同の原因になりやすいので、そのことを避けておられるのです。釈尊もそうでしたね。わたしは、個人的には、ジミズさんの考え方は 好きなのですが、あなたのかんがえは、本来、星祭りさんや、○○さんとは違うものなのに、今の状況では、一緒になってしまっています。それも あなたの 思い込みの強さが わざわいしているようです。
[789]池田慈水 05/06/22 12:44 uyMjH0CPLl
>>786 soredemo okameka?
岡目の名が泣くぞ。私がユビキタスのことを、どう思っているかと言うと、まず、彼は基本的に初期大乗仏教徒である。彼の主張を分析すればそうなる。教育や理性、日々の心がけで、人は佳き人生を送れると信じているところが、そうなのだ。こういう表層意識で全てをコントロールする信仰生活は、抑圧がたまる、ストレスがたまるので、気晴らしやイベントが沢山必要になります。ですから創価学会は大変この種のイベントが多いのです。多くしなければやってられないのです。ユビキタスの主張にも気晴らしのことがありました。同じ目線を持ってます。

第2に長良川流域に住むタレ目の50歳前後の老人である、と思っている。きれいな家に住み、自分の生活には満足しているのでは、と推測しておます。

第3に、比較的に精神は安定しております。また、仏教に詳しい。
桐山を憎んでいる。

第4に、霊験と言うような体験は無い。

ま、そんなところかな。ホントはそっとしておいたほうが良い哀れな老人と思ってます。でも私のHPのBBSを見てくれれば分るように、彼の記述で、阿含宗への信頼がぐらつき初心者の方で、やめていく人が出る可能性がある。私は、それを、NO GOOD と異議を差し挟む。それだけ、それだけ。
[790]こうもり 05/06/22 13:04 ZdNFhOauTT
ボンギョーでストレスがたまる。
    ↓
普段のボンギョーは2・11の大呪術につながる、と言われ、大イベントでボンギョーする。そしてさらにストレスが強まる。
    ↓
気が狂う者、再起不能になる者、死ぬ者が続出する。
[791]岡目 05/06/22 13:04 SqCKf1aFV5
ジミズさんは ホントウに思い込みの強い人だなあ、まったくユビキタスさんについての見当が外れているではないか、彼は、関東方面の人であり、
年齢は46歳、けっこう 大柄で、ふとり気味、桐山については 憎んでいるよりも どうしようももない奴と 哀れんでいるんじゃないかな。このぐらいのことは、読み取れなければ、このスレを読んでいるとはいえないだろうね。 うそだとおもったら、 どちらが 合ってるか ユビキタスさんに聞いてみようか。
[792]栗花 馨 05/06/22 13:14 85KealKrHF
>岡目
>ユビキタスさんは、阿含経を 霊的な観念の上からも 読み取れるかたで>す。ただ、霊的なことは 混乱、混同の原因になりやすいので、そのこと>を避けておられるのです。釈尊もそうでしたね。

あなたは大間違いをしている。
ユビキタスさんにそういった感知力はありません。
ユビキタスさんにそういったことの理解力はありません。
釈尊についてをそのようなひとになぞらえるあなたも
かれとおなじでしょう。


[793]栗花 馨 05/06/22 13:17 85KealKrHF
>ボンギョーでストレスがたまる。

回向が機能していないためです。
[794]○○屋 05/06/22 13:24 D-Oab/h
廻向を機能させるにはどうしたら良いのでしょうか?
[795]岡目 05/06/22 13:38 1WO.Qwc0Yr
>>792
栗花さんも 人の表面だけしか判断できない方のようだ。
ユビキタスさんは 30年阿含宗に在籍していた方ですよ。かれが
唯物論者なら、 ありえないことなのです。ほんとうに、このスレを
読んでいるのですか、適当な時に、適当に書き込んでいるのが 栗花さん
あなたのです。
[796]○○屋 05/06/22 13:44 D-Oab/h
岡目さん

30年も神仏を信仰していたら、神仏との直接的な対話(?)みたいなものがあると思うんですが、ユビキタス氏からはそれが感じられません。神仏との直接的な対話や体験があれば、教祖に多少問題があっても信仰はつづく様に思うのですが。
[797]池田慈水 05/06/22 14:02 uyMjH0CPLl
>>791 ユビに聞くだー?
ユビキタスがホントの事を書くと思ってんだ?
岡目さん、だから岡目八目の名が泣くって言ってるの。これだけ嘘が露呈しているのに、ユビキタスが不正直者であることは、すでに皆が承知してます。何とぼけたこと言ってるのかなあ。岡目さん自体の評価を下げてしまうですよ。
[798]栗花 馨 05/06/22 14:11 85KealKrHF
岡目さん
>ユビキタスさんは 30年阿含宗に在籍していた方ですよ。かれが
>唯物論者なら、 ありえないことなのです。

唯物論者とはいっていません。
ユビキタスさんは
精神的成長の過程で桐山氏に父親像にかわる理想モデルを望んでいます。
また潜在的にある同性愛の対象として桐山氏を自分のヒーローと今もみています。失恋ストーカーの心理と反抗期の子餓鬼の精神構造がまざっている状況です。今だに桐山氏の代償もみつかっていませんし自立もしていないのが
本当の姿です。

もういちどいいます
あなたは大間違いをしている。
ユビキタスさんに霊的感知力はありません。
ユビキタスさんに教えの理解力はありません。
釈尊についてをそのようなひとになぞらえとりちがえるあなたも
かれとおなじ程度でしょう。
良薬口に苦しってことできいてくださいね。
[799]岡目 05/06/22 14:11 1WO.Qwc0Yr
101 名前: ユビキタス 投稿日: 02/12/03 21:06

約束どおり来ました。それでは護摩の話から。
確かに釈迦は阿含経の中で、弟子に火を使った祭祀=護摩を禁じています。
これは当時のバラモン教の祭祀を解脱の道になんら無益であるため禁じたものでしょう。バラモン教の神々に供物を献じる儀式であったので。
仏教で護摩の登場するのは後期大乗の密教になってからです。ヒンズー教の復活とともに取り入れたものでした。
しかし仏教の護摩となってからとはヒンズー、バラモン教の焚く護摩と全く意義が異なります。
仏教(密教)の護摩は護摩木を人間の煩悩とみなし、これを仏天を勧請し仏の智火をもって焼き尽くす儀式です。
阿含宗の護摩もまたしかり。信者の書く願いは当然、我欲、煩悩等も混じります。これを焼き尽くします。
信者の祈願?それは欲ばかりでしょうか?それは我利我欲を離れた切なる願いもあります。また自分のための祈願ばかりではありません。太平洋戦争犠牲者之霊位供養、世界平和等、浄菩提心によるものもあります。
護摩は護摩木の供養がなければただの焚き火に過ぎません。護摩木にこめられた浄菩提心を供養するのです。
それゆえに、その功徳により理に適った諸祈願が成就するのです。副産物で生じてしまう煩悩は仏の智火で焼き尽くすのと併行して。
このような護摩ですから、ヒンズー、バラモンの護摩とは異なるのです。
釈迦は当然ながらヒンズー、バラモンの護摩を否定しました。後世に登場した仏教(密教)の護摩などその当時存在せず、知る由もなく肯定も否定もあったものではありません。
阿含宗は釈迦の禁じたバラモンの祭祀と似た形式の護摩を焚きますが、内容は異なるのです。
釈迦はそれを認めるか?それは過去の文献から判断するのは難しいです。無理でしょう。
仏教の護摩として昇華した新しい護摩体系が解脱の道に通ずるものならば、それは釈迦の道に通ずるものと確信するのです。
それは現存する阿含経でその儀式そのものを肯定することはできませんが、その意義と内容、法を具現化する力によってのみ証明されないでしょう。
その意義、内容についてさらに述べたいので、しばしお待ちください。
[800]岡目 05/06/22 14:13 1WO.Qwc0Yr
ユキタスさん ごめんね、恥ずかしかろうが 出させていただきました。
[801]栗花 馨 05/06/22 14:24 85KealKrHF
>知る由もなく肯定も否定もあったものではありません。

>護摩は護摩木の供養がなければただの焚き火に過ぎません。護摩木にこめ>られた浄菩提心を供養するのです。
>それゆえに、その功徳により理に適った諸祈願が成就するのです。副産物>で生じてしまう煩悩は仏の智火で焼き尽くすのと併行して。

まさに桐山氏への恋文、愛の炎ですね。
[802]池田慈水 05/06/22 14:30 uyMjH0CPLl
>>798 栗花 馨 >また潜在的にある同性愛の対象として桐山氏を自分のヒーローと今もみています。


栗花さんあんたは凄い。これは実にシャープな指摘。
ユビキタスの文章の背後に感じますね、これを。
感じても、誰も文章には出来なかった。それを簡単に書いてしまう栗花さんは凄い。
[803]栗花 馨 05/06/22 14:31 85KealKrHF
>護摩木にこめられた浄菩提心を供養するのです。


ユビキタスさんに霊的感知力はありません。
ユビキタスさんに教えの理解力はありません。
[804]池田慈水 05/06/22 14:33 uyMjH0CPLl
だからこそ、一種の哀れさを、私は、ユビキタスに感じてきたんですよ。
[805]池田慈水 05/06/22 14:35 uyMjH0CPLl
栗花さんのお陰で、ユビに対する哀れさの正体が知覚出来ました。

こういうのが、本当の知恵者ってんだよ。

パトラッシュも、満足、満足。
お前、写真集何処に埋めた?
[806]栗花 馨 05/06/22 14:35 85KealKrHF
>池田慈水せんせい

JCのOBでいらっしゃるんですね。

せんせいのHPって御自身の会社のですか?
[807]○○屋 05/06/22 15:06 D-Oab/h
JCのOB、略してJCB?

失礼しました。

[808]栗花 馨 05/06/22 16:43 85KealKrzB
>廻向を機能させるにはどうしたら良いのでしょうか?

機能しうる回向をするのです。

2ちゃんねる阿含スレに書きこんであります。過去ログ参照してください。
[809]池田慈水 05/06/22 17:45 uyMjH0CPLl
>>807 ええー、座布団1枚。
>>806  阿含経支援の「池田慈水のサイト」です
[810]池田慈水 05/06/22 19:33 uyMjH0CPLl
お馬鹿なタレ目老人が理解力がないようなので、もう一度書こうかな。

大きな問題点が二つ。

1、ソンデイの言う家族的無意識、運命衝動が煩悩であるかどうか?
ユビキタスは煩悩ではないと書き、池田慈水は煩悩であると書いた
さらに池田慈水は、この家族的な無意識を宗教化が霊障と名付けてもかまわないとする。

2、赤子が煩悩を持たずに生まれて来る、とユビキタスが主張した。
池田慈水は、家族的無意識が煩悩であるのだから、赤子は煩悩を背負って生まれてくる。とした。
池田慈水によれば、人間の運命も、他の森羅万象と同じく、諸方無我であるから、原因と条件とによって生起する。それは、前世における行為と行為がもたらす運命エネルギー、つまり、仏教用語で言えば、業が原因である。そして、条件は、生まれること、その家に生まれることによって背負わされる家族的無意識、これは仏教用語で言えば、霊障(煩悩、随眠、濾、暴流)である。従って、池田慈水は人の運命は業を原因とし、霊障を条件とし、生起する、と主張している。

以上、2つがユビキタスガ論理的破綻を起こしている問題点である。
ユビキタスの論によれば、いつ煩悩が生起するのかが定かでない。
一生懸命心がけを良くして、不幸な事故が起こらないように気をつけなければならない、と、初期大乗仏教徒のような美しい言葉を並べ立てるユビキタスは、それでは何故「一生懸命気をつけなければならない」ように、赤子から青年になってから変化するのか理由を述べられない。
家族意的無意識、つまり煩悩の種が発芽し、「てん」となって動き出し、暴流となって人を呑み込むからである。それは赤子のときから持っていたものである。彼の深層深く彼自身の自我の一部として、持っていたものである。他人の話ではない。赤子自身の話をしているのである。
ユビキタスは話をごまかし過ぎて、論理的破綻を起こしてしまった。
[811]ユビキタス 05/06/22 19:34 *3Rv70.P.g7X*4OueTUXls1
>[784]こうもり 05/06/22 10:15 ZdNFhOauTT

>供養をした人はこう思ったに違いない。
>「尊い尊者に供養したから、ご利益で来世は天界とか裕福な家へ転生に違いない。うれしい」

>絶対こうは思わなかっただろう。
>「貪りの心が我々にあったが、尊者への供養で晴れ晴れしました」

そういう前者の取引信仰が心の底にあった在家もいたでしょうね。
しかし、たとえば我々が電車などでお年寄りに席を譲ったり、困った
人の身の上相談をしてあげて、相手に喜んでいただいた時、こちらも
なんか心が軽く、嬉しいでしょう。
それは何か見返りを期待してではない。
こういう純粋に相手の為になることをして、心は俺が俺がの貪りを
離れて清らかだから、こういう心と行いが継続すれば、その心は
自ずと天界へと自分を導くでしょうね。
そういう趣旨で供養をするのです。
逆に↓こういう人はどこに逝くのだろう?
>[785]○○屋 05/06/22 10:44 D-Oab/h
>こうもりさん!スルドイ!
[812]池田慈水 05/06/22 19:34 uyMjH0CPLl
宗教化 訂正→ 宗教家
[813]ユビキタス 05/06/22 19:42 *3Rv70.P.g7X*4OueTUXls1
来月46になる私に霊的感知力はありません。
このまま一生なくてもかまいません。
それでも正しく生きていくことはできますから。
あなた方阿含宗よりはマシです。
それから私がかつて桐山像に父親の理想像を投影して、それが裏切られた
から未だに未練たらしくホモの感情をこめて愚痴を言っていると心理分析
とやらをするのは、皆様の勝手であり、それを信じるのも自由です。
私には関係ありません。
「説法六十心」でしたか?勝海舟の言葉が引用されてましたね。
「行蔵は我に在り、毀誉は他に存す。何の関係あらんや。」
[814]ユビキタス 05/06/22 19:51 *3Rv70.P.g7X*4OueTUXls1
>[789]池田慈水 05/06/22 12:44 uyMjH0CPLl
>ま、そんなところかな。ホントはそっとしておいたほうが良い哀れな老人と思ってます。でも私のHPのBBSを見てくれれば分るように、

あなたの苦心のライフワークのHPに私に対する罵りの煩悩まで
わざわざ晒していただいて光栄に存じます。
また前章では最後に見事によー痴並みに壊れてくれて、連続カキコで
スレを終了させてくれたことは、これは記録に残りますし、語り草に
なるでしょう。
あなたのような聖なる方をあそこまで壊した原因が私にあると考えると
俗人の私は誇らしくも愉快に思います。
[815]○○屋 05/06/22 19:57 lU4I20ERpj
>しかし、たとえば我々が電車などでお年寄りに席を譲ったり、困った
人の身の上相談をしてあげて、相手に喜んでいただいた時、こちらも
なんか心が軽く、嬉しいでしょう。

十分取引ボランティアでしょう。

心が軽くなる→ストレスが解消される→癌細胞が不活性となる→癌の因縁がでずらくなる

この場合結果として自他共に幸せになるが、それを(取引を)目的としていないでしょうね。

>こういう純粋に相手の為になることをして、心は俺が俺がの貪りを
離れて清らかだから、こういう心と行いが継続すれば、その心は
自ずと天界へと自分を導くでしょうね。

そうです。それが「梵行」の効果なんです。

最初は「にんじん」をぶら下げられて行っても最終的にはそういう気持ちになるのが、つまりは菩薩の心持になるのが目的ですが、それを目的として行っているうちは「まだまだじゃノー」となるんではないか?

[816]池田慈水 05/06/22 20:01 uyMjH0CPLl
>>810 1番  何故、池田慈水は家族的無意識、桐山流に言えば「因縁」ですが、それを霊障と判断するのか?これについて述べさせたいただく。
桐山が言っている様に因縁にはその家を大きく繁栄させる種類のものもある。もちろんそういう運命偏重については、霊障と言う名前は相応しくないのは分っているが、それでも、普通の多くの場合、その人の心深く根ざし、子供の頃から人生を歪め、眠るたびに、うなされ、生活のあらゆる瞬間瞬間で、嫌な思いをさせ、その人の長所を攻撃し、人生をあざけり、悲惨に向かわせる、そういう志向性を持っているのである。
何故私がそう断言するか?解脱したから、知っているのである。その邪悪な志向性を。解脱すれば、これは霊障だと分る。大変などス黒いものだ。ダークサイドだ。解脱しないから、ユビキタスと言う愚か者はこういうことを平気で書くのだ。

ダークサイドに組するなかれ。ルーク・スカイウォーカーよ、心を冷静に安定させるのだ。感情に流されてはならない。特に、恐怖には気をつけるべきだ、持ちこたえろ。
勤行をするときには、心を深く投入せよ。眉間の奥に、自分の思念を打ち込むのだ。遠くに表層意識を保留し、平然と構えろ。結果として意識は眉間の奥に入る。乱れた、心で、勤行するな。
ジェダイの騎士たちよ。この試練に打ち勝たねばならぬ。ダークサイドの恐ろしさはそれを通り越えてきたものでなければ、到底、分らぬものだ。パダワンよ、急ぐことなかれ、多くの先輩マスターたちも、この道を通ってきた。密教を会得した高僧たちは、優れた霊能力で日本の国家を支え、人々を安穏に導いてきた。何も出来ぬ、顕教の頭でっかちたちは、悟ることなく、言葉を蓄え、解説してきただけである。
密教の霊力ある歴史にあなたも加わるべきだ。
[817]こうもり 05/06/22 20:53 ZdNFhOauTT
>811ユビさん。普通ならそうかもしれないが、あの村は超貧乏だったんですよ
[818]○○屋 05/06/22 21:44 lU4I20ERpj
>来月46になる私に霊的感知力はありません。
このまま一生なくてもかまいません。
それでも正しく生きていくことはできますから。
あなた方阿含宗よりはマシです。
それから私がかつて桐山像に父親の理想像を投影して、それが裏切られた
から未だに未練たらしくホモの感情をこめて愚痴を言っていると心理分析
とやらをするのは、皆様の勝手であり、それを信じるのも自由です。
私には関係ありません。


この投げやりな態度は、分析があたっていることをあらわしているのか?
[819]岡目 05/06/22 23:26 1WO.Qwc0Yr
>>810池田ジミズさんも かなり言うことが 子供っぽい方ですね。
なぜ、子供の性格までが あなたに言わせると霊障になるのですか、そもそも、阿含経に 霊障という言葉はない。霊障なる言葉を用いているだけで、阿含宗は 釈尊の教えではないことがまるわかりです。アナゴンを自称するのなら、あまり愚かなことは 書かないほうがよいでしょう。どんなこどもにも生まれつき 精神的な指向性はあるとおもいますよ。たとえば、気が弱い、強い、外交的である、内向てきである。おとなしい、騒がしい、落ち着いている、軽薄である。怒りっぽい、泣き虫である。等等、これらは性格というものです。子供の性格をよく見極めて、それなりに、気をつけて育ててやれば 上手にそだっていくものではありませんか?あなたの論でいくならば、釈尊の教えに従わぬ宗教の子供は、みんな霊障をかかえて、まともに育たぬことになる そういう短絡的な子供っぽいことを 言われるようでは、
あなたのことも、ちょっと考え直す必要がありそうです。
[820]岡目 05/06/22 23:30 1WO.Qwc0Yr
ちょっと舌足らずなので補正
「釈尊の教えに従わぬ宗教の子供→ジミズ流解釈の釈尊の教えとちがった宗教によって育てられる子供は全て 霊障をかかえ、まともに育たぬことになる」
[821] 05/06/23 02:30 *B5GT6dxzVYx*8jEUr6WzCm
>>818
○○屋さんさー
 もぉーユビキタスに絡むのはヤメレ〜
一応は仏道修行者目指してるんだろ?

批判したい人がなに言ってもスルーするのが
 (お釈迦様ふうに表現すると受け取らないってカンジか)
そういう立場の人がとるべき姿勢だべさ。

お互い立場ゆずるのなさそうだし
ぐーるぐるぐーるぐるユビいじりしてても進歩がないべさ。

どっちがガマンして止めるのかっていやぁ、
仏道に近い方がガマンするのが筋ってもんでないかい?

[822]栗花 馨 05/06/23 06:13 85KealKrzB
>それから私がかつて桐山像に父親の理想像を投影して、それが裏切られた
>から未だに未練たらしくホモの感情をこめて愚痴を言っていると心理分析
>とやらをするのは、皆様の勝手であり、それを信じるのも自由です。
>私には関係ありません。

またまた、ちゃんと読んでいませんね。
桐山像に父親の理想像を投影ではなく
父親像にかわる理想モデルとして桐山氏に熱狂しているのです。
だに未練たらしくホモの感情をこめて愚痴を言っているというのもちがって
今も桐山氏に対して特殊な愛情をもちつづけています。
もいちどよんでください。

ユビキタスさんは
精神的成長の過程で桐山氏に父親像にかわる理想モデルを望んでいます。
また潜在的にある同性愛の対象として桐山氏を自分のヒーローと今もみています。失恋ストーカーの心理と反抗期の子餓鬼の精神構造がまざっている状況です。今だに桐山氏の代償もみつかっていませんし自立もしていないのが
本当の姿です。

[823]栗花 馨 05/06/23 06:16 85KealKrzB
で、
>私には関係ありません。

恋愛がらみのストーカーがこのことばを言うんです。
まさに型にはまっているので
確定ですね。
[824]池田慈水 05/06/23 08:30 uyMjH0CPLl
>>819 子供の性格はその家庭に流れている霊障の影響を受けた結果ですよ。何かまだ疑問があるのか?これだけ書いても分らんとは、パトラッシュも呆れておる。

人間の運命はカルマと霊障によって生起する。これこそが阿含経にのっとった考え方である。
私のHPから引用しよう。
/////// 知恵足り無きものは修行に入らない、入れない。なぜならば、

彼らは因縁が分からない・・・(ああ、これさえ解れば!)
 ・・・彼らは物事には必ず原因と条件が存在するという事が理解できない

だから、人間の運命がたまたま起こると思いこんでしまうのである。
人はたまたま事故にあうと思っているし、人がたまたまガンになると思いこんでいる。
また、たまたま運が悪く離婚するのだとも思っている。また、たまたま魔がさして、
刑務所に入るようなまねをするのだとも思っている。全てがたまたまの所産だと考えている。

こうして、愚か者達は自己の運命を改善する意欲が湧かないのである。

人の運命の根本原因は前世の行為である。

運命の条件づけは霊障のある家に生まれる事である。

人間の運命はカルマと霊障が作るのである。

前生の行為が原因となり、輪廻転生の時にふさわしい霊障のある家を選んでしまうのである。
(この霊障はあなたが幼い頃から繰り返し見てきている一種の悪夢として,
あなたの心を支配しているのだが、多分あなたは気づかない。…まれに気づいている人もいるが)//////////
[825]ユビキタス 05/06/23 08:58 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>817 こうもりさん
その裕福な村と貧乏な村で敢えて貧乏な村を選んで托鉢したという逸話は間脳思考の
150ページあたりにあるものですね。
托鉢とはどういうものか示すのに添えた逸話なんだが、これを阿含経による記述としている。
この貧しい村の人々は前世の貪りの報いなんだから、供養をさせることによって
未来は貧乏もしないことになる功徳を積ませる為に托鉢に向かうと釈尊が言ったような
ことを書いているが、そもそもこの阿含経とかいう経典の出典が不明なのです。
目連が欣然微笑した好戦経の合間に余話として紹介したのですが、阿含経にはこうあると
示しています。経典名も出しません。
こんな経典が阿含経にあるのかも疑惑なんです。
釈尊は生活に最低限必要な物資を托鉢したわけですが、もらえない時には受け取らず
過分な時も受け取りません。
超貧乏な村から供養をさせるのだと意気込んだり、おまえらが貧乏なのは前世の貪りが
原因なのだから反省せよなんて説くのもおかしい。
現世の貪りをこそ戒めの対象にするのだから。
勝手な話をいかにも阿含経に出典がある
かのように捏造した疑いがある。
どなたかこの経典の出典を示して下さい。
[826]池田慈水 05/06/23 09:49 uyMjH0CPLl
阿含経には後世の加筆が含まれている。だから桐山靖雄の直観力によって、これは実際にあった話だと、判別されたなら、それに従えばよい。

普通は、縁起、無我、苦、など、説法の内容が阿含経的ならば、後世の加筆でないと判断される。
「空」という概念を釈迦が喋り初めちゃったら、後世の加筆と判断される。
[827]池田慈水 05/06/23 09:58 uyMjH0CPLl
   補足説明

人の運命は、カルマによってだけでは、生起しない。この世に生まれたときに、あたかも前世で、そういうカルマを成したと思われる人に、生まれ変わらなければならない。あたかも、そういうカルマを為したかのような人物とは、どんな条件付けで完了する事態であろうか?

そこを考えて見てください。私の言ってることが非常に論理的だということがわかるでしょう。正しいことを言っている私のことを子供っぽいと感じるならば、それは自分が子供っぽいのです。真理というものは鏡のように自分の姿を映すのです。
[828]too much 05/06/23 10:06 IudgFWY6
>>阿含経には後世の加筆が含まれている。だから桐山靖雄の直観力によって、これは実際にあった話だと、判別されたなら、それに従えばよい。

>>。私の言ってることが非常に論理的だということがわかるでしょう。

( ( ( ( ( (゜∀゜) ) ) ) ) ) デンパ
[829]パトラッシュ 05/06/23 10:24 uyMjH0CPLl
>>15 服部エンタープライズ社長 も創価ですよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、だって仲間だもんねーーーーーーーーーーーーーーーーー層化の仲良し組。うふ。

この最後の うふ。 に非常に不気味なものを感じますね。
やっぱり私はストレーンジ。ロドリゲス!(レッド吉田風に読んでくだされや)
[830]池田慈水 05/06/23 10:25 uyMjH0CPLl
いけね、またHn間違えた
[831]池田慈水 05/06/23 10:56 uyMjH0CPLl
ま、楽しくやろうよ。楽しくやってるうちに、ユビキタスも最後には俺に懐柔されちゃうから。そのうち、分る。・・・皆分るよ、阿那含てのはね、そんなに馬鹿にしたもんじゃあないの。すごい力は隠しようがないからね、そのうちには、納得できるもんが出てくるだろ。まあ、待ってロッテ優勝かあ?
[832]ユビキタス 05/06/23 14:14 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>815
取引信仰とは自分の都合のよい現世利益を得ることを目的とした信仰です。
善いことを無報酬で傲りのない気持ちでボランティアをしたら、相手にとっても
気持ちが清らかになるし、世の中が清らかな気持ちに包まれるし、自分もまた清らかで
喜ばしい、唯これだけが得たくてボランティアをする時、これを取引とは言いません。
清らかな気持ちを獲得して継続したことで身体と精神のバランスもうまくいって
ガンをも治してしまうこともありましょう。
しかしそれは副次的なもので、それ(ガンを治すこと)を目的としたボランティアなんて
聞いたことがない。
しかし阿含宗はこれを目的にして誓願にして打ち出しています。
因縁解脱を目標・目的にする信仰が正しいと明言しています。
そして因縁解脱とは実は現世利益を祈る信仰なのです。シシャさんが阿含宗は単なる
御利益信仰ではない因縁解脱を誓願としたものだと主張していた。
対して私は因縁解脱とは煩悩からの解脱ですらなく、願い通りにいかない不幸な都合の悪い
人生を、都合悪くしている条件を打破して、都合のよい現世利益の幸福を享受しようという
妄想であり煩悩であり、つまり御利益信仰そのものだと言うわけです。
ガンの因縁を切りたくば、ボンギョーという名のボランティアをせよ。
震災被災地で困っている人の為に物資や労力を援助しましょうと呼び掛ける時に
あなたの病気も治り、家計も安定しますよと関係ない効能を説くアホ団体がどこにあるか?
最初ににんじんをぶら下げるのでなく究極がにんじんを求めよという教義であり
商売のマニュアルなのです。
やっているうちに見返りを求めなくなるボンギョーとは何か?
阿含宗のボンギョーはたとえば護摩木を買って書いて祈って願望成就祈願の煩悩を
植え付けて、頃合いを見て、本当に願望成就したかったら修行するしかないと入信勧誘
まで結び付け、その成果・実績が問われ、成績優秀な者は表彰され、先達として
崇められる。牧童犬さんみたいに。
心が清らかになったかどうかは牧童犬さんを見ればよい。
因縁を説き霊障の恐怖を説いて人を脅かし、自他ともに煩悩を増して悪業を深くする。
皆で掃除したら気持ちよかったくらいの功徳しかない。
霊的浄化活動とやらは先祖を霊的放射能のごとき侮辱をして自己満足の傲慢の煩悩に
心は汚れていく。
[833]○○屋 05/06/23 15:16 D-Oab/h
はー。そうですか・・・
[834]個人指導 05/06/23 17:49 /kONKCJFSK
阿含経には、成仏法が書かれている。
シュダオンになる方法が書かれているのです。

それを現代にアレンジしたのが阿含宗です。

止息法が形を変えて日本にあることを発見したのが桐山師でしょう。
[835]星祭@取り引きね 05/06/23 18:40 yPJNkMua68
>832、結局、あなたは取り引きに失敗した。ということがウラミなわけでしょう。そんなのは信仰者の態度ではありません。だから、やめて文句いうのもわかりるような気がしますわ。信仰とは取り引きだ!という考えが、意識的、無意識的にあなたにあるのであって、阿含宗にあるわけではない。煩悩からの解脱なくして因縁解脱はありえないここがわからないから失敗してやめてゲイカの悪口こくのでしょう(笑)。現世であれ来世であれ利益は得られませんよこんな根性では・・。
[836]星祭@精神世界 05/06/23 18:43 yPJNkMua68
また、金やモノで得られない取り引き(ユビ氏の表現を借りれば)もあるのであって、なんでも形あるものしか価値をみとめないから、こんなことになる。
[837]岡目 05/06/23 19:15 1WO.Qwc0Yr
>>824
私が、桐山を批判しながらも、ジミズさんに好意を覚えており、批判の矛先が鈍るのは つぎの一点にある。ジミズさんが、桐山に頼っていないこと、自立していることにある。ジミズさんは どういうわけだか、思い込みで桐山に感謝し、桐山を擁護しているが、積極的に阿含宗に入行を進めているわけでもない。ただ、桐山批判の 多いのを見るに見かねて、ちょっと応援してやろうというスタンスのようだ。
ジミズさんよ ちょっと お聞きするのだが、その あなたの 思い込みの霊障が、すべての人間にあるのなら、あなたは、どうやって解消するつもりなのだろう。貴方自身のことはいいのだよ。(もうアナゴンなんだから)、例えば、あなたの、子供や、孫や友人や身内など、あなたの 目から見れば、霊障だらけの人間に見えるのだろうが、そういう人に、あなたは、なにを どうするつもりなのかな。
どうも、それらの人を 阿含宗に入会させる というタイプでもないし、なんですかな、そういう人たちに、人間とはなあと 説教することが好きなだけなのですかな。阿含宗の会員でもなく、霊的な力があるわけでもなく、講釈をたれるだけでは(ア、栗花さんも そうみたいだね) どうしようもないんじゃないのかな。
[838]○○屋 05/06/23 19:21 7Ve8px7vcZ
えー私最近「猊下信仰」から「釈迦信仰」に変わったような気がします。釈尊との対話のための媒体として猊下がいるわけで、で、あるので猊下のスキャンダルがそれほど気にならなくなったような・・・これは信仰する姿勢としていかがなものかと思いますが、まー自身の心の平安を優先しても差し支えは無いような気もします。

で、ユビキタスさんの「取引信仰」ね。初護摩札は私はご親筆ですが、あれ取引ですかね?5万円出した見返りに金が入ってきたらいいと思うか?なんか変だよな。供養は供養。お陰はお陰。のような気がするんだがなー
[839]岡目 05/06/23 19:49 1WO.Qwc0Yr
>>838○○屋さん
「えー私最近「猊下信仰」から「釈迦信仰」に変わったような気がします。釈尊との対話のための媒体として猊下がいるわけで、で、あるので猊下のスキャンダルがそれほど気にならなくなったような・」

一歩前進二歩後退、 笑えました。
[840] 05/06/23 20:37 *B5GT6dxzVYx*8jEUr6WzCm
>>838
う〜ん う〜ん

師匠に対する拘りは捨てた方がいい。

梵行とは人に尽くすこと。 (オレはやってないけど)

それは会員のためになるか? それは非会員のためになるか?

それだけを考えて行動すればいい。


・・とりあえずカラムのはやめてくれたみたいで、ありがとう。

[841]ユビキタス 05/06/23 21:12 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>838
ご親筆の護摩札なんて、あれがモロ取引信仰の証明ではないか?
以前に法話で質疑がありましたね。
護摩木など一本百円から拾萬圓までおわしますが、護摩木や護摩札になぜ等級があるのか
と批判を含んだ質問があった。これに対してかのゲイカはのたもうたことには、
護摩木や護摩札に等級があるのではなく、あなた方の祈願や供養したい心に等級があるのだ、
だからその自分の祈願の等級に応じて護摩木もチョイスできるシステムにしているのだ、
特に高額の護摩木や護摩札を買ってくれた人には私はただで受け取ることの嫌いな性質だから
法の加護があるように祈念するオプションのサービスをつけよう、としたわけだ。
祈願をかなえてほしいのだが、百円では心もとない気がする。とりわけ切なる祈願や欲望こそ
金の投資なら糸目はつけないとあさましくなる。
願いに等級をつけて高額はずむとホトケ様もそれだけ喜んでいただけ見返りの功徳も大きく
あさましくもなる寸法だが、ゲイカの法施がさらに拍車をかける。
お手ずから九字を切って念力をエイッ!とこめるだけなんだが、この念力がどんな宝よりも
信者には価値がある。
何しろ念力で生木に火をつけ、広いモンゴル全土に雨を降らせたのだから、こんなすごい
念力で修法してもらったらどうなるんだ?期待が湧くでないか?
効果あった試しないけど。
五万円や拾萬圓で何が買える?おまえの切なる願いは五万円で買えるのか?
だったら五万円で買えよ。
金で買えないような素晴らしい効果が期待だけ買えるのだよ。金で。
だから皆飛びつくのさ。
結局等級の差別はあなた方の願いにあるとこちらに責任を押しつけながら、てめえの方も
それならと欲望に応える等級サービスを用意したのだから、批判に対して回答したことに
ならない。完全なる取引信仰まんまです。
これが君たちがいくら払おうと私の修法は常に変わらないし、こちらから特別に
差別することは一切ないと突っぱねた方がまだ立派なんですがね。
伊勢の護摩に名古屋の非会員の友人連れて参拝した時に、大導師の特別護摩の九字を
あれはなんだ?と質問され、正直にそのシステムを意義も添えて説明したが露骨に嫌な顔を
してました。そういう高額払った人だけ優遇する根性が嫌いなんだと。まさにそのとおり。
あのシステムの全廃を提案してみては?
五万円護摩札なんてあさましく買ってないでさ。
かつて自分も買ったから他人のこと言えんけどさ。
[842] 05/06/23 21:28 *B5GT6dxzVYx*8jEUr6WzCm
>>841
あなたもあんまりひつこくしないんだよ。
ね?

[843]池田慈水 05/06/23 21:29 uyMjH0CPLl
>>837 私は霊障を霊障として知覚しているのではない。つまり霊が見えるではない。桐山靖雄は見ているのだと思うが、私は見えない。
家族的運命衝動を、宗教家が<霊障>と名付けてもいいのではないかと言っているのです。私自身の体験から言えば、私の解脱した刑獄の因縁(家族的運命衝動)は悪夢そのもの、まるで霊障のようなダークサイドであったと、感じるわけです。本当のことは、そこまで見える霊能力者が、言うべきことだとは思いますが、ソンデイの場合は、DNAの遺伝子の中に内在するものだとするのに対して、宗教家は、そういう物質として表現はしないだろうと考えます。ですから霊障という言葉が適切なのではないかと思うのです。兄弟それぞれが運命が違いますので、ソンデイのようにDNA内の物質として表現してしまうと、何故兄弟で運命がそれほど違うということに関して、説明しづらい。その点、霊障という表現ならば、説明しやすい。それはつまり、同じ不成仏霊でも、霊障の波動を受けやすいとか受けにくいとか言って、表現できるのではないか。また、解脱するという根拠が出来る。DNAという物質に運命の根拠を求めた場合、基本的には解脱不可能である。DNAとすると、いつまでも解脱出来ないということにもなりかねないし、その家系に半永久的に続く、と言うことになってしまう。解脱の体験がある宗教家は解脱できるという根拠は何かということを示さなければならない。

私のスタンスは、ユビキタスの記述によって成功するかも知れない解脱のための修業を若い人が止めてしまう事がないように、ユビキタスの前に立ちふさがることです。数年たって効果が無ければ、そのとき止めればいいのです。やめる時期は、人それぞれ判断してください。煩悩からの解脱修業というのは、非常に価値があります。しかしながら人生を浪費すべきではありません。バランスよく考え、効果が無い場合は、バランスよく止めてください。これが私のスタンスです。
行のときに心の使いかたが、うまい人は必ず成功するとは思っています。密教の修業というものは、成功しやすく出来てるんです。
修業についてはいくら書いても分ってもらえない部分がありますが、もともと神秘的なものなので、しょうがないです。
[844]個人指導 05/06/23 21:39 /kONKCJFSK
徳を積むために値段があるの。わかりますか?

願望のリスト作りと基本は同じす。
[845] 05/06/23 21:52 *B5GT6dxzVYx*8jEUr6WzCm
>>843
池田さん
横レスみたいですが失礼します。

>解脱のための修業を若い人が止めてしまう事がないように

今の人達ってあんまり千座行みたいのはしてないんじゃないでしょうか。
勤行みたいなのはあるけど、1日休むと初日からカウントし直しで千日続けるとか、
そういうのはやってないような気がするんですが、それでもいいのですか?

[846]ユビキタス 05/06/23 22:49 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>843
ジミズさんが私の前に立ちふさがると、かえって逆効果で私にとって都合のよい面が
あるかもしれないよ。
ジミズさんといい、○○屋さんといい、この人たちに直レスをつけながらも、この人たち
だけでなく、ロムする物言わぬ理性と知性の残っている信者が存在していることを念頭に
彼らにも読んでもらうことを意識して書いている。
正直書くが、今議論している相手よりも高いレベルの知性と感性を持った人に語りかけて
いるつもりだ。
先ほどの○○屋さんの初護摩札の話は取引信仰を語るのにとてもよい題材と思い、
レスをつけた。別に○○屋さんにからんでいるのでもない。
からむこともあるが。今はジミズさんにからんでいるかな?
初護摩札の話を臆面もなくあの議論の中で出してくるその書き込み内容に正直愕然とした。
しかしこの簡単な題材にもっとレベルの高い人を想定して、彼らをも納得させるような
レスを目指しています。(納得するかどうかは別問題ですが)
しかし、これは私の阿含宗信者さんに対する買いかぶりで、知性と感性のレベルが低い人
しか残ってなかったとしたら、レスの工夫など徒労なのかな?と思ってみたりもする。
[847]栗花 馨 05/06/23 22:55 93J9OOA7NF
>パトラッシュ

飼い犬に手をかまれる 出典:平家女護島
[848]栗花 馨 05/06/23 23:00 93J9OOA7NF
シャク尊が死んで、
シャク尊の一部の弟子たちによって広められた教え
清らかな心の乞食。

桐山氏は
日本の神仏習合修験道からシャク尊の教えの源流まで含めた完全仏教。
地球 国 社会 家庭 を放棄しない修験道的実践が中心。

桐山氏にシャカシャカいって文句いってもね。
桐山氏=シャク尊ではない。

なお、ユビキタスさんは清らかな心の乞食でもありません。
[849]岡目 05/06/23 23:26 1WO.Qwc0Yr
>>843ジミズさん
[私のスタンスは、ユビキタスの記述によって成功するかも知れない解脱のための修業を若い人が止めてしまう事がないように、ユビキタスの前に立ちふさがることです。]
たぶん、こんなところだろうと 予想はしていました。
[数年たって効果が無ければ、そのとき止めればいいのです。やめる時期は、人それぞれ判断してください。煩悩からの解脱修業というのは、非常に価値があります。しかしながら人生を浪費すべきではありません]
ジミズさん あなたの言う通りなんですよ。  あなたはね、桐山の「念力」なる著書を信じて、しかも桐山を盲信することなく、自分なりに修行して成果を得た 稀有に近い かたなのですよ。なにしろ、解脱供養など、わしゃ知らん というかたですから、金も使わなかったはずです。つまり、あなたは、桐山の著書から、「よし、俺も一つ 煩悩に振り回されない 素晴らしい人生を歩んでみよう、桐山も人間なら、俺も同じ人間。やってやれぬことはない」と幸いというのか そのように考えて、行動できた方なんでしょうね。私にいわせれば、それは桐山の商売上手なところで、その商売上手に乗らなかった、千にひとつ。万にひとつの方なのです。
多くのひとが、桐山の その手に乗せられまして、金をつぎ込み、倒産、夜逃げ、精神分裂、自殺 に追い込まれました。そんな事例はあげればきりがないほどです。私の周囲だけでも、精神病になってしまった人や、 自殺した人、桐山になけなしの財産を騙し取られ、殺してやりたいほど憎んだという人等、十指では足りないほどです。つぎ込んだ額は、○千万という単位ですよ。あなたが、幸いに 金を使わず、また、あなたが、阿含宗の内実をしらないだけのことなのですよ。我々は、そういったことを見ているから、桐山を批判しているのです。あなたは、このスレを読んでいるようで、読んでいない。桐山の実像も知らない。幸せな方です。 
[850]こうもり 05/06/23 23:42 ZdNFhOauTT
私が>>843をさらに単純化しましょう。
・解脱供養を30体。(冥徳は最初の2〜4体は勘定に入れていいがそれ以上はストップしろ)
・ミツワのサプリを買え。
・白米を止めろ

そして解脱のための修行したい人は本山氏のところ行け。いまどき密教なんて古い。クンダリニヨガがいいよね。
[851]池田慈水 05/06/24 00:14 uyMjH0CPLl
>>849 しかしながら桐山靖雄が居なかったら、私は解脱を果たしていないし、そのことはどう説明をつけるので

あろうか?解脱のチャンスを与えてくれたのは確かなことなんですぞ。
桐山靖雄はかくのごとく修業すべしと、本を書いた。「密教のカリキュラム」、「念力」。それに従って私は修業した。それに従って修業したものだけが、少なくともその修行方法については批判できる立場にあるのだと確信する。
初期の段階、観音慈恵会から阿含宗初期までの時期で、桐山靖雄は何と言っていたか。思い出して欲しい。基本的には、パワーと徳を付けなければ次の世に生き残れない、ということであった。つまり修業は2本立てだったんだ。パワーは、チャクラ開発とクンダリーニ覚醒行であった。徳は、千座行であった。この2本立てだった。
ところが、このパワーのほうは、ほとんどの人が、修業していないではないの。2本立てのはずが、皆一本だて

にしてしまった。桐山の神通力に頼りっぱなしで、信者としてくっ付いて行っただけではないの。桐山靖雄は、

しっかり修業し来たるべき激動の時代に、世界を救い、他者を教導するそういう若者よ集まれと、われ等を集め

たはずなのだ、最初は。
裏切ったのは、お前たちであって、桐山靖雄では無いのではないか?考え違いをしていないか?

桐山の神通力に頼りっぱなしだった人々は、桐山から弟子扱いを受けてないだろう。弟子入りしたつもりでも、桐山靖雄は弟子だとは思っていない。ユビキタスは桐山に弟子入りしたことも無かったと言えるだろう。
信者として、現世利益だけを頂戴しようと群がったのだ。それでは、正月の神社仏閣にお参りするのと同じですから、お賽銭を返せと言うに等しいことをユビキタスは、この5年間言い続けてきたのと同じではないのか。
自殺、夜逃げについては、それが本当にあった話なのか?、と思うだけで、詳しくは知らないが。
オウムは土地、財産を寄進させ、帰るところを無くしてまで、信者から財産を吸い取ったが、阿含宗は自由がある。やめる自由があるのでカルトではないのである。これは基本的なことである。地獄の観念で脱会を阻止する教義があるかどうかでも、カルトであるかどうかの判断が出来る。この点で、創価学会はフランスでカルトの烙印を押されたのである。だが阿含宗にはそういう脅迫は無い。皆自由にやめ、自由に入っているはずである。岡目さんの基本的情報収集に疑問を呈する次第である。
[852]栗花 馨 05/06/24 00:33 93J9OOA7NF
いま、桐山氏は優婆塞阿那含でしょうね。

日本の神仏習合修験道からシャク尊の教えの源流まで含めた完全仏教。
地球 国 社会 家庭 を放棄しない修験道的実践が中心。

解脱のための修行したい人はaraga, adosa, amoha

[853]池田慈水 05/06/24 00:35 uyMjH0CPLl
>>850 自己変革術として密教は、史上最高です。原理的に、この上はありえません。最高です。宗教とは究極のところ、「自分が自分の心に言って聞かせること」です。自己の心を統御すると言うことにかんして、密教以上のものはありえません。身口意の3つの側面を仏と一致させ、しかも、ストレスを起こさない(重要)。そして、深く行が届いた証拠に、霊験が起こります。

日蓮が、浄土教相手にのた打ち回って、日本国の滅亡を危惧していたとき、蒙古に神風を吹かせたのは、大元帥法を修した密教のお坊様方でした。陰では密教が日本を救いました。密教修行者の観想どうりに世界は動きます。桐山が雨を降らせようとすれば雨は降ります。空海も招雨法を行いました。密教では雨を降らせることは、珍しいことではないのです。きちんとしたお坊さんがきちんと行をすれば、法は応える。それが密教の軽視ならざるところ。認識を改めてください。
http://members.jcom.home.ne.jp/ikedazisui/mikkyou.htm
[854]池田慈水 05/06/24 00:57 uyMjH0CPLl
>>852 桐山氏は優婆塞阿那含?

ちょっと待った! 彼はプロだから、優婆塞ではないでしょう。
阿閣梨というのが一番正しいのでは?

また阿那含とはどういうことでしょうか?阿羅漢ではないのでしょうか?栗山さんには阿那含と映っているのでしょうか?
[855]服部エンタープライズ社長 05/06/24 01:06 *vOys31uzjgw*.ZJ7fElFv0

 >>829 そうか〜〜

  皆さんは どれがよいですか〜〜〜
  http://www.ne.jp/asahi/happy/jollyboy/senbkind.htm


[856] 05/06/24 01:08 *B5GT6dxzVYx*8jEUr6WzCm
>>853
池田さん
さっき横レスしたついでにもうひとつ言わせてください。

ホームページでユビキタス批判するのはやめたほうがいい。

あれは迷惑行為だし、なによりあなた自身への評価が下がります。
HP見せて頂いて、意外に読める面白い部分が多かったです。
実際の出来事から書かれている部分は説得力もありましたし面白かった。
しかし個人批判を大きく取り上げてしまえば全て台無しになって
しまいます。
なにより彼だって普通の人間なんですよ?
どうかユビキタス批判を削除するようお願いいたします。

[857]池田慈水 05/06/24 01:36 uyMjH0CPLl
>>856 それはだめです。HPのBBSをごらんください。おかげで助かりました。と感謝されてるんですよ。

バランス良く修行を続け、やめるべきときにバランス良くやめる。
ユビキタスの記述を読んで急いで止めては損する場合が多い。それを食い止めるんです。

ユビキタスが桐山靖雄の個人批判をしてるんでねの、何を言ってるんだか。
[858]栗花 馨 05/06/24 01:45 85KealKrJH
桐山氏は最近に阿那含となってますね。
貪欲、瞋恚、身見、戒禁取、疑についてふんぎりついたようです。

>ちょっと待った! 彼はプロだから、優婆塞ではないでしょう。

修験道で神仏習合修験道のようです。
ふつうの日常生活をおくっているぶぶんもあります。
それもあって優婆塞に分類される人です。
それゆえ守護神について語るし語れるのです。

>阿閣梨というのが一番正しいのでは?
現代では正しいです。
[859]服部エンタープライズ社長 05/06/24 01:47 *vOys31uzjgw*.ZJ7fElFv0

 オッ! オイオイ・・・!!

  パトラッシュ〜〜


    にんにくと唐辛子はいけませ〜ん、、、、


         !?!?
[860]通行人 05/06/24 01:54 neETk0xJE6
こんにちは、素朴な質問をしてもよろしいでしょうか?
阿羅漢とかアナゴンになると、超能力が身につくのでしょうか?
例えば、透視能力とか、霊視能力とか。
[861]池田慈水 05/06/24 02:06 uyMjH0CPLl
>>858 >桐山氏は最近に阿那含となってますね。
 これに反対する気が、実は無い。
 私の占いでも、栗花さんと同様阿那含となってます。
 阿羅漢となった、というのは誰からの情報だったのかな?
[862]池田慈水 05/06/24 02:16 uyMjH0CPLl
>>860 修業の過程で違うんですよね。如来に対する供養行で境涯を上げた人は、神通力の薄い人がおります。漏尽通だけというのがサーリープッタですが、それは如来がそばに居られたからできたんではないか。
チャクラ開発行から、上に昇っていった人は、下はムラダーラからアジナー、サハスララへ、その途中で、神通力を多く経験するでしょう。しかし、執着しないで、上ろうとしますので、これ専門、というような強い超能力とならないとは思います。中には、専門化する場合もあるでしょうが。とにかくいろんな場合が考えられます。
[863]金剛靖雄 05/06/24 02:46 P4bh5mr1gN
阿含宗くだらなさすぎる
[864]こうもり 05/06/24 04:27 ZdNFhOauTT
>>851
>つまり修業は2本立てだったんだ。パワーは、チャクラ開発とクンダリーニ覚醒行であった。徳は、千座行であった。この2本立てだった。
>ところが、このパワーのほうは、ほとんどの人が、修業していないではないの。2本立てのはずが、皆一本だてにしてしまった。桐山の神通力に頼りっぱなしで、信者としてくっ付いて行っただけではないの。桐山靖雄は、
>しっかり修業し来たるべき激動の時代に、世界を救い、他者を教導するそういう若者よ集まれと、われ等を集め
>たはずなのだ、最初は。裏切ったのは、お前たちであって、桐山靖雄では無いのではないか?考え違いをしていないか?
>桐山の神通力に頼りっぱなしだった人々は、桐山から弟子扱いを受けてないだろう。

昨年の純粋無垢の私と同じですな。私もそう考えた。でも現実は「信者の勧誘」や「運営」が沢山出来る人が"弟子"なのです。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1118996984/81

>桐山靖雄はかくのごとく修業すべしと、本を書いた。

@「念力」は2chで言われてるように佐保田ヨガのアーサナが入ってるから一応効果があるが、クンダリニヨガとしてはお粗末すぎる。
あなた自身、特殊な例だったと言ってるではありませんか。もっと特殊な人は千座行でチャクラが開発される人もいるが、
普通の人はもっときちんとした行が必要。

A他流派では本だけじゃなく"実技指導"がしっかりしている。私は外部で実際に習ってるから言える。指導者はこんなレベルとっくに終え高度な行をご自身はされている。
私は今この方法を習い、チャクラはまだだがプラナルートは出来た。↓
http://home.att.ne.jp/red/enku/sendo/takato/syousyuten/syousyuten5.html

他にこんなのも指導してる先生がいる。この先生に基礎だけ習った人は身近にいる。でも途中で流派を変えたらしい。仏陀の呼吸法の解説も丁寧でしょ。
http://maharsin.com/yogavercity/Hkriya/kriyap15.html
http://maharsin.com/yogavercity/Hsati/sati02.html

もう今更言いたくなかったが(所詮、宗教は宗教であって、修行じゃない)池田先生がおかしなことばかり言ってるから、あえて書いた。
[865]ユビキタス 05/06/24 08:48 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>857
ジミズさんのHPのBBSは読みましたよ。
私のスレを読み阿含宗に大いに疑問を持ち、危うく退会に至ったであろうところを
ジミズさんの書き込みで救われたように書いてましたね。
私がジミズさんのBBSに現れることはないので、その点はまずご安心下さい。
一度は気持ちが根底から揺れ動いたという供述が嬉しかったですね。
これは同時に他のロム者にも似たような人がいることを推測させる。
しかしこの人はジミズさんの情報になーんだと退会をしなくて済む理由を見出したのです。
ではその理由とは何かと言うと、ジミズさんが自らのHPにも転載した煩悩丸出しの
書き込みの内容とは、ユビキタスは韓国の創価の工作員だから信用ならないという
全くお話にならない邪推くらいです。
ユビキタスの示すこの批判事実はこれこれこういう理由で間違いであるという根拠がない。
私は朝鮮人でもなければ創価学会員でもないが、百歩も千歩も譲って、韓国創価の
工作員だったと仮定しましょう。
しかし私が工作員だろうと私が流す情報がデマとは限らない。
私の立場などどうあれ自分で検証してみて考えればよいのです。
たとえ私がオウムの実行犯で獄中から書いている(?)のだと仮定してみても、
ユビキタスというのは哀れな奴だと思うのは自由だが、そんな他人のことなどどうでも
よくなるほど、自分んとこの教祖の欺瞞は否定できないのだ。
私が殺人犯だからといって桐山の詐欺師が否定されたことなならないのです。
これは2chでも昔から批判側を密門会のバイトとか根拠ない邪推をして自分をごまかそう
という人がいるが、無駄なことなんです。
このへんに引っかかっているのだとしたら、それはその人の知性の問題で、知性の低い人に
わざわざそれを高めに啓蒙指導などする必要などない。
批判事実におののく人がおり、それはきわめて稀なケースでもないことが証明された
だけで収穫です。
多くの知性ある人は韓国の工作員などという邪推に軽蔑の笑いをジミズさんに向けること
でしょうから。

>>860
アナゴンもアラハンも超能力、透視能力など関係なく、煩悩をなくした人です。
神通力を獲得した人もいましたが、これは副産物であり、必要条件としません。
サーリプッタなどは高弟でありながら神通力などありませんでした。
しかし彼はアラハンの聖者です。
神通力に拘り求めることはそれ自体煩悩になります。
[866]こうもり 05/06/24 11:51 ZdNFhOauTT
大事なのは>>294ですね。
[867]池田慈水 05/06/24 11:57 uyMjH0CPLl
>>865 860に対するあなたの意見はなんら異議を挟むものではありません。

857については、次のようなことが言えるのです。形式より、所属より、実質その人が何であるかというのが重要で、それをおのおのが良く考え、吟味するのが大切なことなんだ。この考えは私も大賛成です。
ユビキタスは、赤ちゃんは煩悩を背負っては生まれてこない純粋無垢な存在だと主張。実質、心がけさえ良くしておれば、人生悪いことは起こらないものだという主張を持っておられる。特殊な瞑想行や密教行などは不要とする立場であり、初期大乗仏教の特徴を持っているのである。さよう、一人ひとりがよくこのことを考え、実質、私が推理したカンコクソウカの回し者ということが、ユビキタスには当てはまりそうだと言うことを、注意するのが良いのである。
実質ユビキタスは、祈りに力のない大乗仏教を応援しているのである。そこを注意していただきたい。主張が初期大乗仏教と同じなら、その人は初期大乗仏教徒と呼んでいいではないか。
初期大乗仏教徒で、反桐山、反阿含宗を主張するもの。これがどういう存在であるかを推理すれば、私の推理結果とそう遠く離れるものでもない、池田慈水は論理的なのである。ユビキタスは、正体がばれてしまったのでごまかそうとしているが、実質なんであるかを一人ひとりが吟味すべきであるという、彼の言葉自身が彼を締め付けるのである。彼はぐうの音も出ないだろう。煩悩に関する自分の主張が、初期大乗仏教と一致することを彼は認めなければならないからだ。
[868]池田慈水 05/06/24 12:13 uyMjH0CPLl
わたしのHPのBBsで、ユビキタスのお陰で、気持ちが揺らいだが、おかげさまで、阿含宗を辞めずにすみそうだという書き込みに対する私の返事は次のようなものです。

修行をやめるのにも、タイミングは選ぶべきです。本当に効果が無いと分った時点までは、しっかりやるべきだと思います。そうでないと損をしてしまいます。まして、ユビキタスが自己の体験談に関して真実を書いているかどうかは疑わしいのですから。
師匠は絶対的存在です。それは、弟子が絶対的な信頼をおいて師に付いて行かなければいけない時期があることを、指し示しています。そのときは、絶対服従して付いていくべきです。どうしても効果が無かったら、あとで止めれば良いのです。まして出家して、家や財産を奉げろなどと阿含宗は言っていないのですから。ユビキタスの方が脅かしているのです。

修業の効果が無い人に、いつまでも続けろ、というほど、私は愚かではありません。最も効率よく、筋道つけて生きて欲しいのです。解脱のチャンスは大きなチャンスですから、トライするべきである。だが、効果がなければ、後悔しないタイミングでやめて下さいと、いうことなんですねえ。
修行に成功した人のアドヴァイスを聞くのが正しいのか、成功しなかった人のアドヴァイスを聞くのが正しいのか、・・・さあ、どっち?
[869]ユビキタス 05/06/24 13:05 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>868
ジミズさんのBBS訪問者に対するレスが全くピントはずれなんですよ。
私が霊験を得ているか得ていないかなんて、この桐山批判に対して何の意味も持たないのです。
桐山の説いている嘘を指摘して批判しているのです。
桐山霊障の根拠である信州上意討ちにて斬殺された十八人の武士なんて話が信州に存在しない嘘、
スリランカから買った仏舎利は真正の釈尊の遺骨ではなく、真っ赤な偽物だった。
その根拠をあげているのだから、こういう事実は自分で検証してみればよいのです。
私が霊験あろうがなかろうが、ジミズさんやBBS参加者に霊験のあるなしは関係ないのです。
この人が霊験があったと感じたのならばそれは敢えて否定などしませんので、どうぞ
霊験を感じていて下さいと言います。
桐山が嘘つきであることが証明されても、でも自分には霊験があるから関係ないという
神経の方でしたら、それはどうぞお続け下さいと言っているだけなんですよ。
桐山がその宗教実践の一番根幹の部分で嘘をついていることにまともな反応をされる方を想定して
情報を流しているのだから、嘘つきでもよいと言う人はどうでもよいのです。
まあ検証したくない人がほとんどだと思いますけどね。思考放棄。
そういう人も想定の上で情報を流しているだけですよ。
[870]平等性智 05/06/24 13:15 gCw6N7TRPt
ジミズパパはいったいいつになったら焼身護摩を焚いてくれるのかなぁ?
公開とまではいかなくとも、せめて御自身のサイトで動画配信して
くれれば、多少は説得力もあろうというものを…一刻も早く
ブッチギリの霊験を見せてくださいよぅ、 チン☆⌒ 凵\(\・∀・) まちくたびれたー!!
[871]池田慈水 05/06/24 13:23 uyMjH0CPLl
最初から、ユビキタスの霊験については、関係ないと思ってますよ。
ただ、ユビキタスが反桐山を主張するあまり、深層記憶すべてを否定してしまったことが滑稽だといっているのですよ。
だから、人が心がけしだいで良い人生を送れるのだ、とした。不慮の災害や事故は防げない、のだから、起こってしまったらあきらめるしかない、という立場に落ち付いてしまった。最後は道徳の教科書になってしまいましたね。宗教要らないね。
赤ちゃんが純粋無垢で生まれてくる、と、うすっぺらな詩人みたいな事も言うようになってしまった。
こんな浅はかな人は今日日誰も相手にしないのです。勝手にすればあ。おらも勝手にしてるから、最初から。
[872]池田慈水 05/06/24 13:37 uyMjH0CPLl
>>870 平等性智よ、良く言った!えらい。
見せるよー、そのうち凄いの見せるからね。待ってロッテ!

しかし、岡目だとか平等性智だとか、世の中を公平に見るような名前は、世の中を屈折して見ている人が使う名前なんだねえ。自分の願望が名前に出るのか。
おっと、これは、パトラッシュが言ってるのよ、気悪くしないでねえ。

池田慈水の名前の中に、命名者の2匹の竜神が鎮座しているのが、分った。これは15年間気が付かなかったことだが、友人と会話をしていて気が付いた。友人が、「やはり、龍は水神だから水が最後に来るんですね」と言ったとき、
あ、っとひらめいた。
慈の字の中に玄が2つ、まるで2匹の竜神をかたどっているのが分る。
15年間こんな簡単なことに、なぜ気が付かなかったのだろうと、思わず、俺は馬鹿だなあ・・・と感じた。
[873]平等性智 05/06/24 13:42 gCw6N7TRPt
いや、ユビさんがどうだこうだは関係ないんですよ。彼が仏法の尊厳を
損なう仏敵であるならば、法力霊力無比(…という宣伝文句の)桐山
さんの元弟子として、偉大なる神通力を示すことによって屈服させれば
いいだけのことなんじゃないですか?既にユビさんのプロフ冷視に
ついては大方の失笑を買って、いるようですし…擁護側でアレをマトモに
信じてるのは少ないとおもいますよ。だから良識的なかたはサイトの
個人攻撃の削除を進言してるじゃないですか。その点はちょっと安心
しました。ジミズさんはお気に召さないかもしれませんが。
[874]平等性智 05/06/24 13:47 gCw6N7TRPt
>>872
池田さんの言ってる世の中って要するに貴方の脳内ワールドでしょ。
ウェブ上の赤の他人がそんなもんにいちいち全て調子を合わせてくれる
はずもなし。水ノ江滝子も名前のなかに龍神が2匹鎮座してるってか。
あぁ、相手してるこっちが恥ずかしくなってきた…。(^o^;
[875]生まれ来て良かったな〜 05/06/24 16:12 *bHa9rc5SRjb*S49GfXLKMv
初めてコメントを送らせていただきます。
インターネットの書き込みを読んでいると、ほとんどあり団体や個人の批判ばかりで、品性下劣でくだらない。(内容がない)
もう少し心が温まったり、心動かされたるする内容を皆さん書き込んで下さい。
唯物思想の人から見れば、神仏や霊魂等すべてがみんないんちきに決まっているでしょう!唯物論の見解からすれば、目に見えない物などすべて、初めから存在しないのですから。
私は最近、江原啓之さんが好きです。
あとフランスのルルドでカトリックのある修道女が、(少女時代に)マリア様に出会ってから起こる数々の奇跡の物語を昔読んで、とても感動した事を覚えています。彼女は自らの病気と戦いながら(マリア様が枕元に現れて彼女の病気を直してあげることは出来ないが、死後にはマリア様と同じ世界に赴くと告げる。)も献身的に看護婦として患者の看病にあたりながらも神に仕える姿に感動しました。
今でも、このルルドのには世界各地からの巡礼者が絶えません。
しかし、この感動のもの物語も、唯物論者からすれば、すべて絵空事にすぎません。
ではまた。


[876]栗花 馨 05/06/24 16:26 85KealKrd7
センサー
ソフト
ハードの性能のバランスですね。
相手が感受性のゼロの領域については話しても平行線なのです。
[877]栗花 馨 05/06/24 16:38 85KealKrd7
が、
またドンデモ系電波系とうけとめられる書きこみをいたします。

仏陀が降魔成道したときには次元交差による球電現象がおきます。
それを地に流したのです。自然発火が起きます。
旋風が起き雨が降ります。
次元交差が地中深くで同時に起きれば地震が起きます。

エネルギーを限りなく抜き去ったらゆらぎだけが残ります、そのゆらぎをもけしさる裏の次元の逆の位相のゆらぎが合致し真の寂静が訪れるとき、
その念を守意している生命体は、一瞬の無限のプラチナ状の光世界を体験します。
[878]栗花 馨 05/06/24 16:50 85KealKrd7
道教の気功仙術にみられる雷法にもおなじものをかんじています。

人体自然発火現象は体内で次元交差が起きた時生じます。
鯨の自然大爆発もそうです。

イギリスのミステリーサークルでいたずらでは不可能と考えられるものは
智慧の意識体の念による球電によっての旋風曼陀羅といえます。
これも一種の気功といえます。

わたくしは今、再現性を高めるべく雷法を修行中です。

大地震と津波の原因は、
ことばではいいつくせないまたおそろしいものなのです。
[879]栗花 馨 05/06/24 16:56 85KealKrd7
大切なことを書きます。

実は
桐山氏はネットで批判されることで桐山氏自身はどんどん清められています。

桐山氏を批判しているところへと桐山氏の精算カルマが批判者のものになっています。

ジミズせんせいのBBSはその流れをいっそうたすけるはたらきになっています。

それがカルマと輪廻転生の姿なのです。
[880]栗花 馨 05/06/24 17:07 85KealKrd7
輪廻転生でどうなるか

悪役・悪魔という表現=獄卒の精練対象
として機能していきます。

実生活で社会上悪党でなくとも背負って自身の重荷となってしまいます。
[881]生まれて来てよかったな〜 05/06/24 18:19 *iaA1uvP//mh*S49GfXLKMv
なぜカトリック信者でない私が、ルルドのの奇跡やマリア様を見たベルナデッタ(修道女)のことを書いたのかといえば、醜い批判しか出来ない人には、自分がこの世で生かされている感覚をもっていないからです。人やものに対する憎しみしかもっていないかのように見えるからです。ベルナデッタは自分の病気が治らないからといって、神やマリア様に感謝こそすれ、悪態など決してつかないのです。Oh My Got!なんて決して言わないのです。すばらしいですね。http://www2n.biglobe.ne.jp/~jysuzuki/lourdes.htm

江原啓之(霊視能力で知られる)さんの本に書いてあったのですが現在江原さんは面接相談をしていないのだそうです。理由は相談者が自分の業欲をどうやったらかなえられるか?しか相談しないからだそうです。
以前は、1回の相談料を¥10万で見ていたそうです。自分の向上の為に
真剣な姿勢で臨めば¥10万でも安いし、安易な姿勢であれば、たとえ幾らでも無駄なことだと。私もこれに同感です。(自分本位で自分の欲望さえかなえば、人を傷つけても何とも思わない人が多いのでは?)
人は苦しんだり、悩んだりしてして向上出来る人もいれば、自分が恵まれないことを神仏や他人のせいにしたり、桐山さんのせいにしたりするよう人が多いのではないのかと思った次第です。
[882]池田慈水 05/06/24 18:51 uyMjH0CPLl
877 からの栗花先生の記述は、もう俺は良い意味でついて行けない。
栗花先生は斯陀含であるという認識をしている(易占の結果)のだが、先生ご自身はどういう判断をなされておられるのか。ちょっと聞きたいなあと思っています。

>>874 私は霊夢で池田慈水という名前を2人の大男(竜神)にもらってるんで、ちょっと書いてみただけとです。(ヒロシ風に読んでね)
それに滝子なら竜神は1匹しか出てこねえでねえの。

栗花先生の桐山阿那含説、私も同じく桐山阿那含説を占断によって、導いてるが、このことは、桐山先生もしくは、周囲の者に嘘吐きが居るということを示唆している。
桐山先生の嘘については、ユビキタスの言う桐山の嘘とは全然ニュアンスが違うが、ちょっと触れておきたい。
たとえば「念力」といいう本。この本の、ヴィシュダーチャクラに関して桐山靖雄は嘘を書いている。動物の鳴き声の意味が分ると書いているのだ。ところが実際には、この機能はこの前段階の、アナハタチャクラの機能である。実際にここまで修業ができた人には、明らかに間違いだと分る出鱈目をわざと書くのは、何故だろうか?
また、この本が効果が無いと、桐山自身が言ったと信じている方が多いようだが、(岡目もその一人)、実はあれほど効果的なチャクラ開発方法は無い。この辺の嘘が誰から出たかは知らぬが、これは原理的な側面から証明できることである。
血流、そして火の呼吸、印ゲイ、観想、全て完璧なのである。
たとえば、のどのチャクラ開発では、頭でブリッジをし、首にエネルギーを与え、さらに、反転し、足を頭の後ろに持ってきて、動きを止める。必然、喉を圧迫するポーズが何分も続く。血流が喉に集まり、そのチャクラが十分意識されたところでジャク、ウン、バン、コク、の勾招法の印明が来る。全て理屈にあっており、若干の修正を与えるとすれば、喉を圧迫するポーズを出来るだけ長く続けるべきだという、注意書きくらい添付したほうが良いかなという程度、ほかは、訂正必要なし。効果的であると断言できるものである。
またテレパシーのアナハタチャクラについては、三半規管の刺激のために、平均台のようなバランスを取るポーズを取らせたあと、胸を曲げたリ、折ったりの奇妙なくねくね運動させて、胸を大きく開く訓練をさせる。しかも息苦しくさせて、肺呼吸を限界まで持っていっている。そこで、最後に5つも真言を言わせるために、本当に息苦しい。つまり息苦しさと三半規管のバランス感覚運動、その中での観想、このことが示すのは、胸で感じ取ったテレパシーを耳に送り、言葉に翻訳する、という意味ではなかろうか。理屈が合っているのだ。やってみればこんなに、理屈に合った、行は無いよ。やらないでおいて、効果が無いと決め付けるのがおかしい。
であるから、念力という本についてだけでも2つの嘘が蔓延している。こういう嘘が何故流れるのか?先生ご自身が流しているのか?それとも周囲の誰かが流すのか?桐山批判派が勝手な嘘を並べたのか?

とにかく、こういう嘘っぱちに付き合うことなく、本を素直に信じて修業した、watassuiuiは偉かったーーーーzzzzzzzzzzzzzzzoui.
ロボット池田慈水はまたしても電池切れです。パトラッシュ、電池持ってきて。
[883]生まれて来てよかったな〜 05/06/24 19:22 *iaA1uvP//mh*S49GfXLKMv
桐山さん批判のなかで、阿含経のどこに霊の供養なんて有るのか?と言うのがありますが。私から言わせれば、お経に出ていようがいまいが、霊の存在なんて当たり前のように有るだろうと言いたい。私は幼い頃から霊に敏感で、今まで様々な経験(当年43歳まで)体験をしてきているので一言では語れませんが、辛い経験もすべてあなたの人生勉強ですと言う江原さんは好きです。
阿含経の話でしたっけ!雑阿含経の好戦経というお経の中で弟子の目連が浮遊霊のようなものを目たと言うのが有りますね。これに対してお釈迦様は『私もこの衆生を見て知っているが、尚これを説かないのは、この時事実を信じない事を恐れるからで、如来の所説を信じない者は愚痴の人にて、長夜にわたる苦を受けなければならなくなるからだ』と説いていますね。(今回は目連も語ったことなのでと)
通常の人間生活においてさえ、本当の事なら全て言っていいと言うものではないく、わざと人の傷つくような事は言いません(普通の人なら)
ましてや仏陀です。ブッタが語らなかった事は全て存在しないと言う論法はナンセンスですよね。(語る時と場合のおいて常に語るのです)
雑阿含経の堕胎経の中にも自らの胎児を堕せし者が、地獄に落ち百千の苦を受けた後に、その余罪にてまだ苦しむと言うのが有りますね。
(ブッタは避妊をすれば避けられたなどとは語らないのです、その解釈は読まれた方にゆだねるしか有りません。)
ではまた!
[884]栗花 馨 05/06/24 19:26 85KealKr/T
>もう俺は良い意味でついて行けない。
わたしのは簡略すぎる飛びすぎた書きこみですがロムしている人達のなかに
仏道できわだった人がいるのを感じて書きました。

ジミズせんせいが日常のなかでの仏道を示している姿がよりきわだちますね。
慈はたしかにある法をあらわしていますね。

>先生ご自身はどういう判断をなされておられるのか。
たしかに、ぼくは輪廻します。
死ぬときに再び未練とかなしみが生じるため輪廻します。
[885]ユビキタス 05/06/24 19:45 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>875 生まれてきて良かったな〜さん
昨日第十一章に出てきた107さんですね。
あちらの続きは書かずにこちらに書くのですか?
一つ質問があるので答えて下さい。
あなたと阿含宗の関係です。
阿含宗の信者の方ですか?
私は第十一章の107の続きにいつ阿含宗の桐山靖雄が出てくるのか楽しみにしておりました。
霊障に苦しむあなたがとある霊能者に視てもらい、さらにその人から「私よりももっと
霊視能力があり解決法も持つ桐山師を紹介してしんぜよう」と紹介されたところが
次々と具体的な先祖が指摘され、調べてみると指摘された死に方と一致!吃驚して
指導されるとおり解脱供養を申し込むと、ある日嘘のようにそれまで悩まされた霊障が氷解し
はたしてそれからまもなく解脱成仏しましたとの通知が届いたとか。
阿含宗の信者ではないネットの宗教スレ閲覧者で、批判側が桐山霊障を否定していた
ことを、あらゆる霊魂観全般を否定しているかのように、よく読みもせず大いなる
勘違いをしているのだとしたら、まず阿含宗スレに参加したくば桐山阿含宗をきちんと
把握の上参加して下さい。
桐山は江原啓之氏の霊魂観とも全く異なるはずです。
あなたが江原氏を支持するのは自由で結構なことですが、江原氏を正当と論じても
桐山も正当とはいきません。両者には大きな隔たりさえあります。
江原氏のことは詳しく知りませんが、彼の考えや力に関係なく、桐山は嘘つきの詐欺師です。
[886] 05/06/24 19:55 *B5GT6dxzVYx*8jEUr6WzCm
>>885
生まれて云々さんはそこまで言ってないだろ。
そんな誰にでも噛みつくなよ。

[887]平等性智 05/06/24 20:01 gCw6N7TRPt
古くさい精神世界ネタで盛り上がってるスレはここですか?
[888]平等性智 05/06/24 20:03 GoRGEoUS
あ、生まれて飛び出て邪じゃ邪じゃ〜んさんが焼身護摩焚いても
いいです、もちろん。
[889] 05/06/24 20:09 *B5GT6dxzVYx*8jEUr6WzCm
>>857
池田さん
誰かに感謝を述べられたとしても、ダメな物はダメなんですよ。
もう最後にしますけど
ああいうことはユビキタスくんにとってもそうですけど、
なによりあなたにとって本当に良くないですよ。
オイラが頭を下げるのはおかしいかもしれませんが
頭を下げてお願いします。
どうかあの企画はやめてください。

[890]栗花 馨 05/06/24 20:11 85KealKr/T
実は・・・・・

ここに書きこんでいるひとは極少数・・・・
[891]平等性智 05/06/24 20:25 gCw6N7TRPt
まぁ、なんと申しますか、精神世界関係者で受け皿を求めてる人は
少なからずいる、ということですかね。しかし赤の他人に「聖者」
だの、「霊感者」だのの認証を必死になって求めて、それがどうしたの?
とか思っちゃいますけどね、なんやら浅ましいし。そのあたりの
割り切りが無い人達がジタバタしてるのを見るのはそれはそれで
オモロイかも。「自分に対して慈悲を施せ!」っていう、魂の叫びが
聞こえてくるようですね。
[892]生まれて来てよかったな〜 05/06/24 20:56 *iaA1uvP//mh*S49GfXLKMv
ユビキタスさん
11章の件は澄みませんでした。自分でどこにでているのか解らなかったので、エラーになったのと思っていました。
私の体験は霊やあなたの知らない霊能者に関することだけだけでもたくさんあるのですが、あまり気にしないでいてください。
誤解しないでいただきたいのですが、わたしは江原さんに言うことがすべて正しいなどと言っていませんよ。彼の本を読んで共感できるものがあったと言ってだけです。(ただ身勝手人たちは、そのうち彼は霊をもちだしてお金お金をもうける、詐欺師だという人がでてくるかもしれませんね。)
要は、あくまで個人の判断に委ねられるしかないということです。
人やの非難中傷だけで自分の人格が高まるとは、私は思いませんので悪しからず。
霊障なんてないと考える人もいれば、確かにあると言う人もいるということだけです。(そんな事は議論するだけ無駄です。)
ただ、ただ霊を感じたりする事がない人はとりあえずは幸せなんではないだるかと思います。
あなたは、ご自分の人格なり魂なりが向上されす思う言動をられて、良い人生をこれからも送られる事を心から祈念いたします。
私はある人との考えがもし違っていたとしても、その人を非難すり気はありません。(時間の無駄です)

一人一人の方々が何を目的にどういう価値観で生きるのか、それは私の口を挟むべきことではありません。(それは傲慢です)
議論がなにも生み出さないと思えば退散するのみですが、私は今生まれて来てよかったな〜と思うのにいます。。


[893]平等性智 05/06/24 21:24 gCw6N7TRPt
う〜ん、2ちゃんでも言われてたことだし僕自身も以前言ったこと
ですが、単純に霊がある/なしの二元論では考えてないんですけどねぇ
…それに生まれてさんの霊的感性(?)に無条件に同意してくれる
世間の人間が無条件に善人で、それに共感してくれない相手が極悪非道
の悪人ということでもないでしょう。それほど世の中単純なものでは
ないんで、その単純でない部分についての議論なり情報収集なんで。

もし生まれてさんが不思議関係の話題を好まれるのなら、ここでは
なくて別スレなり御自身のサイトでなさることをオススメします。
ここで書いても2ちゃんで名無しさんのレスがつくわけだし、無条件で
ある特定の人の感性を丸飲みするのに適した場所だとも思えませんので。
[894]内緒 05/06/24 23:35 2bh.0Sygo9
阿含経の中に「小縁経」という説法があります。ここで、死後の世界を否定する断滅論者の幣宿というバラモンが登場します。そこに摩訶迦葉が訪れて如来の教説に基づいた比喩をするのです。

凡そ智者という者は、衆生を導くために比喩を述べて教え諭すと。荒野である商人の隊商が、羅刹に会い「この先は水や食糧が豊富にあるから重い荷物を捨て先に進むがよい」といってその話しを真に受けた隊商は行けど行けども水も食糧もなくついに餓死をして羅刹に食われたしまったのです。次に訪れた隊商は、かの羅刹に同じことを言われますが、水や食糧を捨てずに先に進み、その荷物のお陰で難を逃れたのです。

阿含経に関わる問題は、出家を賛嘆するために世俗的なものを脱ぎ去り、荒野に赴くわけです。この時に何も持たず、後生を考えず生活が破綻した場合にこの羅刹に食われた、詐欺に会ったいった状態に陥ると考えることができます。飲食に関しては乞食といった布施に頼ることになるからです。結果的に離欲を勧める立場の人間が羅刹になり出家者を食い物にしてしまうのです。

しかし、思うのですが、この身体を養う物質は生まれたから生き続ける限り、「食べること」を行ってきたわけですから、そのカルマの返済には必要なことだと思うのです。羅刹に食われるは、肉体を捧げて霊的なカルマを返済し、生まれて来ない状態に到る最後の試練だと考えられます。

また、羅刹は道を示せませんでしたが、仏陀は道を示したと考えられます。これが隊商が選んだ選択肢の分かれ目だったと考えられますが、どちらを選んだとしても不死の扉を開いた、解脱を果たしたと考えることができると思います。むしろ、羅刹こそが仏陀だったのかもしれませんね。仏陀の前世は羅刹に化けた梵天に身を捧げることによって成仏したとあるからです。

出家した者の贅沢は単なるカルマの増大だと思いますが、根拠がない試練だとは思えないのです。オウム真理教は原始仏教の流れを継いでいるためにこの出家の修行します。しかし、困ったことに借金をさせ、出家し、借金を踏み倒すわけですから問題がないということはにですよね。
[895]内緒 05/06/24 23:36 2bh.0Sygo9
オウム真理教は上祐が確か宇宙開発事業団に関係していたと思います。彼は宇宙に皆の「種子」を預かる仕事をしていたと考えることができます。彼らに関わった教団は「火星」「阿弥陀仏」に導かれ、霊魂においては永遠の生命を得たと考えることだ出来ます。
[896]内緒 05/06/24 23:37 2bh.0Sygo9
生命には犠牲が伴うのです。
[897]ユビキタス 05/06/25 00:10 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>892 生まれて来てえがったさん
私の質問に答えてないですね?阿含宗の信者さんなんですか?それとも阿含宗を著書など
外部からのみ知る宗教好きの方ですか?と問うています。
これをわざわざ尋ねるのは、何もおまえは阿含宗の信者で擁護側だから、ボコボコに
打ち砕いてやろうとか括り、線引きをしているのではありません。
なんか説く主張がスレの趣旨とずれているので、どういう立場で参加しているのか
それを明確にした上で、信者であるにせよないにせよ、ここは阿含宗と桐山氏について
いろいろ語り論じるスレなんたから、霊に関する一般論なんか語るのはスレ違いで
平等性智さんが書いているように他スレに行った方がよい。
桐山が霊について語っているからと言って、桐山以外にも世間一般で霊が語られている
からと言って、両者を単純に同じ括りにしてはならず、それぞれ別々に評価した上で
これは健全な思想だとか、これは脅しのカルトで霊感商法でしかも明らかに故意の嘘が
根底にある詐欺宗教だとか、各々について厳格に区別しないとピントはずれになるのです。
だから霊に対する知識と経験が豊富なんて自慢話はどうでもよく、それよりも阿含宗に
対する知識が問われるのです。
阿含宗の教義、実践の現実を知った上でないとこのスレでは議論できません。
信者外の人が参加しても一向にかまわないが、そこだけが問われる条件なのです。
だからそれだけなんですから素直に答えればよい。
信者経験はないが桐山氏の著作を読んで興味を持っている者だが、自分の経験も踏まえて
一言申し上げたかったとか、あるいは信者ですでもどちらでもよい。
信者でないのなら霊について取り扱いが江原氏のそれとも違うことを解説してあげます。
江原氏はこちらが詳しくないから、桐山の霊魂観をこちらで語り、そちらの知識の江原霊魂観
と比較してもらえばよい。信者ならばその必要もないほどわかるでしょ?と言いたいので
そういう区別をする為にこちらの対応も説明の仕方も違うから、立場を示して下さいと
お願いしているのです。
少なくとも間脳思考を読んだ人であることは>>883でわかったが。
そもそも最初の現れ方が感心しませんね。
初めての書き込みと称しながら、議論のテーマもわからない、読めないくせに
大仰にネット批判などして喧嘩を売るような書きぶりだ。
こちらは批判側も擁護側も真面目な議論をしているのにぶち壊しに来た。
[898]ユビキタス 05/06/25 00:32 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>883の好戦経に対するレスは明朝する予定です。
夜更かしできる日できない、したくない日ありまして。
それからどうも豊富という霊体験の中でも桐山阿含宗に関わっての霊体験が出てくるような
感じではなさそうですね。これまでの書き込みから予想させていただくと。
少し前にもいましたよ。
占いで自分しか知り得ぬ過去を言い当てられたからまんざら占いも信憑性もあると
説く人が。しかしその占いとは桐山の占いではなく高嶋易断だったそうです。
高嶋易断で当たったから占いは信用でき、同じように占いを商品にする桐山阿含宗もまた
信用できると結論付けているようです。
考えてみれば、いくら高嶋易断が当たっても桐山占断が当たったわけでもないし、
何の関係もない。
同じ括りで語るのがおかしいのです。
なおこの占いの話をした人が生まれてえがったさんとは申しません。
占いを霊に置き換えただけで、同じミスをしていることで思い出したのです。
体験を語るなら桐山阿含宗の供養実践とかにおいて語るのでなければ意味がありません。
[899] 05/06/25 01:07 *B5GT6dxzVYx*8jEUr6WzCm
>>897-898
なあユビキタスくんよ
別に信者かどうかなんて答えさせる必要ないだろ?
少なくとも元信者ってんじゃぁなさそうだけどさ。
タイトルに「楽しく懇親会」「何でもあり」なんて一応書いちゃってるんだから
>真面目な議論をしているのにぶち壊しに来た。
とか言われたら面食らうよ?
暴力バーかよ!みたいな
もうちょっと親切に言ってやればいいじゃない。


[900] 05/06/25 01:26 *B5GT6dxzVYx*8jEUr6WzCm
生まれて来てよかったなさん
ちとキツめのレスがあったかもしれませんが、どうかお許しください。
ユビキタス氏は今ちょっとナーバスになっているのでしょう。
このスレッドは阿含宗に関わる様々な話題を語るのがテーマなのですが、
参加者は概ね擁護側と批判側に分かれております。
>阿含経のどこに霊の供養なんて有るのか
という批判の書込については桐山靖雄による阿含経解釈を批判しているのであって
霊の存在を阿含経が否定しているという観点で取り上げられたわけではないのです。
批判側の人達も大部分は先祖供養を欠かさない信仰心の厚い方達のようですから
生まれてきてさんの感覚もだいたい理解してくれるのではないかと思います。
どうか気を悪くされませんよう。

[901]個人指導 05/06/25 06:41 /kONKCJFSK
桐山師は詐欺してません。警察に捕まりませんから、
[902]池田慈水 05/06/25 08:44 uyMjH0CPLl
生まれて来てよかったなさんがどんな主張をして来るのか、これからおいおい分ってくるんだから、気にしない気にしない。そういう分析を、おいおいして行くのも、BBsの楽しみの一つ。
ユビキタスはこういうことを言っているということは、やはり事実上スレ主同然。
実質上、ユビキタスはスレ主。社長じゃないよ。実質でものを言おうよ、みんな。

実質、ユビキタスは宗教には力が無いと思っている人。宗教には力が無いと思っている人が、宗教家について論じてるんだ。結果は、分りきっている。結論は詐欺師に決まってる。宗教には力が無いと思っている人とは、宗教的力を持っていない人のことである。
土俵に乗馬服を着て出てきた。倫理のスレが適当。だが対象が桐山のため、間脳でものを言う人々と、食い違った話し合いを続ける羽目に。迷惑な話。何を言っても理解しようとしないし、理解できないし、自分が初期大乗仏教的であるという自己分析も出来ない頭の悪い男。シャンメエー、
適当に流すぞー。ギャグを混ぜて、書くことで、自己分析。少しは役に立つぜー、少しは自分のためにもなる。ああ。
[903]ユビキタス 05/06/25 08:48 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>899
私の>>898の説明はかなり穏やかに親切に示してあげたつもりなんですが、それだけでは
相手の反省も促せませんので、最後の方はちくりとつねっています。
11章の107やこのスレの875の初コメントの時は、品性下劣だのくだらなくて意味がないだの、
議論の内容展開も読めずに穏やかでない現れ方をしているのは生まれてえがったさんです。
唯物論対霊存在論の対立なんて一般的な構図などない。よく読まずに誤解しており、
暴力バーならぬ健全な集会場に現れた大いなる勘違いさんなのです。

>>883
阿含経の好戦経にはたしかに浮遊霊のような存在が説かれています。
そして釈尊もまた「我もまたこれを見る」と認めそれを説かざるのはそんな目にも見えない
もののことを説いても人から言われたことを盲目的に信じるか信じないかそれだけのスタンス
にしかならず、またこの霊の問題をあれこれいじっても意味がないから説かなかった、
目連から尋ねられたから答えたが、自分もそれを見るとだけ言うのみで、ではこれを
供養しなさいとか一言も示しません。
つまり霊の存在を否定しているのではなく、霊が存在していてもそれについて
あれこれ考えることを意味のないことと否定しているのが釈尊の阿含経です。
霊に対して無関心でおれ、考えるなと説くのです。目の前に浮遊霊を見てさえも。
対して阿含宗では単なる先祖に感謝申し上げ先祖を尊ぶ先祖供養の風習ではなく
そういう日本の伝統風習を健全の隠れ蓑としながら、その示す意義は先祖に対する根拠なき
侮辱です。えがったさんも感じてとある霊能者に指摘されたという霊障とは別の話で
彼は自分の霊視能力で視た霊障を根拠にするのですが、その霊視が歴史上実在しないと
ばれている武士の怨念とやらの嘘話なのだからお笑いです。
世間に霊が祟る実例があっても桐山の示す霊障は作り話でしかも脅しがある分性質が悪い。
好戦経では浮遊霊のようなものが苦しんでいるのを見ているくせに、目連は欣然と
微笑するのみですし、釈尊もまたそれを見ると言うだけで救いも説かずに放置している。
しかもこの浮遊霊は苦しむ不成仏霊ではあっても、子孫の運命に悪影響を与えるとか
今この世の中を暗くするカルマになっているなんて説かない。
釈尊も説いていない概念を桐山が勝手に余計なものを強引につけて拡大解釈をして
釈尊から逸脱し反目しているだけです。
昼につづく
[904]○○屋 05/06/25 10:07 D-Oab/h
ちょっとまってけれ!

好戦経ね解釈ちょっと強引でないかい?

『如来の説くことに懐疑するのは愚痴の人になる』から説かないんであって『霊のことをあれこれ考えるのは無駄だ』なんて言ってないしょ?
[905]生まれて来てよかったな〜 05/06/25 12:21 *iaA1uvP//mh*S49GfXLKMv
私がなぜ、ルルドのことを唐突の書いたのかと言えば、神仏の奇跡は存在すると言いたかっただけです。
矢井田ひとみの歌(Daring,Daring)に『神様はいない。だって彼氏にこの思いが届くように祈ったもん、祈ったもん』ていうのがあるでしょ。この曲女の子の恋心の心情が表れてて好きなんですけ!
神仏がたとえ存在したとしても、自分勝手な人間の欲望を叶えてくれる為にいる訳じゃない。人間やその家の業というのは確かにある思います先祖が霊界にいけずに苦しんでいれば、子孫が無意識にその影響を受けてしますのは当然の事だと思いますけど。(別にキリストや仏陀が人間の業を作り出したのではありませんよね!)
それをどう考えるかは個人の解釈にまかせたら、と言っているのです。
[906]こうもり 05/06/25 12:59 ZdNFhOauTT
>>905 は眠り猫の使者
[907]ユビキタス 05/06/25 13:08 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>904へのレスも含めて>>903の続き(>>883へのレス)をいたします。
釈尊は好戦経のみならず他の経典(他の場面)で霊魂について問われてもそれを
あるともないとも、祟るとも祟らないとも、一切答えません。煩悩から解脱する修行に
なんら関係ないからと明らかに言ってます。
好戦経ではこういうはっきりとした記述はありませんが、さりとてこの経典のみ
他のいくつかの経典と矛盾するような表現解釈をしてはならない。
すなわち如来の教えを信じないとは、目に見えない世界のことですから通常検証も確認も
できません。そういうものを俺様如来が言うのだから盲目的に信じろなんて言いません。
如来は言葉で何度でもわかるように教えを理解させて各自実践させます。
目にも見えないものを説いて疑惑の念を持つだけ無駄なんです。
疑惑などもたらすならそれは煩悩ですから(如来が罰を当てるのではない)そんなものは
説かぬ方がよい。
それでも煩悩を持たないように大川ブッダのように指を二本立てて「我を信ぜよ」と
細々と解説すべきなんだが、しないのはやはり必要がないからです。
この好戦経でも案の定「見たよ」と言うだけでそれ以上説こうとしない。放置です。
捨て置いている。
おお!目連よ。よく貴重な証言をしてくれた。ワシもうっかり忘れておったことじゃが
そこが一番我が教えで大切なとこなんじゃ。苦しむ霊魂を認識してこれを救い、
その子孫や国土への影響の元を解放してあげてこそ解脱が成り立つのじゃ。
ワシも耄碌したのう。目連とその連れに礼を言う。これからはちゃんと解説するからさ。
となぜならないの?
説かなかったことを認め、なおも説こうとしないのですよ!
これは仏教が桐山阿含宗のような教義、意義だったらあり得ない。
なぜなら阿含宗は先祖供養重視どころか必須だからです。
苦しむ先祖を見つけそれに悟りの念波を送ることをしなければ因縁解脱は不可能です。
これは修行の大眼目なんだから説かないなんてあり得ない。
説かなければ逆に先祖供養軽視・否定でますます霊障は強まるばかりです。
世の中は暗くなり人は霊障に苦しむ。この世が地獄となる。
それを説かないのは、霊があってもそれが悪い影響を与えるだの認めないわけですし、
いかに霊が悪業の報いで苦しんでもそいつはそいつの自己責任なんだから、ああならない
ように今生きている間に行いを正せと説くのみです。
[908]生まれて来てよかったな〜 05/06/25 15:57 *iaA1uvP//mh*S49GfXLKMv
 どうぞ、自分が正しいと思う行いを続けてくださいな。別に霊障なんてないと思う方はそれで結構だと思いますけど。霊を感じる事もない人に、あるとかないとか聞いてみるだけ無駄でしょう!
アメリカのケネディー家をご存知ですか?
なんで、彼らは、そろいもそろって変死してしまうのでしょうね!
こういうのを家系の業というのではないでしょうかね?ごめんなさい、すべては自己責任だから、ああならいように生きて行けばいいんでした。でもああならない生き方なんて誰も示せやしないでしょう。人を批判しているだけでは誰一人も救われやしないのです。人が救われる代案をだしなさいよ。桐山案に替わる、俺ならこういうように人をたすけてやるぞーって言う案は?ないのですか誰か?社会をよくしたいなら、あなたがそういう行動を示してください。批判メールを書いたところで、あなた住む社会が少しも良くなるわけではありません。
最近、親を殺すとか子供を殺すとか、恐ろしい事件が多いですね。嫌なことです。


[909]池田慈水 05/06/25 16:46 uyMjH0CPLl
>>908生まれて来てよかったなさん

私が何度も言ってることをユビキタスに対して書いてくれましたねえ。
すなはち、火事場の消防士に代理を立てる事無く、彼の過去の言動を批判して彼を引きづり降ろしたら、後に残るのは、焼け野原。
これに気づかないユビキタスは愚か者。気づいた生まれて来てよかったなさんは賢者です。
ま、確かに、消火活動の効率は低いようです。ネット上でも、斯陀含以上を表明する人が10人さえ居ない。それでも、煩悩からこれだけ解脱する人が在家の方でこれだけ出たんだから、評価すべきであるし、奇跡に近いことだと考えるべきでしょう。

「日本列島開闢以来の大天使」にして霊界で「千人の如来」の異名を持つ桐山靖雄。今、彼を引き摺り下ろしたって、この国の何のプラスにもならん!
[910]池田慈水 05/06/25 16:53 uyMjH0CPLl
ま、結局ケネディー家には横変死の因縁がはっきりと流れている。そういう目で世間を見てみろ。あの家の娘が嫁いだ先は、皆倒産してしまった、とか。あそこの親類には、癌が多いとか。あの家は先代も火事を起こしたね。とかはっきりあるんだから。そういう目で世間を見て、この世は苦の娑婆だ、というため息を突く。それが人間よ。

娑婆駄馬娑婆駄馬、娑婆駄馬娑婆駄馬、
娑婆駄馬娑婆駄馬、娑婆駄馬娑婆駄馬、(イレブンPM、懐かしい)

      やっぱり池田はおかしいぞ。と。
[911]栗花 馨 05/06/25 17:32 85KeaeEsBV
ユビキタスさんは桐山氏への愛憎が深すぎる故
シャク尊からどんどんはぐれて遠ざかるばかりですね。

毒矢の喩えでは実践しなさいとしめしている。

ユビキタスさんは桐山氏への抑えきれない愛憎を実践されている人ですが
単純な修行も形式におぼれ失敗したレベルで
シャク尊の評論を戦後の左派的女々しさを感じさせる文章でやってしまう姿にはそれは齟齬であるとしかいいようがありません。

目連同じくシャク尊自身も観ると断言したこと
仏陀・阿羅漢には、霊存在の共通した認知があるとの記述を素直に受け止めれば良いのです。

仏陀は思想ではない。
[912]通行人 05/06/25 18:14 neETk0xJE6
池田慈水さんは、神通力、透視能力が無いタイプの覚醒者なのでしょうか?
[913]ユビキタス 05/06/25 18:30 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>908
世の中の不幸な家庭がその原因は霊障によるものか否か、その解決法はあるかなんて
一般論など論じてません。
ただ釈尊に関して人生の不幸の原因は霊障にあるのだから、これを解消すべく先祖供養をせよ
なんて説いていない、むしろ先祖供養などしても先祖も子孫も清まらないと否定している
のに対して、桐山阿含宗は霊障解脱を仏説としているのを示して、それを間違いと
断じているのです。
世の中の不幸は霊障が原因だ、先祖供養で霊障を解くのだという独自の宗教を開くのは
自由かもしれない。しかしこれを仏教などと名乗ってはならない。
また独自の桐山真理教であっても、その霊障を霊視して解消の法の儀式をして供養料を
とるも、その霊視が生前実在しない人の怨念なんて説いたら、悪質なインチキ詐欺でしょうと
これだけを論じているのです。
ケネディ家の不幸が霊障であろうがなかろうが、釈尊も私も知ったことじゃない。
私が霊障の不幸を回避する道なんて説く必要もない。
桐山インチキ宗教なんてケネディ家の不幸も救えやしませんよ、だってデタラメから
できているんだもんという話です。
[914]○○屋 05/06/25 18:47 fOPOo.gSdA
ユビキタスさん

まあまあ落ち着いて、落ち着いて。

あなたが、こんなところでぶつくさ言っても、解脱供養で解決する問題がある以上、その体験をした人間にとっては「いんちき」でも「詐欺」でもないんですよ、残念ながら・・・
[915]栗花 馨 05/06/25 18:48 7cCbig7J7m
>釈尊も私も知ったことじゃない。

ユビキタスさん、動揺はごもっともですが
シャク尊もちだして私もとか私がとか説くとかいってるのはおかしいですよ。

そんなことより

>しかしこれを仏教などと名乗ってはならない。

盂蘭盆経からの法話してるお寺は多いですよ。
お盆のお墓参り供養は仏教ですといえます。
[916]ユビキタス 05/06/25 20:15 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>914
○○屋さん。それはそうなのかもしれない。
御利益を感じた人はそれなりに現世で幸せなのかもしれない。
しかし桐山の嘘つきを許せないという人もいるのだ。
御利益があったかのように見えた人でも桐山の嘘は許せないという感覚の人がいる。
御利益なんてどうでもよいと悟る人もいる。
そういう人のために私は語る。
御利益求めて空虚に金と時間と善意でさえも浪費して、人を騙すという悪事に加担する
自分自身が許せない人がいる。
気が付かなかったら一生の悔いを残す人がいる。
せめてこういう人に情報だけは与えて自分で考えてほしい。
スレというものは平等です。
こうやって擁護の反論をしてくれる人もいる。頭数から言っても不公平はない。後は内容です。
さあ、信者の皆さん。いずれかを選択するのはあなたの自由です。
あなた自身の人生はあなたが決めるのです。
私は批判派だというたったそれだけのことです。
[917]平等性智 05/06/25 20:57 gCw6N7TRPt
>>頭数から言っても不公平はない。後は内容です。

ん〜とね、野球で言えば160キロの剛速球投げるというふれこみ
(自己申告?)のピッチャーが、実際投げてみると山なりの
スローボールで、ワンバウンド、ツーバウンドでやっとキャッチャーに
届く…みたいな状況じゃないですかね。なかなか悲惨なブルペンですな。

阿含経の記述でお釈迦さんが霊で商売した事跡を探すのは無理なんだから、
残された対抗手段は「高い霊的感性」やら「法力・霊力無比」やらの証を
擁護側が示せばいいだけでしょう。あとは、品性下劣なオバチャン先達が
ようやるように、袖の下握らせて言うこと聞かせるか。ユビさんが
タレ眼の老人で韓国草加の回し者…なんて冷視結果では、正直お話に
なりませんな。奴さんはイロモノ芸人としてしかスレで生き残る方法は無い
…と、思い極めているのかもしれませんがね。
[918]ユビキタス 05/06/25 21:40 *3Rv70.P.g7X*4OueTUXls1
阿含宗の先祖供養が単なる先祖の侮辱、辱めに過ぎないことは
昨年のお台場の東京大柴燈護摩でよくわかります。
この法要の趣旨はテポドンや大地震の脅威から東京を、日本を
守るというものです。
単に安全を神仏に祈願する儀式であれば、別段悪質でもありません。
しかしそもそもこういう首都壊滅の危機が何によってもたらされる
のかというと、それは関東大震災や東京大空襲で不幸にもお亡くなりに
なった犠牲者の苦しみの念が、その反復を実現しようというものです。
亡くなった方は亡くなるまでさぞお辛いことでしたでしょう。
しかし死によって五薀は空に帰し、そこで苦痛はやんでいることでしょう。
死に際の苦痛で、いちいち成仏できないなんて言ったら、皆死ぬ時
不成仏霊になったり霊障を起こします。
現世で悪業を積んで報いを受けているわけではない。
単不運に死んだとそれだけです。
こんなことで首都転覆をはかるのが震災戦災被災者とあなた方は
先人たちを罵るのですか?
[919]○○屋 05/06/25 22:27 wy3/5A212a
霊のことはわかりませんが・・・解脱供養して運がよくなったり、問題が解決したり、気分が晴れやかになったり・・・それで先祖供養になればなんら侮辱ではないですよ。

もし、本当に猊下の言うように地獄で苦しむ先祖や縁者がいたとして、あなたに助けを求めて泣き叫んでいたら、あなたはどうしますか?

それは、あなたが自分の心に問いかける問題だが、「関東大震災や東京大空襲で不幸にもお亡くなりになった犠牲者の苦しみの念が、その反復を実現しようというものです。」これは、このような苦しみを受けるカルマ(原因)がこの方々にあって、そのカルマ(原因)が消滅していないところに我々が転生してくる12因縁が存在するわけだから、カルマ(原因)を消滅しなきゃならんでしょうね。原因が消滅していないんだから、当然不幸の再現・反復は考えられる。この原因を消滅するための行事に対して、なんら、「死者の侮辱」はないでしょう?
[920]池田慈水 05/06/25 22:41 uyMjH0CPLl
>>918 >単に不運に死んだとそれだけです

ユビキタスはお釈迦様の教えに反しています。不運というものにも、原因があり、その条件付けがある訳です。その事をクリアしていない発言です。不運という事柄の、寄って来る因縁を示せ。それが示せなくては、仏教徒とは言えない。

「彼の師はもろもろの因を説き給う」アッサジのその言葉を聞いて。モッガラーナはサーリープッタと共に探していた師匠がついに現れたことを知って、不死を得たり、と感じたのである。
[921]池田慈水 05/06/25 22:45 uyMjH0CPLl
私は、いつも言っている。「ユビキタスは初期大乗仏教徒である」と。
ところで、初期大乗仏教は、仏教ではない。ここにユビキタスは最終的破綻を迎えた。
[922]星祭@うらぼん 05/06/25 23:33 yPJNkrt/fj
ガタガタぬかしていないで万燈会先祖供養でもしなさい!
[923]栗花 馨 05/06/26 01:04 7cCbig7JTs
>死に際の苦痛で、いちいち成仏できないなんて言ったら、皆死ぬ時
>不成仏霊になったり霊障を起こします。

ユビキタスさんは自分が感知できないことについて断言し力説していますね。矛盾している存在です。

死んでから不成仏霊になる場合だけではないのです。
ユビキタスさんには酷な書きこみになるが、
ユビキタスさんも不成仏霊です。不成仏生霊です。

結縁帰依した師への愛憎で執着狂乱するそのままのユビキタスさんが
不成仏生霊なのです。
[924]○○屋 05/06/26 01:22 k0QD2FOXZW
>ユビキタスさんも不成仏霊です。不成仏生霊です。

例えば信者として猊下に執着する者も「不成仏生霊」でしょうか?
だとすると、ちょっと衝撃的です。超能力に執着するのも恐らくそうだし、程度の問題もあるでしょうが・・・確かに仏陀の臨終の時に釈尊は弟子に対して「悲しむな」と言われていますね。
[925]栗花 馨 05/06/26 01:42 7cCbig7JTs
>例えば信者として猊下に執着する者も「不成仏生霊」でしょうか?

シャク尊のしめす信があればよいのです。
[926]池田慈水 05/06/26 01:46 uyMjH0CPLl
ユビキタスよ、不慮の災害や不幸はどうして起こる?たまたまか?
お前は私が一番軽蔑するたまたま論者なのか?
*たまたまお前は男に生まれてたまたまがあったのか?*(爆笑)


失礼、失礼。また書きこの品が下がった。池田ロボットは品性下がりっぱなし。

>>924   世界は、はかなく移り変わる苦しみである。苦しみに執着するのは愚かである。あなた方は愚か者ではない。従って、あなた方は世界に執着しなのが良いのだ。世界に執着しなければ、この世に関してむさぼる事無く、怒る事無く、愚痴ることが無くなる。むさぼり、怒り、愚痴がなければ、すなわち輪廻転生から解脱するのである。
[927]池田慈水 05/06/26 01:50 uyMjH0CPLl
すべてのものは原因と条件とによって生起し、原因と条件とによって滅び去り消え行く。

滅び去り消え行くものは無常である。無常なるものは苦である。何故ならば無常なるものに執着したならば、いつか執着の対象物の滅びを見ることになるからである。執着が強ければ強いほど、その悲しみは大きく、失意は大きく、苦しみは大きなものとなる。したがって如来は、無常なるものは苦であると言われたのである。

[928]栗花 馨 05/06/26 01:51 7cCbig7JTs
他教団からの批判も桐山氏を清めています。
桐山氏の元弟子であるあさはら被告もかって桐山氏を批判し叩いていました。
桐山氏はそれによってかえって清められています。

叩いていた人がかえって背負うのです。
[929]池田慈水 05/06/26 01:58 uyMjH0CPLl
926-927
このような阿含経的諦観を、自分が一番得意な密教の行法で行ずれば、あなたは最速で解脱します。ぜひ、やってみてください。(得意な密教の行法が無ければ、作りなさい)

桐山靖雄が阿含経を密教で行ずるべきだ、と主張する正しさは、やってみればすぐ分るのです。
[930]池田慈水 05/06/26 02:11 uyMjH0CPLl
正しいことを主張し、人を解脱させようとしている聖なる僧侶に、詐欺師のレッテルを貼るなんて事は、許されざることです。
お釈迦様を敵に回してるのがまだ分らないのですか?

解脱を邪魔する奴は、動機はどうあれ釈迦牟尼の敵になるのですよ。
[931]池田慈水 05/06/26 13:35 iK3Ss7P9aW
>>929 この場合の<密教の行法>とは,「念力」という本で紹介されているような、気軽に出来るタイプのトレーニング行です。サンプルとしてムラダーラチャクラのトレーニング行が私のHPにありますので参考にしてください。如意輪法や不動護摩法とかの本尊供養行でありません。そういう供養行は在家の私たちでは殆ど習うチャンスがありませんからね。
手軽な行で、最速で、解脱する。一番速い高速道路を使うのです。だからこそ、私はこんなに速く解脱したのです。
一つのチャクラが動けば、そこに高速道路が出来たと考えてよいのです。そこを効率よく使ってください。
[932]ユビキタス 05/06/26 14:03 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>919 ○○屋さん
>>920 ジミズ師匠
>>923 栗花大将
栗花大将が私を桐山への愛慕と憎悪の消えない不成仏生霊と評価するのは自由で、
私の話はさておき、一般論的にそういう悪念が次の悪い苦悩を引き起こすという理屈は
理解できますし賛成でもあります。
しかし私の問題なんてどうでもよいのですよ。関東大震災や東京大空襲の被害者の
もたらした影響について論じているのです。
こういう被災者の「悪念」(?)が現在北朝鮮の飛ばすテポドンを東京に引き込む「因」
になっているというのです。
彼らの悪念って何ですか?
真珠湾攻撃を発令した上層部や実施した現場隊とかの報いが空襲の因になると言うのはわかる。
それ以降の戦争の展開、あるいは真珠湾に至るまでの経緯も含めて。
自分が直接戦争に関与しない一般庶民、東京市民はこの国の運命共同体として犠牲に散ったのだが。
この犠牲に至った人たちの運命を必然の報いと見るのがジミズ師匠です。
釈尊が強調したくない前世からの業報思想がそこにある。
○○屋の旦那もまたこれを説く。
旦那に至ってはさらに追い打ちをかけて報いを受けて散って、なおかつやまぬ悪業悪念が
次の災害を引き起こすという。
だからこの一般市民の悪念だの悪業って何だ?と言うのだ。
それは震災や空襲で苦しい無念の想いで亡くなったということだけだ。
この無念が苦しみが魂パク共に地に留まって、その土地に次の壊滅をもたらすというものだ。
しかも関東大震災と東京大空襲は首都炎上という現象のみが類似しているだけで
常識から考えて両者に因果関係などない。
こんな業報思想などはありません。
戦災死の苦しみが過去世の報いだったとしましょう。それを受けるべくして受けた。
で、ますます苦しみが増え、悪念(?)が増え、悪業(?)が増え、余計に悪くなり
ついにはより大規模な壊滅に導く。
この悪循環を断つにはおシャカの成仏ホーによりまず苦しみの念を解かねばならない。
そうしない限り彼ら震災戦災犠牲死者は悪念悪業の限りを尽くして世の中を暗く不幸にする。
なんたる侮辱か?
ガン死などもそうだが生きている限り神経があるのだから肉体は苦痛ですがな。
精神の煩悶もありますがな。そんなことで子孫や後世にいちいち悪影響を及ぼすと言うのか?
なんかおかしいと思わぬか?
報いを受けて苦しむとその苦しみは次の悪業を作るのですと。
何の為の報いか?
[933]池田慈水 05/06/26 14:12 iK3Ss7P9aW
阿含経的諦観を瞑想に取り入れないから人は解脱しないのですからね。取り入れればすぐに解脱が始まるんですよ。弘法大師だって、阿那含くらい簡単に行ったはずですよ。でも彼の行法には、阿含経的諦観が欠落していたので、あれほどの超能力が解脱のために使われていないという、効率性の悪さがあるのです。そこに気が付いたのが、桐山靖雄です。それをわれわれに教えようとしているのです。

各種の神通力が結局には漏尽通に導かれるべきだ、というユビキタスの考え方は大賛成です。それを達成するためには、そういう漏尽通解脱のための、高速道道路が、開通される必要がある。深層意識にまで届く深い瞑想行が少なくとも一つ以上は、完成されている必要がある。それがどういう行であるかは、一人ひとりの資質と個性によって違う。更にはサハスララチャクラが開発されれば、完全に阿羅漢まで行くんだろうが、それは、よほど恵まれた才能でないと難しい。でも、大雑把に言って、小さい頃から逆立ちで遊んだような方は、解脱し易いかもしれませんね。桐山靖雄は逆立ちが得意ですね。私も逆立ちが得意。逆立ちが得意でいつもやっているような人は、良い可能性があると見ていいんじゃないかな。
(かどうかは自分で確かめてください、何ちゃって)
ま、そういう具体的な阿含経的修業方法にも思いを馳せてくださいよ。特にこうもりさんは梵行嫌いだそうだから、実践的なこういう行をすれば良いわね。桐山の欠点(と考える部分)にこだわってても、解脱は進まないから。自分でどんどん仏様に成ってしまえばいいんだよ。
[934]池田慈水 05/06/26 14:32 iK3Ss7P9aW
932 この犠牲に至った人たちの運命を必然の報いと見るのがジミズ師匠です
 その通りです。悪いか!?!だが、これは解脱できる運命だ、解決策を提示すれば、運命を運命として指摘してもかまわぬ。解決策がなければ、必然的運命だと指摘することは、ただの不人情と非難されるが。

運命の寄って来る原因と条件。そこを見ないのは、お釈迦様に逆らった考えの人。ユビキタスは物事の因縁を見ないので、釈迦牟尼に逆らう人といえる。この世は全て縁起によって生起する。ユビキタスは運命がたまたま起こると考えているとしたら、修業に意味がなくなる。自己の快楽を追求して人のことを利用するだけ利用した悪人も、一生懸命人助けに徹して、徳を積んできた人も、全てたまたまの運命に出っくわすとすれば、それは、カオスの世界。徳と善が意味をなさない世界。ユビキタスがここまで論理的破綻してくるとは、想像以上の愚か者だった!どこからこういう事になったか、しっかりと反省して、自分の人生を、しっかりとやり直したほうが良い。
[935]こうもり 05/06/26 15:33 No6md2LyBL
昨年と考え方が変わりました。
「昔はよかった。伝法会にクンダリニヨガの講師が来たり・・・」といっても、普段は千ザ行と奉仕行だけでしょ?
しょせん後期大乗の宗教団体なんですよ。
それと呪術レベルで言ったら現在のアゴン信徒のほうが屋敷浄霊とか多くの人がスゴイ呪術するでしょ。

格闘技に例えると・・・

"神の子"山本 KID 徳郁という総合格闘技の選手がいました。
その人がk−1に出て、k−1チャンピオンの魔裟斗と闘いました。
総合格闘家なのにチャンピオンといい勝負をしました。やはり"神の子"と呼ばれる才能があったんでしょう。
でも餅屋は餅屋です。(k−1見た人は分かるでしょ)

クンダリニヨガや仙道を専門に教えてる達人達はその道のプロ中のプロなのです。

アゴンは呪術が ものすごく ヨガも そこそこ教えてくれるのが長所です。
でも真剣に修行・求道する人は、かけもちするか、よそにいってしまうか、です。

新しい信徒は修行だの解脱だの言うな!ご利益がスゴイと言え!または宗教団体の中では修行や解脱は一番だと言う言い方をしろ。
擁護側で反論があるならグモンジ法の指導が中心になったなら聞きましょう。

擁護しときましょう。ミツワはすごい。解脱供養もすごいらしいから(三代以内を中心に)30体しろ。アゴンで習った修行はよそで本当に役立つ。
宗教の中では一番です!!!
[936]栗花 馨 05/06/26 16:05 uakK8AhPFP
苦しいとおもいますが、
信教の自由をふまえ
こたえていただきたいですね。
[776]栗花 馨 05/06/22 01:45 7cCbiuUe5a
>ユビキタスさん
桐山氏は日本国の宗教法人の代表ですよ。
あなたのおすすめの宗教法人はどこですか?
日本の法律の償いをみとめないあなたは日本国民ですか?
で、桐山氏に失恋し狂乱執着しているあなた自身には理性はあるのですか?

[937]栗花 馨 05/06/26 16:49 uakK8AhPFP
比丘たちよ。あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は業論者、業果論者、精進論者であった

(  >>466-474 も参照   )

大事なのでかきますね。

一国の存亡について、釈迦と出家釈迦族と一部の釈迦族は強奪陵辱殺戮からのがれています。
釈迦の禅定は周囲に如実な影響をあたえるのです。これについてはおわかりですね。
敵が攻撃しようとしていた事実がつたわり時間の猶予ができ、
国を戦い守る立場を放棄できない釈迦族の人達は覚悟の戦いの準備ができえたのです。釈迦への信をもっていてもあえて戦いにのぞんだ人達もたくさんいたのです。
釈迦と出家釈迦族と一部の釈迦族は犠牲となったその人達のカルマの精算を
「苦しみの同調という修行」によって自身と連動させおこなったのです。
これについては意見をいわないでください。
これについてだけは意見をいわないようにしなければならない。
これについて異なった思うところがあるかたは必ず放置してくださいませ。
[938]ユビキタス 05/06/26 18:03 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>934
まだ論点が理解できてないですね。
ここではジミズさんの言う何らかの過去世の行いによる報いを受けて必然の震災死、戦災死
と相成ったと仮定しておきましょう。
問題はその後です。
その報いを受けて横変死した。その苦しみの為によけいに境涯が悪くなり、今度は
日本にテポドンを呼び込む悪しきカルマの元の霊障となった。
これはどういうことなんだ?
言わば悪業の報いで地獄に堕ちたが、地獄の苦しみがあまりに苦しいのでその怨念のために
ますますこの霊は魂が汚れ、悪念が強まり、悪業を形成していったことになる。
これなら地獄はこの世の悪業を作る巣であり、地獄の存在が人類壊滅の元という矛盾になる。
戦災死した後のことを論じているのですよ。
繰り返すが、昨年の東京護摩の趣旨は震災戦災死した人の苦しみと怨念を解消して
東京をテポドンの巣から守るというものなのさ。
これをどう考える?
[939]栗花 馨 05/06/26 18:43 n0zzx62yFX
感じられないものには意味がない
[940]栗花 馨 05/06/26 18:52 n0zzx62yFX
比丘たちよ。あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は業論者、業果論者、精進論者であった
[941]池田慈水 05/06/27 08:40 iK3Ss7P9aW
??>>938 ユビキタスご自身の考え方が釈迦牟尼に真っ向から逆らう、運命たまたま論であり、これは縁起の法を無視している邪悪な思想であることを反省べきである。
[942]慈水様の阿含宗のススメより転載 05/06/27 09:45 No6md2LyBL
[10]逆と 04/09/04 7:15 ImOh2Qtn99P
トリック1・・・相談者の悩み多き、相談内容を(ン百字という        文字数)を薬品で一瞬に見抜くのは無理。
        アルコールでべたべたになったモノを読んで
        いたら、すぐわかり笑い者になる。

トリック2・・・「無水クロム酸」は発火はしない、高温になるだ
        け、また劇薬でもある、素人がへたなことする
        と火傷します。この薬品では火を出す手品は
        できない、また、護摩壇のような場所では危険
        取り扱いが難しい。「無水クロム酸」は液体で
        はない、これで字は書けない、(水分があると
        すぐ反応)。

まともな科学知識のないアホが批判本を読んだだけで鵜呑みにするという、良い例です。

[121]パポー救急車 04/09/21 23:39 1xyLLXtixwe
>118
だから〜無水クロム酸は発熱するだけで発火にまでは
いたらないのょ〜
また、劇薬であるから、非常に取り扱いが難しい
水に溶いて、梵字を書くなど出来ない、
水気があればただちに反応する。
念力護摩どころか、掌ただれて救急車だよ。
[943]こうもり 05/06/27 10:31 No6md2LyBL
自分は念力護摩は?だけど一応、転載してみた↑
[944]ユビキタス 05/06/27 12:39 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>941
此奴、日本語の文脈が理解できんのか?

>>942-943
無水クロム酸というのは通常の方法では難しく、他に水をかけると高熱を発し引火させる
装置を想定すればよいですね。
お伺い書の場合、揮発性の薬品を塗り付けて読みとり乾いてから返せばよいのです。
字がぐちゃぐちゃ細かくてどうしても内容が読み取れない奴がいたら、仕方ないので
そいつだけちゃんと開封の上で回答すればよく、100%の成果は必要ない。
そもそも第三者が介入の余地がない。
多くの相談人を吃驚させればつかみはオッケーで成功です。
とにかく目の前で透視するので奥の間でさんざん待たされて返されるのですから、
あわてることはない。
こちらにおわす先生は非常に霊眼のある偉い方なのであるから、文句を言わずに
しばし待てい。
[945]○○屋 05/06/27 13:06 D-Oab/h
手品のタネ明かしかね。ま、あなたがそう信じるのは勝手だ。

最近の栗花さんの書き込み迫力ありますね。

ユビキタス氏の心理分析と栗花氏のそれとを比較するとおもしろい。
[946]池田慈水 05/06/27 15:32 iK3Ss7P9aW
ユビよ、お前は縁起の法という基本を、信じていないんだよ。これはは大問題なんだよ。あなたが、須陀恒になっていない証拠になるからね。
不慮の災害や事故はどうして起こるか? 家族的深層意識、とどうして、答えようとしない?それが桐山の「因縁」論を想起させるから認めたくないのか?
 たまたまと主張し続けるつもりか-------------------------------------------? 愚か者め----------------------------------------------------------------!

原因なくして起こるものはこの世にも、あの世にも、何一つないのだよ。
[947]星祭@カッパの屁 05/06/27 23:11 OHvZ2CjaAL
>944、さんざん奥でまたされて回答されるのなら透視じゃないじゃん(笑)。ごく当たり前のことをわざわざ「透視」だなんていうのかよ。やはり透視と豪語するのなら、それなりの不思議なことがあったのだろう。(トリックがあろうがなかろうが)どうでもいいけど屁理屈の応酬などやめたほうがいいみっともない。
[948]星祭@発明王 05/06/27 23:18 OHvZ2CjaAL
>944、引火させる装置ねぇ〜(笑)。かえって複雑な装置になってお笑い発明家の起床装置みたいになるだろ(ドミノ倒しにはじまって目玉焼きまで作るってあるだろ。)すこしは手品の本やマリックの番組等みて研究しろよ。批判本や2ch批判者をただ鵜呑みにして屁理屈こかないでさ。
[949]池田慈水 05/06/28 12:43 iK3Ss7P9aW
手品師なら簡単に発火させると思いますが、でもそれだと護摩の写真の中に、神霊が映りこむというありがたい現象が起こらない。TOTALな問題ですからね。これは。

論理的な破綻を起こしているのが桐山批判派です。ユビキタスが執着している、業とか霊界、それと対応する日本の霊的な状態の問題は、我々は分らないことなんだから、ただ分からない、というコメントしか出来ないのではないかなと思います。そこをユビキタスは、詐欺だと思え、と突っ込んだ言い方をする。わからに事は分らないのであって、それ以上のことは言えないのです。ユビキタスも素直に、我々には分らないこと桐山が言っている、と述べれば良いのに、そこをさらに押し広げて、我々にわからないことを桐山は言って、脅しつけている。と書いてくる。冗談じゃないよ。誰もお前に同意なんかしないよ。正確を期すためには、論理的な記述をするためには、お前に同意なんか出来ないからだ。
それよりも、ユビキタスが、縁起の法を人間の運命に関しては、適応させていない、つまり縁起の法を完全には信じていないという事実が非常に重要であるということ。反釈迦の思想を持っている、ということだからです。ユビキタスがここまで堕落したのか!というのが、びっくりしゃっくり。です。
[950]岡目 05/06/28 15:05 KN3Qds8fq4
>>949縁起の法を正しく認識していないのは ジミズさんのほうです。
ユビキタスさんと、ジミズさんのやり取りを 岡目で眺めておりますと、ジミズさんの縁起の法には 余分なものがついております。何が付いておるかというと、霊障という 桐山仕込みの変なものをつけているのが はっきりと解ります。   釈尊の縁起観は
 「この宇宙に存在する森羅万象は、互いに他者と関係しあって存在しており、いつも変わらず定まった形で存在するものは一つもない。すべてのものは、ある原因(因)があって、それがある条件(縁)にあったとき、その結果がある現象(果)として現れる。その果は次へのはたらき(報)を残す。

 因があり、縁があってこそ果報があり、因が滅すれば(あるいは因はあっても、縁にあわなければ)、果報もない。すべての存在やはたらきは、因縁所生(因と縁があって生ずる所)の成せるわざである。」というものです。
ジミズさんの 理論的な間違いは、因と縁の なかに、霊障という不純物を混同させていることです。こんなものは、釈尊の教えにない 外道のものです。
[951]星祭@縁起 05/06/28 15:26 OHvZ20DDFd
桐山教祖の逮捕れきとか他とこで書きまくっている荒氏がいるけど、なんで本山であるこことかには来ないんだろ?、霊障も因果関係の内にはいるでしょう。ただ認識しづらいということです。不純物どころか「なんでこんな?」という現実世界で因縁関係がわからないものでも、霊障の関わりにおいてその関係がハッキリすることも間々あります。釈迦の縁起観はせせこましいものではありません。
[952]○○屋 05/06/28 15:47 D-Oab/h
岡目さん
尋ねますが、人間が人間として生まれる『因』はなにか?十二支因縁では根本的、根源的『因』を『無明』だという。では『無明』はどこからくるのか?結局のところ前の『死』からくる。それ以外に考えられませんね。
そもそもが、輪廻思想を受け入れた時点で仏教は『霊』の存在と切っても切れない関係となった。釈尊がそのことを言おうが言うまいがね。

それから、池田さんが言う『霊』は、十二支因縁の『行』すなわち、『現実に形成力をもつ因』の事であり、では具体的にそれは何かを心理学的に説明したのがソンディの『家族的無意識の強制』であり、これを宗教的直感で『霊障』として説明したのが猊下であり、このことと仏陀の言われた十二支因縁の『行』とは何ら矛盾しない事である。
[953]池田慈水 05/06/28 16:38 iK3Ss7P9aW
>>950 岡目愚かなり。

人間の運命に関して、因と縁とを、考えの中から除外してしまっているので、ユビキタスと岡目は間違っている。
[954]池田慈水 05/06/28 16:51 iK3Ss7P9aW
如来の説き給うた因と縁との縁起論は、例外なく森羅万象に当てはめて考えなければならない。こと、人間の運命に関してだけはそれを認めず、タマタマ起こるなどというのでは、如来への信仰がないものというべきだ。岡目は須陀恒ではなく、ユビキタスも須陀恒ではない。こういうところで、自分が須陀恒かどうかが分るの。
もちろん、自分が四紗門果を得ていない者だと、ユビも岡も知ってるとは思うが、こういうところで、自己判断が出来るんだよ。そのことを私のHPにも書いてある。再び引用する。///知恵足り無きものは修行に入らない、入れない。なぜならば、彼らは因縁が分からない・・・(ああ、これさえ解れば!)
 ・・・彼らは物事には必ず原因と条件が存在するという事が理解できない。
だから、人間の運命がたまたま起こると思いこんでしまうのである。
人はたまたま事故にあうと思っているし、人がたまたまガンになると思いこんでいる。
また、たまたま運が悪く離婚するのだとも思っている。また、たまたま魔がさして、
刑務所に入るようなまねをするのだとも思っている。全てがたまたまの所産だと考えている。

こうして、愚か者達は自己の運命を改善する意欲が湧かないのである。
人の運命の根本原因は前世の行為である。
運命の条件づけは霊障のある家に生まれる事である。
人間の運命はカルマと霊障が作るのである。////池田慈水のサイトに須陀恒判別法まで書いてあったのだー。
やっぱ俺ってSUGOI。(と思うことで、しばらくは気持ちよく生きてゆけそう。笑)
[955]池田慈水 05/06/28 17:04 iK3Ss7P9aW
だからね、ユビの記述には論理的破綻が生じているの。それを正しいと思う頭の悪い奴も同じように破綻しているの。
人間の運命がたまたま起こるなんてことはね、この前書いたように、宗教含めて全ての倫理的な努力に唾を吐きかける、悪魔の教えです。
自己の快楽を追求して人を利用するだけ利用した悪人も、一生懸命人助けに徹して、徳を積んできた人も、全てたまたまの運命に出っくわすとすれば、それは、カオスの世界。徳と善が意味をなさない世界になるからです。このような論理的な破綻が生じているのに、気づかないとは、岡目もユビキタスもただの大馬鹿やろうでしょう。
[956]池田慈水 05/06/28 17:24 iK3Ss7P9aW
この前書いたように、前世のカルマだけでは人は煩悩を持たないのです。前世のカルマは、それは記憶です。記憶は、強い感情と一緒に刻まれた事柄については反復性があります。しかしながら、その人間は過去の記憶をどうやって引っ張り出して現実の人生でそれを反復できるでしょうか?魂の深奥に存在する記憶を。現実に引っ張り上げる力が必要です。今生きている生身の体にそういう特質が備わっていなければ無理なことです。そうです。自分に相応しい体を選んでしまったんです。輪廻転生の時に選んだんです。自分のカルマが発動するちょうど良い体を選んだ。赤ちゃんが純粋無垢で生まれて来るなんてどこの馬鹿が言ったんでしょう?そういう運命衝動のある家庭を選んだんだ。それが輪廻だ。だから、釈迦牟尼の教団は世俗の生活を捨ててまで、この醜悪な輪廻を捨て去る修業を選んだんです。この輪廻が醜悪で、恐ろしい罠の様なものだからです。
この衝動志向性をソンデイは家族的無意識と呼び、宗教家は霊障と呼ぶ。どこに矛盾があるのでしょうか?
何も矛盾はありません。矛盾しているのは、岡目とユビキタスのほうです。頭が悪いから理解できないのです。
前世で如来の教法に帰依を表明した者はこのことが理解できる頭に生まれるんですが、そうでないものは理解できないんです。根本的な無明がある人が、理解不能に陥るんです。
キャハ,ッハハーー、言うたった、言うたった、ついに決定的なことを言うたったワイ
[957]池田慈水 05/06/28 17:27 iK3Ss7P9aW
ただ笑うしかない、この人は喋り過ぎ。

[958]岡目 05/06/28 18:13 KN3Qds8fq4
ほんとに ジミズさんは単純な男だ。全てが思い込みの世界に生きているような男だ。どうしたら、こうも単純に生きられるのか、苦笑いしながらも、幸せな男だなと、ある面感心してしまう私である。
その単純な頭で、複雑なこの世を、複雑な人の心を、複雑な業を どう解き明かせるというのか、一つ問題を提起してみようと思う。
よかったら、この問題に答えて欲しい。
※例えば、この世に、肉体的な障害をもって生まれ、そのことに悩みを持っている人たちがいます。
 ジミズさんは、このような人達を どのように考え、またどのようにアドバイスするのでしょうか。
あなたの 仏教観をもって答えてみてください。
[959]そら 05/06/28 18:43 fHz9JQ1U55
「如来が存在しない」と迷妄に生きている人と「如来が存在する」として真理に生きている人とは「脳」の使い方に明確な違いがあります。これは、回線の繋がっていないパソコンと回線の繋がったパソコンの違いのような明確な違いです。前者は記憶の世界に住み、後者は記憶から解き放たれた世界に住んでいる気がします。これを解脱というならば多分解脱と呼ぶのかもしれませんね。真理に愛情が注がれるのであって、迷妄には誤謬しか結びつかないように思われます。
[960]池田慈水 05/06/29 00:28 iK3Ss7P9aW
>>958  喋りすぎる人間にこのような不幸な人々を近づけてはならない。ピンーポーン。正解。

だまって祈る霊能者を近づけよ。
ピンーポーン。またまた正解。

池田慈水は賢者中の賢者、
[961]池田慈水 05/06/29 00:50 iK3Ss7P9aW
自己の快楽を追求して人を利用するだけ利用した悪人も、一生懸命人助けに徹して、徳を積んできた人も、全てたまたまの運命に出っくわすとすれば、それは、カオスの世界。徳と善が意味をなさない世界になるからです。このような論理的な破綻が生じているのに、気づかないとは、岡目もユビキタスもただの大馬鹿やろうでしょう。
[962]池田慈水 05/06/29 00:51 iK3Ss7P9aW
ユビキタスは返答が出来ないまま、逃げっぱなしか。よ
[963]池田慈水 05/06/29 01:45 iK3Ss7P9aW
2チャンネルは馬鹿が多いね。大腸癌の意味さえ知らない。
正確に言えば、直腸癌ですねえ。人工肛門という言葉が出てるんですから。
直腸癌は、絶対に治りません。あれは遺伝子が決まっておりましてね、発病をどこまで遅らせられるかが、唯一の希望で、KEYポイントになります。遺伝子が伝わる子供がいます。その子はいつか必ず、直腸癌になるし、その子供にも伝わります。
遺伝子が渡らない子供も出ます。その子孫は安全です。絶対直腸癌になりません。
ですから、遺伝子を持った者には、出来るだけがん細胞を破壊するタイプの食事をさせるべきです。フコイダン、しいたけ、アガリクス、落花生など癌細胞を破壊します。発症を遅らせる療法しかないのだということです。
また子供の方は、自分に遺伝子が渡ったかどうかを確認すべきです。
桐山はそのことを言ったのだと思いますがねえ。まず、直腸癌という事の基本知識を確認してから、書き込みをしたほうが良い。
2ちゃんねるの程度が知れるって訳で。
[964]池田慈水 05/06/29 01:51 iK3Ss7P9aW
自分に遺伝子が渡った方は、出来るだけ子供を作らないことをお奨めします。渡らない場合もありえますが、渡る場合もありえます。渡った場合、必ず、直腸癌で苦しみますのでね。もちろん最終判断は、本人の意思ですが。
[965]ユビキタス 05/06/29 02:05 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
>>962
あわてるな。暇人よ。
私は終電で仕事から今帰ってきたばかりよ。
先程電車の中で十一章にレスしてた。
今日は夕方の人身事故とやらで終電も大幅に遅れたようだ。
君へのレスなんかより十一章の方が面白そうだ。
私の君のソンディ運命衝動ゴー業ごっちゃ論に対するレスは済んでいるのだ。
君の方こそ私の疑問に答えてない部分があるんだぜ。
[966]池田慈水 05/06/29 02:12 iK3Ss7P9aW
私は全ての謎を解いた賢者である。お前は<運命>を理解していない愚かものだ。
[967]池田慈水 05/06/29 02:14 iK3Ss7P9aW
質問したくば、なんでも質問するがよい。私は答えないが。(爆笑)
[968]服部エンタープライズ社長 05/06/29 06:36 *vOys31uzjgw*ARjLZoduSp


 懇親会は もうすぐ終わりだね〜
 http://www.geocities.jp/popand_rock/v050507ipod.asx


          こっちに貼るべきだったね!?


[969]服部エンタープライズ社長 05/06/29 06:53 *vOys31uzjgw*ARjLZoduSp

 再度
 http://www.geocities.jp/popand_rock/v050507ipod.asx


[970]服部エンタープライズ社長 05/06/29 06:54 *vOys31uzjgw*ARjLZoduSp

 ?  駄目だ〜!?


[971]服部エンタープライズ社長 05/06/29 07:01 *vOys31uzjgw*ARjLZoduSp


 これは大丈夫なのか?!
 http://osaka.cool.ne.jp/fire878/souon_baba.html


[972]こうもり 05/06/29 09:42 No6md2LyBL
第十一章を見たけど慈恵会のころからくだらないことやってたのねえ!
本物だろうがトリックだろうが、どっちにしてもくだらんね
[973]池田慈水 05/06/29 10:06 iK3Ss7P9aW
パーキンソンの原理:パーキンソンの原理とは、下手な手を打ったときには、それを穴埋めしようとする動きが際限なく広がってしまい、人も組織も無駄に疲弊してしまうということである。

身近に起こることなので、皆様にも、覚えがあるはずだ。私も今日、マーガリンをパンに塗ろうと、容器からパンに乗せる途中でぽとっと落ちてしまった。冷蔵庫にマーガリンを入れておかず、あまりにどろどろの状態だったために、途中で落ちたと判明した。それで、落ちたマーガリンをティシューで拭こうと思ったが、テーブルに思い切り広がってしまったし、ティシューをゴミ箱に入れる途中で、今度はテーブルの上のトマトの上に落ちてしまったのだ。際限なく、騒ぎが広がっていく感じね。この悪いどたばた感が、パーキンソンの原理。最初に冷蔵庫に入れて置かなかった事から始まって、ドタバタが始まったのです。
ユビキタスもその昔悪い手を打ったのだ。修業するときの心の使い方が悪かったのか、それとも修行に入るときの根性がそもそもご利益中心で仏様が逃げたのか、どちらか分らないが、とにかく修業に失敗して、時間を浪費し、精神的に大きな劣等感を負った。この穴埋めは、もともと桐山靖雄が詐欺師であり非常に巧妙に騙されたという方向で、精神的安定を保つ作業となって現れた。ご存知、いまや反阿含宗の親分的存在、ユビキタスの誕生である。彼は多くの人をそのなんとも奇妙は屁理屈で煙に巻き、おぞましい不可知論の罠に抱き込んで、新人の阿含宗会員やその周囲に、教祖桐山靖雄への不信感を煽り続けている。私が2ちゃんねるで記述したときにはすでに彼はそこにいたのであるから、実に5年間以上はその作業を続けているのである。私は、飽きれば、数ヶ月ブランクを作るし、2年くらい書き込みをやらなかった時期もあるのだが、ユビキタスは、とにかく続けて、続けて、続けまくる。その継続性に何とも言えぬ疑惑を持ってしまうのは私だけではないだろう。本当に、彼は元信者だったのか?金で雇われて書き込みを続けているのでなかろうか?どうしてあそこまで執拗なのだろうか?
様々な疑問がわくのである。
だが、パーキンソンの原理である。彼の場合、下手な手を打ち続けているから穴埋めが際限なく広がり続けている。そういうことであろうと思う。この間も、ソンデイの言う家族的な無意識のことを宗教家が霊障と名付けても文句はないだろうと、私が主張したために、彼は最後には赤ちゃんは純粋無垢で生まれてくる、とまで言い切ってしまった。人生における不慮の災害や事故は、たまたまだと、主張するに至った。・・・つまりこれはもう、際限なく広がり続ける灰色の脳細胞欠乏症であり、キーを打ち続ける指任せの論理構成であり、無駄に疲弊してしまうエネルギーそのものなのである。
[974]池田慈水 05/06/29 10:10 iK3Ss7P9aW

ユビキタスよ、

医者に行け、医者に。


(大爆笑)


[975]岡目 05/06/29 10:43 KN3Qds8fq4
偉そうなことを言ってないで、私の質問に答えなさいよ。
ジミズさんだけではなく、○○屋さんでも、星祭りさんでも、栗花さんでも構わないんだよ。擁護派のなかで、この問題にまともに回答できるものはおらぬと踏んだのだが、やはり回答出来ないらしいね。
「※例えば、この世に、肉体的な障害をもって生まれ、そのことに悩みを持っている人たちがいます。
 ジミズさんは、このような人達を どのように考え、またどのようにアドバイスするのでしょうか。
あなたの 仏教観をもって答えてみてください。」
[976]岡目 05/06/29 10:45 KN3Qds8fq4
訂正
「ジミズさんは このような人達を」→「阿含宗擁護派の皆さんは」
[977]こうもり 05/06/29 12:16 No6md2LyBL
>>976 欧米の転生の研究者の本読みました。
前世の"ペナルティー"を"勉強"しなおすために、魂が中間世で指導霊と相談しあって"自ら"その境涯を選ぶそうです。
また"ペナルティー"を1回の転生で"勉強"しなおすのか or 3回くらいに分けて"勉強"しなおすか"自ら"計画を立てるようで、
前者のほうが学びは多いが苦難も多いらしいです。
その本では、人生に苦難が訪れた時、「"自ら"計画したものである。自分は魂のチャレンジャーだ。正しい解答を行動で出すときが来た」と思いなさい、と言う趣旨のことが書かれてました。

また日本で最高のヨギ中村天風氏が修行中にインドのグルにこう言われたそうです。
「お前は自分の不運を恨んでるようだが、これはお前の生き方が間違ってるという創造主から警告であり(西洋のそれでなくヒンズーの梵我一如のブラフマンのことと思われる。英語での会話だったので創造主と表現したのだろう)慈悲である。
お前のような愚か者が不運をきっかけに(ヨガ)修行により魂が洗われていくことを考えるとお前は世界一の幸福者だ。」

バラモンヨギであってもヨガをメインとした流派は、呪術でご利益じゃなく、ラージャヨガとカルマヨガ(ヨギとしての行い)を教えの軸としてるのであるから、
今の仏教のほうが婆羅門呪術化してますね。
呪術や布教活動で不運を避けられるならラッキーで利用することもいいが、修行を忘れたら本末転倒でしょう。
宗教になると堕落するのでしょう。
それとヨギのカルマヨガは純粋なカルマヨガでなくてはならず、
バクティー的カルマヨガなんぞは本道ではないですね。アゴンのボンギョーといい、オーム教のばくてぃーといい。だめぽ。
[978]○○屋 05/06/29 13:26 D-Oab/h
偉そうなのはオカメくんじゃないか?

わたしが、その方に相談されたらば、そうですね、『いま、あなたの抱える障がいは、すでに結果として顕れてしまったものです。ですから、いまさらどうしようもない、がそのことにこだわらず、自棄を起こさず、反省すべき事は反省し、周りに対して感謝の念を忘れず、生きていくことが大事だ。』くらいにアドバイスしますかね、その人の障がいの程度にもよりますが。
[979]岡目 05/06/29 13:59 KN3Qds8fq4
○○屋さん
答えてくれて有り難うございます。
私に 何を反省せよと言われるのでしょうか、私が何か悪いことをしたというのでしょうか。阿含宗では、私が前世に罪を犯したとか 勝手なことを言っているようですが、証拠でもあるのでしょうか。あなたの 関係している教団は、全てを過去の、前世の業だというような言い方をしますが、そういう言い方が我々をどんなに苦しめているのか気がつかないのでしょうか。それは差別意識であり、あなたが高所にたった物言いであり、大きなお世話です。あなたが、私の立場だったら、きっと あなたに対して、同じ言葉を返すと思うのです。
[980]○○屋 05/06/29 14:31 D-Oab/h
岡目さん

いいですか。あなたの障がいの程度はわかりませんが、世の中には、あなたよりずーっと重度の障がい者はゴマンといます。私だって、アスリートから比べたら障がい者みたいなものなんです。
人間の肉体なんてものは、一人として同じ状況のものはいない。少しづつ程度が上等になって並んでいるようなものです。まして、肉体なんて一番外側の服のようなもので内面の充実感が重要でありましょう。
私の息子もある障がいをもっています。しかし、周りが本当に親切に接してくれるので、親としていつも感謝の念です。本人も自分が障がい者だと意識もないようです。障がいをもつに至る経緯はさまざまでありましょう。しかし、障がい者となってしまったら、その結果はかえられない。いくら因縁切ったって、ニルバーナになったって多分かわらないでしょう。
しかしね、内面の充実感で肉体なんて関係ないところまでは行ける、私はそうおもいます。もちろん努力は必要であり、ハンデがある分の上積みの努力は大切ですがね。
人生のスタートはさまざまなんです。この生から逃げずに、少しでもよくなるように向上心を持ち続ければこの生で状況の回復する場合もあるし、状況が回復しなくても努力するかぎりに於いては次の生にそれが継続していく。それが、十二支因縁であり『苦』の解決でしょう。
[981]星祭@ぼんぎょう 05/06/29 15:44 OHvZ2Cja5O
>977、呪術であれ思想であれ、それを教え導くことでその人の糧となり感謝さたのならば、それは実践であり修行となりうるのです。、また逆にどんなテクニックの行を学ぼうとその瞑想などの境涯をただ自己満足しているのならば、スポーツのうまい人とかオタクのコレクターとそうかわりはありますまい。慈恵会時代のことを書いた「変身の原理」は当時の宗教界にインパクトを与えたことは事実です。
[982]星祭@凡業・梵行 05/06/29 15:52 OHvZ2Cja5O
釈迦が瞑想に留まっていたか?祇園精舎なりで毎日、瞑想しその境涯を楽しんでいても、釈迦ほどの方だから信者、修行者は自らたずねてくるでしょう。しかし、釈迦は辺境の地にまで布教托鉢に出歩いた。入滅したのは道端ですよ!梵行の意味を自分自身で考えるべきです。勤行だけしか知らない、ただ教団の言うことだけインプットして動いている先達など関係ないでしょ、考えもせず梵行がキライ知りませんがただバカにするのもそういう先達と同じ構造ですよ。
[983]星祭@心技体 05/06/29 15:59 OHvZ2Cja5O
ただ、瞑想やヨーガの境涯に興味があり、そういったものを学びたいというのなら、純粋にそういう技術を学ぶべきでしょう。何故、釈迦が宗教家であり高名なヨギ(アーラーラー仙人やウッダカ仙人のような)でなかったか、また、弟子によっては瞑想より、まず掃除をさせたのか考えるべきでしょう。
[984]岡目 05/06/29 18:07 KN3Qds8fq4
>>980○○屋さん
それくらいのことは あなたに言われなくても 誰でもが 普通に生活している以上心得ていることなのですよ。上を見ればきりが無い。誰でもが分相応の生活をしているのです。私の聞きたいのは、
「あなたの 関係している教団は、全てを過去の、前世の業だというような言い方をしますが、そういう言い方が障害をもって生まれたものををどんなに苦しめているのか気がつかないのでしょうか。それは差別意識であり、あなたが高所にたった物言いであり、大きなお世話だと言うことにたいする。
阿含宗徒としての 考えを聞きたいのです。」
[985]岡目 05/06/29 18:49 KN3Qds8fq4
また、霊障という言い方も 特に差別を感じます。家系に霊障があるので、清めなければならない。解脱供養をする必要がある などは いったいなんなのでしょうか。お釈迦様がそうおっしゃいましたか? あなた方 阿含宗徒が言っている、桐山が言っているだけではありませんか。
先祖がどんな悪いことをしたのでしょうか、業について はっきりと解っていることならまだしも、解りもしないことに対して、霊障だのと決め付けるのは 差別的な考え方としかいえません。だいたい、桐山は 霊、霊とよくいいますが 霊能力(?)はあるのですか?
18人斬をしたという、自分の先祖の話も作り話ではないですか。釈尊が霊の話をしましたか? あなたがたは それで、仏教徒なのでしょうか。
[986]○○屋 05/06/29 18:52 9nwjPPTARk
>あなたの 関係している教団は、全てを過去の、前世の業だというような言い方をしますが

あなたが障がいを持って生まれたのは誰のせいですか?あなたがあなたの両親を両親として生まれたのは誰のせいですか?

あなたが自分で選択していないと思っているように、私も自分で選択しているとは思っていないのです。だれでも今の境涯に不満があるし、今以上の存在になりたいと思っている。健康でも能力でも。

現世で受ける色々な「苦」は程度の問題だけでしょう。誰でもが受け入れなけりゃいけないんです。阿含宗で「前世の業だというような言い方」をしようがしまいが、それが仏教の考え方であり、輪廻思想でしょう。それが真実ならば受け入れるしかないんですよ。言い方に問題があるということをおっしゃりたいのですか?

>それは差別意識であり、あなたが高所にたった物言いであり、大きなお世話だと言うことにたいする。

差別ではない、誰でもがそうだ、といっているのです。
[987]岡目 05/06/29 19:40 KN3Qds8fq4
>>986
ほおー 霊障が仏教の考え方に基づいているといわれるのですか。あなた方の聖典である阿含経の中から、霊障に関する経典があるとでもいうのなら、見せて欲しいものですね。いいかげんな口はきかないことです。
[988] 05/06/29 19:44 *B5GT6dxzVYx*a61sePjo0g
オイラはこのスレの流れに付いていっていない者ですが、
岡目さんって「ちょっと一言」さんですか?

[989]ムシズキタスに改名しました 05/06/29 23:23 No6md2LyBL
ユビキタスさんが"キタス"を使うは10年早いと言えば元に戻します。
>>981上座部の瞑想法の本の前書きでありました。正確な引用は出来ませんが(立ち読みなので)

「大乗と聞こえはいいが、実際に水に溺れてる人が溺れてる人を救えようか?」
上座部の瞑想法が日本で受けられるような時代ですが、
伝授された側が宣伝しまくるということもありません。
仏道修行者としての自覚にのっとった生活をすればいいのでは?

それとヨギが自利しか願わない利己主義者とはあなたの偏見では?
ヨガの天風会がどれだけ日本民族に貢献したか知らないのですか?

宗務職員や呪術先達は少なくとも私を救ってくれないですよ。ただ運営の手伝いしろと言うだけ。

また私が趣味で行をやってると思ってますか?
もし自分がある程度、救済されたかな?と思ったら、志しがある人の行のお手伝いはしますよ。その人が行によって救済されるお手伝いを。
ヨギとは再度言いますが利己主義者じゃありません。
*******************************************
上座部の瞑想のサイトより引用

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、
一番大事で最優先されるのは自分であるというのは、
ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。
私達は一応仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。

二番目には、先程出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい人々」、
一番幸福になって欲しいと感じる人々がいますから、
その人達(自分の子供や両親、友人、身近な人々など)のことを同様に念じます。
[990]こうもり 05/06/30 00:23 No6md2LyBL
やっぱり漫才できないから”キタス”は名乗れません。元に戻します。何故、いつもより挑発的なカキコなのか分かりますか?
「ヘビが出た〜」がどう仏法と関係あるの?  です。
[991]○○屋 05/06/30 00:40 cgKLRb2G0r
>いいかげんな口はきかないことです

あなたもね
[992]池田慈水、ユビ食ったス 05/06/30 08:11 iK3Ss7P9aW
>>985 霊障という言い方が一番傷つきませんよ。心がけが悪かったから、なんてユビキタスのような言い方をされたら、一番頭に来ますよ。心がけが誰よりも良かったはずだと、私なんかは自尊心が強いからね。

家族意的な深層意識が問題です。と言うのもね。宗教家らしくないし。ソンデイの治療室じゃないんだよ。

岡目といい、平等性智といい、どうして公正にものが見られないんだ。どう考えたって、前世の業と、転生の時に自分に相応しい家庭を選んでしまったのが原因だからね、これ以上の回答はだせないでしょう。岡目は何を求めているんだか。
[993]あまつかぜ 05/06/30 10:33 No6md2LyBL
>>992 先生は悲しい方ですね。十一章のレスも兼ね>>294をもう一度読んでください。
[994]○○屋 05/06/30 11:07 D-Oab/h
↑ああ、『あまつかぜ』のコテハンのほうが『こうもり』より良さそうですね。
修業に関してはさまざまなとらえ方をする人がいるでしょう。当たり前のことです。レベルがさまざまですから。

池田さんは、彼なりに一つの成果を出していますから、ユビキタス氏とは比べるべくもない。少なくとも実践者です。対してユビキタス氏は単なる評論家。いくら論説に鋭利な切り口があろうとも目指すものは何もない。ユビキタス氏の言うとおりやっても何も進まないでしょう。
しかしながら、わたしはかつて彼とのレスのやりとりで、釈尊の説法を読む必要性が発生し、薦められるままに『スッタニパータ』他の数冊の本を読みました。そのことに関してはユビキタス氏には感謝しています。その解釈にはいくつか意見をかわしました。『釈尊の呼吸法』も面白そうなので機会があれば読みたいと思います。
[995]こうもり 05/06/30 11:49 No6md2LyBL
>>994 あはは。間違えちゃいました。ご勘弁をw
[996]こうもり 05/06/30 12:16 No6md2LyBL
評論家があれだけのことを書けないでしょう。
少なくとも一時期は実践したから書けるのでしょうね。
ただ残念なのは坊主憎けりゃ袈裟まで憎しで、最近は止めてることです。ユビ氏が本気で肛門を閉めたら悟ります。
ヨガの修練でヘビが出るにょろユビよ、  なぞと言ってるより、
>>294は尊いことを言ってます。
[997]池田慈水 05/06/30 14:06 iK3Ss7P9aW
阿含経、シュカスートラ、業の分類

何故人は、肉体障害を持って生まれてくるのか?そこに書いてあります。
なぜ、創価学会や日蓮宗の熱心な信者の、孫の世代あたりに、そういう障害者や、虚無主義者が多く出るのか?読めば分るでしょう。
岡目さんは阿含経を信じるのか?信じないのか?
私は、書いた。創価の若鷹の掲示板に、そういうことを平気で書いた。
真理とはいえ、そこまで書いていいのかな?またここで書いてしまった。すまん。
[998]個人指導 05/06/30 17:46 aEVHXRhTxy
間脳開発せよ。
[999]○○屋 05/06/30 20:40 GoRGEoUS
ユビキタス氏がコピペアラシやったからレスが速くなくなってしまったんだ。
[1000] 05/06/30 20:56 *B5GT6dxzVYx*Congratulations
1000 取っていいっすか?
[1001]こうもり 05/07/01 00:05 No6md2LyBL
十一章はヘビネタで盛り上がっているので水をさしても悪いから、こちらに書きます。平河さんの証言は私にまた"気付き"を与えてくれました。
ユビ氏のヘビ花火説のほうが、私には合います。
チャクラ開発した猊下が特別ご祈願という遠隔ヒーリング気功を当時も今もなされている。遠隔気功は受ける側もラポールがあったほうが良く効く。
だから信心深い信者に対しラポールを築くため方便としてヘビ花火を使った。

だけど反対に、本当の現形となると高級霊だろうが低級霊だろうが、今も昔も相変わらず「ヘビが出た〜」なのかあ。はあ〜、と情けなくなります。
[1002]池田慈水 05/07/01 00:22 iK3Ss7P9aW
>>977 こうもりさん  欧米の転生の研究者の本

言い忘れてたが、欧米の輪廻転生観には決定的な間違いがあるからね。それは人間が、犬や牛など動物や、虫などにも生まれ変わると言う事実を知らない、と言うことです。そこだけは気をつけたほうが良い。阿含経の記述が正しいのだ。
それを知らないために、退行催眠の被験者が5%しか前世を語らないと言う現実がある。人間であったときまで時間をさかのぼらせるという、正しい退行催眠でないと、喋らないわけです。
[1003] 05/07/01 00:52 *B5GT6dxzVYx*0HchY1EDt6
>>1001
おっ 遠慮してますねコウモリさん。
まあユビくんが茶柱と言ったのはそのまんまでしょう。
奇瑞であり、吉兆と見るんだよね。
それのはしりの頃の話だから意味があるんだよ。
こういう話を原型にして信者は様々なモノをそれに見立て始める。
これがいけない。
奇瑞は向こうからやってくるので吉兆と言えるが、
それを見ることばかりを期待するとなんでも奇瑞に見えちゃう。
そんなのばっかり追いかけてると確かに道を誤るね。
あの人の話はプロトタイプだからこそ意義があるのさ。

[1004]池田慈水 05/07/01 00:57 iK3Ss7P9aW
チェ・ジウは「知恵・自由」と変換される。
だからなんだって?
さて、なんでしょう?

ドラゴン、ドラゴン、アナゴンイケダ!
ドラゴン、ドラゴン、メンタンピン、ドラドラゴン!

林真須美は「早死増す見」と変換される
ますみは、また、魔住み、とも変換される。

それでは、堤たちはどうでしょう?
堤たちは、「通、罪絶ち」と変換される。

歌手の江利ちえみは「鋭利知恵見」と反感される
では本名の久保ちえみ、はどう変換されるでしょう?
何と、「苦墓地へ身」と変わります。こういうこともある。

皆さん名前は気をつけて付けましょう。
姓と名が織り成す<総合的な意味感>が大切です。

結論から言えば、チェ・ジウは良い女です。
結論から言えば、堤たちも良い女です。
良い女と悪い女の運命の差は歴然としております。
[1005]星祭@重要か? 05/07/01 05:03 138UHCSnCZ
>1001、そういう現象があらわれたということでしょう。そういう「形」に対して、ああでもないこうでもないと論議をふっかける方が変なのですよ。「ああ、そういう、こともありましたか。私は信じないけど。」ですむことです。本質はまた別のところにある。ただ当時の様子と感想を述べてくれた。平河さんに対し○○屋さんも言っていたように、実に失礼だと思いますね。彼はただ親切に報告してくれただけです。なんでも悪口のネタにするのは考えモノですわ!
[1006]星祭@灰の力 05/07/01 05:12 138UHCSnCZ
平河さんの報告は生なましく、くだらん批判ばかり続ける連中に衝撃をあたえたようで、ゲイカの逮捕暦と称する荒しのカキコが横行、ユビ氏も口泡飛ばしての批判、2chでは平河さん自身に対しての罵詈雑言が出現したようです。へび花火といいますが、では、その、たかがヘビ花火に衝撃をうけてあわてふためいているのは批判側でしょう。灰のことだけでもこれだけの力があるのです(笑)。
[1007]こうもり 05/07/01 10:21 No6md2LyBL
>>1005 遠慮してこっちに書いたつもりですが・・・
>本質はまた別のところにある。
そう、これですよ。自己の救済を完成した人は確かに不思議な奇瑞を現すこともあるでしょう。では何故、自己救済の法を、現在苦しんでるものにきちんと指導してくれないのか?
何故、当時も自己の救済を完成し龍体を出現させるほどの会長は、きちんと指導されなかったのか?
回答はいらないです。数ヶ月前のやりとりと同じだから。
でも一番あわてふためいたのは現会員の私ですよ。
[1008]こうもり 05/07/01 10:29 No6md2LyBL
ありゃりゃ?失恋し狂乱するホモの感情がまだけっこう残ってるのか?苦笑。自分で自覚・・・
[1009]○○屋 05/07/01 10:45 D-Oab/h
最近、平河さんの体験のような『念の物体化現象』的な話があまり伝聞されないのは、こうもりさんのように、『だからどうした』的な見方もあるでしょう(つまり、念で龍神の形状が作れたことがスプーン曲げと変わらぬ的な見方)が、それが今の猊下の見解と近いかもしれない。猊下のパワーが『念力』から『成仏力』に質的に変化したと考えるならば、大変夢のある話です。
[1010]○○屋 05/07/01 11:04 D-Oab/h
念力による念の物体化は、それが真実できるならば、人生上の問題の解決は簡単なようですが、実は大変難しいのではないでしょうか。念(エネルギー)と物質は互いに等号の『右辺』と『左辺』の関係であることがアインシュタインによって解明されましたから、非常に難しいが不可能じゃない。少なくとも物理学では否定しない。(ただし、現実的には、その時必要なエネルギーは光速の2乗と質量の積に匹敵するものなので大槻教授ならば当然ながら否定しますが)

しかし、人生上の問題の解決は、それが、過去の行いに起因したカルマの報いならば、時には、お釈迦様でも『匙を投げた』くらいですから、難しいかもしれない。
[1011]こうもり 05/07/01 11:45 No6md2LyBL
人生上の問題の解決とは>>294 だと思います。こういう呼吸法は極めた人は"超能力"と呼ばれる現象を起こすこともたしかにあります。
それでも>>294 に勝るものなどありましょうか?

『成仏力』も素晴らしいです。先祖の怨霊を浄霊して色々な問題が解決する。だから30体するべきです。
でも、それが人生の苦の解決とまではいかないでしょう。>>294 に勝るものなどありましょうか?294の境地を"梵我一如"とか"玄身に再生"とか と呼ぶのです。
[1012]こうもり 05/07/01 11:58 No6md2LyBL
十一章のよさんへのレスも同じです。
>>294以上の"超能力"などありません。言うは簡単だが実際は困難です。まさに"超能力"です。
でも>>294の訓練以外に人生の苦の解決などありません。
[1013]○○屋 05/07/01 12:43 D-Oab/h
ああ、思い出しました。こうもりさんには兄貴分がいましたね。解脱供養30体は、わたしも賛成です。最近は『守護神』で全面的に解脱(冥徳)供養を薦めていますから、こうもりさんの提案する流れになっているようです。

職員でさえ、『そんなに解脱供養は必要ない』なんて言う人がいましたから、なんだろーなーとおもいますね。
[1014]こうもり 05/07/01 13:33 No6md2LyBL
私の兄貴分は、進みすぎてますからねえ。そして 「いわゆる"信者さん"と俺らは考え方が違うから苦労するよ。阿含は歩みがおそいからね」 と慰めてくれます。

彼は"とっくに"『守護神』様 いただいてて、私から見たらけっこうご利益いただいてますね。だから私も呪術を否定しません。

でも皮肉って、こう言ってやったんです。
「僕は『守護神』なんかより、息吹永世の法のほうがいいなあ。ユガ行で真我を知りたいから」
彼はこう答えました。
「そんなの当たり前じゃないか!自分だってそっちのほうがいいの決まってるよ」 と。
[1015]こうもり 05/07/01 13:38 No6md2LyBL
阿含宗と桐山氏について―第十一章―【ザ】の皆さん専用です―[292]
兄貴分と重なりますなあ、栗花氏は。言ってることが同じ。人種が近いんですねえ。
[1016]○○屋 05/07/01 13:53 D-Oab/h
栗花さんは、以前2ちゃんの時は、批判かと思いました。

いまは、池田さんのような立場かと。栗花さんの『直感的』レス内容は、その迫力に驚きます。
[1017]池田慈水 05/07/01 17:33 iK3Ss7P9aW
ドラゴン、ドラゴン、アナゴンイケダ!
ドラゴン、ドラゴン、ダイナマイトどんどん!(ほにゃ)

「- ゴン」の付く言葉を無意識に捜している自分が怖いっす。

何故、ルーク・スカイウォーカーが「お父さん助けて!」と絶叫したときにダースベーダーは正気に戻り、皇帝を投げ捨てることが出来たのか?
今度の映画でやっと、分りました。そうだったのですね。最初から、家族への愛のために彼はダークサイドに落ちたのですね。
だからこそ、家族の愛で立ち直った。・・・当然の流れです。
ちょうどユビキタスが、父とも思う桐山靖雄に寄せるヒーロー願望が崩れたときに、ダークサイドに閉じこめられたのと、同じである。
そのことに5年間も付きあわされた私はほんとに良い迷惑。
きっと彼の正気は、桐山よりさらに凄いヒーローが現れた時に、完結するのかも知れません。
でもそのような凄い人が現れる可能性があるのでしょうか?

<アンゴルモアの大王を復活させ、マルスは幸福のために支配する>

桐山靖雄師が脳梗塞から復活したために、彼自身がアンゴルモアの大王である可能性が出てきた現段階において、
もし、「マルス」が、新たなるヒーローを表すとすれば、
その可能性がゼロとは言えないのです。
マルスよ、出でよ! 圧倒的なフォースで、彼らを調伏したまえ。
我等に、最高の解脱力を示したたまえ。
[1018]岡目 05/07/01 17:48 KN3Qd3.AXb
ジミズさんって 幼いですねエ そのキャラクターは 桐山狂徒でなければ、愛すべき ものです。
[1019]○○屋 05/07/01 17:48 D-Oab/h
センセ・・・ネタバレはご遠慮ください。
[1020]星祭@まだ続く 05/07/01 20:02 138UHCSnu1
>1014、体得できるかが問題ですが(笑)。守護神様の手助けで神人になれるかもしれませんね、その先輩は文句いうより先輩みならったほうが近道かもよ。でも、とどこおりなく、この方のように修行できる人は幸せなかたですよ。信者さんとは考え方がちがう、考え方は同じでもそれだけでなく因縁や環境がととのわない信者さんもいるのです。オバさん連中とその周辺だけが信者ではない。供養は阿含、鍛練修行は仙道で頑張ってみればそのうち道がつながると思うよ。
[1021]星祭@秘密灌頂 05/07/01 20:12 138UHCSnu1
ただゲイカはこんな事も言っていた。「クンダリニーヨーガ、呼吸法でさえ形式といえば形式なのですよ!仏に通ずる一念、これこそが大切で直がくれば護摩法であれ呼吸法であれ形式からでも本質を伝授する。」その時期がなかなかこない・・・。忘れたのだろうか。
[1022]ユビキタス 05/07/01 21:01 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
ヘビの祟りの話は十一章にて。
残り僅かとなりましたので、岡目さんが信者に提起した障害者観について私も語りたい
と思います。
と言うのは私は○○屋さんのコメントに感動したのです。
ある障害を持たれるという○○屋さんのお子さんですが、障害のハンディなどなんのその
障害があれど人間として精一杯に生きていき、しかし障害を克服する道あらばそちらの
努力もしたいとかの旨ですね。
イヤミやお世辞でなくこの健全な考えの親子にエールを送りたくなりました。
私事を言うならば、私は大学卒業以来教育の仕事に従事したことはありませんが、
養護学校教員養成課程にて知的障害をもった子どもの教育を専攻しました。
決して教師になろうと思ったわけでなく(採用試験は落ちましたが)、中学時代に
観音慈恵会に入信した私はやはり求聞持法とか念頭にあり、あるいは心理学を専門に学び、
それも一般心理学でなく治療教育という目的をもった専門知識を学びたいと漠然と
志したわけです。付属の養護学校でも実習などしました。
そこの教育方針は生活単元学習です。これは算数とか国語なんて学科目の授業などはなく
(体育はありました)、園芸とか窯業とかの作業学習の他にその折々に子どもの自発提案
(ま、かなり誘導的ですが)を主体にいろんな行事や生活単元のプランが生まれて
学習を展開します。兎とモルモットを飼う動物園を作ろうとなり、我々教生も子どもと一緒に
コンクリートをこねて土方作業に励んだり、夏合宿で海の家に行こうとなると海の歌の演奏会
をしようとバンドを作る。
言葉などは生活や遊びを通して教えていくが、生活と遊びが主体でいかにこれを充実
させるかがテーマなのです。
障害の治療だの克服だのを目的とせず、それぞれハンディを背負いながらいかに
今この場の生活の中で社会参加を果たし自己実現させるかが目的です。
私の本来意図したものとも違ったのですが、とりわけ今、障害をマイナスの悪であるかの
ように克服課題とする思想を根底から覆すものとしてこの活動に共鳴を覚えます。
精薄と言われた知的障害など決して治癒するものではないのだから。
だから○○屋さんの障害など気にしない発想に共鳴し、お世辞でなくいい父親として
尊敬でき、見直したのです。
ところがそれを否定するかのような教学が阿含宗の方にあるのです。
つづく
[1023]服部エンタープライズ社長 05/07/01 21:29 *vOys31uzjgw*ARjLZoduSp

 池田さ〜ん ゴン いっぱい有ったよ〜

 http://rapi.vis.ne.jp/card/card/gon2.jpg

 http://digitalvampire.net/movie/1964_the_gorgon.jpg

 http://www.mirai.ne.jp/~hide2000/ult_kz/ultQ/kanegon.htm

 http://www.m-nomura.com/st/images/worf.jpg

 http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2002/images/ghosn.jpg


 
[1024]ユビキタス 05/07/01 21:30 *3Rv70.P.g7X*E-sAT2F
1022のつづき
阿含宗にはいくつかの因縁を説きます。
○○屋さんのお子さんが何のハンディかは知りませんが、知的障害なら脳障害の因縁、
肢体不自由なら肉体障害の因縁、視覚障害などもしかりです。
情緒障害、学習障害などもあるが。
で、阿含宗では因縁のある分、人生のスコアをマイナスに減点していく。
そして点数の低い奴は地獄クラスだの餓鬼クラスだの、人間的に霊的にレベルが低い
と折り紙をつけて、早くこんな低い境涯を抜け出して因縁解脱しようというのが
教えの根幹です。
○○屋さんの息子さんも障害の分だけレベルの低い人生、レベルの低い人間だと差別したいのです。
私はこの差別思想が許せない。
障害があったからといって何が悪い?
障害を持とうがおかまいなしに今この与えられた現世を精一杯生きていこうではないか!
障害の克服、健常者の社会に少しでも追いついてやろうなんて発想でなく、自分の
障害をあるがままに受け入れて、清らかに充実させていこうという思想は釈尊の教えに近い。
前世の行いが悪かったからその業で障害を背負ったかどうかなんて、実は釈尊もそんなことを
気にするなと説く。障害児・者のまま生活の充実、人生の充実を考えればよい。
来世などすら期待もせずに。これが仏教の考えなのです。
障害の根底に忌避すべき因縁だの霊障を説き、それの回避に人生を浪費させて
教団は彼ら家族の切ない親心につけこんで金を巻き上げる。
障害のある人間とどちらが醜いか?
桐山靖雄よ。おまえの方こそ人格欠陥の醜い地獄クラス、餓鬼クラスの低レベルで
救いようのない奴だ。
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