■掲示板に戻る■ 
■過去ログメニューへ戻る■ 
 
「ザ」用スレ(79) 
 
- 1 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/19(日) 11:08:07 ID:IQAnia4Q 
 
- 本来なら2chと「ザ」を最初から一緒にすればよかったと後悔。2ch用の方に一緒に書き込みたかったが、もうここまで来たら分けてしまおうとw
 
 板の基本姿勢はどの板も共通です。
 
 
- 2 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/19(日) 11:28:39 ID:ombs7vEo 
 
- うーん、阿含経には「道品法」があると思ってましたが。
 
 まあ、申されるとおり管長の説明のようなものは無いぞというのは了解いたします。
 ならば、管長の言ったことを抜きにして何がどうか、というのを確かめねば批判派の
 いわれることは納得できません。
 
 システマティックやカリキュラムも忘れましょう。その代わり何がどうかを得ないと
 納得しません。
 
 私は方向転換をしている最中でもあります。批判派の意見とA宗の教学と違いが
 大きい。そこを確かめる必要があると思っているのです。
 
 時間が無いのでまた続きは後で・・・。
 
 
- 3 :○○屋 ◆ L8k65ylhh2:2008/10/21(火) 23:23:24 ID:kFZMrzLI 
 
- [681]伯承 05/07/26 18:03 s3mvaM8B
 ヴィパッサナー瞑想(1)
 
 「ヴィパッサナー瞑想」とは、南方仏教で行われている瞑想の一種で、北方の大乗
 仏教ではあまり行われいない。
 南方仏教は大乗仏教ではなく、伝わっている南伝大蔵経は、漢訳の阿含経に相当す
 るものしかない。つまり、法華経などはここには伝わっていない。
 ここで考えられることは、当然のことながら阿含経に相当するものしか伝わってい
 ない南方仏教にあるヴィパッサナー瞑想は、阿含経と深い関係があるはずであると
 いうことである。
 阿含経には、七課三十七菩提分法が説かれている。この七課の内容も、相互に重複
 していたり、包含していたりするので、必ずしも七種類別々の修行方法があるとい
 うことにはならない。
 
 調べてみるとヴィパッサナー瞑想は、実は七課三十七菩提分法の八正道の一部に相
 当する。ちなみに、八正道とは、次のものである。
 1.正見(正しい見解)
 2.正思惟(正しい考え方)
 3.正語(正しい言葉)
 4.正業(正しい行動)
 5.正命(正しい仕事)
 6.正精進(正しい努力)
 7.正念(正しい気づき:awareness、mindfulness)
 8.正定(正しい精神統一)
 
 この中の八正道の内容も、日本での解説書では良く分からないものが多い。たとえ
 ば、次のような解説があるが、これを読んで正念とはどんなものか、意味が掴める
 であろうか。そして実践できるであろうか。
 
 「仏と同じような正しい、真理に合った心を持ち、小我による分別をせず、ものご
 との真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。」
 
 これでは意味がよくわからず、どのような実践ができるのかも不明である。日本で
 は、何をしたら八正道になるのか、よくわかっていないことが多いように思う。
 [682]伯承 05/07/26 18:04 s3mvaM8B
 ヴィパッサナー瞑想(2)
 
 本来は八正道も、もっとはっきりした実践できるような意味がある。
 ここで、正念についての記述をテーラワーダ仏教から、一部だけ引用する。
 -------------------------------------------------------------------------
 八正道の七番目は「samma sati:正念」です。
 
 Sati(サティ)は「念、憶念、記憶」と訳されていますが、普通の日本語の意味
 は「気づくこと」です(英訳では、awareness、mindfulness)。
 「正念」とは「正しい気づき」のことです。こころの汚れが無くすような方向へ
 客観的に気づいていくことです。
 正念と正定は、解脱のための修行方法です。「今の瞬間の自分に気づくこと」…
 これが sati の修行法(ヴィパッサナー冥想)です。」
 ------------------------------------------------------------------------
 
 また、ここでは八正道の一つとして説かれている正念であるが、正念の詳細が四念
 処である。すなわち正念を詳しく実行しようとしたら、四念処を実行することにな
 る。つまり、七課の別の科目とされている四念処のことである。
 ちなみに、この四念処については、「四念処経:Satipatthana sutta」(長部経典
 22、中部経典10)に、修行方法について詳しく説かれている。
 四念処とは、次のものである。
 1.身念住(身体)
 2.受念住(感受作用)
 3.心念住(心)
 4.法念住(法)
 
 すなわち、南伝仏教で行われている「ヴィパッサナー瞑想」は、八正道の一つの正
 念、すなわち四念処の瞑想を一般向けに教えていることとなる。これをブッダが教
 えていなかったということを主張するのであれば、四念処も八正道も、ブッダは説
 かなかったと言っていることと同じことになってしまう。
 
 さらに、経にブッダがよく説いた言葉として、不放逸(appamada)が出てくるが、
 日本の仏教解説書では、たゆまず休まず、努力するというような意味に捉えるら
 れている。しかし、もともとは「今の瞬間に気づいている状態(覚醒している状
 態)を維持する」という意味となる。つまりは、正念を意味する。
 [683]伯承 05/07/26 18:13 s3mvaM8B
 ヴィパッサナー瞑想(3)
 
 ついでに八正道の正定についても、引用しておこう。
 -------------------------------------------------------------------------
 八正道の最後は「samma samadhi:正定」(正しい精神統一)
 
 「正念」と「正定」は、ほとんど修行の世界と言えるものでしょう。修行(正念、
 正定)に関心を持たなくても、正思惟、正語、正業、などをまじめに頑張ると、
 人生の苦しみはほとんどなくなって人間として成功することは確実です。しかし仏
 道は、この世の成功ばかりを目指すのではなく、涅槃、いわゆる究極の幸福を目
 指しています。そのために、正念と正定が必要なのです。
 サマーディは、普通の五官の認識レベルを超えた認識体験です。
 -------------------------------------------------------------------------
 
 正定(サマーディ)は初期仏教だけでなく、ヨーガ等でもよく説かれている言葉で
 あり、後期大乗仏教である密教で初めて出てきた言葉ではない。
 また、正念か正定かどちらかを選べというような説き方をブッダはしていない。
 
 
 止観という言葉であるが、本来の意味と漢訳での意味がずれているように思われる。
 「止観」は、シャマタ・ビバシャナを漢訳したもので、「止」と「観」に分けられ
 る。ビバシャナはヴィパッサナーという言葉で南方には伝わっているが、ここでは
 密教の仏を観想するという意味ではなく、正念を指している。
 集中による瞑想は、正定の修行を行うことになる。
 
 
 また、当然のことであるが、初期大乗仏教であろうとも、ブッダに対する信仰心は
 持っていたと思われる。それを持っていない人を大乗仏教徒と呼ぶことは、間違っ
 ていることになりはしないか。
 
 
- 4 :○○屋 ◆ L8k65ylhh2:2008/10/21(火) 23:24:28 ID:kFZMrzLI 
 
- [704]伯承 05/07/26 23:46 FyLcWiRZtt
 もし、正念だけですべてすむのであれば、仏陀は正念しか説かなかったであろう。
 しかし、実際には七課三十七菩提分法を説いている。八正道の中の正念であり、単
 に正念だけを説いてはいない。
 
 なぜ大きく七種類の修行に分けたのか。おそらく人によって向き不向きがあるため
 に、修行者を見て一番ふさわしい修行方法を説いたためであろう。あなたは、こう
 いうやり方で、これこれの修行をしなさい、というような指導と思われる。
 
 ヴィパッサナー瞑想も、普通は最初から指導者に教えてもらわないで、できるよう
 にはならない。気づきだから自分で勝手にできると思ったら大間違い。自分の心の
 正確な動きには、ほとんどの人は気づくことはできない。これも、最低、世間から
 隔離された状態で、1週間から10日の指導が必要といわれている。さらに、これは
 修行の一つであり全部ではない。
 
 日本で指導している人のことはともかく、一般的にヨーガや瞑想を指導している先
 生の中には、結構独善的ではないかと思われる方が多いように思う。あくが強すぎ
 るきらいがある。
 仏陀は極端から離れ、中道を説いた。極端には、常に危険性がひそむ。
 ヴィパッサナー瞑想は、自分の心の動きを純粋観察し、こころの動きにいつも気づ
 いた状態(無意識ではなく)でいることを目指している。
 
 ヴィパッサナー瞑想をすべての人がやるように、と勧めているわけではない。これ
 のみが完全と言っているわけでもない。
 私にもそれほど向いてはいない。ただ、八正道の一つとして、習う価値のある人は
 いるであろうというだけである。
 
 また、このヴィパッサナー瞑想は八正道の正念に当たるもので、ここから四念処な
 どにもある呼吸の観察などに進む。また、仏陀の呼吸法と四念処は違うように思わ
 れる。むしろ正定との関係が深いのではないか。
 
 
 もしその指導者が教えてくれないのであれば、自分で探してみれば、ということで
 ある。
 無駄な議論に時間を使わないで、その時の自分の心を観察してみることの方が意義
 のあることである。少なくとも10日間、隔離されたところで、自分の心の観察を行
 っていれば、屁理屈に時間を使うことはできなくなる。
 
 
- 5 :○○屋 ◆ L8k65ylhh2:2008/10/21(火) 23:26:48 ID:kFZMrzLI 
 
- [712]伯承 05/07/27 01:35 FyLcWiRZtt
 ヴィパッサナー瞑想について、ブッダダーサ比丘の言ったことの真偽はわかりませ
 ん。ブッダダーサ比丘がどの程度の研究をして言ったものなのか、私は存じません。
 しかし、普通のテーラワーダとはずいぶん異なることを言っておられるので、これ
 を一般的な南伝仏教の見解ということはできないでしょう。
 そのHPには、ブッダダーサ比丘は、輪廻すら否定したようなことも書かれていま
 す。
 日本仏教でも、僧侶の個人的な見解を挙げればいろいろな説があるでしょう。
 尊敬に値する方であろうとも、1人の説を取り上げ、それですべてが分かりわけで
 はありません。
 
 一部引用してみましょう。
 --------------------------------------------------------------------------
 ブッダダーサ比丘は、十二支縁起の進展を phassa (触)か vedana (受)の段階
 で止め、 tanha (愛)を起こすな、と説いている。これの具体的方法のひとつが、
 ヴィパッサナーの、自分のそのつどの反応をあれこれ評価せず、言語化して確認し
 (ラベリング)、そこで終わらせる、という指導ではないかと思う。特に、締めく
 くりに置かれているバヒヤへの教えは、ヴィパッサナーを髣髴とさせる。
 --------------------------------------------------------------------------
 
 ブッダダーサ比丘の指導は、ヴィパッサナーとは違うようであるが、近いものでは
 あるようです。
 八正道の正念に当たるというのが、後から考えた理屈であるというのも個人的な見
 解ですね。ヴィパッサナー瞑想は価値がないということを主張したいのかも知れま
 せん。さらに進むと南伝仏教の否定にまで向かうことになりますね。
 ブッダの7種類の修行方法に対しても、特定のものにしか価値を置いていないよう
 にも思えます。でもそれは、多分万人向け、誰にでも役立つものではないでしょう。
 南伝仏教は、ヴィパッサナーから四念処を行うことを目指しているように思われま
 す。南伝仏教における八正道、四念処以外の修行方法については、不明です。詳し
 く知るためには、出家し弟子入りする必要があるでしょう。
 
 唯言える事は、個人の僧侶の意見はいろいろあっても、テーラワーダ仏教では、普
 通は八正道の正念と考えている、ということです。この段階で否定すれば、南伝仏
 教の理論や修行、そのものを否定していることにしかなりません。
 
 
- 6 :○○屋 ◆ L8k65ylhh2:2008/10/21(火) 23:28:34 ID:kFZMrzLI 
 
- [737]伯承 05/07/27 18:43 s3mvaM8B
 「正念」の「念」の原語が sati であることから、「正念」の意味が念力のように
 何かを念ずるというような意味にはならない。
 「正念」は、英語で「awareness mindfulness」と訳されていることからも、ヴィパ
 ッサナー瞑想の概念に近いものと考えるのが妥当であろう。
 ヴィパッサナー瞑想を指導しているのは南伝仏教であり、最近日本に入ってきたの
 は事実であるが、日本の大乗仏教とはほとんど関係があるとは思われない。
 もし、日本の大乗仏教が修行方法の一環として、その瞑想を取り入れる気があるの
 なら、それはそれで好ましいことでしょう。
 
 
- 7 :名無しさん@chs:2008/10/21(火) 23:31:10 ID:kFZMrzLI 
 
- [789]伯承 05/07/28 19:31 s3mvaM8B
 サーリプッタとモッガッラーナは、初期仏教教団を支える2本の柱であった。サー
 リプッタは、明晰な頭脳と智恵で教団に求心力を与えた。サーリプッタは、天才的
 な能力を持っていたということで、何事も労せずして達する天才肌の人であったよ
 うである。しかしとても謙虚な性格であった。
 ブッダから依頼されて、よくブッダの代わりに、多くの説法を行うこともあった。
 サーリプッタは、弟子の中で一番優れていたと考えれている。修行者たちが悩んだ
 とき、問題にぶつかったとき、彼らを解決に導いたのは、サーリプッタであった。
 
 
 八正道を頭で理解しただけで、解脱できるという人はいないだろう。もっとも、理
 解していなければ実践のしようもないが。
 
 八正道の内容を一つ一つをよく吟味し、実践しようとすれば、それほど簡単ではな
 いことに気がつくはず。
 正念や正定を実行するためには、ある程度の期間、創意工夫が必要になる。そして、
 それができるようになって、その他の八正道の実践も進んでいく。
 
 以前述べたように、正念は発展させると四念処を実行するところまで行き着く。
 すると、八正道を実行していくと、七課の他の科目としてあげられている四念処、
 四正勤も一緒に行じることになってしまう。
 [790]伯承 05/07/28 19:33 s3mvaM8B
 日本の大乗仏教には、一般人ができるような修行方法があまりないか、ほとんどな
 いといえる。日本仏教で出家せずに本格的に学べるところはほとんどないのではな
 いか。昔ながらの説教を聴いても面白くない。何もないより、各種の実践修行法が
 ある方がはるかにましと思う。
 
 禅宗の解脱者がどういう状況かは知らないが、道元は七課三十七菩提分法について
 知っており解説もしている。少なくともヨーガ的な解脱には至れるのではないか。
 禅の目的は、言葉の通り禅定(正定)を目指している(定の種類を細かく分けずに)
 と思われる。これも本格的にやるのも大変である。
 しかし、禅宗(曹洞宗は只管打座、臨在宗は公安)で行っている禅と、上座部仏教
 で行っているヴィパッサナー瞑想とは、内容的に似たところがあるとは思えない。
 日本の仏教には、上座部の比丘(出家した人:日本の僧侶は比丘として認められて
 いない)が来たことがないため、このやり方は入ってきてい
 行っている実践内容をみても、全く禅とは似ているとは思えない。どうして似てい
 ると考えるのか、そもそも不思議。入ってきたのはここ10年ほどの間。日本仏教の
 内容にあきたらず、上座部(スリランカ、ミャンマー、タイ等)へ行って、修行し
 て体験した人が広めているようである。
 また、現在の真言宗の修行を一般人が行うようになるとは思えない。また真言宗も
 空海も完全であるとはいえない。真言宗(も大乗仏教)をそのままで現代人が受け
 入れるようにはならないだろう。
 
 それより、チベット仏教の方がまだずっと可能性がある。このチベット仏教は、無
 条件に何かをやらせるという手段はとらない。どんな権威のある人が言ったことでも、
 よくよく考え分析し、納得したときに初めて採用する。
 ブッダは、自らよく考えて、教えの中身を吟味し、その後で初めて教えを信奉する
 ように強く戒めている。チベット仏教では、盲信や実践至上主義を排し、明快な論
 理による思考を重視している。
 
 [791]伯承 05/07/28 19:34 s3mvaM8B
 仏教の修行も誰でもできるということが重要で、一部の人しかできないものであれ
 ば、結局一部の人だけのものでしかない。現在の日本仏教は、ほとんどそういう状
 態になっていると言えるのではなかろうか。
 
 瞑想やヨーガの指導者には、自分のものが一番と主張する者が多い。確かにその人
 には一番合っていたのかも知れない。しかし他の人が同じようにやっても、同じよ
 うには効果がないか、あまり効果があがらない、というようなこともまた往々にし
 てある。すべての人に、同じように効果があるという方法は、そんなに多くあるも
 のではない。同じことをやって、その指導者と同じようになれるかどうかは、個人
 差も大きく、事前にはなかなか分からない。
 もし、その方法を採用するときには、自分に合っているかどうか、よく確かめるこ
 とである。一定の期間、その方法を採用して実行しても、効果があがらなければ、
 別の方法を探すことも考慮に入れるべきである。
 
 
 また、指導者や師を選ぶとき、あなたと気が合うことも重要である。何か力のある
 指導者であっても、あなたと気が合わなければ、どこかでついていけなくなる。気
 が合わない人とは、いつまでも長くは付き合えない。(そもそも疲れる。)いくら
 力があっても、気が合わない人は避けるべきである。
 また個人的に話すこともできないようなら、師として選ぶべきかどうか、よく考え
 る必要がある。もし話をしてみて、あなたと合いそうなら、しばらく指導を受けて
 みる、というのは、よい考えである。
 
 [792]伯承 05/07/28 19:35 s3mvaM8B
 正語(正しい言葉)
 
 正語は、嘘(妄語)を離れ、口から出任せのいいかげんな言葉(綺語)を離れ、都
 合や立場で使う二枚舌(両舌)を離れ、悪口を離れることである。
 別の言葉でいうと、(1)嘘、(2)誹謗中傷、(3)陰口、(4)無駄話の四種の言葉をやめ
 よ、と説いている。
 
 1.嘘
 嘘とは、事実を意図的に変えて、他人に精神的・経済的なダメージを与えようとす
 ること。
 
 2.誹謗中傷
 人の心を傷つけるような粗暴な言葉。言葉によって人を傷つけ、生きる気力を失わ
 せたりする。反対は、優しい言葉、親切な言葉、励ましの言葉。
 
 3.陰口
 噂、本人がいないところで悪口を言うこと。
 
 4.無駄話
 何の意味もない、役に立たない、有意義な情報など全くない話。
 無駄話は、無知という煩悩を増やす。時間を無駄にするだけでなく、無知の混乱状
 態を生じさせ、聞く相手に並々ならぬ大損を与える。有意義なこと、人の役に立つ
 ことを話す。
 
 スッタニパータ:
 --------------------------------------------------------------------------
 傲慢は重い荷物であり、怒りは煙であり、虚偽の言葉は灰である。
 舌は柄杓であり、心は火(供儀)のあるところである。
 よく制御された自己は人間の光である。
 虚言を避けよ。
 よく気を付けて偽りをなさないようにせよ。
 --------------------------------------------------------------------------
 
 これができていなければ議論することは、時間の無駄であるばかりでなく、四正勤
 にも反する。
 まず議論するときには、正思惟、正語を意識して、行わなければならない。
 [793]伯承 05/07/28 19:37 s3mvaM8B
 正精進(正しい努力)
 
 正しい努力とは何か。ひたむきな努力の生活が正精進である。では一体、何を努力
 するのか。ここで言っているからには、通常の仕事や勉強のことなどを指している
 わけではないことは、すぐにわかる。
 すぐに考えられることは、仏法を努力するということだが、これは抽象的な言葉で、
 一体何を行ったらよいかよくわからない。
 
 精進とは努力という意味であるが、良い人間になるため、より立派な人間形成への
 努力ということになるであろう。
 この努力を、四つの努力にまとめたものが、四正勤というものになる。
 
 [四正勤(四正断)]
 ・すでに生じた悪を除こうと勉めること
 (今持っている悪いところを消すための努力)
 ・未だなしていない悪を生じないように勉めること
 (未だやったことのない悪いことを絶対にしないための努力)
 ・すでに生じた善を増すように勉めること
 (今持っているいいところはどんどん伸ばしていこうとする努力)
 ・未だなしていない善を生じるように勉めること
 (未だしなかったいいことを積極的にやっていこうとする努力、
 
 これは、悪に対しては断ずるように努力し、善に対しては生じるように勤めること
 である。断ずるものと勤めるものがあるので、四正断とか、四正勤と呼ばれている。
 
 内容をみると、何も不思議なことは書かれていない。こんなことは当たり前だ、簡
 単だと思う。でも、普通の生活で、これが完全にできている人は、ほとんどいない
 のではないか。
 戒を守る生活のも、これに関係する。今の日本の仏教では、戒について言うことは
 少ないが、上座部仏教(南伝仏教)やチベット仏教では、戒についても明確である。
 
 [794]伯承 05/07/28 19:37 s3mvaM8B
 (参考)パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」での八支則:
 これは、ヨーガでいう八支則の中にも「禁戒」「勧戒」というものがあり、これに
 似ている。
 「禁戒」(してはならないことを行わない)
 「勧戒」(するべきこと、したら良いことを行う)
 「坐法」(略)
 「止息」(略)
 「制感」(略)
 「執持」(略)
 「静慮」(略)
 「三昧」(略)
 
 
- 8 :○○屋 ◆ L8k65ylhh2:2008/10/21(火) 23:31:34 ID:kFZMrzLI 
 
- [795]伯承 05/07/28 19:37 s3mvaM8B
 正定(正しい精神統一)
 
 これは瞑想、禅定であるが、阿含経の中にサマーディを目指すための方法として、
 多くのものが説かれている。
 
 ・四無量心(慈、悲、喜、捨)についての慈悲の瞑想。
 ・アンパーナサティ(anapana sati)が、呼吸瞑想。
 ・仏随念、法随念、僧随念、戒随念、神随念など。
 ・・・・
 
 水野弘元氏は、この正定を「四禅定」であるという指摘をされている。四禅の瞑想
 を行うことを指す。色界の禅定だけでなく、無色界の禅定等も含んでいるのではな
 いかと思う。
 この八正道を行えば、凡夫が聖者になれる。聖者もさらに境地を高められる。
 さらに、水野氏は聖者になった人が最後の段階である阿羅漢を目指すための修行法
 が「七覚支」であるという指摘もなされている。
 
 九つの禅定が説かれており、順次高い禅定を目指す。
 
 色界の禅定には、四禅定がある。
 1.初禅
 2.第二禅
 3.第三禅
 4.第四禅
 
 無色界の禅定にも、四つある。
 1.空無辺処定
 2.識無辺処定
 3.無所有処定
 4.非想非非想処定
 
 さらにその上に、次の禅定がある。
 ・滅想受定
 [796]伯承 05/07/28 19:38 s3mvaM8B
 ヴィパッサナー瞑想では、思考が全くないと自分を観察するためことが難しくなる。
 したがって、高い禅定に入ると、却ってヴィパッサナー瞑想はやりにくい。四禅定
 の初禅の状態が、ヴィパッサナー瞑想にふさわしいということである。落ち着いた
 集中力のある状態で、ヴィパッサナーの修行をする。
 
 日常生活を送りながら、初禅の状態を維持したまま、行うということになる。
 正定の修行も一緒に進めていくのが、八正道。一つだけを説いているのではないで
 しょう。
 
 
 瞑想を理性で行うことができると考える人がいることに驚くが、理性で解脱できる
 と思うのであろうか。
 もし、私は理性で禅を行うなどといえば、祖師に叩き出される。
 
 理性というと何か高尚そうである。が、この言葉は何を指すのか、どんな働きか、
 よく考えてみれば、単に英語のマインド(意識)を表している言葉にすぎない。
 理性は、仏教で説くところの智慧ではない。単なるマインド。
 
 とどまることを知らず、いつもさまよっているもの。これが意識、心。これを統御
 するために、瞑想がある。
 もし、理性で解脱できるものなら、ブッダが苦労するはずがない。
 
 この正定が進んだ段階で、さらに深い正見ができるようになる。正見だけを取り出
 しても、完全にはできるようにはならない。
 正見ができない状態での議論は、意味のないものになりやすい。
 
 
- 9 :○○屋 ◆ L8k65ylhh2:2008/10/21(火) 23:33:59 ID:kFZMrzLI 
 
- [811]伯承 05/07/29 01:16 i1x5CHgYq/
 クンダリニーヨーガは阿含経の中にはでてこない。ブッダが指導した形跡もない。
 チャクラ開発もブッダは説いてはいない。後の桐山氏の著作で、クンダリニーヨー
 ガは阿含経にはでてこないと言っていたようにも思うがはっきりしない。
 チャクラ開発でブッダのように解脱した人もほとんどいない。こういう考えは30年
 前の桐山氏の著作によるものと思われる。当時の若者の多くの人がやったはずだが、
 桐山氏はこの路線はとらなかったのは、結果がでなかったためではないか。1人だ
 けでは、多くの人に価値があるとはいえない。
 
 ヴィパッサナーが大乗と関係ないことは、ちょっと調べれば誰でも分かること。そ
 れを調べてみないで議論するとは、普通は考えられない。これは相手の話をよく聞
 いていないか聞こうとしていないということであろう。その場合は議論が無意味な
 ので、しない方がよいということになる。
 
 テーラワーダ仏教や指導している人のHPなどいくつかある。その中の指導してい
 る人のHPには、サマディ(有想三昧)の体験談やサティとの関係なども述べられ
 たものもある。
 そこには、「サティ(気づき)が安定し、揺るぎなく確立することが、ヴィパッサ
 ナ−修行者の第一の目標である。たとえサティが完全なものになっても、正しいサ
 マ−ディが確立されない限り、解脱の智慧には到達しないだろう。」とも書かれて
 いる。
 サティを否定すると、八正道やその中の正念とはなにをするものか理解できなくな
 り説明もできない。これは、八正道や四念処の否定にもなる。
 ヴィパッサナー瞑想をこんなものと否定している人は、自分では実行したことのあ
 る人はいない。一度も自分では行ったことがない人が言っているのは不思議。
 
 
 また、深い禅定に表層意識や理性だけで至れるとは思えないのだが。深い禅定が表
 層意識や理性で至れるというのは、初めて聞く説である。
 
 また、もしやりたくない場合は、やらなければよいだけ。今の日本仏教の修行に飽
 き足らず何かやりたいと思った人がやればよいもの。
 
 
 ---------------
 いろいろなところで師を探せと言っています。チベット仏教では、師にふさわしい
 かどうか何年も時間をかけて吟味しろとも言っています。言っていること、行動、
 境地、いろいろな点から吟味するわけです。根本ラマを非常に大事にしますが、そ
 のためには、師にふさわしいか時間をかけて調べるわけです。
 
 一般人でも、何らかの師のような人は、人生で必要でしょうね。でないと独善に陥
 りやすいでしょう。人に学ぶという姿勢がないと進歩が止まりやすいと思います。
 
 
- 10 :○○屋 ◆ L8k65ylhh2:2008/10/21(火) 23:36:41 ID:kFZMrzLI 
 
- 阿含宗と桐山氏について―第十二章―阿含宗の未来は・・・!?―
 
 http://religion.log.thebbs.jp/1120998287.html
 
 からの転載です。参考までに。
 
 
- 11 :一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y:2008/10/22(水) 22:20:51 ID:Zt4bE1so 
 
- ○さん、ありがとうございました。
 大変参考になりました。
 ついでにリンクの「阿含宗と桐山氏について―第十二章―阿含宗の未来は・・・!?―」
 を読んだんですが、慈水さんと羯諦さんの運命解脱の内容はいいですね。
 なんかユビさんもたじたじというか。
 あとなにかの参考になればと思うんですが、3年前の○さんの方がなんだか迷いがないように思いました。
 今は私と同じ、なかなか修行が成就しない、いらだちがあるかもしれませんね。
 あと私はもっぱら、チャクラ用の瞑想ですが、○さんはヴィパッサナーをやってますか?
 
 
- 12 :○○屋 ◆ .jMGTy6iYI:2008/10/23(木) 22:58:25 ID:QrIfAMLs 
 
- 意識してやったことはないですね、ヴィバサナー。もちろん誰かに習ったこともありませんし。
 むかしから「自律訓練法」なんかはやったことがありましたから、瞑想とかには個人的に嗜好
 しているかもしれません。
 
 チャクラ用の瞑想はやっぱり溶岩を流す方法ですか?
 それとも、パールでしょうか?私は溶岩の方が好きでした。
 
 パールはたぶんアジナーとかサハスララとかにはとても良いと思う。
 ムラダーラやマニプラなどは溶岩のほうがいいように感じます。
 
 
- 13 :一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y:2008/10/24(金) 01:00:48 ID:drwlSOAo 
 
- >>12
 ○さん。
 >パールはたぶんアジナーとかサハスララとかにはとても良いと思う。
 >ムラダーラやマニプラなどは溶岩のほうがいいように感じます。
 
 なるほど、そう言われてみれば、そうかもしれませんね。
 下半身はパワーで、上は聖域のような感じですものね。
 ただ、私の場合は最近は血液なんですよ。
 いま、非常にアクセスのある気功のサイトで、そこの師匠が気とは、
 細い管(人間でいえば毛細血管)を、液体(人間でいえば血液)が通るときの波動である、と言っていて、
 丹田(腹部)には、毛細血管が集中しているので、基本がここになるそうです。
 そして、慈水さんもポイントは血だ、といわれてたので、チャクラの部分に血液が集中するよう観想する。
 すると結構効果があったのです。
 現在の修行法は、梵行+自発的功過格+チャクラ瞑想といったところでしょうか。
 仏教とは関係なくチャクラやクンダリニー覚醒した人は結構いそうで、皆さんあまり人格には関係ないといわれてますね。
 阿含宗の会員の人は真面目な方がおおいので、道場でチャクラの話をしても、徳がないので無理です、なんて言われてしまいます。
 私的には、やれば覚醒できるのにもったいない、と最近思ってます。
 
 
- 14 :孫 青柿(あおがき):2008/10/24(金) 03:00:00 ID:hU1E48Xo 
 
- >>13 ご著書にやり方じゃないんですか?
 ところでご著書て仙道とか気功の手法ですが、ちゃんとして流派の出した本と比べると
 不備が多いような感じがしますがいかがですか?
 
 
- 15 :○○屋:2008/10/24(金) 13:31:59 ID:SxHynM76 
 
- 伯承さんのレスに師匠に関する記述がありましたが、なるほどと、感じました。
 
 グルとして考えたとき、猊下はやはりもの足りない感は否めないでしょう。
 
 
 伯承さんは不思議な感じの人でした。
 
 
 阿含宗を否定でもなし、肯定でもなし。
 
 
- 16 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/25(土) 09:23:27 ID:DtLaBoHg 
 
- OO屋さん、引用ありがとうございます。
 この伯承さんという方、凄いなあ・・・。いやあ、世界は広いです。
 
 >>9
 
 >いろいろなところで師を探せと言っています。チベット仏教では、師にふさわしい
 かどうか何年も時間をかけて吟味しろとも言っています。言っていること、行動、
 境地、いろいろな点から吟味するわけです。根本ラマを非常に大事にしますが、そ
 のためには、師にふさわしいか時間をかけて調べるわけです。
 
 これは大事ですね。特に私もそれを「無意識」でやっていたが、釈尊の教法に帰れ、まではやっていなかった。
 それを知る機会になったのは2chなどの板のお陰ですね。
 
 A宗の仲間内では「2ch?ああ、あそこは頭悪くなるから行かないほうがいいよ」といわれていたし
 それを守って来た。しかし、今年9月に本格的に閲覧してからは考えが大分変わった来た。
 
 私はA宗の人間にこそ見たほうがいいといいたいくらいだ。
 
 管長がどれほどの人間か。またどういうことをされているか検証ができないで居る。
 洗脳といわれても仕方ないと思っている。
 
 決まった範囲や希釈で展開されているA宗。どうりで黙って信仰をしてても矛盾を感じるわけだ。
 批判派の言うことも、もっともなのです。
 
 またA宗どっぷりではその見地も立てられない。やはりいちどA宗というメガネを外して調べなさい、
 というのはその通りだと思う。
 なかなか難しいですけどね。
 
 
- 17 :○○屋:2008/10/25(土) 11:19:20 ID:ygIpKnbk 
 
- ただ、2chは全体的に特に酷い表現が目立ちます。簡単に『しね』だとか言いますよね。
 
 『コトダマ』と言うものはあると思いますし、八正道の『正語』とはほど遠いと思います。伯承さんの八正道の正語の解説を実行しようとすると、あそこでの書き込みはあまりよろしくないとは思います。
 
 ただし、情報量はほぼ無限にありますね。伯承さんのご意見のような記述は、自分で本や体験で知るとするならば、ほとんど半生を費やすと思います。
 
 
- 18 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/25(土) 12:08:55 ID:uQeb2TkM 
 
- OO屋さん、同意です。批判にしても意見にしても大人の対応・良識ある対応をすれば
 2chも悪くないのですが、どうもそうは行って無いのですよね。
 
 私も最初は何を言っても(やっても)いいと思うほどでしたから。
 
 まして、「正語」の姿勢を重んじれば何をやってもいいわけが無いですよね。
 先ほど見たら批判派の批判をしている人がいましたが、ああいうのも良くない。
 ここなら警告ものですね。
 
 私にすれば擁護は歓迎するが、でも何も根拠の無い擁護や批判はよろしくない。
 どうも2chは自分が信仰しているから擁護している、というのが多い気がする。
 気持ちはそうであったとしても、ちゃんと言える意見の一つも持たないと妄信と
 言われ終わる。そうであっては成らないと思います。
 
 いくら意見を言っても妄信だ、といわれるのですからね。
 
 >半生を費やすと思います。
 
 あらまあ。じゃあ、私は死ぬまで掛かる計算・・・orz
 やるしかないわけですがねw
 
 
- 19 :一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y:2008/10/26(日) 02:51:33 ID:1/lAL7kk 
 
- >>14
 孫 青柿(あおがき)さん。
 以降、青さんと呼ばせていただきます。
 
 >ご著書に(の)やり方じゃないんですか?
 これは、管長のご著書のやり方という意味でしょうか。
 基本はご著書なのですが、下半身は血が集まって波動を起こすように観想しています。
 要は覚醒させればいいわけですから、自分に何があっているか、いろいろやってみる。
 だれでもこれがベストという方法はないということです。
 クンダリニーを覚醒された人が言うには、とにかくいろいろやってみて、何か感じたなら、その感じたものに集中し、試行錯誤するのがベストだそうです。
 私の場合は、受け入れの秘儀でアジナーチャクラに特殊な感じを得たので、どのチャクラに集中してもアジナーチャクラが反応してしまいます。
 これがなんなのか、試行錯誤しています。
 
 
- 20 :son:2008/10/26(日) 15:02:13 ID:euIapC6k 
 
- >>19 誤字の訂正ありがとうございます。
 さて一修行者さんの色々試行錯誤はgoodだと思います。
 ただゲイカのご著書は使いモノにならないですよね。色々人には個人差があるからこれでばっちりという記述は書けるわけがないが、
 それでも他の指導者の本だとまず平均的にこうだと書いてしかしそれに当てはまらないタイプの場合はこうしてほうがいい、またそれにも該当しない場合はこう・・
 とか、やはり実践で多くの生徒を見てきてるから色々な対処が書けるのでしょうね。それにさえ当てはまらない人でも実地で指導を受けるとちゃんと教えてくれるというか。
 私は飯屋の法の第一期を受けてマグマの試しましたがゲイカは指導する才能なくてチャクラどころか前段階のプラナルートさえダメで
 十数年後必要にかられて訓練を再開して他所で指導を受けました。
 
 さてクイズです。ご著書は環境を整えるとか色々書いていながら大事なことを抜かしてます。
 やっぱ実践として役立たないし指導者として失格です。
 波動を起こすように観想、とありますが、波動を気と置き換えて表現させてもらいます。
 気を集めたり移動させたりする、その気の実感が強めるのに必要なこと、これは何だと思いますか?
 気功を知ってれば誰でも分ることです。  ヒント 錬精化気、錬精化神、錬神環虚
 
 
- 21 :○○屋 ◆ .jMGTy6iYI:2008/10/26(日) 17:41:45 ID:5Dz8iDTE 
 
- あの・・・精通があり自慰と性交を我慢して体内に溜めてチャクラに
 その精の気を集中するってやつですか?
 
 
- 22 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/26(日) 21:09:59 ID:6D2J4NKs 
 
- >>17:○○屋 :2008/10/25 11:19:20 ID:ygIpKnbk
 >ただし、情報量はほぼ無限にありますね。伯承さんのご意見のような記述は、>自分で本や体験で知るとするならば、ほとんど半生を費やすと思います。
 
 これに尽きると思います。個人の体験記だけでなく、各人が調べて知り得た情報
 を、自分だけで気づくには一生を費やしても気付かずに終わる可能性もあります。
 情報が一番大切なのです。
 誤った情報で一生を無駄にするか?
 私もアゴン宗批判スレを知る前から2ちゃんねるなんて悪の巣窟だという偏見がありました。
 しかしアゴン宗批判スレを読んでからですね。
 そうとばかりも言えず、きちんとした発言もあるし、自分では到底知り得ない
 スゴイ情報がある。
 つまり玉石混淆なわけですね。
 各自は石の中から玉を探せばよいわけです。
 そりゃ石なんか転がってなく玉だけのスレの方がいいに決まっている。
 しかし現実にはいろいろな人がいるのだから、環境にばかり文句を言っても仕方がない。
 自分で石の中から玉だけを選び取る努力をすべきだと思う。
 玉の情報を提供してくれる人に感謝をして。
 2ちゃんねるでも削除機能はあるんですよ。
 管理者に理由を書いて削除依頼すれば削除人が削除のガイドラインに沿って
 削除してくれます。
 アゴン宗スレにも過去スレでその形跡が認められる。あぼーんと表示されている
 のがそれで、ひどかったものですよ。一部の擁護側の嫌がらせのエロコピペとか。
 大日さんのように自分が権限を持ってしまうのも一手かもしれないが、我々一般市民は
 がまん、スルーするか、依頼の手続きをとるかです。
 限度ある我が身を常に意識していたい。
 釈尊にだって単なる中傷誹謗の悪口はあったのです。
 しかし釈尊はそれでさえ相手にして答えている。
 今あなたが言った悪口を私が受け取らなかったらどうなるだろう、あなたに返るだけ
 と言って、相手をギャフンと言わせてますよ。
 
 
- 23 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/26(日) 21:31:04 ID:6D2J4NKs 
 
- 自分の人生を変えた一書というのがありますね。
 私の場合は、中2の時に読んだ密教占星術1がそれだった。
 狂喜して桐山宗教を求めたものです。
 それで一つの運命ってか、人生が展開した。
 そんな私の人生をまた変えたものがあった。
 それは一書などという出版物ではなくて、2ちゃんねるというネットの掲示板だった。
 「阿含宗という宗教」ですね。
 あれに出会わなかったら今でも理由をつけながらアゴン宗の信仰を続けていた
 かも知れない。確実にそうでしょう。
 それを考えるとぞっとする。
 だから玉石混淆で全然かまわないから、ああいうスレがあること自体が救いであり
 珍重したいわけです。
 誰もが気兼ねなく名無しで自由に書き込める前提において情報を集めたいし、
 情報を発信したい。
 
 
- 24 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/26(日) 22:37:42 ID:O5hG3peE 
 
- ユビさん、ご意見ごもっともです。これには私も脱帽です。
 
 しかし、今日の何とかsutraさん?あれはいけませんね。
 また、誹謗中傷も増えた。
 
 仰せの通り「耐えること」も修行なのでしょう。その点は私は足りないのだと思いますが
 やはり許せませんね。(ザ、でもある方が、訳のわからんことを書いてますし)
 
 板違いや荒らし行為でなく、ちゃんと間違ってもいいから意見くらい言えよと。
 
 結局はユビさんのこの言葉に尽きるのでしょう・・・。
 
 >誰もが気兼ねなく名無しで自由に書き込める前提において情報を集めたいし、
 情報を発信したい。
 
 申し訳ないと思いつつ、生きています。
 
 
- 25 :孫 青柿(あおがき):2008/10/27(月) 01:00:37 ID:+BdoUV3k 
 
- ○○屋さん、一修行者さんが気功とかヨガをどれだけ知ってるか?を知りたくて・・(ニョライの子孫さんみたいにチャクラとかプラナについてアゴンの本しか読まない人もいるかもしれないので、彼はバグワンは読んでるがバグワンはチャクラとかプラナと系統違うような感じがします。マインドとかそっち系かなぁ。)
 答え、少々お待ちくださいませ
 
 
- 26 :○○屋:2008/10/27(月) 08:28:40 ID:wQQpYLfs 
 
- オショーのは、天風師のような感じがします。わたし実際にやってないけど。
 
 
 独自にクンダリニーヨガを修行するサンガ集団みたいなの、青柿さんつくってみたら?
 
 どこもかしこも決定打に欠けるよね。阿含宗もしかり。
 
 
- 27 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/27(月) 21:57:40 ID:d8mfWYx2 
 
- 私もできることならA宗以外で瞑想の講義を受けたいものです。
 もう管長の示唆は嫌ですわw
 
 
- 28 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/27(月) 22:27:47 ID:d8mfWYx2 
 
- ザ、のところで「性格」のことが出てますが、非常に同意。
 性格矯正の見本のはずの「管長」が性格矯正ができてなくて何で人のことをいえる?
 これはいつも思ってました。
 
 自分のことを棚にあげて人のことをいうな、ですよ。
 知り合いの信者に聞いたら「ま、管長だからしゃあないでしょう」ですって。
 
 しゃあないってどういうわけ? じゃあ俺がそれを地でやっても認めないでしょうが?
 
 呆れて何も言いませんでしたが。
 
 こういうのを見ると擁護派も「頭が・・・」と思いますね。
 性格矯正までは良い。しかしその後が駄目なのに「管長だけは特別」 アホか、と思いますね。
 
 
- 29 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/27(月) 22:30:38 ID:d8mfWYx2 
 
- あと言い忘れましたが、「この馬鹿つまみ出せ」と「10倍にして返す」という言葉を
 見るたびに笑うのは私だけ?
 
 普通性格のできた人間はこういう言い方はしません。ましてや教祖さまが・・・ね?
 
 人格を疑われてもしょうがないです。
 
 
- 30 :一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y:2008/10/28(火) 02:24:48 ID:UdG6RaBQ 
 
- >>20
 青さん。
 私は気功を知らないので、なにを質問されてもわかりません。
 もし、実際に大きな効果を得た方法があるなら、教えて欲しいというレベルです。
 
 
- 31 :名無しさん@chs:2008/10/28(火) 12:24:27 ID:BTbUxF+c 
 
- 性腺こそ、とか、ホルモン、とか さんざんいい続け>>21で彼が言い当てた射精を節制することを書いてないのだから
 実践書とは思えませんね。
 禁欲さえすれば求聞持聡明法秘伝の内容など3日で一応できるんですよ。気功はルートが出来るところがスタートであり
 作るのに何年も伝授がかかるようでは仕方がない。
 一修行者さんも"血"とか"波動"の強さが禁欲中とそうでないときとは違うこと実感するでしょう。
 腹式呼吸をすれば腹部に熱感が生じるのは当たり前だが、それを各部所に移動させるとなると、精が漏れてなくなった状態では移動するという実感がない。溜めているときにやるとルート内を流れる実感が強いのです。
 
 
- 32 :一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y:2008/10/29(水) 03:02:06 ID:3ojO/2WA 
 
- >>31
 青さんでしょうか、ありがとうございます。
 今度、実行してみたいと思います。
 
 
- 33 :削除:削除 ID:削除 
 
- 削除
 
 
- 34 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/30(木) 00:44:19 ID:KMbOukuc 
 
- ザでのユビさんの意見は確かにそうだなあ、とは思いますね。
 100%を謳っている自分でも、高確率の90%以上で「見切り」を付ける事も
 確かにできないわけではないし、今よりは楽かな?と思うときもある。
 
 でもラシンさんのように6年もROMってて、それから・・・という方も
 居られるし、それから見たら私はまだ約2ヶ月w 納得が行きづらいのも
 あるだろうなあ、というのがまだありますね。
 
 それこそ「今のA宗には何も無いのだ」と大筋で判ればできるのでしょう。
 まだ自分の中では%が90を越えているようで超えてないのでしょうね。
 
 
- 35 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/30(木) 01:04:12 ID:c2LtE8rg 
 
- >>33
 ははは、↓書いた「干柿しわ雄」さんという現役信者の書き込みですね。
 
 【ザ】阿含宗と桐山氏について―第三十九章― 仮設スレッド
 http://religion.bbs.thebbs.jp/1219667337/498
 
 ここで彼が名指ししている如来さんって大日如来さんのことではないのですよ。
 ザのスレに常駐する「如来の子孫」さんという信者さんに対するものです。
 私らは略して子孫さんと読んでいる。
 彼はこれまでの書き込み内容から、ろくに梵行をやってない怠け信者とわかるのです。
 
 
- 36 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/30(木) 01:19:09 ID:KMbOukuc 
 
- うーん。確かにユビさんの仰せの通りですね。
 私はきちんとリンクや記事Noまで書いてないし、出さないのが多い。
 今度は記事Noだけでも出しますか・・・。
 
 何か全部の文章までコピペって嫌なんですよ。揚げ足取りのように見えるし
 どうせWeb見るならタブブラウザ使っている人も多いし、多引用しなく
 てもいいんじゃない?と思うからいけないのかもしれません。
 
 また私は以前OO屋さんが「引用」について嫌がっていましたけど、私は
 お互い様だと思うし、転載禁止なんて謳わない主義なのでかまわない方向です。
 
 ただ、メタメタ叩かれるのは好きではありませんが。
 
 そうなれば掲示板に書くな、となるのはどなたかの意見でありましたが正論です。
 究極はそうなるでしょう。だから過去の書き込みをした人で出てこない人がいる
 のはそうだと思うし、それこそ私だって何年も掲示板に来るかなんて判らない。
 
 多分ある程度やって自分が納得したら書かないかもしれないし、逆にいつまでも
 頑張るかもしれない。先はわからんです。
 
 私があまり2chでもザでも顔を出さないのは、罵声討論になるからです。
 過去の私の記事を見ればよくそれがわかるでしょう(苦笑)
 あれの繰り返しをしたくないんです。
 
 また、自分の板としてサイトも持ったしw
 
 ただ、一回ザ、の方では連絡のような感じで書かせてもらいました。
 あれだって本当はやりたくなかったのです。
 
 また、2chでもザでも「名無し」でやろうと思えばいくらでもできる。
 しかし、そういう卑怯な真似はしたくない、のです。なので、書かない。
 書くなら”ここでやる”のです。
 
 まあ、何かで気が変わらない限りこのスタイルで行くでしょう。
 
 確かに2chでもザでもいい意見を出されているのもあるので、私も勉強になって
 います。私が言わない(触れない)時は意見の内容が分からないか、納得している
 かの場合があります。反論の時は書くことが多いです。
 
 干柿さんの意見は私にとっては、ありがたい意見であります。
 
 
- 37 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/30(木) 01:22:36 ID:KMbOukuc 
 
- >>35
 
 ユビさん、ご指摘(書き込み)ありがとうございます。
 いやはや汗顔・・・。訂正しお詫びいたします。
 もし、まずいようでしたら削除しますので、その旨申してください。
 (干柿さん、申し訳ございません)m(_ _)m
 
 
- 38 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/30(木) 01:29:48 ID:KMbOukuc 
 
- うーん、やっぱり見た感じよろしく無いので削除しました。
 たびたび申し訳ありませんでした。
 
 
- 39 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/30(木) 01:32:15 ID:c2LtE8rg 
 
- >>36
 干柿さんではありませんが、削除は必要ないでしょう。
 誰しも間違いはあるものです。
 2ちゃんねるでは、七氏さんも大日さんの書き込み内容から、一通り梵行などにも
 参加して、人のお世話、相談なんかもする人と評価した上で書いてますね。
 
 
- 40 :削除:削除 ID:削除 
 
- 削除
 
 
- 41 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/30(木) 01:33:51 ID:c2LtE8rg 
 
- と書いていたら、自ら削除対象の二重投稿になってしまった。。。
 
 
- 42 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/30(木) 01:35:22 ID:c2LtE8rg 
 
- あ?
 もう削除しちゃったのね。残念。
 
 
- 43 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/30(木) 11:18:25 ID:N1exOOIU 
 
- ユビさんの記事No40は、39の二重投稿なので削除させていただきました。
 ご了承ください。
 
 私もNo35の記事は残したほうが・・・とは思ったのですが、悪意が無いといえ
 文章にとげのある表現でしたので削除した次第。
 
 復活させられますが、復活したほうがいいのかなあ・・・。
 
 
- 44 :○○屋:2008/10/31(金) 16:19:57 ID:mZMPFUKk 
 
- 大日さん、こんにちは。
 
 ザ には書きましたが、わたし数日前に退会しました。
 
 最後までひっかかったのは護摩の中にあるかもしれない、如来や菩薩のスピリットでした。
 
 いまでも解らない部分です。阿含宗は教義的にも組織的にも破綻しています。なぜそこに如来や菩薩が現れるのか。ユビキタスさんや名無しさんは、気のせいで片付けていますが、煙の釈尊はどうみてもわたしがイメージするお釈迦さまでした。
 
 あるいは、聖霊というのは意志により、わりとどこにでも出るのかもしれない。ファティマの奇跡などは護摩を焚かなくても出現しています。
 
 
 最近の阿含宗は『龍神が翔ぶ』にあった、『有の通力』なんじゃないか?と、思うことがあります。
 
 
- 45 :名無しさん@chs:2008/11/01(土) 00:33:20 ID:6rWACEIU 
 
- >>44 火星にシマリスがいるのをご存知ですか?火星の地表を撮影した写真にシマリスそっくりの影が写ってましたw
 さて私は現形の写真はどれもなんだか人の形をしてるだけでどこが仏様なんだ?と思うのばかりでしたが、
 三身即一の如来様は装飾物まで現われているから別物だと思っていました。
 ある信者さん(あなたも知ってる人です)にそれを話したところ「あれは立体だと思いか?どの方向から見ても仏様か?」と言われたのです。
 そういえば!肩当てが白くてそれらしく見えるが、肌の上に炎による肩当すれば当然オレンジでしょう。
 なんだ、一方向から見てそれらしく見えるだけだったのか!と教えられました。
 まあ一方向でもよく撮れてるが・・w
 
 
- 46 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/01(土) 08:03:17 ID:CrQrA3OM 
 
- >>44
 人によって感性は全く違うものだなと驚かされます。
 私にはあの煙が釈尊の瞑想する姿にどうしても見えなかった。
 最初は皆目見当すらつかず、解説されてすら承服しかねました。
 そもそもがどうして釈尊が禁止した護摩の煙なんかで現れるのか?
 こんなものは有の通力どころか、通力でもないし、不思議でもないし、偶然でもない。
 単なる、ってか、かなり強引で苦し過ぎるコジツケです。
 そこに霊的なるものを想定する必要が全くない。
 現形写真をアゴン宗信者以外の一般人に解説入りで見せてごらんなさい。
 納得されませんよ。
 
 
- 47 :○○屋 ◆ .jMGTy6iYI:2008/11/01(土) 08:25:54 ID:Vps/hhhs 
 
- >46   名前:  ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg   2008/11/01(土) 08:03:17   ID:CrQrA3OM 
 >
 >>>44
 >人によって感性は全く違うものだなと驚かされます。
 
 まーそうなんでしょうね・・・
 私はこの点で退会を逡巡しましたから・・・
 
 >そもそもがどうして釈尊が禁止した護摩の煙なんかで現れるのか?
 
 前文ですでに否定されていますが、釈尊が護摩を禁止したというのは今でも
 はたしてそうなのか?という部分は有ります。
 
 以前読んだどなたか忘れましたが、外面的なことだけで清められるわけではない、
 阿含宗は外面だけの護摩(事の護摩)ではなく内面の理の護摩だ、みたいな内容の
 レスを見て、自分的にはそういう見方も出来る、と思いましたね。
 
 
- 48 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/01(土) 13:09:02 ID:CrQrA3OM 
 
- >>47
 >以前読んだどなたか忘れましたが、外面的なことだけで清められるわけではない、
 >阿含宗は外面だけの護摩(事の護摩)ではなく内面の理の護摩だ、みたいな内容の
 >レスを見て、自分的にはそういう見方も出来る、と思いましたね。
 
 だから理の護摩など焚いてないのです。
 現実に木片を焼いて因縁浄化、霊障浄化を説いているのです。
 しかも煩悩を抱えている当事者が自己内察をするのではなく、導師がテレパシー
 とやらで何か送ると言っている。
 護摩は相変わらず欲望を煽る祈願ですし。
 
 
- 49 :○○屋 ◆ .jMGTy6iYI:2008/11/01(土) 21:41:09 ID:Vps/hhhs 
 
- ユビキタスさんの解釈としては理の護摩ならば、釈尊は禁止していないということですか?
 
 
- 50 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/01(土) 22:12:35 ID:CrQrA3OM 
 
- >>49
 理の「護摩」儀式なんか必要ないですよ。
 そんなものは火を使うことを禁じられた子どもがせめて焚き火ゴッコをして
 火が炎々と燃え上がっているのを夢想して楽しむおままごとです。
 もちろん火を実際に使っても意味がないし、使わなくても焚き火おままごとの
 どこに己の煩悩を浄めることにつながろうか?
 己の煩悩を焼き付くすような効果を目指すのならば、火を観想して、その火で
 煩悩が焼き尽くされ消えていき、もう君たちは大丈夫だよ、なんて空想ゴッコを
 しても意味がないではないか?
 それよりもありのままの自分を観察してこれと対峙すべきです。
 護摩というのは理の護摩だろうが事の護摩だろうが、内(ない)護摩だろうが
 外(げ)護摩だろうが、密教の儀式ですが、密教の儀式なんてのがおままごと
 に過ぎないのです。
 伝法受けてその所作の意味することをおさらいすると、わかるでしょう?
 あなた?お帰りなさい、お風呂にする?ごはんにする?と夫婦ゴッコをする
 幼児と同じです。
 
 
- 51 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/11/01(土) 23:36:13 ID:gX+yjN62 
 
- >>44
 
 OO屋さん、どうもー。
 私も「ザ」を見て、『うーん、とうとう・・・か』と思いましたが、OO屋さんも考えた末の
 決断と思い、それはそれでよろしかったのだなあ、と思いました。
 
 ま、今後は信仰ある無しは別に掲示板でよろしく意見を交わしましょうね。
 
 さて、仰せのことですが私もまだ悩んでいるし、考察の対象ではありますが結論がでて
 いませんね。
 
 ユビさんのもされることもわかるのですが、それとはまた別に現形とか精霊の云々は私も
 あると思います。でも、そこからが水掛けになるので致し方ないのですが・・・。
 
 これは私の体験ですが、ある人を一日護摩に連れて行ったことがあります。
 その人が初めて護摩をみたし、A宗の教義はまったく知りません。
 ところがその護摩に参加したとたん、「額が痛い」というのです。
 ちょうどアジナーチャクラの所を指すのです。
 
 大変困った私ですが、修法が終わるとその人のすぐに痛みは止みました。
 あれは不思議な体験でした。(鈍感なのか、私は痛くないんですがね)
 
 私も護摩には何かあるとは思いますが、これもネタになってしまうなあ・・。
 
 PS
 
 1日付けで出向先の関係で、以前のように時間が使えなくなりました。
 (下手をすれば朝6時から夜11時までに勤務がなるかも・・・)
 
 なので、私が出てくる頻度が少なくなっても「逃げた」わけでは無いのでありませんので
 ご了承ください。
 しばらくして落ち着けば、ちまちま書き込みはできるかも知れません。
 
 
- 52 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/11/01(土) 23:39:19 ID:gX+yjN62 
 
- いけない、欠落文の訂正を。
 
 ユビさんのもされる=X ユビさんの申される=○
 
 です。
 
 確かに「ままごと」とはねえ・・・。なんともいえませんね。
 私はOO屋さんの気持ちに近いですけどね。
 
 
- 53 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/02(日) 00:37:30 ID:T7vp7dgQ 
 
- >>51:大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q :2008/11/01 23:36:13 ID:gX+yjN62
 
 >これは私の体験ですが、ある人を一日護摩に連れて行ったことがあります。
 >その人が初めて護摩をみたし、A宗の教義はまったく知りません。
 >ところがその護摩に参加したとたん、「額が痛い」というのです。
 >ちょうどアジナーチャクラの所を指すのです。
 >大変困った私ですが、修法が終わるとその人のすぐに痛みは止みました。
 >あれは不思議な体験でした。(鈍感なのか、私は痛くないんですがね)
 
 頭痛?チャクラの部位だかなんだか知らないが、それって不快な話ですよね?
 逆ならよかった。護摩の最中、なぜかふんわりとした清浄な空気の漂うのを感じた。
 しかし惜しいことに、それは護摩修法が終わるとそれは消え、元の俗念に覆われた
 自分に戻っていたなんて報告だったらよかったのですがね。
 頭痛ではあまり心証よくないですよ。
 お連れした人は護摩の間中頭痛の不快感に覆われていたのですから。
 あなたがチャクラだなんて喜んでも通用しません。
 喜んだのはあなただけです。
 こういう仮説も考えられる。
 あなたは護摩の席にお連れした。
 その人は付き合いだから仕方なくついてきたが、本当は厭だったのかも知れない。
 あるいは自分では興味があるなどと無理に場に合わせようと表面意識で努力したが
 暗闇の中、お経が始まるという異常空間の中、潜在意識に眠る嫌悪感が頭痛と
 なって訴え出たのかも知れない。
 宗教に勧誘されて、連れて来られた道場でお経が始まり、すごく嫌な思いをした
 なんてのは、よく聞く話です。
 私も勧誘する時にそれを聞かされ苦笑したものです。
 自分の都合のよいようにばかりとらないで、友人の本音も汲み取る配慮も必要ですよ。
 繰り返しますが頭痛は苦痛体験に過ぎない。
 
 
- 54 :一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y:2008/11/02(日) 00:53:53 ID:0CxDlQJw 
 
- ○さん。
 私から一言。
 退会されても同じ求道者。
 教学のみにこだわらず、実践的修行者でいることを望みます。
 
 
- 55 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/02(日) 00:54:20 ID:T7vp7dgQ 
 
- >>52:大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q :2008/11/01 23:39:19 ID:gX+yjN62
 >確かに「ままごと」とはねえ・・・。なんともいえませんね。
 
 この「ままごと」というのは決して行き過ぎた皮肉表現ではなくその通りなんです。
 桐山さんですらこの点で密教を批判してます。
 「密教入門」などで展開してますよ。
 こういった観想、観念だけで自分が何かに成りきったように思い込むことの無意味さを
 「観念宗」と批判している。長く密教が観念宗と批判されてきたことを認めているのです。
 御都合主義とまで書いている。
 護身法がそうですね。
 想え、戒定慧解脱解脱知見の五分法身を磨ようす。
 塗香を塗り込め、こう観想しただけで戒学、定学、慧学の三学が身についてしまうのです。
 本当は実際に生活の場で戒律を守りきちんと修行していかねばならないのに。
 だから「ままごと」であり「なりきり」であり「〜したつもり」であり、
 「御都合主義」の「いい気なものだ」と批判されても返す言葉がない「観念宗」なのです。
 観念の遊戯です。
 
 
- 56 :○○屋 ◆ .jMGTy6iYI:2008/11/02(日) 08:23:08 ID:l9yd7svI 
 
- そうですね。ザ にも書きましたが、釈尊の人生観や世界観も棄てたわけではないので、
 これからも、それに恥じない生き方をするつもりではありますが、ご宝塔に対する甘えは
 なくなりますね。かえって自分の言動に気をつけなくてはならない、と気がつきます。
 
 私は大日さんや修行者さんにも退会を勧めることは出来ません。信仰とか信条ってその人の
 生き方であって、どれが正しい、どれが間違いなんてことは竹を割ったように断じれる問題
 ではないと思うのと、もし、自分が間違っていたら、その間違いを人に勧めることになる、
 その責任を感じると、一概には言えないことと思います。
 
 私が信仰時代、いやだったのは布教です。人の人生を阿含宗流に変えることに対して、
 もし、そのことが、その人の自分にマイナスだったらこの責任を負えるのか、と悩んだものです。
 
 自分で阿含宗を選んだ人は自分でその責任を負うし、最終的には管長が負います。だから、
 布教は本で入行するだけで、いいんじゃない?なんて思っていました。
 
 
- 57 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/02(日) 08:46:39 ID:T7vp7dgQ 
 
- >>56
 退会した後に、依存がなくなり責任が生じて自分の言動にいよいよ注意する
 ようになったとは、まさにそのとおりで、この自覚は素晴らしいものと思います。
 私も○○屋さんと同感で布教、とりわけ個人ダイレクトの勧誘なんて無責任に
 するものでないと思ってました。
 あくまでもその人が桐山さんの本を読んで、私らと同じように共鳴して入行を
 熱望した時のみお世話をした方がよいと思っていた。
 しかしそれですら不十分で、その人に著書だけではつかめない現実、つまり解脱供養
 などどれだけ金が掛かるか予め説明するのが責任だと思う。
 解脱供養?必須でなくしたい時、必要と感じた時にすればいいんだよなんて説き方は嘘、まやかしです。
 自分が実際にこれだけ金を掛けている現実を示すべきですね。
 
 
- 58 :○○屋:2008/11/02(日) 19:24:02 ID:CPESkmIQ 
 
- そうなんですよね、先ず自分が因縁切って『ああ、因縁は切れるんだ』と実感して初めて人におすすめできる、と思う。因縁切れてもいないうちに『あなたも因縁を切らなきゃならない』なんてなぜさせるか、違和感がありました。
 
 実は阿含宗の○○の因縁自体が根拠の薄いもので、それに人生を支配されているというのは、管長の信者を増やそうとするテクニックであろう、と、今は思う。
 
 
- 59 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/02(日) 21:21:35 ID:T7vp7dgQ 
 
- >>56:○○屋 ◆ .jMGTy6iYI :2008/11/02 08:23:08 ID:l9yd7svI
 >そうですね。ザ にも書きましたが、釈尊の人生観や世界観も棄てたわけではないので、
 >これからも、それに恥じない生き方をするつもりではありますが、ご宝塔に対する甘えは
 >なくなりますね。かえって自分の言動に気をつけなくてはならない、と気がつきます。
 
 その通りなんですが、一つ苦言を呈しておきます。
 あなたはザのスレで数日前に退会をしていたと告白した時に2ちゃんねるの
 「引用してレスする七氏さん」に対して彼だけは許せないと書いた。
 それは別にかまいません。そう考えるのも自由です。
 しかし問題なのは彼を「悪魔」とか「卑怯者」と表現して示した。
 このあなたの言動に問題はないか?
 あなたはザのスレで、退会したのだから思い切り煩悩丸出しで罵ってやろうか
 と思ったらしいが、釈尊の教え自体に背く気はないから、それはできないと書いた。
 しかし書いているではないか?
 悪魔だの卑怯者だのと。
 しかも2ちゃんねるに直接出向いてこれを訴えたのならばまだよいが、まるで
 陰口をたたくように、七氏さんの来ないとわかっているザのスレに書いたのは
 卑怯者と言えないか?
 あなたが七氏さんのスタイル、スタンスを認めないというのならば、あなただけは
 絶対にその真似をしないことです。
 つまり七氏さんに文句があったら直接書きに行くことを頑なに守る。
 それができずに結局あなたも別スレで腐しているだけだ。
 他人のやることが悪いと判断したら自分だけはそれと同じことをしてはならない。
 なんかあなたの信念が見えませんよ。
 ザのスレを読んだ時、私は寧ろあなたはせっかくの機会だから、どうせ顔の見えない仮面舞踏会の
 掲示板のことなんだから一回くらい罵りの煩悩も丸出しに、2ちゃんねるに
 殴り込んで、七氏さんに文句を言っても、むしろ陰口叩くよりはアリかな?と思ったくらいです。
 
 
- 60 :名無しさん@chs:2008/11/02(日) 23:26:58 ID:l9yd7svI 
 
- >あなたが七氏さんのスタイル、スタンスを認めないというのならば、あなただけは
 絶対にその真似をしないことです。
 つまり七氏さんに文句があったら直接書きに行くことを頑なに守る。
 
 わたしはね、ザ のスレに名無しさんの引用をした時点で、私と名無しさんの関係はお互いに
 別スレで反論の展開をすることを暗黙の了解として、そのことはユビキタスさんからも指摘されたではないか?
 
 名無しさんの書き込みに私が怒りを覚えたのは私に対する2chのレスというよりは大日さんや修行者さんの
 レスに対する書き込みで、なのです。それは自分でも理由を説明するのにうまく出来ませんが・・・
 
 名無しさんの考えというか思想というか人間性みたいなものが見えないということもあるかもしれない。
 ただ、何だか逆洗脳しているみたいな部分を感じて、根拠もなく気持ち悪い感じがします。
 
 いまのところ彼とは関わりを持ちたくない、という感じでしょうか・・・
 
 
- 61 :○○屋 ◆ .jMGTy6iYI:2008/11/02(日) 23:27:41 ID:l9yd7svI 
 
- あ、HN忘れた。↑はわたしね。
 
 
- 62 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/03(月) 08:45:14 ID:gZ051YZk 
 
- >>60
 大日さんなどは今の別離したスレでのレス付けを推進してるのですから
 あなたは自分だけの考えを頼みとするだけで他人を持ち出さない方がいいですよ。
 それからその暗黙の了承をした時点で、あなたは七氏さんの引用をも認めたこと
 になるんですよ。
 私がもし他スレから引用してレスすることは道義にかなってないという信念を
 持っていたとしたら、相手はどうあれ自分だけは自分の信念に基づき、七氏さんの
 ところに直接レスを入れます。
 ましてや内容は悪魔、卑怯者という非難なわけですから。
 それはちょうど池田大作さんが金をばらまいて世界中の大学などから名誉の学位や
 勲章を買いあさっているのを批判したいと思ったら、自分は金で買った名誉も勲章
 も一つも無いことを誇りに思って批判することです。
 ところが桐山さんなどは大作さんの真似をして追従して名誉学位を買っている
 のだから、こんな桐山さんに大作さんを批判する資格はない。
 
 
- 63 :○○屋:2008/11/03(月) 11:30:22 ID:kUq9Od8g 
 
- ユビキタスさんの言っていることはおかしいですね。いつもの精彩を欠いていますよ。
 
 
 名無しさんと私は言うならば殴りあいをしているので、これに間しては五分五分だ、と私は言っている。
 
 
 しかし、大日さんや修行さんは一方的に吊しあげられている。その事を言っているのだ。現に干し柿さんは不愉快だ、と言っているのだ。
 
 
 なんですか?池田大作氏を桐山氏がどうした、とか。あなたは阿含宗をやめても阿含宗の呪縛から解き放たれていないのではないですか?
 
 
 いちいち桐山氏を引き合いに出す場面ではないのに、そういう例を出すこと自体が、あなたがこだわっていることを物語っているのじゃないか?
 
 
 たとえるならば池○氏が婦女暴行を行ったとするならば、それをけしからん、と言っているのだ。それは、桐山氏だろうが私だろうがその事を容認出来ない人間は、けしからんと思う。
 
 さらに言うならば、たとえ私が婦女暴行したって池○氏が同じ罪で裁判にかかったらわたしは、けしからん、と言いますよ。わたしにも『けしからん』との批判は集まるが、それと池○氏の批判とは別物であり、わたしのやり方が卑怯だと言うならば、具体的に糾弾すればよいのだ。わたしが卑怯ものと言ったように。その時点でわたしの行為を弁解するか謝罪するか、それはケースバイケースではないか。
 
 
 それから、悪魔に関してはこちらの怒りを引き出すやり方が煩悩を引き出させる行為であり、その事を言っている。
 
 2チャンネルかどこかで、もともとあった怒りを出しただけで、その出した原因となった人が悪魔というのはおかしい、と言うレスがあったが、そんなことはないですね。
 
 
- 64 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/03(月) 17:07:39 ID:gZ051YZk 
 
- >>63:○○屋 :2008/11/03 11:30:22 ID:kUq9Od8g
 >しかし、大日さんや修行さんは一方的に吊しあげられている。その事を言っているのだ。現に干し柿さんは不愉快だ、と言っているのだ。
 
 それは大日さんと一修さんに失礼というものだ。
 あなたは外から見て大日さんも一修さんも七氏さんに一方的にやられっぱなし
 だと見ている。もちろん一方的にやられてるのは彼らだけではなく、○○屋さんも
 例外ではありません。内容において。
 しかし内容はさておき、大日さんは一方的に言わせて沈黙なんかしてませんよ。
 ちゃんと自分の立てたスレでそれに対する意見を述べており、彼は彼できちんと
 対抗しており、あくまでも同一スレにおける議論にこだわっていない。
 そもそもが大日さんは最初2ちゃんねるに乗り込みながらも自分の方から退散
 したのですがね。で、退散して2ちゃんねるでこんなことを言ってるがなどと
 話題にしている。
 だから仕掛け人はどちらが先なのかわからないですよ。
 干柿さんといい、文句があるのなら各自が述べればよいのであり、あなたが皆を
 代表していると思い上がらないことです。
 あなたが不快なら不快で不快だと述べればよいことです。
 しかしここやザのスレでそれを述べてもあなたのポリシーに反するはずでは?とその矛盾を指摘したまでです。
 いや、かまいませんよ。これからも今のままの分離スタイルで。
 ただ自分は罵りの煩悩を晒したくないから抑えたのだなどと自分を美化しないことです。
 ちゃんと言いたいことは怒りをこめて書いたのですから。
 
 
- 65 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/03(月) 17:28:32 ID:gZ051YZk 
 
- >>63:○○屋 :2008/11/03 11:30:22 ID:kUq9Od8g
 >なんですか?池田大作氏を桐山氏がどうした、とか。あなたは阿含宗をやめても阿含宗の呪縛から解き放たれていないのではないですか?
 >いちいち桐山氏を引き合いに出す場面ではないのに、そういう例を出すこと自体が、あなたがこだわっていることを物語っているのじゃないか?
 
 ここで池田大作さんと桐山靖雄さんの話を例に出した時、もはや○○屋さんは関与してません。
 ○○屋さんは退会を果たした元信者であり、今更桐山さんの名誉餓鬼ぶりに擁護
 なんかしないだろうとわかっているからです。
 だからこれはこれとして独自に切り離すことのできる桐山批判です。
 私は呪縛ではなく敢えて桐山問題から離れずにこれを退治してやろうと意図している。
 桐山批判はいろいろな切り口があり、折にふれてそのネタを示すことは有効であると考える。
 だからここでこのネタを出した時、「やい、○○屋よ。おまえさんの崇める桐山さんを否定してやろうか?」
 なんて思って例に出したりしません。
 逆に「○○屋さんも桐山さんは池田大作さんを批判しつつも、やってることは
 大作さんの追従で、これって説得力のない話ですよね?」とまず同意を求め、
 「しかし、『七氏よ、人の気持ちも考えずに勝手にあちらに書くな』と言いつつ、
 自分もまたこちらで直接レスをつけない形で陰口を書くというのは、七氏さんの
 追従と見られても仕方なく、あなた的に説得力を欠く矛盾に陥るのではないですか?」
 と私は示したわけですよ。
 その対比に大作氏を模倣する桐山氏を出した。
 あなたがそんな桐山氏は情けないという感情を持っていれば、自分がそんな桐山氏に
 比定されてしまうのは不本意だろうから奮起を促す意味で書いたのです。
 
 
- 66 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/03(月) 23:39:13 ID:gZ051YZk 
 
- >>63   名前:  ○○屋   2008/11/03(月) 11:30:22   ID:kUq9Od8g 
 >それから、悪魔に関してはこちらの怒りを引き出すやり方が煩悩を引き出させる行為であり、その事を言っている。
 
 レス付け忘れてました。
 怒りは引き出された方が負けですよ。
 主体は常に自分なんですから、怒りを他人のせいにしないことです。
 仏教徒ならば。
 くれない族云々書いたが、ここにも相手依存が見られる。
 そう書くと、こちらが桐山批判をするのも義憤であれ何であれその怒りは
 桐山さんに向けられているではないかと返してくるでしょうね。
 だから私らはこれって我々が義憤とすべき話ではありませんかと、桐山さんの
 悪い点を具体的に示している。
 それを書いている私の心には実は私的な怒りなどなくなっているのです。
 ○○屋さんは自己観察を深めたいと書いていたのだから、その自分の怒りも
 ちゃんと分析してこちらに示せるようにした方がいいですよ。
 細かに、具体的に。
 議論の内容にまで突っ込んで、どこで怒りを感じたか、なぜ怒りを感じたのか
 自己観察をするのです。
 
 
- 67 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/11/08(土) 23:16:37 ID:jJqA4XSw 
 
- ようやく時間が取れた・・・といっても少々ですが。
 
 ザを見て唖然。最近道場から遠ざかっていたらそういうことか・・・。
 呆れたな、何がアジャリだ。
 
 批判派のこりゃ勝ちだな。A宗オワタ。
 
 まあ良く検証してからにするが、私もOO屋さんのようになる日も近いような気がした。
 
 管長、三途の川で会おうかw
 
 
- 68 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/11/13(木) 20:12:42 ID:rt76cnfk 
 
- ザ、の方でも結構な意見が出されていますね。
 
 拝見していて微妙なのは、擁護側の方の意見ですね。
 
 あれはA宗的にはおかしくないのです。しかし、批判派から見ればおかしい。
 第三者な私は首を突っ込めない状態ですね。
 
 今後を興味深く見てゆきたいと思います。
 
 
- 69 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/11/23(日) 07:32:44 ID:LMWV/bWI 
 
- 後で確認してみるが、アホか管長。
 株はギャンブルと同じだ、といってたのは自分じゃないか。
 
 とうとう狂ったな・・・いや、本性か。
 本性だとしたら、批判派の勝ちですね。
 
 何が聖者だ。馬鹿が。
 
 
- 70 :孫 青柿(あおがき):2008/11/23(日) 19:45:52 ID:QacBDc2w 
 
- 法話で、副管長が株をやろうみたいなことを言ったが管長は宗教家としてそれはよくない、と止めたと聞きましたが
 そのときは管長は聖者だと思いました。
 
 
- 71 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/11/24(月) 10:15:15 ID:iCct4pLU 
 
- 株を買え発言そのものの問題もさることながら、原発の問題もあります。
 桐山さんは「1999年地球壊滅」の下手な小説を書いて、法話で原発は必要悪と
 話してました。小説を書く前に取材もかねて原発の視察に行った時も、職員の「安全です」
 解説に対して、「しかしこれは必要悪ですな」と言ったそうだ。
 危険が完全に払拭されないからには必要悪に過ぎず、早くプルトニウムに代わる安全な
 エネルギー資源と新しい技術開発が待たれるわけです。
 あの夢オチ小説では原発こそが地球壊滅の引き金にしたくらいですから。
 そんな識者面した桐山さんが今では、その原発の株を買って、私腹を肥やすのに役立て
 儲けよとの指導です。
 
 
- 72 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/11/24(月) 15:20:14 ID:gbfUa9oo 
 
- >>71
 
 まさしくその通りですね。呆れてしまってマジに退会しようかと思っているほどです。
 こういう馬鹿に対して信仰をしていたのかと思うと、批判派の言葉にありがたさを感じます。
 
 2chなどで散々言われているとおり、管長はやはり金の亡者なんだと痛感。
 
 死んでも言っちゃいけない言葉を吐く管長に愛想が尽きましたわ。
 
 
- 73 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/11/27(木) 11:32:18 ID:dzhqfsVc 
 
- ここでも書きます。
 
 >>70
 
 青柿さん、私もそう思ってました。しかし、もう終わりましたね。
 聖者が時間が経過して今になって
 
 「いや、やはり時代は株だ」とは言わないでしょう。
 批判派の言うとおり、地が出たんですね。
 
 何かするのも全て金。おかしいですよ。
 
 満願陀羅尼の御法礼が¥3000。伝法会の最終段階(*今は五回生)
 には受講料の他に御法礼で10万上乗せ(別件)として払う、とか現在では
 好運会で5万の他に月々のお金も払う・・・
 
 金取り宗教ですよ。
 
 聖者が金の亡者でどうする。釈尊はお金集めしなかったぞ。
 釈迦の教法も聖者への道も嘘だというのが見えてきましたね。
 
 
- 74 :名無しさん@chs:2008/11/29(土) 23:25:45 ID:CuuDjnDo 
 
- わたしの友人はそれはそれはお金をつぎ込んだし今でもつぎ込んでいます。
 
 私にもそうするように勧めますが、もはや、無駄遣いはやめました。
 
 やめても「因縁返し」は無いようです・・・
 
 
- 75 :孫 青柿(あおがき):2008/11/30(日) 00:53:21 ID:dX1Nnz4A 
 
- >>74 脱会したきっかけは何ですか?
 それとも脱会してなくて在籍して会費だけにしている常態でしょうか?
 
 
- 76 :○○屋:2008/12/02(火) 14:16:32 ID:vziWWKxk 
 
- すみません。また、コテハン入れ忘れました。74はわたし。
 
 
- 77 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/12/07(日) 00:10:34 ID:x724uDsY 
 
- こちらにも書きますか。私もかなり熱くなっていますので、冷やすのにいいかもw
 
 因縁返しはもともと無いですよ。やはり、何々の因縁、というのは管長の打ち出し方であって、
 また千座行時代の和賛にその文句がありましたが、あれは「脅し」ですよ、完全に。
 
 因縁返しを受けるなら、私は何度も受けているはずです。
 何度も中座しましたからね。
 
 また、仏舎利尊に変わってから急に因縁返しを言わなくなった。
 これも嘘という証明です。
 
 結局批判派の方々の言われるとおりですよ。管長が余りにも「因縁」を付け過ぎた(笑)のですよ。
 
 釈尊が説かない「何々の因縁」。あれって結局運命のコースの名称でしょう?
 『お前はガンで亡くなる運命だ。だから、お前はガンの因縁を持っているんだ』
 
 まあ、そこまではよろしい。しかし、
 「それってお釈迦様がそういったんですか?」と聞き返したら『そうだ』というなら明らかに嘘。
 
 こういう単純なミスに気がつかないのが自分もそうだし、A宗の信者たちですよ。
 桐山節に騙されたんですよ。
 
 ありもしない「因縁論」に振りまわされている。因縁じゃない。運命なのです。
 
 因縁返しは受けるものでは無く、起きるもの。因果の法則によってその適した(熟した)時期に
 自分に起きるものなのです。
 
 退会させないように。サボらないように植えつけた脅迫文章なんですよ、和賛は。
 
 自分もやらねば成らないことが無かったら、さっさと辞めてますw
 
 
- 78 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/12/08(月) 20:57:16 ID:yXO4Jk1s 
 
- ここもおかしい表現なので訂正を。
 
 >因縁返しは受けるものでは無く、起きるもの。ではなく
 
 因縁返しはありえないもの。因縁というより運命の現象(事項)は因果の法則によって・・・
 
 と後の文章に続くものです。
 
 深くお詫びし訂正いたします。
 
 
- 79 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/12/11(木) 07:00:42 ID:MFvazOCI 
 
- さすがは干柿さん。貴殿の意見深く同意ですね。
 まさにそのものでしょう。
 
 子孫さんがこのままどこへ行くのか、見ものです。
 
 え?お前も見ものだって? ・・・そうですね・・・・。
 
 PS しかし、桐止めさんも口が悪いのう。
 言っていることは判るが、ああ言う言い方は893ジャマイカ。
 
 ま、発言は本人の自由だし責任ですしね・・・。
 
 
■掲示板に戻る■ 
■過去ログメニューへ戻る■