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仏舎利についての見解スレ(26)
- 1 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/14(火) 06:11:12 ID:khmX82iU
- 現行スレで「仏舎利」の話が出ていますが、別に分けて行いたく思いますので立てました。
こちらでは仏舎利に対する意見で展開お願いいたします。
板の基本的姿勢はA宗考察意見交換スレと同じでお願いいたします。
- 2 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/14(火) 06:11:31 ID:khmX82iU
- 今 当A宗考察意見交換スレでは、仏舎利について私は意見交換中ですがこれに対し、
2chでもいろいろ書き込みがなされてますね。
ユビさんが解説してくれたお陰で、掲示板で過去に出された検証を拝読できましたし、
また批判派が「なぜ仏舎利をさほど珍重されないか」という理由もわかりました。
全ては「阿含経および原始仏典」には仏舎利に対する釈尊の発言があるのでそれに
則すと「仏舎利の管理は在家者に任せることになっている」のと、釈尊の教法は仏舎利
にあるわけではないので、申される意見はごもっともであります。
しかし、仏舎利はなぜ未だに尊まれているのか?
私が思うには、釈尊は偉大な存在であり素晴らしい力をお持ちであった。
ただ、在世時には神通力の誇示などほとんどしなかったし、厳しい戒も設けそれを示唆
し、仏教の布教と本当の修行ということをメインに行っていた。
ただ、在家には出家者ほどまで厳しくはしておらず、もし厳しくしてたなら「舎利」のことさえ
も「在家にはかかづらわってよろしい」とは言わなかったと思う。
在家としてはあれほど尊敬した偉大なる聖者の御身を処理・崇拝できたことは嬉しかった
でしょう。もしかしたら出家者の中にもそう思った人がいたかもしれない。
あれほどの偉大な方の御身を尊敬・崇拝の「シンボル・便(よすが)」として拝みたい、と
いう気持ちは起きてきて当然であり、特に在家者は礼拝可能なのだから、尚更喜んだと
推察する。
そうやって拝むものが多数存在し行った結果、最初は「遺徳をしのぶ」的な人が多かった
だろうと思う。しかし、そのうちに自然発生的に在家の誰かが釈尊の偉大なる力にすがる
何かを祈念したのでしょう。すると、偶発的?に奇跡が起きた。つまり、「願いが叶った」
ような出来事が起きた。
そこから、民衆には「やはりお釈迦様というのは亡くなっていても凄い!さすがは釈尊」
というように認知されるようになったと推察する。
極端な言い方だが、物体としてはただの舎利(骨・遺骨)なわけである。
それを入れた入れ物が「舎利塔」である。ただそれだけなのである。
これがもし自分の先祖であっても、生きていたときに善の限りを尽くし遺徳を敬れる人間で
あったとする。その人の舎利を拝んで奇跡的なことが起きれば、
「ああ、あの人は死んで後も尚私たちを守ってくださるのか」というのと変わりないのである。
ましてや拝むは「釈尊」なのである。傾倒するのは必死なほどである。
なので奇跡を望んで拝んだわけではないだろうが、自然発生的に流れたのはあると思う。
そして、そこから「奇跡(功徳)を願う人たちが多くなり、仏舎利を修行のために拝む」という
行動から、ご利益信仰の方に自然移行されたのではないか、と思う。
そして、それが現代に於いて今もなお続けられている形だと思う。
(特に大乗仏教にはその色が濃い、とみておく)
- 3 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/14(火) 06:37:31 ID:jBqKmPjI
- それは確かに原始・根本仏教を学んで行けば批判派の方々の言われるとおりです。
しかし、私は在家者であり、また大乗仏教の「方便」に属した考えを持っています。
その上での「礼拝」であって欲得にまみれた功徳を望まなければ、別に「仏舎利」を
礼拝してもいいのではないかと思うのがあります。
丸ごとA宗教義になってしまいますが、例えメッキ金属と宝石でこしらえた物体であっても
仏舎利宝塔を礼拝するのは別におかしいことではない。密教の教義ではなんらおかしい
ことではないし、それこそ密教では真正仏舎利でなくても塔をこしらえ、その中に宝石でなく
て「ただの石」であっても「仏舎利の代わりになる」わけです。
かなり強引な「方便」とは思いますけどね。
その観点から言えば「別に変ではない」わけです。ただそれで「満足できない」し嫌だ、という
人は拝まなければいいと思うし、尚且つ根本経典を学べば尚更拝みたくない気持ちは強くな
るでしょう。
でも、特に私は反対に「仏舎利尊いいじゃない」という気持ちです。
確かに昔はやれ「因縁解脱だ。祈願成就だ」という姿勢でしたから、さぞ御霊も嫌だった事で
しょう。でも、なんとなく「それに気づいてた時期」があった。
それから遍歴して「祈願はやめよう。特に自分の欲望に関するものはやめよう」とし、それ以降
欲得祈願はしていませんでした。
それから数年後の現在、2chでの関わりを機に「あ、煩悩解脱に関わるのか」というのを知り、
ますます行わなくて良かったなあ、と喜んでいる次第です。
つまり、「煩悩解脱」というのは知りませんでしたが、自分が自然発生的に気づいたのでやらな
かったのが偶然にも幸いした、というだけなのですが。
でも、批判派からは「宝生祈願などしなくても先祖供養云々も煩悩だ」といわれるのは納得が
行きませんね。それこそ護摩木も勤行も否定されるような言意見では、私は身も蓋もあったもの
ではありません。
ここでは先祖供養云々は申しませんので割愛しますが、そういう様を見て
「A宗が全て悪い言い方をするのだな、皆さんは」という風に思ったのです。
確かに、それは皆さんの意見を見て行ったら「なぜそういう風に言うし、見るのか」というのは
判ってきました。批判派の観点で行ったら確かに我らのやっていることは矛盾だらけです。
しかし、それを言ったら日本で行われている在来仏教は全ておかしい、ということになるし喧嘩を
売っていることにもなりかねない。仏教全否定にもなるのです。
その上で物を申されるのなら、まだわかります。しかし、そうではないという。
その理由も意見を読んでいて「なるほど」とわかりました。A宗のことだけにフォーカスしているん
ですよね。
仏舎利のことを考えると根本経典から見ればA宗のことはほとんどデタラメにはなります。
しかし、大乗仏教観点で考えれば「別に変ではない」のです。
ただ、管長の打ち出した「教義」は結構矛盾があるのでそこは直さないといけないでしょうね。
ところが阿含宗という看板ですから、これを阿含経からみたら「ただでは済まされない」のは
存在します。となると阿含宗はほとんど内容を変えるか、それとも「阿含宗」という看板を捨てる
しかないでしょうね。
で、阿含宗という教団の中でははっきり言って「在家者が多い集団教団」ですから、仏舎利を
安置し奉じるのは別におかしくはない。でも根本経典などから見たら「矛盾だらけ」です。
これをきちんとするのは「管長の仕事」です。我々にはどうすることもできません。
嫌ならやめろ、ですからね。管長に逆らう・逆らわない以前の問題ですので。
なので、自分が退会や継続かを決めるしかないわけです。
- 4 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/14(火) 06:54:04 ID:qhZWYxLc
- 仏舎利にしても同様です。というか本尊なのですから、これだって異論を唱えるならA宗を
辞めるしかなくなってくる。
それこそ私のように「中間で寸止め」という方法もありえますが、多くはないでしょう。
私は2chの影響で「因縁解脱」も「福徳宝生」もしなくなりましたから。
細かく言うと「因縁の項目」に縛られなくてとても楽ですよ。
批判派の言われるとおり、「何々の因縁だ、といって強迫観念を与える呪縛」から開放され
たのですから、これは精神的に助かります。
まあ、以前から「何とかの因縁?はあ、そうですか」とは思っていましたからね。
また、私が入行した時は「黒いご宝塔」でしたから、仏舎利に対しては無知同然でした。
なので、仏舎利尊になった際にすぐ手を出さず、約一年後にご宝塔を交換したほどです。
(黒いご宝塔は今も所持していますけどね)
それだけ「うとかった」のです。
でも、実際に拝受し勤行を重ねてきましたが、因縁解脱に関すればどうも納得が行かなか
ったですね。これは今もその気持ちはあります。
ただ、理屈抜きのある種の「波動」はあるんですよね。これが解明できない。
弱い霊感では把握は難しいでしょうね。
ヌマエビさんの検証は凄いと思いますが、完全に実際の検証までは至らないわけです。
理論や検証の精度は高いと思っています。でも、検証を100%にするには実検証が必要
と私は思っています。その前にヌマエビさんの検証を鵜呑みにするわけにはいかないのです。
またギャーテーさんやOO屋さんもまだ出していませんが、原始経典には「仏舎利」の擁護?
なる箇所があるとか。それも見てないうちにはまだ決定もできませんしね。
最終的には仏舎利は手放すのかもしれません。なくても修行できるのなら不要でしょう。
そういう気持ちには大分なりましたよ。
でも、まだ何か割り切れないものがある。それをはっきりさせないと捨てる気にはなれません。
そういうところですね。
また、思いついたら書き足します。
- 5 :○○屋:2008/10/16(木) 22:22:07 ID:+Mloq0M2
- 仏舎利について色々書かれているようですが「信仰」という形態であれば
常に釈尊を心の中心におく、という心構えでいるには効果的だと思います。
何かをお願いしたり、何かを祈ったりするのは違うと思いますが、献華したり
するのは天に生まれるとありますし、何も拠り所がないよりは良いと思う。
大パリニッパーナの仏舎利の擁護は2chで名無しさんに見事に撃退されました。
ほかで発見したら報告します。
- 6 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/17(金) 13:00:43 ID:AOl01T7Q
- OO屋さん、了解です。
OO屋さんの見解に私もなっている状態ですね。
A宗もこのことに気がついて姿勢を変えればいいのですが、管長はおそらくやらないでしょうね。
深田さんならやるかな? と思ったり。
信者としては残念ではありますが、また他の見地で何か出るかも知れませんし、今は
とりあえず「心の中心に置く」姿勢で行こうと思っています。
ありがとうございます。
- 7 :○○屋 ◆ .jMGTy6iYI:2008/10/18(土) 14:12:03 ID:wEnOyC5E
- 釈尊の説く中身は釈尊の言動を見聞きして『信仰』や『帰依』してネハンを得る、と何度も繰り返し読める。
だからインチキ宗教でも信仰した方がいいのか?それはいくらなんでもおかしいと思うが、では、釈尊は何に『帰依』し何を『信仰』せよ、と言ったのでしょう?
日本中にばら蒔かれる『仏シャリ尊』に帰依して、信仰せよ、と言ったのかな?
マジでわからなくなってきました。
- 8 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/19(日) 17:43:09 ID:cdVTQj1U
- OO屋さんへ
>インチキ宗教でも(ry
私もそれは思いますね。方便でもそれは許されないでしょう。
やはり、釈尊の教えと法に帰依・信仰せよ、となるでしょうね。
>日本中にバラまかれる(ry
それもそうでは無いでしょうね。仏舎利を重んじない方には仏舎利は「不要」ですし、
仏舎利を尊むひとは、真正でなくても塔を建造して礼拝してもいいでしょうし。
ただ、礼拝は礼拝だけにして因縁解脱やご利益依存主体はやめたほうがいいのかと
今は私は思っています。ただし、これは現在の私の私見ですので、一意見としてください。
- 9 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/25(土) 09:34:10 ID:51ApSDTU
- 以前から書こう、と思ってて忘れていたのを思い出しましたので、カキコ。
ヌマエビさんの検証の文章に対しての意見
ダライラマ政府からいただいた仏舎利の意見の中に「サンゴの〜」とありますが、
あれをみて思ったのが「DNA論」なのです。
つまり、荼毘に附したことがある人はわかりますが、人骨って全部が白いわけ
では無いのです。
黒い何かが付着している場合もあれば、ピンクの付着物がある骨の部分もある。
あれだって砕くのだからサンゴ片に見えなくも無いのですよ。
じゃあ、見える・見えないの水掛論になるからDNA鑑定すれば?という考えに
なってしまう。そうでも無い限り
「いや、これは犬の骨だ」とか「サンゴ礁だ」とか論じるしか無くなるのです。
完全な真正物をいただくには、現在では無理でしょう。博物館に展示されている
ものを拝借・分与などできるはずが無い。
じゃあ、それ以外は皆偽物となってしまうなら8つに分与した仏舎利の意味も無い。
もう博物館以外のものは信用できないというのなら、私もどうしようも無い。
ヌマエビさんの検証は素晴らしいものではありますが、完全に信じないというのは
ここにあるということですね。
- 10 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/25(土) 23:39:03 ID:FTTRGQzU
- DNA鑑定の話は、なるほどと思いました。現代ならできるのかと思いきや無理では仕方ありません。
しかし、真正の仏舎利が黒っぽいからといって黒系が本物というわけでは無いでしょう?
私は今まで3人の葬儀に出て荼毘に付し遺骨を骨箱に入れたことがあるから言うのです。
逆に私の方が「荼毘に付したことがあるの?」といいたい。
またそのピンク色だからサンゴというわけではないが、まあA宗でもいってそれを見せてもらうか
ダライラマ政府からの証明が無ければ「偽物」というしか無いでしょうね。
私もそういう正式な物を見て無いから「疑わしい」とは思うが、それだけで決定するのは性急ですね。
まあ、擁護派の戯言として聞いて置いてください。
どうせ擁護でも批判でも実際物を見て無いし、何もいえないわけですから自分の意見で行けばいいでしょう。
また小田僧正から「如意宝珠法」を伝授された件についてはどうですかね?
あれもまた「嘘だ」というのでしょうかね。
あと勘違いされているようですから言っておきますが、功徳論を言うのはよしなさい。
私は功徳が欲しくて仏舎利を尊じているのではない、といっておきます。
- 11 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/25(土) 23:53:38 ID:6ZlraEk2
- 「仏舎利が本物かどうか」それはうちらだって調べたいですよ。
それこそ内部に入ってこっそり確かめてやりたいくらいですわ。できるものなら。
全く管長がしっかりしないからエライ目にあうんだ、本当に。
私が言いたいのは偽者か本物かどうかわからんでしょう?ということだけ。
完全に本物だなんてヌマエビさんの検証文を読めばいえなくなってくるでしょう。
でも、それをどこまで確かめたか?ですよ。検証としては申し分ないです。
でも、実際検証はまだなのですよ。
だからヌマエビさんの文章を読んで「ああ、A宗はデタラメだ」という人は
それでよろしい。
ただ、私は実際検証をしないうちはわからん、というだけのこと。
99%はヌマエビさんの検証が正しいのでは?とは思っていますよ。
この私の姿勢がよほど気に食わないのでしょうね。
- 12 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/26(日) 00:10:07 ID:6D2J4NKs
- >>11
実際に見たことのある職員だか先達だかもいると書いてあるのを読んだことがある。
で、その結果どういう報告をされたのかは俺も知らん。
言えることは見ただけで「これは…」とわかるようなものであるかのような
ニュアンスでしたね。
となると骨であるかどうかすら怪しい。
見た目だけでわかってしまう物。
- 13 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/26(日) 01:28:27 ID:6D2J4NKs
- >>10
2500年前の化石の話です。
これが珊瑚色にも美しいなどとK秘書の案内があるのがおかしいのです。
珊瑚にも赤珊瑚、白珊瑚、黒珊瑚ありますよ。ピンクのもある。
しかし白やピンクに「美しい」のを珊瑚色とは普通表現しない。
モロオレンジ色の珊瑚みたいだったから出た言葉でしょう。
骨は磨くと美しくなるのか。真っ白や美しいピンクになるほど。
ペンキを塗るのならわかるが。
もちろん私も火葬場で骨を箸で拾ったことは何度もあります。
しかし珊瑚のごとく美しいなんてのはない。
ダライ・ラマではなく、弘法大師の仏舎利にも一粒は金色なりなんてありましたね。
桐山さんも調子にのって、そう言えば会津の須田一族から貰った仏舎利の中に
金色があったようななんて曖昧な表現をしてましたね。
そしてその金色は真正仏舎利なのではないかと思うなんて言っていた。
笑えましたね。
シャカの金歯か?
エライ仏さんのホネは金色だなんて、おまえいつの古代人か?と言いたくなる。
- 14 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/26(日) 01:41:31 ID:6D2J4NKs
- >>10
小田慈舟師から如意宝珠法の伝法を受けたのが嘘だなんて誰も言ってません。
その伝統の如意宝珠法はインドや中国起源のものではなく、空海以降日本で作られたものと
論じているわけです。
民衆や時の政府のニーズに応えて創始したわけで伝来の仏教、密教にあったもの
ではなく、ますます釈尊から遠くなっただけです。
- 15 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/26(日) 01:51:41 ID:6D2J4NKs
- >>10
功徳というのは仏教用語なんだから、これを得てよいわけです。
ただし仏教用語の功徳は現世利益とは異なります。
貪瞋痴の煩悩から離れて心が清らかになることを言います。
お金が儲かりますようになんてあさましい欲望で礼拝しないと言うのでしょうね。
しかし事故死するような悪因縁を避けられて安全でありますようにと願っただけで
それは等しく御利益信仰です。
そういう御利益を功徳として位置付けるのならば、仏教では仏舎利だろうが
仏塔だろうが無功徳です。求めてはならない。
- 16 :一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y:2008/10/26(日) 04:09:44 ID:1/lAL7kk
- >>10
大さん。
>あと勘違いされているようですから言っておきますが、功徳論を言う
>のはよしなさい。
>私は功徳が欲しくて仏舎利を尊じているのではない、といっておきます。
ここがよくわかりませんね。
応供の如来+千座行=仏舎利解脱宝生行=下根の成仏法
なわけで、「シュダオン成就」の功徳を否定したら、阿含宗になにがのこりますか。
運命解脱はある意味付属品だ。
修行内容が道品法といえる部分もあるので、自力解脱ともいえるが、大儀は、如来供養による「シュダオン成就」でしょう。
もちろんその功徳を受けるには、そうとうな修行が必要となり、ほとんど私は自力だと思ってますが、究極は如来の力が必要でやはり功徳と表現できますよね。
だから阿含宗の如来功徳を否定したら、解脱供養のためだけに会員でいるのかとも思ってしまいますね。
仏舎利の件もそうですが、その真偽より、仏舎利解脱宝生行により「シュダオン成就」が可能かどうかのほうが重要です。
それには自分がシュダオンになるしか、証明する方法はないように感じます。その修行法を模索するべきだと。
阿含経に仏舎利の功徳によるシュダオン成就が書かれてなくても、三福道が三善根であっても、管長がこの修行法でシュダオン成就が可能と判断できたから、阿含宗ではこういう修行法でしょう。
検証することは、重要なことだと思いますが、その前提で功徳を否定するのであれば、阿含宗になにを求めているのか。
また自分は阿含宗でなんの修行をするのか。
わかりやすい説明をお願いします。
管長の誓願は「世界人類をシュダオンにすること」ですから、入行してある程度清められた会員には、それ以上の指導がよろしくない。
それは、われわれ多くが言っている。
だから、そこから先は自分がどうするか。
新たな修行に挑戦するもあり、考察するもあり、退会するもあり、そのまま現状維持もある。
- 17 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/26(日) 22:17:07 ID:O5hG3peE
- ユビさん、丁寧な解説ありがとうございます。
>>12 これは微妙ですね。実際見ないと判らないし、見た目では馬や犬や人間の骨とは
欠片だけでは判断できないでしょう。
まあ、ラーメンのスープでも取る時のような大きなものなら判りますがw
>>13 これは同意ですね。そのK秘書出て来い!ですね。
また私の述べてたピンク色の骨というのはユビさんの言われるとおりでして
綺麗、といえるものでは無いです。あれは何かの付着物でしょうし。
サンゴを仏舎利の代わりにしていたなら、ただでは済まさん。
>>14 なるほど、了解しました。
>>15 そうですね。私の功徳に対しての偏見でしたか。反省。
でも、私の考えていた功徳は「現世利益」「来世利益」も入ります。
特に欲に絡むものですね。
煩悩から離れて心が清らかになることや向上のためなら私は求めますね。
- 18 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/26(日) 22:30:18 ID:O5hG3peE
- >>16 一さんへ
No17でも書きましたが、私の功徳観念の違いの表記で誤解を招き申し訳ありません。
私の言う「功徳」というのは欲に絡むことで
「お金が欲しい」とか「いい事がありますように」などなどの自己向上欲とは違う依存型の
欲求の事を指していたのです。
次に、一さんの申されることその通りです。A宗ではそういうことなのであります。
しかし、それに対し私のいう言葉では「解脱供養だけ」を尊重しているように見える。
これは申し訳ないとも思っています。
今の自分の考えは、批判派の方々とも会話して学び「シュダオン以上になるためには」
というのを学ばないといけない。A宗の教義は間違っているかもしれない、というのが
あるんですね。
もちろん批判派の方もA宗の教義で「合っている」部分もあるような意見も出ている。
それらも確かめて行きたいのです。
私もシュダオン(以上)になりたいですからね。
ただ、ユビさんにも上げられましたが「輪廻する葦」は間違いが多いようだ。
いや、管長の教学はほとんど間違いのような気がする。
なので、私にも愛着のあるA宗教学を一旦横に置く、にしているのです。
私はA宗に何を求めているのかというと「正義性」ですね。
今までどっぷり浸かってきたA宗。しかしその真偽が疑わしくなってきた。
できることなら私もどっぷりしていたかった。だが、それはできかねた。
なので、こうして9月からWebで会話を続けているし、考えている次第です。
答えはまだ出せていませんね。
ただ、一さんの言われることは正論だと思います。
- 19 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/26(日) 23:03:49 ID:6D2J4NKs
- >>17:大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q :2008/10/26 22:17:07 ID:O5hG3peE
>これは微妙ですね。実際見ないと判らないし、見た目では馬や犬や人間の骨とは
>欠片だけでは判断できないでしょう。
いや、私が示したのは、どうやら獸骨や人骨ですらないかもしれないということです。
たとえばの話ですが、カスケットの中から美しい水晶が出てきたらとしたら
どうしますか?どんなに美しい本水晶でもそれを釈尊の遺骨だなんて認めないでしょう?
そういうレベルの話をしてるのです。
ヌマエビさんではない人が書いていたわけだが、そんなニュアンスに受け取れた。
ただしヌマエビさんほどの検証できる話ではないので、私も自分で見たわけではない
このネタはあまり出さないのです。
私ももっと詳しく聞きたいです。
ただどういう状況で職員だか先達が現物を確認したのか知らないが、一つ考えられる
ことがある。それならば職員や先達の見たそれは実はスリランカより買ったそれ
ではないということになり、そちらは救われるわけですが。
それはスリランカより真正仏舎利がアゴン宗に入ったはいいが、しばらくの間
平河町の東京総本部、三田の関東別院、神宮道の関西総本部のいずれの道場の
本尊のカスケットにも仏舎利を入れ忘れて中は空だったのです。
こんなネタはヌマエビさんですら知りません。元幹部職員がザのスレで晒して
くれました。
しかしカスケットの中身が空なら空と発見者は報告するわけですよね。
だから空の状態を発見したのではない。
元幹部職員によると、それに気付いて、後になってから法務局のY橋職員が全国
の道場にムーンストーンのような仏舎利代わりの石を入れて回ったとの話です。
真正仏舎利を入れたのではなく石を入れた。
だからカスケットの中を見れば今でも石しか入っていないとわかる。
これが骨であるわけがないと、その発見者は疑問に感じたとか。
これなら救われるでしょうね。
スリランカの仏舎利は桐山さんが自室で安置しているのだから無いわけではない。
- 20 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/26(日) 23:23:56 ID:6D2J4NKs
- >>17:大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q :2008/10/26 22:17:07 ID:O5hG3peE
>これは同意ですね。そのK秘書出て来い!ですね。
あなたはまだ読んでないのですね。
近くの図書館に行って取り寄せ依頼してみるとよいのだが、
「日本の仏舎利塔」光地英学著、吉川弘文館、1986.11
これに出てますよ。
私は有名な秘書さんとは言え、スレのルールに則り個人名は伏せてイニシャルだけ
にしたが、K秘書の本名が出てますよ。
それほど公開性のある資料だったのです。
だって、まさかいかにK秘書と言えども、このダライ・ラマの仏舎利もまた
真正仏舎利であったなんて桐山大将が血迷ったことを言うなんて想像だにしなかった
のですから仕方がない。
1986年刊行の本ですが、この年スリランカより仏舎利を買ったのですが
それについては書かれていない。
つまりアゴン宗に対する取材はもっと前だったのです。
>サンゴを仏舎利の代わりにしていたなら、ただでは済まさん。
そう思いますか?私はそう思いませんよ。
世に仏舎利と称するモノを集めたら象一頭分くらいになるのは常識なんです。
だからほとんどの仏舎利は決して釈尊の遺骨などではないのも常識です。
そんな常識のもとで「これは真正ですよ」とダライ・ラマが言ったわけでもない
仏舎利が珊瑚で何が悪いのですか?
海産物が珍重される山国のチベットで仏舎利代わりに珍重して尊崇してきた珊瑚仏舎利
をおみやげにくれたのです。
お近づきの印であり、自分たちが尊崇してきたものを差し上げましょうと
礼のこもったものとわかるではありませんか?
K秘書もその認識だから「珊瑚色も美しい」と話したのは、うっかりミスなんか
ではないのです。
悪いのはこれを後になってから、これも真正仏舎利だったなどと言い出した桐山さんです。
桐山さんをただでは済まさんと憤るならば理解できますが、礼を尽くしたダライ・ラマ
にまでそんなことを言ったらあなたは礼儀知らずですよ。
仏舎利と尊崇されたモノでいいではありませんか?
どうしてホネなんて有形の物にこだわるの?
- 21 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/26(日) 23:45:25 ID:O5hG3peE
- 仏舎利は仏舎利でなければ意味が無いです。
なので、人骨であっても釈尊ので無ければ意味が無いし、またダライラマ政府からサンゴをいただいて
喜んでいるようならA宗も終わりです。
なのでA宗がスリランカからいただいた経緯もヌマエビさんの検証理論では見事ではあるゆえ
それが本当なら仏舎利・・・いやA宗そのものが崩壊でしょう。
なので、しつこくこだわるのです。
確かにある知り合いを道場に連れて行ったら「骨を拝んでなんになるの」といわれたが
それと同等になるですよね、現象を見れば。
でも教義上で貴重だし奇跡もあるから信仰している。
しかし、今はもうどうでもよくなってきているが。
例えサンゴでもいいですよ。駄都法で修してあるのなら。
それもされていないダライラマ政府のサンゴなど何の価値があるか?ですね。
それを「真正」という管長がおかしいだろうが、それもちゃんと証明が出せないのなら駄目ですね。
管長がいずれにしても証拠を出さない限り、立証は難しく自分たちは「信じる」しかない。
でも、哀れだなあと思う気持ちはありますね。(自分に対しても)
- 22 :ユビキタス ◆ oGqIQwSRtg:2008/10/27(月) 07:53:42 ID:6D2J4NKs
- >>21:大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q :2008/10/26 23:45:25 ID:O5hG3peE
>仏舎利は仏舎利でなければ意味が無いです。
そう思う価値観は自由です。
たしかに遺骨でもないものを無理に遺骨に見立てることなど意味がない。
となるとアゴン宗では仏舎利崇拝などできなくなる。
日泰寺などに詣でるしかないかな。
さもなくば遺骨など必要としない釈尊の教えを尊ぶ信仰に切り替えることですね。
>なので、人骨であっても釈尊ので無ければ意味が無いし、またダライラマ政府からサンゴをいただいて
>喜んでいるようならA宗も終わりです。
アゴン宗は表向きには珊瑚などと公表していないから珊瑚などで喜んでません。
喜ばなかったからダライ・ラマから仏舎利を頂いた時、殊更騒ぎ立てなかったのです。
>それが本当なら仏舎利・・・いやA宗そのものが崩壊でしょう。
その通りでやはり見立て品を祀っている世間の仏舎利信仰が崩壊しなくても
アゴン宗だけは崩壊します。
>でも教義上で貴重だし奇跡もあるから信仰している。
アゴン宗の教義上ではね。
奇跡の力の功徳をやはりあなたは求めているわけです。
ところがこれは釈尊の教えに反するのです。
釈尊は自分(釈尊)の力に頼れなんて否定したし、あらゆる超自然的な存在の力に
頼ることを否定して禁じたのです。
だから亡くなった釈尊がホネに宿って神秘の力を信者に垂れ流すことなどあり得ない。
信者の強い信仰心のなせるわざです。鰯の頭と一緒です。
>例えサンゴでもいいですよ。駄都法で修してあるのなら。
>それもされていないダライラマ政府のサンゴなど何の価値があるか?ですね。
駄都法が日本産なんですからチベットで修されているわけないじゃありませんか。
- 23 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/10/27(月) 22:02:56 ID:d8mfWYx2
- >>22
いやはや、その通りですね。
もう批判派の理論で行けばA宗など崩壊ですよ。それは9月半ばから感じてました。
あとはその実際検証をどう進めるか?ですが、多分うまくは行かないでしょう。
批判派の意見を覆すほどのものをA宗は用意して無いと推察します。
ただ、マジで用意してあればさすがですが。(可能性は低い)
>さもなくば遺骨など必要としない釈尊の教えを尊ぶ信仰に切り替えることですね。
これの実行が最適な気は、自分はしていたりしますね。
- 24 :○○屋:2008/11/03(月) 15:22:19 ID:j2WMDucg
- 組織化された宗教団体は組織運営や対外交渉などで金がかかりますので、会費やカンパに頼るしかなく、段々当初の思想からかけはなれてしまうのでしょうか・・・
大衆部が信者や民衆に迎合するように、経典まで捏造した史実にそのモデルを見ることが出来ますね。
- 25 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/11/13(木) 20:27:34 ID:rt76cnfk
- >>24
これは仏舎利とは違うのですが、OO屋さんの意見に沿う意見でカキコ。
実際にあった私の話ですが、ある新入行者の方に仏教の流れ(歴史概略)を説明したところ
こういう意見が。
『 仏教が発生して日本に流れてきた経緯は良くわかりました。しかし、もしこの二大分裂が
なかったら、根本仏教が仮に日本に入ってきたとしても日本でこれだけ仏教を奉じたかどうか
判らない気がしました 』
といわれたとき、私は”はっ”としました。
つまり、日本にある仏教の多くは浄土か法華系です。つまり大乗仏教がほとんどなのです、
その大乗仏教であるがゆえに生じた問題は多々有るが、でも普及したお陰は大乗の思想が
有ったからであって、これがもし根本仏教であったなら面白みのないものと感じて庶民は
仏教を講じなかっただろう、と推察されるのです。
本当の仏教ではない。また依存型の偽物仏教であったわけだが、そのお陰で庶民に認知され
普及したという歴史を見れば、これまた「皮肉だなあ」と感じたわけです。
>大衆部が信者や民衆に迎合するように、経典まで捏造した史実にそのモデルを見ることが出来ますね。
私も最初はそれだけを思っていました。しかし、大乗の派の中にはもっとイージーに庶民を救う仏教で
あっても良かったのでは? お釈迦様はもっと違った形で庶民を救ったのではないか?
まして、仏舎利を拝んだだけで奇跡が起きた現象を見れば、そう思いたくなるのも事実でそれを背景に
仏舎利信仰を容認して、それから依存型の信仰にすり替えたのかもしれない、といえる。
そして、それが捏造に及び、また供養と称して金品や物品、人力を活用させた方便へと変化していった
のだろうと思うようにもなりました。
全てが100%そうではないでしょうけどね・・・。
新人から教わったある日の出来事でした。
- 26 :大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q:2008/11/27(木) 11:22:15 ID:dzhqfsVc
- 最近全然書き込みができなかったから、ここにも書いておきますかw
結局私も論じてきましたが、最終的なものはA宗が公に公開しない限り真相は無理ですよ。
検証的なものは批判派の数々の記事にあるとおりです。これを超えるものは無いでしょう。
ただ、それの立証は公の前で出さない限り無理です。
それこそ「サンゴ仏舎利」なら嘘の立証もできますが、それ以外の「骨」については立証は
見た目では無理です。(だからDNAとほざいたのが私です)
釈尊の骨かどうかはわからなくても人間の骨か動物の骨かは判るでしょう。
でも、それだってせいぜい「釈尊以外の人間の骨」とまでしか判らん。
結局は闇に包まれる可能性はあるのですよ。(サンゴや人間以外の骨の場合は別)
ただ、批判派の理論の立証がされればA宗はたちまち崩壊です。
これは間違いない。
しかし、じゃあカスケットを公に開けて「さあ、これが本物です」などとやるはずが無い。
万が一批判派の言うとおりで宝石仏舎利だったら「さあ、大変」ですからね。
A宗が滅びてもやらないと思います。
そうなると、どこをどう信じるか?ですよ。
真正仏舎利だと信じるか、それとも偽物だ、と信じるか。
ここが物的なところの究極な見解です。
次に教義的に。
批判派の言われるとおり、「釈尊は舎利を自分の魂が込められているから拝め」などとは
一切言ってないのを言われています。つまり、法と教えと自分を寄る辺とせよ、とだけ言われている。
仏舎利に対しては「想いをめぐらす象徴」のようにしか言ってない。
奇跡論も功徳論も言ってはいないわけです。
しかし、初期仏教以降の変化した仏教では「仏舎利は最高の本尊」として位置付けられている。
その教義であれば仏舎利を拝むことはおかしいことではない。
だが、初期・原始経典を顧みれば矛盾が出てくる。
仏舎利は正か否か?である。
ここも信者というか信仰するものの判断になってくる。
批判派のいうとおりか、それともA宗教義で行くのか・・・。
釈尊の説かれたのは「本尊観」は無いのです。だが、教義が変われば「本尊」は大事だ、となる。
この矛盾をどうするかが要でしょうと私は思います。
私の知り合いのように
『骨を拝んで何になるの?』なのか、『生きているお釈迦様』を拝むことになるのか。
それは貴方次第?になるのか否かですね。(都市伝説のようになっちゃったね)
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